南部氏を語ろう!! |法| _ |小|
|蓮| _ .| | |○|
|華| | | .|〓| | |
|経| |◆| |介| | |
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南部氏
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1011271730/ 南部氏(・><・)巻之二
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1041490872
2 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 13:55:40
2?
南部に縁のある者です、新スレ立てさせていただきました。
みんなで使ってね(^_^)
なかよく使ってね(^_^)
>>1 乙
このスレが本流かな
しかし
>>1にAAとは・・・
>>1>>3 スレ立て乙!
南部氏とはどのような縁があるのですか。
6 :
日本@名無史さん:2005/05/25(水) 01:14:21
>>1 殿の血筋ですか、系統は根城?それとも八戸?
8 :
日本@名無史さん:2005/05/25(水) 14:57:32
m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、
m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、
m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、
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m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、m(_ _)ノ彡☆バンバン、
9 :
日本@名無しさん:2005/05/25(水) 19:41:29
>>7 1は馬橇階級日蓮の回し者ですから、大名家の血筋な分けないでしょう。
日蓮信仰からは輪廻しても武士は生まれません。武士を否定しているのですから・・奴らは。
10 :
日本@名無史さん:2005/05/26(木) 02:01:55
宗教萌えの人がいるようですが、
お葬式は神道形式で墓なお寺なんだよ・。
11 :
日本@名無しさん:2005/05/26(木) 12:17:32
13 :
日本@名無史さん:2005/05/27(金) 22:30:30
南部氏は臨済宗
>>12 南部家の家紋は、割菱→菱鶴→対い鶴→向鶴(鶴の胸に九曜)
向鶴にも描かれてる様に、九曜は妙見信仰の象徴。従って臨済宗妙心寺派。
根城南部家軍旗及び旗指し物は、家紋同様に割菱→菱鶴→対鶴→向鶴と変化してきたが、同時に九曜も用いた時節有り。
軍旗に御題目を記したソース有るの?(真面目な質問でつ)
15 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 22:39:05
>>14 いつの時代のものか分らないが光徹さんが所蔵している。
>>15 なるほど、根城(遠野)の殿が所有でつか。
なかなか面白いでつね、当時は宗派とか気にしなかったのかも?と思ったりしますた。
根城南部家菩提寺・松館大慈寺が曹洞宗でつね。遠野移封の際、大慈寺も
引っ越して廃寺になりますたが、後に再興しますたので本来の宗派は不明でつ。
17 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 01:32:51
宗派に属さない善光寺もある、日本神道とは一線を画す出雲大社教もある。
日本人の神好きの所以の為す所ですな。
18 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 19:02:20
去年、八戸博物館に特別展示されてた『光明点題目大幡』がそうだろ?
現当主所蔵だった様な記憶が有る。
七面天女示現陣中守護之大幡ってのも有ったぞ!七面天女=妙見だよな?
後大醐天皇拝領の鎧や御旗は櫛引八幡宮に奉納したり…当時は神や仏、
宗派なんかも拘らなかったんじゃない?
19 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 23:20:55
善光寺は、浄土宗の大本願と天台宗の大勧進の2寺院鼎立。
宗派に属さなきゃ、僧籍も得られない。
20 :
日本@名無史さん:2005/06/01(水) 02:44:44
父親が靖国の宮司になったんで娘の仕事も切ったのか?
尻のアナ狭すぎじゃないか朝日は。
21 :
日本@名無史さん:2005/06/01(水) 08:39:01
盛岡の姫は朝日だったのか、BSとかCSってレス見たような?今は何処行ったのかな?
八戸や根城(遠野)の殿は何をしてるんだろう
>>21 フリーのアナウンサーだよJ-WAVEで朝日新聞ニュースを読んでいたけど、そういや最近出てないな。
盛岡南部の姫はフリーのアナですか、誰か画像持ってませんか?なんとなく興味有り ^^
もうまたっく〜、親父の仕事と姫の仕事は関係ないだろう。
>>23へ
フリーアナでラジオやオケ専門というところでさっしろ。
25 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 01:29:22
岩手県の名前のいわては鬼の手形が謂れらしいけど。
その岩手の地名は、いつ頃の時代から使われていたの?
それとも岩手氏なんていう氏族がいたの?
26 :
日本@名無しさん:2005/06/07(火) 03:16:27
岩手の女紹介してくれ〜
盛岡に南部氏が来る前、この地は誰が統治していたのだろう?やはり藤原か?
でも八戸あたりは藤原氏の領地ではなかったのでは?
>>25 岩手に関してでつが、岩手山とか岩手郡なら古より有ったとか、岩手氏にかんしては居ないと思う。万が一居ても文献が残ってない。
>>26 南部氏が盛岡に入る前は、三戸に居ますた。盛岡に築城したのは戦国期でつ。
八戸に居たのは根城南部氏で奥州南部家の本家でつ。
南部氏が根城に入る前は、藤原氏所領じゃなく平家の後家人工藤氏が統治してた。
岩手山は岩鷲山の呼称が間違って伝わったもの。
盛岡って昔は岩手郡になるの?それとも紫波郡なの?
30 :
日本@名無しさん:2005/06/07(火) 21:59:52
>>27南部氏が三戸に来た頃、地元住民などは沢山いたのかな?普通は大名がや豪族が移動するときは、
自ら縁のある住民や(エタ、非人も含む)坊主やらと一緒に移住してくるのだが。南部家臣団と工藤一族と
混血したということか?
31 :
日本@名無しさん:2005/06/07(火) 22:09:13
江戸末期の石高所領者が記入された文書とかを見てみたいな。
現代本で出版されていないだろうか?で、現在の岩手県の岩手町、西根町あたりは
誰が統治していたのか?雫石町、松尾村あたりもどうかな?おせ〜て!
所領者なんぞいねべ。
33 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 03:08:32
岩手、松尾は南部氏の故地、甲斐の国に地名がありますね。
34 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 03:28:50
岩手県からの旅行者は大歓迎するよ。
35 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 07:17:49
>>33 確かに甲府に岩手が有りますね。しかし南部氏が八戸に居た頃に岩手郡(南部領外)が有りました。その後南部氏が攻め入り所領になりました。
南部氏発祥の地、南部町や身延町に一度は行ってみたいですね。
36 :
日本@名無しさん:2005/06/09(木) 22:14:08
現在の南部町で出産すると役所から30万円のお祝い金が出ると聞いたことがある。
人口増加を狙っているのか、南部町長!
37 :
日本@名無史さん:2005/06/10(金) 22:07:42
鎌倉時代の岩手、紫波郡は、北条氏の領地として被官の工藤、高槁氏が治めていたため「岩手氏」は生まれようがないですね。
南北朝に活躍する「斯波氏」は、足利泰氏の妾(北条朝時の娘)の子から始まるが、紫波郡に領地があったためといわれる。元々、足利氏の領地ではなく、朝時娘が嫁いだときの化粧料が斯波氏に伝領されて、名字になったと思われる。
38 :
日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:17:33
南部氏が北東北に基盤を築いたのはいつ頃のことだったのでしょう?
39 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 01:25:36
>>38 1192年、南部光行、三戸平ヶ崎城築城、地頭代を据えて光行は鎌倉に在して、鎌倉にて没してます。(築城の事実等は疑問も有り)
1334年、南部師行、根城築城。以後南部本家の拠点となります。
>>30 三戸南部氏に関しては、文献が有りませんので何時の頃から居たのか疑問が有ります。
師行が八戸に来た頃は、地元にも沢山人が居たと思いますし、仰せの通り家人やら僧等も移住して来たと思います。実際南部一族の大半が移住したと思われます。
南部地方の名字や家紋を見てみますと、甲斐源氏の庶流も数多く追従して来たと思います。
従って、源氏の血を引く者同士は勿論ですが、以前から地元に居る人とも混血が合ったと考えるのが自然では?
40 :
日本@名無しさん:2005/06/14(火) 11:38:29
>>39 なるほど、なんか神秘的ですな〜
今の日本も民主主義なんか辞めて封建制に戻ったほうがいいな。個人主義なんかもうこりごりだ。
41 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:45:51
>>39 >師行が八戸に来た頃は、地元にも沢山人が居たと思いますし、仰せの通り家人やら僧等も移住して来たと思います。実際南部一族の大半が移住したと思われます。
南部地方の名字や家紋を見てみますと、甲斐源氏の庶流も数多く追従して来たと思います。
三上くん桜庭くん岩間くん福士くんは南部の殿の家人すじ。
下斗米くん米内くんは古〜い分家すじ。
下斗米って相馬じゃなかった?
>>41 下斗米氏は、平将門の末裔で千葉・相馬の二号を使っていました。
斬波氏に仕えてましたが、後に南部氏の臣下になり、二戸の上斗米・下斗米の二村を所領し、下斗米の姓を名乗りました。
したがって、師行公に甲州から追従して来たと言う事は間違い。
>斬波氏
俺はよく知らんが、そんな名前の一族がいたのか?
それとも斯波氏の間違い?
斯波の間違いでした。スマソ....
46 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 00:24:57
i
、 i!
i,`ヽ、 i |
i 丶、 ,i :|
i;::_,、-、`1_ | .:|
-'‐'"1i !、'i゛ヽ:;、__
ヽ:::|| | /' _,、‐'" '`‐、
ヽ|i!r'/ \
W'" ̄''‐-、_. \
`''‐-―一
47 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 22:51:40
幕末八戸藩の殿様は薩摩からの婿入りですが、どういう経緯があったのでしょうか?
48 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:09:07
南部公と島津公は江戸城大広間で意気投合していたのです。一橋大教授の川井がそういいました
49 :
日本@名無しさん:2005/06/24(金) 20:22:57
岩手は湧き水が美味いね
50 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 03:53:24
南部の向い鶴紋の鶴の腹にある八曜紋はいつの時代から使われていたのですか?
51 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 12:31:23
>>50 向鶴の胸には有るのは九曜です。
戦国期の軍旗には描かれていたとか・・・?正式な記録が無いみたいです。
江戸時代の川柳に「鶴の胸 出来物らしき 紋をつく」と残ってるみたいです。
52 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:45:04
>>51 「鶴の胸 出来物らしき 紋をつく」
どういう意味の川柳なんだろう。
53 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 02:03:33
正確には、「鶴の胸 出来物らしく 紋をつけ」じゃなかったかな?
向鶴の胸部分に出来物らしく(吹き出物みたいな?)、九曜紋を付け…。と表現したんじゃないの?
55 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 10:56:20
それは文そのままでしょう。
川柳なら風刺的な意味があるはず。
56 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 11:02:45
55なら何と考える?川柳なんて大した意味ないだろ
57 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 11:09:01
鶴のくせに大物ぶって紋までつけている。
江戸末期の南部藩を思えば、
>>57の説が妥当だな。
60 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:59:36
盛岡城は石垣の見事さで東北一と聞きましたが、
北側の石垣上から見ますと堀の向こう側が台地で
石垣との高低差がありません。
敵が石割桜あたりに陣を敷き櫓でも立てれば城内は
一望できるでしょう。
それともあの城は南からの敵に対抗する為だけに建てられたのでしょうか。
もしそうであるなら後背地に陣を敷く場所を持った合理性とも思えますが。
61 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 02:44:47
>>60 地形図で見ました。
川を堀とするとなら今の県庁あたりが本丸に相応しい地形ですね。
出城ということならわかりますが、南部は後を守る隠し城もあったのでしょうか。
62 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 09:54:25
地図だけでは解らないかもしれませんが盛岡城の北側は
現在の地名「内丸」からもわかるように城の一部です。
現在の県庁、市役所一帯は武家屋敷があったそうです。
その後には寺社が多くありここも非常時には兵を伏せて
城を守るために使われるはずだったとか
すなわち、盛岡城から続く台地一帯が城郭だったらしいです。
ですが、現在の盛岡城の築城が始まったのは戦国末期の文禄年間
完成したのは寛永年間、この頃にはすでに城郭の役目は戦闘ではなく
庶民を威圧するための象徴としての役目しかなかったと思います。
以上のことから、盛岡城は戦国末期から江戸時代初期へかけての
典型的な平城ではないかと思います。
63 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 22:49:42
元新撰組隊士?奥田松五郎とは何者ですか。
64 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 11:25:02
65 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:30:18
>>64 南部氏上陸伝説とは?詳しく教えてください。
糠部に入る前の事なのかな?
>>65 南部家の家伝では、
南部初代光行は源頼朝の奥州藤原氏討伐に従い、その功として
糠部五郡を拝領し、建武二年(一一九一)十月、新領地糠部に赴く
べく家臣従僕合わせて七十三人、六艘に分乗して由比浜より発して、
十二月二十八日糠部郡八戸浦に到着したと伝えられている。
資料価値も無い伝説です。
67 :
65:2005/07/19(火) 20:54:26
>>66 なるほど、鎌倉(由比ヶ浜)から糠部へ海路ですか・・・、てっきり陸路とばかり思ってました。それで上陸伝説なんですね。
例え確証の無い伝説でも構いません、その伝説から始まる歴史ロマンが…イイ(・∀・)!!
余談だが、八戸浦=鮫が浦でつね。
68 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 01:09:16
まゆつば物でも面白い話だ。映画化決定
69 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 00:45:32
>>66 例えば10月末日に由比ヶ浜出航、12月末に鮫浦入港だとすると二ヵ月の航海と言うことになりますね。
天候や潮流によっても違いは有ると思いますが、当時の航海技術では実際何日位掛かったのでしょうか?博識者の意見求む。
陸路なら約二週間で着けると思いますが…海路のメリットは荷の運搬?
伝説とは言えロマン的ですね。
>>68 DVD化も検討してくれ
70 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 16:27:35
ゲームとかだと、伊達の上はすぐ南部だけど。実際は全然違うよな。
大崎・葛西が入ったりするけど、大崎・葛西と南部も地図で見るとかなり距離がある。
斯波とかがいたのは分かるけど。
岩手は面積だけで見ると広すぎだ。
それ以外にはどんな豪族がいて、南部、斯波、大崎・葛西とはどういう関係だったんだろう。
織豊期や江戸期になると、南部が本拠を盛岡に移転して、大崎・葛西旧領を得たを伊達と接するのは分かるが。
盛岡のあたりはもともと高水寺斯波氏の領域だったんだっけ?
三陸とか遠野のあたりは、どういうのが割拠してたんだろう。
71 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 19:20:27
福士氏…先祖は新羅三郎義光の四男。南部氏とともに下向した。のち南部氏から自立。
稗貫氏…伊達氏一族?(武蔵七党説が有力)稗貫郡総領職。戦国期の広忠は和賀氏の出。
和賀氏…源頼朝落胤?(武蔵七党説が有力)和賀郡主。
阿曽沼氏…安芸阿曽沼氏から分出。遠野保地頭職。
大槌氏…阿曽沼氏支族。
江刺氏…葛西氏支族。葛西七党の一として、江刺郡全域を支配する葛西一族の大身
柏山氏…葛西氏支族。葛西七党の一胆沢郡磐井郡を領し葛西氏家中屈指の大身
こんなところか?
72 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:14:12
八戸の方で南部恭秀さん南部興龍さんについて知ってる人います?南部一族の方でしょうか。
ちなみに私の中学のときの校長が南部直弘という方でした。
私は八戸の者です。
八戸南部本家の皆様方は東京にお住いです。
74 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 07:17:19
>>72 根城南部or八戸南部の一族の方でしょう。
75 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 01:14:47
スレの順を気にしている津軽衆がいるみたいだね。
今日の新幹線で盛岡へ帰ります。
今出てる週刊新潮に南部利昭さんのことがちょこっと載ってるね。
靖国の特集記事の中で。
77 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 11:46:20
>>8 あっ!波木井さんですね。
もっと南部波木井氏について教えてください、戦後時代武田信玄はアンチ日蓮宗ですが、波木井一族はその時代どのように生きてきたんですか?
79 :
76:2005/08/23(火) 11:16:37
>>75 というわけで買ってきた。
やっぱはじめは躊躇したそうだ(そりゃそうだな)
しかし学習院の同窓会に出席した際、両陛下から直接頼まれて決意に至った、
なるほどね。常陸宮と同級なのか。常陸宮妃とも親しかったりするのかな。
>>80南部町は、山梨と青森に有りますから、きちんと明記してくれないと混同します。
リンク先に有るのは、山梨南部町ですね。
>>72 今頃ですが、馬淵川沿いの南部氏庭園は元々恭○さんが
所有していました。
八戸南部一族の方です。
直○さんのお宅は恭○さんのお宅(敷地)のすぐ横ですね。
おそらく親戚でしょう。
ご当主は何をしてる人なんだろう?
84 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 12:26:58
>>83 どこの当主?
盛岡南部家現当主は、靖国神社宮司。
八戸や遠野(根城)は分かりません、このスレでも話題が無いみたい。知ってる方は追記願います。
85 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 05:07:37
遠野(根城)が大名なわけないだろ。
86 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 11:05:40
>>大名に関して少しは調べては如何?無知すぎるよ。。。
88 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 21:50:01
遠野南部の殿様は大名ですか。
盛岡南部の現当主はあくまで自分はピンチヒッターの立場と認識しています。
90 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 04:20:09
97じゃないけど、
大名とは、鎌倉・室町期には、石高に定期はなく、ある程度の所領が有り、領地守護で有ったり地頭で有ったりしました。
戦国期には、所領を持ち支配統治していれば大名と呼ばれ、一国を統治してれば国持ち大名と…
江戸期には、知行国高一万石以上の藩主及び武家。
徳川の直参旗下などでも知行一万石以上だと大名(格)江戸初期には300余名の大名が居ました。藩主は大名、他は大名格。
八戸南部14第信長は、室町幕府から但馬守を賜ってますし、八戸近隣を統治してましたので大名と呼べるのでは?
戦国期に於いても、八戸近隣及び下北の二万石の国持ちですから大名に値するのでは?
江戸期には、盛岡藩家臣でしたが当初八戸近隣や下北二万石を統治し独立政権でした。遠野移封後も一万二千石で独立統治でしたので、大名格です。
しかし後に遠野南部家は、独立統治から盛岡藩蔵米支給になりましたので大名格から外れました。
こんな感じかな?違ったらスマソ
福井になんで南部姓が多いんだろうと思って調べると
若狭武田氏に従った南部氏がいたんだな
安芸武田氏の家臣にも南部氏はいたようだし
全国に散らばる南部姓って元を辿れば皆新羅三郎なのか…?
異流の南部氏いない?
93 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 00:39:04
根城は大名じゃないな。
94 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 07:39:47
>>91に有るように、室町初期に但馬守に任命されてるが、大名じゃない武士に任命するか?
江戸初期は知行二万石統治だから大名格だよ。
独立大名のチャンスも有ったけど、、、残念ながら当主あぼーん。その後遠野移封で一万二千石を統治。
何れも江戸幕府の大名定義に合うが、、、?
うちの先祖は領地3000石(江戸期で)
程度だがやはり室町幕府から官位もらってたから
官位はあてにならんと思う
若狭にも南部一族が居たとは驚きました。誰の末裔かな?
謎多き南部氏ですねー。出事のはっきりしない三戸、師行公以来の根城、一門には違いないが二家それぞれが単独の家で両家とも勢力は有ったはずですし、それぞれの歴史が有ったと思います。
三戸の家臣になった根城が古文書を門外不出未公開にした理由は何でしょう?三戸にとって都合の悪い事が有るからでは?と考えるのが妥当でしょう。
近年根城(遠野)や中屋敷・新田等の古文書が公開され、小出しですが本家は根城で小田原参陣迄は根城が惣領だったとの研究が進んでます。
八戸や遠野には、歴史を覆す資料や文献が有ると言われる昨今です。近い将来には解明してほしいものです。
>>95 室町幕府から官位を賜る家が3000石?
戦国時代になんか有ったんじゃないの?
98 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:49:41
中世の街道や海道を見てみると、
海路は太平洋側は塩釜までしかありませんよね。
南部家や斯波家などは、朝廷や幕府に馬の献上を行ったとありますが、
どういったルートで献上したのでしょう?
まさか十三湊まで陸路で運び、日本海側の海路を通ったのでしょうか?
99 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 01:12:22
>>94 根城の所領は徳川幕府によって認められたものではありません。
>>98 元になった中世の地図や海図に載ってないだけだろ!
海路なら、京や鎌倉から出航し八戸や近隣に着いた伝説は多々有る。
仮に平泉迄街道が有ったとしよう、奥州藤原氏統治時代はどのようにして平泉以北を移動したのか?
街道が無いなんて地図に記載されてないだけ。
101 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 02:42:00
>>98 朝廷や幕府に馬の献上を行った際のルートは、
八戸〜十三湊まで船で送ってから、日本海の海路を使い献上してました。
この時代、太平洋側の海路はそれほど発達していなかったようです。
おそらく98さんが見た街道と海路の資料は全国地図のようなものでしょう。
そういった地図には、マイナーな街道や海路は載ってません。
平安時代の街道が発掘されていたはず岩手には。
103 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 04:28:02
南部なんて津軽氏や秋田氏からみれば
単なる侵略者じゃないですか。
痩せた土地しかないからといって、
津軽や出羽にまで来て、何やってんだかって感じですよ。
別に神秘的な一族なんかじゃないですよ。
105 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:44:02
>>103 この時代そんな事を言ってるような大名は単なる凡将ですよ。
幕府の権威も地に落ちて畿内では将軍の追放・暗殺なども
頻繁に行われていますし。
106 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 17:49:18
スレ違いの質問なんですが
青森県にも国民新党から今回の衆議院選挙に出馬する
候補者がいるんですよね。
地元の方々はどのように評価してますか?
ちなみに私は岐阜県民なんですが、もうグダグダです。
107 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:57:36
新渡戸稲造が一時養子に入ってた盛岡藩士の太田氏はどういう家系だったんですかね?
家格とか、由来とか、維新後の動向とか
新渡戸氏は下総の千葉氏につながるらしいですが、太田氏ってのはどうなんでしょう?
111 :
日本史@名無史さん:2005/09/28(水) 08:54:17
>>96 確かな記憶ではありませんが金沢放送の社長?南部姓でしたよ
また、国産拳銃南部十四年式の設計者 南部麒次郎(佐賀県出身)
という方などもいますね
112 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 11:10:50
浄法寺氏って武将知ってる人いる?
113 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 21:18:53
1205年 「畠山重忠」讒訴によって討たれる。一族誅せられるも幸い浄法寺に
一人生き延びる。後、浄法寺氏と名乗り、領す。
南北朝期、南部氏へ被官化。江戸時代に至る。
利直時、和賀氏責めの時無断で戦場を離れるの理由をもって、改易さる。
一族は離散。後に南部氏に名を替えて仕官する者あり。
太田氏・松岡氏・駒ヶ嶺氏等が流れといわれる。
114 :
mn:2005/09/28(水) 22:03:58
畠山重忠の城址跡行って来たがよかったな!俺家もあんな土塁仕様でいこう!
115 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 22:28:03
俺は浄法寺氏の子孫だが何か?
ちなみに、太田氏・松岡氏・駒ヶ嶺氏のほかに大森氏・寺田氏・田山氏っていうのもいる。
116 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 22:42:21
利直は難しい時期に南部氏の基礎を強固な物にした切れ者だとは思うけど
あんまし好きになれんな。
信直のほうが百倍も情が深い気がする。
117 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 22:51:13
>>115 いやーあの畠山重忠の子孫なら、どんなに威張っても許す。
118 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:15:53
>>117 畠山氏が好きな人って多いよね。
ちなみに浄法寺町いくとすっごい田舎なのに
うちと同じ苗字の人がいっぱいいる。
街中全て浄法寺氏の子孫ってノリだ(つまりは畠山氏の子孫)
中国には孔明の子孫だらけの村が山中にあるらしいけど同じようなもの。
119 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:25:21
畠山重忠一族を滅ぼしたのは北条時政だったっけか
120 :
日本@名無史さん:2005/09/29(木) 02:39:24
>>117 信直は情が深いってよりも
器用に立ち回って出世した政治家って印象が強いな。
ただ合戦は苦手みたいだから、中央の武将でいえば
性格が丸い石田光成って漢字じゃないか。
122 :
日本@名無史さん:2005/09/29(木) 20:44:32
ところで、晴政の墓所が何処かわからん、というのはホント?
>>121 たしか正月に帰っただけじゃないかな。
123 :
日本@名無史さん:2005/09/29(木) 21:06:10
>>122 南部藩にとって晴政とは家中分裂の原因を作った張本人なんで
晴政の墓なんて作らなかったんじゃなかったっけ。
改易の理由なんて何でも良かったんだろ。
124 :
日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:42:26
>>123 でもね。南部宗家だからそれは気の毒な話だなあと思うのさ。
信直にしてみれば命奪われそうになったから、気持ちはわからないでもないけど。
墓くらいと思うけどね。俺は。
125 :
日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:51:59
仮に晴政に息子が生まれず、
順調に領土拡張を進めていれば
伊達政宗に並ぶ、奥羽の名将になれたのにな。残念。
126 :
日本@名無史さん:2005/09/29(木) 23:11:16
津島氏って南部家の家臣だよね?
127 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 01:11:05
>>125 もしそうなっていたら
今の青森県全て・岩手県全て・秋田の鹿角や比内も
南部領になっていたかもしれんな。
128 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 17:08:15
>>115浄法寺氏といえば五千石の大身です。宗家は改易後どうなされたのじゃろ?
身供は大槌氏三千石の家老の係累です。身供の殿様は刺客を返り討ちにしたのち
自害、百年後に弟が百二十石で召抱えられました。外様つぶしの犠牲になりました。
129 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:02:47
>>126 まあそうだな。
対馬 とも書く
甲州より南部氏と共に下った。(らしい)
青森県で対馬さんといえば、「津軽の人だな」、となる。
130 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:42:27
>>130 ただ「対馬」という苗字は
全国的に見てそれほど珍しいわけでもないから、
南部地方にも結構いるよ。
131 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:51:30
>>128 ひょっとして南部守行(といわれる)を射殺した人の末裔ですか?
133 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:42:55
浄法寺氏ももっと市民権を得て欲しいな
134 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:51:15
南部20万石の実高は何万石ですか?
>>134 米本位だと7〜10くらい。
江戸後期の南部の産物は塩です。
136 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 04:17:40
当時の南部領内の農業は畑作中心でしたからね。
ちなみに畠の石高というのは、耕作面積が同じなら
水田(稲作)の3割程度の石高と評価されたそうですかね。
南部の水産は?
>>136 >>畑作中心
畑作は流通に乗らないから。
保存できる食べ物が米なんだよ。
140 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 11:36:41
>>140 この時代、庶民は米ではなく
麦・稗・粟といった物を主食としていました。
そしてこれらは畠で収穫されたのです。
141 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:13:17
>>137 水産は盛岡藩よりも八戸藩の方が
盛んだったらしい。
142 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 13:34:05
北家ってどうなったんだろ?
南部信直・利直に仕え、南部藩設立に
大きく貢献したと思ったけど、
江戸時代の盛岡藩ではあまり聞かないな。
北家の最後は養子であの南部信景ですから。
144 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 21:44:13
南氏、西氏は?
>>136 588: 2005/09/25 09:45:11
>>583 バカ発見。石高や検地などを一から勉強し直して書き込みましょう。
参考に教えてあげますけど、
後北条の検地の場合なんですが
一反(耕作面積の単位)あたりの田畠の石高は
田が500文、畠が165文(秋成100文・夏成65文)となっています。
そして当時の北東北地方は稲作よりも、
麦・稗・粟などの畑作が中心だったのを覚えておきましょう。
後の太閤検地もこれと同じような比率で石高を決めていたのです。
146 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 02:09:47
盛岡って不思議が色々ありますね。
僕が不思議だなって思うのは。
一、五百羅漢を作ったのは誰なのか。
ニ、十六羅漢にあったといわれる寺社は何故再建されなかったのか。
三、ムカデ姫の墓は何故南部の墓所だはないのか。
もっともっと不思議がありそうで面白い街です。
147 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 02:24:08
>>146 単なる教えて厨ですか?
>五百羅漢を作ったのは誰なのか。
1731年、報恩寺17世和尚が造立。四年後完成。
尊像は京都で九人の仏師が作成。
>ムカデ姫の墓は何故南部の墓所だはないのか。
江戸桜田藩邸で亡くなった、お武の方の遺言で光台寺に埋葬されました。
この程度なら不思議じゃない、興味あるなら自分で調べろ!
と釣られてしまいました・・・orz
148 :
兵部:2005/10/08(土) 19:56:08
>>128射殺したとは人聞きわるい。雑兵が兜首を思って仕留めたのが御大将だっ
たというのが事の真相です。南部側では病死と触れ和睦したが大槌の殿様は代々
猛者が多い。
149 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 20:04:19
>>141盛岡藩には前川善兵衛がいる。藩に七千両を工面するために身代を削り
ながらも、潰れに及んで江戸吉原を3日総上げした豪の者だ。
150 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 23:27:47
>>149 吉里吉里善兵衛.か・・・。
報恩寺五百羅漢建立の資金を集めたのも商人でしたな。
四、三ツ石神社の大岩
五、盛岡城跡の大岩
>>150 >四、三ツ石神社の大岩
五、盛岡城跡の大岩
南部氏に関係有るのか?
>>146と同一か?ググれば出てくるだろ。
>>150 >四、三ツ石神社の大岩
古から、その場に有った物と考えるのが妥当。
>五、盛岡城跡の大岩
築城事に、その場から切り出した。
昔、盛岡は盛岡御影石の産地、市内至る所に花崗岩の岩盤や岩石が有る。
147や151の言うように単純な事は自分で調べろ、それとも検索すら出来ない厨か?
153 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 00:59:29
>>四の石は何処からか持ち込んで並べた感じ。
>>五の石は築城前からあったそのまま。
154 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:02:31
>>146 五百羅漢建立の資金を調達したのはあの人。
155 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:14:27
大石なんて盛岡には至る所にゴロゴロ有るじゃん、珍しくも不思議でも無い。
石の話は面白くないよ終わり。
156 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:28:21
>>155 盛岡の人にとっては面白くないだろうけど。
157 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:31:01
六、石割桜
158 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:34:40
>>150 三ツ石神社の鬼の手形伝説。
テレビでお婆さんが、ワダスが子供の頃ははっきり見えでマスタとかいうんだよな。
159 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:37:39
漏れも石と南部氏は結び付かないと思う。スレ違いだよ。
五百羅漢とか盛岡の不思議など地域ネタなら、まちBBSでやってください。
160 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:49:50
>>159 あらま歴史好きとも思えない狭小な歴史観の持ち主だな。
161 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:59:06
私もスレ違いな話は嫌だな
162 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 02:01:42
これが所謂南部衆の気質って奴なのか?
163 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 06:13:15
城を造るなら地形的には今の県庁市庁舎あたりに造ればいいのに。
なんで低湿地に石垣積んでまでして城を造ったんだろう。
>>162 おもさげながんす。
これが南部三郎源光行公以来800年続く南部武士の気質・生き様でござんす。
>>162 >これが所謂南部衆の気質って奴なのか?
これが所謂、勤皇五世に見られるように根城(遠野)南部武士の気質。三戸(盛岡)南部とは一味違うかも・・・w
南部氏スレ1・2は他スレと違います。前スレ同様にスレ違いな話題は避けましょう。
166 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 01:40:36
/:: ヽ, l ,、 _ / /__| || |
/:: 、,ー、从|l/彡--- 、_ /. / ̄ ̄
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{ン二,,/ ´ ,,彡彡''" ..::: :::::/'"V'、'、,r/::::/ /::::;、 '"_,, 、-| い |
{ ゙ ,、-'' ,、 ' :::::;;;///'゙i::゙ニ、::'",r,'":::/:::: _,,, 、-| と .|
t`'''ー '''''´ ,、 '''´::::::::/ ゙''-=- ''´/:/:::::,、 ''´ `ヽ、|. わ |
>>162
変なAA張るのは津軽衆ですよね。
(・><・)←ところでこれ誰かの顔文字?
( ・)(・ )
>>169を二行にした場合
)V V(
(・><・)向鶴
携帯向け2行バージョン改(ちゃんと見れるかな?)
( ・)(・ )
)W V(
向鶴紋は、左の鶴がくちばしを開いてますのでWに変更。他に少し手直し。
>>170さん、勝手な事してスマソ
>>171 漏れは鏡板で見てたけど2行向鶴がズレてた。しかしc.2ch.netで見たら完璧だよ!
貴方は携帯ユーザーの神です
173 :
170:2005/10/12(水) 11:50:33
・が目で<が嘴なのか なるほど
>>171 記号やカタカナを強制的に半角表示する私家板やミラーだとズレるが、公式・domo2・imona等は完璧だ、GJ
姫さまのJ-WAVE復帰、嬉しゅうございます。
一戸の姫?
盛岡の姫君ですね。
姫の画像UPしてほしい
180 :
日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:08:28
くだらねえことばっかりレスするな。南部衆。
歴史板だぞここは。
>>180 南部衆なんて今時誰も使わない言葉だが、貴方は某スレ住人の津軽人ですね。
ここまで来て醜態曝さないでください。
183 :
182:2005/10/16(日) 12:46:52
あ、
>>24に察しろって書いてあったか・・・スマソ
不作続きの享保年間に五百羅漢を建立。
その資金は一体どこから捻出したのでしょうか。
>>185 川を天然の堀にっていうと九戸城なんかもそうですね
馬 淵 川 白
凸 鳥
猫 淵 川 川
確かに九戸城は天然の要塞だな、僅か五千の兵を攻め倦んだのも解る気がする。
そういえば甲州南部も
三方を川に挟まれてる地勢だ
船 山 川 富
凸 士
戸 栗 川 川
盛岡南部ほど領民に恨まれていた大名はいないとかさ色々言ったよ若い頃は。
その頃爺さんは俺に「おらだづが誉めねば誰が誉める。」とか言っていたけど。
東京に来てから南部家の史跡を見たりすると、南部家すごかったなと思うようになったし。
盛岡が一番いい。
190 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 12:58:55
根城南部家程、家臣や領民に慕われていた殿は他に居ない。
初代師行公が討たれて亡くなった知らせが根城に伝わった時は家臣や領民が泣いたと伝わってるし、遠野移封の時は家臣や領民が泣きながら見送り、一部の人々は市野沢(八戸市南郷)迄泣きながら見送ったといいます。
遠野移封後も領民に慕われた殿でした。
同じ南部家でも両極端に伝わってますね。
根城続きで・・・
馬 淵 川
西 大
凸
ヶ 平
沢 洋
少し離れて
新 井 田 川
1341年、南部政長の時代、足利の命を受けた相模・曽我師助と津軽・曽我貞光
に城を囲まれ籠城の後、敵を蹴散らし勝利。戦闘は一年ほど続いたが曽我氏滅亡。
籠城戦の後勝利した当時の根城南部の兵力は位か程だったのでしょう?
192 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 22:32:17
やっぱり盛岡 最高だ 中世の事が色々と隠されている。
1334年、師行公糠部入部以前の盛岡(三戸)は謎だらけだよな。
二度の火災により古文書焼失・・・真相は闇の中。
謎がある程 ロマンがある それでも外から見ると古文書は有るほうだ。
ーー真相は適当に判断しておくんだな。ーわしは南部の埋蔵金の方で早く死ねんです
ーーあれこれ10年も探している 150万両で すからな 金属探知器では釘しか
出てこないが 息子に金を残すより運動かねて適当に使った方 何故か得したようだ。
今日もその辺 歩くんべぃ
195 :
mn:2005/11/04(金) 19:45:53
盛岡での百姓は最高だ!
盛岡の百姓は今も昔も団結力が有る!
197 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 22:16:17
稗貫氏は百姓の為に良く頑張った そして滅びる
198 :
@常泣無史氏 :2005/11/04(金) 22:51:29
南部さんはとても幸せ者だ 何故か 女にもてたからなぁ
199 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 22:55:45
盛岡市の北はしには、もったいない緑地が
たくさんある
201 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 23:56:08
北側の方
202 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 03:51:21
北上川の近くだ
203 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 05:53:59
一M2当り 36815円
1000M2 あたり買いたい。
205 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 09:37:17
南部さんちって内親王や女王に見合う年齢の男子いる?
206 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 12:14:32
愛に年齢差は関係ないダロ。
名前も愛子だし。
208 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 04:10:08
南部のDNAでは 良いのは出来ないぞう。
そんなことない
そんなことなくなくないYeah
211 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 14:59:49
南部氏の妾の城だ
213 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 02:56:13
>>212 根城岱には、そのような伝説があるのですか?
と***言うことさ
ロマンはどこでもある。
J-WAVE朝日は偏見放送局でいいのか?
朝日w
お願いだから、誰か姫の画像うpしてください。
あげ
219 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:14:07
保守age
なんだか 皆さん力が有りませんね
主題は南部氏 忘れていませんか
稗貫御膳様でも呼んで皆で一杯やりましようね
美人が居ると話も弾みますよ
ヤレコラサ〜ヤレコラサア〜〜〜〜ホイホイイィ〜
競馬の重賞に名を冠する武家って
南部杯の南部氏と有馬記念の有馬氏くらいだな
マイルチャンピオンシップ南部杯
盛岡競馬場のダート1600メートルで開催される競馬の重賞競走。通称南部杯。
競走名は江戸時代に盛岡藩を治めていた南部氏に由来。
223 :
日本@名無しさん:2005/12/16(金) 22:09:14
明治期に北海道へ移住した人が多いな
224 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 01:03:09
225 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 12:32:21
>>223 北海道に居る南部さんは、この板の南部氏とは別な家系みたいです。
>>223 マジ?北海道だとどこら辺に固まってたりするかな?
227 :
日本@名無しさん:2005/12/20(火) 21:57:46
うちの先祖は盛岡北の下級武士出身だけど、明治初期に北海道へ移住したぜ!
っていっても岩手には畑を残しての土地拡大戦略作戦だったけど。
最初の移住地は(指定?)洞爺湖周辺だったようだ。札幌市内や小樽周辺はもちろん
薩長出身者の既得権益さ!
228 :
日本@名無しさん:2005/12/20(火) 22:03:03
盛岡の男は美男子が多い
栗駒辺りも美人が多いな(栗駒は伊達領か?)
津軽人と南部人の顔の特徴なんてある?
229 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 22:06:02
230 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 15:54:07
age
231 :
日本@ 泣無史さん:2005/12/22(木) 05:14:28
私の先祖は盛岡藩出身だが誰も美男子は居ないです。
元に 俺はある侍の末裔だが父も俺様もゲタを踏みつぶした様な顔である
だがそれが好いと言う女子はわんさと居るぜぃ〜
ゲタ ゲタ ゲタ〜〜
233 :
232:2005/12/22(木) 12:40:32
あ、これはちがうよ
男は顔<心でしょってことでね
ゲタを踏みつぶした様な心ってことじゃないのよ
234 :
日本@名無しさん:2005/12/22(木) 19:14:03
>>231じゃあ、あなたがたの前世が悪かったんだね(pu
235 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 12:15:36
昨日のJ・WAVEでピストン氏が南部アナのこと話していた。
236 :
日本@ 泣無史さん:2005/12/23(金) 21:48:37
と、、言うことは南部の男性は心が素晴らしいと言うことである。
顔ではなく内身だ、、それで美人の母が心を奪はれたのでしよう。
そして またゲタの様な子供が生まれたのさ それが私で有りますぞぅ〜〜
藩下では美男美女の産地としてよく太田男に雫石女という話を聞きますよ。
239 :
日本@名無しさん:2005/12/24(土) 16:25:36
>>237なるほど!今度雫石にでも・・っていうか盛岡周辺にでも住むかな?
でも一度都会生活を体験すると田舎というのは何かと住みづらいと思う。
普段からな〜んにもやることのない田舎者の話すことは他人の噂か悪口が主流
おまけにエッチのことしか頭にない。お下劣な田舎の仲間入りはそれなりに勇気がいるし
困った問題だよ!
240 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 16:33:06
松嶋菜々子も雫石?
神奈川県出身だろ
243 :
日本@名無しさん:2005/12/25(日) 16:32:49
>>242松嶋奈々子の顔は整形です(かなりの改造)。日韓NEBER(ネバー)というネットで整形前と後の写真が出ています。
内田由紀、倉木麻衣(朴麻衣)、深田きょうこ、あゆ、川原あゆこ、小西真奈美などなどみ〜んな整形です。
詳しくはネバーを見てくれ。
合成もあるぞ
245 :
日本@名無しさん:2005/12/25(日) 19:46:29
そんなことない。それはチョソ本人が美人に見せたいときだけだ
246 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 21:41:04
みなさん南部に詳しいですね。
みなさんは江戸時代の南部氏の統治についてどう思いますか。
領民から伊達藩に越境の直訴をされたり、その時伊達藩と約束した直訴者を殺さない
という約束を反故にして殺したり、
江戸城での津軽氏との席次争いに勝ちたくて自ら加増を願い出たり(名目加増されても
幕府への築城などの手伝いが増えるだけ)おかげで領民はさらなる重税で苦しむし
はっきり言って南部氏はバカ殿だと俺は思うのですが。
南部資料館なんてあいつらのために税金使うなんて反対ですね。
いまだに南部家臣の子孫は盛岡市内に土地を持ち、地元に住んでないあいつ等のために
多額のお金が外に流れている。
法人化して税金を減らそうとしてるしあいつ等は庶民の血を吸うヒルみたいな奴等だ。
>>245 逆です、チョンが同類を作りたいだけです。
朝鮮人自らチョソを使うこともあるので注意が必要w
>>246 アナタハニホンジン?キョウサンシュギ?
モンクヤクジョウハ、ケンチョウタントウブショヘ、ドゾー。
249 :
日本@ 泣無史さん:2005/12/28(水) 03:08:27
ココハ ニホンジン ダケノ スレデスカ?
ワタシハ ナンブノチヨウセンジンデモ ダメデスカ?
盛岡は冷麺を名物とおりますが、日本史板にはふさわしくない。
ラーメンも餃子も語れなくなるぞ?
252 :
日本@名無しさん:2005/12/28(水) 13:39:42
盛岡冷麺の名を語り不衛生なチョソ製造製品を送り出している○○冷麺
チョソ店主はよく一度客へ出したあまり物や付け垂れを再利用するので
注意が必要だ。それと韓国輸入した犬肉に注意せよ。知らずのうちに食わされているはずだ。
p?
254 :
日本@ 泣無史さん:2005/12/28(水) 20:18:56
ソンナ コトアリマセン イママデハ ネコニクシカ ツカッテマセン
ライネンハ イヌニクニスルツモリデス ヨク サッキン
シテマス アジハ ホンバトオナジデス チョンテン
255 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:33:48
>>248 全文をカタカナで書いて読みにくくしているところがセコイですね。
あなたは南部の家臣の子孫ですか?
>>255 そんな貴方は?家臣末裔じゃないとレス出来ないの?
∧ ∧
⊂二二(・∀・)二⊃ ナンブーン
| /
( ヽノ
ノ>ノ
三 レレ
258 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 23:17:28
>>256 どうしてそういう質問になるかな。
俺の厳しい質問の趣旨をはぐらかすので南部の家臣の子孫かきいたのだよ。
259 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 05:07:42
>>246 今の南部家の御当主は江戸時代の後陽成天皇の父系での子孫。
実は現在の皇室とはかなり近い隠し皇族でもある。
260 :
日本@ 泣無史さん:2005/12/30(金) 05:48:29
北海道に行くと南部の家臣の末裔がゴロゴロいるぜ。
261 :
日本@名無しさん:2005/12/30(金) 16:11:37
262 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 20:18:46
北海道には今だに知られていない古文書,系図など埋まれている。
南部、盛岡藩、等の謎が有りますぞぅ〜〜〜〜
263 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 23:05:36
>>259 俺の質問と何ら関係無い。皇族を言えば厳しい質問を控えると思っているのか。
264 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 01:55:05
マジ お任せいたします。
265 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 04:00:10
質問があまりにも高尚すぎて控えさせていただきます。
もう少し程度の低い質問にして く だ さ い
266 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 00:21:54
やあ〜〜〜〜みなさんおめでとう今年もよろしく。
南部の殿様が通ります 頭が高いですね もう少し下げください。
殿から皆さんによろしくとの事です。
267 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 04:20:17
>>266
控えぃ〜〜〜〜〜〜、控えぃ〜〜〜〜〜〜〜、
268 :
日本@名無しさん:2006/01/03(火) 15:23:08
長州(毛利家)の犯罪行為。
・京の都を火の海にすべく、池田屋に身を潜め放火計画を企んだ。
・自分たちに都合の悪い孝明天皇を毒殺し、その事実を隠蔽した。
・天皇を操り人形にするため、長州の足軽大室を明治天皇として摩り替えた。
・武力倒幕に反対する坂本と中岡を、薩長同盟仲介の恩義も忘れ暗殺した。
・坂本暗殺の罪を、陰謀によって見廻り組に押し付けた。
・逆賊岩倉と結託して錦旗を偽造し、諸藩を騙し徳川と会津を朝敵とした。
・恭順を唱える会津藩を、逆恨みを晴らし武器を捌く目的から攻撃した。
・長州人世羅が東北で暴虐の限りを尽くした挙げ句、奥州皆敵の声明を発表した。
・東北戦争では女子供老人百姓を問わず、虐殺、略奪、放火、強姦の限りを尽した。
・ゲリラ的に廃藩置県を断行し、諸藩の権益を独占した。
・秩禄処分によって武士の生活の糧を奪い、廃刀令により武士の誇りを奪った。
・廃仏毀釈を断行し、仏閣や仏教文化を徹底的に破壊し尽した。
・幕藩体制の面影を残す文化的価値の高い城跡を、徹底的に破壊した。
・西郷を罠にはめて下野させ、挑発して反乱を起こさせ、虐殺した。
・薩摩閥を駆逐するため、刺客を差し向けて大久保を暗殺した。
・ペドロリの伊藤が、権力をタテにして数多くの女性を強姦した。
・白河以北一山百文発言により、東北地方を侮辱した。
・豊かな東北地方から資源を収奪し、東北地方を地獄へと変えた。
・同郷意識から朝鮮を併合し、そこに東北から収奪した富を注ぎこんだ。
・民主化を唱える板垣に刺客を差し向け、その暗殺を試みた。
269 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 01:37:04
南部氏って鎌倉滅亡時北条についたんだよな。北条一族とか匿ってなかったの?
匿ってたというより根城が時勢に捉われず法華経一途だから
根城と距離を置くことで南部の家名を守ろうって魂胆だったんじゃない?
271 :
日本@名無しさん:2006/01/04(水) 19:59:31
日蓮宗は馬の骨の集まりだからな〜
日蓮を信仰しているということは武門にあらず!判断誤り没落するのみ。
武家なら真宗か、浄土宗に限る(曹洞宗、臨済宗これらは禅であって阿弥陀に対しての徳にはならない)
天台宗、真言宗は日蓮宗と同様で憑く物が多い教義だ!(TVのエグラみたい→うさんくさい)
>>270 >根城が時勢に捉われず法華経一途だから
はて?根城南部家は一途では無いが・・・、寧ろ関わりが薄いぞ。
273 :
日本@名無しさん:2006/01/05(木) 06:39:01
根城南部がまだ山梨にいたとき日蓮商人(笑)は身延に入山していない。
と、いうことはあとから信仰を変えたということか?
日蓮に帰依した南部殿は適切な宗派選びを誤った。したがって三戸の南部氏が発展したことは
現世の必然なる出来事だったに違いない。
274 :
日本@名無しさん:2006/01/05(木) 06:52:29
日蓮は功徳として、「病即消滅」を唱え弟子達に湯治をすすめられて旅立ったが
日蓮自身が、題目を唱える生活の中で、罹患し、悪化させ、病死しました。
題目の功徳は、完全に、無効です。日蓮系宗教には真実はない。
「集団幻想」しか残っていないのです。
日蓮の殺人教唆
不殺生戒と申すは、是の如き重戒なれども、「法華経の敵になれば、
此れを害するは第一の功徳と説き給う」也。(秋元御書)
日本を戦火に焼いたのは日蓮思想だった!
第二次世界大戦と日蓮主義運動について 日本文化研究の第一人者による書評
http://ime.nu/www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0378.html ・日蓮さえいなければ層化は無くあなた方の苦しみは無かった。
・日蓮仏法のせいで石原と井上が政府の体質を変え太平洋戦争を起こした。
・日蓮がいなければ正宗と層化の醜い争いは起こらなかった。
275 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 13:57:58
>>273-274 根城南部家は、日蓮宗とは無関薄。
家紋にも九曜(妙見信仰)がデザインされてます。八戸に有る根城南部家菩提寺・大慈寺は曹洞宗。
遠野移封後には、阿弥陀如来を建立したりしてます(遠野市重要文化財)
南部一宮櫛引八幡宮建立、移封後も祭事の度に遠野から足を運んでます(現在も遠野と櫛引八幡宮は密接な関係)
根城南部初代・南部師行が八戸に来た1334年には、既に身延で日蓮は亡くなってた(1282年)
間違いを正論らしく書くのはイクナイ。
宗教ネタなら他板へドゾー。
波木井公(南部氏)と日蓮に関して詳しい方々も居るみたいでつ(前スレ後半にレスしてました)
>>275 確かに根城南部家と日蓮宗の結びつきは、全く無関係とは言わないが薄い。
波木井南部家と日蓮の関係を考えると、根城南部家は稀薄すぎると思う。
師行公以来、南朝に属してた事が関係するのかな?それとも単に信心深く無かっただけ?
根城南部家が日蓮宗と全くの無縁とは言わないが、日蓮宗に結び付く物は、光明点御題目の幟だけかな?
戦の際、陣に立てる「南無妙法蓮華教」と書かれた幟が現存してる。
日蓮死後に波木井南部公が波木井の八幡宮を詣でた事から、日蓮宗と日蓮正宗が
分裂に至った事を考えると、波木井南部家の存在が大きいな。
277 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 02:40:47
特大で有りますぞぅ〜〜
日蓮宗中興の祖
漏れも南部はバカ殿だと思うぞ。
280 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 08:06:33
創価学会を生み出す遠因を作ったのか
281 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 19:19:18
と、、、、、思います。
草加が独立したのは現代だから、波木井南部とは無縁だし、600年前のじけんだから遠因とも言えないだろ。
283 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 23:06:05
葬可学科遺は遺毛駄南部公とは母方の神社でもある
今から四百八十七年まえであるが明治にはとり壊しとなった。
変換は正しく
285 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 08:42:20
ソレハ ホントノ オハナシ デス ワタシノウチニ キロクガアルマス
キンチヨン
また捏造か、同胞認定いくない
それって新羅神社の事じゃないだろうな
288 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 19:38:29
ソウカモシレマセン コブンシヨノ ジガヨクミエマセンノデ アテジニシマシタ
ホカニモ イロイロ アリ マ ス キンチヨン
289 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 19:49:54
私の家には 南部公以前の大様美乱殿大和守が建造した旧新罹神社の
古文書があります 多分その事でしよう。
>>282 日蓮宗から日蓮正宗が分派独立した事に波木井南部氏は直接的に係わっている。
291 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 21:33:36
枯遺済南部公では有りませんか。または孤伊豆味南部氏ですか?
293 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 12:03:40
南部の凄いところって奥羽山脈を越えてまで攻め込む
パワーというかアホさ加減だと思う。
全て最終的に領地は失ってるところもすごい。
加賀美遠光は清光の実子ではなく女婿説てのがあるね
>>294 調べてみたが見つかんな・・・
詳細は?
296 :
日本@名無しさん:2006/01/17(火) 20:37:10
アテルイとモレ
297 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 21:39:25
そんなにバカ殿の議論が楽しいですか。
こんな先見性の無い一族について議論していると脳みそ腐りますよ。
298 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 03:05:57
なんのその南部二十万石も屁の河童 貧農
300 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 20:25:23
岩手には何故そんなにバカ殿ばかり多いなのだろうか?
もう少し物事を真剣に考えられないでしようか?
南部公岩瀬守
301 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 20:07:32
この様バカ殿ばかりで誰も言う事が出来ないのですか?
しかたがありません それではバカ殿同士でやって下さい。
と、、、、言う事は岩手にはバカの集団の様ですね。
責任はやはり岩瀬守に有る様です。 南部いわせ神社
バカ殿の名を挙げよ。
いわせ神社って何?聞いた事無いぞ。
>>302 一揆誘発数全国ダントツの藩主にバカ殿がいなかったとでも?
反省なく未だにマンセーされてるとこがまさにバカ。
305 :
日本@名無史さん:2006/01/24(火) 06:02:44
殿の名を表に出す様なバカではない。
いわせ神社のいわせの神知らないのですか?、、、、、不思議、、、
、、聞いた事無い?、、、だから言ったでしよう、言わせて上げた事で、、
それが言わせの神でありますぞぅ〜〜 いわせ神社
306 :
日本@名無史さん:2006/01/24(火) 09:14:59
>>305 漏れも分からない。誰も知らない。妄想なら止めては?
>>306 他スレから、南部に敵意を持つ香具師が紛れ込んでる。
アホなレスはスルーしなさい。
308 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 21:25:15
時に南部の殿様達は上の力もさるもの下の力は郡をぬいて居たとの事
30〜40人の子供を生ましてたの事は本当ですか?
309 :
日本@名無史さん :2006/01/28(土) 00:05:13
310 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 00:41:03
南部信直ー 2人 これはあくまでも表です。裏は?
利直ー10人
重信ー24人
行信ー30人
信恩ー 5人
利幹ー 5人
利視ー19人
利雄ー 3人
利正ー 6人
利敬ーーーー
利用ー 1人
利済ー18人
利義ー10人
利剛ー25人
利恭− 4人
ー
>>309 殿様に連なる家系に、らしいとはこれ如何に。
312 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 08:07:45
底力と言うのはこの事でござる。
313 :
向かい鶴九曜星 ◆C22a/ltWuc :2006/01/28(土) 09:50:30
>>311 309言葉尻とられて悔しいのう
我が家の昔からのお墓に証拠があること(お寺にも)
明治維新前後のドタバタに嫌になって東京から下った
314 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 11:46:21
>>309 証拠があると言いながら、らしいとはこれ如何に。
315 :
向かい鶴九曜星 ◆C22a/ltWuc :2006/01/28(土) 12:07:11
314
家系を誇っても今更空しいだけだが、
代々折角頂いた南部姓、汚さぬよう言われましたな。
しかし全国で3千軒だか3万軒あるらしいですなぁ
本家は、鷹揚と構えてるもの分家などのほうが威張ってるのが世の常
かんべんしてくださいな
「証拠が、証拠が、」と
あんたは田舎警察か?隠居のボケ老人?
と釣られてみる
316 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 13:15:55
317 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 20:51:19
南部の末裔は幾らでもいまっせ、
側女か妾からの末裔か知りませんが別名で代をつずけてます。
証拠?紋が有ります、それと岩手から屯田兵で出てきてます。
室蘭ですが、まだあちこちにもいるでしよう。心配しないでください。
318 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 20:59:30
何か複雑化してますね。 いわせ神社の方を呼びましようか?
いわせ神社・・・不要でがんす。
320 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 21:44:51
でも凄いなぁ〜南部の殿様は昼も良く働いたかもしれないが
夜は寝ないで人様の何倍も働いたのでしよう。
その為 岩手の人達の精力的なのは、この辺から来るのでしよう?
321 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 20:29:53
巨大キユウリ、、南部の殿様と関係が有りそうです。
須賀川市に有る岩瀬神社毎年キユウリ祭りをする。、、、、
何を祀るのだろうか?、、毎年大きく成っていく、?
聞いてみたが解らない、そこでお婆さんに内緒で聞いた、、ニコニコして
あれはねぇ〜〜良い丈夫な子供が出来る願いの為だそう。
どうしてキユウリ?,、杵も太く大きいのが良いとのこと嬉しい顔、
322 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 03:59:59
キユウリの中にはたくさんのお種が入ってますね。
323 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 07:50:08
その為南部家の存在は段々大きくなり、
キユウリ共に太って行くのである。
324 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 20:36:11
南部殿何か言って下され、、侮辱されていますぞ、、
ほっとけ こわぱの話である、、、、弓姫、良姫、ちこう寄れ〜、、、
325 :
日本@名無史さん:2006/02/03(金) 20:41:46
326 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 01:57:00
某商人「有望な鉱山が見つかりました。利益が出れば藩に献上しますので資金の援助を
お願いします。」
南部の殿様「資金は出さない」
某商人「藩から金は出なかったが、鉱山開発も軌道にのりかなりの利益が出たぞ。」
南部の殿様「利益が出たのか。鉱山を藩直轄とする。某商人から召し上げよ。」
南部に正義無し。
327 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 02:28:44
じゃあ、北部に正義あり!
>>326 商人の美味しい仕事をとりあげるか金を借りるか各藩によってスタイルが違いますね。
南部家は日本でも古い家系ですが。なにか南部家由来の、お宝はありますか。
329 :
日本@名無史さん:2006/02/04(土) 05:40:58
南部家には素晴らしい、お宝があります。
、、、言って良いでしようか、あまりにも素晴らしく言いずらいです。
何、、殿言って良いですて、、かまわん言え、
あのことです あれは大きな金の玉です。
あっぱれ良く本当の事をもうしたぞ。
330 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 20:10:30
金山があったが貧乏だった南部家、、、謝金も多く残せなかった。
>>330 金が大量に産出していたのは江戸初期までですから。
>326
南部は本当にくずだなぁ。
俺が南部の子孫なら、恥ずかしくてそうだといえないよ。
前スレでも南部の女と結婚した男(南部の血を引くくず女を姫と呼ぶアフォ)
が出てきていたけど、俺が叩いたらすぐ出なくなったな。
先祖の因業が祟って障害者の子供でも生まれればいいのに。
>>328 盛岡南部家由来の、宝と呼べる物は無いかも。
水戸家から腰入れした姫が持参した笛が有ったな。
盛岡南部家は、三戸時代に二度火災に遇い殆どが消失してます。その為古い系図等も有りません。
根城南部家(遠野)由来の宝なら、櫛引八幡宮に奉納されてる赤糸縅大鎧や白糸縅大鎧が国宝指定。
北畠顕家より拝領の錦の御旗など、南北朝期の物が現存してます。
>>327 その北部ってどこのことだろう。
甲斐の下山以南を南部と呼んだそうだから
北部ってのは鰍沢だよな? な?な?
盛岡南部のお宝は沼宮内の人が買ったのだよ。
今も持っているかどうかは知らないが。
336 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 21:35:21
首都圏に住む大名と家来の子孫は親睦会のような集まりがあるらしいけど、南部には無いと聞きました。
理由は南部の子孫である事が恥ずかしいかららしい。
338 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 03:14:07
岩瀬神社の関係ですか?
339 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 04:54:42
南部キユウリ〜 いりませんか〜 南部キユウリ〜
340 :
日本@名無史さん:2006/02/16(木) 20:17:30
我が家の家紋は三目葵 南部と関係があるかな・?
南部で名乗ってませんが・・・・・・・?
341 :
日本@名無史さん:2006/02/17(金) 20:51:50
南部の落し子であろう、>309の方と同類でしよう。?
342 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 05:18:25
江戸時代の南部旅行記を読んでいたら「黄精飴」という
飲み物の記述がありました。
検索してみたところ現在の「黄精飴」は飲み物ではないようです。
飲み物としての「黄精飴」は南部地方に今でもありますか?
2月22日、竹島の日
『嫌韓流2』ついに発売!
45万部のベストセラー『嫌韓流』をまだ読んでないやつは、今のうちに買って読んでおこう
盛岡は朝鮮料理を名物と売り出しているくらいだから嫌韓の人は少ないんじゃないかな。
345 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 05:42:55
その昔 盛岡は朝鮮と流通が有ったのだろうか?
>>344 名前は朝鮮と同じ冷麺だが、麺の素材や味付けは全く違う物なんだよな。朝鮮出身者が、アレンジして日本人に合う味に改良した盛岡冷麺。
しかし、地元でも好んで食べる人は少ないんじゃないの、俺は大嫌い。
アレっていつから名物と言われてるんだ?単なる製麺屋の唄い文句?
冷麺ネタは、近代史ですから、この辺で・・・
江戸期から続く黄精飴なら神明町に有るけど、飲み物は初耳。黄精飴の原料を水に溶いた物なんだろうか?
348 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 13:39:00
>>340 三目葵紋とはどんな家紋?調べたが見つからないよ。画像UP願う。
349 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 21:56:33
すまん 良く見ると下の部分が微かに見える,四目葵です
御迷惑かけました。
三目葵?・三つ目葵?・四目葵?・四つ目葵?・・・何れにせよ、江戸幕府は葵紋(葵系全般)の使用を親藩や親族以外には禁止してる。
って事は、徳川の血筋?ならば、それなりの言い伝えや伝来の品々が有ると思われる。
家系が判らず、葵紋を使ってるって事は、農民が明治以降に新たに決めた可能性大。
南部氏とは無縁でつ。
351 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 03:24:27
その紋を知人に見てもらったら確かに葵で武田葵と言う、外に二つの紋がある、
それも聞いてみましたら 一つは下がり藤 もう一つは六角三目葵とのこと、
352 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 08:20:10
武田葵…
353 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 08:48:52
355 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 21:21:16
>353ありがとう 聞いてみます、
356 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 22:34:21
ところで藩士に明治維新後に苗字を改めた人がいます、改姓と言ってます。また復姓とも
あり何を元にしたのでしようか?士族明細帳に記載してるが その当時 鑑定所など通して
改姓した事でしょうが 勝手に名前の変更が出来たのでしようか・?
復姓、、、その辺のところを教えてください。
357 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 23:11:39
南部将軍家
358 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 00:05:59
南部王
改姓・復姓は殿様に貰った姓を返上して、元の姓に戻したという事じゃあるまいか。
江戸古地図等をみると島津氏等の有力大名の名表記は松平になっている。
360 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 00:18:55
搾取がひどい南部。
他藩との約束を破る南部。
領民が苦労して作った金山を取り上げる南部。
361 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 13:08:24
360 :日本@名無史さん :2006/03/08(水) 00:18:55
搾取がひどい南部。
他藩との約束を破る南部。
領民が苦労して作った金山を取り上げる南部。
362 :
日本@名無しさん:2006/03/08(水) 16:03:25
盛岡藩の武家比率は何パーセントぐらいだ?
全国平均は8パーセントのようだが。武士は貴重種。
>>362 >>全国平均は8パーセントのようだが
全国平均に意味があるのかわからない。
そんな調査をしたことないし。
364 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 02:14:25
南部独立戦争
小坊の頃、同級生で威張っている子がいた。
「おまえらな昔だったら俺の家来だ。」と言って威張っていた。
今度のクラスには威張っている子がいるよと母に話したら、
次の日から威張っていた子が私には話もしなくなった。
367 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 03:50:47
南部は阿曽沼一族に謝罪しろ!
369 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 06:58:35
日蓮宗を国教にしていない謗法の徒たる奥州南部氏自体、ニセ南部。
370 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 07:00:28
南部は会津藩避難民虐待に謝罪しろ!
369 :日本@名無史さん :2006/03/26(日) 06:58:35
日蓮宗を国教にしていない謗法の徒たる奥州南部氏自体、ニセ南部。
370 :日本@名無史さん :2006/03/26(日) 07:00:28
南部は会津藩避難民虐待に謝罪しろ!
自演かよ
どこが自演になっているのか説明して。
373 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 18:30:40
南部は蠣崎一族に謝罪しろ!
374 :
日本@名無史さん:2006/03/27(月) 18:32:37
南部は日蓮上人に謝罪しろ!
殺伐とした流れなんで
聖牛置いときますね
l|/
,/|
,l//´ /|
,l///l´ / |
,//l / l / |
/ / l 「ニニニ二二二]
373 :日本@名無史さん :2006/03/27(月) 18:30:40
南部は蠣崎一族に謝罪しろ!
374 :日本@名無史さん :2006/03/27(月) 18:32:37
南部は日蓮上人に謝罪しろ!
377 :
日本@名無史さん:2006/04/05(水) 00:54:17
八戸、東北太平洋岸の港湾都市はいつ港湾として開発されたの?
379 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:22:57
江戸時代から前のこと訊いてんじゃない?
380 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 01:47:08
>>377 北上川の舟運を、藤原氏が使っていた可能性は高いので、
北上川河口から、十三湊までを繋ぐ港湾はあったはず
太平洋を南下して繋いでいく港湾や航路も、案外早くからあったのでは?とも最近は言われてますが
太平洋側海運では流通物資もない。
382 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 13:42:57
南下する海流で妨害され塩釜から北の三陸海岸は動力ナシでは航海できない。
383 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 13:44:28
中世の航海技術では三陸沿岸を南下はできても北上は無理であったはず。
384 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 13:47:58
伊達政宗がスペイン・メキシコとの国交を仮に樹立していたとしても、
当時の航海技術での良い条件の貿易港が三陸には無かったので振るわなかったはず。
385 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 13:53:59
>>380 十三湊のある津軽地方は、出羽国でなく陸奥国所管になっている。
北上川河口から十三湊の間は、陸路で結ばれていたということではないのか。
太平洋航路が出来たのは江戸以降です。
江戸期以前の回路に関する資料が無いだけで、回路が無かったとは考えられない。
最近では、有って当然と考える傾向です。
長慶天皇下向の際には、回路にて普代村の大田名部迄来てます。
当時の航海技術では海岸沿いにしか航行しないので、海流の影響も少なく塩釜以北への北上も可能です。
388 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 22:07:25
長慶天皇下向など史実ではない
長慶天皇の奥州下向に関しては事実だと思う。
否定する歴史的文書がないし、晩年の記録が南部にしか残ってない。
名久井岳に今も眠ってる。
なにゃとやらよ、なにゃとなされの、なあにゃとやら・・・・
長慶天皇を偲ぶ梵字の歌と言い伝えも有る。
>>387 長慶天皇は日本海航路で下向したわけだが。
393 :
日本@名無史さん:2006/04/22(土) 22:54:36
長慶「天皇」自体、実在が明らかでないのに、奥州下向など伝説の域を出ないはず?
長慶天皇在位に関しては、宮内庁でも認めてる訳だが…。
長慶天皇に関わらず、伝説や伝承にも史実が隠されてるかも?
きちんとした文献が残ってる事柄だけが歴史じゃないよ、少ない文献や伝承を元に紐解くのが歴史じゃないかな?
395 :
日本@名無史さん:2006/04/24(月) 17:44:47
北部王家もウソ?
北部王家当主暗殺した蠣崎区蔵人と松前藩の始祖武田信広は同一人物?
>>395 北部王家に関しては資料が少なすぎるね、真相はどうなんだろう?詳しい人居ますか?
蠣崎蔵人と松前藩の始祖武田信広は自称同一人物って事になってるが、蠣崎氏自体が武田一族ってのも疑問が有ります。
397 :
日本@名無しさん@お腹いっぱい:2006/04/25(火) 14:09:10
蛎崎って何処から沸いてでてきたんだ。
統治資金の出どころは?
398 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:33:25
蠣崎氏というのは、津軽安東氏の家臣で、武田信広が蠣崎氏を乗っ取り、その名跡を継いだ、というのも違うの?
でも、秀吉朱印状までは津軽安東改め秋田氏の家臣。
399 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:35:30
蠣崎蔵人と松前藩の始祖武田信広は同一人物ならば、蠣崎氏を乗っ取ったのは、宇曽利にて、ということになるが?
400 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 21:30:12
他藩との約束を破って領民を殺す南部を話題にしてると身が穢れます、腐敗します。
>>400 うーむ、幸い俺は今のところ無事だな。風呂にも入ってきたし、
見たところ腐ったところはないようだし...
402 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 08:43:29
>>400 和賀一揆以来、常に南部領侵略を目論んできた伊達の工作員は見せしめに処断して当然です。
伊達に亡命したら実質工作員です。
403 :
日本@名無史さん:2006/04/28(金) 03:16:13
陸奥国は得宗領になって鎌倉時代は工藤氏など北条氏被官が代官として支配していたはず。
南部氏が糠部に居たというのは捏造で、鎌倉幕府滅亡に乗じて、北畠顕家について糠部を押領したというのが本当だと思う。
404 :
日本@名無史さん:2006/04/28(金) 03:16:38
ALL
南部家が主題となっている小説で唯一直木賞を受賞した歴史小説知っている?
405 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 06:08:56
斉藤実、後藤新平は水沢なのに、南部出身と混同されている。
406 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 06:45:16
>>405 さすがに盛岡先人記念館には入っていないな。
407 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 06:51:41
水沢の鉄瓶も、南部鉄瓶と混同されている。
408 :
& ◆XPSP1smdHA :2006/05/01(月) 06:52:17
410 :
日本@名無史さん:2006/05/02(火) 16:09:02
工藤氏の子孫です。南北朝期に南部に敗けてからは福士氏に抑えられて
いた筈なんですが、家紋に三つ柏もあって、どうも葛西氏とも通じていたようです。
411 :
日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:33:05
遠野は「郡」?
413 :
日本@名無史さん:2006/05/09(火) 00:49:36
>>246 遅レスだが俺も同感だ。
なんでこんな糞南部なんか好きな人がいるんだろう。
南部の一族郎党かな。
津軽の殿様狙った相馬大作みたいなキチガイを持ち上げるし、津軽を責めるなら
南部が和賀や閉伊を「元々、自分の領土です」とほらを吹いて
手に入れたのと、どこが違うね。
413 :日本@名無史さん :2006/05/09(火) 00:49:36
>>246 遅レスだが俺も同感だ。
なんでこんな糞南部なんか好きな人がいるんだろう。
南部の一族郎党かな。
津軽の殿様狙った相馬大作みたいなキチガイを持ち上げるし、津軽を責めるなら
南部が和賀や閉伊を「元々、自分の領土です」とほらを吹いて
手に入れたのと、どこが違うね。
>>413の母です。
うちの息子は小さいときにいじめられ引きこもりになりました。
大人になってから、よく犯罪を起こしてしまいました。
なので、
>>413を叩きまくってください。
416 :
日本@名無史さん:2006/05/09(火) 06:52:26
相馬大作を持ち上げたのは江戸市中の庶民だよ。
>>413 はじめに断っておくが、叩きでは無い。
>南部の一族郎党かな。
父方は南部一戸氏の末裔、母方は下斗米氏の末裔の私ですが何か?
>津軽の殿様狙った相馬大作みたいなキチガイを持ち上げるし、津軽を責めるなら
南部が和賀や閉伊を「元々、自分の領土です」とほらを吹いて
手に入れたのと、どこが違うね。
正しい歴史を勉強してください。
418 :
日本@名無史さん:2006/05/09(火) 14:45:48
>>417 人の間違いを指摘するなら、ちゃんとどこがどう間違いで真実はこうだと指摘すべき。
「お前は間違っているが、どう間違っているかは自分で調べろ」
というのは、逃げてるのと同じですよ。
スレ違いなくだらねぇ嫌味書くためにageるかね?無知さを指摘されての自演に見えるのだが…
自演で無ければ、
>>418が正しい歴史を教えれば済むのでは?
>>413は、相馬大作とか津軽責めとか秀吉が「津軽の代替地」とした地域に難癖付けるなんて、某スレに巣食う方でしょう?
>>417は何処住?漏れも下斗米氏の末裔だよ。
420 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 00:59:37
421 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 18:55:51
422 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 19:13:00
津軽も南部も物産が豊かであるにも関わらず、
殿様はトンでもない政策を行い領民から大勢の餓死者を出した悪逆非道者だよ。
上杉鷹山のような殿様は珍しかった。米沢のように武士の帰農は、早くからきちんとした形でおこなうべきであった。
>8代藩主信明(のぶはる)は凶作で荒廃した田畑の復旧を、藩士の帰農土着策で切り抜けようと試みた。
9代藩主寧親(やすちか)は前代の政策を継承。知行200石以下の藩士の土着を勧め、土着藩士と農民の縁組も許可し、
土着のまま藩士は勤番する兵農一致策を布告。だが荒地の開墾を行わず年貢の先納を申し付ける土着藩士や、
農村に奢侈な風俗をもたらすなど弊害が目立ち、寛政10年(1798)、藩は土着藩士に城下・弘前へ引き揚げることを命じた。
武士の帰農土着という、江戸時代の兵農分離の原則 =武士の城下集住策に反する奇策は失敗に終わった。
423 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 19:21:57
424 :
日本@名無史さん:2006/05/10(水) 19:23:25
「郡」[名、境]というものは、変遷が烈しい。
>>422 岩手・青森は、本州最北端。
近代以前の稲作技術では、冷夏のさいに安定した収穫を確保出来なかった。
そのことを勘案しないで、単に一揆のかずなどで、安易に藩政を
批判するのはどうかと思うぞ。
426 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 00:36:17
>>423 閉伊や遠野のどこが本領だ。
上閉伊は大槌氏、遠野は阿曽沼氏の領土だったじゃないか。
大槌氏当主の大槌孫八郎を他家預かりにしてから暗殺した、薄汚い南部のやり方。
>>425 産業殖産も奨励できず、いたずらに米作にこだわったのは褒められたもんじゃないだろ。
しかも自分から石高アップの申請をするのは非常識すぎ。
まぁ419や417は先祖が絞る立場でちゃんと食べられただろうから、
領民の苦しみなどどうでもいいのだろうし、耳の痛いことを書かれるのが辛いのだろう。
427 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 03:05:31
>>417 >父方は南部一戸氏の末裔、母方は下斗米氏の末裔の私ですが何か?
先祖の業を背負うんだな。
428 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 06:24:39
429 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 06:41:54
430 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 06:43:55
伊達領住民という意味で「伊達衆」という言い方も、わずかながら残っているんですね。
431 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 08:23:12
残ってない
ほとんど、血が混ざった
432 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 16:48:36
藩境地帯の北上市が工業団地だから?釜石が製鉄所だから?
433 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 23:34:40
「伊達衆」って豪奢なスタイルの伊達藩士をうらやんで言う言葉でしょう?
気仙衆という言い方なら地元民はするみたい。
434 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 23:43:34
「伊達じゃない」
上っ面の見せかけだけではない、の意。
435 :
日本@名無史さん:2006/05/11(木) 23:53:14
蘭学は水沢、一関の伊達領だけ?
南部には無かった?
>>435 確か、高野長英とかが出た当時の水沢って、南部の分藩だったと思うけど。
437 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 19:50:04
>>436 貴方は何処の人?
高野長英は、仙台藩陸奥水沢留守家16000石(水沢伊達家・水沢藩と呼ぶ場合有)に仕える家臣の子。
439 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 03:37:11
南部藩に学問文芸あるの?
440 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 05:16:23
以前国立博物館でみた、谷文晁選・四十八歌選のみっつくらいば南部の商人だった。
441 :
436:2006/05/15(月) 11:23:56
ゴメン。俺の記憶違いだったようだ。
ちなみに俺は、秋田人。
442 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 13:43:23
>>439 学問、武芸、産業とか、あんまり聞いたことがない。
盛岡には有名な古武道があったはず。
444 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 16:07:48
>443
藩を挙げて奨励したとか言う話を聞いたことがないんだな。
南部といえば「津軽との意地の張り合い」か「一揆」くらいしか話題がない気が。
445 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 16:11:18
南部鉄瓶
>>442 産業なら塩の精製が有るよ。
砂金採取も盛んだったよ。
447 :
老子:2006/05/15(月) 19:40:36
私の名前は一戸。八戸市に住んでいて、根城にある学校に通っています。
>>447 別に珍しくも無い、有り得る話です。もう少し面白いネタを書きましょう。
って言うか、根城には小学と中学しか無いが・・・
449 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 04:30:07
南部といえば人頭税に代表される搾取!
前スレでも南部の血を引く低脳女と婚姻してセックスして喜んでるアフォがいたが、
こいつらの子孫に障害者が生まれればいいのにと思うよ。
450 :
津軽右京亮:2006/05/16(火) 06:35:00
449 :日本@名無史さん :2006/05/16(火) 04:30:07
南部といえば人頭税に代表される搾取!
前スレでも南部の血を引く低脳女と婚姻してセックスして喜んでるアフォがいたが、
こいつらの子孫に障害者が生まれればいいのにと思うよ。
451 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 07:24:48
>>450 >こいつらの子孫に障害者が生まれればいいのにと思うよ。
おまえは、最低の人間だな。
454 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 13:53:20
455 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 21:07:38
塩釜神社は製塩工場?
456 :
日本@名無史さん:2006/05/16(火) 23:36:16
製塩業の人達が祀ったものかとは思うが南部にありますか?
山がちな地形で、流通が確保できなかったのも一因。
458 :
日本@名無史さん:2006/05/17(水) 01:21:39
>>457 産業が興るとすぐに税をかけるから、産業が育たない。
地形のせいにするのはいくない。
459 :
日本@名無史さん:2006/05/17(水) 06:25:06
伊達領は米を江戸に輸出するため領民からみな買い上げ
南部の産業って言ったら、鉱山や砂金採取、馬産じゃね?
歴代の南部の殿様は、商業的才能には乏しかった。
それって正しい認識みたいだね。
462 :
日本@名無史さん:2006/05/17(水) 15:17:25
>460-461
だな。
鉱物採取は「出てくるものを採取」してるだけだしな。
漆を植えたり蝋や紙を生産するとか、そういう殖産が見られないんだな。
463 :
津軽右京亮:2006/05/17(水) 22:25:07
事業を行おうとしても、税が足りないようだ
464 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 12:13:28
林子平の経済政策は?
465 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 12:22:48
南部の殿様は沿岸地方には厳しくて、ウチの先祖は一揆ばっかりしてたみたいWW
伊達領にして欲しいって伊達の殿様にお願いしたみたいだしね。
466 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 12:57:44
>465
ほう、同郷の方ですな。
ここで南部マンセーしている人は、盛岡とか八戸の人くらいだろうな。
>>466 >ここで南部マンセーしている人は、盛岡とか八戸の人くらいだろうな。
盛岡近郊及び糠部じゃない?あと士族ね末裔とか
468 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 21:01:44
それと近江商人の末裔とか
469 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 00:22:38
南部には、石川と言う武将いましたよね??家門はなんですか?後、南部に笹竜胆の家門は多いですか?教えてエロしったかの人!
470 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 00:26:02
471 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 00:54:18
>>469 南部一門に笹竜胆紋を使う家系も有る。
他スレから流れて来たのか?
名前と家紋だけでは出自は判明しない。
先祖が石川県出身なら、ここで聞いても無駄だよ。
石川啄木のまきかもしれん。
啄木って先祖が石川県か?
474 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 01:35:39
南部一門で使った人は誰ですか?用はおれんちの先祖がパックタでいいですか??
476 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 02:54:52
耳の痛い書き込みはスルーするくせに、無難なネタになると途端に書き込んで
くるな、南部の連枝や配下の子孫どもは。
477 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 03:54:53
盛岡藩は本来なら支持してくれるはずの旧領に、強烈なアンチを抱えている。
478 :
津軽右京亮:2006/05/19(金) 09:42:53
476 :日本@名無史さん :2006/05/19(金) 02:54:52
耳の痛い書き込みはスルーするくせに、無難なネタになると途端に書き込んで
くるな、南部の連枝や配下の子孫どもは。
477 :日本@名無史さん :2006/05/19(金) 03:54:53
盛岡藩は本来なら支持してくれるはずの旧領に、強烈なアンチを抱えている。
479 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 12:39:57
南部藩は全国で1番、一揆が多かった。
>>479 はい全く相違ございません。
んで何が言いたいの?
>>497 南部藩って事は江戸初期(1664年迄)に限られますよ、明確な全国一揆発生数のソース有る?
1664年、一旦は領地召し上げになり、その後幕府により盛岡藩と八戸藩に分藩され南部藩は無くなりました。
482 :
日本@名無史さん:2006/05/19(金) 13:34:11
>>481 そういう小手先の論法しか使えないのかw
南部藩=盛岡藩、って普通に通じるだろうが。
しかも錯乱して、レスアンカー間違えてるし。
ここは南部氏のスレ。
南部藩のスレではない。
荒らすのは止めましょう。
最近、甲州南部とか身延の人来ないな。
武田に滅ぼされるまで、南部本領に居た人が嫡流だったのかな?資料等は残ってないのかな?
485 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 05:13:04
>>483 南部藩の暴政について話すのをやめろぉー、ってことですか?
荒らしじゃなくて、南部氏の藩政について語りたいのですよ。
まさに南部氏の話題ですよ。
南部のアフォさを例えれば、歩合給の人が成績が振るわずほとんど収入がなかったのに
「隣の津軽さんは年収200万だったらしい。負けるのは悔しい」
とばかり、税務署に
「俺は実は年収400万あったんだ。見合った税金も払うよ!」
というようなもの。
南部の連枝や郎党の子孫は、どういう神経でこれをスルーするのだろう。
弁護のしようもないと思うのだが。
sage推奨
南部の学問つーことなら、京都学派の泰斗内藤虎次郎、号して湖南先生を
忘れていかんでしょう。
秋田鹿角の生まれとは言え、立派な士族の出ですし。
南部って旧軍の士官結構多いねえ。
やっぱ、ちょっと鈍めの我慢強さが求められるんかな? >>軍人
門閥閨閥もなき学力優秀な貧乏人が進める道は軍人になるしかなかったからさ。
490 :
日本@名無史さん:2006/05/25(木) 22:29:02
壬生義士伝最高だね!南部魂の心意気を感じたよ!
>>490 小説は面白いが内容は99%浅田氏の創作。
492 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 00:31:37
( ´,_ゝ`)プッ
( ´,_ゝ`)プッ
( ´,_ゝ`)プッ
南部魂って何だよ?
493 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 00:51:07
>>492 津軽の人達も一緒に考えて見よう!
南部魂って何だろう?
494 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 01:07:46
>>493 日本史板に張り付いて粘着し、アフォな津軽衆を論破して悦に浸る精神性。
495 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 01:17:09
津軽の人達に論理は無いようだから、論破することもなかったが。
496 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 01:46:42
497 :
492:2006/05/27(土) 01:53:40
>>496 何処のお方かなぁ?
死ねよってどういう意味ですか脅迫ですか?
498 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 21:57:01
>>497 馬鹿だねおまえ、字も読めないの?
なーにきどってんだあほ。ガキが。
499 :
日本@名無しさん@お腹いっぱい:2006/05/27(土) 22:13:43
津軽人駆除隊募集中!
500 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:14:53
南部氏は、悪政を行い、飢餓やら重税で領民を苦しめたDQN藩主。三陸地方では幕末期、日本最大規模の一揆が発生した。
501 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:19:03
ほー、で?
502 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:26:18
三陸地方では幕末期、<伊達藩主導のもと>日本最大規模の一揆が発生した。
503 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 23:29:27
以前NHK教育テレビでどこかの教授が、
三閉伊一揆は民衆が為政者の変更を求めるという民主主義の萌芽といえるものでした。
なんて言っていたが、左翼系の人達にとってはとても都合のいい歴史材料と言えます。
505 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:12:01
津軽の夷狄どもは南部スレから立ち去りなさい。
506 :
505:2006/05/28(日) 00:19:39
あげてスマソ
507 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:22:36
>>504 いや、そんな大それたもんじゃなくて
「このままじゃ死ぬしかない。何とかしてくれ。とにかくもう南部はゴメンだ」
ってだけだろうな。
>>502 主導じゃなくて、後援程度だろ。
まぁそれもお前らの先祖がまともな藩政をしていれば、
一揆など起きなかっただけだがな。
なぁ、キチガイ大作の血族の下斗米君。
508 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:27:51
>>505 まだ「南部をバカにするのは津軽に決まってる!」とか思ってるのか
なにその化石脳
509 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 02:25:40
津軽謝罪汁スレマダー
南部スレは真面目に歴史を語るスレなので、次ぎの謝罪スレが立つのを
待ちきれない人達は津軽スレで雑談してくれ。
990前後で猛烈にファビョったあのキチガイ、このスレに来ないで欲しい。
南部の恥。
頼むから来るな。
津軽スレも荒らしてやるな。
お前、ロビーかお花畑板に行け。大歓迎されるぞ。
512 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 03:24:25
>>508 同じ県内の人間からも嫌われているのを、認めたくないんだろ。
513 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 03:36:26
相馬大作事件のせいで、
下斗米という苗字は津軽地方には無し?
514 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 03:37:15
津軽と言えば太宰だけど、南部の有名人って誰?
515 :
津軽右京亮:2006/05/28(日) 08:11:35
新渡戸稲造
516 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 11:09:19
新渡戸稲造
宮沢賢治
金田一京介
石川啄木
517 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 11:44:50
どうした津軽衆!
駄罪しか浮かんでこないのかwww
518 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 12:19:09
謝罪スレPART9スレ立てお願い致しまする。
>>518 っていうかおまえ、生きてて楽しいか?
南部スレに2度と来るな。南部の恥晒しが、、、
原敬、米内光正、三船十蔵、板垣征十郎、野村胡堂。
>>507 実は、岩手の沿岸部って内陸に比べて飢え死には少ないんだよ。
農産物が取れなくても、漁獲でなんとかなるから。
飢餓に関しては、内陸のほうが酷い。
だからさ、
「このままじゃ死ぬしかない。何とかしてくれ。とにかくもう南部はゴメンだ」
ってのは少し違うんじゃないのかね。
やはり、伊達藩が後ろで糸を引いていたんだと思うぞ。
>>511 >>990前後で猛烈にファビョったあのキチガイ、このスレに来ないで欲しい。
>>南部の恥。
???ワケ分からん。これって謝罪スレでの話しだよね?
それまで、根拠も無く「南部は偽源氏」とか「南部は田舎者」とかわけの
わかんない因縁を、津軽側?からつけられてて、それに対して、
「歴史的に評価されている人物は、津軽より、南部のほうがはるかに多い」って
ちゃんと根拠にもとづいて反論しているのに、
「ファビョル」とか「南部の恥」って何だろう。
南部側の人間は、根拠の無い嫌がらせに、何の反論もせずに唯々諾々と
従っていなきゃいけないの?
524 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 01:39:02
>>522 その漁獲も、南部の執政に目をつけられて重課税の元になりまして…
http://homepage3.nifty.com/bagusnya/bengyu/bengyuj.htm 盛岡城下に比べて、沿岸地域は異様に課税が重いんだな。
そりゃ南部の殿様から、逃げ出したくもなるでしょ。
>飢餓に関しては、内陸のほうが酷い。
沿岸部では「死肉を食らい、互いの子を交換して食らう」という惨状でしたが、
内陸ではもっと悲惨だったのですか?
>やはり、伊達藩が後ろで糸を引いていたんだと思うぞ。
あなたの憶測に過ぎないし、そもそも南部の藩政が悪くないなら
「伊達領にしてくれ」
なんて、処罰される危険を冒して立ち上がらんでしょう。
沿岸部の土民の話などどうでもよい。
>>523 もう来るなって言ったろボケ。
津軽のスレにも迷惑かけるな。
つか日本史板から出て行け。
>>524 悲惨さを競争しても仕方がないけど、内陸部でも、飢饉で「人肉を食った」と
いう記録は多いよ。
集落が一つ、丸ごと全滅した例もある。(現在の滝沢、姥屋敷周辺)
それから、そちらが例としてあげている飢餓の記録は、
北上山地のもので、私が言っている「漁獲のある沿岸部」とは違うから。
それに、重税に苦しんでいたら、普通は「税を軽くしてくれ」って
言うもんじゃない。
「伊達藩にしてくれ」って、かなり不自然だと思うけどね。
だから、やっぱり「伊達藩が後ろで糸を引いていた」という方が
説得力があるよ。
>>526 貴方は、理由もなく人に「出て行け」命令できるほど偉い人なんですね。
そういう偉い人が、2ちゃんねるにいる必要はありません。
貴方のほうが出て行くべきでしょう。
529 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 16:24:12
>>527 自分は沿岸部だが、例としてあげたのは地元の話だ。
内陸部の飢饉の話は知らなかったので、それを紹介しているサイトとかあったら教えて欲しい。
>それに、重税に苦しんでいたら、普通は「税を軽くしてくれ」って
>言うもんじゃない。
>「伊達藩にしてくれ」って、かなり不自然だと思うけどね。
何度も約束を違えて税や御用金を科したり、一度は撤回した税を違う名目で
科そうとしたりと、違約の繰り返しされたら信用できないでしょ。
税の減免を頼んで一時凌ぎにその場は飲んでも、数年後にまた重税が復活するわけだから。
俺はその辺を伊達に付け込まれたと思うね。
(一揆が先にありきで、伊達が漁夫の利を狙い後援に乗り出した)
530 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 17:38:04
>>36 亀ですまんが狙ってたね
かなり効いてる模様
531 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 19:23:25
坂本さとる
532 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 20:17:46
南部町役場関係者乙
534 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 21:16:30
535 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 21:27:09
南部の殿様てそんなにDQNだったのか??
無知でスマソ。
1783(天明3)年は全国的に飢饉(ききん)に見舞われた。
盛岡藩でも7割減収という惨たんたる出来。
餓死者4万人のほか病死者2万3千人。
さらには盛岡藩から逃げ出した者が3千人いたという。
江戸時代の初期までは、金が多く算出していたから、裕福だったようだけど
金が取れなくななったのに、藩の財政はそのままだったから、
その分のシワ寄せが領民に行ったみたいだね。
540 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 21:44:39
天明の大飢饉に於ける津軽藩内での餓死者
81,702人
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
南部藩の倍ですが何か?
初期の藩財政をみると,慶長・元和期に相次いで開発された
白根厚朴(ほおのき)など良質の金山からの巨額の運上金収入は,
年貢米収入をはるかに上回るものであった。1642年(寛永19)の
全国的大飢饉においても餓死者なしを誇る豊さを誇っている。
しかし金山は1660年代には衰退し,鉱山収入を中心とする藩財政は転換を
余儀なくされた。藩主重直は「墨引追放」事件と呼ばれる42人に及ぶ
譜代家臣を追放し,約5,500石もの地方知行地を没収した。
それと併行して,積極的に江戸において現米給与の新参家臣を召し抱えた。
彼らは重直側近の改革派グループを形成し譜代家臣と対立した。
1664年(寛文4)重直の突然の死の結果,継嗣問題をめぐって家臣団の分裂は
表面化し藩の存続が危まれた。結局,幕府の裁決によって,
南部藩は8万石に減封となり,2万石を分かって新しく八戸藩を
設立することとなって危機が救われた。
【藩政の展開】藩政中期・元禄期以降たびたび凶作・飢饉に襲われ,
とくに1695年(元禄8),1755年(宝暦5),1783年(天明3),
1833年(天保4),1866年(慶応2)は大凶作(4分の3以上の減作)による
大飢饉として史上にその悲惨さを留めている。
津軽臭は朝鮮人みたいな奴らさwww
史実を妄想しては捏造を繰り返す屑どもw
明らかに普通の日本人と異なるDNA w
要するに土人だって事だなWWWWWW
南部スレに舞い込む津軽蝿が叩きかれまくりwww
544 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 23:13:53
>>543 叩きかれまくりでつか。
( ´,_ゝ`)プッ
また来たのかキチガイ南部厨
「南部の恥部」、それはお前
南部藩の一揆に関して語るにはやぶさかではないが、
ここは南部藩のスレゆえ津軽対南部を語りたい衆は
それなりのスレで語っていただきたい。
津軽臭のぼけどもは津軽謝罪スレに逝け!
カス土民の分際でこの野郎!
548 :
日本@名無史さん:2006/05/30(火) 01:06:47
南部粘着タイガース
549 :
日本@名無史さん:2006/05/30(火) 01:34:57
晒しあげ
550 :
津軽淫乱女:2006/05/30(火) 01:39:44
どんな感じで謝れば許してくれるの♪
/|ア/|ア
過疎スレがお前一人になったからといって、このスレを荒らすなよ>キチガイ
荒しや不用意な煽り、罵り、喚き散らしはみっともないのでやめましょう。
554 :
日本@名無史さん:2006/05/31(水) 13:11:04
>>527 よく考えたら
「漁獲のある沿岸は、飢饉に強かった」
って
「穀物がなければ、肉を食べればいいではないか」
「パンがなければケーキを食べれば」
と同じ理屈じゃないか?
>>554 なんで?
パンが食べられなければ、肉やケーキは食べられないのは当然だけど。
冷害で穀物が取れないなら、それを食料としている家畜も当然、
養えないわけだからね。
でも、農業が取れない場合でも、漁獲には直接の影響はないだろ。
漁業と農業の違いだよ。
「よく考えたら」って言ってるけど、全然考えていないんじゃないの?
俺はたまに、盛岡の南部候に対して、沿岸部の人間が強い敵対心をみせ、
見せるので驚くことがある。
どうも「重税を課し、悪政で農民を苦しめた」という考えが
頭に染み付いているようだ。
↓すぐ上であげられていた資料だけど、
ttp://www.tabiken.com/history/doc/N/N309L200.HTM 「白根厚朴(ほおのき)など良質の金山からの巨額の運上金収入は,
年貢米収入をはるかに上回るものであった。1642年(寛永19)の
全国的大飢饉においても餓死者なしを誇る豊さを誇っている。」
↑ つまり、江戸時代初期にはすでに、「食糧難の農民を救済する」という
意識はあったんだよ。その後の飢饉でそれが出来なかったのは、
金が取れなくなり、藩財政が逼迫していたから。
それでも、幕府に対して、度々、農民を救済のして欲しいとの嘆願書を
出している。
続いての資料。
「金山は1660年代には衰退し,鉱山収入を中心とする藩財政は転換を
余儀なくされた。藩主重直は「墨引追放」事件と呼ばれる42人に及ぶ
譜代家臣を追放し,約5,500石もの地方知行地を没収した。
それと併行して,積極的に江戸において現米給与の新参家臣を召し抱えた。」
↑ 金が算出されなくなって以降は、何とか財政改革を行おうとして、
譜代の家臣をリストラまでしている。
江戸時代に、これをやるって、考えるほど簡単なことじゃないよ。
今現在の視点で見れば、「財政改革をするなら、沿岸部から内陸までの
流通用の道を作って経済を発展させればいい」と思ってしまうけど、
江戸時代、藩主導の土木工事は、幕府に厳しく制限されていて、
事実上は不可能だった事を忘れてはいけない。
インフラとして流通路が出来ていた西日本と違って、
南部では流通路が不十分なまま、江戸時代に入ってしまった。
上のほうで、「南部は物産は豊かなのに、多くの餓死者を出したのは
藩の失政のせいだ」という主旨の発言があったけど、物産を流通させる
手段を封じられていたんだよ。
結局、緊縮財政をするしか手段はなかった。
「南部の侍が貧乏だった」という事例は多いよ。
「参勤交代の最中に旅費が足りなくなって、立ち往生した」って話がある。
「蝦夷地の警備を割り当てられた際、食料を現地調達せざるを
得なかった」という話もある。
それから、幕末に幕府から、万国博覧会に出展を要請されたが、
出すものがなく、仕方無しに「草餅」を出展したが無視された、なんて
悲しい話もある。
壬生義士伝での主人公の貧乏話は、決して、誇張ではないよ。
南部家は、代々、大名としての面子すら保てないほどの緊縮財政を
敷いていた。
津軽との諍いで有名な「檜山事件」の話だけど、
あれって、発端は将軍が南部領から「檜」を召し上げようとしたけど、
南部候は、曖昧な返事をして応じなかったんだよね。
どうしてかって、色々言われているけど、要は、金がなかったって
ことでしょ。
ただでさえ財政難なのに、檜まで取り上げられたら、南部としては
たまったもんじゃないわな。
南部候は、幕府に処罰される恐れもあったのに、要請を断ったんだよ。
それにつけこんで津軽が檜を盗み取ったんだから、相馬大作はじめ
南部の侍がとてつもなく怒り狂ったのは、想像に難くない。
つかお前、もう来るなって
南部の恥
>>556-558 南部の歴史、地理、良く知ってるね。全く同意。
沿岸〜内陸の道路もだが、盛岡以北も道が整備されなかったよ。
八戸藩からの参勤交代ルートなんてヒドイヨ。
八戸〜南郷〜軽米間は、それなりに整備されてた様ですが、軽米〜仁左平なんて獣道のような道。仁左平〜福岡も同じ、福岡〜盛岡も…
盛岡から北へ向かう道は、三戸通りと呼ばれたが、山道で物資輸送出来る様な街道では無かった。
561 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 00:35:55
万国博覧会に「草餅」。恥ずかしい。情けなさ過ぎる。
これほど貧乏なのに南部氏は幕府に石高アップを申請した間抜け。
562 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 01:14:49
>冷害で穀物が取れないなら、それを食料としている家畜も当然、
>養えないわけだからね。
>でも、農業が取れない場合でも、漁獲には直接の影響はないだろ。
食肉用の家畜など、江戸時代には元々なかったわけですが?
「沿岸の人間は漁に出れば、魚が獲れるだろ」
というなら
「内陸の人間は、山に入れば狩猟して獣が獲れただろ」
というのと同じだよ。
沿岸は漁獲があるからまだマシだったというなら、そういうソースを出して欲しいね。
ちなみに漁は重労働の上、その漁獲を目当てに君の好きな南部候が沿岸部に重税を
掛けているんですが。
>>556 >俺はたまに、盛岡の南部候に対して、沿岸部の人間が強い敵対心を
>見せるので驚くことがある。
搾取するばかりで恩恵をもたらしてくれなかった為政者に、親近感抱く人はいませんよ?
>>562 俺は、
>>555とは別人。
それから、
>>555は、
>>554の
「穀物がなければ、肉を食べればいいではないかと同じ理屈じゃないか?」と
言う言葉に対して、
「冷害で穀物が取れないなら、それを食料としている家畜も当然、 養えないわけだからね」
と言っているものだと思うぞ。
「食肉用の家畜など、江戸時代には元々なかったわけですが?」というのは完全に的外れ。
それからね「君の好きな南部候」など
本当に真面目に討論する気があるのなら、こういう嫌味はいうべきではない。
また、「沿岸は漁獲があるからまだマシだった」というのは、常識的に
納得できる説明。
ソースを出せというなら、むしろ常識を覆す「沿岸のほうが酷かった」と
いうソースのを出す方が適正ではないかな。
564 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 01:40:05
>>557 >金が算出されなくなって以降は、何とか財政改革を行おうとして、
>譜代の家臣をリストラまでしている。
>江戸時代に、これをやるって、考えるほど簡単なことじゃないよ。
股肱の家臣じゃなく、目障りな家臣を粛清しただけだろ。
まぁ確かにその当時は飢饉に対して真摯な対応をしたみたいだけど、藩政後期のやり方
(飢饉と北方警備で藩内は疲弊。沿岸部中心に重税掛けるが当主は吉原もどきの
花街を作ったり、贅沢三昧)
この辺が反感を買ういわれかと。
藩内の交通の話が出ているけど、街道未整備で物流の流通が阻害されていた
というが、海運業があるだろう?
その海運業(前川善兵衛)も、多額の御用金を掛けて潰すわけだが。
http://www.thr.mlit.go.jp/kansen/prmag/kansen/016/michi/0000.html 盛岡の商人数十人の御用金割り当て総額よりも多額の御用金を
前川家は申し付けられて、それをきっかけに没落したそうだ。
こういう話を聞くと、やはり南部には好意的にはなれないな。
>>562 >「沿岸の人間は漁に出れば、魚が獲れるだろ」 というなら
>「内陸の人間は、山に入れば狩猟して獣が獲れただろ」というのと同じだよ。
↑「同じだよ」といっているけど、これは、前提が全く違う。
例えとしては全然相応しくない。
縄文時代とは違うんだよ。江戸時代にはすでに、平野の多くが
農地になっていて野生動物が住める場所は限られている。
江戸時代、狩猟で、農村人口を支えるほどの食料を確保するなんて不可能。
そもそも「狩猟」とで「漁業」と同様の食料確保ができるなんてありえない。
狩猟には当たり外れがある。漁業に比べて、安定した食糧確保はずっと難しい。
その点で漁業とは全く異なる。
君は、そういう「常識」が分からずに発言しているんだよ。
君は
>>554の人のように思えるけど、
>>555で、
「「よく考えたら」って言ってるけど、全然考えていないんじゃないの?」と
言われたのに腹を立てたのかな。
でも、「よく考えていない」という指摘は正しいんじゃないの。
566 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 01:49:59
>>558 南部が貧乏なのは知れたことだが、上杉鷹山張りの倹約と殖産振興するならともかく
「石高アップ自ら申請」とか「藩士や民衆が貧乏でも藩主豪遊」
とかの非常識さに加え、金に困れば
「とりあえず沿岸に課税しよう」
な姿勢が、沿岸部に愛されるわけないだろ?
>>561 薩摩は木蝋を出してるわけだし、普通に南部鉄瓶で良かったと思うが
博覧会がなんだかわからないからとりあえず草餅だしとけみたいな
無知さが生んだ、喜劇と思うな。
これは金のあるなしに関係ないと思う。
>>564 「股肱の家臣じゃなく、目障りな家臣を粛清しただけだろ。」
これは単なる推測だよね。
「当主は吉原もどきの 花街を作ったり、贅沢三昧」
まさか、本気で言ってるわけじゃないよね。
バカバカしいけど一応反論しとくと、これ藩が主体となって作ったとして
これは、花街が経済的な利益を産むから作ったのであって、どう考えても、
藩主個人が贅沢したいがために作ったわけじゃないだろ。
花街を利用したのは、あくまで一般庶民だよ。
藩主が贅沢したなら、盛岡に「大奥」みたいなのを作るって。
こういう常識が分からずに、「このへんが反感を買う」とか言われても、
戸惑うしかないよなあ。
「海運業」があるというけど、海運では内陸とは結べない。
江戸時代は北上川を利用した運送も多少はあったようだけど、
これはかなりの遠回りだし、川をさかのぼらなければならないし、
伊達領を通らなければならない。
海のある藩にあった多くの都市の多くは、海岸沿いにあるけど、
盛岡の場合は内陸。
消費地である盛岡と、生産地である沿岸部との流通が難しかったのが
南部の悲劇ともいえる。
568 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 01:59:43
>>565 確かに俺の例えは不適切だった。
「飢饉時の漁獲」
につていは興味ある事例なんで、これから追って行きたい。
だが重労働なんで、衰弱した身体では厳しいと思うぞ。
海岸に出て、貝とか流れ着いた魚の死骸拾うのがせいぜいだろ。
「藩主豪遊」って、藩主は具体的に何したの?
570 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 02:06:45
>567
やはり殿さまは贅沢してるみたいだぜ。
http://toraneko.cside.com/newpage35.htm >盛岡藩財政は北辺警備により火の車状態で、しかも利済の前後の見境もない政策に
>よって窮迫の一途をたどっていたが、それでも利済の道楽は止む気配もなく、
>むしろ拍車をかけるように豪勢な広小路御殿、清水御殿の造営もなり
だって。
>花街が経済的な利益を産むから作ったのであって
それで遊んだり恩恵受けるの、盛岡の人でしょ。
搾取される一方の沿岸部が、親近感持つわけないだろ。
で、あくまで沿岸部特化の重税の話は避けるんですねぇ。
>>566 それから、「石高アップ自ら申請」というのも、できれば信頼できる
資料が欲しい。
俺は、2ちゃんねる以外では「自ら申請」というのは見たことがない。
調べているのだが見つからない。
「島原の乱」の原因となったのは「藩主が自ら石高を高く行った」というの
は知っている。
その辺と混同したのではないのかな?
いずれにせよ、資料が欲しい。
>それで遊んだり恩恵受けるの、盛岡の人でしょ。
↑話のすり替えだね。さっきは「藩主個人の贅沢」と言っていたぞ。
それから、「恩恵を受けるのは盛岡の人」って何を根拠に言ってんだよ。
花街で、酒や食料品などが売れ、それが流通するなら、それで地元が潤う
だろう。
もう少し、妙に敵対心を持っているみたいだけど、もうすこし常識を
前提にして話してくれよ。
それから、税に対する資料もあるなら、見せて欲しいね。
言っておくが、「沿岸部の農民」に対するやつね。商人じゃダメだよ。
はっきり言っちゃうとね。
幕末、「賊軍」にされた藩の藩主ってのは、必要以上に貶められた
風説が流布していると思うんだよ。
だから、この手の「悪い話」ってのは、おれは安易に信じないように
しているんだよ。
>>568 「海岸に出て、貝とか流れ着いた魚の死骸拾うのがせいぜいだろ。」
これだけでも、何も食べられない内陸に比べればマシじゃないの。
贅沢を言わなければ、季節を問わずに手に入るわけだし。
>>573 釣り?南部の話だよ。
「南部の藩主が自ら石高アップを申請した」って資料が欲しいんだよ。
今日は、一応去ります。
資料が提示できたら宜しく。俺のほうでも探してみるけど。
まぁ怖い、
>>556〜558さんってば。
頭悪さ丸出しだ。
578 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 03:04:30
>>577 556の相手をした俺だけど、彼は丁寧にレスをつけているようでいて
実は言葉の綾を突いたり、揚げ足を取っているだけに思えるんですよね。
南部にとって都合の悪いことはスルーだし、574とかは
「ああいえばこう言う」
典型だし、沿岸部の重税についても定説なのに
「資料を出せ。過度に悪く言われているきらいがあるから俺は信じない」
だし。
南部の無能無策を否定するためだけに来ている556は、
相手をするだけ無駄だ。
俺はこれからも南部の非道さを訴えていくから、556は先祖が世話になった
らしい南部候の擁護を好きなだけしてくれよ。
579 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 03:18:59
あと556も人に資料を要求するなら
「沿岸部は飢饉でも内陸より恵まれていた」
「沿岸部だけ重税だったわけじゃない」
という資料を出せよ。
確たる資料はもちろん、噂話程度のものすら出てこないだろうがな。
580 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 03:32:36
南部藩の治世が悪かっただろう事は重々承知している。
だけどな俺はこの土地が好きだからよそ者に文句言われたくない。
581 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 03:46:47
>580
南部藩政に文句言う沿岸の人間も、よそ者扱いかよ。
沿岸は植民地な意識だから、罪悪感なく搾取も出来たんだろうな。
582 :
580:2006/06/01(木) 04:02:25
>>581 お前さんの負け犬根性には負けます。
俺の実家も小作農家だったよ。
一通り読んだが、沿岸の一般漁民に重税って、江戸前期には殆ど課税されてなかったと思ったが…?
田畑に関しては周知の通り作付け面積に関わらず課税されてた。
農業の四割〜五割課税から見れば、微々たる課税だった漁業に対して農業と同等に値する課税は当然じゃないかな?
漁民に対してだけ税率が上がった訳じゃない。農民が農閑期に作ってた、わらじ・笠・ミノ等も課税されてる。
商工関係の税率も上がってるし、人頭税まで導入されてるからね、盛岡藩内すべて重税だったんじゃないかな?
盛岡と沿岸って、岩手県内だけの様な書き込みが見受けられるが、青森県東部は?
冷夏に見舞われば、米の収量は皆無に等しいと推察されるが、藩からの支援等はどうだったんだろう?
>>559氏が触れてるが、三戸以北の道路整備ってどうだったのか?
元は一つの南部藩であった、八戸藩と盛岡藩の税率や課税対象の比較なんかも興味ある所だが…
>556〜558
自己主張してんじゃねぇよ粘着。
南部の藩行政がどれだけ凄かろうがwwww
お 前 は 百 姓 の 子 孫 。 関 係 な い ぞ ?
>>578 「沿岸部の重税についても定説なのに」
定説というなら資料を出してくれって。
あのさあ、江戸時代の常識というなら、
>>583で指摘されている通り
「税は農民にかける」というもので、江戸時代前期には、商人などの
農民以外は、基本的には無税だったんだよ。 こっちのほうが常識。
そもそも、定住している農民と違って、初期の商人や漁民はあちこちを
渡り歩いていたから、税をかけにくかったんだろうね。
それから、江戸時代には根強い商業蔑視の意識があった。
先進地であるはずの江戸ですら、商業重視政策をしいた田沼意次が
十分な改革が出来ないまま、失脚したようにね。
これは、実は武士階級だけの話ではない。
農民も商人階級を蔑視していた。
一揆のほかに「打ちこわし」という言葉を知っているよね。
これは、端的に言って、農民が商人を襲った事例。
このスレでは沿岸部、「一揆をした側」に肯定的な主張が多い。
「南部藩は、産業振興をしなかったために、一揆が起こった」と
常識のように語られている。
では産業振興とは何かといえば、「商業を振興すればよかった」
でもなあ、これって、とても安易なんだよね。
一揆が起こるような、治安が不安定な土地に、「商人」が進出してくると
思うの?
進出していた商人もすぐに撤退したろうね。
いつ「一揆」が「打ちこわし」になるか分からないんだから。
ようは、一揆というのは、「商業振興を大きく邪魔していた」という
一面もあるということ。
農民からすれば、商人にたいして「ろくに働かず、俺らの上前をハネやがって」と
いう意識があったんだろうけど、結局は自分で自分の首を絞めていたんだよ。
588 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:08:46
>一揆が起こるような、治安が不安定な土地に、「商人」が進出してくると 思うの?
つ前川善兵衛
あれ、遠く江戸に聞こえた財力の善兵衛の身代は、どうして傾いたんだろうなぁ?
金の卵を産む鶏を、目先の空腹から潰して肉にするのが南部。
あのね。
当然だけど、一揆というのは、当時の社会秩序に対する破壊行為。
要は「悪い事」だったわけね。
だからこそ、一揆を行う側は、自分達の行為を正当化したいわけだよね。
そうすると、「南部の悪政」や「自分達の生活の困窮」については、
実際よりも誇張するよね。
それから上でも言ったように、南部は明治維新で「賊軍」になってしまったという
こともある。
だから、「南部候の悪政」というのは、情報を鵜呑みにせず、
ある程度疑ってかかるほうが公平ではないかな。
これって、俺にとっては「常識」なんだが、なかなか通用しないようだ。
そういうのを理解できずに、
>>562「君の好きな南部候」など
嫌味をいう態度には、正直、呆れる。
>>588 真面目に討論する気があるの?
それなら、真面目に答えるよ。
>>588 あれ、遠く江戸に聞こえた財力の善兵衛の身代は、どうして傾いたんだろうなぁ?
金の卵を産む鶏を、目先の空腹から潰して肉にするのが南部。
嫌味で言っているつもりらしいけど、自分の言っていることの矛盾に
全く気が付いていないみたいだね。
まあ、一応答えとこうか。
まず、「金の卵を産む鶏」といっているよね。
それを「殺す」ということがありうるのか?
「南部は馬鹿だからやったに決まっている」と嬉しそうにいうのだろうけど
そんなことは常識的に考えてありえない。
前川家は、当初、南部候を自宅に呼び寄せるなど、「親南部」的だったわけね。
しかし、沿岸部は全般的に南部に対する反発心が強い。
そういう場所で商売をするためには、「自分は南部と親しいわけではない」と
しなければならない。「南部」を悪役にする必要があるよね。
だからこそ、前川家は「南部に無理難題を突きつけられている」と
実際以上に誇張したことをいった可能性としてありうるよね。
少なくとも「金の卵を産む鶏を殺した」というのよりは、
はるかに納得できる答えじゃないかな。
それから、資料によると前川家が業績不振に陥った時期は、江戸時代
中期以降。
沿岸部で、大規模な一揆が起こり、治安が悪化しつつあった時期でもあるよ。
資料には示されていないけど、これも間違いなく、業績不振、経営規模縮小の
一因だろう。
いずれにせよ、資料を読み取るなら、その資料の時代背景や、
資料の製作者の立場を考えなきゃね。
>>592 津軽がどれだけ偉大で、
南部がどれだけ巣晴らしかろうがwwww
お 前 は 百 姓 の 子 孫 。 関 係 な い ぞ ?
594 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 15:55:20
「幕末の賊軍」
だから、誇張して悪く言われている
「可能性がある」
ばっかりじゃないですか。
じゃあ
「藩内の道路が整備できなかったから、飢饉のとき盛岡から救援物資が届けられなかった」
「沿岸の人たちは漁に出ていたから、飢饉でも余裕があった」
「漁に出られない人も、海岸に魚が打ち上げられたりしたので、
内陸よりも恵まれていた」
「一揆は伊達にそそのかされただけで、正当化するために南部を悪と誇張した」
「沿岸の人たちはほとんど無税だった」
これでオーケー?
>>594 君がやりたいのは、口喧嘩なのかな?
君個人が俺の主張を嫌味ったらしく認めたところで、何の意味があるの?
真剣に話し合うつもりがないなら、返事などしなくていいよ。
>>578 >南部の無能無策を否定するためだけに来ている556は、
>相手をするだけ無駄だ。
>俺はこれからも南部の非道さを訴えていくから、556は先祖が世話になった
>らしい南部候の擁護を好きなだけしてくれよ。
うわ、こりゃひどいな。歴史について話し合う姿勢じゃない。
もうプロパガンダの世界だね。
完全に論破されて、それでも、「自分の思う正しい歴史を
書きなぐりつづける」って
相手にするだけ無駄だって言うのは、これを書き込んでいる人間のほうだろ。
>>595 津軽がどれだけ偉大で、
南部がどれだけ巣晴らしかろうがwwww
お 前 は 百 姓 の 子 孫 。 関 係 な い ぞ ?
>>556-558 無知で偏見な香具師を相手にするだけ無駄。
貴氏が相手にしてるのは単なるスレ荒らし、以後スルー汁。
>>598 津軽がどれだけ偉大で、
南部がどれだけ巣晴らしかろうがwwww
お 前 は 百 姓 の 子 孫 。 関 係 な い ぞ ?
600 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:25:47
1836(天保七)年暮。盛岡南方一揆(盛岡強訴)
連続する大凶作のなか、南部藩の度重なる御用金の賦課や藩札の乱発行による
インフレなどに対し、御用金の免除などを要求し各村々が各々強訴した
。南部藩は要求を受け入れたが、一揆解散後取消。首謀者を処罰した。
政治は一揆以前と何の変化もなかった。
601 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 22:27:32
◎1837(天保八)年初め。盛岡南方一揆(仙台越訴)
昨年の一揆に対し領民は仙台に逃散(越訴)し、南部藩を非難。
南部藩は一揆衆を取り戻すため、首謀者を処罰しないことを約束し、
仙台藩は幕府に内密にすることを約束した。しかし南部藩は一揆衆を
取り戻した後、約束を破って首謀者を処刑した。
これで領民は南部藩の証言を軽視するようになった。
南部はクソですね。
602 :
日本@名無史さん:2006/06/01(木) 23:53:40
>>601 こういうのはシカトして
「南部が悪く言われるのは、賊軍の汚名を着せられたからだ」
とか、言葉の綾に付け込んだ揚げ足取りを繰り返して
「論破した」
とか、本当に南部の末裔は見苦しいね。
「伊達が一揆をそそのかした」
というなら、そういうソースを出せばいいのに、
「悪く言われすぎの可能性がある」
などと、常に憶測で南部を擁護してる。
同じ賊軍なのに、伊達に比べて南部の政治の評判が非常に悪いのは
どういうことなんだろうねw
なんだかんだいっても
「餓死者続出」「一揆の数随一」のデータが顕わだし、領内の道路が整備されていても、
救援物資を沿岸部や和賀郡などに送れたか、はなはだ疑問だ。
603 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:02:31
>>602 飢饉の年に救援物資など有るはずがない。
604 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:08:51
>>603 日本海沿岸はヤマセの影響を受けにくい。気仙沼からは本荘市あたりまで米の買い付けを行い
それを救援物資としていた。
605 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:16:49
606 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:19:51
>>605 それが何か?鹿角の豪商は、大館の旅館に連日泊まり込んでメシを食っていたぞ。
607 :
605:2006/06/02(金) 00:33:00
608 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:39:41
609 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 00:45:13
>>608 なるほど。
「盛岡藩で発生した凶作は3年に1度、飢饉は16年に1度の割合で起り、
百姓一揆は153件です。無策の上に、備荒米さえ武士が奪った。」と出ているな。
やはり南部はクソだ。
・南部藩における一揆の特徴
1.南部藩は一揆多発地帯だった。(件数1位、石高等で調整すると2位)
2.1729年以前 6件、1730−89年 13件、1790−1869年 97件
3.1790−1829年 課税に対する反対 1830−1869年 「米騒動」の増加と共に、村政改革・村役人、代官の排斥・特権商人の排除・藩政改革の要求・・・一揆の性格は著しく政治的色彩を帯びてくる。
(続く)
4.郡別では、稗貫、和賀、志和、閉伊郡で一揆が多く起きていた。
興味深いのは、稗貫、和賀、志和の3郡は北上山地に囲まれ、「領内で最も農業生産力の高い」
「したがって米穀以外の商品作物を多く産出する条件を備えて」いた地方であり、閉伊郡は「海産物の主産地で、
全国市場との結びつきの最も多い」ところだった・・・1853年の嘉永大一揆は閉伊郡を中心に起こったもので、三閉伊一揆ともいわれる。
それゆえ「陸中に一揆件数の多い理由は、交通不便で、冷害の被害を最も多く受けやすい山間僻地だからではなく」、
むしろその逆であったという点が肝心である。
とすれば、化政期から幕末期において97件もの一揆がこの藩内で多発したのも、
このように急激な経済発展の反映であったということになるのであり、
南部の一揆多発は梅村のいう東北、あるいは東日本の「幕末における経済発展」の一つの例証かもしれない。
津軽がどれだけ偉大で、
南部がどれだけ巣晴らしかろうがwwww
お 前 は 百 姓 の 子 孫 。 関 係 な い ぞ ?
1、左翼的歴史観。
南部で藩政に批判的な人の主張は
「搾取する極悪権力者に、搾取される善良な民衆が立ち上がった」という
単純な歴史観を押し付けている気になるのは私だけ?
2、一揆をした側の立場
上でも指摘されているけど、「自分達の生活はより苦しく」
「藩の政治はより悪く」いうに決まっているよね。
3、明治維新での政府への敵対
これも指摘されているけど、古い権力者を馬鹿扱いして、新しい
権力者に取り入ろうとする人は多いのだし。
また、新しい権力者も、古い権力者への「悪い噂」は歓迎する。
これらのことを考慮して、歴史を検証しようというのは、むしろ当然の
ことで、それを必死に否定している人がいるのは、どうしてでしょう。
もしかして、共産党か社会党の人ですか?
一通り読んでみたけど、
正直言って、「庶民の楽しみのための花街を、南部の藩主が個人の
贅沢のために作った」とお馬鹿なことを言い張った人には、
歴史を語るための基本的な知性すら欠如しています。
情報や知識が得やすい現在社会において、この程度の検証ができず、
それを指摘されて、話をすり替え、挙句に相手に逆ギレする程度の
人間性しか持ち合わせて持ち合わせていない人に、
南部の藩政を批判・糾弾する資格などありません。
あまり言われない事だけど、江戸時代の農民と商人って、必ずしも
仲がいいわけではなかったんだよね。
「一揆などの多発し、治安が悪化している場所では、経済は発展しない」
これって普通に考えても当然のことでしょ。
「南部の政治が悪かったから経済が発展せず、経済が発展しなかったから
農民の生活が苦しく、一揆が多発した」
という一方的な歴史観は、やはりおかしいよ。
「一揆が多発したから、治安が安定せず経済が発展しない」ということも
いえるのだし、
それに、「経済が発展したら、農民の生活がますます苦しくなる」という
ことも普通に考えられることなんだから。
もう少し、歴史を多面的に見られないものなのかねえ。
616 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 14:42:11
>>614 また花街の一件だけ取り上げて
>拍車をかけるように豪勢な広小路御殿、清水御殿の造営もなり
この情報はシカトするんだな。
>「一揆が多発したから、治安が安定せず経済が発展しない」ということも
>いえるのだし、
じゃあなんで一揆が起こったかだよ。
>>608にあるように、飢饉でも救援せずに備蓄米すら奪うからだろ。
617 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 14:46:31
>>613 >「搾取する極悪権力者に、搾取される善良な民衆が立ち上がった」という
>単純な歴史観を押し付けている気になるのは私だけ?
ほかに理由がないしな。
>上でも指摘されているけど、「自分達の生活はより苦しく」
>「藩の政治はより悪く」いうに決まっているよね。
その通りだからでしょ。
資料もある。
>これも指摘されているけど、古い権力者を馬鹿扱いして、新しい
>権力者に取り入ろうとする人は多いのだし。
実際馬鹿だからしょうがないだろう。
では優れた藩政をしたという資料でも出してくれ。
618 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 14:57:21
569 :556〜558:2006/06/01(木) 02:02:29
「藩主豪遊」って、藩主は具体的に何したの?
570 :日本@名無史さん :2006/06/01(木) 02:06:45
>567
やはり殿さまは贅沢してるみたいだぜ。
http://toraneko.cside.com/newpage35.htm >盛岡藩財政は北辺警備により火の車状態で、しかも利済の前後の見境もない政策に
>よって窮迫の一途をたどっていたが、それでも利済の道楽は止む気配もなく、
>むしろ拍車をかけるように豪勢な広小路御殿、清水御殿の造営もなり
都合の悪い部分はシカトする南部厨w
>>616 「また花街の一件だけ取り上げて
>拍車をかけるように豪勢な広小路御殿、清水御殿の造営もなり
この情報はシカトするんだな。」
↑だったら、まず、「花街の事に関しては、明らかに私の認識不足でした」
と認めたら?
それをせずに、相手を中傷するような発言ばかりしているから、
相手にされないのは当然だよ。
それとも、花街のことを言い出したのは別人だと言い張るの?
だったら、「悪政を誇張される傾向があるようだ」というのは最低限
認めたら?
君らが相手にされないのは、
明らかな自分の過ちを一切認めず、「南部厨w」などと嘲笑する
レベルの低い人間だからだよ。
>>619 花街については殿様一人が遊ぶために作るわけはないのであって、
俺が言いたかったのは「殿様の見栄や道楽」ってことね。
それで潤った連中もいただろうけど、殿様はそんなことは考えずに
盛岡にも吉原みたいな花街が欲しい「見栄や道楽」だったと言いたかった。
>「悪政を誇張される傾向があるようだ」というのは最低限認めたら?
誇張も何も、調べても南部の酷い話しか出てこないからなぁ。
基本的には悪政という認識になるのでは?
>>616 君は、「真面目に討論する気などなく、南部の人間を貶める気満々」
なのが誰の目にも明らかなんだよ。
誠意もなく、まともな資料解釈もしないし、討論も出来ないに
決まっているから、誰も相手にしないんだよ。
相手にして欲しいなら、それなりの態度をとりなよ。
>>620 盛岡にも吉原みたいな花街が欲しい「見栄や道楽」だったと言いたかった。
↑まず、これは単なる推測でしょ。
推測で「見栄や道楽だったに違いない」と言い張っているから
「悪政を誇張されている」って言ってんでしょ。
自分で「誇張」の一例を出してるじゃん。
それから、「だったと言いたかった」というなら、自分の表現に問題が
あったことを認めなさいって。
自分の側に問題があることを認めずに、
>>578のように、一方的に人に責任を押し付け、嘲笑する態度をとるから
相手にされないんだよ。
ありゃ。なんか討論があったみたいだね。
まあいいや。
>>602で、
『「伊達が一揆をそそのかした」 というなら、そういうソースを出せばいいのに、
「悪く言われすぎの可能性がある」などと、常に憶測で南部を擁護してる』
というので、ソースを持ってきました。
別に、俺は、南部藩を擁護するつもりはないんだけどね。
まともな検証もせずに、歴史人物を糾弾・断罪する人間が嫌いなだけで。
まず、伊達藩にはこれ以前にも一揆を煽動したという前科がある。
ttp://www006.upp.so-net.ne.jp/kawaraban/tokusyuu4.htm 政宗が、さまざまな文書を出し、葛西大崎一揆を陰で煽動した疑惑で秀吉から
呼び出されている。
このとき、正宗は「文書の花押に押したセキレイの目がない」として
言い逃れをしたのだが、今日では、正宗が煽動したのは確実視されている。
第二に、「南部藩での生活が苦しいから、伊達藩に入れてくれ」という一揆勢の
不自然な要求。
上でも言われているが、重税で困っていたのなら、南部藩に掛け合うはず。
こういう発想は当時の農民から出てくるとは思えない。
仮に、日本人が重税で苦しんでいたとして、アメリカに「何とかしてくれ」と
頼みますか?
万一、こういう発想が生まれたとしても、歴史的な経緯から考えて、
「八戸藩に入れてくれ」という要求するのが自然じゃないかな。
これには、上で、「それ以前に何度も税の軽減を要求したが、それが
なされなかった為。伊達藩への帰属を願い出たのだ」という主旨で、
反論がなされているが、
これは、一揆勢がこの要求をした原因を説明したものであって、
何故、このような発想が生まれたのかに言及したものではないよね。
第三に「伊達藩に入れば生活がよくなる」という情報はどこからもたらされ、
それを一揆勢が信用したのは何故だろうか?
第四に、そもそも一揆勢が、何故伊達藩に行く事が出来たのか?
普通、「他国からの数千数万の一揆勢が、わが国になだれ込んでくる」と
するのなら、普通は自国の軍事力で国境を封鎖するよね。
何故、それをしなかったのか?
一揆勢にしても、何故「伊達藩は受け入れてくれる」という
確信があったのか?
これらは、伊達藩が煽動していたとすれば、説明できる。
以上、俺が「伊達藩が一揆勢を煽動していた」と考える理由。
わりと妥当なものだと思うけどね。
626 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:28:19
南部一揆の伊達先導説は、南部・伊達どちらにも資料発見できません。
明治時代になっても一揆を起こしていたのは何故?
>>626 当初は伊達が主導していたけど、その後自主的にやるようになったんでしょ。
資料発見できないのは当然だよね。
そんなもの持っているのが見つかったら、大名でも、一般庶民でも即死罪だろ。
ageますね。
>>624 政宗の件は余りにも有名だから知っているし、政宗の仕業と思うけど、
幕府の体制が固まった江戸時代にそんなことをするかな。
>上でも言われているが、重税で困っていたのなら、南部藩に掛け合うはず。
>こういう発想は当時の農民から出てくるとは思えない。
掛け合ったものの、南部がすぐ前言を翻すから信用されなくなったんじゃないか?
>万一、こういう発想が生まれたとしても、歴史的な経緯から考えて、
>「八戸藩に入れてくれ」という要求するのが自然じゃないかな。
それはない。
「同じ沿岸」と思っているかも知れないけど、岩手の沿岸部から見ると八戸と
言うのは別に近くない、ピンと来ない地域。
(釜石とか山田から見たら、八戸なんて遠い地域)
飢饉でも領民の力になる噂を聞いて、伊達に救いを求めたのもわかる。
ちなみに「どうしても伊達領」というわけじゃなく、「天領ないし伊達領」と言う要求だ。
それに伊達が乗ったのかも知れないけど、「最初から伊達の仕込み」ではなく、
あくまでも「一揆が転がり込んできたから、あわよくば…」的な考えじゃないかな?
>>629 「同じ沿岸」だからと思っているわけではなくて、八戸藩は、元々は
同じ南部藩だったから。
状況証拠はそろっていると思うんだけどねえ。
少なくとも、一揆勢と伊達藩で、緊密な情報交換が行われていたのは
確実だよね。
一方は国境は目指し、他方は国境を封鎖しなかったんだから。
現在の感覚で言うなら、重税で苦しんでいる人が、
「日本の重税をアメリカに訴えよう」「国連に訴えよう」という感じだよね。
情報に疎く、しかも人権意識がない時代の話だよ。
当時の農民が、そういう発想が出来たって、すごく不自然だと思うんだけど。
>>630 だから、八戸は遠いんですよ。
地理的にも気持ち的にも。
沿岸は元々南部氏の領土ではないし。
>八戸藩は、元々は同じ南部藩だったから。
沿岸の人にとっては、凄くどうでもいいことだろうな。
それよりも、江戸時代初期は釜石辺りまで兵を繰り出していた伊達の方が、
心理的にも地理的にも近いでしょ。
>一揆勢にしても、何故「伊達藩は受け入れてくれる」という
>確信があったのか?
確信があったというよりも、「もはや南部と話しても仕方ない」これまでの経緯から
一か八かで向かったんでしょう。
初期の一揆の段階から「南部はいやだから伊達領にしてくれ」とは言ってないんですよ?
>>626-628 普通、なんかの古文書とか出てくるだろう。
もしくは南部側の、「伊達が入り込んで、扇動した節がある」という文書とか。
>>632 その例は詭弁だ。
地続きでその時々で為政者も領地の範囲も変わったから
「アメリカに頼る」
のとは違う。
「隣りの県に訴えた」
程度のものだろ。
>一方は国境は目指し、他方は国境を封鎖しなかったんだから。
一揆は伊達に撃退されるのを覚悟していたが、伊達が結果的に受け入れた
だけの話ではないかな?
無論伊達には下心があっただろう。
だが一揆の発生そのものが「最初から伊達の仕込み」とは言えないだろう。
635 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:52:18
伊達仙台藩と南部盛岡藩の境界線の和賀川はどんな川っすか?
636 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:56:27
南部にl興味を持って入る人が多い
>>634 詭弁は酷いな。荒らしたくないのなら、もう少し言葉には気を使って欲しい。
それから『「隣りの県に訴えた」 程度のものだろ。』というのは、どうかなあ。
今日と違って、情報も交通手段も限られていて、藩が違えば税制や法なども
変わり、行ける人間も限られていたのだから、隣の県に訴えた」よりは
「外国に訴えた」というほうが適切な例えだと思うよ。
実の所、現在の日本からアメリカに行くのよりもずっと大変な
ことだったのだし。
638 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 01:09:00
南部は美しい国でがんす。自然豊かで人情味の有る国でがんす。
まあ、寄せられた反論は、それなりに筋が通っているけれど、
俺の主張を決定的に覆すものではないよね。
「伊達が南部の一揆を煽動していた」というのも、勝手な憶測ではなく
それなりに根拠のある主張だということでいいよね。
「だから、八戸は遠いんですよ。 地理的にも気持ち的にも。」
もう一つだけね。
「気持ち」を討論の根拠にするのはちょっと。
まあ、それこそ、その「気持ち」は分かるんだが。
で、この「気持ち」って言うのは、青森との県境が出来た後の現代人の
「気持ち」じゃないのかな。
それ以前の人たちも、この「気持ち」を共有していたかどうかは
なんともいえないよね。
日本史版で主張しているのだから、そういう点も考慮して欲しい。
だからお前、隔離スレから出てくるなって言ってるだろ?
南部の恥。
>>637 意識的にはやはり、隣りの県程度でしょ。
元々南部領じゃないし、お隣の伊達領になるかも知れない。
>>639 あなたの主張こそ、証拠がないではないですか。
古文書なり、誰かがそういう説を唱えているとか示してくれないと。
第3者が見て、どっちが説得力があるかな。
>>640 沿岸は元々南部の本領ではないんですよ。
県境など別にしても、それこそあなたの言った
>今日と違って、情報も交通手段も限られていて、藩が違えば税制や法なども
>変わり、行ける人間も限られていたのだから
これがまさに八戸でしょ。
沿岸からしたら、八戸は
「仙台藩領民から見た、伊達発祥の地・米沢」
程度のものかと。
自分で強引な反論だと思わない?
反論としては弱いよ。
>>642 変に抽象的だし、それに
>>642の反論を全て認めたとしても、
反論にならない気がする。
説得力がないし、傍証も出さずに、相手の反論には具体的に答えずに
自分の言ったことを繰り返して、「正しい」って言われても困る。
第三者から見て、「伊達が一揆を煽っていた」という方が説得力があるよ。
反論というより、単に相手の言う事を認めないと言い張って、
因縁つけているだけ感じがする。
>意識的にはやはり、隣りの県程度でしょ。
>元々南部領じゃないし、お隣の伊達領になるかも知れない。
これって、全然反論になってないように見えるんだけど。
「やはり」って言われてもねえ。
>あなたの主張こそ、証拠がないではないですか。
根拠を挙げてるジャン。これが証拠でしょ。
>沿岸からしたら、八戸は
>「仙台藩領民から見た、伊達発祥の地・米沢」程度のものかと。
いや、自分の主張を補強するための、あなた自身の憶測というか、
思い込みを出されてもねえ。
645 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 02:56:26
飢饉のとき津軽から流民が南部に来たこともあるからね。
>>600にも有るように南部は領民との約束を反故にしたから
>>601の様に伊達へ越境したんだよ。
南部擁護の連中の解釈が強引で見苦しい。
やはり万国博覧会に草餅を出した奴らの子孫だけのことはある。
自作自演しながらなにやってんだよ・・・
647 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 06:47:21
こんなスレあったんですね。自分、南部氏に滅ぼされた、閉伊氏の血を継ぐ者です。今は姓は違うけど。
もう昼です。
面倒なんだけど、どうしても「県境だ」といいはる
>>642に「常識」と
いう奴を説明しておくね。
国家を成立させておく3要素は、何でしょう?
はい「国民」「領土」「主権」だね。
江戸時代の藩は、領民も領土も持っていますよね。
じゃあ「主権」はというと、年貢を納めさせており、藩札という独自の
通貨を流通させていた藩もあるので「財政権」は持っています。
家来の武士がいますので、当然ですが「軍事力」も持っています。
領民が犯罪を犯した場合は、独自に裁くことが出来るので、
「司法権」も持っています。
国境には関所が置かれ、人の出入りが制限されています。
どう考えても、一つの「国」ですよね。
いま、「県」が軍事力を持っていますか?独自に通貨を発行できますか?
犯罪者を裁けますか?
県境を越えるとき、パスポートを見せなきゃならないですか?
そもそも何故、「今日で言えば国境のようなもの」という「例え」の表現に
「誤った思い込み」で、異常に固執するのか、俺には全く理解できません。
今後も、こういう常識を一つ一つ説明していかなきゃならないのかねえ。
649 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:23:35
南部擁護の人って、言ってることがわけわからない。
650 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 13:35:22
つまり外国みたいな他藩にまで救いを求めるほど、南部の圧政は
酷かったって話だな。
納得できた。
三閉伊通りの奴ら(漁民)wは南部氏スレに来なくていいよ。
652 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 19:14:26
>>648 >国家を成立させておく3要素は、何でしょう?
>はい「国民」「領土」「主権」だね。
この点は当たってるけど、他からの干渉は受けないということも「国家」と呼べる
る要素ですよね。
江戸への参勤交代、幕府への藩主交代の承認願い、幕府による幕末の北方警備命令など、
これでは「国家」と呼べないと思うが。
まあ南部子孫の自尊心を満たすオナニースレというなら話は別かも知れないけど。
万国博覧会に草餅を出した子孫だから情けない奴ばかりだな。
653 :
日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:57:37
幕府政権は統一国家ではなく連合国家であった事も知らないと?
話を戻すけど、読んでみると「伊達が一揆の後ろで暗躍していた」というのも
十分根拠もあるし、説得力もあるよ。
655 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 01:01:37
>>653 幕府の命令で盛岡と八戸に分藩されたけどそれでも国家と言えると?
656 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 01:08:30
>>655 なんども同じコトを言うと、それがいつの間にか真実になるとでも?
根拠をもっと明確にしないとダメだと思うぞ。
657 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 01:09:28
>>651 捏造源氏の南部は、海岸に下りてこないでください。
659 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 01:19:34
>>654 俺は扇動が無かったと思うけど、そのことは重要な問題ではないと思うけど。
どちらであっても「約束を反故にした南部の政治に領民は信用に値しないと考えた。」とは言える。
>>659 単純には否定できないよ。
一揆は、当時の社会秩序を根本から破壊する行為だから。
財政難という実際上の問題を抜きにしても、
仮に、大人数で威圧しての「減税の嘆願」を安易に認めれば、ますます
同様の行為が蔓延って、治安悪化の原因になるし、
一揆の首謀者を処罰しないのも同じ。結局は治安が悪化する原因になる。
色々といわれているけど、当時、藩の財政をよくするための方法は、
事実上なかったと思うよ。
それを糾弾・断罪しようというのは、歴史を知っている者の傲慢さだよ。
学校ででも社会ででも、責任ある立場になったものなら、俺のいう
言葉の意味する所が、痛いほど分かると思うんだけどね。
661 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 01:52:49
明治時代にも南部地方では一揆があった。
662 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 05:12:14
661 :日本@名無史さん :2006/06/04(日) 01:52:49
明治時代にも南部地方では一揆があった。
元ジガーズサンの坂本さとるは青森県三戸郡南部町出身です。
南部ゆかりの方々は是非とも応援よろしくです。(^o^)/
南部が叩かれやすいってのは、津軽との競争意識のエピソード
「相馬大作事件」などを無関係な人たちが礼賛したりするから、
「そんなことやる前に、もっとやることあるんじゃねーの?」
って醒めた視点で見られる部分もあるんじゃないかな。
>>658 >捏造源氏の南部
↑これの理由は?ソース有る?
666 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 00:19:57
>>660 >一揆の首謀者を処罰しないのも同じ。結局は治安が悪化する原因になる。
一揆の要求を受け入れる約束を反故にして、処罰しないという約束を反故にした。
このことを当然のように発言するとは歴史を知らなくとも、越境して訴えられる
くらいは想像できると思う。
やはり万国博覧会に草餅を出した子孫だから情けない奴ばかりだな
>>664 「相馬大作」を絶賛したのは、江戸市民。
>>666 それは近代人以降の人間の感覚。
勿論、江戸時代だって、「約束を守るべき」という社会的な道徳はあった
だろうけど、それよりも「一揆を処罰する」というのを優先するのが
当たり前だよ。
現在だって、誘拐犯やテロリストとした、やむ負えずした約束を、
警察が守らない事はありうるだろう。
アンタの言っていることは「誘拐犯やテロリストに屈しろ」というのと
同じだよ。
「万国博覧会に草餅を出した」という他人から提供された情報を、
いかにも「自分が知っていた」ように嬉々として罵倒に使う、品性下劣、
低脳極まりない人間にこんなこと言っても無駄だろうがね。
あのさあ、「マルクス史観」にとらわれて、
「搾取する悪徳な権力者」「抵抗する善良な庶民」という構図でしか
歴史を見られない人は、「一揆」などを過分に美化するけど、
現在の感覚で言うなら彼らのやったことは「テロ」なんだよ。
勿論、近代以前の社会のシステムや法制度など、
「現代人から見た社会の不完全さ」が原因で、起こっている一面も
あるけど、だからといって、テロを許していいの?
それを言うなら、現在のテロや犯罪だって、その多くは
「やむ負えない事情」で起こっているんだよ。
テロの原因を考え、場合によってはテロリストの主張を聞くのもいいけど、
テロを褒め称え、それを阻止したものに、一方的に「悪」のレッテルを
貼るのはおかしいよ。
>>667 >
>>664 「相馬大作」を絶賛したのは、江戸市民。
その通りのことを言ってるんだが。
無関係な江戸市民が「大作事件」を絶賛するから、何だかなぁと思うのです。
670 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 17:08:10
猟奇殺人犯の大量生産
偉人を輩出できない風土
フジテレビがみれない地域<津軽>
哀れだな 津軽臭
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
671 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 20:17:17
>>668 テロってのは無差別殺人により政治的要求を通すことと俺は理解しているが
一揆って無差別殺人しているのか?
役人は襲われただろうけど一般人には手を出してないと俺は理解している。
「自分が知っていた」ように嬉々としては使ってないよ。
「実に南部らしいエピソード」と思い使ってはいるがね。言いがかりだよ。
やはり万国博覧会に草餅を出した子孫だから情けない奴ばかりだな 。
672 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 21:58:25
テロ国家南部「下斗米事件」
673 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 00:01:37
相馬大作事件だけど、なんで世の人がもてはやしたのか理解に苦しむ。
元々津軽は家来筋だったからって、力を持った戦国大名が自立するのは
よくあることだし、200年以上も根に持つってのが不思議。
こんなの南部くらいだぞ。
また事件のとき南部の殿は幼少で無位無官だから津軽の殿様より格下になるのが
許せないって、時の巡りあわせで津軽にしたら言いがかりみたいなもんだろ。
もし閉伊氏、福士氏、阿曽沼氏とかの子孫が戦国からだいぶ経ったときいきなり
南部の殿様を「先祖の恨み」とかで襲ってたら、祖先への忠義と言うよりも正直
キモい精神病質じゃないかって思いません?
それと同じですよ。
相馬大作事件は南部藩の領土である檜山を津軽犯が不法占拠したのがきっかけ
675 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 00:23:52
忠臣蔵と同じような事、史実と芝居は違いますから。
676 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 00:36:47
>>673 >もし閉伊氏、福士氏、阿曽沼氏とかの子孫が…
閉伊氏、阿曽沼氏に関しては分かるが、何故福士氏?
その辺が分からない、教えてほしい。
678 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 00:48:51
>>676 そのリンク先の下斗米氏に関する記述おかしいよ。
どこから見つけた元ネタなんだろう?
679 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 01:04:15
_ ∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
680 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 01:26:06
>677
盛岡城の元になった居城を南部氏に奪われたらしい。
かつてヤフーにあった東北の歴史トピで、福士氏の末裔の人が
そう語っていた。
>678
自分で貼っておいてなんだが、他にも聞いたことがない珍説
(北畠具教の最期)とかもあるし、信用に値しないかも。
681 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 10:01:56
津軽遺伝子が…
津軽遺伝子は断種しないとね
南部が津軽の独立を軽蔑したのは、別に津軽が自分の分家だったから
「格下」扱いしていたのではない。
「惣無事令」に反して、ドサクサ紛れに独立し、「鷹」という「賄賂」に
よって「既成事実化」したから。
ちなみに「賄賂」によって、相手の権益を自分のものに「既成事実化」する
という手法は、「檜山事件」でも同じ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%A3%E7%84%A1%E4%BA%8B%E4%BB%A4 惣無事令(そうぶじれい)とは豊臣秀吉が出した法令で、
大名間の私闘を禁じたもの。歴史学上では刀狩令や海賊停止令など、
私闘を抑制する一連の法令と併せて豊臣平和令(とよとみへいわれい)と
呼ぶ事もある。
これによって大名間の領土紛争などは全て豊臣政権がその最高処理機関と
して処理にあたり、これに違反する大名には厳しい処分を下す事を
宣言したものである。
さて、「相馬大作」が江戸で絶賛されたのは、本人の忠誠心と言うだけ
ではなく、
江戸時代が「武士道が賞賛されるが、一方で非常に平和な時代だった」という
社会背景がある。
「武士道」がもてはやされても、それを発揮する戦場がなかったんだよ。
だからこそ、「忠臣蔵」とか「大作事件」のような、小規模な
戦闘行為でも「戦」に憧れていた当時の人々は、自分の思いのたけを
こめて、「理想の武士道」を見出そうとしたんだろうね。
江戸の庶民の間では、南部藩士の評判はワリと高かったようだ。
一般に、参勤交代で江戸に上がる武士の多くは粗暴な振る舞いで、
金使いも荒く、嫌われることが多かったらしい。
その点、南部藩士は「貧乏だが、忠誠心が厚く反骨精神が強い」と
見られていた。(貧乏で買い物が出来ないのもあったのだろうが)
ここでは、平手酒造(ひらてみき)の話はあまり出ない。
剣豪で、義理人情にあつく、自分が世話になった宿場のために戦って
命を落としたとされる人物で、芝居や映画になっている。
この芝居は、実在の事件を基にした創作で、平手酒造のモデルになった
のは南部藩の浪人だった。
685 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 11:55:16
さらに津軽臭は猟奇殺人犯を大量生産してる件w
>>680 福士氏の末裔談か・・・、胡散臭い話だよ。盛岡城の地は中津川と北上川の交流点で、現在より低く築城中も度々川の氾濫により水没してる。
そんな場所に名門福士氏が居住してたとは考えられないな。
下斗米氏に関しても、代々下斗米を領した家柄。三戸城で放火犯を討ち取った話や上斗米氏との戦、武勇に関する話は多いが、改易なんて話は初めてみたよ。
面白いネタ書いてあるサイトも有るんだね。久々にワロタ
687 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 14:03:22
相馬大作事件が下斗米秀之進の単独犯であったとは信じ難い。
下斗米は単なる実行犯に過ぎず、実は南部藩の重臣が首謀者だったりしてな。
御公儀の詮議に対し、双方が口裏を合わせて、あくまで個人の義憤による所業であり
藩は関係ないと言ってしまえばそれまでのこと。
脱藩者一人に責めを負わせて、仇敵津軽藩にダメージを与えられるのなら安いものだ。
>>687 それは秀吉によって認められている。
南部側からみた津軽の糾弾すべき点は、「惣無事令」が出た後にも
かかわらず、領土を広げ、それを賄賂によって追認させた点。
現代の感覚で言っても、批判されて当然の行為だと思うけどね。
690 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 14:25:47
高直しの謎なんだが、
「北方警備の代償に、石高を倍増」
って意味がわからん。
加増されたわけでもないのに石高が増えるなんて、南部と津軽くらいしか
聞いたことがないんだが、どういう事情なんだろう。
>>690 「家格」が重要視されていた時代だから、
「低い石高の藩に『国防』という重要な仕事を任せられない」という
建前があった。
だったら、領地を増やしてやるなり、幕府から金を出すなりすればいいの
だが、それをやらずに、名目上の「石高」を増やして、
表面上「『国防』を任せられる大藩」にして、蝦夷地の警備を押し付けた。
>>688 奉行所の申渡文(判決文)に「関良助(南部鹿角 花輪の人)ほか二人に相勧め」とある。
それに仲間の密告で暗殺計画がばれているんだから単独犯では無い。藩は無関係だろうけど。
>>687 都母の国・・・史実も書いてるけど、他のサイト等では見かけない説大杉。
地元の伝承と余りにも掛け離れた記述に関して、以前メールで情報元を聞いたり、地元の伝承を書いたけど返事無し、シカトされたよ。
独自の歴史感が否めない。
福士氏絡みで、ふと疑問がわいたけど、不来方城と盛岡城は同じ場所なのか?
>>686氏も書いてるが、盛岡城築城の際に川が氾濫して幾度も水没や土砂流失してる。
盛土と石垣が無ければ住める土地じゃないと思う。
都母の国見たが謎多き福士氏。
九戸の乱の後、九戸方に参陣してないのに秋田に逃亡?落ち延び?
九戸方に味方した武将の子孫等は、尽く逃げたり姓名を変えたりしてる。
九戸一族でも参陣しない武将も多々居て、江戸期を平穏に生き延びた一族も居るんだが・・・?
しかも鵜飼に僅か150石とは何が有ったんでしょう?
甲州福士郷は、甲州南部郷(牧)内に有った小さな郷。
695 :
日本@名無史さん:2006/06/07(水) 19:52:09
_ ∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
696 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 02:45:14
八戸辺りの在来線を乗っていたら、駅のホームにある名所案内板に、
南部氏縁の史跡などの案内を各駅ごとといっていいくらい見かけた。
こういうところでは、南部氏に親しい気持ちを抱く気風があるのかなと感じた。
逆に沿岸部では南部氏縁の史跡は皆無に等しい。
せいぜい南部氏の代官所がここに置かれていた程度のもので、伝承も
「地元の豪族と、攻め寄せてきた南部氏が戦った」
とかのもの。
これでは一揆を抜きにしても、沿岸部で南部氏の人気がないのもしょうがないかなと。
たまたま天領に組み入れられただけの、元々徳川家に縁のない地方の人が
「徳川家はおらが殿様」
なんて思わないようなもんじゃないかな。
万博と草餅の話は、ここでは俺が出したものなんだけど、それを
いかにも自分が言い出したかのように「知ったかぶり」する奴は
みっともないな。
そもそも、この話は、複数の人から聞いたことがあるけど
ソースがないんだよ。
だから「〜という話がある」としたんだけどね。
ただね、はっきり言っておくと、これって仮に事実としても
南部側が幕府に出した皮肉だよ。
いくら財政難でも、一応は十万石で、南部鉄器や海産物の産出もあったんだから、
草餅しか出せなかったわけではない。
常識的に考えれば
「蝦夷地の警備など、過大な負担に耐えているのに、まださらに負担を強いるのか」
っていう精一杯の反抗でしょ。
当時の万博は、「世界各国の産物の宣伝の場」という一面が
あったんだけど、貿易港も流通路もない南部には、輸出による収益も
期待できないんだから。
ちなみにパリの万博では、島津氏は、「独立国」として幕府とは別に
出展している。
そういう政治色の強い場だったんだよ。
698 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 19:47:44
>>697 政治色の強い場で草餅ですか。自らの間抜けさを披露してしまいましたね。
三陸のアワビを貿易で清に売ってたそうだよ。テレビ岩手の情報。
699 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:04:13
>698
茶と菓子をつまみながらの盛岡城での一こま。
家老1「万国博に協力しろって言われたが、万国博ってなんだ?」
家老2「諸国の物産を持ち寄り見せるらしいが」
家老1「じゃあ南部鉄瓶でも」
一門衆の誰か「そうすると、毎年南部鉄瓶を献上しろといわれかねんな」
一同「それは迷惑至極」
家老1「では、毎年差し出しても差し支えないものを出しましょう」
家老2、ふと目の前の茶菓子を見て「…草餅ではいかがかな?」
一同「それは名案」
てな感じかな?
余談だが、今でもあわびは台湾だかの業者に売る契約になっているから、
沿岸でもあまり手に入らなかったりする。
700 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:04:23
>いかにも自分が言い出したかのように「知ったかぶり」する奴は
>みっともないな。
前にも言ったけど自分が言ったかのようになどしてないよ。言いがかりです。
面白い情報を教えてもらい感謝しています。
>まださらに負担を強いるのかっていう精一杯の反抗でしょ。
いくら貧乏な南部藩でも南部鉄器くらいは出せるでしょう。
草餅を出したのはやはり政治センスの無さがなしえた間抜け行為でしょう。
701 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:21:16
>一門衆の誰か「そうすると、毎年南部鉄瓶を献上しろといわれかねんな」
>一同「それは迷惑至極」
むちゃくちゃ強引な設定と解釈だな。
702 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 03:23:22
>701
いや、ちょっと遊んでみただけだ。
>700
南部の思考回路なら
「津軽をギャフンと言わせる名産物を出そう」
と気張るはずなんだが、恐らく万博の意味がわからないから
「とりあえず草餅出して様子見るか」
で落ち着いたかと思う。
万博に草餅を出品したという話は有名なの?聞いた事なかった。
今の時代なら、貴重な草餅(よもぎ餅)だな。時代の先取りって事でFA
本当のところ、万博の意味すら分からなかったんじゃね。
>>702 なにその半島気質wwwwwwwww
すげーワロタ
海岸へ降りてくるなよ
>>705 煽り方が他某スレの厨そのものだな。
>>ALL
以後沿岸(閉伊)ネタはスルーでよろ。
709 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 00:07:10
_ ∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
710 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 00:49:42
草餅出品に関するなにか文献なり伝承はありますか?
_ ∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
_ ∩
( ゚∀゚)彡南部!捏造!
⊂彡
_ ∩
( ゚∀゚)彡百姓!一揆!
⊂彡
712 :
697:2006/06/11(日) 01:22:14
あーあ。あのねえ。
「草餅と万博」の話は、俺が出した情報。
そもそもの情報を出した、俺が「幕府に対する抵抗だ」と、自分の聞いた
情報から説明しているのに、受け取った側が、
「いや違う、政治的なセンスの無さだ」って、何故、自分の勝手な解釈を
言い張るのかねえ。
そういうのを「知ったかぶり」って言っているのに、恥知らずな人間には
何を言っても通用しないのな。
元ネタでは、南部に来た幕府の役人に
「万博に何か出展するものを南部から出させてやる」という横柄な態度を
とられて、「南部には何も無いから、これでもどうぞ」って草餅を出し
たって話だったのだが。
713 :
697:2006/06/11(日) 01:38:32
それから、海産物は輸出できても、南部鉄器は輸出できない。
そうとう上のほうでも、
「南部鉄器を藩の主力商品として売ればよかったのに、
それをしなかった南部候は馬鹿だ」という主旨の投稿があったが、
これは投稿した人間のほうが馬鹿。
南部鉄器は大量生産できる代物ではない。
鉄器一つ一つについて、手作業で粘土の鋳型を作り、鋳型を焼き、それに
溶かした鉄を流し込み、鋳型を壊して鉄器を取り出し、さらに取り出した
鉄器を焼いて漆を塗り、防錆処理をする。
とてつもなく手間のかかる作業で、到底、大量生産できる代物ではない。
逆に言うとこういう手間のかかる工芸品だからこそ、伝統産業として
現代でも生き残っている。
つまり、当時、江戸に商品として流通させて、藩の財政を立て直すのに
使うの無理だし、輸出など夢のまた夢。
現在は江戸時代に比べ、何万倍もの情報が容易に得られる。
その現代において、この程度のことの判断ができない人間に、
江戸時代の藩主を責める資格などない。
人を馬鹿にする前に、少しは自分自身の姿を謙虚に振り返ってみてはどうかな。
714 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:23:53
>元ネタでは、南部に来た幕府の役人に
>「万博に何か出展するものを南部から出させてやる」という横柄な態度を
>とられて、「南部には何も無いから、これでもどうぞ」って草餅を出し
>たって話だったのだが。
最初からそう書けばいいだろう。
「万博の展示物候補に草餅を出した」
とだけ書かれたら
「南部は世間知らずだから草餅を出した」
と思われてもしょうがないだろう。
715 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 07:42:28
>>713 おまえはいつも、くどい。
「この話は又聞きです。真偽の程ははっきりしてません。」
といえばですむ話だろう。
716 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 08:43:53
>一門衆の誰か「そうすると、毎年南部鉄瓶を献上しろといわれかねんな」
>一同「それは迷惑至極」
こういう下手くそな推理を載せるから信用できないんだよな。
信用できるのは事実として語った
_ ∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
だけなんだよ。
717 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 08:50:42
それから「物産は豊かでも輸送用の道路が無いから南部は貧しい。」という発言もあったがこれは間違い。
前にも書いたが江戸時代三陸のアワビを中国・清に輸出してるから輸送はできた。
「知ったかぶり」してるのは南部擁護の奴らの方だな。
718 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 08:59:50
719 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 09:19:45
今の靖国神社の宮司さんて、南部の殿様の子孫の人ですよね。南部家何代目の方なんですか??
720 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 14:04:45
>>716 それ、推理じゃなくて小ネタとして遊んだだけなんだが。
>>717 大槌孫八郎とか、南部鼻曲がり鮭として江戸に輸出しているしな。
722 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 20:24:05
>>719 江戸末期と言い切れる資料があるわけだ。教えてくれ。
国交の無い国に、南部藩が直接輸出なんて出来る訳無いのでは?少なくても直接交易は明治以降だよ。
724 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:41:22
>>723 鎖国時代交易していたのは中国、朝鮮、オランダ。歴史の授業で習ったよ。
725 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 21:43:30
>>723 南部藩が幕府を介して輸出していたということだろ。直接交易とか言ってないし。
>そもそもの情報を出した、俺が「幕府に対する抵抗だ」と、自分の聞いた
>情報から説明しているのに、受け取った側が、
これも結局「俺が聞いた情報」ってだけで、信憑性がないな。
それはあとからの好意的な(強引な)解釈ってだけで、本気で草餅出品したのかもしれない。
なんかマジで、キムチョソに似てきたな南部・・・
幕府を介して中国なんかと貿易ねぇ・・・しかしないんだよな。
当時の長期輸送可能な海産物は、昆布・鮑・海鼠・鯣など全て乾物。
昆布や鯣は国内消費されてるが、干し鮑や干し海鼠は日本では食べなかった。
江戸後期以降には、上方商人が買い付けてるんだな。幕府を介して交易なんて無いぞ!!
728 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 23:32:25
>>717 こいつ、岩手の内陸と沿岸部の違いをわかっていないね。
729 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 23:35:59
>>726 情報に信憑性がないというなら、そもそも自分の主張に使うべきではないだろ。
他者が出した情報で、他人を中傷するのに都合のいいところばかりを
つまみ食いしているから、みっともないって言われるんだよ。
「南部藩の政治的なセンスの無さの現われだ」と言い張るなら、自分で
ソースを見つけ出してくれば良いだけの話。
>>729 726が一体なにを「主張」したと言うのかなぁ?
キムチ臭いぞ、マジで。
731 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 23:51:54
「年代考証汁」とか「わかっていない」とか言う前にもう少し具体的に言えないものかな。
具体的に言う材料が無いか突っ込まれるのが嫌かどちらかだな。
>>727 >上方商人が買い付けてるんだな。
悪いけど突っかかり方変じゃない?
俺は幕府とは言ったが「直接交易は無い」に対して答えたのであって、上方商人を持ち出すのって本質ずれてる。
さらに言えば「介す」をどうとるかだな。上方商人だって幕府の許可は得ていただろうし、
許可を得ることも「介す」に入ると思うが。
俺に突っかかるなら
>国交の無い国に、南部藩が直接輸出なんて出来る訳無いのでは?少なくても直接交易は明治以降だよ。
この発言に突っかかるべきだろ。
南部擁護は内容がヘボか書いてあることは多少マシでも論点ズレてるかどちらかだな。
沿岸部の産物は、輸送できたよ。沿岸なんだから、船で運べた。
内陸はそうはいかない。
日本の都市の多くは海岸沿いにあるけど、盛岡は内陸。
沿岸に出るには、北上産地を超えなければならず、輸送は難しかった。
>>730 何の資料も出さずに相手をからかい、嘲笑うアンタのほうが
よっぽどキムチ臭い。
疑うなら、日韓の同時翻訳のサイトでも見てみな。
韓国には、アンタとそっくりな人間がワンサカいるぞ。
討論できず、論点も提示せず、ひたすら相手を愚弄する人間な。
734 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:08:25
>>558 にあるように
>それから、幕末に幕府から、万国博覧会に出展を要請されたが、
>出すものがなく、仕方無しに「草餅」を出展したが無視された、なんて
>悲しい話もある。
前から気付いていたのだが
「出すものがなく」「仕方無しに」「悲しい話」とあなた自身が書いている。
それでいて
_ ∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
が出ると「幕府に対する不満から」「反骨精神を見せた話」なんて言っても信用出来ると思う?
>>734 そもそもそれ、「南部の財政が貧窮していた」という主張の一つの例として
述べたこと。
主張の主旨とは直接関係ないその表現に粘着して、「信用出来ると思う?」
って馬鹿しか思えんな。
何度も言うけど、信用できないなら、「万博と草餅の話」自体を使わなければ
いいんだよ。
ようするに、資料を恣意的に解釈する気がアリアリとわかるわけで、
そういうのをみっともないって言ってんだけどねえ。
ここに「万博と草餅の話」を出したのは俺で、その元々のネタ元を
知っている俺が、「これは反骨精神を見せた話」だって言っているのに、
「いや違う」って言い張るのがおかしいと思わんの?
「違う」というなら、その解釈の根拠となる新しい資料を出した上で
言うのが普通じゃないの?
自分では、創造的な作業をなにもせず、人の出した資料や解釈に、
オンブに抱っこで話に加わっているくせに、中傷だけは一生懸命って
おかしいだろうがよ。
737 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:28:09
>>735 >信用できないなら、「万博と草餅の話」自体を使わなければいいんだよ。
信用できないのは、「万博への草餅出展」ではなくて「草餅を出した理由」だよ。
わかっててとぼけてるだろ。
幕府に対する反発という明確な意図があったならあなた自身「仕方無しに」なんて書かないだろ。
あなたの恣意的に解釈する気がアリアリとわかるわけで、そういうのをみっともないって言ってんだけどねえ。
>>737 何度も同じことを言わせるなって、
「草餅を出した理由」を信用できないというなら、何故、「万博への草餅出展」の
話は信用するんだよ。
要するに、他者を中傷するのに都合にいいネタを抽出して使っているだけだろ。
こういうのも一種の捏造なんだが、分かんないのかねえ。
739 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:38:09
>>738 自ら積極的に選んだ行動(万博への草餅出展)を「仕方無しに」と表現する日本語にいまだ出合ったことが無いから。
面白い話をしような。
韓国には、「日本書紀」「古事記」と同時代の歴史書がないんだよな。
で、韓国の歴史学会では、仕方がないから「日本書紀」や「古事記」の
記述から当時の朝鮮半島の様子を推察している。
だけど、韓国の歴史学会では「朝鮮半島が日本に文化を伝えた」という事例の多くは
「日本書紀・古事記」を資料にして「正しい歴史」ということに
なっているけど、同様にこの資料にかかれている「日本人が朝鮮半島の一部を支配した」と
いうことは、ほとんど検証もされずに「嘘」ということになっている。
自分達に都合のいいことだけが「正しい」、都合の悪い事は、
「嘘」となるわけなんだな。
アンタに似ていると思わんか?
>>739 頭痛いなあ。
万博には出展されていない。
そもそも南部藩は、自ら積極的に選択などしていない。
幕府の要請に対して、「出せるのは草餅だ」として、事実上は出展を
断っているの。
アンタが馬鹿だからといって、当時の南部藩の首脳まで自分と同レベルと
思わないように。
742 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:45:32
紀記など例に出さなくても日本語を普通に解釈しましょう。
初めは「仕方無しに」やったと言ってるのに、
後になって「反骨精神を見せた」なんて言っても「なるほど」と思えません。
>>742 信用しないなら、信用しないでいいんだよ。
でもなんで、「万博への草餅出展」は信用するの?
つまりは「資料を恣意的に解釈する」ってことでしょ。
この場合は、南部氏を馬鹿に出来るものならなんでも「正しい」
逆に少しでも「南部氏が優れている」という事になりそうなら、「信用できない」
そういうところが、みっともないって言ってんだよ。
744 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:49:55
>>741 幕府に対し万博に出せるものを「草餅」と回答したわけね。
了解。その点は俺も表現に不適切な部分があった。
これからは万博に出せるものを「草餅」と回答したという意味で
_ ∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
を使わせていただきます。
だいたい、「仕方無しに」ってえのは、俺の表現の問題だろ。
「南部氏の困窮」の一つの例として分かりやすく説明するために
「仕方無しに」って表現を使っているのに、そこに粘着して、
妙な色眼鏡でいろいろ穿った見方をするんだから、疲れる。
そもそもが、そこまで強弁するなら、自分で自分の主張の根拠となる
資料を探し出してくれば良いのに、絶対にそれはしない。
他人の出した資料に、自分の恣意的な解釈を押し付けるだけ。
いい加減、恥ずかしい事をしているのに気が付けよ。
良く恥ずかしくねえなあ。
そもそも、同時代に産まれて、同様の環境に育って、自分はどれだけのことが
出来たと思っているんだろ。
この辺の自分が見えていない低脳さと傲慢さは、ちょっと言葉に
できないほど卑しいんだけどな。
747 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:58:19
【仕方無い】 辞書より
1 する手段・方法がない。
2 どうにもならない。困ったものだ。
3 やむをえない。
4 たえがたい。がまんできない。
辞書には「積極的に自らの意思で行動を選択した。」なんて意味は無い。
初めに「仕方無い」と書いておきながら後になって、「これは反骨精神を見せた話」なんて
書いても「理由については」信用できるわけ無いだろ。
>>747 何回言ってもわからんの?
これは表現の問題でしょ。
表現に拘るのは、たんなる揚げ足取り。
そもそもの主旨と関係ないところで、俺の表現が一人歩きして中傷に
使われているのが問題だと思って批判しているんだけどね。
自分の、不公正さ卑しさが分からん人間には、何を言っても無駄かな。
困るよなあ。
こういう人間って。
中傷する対象、見下す対象を見つけ出そうと必死になっている。
通俗的な解釈を言わせてもらえば、
低脳な人間は、見下す対象、自分よりも低脳な人間がいてくれなくては困るわけ。
それがいなくなれば、自分の「低脳さ」と直面せざるを得ないから。
他人の低脳さをわらっれいれば、自分の低脳さから目をそらすことが出来る。
だからこそ、歴史事実や資料と関係なく
「南部候は馬鹿でなくてはならない」
嘲笑する対象がどうしても、欲しいんだろうね。
751 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 01:15:42
まあ結論から言えば
幕府への「万博・草餅」回答について
「幕府への反発説」「政治のセンスが無い説」があるわけだ。
どちらが正しいにせよ万博に出せるものを「草餅」と回答したことについては
両者とも異論が無いわけだろ。つまり
_ ∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
を使っても間違いではない。これでいいんじゃね。
752 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 01:44:13
おうとうだな。
753 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 02:04:59
>そもそも、同時代に産まれて、同様の環境に育って、自分はどれだけのことが
>出来たと思っているんだろ。
横レス失礼。
時代によって価値観は変わるよね。
昔は戦場で敵の首を獲れば英雄だが、今仮にイランとかでゲリラの首を切り取って
腰にぶら下げていたら、キチガイ扱いされる。
南部が仇敵津軽への対抗意識で褒められたのは、当時の価値観。
南部の領民への無為無策が責められるのは、今の価値観。
津軽相手に席次とかで対抗せず力を蓄えて、飢饉のときは米を他所から買い取って
領民に配れば、江戸時代は「軟弱だ」「津軽が悔しくないのか」と貶されても、
今の時代なら「名を捨てて実を取る、善政を敷いた南部」と褒められたろうに。
>>753 逆に言うと、当時の価値観にのっとって正しい行いを、
現在の価値観を持ち出して嘲笑や中傷の対象にしているから、
おかしいんだって。
こういう卑怯さ傲慢さは、現在でも江戸時代でも、おそらく未来においても
軽蔑される。
>>751 ちゃんと読みなよ。
「万博・草餅」の話は、出した本人が「本当かどうか分からない」って
いってるよ。
それなのに、その話に異常にこだわり、この話を独善的に解釈して、当時の
南部藩を見下す人間がいるから、呆れてもいる。
756 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 14:20:05
>>754 歴史ってそういうもんだろう。
古代の天皇が
「民の苦しみを救う」
と称して大規模な仏閣を建造して余計民を苦しめたのも、現在では嘲笑の対象。
苦しかったんじゃなく万国博覧会を東北物産展と勘違いしただけだろ
えー
もうちょっと入り組んだ感受性と情動を持った普通の人間は
ただの嘲笑はしないと思うよ
759 :
756:2006/06/12(月) 16:10:30
>758
「現在では嘲笑の対象」
これは言いすぎた、
まぁ俺一人が嘲笑してるだけなんだけどな。
だって「民の苦しみを救う」と言っておいて、民を強制労役に狩り出して
飯は自弁じゃ笑い話にしかならない。
当時の民衆も「俺らを救う気があるなら、仏像建立やめてくれって話だよな」
とかこっそり話してたりして。
そういう感じに思ってるなら嘲笑と書かず
「皮肉な話だ」
くらいにしとけばおまいの感じてるのにより近くなるんでない?
それとも本気で嘲る気でもあんの?
761 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 19:01:11
>そもそも、同時代に産まれて、同様の環境に育って、自分はどれだけのことが
>出来たと思っているんだろ。
幕末の万博については幕府が芸者に芸を披露させて外国からも好評だったそうだ。
薩摩藩は日本とは別に展示スペースをもうけてそこで自分のところの産業をアピールして
国際的に知名度を上げたそうだ。
そんな中にあって南部藩は「草餅」を出展しようとしてボツになった情けなさ。
幕府に情報で負けているのはまだしも、同じ地方の藩である薩摩にも完全に遅れをとっている。
やはり南部藩はクソだ。
762 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:10:14
現実問題として草餅を出展しようとしたら菓子職人をパリへ送って現地で製造させるしかないわけで、
もし実現していたならばジャポネ・パティシエのつくる草餅と大評判になっていただろうに。
763 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 23:31:23
奇矯屋君
>>761 「同じ地方の藩である薩摩にも完全に遅れをとっている。」
こういっている時点で、歴史を知らない馬鹿か、事実を歪めて、
嘲笑しようとしている卑怯者かのどっちかだな。
近代以前の農業が経済の基盤であった社会で、南国の薩摩藩と、
北国の南部藩を「同じ地方の藩」っていってる時点で、馬鹿丸出し。
その上、薩摩藩は沖縄を支配して、密貿易もしていたし、その物産を
売っていた。
経済力や情報力では、どう頑張っても比較にならない。
そもそも、薩摩藩が別に展示スペースを設けていたのは
「幕府から独立」を前面に出した、反幕府的な姿勢の表現。
それを理解できずに
「自分のところの産業をアピールして 国際的に知名度を上げたそうだ。」って
アホですねえ。
一番低脳なのは、「独自に展示を出さなかった」というのは、
南部藩にかぎらず、薩摩以外のどの藩も同じという、当たり前の事実を
無視していること。
あえて南部藩ばかりを取り上げ、「完全に遅れている」「やはり南部藩はクソだ。」
っていうのは、明らかに不公正な歴史認識。
さて、
>>761は「馬鹿」「卑怯者」のどっちだろ?
それとも「馬鹿で卑怯者」なのかな。
いつも思うが、「江戸時代の南部藩の財政政策」を馬鹿にしているのなら、
@「南部藩は、どういう政策をとれば良かったか」という案を出し、
A「それが江戸時代の南部藩という社会で可能だったか」を検証したうえで、
B「当時の藩の関係者が、その政策を発想できたか」という視点で、考えて
当時の南部藩の政策が、批判されるべきものだったのかどうかが決まる。
ここで、南部藩を口汚く罵っている人間達は、@すらまともに出していない。
現在は江戸時代に比べて、社会的な制約がはるかに少なく、情報が何万倍も
手に入れやすい環境。
その環境において@すら提案できない人間に、当時の藩政を批判する
資格などないと思うがねえ。
ここに「会社を設立し、一部上場企業にまでそだてあげられる」
という人間が何人いる?
社会的な制約が多かった江戸時代に、南部藩の財政を立て直すのは、
現在社会での、「会社設立、育成」以上に難しい事だよ。
それが理解できずに、安易に過去の人間を誹謗中傷するのは
傲慢で卑劣、恥知らずといわれても仕方がない。
ここでは、薩摩藩や上杉鷹山と比較して、南部藩を馬鹿にする投稿も
多いけど、これらは江戸時代260年間を通じての数少ない「成功例」
なんだよ。
そうだよな
どこの素性かわからない奴らが
「源氏直系!」
と名乗れたんだもんな。
成功例だよ。
三戸南部は詐欺onぷらっと◆
769 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 19:46:34
>>764 薩摩と同レベルとまでは言わないがあまりに格差が大きいということは確か。
これで南部鉄瓶を出していたなら俺も「クソ」とは言ってないよ。なにしろ「草餅」だからな。
770 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:03:26
>>765 >@「南部藩は、どういう政策をとれば良かったか」という案を出し、
>A「それが江戸時代の南部藩という社会で可能だったか」を検証したうえで、
>B「当時の藩の関係者が、その政策を発想できたか」という視点で、考えて
@備蓄米を武士が奪わない。名目の石高増加を自ら希望しない。仙台藩との約束を破り領民を処刑しない。
領民の開発した鉱山を召し上げずに収益に応じた税をとる。
A可能
B発想できた
政策でもあるがモラルのレベルでもある。そのモラルのレベルでさえまともなことができなかったから
「南部はクソ」なんだよ。
771 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 20:10:26
>>766 あなたの問いには隣藩である仙台藩との違いの以下の資料を答えとします。
仙台藩は南部藩より経済力はあっただろうがそれでも政策には点と地ほどの
違いが有ると思うがどう?
盛岡藩は無策の上に、備荒米さえ武士が奪った。
明治以後に岩手県に編入された近接の胆江地区(仙台領)では、
「救貧や救荒の備蔵(そなえぐち)、郷蔵(さとぐら)および郷倉などと
いった各家々や地域単位で飢饉に対して備蓄していました。
さらには、『救荒略(きゅうこうらく)』、『民間備荒録(みんかんびこうろく)』などと
いった、山野草の食べ方や備蓄の仕方などを細かく解説した、飢饉対策用のマニュアルも作成されていた。
奇矯屋onぷらっと◆
沿岸ネタ、草餅ネタで粘着してるのは津軽人。
相手にするだけアホです。スルーしなさい。
774 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:16:24
>>773 スルーするかどうかは俺に批判した奴が決めればいいこと。
仮にスルーしたらそれこそ人を批判する資格などないと思うがねえ。
>>773 wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
777 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 01:08:19
>@「南部藩は、どういう政策をとれば良かったか」という案を出し、
水稲栽培にこだわらず、雑穀や畑作の奨励。
課税は無論、稲作基準でなく畑作基準。
水産資源の積極的な輸出。
石高上げも、自分から申請したなら論外。
押し付けられたのが実情なら事前に察知(そのための江戸留守居役だろ)
して、増収が伴わない石高上げを避けるための下工作を凝らす。
>A「それが江戸時代の南部藩という社会で可能だったか」を検証したうえで、
可能でしょう。
>B「当時の藩の関係者が、その政策を発想できたか」という視点で、考えて
出来たけど、やらなかっただけでしょう。
778 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 07:29:09
稲が育たない冷害の年には畑作物は全滅だな。
基本的に米作が基準となっているのは保存できる穀物だから。
米=金という幕府経済の根幹を改革する力はないよ。
>>778 >稲が育たない冷害の年には畑作物は全滅だな。
単なる無知ですか?冷害で稲が育たなくても、他の穀物は採れるんだがな。
782 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:21:42
_ ∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
>>781 >雑穀ではない畑作物
私は
>>780じゃないが、はて?何が言いたいのやら・・・雑穀も畑作物じゃないの?
と言うか畑作物=葉物や根菜等かな?冷害で寒さに弱い稲が育たなくても、野菜類は案外育つよ。
当時なら大根とかゴボウ等の根菜の場合、サイズは平年より小さめですが冷害に強い野菜です。
784 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 03:01:54
>>778 >基本的に米作が基準となっているのは保存できる穀物だから。
米作が厳しい寒冷地で米作を強制した根拠にはならないな。
保存なら雑穀でも根菜類でもいいだろう。
要は課税じゃないかな?
畑作と米作では課税率が違うから、収入を確保したいがために米作を強要して、
不作の年でも課税を盾に備荒米を奪っていったと。
米を基本としているのは藩政策じゃないし。
786 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 23:33:25
>>785 昔NHKで放送した番組で南部では寒さに強い稲を育てていたが
藩政策で寒さに強くない稲(醤油?の原料になり現金収入を得やすい)を
領民に作らせたため飢饉が増えたというのを見たことがある。
だから南部はクソなんだよ。
あ〜あ。
まずね。俺の主張に対して、答えてくれた事”だけ”は評価する。
2ちゃんねるでは、悪口を言うだけ言って、逆に問い詰められると、
捨て台詞だけほざいて、逃げていく人間が多いからね。
ただ、常識を知らないまま、人を批判する馬鹿が多いね。
米は育たなくても野菜は案外育つ。
ふ〜ん。
まずね、何度も言われている事だが、南部の藩政を批判するまえに、
江戸時代の常識を知ったほうがいい。
江戸時代の税制の基本は、「稲作」に対する課税。
稲作以外の産業、他の農作物や、漁業に対しての課税は、例外的なものを
除いて基本的には無かった。
「稲作」以外のものに対しての課税は、社会常識からいっても非常に難しい
と思っていい。
>>777>>780>>783は、あまりに無知。かつ無恥。
まず、「稲作」以外のものから徴税は難しかったことを踏まえて、
もう一つ指摘をしよう。
「米以外の農産物を育てれば助かった。それに対しても課税した南部藩は酷い」
という主旨で批判しているのだが、農業に対する最低限の
常識を知らない。
穀物生産に関する、基本中の基本を知っておいて欲しい。
まず、米以外の農作物。
例えば、一粒の小麦から、何粒の小麦が出来るか知っているかな?
それから、一粒の米から、何粒の米が出来るかもしっているかな?
まずは、ここからだよね。
米は、普通に育てば、一粒の米粒、つまり一つの苗から水稲耕作で、
100から300粒の米粒が収穫できる。
これに対して麦は、一粒の麦に対して、40から50程度。
実際に田や畑に巻いた場合は、時代や場所、農業技術に関しても大きく異なるが、
江戸時代末期の日本ならば、米なら、撒いた米一粒に対して50倍程度の
収穫が期待できたといわれている。
それに対して、小麦は撒いた種子に対して、数倍程度の収穫しかきたい出来ない。
つまり、多くても4倍から5倍といったところ。
野菜などは、種は数多く出来るものもあるが、一つの苗に対して
数個しか出来ないのが普通。しかも、野菜の栄養素は、穀物と違って
炭水化物ではない。
俺の言っている意味が分かるかな?
つまり、米以外の農作物を育てても、米ほどの収穫は期待できない。
(だからこそ、稲作に適していない東北地方でも、農民は必死で米を育てた)
そして、米以外の農作物からは、税を取り立てる事は基本的にはしていない。
また、穀物以外の野菜を食べても、カロリーは取れない。
要するに、米以外の作物を育てても、「飢饉」は絶対に免れないんだよ。
「例外で米が育たないなら、それ以外の作物を育てればいい」などと
ほざいているのは、低脳過ぎる。
それを根拠に、南部の藩政を批判している人間は、あまりに卑怯だ。
軽蔑する。「恥を知れ」と言いたくなる。
もう一度言おう。
現在は江戸時代に比べて、何万倍も情報が得やすい時代である。
現在において、この程度の情報収集ができず、判断もできない、
無恥で低脳な人間が、南部の藩政を批判する資格など無い。
いい加減、自分がどれ程卑しい行動をしているか、自覚しろ。
@「南部藩は、どういう政策をとれば良かったか」という案を出し、
A「それが江戸時代の南部藩という社会で可能だったか」を検証したうえで、
B「当時の藩の関係者が、その政策を発想できたか」という視点
>>770 @備蓄米を武士が奪わない。名目の石高増加を自ら希望しない。仙台藩との約束を破り領民を処刑しない。
領民の開発した鉱山を召し上げずに収益に応じた税をとる。
A可能
B発想できた
>>777 >@ 水稲栽培にこだわらず、雑穀や畑作の奨励。
課税は無論、稲作基準でなく畑作基準。
水産資源の積極的な輸出。
石高上げも、自分から申請したなら論外。
押し付けられたのが実情なら事前に察知(そのための江戸留守居役だろ)
して、増収が伴わない石高上げを避けるための下工作を凝らす。
>A 可能でしょう。
>B 出来たけど、やらなかっただけでしょう。
↑マルクスレーニン主義。早く言うと共産主義の歴史認識。
傲慢で自分の無恥が自覚できず、足りない知識と、狭い視野に基づいて
他人、特に歴史人物を裁こうとする。
何よりも、着目すべきは、
「出来たけど、やらなかっただけでしょう。」という発想。
つまりは、歴史における政治は、「権力者の悪意に基づいている」という発想。
これは、歴史学の問題というより、心理学の問題。
まずは、極々普通の反論な。
>>770 >備蓄米を武士が奪わない。
武士が備蓄米を奪ったという、信頼できる資料を出してください。
当時の武士が、農民から年貢以上の取立てをすれば、それだけで切腹、御家断然ものです。
また、備蓄米を奪えば、次年度以降の収穫が失われます。
農民が死ねば、武士も死んで生きます。その程度の認識は、当時の武士にもあったはずですが。
>名目の石高増加を自ら希望しない。
これは何度か言っています。
南部藩が自ら、石高増加を申請したという資料を出してください。
>仙台藩との約束を破り領民を処刑しない。
これも以前言いました。一揆は、当時のテロ行為。反社会的な行為です。
当時の社会常識から言って、処刑するのは当然なのです。
当時の社会制度に言及しないまま、「約束を守れ」と言い張っても、子供が
泣き叫んでいるのと変わりません。
>領民の開発した鉱山を召し上げずに収益に応じた税をとる。
「領民が開発した」という資料を出してください。
また、藩側が、どの程度の資本投下をしたのか言及せずに、
「農民のものを召し上げた」と言い張るのは卑怯です。
批判するなら、この点も資料の提示を願います。
あのー、南部藩では雑穀や野菜なんかにも課税してたよ。
さらに農閑期に副収入として作ってた、わらじ・笠・稔・・・等の売り上げにも課税してる。
米が育ちにくい地域には、藩主導で雑穀の栽培を推奨してる。
>>786 赤米とか黒米と言われる古代米の事だね。確かに古代米は寒さに強いって言うけど、南部氏が北奥に来る前に白米栽培に変わったんじゃないかい?
南部厨、隔離スレに帰れ。
ここが南部スレな訳だが
南部のまじめなスレッドはここです。
それとは別に、
南部スレ住人も迷惑してる、南部厨というキチガイ隔離専用スレがあります。
796 :
770:2006/06/16(金) 23:45:07
>>791 何日も反論がないと思ったら「出典は何?」ですか。
昔読んだ本などが主な出典だが、仮に資料を探したところでこちらの主張を
認める気が有るの?
俺もさすがに自分で作り話をするほどいい加減じゃないが過去においても
「輸送手段は無いから南部は貧しい」という主張に対し
「海外にアワビを輸出していた」と俺が言ったら
「海路では輸送していた」なんていった人もいたよな。
この発言があなたでないとしても「輸送手段は無いから南部は貧しい」と言った人にも
「出典は何?」ときいて欲しいものだ。
第一あなたの言葉を借りれば今の情報量が豊富な現代においても「無いことを証明する」
ことは難しいのに、江戸時代の南部藩で「輸送手段は無い」と言い切る方がよほど頭が悪いと
思うけど。
家紋が菱割で苗字に戸がつく津軽人です。
討論の最中に大変失礼致しますが、
八戸さんと言う苗字は根城南部氏と、
何か関わりがあるのでしょうか?
青森市内でも数十世帯あります。
詳しい方マジレスお願いします。
799 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 01:07:02
根城
>>797 津軽人は津軽家スレがあるだろうが。
津軽臭は南部氏スレから消えろカス!
>>796 批判になっていないよ。
揚げ足とりしかしていない。
何度も説明されているけど、南部の場合、藩都のある内陸と沿岸部の
流通路が悪かったのが、経済が発展しなかった最大の理由でしょ。
そもそも、上で言ってるのは、「内陸の盛岡近辺で、南部鉄器を作って経済発展
させればいい」それから「万博に出せばいい」というのに対しての反論でしょ。
「南部鉄器は大量生産は無理で、輸出などの流通もさせられなかった」
と言ってるんだよ。
それに対して、「アワビは輸出されていた」では何の反論にもならない。
岩手の沿岸の話で、西欧諸国中心の「万博」には関係ない中国に対する輸出で、
「アワビ」というのは、物資としてはかなり特殊なんだから。
まず、地図を見ろよ。
岩手の内陸部と沿岸部の間には、北上山地があるだろうが。
流通路が確保できなかったなんて、容易に想像がつくことだろ。
なんで、現実を見ずに、自分の断片的な知識に固執するかな。
食えばなくなる「アワビ」と違って、南部鉄器は長年使用できる。
流通路が確保できたとして、アワビ並みに需要があったとは思えん。
江戸時代って、日本以外の国では、まだまだ「質より量」という
感覚だったろうから、美術品ならともかく、南部鉄器のような、
工芸品をわざわざ高い金を買ったかねえ。
陶磁器のような美術品として評価できるものなら、王侯貴族が
かっただろうけど、南部鉄器のような工芸的な価値のある
実用品は、当時ではまず売れないだろ。
>>797 一戸さんですか?
八戸さんに関しては分からないな、八戸にも何件か有るみたい。
>>804 一戸です。
近所に八戸さんが住んでるので気になってました。
レスありがとうございます。
806 :
770:2006/06/17(土) 13:37:44
>>802 >>803 >何度も説明されているけど、南部の場合、藩都のある内陸と沿岸部の
>流通路が悪かったのが、経済が発展しなかった最大の理由でしょ。
海産物を海運→現金化→財政を潤す
これで無問題じゃないかな。
藩都や内陸を経由しなければならない理屈がわからんけど。
「南部鉄器で財政を潤す」発言は俺はしてないけど、材木が地方から江戸や大阪に
売られたという話もあるし、南部鉄瓶を運べないというのは疑問だな。
南部鉄器や材木はどうか知らないが、北上川を使って物資を輸送していたというのは事実としてある。
807 :
770:2006/06/17(土) 13:42:49
>>802 「南部鉄器を万博に出したほうが良い」とは言ったが展示用だから
輸送に困るように大量じゃないんだよ。
>>806 別な言い方をしようか。
藩内での、消費地と生産地が結べなかったのが
経済発展できなかった原因って言われてんだよ。
物品無しで、課税して、金を得るだけならインフレが起こるだけ。
>>807 「南部鉄器を藩財政の改善に使えばよかった」
「万国博覧会に南部鉄器を出せば、輸出品になった」と
言い張っている人に対しての批判でしょ。
809 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 15:50:30
>海産物を海運→現金化→財政を潤す
>これで無問題じゃないかな。
>藩都や内陸を経由しなければならない理屈がわからんけど。
俺も同感だ。
飢饉の救援が無策だった話を出したときも
「内陸と沿岸の輸送がままならない」
とか反論されたけど、仙台藩みたいに海路で他所から買い入れればと思った。
第一、盛岡城下に救援米が用意されているとはとても思えんし、
輸送路などは後付の言い訳に聞こえる。
http://www.mumyosha.co.jp/hist.html ↑
仙台藩では陸路からでも米の買い付けを行っています。
熊谷新右衛門著 ISBN 4-89544-384-1
秋田日記
天保大飢饉のさなかに気仙沼から米の買付けに来た熊谷新右衛門の
秋田紀行。習俗、食文化、産物、交通など、当時の秋田を旅人の目で
克明にとらえた驚きの旅日記。翻刻・伊澤慶治、現代語解説・小松宗夫。
秋田日記によると、他の東北諸藩が飢饉であえいでいるさなか、日本海側は飢饉が
それほど酷くはなく、米を売る程度の余裕があり、そのため全国から芸人や芸者が
集まって宴会等が行われている様子が本に記述されています。
812 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 20:29:53
南部藩では、江戸時代二百数十年間で133回もの一揆が発生しており、日本で一番多い。
順に秋田87、広島77、金沢70、徳島64、宇和島63で、隣接する仙台藩は少なかった。
ダントツのトップ。さすがは南部藩。
813 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 00:16:16
朝鮮人乙
814 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 02:42:51
記憶が曖昧ですが以前東京国立博物館で見た江戸時代の歌仙集についてです、
谷文晁の選だと記憶しますが36歌仙か48歌仙のなかに南部の商人が二人
選ばれていました。南部は田舎なのに風流人が多い土地柄なんだなと感心したものでした。
いまここのスレを読んでいますと、南部は貧乏な藩ということですが商家の人達も苦しい生活の
なかでも趣味に遊んでいたのでしょうか。
815 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 15:40:22
>>814 DQN校の生徒一人が読書感想文で入選したからと言って
「あの学校は文化活動を奨励している」
とは言わないだろ?
そんなもんだ。
816 :
770:2006/06/18(日) 19:52:35
>>791 >南部藩が自ら、石高増加を申請したという資料を出してください。
見つけたよ。
図説 岩手県の歴史 より (河出書房新社 1995年)
「20万石への格上げ」158ページ
弘前藩主津軽寧親(やすちか)は侍従・少将で、江戸城の席次は南部氏より上であった。
これに対し盛岡藩では不満が高まっていた。待遇改善を求めた盛岡藩主は幕閣と盛岡城下で会議を開いた。
この会議で、田名部通(たなぶどおり)5000石の領地を天領化(幕府の領地化)を条件に
・10万石から15万石に改める、
・四位侍従とし津軽氏より上席にする、という秘密協定が結ばれた。
ところがこの秘密協定を知った盛岡藩首脳部が田名部天領化に反対。
やむを得ず幕府は蝦夷地警衛の功を名目に、所領はそのままで20万石への
格上げと侍従任命を通告、この問題に終止符を打った。
817 :
770:2006/06/18(日) 20:08:40
「20万石への格上げ」(続き)
盛岡藩主の江戸城における席次の昇格は見送られた。
20万石に格上げされた盛岡藩は、石高に見合う付き合いと軍役を負担することになった。
しかし、加重の負担はすべて庶民の双肩にかかっていたから、藩政への不満はつのるばかりであった。
田名部通は取られなかったものの、希望した席次昇格はかなわず当初15万石の約束が20万石へ増えている。
ただ幕府にいいようにやられただけ。本当に「南部藩はクソ」ですね。
818 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 21:39:39
770さんよ
そういうのは、「資料」とは言わないんだよ。
その原稿書いた人からの「又聞き」と言うのだよ。
>>816>>817 見る限り、誰が石高アップを主張していたのか分からんよね。
それに、この「秘密協定」ってのは、どの程度、信憑性があるんだろ?
南部藩が、正式な文書で要求したわけでもないのに。
しかも、この資料をそのまま信じるとしても、藩全体としては、
秘密協定に「反対」しているじゃないか。
蝦夷地警備が必要な時期に、タイミングよく、石高アップを求める
藩があるなんて不自然だとおもうがね。
南部に蝦夷地警備を命じたかった幕府が、軍役に見合う石高にしたと
考えるほうが自然じゃないか?
820 :
770:2006/06/19(月) 00:42:34
>>818 これで文句をつけるとはそれならどういうものであれば資料と認めるのか?
南部擁護はあまりにも強引で醜態をさらしている。
>>819 疑問をはさんでもいいけど、俺と同等かそれ以上の資料なり根拠を示さないとな。
解釈は自由にしても、俺は少なくとも本という形で根拠を出したんだし。
あんたら
>>791なのか。もしそうなら人に答えを求めていた割りにお粗末な返答だよ。
821 :
770:2006/06/19(月) 01:00:15
>>818 >その原稿書いた人からの「又聞き」と言うのだよ。
そうすると自分の生きていた時代以外の歴史を語るのはすべて「又聞き」だな。
「又聞き」ではない歴史を語る方法ってあるのか?
少なくとも俺は
>>791の問いに手間をかけて答えたんだよ。
反論するならもう少し程度の高い反論をしろよ。
822 :
日本@名無史さん:2006/06/19(月) 01:01:30
>>820 それじゃ。
「田名部一件」とか「田名部上地事件」で調べてみたらいかが?
か、別な「本」を読んでみたら? 別な「見方」もでてくるよ。
823 :
770:2006/06/19(月) 01:09:34
>>822 振るのもいいけどそっちにも「資料」とやらを示してもらいたいね。
824 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 00:33:49
>823
都合の悪い話をしたくない奴って、こういう論法を使うよな。
「自分の主張は正しいのである。なぜ正しいのかは、君自身が考えてくれ」
てな風に。
>822
>「田名部一件」とか「田名部上地事件」で調べてみたらいかが?
知って欲しいのなら、そっちが確たるソースを添えて、教えてくれよ。
825 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 02:51:04
南部って悪いことばかりなんだ。
いいことなんにもないんだね。
826 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 02:53:58
領民はそうらしいよ。
827 :
日本@名無史さん:2006/06/20(火) 03:02:10
明治になって一揆で腹切った百姓の墓には未だ献花が耐えない。
828 :
770:2006/06/21(水) 01:41:21
>>824 >都合の悪い話をしたくない奴って、こういう論法を使うよな。
俺は
>>791 の問いに
>>816 >>817 で答えただろ。
その内容が「おかしい」もしくは「疑問がある」と言いたいのなら、
今度「資料」を出して答えるべきは791だろ。
>>818 お前の言う「資料」とは何?
「又聞き」ではない歴史を語る方法はどうした?
江戸城で上席に座りたいために領民に新たな負担を課した南部は統治者としての資格無し。
829 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 08:02:36
>>828 例えばすぐ読める田名部上地問題資料としては
「近世こもんじょ館」(
http://komonjokan.net/index.html)
「こもんじょ館」内の
田名部上知問題史料 1 岩手県立図書館蔵『田名部一件』1
田名部上知問題史料 1 岩手県立図書館蔵『田名部一件』2
更に、「同レポート館」の
鈴木宏氏の「田名部上地問題について通説の再検討 」
等があります。
「資料」と言った場合は『田名部一件』でしょうね。これらを読んで各「歴史家」
は自分の考えを持ち、発表している訳であって、
>>816のような「説」もその内の
一つの考えと言うべきでしょう。勿論」鈴木氏の論文も。
隔離スレに帰れよ・・・
831 :
824:2006/06/21(水) 12:25:34
>828
書き方が悪かったかな?
俺は770に同意しているんだが。
>>820>>821 信憑性の薄い資料を出して、「反論するなら、別な資料を出せ」っていうけど、
それって、「悪魔の証明」だろ。
絵に描いたような詭弁だよ。
「南部家が幕府に石高を高くする要求をした」という資料は出せるよ。
それが歴史事実でなくても、資料を捏造するという方法も含めてね。
だが、「南部家が、要求しなかった」という資料は出せない。
南部家に関する全ての書物・文献を検証して、「要求した」という
事例がないことを証明するのは、事実上無理だから。
当然のことだろ。
これを要求するのが「悪魔の証明」。完全なる詭弁。
歴史を検証するなら、
「南部家が、石高を高くする要求を幕府にした」という主張をする者が
その資料を出し、それを検証させるという手法をとるのが当然。
「信憑性にかける」というのに再反論できずに、「お前の方も資料を出せ」は
単なる卑怯な詭弁。
米と他の作物の収穫量の差も考慮せずに
「米以外の作物を育てればよかった」
南部鉄器が、大量生産できるかどうか、当時需要があったか
どうかも考慮せずに「南部鉄器を売ればよかった」
一揆が治安を悪化させ、そのために、経済活動が困難になるという
ことすら理解できずに、「南部家が一揆を取り締まった」ことを批判しながら、
一方で「経済を活性化させればよかった」などと矛盾する事を言い出す
非常識。
こういう明白な非常識を指摘をされれば、健全な精神を持っている人間なら
「自分の歴史観には問題があるのでは?
南部家に対する考え方に、偏りがあったのでは」と思うものだが、
そういうまともな見識を持っている人間は少ないようだね。
「南部はクソ」などと、とにかくしつこく食い下がっている。
歴史を云々する前に、自らを省みる事が必要じゃないのかね。
それから、「沿岸で現金化して、内陸に運べばいい」と食い下がっているものにも一言。
まず、流通というのは基本的に
まずは「生産」され「複数の流通段階」を経て、
最後に「小売」され、「消費者」の手に渡されるんだよね。
流通の段階で、これらをサポートする中継地にもお金が落ちる。
で、何度も何度も何度も、言われているけど当時の南部の沿岸部と、内陸部を
結ぶために有効な流通路がなかったわけなんだよ。
つまり、折角の沿岸の生産物も、他の消費地に回さざるを得ない。
そうなると、「南部藩」に落ちる金は限られてくる。
「生産」と、それにせいぜい「加工」を加える程度。
しかも、当時は流通の手段も限られているから、流通業者の価格設定に従わざるを
えない基本的に、生産者主体の価格にはなりえない。
こういう状態で、どうやって経済を活性化できるのか聞きたいものだ。
それから、商品なしで現金だけを内陸に持ち込んでも、
インフレが起こるだけだから。
835 :
770:2006/06/21(水) 19:27:32
>>829 俺だって要約を掲載されているページも含めて紹介したんだから、
そちらも要約と掲載ページ数を紹介してくれ。
まさか資料のタイトルしか知らないなんてことないよね。
>>822で 別な「見方」もでてくるよ。 と言ってたからそれはないと思うけど。
>>831 悪い。すまんかった。最近、前にも増しておかしな反論が多いもので。「又聞き」とか。
836 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 20:27:56
>>835 >>816が資料なら次の奴も立派な資料だね。
盛岡藩の家格問題は幕府の改革期からスタートする。
それは松平定信によって構想された北国郡代設置計画が実施に移されていく過程で問題となった。
定信は寛政四、五(1792、93))年にかけて、陸奥湾沿岸地域を天領として
北国郡代を設置しようと計画していた。盛岡藩では領内の田名部通5000石が
上地(天領化)の対象となったので、この事件を「田名部一件」とか「田名部上地事件」
などとよんでいる。この時盛岡藩は、最初のうちは田名部上地に反対していたが、
のちに反対陳情を撤回し最大限家格の上昇をねらうように変更した。換言すれば、
上地におうじる代わりに南部家の身分や格式の上昇をはかろうとしたのである。しかしこの運動は
定信の失脚により、北国郡代構想が廃案となったので白紙にかえってしまった。
「岩手県の歴史」山川出版1999年 191,192ページ
図説、岩手県の歴史とは違い、天領化は幕府から言いだしたとなっておりますが、
どちらを信じればよろしいのでしょうか?
837 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 20:45:26
>>835 鈴木氏のレポートによれば、2田名部上知問題はいつか
の巻頭に『田名部一件文書』によれば、
寛政四年十一月十三日、御勘定奉行久世丹後守様より、呼び出され
尾崎源吾が罷り越して上知の件を言い渡されたと書いております。
>>816は南部が高上の為に田名部を上知として差し出すように画策したかのように書いて
ありますが、それは違うと思いますね。言い出しっぺは幕府でしょう。
838 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:06:30
∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
839 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:43:10
>>832 >だが、「南部家が、要求しなかった」という資料は出せない。
なら
「幕府が南部に対して、頼まれもしないのに石高上げを申し付けた」
資料なら出せるんじゃないか?
>>836-837 上地が幕府の意向としても、石高上げが南部からの申し出だったのは
明白になってきたな。
それにしても、土地を取られそうになって、その代わりに家格を上げろ
(名目上の石高を上げろ)ってのも、よくわからない要求だな。
不動産を没収された人が
「じゃあ俺の年収の額面を増やしてくれよ。実際の所得は増えなくても良いから」
と言うようなもの?
840 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 00:52:33
突然ですが、鮫の浮木寺の前身だったお堂(観音堂?)の詳しい由緒を
知っている方がいましたら、教えていただきたいのですが、
よろしくお願いいたします。
>>840 鮫の浮木寺は、八戸藩政時代に制定された御城下三十三観音札所の一つでした。
三十一番札所・浮木寺。観音札所ですから元々は観音堂だったと思います。
浮木寺に伝わる墓神楽が有りますが、墓前で神楽を舞う風習は他に無いと思いますね。
浮木寺の由緒由来は分からないけど歴史のある寺です。
842 :
840:2006/06/22(木) 09:12:04
843 :
和菓子傍流末裔:2006/06/22(木) 22:21:21
南部って、南のほうあきらめるの早いよね。
タカハシカツヒコ説だと、九戸様がハルマサに遠慮してたんだっけ?
一回ぐらい、伊達とガチンコ勝負みせてほしかったな。信長の野望ばりに。
まあ、俺はこの世にいないだろうが。
>>843 他スレにも同じような書き込み有ったような?
晴政率いる南部軍(先陣九戸政実なら面白いかも)と伊達とが戦になったらどちらが勝利したんだろう?
>>840 浮木寺に関し詳しく知りたいなら、直接寺に行けば割りと分かるよ。
本堂なんかに寺の由来とか、建立時期などを書き出して掲示してる寺も多いよ。
浮木寺は墓地もある普通のお寺ですので、本堂に入っての参拝は自由だと思われます。
土日祝日以外の暇な時なら、住職も親切に教えてくれるでしょう。
>>844 伊達との戦か・・・、確かに晩年の晴政の時なら面白いかも?
でも下手したら
>>844氏も今居ないかも?もしくは、一国の主末裔?
846 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 12:20:53
>>839 >それにしても、土地を取られそうになって、その代わりに家格を上げろ
>(名目上の石高を上げろ)ってのも、よくわからない要求だな。
上げ地が幕府の側から言い出したのなら、
「石高上げ」を南部の側から言い出したってのもおかしいよな。
いくらなんでもおかしいよ。
はっきり言えば、幕府の都合だけ。
「石高上げにより、蝦夷地警備などの義務を負わせる」
「上げ地により、天領が増える」
それに対する報酬が、「南部の家格があがる」というものだけなんだから、
これを南部の側が言い出したってのは明らかに無理がある。
847 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 20:05:17
>>833 >一揆が治安を悪化させ、そのために、経済活動が困難になるという
>ことすら理解できずに、「南部家が一揆を取り締まった」ことを批判しながら、
「一揆を取り締まった?」 きれいごと言うなよ。
農民との約束を反故にしたことが問題なんだよ。
実際、反故にされた翌年に仙台藩へ訴えたり行動がエスカレートしている。
「信頼」というのは単にきれいごとだけの言葉ではなくて、損得の面から見ても
大事なことなんだよ。農民を甘く見ていたこと自体政治のセンスが無いんだよ。
848 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 20:30:18
糞南部
849 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:12:20
>>846 >上げ地が幕府の側から言い出したのなら、
>「石高上げ」を南部の側から言い出したってのもおかしいよな。
>いくらなんでもおかしいよ
「実」を無くすからせめて「名」だけでもと考えても不自然ではない。
850 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 22:17:56
「田名部上地事件」(1792/1793年)と南部藩が1804年の20万石高上までは
10年の間があり、「田名部上地」と「高上」は直接関係がないと思いますが。
851 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 23:03:58
>>851 南部擁護は強引だからね。
でも問題は「名目の石高増加を自ら申請」が領民を苦しめる「クソ南部」という点であって
「田名部上地」をどちらが言い出したかは領民にとっては(俺にとっても)どっちでもいいことだ。
853 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 00:18:16
>>847 少なくとも一揆の首謀者は処罰しないと、その後、一揆はますます増えるよ。
そのうち生活に困っていたとしても、一揆を起こすようになる。
そうなったらどうするの?
それくらいは当時の常識。
だからこそ、死を覚悟して一揆を首謀した人間の行動は尊いとも言える。
一揆は当時の社会制度を根底から破壊する重大な犯罪行為であり、
藩側が「約束を破る」という超法規的な措置をとっても、非難するには
当たらない。
現在、例えば誘拐犯やテロリストに対して、人質を助けるために、場合によっては
譲歩する場合があるだろうが、事が収まったあと、テロリストや誘拐犯とした約束を
守る必要があるのかな?
854 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 00:19:19
誤り>そのうち生活に困っていたとしても
正しい>そのうち、生活に困っていなかったとしても
855 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 00:25:44
>>849 >「実」を無くすからせめて「名」だけでもと考えても不自然ではない。
その「名」に伴って蝦夷地警備などの義務を負わされるのだから、不自然だよ。
なにより不自然なのは、当時、幕府は「蝦夷警備にあたる藩」がどうしても
必要だった。
そういう状況下で、全国で何百もある藩の中から、機構的にも地理的にも
もっとも蝦夷地に近い、つまり蝦夷地警備にもっとも向いている南部藩から、
「自領を差し上げますから、蝦夷地警備できる石高として扱ってください」
なんて、幕府にとって都合がよすぎる提案が、されるなんて、
どう考えたって、あり得ないって。
歴史を検証するなら、このくらいは考えて欲しいよ。
甲州南部波木井氏は、武田氏により波木井実義を討ち取られて以降も存続したんですか?
857 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 01:13:57
>>853 あんたは「現代の尺度で昔のことを見るな」と言ってた人だろ。
なのに「一揆は現代で言うとテロに当たる」とも言っているが矛盾してないか?
「現代の尺度で一揆を見てるよね。」
俺は「約束を反故にすると信頼関係が無くなり、長い目で見ると悪影響が多くなる」
という普遍的な理論を言っている。
実際仙台藩への越境で訴えられて南部の権威を落ちたんだから明らかに失敗だ。
>>855 俺に「資料出せ」と言う奴もいれば、資料を示すと「不自然」とか「考えて欲しいよ。 」とか
資料によらない推測を言う奴もいて様々だな。
文章の感じからして「資料出せ」と言ったのあんたじゃないの?
>>856 波木井氏の庶流一部が、武田家臣として生き長らえたとも伝わってますが、後に信長に討たれてるみたい。
女系なら向い鶴紋を使用し現在も居るとか?居ないとか?
南部波木井氏に関してなら、神社・仏閣板、創価・公明板で有名な某氏が詳しいと思う。
しかし巻之二後半でレスしてたがそれっきりだな。
反南部氏へ
元来、マターリと南部氏ネタで進行してた。
巻之二等は、一回落ちて立て直した経緯もある。
南部藩の藩政を非難したりする場では無かった。
現行の巻之三でも前半はマターリしてたんだが、一部の反南部派?が常駐するようになってから面白くない。
鎌倉以前の甲州時代からの南部氏スレ、江戸期の盛岡藩を批判するスレでは無い。
続けるなら専用スレ立てるなりしてくれ。
南部史厨には専用隔離スレがあるのにな。
なんで出てかないんだろ。
861 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 08:03:10
>>851 おまえは770だろ。
結局、それだけ言いたかったんだろう。
>>852と同様 哀れを感じるよ。
862 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 09:01:33
層化氏ね
863 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 09:37:59
南部擁護の反論が限界に来たか。
言ってることがしょぼい感じになってきた。
864 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 10:40:48
>>857 >あんたは「現代の尺度で昔のことを見るな」と言ってた人だろ。
>なのに「一揆は現代で言うとテロに当たる」とも言っているが矛盾してないか?
揚げ足取りするんなよ。まるで、子供の口喧嘩だな。
「現在の尺度で昔の事を見るな」と「分かりやすく現在の事に例えて説明する」
のは、全然矛盾しないだろ。
>実際仙台藩への越境で訴えられて南部の権威を落ちたんだから明らかに失敗だ。
↑悪いけど、どのように社会を運営するのか、全く考えたことの無い子供の発言だね。
違法行為をやった人間を見逃し、処罰を全く下さないというのは、
「藩が違法行為を容認する」ということそのもの。示しがつかない。
こんな事をすれば、一揆に限らず、藩内の犯罪行為は益々増えるよ。
一揆に関しても、江戸時代の法制なら参加者全員とその家族にいたるまで
処罰を下す事だってありうるのに、処罰を首謀者のみに留めたってのは、
かなり「慈悲深い」と言っていいやり方だよ。
「処罰するな」というのは「権威が落ちる」どころではなく、
藩政そのものを崩壊につながる行為なんだよ。
そういう当時の社会を運営する基本に全く言及せず、感情論だけでものを
言うなって。
感情論には見えんが
866 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 14:15:54
>>864 >違法行為をやった人間を見逃し、処罰を全く下さないというのは、
>「藩が違法行為を容認する」ということそのもの。示しがつかない。
感情論ではない。何度も言うが領民が仙台藩に訴えるなんて南部藩は統治者として領民から見限られたんだよ。
処罰しないという約束を破り、領民を処刑したのでは南部藩自らが「約束を守らない藩だ」と宣言したに等しい。
これでは領民の押さえがきかない。
867 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 14:21:31
>>855 上地と石高直しとは、850の言うとおりもしかして関係ないんじゃないか?
関係あるとしたら、「実を捨てて名を取った」のか正しいかも知れん。
幕府が南部の意思を無視して石高を倍増したというなら、そう言う資料を出して欲しい。
これが真実なら、難しくないはずだ。
あくまでもあなたのは「憶測が成り立つ」というものに過ぎない。
「当時の南部の殿様が、津軽より席次を上回るために家老などの
いさめも聞かず、石高直しを申請した」
という話なら、あちこちで耳にするんだが。
868 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 21:58:23
>>867 南部側から、言いだしてるのはたしかだろうね。
しかし、一連の流れを見ると、「津軽」と「南部」の対立、官位上昇したいという
この時期の大名たちの願望,をうまく幕府が利用して、その方向に持って行った、
「知恵者」が幕府にいた気がする。
南部も津軽もうまくのせられて、負担を重くして苦しむ道を選んだとしか思えないのだが。
869 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 00:05:08
∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
南部史厨には専用隔離スレがあるのにな。
なんで出てかないんだろ。
∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
>>867 >幕府が南部の意思を無視して石高を倍増したというなら、そう言う資料を出して欲しい。
>これが真実なら、難しくないはずだ。
これも一種の「悪魔の証明」だよな。
江戸時代に幕府の勅命に対して、公然とした反対など無理。
したがって、そういう資料が公にあるわけがない。
逆に「南部の側から望んだ」という資料があっても、
「幕府の側から無理やり言わされたんだろうな」という可能性を
考えるほうが妥当だろう
そもそも、
「名目上だけ高い家格にしてやるから、領地の一部を召し上げた上で、
蝦夷地警備も負担しろ」という幕府側にのみ都合にいい無理難題を
南部藩が自分達から言い出すなんて不自然さを感じないのか?
「それほどまでに南部藩主は馬鹿だった」と言い張るのだろうけどね、
そんなことってありうると思うの?
万に一つ、藩主がそういう馬鹿だったとしても、
藩政というのは藩主ひとりで全て決めることはなく、合議制なんだよ。
何人もいた藩の首脳部が相談して、こういう結論に達するなんて、
まずありえないって。
>>866 >感情論ではない。何度も言うが領民が仙台藩に訴えるなんて南部藩は統治者として領民から見限られたんだよ。
↑話をすり替えているね。
「見限られた」からといって、それがどうしたの?
「統治」するうえでの絶対条件は、まずは「治安の確保」
これは「統治者の信用」よりも優先順位が高い。
そういう意味で、
「当時の社会の尺度からいって、一揆の首謀者を処罰したのは正しかった」
「一揆の首謀者を処刑したのが悪い」と言い張るなら、
当時の社会の尺度、藩政の首脳陣の知識で
「処刑をせずに、どうやって社会の治安を守るのか」という方策を
どのように導きだすべきだったか、ちゃんと言及すべき。
はっきりいえば「犯罪者を処罰しない事で治安が乱れる」ということにに
関して全く言及せずに、あとからどうこう騒いでも、何の説得力もないよ。
「治安」が確保できなければ「信用」をいくら築いても無駄。
「あいつは約束を破った」という批判ができるのは、「ルールを守る」と
いう意識が社会道徳にあるため。
しかし、その「治安」が守られなければ、社会道徳そのものが崩壊する。
「信用」を「治安」より優先しているから「感情論」と言っているんだよ。
しかし、ホントに子供だな。
自分の主張が「感情論」でしかない事にすら気が付かないようだ。
873 :
日本@名無史さん:2006/06/25(日) 22:49:44
領地召し上げ問題は松平定信が失脚して以来、幕府側からは要求していません。
南部の人間で津軽人やモノが好きな人間は一人もいません。
津軽の人間と結婚した一族は村八分に遭います。
875 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 00:21:07
盛岡の南部藩士の家だけど江戸時代に弘前から嫁いで来た人いるし、
黒石の名門に嫁いで行った人もいる。
それらの一族は全て村八分に遭いました。
南部を裏切った人間は絶対に許さない。
877 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 00:28:50
村八分?
今でも父親は南部さんと仲良しだよ。
守ったら「感情論」になるような
不当な約束をするのが悪い、でFAね
>>878 上で論破されてるだろ。理解できないのかな?
上の言葉を言い換えると、「約束を守れ」というのは、「社会の秩序」が
ちゃんと機能している前提で有効な批判だということ。
「社会の秩序」を乱す約束は、責任ある為政者は、守らないのが当たり前なの。
880 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 20:37:18
>>872 >「信用」を「治安」より優先しているから「感情論」と言っているんだよ。
約束を反故にした処罰により、治安は維持された事実は無いんですけど。
約束を反故にした処罰により、その後一揆は無くなりましたか?無くなってませんよね。
881 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 20:38:22
>>872 >「処刑をせずに、どうやって社会の治安を守るのか」という方策を
>どのように導きだすべきだったか、ちゃんと言及すべき。
約束を反故にした処罰により、治安は維持された事実は無いんですけど。
約束を反故にした処罰により、その後一揆は無くなりましたか?無くなってませんよね。
「処罰しない約束を反故にしただけではなく、一揆側との年貢や臨時の税を減らすという約束も南部は
反故にしています。「約束を反故にしない。」これが治安を守る方法です。
「言及すべき」か。前にも「資料出せ」というから出したら「又聞き」とか「不自然」とか子どもレベルの低い反応が
返ってきたな。
子どもレベルと言われたくなけりゃ、
>>821の俺の「又聞き」の問いに釈明してみれ。
それから「石高増加自ら申請」は同意でいいかな?
>>879 日本語読めない子?
「約束を守らないのが悪い」と
「守る気のない約束をするのが悪い」
は全然別の批判だよ
883 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 21:53:12
南部の地、良馬を産し天下に名あり。しかし、その利多くは官に有りて民に有らず。
民、馬を産し二歳になれば、官低くその価を定め、民に(代金を)払う。
官皆其の利を収む。 (吉田松陰 嘉永5年3月11日)
秋田と柵を隔てただけで諸品の値段が倍になる。、茶店の婆にきくと
「領主の税金のかからないものは無い、水以外に税金のかからないものは一つも無いのさ」と笑って答えた。
(現鹿角市花輪にて 松浦武四郎・北方探検家 嘉永2年7月)
同じ北国の秋田でもこの違い。
「約束を反故にして処刑して治安維持するのが正しい」なんて言う前にやれることはあるだろ。
久しぶりに言おう「やっぱり南部はクソ」なんだよ。
884 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:06:00
>>882 それじゃー視点を変えて見ようか。あんたの言うとおり南部の政策が正しいなら
なぜ一揆発生件数ダントツの一位なの?
政治が他藩よりうまく行ってないのは明らか。
俺が今
>>883に書いたとおり、税金により物価が秋田の2倍だってさ。
領地が増えないのに「名目だけ石高倍増」で庶民が苦しんでいる様子がわかるよ。
このことからもわかるとおり「やっぱり南部はクソ」なんだよ。
鹿角の金持ちは、飢饉になると秋田の旅館に連日宿泊していたそうだが…
なるほどねえ。
886 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:26:28
>>831 あんたも頭の固い人だな。
>>816は「資料」じゃないでしょう。数多くある歴史書の中の一つにすぎない。
>816の原稿を書いた人は、その主張をするために何等かの「資料」を元にして書いているんであって
>>816の内容は事実かどうかはっきりしてないでしょう。
例えば、ここに「おい、あそこの家に幽霊が出るらしいぞ」という奴がいたとするよ。
「おまえが実際にみたのか?」と訊いたら「いや、友達がそういってた」と言うのと同じだ。
そうしたら、「何だ、又ぎきか」と言うだろう?
「図説、岩手県の歴史」に書かれているのが全部本当なのか?
「資料」というのは、例えば「遠野南部家文書」とか「田名部一件文書」
とかの事をいうのだよ。前にも指摘しているだろう。
「石高増加自ら申請」は同意。
887 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 22:47:10
南部をクソだという人間は、自分がどれだけ優れた人間のつもりだろう。
現在社会で、新しい独自アイディアで、自分で会社を立ち上げて
それを大手にまでする程度の経営手腕の持ち主なら、過去の南部の首脳を
批判してもいいだろう。
しかし、このスレッドにくる人間に、そういう人間が何人いる?
よく恥ずかしくないもんだ。
889 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 23:06:37
「一揆勢に対して税率を下げるという約束をしたがそれを反故にした」と
批判している人間は、まず、一揆勢の言うような税率にして、当時の南部の
領国経営できたかどうかを証明したら?
まずは、それからだろ。
それに藩内の一部地域だけ、税率を下げて、それで藩の他の地域から
不満がないと思っているの?
これだって、治安悪化の一因だろ。
ここで南部を批判している人間ってのは「為政者の立場」での
視野の発言が全然ないよね。
まるで、子供が、「こずかいが足りない」と親に泣き叫んでいるのと
変わらん状況だよ。その程度の認識で、歴史評価しても、まともなものには
ならないんだって。
891 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 23:29:09
>>888 >>890 だから南部の政策が正しいなら何故一揆発生件数がダントツの一位なの?
との問いはスルーですか。
秋田と物価の差二倍はという事実もあるしな。
これで南部を擁護する奴は現実から目をそらしているだけ。
892 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 23:36:14
「水以外に税金のかからないものは一つも無いのさ」
(嘉永2年(1849年)鹿角花輪 茶店の婆 談)
893 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 23:37:10
∩
( ゚∀゚)彡万博!草餅!
⊂彡
∩
( ゚∀゚)彡約束!反故!
⊂彡
∩
( ゚∀゚)彡物価!二倍!
⊂彡
894 :
日本@名無史さん:2006/06/26(月) 23:42:25
>>890 >ここで南部を批判している人間ってのは「為政者の立場」での
>視野の発言が全然ないよね。
あるよ。「自ら石高増加を申請」したことについての批判。
何度も書いてるよ。
895 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 00:00:36
>>886 >「図説、岩手県の歴史」に書かれているのが全部本当なのか?
だから俺の提示した資料を批判するなら別な資料を出せよ。
「図説、岩手県の歴史」を根拠無く違反する方が問題。
でも「石高増加自ら申請」は認めたんだ。少しだけ評価。
つーか、家格上昇問題を現代の実利優先な価値観で語るから「南部バカ」という結論にしかならないんだろ。
当時の価値観から言えば、10万石と20万石では扱いが全然違う。
当時は石高と由緒等により与えられる官位も違う。普通の外様だったら10万石だと侍従止まりだが20万石ならうまく
いけば少将まで上れるかもしれない。その他にも参勤交代や江戸登城の行列の人数や持道具、城内のどこまで乗
物で行けるか、城内の詰所、将軍との対面方式、出府・帰国の際の挨拶に出た時応対してくれる幕府重職の格、乗
物の意匠、江戸屋敷の表門の様式、お目見えできる家臣の人数等々様々に差がついている。
10万石級では余程由緒があるか(立花等)大大名の一族であるか(宇和島伊達等)でなければ大広間に入るのは難
しい。戦国時代みたいに切り取り勝手で領地が増えないのだから、そういう形の競争をするしかない。
金がかかる将軍家の娘を嫁に貰ったり余った息子を養子に貰う家が少なからず存在するのはそういう理由では?
>>891 >だから南部の政策が正しいなら何故一揆発生件数がダントツの一位なの?
>との問いはスルーですか。
スルー以前の問題。
青森東部、岩手北部という旧南部領は、品種改良が進み、農業技術技術が
進歩している現在でも「冷害」がしばしばおこる地域。
まして江戸時代での冷害はさらに深刻なものだったろうし、
当時は農業が基幹産業だったのだから、冷害により生活基盤そのものが
破壊されたと思っていい。
当然、一揆が多く起こる。
このことは随分前にも言われている。
気候条件を無視して、「一揆発生件数がダントツの一位」と騒いで
いるのは正しい歴史評価をしようという姿勢ではないな。
898 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 11:48:28
自分が南部の殿様にでも成ったつもりで居る厨房が約一名居るな。
ここで、当時の南部の施政を批判している人間は、江戸時代の
断片的な知識はあっても、歴史というものに対する理解が根本的に
欠如している。
しばしば的外れな発言をして、それを指摘されているのに、
それについてはダンマリを決め込んで、次々に話をすり替えている。
まずは中学校の歴史の教科書を広げなよ。
「封建社会」というのは、どう書かれている?
色々な書き方をされているだろうけど、おおむね
「各武士団の領土支配を為政者が認めるかわりに、武士団は為政者の
政権維持に協力するという”御恩と奉公”の関係」と書かれているだろう。
つまり、「武士の領土支配を認める」ことがは当時の社会制度の根本。
当時の武士にとっては「領土」は絶対の価値をもつ財産であり
それを支配している武士のほうから、為政者に
「地位の代わりに土地を返上する」という発想が生まれるわけがないんだよ。
「土地の代わりに地位を」というのは、自由に不動産売買が行われている
現代人の考え方なんだよ。
常識的に考えても、戦国時代に何百何千いう家臣が、命がけで獲得した
領土を「家格をあげるため」に返上するなんてありえないだろ。
つまり南部が「家格をあげるために、領土の一部を返上するのを申し出た」と
いうのは、まずありえない話。
こういう話がでた時点で「うそ臭い話だな」と思えないのなら歴史を語る
基本的な素養に欠けている。
それから南部が「家格をあげる交渉をした」というのも、根本的におかしい。
「自分の地位を上げてくれ」って、藤原氏に賄賂を贈った平安時代の
貴族じゃないんだよ。
そんな事をするのは、当時の武士の倫理観に根本的に反している。
江戸時代初期、幕府は、小さな過失に付け入って諸大名を
「お取り潰し、改易」を行っている。
ここで語られているのは、それよりもあとの時期だけど、
それにしても、「自分の地位を上げてくれ」などと後々諸大名間での
争いごとになりかねない嘆願をしたら、それだけで「お取り潰し」に
なってもおかしくない。
この時期は、国際情勢が大きく変化した時代でもある。
航海技術が向上し、西欧各国が幕府に開国を迫り、北海道近海にも
ロシアの船が、しばしば現れていた。
幕府は諸大名家に分担させて「蝦夷地の警備」を担当させたかった。
それには南部藩が都合がいい。北海道には距離的にも近く、寒さにも慣れている。
幕府のそういう「潜在的な要求」に完全に沿う形で、
タイミングよく南部の側から
「土地の一部を返上しますから、南部藩を蝦夷地の警備を出来る家格に
してください」なんて幕府の側に一方的に都合にいい要望がでるなんて、
あまりに出来すぎた話。
どう考えても不自然だろ。
普通に考えれば、幕府の側が当初から「蝦夷地警備」を担当させる目的で
「土地の一部を返上すれば、家格をあげてやる」という
自分に都合のいい一石二鳥の提案をだして、
南部の側がそれに抵抗したが、幕府側の圧力に抗しきれずに
「家格をあげるかわりに蝦夷地の警備を担当」ということになってしまったと
考えるのが、妥当なんじゃないの。
事実に目を向けるより
自分の頭の中の整合性にばかり目がいってる感じ
903 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 20:44:12
>>897 問題を深く掘り下げていない回答だな。俺がわざわざダントツの件数と書いているだろ。
気候条件が悪いことくらいならわかっている。
同じ北国秋田の1.5倍の一揆の数、物価は2倍でで政治に問題無しと言っても説得力無し。
無視しているわけじゃないけど俺がひとつ答えれば3つくらい反論が来る。
レベルの低すぎる反論まで相手にするのは大変だ。
904 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 20:52:47
「田名部上知」問題の時
幕府は、田名部の代わりの村々を給す、言っている模様。
更に、定信は、必死な南部の抵抗に、「官も一等相登り候家格ニ被仰付候事も可有之哉
杯共恐察候、」から受け入れろ、これは日本のためだから、と一蹴。
南部はこれ以上逆らったら、改易もある得るという恐れから やむを得ず受け入れる
方針に転換。その代わり官をもう少し挙げろと要求する。(家格上昇=高増)
しかし、定信の失脚によってこれは水に流れる。
この時、利敬は十歳くらいで、南部慶次郎とよばれている。
寛政四年から五年の時期 (1792 〜1793年)
こもんじょ館 「こもんじょ館 田名部一件1.2,3」
同 「レポート館 田名部上知問題について通説の再検討」鈴木宏
905 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 20:53:36
>>899 >それを支配している武士のほうから、為政者に
>「地位の代わりに土地を返上する」という発想が生まれるわけがないんだよ。
これも、かなり、かなりレベル低い発言ですね。
「発想は生まれるとは思えない」くらいにしておけばいいのに「発想が生まれるわけがない」とまで
言い切っていますね。世の中常識では考えられないような馬鹿なことをするひとがまれにいます。
それがこの場合南部の殿様だった。
時代というくくりだけで「100人が100人とも同じ考えを持っている」と思っているあなたに
批判されても「馬鹿の遠吠え」にしか感じません。
906 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 21:09:42
>>901 >どう考えても不自然だろ。
出ました不自然発言。人に資料を要求して、資料が出せば反論となる資料も出さず
「不自然」の言葉だけで反論。恥ずかしいからやめたほうがいいよ。
資料出してね。あなたの言う「資料」にふさわしい「徳川実記」とか調べてみたら。
>>904 上地に関しては「南部言い出し」「幕府言い出し」両論あるようだ。
この問題については俺はどちらでもいい。
しかし「石高増加自ら申請」を否定する資料は皆無だな。
恥さらしの「不自然」発言だけだなw
907 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:06:06
>>895 >904から
1804年(文化元年)、蝦夷地警衛の巧により利敬は四品に昇進。
「昇進内願書案」には、その理由として蝦夷地警衛と藩政推進の助けをあげている。
この翌年、津軽藩が蝦夷地警衛の巧によって7万石に高増される。
蝦夷地警衛は南部藩の方が規模が大きいのに南部藩には何もなし。
南部藩はそれは不公平であるとして、自藩の高増を幕府に要求する。
更に、1807年ウルップ島の全警固を申し出て、その代わりに高増を
再度要求する。
ところがロシアのエトロフ島襲撃事件が1808年(文化四年)起きる。
この大事件によって、幕府より、急ぎ蝦夷地へ数千人渡せと要求され
領内は大混乱し、農業もままならなくなって国家存亡の時にまで至った。
それで藩は幕府にその負担を減らしてくれと願い出る。
この時、松前に出張していた、堀田摂津守が帰府の途中盛岡に泊る。この時
利敬みずから、宿に赴きその旨を御願いする。
更に、蝦夷地勤番の人数の減員も願い出る。
幕府は、この願いを受け大幅な減員を許可する。
この翌年、1808年(文化五年)二〇万石へ高増しされる。
一、御老中下野守殿被仰渡御書左之通
南部大千膳大夫
蝦夷地年々勤番人数は津軽越中守え永永被仰付候、
依之領分高二十万石に被直下、且又侍従被仰付、弥入精相
励可申旨被仰出
こもんじょ館 「レポート館 田名部上知問題について通説の再検討」鈴木宏
これが、私の資料とします。A-4番7ページくらいなのでプリントして読んで欲しい。
908 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:06:55
>>907 続き
>>816が100パーセント正しいのなら、幕府は、田名部を天領化できず、15万石
より高い20万石にし、侍従任官も実現させている。南部の望んだ以上のものを
幕府が南部にあたえるであろうか?
実に不思議な話と言わざるを得ない。
ここで、南部の藩政を批判していた人間ってのは、
「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」を主張して日本人を中傷していた人間と
頭の中身は同じ。
自分達がその「悪人」を批判して「正義の味方」というナルシズムに
浸るために、とにかく、「悪人」がいなくちゃならない。
そういう尺度で歴史を語られたら、たまったもんじゃないわ。
>>905 >世の中常識では考えられないような馬鹿なことをするひとがまれにいます。
>それがこの場合南部の殿様だった。」
非常識、当時の藩政は合議制。
仮に殿様がバカだったとしても、藩首脳部全員が
バカなことをするのは考えられない。
>>906 >しかし「石高増加自ら申請」を否定する資料は皆無だな。
>恥さらしの「不自然」発言だけだなw
資料が出ています。
私の目から見れば、江戸時代の常識を知らず、明らかに信憑性の薄い資料で、
まともな推論をしている人間を侮辱している、貴方のほうが恥知らずですが。
とにかく反論をどうぞ。
912 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 22:59:34
>>909 >やっぱり、「南部側から石高アップを言い出した」ってのは
>誤りだったみたいだね。
>>904にもしっかり出ていますが。(以下のとおり)
その代わり官をもう少し挙げろと要求する。(家格上昇=高増)
913 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:06:49
>>911 >非常識、当時の藩政は合議制。
慣例で合議制はとっていたかも知れないが、システムとして確立さててた
わけではない。殿様の暴走でどうとでもなるんだよ。
>明らかに信憑性の薄い資料
どのような根拠でそういうことを言うのですか?
>>913 そういう言葉尻を捕らえた揚げ足取りじゃなくて、ちゃんと出ている
資料に反論しなって。
それが資料に対して反論でできずに、
「信憑性の薄いというのは何を持って言うのか」とか言い張っているから
的外れなんだよ。
江戸時代の常識を知っていれば、「藩主の暴走でどうとでもなった」などと
いうはずもないんだが。
何のために家老などがいたと思うんだ?
まともな反論が出来ずに、揚げ足取りに走っているなwwww。
916 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:18:01
ここで、南部の藩政を擁護していた人間ってのは、
批判に耳を傾けず「日本は神の国だから勝つ」と主張して無謀な戦争を継続した戦中の軍部と
頭の中身は同じ。
自分達がその「批判者」を排除してして「自分達が偉い」というナルシズムに
浸るために、とにかく、「批判者」がいちゃならない。
そういう尺度で歴史を語られたら、たまったもんじゃないわ。
↑ほら、反論できずに揚げ足取りに走っている。
918 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:27:57
>>914 >江戸時代の常識を知っていれば、「藩主の暴走でどうとでもなった」などと
>いうはずもないんだが。
>何のために家老などがいたと思うんだ?
藩主の暴走はありえないというわけね。恥ずかしい奴だな。観念で生きてるよ。
例外や常識はずれの人間がいることを認識できない。
あとで反論してやるよ。ただこんどはむちゃくちゃ長くなりそうだ。
900超えのスレでは扱いきれないと思う。次スレまで覚えておくから、
そちらも忘れずに。
「南部の悪政」「従軍慰安婦」「南京大虐殺」を主張する人間の共通点。
@、為政者・権力者は、悪人で悪政を働いたと硬く硬く信じ込んでいる。
A、怪しげな資料を持ち出す。その資料の怪しさを見抜く知識がない。
B、歴史の基本常識をしらず、当時、ありえなかったことや、無理だった事を
「あった」「出来た」と言い張る。
C、検証をされ、その資料の信憑性を疑われると、「ではそっちが資料を出せ」
などと「悪魔の証明」にはしる。
D、同じく資料の信憑性を疑われると、反論されると罵倒・レッテル張りに走る。
E、相手の主張のパロディ、劣化コピーという使い古された手法を繰り返して
悦に入る。
F 論破された事を認めず、勝利宣言をして逃亡する。
>>918のように。
G 都合が悪くなると話をすり替える。
H 自分は正義の味方と硬く信じている。
I 自分は頭が良く、自分に反論する人間は頭が悪いと言い張る。
J 相手の反論を邪魔する。
921 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:38:04
>B、歴史の基本常識をしらず、当時、ありえなかったことや、無理だった事を
「あった」「出来た」と言い張る。
さしあたり、秋田より物価二倍は為政者として失格といわれても反論できないだろう。
「石高増自ら申請」しなければ物価を二倍にしないことは「出来た」
>>921 あのねえ。専売制や配給制をしいていたならともかく、
江戸時代は基本的に、自由経済だよ。
物価を決めていたのは、藩の首脳部ではなくて商人。
それから、その物価というのは何の物価をさしているのか聞きたいね。
>さしあたり、秋田より物価二倍は為政者として失格といわれても反論できないだろう。
>「石高増自ら申請」しなければ物価を二倍にしないことは「出来た」
あまりに安易過ぎる発言。
経済を簡単に統制できると思っているんだろうか?
全般的に言って、ここで当時の藩政を批判している人間は、経済を安易に
考えすぎている。
常識がないと言われても仕方がないよ。
K 断片的に反論して、「全てに反論した」とすぐに思い込む。
L 全般的に発想が安易。
M 論破された、自分の発言に結末を付けないで、すぐ別な話題に移る。
N 単なる自分の"思い込み"を歴史的に根拠のある事実と思い込み、資料の提示を求められると怒り狂う。
926 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:56:07
南部擁護の推測を交えた間抜けな発言が続いていますが、
@「上げ地」「石高高直し(15万石)」を一度南部は承認。
Aその後「上げ地」に南部猛烈反対。
B約束を反故にされて幕府怒る。
C怒った幕府が蝦夷地警備を名目に希望以上の20万石に高直し。
という資料が出ました。「高直し」も老中が松前視察の途中、南部利敬が
自ら申し出た記述あり。以前に書いた15万石が20万石になったことは不思議に
思っていたがこれでわかりました。
927 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 23:59:29
>>923 >経済を簡単に統制できると思っているんだろうか?
統制じゃなくて税をかけたの。鹿角の茶店の婆の言葉載せてるだろ。
逃避して反論しても無意味だよ。南部擁護のしょくん。
929 :
928:2006/06/28(水) 00:03:35
俺も、「高直しは、松前視察の際に自ら申し出たって」記述は知っているけど、
その内容や、その種の古文書は見たことがないんだよ。
930 :
928:2006/06/28(水) 00:07:35
それからさ、どうして「推測を交えた間抜けな発言」って、こういう煽りを
するかな。
南部が悪政をしいていたというなら、自分達の主張の根拠をちゃんと提示し、
それを検証させていけば良いだけの話。
全体的に「何が何でも南部は悪政をしいていた」としたいがために
擁護している人間を罵倒している雰囲気は確かにあるぞ。
931 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:08:00
「古文書でなければ資料として認めない」と伏線を張ったな。
南部擁護のやり方はせこい。
932 :
928:2006/06/28(水) 00:09:25
933 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:13:50
>>928 反論自体が目的で理論的じゃないから。
資料提示しても反論が「(資料の記述が)不自然」この発言が何度も出てる。
最低もう少し論理的に答えることできないもんかな。
934 :
928:2006/06/28(水) 00:15:15
あのさあ、南部の藩政を批判する側の主張に例えば、
「南部は経済を発展させなかったのが悪い」というのがあり。
一方で「税をかけたから悪い」というのがあるんだけど。
経済を発展させるには、一時にせよ先行投資をしなくてはならないし、
先行投資するためには、一時にせよ、高額な税を取り立てなければならないし、
しかも、その先行投資が全て成功するとは限らないんだよ。
どうも「南部の藩政の悪口を言う」ために無いものねだりをしているだけの
ように思えるんだがねえ。
935 :
928:2006/06/28(水) 00:20:00
「経済を発展させればよかった」とか簡単に言うけど、そんなに簡単に
いくもんじゃないだろ。
どうしてその程度の事が分からんかなあ。
現在ですら社会を構成している人間の大多数は、
会社を興したりはしない「普通の人間」なのに、どうしてそういう
「普通の人間」を断罪しようという発言をするかなあ。
936 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:20:15
>>929の発言により
何日か資料を明かさないことにしました。
ここ何日かの間に「江戸時代は合議制が常識」(俺が一度誤りを指摘してあげたのにかかわらず)とか
的外れな発言がまた出るかな。
937 :
936:2006/06/28(水) 00:23:02
>「経済を発展させればよかった」とか簡単に言うけど、そんなに簡単に
>いくもんじゃないだろ。
ちなみに俺は「経済を発展させればよかった」の発言はしていない。
938 :
928:2006/06/28(水) 00:23:18
南部の殿様だって「普通の人間」だったって事じゃないの?
どうして、「南部の経済を改革し、領民の生活を改善できる」という天才的な
政治家ではなかったからといって、それを断罪しようとするのかなあ。
批判している人間は、自分がどれだけ優れた人間のつもりなんだろ。
939 :
928:2006/06/28(水) 00:26:29
>>937 では、なんで、貴方は
「『経済を発展させればよかった』と言っている人間は簡単に考えすぎだ」
ていう批判をしないの?
はっきりいえば、公正な態度で歴史をヨウ化するよりも、
「南部の悪口」を言って喜んでいたからじゃないのかな。
940 :
928:2006/06/28(水) 00:32:25
歴史をあとから見れば、問題点が沢山あって当然なんだって。
その問題点を少しずつ改善した結果が今日の社会なんだから。
例えばさ、今から数年後に交通事故を無くす画期的なシステムが
発明されたとして、
それ以後の時代に生まれ育った人間が、
「21世紀の初頭の日本人は、年に何百何千もの人間が死んでいく
交通事故を放置していた最低の人間達だ」という評価を下すのを
公正な歴史評価だと思う?
いま、ここで南部の藩政を批判している人間のやっているのは
それと同じ事だよ。
941 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:32:29
>>938 凡人でも「石高増加自ら申請」くらいは自重できるのではないか。
それをしないで以後の領民に多大な迷惑をかけたのは見過ごせない失政。
942 :
928:2006/06/28(水) 00:38:47
>>941 果たしてそうかな。
今現在の社会でもはたから見れば下らない「名誉」のために
自分の財産を捨てる人間も数多いぞ。
それに今日の流れを読む限り「石高増加申請」は、本当かどうかわからないように
思えるけどね。
それに、スレッドを一通り呼んでみたが、ここで批判していた人間は、
「後世の人間の傲慢さ」を全く自覚せずに批判しているもの数多い。
そういう不公正さを何度も何度も繰り返し批判されているのに、
やっている事は「南部擁護」とレッテルを張っての中傷。
自分が傲慢だという自覚はほとんどないようだよね。
943 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:40:46
>>939 すべてに俺に答えろというのがおかしい。
南部擁護に答えるだけでもかなりの労力なんだよ。
俺の書き込みに対する反論を優先してるだけ。
>>940 物事を見るのは時間軸と空間軸とほかにもいろいろあるだろうけど。
あなたは時間しか対象にしていない。
南部が秋田並みの一揆件数なら俺もこうまでは言っていない。
944 :
928:2006/06/28(水) 00:48:47
私は、ここで「南部擁護」とレッテルを貼られている人たちの
歴史に対する知識が正しいかどうかは分からない。
だけど、その人達が何を言いたいのかは良く分かる。
ここで南部の藩政を批判している人間はあまりに傲慢。
南部を批判する人間達の「経済を発展させればいい」という中身のない
偉そうな発言。
それをしなかったから「南部はクソ」などという、卑怯な中傷。
「どうすれば良かったか」など、具体的には話さず、話しても
大量生産が出来ない事も知らずに「南部鉄器を売れ」とか
農作物の収穫量の差も考慮せずに「米以外の農作物を作れ」とか
現実を知らないものばかり。
「経済を発展させればいい」そんな事、誰だってわかっている。
だったら、具体的にどうしろっていうんだよ。
南部藩政に関して文句や批判を繰り返してるのは、南部藩領民じゃ無い。
単に南部叩きしたいだけの輩と、なんで剥きになって論ずるのか甚だ疑問。
いい加減に元の流れに戻せ、アホくさ
946 :
928:2006/06/28(水) 00:55:53
自分達がどれだけ立派な人間のつもりなのだろう。
例えば、今の日本政府は国債を発行し続け、GDPの何倍もの借金を
背負っている。
後世の人間は
「こんな借金を重ねるなんて21世紀の日本人はバカぞろいだな」というだろう。
「昭和生まれの日本人はすべてクソ」とかね。
その一方で「20世紀にはその時代なりの理由があって、借金を重ねたんだろうよ」
などと我々を擁護する人間ももしかしたらいるかもしれない。
しかし、このスレッドの流れを見れば、そういう我々を擁護してくれる
人間は、我々をクソ扱いする連中に、徹底的に中傷され排除されるんだろうね。
947 :
928:2006/06/28(水) 01:05:35
GDPの何倍もの国債を発行されるのを、容認してきた我々が、
どうして、南部の殿様の経済政策を批判できるのかな。
自分の足元を見ずに、身勝手で幼稚な「理想」を振りかざして他人を
批判することなら、誰だって出来るんだよ。
本当に自意識過剰で傲慢。
その傲慢さを指摘されても、分かろうともしない。
絶望的な気分になるよ。
まずは、謙虚に自分の姿を振り返ったら?
自分に出来ない事は他人にも求めない。
他人が自分に出来ない事をやったら、素直に評価する。まずはそこから。
ま、端的に「恥を知れ」ってことだわな。
津軽臭は南部スレに絡むな!
隔離スレか南部右京亮スレにでも逝け!
950 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 02:47:20
長州藩、米沢藩と比べたらドツボだろ>南部藩
951 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 04:40:35
過去の歴史を語るのに勝ち負けを競っているように見えますが。
そこに何か意味がありますか?
津軽臭、他県人にまでなりすまして、南部を貶めるなんて…
流石は津軽臭、民度が知れるな。
そうだよな。
「藩財政など当時の政治課題に適正に対応しなかった」という主旨で、
南部を、口汚く批判していた人間が多いわけだ。
だったら自分達も、今現在の日本が直面している政治課題を
解決して見せればいいんだよね。
それが出来るなら、南部を批判してもいい。
それが出来ないのに、批判しているから卑怯者なんだよな。
954 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 14:16:20
>>907 >南部藩はそれは不公平であるとして、自藩の高増を幕府に要求する。
>更に、1807年ウルップ島の全警固を申し出て、その代わりに高増を
>再度要求する。
どう見ても「南部から石高増加の話を持ち出した」ようにしか思えないんだが。
競争意識のなせる業か、それとも前で指摘していた人もいたけど、津軽と南部の
競争意識を上手く幕府に付かれたのかも知れないね。
>>928 「江戸時代は全くどうしようもないなぁ」
と後世の視点から全否定しているわけじゃなくて、
「江戸時代の各藩の中で、南部は特に酷いなぁ」
と論じているんだが。
>>942 >今現在の社会でもはたから見れば下らない「名誉」のために
>自分の財産を捨てる人間も数多いぞ。
同時代の「実収120万石に成長、でも表高はずっと30万石」の長州とかに
比べると、あまりと言えばあまりの話だから批判されるんだろ。
955 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 14:19:08
>>953 そんなこと言ったら、何も言えなくなるでしょ。
「どうしてあそこで代打を出さなかったんだ?」
「じゃあお前がプロ野球のチームを統率できるのか?出来ないなら黙ってろ」
と言うようなもんだぞ。
>>955 適正な歴史評価なら批判でもいいよ。
だけど、ここで「南部はクソ」とかほざいている人間がやりたいのは
歴史評価ではないだろ。単なる言いがかりをつけての断罪。
だったら、自分がどれだけ立派な人間か聞かれるのは当然でしょ。
落ち着け。
2chに書き込んでる段階で立派な人間なわけないだろ。
もちろん俺も含めて。
クソはクソ同士 ここでは仲良くやろうぜ。
>>957 俺は自分が、それほど立派な人間じゃないって自覚しているよ。
だからこそ、過去の南部の政治を断罪しようなどとは思わない。
だが、南部を批判している人間は違うよね。
自分がクソ以下だって自覚がないんだよ。だから鬱陶しいんだって。
959 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 00:35:20
>>955 「>江戸時代は全くどうしようもないなぁ」 と後世の視点から全否定しているわけじゃなくて、
>「江戸時代の各藩の中で、南部は特に酷いなぁ」 と論じているんだが。
全くそのとおり。俺は南部藩のダントツの一揆発生件数、秋田の物価2倍など当時の
他地域の状況と比較して批判しているのに南部擁護の奴はそれらの記述に
反論することができず、時代のせいにしている。南部擁護は情けない奴らばかりだ。
960 :
959:2006/06/29(木) 00:41:24
政治の実績がないくせに批判するな、ってんなら
お前も立派な人間でないくせに
他人様を卑怯者とかクソ以下とか鬱陶しいとか批判するな
962 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 04:20:14
>>961 言われている意味が分かってないみたいだね。
よく読もうね。それとも、呼んでも分からないのかな?
現在の日本社会は「国債の乱発による借金地獄」という状態なワケ。
で、この責任は、大きな目で見れば、こういう政治を許してきた
国民一人一人にあるわけでしょ。
日本は国民主権の国なんだから。
ここでの言葉をかりおれば、こんな失政を行っている
現代の日本人は全員が「クソ」なんだよ。
その「クソ」の中の一部が自分の政治責任を省みることなく、
過去の南部氏の藩政を、嘲笑し断罪している。
恥知らずだろ、こういう連中は。
だから「クソ以下」って言われている。
違うというなら、現在の日本政治の問題点を改善してみろって言われているんだよ。
自分達が解決すべき政治課題には何の対処もせず、はるか昔、
社会の諸条件が現在とは比べ物にならないほど未整備な時代の
為政者を断罪しようとする。
こういう人間は、どう考えても卑劣だし鬱陶しいよ。
お前みたいな鬱陶しい恥知らずのクズが
他人様を卑怯者とか恥知らずとか鬱陶しいとか非難するのが
よほど恥知らずだね、って話なんだけど
現在の問題を解決できない人には
過去の人の過ちを過ちと認める資格すらありません
と言って歴史から教訓を学ぶ気がないんなら
それはそれでいいけど
日本史板からは消えてほしいな
鬱陶しい板違いだから
965 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 14:00:10
>964
「過去の政策を偉そうに断罪するな」というなら、他のスレッドでもそれを
言いに行かなくてはならないのに、南部スレだけでそんなもっともらしいことを言う。
結局「南部の悪口を言うな」なんだよね。
南部鉄瓶の量産不可能の話とか、米が無事に生育した場合の収穫量の話とかは納得
出来るけど
「一揆の背後に伊達がいた」とか「一揆はテロ」とか、妄言が酷すぎる。
「重税」「自ら望んで石高直しで、家格上昇で負担増」「飢饉でも救済策なし」
「民への度重なる違約」
ってのが問題と俺は思うのだが。
>結局「南部の悪口を言うな」なんだよね。
他所の悪口は平気で言うのにね。
そいつ朝鮮人かよwwwwwww
つーか、普通に考えたら領地が猫の額ほども広がってはいないのにいきなり10万石が20万石になるわけないだろ。
そんな手品ができるのは島原の松倉家くらいなもんだ。w
南部家が20万石にしたのは軍役の基準額(=表高)でしょ。「今まで10万石分の軍役を勤めることになっていました
が、今後は20万石分の軍役を勤めますので20万石と公称させてください」って話だ。
幕府からすれば、実際には何も加増しなくても軍役(お手伝い普請も含めて)を多く出させることができるんだから
渡りに船くらいにしか思ってないんじゃなかろうか。
慶長・元和の頃ならともかく、表高=>実高なんて旧族系外様大名はまずいない。
毛利は36万石が100万石、気候的に生産性が低い伊達も奥州分60万石が100万石、南部のお隣津軽でも5万石
(後に10万石)が30万石と軍役基準高を実高が相当上回っている。
実高を仮に25万石と仮定すれば、
表高10万石・実高25万石→表高20万石・実高25万石
に変わっただけのこと。
968 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 01:32:24
>実高を仮に25万石と仮定すれば、
>表高10万石・実高25万石→表高20万石・実高25万石
>に変わっただけのこと。
「だけのこと」と言い切るが、そもそもそれが問題だろ?
軍役の倍増だけじゃなく、幕府の普請手伝いなどの負担が倍増するってことだぞ。
自分からのこのこ負担倍増を申し出てるんじゃ、世話ないわな。
あの〜。
「南部はクソ」と言い張るのが、歴史を教訓にする態度とは
どうしても思えないんですが。
>>965 『「一揆はテロ」とか妄言が過ぎる』
アンタのほうが馬鹿。アンタの言っていることこそ妄言。
テロの定義は大体、「政治目的達成のためにとる、何らかの暴力的手段」のこと。
「一揆」は当然これに当てはまっている。
大方、「無差別テロ」の悪い印象だけで、語っているんだと思う。
どっちにしろ、正しい認識を語っている人間に、自分の持っている
言葉の印象だけで「妄言」って言い張るのは、非常識。
971 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 12:14:44
諸藩の中でも南部藩の失政、悪政はひどかったというのが定評。
>>971 これももう何回も言われていることだけど、主要産業が農業だった当時、
平野部が少なく、冷害の多い南部地方は、経済基盤が脆弱になるのは
ある意味当然ではないかな。
そういう部分を考慮せずに、「南部の失政」の一点のみが原因のように
言い張る論理の粗雑さと、安易に人を責める傲慢さが批判されているんだけど。
973 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 00:05:21
↑
失政を必死で擁護する馬鹿
974 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 00:08:29
約一名南部藩首脳にでも成り代わったつもりの馬鹿が居るよ
だから実高が少なかったことや冷害に遭いやすかったことを
責めているのではないという旨は何度も書いてあるはずだが。
しかも批判者の大多数は「南部はクズ」なんてこと言ってないし。
反対意見のうちで最も明らかに質の悪い部分だけを相手に選んで
口汚くあげつらっているから説得力がなくなるんだよ。
976 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:18:43
>>975 もしかして、南部擁護の人は
「冷害に遭いやすいし稲作技術も未熟だし、実高も上がらないし南部鉄器は量産不可能だし、
領内の交通の便も悪くて物流が阻害されている」
ので
「藩が搾取するのも、飢饉のとき民を救援できないのもしょうがないし、
武家には面子があるから津軽を越えるため高直しで負担が倍増してもしょうがない」
と言いたいのだろうか?
さすがにそこまで書きにくいから、省略してるのかな。
977 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:38:37
南部藩の治世って藩と上方商人による植民地経営だと思う。
978 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:32:10
仙台藩のことだけど林子平の藩政改革案は採用されていれば良い結果になったと思う?
979 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:36:01
南部擁護厨みたいなのが八戸の士族末裔の町内会長には居るのか?南部藩の批判をしたら顔真っ赤にしてぼこりに来るとか。
>>975 だったら、当時の南部藩がどういう政策をとれば良かったか言ってみたら。
悪いが、ここにいる人間の知識のレベルじゃあ、当時の有効かつ実現可能だった
政策は挙げられないと思うぞ。
それを出来ないのに、過去の南部の藩政を断罪しているから、
卑怯だって言われているんだよ。
それを棚に上げて、仙台や津軽を叩くしかできないから
嫌われるんじゃないの?
なにその半島気質wwwwwwww
自己批判できないの?
叩いているのは、関西人みたいだけど…。
983 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 15:37:22
>980
少なくとも、石高直し申請はしない。
>>968 その辺は以前
>>896に書いたとおり。現代だったら大抵の人はそんな利のないことはしないよな。
だけど、この時代は「実より名が大事」って考え方も存在する。
存在するから「武士の一分が立たぬ」なんてことで大騒ぎになる。
伊達重村が島津より先に中将になろうと散在し、なれないと気をもむ。
津軽が10万石格になると同格に扱われるのが嫌さに倍の格になるよう申し出る。
別に先に中将になれなかろうが、津軽に並ばれようが、損するわけじゃないから放っておけばいいのにわざわざ命
や金を賭けるようなことをする。
とにかく、今みたいに「儲からないことはしない」で済む時代じゃなかった。価値観が全然違う。
985 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 15:32:06
>>984 それはわかるが、そのときや後世にまで災いを残すような高直しを申請したのは
他にも例がないだろ。
しかもそのとき、南部藩執政の面々は
「そんな無茶な」
などと反対したそうじゃないか。
当時でもこれは無謀なことだったんだよ。
>>984 領民・家臣の負担を全く考えてない、と。
>>985 > それはわかるが、そのときや後世にまで災いを残すような高直しを申請したのは
> 他にも例がないだろ。
老中なりたさに、各方面に散在したりわざわざ実収の多い領地から少ない領地へ移ろうと運動した殿様がいたよね。
それに反対した家老が居辛くなって腹切ったりして。
その上、老中になったとたんにそれまで贈賄してた相手を叩き潰すようなことをした挙句、下手打ってさらに実収の
少ない領地に移されたそうだよ。
自家どころか幕府自体の後世にまで災いを残すようなことをしていながら本人は責任も感じず生涯そっちの領地に
は行かなかったそうだよ。
あの人、何て名前でしたっけねぇ。
988 :
987:2006/07/02(日) 19:46:38
>>987 >老中なりたさに、各方面に散在したりわざわざ実収の多い領地から少ない領地へ移ろうと運動した殿様がいたよね。
南部の殿様といい勝負ですね。全くひどい奴です。あなたもそのことが言いたいのですね。
でも一時的な散在より高直しは領民には迷惑です。負担増はずっと続くわけですからね。
南部の殿様に領民の迷惑度を100とすると迷惑度は70〜80といったところでしょうか水野忠邦は。
989 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 00:20:04
>987
水野は表高6万石実質30万石といわれる土地から、実収も6万石の土地に転封を
望んだために、水野家中は実質的に減収を食らった。
移転に付き合わされた水野家中は迷惑をこうむったが、旧領の唐津の領民は
表高6万石のままなので別段迷惑してない。
ちなみに、南部のように
「今ある土地のままで、表高を増してくれ」
という話は聞いたことがない。
話を摩り替えないで欲しい。
990 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 01:03:12
>>989 鍋島藩 天草藩 津軽藩 彦根藩 俺が、知っているのだけで
これだけある。他にもあると思うが。
991 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 11:24:44
ええと、まず
「他藩に比べて物価が高かったから、南部の殿様が悪い」という主張が
あるけど、このことだけで南部藩政を批判するのは無理がある。
一般に、日本などの先進国の物価は、発展途上国に比べて高いのだが、
「先進国の政治のほうが、発展途上国に比べて劣っている」とは
いえないだろう。
実の所、これの答えももう以前に出ている。
「沿岸部の商品を内陸に運べなかった為、経済発展できなかった」
「そんな事はない。沿岸部で売買で得た金を内陸に持ってくれば
いいだけだろ。それで南部の経済は発展する」
「何を言っているんだ、そんな事をしてもインフレが起こるだけ、
経済発展はしない」
この一連のやり取りで、もう答えは出ている。
つまりは内陸ではインフレが起り、物価高になっていたのである。
現代であれば、金融業が発達しているので、通貨を動かすことで利益を
得る手段もあるが、当時は当然ながらそれは難しい。
「経済」を発展させるためには、通貨のほかに必ず商品が必要。
その商品の流通が難しかったからこそ、南部藩の経済発展は
難しかったのである。
992 :
日本@名無史さん:
それから「南部藩の石高増」が藩側から言い出したのか、幕府側から
出たものかでもめているけど、これって元々「南部藩の悪政」の
一つの例として出されていたんだよね。
では、石高増に伴っての南部側に生じた義務といえば、主に
「蝦夷地の警備」なんだよね。「上げ米の制」はもうなかったし。
んで、「蝦夷地の警備」で、藩財政が困窮し民衆にシワ寄せがいった。
だから「石高増を言い出した南部藩はバカだ、藩主は極悪だ」って
いうんだけどさ。
普通に、ごくごく普通に考えて欲しいけど、当時「蝦夷地の警備」は
絶対に必要な仕国家の事だよね。誰かがやらなくてはならない。
で、それをどこが担当するかといえば、距離的な関係からも、
寒冷地の気候に対処することから言っても、必然的に北東北の諸藩になる。
国家という視点で現実的に考えれば、引き受けざるを得なかった。
「蝦夷地の警備」は国家の運営の上で必要な仕事。
だとすれば、警備を担当させうる家格にするための「石高増」にも
必然性がある。
少なくとも、これをもって「南部はバカ。藩主は極悪」という
批判するのは、不公正という事になるのだが。