607 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 13:16:11
うちの神社の本殿には今も古い虫喰いだらけの薬師仏が御神体として祠られてるよ、絶対公言されないけどね
看板には一言も触れられて無いし、こういうの結構多いと思うよ
608 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 13:43:48
>>605 仏教美術は仏の姿をだしていますが
神道美術は本当の神の姿をだしていません、そうな。
609 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 15:33:12
春日.石清水.八坂.伊勢その他多くの社の鎌倉室町期の曼荼羅図見ると
既に三重塔や多宝塔や護摩堂や観音堂やらの仏教施設がわらわら建ってる
>>605の言う神道美術の概念って実は明治以降かなり強引に整備されたものの受売りなんだよな
千年の間混然と混じり合って来た垂迹文化がこれ程綺麗に忘れ去られてるのも凄いね
610 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 17:23:46
まぁ熱田神宮も長年受継がれた尾張造という独特の様式を
明治になって伊勢を真似てわざわざ神明造に全部建て替えちゃったしな
なんかその背景知ってるから今行っても薄っぺらく感じるのよね
>>609 鎌倉、室町期はそりゃ神仏習合の最盛期だから
明治以降に垂迹文化がきれいに忘れられた背景には
単に明治の神仏分離だけではなく
やっぱり、江戸期の儒者による排仏論の興隆、
幕府政策による寺院の葬式仏教化などがあると思う
612 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/18(火) 19:42:21
>>611 >幕府政策による寺院の葬式仏教化
寺請制度による主な懐柔対象は一向門徒他民衆主導の鎌倉新仏教勢力
これらは割と早くから神仏習合とは一線を画したケースが多いから
影響としてはさほど無いと思われ
逆にそれらの拡大地域は垂迹社寺と大概諍い起してる(白山VS一向等)
江戸期から垂迹文化の衰退は意識されたらしく伊勢や男山など社僧による「講」の運動はその危機感の現れ
613 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 11:16:22
>>611 儒者というより国学だね。
朱子学(儒学)はさらに発展して、儒学すらも排斥する国学を生んだ。
その中では外国発祥のものは全て排斥すべきというバカな主張があったわけです。
着物脱いで刺青入れろよってはなし。
614 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 11:20:49
>>609 そういうこと。
>>605みたいのが思い描く「神道的」というのは明治維新後に
急造で作り上げられたイメージで、
そもそも神社といっても多様性があったもので、今この手の人が思い描く神社美術像だけが
本来神道美術ではないのである。
そういう多様性のあるもっとエネルギッシュなものがあった本来の神道意匠がすっかり忘れ去られているな
ほんとに神道を愛するなら、あんまり画一化、様式化を求めるべきではないと思うよ
それは神道の精神とは実は真逆であると思う
615 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 11:33:20
このへんで誰か神仏分離令の全文をあげんもんかね。民俗学かぶれが自板から出張して来てることだし。
>>613 儒学の排仏論は重要だよ。
江戸時代初期の林羅山も排仏だし(ただし各種のしがらみで
泣く泣く頭を丸めざるを得なかったがw)
江戸時代の儒者は、朱子学、陽明学、古学、水戸学等々
派は違えど仏教排斥ではほぼ一致していた
617 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/08/19(水) 21:24:14
>>615 ググれ。
>>616 別に林羅山の思想=儒学ではあるまい。
林羅山の廃仏思想は儒学というより国学の走りだ。
そもそも近代以前の鎌倉・室町から儒学は一般教養として仏教などと共に学ばれていたもので
本来そこに廃仏思想はなんらない。
それがこの時代に廃仏と絡んできたのは、もはや儒学というより国学の発生なんです。
仏像マニアのみうらじゅんはまた、SMマニアとしても有名である。
ずいぶん昔の話ですが、みうらじゅんがナンパした女をホテルに連れ込んでベルトでパシーン、パシーンとその女を叩くSMプレイの音が、
隣の自分の部屋まで聞こえてたと河内家菊水丸が某地方深夜テレビで言っていました。
仏像なんてそんなもんです。
>>617 >そもそも近代以前の鎌倉・室町から儒学は一般教養として仏教などと共に学ばれていたもので
>本来そこに廃仏思想はなんらない。
いや、あるってば。
少なくとも朱子学とか陽明学にはおおありだよ。
もともと現世を否定する(傾向が強い)仏教と、
現世での経世済民を考える儒教とは、折り合いが良くない。
「大学」につけた朱子の序文とか、韓愈の「仏骨を論ずる表」とか
読んでみな。
仏教、僧は儒学の世界では「浮屠」という蔑称を与えられていた。
「浮屠」は「仏陀」の当て字だけどね。
>>617 ググれだと?
そのレス、もはや反射としか言いようがない。
検索したことが自分の知識だと思い込む人間なんだろうな、オマエは。一生やってな。
621 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/09/11(金) 14:45:22
>>619 それは儒学が国学である中国のはなしであって
日本の場合は儒学すらも単なる外部の学問でしかないのだから。
少なくとも平安、鎌倉、室町と学問として儒学は一般教養として学ばれてきたが
そこに廃仏の思想は無かったよ
622 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2009/09/28(月) 23:38:08
福羽さんは直接には廃仏活動した訳じゃないが、天皇陵修造に尽力して以来宮中に影響を及ぼした津和野藩国学者として
幕末〜明治初期に政府内で宮中から仏式を排除し、明治新政府の神社政策の運営に思想的・実務的に動いた人物。
津和野藩国学は確かに平田派から派生したものなんだが、完全に平田派の主張を受け売りしたというより
平田派が文献重視なのに対して、彼ら津和野派は神武回帰・武家の棟梁としての天皇・勇ましい天皇像を指向する理念的な国学だった。
そのため孝明天皇一周忌以降宮中から仏式を排した時に、津和野派は天皇に神道式葬儀の司祭や墓陵参詣を推し進めようとした。
平田派の人々が平安以来天皇が死穢に触れる事は禁じられており、それ以前も葬儀の積極参加の明確な証拠は無いからと反対した所
津和野派は神武回帰の為には神武陵参詣は必須であり、新政の前で死穢等の慣習に捉われる事は些事と突っぱね
この一連の動きが明治新政府からの平田派排除の発端になったとも言われる。
どうも津和野派や明治新政府首脳となる維新志士は神武陵参詣に徳川家の権威を示した日光参詣の様なイメージを持っていたらしく、武人としての天皇の示威行動にうってつけと考えていたようだ。
ただこのあの平田派以上に理念的(その性格の明確とは言えない神武回帰など武断的天皇像等)な彼らが明治政府の神道政策の軸となったため
全国の神仏分離政策施行に非常に排他的・硬直した傾向を増大させた可能性は高い。
624 :
名無しさん@京都版じゃないよ:2010/03/04(木) 00:30:05
何で神仏習合させたいのか分かりません?
神道は神道!
仏教は葬式仏教!で良いではありませんか?
廃仏毀釈は反動だから仕方のない面が多々あるけれど、
明治〜戦前昭和政府の全体主義が犯した罪については、
ちゃんと認識しておかないといけないと思うなあ。
626 :
名無しさん@京都版じゃないよ:2010/03/04(木) 00:45:04
別に悪い事では無いと思うけど!
日本がまとまる為に神道と天皇が使われたんやし!
遅れた国が独立を守るために必要だったんやし!
そういう面は確かにあるが、ま、全体的に見て「失敗」だったね。
628 :
名無しさん@京都版じゃないよ:2010/03/04(木) 19:23:22
失敗したのは仏教を潰さなかった事と天皇の配下に入れてしまったことだね!
神道よりも仏教界の方が戦争協力が大きかったからね!
神道だけなら戦争も回避できたかもね!
629 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/04(木) 23:06:02
ルーズベルト呪殺は、神道仏教の両面からやりましたが。。。
630 :
名無しさん@京都版じゃないよ:2010/03/04(木) 23:52:27
仏教を何で残してしまったのか不思議でならないね!
神道だけじゃちょっと寂しいから、仏教も残した方が賑やかだから
632 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/05(金) 15:30:33
>>628 おいおい、日本を敗戦に追い込んだ国家神道の責任を棚にあげて仏教に責任転嫁かよwww
633 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/05(金) 15:34:03
【神々を『敗北』に追い込んでしまった戦時中の利己的な祈願】
戦争中の我々の信仰を省みると、神に対して悔いずにはいられない。我々は様々祈願をしたけれど、我々の動機には、利己的なことが多かった。
さうして神々の敗北といふことを考えなかった。我々は、神々が何故負けなければならなかったか、といふ理論を考えなければ、
これからの日本国民生活はめちゃめちゃになる。
「神道宗教化の意義」 折口信夫
634 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/05(金) 15:38:43
【昭和現人神の起源】
「現人神」という表現の淵源を探るなら、奈良時代の歌人である柿本人麻呂朝臣の歌、
「すめろぎは かみにしませば あまくもの・・・」の頃より見らる。
とは言え、これが戦時中の「現人神」という思想と「=」とはとうてい言えない。
古来からの天皇は飽くまで「聖なる人」であり、「神のよう」ではあっても、
「神と同一の存在」という考え方はされていなかった。
それは、宮中祭祀などで、天皇は祭主つまり、最高位の神官という役柄を持っていた事からも理解される。
天皇は神を祀る側であり、祭られる側ではない。神官は神に仕える身であるから聖なのだという道理である。
これは幕末期の志士の書簡などをみても、自明の事だ。
彼らが書簡で使った帝の隠語『「タマ」を取った方が勝ち』などをみても、
彼等の天皇観の本音が垣間見えるだろう。つまり明治期にはまだ、
「現人神」などという「古語」は(一部の国学者以外には)認識されていなかった。
では、万葉集の頃に一箇所か二箇所垣間見られる「現人神」という言葉に目をつけ、
「天皇=神」という思想を喧伝するために一般に公伝され始めたのはいつなのか?
それは昭和になって発生した国体明徴運動の過程での事である。
文部省が編纂した 『国体の本義』では以下の如く明記される。
「天皇は皇祖皇宗の御心のまにまに我国を統治し給ふ現御神」
この国体明徴運動が一人歩きして、いわゆる「現人神思想」という考え方となる。
つまり昭和初期に、天皇の捉え方が暴走した結果が、万葉の時代の人よりも非科学的(オカルト的?)な
天皇観を押し付ける「昭和現人神」の誕生につながったといえるだろう。
「現人神の創作者たち」 山本七平
折口信夫って、民俗学者として巨人であることに疑いの余地はないけど、
国学者としては、あの時代によくいる国家に洗脳されたアホに過ぎないよね
636 :
名無しさん@京都版じゃないよ:2010/03/07(日) 17:05:24
>>632 仏教の信者の方が戦争支持が多かったからね!
仏教の方に責任があるね!
それに国家神道は宗教じゃないと言う建て前だからね!
637 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/07(日) 17:10:55
>仏教の信者の方が戦争支持が多かった
根拠は?
638 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/07(日) 17:12:32
>>636 都合のいい時だけ宗教じゃないとかいって責任逃れか?w
たとえ宗教であろうがなかろうが戦争責任とは関係ないだろw
639 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/07(日) 17:14:53
>>636 >仏教の信者の方が戦争支持が多かった
>国家神道は宗教じゃない
このふたつって矛盾してるだろw 宗教である仏教と宗教でない国家神道じゃ
どっち戦争支持が多いか少ないかなんて比べられないだろwww
640 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/07(日) 17:30:21
>>635 その国家に洗脳されたアホですら戦後「神々を敗戦に追い込んだことを悔いずにはいられない」
って言ってるんだから逆に言葉が重いだろ
>>640 その発言自体が
>>635の通りだろ。理性ある人間なら、
「神々"が"(国民を)敗戦に追い込んだことを悔いずにはいられない」
と言ってほしいところだ。
642 :
名無しさん@京都版じゃないよ:2010/03/11(木) 23:47:35
宗教患者は宗教自体が矛盾している事に気が付いてない所が面白いね!
643 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/12(金) 19:34:44
日本の宗教者はイデオロギーを背負ってない。
様々な宗教が矛盾していること理解したうえで寛容さをにじませている。
だから日本は比較的平和なんだよ。
宗教界が原理的になってみろ、〜以外は認めないとか言う連中が思想を振り回してきっとろくなことはせん。
キチガイにマジレスしないことw
645 :
名無しさん@京都版じゃないよ:2010/03/12(金) 22:58:31
646 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/03/12(金) 22:59:56
とキチガイが申しております。
647 :
名無しさん@京都版じゃないよ:2010/03/12(金) 23:04:44
>>646さんあなたですよ。
基地外は自分が基地外と分かってないね!
プークスクス
649 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/05/25(火) 09:27:50
神道はある意味、皆の共通意識としてのお飾りだろ。
客観性としての祭祀形態プラットフォーム以上でも以下でもない。
ただこれだけで政治をやろうとするとな、
あくまで自然信仰だから、自然のままでは駄目だ。
神道とか念仏浄土とかは霊法的にも自然体であるし、そのことがある意味欠陥。
例えばレイテ海戦の栗田提督如く99%の勝利を目前にして
謎の反転を行い中途挫折で総て黙阿弥になったりする。
自然体で最初から100%を目指しているからだ。
少なくとも密教不動明王くらいの力量で最初から200%を目指さないと
大所のここ一番では勝てない。深層次元で加持が成されないからだ。
またたとえ日露戦争のように勝ったとしても因縁は戻ってくる。
廃仏毀釈で破壊された文化財は数・質ともに、
それまで兵火や災害で失われたものに匹敵するそうですね。
ああ、勿体無い。
651 :
名無しさん@京都板じゃないよ:2010/05/31(月) 16:42:35
廃仏毀釈は地域性もあるとおもうけど
破戒された文化財ってのは具体的にどこの何ですか?
有名所では、内山永久寺でしょう。
廃仏毀釈で寺の全てが破壊されてしまった。
現在国宝・重文の大神神社神宮寺の本尊・脇侍の
十一面観音・地蔵菩薩・不動明王は、仏堂の縁の下に隠され、
破壊を免れたそうです(現在はそれぞれ別の寺にある)。
地域性と言う点では、鹿児島がひどく、
例えば文化財指定を受けている仏像が極端に少ない。
国家神道は最悪のカルト邪教。 神道は糞
国家神道は最悪のカルト邪教。 神道は糞
国家神道は最悪のカルト邪教。
神道は糞 神道はゴミ
656 :
名無しさん@京都板じゃないよ:
↓こいつが悪い