★守護・地頭の実態−坂東武者の全国拡散★

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1日本@名無史さん
自慢のように聞こえるし、他の地方の人間にとっても周知の事実だと思っていたので
今までは黙っていたが、藻前らがやたら関東を叩いたり、その認識に?を付けたくなったり
するんで、言及するとするが、
鎌倉時代の守護・地頭の実態は、北は東北から南は九州まで、関東甲信(特に関東のいわゆる坂東武者)
の全国津々浦々への拡散だぞ。
当時関東在住の、守護として血筋のはっきりした豪族だけでなく、弱小の豪族までが、それこそ今の市町村長の
ような形で知行地を貰い、移住して行った。主に惣領以外の次男・三男坊だけどな。
その子孫で歴史上の偉人も多い。
日本史が中国・朝鮮史と違うのは、ヨーロッパと同様に封建時代があったからだと言われているのは周知の事実。
それもこれも坂東武者、即ち関東の人間のおかげなんだぞ。
当時、関東以外の地ははっきり言って王朝国家の惰眠を貪りつづけていた。武士は単なる貴族らの使いっ走りに過ぎなかった。
文化の伝播についても、九州などの西からだと考える香具師が多いようだが、こういうことで、関東の影響が全国に広がって
行ったというのが実際だ。
言いたかないが、藻前ら本当は関東に足を向けて寝らんないんだぞ。
(鎌倉・室町の両時代は坂東武者の、江戸時代は三河遠江を初めとする中部地方の人間の全国拡散と言えよう)
2日本@名無史さん:2005/10/08(土) 08:28:34
壬申の乱後の新生天皇を中心とした日本国も中部地方の
アマ族の拡散だしな。
3スレ主:2005/10/08(土) 08:29:44
関東在住の血筋のはっきりした大豪族は主に守護として、
中小の豪族は地頭として鎌倉時代草創期や承久の乱後(これが主)、或いは北条氏の
得宗体制への嫌気、元寇への備えなどで、西日本をはじめ、全国各地に散って行った。
4スレ主:2005/10/08(土) 08:35:08
歴史上に名を残す武将達にもこれら坂東武者の子孫が多い
5日本@名無史さん:2005/10/11(火) 07:26:09
これは歴史的にも重大な事実であるにもかかわらず
殆ど認識されておらん。
6日本@名無史さん:2005/10/11(火) 12:21:32
坂東武者たちの西遷東遷は本当ですね。それ以降の日本の歴史は
彼らによって作られた。坂東武者の気質が最も純粋に残ったのが
島津。三河人が作った平和な江戸時代を経て、明治維新により、
また薩摩の主導する好戦的な政権ができ、
日本は悲劇的な戦争へと突入していく。
罪深いですね。かなり言いすぎですが。

7日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:04:07
age
8日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:08:47
島津は板東武者じゃねーよ。渋谷はそうだけど。
9日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:17:06
>>8
源頼朝庶子は自称だからな

でも、薩摩人は信じ込んでたから精神的には坂東武者
10日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:54:38
坂東武者なんて全員新羅からの移民じゃねーかw
11日本@名無史さん:2005/10/30(日) 00:56:57
坂東武者も偉いのは藤原氏源氏平氏だ。
12日本@名無史さん:2005/10/30(日) 01:00:40
藤原は百済
源氏平氏は天皇の血筋だから半島の誰か
東国武士団は新羅移民
ダメだこりゃ
13日本@名無史さん:2005/10/30(日) 02:17:05
ダメなのは、おたくらの祖国
14日本@名無史さん:2005/11/04(金) 21:54:59
12は縄文人の貧民w
15日本@名無史さん:2005/11/05(土) 00:26:54
細かいけど・・・
知行地ではなく知行国ではないですか・・・
16日本@名無史さん:2005/11/05(土) 02:24:47
>>15
地頭もいるよ。
17日本@名無史さん:2005/12/08(木) 17:50:53
守護=幕府御家人
地頭=在地御家人
18日本@名無史さん:2005/12/13(火) 20:56:40
鎌倉幕府が東国武士団によって創設されたものだから守護地頭として全国に東国武士が散って言ったのは当然のこと。
また、東国武士団のほとんどが中央官人が在庁官人として下向した者の子孫であるため、出自を中央貴族の末葉に求めるのも当然のこと。
1918:2005/12/13(火) 20:59:52
失礼、在庁官人として下向したは飛躍しすぎ。
国司や国司に私仕していたものが在庁官人化
に訂正
20日本@名無史さん:2005/12/21(水) 17:58:38
age
21日本@名無史さん:2005/12/26(月) 22:13:37
※急(隠密)な合戦であった平治の乱で義朝は、その基盤の関東武士を僅かしか動員出来なかった。
それに独立心が強い関東武士が簡単には上洛しなかったことなども。
『保元物語』と『平治物語』を比較すると、平治での東国武者の参戦は少ない。


『源平合戦と平家物語』上横手雅敬著(京都大)2001年

・平家物語の作者はネット裏で観戦している。どちらか一方をひいきにするのではなく、
源平の両方に公平な態度で書いていて、パッションがない。
・(歴史叙述の一形式である平家物語)確かにそこには史実が記されている。
しかし史実を記したといっても、平家物語は単なる記録ではなく、紛れもなく文学性を持っている。

・生まれながらに平家の御曹司として育った清盛は、保元・平治の乱を除けば、生涯を通じて
合戦らしい合戦を経験しなかった。
為朝は「清盛などがヘロヘロ矢」とあざ笑っているが(『保元物語』)、確かに一騎打ちでもすれば
坂東育ちの義朝にはかなわないだろう。
・合戦という事になれば、平氏は源氏に勝ち目はない。
平氏の率いる西国武士は、僧兵や山賊・海賊を相手にしてきた天朝の番犬であるのに対し、
源氏の基盤である東国では、合戦自体が目的であり日常茶飯事である。

保元・平治の乱に、清盛・重盛はよく戦っているがとうてい勇将とはいえない。
平治の乱の清盛は、熊野詣の留守中に義朝が挙兵すると言うハンディを克服し、より勇敢な相手を
撃破した。
相手方を油断させ、分裂させ、天皇・上皇を相手の支配下から脱出させるという
政治力の勝利であった。
東国の原野での合戦ならばいざ知らず、京都において複雑な朝廷社会を背景にして戦うという大局の
洞察において、清盛は義朝よりも優っていた。彼は義経などとはタイプを異にする名将である。
22日本@名無史さん:2005/12/26(月) 22:15:30
>スレ主へ
青白牛対策保存用として貼らせてもらったよ。
23日本@名無史さん:2006/01/10(火) 20:38:31
hoshu
24日本@名無史さん:2006/01/20(金) 06:34:26
      ,,r::::::::::::〈:::::::::)    ィ::::::ヽ
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25日本@名無史さん:2006/01/20(金) 06:58:27
>6 島津は惟宗氏ですが何か
>12 武蔵七党は村山を除けば源平藤橘ではありませんが
火病国民は日本史スレに来るなよ
26日本@名無史さん:2006/01/20(金) 10:49:28
平家には、強力な水軍と貿易がある。
27日本@名無史さん:2006/01/20(金) 16:52:02
紀伴菅江でも惟宗、三善でも名乗れる姓氏があるならいいんじゃない
28日本@名無史さん:2006/02/13(月) 20:31:03
>>12
おまいは何者だい
ダメだこりゃ
29日本@名無史さん:2006/02/16(木) 03:29:22
スレ違いかも知れんが水戸黄門の鎌倉時代バージョン
北条時頼でやってほしい(史実に近いし)。全国を巡り悪守護、悪地頭
を懲らしめる。
30日本@名無史さん:2006/02/16(木) 04:05:57
>>10
>>12
同じような発言を他でも見かけたが
そういう掲示板での風説活動のアルバイトでもあるのか?
これがホロン部ってやつか?w
31日本@名無史さん:2006/03/08(水) 19:46:27
利根川
32日本@名無史さん:2006/03/13(月) 20:47:54
中臣氏は百済ではないよ。
鎌足が百済人なんだ。
そして、鎌足が中臣氏を乗っ取って「藤原氏」が出来た。
しかし、旧来からの祭祀一族「中臣氏」はそのまま存続した。
33日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:51:54
え?
34日本@名無史さん:2006/04/03(月) 02:01:27
>>32
>中臣氏は百済ではない・・・
神話時代を除くと、記紀に中臣氏が登場するのは6世紀末葉からだが、
中央豪族だとすると、何処で何をしていたことになるのかな?
35日本@名無史さん:2006/05/14(日) 10:03:11
院や公家方の地頭は平安時代からあったの?
36日本@名無史さん:2006/05/15(月) 15:09:40
>34鹿島・香取のあたりの出身では?
37日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:03:21
北条氏(ほうじょうし)は、伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族である。
また、代々鎌倉幕府執権職を継承したことから執権北条氏ともいわれる。

時方のとき伊豆介となって伊豆国北条郷(現静岡県伊豆の国市)に土着し、北条氏を名乗ったというが、
詳細はわかっておらず、平氏ではなく、東国から北条の地に移り住んだ豪族とする説が有力である。
その傍証として、伊豆の他の豪族と比べて地元に同族が少ないことが挙げられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F
38日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:04:55
武家の家系図なんて、ほとんどが、オレオレ家系図=自称・家系図だよ。

東国武将・東国武士は、基本的に土着の東国人。

朝廷が関西にあった関係で、家系図で関西系になっていても、
朝廷の味方である、朝廷と関係が深い氏族などでないと、高い官位がもらえなかった為、
高い官位をもらう為の、家系図を偽造しての出身の自称が多かったし、
子供ができなくて、養子をもらう事も多かったから、必ずしも家系図が正しいとは限らない。


徳川家康=松平家康も、三河守の官位をもらうときに、松平姓で頼んだら、朝廷から断られたので、
得川氏の子孫を自称し、名字を松平から徳川に変え、三河守の官位を得た。

http://www2.harimaya.com/aoi/tokukeiz.html

甲斐・武田氏の出自も、よくは、わかっていない。

本物の源・平とかであっても、京都を追放され、各地方に土着しているんだから、混血して、遺伝子的には、各地方人。


戦国武将って、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲが濃いだろ。

コーカソイドか、コーカソイドとの混血じゃないと、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲは濃くならない。

モンゴロイド・朝鮮人は、口ヒゲ・あごヒゲ・ほおヒゲが薄いか、ほとんど、はえない。
39日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:05:32
承久の乱
後鳥羽上皇は、治天として専制的な政治を指向し、幕府の存在を疎ましく感じていた。
実朝の暗殺を幕府の混乱・弱体化と見た後鳥羽は、幕府打倒を計画するようになった。
そして、1221年(承久3)5月、後鳥羽は北条義時追討の院宣を発した。
それまでの歴史から後鳥羽は、ほどなく義時が討ち取られ、
関東武士たちも帰順すると見込んでいたが、幕府側は、頼朝以来の御恩を訴え、御家人の大多数を味方につけた。


そして、短期決戦策を採り、2ヶ月も経たないうちに朝廷軍を打ち破った。


幕府側の主導で戦後処理が進められた。主謀者の後鳥羽上皇、そして後鳥羽の系譜の上皇・天皇が流罪に処せられ、
朝廷側の貴族・武士も多くが死罪とされた。
当時の人々は、治天の君をはじめとする朝廷側の上皇・天皇・諸臣が処罰される有様に大きな衝撃を受けた。
当時の社会における価値観は正反対に転換してしまった。
朝廷の威信は文字どおり地に落ち、幕府は朝廷監視のために六波羅探題を置き、
朝廷に対して優越することとなった(完全ではないが、少なくても幕府の決定を朝廷の決定が公然と破る事は出来なくなった)。

乱直後、朝廷は、次代の天皇を誰にするかを幕府へ諮った。
これ以降、朝廷は治天・天皇を決定する際は必ず幕府の意向を確認するようになった。決して幕府が望んだ結果ではないが、
朝廷と幕府の立場が逆転したことを物語る。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B9%95%E5%BA%9C


承久の乱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1
40日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:06:29
承久の乱により、朝廷と幕府の立場は一変した。幕府は朝廷を監視し、時には介入するようになり、
朝廷は幕府に憚って国家の大事にも幕府に伺いを立てるようになった。

また、西国で多くの没収地を得、これを戦功があった関東武士に大量に給付したため、執権北条氏と関東武士との信頼関係が強固になり、

多くの関東武士が西国に移り住むこととなり、幕府の支配が畿内にも強く及ぶようになる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1
41日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:07:49
関東武士は長頭で、その後頭部つまり後頭葉は視覚を司る部分。
空間把握能力に長けていた結果、弓や射撃の名人、騎馬や剣術の達人が多かった。
弓の達人といえば那須与一、剣術の達人といえば新選組の局長・組長クラスが有名だな。
長頭の白人や狩猟民族アイヌは武勇に優れていた。

短頭の民族(アジア系)は車の運転が下手として知られてる。
ハリウッド映画ではアジア女性の運転下手は揶揄されてる。
白人女性は運転はへただが、とくにアジア系女性は輪をかけて酷いらしい。
これは女の脳が空間把握する部分が足りないためだ。

アジアの農耕民族は、狩猟を必要としなかったために短頭化が促進され
白人は狩猟民族が長かったために視覚を司る後頭葉の拡大がすすんだ。
短頭のスラブ民族(スキタイ人)も農耕民族である。

つまり短頭の朝鮮人や関西人は車の運転がへた。


何時だったか鎌倉時代の人骨が鎌倉から大量に掘り出されたが、ほとんど縄文人と区別つかなかったそうだ。
つまり、14世紀になっても関東の大部分は、まだ縄文人の系統が、マジョリティーだった。
関東の武士団は、土着の地方豪族たちで、土着の地方豪族たちは、土着の農民たちを兵としていたから、関東武士の骨が、縄文人の骨と区別が、つきがたいほど似ていた、
ということは彼らが居住していたであろう関東は、14世紀になっても縄文人系が多かった。

関東人は長頭、朝鮮人は短頭。
とくに鎌倉から発見された頭骨900体あまりは白人並に長頭。

鎌倉市材木座の八幡宮参道沿いで、一の鳥居のすぐ東隣から、
鎌倉時代の関東武士と推定される人骨が、1953年から1956年にわたる三回の発掘によって、少なくとも910体も発見された。

しかし、北部九州や畿内や山陰の古墳に埋葬されてる骨の多くは、短頭から中頭。それは何故か解るだろ?
朝鮮半島や中国からの渡来人だからさ。
42日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:09:59
日本人と朝鮮人の見分け方



※1
絶壁頭=短頭=朝鮮人

短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、
頭を横から見ると、
頭の前後の長さが上下間で、ほぼ同じで、
頭の後ろが、上下間で、ほぼ垂直に一直線になる。
頭を横から見ると、「□」形になる。
前←□→後ろ


非絶壁頭=長頭・長頭に近い中頭=日本人

短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、
頭を横から見ると、頭の後ろが、「つ」の字形になる。
前←つ→後ろ



※2
短頭=頭が左右に長く、前後に短い。頭を上から見ると正方形・正方形に近い・左右に長い長方形のどれかになる。=朝鮮人
長頭=頭が左右に短く、前後に長い。頭を上から見ると前後に長い長方形。=日本人
中頭=短頭と長頭の中間=日本人
43日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:28:14
シロウマアオウシは広島人で関東人の血が混じることを
ひたすら強調してるが関東人の血が混じるのは広島に
限ったことじゃあるまいて
日本はおおむね高別、物部、藤原、関東人、旗氏
の子孫ぜんぶ朝鮮系
44日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:35:56
タイマンスレ落ちたか。
基地害がスレ立てまくってるなw
45日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:39:01
【吾妻鏡】
鎮西八郎は吾が朝無双の弓矢の達者なり。
しかれども弓箭の寸法を案ずるにその涯分に過ぎたるか。
その故は、大炊御門の河原において景能八男の弓手に逢う。八男弓を引かんと欲す。
景能潛かにおもへらく。貴客は鎮西より出で給うの間、騎馬の時、弓聊か心に任せざるか。
景能は東国に於いて能く馬に馴るるなりてへれば。
則ち八男が妻手に馳せ廻るの時、縮相違ひ、弓の下を越ゆるに及びて、
身に中たるべきの矢、膝に中たりをはんぬ。
この故実を存ぜずば、忽ちに命を失うべきか。勇士はただ騎馬に達すべき事なり。
壮士等耳の底に留むべし。老翁の説、嘲哢すること莫れと云々。

源為朝は日本一の弓矢の達人だ。
だが、体躯に対して大き過ぎる弓を用いていたのではないか。
大炊御門の河原の戦において景能は、為朝の弓手にあってしまい射られそうになった。
その時思った。為朝は九州から来たので騎乗での弓の扱いに慣れていないのではないか。
それに対して景能は、東国の者だから馬の扱いによく慣れている。
そこで、馬を為朝の妻手に馳せた。
そのため、体に当たるはずの矢が左膝を射られただけで済んだ。
この故実を知らなかったら命はなかったろう。
勇士はただ騎馬に達すべきだ。
壮士らもよく憶えておいて欲しい。老いぼれの言う事だと馬鹿にしてはいけない。

「東国において能く馬に馴れるなり」と自認する景能の意識は
当時の東国武士の共有するところのものであったに違いない。」
(福田豊彦氏)
46日本@名無史さん:2006/05/30(火) 23:13:04
現在の京都弁も含めて、
中世いったん日本語はみな関東弁で統一され、
鎌倉幕府崩壊後から幕藩体制時代に分岐したのではなかろうか?
47日本@名無史さん:2006/05/31(水) 03:37:41
>>18
まったくその通りですね。お国自慢なら別にどうと言う事はないが、少なくとも
歴史認識の二項対立は、不毛な議論に陥り易いです。思わず失笑するような説で
も、その考察過程や論拠の聞く耳を持つくらいの、柔軟な思考態度があっても
良いと思います。
48日本@名無史さん:2006/05/31(水) 19:00:59
藤原鎌足も関東人だったりするし
49日本@名無史さん:2006/06/12(月) 18:51:25
>藤原鎌足も関東人



中臣氏は東国にもともといたの?
50日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:54:35
あれ?中臣氏はもともと鹿島神宮の司祭氏族ですが・・・
51日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:57:47





        八幡太郎義家は、大坂人やからな。






52日本@名無史さん:2006/06/13(火) 00:59:55
>>51
鎌倉生まれ説も根強いが。
53日本@名無史さん:2006/06/13(火) 01:08:41
>>52
> >>51
> 鎌倉生まれ説も根強いが。

× 鎌倉生まれ説も根強いが。
○ 鎌倉生まれ説もしつこいが。
54日本@名無史さん:2006/06/13(火) 01:30:07
系図が意味しているのは、「武田家」に、各時代にそういう人物が居て、
武田家の〜代目を引き継いで、その〜代目+1代目を引き継いだって事で、
「源満仲」と「武田〜〜」の血が繋がってるって事を証明するものでは、ありません。

そんなの、その辺りにいる乞食が「私は清和天皇の血が繋がっている」って言い出すのより、
10%くらい信憑性が高くて事実っぽい事を述べているに、すぎないよ。

いくら信じろといっても
「血が繋がっているw」しかも「何百年も前の人物と自分が血が繋がってるw」

なんて、こんなトンでも電波飛ばされたら、あまりの衝撃波で吹っ飛ばされそうになったよ。
しかも、それを証明するのが、たった1枚の「家系図」なんてねw
55日本@名無史さん:2006/06/13(火) 01:30:40
846 :日本@名無史さん :2006/05/24(水) 00:40:12
家系図=血が繋がってるって判断するのもどうと思うぞ。
そもそもその家系図ですら大体において怪しいものばかりなんだから。
家系図に一箇所でも嘘偽り、間違いがないとでも?


851 :日本@名無史さん :2006/05/24(水) 00:43:06
まあ、正直地方に土着した源氏は全部怪しいよなww
56日本@名無史さん:2006/06/13(火) 01:31:41
武田信玄なんて、義光の血なんて、ひいてないよ。
鎌倉時代後期〜南北朝にかけて源氏の血筋なんて没落してる。
土地の土豪が、甲斐源氏を簒奪した家が続いてるって事だよ。
57日本@名無史さん:2006/06/13(火) 01:35:18
>鎌倉武士はアイヌと近縁である


>アメリカから見た鎌倉:ブレイスのアイヌ−サムライ説


>1989年に、ミシガン大のローリング・ブレイス教授らは「Reflections on the Face of Japan」という論文をAmerican Journal of Physical Anthropologyに発表した。

>この論文で、ブレイスらは、鎌倉の材木座・極楽寺付近から出土した1333年の鎌倉攻めの犠牲者人骨の歯のサイズと頭蓋骨計測データを用いて、
>鎌倉武士はアイヌと近縁であるという説を唱え、アメリカで注目を集めた。

>今回、ブレイスの頭蓋骨計測データを新しい統計処理法を使って再分析した。

>また、歯の計測データに関しては、ブレイスらは歯の合計面積の平均値のみを使って集団間の血縁関係を議論したが、
>今回は、個々の歯のサイズのデータを用いて多変量解析を行い、それらの結果を報告する。
58日本@名無史さん:2006/06/13(火) 01:36:59
The American anthropologist C. Loring Brace,
University of Michigan,
(Science Frontiers #65, Sep-Oct 1989) reported that "pure-blooded Ainu
are easy to spot: they have lighter skin, more body hair, and
higher-bridged noses than most Japanese." Brace studied the skeletons
of about 1100 Japanese, Ainu, and other Asian ethnic groups and has
concluded that the revered samurai of Japan are actually descendants
of the Ainu, not of the Yayoi (original Mongolian) from whom most
modern Japanese are descended. Brace said further that "...this
explains why the facial features of the Japanese ruling class are so
often unlike those of typical modern Japanese. The Ainu-related
samurai achieved such power and prestige in medieval Japan that they
intermarried with royalty and nobility, passing on Ainu blood in the
upper classes, while other Japanese were primarily descended from the
Yayoi."
http://www.stormfront.org/whitehistory/hwr6a.htm
ネオナチサイトの「白人の歴史」のページ
59日本@名無史さん:2006/06/13(火) 12:39:25
翻訳してくれ
60日本@名無史さん:2006/06/13(火) 13:17:45
>>59
日本史の前に英語やれぃ
61日本@名無史さん:2006/06/13(火) 14:50:34
日本の庶民は弥生人の子孫。
支配階級はアイヌの子孫である侍。
だってさ。
トンデモもいいとこだなw
62日本@名無史さん:2006/06/13(火) 15:19:06
>>1
>おかげなんだぞ

ほんと、おかげでとんでもない野蛮な国になっちまったとさ。
63日本@名無史さん:2006/06/16(金) 22:10:16
武田家の家宝の鎧と旗はどうなった?
64日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:15:30
>>58
はようは日本の上流階級(公家・武士)は白人(アイヌ)の血が流れていて、下層民は弥生人だと主張したいんだろ。
アホらしい
65日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:02:33
白人ならもうちょいサッカーうまいわなw
66日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:12:43
うまいわな
67日本@名無史さん:2006/07/06(木) 16:29:39
地頭と荘園の関わりについて教えていたたげますか?また室町から戦国期の地頭の変化など。
68日本@名無史さん:2006/07/06(木) 17:01:08
「とうかいりん」一族の中で庄司を世襲した家系が「しょうじ」一族の元祖だそうです。
69日本@名無史さん:2006/07/15(土) 15:59:44
へえ
70日本@名無史さん:2006/07/16(日) 09:19:53
>>51
八幡太郎義家の出生地は不明。
不明を承知であえて言えば、小田原。
71日本@名無史さん:2006/08/26(土) 10:49:07
  
72 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/09(土) 02:06:22
実盛の言葉にあるように、坂東武者が強弓を自在にあやつり、強馬を訓練して人馬一体に乗りこなし、
恐れを知らない騎兵であったことが『平家物語』の他、『源平盛衰記』、『保元物語』などの記述からも
推察出来るのである。(1995年、愛知大・福田以久生氏)


(東国の武士)狩猟民の系譜を引いている者が多く、東国は狩猟民の社会。
東国の武士団そのものも殺伐とした側面が存在。
弓を得意とし、馬を巧みに乗りこなす者たち。

(実盛の発言)東国武士団が西国の武士団のように田畑を支配の中心にすえた武士団ではなかったことを
多少オーバーに述べているのであるが、事実東国は「殺生」や「死」というものについて
重大視しない社会であった。日常的に殺生が行われている社会であった。
(2001年、福島大・伊藤喜良氏)


【平安期・駅馬価格】
陸奥467束、常陸・下野417束、信濃・出羽400束、近江250束、紀伊217束、河内200束
73 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/09(土) 02:33:32
やっぱりこっちのスレの方がふさわしいな。馬とか狩猟は。
スレ違い、と言われずに済むし。

坂東武者は本当に残忍だった?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1138247458/59
74白馬青牛:2006/09/10(日) 00:56:00
>>72
関東「蛙」君、関東騎馬下手「ロデオ」君の妄想を毎度繰り返す文じゃ
のう。新しいネタは無いんか。まあ関東弱兵賛美にゃ、あきれとるけどね。
このスレには、白人崇拝厨まで来とるじゃないか。
まあ、だいたい西日本に人種的に支配された、東国人の劣等感あふれる
文じゃのう。
75 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/10(日) 01:42:07
>>74ヒロシマモミンジミン
伊藤喜良氏のなんて、最近の研究の成果だろうに。
もみじうしは知らないんだろうけどw
ネタなんていくらでもあるよ。

白人崇拝厨?アイヌ君のが牛ちゃんよりまともだよ。
76日本@名無史さん:2006/09/10(日) 04:19:18
アイヌ白人説まだ言ってるのか。遺伝子出てないのに
77 ◆pUs7fv/W/g :2006/09/10(日) 10:15:16
>>74うし
ご希望の通りに新ネタ
戦国板に迷惑かけてないでこっち来い。

坂東武者は本当に残忍だった?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1138247458/61
78日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:54:07
タケダ の最も古いと思われる文を“ほつま”より中途半端に訳しました。
開化天皇の時代です。
ホ32077...諏訪 酒折(宮)のタケヒテル ミアエしてまつヤスガワラ 時タケヒテル玉川の 神宝フミ奉る
キミゑみて この竹富を富に請う 竹筒草のマツリ継ぐ タケダのオヤぞ
竹富は民謡の会津磐梯山に歌われている 笹の実
79日本@名無史さん:2006/11/07(火) 05:43:38
80日本@名無史さん:2006/11/07(火) 18:29:42
地頭職の家は江戸期には何になってたんだろう
81日本@名無史さん:2006/11/07(火) 20:17:43
相良とか伊東とか宗とかは地元で大名になってる。
82日本@名無史さん:2006/11/07(火) 21:25:17
>>81
トンクス。やっぱそういう流れになるだろうな
83日本@名無史さん:2006/11/08(水) 02:24:33
>>81-2
それは九州の例じゃないのかな。関東の(鎌倉)幕府御家人・地頭はだいたい帰農してる。
運がいい連中は徳川家に召し抱えられたりしたけど。
84日本@名無史さん:2006/11/08(水) 05:51:51
帰農した後の役職は名主・庄屋あたりかな
85日本@名無史さん:2006/11/08(水) 15:15:51
≫81

工藤(嫡流)、伊東(嫡流)、吉川(分家)、相良(分家)、狩野(分家)、二階堂(傍流)は藤原南家。
現在の小田原、熱海、富士、静岡、浜松近辺に割拠した武家大族。
早くから波多野、曽我といった周辺の強豪武士団である秀郷流藤原氏、桓武平氏と姻戚関係にあった。有名な曽我物語は武士団化した平安末期の南家藤原氏一族内の抗争について書かれた史実物語。
86日本@名無史さん:2006/11/08(水) 15:17:52
≫81

江戸時代の薩摩藩の郷中教育の2大イベントだった妙円寺詣でと曽我どんの傘焼きは
関が原の戦いと日向支配をめぐる中世伊東氏との争いという壮絶な武力衝突を語り伝えるべく藩政府が青少年教育の場に持ち込んだ史伝。
室町時代後期の島津家当主数代は伊東氏を母としており、江戸時代の島津家中上層にも伊東氏が何人もいる。
87日本@名無史さん:2006/11/08(水) 15:23:44
≫81

背景としては、中国地方、四国地方、九州地方には相模、伊豆、駿河、遠江、甲斐といった
東海地方の武士団が所領を確保し、移住していったという歴史的事実が挙げられる。

安芸毛利氏(大江氏)、周防吉川氏(藤原南家)、豊後大友氏(波多野氏)、豊前宇都宮氏(藤原氏)、肥前千葉氏(桓武平氏)といった
関東武士団は鎌倉期、室町期の所領全国拡散のなかで本拠地の重心を西国にしだいに移していった。

西遷していったというよりどちらかというと全国に一族が散らばり、
関東に残った家と西国、東北といった地方所領に移った家の双方が
どちらも宗家、嫡家の名乗りを譲らなかったという方が実情に近い。
88日本@名無史さん:2006/11/08(水) 17:28:29
地頭職は江戸時代には大名、帰農すると名主や庄屋
運が良くて徳川に召抱えられたでFA?
89日本@名無史さん:2006/11/08(水) 22:11:24
FA=ファイナルアンサー
90日本@名無史さん:2006/11/09(木) 09:40:47
>>87
他の一族は知らんが肥前千葉氏は確実に分家だよ。
91日本@名無史さん:2006/11/09(木) 18:08:05
>鎌倉武士はアイヌと近縁である


>アメリカから見た鎌倉:ブレイスのアイヌ−サムライ説


>1989年に、ミシガン大のローリング・ブレイス教授らは「Reflections on the Face of Japan」という論文をAmerican Journal of Physical Anthropologyに発表した。

>この論文で、ブレイスらは、鎌倉の材木座・極楽寺付近から出土した1333年の鎌倉攻めの犠牲者人骨の歯のサイズと頭蓋骨計測データを用いて、
>鎌倉武士はアイヌと近縁であるという説を唱え、アメリカで注目を集めた。

>今回、ブレイスの頭蓋骨計測データを新しい統計処理法を使って再分析した。

>また、歯の計測データに関しては、ブレイスらは歯の合計面積の平均値のみを使って集団間の血縁関係を議論したが、
>今回は、個々の歯のサイズのデータを用いて多変量解析を行い、それらの結果を報告する。
92日本@名無史さん:2006/11/09(木) 18:10:08
シロウマアオウシは広島人で関東武士の血が混じることを、
ひたすら強調してるが関東武士の血が混じるのは広島に
限った事じゃ、あるまいて

日本は、おおむね関東武士の子孫
全部アイヌ系
93日本@名無史さん:2006/11/09(木) 18:11:22
鎌倉武士は、長頭で、低眼窩型。

低眼窩型=奥目=彫りが深い。


平均的な頭形でいえば、その地域で売られているヘルメットや帽子の形を見れば一目瞭然!
ヨーロッパのヘルメットは完全に長頭仕様だよ、中頭が平均とは言い難いね。
野球帽なんてのはまさに長頭の為に作られたような帽子だから、
短頭民族には似合わない、丸天帽かぶってりゃいいんだよw
94日本@名無史さん:2006/11/09(木) 18:20:47
アイヌは顔の凹凸が大きくて、中には茶髪や、灰色・緑色の瞳をした人もいる。
余談であるが、アイヌが白人だという説がヨーロッパで関心を呼んだという。
ヨーロッパ人は元々狩猟採取民だったが牧畜や農耕の時代になって森がすっかりなくなってしまった。
今では森で狩猟採取している本来のゲルマン人はいない。ところが、極東の島国でアイヌという白人が未だに森で狩猟採取しているということで、俄然脚光を浴びた。
ナチスはこれを日独同盟に利用し、日本人はアイヌの子孫だからアーリア人種だという宣伝をおこなったそうである。

三国同盟以降のナチスの教義では、「アイヌは日本人の祖先」「アイヌは白人」
「よって日本人は白人」という誠に珍妙な説により、日本人も支配民族の中に入
れられていたので、非常に有名です。
95日本@名無史さん:2006/11/10(金) 10:25:44
>>90

江戸時代の肥前千葉氏は佐賀藩主鍋島家一門として御門葉扱い。
初代藩主鍋島直茂も若いとき千葉氏に養子として入っていた。
(その後鍋島家に出戻った)千葉氏は五国二島の太守と仰がれた
龍造寺家中では百武、鍋島や江上といった幕下の将よりも一段各上の存在。
歴代千葉氏は小弐家から何人も養子を取っていた。
北部九州の武門の中でも小弐や宇都宮と並んで別格の存在。
96日本@名無史さん:2006/11/10(金) 10:27:12
>>90

もともと肥前千葉氏が嫡流。
頼朝創業を支えた千葉介常胤の直系の嫡子が蒙古襲来の際鎌倉の命を受けて
鎮西出陣をしたまま引き続き海岸防護の命を受け
東国に帰れず肥前で病没した。
下総の千葉家では慌てて親族に家督を継がせた。
しかし肥前の千葉氏は嫡流の跡目を決して譲ったわけではない。
ずっと嫡流のまま肥前に千葉家を繋げている。
下総千葉氏は徳川家康の江戸討ち入り(関東入府)のときに滅ぼされている。
97日本@名無史さん:2006/11/10(金) 10:39:19
>もともと肥前千葉氏が嫡流。
間違い。そんな事実はない。
98日本@名無史さん:2006/11/10(金) 13:15:52
このスレタイはすばらしい

結局将軍(頼朝とその息子達や後の足利家の皆様)は中央の昇進にしか興味なさげだし
鎌倉幕府なんかじゃ後世の我々がみてもあからさまな将軍はずししてるし
守護や地頭を語ると平安時代との差も見えて面白いかもしれませんね
99 ◆Ia4HX3qMY2 :2006/11/10(金) 20:20:23
あいぬ君
100日本@名無史さん:2006/11/13(月) 09:45:12
鎌倉期にばら撒かれた守護やら地頭は
室町期にも生き残っている場合が多いですよね?
で、信長秀吉家康辺りの時期でズタボロにされるんですよね?
101日本@名無史さん:2006/11/13(月) 11:47:59
>ばら撒かれた
平安期に根付いた宇都宮・武田は除外
>ズタボロ
大名家として残った島津・相良・毛利は除外
・上二つにあてはまる
佐竹・結城

豊前宇都宮(城井)、大友、、佐々木(六角)、八田(小田)、留守ぐらいじゃない?
102日本@名無史さん:2006/11/13(月) 11:57:47
毛利は守護とか地頭だったの?
大江広元の末裔であることは確からしいけど。
103日本@名無史さん:2006/11/14(火) 16:07:05
))102

毛利氏は学者の家と言われる大江家から武家化した毛利季光が
武功を積み鎌倉幕府の重鎮となる。
娘婿の北条時頼の加勢するために出陣しようとしたところを
妻の三浦氏に泣きつかれ、三浦泰村の元に参陣。
104日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:40:46
≫102

三浦泰村方は一敗地にまみれ、主将泰村や副将格の毛利季光ら一同は
頼朝持仏堂で自刃。同じく大江広元から別れた長井氏は安泰だったが、
毛利家は越後にわずかに所領をとどめる状況に転落した。
この越後の毛利氏は北条氏を名乗り戦国の世に武名を高めた。
この越後の毛利氏の子孫は安芸吉田庄の地頭として西遷し
西国に毛利の苗字を伝える。
105日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:43:43
>>102

元就の代に安芸吉田庄の一地頭の存在から
一気に安芸一国の盟主の座まで毛利氏は飛躍する。
熊谷、吉川、小早川といった坂東発祥の名門武家がひしめく
安芸国内のあまたの強豪を破り、ついに安芸守護家も駆逐する。
106日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:46:35
>>102

室町後期の安芸国守護は武田家だが毛利元就に滅ばされた
守護武田家の遺児は安国寺に送られ僧侶の一生を送る。
この遺児が後に豊臣の独立大名となり
西国の覇者毛利家の運命を握ることになるのは歴史の皮肉といえる。
107日本@名無史さん:2006/12/05(火) 17:56:47
鎌倉時代、島津の歴代当主は鎌倉に住んでいたというが、関東武士といえるのだろうか?
当時の姻戚関係等わかるひといる?
108日本@名無史さん :2006/12/05(火) 19:04:57
>>107
頼朝の庶子と自称しているからな。
確かに島津忠久が、どうして頼朝に気に入られたのかは謎だが。

それから東北地方にも、坂東武者は拡散された。
伊達・蘆名(三浦系)・相馬(千葉系)・二階堂・南部(武田系)・寒河江(大江系)
109日本@名無史さん:2006/12/06(水) 00:38:58
>>107
島津は武蔵比企氏
110日本@名無史さん:2006/12/11(月) 01:54:11
そういや毛利も板東武士だっけな。相模発祥だっけ?
111日本@名無史さん:2006/12/11(月) 10:54:11
毛利は大江
112日本@名無史さん:2006/12/12(火) 14:24:09
毛利ってか大江一族は元弘の乱のさい長井を除いて幕府方だったんだよな。よく生き残れたもんだ
北条や二階堂はほとんど滅亡しているのに
113日本@名無史さん:2006/12/12(火) 14:38:05
北条は傍流も残らなかったけど二階堂は細々残っているね
114日本@名無史さん:2006/12/12(火) 17:41:43
>伊達・蘆名(三浦系)・相馬(千葉系)・二階堂・南部(武田系)・寒河江(大江系)
あと葛西氏(豊島系)も
115日本@名無史さん:2006/12/13(水) 10:20:37
○○守って詐称が多いってことなんだけど
地頭職って任地が変わったりもするんだよね?
そうすると国名が違っててもおかしくない気がするけどどうなんだろう
116日本@名無史さん:2006/12/13(水) 12:31:02
何を言っているのか不明だが、>>114の例で言えば、
伊達、蘆名、相馬、南部、寒河江、葛西は自分たちが地頭職として認められた本領(名字の地)の地名。
蘆名、相馬、南部、葛西は後に狭い本領を棄てて東北の広い領地に本拠地を移したけど氏は変えなかった。
117日本@名無史さん:2006/12/24(日) 02:47:59
伊達とか武田とか常陸にいたころは小領主だったけど、他地方にでて当てたな。
関東→山梨で大大名になったわけだが、逆の例はないだろうな。
118日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:16:15
TOKUGAWA
119日本@名無史さん:2007/01/02(火) 23:09:48
鎌倉期の島津の姻戚関係はわからないのか。
足利や千葉のような有力大名と姻戚ならそれなりの扱いだったことがわかるのだが。
120日本@名無史さん:2007/01/14(日) 12:48:19
板東武士にたいするあこがれみたいなのがあったのかね
121日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:10:59
>>119
比企氏とは関係があるんだよね?
122日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:27:27
>>102
毛利は確かに戦国期の隆元を除いて守護職に就いたことはないと思うけど、
大江広元の子孫で幕府の御家人である家が地頭職を一つも持っていないなんて、
普通にあり得ないと思うけど。

極論をいえば、
「御家人=幕府から地頭職への補任という形式で所領給付を受けている者」
とも言えないことはない。
(例外はあり)
123日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:30:33
>>106
>室町後期の安芸国守護は武田家だが毛利元就に滅ばされた

武田氏が安芸の守護だったのは鎌倉(上級の乱以降)から南北朝の前半まで。
南北朝の後半には今川了俊、応永の乱以降は戦国期まで山名一族が安芸の守護。
124日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:31:23
×上級の乱 → ○承久の乱
125日本@名無史さん:2007/01/16(火) 07:48:54
厳島社神主の藤原氏も守護になってるんだね。
武田も藤原も東国御家人だけど。
126日本@名無史さん:2007/01/16(火) 08:49:12
でも世襲神主家の本姓が藤原氏って結構珍しくない?
世襲神主家っていうと多くは中臣氏か大中臣氏あたりが相場な気がするし。
127日本@名無史さん:2007/01/16(火) 10:18:36
中央との関係があるから、天台座主と同じで、名目上の頭首は
藤原氏から来てもらってたんじゃないの。
128日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:00:28
熱田神宮のように途中で神主家が藤原氏に血筋的に乗っ取られている例もある。
129日本@名無史さん:2007/01/17(水) 06:02:14
まあ藤原氏も元は中臣氏だからいいんじゃないの。
130日本@名無史さん:2007/01/21(日) 18:54:48
比企氏ってぱっとしないね
131日本@名無史さん:2007/02/26(月) 09:50:23
だね
132日本@名無史さん:2007/02/26(月) 10:03:00
なんだと
133日本@名無史さん:2007/03/02(金) 06:54:32
だね
134日本@名無史さん:2007/03/17(土) 11:32:38
実際比企氏ってよくわかんないし
135日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:01:27
こういう核心を突くスレってのびないね
136日本@名無史さん:2007/04/10(火) 17:14:37
実際にでも地頭って平安末期からあるから坂東武者だけとは限らないわけだがな
137日本@名無史さん:2007/04/10(火) 23:29:19
>>135
素人さんには難しすぎるし、玄人さんが下手に持論を展開したら誰が書き込んだかわかっちゃうし。
138日本@名無史さん:2007/04/11(水) 20:56:11
まあ、関東で幕府ができなかったら、日本はいつまでも
お公家さんが支配していたかもしれない。
そしたら、19世紀〜20世紀の中国や朝鮮のように、
どうしようもいない国家になっていたかもしれない。
関東武士は天皇であろうが、国家のためにならなければ
すげ替えたからね。
天皇の神聖視を制度化するようなことをしてから
日本は弱体化していった気がする。
関東武士にとって、公家化した日本など滅びてしまってもかまないよ。
139日本@名無史さん:2007/04/11(水) 23:59:26
坂東武者は公家や天皇に対しても厳しいもんね
140日本@名無史さん:2007/04/12(木) 08:51:31
そりゃあんた
犯罪人をしょっぴいてきたのに
「徳を持って治めるのじゃ」
とかいって無罪放免するようなアホ朝廷になってしまったからだろ
141日本@名無史さん:2007/04/12(木) 08:56:52
>>135
その核心を突き過ぎて、日本を滅ぼしかねないw
142日本@名無史さん:2007/04/12(木) 20:32:06
坂東武者の独立心と法による王権の制限の感覚は英国に似ている。

1215年:大憲章 イングランドの諸侯・騎士階級が王権を制限し、
財産・権利を認めさせる。
1232年:御成敗式目 坂東武者が朝廷の権力(律令の運用)を制限し、
財産・権利を認めさせる。

しかるに西国の連中は、愚劣王朝の支配の下、安逸を貪るのみ・・・
143日本@名無史さん:2007/04/12(木) 22:57:03
>>142
じつは自分も似たような事考えてたw
承久の乱や北条氏の成敗式目はもっと評価されてよいかと。
144日本@名無史さん:2007/04/13(金) 00:01:27
>>142
王は君臨すれども統治せずってやつだね
大陸風の皇帝よりも島国にはこっちがあってるんでねえの。
145日本@名無史さん:2007/04/13(金) 00:07:30
確かに不名誉革命よりもイイ
146日本@名無史さん:2007/04/13(金) 21:51:51
坂東武者は全国に拡散したことで本土の関東が弱くなってしまったの?
戦国時代には関東よりも周辺の武田や上杉が有名だよ。
147日本@名無史さん:2007/04/13(金) 22:23:58
武田氏族も諸国に散ってる。
相模で発祥して→分流が京行って→群馬で発展して→越後に流れたのが、上杉謙信先祖の長尾氏。
まぁ関東は、両上杉の馬鹿が癌。
148日本@名無史さん:2007/04/13(金) 22:26:37
相馬はよくもまー長期間土着できたよな
149日本@名無史さん:2007/04/15(日) 00:22:10
坂東武者って、なんか薩摩と似てねえか?
150日本@名無史さん:2007/04/15(日) 00:31:50
>>136
安芸の佐伯?
>>149
似てるっつーか、頼朝の末裔を称する薩摩が真似してるわけだが。
薩摩は比企氏の血統でもあるし。
まっ、薩摩男子のホモ癖は京都の血がルーツかもw
151白馬青牛:2007/04/18(水) 23:23:09
このスレは関東共産主義の在地領主論や西国、特に畿内を蔑視して
自慰する連中が集まりよるのう。
>>146
関東が弱くなったんじゃのうて、元来さほど強うないだけじゃろう。
152日本@名無史さん:2007/04/18(水) 23:56:04
usiは神戸系の左翼職能論以外は全て在地領主制論にしちゃうのなw
153日本@名無史さん:2007/04/22(日) 20:34:32
銃刀法を解禁して、一般人も銃を所持できるほうがいいか?
というリサーチ結果を見たんだが、トータルでは所持派と非所持派が50:50

驚いたのは、地域別統計で、
@関東:所持64・非所持36、と所持派多し。
A九州:所持45・非所持55で二番手。

関東、九州が一時代を築いたのもむべなるかな。
近畿は、所持25で断トツに低く、他は所持30〜40だった。



154日本@名無史さん:2007/04/22(日) 20:59:12
>>147
そうだね、武田はもともと常陸の土豪だし、
上杉も謙信は板東平氏(鎌倉氏)の長尾氏出身だし。
155日本@名無史さん:2007/06/01(金) 16:09:32
核心スレ
156日本@名無史さん:2007/06/01(金) 20:30:36
小学校で部落問題が教科書に載っていた。
部落と言ってはいけないとあったが、周りは
「ウチの部落では」と言うヤツばかりだ。
そのうち、田舎の部落とは違うらしい、と感付いた。
しかし、被差別民と歴史の教科書にあっても、
東北ではマタギ、山伏、山家はごろごろしている。
山道を10km毎日歩いて小学校に通う子供も珍しくなかった。
今でも、山形では、嫁さんが皆中国人、韓国人、フィリピン人という
部落が幾つもある。山形の田舎の農家だと言うだけで結婚できないからだ。
また、山形は歴史的に貧しい所なので、南米へ移住した人も多く、3世、4世も多い。
中国残留孤児の3/4は山形出身だ。帰国した孤児や家族の中国人も多い。
こんな東北に住んでいると、関西の部落問題はいまいちピンと来ない。
多分、平安時代以来、征夷(東国の蛮族を征服する意だ)大将軍の敵として、
東北はまとめて部落だったからだろう。
都に上れば、言葉からして差別を受けてきた。
サザエさんでは、酒屋のお兄さんが山形出身だが、未だに実家は藁葺きで囲炉裏がある。
ただ、東北では皆が差別・支配される側なので、中の結束は固い。
外部の者に対しては警戒するが、身内になるととても温かい。
東北の子供は、大きくなって東京に行くまで、部落も差別も知らずに育つ。
そして、東北は全部部落だと知る訳だ。
157日本@名無史さん:2007/06/14(木) 18:59:08
べつに葉隠だけが武士道じゃないからね。
158日本@名無史さん:2007/06/14(木) 19:51:03
誤爆?
159日本@名無史さん:2007/06/15(金) 04:20:57
はげ
160日本@名無史さん:2007/07/28(土) 13:56:03
1
161日本@名無史さん:2007/10/12(金) 03:59:30
比企氏は謎
162日本@名無史さん:2007/10/17(水) 04:29:31
↑相模波多野氏の庶流という系図があるけど、その確度は高いと思う。
163日本@名無史さん:2007/10/27(土) 14:52:51
164日本@名無史さん:2007/12/08(土) 15:43:44
何故波多野氏
165日本@名無史さん:2007/12/08(土) 22:26:57
アッー!
166日本@名無史さん:2007/12/09(日) 01:34:25
九州千葉氏の末裔って居るの?
167日本@名無史さん:2007/12/09(日) 02:29:01
児玉党が九州の日向地方に流れたみたい。児玉姓が多い。
168日本@名無史さん:2007/12/09(日) 12:20:22
千葉氏一族の支流は沢山あるので、苗字だけでは不明。
169日本@名無史さん:2007/12/11(火) 02:16:02
確か「佐伯系図」にそういう記載がある >>164
170日本@名無史さん:2007/12/16(日) 06:31:27
九州千葉氏は自然消滅
171日本@名無史さん:2007/12/16(日) 07:12:31
倭奴に真実をおしえます。
倭王は朝鮮の血がはいっています。
そして武士も源、平朝鮮の血がはいっています。
そして倭は倭王親政、関白政治、武家政治続きます。
武士は多くの子孫をのこしました。つまり朝鮮の血が入りました。
倭の原住民を支配しました。
あなたたちは朝鮮の奴として征服されました。
事実はつらいですが、受け入れましょう。
172日本@名無史さん :2007/12/25(火) 20:51:27
>>171
するってぇと、日韓併合は祖国解放活動の一環なので、
日本国民はなんら犯罪を犯していないわけですなwwwwwww

天皇陛下、マンセー!
173日本@名無史さん:2008/01/08(火) 00:31:11
>>166
いない
174日本@名無史さん:2008/02/14(木) 20:40:56
千葉氏一族の支流は沢山あるので、苗字だけでは不明。
少弐氏と同じくらい多くの支流に分岐している。
家の系図はともかくとして血筋的には千葉氏は少弐氏にほとんど同化している。
175武陽隠士:2008/02/28(木) 22:46:15
みんな血がどうとか好きだな
人間としては最悪の部類W
176日本@名無史さん:2008/02/29(金) 00:55:36
>>175
クルセーダー
177日本@名無史さん:2008/03/01(土) 06:59:12
関東武士の全国展開はその土地の人々を
恐怖に陥れたんだよな、確か…。

中公新書の『武家の棟梁』によると
七清華の一人である源通親は、
京都御所のお堀で釣りをしていた自分の家来が
御所の役人から暴行を受けた際、
「武士の家来が釣りをしていたときには叱らなかったのに
自分の家来のときに叱るというのはどういうことか?
我もまた武士なり!」といって激怒したという。

関東風の粗暴さが京都にまで波及した好例として紹介されてた。
こういう負の一面も忘れるなよ。
178武陽隠士:2008/03/02(日) 01:14:19
>>176
違う私だよ。
官位、血統、嫡流、先祖…そんなのばっかでしょ
権威の話ばっかり。史学というより
スネ夫のママの「自慢じゃあーりませんが。宅は××ざまーす。ほほほ」
て感じ。
社会経済史とか荘園制をディープ(スレあることはあるが)
に論じるとか
法制度を論じるとか、
地頭職についてとかetc.
まああんまりみんな興味ないでしょ。
それにしても直系とか先祖とか血に関する話が多いのは
やはりバカしかいないのかなW
179武陽隠士:2008/03/03(月) 01:02:43
>>176
世界史板で私のコテハンとトリップ使って
「クル様」とか
「このコテハン一年使ったキモちいい云々」とかバカな台詞言って、なりすまししてたのは、
十中八九クルセーダーだね。
180日本@名無史さん:2008/03/28(金) 23:42:10
常識だろうが過疎なので書く。三河にも鎌倉期に足利氏を中心に関東武士が大量入植してるね。
今川も細川も吉良も三河の集落の名前だ。
181日本@名無史さん:2008/03/29(土) 00:52:34
いまどき社会経済史って‥‥マルは喜びそうだが。
荘園制は高橋・川端以降煮詰まっちゃってるし。
国地頭も石母田・大山のころから進歩無し。
やっぱり庶民は英雄史観、司馬史観、血統の話が大好きなんだよ。
イザワの本は平積み・山積み、何万部。専門書は何百部。
182日本@名無史さん:2008/03/29(土) 01:29:19
その血統大好きな理由を何故研究しない??
183日本@名無史さん:2008/03/29(土) 01:31:20
稲荷山の昔からそうなのさ。
184日本@名無史さん:2008/03/29(土) 12:15:04
血統って言ったって、近世大名家だって確実に応仁の乱以前に遡れるのは少数派だよ。
漏れのウチは鎌倉御家人子孫だけど、平安末までしか遡れない。
185日本@名無史さん:2008/03/30(日) 19:43:44
へーそうすごいね
186武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/30(日) 22:49:14
>>184
中世文書は偽物多いんだよね。
源頼朝関連文書研究の第一人者(ていうかぶっちゃけこの人一人)は、
偽物と断定するとき「検討を要す」と言うんだよね。
持ち主の夢を壊さないよう(ていうより持ち主とトラブらないようね)にするための配慮ね。

187日本@名無史さん:2008/04/30(水) 04:05:30
656 :名無しさんの主張:2008/04/26(土) 19:37:50 ID:Xt0iDY6x
社畜にしてパワハラ・セクハラ馬鹿オヤジ
すでに家庭は完全崩壊していて、家族からも嫌われ家に帰ってもいる場所もなし
退職金を貰った時点で、離婚され、彼の子供からも憎悪の対象。
それが社畜の末路。正月にやってきた年賀状もぱたりととだえる。

哀れ一人暮らし、まとわりついて崇めたててくるのは、彼の持っている金が目的。
老人ホームに転がり込むが、例によって高慢ちきな態度で周囲の鼻つまみ
看護士からも毛嫌いされる。やがて脳内アルツハイマー病状が加速し
周囲に糞をもらしまくる。
188日本@名無史さん:2008/05/26(月) 14:59:56
安芸毛利氏って本当に鎌倉毛利氏の末裔なのか?
胡散臭い。
189日本@名無史さん:2008/05/26(月) 15:14:46
真贋はあまり関係ない
190日本@名無史さん:2008/05/26(月) 19:18:12
ほんとだよ
191日本@名無史さん:2008/07/04(金) 23:20:50
胡散臭い。
192日本@名無史さん:2008/07/04(金) 23:22:13
毛利はガチでほんとだろ
193日本@名無史さん:2008/07/04(金) 23:42:20
根拠は?
194日本@名無史さん:2008/07/05(土) 00:35:46
【鎌倉幕府の制度】
豪族と守護
(佐渡・能登・越中・加賀・越前)=比企朝宗
信濃・上野=比企能員越後=佐々木盛綱
下野=小山朝政
常陸=八田知家
下総=千葉常胤
武蔵=平賀義信
相模=三浦義澄
伊豆・駿河=北条時政遠江=安田義定
三河=安達盛長
尾張=小野成綱
美濃=大内惟義
伊勢=山内首藤経俊
近江=佐々木定綱
若狭=津々見忠季(島津)←これ
和泉=佐原義連
播磨=梶原景時
195日本@名無史さん:2008/07/09(水) 00:15:32
>>194
それ貼った意図がわからないけど、全部見事に関東武士だな・・・
196日本@名無史さん:2008/07/16(水) 22:24:22
結論、毛利は仮冒
197日本@名無史さん:2008/07/16(水) 22:30:10
>>188
本物だ。
でもどうせなら相模毛利氏と言ってくれ。
出羽の長井氏も大江広元子孫だし、越後の北条氏も
毛利一族だな。
198日本@名無史さん:2008/07/16(水) 22:32:14
信濃川中島近辺の国人の島津氏って、
薩摩の島津氏の一族?
199日本@名無史さん:2008/07/16(水) 22:48:31
>>63
超々亀レスだが、御旗は雲峰寺に、楯無は菅田神社にある。
200:2008/07/16(水) 22:59:28



>>88 >>88


そーーーーなんですよ! 関東庄屋は 地頭地侍 土着豪族上がりがめちゃめちゃめちゃ多いんですよ!



これではっきりしましたよね 関東庄屋=地頭系譜 ということ







関東庄屋は名門なんです
悪いけど関東庄屋は強いんです
いわしてもらうが関東庄屋は合戦上等!小大名くらいなら ぶっつぶせますから





201日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:04:16
No.1【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族)


(佐渡・能登・越中・加賀・越前)=比企朝宗


(信濃・上野)=比企能員

(越後)=佐々木盛綱

(下野)=小山朝政


(常陸)=八田知家


(下総)=千葉常胤


(武蔵)=平賀義信


(相模)=三浦義澄


(伊豆・駿河)=北条時政


(遠江)=安田義定
202日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:04:59
No.2【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族)


(三河)=安達盛長


(尾張)=小野成綱


(美濃)=大内惟義


(伊勢)=山内首藤経俊


(近江)=佐々木定綱

(若狭)=津々見忠季(島津)


(和泉)=佐原義連


(播磨)=梶原景時


(淡路)=横山時広?
203日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:06:19
No.3【鎌倉幕府の制度】(守護・豪族)


(但馬)=小野時広


(讃岐)=後藤基清


(土佐)=佐々木経高

(出雲)=安達親長


(安芸)=宗考親


(石見・長門・隠岐)=佐々木定綱


(対馬)=河内義長


(筑前・肥前)=武藤資頼


(日向・大隅・薩摩)=島津忠久
204日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:10:21



歴史板汚点スレ荒らし
あ 庄屋どん のレスはスルーでヨロシク(o^-')b
205:2008/07/16(水) 23:19:52
何でだよ

俺間違えたこといってねーだろ

関東地侍土豪戦国大名国人地頭守護あがりの庄屋家 名前あけたろかこら



206日本@名無史さん:2008/07/16(水) 23:48:55
>>197
証拠は?
207日本@名無史さん:2008/07/17(木) 07:27:08
相模毛利家の者が安芸に行ったのは事実だろ。

途中で他の者が入れ替わった可能性は否定できないけど、
それはすべての名家に言えること。

天皇家・将軍家でさえ、こっそり家系が入れ替わっている
可能性は否定できないし。
208日本@名無史さん:2008/07/17(木) 13:53:59
安芸毛利氏が仮冒という証拠こそ欲しいが。
209日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:16:51
>>207
天皇家や公家や将軍家 間での婚儀はよくある 政略結婚ぽっいけど


神器を交わし親族関係を深め有事のさいの戦には天皇家や公家をまもるのは当然のことです。


言わば、公家・武家・将軍家はファミリー
210日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:26:12
>相模毛利家の者が安芸に行ったのは事実だろ。

どこが事実?信仰?
211日本@名無史さん:2008/07/18(金) 07:00:21
ケチばっかつけてないで少しは自分で調べろよ池沼
212日本@名無史さん:2008/07/19(土) 05:47:14
カルト信者のように「本物」「事実」と念仏を唱えるだけでなんの根拠も示せず、言うに事欠いて、sageでコソコソゴミみたいな一行レス。
実に知性にあふれていますねw
213日本@名無史さん:2008/07/21(月) 00:25:52
大庭一族はロマンだな
214日本@名無史さん:2008/11/21(金) 17:52:21
大庭城址公園になってるよ
KO大学キャンパスから歩ける。
215らく ◆5K1Sus9oSY :2009/01/12(月) 01:59:04
うい
216もp ◆/JnhH4c6pk :2009/01/12(月) 01:59:50
じゃい
217日本@名無史さん:2009/04/12(日) 11:52:12
sage
218日本@名無史さん:2009/04/18(土) 13:01:32
大庭カナル
219日本@名無史さん:2009/04/18(土) 19:02:59
九州に大庭さんけっこういるよ
220縄文山人:2009/08/01(土) 13:25:02
大和朝廷による北方征圧はある時期は今の関東地域であり、その教訓を元に奥羽まで征服した。
奥羽荘内衆の末裔としては坂東衆の屈従の歴史を見ることで今の生き方を考えることができる。
アイヌの歴史と共に奥羽衆の自立のためにも明らかにしてもらいたい。
自分もはじめているが
221日本@名無史さん:2009/08/01(土) 14:12:30
ちょっと質問なんですが?
ちょうど名古屋、岐阜、金沢あたりを境に東日本と西日本で
集落内の生活習慣や商取引習慣、武士の主従関係が違うと
何かで読んだんですが、関東の守護、地頭がそれだけ西に行ったとしたら
もっと似てても良いと思いませんか?

たとえば江戸時代でも貨幣は「西の銀使い」「東の金使い」で金銀相場が
あって、そこで交換してたくらいだ。

本当に坂東武者が西日本に行ったのか?
地元にいて現地の侍に管理を委ねてたんじゃないのか?
222日本@名無史さん:2009/08/01(土) 14:59:32
g
223日本@名無史さん:2009/08/01(土) 17:41:40
源氏自体が畿内発祥なのに近畿で坂東武者がでかい顔できたとは思えない
224日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:49:53
>>213
そそ
その一族の俣野氏の城跡がうちの実家
225日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:37:57
> 991 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:14:18
> で、何で突然真宗について語る馬鹿がわいてきたんだ。なんか変に上から目線で
> 馬鹿な疑問を提示してるし。土人か?

911 :日本@名無史さん:2009/09/23(水) 04:30:45
>>909
同意。
東京大阪のバランスが取れてた時代(大正〜昭和中期)の日本は、腰が据わった良い国だった。
無闇に争ってないで(無駄なお国自慢)、良いところを褒め合い、協力していかないと。
民主党の売国奴たちが、この国を売り渡そうとしてる時に、言い争ってる場合じゃない。

↑この話をしている。
流れ読め
226日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:39:28
東国で強いのは日蓮宗。鎌倉代表仏教で徳川の御用達。
浄土真宗というと国家神道批判の急先鋒。
これは戦前からの伝統。
日本の軍国化政策は真宗勢力を懐柔することで完成させた。

大正期に皇族に大谷一族が嫁いでいる。
このあたりで国は真宗と融和策を仕切りと取っている。
どうもその辺が東西融和の根っ子に近いんじゃないかな。

西日本の人は元々結構国家体制に反対をしている。
今社民などのサヨイメージは関西に強いけど
実はこれは元々の伝統。ちなみにここでの主題は西vs東なのでウヨサヨはどちらでもよい。
227日本@名無史さん:2009/09/23(水) 21:41:42
228日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:35:52
>>221
鎌倉時代に関東の武士が全国に散ったのは事実です。
ただ戦国時代にそのほとんどが没落し、地元の豪農(地侍)に取って替わられました。
これが有名な、下剋上です。
229日本@名無史さん:2009/09/23(水) 23:24:54
>>228
毛利、島津、伊達、佐竹、南部は?
徳川も新田流を自己宣伝してる
230日本@名無史さん:2009/09/24(木) 19:36:17
>>226

徳川は念仏だろ?
231日本@名無史さん:2009/09/27(日) 10:07:30
>>221
なにげに鋭いツッコミだとは思う。
きっと、違うことより、同じことのほうがずっと多いんですよ。

それと、現地の侍を管理を委ねていたのは事実。
もともと皇族・公家は荘園の管理を庄官に任せていたわけだ。
その庄官をそのまま地頭に任命しちゃう例もあった。
一方、庄官とはべつに、恩賞として坂東武士を地頭を任命することもあった。
232日本@名無史さん:2009/09/27(日) 10:12:31
全国に拡散したのは何も坂東武士だけじゃないだろ
平安期にカミだとかスケに任じられた官吏たちも拡散してる
坂東武士だってルーツ、すくなくとも精神的なルーツはそこだろ
233日本@名無史さん:2009/09/27(日) 12:25:00
うちの近所には鎌倉道が上中と2つ通る。
古道の跡は風情があっていいよ
234日本@名無史さん:2009/11/10(火) 22:25:48
>>229
>毛利、島津、伊達、佐竹、南部は?

鎌倉以来の名門ということで見ても、
上の五氏にさらに秋田(安藤)、岩城、相馬、諏訪、京極(佐々木)、小笠原、宗、伊東、相良、秋月などの諸氏をくわえても、
三百諸藩といわれた江戸幕藩大名の総数からみれば、全体のわずか5%くらいのものだよ。
だから、鎌倉以来つづく古い家は九州や奥羽などの辺境にやや多く残っているぐらいで、やはり殆んどの地域では没落してる。


>徳川も新田流を自己宣伝してる

こういう場合、
「自己宣伝」は入れちゃいかんだろw
235日本@名無史さん:2009/11/13(金) 18:11:54
>>233
うちの近くの鎌倉街道は荒涼として風情とは正反対。

まあもうちょい進むと緑地なんかもあってそれはそれで良いんだけど、古道界隈の風情というのとは違うし。
236日本@名無史さん:2009/11/14(土) 04:01:08
島津って板東武士に入るの?
薩摩北部には桓武平氏系 渋谷一族が居たケド!?←コノ血統が板東武士じゃね?

まぁ、政略婚姻【姓は島津じゃ無いケド】で乗っ取ったから、同じかw

237日本@名無史さん:2009/11/14(土) 08:21:06
>>236
>薩摩北部には桓武平氏系 渋谷一族が居たケド!?←コノ血統が板東武士じゃね?


坂東武者による薩摩への土着なら、
平安中期に肥前に土着した伊佐(伊作)平氏の一族が既に薩摩に土着しているよ。
島津荘も元々はこの薩摩平氏による開発のはず。
常陸平氏の平(伊佐)為賢の子孫だったかな。
238日本@名無史さん:2009/11/14(土) 12:44:25
>>234
でもほとんどが下剋上で家を乗っ取られてるだろ?
239日本@名無史さん:2009/11/14(土) 22:41:26
>>238
ん?
だから名門の家は殆んど没落してると>>234
で言ってるが?
240日本@名無史さん:2009/11/14(土) 22:46:12
ああそうか。
上記の古い家々も、
その庶流などに宗家を乗っ取られてる場合が多い
という意味で言っているのか?
241日本@名無史さん:2009/11/16(月) 21:41:22

北薩 渋谷一族は5家中1家は血筋残ってるょ。

242日本@名無史さん:2009/11/21(土) 00:48:02
【三浦鎌倉中村】相模豪族について【波多野他】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1258684688/l50
243日本@名無史さん:2009/11/24(火) 23:24:49
熊谷氏とか児玉氏とかが毛利氏の家臣にいるくらい、坂東武者は色々
な場所に散っている。久下氏や足立氏なんかは京都に行っとるし。
一方、地元じゃ平一揆で河越氏が滅亡するなど、早くから没落し、戦
国期には上杉(京都の公家出身)や北条(西国の伊勢氏出身)及びそ
の家臣団に取って代わられた。成田氏(恐らく横山党の末裔)や藤田
氏(猪俣党の末裔)くらいしか残らなかった。
244243:2009/11/24(火) 23:43:11
戦国期に関東で残った氏族に、上田氏(西党末裔)、難波田氏(村山党末裔)、
中山氏(加治氏、丹党末裔)を追加。
245日本@名無史さん:2009/11/25(水) 15:21:52
しかし、ホント関東の豪族は江戸幕藩大名としては見事に関東に残らなかったな。
他地域に移ったの入れても東北行った佐竹ぐらいか
大名として明治に至ったのは。
246日本@名無史さん:2009/11/26(木) 02:31:38
地味に相馬も残ってる

247日本@名無史さん:2009/11/26(木) 05:12:09
あと伊佐な。
だから佐竹、相馬、伊達(伊佐)といづれも常陸の豪族が大名化して東北で生き延びたことが興味深い。
248日本@名無史さん:2009/11/26(木) 05:13:38
と思ったら相馬郡は下総だったか。

失礼。
249日本@名無史さん:2010/02/14(日) 11:23:20
そうやな
250日本@名無史さん:2010/02/14(日) 18:37:35
大田原氏、大関氏、それに若年寄になった太田氏とか後北条氏とかは関東豪族には入りませんか?


251日本@名無史さん:2010/03/12(金) 23:47:09
どうですか
252日本@名無史さん:2010/03/22(月) 17:36:51
どうもこうも
253日本@名無史さん
信長、秀吉、家康の家臣で尾張、三河出身の武士達が江戸時代に全国の大名になったのと同じ様なものか