1 :
日本@名無史さん:
前スレでは、ぼちぼち住人が集まったので、
第2スレ作りますた。
ぼちぼち語り合いませう。
2 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 23:16:09
神仏分離の功罪
功:仏教側、神道側、それぞれについて異質な宗教なのだということを確認させ、
それぞれの教学が深まった。特に原始仏教研究のきっかけとなった。
罪:1500年間の間に自然に培われた日本の宗教的伝統が人工的に破壊され、
神道が事実上国教化し、国家神道なるものが成立し、靖国問題等、今日までその
影響が及んでいる。
また、排仏毀釈などで貴重な文化財が多数破壊された。
>1
ありがとうございました。
>2
>異質な宗教
水戸の老人の様な事を。分けて考える意識は、彼の限らずその頃から知識人
の間に広まり始めた様ですから、一人の「罪」とは言えませんが。
寧ろ、「神道」が独立して古代から変化なく続いて来た様に聞えてしまい、実
際に勘違いしている人が多いのが、歴史を考える上では問題かと。
実際の日本史上の信仰は、神仏が混在しており、時に宗派も超えている。
(今の分別で垣根を設けて細分化すると、却って分からない筈です)
原始仏教云々は、近代になれば別に生じて来ただろうと思いますよ。
やはり、神道は神道という様な、今の形で分かれて信仰していたのではない
歴史上の事実を確認する上では、今の認識は不適当です。
中世には垂迹神が現世、本地仏が来世を司るという信仰があり、近世には本
地をあまり言わず現世的なものに神が、来世的なものに仏がと分かれていま
すが、観音を氏神としている様な例もあった訳で。
本地垂迹説に限らず、ローカルな俗信も含めた雑多かつ多種多様な信仰を排
除して、祭神を記紀とこじつけたのは、爪痕と言えるでしょう。
(民俗信仰の信仰対象を特定の仏神に当て嵌めるこじつけは前近代からです
が、明治のそれは強制かつ徹底している)
ところで、現在「神道」=アニミズムと考えている人が多い様で、2ちゃんね
るでもこうした主張をよく見ますが、どこから始ったのでしょうか。
やはり、安藤昌益や本居宣長辺りが「自然の神道」を唱え出した(特に影響と
しては後者)流れなのでしょうか。
実際には、自然信仰を淘汰して来た気がするのですが。
古代には天穂日命や日本武尊が自然神を鎮め、仏教が影響を強める様になっ
て来ると、在来の雷神などは鎮守の役割を負わされており、自然そのものが
信仰されていた様には思えないのですが。
自然物への信仰自体無くなっていたとは言いませんが、それを「神道」という
か、神社・神職の信仰として受け継がれていたものとするには躊躇います。
>「神道」=アニミズム
民俗板では、「神道」と言うよりは、むしろニューエイジの流れではないか
という声も聞かれましたが、しばしば神社側も主張している様です。
余談:北野の旧神宮寺である観音寺に、「本地十一面観音」という大きな石
柱が立てられていますが、大正十三年に寄進されたものでした。
未だに本地仏を掲げているのは、あそこぐらいでしょうか。
前スレ張って
神はゴッドではない。日本人の信仰は「カミ」だ!
・・・と言って、本居宣長の『古事記伝』あたりを引用して鳥獣草木までも
がカミとされていたのが日本人の信仰だという方がたまにいらっしゃいま
すが、実社神などと呼ばれていた事を考えると、祖霊も含めてあらゆる霊
を信仰対象とする信仰が、時代的・地理的にどこまで存在したのか疑問です。
話変わって。
平成14年、大宰府天満宮に仏像が納められ(一時的?)、天台宗の僧侶に
よる法要が営まれたそうですが、どなたか詳細をご存知ではありませんか。
仏教色のものは一週間の内に焼き捨てられ、破却され、社僧(社家含む?)
が難儀していた中、近隣の寺院に仏像が移されていたもの。
↑大阪の某天満宮にも似た例がありました。
大宰府ではなく、「太宰府」と。
しかし、太宰府天満宮のホームページを見てみましたが、>6の本居宣長の
主張を丸写ししていて、日本太政威徳天がどうとか、安楽寺がどうとか、本
地がどうとかいうのは「無かったこと」になっていますね。
8 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 21:56:16
家康が東照宮に神として、家光が大猷院に仏として祀られたのは、
神の方が格上という意識があったから?
でも東照大権現ともいうしそのあたりはどうなんでしょうか?
9 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 22:09:31
徳川家光はただの人です。仏ではありません。
死ねばみな仏ですよ。
11 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 22:15:15
人間は死んでも「大居士」以上にはなれません。仏なんてとんでもない。
12 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 22:24:18
13 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 22:58:23
>>8 仏様には大抵の人がなれますが、神様になるには勅命が必要ですね。
神話時代の後では、天皇家以外で神様になった人は、家康さんの外には、
道真さんくらいでしょうかね。
14 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 23:03:28
秀吉も神になってますが。
また江戸時代には各藩の藩祖を祭神とする神社が多数つくられました。
15 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 23:11:09
>>14 秀吉さんはそうでしたね。
各藩の藩祖が神様になったのは本当ですか?
勅命はあったのでしょうか?
16 :
15:2006/01/27(金) 23:15:38
各藩の藩祖が神様になったのは、明治以降のことじゃないですか?
17 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 23:50:33
義民信仰にみられるように、人を神にするのに勅命は不要です。
18 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 12:41:26
>神様になった人
小野篁
仙台四郎
高尾太夫
増田敬太郎
…etc
結構居るよ。
19 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 12:47:13
>8
家康が権現っていうのは仏の化身として祭られてるってことだよ。
山王一実派は神が仏の化身っちゅうスタンス。
秀吉は明神として祭られたがその後滅んだので明神号は不吉ってのが理由だったらしい。
家康を祭ったことで江戸時代はこの山王一実神道が勢力を伸ばした。
>>8 「仏になる」というのは単なる慣習上の言い回しです。
戒名が授けられ、仏弟子になったのは事実ですが。
家康の場合、本地を薬師如来とする山王一実神道の神、東照大権現として祭
祀されていました(神仏分離までは)。神号は朝廷に申請したもの。
権現という言葉自体、仏の仮の姿としての神という意味です。
秀吉の場合、吉田神道の法式で豊国大明神として祀られている。
道真の場合、火雷天神(日本太政威徳天)として祀られ、後に本地仏として
十一面観音が設けられたものです。祭祀に携わったのは北野寺や安楽寺。
>天皇家以外で神様になった人は、家康さんの外には、
必要でしょうからやかましい事を言いますが、同じ「神」として祀るにしても、
山王一実神道によるか、吉田神道によるか、はたまたかつての道真の様な時代
その他の環境下で祀られるかによって、「神」としての位置づけは異なります。
「神」だから、道真も秀吉も家康も同じというのが、もう神観念が統一された
神仏分離後の(?)世界観に拠っている訳で。
同じ「人が神として祀られた場合」でも、時代や祭祀側の所属を見て、どの様
な世界観の下に祀られたのか、区別して考える必要があります。
家康と道真なら、本地垂迹説でまだ関係付けられますが、道真が本地垂迹説の
下に説明される様になったのも、死後一世紀以上後ですからね。
佐倉惣五郎の場合、近世に横死者が祀られた中に入るものでしょう。
こちらは、確かに朝廷に神号を申請したものではありません。
次に藩祖についてですが、中世にはまた事情が異なりましたが、藩祖の様に安穏
な死に方をした人物が神として祀られたものは、近世の儒家神道などによるもの
であって、これも前述の例とは法式が異なった筈です。
道真、秀吉、家康、藩祖、佐倉惣五郎。全部別々の環境と概念の下に生じていた
「神」として考える必要があります。
>>18の例もそう(時代が近い人が多く、共通点も多そうですが)。
○○神道、思想家○○ごとに概念の異なる「神」がいたのが日本の歴史。
それを統一して「神」にまとめたのが、日本の近代であったと考えます。
そして、その定義は「人より霊威のあるものが神である」というものでした。
しかし、具体的に何かを知ろうとはせず、ひっくるめて称している訳ですから、
「神とは何か」という説明には、実はなっていないのですよ。
「神は霊妙で説明出来ない」というのが、中世の神祇信仰を重視した神道家の
言い分でしたが、これでは仏教的な世界観の下に説明付けられた神道には対抗
出来なかった(篤胤はある意味目指していましたが)とは、大隅和雄先生が中世
の神道について解説されたところです。
この主張を、近代に全体的にやらかしたもの・・・というと乱暴過ぎますか。
>>19氏に補足しておくと、吉田側は、明神と権現の違いを尋ねられると、
明神は「潔斎参詣自由」であり、「相国相当」であると答えています。
本地云々は出ていない様です。天海は気にしていたものか。
少なくとも、天海の傍にいた人物の著した『慶長著聞集』では、本地の存
在をかなり重視しています。
なお、「大明神」というのも、元々は仏の仮の姿としての神という意味。
平安中期頃に登場したものです。
現在の神社側が説いている「霊威あれば神」では、どんな神を、どの様に信仰
すれば良いのか、何故助けてもらえるのかの説明が成立しません。
本地仏が存在する場合、経典には衆生を救うという誓願、神として救うという
証明があり、その為には法楽を奉げればよいというのがはっきりする。
或いは、殺生を生業としているものが神饌を奉げても救われると分かる。
あの世とか、救済とかいったものが、「霊妙で説きつくせない」では、救済の
願望という需要に答えられず、議論にもなりません。
信仰というものが重視されていた中世に本地持つ神が支持された訳がこれでし
ょう。近世に衰えたのは、16世紀頃から見えてくる信仰心自体の衰退(これ
にも理由は色々考えられますが)と、神に後生を頼まなくても檀家をやってい
れば救われるとかいう発想が出て来たせいでしょうか。
そうした意味で、近世には精神生活における本地垂迹説の意義が低下していた
という、前スレ889氏の発言は正しい。神仏分離はまた別の問題ですが。
>「霊威あれば神」
連投失礼。はっきり言って、余程信仰と生活自体が原始的状態にあるか、
現当二世の生活にあまり悩みの無い現代の様な状態に無い限り、需要に
応えられない「神」だろうと思います。
吉田や伊勢は神祇信仰を重視していますが、それでも今は無い理屈とい
うか、世界観を提供してくれていた。神の本縁も明らかにしている。
更に付け加えておくと、中世には現当二世の利益と加護を示していた村の鎮守
神も、近世(特に後期)になると氏神と混同され、神格や由来も判明しないまま
に信仰される地域が増え、ただ加護してもらっているという様になります。
それでも山伏や僧侶による神前読経など、現在と異なる祭祀が存在してはいま
したが、「霊威あれば神」という主張が受け入れられる環境は、神仏分離以前に
既に整っていた面もある様です。
もっとも、由来不明の社が破却・統合され、女神だった山の神などの土俗神が、
天手力男神にされる様な変化は、どうだったかと思いますが。
戦前は「霊威」だけではなく、記紀や歴史上の人物を信仰する事が肝要とされて
いたからでしょうか。
「神道」は「祖霊崇拝」であって、日本国民はその宗教に関らず神社に参詣すべき
だという主張がなされていましたから、或いはそうかもしれません。
26 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 22:08:50
江戸の将軍家が代々日本全体を支配するための形は、家康さんを神として祭る
ことで完成したと思います。本地仏の化身である権現としての神ですが、
仏ではなく神であることは、やはり非常に重要と思います。
天皇家の祖霊が神とされることの相似形を徳川家にも作ったものと思います。
伊勢も本地は大日、或いは阿弥陀、観音とする説がありましたよ。
28 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 23:03:21
やはり、神仏習合の時代でも、神様と仏様は明確に区別されていたというべきですね。
本地垂迹
>28
そうだとも言えますし、そうでないとも言えます。
本地垂迹説では、神が現世を、仏を後世を司っており、権社神(垂迹した神)
に帰依すれば、後生までも保証してくれると言われていましたから。
当時、神と仏の関係を説明する際、しばしば「和光同塵の方便」という言葉
が使われており、両者はもとより一体であるが、衆生救済の為に別々の存在
として出現しているとされています。
あえて仏に直接祈らず、神を通して本地仏の後世を祈るのは、末世では普通
の祈り方では往生出来ないからと考えられた為。
専修念仏の輩の中には、神祇不拝も見られましたが。
なお、16世紀に来日した宣教師は、神は現世の欲望を、仏は来世の救済を
保証してくれる存在だとされていると記しており、垂迹関係については言及
していないものの、役割分担については妥当な見解だと言えるでしょう。
>>30 恐るべしポルトガル人宣教師ですね。
確かに来世問題が本地垂迹信仰の鍵なんだと思います。
俺は専ら浄土系の仏教(とりわけ法然の浄土宗)の事しか良く分からず、
とりわけ「禅宗の在家信者」が当時どういう信仰を持っていたのか
見当も付かないのですが、浄土系をとって考えるなら、
基本的には罪業感とりわけ殺生への罪業感と
来世の極楽往生への不安が信仰の根幹だったのだろうと思うのです。
こう考えれば近世になって信仰の質が劇的に変わった事の説明が付くわけで
中世戦国の不安定な兵農未分離社会で頻繁に殺生が行われていた状況ではなく
徳川幕藩体制で、万人が普通に殺生を経験する状況が極端に減ってしまい
殺生罪業感を多くの香具師が理解出来なくなってしまったというのが
根本的な原因だろうと思うのですが。
(その意味で被差別民以外の庶民にとっては正に徳川社会は「厭離穢土」)
幕藩体制下で殺生が身近となる位置にいたのは武士と被差別民ですが、
武士は既にめったに人を殺さなくなっている。もちろん獣は殺さない。
結局被差別民だけに殺生が分業的しわ寄せされる状況になっているわけで
彼らの多くが近世を通じて熱心な浄土真宗の信者だったということは
それを裏付けているような気がするんですけどね。
>>31 成る程、「殺人」の減少が近世の「劇的」な変化(=本地垂迹説の変容の事で
しょうか?)をもたらしたという事でしょうか。
ただ、能の「鵜飼」に見る様に、殺生というのは、殺人よりも寧ろ日常的に行
っていた不可分の生業と結びついて理解されていたもので、近世になったから
といって、猟師や漁師の存在が消えた訳では無い以上、戦国期の終焉=宗教的
「殺生」の消滅とは言い難い様に思います。
普通の農民でも、鹿や猪は駆除も兼ねて狩っており、山間部に限らず、都会の
郊外でも身近な光景でした。
被差別民というものも、彼らが何故穢れを背負っているとされたのかといえば、
殺す事よりも「死んだ牛馬」の皮を剥ぎ、肉を喰らうとされたからで、死体を
葬って衣を獲得していた様に、牛馬の皮(衣)を得ていたからです。
近世の被差別民に限って「殺生」が見られたと言うべきでしょうか。
真宗の場合、穢れのせいで大抵の寺社には受け付けてもらえないから、信者の
「道場」で信仰されていた面が強いと思うのですが。
罪業感が薄れていたというのは、御説御尤もですが、16世紀頃から義経や朝
比奈の「地獄破り」が描かれる様になっており、経済活動の進展に伴ってか、
死後の事があまり深刻視されない風潮が全般的に強まっていた為かと。
それまで鎮守を通して現地を支配していた宗教的勢力の後退も、霊威と救済の
影を薄れさせるのに、一役かったのでしょう。
戦乱の集結自体一つの流れの中で存在していましたが、宗教というものが勢い
を失い、中世が終るという事も、自然流れが出来ていた様に思います。
>>32 あんた時代区分に拘り過ぎだよw
中世なんて世界中でいくらでも生きている。
34 :
日本@名無史さん:2006/02/02(木) 23:49:56
書き込みは、簡明に手短かに書くのが上手ですね。
35 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 00:10:01
山野は知識をひけらかす前に文章の勉強をしろ。
知ってる知識をダラダラと垂れ流して感心してもらえるとでも思ってるのか。
要点だけ、簡潔に書け。
36 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 19:15:22
綱吉が生類憐みの令を出す以前は、武士が江戸の街中で犬を殺して
食べていたのだが?
37 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 19:38:14
現代の日本人はたいてい次のように漠然と感じています。
(1)正月や、七五三、結婚式とか、めでたいときは神社へ行く。
(2)葬式や、法事、墓参りとは、死に関係あるときは寺へ行く。
(3)クリスマス、バレンタインデイやら、端午の節句、七夕とか、
神道とも仏教とも関係なさそうなことでも、世界中の年中行事を好き勝手に
取り入れてやっている。
(4)だから、日本人は本当は宗教心が希薄な民族で、世界でも珍しいらしい。
これって、
(1)(2)が、神仏習合時代は、
>>30 のように神様と仏様が役割分担をしていた
ので、何の問題もなかったのですが、明治の神仏分離で、ポカンとチョウツガイが
はずれてしまって、現代の日本人には意味が分からなくなってしまった、ということ
のようです。
>>36 江戸では犬なんか浪人でもない限り食わんだろう
犬を食っていたのは薩摩だよ
39 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:29:53
江戸?東国のど田舎のことですか(プ
40 :
唯物論:2006/02/07(火) 06:23:54
靖国は実に実利的な神社だよ。徴兵令の農村対策だな。
軍人恩給と靖国神社はセットだよ。
古来天皇が庶民の神社に参拝するなんぞは異例中の慰霊だw
だから武士の慰霊碑に百姓を入れるわけだよ。
実利的な点は古来の日本の信仰と実に良く似ているよ。
41 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 23:17:56
天部を本尊とする寺へ行くと、かつて、神社のやうにして祭られてゐたのだろう
といふ感じがします。外来のパワフルな神様として祭られてゐたことでせう。
42 :
天之御名無主:2006/03/13(月) 22:44:00
神仏習合って仏典や神道書なりに根拠がある教義なんですか?
犬食う荒くれ旗本
44 :
日本@名無史さん:2006/03/14(火) 00:35:44
45 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:47:35
46 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 22:51:09
8時だよ。神仏大集合!
>>42 ないけど都合でそうなりました。
とはいえかれこれ1200年もやってきたから、永きの日本の文化の核になってる。
48 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 23:02:27
age
49 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 21:55:46
日本は仏教は入れたけど道教は入れなかった。
このため、日本人には、中国では道教が盛んなことを知らないで、
仏教が盛んだと勘違いしている人が多い。
道教は神道と完全にバッティングするからヤバイよね。
それにひきかえ、仏教なら微妙に共存可能だし、神仏習合というウルトラCも可能だからね。
>>47 般若経典や『悲華経』では?後者は同名のものが多くて紛らわしい。
>>49 天皇っつー用語は道教からだろ。
それに北魏だったかな、道教を国教化して廃仏を考えていた
らしいな。維新政府の手本かもしれんよ。
52 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 17:26:03
>>50 神仏習合の根拠となる教典はないでしょう。
53 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 13:21:52
54 :
日本@名無史さん:2006/05/08(月) 00:00:46
あげ
55 :
日本@名無史さん:2006/05/24(水) 22:24:18
あげ
56 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 15:28:29
密教とともにやってきた仏達は、ほとんど全部インドの神様達だよね。
もともと神も仏も同じようなもんよ。
57 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:04:22
山野召還age
58 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:48:27
神仏習合は日本人の心理の古層。
記紀にも仏教の影響が・・・
59 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 23:34:13
神道がそもそも色々混ざっているような希ガス。
『西の祇園社、東の津島社』
京都の八坂神社(祇園社)、尾張の津島神社(津島牛頭天王社)など
から全国に広がった“牛頭天王”信仰(御霊信仰)に興味があります。
御霊信仰も、やはり神仏習合の流れと考えればよいのでしょうか?
明治以降の神仏分離令で牛頭天王は素盞鳴尊となったようですが
牛頭天王=素盞鳴尊の結びつきも関心があります。
貞観5年に始まった「御霊会」では、祟道天皇以下六人の霊が「御霊」とし
て鎮められていますが、この様に特定の人格を対象として御霊会を営んだ例
は案外珍しく、大抵は正暦5年の船岡山御霊会の様に「疫神の為御霊会を」
営んで『仁王経』を読んだとある様に、特定の人(神)各を見せていません。
10世紀には、北野天神や祗園天神などの信仰が見え、階層を問わず京都の
人々が疫病や災害の主催者におびえていた事が窺えますが、人格が見えて来
た11世紀以降の祗園会の様な信仰と、それ以前からのものは区別すべきだ
ろうと思います。
貴方の言われる「御霊信仰」が何時のものを指しているのかが定かではない
ので、「よいのでしょうか?」と訊かれても返答出来ません。
経典の読誦であれば、貞観5年の御霊会に既に見えており、北野天神も北野
寺や安楽寺内の廟に祀られて従来の神とは一線を画していた事、祗園天神が
その名称からも予想される通り、寺内の祗園天神堂に祀られていた神であっ
た事からすれば、少なくとも記紀の時代には無かった新しい形の仏神習合の
祭祀形態を見せていたという事は言えますが。
なお、祗園天神が祭祀当初から「牛頭天王」とされていたかについては異論
もあります。しかし、少なくとも鎌倉時代には祗園社の神=牛頭天王でした。
牛頭天王=素盞鳴尊とされているのは、鎌倉時代末期の『釈日本紀』が引用
するところの『備後国風土記』逸文からですが、これは平安中期に偽作され
た武塔神=素戔鳴尊という説話を、吉田家が鎌倉時代になって牛頭天王説話
と結びつけたものの様です。
牛頭天王=素盞鳴尊説は、吉田家による後世の付会と見ていいでしょう。
もっとも、現在の八坂神社では、神仏分離を経ている為、逆に牛頭天王の方
が付会と見做されていますが、事実は逆の様です。
62 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 01:36:41
>>37 >(1)正月や、七五三、結婚式とか、めでたいときは神社へ行く。
歴博の某氏が、奇数を吉と考え偶数を避ける考えは中国に由来し
八百万や末広がりの八といった偶数を吉と考えるのは日本古来のもの
っつーよーなことを書いてたんですが、七五三って神社だよね。
>>58 つーか日本に入ってきた仏教自体もヒンドゥー教等との習合を経てきたものだろ。
>>56 インドや中国で根付いた仏像自体がヒンドゥー教や道教に見られる
民間信仰の現われだと思うよ。
仏教自体に偶像崇拝なんて考えないだろ。
寧ろバラモン教の信仰対象としての神様否定したかったところだからな。
しかし布教の過程でどうしても偶像を取りこまざるを得なかったと言うことだな。
人間は目に見えるものを信じたがるものだからな。
そもそも庶民に経典の観念論なんか説明しても全然わからんだろ。
で、哲学嫌いの日本では万巻の経典を南無阿弥陀仏の6語で済ませると言う荒業にまで
結果するわけだ。流石にこれには釈迦もサプライズだろww
>哲学嫌いの日本では万巻の経典を南無阿弥陀仏の6語で済ませると言う荒
わが国の弥陀称名念仏は、円仁が招来した五会念仏に由来するものです。
称名自体はそれ以前から行われており、『鑑真和上東征伝』にも南無阿弥陀
仏と唱えて遷化したという記述がある(定着は9世紀以降)。
そもそも、我が国の説話集や往生伝自体が中国の先行した文献に倣って書か
れたものですが、教理よりも奇瑞が庶民を中心に喜ばれていた事は、『高僧
伝』の分類からも分かる。
インドに称名念仏があったかどうかは定かではありませんが、真言はよく出
て来ますし、大乗佛教成立の時点で、簡易な唱えごとによる救済が出て来て
いたとしても、おかしくはないでしょう。
釈迦の直説ではないだろうと言われていますが、阿含経典の中にも、釈迦の
名を唱えていれば旅の安全が保証される等の庶民向けの言説が見られます。
16世紀にキリスト教が伝来して普及しますが、信者が求めていたのは奇跡
による災害からの救済が主で、この点は従来の佛教系宗教者への求めと何ら
変わる事はなく、教理よりも験力で決めていた様です。
多神教から移行する頃のヨーロッパにも、こうした傾向が見える。
「哲学嫌いの日本」特有の現象とも思えません。抑々哲学嫌いだったか。
>>64>>65 日本人が嫌うのは煩雑な形而上学的神学教理であって
思想という営み全般を嫌うわけじゃない。
「スプーンの上には何人天使が乗れるか」のようなアホ論争を嫌うだけだよ。
無論「哲学(フィロソフィー)」は近代になるまで存在しないんだけど
宗教思想などでは浄土教思想などかなり独自の発展を遂げている。
浄土真宗の教義などはかなり独創的だ。
だが日本人がなぜかどうしても苦手な分野というのはあって、
それが(広義の)占星術だったりする。
占星術や占いなどはどういうわけか独自の見るべき進化を全く遂げない。
ひたすら輸入→下手な模倣→劇的劣化の一方通行。
日本人の多くは歴史的にも決して占い嫌いじゃないんだけどなあ。
67 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 08:15:57
そうか?
68 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 11:53:52
そうよ
69 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 12:10:06
占いと占星術は違うよね。
占いは、霊的な行為で、日本人が結構好きなものだけど、
占星術は、天文学なんだよね。
70 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 00:36:58
だいじょうぶか
71 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 22:31:19
奇数が良いとかいって、3万円とか5万円を祝儀に出すやつ。
3万も5万もチョー偶数だし。
72 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 23:36:17
神仏分離令で不思議なのは、いくら明治政府が命令したところで、一夜のうちに
はいそうですかと、皆が納得してお寺さんと神社が分かれてしまったことだな。
これが、僧侶の結婚令と廃仏毀釈はまだ理解ができるのだ。
また、明治も30年〜40年と経つと宗教的に穏やかになってきたから、
ごく一部でも神仏習合が復活してもよさそうなのに、ほとんどそういった
動きがなかったことだな。
明治も30〜40年代だと前スレの>>1みたいなことを言ってもおそらく明治政府は
いちいち弾圧をしなかったと思うのだ。
いくら神仏習合の理論がいい加減といっても、キリストの水の上を歩いたとか、
浄土真宗の、法主の生き仏信仰で風呂の残り湯をありがたがって飲むとかと
いう話と比べたら、明治の30〜40年代くらいに前スレの>>1みたいな
ことを主張する新宗教が出てもいいような気がするのだが、
あまりそういったことは聞かない、少しはあるのかもしれないが、
神仏習合に戻せ、明治政府の陰謀だと主張する宗教も聞いたことがない。
戦後になってもそういった宗教はほとんど聞かない。
73 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 00:55:05
奈良の東生駒にある宝山寺(通称、聖天さん)は寺の前に
大きな鳥居が有ります、神仏混交ですよ。
>また、明治も30年〜40年と経つと宗教的に穏やかになってきたから、
戦前はまだ佛>神系の信仰は難しかったと思いますよ。
戦後になる頃には、もう記憶している人間自体が少数派だったのでは。
法華宗が北海道の寒村が神社を欲しがっていると聞き、じゃあ神社本庁の
系統よりもうちに任せなさいといって、法華三十番神を祀ったという昭和
の逸話はありますが(室生寺あたりが言い出してもよさそうです)。
祇園祭の宵々々山を見たのですが、あれも今では「神道」一色ですね。
たまに祇園御霊会とか、牛頭天王に関する説明も見られますが、基本的に
「祭神は素戔鳴尊」で通す様です。素戔鳴尊とした初見は『釈日本紀』で
すから、古いは古いのですが、近代までの常識とは異なる。
なんとか山岳信仰などにおける権現という呼び方だけでも
公式に復活できないですかね。
なにはともあれ、まずはじめの一歩を。
しかし前スレにもさんざん皆さん書いてありましたが、
本当に覆水盆に返らずですな。千余年の歴史がこのまま……。
>>72 >>74 皮相的見解と言うもんだな。
もともと神仏の混交は多神教のなかの一つのあらわれでしかない。
もともと仏と神をともに信仰していたと言うだけのことだろ。
日本人が仏教と神道を共に信仰していると言う現状でも大して
問題はないよ。境内がどうであろうと神仏の像の呼び名がどうであろうと大した
問題ではないだろ。
洩れは古来の伝統に反して未だに神式で葬式しているどこかの大馬鹿もいずれは
仏式で葬儀するようになるとは思うけどね。
馬鹿がいくら神式で葬儀しようが広まらないものは広まらない。
伝統でもなく国民の信心とも乖離した行為が長続きするはずもない。
所詮は単なる政治目的からきたものだ。
寧ろ伝統に反すると言う化けの皮が時代とともに剥げていくだけのことだろうな。
今の日本は伝統回帰的なところがある。胡散臭い明治神道の政策的につくられ定着しない
伝統なんぞはいずれ化けの皮が剥げて埋没していくよ。心配要らんと思うけどね。
>>76 そうねえ。しかし毎年の初詣は明治神宮がやけに多い。ありゃあ明治神宮は
根付いちまったてことかね、逆に云えば。私見だが明治神宮よりいい神社
なんざ首都圏にいくらだってあるよ。にもかかわらずだ。
ほとんどの人は「神宮」と名乗り、敷地も広大で、社格も高いと
されてきた所を選んでる現実。結局、神社本庁とか明治政府とか「官」に
より近い者によって権威付けされた価値に、多くの日本人は弱いんだよ。
(まあその明治神宮と本庁が対立してるのは皮肉というより瑞兆だがw)
今、麻生太郎が靖国を本庁とは別法人にしようと言ってるそうじゃない。
明らかに神社界に対する政治介入だけど、たとえば神祇信仰全体についても、
逆に廃仏毀釈に対して反作用するような公権力の介入でもないかぎり、
かつての形を取り戻すのは難しいんじゃないかな。
つまり無理ではなかろうか、と。
本当になにかのきっかけで神祇信仰だけでなく、古の伝統を日本人が
どこまで本気で守るつもりがあるのかってことだとおもうけどね。
78 :
日本@名無史さん:2006/08/07(月) 22:16:25
>>77 古の伝統というのも怪しいものだよ。
寺社は、その時代時代の権力と結びついたものだよね。
権力との結びつきが大きければ大きいほど壮麗な建物や儀式で、
人々の畏敬の念を引き付ける。
古い権力のもとの伝統を、
新しい権力のもとで守る意味は乏しいって訳だよね。
79 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 00:42:51
神仏習合自体が「怪しい」ですから(笑)
ある意味でそういう怪しさを宗教から排除してしまった廃仏毀釈の類は
とても観念的というか一神教的ですよね。
ただ神仏習合を認めるなら実は国家神道的なものだけを認めないというのも
おかしいといことになる。これは単に相対化ということではなくて。
ただ私の場合
>>77さんとは違って、明治以降の信仰のありかたよりも
明治以前の信仰のあり方さえ具体的に多くの人々にアピールすることが
できれば、いい方向に帰結するとおもいますよ。
もっともこの問題は国家権力より実在する神社本庁や各宗門の勢力争いを
はたしてまとめることなどできるのかということの方が気になりますね。
今の生臭坊主、生臭神主たちが下手をすれば自領を犯されかねないような
問題に積極的になりそうもない。もちろんそうでない方々もたくさんいますけど。
>>77 別に明治帝を崇拝してのことではないだろ。
足下よーく見てみな、土着性への回帰と言うものがちゃんと見えるはずだ。
特に若い人間にな。それが神道の基本だよ。
初詣はもともと明治初頭に神社が賽銭とテキヤの寺銭目当てではじめたものだ。同時に鉄道の普及。
だから電車も特別な時刻表で運行しているだろ。当然寺院も便乗した。関東でも
川崎大師なんかもその例だろ。文明開化と経済的な理由が第一の理由だから
これまたその意味が薄れれば薄れるものだ。未来は明らかに航空機と自動車の時代だよ。
実際海外で正月と言う人間も増えている。多様化の波には勝てないだろうな。
経済で言うのなら寧ろ本来は神社ほど必要はないはずの寺院便乗組みの方が狡猾と言うものだw
神式の葬儀なんてのも一向に定着なんぞしてないよ。
他方で結婚式はキリスト教式に侵蝕されまくりの現実。
庶民は正直だよ。もともと無理な明治神道の普及がキリスト教に
頼った故の当然の帰結だ。年賀状とか結婚式とかな。
>>79 つーか明治以前も以後も神道の基本は田舎の故郷の自然と親族。
明治神道は集権化の道具でしかないんだからその政治的役割が終われば
終わるものだよ。明治政府の富国強兵の限界は米国が明確に提示したからな。
道州制だの分権化だののいきつく先は地方意識の覚醒だろ。
それは図らずも洩れには庶民的な文化たるスポーツに顕現していると思える。
相撲や野球ではなくサッカーが好感されている理由の1つは地方の活性化に
もつながっているからだ。こういった左翼の馬鹿がイデオロギッシュに持ち上げた
のでない草の根と言うものは本物だよ。
右傾化の時代と言われているがナショナリズムも畢竟リージョナリズムに行き付くものだ。
沖縄少女輪姦事件、愛媛丸事件、拉致問題、等々つくられた靖国参拝なんぞと違い
かなり頑固で強烈なナショナリズムは地方の中央政府への不満と言う形で現われているものだ。
政府は国家と国を意図的に混同させているが国とはもともと地方と言う意味だ。
文字通り国の時代だ。愛国心も必ず愛国家心ではなく愛郷心に収斂していくはずだ。
明治の愚かな亡霊は必ず衰退するよ。断末魔は何回かあるだろうけどなww
それは議会や役人が特権的な集権体制の利権の拡散を警戒するからだけどな。
好例は自民党の選挙対策だな。長くは続かない、と言うか既に崩壊している。
だから層化に頼るわけだw政界では既に神仏習合だよww
この公明党の健闘は軽視しない方がいい。この宗教政党は選挙制度が変らない限りは
当分は君臨するはずだ。単独過半数は現状ではどんな政党がやろうとしても無理だ。
できても刹那で終わる。長くみれば必ずや層化+大政党と言う組み合わせしかない。
もともと政党も議会も乱立していたのが戦前の日本の現実で最後は軍部含めてバラバラになったのが
大戦前後。米国に叩かれるまでもなく自滅していたと言うことだな。
つーか本来の日本の姿だよ、分権的な体質はね。
これがまた神道の根源だろうな。
ここいらは律令体制の短命さと明治政府の短命さはよーく似ている。
そしてどちらも東国の人間がぶち壊すわけだなw
明治体制は昭和で既に死んでいたと言うことだな。
明治信仰が強い人間が昭和に怨念抱く理由だろうなw
82 :
日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:25:28
復活
どんなに古い伝統や儀式でも、必ず
明治の時代に整備されたような事が
ある時代に誰かの手によってなされてきてる訳だから、
明治の世の変革を全否定で目の仇にするのは、
「近すぎる」から粗が目立って神聖視できないだけ。
過去・現在・未来、
これからも続いていくなが〜い歴史の一環としてみれば
明治の世の変革も日本史の中の一つの瞬間、
明治神宮もこれから末永く子々孫々と受け継がれていくよ。これが現実的な考え方
「皇紀2600年」、日本書紀しかり、
いつかの時代かに誰か何らかの権力によって塗り替えられてきた歴史、
実際は何がどんな形で長く受け継がれていくかは誰にもわからない
84 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:20:57
>>83 将来どうなるか誰にも分からないのは当然その通りだけれど、
そのことと、自分として意見を持つこととは別だよね。
オレとしては、神仏が交じり合った怪しげな世界より、現在のように分離された
状態の方がスッキリとしていて好きだよ。ただ、神仏が交じり合っていたことの
名残りを見つけて昔の世界に思いを馳せるのも楽しいね。
85 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:20:08
仏教は、世界宗教になるにつれて様々な他宗教の影響を受けて、様々な他宗教の
要素を取り入れている。
神道の影響を受けて、その要素を取り入れることなどは、どうということはない。
86 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:26:29
>>84 僕も同感。神道(ただし神社神道)のイイ所は宗教臭くないところ。
日の出を見たり山に入ったりした時など、何か気分がスキッとするけど
神社にお参りした時はそれに近いモノがあるな。
大体、神社の神様がいったい誰なのか知らないでお参りしてたりする。
お稲荷様ってキツネだと思ってたり(ただのパシリ)、八幡様って八幡太郎義家のことだと思ってたりする(逆だ逆)。
でも、それでもOKて雰囲気がマターリしてて吉。
どこにでもあるモノ「稲荷、八幡、イヌの糞」ってか。
>>85 現代でも既に混交は進行している。明治以降の慣行でその典型は初詣だろうなw
例えば初詣と言うものはもともと神社の経営改善のための明治起源のイベント興業な
わけだが、いつからか知らないが寺院が便乗し始めた。境内は別でも慣行は相互乗り入れ
だなwこれは一見大したことないかも知れないが神社の経営を考えたら死活問題だよ。
仏教はなかなか強かだよw初詣と言うイベントに関しては既に神仏の習合が完了している
と理解していいだろうな。仏道は凶事に関係する場合が多いわけだが、初詣は仏道が慶事に便乗しだした
典型かもしれんな。普及しない神式の葬儀に比して仏式の慶事たる初詣の普及はかなり浸透している。
結局は外形なんてものは信心の通りになるものだ。仏教界の反撃といったところかなw
これももともと神仏は同一だと言う思想からだろうな。神道の慶事は仏道でも祝っていいと言うことだろ。
革命や改革なんてものは大抵は時間とともに伝統に侵蝕されていくものだよ。
世界中どこでもそう。
平成16年正月三が日200万人以上の参拝客のある神社
1.明治神宮(東京都) 290万人
2.成田山新勝寺(千葉県)260万人
3.川崎大師(神奈川県)255万人
4.伏見稲荷大社(京都府)235万人
5.熱田神宮(愛知県)234万人
6.住吉大社(大阪府)225万人
7.大宰府天満宮(福岡県)202万人
関東に特に多いな。
徳川家の亡霊はまだまだ消えてないということか?
89 :
日本@名無史さん:2006/10/06(金) 00:08:06
神仏分離後の神道の清明なところが好きです。
心にも体にもとても良い感じです。
>>88 10年前には考えられなかったことだが、仏前結婚式さえ
最近では京都の有名寺院などではじわじわ人気が出つつあるからね。
有名尼僧や王朝文学ゆかりの寺院は、女性には抹香臭くないと感じられるらしい。
結婚式などは初詣と同じく近代以降の創作物なので
極端な話、「中身には何を入れてもいい」わけだからね。
だが、「生き残る革命」というのもある。それは「神社の地縁性」だろうね。
特殊な宗教都市以外、町内会と結びつき得るのは神社(鎮守様)だけ。
ここには仏教寺院は現代では決して入れない。
それは、仏教宗派の選択は地縁で強制が出来ないことが
完全に定着した常識となっているから(強制したら100%憲法違反)
>>87のような感覚が広く存在するので、神社の場合は氏子強制が許される。
だが、神社の中の人が宗教性を振り回し始めたら
これは一気に崩れ去るだろうね。
ある程度歴史を知っていると今の状態など「スッキリ」どころか不自然過ぎ
て見られたものではありません。
「神佛習合」というものも、明治までの各時代ごと各地域ごとに変容が見ら
れ、一律に論じられるものではありませんでしたが、画一化されていなかっ
た点に状況に応じた救済の原理が働いていた訳で。
明治以降の「神道」というのは、死後の問題も含めて救済する為の儀礼なり
論理なりを持ち合わせていない様に思います。
>>80-81 >神道の基本
「神道」という概念が基層として存在しているのを前提に論じられている様
ですが、そんなものはないのでは。
それと、wがやたらついた箇所の根拠がよく分かりません。
初詣が明治以降に定着したのは仰る通り(幕末に萌芽あり)ですが。
>>91 スッキリというのはいわば「何も無い」という意味なんだよ。
何かとゴタゴタ大杉の現代社会では
「何も無い所に行く」という行為が癒しになっているという事実だね。
最も極端な「何も無い」有名例は橿原神宮なんだが、
それでも戦後になっても神社として少なく無い参拝者を得て存続している。
実際、明治神道らしくとても「スッキリ」したところだ。
それもまた信仰と言って良いんだろう。中身の欲しい人は別の所へ行く。
それに、
今の日本人は死後の宗教教理的救済思想なんて殆ど誰も求めてないよ。
ただし、「親族により一定の世間的手続を踏んで埋葬されること」は
救済にとって重要とされている。(これで初めて「成仏」できる)
何となく漠然とした「遠い天国」のようなものが広く信じられていることは
オカルト系の番組を見れば良く分かる。
93 :
日本@名無史さん:2006/10/08(日) 09:50:57
神社に何もないことはないよ。
奇麗な空気、掃き清められた境内や美しい形の社殿がある。
心を清らかにして、マイナスイオンたっぷりの空気を呼吸すれば、
心身の健康にとても良いよ。
94 :
日本@名無史さん:2006/10/08(日) 10:03:54
マイナスイオンは幻
96 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 20:56:44
私は一時僧籍に身を置いたものですが、
自分の信仰と寺の行事・檀家の信仰の
ギャップに悩みました。
仏教はそもそも霊魂という不滅の実在を認めないのが本当で
原始仏教に魅かれて仏門を叩いた私には
祖霊信仰の行事が主になっている現在日本の仏教界には
違和感がどうしても拭えなかった。
神仏分離したといっても根本のところではまだ神仏習合状態な訳です。
今は還俗して在家信者として本当の仏教徒は何か?日々煩悶しております。
97 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 22:26:16
>>88 人口が多いんだから当たり前。
地方から上京してきた百姓の子孫が大半。
徳川の亡霊が明治神宮なんか行くかよw
98 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 22:48:03
>>96 原始仏教が霊魂の不滅を認めないのに、その後の仏教が霊魂を大いに認め
輪廻転生の宗教に変身した訳だが、それと、日本における神仏習合は別でしょ。
>>96 インドでも仏教が普及する過程で或いはインド以外で普及する過程で
やはり習合しているんジャマイカ。原始仏教なんてインドでもどこでもかなり
融合してるだろ。
原始仏教の経典でもブラウマ−神にウパース(跪く)させて仏陀が説法する
なんて場面があったと思うが、ここいらでも既に習合の兆しが
見えると思うけどね。カーストを否定した仏教がバラモン教に妥協し
始めた始まりだと思うけどね。既にヒエラルキーが前提となっているような気がするよ。
ウパニシャドのウパースとは相手への強要と言う意味だ。
祖霊と言うが観念や概念は違うかもしれんが霊魂はサンスクリットでは
アートマンだろ。アートマンは個々の自我や自己の本質と言うことだろ。
一個の人間たる仏陀がブラウマンを説法するなんてバラモン教そのものだと思うけどな。
正しく梵我一如、バラモン教の発想だろ。仏陀と言う個がバラモンの世界全体
を説いていると言う改宗の構図だと思うけどね。この梵我一如と言う逆説的な発想から
逃れられていないと思うけどね。ブラウマンがアートマンに吸収される過程みたいなものだろ。
>>98 輪廻の世界全体をブラウマ−と捉えるのならば原始仏教も現在の仏教もその
克服と理解したらそう乖離もしていない。個々の信徒が一切苦と言う世界を
克服する(解脱でもいいけど)と言う発想はウパニシャッドの頃からそれほど
進歩してないように思うけどな。仏陀の発想はアートマンを発展させたものだと思うよ。
古代インド全盛のかなり豊かになって繁栄していた紀元前5-6世紀の話しだろ。
形式的な統制の強い時代から言わば自由な個人主義の時代だな。
輪廻と言うものはリグベーダの時代からある当時の自然観からきたものだ。
言わばこの時代の自然界全体の循環。今で言えば環境論だろ。
当時の科学と言うか法則性みたいなものだな。ここから自由になる
と言う発想が当時の思潮だろ。
その布教手段として仏陀の前にブラウマ−神を跪かせる発想の起源
が正しく梵我一如と言う発想だと思うけどね。修行や苦行に拘ると言うのも似ているな。
キリスト教やイスラム教だとボランティアや断食や寄付程度なんだが、それ以上の
ものになっている。この延長にタオと言う発想が重なって行くのが日本の〜道だろ。
神道が仏道から学習して行く過程だな。道教には無い発想だろ。
仏教は簡単に言うと仏陀と言う個の教えが悲喜こもごもの世界を克服して行く過程だろ。
アートマンを仏陀のそれに限定したものが仏教の教説だろ。これが外見的には
仏陀の魂の尊重と言う発想に繋がって既存の信仰と妥協習合しながら
仏塔や仏舎利や仏像の尊重にいきつくんだろうな。
因みに仏塔の起源はヒンドゥー教にも見られる御神体、つまり性器の交歓だよ。
インドの古い仏塔や今の日本の首都のど真ん中にもある円形の仏塔はそれと酷似している。
ストゥ−パとはそもそも聳え立つ、勃起すると言う意味。
農産物に富んだ南部の統一までに至り繁栄を享受した当時の時代の反映でもあるんだろうな。
リグベーダの時代の輪廻の人間での現われも精子と母胎なんだよねww
この時代はアーリア人の比較的厳格な統制の強い支配欲と言うか北方の禁欲的な
思潮が強いように思える。森林の厳格な教えと言う感じなんだな。これが南下して
また習合発展したらしいけどな。
輪廻のなかでアートマンが発展変化する世界がブラウマンでありこの合一を梵我一如と言い
当時の自然界と人間を説明したわけだよ。この場合アートマンは祖霊とも言える。ブラフマン
は自然だろうな。人生観と自然観の融合と言うことだろうな。それを生活観にも合わせたんだろ。
人間の苦しみが死に至るものならその克服が生の起源たる性やその快楽に行きつく
と言うのも至極当然のように思える。
うーん、インドだなー、産めや増やせやww
102 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 10:21:50
日本式の祖霊信仰は、輪廻転生とは違うよね。
祖霊信仰は、祖霊が家系の中で血のつながりとともに霊的にもつながっている
という感じだよね。だから、祖霊は自分の中にもあるし、自分を守るものでもある。
親子も霊的なつながりを持っている。
輪廻転生は、肉体とは別の霊が肉体の死後また別の肉体を得るものだよね。
だから、どの肉体に転生するかは、肉体における家系とは関係ない。
親子で転生することはない。子が生まれるときに親は未だ生きているからね。
>>102 それが、現在の日本で広く行われている「先祖信仰」は
どこまででも続く支那文明的な祖霊信仰でもないんだな。
いわゆる「先祖供養」は、一般的には50年以内、最長でも100年以内で終わってしまう。
要するに、当該死者の生前を覚えている遺族がいなくなったら終わりなのだ。
その後はどうなるかと言うと、専ら輪廻転生論の世界になる。
これは例えば一般向けのテレビのバラエティー番組を見れば分かるんだが、
「あなたの前世は戦国時代の有能な武士です」という話はよくあるが、
「あなたの20代前の先祖にあたる武士が祖霊としてあなたを守っています」
という話にはならない。
実は祖霊信仰というより「遺族の記憶の中に残る『生前の彼・彼女』を慰める」
という要素が強い気がするよ。
>>103 そうでもない。
今でも菩提寺から150年忌とかガンガンお達しが来るよ('A`)
105 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 17:05:56
>>103 要するに、
祖霊信仰・先祖信仰・先祖供養の日本版・中国版のどれにしても、
輪廻転生とは違うということだよね。
106 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 01:32:06
107 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 16:11:17
鷲宝寺に行ったら、新羅三郎頼光の由来が書いてある石碑があった。
大鷲神社には何もなかった。
別にどうでもいいんだけど、興味を引かれた
白旗塚古墳には、義家の由来が書いてあった。
108 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 16:16:38
>>96 お前さんが羨ましいよ。
教えなんて所詮、他人の作った物だからそこまで悩めない。
ただなんとなく、先祖や先人を想ってるだけの俺には死んでも理解出来ないわ。
109 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 01:41:10
考えれば考えるほど日本人の宗教意識がわからなくなってきた。ww
イスラム教やキリスト教は理解はできるのだ。最後の審判があって
善人は永遠の命を得て、天国に入れる。悪人は地獄に落ちるとww
インドは完全に輪廻転生だ。
日本人は般若心経を唱えて、極楽浄土に行くとか言っているだろう。ww
般若心経なんかある意味無神論教の極地だろう。ww
といって唯物論でもない。ww
共産党員が念仏を唱えているくらいだからなぁ。ww
これがヨーロッパだと真面目な共産党員は念仏など唱えないww
その上地獄も信じてなおかつ輪廻転生も信じている。ww
ある意味神仏習合教が一番日本人にあっているのかもしれんww
110 :
日本@名無史さん:2006/11/03(金) 11:41:54
日本人は、明確に分からないことは分からないこととして、そのままにしておくんだよね。
分からないことでも、何らかの真実を感じるものは丁重に扱うんだね。
これって、とても科学的な姿勢だよね。
明確に分かっていないのに、あることを信じ込んで、それと違うことを排除する
なんていう人達が世界には多いようだけど、困ったことだね。
>>102 輪廻も祖霊信仰も家系も霊魂の不滅も復活も要は長命や永続性への人間の
憧憬だよ。これが延いては一族郎党、民族国家や自然界、人間界の経済社会
の繁栄や永続性に繋がるわけで、霊魂は要は護国豊穣の連鎖のつなぎ役のようなものだ。
それで人間界の断絶たる死を解釈したんだろ。本質的にはどれも変らない。
人間が本来は同一の精神と肉体を便宜的に分離して理解しようとした理由は
この肉体の限界を精神の連鎖で解き放とうとしたから。
霊魂を精神と言い換えればその集積は例えば仏教哲学や延いてはあらゆる信仰そのものだったりもする。
何等祖霊の集積たる家系と変りはしない。単純に縦に並べるか、抽象化概念化して複雑に錯綜させるかの違い
だけだなw
>>109 ww用いるときは句点は無い方がすっきりするねww
112 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 23:46:39
113 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:27:21
現在の神道は、霊性をほとんど感じない。
むしろ、無心の清々しさと身体的な爽やかさを感じる場を提供するもの、
といった感じだね。とても良い感じだよね。
114 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 11:42:25
古神道その他いろいろ2 他山の石 より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/ 821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ
頭割り!
116 :
日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:41:38
ほー
俺の行ってる教会は七五三やるぞ。カトリックだが。スレ違いスマソ。
118 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 01:02:17
119 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 03:25:58
今でも神仏習合はあるよ
うちの菩提寺は曹洞宗だけど境内に恵比寿様があって
檀家で毎年静岡の秋葉神社にお参りツアーやってる
120 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 06:46:55
神仏習合って寺主導だろ?
古くは建て前として、
世襲が認められなかった寺が、
世襲の神社よりも上となりうる訳がない。
寺の意は役所。
社の意は住まい。
語意からも同様に考えられる。
122 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 12:14:01
神祇信仰の土台の上に仏教を被せた訳で、その逆じゃないって事だ
123 :
日本@名無史さん:2007/02/01(木) 14:01:27
仏教の始祖シッタルダや釈迦族の特徴もよく読むと三苗族などの神道のルーツと同根のように思える。
三苗族には蛇や鳥、日月といったトーテム(精霊)が女性の体内に入ると子を産むとされるが、シッタルダの母も「白い象が体内に入ってシッタルダを産んだ」とされている
「法輪」の原型も「八卦」かもしれないし、「修行」は「道を極める」のと基本的に同じ発想。
124 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 20:54:43
あんがい今の江原某とか細木某とかといった連中のほうが日本人の
宗教感性に一番近いのかなと思う。
125 :
:日本@名無史さん :2007/02/07(水) 21:01:58
江戸期まで 神仏習合 阿弥陀仏信仰
明治維新 神仏分離→国家神道
戦後 神も仏も 忘れ去られた
現在 様々な神が
126 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 21:35:25
>>124 「どんな宗教も無節操に一緒にしてしまうのが日本人特有の宗教観で、
それをよく示しているのが神仏習合」
みたいな言説がなぜか、広く信じられ、
甚しくは学校の歴史の授業でそう習ったりするけど、
それは間違いだよ。
神仏習合は既にインド密教がヒンズーの神を取り入れた時に起きていたもので、
日本の密教はそれを踏襲したに過ぎない。
127 :
:日本@名無史さん :2007/02/07(水) 22:27:18
末法思想によれば、1052年から日本は末法時代に突入した
それと呼応するかのように、摂関政治は廃れ、
皇室には院政がおこった。天皇の位は、カタチばかりのものとなった。
平安末期、かろうじて平安貴族の如く貴族化した平家の後には
北条、足利、徳川という時が
織田、豊臣もあった
時は至り
現在、神の時代は再び到来しつつある
神と仏は、タテとヨコの関係で、十字に結ばれるのだ。
128 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 16:57:22
神仏習合の伝統はほとんど途絶えたというのに、神・アーメン習合
仏・アーメン習合が出てきだしたな。
江原なんか神主のはずなのに、十字架を首にぶら下げているし、
オウムは仏教なのにハルマゲドンで突っ走るし、
129 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 17:53:30
インド密教の場合は殆どヒンドゥー神群を天部として取り込んだって云うだけの意味だろ
極端な話、神仏並立
日本の神仏習合の場合は、
天神地祇の特定の神挌に対して、密教世界の特定の仏挌(ヒンドゥー神群込み)と対応させるんだよ
ダキニ天がキツネに乗っかってるヤツね。
131 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 04:45:30
神社内での坊さんの仕事は何だったんだろうね。
神主同士の喧嘩の仲裁か。
132 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 06:06:36
神前読経だよ
134 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 19:10:07
ふーん
135 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 14:02:06
137 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 00:35:44
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200704060061.html 特別展「神仏習合」で開会式 奈良国立博物館 2007年04月06日
日本人の宗教意識の根幹を古代から近世までの美術品を通してさぐる特別展「神仏習合
―かみとほとけが織りなす信仰と美―」(奈良国立博物館、朝日新聞社主催、NHK奈良
放送局後援)が7日、奈良市登大路町の奈良国立博物館で始まる。5月27日まで。
6日には開会式と特別鑑賞会があり、約600人が訪れた。開会式では、同博物館の湯山
賢一館長や朝日新聞の上野尚一社主がテープカットし、開幕を祝った。
4月30日をのぞく月曜休館。料金は大人1千円、大学・高校生700円、中学生以下無料
神社庁的にも、神仏習合は黒歴史なの?
江戸以前の昔の名称すら使わせない感じ。
139 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 20:35:19
南無八幡大菩薩
140 :
日本@名無史さん:2007/04/25(水) 00:12:56
141 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 20:51:45
奈良国立博物館
神仏習合
5月27日まで
142 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 21:10:39
神道は他宗教に対して抜群の吸収力だけどせいぜい仏教レベルまでしか吸収できないね
キリスト教やユダヤ教なんかまでは吸収できない
143 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 21:27:26
ヒント:日ユ同祖論
144 :
日本@名無史さん:2007/05/21(月) 23:01:08
>>142 そりゃ無理に決まってるだろ。
キリスト教やイスラームというのは一神教だからそんなのが
入ってきたら確実に神道は潰されるよ。
一方仏教はインドではヒンドゥ教と習合し密教になったり
中国では道教などと習合したからね。
この辺がキリスト教・イスラームの一神教と仏教(大乗仏教)の
異なるところだ。
私は本地垂迹説を個人的に信じています。
146 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 16:23:36
ほう
147 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 19:35:07
148 :
日本@名無史さん:2007/09/20(木) 03:13:40
>>145 なんか、日本人として空気や水と同じように、「神仏」って渾然とした
響きに自然さを感じる。
149 :
日本@名無史さん:2007/09/23(日) 12:24:19
150 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 11:56:56
だね
151 :
日本@名無史さん:2007/10/16(火) 22:45:50
神道とユダヤ教てよく似てるらしいですが風習とか
・・・・・?!
152 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 19:36:36
廃仏毀釈スレは盛り上がっているのに・・・・
>>151 日ユ同祖論はどうなんですかね?
今ではオカルト趣味の人が好む説という印象です。
オカルト板で
154 :
日本@名無史さん:2008/01/07(月) 19:39:36
>>152 盛り上がってるというより日蓮狂信者が一人で暴れてるだけ
>>154 そうなんだ!よく上がってるし山野氏も来てるみたいだから、盛り上がってるのかとw
山野氏はどっかの学校の先生?それともボンビー院生?
ホントかどうか知らんが浄土宗の坊さんで教師もやってると誰かに聞いた。
ホントかどうか知らんが浄土宗の坊さんで教師もやってると誰かが言ってた。
ゴメンなんか連投になったorz
160 :
日本@名無史さん:2008/02/01(金) 08:37:17
161 :
日本@名無史さん:2008/02/02(土) 00:14:09
そういやぁ神仏習合の時代の神社は何経を唱えていたのかなぁ
般若心経を唱えていたような気がするのだが、
神説般若心経と言っていたくらいだから、
神説浄土三部経なんて聞かないような気がするが、
162 :
日本@名無史さん:2008/02/04(月) 00:53:38
流れぶった切って申し訳ないが、実家の部落の話をば少し。
長くなってしまったので、2回で。申し訳ない。
実家の部落(長野県東信)には曹洞宗のお寺があるんだ。もちろん部落の氏神様
もいるけど、寺の敷地内にはない。
そこの小さな氏神のお宮では、年に数回掃除の日があるんだけど、その後の
ちょっとしたお祭り(まぁ、みんなで祈願する程度)に、そこの寺の坊様が
読経あげにやってくる。
小さなお宮の、神様が祀ってあるところにお香を炊いて読経。そのあと各個人で
お祈りするときも拍手は打たない。普段はするんだけどねー。中学校の頃は、
あーこれが神仏習合かぁーって思ったよ。
あと、道祖神が部落の入り口にあるんだけど、工事で移動されて安置された時は、
魂入れと称して読経。やっぱりお香はあった。
163 :
162:2008/02/04(月) 00:54:47
そして、つい2日前の話。
荒神様ってあるじゃん。あれがあって行ってきたんだけど(荒神様は初めて)、
部落のお寺じゃなくて、もう一つ離れた部落に天台宗のお寺があるんだ。
そこで拝んできた。
荒神様は部落の代表の家庭から1名が、その年の代表者として代参するんだけど、
やっぱり読経みたいなのをしてきた。いつも聞いてる曹洞宗のお経とは違って、
なんか歌みたいだからよく分からんかった。しかも、中盤は日本語であげてるし。
で、お札(?)みたいな、竹の棒に注連縄についてる紙が挟んであるのを貰ってきた。
荒神様は火の神様なので、台所の神棚にあげておけと祖母に言われた。
なんか、不思議な気分になりますよ。神様に坊様がお経を読んでるとか、
お香をあげて拝むとかね。
スレ汚しスマンです。
164 :
日本@名無史さん:2008/02/08(金) 08:54:10
いや、スゲー為になる話だった
我が部落にも、昔から変わらずに続いている、神仏習合の行事があります。
注連縄・鳥居があっても、社殿は寄棟で仏堂の様、祭神は十二天で神体はその立像十二体です。
榊・御神酒を上げますが、魚はありません。その他果物・餅等を上げ、真言宗僧侶が読経(錫杖経・般若心経・十二天真言等)する中、銘々線香を上げて合掌。式の最初と最後には用意した御幣で僧侶がお払いをします。
僧侶の所属寺院から供えられる酒ののし紙には「別当」の文字が・・・。
因みにこのお社の鳥居は大正時代の御大典の時に建立されたものです。
166 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:14:57
廃仏毀釈の折に、天皇の系譜以外の神を弾圧し滅ぼした、と聞きましたが、
具体的にどこのなんて神を滅ぼしたんですか?
167 :
日本@名無史さん:2008/04/19(土) 19:16:44
八百万の神の一人が居なくなった?
168 :
日本@名無史さん:2008/05/01(木) 15:30:49
今『批判仏教』という本を読みかけてるんだが
どうも神仏習合のように土着思想と安易に融合した日本仏教のありさまが
徹底的に批判される展開らしい。
169 :
日本@名無史さん:2008/05/02(金) 23:04:20
>>166 江戸時代までは神社はあっても祭神不詳ということが多かった様です。ところがそうした名を持たなかった神々に記紀神話に登場する神名を与え、或は記紀神話の神とすげかえたのが国家神道確立の第一歩でした。
また直接政府が関わったわけではありませんが、古くから、某地域限定で崇めていた民俗神達を記紀神話の神に変えてしまったということも起こりました。これは村びとによって変えられた例ですが、何とかすり合わせを行おうとした苦労の様も伺えます。
170 :
日本@名無史さん:2008/05/02(金) 23:05:21
江戸時代までは神社はあっても祭神不詳ということが多かった様です。(要出典)
171 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 09:35:11
>>170 > 江戸時代までは神社はあっても祭神不詳ということが多かった様です。(要出典)
172 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 09:35:45
>>170 > 江戸時代までは神社はあっても祭神不詳ということが多かった様です。(要出典)
各地の村明細帳記事による。
173 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 09:57:26
そんなもんじゃソースにならん
百科事典に書く気で発言しろ
174 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 10:31:59
まともな学識もない奴がふんぞり返ってソース寄越せ、か。
どこの学問分野でも、極端にレベルの低い奴を相手にすると大変だね。
175 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 10:58:19
>>173 別に全国を調べた訳じゃないけど、祭神が江戸時代まで不明の神社なんてよくあるよ。
常識じゃない?
ついでにいえば祭祀されている神が時代の流れとともに変わったりとかもあるし。
ソースがどうととかいってるまえに
まともな本を読んだら。
それにちょっとつながる話だけど
中宮寺のミロク菩薩は
昔は如意輪観音と思われていた(確か)。
これは不明ではなく変質ということだね。
176 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 12:11:55
常識だから出典は必要なくて「〜の様です」で良いんだよ by武陽隠士
177 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 12:14:15
武陽隠士も碌なもんじゃないな
178 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 12:23:09
江戸時代まではその地方ローカルの土着の神様を祀っていたのが
明治以降国家神道に組み込まれたとき、一般的メジャーな神様に祭神が変えられた
ケースもあったようだね。
179 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 14:31:27
うちの菩提寺は曹洞宗だけど
敷地内に恵比寿様が祀ってあるし
住職と檀家が講を作って秋葉神社に行く
180 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 14:59:05
>>176は
私じゃない。
>>177 バカはおまえだろうが。
まともな研究者で専門外のことを簡単に断言する奴なんていない。
あと「ソース」というキモい言い方してるだけで
バカ確定だ。
近世文書かなり読み込んでいる人でも
史料膨大だから簡単な断言はしないのがふつうさ。
まあ近世宗教史の専門家には簡単に断言しちゃう輩もいるが。
おまえみたいなアマチュアは楽でいいよホントw
ネットで簡単に検索してるみたいに結論出せると思いこんでやがる。
イヤだねえバカはw
181 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 15:02:09
ここ、2ちゃんねるは本当にバカ多いよ
雑魚が多いてやつ
182 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 15:06:58
>>179 江戸時代はそれが普通。
地域的にも違うんで一概には言えないが、
今でも寺と神社が隣接してる例が多いが、あれは神社と別当寺の関係の名残り。
あと大黒天(恵比寿も大黒天も台所の神)は曹洞宗の寺にはよく祭られている。
曹洞宗の本山(神奈川の奴ね)でも目撃したよ私。
183 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 15:23:14
私ゃ個人的には神仏分離派ですな。
仏教、神道それぞれ宗教として成り立ってるのはいいが融合させちゃいかん。
(意図はどうあれ)強制的な神仏分離は正しかったと思うしまだ徹底されてはいない。
仏教の体内に神道の病巣が伏在している。
>仏教の体内に神道の病巣が伏在している。
ほう。もっと詳しく説明してくれ。
185 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 15:42:52
話の筋違いになって悪いんだが、ここに集ってる人達って実際に神仏習合的な実践を何かしてるのか(私的なものから公なものまで)?
例えば、神前読経をしてる人っているの?
因みに俺は月の1・15日には神棚の前で神祇講式を誦んでるよ。
186 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 15:44:30
>>183 一言いいかな。
その認識は近世の庶民にはない
(場合によっては武士も。平田国学の影響を受けた上層庶民は除く)。
君みたいなパンピーにそういう意識(神道と仏教を峻別する)が生じている事実は、
明治新政府の神仏分離令の成功した証左だろうな。
教育とか政府の命令とかって長い目でみると
ホント影響あんだなって思うね(*^-^)b
187 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 16:00:58
188 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 22:41:59
その認識は近世の庶民にはない(要出典)
189 :
日本@名無史さん:2008/05/03(土) 22:45:43
自分じゃ調べても無い癖に、他の奴が既に調べた事から得た知見を常識だと言い放つ馬鹿
御前の常識は何から形成されてるんだよ
武陽隠士はホント頭悪いな
190 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 23:04:29
↑おまえバカだからって
絡むなよ。
私は留保つけて書いてるんで
ツッコミされるいわれもない
ちゃんと先行研究あたれ
偉そうに御託並べるのはそれからだネット切り貼り野郎w
191 :
日本@名無史さん:2008/05/04(日) 00:00:43
先行研究呼んでない時がたまにバレるけどなw
192 :
日本@名無史さん:2008/05/04(日) 00:13:19
「先行研究をと言って免罪符にすれば、自分の馬鹿は隠し続けられます」 by武陽隠士
193 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/04(日) 02:30:10
>>191 先行研究読んでない分野は
知らないと前置き書いてる。
おまえみたいにネットの切り貼りして得々と書いたことはない。
194 :
日本@名無史さん:2008/05/20(火) 00:55:13
「神仏習合」140年ぶり復活
紀州の熊野信仰を伝える新熊野(いまくまの)神社(東山区)が、5日の神幸祭に修験道の寺院、聖護院
門跡(左京区)の僧侶や山伏らを招く。神と仏を一緒に信仰してきた日本古来の宗教心を取り戻そうと、
明治元年(1868年)の神仏分離令まで続いた「神仏習合」の姿を140年ぶりによみがえらせる。
新熊野神社は、熊野信仰が盛んな平安時代後期の1160年、後白河上皇が創建した。修験道と関係が
深く、明治時代までは、聖護院から宮司に相当する別当が派遣されていた。
尾竹慶久宮司(57)が聖護院の宮城泰年門主(76)に協力を依頼し、「神仏習合」の催しが実現。神幸祭
には、聖護院の僧侶と山伏計11人が参加し、神事の後、氏子ら約300人が同神社を出発、神の乗り物
「鳳輦(ほうれん)」などとともに周辺の約10キロを練り歩き、2か所の御旅所で僧侶と山伏が読経する。
尾竹宮司は「世の中で悲惨な事件が続くのは、日本人が神仏への恐れを失っているからでは。
再び信仰心を取り戻したい」と話し、宮城門主は「これを機に絆(きずな)を深めたい」と喜んでいた。
(2008年5月5日 読売新聞)
近年神仏習合が再評価され、明治政府の宗教弾圧で破壊された伝統を再び取り戻そうという気運が
高まってきたのはいい傾向だね。
195 :
日本@名無史さん:2008/05/20(火) 01:05:41
煩悩も悟りも神も仏もごっちゃの渾然一体でそこから何かが生まれるとした
天台本覚思想が日本の宗教をダメにした。山王一実神道も。
神仏習合などもその延長線上にあるね。
何か祈る時、神様・仏様を前置きしちゃうなー
197 :
日本@名無史さん:2008/05/20(火) 10:52:01
>>195 それが和であり多神教の日本の長所だと思う。
198 :
日本@名無史さん:2008/05/20(火) 11:16:21
ドラえもんのポケットのように何もかも抱合してしまう究極の一神教なんだよ。
そこには批判も思想が思想として磨かれることもなく、新しいものが入ってきても
すぐ同化させられ、なれ合いのみが永遠に続く。
199 :
日本@名無史さん:2008/05/20(火) 14:27:05
江戸時代は神主が死んでも坊さんが呼ばれていた。
200 :
日本@名無史さん:2008/05/21(水) 01:32:17
>>166 市神・・・市が開かれる土地の守り神
寄り神・・・浜辺・川岸の流木とかを神体とする
石神・・・特徴的な石を神体とする
姥(乳母)神・・・子育てを助ける神
これらは有名な神様(エビス、弁天、スサノオ、稲荷)とかに変わってたりする事も多い
また、多くの地域の産土神(土地神)もたぶんメジャーどころに置き換わっちゃったと思われ。
あスマン。「廃仏毀釈の折に」かどうかは知らん。
後ついでに東北あたりの神だが、ホウリョウ神・・・田んぼの神、ウンナン神・・・水の神(ウナギ)
ご存じアラハバキ神・・・旅の神、最後のは神社有るけどね。
203 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/29(木) 01:00:31
>>197 「長所」とかの価値判断は余計だよ
ただ単にそうだった
でいいじゃない?
神仏分離なんて明治以後のはなしだしな
せいぜい江戸後期の儒教に被れた国学者が言ってたくらいで
日本の仏教は万物が仏の化身という宇宙観の密教が影響強いから
自然に、万物に霊性が宿ると言う思想の神道と仏教は合体し、神仏習合が当然だった。
インドでも中国でも土着の神々は仏教に取り入れられ、仏の下部存在として取り入れられたし
別になんもおかしな思想ではない。
ただ、日本の場合は当初八幡神に代表されるように、インドと同じく
神が仏に負けて帰依するという取り入れ方だったが
密教以後は、神もなにもかも全て仏(宇宙そのもの)の一面となって現れた姿という
取り入れられ方をしたことが日本仏教の特質と言えるだろう。
しかし本来各種如来(仏のいろんな姿)があるとされてたように、
インドの神のような取り入れ方がむしろ不自然で
万物全てが仏という思想のほうが自然だと思う。
神々というものは山だったり雷だったりなんだかんだの自然を神格化して生まれるものだが
密教のように、その万物から仏を感得せよという思想なら、
それらの肖像化した像や絵を仏のある一面の姿として捉えるのは
仏教としてなんら間違ってないと思う。
如来像なんてもんがあって、天部なんてモロに神を取り入れてるインド仏教がよくて
神仏習合は仏教としておかしいなんて思想は変でしょ。
はじめてこのスレ来ましたが、なんかテキトー発言いっぱいあるなあ
>>52 神仏習合は神道側からも、仏教側からも、いろんな僧や神主が
縁起やら仏教論やらを書物として発表しています。
神道側では両部神道や吉田神道系の神仏習合を理論立てた書物が
鎌倉から室町あたりにいくつも出てます。
仏教では真言宗はもちろんのこと、天台宗の僧がいくつもこのあたりを理論だてている。
最澄がそもそも比叡山開いたときに神を祭って山王権現として祭っている。
日本では仏と神は同時に元から奉るものであった。
当初は神宮寺のように神が仏に帰依するインドの神々の形式だったが
密教後は神=仏の一面という思想での神仏習合
>>27 説っつーか、伊勢神宮自体が神仏習合思想の一大中心地で両部神道の大元。
内宮外宮を金剛界胎蔵界になぞらえてアマテラスと大日如来を同一視し
僧も参拝しまくる仏教としても重要な霊場であった。
>>49 陰陽道は道教の亜流だよ。
あと仏教に取り込まれて道教由来の天部も入ってきてるな。
テキトー発言の無いスレなんて2chにあるのかと小一時間・・・
207 :
日本@名無史さん:2008/06/04(水) 17:22:45
神仏習合みたいな無原則なナァナァ体質(ウチに対してだけ。ソトに対しては
逆にひどく排他的になる)こそ日本型無責任主義の精神的支柱だろう。
208 :
日本@名無史さん:2008/06/04(水) 18:20:56
どこが外に対して排他的なんだ?クリスマスもあり
ムスリムに対する排斥もない
宗教的な寛容さと逆の
民族的な排他性は島国だからだろ
209 :
日本@名無史さん:2008/06/04(水) 21:36:28
クリスマスが何か?
近現代のイベントとしてのクリスマスはいざ知らず、
キリシタン弾圧史を知らずにそんなことを言ってるとしたら頭がとんだお花畑だ。
現代だってうわっつらだけだ。
この人は敬虔なクリスチャンです(特にその人物が日本人の場合)
と紹介されると少々の違和感を抱くだろう。神仏習合主義者にとっては。
210 :
日本@名無史さん:2008/06/05(木) 11:03:19
日本人の宗教的多様性としてよく、
葬式→仏教
初詣七五三→神道
クリスマス結婚式→キリスト教
のような図式化がされるが
別にどれも信仰しているわけでなく
単に儀式スタイルとして服を着替えるように
使い分けているだけ
211 :
日本@名無史さん:2008/06/05(木) 13:49:16
>>210 葬式は各人の宗旨で行われるから、葬式(広く言えば祖霊祭祀)が
個人レベルでは最重要の宗教儀礼だ。
212 :
日本@名無史さん:2008/06/05(木) 15:05:33
はあ?
キリシタンの弾圧が
宗教心から行われたと?
歴史の勉強しなおしな
それから自分の差別心を世間一般の意見みたいにいうな
上っ面でもこれだけの宗教が混在できるこの国が好きだ
やっぱりね、天皇がアマテラスの子孫と言うよりさ、大日如来の権現としたほうが箔がつくじゃん。
ダライラマも真っ青だぜw
214 :
日本@名無史さん:2008/06/05(木) 22:45:03
大日如来の権現って言うか
嵯峨天皇は空海に篤く帰依して
神道の最高権威でありながら、空海の潅頂をうけている(弟子になったと同義)
淳和天皇も大きく影響を受けている
このあたりから神仏習合が大きく進んだ
だから 大日如来の権現なんて考えはない
215 :
日本@名無史さん:2008/06/06(金) 04:39:56
>>203 流石に専門外だと茶々を入れるのが精一杯w
新仏分離と言われるが、神社を政府管理下に置いて仏教的要素を徹底的に
追放したのだ。仏教私設では神道的要素は一掃されなかった。
217 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/06(金) 22:02:14
>>215 仮に専門であっても同様の「茶々」入れたろうな。
しかし価値相対主義も分からないバカには往生させられますね
218 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 10:37:14
馬鹿が必死(笑)
>>169 山岡荘八先生の小説『徳川家康』だと、家康の母が「建雷命」を祀った神社
に参拝する場面がある訳ですが、当時ならこんな言い方はしませんね。
鹿島や鹿島大明神、あるいはそれに類する呼び名で呼んだ。
大体、唱導も行われた縁起類を読んでみても、記紀とは異なる「歴史」が説
かれていて、基本的に人が神となったとし、その本地仏が説かれている。
幕末に国学の信奉者が正しい神、由緒ある神とは何かと考えて『延喜式』に
載っていることを条件としていましたが、逆にいえば載っていない神に対
する信仰が現実に広まっていた訳で、そこで復古を志向して理想にそぐわ
ない現実を破壊すれば、混乱するのが当たり前です。
神仏分離の際、平田国学や水戸国学の人間が地方を調査して、「これは道の
神だ」というのを記紀の道の神(誰も知らなかったもの)に当て嵌めて回っ
ています。
天御中主にしても、平田国学で持ち上げられるまではまともに信仰されてい
た形跡がありません。
現在祭神とされているのは、妙見信仰に代わってからのことで、明治以降で
しょうね。
現在田舎の神社で祀られている記紀系の神格は、江戸後期はともかくそれよ
り前まではとても遡らせることが出来るものではありません。
地域の歴史を調べる際、「○○命」を無批判に「昔からのもの」とすること
には抵抗を覚えますね。
幕末の国学を待たなくても吉田神道だって地方の神社に
「そんな神はいない」
と言って由緒ある神に当てはめてたよ。
>>214 嵯峨天皇以降、天皇と仏教の影響が強まったことは否定出来ませんが(皇帝
の受戒は梁の武帝以降、隋・唐にも見られたもので唐文化志向も影響したと
思います)、「神道の最高権威」という言い方はどうでしょうね。
当時の史料でそんな表現は出て来ないと思いますが。
>大日如来の権現
東宮時代の後三条院に真言僧が奉献した書に、大日如来の化身が天照だとす
る説が見えていますが、これが初見でしょう。
以後は、天照が大日如来の垂迹であり、天皇はその子孫であって、日本の国
土は大日=天照の作り上げたものであるから、住人は信仰するという言説が
広まる。
即位灌頂は鎌倉期(即位式にあたって天皇が自身を大日如来に擬することは
大江匡房が記しているとは慈円の記録)からですが、対立要素という訳では
ありませんね。
ただ、仏教という要素が宇宙的・国際的なものであり、神は日本の国土に限
定して垂迹したものだという観念は確かにありましたから、その面での上下
関係は確かにありました。
>>216 昭和初期頃までは、寺院の鎮守の本地仏の記事が仏教の機関紙などに出て来
ますね。神仏分離以前の記憶を持った世代が増えると消えていますが。
>>221 吉田は(あれはあれで無茶なところがありましたから)面白そうですね。
やはり近世ですか。近世なら吉田も大人しくなっていましたが。
神仏習合といえば富士山も有名だけど、その富士山を祀る
浅間大社境内地で護摩を焚いてたお堂跡地が発見されたそうな。
他にも以前の発掘では、神社境内にも関わらず墓地と思われる
跡地も見つかっていて(明治頃のもの)いかに神仏習合が
浸透していたかがうかがいしれるらしい。
他にも浅間大社近くにある浄土宗3寺には、富士山の本地と
言われる大日如来や阿弥陀、神仏習合だった寺の山門などが
それぞれあるんだそうだ。
関係ないけど浅間大社にしても三嶋大社にしても他の神社にしても
親が子供に手を合わせてナムナムしようねと言ってる姿を
よくみかけた。微笑ましかったw
224 :
日本@名無史さん:2008/07/24(木) 05:13:31
今の神社の由緒とか捏造、改悪が多そうだ。
太古の昔からあるように地元民に思わせてる節があるね。
225 :
日本@名無史さん:2008/07/24(木) 14:14:25
だれか、豊川稲荷の本社に詳しい人、いませんか?
むかし行ったとき、
境内にもうもうと線香の煙が立ちこめていたような記憶があるのだが。
南無八幡大菩薩
227 :
日本@名無史さん:2008/07/25(金) 14:41:16
>>223
静岡御殿場の浅間神社は朝鮮やくざ露天商の巣窟。
馬の神様の浄財箱の裏にマジックで在日やくざ幹部の名(本人自らが記名)が記載されている
ことは有名。
在日に首が上がらない宮司も然り=お祭り時には在日幹部がTBS放送に依頼して五秒ほど
の間だが神社の祭典を故意に取り上げる程の力を持ってる。
その50歳くらいの在日やくざ幹部(神奈川県城山町に居住)自らの自慢は「俺は富士山に60数回登頂したことが
ある=修験道?」
というのが口癖。あとは俺は重要な政治家ともひたしいし栃木にある竹久夢二の絵画を所有している旅館経営者
に「あなたが来たときは特別に絵をみせてあげる、何時でもおいでください」という
特権を自慢していた。
228 :
日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:02:35
>>227 新橋の方だっけ?
関係してるかわからないけど、毎年浅間大社で流鏑馬を奉納している
人の馬が(厩舎は御殿場)突然急死したんだと、昨年。
教えてくれた人は奉納している人も亡くなったから連れて行ったんだと
言ってたけどまさかね・・・。
後醍醐帝のころのあやしい感じを取り戻すべきだよ
230 :
日本@名無史さん:2008/07/28(月) 06:39:20
在日が足引っ張りしてるからなかなか
復活しないんだよね…
231 :
日本@名無史さん:2008/07/28(月) 12:43:26
明治以降延喜式にこじつけ由緒捏造した神社多杉だろ
今の神社の殆どは寺との繋がり抜きに己の歴史語れぬ事実を
ボチボチ神社本庁も公式に表明するなりしないと
歪みは更なる歪みを派生するぞ。
232 :
日本@名無史さん:2008/07/28(月) 13:24:53
>>231 以前京都加茂、木津の社を延喜式頼りに巡ったが
小村社は確かに色々符合しない所が多かったな。
祭神も明らかに後付けだし、本地仏像を今も密かに
本殿に奉ってる所が意外と多く驚いた。
(春日の本殿を遷宮毎に方々移築してるのは見どころ)
233 :
日本@名無史さん:2008/07/30(水) 15:37:37
今さら復活する意義というのもあまり感じないなあ。
神社本庁がデカイ面をしてるのを懲らしめる意味ならあるかもしれないが。
俺が受験する時に無理矢理祈願させられて次の年は祈願したから合格したんだからお礼言いにいかなきゃなんないだろとぬかしやがる
頑なに拒否したら蹴り入れられてとばっちりでベッド破壊された
どうせてめえも信じてないのによく口うるさく出来るよなと思ったもんだな、親父のことだが
先日法事で坊主の話し聞いたがそれっぽいことは言うが実際の信仰なんてないだろ
どいつもこいつも信じてないが習慣としてやってるだけ
そんな熱くなるもんでもないからこれからも流れに任せて変容していくだけだろうだな
235 :
日本@名無史さん:2008/09/08(月) 18:47:54
神+仏、そろって伊勢参り
伊勢神宮のほか、延暦寺、東大寺、石清水八幡宮など近畿の150社寺でつくる
「神仏霊場会」(会長・森本公誠東大寺長老)は
8日、三重県伊勢市の皇学館大で式典を開き、会の発足を祝った。
神職と僧侶が共に神仏をまつり、拝もうと、祝詞の奏上に続いて般若心経が唱えられた。
式典後に、近くの伊勢神宮の内宮にそろって参拝。
正装した宮司や住職ら約220人が五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、社殿に向かった。
神仏霊場会は、神と仏が和合してきた明治維新前の信仰の再興を目指し、
伊勢神宮と150の社寺を結ぶ新たな巡拝の道を提唱している。
ttp://www.asahi.com/national/update/0908/OSK200809080062.html
236 :
日本@名無史さん:2008/09/18(木) 19:48:31
朝鮮人信奉者のおかげでいわくつきの神社になったね。ゴテンバ朝鮮浅間神社。
死人まで出てるとなればそれはもう!
237 :
日本@名無史さん:2008/09/18(木) 20:45:12
神と仏が和合?大体、天皇家が奈良時代から維新まで仏教徒だから、
神社を坊主が管理していることが多かったんじゃないのかww
238 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 14:00:49
じゃないのかww
239 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 17:04:14
天皇家自体が神仏習合だったのを、分けたんだよ。
天皇家は仏教だけ信仰していたんじゃないね。
240 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 17:28:07
両方信じてるのと、習合思想は全然別の話
「即位灌頂」って神仏習合だよね。
だいたい上皇が出家するぐらいだからなw
神主にはならんが…
243 :
日本@名無史さん:2008/09/20(土) 23:40:06
>>242 神主って発想自体、明治以降なんじゃないの?
天皇ってやっぱ祭祀者として、いたんでしょ。
継体→欽明の流れに神道は関係ないだろ!欽明の息子たちは蘇我と一緒に仏教を受け入れて、聖徳太子に至っては完全な仏教徒になっているからね。
245 :
日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:07:22
仏教の信徒になったといってもでも神道の業法を全くしていないとは言えないと思うよ。
神仏習合の観点からすれば、仏教も神道も区別されないし。
日本の仏教は山岳信仰と密着だし、大神神社なんか本当に神道と仏教が集合していた土地だと思う。
天皇もおそらく、そういった神道由来の聖地に、仏教の儀式も交えた神道儀礼を行っていた可能性が高いと見ているよ。
>>224 >今の神社の由緒とか捏造、改悪が多そうだ。
それは違うぞ。昔からだ。昔は掲示板とかに書いて無かっただけ。
247 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 19:09:01
天皇の祭祀にからむ神仏習合理論は
聖武天皇の娘の孝謙天皇がインドの神々を取り入れたあたりの理論を記した
埋もれていた仏教経典を用いて確立しているよ。
まあ要するに女帝の仏教の師匠である道鏡が理論的に経典解釈して作ったのだろうな
(道鏡はサンスクリット語まで理解したという相当に卓越した僧である)
248 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 19:14:00
神道儀式も天皇であるからにはあるわけで、その説明をできないままに
聖徳太子&蘇我氏は居なくなったので、尻拭いをそこでしたわけだ。
つーわけで、皇室の神道儀式は残りつつ、仏教に帰依という神仏習合の天皇家が確立したわけよ。
明治維新で変なことしたせいで、天皇家の仏教要素の祭祀も
古代から続く神道儀式も、双方無茶苦茶になってしまったけども
往時の習合時代はほんとに豊かな信仰ですばらしいと思うよ
明治維新までは天皇家は仏教ってのは間違いだし、神道ってのも間違い。
基本的な王権の祭祀は神道で、死後は仏教で葬るというような感じ。
249 :
日本@名無史さん:2008/10/02(木) 19:30:48
明治までの皇族はどんどん出家していた
するのが普通だった
250 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 17:40:27
神道と仏教の平行してやる事を
習合とは言わないんだよ
御前等神仏習合全然解ってねぇーな
散々調子扱いてダサwwwwwwwwwwwwww
251 :
日本@名無史さん:2008/10/22(水) 17:46:00
>>248 > 神道儀式も天皇であるからにはあるわけで、その説明をできないままに
> 聖徳太子&蘇我氏は居なくなったので、尻拭いをそこでしたわけだ。
> つーわけで、皇室の神道儀式は残りつつ、仏教に帰依という神仏習合の天皇家が確立したわけよ。
> 明治維新で変なことしたせいで、天皇家の仏教要素の祭祀も
> 古代から続く神道儀式も、双方無茶苦茶になってしまったけども
> 往時の習合時代はほんとに豊かな信仰ですばらしいと思うよ
> 明治維新までは天皇家は仏教ってのは間違いだし、神道ってのも間違い。
> 基本的な王権の祭祀は神道で、死後は仏教で葬るというような感じ。
コイツがこのスレの主流派の「神仏習合」の代表的馬鹿www
ログを幾等読み返しても、他のヤツもコイツと同じ馬鹿揃いwww
後醍醐天皇は日輪なんだよ
>>250 >神道と仏教の平行してやる事を
>習合とは言わないんだよ
ごもっとも。
>皇室の神道儀式は残りつつ、仏教に帰依という神仏習合
>基本的な王権の祭祀は神道で、死後は仏教で葬るというような感じ。
確かに、こういったものを指して「神仏習合」とは言いませんね。
そもそも「神道儀式」というのも分かりませんし。大嘗祭のことですかね。
四方拝などは唐・周の影響を受けていたようですし(三種の神器も)。
そもそも、神仏判然令以前は神仏「混淆」と表現されていたもの。
混ざり方も色々で、本地垂跡説に因んだものばかりではありませんでしたが、
それでも現代人が理想形として考えるような「同等の立場で」独立して共に
あったものではありませんでしたからね。
「基本的な王権の祭祀」ですが、即位灌頂などもありましたが。
中国思想に由来した行事も多数に上っており、「ここから神道」と分別する
発想自体がすでに近代のもので、どこからどこまでと分けることがそもそも
難しい状況にあったと考えます。これは他の文化的事象にも言えますが。
254 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 13:43:50
現在、記紀神話の神を祭神とする神社はたくさんありますが、それは江戸時代初期の吉田神道と後の明治政府の仕業です。
「神道集」(1350年頃)と「室町時代物語集」の時代には、記紀神話の神を祭神とする神社はほとんどありませんでした。
また延喜式の神社にこじつけたのは明治政府が初めてではなく、1750年頃に徳川幕府が実施しています。
255 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 13:59:10
毎朝、仏神に念じ候へば、二人力になりて、後ろへはしざらぬものなり。
尺取虫の様に、少しづゝ先へ、にじり申すものに候。
仏神も、先ず誓願を起こし給ふなり。
>現在、記紀神話の神を祭神とする神社はたくさんありますが、それは江戸時代初期の吉田神道と後の明治政府の仕業です。
個人的にはそれはそれで良かったと思っている。ド田舎の神社でも京都辺りと同じ神様を拝めるから。
郵便制度や義務教育の徹底普及と同じ感覚か?
257 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 15:25:37
神道集に史料性なんかあるの?w
祭神が変わってることも分からないで現在の祭神の分布を元に神社から古代史を探る
なんていうアマチュア史家がいるがちゃんちゃらおかしい
259 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 15:36:38
神道集なんかゴミ箱に棄てて良いよ
260 :
日本@名無史さん:2008/11/01(土) 21:38:27
今の神社は在日神主が自分のところの先祖を祭神として祭っているところも
あるから注意が必要。
在日神主は創価学会からの回し者もいるから、家庭の事情とかを神主に告げ
ると後々カモにされる可能性も。保険金○人などに巻き込まれないように。
在日の先祖なら日本の神様じゃなかろう
創価学会は教義として神社は認めない
>>262 大作に正一位創価大権現の称号が天皇から与えられてもか?
その時は天皇=国家が日蓮に帰依した時だから魔物の住み家であった神社に真の神様が戻ってくるんだよ。
でその真の神様とは?
それ以上は創価学会の管轄外でしょう
>>253>>250>>251 混交と言う概念と習合と言う概念は神仏習合、神仏混交と言う表現で
同義に使うことが多いから必ずしも間違いではない。
混交と習合について峻別して使用しているわけでもない。
概念論は大抵はくだらない議論になるから回避した方がいいし、
日本人はそもそも明確に概念定義から思想や哲学の展開をして
きたかがそもそも怪しい。
268 :
日本@名無史さん:2008/11/02(日) 18:39:02
269 :
日本@名無史さん:2008/11/05(水) 19:57:07
正一位白丁大作大明神
正一位部修羅大作大権現
ニカッ@@
272 :
日本@名無史さん:2008/11/24(月) 19:43:22
今更必至に否定してももう遅いよ。見苦しい
御前等神仏習合の意味を履き違えたまま語り捲くってきてるだろ
その上で更に恥の上塗りw
廃仏毀釈スレも戴した違いは無いねw
273 :
日本@名無史さん:2008/11/24(月) 20:48:53
空海と日蓮が中心においたものって正しいねえ。
それをずらすのは捏造だねえ。
民族うんぬんより、曼荼羅や宇宙構造図、魔方陣、易の中心を
違うものにすることが捏造だな。だからいざとなると表意文字文をはじめ、力もないわけだ。
逆にしてなんとかなる時代は終わったな。
-白黒をハッキリさせてこれを正せよ-
ロミュラス・モーゼより
そういえば道教の影響も強いといわれているけど、どうなんだろう。
直に道教でなく陰陽道だろ。
典型が御札。これの元は道教。
ただ、御札の場合は陰陽道経由か密教経由かちょっと解らん。
276 :
日本@名無史さん:2008/11/27(木) 16:23:58
羅山の本朝神社考ってうってる?
277 :
日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:15:27
道教というか、中国の呪術はずっと伝わってるよ
平安京や古墳に見られる四方に白虎だの朱雀だの配したり星辰信仰などから
それを日本の呪術と混ぜて発展させた陰陽道
さらに密教をも混ぜていった修験道
道教は日本には直接的には伝わってないとされるが
仏教に混じって道教はしばしば伝わっていて、エッセンス程度は入り込んでる
鎌倉時代にもよく中国僧が招かれているが、道教神像がわりと入ってきて仏教寺院で見られる。
278 :
日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:20:18
>>253 孝謙天皇の時代に神仏祭祀については議論があり
理論が打ち立てられている。
つまり、太子・馬子から入ってきた仏教儀式が仏教で
それ以前から続く儀式が神道という考えです。
もちろんそこには星辰信仰など中国由来と見られるものも入り込んでいるわけですが
国教と仏教というような切り分けが当時あったのでしょうね
>>272 馬鹿w混交と習合なんて混同して使っているんだよ、普通はw
そういうの馬鹿の概念論と言う。
質問させてください。
神社って本殿や、お社が、
内・外、上・中・下、辺・中・奥、春、秋
というふうに、複数に分かれてるところがありますが、なぜなんでしょう?
こうした建築を行ったもとの思想は、どちらかといえば日本固有のものなんでしょうか?
281 :
日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:54:44
日本の神道の思想はポゼッションと言われる。憑着現象。
宗教思想研究の分野では日本の神の特色と言われます。
神は社に召還されるわけです。細胞分裂のように各地の依代に憑くのです。
神社、すなわち聖域とは神を召還する場というのが本来の姿で
神社の数々の社はそれぞれの神を召還する依代なのです。
だから○○神を祀る社が各地にいっぱいあったりする。
複数あるのはそれぞれ違う神を祀る集団が派閥としてあったり(伊勢神宮なんて顕著な例でしょう)
江戸期には御利益ブームでなんでもかんでも勧請していったのがあります。
シャーマニズムは原始宗教で「普遍的」といえるぐらい当たり前のことだからなあ…
283 :
日本@名無史さん:2008/12/08(月) 02:10:28
>>281 押忍、280ッス。
>複数あるのはそれぞれ違う神を祀る集団が派閥としてあったり(伊勢神宮なんて顕著な例でしょう)
おーなるほど、内宮の荒木田氏、外宮の度会氏ということですね?
諏訪なら上社の諏訪氏、下社の金刺氏?
諏訪大社はさらに、上社が前宮と本宮、下社が春宮と秋宮に分かれていますが、これも一族内の勢力が分かれていった結果なんでしょうか。
では、里宮と奥宮は単に場所の問題ですかね。
里宮が遥拝所で、奥宮が霊峰に置かれた聖域みたいな。
>江戸期には御利益ブームでなんでもかんでも勧請していったのがあります。
これは摂社のことですか?
284 :
日本@名無史さん:2009/01/04(日) 03:02:20
昨夜の番組もそうだったが
最近、神道の側に立って事物を捻じ曲げてる番組がめだつ。
285 :
日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:27:03
日本人て意識してないけど神道信者
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1230871466/l50 1 :神も仏も名無しさん:2009/01/02(金) 13:44:26 ID:TTfBqVcc
それなのに信者とは認めない。神社に祈祷しに行ったり厄年気にしたり罰気にしてる時点で信者なのに。
生理中に神社行ったから罰あたったとか言ってる人がいて、私は洗脳されてるなと思った。新興宗教なら罰とかは洗脳とか言ってありえないとかいうくせにそんなのは信じてる。なのに信者ではないと認めないからたちが悪い。
日本人はなぜ自分は神道信者と認めずに宗教嫌いみたいな感じでいるんだ?
私の同級生も神社でお祓いとかするけど信者じゃないとか言ってたし。
おかしくないか?
罰を気にするなら信者と認めないことが神に対して失礼と思わないのか不思議。
奈良から江戸までは、仏教優位は歴史的事実だとは思うけどね。
287 :
日本@名無史さん:2009/01/10(土) 22:28:24
>>285 神職者や僧侶でもないのに、むやみやたらに「信者」って使うからわけわからなく
なるんじゃね?日本人が。
特に神道において「信者」って言うこと自体、かなり違和感を感じてしまうけどな。
多くの一般日本人にとって神道ってもっと自然で身近なもん。だからどうでもいい
人にとっちゃ大したこと無かったり、ふとしたときに急に思い出してみたりってな
ぐらいだろうよ。ジンクスとかだって同じじゃないか?
ただそんな神道だって最低限のルールはある。ただそのルールがすべでではないよ。
葉隠にだって書いてある。神は血を嫌うが、侍なら血まみれでも神へ祈ることもある
だろうって。日本の神はそんなケチじゃないよ。
俺は神社にも寺にも行く。そして日々感謝することも忘れないが、それと同時に俺は
自分の本能むき出しで双方にお願いもしている。それが徳川の亡霊でも明治の亡霊でも
構わない。そんなこと大した重要じゃない。
あれが駄目。これが駄目。あれとこれとは違うって言われる排他的な宗教には強烈に
違和感を感じるがな。
288 :
民間神道禰宜志望者:2009/01/16(金) 15:34:22
とりあえず、どっかで神仏習合神道の神職養成道場を開設して、神職資格を与えてくれるようになればよいのだが。
今の状態を見てると国学系の神道に比べて司祭者になる為の門戸が狭すぎるように感じる。
どうしても神仏習合で行きたいとなると僧侶にならない限りは新宗教等に頼るざるを得ない。修験がかなり門戸を開放してるのには少し期待。
289 :
日本@名無史さん:2009/01/16(金) 19:23:02
>>288 うちで数年後誰しもが目指せる神職養成コースの講座を開くよ。その時来れば?
それか一億位創立費を払って開祖にでもなる?
開祖ともなれば、神社に永久に名が刻まれるから一億でも安いと思うけど。
折れはその金額の半分は出すわ。
290 :
國學院卒だが:2009/01/16(金) 20:00:10
>>287 同意。
しかし、今年の初詣9000万人以上というのは驚いた。
291 :
日本@名無史さん:2009/01/16(金) 20:07:17
まずは皇室祭祀の仏教や
陰陽道関係を復活させたい。
なにより、皇室の葬儀を
仏式にしたのはコスト削減という事情もあった。
皇族が薨去されるたびに
古来からの陵を造営していては
国家財政に多大な負担をかけるからです。
そして、皇室は古来からの
北辰への信仰を取り戻すべきです。
昼の天に太陽あらば、
夜の天に輝くは北辰。
292 :
日本@名無史さん:2009/01/16(金) 20:59:02
○○神道本庁でも開くか
土御門神道本庁みたいな・・
陰陽道は全くわからんから
>>291に任すわ
その他はすべて引き受けた!
その後は現皇室の御退位を目指すと。
293 :
日本@名無史さん:2009/01/16(金) 21:07:14
北辰=月光
太陽、月についても神社本庁役員より明らかに詳しいぞ。
根本原因の知識については自信ある。
294 :
國學院大學卒:2009/01/18(日) 18:14:23
北辰=月
とは始めて聞きました。
詳しく教えてください。
295 :
國學院大學卒:2009/01/18(日) 18:15:50
296 :
日本@名無史さん:2009/01/18(日) 23:27:13
>>290>>しかし、今年の初詣9000万人以上というのは驚いた。
日本会議や神社本庁、マスゴミの言うことは信用できない。奴らの誇大妄想。
実際は半数位の参拝者に終始している(賽銭の金額は知らんけど)。
>>294 北辰って、北晨の間違いではないのか。
>>北辰=月
とは始めて聞きました。
詳しく教えてください。
ネットでは無理(勿体ぶる)。
>>295 まっとうな血筋ではないから。その一言に尽きる。
297 :
日本@名無史さん:2009/01/18(日) 23:35:43
もし神社本庁が一般人に神職養成を解禁しても一般人が上位階級につける
可能性は低い。権正階止まりで遊ばれてそのまま独立開業しても下位
階級者出身の烙印を押されて終わりだよ。
先の大戦の参謀のように奴らは誇る遺伝子がないので学力至上主義に終始する
(ハンモックナンバー)んだから。
298 :
日本@名無史さん:2009/01/20(火) 00:27:52
>292
とりあえず、ネット上に「本庁」設立しますか。
具体化できそうなら現実に本部を立ち上げればいいし。
299 :
日本@名無史さん:2009/01/20(火) 00:45:49
2ch神仏本庁
300 :
日本@名無史さん:2009/01/20(火) 11:27:40
300GETd(>▽<)b!!!
301 :
日本@名無史さん:2009/01/20(火) 16:03:04
>>298 六畳一間から始まった宗教もけっこうあるから。
先にネット上にアップしててもいいけど、
一年以内に建物が建つ予定でなければ意味がないと思う。
302 :
298:2009/01/20(火) 19:09:57
>>301 そんな宗教もあるんですか?まあ最初はみんなそんななのかも知れないけど・・・。
建物建設は難しいからせめて空き部屋利用って感じかなぁ。とりあえず、最初のうちは集会が出来ればいいわけだし。
303 :
なまえ:2009/01/21(水) 04:24:15
このスレッドに書いてる人は なんのために 神さまと仏さまを一緒にお祭りしたいんですか。
航空戦艦 伊勢のファンだから。
305 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 13:19:25
とりあえず、神社本庁と真言宗と天台宗で
「日本神仏庁」というのを設立するべき
306 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 14:10:08
神仏習合するなら、大寺院の僧も天皇が任命するようにしないとな。
307 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 16:15:23
今のような神道が近代以前からずっと一貫して続いていたかのような
発想は確かに誤りだな
だが、かといって、江戸時代以前に戻れるのかというと、
そういうもんでもあるまい
仏教界も既に原始仏教、インド哲学を直接知ってしまっているし
宗教だけでなく社会構造自体も変化している
「近代以後の状態は異常だ」というのなら、それこそ
宗教だけでなく近代国家、社会そのものもダメだということに
なりかねない
まあ江戸時代朱子学が隆盛を極めて、彼ら朱子学者のほとんどが廃仏派だったわけで。
309 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 20:18:46
幕府に弾圧された御祓教
310 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 20:54:20
日本神仏庁はいいけどこの「庁」という文字が入っていると法人登記できない。
神社本庁は勝手に名乗ってるのでは?それとも神社本庁だけ特別な登記なのか?
因みに京都府名田庄村にある土御門神道本庁は法人格ではなく個人企業。しかも阿部の清明の
子孫でも何ともない人物が祭祀を受け継いできたと自称している状況。
311 :
日本@名無史さん:2009/01/21(水) 23:45:41
>307
おっしゃる通りだと思います。関西方面で「神仏習合復活」等と言って様々な動きがありますが、あれは決して復活等ではなく新たに編み出された神仏関係の登場なのだろうと思います。
仮に中〜近世の神仏習合状況を記録等に基づいてリアルに「復活」させるにしても「江戸時代以前に戻る」ということではなく、新たな時代の幕開けなのだろうと思います。
次代ヘ向けてのよりダイナミックな神仏関係の構築を企図出来るようにしたいものです。
>310
そうなんですか?天社土御門神道本庁も宗教法人登記されていて、しかも包括下の団体があると聞きましたが。
因みに「庁」をつけている他の著名な宗教法人には日本神宮本庁・修験道本庁があります。
312 :
なまえ:2009/01/22(木) 14:40:28
航空戦艦 伊勢 なるほどメモメモ /(。。)
313 :
日本@名無史さん:2009/01/22(木) 14:42:54
>>1 大賛成
神仏分離令は、明治政府最大の愚策だ
寺社の名前は、江戸時代以前に戻したいな。
古文の授業で何で名称が変わったか意味がわからなった、あのころは。
先生も知らんかったよ。
315 :
日本@名無史さん:2009/01/22(木) 15:12:52
明治時代になって、突然ぱーっと神仏分離、国家神道作りが
成立したわけじゃないよな
江戸時代、国学者のみならず儒学者も含めて、
そういう土壌が長い期間をかけて徐々に形成されていたわけで。
江戸時代の儒学者は、仏教に対しては敵対的、いっぽう神道に対しては
好意的もしくは中立的・悪くても無関心な感じのが多かったんだし。
317 :
日本@名無史さん:2009/01/22(木) 18:47:51
現場レベルでは、お寺と神社がイベントなどで
協力するってのは既によくあること
>>311 なるほど。
あと地域史を新しく構築するツールとしても期待できるんじゃないかな。
自分はそういう目線で、勉強しようと思ってるけど。
319 :
日本@名無史さん:2009/01/22(木) 23:22:33
320 :
日本@名無史さん:2009/01/24(土) 00:34:07
神仏習合と言っても時代や階層、地域、教説などによって状況は違うと思いますが、皆さんはどの時代のどういう状態を想定又は好んでいらっしゃるのですか?
復活するにしてもビジョンを立てないと。
日本の宗教人口が、実際の人口以上にあるって話も、
もともとは神仏習合だったからだよなあ。
ビジョンなんてあるわけないだろ。
ただルサンチマンがあるだけさ。
批判だって宣長のパクリだろ。
明治を漢心だと見立てて批判してるに過ぎない。
323 :
日本@名無史さん:2009/01/24(土) 12:35:13
仏教が普及したのは江戸時代からです
うおおおおっ!!
大事な大事な仏像が盗まれているっ!!
みんな心を合わせて神罰仏罰を願え!!
うらああああ!!
許せねえ!!
326 :
日本@名無史さん:2009/02/07(土) 15:54:05
神仏習合を認める神社が集まって、独自の団体を作ればいい。
神社本庁から完全に独立するか、それとも
神社本庁加盟のままで独自のグループを結成するかは
状況次第で考えれば良いだろう。
今の神社本庁は国家神道意識が強いからな。全然日本の伝統宗教を大切にしようという考えがない。
伝統宗教って?
神仏分離は江戸時代から始まってるだろ。
出雲も神仏を分離したのは江戸時代だぞ。
明治じゃない。
329 :
日本@名無史さん:2009/02/08(日) 14:12:44
明治政府はかまかしすぎた
330 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 02:14:53
謹請不動尊神
謹請弁財天尊神
謹請吉祥天尊神
謹請大黒天尊神
謹請毘沙門天尊神
謹請大自在天尊神
謹請魔王尊神
謹んで天部の尊神達に請い奉る。
寺行って、仏堂の前でかしわでパンパンたたいて、大祓祝詞奏上☆☆
これで、仏寺も清められますな♪
331 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 15:52:14
7:考える名無しさん :2009/01/17(土) 11:50:10 O [sage]
「宗教」という言葉が、現代人にとって極端なアレルギー反応の素となっている。
聖書教や創価学会、オウム真理教らのカルト宗教の異様さやきな臭さから
なるべく遠くに置いておきたい、蓋をしておきたい臭いもの扱いとなる。
そうではない、東洋でいう本来の宗教ってのは「教訓」とか「教科」とかいったぐらいの意味。
人間をなるべく犯罪や犯罪性に走らせず、道徳や道徳性に
繋ぎ止めておく上での要領のいい教えという程度のもの。
だから不当利得含む犯罪や犯罪性への積極を目論むカルトのほうがむしろ
東洋でいう所の宗教の条件を満たしていない。宗教の仮面を被ったただのヤクザやギャング。
オウムのように無力化させられてたらまだいいんだが、
未だに摘発も受けずに敬虔な信仰者であるかの如く思われ(実際、末端の信者は
カルト性に気付かずに本気で信仰していたりもする)、金融や権力の乗っ取りによって
社会全体を自分勝手にひっかきまわしてすらいるから、
そういうカルトの横暴を許さないための自己防衛策として、
非カルト・反犯罪な信教を一人一人の人間が携えておく必要がある。
一銭も払わなくたっていいから、最初は神仏を敬う所からでも始めてみること。
332 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 18:32:13
>>328 確かに、戦前への反動で、逆に
「神仏分離はすべて明治政府が突然でっち上げたものだ」
みたいな極論があるけれど、神仏分離思想は、江戸時代から
あるよね。
林羅山なども、儒家神道で、神仏分離で考えてるし。
333 :
日本@名無史さん:2009/02/10(火) 22:40:38
造られた神仏習合の伝統(笑)
334 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 02:10:47
江戸時代は幕府管理化の「国家仏教」
しかも、江戸幕府は封建主義のシステムのために国家仏教は幕府国家に管理されつつ自主性ももっていた。
幕府国家から保護されながらやりたい放題しほうだい☆
利権も金も取りほ〜だ〜い♪
仏教は甘い甘い利権の蜜に満ちた近世の国家仏教に戻りたいよね〜★
しかも、神社にたいせても別当とか置いて神道の一部までも支配していた。
寺はもちろん我のもの、神社もついでに我のもの!ってね。
日本の仏教が支配したるぞ!ってな。。
欲の権化とはまさにこのこと。
建前として僧侶の肉食妻帯や飲酒が許されなかった江戸時代に戻りたいわけなかろう。
幕府が体制内に仏教を取り込んだのは事実だけど、
それだけだからね。
上でも書いてる人がいるが、林羅山も猛烈に神仏習合を批判している。
安土桃山までは政治家のブレーンが僧侶ってのは結構あったが
江戸時代に激減してるのも関係あるんだろうね。
ほとんどが儒者になっている。
337 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 15:36:50
神仏習合厨って低脳仏教徒の自慰史観に乗ってるだけだもんなw
338 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 15:38:59
室鳩巣の随筆なんか読んでも、神道には好意的である一方、
仏教のことはボロクソに書いてるよね。
国家神道を日本のあるべき姿とするのも誤り
340 :
日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:14:03
>>340 そのあたりまでだろうね。
それ以降は沢庵くらいしか知らない。
342 :
日本@名無史さん:2009/02/13(金) 00:47:24
あんまり儒者がのさばるとシナ朝鮮みたいになっちゃう。
343 :
日本@名無史さん:2009/02/14(土) 04:31:42
信仰と言うものは世界どこででも混合しているもの。
純粋な或いは混同混合のない信仰は世界のどこにも何時の時代も
存在はしていない。
例えば明治神道はキリスト教と神道の混合。
その実例が年賀状や神式の結婚式。
天皇誕生日を祝日にするのもそうだろ。
明治維新の尊王論がもともと儒学から発展したんだから、儒学の影響は大きいと思うね。
神仏分離を最初に行ったのは保科正之だと思うが、彼は垂加神道の山崎闇斎の意見を取り入れた
のは有名な話だよ。
345 :
日本@名無史さん:2009/02/14(土) 15:20:27
>>344 神道優位の垂迹論を説いた吉田神道の普及だろうね
これの登場で、押されっぱなしだった神道に帰依するものが
神道を押すことができることになったわけだ
保科正之は吉田神道にハマって葬式も神式で行ったというから
しょせん方便でしかない仏教祭祀はやめて神式でやれと領地で命じたわけ。
合体したまんまじゃないの?
相変わらず「権現様」なんか坊主姿みたいだし。
347 :
日本@名無史さん:2009/04/23(木) 23:35:04
神仏習合は、形式はどうであれ実質的には、仏教と神道のいずれかを主、他方を従の関係におかなければいけない。
これは現代日本の平等観にはそぐわない。
それに、信教の自由という観点からも、浄土真宗のように純粋な仏教のみ、あるいは、純粋な神道のみを信仰できるようにしたと言う意味でも、
神仏分離は、「現代日本」にとっては優れた政策だったと評価できる。
もちろん、日本古来の伝統が神仏習合に根ざしていたことは否定しないし、
現代日本で「神仏習合教」のようなものを作る者が現れても、信教の自由から否定はしないが。
349 :
日本@名無史さん:2009/06/29(月) 08:13:47
昔から今のいままで信仰上、神仏なんか分離した経緯はない。
境内や建築物が区別されただけの話しだなw
350 :
日本@名無史さん:2009/07/05(日) 21:16:36
明治以降の神様はねつ造神が多くてイ屋。江戸時代までの本当の神式の神様辞典を
誰か発行して九んないかな
>>344 そもそも、儒・仏は相容れないという発想が日本に入ってきたのは
日明戦争の際に姜によって朝鮮朱子学が本格的に導入されたことによる
(それまでは岐陽方秀のような禅僧が朱子学を講じていた)
ここで朝鮮朱子学の影響を濃密に受けた山崎闇斎が
仏を排して儒・神の習合を行った(=垂加神道)
垂加神道を受容した徳川光圀が、さらにこれを水戸学へと変容させる
(水戸以外では、殆どが時間の経過と共に徐々に日本的なものへと中和されていく)
水戸学に則った明治維新によって、水戸学に合致しない神道理論はことごとく抹殺され
その隙間を埋めるかのように基督教の要素が流し込まれて国家神道の一丁上がり
(神道が基督教に上書きされるのは平田篤胤に起因する)
ぶっちゃけると、国家神道(→神社本庁)とは
表皮の薄膜が神道で、中身が儒・基習合の水風船
150年前に造り上げられたこの水風船が、果たして「日本の伝統」と呼べるものか
>>351下から二行目
表皮の薄膜が神道で→表皮の薄膜が神道の残骸で
353 :
日本@名無史さん:2009/07/21(火) 16:03:50
江戸時代に神仏分離が肯定されたのは歴史的経緯からもあきらかなんだから
なんでいまさら神仏再習合しないといけないんだ
354 :
日本@名無史さん:2009/07/21(火) 22:30:06 BE:484466933-2BP(300)
そもそも寺が先祖供養するのだって神仏習合だよ。
355 :
日本@名無史さん:2009/08/05(水) 16:37:30
356 :
日本@名無史さん:2009/08/10(月) 16:35:05
>>351 国家神道と呼ぶかどうかは別として、
神仏分離の思想は、江戸時代ずっと準備され
発展し続けた。
「150年の歴史」ではない。
それを言うなら、(姜はおいといて)
惺窩、羅山からの400年の歴史ということになろう。
357 :
日本@名無史さん:2009/08/11(火) 09:21:21
明治以降の仏教は、どっちにしても
近代的なインド哲学研究を経由するのが
ほとんどだから
仏教の側でも既に変質している
>>356 原因は400年前に遡るが、日本が完全に自失してしまたのは150年前だな
>姜はおいといて
そこを無視したら、惺窩・羅山に神仏不相容の発想が伝わった説明がつかない
神道が根本で枝葉が儒教、花実が仏教だとして
神道が根本だという考え方は、すでに室町の吉田兼倶がいってたはずだが。
神仏習合といっても、思想的には室町時代で枯渇していて、
あとは民衆信仰レベルでだらだら続いていたという話だろう。
思想的には江戸時代以降は仏教はほとんど不毛。
>>361 そう単純に決めつけるのもいかがなものか?
いずれにせよ、我々は、もっと神仏儒の関係について
謙虚に研究するべきだよ。
林羅山は徹底した排仏論者。
しかし思想とは別に、家康に求められて法体になり涙目
浄土の信仰厚かった母の葬儀も、孝行心からやむなく仏式。
>>363 神仏&儒仏分離については
林家が江戸時代を通じて徐々に中和されていったのに対し
垂加・水戸は輸入当初からの強硬性を保ち続けていった
スタートラインの羅山からしてその傾向の差が出ている例ですね
>>364 林家は信篤の時代に坊さんの格好やめたんじゃないのか?
>>365 儒官→大学頭への変更に伴う措置だな@僧形廃止
でもそれを契機に鳳岡が祖父らのような水戸学的排仏論に走ったとは聞かない
>>366 信篤の弟子の徂徠は親仏教的とは思わないが。
368 :
日本@名無史さん:2009/11/10(火) 00:03:44
そうかね
つ毘沙門天、大黒天、弁財天、荼吉尼天(稲荷神)、歓喜天(聖天)、八幡神
370 :
日本@名無史さん:2010/02/14(日) 02:24:04
で?
371 :
日本@名無史さん:2010/02/22(月) 00:13:27
◆神仏習合が衰退に向かったのは、明治維新時ではなく16世紀以降!
「15世紀を境として、日本の社会は、質的に大きく構造変容を遂げる。
呪術性を伴う従来の神仏すべてを排し、古来の神を呪術を脱却した存在に
すべく、唯一神道(吉田神道)さらに垂加神道なる教説が出現するのである。
このような事態を作り出したのは、商工業の発達が合理精神をはぐぐみ、
呪術的な神仏の枠を必ずしも必要としないところに到達したこと、・・・朱子学を
導入・摂取したことの二つにあった。国学をはじめとする近世の日本型合理主義の
思想は、ここに全面開花の条件を整える。
16世紀以降の日本の歴史は、神仏習合を母体としたとはいえ、それを乗り越えようと
する歴史の歩みであった。従って神仏習合はここに最後の到達点を見、本来の
歴史的生命を完うしたのである。」
(義江彰夫「神仏習合」岩波新書)
372 :
日本@名無史さん:2010/03/21(日) 18:59:56
へえ。
373 :
日本@名無史さん:2010/04/17(土) 21:25:10
本当かよ
374 :
日本@名無史さん:2010/04/21(水) 11:02:36
「8時だヨ!神仏集合」×→「神さま仏さま」に
兵庫県尼崎市のコミュニティーFM局「FMあまがさき」で6日から始まった新番組「8時だヨ!神仏集合」のタイトルが、
宗教関係者から「誤解を招く」と指摘を受け、13日の2回目の放送から「8時だヨ!神さま仏さま」に変更された。
往年の人気番組「8時だヨ!全員集合」をもじったタイトルで若年層への浸透を図ったが、“遊び心”は1回限定となり、
内容に沿った無難なものに落ち着いた。
番組のパーソナリティーを務める貴布禰(きふね)神社の江田政亮宮司によると、
1回目の放送前にインターネットで紹介された内容を見た宗教関係者から「『神仏習合』を思わせ、よろしくない」と指摘されたという。
2回目からは、番組内で流すタイトルコールを変更した。
江田宮司は「神社と寺についての話が同時に聞けると好評をいただいており、できるだけ番組を続けられるよう、
誤解を招かない形で放送していきたい」と話している。
(2010年4月21日09時28分 読売新聞)
宗教界にはまだ神仏習合はタブーみたいなのがあるんだな
375 :
日本@名無史さん:2010/05/04(火) 23:17:11
神仏習合とかキモいんですけど。
なぜ混ぜるのかな?
キリスト教やイスラム教はどことも混ざらないじゃん。
ヒンズー教もシク教も単独で栄えてるのに。
ここが変だよ日本人。
物部古神道を消すためだよ。意外かもしれないが、日本に仏教は伝わっていない。
知識人レベルでは、既に江戸時代から
神仏分離的な傾向は広がってきてるだろ。
民衆レベルはもちろん別だが。