「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか21)
1 :
たまご:
2 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/16(木) 23:41:41
スレ立て乙です。
漢の時代から
列島は二つの大きな勢力に別れていた。
二つの『倭奴国』です。
・一つが、九州を中心としAD57年、後漢に朝見し
『属国倭奴』
・もう一つが本州に拠点を持ち、AD107年後漢に「願請見」し、失敗に終わった『倭奴国』である
後漢時末迄『属国倭奴』が(大倭)で、あったが
魏時には(倭)と、その領域を縮小した。
★その様子を『後漢書 倭伝』と『魏志 倭人伝』が書き記している。
4 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/18(土) 12:25:55
倭人伝を読めば神湊上陸後、宇佐へいくルートで決まりでしょうに
6 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/18(土) 13:00:40
>>1 スレ立て乙です。
>>5 じゃあ「対馬からの数値ではない」のなら、どこからの数値ですか?
7 :
圭角:2006/02/18(土) 13:11:48
プラムさんこんにちわ。
東夷伝では扶余は玄兎郡から一千里。高句麗は遼東郡から一千里。
韓は帯方郡の南。と記してあります。
したがって、倭人在帯方東南大海之中と帯方郡を起点に陳寿が記述したことは
ごくごく自然なことだと、理解しておりますが、如何でしょうか。
8 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 13:22:55
00郡(帯方郡) ┐ ┐
↑01狗邪韓國, │ ┐ │
│02對馬國。 萬餘里 (丗有王皆統屬女王國) │
│03一大國 水行十日 │ │
│04末盧國, ┘ │ (自郡至女王國萬二千餘里。)
│↑ 05伊都國,(一大率) ┘ │
││ 06奴國, → 07不彌國, │
││ (此女王境界所盡。) ┘
││ 29烏奴國, ┐ ┐
││ 28支惟國, │ │
││ 27巴利國, │ │
││ 26躬臣國, │ │
││ 25邪馬國, │ │
││ 24鬼奴國, │ │
││ 23為吾國, │ (自女王國以北,
│陸行30日 22鬼國, │ 其戸數道里可得略載,
││ 21華奴蘇奴國, │ 其餘旁國遠絶,
││ 20呼邑國, │ 不可得詳。)
││ 19蘇奴國, │ │
││ 18對蘇國, (女王国) │
││ 17姐奴國, │ │
││ 16不呼國, │ │
││ 15好古都國, │ │
││ 14彌奴國, │ │
││ 13都支國, │ │
││ 12伊邪國, │ │
││ 11已百支國, │ │
││ 10斯馬國, │ ┘
│└──→ 09邪馬壹國, ┘ →(女王國東渡海千餘里,復有國,皆倭種。)
│ (女王之所都,)
水行二十日 30狗奴國, (男子為王,其官有狗古智卑狗,不屬女王。)
└───→ 08投馬國,
9 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 13:38:24
自女王國以北
自郡至女王國萬二千餘里
自古以來
自女王國以北
自爲王
10 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 15:08:45
2006/02/16/付 日刊スポーツ・コムからの記事
【父の虐待で1歳長女に重い脳障害】
長女(1)と元妻(22)に虐待を繰り返したとして、神奈川県警座間署は16日、傷害容疑で
同県相模原市相武台の板金工=李奎光容疑者(26)を逮捕した。
長女は脳に重い障害が残り寝たきり状態という。
調べでは、李容疑者は、長女が生後1カ月だった04年12月から昨年2月まで、
当時住んでいた同県座間市のアパートで、高く放り投げて回転させるなどし、
くも膜下出血などの傷害を負わせた疑い。
元妻にも昨年4月、殴るけるなどして軽傷を負わせた疑い。容疑を認めているという。
長女は昨年2月から3カ月間入院。今年に入り心身の発育異常などで「被虐待児症候群」と
診断されたという。
元妻の家族が昨年5月、座間署に相談し、同署は虐待と障害との関係を慎重に調べていた。
李容疑者は現在、妻と離婚し別居しているという。
李奎光は韓国籍。
11 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/18(土) 16:42:21
>>7 でも圭角さん
その文に7000里の距離数値を入れてしまえば、韓伝の領域です。
魏略にはその数値を発見することはできません。
では何故数値を記載したのでしょう?
詰まり
郡から女王國萬二千餘哩を成立させる“意図的数値七千餘哩”と、考えるしだいです
12 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:22:13
狗邪韓國は倭人国家やと言うとるがな(´・ω・`)
13 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:39:44
・
★★ 朝鮮民族の先祖はワイ族だった!! ★★
最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
『2ちゃんねる』の日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。
もちろん、すべてデタラメであるが。
朝鮮人はフヨ人ではない。フヨ人の子孫でもない。フヨ人に征服された民族が、朝鮮人である。
高句麗およびその後継国=渤海国はフヨ人の国である。また918年に建国された高麗もフヨ人の国である。
そして、フヨ人とは満州民族であって、朝鮮民族ではないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)でもない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、現在の韓国の江原道地方(ソウルの東方地域)に住んでいた少数部族であるが、
高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に南下して、日本領=シラキに移住した。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を
乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
おもしろいのは、韓国の歴史学者や政治家たちは、朝鮮民族の先祖について語るとき、フヨ人や韓人に
ついては積極的に語るが、このワイ族については語ろうとしないことである。
おそらく、韓国朝鮮人は、自分たちの先祖がワイ族であることに、うすうす気づいているのだろう。
ワイ族のワイ(穢)には、「汚い」「ケガレている」という意味がある。
このような名前の部族が朝鮮民族の先祖だとは、認めたくないのだろう。
彼らは、楽浪=帯方郡を支配していた中国人から、そのように名付けられた部族なのである。
朝鮮民族は、けしてフヨ人ではないのである。
もちろん、倭人=日本人でもない。
ウィキぺディアなどで、朝鮮人の工作員が、
「ワイ族は扶余族だ。ワイ族が改名して扶余族になった。高句麗人も百済人も、
みんなワイ族だ!日本人もワイ族だ!」
と、宣伝しているが、大ウソなので、騙されないように。
14 :
本田:2006/02/18(土) 20:55:12
15 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/19(日) 00:05:10
>>14 本田氏 乙です。
でも、この辺を扱うスレがないですね。
★ところで皆さん
【乍南乍東】ってなあに?
〈私見〉
南へ行ったら東に、東に行ったら南に……。
階段状に、起点からみて着点は「東南」方向にある
韓半島西岸で、この技使えませんよね!
16 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/19(日) 08:18:18
そうです。半島西南端までいったら、そこから東北東の金海へはいけません。
17 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/19(日) 10:07:26
>>16 サガミさん
確かに行けません。
だからと言って、途中から陸地歩行などというトリックは、使えませんよ。
末盧までは全て船ですから【文献史実】
半島において船にて【乍南乍東】が出来る場所は
半島南の海上だけです。
だから冒頭に、
【東南大海中】と、書かれているでしょう。
★到(着点)其(帯方東南大海中)北岸狗邪韓国(大海の北岸にある狗邪韓国)七千餘哩(到其 までの距離)
半島西岸を南下し、半島西南端から【乍南乍東】し、【到其】そこまでの距離が七千余里
乍南乍東は、歴韓国の後です。
18 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/19(日) 12:00:10
邪馬台国で飯食ってる専門家の先生方に任せましょう。
素人があれこれ言っても仕方なし
19 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 13:25:49
2008年度大河ドラマ
「倭人伝」に決定!卑弥呼(若) 松浦亜弥
卑弥呼(老) 野際陽子
壱与 長澤まさみ
卑弥呼の弟(若) 速水もこみち
卑弥呼の弟(老) 仲代達也
狗奴国王 ビートたけし
世氏斗(オリジナルキャラ、卑弥呼の恋人) 妻夫木聡
魏の使者 ダチョウ倶楽部3人
20 :
本田:2006/02/19(日) 18:58:54
21 :
本田:2006/02/19(日) 19:10:22
>>13 >★★ 朝鮮民族の先祖はワイ族だった!! ★★
東夷伝を読むと、古代朝鮮半島では、
韓人、[シ歳](ワイ)人、倭人が雑居していた印象を受けるけど。
>三国志魏書 東夷伝
>韓
>辰韓
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/gisi-toi.html 土地は肥美、五穀及稲を種るに宜しく、蚕桑を暁(さと)り、[糸兼]布を作り、牛馬に乗駕す。
嫁娶の礼の俗、男女別あり。
大鳥の羽を以って死を送る、その意、死者をして飛揚せしめんと欲す。
【魏略に曰、その国屋を作るに、横に木を累(かさ)ねてこれをなす、牢獄に似るあり。】
国、鉄を出す、韓・[シ歳]・倭皆従いてこれをとる。
諸市買、皆鉄を用いること、中国の銭を用いるが如し、また以って二郡に供給す。
俗、歌舞・飲酒を喜ぶ。瑟あり、その形、筑に似る、これを弾きまた音曲あり。
児生まれるや、すなわち石を以ってその頭を厭(あつ、圧か?)し、その偏を欲す。
今、辰韓人、皆偏頭。男女倭に近く、また文身す。歩戦に便(慣れている)、兵仗、馬韓に同じ。
その俗、行者相逢うに、皆住(とど)まり路を譲る。
22 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:39:01
邪馬台国はどこですか?
聞かれましても・・
教えましょう。三輪の麓です。
23 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:42:51
邪馬台国荒川区説はないの?
24 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:49:21
ない
三河説は実在する。
26 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/20(月) 00:33:53
やはり皆既日食はもしかしたら
卑弥呼=天照 の岩戸隠れかもしれないと
思い始めた今日この頃です
27 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:42:40
皆既日食は関係ないだろ。
つうか当時、皆既日食は見えなかったんだよ。
今じゃ安本も承知のこと。
28 :
本田:2006/02/20(月) 06:17:39
>>13 >★★ 朝鮮民族の先祖はワイ族だった!! ★★
>
>最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
>満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
>さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
>『2ちゃんねる』の日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。
高句麗と百済の建国神話に扶余から王族と貴族が来たと書いてあるけど。
(扶余族は、王族と貴族だけで人民は地元民。)
朝鮮半島の扶余族は、統一新羅ができた後、一部は渤海を建国して、
その他は日本に島流しされたんじゃないのかな。
たとえば百済の王族と貴族は近江(日本書紀の近江朝)。
高句麗の王族と貴族はは関東(坂東武者の祖先)。
29 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 12:46:29
↑
こいつ朝鮮人か?
30 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 13:14:35
近江、関東は基本的に近いでしょ
どっちもクダラの地元民ではない高句麗の扶余などが
新羅を経由して出雲から近江、関東へと広がった人たち
五十猛、五十鈴、
館、伊達、鈴木なんかはこの系統。
31 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 13:23:25
アマテラスが日本の王族で実質的な崇拝の対象となり
権威を持ち始めたのは天武期だよ。
そこを忘れてはならない。
卑弥呼の時に天の岩戸伝説に近いものが仮にあったにしても
それが実際に神話となったのが天武期であるということである。
そういうことから
漏れの考えとしては古代の人の信仰心みたいなものが
そういう伝説を作り上げたのではないかと思う。
一種のデジャブーのように考え神話化したんではないか?
実際に記紀に該当することがあったのは
天武期であり、それを
強引に古代3世紀のころの伝説にこじつけた可能性が
あるってこった。
32 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 02:27:26
岩戸伝説は、皆既日食は関係なし。
「お隠れ」とは、王が死ぬこと。
卑弥呼(女王)死ぬ【天照が岩戸にお隠れ】
→男王による統治【闇の世界】
→台与(女王)が即位【天照が岩戸から出る】
古事記と倭人伝の対応する所はこれくらいしか無い。
33 :
糸人:2006/02/21(火) 10:31:30
邪馬台国の都跡が遂に発見されました。
福岡県前原市から一辺57mの方形区画溝が発見されました。
近くに倭国王「帥升」の王墓をふくむ発掘中の32基の弥生王墓群があります。
さらに王都の伊都を囲む大溝も各所に発見され、
吉野が里のような大環壕溝を有する都市だったことが伺えます。
西暦元年辺りから四世紀頃までの都と見られます。
まさに邪馬台国、倭国、倭の女王の時代に重なります。
ここからはすでに日本一の銅鏡と勾玉、剣、それに
管玉など宝玉類が数千個も出土しています。
参考 ニュースを伝えるHP 中段お知らせのトップ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html
34 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 15:13:23
邪馬台国の都跡は間違い。
伊都国の都跡だろ。
それより
帥升が固有名詞と思っている段階で“ボツ”
>>33 前原市にある時点で伊都国の遺跡だということがわかる。
37 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/21(火) 18:01:05
安曇さん
>前原市にある時点で伊都
★あと千五百余里で女王国、女王の都は目と鼻の先ですね!
38 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 18:09:57
低脳厨房は邪馬台国=女王国と考える。
>>37 あと「千五百里」もあるんですよ?女王の都は前原にはないと考える
のが妥当でしょう。
40 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/21(火) 18:13:32
>>38 じゃああなたが「低脳厨房」でないことを証明してください。マジレス
気盆濡。
41 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/21(火) 18:19:03
>>39 安曇さん
郡から伊都迄10500里
その 1/ 7 の距離じゃぁないですか!
あと少し!
最長、半径1500里内に在りますよ!
42 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/21(火) 18:30:52
プラム氏は九州にあったと考えているんですか?自分は、最近大和説に変えマ
スタ。不彌国からの「水行30日陸行1月」はどう考えても九州には収まり
ません。また、
>>41の書き方からして放射式に読んでいるようですが、伊都国
の可能性が極めて高い前原市から、「水行30日陸行1月」ですか?地図帳
見れば、自分がいかに変なことを書き込んでいるかがわかりますよ。それとも
「邪馬台国」は南九州ですか?それならばまだ議論の余地はありますね。
43 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/21(火) 18:32:59
>>42の4行目。
誤・・・水行30日
正・・・水行10日
44 :
糸人:2006/02/21(火) 18:50:33
邪馬台国の都、 宮殿跡?が遂に発見されました。
福岡県前原市から一辺57mの方形区画溝が発見されました。
近くに倭国王帥升の王墓をふくむ32基の弥生王墓群があります。
さらに王都の伊都を囲む大溝も各所に発見され、
吉野が里のような大環壕溝を有する都市だったことが伺えます。
西暦元年辺りから四世紀頃までの都と見られます。
まさに邪馬台国、倭国、倭の女王の時代に重なります。
ここからはすでに日本一の銅鏡と勾玉、剣、それに
管玉など宝玉類が数千個も出土しています。
参考 ニュースを伝えるHP 中段お知らせのトップ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html
45 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/21(火) 19:00:02
安曇さん
何か勘違いしていませんか?
私の 水行起点は、奴(中)國詰まり、博多湾です。
郡⇔女王国 12000余里
投馬⇔女王国(水行十日陸行一月)
が、女王国までの記載内容です。
決して(水行三十日陸行一月)等とは書いてありません。 大事な事ですよ!
玄海灘沿岸から、南には水行出来ない事は解りますよね!
詰まり〔南至投馬国〕とは、南に進むではなく
【起点の南に投馬国の領域がある】ですよ!
46 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/21(火) 19:16:57
安曇さん
訂正レスを見逃しました
スマソです
47 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 23:48:43
さあいよいよ女子フィギュアですよ
48 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 01:23:48
真央タンの出ないフィギュアなんか見たくない。
49 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 01:35:26
漢文知識のまったく無い脳無しキチガイ厨房の
ヘンテコ解釈には毎度毎度爆笑させられますよw
50 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 07:22:11
相変わらず辛口な評論
御苦労!
51 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 08:00:38
女王の都から南へ
(東海岸→西海岸))陸行一月 水行十日で投馬国
投馬国から水行十日 陸行一月で女王の都(西海岸→東海岸)
その行程途中に狗奴国がある
即ち、九州島最南部(現鹿児島)に狗奴国
52 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/22(水) 09:51:26
投馬国と邪馬台国は里数表記ではなく
日数表記なので他とは違うんですよ。
つまり総日程です。順次式なら里数で
書くはずです。更に邪馬台国までは一万二千里と
書かれているのにまだ邪馬台国は畿内だと
力説してる人は頭がおかしいんじゃないかとw
53 :
圭角:2006/02/22(水) 10:28:14
そもそも、水行二十日や水行十日を基に議論したり推理したりすることを
大変に疑問に思います。
理由は次のとおりです。
海路の場合、その行程日数は日和で決まるものであり日和に左右されるものである
ということであります。
陳寿が魏の帯方郡の使者役人にたとえ聞いたところでさえも
晴天であっても波が高くうねりが有る日も多く
曇天であっても波も風も穏やかな日もまた多くあることは
今も昔も同じです。
さらに、季節によって海は風や波が変わることは言うまでもありません。
54 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/22(水) 10:37:54
計画さん、お久しぶりです。
水行20日や10日、陸行1月は
おおよその日程なのではないでしょうか?
おそらく何回も行き来してる人に聞いたのと
自分たちが実際にいったのとと総合的に斟酌して
出したんだと考えます。
55 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 11:06:37
郡⇔女王国 12000餘里とカキコしてあるので
駄目押し的に 日数表示する必要はないと考えます
@伊都⇔女王の都(1500里)A水行起点⇔女王の都(水行三十日・陸行一月)
B途中投馬国を挟む
この@ABをクリア出来る地形は、卵型の九州島なのです。
・張政一行の@コース
・付随する属国(三十国)調査隊ABコース
56 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 11:35:20
日数表示も、里数表示も
全て測量結果です。
日数は、水行も陸行も一日定量にすることにより
里数に換算できます。
(例えば)
一日=300里
(実測日数60日×300里=18000里)+(奴国⇔女王国1400〜500里)=約二万里 この距離が
九州島一周の距離
これなら天候に左右されず比較的正確な測量が可能です。
57 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 11:41:24
「三人寄れば文殊の知恵」と言うが、
此処の住人は、
「三人寄っても馬鹿の知恵」だな。プッ
>>57 そのように
傍観し批判だけのあんたも、相当なもんだよ!
自覚してね!
59 :
16さい中卒ヒッキー:2006/02/22(水) 12:06:52
安本の邪馬台国の会の講演会は行く価値があるのでしょうか?今度東京いくので顔だしてみようかなと思いまして
60 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 12:22:49
61 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/22(水) 12:45:23
安本先生の講演会には、私は10年来参加しています。
私の研究を進める上で多くのヒントや方向を与えてもらったといえます。わたしの現在の研究成果は安本先生なくしては
これほどあげられなかったとおもいます。(ということは、日本古代史研究の進歩発展に多大の影響を与えたということです。)
会費は千五百円ですが、一万円だしても高くはない(季刊邪馬台国も)と思ったことがしばしばです。
62 :
16さい中卒ヒッキー:2006/02/22(水) 12:53:05
いやあ、僕みたいなガキがいっても年配のかたばかりで浮いてしまうのではないかと懸念いたしまして。場違いになってしまうと恥ずかしいですからね
63 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 13:00:48
奴国から奴国
(これ即ち一周也)
何故、このような単純な事が……?
そもそもの原因は
あの時、原田の爺さんが「伊都国王墓」などと
しなければ!
だから、箸墓等今後の発掘調査も期待できないところを 比定されちゃうんだ
64 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/22(水) 13:09:14
たしかにほとんど年配シャばかりですが、討論会や自己紹介があるわけでもないので心配要りません。
参加なさる場合は最後までいるのがいいでしょう。
最後は質問の時間になるのですが、日によってはこれがおもしろいです。
65 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 13:10:52
そんな単純な事では無いのだよ。
66 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 13:22:01
単純です
67 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/22(水) 13:34:50
行路上の奴国は肥前山口です。旁国の奴国は筑後山門です。博多の奴国(いわゆる金印奴国)
は、委奴国が正しく吉野ヶ里です。那の津ではありません。
68 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 13:38:00
女王の都は、豊前国周防灘沿岸にあります。
69 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 14:08:48
女王の都は畿内大和です
70 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 14:20:16
>>67サガミ先生
どぉして そんなに難しくしちゃうの
奴国は一つでしょう。
音の同じ、違う国なら当然文字を換えてくるでしょう。当て字なんだから!見る人が誤解します。
それに
委奴国は、天照一族が支配する、後の「日本」と同義語です。
71 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 14:39:08
流石低脳
72 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 14:46:08
73 :
圭角:2006/02/22(水) 16:09:01
以前にも書いたことで恐縮ですが 、
洛陽と遼東の距離は四千里であると明帝紀に明記してありますね。紹介しますと
景初二年の記事に陳寿が次のとおり記述しています。遼東の公孫淵討伐の記述に
明帝が、四千里の彼方に征伐に行くのだから奇策を用いると雖も軍事力に頼るべきだ
と言ったと記しています。魏名臣奏という書物にも洛陽と遼東の里程は四千里と
記してあります。
地図帳を開いて見て洛陽と遼東の距離をご覧ください。
一万二千里という里程は陳寿の誇張であることを少なくとも私は実感する次第です。
下
74 :
圭角:2006/02/22(水) 16:19:12
ちなみに、洛陽と遼東の間の移動の行程日数は約二十日である
とも陳寿は公孫淵伝に記しております。それは次の記事から判明します。
公孫淵が斬り殺されたのが景初二年の八月二十三日と陳寿は記しています。
一方、公孫淵の首が洛陽に届いた日付が同年九月十日と陳寿は記しました。
つまり二十日足らずの日数です。
したがって、陸行一月水行十日二十日は司馬氏顕彰を意図した陳寿の誇張
と解す次第なのです。
75 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/22(水) 16:25:07
>>74 里程と日数のどちらが正で、どちらが誤なのかをはっきりさせてもらえませんか?
76 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/22(水) 16:28:12
チンジュが誇張しなければならない理由はなんにもないです。彼は倭国の記録をみながらかいているだけですから。
倭人伝は漢の時代に渡来した周代に半島で記述された記録をもとにして記述されています。
その距離は周尺をもって記述されていました。
周代の1里は67.5mです。
これは中国本土の魏で使用されている単位とはことなります。よって換算しなければ比べられません。
77 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 16:28:44
その移動には馬は使わなかったのかい?
78 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/22(水) 16:31:19
>>76 >周代に半島で記述された記録をもとにして記述されています
根拠が無ければその説の成立は厳しいですね。
79 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/22(水) 16:34:05
根拠は魏志倭人伝です。
といったら堂々巡りになりますか?
これは不思議なのですが馬に騎乗しなかったようです。
80 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 16:35:09
邪馬台国=大和
狗奴国=東海
投馬国=出雲or吉備
これが定説です
81 :
16さい中卒ヒッキー:2006/02/22(水) 16:50:51
やはり年配のかたばかりですか。そうじゃないかと思ってました。場違いになりそうなのでやめとこう。年配のかたばかりの中に一人だけ子供が混ざってたら滑稽ですしね
82 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 17:08:25
ヒッキー君
やたらと子供を強調してますね!
対馬に壱岐、伊都に奴それに不彌が解ってるんですから
里数の換算値は
魏志 倭人伝文中最小単位『歩』から割り出す方法が正確です。
根拠の無い設定数値より
合理的かつ信憑性があります。
83 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 17:17:00
>>76サガミさんの提示された 一里= 67.5bは、トンデモな数値ではないとかんがえます。
周代云々は別として!
84 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/22(水) 17:34:07
>>74 圭角さん
>水行十日 陸行一月は、陳壽の意図する誇張
★郡⇔伊都10500里は、陳壽のオリジナルではありませんし
そこに、陳壽の意図する日数をダブらせた所で、何の意味をもちません。
郡⇔女王国12000里が設定されている以上
日数のサバ読みは、無意味です。
85 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 17:53:23
投馬国=出雲or吉備
定説だったら出雲か吉備かどっちか1つにしろよ
86 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 20:08:25
淡路島って当時から謎?
87 :
本田:2006/02/22(水) 23:58:19
>>85 > 投馬国=出雲or吉備
> 定説だったら出雲か吉備かどっちか1つにしろよ
投馬(ツマ)国は、薩摩。
88 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 00:02:14
↑
単純馬鹿ですね。
89 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 00:35:14
「つま」とは、端っこの意味。
出雲(イツモ)の「ツモ」の語源も「つま」。
90 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/23(木) 00:52:21
投馬国は薩摩かもしれませんね。
倭人伝に周旋5000里という
記述もありますし鹿児島にも
立ち寄ってる可能性が高い。
91 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 01:08:55
周旋5000里なんて、沖縄くらいしかないぞ。
92 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/23(木) 01:15:00
では周旋という解釈が僕らの思っているのとは
違うのでしょうか?伊都国が仮に前原だったとして
投馬国が鹿児島だったとすると九州の北から南までが
およそ5000里だということを周旋という言葉で
表しているのでしょうか?
93 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/23(木) 01:23:35
従来の説だと伊都国は前原、奴国は博多ですよね。
ここから東に100里程度いくと不弥国がありますよね。
奴国は2万戸でそこそこ範囲が広いので
おそらくここで奴国内を通過する際に里数を1000里程度は
消化してると考えるのはどうでしょうか?そして
不弥国と隣接して邪馬台国があるとすればちょうど12000里くらいに
なり、水行10日陸行1月は帯方郡から邪馬台国までの総日程だという
解釈が成り立つわけです。奴国内だけでなく他の国々も国内を
通過する際に里数を消化してると考えれば邪馬台国まで12000余里になると
考えられないでしょうか?
94 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 01:38:05
「水行10日陸行1月」は、
投馬国から邪馬台国までの日数であって、
帯方郡から邪馬台国までの総日程では無い。
95 :
まほろば:2006/02/23(木) 01:48:38
>>75 総里数については、魏略でも『自帯方至女國萬二千餘里』と書かれているので
正か偽かはともかく、それ自体は『陳壽の誇張』ではありませんね。
魏略と魏志は、伊都までの地理記述や狗奴國との位置関係も同じですから、
投馬や邪馬台についての記述も同じだった可能性が高いです。
また、司馬懿は同じく明帝との会話で、京都・遼東間を軍行なら100日とも言っています。
特に船行の場合漢書の大秦國条などでは『良風3月、悪風1年』などと言うアバウトな
表現もあります。
『水行10日』『陸行1月』とは、一日当り何里とかの換算基準が無いからこそ
そう言う標記が使用されているわけで、実際の移動者達(主として倭人)の経験則
から割り出されたもので間違いないと思います。
その正否はともかく、そう言った数値が当時の公式見解として存在していたのだと思います。
96 :
俺等05772:2006/02/23(木) 07:15:30
>>73 >洛陽と遼東の距離は四千里であると明帝紀に明記してありますね。
疑って済みませんが、原文はどう書かれているのでしょうか? 本当に洛陽−遼東間の
距離となっていますか? 通常、兵は国境付近に集結させて、兵器・食糧等を用意し、
そこから遠征するのが普通です。わざわざ洛陽から遠征する必要はないでしょう。
( 仁川から半島南西部の海岸までは 400km, そこから金海までは 300km, 計 700km。
したがって、七千里= 700km → 一里= 100m )を使うと、
遼西−遼東(襄平)間が約 500kmですから、遼西起点で、五千里になります。
>>74 邪馬台国の時代は日本では馬を使っていません。公孫淵の首を洛陽まで徒歩で届けた訳
ではないでしょう。早馬を使ったと思われますが、如何でしょうか?
帝曰「住還幾日?」對曰「往百日、攻百日、還百日、以六十日為休息、如此一年足矣。」
も併せて参考にすべきではないでしょうか。
水行十日、陸行一月は確かに長すぎ。半分が妥当ですので、今、頭を悩ませています。
98 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/23(木) 11:02:47
>>94 チンジュは帯方郡から邪馬台国までは12000里だと
認識しているのです。そして伊都国まで出10500里程度は
消化しています。このことから投馬国まで水行20日と邪馬台国まで
水行10日陸行1月の記述は順次式に書かれたものではありえないことくらい
誰でもわかるでしょうに。この2つだけは里数で書かれておらず
日数で書かれている事に着目すると曖昧に書かれているのです。
つまりおおよその平均値でかかれているものと判断します。
つまりそれだけ距離が長いということです。よって帯方郡からの
総日程だと解釈するのがもっとも自然だと思われますが。
99 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/23(木) 11:10:42
私の帯方郡から狗邪韓国までの里数計算は次ぎのようになります。
京城ー群山 232.0km 群山ー参礼 34.5km 参礼ー求礼 113.5km 求礼―河東 33.7km
河東ーサー川 49.3km サー川ー固城 28.7km 出航地は金海ではなく固城である。
半島内合計 491.7kmである。 1里は67.5mであるから491.7kmは7284.4里である。
倭人伝には7000余里とあるからこれでピッタリである。
100 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 11:24:53
>98
文法上その様な解釈は不自然極まり無い。
101 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 11:45:53
それに、里数も日数も意味は同じ
ダブルカキコは、有り得ない。
102 :
16さい中卒ヒッキー:2006/02/23(木) 12:18:29
わからない人たちだなあ。余里か国内通過分の誤差を足せば不弥国までほぼ12000里消化してるのです。論理的に考えれば投馬国と邪馬台国までの日程は順次式ではないですよ、いい大人がなんでこんなこともわからないのか・・
103 :
突然失礼します。糸:2006/02/23(木) 12:22:11
邪馬台国の都、 宮殿跡?が遂に発見されました。
福岡県前原市から一辺57mの方形区画溝が発見されました。
近くに倭国王帥升の王墓をふくむ32基の弥生王墓群があります。
さらに王都の伊都を囲む大溝も各所に発見され、
吉野が里のような大環壕溝を有する都市だったことが伺えます。
西暦元年辺りから四世紀頃までの都と見られます。
まさに邪馬台国、倭国、倭の女王の時代に重なります。
ここからはすでに日本一の銅鏡と勾玉、剣、それに
管玉など宝玉類が数千個も出土しています。
参考 HPの中段お知らせトップ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html 倭国、邪馬台国は3世紀から300年間くらいは前原を都にしていたのでしょう。
105 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 13:13:58
水行十日=一万里
1000里/日
って言ってんだろ
ホント御前等頭悪いな
106 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 13:19:52
>>105 それ、以前私が言ったけど今は馬鹿らしくて!
107 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 13:21:10
倭人の言う「1日」が、中国の「1日」と、イコールになるのか疑問です。
108 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 13:24:06
そんな屁理屈いってんの御前等だけだろ
109 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 13:34:12
日本の場合は対馬海流が有るから、
流れに乗って進む場合と、
流れに逆らって進む場合とでは、
1日に進む距離はまったく違う訳です。
110 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 14:00:02
『張政一行の行程』
郡……→対馬…→壱岐…→末盧→→伊都→→奴→→烏奴→→→(省略)→斯馬→→女王の都
(萬二千餘里)
『海路 10000里』
『陸路 2000里』
111 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 14:13:11
┌―――――――――――――――――――┬―――――――――┐
│郡〜邪馬壹國 │水行十日陸行一月 │
├―――――――――――――――――――┼―――――――――┤
│ 郡〜女王国(境界) 萬二千余里 │ │
├―――――――――――――――――――┼―――――――――┤
│ 郡〜狗邪韓國 7000余里 │ │
│ 狗邪韓國〜對馬國 1000余里 │ │
│ 對馬國〜一大國 1000余里 │ │
│ 一大國〜末盧國 1000余里 │水行十日 │
├―――――――――――――――――――┼―――――――――┤
│ 末盧國〜女王国 2000余里 │ │
│ (境界) │ │
├―――――――――――――――――――┤ │
│ 女王国〜邪馬壹國 道里可得略載 │陸行一月 │
│ (境界) (女王之所都) 不可得詳 │ │
└―――――――――――――――――――┴―――――――――┘
こうだろ御前等
112 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 14:24:13
『張政別動隊は』
伊都→→奴(博多湾から西周りで)〈水行二十日〉………→投馬国→……〈水行十日〉(南下)……→投馬と狗奴の国境→→→(狗奴国縦断)〈陸行一月〉(北上)→→→→女王の都到着『水行三十日』『陸行一月』
・『張政一行と別動隊は二十人の王達と共に』
女王の都→→斯馬→→(省略)→→烏奴→→奴→→伊都→→末盧……→壱岐……対馬……→
113 :
横から失礼します。糸:2006/02/23(木) 14:24:47
邪馬台国の都跡が遂に発見されたもようです。。
福岡県前原市から一辺57mの方形区画溝が発見されました。
近くに倭国王帥升の王墓をふくむ32基の弥生王墓群があります。
さらに王都の伊都を囲む大溝も各所に発見され、
吉野が里のような大環壕溝を有する都市だったことが窺えます。
西暦元年辺りから四世紀頃までの都と見られます。
まさに邪馬台国、倭国、倭の女王の時代に重なります。
ここからはすでに日本一の銅鏡と勾玉、剣、それに
管玉など宝玉類が数千個も出土しています。
参考HP 中段お知らせのトップ
http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html
114 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 14:24:56
┌―――――――――――――――――――――┬―――――――――┐
│郡〜邪馬壹國 │水行十日陸行一月 │
├―――――――――┬―――――┬―――――┼―――――――――┤
│ 郡〜狗邪韓國 │七千余里 │ │ │
│ 狗邪韓國〜對馬國 │ 千余里 │ │ │
│ 對馬國〜一大國 │ 千余里 │ │ │
│ 一大國〜末盧國 │ 千余里 │ │水行十日 │
├―――――――――┼―――――┤ ├―――――――――┤
│ 末盧國〜女王国 │二千余里 │萬二千余里│ │
│ (境界) │ │ │ │
├―――――――――┴―――――┴―――――┤ │
│ 女王国〜邪馬壹國 道里可得略載 │陸行一月 │
│ (境界) (女王之所都) 不可得詳 │ │
└―――――――――――――――――――――┴―――――――――┘
直してみた
115 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 14:32:38
>>112訂正
狗奴国縦断……×
狗奴国を西海岸から東海岸へ横断……〇
失礼しました。
116 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 14:40:44
延喜式では
対馬〜大宰府まで4日
壱岐〜大宰府まで3日
つまり対馬(對馬國)〜壱岐(一大國)まで1日と言えるじゃないか
魏志倭人伝はやはり
水行・1000余里/日だろ?
ちなみに延喜式では大宰府から平安京までは30日
つまり水行十日を九州を起点にしても
近畿まで十日じゃ行けない
邪馬台国近畿説も無理だな
117 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 14:57:49
>南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月
→南至邪馬壹國女王之所都、自郡至水行十日陸行一月
>自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
→自女王之所都以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
>此女王境界所盡
→此女王連邦境界所盡
>自郡至女王國萬二千餘里
→自郡至女王境界萬二千餘里
血の巡りの悪い御前等の為に→印以下に意訳文付けてやったぞ
118 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 15:28:59
>116
なんで、「水行十日」を九州を起点にするわけ?
九州から、【水行20日+水行10日+陸行1月】で、邪馬台国に至るだろ。
119 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 15:29:06
120 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 15:35:52
九州説に決まってんだろ
121 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 15:39:45
時代が違えば、船のスピードも変わる。
航行技術の発達や漕ぎ手の数とかでね。
250年頃と、900年頃の航行速度を
同じと考えるのは無理がある。
122 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 15:41:07
だから
起点――水行20日―――――→投馬國
起点――水行10日陸行一月―→邪馬台国
起点=帯方郡
こうに決まってんだろ
起点―水行20日+水行10日+陸行一月―→邪馬台国
なら邪馬台国まで何里あるんだよwwwww
123 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 15:46:25
>>122 >起点=帯方郡
★違います。
奴国(博多湾)です。
124 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 15:52:49
>122
お前はもっと漢文の勉強してから来いよ。
漢文の文法上そうゆう解釈は出来ないのだ。
125 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 15:53:19
┌―――――――――┬――――┬―――――┬――――┬――――┐
│ 帯方郡〜狗邪韓國│七千余里│ │ │ │
│狗邪韓國〜對馬國 │ 千余里│ │ │ │
│ 對馬國〜一大國 │ 千余里│ │ │ │
│ 一大國〜末盧國 │ 千余里│ │水行十日│水行十日│
├―――――――――┼――――┤ ├――――┼――――┤
│ 末盧國〜女王境界│二千余里│萬二千余里│ │ │
├―――――――――┼――――┴―――――┤ │ │
│女王境界〜邪馬壹國│道里可得略載不可得詳│陸行一月│ │
├―――――――――┼――――――――――┼――――┤ │
│邪馬壹國〜狗奴國 │ │ │ │
├―――――――――┼――――――――――┼――――┤ │
│ 投馬國 │ │ │水行十日│
└―――――――――┴――――――――――┴――――┴――――┘
こう云う事だろ
126 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:03:07
だから有り得無いって
127 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:06:53
九州起点で邪馬台国まで水行十日だの、水行二十日+水行十日だの言う奴は
延喜式の書かれた平安時代に
対馬〜大宰府まで4日
壱岐〜大宰府まで3日
だったと云う事を無視すんなよ
延喜式から対馬〜壱岐1日なのは明らかだろ
1000余里で1日だ
奴国起点なら奴国から水行十日=10000余里で邪馬台国?んな訳ねぇーだろ
128 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:08:03
トンデモ本に書いてる事を真に受ける馬鹿連厨
129 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:15:02
>250年頃と、900年頃の航行速度
これも馬鹿げた話
対馬〜壱岐に二日掛けれる訳ねぇーだろ
対馬海峡上で船で夜を明かすのか?
それとも丸二日不眠不休か?んなわけぇーだろ!
対馬〜壱岐は千余里/1日だ
かわらねぇーな
130 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:17:18
どうしても九州に邪馬台国が有った事にしたいのならばだな、
こんな所でグダグダ言ってないでだな、論文でも書いてだな、
しかるべき所似提出してだな、然るべき人達にだな、
キミ達の説を認めて貰う事だな、
131 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:20:05
>129は、どうしようもない単純馬鹿ですね。
132 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:22:56
なにがどうしても九州に邪馬台国が有った事にしたいのならばだなだよ
>自郡至女王國萬二千餘里
帯方郡〜末盧國までで既に萬餘里なのに
どうやって残り二千里で近畿まで行んだよ御前はwwwwwwwwwwwww
133 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:25:20
誰が、二日掛けると言ったんだい。単純馬鹿君よw
134 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:28:47
倭人伝の記述には多くの誤りや文字の脱落などが有るかも知れないという事も考慮する必要が有るでしょう。
135 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:44:16
136 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 17:29:51
>>132 何度読んでも意味解りません。
>九州
畿内の誤りでしょうか?
137 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 17:43:50
「ホントは邪馬台国は畿内なのに、九州にしようとしてる」なんて事なんかじゃなくて
畿内説はインチキを使わないと在り得ない!邪馬台国は九州、って言ってんだよ
138 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 19:42:51
何を言っても良いけど
九州説はまず遺跡を見つけることだね。
いくら探しても九州に無かったのだから、もうどうしようもないじゃん。
139 :
太国:2006/02/23(木) 19:48:55
>>138 w
君はどれだけ九州を見回ったのかね?君はスーパーマンの如くX線が使えるのか?
140 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 19:59:36
おっ反応が早いね、太国さんw
X線なんぞ使わずとも、特に北部九州の調査発掘は
「もう掘ってない所が無い」ってくらい進行しているんですよ、ご存知でしたか?
あなたがこの現実を前に、非常にあせっていらっしゃるのは
書き込みの余裕の無さからも容易に推察できますが
他の方は九州を未開のジャングルか何かと勘違いしてませんか?
逆に奈良県や大阪府のほうが調査発掘は進んでいないのですよ。
お楽しみに水を差すつもりは無いのですが
事実は事実として認めなければ、正解には決してたどり着けないのでは?
太国さんはまた「術」だとか言って、死んでも認めないのでしょうがね。
142 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:19:33
安曇連浜子さん、ここは九州説専用スレではないでしょ。
それと、あなたの示されたスレは正直「妄想畿内説スレ」です。
まあ、文献史料から探ろうとの趣旨である当スレにおいて
考古見地からの意見はスレ違いであるかもしれません。
但し文献学者は「史料から7世紀以前の歴史事実を探る作業」というのを
30年も前に諦めたということは、最低ご認識しておいて下さい。
史料を暗号解読の如くいじり倒して、自己流の解釈を施す作業は確かに面白くかつ楽しいのですが
そういった遊びでは満足できない歴史ファンもまた、多数存在するのです。
そういった方とならば、喜んで議論させていただきたいのですがね。
143 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/23(木) 20:24:49
>>142 >妄想畿内説スレ
最近、140のスレッドによくカキコしてたので進めた次第ですが・・・
自分もレスの質が上げられるよう頑張ります・・・
144 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 20:36:02
>>143 そうでしたか、言い過ぎました申し訳ない。
では古代史論争において一時は主流にもなりかけた九州説や東遷説が
なぜ今では省みられなくなったのか、その流れと論争史を要約して
そちらのスレに書き込むことにします。
ご参考になれば幸いです。
145 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/23(木) 20:41:11
146 :
太国:2006/02/23(木) 20:41:39
>>140 当然だよ。畿内なんかにありっこない。
じゃあ、君のX線ではは『紀無い』のどこにあるというんだねぇ。ww
147 :
太国:2006/02/23(木) 20:55:31
大和に天皇と卑弥呼の2大天下が東西横綱のように支配してるんだから、
たまには2人の取組みがあって然りだろうがね?ww
その取組みの相撲の結果はどうなったんだい?w
それとも何か〜? イト国あたりから、一瞬に羅刹女の馬証扇で飛ばされ、
数万里も?フッ飛んで『記無い』に到達かぁ〜?ww
148 :
太国:2006/02/23(木) 21:04:49
君はスーパーマンならばだ、羅刹女の手を借りずにだ、高いビルディングも
イトっとび〜。ww
149 :
太国:2006/02/23(木) 21:06:24
君は遠い火星から畿内やってきた奇跡の男か〜。ケントさ〜ん。ww
>>125氏
下の文章は魏志倭人伝の異本(趙宋の『太平御覧』に収められている)です。
百納本とは違い各国への路程の頭に「又」と言う文字が入ります。
貴方はこの文章を基にしても>125と同じ図を描けますか?
倭國在帶方東南大海中、依山島爲舊國百餘小國。
漢時有朝見者、今令使譯所通其三十國。
從帶方至倭、循海岸水行歴韓國、從乍南乍東、到其北岸拘邪韓國七千餘里、
至對馬國、戸千餘里、大官曰卑狗、副曰卑奴母離。所居絶島、方四百餘里。
地多山林、無良田、食海物自活、乘船南北市糴。
又南渡一海一千里、名曰瀚海、至一大國、置官與對馬同。
地方三百里、多竹木叢林、有三千許家。亦有田地、耕田猶不足食、方行市糴。
又渡海、千餘里至未盧國、有四千、濱山海居。善捕魚鰒、水無深淺、皆能)沒取之。
東南陸行五百里、到伊都國、官曰爾支、曰副泄謨觚、柄渠觚。
有千餘戸、世有王、皆統屬女王。帶方使往來常止住。
又東南至奴國百里。置官曰先ジ馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。
又東行百里至不彌國。戸千餘、官多模、副曰卑奴母離。
又南水行二十日至投馬國、戸五萬、置官曰彌彌、副曰彌彌那利。
又南水行十日陸行一月至邪馬臺國、戸七萬、女王之所都。
>>150 ・・・「又」+「至」がついている地名のみが経由地(ないし目的地)で、
他は経由地から見た各地の説明と。
maintenance
153 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 02:52:40
邪馬台国=畿内大和
で決まりでしょう。
154 :
ねたふり:2006/02/27(月) 07:27:55
帯方郡と女王國の間の移動に何日が必要か?
それを複数の文献から説明できる方居ますか?
これは正始「二」年問題を念頭に考えなければいけないところです。
155 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/27(月) 08:58:04
水行十日陸行一月です。
文献の一つは魏志倭人伝です。
156 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 10:03:03
↑
ありえません。
157 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 10:10:27
>又南水行二十日至投馬國、戸五萬、置官曰彌彌、副曰彌彌那利。
>又南水行十日陸行一月至邪馬臺國、戸七萬、女王之所都。
里数じゃなくて日数で表す場合は帯方郡からの日数
158 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/27(月) 10:11:56
神武の東征は邪馬台国の東遷を表しているとなぜわからないのか・・
159 :
太国:2006/02/27(月) 10:18:29
神武の世のころは女王国はまだありませんな。w
160 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 10:20:21
卑弥呼が滅んだ時と同期の大和朝廷側が崇神
161 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/27(月) 10:22:06
ああ太国さん、前回のループになってしまいますw
こないだソースを提示して説明したのに
まだわかってくれてないのですか・・
162 :
太国:2006/02/27(月) 10:22:20
崇神の世にも、まだ卑弥呼は生まれていませんね。w
163 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/27(月) 10:27:49
卑弥呼は天照であり岩戸隠れは卑弥呼の死を
その後の闇の世界は男王が立ったが諸国は服従せず
戦乱に突入したことを、その後天照が再び現れ
世界が明るくなったのは壱与の登場を表しています。
これでぴったりくるでしょうに。そして応神が神武とすれば
年代的にすべてつじつまが合います。記紀では
皇室の年代を古く見せるため改竄が行われていますがね。
164 :
太国:2006/02/27(月) 10:32:27
これは準飛鳥理論だな。w 記紀に天照の岩戸開きの直後に壱与の記述はないよ。
165 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/27(月) 10:32:59
倭人伝の解釈は僕の国内移動時による里数消費説で
すでに決着がついています。これで不弥国までで
だいたい12000里ほぼ消費しています。
邪馬台国はほぼ不弥国と同じ場所にあると考えてよいです。
畿内説など論外で、サガミさんのいう小城とかいう
ところではありません。宇佐を中心とした地域です。
166 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/27(月) 10:34:58
太国さん、貴方は何者ですか?
まず自ら自己紹介をお願いしますよ。
年齢や経歴は?
167 :
太国:2006/02/27(月) 10:38:14
余は古神道皇道派のはしくれだ。グループの頭領は畏れながら
「闇御一人様」と云われるお方なのじゃ。
その別名を「暗闇の大宮司さま」と呼ばれる。w
168 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/27(月) 10:41:05
なるほど。僧侶さんですか。
169 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 11:12:29
>>157さんは、漢文の御勉強を十分に学んでから来て下さい。
じゃないと、お話になりませんから。
170 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 11:24:30
里数じゃなくて日数で表す場合は帯方郡からの日数だって言ってるだろ
ホントヴァカだな御前は
171 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 11:28:26
↑
トンデモ解釈している、お前の方がヴァカだろ。
172 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/27(月) 13:03:38
>>157さん、原文の引用がまちがっています。
正しくは「南至投馬国水行二十日」です。
「南水行二十日至投馬国」では、邪馬台国に行くには、投馬国に寄ってからになってしまいます。
また「又」の字もありません。
173 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 13:11:11
>>172 ちゃんと他の人のレスを読みましょうよ。
>>157は
>>150で共通認識さんが提示した異本の表記を元に論じたものでしょう。
ところでサガミハラハラ氏は、この異本をご存知でしたか?
またこれについて研究された過去の膨大な論文を一部でも読まれましたか?
174 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 13:22:49
175 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 18:09:29
サガミ=薄学のくせに、独り善がりのトンデモばっか言って、好い気になっているアホ。
176 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/27(月) 18:51:27
話が続いていたのですか。
それはまた失礼いたしました。
177 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/02/27(月) 19:03:45
サガミ氏の説だと、投馬国の後の「水行二十日」も、「帯方郡」からの総日数
になるんじゃないんですか?サガミ氏はそこらへんの議論をしてください。
>>175 サガミ氏の批判をするのは結構ですが、一応彼が自分の合ってるかどうかもわ
からない考えを出版していることをお忘れ無く。
178 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/27(月) 20:00:03
私2冊出版いたしておりますが、どちらの本でございましょうや?
自費出版ならウチの兄貴も4〜5冊出してる。
20万円もあれば、それなりの装丁で出版できるわな。
ご多分に漏れず、その内一冊は邪馬台国本だw
出すたびに俺のところにも送ってくるが、梱包も解かずにどっかに放り込んだままだ。
と言うわけで読んだ事も無いが、オカルトと好色が趣味な奴だから相当な内容だろう。
俺もこのスレのトンデモ、デムパ振りを題材に一冊だしてみようかなw
180 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/27(月) 20:56:14
>>179 協力しようか?
その本には欠かせない存在だぜ!
サガミのように出版コード持ってるところから出すと版権の管理も有るから20万じゃキツイかも。
まあ、何れにしろ御覧魏志の存在すら認知せずでも邪馬台国本の一冊くらい出せる訳だ。
誰かさんもチャレンジしてみたらどうかな?
182 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/27(月) 22:30:31
>>179さん。期待してます。
そうです。邪馬台国行路研究の骨格を成すものは、陳寿の魏志倭人伝なのです。
「景初中、明帝密遣帶方太守劉キ、樂浪太守鮮于嗣越海定二郡」
−景初中、明帝密かに帯方太守劉キ、楽浪太守鮮于嗣をして、海を越え二郡を定めしむ。
184 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 01:09:19
本は売れてこそ意味があるのですが。
サガミさんの本は何十万部売れたのでしょうか?
185 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 01:15:04
ヤフーで僕の国内消費論を言ってみたら
伊都国の放射説が正解で邪馬台国は鹿児島だと
反論されましたw
186 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 01:23:01
差別化できるだけの斬新なネタがなければ
本としての商品価値はないでしょうに。
とんでも説をふりまくだけじゃ個人的な妄想日記と
変わりませんよ。
187 :
質問:2006/02/28(火) 01:26:50
1冊2000円の本が売れると、
自分にいくらくらい入るのですか?
188 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 01:31:39
沖縄説・与那国説有り得ないか?
189 :
本田:2006/02/28(火) 06:20:23
>>153 > 邪馬台国=畿内大和
> で決まりでしょう。
九州の山門の間違いでは?
190 :
本田:2006/02/28(火) 06:22:12
>>188 > 沖縄説・与那国説有り得ないか?
狗奴国のこと?
それだったら原田常治氏が唱えてたよ。
191 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/02/28(火) 08:12:20
本は売れてこそ意味がある。−−まったくそのとおりですね。
売れないから私の説がぜんぜんひろまらない。
差別化できるだけの斬新なネタがなければーー私の本は充分差別化できるだけの斬新なネタなのですが。
192 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/02/28(火) 10:15:30
いや、サガミさん、それは妄想の領域でしょうにw
何かまず物的証拠等を突きつけて先人とは違った
アプローチで説得力をもったものでなければ
本としての商品価値はないでしょう。小城では
子供の僕でも納得しかねますよw
193 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 16:11:56
194 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 16:22:37
1%かよ!
195 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 16:36:45
じゃ200円
196 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 16:49:47
何冊売れたかによる。
>>188 突然変異的な強権が生じたことがあったと仮定しても、遠すぎるし、相互の交通について
天気任せの度合いが強すぎるから、壱岐・対馬さえも「支配下に置いていた」ことはありえない。
199 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/02/28(火) 23:28:21
>>198 最低限さん
その続きが!
★歩幅は、一尺=一歩
★魏時 六尺=一歩
一里=430bの1/6約70p
これが「短里」
「尺」とは、体の一部が単位になっている
尺と言う字は、
「口」+「人」
「人」⇒二脚
「口」⇒範囲
「歩行」を表す文字
よって一尺=一歩
魏志倭人伝は、その最低単位である「歩」を使用しているため里数に至っても
「歩」から求めた数値が、望ましい。
「参考」
【足輪各徑六尺圍一丈八尺足輪一周而行地三歩以古法六尺為三百歩為里】
…新校本宋史…
一里=約70b
一歩=約25p
測量時 一日=300里
>>199 > 一歩=約25p
「非常に疲れる歩き方」ですな。
201 :
圭角:2006/03/01(水) 13:17:59
魏晋短里説というものがありますが、失当だと断じて可と考えます。
根拠は、洛陽遼東間が四千里と明帝紀に記してある一方で、東夷伝においては
帯方郡から狗奴韓国間が七千里と記してあるからです。
サガミさんは里程の誇張は倭人伝には無いとのご意見のようですが、如何。
202 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/01(水) 14:22:51
そうです。倭人伝の里数は周代の単位であり、誇張ということではありません。
203 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 14:36:41
里数など誇張する理由もないでしょうにw
204 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 14:51:50
ところで侏儒国が葛城王朝のことだと
耳にしたのですが本当なのですか?
205 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 14:56:40
嘘に決まってるだろ。
206 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 15:27:01
ヒッキー君 釣られるよ!雑魚だけど
何処で聞いたの?
そんな会話しているやつ周りに居るの? 変だよ“そいつら”
今日は午前中、鯖重かったねぇー!
207 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 15:31:23
今日は雨なので図書館いけませんでした
208 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 16:56:50
恐らく、続日本紀に出てくる「侏儒」が元ネタ。
209 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 17:12:44
「侏儒」とは、中国語で、背の低い人を意味する言葉。
だから 人長三四尺なんだ!
って 違うだろ
「身長」とか「背丈」
「人長」は、長さの基準
「侏儒」って
身体に水銀朱を塗った「一見赤鬼さん」
211 :
俺等05772:2006/03/01(水) 18:36:37
>>201 疑って済みませんが、原文はどう書かれているのでしょうか? 本当に洛陽−遼東間の
距離となっていますか? 通常、兵は国境付近に集結させて、兵器・食糧等を用意し、
そこから遠征するのが普通です。わざわざ洛陽から遠征する必要はないでしょう。
( 仁川から半島南西部の海岸までは 400km, そこから金海までは 300km, 計 700km。
したがって、七千里= 700km → 一里= 100m )を使うと、
遼西−遼東(襄平)間が約 500kmですから、遼西起点で五千里になります。国境−襄平間
だと約 400kmですから、四千里になり ぴったりです。
/新校本三國志/魏書/卷三 魏書三/明帝叡
丙寅,司馬宣王圍公孫淵於襄平,大破之,傳淵首于京都,海東諸郡平.
冬十一月,?討淵功,太尉宣王以下摎W封爵各有差.初,帝議遣宣王討淵,發卒四萬人.
議臣皆以為四萬兵多,役費難供.帝曰:「四千里征伐,雖云用奇,亦當任力,不當稍計役費.」
遂以四萬人行.及宣王至遼東,霖雨不得時攻,?臣或以為淵未可卒破,宜詔宣王還.
帝曰:「司馬懿臨危制變,擒淵可計日待也.」卒皆如所策.
/新校本晉書/紀/卷一 帝紀第一/高祖宣帝懿
景初二年,帥牛金、胡遵等?騎四萬,發自京都.車駕送出西明門,詔弟孚、子師送過?,賜以穀帛牛酒,
敕郡守典農以下皆往會焉.見父老故舊,讌飲累日.帝歎息,悵然有感,為歌曰:「天地開闢,日月重光.
遭遇際會,畢力遐方.將掃?穢,還過故?.肅清萬里,總齊八荒.告成歸老,待罪舞陽.」遂進師,經孤竹,越碣石,
次于遼水.文懿果遣?騎數萬,阻遼隧,堅壁而守,南北六七十里,以距帝.帝盛兵多張旗幟出其南,賊盡?赴之.
乃泛舟潛濟以出其北,與賊營相逼,沈舟焚梁,傍遼水作長圍,棄賊而向襄平.諸將言曰:「不攻賊而作圍,
非所以示?也.」帝曰:「賊堅營高壘,欲以老吾兵也.攻之,正入其計,此王邑所以恥過昆陽也.
人曰,敵雖高壘,不得不與我戰者,攻其所必救也.賊大?在此,則?窟?矣.我直指襄平,
則人懷?懼,懼而求戰,破之必矣.」遂整陣而過.賊見兵出其後,果邀之.帝謂諸將曰:「所以不攻其營,正欲致此,
不可失也.」乃縱兵逆?,大破之,三戰皆捷.賊保襄平,進軍圍之.
213 :
俺等05772:2006/03/01(水) 21:58:48
>>212 やっぱり、洛陽−遼東間の距離ではないですね。単に四千里の征伐と言ってるだけ。
起点が何処とも言ってない。洛陽が起点とどうして推定したのでしょう。
つき合いきれんな。俺等05772もNGワード行きっと。
>>199 私は1尺なり1歩なりの実長を話題にしているのいですが、
あなたが何を主張されたいのかが解りません。
倭人伝の「歩」が距離単位のことでは無く、「歩」幅の意味だと言うことでしょうか?
ならば、それを立証するような事例をあげるとかしていただかないと議論になりません。
因みに「尺」の字形は口+人ではないでしょう。
貴方が主張する「口」の左の縦線はそのまま「人」風部分の左部と一画です。
これは別々の象形の合体では無く、単独で一つの象形だからだと思います。
親指と人差し指を広げ、長さを測っている拳の象形だと言う説がありますね。
さらに「参考」として提示された一文、宋史の「記里鼓車」の記事ですが・・・
仁宗天聖五年内侍盧道隆上記里鼓車之制
獨轅雙輪箱上為兩重各刻木為人執木槌
足輪各徑六尺圍一丈八尺足輪一周而行地三歩
以古法六尺為歩三百歩為里用較今法五尺為歩三百六十歩為里
直径6尺の車輪が一周すると1丈8尺=3歩。
古くは6尺をもって1歩、300歩(車輪100周)をもって1里。
今(趙宋)は5尺で1歩、360歩で1里と言うような内容ですが、
これの何処を読めば魏代の「一歩」が25センチ、一日300里の説明なるのですか?
どこかのサイトからのコピーのようですが、内容を理解しているのでしょうかね。
216 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 23:28:22
>>215最低限さん
まずは、
>尺の字形は口+人ではない
★別に字形を述べている訳ではなく(詰まり象形文字では無い)
『尺』の字は
『口』⇒範囲
『人』⇒二脚
と言う字意の合成から生まれた文字と 言っているのです!
手を広げて親指(基点)、人差し指(着点)にし長さを測るのは …『寸法』
距離を測る場合、身体の部分で合理的に使用出来るのは(歩行の歩幅)
知恵と無駄から合理化された結果
『尺』の文字は『歩行の歩幅』と同義
よって
一尺=一歩
これは実例云々ではなく、文字そのものの字意
217 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 23:31:12
マニアックすぎるw
こんなんにはまってたらくだらない人生になりそう。
218 :
俺等05772:2006/03/01(水) 23:42:16
>>214 >>211の国境−襄平間 だと約 400kmですから、四千里になり ぴったりです。
にきちんと反論してください。 でないと、あんたがNGワールド。W
219 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 23:44:53
因みに
『歩』も象形文字では無い文字は全て作成される原因で構成されている
象形とは見た目(形)
『歩』
の字は、動作が文字に成った!
(字意)⇒小刻みに停止
(構成)⇒止+少→少し動いて止まる
歩幅は、「少」25p前後
>尺は別々の象形の合体ではなく単独で一つの象形だからとおもいます。
★尺は象形では無い
だから、そんな認識はいらない
>親指、人差し指云々
★尺とは関係無い
それは「寸法」
尺とはもともと「距離」
後は疲れたので パス!
220 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 23:49:14
皆さん、彼女いないでしょw
221 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 23:51:36
ヒッキー君
マニアックではないよ!
この関連スレは、そこまで(いや!それ以上)要求されるんだ。
でも、高卒はこれが限界ダァーッ!
222 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 23:52:58
4人いるよ。
223 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/01(水) 23:53:36
馬鹿馬鹿しいw
一円の得にもならんものに
そこまでのめりこむなんて・・
224 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/01(水) 23:55:48
嫁さんだけで
限界ダァーッ!
225 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/02(木) 00:04:02
簿記2級受かりました。
公認会計士を目指そうと思いましたが
簿記2級でもう簿記に嫌気がさしたのでやめます。
金持ちになる道は険しすぎる。
適当な職に就いて趣味で歴史やSFの本読む程度の
慎ましい人生で満足するしかないか。
>>216 貴方が「尺」を「口」と「ニ脚」の会意文字であると主張する根拠は何でしょうか?
単に「そう思いたい」からですか?どこかのサイトの聞きかじりですか?
私は「尺」の上部は「口」では無いと申しております。(因みに下部も「ニ脚」では無い)
現在の字体であっても文字左側の上下はハライ一画なのですから
「口」だと思ってしまうのが理解できません。
それに対して反論もせず、同じ主張を繰り返すだけでは話が進みません。
ご存知だと思いますが、古体では「尺」の左上部は「己」のように開いています。
「尺」の字源が象形文字であることを貴方に理解してもらうには、
甲骨文字の画像でも提示するのが一番なのですが適当な無料サイトがありません。
下のURLの画像は、篆書体ですが一例として提示します。
また、ちょっとした辞典(10000円以下)でも「尺」の甲骨文字体は載っています。
虚言を吐く前に、それを見てみる気もないのですかねw
「尺」の篆書
ttp://www.gg-art.com/g/g4t2cnts.jpg(説文解字)
最後に一言。
相手の意見を理解する気も無いのなら
中途半端なレスは付けるべきではないと思います。
227 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 02:00:53
沖縄・与那国説70%
畿内説25%
九州説5%
ヨロ
228 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 02:04:19
畿内大和説→ 100%
九州説 → 0%
与那国説 → −100%
229 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 02:05:09
侏儒国(しゅじゅ)=種子島(しゅし)でしょ
230 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 02:05:12
金印と阿蘇山を探して来い>227−228
231 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 02:06:50
ジャワ島だよ。
232 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 02:08:46
>>226 おっしゃるとおりですね。
誤った奇妙な思い込みを押し通そうとして、事実関係をねじ曲げようとする輩がいるようで。
邪馬台国は、又聞きの又聞きに捏造メール掴まされて信じた挙げ句、脳内ソースを頼りに作り上げた陳寿ファンタジーです。
どう考えても実在しません。
議論はバカらしくないかい?
邪馬台国 ヤマダイ国 山代国
236 :
本田:2006/03/02(木) 06:24:09
>>229 > 侏儒国(しゅじゅ)=種子島(しゅし)でしょ
斯馬(シマ)国=種子島。
237 :
本田:2006/03/02(木) 06:30:10
238 :
本田:2006/03/02(木) 06:35:43
>>228 > 畿内大和説→ 100%
> 九州説 → 0%
> 与那国説 → −100%
奈良は東夷伝で説明されてるような温暖な気候じゃない。
オンドルも必要なくらいにね。
>毎日新聞12月9日] ( 2001-12-09-09:40 )
>
>清水谷遺跡:国内最古のオンドル遺構見つかる 奈良
>
> 奈良県高取町清水谷で、渡来系の建築技術とされる5世紀後半の「大壁建物」跡5棟と、建物に付属する国内最古のオンドル(床
>暖房)遺構が見つかった。7日発表した町教委は清水谷遺跡と命名。この地域に拠点をおいて技術者集団を率い、大和政権で大きな
>勢力を有した朝鮮系渡来氏族の東漢(やまとのあや)氏がいた“異人館街”と推定され、朝鮮半島との交流史を解明する貴重な資料
>になりそう。
> 工場建設に伴い今年9月から約900平方メートルを調査。狭い間隔で柱を立てて横木を渡し、土を塗りこむ大壁建物の特徴を示
>す柱穴と地盤改良跡を確認。最大の建物は約11メートル四方あった。1棟の建物跡から、かまどのたき口と床面に煙道(幅約80
>センチ)らしき石組み溝を検出。国内では極めて珍しいオンドル跡で、2基あった。渡来人と関係の深い陶質土器や韓式土器も出土。
>土器などから5世紀後半の遺構と判断した。
> 調査区域では5世紀前半ごろの竪穴住居跡4棟と6世紀前半の掘っ立て柱建物跡2棟が見つかった。このため、大壁建物群は突然
>現れ、定着しなかったとみられる。この地域は、日本書紀の記述などから東漢氏の拠点と考えられてきたが、集落跡を確認したのは
>初めて。現地説明会はない。 【花岡洋二】
http://inoues.net/korea/shotokukyu.html
239 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 07:55:53
>>226 >サイトの聞きかじり
★私は学校で学習している訳ではありませんので
モトネタは、数多くのサイトや本や辞書です。
象形文字も沢山見てきました。
その結果がレスになっているのです。
貴方は「尺」を象形と考え、私は字意の合成と考えている
それだけの事!
貴方を含め多数の共通の考えの中に、反対を向いた考えが入り込んだ
その考え方は、貴方にとって未知な部分ですから、未完全なレスに映るでしょう。
そのレスに対し
控えるべきとは………?
違った考えに対しては
大勢の住人達で議論すればいいことです。
240 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 08:01:50
(続き)
貴方の提示されてる「共通認識」は、ともかく
「尺」の文字についての考えは、貴方個人の考え方であり
それを一方的に
>レスを控える可き
は、ないと思いますよ!
貴方のレスにしたって
完璧な意見ではないのですから!
241 :
太国:2006/03/02(木) 08:13:41
あの人は余にも書き込むなとか言ってたな? スレ違いとか悪口とかうまくない
ことを書き込んだのならそう言うのは当然だが、余計だよ。
242 :
圭角:2006/03/02(木) 09:40:14
212さんへ 212の書き込み有難うございました。
にもかかわらず、俺等氏には遺憾です。洛陽が起点であるとは限らぬとおっしゃる。
212さんは漢籍にお詳しいようですから、つきましては俺等氏に対して
晋書にも、景初二年に司馬宣王が明帝がみずから見送る中を、西明門外から都を
進発した、という記事でもお示し願えれば幸甚です。以下でよかったでしょうか。
景初二年、師牛金胡遵等歩騎四万、発京都。
俺等さんへ
京都すなわち洛陽です。京都より発す。デス。ご異論あればお聞かせください。
243 :
圭角:2006/03/02(木) 09:48:02
サガミさんへ。あらためてご教示くださいませ。
倭人伝の里程数には誇張無しとのご見解でいらっしゃいますが
洛陽遼東の四千里と帯方郡狗奴韓国の七千里という記事と実際地理との比較において
誇張は明白でありますが、如何でございましょや。
244 :
圭角:2006/03/02(木) 09:58:03
サガミさんへ。ご教示くださいませ。
魏書第三十巻目は申し上げるまでもなく烏丸・鮮卑・東夷伝であります。
しかるに、顔が二つ有る人の話や女ばかりの国等の話が東夷伝にあります。
倭人伝記事においても、かくなる誇張記事たとえば株需国こびと国などの
記事は誇張です。
なにゆえ里程記事のみ誇張は無いとご断言されるのでございますか。
ご教示賜りたく存じ上げます。
245 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/02(木) 10:01:34
圭角さん、もっと人を信じましょうw
246 :
圭角:2006/03/02(木) 10:21:17
ヒッキーサントオンナバカリノクニニイキマショウ。
247 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 11:17:24
「象形文字」
皆さんはどのように考えているのでしょうか?
ご意見をお聞かせ下さい。
★私の考えでは、象形とは文字ではなく美術の世界と思うのです。
相手に物を伝える為、見たものを簡略し描いたもの!よって、
そこには字意は存在しません。
文字と呼べるには
そこに、字意を含ませ本来使用していた言意を同時に組み込ませる事で
初めて文字に変化するのではないでしょうか?
漢字の根本は象形でしょうが、その段階では「文字」では無いとするのが
私の考えです。
248 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 11:37:02
>>247 小学生の「漢字はかせ」をめくってみな! プラムの知識は小学生以下。
ちなみに著者は藤堂明保、漢字では日本最高の権威だよ。
249 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 11:47:40
>>248 私の知識レベルの話ではなく、貴方の考えを聞きたいのです。
書物の代弁はいりません!その書物を見ての
貴方の考えが知りたいのです。
しかし、
その書物は一度機会があれば拝読させていただきます。
資料提供感謝します。
250 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 11:55:43
中卒やら高卒やらレベルの低いスレですなあ
251 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/02(木) 13:15:12
魏志倭人伝の1里67.5mは、周代の里数単位です。魏志倭人伝の行路記事はおそらく、周代か前漢代に
測られ記されたものであるとみます。それが、漢朝魏朝晋朝につたわり、陳寿が倭人伝を書く際に参考とされというよりはほとんど
そのままのせられたものとみています。対して、洛陽遼東の件は漢代か魏代にその時代の尺度ではかられた距離であるとみれます。
両者はそれぞれことなる尺度ではかられたものですから、あわないと私は考えます。
252 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/02(木) 13:22:44
倭人伝の内容全てが真実をあらわしているとはいえません。
真実の部分と虚偽の部分があります。
しかし、邪馬台国投馬国までの行路記事は疑いないとかんがえます。
シュジュ国や裸国や黒歯国についてはまだ検討していないのでわかりません。
>>242 何が言いたいのか分からん。それは
>>212の後半にあるが・・・
晋書に見る司馬懿の襄平までの進軍経路
総勢四万の軍で洛陽を出立。明帝がお見送り。
弟の司馬孚と息子の司馬師が温県(洛陽の北東で司馬懿の故郷)まで勅命により見送り。
孤竹(天津の北あたり)を経由して碣石(山海関があるあたり)を越え、遼水に着陣、公孫軍を撃破。
襄平城(遼陽付近)を包囲。
これが四千里
まあ、そもそも襄平から500kmの遼西ってところからぶっ飛んでるんだけどな。
254 :
圭角:2006/03/02(木) 16:13:36
サガミさん 、ご返事有難うございました。ご見解承りました。が、
司馬イの東夷平定の後、韓の国にて韓族が帯方郡の崎離営を攻撃して、
太守の弓遵が戦死した程の反乱が起きています。このとき二つの郡の軍は
これを征討した後、そのまま進んで韓を滅ぼした、と陳寿は記しています。
サガミさん、かくなる史実があったのですから、陳寿があえて周や漢の時代に
測られた里程を記すというのは、不自然だと考える次第です。
陳寿の生年は二三三年の魏の青龍元年です。つまり、この乱は陳寿の生まれた
後の出来事です。軍事は地理知識を不可欠とします。
なんとなれば、半島の地理、換言すれば、帯方郡から狗奴韓国までの距離里程が
洛陽の都に報告されていたことは、至極自然なことになります。
使節の報告記録というよりも軍事地理記録を陳寿の三国志執筆の折には既に
陳寿は手許に入手していた、と考えて自然ですし無理もない話だと思料しますが
サガミさん、いかがでしょうか。
255 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 17:46:35
圭角さん
>軍事は地理知識を不可欠
★では、当然ながら属国の調査は完璧でしょう。
256 :
俺等05772:2006/03/02(木) 18:01:05
>>253 起点が何処とも言ってない以上、四千里の征伐は洛陽−遼東間とは
限らないでしょう。
サガミ氏、周代に倭国までの距離を中国人が知っていたという根拠は?
258 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 18:03:51
>>255 だからって多久市が伊都国だったってのは無茶がありすぎ。
259 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 18:04:56
ウンコ食う?
260 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/02(木) 18:10:45
>>256 おそらく起点は洛陽でしょう。筑摩学芸文庫の「三国志」によると、
「景初二年春正月、詔勅を下して大尉の司馬宣王に軍隊を統率させて
遼東を攻撃させた」とあります。「大尉」ということは朝廷に参内して
いたでしょう。ということは、当時の朝廷があるところ、洛陽が起点で
しょう。
261 :
222:2006/03/02(木) 18:11:41
婦人警官の彼女は、ウンチは食わないが、漏れのケツ穴舐めます。
262 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/02(木) 18:12:30
第一、書き方は「四千里の彼方」です。そこまで正確な距離ではないで
しょう
263 :
俺等05772:2006/03/02(木) 18:40:40
>>262 >>253氏の記事から、洛陽から出立したのは分ります。第一、討伐会議は洛陽でなされている。
でも、四千里は、敵地に入ってからの征伐の距離と解釈しても問題ないのでは?
「四千里の彼方」とは何処に書いてあるでしょうか?
>議臣皆以為四萬兵多,役費難供.帝曰:「四千里征伐,雖云用奇,亦當任力,不當稍計役費.」
>遂以四萬人行.
私が頑張るのは、魏と公孫氏とで距離の単位が異なるとは、とても思えないのです。
264 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/02(木) 18:50:45
>>263 ごめんなさい。影印のほうではなくて、筑摩学芸文庫の「三国志」なん
です。だから訳者の表現かもしれません。ただ、魏という国家はもとも
と中原でも北の方に位置しているんですね。また、「公孫」の支配領域
だいたい戦国時代の燕の領域なんじゃないんですか?燕は領域が狭いと
いうことも考慮に入れておいてください。
265 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 19:18:24
ヲタくせえ
266 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/02(木) 19:18:25
>>251は説明不足でした。
倭国までの測量につかわれた、周時代の周の尺度は、箕子を通じて半島や倭にもたらされたものと考えます。
そしてその尺度でソウルあたりから邪馬台国まで測量されたものとおもわれます。
その記録は箕子朝鮮の都に保管されており、やがて衛氏に渡り、さらに漢の手に渡り、
戦利品として中国に持ち込まれたものとかんがえます。
267 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/02(木) 19:23:21
箕子朝鮮が実在したと言うことの根拠は?
268 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/02(木) 19:26:56
結局ですね、私が周尺にこだわるのは、現実に、周尺ではかれば倭人伝の行程がほとんど矛盾なく
とけるからなのです。だから陳寿は朝鮮から持ち込んだ資料をつかったと考えるわけです。
陳寿が何故魏人の報告書をつかわなかったのかといわれても、素直に「わかりません」というしかないです。
269 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/02(木) 19:30:22
>>268 周代の尺度ってはっきりわかってるんですか?サガミ氏が言われる67
.5mという数字は根拠があるんですか?
270 :
陳寿の亡霊:2006/03/02(木) 19:31:16
倭人に距離を尋ねても、「水行何日、陸行何日」などと答えるばかりで
話になりません。外人でもいいから、分かる奴からきいただけ。
271 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/02(木) 20:03:53
>>204シュジュ国は葛城王朝か?
今日送られてきた季刊邪馬台国91号の私の邪馬台国論にのっていました。石井好というかたです。
日本書紀の神武東征にかいてある「また高尾張邑に土ぐもがいてーーー葛城とした」というような内容です。
尚同じく私の邪馬台国論に私の「東テイ人はどこにいたのか」がのっています。
内容はどこかのスレにのせたものです。まだ残っているのではと思います。
272 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 20:11:52
陳寿は、他人が書いたのを書き写しただけでしょ。
273 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 20:12:49
侏儒国は、現在の淡路島
「復有國」
復する国が有る:分国有り
侏儒国とは、離れた国
274 :
太国:2006/03/02(木) 20:19:56
京へはるばる上りゆく♪ か〜w
275 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/02(木) 20:21:21
箕子朝鮮の実在については、中国の歴史書の他に、半島や倭国や東北地方から周の影響をうけたと考えられる遺物が出土することからや制度がみられるからです。
ただこれらは、これからの研究課題でしょう。そのためにも、早く邪馬台国論争に終止符を打たなければなりません。
67.5mの根拠は、邪馬台国への行程を矛盾なく解釈し邪馬台国を決定した結果、倭人伝の行路記事は1里68m弱であることがわかりました。
一方福永晋三氏は独自に周代の1里は67.5mであることを割りだしました。
別々の二つの方法により、同じような結果がでたことから1里は67.5mであると結論づけられたわけです。
倭人は距離をはかることを知らないは、たしか隋の時代の話だと思います。箕子朝鮮の時代に距離をはかれたが、隋の時代にははかれなくなった
ということです。つまり文明の退化が起ったのです。
276 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 20:23:16
>>269のサガミ説
一里=67.5b
(一里=300歩)
一歩=22.5p
卑弥呼の塚(徑百餘歩)
22.5×100=22.5b
少し短いと思いますが
こんなもんでしょう。
277 :
俺等05772:2006/03/02(木) 20:36:50
278 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 20:46:07
奴国百里は行政区域単位
決して行程距離ではありません
>>239 >共通の考えの中に、"反対を向いた考え"が入り込んだ
>その考え方は、貴方にとって未知な部分ですから、未完全なレスに
違うでしょう。
貴方のレスには反対向きも何も「考え」が見えないのです。
どこかのサイトの結論部分をコピーしたような文章の繰り返しで、
貴方自身の「考え」は有りません。
貴方が「論証」だと思っているのは、他人の結論の殴り書きです。
順をおって説明しましょう。
>★別に字形を述べている訳ではなく(詰まり象形文字では無い)
>『尺』の字は
>『口』⇒範囲
>『人』⇒二脚
>と言う字意の合成から生まれた文字と 言っているのです!
おそらく、基ネタのサイトには、もう少し詳しい「解説」があるのでしょうが、
貴方の「考え」では、いきなり結論が登場します。
貴方のレスでは「口」形が範囲を表すこと、「人」形がニ脚を表すことの説明が無いのです。
そして、それの「合成」が何故に「歩行」の意味なのかも。
しかし、私はそんなことを問題にしているのではありません。
私は「尺」の上部は、古型では「□(四角)」形ではありませんよと示唆しているのです。
もともと「□」でないのなら、「□」=「範囲」と言う貴方のは「結論」は成立しません。
そう言った指摘を無視して、相変らず感情的な主張を繰り返すなら、
議論(意見交換)になりませんので私にレスをつけるべきではないと申し上げる次第です。
追伸
私は、次のような意味(極一般的な用法です)でこれらの言葉を使っています。
象形文字・・・山、川等の具象デザインに対して字義を与えた文字に対する分類呼称
指事文字・・・上、下等の抽象概念を図形化して字義を与えた文字に対する分類呼称
会意文字・・・武(戈+止)や、信(人+言)等、二つ以上の文字を合成して新たな意味を表す文字
甲骨文字・・・殷代に使用されていた最古級の漢字フォントの呼称。
280 :
太国:2006/03/02(木) 21:24:25
だけど、「人」なんていう漢字は『大』にしたほうがもっと人型に見えると思う
けどなぁ? 踊る人形かぁ?w
281 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 22:07:06
>>279最低限さん
>サイトのコピー
嬉しいです。
同じ事を考える人がいることは頼もしいものです。
>口=範囲
以前、『臺と壹』のレスの付近で
別の住人さんと『国と國』について意見交換したおり『口=範囲』の字意
に、いくぶんかの自信が持てましたので
以後使用しています。
貴方もあの時分レスを覗かれたと思い、結論のみ投稿致した次第で!
私は貴方みたいに博識でもありませんし、文章を上手に組み立てる事が出来ません。
よって
解り易いように感情のこもらない冷たい文になっていると思います。
282 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/02(木) 22:23:55
私はゴマをすりながらのレスが苦手ですので
失礼します。
284 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 08:10:39
>>283 プラムは楷書体が出来て初めて字儀が与えられたと主張したいようだ。
それ以前は美術作品だから関係ないらしいw
甲骨文字とか篆書とか隷書とか金文体とかの存在はこの際関係ないと。
まあ、楷書でも『尺』の左は切れていて四角くはないのだがw
しかし、清朝に整備された康煕体や日本のJISフォントを
眺めた心象で漢字の成り立ちを力説されてもねー。
285 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/03(金) 08:29:20
1里=67.5m
(1里=50歩)1里は300歩となったのは秦の時代からであって、周の時代は50歩で1里である。
福永晋三氏は「五十歩百歩」の故事から、周代の1里は50歩であると割り出した。
角川書店の新字源によれば、周代の1歩は1.35mであるという。
よって1.35×50=67.5で1里=67.5mとなります。
中国の1歩は日本の2歩にあたります。大体140cmぐらいです。魏代の1歩は1.45mです。
ところで邪馬台国までの行路は周の里単位ですが、卑弥呼の墓の計測は魏の尺度です。
よって1.45×100=145で卑弥呼の墓は150m以上あります。
286 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/03(金) 09:36:05
マニアックすぎてついていけないw
趣味で本読んでる程度の僕が来るとこじゃなかったかな
287 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 09:49:03
>>285サガミさん
いくらなんでも
時代の近い『秦』を採用せず かなり時代の古い『周』を採用したり…
こうなると
サガミ説は、物事の全てが小城中心主義に走っているように感じます。
『小城があるから魏がある』
その様に受け止められますよ!
288 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/03(金) 09:58:27
暇な人たちだw
そんなに自説を主張するなら
論文でも書いて歴史学界に出せばいいんじゃないですか?
まあ相手にされてたらこんなとこきてませんよねw
289 :
太国:2006/03/03(金) 10:05:55
最初に「こうでないか。」と決め込んで、それから色々と調べたり研究して
行って、それから最初の考えを肯定して「こうだった。」としちゃうのは、
ま〜ず失敗に陥ると思うな。その調べの途中に自己の有利な資料ばかり眼が行って
否定的な資料の確保と自己の主張を否定側からの突きを、やりにくいとか亡失
のまま怠って結論を定めてしまうから失敗に行き着き易く、駄目だと感じるよ。
他スレで、某天皇を卑弥呼じゃないかとした人がいるが、これなども上のような
レールの上を突っ走り、想定を真とすでに結論付けているんではないかというの
がある。こうなると眼が覚めればの話だが、振り出しに戻る他はない。しかし
それがなかなかそうはしないというか、覚醒しないで論を曲げないようになって
しまい、自己が深く泥沼に入っているのが気付きにくいのだ。残念だねぇ。
これはみんなそういう傾向に流れやすいものなんだろうな?各自戒で行こうよ。
290 :
圭角:2006/03/03(金) 13:23:41
プラムさんへ。
おっしゃる通り属国の地理知識は洋の東西を問わず必要不可欠だと私も思います。
古代ローマがブリタニアの地理知識を有していなかったとは考えられません。
属国を間接的にせよ統治するためには地理知識もしくは里程行程は当然に必要と
なったはずです。
それゆえに、サガミさんのご見解の様に、片方が周の測定里程で片方が魏の
測定里程であるとは、私には考えられない所以なのです。
291 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/03(金) 13:46:01
サガミ氏
>半島や倭国や東北地方から周の影響をうけたと考えられる遺物
具体的なソースを提示してください。
あと、あんま人のことをいうのもあれなんですが、倭人伝以外の「魏書」を一
文字も読んでない人が多いと思いました。
292 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 14:00:01
>>291安曇さん
>倭人伝以外の「魏書」を一文字も読んでいない人が多い
★私もかなり以前『圭角』さんの進めにより、三国史の通読を始めましたが
もう十ヵ月が過ぎるのに終わりません。
何しろ
当時の文は、省略出来る文字は徹底的に省略しているようで ほとほと弱りました。
これも
史料自体が限られたスペースの木簡や竹簡だからでしょうね!
293 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/03(金) 14:05:41
>>292 本当に読みましたか?なら「卑弥呼」が「人名ではない」などという考えが出
ないと思いますけどね。また、根拠も示さず漢文を自分の都合のいいように解
釈したり。前の「倭人伝は毀誉褒貶の意が含まれている」と主張していた時の
方が、ちゃんとしたレスでしたよ。とりあえず「根拠」を書くことから始めて
ください。
294 :
圭角:2006/03/03(金) 14:10:09
291氏の投稿を継ぎまして。
三国志を通読しての感想と驚きは次のとおりでございました。
一、司馬イ仲達は常に司馬宣王と尊称して記してあること。
二、司馬イ伝は無いこと。
三、魏書三十巻目の烏丸・鮮卑・東夷伝のうち御伽噺は東夷伝のみであること。
四、明帝の批判記事があること。
五、明帝を継いだ斉王の出自は不明だとあえて記してあること。
六、司馬イ顕彰が基本姿勢本旨であること。
295 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/03(金) 14:14:08
>>294 一は当然でしょう。「三国志」は晋の時代に書かれた物ですから。
296 :
圭角:2006/03/03(金) 14:25:09
当然ですよね。
でも、僅かに例外は有ります。ご存知ですか。
297 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/03(金) 14:28:39
298 :
圭角:2006/03/03(金) 14:49:35
私の知るところも正確厳密ではございませんが
蜀書の後主伝第三に
魏は司馬イを西域経由で曹真を斜谷経由で漢中攻撃のために派遣した
魏の司馬イは祁山を救援した
魏書の文帝紀に
黄初元年、督軍御史中丞の司馬イら言上す
黄初四年、司馬イを撫軍大将軍に任命す
これ以外に在ることをご存知の方はご教示くださいませ。
299 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 14:56:49
安曇さん
無学ですいませんね!
何せ
魏志 倭人伝すら完読出来ないのですから
魏書の帝紀も終わっていません。
何年掛かる事やら!
安曇さんは知っていましたか?
一大國と末廬國間の行程記事に『南』の文字が省略されていた事を!
私は最近気付きました。
凄いですね
完読ですか!
300 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 15:24:14
圭角さん
最近の若者は凄い知識をお持ちの方ばかりで
とても太刀打ち出来ません。
三国志完読とは
『おそれ入谷の鬼子母神』
私なんか
最初の百文字を一ヶ月ですから!
まさに、翻訳本との睨めっこです。
301 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 15:26:12
302 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 15:38:29
(`_´)ゞ隊長!
発見しました↑
(*`Д´)ノうむむ
ここにも貼りおったな
303 :
安曇連浜子:2006/03/03(金) 15:43:12
いや自分は翻訳しか読んでません 自分のような若輩者には原文の入手は不可能です。まあ研究には翻訳で充分だと思います。
304 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 15:59:29
305 :
圭角:2006/03/03(金) 16:10:02
プラムさん。
私とても白文で通読している訳ではありません。
ちくま学芸文庫の訳文に過ぎません。
当該文庫本は1から8までございますが、1と4と8をお手許に置かれると
便利かと思います。
1は帝紀、4は東夷伝、8は蜀書ですが人名索引・官職表・年表が掲載
されていて便利です。
自分は倭人伝の一字に拘るのも有要と考えます。それと同時に粗く通読して
倭人伝の記事の特性を比較検証することは有意義かと存じます。
306 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 16:26:00
圭角さん
その「ちくま」さんの翻訳本は、以前圭角さんにすすめられてから
速攻図書館に!
以後私の独占本、貸出カードは私のスタンプでびっしりです。
でも、基礎知識の無い私は出来るだけ「白文」を見ることにしています。
紹興本も、佐伯さんの著書に、写真が掲載されていますのでコピーを取り
毎日睨めっこです。
あそこには
段落や句読点等有りませんので!
307 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 17:25:06
私が「紹興本」の写真コピーを見て最初に驚いた事は『東夷伝倭人』なる文献が存在していない事です。
俗に言う倭人伝は
【……法俗特嚴峻倭人在帯方……】
と、韓伝と倭人伝の句切がありません
私はよく、勝手に都合よい所で漢文を切り 勝手な解釈をしていると言われます。
でも
私から言わせて貰えば、よくも皆 同じ場所で文節を切れるものだと?
皆さんは
そんなに古代漢文の知識が有るのかと、ただただビックリする次第です。
私は一つの『レ』さえ打つのに何日もかかります。
308 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/03(金) 18:16:03
>>307 ヒャクドウ本ではしっかり「倭人傳」で分けられています。あなたのレスと同
じ扱いにはしないでください。
309 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 18:31:34
私なりに文節切りをしてみました。
その前に、大倭とは倭よりも広い地域と認識しています。
【(…収租賦有邸閣國國有市交易有無使) (大倭監之自女王國以北…)】
このように文節分けをしましたが、何処か間違いがありますでしょうか?
ご指摘願います。
310 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 18:34:16
311 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/03(金) 18:36:10
>>309 大倭監之自女王國以北… の「之」は何を指すんですか?
312 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 18:48:00
313 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 19:13:14
>>311 「之」とは「大倭監」の存在をさします。
詰まり「一大率」
314 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/03(金) 19:21:32
>>291 当HPの727「2倍年暦の真実」のスレをはじめからごらんください。
驚くべき真実がのべられています。
まさに日本古代史の研究がひっくりかえるような内容です.
315 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/03(金) 19:34:59
>>313 「之」が、あとから出てくる物を指していることに関して、具体例の提示を希
望します。
316 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 19:46:43
317 :
太国:2006/03/03(金) 19:49:38
何ですか?ひっくり返るようなのって?
318 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 20:21:03
安曇さん
よく考えると後の文を指す指示語はありませんよね
先程のレスを取り消します。
私見で翻訳する場合この「之」を余りこだわる事なく流していたような
改め検討いたします。
319 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/03(金) 20:28:23
>>314 「燕」の遺物が出てきたとしても、「倭人伝の距離が周代の距離で測られてい
た」とするにはいささか足りないと思います。まあ、あなたも筑摩学芸文庫の
「三国志」の特に解説を読んでください。もしくは遺跡からの周尺の定規等の
遺物が出土したことを証明してください。
320 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 20:37:49
>>319 このオサーンに何を言っても無駄です。
漢和辞典といえば角川のしか知らないし、
漢字の「反切表記」は知らないわ、『説文解字』は知らないわ。。。
これで小学校の教師をやっているって言うんだから何ともはや。。。
321 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 20:54:42
>>319安曇さん
貴方なら何処で文節を切り、翻訳はどのように?
322 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 21:28:50
安曇さん
申し訳ありません!
とんだ勘違いをしていました。よって
>>312-313のレスは取り消します。
「之」の指示するものは「一大率」ではなく「一大國」です。
まことに申し訳ない次第です!
★倭人伝等存在しませんよ! 便宜上存在する次第です。
323 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 21:40:48
今日のプは、いつもにもまして強烈だなあ。
324 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 21:56:51
【大倭監之自女王国以北特置一大率】
《翻訳》
大倭を一大国が監視し女王国以北には一大率を特別に置く
監視するのは諸国二十国
だから
諸国二十国には官がいない
納得しましたか?
325 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/03(金) 22:17:57
>>314の件失礼しました。日本史@2ch提示板の「2倍年暦の真実}でした。
326 :
太国:2006/03/03(金) 22:21:21
それのどのへんを読むんでしょうか?
大倭、女王自ら之を監る。
って読めないかな?
意訳
大倭では女王が直接統治を行っている。
国の北には特別に兵力を配している(これは女王の直属ではなく独立の組織)
エゾ討伐軍みたいなのがこの頃からあって、それが何らかの形で中国に伝わったのかも。
328 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/03(金) 23:05:35
>>327平民さん
大倭は倭より広い地域
要するに!
列島には倭(属国)とそれより広大な大倭が有った事を示している
だから、女王国が大倭を治める事は有り得ない。
329 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/04(土) 00:43:03
皆さん、女からもてないでしょw
いま>220が>329に呼ばれたな。
331 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 04:02:07
漢文は読めないといいながら、特定危険部位についてはこう読むのが正しいと言い張る連中はなんとかならんのか。
三國志巻三十魏書巻三十烏丸鮮卑東夷伝倭人
プラム氏、「之」っていうのはあくまで前に出てきた単語を修飾する語なんで
すよ。あとから出てくる単語を修飾するなんて、難解な文学作品じゃないんだ
からありえないんですよ。
>>336安曇さん
申し訳ない!
一大国と一大率を勘違いしてしまいました。
338 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/04(土) 11:03:28
>>337 いや一大国にしてもね、その名前が出てきたのは最初の部分で、現在議論して
いる文とかなり離れているんですよ。その「一大国」を「之」が修飾している
んですか?もはやあなたに何を言っても無駄なようです。その常識はずれの漢
文の読みを漢文が専門の大学教授と議論してきてください。
339 :
日本@名無史さん:2006/03/04(土) 11:34:24
毎日毎日邪馬台国って頭おかしいんじゃないの
プラムは昔から厨房的書込みを繰り返し、
真摯な議論の妨げとなっていたが、
本人的には無自覚で「悪意」も無かったように見える。
しかし、最近のトンデモは意図的なアラシだろう。
スレの流れが自分の好みと合わない実証的なものになると、
意味不明レスの連続投下が始まるような気がする。
341 :
222:2006/03/04(土) 12:25:03
美形で真面目な公務員のお嬢さんをア○ルファック
おねだりする変態痴女に仕立てるのが漏れの趣味
最近、近くの検察に入った事務官の娘が目茶美形
だったので、これから落として、時間を掛けて
変態痴女にしてやります。
ヤダヤダ
何年同じ議論繰り返しているの?
何時も親から餌を与えて貰わないで、そろそろ自分で餌をさがす時期でしょうに!
先人達の行為の範囲内で
餌の奪い合い的議論、結局何も得るものがなく、むなしく時間が過ぎるだけ
一生懸命知恵を付け、議論の結果は
全て先人達の著書の範囲内
ヤダヤダ
ま、ガンバってね!
>>342のようなレスを付けると、99%の人が反発し、また来年も同じ様な議論してるんだろうな?
しかし、一人ぐらいは気が付いて
無意味なスパイラルから抜け出せるかも!
今日はよい天気だなw
プラム自身にも先人のトンデモさん達の真似事をしているだけだと言う事に早く気付いて欲しいな。
>>344 そうだね!
それにしても
いい天気だね!
絶好の観梅日和“偕楽園”も満杯だな
偕楽園の梅は今が見ごろなのかあ。
しかし、よい天気だw
思えば「プラム」って「梅」のことだな。
きっと、梅の毒が脳にまわったのかなw
>梅の毒
★さぁ!どうでしょう
最近は悪い遊びしていませんから
梅は中国の植物カヨミ
桜は日本の植物カヨミ
昔の人は自然とお友達
昔の米は三ヵ月
“ひふみぃ”は貴族さん
“いちにさん”は庶民
鬼(ホニ)は朱水銀を身体に塗った、とっても気が優しい“いじめられっ子”
いじめた奴は誰でしょう?
「ホニ」って何だよw
>>342 常識はずれなことを主張しても、結局は漢文の正しい読み方では解釈できない
ことがわかり、最後に残るのは己の無力感のみ。まあこれは自分にもあてはま
りますけどねw
>>348 >「ホニ」って誰だよ
★「ホニ」って鬼だよ
鬼→オニ→ホニ→「火以」
季節はずれの
★ホニ倭外 服倭内
昔は鬼も大変ダァー!
いくら漢文読めたって
何も知らなくちゃ話にならん!
九州を除く西日本から、五世紀頃までの鉄器が、あまり出土しないのはどうしてか?
それは『鬼に金棒』だから
『考古学』なんて『プロ』の領域、決して素人が“あーだこーだ”と言うべきものでない
語った所で所詮プロの掌の中 、だから何時も『考古学板』は閑古鳥
本でも読んでリャOKOK!
そんな暇があったら
『色葉に火へと散り塗る…』
スレ閑散としてるんで、気になる倭人伝の語句に注釈を。
「国邑」・・・おそらく、倭人の国家が殷や周のころの都市国家と領域が似て
いることでこの名称。ですが、中国の都市国家も日本の律令で分けられた国ぐ
らい領域があったりします。だから、この時点では畿内説も九州説もOK
「卑狗」・・・通説では「彦」だとされていますが「狗邪韓国」「狗奴国」も
おなじ字なのに、「卑狗」はヒコ、「狗邪韓国」は「クヤカンコク」「狗奴国
」は「クナコク」・・・なぜ読み方が違うんでしょうか。また普通は「〜彦」
だと思われますが、ここではただ「卑狗」のみです。本当は地名を冠した名前
だったのかもしれません。
>>350 そんなこと訊いてんじゃねーよw
哂ってんだよ。
何で哂われてるのかは、自分で調べなよ。
続き
「卑狗」についてはまだ疑問が残っていますが、「ヒク」のついた人名等は寡
聞にして知らないので、通説通りが良いかと。
「大夫」・・・サガミ氏は「周の影響による官名」と言われておりますが、秦
・漢共に「大夫」という爵位があります。なので、「周の影響」は考えにくい
と思われます。おそらく衛満が漢の外臣になったことと関係するのではないか
と。
「大倭」・・・おそらくこれはなんらかの官職でしょう。貿易など、物の取引
を監視する官職かと思われます。
>>356 『ホニ』もわからねえ奴に言われたくネェーよ
それも名無しで
いやプラム氏、古文でも「ホニ」なんて言い方しませんよ。
362 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 12:28:32
363 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 12:32:31
364 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 13:26:25
>>361安曇さん
オニはホニの『音』転訛です
オ→範囲が限定されるが
ホ→Hオで、子音Hによって 範囲が限定されなくなります。
オとホの言語解釈は後ほど
よって
先程の失笑発言には 驚きと呆れを込めてレスしたしだいです。
365 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 13:46:22
安曇さん
先ほど『古文』の例を出されましたが 大変危険な行為と思います。
詰まり『かな表示』される以前に、既に『音』は存在するからです。
『かな』は平安期以降
それ以前は『鬼』なのですこれでは『オニかホニ』判断しかねます。
単に『オニ』と表記しても誤りでは有りませんが
意味の込められた『鬼』の『かな表記』は『ホニ』と書いた方が、正確な意味をとらえる事が出来ると考えるからです。
いくら私でも『オニとホニ』は間違えませんから!
367 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 14:48:24
351 :プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/04(土) 15:21:25
いくら漢文読めたって
何も知らなくちゃ話にならん!
何も知らないのはあんたなんだが
知識も常識もないんだもんな、このおっさん。
368 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 15:10:58
>>366 以前にも言ったでしょう
私の情報源はサイトや著書や辞書だって!
しかし、
そのサイトは携帯では見れません
よって!著書を購入し
知識を入手しているのです。
かなり私なりのオリジナルを加えていますけど
それがなにか?
私は今までに読んだ最高級の書籍と思いましたので
私なりにアレンジし
レスしています。
369 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 15:16:02
>>368 それは原典を明示し、何にインスパイヤされてどうアレンジしかを明記しなければ
世間では’盗作’という。
またアレンジするにしても著者の同意はちゃんと取っているのか?
通説や定説の引用ならこういった作業は必要ないが
あんたのような特殊な意見なら、これは道義的にも許可は必要だろう。
その辺が40歳過ぎても判ってないようだから、笑われてるの。
>>368 >そのサイトは携帯では見れません
>よって!著書を購入し
>知識を入手しているのです。
>かなり私なりのオリジナルを加えていますけど
茨城だってインターネットカフェくらいあるのは知ってるぜw
それに内容は全くのコピペだ。
訳のわからんところまでそっくりコピーしてるじゃんw
何が書いてあるのかわからんままだからますますわけがわからん。
つーこと書いてる俺の文章まで訳がわからなくなってきたが・・・
371 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 15:56:00
ほんとに「哂われる」理由がわからんようだなw
373 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 16:16:54
判らないね!
どうせ 笑うのならいっそのこと本人の前で笑ってみないか?
>>372 連絡つける方法考えてみるか
>>373 茨城県人とは会いたくないね。
どうしても自分の顔を晒したいなら、
↓にUPシル。藁ってやるぜwww
ttp://www.gikoneko.net/up/upload.cgi この際、赤の他人のコピーでもよいが、
連日書き連ねている御高説の論証のようなことをするつもりはないのかね?
元ネタのサイトも眺めてみたが管理人氏も論拠などあげずに
「み」は丸い、とか言い放ってるだけのようだ。
そんなものを「最高級」と思ってしまえるところも笑えるが、
それを無神経に転載しちまうのが、「今回の笑い」のもとだな。
悔しかったら
>オ→範囲が限定されるが
>ホ→Hオで、子音Hによって 範囲が限定されなくなります。
「H]」や「オ」がそういう機能を有することを実証してみなさい。
類例をあげるだけでもよい。
それが出来ないなら、自分でどのように理解し、引用したのかくらい
説明しなさい。
最後に「本人には連絡済(俺は信じないが)」でも、
公の場で引用、参照するのなら資料元を明示するのは常識だと思うぞ。
375 :
太国:2006/03/05(日) 16:49:34
納豆は他県でもあるだろう?
376 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 17:32:17
377 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 17:59:43
>>374『オとホの実証』
母音『ア、イ、ウ、エ、オ』と
『Hア、Hイ、Hウ、Hエ、Hオ』の違いは、排気の量
『オ』の音を出し、口形を変えずにただ、排気の量を広げるだけで『Hオ』の音はだせる。
詰まり、『オとホ』の違いは、排気の範囲が限定されて出る『オ』の音 限定されずに出る『ホ』の違いだ
先ほど出した『鬼』だが
この鬼はたった(一人?)にだけの特定な名詞ではなく、数(範囲)を限定出来ない代名詞
この『鬼』の“かな表示”するとき(『オ』ニ)とした時に矛盾が生じ
範囲を限定しない(『ホ』ニ)としたほうが、音表示は正しい。
378 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 18:14:26
『オとホ』の違い
犬の尾『オ』と舟の帆『ホ』も
・犬の尾は、範囲や長さが限定されるから『オ』
・しかし、舟の帆には、限定されるものが無いので『ホ』を用いる。
ただ
『サ行、ナ行、マ行、ラ行』等はかなり複雑な
共通した『音の法則』がある!
>>376 そのURLはdocomo-iのインデックスだw
>>377 まず、現代のハ行音がいつ頃成立したか考えたことある?
貴方の「今も昔も変わらない」と言う主張は確か別スレで論破されまくってたように思うが。
>先ほど出した『鬼』だが
>この鬼はたった(一人?)にだけの特定な名詞ではなく、数(範囲)を限定出来ない代名詞
>この『鬼』の“かな表示”するとき(『オ』ニ)とした時に矛盾が生じ
>範囲を限定しない(『ホ』ニ)としたほうが、音表示は正しい。
「たった(一人?)にだけの特定な名詞」は「固有名詞」と呼ぶ慣習が日本にはある。
同じく「限定出来ない代名詞」は「普通名詞」と呼ばれることが多いとおもう。
また、[h]音とは無声声門摩擦音と呼ばれ、単母音とは排気の強弱ではなく摩擦の有無で識別される。
で、「排気の範囲が限定され」ると全ての音素について意味の違いが生じるのか?
さらに、語頭に母音が来る固有名詞は存在しないのか?
考えたことあるかのか?
>>388 >犬の尾は、範囲や長さが限定されるから『オ』
>舟の帆には、限定されるものが無いので『ホ』を用いる。
犬の尾も船の帆も無限大のものは無い、それぞれ常識的な大きさ、形を持つものだ。
だから、俺は両者に全く違いを感じない。
他人のパクリでは無く、自分で考えた「理屈」だとしたら、貴方の感性に敬服するw
パクリだとしたら、批判・検証能力無さに敬服しようw
380 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 19:22:03
納豆さん
試しに携帯でアクセスしてからの話し
試したの?
全てパクリかどうかは、貴方なら検証出来る筈
検証したの?
教科書で調べられる範囲では無いと思うので
疑いの目で見れば何時までも平行線
代名詞にしろ普通名詞にしろ、意味の通じない内容では無い筈
普段の会話でも 一々指摘して歩いているのか?
だとしたら
大変疲れるのでレスを控える俺は
前向きで質問には答える積もりだが 揚げ足取りに付き合う気は無い。
381 :
太国:2006/03/05(日) 19:26:21
火遠理命か〜?
382 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 19:55:39
>>379 >〔〕音とは無声声門摩擦と呼ばれ単母音とは排気の強弱ではない、摩擦の有無で識別さる
★それは貴方の実験結果ですか?
今日、図書館の言語大辞典〔角川?〕でそのような事が書いてありました。
しかし、自分の口の中では感じる事が出来ず…
確かに私の基本的な知識は『著書』からの引用が多いですが
事、『音』は
何度も自分で実験し、確認したものです。〔コスト0〕簡単に、引用知識だけで片付けられても!
意味解釈での間違いならいくらでも受け入れますが!
>>369 ええ!プラムって40過ぎてるの?
マジ、背伸びしたい中学生と思ってタYO。
384 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 20:34:28
女から相手にされない不細工が邪馬台国に逃げ込んでるのか
>>380 >試しに携帯で
携帯で見ろ?俺はAUユーザだ。
それにドコモのサイトなら普通にPCで見れるぜ。
ついでに言うと「み」が丸いとかについて貴方には何も尋ねていない。
興味も無いのでパケ代を掛ける気にならない。
>全てパクリか
流して見ただけだが、「パクリ」と認定する。
まさか、100%のコピー以外は「パクリ」じゃないとか言わないでくれよ。
>教科書で調べ
言葉の定義が曖昧だと話が通じないだろう。
こちらが貴方の用語法を理解できても(出来ないときも多い)、
貴方が、こちらの用語法を理解できなけりゃ(出来ない時が多い)しょうがないだろう。
単語の定義は、続く文章への説明なんだから当然だ。
何かもんくが有るのか?
>揚げ足取りに付き合う気は無い
てなこと言って、指摘には一切答えないのねw
何故「排気の範囲が限定され」ると言葉の意味も限定されるのかな?
その前に、「排気の強弱」とやらが「範囲の限定」にどう結びつくのか?
まさか、「尾」と「帆」の訳のわからん話で全て説明しましたとか言わんでくれよ。
犬の尾の範囲が限定されると船の帆になるわけじゃなし。
まあ、疲れたなら応えんでもえーぞ。
単なる煽りに几帳面に付き合う必要は無いからな。
ただな、
>>376-377みたいな内容は「論拠」の提示じゃないぞ。
妄想の根拠をこれまた別の妄想に求めただけの妄想の連鎖だ。
>>382 「無声声門摩擦音」とかの定義は国際音声学会と言うところが行っている。
実証実験で声門の摩擦感を意識してみれば判るだろう。
「排気の強弱」は音素以外の要因を考えた方がよいかな。
それより、なにより、「オニ」と言う言葉が生まれたときの日本語に
[h]音が有ったかどうかは実証不能だが、7〜8世紀の日本語に
その音が無かったことは認めてくれよ。
387 :
太国:2006/03/05(日) 21:12:55
never Kinai
388 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 21:22:50
>7〜8世紀の日本語に
それはどういうことかな?ま、
(はひふへほ)は(あいうえお)と大差無い発音だからな
検討してみるよ!
私見ですが
現在私達が何気なく発している音が、古代の音と掛け離れて来た時期は
(かなもじ)が発明されてからと思いますが
あと 納豆さん
納豆は醤油だけで食べると、納豆そのものの味が体験出来る
390 :
太国:2006/03/05(日) 21:26:41
ポニー・テイル 女性がよくやるヘア・スタイルだね。
391 :
太国:2006/03/05(日) 21:28:55
オニキス? 俺等さんに聞いて。w
392 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/05(日) 21:45:26
ポニーテール
今、少なくなったねぇー
しっかし
パケ代気にしてるなら サイトなんかに近付かなければいいのに?
393 :
太国:2006/03/05(日) 21:48:30
プラムさん、言霊やってるの?内々にして、他方法で勝負したほうがいいですよ。
ついに雑談スレに・・・
>>939太国さん
ヤッパリオープンはダメでした。
貴方の言う通り!
オニキス
姫川で採ったら捕まりますか?
396 :
太国:2006/03/05(日) 23:43:36
プラムさん。だいぶ興奮してませんか?数字間違っているようです。
古代史の真の秘密を握れるのが五十音言霊なんですよ。内々で役立てて下さい。
おおっぴらにしてこいつで論陣を張ってやるのは消極的位にして、少なめ
がよろしいと思います。言語学と言霊とは平行線で一致はまず無いですよ。
あちらは真面目な権威的なる言語学で突いてきますから正面で受けていくのは上手
なら負けないでしょうが、勝つことはその上の論で段々と潰しにこられますから、
三山圧頂の法のように押さえこまれます。一見負けたようになりますよ。
が、しかし、孫悟空が三山を押しのけた如くに古神道は一般の学的連中が葬り去
ることは絶対できないんですよ。負けに見えますがね?そうはならんのですよ。
実際、私がここまで多数のスレで、各連中の論を片っ端から折伏してきたのも
これのおかげです。すこししか言霊関係は出さないで論を張っています。
腹の中というより、頭の中は言霊使用の回転に満ち満ちていますが・・・。w
あなたの論を突いている方は相当実力ある研究家に感じられますので、言語文字
での論は相当達者でも相手はもっと上の研究論で実力ある圧をかけて来ます
からきついですよw 一応方向転換で行きましょう。
言霊がないから今の古代史は、時間の把握は通常は縄文、弥生時代の順でしょう?
古神道の論はいろいろありますが、言霊と数理ですよ。数霊という人もいますが
ヒフミヨ・・・はその典型です。古神道の時代区分は研究から0,1,2,3・・・
と整化されており、一般の古代史のより、洗練されて真の理があります。
だから『1』は一定の神代の期間を表し邪馬壹国の『壹』はここの期間の『1』を
指示してるものです。こんなことは古代の祭政、神道等を無にしたい現今の
考古学、学会的学問では未来永劫出て来ないで闇で終始することになるんですわ。
これらを無にする限り、古代史の真は隋まで、半永久的に暗雲の中なんですよ。w
398 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 00:41:06
>397
おっと、楽しそうな話ですね。
では、3〜4世紀のh音は7〜8世紀、
9〜11世紀あたりでどのように変化して
発音されていたか予測できます?
399 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/06(月) 08:02:08
>>396太国さん了解!
>>397 少し詳しくやりすぎていませんか?
文字の知らない古代人が、そこまで詳しく分析し、物に名前をつけたとはとても考えられないことです。
私が書き記した事でも、詳しく言い過ぎたと思うのですが
いかがでしょう。
焼き畑を行った古代人が、化学式を出し、酸→中性に変化する様子を説明しながら、後世に伝えたとは
とても信じがたいからです
400 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 09:43:48
福岡県前原市の三雲八龍遺跡から出土の伊都の大溝の写真を発表
長さ126m深さ1mが二本もでました。王都の内隔と外隔か?
この写真は今のところ3月2日から7日間しか見られません。今のうちにご覧ください。
(糸島新聞 今週のニュース写真)
このHPには常時、伊都国情報 糸島新聞がリンクしてあります。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~jqi5/yamato/yamatai.html 日本一の巨大な銅鏡、弥生の3種の神器 数千の宝石、宝剣など絢爛豪華な王の遺品出土を見れば、僅か千戸の前原だけの王のはずは有りません。
倭国の王であることは十分考えられます。すなわち伊都は千戸を有する都市で、倭国の首都だったのでしょう
401 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 09:59:33
↑
バカ
>>398 >3〜4世紀のh音は7〜8世紀・・・のように変化して
例えば、卑弥呼の「呼」ですよね。
まあ、わかりません。
同時代資料が倭人伝しかないので、
地名比定などがもう少し進むとかしないと話にならない。
まあ、私がここに出没する理由でもありますが。
>>399 結局、何の根拠も提示しないのですね。
まあ、私は、それでも別にかまいませんが、
私が貴方を笑ったり、哀れんだりするのもかまわないでしょう?
>>402納豆さん
ぜんぜんOKですよ!
それで!
結局三世紀以前の『音』は判っているの?
判っていたらカキコ希望願います。
是非ともバイブルにしたいから
↑
バカw
↑それだけで満足する大バカ
406 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 00:20:20
↑
お前は、大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大
大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大
大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大
大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大
大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大
大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大
大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大
大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大
バカw
407 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/07(火) 00:31:21
↑
カワイソウ 元気出してね
心配になってきた
大丈夫かな 元気だせよ
朝日は平等に明るさをくれるから
ガンバ!
>406
| |‖│||
┌― | |‖│|| ―┬────
| | |‖│|| |
| | | ̄ ̄ ̄
| / ̄ ̄∨ヽ. | |
| / ∨. | |___
| /___________ヽ |バカッ
| / | \/_|ヽ |
| | | ゚| ゑ| \.|
| | | ゚| |\__|つ
| | | ゚| | |
409 :
398:2006/03/07(火) 05:15:35
>402
ふむ、さすが。
確定するなんていう人は信用ならないですからね。
音韻の変化は地方によってもまちまちで、
しかも史料もほとんどないため、
推測のためには地名比定が必要、これが共通認識ですね。
さて、地名も合う、考古学上の遺跡(弥生後期)も
ほとんど見つかっている場所があれば、
どう考えますか?
これは、畿内説、九州説のいかなる説も成功していない
ことだと思いますが。
410 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 05:49:16
本耶馬渓町住人より
田舎です(~_~メ)
411 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 11:58:25
プラムは「終止符」スレで思う存分妄想全開させればいいから
こっちには書き込まないでくれる?
もうすでに悔し紛れの悪口しか書いてないでしょ?今は。
それって思いっきり荒らし行為だし、スレ汚しだよね。
あっちだと圭角氏が相手にしてくれるんだし、最早こっちじゃ誰も構ってくれないよ。
ついでに太国とサガミハラハラも「終止符」にいったらどう?
文献学、言語学、考古学いずれにしても太国の主張は絶対に受け入れられないだろうし
あんたも彼らと議論する気も無いんだろ?だったら無駄じゃん。
あんたはあんたの神サマとと共に人生を過ごせばいいんだし、プラムなんかはそれを受け入れてくれそうじゃん。
サガミは自著の宣伝したいのなら、まず2chは逆効果だと知るべきだね。
これまた「終止符」で思う存分宣伝すればいい。
これに構って君のヒッキーを加えた5人で、心ゆくまでやってください。
あと折を見てヒッキーの乱立させた重複スレに対しては削除以来出しとくから。
邪馬台国関連スレ中、最も低レベルなのがこのスレ。
まあ、楽屋裏の雑談スレという機能があるから、これはこれでいいかも。
目糞,鼻糞
414 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/07(火) 12:30:27
私すでに、「魏志倭人伝」等を読む、と邪馬台国論争に終止符を打つと、九州王朝はなかったか?を中心にかきこんであります。
とても全部に付き合いきれませんです。他はほとんど覗くだけ。
415 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 12:35:20
元は文献や言語解釈なんかでは、当時からトンデモも多かったにせよ、かなり本格的に議論している良スレだったんだよ。
そして古代史もうひとつの側面として「大和朝廷は邪馬台国になったのか?」が
考古学的検証を中心に機能していたわけ。
そのあたりでヒッキーが登場し、かき回し始めたので皆から「うざい、あっち逝け!」と罵倒され
悔し紛れに立てたのが「終止符」ってわけ。
しかし「終止符」も
>>412のいうように、楽屋裏の雑談スレとしては機能していた。
だから基本的に邪馬台国関連は3スレで十分なんだよ。
「終止符」を隔離スレにすれば良いんだし、それによって他の二つがまともに機能しだすだろうしね。
あと太国はスレ違いと言うより、完全に板違い。
オカルト板かせめて宗教板でやるべき話題なのに、何が悔しいのか日本史板にちょっかいをかけてくる。
サガミはそもそも2chに書いていること自体が大きな誤り。
参加費払って発表する講演会や掲載費払って載せて貰う機関紙などのお仲間に聞いてごらん。
「実はワタシ2chにも投稿してるのですが、反応悪いです」ってさ。
たぶんアホだの馬鹿だの気違いだのもう止めとけって内容を、大人の言葉で諭してくれるだろうから。
ここは良スレでしょう。最近プラム氏の根拠の無い主張で荒れておりますが。
とりあえずヒッキーさんのスレは一つか二つに纏めるべき。
削除候補スレ
「【邪馬台国】 謎の4世紀に迫る【大和朝廷】 」
「☆マキムクは邪馬台国でモモソが卑弥呼☆ 」
「【神功】邪馬台国東遷説スレ【応神】 」
「もう1つの邪馬台国、それこそ大和朝廷 」
とりあえずこの4つは確定。
419 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 13:31:14
その当時住吉大神にお参りして
半島出兵してるから、畿内なんじゃないの?
422 :
太国:2006/03/07(火) 17:27:08
>>411 文献学だと〜?殆どが魏志倭人伝と記紀を基としているんではないのか?
まあ、他の文献をこのへんのお詳しい方が、倭人伝だけでは女王国がどこだか
わからぬというご不便さから使っている のは非常にご同情申し上げるがねぇ。w
文献学でもこれらの書は使うんだろう?別に相容れぬほどでもあるまいが。
それに言語学なんとか言っているが、女王国の名称で『壹』の字を使って
いるから、通常ではもうひとつの『臺』と2者択一だから、どっちかが正として
の余の論だから、言語学が相容れないということもあるまい筈だろうが?
それに考古学と言ったって、力学の法則を無視出来ぬ筈だから、やにわに
余の論を受容できないなどとほざくのは、名前は考古学を持って来て
立派だが、まるでデンパ的と言う他はない。なんとなればデンパは基礎の力学
には無関係に畿内から中原まで瞬時に伝達が出来るからな。w まるで機内病者
が渇望するお助けをUFOや魔法の絨毯、プテラノドン、キントウン、Sマーク
に頼まなくても、やり方次第で瞬時に大和の詳細を中原へと到達させてくれる。w
しかしそれでは、ちょっと物足りないだろう。やはり物理学を追加すればデンパ
学もその範疇に入れてもらえるからねぇ〜?。ww
よくよく考えてもみろ、本国の記紀にだ女王国の記事が裸同然に近いというのに
かたや他国遠方の魏志倭人伝にその詳細が滅多やたらと記載されている。
自分の懐内の財布の中身がいくらであるか本人が殆ど知らず、自宅から離れた
本人が食べに行く料理屋の店員がだ、その客(つまり本人)の財布の中身が
いくら入っているか知っていて、しかも万札は幾枚、千円札が幾枚100円が幾個
10円数個とまで熟知している状態なんだよぅ。どうしてなのか?シャーロック・
ホームズがやれそうなこの事を現実として、よ〜く考えてみるんだな。ww
423 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 18:21:33
だからね犬国さん
相容れないのはそれらの学問と邪馬台国や古代史じゃなくて
あんたとあんたのそば(もしくは妄想の中)にいる闇御一人様とやらが学問と相容れないの、解る?
あんたがそのバモイドオキ神もどきの闇御一人様相手ににオナニーしたり
暗闇の大宮司さまのケツの穴掘ったりするのは自由だから、こっちは干渉しない訳よ。
したくもないけどねw
得意の言霊は掲示板では通用しないってことも理解できますか?
あんたは0や1の時代とやらのオナホール使って、独りでやればいいじゃん。
ただ俺たちはそんなもの見たくもないし関わりたくもないので、よそでやってくれって言ってるの。日本語理解デキマスカ?
本来なら板違いだが、どうしても日本史板でオナニーしたいってのなら「終止符」でやってくれって言ってるの。
日本語理解デキマスカ?
出来るだけ簡単かつ直接的な表現をしたから、いくらなんでも犬国さんにも理解できただろうと思うが、念のため。
あ ん た は こ こ に は 必 要 な い 人 間 な の
424 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/07(火) 18:57:59
「九州王朝はなかったのか?10」から来ました。
ここでも、太国さんが何か叫んでいますね。
>>421 本家本元の住吉神社がJR博多駅の近くにありますよ。
425 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/07(火) 19:07:35
>>その当時って、皇后の新羅親征の時のことですか。
どちらの文献に載っているでしょうか。教えてください。
出版する都合がありますのでできるだけ早くお願いいたします。
426 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 19:15:25
三つの住吉
427 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 19:20:17
そうか九州王朝スレでも暴れてるんですか。
大好きさんと主張は違いますが、困り者に悩まされる苦労は皆同じですね。
ところで博多駅近くの住吉大社は縁起書などの文献上ですが
住之江の大社より成立は後ですよ。
ちなみに大阪の住吉大社は現在発掘作業が行われています。
1週間ほど前の新聞記事に中間報告がありましたので、ご参照くださいな。
>>425 サガミハラハラこと後藤幸彦さん
出版する都合も何も、それが人に物を頼む態度ですか?
あなたも早く終止符に行って下さい。
というか、上にもありましたが2chに書くことそのものがマイナスですよ。
428 :
太国:2006/03/07(火) 20:02:36
>>423 お前さん、各女王国関係に結構書き込んでいる有小手版者だろう?
何なら、余のを除いて読み書きしてればいいじゃないのかのぅ〜?w
君は畿内猫者だろう? 余に勝てんから退いてもらいたいんだろうが?君という
畿内猫者は、日本語などと真正面から抜かすなら太と犬の見分けもつかんのか?w
太国氏、あなたの説が正しいかどうかは別として、そのふざけた論調の書き込
みは避けた方がいいと思いますよ。
430 :
太国:2006/03/07(火) 20:11:18
余のことを犬国などと言って日本語がどうのこうのたか文句を垂れて
いるのを聞けば、このぐらい言いたくなる。違うか?
安雲さん、あいつにも「そういうことは良くない。」と言えんのか?
片手落ちだぞ。
431 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 20:12:36
いやコテじゃないけど、たまに書いてる。
誰かに濡れ衣着せるのはいかんな。
そうそう、勝てんから引っ込んでてもらいたいのw
狗国さまにはかないませんわww
432 :
太国:2006/03/07(火) 20:13:17
失礼 安曇さんだ。うっかりの間違いだ。これは〜、謹んでごめん。
略名で失礼します。
433 :
太国:2006/03/07(火) 20:19:13
>>431 なら、堂々と小手版を使えよ。それとも反論の逆襲が怖いのか?
余なんかはその逆襲をかいくぐって幾度も論を展開している。
余だって、からかいのような論は真を言えばやりたくない。
しかし、君のように狗国などと書き込めばなお、からかい論を言いたくなるぞ。
そんなことよりうんと論をかきこめ。聴いてやるし、スレが活性化する。w
まあ、誹謗中傷は両方ともやめましょう。じゃないと漏れみたいになりますよw
435 :
日本@名無史さん:2006/03/07(火) 20:30:30
いやあ、犬おっと狗…これも違う…あっ畜生国さんに垂れるようなご高説は持ち合わせてございませんことよw
あっても聴いていただきたくもありませんわ、おほほ。
でもあなたがどこかに去られたほうがスレは活性化するとわたくし思いますの。
だから終止符という名の檻の中に入って頂戴な、ハウス!
そりゃあ怖いですわ、だって豚国さんに2chって、キチガイに刃物ですもの、おほほほほ。
あんまりやると得意の言霊で、わたくしに不幸をもたらしそうだからそろそろ止めときますかw
それとも式でもお飛ばしになる?
おほほほほほほほほほほほ……
436 :
マルサの女 :2006/03/07(火) 20:31:44
ここは北朝鮮
437 :
太国:2006/03/07(火) 20:35:11
そうとう奴は感情むき出しだなぁ。w
太国さん
もう、野放し状態ですな!
珍しくも太の方に肩入れしたくなるような展開だなw
440 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/07(火) 21:29:26
なかなか鋭いですね。
2chがもっとも効率がいいのですよ。
けど他にいいところがあったら教えてください。
441 :
太国:2006/03/07(火) 21:37:11
これはこれは、ご迷惑をおかけしてあいすみませんな。
あの人は女性ですかねぇ〜?畿内説なら俺等さんが立てているのであちらで
やれば、こちらから反論はひかえるのにねぇ。
確かに少し前にあちらのスレで反論はしたが、直接畿内説に関してのことでは
なかったから、文句ないはずなのに?まあ他へ頼むとかいうことで止めて
しまったですよ。
なんだか、他スレで冬彦だとかゲイ角だとか?これはサガミさんと圭角さんの
ことでょうか?言っている人がいたんですが、余は犬字がついていて、余ほか
お二方への悪口に近いと思いますが、よくないですねぇ。 閑話休題。
サガミさん圭角さん、余が言ったんじゃないですよ。間違わないように願います。
私の知る範囲で
あれほどの荒らしは記憶に有りません。
今度あのような暴言を多投する様なら 私なりに考えてみます。
443 :
圭角:2006/03/08(水) 09:06:45
435さん。
たまには、荒れるのも良いかもしれませんが、名無しさんでは、貴方もしくは貴方の
ご高説が見え難いので、コテハンとかいうものを付けてください。
結局、今回も削除依頼はお蔵入りか。
445 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 13:07:00
プラムのヒッキー重複スレは削除してくれよ。目障りだ。
446 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 13:43:45
↑
自分でやれよ
447 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 13:56:48
↑やだねw
↑
だったら黙ってろ
449 :
日本史@名無し:2006/03/08(水) 14:26:21
ヒッキースレが三つモモソ一つ
どうせあいつの事だからまた新しいの立てるだろうな
451 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 15:00:43
452 :
圭角:2006/03/08(水) 15:25:12
さてと、ところででありますが。
常に伊都国に治す一大卒は、刺史の如きあり、と記されていますが
掛け目無しにこの通り読みますれば、帯方郡太守を上回る権限を有していた
となります。
その理由は、魏の九品官人法においては
刺史が四品、太守がその一つ格下の五品であるからです。
つまり、州の地方長官が刺史であり、郡の地方長官が太守であるからです。
早い話、この一大卒は幽州刺史の毌丘倹に比して勝るとも劣らぬ権勢と
なりますね。そしてまた刺史の如きありということですから、黒岩氏が
主張されていたような軍隊を意味するものでもないことになります。
さらに女王国以北と記してあることからは、小城説においては如何でしょう。
453 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/08(水) 15:47:49
小城は有明海北岸にあります。また佐賀平野の東方には大きな潟湖がありました。
よって女王国の以北とは伊都国のあった多久の北、つまり、北部九州の佐賀平野と
筑後の国のほとんどを除く地域であった(遠賀川流域と豊の国は不明)
とみれます。
454 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 15:52:37
常駐コテは権威が無いとおもわれ。
>>451は学生だな
それも自己責任の取れない未成年 カワイソウナ奴
456 :
日本史@名無し:2006/03/08(水) 15:54:22
トリアーエズ俺が削除依頼出しといたから文句は無いだろ。
457 :
圭角:2006/03/08(水) 15:58:29
魏の地方統治機構組織は州、郡、県で刺史、太守、県令がその官ですから
一大卒が州の刺史の如きありて常に伊都国に治すということの意義は
大きな問題だとあらためて認識しなくてはと思う次第です。
これを畿内説から見た場合、各地説から見た場合のご意見をお聞かせください。
以上、謹んでネタ振りをさせていただきました。拝。
458 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/08(水) 16:07:52
一大率の権限は諸国これを畏憚するほど強力で、太守、県令以上の権限をもつ刺史のようだというわけですね。
459 :
圭角:2006/03/08(水) 16:13:13
そうなりますね。しかし、そうだとすると少し変ですね。
人名くらい記してあってもしかるべきですよね。
魏の帯方郡の統治を誇張したものと見た方が自然な解釈でしょうか。
460 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/08(水) 16:24:17
私はある不良で投稿をのせてくれる雑誌に、卑弥呼後の男王は一大率が強引に王位について、
魏使はそれを承認した。という論文を出し採用されました。その後混乱が起き男王が廃された
ことから、男王を承認した魏使は面目がなく、名前とか詳細をしるさなかったのではないでしょうか。
男王は一大率のとき威張りくさって皆から嫌われていたので国中ふくさなかったのです。
461 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/08(水) 16:25:51
訂正お願いします。
>>460の不良は無料のあやまりです。
462 :
したたかな女:2006/03/08(水) 16:29:20
浅野ゆう子・・・・・・・・・・・・・・・・卑弥呼
浅野温子・・・・・・・・・・・・・・・・・月光院
篠ひろこ・・・・・・・・・・・・・・・・・天英院
桜田淳子・・・・・・・・・・・・・・・・・統一教会の王妃
463 :
圭角:2006/03/08(水) 16:30:44
なるほど、傾聴検討に値するご見解と承っておきます。拝
464 :
圭角:2006/03/08(水) 16:39:48
463はサガミさんへですが、付録として、したたかな女さまへも捧げましょう。
465 :
エリザベータ:2006/03/08(水) 16:41:00
王家に捧ぐ歌
466 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 21:33:21
サガミハラの妄想を垂れ流しするようならそりゃ不良な雑誌だわw
467 :
圭角:2006/03/09(木) 08:56:47
サガミさん、一大卒が王になったという可能性は否定し得ませんが
郡使もしくは帯方郡庁の太守がこれを承認したとするのは無理な解釈ではないですか。
理由は、そもそも郡使がこれを承認する権限はありません。なぜなら、
倭に来訪している郡の使いの官位は九品にも入らぬ流外と呼称された下級官吏です。
さらにまた、太守は五品でありますが、帝の詔勅をもって任ずる官位です。
468 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/09(木) 10:48:26
神武は天武をモデルに作った架空の人物でしょ。
神功皇后は斎明女帝がモデルです。
記紀はほとんど嘘っぱちですよ。
469 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 11:30:37
ヒッキ―くん、そのような見解は一昔前の考え方ですよ。
470 :
太国:2006/03/09(木) 11:32:02
471 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 11:32:51
ヒッキ―くん、そのような見解は一昔前の考え方ですよ。
472 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 11:34:38
>>471は送信に失敗して二重になってしまいました。
473 :
16さい中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/09(木) 12:41:25
誉田真若と邪馬台国女王の子供が応神なのです
474 :
16さい中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/09(木) 13:06:33
そうでなくても婚姻関係による崇神王朝と邪馬台国の融合があったはずです
475 :
私はマリー・アントワネット:2006/03/09(木) 13:42:58
崇神王朝は浅野ゆう子が王妃で五十嵐淳子が公称愛人で決まり!
476 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 18:32:26
477 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 18:40:45
五十代
478 :
寧々:2006/03/09(木) 19:21:24
五十嵐淳子も浅野ゆう子もダメなら。これしかない!安田成美を養女にして卑弥呼の後継ぎに決定しよう
479 :
三角@名無史:2006/03/09(木) 20:47:37
都城説とか、串間説はどうなのかな?最近、本屋さんでみかけたけど
480 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 21:07:39
481 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 21:34:14
女優を書いているのは年代的にプラムだろ?
畿内説スレにも出没しているがw
482 :
千代:2006/03/09(木) 21:40:05
斉藤慶子に女王になっていただこう!浅野ゆう子がダメなら。
↑
興味無し
この手の趣味は五十代団塊弱
ごめんな
今日はあっちが忙しくてこっちのスレ迄かまってられない。
なにぶんネタふりした手前逃げられん。
後で構ってあげるね
484 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 22:32:09
あっちが忙しくってって、やっぱり畿内説スレの煽りはプラムだろw
今日は少しはまともな議論なんだ 滅多にやらない
考古談議 じゃまするなよ!
486 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 23:30:30
畿内説スレ見たがどう見ても推定プラムのレスは煽りが多く、まともではないがw
プラムにしては、まともなのかw
487 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/10(金) 11:40:46
神武のモデルとなった人物はおそらくBC1〜AD1世紀に
いたでしょう。それは邪馬台国出身の人物で畿内物部王朝に
婿入りした人物です。それが神武東征とやらでしょうw
そして神武東征の出発点である日向〜宇佐あたりがやはり邪馬台国です。
壱与の後の邪馬台国は、畿内王朝の血筋が仲哀で絶えたので
邪馬台国の応神を婿入りの形で畿内政権の王にしたのでしょう。
元々同族ですしね。ここで九州・畿内は完全に融合。
ようは九州も邪馬台国だったし、畿内も邪馬台国だったというわけですね。
倭人伝は倭人伝の中で解決出来、倭人伝の中には足りないものはありません。
489 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 05:40:23
邪馬台国が政治の中心であったとは限らないのでは?
例えば鎌倉時代や江戸時代でも、首都は京都だったわけで。
490 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 10:16:38
↑
んなも誰も知らん。誰も解らん。
491 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/13(月) 10:44:08
>489
そのとおりです。
その当時の日本の中心は畿内マキムクであったのでしょうが
九州は邪馬台国を中心にまとまっていた。ただそれだけの話ですw
492 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:39:45
自演乙
お前ら偽史倭人伝なんかまだ読んでんの?
あんな距離も正確に示せない中華史書のどこが
参考になるんだよ(w
とりあえず妄想爆発させときます。
107年、帥升が後漢に朝貢して以来、中原の国家と倭人の国家の交渉が途絶え
た。そして日本列島内で、前々から続いていた緊張関係が壊れ、大規模な戦
闘が起こった。これが「倭国乱」そんな中で巻向政権が力を伸ばし、九州の
文化は発達しているのに国土が狭い国々に、「連衡」しようと呼びかけた。
この時点ではまだ「天下統一」のような概念は存在しない。
なぜ巻向政権が力を伸ばしたか。それは「鉄」だと思われる。学生社の「三輪
山の考古学」に書いてあるので詳細はカット。
とりあえず九州の王たちと同盟を結ぶことに成功した巻向勢力は、同盟諸国の
シンボルとして女性の「卑弥呼」を擁立した。しかし実際に「王」だったのは
弟の方。そして景初年間に公孫の滅亡を知った邪馬台国連合は使者を魏に派遣
する。そして正始元年に魏の使者テイシュンが「邪馬台国」に到着。親魏倭王
の金印を授ける。そして多くの宝物もこの時到着。
496 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 12:41:53
んな妄想いらんて。
他でやってくれよ。
実際に王だったのは卑弥呼。
そして朝鮮半島の動乱と動きをあわせるように邪馬台国連合と狗奴国との戦闘
が激化する。おそらく狗奴国は九州の勢力で、球磨川流域の国家だと思われる
。しかしあくまで九州の中の戦闘で、本州勢力は密かにほくそ笑んでいる。そ
んな情勢の中張政等が到着するも、卑弥呼は老衰で病死する。そして男王を連
合のシンボルとして擁立する。しかし男王は九州勢力の大きな後押しを受けて
即位したので、あくまで九州勢力の影響を排除したい邪馬台国の在地の豪族層
が戦闘を起こし、男王側にあくまで「邪馬台国」一国の王であることを承認さ
せ、連合のシンボルとして「台与」を擁立。魏の使者は台与を告諭した後帰還
。そして台与は狗奴国を討つためと称して九州に大軍を送り込む。
>>496 須磨楚。言葉足りませんでした。卑弥呼は「連合」を纏める王。弟は「
邪馬台国」の王。
499 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 12:46:22
巻向勢力と鉄について詳細希望
先に九州勢力の王が降格されたことを知っていた北部九州の有力な勢力
は宝物を献上することで和解しようとする。台与は今九州と戦闘を起こ
すのはまずいと思い、和解する。
妄想終わり。スレ汚し須磨楚。
501 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/15(水) 12:58:27
>>499 河上邦彦さんが述べておられるのですが、三輪山付近の狭井川には今で
も砂鉄があり、どっかの研究所で調べてもらったら、その狭井川の鉄は
九十七%の非常に良質な鉄だそうです。また、桜井市の教育委員会が穴
師の近くで発掘をしたところ、四世紀の包含層からスラグという鉄を造
る時に出るくずのような物が出ているそうです。詳しくは
>>495の前二
行に書いてある本を参照してください。
502 :
圭角:2006/03/15(水) 13:02:35
安曇さんに一言。球磨川流域は現在も民家が建っていることすら困難な地形
です。多分、安曇さんは人吉盆地を想定なさっているのかもしれませんが、
他の地域とは隔絶した地理地形です。行ってみられるのが一番ですが、
西南戦役で薩摩軍が一時期この人吉に潜伏集結した史実からもご理解賜るかと
存じます次第です。
それから、鉄に関しては奥野正雄氏の著書もご参考になされるべきかと。
503 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/15(水) 13:09:08
>>502 他の地域から隔絶してるからこそ、一国で連合に対抗できる国家があっ
たと考えたのですが、どうでしょうか?奥野氏の著作で何を参考にすれ
ばよろしいでしょうか?できれば教えてください。
504 :
圭角:2006/03/15(水) 13:31:14
安曇さんに早速ご返信申し上げます。
人吉盆地は私の住む熊本県におきまして熊本市から当地に至る交通は
現在では高速道路があるから容易に行けますが、以前は八代市から球磨川沿いに
造られた、それもしばしば崖が崩落して通行止めは頻繁というものでした。
今、耳目を集めている川辺川の最上流地帯は現在でも危険な道路とされており
現代の土木技術を以ってやっとできた道です。
しかも土砂崩れで頻繁に通行止めになります。
球磨川流域を八代市から人吉市に至る国道におきましては、かくなる警察の
看板表示がありました。事故起こすな。病院は遠い。命助からぬ。
邪馬台国が北部九州の何処さらには筑後川以南とした場合におきましても
この人吉盆地から兵を出して邪馬台国に攻め入ることなど、到底不可能で
現実味がゼロということは現地に行かれると一目瞭然なのです。
百聞はいや百文は一見に如かず、ということ実感なさいますでしょう。
505 :
圭角:2006/03/15(水) 13:39:44
安曇さんに追伸。
奥野正男氏著 鉄の古代史 弥生時代 古墳時代 白水社
古代の鉄を語るときの良著かつ大著です。
謹んで推薦申し上げます。
図書館には必ずある本ですし、本屋にも在庫はある本です。
506 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/15(水) 13:41:44
そうですか・・・現地に行ったことは無いので圭角氏のレス、非常に参
考になりました。有り難う御座います。ただ、劉邦の故事があるので簡
単に「攻め入るということはあり得ない」というのは言い切れないかと
。
507 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/15(水) 13:43:38
>>505 有り難う御座います。最近金欠なので、金に余裕ができたら購入したい
と思います。
508 :
圭角:2006/03/15(水) 13:51:25
安曇さん、もう一言書き忘れておりました。
球磨川という川は、人吉盆地を出ると八代海に出るが出るまで両側はずっとずっと
急峻な山地なのです。
このような形態の川を私は他に知りません。初めて見たときはびっくりでした。
509 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/15(水) 13:52:50
大学生にでもなったら逝ってみましょうかね。球磨川。
510 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 14:13:38
狗奴は薩摩にあったのでないか
川内川の河口か大口盆地あたりを想像するが
狗奴が邪馬台を攻めるとすれば地形からみても水軍を使っただろう
天草あたりを橋頭堡にして一気に攻めこんだのではないか
511 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 14:41:18
狗奴国は、畿内以東に有ったとするのが定説。
主に東海地方、濃美平野など。
通説・定説と言っとけば絡むヤシいないからな
ハッタリ の同囲碁
514 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 15:58:23
515 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 16:06:46
>>512 通説・定説をよく使用する奴には気をつけろ
516 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 17:19:56
通説、定説も知らない無知な奴がなに言ってんだか
517 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 18:15:36
>>511 当時の濃尾平野や東海地方に邪馬台かそれ以上の小国家連合があった可能性は否定しないが
南は南
東を南と間違っていたなどという人間は古代人を馬鹿にしすぎではないのか
方角だけでなく国名にもやや乱れが・・・奴国が2つあるかの様な。
翰苑にある伊邪分国のようなものかもしれないが
519 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 18:39:53
倭人の寿命について
其の人=倭人、長生きする人では、80から90歳、時には100歳もいる。
と読む説も有力。
520 :
1001:2006/03/16(木) 18:36:19
『狗奴國東海説』と言うのは、前方後方墳が多く造られた地域なので、
前方後円墳の中心、畿内とは、あたかも対立が有ったかのように見える
と言う発想から生まれたと思います。
支持者も多いですが、別に『定説』と言えるほどじゃないですよね。
纏向を見ても東海と対立が有ったわけじゃ無さそうだし。
521 :
”女王墓”公園完成オープンのお知らせ:2006/03/16(木) 18:46:52
どうも偏見スレは水が合わないので “元の巣”に帰って来ました。
ヨロシクです。
倭人伝の文中で何がしかの移動手段(渡や行)が書かれていないのは
狗奴国を除けば『奴國』だけです。
その前の伊都国文中最後に【郡使往来常所註】と、締めてますので明らかに、郡使行程記事の終了を表すものでしょう。
※【郡より伊都国入口迄、萬五百餘里】
女王の都探しは
奴國を起点に考察しなければならない
奴国(ナ)は
古代、中・那珂(ナカ)国であり儺縣 現在の博多一帯と思われ、邪馬台国の経済産業の中心的存在
【地理的位置関係】
東に不彌国
西に伊都国
南に投馬国
北に烏奴国
>>523 伊都までの路程、別に境界線までの距離だと決め付けるのはどうかと。
普通に考えれば、行程の始点から終点までの距離かと読める。
どうしても、そう読まなければいけなう理由
(自説の都合、他の類例とか)を提示しないと
他人には『何でそうなるの?』と言う困惑しか与えませんよ。
その辺を改善しないと、いくらスレッドを変えたところで、
貴男に対する他のユーザの態度は変わりませんよ。
私の言わんとするところが理解できるかどうか判りませんけどねw
>>425 『至』と『到』の解釈に有ると考えます。
では、貴方は何故
境界接点に疑問を感じたのですか?
失礼した
>>525でしたね
『到』とは⇒着点であり
行程する範囲が同じ場合、何らかの接点を表す場合に用いるのでは!その接点とは、
詰まり
行動範囲が『海』なら、その接点は海上に有る境界であり
『陸』なら他地域との境界線上が接点になります。
『至』とは
行程する範囲が同じで『到』とは違う『着点を定めない』目的範囲の事です。
どうして皆さんは
起点から着点までと単純に…?
それでは『到と至』の違いの説明が不十分です。
一般的に使用される
始点A駅から着点B駅への時に使う『至』には明確に着点B駅という到着地を“点”としてとらえる事が可能だが
魏志倭人伝のような大まかに書かれた文章地図では、到着地を“点”で表すことは逆に矛盾を生じる
そういう場合“点”を、その“点”と共有しあう“面”(着点地を定めない範囲)ととらえる方が、古代史書に関しては
より合理的な考えであり尚且つ適切な解釈と考えます。
>>526-528 長文の「解説」をどうも。
しかし、
>『到』とは⇒着点であり
>行程する範囲が同じ場合、何らかの接点を表す場合に用いるのでは!
>『至』とは
>行程する範囲が同じで『到』とは違う『着点を定めない』目的範囲の事です。
とかは、貴方が何故そう思うのか、説明もありませんし、当方は全く理解できません。
更には、「何らかの接点」とやらが「境界線」でなければならない理由も不明です。
貴方の論理に従って考えた場合でも、「國」の中心=滞在地=路程上の「接点」と
捉えて「字義」の解釈上、何も問題は無いと思えますがw
因みに私の字義解釈は、
『至』とは鳥が地面に舞い降りた瞬間の姿が字源です。
字義は、字体が示すように或るところに「至る」ということ。
『到』は、それに音を示すリットウを加えたもの。
『至』との字義上の差異は、『至』が或る点に至った状態を表し、
『到』の方は、もう少し動的な表現で、目的に達する行為そのもを示すです。
用例) 漢書から 『高帝先至平城、歩兵未盡到』
高帝先に平城に至るも、歩兵未だ到り尽せず。
>>529さん
『至・到』も
やはり一つだけの定型意味解釈だけでは説明出来ない事例も多々有るかと…
魏志倭人伝地理志などは『国』と『国』を結ぶ役目として使用されており
駅と駅のポイントではないことが大きな理由です。
『点と点』なら
>>529さんの申される使用例で十分でしょうが
『面と面』を対象に使用する場合は不都合かと
貴方の文例は『城』という特定出来る『点』に於ける使用解釈かと考えます。
『壱岐や伊都』を文中からから港や中心地『点』を割り出す事は不可能かと
文献史学に考古学史料を使うことは出来ませんから
…
私のやろうとしているものは、古代史ではなくどちらかと言うと文献史学の分類かと思います。
『かと言って詳しく語る事は出来ませんが!』
皆さんとうまくコミュニケーションをとるこが出来ないのもその辺りかと
だから説明も中途半端になり『根拠のない妄想』と
ここに、考古学の物証なりを提示出来れば
それなりの仮説へと発展するのでしょうが、
あくまで文献の範疇で納めたいと考えていますので…
文献には唐津も呼子も松浦もなく『末盧国』ですので、そのギャップが
どうしても埋める事が出来ません。
【東南陸行五百里到伊都国】
この文中から前原付近を探し出すことは不可能でしょうし、編纂者もそれを目的に書いてないことも明らかです。
(伊都国と言う『面』に対しては書いたが、前原という『点』では書かなかった) 違いますか?
それを現代的な『到や至』の意味解釈を当て嵌めた所で、望むような結果が得られないのは当然の結果と思います。
※倭人伝には倭人伝に合った意味解釈するのが
『古代史書地理志』に対する正しい読み方ではないでしょうか!
それを全て定型の一本調子の意味解釈を当て嵌める行為は 間違いと考えます。
『到』ですが
末盧国の様子を文中から探れば【草木茂盛行不見前人】さすれば
港から伊都へ行ける道は一本道と考えられます。
※東南に延びる一本道を500里歩くと伊都に『着く』 この『着く』が『到』です
『到』は“点”表示ですので、その点を文中から探れるのが、一本道と『末盧と伊都』の境界が交わる交点ではないでしょうか?
その『交点』は
※末盧国港(起点)から五百里歩いた地点に有りますよ! と、解釈できます。
交点の先は全て『伊都国領』ですから
郡からの使者が
現地の役人抜きで行動したとは考えられませんので
535 :
圭角:2006/03/18(土) 12:15:38
プラムさん、こちらにいらっしゃいましたか。
例のスレにプラムさんへ返信しておきましたので、よければ見てください。
ところで、松浦市や唐津市や呼子を昨年あらためて旅行して来たのですが
自分の実感など、なんの根拠参考にもならぬことは、百も承知なのですが
やはり、行程としては唐津が末盧国だろうと、思ってしまう次第なのです。
末盧国は確かにそんざいした。が、
陳寿は、国の所在と里程を併せて記したことを以って、判り難い記事記述となったと
解しています。わたしは、草木繁茂不見前人、という状況判断にて郡使は常に船にて
伊都国へ到着した。なれど、クニの位置関係を記すために、かく記したと考えます。
というのも、当時、松浦市に上陸して呼子あたりを経由して、唐津に至りさらに
糸島へ至るという遠回りな実に難儀な悪路というよりも獣道を歩かねばならぬという
必然性を見出すことが可能とはとても思えないからです。
今だって、ほんとに悪路なんですから。
536 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 12:20:37
天皇が神の国から天下り日本を統一した。文献にもそうはっきり書かれている。
ついでに日本よりはるかに遅れていた南朝鮮を軽く平定して支配した。朝鮮に日本式古墳が多数あるので物証も十分だ。
>>535 圭角さん
圭角さんが言わんとしていることは十分理解できます。
つい先日までは私も同じ考えでしたので
しかし
私は古代史全般で邪馬台国考察を行う事を中止しました。
そしてもう一度原点に戻り、文献のみの(各倭伝中心)考察を心みてる次第です。
今の私の頭の中には
前原や唐津等は一切有りません。有るのは
末盧や伊都です。
538 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 16:13:49
>>536 高天原は朝鮮半島のことじゃないのかなあ?
半島の戦乱を避けて北部九州に移住してきた集団があった
それが天孫ニニギの降臨神話のもとになったんじゃないか?
俺は彼らの住みついた土地こそがのちの伊都国になったんじゃないかと思ってるけど
あの辺はカフリ、セブリ、サワラといった朝鮮語みたいな地名多いし、カヤ山っていう綺麗な山もある
のちの倭が新羅を攻めたり、新羅王に妃を要求したりして半島より優位にあったのは事実だと思うけど
たまたまの偶然だろうけど伊都国の官の爾支とニニギって音が似てるよね
539 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 17:25:05
俺は北九州が高天原で天下ったのが日向と想像。
時の中原の皇帝から金印とか貰ったり
吉野ヶ里クラス以上の集落がほかにも色々あったと妄想。
540 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 17:27:33
>>534 それで一連のご説明は終わりですか?
言いたいことは、「少しだけ」は判りました(溜息)
貴方のレスの中で気になる点を二つほど。
>どちらかと言うと文献史学の分類
>考古学の物証なりを提示出来れば
文献なら文献で証拠を出せば善いこと。
先ずはその努力をしましょうよ。
「妄想」は誰にでもあります。
ある「妄想」浮かんだら、先ずは、それが正しいかどうか確認しましょう。
ある単語が、ある時期にどのような意味で使われていたか調べてみましょう。
そして、一つの「妄想」の検証を終えてから次の「妄想」に挑んだら如何ですかね。
>現代的な『到や至』の意味解釈を
>倭人伝には倭人伝に合った意味解釈するのが
他人は「現代的」な解釈しかできず、貴方は「編纂時」の考え方できると、
そう言う主張としか取れませんが・・・これも何か根拠があってのことですかw
542 :
16さい中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/18(土) 17:53:30
全部妄想
毎日妄想
技術の研究ならともかく邪馬台国研究など一円にもならんし世の中の発展にも寄与しない
>>541さん
ありがとうございます。
以後努力していくしだいです。
そして
貴方の質問にもしっかり答えられるよう
纏めて後ほどお答え致しますので、それまでしばし
時間をいただきたく思います。
544 :
日本@名無史さん:2006/03/18(土) 18:38:13
★★ 朝鮮民族の先祖はワイ族だった!! ★★
最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
『2ちゃんねる』の日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。
もちろん、すべてデタラメであるが。
朝鮮人はフヨ人ではない。フヨ人の子孫でもない。フヨ人に征服された民族が、朝鮮人である。
高句麗およびその後継国=渤海国はフヨ人の国である。また918年に建国された高麗もフヨ人の国である。
そして、フヨ人とは満州民族であって、朝鮮民族ではないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)でもない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、現在の韓国の江原道地方(ソウルの東方地域)に住んでいた少数部族であるが、
高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に南下して、日本領=シラキに移住した。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を
乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
おもしろいのは、韓国の歴史学者や政治家たちは、朝鮮民族の先祖について語るとき、フヨ人や韓人に
ついては積極的に語るが、このワイ族については語ろうとしないことである。
おそらく、韓国朝鮮人は、自分たちの先祖がワイ族であることに、うすうす気づいているのだろう。
ワイ族のワイ(穢)には、「汚い」「ケガレている」という意味がある。
このような名前の部族が朝鮮民族の先祖だとは、認めたくないのだろう。
彼らは、楽浪=帯方郡を支配していた中国人から、そのように名付けられた部族なのである。
朝鮮民族は、けしてフヨ人ではないのである。
もちろん、倭人=日本人でもない。
ウィキぺディアなどで、朝鮮人の工作員が、
「ワイ族は扶余族だ。ワイ族が改名して扶余族になった。高句麗人も百済人も、みんなワイ族だ!日本人もワイ族だ!」
と、宣伝しているが、大ウソなので、騙されないように。
545 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/18(土) 18:47:45
>>541さん
お聞きしたいのですが?
『男王』の解釈をお教え下さい。
>>545 >『男王』の解釈をお教え下さい。
そのようなことを行き成り質されても、何を応えてよいのか解りかねますが。
『男王』について、何か語りたいこと、尋ねたいことが有るのなら、
先ずは、その目的や必要性、自身の考え等をそれなりに説明してくれなければ
対応のしようがないでしょうに。
多数の人間が利用する掲示板です。
貴方の意思がちゃんと判るような書き方をしてもらわないと
他人から見れば只のゴミレスにしかなりませんからね。
因みに『男王』とは『男性の王』ですw
>>546 ありがとうございます。
確かにそうですね
申し訳ない!
ついつい掲示板で有ることを忘れてしまうもので
『男王』の件ですが
『女王』と言う対語が記されているため 改めて『男王』と『男』の文字を使用しなくとも『王』だけで十分理解出来るのでは、と思い
お聞きした次第で
この倭人伝にはもう一つ『男弟』という奇妙な単語が存在します。
>>547 私は『男王』には何も違和感はありません。
「王」でも意味は通じますが、「女王」に対するからつられて「男王」なのだと思います。
西に対して東、山に対して河、中国では、こう言う対語表現は多いじゃないですか。
『男弟』の方は珍しい表現ですね。
探して見たら、西晋・皇甫謐の列女伝で「趙娥」と言う「列女」の弟達を
「男弟三人」と表現したものがありました。
これは「列女」に対しての「男弟」なのでしょう。
倭人伝の「男弟」も「女王」に対するからなのでしょう。
>>548さん
ご意見承りました。
ところで『至』ですが
⇒(鳥が飛び下つて地に着く)ですが
対象物が「鳥」であり「駅」とは違い着地するポイントを定める事が困難で
着地地は「点」ではなく「範囲」となります。
よって
「至」⇒目的とする範囲
との、解釈に違和感は有りません。
…大漢和辞典参照…
何で「至」の意味に鳥が関わっているんでしょうか?旺文社刊の漢和辞典によ
れば「至」は矢が地面にささる様子を表している象形文字がルーツだそうです
。
「矢」も同じです。
予想出来ない着地地点ですから
>>549 私の「至」と「到」の違いについて誤解があるようなので補足。
両字ともに相手が点でも面でも使えます。
ニュアンスの違いは英語で言えば「reach」と「arrive」の差くらいでしょう。
「到(目的地に着く)」の方が「至(単なる対象に届く)より
相手への指向性が高いわけです。
貴方の考えについて判らないのは「到」と「至」の解釈ではありません。
何故、対象地が「伊都」だと「点」で「奴」や「不彌」だと「面」になるのか、
「到と至」を「点と面」で使い分けた証拠(類例)があるか・・・その辺りですね。
どっかのスレでご説明済みかもしれませんがね。
>>552さん
『到』の文字使用は
@【到其北岸狗邪韓国】
A【東南陸行五百里到】
の二カ所です。
@は、倭領域の最初のポイント
Aは、郡使行程地理志最終地
だから「到=点」が重要になるのです。
因みに、この地理志に連続性のないことは『…郡至倭…』の使用で、編纂者が示しています。
では
>>552さんの
伊都国の(到=目的地)とは何処でしょうか?
>>553 その説明では「到(目的地へ)」、「至(経過地へ)」と言う私の解釈には適合しても
貴方の「点(中心へ)」と「面(領域の境へ)」による使い分け説には不適かと・・・・
>>554 ”伊都国の(到=目的地)とは何処でしょうか”
具体的な場所は、文脈上、特に意識されてないんじゃないですか?
とりあえずの目的地は伊都の宿泊地かも知れませんがw
>>555さん
>特に目的地は意識されてない。
★そうですね!
意識どころか特定する事など文章上不可能です。
でも、地理的『到』は目的着点を表す文字ですので
この矛盾を理論付けしなければ文章にはなりません。
だから末盧の港から五百里(五百余里ではない)進んだ(道と国境)が交わる『交点』が
(到の目的着点)になるのです。
※距離の掲示には必ず『始点と着点』が存在する
当時領土の狭い九州で、国境が接してた可能性については議論なしですか?
安曇さん
どういう意味?
末盧と伊都は隣でしょ!
須磨楚。電波出しますた。
でもどうして国境が目的地になるんでしょうか?伊都国の中心が国境にあった
のならわかりますが・・・
>>557 目的が「伊都國」に行くと言うことは間違いないわけですね。
貴方の説のように書き手が「伊都」を面として認識していたと仮定しても
その領域の端(国境?)に着いただけで目的を達成したことになるのですか?
そこで帯方からの旅は終了なんですかw
そこから先は、モンスターも山賊も出てこない平穏な行程だとしても
中心部まで進んでくれなけりゃ読者は納得しませんよぉw
>>560-561 >読者が納得しない
『到伊都國』
これだけの文字に“一本の道”
ここから宿泊地や中心地を見つける事の出来る人はいませんよ!
でも そういう性質の文献から到『点』を探しだせる地点が交接点なのです。
>>562 何千里の行程の説明で国境線通過云々にこだわる方も少ないですけどね。
点やら面やらの議論でややこしいですが疑問点を解と来ますね。
@なぜ郡使が常にとどまるようなところなのに中心地に行かずに国境地帯が目
的地になるのか(伊都国)
A到るには「極限に達する」という意味があるのに、伊都国においては極限ど
ころか「入り口」で止まってしまう。これはなぜか。
B蛇足だが、伊都国において郡の使いが止まったとは考えにくい。
根拠:正始元年条のテイシュンが倭国に行き、倭王に宝物・詔書をもたらした
。そして倭王は上表して詔恩を答謝したとある。そして倭人伝の前半部分に
邪馬台国は女王が都としているところだと書いてある。普通に考えれば都から
女王が移動するとは考えにくい。
安曇さんの質問に答える前に、伊都国の中心的地は何処ですか?
>>563 距離を掲示するには始点と着点が必要な事は判りますよね!
すると
末盧の港を(始点)とするとき、(着点)である伊都国の何処に定めるのですか?
>>564 >中心部って何処ですか?
私は別に書き手が「伊都」を点とか面とか意識したとは解していないので
何ですが・・・・「三雲」とかの固有名詞を出せばよいのですか?
私の疑問は貴方が伊都の国境到着にこだわるを点ですね。
まあ、こだわっちゃいけない理由もありませんので構わないんですけどね。
>>565 >伊都国において郡の使いが止まったとは考えにくい。
横レスですが、私は梯儁や張政の遣使と「郡使往來常所駐」の言う郡使は
別物だと考えています。
両名とも郡吏で直接的には太守の命で派遣されているので「郡使」と言えな
くもないのですが、皇帝からの詔書や印綬・黄幢を携えての使節ですから、
「勅使」でもありますね。
伊都に往来し駐ることが常だった「郡使」とは、帯方郡独自レベルの通交に
より派遣されてきたものだと思えるのです。
三雲番上で生活用楽浪土器が多数出土するように、ある程度定住化が
進んでいた漢人の保護などが任務だったのでしょう。
安曇さん
Bの考えは同じですよ!
ただし 限られた人数だけでしょうけど
後の一般役人は【郡使往来常所註】
伊都より先は許可制(これは想像ですが)
>>567 >末盧の港を(始点)とするとき、
>(着点)である伊都国の何処に定めるのですか?
私が行程記事の書き手であればの話ですが・・・
末盧の中の「港」と言う「始点」を示していないのに
「着点」だけ示すような書き方はしませんよ。
貴方の考えでは「末盧」は単なる「面」で、
特定の「港」のことじゃないわけでしょう。
末盧も伊都も点(面でも構わないですよ)なら
読み手は頭を捻らずに理解できるんですけどね。
>>568 >三雲?
★その認識を捨てない限り「到」の意味は判らないと思います。
魏志倭人伝にしろ他の史書にしろ 書いて有るのは『伊都国』だけですから
(三雲も平原も前原も唐津)も史書には存在しません。
そういう世界に『到と至』は存在しているのです。
>>570 水行から陸行に代わる場所が 次の行動の始点です。
それが違うというのなら
私の思考外なのでゴメンナサイ!
>>571-572 >水行から陸行に代わる場所が 次の行動の始点です
じゃ、末盧も港に「到」ると書いてあれば完璧でしたねw
と言うか、
行程記事の書き手も当時の読み手も現代の読み手である私も
末盧や伊都や奴や不彌は同じ行程上の概念なので、
点になったり面になったり、はたまた面の中の点になったりするような
面倒な存在にはしたくないですよ。
>>573 あのね
水行から陸行に またその逆も その時点で『点』と理解できるわけ
だからワザワザ『到』の文字など使用しなくて大丈夫
貴方がどう受けとろう構わないけど
もう一度自分の認識している『到と至』は
何処から仕入れた物であるか考えるのもいいかも
>>574 >『到と至』は
>何処から仕入れた物であるか
漢書とか史記とかからですw
>>575 『漢書や史記』とは勉強家ですね! すごい!
でも?どうして目の前の倭人伝から学ばないのです。漢書の中の『到と至』
倭人伝の中の『到と至』では、設定背景が違い過ぎると思うので
自ずと意味解釈はズレてくるのではないでしょうか?
>>576 ちゃんと三国志も読んでますよ。
三国志では、次のような「到」の用例もあります。
呉史魯粛伝) 會瑜已徙肅母『到』呉 肅具以状語瑜
私訳) その時、(周)瑜は(魯)粛母に従い『呉』に『到』り、粛は瑜に詳状を語たる。
この文中で周瑜と魯粛は『呉』とのは国境線で出会ったわけではありません。
周瑜は魯粛の母とともに呉の地に到り、おそらくは粛の屋敷で詳状を語たったのでしょう。
>>577 おはよう
貴方の出された『三国志』からの引用文では 地理志に使われている『到』の説明は出来ません
『到』には(到着する)だけではなく様々な意味が用意されていますから
すくなくとも地理志に使用されたものを…
梁書には『至伊都国』と書かれており これなんか
『到と至』の使い方のお手本では
おはやうございます。早速ですがプラム氏に
>>565のAについて答えてもらい
たいのですが。
安曇さん おはよう
仕事が一段落したらカキコしておきます。
安曇さんのAへの回答
※(極限〜)
ちゃんと通常郡使の最終目的地(極限地)伊都国までの距離萬五百余里が
安曇さんは極限地が何処なら納得するのです?
582 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/20(月) 11:27:42
>>581 「極限」が伊都国の国境の位置だとは到底考えにくく、なるべく伊都国の中心
地まで行ったと考えたいのです。行程記事の元になる報告書を書いた使者は、
国境において留まることを目的にはしてないでしょう。
>>582 安曇さん
その中心的な地が書いて有れば、安曇さんの言う通りです。
しかし、カキコしていないのが事実です
編纂者にすればそんな事書く必要性もないのでは?
だから伊都国の最後に【郡使往来常所駐】なのでしょう。
『到』⇒境界接点は、倭人伝特有の意味解釈
これは『至』とセットになるからこそ 理解出来るのです。
>>582安曇さん
梁書や北史の倭伝がきっと参考になるよ。
魏志倭人伝で考えた事の応用がこの二つの史書で通用すれば 倭人伝での考えが間違ってないからだよ!
梁書や北史の入手は難しいですね・・・もう反論の材料が無いのでまた後日レ
スを付けたいと思います。
586 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/20(月) 22:13:25
倭人伝に「南至投馬国水行二十日」とあるが、この文を読んだだけで海にのりだしても、投馬国に到着しないことは請け合いである。
しかるに投馬国の官名や戸数等が記されているところからみると、投馬国は漠然とした存在ではない。不弥国とは往来の可能でよく周知の所であるとみてよい。
二十日も行くのであるから、途中の寄港地も知られていたはずである。不弥国まではこまめによってきたのに、投馬国へは、一心不乱に寄らずに突き進んだわけではないであろう。
途中の寄港地が記されていないのは、省略されたものであるとみる。
陳寿のみた原典にはおそらく投馬国への行路が詳しく記されていたはずである。
しかるに、陳寿はそれを無用のものとして省いた。
なぜなら、陳寿は邪馬台国への道程を記すのが目的であり、近く(奴国など)ならともかく、このような遠方の投馬国へは途中の記録は省いたのである。
サガミさん
もうそろそろ地理志に於ける推測は止しましょう。
文字に記された範囲で!
対馬と壱岐に書かれた『南北市糴』これを見落としたら 投馬は“遠く”なりますよ!(ここはスルーで)
ともかく 史書に書かれた範囲での推測にしましょ。
588 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 22:34:38
>>586 それなら単に「南至投馬国」とだけ記録すればいいだけのはず。
わざわざ陳寿が「南至〜水行二十日」とわざわざ記録した意図の背景には、
やはり邪馬台国と投馬国とは無関係ではなかったでないの?
そろそろ意味の無い論争はやめて邪馬台国=畿内説にしましょう!
590 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 22:40:54
>>586 翰苑の記事に「海行一日」とか「水行二十日」とかいう書き方があるところからみると
投馬国や邪馬台国への「水行」は川、もしくは運河のような水路を使った移動を意味しているように思える
また投馬国へは「水行」としか記されてないところから、この国が島にあるか、もしくは陸路からの入国がきわめて難しい場所にあったと見る
591 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/20(月) 22:43:00
うーん、あんまり細かいところまで突っ込んでいくと、邪馬台国小城説が瓦解しそうだな。
593 :
16さい中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/20(月) 22:51:44
邪馬台国と投馬国は日数で書かれてるので遠くにあったに決まってるでしょ、そして戸数から九州ではないことくらい明白ですよ
投馬国は奴国の南隣で邪馬台国(三十国)の経済の中心地
595 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/20(月) 22:56:15
そうです。深い山々の織り成す九州の山岳地帯を進むより、船でいったほうが楽だからです。
熊本は狗奴国で敵対していますから陸路を西回りでとるのは無理でしょう。
596 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/20(月) 22:58:07
>>595 「船で行く」とおっしゃいますがどこの川を通るのでしょうか
597 :
16さい中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/20(月) 23:06:30
女王の権力が及ぶ国も九州ではないでしょ遠くにあったので詳細な記述がないのです。東海がクナ国でその上の北陸や長野とかにあったんじゃないだろうか
>>595 【女王卑弥呼與狗奴國】
敵対していない。
599 :
16さい中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/20(月) 23:11:48
やっぱ違います、間違えましたw
600 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/20(月) 23:19:09
>>596 小城市三日月町の大江から有明海に入ります。川は通りません.
601 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 23:19:33
>>590 伊都国の南の方角にある島といえば・・・
天草?あんなとこに投馬国があったとでも思ってるわけ?
サガミさん
文献無視ですか?
603 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 23:28:13
>>596 当時の有明海北部は佐賀県鳥栖市のあたりまでが大きな入り江になっていて
北の博多湾とは水路でつながっていたようですよ
地図で見ると国道3号線、JR、西鉄が並行しているあたりは奈良時代あたりまでは運河があったそうです
博多湾側の入り口は石堂川(現御笠川)河口だったそうです
うちの地質学の教授から聞いたことなんですけど
604 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/20(月) 23:38:13
>>602 いいえ、文献どおりですよ。
>>603 確かに潟はありましたが弥生時代に博多湾とつながっていたかは疑問です。
605 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/20(月) 23:51:18
狗奴国は後漢時代は日向〜四国を支配していて
魏の時代には日向のみに縮小されたのでは?
其の旁国とやらはおそらく鹿児島〜熊本にかけてあったのでは?
そもそも水行1月陸行1月では順次式で読めば確実に
九州外ですよ
クナ国とは、吉備の国を指す。邪馬台国はとうぜん大和盆地にある。
倭者自云太伯之後俗皆文身去帯方萬二千餘里大抵在會稽之東相去絶遠
從帯方至倭循海水行歴韓國乍東乍南七千餘里始度一海海闊千餘里名瀚海至一支國
又度一海千餘里名未盧國又東南陸行五百里至伊都國又東南行百里至奴國
又東行百里至不彌國又南水行二十日至投馬國又南水行十日陸行一月日至祁馬臺國
即倭王所居其官有伊支馬次曰彌馬獲支次曰奴往革是
民種禾稻紵麻蠶桑織績有薑桂橘椒蘇出黒雉眞珠青玉有獸如牛名山鼠
又有大蛇呑此獸蛇皮堅不可斫其上有孔乍開乍閉時或有光射之中蛇則死矣
物産略與タン耳朱崖同地温暖風俗不淫男女皆露糸介富貴者以錦繍雜采爲帽似中國胡公頭
食飲用ヘン豆其死有棺無槨封土作冢人性皆嗜酒俗不知正歳多壽考多至八九十或重百歳
共俗女多男少貴者至四五妻賤者猶兩三妻婦人無婬
無盗竊少諍訟若犯法軽者没其妻子重則滅其宗族
漢霊帝光和中倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子卑彌呼爲王
彌呼無夫壻挾鬼道能惑衆故國人立之有男弟佐治國
自爲王少有見者以婢千人自侍唯使一男子出入傳教令所處宮室常有兵守衡
至魏景初三年公孫淵誅後卑彌呼始遺使朝貢魏以爲親魏王假金印紫綬
正始中卑彌呼死更立男王國中不服更相誅殺
復立卑彌呼宗女臺與爲王其後復立男王並受中國爵命
608 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 00:00:37
ええ、ですから水行十日陸行一月は帯方から邪馬台国までの総日数なのですよ。
609 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:01:45
七隈、百隈、西隈、小隈、日隈、金隈、大隈、中津隈
月隈、星隈、篠隈、等々古い西九州の地名は
ここがかつて何か隈と関係した地域だった
ことを意味します。
610 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 00:01:58
吉備はおそらく投馬国です。そこから水行10日又は陸行1月で
畿内邪馬台国です。方向感覚が当時は右斜め45度くらいずれていたのですね。
女王国は宇佐で、其の旁国は鹿児島〜熊本、狗奴国は日向で、
整合性が保たれます。
>>605ヒッキー君
>後漢時代の狗奴国
★四国の一部と鹿児島
日向は天照一族の直轄地
>魏時の狗奴国
★鹿児島だけ
>傍国
★本州の大倭
612 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 00:04:26
上記の608は
>>605への返答です。
梁書、太平御覧についてはもちょっと検討します。
613 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:04:27
狗奴国は日向は厳しい。
出雲や本州の政権が最初に攻めたのは
日向の弱小豪族です。
倭國在百濟新羅東南水陸三千里於大海中依山島而居
魏時譯通中國三十餘國皆稱子夷人不知里數但計以日
其國境東西五月行南北三月行各至於海
其地勢東高西下居於邪摩堆則魏志所謂邪馬臺者也
又云去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里在會稽東與タン耳相近
俗皆文身自云太伯之後
計從帯方至倭國循海水行歴朝鮮國乍南乍東七千餘里
始度一海又南千餘里度一海闊千餘里名瀚海至一支國
又度一海千餘里名末盧國又東南陸行五百里至伊都國
又東南百里至奴國又東行百里至不彌國
又南水行二十日至投馬國又南水行十日陸行一月至邪馬臺國
即イ妥王所都漢光武時遣使入朝自稱大夫
安帝時又遣朝貢謂之イ妥奴國
靈帝光和中其國亂遞相攻伐歴年無王
有女子名卑彌呼能以鬼道惑衆國人共立爲王
無夫有二男子給王飲食通傳言語
其王有宮室樓觀城柵皆持兵守衛爲法甚嚴
魏景初五年公孫文懿誅後卑彌呼始遺使朝貢魏主假金印紫綬
正始中卑彌呼死更立男王國中不服更相誅殺復立卑彌呼宗女臺與爲王
其後復立男王並受中國爵命
>>608サガミさん
それは絶対有り得ない。
陸行一月ってなに?
616 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 00:07:42
サガミさん、僕もついこないだまで
総日程だと思ってましたが、やはりそれは
こじつけですよw不自然すぎます。
なぜ突然順次式できていたのにいきなり郡に戻り
総日程になるのですか?そもそも投馬国まで
総日程になりますし意味がわかりません。
617 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:10:32
狗奴国とは日本書紀にある
隈鼎でしょう。これは筑紫国にあったそうである。
筑紫国、筑紫氏(日下部氏)は随分後にできた地名、苗字であります。
隈、クナ鼎という土着系の勢力が西九州一帯にあったのです。
隈の地名は西九州一帯(日田以西)に集中しております。
これは、甕棺地域とも一致します。
福岡市七隈から大隅半島一帯です!!!!!!!!!!!!!!!!!
619 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 00:11:41
狗奴国が日向だと思う理由は
やはり熊本では、地理的に後漢時代に四国まで領土をもっていた
のは不自然だと思うからです。日向なら地理的に近いし
可能性はありますがね。
620 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:14:01
狗奴国は現代地名、大字、小字に残る
○隈の地名とピッタリ一致するのであります。
本州下関にはなく、大分でも日田地方にしかありません。
筑豊、北九州地域にはほとんどなく
西九州一帯に集中しております。
621 :
魏略:2006/03/21(火) 00:15:21
倭在帯方東南大海中依山島以国度海千里復有国皆倭種(漢書地理史 顔師古注)
從帯方至倭循海岸水行暦韓國到拘耶韓國七十里
始度一海千餘里至對馬國其大官曰卑拘副曰卑奴無良田南北布糴
南度海至一支國置官与對同地方三百里
又度海千餘里至末廬國人善捕魚能浮沒水取之
東南五東里到伊都國戸万餘置曰爾支副曰曳渓觚柄渠觚其国王皆屬王女也。
女王之南又有狗奴國女男子爲王其官曰拘右智卑狗不屬女王也
自帯方至女國萬二千餘里其俗男子皆點而文聞其舊語自謂太伯之後
昔夏后少康之子封於會稽斷髮文身以避蛟龍之吾今倭人亦文身以厭水害也(翰苑)
其俗不知正歳四節但計春耕秋收爲年紀(魏志倭人伝 裴松之注)
倭南有侏儒国其人長三四尺去女王国四千余里(法苑珠林、魏略輯本)
622 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 00:25:26
ふむふむ、僕ももう少し多くの本を読まねばならぬようです
623 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 00:27:16
陸行一月の内の26〜28日は韓国内陸行です。
624 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:29:08
ビラ、ヒラ、フリ、フレは古東アジア言語であり
どうも古朝鮮、古アイヌ語、縄文語のようである。
625 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:30:15
日、高、白、鳥、鈴、木、天
渡来アイテムである。
627 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 00:34:49
サガミさん、韓国内陸行では説明がつきませんよ。
では投馬国はなぜ韓国内陸行ではないのです?
また倭人伝には朝鮮半島を水行して進んだとちゃんと書かれてますよ。
628 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 00:40:32
ヒッキー君
機内で可愛いスッチーでも見掛けたのかい?
629 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:40:48
倭人伝にあるヒコは日子であり
既に倭各地に渡来系の司令官が天下りした後の話です。
一世紀頃の四道将軍の末裔でもある。
吉備津彦、大彦、武渟川別、丹波道主命
彼らの末裔、大屋田彦、小狭田彦、日下部氏、筑紫氏である。
唐津で土蜘蛛、見借を征伐したのは大屋田彦です。
彼らは中世に藤原氏、菅原氏、高木氏など
あたらし本州の
天孫氏族と血縁を結び九州の天孫支配者となる。
630 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 00:43:33
更に1年を2年とする当時の認識から察すると
裸国、黒歯国とやらも実は半年でいける距離にあったでしょう。
四国から東南に半年かけていくとなると関東あたりにあった
国だと思われますがいかがでしょう?当然冬場は寒いので
移動するのはなかなか難しいので春から夏にかけて移動し
雨の日とかは移動できないし、食料調達等で足止め食らうのも考慮すれば
半年くらいで関東なのでは?と考えます
631 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 00:44:42
632 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:48:29
卑狗です。これはヒコとよみます。
中国人はききとれなかったんですね。
狗奴国も素直によんではいけません。
隈国が正解です。
633 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:50:37
熊本なんて地名は本来ありません。
熊本も本来は隈本、あるいは隈元です。
西九州一帯に集中する○隈の一つです。
ヒコ ⇒ 卑狗 これか?
『狗古智卑狗』⇒不属女王
狗⇒狗奴国人
古⇒歴史
智⇒把握
卑⇒卑しい/日族
狗⇒狗奴国人
意味解釈は(日族と狗奴国人の混血)
635 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 01:00:26
日子だけではなく火子もあったと思う。
火を崇拝する儀式が久留米大善寺玉垂に
二千年前から受け継がれている。
系統は阿蘇のものと同じだろう。
阿蘇山も玉垂命と同系のものを崇拝してる。
636 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 01:01:11
>>632 >中国人はききとれなかった
★誰からその事聞いたの?
>>632 卑彌呼と不和だった狗奴國王「卑彌弓呼」も
「卑弓彌呼(ヒコミコ)」の誤記だったと言う説もあるね
「弓」を「コ」と読むべきかは疑問ですが。
638 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 07:49:37
>>609 クマってのは河岸段丘を切り開いて作った畠のことじゃないのかなあ
「ク」は川、「マ」は畠をあらわすって聞いたことあるよ
あと熊本の益城地方では今も畠のことをクマって言うと聞いたんだけど
639 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 07:55:32
>>632 卑狗はヒコ
狗奴はコナもしくはコヌ、コネ、コノ
狗古智卑狗はココチヒコもしくはコホチヒコ、コオチヒコ
640 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/21(火) 08:29:38
641 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 09:07:40
昨夜は
>>623で寝てしまいました。
>>627 半島の水行ですが、「海岸にしたがいて水行し、韓国を歴て南ながら東ながら」とあります。
半島を全て水行するなら「韓国を歴て」などという表現は無用です。「歴て」とは「経て」ではなく、韓国に寄ったということです。
ですから、具体的にいうならば、仁川から海岸沿いに南下し、群山に上陸し、韓国内を南下し、求礼から東へ進路を変え、固城
から乗船するのです。江戸時代の朝鮮通信使も陸路を使用しています。半島の西部南部は難所が多く後世でも危険なのです。
疑心倭人伝---
サガミさんも言う様に朝鮮通信使は江戸期
時代設定が違いますね
使者が陸行したなら陸行したと書くでしょうし
自分の思惑を史書に託してはいけないのではないでしょうか
644 :
圭角:2006/03/21(火) 09:34:51
中国人が聞き取れなかった、こともあったとしていいんじゃないですか。
普通自然なこととして支持します。というよりも、
東夷伝なんですから、陳寿が編纂記述した時点で、あえて悪字を用いたと
する方が当たっていると思いますがね。
その証拠のひとつが、三少帝紀に卑弥呼を記すときは俾弥呼と記し
東夷伝では卑弥呼で卑ということでしょうか。
>半島を全て水行するなら「韓国を歴て」などという表現は無用です
そんなことないと思いますけど。あくまで倭人伝の中の文章ですので、違う国
を通ったことを書くのは当然かと
646 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 09:41:19
>>643 17,8世紀のように、造船技術が進歩し地理の知識や航路がよく分る時代になっても
陸路を使ったということです。
だから、韓国を歴てとは陸路だと書いたと同じということですよ。
647 :
圭角:2006/03/21(火) 09:44:39
サガミさん、お久しぶり。
水行と舟行はいうまでもなく同義ですから
韓の海岸に沿って舟行したとするのが、自然でしょう。
御説は、昔から在る説ですから知ってはおりますが。
サガミさんの説をとるならば、壱岐対馬の倭人も卑弥呼以前から楽浪郡に
行くときは、郡まで舟行ではなく、半島陸路を踏破したということにも
なりますね。
自然で普通で無理のない御説とはご無礼ながら私は思いません。
648 :
圭角:2006/03/21(火) 09:48:31
サガミさん、ご存知ならば教えてください。
遣唐使の航路に朝鮮半島沿いのものがありましたね。
このとき、遣唐使は韓を陸行したという記録があるんですか。
649 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 10:09:51
>>648 全部水行です。但し初期であり、結局は半島沿岸航路は避けています。
事情は新羅と仲が悪かった外に、難路だったからでしょう。
650 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 10:19:47
サガミさん、投馬国も郡からの総日程だとしては
韓国内陸行が成立しませんよ。その点に関して
どう思われているのですか?
651 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 10:25:39
私は、投馬国へは、不弥国から数えるとみています。
>>651 投馬国の里程の書き方と、邪馬台国の里程の書き方に違いは見受けられ
ませんがそこらへんはどうなんでしょう。
653 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/21(火) 10:39:58
サガミさん、安曇さんのおっしゃるとおりです。
里程の書き方に違いはないです。なのに突然
邪馬台国だけ郡に戻り総日程になるのですか?
明らかにおかしいとは思わないのでしょうか?
654 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 12:40:39
>>645-646 サガミさんならびに安曇さんへ
『歴』韓国と書かれているから サガミさんの『説』を否定出来るのです。
『歴』⇒すぎる、へる
※韓を水行にてすぎる
…大漢和辞典・六巻P718 引用…
韓に上陸すれば『歴韓』ではなく『歴巡韓』/人に会う目的なら『歴訪』です。
655 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 12:46:38
だから
韓を『歩いて』どころか『着岸』すら…
すると狗邪韓国は……
……ですね!
私が今まで『トンデモ』と言われ続けても 説を曲げなかったのは『歴韓』だからです。
656 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 14:03:42
まず、倭人伝の行程記事について、陳寿は実際に邪馬台国に行っていなかったということが大事です。
つまり、なにかの記事(おそらく魏略と同じ原典)をみながら、丸写しではなく自分流に解釈しながら記述したということです。
その原典は周の時代の里程で記されていることでもわかるように、相当古いものであったでしょう。
それをもとに、魏使の報告書や実際に倭国に行った・居た人から聞いて、変化したことを聞いて修正したものとおもわれます。
その結果、ある程度の誤謬がみられる文章になったとしても不思議ではありません。
657 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 14:35:05
サガミさんの
>>656のレスは 誰も否定も肯定も出来ませんよ!
>>647圭角さんが
>水行、舟行はいうまでもなく同義ですから
★魏志倭人伝に関しては同義ではありません。
(ここでハッキリ区別しておきます)
※倭人伝に使用されている水行・陸行・船行
この共通は『行』です。
『行』⇒移動であり 同時に“起点と着点”を表しています。
『水』と『陸』⇒ 移動する領域であり 対義語ですようするに、行程に書かれた(水行移動)には、次に対語となる(陸行移動)が確定〔セット〕
しているということです。
続き⇒
658 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 14:44:12
>>657の続き
※『船行』⇒水行とは違い陸行という対義語が用意されていない 単独の用語です。
『水行』が(起点⇒着点)の移動で次に陸行を意味しているのに対して
『船行』は
行程の起点⇒着点ではなく“起点⇒終点”まで
全て船による行程だということです。
着点ではなく『終点』が船行です。
659 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 14:54:09
みなさん、野球みてますか?いいところですよ。
660 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 15:02:24
日本勝ったよ!
661 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 17:51:11
>>652>>653 かなり痛いところをついてきますね。あなたたちで3人目です。
邪馬台国は小城で間違いありません。ではどのように解釈したらいいでしょうね。
663 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 18:11:28
結局サガミさんも
『小城可愛さ』で盲目ですか?
小城は既に陥落しています
664 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 18:42:32
中国に『山海経』という古文書がある。
山海経は、中国でもっとも古いとされる地理・博物書であるが、この書物の中に
義和国という国が登場する。
【山海経・義和国の話】
東海の外側に義和国という国がある。その国には女が住んでおり、名を義和(ぎか)という。
義和は今、太陽に水浴びをさせているところである。
古代日本の呼称である「倭国」が「和国」に改号される時、山海経に登場する義和国から、
『和』の字を借りて、和国にしたのかもしれない。
義和国を支配する義和という女神は、日本神話の天照大神にそっくりである。
義和も、天照大神と同じように太陽の女神なのだ。
山海経によると、義和国には扶桑という巨大な神木があり、扶桑の枝には十個の太陽がとまって
いるという。
そして、義和が十個の太陽を支配しているとされているのだ。
日本神話の天照大神の原型は、この義和なのかもしれない。
■『山海経』について■
http://www.hmt.toyama-u.ac.jp/chubun/ohno/sengai.htm
665 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 19:31:42
小城が陥落したですと。ご冗談を。
小城が邪馬台国であると決定したのは、帯方のあると推定されるソウルから、地図上に記述通りに線をひきそれを測りキロ数をだし、
それを倭人伝の里である一里=67.5mで割った結果、12000余里となり、
更にその場所に倭人伝の記述通りの大きさの岡が存在し、甘木という天子の住む都のような
地名があるからですす。
それがどのように破綻して小城が陥落したのか教えてください。
山海経はともかく、どこかネット上に周牌算経の和訳と解説はないかのう
667 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 19:53:11
なんで、日本人が、大和朝廷が作った人工国家=百済の文化を羨むんだ?(笑
_____________________________________
韓国人がアホな歴史教育をしているようだ。
【歴史教育、幼稚園から実施】『日本が羨んだ百済文化』 ←無知にもほどがあるよ(苦笑
教育人的資源部(訳注:日本の文部科学省に相当)は、幼児の時から正しい歴史意識を
身に付けさせるために、多様でおもしろい活動を素材とした『幼児のための歴史教育活動
資料』を発刊し、全国8300余りの国・公・私立幼稚園に無料配布するほか、保育施設など
で出力して活用するようにホームページ( www.moe.go.kr )にも掲載することにしたと、16日
発表した。
この資料は、幼児期発達に相応しくておもしろい10編の時代的歴史エピソードと、33種類
の多様な活動で構成されており、歴史に対する幼児たちの関心と好奇心を引くことが期待
される。
「苦難の中の希望、日帝強占期」編では、日帝時代に民族に希望を与えた孫基禎翁(下記
関連サイトご参照の話が紹介されており、「韓国の文化の誇り、百済」編には、日本が羨ん
だ百済文化が紹介されている。
また、「我が国の領土、独島」編は、幼児たちが独島に対する親近感と我が国の領土を大
切にする心を持つように構成されており、朝鮮戦争と平和、申師任堂(訳注:李氏朝鮮時代
の女性文人。下記関連スレご参照)、権慄将軍(訳注:文禄・慶長の役の時の将軍)、慶州、
古朝鮮(訳注:檀君の建国した国のこと)などのテーマも入っている。
教育人的資源部では、この資料が幼児教育現場で有効に活用されるようにするため、2月
に全国16道・直轄市の教育庁幼児教育担当講師要員400人余りを対象に研修を実施する予定だ。
▽ソース:Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2006.01.16 20:21)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&newssetid=746&articleid=2006011620210117447
668 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 20:16:40
>>665 甘木も小城も候補地としては非常に魅力的な土地だが
女王国の東にあるはずの海が見当たらないのが難点だな
太陽信仰の女王の都の日の出が、山からの日の出じゃ洒落にならないよ!
それに
無理矢理半島を歩くし
>>666 「周髀算経」でぐぐればヒットしますよ。
サガミさん
倭人伝の行程表は伊都の入口迄 それ以降は文章による地理的位置表示です。
だから梁書も北史もあのような書き方になったのです。
それを全部点と点で結ぶ行為は無謀な行為です。
倭面土国や面上は(列島本州)の事です。
672 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 21:51:55
太陽信仰の女王って卑弥呼のことですか?
そのソースはなんでしょう?
卑弥呼そのものがソースですし もっと沢山あります。
延々語りましょうか?
675 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 21:57:58
女王国の東の海とは九州説では九州の東側の海というのが通説ですけど。
676 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/21(火) 22:06:01
無理やり半島を歩くしって、近世でも半島内を陸路でソウルからプサンまできたのですよ。
>>670 どこに訳があるんかのう?見当たらんが・・・
原文なら持ってる。
678 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 22:24:18
安曇さん
めんどくさいから
過去レスから探して!もう何度か延々と独り言の様に語っているから。
679 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/21(火) 22:32:40
680 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 22:43:47
>>675 「女王国より以北」には斯馬国や已百支国や伊邪国といった傍国がなくてはならぬはず
また、この書き方からも傍国と女王国とは別の国のはず
やはり邪馬台国の真東に海が必要なのではないか?
吉野ヶ里のあたりは旧郡名から彌奴国、あるいは支惟国の領域ではないかと思われるが
>>679 アンタの脳内にしか存在しない漢字解釈なんか「否定」しようも無いだろう。
どうして「歴」が「傍を通り過ぎる」なんて意味になるのかいな。
ついでに言うと日本語の「へる」「すぎる」にもそんな意味はないし。
目指す場所じゃなく通るだけなんだから水上でも陸上でも使える言葉だ。
プラムの文章(多分思考回路も)は日本語ではない、プラム語だ。
私達は「プラム語」を理解できないし、プラムは日本語を理解できない。
日本語とプラム語で議論はできない、これ以上は通訳が必要だ。
>>681 言いたい事言ってるようだが
>目指す場所
※水行(海上)七千里先にある着点(到)
『途中から陸行に代わる場合は海と陸の境が着点になる』 …これ常識…
だからこの時の『歴』は
韓国の沿岸海上を通すぎる
どうしても理解出来ないならば 『プラム語翻訳辞書』か『大漢和辞典の第六巻』でも買ってくれば 確か、一冊二万ぐらいだから!
【循海岸水行歴韓国】
※船にて海岸に沿って韓国をすぎる
だよ! そして大海へ
683 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/22(水) 00:24:23
サガミさんの小城説の根拠は何かと思えば
一里が67.5センチでそうなると12000余里のところが
小城だからというだけだったのですかw
そもそも当時そのようなミリ単位で正確に測ったわけがないでしょうに。
机上の計算だけで割り出そうとするのは間違いですよ
>>681 それに、何時もツッコミばかり入れてないで
たまにはネタぐらいふって行けよ!
アっ!
忘れていたけど
『アク禁』依頼ってどうなったの?
686 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/22(水) 00:34:58
はハァーン
>>681は『モモソ』かな?
どうでもいいか
明日は仕事 寝よ!
687 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/22(水) 00:40:10
女王国の東の海に関しても九州の東側にあると解釈するのは
不自然すぎます。できるだけ原文に忠実で自然な解釈をしなくてはなりません。
修正箇所を極力抑えて原文との整合性を重視すると女王国と
邪馬台国は別物だと考えざるをえないのですが・・
>>682 『プラム語翻訳辞書』って20000円もするんかいな!
高いぜ。印税ガッポリのサガミに買ってもらおうな。
プラムはプラム語翻訳辞書を持ってるんだったら、
何で日本語に翻訳して書いてくれないんだ?
こいつも自作のネタ本売って印税稼ぎかあ?
690 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 01:22:02
うーむ・・・
邪馬台国は宇佐だと思うがな
東に海はないな。国東は昔から宇佐とは全然違う文化だから(はっきりいえば仲もすごく悪い)
あの辺が邪馬台国の範囲に入るとは思えないし、困ったな・・・
当方中津市在住
魏志倭人伝などの邪馬台国の位置を書いたものは非常に
不正確であってこれらをいくらほじくっても邪馬台国
がどこにあったかなど論じることはできない。
それよりも卑弥呼が誰だったのかを論じたほうがずっと
手がかりが多くて早道。
私見ではこれはヤマトトトヒモモソヒメに違いないと思うが。
692 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 02:44:36
確か韓国に関する記述で
「南は倭国と接す」ってあるはず
普通、海を挟んでるときに「接する」って表現をするだろうか?
明らかに陸続きってことだろう
つまり半島の南端に倭国があったんだよ
海を渡っても「接する」のが普通だが・・・
694 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 07:48:43
>>692 そのとおり
韓伝には「其のトクロ国は倭と界を接す」とある
狗邪韓国は倭人の国
でないと「其の北岸」なんて言い方するわけない
あと韓伝に出てくる弁辰狗邪国と狗邪韓国は全然別の国だろ?
695 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/22(水) 07:58:59
もし海だけつまり水行だけなら「海岸にしたがいて水行し、南ながら東ながら、その北岸狗邪韓国にいたる」
ですむはずです。しかるにわざわざ韓国を歴てとするのは韓国に上陸して陸行したからだということです。
女王国の東であるが、厳密にいえば九州の東に海のあるところは大分県の中部以南です。
例えば宇佐では北に海があります。つまり、女王国の東という表現には、女王の館は生みに面していないということで、かなり感覚的に東と思うところなのです。
例えば、東京にいて九州の福岡といえば、南の方角と感じます(私だけでしょうか)が、実際は南というよりも西といったほうが近いです。これは離れれば離れ
るほど、16方位より、8方位に、更に4方位に最後には2方位になるわけです。
机上の計算がかならずしも実地で否定されるわけではないでしょう。私の計算は実地でも証明されます。地図に誤りがなければ。
696 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/22(水) 07:59:38
697 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/22(水) 08:14:19
>>695に意味不明のことを書いてしまいました。
下から3行目離れれば離れるほど、」の次ぎに「感覚的にとらえる」といれてください。
その次に「方位についても遠いほど」をいれてください。
698 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 08:34:52
>>696 中国語読める奴なら「其」が「従郡至倭」の部分受けてることは百も承知のはずだが
それともロクに中国語も読めない奴が文献がどうのこうの言ってんのか?
699 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/22(水) 08:39:02
文献もいいけど、考古学にもっと目を向けましょう、九州説の諸氏。
700 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/22(水) 08:41:37
そうです。現代の新しい課題は桜ケ岡が纏向型前方後円墳なのかどうかです。
701 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 08:43:32
>>700 掘って確認すればいいじゃん
どうしてしないの?
702 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/22(水) 08:44:15
>>700 著書を市役所?かなんかで配布しているなら、桜ヶ岡を学術調査するよ
うに頼めませんかね?
703 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 08:48:50
>>702 史学の徒氏が同じこと言ってましたよ。
簡単に出来るって。
やり方を教えてもいいとまで書いてた。
でもそれに対してサガミハラハラ氏は
「世の中には出来ることと出来ないことがある」などと言い訳して逃げた。
これ事実ですよね、サガミハラハラさん?
704 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/22(水) 09:00:54
よそさまの土地を勝手にほれませんです。
掘るためにはそれ相応の手続きや費用が必要です。
学術調査といっても、それ相当の背景がなければなりません。
まず、あそこが邪馬台国であること、または可能性がかなり高い事を納得しもらわなければなりません。
現在はその運動中です。
705 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 09:12:23
ほうら、そうやってまたごまかして逃げるw
史学氏はこういってたでしょ。
私有地なら困難かもしれないが、桜ヶ岡は公園で公有地である。
植樹や補完工事などは絶えず行っているはずだから、市教委と共にたちあえばいい。
別に特別な費用も手間も要らない。ただ立ち会うだけで本当に遺跡ならすぐにわかると。
第一公園を造るときに何も出なかったのか?とも言ってたっけ。
そんでもって
>あそこが邪馬台国であること、または可能性がかなり高い事を納得しもらわなければなりません
これを誰も納得してくれないから、そんな簡単なことすら実現しないわけですね。
それとも、間違いを目の当たりにするのが怖いのですか。
それが本音でしょうね。
>>698 漢文の先生
『從郡至倭』なんて漢文あるの?
私も詳しくないけど
『今使譯所通三十國從』『郡至倭…』
じゃないの!
漢文の先生シッカリしてよ。
私みたいな漢文苦手組が見てるんだから!
>>698 漢文の先生
『從郡至倭』として使えそうな文 有ったよ!
【大抵在会稽之東相去絶遠(從帯方至倭)】
ここなら
【從帯方至倭】⇒郡に服する倭
としてOKだな!
708 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 11:53:35
>>707 漢文の先生じゃねえよ
中国から日本に来て研究してるもんだよ
あんた言ってることは面白えんだからもっと中国語勉強しろよ
他の奴もそうだが「木を見て森を見ず」っての?
記事の細かいとこばっかつっついて全体見てないのが多いのよ
個人的には畿内説はナンセンスだと思うんだがな
>>708 >もっと中国語勉強しろよ
※あいよ!
でも、ムズイんだよねぇー
710 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 13:07:30
プラムさんは、子ども会の副会長で忙しいので、
中国語の勉強などしているヒマはありません。
(裏話:2chにカキコしているヒマしかありません)
>>710 >副会長で忙しい
※忙しいのは会長と会計で、副会長はお飾り
去年会計で忙しかったから今年は“の〜んびり”
>裏話
※今日は休み明けで仕事忙しいし、“鯖”の調子も悪そうだから
カキコ減ってます。
>2ちゃんのカキコしか
※鋭い! 一日、倍欲しいね
携帯でアクセスすると串に引っかかります。
>>708 中国の方だそうですが、倭人伝の訓読は正しいのでしょうか?
713 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 16:54:01
>>712 倭人が発音した音をわざわざ悪い字で無理にあらわしてんだから音そのものが原音とすごく違うかもしれない
正直絶対の自信はないが参考までにあの時代の読みかた(と思われるの)をいくつか書いとこうか
邪馬台=ヤマタ 卑弥呼=フィミクォ 狗奴=コゥナ 狗古智卑狗=コゥクォチフィコゥ
台与=タヨ 投馬=トゥマ 不弥=フゥミ 伊都=イト
已百支=イホキ 好古都=カゥクォト 呼邑=クォユ・・・
絶対このとおりと言ってるんじゃない。ただの参考にしてもらいたい
715 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 17:12:10
716 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 17:18:12
なんで、大和朝廷が作った人工国家=百済の文化を、日本人が羨むんだ?(笑
_____________________________________
韓国人がアホな歴史教育をしているようだ。
【歴史教育、幼稚園から実施】
教育人的資源部(訳注:日本の文部科学省に相当)は、幼児の時から正しい歴史意識を
身に付けさせるために、多様でおもしろい活動を素材とした『幼児のための歴史教育活動
資料』を発刊し、全国8300余りの国・公・私立幼稚園に無料配布するほか、保育施設など
で出力して活用するようにホームページ( www.moe.go.kr )にも掲載することにしたと、16日
発表した。
この資料は、幼児期発達に相応しくておもしろい10編の時代的歴史エピソードと、33種類
の多様な活動で構成されており、歴史に対する幼児たちの関心と好奇心を引くことが期待
される。
「苦難の中の希望、日帝強占期」編では、日帝時代に民族に希望を与えた孫基禎翁(下記
関連サイトご参照の話が紹介されており、「韓国の文化の誇り、百済」編には、日本が羨ん
だ百済文化が紹介されている。
また、「我が国の領土、独島」編は、幼児たちが独島に対する親近感と我が国の領土を大
切にする心を持つように構成されており、朝鮮戦争と平和、申師任堂(訳注:李氏朝鮮時代
の女性文人。下記関連スレご参照)、権慄将軍(訳注:文禄・慶長の役の時の将軍)、慶州、
古朝鮮(訳注:檀君の建国した国のこと)などのテーマも入っている。
教育人的資源部では、この資料が幼児教育現場で有効に活用されるようにするため、2月
に全国16道・直轄市の教育庁幼児教育担当講師要員400人余りを対象に研修を実施する予定だ。
▽ソース:Yahoo!Koreaニュース(韓国語)(2006.01.16 20:21)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&newssetid=746&articleid=2006011620210117447
717 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/22(水) 18:16:43
>>713の『音』から
『H音』⇒『F音』
『ヒ』⇒『フィ』
今の日本人は『H音』を発音出来るよね!
中国の人は『H音』を正しく『音』で表せるの?
『ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ』と
どぉなの
>>713?
718 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 20:12:43
★ 倭寇の正体は朝鮮人だ!! ★
韓国朝鮮人は、
「日本の海賊=倭寇が、過去に何度も韓国を侵略し、我々韓国人に多大な被害を与えた!」と、
主張して、日本人をよく非難する。
しかし、韓国人のこういった主張は大ウソなのである。倭寇の正体は韓国人=朝鮮人なのだ。
韓国朝鮮人は、金氏新羅の時代から活発に海賊活動を行っていた。
そして、朝鮮海賊にとって、第一のターゲットは、常に日本人であった。
我々日本人こそが真の被害者であり、韓国朝鮮人は加害者なのである。韓国朝鮮人は侵略者なのだ。
新羅時代、朝鮮海賊が対馬海峡や九州西岸海域に出没し、日本人を襲って殺傷する事件が多発した。
大和朝廷は、大宰府の水軍に対し、海上警備の強化を命じた。大宰府の取り締まりが厳しくなった結果、
朝鮮海賊は「商売アガッタリ」状態になった。そのため、しかたなく、朝鮮海賊は自分たちの国の人間を
襲うようになった。
この時、彼らは朝鮮人らしく悪ヂエを発揮して、新羅王府の取り締まりから身を守るため、
自分たちが朝鮮人である事を隠し、日本人に偽装した。
「オレたちは倭人だぞォ!」と、アピールしながら海賊活動を展開したのだ。
これが倭寇の正体なのである。倭寇とは朝鮮海賊のことなのだ。
★きままに歴史 『元寇と高麗』★
http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/genko/genko.htm
719 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 04:29:15
>>713 やっぱヤマタノオロチは邪馬台国と関係があるのかな?
こうしてみると記紀に出てくる五百木入彦(イホキイリヒコ)とか興台産霊(ココトムスヒ)とか似た音が倭人伝にあったんだな
アマテラスのイホツミスマルノタマもひょっとしたら已百支国製のものなのかもしれない
720 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/23(木) 08:57:01
>>703>>705 あいかわらず、ノー天気なことをいっていますね。無理なことを承知で「やれ」などといって人をあおる。
そのような挑発、今どきの中、高校生でもひっかりませんよ。
それから自説を披露するだけなら、無名やHNでよろしいが、人に何かやれと進言するならば、
本命を名のっていただきたい。
どちらにしろ、このような低次元のお話はごめんこうむりたい。
721 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/23(木) 09:32:29
やはり、畿内邪馬台国が
九州に送り込んだのが卑弥呼だと思いたい。
ヤマトトトの妹かなんかかな?
723 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/23(木) 09:56:29
しかし考古学的に見て鉄の普及等
九州のほうが早かったので
畿内に当時そこまでアドバンテージがあったのか疑問だ
やはり古墳時代の始まりを三世紀初頭にしないと畿内説は成立しないと思いま
す。
725 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/23(木) 10:58:11
その前に畿内では東西南北どこにも海がないので
女王国=邪馬台国だとすれば成立しない説なのは明白ですよ。
この説明をちゃんとしてから邪馬台国は畿内だと主張して
もらいたいものです
726 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/23(木) 11:06:46
女王国の「東」とあるが、魏の使者の方向感覚はずれていることは周知
の通りなので、「北東」ないし「北」で考えるのはどうだろうか。
727 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/23(木) 11:08:47
僕もそれは考慮しましたが
北東にも北にも海はないです。
しいていえば琵琶湖?wですか
それも無理がありますね。
728 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/23(木) 11:14:12
それか伊勢を「女王国」に属しているとすると、(根拠は無し)東に一
応海はあることになろうかと。伊勢の土器が畿内から出土しているとな
んかの本で読んだ記憶があるので、少なくとも交流はあったでしょう。
>>727 確かにその通りです。ですが「女王国」までの行程などを説明した記事
が無いのも変だと思いませんか?
729 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/23(木) 11:15:22
ですから女王国は九州宇佐で、
邪馬台国は畿内で、邪馬台国の王族が
九州に派遣され、九州の女王として
国をまとめたと考えるしかないと思いますが。
730 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/23(木) 11:24:03
>>728 伊勢湾を海と考えるのはいささか無理があるかと。
さらにその南に侏儒国がありますしそれは
どこになるのでしょう?紀伊半島でしょうか?
さらにその東南には黒歯国・裸国がありますよ。
ちょっと説明がつかないですね。宇佐でしたら
方向感覚のずれを考慮しても侏儒国が四国で
黒歯国・裸国は2倍年暦を考慮すると東南に半年なので
関東で収まります。女王国までの行程がないのは
たしかに変ですねwこのへんはよくわかりません
731 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/23(木) 11:29:39
仰る通りです。侏儒国などの存在については自分は?マークですね。
ただ倭種まで「千余里」対馬壱岐間も「千余里」ということは女王国
から倭種まで大分近かったのではないでしょうか。女王国が宇佐だと
すると四国や山口県あたりになるのでしょうか。
732 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/23(木) 11:38:25
山口かもしくは四国あたりでしょうね。
倭人伝の記述との整合性を考慮すると
女王国は宇佐が最も適合すると思われますが。
しかし邪馬台国は7万戸と大きすぎるし水行10日陸行1月も
長すぎるので宇佐では適合しません。
畿内がもっとも適合します。この矛盾点を解決するには
やはり女王国と邪馬台国を分けるしかないのです。
733 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/23(木) 11:46:25
もしくは、女王国=邪馬台国であり、
畿内と飛び地的に東九州が領土だった可能性ですw
これもトンデモ説かもしれませんが
このくらいしないと倭人伝の記述との整合性が保てません。
宇佐には赤塚古墳もあるので畿内との交流は確かにあったでしょう。そ
れが畿内勢力による宇佐の支配だったのかどうかはわかりません。
>>733 は、しっかり証明できればかなり面白いと思いますが、現状では宇佐と
大和は別勢力と考えた方が良さそうです。
735 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/23(木) 11:57:31
宇佐神宮もあるしやはり大和と宇佐は
密接な関わりがあると思いたいw
僕は素人なんで詳しいことはもっと
本を多く読まねばわかりかねますが。
宇佐神宮のような物がいつからあったのかが問題でしょう。
737 :
日本@名無史さん:2006/03/23(木) 21:53:45
お邪魔します。中津市在住の者ですが、ご参考までに宇佐神宮について
八幡宮の「託宣集」によれば欽明天皇32年宇佐郡小倉山に一身八頭の「鍛冶翁」という人物がおり
人が五人行けば三人、十人行けば五人死んだ。大神比義という人物が退治に行くと金の鷹がいて
比義が五穀を断ち三年祈ると童子が現れ「我はホムタ天皇ヒロハタのヤハタマロである
我日本の神となり、一切の衆生を救わん」と念じたのが神道の起源となっているようです
宇佐にはもともと宇佐氏という豪族がいましたが、その後、金属精錬技術を持つ朝鮮系の辛島氏が入ってきます
さらに応神天皇を祀る大神氏が来て、この三氏が宇佐神宮内部で争ってきたのはご存知の方もいらっしゃるかと思います
宇佐神宮のある菱形山そのものが古墳ではないかという説もあるようですが、ただの山のようでもありよくわかりません
個人的には応神天皇、神功皇后よりも上位に祀られている比売大神が気になるところです
邪馬台国に関係があるかどうかは別として、宇佐神宮には古い歴史があり、後の日本史との関わりからも
何らかの形で天皇家とのつながりはあるのではないかと考えております。長文お邪魔いたしました
738 :
太国:2006/03/23(木) 21:56:28
good !
739 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/24(金) 01:00:23
昼間は思いつきでいいましたが
飛び地説は我ながら結構いいのでは?と思い始めましたw
神武の故郷なのでこうした飛び地を領有していたとも
考えられますしね。いやはや僕も妄想だらけだなw
740 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/24(金) 06:49:57
【女王国東渡海千餘里復有国】
これは立派な飛び地
しかし、
ここに見える『復有国』や【有男弟佐治国】に見える『佐治国』は
共に、一つの国の名を表す固有の名詞ではない
『復有国』⇒服属する国
『佐治国』⇒代理
742 :
圭角:2006/03/24(金) 09:10:04
いわゆる横スレにて恐縮です。
私が倭人伝を初めて読んだときの感想を書かせてくださいませ。それは
喪主、哭泣し、他人就いて歌舞飲食す
現代のお通夜と同じなんだと感心したものです。むろん、私が住んでいる熊本では
歌い踊ることはありませんが、通夜には必ず酒食を伴います。
これを読んだとき、卑弥呼の時代も現在も通夜においては変わらぬのだなと
思ったのでありますが、全国的にはいかがなものなのでしょうか。
みなさんのお住まいの地域も同じか違うのか、ぜひ教えてくださいませ。
743 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/24(金) 09:39:22
圭角さんは熊襲のご出身だったのですか・・
九州に住んでるなんて羨ましい・・・
僕は家康公の本拠地に住んでますがいいことなしですw
744 :
圭角:2006/03/24(金) 11:10:27
ヒッキーさん、私のお尋ねに答えてくださいよ。
745 :
16さい中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/24(金) 11:37:10
すいません。
僕の住んでるとこは静岡ですがやはり葬式のときは酒を飲んだりごちそうを食べたりするようですよ。たしかひい婆ちゃんの葬式のときもそうでしたしね。
茨城でも酒や飯をごちそうしますよ。
>>746 貴方も茨城なんだ!
★圭角さんこんにちは。
茨城の葬儀も年々都市化する傾向が強く
自宅葬儀が少なく 斎場での葬儀が主流になり、簡素化の様相です。
以前のお通夜の晩は朝方まで飲み明かし、故人を偲んだものです。
748 :
圭角:2006/03/24(金) 12:55:47
みなさん、有難うございました。やはり、そうですか。
そうすると、卑弥呼の時代の通夜と現代日本の通夜の風習はいっしょなんですね。
私が喪主でありました葬式のとき、実は、飲食の慣わしに対しては正直なところ
違和感反感を覚えたものでした。
しかしながら、倭人伝等の文献には、かくなる風習がいとも鮮やかに記してある
ということにおいては、けっして考古学の及ぶところに非ず、との思いを強くした
次第であります。
魏志倭人伝、等、を読む 邪馬台国は何処ですか
なるほど、立派なスレタイトルだと再認識するものです。おおいに議論しましょう。
>>742 すいません。
少し気になったので一言。
圭角氏が使われた『横レス』と言うコトバの用法について。
2chの標準語では『横入りレスポンス』の略称です。
或る参加者が別の特定の参加者を指名して書いたコメントについて
第三者がレスを返す場合に使います。
また、特定のコメントに対してレスを付けるときには、
半角不等号二つ>>と対象レスの半角数字を文頭に表示するのが慣行です。
この方法だと、携帯ユーザを含めほとんどのブラウザで
ジャンプ機能が使えるため、複数の話題が錯綜しているときなど
他の参加者が流れをたどるのに便利です。
750 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 18:58:48
>>720 客観的に見て、無理とも挑発とも思えんがね。
史学の徒氏が具体的にどう書いたのか、転載してくれればありがたいが
少なくともサガミハラハラ氏の言うように
>無理なことを承知で「やれ」などといって人をあおる
そんな類のものではないことは容易に推察できる。
史学の徒氏は
>やり方を教えてもいいとまで書いてた
そうだから、聞けばいいのではないか?そのやり方を。
それと自説の証明責任は提唱者本人にあるのだから
たとえ追求者が無名やHNであっても、責任は当然サガミハラハラ氏に発生する。
挑発的な物言いはマイナスだろうが、これもごく真っ当な意見だと思う。
決して荒らしや議論混乱を目的とした書き込みとは思えないし、そうではないだろう。
それを今後無視するというのは、どういうことか。
サガミハラハラ氏はもとより、各人の意見を拝聴したい。
751 :
750:2006/03/24(金) 19:12:49
つまりだ
@サガミハラハラ氏は調査は不可能であり、これは挑発や煽りの類だと主張している。
A史学の徒氏は簡単にできる、やり方を教えてもいいと主張している。
(実際、公園補完工事への立会いなど結構具体的に書いている)
どちらかが嘘をついているか、間違っているかということだ。
これを検証したいと思う俺は、煽りや荒らしなのだろうか?
匿名やHNでは聞いてはいけないことなのだろうか?
だったらなぜサガミハラハラ氏は2ちゃんねるという匿名掲示板で、HNを使用しているのか?
本名も書いていたが、だったらミクシィあたりでやればよいのではないか?
単に出版物の宣伝を邪魔されたくないがための言い訳ではないかと考えるのは
こういった姿勢に根本的に疑問を感じるためである。
それを追求しようと試みる俺は、荒らしか嫌がらせか?
これも含めて、真にスレの正常化を願うのならば各人の意見を聞きたい。
752 :
750:2006/03/24(金) 19:14:18
できれば史学の徒氏がどこでどう書いたのかの正確な内容を
誰かコピペしてくれれば、検証の精度が増すので頼みたい。
753 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/24(金) 20:37:31
そもそもこの問題は私に発掘するようにけしかけたことにある。
そこで、この2チャンネル日本史は面に文献史であるが、考古学専門のかたもみているとおもわれますので、
ご意見をうかがいたい。
サガミハラハラのように、考古関係にまったく無関係のものが発掘
をおこなうということについていかがなものでしょうか。
見学見物だけじゃなくてですよ。
教委の埋文担当者が立ち会うのならまったく無問題。
むしろ提唱者としてあなたは立ち会う義務すらある。
実際の発掘作業は素人ならば、プロに任せればいい。
ただ明日香村などでは、バイトのおばちゃんがやってたりする。
それくらい簡単な作業(体力勝負)であることは事実。
そのために教委立会いの下という条件が書かれているのではと考える。
それと何人もの人が指摘しているが、日本史板には
>主に文献史であるが
などの括りはない。
歴史学そのものがカテゴリーであって、その中に文献学も考古学も含まれる。
考古学板が(仮)になっているのは、文献と考古を区分するためではなく
板が巨大になりすぎるのを防ぐために時代区分しただけに過ぎない。
だから最近日本近代史という板が新設された。
むしろ邪馬台国とか弥生時代などは、2ちゃん定義のカテゴリーから言って考古板でやるべき。
>>753 発掘に関しては市の教育委員会など公的機関に任せればよいと思います。市の
職員の方などにかけあってはいかがでしょう。
756 :
太国:2006/03/24(金) 21:01:28
とたんにスーッとは唐突でやりにくいだろう。
その気があるんなら安曇氏の
757 :
太国:2006/03/24(金) 21:02:45
言うような感じで、はじめは役場に話し掛けから出発かな?
かけあって小城市の職員の方が無理と言うなら、邪馬台国小城説は信用
されていないと考えるべきです。行政の方も、藤村アンポンタンが捏造なん
かして考古学の信用が低下している時に、発掘して何も出なかったら住
民からたたかれまくるのはわかっていると思います。
759 :
太国:2006/03/24(金) 21:06:02
太国さんがあまりにもまともなことを言ったので少々驚いたw
いやいや、これは失礼。
しかしこの話に限っては太国さんの言うとおりだと思う。
あくまでサガミハラハラさんに「その気」があるならだが。
サガミ氏に「その気」があるかどうか疑問。
591 :サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/20(月) 22:43:00
うーん、あんまり細かいところまで突っ込んでいくと、邪馬台国小城説が瓦解
しそうだな
>>761 なんじゃ、そらw
ンなら、自説が間違いだと証明されるのが怖いとか、商売の邪魔するななんてのは
煽りや邪推じゃなくて、ぴったんこカンカンなんだ。
一応このスレに書いてありました。
やはり公園の補完整備を利用すべきと思いますよ
建設会社で作業バイトでも出来れば
一石二鳥(交通費と宿泊費の足しに)
765 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/24(金) 21:58:54
もしわたしが、役所の担当者だったら、古代史研究家のペラペラの名詞をもってきただけの人は門前払いをしますよ。
いっそのこと
小城市に住民表移したら?よそ者の声より地元市民の声の方が重みが違う!
NPOでもつくって発掘やれば?
村起こしとかいいつつw
768 :
太国:2006/03/24(金) 22:21:17
サガミハラハラさん、どうなんですか?小城のそこのところは何かピーンとくる
景色とか雰囲気とか、口では表現しにくいある何らかの当体とかがあるんですか?
>>765 小城市役所にて自著を配布?してもらってると聞きましたが
そのあたりのつてを頼るとか、いくらでも手はあると思いますが。
それと書き込みのご様子から、一度たりとも交渉には行ってないようですが
本気で見つける気があるなら、とっくの昔にやっててもいいように思います。
前に掛け合ってみたが、だめだったとかいうのなら、まだ話はわかるのですが。
770 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/24(金) 22:27:26
いっそのこと、ホームレスのふりをして、公園にすみつき青テントをはり、
こっそりテントの下をほるってのはどうだろう。
>>770 冗談でごまかそうとしてはいけませんよ。
みなさん、結構まじめに質問してるじゃないですか。
>>765 秀同
よほど有力な根拠(たとえばその公園で親魏倭王の金印が発見されるとか)がないかぎり行政を動かすのは困難です。
まず市の教育委員会を納得させて、さらに市議会で了承を得る必要があります。
下手な根拠で税金投入したら、市民オンブズマンになにを言われるかわかったもんじゃない。
それができなければ、普通の公園整備で掘り起こす以外に手を加えるのは無理でしょう。
裏技使って、有力議員を数人抱き込むというやり方もあるかもしれませんが…いまどきどうなんでしょう?
サガミさん
とにかく小城に住む可きです。
そこで住民としての実績をそして
先ずは地元郷土史家を取り込むのです 彼等は地元の名士達とのツテを持っていますし、何しろ顔が広い!
774 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/24(金) 22:43:14
>>768まず、倭人伝の行路記事から、邪馬台国の都のあったところが、小城市の甘木地区
であること、そこに倭人伝の記述の大きさの岡があること。
その岡から、天正時代以前に大量?の人骨が出土していること。
江戸時代の公園整備の際も岡の南部から石棺等が発見されていることなどです。
なお教育委員会の見解は頂上の茶筅塚はともかく、岡は古墳等ではないとのことです。
>>773 地元郷土史家といってもよほど有名な人でないと…
役所や議員さんに顔が利くというのは、古代史研究家のレベルと必ずしも一致しないでしょうし。
>>772 あのね、そんな大層なものじゃないの。
あなたが言ってるのは補完工事などで、何か遺跡か遺物が出た場合の話であって
それらを見つける前段階では施工責任者は遺跡らしきものを掘り当てた場合には当該の教育委員会に報告する義務があるのですよ。
これは公共工事でも民間の住宅建設でもまったく同じ。
んでもって中には、見なかったことにしようとかいう不貞の輩もいることから
埋文関係者、特に教育委員会は基礎削掘時に検査できる権限があるんです。
もちろん相応の手続きや書類は必要だけど、書式が定型化されているからそんなに手間でもない。
あなたがおっしゃってるのは、何かが見つかった後に調査発掘をどこまでするのか
また保存のための予算をつけるのかどうかの話ですよ。
公園整備工事に教育委員会が立ち会うのは、いわば公務のひとつです。
しかしおっしゃるように、たとえ微々たるものでも血税が使われるわけだから
昨日の夢の中で卑弥呼が出てきてここだと言ったなんてのじゃ、誰も動きませんわな。
要するにサガミ説に説得力があるのかどうかだけの話なんですよ。
777 :
太国:2006/03/24(金) 22:56:28
サガミハラハラさん、岡の表面と周囲一帯を今後も隈なく調べてっ下さい。
それからこれは、っていう何かが掴めれば〜〜本格的になりますがな。
>なお教育委員会の見解は頂上の茶筅塚はともかく、岡は古墳等ではないとのことです。
結論出てるじゃん・・・
779 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/24(金) 22:59:26
>>775 いやいや
田舎の郷土史家の多くは
元地元の教育関係者や住職・神主と 結構顔が広いですよ。
いざとなれば
住職なら檀家 神主なら氏子 教育関係者なら教え子を動かせますから!
田舎は特にこういった繋がりを大事にしますから。
『損得抜きで動きますよ』
ま、最終的に何か決め手が無ければ動きませんが。
780 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/24(金) 23:01:46
確かに、工事現場に潜り込むというテはあります。かの安本先生は箸墓の生垣の手入れ
をしている人にことわって箸墓にはいりこんだそうです。
しかし、穴ほってるような現場はむりでしょう。
もしなにか発見されたら工事ストップで会社は大損しかねませんからね。
>>776 詳しい人感謝です。
結局そこに行き着くんですよね。
個人的には民間研究者の説を根拠に、行政が関与した発掘って聞いたことがないけどあるんだろうか?
手続きとしては、基礎掘削時の検査に同行させてもらえるかどうかという点でFA?
>>779 なるほど…小城市がどの程度の田舎なのかは不明ですが、侮れませんね。
彼らを納得させられればなんとかなるかも。。。
>>780 言い訳が多いですね・・・ちょっと腹立ってきましたので書いときます。
>もしなにか発見されたら工事ストップで会社は大損しかねませんからね
すべて補償されます。
会社は仕事はしなくていいわ金は入ってくるわで、ウハウハです。
困るのは民間の住宅などのケース。
正直なところ必死の思いで貯めて建てようとしたマイホームが
ここから重要な遺跡が出ました!建てるの待ってくださいとか言われたらまさにorzです。
だから私有地はややこしいといわれる訳です。
もうひとつは池上・曽根などがそうだったのですが
関空などの期限付きの大プロジェクトに関わってる場合。
これも結局はアクセス道路である湾岸線の開通が優先されました。
ただし同時に行われるはずだった和泉市の港湾整備事業は撤回されました。
784 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 23:15:04
狗奴って、本当に頭悪いな。しね
786 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 23:21:22
狗奴って、朝鮮人並みに低能。しね
>>781 >民間研究者の説を根拠に、行政が関与した発掘
実はそっちのほうが多かったりする。
特に私有地などは在野の研究者が、地主の家に日参して何度も頭を下げて試掘させてもらい
そこで何かが出てきたから行政などにそれを提出して、本格調査を訴えるのです。
吉野ヶ里遺跡などはまさにこのケースです。
>基礎掘削時の検査に同行させてもらえるかどうかという点でFA?
そうですね、ちなみにもしその公園周辺が邪馬台国で、その丘が卑弥呼の墓だという仮説に説得力があれば
経済効果は計り知れないものがありますから、官民上げて協力するでしょうね。
特に小城市のように観光の目玉がないところだと、喉から手が出るくらい欲しいはずですから
奈良や京都みたいに、住民も行政も遺跡にうんざりしている土地柄よりずっと協力的だと思います。
>>784 >>786 狗奴さんは知らないから聞いているだけで、何も悪くないですよ。
誠実に質問しているからこそ、こちらも誠実に答えている。
断罪されるべきは言い訳とごまかしで逃げようとするサガミハラハラさんではないでしょうか?
789 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 23:29:09
狗奴は、もう来るな。しね
ということで、実際はさして難しくないことなのに
まったくアクションを起こさないどころか
指摘した相手をノー天気とかいって罵倒してまで逃げようとする
サガミハラハラさんのほうに問題があるということでFA?
791 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 23:47:02
狗奴はもう寝たか。二度と目を覚ますな!
792 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/25(土) 08:10:53
>>実際はさしてむずかしくないのにーー
はあそうですか。
私がまだ教員だったころ、教員の肩書きの名詞をみせて訊ねますと、学芸員さんなんかがとんできて
親切に説明していただきました。ところが退職して古代史研究家のペラペラの名詞になってからは
受付の女の子のところから一歩も前に進めなくなりました。
ある時は地元の研究家の方からある方を紹介されていったのですが、出てきたのは若い方で、その地域に
ついては私のほうが知っていました。けど会っていただいただけでもありがたいことです。
係の方ですが、私がその立場でしたらまず約束めいたこと予定めいたことは絶対いわないように
するでしょう。また、脈がありそうな言動もできるだけ避けるようにします。何度もこられていつか
れでもしたらやっかいですからね。あ、それから私が本を持ちこんだところは商工観光課です。教委ではありません。
しかし本当、いいたい放題ですね。古代史研究家には妄想夢想のデイドミームビリーバーが多いとは感じてはいたが
これほどとはあきれたものだ。しかし、これらはスレ違いです。いいかげんやめましょうね。
793 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/25(土) 08:13:04
巻向石塚と邪馬台国について話しましょうよ皆さん。
794 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/25(土) 10:10:06
パソコンなんで携帯のリンク貼られても困ります。そのスレは「畿内説スレ」
ですか?
796 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 10:18:19
邪馬台国は南九州かも。
797 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/25(土) 10:31:21
安曇さん スマソです。
【庄内〜】畿内王権の成立ぱーと5【〜布留】
です。
798 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/25(土) 10:35:23
忘れましたが
今、畿内関連スレだけで四つほど有りますよ
>>797 でもそこだと石塚と邪馬台国についてからめた議論したらトンデモになりませんかね?
今じゃ
かつて程の盛り上がりも無いスレだから〔SAGE〕進行で進めていれば問題無いと思いますよ。
801 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/25(土) 10:48:44
古代史関連の名著を列挙してください。
もうくだらん本買って金無駄にしたくもないんで
通販で買うことにします。僕の住んでる田舎に
おいてある本などほとんどくだらんものばかりですw
とりあえず古田あたりの本を購入しようかな
畿内王権スレで『邪馬台国』はNGワード。
スレ違い誘導対象です。
>>801 学生社の「古墳学入門」井上光貞の「日本の歴史巻1神話から歴史へ」後者は
古い本ですが、最近の考古学などを絡めて読めば、十分たたき台になる本かと
>>802 それは違うよ!
〔ローカルルール〕では“邪馬台国九州説”が対象で
畿内説は別 以前活発だった頃はそうだったぞ!
今回馬蹄型の周濠が見つかりましたが、三世紀前半の古墳からその形の周濠が
見つかったことで、箸墓との確かなつながりが確認されたのではないでしょう
か。
>>792 言い訳だけならまだしもな。
正当な要求を求める論者を夢想家呼ばわりまでしてごまかすか、普通?
>ところが退職して古代史研究家のペラペラの名詞になってからは
それを覚悟で退職したんじゃないのか?
それとも意に反した退職だったのか?
仮にも元教師だろうが。
あんたの教え子たちの誰かが「後藤幸彦」の名を見つけてこれを読んでいる可能性だって十分にあるんだよ。
彼らに対してなんて言い訳するつもりなんだい。
しかもスレ違いでもなんでもない。
コテハン叩きですらない。
まずすべての参加者に対して、非を認めて謝れ。
特に暴言でごまかそうとした追求者たちには、心から謝罪せよ。
はたで見ていて、正直ここまでデムパ親父を追い詰めんでもよかろうとも思っていたが
あんたの態度はあまりにひどすぎる。
追い込まれて当然だ。すべての原因は後藤幸彦にあるのだからな。
とにかくきちんと謝れ、それをせずにこれ以上書くな。
あまりに不愉快だ。
>>807 まあいいじゃないですか。ハナから小城説なんて思いつきで構築しているんで
すからね。あなたの仰ることはごもっともですがもっと身のある議論をしまし
ょう。
809 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/25(土) 11:25:58
安本の数理統計学とやらが読んでてうざったるいw
あんな表ばかり載せてるおかげで3200円もするのか・・
文庫本で100円で売ってた高木あき光の本のほうが
数段面白かったしためになった。
810 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/25(土) 11:35:40
なぜサガミさんは小城に固執するのです?
水行陸行が郡からの総日程では投馬国の記述から
矛盾が生じることは指摘しましたし、東に海などないですし
女王国が卑弥呼の権力の及ぶ範囲のことを指していないことも
指摘しました。7万戸も小城では収容できません。
素人の僕からみてもありえないんだし本の売れ行きも芳しくないのは
必然だと考えますが。もう一度はじめから説を構築し直す
べきだと思います。
安本は最近の考古学の成果を無視しすぎ。いくら素人でも、最近の本読んでり
ゃ「画文帯神獣鏡の晋の時代に作られた」はあまりにもおかしすぎる。
失礼。「画文帯神獣鏡は晋の時代に作られた」
画文帯が『晋時265〜420』の作となれば
ホケノや黒塚は四世紀〜か?
四世紀頃の纏向には、未だ沢山の『鬼』が支配していただろうし
ホケノも『鬼』の親分クラスの墓だろうよ
昔話に出てくる鬼は、何時も宝物イッパイ持ってるし“桃太郎”に出てくる『鬼ヶ島』ってマキムクの事かもね
815 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/25(土) 22:51:33
>>それを覚悟で退職したんじゃないのか?って いやそういう意味じゃないのですよ。
別に不利になったから不満があるというわけじゃなくて、そういう状況になったということだけですよ。
随分エキサイトしておられるようですね。私もエキサイトしてあのような文を書いたというわけですよ。
おあいこということですね。
816 :
圭角:2006/03/26(日) 09:43:16
サガミさんにお尋ねしてみたいのですが 。
邪馬台国を小城とした場合、狗奴國は何処ですか。
そして、その相攻撃するという状況並びにその戦いの様子を、どのようなものと
ご想像或いはご想定なさいますでしょうか。
よろしければ、ご説明賜りますようお願いしたく存じます。
817 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2006/03/26(日) 09:59:05
818 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/26(日) 10:16:18
>>816 狗奴国は熊本県北半とみます。狗奴はクトと読むとみます。宇土半島にそのなごりがあります。
ヤマトという地名が筑後にも肥後北部にもあろことから、かなり長い間抗争をくりかえし、範囲が
移動していたのではとかんがえます。
そのようにいたった事情については考え中です。
819 :
圭角:2006/03/26(日) 12:44:30
サガミさん、ご返信有難うございました。
狗奴國の位置については、わたしも同じく考えております。
そこで、あらためてお伺いいたしたいことが浮上してくる次第です。
そうなりますと、当該戦いは、陸戦よりも海戦ということになりますよね。
有明海を狗奴國の兵士を乗せた船が北上して佐賀平野に上陸して
小城の邪馬台国を攻撃した。
熊本県の県木は楠なんです。楠の木は船材に適していると言われています。
今も県内には楠の大木を多く見ます。
しかし、ここで疑問が生じます。ひとつは、筑肥山地つまり熊本福岡の県境の
耕地の僅少な地帯から鉄の鏃が、相当多量に出土しているという奥野正男氏の
論文資料があります。この事実は筑肥山地がその戦場であったことを示唆する
ものだと思われます。
つまり、これらのことからすると、邪馬台国と狗奴國はもっと近接していた
つまり、小城と熊本では離遠し過ぎているのではないかという疑問なのです。
小城と熊本の間を車で走ってみても、ずいぶんと遠いなと思うのです。
つまり、兵站の必要な戦になるということなんです。
つまり、兵站の必要な戦いが、この時代の倭において始終繰り返されていたとは
考え難いと申し上げている次第なのです。
820 :
圭角:2006/03/26(日) 12:56:32
近世において、その参考になるのは西南戦争だと思います。
司馬療太郎氏の翔ぶが如くを読んでみますと、官軍も薩軍もその兵站の
維持補給には腐心していますね。
筑肥山地がその戦場とした場合、邪馬台国と狗奴國は兵站はどうしたのでしょうか。
狗古智卑呼が菊地に居たとすれば、狗奴國の兵站は問題ないでしょう。
しかしながら、小城邪馬台国の兵站はいかにして保持されていて
戦いが繰り返されたかという疑問であります。
素より、と記してあるからには容易には決着が着かなかったという訳ですから
なおさら、小城邪馬台国の兵站線の維持に疑義を抱く次第なのです。
821 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/03/26(日) 20:12:01
筑肥山地にそって高地性集落が分布している地図をみたことがあります。
小城からは兵站は船で運んだとおもわれます。後世の陸奥の兵が今日に攻め上ったことなどから、小城熊本間はそれほどの苦労はなかったのではないでしょうか。
822 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/26(日) 21:04:07
安本の数理統計学とやらでは
古代天皇は1代10年程度とのことですが
これについての信憑性はどうなのですか?
本を読んでてうさんくさいというか、
この人は頭でっかちなんじゃないかと
思いましたが。
823 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 12:36:07
講談社新書『桃太郎と邪馬台国』前田晴人著では、邪馬台国は畿内説をとっているね。
そして、クナ国は吉備の国であり、魏の国の使節は瀬戸内を避け、日本海側の山陰を通って
丹後の国から上陸し、大和盆地に入った。
かれの意見では、「クナ」は邪馬台国畿内説では熊野や毛野、北九州説では球磨の国とされている。
しかし「クナ」を地名だと信じて疑わないのがおかしい。「クナ」とは「来るな」であり、
敵対する国に対する悪意のあるあだ名だ、と説く。真偽はともかく、この意見にはハッとした。
また、魏志倭人伝には難升米と牛利という二人の人物が魏の国に使節として赴いた、とある。
「牛利」はゴリと読み、古事記開化天皇の項にある「丹波の県主、由碁理」(ゆごり)と同一人物である。
丹波の国は畿内の邪馬台国と深い関係にあり、その長が使節として魏に向かう栄誉に浴した。
ユゴリは帰国後魏の国の優れた文化を人に語り、それが丹後の国の浦島伝説の竜宮城の描写として残った。
なお、禁断の玉手箱とは、恐らく魏からの下賜品であろう、と論じられている。
824 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/27(月) 12:51:44
825 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/27(月) 19:36:51
圭角さん 『後漢書倭伝』にカキコされているAD57年の朝見記事〜 の私見をカキコしておきますので お暇の時ご意見よろしくお願いします。
※五十七年の朝見は邪馬台国を支配する男王達(天照一族)の代表が朝見、光武帝から印綬を受け正式に、属国となった
※一○七年の朝見は大国主一族であり、倭王と呼ばれた“帥升”が建前上「倭王」として見られたのは、彼の国域が列島の中心的な位置に有った事と桁外れの土産(生口)のお返しの「倭王」称号
しかし、残念な事に帥升の国は“漢の属国”でなかったため
…続く…→
>>825 →…続き…→
桁外れの土産付きにも拘わらず朝見も漢帝国から適当に遇われた。
彼の願いは、以前から天照一族(帝国の後押による)の本州(自領域)への侵略行為の中止願いだった。
※『倭国大乱』とは
漢帝国の後ろ盾のもと、侵略を繰り返す天照一族と
防衛する側の大国主一族の大戦、 この戦いにて天照一族は、中心的『王』を失い
天照一族の内乱『相攻伐』が勃発する。
漢は、属国の統制を計る為に対策として“前例”を参考に、次代卑弥呼を共立した。
共立は“同意”ではなく漢による従属的な共立であった。
827 :
圭角:2006/03/28(火) 10:33:45
プラムさん、以下は岡田英弘著の倭国、中公新書を下敷きにした私の意見です。
まず、岡田氏の著に拠らずとも、後漢の主導もしくは助言による卑弥呼共立の
可能性は極めて希薄であると考えられます。
それは、西域で活躍した斑超が一0二年に死んだ後、西域諸国はことごとく叛き
一0七年、後漢は中央アジアを放棄し西域都護を廃止し、駐屯軍を引き揚げます。
そればかりか、姜族や高句麗の反乱が相次ぎます。宦官の勢力が強まり、これを
排除しようと図るも失敗し、まさに内外に諸問題つまり内憂外患はこの当時より
始まり、衰退していくのが後漢であり、しかも奇しくもこの一0七年です。
828 :
圭角:2006/03/28(火) 10:44:37
かくなる107年に師升らの倭の朝貢が、たまたま奇しくも同年とはまさに
奇妙な符合とは思われないでしょうか。
しかも、57年から五十年ぶりです。したがって
わたしは、岡田氏の、後漢の費用負担による政治ショー演出がその背景だと
いう説を支持しております。
829 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/28(火) 10:52:43
大庭脩著「親魏倭王」を読みましたが
細かすぎて挫折しました。やはり専門家の
知識量とは差がありすぎます。
素人の僕がこのようなところでああだこうだと
いうのも恥ずかしくなってきたので控えたいと思います
830 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 07:31:54
私たちの血管には半日と 嫌日という赤血球が歩き回って!!
それが私たち韓国人の精神だろう!!
いつかは日本列島を征腹してそのまま返すつもりの!!
半日は韓国を発展するようにする.
半日は韓国スポーツを発展させる.
半日によって韓国野球が日本を 2番(回)勝つほどの実力になった.
WBC大会を通じて半日の数字が 90%越したことは良い収獲だった.
韓国人の政治,外交的半日は歴史のためだが..
スポーツの半日はIchiroのためだ..
WBC大会の最大の収獲は全世界に半日だけ増加させた
WBC大会を通じてアジアの日本に対するイメージがもっと悪くなった
半日教育をまた財政費しなければならない.
半日が必ず悪事ではない. - 結果はいつも良かった.
スポーツに引き継いで経済面で
三星電子の 'ソニ?を勝とう'
半導体 ' 日本を勝とう'
朝鮮(船舶) '日本を勝とう'
LCD '日本を勝とう'
鉄鋼 ' 日本を勝とう'.........
半日精神が暮してある限り敗北はない
日本人の最後 1人になるその日まで... 韓国の半日は永遠だろう.
日本が滅亡するその日まで私たちは仇を討つ.
ここの日本人を見れば半日の価値もない
ただ嫌日感情だけ生ずるだけ
神州ハ不滅
832 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 09:05:34
>>829 専門家はそれでメシ食ってるんだから知識量があるのは当然として。ないと困るし。
それよりもたかが論文に挫折するあんたのほうがまずいな
833 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 09:21:50
私たちの血管には半日と 嫌日という赤血球が歩き回って!!
それが私たち韓国人の精神だろう!!
いつかは日本列島を征腹してそのまま返すつもりの!!
半日は韓国を発展するようにする.
半日は韓国スポーツを発展させる.
半日によって韓国野球が日本を 2番(回)勝つほどの実力になった.
今度大会を通じて半日の数字が 90%越したことは良い収獲だった.
韓国人の政治,外交的半日は歴史のためだが..
スポーツの半日はIchiroのためだ..
今度大会の最大の収獲---->全世界に半日だけ増加させた
今度大会を通じてアジアの日本に対するイメージがもっと悪くなった
半日教育をまた財政費しなければならない.
半日が必ず悪事ではない. - 結果はいつも良かった.
スポーツに引き継いで経済面で
三星電子の 'ソニ?を勝とう'
半導体 ' 日本を勝とう'
朝鮮(船舶) '日本を勝とう'
LCD '日本を勝とう'
鉄鋼 ' 日本を勝とう'.........
半日精神が暮してある限り敗北はない
日本人の最後 1人になるその日まで... 韓国の半日は永遠だろう.
日本が滅亡するその日まで私たちは仇を討つ.
ここの日本人を見れば半日の価値もない
ただ嫌日感情だけ生ずるだけ
神州ハ金甌無欠揺ルギナシ
835 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 11:29:50
>邪馬台国はどこですか?
畿内大和ですよ。
836 :
太国:2006/03/29(水) 11:32:09
女王国は九州所在です。畿内朝廷と直接の係わりはほぼないようです。
837 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/29(水) 12:24:24
>>82916歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlycさん
自分の意見を披露するのは控えても、
その程度で挫折するようでは、
古田武彦「邪馬台国はなかった」「失われた九州王朝」も読みこなせないぞ。
まずは漢文を読む力を養わなければ。
838 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/29(水) 12:30:09
>>837王朝さん
しかし、現実は『從郡至倭…』というトンデモない読み方が主流なのです。
…お先真っ暗…
839 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/29(水) 12:33:08
邪馬台国はなかったは3年前に読みました。
ってか邪馬台国からはもう足を洗いますw
こんなことしてたら現実世界のほうがどんどん
落ちぶれていきますから。大学受験のほうの
勉強を頑張ります。ではでは
『二つの奴国』
結局何も見えてないから『同じ奴国』が二つに分裂解釈されちゃう訳よ
異質な国と解釈するのは『論外』な話
同一飛び地説も結構多数な意見かと? しかし
べつな場所に分裂しているのなら『又有』とか『自…』と、カキコするもんだろう『後漢書』やその他の『正史』でしているように
そのくらいの事、専門家なら解りそうなもんだ
結局何も見えて無いのさ!余計な知識ばかり付けて。
841 :
圭角:2006/03/29(水) 16:00:31
プラムさん、こんにちわ。ご参考まで
魏志倭人伝 今使訳所通三十国、 從郡至倭
大平御覧魏志倭人伝 今令使訳所通其三十国、從帯方至倭
魏略 從帯方至倭
後漢書倭伝 使訳通於漢者三十許国
晋書倭人伝 有三十国通好
梁書倭伝 從帯方至倭
つまり後漢書倭伝及び晋書倭人伝においては
三十国・從において、その脈絡関係が無いということを、対照表として整理した
ものであります。
さて、今度は私にお付き合いを願いまして、魏略についていずれ、と存じます。
842 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/29(水) 16:22:00
圭角さん
今運転中なので 後ほど
843 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/29(水) 18:34:56
>>841圭角さん
圭角さんの提示されたそれらの用例と〔從〕の関係の有無を示していただかないと 答えようが有りません。
出来ましたらもう少し詳しくお願い致します。
〔從〕海岸水行…ではなく
〔循〕海岸水行…なのか?
これらも一緒に解釈願えれば幸いです。
尚、魏略の解釈はパス致します
圭角さん
魏略逸文についてのコメントを聞かれても、答えようがないんです。
資料も断片的で全体を眺める事が出来ないし
私の魏略逸文への位置付けは、メモ或は当時の掲示板くらいに考えていますので
それでもよろしければ、お付き合い致します。
845 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/29(水) 21:21:10
まだまだ理解されていない為
【舊百餘國漢時有朝見者今史譯所通三十國從】
【三十國從】⇒三十の国(王と民)を従えて
※邪馬壹國三十国体制
《意味解釈》以前列島には、百余の国があったが、漢人の往来は無かった(出来なかった) しかし、邪馬壹国が建国されし以降は漢人の往来が邪馬壹国(三十国)に限り、可能になった。
そして
三十国の王と民が漢人往来に対応した。
※この倭人伝と後漢時の記録を見た范曄は、
邪馬台国の建国時期とイキサツを【自武帝滅朝鮮】とカキコし、後漢時の帝国と邪馬台国の関係を【使驛通於漢者三十許國】と
846 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 21:49:35
思うんだけど、それってきちんと30国比定したら
わかる問題じゃないの?
847 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/29(水) 21:50:06
范曄は【自武帝滅朝鮮】とカキコすることにより
※列島には、倭種と朝鮮系渡来民(大国主一族)が住んでいて【滅朝鮮】をきっかけに 韓国系渡来民が九州に渡り、邪馬台国を建国(関係三十国)し、
列島には、(朝鮮系渡来民・韓国系渡来民・倭種)の三グループ
その中の邪馬台国(天照一族)が、後漢朝と属国関係(五十七年朝見)になった事を書き記した。【使驛通於漢者三十許國】
※【…其餘旁國遠絶…】の『旁國遠絶』が、107年帥升等(大国主系)の願請見に掛かる訳!
『遠』は(距離)ではなく(時間)
>>847 『三十国』
@対馬国A一大国B末盧国C伊都国D奴国E不彌国F投馬国G女王国H狗奴国(I斯馬国〜〜29烏奴国)30朱儒国
これが邪馬壹国(三十国体制)です。
850 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/30(木) 00:38:02
>>839 16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlycさん
自分のすべきことを見据えて情熱をもって邁進しましょう。
それでも趣味としてのレベルでは邪馬台国を捨てることもないでしょう。
息子の友人で「16歳高校中退ヒッキー」が京大医学部にストレートで行った例もあります。
僕も、京都郡・中津・宇佐地域の古代史上の流れや地位に関心を持っています。
仮説すらもなかなか建てられませんが。
割り込みですいません。
大好きさんはもう現役を引退されたんですか?
852 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 03:15:42
B
853 :
圭角:2006/03/30(木) 15:23:45
プラムさん、よろしければ私の841をもう一度見てください。プラムさんの845
のように、三十国從と続けて読んで、三十国を従えて、と読むとするならば
魏略、後漢書、晋書、梁書におきましては、三十国・從の脈絡はありませんが
このことに関しては、ご見解はいかがなんでしょうか。という意味で書いたのですが。
854 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/30(木) 15:39:59
圭角さん
『三十国従』⇒従えるのは邪馬壹国女王卑弥呼です。
『三十許国』⇒後漢王朝から邪馬臺国(三十国)が出入りを認められ
『大抵…絶遠従帯方至倭』⇒後に服する倭『遠従』です
問題の魏略逸文
【從帯方至倭…】
@『從』の前に文章が存在したかどうかが判らない
A存在していなく『從』で始まる文章なら
【『從』『帯方至倭…』】でしょう
その時『從』は⇒服属する地域
と解釈します。
855 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/30(木) 15:56:20
圭角さん
『三十国』⇒邪馬臺国そのもの
倭の貴族達は自分達の支配する土地を『ヤマタ』と自称していた!
856 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/30(木) 16:29:09
『三十國從』『三十國通好』 共通する対象は『人』詰まり
魏志も晋書共に「倭人伝」だからです。
後漢書と梁書は共に「倭伝」対象になるのは「人と国」
※後漢書のスタートは【倭在】だから『三十許国』の対象は『国』
※梁書のスタートは【倭者】
だから『遠從』の対象は『人』
だから単純に比べてどうこうは、簡単にはできません。
圭角さん判りましたでしょうか?
857 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 17:50:41
北朝鮮の拉致問題に取り組む特定失踪(しっそう)者問題調査会は24日、
1994年に沖縄県石垣市で行方不明になった同市の主婦富川久子さん=当時(35)=について
「拉致の可能性を否定できない」として、氏名や失跡の状況を公表した。
調査会によると、富川さんは94年2月14日、知人に子供を預け、
車で買い物に出かけたまま行方が分からなくなった。車は翌日、
自宅から約15キロ離れた石垣島北西部の灯台付近で発見された。
運転免許証がなくなっていたという。
調査会が公表した失跡者は計254人になった。
うち34人は「拉致された疑いが濃厚」としている。
(共同通信) - 3月24日16時40分更新
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060324-00000167-kyodo-soci
九州が『やまど』、出雲が『やまた』、四国が『やまい』で
出雲と四国の連合が『やまたい』。
九州の一部が東に行って『やまと』になった。
859 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:50:20
あほら
860 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 09:54:20
プラムさん、わたしには格別の漢文の素養がないばかりか、従来若い頃より
むしろ漢文は不得手でありました。その理由をあえて申しますと、この場合は
このように読み、かくなる場合はかく読む、というのが漢文だという印象が
強くあったからです。ですから、私は漢文の読み方には全く自信は無くて、
いわば通説定説に従って読んでいる次第です。そこで専ら碩学の白川静先生の
字通などの著作を参考というより確認をしているという状況です。
ちなみに私は漢字においては白川先生を尊敬崇拝しております。たとえば
文身という文言は倭人伝で注目されていますが、著名な倭人伝の学者先生すら
文身を刺青と誤解した著作をされている場合も多いようです。
以前、倭人伝の通夜の風習が今も全国的に残っていることを確認しましたが、
文身の風習は戦後の熊本県には残っておりました。驚かれることと存じますが
赤ちゃんが生まれて何日か経ってお宮参りをするときに、親しい知り合いへ
立ち寄って、男の子ならば額に墨の筆字で大とか書いてもらいます。女の子なら
額に紅を少しつけていました。
白川先生は、かくなるものが倭人伝記事の文身であって、後世の入れ墨とは
異なるものだと詳説しておられる記事を読み、自らも得心した次第でした。
さて、今、プラムさんの、従について用法、用例などにつきまして白川先生の
著作で調べてみましたが、プラムさんが得心されるに足るものは未だ残念ながら
見出しておりません。
ところで、魏略はプラムさんのおっしゃるように、メモ或いは掲示板の如きの
印象がありますが、それは違います。三国志のハイ松之の注釈には、
魏略に云う、としてまさにゴマンと大量膨大な文章が記してありますよ。
861 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 09:56:58
スミマセン、860は圭角です。いつもと違うパソコンだったので
書き忘れました。
遺跡でも見つからないかね・・・
圭角さんおはようございます。 なんやら、周りで私の追い出し運動が始まったようで 結構なことです。
※圭角さんが白川氏を尊敬し、著書を参考にしておられる事は以前より存じ上げておりました。
※古代漢文ですが、圭角さんを遥かに下回るのが私の漢文知識で 文法云々を語れる素養もございません
しかし、(シタガウ)という『從』が人を対象にする漢字であること、『循』がそれ以外に使用される事位は知っています。
“文法や読み下し”以前に、それら基本的な字意を大事にして戴きたく、連日のレスになっている次第です。
魏略逸文の軽視は
その逸文の文頭が『倭人在』なのか『倭在』なのかわからないからです。
これがわからない文章は、羅針盤やコンパスの無い航海と、考えるからです。
865 :
圭角:2006/03/31(金) 14:30:21
確かに、山尾幸久氏も言うように、いわゆる類書魏志の文に魏志の文よりも
オリジナリティーを認めるのは本末転倒である、という見解も理解するものですし
かくなる厳密さも重要でありましょう。
しかしながら、だからといって、それらのすべてを捨て去って可能性を閉ざして
しまうのも惜しいように考えます。
その可能性からのよく知られた仮説でありますが、
陳寿は、里数で表記された魏略系統の行程記事に、日数表記の行程記事を別史料を
もとに追加挿入したという説は、昔から唱えられている次第です。
むろん、わたしはそのいずれもが、晋帝室の創業者司馬イ顕彰の為に書かれたと、
確信しております。
という根拠は、三国志のいたるところ随所において、陳寿の作為が認められます。
なんとなれば、独り倭人伝のみを昔の古田氏のように、あらゆる文言は正確無比
とする姿勢は錯誤の極みと断じる次第です。
魏書とはいっても、その内実は司馬氏が魏から政権簒奪した事実を歪曲して記し
あたかも魏から禅譲を受けたと記しているのが、つまりは陳寿の正史三国志です。
そこに意を払わずして倭人伝を金科玉条の如く取り扱うのは明らかに誤りです。
無論、世の中は仮説のもとに成り立つものです。昔懐かしく今、共同幻想なる
言葉も思い出しました。
特にこの世界のことですから、いろんな仮説、諸説が存することは当然なことです。
自説に拘るのも良し、他説に反論するも良し、ですよ。
866 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/31(金) 15:14:20
圭角さんの言われる事はごもっともな意見と思われます。
しかし、私の場合『金科玉条』に扱い、それを極めた訳では有りません。
この作業が終われば何等かの答えは出るでしょう その時始めて『誤字 脱字』その他『観念的な主観』が見えて来る筈です。
かくなる“司馬懿”に対する思惑的な史書であるなら何故
司馬氏に直接的に影響の無い後世の史書に、過去の思惑の込められた記事を訂正もせず
掲載したのでしょう。
朝見返礼の使者は、魏朝に限られた行為では無い筈です。
誤りがあれば
その最新の情報、体験文を史書に書き記す筈
867 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/03/31(金) 15:32:44
圭角さん
一つ言い忘れました。
※出来れば、その他の掲示板にて自説を述べられたら如何でしょうか?
少し世界が変わりますよ!『無記名』では有りませんから
この“2ちゃんねる”ほど荒れませんし、相手の特定も容易です。
私が、以前に比べてレス回数を少しずつ減らし、考え方を変えて来ているのも、それが一つの理由です。
結局2ちゃんねるは2ちゃんねるなんです。無記名の
868 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 18:36:15
◆◆ 和漢共栄時代から三民戦争時代へ。カラ半島の古代史 ◆◆
3世紀以前のカラ半島は、半島北部地方は、漢民族が楽浪郡を置いて支配し、半島南部地方は、
倭人(日本民族)が、志良岐と任那を建国して支配していた。この時代が、『和漢共栄時代』である。
しかし、313年から314年にかけて、満州地方のフヨ人(高句麗人)が、漢人が支配する楽浪郡を
攻撃して滅ぼしたため、これ以降、『三民戦争時代』に突入する。
三民戦争時代とは、カラ半島北部の高句麗を支配するフヨ人、任那・百済を支配する倭人、そして、旧帯方郡の
東部地方に住んでいたが、356年に倭人国家=志良岐(シラキ)を乗っ取り、新羅を建てたワイ人(穢人。朝鮮民族の先祖)
が、カラ半島の支配権をめぐって戦争を繰り返した時代である。
当初、ワイ人国家=新羅は高句麗に朝貢し、倭人勢力と戦争していたが、433年に高句麗に対して反乱を起こした。
そして、倭人国家=百済・任那と同盟を結び、今度は高句麗と戦争した。
だが、550年代になると、ふたたび倭人勢力とワイ人勢力の関係が悪化し、新羅と百済の間で戦争が再開された。
643年には、敵対関係にあった倭人とフヨ人が反新羅で同盟を結び、ワイ人国家=新羅を攻撃した。
倭人とフヨ人は協力してワイ人国家=新羅と戦ったが、660年、唐と手を組んだワイ人勢力=新羅によって、
百済は滅ぼされた。
668年には、フヨ人国家=高句麗も、ワイ人勢力=新羅と唐の連合軍の攻撃により都を落とされ滅びた。
最終的に、カラ半島はワイ人によって統一された。このワイ人が、後の朝鮮民族である。
倭人=日本人勢力は、663年の白村江戦争で敗北した後、カラ半島の領土を手放した。
しかし、白村江戦争以降も、ワイ人=朝鮮人勢力は、海賊活動を中心に何度も日本侵略を繰り返した。
これが、古代カラ半島の真実の歴史である。7世紀以前のカラ半島は、三つの民族が領土戦争を展開して
いた地域だったのである。
869 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/31(金) 23:19:21
>>851 :日本@名無史さん :2006/03/30(木) 02:44:45
>割り込みですいません。
>大好きさんはもう現役を引退されたんですか?
現役の第一線からは引退しました。
870 :
851:2006/03/31(金) 23:54:03
>869
大好きさん、お疲れ様でした。
どうかweb上に、大好きさんのホームページを
作っていただけないでしょうか?
私はあなたの上をいく現地調査と洞察を
きいたことがありません。
871 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:30:24
ド田舎の九州に邪馬台国が有る訳無いだろwアタマ悪いねw
872 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 18:21:28
まったくだ
873 :
26さい大卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/32(土) 19:07:41
山尾って立命の教授の?あいつがそんなに有名人だったのか。
>>873 I was reliable and you appeared before.
On earth who is it ?
875 :
26さい大卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/32(土) 22:54:26
立命館大学文学部で日本文学を専攻、その後地元市役所の倍率に屈し引きこもりに舞い戻る。16さい中卒ヒッキーだったあれから10年結局この10年無意味で時がとまっていたのと同じでした。
876 :
26さい大卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/03/32(土) 23:01:22
女王国と邪馬台国は異なるのでしょうか?
877 :
pulm ◆RvhHf7kqyY :2006/03/32(土) 23:56:27
>>875 A dropot of the life
There was same oneself there even if ltried to look back toward oneself before ten years.
>>875 【女王国<邪馬台国】
>>877 A correctin
dropot ⇒ dropout
Excuse me
879 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 00:56:39
台湾だろ。
プラムは英文も苦手なのかなw
881 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 01:46:45
沖縄だよ
882 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 01:52:02
アホども
木村政昭教授の本読めば
沖縄だって事がわかる
プラムに質問。お前の読みで倭人伝に返り点を付けられるのか?
884 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 16:21:34
邪馬台国は、四国ですよ。
>>885 付けられないなら妄説は取り下げましょうね、坊や。
889 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 18:07:55
◆◆ 和漢共栄時代から三民戦争時代へ。カラ半島の古代史 ◆◆
3世紀以前のカラ半島は、半島北部地方は、漢民族が楽浪郡を置いて支配し、半島南部地方は、
倭人(日本民族)が、志良岐と任那を建国して支配していた。この時代が、『和漢共栄時代』である。
しかし、313年から314年にかけて、満州地方のフヨ人(高句麗人)が、漢人が支配する楽浪郡を
攻撃して滅ぼしたため、これ以降、『三民戦争時代』に突入する。
三民戦争時代とは、カラ半島北部の高句麗を支配するフヨ人、任那・百済を支配する倭人、そして、旧帯方郡の
東部地方に住んでいたが、356年に倭人国家=志良岐(シラキ)を乗っ取り、新羅を建てたワイ人(穢人。朝鮮民族の先祖)
が、カラ半島の支配権をめぐって戦争を繰り返した時代である。
当初、ワイ人国家=新羅は高句麗に朝貢し、倭人勢力と戦争していたが、433年に高句麗に対して反乱を起こした。
そして、倭人国家=百済・任那と同盟を結び、今度は高句麗と戦争した。
だが、550年代になると、ふたたび倭人勢力とワイ人勢力の関係が悪化し、新羅と百済の間で戦争が再開された。
643年には、敵対関係にあった倭人とフヨ人が反新羅で同盟を結び、ワイ人国家=新羅を攻撃した。
倭人とフヨ人は協力してワイ人国家=新羅と戦ったが、660年、唐と手を組んだワイ人勢力=新羅によって、
百済は滅ぼされた。
668年には、フヨ人国家=高句麗も、ワイ人勢力=新羅と唐の連合軍の攻撃により都を落とされ滅びた。
最終的に、カラ半島はワイ人によって統一された。このワイ人が、後の朝鮮民族である。
倭人=日本人勢力は、663年の白村江戦争で敗北した後、カラ半島の領土を手放した。
しかし、白村江戦争以降も、ワイ人=朝鮮人勢力は、海賊活動を中心に何度も日本侵略を繰り返した。
これが、古代カラ半島の真実の歴史である。7世紀以前のカラ半島は、三つの民族が領土戦争を展開して
いた地域だったのである。
890 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 19:36:43
邪馬台国は騎馬民族に乗っ取られた。
891 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 19:38:37
892 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 19:49:10
893 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/03(月) 19:56:42
pulmには、誰も突っ込まないのねん
895 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/05(水) 00:17:20
スレがすっかり寂れてる
もう関係ないけどね!
896 :
三角@名無史:2006/04/05(水) 08:07:51
関係ないけど、私の本買って。かつてここでボツにされた理論ですが。
金儲けっていうよりここで、論議してもらいたい。トンデモ説か
どうか。『邪馬台国がわかる』ってタイトル。
897 :
圭角:2006/04/05(水) 10:29:40
プラムさん、おはようございます。花に嵐のたとえもあるぞ、というとおりにて
昨夜来まことに春の嵐が吹き荒れてその上雷さえも地響きをたてておりました。
さて、魏志には司馬イの伝が無いものですから、晋書の訳文を司馬イに関する部分を
読んでみたことがあります。
ご案内のとおり、晋書は三国志から約三百年以上後の唐代に房玄齢が著した晋の正史
であります。したがって、換言致しますならば現代の時点にて、いわば信長公記を
書くのと同じ位の歴史時空が、著者と取り扱われた時代を、隔ててはおります。
が、後世に書かれたとはいえ晋書は晋の正史ですから、司馬イに関してはより一層の
顕彰脚色作為が随所に見受けられます。つまりは三国志演義に近くなっています。
すでにご存知でありましょうが、晋書倭人伝の一文を掲記します。
宣帝之平公孫氏也、其女王遣使、至帯方朝見 つまり、司馬イが公孫氏を平定したので
卑弥呼が郡に朝貢した、と晋書は記しています。さらに、その後も朝貢は絶えず続き、
晋の泰始年間にも入貢したとあります。さて、私が言いたいことは次の通りです。
魏志倭人伝には、卑弥呼朝貢は司馬イが公孫淵討滅を理由契機とするとは明記して
ありませんが、晋書はこれを晋書倭人伝に明記して司馬氏を顕彰したということです。
したがって、魏代及び晋代の中国の読書人が陳寿の三国志の基本姿勢が司馬氏顕彰に
在り、かつまた、それを知りつつ承知の上で読んでいた傍証になるものと考えます。
また、後世においては三国志演義においては、ご承知の通りに司馬イは韜晦の人
大悪人として書かれ彼の人物像が確定固定されている次第です。
これらのことは、邪馬台国は何処かということには無関係ですが、晋書倭人伝の
冒頭記事が、倭人在帯方東南大海・・・至魏時有三十国通好となっておりまして
從ではなく通好と記してありますことにも、意を払うべきかと・・・。
898 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/04/05(水) 12:47:10
圭角さん
茨城の桜は今が満開、正に「今盛成り」です
「三十國從」に関して理解するには、【自武帝滅朝鮮】から辿らないことには理解できないと思います。
899 :
圭角:2006/04/05(水) 13:52:00
プラムさん、了解しました。再度、自分なりに検討させていただきます。
900 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 01:55:07
邪馬台国は、畿内大和ですよ。間違いありません。
901 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 02:01:21
どーでもいーいですよ
畿内大和で金印と阿蘇山を探して来い>900
903 :
太国:2006/04/10(月) 09:03:48
904 :
白木人 :2006/04/10(月) 10:58:04
イバラギをキと発音するようになってるのですが、なまりの強いとこで
うまくキと言ってますか。シロキとシラキは違いますあの食うとこはロで
905 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 12:02:58
なんで阿蘇山が関係あるの?
906 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 12:03:37
907 :
太国:2006/04/10(月) 14:33:24
>>906 こっちには間違いがな〜い。畿内にあるなら記紀に多大の卑弥呼、女王国の記述
が載る。それが無〜い。天皇の統治が濃厚の場の近くに女王国があるのならば、
天皇と卑弥呼の交渉等の記述がなければならない。
たとえばマキムクにあったならば、記紀に景行の旧都あたりに女王国たる
邪馬〇国があり、政治形態はこうで祭事はこうこうで、風俗はこんな状況で
人民は間抜けだとか野蛮だとか等の記述が多く記述されているよ。
それが殆どといっていいくらい 記事=0 の状態だ。これは何を意味するもの
なのか?知れたことよ。女王国が九州にあったことを裏づけるものだ。
九州ならば、遠隔のため記事たる情報が非常に取りにくいから 記事=0 に
なるのが自然の成り行きだからだ。
君の大間違い。
908 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 15:41:10
相変わらず太国はキチガイだなw
909 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 16:16:54
邪馬台国自体、捏造です。
失われた古代文明みたいなもん。
鏡とかは、オーパーツ。
910 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 17:09:46
ちんじゅのもうそう
911 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 18:29:23
邪馬台国は南九州か四国あたりてしょ
912 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 18:32:10
絶対に四国です。
913 :
太国:2006/04/10(月) 21:25:27
>>908 どういう点でだ?うぬは言葉をわきまえろよ。
915 :
太国:2006/04/10(月) 22:16:07
>>914 な〜んだ。あれは君だったのか? 語がよろしくないぞ。
916 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 22:31:55
四国です。
917 :
最低限これくらいは共通認識としろ!:2006/04/10(月) 22:42:32
論でこい、論で!
918 :
日本@名無史さん:2006/04/10(月) 23:54:53
>>917 “ロン”
メン タン ピン イーペー 三色 ドラ ドラ
跳満
919 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:01:23
四国ですよ。
920 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:23:32
沖縄です
海底遺跡がその証拠
九州説だけは絶対認めたくない観念論者のパターン
近畿説→無かった論→沖縄等トンデモ説→近畿説
いつもの流れだな
923 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 00:46:55
メン(リーチ) 1
タン 1
ピン 1
イーペー 1
三色 2
ドラ ドラ 2
----------
計 8
かと・・・・・
925 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 01:50:47
出雲だろ
926 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:02:20
薩摩大隈の隼人族であろう。
927 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:05:14
宇佐です!
宇佐神宮境内下の古墳は卑弥呼の墓なのです。
928 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:11:00
畿内だよ!
929 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:19:01
論でこい!
930 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 02:31:54
嫌だねw プッ
931 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/11(火) 05:08:12
>>922-924 メン 0(20点)
タン 1
ピン 1
イーペー 1
三色 2
ドラ ドラ 2
----------
計 7 跳満
地方・業界によってルールが違う。
>>927 宇佐神宮の下に卑弥呼の墓を比定しておけば、これから先も発掘の手が伸びる事もないだろうし
暫く遊べる場所と言うことで、箸墓と同じ効果を得られる
ウチの方(都内、喰いタン無しルール)では、
『メン』だけで『リーチ』を表現することもあるので、
請求されれば16000点払っちまうな。
934 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 10:34:40
四国です
学生の頃大分・福岡・宮崎出身の九州人と飲んで邪馬台国の話になった時、
「九州か近畿か」の話の時には九州で一致していたのが、
「九州のどこか」の話になるとお互い「うちの所だ」と譲らなかったのが面白かったw
936 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 11:28:40
オラが村根性まるだしの田吾作どもですね
937 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 11:30:07
だから四国です
938 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 14:58:54
だから東北だってw
939 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 15:20:51
沖縄ですが何か?
940 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 15:29:54
機内大和。
これ定説。
941 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 16:22:23
ジャマイカだろ
942 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 16:46:29
エジプトという説もある。
943 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 16:58:48
南アメリカ説ってなかったっけ?
944 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 17:37:21
アラスカでねの
945 :
太国:2006/04/11(火) 17:41:02
氏ね
946 :
太国:2006/04/11(火) 17:46:18
余の名を使うな!
947 :
太国:2006/04/11(火) 21:24:43
↑
は偽物です!
余が本物!
948 :
太国:2006/04/11(火) 21:57:55
俺が本物だよw
949 :
太国:2006/04/11(火) 22:04:27
全員偽者w
950 :
太国:2006/04/11(火) 22:09:30
↑
お前だけ偽物
951 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 22:19:14
いくら場末でも、コリャ酷すぎる。2ちゃんも終わったな
952 :
太国:2006/04/11(火) 23:06:05
そろそろ寝よっと
953 :
イ妥国:2006/04/11(火) 23:36:13
阿蘇山あり。
954 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 23:48:37
富士山あり。
955 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 00:04:57
age
956 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 11:54:36
四国!四国!
957 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 12:04:02
↑根拠を述べよ。
958 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 12:07:28
959 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 12:13:47
木村教授の沖縄説の方がまだましだよ
俺も四国が怪しいと思ってるんだけど、
あまり知られていないが『阿波風土記』
なるものが実はあるということを知るべき。
四国説の中の人って、確か大学で教えてるんだよね。
教えてるって表現が当てはまるかどうかよくしらんけど。
962 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 15:45:35
アホ!『阿波風土記』なんか無いよ。
963 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 15:47:07
「阿波国風土記」
964 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 16:47:53
いずれ四国説が主流となるであろう。
このスレも世紀末的様相を帯びてきたな。誰かこのスレの史書を編纂し
てくれよ。
966 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 20:36:14
ムー大陸のことらしいよ。ムーに書いてあった。
967 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 23:12:13
アトランティス大陸だよ。
968 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 00:56:13
沖縄の海底遺跡が邪馬台国です。間違い無い。
(´-`).。oO(・・・春だなぁ・・・)
970 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 04:44:36
しかし・・・中国の文献だからな・・・現代の中国史もかなり政治的に
あれだし、日本人を混乱させようとしているのかもね
971 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 10:15:45
いや、単なるチンジュの妄想です。
972 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 10:23:01
いや、後世の贋作です
973 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 12:04:48
それを、史実を記した文献だと思っているバカ連中
974 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 12:06:22
佐渡説。
975 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 12:11:41
じゃ、俺は、ハワイ説
976 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 13:05:20
漏れは蝦夷説。
977 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 17:43:03
ジャワ説
978 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 18:25:37
フィリピン説。
979 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 21:09:02
オーストラリア、マオリ族説
980 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 22:03:19
台湾説
981 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 23:14:32
四国だって言ってるでしょ!
>>980 オーストラリアにマオリは居なかった思うぞ。
983 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:12:24
エジプト説ってのもあるぞい
だから八幡平だって。これで決まり。
985 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 00:22:16
沖ノ鳥島だってw
986 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 03:21:36
サモア鳥でちゅよ。
987 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 10:02:45
サモア島だろ
988 :
白木人 :2006/04/14(金) 10:35:25
またぎぎで書いたのではないか、10日とか20日とか1000里とか書いてるのは
適当に書いてるのとちやうやろか、だまされてるのと、ちゃうやろか
989 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 10:39:47
デタラメでしょ。ちんじゅのもうそう。
990 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 11:44:32
東遷説
地名を見ていくと、北部九州から畿内へと移って行ったのでは。
991 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 14:16:08
北九州の地名は、畿内の地名のコピペ。
992 :
:2006/04/14(金) 18:56:33
知性のあるまじめな人ほどだまされやすいので、かえってアホの方がカモから除外されたりして
\∧_ヘ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,,、,、,,, / \〇ノゝ∩ < 久しぶりに1000取り合戦、いってみる? ,,、,、,,,
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/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
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