熊野大社(出雲國意宇郡)の意宇一族と熊野神

このエントリーをはてなブックマークに追加
1熊野の子
熊野神は意宇一族が信奉していた神であったようですが、この意宇一族とは一体どういう素性なのでしょうか。どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか。

2日本@名無史さん:2005/09/02(金) 13:59:38
板違いだ。
削除依頼しとけ。
3日本@名無史さん:2005/09/02(金) 14:48:50
出雲に渡来した朝鮮系のワイ族とかの宗教だろう。
彼らが積穂になり東日本に降臨したのでは
朝鮮→出雲→東日本はもはや常識だろう。
いずれにしても正当派の倭人ではない渡来系。
4日本@名無史さん:2005/09/02(金) 14:55:06
熊野とか鈴木とか出雲は倭人の話ではない!
関東人の話である。
異国、外人の話である。
5日本@名無史さん:2005/09/02(金) 18:32:15
まったくこうしてみると神社って元々朝鮮人と東日本の為に
あるように見える。
6日本@名無史さん:2005/09/02(金) 18:43:21
こういう事なのだろうか?
半島→出雲→東日本、半島→八幡→東日本、半島→出雲→京都→東日本
半島→出雲→和歌山→東日本
7日本@名無史さん:2005/09/02(金) 23:36:23
《出雲国風土記》(《風土記》)に見える〈意宇(おう)〉という地名
の起源伝説。巨人の神が他の国土を引き寄せて国作りしたとの内容から
この名がある。八束水臣津野命なる神が〈八雲立つ出雲の国〉はまだ
狭く稚い国だ,この小さな最初の国土を作り縫おうといって,
新羅の三埼(みさき),北門(きたど)の佐伎(さき)の国,北門の農波
(ぬなみ)の国,越(こし)の都々(つつ)の三埼の諸方より,
それぞれの土地に綱をかけて引き寄せ出雲の国に結びつけたと
語られている。

朝鮮と縁の深い出雲の中でももっとも朝鮮の影響があるのが
熊野神社(鈴木、積穂)でしょう。
なお、九州の北から大隅にまで広がる隈地名(隈背、熊襲)とは無関係で
全くの似て非なるものであろうと思われる。
熊野神社は九州には殆どなく、血縁関係も全くない。
8日本@名無史さん:2005/09/03(土) 00:02:24
つまり新羅からヘッドハンティングされた倭征服の援軍勢力だろう?
国引き伝説(新羅の国土を出雲にくっつける熊野の伝説)
って要はそういう事だろう。。

絶対に関東人と関わりたくない。。。。
9熊野の子:2005/09/03(土) 20:19:34

興味深い話でした。文を読む限り結局、「巨人の神=八束水臣津野命」と私は読み取りましたが、あっていますか。それと「八束水臣津野命」の正しい読み方を教えてください。
また「新羅の三埼、北門の佐伎の国、北門の農波の国、越の都々の三埼の諸方より」ということでしたが、それぞれどの辺りのことですか。

「熊野略記」と「熊野年代記」の出所はわかりませんか。
「熊野権現縁起絵巻」は徳川家康の孫・松平忠直の寄贈であることや「熊野権現垂迹縁起」は貴族達によって編纂された長寛勘文であることはつきとめました。
10日本@名無史さん:2005/09/03(土) 20:45:49
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/izumoyatuka.html
八束水臣津野命
http://www.geocities.jp/ugn23323/susano/jinja_susano.htm
全国、津々浦々に祀られた素戔嗚尊(スサノオ)
11日本@名無史さん:2005/09/03(土) 20:56:05
神様のくせに外国の領土を奪うとは許せん。
12日本@名無史さん:2005/09/03(土) 21:07:11
【旅の】デンマーク人観光客金閣寺の金箔を剥そうとして逮捕【土産】
ttp://news18.2ch.net/test/read.cgi/news7/1124361427/

13日本@名無史さん:2005/09/03(土) 21:14:14
スサノオ族が倭人の国を倒す為に新羅に援軍を送ったんだろう、
それがこのような逸話になっているのだと思うが。
14日本@名無史さん:2005/09/03(土) 23:05:36
いや、もろに「国が狭い」と言って奪っています。
15日本@名無史さん:2005/09/04(日) 09:48:43
物部、児玉という熊野と関係の深い一族はどう関係しているので
あろうか?
16日本@名無史さん:2005/09/04(日) 16:46:51
熊野に三崎はありますね。
出雲の勢力の最初の侵攻地を意味しているのか?
(新羅の援軍付で?)
また、神武東征の話ではここでヤタガラスが険阻な道の先導役になりますね。
二つの全く別の勢力がここで対峙していた可能性ありますね。
17熊野の子:2005/09/04(日) 19:51:27
新羅の援軍などないでしょう。当時の朝鮮半島諸国は日本(倭)に援軍を派遣する余力はありません。
これは一種の自虐史観で、ここには「日本(倭)はレベルが低く、半島や大陸はレベルが高い。日本(倭)など吹けば飛ぶようなもの。」とかいう大陸・半島中心主義があるのでしょうが、もう(第二次世界大戦終結以来の)自虐史観はやめてください。
18日本@名無史さん:2005/09/26(月) 00:50:23
よくわかんないです
19日本@名無史さん:2005/10/29(土) 05:10:50
スサノオは真の姿を損ねられてきた。
その事を知っている人は少ないが。
20日本@名無史さん:2005/11/19(土) 03:56:40
いや多いよ
21日本@名無史さん:2005/12/09(金) 12:58:49
そうです。当時の新羅はほとんどが痩せ地の山岳地帯で慶州の盆地や山間部を細々と耕していたぐらいです。
22日本@名無史さん:2005/12/10(土) 23:28:20
なぞの古代の日本の勢力形態は、中世の日本の勢力形態と同じということらしい。
基本的に、日本は国土の80%が山間部である島国であり
稲作農耕の人口密集地帯だ。こういうところは、
農耕社会を通じて、同じような歴史を繰り返すらしい。

例えば、戦国時代、畿内・濃尾の織田家と、瀬戸内海周辺の毛利家が
事実上、覇権をかけて戦っていたが、
同じく3世紀も、畿内・濃尾の狗奴国(大和王権)と
瀬戸内海周辺の邪馬台国(吉備)による覇権争いだったらしい。
どちらも、中国から日本国王だと思われていたのは
瀬戸内海周辺の 毛利家と邪馬台国。

その後、中世では、豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたが
古代でも、応神天皇が朝鮮出兵していたとか...

また、最後のクライマックスとして
中世では、関が原の戦いがあったけど
古代では、壬申の乱が不破の関(後の関が原)であった。
23日本@名無史さん:2005/12/11(日) 00:32:41
新羅→出雲→東国→関東人死ねよ




とか言ってる奴ってどんなアホだよwwwwwwwwwwww

24日本@名無史さん:2006/01/02(月) 18:08:57
        
25日本@名無史さん:2006/01/03(火) 16:26:30
出雲国一の宮と記されてあるが、何故に出雲大社をさしおいて?
祭神は櫛御気野命とあるが。
熊野大社 島根県松江市八雲町熊野2451
http://www.kumanotaisha.or.jp/main.htm
26サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/04(水) 08:02:32
熊野神社の祭神の熊野櫛御気野神は天照大神がスサノヲとの誓いの時に生じた五人の子の1人です。
つまり、大和側の神です。対して出雲大社は、大和に征服された現地の神社です。
よって、征服した大和側の熊野が一の宮となります。
27日本@名無史さん:2006/01/04(水) 08:54:12
>>26
熊野櫛御気野神=素戔嗚尊(すさのおのみこと)とあるんだが。
熊野大社 http://www.shinbutsu.jp/?ID=33
28サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/04(水) 08:56:34
スサノヲ命は後世に祭られたものです。おそらくスサノヲの人気にあやかったのでしょう。
29日本@名無史さん:2006/01/05(木) 10:56:58
>>26
征服した大和側の神社というのは、出雲国府(意宇郡大草郷)近くの天穂日命が
創建した意宇郡大庭の神魂神社の方ではないのですか。
神魂神社 http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/view/kamos.html
30日本@名無史さん:2006/01/05(木) 11:48:54
>>1
>熊野神は意宇一族が信奉...
意宇一族って、聞いたことないんだが、天穂日命の子孫を称する出雲臣、
土師連の後裔氏族のことですか。
31サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/05(木) 12:42:59
神魂神社もそうです。
崇神天皇の時に、出雲振根の事件があり、その時熊野神社周辺の貴族が紀州へ
強制移住させられ炭焼きをさせられたのですが、意宇一族がそれにあたるのかはわかりません。
32がいやまん:2006/01/05(木) 13:27:52
>>30
古代史、特に、邪馬台国、神武説話の本線は意宇→伊和→磐余、この背後にある
のは製鉄、鍛冶等と関連し、後代のトルコ系文化と共通なものが多い。出雲というか、
松江の東、ムカデ島に到来した7人の航海者伝承と関係があるのではないかと思って
いる。この本線の建国神話の崩壊は月読命、楯筑遺跡の没落、桃太郎、孝霊帝、
倭国乱と関係があろう。結果から見ると孝霊帝が勝利を収め箸墓が建設されるんだが、
黒田の庵というのは岡山県の山中で、吉備津彦というのは敦賀から来たのではなかろ
うか。
33がいやまん:2006/01/05(木) 13:57:01
さて、ムカデを軸にすると、渡来人の多い京都北部の鞍馬寺では天部の一つである
毘沙門天の使わしめという信仰がある。ムカデは国内において下野地方に移住した
藤原一族が伝えるその祖俵藤太(藤原秀郷(ひでさと))の近江三上山の蜈蚣退治の
話をもとに,日光権現を信仰する一派が構想普及したものと考えた。さらにこの俵藤太
功名譚の原型は,《今昔物語集》にみえる加賀国蜈蚣島で,7人の航海者が蜈蚣に
悩まされる大蛇を助け,この島に住居して子孫繁昌したという伝説にかかわって
発生したもの。出雲→加賀→滋賀→日光と神話の流れがわかる。
34がいやまん:2006/01/05(木) 14:02:25
日光二荒山神社古伝では、日光権現の姿は大蛇で、山上の湖水すなわち中禅寺湖
の領有をめぐって赤城明神と争ったが、赤城明神はムカデであるためつねに敗れて
いた。そこで日光山ろくに住む狩りの名人万次万三郎に矢を与えて助力を依頼、万
三郎は神を助けて戦場ヶ原で赤城明神の化身である巨大なムカデの両眼を射て
これを敗走させた。日光権現はおおいに喜んで万三郎に全国いたるところの山を
狩場として獣を狩ることを許し、この故をもって末代まで狩猟を事とする者は万三郎
を職祖と仰ぐという縁起。この縁起は絵巻として《日光山縁起》となり、また猟師の秘巻
〈山立根元記〉などの名で奥羽地方の狩猟者が伝承している。早い話、猟師の世界での
狩猟権の授権権限のようなものがあったのだろう。
35がいやまん:2006/01/05(木) 14:12:49
>>32 ではトルコ系、 >>33 では毘沙門天などといったが、兜跋毘沙門天
http://www.city.inazawa.aichi.jp/bunkazai/data/029.html
http://www.city.kawasaki.jp/88/88bunka/home/top/stop/zukan/z0207.htm
というのがある。
「 兜跋毘沙門天は毘沙門天の一異形像で、かつて中国西域兜跋国が攻められた
時、城の北門楼上に出現し、敵を退散させたという故事を持つ。兜跋国とは、吐魯番
=トルファンとも吐蕃=チベットともいわれるが、定説を見ない。」
兜跋とは、女真時代にはオランケ、唐怒烏梁海として出てくるが現在のアルタイ
Tuvaのことと思う。その理由を述べよう。

36がいやまん:2006/01/05(木) 14:40:03
トゥヴァ共和国↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%B4%E3%82%A1%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD
BC2000年頃にはアファナシエボ文化があったが、その後BC200-BC1500年頃に
Okunev Cultureというきわめて重要な文化がある。↓この後にカラスク文化が来る。
ここにムカデとは誰も言ってはいないが、よく似たものがある。
http://www.hyperborea.ru/RU/SCI/AR_02_01.GIF
http://www.hyperborea.ru/RU/SCI/AR_02_04.GIF
http://www.hyperborea.ru/RU/SCI/AR_02_07.GIF
スサノオにもムカデは出てくる。しかし、特殊器台、住江の神、底、中、上津男を
考えるとこれらが田和山遺跡、熊山、後世の三重塔につながる考え、平面上で考
えれば三山の考えと関係があると見る。上記オークニェフ文化はアーリア族の
後を追っかけるように印度に入り毘沙門天として仏典にも登場したのであろうが
日本にはトバ、ツクバ、ツボケ、鹿などに関連する文化と共に上陸した可能性がある。
37がいやまん:2006/01/05(木) 14:49:04
さて、楯筑の中円双方墳は東瀬戸内海、大和からカザフスタンに広がる突厥の
日月崇拝、つまり、月が夜明けの太陽に会いに行くという思想から出ているのだと
考えられるが、なぜこれが見捨てられ箸墓の前方後円墳に変わるのかを考えて
みると倭国連合においてアマテラスに象徴されるEatablishmentというかMajority
が、侵略的な(鬼のウラみたいな)勢力に反発、これを鎮圧し、太陽崇拝(新羅王族
系か)思想を採用したということであると考えたい。
38日本@名無史さん:2006/01/05(木) 15:55:21
>>30
意宇一族とは出雲氏のことか。
「アメノホヒ神を祖神とする出雲氏一族は、出雲東部の意宇郡を支配する
豪族である...」
【神話】出雲系神社を語ろう【現実】
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1056976937/68
39がいやまん:2006/01/05(木) 17:18:14
http://www.kamnavi.net/it/kinki/iwa.htm
「大神は播磨国に特別の御恩恵を垂れ給い、播磨国内各地を御巡歴になって
国造りの事業をされ、最後に伊和里(現在当神社のある地方)に至りまして、
我が事業は終わった「おわ」と仰せられて鎮まりました。」
しからば、この伊和里を大和・磯城の地に移し、大業を最終的に成就させん
としたイワレビコとは倭人伝の伝える女王を共立した豪族連合体の象徴であり、神武
説話に出雲のイナサとか、薩摩隼人らしきツチグモ(地下深く穴を掘るワイ族系か)
とか、各地の話がちりばめられているのは連合体のカードがよく切れていたのであろう。
40がいやまん:2006/01/05(木) 21:13:14
一般的に言うと「考古学から見た大和政権の誕生」
http://homepage3.nifty.com/markmaeda/yamatotannjou.htm
上記の通りなんだが、現実的にオオヤマトの地名、神社、祭神
http://www2.begin.or.jp/sakura/sai03.htm#穴師
記紀の国譲り、出雲神賀詞などから判断すると大和の豪族は
日向、豊前あたりで入手した系図を元に尾張、海部等と組んで
革命を起こしやっとのことで天下をものにしたというのが真相では
ないのか。
41日本@名無史さん:2006/01/15(日) 13:07:19
>>19
>スサノオは真の姿を損ねられてきた...
真の姿とは?
42日本@名無史さん:2006/02/19(日) 13:59:03
43日本@名無史さん:2006/03/08(水) 21:52:58
age
44日本@名無史さん:2006/03/23(木) 22:03:57
最近、某会で出雲王朝の正統の血脈を受け継ぐ大根氏の事をききました。
出雲振根の子孫ということでした。
私疑り深いのでほんとうかなとおもいました。いかがなのでしょうか。

45日本@名無史さん:2006/03/26(日) 23:58:48
>「抹殺された古代出雲王朝」講演会
>3月22日(水) 台東区根岸社会教育会館

これ?
46日本@名無史さん:2006/04/12(水) 21:38:55
意宇とは安来郷のあった場所。
伊邪那美神の神陵がございますね。
47日本@名無史さん:2006/05/05(金) 11:23:45
出雲の一宮は出雲大社ですが、以前は、熊野神社であり、出雲大社に譲られた・・・
出雲の熊野神社 http://blog.so-net.ne.jp/nihonnsi/2005-10-24
48日本@名無史さん:2006/05/25(木) 01:34:25
大陸江南地方から水稲を日本に伝えたクメール人が天熊人命(肥人、熊襲、久米氏)。
故に「コメ」。クマ・クメなどの地名は米作伝播のルート。熊野神社もその名残。
意宇もその一派。大隅→「意宇住み」。
49日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:22:51
クメール人て日本におったんか?
50日本@名無史さん:2006/05/25(木) 23:21:10
久米宏
51がいやまん:2006/05/26(金) 11:42:40
漏れは、モンクメール、三苗文化の線と、狛、高麗の線の両方で追っかけてみたい。
これを縦目と見たとき、本線はアルタイにあり、カザフスタン、キプチャクカン、パンのにア
平原、ポーランド、スイスを視野に入れてみたい。たとえば、ナマハゲは鹿児島、秋田、
スイス、春駒は沖縄、ポーランドに分布している。チベットを雲南に入るタングート系なども
関係はないかとの考えだ。
52がいやまん:2006/05/26(金) 11:52:41
最近カザフスタンでハプロタイプDが17%の高率で発見されこれとアルタイ、ブリャート、
ヤクートを結び付けようとしているが、パンノニアのクマン族からもハプログループDが
発見されている。実はこれらは日本人、チベット人に特有とされているのだが、その
兄弟分のE型は中近東から地中海、その先祖はアフリカだ。カザフスタンでは先祖が
黒人ではないかと大騒ぎをしている。漏れにいわすればクマン、熊野、熊襲、球磨、久万、
隅は古墳時代に、九州地区に上陸したのではないかと思っている。遺伝学界の定説とは
コペルニクス的対照を成す年代観であるが、旧石器時代ではなく、古墳時代とするのが
漏れの説だ。
53日本@名無史さん:2006/05/26(金) 14:18:07
>>52
>熊野、熊襲、球磨、久万

古代楚国の王族の姓も「熊」でしょう?
単なるこじつけになるかも知れないけど、可能性としてはさまざまな事が考えられると思う。
54日本@名無史さん:2006/05/26(金) 14:41:04
朝鮮壇君伝説も熊女は先住民を表してるし、
そもそも中国のトーテムは元々熊でした。
今は竜ですけど。
沿海州周辺の民族も熊トーテムばかりだったようです。
もちろん、アイヌも熊です。
熊は古い民族には欠かせないアイテムといえ
特定するのは困難でしょう。
55日本@名無史さん:2006/05/26(金) 14:45:58
クマを変換してみてください。
明らかにクマは隅と同義で使われていたことが
わかります。
56日本@名無史さん:2006/05/26(金) 18:36:57
>>54
熊は、龍や鳥よりも古いですか?
57がいやまん:2006/05/26(金) 18:39:42
>>53
神功と戦った忍熊王は偉大なるクマ王、秦氏の功満王はクマン王。漏れは曹操に
討たれた烏丸が和邇であり、これが山陰経由近江に入ったのではないかと見ている。
これ以前にはなんと言っても冒頓単于による月氏を初めとする多くの民族が東西に
移動をはじめ朝鮮半島経由日本列島に流入した可能性がある。
58日本@名無史さん:2006/05/26(金) 18:41:13
>>21
半島の古文書にも倭国がちょこちょと攻めに来た事が書かれています。
倭国に比べ海戦が不利である事なども書かれています。
59日本@名無史さん:2006/05/26(金) 18:55:21
たしか、中国では竜山文化の時に竜となったんでは?
それまでの大文口文化では別のトーテム。
竜山になったとたん
新モンゴロイドの特徴を有するとされている。
竜とは蛇から派生したものとされるが?
60日本@名無史さん:2006/05/26(金) 18:59:34
>>59
魚や猪がもとらしい。
蛇と龍が関連付けられるようになったのは、南方に龍信仰が広まってから。
61日本@名無史さん:2006/05/26(金) 23:10:54
>>54
古い民族だけど、熊襲でしょ?
地理的には、北方とはかなり隔たっているような気がする。
62日本@名無史さん:2006/05/27(土) 13:59:09
>>48
出雲と同じく山陰の有力地域の丹後等も意宇氏の影響力が大きいと思える

熊野郡 熊野神社 久美(クミ)郷 大江山 大野神社 大川神社
63日本@名無史さん:2006/05/27(土) 14:02:27
えっと、わすれんうちにかいとこ

契丹、丹波、但馬、丹後
丹(たん)とは契丹人由来じゃないか?
64日本@名無史さん:2006/05/27(土) 14:07:21
熊野神社というのは明治以前はまともなものはなかったらしい
全て、スサノオの神社だったとか。
熊野神社という名前がなんなのか?

我々は神社の荘厳な姿に目を奪われるのではなく
神社が中国道教発祥ということを理解しなければならない。
その中で本来の倭国の信仰がどういうものであったか
を探らなければならない。
65日本@名無史さん:2006/05/27(土) 15:44:05
>>64 古代日本は、神仙思想の受け入れは早かったはず。
ぐぐればヒットするし、遺跡からも同時期の中国
との深い関連を裏付ける遺物も出土している。
4〜6世紀ごろ、宗教交流?は活発だったと思われ。
66日本@名無史さん:2006/05/27(土) 15:54:16
朝鮮の場合辰韓がもっとも北方要素が強く
同時に中国文化の受け入れが早いように思う。
北辰星信仰も入ってるし、高貴な人を
カンなんていう東胡系の語彙も入ってる。
67日本@名無史さん:2006/05/27(土) 17:04:55
クマ族は漢字表記で「狗奴」族。
日本に多く分布するが、半島、満州南部にも痕跡がある。
山(森)に穴を掘って居住し、主食はドングリと魚を食べるから
熊に似ている。という事で各地に動物の熊として記憶される。

習性はおとなしく、争いと自己主張を好まず協調を持つため、
騙されやすく隷属化していく。そしてその存在は伝説として残った。
共通するトーテム(崇拝する動物)は角を代表とするもののようである。
牛あるいは鹿であったりする、両方おとなしいが、暴れるときは暴れる。
68日本@名無史さん:2006/05/27(土) 20:08:33
>>66
ところが中国の江南と直接交流し、影響を受けていた可能性もあります。
http://www.sankei-kansai.com/tihou/nara/nara-06042003.html
69日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:48:03
>>67
狗奴族て捏造すな。
70日本@名無史さん:2006/05/28(日) 08:20:41
狗奴族って初めて聞いたよ。
穴掘って暮らし、主食がドングリだったなんてw
息をするように嘘をついちゃ駄目よ。










71日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:58:42
駄目だね
72日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:25:42
○´∀`○は発狂したようです。ご愁傷様。後おながいじゃなくてお願いだよ(ワラ
かわいい〜〜!!!!
みんな〜プラム君の時間だよ〜!!
天才君集まれ〜!!

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしっすよー
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

ほぼ毎日初心者板やその他多数の板に出現!!
みんな見たらかわいがってあげてね!!                 プラム過去レス 
73日本@名無史さん:2006/07/02(日) 02:07:57
意宇って太安万侶の太氏でしょ
74日本@名無史さん:2006/07/03(月) 21:04:37
オウとオホの区別も付かんのか
75日本@名無史さん:2006/07/08(土) 02:07:46
太氏を意富、於保、多などとも書くのも知らないのか
76日本@名無史さん:2006/07/09(日) 00:15:41
意富・於保・多=オホ≠意宇
77日本@名無史さん:2006/07/11(火) 04:04:29
意宇=飫宇(の海)=於保(の浦)

仮説としてはなくもない
78日本@名無史さん:2006/07/16(日) 22:21:56
宇井
79日本@名無史さん:2006/07/22(土) 12:22:30
>>63
但馬、丹後は丹波の分国。
丹波は「タニハ」と読む。宛字。
80日本@名無史さん:2006/07/23(日) 14:17:26
青丹よし
81がいやまん:2006/08/25(金) 16:36:11
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1154677516/menu312
環境が悪く移住してきました。漏れは田和山遺跡辺りが関係していると思う。
82日本@名無史さん:2006/08/25(金) 17:02:29
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】

83だれかプラムを通訳してください:2006/08/25(金) 18:58:22
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】


84がいやまん:2006/08/26(土) 12:46:01
>>81
田和山遺跡は、その後、高句麗集安においては将軍塚のように発達、日本、百済
においては三段又は円形の石積遺構、古墳へと発達するもので、日本においては
仏教伝来と共に三重塔、また、宇宙観としては熊野本宮神社におけるパンテオン
のようになるのであろう。日向に到来した西都原遺跡は弁辰の古墳のようであり、
主流ではなかったのだろう。ただし、裏日本では四隅突出型古墳が主流を占めるに
いたり、古墳建設は吉備・阿讃播地方に移っていったものと思われる。そしてその中
から纒向の巨大古墳が誕生する。
85日本@名無史さん:2006/08/26(土) 12:57:50








プラム=がいやまんの妄想劇場が始まりますよ













86がいやまん:2006/08/27(日) 08:53:47
>>84
田和山遺跡をアルファ、出雲一宮熊野神社をベータ、そして熊野本宮大社をオメガ
とする系列は一環とした宇宙観、それは、曼荼羅に似た構造を崩さず、最終的には
天孫を取り込む一方で、征服され、抹殺された宗教も組み入れている。これは渡来した
(クマンというアルタイ、ハンガリー、タタールに見られる言葉から判断するに)燕乃至は
モンゴリア東部出自の祭祀集団のようだ。香椎宮、平原遺跡、那智大社など見見られる
ヘレクスル・鹿柱形式が平面的なのに対して、高句麗集安将軍塚で具体化ている
方形、大地崇拝のほうに重臣を置く点では、前者が西方モンゴリアのコーカソイド系
スキタイ系なのに対して、モンゴロイド系、高句麗系とも言うべき違いがある。やはり、
モンゴリア高原における対立が祭祀集団の2つの流れとしてそのまま列島に持ち込ま
れたと考えるのが順当であろうか。
87がいやまん:2006/08/27(日) 08:59:56
秦を滅ぼすは胡なりと信じ、方形の始皇帝稜を築いた始皇帝に対して、箸墓、仁徳
稜は遠きユーラシアの天孫のイメージを留める。
88がいやまん:2006/08/27(日) 09:43:34
陵と言う字はなかなか出にくい。
ところで、田和山で留意すべきはそのパルテノン神殿、バルカンの逃げ城の
ような城塞構造。これは月山冨田城とか、沖縄のグスクとか、日本の城の
原型、一の丸、二の丸、三の丸の起こりであろう。これはアルタイで起こり
黒海北岸をバルカンに南下した騎馬民族と共通するも0ので、兜の月型は
武運長久を祈るものだと思うが、荒城の月ではないが、城からは月弓尊
を拝し、祈るもので出羽三山の月山などもその流れだろう。坂上田村麻呂
は白人だが、これはサカ族、賽族と呼ばれる有名な白人外人部隊で、トカラ
人(月氏)と行動を共にしている。
89がいやまん:2006/08/27(日) 09:51:01
中央アジア南部にはこうした戦闘的白人遊牧民族が多数おり、イランに侵入する
エフタルというのもよく似た習性をもつ。アルタイに侵入するサカ族は清水寺のような
峡谷に樹皮で屋根を葺き、千木を持つ建物を築く習性を持つ。これが田和山が
熊野神社に移る理由だろう。トカラ人というのはバクトリアにあっても、三韓にあっても
幼児の頭に石を載せ頭頂をフラットにする習性をもつ。推古、斎明のころ白人として
帰朝、三段式の須弥山を築いたと言うから田和山の末裔だろう。
90がいやまん:2006/08/27(日) 10:01:23
漏れは、出雲日御碕神社の伝える月氏王ヒコハニというのは孝霊ヒコフトニと何らかの
関係があり、史実であったと思う。熊野本宮大社第10殿に祭られるハニヤマ姫などは
きわめて怪しい。
91がいやまん:2006/08/27(日) 10:23:23
しかし、出雲というのは旧石器時代よりバイカル、黄河、日本海を含む地方の
中心地のひとつであったはずであり、外来思想は太古から続く出雲の権威を得て
から初めて列島に入り込むことができたと考えるのが妥当なところであろう。そういう
意味で邪馬台国が成立、大物主を瀬戸内に担ぎ上げて三輪神社、白山神社の
向こうを張る金毘羅宮の建設などは出雲にとってカチンと来たことが考えられる。
そして早速それらをオオクニヌシの系図に取り込み押さえにかかったのに違いない。
92がいやまん:2006/08/27(日) 10:26:36
パン出雲主義にしてみれば紀州熊野の制覇は日本の精神文化を制覇したのと
同じことで、昼の世界は天孫とすると夜の世界は出雲が貰ったといったところで
あったのかも。
93がいやまん:2006/08/27(日) 11:15:37
日本文化は西高東低、三輪神社も甘木朝倉から出ていると見るのが順当。そうすると
オオクニヌシは三諸山を三輪山と改名し、オオナムチを祀れと命令している。つまり、
オオクニヌシは九州にも絶大なる影響力を保持し、その神で邪馬台国が祀ろうとした
邪神を書き換えていったと言うことも考えられる。金毘羅というのは邪馬台国が導入を
図った神かもしれない。
94がいやまん:2006/08/27(日) 11:37:59
倭国の倭は英語のウォーと同じ発音であった。この子音のWと母音のCを右左
さかさまにしたような音は出雲においては二重母音オオと発音され、倭国王は
オオクニヌシ、倭国はオオクニとなった。山海経の頃モンゴリアにあった倭は
その中に三韓を含む鉅燕ともいうべき集団の先頭部隊として春秋の終わりに
列島北西沿岸に到達したもので、太平洋岸に達したものはアワと称したので
あろう。銅鐸は既に内モンゴル赤峰において出現しており、そのままの状態で
吉野ヶ里、出雲へと入ったのであろう。ただし朝鮮半島南部においても同一形式
の朝鮮小銅鐸は残している。
95がいやまん:2006/08/27(日) 11:39:35
この動きについては九州の考古学が次のように述べるものが相当する。
「滑石混和土器を出土する沖縄の遺跡では青銅器片などを出土する場合があり,弥生
前期末〜中期初頭の北部九州に朝鮮産青銅器が流入することと一連の物資の流れが
沖縄まで及んだと考えられるが,古朝鮮の人びとが南方に移動するような情勢がその
背景にあったと考えられる。渡来の経路は,北部九州に上陸したもののほか,山陰に向
かう流れや,九州西側を回って有明海や南九州に向かう流れがある。」
96がいやまん:2006/08/27(日) 11:45:56
しかし、弥生時代というものは殷が崩壊し、朝鮮無紋土器が始まった後の
周の時代には北部九州への流入が開始されている。このことは技術導入が
先行し、移民の動きは環境が整った後に商行為、交易の発展を伴って起こった
と考えるのが正しいのかもしれない。
97日本@名無史さん:2006/08/27(日) 16:08:42
★日本神話と稲作文化は中国南方に起源がある★

【諏訪春雄教授プロジェクト】
『東アジア地域の演劇形成過程の比較研究』
 Study of a formative period of the East Asian's drama [Prof. Haruo Suwa]

■学習院大学・人文科学研究所=ホームページ■
http://www.gakushuin.ac.jp/univ/let/rihum/project_suwa.html

 中国の長江中流域で一万年以前に始まった稲作は、長い年月をかけて、
日本などのアジア諸国に伝来した。稲作は、農耕の技術だけが単独に広まったのではなく、
稲作に関わる祭祀も併せて伝来させた。
 そうした祭祀の中で、演劇の発生・展開と深く関わったのが来訪神の祭りである。
複数の先祖の神々が、仮面をつけたり、蓑笠を着たりする異装の姿で、子孫の許へ訪れ、
文化を授けた始原の時間を再現する祭りは、稲作の誕生地に始まり、アジア各地に伝わった。
来訪神の祭りは、海を越えて日本にまで到達した。

98日本@名無史さん:2006/10/22(日) 22:52:04
到達した。
99日本@名無史さん:2006/10/31(火) 21:24:51
澤田洋太郎著 「出雲神話の謎を解く」では安来の野城大神が
意宇王だと書いているが、熊野大神は何物だったのだろうか?
100日本@名無史さん:2006/11/26(日) 00:02:55
 それには伊勢、長州は否定的。
だいたい、古代出雲に関心が行くのを防ぐために
日向(宮崎)の観光(新婚旅行)ブームを作ったり、
邪馬台国の論争をでっち上げたり、世界遺産で
戦略的に囲い込もうと苦労しているのが分らな
いの?国論を分裂させないために、苦労してい
る人をちょっとはねぎらえ。
101日本@名無史さん:2006/11/26(日) 11:04:23
邪馬台国の古代出雲が中心地でしたが
102日本@名無史さん:2006/12/23(土) 13:49:25
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ
103日本@名無史さん:2006/12/23(土) 22:01:11
>>102
こいつの話って、ピントがづれてるんだよいつも・・・
104日本@名無史さん:2006/12/24(日) 10:56:13
伊勢スレと同じ臭いがしますねw
105日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:22:56
がいやまんって太国と同一人物みたいだね
最近見ないなw
登場しなくてもいいぞwww
106日本@名無史さん:2006/12/24(日) 23:54:26
このスレは、
京大出身最高権威のスレでつか?
107日本@名無史さん:2007/01/02(火) 09:52:09
>>106
はい 豚さんの自作スレでつよ(^^)
108日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:55:06
太国は京大でたの?
109日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:38:56
熊野は高級宗教かもね
110日本@名無史さん

日本史板の常識

コテ=馬鹿