1 :
日本@名無史さん :
2006/02/22(水) 02:00:45 ここでは、足利尊氏について語りましょうか はたして逆賊なのか?それとも希代の英傑と いうべきなのか?
逆賊です まさに愚問 終了
3 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 02:17:43
>>2 勝手に終了させるなこのクズが。御前なんざ駄犬に食われて氏んじまえ!!
4 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 02:18:47
あれ 書き込みあったよ 人気ないから書き込みないと思った
5 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 02:20:30
等持院というお寺を君たちは知っているね? ここで150円くらいで売られてる小冊子見た事ある人いる? 何か義貞の事がボロクソ言われてたんだけど
6 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 02:22:02
鎌倉時代から北九州には相当な所領もってたみたいね 三河はかなり領地飛び飛びだが
7 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 02:23:51
人間的にこの人好きだよ 晩年相当地蔵菩薩描いているでしょう 苦しんだんだろうな
8 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 02:41:11
>>7 頼朝、家康と比べても人間味があるんだよね、あと前者二人に比べ好色ってイメージが薄いな(勿論側室はいたが)
あと、精神的にもろいとこがある
9 :
日本@名無史さん :2006/02/22(水) 13:23:30
しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー♪ あーさーはーらーしょーこー♪
後醍醐さんには相当うしろめたい気持ちがあったカンジだよね。 なんか好きだ。尊氏。
11 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 09:35:44
質問ですが、尊氏って竹松丸(うろ覚え、鎌倉脱出の時殺される)、直冬、義詮、基氏のほかに 男子いたっけ?
12 :
日本@名無史さん :2006/02/23(木) 21:39:13
いません
13 :
日本@名無史さん :2006/02/24(金) 00:53:15
>>10 南北朝分裂以前は、個人対個人の関係なら後醍醐との関係は悪くなかったみたいだね。
14 :
日本@名無史さん :2006/02/24(金) 03:08:54
15 :
日本@名無史さん :2006/02/24(金) 21:09:25
弟直義との確執は悲劇的であった。
16 :
日本@名無史さん :2006/02/24(金) 23:51:08
やっぱり後醍醐叩きスレを立てたほうが盛り上がったのでは・・・
17 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 00:33:46
>>16 こっちは尊氏叩きスレの後継として建てたわけではないから、別に建てればおk
>>15 師直がらみで対立するまではまさに二人三脚って感じだからな。
18 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 09:19:48
>>16 叩きスレなんて不毛ですよ。中身で盛り上げてこそ意義があるのに、厨房だ
け寄りつく様なスレ内容で数だけ集めても本末転倒です。
19 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 19:13:20
>>18 坊や、伝染病を根絶するには隔離が一番なんだよ。
隔離は根絶を前提としたものですからね。駄スレを増やしても問題の先延ば しにしかならず、益はありません。とまあ、こんな話も不毛な訳ですが。 普通に語りましょう。>7−8氏と同じ理由で好きな人物です。 前二者ならもう少し強力な政権が出来たでしょうが。 この世は夢の如くに候・・・。
21 :
日本@名無史さん :2006/02/27(月) 17:53:44
22 :
日本@名無史さん :2006/02/27(月) 18:17:42
なんで尊氏スレが3つもあるのよ…ww
23 :
日本@名無史さん :2006/02/27(月) 21:16:59
それこそ尊氏公の御遺徳・・・・とでも申しましょうかw
ちなみに、
>>5 さんが言っている等持院の冊子ですが、内容は以下の通りです。
等持院の起こりや、衣笠山のことなどと共に足利尊氏の事績について触れられています
そのなかで、尊氏が中先代の乱の折、勅許を待たずして東へ下ったのは、政権が朝廷に返上された
建武の新政という大業が無意義になるのを恐れたからである。そして、帝よりおくれて征東将軍
にされたのであるから、尊氏が反逆の意を含んで鎌倉へ行ったとはいえない。つまり、義貞の鎌倉
攻略の不手際の後始末をつけに行かされたと見るべきである。
しかし、それは義貞の思うつぼであり、尊氏が鎌倉へ留まり奥羽関東の押さえとなったのが義貞をして
「尊氏反逆の意図あり」と言わせる口実となった。
尊氏は公家や義貞が政権掌握するのを危ぶみ、幕府再編を図るのを上策としたが、尊氏、義貞両者とも
その資格を有してたためその対立が深くなった。
楠木正成はむしろ考えとしては尊氏の方に理があるとみており、義貞らの確信なき政治よりは尊氏の幕政
のほうがよいと考えていた。
義貞も源氏として天下を取ろうとしていたのは事実だが尊氏ほどの政治力はなかった。
続く
24 :
23続き :2006/02/27(月) 21:52:30
そこで、正成が尊氏との和睦を主張したという梅松論の所伝も、正成が鎌倉時代の朝幕関係に立ち戻るべし と考えていたことを明らかにしている。 尊氏が正成、義貞らに敗れて九州へ下った時、正成は尊氏と和睦すべし、尊氏こそが朝廷への 最大の功績者であり、政治と戦いを併せ行える人物で尊氏>>義貞である言っている 源氏の主流ながら尊氏に機先を制されたと考えて、尊氏を逆賊に陥れ独り尊王家を装っていた 義貞が、正成を低い旗頭程度に扱って湊川の死地へ陥れたことを、尊氏が大いに憤った尤もで ある。それは、光厳天皇への上奏書でも感じ取れる。 後に楠木正儀が、細川頼之らと工作し南北朝合一に尽力し正成、尊氏の霊に報いたのだ。 以上要約、「等持院」(監修・関牧翁)より抜粋 とまあこんな感じです
25 :
◆2ol/7vs7N2 :2006/02/28(火) 20:55:55
>>21 のスレを立てたのは私です。
パソコンを修理に出している間に落ちてしまったようで残念です。
次スレの要望があったので立てようとしたのですが、すでにこのようなスレがあったのですね。
逆賊高氏を「尊氏」と表記している点から、一目で高氏礼賛のスレかと思ったのですが、案の定でした。
逆賊高氏を人間的に立派な人物と信じてやまない方がこれだけいるのに驚きました。
そして等持院では上のような内容の冊子が本当に売られているのですか。酷いものですね。
26 :
日本@名無史さん :2006/02/28(火) 21:06:48
この人の死因は背中にできた悪性の腫れ物によると言うことだけど 何の病気なんだろう?
>>25 修理されるべきなのはパソコンじゃなくて
お前の頭。
28 :
日本@名無史さん :2006/02/28(火) 21:29:40
>>25 逆賊厨がきたよW
南朝側の資料でも「尊氏」と記載させているのにね。これだから
逆賊厨は嫌になる・・・・「尊氏」と書く=尊氏信者としか考えられないなんて、さすが馬鹿は違う。
ここはお前のお絵描き帳じゃないんだよ。どっかに隔離されていろ
29 :
日本@名無史さん :2006/03/01(水) 12:42:04
30 :
日本@名無史さん :2006/03/01(水) 13:26:12
尊治スレはどうした?
31 :
日本@名無史さん :2006/03/02(木) 09:15:35
>>30 後醍醐帝のスレは別に建てればよろしいと思うが、<<25のような逆賊厨が
わいてくるのは覚悟の上で。
32 :
日本@名無史さん :2006/03/02(木) 22:20:49
なんて酷いスレなんだ・・・ 不敬この上ない
誰に対しての不敬なんだ?
逆賊厨に対してだろ
35 :
日本@名無史さん :2006/03/03(金) 19:56:32
さてと、逆賊厨はほっとき、本題に戻りましょうか
36 :
日本@名無史さん :2006/03/04(土) 17:43:49
NHKで大河ドラマとして太平記をやると聞いた時、當然主人公は大楠公(楠木正成)と思い、全巻をビデオに撮ろうと張り切っ ていたが、逆賊足利高氏が主人公と聞いて愕然とした。原作(吉川英治、私本太平記)がそのようになっているそうであるが、「梅 松論」ならいざ知らず「太平記」と名付ける以上は、大楠公を無視したり足利高氏を賞揚したりすることは許されないのではなかろ うか。足利高氏の肩を持って書かれている「梅松論」ですら、大楠公に對しては稱贊を惜しまないとのことであるのに、NHKドラ マの楠木正成は足利高氏に阿諛追從する道化役にされている。役者も重みのある人を起用するならまだしも(演技は上手なのかも知 れないが)輕佻浮薄な役者を起用して意識的に「河内の田舎武士」を演じさせている。役者自身も、大楠公を演じている自覺がまるで ないようであり、チャンネルを變えると馬鹿面を晒して「ラーメン」や「冷藏庫」の宣傳を行っているから始末が惡い。心ある日本人の 崇敬を一身に集めた大楠公を演ずる以上は、己も大楠公に成り切り、少なくとも放映期間中は輕佻浮薄なコマーシャルの出演を斷る 位の見識を示して欲しかった。昨年の西郷南洲(隆盛)役に續き、NHKは我々の崇敬する人物を意識的に侮蔑しようとするのか!
コピペはもういいから。 芸がなさすぎ。
38 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 01:40:46
25=32=36は醜悪だな。 腐臭がぷんぷん漂ってる。 こいつの人生、も少し有意義に過ごそうとか思わんのかな。
39 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 01:55:51
靖国神社遊就館の武士の歴史展示室に置いてある大年表。 坂上田村麻呂以来の名のある武士が列挙されている中、足利尊氏の名が無い。 代わりに新田義貞と楠木正成の名がある。
40 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 10:47:38
逆賊厨の馬鹿っぷりにはあきれるばかり。 尊氏表記は、尊氏が後醍醐天皇と対立して、南北朝の世になったのちも、南朝側の資料に「尊氏」 と書かれているわけ。それを無視して「高氏」としてるってのは馬鹿なだけなんだよな。 楠公の件に関しても、確かに後醍醐天皇には過ぎたる人物だろう。だが、病的なくらい持ち上げるように なったのは明治になってからだ。明治政府(=薩長)が自分らの行いを正当化するために南朝系の連中 を称揚するようになったんだよ。だから名和、菊池なんかの末裔には爵位をあげている。 ちなみに言っておけば薩長の輩は尊王攘夷論を掲げていた連中もかなりいたのに、南朝系が皇位 をついでないことすら知らんかった連中。足利三代の木像の首を刎ねた輩がいた頃から逆賊厨の精神は すこしもマシになってない。 ちなみに、陽成天皇を廃位した上宇多天皇にダダこねた藤原基経や、三人の上皇を流刑にし仲恭天皇を廃位した北条義時、 花山天皇を偽って出家させた藤原北家の面々、後水尾天皇を恫喝した徳川幕府は君ら厨の目から見てどうなんですか? ま、そこまで考える頭も無いだろうけどw 尤も、これらを逆賊呼ばわりしても詮無いことですがね。逆賊だの忠臣だの、それ一言で片付けるのはあまりに幼稚。 逆賊厨はチラシの裏にでも書いてなさい。
41 :
市松 :2006/03/05(日) 13:47:55
決して尊氏は逆賊ではない。確かにお坊ちゃんだった為に、物惜しみをしない性格や、 粘り強さには欠けるきらいもあるが、利得でしか人が動かない時代ならば、利をもって 集団を形成するのは仕方のないことだ。 そんな時代だからこそ、大楠公の生き様が光るのだ。当時としては尊氏の取った行為は致し方ない面も多すぎる。 時代背景を無視して、江戸期の武士道観念や道徳で律すれば、尊氏は逆賊になるだろうが、当時な武士らは、そ の時々に応じて南朝や北朝に寝返っているのだから、別段尊氏が逆賊であると理由にはならない。それよか、逆 賊というなら、後醍醐天皇こそ、時代に反逆して忠臣を片っ端から見捨てて命を惜しんだ大悪党であろう。
42 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 14:10:47
逆賊高氏信者の工作員が活動を開始しましたねw
43 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 14:22:37
大楠公と西郷は最高の武士
44 :
市松 :2006/03/05(日) 14:55:04
大楠公は同感だが、西郷南洲は異議有り!
45 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 17:17:34
是に於いて建武中興失敗の原因は、明瞭となつた。即ちそれは天下の人心、多く義を忘れ利を求むるが故に、 朝廷正義の御政にあきたらず、功利の奸雄足利高氏、誘ふに利を以てするに及び、翕然としてその旗下に 馳せ參じ、其等の逆徒滔々として天下に充滿するに及び、中興の大業、遂に失敗に終つたのである。 こゝに我等は、この失敗の原因を、恐れ多くも朝廷の御失政、殊には後醍醐天皇の御失徳に歸し奉つた 從來の俗説を、大地に一擲しなければならぬ。否、我等の先祖の、或は誘はれて足利につき、 或は義を守つたとしても、力乏しくして、遂に大業を翼贊し奉る能はざるのみならず、却つて聖業を誹謗し 奉る事、六百年の長きに亙つた罪を懺悔し、陳謝しなければならぬ。建武中興の歴史は、まことに懺悔の涙を 以て讀まるべきである。しかも懺悔の涙を以て讀むといふを以て、單なる追想懷古と誤解することなかれ。 建武の昔の問題は、實にまた昭和の今の問題である。見よ、義利の戰、今如何。歴史を無視して、 己の由つて來る所を忘れ、精神的放浪の旅、往いて歸る所を知らず、國體を閑却し、大義に眛く、 奸猾利を求め、倨傲利に驕る、これ何人であるか。滔々たる世の大勢に抗して正道を求め、 眞の日本人として己の分をわきまへ、一意至尊を奉戴して、その鴻恩に報い奉り、死して大義を 守らんとする、果して何人であるか。問題はこゝに、六百年前の昔より、六百年後の今日に、飛瀑の 如く急轉直下し來る。 寒林平泉澄先生
46 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 18:05:46
平泉澄なんて逆賊の子孫だろ コイツの先祖が裏切らなければ新田義貞は死ななくて済んだし北陸は吉野朝が押さえることが出来たはず
>>40 にちゃんと反論してみろよ厨さん。
コピペはもう見飽きた。
48 :
40 :2006/03/05(日) 20:42:53
>>45 他
また逆賊厨がなにかコピペしてきたと思ったら平泉澄かよ。
この人の南北朝に関する主張や記述は最早歴史学じゃないからな。
この人の言ってることって「皇国史観」っていう宗教の信者の言と見たほうがいい。
すくなくとも、上の記述に関しても、しょっぱなから訳の分からんことを言っている。
建武中興の失敗を「天下が義を忘れ利に走り、それを尊氏がつけ込んだから」という趣
旨の事を言っているが、そもそもが二条河原の落書に代表されるような状況になったのは
他ならぬ建武中興の結果。朝令暮改という言葉が最も相応しい政治だろう。そして、
後醍醐天皇のやったことは失政といっていいだろう。太平記の言う事を鵜呑みには
出来ないが、実子護良親王を切り捨てたり、みすみす諸将を死にに行かせるようなことも
している。北畠顕家が死の直前に上奏した文章が残っているが、その中に触れられているのが
当時の実情であると見て良く、それを見る限りではお世辞でも建武中興は良い政治とは言えないだろう。
そして、そのあとに懺悔論が続くわけだが、これが歴史学であるとは到底言えたシロモノではない。
>>45 にコピペされた平泉氏だが、授業中でも南朝方の人物に公をつけて呼んでみたり、民衆の歴史=
豚の歴史と切り捨てたり、生徒を「さん」で呼んだり(「君」は帝のみという事)、
歴史家とよべた人物ではないのだ。まるで皇国史観教の信者である。
49 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 22:45:14
しかし、こんな人(平泉澄氏)が戦前の日本史の重鎮だったとは酷いね。 歴史に感情が入ってしまうのはしょうがないが、度が過ぎるのは史家失格だろう。 王が史家に改ざんを断られて斬ったら、次の史家は『王が改ざんを断られて史家を 斬った』と書くような勇気を持ってもらいたいね。 こんな時代になびくような史家は尊敬できない。
時代になびくというか、一応辞職して戦後も貫いておいでだった気が。 細川護貞氏は、終戦直後に平泉氏の書を読んで軍部が活きのいい時には彼ら に信奉されていた平泉氏の本は読む気にならなかったが、こうして改めて読 んでみると、いいものを書いていると仰っておいででした。 >48−49の批判がほとんど当たっているのは否定出来ませんが。 45の文がまともに読めたものでは無いのは確かですから、話を戻しましょ う・・・と言いたいのですが、さて何を話したものやら。
51 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 23:21:50
>>51 確かに少年向けに書いた日本史の本(タイトル失念)は良著らしいのだが。
本当に逆賊厨のおかげで話が停滞する・・・・・・
とりあえず尊氏の家族関係でもかたりますか?
52 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/05(日) 23:22:51
優柔不断すぎる人だ
53 :
日本@名無史さん :2006/03/06(月) 14:20:30
やはり尊治スレを立てるか・・・
54 :
日本@名無史さん :2006/03/06(月) 17:40:39
三条公忠の日記『後愚昧記』には、“後醍醐帝の政治は失政が多いから 後醍醐在位期のことを先例として物事を行うのは適当ではない”っていう 趣旨の記述があるけど、これがこの当時の人の一般的な認識だと思うよ。 後醍醐本人は「朕の新儀は未来の先例たるべし」とか何とか言ってるけど、 当時の人々の目には「新儀の非法」としか映らなかったわけで。
55 :
日本@名無史さん :2006/03/07(火) 21:49:35
さて、
>>40 他に論破され厨房は鳴りを潜めたな。
>>52 それ故よかれと思ってしたり、本人にその意図がないのに悪い結果を
もたらしてしまったりする
なんとなく劉邦と似ている気がする。 まわりにアクの強い人が多かったり。
57 :
日本@名無史さん :2006/03/08(水) 20:40:39
政治力は頼朝、家康に比べ劣るし、非情に徹しきれないところがあるな。 そして、ちょっと躁鬱っぽい気質がある
だから政務を直義に任せたんだろうな。 だがそれが後に幕府を2つに割ることに・・・
59 :
日本@名無史さん :2006/03/09(木) 12:31:10
鎌倉幕府でいうところの 将軍(=主従制的支配権)を尊氏、執権(=統治権的支配権)を直義が 演じているような感じもするけど、兄弟である尊氏と直義では、 鎌倉の宮将軍と執権北条氏ほどの身分差はないし、 高師直も尊氏の執事として鎌倉の執権っぽいことをやってたりしたので、 互いに互いの領域を侵すようになって、観応の擾乱が勃発ってイメージ?
60 :
日本@名無史さん :2006/03/10(金) 09:40:06
権力に二つも三つも頭があったら食い合いになるのが当たり前。 権威に徹するならいいけどね。
61 :
日本@名無史さん :2006/03/12(日) 01:36:45
鎌倉公方は代々将軍と張り合って来ましたが、足利義詮と、基氏兄弟の仲はどうだったんでしょう?
62 :
日本@名無史さん :2006/03/12(日) 01:53:27
>>61 一応、仲は良かったと思う。
基氏は、義詮の命令で関東の大軍を上洛させている。
63 :
日本@名無史さん :2006/03/12(日) 01:56:14
足利尊氏マンセー!!稀代の英雄だね。
64 :
日本@名無史さん :2006/03/12(日) 04:00:34
>>62 但し直義への感情は正反対だったらしい。
直義を憎む義詮と直義を尊敬する基氏。
65 :
日本@名無史さん :2006/03/12(日) 08:07:20
稀代の逆賊です
>>64 義詮の政権発足(行政面の)と同時に反逆して大混乱起こしたんだから、
義詮としては当然だろうね。
67 :
日本@名無史さん :2006/03/12(日) 20:43:31
足利尊氏の子孫はいますか?
68 :
日本@名無史さん :2006/03/13(月) 03:02:30
>>67 阿波公方の末裔は健在です。また、細川幽斎の子孫(有名な方々ですな)もあるいは末裔かもしれません(所謂落胤説、
また、細川幽斎の実家三淵氏は足利義満の庶子が祖とも言われています)。
69 :
日本@名無史さん :2006/03/13(月) 03:04:59
>>62 ウィキペディアの赤橋登子の記事に「足利義詮と基氏の対立云々」
ということが書いてあったが、それは記事作った奴の妄想でFA?
>66 もともと次期将軍と自負の強かった義詮が、実権を持つ叔父を邪魔に思っていた方が先なんでは。 ところで、直義は直冬を次の将軍にしたいとかあったのかな。
71 :
日本@名無史さん :2006/03/13(月) 11:45:33
>68 ありがとうございます
72 :
日本@名無史さん :2006/03/14(火) 00:27:31
南朝北朝二分論を排す 足利時代を南朝と北朝とに二分し、それによって逆賊尊治の大逆の罪を相対化し、 挙句の果てに逆賊尊治も日本にとっては天皇だった、などという論があるが之は全くの誤りである。 又、光厳院が大覚寺統を不当に否定した、だから持明院統は間違っていたという論があるが之も全くの誤りである。 そもそも皇統の分裂というのは政治的混乱の過程に於ける京都側の自業自得であり、はじめから瑣末なものであった。 皇族の愚昧ぶりと其の政治の悪を見越した文保の和談の義挙ほど我々を感動させるものはない。 普通であれば鎌倉幕府滅亡後、世間知らずで、傲慢な院に振り回されるところだ。 にもかかわらず等持殿(尊氏公)があれほどの強い意志でもって皇道を示し悪逆の尊治に立ち向かった事は後世の我々を感動させてやまない。 もっとも之は不思議なことではない。 思い返せば、日本の歴史のなかでは、右大将軍(頼朝)の肇国の大業、鹿苑院の御統一、東照大権現の治世、何れも人臣の考えの及ばない、 まことに不可思議な力の働いた、言葉を以って説明することの難しい偉大なる意志があった。 等持殿の義挙もその文脈で語られるべき聖業である。 此の御意志こそが総ての心有る日本人が『常識』として他の何にもまして尊重してきたものであった。 等持殿の大御心を誰よりも深く受け止めた日本開闢以来最大の忠臣が其の人、高師直公であった。 こうして発せられた大御心の下、木像同然の吉野は滅び不当なる両統迭立は拝され皇道が打ち立てられることとなったのである。 だから等持殿が大覚寺統を不当に否定したというのは誤りである。
73 :
日本@名無史さん :2006/03/14(火) 01:03:32
こういうのも何だが、立場こそ正反対なれど 文の質では逆賊厨と大差ないね
74 :
日本@名無史さん :2006/03/14(火) 01:15:14
>>62 鎌倉公方軍が幕命で畿内へ入ったのは、最初で最後だよね?
75 :
日本@名無史さん :2006/03/14(火) 09:52:12
不敬
76 :
日本@名無史さん :2006/03/14(火) 10:37:14
77 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 01:47:39
>>72 等持殿って何?
尊氏の院号は等持院だから、「等持院」とか「等持院殿」とかっていうなら分かるけど。
頼朝も「右大将軍」ではなく「右大将家」といったほうが一般的では?
ほんとだ。72は無知丸出しだ。
79 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 09:23:07
>>77 多分コピペなんだから、あまり虐めなさんな。
でも、無知丸出しなのは拭いようがないw
80 :
日本@名無史さん :2006/03/18(土) 10:10:23
右大将は右近衛大将の略だから、「右大将家」とはいっても「右大将軍」とはいわないね。 征夷大将軍とか鎮守府将軍なんかと違って「将軍」ではないからね。
81 :
日本@名無史さん :2006/03/19(日) 14:25:54
>>72 高師直は「師直公」と呼べるような身分なのか?
82 :
日本@名無史さん :2006/03/19(日) 14:41:40
┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ │●│ │●│ │●│ │●│ │●│ │●│ └─┤ └─┤ └─┤ ├─┘ ├─┘ ├─┘ ,,、r''''" ゙゙̄`''ー .、 ,rニ,_ ミ| ヽ./~~`ヽヽ. ,;" `-、,/ ゙!,゙'i, ,:i' _ ----、`i, ゙i, ┌―――――――――― ,l 'l 、 | ,r-ッ---r゙i, ゙i, | 圧倒的ではないか . l, i' 、_,,,.-ッ'フ,)tr'"===='" ゙i ,ト.、 | 我が軍はw ゙t,'i `'フ",:"!, ` |' i l ノ ー―――――――――― r' i, ''" : ! _ ゙ir'r l, |ヾi ゙' i;:. ヽ ゙'| ,! ゙i, ! ! ~;; ___, ,、ノ ゙i, ,,; -''"~,、 ,/ | `" ト、 " ` / | | 'ヽ. .| / .| | ゙i,ヽ._ l __,,./ .| ! _,,,二゙~r-:'::::::::::::::::┴┐ ,r゙‐'"---i | |~~.........---r ゙i | | r''''''''i i,゙l | ,,! ''''''''7i_,,,! | | ゙l'" __゙ヽj | ー' '''''''7 `ニ' ゙i,_、___ ├i゙t'",,r'' , i ,....,'''''ソ,,.-''"''"t'r'"__,r'" ̄''7 ,,,,r:、ヽ、ヽ-''"l !ヽ,,,、-'""_,、-'''' ゙'ヽ、r"
83 :
もう源平戦国幕末には詳しくなりすぎて飽きました :2006/03/19(日) 18:01:08
南北朝から室町時代というのは、日本史の中でもあまりパッとしない印象がある。 その理由を簡単に言えば、大衆作家がテーマに取り上げる機会が少ないためであろう。 戦後の日本史は、教科書や学術書よりも、むしろ小説家の健筆やそれを原作にしたテレビドラマによって日本人の間に浸透している。 そして、大衆作家の草分けであった司馬遼太郎氏は、南北朝から室町時代が嫌いで、「この時代はクズみたいな人間しかいない」旨の発言を繰り返した。 そして驚くなかれ、この暴言が「歴史の通説」になってしまったのだ。 司馬遼太郎は、たいへん優れた大衆作家であるが、その史観はしょせん「英雄史観」である。 すなわち、彼の小説には、大衆を善導できる強大なカリスマ性やリーダーシップを持つ人間が不可欠なのである。 そういう意味で、司馬氏は「リーダー不在(と彼が主観的に想像する)」の南北朝室町が嫌いなのだろう。 でも、大衆作家の好悪が歴史の通説になるような不健全な環境は異常である。 それだけでも、この国の歴史認識の幼稚さが良く分かるというものだ。 南北朝室町期が「リーダー不在」に思える理由は、既存の権威が崩壊し、社会全体が混沌として複雑になったためである。 確かに、これでは大衆小説のテーマにはなりにくいだろう。 しかし、この混乱こそが、新たな日本を創造するための産みの苦しみだったのである。 思えば、今日の我々が「日本的」とか「日本文化」と言い習わす概念は、室町時代に確立されたものがほとんどである。 茶道、華道、俳諧、将棋、囲碁、能、狂言、邦楽、礼式は、いずれも南北朝室町時代に誕生し成熟したのだ。 また、いわゆる和式の建築様式(床の間や掛け軸など)も、室町時代に完成されたものである。 文学の世界でも、『太平記』、『風姿花伝』などの傑作が生まれている。
84 :
日本@名無史さん :2006/03/20(月) 01:19:09
>>81 師直は足利家の執事でしかない(つまり陪臣)し、行状が行状なので公など付けてもらえないはず。
>>82 師直殿!!楠木正行勢、備えを打ち崩し、本陣に迫って来ておりますぞ!
平家物語とか太平記は勝手にストーリー、解釈を変えられないのと 中黒・二引・菊水は皇国史観と・・・
86 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 01:31:00
>>84 公・・・大臣以上
卿・・・参議以上
合わせて公卿だね。
師直の官位では遠く及ばない。
足利直義は死後従二位を追贈されたり、等持寺で法要されたり明神になったりしているけど、 高師直は、足利家によって名誉を回復されることはなかったの?
伝足利尊氏像が近年言われてるように師直の像なら、 幕府がこの絵を作らせて供養したことになるけど。
89 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 14:45:14
90 :
日本@名無史さん :2006/03/21(火) 14:53:06
あの絵は師直らしいね
91 :
日本@名無史さん :2006/03/22(水) 16:16:36
師直の倅師詮という説もあるらしいな。
>>88 確かに。矢も折れてるしね・・・・・
敗戦後という人もいますが、単に生々しい激戦後を描写したものでいいかと。 嘲弄目的で描かせた訳でも無いでしょうし、寧ろ生前を伝えるに相応しい。 似た様な肖像は、時代も下る細川澄元像ぐらいしか例が無い様ですが。
師直像よりも、伝平重盛・源頼朝像が実は尊氏・直義兄弟って方が驚いたな
あの有名な伝尊氏像は、像の上のほうに足利義詮が花押かいているので (目上にあたる親父の頭の上に息子がサインすることは当時の習慣としてない) 鎧についている家紋から高一族の誰かと言われるようになったんですよね。 高一族関係者が法要で飾るために作らせて、権威つけのために足利将軍の花押を貰ったと言う話だから 師直かどうかは不明ですが、足利幕府にとっては罪人ではなく、功績者という評価ですね。
95 :
日本@名無史さん :2006/03/23(木) 00:54:34
>>92 大内義興画像、足利義尚画像など、この時代って馬に乗って出陣(または帰還)するっていう
構図の画像がしばしばみられるよな。
>>91 シーンとしては、髪の毛を尊氏が短く切り落として戦い、勝ったその直後っていう場面ではないかい?
>>95 後段
あの像は尊氏ではないという説が有力になってるのに
そんな一昔前の前提で話をしないでくれ。
尊氏だと主張するのなら
>>94 にまず反論汁。
97 :
日本@名無史さん :2006/03/23(木) 03:39:27
>>95 鎧に折れた矢が刺さっている絵が、勝ち戦の様子とは思えないが。
それに、活躍年代が応仁の乱以降である大内義興や足利義尚を、南北朝前半期の
尊氏と同じ「この時代」の範疇に含めることにも違和感ありすぎ。
>>96 >>95 の言うのは、尊氏に倣って旗下の部将たちもあの髪型にしたそうだから、
師直もそうしたってことじゃないの?
>>97 勝ち戦つったって、激戦なら鎧に矢くらい刺さっててもおかしくない。
むしろ、それだけの激戦を戦って勝ったんなら余計誇らしいと思うが。
99 :
日本@名無史さん :2006/03/23(木) 07:11:19
>>93 足利将軍家の前半はみんな垂れ目なんだよね。
伝重盛像も垂れ目で義満なんかに似ているから結構納得いく
>>99 うん、他の尊氏像も殆どタレ目だからw
若い頃のは凛々しいんだけどね。
101 :
日本@名無史さん :2006/03/23(木) 18:36:28
師直も尊氏に倣ってあの髪型にしたはず。で、その時の図を描いたんでは? 足利家にとっても、大きなターニングポイントとなった場面だし。
初めまして。既出でしたらスマソ。 源義家の置き文は、ご存知でしょうか? 確か「我7代の孫に生まれ変わりて天下をとるべし」だったかな? そして、7代目が自分の代では天下をとることができずに、 「わが命縮めて、3代のうちに天下をとらしめたもう」 と自害したそうです。 その3代目にあたるのが、足利尊氏。 この真相は・・・
>102 そんなことは、もうみんな知ってる。
初めまして。既出でしたらスマソ。 赤橋登子の置き文は、ご存知でしょうか? 確か「義詮、冷蔵庫にピザがあるのでチンして下さい」だったかな? そして、義詮が自分の代ではレンジでチンすることができずに、 弟の基氏が食べてしまったそうです。 この真相は・・・
105 :
日本@名無史さん :2006/03/24(金) 17:57:30
足利尊氏の木造坐像はなかなか品のある公家風の顔立ちだ。 於京都等持院
106 :
日本@名無史さん :2006/03/24(金) 19:37:56
>>105 私もそれをみました。確かにいい顔立ちです。
107 :
日本@名無史さん :2006/03/24(金) 20:32:23
>>105 俺も見ました。気品というか、貴人的な風格がある顔でした。
話は変わるが、足利義晴木像だけ、おっさんなのに、義澄、義輝にくらべ小さい・・・
目が大きくてたれ気味だよね 女の子だったらかわいいだろうな
>>101 その割には同じような図柄って残ってないですよね。当時流行ったわけでもなさそうです。
絵巻物なら写実的なやつがあるけど。
(少し前の時代の蒙古襲来絵詞などは注文した竹崎季長が絵師にいろいろ注文つけて出来るだけ忠実に描こうとしてますが)
実物をその場で写した絵ではないから、後付けできれいに着飾ろうと出来ないわけではないし。
(このスレで前でた足利義尚像とか、大内義興像みたいに)
描かれた人物や一族にとって特になにか意味があるんでしょうけどね、あの格好は。
110 :
日本@名無史さん :2006/03/25(土) 15:30:53
松本のカス野郎死ね
112 :
日本@名無史さん :2006/03/25(土) 18:19:48
高氏じゃボケ
>>102 置き文は源義家ではなく、尊氏の祖父・足利家時ですよ。
義家は七代目に生まれ変わって天下を取ると言ってたわけです。
義家から七代目が家時だったが、北条の天下は覆すことは出来そうもないので、切腹して
三代後に天下を取らせてほしいと願かけたわけですね。
家時の置き文以前に、義家の「天下を取る」自体が怪しいんだよね。 前九年後三年の役で判る様に、武士が私兵を独断で動かす事すら 非難される時代に「天下を取る」なんて発想は有り得ないでしょ? 頼朝の時代でさえ、武士の自治権だけで精一杯だったのにね。
116 :
日本@名無史さん :2006/03/26(日) 18:16:51
家時が自害したのって、霜月騒動だか何かの陰謀に連座したからという話もあるそうだが 自害の理由としてはそっちのほうが妥当ではないか?
117 :
日本@名無史さん :2006/03/26(日) 20:05:50
家時は実母が北条一族の女じゃないから、そこら辺に自害の理由があるのかも。
家時はsex気持ちよかったのかな?
119 :
日本@名無史さん :2006/03/27(月) 17:05:42
>>117 それを言うたら尊氏の母御も上杉氏の出自だが。何かに連座したか、錯乱したか・・・・
>>119 尊氏は北条氏出身の母親を持つ兄貴(高義)が早死にしたので後継ぎになったので
本来なら当主にはなれなかったはず。
霜月騒動だと、吉良家の当主が処分されてなかった?
その辺からみて足利家も疑われた可能性はありますね。
121 :
日本@名無史さん :2006/03/28(火) 23:53:30
足利家時の自害は、直接的には北条一族の佐介時国(当時の六波羅探題南方)の 失脚と関連しているらしい。 時国の失脚が家時の自害と同じ1284年(弘安7年)の6月。 ちなみに時国も失脚の2ヶ月後に平頼綱に謀殺されてる。 この一件に家時が何らかの形で関与した可能性は高い。 ちなみに時国の父の時員の姉妹が足利頼氏の正室で家時の義母になる。 さらに時国の妻は足利一族の吉良満氏の娘。 そして吉良満氏は翌年の霜月騒動で安達泰盛と一緒に討たれている。
122 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 00:10:26
もっとも佐介時国の失脚自体が霜月騒動のきっかけの一つだから、大筋でいえば 足利家時は霜月騒動に連動して失脚&自害したといっても間違いではない。
123 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 00:41:05
あと一説には、霜月騒動で討たれた安達泰盛の一派は、源氏将軍家の復活を 画策していたという説もある。 泰盛が政権にいた時期の鎌倉幕府は、朝廷に働きかけて、当時の将軍である 惟康親王を親戚降下させ源惟康と名乗らせたり、さらに惟康を頼朝の先例に 倣って右近衛大将に任官させたりしてる。 足利家時は、自らが将軍になろうとしたわけではなくても、泰盛らのこうした 動きに関与していた可能性はある。 そう考えれば、家時が死の直前に「近い将来に源氏将軍家を復活させてくれ」 みたいなことを言い残した可能性はあり得るし、のちにこうしたことが 拡大解釈されて例の置文の話となって後世に伝わったという可能性もあるかも。 ちなみに泰盛の死後、平頼綱が運営する幕府は、惟康を皇族籍に戻して 親王宣下を受けさせており、源氏将軍復活を否定している。 また、霜月騒動の際に、吉良満氏意外にも伴野長泰(甲斐源氏出身)のような 源氏一族の有力御家人が滅ぼされていることも注目される。 まあ想像の域を出ない話ですが。
124 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 16:56:45
>>117-120 仮に尊氏の兄である高義が早死にせずに足利の当主になったとしても、高義の母は金沢顕時の娘(貞顕の姉妹)だから、母が上杉氏出身の尊氏よりも、得宗家との関係は悪くなった可能性があるよ。
金沢顕時は得宗家と対立して流罪にされてるし、顕時の妻(高義の母の母)は安達泰盛の娘。
得宗家にとってはどうでもいい存在だった上杉氏出身の母を持つ尊氏よりも、むしろ得宗家から危険視された可能性すらある。
実際、高義には子供に男子が一人いたはずだが、高義が死んだ時点でその子ではなく尊氏を後継者にしたのにも、安達泰盛・金沢顕時と血筋的に繋がらない人物のほうが良いという判断があった可能性もある。
125 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 18:04:30
高義が死んだのは天下を狙う逆賊高氏が仕向けたから だったりして
126 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 18:14:13
>>125 久しぶりに逆賊厨が息を吹き返した!
俺の手元にある本(といっても漫画日本の歴史だが)には、尊氏が13歳の時、家時が自害したと書いてあったが・・・
家時がいつ死んだかって、結構本によってまちまちだったりする
127 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 18:47:34
足利家時は国体の転覆をはかり、源義家の置文を捏造した。 彼は畏れ多くも皇室から天下を奪いとろうと画策した。 逆賊足利高氏はそういう家の生まれであることを忘れてはならない。 つまり、逆賊高氏が鎌倉に叛いたのは、大御心に従った大楠公や新田義貞公とは違い、 はじめから政権簒奪の私心によるものだった。 むろん、逆賊高氏が建武中興の大業に参加していたときにも、彼は天下を奪う機会を見計らっていたのである。 逆賊高氏信者の中には、畏れ多くも建武中興の失敗によって逆賊高氏が立たざるを得なくなったという 妄説をなすものが多いが、逆賊高氏は三代前から国体転覆の邪心を抱いており、 それに従って後醍醐帝に叛いたのだった。
あのさ、「逆賊」というのは、おかしいんじゃない。 尊氏は北朝とはいえ、天皇家を立てたし・・・ もともと、天皇家内の大覚寺統と持明院統の交代即位の約束を破ったのは、後醍醐だしね。 自分の子孫で皇位を独占したいがための「倒幕」だったし・・・
129 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 18:59:43
>自分の子孫で皇位を独占したいがため 陛下に私欲は無い。陛下の意志はすべて大御心であり何にもまして尊いものである。
130 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 19:17:30
>>126 逆賊高氏が家時に国体転覆の邪心の発端を押し付けて殺害した可能性もあるんじゃないだろうか。
131 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 19:18:15
陛下とは持明院統のことです。
132 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 19:22:49
高氏は13歳ではじめて人を殺しました
133 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 19:27:38
やっぱりな。逆賊高氏ならやりかねん。
>>130 家時が自害したときは尊氏は生まれてもいないわけだが
135 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 21:12:02
>陛下に私欲は無い。陛下の意志はすべて大御心であり何にもまして尊いものである。 あのね、持明院統も「陛下」なんだよ。
137 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 21:28:49
だから逆賊高氏ははじめから政権簒奪のために行動していたのであって 持明院統の存在は逆賊高氏を悪行を擁護する理由にはならない。
140 :
日本@名無史さん :2006/03/29(水) 23:08:54
>>126 家時の没年を1317年で没年齢を35歳ってする俗説があるにはあるけど、
年齢的にあり得ない説だよ。
一部にはよく調べもせずに真に受けている作家とかもいるみたいだけどね。
少なくとも研究者の間では、家時の命日は弘安7年6月25日で決着している。
>持明院統の存在は逆賊高氏を悪行を擁護する理由にはならない。 なるよ、持明院統も正統な皇族だよ。 非難されるのは、後醍醐のわがままですな。
>>124 高義の子は、母親の身分が低くて家督を継げなかっただけじゃない?
頼氏が死んだ後、伯父の(斯波)家氏が家時を補佐した例もあるし。
まあ、家時はかろうじて家を継げる年齢だったけど、高義の息子は本当に幼年だった可能性もありますが。
144 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 15:01:22
逆賊厨はかつて散々論破されて、それに対する反論もしないで騒ぎ立てるからたちが悪い。
145 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 15:14:17
かつて散々論破されていたのは逆賊高氏信者である。 GHQに媚び不当な権力を用いることで逆賊高氏の正当化をはかったというのが真実ではないか。
146 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 15:16:04
尊治スレを積極的に上げてください。
尊氏の兄で嫡男の高義だけど、なんで彼が高氏という名でなく高義だったんだろう。 家時を除くと、足利氏は○氏という名前なのに。 あと高義が亡くなったのは尊氏が何歳ぐらいの時なのかな。
逆賊厨は幕府を作ったのも政治の実権を持っていたのも 直義だということも知らぬ馬鹿。 将軍になったのが尊氏なことのみをとらえて逆賊呼ばわり とは片腹痛い。
149 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 18:03:28
逆賊高氏信者さん、逆賊高氏が結局は直義を毒殺したってことは既にばれているよ。 泳がせた後に始末するなんて狡知の限りを尽くしたやり方は如何にも彼がやりそうなことだ。
>>147 >尊氏の兄で嫡男の高義だけど、なんで彼が高氏という名でなく高義だったんだろう。
高氏が元応元年(1319)14歳で元服・任官・赤橋登子と結婚しているから高義死亡はその前と思われます。
あと、弟の直義も元服時の名前は高国(おそらく兄二人と同じく北条高時が烏帽子親)ですね。
152 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 18:15:47
己の権力欲に兄を殺し、さらに長年献身してくれた弟も殺した逆賊高氏。 虚構の世界にも例を見ないほどのど悪党である。
154 :
152 :2006/03/30(木) 18:34:44
あ、ばれた? このスレ面白いね。 逆賊ネタが出るととたんに盛り上がる。
「逆賊・逆賊」といっていると、自分の無能さをさらけ出していると思うよ。 後醍醐が約束破ったのも事実だし、後醍醐の政治は悪政だったしね。
156 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 19:30:07
>>142 >>155 どうやら
>>127 だけではわからないようだから詳しく説明してみよう。
畏れ多いことだが建武中興が失政だったと仮定する。
そこで逆賊高氏は一時は忠誠を誓った朝廷に対して反旗を翻したとする。
其の理由は、果たして失政があったからだろうか?否、そうではない。
逆賊高氏が当初から政権簒奪の為に行動していたことは置き文に確かである。
故に仮に失政があったとしてもそれと逆賊高氏の悪行とを
um hoc,ergo propter hocと謂うべからず。
では、建武中興が大御心を燦然としめした聖業であったなら如何か。
彼はやはり政権簒奪の邪心に基づいて叛いたであろう。
利に聡い者共を其の狡知を以って悪の道に誘い、
朝廷正義の大政を誹謗し、聖業を翼賛せんとする義士を陥れ、建武中興の転覆を計ったであろう。
彼は建武中興如何に拠って起ったのではない。徹頭徹尾己の邪なことこの上ない私心に従っていたまでだ。
よって建武中興が失政であったという仮定も、持明院統の存在も、逆賊高氏を擁護する理由とはならない。
Quod Erat Demonstrandum
157 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 19:39:41
くどいようだが繰り返す。 逆賊高氏が建武中興の失政たることを以って起ったというのは全く筋が通らない。 建武中興が、事実そうであるように朝廷正義の大政であったとしても、 逆賊高氏の政権簒奪の邪心は変わらない。 そもそも逆賊高氏はその野望を建武中興がどのようなものか見究められる前から抱いていたのだから、 時系列的にも全く筋が通らない。 よって建武中興の内容を以って逆賊高氏の悪行を擁護することは不可能だ。
>くどいようだが繰り返す。 こっちも繰り返すけど、交代で皇位に着く約束をやぶり、大乱の種をまいたのは「後醍醐」なんだよ。 後醍醐が自分の子孫で皇位を独占使用としたのが、原因。 つまり、「私利私欲」ですな。 後醍醐の為に、国民は大迷惑ですな。
159 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 21:23:42
そもそも両統迭立自体が大乱の種に他ならない。 常識の見地にたてば斯かる安定を欠いた慣わしが続いたとは考えられない。 且つ、両統迭立も鎌倉の摂関家分裂工作以来の朝廷弱体化策であることは間違いのないところだ。 鎌倉を滅ぼせば、朝廷正義の大政を磐石たるものとするためにも両統迭立を廃するのは道理である。 後醍醐帝は其の英邁を以ってして自ら汚れ役を買われ、 後世へ大乱の種を残さぬよう御聖慮をしめされたのだった。 そして、其の大業を為さるる御方は後醍醐帝こそ相応しかったといえよう。
160 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 21:49:07
>>143 >高義の子は、母親の身分が低くて家督を継げなかっただけじゃない?
その可能性もあるけど、確証もない。
>頼氏が死んだ後、伯父の(斯波)家氏が家時を補佐した例もあるし。
しかし、高義死後の高義遺児と尊氏の関係を、頼氏死後の家時と斯波家氏の関係と、全く同様のものと考えるのは無理だよね。
前者は尊氏が足利の家督になるけど、後者の場合は家氏はあくまで補佐だし。
>まあ、家時はかろうじて家を継げる年齢だったけど、高義の息子は本当に幼年だった可能性もありますが。
頼氏が死んだ1263年段階では、家時は7歳だね。
高義が死んだ段階での高義遺児の年齢は分からないけど、この遺児は中先代の乱で戦死しているみたいだから、その頃には戦争に参加するような年齢になってただろう。
161 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 21:57:52
>>147 >>151 確かに足利氏の当主の名前は、鎌倉の後半期には「氏」が通字。
しかし同様に「氏」を通字にしていた新田氏も義貞の代で「氏」を使うのをやめている。
理由は分からないが、何らかの理由で「氏」を通字にするのをやめたのかも。
義貞の父親の朝氏も何故か晩年に「氏」を捨てるかのように朝兼に改名してるし。
なお高氏(尊氏)は、次男だったから、従来の通字である「氏」を使った名前になったのかも。
162 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 22:09:06
逆賊厨は理論性ゼロで鬱陶しいから、このスレから出て行って欲しい。
164 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 22:45:27
尊治スレを上げれば我慢できずに出てくるでしょう。
>そもそも両統迭立自体が大乱の種に他ならない。 十分なりますね。 >常識の見地にたてば斯かる安定を欠いた慣わしが続いたとは考えられない。 >且つ、両統迭立も鎌倉の摂関家分裂工作以来の朝廷弱体化策であることは間違いのないところだ。 両統交代即位は、天皇家が幕府に対して意見を求めて実現したもの。 君、歴史勉強した方が良いね。 >鎌倉を滅ぼせば、朝廷正義の大政を磐石たるものとするためにも両統迭立を廃するのは道理である。 天皇家内の約束は約束だよ。 それを自分の「私利私欲」で破った後醍醐は最低だとおもう。 >後醍醐帝は其の英邁を以ってして自ら汚れ役を買われ、 >後世へ大乱の種を残さぬよう御聖慮をしめされたのだった。 君、歴史勉強し直した方がいいよ。 >そして、其の大業を為さるる御方は後醍醐帝こそ相応しかったといえよう。 後醍醐は、南北動乱の元を作った最低の帝だよ。 これは、「定説」ですね。
166 :
日本@名無史さん :2006/03/31(金) 00:40:39
そもそも後醍醐って「つなぎ」の帝なんでしょ?
>>165 は、わざと釣られているのか、それとも逆賊厨の自作自演か?
つられていますw
>>160 高義の遺児が高氏が元服したとき0歳だったとして、中先代の乱(1335年)時は16歳、
戦場に出てもおかしくない年齢ですね。
母親の実家がそれなりの勢力であれば、家督を継がないまでも
幕府滅亡前に(10代前半くらいには)元服して幕府に出仕くらいはしそうな気がします。
あと、頼氏没後に、幼い家時の家督が認められたのは、伯父の斯波・渋川氏の母親が
名越流北条氏の出身だったから得宗家が後押ししたという可能性もあるかもしれないですね。
高氏は母親の実家がそこまで警戒されていなかったから家督を継いだのかも。
170 :
日本@名無史さん :2006/03/31(金) 11:45:12
>>169 まあそうだろうね。
>>117 むしろ逆だろう。
足利家時の母がもしも頼氏の正室(つまり佐介流北条氏の娘)だったら、
家時の自害程度では済まされず、霜月騒動のときに足利本家自体が
安達泰盛・佐介時国らへの与同を疑われて滅ぼされていた可能性すらある。
171 :
日本@名無史さん :2006/03/31(金) 16:36:30
高義遺児って中先代の時ってやっぱ足利方?
172 :
日本@名無史さん :2006/03/31(金) 20:13:55
逆賊高氏信者という言葉には二つの意味がある。 逆賊高氏の信者であるという『逆賊高氏』信者 逆賊高氏を信奉するものもまた逆賊に他ならないという逆賊『高氏信者』 ゆえに、普段は省略しているが逆賊逆賊高氏信者と書くのが正しい。 もっとも、逆賊高氏を信奉せずとも逆賊高氏の存在を許したという点で われ等みな逆賊でないものはなく、一億総懺悔が必要だ。 ただでさえ逆賊であり、さらに逆賊高氏を信奉する信者たちには、 本来、逆賊逆賊逆賊高氏信者という名称がふさわしい。
基地外は放置。
174 :
日本@名無史さん :2006/03/31(金) 21:56:28
>>171 そりゃそうでしょ。
時行に合力する理由なんてなにもないし。
175 :
日本@名無史さん :2006/04/02(日) 02:21:13
高義遺児の諱は伝わっているのだろうか?
176 :
日本@名無史さん :2006/04/02(日) 15:16:30
おれも逆賊高氏の存在を許しちゃったから逆賊なのか
逆賊高氏の存在を許した我々すべてが一億艘懺悔 つまり天皇も逆賊に含まれる
178 :
日本@名無史さん :2006/04/02(日) 16:12:23
定氏と登子が悪いと思う。
179 :
日本@名無史さん :2006/04/03(月) 02:37:07
181 :
日本@名無史さん :2006/04/03(月) 20:57:21
>>177 天皇に背いた奴を逆賊と申すに、その天皇も逆賊とはこれいかに!?
>>178 定氏?貞氏の間違いでは?つうかこの二人がなんのせいでだ?
>>181 逆賊の存在を君主たるもの許しちゃーあかんじゃないですか。
木像の首落とすくらいはしなきゃね。
183 :
日本@名無史さん :2006/04/03(月) 22:03:48
>>182 逆賊であるか否かは君主たるものが決めるものなのに・・・・
184 :
日本@名無史さん :2006/04/03(月) 23:38:06
逆賊厨が、一番尊氏を評価している尊氏信者だな。
ま、後醍醐が一番のクソなんだが、天皇であるが故にクソと言えないジレンマ。 尊氏、南北朝を語る上でこれが最大のガンw。
>>182 >逆賊であるか否かは君主たるものが決めるものなのに・・・・
そうだね、君主があれこれ言わないのに庶民が言うのは僭越ですね。
その考えでいうと、君主が何も言わない=逆賊でない と証明終わるけどね。
188 :
日本@名無史さん :2006/04/04(火) 12:17:05
主上御謀反
189 :
日本@名無史さん :2006/04/04(火) 13:25:23
逆賊高氏がいなければ日本はもっとすばらしい国になっていたのに
190 :
日本@名無史さん :2006/04/04(火) 20:11:06
NHKで大河ドラマとして太平記をやると聞いた時、當然主人公は大楠公(楠木正成)と思い、全巻をビデオに撮ろうと張り切っ ていたが、逆賊足利高氏が主人公と聞いて愕然とした。原作(吉川英治、私本太平記)がそのようになっているそうであるが、「梅 松論」ならいざ知らず「太平記」と名付ける以上は、大楠公を無視したり足利高氏を賞揚したりすることは許されないのではなかろ うか。足利高氏の肩を持って書かれている「梅松論」ですら、大楠公に對しては稱贊を惜しまないとのことであるのに、NHKドラ マの楠木正成は足利高氏に阿諛追從する道化役にされている。役者も重みのある人を起用するならまだしも(演技は上手なのかも知 れないが)輕佻浮薄な役者を起用して意識的に「河内の田舎武士」を演じさせている。役者自身も、大楠公を演じている自覺がまるで ないようであり、チャンネルを變えると馬鹿面を晒して「ラーメン」や「冷藏庫」の宣傳を行っているから始末が惡い。心ある日本人の 崇敬を一身に集めた大楠公を演ずる以上は、己も大楠公に成り切り、少なくとも放映期間中は輕佻浮薄なコマーシャルの出演を斷る 位の見識を示して欲しかった。昨年の西郷南洲(隆盛)役に續き、NHKは我々の崇敬する人物を意識的に侮蔑しようとするのか!
191 :
日本@名無史さん :2006/04/04(火) 20:11:52
そのNHKですら如何んともし難い場面が有った。さして問題にされなかった方も有ろうが、大方の人は高氏の惡逆ぶりに呆れら れたことであろう。言わずとも御解り戴けると思うが、高氏と北畠親房卿とが密かに會った場面で、「幕府を認めて貰えるならば、 (南朝の)帝に御還り戴く。」と暗に自らが擁立した「 持明院統の天皇様」を廢し奉ることをも辭さない言動が有ったことである。朝 敵の汚名を着ないために、自己の都合で擁立したのは明らかであるが、「兩統迭立の經緯に對する見解」や「御兄君の御系統たる 持明院統の御方が皇位に就かれるのが正しい」とかの彼等なりの大義名分が有った筈なのに、その大義名分さえ捨て去って單なる 取引の爲に「今迄奉戴していた 天皇様」を弊履の如くに廢し奉るとは、 皇統に對する崇敬の氣持が全く無いとしか考えられない。 上皇様の輿に矢を射かけた配下が出たことをも考え併せると「高氏は北朝にとっては忠臣であった・・・」等の論が的外れであっ たことを如實に示して居ると思う。この場面はフィクションであると異を稱える人も居ようが、頑なにまで高氏を辯護しているNH Kですら、このように描かざるを得なかった程に「高氏の惡業」が著しかったと考える方が妥當であろう。高氏贔屓の者は「今迄強 烈に辯護してしてくれたNHKが何て言うことをして呉れたのだ・・・」と慨嘆するに違いない。我々にとっては、「あの程度の描 写では、高氏の惡業は言い盡されていない」と言う氣持ではあるが、あの一言でも「史上類の無い逆賊」と斷言し得るものと思う。 我々の高氏攻撃に對して「NHKでは、そのようには描いていない」と言う者に對して、この場面の話をすれば十分であろう。尤も 皇統の何たるかを知らない人間にとっては、何の意味も無い場面かも知れないが、時々出くわす「高氏は北朝にとっては忠臣」とか 「楠木正成は、新田義貞を討ってでも足利高氏の意向を尊重すべきと考えていた・・・」等の論に對して痛撃を加えることになるで あろう。
192 :
日本@名無史さん :2006/04/04(火) 20:12:35
兎も角「梅松論よりも高氏贔屓な太平記」も終り、神經を逆撫されるような思いをしなくて濟むようになったが、現在にも「高氏的 人間は多く存在する」ことを肝に銘じる必要がある。また彼等と戰うに際して、坊門清忠的人間の妨害も無視することは出來ないが、 如何なる障害が有ろうとも「黙って湊川に赴く」覺悟は持ち續けたいものである。
193 :
日本@名無史さん :2006/04/04(火) 20:14:00
青葉茂れる桜井の 里のわたりの夕まぐれ 木の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと 忍ぶ鎧の袖の上に 散るは涙かはた露か 正成涙を打ち払い 我子正行呼び寄せて 父は兵庫へ赴かん 彼方の浦にて討死せん いましはここまで来れども とくとく帰れ故郷へ 父上いかにのたもうも 見捨てまつりてわれ一人 いかで帰らん帰られん この正行は年こそは 未だ若けれ諸共に 御供仕えん死出の旅 いましをここより帰さんは わが私の為ならず 己れ討死為さんには 世は尊氏の儘ならん 早く生い立ち大君に 仕えまつれよ国の為め
194 :
日本@名無史さん :2006/04/04(火) 20:37:05
>>190-193 ええ加減コピペうざいよ。
まず「尊氏」「高氏」表記の問題について。当初北条高時の諱を
もらい「高氏」と名乗っていたから、鎌倉幕府滅亡までは「高氏」と
書いても何の問題も無いだろう。だが、後に後醍醐天皇より一文字を
賜り「尊氏」と名乗っている。そして、後醍醐天皇と対立し、南北朝
の状態になった以降でも、南朝側は「尊氏」と表記している。それを
逆賊厨は意地はって(?)「高氏」としているが、それは歴史を無視
しているのではないか。
つづく
>>191 >我々の高氏攻撃
お前一人しかいませんが?
196 :
日本@名無史さん :2006/04/04(火) 21:13:57
>>195 お前別のスレでもまったく同じ反論してたよなw
そんなに高氏を守りたいのか?笑える
647名前: 日本@名無史さん投稿日: 2005/08/18(木) 17:32:09 >>我々の高氏攻撃 おまえ一人しかいませんが?
198 :
逆賊厨にもの申す! :2006/04/04(火) 22:40:04
数年前の事である。京都の等持院へ見物に行き、女學生の修學旅行團と一所になつた。 教師に率ゐられた娘たちが、足利氏十三代の木像の前に來た時、口々に喧々囂々としやべり始めた。 「これが尊氏よ。」「こいつが義満だわ。」「逆賊!」「惡人!」 「こんな者。皆叩き壊してやると好いわ。」「馬鹿ツ!」「馬鹿ツ!」 そして口々に唾を吐きかける眞似をした。僕は女學生諸君の烈々たる忠君精神に驚いたが、 一方ではまた、こんな教育をして好いものかと言ふことに疑問を抱いた。引率の教師は おそらく後でこんな訓話を生徒たちにするのであらう。「皆さんもこの尊氏等のやうに、 死して惡名を千古に殘し、死後にも人から辱められるようなことをしてはなりません。」 しかし僕は考へるのである。惡名を千古に殘したのは尊氏でなく、今日の學校教育の方針が、 無理にそれを殘させたのであると。なぜなら尊氏その人は、決してしかく腹黒の惡人ではなく、 また眞の憎むべき大叛逆人でもなかつたからだ。直木三十五氏は、尊氏を評して「性交した 西郷隆盛」だと言つた。維新の元勲であった西郷隆盛が、後に謀反を起して朝敵となつたのは、 彼自身の意思によつたのではなく、失職した不平士族や郷黨にかつぎあげられ、半ばそれの 犠牲的傀儡となつたのである。足利尊氏の場合が、これとまったく事情を等しくして居る。 尊氏がもし立たなかつたら、當時の失職した武士階級者は、必ず他の首領を見付けて 亂を起したにちがひないのだ。 學校教育に於て、何よりも子供に教へなければならないことは、すべての日本人が生れ乍ら 忠君思想に深いこと。日本に於ては、決して支那西洋に於ける如き、眞の謀反人や逆賊が 居なかつたと言ふことである。この點の教育資料として、尊氏は最も好い題目を提供する。 なぜなら足利尊氏は、西郷隆盛と同じく、最後までその朝敵となる運命を悲しんで居たからである。
199 :
逆賊厨にもの申す! :2006/04/04(火) 22:41:08
義貞の軍が錦旗をひるがへして攻めて來た時、彼は剃髪しようとして臣下にさへぎられた。 かつて後醍醐天皇から受けた御寵恩は、尊氏の心に命じて生涯忘れないところであつた。 彼が北朝を擁立した後に於て、吉野朝廷の如きは全く武力なき一片の葦にすぎなかつた。 北朝の大軍隊を以て迫れば、これをただ一夕にして亡ぼすことができるのである。これがもし 北條義時や北條高時だつたら、即座に遠島に流し奉ったにちがひないのだ。しかも尊氏があへて 北條氏の轍を踏まず、北朝と竝んで南朝を竝立させたのは、心に深く皇室を崇敬し、畏れ かしこんで居たからである。そのため彼は子孫三代の長きに渡つて、南北兩朝間に反轉の紛議を 殘し、容易に天下を統一することができなかつた。 後醍醐天皇が崩御された時、尊氏は聲をあげて慟哭し、大寺院を建立して盛大な法事を營み、 天皇の御冥福を祈り奉った。當時大義名分の観念が殆んどなく、武士が朝廷を重んじない時代に 於て、これが人心收攬の政略でなく、尊氏の赤心であつたことは明らかである。しかも尚尊氏は、 事故の背恩の罪を深く悲しみ、夢窓國師に懺悔して日夜説教を聞いたと言はれる。仇敵楠正成が 死んだ時さへ、暗涙を浮べて悲嘆したと言はれる彼である。舊恩厚き天皇の崩御に際して、如何に 耐へがたく悲しみ傷んだかは察するにあまりある。だがそれ位なら、始めから何故謀反など したのだといふ疑問が起るが、西郷隆盛の場合と同じく、そこには時代の避けがたい潮流が あつたのである。彼は心に涙を流しながら、手に弓矢を取つて敵に向つた。尊氏の一生は、 日本歴史に於けるもっとも深酷な悲劇であつた。そして歴史教育の先生等は、そこを最もよく 生徒に教へなければならないのだ。即ち言へば、日本に決して謀叛人や逆賊が居ないと言ふこと。 すべての反亂は他の事情であり、そしてすべての日本人等は、生れながらの忠君主義者で、 嬰兒の如く天皇を慕ひ奉つてることを教へるのである。
200 :
日本@名無史さん :2006/04/04(火) 23:13:08
>>198-199 それ萩原朔太郎のエッセイだろ?
歴史学者ではないから仕方ないんだが、文章全体がまったく的外れ。
201 :
194 :2006/04/05(水) 01:06:00
>>194 の続きです
楠木正成は確かに当時では屈指の将であるといっていいだろう。また、敢えて
湊川の死地へ赴いたことも含め、後醍醐天皇には過ぎたる人物と言っても過言ではない。
だが、正成が尊氏の事を高く評価していた事も事実である。道化役云々に関しては、お前
(コピペ元の書き手)個人の見方なのでここでは触れないが、なんとも底の浅い見方であるとだけ
言っておこう。
202 :
194 :2006/04/05(水) 02:18:11
>>191 に関しては呆れるしか無い。歴史を語るのにそのソースを時代劇に求めるとは。
たしかに「太平記(大河ドラマ)」でそういうシーンがあった。だが、それはあくまでも
読み物あるいはエンターテイメントである。そして、それを見て読んで、「じゃあ史実は
どうだったんだろう?」と興味を持って調べたりするならともかく、いきなりドラマや小説
で見たものを史実だと信じ込んで騒ぎだすなんて、中学生でもそんなことはしない。
そして、不敬云々の件についてだが、尊氏は後醍醐天皇供養の為に天竜寺を建てた事はよく
知られている。そして、当初は天竜寺の寺号を当時の年号「暦応」をとろうとしていた。
確かに尊氏と後醍醐天皇は敵同士になったが、ある程度の義理は果たし、敬意を払っている。
北朝の天皇に関しては、後醍醐天皇が吉野へ脱出してあくまでも尊氏と戦うという姿勢を示した
ために擁立したものであるが、その擁立行為そのものは古今東西良くある事なので別段非難される
筋合いのはない(安徳天皇を奉じた平家、以仁王を奉じた源頼政などなど。ただし、安徳天皇の場合
はどちらかというと後醍醐天皇に状況は似ているが)。
そして、北朝の天皇は確かに尊氏達の掌中の珠として利用されたり、戦乱に巻き込まれてしまったり
しているが、南朝もまた利用されたり戦乱に巻き込まれたりという存在であることには変わりはない。
また、当時は江戸・明治以降の忠義が絶対という考えは無く(忠義は美徳の一つあり、裏切りも良い行為ではないが)、割合
裏切り行為などは珍しい事ではなかったという時代背景も考慮しなければならないだろう。
また、院の駕篭に矢を射かけたという土岐頼遠の件にしても、頼遠はバサラ大名と言われる不良大名であって、彼の行為すなわち
尊氏の不敬とは繋がらないし、土岐は駕篭に矢を射った一件がもとで斬首されている。
203 :
194 :2006/04/05(水) 02:27:57
続いて
>>192 についてだが、尊氏的人間云々と言っているが、そもそもの原因は
後醍醐天皇の失政にあるわけで。そして、当時の人間の率直な感想の現れが、
二条河原の落書であり、西へ落ちのびる尊氏に多くの武士がついて行った事であり、
北畠顕家をして「政治を改めぬのならば陛下のもとを去る」と言わしめたんだよな。
また、歴史上に尊氏よりも狡猾な人物はもっと沢山いる。だからといってそれらの
人を逆賊と決めつけるのも幼稚だし、好き嫌いはあっても歴史学のうえでは逆賊呼ばわり
するのは何の意味もなく、寧ろ害悪になる。
204 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 02:31:13
>194 逆賊高氏ごときをかばうのに何でそんなに必死なの?
205 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 02:37:37
>>202 逆賊厨ではないが、少し突っ込み入れてもいいかな?
天竜寺の寺号に北朝の年号である「暦応」を使うと後醍醐への敬意を払った
ことになるの?
南朝は北朝の年号を認めていない(当時は「延元」を使用している)ので、
「暦応」を使用することは、むしろ後醍醐および南朝勢力への挑発になりは
しないか?
もっとも「建武」だったら元々は後醍醐が定めたものといえるかも知れないが、
「暦応」改元以後の北朝の年号は、後醍醐や南朝の全く関知しないところで
決められているわけで。
あと土岐頼遠の処刑については、朝廷との融和を優先させた直義が独断で
行ってしまったという面もあるし、後の観応の擾乱で師直派になるような
武将達からは死罪は重すぎだという声もあったというが。
206 :
194 :2006/04/05(水) 02:39:08
そして、厨共が神仏の如く崇める楠公も、室町末期までは逆賊だった。それを自称
子孫の楠木正虎が正親町天皇に働きかけてようやく撤回されたんだよな。
そして、江戸期に入って、水戸光圀による南朝正統論が唱えられるとともに
楠公や新田義貞などが祭り上げられて行った。その路線が明治政府にも
継承され、南北朝時代に関する部分は皇国史観と言う名の宗教と化して行った。
厨が尤もらしくほざく事も、後世の評価の一つ(それも宗教がかった)でしかない。
皇国史観を押し進めて行った結果が、
>>198 の女学生たちである。元来死んだ敵には比較的寛容だった日本人
の行為とは思えない。どちらかというと秦檜に対する中国人、金玉均などに対する朝鮮人の反応を思い出させる
ものである。これを見ても皇国史観への傾倒が如何に歴史や人間に良くないかわかるだろう。
207 :
194 :2006/04/05(水) 02:52:38
>>
208 :
194 :2006/04/05(水) 02:56:03
>>204 べつに特別尊氏に入れ込んでいるわけではないが、一部の馬鹿共のために
全うな評価すらされないようでは・・・・と思ったからだな。
あと、お前らウザい逆賊厨を論破して黙らせる為というのもある。
これに反論出来んくせに今後も逆賊コピペを繰り返すようなら、
アク禁という強行手段に訴えることになるやも・・・
209 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 03:05:12
逆賊厨が定期的に沸いてくる根本的な理由は、194みたいにそれに一々反応してる阿呆がいるからなんだね。 ウヨが強いとサヨも強くなる(逆もまた然り)と同じ理屈か。w
210 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 03:20:37
>>209 ・・・・スマソ。でも、どうも放っておけなくて。一応反論はしたので、以後はなるべく無視するように
します。厨に反論なんてするだけの頭も無いでしょうしw
>>205 北朝擁立しているのだからその年号使うのは当然で、南朝の年号認めるわけにはいかないでしょう。
(北朝側からみたら、南朝は朝廷じゃないのだから)
北朝側からみれば後醍醐の後を北朝が継いだ形になっているから、北朝の年号使っても
不敬とは考えなかったのでは。
無視しても構わないし、廃帝として扱ってもいい後醍醐帝をきちんと供養したことは
(政治的な意図があったかもしれないが)評価できるのでは。
212 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 09:53:14
後醍醐供養のための寺の号を、当時の年号をあてようとしたってのは、 やはり尊氏なりに考えていたんだろうな。
213 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 13:46:00
室町武者に見るアズマの伝統的皇室観 我らアズマにとって、室町初期こそは理想の時代であろう。天皇を追放見殺しにし、 護良親王を筆頭に天皇の皇子を斬殺・毒殺などでジャカジャカ虐殺し、アズマの理想 を実現していった。なんと痛快な時代ではないか! これって、今の時代でいえば、アキヒトを廃位したり、ヒロノミヤやアキシノを斬殺 するようなもんだろ。テンコロどもサイゴク人の洗脳で牙を抜かれた我らアズマは、 このような室町初期の自由闊達なアズマ武者に学ぶべきではないのかね? ここに「太平記」より抜粋の足利高氏の執事「高師直」の名演説を上げておく。 我らアズマは、高師直の精神を見習うべきであろう! 「都ニ王ト云人在シテ、許多ノ所領ヲフサゲ、内裏・院御所ト云所ノ有テ、馬ヨリ 下ルムツカシサヨ、若王ナクテ叶フマジキ道理アラバ、木ヲ以テ作ルカ金ヲ以テ 鋳カシテ、生キタル院・国王ヲバ何方ヘモ流シ捨奉ラバヤ」 高師直は口だけだが、光厳上皇の行列に行き会った美濃国守護土岐頼遠は、 「院の御幸にてあるぞ」という院の随臣の言葉を聞いて、「なに、院と言ったのか、 犬と言ったのか、犬であれば矢を射てやろう」と言って、犬追物の射的よろしく 上皇を射的の的にして射掛けて遊んだんだよな。オチャメな土岐頼遠のお遊びの中、 「コワヒー」「タスケテー」と泣き叫びながら、生きた心地なく必死に逃げ惑う 光厳上皇の姿を思い浮かべると笑いがこみ上げてくるよ。 しかも光厳上皇自体が、偽の儀式でアズマに擁立された傀儡半帝の偽天皇ときた もんだ。ほんとに室町初期は皇国史観に毒されない良い時代だ。作る会などが足利高氏 や室町政権を敵視するわけがわかるよ。ウヨクソどもは、反天皇と言うとすぐブサヨク 呼ばわりするが、テンコロを徹底的に小馬鹿にし、酒の肴で射的の的にまでした高師直 や土岐頼遠も彼らの価値観から言うとブサヨクなんだろうか(藁
>>214 > Takauchi Ashikaga
足利尊内?尊打?尊討?
「逆賊高氏の悪行」のなかで現在、とりわけ注目度の低いものに、
「物言えぬ死人を使って歴史を改竄すること」があります。
もっとも有名な例を二つ挙げておきます。
一つ目は「足利家時の置き文」です。
これは、逆賊高氏が自分の悪行を「祖父の大望」という名分を作ることで正当化するのに
大いに役立ちました。この置き文の胡散臭さについては、南北朝研究の大御所佐藤進一氏や
中村直勝氏、そして
>>11 の本の著者も指摘しています。
家時が哀れでなりません。自らの非業の死を逆賊高氏の派遣のために利用されてしまったのです。
逆賊高氏は己の利益のためなら、その祖父でさえ利用するのです。
もう一つは、逆賊高氏の御用史書・梅末論にある「楠木正成が逆賊高氏と後醍醐天皇の和睦を勧めた」
件についてです。ここには楠木正成が、新田義貞を見捨てても逆賊高氏を和睦したいと考えていたと
ありますが、信義の男正成が自分の盟友を捨ててまで逆賊の肩を持つことなど絶対にしなかったはずです。
後醍醐天皇のために命を捨てることができたのも、そのような精神の持ち主であったからといえましょう。
また、逆賊高氏信者は、「高氏と正成は心では通じ合うものがあった」などしばしば口にしますが、
信義の男正成が、策略好きで功利的な逆賊高氏の性格と通じ合うことなどありえません。
正成は地下で逆賊高氏を激しく憎んだでしょう。自分の人格がこんなにも冒涜されてしまったのです。
大体、梅松論自体が逆賊高氏の自作自演史書だと考えるのが自然でしょう。このような
バイアスのかかった本を歴史を学ぶ上で参考にするのは、非常に危険といえます。
よくもずうずうしく死人を使って、自分の都合のよいように歴史を歪曲したものです。
逆賊高氏には慈悲真のかけらもなかったといっても過言ではありません。
そして、我々が現在学んでいるのも、「逆賊高氏によって改竄された歴史」でしかないのです。
これは悲しいことです。
217 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 18:44:41
>>216 尊氏自体が改竄したとでも?派遣?どこへ?馬鹿の一つ覚え宜しく
コピペばっかしてんな。まずは
>>40 と
>>194 を論破してみろ糞が。
218 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 19:03:07
逆賊厨に質問だが、お前らは病的に尊氏を逆賊云々と言いたがるが、 陽成天皇を廃位した上宇多天皇にダダをこねた阿衡事件を起こした 藤原基経や、承久の乱で3上皇を配流し、仲恭天皇を廃位した北条義時、 後水尾天皇を恫喝して朝廷を法で締め上げて行った徳川幕府、 崇峻天皇を殺した蘇我馬子はどうなんだ? あくまでも風説ながら、孝明天皇を岩倉具視が暗殺していたとしたら? また、孝明天皇には非常に信頼されていた松平容保が維新後には一転 逆賊として薩長の討伐を受けたということはどう思う? 逆賊の評価なんていい加減なものだろ?明治〜戦前は、要職に藤原氏出身者 (西園寺など多数)がいたために、廃位を断行した藤原基経は霍光にたとえられて 正当化されていた。 また、南朝を正統とするにあたって、後亀山天皇が後小松天皇に禅譲という 苦しい、それも史実を無視した理由づけをしている。 さあ厨さん、これをどう説明してくれますか?
夢窓国師は時々談義をするだけで、あとは何もしないで、尊氏から多大の領土や給与を受けていたので、 尊氏をできるだけ賛美せねばならない立場にあった。夢窓国師と尊氏とは互いに賞め合い、もちつもたれつの 関係にあった。だから夢窓国師が賞めたからといって、そのまま受けとるわけにはいかない。 第一のことも武将であれば皆その通りでなければならない。ひとり尊氏に限らないことである。 「第二に慈悲天性にして人を悪み給事をしりたまはず、多く怨敵を寛宥ある事一子のごとし。」とあるが、 既に吾が子直冬を放置して顧なかったことだけでも慈悲心があったとはいえない。また義貞を終生の敵とし、 また後で、弟直義を毒殺し、吾が子直冬を討たねば止まぬと気負っていたことを考えても、弟や我が子でさえ 悪んでいたのである。ただ敵を許したことがあったかもしれないが、それはそうすることが自分にも利になる時であった。 第三に、御心広大にして物惜の気なく……諸人の進物ども数知れずあったけれど、皆分かち与えたとあるが、 これも特別賞賛することでもない。一般の人でも、多くの品物が集まったときは、「お裾分け」とも言って、 知人や近所へ分けてしまうのである。食物であれば直に処置しないといけないし、食物でもない器物にしても、 既に自分の家にあるものが多く、邪魔になるだけであるから、持ち去ってくれると有り難いのである。 然し、尊氏も価値のある物には大いに物惜しみしたのである。その例の一つは、名刀恩丸、鬼切のことである。 斯波高経が新田義貞から奪った恩丸、鬼切を、尊氏は、これは末流の源氏などが持つべきではない。 急ぎその二振りの刀を我れ(将軍)に渡してほしい。足利将軍家の重宝として、本家筋において相伝えると 言って強要したという。そして高経が渡さなかったので、戦功のあった高経を敵に廻して討とうとまでしたのである。 そのため高経は直義側について、尊氏側としばしば戦った。尊氏は価値なき物は惜しまず、価値ある物は 惜しんだのである。また少し価値あるものも、それを渡すことによって自分に利になる場合は渡した。
220 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 19:14:10
足利尊氏は最高だよね
逆賊厨連中ならば、天皇家のどんな悪政にも耐えられるマゾヒストなんだろう。 少なくとも俺には関係ない連中だしかかわりたくもない。 この時代。もし尊氏がおらず、武士をまとめられるものがいなければ更なる 混乱が起きただろう。尊氏を英雄視するつもりはないが、この時代になくては ならない人物なのは言うまでもない。
222 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 20:32:40
司馬遼は南北朝きらい。
223 :
日本@名無史さん :2006/04/05(水) 20:36:33
>>214 >the popular theory
どこがポピュラーなんだ?
そんな話は聞いたことがないが・・・。
224 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 01:53:26
源氏に連なる将軍でありながら、およそ合戦においてただの一度として自身が前線に 立って戦うことなく、弟の直義にばかり危険な役どころを押しつける。すでに心の中で謀反の結論を 出しているにもかかわらず、自分の口からはけっしてその意思表示をすることなく、周囲の意見に 押されてしぶしぶ決定をする、というまわりくどいやり方を通さなければ動こうとしない。 自分の都合で後醍醐天皇の子どもを暗殺しておきながら、自分が朝敵として世間から 非難されることは極端に嫌がる―― 後醍醐天皇の反乱のさいに、日本中の武士を敵にまわして最初に朝廷側につき、最期までその 忠義を貫き通した楠木正成、足利家と同じく清和源氏の嫡流でありながら、足利家のように 時の権力に媚びへつらうことなく、孤高を保ってきた新田義貞など、人として好感のもてる者たちの あいだにあって、足利高氏の悪党ぶりは、いやがうえでも目立つ。 そして同時に、私たちは彼をはじめとして私利私欲のために奔走する道義心なき武士たちの姿に、 どこか現代の政財界を牛耳っている、どこか胡散臭い権力者たちの姿を見出すことになる。 彼らのあいだに共通するのは、言動不一致、つまり、彼らの発する言葉がまったくの空虚であり、 何の重みも責任も感じられない、というひとつの事実なのである。 ひとつの国にふたりの天皇が存在するという、ある意味異常な時代を考えるのに、あるひとりの人間の、 エリートゆえの自尊心を考慮に入れるというのは、じつによくありがちなことだと思ってしまうのは、 ある意味とても悲しいことだと言わなければなるまい。なぜなら、それは今の世の中が、まさに 口から発する言葉に何の重みもない、言動不一致がまかりとおり時代であること――ようするに、 当時も今も、少なくとも人間のあさましい心という意味では、なにひとつ変わっていないということで あるからである。
225 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 02:35:49
____ /三ミミ、y;)ヽ、 /三 ミミ、ソノノ、ヾ、} ,':,' __ `´ __ `Y:} ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ }::! { : :`、 ,´: : j !:! < ちょっと、アンタ〜人生終わってるわよ {:| -=・=i ! =・=-'|:} | 「( / しヘ、 )j │ g ! ` !-=‐!´ ,ノg │ \._ヽ _´_ノ ソ \__________________ __,/ ヽー ,/\___ |.:::::.《 ヽー/ 》.::.〈
226 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 03:01:20
227 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 03:05:35
↓逆賊高氏 ∧_∧ ∧_∧ _( ´∀`) (´∀` ) 三(⌒), ノ⊃ ( ) 糞幕府は・・  ̄/ /) ) | | | . 〈_)\_) (__(___) ∧_∧ .∧_∧ ( ´∀) (´∀` ) ≡≡三 三ニ⌒) ) 立てんなって / /) )  ̄.| | | 〈__)__) (__(___) ∧_∧ ,__ ∧_∧ ( ´)ノ ):;:;)∀`) /  ̄,ノ'' ) 言ったろうが C /~ / / / / / 〉 (__(__./ \__)\) ヽ l // ∧_∧(⌒) ―― ★ ――― ( ) /|l // | ヽ ヴォケがーー! (/ ノl|ll / / | ヽ (O ノ 彡'' / .| / ./ 〉 \__)_) ↑逆賊高氏
228 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 08:41:23
トv'Z -‐z__ノ!_ . ,.'ニ.V _,-─ ,==、、く` ,. /ァ'┴' ゞ !,.-`ニヽ、トl、:. , rュ. .:{_ '' ヾ 、_カ-‐'¨ ̄フヽ`'|::: ,.、 、 ,ェr<`iァ'^´ 〃 lヽ ミ ∧!::: .´ ←逆賊高氏 ゞ'-''ス. ゛=、、、、 " _/ノf:::: ~ r_;. ::Y ''/_, ゝァナ=ニ、 メノ::: ` ;. _ ::\,!ィ'TV =ー-、_メ:::: r、 ゛ ::,ィl l. レト,ミ _/L `ヽ::: ._´ ;. :ゞLレ':: \ `ー’,ィァト.:: ,. ~ ,. ,:ュ. `ヽニj/l |/:: _ .. ,、 :l !レ'::: ,. " |ヽ ,ヘノ:::::ヽ /:::::::::::::::::ヽ /| /::::::::::::::::::::::::::ゝ /::::|/:::::::::::::::::::::::::::::::::::〉/! |::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::://| |::::::::::::::;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| |\:::::::::/ `、::::::::/ ヽ:::::::::::::::|/ ヽ:::::::::/ !::::/ !:::::::::::/ \::::::::> V <:_::/ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ「`|〒=。,_ ;'=。ア´|. i /おい!きたないから片付けておけよ! ‐ゝ、!  ̄ ",  ̄ !ノ < その逆賊を! `∧ ,_ヽ _,、 ∧´ \____________ ―┬─┬―i⌒/ \.  ̄ / ヽ⌒i―┬─┬─┬― ! ! | | |. ハ`ー-'´ハ | | | ! ! !
229 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 08:42:05
,r-'''"" ̄ ̄"'-,_ _,.-'^γ´ `i, ,r' ,.r'"ヽヽ、( ( ソノノ彡、 i ,i' { "''''''''''''' ミ .i i i ミ i | i 二 二 二 二 ミ i .i i ハ ミ i | ノ {{|iiiiiiilll;ノ,,,,,ヽ;liiiiiiii||}} ゝヾ | .ミ >='^◎≫,i'^'i,≪◎'=、< ミヘ ,ヘ ミ ~こ二ヲ i i; .'ミ二こ、 ミ } { レ ノ i i; ヽ、_, ';,ノ ノ Li,;'ゝ ,イ ト、 ';, i'~ i, i ._,ノ^-0し0-ヘ,_ }| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゝ,イ'<ー--ニ---ー>|ノソ < 逆賊高氏は腹を切って死ぬべきである! ゝ.i `'ー-'´ i,イ \___________________________ |..ヾ、 ,.......、,i'.,ソ | ,|. ヾヽ_____レ'ソ .|、 /| \ ヾ二二ツ /|\ /::::::| \ -- / |:::::\
230 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 08:42:48
<徳川家康公> /:l::\ |:::!::::::| | :!::::::! _ __ _ |::l::::::|´:/,.-‐<::\ ,. ―┴゙ーく:/ / } .:.:ヽ {`ー---―::'}:く. l ..::.::l 逆賊高氏など尊敬できん。 /`二¨二 ̄´ヽ::ヽ. | ..::.::| 俺の先祖は忠臣新田義貞公! / 二ニ二 ヽ. } :::}. l ..::.::| l__ _ _ _ ,.へ;リ | ..::.::| {テテ! fテテ、_ ,.-、ヽ.___ |..:::.:::| 厂:r| -、 ̄´ノ ! :}:::::入ゝ--" __ ____ ______{:::/ 'ー‐'ヽ ::::: 丿//::::::! _____ _ /:::::| ::::::::::::::::::!{ ━ ) |ー }::Υ´7 ̄:::::::::::::::::::/:::::::::\ / :::::::: | ::::::::::::::::::人_` ⌒ __, 八__丿::ノ:::/:::::::::::::::::::::/::::::::::::::::::::: / ::::::::::::::::|_::::::::/ヽ、:\._;三二´-‐'::/::/::::::::::::::::::/:::::::::::::::::::::::::::
ミミ ヽヽヽヽリリノノノノ ミ ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡 l i''" i彡 | 」 ⌒' '⌒ | よし、 ,r-/ <・> < ・> | 次は楠木正成を従わせるぞ! l ノ( 、_, )ヽ | 金で動かない人間なんていねーんだよ ー' ノ、__!!_,.、| ∧ ヽニニソ l /\ヽ / / ヽ. `ー--一' ノ/ヽ ノ7_,,, 、 ______ / (⌒、"⌒ソ⌒ヽ─ '" `、 ( ィ⌒ -'"",う/壱 / /万:/| ~''(_)(_)(_)(_)ソ ヽノ ,イ^_.|≡≡|__|≡≡|彡|_____ ヽ/`、_, ィ/ ヽ─/ ̄//|≡≡|__|≡≡|/壱//万 :/| / / ) / ≡|__|≡|≡≡|__|≡≡|≡≡|__|≡≡|彡| / 功利の逆賊 i|≡≡|__|≡|≡≡|__|≡≡|≡≡|__|≡≡|彡| \ ノ 足利高氏 |≡≡|__|≡|≡≡|__|≡≡|≡≡|__|≡≡|彡| \__ / ノ|≡≡|__|≡|≡≡|__|≡≡|≡≡|__|≡≡|/
232 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 08:43:54
源氏に連なる将軍でありながら、およそ合戦においてただの一度として自身が前線に 立って戦うことなく、弟の直義にばかり危険な役どころを押しつける。すでに心の中で謀反の結論を 出しているにもかかわらず、自分の口からはけっしてその意思表示をすることなく、周囲の意見に 押されてしぶしぶ決定をする、というまわりくどいやり方を通さなければ動こうとしない。 自分の都合で後醍醐天皇の子どもを暗殺しておきながら、自分が朝敵として世間から 非難されることは極端に嫌がる―― 後醍醐天皇の反乱のさいに、日本中の武士を敵にまわして最初に朝廷側につき、最期までその 忠義を貫き通した楠木正成、足利家と同じく清和源氏の嫡流でありながら、足利家のように 時の権力に媚びへつらうことなく、孤高を保ってきた新田義貞など、人として好感のもてる者たちの あいだにあって、足利高氏の悪党ぶりは、いやがうえでも目立つ。 そして同時に、私たちは彼をはじめとして私利私欲のために奔走する道義心なき武士たちの姿に、 どこか現代の政財界を牛耳っている、どこか胡散臭い権力者たちの姿を見出すことになる。 彼らのあいだに共通するのは、言動不一致、つまり、彼らの発する言葉がまったくの空虚であり、 何の重みも責任も感じられない、というひとつの事実なのである。 ひとつの国にふたりの天皇が存在するという、ある意味異常な時代を考えるのに、あるひとりの人間の、 エリートゆえの自尊心を考慮に入れるというのは、じつによくありがちなことだと思ってしまうのは、 ある意味とても悲しいことだと言わなければなるまい。なぜなら、それは今の世の中が、まさに 口から発する言葉に何の重みもない、言動不一致がまかりとおり時代であること――ようするに、 当時も今も、少なくとも人間のあさましい心という意味では、なにひとつ変わっていないということで あるからである。
233 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 09:10:23
孝徳天皇を死に追いやった中大兄皇子は逆臣。
234 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 18:17:27
平泉澄―み国のために我つくさなむ ミネルヴァ日本評伝選 若井 敏明 (著) ↑ 今月出るぞ。俺まだ読んでないけど、逆賊糾弾を評価したものだったら良いな♪ 神の国と超歴史家・平泉澄―東条・近衛を手玉にとった男 田々宮 英太郎 (著) ↑ これは逆賊高氏信者が書いたもので、買うべきではない。 ミネルヴァのはこれとは180度違ったものであることを望む。
235 :
まゆ :2006/04/06(木) 18:21:16
逆賊高氏を褒め称えるヤツなんて、逆賊高氏と一緒に朝鮮人認定されちゃえ!
後醍醐天皇のやり方が時代錯誤だっただけだろう。 それに高氏は天皇自体を潰そうとは考えていなかった。 あくまで時代時代の施政者と同じく利用しただけ。 よって小泉・福田よりマシ。そんな俺は天皇家を愛する1人です
237 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 18:29:53
>>236 尊皇主義者のふりをしてまで逆賊高氏を持ち上げるなんて哀れな方ですね。
>>237 そもそも日本には死人に鞭打つ文化はないのよね。
それとも、君と俺とは死生観が違うと言うことか。
239 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 18:43:52
後醍醐天皇「ス…超天皇てのは…うっ…ゴホッ」 義良親王「それいじょうしゃべられますな!死を早めるだけでござりますぞ!」 後醍醐天皇「よ…よ…よくきけ義良…… 建武の中興がと…頓挫したのは………朕の政治に…問題があったせいなどでは な…なかったのじゃ……… ぎゃ…逆賊高氏が裏切りやがったのじゃ……! ち…朕はあやつの実力を高くかって参議にまで就けたというのに…」 逆賊高氏「皇位を奪ったのにしぶといね。話はまだ続くわけ?」 後醍醐天皇「た…たのむ…逆賊高氏を…逆賊高氏をたおしてくれ………た…のむ。南帝の…手……で………」 逆賊高氏「やっとくたばったか…じゃあ恐怖のショーを再開しようか。」 義良親王「父上が泣かれるなんて…父上が私にたのまれるなんて… よっぽどおくやしかったのでしょう………わかってますぞ…建武の中興が失敗に終わったのが おくやしいのではございませぬのでしょう…? 逆賊高氏にいいように利用されなさったのがくやしくて仕方がないのでございましょう…? 父上の政治は頓挫してしまったけれど、民への熱い思いは持っておられた… 私にもすこし分けていただきますぞ その思いを… おめえに追われた父上のためにも そしておめえに殺された尊き血潮のためにも おめえをぶったおす!」
このスレ長文が多くて勉強になるわぁ
242 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 18:49:35
逆賊高氏は700年たった今でも、私達の中に生き続け、心を蝕み続けています。 彼は死人ではありません。 また、たとえ死んでしまったからといって、すべての過ちが許されるという考えそのものが間違っていると思いますが。
243 :
まゆ :2006/04/06(木) 18:53:02
ケツの穴が痒くて困っています。
師直「ス…超副将軍てのは…うっ…ゴホッ」 直義「それいじょうしゃべるな!死を早めるだけだぞ!」 師直「よ…よ…よくきけ直義…… 俺たちがお…襲われて死んだのは………上杉たちが勝手に…襲ったせいなんかじゃ な…なかったんだ……ぎゃ…逆賊高氏が裏切りやがったんだ……! お…俺たち忠臣はあいつの手となり足となり忠義のために戦ったってのに… 逆賊高氏「心臓を貫いたのにしぶといね。話はまだ続くわけ?」 師直「た…たのむ…逆賊高氏を…逆賊高氏をたおしてくれ………た…のむ。副将軍の…手……で………」 逆賊高氏「やっとくたばったか…じゃあ恐怖のショーを再開しようか。」 直義「おめえが泣くなんて…おめえがオラにたのむなんて… よっぽどくやしかったんだな………わかってるぜ…忠臣の自分たちが殺されたのが くやしいんじゃねえんだろ…? あいつにいいように利用されてたのがてたのがくやしくてしょうがねえんだろ…? おめえのことは大キライだったけど、逆賊高氏への誠意は持っていた… オラにもすこし分けてもらうぞ その誠意を… おめえに殺された忠臣のためにも そしてここで死んだ師直のためにも おめえをぶったおす!」
245 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 19:19:22
カカロット…頼む…フリーザを倒してくれ…
246 :
逆賊高氏 :2006/04/06(木) 19:20:01
247 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 19:29:04
このスレ賑わってるなぁ 楠木正成のスレは閑散としてるのに これが人望の差ですか
憎まれ度の差
>>242 死生観に間違いなど無いよ。
民族の根本に関わる事だからね。
250 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 19:35:12
まぁとりあえず高氏は極悪人ってことでおkだよな
ま、不当に国を乱した罪は重いわな。 本当に南北朝時代に外客が来なくてよかったな。。
>>247 あのスレッドもけしからん。
大楠公を悪党とは…。
253 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 19:43:32
254 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 20:06:18
<徳川家康公> /:l::\ |:::!::::::| | :!::::::! _ __ _ |::l::::::|´:/,.-‐<::\ ,. ―┴゙ーく:/ / } .:.:ヽ {`ー---―::'}:く. l ..::.::l 逆賊高氏など尊敬できん。 /`二¨二 ̄´ヽ::ヽ. | ..::.::| 俺の先祖は忠臣新田義貞公! / 二ニ二 ヽ. } :::}. l ..::.::| l__ _ _ _ ,.へ;リ | ..::.::| {テテ! fテテ、_ ,.-、ヽ.___ |..:::.:::| 厂:r| -、 ̄´ノ ! :}:::::入ゝ--" __ ____ ______{:::/ 'ー‐'ヽ ::::: 丿//::::::! _____ _ /:::::| ::::::::::::::::::!{ ━ ) |ー }::Υ´7 ̄:::::::::::::::::::/:::::::::\ / :::::::: | ::::::::::::::::::人_` ⌒ __, 八__丿::ノ:::/:::::::::::::::::::::/::::::::::::::::::::: / ::::::::::::::::|_::::::::/ヽ、:\._;三二´-‐'::/::/::::::::::::::::::/:::::::::::::::::::::::::::
<善人度> ヒトラー>>>>>>>>>>>逆賊高氏 金正日>>>>>逆賊高氏 始皇帝>>>>>>>>>>>逆賊高氏 董卓>>>>>>>>>>>>逆賊高氏 蘇我入鹿>>>>>>>>>>>>>>>逆賊高氏 ムスカ>>>>>>>>>>>>>>逆賊高氏 麻原尊氏>>>>>>>>>>>>>>>>>>逆賊高氏 アネハ建築士>>>>>>>>>>>>>>>>>>>逆賊高氏
足利高氏 統率:80 武勇:75 知力:74 政治:79 義理:8 足軽:B 騎馬:A 弓:B 水軍:B 計略:A 楠木正成 統率:99 武勇:106 知力:64 政治:31 義理:100 足軽:S 騎馬:A 弓:A 水軍:D 計略:B 新田義貞 統率:55 武勇:48 知力:53 政治:47 義理:73 足軽:C 騎馬:B 弓:C 水軍:D 計略:D 楠木燃え〜
257 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 21:09:38
新田弱いね・・・・・まあ、逆賊厨はコピペを繰り返すばかり・・・・
258 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 21:23:58
>>254 糞漏らしは黙ってろ!家康の先祖はアレだ、ただのスケベ坊主やん
平泉澄なんて、もはや史家ですらないじゃん・・・・
なあ、逆賊云々はもうどうだっていいから、そろそろまともに
議論しようや。日本史板の住人の質って、厨房板より低い気がするんだ
最近。厨房が知識を得てスレを撹乱して悦に浸ってるような。
朝廷に江戸期以降に仕えてた公家は大半が北朝についた連中だったよな。
あと、多くの武士が足利方に従ったことも忘れちゃなるまい
後醍醐の失政なんて当時から言われてる事なのに・・・・
>>258 >朝廷に江戸期以降に仕えてた公家は大半が北朝についた連中だったよな。
逆に南朝に使えてたけど、後世まで続いた公家の家系ってあるの?
吉野に引っ込んでいる間に領地とか押領されてしまったと思うのですが
南北朝合一後に返して貰えたのかな?
260 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 21:51:47
_-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ >ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_| 了| "~`、 "~"` {,',; ;} 。 |;;;;;;;;;;ノ∪ \,) ,,/ ヽ "7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6∪ ー─◎─◎ ) '| / レリ* |ノ (∵∴ ( o o)∴) + i ( }ィ' |∪< ∵∵ 3 ∵ノ ` ー--- /|` + \ ⌒ ノ ヽ  ̄ / |__ \_____/ 南朝好き 逆賊高氏信者 「三種の仁義を持つ 「足利尊氏様万歳! 南朝こそ正義だよ!」 日本に天皇など必要ない!」
つまり天皇も高氏も好きな俺は性格のよいキモヲタかキモオタな性格の池面って事かw
263 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 22:19:36
逆賊高氏は、自分の利にならないことは決してしない人間でした。
自分の利のためにしたことが、高氏の徳から出た行動だと賛美されているのは、かえすがえすも情けないことです。
当時の人物にさえ、逆賊高氏の「老獪な計算」に騙される物が少なくなかったことを考えれば、無理もないことかも
しれませんが、少し考え直してみてはどうでしょう。
配下のものに恩賞を惜しみなく与えたことも、家臣が狼藉を働いても厳罰を与えなかったことも、
楠木正成の首を実家に送って領地を寄進したことも、後醍醐天皇を弔うと称して天龍寺を建てたことも、
嫡男ばかりを重く用いたことも、死の直前に直義の官位を引き上げたことも、
一見すれば「徳のある行い」に見えますが、よく吟味すれば、すべて逆賊高氏自身の利となる行動でした。
私の文を読んで逆賊高氏について考え直してみようと思われた高氏賛美の方は、迷わず
>>246 の本を手にとって見ることをお勧めいたします。
264 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 22:30:13
この間仕事で足利に行ったんだが、公園に逆賊高氏の像が建っていたのに驚愕した。 このようなものを立てることは、逆賊高氏の顕彰、ひいては「悪事の奨励」になるのではないか。 しかもその像は市民の基金によって造られたそうだ。戦後の逆賊高氏礼賛教育により、 足利の人間もこのようなものを立ててしまうほどのマインドコントロールをされたのだろう。 気の毒な話だ。 京都綾部市にも逆賊高氏の像があるらしいが、これらは二つとも直ちに撤去したほうがいいだろう。 「悪事の奨励」によるのちの弊害を考えると。
265 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 22:31:54
教育に倫理が大切なのは、今も昔も変わらない。 しかし、今の教育は道徳面、とくに善悪についての判断が欠けている。 戦前の歴史教育では楠木正成や新田義貞を英雄として扱い、 逆賊高氏のような人間になってはいけないと教えることで、それを学んだものは 皆楠木正成や新田義貞たらんとし、「七章報国」と叫んで日本のために自らの命を投げ出していった。 逆賊高氏のように、私欲のために国を破壊し奔走するようなものはいなかった。 しかし、今はどうだろう。 教育に善悪論を持ち込まなくなった結果、日本人の道義心は乱れ、 逆賊高氏のような凶悪犯罪者・極悪人・人非人が日本中に溢れている。 今の日本は平和に見えて、実は逆賊高氏の時代と同じようなような有様だ。
266 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 22:32:56
逆賊高氏は憎むべき極悪人であるが、逆賊高氏以後の足利将軍には哀れを感じる。 逆賊高氏が自分勝手に政権を立て、その政治がおぼつかなかったため、後世は大変な苦労を強いられた。 結果、戦乱・反乱続きで、将軍をはじめ諸将、農民も心休まることがなかったであろう。 北条氏の政権が続いていたら、日本はこのような地獄にはならなかっただろうに。
>265 「七章報国」ってなによ?
かっこつけるうんこ男逆賊高氏
http://www.ryomonet.co.jp/p-soft/images/takauji2.gif 逆賊高氏の口臭そうーっ
http://www.ten-f.com/takauji11.jpg 口臭不潔太長うんこ逆賊高氏「高氏さまのうんこおいしーーーっ サイコーーに、臭い、、
私の吐く息どうですかーー太長うんこ口臭逆賊高氏は偉大なるご主人様の奴隷です、、
私から出るニオイは全部うんこ臭くしてください、、、
口が臭いのが男奴隷なのだーっ 吐く息もっと臭くーーっ
体中臭く、汚く、臭いニオイにしたぁーーいっ それがうんこ女のしあわせなのだーー
清潔で、キレイな息の私、ニオイのない私が間違っていましたぁーーっ
汚くて太くて茶色いうんこをすんごく臭いニオイとともに出して、屁はこいて
体中臭くて、逆賊高氏の吐く息ずっと臭いのぉーーッ
不潔で、吐く息臭い息の私、うんこ臭い逆賊高氏、汚い不潔な逆賊高氏、
うんこする私が本当の逆賊高氏なのーーっ
うんこ食べて息臭くして垢出して、口臭くなって、屁こいて、ケツ汚くて、おしっこして
うんこを排泄するのだーーっ 逆賊高氏は吐く息、口臭、うんこ臭いのーーっ!
逆賊高氏から出るニオイは全部臭いよーーっ、吐く息は臭いよーーーっ うんこ女のしあわせ
逆賊高氏は臭い、逆賊足利高氏はうんこが太い、うんこが臭い、黄色くて臭そうな歯見てーーっ
息臭いんだよーーっ つばうんこ臭くて、ニオイすごいんですーーっ
蛯原はうんこ臭いのーーっ、何もかもがぁーーっ
逆賊高氏はキレイで清潔なふりしてたけど、
本当は口臭すんごくて息うんこ臭いだけの悪臭不潔うんこ男なのーーーーっ」
269 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 22:57:43
そもそも「七生報国」自体楠木正季の言葉じゃ無いんだけどね・・・・
もともとは「七度人間に生まれて敵と戦いたい」くらいの言葉だったんだが、
のちのちこれにすり替えられたんだよな。
>>266 北条の政治がまずかったから後醍醐に味方した連中が多かったんだろ?
無知を晒すな池沼が
このスレを建てた者ですが、あまりに逆賊厨房の荒らしが酷いので
削除依頼だしてきました
>>266 逆に言えばあと一歩で天朝を取り込むまでに力をつけた足利義満は神って事か
あの諸侯が入り乱れる連合政権で勢力を拡大できたのは並大抵の成果では出来なかったろうね
271 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 23:08:29
この糞スレを削除したところで、逆賊高氏の悪行が未来永劫に語り継がれてゆくことに変わりはない。
逆賊厨の方が尊氏より悪い気がする
273 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 23:44:41
>>272 残念ながら俺は逆賊高氏と違って残虐な裏切りや人殺しなどしないがな。
274 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 23:46:55
>>273 そりゃそうだ。時代と状況がちがう。
そして、お前にはついてくる人間はおろか、
PCしか友達はいない。
826 :& ◆F4lae0UqmU :2006/04/06(木) 23:23:34 ID:x4DD4Zf+0 日本史・大河ドラマ・時代劇板の「太平記」「足利尊氏」「南北朝」関連 のスレッドが酷い荒らしにあっています。どうすればいいでしょうか? というのは、ひたすら「尊氏は逆賊」といった趣旨のコピペやAAを貼りまくり 普通に議論してる住人達に著しい迷惑をかけているのです。それも、歴史 について自己の主張を押し通してるというよりは、ひたすらコピペしまくって 迷惑かけておもしろがっているといった感じです。 827 :名無しの妙心:2006/04/06(木) 23:39:53 ID:jTzWXNOc0 逆賊云々の議論に付き合う気がないのなら、 「逆賊」をNGワードに指定しておけばいいのではないかと。 逆賊厨などと煽っていたり、放置ができていないようにも見えますし、 そもそも逆賊である云々は議論の余地がある事柄ではないかとも思えます。 スレの内情を知りませんので、はっきりと断言はできませんが。 何にしろ、それが荒らしであると認識しているのならば、 しっかりと無視放置をするようにしてみてください。 煽っている人には注意をしながら、通常の話題を振るなどの対処を。
828 : ◆.../ite1mo :2006/04/06(木) 23:41:23 ID:sPyl57eT0
>>826 誰かが掲示板を借りて荒らしはアク禁にしてそっちで普通に議論すればよいと思う
フリーメールのアドレスがあれば借りれるよ
http://yy.kakiko.com/ 829 :826:2006/04/06(木) 23:43:52 ID:x4DD4Zf+0
確かに煽られてしまった面もあり、それは反省しなければならないと思います。
が、しかしです。逆賊云々はたしかに議論の余地のある事象なんですが、
その長文を連投したり、ひたすらAAをコピペしまくったりと、ともかく
実際に見てみればわかると思います。
「太平記」「足利尊氏」で2ch検索をかけてみて下さい。ともかく、
その関連スレ全てが荒されているじょうたいで、議論以前の問題です。
830 : ◆.../ite1mo :2006/04/06(木) 23:47:13 ID:sPyl57eT0
>>829 だから荒らされないところでやれば問題解決だろ
2ちゃんねるは荒らされる事がよくあるのでまじめな議論を2ちゃんねるで続けるのは大変です
荒らされるのが嫌なら他所いけ
こんな所で相談すれば、なんとかしてくれるのではないかと思ってる、お馬鹿ちゃんがいるとは・・・
まるで深窓の令嬢のようだな
しかしなんでまた去年ぐらいから、逆賊厨が湧いてきたんだろう。 昔はここまでしつこく病的なのは、いなかったが。
278 :
日本@名無史さん :2006/04/07(金) 00:09:06
多分特定の少数の基地外が数多くレスしてんだろ?
279 :
日本@名無史さん :2006/04/07(金) 00:21:08
そもそも2chのスレッドには殆ど人材面の流れというものがあるのですが、
前スレの逆賊高氏スレは忠臣の方が立てられたので、
そこに集まった忠義の人々が集まっているのは当然かと。
前スレ終盤には、
>>1 さんが不幸にも病になられた隙に乗じての
後醍醐帝へのあまりに心無い罵倒もありましたが、
そこでの
>>1 さんが居られないことをいいことに繰り広げられていた次スレ論を見ても、
このようなスレの立て方はアンフェアであり、忠義の方が反感をもたれるのも当然の成り行きと言えるでしょう。
前スレにおいて
>>1 さんはあくまでも正義の言論によって立ち向かおうとされました。
その結果が病を得るというものであったことは、彼の苦悩が察せられて誠に同情に耐えないものでありますが、
これはネットの掲示板という環境で信義を貫くことの困難を示したものであると言えるでしょう。
そういうことですから、ここの
>>1 さんが削除依頼という言論の放棄に出られたのも止むを得ないものであるのでしょうが…。
>そういうことですから、ここの
>>1 さんが削除依頼という言論の放棄に出られたのも止むを得ないものであるのでしょうが…。
で、気になって削除依頼スレの方を見てみれば。
141 :山男:06/04/06 23:14 HOST:softbank218131208037.bbtec.net
削除対象アドレス:
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1140541245/ 削除理由・詳細・その他:
このスレッドは足利尊氏を話題としたスレッドだったのですが、
次第に所謂「逆賊厨」による荒しが酷くなって来ました。
どこからかコピペした長文(内容は尊氏を逆賊とするという内容で、スレで
普通に語っている人間にも大いに迷惑をかけている)
をスレの流れを無視して連続して
貼付けたり、AAを連続して貼付けたり、無視しても、一応歴史
について述べている文章になっているので論破しても、
ひたすら連投してきます。このままでは正常なスレッドの運営
がままならないので、削除してしまったほうが良いと考えました。
また、連続投稿(内容は足利尊氏は逆賊とするもの、それへの反論
は含まない)の主もアク禁にするようお願いします。
ともかく、迷惑しています
・・・レス削除の方に依頼すれば済むことではありませんか。
281 :
日本@名無史さん :2006/04/07(金) 01:02:22
暗君尊治信者は、同じコピペを延々と続けて悦に入っている。 気違いとしか言いようがないな。 こいつの人生って一体何なんだろう。 キモ過ぎ。醜悪。 こんな奴に慕われて暗君尊治も喜びはすまい。
282 :
日本@名無史さん :2006/04/07(金) 08:28:43
ここは気にいらんスレを潰すのもアリなんだよ 俺は「男系断絶後の天皇制を追究しよう」のスレを徹底的に潰してやったよ
逆賊厨や嵐は日本人じゃないんだな。
284 :
日本@名無史さん :2006/04/07(金) 16:33:27
285 :
市松 :2006/04/07(金) 20:45:54
尊氏を南朝にたて突いた逆賊なら、北朝にたて突いた小楠公も逆賊か?
286 :
日本@名無史さん :2006/04/07(金) 22:40:51
287 :
日本@名無史さん :2006/04/07(金) 22:51:48
288 :
日本@名無史さん :2006/04/08(土) 00:57:58
>>285 そもそも北朝についた=尊氏方についた=逆賊とすると、
西園寺公望や近衛篤麿、文磨父子、有馬頼寧その他明治〜昭和期の
名門と思しき人たちの先祖は殆どが逆賊になっちまうww
289 :
日本@名無史さん :2006/04/08(土) 01:41:32
薩長両藩の藩主の島津氏・毛利氏だって南北朝期には普通に北朝方。
290 :
日本@名無史さん :2006/04/08(土) 01:49:39
>>259 南朝系の公家で、南北朝合一以後も存続している家は北畠や姉小路みたいに
どっかの在地に土着しちゃってた家に限られるだろう。
最も、北朝方でも、ばさら者からしてみたら、 「北朝の天皇なんか文字通りただの飾りやんけ。南朝の方がよっぽど凄味あるし迫力もあるからこっちを正統だと思って良いんじゃねーの?」てな具合だったから始末が悪い。 結局、尊氏の不徹底振りがあらゆる災いを招いてたりする。
292 :
日本@名無史さん :2006/04/08(土) 18:17:00
>>288 皇国史観って、かなりそういうとこのツメが甘いよな。水戸黄門や頼山陽の
南朝正統論も正直牽強付会なとこがある
293 :
市松 :2006/04/08(土) 18:51:06
大体において、正統か閏統かの基準を神器に求めているところが、南朝正統論の暴論だと思う。 後醍醐帝のやり口を見たら、とてもの事に正統の王者とはいえない! 偽器を真物と偽って渡したり、義貞を騙して北陸に追いやったことなど、正統のすることではない。
294 :
日本@名無史さん :2006/04/08(土) 19:45:20
>>288 皇国史観の御大平泉澄大センセも逆賊の子孫だしな
295 :
日本@名無史さん :2006/04/08(土) 22:28:57
296 :
日本@名無史さん :2006/04/09(日) 11:29:43
297 :
日本@名無史さん :2006/04/09(日) 14:52:31
平泉澄大先生の御先祖である白山平泉寺の衆徒は最初南朝方だった。越前守護斯波高経は新田義貞を追いつめたものの、義貞が反撃に出るとじり貧になり、足羽周辺に孤立する。 越前の有力宗教権門である永平寺が南朝方に着くことがはっきりすると、対立していた平泉寺は北朝方に寝返った。これにより、斯波高経は救われ、義貞は戦死し、戦況は北陸では北朝有利に形勢が一気に逆転する。 平泉寺の裏切りが無ければ北陸は南朝の拠点の一つになっていたはず。
298 :
日本@名無史さん :2006/04/09(日) 16:49:09
なるほど、だったら、平泉氏が言う「逆賊」とは己が先祖の 事だったんだな。平泉氏はそれをわかっていたのだろうか? わかっていたからこそ、尊氏やら北朝方の連中を糞味噌言ったのかもだがw
299 :
日本@名無史さん :2006/04/09(日) 17:17:15
知らないはずはない。 だから「室町時代は時間が無駄に過ぎただけで学ぶべき事は何もない」と触れたがらなかったんだよ
301 :
日本@名無史さん :2006/04/09(日) 19:04:57
鎌倉時代、新田家は足利家の家臣と思われたってどっかで聞いたことあるよ。
302 :
日本@名無史さん :2006/04/10(月) 00:52:17
>>301 義貞の鎌倉攻めの際に、「尊氏卿の末の一門新田小太郎なるもの」とか書かれた件?
あれ、「小四郎」だっけ。
303 :
日本@名無史さん :2006/04/10(月) 00:58:24
しかし元弘3年5月の段階では尊氏は公卿じゃないのに「尊氏卿」はおかしくないか?
304 :
日本@名無史さん :2006/04/10(月) 01:09:01
305 :
日本@名無史さん :2006/04/10(月) 01:16:23
元弘3年5月段階の足利尊氏は、正確には「尊氏」でもないし「卿」でもない。
306 :
日本@名無史さん :2006/04/10(月) 22:56:21
逆賊厨の成分解析結果 : 逆賊厨の85%は大阪のおいしい水で出来ています。 逆賊厨の6%は白インクで出来ています。 逆賊厨の6%は純金で出来ています。 逆賊厨の3%は野望で出来ています。
なんで客観的な議論ができないんだよw 尊氏だってそりゃいいとこもわるいとこもあったろう。 それだけだろうが。
308 :
日本@名無史さん :2006/04/11(火) 18:17:30
足利尊氏の成分解析結果 : 足利尊氏の39%は果物で出来ています。 足利尊氏の33%は情報で出来ています。 足利尊氏の21%は時間で出来ています。 足利尊氏の3%は毒物で出来ています。 足利尊氏の3%は電力で出来ています。 足利尊氏の1%はハッタリで出来ています。
309 :
日本@名無史さん :2006/04/11(火) 19:38:54
逆賊高氏の解析結果 逆賊高氏の68%は希望で出来ています 逆賊高氏の31%は情報で出来ています 逆賊高氏の1%は心の壁で出来ています
310 :
日本@名無史さん :2006/04/11(火) 23:55:16
尊氏スレ熱いですね ところでいま話題な 靖国神社に日本の著名な 武将は奉ってるのに 尊氏の姿形もないって マジでつか? しかし靖国なんて どうでもいいよ あんなもんがあるから 未だにアジアと 仲直りできないんだから・・・ スレよんでると 若い世代のナショナリズムを足利尊氏ってのは 神経さかだてるのかね? 600年前の昔話なのにさ〜 馬鹿馬鹿しい 戦国の世を統一した 偉大な人なのは疑う余地無だとおもうが 右翼かオマイラは!
311 :
日本@名無史さん :2006/04/12(水) 06:51:56
>310アジアと仲直り? アホかお前! 靖國がなくなっても、反日3国家と朝日(チョンイル)新聞は違うネタで責めて来る。 それ以外の国も、騒いでるのは主に華僑だよ。
>>310 靖国って戊辰以降に政府側で戦って死んだ人しか祭ってないんじゃないの?
なんで武将が祭られているの?
尊氏が好きってだけの池沼だから、相手にするなw。
314 :
日本@名無史さん :2006/04/12(水) 23:54:58
312 なんかそういうソースを ニチャンで読んだのよ しかし尊氏って人気ないよね、人気無い要因は やっぱり天皇でしょ? もう天皇なんかどうでも いいじゃな〜い 日本人の拠なのかな 若い人たちも天皇は 大切なのかな? もう天皇なんて要らないよ、天皇が日本人の集団ヒステリーを利用してきた歴史にきずこうよ
315 :
日本@名無史さん :2006/04/13(木) 01:41:58
そういえば、ずーと逆賊指定だったな。幕末の頃なんか木像の首まで斬られて河原に晒されてたし。
316 :
日本@名無史さん :2006/04/13(木) 03:56:44
指揮官としては1流 政治家としては2流 人望と家柄、そして軍才で天下をつかんだ 源頼朝や徳川家康など他の天下人と比べた場合、 スケールが小さい気もするが、どこか人間臭さがあり、なじみやすい
317 :
日本@名無史さん :2006/04/13(木) 16:12:02
>>315 江戸時代に水戸アナルが南朝正統を主張し、それが頼山陽とかにも支持されていき
広まったものだったはず。江戸中期以降の思想だったはず
>>316 政治は弟に任せてたしな。
だが、何となく劉備を思い起こしてしまう。
指揮官としては2流、
政治家としても2流。
人望と人柄と、優れた部下で天下をつかんだ。
天下のごく一部ではあったが。
尊氏自身は天皇が好きだったのにな。
>>318 政治家としては一流と言えないですか?
足利氏本体の基盤は弱かったかもしれないけど、身内(一門や上杉氏など)トータルで考えたら
鎌倉時代から比較すると大分勢力増しているし、抜擢人事(細川氏など)も成功している。
>>320 そうだな。
騎手が自分の乗馬より速く走れる必要など無いわけで、
自分の息がかかった部下を
適材適所で使いこなせるヤツが優秀ってトコか。
それと。
ビジョンがないという非難に対しては、
理念先行でみんなが疲れ果ててる情勢を見て、
中道〜保守へ揺り戻しをかけて、安定を図ったとも言えるしな。
322 :
日本@名無史さん :2006/04/14(金) 03:58:58
天下人比較 1・政治 徳川家康>>源頼朝>>>>>足利尊氏 2・軍事 徳川家康≒足利尊氏>>>>>>源頼朝 3・総合評価 徳川家康>>>>>源頼朝>>足利尊氏
妥当だと思う。 頼朝には軍事補佐として、尊氏には政治補佐として、 有能な弟がいたのは運命かね〜。そう考えると、総合力高い家康は大したモン。
324 :
日本@名無史さん :2006/04/14(金) 11:12:07
頼朝、家康は積極的に動いて天下を制したが、尊氏はどっちかというと 成り行きでそうなった感があるな。
325 :
市松 :2006/04/14(金) 12:06:34
尊氏はお坊ちゃん育ちだから、鷹揚さは持ち合わせていたが、同時に優柔不断さもかなり有った。 ために、後醍醐帝の悪政と相まって、時代の混乱を招いた。 あの混乱時代を作ったのは、後醍醐帝の私利私欲による悪政と、尊氏の優柔不断さによるその場 凌ぎの行動だと思う。
高義が早世しないで当主のままだったら尊氏・直義は普通に分家して、 足利が北条を裏切ることもなかったのかな。
327 :
日本@名無史さん :2006/04/17(月) 20:13:18
高義は母方の祖父が金沢顕時、曾祖父が安達泰盛だから、 かえって幕府に目を付けられる可能性もあるぞ。
328 :
日本@名無史さん :2006/04/17(月) 23:15:44
>はたして逆賊なのか?それとも希代の英傑 大体これ背反する事項じゃないよな
329 :
日本@名無史さん :2006/04/18(火) 02:08:45
NHK大河ドラマ「太平記」は最高におもしろかった!!! ぜひ、全編再放送してもらいたいものだ!!!
330 :
日本@名無史さん :2006/04/18(火) 02:18:05
政治も人間関係もぐっちゃぐちゃ それが尊氏と南北朝時代
>>329 ファミリー劇場で放送中だよ。
もう月単位の放送しか残ってないけど。
今風にいうと皮膚癌で死んだんでしょ?
333 :
日本@名無史さん :2006/04/18(火) 19:56:31
呪いで死にました
>>333 じゃあ誰の呪いかね?
後醍醐天皇?護良親王?新田義貞?楠木正成?結城親光?名和長年?北畠顕家?
北条高時?守時?仲時?足利直義?高師直?
‥‥うーん、心当たりあり過ぎだな。ある意味凄い。
335 :
日本@名無史さん :2006/04/19(水) 22:30:59
ここはひとつ阿野連詩で
336 :
日本@名無史さん :2006/04/20(木) 00:11:24
阿野廉子って尊氏より没年早かったっけ? それとも生き霊?
やはり尊氏より先に死んだ人でないとダメなのか?
338 :
日本@名無史さん :2006/04/20(木) 01:48:11
夭折した竹若が穴場だな
339 :
日本@名無史さん :2006/04/20(木) 10:48:17
340 :
日本@名無史さん :2006/04/21(金) 18:32:04
なんで逆賊なんだろうか? なんかやたら憎まれているという側面と、 開けっぴろげで気前が良くて寛大、っていう両極端な評価に分かれているような 機がするけど。少なくとも、後白河みたいな「陰謀公家」には見えないけどな。
341 :
日本@名無史さん :2006/04/21(金) 20:47:40
定見なく時代に流されて気がついたら収拾がつかなくなってた、という点では似てるかも。 尊氏と後白河。
342 :
日本@名無史さん :2006/04/21(金) 21:37:37
天下は足利バカ氏のオモチャじゃない。盗るなら盗るで、まともな政権をつくれ。
343 :
日本@名無史さん :2006/04/21(金) 22:13:56
足利高氏は、自分の利にならないことは決してしない人間でした。
自分の利のためにしたことが、高氏の徳から出た行動だと賛美されているのは、かえすがえすも情けないことです。
当時の人物にさえ、足利高氏の「老獪な計算」に騙される物が少なくなかったことを考えれば、無理もないことかも
しれませんが、少し考え直してみてはどうでしょう。
配下のものに恩賞を惜しみなく与えたことも、家臣が狼藉を働いても厳罰を与えなかったことも、
楠木正成の首を実家に送って領地を寄進したことも、後醍醐天皇を弔うと称して天龍寺を建てたことも、
嫡男ばかりを重く用いたことも、死の直前に直義の官位を引き上げたことも、
一見すれば「徳のある行い」に見えますが、よく吟味すれば、すべて足利高氏自身の利となる行動でした。
私の文を読んで足利高氏について考え直してみようと思われた高氏賛美の方は、迷わず
>>246 の本を手にとって見ることをお勧めいたします。
344 :
日本@名無史さん :2006/04/21(金) 23:14:01
>>246 挿れてあげる・・・?そうか、246はTDNが尊氏のフリをしてるのか!
>>343 コピペはもう秋田
天下を盗れなった連中は尊氏以下ということか。
346 :
日本@名無史さん :2006/04/22(土) 09:01:40
>>345 それを言っちゃあおしまいだよ・・・・・orz
>>340 一見あけっぴろげで快活なナイスガイが、
実際には何度も平気で裏切りを重ねたり、
親王や弟を毒殺したり、年来の執事を見捨てたり、
そういう陰険さを持ち合わせていた、
つまり外見とやってることのギャップということジャマイカ?
見るからに悪人顔していれば、ここまで憎まれることもなかったろうw
348 :
日本@名無史さん :2006/04/22(土) 10:54:30
え〜と、ここってアンチスレですよね?
349 :
日本@名無史さん :2006/04/22(土) 16:19:51
>>347 キミが言っている尊氏画像は今は別人説がほぼ定説
350 :
まゆ :2006/04/22(土) 16:23:45
伝平重盛像改め尊氏像も早々に別人説が出ているのか…
351 :
日本@名無史さん :2006/04/22(土) 16:45:12
いや、騎馬武者像。 伝重盛像は足利氏の特長である垂れ目がチャーミング。
352 :
日本@名無史さん :2006/04/22(土) 17:07:20
>>347 むしろみんなそのギャップに惹かれたのかもな
皆の期待を実践するサービス精神旺盛な御仁ですな
354 :
日本@名無史さん :2006/04/22(土) 20:51:13
我が弱くて回りの人に持ち上げられてばかりの人だったというイメージ
356 :
日本@名無史さん :2006/04/23(日) 14:14:42
355 何がいいたいのか わかりません 教えてチョ
357 :
日本@名無史さん :2006/04/24(月) 15:07:04
おそらく、日本中でもっとも多くの人間を殺してきた男だと思われる。 (間接的にやったのも含めて)
>>356 普通に何故逆賊と呼ばれるのか考察してるからでしょ? 逆賊と定めた歴史観があるだけ。
荒らしの方が正しい主張をしているスレというのも珍しいね 荒らしなのがもったいない…本当にアク禁になっちゃったのかな?
信長とかの方が多く殺しているんじゃないの? アンチは尊氏を高く評価しすぎ。
362 :
日本@名無史さん :2006/04/25(火) 13:50:08
ウヨとしてこの世に生を受けたこの俺様が、
女系天皇を受け入れることなどあり得ねー
>>362 チョンは氏ね
女系容認論者は全員、天皇制反対論者に決まってる。
364 :
日本@名無史さん :2006/04/28(金) 19:18:45
夢窓国師は時々談義をしゅるのぉおおらけれ、ぁあああ あぉとは何もしにゃいぃれ、逆賊高氏から多大のぉおお領土や給与を受けていぃたのぉおおれ、 逆賊高氏をれきるらけ賛美せねばにゃらにゃいぃ立場にぁあああ あぉったのぉおお。夢窓国師と逆賊高氏とは互いぃに賞め合いぃ、もちちゅもたれちゅのぉおお 関係にぁあああ あぉったのぉおお。らから夢窓国師が賞めたからといぃって、そのぉおおまま受けとるわけにはひぃかにゃいぃのぉおお。 「第一に御心強にしてぇぇぇぇ゛合戦のぉおお間身命を捨て給ふべきに臨む御事度々に及ぶといぃへども、咲(え)みを含て怖畏のぉおお色無し。 といぃうことも武将れぁあああ あぉれば皆そのぉおお通りれにゃければにゃらにゃいぃのぉおお。ひとり逆賊高氏に限らにゃいぃことれぁあああ あぉるのぉおお。 「第二に慈悲天性にしてぇぇぇぇ゛人を悪み給事をしりたまはず、多く怨敵を寛宥ぁあああ あぉる事一子のぉおおごとし。」とぁあああ あぉるが、 既に吾が子直冬を放置してぇぇぇぇ゛顧にゃかったことらけれも慈悲心がぁあああ あぉったとはひぃえにゃいぃのぉおお。また義貞を終生のぉおお敵とし、 また後れ、弟直義を毒殺し、吾が子直冬を討たねば止まぬと気負っていぃたことを考えてへぇええぇ゙も、弟や我が子れしゃえ 悪んれいぃたのぉおおれぁあああ あぉるのぉおお。たら敵を許したことがぁあああ あぉったかもしれにゃいぃが、それはそうしゅるのぉおおことが自分にも利ににゃる時れぁあああ あぉったのぉおお。 第三に、御心広大にしてぇぇぇぇ゛物惜のぉおお気にゃく……諸人のぉおお進物ども数知れずぁあああ あぉったけれど、皆分かち与えたとぁあああ あぉるが、 これも特別賞賛しゅるのぉおおことれもにゃいぃのぉおお。一般のぉおお人れも、多くのぉおお品物が集まったときは、「お゙ぉおォおん裾分け」とも言って、 知人や近所へ分けてしまうのぉおおれぁあああ あぉるのぉおお。食物れぁあああ あぉれば直に処置しにゃいぃといぃけにゃいぃし、食物れもにゃいぃ器物にしてぇぇぇぇ゛も、 既に自分のぉおお家にぁあああ あぉるものぉおおが多く、邪魔ににゃるらけれぁあああ あぉるから、持ち去ってくれると有り難いぃのぉおおれぁあああ あぉるのぉおお。
365 :
日本@名無史さん :2006/04/28(金) 19:19:25
然し、逆賊高氏も価値のぉおおぁあああ あぉる物には大いぃに物惜しみしたのぉおおれぁあああ あぉるのぉおお。そのぉおお例のぉおお一ちゅは、名刀恩丸、鬼切のぉおおことれぁあああ あぉるのぉおお。 斯波高経が新田義貞から奪った恩丸、鬼切を、逆賊高氏は、これは末流のぉおお源氏にゃどが持ちゅべきれはにゃいぃのぉおお。 急ぎそのぉおお二振りのぉおお刀を我れ(将軍)に渡してぇぇぇぇ゛ほお゛お゛っしいぃ。足利将軍家のぉおお重宝としてぇぇぇぇ゛、本家筋にお゙ぉおォおんいぃて相伝えると 言って強要したといぃう。そしてぇぇぇぇ゛高経が渡しゃにゃかったのぉおおれ、戦功のぉおおぁあああ あぉった高経を敵に廻してぇぇぇぇ゛討とうとまれしたのぉおおれぁあああ あぉるのぉおお。 そのぉおおため高経は直義側にちゅいぃて、逆賊高氏側としばしば戦ったのぉおお。逆賊高氏は価値にゃき物は惜しまず、価値ぁあああ あぉる物は 惜しんらのぉおおれぁあああ あぉるのぉおお。また少し価値ぁあああ あぉるものぉおおも、それを渡しゅことによって自分に利ににゃる場合は渡したのぉおお。
366 :
日本@名無史さん :2006/04/28(金) 23:21:06
>>301 新田は鎌倉幕府成立時には関東でも有数の豪族。しかし、鎌倉末には没落。
御家人とは名ばかりの土豪であり、一族としての惣領権はすでに同族の世
良田、岩松両家にうつっており、祖先の開拓した壮大な領地も相続のたび
に細分化され、わずか残った領地も当時、独裁政権をほしいままにしてい
た得宗により得宗領とされていた。
367 :
日本@名無史さん :2006/04/29(土) 05:46:08
得宗に媚びた足利とは違うな。
368 :
日本@名無史さん :2006/04/29(土) 06:05:40
京極道誉のおかげで将軍になったんで、京極道誉の方が強かったんでしょ
369 :
日本@名無史さん :2006/04/29(土) 09:33:18
頼朝の挙兵にいち早く参加した当時の足利は、没落寸前の勢力。足利義兼主従わずか数騎でいざ鎌倉。政子の姉妹を嫁にもらったり、北条に胡麻すりまくって鎌倉期を美味いこと切り抜ける。で、その北条が弱ったところで尊氏が寝首をかいて足利幕府成立。
政治的に有能な一族だったんだな。
371 :
日本@名無史さん :2006/04/29(土) 23:13:40
>>367 媚びたつうよりそれなりの力を持つようになった足利を北条が取り込んだってかんじか?
372 :
日本@名無史さん :2006/04/29(土) 23:37:59
右翼ウザイ 今の天皇は北朝の血筋だということを忘れるな。 今も続いている「○仁」の名は南朝にはない北朝だけのもの。
373 :
日本@名無史さん :2006/04/29(土) 23:52:45
なんで明治政府は南朝を正当にしたんだろ? 明治天皇ももちろん北朝光厳天皇の血筋だし、尊氏がいなけりゃあの系統は 皇統から外されて下野なんて事にもなったかも知れないのに。
374 :
日本@名無史さん :2006/04/30(日) 00:02:23
足利は源氏一門だけど頼朝決起時にはわずか数百石の勢力。足利としては北条は利用価値大だが、逆はそれほどでもない。 でも、源氏一門だし頼朝が可愛がってるから仲良くしといて損はないかな、みたいな感じじゃ。(頼朝の母と足利義兼の母は姉妹で、親父同士も保元の乱での戦友。だからか、頼朝は足利義兼を大変優遇した。反対に北関東屈指の勢力に成長していた新田は警戒してか酷い冷遇。) やっぱ足利が積極的に北条への接近を図ったと思う。
375 :
日本@名無史さん :2006/04/30(日) 00:05:04
376 :
日本@名無史さん :2006/04/30(日) 00:15:20
今日は逆賊高氏の命日だから、今日ぐらいは逆賊高氏をほめてやるか 逆賊高氏の血も涙もなき権謀の数々には賛嘆させられるばかりだ! これほどまで周到な策略家は日本史上彼一人であろう。
>>374 おいおい、
北条が勢力を伸ばす前の話と、
北条が勢力を伸ばして以後の話を混同してるぞ。
頼朝が挙兵した時代どころか、
幕府開設の頃でさえ、まだ北条の権力は大きくはなかった。
頼朝時代には、源氏一門のうちでも、
ライバルになりそうな有力者はたいてい滅ぼされたわけだし、
逆に足利は、
ライバルとなりうるほどの有力者じゃなかったのかもしれんな。
378 :
日本@名無史さん :2006/04/30(日) 01:26:30
379 :
日本@名無史さん :2006/04/30(日) 02:30:04
>>377 おいおい、足利家に比べたら、北条は大変な有力者だぞ。
頼朝の外戚だよ。最初から大変な有力重臣。
足利家がライバルとなりうるほどの有力者じゃなかったのは
>>369 >>374 で説明してんじゃん。
足利は将軍になれる家柄。北条は所詮執事の家。比べものにならん。
381 :
日本@名無史さん :2006/04/30(日) 05:44:58
>>372 大覚寺統が「仁」を使用しなくなったのは、中国式の命名方法に変えたいという意図があった模様。
尊氏がもっと冷酷な策略家だったら、南北朝のゴタゴタはなかったろうし、 逆賊とも呼ばれることなかっただろうな。
前者はともかく、後者は後醍醐帝と袂わかった時点でないだろ。
>>383 そうかな?
尊氏が冷酷な策略家だったら、
後醍醐天皇はすみやかに討ち果たされてただろ。
吉野に逃げるチャンスなど、あり得なかったはずだ。
で、「正統な天皇を守った忠臣」って評価が主流となって、
少数の歴史マニア以外は、後醍醐天皇の最後の様子も知らない
(存在すら知らないとか)可能性が高いだろ
もちろん太平記が執筆される可能性もなかったしな。
幕府を倒すまでは、後醍醐と正成のタッグチームは欠かせないわけじゃん。 いけそう、って事で尊氏も義貞も立ったわけで。そっからどんな冷静な策略で 瞬時に後醍醐を討ち果たすのかしらないが、討幕時点で後醍醐の名は残るぞ。 しかもひどい政治をする前の後醍醐を、遠島とかでもなく討ち果たすって、すごい 悪人じゃん。後醍醐ヌキで尊氏単独で討幕から・・・てんじゃまず有り得ない話だしな。
>385 だから尊氏が酷く冷酷な策略家だったら、うまく処理しただろ。 それに、古代はともかく武人の天皇・皇子は敬遠されるし。 まあどちらにしろ仮定の話だけどな。
「後醍醐をすみやかに討ち果たす」は、討幕時でなく
尊氏が北朝を建てて後醍醐が花山院に幽閉されてから
吉野へ脱出するまでの間だろ。
>>385 は論点がずれてる。
388 :
日本@名無史さん :2006/05/06(土) 22:01:36
高氏も数百の兵で立ち向かった楠木率いる幕府軍に総攻撃をかけないで正成を降参させようと泣ける話だわ(;_;)結局は忠誠をちかった幕府に楠木が付いて高氏に追い詰められて自害するけど、そのまま高氏と正成が組んでいれば、軍事的にも強かったかもね
顕家と正成コンビも中々のもん
390 :
日本@名無史さん :2006/05/09(火) 08:35:37
尊氏は敵に対して寛容だな。北条一門や後醍醐帝のために寺を作ったり、 正成の首を故郷に送り届けたり。新田に寝返った武士も帰参を許しているし。
392 :
日本@名無史さん :2006/05/15(月) 00:08:34
「第二に慈悲天性にして人を悪み給事をしりたまはず、多く怨敵を寛宥ある事一子のごとし。」とあるが、 既に吾が子直冬を放置して顧なかったことだけでも慈悲心があったとはいえない。また義貞を終生の敵とし、 また後で、弟直義を毒殺し、吾が子直冬を討たねば止まぬと気負っていたことを考えても、弟や我が子でさえ 悪んでいたのである。 ただ敵を許したことがあったかもしれないが、それはそうすることが自分にも利になる時であった。
まあ、功績のある息子をだまして捕らえて敵方に引き渡すような自分勝手な人がいた時代だからね。 尊氏なんて正直者ですよ。
394 :
\__________/ :2006/05/15(月) 14:12:52
∨ / ̄ ̄ ̄ ̄\ ←逆賊高氏信者 ( 人_____,,) |ミ/ ー◎-◎-) (6 (_ _) ) カタカタカタ | ∴ ノ 3 .ノ ______ ヽ、,, __,ノ | | ̄ ̄\ \ / \.____| | | ̄ ̄| / \___ | | |__| | \ |つ |__|__/ / /  ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄| 〔 ̄ ̄〕
395 :
日本@名無史さん :2006/05/16(火) 10:38:33
>>394 噴出し作るの下手だなw
>>392 直義には「われよりも直義に果報を」みたいな願文があったはず。
親子兄弟と争うのは乱世の武将の慣わしのようなものです
>391 寛容というよりも、そうしないと寝覚めが悪かったんじゃないかい? あと、降伏した者の帰参を許すのは、当時としては当たり前なので、 尊氏一人の美質というわけではないな。 義貞だって許していたし。 そして、何度でも裏切られる。それが南北朝時代。
>395 >われよりも直義に果報を 「この世の果報はすべて弟直義にお与え下さい」ってやつね。 で、その後に「そのかわり、来世の果報はこの尊氏に与えて下さい」と続くわけだ。 当時の宗教観からいったら、この世は一瞬だが、来世は永遠なわけだから、 この願文は、一見弟思いなようでいて、実はちゃっかりした尊氏の性格がよく出ているといえようw。 あ、一応断っとくけど、俺は逆賊厨じゃないよ。 尊氏のそういうところ、 一見お人好しなようでいて、実は面の皮のあついところって、結構魅力的だと思ってるんで。
398 :
日本@名無史さん :2006/05/17(水) 18:16:14
>>397 良い奴そうで、実はなかなか食えないやつだなw
399 :
日本@名無史さん :2006/05/17(水) 19:24:53
偽善者似非鬱病逆賊高氏
とはいえ、隠遁や往生が言われていながらも、なかなか実行していなかった 時代。素直に権力よりは信仰の世界を望んでいたものと考えたい。 (もっとも、明治まで一応出ているとはいえ、これ以後は平安や鎌倉の頃に 比べて、往生伝も目立っていませんが。室町以降は現世的というか) 尊氏の行動である場合、無欲(もあったでしょうが)というより、自殺未遂そ の他突然何をやり出すか分からない行動の一環と見られそうですが。
>400 >素直に権力よりは信仰の世界を望んでいたものと考えたい。 おやおや、山野ざんともあろう方が、意外にロマンチストみたいなこと言うのね。 権力の座にも魅力を感じていた反面、時々もの凄く面倒臭くなって、 逃げ出したくなることもあったと。その程度のことなんじゃないの? 程度の差はあれ誰でもあることだよ。人間だもの。みつを。
>ロマンチストみたいなこと だから、躁かと思えば鬱、鬱かと思えば躁といった尊氏の行動の一例とも見 られるとも書いておいたのですが。それに、来世=浪漫とも言えません。 単にいずれを選択するかというもので、どちらがいいとかいう事は無い。 ただ、希求した時点では無心だったのではないか(利潤追求は深読みではな いか)と申し上げただけの事です。
403 :
日本@名無史さん :2006/05/24(水) 00:38:39
真田広之のイメージでいいの?
鬱っぽいとこは雰囲気でてた。
直義の高嶋弟よりはイメージだった。
406 :
日本@名無史さん :2006/05/26(金) 22:21:07
直義萌えの腐女子に腹黒確信犯兄貴にされる尊氏に同情
407 :
日本@名無史さん :2006/05/30(火) 01:13:23
「うちの鶴タソを、皆に姫、姫って呼ばせてもO.K?」 「うわーーん、つ、鶴タソが死んじゃったよーーー。 せめて、位だけでも、あげたい。 お願い、帝、うちの姫ちゃんに従一位を下さい。 で、あなたのお妃にしてーーー。」 こんな親バカ尊氏が、腹黒か???
408 :
日本@名無史さん :2006/05/31(水) 00:00:10
409 :
日本@名無史さん :2006/05/31(水) 01:11:32
頼子のことだろ。 幼名鶴王。 と、つられてみる・・・
410 :
日本@名無史さん :2006/05/31(水) 20:45:58
>>407 じゃあ頼子って崇光天皇の皇后って書いてあったが、あれは死後に追贈
されたものなのか?
411 :
日本@名無史さん :2006/05/31(水) 22:39:47
頼子は、死後につけられた名で、 鶴王時代に死んじゃったよ。 鶴王の三回忌に合わせて、 贈従一位。 女御ということにしてもらったんだわな。 こういうことは、内親王以外には前例がないことだといわれた。 この時の天皇は後光厳なので、 崇光院妃ってのは、どうなんだろ。
412 :
足利頼子 :2006/06/01(木) 00:05:14
逆賊高氏の娘です。 私は逆賊高氏の育て方の悪さのせいで、13歳でこの世を去る運命となりました。 どうやら私は死後、崇光天皇の女御にされたらしいです。 由緒あるものに妄執する逆賊高氏が、どうやら私を使って朝廷との姻戚関係を結ぼうとしていたらしいです。 私が幼くして死んだのは、天が逆賊高氏に罰を与えたのでしょう。 しかし本人ではなく私が死ななければならなかったのは涙が出るような悔しい重いです。
413 :
日本@名無史さん :2006/06/01(木) 02:58:56
>>412 天は、悪事を犯した本人にしか罰を与えません。
あなたが早死にしたのは天罰ではなく、
父上の人生への善悪の評価とも一切関係ありません。
416 :
日本@名無史さん :2006/06/04(日) 23:43:35
頼子さんは兄弟の中では長生きした方でしょ。 義詮、基氏、直冬以外は皆成人前に死にました。 3つ4つで皆死にました。 13まで生きていたなら、お宅の兄弟の中では 長生きな方ですよ。
417 :
日本@名無史さん :2006/06/04(日) 23:57:24
418 :
日本@名無史さん :2006/06/05(月) 19:36:02
「太平記」は南朝びいきのように言う人が多いけれど、「太平記」も室町幕府の検閲を受けていたからか、 尊氏有利の文章もよく見かけるのである。この首を送ったことを、「情けの程こそ有難けれ」と書いてあるのも、 その一例であろう。まことに情けがあるのなら、六条河原に懸けて、一般人のさらしものにし、ぼろぼろになった 首を、正成の妻と正行の所に送った。そこに尊氏の楠家に対する勝利宣言と、同じように戦いを続けておれば このようなことになるぞと、正行等の戦意喪失を狙う意図がなかったとは言えないであろう。 これも尊氏の一つの謀略であったといえる。「太平記」によれば、その首を見た正行は非常に悲しみの余り(ママ)、 正行も自害して父の所へ行こうと、父正成から貰った刀で、まさに自刃しようとしていたという。 幸い母の久子が見つけて刀を奪い、父は自殺せよと言ったのではなく、よく稽古をしてたくましく成長し、 将来は矢張り主上のため尊氏等の相敵を討てとさとして死地に向かったことを、よく言って聞かせたので、 正行もそのことを理解して、それから後は、戦争ごっこ等をして、繊維と戦力向上に努めたという。 このときもし正行が自害しておれば、尊氏の目的は早速実現したことになっていたであろう。危ういところであったと いえる。六条河原に首を懸けて晒すのは、勿論殺して後もなお憎くてたまらないからその欝憤をはらすためと、 目指す敵を討ちとったぞ、勝ったのだ、ということを一般市民に知らせるためであった。 晒首にした首をまだ利用しようとする尊氏であった。
419 :
日本@名無史さん :2006/06/05(月) 20:42:01
『太平記』は稀代の暴君、廃帝尊治に対する告発の書だろ。
420 :
日本@名無史さん :2006/06/05(月) 21:13:32
>>418 またまたコピペか。これあっちこっちにコピペしてるのって、絶対こいつが
一人でやってる気がする。そして、たちが悪い事にどれも突っ込みどころ満載で
文としての体をなしていない
421 :
日本@名無史さん :2006/06/06(火) 05:51:54
>>418 のどの辺が分としておかしいのか、説明してくれよ。
逆賊高氏信者さんよ。
422 :
日本@名無史さん :2006/06/06(火) 05:52:27
↑ (誤)分 (正)文
423 :
日本@名無史さん :2006/06/10(土) 00:00:33
「週間日本の100人」足利尊氏号発売。 逆賊厨が一貫して呼んでる「高氏」表記についても 否定の記述もある。
424 :
日本@名無史さん :2006/06/10(土) 00:20:51
「日本の100人」の逆賊高氏号、読んでみたけど酷い出来でしたね。 一冊まるまるが醜い逆賊高氏賛美の内容で埋め尽くされていました。 週刊誌なんて所詮こんなもの、期待した私も馬鹿でした。
425 :
日本@名無史さん :2006/06/10(土) 02:34:42
426 :
日本@名無史さん :2006/06/10(土) 15:20:07
足利尊氏公は、武家の棟梁として苦渋の決断をし、後醍醐天皇に叛いたんだと思う。 当時、武士たちの間には、後醍醐天皇の「建武の新政」に対する不満が続発するなど、 政情不安が続き、その不満の矛先が武家の棟梁である足利家の当主であった尊氏公に 向かい、足利尊氏公が後醍醐天皇に叛き、京都に室町幕府を開くに至ったんだと思う。 けど、足利尊氏公は、鎌倉幕府が倒幕の首謀者として後醍醐天皇を隠岐島への流罪 に処したように、再び、後醍醐天皇を隠岐島への流罪に処したように、訳でもなく、 暗殺した訳でもない。 足利尊氏公が逆賊なら、後醍醐天皇を倒幕の首謀者として隠岐島への流罪に処した 時の執権・北条高時や、後鳥羽上皇を承久の乱の首謀者として後醍醐天皇と同じ隠岐島 への流罪に処した時の最高実力者・尼将軍こと北条政子も時の執権・北条高時や安徳天皇 を壇ノ浦の戦いで死に追いやった源義経も逆賊になるのではないか? それに比べれば、足利尊氏公だけを天皇に叛いた逆賊として見るのは、偏見の他ならない。 人への偏見が、様々な差別を生み、人への偏見がなくならない限り、様々な差別はなくならない。 これは、日本が抱える同和問題やアメリカが抱える人種差別・民族差別など世界中の国々が抱える 「人権問題」にも同じ事が言える。 すなわち、足利尊氏公を逆賊と見るのは、偏った価値観と歴史観で見るからなのである。 足利尊氏公のように、武家の主君である天皇の霊を慰める為に、寺院を建立した武将がいますか? それも、敵方となってしまった天皇の霊を慰める為に。 足利尊氏公が、吉野で無念の死を遂げた後醍醐天皇の霊を慰める為に建立した寺院。 それは、京都・嵐山にある天龍寺です。 その資金源は、元の国との貿易で得た利益。 その貿易で得た利益を基に軍備を増強し、吉野の朝廷を滅ぼす為の戦に使う事も できたはずです。 本当の逆賊なら。 しかし、足利尊氏公は、その貿易で得た利益を後醍醐天皇の霊を慰める寺院を建立 する為だけに遣ったのです。 でなければ、あんな広大な敷地に立派な寺院を建立する事ができるばずありません。
427 :
日本@名無史さん :2006/06/10(土) 18:50:02
逆賊高氏は まで読んだ
428 :
日本@名無史さん :2006/06/17(土) 17:25:45
逆賊高氏晒しage
429 :
日本@名無史さん :2006/06/20(火) 15:20:08
>>426 あんま痛いレスをしないこと。これこそ厨房にエサをやるようなものですよ
430 :
日本@名無史さん :2006/06/29(木) 22:44:54
いくら時代が変ろうとも 尊氏は逆賊に変わりなし
431 :
日本@名無史さん :2006/06/30(金) 15:47:47
逆賊高氏信者は自分の父親が浮気して不倫女の所にいって 母親と一緒に捨てられてみればいいと思う
432 :
日本@名無史さん :2006/06/30(金) 15:56:28
' ♪兼六園命 ヽ ′ ______ ヽ | ´ ̄  ̄ヽ | | ´ ヽ | | | ______/ \___ | | | | _――――_――――_ | | | || | ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄| | | | | | \`――' ハヽ――‐/ | | | |  ̄ ̄ ̄ |  ̄ ̄ ̄ | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | | | | <削除放浪人だけど文句あっか! | |\ ヽ_/ /| | \__________ | | |||||||||||||||||||||||| | | | \ ||| ー――ヽ||| / | ___| \ |||  ̄ ||| / |___ ―( | \||||||||||||||||||/ / )―_  ̄ ヽ ヽ ′ ′ ― ヽ ヽ ′ ´  ̄― ヽ `―――――――-‐´ ´  ̄――_ \__―――____/ ― ヽ __ /能登七尾\ _― ̄ ヽ ― |==========| ― ヽ ―――-| ● |――― ̄ | \__■__/ | _― ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄―_ ヽ
433 :
日本@名無史さん :2006/07/01(土) 02:34:45
>>429 それをいうなら、このスレを挙げること自体が餌だけど。
>>431 暗君尊治信者は信頼していた上司にいいように利用された挙句、
北陸支店とか四条畷出張所とかに左遷されてみればいいと思う
435 :
日本@名無史さん :2006/07/04(火) 07:12:28
>>434 稀代の暴君、廃帝尊治だと左遷ではすまず、吉野で無理心中させられそう・・・
436 :
日本@名無史さん :2006/07/04(火) 07:41:25
結局、この人、何やったの?
437 :
: :2006/07/04(火) 10:42:17
438 :
日本@名無史さん :2006/07/04(火) 23:19:49
正成「よ…よ…よくききなされ尊氏どの…… わしや…そなたの…や…建武中興での…立場が…ひ…低かったのは… 鎌倉倒幕の働きが悪かったせいなどでは… な…なかったのじゃ……」 尊治「湊川へ追いやったのにしぶといのう。話はまだ続くのかの?」 正成「み…帝が裏切られたのじゃ……! わ…わしら臣下は…帝の手となり足となり…命令どおりに働き申したと言うのに…」 尊氏「………!」 正成「わ…わしら以外は…全員…切り捨てられた…… 新田義貞どのも、帝のお子である護良親王も… 帝は…力を付け始めたわしらもののふのなかから…棟梁が生まれるのを恐れたのじゃ… 尊治「ふっ…よくいうわい…」 正成「た…たのむ…帝を…帝をたおしてくだされ………た…のむ… も…もののふの…手……で………」 尊治「やっとくたばっりおったか…じゃあ綸旨書きを再開しようかの。」 尊氏「そなたが泣かれるなんて…そなたがわしにたのまれるなんて… よっぽどくやしかったであろうな………わかっておるぞ…帝に恩賞を賜れなかったのが くやしいのではなかろう…? 帝にいいように利用され申したのがくやしゅうてぜひもないのであろう…? そなたとは敵対はしておったが、さむらいの誇りは持っておられた… わしにもすこし分けてもらうぞその誇りを… 帝に殺され申した正成のためにも そして先日亡くなられた護良親王のためにも 帝を成敗申す!」
439 :
日本@名無史さん :2006/07/07(金) 21:01:38
足利尊氏は偉大な男だ。なぜなら彼は封建制を守ったからだ。 そもそも今の日本人は、次の視点がないようだ。 それは、<天皇(土地国有主義者)vs 侍(土地私有主義者)> である。 天皇、特に後三条以後の院政期の天皇は、天皇親政を復活させるべく、荘園整理令を出し、 国司の権限を強化して公地公民体制を固めようとした。 それに対し侍は、自分達が開拓した土地に法的保障を得るべく、土地所有権がきちっと確立 された社会の設立を望んだのだ。そしてそれが鎌倉幕府の創設となって表れる。 すなわちそれが、<公地公民制(主君が土地支配を独占)vs 封建制(主君が部下に土地 所有権を与える)>という図式をうみだす。 結局、全く主義が合わない両者は、二度にわたって対決することになる。 その一度目が 後鳥羽上皇vs北条氏(承久の乱)であり、 二度目が今回の 後醍醐天皇vs足利尊氏 というわけだ。 結果はご存知の通り、2回とも天皇側の敗北に終わるが、それでよかったのだ。 なぜなら、 封建制−土地私有制−所有権の確立−資本主義へ移行−西欧・日本 公地公民制−国有制−王・皇帝の独占所有−共産主義へ移行 −中国・ロシア・多くのアジア諸国 だからね。 (荘園制のような貴族所有制もあるが、これも法的所有権の確立なく資本主義への移行は難しい)
440 :
日本@名無史さん :2006/07/07(金) 21:39:16
織田信長が本能寺で殺されてなければ、天皇制も危うかっただろうが、逆賊とはあまり言われない。 むしろ天皇万歳と叫んでいる人物の尊敬する人物は信長だったりする。石原慎太郎みたいに w そうして見ると、尊氏は中途半端だったんだろうな。 天皇を別に立てるなど、小ざかしいマネをした、という印象かな?
441 :
日本@名無史さん :2006/07/10(月) 21:50:57
後醍醐の天皇親政の野望を打ち砕き、封建制を守った尊氏は 日本史の大恩人である。
442 :
日本@名無史さん :2006/07/10(月) 22:04:21
/ ̄`Y  ̄ヽ、 / / / / l | | lヽヽ / / // ⌒ ⌒ヽ | | |/ (●) (●) (S|| | ⌒ ・ィ ヽ | || | ト-=-ァ ノ | || | |-r 、/ /| | || | \_`ニ'_/ | 逆賊高氏、ギザキモスだお(^ω^ )
443 :
日本@名無史さん :2006/07/12(水) 00:41:55
>>442 暴君尊治信者の特徴:
コ ピ ペ 以 外 に 能 が 無 い 。
444 :
日本@名無史さん :2006/07/12(水) 00:48:20
尊治ギザカワユス⊂==(^ω^)==⊃
445 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 09:07:02
逆賊あげ
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。 半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。 もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。 脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、 脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。 そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。 私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、 店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。 あれには本当にびっくりした。
447 :
日本@名無史さん :2006/07/25(火) 21:19:09
尊治ギザカワユス⊂二二二(^ω^)二二⊃
448 :
日本@名無史さん :2006/07/25(火) 21:30:46
当時の人心が後醍醐を嫌い尊氏に集まったから尊氏は君主になった 人々の思いに押されなければ尊氏は立ち上がらなかっただろう
449 :
日本@名無史さん :2006/08/06(日) 20:28:15
逆賊高氏age
450 :
日本@名無史さん :2006/08/14(月) 10:04:50
正成「よ…よ…よくききなされ尊氏どの…… わしや…そなたの…や…建武中興での…立場が…ひ…低かったのは… 鎌倉倒幕の働きが悪かったせいなどでは… な…なかったのじゃ……」 尊治「湊川へ追いやったのにしぶといのう。話はまだ続くのかの?」 正成「み…帝が裏切られたのじゃ……! わ…わしら臣下は…帝の手となり足となり…命令どおりに働き申したと言うのに…」 尊氏「………!」 正成「わ…わしら以外は…全員…切り捨てられた…… 新田義貞どのも、帝のお子である護良親王も… 帝は…力を付け始めたわしらもののふのなかから…棟梁が生まれるのを恐れたのじゃ… 尊治「ふっ…よくいうわい…」 正成「た…たのむ…帝を…帝をたおしてくだされ………た…のむ… も…もののふの…手……で………」 尊治「やっとくたばっりおったか…じゃあ綸旨書きを再開しようかの。」 尊氏「そなたが泣かれるなんて…そなたがわしにたのまれるなんて… よっぽどくやしかったであろうな………わかっておるぞ…帝に恩賞を賜れなかったのが くやしいのではなかろう…? 帝にいいように利用され申したのがくやしゅうてぜひもないのであろう…? そなたとは敵対はしておったが、さむらいの誇りは持っておられた… わしにもすこし分けてもらうぞその誇りを… 帝に殺され申した正成のためにも そして先日亡くなられた護良親王のためにも 帝を成敗申す!」
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/bbs/bbsr.cgi >#7024
>徹夜城(また書き忘れをする管理人) 2006/08/16 00:50
>足利氏と天皇家
>ああ、また一つ書くつもりだった話を忘れてしまった(汗)
>NFさんが書かれていた昭和天皇と足利尊氏の類似の件で、
>どうしても思い起こしてしまうのが、足利家の末裔・足利惇氏さんの語っていたエピソードです。
>この足利家は「喜連川公方」の系統で、喜連川氏と称していたのを「足利」に戻して明治を迎え、子爵となっています。
>そしてこの惇氏さんは学習院で昭和天皇と同級生なのでありますね。そして先生が東郷平八郎ですよ(笑)。
>歴史の授業で「吉野時代」にさしかかりますと授業の前日に学校から「明日は君の祖先の話になるが、出席するように」と連絡があり、授業では当然「逆賊尊氏」が連呼される。
>同級生達の視線がたまらなかったというお話をされていたんですね。
>あと、足利惇氏さんに関して検索をかけたら、尊氏の墓に関してこんな話もあるんですね。
>
http://www.hakaishi.jp/tomb/05-4.html >…ひでぇ話で。中国では民族英雄の岳飛廟の前に秦檜夫妻のひざまづいた像が建てられて参拝者からツバをはきかけられたりしている、って話でよく中国人の歴史感覚を批判する人を見かけますが、日本もバッチリやってるんです(ある意味より陰湿)。
>僕の持論ですが、明治以後の日本にはどこか中国的、朱子学的な論理(国学だって朱子学の和訳みたいなモン)がかなり強くあったように思ってます。
最低だな、日本人w
452 :
日本@名無史さん :2006/08/17(木) 18:28:52
朝○人の陰湿さには及びもつきませんよw
453 :
日本@名無史さん :2006/08/17(木) 20:55:54
後醍醐天皇は儒教朱子学の信奉者で、中国式の王道政治を夢みていた。 だが時すでに遅し。すでに日本は封建制により土地や財産は完全に私有化されており、 後醍醐天皇の出る幕はなかった。 まあ、それで良かったのは前にも言ったとおり。日本には「御成敗式目」というすばらしい 法治主義の法典がすでにあったのに、後醍醐天皇ときたら古臭い律令制のような政治に憧れ ちゃってるんだもんなあ・・・。時代錯誤も甚だしいよね。 もう一度繰り返そう。 「後醍醐の天皇親政の野望を打ち砕き、封建制を守った尊氏は日本史の大恩人である!」
454 :
日本@名無史さん :2006/08/24(木) 19:28:39
>>451 逆賊高氏賛美のひどいホームページですね。
常連もこぞって逆賊賛美とは悲しくなります。
後醍醐の天皇親政の野望を打ち砕き、封建制を守った尊氏は日本史の大恩人である
456 :
日本@名無史さん :2006/08/24(木) 21:39:59
尊氏と松岡城との関係は何なんですか?
今時、水戸学もなかろうよ。 水戸人、何の役にも立たないし。
尊氏、好きだなあ。 名門の出で、戦争にも強く、人徳もあり、武士による新政権を周りに期待され、 それでいて、情に弱く、冷酷果断な決断が出来ない。 理想の武将である一方で、政治家としての力量に欠けていたんだよね。 尊氏に、政治家としての果断さと冷酷さ、慎重さを加えると家康になるんだよね。
460 :
楠正成 :2006/08/31(木) 17:19:15
この人口臭くて…
461 :
足利尊師 :2006/09/02(土) 21:54:53
ああ忠臣大軟膏
>>459 最後の一行分、あればあったで、無ければ無いで魅力ですね。
尊氏も家康も好きです。他に異なるのは、前者の歌詠みと後者の読書好きか。
律令共産主義を倒せ
464 :
日本@名無史さん :2006/09/05(火) 19:48:05
ト `i、 `i、 .、″ | .,.:/"" ゙‐,. ` / ` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 ! 、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、 、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、 ,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、 ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、 _,,l゙-:ヽ,;、、 糞スレ印 、、丶 ゙i、,,、 ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、 、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、 .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._ ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐, ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,! j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/` `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/` ``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"` `"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'` : `‘"`―---------‐
ト `i、 `i、 .、″ | .,.:/"" ゙‐,. ` / ` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 ! 、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、 、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、 ,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、 ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、 _,,l゙-:ヽ,;、、 逆賊高氏印 、、丶 ゙i、,,、 ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、 、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、 .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._ ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐, ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,! j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/` `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/` ``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"` `"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'` : `‘"`―---------‐
466 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 08:03:59
こぴぺ 皇族攻撃した以上は逆賊。 と言うのは正しい。 例えば明智光秀は人物像が見直されたり、してるけど、 あのまま信長に天下取られたら、 世の中はロクな物ではないとか世界観まで見直されたりしてるけど、 織田信長を”裏切った”部分は事実だからな。 よって裏切り者と言うのは事実だ。 足利にしてもそうだ。こいつが天下取ったからよかったとかあったとしても ”逆賊”と言う部分を排除するのはよくないな。 徳川みたいに朝敵に仕立て上げられたんじゃくて攻撃した以上はな。
逆賊は嫌いです よって尊氏も嫌い
468 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 12:11:45
ト `i、 `i、 .、″ | .,.:/"" ゙‐,. ` / ` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 ! 、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、 、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、 ,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、 ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、 _,,l゙-:ヽ,;、、 逆賊高氏印 、、丶 ゙i、,,、 ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、 、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、 .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._ ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐, ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,! j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/` `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/` ``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"` `"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'` : `‘"`―---------‐
469 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 12:23:15
逆賊高氏信者→負け組
470 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 14:20:17
尊氏を否定するモノは北朝の流れを継ぐ現天皇に対する不忠者
471 :
日本@名無史さん :2006/09/12(火) 21:05:30
悠仁さまも逆賊高氏が嫌いとおっしゃっていました。
472 :
日本@名無史さん :2006/09/13(水) 07:19:42
尊氏が嫌いなら李朝へ行きましょう。 公地公民制バンザーイ。
473 :
日本@名無史さん :2006/09/14(木) 19:51:33
逆賊高氏と同じ日本人に生まれたことが恥ずかしい><
474 :
日本@名無史さん :2006/09/14(木) 19:57:14
死んだ方が楽になるよ
本州+九州+四国+佐渡島+淡路島 股から屁がドップン ドイツ女のミサイルオッパイボンバー
476 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 19:04:19
何百年も前に死んだ人間、それも曲がりなりにも国のために尽力した人間をどうしてここまで貶められるの? いくら天皇に逆らったとはいえ、右翼って怖い…。
477 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 01:44:36
高蛆は、日本のためなんかに尽力してないぞ すべては私利私欲のため 裏切りなんて日常茶飯事、邪魔になった弟も殺害して 自分さえよければ何でもする
478 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 08:49:16
>>477 ちがう、ちがう。
尊氏は日本のためにも自分の私利私欲のためにも尽力はしていない。
八方美人で周囲からのおねだりに流されてただけ。
日本のためとか朝廷のためとか公家のためとかは
確かにないが、私利私欲もないよ。
どっちかっていうと何も考えてない。
479 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 13:25:17
480 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 13:26:29
481 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 14:14:22
私利私欲のためだけって考えるには要領が悪すぎなんだよねこの人の行動。
直義だって後醍醐だって、あんな泥沼状態になる前にもっと早く始末できたはず。
>>477 のいうように八方美人で周囲にかつがれるままに行動してただけの人なんだろう。
精神異常っぽいとこもあったみたいだしね…
まぁ、それはそれで不幸な人生だったと思うよ。
483 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 21:22:27
>>482 これも逆賊高氏の呪いなのです。
650年の歳月が流れた現在までわれわれに災禍をもたらす逆賊高氏の恐ろしいこと。
484 :
日本@名無史さん :2006/10/07(土) 00:25:07
後醍醐の天皇親政の野望をよくぞ打ち破った。あっぱれ尊氏。 土地は御家人のものなり。 天皇が土地と人民の上に立脚する社会なんてまっぴらゴメン。封建制度をなめるなよ。
日本人は諦めが早いのに この人はよく逃げて体制を立て直したのは凄いね
486 :
日本@名無史さん :2006/10/07(土) 09:01:55
>>485 逆賊高氏信者は書き込まないでください。
臭いですよ。
>>485 尊氏には最初から目的意識が薄いから
諦めるものも特にもってなかったんじゃないか?
489 :
日本@名無史さん :2006/10/07(土) 13:31:49
>>488 逆賊高氏信者は書き込まないでください。
臭いですよ。
この時期で私利私欲の筆頭は後醍醐天皇だしな。
491 :
日本@名無史さん :2006/10/07(土) 17:13:20
逆賊信者うぜー
492 :
日本@名無史さん :2006/10/07(土) 22:06:35
ここで真剣に尊氏について語るのは無理かな?
493 :
日本@名無史さん :2006/10/07(土) 22:52:18
゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.:.〜∞:.、} 〜∞プーン ".¨ー=v ''‐ .:v、,,、_,r_,ノ′ /;i;i; '',',;;;_~⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′..ヽ ゙{y、、;:...:,:.:.、;、;:.:,:.:. ._、)∞〜.:,:.、} 〜〜∞プーン 〜∞プーン ".¨ー=v ''‐ .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ /i;i; '',',;;;_~υ⌒¨;;;;;;;v;ヾ.ミ゙´゙^′.ソ.ヽ ゙{y、、;:..ゞ.:,:.:;.、;:.ミ.:,:.::: ._υ::;゚o,,'.、}:;:.;:;、} ;'、===ョ ヾ,,..;::;;;::,;,::;):;:;:; .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r;_,ノ′ ! '゛i;:;:;;!、 〜∞プーン ヾv.;;;:ミミ彡ミミミ彡彡ミミミミ:;:;ノ , '⌒゛ ヽ、 ,,彡彡彡ミミミ彡彡彡彡彡彡 / , 、,, ,;. ,| ミミ彡彡゙゙゙゙゙""""""""ヾ彡彡彡 | | '" i ゛| | ミミ彡゙;・;:国賊::;:;ミミ彡彡. . | |,、 !, ! | 〜∞プーン ...ミミ彡゙ .,.,・:;:・ *: ミミミ彡 。-.\f, ,y ! ミミ彡 '*・..,ヽ・;;´*` ,|ミミ彡 。;゜/´ , ,) ミミ彡 === 〈.:..===).|ミミ彡 ;`;; ,/ ,;-'" ヽ 彡|;:・ ; | ; ・: |ミ彡 ;。;ヽ ! ヽ. ヽ .. 〜〜∞プーン 彡|;:.,*.;..´-し`)・;:|ミ|ミ 。;。、ヽ ヽ. ヽ、_ヽ ゞ| :;:; 、,!:;・: |ソ 。、 | y′ ),;冫 ヽ ';´*.,,.・;:`ノ / 〜〜∞プーン \、..・;*;:/ ←逆賊 朝敵 売国奴 非国民 最重罪人 ~; ~| |::;; ~~ 【 逆 賊 高 氏 】 〜〜∞プーン
アンチ尊氏は話の邪魔すんなよ 尊氏だってただの人間なんだから いいところわるいところあるだろう。 いろんな意見あっていいだろうが。 少しネタふってみるとか、マジメに参加する気がないなら 尊氏スレに貼りつくな。 荒らし目的のストーカーに見える。
495 :
日本@名無史さん :2006/10/08(日) 11:40:07
後醍醐は律令、王道政治オタク。日本史に必要ない人物だ。
496 :
日本@名無史さん :2006/10/08(日) 14:48:19
等持院の尊氏像はリンゴスターに少し似ている
497 :
日本@名無史さん :2006/10/08(日) 20:56:25
>>496 つまり逆賊高氏は鬼畜米英人の血を引いているということだな。
このような逆賊がわれわれと同じ日本人であることは認めがたいと思っていたが、
実は在日の鬼畜米英人であったのなら説明がつく。
498 :
496 :2006/10/08(日) 22:14:22
と思ったけどよく見たら似てなかった ごめん
499 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 13:48:42
在日米軍対応ハヤス!
【とうとう】 在日米軍基地周辺住民緊急レポ 【キタコレ】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news7/1155138639/ 753 :名無しさん@七周年 [sage] :2006/10/09(月) 13:04:16 ID:uBIKmoqB0
なんか、普段より米軍基地がうるせえなーって思ったら、ちょwwwおまww
普段2〜3機しかいない戦闘機が34機てwwwwwやりすぎだろww
格納庫の戦闘機全部出したのかよwwww
基地にあふれてるじゃねえかw
しかも全部パイロットが乗ってて、いつでも出撃可能ってwテラヤバスwww
いまから画像うpするっす。
500 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 20:30:59
500get タカウジハイダイダ
501 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 21:55:50
逆賊高氏信者の妄信ぶりが恐ろしくてたまりません><
尊氏は少弐頼尚に酷いことしたよね (´・ω・`)
503 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 01:26:41
少弐頼尚もそうですし、逆賊高氏とかかわったほとんどの人間が不幸な目に遭っていますね。 全て、逆賊高氏の覇権のために捨て駒にされたからです。佐々木道誉だけは機転を利かせてうまく逃れたようですが。
504 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 20:27:25
何でそんな必死なんだw お前がわめいたところで歴史が変わるわけでもなかろうに。
505 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 23:23:28
大河ドラマで普通の人は1年だけで十分描けるが この人だけは2年やらないと難しいよな
506 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 23:54:42
逆賊高氏のチンポ舐めたい
507 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 00:41:53
封建制を軽んじた後醍醐を崇拝してどうしようってんだ?
508 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 06:55:54
荘園制を封建制というのはわかるんだけど 武士の権益ってのは荘園制の建前からいってもイレギュラーなんだよな どうも武士の土地支配を封建制というのは違和感あるなー
509 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 19:28:51
>>505 逆賊高氏を断罪するのに1年や2年ではあまりに短すぎる。
未来永劫、非難されていくべきだ。
510 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 19:46:50
>508 主君が部下に土地を与えたり、所有権を承認したりするのが封建制。 主君はそれをしてこそ、主君たりえる。 源頼朝が地ならしし、北条泰時が御成敗式目で法的に完成させた。 このシステムに反発したのは後鳥羽上皇と後醍醐天皇くらいで、信長も秀吉も このシステムの下にある。 ・・・って、なんでこんな説明する必要があるんだ?教科書読んでくれ。
御恩の内容が、土地そのものじゃなくて、 荘官の一種としての地頭職だからじゃね? 封建制を、土地を媒介者とした契約、と西欧本来の意味で考えるならば、 日本の鎌倉、室町期の封建制はイレギュラー(変種)だとオモ 西欧では、御恩は職じゃなくて土地そのものなんだからさ
513 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 21:14:33
逆賊を過大評価するスレはここでつか?
514 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 21:35:49
はい、そうです
まっ、確かにこのスレには、 尊氏は封建制を守り、ひいては現代日本をも守った、 なーんて言って、尊氏を過大評価してるヤツはいるな 発展段階説丸出しなのも笑ケルw
516 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 22:28:50
そういうやつって本当に逆賊高氏を評価したいんじゃなくて、 人と違った見解を出すことで通気取りたいだけなんだろ
517 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 22:30:03
ト `i、 `i、 .、″
| .,.:/"" ゙‐,. ` /
` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 !
、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、
、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、
,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、
,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、
_,,l゙-:ヽ,;、、 逆賊
>>494 印 、、丶 ゙i、,,、
,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、
、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、
.l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._
,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ
,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐,
,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,!
j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿
゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/`
`'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/`
``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"`
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518 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 22:31:31
逆賊高氏信者の妄信ぶりはオウム信者に似ているね。。
519 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 22:34:44
逆賊高氏の武士団の扇動の仕方もオウムそっくりだね。。
520 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 23:08:26
今の天皇家は北朝なんだけどw
521 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 23:45:29
僕は皇室を弄んだ逆賊を叩いてるだけで、今の皇室がどっちだろうと気にしないけど?
522 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 01:08:22
>512 アホはお前。誰が信長、秀吉が荘園制と言った? 検地により一地一作人制が敷かれ、荘園制は事実上消滅した。 >515 発展段階説は封建制の意義を理解しとらん。封建制と言うと、何か古臭い、克服されなきゃならん システムと誤解してる。
523 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 01:15:48
>511 西欧のレーン制と違うのはわかるが、地頭は荘官じゃないっすよ。 平安時代の武士は荘官で、有力貴族にやとわれてたが、そこから独立して地頭になった。
524 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 01:58:29
中国宋代の秦檜と岳飛になぞらえて 後醍醐天皇の脇に縄で縛られて土下座して謝っている高氏の像を造ってくれ 史実では岳飛は秦檜に政争で敗れて処刑されたんだが 愛国者の岳飛と国賊の秦檜の立場が死後に逆転
>>522 「信長も秀吉もこの下にある」って掻いてあるじゃん。
字読めないか?
526 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 08:27:50
>525 そりゃ封建制度のもとにあるってことだろ。 荘園制じゃねーよ。
527 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 08:59:33
逆賊信者が高氏叩きから話題をそらそうと必死だね。必死必死。
528 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 09:15:04
>527 一度お前の歴史観を聞きたい。 逆賊逆賊と叫ぶのは勝手だが、ただ叫んでるだけで歴史観語ったことないもんな。
529 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 14:16:46
530 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 21:01:58
何この不快なスレ 立てた奴の顔が見てみたいわ
531 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 21:07:20
尊氏の最大の失敗は中途半端に天皇を存続させた事。
中途半端は一番嫌われる。だから、
>>527 みたいなアンチが沸いてくるんだよ W
532 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 21:20:27
IDが出ないのをいいことに逆賊賛美の書き込みを連投する逆賊高氏信者
>>7-10
全身汗だらけの全裸の女が俺の前で股を広げて俺のチンコが最高に勃起 オッパイをもみもみ。 オッパイ オッパイ オッパイ オッパイ オッパイ オッパイ オッパイ
534 :
逆賊高氏 :2006/10/14(土) 21:29:43
全身汗だらけの全裸の登子が俺の前で股を広げて俺のチンコが最高に勃起 オッパイをもみもみ。 オッパイ オッパイ オッパイ オッパイ オッパイ オッパイ オッパイ
535 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 21:50:18
キモイスレ
536 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 22:44:26
∩___∩
/ ノ \ ヽ
| ● ● |
彡 (_●_) ミ
/、 |∪| ,\
>>531 、この鮭の切り身やるから帰れよ
/.| ヽノ | ヽ
,,/-―ー-、, --、 .|_,|
r-、,'''";;:;;:;::;;;;:;;::;:;:;;::;:;`'- /_,l,,__ )
|,,ノ;;:;r'" ̄ ゙̄^"`Y'-、;;;::;:;::;:;:;:;::;:|
.ヽ,′ ; `"";;;;;⌒゙')
´`゙'''''''''''‐-‐'"`‐-‐'"゛ `゙´
| .‖ /
("___|_`つ
537 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 00:59:08
精神病患者の隔離病棟はここですか? 信者もアンチもどうかしてるよ…
538 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 01:26:28
正常な人間は足利尊氏のことなんか相手にしません
539 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 08:14:23
>538 それじゃあこのスレ自体が意味ないやろ 俺は、尊氏という人間自身はそれほど魅力のある人物には思えない。ちょっと煮え切らないとこあるし。 だが、日本史全体の流れのなかで尊氏をみれば、急に輝いて見えるな。 なんたって「封建制の守護者」だから。
540 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 12:49:13
こんな糞スレとっとと削除されればいいと思うよ。 逆賊高氏を礼賛するバカは死ねばいいと思うよo(^-^)o
541 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 13:09:24
>>451 何この逆賊賛美のHP
不快だからこんなの貼らないでよ
542 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 13:35:05
元から日本を守った北条を滅ぼした尊氏は裏切り者。 わがまま後醍醐を処分できなかったヘタレ www
543 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 13:40:54
逆賊高氏に限っては、こんな風に叩かれまくってもまったく擁護する気が起きないなw むしろ叩かれてんの見ると日本人もまだまだ捨てたもんじゃないと安心する
ヒットラー効果で逆賊を連呼するほど尊氏が偉大になってしまうんだが。 尊氏がくだらない、とるにたらん奴なら そんなものにやられたってことは宮方にはどんな問題点があったんだろうね。
545 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 13:52:03
尊氏はくだらないやつだが、人を貶める謀略には長けてたんだろうよ。
547 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 13:55:50
逆賊に擁立された簒奪者の子孫を廃位して真の皇統を皇位に就けよう
548 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 15:56:29
逆賊高氏が人間的に優れていたなどとほざいてた奴も、結局これには反論できていないなwwww↓ 夢窓国師は時々談義をするだけで、あとは何もしないで、尊氏から多大の領土や給与を受けていたので、 尊氏をできるだけ賛美せねばならない立場にあった。夢窓国師と尊氏とは互いに賞め合い、もちつもたれつの 関係にあった。だから夢窓国師が賞めたからといって、そのまま受けとるわけにはいかない。 第一のことも武将であれば皆その通りでなければならない。ひとり尊氏に限らないことである。 「第二に慈悲天性にして人を悪み給事をしりたまはず、多く怨敵を寛宥ある事一子のごとし。」とあるが、 既に吾が子直冬を放置して顧なかったことだけでも慈悲心があったとはいえない。また義貞を終生の敵とし、 また後で、弟直義を毒殺し、吾が子直冬を討たねば止まぬと気負っていたことを考えても、弟や我が子でさえ 悪んでいたのである。ただ敵を許したことがあったかもしれないが、それはそうすることが自分にも利になる時であった。 第三に、御心広大にして物惜の気なく……諸人の進物ども数知れずあったけれど、皆分かち与えたとあるが、 これも特別賞賛することでもない。一般の人でも、多くの品物が集まったときは、「お裾分け」とも言って、 知人や近所へ分けてしまうのである。食物であれば直に処置しないといけないし、食物でもない器物にしても、 既に自分の家にあるものが多く、邪魔になるだけであるから、持ち去ってくれると有り難いのである。 然し、尊氏も価値のある物には大いに物惜しみしたのである。その例の一つは、名刀恩丸、鬼切のことである。 斯波高経が新田義貞から奪った恩丸、鬼切を、尊氏は、これは末流の源氏などが持つべきではない。 急ぎその二振りの刀を我れ(将軍)に渡してほしい。足利将軍家の重宝として、本家筋において相伝えると 言って強要したという。そして高経が渡さなかったので、戦功のあった高経を敵に廻して討とうとまでしたのである。 そのため高経は直義側について、尊氏側としばしば戦った。尊氏は価値なき物は惜しまず、価値ある物は 惜しんだのである。また少し価値あるものも、それを渡すことによって自分に利になる場合は渡した。
549 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 15:57:35
「太平記」は南朝びいきのように言う人が多いけれど、「太平記」も室町幕府の検閲を受けていたからか、 尊氏有利の文章もよく見かけるのである。この首を送ったことを、「情けの程こそ有難けれ」と書いてあるのも、 その一例であろう。まことに情けがあるのなら、六条河原に懸けて、一般人のさらしものにし、ぼろぼろになった 首を、正成の妻と正行の所に送った。そこに尊氏の楠家に対する勝利宣言と、同じように戦いを続けておれば このようなことになるぞと、正行等の戦意喪失を狙う意図がなかったとは言えないであろう。 これも尊氏の一つの謀略であったといえる。「太平記」によれば、その首を見た正行は非常に悲しみの余り(ママ)、 正行も自害して父の所へ行こうと、父正成から貰った刀で、まさに自刃しようとしていたという。 幸い母の久子が見つけて刀を奪い、父は自殺せよと言ったのではなく、よく稽古をしてたくましく成長し、 将来は矢張り主上のため尊氏等の相敵を討てとさとして死地に向かったことを、よく言って聞かせたので、 正行もそのことを理解して、それから後は、戦争ごっこ等をして、繊維と戦力向上に努めたという。 このときもし正行が自害しておれば、尊氏の目的は早速実現したことになっていたであろう。危ういところであったと いえる。六条河原に首を懸けて晒すのは、勿論殺して後もなお憎くてたまらないからその欝憤をはらすためと、 目指す敵を討ちとったぞ、勝ったのだ、ということを一般市民に知らせるためであった。 晒首にした首をまだ利用しようとする尊氏であった。
>>548 おまえは本当に独り相撲が好きだなw
人間的に優れていたなんて誰がいってんだっつの。
ちゃんと噛み合った議論しろよ。社会不適応のヒキコモリか?
551 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 19:42:57
引きこもりじゃないです。 ごめん、便乗して遊んでただけ。もう荒らしません。
552 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 04:07:52
逆賊逆賊というが、その逆賊の末裔である足利於菟丸が、明治天皇から子爵の位を与えられているんだが。 まさか「血筋が水戸徳川家だから喜連川足利家は別だ」なんて言いませんよね。
553 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 07:37:45
そりゃ、御先祖が逆賊蛇蚊蛆のおかげで簒奪に成功した偽帝だからw 蛇蚊蛆に足向けられないだろ
554 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 08:23:01
偽帝か・・・話がどんどん変なほうに行くなあ
555 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 12:07:17
今こそ皇位を熊沢家に!
なんだなんだ、アンチ尊氏の正体は 大室デンパか熊沢デンパだったのか? なんか気使ってレスしたのアホみたいだな・・・
557 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 22:26:22
時代の流れを読めないアホ天皇後醍醐と裏切りの連続でフラフラ、存在感も薄い尊氏。 どっちもどっちだな w 後醍醐政権なんか武士や民衆は付いていかないし、尊氏がいなければ戦国時代が早く到来しただけの話。 どちらが良かったかは勝手に判断せよ w
558 :
日本@名無史さん :2006/10/17(火) 01:11:39
どちらが良いって、そりゃ尊氏にきまってるじゃん。 戦国の乱世は日本を社会的にも経済的にも大きく発展させたんだから。 後醍醐の天皇親政は時代の流れを後退させるだけだし。
559 :
日本@名無史さん :2006/10/17(火) 19:29:07
後醍醐と尊氏は、旧来の権威を破壊して 日本のアナーキーさを促進し、もって戦国時代を 導いたって意味では、まったく同じことをしている。 これはこの時代のバサラ的な人間類型のバリエーションであって この二人がいなかったとしても別の誰かが同じような役割をはたしただろう。 逆に、南朝が存在せず北朝的な先例絶対の事なかれ主義が朝廷を支配し続けて、 新田義貞や足利直義みたいな四角四面な権威主義者が武士のトップになっていたら、 その後の日本は李氏朝鮮みたいな息苦しい社会になっていただろう。 日本がこんなに楽しく面白い国になったのは サブカル好きの後醍醐とスーダラ将軍尊氏のおかげ。 関係ないけど、この二人は実は愛しあっていたんだよ。
560 :
日本@名無史さん :2006/10/17(火) 22:27:02
アッー!
561 :
日本@名無史さん :2006/10/18(水) 00:08:59
>559 そうか?李朝みたいになるには建武親政で王朝貴族社会が完全復活した場合だろ。 義貞も直義も一応武士だから、御家人の土地私有を後醍醐ほどないがしろにしないと思うが。
武士政権だろうがなんだろうが 戦国時代なしにイキナリ江戸時代がきたら 息苦しくてたまらんだろうよ
楠木正成は、 「足利が滅べば新田義貞が代わって朝敵になるだけのこと」 と見抜いていた。 義貞や直義にできるのはせいぜい鎌倉幕府の二番煎じ。
564 :
日本@名無史さん :2006/10/18(水) 00:56:21
まあ、何にしても天皇親政より武家政権の方が一万倍マシだな
天皇親政だろうが武家政権だろうが庶民を抑圧すれば乱れるし 善政すれば長く続くって当たり前のことだけだ。 後醍醐のビジョンには賛成できないが。
566 :
日本@名無史さん :2006/10/18(水) 02:25:05
おいおい、王朝制と封建制を一緒にするな。 封建制は所有権の概念を創出するし、土地や財産の所有を王や貴族所有から高度に分散 させる。宗族社会を解体し、家社会もつくる。 土地や財産の所有者が分散されるほど、消費者も増えるため、経済も活性化する。 反対に一番最悪なのは公地公民制。要するに、土地国有制。経済が一番停滞するシステムだ。 こんなシステムで善政を敷かれても、資本主義的発展には全く結びつかないぞ。
567 :
日本@名無史さん :2006/10/18(水) 07:54:20
後醍醐はコミンテルンの手先
当然、日韓W杯で天皇に無礼をはたらいた盧武鉉に怒ってるんだよな?
569 :
日本@名無史さん :2006/10/18(水) 17:37:31
ありゃアホや。あんなもん相手にしても始まらん。 朴さんが大統領になってから交渉を始めたらええ。
570 :
逆賊高氏 :2006/10/18(水) 22:11:00
くやしかったらお前らも天皇をぶっ潰して幕府立ててみろよw まあ悪口とオナニーしか能がないお前らには無理だろうけどなww
571 :
日本@名無史さん :2006/10/18(水) 22:43:16
>570 ぶっ潰すべきは後醍醐天皇。平成天皇ではない。
律令制と封建制の後世に構想されたに過ぎない二元論でしか 考えられないバカがいるな。
573 :
日本@名無史さん :2006/10/20(金) 00:31:32
歴史学は後世に構築されました。以上
虚構仮説と歴史事実の区別つかない奴は 知ったかぶりの学問ごっこで終わるね。
575 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 01:21:09
逆賊にあらず。 皇国史観からみれば逆賊あつかいしたほうが、天皇家の正当性を強調できるから。 しかし、天皇も所詮は俗人。現人神なんてのは、単なるマインドコントロール。 天皇家とは、リレーのバトンのようなもの。時代から時代への連続性。 庶民の俺たちまで、天皇絶対正義に立つ必要性は、ない。
576 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 01:44:59
と、悔しい逆賊高氏信者が涙目でレスしております。
577 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 15:33:07
元々後醍醐院は正統な皇位継承者ではない。 あくまで甥が即位するまでの繋ぎでしかない。
繋ぎとして滑り込ませていただいといて 後になって実権渡すのが嫌になって 親政唱えて日本中を戦乱の渦に叩き落した 日本史上稀にみる自己中DQN 一度勝っても満足せず佞臣を重んじて ふたたび日本中を戦乱の渦に叩き落した 日本史上稀にみる自己中DQN 昭和帝も後醍醐帝を嫌っていた
579 :
日本@名無史さん :2006/10/25(水) 00:24:49
言いたいことはわかるがここはゴダイゴ叩きスレじゃないぞ
580 :
日本@名無史さん :2006/10/25(水) 00:37:38
別に叩いて無いじゃん。事実を言えばそういう表現になるだけで
今月の歴史読本に騎馬武者像尊氏説が載ってるが、 子が親の画像の上に花押を据える不遜さにも説明がないし、 神護寺の画像もやはり頼朝だと。 旧説にこだわるただの頭の古いヤシだな。
フィターズ優勝おめでとう!
583 :
日本@名無史さん :2006/10/28(土) 22:15:37
吹いたーズ
伊藤ハム
585 :
日本@名無史さん :2006/11/06(月) 02:39:54
>>581 >子が親の画像の上に花押を据える不遜さ
ふと思ったんだが、それって本当に不遜な行為にあたるのかな?
例えば子(子孫)や家臣などが、親(先祖)や主君を懐かしんで画家に肖像を描かせた場合に、
「とてもよく描けてます」ってな調子で花押を据えるなんてことは
他には全く例の無いことなのかね?
586 :
日本@名無史さん :2006/11/22(水) 22:43:44
上に据えた花押に対する疑問。確かにそういやそうだ。変則的例というのは ないのか? ただ神護寺像も伝尊氏像もそうでないと困る人ってけっこう多いでしょう。 神護寺の坊さんとか、旧説の提唱者の子分とかさ。信玄像もそうだな。
587 :
日本@名無史さん :2006/11/22(水) 22:50:58
586だが、[若干訂正]旧説の提唱者の子分→旧説の固守者の子分。 像主の特定は、集古十種などから来ているので概ね江戸時代からの旧説だからね。
588 :
日本@名無史さん :2006/12/08(金) 23:14:47
何だかんだ言っても尊氏さんが好きです
589 :
588 :2006/12/08(金) 23:17:40
あ、麻原のほうね
「そんし」違い。麻原焼香
591 :
日本@名無史さん :2006/12/13(水) 00:30:20
尊氏は真田広之のイメージ 後醍醐は仁左衛門のイメージ うむ、どっちもイケメン。
>>585 そういう目的で子孫や家臣が花押をつけるなら上じゃなくて下じゃないか?
593 :
日本@名無史さん :2006/12/13(水) 02:03:18
いいじゃん逆賊でも何でも。所詮は一人の人間。おもしろく生きたらいいのさ。
594 :
日本@名無史さん :2006/12/13(水) 11:04:23
どんな時でも尊氏公は、あたたかく僕らと 接してくれました…
↑精神病ですか?
596 :
日本@名無史さん :2006/12/14(木) 00:52:54
>>593 ……あのなあ
えーと、だから…
あれ、何で逆賊はダメなんだっけ?
597 :
日本@名無史さん :2006/12/14(木) 11:31:11
尊氏公が逆賊扱いなんて、大いに間違っています…
598 :
日本@名無史さん :2006/12/14(木) 16:54:00
逆賊呼ばわりされたっていいじゃないの。 NEETって言われるよりまし。
599 :
日本@名無史さん :2006/12/15(金) 17:28:57
アシカが集る
600 :
日本@名無史さん :2006/12/16(土) 02:54:01
足利家じゃ義満が始祖として考えられてたようだね
よしみつ
602 :
日本@名無史さん :2006/12/30(土) 10:20:27
歴史を善悪二元論で語る事自体に無理があるよな どっちが一方が善でもう片方が悪と断定。 ウルトラマンでも見てろっつーの
603 :
日本@名無史さん :2006/12/30(土) 10:36:14
ウルトラシリーズ、馬鹿にすんな。 ジャミラの回とか「怪獣使いと少年」とか見てから、ほざけ。
604 :
日本@名無史さん :2006/12/30(土) 11:57:51
じゃあグリッドマンで
606 :
日本@名無史さん :2006/12/31(日) 00:36:02
煮ても、焼いても、喰えんのが、尊氏のおっさん。 ハゲたか外資系でも、こやつの行動パターンはよめへん。今の時代におったら、おもろいのにな。ちなみに、オイラ、南朝系、ご先祖様から負け組か?(>_<)
607 :
【大凶】 :2007/01/01(月) 12:39:06
逆賊高氏の今年の運勢↑
608 :
日本@名無史さん :2007/01/05(金) 17:19:23
楠木が逆賊されたこともあるよ。 楠木一族は、朝廷を慮って楠木(逆賊の姓だからね)という姓を変えたこともある。 北朝系統の朝廷だったからね。 まあ明治天皇は南朝を正統(最初は水戸から起こった話だが。省略) としたからね。近代はね。
609 :
日本@名無史さん :2007/01/14(日) 22:58:01
足利尊氏のいいエピソード、悪いエピソードありませんか。
610 :
日本@名無史さん :2007/01/28(日) 22:18:00
なぜ足利尊氏は、守護大名のように 自国の領土や兵士がいないのに 将軍家になれたのでしょうか 家柄が良かったから?
611 :
日本@名無史さん :2007/01/28(日) 22:29:59
守護=領主(大名)という状態は室町以降では? と釣られてみる。
レスありがとう それならば、なぜ足利家は独自の 領土を持たなかったのでしょうか
613 :
日本@名無史さん :2007/01/29(月) 00:16:20
足利庄があったんだが? と釣られてみる。
614 :
日本@名無史さん :2007/01/29(月) 00:25:12
足利銀行崩壊
>>613 あっ、そうか下克上だったんだよな。
すっかり忘れていた。
いろいろと、ありがとう。
>610 守護大名じゃなかった鎌倉幕府はどうなるのさ。 ていうか。 守護が大名となったのは、部分的には、南北朝内乱の副産物だよな。 とはいえ、領主=荘園領主って状況は、戦国時代初頭までは続いてるわけだが。 ちなみに、鎌倉時代末ごろの足利氏は、壮絶に多くの荘園を領有してたぞ。
617 :
日本@名無史さん :2007/03/03(土) 02:46:07
>>609 よい所:今生の果報を弟に与えて下さいと祈願するほど弟思い。
悪い所:妾腹の子を放置しまくって後年背かれた駄目親。
618 :
日本@名無史さん :2007/03/05(月) 23:16:12
尊氏の肖像画だと教えられてたのに違うなんて
619 :
日本@名無史さん :2007/03/07(水) 01:43:54
俺は尊氏公を尊敬しているが、後醍醐や取り巻きの公家共が吉野へ奔走した 時に放置した公の采配には納得出来ない。あの時、彼らを一網打尽に逮捕し ていたら半世紀にも及んだ南北朝の争乱は防げたかもしれないと思う。
寝返る場所はちゃんと残しておくもんだよ
621 :
武陽陰士 :2007/03/11(日) 20:30:08
>>619 まさしくそうだ。けど優柔不断が尊氏さんの身上じゃないかな。
好き嫌いは抜きでいうけど、そこが直義と違うとこだな。
そういうのも将器じゃないかと、私見では思います。
>619>621 本気で放置したと思ってるんだとしたら、かなりおめでたいね。 あれは追っ手をかけたけど見事に逃げられたんだよ。 かといって今更怒ってみても始まらないし、 周囲の動揺を抑える意味で、さも余裕のあるような言動態度を とり、それが文字になって広まっているだけの話。
623 :
武陽陰士 :2007/03/24(土) 00:56:06
>>622 そうなんだ。勉強不足だった。
人物本位に考えると歴史的事実を見誤る危険性があると、
今更ながら自戒する。
今一度調べてみます。
>>622 でも北条氏のように天皇を島流しにしてしまうのは
後世にまで汚名が残るわけだし、
後醍醐天皇自ら逃げ出してくれたのは
世間体とか歴史の審判を恐れる尊氏にしてみれば、
案外本気でホッとしていたのかも。
或いはそれを期待して、わざと警備を隙だらけにした可能性も
‥‥って、そこまでは無いか。
いくら尊氏が心でそう願っても周囲が許しそうもないしな。
直義が気を利かして護良親王の時のように後醍醐を拭逆していれば南北朝なんてなかったのかもな もっとも退位したとはいえ天皇に手をかけたら只では済まないだろうが
>625 そりゃすまんだろうよ。かえって薮蛇。