「聖徳太子」は架空の人物

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1
なんて話しもちらほら聞きますが、実際は?

生誕時の話などにキリストと被る逸話も多く、
生後4ヶ月で教えを説いたなど、実在したとは
思えないところも多いですよね。
2日本@名無史さん:04/12/27 22:10:02
ウマヤドノ皇子はいたのか?
3日本@名無史さん:04/12/27 22:25:44
じゃあキリストも架空の人物だな
4日本@名無史さん:04/12/27 22:28:47
上宮皇子と厩戸皇子は実在したと思う。
聖徳太子は分からない。
5日本@名無史さん:04/12/27 23:21:56
聖徳太子は原始キリスト教徒。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1086962035/
6日本@名無史さん:04/12/31 15:22:39
蜂須賀小6
7日本@名無史さん:05/01/12 22:11:13
>>1
ありえないエピソードがあると、存在を疑うのか?

エピソードのみがあとから付いた物と思えばいいじゃん。
8日本@名無史さん:05/01/14 14:58:37
釈迦なんて生まれた直後にしゃべったとか言われてるしな。
9日本@名無史さん:05/01/21 22:45:47
神格化する為に伝説を作るなんてのは普通の事
10日本@名無史さん:05/01/21 23:10:33
俺的には聖徳太子自体はいたとは思うが生誕時の話や生後4ヶ月で教えを説いた
などという伝説は1の言うように作り話だと思う。
11日本@名無史さん:05/01/24 01:18:19
厩戸皇子はいたが、聖徳太子はいない
聖徳太子の偉業や伝説は後つけこじつけ

気が済んだか?>>1
12日本@名無史さん:05/01/24 19:27:43
やった事全てが作り話とも思わんがな。
13日本@名無史さん:05/01/24 21:42:45
作り話じゃないだろうが実際の功績は蘇我馬子にあるだろうな。
14日本@名無史さん:05/01/30 12:32:01
つまりは、暗殺した馬子や藤原不比等の代ぐらいまでにさまざまな形で神格化が行われている。
それはのちに法隆寺を怨念封じの寺として再建し、日本書紀で不比等は稗田阿礼と偽名を使い
編纂にかかわり太子のさまざまな伝説を作り上げている事で分かる。
天智天皇 天武天皇のようなカリスマ君主の死亡記事は事実を簡単に伝えるのみ
だが太子の長々とした劇的な涙を誘う死の描写はどう考えても 変だ
捏造だな。結局 そこまで 怨霊を恐れていたという事だな。法隆寺の
つくりも変だしな。
15日本@名無史さん:05/01/30 14:05:12
厩戸皇子に類する人物は存在したが、書記に書かれた摂政とか神格化されるような事跡はすべて捏造。
間違いない。
16日本@名無史さん:05/01/30 16:10:02
額からビームが出たことだけは事実。
間違いない。
17日本@名無史さん:05/01/30 16:11:54
馬で富士山に登ったのもマヂ。
18日本@名無史さん:05/01/30 16:36:31
1は、法隆寺の中心で叫べ。作務衣の坊さんが飛んでくるぞ
19日本@名無史さん:05/01/30 16:39:04
五島氏によると予言者だったそうだが・・・
20日本@名無史さん:05/01/30 16:50:24
耳が10個ある奴なんて居ない
21日本@名無史さん:05/01/30 17:41:32
>>19
五島勉なんか出すなよ…。
22日本@名無史さん:05/01/30 20:07:07
まあ、厩戸くんに恐れをなして不比等が作った神話を楽しむようなスレに
なりそうですな。
23日本@名無史さん:05/01/30 20:27:08
聖徳プレイ
24日本@名無史さん:05/02/01 13:38:41
ぶっちゃけ隋書倭国伝のアメタリシヒコ=厩戸だと思えないよね。
発想の動機はウルトラナショナリズムだけど、襲酋僭称説のほうが的を射ている
ような気がする。
アメタリシコ本人は自分こそが「倭王」で大和の方の王権なぞ地方政権くらいに
しか思ってなかっただろうけど。
25日本@名無史さん:05/02/03 23:12:15
しかし古代の日本人はよっぽどお化け・と祟りが怖かったんですね。そこまでして
法隆寺を一生懸命再さいけんしたり、聖徳太子を捏造せんでもいいやん。
まあ、法隆寺周辺が世界遺産になったことが最大の供養なんでないの。うまちゃん。
26日本@名無史さん:05/02/03 23:26:25
日本書紀や古事記に書かれてるのが何でもデタラメ嘘というのが一時はやったが
いまだに言ってる奴がいるとはな
27日本@名無史さん:05/02/04 03:30:27
流行り廃りのレベルでしか物を考えられんのか
28日本@名無史さん:05/02/04 04:24:02
推古天皇も架空。
29日本@名無史さん:05/02/04 14:29:07
歴史書がいとも簡単に権力者の思いのままに操れてしまう事は事実。
実際 書記に書かれている中臣(藤原)氏のルーツや活躍は 古事記には
書かれていない。断言はできないがそこに捏造の疑いがでてくる。
不比等は今でこそ評価すべき名政治家だが。それが今の日本の政治の体質
システムの基礎を作ったんでは・・とさえ思う。(言いすぎやね)
なんだか、大化の改新も出来すぎというか、誇張しすぎの影がありませんか。
今から調べてみます。
30日本@名無史さん:05/02/04 18:02:43
質問します。
http://rongo.jp/kaisetsu/rongo012.html ←ここで
「聖徳太子の十七条憲法の第一条に、「以和為貴・和を以て貴しと為す」とありますが、
これは太子オリジナルのものではありません。論語のこの箇所から採ったものなんです。」

こんな意見がありましたが納得できません。

論破したいのですが、この意見を黙らせる資料がありましたお教えください。(ぺこり)
中国のパクリと言われ悔しくてたまりません。協力してください。
31日本@名無史さん:05/02/05 08:59:00
>>30
うーん、大日本帝国憲法もドイツを参考にしてるし日本国憲法もアメリカの押し付けだし、
他国のものを参考に条文に加えるのは別に悔しがる事でもないと思うが。

そのサイトでは聖徳太子が仏典をよく読んで「論語」にも精通していたと書いてあるけど
どちらかというと、日本書紀の編者が精通していたのでしょう。

って、これだと中国のパクリを否定はしてないな。。。
32日本@名無史さん:05/02/05 12:38:47
つーか唐以前の世界最先進国だったシナを真似して何か問題があるとでも?

今の脳梗塞国家・発酵国家シナを伝統があるからと必要以上に持ち上げるのも痛いが
逆に今のていたらくだけ見てかつてのシナの栄光を否定するのも同じくらいアホだぞ。
33日本@名無史さん:05/02/05 14:09:12
大王=蘇我馬子=聖徳太子
34日本@名無史さん:05/02/05 14:57:47
素直に「中国」って書けよ。
若いヤツが無理して「シナ」なんて書くのはみっともないぞ。
35日本@名無史さん:05/02/05 15:12:58
そんな事言い出すならあの時代の国名で書けよ。
中国って最近できた国名だし。 (細かく言うと中国じゃないけど。)
36日本@名無史さん:05/02/05 16:50:13
実在を否定するには、日本書紀に書かれてる「皇太子、親ら肇めて憲法十七条作りたまふ」と言う一文を
否定しなければならず、憲法十七条も危うくなるが、はてさて、如何なものか。。。
 
37日本@名無史さん:05/02/05 17:24:30
何やら、いきなり書き込みが滞ったが・・・
まあそれはいいとして、よくテキストなどに載っている、用明天皇の第2皇子。母は穴太部間人王。
名は厩戸豊聰耳皇子(所謂、厩戸皇子・うまやとのみこ)、謚名(おくりな)・・死後の敬称・・を聖徳太子と言う。
日本書紀によると憲法十七条の制定他・・・これらを否定するにはかなり骨が折れるんじゃないか。
38日本@名無史さん:05/02/05 17:57:07
憲法を制定したとかは別に普通の事だし、あってもおかしくはないわな。
39日本@名無史さん:05/02/05 20:39:34
厩戸皇子の立場の人なら憲法を制定するもんだってんで、そういうことにしたかもな
ただ、それを証明できるような史書がないんで世界史板ではまだ微妙
40日本@名無史さん:05/02/05 21:25:16
日本書紀は史書じゃないのか?
41日本@名無史さん:05/02/06 02:47:49
厩戸皇子(聖徳太子)を今更否定できるのか?
42日本@名無史さん:05/02/06 03:24:30
>>4は、錯覚してないか?
>上宮皇子と厩戸皇子は実在したと思う。聖徳太子は分からない。

これって、3つの名前は、普通は同じ人物だろう。
救世観音は761年「東院資財帳」に
上宮王等身観音菩薩、(聖徳太子)を等身大のモデルにした観音さまのことが記載。
43日本@名無史さん:05/02/06 06:46:53
厩戸皇子が架空の人物だとすると、6〜7世紀辺りの歴史関係の本の多くを
ガッ!しなきゃならんな。ガンガレ!
44日本@名無史さん:05/02/06 07:41:57
またチュンチョンか。次は義経も架空にされるな。
45日本@名無史さん:05/02/06 12:28:30
厩戸皇子は架空ではないだろ
ただ、厩戸皇子が憲法十七条つくったとかはうさんくさいが
46日本@名無史さん:05/02/06 13:13:43
「日出ずる国、日を没する国」と言う書を隋の皇帝に差し出したのは少なくとも
事実だろう。中国側の歴史書にも書かれていたと思うから。
47日本@名無史さん:05/02/06 13:29:09
それは九州王朝のアメタリシホコのやったことだよ。
48日本@名無史さん:05/02/06 13:34:30
スレタイでわざわざ「聖徳太子」とカッコつけてる意味を理解しろ。
徳川光圀や遠山景元は実在しても、黄門様や金さんは実在しないだろ。
49日本@名無史さん:05/02/06 14:02:59
聖徳太子関係のレア資料を大量に握っている研究会は、
聖徳太子リスペクト(つーか研究会に従順)の立場以外の学者には
閲覧とかさせないことで有名。
「聖徳太子はあんますごくねー」論文書いたうちの助教授は
その先の研究のために土下座して資料借りに言った。
50日本@名無史さん:05/02/06 14:07:39
>>36.45
604年憲法十七条作ったと言っているが、大王でも摂政でもない、
ただの王子が憲法など作るはずはない。大嘘。
51日本@名無史さん:05/02/06 14:51:13
聖徳太子のほとんど伝説は架空だと思う。
ただ、歴史なんて、後年の人が憧れを元に事実を強調して作るものだから、
聖徳太子の伝説がある程度虚構でもかまわない。
重要なのは、そういう人間が日本の歴史を考える上で必要だってこと。
そして現代の人間も、そういう人間に憧れや模範意識を持っていること。

1000年後には、宮本武蔵も坂本龍馬も事実になってるでしょう。
52日本@名無史さん:05/02/06 14:56:06
1よ、飯の種をなくすようなこと言うなよ。 日本史・宗教関係者
聖徳太子絵伝
聖徳太子信仰
聖徳太子像
聖徳太子伝私記
聖徳太子伝歴
聖徳太子平氏伝雑勘文
上宮記
上宮聖徳法王帝説
53日本@名無史さん:05/02/06 16:08:01
しかし、聖徳太子を否定する輩は大した度胸だな。
何せ、旧1万円札を否定するんだからな。
と言うことは日銀も否定すると言うことか。
まあ、日本を否定することでもあるな。
こんなことはシナニダでも無ければできないな。
54日本@名無史さん:05/02/06 16:31:25
>>51よ、どさくさに紛れて凄いこと書いてるな。
宮本武蔵も坂本龍馬も消しちまおうってか。
オマエ、ヤルねえ。
55日本@名無史さん:05/02/06 19:28:10
おう、熱いなぁ
趣味や嗜好は完全に大人になりきれないデヴヲタ君だがその熱意は買うぞ。
昼夜問わずヲタ嗜好全開なのは感心しないがな
56日本@名無史さん:05/02/06 19:43:16
>>54それらしい人物はいるとして伝説や司馬遼の作為だってことは
   知られてきたよね。
57日本@名無史さん:05/02/06 19:44:42
>>50憲法勘違いだろ。
58日本@名無史さん:05/02/06 20:19:48
聖徳太子架空説は学者の間でも有力説だよ
59日本@名無史さん:05/02/06 20:22:41
聖徳太子なんて名前は、厩戸王の生前にはなかったわけだからな。
60日本@名無史さん:05/02/06 22:08:31
>>1
だめだよ、聖徳太子で飯食ってる人が、失業しちゃうから。
61日本@名無史さん:05/02/06 22:21:32
聖徳太子 旧一万円札 日銀 ユダヤ 景教 キリスト教 秘密結社 ダビンチ
一ドル札 旧五千円札(稲造)・・・こりゃ関係ありそうですな
62日本@名無史さん:05/02/06 22:26:14
聖徳太子の業績はほとんど蘇我馬子のやった事。
蘇我馬子を否定する為に創作されたのが聖徳太子。
63日本@名無史さん:05/02/06 22:44:41
厩戸王は実在で、その厩戸王の死後の名前が「聖徳太子」なんだから、
実在しないとか創作とか言われても混乱するよな。

歴史に疎いヤツは厩戸もひっくるめて、そういう人物が架空と思うぞ。
64日本@名無史さん:05/02/06 23:02:57
つまりは中臣鎌足が影の支配者か・・・蘇我氏を内部分裂に追い込み片付け、
藤原姓をもらったか。入鹿も山背も石川麻呂もかまちゃんにしてやられたか。
うまいな、いまだに国民のほとんどは山背殺害にかまちゃんが加担していると
は知らない人が多いいんでは。
6562:05/02/06 23:05:36
「聖徳太子」という名前は蘇我馬子が「聖徳大王」と呼ばれて
いたことから作り出されたもの。
「厩戸王」は蘇我馬子、即ち「馬子(大)王」の事。
66日本@名無史さん:05/02/06 23:13:47
>>54
消すも何も、元々架空の人間だぞ
義経と一緒
67日本@名無史さん:05/02/06 23:26:20
>>53
少なくとも旧一万円札の図像が時代を下った厩戸皇子とは縁もゆかりもない
人物だってことは、史学界どころかニュースでまで報道されとったが?
お前の方こそ本当に日本人かw

>>66
どさくさに紛れて工作活動すな
ネタならスレが混乱するからやめろ
68日本@名無史さん:05/02/06 23:26:32
聖徳だけだと思ってるのか。信長だって信玄だって秀吉だって伝説だぞ。
69日本@名無史さん:05/02/06 23:36:38
2chネラーなんてドンキホーテの集まりだろって常々思ってたが
こいつぁすげえわ、ハリボテの風車どころじゃねえや、見えない戦車と戦ってやがる
70日本@名無史さん:05/02/06 23:49:52
どうだろうな、いっそうのこと、日本は1945年から突然始まったとしたら。
面倒くさくなくていいと思うぞ。米の核実験により、突然変異で弥生人が現日本人として発生した。
ここ60年なら科学的データが揃ってるから、有った無かったとかで煩わしくなくていいぞ。
71日本@名無史さん:05/02/07 00:13:27
>>67
工作活動っていうか、歴史的人物とか事件ってそういうものでしょうに。
すべての情報を伝えられない以上、
後年の人が「これは重要だぞ」とか「この人は英雄だろ」とか、
そういうのが選ばれて歴史的人物や事件になってるわけじゃん。
そういう選定作業がすでにフィクションの要素を含んでいる。
しかも、その選定に意味を持たせるために、いらない逸話を付け加える。
さらに、その時々の権力者の意向も加わって、、、
義経や聖徳太子なんて、まさにその代表。
72日本@名無史さん:05/02/07 02:33:25
>>62
松本清張説?
73日本@名無史さん:05/02/07 03:07:50
>>71
義経と「聖徳太子」じゃ粉飾度が違いすぎる。
74日本@名無史さん:05/02/07 17:38:35
オイオイ。義経はチンギス・ハーンだろ?
75日本@名無史さん:05/02/07 18:03:35
ネタスレになったか。。。
たいした知識も教養もないのがよってくるとこうなるんだな
76日本@名無史さん:05/02/07 19:33:21
文系の引きこもりはスゲエな。
聖徳太子〜坂本龍馬まで、抹殺しようとはな。ummmm・・・
77日本@名無史さん:05/02/07 20:48:49
>>30
第一条の全文を読んだらパクリじゃないことは明白。
他の条文もそうだけど、「和を以て貴しと為す」はそのあとに続きがあるんだよ。
78日本@名無史さん:05/02/07 23:16:29
>>76のような反応見ると、義経だの竜馬だの持ち出してる香具師は
「聖徳太子」肯定派なんじゃないのか。
その他の電波な存在・業績否定説と同一視させたいんだろう。
79日本@名無史さん:05/02/07 23:53:03
いや、その部分は引用だと考えるのが自然でしょ。
パクリと言うかは別にして。
80重複です:05/02/08 01:07:52
聖徳太子と飛鳥時代について語りませんか
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1029917483/l50
81日本@名無史さん:05/02/08 05:28:35
>>71
義経や竜馬みたいに、色んな伝承が伝わって事実とは違ってきているっていうのと、
聖徳太子みたいに最初から思惑で作り上げたのではだいぶ違う
82日本@名無史さん:05/02/08 07:53:28
ここの皆さんも、聖徳太子架空説のよりどころとなっている学説は、大山教授のものでしょう。
しかし、騒ぎだけは大きくしましたが、学者2〜3人が支持してるのみで、今となっては概ね否定的ですよ。
取り敢えず、貼っておきます。

1999年に刊行され学会に波紋を投げかけた大山誠一・中部大教授の学説は、次のようなもの。
 
712年完成の「古事記」には聖徳太子の記述がほとんどない。従って720年完成の「日本書紀」によって
聖徳太子像は生み出された。当時実権を握っていた藤原不比等や長屋王らが、唐から戻った僧の道慈に
命じ、過去の皇族の中か厩戸王をモデルにして、「聖人」としての聖徳太子像を創作したとの主張だ。

それに対し、↓ほとんどの学者は此方支持。
直木考次郎・大阪市立名誉教授(古代史)は、・・・「日本書紀が成立する十四年前に作られた法起寺の
塔露盤銘には聖徳皇という言葉があり、書紀で聖徳太子を創作したとする点は疑問。露盤銘を偽作とする
大山氏の説は推測に頼る所が多く、論証不十分」と指摘する。・・・日経04・01・10
 
83日本@名無史さん:05/02/08 08:08:26
大山教授が主張の重要な根拠である、藤原不比等・長屋王・道慈による、捏造説。
その反論の一例を、もう面倒だから、貼っておく。
http://www.bell.jp/pancho/hyper-history/siron_shotokutaisi/ooyama/section%201-9.htm
84日本@名無史さん:05/02/08 19:49:30
大山氏か
この人の説は推論に対する裏づけがまだ未整理な状態で、これからって気もするが。
面白いのは、大山説も断定するには弱く、それを否定する方もまだ弱いって所だよな。
85日本@名無史さん:05/02/08 20:39:46
 おまえら何いってんだ。この国は70年前独立するまで、インドの植民地で、俺らは
ほとんどが中国の辺境や、ベトナムの山間地、台湾の高山地帯からの移民じゃないか。
なに、薬やってんだ。
86日本@名無史さん:05/02/08 21:01:52
>>84
キミさ〜、言ってる意味解ってる?
まあイイか、面倒だな。
87日本@名無史さん:05/02/08 21:22:05
言いたいことぐらいはわかるだろうに
ただ煽りたいのかいな
88日本@名無史さん:05/02/09 01:41:51
先生はお手つきしちゃったかな。
人間、先が見えてくると、功名心に目の眩んだ愚行と取られたり、山師呼ばわれされるような、
行動をとってしまうこともあるが、もし、それに近い精神状態だったら、寂しい限りだが、
そうでないことを願おう。
establishmentされた論理や実証をうち破るには、極めて緻密な完璧性が無いと
現状ではriskが増大するが、はてさて、今後も意地を通すか、方向性を変えて突破口を見つけるか。
いずれにしても社会科学は2chでは無いんだから、理論を成立させるには科学的実証があって初めて、
客観性を持つのは何をか況わんやだが。
89日本@名無史さん:05/02/09 15:29:27
第一条の「和を以て貴しと為す」が論語から採ったものだという話だが、
論語には昔の王も和を美徳としたとあるから、論語よりも前に和の大切さが
中国では認識されていたわけだから、論語から採ったと決め付けてしまうのはおかしい。
それに論語は、礼の運用に和が大切だと言ってるわけだが、聖徳太子は礼の運用云々とは
言ってない。だからますます論語から採ったと考えるのはおかしい。
90日本@名無史さん:05/02/09 15:31:57
日本史板っていつもぐちゃぐちゃになるよな。
一つのスレで話がまとまったことあるの?
91日本@名無史さん:05/02/09 15:52:21
2chはどの板もぐちゃぐちゃになるんだが
92日本@名無史さん:05/02/09 23:30:43
>>89
昔の王も和を美徳としたかどうかは問題ではないね。
その意を「以和為貴」この4文字で表現したかどうかが問題。

例えば、「時間は大切だ」と昔から言われており、
それを「光陰如矢」と表現する書物Aがあったとする。
さらに後年の書物Bに「光陰如矢」と書いてあった。
ならば、書物Bの著者が、書物Aからとったか、
もしくは書物Aから一般に流布していた表現をそのまま使った。
そう考えるのが自然でしょう。
93日本@名無史さん:05/02/10 00:53:03
>>92
あなたは、2chでは、珍しく、論理秩序の整った人だ。
呉々も、論理と秩序を反対に並び替えて解釈しないで頂きたい。
94日本@名無史さん:05/02/10 13:38:11
>>92
論語だけが「以和為貴」という4文字を使っていたと調べた上で言うのならわかるが、
調べてもいないのに論語から採ったと決め付けることはできないでしょう。
聖徳太子の時代にあって今は失われた書物もあるだろうしね。
95日本@名無史さん:05/02/10 14:18:52
宇多田ヒカルのTravelingという曲に、「風の前の塵に同じ」という表現がある。
が、それだけでは『平家物語』の冒頭文からとったと決めつけるのはおかしい。
諸行無常という同様の思想は、『平家物語』以前から一般的なものだった。
しかも、宇多田ヒカルの時代にあって、今は失われた書物だってあるだろうしね。

って、1500年後に言われるのか。
そこからとったのは、今の時点では明らかなのになぁ。
というか、歴史上だとパクリという概念が成立しないのね。

聖徳太子とされる人物は、儒教の影響を受け五経にも精通していたとされるのに。
96日本@名無史さん:05/02/10 15:59:35
ummmmm。。。

 
97日本@名無史さん:05/02/10 22:30:19
以和為貴と表現するのが当時の中国で特異なものかどうかということが
問題なのだから、「光陰矢の如し」や「風の前の塵に同じ」という表現と
同様に捉えてはまずいだろう。
98日本@名無史さん:05/02/10 22:36:54
訂正
問題なのだから===>問題  「なのだから」は削除

説明すべきことを説明してくれているなら納得はするが、勝手なこじつけでは
納得できるわけがない。
99日本@名無史さん:05/02/10 23:36:02
まぁ、過去のある表現が特異だって事は、
証明不可能なんだから、言っても仕方ないやね。
つまり、「以和為貴」が論語からのパクリかどうかは不明。

ま、俺はパクリだと思ってるけどね。
100日本@名無史さん:05/02/11 04:51:13
私が聖徳太一です。100をgetしましたので、これにて終了いたします。
長々偽造スレにご協力下さいました皆様には私がスレ主に成り代わって御礼申し上げます。
・・・これにて終了!
101日本@名無史さん:05/02/16 15:12:17
>>1
聖徳太子は百済の威徳王昌と聖明王をモデルにした架空の合成人物
102日本@名無史さん:05/02/17 01:10:29
>>101
鹿島説は結論だけ書くと半島電波と区別つかんから論拠までしっかり書け

漏れは面倒なんでパスw
103日本@名無史さん:05/02/17 01:53:20
何つってもマジカルな時代の話だからな
登場する偉人たちは法力も呪術も千里眼も使える
そんなモンだろ

実際どうかなんて知る方法がない
あとは人それぞれの興味なんでないの?
捏造とかって小さい解釈だと思うがな
104日本@名無史さん:05/02/17 06:57:49
>>1-103
それは、と も か く、

アメのタリシヒコって誰なのかな。
ガコーの授業で、イコール聖徳太子と教えられたけど、これ納得できる?
105日本@名無史さん:05/02/17 13:39:01
天皇陵の指定と同じくらいアバウトだと思う
106日本@名無史さん:05/02/17 20:37:07
それが結論か。
107日本@名無史さん:05/02/21 17:39:28
事跡は出鱈目や後世の捏造ばかり。書紀の記載も中国の公史書と比較して疑わしい。
17条憲法も音韻学的研究成果などからみて後世の作臭い。
だから実在とは思えない とワシも思う。
108日本@名無史さん:05/02/21 19:22:42
>事跡は出鱈目や後世の捏造ばかり。

まず、これの理由は?
109日本@名無史さん:05/02/23 12:57:43
太子って架空だろ。一般常識じゃん
110日本@名無史さん:05/02/23 13:45:51
http://www.geocities.jp//garbage543210/Videos/20040626.wmv

聖徳太子でマジ切れ・・・コワーー(´Д`;)
111日本@名無史さん:05/02/23 15:46:26
まああれだけ力のあった蘇我が何もやってないことになってるからな。
112日本@名無史さん:05/02/24 11:58:45
昨日のヘキサゴンでも「聖徳太子が建立したといわれる寺は?」と問題がでてた。
法隆寺を「建立した」とは言わないということは、やっぱり業績とかが相当不確かなんだろうね。
113日本@名無史さん:05/02/24 14:49:07
関羽が算盤作った等の話と、どっちが信憑性あるんだろ・・・
114日本@名無史さん:05/02/25 12:32:18
伊予風土記によれば温湯碑という石碑に『法興』の時に『法王大王』が来たと書いてある。
これは聖徳太子のことに違いない、といって聖徳太子が湯治に来たことにして、後から聖徳太子作の漢文碑まで作りました。
しかし『法王大王』は天皇が僧籍に入って使う称号で太子のまま死んだ厩戸のことではないですね。
日本書紀にも太子の伊予行きなど何処にも記載はないです。これは聖徳太子信仰が生み出した架空伝説の一つですね。
115日本@名無史さん:05/02/25 12:33:48
伊予にはこの手の聖徳太子伝説が山ほどあります。

江戸時代に発達した伝統の伊予竹工芸。
これも聖徳太子が道後温泉に来遊した折、周囲の竹林の多さに気づき、土地の人々に篭の編み方を伝授したという。
おいおい、太子は竹細工の技術者かよ。

聖徳太子が道後に来られたときに立ち寄って参詣され、神号扁額を奉納されたと言い伝えられる高忍日賣神社。
太子は仏法だけでなく神道も信仰されたらしい。
116日本@名無史さん:05/02/25 12:36:40
第六十一番 札所 真言宗香園寺 
用命天皇の御代に聖徳太子が天皇の病気平癒を祈願して堂守を建立したのがはじまりでといいます。
この時、金衣白髪の老人が現われ、本尊の大日如来を安置したといわれます。
真言密教は、806年に遣唐使に随行した空海がはじめて支那より持ち帰ったとされる仏教です。
体系化される前の密教(雑密と呼ばれます)が奈良時代には伝えられていたようですが、
聖徳太子の創建当時、日本に入ってもいない密教の中心仏大日如来像が安置されるのは怪異現象です。

四国八十八ヶ所の第五十二番札所太山寺は伊予の国に来られた聖徳太子が縁を結ばれた寺といいます。

境内の一角にある聖徳太子堂・夢殿には、法隆寺の夢殿にあるのと同じ聖徳太子像がまつられていて参拝客も多い。
しかしこの寺、戦後の発掘で鎌倉末期の創建であることが判明。

他にも聖徳太子ゆかりというあやかりインチキ寺がたくさんあります。
117日本@名無史さん:05/02/25 12:42:24
伊予は国をあげて聖徳太子伝説を捏造し宣伝に使ってきた歴史があるようだ。
そういえば、
銘菓「伊予の月」はどう考えても「萩の月」のパクリではないかと思う。
萩の月を食べると、伊予の月はパクりの上に、格下だと思われ。
118日本@名無史さん:05/02/25 12:58:50
伊代からは、国家の存亡の危機を救った、
秋山真之を輩出している。
一方、人口的にも比べられない規模の関西からは、
こういう類の世界を巻き込んだ英傑はひとりも出ていない
119日本@名無史さん:05/02/25 18:52:06
太子は馬子だろ。大王に即位していた。だから蘇我家に国記天皇記もあった。
120日本@名無史さん:05/02/25 21:28:35
121日本@名無史さん:05/02/26 05:19:26
>>119
それだと現天皇家は皇位を簒奪した正体不明の連中ってことにならんか?
122日本@名無史さん:05/02/26 07:26:36
奴らに掛かれば、聖徳太子を架空の人物にするくらいは簡単だぜw・・・だとさ
 
123日本@名無史さん:05/02/26 08:42:40
馬子の業績のうち良いものだけを太子として分離
124日本@名無史さん:05/02/26 08:49:10
>>119
いくらなんでも、それは無理がありすぎだろ。
以前NHKのその時歴史が動いた、と言う番組で第136回放送の聖徳太子の”日出づる処の天子より”
で太子の紹介欄に、
「聖徳太子」という名称について
「聖徳」は、没後に与えられるおくり名です。生前は、「厩戸王子(うまやとのみこ)」と呼ぶのが、
学術的には正確です。しかし今回の番組では、広く一般に親しまれていることから「聖徳太子」の
名称を使いました。
また、「推古天皇」や「用明天皇」についても、6世紀末から7世紀初頭では、「推古王」「用明王」と
呼ぶのが学術的には正確です。しかし、これらも上記と同じ理由から、「推古天皇」「用明天皇」の
名称を使いました。
冒頭で、「倭国は当時、大王(おおきみ)と呼ばれた天皇と、有力な豪族によって統治されていた」と
紹介したのは、このことに対するお断りです〜〜〜
西暦593年に聖徳太子が「摂政」に任じられた時のシーンで「蘇我馬子とともに政治を担うことになった」
と紹介してある。

と、記載されているぞ。NHKのHPより抜粋。
上記記述が間違ってると思うなら、NHKの文句を言え。
125日本@名無史さん:05/02/26 09:16:11
>>121
そうです、何処の馬の骨か分からん奴らが皇統譜をでっち上げ、天皇、名のっているだけ。
126日本@名無史さん:05/02/26 10:08:26
>>125
なこたあない。
昔は本妻プラス側室・女御・更衣など、
多数の女性に子供をはらませた。
近い遠い合わせたら、兄弟親戚いっぱいいるんだよ。
後継者争いは激しかったんよ。
外戚まで含めたら、もっと激しい。

だから、中国もそうだけど、ちゃんとセク-スしたか
御付の女御が隣室にいて確認してたらしいよ。

「全く何処の馬の骨か分からん奴ら」が
つけいる事が出来る可能性は、想像するより、よっぽど低い。
127日本@名無史さん:05/02/26 11:12:36
>>126
じゃ〜、天皇って何処の馬の骨ですか?
多分、半島からきた不法移民だと思うけど。
128日本@名無史さん:05/02/26 15:37:32
そう言う話は生物板にでも言ってやれって。
もう既に板違いだから。
129日本@名無史さん:05/02/26 15:58:03
聖徳太子が天皇にならなかった件について
130日本@名無史さん:05/02/27 03:59:30
大和朝廷がそのまま天皇家になったって素直に信じられないんだよな。
平城京は古墳ぶっ壊して作った形跡あるから。
先祖の墓にそんなことしねえだろ。
まあ仮に今の天皇家の始まりが平城京建設どころか平安朝あたりからだとしても
世界一古いことには変わらんがね。
131日本@名無史さん:05/02/27 04:21:22
聖徳太子が架空って、又半島人の戯言か。。
132日本@名無史さん:05/02/27 13:29:44
聖徳太子のアホは バカ尻もちゃげて   ふぃん ふぃん
とくしょうはん、しっかり おしいたか   そうだにゃ 何いうとるにょ
仏の手下はいらんぞな  釈迦の切腹  ほとけの丸焼き

馬鹿な釈迦 アホ仏  ついでに馬鹿キリスト あほマリア  もっと言おうか 馬鹿なマホメット
それから 教派神道どもの ばかな神
とくしょうはん、 どうなってるたか  17の数字はなんじゃいな
「和」もいらんぞにゅ  そうにゃんだにぉ

ソレソレ  ふぉっこる ふぁっける   ふぇろはって     
ヴぉお  ヴぉお  ←唇をあわさずに ぼと言う

らての けとほが  今日は  ずぼうと挨拶
さっぴを持てや  釈迦狩りじゃ

「たんあがた どこさ 肥後さ  〜 〜」と歌うのだ  これで料理の歌だ
熊本のそうども  子供に アホなこと 教えるなよ

キリストの目抜けや!!   マホメットの面皮 ひっぱがせ  この悪人どもめ
マリアを裸にして 逆さづり やりでついたら おもしろいね
こんなものは 捨てろ     長い

仏を捨てて ヨイヨイヨイ
キリスト捨てて  万歳万歳
マホメット捨てて  よ〜いやな
133日本@名無史さん:05/02/27 14:05:28
>>131
推古天皇の分身説(蘇我入鹿込みで)があるよ。
鯨のネタだけど
134日本@名無史さん:05/02/27 14:17:46
もう誰かタイムマシン作れ。
そうじゃないと結論でない。
135日本@名無史さん:05/02/27 19:06:20
>>131

このスレで展開されてる説について何一つ言及せずいきなりそんなレスする
お前こそ半島人以下の語学力で書いてることが読めないのか。
読めても理解できないのかどっちだ?
136日本@名無史さん:05/02/28 10:17:59
ということで聖徳太子は架空ですな。
137日本@名無史さん:05/03/03 01:54:02
キミは日本政府を相手取って喧嘩売るんつね。
と言うより日銀かな。それともNHKかな。。
まっとうな日本人ならそんな破廉恥なことできるわけがない。
138日本@名無史さん:05/03/03 11:52:27
日銀はどうやら唐代のシナ人らしいあやふやな由来の図像を、聖徳太子などと言う虚像はなくとも
皇族ではある厩戸皇子の肖像と詐称して紙幣の図案に使った非国民ですが何かw
139日本@名無史さん:05/03/09 22:37:03
>>138
唐シナ人は居ない
居たのは唐人
140日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:07:00
隋と唐って、鮮卑族系だから、いわゆる北狄だな。
141日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:42:14
「日米分断 中国の狙い」「強固な同盟構築 議論の前提」 葛西敬之
---空論「東アジア共同体」---
 「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」。
7世紀に聖徳太子が隋の煬帝に送ったこの親書は、太子の時代にすでに日本の地政学的な座標が
「太平洋の西端で中国大陸と向かい合う島嶼」と認識されていたことをうかがわせる。
 今年は世界大戦終結から60周年。敗戦に至る昭和史を繙くと日本がこの伝統的な認識を
離れ、自らの座標を「アジアの東、日出ずる処」と変更したことが不幸の始まりだったことが分かる。
日本の指導者たちはアメリカとの関係悪化を恐れつつも、大陸での利権擁護を叫ぶ資本と国内世論
に流されて日中戦の泥沼にはまり込み、蒋介石の日米離間に絶好の隙を与えた。そのうえ
根拠のない希望的観測に縋ってアメリカの決意を過小評価し、三国同盟、仏印進駐、大東亜共栄圏
の推進など失策を重ねた結果、望まざる対米戦に追い込まれて国を滅ぼしたのである。
142日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:42:45
 60年の歳月が流れ、日本は今再び選択の岐路に立っている。「東アジア共同体」構想は中国主導
でなし崩し的に進められようとしている。昨年11月末の「ASEAN(東南アジア諸国連合)+3」首脳
会議で提起された「東アジア・サミット」の非現実性は、多くの人々の危惧を呼んではいるものの、
中国進出日本企業や財界一部の思惑を映してか、表立っては議論がなされないまま今年の暮れには
第一回の会議が開催される運びという。
 このように国の運命を左右する国策が国民的な議論を経ることなく形作られ、しかも、同盟国である
アメリカの強い懸念を無視して、いつの間にか既成事実化されようとしている現状を60年前の過ちと
重ねるとき、不吉な予感を禁じ得ない。
 ブッシュ政権になってからの日米関係は急速に好転し史上最良の日米関係、世界で最重要な二国間関係
と評価されるに至った。中国の狙いが、アメリカを排除した共同体構想に日本を引きずり込み、良好な
日米関係に楔を打ち込むことにあることは想像に難くない。しかも「反国家分裂法」と一対をなすこの動き
は、日米同盟による日本の安全保障体制とは決して両立し得ないものだ。
143日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:43:38
 日本の「東アジア共同体」推進論者は口を揃えて日米安保は堅持すると言う。
それならば口先だけではなく実を示さなければなるまい。すなわち、まず集団的自衛権の行使を宣言し、
再編成・再配置される米軍を積極的に日本に取り込んで自衛隊との密接な協働体制を整えるべきだ。
併せて経済・産業面での日米相互依存関係を強め、一層多重的で強固な日米関係を構築したうえで初めて
、東アジア共同体について論ずるべきなのだ。それも国民的な場で透明度の高い戦略的な議論を。
 「共同体」といえば通常は理念と価値観、例えば民主主義、自由主義、人権尊重などを共有する国々が
条約を結んで作るEU(欧州連合)のようなものを連想する。地域的にも近接し、構成国の人口は対等合併の
イメージに適う程度の均等性を有するのが前提だ。
 ところが「東アジア共同体」の場合、そのエリアは陸海におよび、広大に過ぎるばかりか、人口13億とも
いわれる中国がその中心的存在となるなら、共同体の形は吸収、併呑以外に考えられない。
共産党の一党独裁体制は民主主義、自由主義、人権尊重の理念とは対極の関係にある。
144日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:44:28
 またEUの場合一人当たりGDP(国内総生産)の各国間格差は1対10程度であるのに対し、「東アジア共同体」
では1対100にものぼる。かく見れば「東アジア共同体」が非現実的な空論に過ぎないことは明らかである。
 にもかかわらず中国がこれを熱心に推進するのは「東アジア」、「共同体」などのイメージを政治的に
利用するためと考えるほかない。アメリカと台湾抜きで「東アジア・サミット」が開催され、それに
日本が出席することになれば日米関係に亀裂を生み、ASEANとアメリカを分断してAPEC(アジア太平洋経済協力会議)
を形骸化し、台湾を国際舞台から消し去る重要な一歩となる。
 3月9日読売国際会議でアーミテージ前国務副長官は「協議体の拡散は、米国とアジアの間に、また日米間に楔
を打ち込むことにつながらないだろうか。協議体が増えるのは、米国の存在感を小さくしようとする
動きなのではないか」と語り、アメリカが中国の意図を読み切っていることを示した。
 また共同体を掲げることにより日本への入国を自由化することが中国の狙いだと危惧する有識者も少なくない。
取りあえず人の交流だけでも先行させ共同体への地均しとしようという提案が中国側から出されても
何ら不思議ではない。
145日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:47:51
 自国内での人々の移動を制限している中国が日本に対して入国を自由にせよと求めるのは道理に適わない。
しかるに経済人の中には少子化、高齢化対策と称してこれに同調するような声も聞かれる。進出先の中国での事業を
やりやすくするために取引材料と考えているのだとすれば、情けない話だ。
 中国はすでに日本全土を射程に収める核弾頭ミサイルを多数配備し、さらに急速な軍事力の増強、近代化
を推進している。それらを背景に日本固有の領土である尖閣諸島の領有を主張し、排他的経済水域での
資源掘削を続け、原子力潜水艦による領海侵犯などを繰り返している。これらの挑発すべて、日本の決意
と日米同盟の実効性を試し、あわせて日米分断の可能性を探っていると見なければならない。
 これらにどう対処すべきか。
 「集団的安保の逆説とはその能力が高まれば高まるほど、実際の力を使わなくて済む点にある。
中国に関しても、日米が肩を組む限り脅威が減るのは確かだ」というアーミテージ氏の認識が抑止戦略の
本質を的確に示唆している。すなわち、最重要な貿易相手であるとともに最大の脅威でもある中国と理性的に
向かい合い、安定的に共存するための唯一の現実的方策は不動の日米同盟である。
146日本@名無史さん:2005/03/30(水) 23:48:38
 両国がともに「太平洋国家」として必要ならばいかなる犠牲をも払う覚悟を示し、それを十分な備え
で裏付けたときに初めて抑止力が機能し、東アジアの平和と安定を保つことができる。ASEAN諸国の日米への期待
はまさにその点にある。
 そのためにも日米は明確なメッセージにより、決して分断されないことをあまねく認識させなければならない。
もちろん、このような侵害が繰り返されるなかで「共同体」を論ずるなど論外である。
 長期的、安定的な友好関係は相互の尊厳の上にのみ成り立つ。中国の市場をあてにして迎合的に振舞えば、
中国からは侮りを呼び、日米関係においては相互の信頼を失うだけだ。道義を踏まえ、毅然とした態度を
保持することだけが相互の尊厳と信頼を確保し、長期の国益に適うことを心に銘記すべきである。
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや」。
147日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 12:33:15
>>140
王朝は異民族でも官吏の大半は漢人だろう
148日本@名無史さん:2005/04/05(火) 12:12:26
141〜146
の結論から言うと聖徳太子は架空の人物ということだそうです。
149日本@名無史さん:2005/04/20(水) 09:05:52
もともと北狄である鮮卑族系の隋に対して、
東夷とよばれた日本が対等意識を持つのは当然である。

聖徳太子が対等宣言をしたのはそこに尽きると思う。
150日本@名無史さん:2005/04/20(水) 10:49:50
対等宣言なんてしてません。
厩戸皇子がアメのタリシヒコだと証明できないんで。
151日本@名無史さん:2005/04/20(水) 13:31:02
>>149
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
152日本@名無史さん:2005/04/26(火) 02:41:42
-ココまで読んだ-
素人が横からお邪魔します。

質問が2つほど。
1つ目。いわゆる歴史学会では実在説・否定説どちらが優勢なんでしょうか?
2つ目。谷沢永一氏の「聖徳太子はいなかった」という本、これの評価は『電波』なのか
それとも『学会の常識をそのまま述べただけの本』なのか、どちらなんでしょう?

ご回答宜しくお願いします。
153日本@名無史さん:2005/04/26(火) 04:09:37
>>152
(1)学会の通説は、後に聖徳太子と呼ばれた皇太子
  厩戸皇子は実在したです
(2)谷沢説は電波です。梅原猛氏の説の方が坂本太郎氏の反論が
  あった点から見て、はるかにマシな扱いを受けています
154152:2005/04/26(火) 04:20:11
>>153
夜分遅く回答していただき、どうもありがとうございました。
155日本@名無史さん:2005/04/26(火) 20:42:29
156日本@名無史さん:2005/04/26(火) 21:01:14
>>82
大山誠一氏は長屋王の没年齢問題でも、杜撰なテキストクリティークを
行なった方ですから、はっきり言って信用できない学者です

公卿補任や扶桑略記の長屋王の没年齢記述を否定しながら
王の父である高市皇子の没年齢記述は無批判に肯定するという
同一史料に対して平気ダブル・スタンダードを使う人ですから
157日本@名無史さん:2005/05/02(月) 16:32:25 BE:43188342-
自殺するなら首吊ろうよ
158日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:43:58
聖徳太子が、実は実在した天皇だとしたら?
息子の山背大兄王ら一族は全部殺されちゃってるし、ヤバすぎ!と
体制側が故意的に記録を残さなかった可能性はない?

即位してない人の息子が‘大兄‘を名乗ってるのが
不自然な気がする。
159日本@名無史さん:2005/05/03(火) 12:15:39
「上宮聖徳太子伝補闕記」では、山背大兄殺害を
入鹿の独断ではなく、孝徳天皇も首謀者だったとしてるから
かなり大胆な記述になってるけど、その補闕記でさえ
太子の即位や暗殺を記述してない以上、太子の即位や暗殺は
なかったと考えるしかないです
160日本@名無史さん:2005/05/06(金) 15:26:14
>>158
どうせ責任を蘇我氏になすりつけるんだから天皇でもOKだろ
むしろ蘇我氏排除の大義名分がさらに強くなる。
161太子です!:2005/05/10(火) 21:14:57
くぇrちゅいおp@@」:;lkjhgfdさzxcvbんm、。・¥づ
162日本@名無史さん:2005/05/11(水) 00:35:19
推古天皇って実在したの???
同時期に来日した中国人は男の王とその妻の名前を残してる。
推古時代には男性の王様がいたんなら、推古も捏造?

というより、確実に実在が確認される最初の天皇って誰???

163日本@名無史さん:2005/05/13(金) 14:55:08
おれおれ
164日本@名無史さん:2005/05/13(金) 20:29:03
推古天皇は男
165日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:32:35
聖徳太子なんていない
166日本@名無史さん:2005/05/24(火) 00:17:56
厩戸皇太子に聖徳という諡号を贈った天皇は誰ですか?
167日本史@名無しさん:2005/05/24(火) 01:15:19
厩戸王子は皇太子ではなく、憲法を施行するような権力を持っていた証拠は
一つもない。官位十二階も同様。

「武」「祟」字と同様、「聖」字もろくな死に方をしていない天皇の諡号。

余りにも伝説化が早すぎるので、明らかに政治的意図の元に作られた伝説
なんだろうね。蘇我氏=悪という構図の成立と表裏一体だと思う。時代的にも、
不比等の立場からも。
168日本@名無史さん:2005/05/24(火) 05:15:53
>>167
厩戸皇子が皇太子ではなかったと記述している史料をお教え下さい
歴史学の場合、史料に基づかない発言は意味を持ち得ません
169日本史@名無しさん:2005/05/24(火) 22:52:13
では皇太子と書かれた資料への批判は?

そんなことだから歴史学、つうか考古学は馬鹿にされんだよ。
170日本@名無史さん:2005/05/25(水) 12:05:46
ここであえて「皇太子なんてのはもっと後の年代に作られたもんだ」ってのを持ち出してみる
171日本@名無史さん:2005/05/25(水) 20:28:38
>>170
厳密に言えば皇太子という称号自体は、天皇・皇后と共に天武朝の時に
作られた可能性が高いです

しかし厩戸皇子(王子)が一介の王子に過ぎなかったら
その息子の山背王が、大兄という有力王族の呼称で呼ばれる
はずがありません

山背王は日本書紀を始め各史料で山背“大兄”王と記述されています
172日本@名無史さん:2005/05/25(水) 20:33:59
>>169
史料批判は歴史学の生命線ですが、史料に基づかない見解は
歴史学では意味を持ち得ません

何故なら史料に基づかない見解では、肝心の史料批判が行なえませんから
173日本@名無史さん:2005/05/26(木) 14:15:21
>大兄という有力王族の呼称
大兄って、王子のなかの年長者の敬称かと思ってたよ

有力王族だとと大兄ってつくのかぁ
174日本@名無史さん:2005/05/26(木) 21:49:51
>>173
押坂彦人大兄王子
山背大兄王
古人大兄王子
中大兄王子(葛城王子)

何れも大王に即位する可能性があった王族です
175日本@名無史さん:2005/05/30(月) 18:33:56
そりゃ、王子なんだから何れも可能性あるよね

大兄がつくのとつかないの差は何かってこと
有力でないならつかないの?

王族のなかで一人の母親から生まれた中での第一王子が「大兄」なのでは?
176日本@名無史さん:2005/06/02(木) 14:27:40
聖徳太子を偉い人に作ったんだから、当然その息子は大兄王子とよぶ。
177日本@名無史さん:2005/06/05(日) 18:25:06
結局さー、厩戸皇子を聖徳太子と呼ぶなという
せんせーはさー、孔子を孔丘とよべー
Qちゃんとよぶのだー!
ってな感じでだだこねてるだけってこと?

178日本@名無史さん:2005/06/05(日) 23:26:50
>>177
先生は授業に私情や思想をいれてはいかん。
特に社会の先生は。
179日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:49:06
たしかに、厩戸皇子は存在したのだろうね。
180日本@名無史さん:2005/06/19(日) 12:20:14
要するに厩戸皇子が当時聖徳太子と呼ばれていたかどうかだけの問題だろ。くだらね。
それなら明治天皇までの天皇は全部存在しないな。
181日本@名無史さん:2005/06/20(月) 10:21:56
そもそも聖徳太子奉賛会なんちゅう団体があって、
聖徳太子絡みの研究に金を出しているから話がややこしくなる。
学者だって人間、金を出してくれたスポンサーの機嫌をそこねるような
もんは書かない。

と井上章一があるシンポジウムで言ってましたが。
182日本@名無史さん:2005/06/20(月) 11:31:14
隋書 倭国伝
大業三年
「日出処天子致書日没処天子、無恙、云々。 帝覧之不悦、謂鴻臚卿曰
蕃夷書有無礼者、勿復以聞」w
183日本@名無史さん:2005/06/20(月) 15:13:57
>>180
全然違います。
このスレッド内部の議論すら、碌に読んでいないようですね。
184日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:47:33
ところでこのスレで「捜聖記」読んだ人いる?
185日本@名無史さん:2005/06/21(火) 11:15:02
聖徳太子=電車男
186日本@名無史さん:2005/06/21(火) 22:16:26
蘇我蝦夷=エルメス
187日本@名無史さん:2005/06/22(水) 11:55:42
「国家権力による歴史の捏造」を声高に主張する大山説にはうさん臭いところがあるが、
それに反対する勢力の背後にも政治的、国民運動的思惑があるようで。
http://www.tsukurukai.com/07_fumi/text_fumi/fumi39_text01.html

外野から興味深く見物させてもらってます。
188日本史@名無しさん:2005/06/23(木) 21:13:59
問題は法隆寺の偉いさん自体に本当の事が伝えられているかどうかだな

とりあえずグッズ販売とかは明治以後のてきとーな俗説にしたっがってるようだがw
189日本@名無史さん:2005/06/24(金) 23:50:37
>>187
大山誠一氏の史料操作が恣意的なのは、長屋王没年齢問題で
既にボロが出てるから今更という気もするけど
大山氏の史料操作の特徴は、同一史料に対して自分の説に
都合が良い部分は肯定し、都合が悪い部分は否定する
しかも同一史料における記述に関して、肯定する理由と否定する
理由を明確にしないという有様
190日本@名無史さん:2005/06/26(日) 12:35:06
否定する時は説得力はあって、肯定する時はないという、変わったおっさん

アンチテーゼとしてはかなり役に立ってるとおもう
191日本@名無史さん:2005/06/26(日) 12:58:32
>>180
いや、存在していたのは上宮皇子だけかも?
192日本史@名無しさん:2005/06/26(日) 16:04:42
そう。学問的にはまだそんな段階。

だから学校で、一部の学者が勝手に確定した仮説を教えるのはヤバス
193日本@名無史さん:2005/07/11(月) 05:25:35
景教の影響だと認識はしていなかったんだろうね
194日本@名無史さん:2005/07/23(土) 05:27:15
大山誠一
サヨだと言われてるが
相当な男尊女卑
大学での態度は
ウヨそのもの
195日本@名無史さん:2005/07/23(土) 17:38:56
日共は昔から男尊女卑で有名。
戦前の「ハウスキーパー問題」も知らんのか?
196日本@名無史さん:2005/07/23(土) 20:11:31
国書ひとつて゛一族が滅ぶとは…
197日本@名無史さん:2005/07/24(日) 02:32:00
厩戸皇子に聖徳という諡号を贈った天皇は誰ですか?
198日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:37:19
   
199日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:53:44
聖徳太子を模して作ったといわれる法隆寺の夢殿の秘仏の写真を見て
そのあと、共産党の志位委員長の顔をテレビでも見たら、よく似てた
変わった顔なんだが、実によく似てる 血統でもつながってるのかなあ
200日本@名無史さん:2005/08/15(月) 07:11:44
厩戸王子の遺伝子を受け継いだ者は全員自殺(全滅)してますから
その子孫は一人もおりません
201日本@名無史さん:2005/08/15(月) 18:14:43
日本書記に関して言えば、厩戸王と不比羅と道慈のそれぞれの思惑が複雑に絡んで編纂された書物で、古事記との矛盾や他の書物の矛盾から聖徳太子は架空だと結論。江戸時代後期にはすでにそう言われてたらしい。
202日本@名無史さん:2005/08/15(月) 18:47:10
夢殿の秘仏の顔は、分厚い唇、大きな鼻、うすいマユ
全体像も長い足 どうみても黒人だよ 少なくとも倭人ではない
渡来系は間違いないところだろう
何人かの複合像だろうけどね 聖徳太子は
203日本@名無史さん:2005/08/15(月) 18:48:32
この世にりんごは存在しない!
これならばりんごを目の前に出せば相手を納得させられるが現在相手の目の前に出せないものならどうだろう
昔中国は日本の属国ではなかった!
日本の属国ではなかった証拠というのは存在しないので、日本の属国だった証拠がなければ属国ではなかったと言える
上記を踏まえて聖徳太子は存在しない!という考えならば
聖徳太子が存在する証拠(伝承)が残っているので否定される

いずれにしても現在存在しない事例なので
中国が日本の属国ではなかった事も、聖徳太子が存在していた事も100%証明する事はできない

ただし、厩戸皇子の死後に聖徳太子と呼ぶようになったので
厩戸皇子が生きているときに聖徳太子が存在したわけではない
204日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:35:46
聖徳太子は藤原不比等
天武は太子の息子
205日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:53:22
>>204
その仮説はどの史料を元に提唱されてるのでしょうか?
史料に基づかない仮説は意味を持ち得ません
206日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:20:43
>201に関して訂正。
厩戸王ではなく、長屋王と不比等と道慈でした。すんまそん↓
207日本@名無史さん:2005/09/01(木) 23:16:58
208それでいいのか?毎日新聞:2005/09/03(土) 04:42:20
209日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:05:03
ツタンカーメンは
かつてその存在すら疑われていたそうな
210日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:26:01
大王は蘇我馬子
推古も架空
211日本@名無史さん:2005/10/08(土) 18:29:41
馬子が大王だと辻褄が合うには合う
212日本@名無史さん:2005/10/15(土) 10:32:25
馬子が大王ならその息子の蝦夷も大王になるはずだが
そうなると舒明天皇も架空なのか?
213日本@名無史さん:2005/10/15(土) 14:22:25
南北朝みたいなのもかも?
蘇我氏の大王と天皇家の大王が並存してたと
214日本@名無史さん:2005/10/16(日) 12:32:10
並存じゃなくて共存
215日本@名無史さん:2005/10/17(月) 12:41:49
大王であるってのと、大王並みの権勢を誇ってただとだいぶ意味合いが変わる
216日本@名無史さん:2005/10/17(月) 13:21:38
大王並の権勢ってのがよく理解できないんだけど、たとえば?
217日本@名無史さん:2005/10/27(木) 00:24:07
しらん
218日本@名無史さん:2005/10/27(木) 17:24:28
小林恵子著「聖徳太子の正体」によると太子はトルコ人だったそうだ。

 大阪や兵庫の太子町の伝承はどうなる?
219日本@名無史さん:2005/10/29(土) 02:31:32
小林信者乙
220日本@名無史さん:2005/10/31(月) 02:15:32
>216
クニツカミとアマツカミ
221日本@名無史さん:2005/11/05(土) 19:10:28
 聖徳太子の正体は用命天皇の第1皇子の押坂彦人大兄皇子である。
すると、聖徳太子は皇位継承の第1候補者で、天皇に即位していたはずで
す。推古天皇(女帝)の治世下の摂政になっていたというのは嘘になりま
す。
 根拠
「日本書紀」によると、用命2年(587)4月物部派の中臣勝海が彦人
皇太子(押坂彦人大兄皇子)と竹田皇子の像を作って、呪い殺そうとした
が、それが、難しいことを知り、彦人皇太子に帰順した。水派宮の彦人皇
太子の家臣亦見赤壽(トミノイチヒ)は、中臣勝海が退出するところを刀
を抜いて殺害したとある。
覚什著の「太子伝記」によると、物部守屋が用命天皇と聖徳太子を呪詛し
たことが書かれ、勝照3年(587)7月、聖徳太子率いる4将軍の中に
亦見赤壽(トミノイチヒ)(「伝暦」では太子の舎人となっている)がい
て、この人物が物部守屋を弓矢で射殺している。
この二つの事件は587年に起きた物部・蘇我氏による神仏戦争の中での
出来事であることは一目瞭然で、同時期に亦見赤壽(トミノイチヒ)は彦
人皇太子と聖徳太子の両方の家臣になっている。こんなおかしな事はあり
えません。彦人皇太子と聖徳太子は同一人物であると特定できます。
なぜ、聖徳天皇の業績が残らなかったのか。聖徳天皇を暗殺した事実を隠
蔽するためなのです。645年、天皇になっていた聖徳天皇(聖徳太子)
は、三韓の使者の挨拶を受けていた時に、中大兄皇子(百済王の子豊章)
と中臣鎌足(新羅の武王)によって殺害され、日本は朝鮮人に乗っ取られ
てしまったのです。
大化の改新では聖徳天皇を蘇我入鹿にすり替えられてしまいました。
中大兄皇子は祖国復興のために、日本軍を白村江の戦いに派兵して、大量
の犠牲者を作りました。
222日本@名無史さん:2005/11/06(日) 00:35:29
またデムパか
223日本@名無史さん:2005/11/06(日) 18:27:12
聖徳太子って、大和タケルらすいね。




224日本@名無史さん:2005/11/09(水) 18:16:46
なんか、俺が前に見たあるサイトによると、聖徳太子の母親はペルシャ人だったとか言っていた学者がいたな。
225日本@名無史さん:2005/11/09(水) 20:38:26
太子は渡来系ユダヤ人
厩戸もかの民族からの伝承を受けたもの
226日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:03:59
>>204
>>223
どちらも時代が違いすぎる
227日本@名無史さん:2005/11/10(木) 11:23:31
 聖徳太子の未来記
 その時、魔王波旬は仏法を利用して、本当の仏法を打ち破ろうと企て、日本を乗っ取って鬼の国にしようと願う。そのために、三人の眷
属を使って三人の僧(一遍法師、日蓮法師、親鸞法師)に化けさせた。邪法・魔業を授けて日本の衆生を惑わして、三悪道(地獄、餓鬼、
畜生道)に落とそうと願う。以下省略
三番目は親鸞上人と名乗る。この世のすべてのものが仏の現れであるのに、もっぱら阿弥陀仏一仏を信じ、仏のきまりを修めずに、ただ、
南無阿弥陀仏の念仏を唱え、本当の僧を頼らずに、自作の親鸞上人を敬い頼りとする。黒色の衣装をまとわず、鼠色などの衣装で着飾り、
戒律を守らず、女を犯すことを良しとし、不浄を避ける食事を取らず、肉食を行い、釈迦の仏法を汚して、神社を穢し、大衆を集めて、死
者をえさにして、食い物とする。信徒を惑わし、畜生道に落す。ゆえに、天皇や公家は許さずして、犬衆と名づけ、武家は信ぜずして、悪
党と呼ぶ。この一党は本当の仏法のきまりに従わず、王家や武家の法律にも背いている。これが、戦争が起こる因縁であり、国が滅びる基
になる。
日本の末世には、この三悪魔がはびこり、悪魔を見聞きしても禁じ断つ者がいないと、六天の魔王は活躍し、外国の理智に暗い人間は歓喜
し、畜生の心の人間が本性を現して言葉を話し、龍が空を飛び、悪魔が巖などにへんげする。地球の軸が大きく傾いて、暗闇の世となり、
夜半に太陽が出る白夜となり、北に月が出る。
聖徳太子が日本の将来を憂いてこのような予言書を残してくれました。ほんとうに有難いことです。日本を救う道は、太子が残してくれた
ものの中に、きっとある筈です。
228日本@名無史さん:2005/11/21(月) 22:09:50
十人の話の内容聞くことが出来る のトリック

役所に相談に来てた人々は 自分の相談を聞いてもらえないと
今後の生活に関わる必死な精神状態だった
これを再現するために

聖徳太子(聞き)役と 数名の相談人役を用意する
一斉に相談役に 何かしらのジャンルを設けて好き勝手に話してもらい
聖徳太子役が 何を言っていたのか当てるゲームをやってみればいい
ただし条件として 聖徳太子役が何を言ってるか聞き取れなかった場合は
その相談役の人は 罰金1万円とかを取られるルールとする

これなら 必死になった相談役の人は 絶対に自分の言ってることを
聖徳太子にわかってもらおうと必死になるから
聖徳太子も聞き取りやすくなる

229日本@名無史さん:2005/11/24(木) 00:19:48
所謂「聖徳太子」は実在しない。
だが「国」のアイデンティティの為に必要。
後世の日本尊だろ
230日本@名無史さん:2005/11/25(金) 05:24:14
実在しない
ではなく 棺桶だろ?
聖徳太子という名の棺桶にいれられて
蓋された誰か

非存在説はナンセンス
そのうち支持した奴まで恥かく日がくると思うんだけど…
231日本@名無史さん:2005/11/25(金) 22:07:25
「厩戸」とか「豊聡耳」とかいう名前は伝説から取ったんだろうから、「上宮」が本来の呼び名なんだろうな。
232日本@名無史さん:2005/11/26(土) 00:22:43
太子の娘に馬屋女王がいるし・・・
233日本@名無史:2005/12/21(水) 21:59:29
age
234日本@名無史さん:2005/12/23(金) 16:04:11
>>181
それ本当。
金だけでなくけっこう資料も握っていて、
聖徳太子マンセーの以外の学者には
閲覧とかさせないことで有名。
235日本@名無史さん:2006/01/02(月) 05:01:06
質問。
皇太子に諡付けたのって、聖徳太子以外に例あるの?
後、法隆寺が一度焼けて再建された時点では、天皇という言葉は使われていた?
236日本@名無史さん:2006/01/03(火) 01:13:36
廃太子 崇道天皇
237日本@名無史さん:2006/01/07(土) 05:48:37
保明親王(醍醐皇太子)→文献彦太子
238日本@名無史さん:2006/01/07(土) 10:38:40
持統天皇の皇太子・草壁皇子もたしかあったと思う
239日本@名無史さん:2006/01/07(土) 12:55:29
岡宮天皇
240日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:07:33
高岳親王→蹲居太子

諡じゃあないねw
241日本@名無史さん:2006/01/11(水) 04:24:06
不思議に思ったことがあるのだけど、法隆寺再建論争で、
聖徳太子が実在してなかったという人たちが、「法隆寺再建論」を主張してるのがよくわからんのだけど。

法隆寺が再建されていたら、「仏像がおかしい」だの「彫られている文字がおかしい」だのは「再建したんだから再建した時代に合わせただけだろ」で終わってしまう気がしてならない。

242日本@名無史さん:2006/01/12(木) 21:44:59
馬子 厩戸皇子
推古も馬がつくんだよね?
243日本@名無史さん:2006/01/14(土) 05:01:11
大和国平群郡の額田は良馬の産地で、
額田部は馬の飼育や騎馬に長じていた。
244日本@名無史さん:2006/01/19(木) 04:20:20
へぇ馬に乗ってたのか。
245日本@名無史さん:2006/01/19(木) 18:03:46
聖徳太子弟の墓は大王級
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1137658396/
246日本@名無史さん:2006/01/19(木) 19:31:55
>>1
北朝鮮の金正日は白頭山で生まれていなかった。だから、実在する人物ではない。
還暦の時、北朝鮮国内で色々な奇跡が起こったらしい。だから、空想上の人物です。
247日本@名無史さん:2006/01/20(金) 01:19:24
最も、無宗教と言われとる日本人がなんであそこまで、初詣、合格祈願、○○祈願・・・。
どんな会社にも神棚があり、榊が供えてあり・・・神様、神様。日本人の言う神様って
いったい何やねん・・・。なんでキリスト教伝来以前から貼り付け獄門は十字架やねん!
呪いのわら人形って貼り付けにあったイエスそのものやないか!なんで旧約聖書に出てくる
イスラエルの神器も三種の神器と呼ばれ、日本にも三種の神器があるんや!
なんでヘブライ語とカタカナは形がそっくりなんや!なんで旧約聖書に出てくる契約の箱は
お神輿そっくりなんや!なんで伊勢神宮に毎年、あれだけ巨額の税金を投入するんや!
なんや!あの警備体制は!なんで旧5000円札の逆さ富士は富士山よりも、シナイ山に似とる
んや!イエスも聖徳太子も馬小屋で生まれとる。ウマヤドの王子っていったい
なんやねん!いいかげん気づけよ!日本人!
248日本@名無史さん:2006/01/20(金) 23:30:01
そうだよ気づけよ!
イエスと厩戸皇子の誕生譚に繋がりは無いって!
249日本@名無史さん:2006/01/21(土) 08:50:44
>247
>イエスも聖徳太子も馬小屋で生まれとる。ウマヤドの王子っていったい
>なんやねん!いいかげん気づけよ!日本人!

日本に伝わった文化が全て中国発〜朝鮮経由〜日本着じゃないからね。
聖徳太子が景教の聖典を読んで、「これ、ええなぁ」とインスパイャされて、
十七条憲法を書いたかもしれないが。

日湯同祖説か・・・だったら、なぜ、景教・ユダヤ教が日本の国教にならなかったんだろう?
250日本@名無史さん:2006/01/21(土) 10:15:22
聖徳太子が地球儀(かなり正確)を作ったという話があった。
誰か詳しく知りません?
251日本@名無史さん:2006/01/21(土) 10:48:44
252日本@名無史さん:2006/01/21(土) 13:10:02
>>251
ありがとー!^^
てか、ウィキで調べられるなんて。
いっぺんに二つりこうになりましたm(_ _)m
253日本@名無史さん:2006/01/22(日) 13:33:29
>249
古代ユダヤ教すなわち原始キリスト教=神道って説もあります。
254日本@名無史さん:2006/01/22(日) 16:07:40
日本人の祖先はユダヤ人の血が混じっている、なんて話もありますもんね。
255日本@名無史さん:2006/01/23(月) 02:24:14
まあみんなアフリカ人の子孫だし。
256日本@名無史さん:2006/01/26(木) 00:55:50
金剛力士はヘラクレスだし
風神もギリシャの神様だし
五重塔はインドのストゥーパだし
まあそういう事
257日本@名無史さん:2006/02/04(土) 23:37:25
聖徳太子は近年の外交担当大臣なんかよりも、よっぽど中国の扱いが上手いよね。
対等外交とか敵の敵と味方になりそうに威圧しながらの外交とか、実に良い。
まあ今度からは麻生さんが似たような事をしてくれると期待していますが。
258日本@名無史さん:2006/02/05(日) 05:38:38
実在はしただろう
しかし、その後に神格化され様々な捏造が生まれたことは否定できない
あの辺りの時期は蘇我馬子がトップとして君臨していたから、あの辺りの功績は聖徳太子よりむしろ蘇我馬子にかかっていたと思う
まあ、いくつか馬子の実績を奪った部分も多いと思う
259日本@名無史さん:2006/02/05(日) 10:38:44
聖徳太子はジライシンを作ったのだ。
260日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:23:45
姓は阿毎、字は多利思比孤・・・X

姓は阿毎、字は多利思北孤・・・○

天照彦・・・X

天垂矛・・・○

どちらも聖徳大師にはあらず。
261日本@名無史さん:2006/02/05(日) 19:24:17
>>260
その方は、九州の倭王ですね。
262260:2006/02/05(日) 21:09:51
>>261
ご正解。
矛文化圏の王です。
そして七支剣(実は矛)をもらっている血筋。
263日本@名無史さん:2006/02/05(日) 21:53:39
>>262
その頃が盛りで、その後、半島から敗走し、東の日本国にも破れ、
結局滅亡した訳ですけどね。
264260:2006/02/05(日) 22:10:35
まあ、なんとか持統がニ血脈を
接木してくれましたけどね。
兄弟にされて本人たちはどう思ってることか・・・
(脱線すいません)
265日本@名無史さん:2006/02/06(月) 00:02:58
聖徳太子の全てが架空ではないと思いますが、
九州の倭国のことを歴史から消そうとしていた日本国としては、
倭王である阿毎の多利思北孤のことがシナの記録に載っていることに困り、
それが聖徳太子のことであるかのうように日本書紀に書いたというだけの
ことですね。
これとよく似たことは、卑弥呼と神宮皇后の関係にも見られます。

普通に読めば誰でも間単に見破ることができますよ。
結構稚拙な感じのする部分です。
266日本@名無史さん:2006/02/06(月) 00:33:50
アメノヒボコも矛族?
新羅王族だから?
267日本@名無史さん:2006/02/06(月) 01:38:13
現在の教科書では聖徳大子とは言わないだよね。
268日本@名無史さん:2006/02/06(月) 08:55:35
女帝の推古天皇が新たに即位し,国際的緊張のもとで蘇我馬子や
推古天皇の甥の厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を
進めた。
山川出版社『詳説日本史」2005年3月発行 P29
269日本@名無史さん:2006/02/06(月) 09:30:26
>>265
文献批判に精しいのなら、
神功紀にある魏志註の追書性についても検討してみてください。
270260:2006/02/06(月) 21:56:23
私は265ではないが、
四十三年。魏志に云ふ。正始四年、倭王、復(また)使大夫伊声者掖耶約等八人を遣はして上献す。と、

六十六年。是年、晋の武帝の泰初二年。晋の起居注に云ふ。武帝の泰初二年十月、倭の女王、訳を重ねて貢献せしむ。の間に

「百済王の近肖肯王と王子の貴須」が出てくるいい加減さは
理解していただけると思う。
271日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:06:27
神功皇后の関連も面白いことは確かですが、まあ、ここは聖徳太子スレですから、
あまりのめり込むのは如何なものかと。
いずれにしても、超人的な能力をもって日本書紀に登場する人々の実態は大体怪しむべし。
272日本@名無史さん:2006/02/07(火) 00:08:06
超人的な能力をもってしなければ、説明しづらい何かを無理に説明しようとしている
ところと思えば、大体間違いないでしょう。
273日本@名無史さん:2006/02/12(日) 21:10:08
聖徳太子は正真正銘の朝鮮人です。
274日本@名無史さん:2006/02/13(月) 14:17:57
簡潔ではあるが、俺は13さんの意見に賛成。当時の(特に外交)聖徳太子にあれだけの能力はなかろう。それよりもっとも新しい帰化人の蘇我一族の当主である馬子の功績と見るのが妥当だろう。希代の政治家と思うよ馬子は。
275日本@名無史さん:2006/02/13(月) 14:36:27
>>273がホロン部の朝鮮人なのはわかってる
276日本@名無史さん:2006/02/14(火) 13:39:57
実在はしたが、太子の業績は嘘。と言う説を支持します。私も馬子の業績と見てますね。
277日本@名無史さん:2006/02/14(火) 19:09:37
遣隋使はむしろ太子の主導ではないか。
馬子が飛鳥時代確立期のリーダーであったことは事実だろうし、日本書紀にもそれらしく書かれている。
その大政治家馬子にしては、中国に目を向けるのが遅すぎるような気がする。
570年代に恐らく20代で大臣職を襲ってから30年。
その間、国内では豪族間の対立、国外では半島との微妙な関係、隋の中国統一等があり、
のちに遣隋使を送るほどの人物だったら、これらの時点で中国との国交樹立に踏み切ってもおかしくない。
一方太子は、590年代後半にはブレーンを得、政治に関わり始めたと思われる。
遣隋使派遣には、若き太子の意志が働いていたと見た方が自然だ。
607年の使者(妹子)は、倭国の仏法興隆のため教化を受けんと隋国を訪れたと述べている。
この時期、馬子の飛鳥寺はほぼ完成期にあり、逆に斑鳩寺をはじめとする斑鳩文化圏がこれ以降に形成されていく。
唐が隋に取って代わり、太子が死去した直後、遣隋留学生の一部が帰国し、唐との通交を朝廷に勧めるが、
馬子の存命中には実現せず、第1回遣唐使が送られるのは舒明朝に入ってからだ。
馬子の中国に対する関心は、さほど高くなかったように思えてならない。
278日本@名無史さん:2006/02/14(火) 20:45:07
★★ 和漢同盟と百済建国 ★★

4世紀(西暦300年)以前に成立した
日本と楽浪郡=帯方郡の同盟、いわゆる和漢同盟について、皆さんの意見を書き込んでください。
和漢同盟があってこその、百済建国ですね。
反高句麗で連帯していた、大和と楽浪=帯方郡。
和漢同盟が基礎となって百済が建国されたという事実から推測するならば、百済はやはり倭人国家か。

百済が、最初は、日本領・任那の北部地域に建国されたという事実に注目しましょう。
任那とは、日本国の第十代大君=崇神天皇が建国した、あの任那です。任那は、志良岐の西側に、
広大な領土を持っていました。
中国の自治領である楽浪=帯方郡の南方にあった倭人の二つの国、それが志良岐と任那です。
任那から分離して誕生したのが百済。最初は駒国(狛国。コマ)と呼ばれていました。
楽浪=帯方郡が古代日本人から「コマ」と呼ばれていた点に注目してください。
百済が任那領内に設置されたコマ(楽浪=帯方郡)の亡命政府であった事実が見えてきます。
西暦313年、高句麗の攻撃によって、楽浪=帯方郡が滅ぼされました。その時、コマ(帯方郡)の役人や武将、
民間人が、難民となって任那に流入したことは容易に想像できますね。
279日本@名無史さん:2006/02/14(火) 23:20:09
九州の倭国のことを歴史から消そうとしていた日本国としては、
倭王である阿毎の多利思北孤のことがシナの記録に載っていることに困り、
それが聖徳太子のことであるかのうように日本書紀に書いたというだけの
単純なことですね。

つじつまが合わなくなると、超人的な人物を登場させて訳分からなくする、
日本書紀の常套手段ですね。バレバレです。
280日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:29:18
はいはい電波電波
281日本@名無史さん:2006/02/15(水) 04:03:29
沖縄の三つの地域それぞれが朝貢送ってきたのに対してきちんと「三つの朝貢国」と扱ったシナが、九州と本州を一緒にするかな?
282日本@名無史さん:2006/02/15(水) 05:20:48
>>281
沖縄のミッツの地域
283日本@名無史さん:2006/02/15(水) 19:29:11
★ 和漢同盟と百済建国 ★

高句麗はコマ(駒国)ではないんですよ。
コマとは、楽浪郡=帯方郡のことです。とくに帯方郡を意味します。
なぜ、帯方郡を駒国(コマの国)と呼んだのかといいますと、任那と帯方郡の国境地帯にコマ
(駒。馬のこと)が多かったからです。つまり、帯方郡に所属する騎馬軍団が、
国境のパトロールをしていたんですね。
山が連なる畿内地方を「ヤマト(山処)の国」と呼んだのといっしょです。
帯方郡は中国の自治領ですが、漢人だけでなく、倭人も数多く住んでいました。

4世紀(西暦300年)以前に成立した 日本と楽浪郡=帯方郡の同盟、いわゆる和漢同盟について、
皆さんの意見を書き込んでください。 和漢同盟があってこその、百済建国ですね。
反高句麗で連帯していた、大和と楽浪=帯方郡。
和漢同盟が基礎となって百済が建国されたという事実から推測するならば、百済はやはり倭人国家か。
百済が、最初は、日本領・任那の北部地域に建国されたという事実に注目しましょう。
任那とは、日本国の第十代大君=崇神天皇が建国した、あの任那です。任那は、志良岐の西側に、
広大な領土を持っていました。
中国の自治領である楽浪=帯方郡の南方にあった倭人の二つの国、それが志良岐と任那です。
任那から分離して誕生したのが百済。最初は駒国(狛国。コマ)と呼ばれていました。
楽浪=帯方郡が古代日本人から「コマ」と呼ばれていた点に注目してください。
百済が任那領内に設置されたコマ(楽浪=帯方郡)の亡命政府であった事実が見えてきます。
西暦313年、高句麗の攻撃によって、楽浪=帯方郡が滅ぼされました。その時、コマ(帯方郡)の
役人や武将、兵士、民間人等が、難民となって任那に流入したことは容易に想像できますね。
284日本@名無史さん:2006/03/24(金) 11:54:48
   
285日本@名無史さん:2006/04/09(日) 09:40:33
聖徳太子の全てが架空ではないと思いますが、
九州の倭国のことを歴史から消そうとしていた日本国としては、
倭王である阿毎の多利思北孤のことがシナの記録に載っていることに困り、
それが聖徳太子のことであるかのうように日本書紀に書いたというだけの
ことですね。
これとよく似たことは、卑弥呼と神宮皇后の関係にも見られます。
286日本@名無史さん:2006/04/09(日) 21:17:20
>>285
そのとおりです。
それは麻呂の書いたことのコピーです。
賛同いただいて、ありがとう。
287日本@名無史さん:2006/04/09(日) 22:50:37
デムパゆんゆん
288日本@名無史さん:2006/04/30(日) 06:50:43
大山誠一信者たちが書き込むスレだなここは
289日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:55:37
厩戸皇子は実在しましたが
聖徳太子は架空の人物かもしれない
290日本@名無史さん:2006/05/02(火) 21:19:45
梁の昭明太子のパクリだろ。
日本にもこんな文化的なヒーローが欲しかったんじゃないの?
291日本@名無史さん:2006/05/02(火) 23:51:27
>>290
明太子をパクってどうしますの?
292日本@名無史さん:2006/05/03(水) 01:22:13
隋書では倭で仏教が盛んだったと書かれてる
当時仏教が盛んだったのはやはり大和地方で高句麗僧を招いていた大和政権と考えるのが素直じゃないかな

日本書紀が勝者の書であるということはその通りだが
少なくとも阿毎の多利思北孤は大和政権の王であるという枠を超えて解釈を飛躍させるのはどうかな

要するに
@阿毎の多利思北孤は当て字で実は女だった
A阿毎の多利思北孤は摂政厩戸もしくは馬子だった
B推古天皇捏造説
とかね
293日本@名無史さん:2006/05/03(水) 01:25:50
C厩戸王子が性同一性障害だったw
294日本@名無史さん:2006/05/03(水) 22:32:15
阿毎の多利思北孤を大和政権の王というのは、随分と飛躍のある
不思議な見方ですね。先入観にとらわれ過ぎではないかな?
295日本@名無史さん:2006/05/03(水) 22:35:17
本当だよ 学会ではいない人なんだって
296日本@名無史さん:2006/05/04(木) 01:22:45
またデムパか
297日本@名無史さん:2006/05/05(金) 11:20:02
>>295
なんと、学会では阿毎の多利思北孤はいない人として扱われているのかい?
それが本当なら今の学会とやらはデタラメですな。
後世のもの笑いになりませうぞ。
298教育基本法改悪:2006/05/05(金) 11:22:33

伝統というと何でも良いものだと勘違いしている者が時々居るが、大きな間違いだ。
悪しき伝統、悪弊と言うものも有る。
天皇制は正にそれに当る。

天皇制が出来てからと言うもの、日本人は長い間、重税や徴用に苦しめられて来た。
自民党と公明党は教育基本法を改定して子供達に「伝統を重んずる国を愛する心」を押し付けようとしている。
伝統に固執した時、進歩は止まる。
インカやアステカの様になると言うことだ。
男尊女卑、封建的上下意識、天皇万歳、談合、天下り、癒着、町内会。
みんな伝統だ。
悪しき伝統、悪弊を断つ改革なくして、進歩は無い。
その進歩に必要な心を子供達から摘み取る積もりらしい。

国の行く末は子供達がどんな教育をされたかによって決まる。
間違った教育を受けた場合、もう、自力では元へ戻すことが出来なくなるのだ。
それが教育の恐ろしいところだ。
またバカをやって外国の軍隊に進駐してもらって正してもらうしかないだろう。
まぁそれまで、国民は散々苦しむだろうな。
299日本@名無史さん:2006/05/05(金) 11:50:32
王制を廃した国がどのような運命をたどったか。
概ね悲惨な例が多い。

フランス:恐怖政治
ロシア:共産党の独裁、弾圧
ドイツ:ナチス
シナ:共産党の独裁、弾圧
300日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:09:17
天皇がなかったら今の日本国はないだろがよ。
301日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:13:06
>>298
今の教育基本法がもたらした教育現場の混乱は無視ですか?
多発する教師の犯罪、学級崩壊、
302日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:16:50
進歩というとなんでも素晴らしいように言うやつが
いるが大間違いだ。
だいたい具体的にどういう状態になることが進歩なのか?
なんでも古いものを壊せばそれが進歩だという短絡的な人種が
わけ知り顔で語る言葉に耳を傾けるべきではない。
303日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:20:59
>>298
何を言っても通用しない箸にも棒にも掛からないバカが製造されるだろうね。
「伝統だ、天皇万歳、君が代、日の丸、男尊女卑、男はこうあるべき、女はこうあるべき」
行き着く先は民主主義の破壊だね。
伝統を突き詰めて行けば、日本には元々民主主義なんて無かったんだから、
民主主義が否定されるのは時間の問題だろう。
304日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:22:21
ちなみに聖徳太子はいなかったという
たしかと言える証拠や資料がないかぎり聖徳太子の存在は否定できない。

日本書紀はいまやれっきとした一級資料です
305日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:28:52
>>303
民主主義て具体的に何だよ?
俺は頭悪いから具体的にどういうものか教えてくれ。
そんなに素晴らしいものかね?
306日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:30:48
明らかな嘘。
誰でも判る捏造。
するととたんに「そこは神話です」と逃げる。
「記紀は全て正しいです。でも記紀に反する事実が発見されたらそこだけ神話です。」
真顔でほざく馬鹿は無視。くだらねえな
307日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:59:54
ふむふむ、それで発見された紀記に反する事実とは?
発見された具体的資料と紀記の記述とのあきらかな違いを挙げて二個以上述べよ
308日本@名無史さん:2006/05/05(金) 13:06:05
民主主義最高て言ってるやつが
聖徳太子は捏造て言ってるのか?

くだらねえな、藁
309日本@名無史さん:2006/05/05(金) 13:14:58
306の民主主義人民共和国君はまだかね?
逃走?
310日本@名無史さん:2006/05/05(金) 13:21:09
捏造説も馬子業績説もただの推測の域を出ない。
ただ馬子が臣下としてサポートしたものが
太子の業績となることはあるだろうが
311日本@名無史さん:2006/05/05(金) 13:32:39
後漢書や魏誌の記録に記紀は反してるじゃん
2666年前なんかアホ以外信じやしないって
神武が統一したならなんで墳墓の差異や国名の違う印がでるんだよ
神武が存在した証拠が無いのに1000後に神武の存在を書いた記紀なんか信用できるかよ
312日本@名無史さん:2006/05/05(金) 14:03:47
学校では変な愛国心を押し付けるのではなく、
自由と民主主義、そして平和の尊さを教えるべきだ。

自由と民主主義、平和の為に結束するすばらしい国家を作ろう。


チョン天皇万歳じゃなくな。

313日本@名無史さん:2006/05/05(金) 15:07:37
>>311
もっと勉強してから書けよ。お話しにならない。
神武天皇が平定したのはまだ大和の一地方に過ぎない。
314日本@名無史さん:2006/05/05(金) 15:15:46
>>312
おまえは303じゃねーだろ
315日本@名無史さん:2006/05/07(日) 15:08:04
聖徳太子が創作?橘イラツメの遺品とかどー説明するんだ?
316日本@名無史さん:2006/05/10(水) 21:53:58
捏造にしたい派のやつらまだかよ
逃走か?
317日本@名無史さん:2006/05/17(水) 12:36:43
すいません。
最近、鯨統一郎の「邪馬台国はどこですか?」(http://www.amazon.co.jp
/exec/obidos/ASIN/4488422012/249-6793282-1768341)という歴史デ
ィベート小説を読んだのですが、この中の「聖徳太子はだれですか?」と
言う章がありました。
要約すると、

1,聖徳太子と蘇我馬子は架空の人物で、推古天皇と同一人物。(推古
天皇の善行が聖徳太子、悪行が蘇我馬子がやったこととして日本書紀
に書かれている。)

2,アマテラスのスサノオ追放神話は、大化改新の暗喩。(スサノオのス
サは、蘇我)

3,本当の万世一系の天皇家は天智天皇から。それ以前は、いろいろな
豪族がクーデターを起こし合っており、けして万世一系ではなかった。蘇
我馬子(推古天皇)の崇峻天皇の殺害はクーデター。日本書紀の作者
は、神武天皇からの万世一系を確保するために、仕方なく、悲劇のヒー
ロー・聖徳太子とヒール役の蘇我馬子〜入鹿を捏造した。(推古天皇自
身を悪役にするわけにはいかないから)

この小説を読んで、理論展開の見事さに僕は「へ〜っ」と感心してしまった
のですが、これらの説の信憑性はどの程度なんでしょうか?

また、「聖徳太子・蘇我馬子の推古天皇分身説」と、「スサノオ追放神話
は大化改新が元ネタ説」と、「万世一系は天智天皇から説」は、学会では
けっこう有名なんですか?

元ネタとなった論文とかはあるのでしょうか?
318日本@名無史さん:2006/05/18(木) 07:46:31
>317
そんなものに本気で感心しているとは驚き。
こういう人間が、オウムみたいなカルト宗教に簡単に引っかかるんだろうな。
319日本@名無史さん:2006/05/18(木) 12:48:59
>>318
感心しているだけで、信じているわけじゃないだろ。
明らかに間違ってるんだが、状況を無矛盾に、上手く説明できる仮説と
いうものが存在する。
そういう点で、間違った説に感心することはよくある。

本格ミステリーファンだからと言って、カルト宗教に引っかかりやすいわ
けじゃない。
320日本@名無史さん:2006/05/29(月) 14:21:29
12 :番組の途中ですが名無しです :2006/05/29(月) 09:10:24 ID:CyuPmo7P0
十七条の憲法現代語訳

第1条 お前ら仲良くしる
第2条 仏様とお経と坊さんは大切にしろよ
第3条 天皇陛下の詔勅は謹んで受けろ
第4条 役人は礼儀と身分をわきまえろ
第5条 人を裁く奴は賄賂とかに惑わされんなよ
第6条 DQNは叩け。いいことしろ。
第7条 役人はちゃんと自分の仕事をしろ。
第8条 役人は朝早く出勤して夜遅く帰れ。きっちり定時なんかに帰るなよ。
第9条 信用は大切だぞ。
第10条 他人が何か間違ったことしてもあんまり怒るな。
第11条 功績や過ちはハッキリさせて、賞罰とかその辺きっちりさせろよ。
第12条 役人は住民から搾取しちゃダメだろ。
第13条 役人ども、おまいらは同僚が何やってるかはきっちり知っておけよ。
第14条 役人は他の市とかの方が給料高いからって妬んだりすんな。
第15条 役人どもはてめー財布のことばっかり考えてないで国のために働け。
第16条 国民に何か課すときは、必ず時期とか空気読んでやれよ。
第17条 重要事項は会議して決めろ。ひとりでこそこそやんなよ。


321日本@名無史さん:2006/05/30(火) 02:16:42
>>317
崇峻天皇の殺害はクーデターには違いないにしても、万世一系とは関係ないのでは?と思った。
つーか外部の都合で天皇が代わるのなんてこれが最後じゃアルマーニ。
322日本@名無史さん:2006/05/30(火) 14:57:25
十人の話の内容聞くことが出来る のトリック


要はみのもんただったってこと?
323日本@名無史さん:2006/05/31(水) 00:38:18
830 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/05/24(水) 02:20:35 ID:???0
http://www.youtube.com/watch?v=4me91DsTv6c
論客ぶち切れ動画

838 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2006/05/24(水) 03:45:51 ID:???0
>>830
俺には帽子を床に叩き付ける竜ちゃんに見えた
324日本@名無史さん:2006/06/02(金) 21:41:25
>>310
上宮聖徳法王帝説では、厩戸王と島大臣(蘇我馬子)が
共に天下の政を輔け(共輔天下政)と記述している

つまり額田部大王の元で、実際に政治の中枢を担ったのは
厩戸王と大臣蘇我馬子の二人

日本書紀の、厩戸皇子が皇太子として万機を摂政したと言う記述は
事実に反した日本書紀の捏造だと思われる
325日本@名無史さん:2006/06/02(金) 21:46:04
推古天皇は架空の人物で、額田部大王が実在の人物
聖徳太子は架空の人物で、厩戸王が実在の人物
と言う事になるわな
326日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:27:10
聖徳太子と呼ばれた男がいたかどうかは分からないが、
聖徳太子の事跡として日本書紀に書かれていることはウソ。
327日本@名無史さん:2006/06/03(土) 00:28:11
単に、シナの記録と整合させるために無理してこしらえたウソ。
328日本@名無史さん:2006/06/03(土) 03:52:52
どうやってあっち側の記録を手に入れたのかを背いつ命よろしく。
当時の印刷技術(と呼べるようなものじゃないが)を考慮の上でね。
329日本@名無史さん:2006/06/03(土) 03:56:09
そもそも聖徳は諡号だし
330日本@名無史さん:2006/06/03(土) 08:03:49
>>326
日本書紀で、聖徳太子の政治・外交上の業績と記述されているモノは
厩戸王と蘇我馬子との共同の業績
331日本@名無史さん:2006/06/03(土) 08:14:43
日本書紀は基本的に蘇我氏悪役史観で貫かれているが
上宮聖徳法王帝説では、蘇我稲目・馬子親子に関しては
仏法興隆の功績者として記述されている

但し、蘇我毛人・鞍作(蘇我林臣)親子に対しては批判的である
まあ、それは余りにも当然のことだが
332日本@名無史さん:2006/06/03(土) 21:28:58
>>329
聖徳太子の「聖徳」は朝廷が贈った正式な諡号ではない
多分、厩戸王が建立した斑鳩寺(法隆寺)の僧侶達が
その遺徳を偲んで、上宮聖徳法王と尊称していたモノが
上宮聖徳信仰によって世間一般に広まったのであろう
333日本@名無史さん:2006/06/04(日) 20:38:12
>>328
君は日本書紀を読んだことがないのかな?
334日本@名無史さん:2006/06/04(日) 21:24:07
すいません。
他スレで、聖徳太子架空人物説が嘲笑されていたのでこのスレを読ん
でみたのですが、読み通してみても、聖徳太子が実在したという決定的
な史料が明確に提示されてないように感じました。

聖徳太子架空人物説を、一発で黙らせる、決定的な史料とはズバリな
んなのですか?(日本書紀以外で)
335日本@名無史さん:2006/06/04(日) 21:55:10
>>333
そういえば、断片的なのを読んだだけだな。
誰かあっちの資料もらってきたの?

>>334
厩戸王は存在している。聖徳太子伝説で語れれているような、偉人というより化け物な人間だったはずもなし。
否定論者が「聖徳太子の功績は馬子がやったこと」だという説のまともな根拠は何も無い。
単に「聖徳太子なんて認めたくない」だけの話。


法隆寺再建論者が否定論者に多かったのが意味判らんが。
正直宝竜寺が一度焼けて、仏像もなくなったから、「この仏像は聖徳太子が父親の病気祈願を念じて作ったですよ(でもレプリカなのは内緒)」って彫ってあるのだろうと思って板のだが。
336日本@名無史さん:2006/06/04(日) 23:01:04
>>331

あんたって、あちこちで珍説披露してる人?
某スレの120とか。
(http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1145427487/l50)
何か似てるよ。
337日本@名無史さん:2006/06/05(月) 01:18:25
キリストは架空かもしれないが聖徳太子は実在だよ

第三者の文献にも大陸の文献にも聖徳太子と後に呼ばれる人と同じような記録がある
338日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:53:44
大山説の方が珍説だけどなw
聖徳太子とは藤原不比等が作った架空の人物と言うのが
大山説の核心だが、その珍説を証明する史料が無い

339日本@名無史さん:2006/06/05(月) 03:58:51
後に聖徳太子と呼ばれ、信仰の対象にまでなった厩戸王は実在の人物
但し、厩戸王を聖徳太子としたのは藤原不比等と言うのは大山電波史観
340日本@名無史さん:2006/06/05(月) 12:43:39
聖徳太子の正体は用命天皇の第1皇子の押坂彦人大兄皇子である。
すると、聖徳太子は皇位継承の第1候補者で、天皇に即位していたはずで
す。推古天皇(女帝)の治世下の摂政になっていたというのは嘘になりま
す。
 根拠
「日本書紀」によると、用命2年(587)4月物部派の中臣勝海が彦人
皇太子(押坂彦人大兄皇子)と竹田皇子の像を作って、呪い殺そうとした
が、それが、難しいことを知り、彦人皇太子に帰順した。水派宮の彦人皇
太子の家臣亦見赤壽(トミノイチヒ)は、中臣勝海が退出するところを刀
を抜いて殺害したとある。
覚什著の「太子伝記」によると、物部守屋が用命天皇と聖徳太子を呪詛し
たことが書かれ、勝照3年(587)7月、聖徳太子率いる4将軍の中に
亦見赤壽(トミノイチヒ)(「伝暦」では太子の舎人となっている)がい
て、この人物が物部守屋を弓矢で射殺している。
この二つの事件は587年に起きた物部・蘇我氏による神仏戦争の中での
出来事であることは一目瞭然で、同時期に亦見赤壽(トミノイチヒ)は彦
人皇太子と聖徳太子の両方の家臣になっている。こんなおかしな事はあり
えません。彦人皇太子と聖徳太子は同一人物であると特定できます。
なぜ、聖徳天皇の業績が残らなかったのか。聖徳天皇を暗殺した事実を隠
蔽するためなのです。645年、天皇になっていた聖徳天皇(聖徳太子)
は、三韓の使者の挨拶を受けていた時に、中大兄皇子(百済王の子豊章)
と中臣鎌足(新羅の武王)によって殺害され、日本は朝鮮人に乗っ取られ
てしまったのです。
大化の改新では聖徳天皇を蘇我入鹿にすり替えられてしまいました。
中大兄皇子は祖国復興のために、日本軍を白村江の戦いに派兵して、大量
の犠牲者を作りました。


341日本@名無史さん:2006/06/05(月) 18:03:34
押坂彦人大兄王は、用明大王ではなく敏達大王の
第一王子ですが・・・
342日本@名無史さん:2006/06/05(月) 18:51:36
年が若くても天皇の長男が次の天皇となるべきって言ったらあの時代おかしな皇位継承ばかりにならないか?
推古天皇のだんなが崩御したときに聖徳太子の親父さんが後継いだんだよな?
343日本@名無史さん:2006/06/05(月) 23:16:16
蘇我馬子にとっては、蘇我氏の血を引かない押坂彦人大兄王よりは
蘇我堅塩媛の息子の橘豊日王が即位する方が望ましいわな

次ぎの泊瀬部(崇峻)大王の母は蘇我小姉君

そして、その次ぎの額田部(推古)大王の母は、橘豊日(用明)大王
と同じく蘇我堅塩媛

馬子は蘇我の血を引かない、敏達大王の第一王子である
押坂彦人大兄王を、徹底的に大王位から排除するという方針を
貫いた訳だ

その為に、用明、崇峻、推古の3代の大王は、全て蘇我腹の大王
これで山代大兄王が即位すれば、4代とも蘇我腹の大王が誕生する
ところを、蘇我蝦夷は、蘇我腹の山代大兄を退けて、非蘇我である
田村王(押坂彦人大兄王の長子)を大王にしてしまった
344日本@名無史さん:2006/06/06(火) 06:28:37
★ 6月 光の神人登場? ★
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1149135722/l50
345日本@名無史さん:2006/06/09(金) 10:46:59
唐の時代には聖人として唐で知られていたらしいねえ。
誰とかの生まれ変わりであると言われたりしていたらしいねえ。
346日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:18:12
らしいねえ。
347日本@名無史さん:2006/06/28(水) 00:41:55
http://ex15.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1151416092/

オタとブスの妄想恋愛カキコが満載の白痴スレです。
住人もアホばかりです。ぜひ記念に書き込みをお願いします!
348日本@名無史さん:2006/06/29(木) 08:06:44
聖徳太子についてはいろいろ言われているが
自分から調べようという気がまったくしない

普通に推古天皇の摂政で十七条の憲法つくったエトセトラ…

と認知してはダメなのか
ダメだったら日本の教育なんとかしてくれ〜
349日本@名無史さん:2006/06/29(木) 12:04:16
>>348
それでいいべ。
どうせ大昔のことはわからんし。
350日本@名無史さん:2006/06/29(木) 18:19:25
大山先生の講義で、紙に質問などを書いて提出する機会があったので、色々と調べて質問してみたんだが、
個人的に一番聞きたかった、
「○○に書かれているところですが、日本書紀は信用していないのに、
どうしてここだけは信じているのですか?都合が良すぎませんか?」
の質問を華麗にスルーされたw
正確には「私は日本書紀は信用していませんよ?」の一言だけなんだが、
信用していないんなら、本に書いてあることがおかしくなるし、
そもそも質問に対する答えにすらなっていない。

他の答えられる質問は、長々と関係のない話を交えて話していたのに、
最後のこの質問だけ一言答え、私に反論を言わす間もなく講義終了。
15分も余っているし、いつもは生徒と話をしたりしているのに、今日はさっさといなくなるし。

あの先生がウチみたいなFランクバカ大学にいるのは、
バカ学生程度の反論なら、全部うまいこと言いくるめれるからなんだろうか?
実際、私も歴史学科ではないし、知識も少なく、まともな反論はできません。
基本的に未成年の生徒はバカ扱いしているし。いや、実際バカは多いんだけどねw
351日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:37:54
大山説の聖徳太子は藤原不比等が作り出した
架空の人物という仮説じたいが電波だから仕方がない

聖徳太子を作り出したのは、斑鳩の地に斑鳩寺を建立した
有力王族である厩戸王を、聖者として敬い奉った斑鳩寺の僧侶達です
352日本@名無史さん:2006/06/29(木) 21:58:43
大山もうだめぽ
353日本@名無史さん:2006/06/29(木) 22:52:59
あぁ、そうだ、大山先生は教師ではなく、人としては面白いから好きだったんだが、
今日授業で、聖徳太子関連の偉い教授に対して、
「早く死なねぇかなぁwwww」
って笑いながら言ってたのには流石にひいた
冗談にしても、一教師が生徒の前でそういう事を言うのはどうかと

ちょっと人間としても人格を疑いたくなったよ
354日本@名無史さん:2006/07/05(水) 04:04:18
源平藤橘というから、聖徳一族は橘氏なんすね、

>>その次ぎの額田部(推古)大王の母は、橘豊日(用明)大王
と同じく蘇我堅塩媛
355日本@名無史さん:2006/07/05(水) 14:41:07
『二つの耳に粟生り』といふことは、二つは前に述べた通り、左右の意義であり、左は上流、右は下流社会なることは勿論である。
耳の言霊の約りはミである。ミは農工商の三種であり、実業であり、形体具足の言義であり、身体である。要するに、一切の生産機関を総称して耳といふのである。
要するに、一切の生産機関を総称して耳といふのである。ゆゑに左は資本家や大地主を意味し、右の耳は労働者や小作人を意味するのである。
また耳は一方よりその活用を調ぶる時は、キクといふことが主眼である。手が利く、耳が利く、目が利く、鼻が利く、口を利く、腹が利く、舌で酒を利く、腰が利く、これを八つ耳といふのである。
また霊的方面においても同一に、神眼、神耳、天言等やはり八ツ耳である。かくのごとく霊体ともに完全無欠なる、幽顕十六耳の意義をとりて十六菊の御紋章を制定されたのは、もつとも深遠なる御慮のおはしますところである。
神八井耳命、彦八井耳命、忍穂耳命、または聖徳太子を八ツ耳命と申すなどは、みな前述の意義から名付けられたものであります。
356日本@名無史さん:2006/07/06(木) 00:48:34
>>354
意味不明
357日本@名無史さん:2006/07/12(水) 23:20:36
>>354
聖徳太子の時代に源平はいない
358日本@名無史さん:2006/07/14(金) 12:02:43
 日本に渡来した秦一族(フリーメーソン)
 秦の始皇帝は日本に自生する不老長寿の薬草を求めるために、徐福を派遣したと
あるが、本当は日本の優れた神書(天皇記など)を盗み出す事が目的であった。焚
書抗儒は日本の神書をあたかも中国の書物であるかのように書き直し、その神書を
焼却し、作業に関わった儒者を生き埋めにした事件である。四書五経、東洋医学は
日本文化の精華なのです。
 白鳳時代、朝鮮人(秦一族)の蘇我氏(フリーメーソン)によって日本は乗っ取
られ、日本の国体、神道破壊の計略にかかり、神代文字の古文献は改ざんされ、悪
魔の仏教に汚染された。
 蘇我氏(中大兄皇子は百済皇子豊璋)は政敵物部氏を滅ぼし、大化の改新によっ
て聖徳天皇(聖徳太子)を暗殺し(聖徳太子は蘇我氏の血筋ではない。高貴な天皇
家が朝鮮人を妻にしない)、蘇我氏は悪名が広がったので藤原氏と改名し、日本の
政治を牛耳った。麿と言う言葉は日本語と馴染みがなく、朝鮮王家の人が使した王
(自分)と言う意味である。天皇家は偽者(朝鮮人)であり、日本は昔からフリー
メーソンに支配されていた。
 藤原氏は藤の生命力をめでて、家紋とした。斎藤道三、木下藤吉郎・秀吉、細川
藤孝、徳川家康はフリーメーソンである。
 家康の正体は世良田元信で、松平元康を殺し元康に化けた。元康の嫡男、信康と
その妻築山殿は邪魔になり殺された。
 徳川家康は岡崎で産れたのだから、岡崎に霊廟(東照宮)を建てるのが筋である。
 寛永21年家光は上野国新田郡世良田庄の長楽寺隣に日光東照宮の奥殿(実は遺骨)
を移築して世良田東照宮を建てた。
 ここを中心にして、東北(表鬼門)に日光東照宮があり、南西(裏鬼門)に久能
山東照宮がある。と言うことは、世良田庄を鬼門の金神の祟りから護る為の呪術を
施した事になり、徳川家康は世良田元信である事の証拠となる。

359日本@名無史さん:2006/07/14(金) 12:05:04
 科学はフリーメーソンが神を否定するために考え出した妄説(大嘘) 
 最初に狂牛病になった牛は病原体プリオンとはまったく関係がない。狂牛病は、
牛をと殺して食い物にし、そのうえ、草食動物の牛に牛の死体を共食いさせた事が
原因で発生した病気です。なぜ、同種の共食いで狂牛病になるのか、科学で解明で
きますか。
 鶏は約3ヶ月、豚は半年、牛は1年。皆さんこれは何の年か分かりますか。人間
の食に給するためのこれらの生物の寿命です。これらの生物がと殺される時に、い
くら泣き叫んでも無駄です。人間の力には勝てません。すべての生物が人間の横暴
によって、地獄の苦しみにあえいでいるのです。神がこの世に存在するのなら、神
はけっしてこの状況を見過ごす筈がありません。抗がん剤が効かないがん、狂牛病、
薬の効かないエイズやインフルエンザの出現、地震などの天変地異が頻発するのは、
神の裁きが近い事の現れであり、神は警告から実行の段階に入ってきているのです。
 ボウフラは蚊の卵からかえるのではなくて、汚水からわくのです。梅雨時、玄米
に蛾の幼虫がわくのは胚芽が虫に変化したのであり、蛾の産卵口は籾殻を貫通する
事が不可能です。がん細胞は穢れた血液(成分が豚や牛などの死体)が細胞に変化
する時に、殺された動物たちの怨念がそこに宿り、仇を討つために人間を取り殺そ
うとしてがん細胞として働くのです。戦争はこれらの怨霊が戦争指導者に憑依して
行わせるもので、弱肉強食の悪法を行っている限り戦争は永久に無くならない。
 この世の森羅万象は神の意志(心)によって働いているのです。幽霊、超能力、
輪廻転生は真実であり、科学が嘘である事の証拠です。怪我した場合傷口が元通り
修復できるのは、神の修復命令に細胞が従うからであり、統制の取れた各細胞の連
携動作はどんな連絡方法によって可能となるのか。科学では説明出来ません。




360日本@名無史さん:2006/08/10(木) 23:36:26
すげえ長文だな。
361日本@名無史さん:2006/08/11(金) 13:03:23
 京都の太秦にある広隆寺には聖徳太子の等身大の木像が安置されており、歴
代の天皇が大嘗祭で身に着けた衣装をこの木像に着せることになっている。と
言うことは今の天皇家が聖徳太子を殺害して皇位を奪ったので、その祟りを恐
れて、聖徳太子を慰めるために行っている行事だとわかる。
362日本@名無史さん:2006/08/11(金) 14:03:10
 京都の太秦にある広隆寺には聖徳太子の等身大の木像が安置されており、
歴代の天皇が大嘗祭で身に着けた衣装をこの木像に着せることになってい
ます。と言うことは今の天皇家が聖徳太子を殺害し、皇位を奪ったため、
聖徳太子の祟りを恐れて慰めるための行事だと分かります。 
 聖徳太子の正体は用命天皇の第1皇子の押坂彦人大兄皇子である。
すると、聖徳太子は皇位継承の第1候補者で、天皇に即位していたはずで
す。推古天皇(女帝)の治世下の摂政になっていたというのは嘘になりま
す。
 根拠
「日本書紀」によると、用命2年(587)4月物部派の中臣勝海が彦人
皇太子(押坂彦人大兄皇子)と竹田皇子の像を作って、呪い殺そうとした
が、それが、難しいことを知り、彦人皇太子に帰順した。水派宮の彦人皇
太子の家臣亦見赤壽(トミノイチヒ)は、中臣勝海が退出するところを刀
を抜いて殺害したとある。
覚什著の「太子伝記」によると、物部守屋が用命天皇と聖徳太子を呪詛し
たことが書かれ、勝照3年(587)7月、聖徳太子率いる4将軍の中に
亦見赤壽(トミノイチヒ)(「伝暦」では太子の舎人となっている)がい
て、この人物が物部守屋を弓矢で射殺している。
この二つの事件は587年に起きた物部・蘇我氏による神仏戦争の中での
出来事であることは一目瞭然で、同時期に亦見赤壽(トミノイチヒ)は彦
人皇太子と聖徳太子の両方の家臣になっている。こんなおかしな事はあり
えません。彦人皇太子と聖徳太子は同一人物であると特定できます。
なぜ、聖徳天皇の業績が残らなかったのか。聖徳天皇を暗殺した事実を隠
蔽するためなのです。645年、天皇になっていた聖徳天皇(聖徳太子)
は、三韓の使者の挨拶を受けていた時に、中大兄皇子(百済王の子豊章)
と中臣鎌足(新羅の武王)によって殺害され、日本は朝鮮人に乗っ取られ
てしまったのです。
大化の改新では聖徳天皇を蘇我入鹿にすり替えられてしまいました。
中大兄皇子は祖国復興のために、日本軍を白村江の戦いに派兵して、大量
の犠牲者を作りました。
363日本@名無史さん:2006/08/14(月) 02:49:42
ごめんよ。
聖徳太子はいなかったが、厩戸王はいたと言うのが、一般論らしいけど、
それじゃ厩戸王が実在したという決定的な史料はなんなの?
364日本@名無史さん:2006/08/15(火) 14:44:24
 戦争責任は人類すべての人間にあるのです
 野生の動物の世界は弱肉強食の悪法がはびこり、戦争状態である。たとえ、
百獣の王ライオンであっても、その子はハイエナに食われる。人間の世界も物
欲によって争闘し、最後には殺し合いとなる。これは人間の欲望に限りがない
からであり、ぜいたくを享楽しているためである。肉食は食欲のぜいたくの極
みであり、これを得るためには家畜を殺し、弱者を犠牲にしなければならない。
動物を殺すことは人間を殺すことと同じである。これでは、人間の霊性は獣と
何ら変わることがなく、自分の子供がハイエナに食われても文句が言えない。
 人間の横暴によってすべての生物が地獄の苦しみにあえいでいる。先の大戦
の犠牲者はこうした人間の行為の償いであり、神からの啓示である。だから、
戦争責任は人間が自らの行為を反省することなく、物欲を発揮してぜいたくを
むさぼっている、人間一人一人にあるのです。
 偽科学が常識を盲信させる
 非ユダヤ人において、科学の盲目的信仰が功を奏しているようである。学校
の教科書で教えられる事がすべて正しいと信じる。こういった人々にとっては
権威ある学会が言うことのみが正しく絶対なのである。
 ユダヤ議定書(第2議定書)
 非ユダヤ人は歴史を基礎とする観察を怠り、専ら理論上の旧弊に囚われて、
その結果に対する批判的工作を忘却している。我々は新聞雑誌を利用してこの
科学理論を盲目的に信用させる。非ユダヤ人の知識階級は自己の知識を誇りと
して、科学から得た知識でものを考えようとする。その知識を論理的に吟味も
せず、その知識なるものが、人間を我々の目的の実現に向けて、教育するため
に作られた事に気がつかないのである。悪魔の世界制覇に向けて。我々の主張
を根拠なきものと思ってはいけない。我々の仕組んだところのダーウィン、マ
ルクスの教説の成功に注意なさるがよろしい。これらの教説は非ユダヤ人の心
に破壊的作用を及ぼした。ダーウィンの進化論は常識となっている。チンパン
ジーは何時になったら人間となるのか。急には進化できないから、その中間の
形態のものが存在しなくてはならない。
365日本@名無史さん:2006/08/15(火) 14:45:37
プラムさすがに50過ぎ!団塊下左回りの面目躍如だな!
366日本@名無史さん:2006/08/16(水) 06:33:58
聖徳太子不在論というのは、
「用命天皇の子供が推古天皇の摂政だったというのはウソ」
「そもそも厩戸王などという用命天皇の息子の存在自体がウソ」のどっち?
まさか「日本書紀に書かれているような化け物だったというのはウソ」なんて話じゃないよな。
367日本@名無史さん:2006/08/16(水) 11:17:19
 神皇正統記(抜粋)
 継体天皇は、応神天皇の子孫という事になっているが(日本書記では)、
皇位を奪われた正統な天皇の血筋を受けた天皇で、その正統性を証明す
る古文書が「真清探桃証」なのです。しかし、この文書は孤立無援の文
書で、他のすべての文書はこれを否定しているものばかりなのです。
 444年第20代安康天皇が従弟に暗殺された。皇位継承の第1候補
は履中天皇の第1皇子市辺押磐皇子ですが、安康天皇の弟(嘘)の雄略
天皇が彼を狩猟に誘い出して暗殺した。彼の二人の皇子億計、弘計王に
魔の手が伸びる事を直感した、日下部使主は二人を丹波に逃れさせよう
と出発した。すでに、追っ手が先回りしていたので真清田神社のある一
宮へ逃れた。すると、弟の弘計王に子が生まれ、根尾で養育してもらう
ことになった。しばらくして、雄略天皇は亡くなり、清寧天皇が病に伏
した。皇子の無い天皇(正統でない皇統の男子は絶える)は市辺押磐皇
子の遺児に後を継がせようとして探索させた。億計王が皇太子になる事
が決定したが、自分がなると弟が天皇になる機会が無くなるので、先に
弟に譲った。こうして、顕宗天皇、仁賢天皇が誕生した。根尾にいた男
大迹王(継体天皇)も大和へ上京することになり、別れの記念に桜木を
植えたのが淡墨桜として残りました。
 継体天皇の孫用明天皇は欽明天皇の皇太子で、用明天皇の皇太子が聖
徳太子なのです。聖徳天皇(聖徳太子)は大化の改新で中大兄皇子(百
済王の子豊璋)らに暗殺され、日本は朝鮮人に支配される事になった。
 大阪府太子町の叡福寺は「上の太子」と呼ばれ、聖徳太子の墓が石柱
で2重に結界が結ばれている。この寺は聖徳太子の怨霊封じの寺です。
羽曳野市の「中の太子」と呼ばれる野中寺の弥勒半跏像には、天智6年
に「中宮天皇」の病気平癒を願い、作ったとあります。境内の墓には鬼
追(怨霊)という姓が刻んである。この寺は高市皇太子の怨霊封じの寺
です。八尾市の大聖勝軍寺には「縁起絵巻」があって、聖徳太子などが
毒殺されたという姿が描かれていた。この寺は長屋親王の怨霊封じの寺
です。これら三太子はそれぞれ天皇になって、長屋親王は毒殺されたと
分かります。
368日本@名無史さん:2006/08/16(水) 18:07:28
摂政聖徳太子の事跡はすべて捏造だと思う
369日本@名無史さん:2006/08/19(土) 16:04:54
 天皇家はフリーメーソンだった
 狛犬を研究して分かった事だが、神社の前に護りの神獣として据えてある狛
犬の起源は古代イスラエルまでさかのぼる。向かって右の狛犬は獅子であり、
左のものは狛犬で本当の姿は一角獣の麒麟である。右左で阿吽の形になってい
る。
 古代のイスラエルは北王国ヨセフと南王国ユダの二つに分裂していて、ヨセ
フ王国の紋章が一角獣(ユニコーン)であり、ユダ王国の紋章が獅子である。皇
室に伝わる紋章には右に獅子が、左に一角獣(ユニコーン)が描かれ、中央には
12匹の獅子が描かれている。これはイスレエル12支族を表している。
 ヨセフ王国の10支族が中央アジアに移った。彼らは肌の色が白いことから
白狄族と呼ばれ、ヘブライ文明の高い技術力で騎馬軍団を組織して中国を制覇
し、秦帝国を築いた。秦帝国滅亡後、北魏を建国した。後に朝鮮に移って百済
王家にとって代わった。
 百済王子豊璋と新羅王武王が三韓の挨拶の時に聖徳天皇を殺害し、中大兄皇
子(百済王子豊璋)は一時難波へ逃れ、聖徳太子の子高市皇太子と孫長屋親王を
殺害して、草壁皇子にすり替わったのである。その前は中大兄皇子に化けてい
て、大化の改新の後ずっと、天皇に成れなかったのは聖徳太子の子が天皇に成
ったためで、推古、皇極天皇などの女帝は虚構で、その後に天智天皇となり、
自分の子を文武天皇にしたのある。こうして、日本はフリーメーソンの陰謀に
よって乗っ取られたのです。
370日本@名無史さん:2006/08/21(月) 13:21:44
何回言ったら分かるのか。日本史学会はフリーメーソン(華僑系)に支配され
ていて、日本を侵略国家にするために神功皇后の三韓征伐というでたらめを作
文した。聖徳太子暗殺の事実を隠すために聖徳太子架空論を出してきているの
だ。明智光秀有罪論も日本の正当な天皇を闇に抹殺して、朝鮮人の天皇を正当
化するためのプロパガンダなのだ。君たちはまんまとその罠にはまってくだら
ない事で議論しているのだ。馬鹿につける薬はないとはよく言ったものだ。
 聖徳太子の正体は押坂彦人大兄皇子で天皇になれない訳がなく、日本書紀に
押坂彦人大兄皇子がいつ死んだとも記載がない。時の皇太子なのに。支配者の
都合の悪いことは誤魔化すのである。いい加減に気づいてくれないと堪忍袋の
緒を切るぞ。
371日本@名無史さん:2006/08/21(月) 19:25:21
隋書 倭国伝
大業三年
「日出処天子致書日没処天子、無恙、云々。 帝覧之不悦、謂鴻臚卿曰
蕃夷書有無礼者、勿復以聞」w w w w w w w w w w w w w w w w w w w w w w w w w w
372日本@名無史さん:2006/08/21(月) 23:04:08
>>366
厩戸王は実在したが華々しい業績はなかった。
当時政局を動かしていた蘇我氏(善徳・蝦夷・入鹿)の活動のいい部分を聖徳太子の業績としてでっち上げた。
理由は、クーデータ(乙巳の変)を正当化するため。
こんなところじゃないか。
373日本@名無史さん:2006/08/22(火) 21:34:46
隋の煬帝と会った阿毎の多利思北孤の記録が大陸で出回っていたから、
困った天皇家がでっち上げたのが聖徳太子でしょ。
これとソックリなのが、卑弥呼に困ってでっちあげた神功皇后だよね。
もうひとつ、日本武尊も似たところがある。

要するに、天皇家を中心に歴史を組み替えるときに、扱いに困ると
スーパーマンをでっち上げて誤魔化しただけのことでしょ。
374日本@名無史さん:2006/08/23(水) 04:26:09
天武天皇の頃に、隋書が日本で読めたのだろうか?
375日本@名無史さん:2006/08/23(水) 23:35:17
充分読めたでしょう。
遣唐使は本を買って帰るのも重要な仕事だった訳ですね。
376プラム自作自演中↑:2006/08/23(水) 23:55:34
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】


377日本@名無史さん:2006/08/24(木) 21:46:38
隋書をもとにでっち上げた割には、
隋使の名前はちゃんと裴世清なのね。
378日本@名無史さん:2006/08/24(木) 22:15:03
>>377
その方がもっともらしいからね。
379プラム 似非長州:2006/08/24(木) 22:42:37
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】

380日本@名無史さん:2006/08/24(木) 22:42:57
阿毎の多利思北孤は、九州にあった倭国の王だからね。
日本国としては日本書紀の裴世清とかを登場させてもっともらしく書いた訳だけど、
阿毎の多利思北孤という本人の名前だけはどうしようもなかったんだね。

そういう名前の大王が日本国の天皇家にも居たことにする手もあったとは
思うけど、さすがにそれははばかられたんだろうね。それで、
聖徳太子を創りだしたということ。

そのおかげで、超人が登場することろはデッチアゲですよ、と筆者は後世の
我々にコッソリ伝えてくれているんだね。
381日本@名無史さん:2006/08/24(木) 22:46:36
でっちあげにしても、天皇とせずに、太子としたところが奥ゆかしい。
卑弥呼にあててでっち上げた神功皇后も、皇后としているところが奥ゆかしい。
382日本@名無史さん:2006/08/25(金) 03:55:37
当時のシナが九州と本州の戦争しかも片方は自身の朝貢国というのに記録を残していない理由は?
383日本@名無史さん:2006/08/25(金) 20:23:46
周辺諸国の攻防をことごとく把握して記録した訳じゃない。

倭国については、隋の煬帝に対して
「日出處天子致書日沒處天子無恙」
と対等のものの言いようで、独立宣言をしているね。
もう朝貢国じゃないんだ。
384日本@名無史さん:2006/08/25(金) 20:31:38
一休さんは本当にいたそうだ。しかも天皇家っぽい
385日本@名無史さん:2006/08/26(土) 00:07:46
>>380
よく分からん。
隋書をもとに書いたなら、隋使の名前は「裴清」じゃなきゃおかしいだろ。
それとも、倭国を滅ぼした日本国が記事をでっち上げる際、
  日本国人「隋使の名前は『裴清』で間違いないか?」
  倭国人「いえ、『世』が抜けてます」
みたいなやりとりがあったとでも言うのかね。
386日本@名無史さん:2006/08/26(土) 00:24:01
そのぐらいのことは倭国の資料やら情報を得ていただろうよ。
なにも隋書だけ見て他の情報を一切持たないという訳じゃないよね。
387日本@名無史さん:2006/08/26(土) 00:30:42
日本国には隋書以外を調べるだけの調査力があって、しなや朝鮮(じゃないのか当時は)には「日本と倭国の戦い」を調べる調査力が無かったといいたいのかな?
388日本@名無史さん:2006/08/26(土) 00:47:25
海外文献とか征服国の資料とか回り道をせず、素直に、
大和の朝廷が大業年間の対隋外交に関して
独自の資料を保持していたと考えることだって出来る。
ていうか、そっちの方が多分真実。

389日本@名無史さん:2006/08/26(土) 00:51:06
そうすると、「隋に大和の情報が無い」のはおかしくないか?
390日本@名無史さん:2006/08/26(土) 01:12:29
隋書倭国伝「都於邪靡堆」はダメっすか。
391日本@名無史さん:2006/08/26(土) 16:58:16
 日本書紀に隠されていた暗号
 なぜ、男性天皇であった伝統が聖徳太子の時代から女性天皇に変ったのか。
このことに疑問を感じないのは不思議である。日本書紀は矛盾点が多く改ざん
されている可能性があるため、内容が難解で改ざんしにくい先代旧事本紀大成
経を調べてみると、推古天皇治世の中に突然、欽明天皇の事績が出てくる。こ
れにも改ざんの魔の手が伸びていた。何か手がかりがないかと見ていると、見
出しが目に入った。帝皇本紀上巻上に継体天皇の事績が書かれている。その後
を推定すると、上巻下が安閑天皇、中巻上が宣化天皇、中巻下が欽明天皇、下
巻上が敏達天皇、下巻下が崇俊天皇となる。次が聖皇本紀上巻上となっている。
聖徳太子の聖の字と一致するから、聖徳天皇に推定する。上巻下は高市天皇、
下巻上は天武天皇、下巻下は長屋天皇となる。このように推定した根拠を示す。
 日本書紀によると、欽明天皇と石姫皇后の間に2男1女が生まれ、皇太子は
箭田珠勝大兄皇子と言い、二男は渟中倉太珠敷尊と言う。ここでおかしいのは、
二男の名前が本名でなく、諱(死後の尊称)であり、珠の一字からこれは箭田珠
勝大兄皇子の諱である。すると敏達天皇が亡くなればその皇太子が天皇になる
から、用明天皇の存在が消えてしまうのである。敏達天皇と広姫皇后の皇太子
押坂彦人大兄皇子の又の名を麻呂古皇子と言い、用明天皇と広子の長男も麻呂
古皇子と言う。同じ名前なら入れ替えても同じであると言う事は入れ替わった
と言う暗号である。押坂彦人大兄皇子は麻呂古皇子(朝鮮人)に入れ替わったの
である。彼は皇太子なのに天皇になれず、いつ亡くなったのか分からない。ま
るで聖徳太子とそっくりである。聖徳太子の正体は押坂彦人大兄皇子で、皇位
継承第1候補者で天皇になっていた。このことを隠すための嘘の女帝が推古天
皇である。用明天皇は聖徳太子の血筋を朝鮮人に卑しめて、天皇になれなかっ
たとするための虚構である。高貴な天皇家が朝鮮人を妻とする筈がない。


392日本@名無史さん:2006/08/26(土) 17:01:35
 朝鮮人が聖徳太子を暗殺したことが証明された
 日本書紀によると645年に大化の改新の政変が起こり、蘇我入鹿は中大兄
皇子と中臣鎌足らに暗殺された。それを目撃した古人大兄皇子は走って帰り、
「韓人、鞍作臣(蘇我入鹿)を殺しつ、吾が心痛し。」と言った。朝鮮人が蘇我入
鹿を殺した。胸が張り裂けそうだと言った。史学会の学者は現場に朝鮮人がい
ないので、朝鮮の政治がらみで殺したと歪曲した解釈にした。騙されている先
入観でものを考えるから、判断を誤るのである。朝鮮人は中大兄皇子(百済王
豊璋)と中臣鎌足(新羅武王)らである。
 大阪府にある野中寺の弥勒半跏思惟像には次のように書かれている。天智5
年(666)栢寺の智識ら、中宮天皇の大御身労き座しし時に詣り、誓願して弥
勒の御像を奉る。栢寺の縁者が中宮天皇の病気平癒を祈願して弥勒像を贈った。
中宮とは皇后と言う意味ではなく、宮に中(あ)たると言う意味で天皇を指す。
上宮が聖徳太子であるから、中宮は聖徳太子の子・高市皇太子、下宮はその孫
・長屋親王となる。高市天皇は毒殺された。
 二人は天武天皇の血筋ではない。
 天智7年(668)に中大兄皇子は天智天皇になる。23年間皇太子のままで
いたのはおかしい。成れない事情があったのです。高市天皇が亡くなって成れ
た。この時の斉明天皇は嘘。中大兄皇子が生まれた年は625年で、大海人皇
子は621年である。天武天皇の方が兄である。中大兄皇子の周りは胡散臭い。
 文武元年(697)に軽皇子は文武天皇になる。高市皇子が亡くなるのを待っ
ていたように。この高市皇子は嘘で長屋親王である。この時の持統天皇は嘘。
女帝は聖徳天皇らを隠すための隠れ蓑の役割である。聖徳太子の暗殺を隠すた
めに645年を挟んで太子の事跡を前年にずらし、長屋親王が太子の孫である
ことを隠すために彼の事跡を後年にずらしているのです。

393日本@名無史さん:2006/08/26(土) 18:18:47
>>387
>>388
日本国が資料を持っていたことに特別不思議は無い。

半島の国が列島について何か知っていたかどうかは、
資料がないから分からない。
シナの国が列島について何か知っていたかどうかだが、
さほどに詳しく知っていたようではないな。調査することもあるだろうけど、
つぶさに何でもかんでも調査するとも思えないよね。調査もれがあったとしても
特別不思議は無いな。
394日本@名無史さん:2006/08/26(土) 19:06:43
割と日本書紀の超人伝説以外は信じられるのでは。
だから聖徳太子は実在しただろう。
395日本@名無史さん:2006/08/26(土) 19:28:09
どうやら史書と言う物は、簡単にデッチ上げることが出来る代物のようだが、
その割には後世の民間研究者にも見破れるほどの、ボロだらけって言うのもなあ・・・
昔の日本の知識人て、ボロだらけの史書を信じちゃったり(彼等にとっては少し前の出来事だろ)
逆にボロだらけの捏造しかできないノーナシ揃いだったと言うことか。
396日本@名無史さん:2006/08/26(土) 23:04:32
>>393
調査もれ?
「日本国vs倭国」の対立があったとして、それを漏らしたのなら、
現代の朝鮮半島情勢を調査して、北朝鮮と韓国の並立を見逃すようなもんだぞ。
調査もれで済まされるか!
397日本@名無史さん:2006/08/26(土) 23:20:39
列島だけでなく大陸や半島の高官連中もノーナシ揃いと言うことなんだろう。
よく国保つよな・・・
398日本@名無史さん:2006/08/27(日) 04:13:54
どいつもこいつもノーナシだものw

だからこそ「頭の中に飯と女がつまっている騎馬民族」が本気を出すとあっさり負けるんだよw
「一応頭があるから」
399日本@名無史さん:2006/08/27(日) 09:26:56
有名なことだけど、旧唐書には、倭国伝と日本伝を設けていて、
その違いやイキサツについて何説か並べて書いてあるけど、
結局、断定していないね。要するによく分からないということだけど、
別に、それ以上気にしていない。
そんなもんだよ。

逆に、日本国の方では、自国の正当性に関わる点だから、シナの記録を
重大に気にしたんだろうね。

【旧唐書】

<倭国伝>
倭国は古の倭奴国なり。

<日本伝>
日本国は倭国の別種なり。
其の国日辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す。
或は曰く『倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み改めて日本と為す。
或は云わく「日本は旧小国、倭国の地を併す」と。其の人の入朝するは、
多く自ら矜大。実を以て対えず。故に中国焉を疑う。
又云わく「其の国界、東西南北各数千里。西界南界、咸大海に至る。
東界北界、大山有りて限りを為す。山外即ち毛人の国」と。』と。
400日本@名無史さん:2006/08/27(日) 18:25:46
つまり、気にするほどの国家間対立が
列島内に見られなかったことの裏返しになるわな。
401日本@名無史さん:2006/08/27(日) 19:57:32
そうだね。列島は海の彼方で、遠いからね。
いくらシナでも遠くの地域のできごとをこと細かく気にする訳ではないよね。

隋の煬帝にしても、倭国の大王、阿毎の多利思北孤が無礼なもの言いで、
憤慨したようだけど、だからといって、攻め込んで従わせる訳でもなく、
どうする訳でもない。

だから、列島内で倭国と日本国がひと悶着やっていても、まあ、
大して気にはしない。遠いからね。

このお陰で、半島とは違って列島は天皇を頂く独立国
としての歴史を持つことができたんだね。幸せ。
402日本@名無史さん:2006/08/27(日) 22:41:06
海の彼方で遠く、大して気にはしない「倭」のことを、
「魏志東夷伝」では一番詳しく記述してるのは何故なんですかね?
403日本@名無史さん:2006/08/27(日) 22:56:34
海の彼方で大して気にならない列島ではあるけど、時には気になることがある。

卑弥呼が女王の頃、倭国から魏に対して熱心に朝貢があったから、それのお返しに
使者を遣わしたんだね。だから、その使者が実際に見聞した記録があったんだ。
それで、三国志の魏国のところに倭国について詳しい記述があるという訳。
404日本@名無史さん:2006/08/28(月) 22:22:13
公孫とかいう一族が辺境の蛮族とつるんで反乱とか起こしたから。ちなみに平定に行ったのは
後の晋の皇帝とつながる司馬氏。諸葛亮とかと戦った大将軍だな。
後方の半島勢力をつぶすためにそれより東方にある国から支援を受けることが重要だった。
ちなみに隋は半島遠征で失敗し滅んだ。
405日本@名無史さん:2006/08/28(月) 22:39:56
そうだね。
隋は半島でヤキモキして自身が滅んだ訳だから、
到底、列島のことにトヤカクしている余裕はない。

シナの帝国の周辺地域への力と情報の関わり具合は、時代と状況にヨリケリ
ということだね。
406日本@名無史さん:2006/08/28(月) 22:45:16
>ちなみに隋は半島遠征で失敗し滅んだ

激しくキムチの臭いがするのは何故だろうか・・・
407日本@名無史さん:2006/08/29(火) 00:09:53
>>402
魏は三国志の時代を勝ち抜き、あの漢王朝でさえも及ばなかった未開の
地、東の果てから倭人という種族が魏にはるばる朝貢してきたという、
自国の権勢と正当性を誇示する為の演出だった。
魏志を他の章もあわせて読んでみるとよくわかる。四方の夷蛮の地のか
なたから、わざわざ出向いてきて朝貢してくるという事は、同時に魏の
威信がそれほどの彼方まで、鳴り響いている証拠だといっている訳だ。
ましてや倭人のような、前のあの漢帝国の時でさえ、朝貢してこなかっ
た遠方の民が、魏には従っているのだと自慢して、その風俗・民俗を詳
しく書き残したのだ。
408日本@名無史さん:2006/08/29(火) 00:37:10
>魏は三国志の時代を勝ち抜き、あの漢王朝でさえも及ばなかった未開の
>地、東の果てから倭人という種族が魏にはるばる朝貢してきたという


「後漢書」 の光武帝紀は無視ですか
409:2006/08/29(火) 12:18:51
厩戸皇子の頃なら「以和為貴」といっても
「イーホウウェイクィ」などと音読みするしかなかったんです歟?
410日本@名無史さん:2006/08/29(火) 22:06:39
>>407,408
何といっても、魏は使者を実際に倭国まで派遣したことが重要だよね。
倭国の実際の様子が使者のレポートで詳しく分かった訳だね。
魏としては、それほど倭国からの朝貢が嬉しかったということが良く分かるね。

漢代にも倭国から朝貢はあったけど、漢としては魏ほどにははしゃいでいない。
そこに、魏と漢の立場の違いが伺えて、また楽しい。
411日本@名無史さん:2006/08/29(火) 22:27:21
ぷりぷりぷー
ぷりぷりぷー










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      〈 〈]  ゚,、〈|  | o  ヽ| | o  ヽ|  | o  ヽ|  | o └「 ̄\
      ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ

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412日本@名無史さん:2006/08/29(火) 23:27:12
漢>魏
413:2006/08/30(水) 01:10:20
聖徳太子と蘇我入鹿が同一人物ダッツー説があるらしいよ。フヒトが父親の鎌足をかっこよくトウジョウサセルタメニ蘇我しを悪役にして入鹿の偉業を聖徳太子という架空の人物をつくってうつしかえたんじゃないかな?近年蘇我の業績が見直されてるからね
414日本@名無史さん:2006/08/30(水) 22:05:14
>>413
そういう説はあるようだけど、なんたって隋の煬帝に挨拶を送った倭国の大王の
名前は、阿毎の多利思北孤だからね。蘇我入鹿じゃあ、名前が全然違うよね。
415日本@名無史さん:2006/08/30(水) 22:33:55
>>407
じゃあ「漢倭奴国」ってなんだよ?
416日本@名無史さん:2006/08/31(木) 00:43:17
漢の朝貢国である倭奴国
要するに倭国のことだな。
417日本@名無史さん:2006/08/31(木) 07:43:40
考古学的にもイト国は平原や三雲など、当時の王国の中心と考えられますね。
あるいはそのような王墓群の中に卑弥呼の遺体も既に出ているのかも。
平原1号は女性だし副葬品もその他被葬の形からも女王級です。糸島半島は
聖地ですし。
418日本@名無史さん:2006/08/31(木) 13:08:14
 資本主義経済は悪魔の偽りの経済だ
 資本主義経済は弱者の犠牲の上に成り立つ経済であり、ちょうど江戸時代、
武士が百姓を奴隷にして重い年貢を取り立てて、百姓の生き血をすすっていた
事と同じである。その時は生き血をすすられて犠牲になる者が大勢いたから、
経済がなりたった。今のようにぜいたくになって、犠牲になる者が農家しかい
ない状態では経済が成り立つ訳がない。それが今の不況の原因である。勝ち組
が負け組の生き血をすすっているのだ。悪魔の吸血鬼アメリカに国益を絞り取
られ、国が破産しているのにそれを借金で誤魔化している。最後には国に、金
と資産をかすめとられ、円が大暴落して、日本は物を輸入することが出来なく
なって、食料危機となり大パニックとなる。後は戦争を待つのみ。
 2・26事件はその悪魔の資本主義経済が原因で起こった
 昭和11年2月26日、青年将校率いる決起部隊が政府要人を殺害する事件
が起きた。首謀者は暗黒裁判によって裁かれ銃殺刑に処せられた。
 当時の日本は世界大恐慌の影響で経済が沈滞し、関東大震災によって発生し
た大量の不良手形が原因で銀行、企業が相次いで倒産し、民衆は金に困窮して
生活苦にあえいでいた。農村はアメリカ向け輸出生糸の暴落とそれに連動して
米価が暴落し、東北地方はそれに輪をかけて凶作にみまわれて飢餓に苦しみ、
娘の身売りなどで命の糸をつないでいた。
 民衆が塗炭の苦しみにあえいでいる原因は、政権維持にしか眼中にない政党
と、これに結託し民衆の膏血を絞る財閥と、これを擁護して圧迫する官僚と腐
敗する軍部にあり、これらの特権階級が搾取しているからである。したがって
、疲弊した農民を救うためには、税金の免除と米価の安定を図る必要がある。
その障害となる特権階級の奸賊を倒し、国民を愛する天皇の考えが行き届く国
家に建て替えようと青年将校が決起した。しかし、昭和天皇は朝鮮人で偽天皇
だから、奸賊と同類で、彼らの尊い意志を無視して抹殺した。
 彼らが頼りにした真崎大将はソ連の工作員で、満州侵略に反対していた皇道
派の軍人を抹殺するために、青年将校をそそのかし、実行させたのである。天
皇を中心とした統制派の軍部の陰謀である。
419日本@名無史さん:2006/08/31(木) 13:47:55
馬子、入鹿、蝦夷って本当の名前なの?
420日本@名無史さん:2006/08/31(木) 15:30:41
隋書 倭国伝
大業三年
「日出処天子致書日没処天子、無恙、云々。 帝覧之不悦、謂鴻臚卿曰
蕃夷書有無礼者、勿復以聞」ww ww ww
421日本@名無史さん:2006/08/31(木) 21:26:01
>>417
そうですね。大体そういうことと思います。
ただし、倭奴=ヰト、糸=伊都=イト
という感じでチョッと辛いですね。
倭奴は、匈奴とかと同じように、単に倭に奴を付けたものとも思えますよね。
422日本@名無史さん:2006/09/01(金) 06:27:25
>>419
漢字は当て字の可能性もあるな。
「うまこ」は、有間子よしている文献もある。「えみし」は、毛人かもしれない。
違う名前で表記されている場合もある。入鹿は、鞍造とか太郎。
423日本@名無史さん:2006/09/01(金) 20:36:35
板倉「太子はまったく…」
堤下「ハハハ」
板倉「太子やばいって」
堤下「ハハハハ!やばいよね」
数人の男と女の笑い声
板倉「あれ、やばいよ、ほんっとにやばいよ!」
堤下「霊だよ、霊!」
?「あの人マ、マジ、ほんとに存在するの」
堤下「これ見て感動する奴っているんすかね?ひでーよ、あいつは」
板倉「姿慎めよあいつは きもちわりい」
424日本@名無史さん:2006/09/01(金) 21:56:11
>>422
日本人の名前や地名の漢字表現は、ほとんど全部当て字だよね。
訓読みは、そもそもそれ自体が当て字だし、万葉仮名風に漢字を使う場合も、
それ自体が当て字だよね。

だから、「うまこ」は本当の名前だと思うよ。それを、馬子と書くか、
有間子と書くかは、大して重要な問題じゃないよね。ひょっとしたら、
美味子・旨子とか上手子という意味もあったかもね。

「えみし」にしても、蝦夷と書いても毛人と書いても同じことだよね。
425日本@名無史さん:2006/09/02(土) 12:56:14
 長屋親王は天皇になっていた
 天皇は中国語読みではてんのうだが、日本語読みではあめのすめらきと読む。
天孫降臨説から天を前につけているが、皇の一字で天の下を治める尊と言う意
味である。また、王は1国を治める君主である。皇子は天皇の嫡流の子で親王
はその孫である。王子は嫡流外の子を指す。
 昭和63年から長屋親王邸の木簡の発掘調査が行われた。邸宅は5.7ha
の広さで、不比等邸に匹敵する。
 宅地東辺に掘られた溝から大量の木簡が発見された。
 長屋親王宮大贄鮑十編
 これは長屋親王に献上された干しアワビに付けられた荷札で、大贄とは天皇
の食物を表す。長屋親王は皇太子になる前に、天皇の代理を務めていた?献上
する者が親王と尊称し、大贄と書いた。
 吉備内親王大命以符 婢筥入女進出
 吉備内親王の命令で端女の筥入女を呼び出す。大命とは天皇の命令を表す。
これは長屋天皇の死後、その室である吉備内親王が天皇の代理を務めていた?
 長屋親王御命符
 長屋親王の命令書に御命が使われており、これも天皇の命令を表す。
 長屋皇宮俵一石舂人夫
 長屋天皇の宮で人夫が米一石搗く。
 後皇子 後皇子命宮
 後天皇の子 後天皇の子の宮殿
 芳野幸行用貫簣
 天皇の芳野御幸(外遊)用荷物
 長屋親王邸の木簡が千年以上の間保存出来た理由は、粘土によって密閉され
て、空気と水から遮断されていたからです。溝に廃棄後すぐに、粘土で埋めら
れたと考えられる。すると、この木簡を後世に残そうとした意図が読み取れる。
 以上のことから推論すると、長屋親王が前皇(聖徳天皇)の孫で後皇(高市天
皇)の死後、長屋親王が天皇の代理を務めたのは祖父、父が相次いで殺された
からである。後に天皇になったが藤原氏の陰謀によって毒殺された。その室吉
備内親王が天皇の代理を務めていたが、長屋天皇一族すべてが殺された。その
事実を後世に残そうとして、家臣が木簡を土に埋めて隠したのである。
426日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:21:51
>>424

元興寺銘文
「・・・伊奈米、有明子、善徳」

日本書紀
「・・・稲目、馬子、蝦夷」

ここから、我々が習ってきたのは実は卑字かもしれないという可能性がある。
書紀は蘇我氏を排撃する立場だから、こんなところも意味があったりするよ。

しかもその勝者の史観で卑字を現代人が使ってるわけだから。
427日本@名無史さん:2006/09/02(土) 22:51:12
小学校の教科書では蘇我は悪者扱いだった
今でもそう?
428日本@名無史さん:2006/09/03(日) 10:57:08
大山教授は厩戸の王子の存在は否定していないが、
聖徳太子の業績は馬子によるものだとしている。

自分もそれを支持します。
あまりにもエピソードができすぎで神のような存在
として扱っているのが怪しい。
人間臭さがまったくない、馬子の業績で正しいと思います
429日本@名無史さん:2006/09/03(日) 11:13:14
>>428
大山教授とやらの説を詳しく知らないけど、

>あまりにもエピソードができすぎで神のような存在
>として扱っているのが怪しい。
>人間臭さがまったくない

からといって、それが馬子の業績であるというのでは、全く可笑しなことだよね。
馬子だって人間だから、神のようでもないし、人間臭い存在のはずだよね。
430日本@名無史さん:2006/09/03(日) 11:18:08
蘇我って「そが」と普通音読みで読んでいるけど、それって万葉仮名風の書き方
でもなさそうだし、氏の名前としては珍しいよね。
431日本@名無史さん:2006/09/03(日) 12:00:24
公立学校の教師でも大多数は太子の存在は否定していないだろう

日本の歴史教育は太子を神格化したもの。

しかし、実際は疑わしいのだから記述を改めるべき
432日本@名無史さん:2006/09/03(日) 12:07:45
我は蘇るであろうという意味で、大陸では景教を信奉する一族だな。
433日本@名無史さん:2006/09/03(日) 13:52:36
蘇我が渡来系だったにしても、「そが」という名前は和風のところが全く無くて
異様だよね。もしかしたら和風の呼び名があったのかもしれないが、悪者として
本当の名前は消されたのかもしれないね。
434日本@名無史さん:2006/09/03(日) 17:05:43
公立高校の教師です。
専門ではないが、興味があるので調べるほど、教えるのに抵抗がありますね。
十七条憲法だってなんの実証も無いわけですから。
伝説化が早すぎるのでその実像が不明瞭なのはほとんどの学者が認めているわけ
ですが、じゃあなんで結局根拠のない通説に従ってしまうのか。日本書紀の目的
の大きな一つが蘇我氏の歴史の埋葬と厩戸の称揚にあると言うことまでわかって
いてそれに釣られるのはなんとも・・・。

まあこれは日本史全般に言えることですが、確定していないことが多すぎる上に
学者さん達は科学というものを理解していない人が多すぎるのではないでしょう
か。未だに訓固注釈学の域を出ていない人が多い。古代史なんて推測に次ぐ推測
で、屋上屋を何回架してるのかわからないですw

まあ出来るだけいろんな考え方を示すようにしています。受験が学問の癌という
のは間違いないです。
435日本@名無史さん:2006/09/03(日) 17:26:46
>受験が学問の癌

どういうこと?
436日本@名無史さん:2006/09/03(日) 19:12:19
>公立高校の教師です。

夏厨乙!
文章力を鍛えて来夏再トライ汁w
437日本@名無史さん:2006/09/03(日) 19:45:43
>>429
当時の蘇我氏は、やり手の政治家一族だった。
大国隋との国交樹立などの業績を行い得たのは(聖徳太子以外で)誰かといえば、馬子、蝦夷、善徳あたりになるんじゃないか。
別におかしなことはないと思うが。
438日本@名無史さん:2006/09/03(日) 20:06:29
蘇我氏がやり手の政治家一族であったという日本書紀他の記述は信じていながら、聖徳太子に関する日本書紀他の記述は信じないって野はおかしいな。
439日本@名無史さん:2006/09/03(日) 20:46:39
>>433
曽我部というのは今でもたまに聞くが
440日本@名無史さん:2006/09/03(日) 20:51:58
>>438
記述が不自然だったら疑うし、とくに不自然でなければ受け入れる。
収集選択の基準はいろいろあるだろうけど。
少なくとも「全面的に受け入れる」/「全面的に否定する」の二択ではないと思うが。
441日本@名無史さん:2006/09/03(日) 21:00:14
聖徳太子は秦河勝の二役説があるな。
442日本@名無史さん:2006/09/03(日) 21:17:10
>>413
聖徳太子は、隋の煬帝に挨拶を送った倭国の大王にあてがおうと工夫してこしらえた
ものだよね。だから、わざと謎を残して本当っぽく感じさせたりしている訳だよね。

しかし、なんたって隋の記録では、倭国の大王の名前は、阿毎の多利思北孤だからね。
聖徳太子でもなければ、蘇我入鹿でもない。

阿毎の多利思北孤は、九州にあった倭国の大王だよ。
443日本@名無史さん:2006/09/03(日) 21:50:36
>>437
君の書き込みは論理的ではないよ。
だれも、『大国隋との国交樹立などの業績を行い得たのは(聖徳太子以外で)誰か』とは
言っていない。

>あまりにもエピソードができすぎで神のような存在
>として扱っているのが怪しい。
>人間臭さがまったくない、
ことを理由に、
>馬子の業績で正しいと思います
と主張するのは可笑しいと言っているのだよ。
それとも、馬子は神のような存在として扱われても変じゃないという
根拠があるのかい?
444日本@名無史さん:2006/09/03(日) 22:14:27
>>443
それを言うなら誰も「馬子は神のような存在だった」とはいっていない。
まず、神のごとく扱われているから聖徳太子の実在が疑われるという主張(仮説)があって、
では太子の業績とされている事柄は誰が行ったのかという話だよ。

445日本@名無史さん:2006/09/03(日) 22:30:35
>>444
同じことだよ。
神のごとく扱われていることを理由に、聖徳太子の実在が疑われるというのなら、
他の誰であれ、神のごとくに扱われて疑われない者でなければ疑われるということだよね。
馬子であれ誰であれ、疑われるという論法だよね。論理的でないと思うよ。

神のごとく扱われていることを理由に、聖徳太子の実在が疑われるというのなら、
業績も含めてつくりごとのウソという主張をするのなら、一応、論理的だけどね。
446日本@名無史さん:2006/09/03(日) 22:45:14
そもそも、聖徳太子に関するどの点が「神のごとく」扱われているのでしょうか?
447日本@名無史さん:2006/09/03(日) 23:05:31
>>445
>神のごとく扱われていることを理由に、聖徳太子の実在が疑われるというのなら、
>他の誰であれ、神のごとくに扱われて疑われない者でなければ疑われるということだよね。
だからどうしてこういう二者択一になるんだ?
448日本@名無史さん:2006/09/03(日) 23:07:16
半世紀後には聖徳太子は架空の人物として教科書から削除されるだろう

449日本@名無史さん:2006/09/03(日) 23:14:50
>>447
二者択一じゃないよ。

「神のごとく扱われていることを理由に、聖徳太子の実在が疑われる」というのなら、
「他の誰であれ、神のごとくに扱われて疑われない者でなければ疑われるということだ」と
言ってるんだよ。
何も、「神のごとく扱われていることを理由に、聖徳太子の実在が疑われる」ということが
正しいと言っている訳じゃない。
450日本@名無史さん:2006/09/03(日) 23:19:51
>>449
エピソードと政治的な業績をセットにしていないか?
大山氏をはじめ聖徳太子の実在を疑う人の多くは、幼少時のエピソードは作り事としているぞ。
451日本@名無史さん:2006/09/03(日) 23:27:06
>>450
おれもそう思うよ。
おれは、「神のごとく扱われていることを理由に、聖徳太子の実在が疑われる」ということが
正しいと言っている訳じゃない。

だから、「神のごとく扱われていることを理由に、聖徳太子の実在が疑われる」と
書いている>>428とか>>444に言ってやってね。
452日本@名無史さん:2006/09/03(日) 23:28:16
大山氏とやらのことはどうでも良いが、君はどう思うのかな?
453日本@名無史さん:2006/09/03(日) 23:33:48
結局狭い料簡しかないやつらが
太子の並外れた偉業を信じられずに
非実在扱いしてるだけ
454日本@名無史さん:2006/09/04(月) 00:39:19
        r' ´_ ̄ `ヾ 、
      r' -'´ .._ ヾヽ、 ヽ、_
    , - ' -、   ヾ:、ヽ  i!i ':::::r ミ:、
   /    ミ: i ili!i; lir ノ.::::::r   ヽ
  i: ji',;  ,..,,r_='ヾ ji;/ ,;;:;:::::::::::''" ヽ
 .r' 、ilir.::r'´ `´`` ―'" ー-、:::::-、:::r' ヽ
 j;. '"r:::::!           .::::::::::::::::::::'/
 i::. i! !:::::::!              :::::::::::::::::::'7
 i-‐' ヾ::ril! ,,,,,,,,,,,,,,、   ,;::::=_::::::::::::::::ノ´
  `ヾ-';::l   'ィt_テミ''  ::'てフヾ:::::;r''
    l ヽ::.   - ::'   ::::. -‐' :::::;!
      ヽ.j:;,      , :'  ::::.  .::r '
     rヾ.;,     ‐-r‐' .:::;ミ
    /  ヽヾ_  ‐----,‐.::::i''
   ./   ヽ  !  ヽ- - .::::/ ` フ
   /    ヾヽ.ヽ    ..::r',.r ' ヽ
.  /      、  ` ― '´/ !   ヽ

    ドーデ・モイー〔Duodeh Moeit〕
455日本@名無史さん:2006/09/04(月) 04:53:29
>>453
ここは史学板だ
おまえのような奴の来る所じゃないんだよ。
巣にお帰りよ。
456日本@名無史さん:2006/09/04(月) 10:26:35
馬子の業績を実在が疑われる聖徳太子の業績にするなら、
大化の改新側の実在の人の業績に書き換えた方が合理的じゃない?

蘇我氏の業績を実在する聖徳太子(実際は大したことが無かったかも?)が
やったことにしちまったと考える方が自然じゃないの?
457日本@名無史さん:2006/09/04(月) 22:01:07
>>456
厩戸王の存在まで否定している人は少ない。
馬子や蝦夷の活動のいい部分を厩戸王の活躍に置き換えたのではないかということ。
458日本@名無史さん:2006/09/05(火) 01:11:51
所詮は証明できないことについて、あれこれ可能性を言っているだけのことだわな。
それがいかんとか、無意味だとか言わんけれども、所詮そういうことだということを
前提とする世界だよね。

おれは、阿毎の多利思北孤は、九州にあった倭国の大王と思うよ。
聖徳太子でもなければ、蘇我一門でもない。
459日本@名無史さん:2006/09/05(火) 05:02:13
よくわからんが、聖徳太子非実在論(実は馬子の功績横取り論も)
「推古天皇の摂政」は誰だったとしたいのか?
厩戸皇子が摂政であるなら「摂政皇太子の信任の元一豪族が行った行動」について「摂政皇太子の功績」とするのは不思議ではない。
「摂政がそもそも厩戸皇子でなかった」とするなら、親政なら何故「摂政皇太子など捏造してまで天皇の功績を隠そうとするのか」
他の皇族なら「何故聖徳太子が摂政だったということにしなければならなかったのか」
馬子をはじめとする皇族以外が摂政なら「何故当時皇族でないものが摂政となれたのか」
ご説明いただきたいものだ。
460日本@名無史さん:2006/09/05(火) 06:44:30
摂政などという後世の用語で説明しろと言われてもね。

政治を助ける、どころかうまこ等は政治その物のような存在だったわけだし、
血縁も既に当時複雑だよ。

厩戸は書紀で徹底的に分離されるけど、当時は蘇我一派だからね。
崇仏派としての蘇我氏の事績のほとんどを「聖徳太子」という偶像に押し込めた
のは明白。
461日本@名無史さん:2006/09/05(火) 07:10:45
当時は、どの大王のときも議政官という「摂政」がいたようなものだからな。
462日本@名無史さん:2006/09/05(火) 14:20:52
資本主義経済は悪魔の偽りの経済だ
 資本主義経済は弱者の犠牲の上に成り立つ経済であり、ちょうど江戸時代、
武士が百姓を奴隷にして重い年貢を取り立てて、百姓の生き血をすすっていた
事と同じである。その時は生き血をすすられて犠牲になる者が大勢いたから、
経済がなりたった。今のようにぜいたくになって、犠牲になる者が農家しかい
ない状態では経済が成り立つ訳がない。それが今の不況の原因である。勝ち組
が負け組の生き血をすすっているのだ。悪魔の吸血鬼アメリカに国益を絞り取
られ、国が破産しているのにそれを借金で誤魔化している。最後には国に、金
と資産をかすめとられ、円が大暴落して、日本は物を輸入することが出来なく
なって、食料危機となり大パニックとなる。後は戦争を待つのみ。
 2・26事件はその悪魔の資本主義経済が原因で起こった
 昭和11年2月26日、青年将校率いる決起部隊が政府要人を殺害する事件
が起きた。首謀者は暗黒裁判によって裁かれ銃殺刑に処せられた。
 当時の日本は世界大恐慌の影響で経済が沈滞し、関東大震災によって発生し
た大量の不良手形が原因で銀行、企業が相次いで倒産し、民衆は金に困窮して
生活苦にあえいでいた。農村はアメリカ向け輸出生糸の暴落とそれに連動して
米価が暴落し、東北地方はそれに輪をかけて凶作にみまわれて飢餓に苦しみ、
娘の身売りなどで命の糸をつないでいた。
 民衆が塗炭の苦しみにあえいでいる原因は、政権維持にしか眼中にない政党
と、これに結託し民衆の膏血を絞る財閥と、これを擁護して圧迫する官僚と腐
敗する軍部にあり、これらの特権階級が搾取しているからである。したがって
、疲弊した農民を救うためには、税金の免除と米価の安定を図る必要がある。
その障害となる特権階級の奸賊を倒し、国民を愛する天皇の考えが行き届く国
家に建て替えようと青年将校が決起した。しかし、昭和天皇は朝鮮人で偽天皇
だから、奸賊と同類で、彼らの尊い意志を無視して抹殺した。
 彼らが頼りにした真崎大将はソ連の工作員で、満州侵略に反対していた皇道
派の軍人を抹殺するために、青年将校をそそのかし、実行させたのである。天
皇を中心とした統制派の軍部の陰謀である。
463日本@名無史さん:2006/09/05(火) 23:39:34
>>459
>「摂政がそもそも厩戸皇子でなかった」とするなら、親政なら何故「摂政皇太子など捏造してまで天皇の功績を隠そうとするのか」

隋の記録に、倭国の大王として阿毎の多利思北孤という男性の名前が明記
されているから、日本国の大王が女性では格好がつかないからでしょ。
464日本@名無史さん:2006/09/06(水) 01:27:10
>>463
じゃあじゃあ、何で
北九州の和国を大和朝廷のことであると大和朝廷は資料を捏造してまで主張しなければいけなかったの?
465日本@名無史さん:2006/09/06(水) 07:02:48
新旧唐書の違いを見れば明らかですよ。

中国史上に残る倭国の歴史を消すことは、正式な各年代の国史なので不可能。

ならば大和の歴史の方を捏造するしかなかった。
そういうことでしょう。書紀作成の根本目的の一つが中国との歴史の整合性です。
466日本@名無史さん:2006/09/06(水) 10:16:08
>>465
本当にそうなのかな?
天皇記と国記が当時非常に大事にされていて、
燃えちゃったのであわてて日本書紀作っただけなのでは・・・
で記憶で書いたので変な内容の部分も出てきてしまっただけだったり。
467日本@名無史さん:2006/09/06(水) 21:25:51
>>465
まあそういうことですね。

ただ、堂々と新興の日本国でございます、と登場する方法もあったにもかかわらず、
倭国の歴史を拝借したのは何故か、という疑問はあるよね。
そうやった方が、当時の国際関係の中ではものすごく有利だったのかね。
468日本@名無史さん:2006/09/06(水) 22:32:34
>>459
乙巳の変を正当化するためだろ。
乙巳の変は、今風に言うと要人暗殺によるクーデター。
実力派の政治家を暗殺して政権を奪取しましたでは、いくらなんでもまずいだろ。
だから暗殺の対象になった人物(蘇我宗家)は悪いやつでなければならない。大政治家では困るのだ。
そのために蘇我宗家の活動のうち評価されるものを聖徳太子の活動にしたんじゃないか。
469459:2006/09/07(木) 03:25:51
>>465
だから「なんで和国は大和朝廷のことである」と捏造しなければならなかったのかと聞いているのだが。
「隋や唐に朝貢していた和国を倒した大和朝廷」のほうが日本書紀的にはいいと思うが?

>>468
「天皇の息子が政権獲得のため起こしたクーデター」では見栄えが良くないのはわかる。
そのために蘇我氏は悪者で無ければならなかったのも理解できる。
なぜ「天皇の名の元一豪族が実行した政策」という欠き方をせずに実在自体が怪しいか実在したとしてもたいした力を持たなかった皇族の手柄にしなければいけなかったのか。
遣隋使小野妹子はあくまで「聖徳太子によって派遣された」死者に過ぎず、同じように「蘇我馬子のやったこと」も「推古天皇の支持と指示の元馬子が実行した」ってことにすれば良いじゃないか。
「法隆寺を実際に立てたのは大工さん」だということを隠すためになぜか、「聖徳太子が派遣した現場監督」をでっち上げているようなものだぞ。
そもそも隠す必要が無い。
470日本@名無史さん:2006/09/07(木) 16:09:17
469の言うように陰謀史観だと説明しづらい部分がるよね。
471日本@名無史さん:2006/09/07(木) 22:18:20
聖徳太子を作り出したのは、蘇我氏の業績を奪い取るためではないよ。
倭国の業績を奪い取るためだよ。

でも、どうして倭国の歴史を奪い取るための捏造をしたのかは、
謎だよね。シナ流に革命思想を取り入れて、倭国の荒廃から天命がかわったと
して、日本国を新しい正統と主張する方法もあたように思うがね。
そこまでの気概はなかったということかな。

中大兄皇子の大化の改新は、何となく、革命思想のようなニュアンスも感じる
訳ではあるが。
472465:2006/09/07(木) 22:58:18
>>469
よくわからないんですが。それに469が陰謀史観とも思えないし。

>>471
いやいや蘇我氏の功績盗みもあるでしょう。ほとんど天皇家乗っ取りの寸前まで
行ってた、もしかしたら取って代わったかも知れない有明子(馬子)。
仏教が、従来の天孫族=諏訪、出雲、筑紫と引きずる太陽神・アマテラスの系譜
とおさらばして、あらたな指導原理として夢の宗教であった当時、その功績が蘇我
氏に帰せられるのは非常に困る。まして何とか一大仏教文化先進地である宇佐を押
さえ、大仏を中心に法都・平城京を建設する新国家・日本にとっては、重大な問題
だったはずです。

そのことから逆に、蘇我氏とはそもそもそのような神仏混淆を果たして西に移って
きた筑紫或いは宇佐の一族だった可能性もありますが。
473日本@名無史さん:2006/09/08(金) 01:42:48
俺にとって 歴史上全てが架空 俺の存在自体も架空
現世ってなに
474日本@名無史さん:2006/09/08(金) 01:52:05
色即是空、空即是色
475459:2006/09/08(金) 03:32:06
>>472
和国を倒した大和朝廷スゲー、中国の属国を倒した大和朝廷はすばらしい独立国家。
って言う宣伝の方がいいだろといっているわけだが。

あと470は 469の言うように「陰謀史観だと説明しづらい部分がある」よねって言いたいんだと思うが。
476日本@名無史さん:2006/09/08(金) 06:29:08
>>475
上二行は、あなたの価値観だわな。
こういう価値観は人によっても違うし、時代によっても異なる。
古事記や日本書紀の作者は、武力による統一を良しとしない価値観をもっていたようだ。
出雲の国譲りや神武東遷をみても、形の上では政権を禅譲されたことになっている。
477日本@名無史さん:2006/09/08(金) 06:40:12
>>476

まあそれは何も記紀に限らないけどね。

先代王権を否定せず、「祀る」事でそのエリアの蜂起を押さえ、正統継承者であることを
アピールする。アジア的発想だが、中国では同時に革命の思想=王殺しも遙か古代から存
在しているから、周後の混乱を始皇帝が統一したときにその思想の完遂はなった。

一方、辺境で天皇制に変わりうる宗教的・政治的権威の出現もなくついに信長も徳川幕府
も天皇制思想の廃棄を成し得なかったために、国土が灰燼に帰し、更に今でも靖国のよう
な亡霊がのし歩く様相。

武を低く見るのは中国風の装いとしても、先代王権を合併して肥大化していったのは大和
より以前からあったと思うよ。「天神」だって、いきなり筑紫王権が同時並行的に各地に
出現した筈はないから、やはり土地神=エリアの王の祭神を宗旨替えさせたんだろう。総
社のようなやり方、時には祭神そのものの覆滅、そして反乱者への過酷な仕打ち、焚書・・・。

大和も筑紫も、あるいは出雲も実際にやったことはそんなもんでしょう。それを糊塗する
の「祀り」という政治思想・形態と言うことで。
ため
478日本@名無史さん:2006/09/08(金) 11:12:53
業績を乗っ取ったとしたら、その業績を残した人達の子孫が
政権の中枢にいたってことなのかな。だから全否定できなかった。

国土が灰燼に帰したのは天皇制は関係ないと思うけど。
479日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:23:10
大和の日本国は筑紫の倭国を併合する訳だけど、そもそもその昔、神武東征に
記録されているように、大和は筑紫の一派が散々苦労して大和地方の先住権力
を押しのけ、交じり合って、どうにかこうにか定着したものだよね。

記紀の中にある大半の真実と、重要なところで挿入される微妙な捏造が楽しい
よね。
480日本@名無史さん:2006/09/08(金) 23:34:42
倭国=筑紫はありとして考えていいの?
481日本@名無史さん:2006/09/09(土) 00:07:40
>>480
特別疑問はないでしょ。

>>477
>一方、辺境で天皇制に変わりうる宗教的・政治的権威の出現もなくついに信長も徳川幕府
>も天皇制思想の廃棄を成し得なかったために、国土が灰燼に帰し、更に今でも靖国のよう
>な亡霊がのし歩く様相。
それはどうかな。
天皇制の根本の意味は、極東における独立国ということでしょ。
日本がシナ皇帝の配下にない独立国であることの象徴だった訳で、その意義は
絶大だった。ここが半島諸国との決定的な違いだね。
明治維新をなしとげたのも、天皇制の存在あってこそのことだし、太平洋戦争
の敗戦後も国家として存続し、いち早く復興できたのも天皇制の存在があった
意味は大きい。
482日本@名無史さん:2006/09/09(土) 08:07:06
>>481
私の見解と正反対ですね。
天皇制という何となく古いだけの権威を復活させたら、それは近代ファシズムになんの
抵抗もなく入っていける稚拙な指導原理だった。ということでしょう?
もちろん強者の論理は宗教的体系とは関係なく盛りだくさんだから、即ドイツ皇帝みた
いになれたし、そもそも体系も糞もアニミズムですからw あるとすれば力による支配
の方法論の集積だけ。

シナなんて言い方してるからマジレスするのも躊躇するが、鎖国していた中国(清)の
エリアでの宗主国としての権威など当時既に皆無。従ってあなたの前提も無意味。

フランス風の共和制を国家の原理にしようとした木戸孝允が病死したのは痛恨事と
言っていいでしょう。その後板垣退助や困民党など民衆のリーダーが明治早期にこ
とごとく弾圧されたことも、その後の民主主義の成長を大きく疎外したわけで、そ
の頂点にあった天皇制が民主主義の発展の最大のストッパーであったことは、昭和
天皇の民主主義理解の欠如にも明らかじゃないですか?

大戦後の国家の存続に天皇制なんて関係ない。ヒトラー、ムッソリーニ、チャウシェ
スク、その没後国が無くなったっていうのか?それは、国の主体がその住民であるこ
とを否定する非民主的暴論だよ。復興できたのは、焼け野原に最新鋭設備を導入でき
た、戦時中完成した中央統制システムそのものが官僚も企業も温存されただけ。その
隠匿物資で岸信介らが自民党の元を作ったのは周知の事実。
483日本@名無史さん:2006/09/09(土) 17:36:14
>>482
>シナなんて言い方してるからマジレスするのも躊躇するが、鎖国していた中国(清)の
>エリアでの宗主国としての権威など当時既に皆無。従ってあなたの前提も無意味。

「当時」というのはどうも近代以降のことのようですね。
もっと長く、1000年単位で考えましょう。
484日本@名無史さん:2006/09/09(土) 20:21:26
>>1000年単位ならヨーロッパなど人の少ない森林ですがなにか?
485日本@名無史さん:2006/09/09(土) 20:45:51
日本書紀とかの矛盾点を突っついて奇説の類を広めようとしてる者が多いが、
遙か昔の史料に矛盾や編纂者等の作為が入り込むのは常識じゃん。
その「不確かな史料」を基に、なるたけ最もらしい説を構築するのが歴史だろ。

7世紀に九州に倭国があったなどと書いてある史料の断片でも有るのか。
もともと「無い史料」に矛盾は無いもんな。
486日本@名無史さん:2006/09/09(土) 21:47:48
>>485

とりあえず過去ログ&スレ嫁
487日本@名無史さん:2006/09/09(土) 23:20:12
君主制を打倒した国がその後経た経験は、一般にひどいものである。
帝政崩壊後のソ連共産主義、帝政崩壊後のナチス、王制崩壊後のナポレオン・恐怖政治・・・

君主制が、人という生物にとって非常に自然な社会システムなんだろうと思う。
488信長:2006/09/10(日) 02:47:24
イタコに聞けばすぐわかる
489日本@名無史さん:2006/09/10(日) 05:00:36
>>477
>一方、辺境で天皇制に変わりうる宗教的・政治的権威の出現もなくついに信長も徳川幕府
も天皇制思想の廃棄を成し得なかったために、国土が灰燼に帰し、更に今でも靖国のよう
な亡霊がのし歩く様相。

こんなメチャクチャな理屈こねてよく恥ずかしくないな。
まぁ「天皇制思想」なんて言葉使っている時点でお里が知れるが、
だいたいイデオロギーとか理論を構築しさえすれば、
歴史を変革できると本気で思ってそうなところが馬鹿丸出し。
>>482
ここまでくるともはや完全スレ違い。
ここはてめえの幼稚なイデオロギーを開陳する場じゃないんだよ。
誰の受け売りか知らんが、日本に共和制や共産主義が根付かなかったのも、それだけの理由がちゃんとあるのに
まるで木戸孝允さえ生きていればそれが可能だったかのように思い込んでいるのは単純としか言い様がない。

とにかく、歴史をある種のイデオロギーとか正邪とか、おまえの脳内にしか存在しない道徳論で論じるのはやめれ。
490日本@名無史さん:2006/09/10(日) 09:18:10
>>489
お前もスレ違いだよ

何熱くなってんだかw
491日本@名無史さん:2006/09/10(日) 14:35:58
最近福岡で「大神部」という文字が刻まれた7世紀前半にまで遡る須恵器が出ましたね。
九州王朝でも部民制を採ってたんですか?
あっ、俺もスレ違い。
492日本@名無史さん:2006/09/10(日) 22:21:25
>>491
いよいよ出てきたね。
倭国の実態が次第に明らかになって行くようだ。
493日本@名無史さん:2006/09/11(月) 11:05:09
でも日本書紀は面白いね。
天皇の悪行も普通に書いてあるし。
494聖徳太子:2006/09/11(月) 11:37:23
勝手に架空にすんなやボケが!
495日本@名無史さん:2006/09/11(月) 11:44:56
アリの巣コロリってあるじゃん。
蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。
そいつをマネして何匹も入る。
毒とも知らずにツブツブを運び出す。
一匹が一粒づつ。
いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。
黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。
一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
蟻さんって働き者だなと思う。
俺も頑張らなきゃなと思う。
次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
ほんとにいない。
探してもいない。
泣きたくなった。





このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・
それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。
信じるか信じないかはあなた次第です。
496日本@名無史さん:2006/09/11(月) 21:51:57
497日本@名無史さん:2006/09/11(月) 22:23:18
>>494
架空というのはいいすぎだな。
実在した人物だよな。
ただ、本名が厩戸王ではなくて、蘇我善徳であり、蘇我蝦夷であり、蘇我入鹿なんでしょ。
498日本@名無史さん:2006/09/11(月) 22:42:32
つまり、神武・崇神天皇のように同一人物の複数化なわけ
499日本@名無史さん:2006/09/11(月) 23:08:23
わざわざ名前とかでっち上げてまで欠史八代をでっち上げる意味が
わからん。神武と崇神は結構違うと思う。神武が祟るような感じはない。
500日本@名無史さん:2006/09/11(月) 23:19:17
>>499
起源をより古いところにもっていきたかったというのはそれなりに筋の通った説明だと思うぞ。

>>498
蘇我蝦夷が元興寺の責任者(寺司)に就任したときの寺司としての名前が善徳でその後俗元してからの名前が蘇我入鹿という説を聞いたことがある。
501日本@名無史さん:2006/09/11(月) 23:25:28
>>500
なんで?
当時縄文とか弥生とかの時代区分などないし、それらの時代の整合性など
もっと無意味。
もし縄文〜弥生〜古墳時代と連綿と続いていたとしたいなら、なんで神武
が初代になるのか。
或いは、それに先行する出雲神話・筑紫神話はなんなのかとなる。

その考え方も所詮万世一系に取り付かれた近世以降の思考法だよ。
502日本@名無史さん:2006/09/11(月) 23:35:40
倭(やまと)は別に卑属な言葉ではない、
たとえば敷島行進曲では明確に「倭心」
=やまとごころ と記してあり普通に
大和心 と同じ意。
503日本@名無史さん:2006/09/12(火) 00:12:23
501がキムチ臭い件について
504日本@名無史さん:2006/09/12(火) 19:09:15

こういうクズが史学板にも増えた件
505日本@名無史さん:2006/09/12(火) 20:17:22

草かんむりの  十十  (キリスト教の十字架)
魚 <>< サカナマーク(キリストの印)
禾  稲、麦、など穀物の実った状態、キリストはマナの壷を満たす

つまり「蘇」とは蘇り、復活をさしキリストをあらわす。
われはキリストなりーーーーー「蘇我」?
506日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:20:22
韓国系らしいね
507日本@名無史さん:2006/09/13(水) 01:08:39
>504
その程度は昔からあった。
そんなことより知識のレベルが下がり杉の方がry
508日本@名無史さん:2006/09/13(水) 01:14:03
>>506
当時韓国は存在しません白丁
509日本@名無史さん:2006/09/13(水) 02:23:00
革命思想(辛酉革命)すら知らず
意味不明な妄想を書き連ねている>>501
自作自演で無知を喧伝している件について
510日本@名無史さん:2006/09/13(水) 03:10:44
皇統に仁をつけ始めたのは清和天皇辺りかららしい。
511日本@名無史さん:2006/09/13(水) 03:20:29
架空にしたがる中共さまとその属国。
512日本@名無史さん:2006/09/14(木) 01:58:19
>>486
?読んだ上での意見だが。無いものは出せないという訳か。
513日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:57:20
 聖徳太子の謎
 蘇我馬子の専横によって、蘇我稲目の娘の子が用明天皇になり、次に崇俊天
皇になった。崇俊天皇が暗殺されて、蘇我氏の血筋の男子が絶えた状態になっ
た。当然聖徳太子が天皇になれば良いのに、用明天皇の妹が推古天皇になった。
なぜ、太子は天皇になれなかったのか。摂政を務めるなら天皇になれば良い。
 この後押坂彦人大兄皇子の子が舒明天皇になり、其皇后が皇極天皇になった。
皇極天皇在位中に蘇我入鹿が専横の罪で中大兄皇子に暗殺された。彦人皇太子
は蘇我氏の血筋ではない。なぜ、天皇の血筋が本筋に戻ったのか。どうして、
本筋に戻った事が蘇我入鹿の専横となるのか。皇極天皇は後に斉明天皇になる。
この辺りの皇位継承はおかし過ぎて話しにならない。時の彦人皇太子がいつ亡
くなったのか分からないのもおかしい。
 聖徳太子は仏教を普及させた事になっているが、神道の奥義書、先代旧事本
紀大成経を撰述している。この中に予言書の未然本紀がある。神仏論争時代に
この両立は難しい。
 太子の正妃は莵道貝蛸皇女であるが、太子が病となり、妃の膳大郎女が看病
して二人が同時に亡くなった。太子の死亡年が621年と翌年の2説ある。太子
を妻でなく妾が看病し、二人が同時に死亡し、その年が2説ある。こんな話は
不自然であり、2説あるのは捏造の疑いがある。
 「上宮聖徳法王帝説」に、聖徳太子と山背大兄王が親子でないと言う人がいる
ようだが、それは良くない事だとある。そのように言論統制するのは本当の事
が広まると困るからである。書記は太子の子が山背大兄王だと言っていない。
 729年に長屋王が死亡し、737年藤原不比等の4子が疫病で死亡した翌年から
藤原氏が法隆寺の食封を再開し、夢殿を建立した。これらの行為は長屋王の怨
霊封じであり、長屋王が太子の孫だと分かると、法隆寺が太子一族の怨霊封じ
の祈祷をした事が分かる。
 隋書に、600年倭王あり、姓は阿毎、字は多利思比孤(天足彦)で天下を支える
男(天皇)となる。この時は推古天皇で男の天皇は聖徳太子以外は考えられない。
514日本@名無史さん:2006/09/16(土) 19:00:13
 法隆寺の謎
 聖徳太子は607年に法隆寺を父用明天皇の為に薬師如来像を本尊として建てた。
 しかし、623年に太子の菩提を願って遺族が造った釈迦如来像と鎌倉時代の阿
弥陀如来像が同じ金堂に三具並んでおり、中央の釈迦如来像が本尊だと分かる。
薬師如来像は釈迦如来像に比べて鋳造技術が進歩した物であり、前者の方が後
作となり、製造年が逆転する。法隆寺の本尊が2具あるのはおかしい。
 書記に670年に法隆寺が焼失したとある。しかし、「法隆寺縁起幵記資財帳」
には再建されたと言う記載が無く、建物の尺度が大化の改新以前の高麗尺で後
の唐尺でないから、再建説は成り立たない。様式も雲形斗?など飛鳥時代の物
である。西院伽藍内を掘ったが焼土は無かった。
 すると、若草伽藍説が出てきたが、再建するなら同じ場所に建てる筈で、法
隆寺の南に面する向きと若草伽藍では、ずれている。区画の時代が違うのだ。
 609年に造られた飛鳥寺の丈六如来像の大衣は、右肩から前を覆って後ろへ
回して左腕前膊にかけているから襟が2重である。しかし、法隆寺の釈迦如来
像は襟が1重で最後は左肩の背面に垂れている。作者は両方とも止利で、前作
が正しく着用し後の物が着用法が分からないのは理解に苦しむ。釈迦如来像は
溶銅が拙く鋳造し直した跡がある。
 このように文化が衰退したのは侵略されたからであり、大化の改新を境とし
て飛鳥から天平へと移り、唐様式になったのも侵略が原因である。
 書記が670年に法隆寺が焼失したと記した目的は、唐文化によって再建した
事にしないと飛鳥文化の技術の高さを否定出来ないからだ。
 やはり、聖徳天皇は大化の改新時に暗殺されて、それを隠蔽する為に622年
に病死したと言う嘘を後世に残す為に釈迦如来像が造られ、薬師如来像は聖徳
太子の様な聖者が仏教を勧めたと言う方便で仏教を普及しようとした。其像が
あった寺が太子の崇りで焼失したから法隆寺に移したのである。
515日本@名無史さん:2006/09/16(土) 21:21:02
そもそも「上宮聖徳法王帝説」=厩戸王子との確証すら無いわけだが。
むしろ逆だろう。

>再建されたと言う記載が無く

余所から持ってきたんだよ
516日本@名無史さん:2006/09/17(日) 17:26:41
アメリカの正体を見破れ
 米国はドルを湯水のように印刷しても、各国がドルを買い支えてくれる。日
本は円高になると輸出不振となるため日銀がドル買いをする。この資金は外資
の餌食となる。
 米国の外資が不良債権で6兆円を注いだ新生銀行を10億円で買い叩いた。
旧長銀の負債は免除された。
 1985年プラザ合意によって円高不況になり、1987年景気を良くする為に公定
歩合を引き下げた。インフレ傾向になった為、公定歩合を引き上げ、不動産融
資総量規制を行うと、1990年バブル崩壊が起きたとある。しかし、これは計画
的に起こされたのである。米国のソロモン・ブラザーズ証券等が事前に売り逃
げして、巨万の利益を上げた。これらの外資が日本政府とくるんで意図的に株
価操作を行った。デリバティブ(株の先物取引)を利用して株価が下がる方に投機
したのです。バブル崩壊はアメリカが仕組んだ株と土地のいかさま博打である。
 米国は日本製品を、ダンピング関税、スーパー301条、いわれのない損害賠償
等で締め出した。米国はいんちき国家である。
 米国はユダヤ悪魔教徒の秘密結社(フリーメーソン)が支配する国家で、軍産
複合体は戦争によって成り立ち、資本経済は戦争後の復興事業で不況を脱して
来た。
 アメリカは真珠湾攻撃の騙し討ちや9・11テロ(自作自演)等で戦争の口実を得
て、軍事大国になり、核の威嚇外交で国を支えている。
 オーム真理教の村井秀夫が右翼に刺された時に「ユダにやられた」と言ったの
はフリーメーソンの意味。ユダヤを敵視して様に見せていたのは、高等戦術で
ある双頭作戦で、戦争は相手が無いと出来ない。自由主義も共産主義もフリー
メーソンが作ったもの。
 郵政民営化は郵便貯金等を外資に貢ぐ為のもの。
 ジェイコム株上場の株価誤入力事件は、新生銀行からの転職者が行った陰謀
で、外資が暴利を得た。10分間で大量のデーターの中から誤入力を見つけて買
い付ける事は難しい。
 堀江貴文が行ったニッポン放送買収資金は、リーマン証券から受けたもので、
逮捕によるライブドアの株価下落等によって、外資は不当な利益を得た。
517日本@名無史さん:2006/09/17(日) 22:07:15
前半はともかく後半のトンデモは歴史板に張るなよ
518日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:15:01
 ファチマ第3の予言
 貴方たちは、私の忠告を妄想だと言って無視したり、自分の知識を誇って、
無知だとあざ笑って、自尊心を満足させましたね。それで、改心の機会を失い
ました。
 麻原の死刑が確定したように、貴方たちの死刑も確定しました。原爆の超高
熱で焼かれるのです。どこへ逃げても、天変地異によって、マグマと津波の生
けにえになる。たとえ、あの世へ逃げても、地獄の極熱の業火で、魂まで焼き
尽くされる。悪業の報いを受けるのである。そうしなければ、犠牲になった動
物たちの魂を救えないし、宇宙が破滅する。
 聖母マリア像が血の涙を流している。神が貴方たちを哀れんで、救えない苦
しみの血涙を流しているのです。
519日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:48:52
上宮=阿毎多利思北孤
すなわち、九州の倭国の大王のことだね。
法隆寺は日本国が倭国から持って来たんだよ。
520日本@名無史さん:2006/09/18(月) 15:28:16
521日本@名無史さん:2006/09/18(月) 22:31:41
倭国は、はじめシナの皇帝から王位を授かったり、将軍位を授かって喜んでいた
けど、ついに阿毎多利思北孤の代になって、対等の立場を宣言した。
後に日本国がその地位を譲り受けることになるが、いずれにしても列島が自主独立
の気風を長く育んだことは極めて重要だ。

大陸から海を隔てていたことがラッキーだった訳ではあるが、この点が、
決定的に半島と異なる。
阿毎多利思北孤の独立宣言は、独立記念日を設けて永く記念するに値する。
522日本@名無史さん:2006/09/18(月) 22:49:01
>>521
知ったかぶりしてんじゃねーよ 低能め!!
523日本@名無史さん:2006/09/19(火) 00:09:49
韓半島から派遣した地方行政官が聖徳太子

当時は日本は韓国の完全な保護国
推古女王が自ら伽をして売春婦をした

韓国に支配され弱小国の冊封を改竄するのは見苦しい
524日本@名無史さん:2006/09/19(火) 01:36:38
↑寝言は寝てから言え
525日本@名無史さん:2006/09/19(火) 10:20:48
>>523
 こいつらは日本の天皇を侮辱しようとして書き込んでいる朝鮮人である。聖
徳太子の正体は押坂彦人大兄皇子で純潔の日本人だ。
526日本@名無史さん:2006/09/19(火) 11:27:46
>>523
起源馬鹿チョソ発見。
527日本@名無史さん:2006/09/19(火) 22:15:28
>>522
知らないのか?
528日本@名無史さん:2006/09/20(水) 02:41:26
聖徳太子の正体は百済の法王ですが日本には来てません
529日本@名無史さん:2006/09/20(水) 12:30:59
韓半島から左遷された下等な行政官が倭猿には救世主のような存在になりましたとさ

530日本@名無史さん:2006/09/20(水) 15:51:31
>>529
 根拠のないことなら何でも言える。朝鮮が広島と長崎に原爆を落として50
0万人の日本人を大虐殺した。朝鮮が大和撫子を従軍慰安婦にするため、拉致
した。ユダヤ人を抑留して1000万人を毒殺した。朝鮮人が昭和天皇を暗殺して
日本を侵略した。朝鮮、中国を侵略したのは朝鮮人の天皇で、悪いのは馬鹿チ
ョンと人食いシナである。
531日本@名無史さん:2006/09/20(水) 23:30:45
朝鮮国王は清国皇帝に朝貢し臣下の礼をとっていて、国王位も皇帝から授かった
ものです。日本に対しては、徳川将軍と形式的に対等の立場をとっていたのです。

ところが、日本では明治維新があり、王政復古が宣言され、
天皇が国家元首として国際社会に登場したのです。天皇は天から下されたもので、
他国から授かったものではありません。
これで、朝鮮国は大慌てした訳ですね。
日本天皇より朝鮮国王は格下にあたる訳ですね。
なんと、清国皇帝への朝貢国としては、琉球国王よりも朝鮮国王の方が地位が
低かったこともあって、大変辛い思いをした訳ですね。

古代より独立を保った日本国の象徴は正に天皇の存在だったのです。
阿毎多利思北孤の独立宣言の意義は極めて思いのです。
532日本@名無史さん:2006/09/21(木) 01:14:07
妄想と捏造教育で洗脳された日本人って哀れですね

自称の帝を誇るなんて恥ずかしい行為

帝の概念は韓半島からパクリ
明治革命も欧米からパクリ

日本は虚構と捏造だと日本人以外は知ってますね
533日本@名無史さん:2006/09/21(木) 02:04:57
↑夜釣りですか?
534日本@名無史さん:2006/09/21(木) 05:47:40
朴正熙大統領の維新憲法クーデターは、明治維新の真似だったよね

帝は皇帝、即ち大中国の王だけの称号であって、外向けには帝を僭称することは
日韓とも許されなかった。概念そのものは朝鮮からパクッたわけないじゃん。


朝釣られる漏れ
535日本@名無史さん:2006/09/21(木) 08:11:07
養老律令には、天子、天皇、皇帝についての使い分けが明示されている。

天子。祭祀に称する所
天皇。詔書に称する所
皇帝。華夷に称する所。
 
明治二十年頃の柳原前光の「皇室典範再稿」第十四条は
「皇位の尊号を天皇とす、外国に対し皇帝と称し、祭祀に天子とすること」
右は「文武天皇の制による」と特に注記されていた。

明治二十二年に憲法とともに公布された皇室典範には、こういう条項はない。
しかし外国にたいするときには皇帝と称するという方式そのものは、大正期
まで生きつづける。
536日本@名無史さん:2006/09/21(木) 21:46:35
>>532
>自称の帝を誇るなんて恥ずかしい行為

とんでもない。自称であることが最も重要。
他国から授かったものでない、すなわち、自主独立の根本です。
シナの皇帝も自称です。
半島の国王位がシナの皇帝から授かったものであったこととは
比べることもできない絶対的な違いがあります。
537日本@名無史さん:2006/09/21(木) 21:51:29
帝の概念はシナのパクリですが、半島のパクリではありません。
538日本@名無史さん:2006/09/21(木) 21:59:18
明治維新は、極めて日本的で、目の覚めるような出来栄えのやり方です。
欧米からのパクリではありません。

政権を握っていた幕府を打倒しつつも、国家としての統一を乱すことなく、
脱皮して近代世界に登場したのです。
これも、天皇が自国に存在すればこそ可能であった訳です。

シナで同じようなことをしようと思えば、皇帝を取り替えることになるので、
革命ですね。そのためには、大きな混乱を経ることになりますね。

半島では、同じようなことは不可能です。
539日本@名無史さん:2006/09/21(木) 22:03:25
色々こんなことを書くと、半島の人達を嫌いなように感じられるかもしれませんが、
そんなことはありません(念のため)。
ただ、正しい歴史認識が必要と思うだけです。
540日本@名無史さん:2006/09/23(土) 01:27:58
馬子は大王だったと思います。蝦夷も入鹿も?
推古は即位していないのではないかな?
聖徳太子は架空の人物ではなかったとしても
馬子の業績がかなり含まれているのでは?
太子はなんか政治家というより学者・宗教家
という人物だったのでは。
541日本@名無史さん:2006/09/23(土) 01:36:28
嗽加は大臣
542日本@名無史さん:2006/09/23(土) 01:53:48
>>540
氏ね 糞バカ
543日本@名無史さん:2006/09/23(土) 05:03:40
>>542
お前が○ねよ
学問板なんだよここは

つってもおまいみたいなキチガイが増えたけどな
544聖徳太子:2006/09/23(土) 22:25:41
お前ら仲良くしろよ、な?
545日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:32:20
帝は中国のパクリ


否定する日本は笑える
546日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:33:07
もっと喧嘩しろ
547日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:52:58
帝=みかど=ミガド=ガド族の高貴な方=ユダヤ人??
548日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:07:43
天皇は百済のパクリ
武士は高句麗のパクリ

武道は新羅のパクリ
549日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:09:40
>>545
中途半端だ。
「天皇」は、唐の高宗が称した「天皇」号のパクリだ。
550日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:11:07
そして、もとを辿れば「道教」のry
551日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:25:59
天皇と書いて「すめらみこと」と読む。
シナではこうは読まない。
552日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:35:23
>>551
韓字をパクリしてる
天も皇もパクリした日本人
553日本@名無史さん:2006/09/24(日) 00:04:17
働は日本で生まれて中国の辞典に載っている漢字ですが?書いてありますよ
中韓辞典くらい読みましょう
554日本@名無史さん:2006/09/24(日) 00:06:40
日本→中国なわけか
関係が半島のように属国ではなかったからできる芸当だな
555日本@名無史さん:2006/09/24(日) 00:15:15
どいつもこいつ下手な釣りばかりだな。
556日本@名無史さん:2006/09/27(水) 23:28:39
列島でも、卑弥呼、倭の五王はシナの皇帝に朝貢しました。
それに、室町の武家の棟梁は何代にもわたってシナの皇帝に朝貢して日本国王
を授かりました。室町の武家の棟梁が衰退してからは、大内とかいう大名が
あとをついで日本国王を授かりました。

という訳で、シナから見れば、列島も微妙に朝貢国だった時代もあります。

しかし、天皇は一貫して誰にも臣従したことはありません。
異国の世話になったことはありません。常に独立独歩です。
これぞ、日本国が独立国であり続けたことの確証です。
557日本@名無史さん:2006/09/28(木) 00:37:59

韓国出身という話もある。
558日本@名無史さん:2006/09/28(木) 02:19:45
高句麗・百済・新羅王の子孫って、今の半島にいるの?
族譜の始祖はどこまで遡るの
559日本@名無史さん:2006/09/28(木) 03:12:30
明治以後のキティガイ論理を振りかざす馬鹿ウヨのスレはここでつか
560日本@名無史さん:2006/09/28(木) 12:18:35
>>559
レッテル貼りしかできない馬鹿とはあなたでつか
561日本@名無史さん:2006/09/29(金) 22:35:33
上宮王家も完全に滅亡
643年、上宮王家全員自害で
厩戸王の子孫は一人残らず絶えた
562日本@名無史さん:2006/10/05(木) 15:43:42
聖徳太子は藤原不比等自身だろ。
蘇我の祟りを恐れた不比等は歴史の表舞台に出ることを
避けていたが、心のどこかではその権勢を振るう姿を後世に残したいと思っていたのだろう。
だから、実害の無い想像の人物を作り上げそこで活躍する姿を思い描き
自分自身と照らし合わせた。

今に例えるなら主演兼監督の映画作るみたいなものだ。

563日本@名無史さん:2006/10/06(金) 09:29:34
藤原不比等ではないな。
鞍作りのトリが正しい。
564日本@名無史さん:2006/10/15(日) 01:30:13
そんな腐男子な不比等やだな
565日本@名無史さん:2006/10/20(金) 15:55:12
 ロシア警備艇銃撃事件はロシアによる戦争挑発事件であることが証明された
 吉進丸の坂下船長は領海侵犯してないと言っている。漁協の役員である彼が
違反をする筈がない。GPS(全地球測位システム)で場所を確認しながら花咲
ガニの置き籠を仕掛けそれを回収した。日本とロシアの中間ラインよりずっと
手前の外務省が決めたライン内で操業していたのに、なぜ、銃撃されたのか。
坂下船長は仕掛けた籠のカニを盗むのはロシア漁船であり、領海侵犯したと認
めないと帰れない。下手をすると殺されるから認めたと言っている。これは
ロシアの戦争挑発事件である。
 ロシアなどの共産主義国家はならず者国家である。かれらの悪だくみを暴露
しましょう。
 2006年12月 朝鮮戦争が起こる 日本は憲法改正による集団的自衛権
を行使して韓国を助けるために防衛軍を派兵する。
 2007年 X月 中台戦争が起こる 日本は台湾を助けるために防衛軍を
派兵する。
 2007年 Y月 ロシアが日本を侵略するために北海道へ攻め込む。今回
の挑発行為は日本を侵略する前兆なのである。神と悪魔との戦いハルマゲドン
は日本において行われるのである。

 北朝鮮の黒幕はアメリカ(フリーメーソン)であり、拉致被害者の家族が帰っ
てこれたのは、小泉政権(フリーメーソンの傀儡政権)を維持するためである。
安倍総理が訪韓している時に北朝鮮の核実験報道がされたのは、日本を恫喝し
て、防衛軍が先制攻撃出来るようにするための憲法改正の下地づくりである。
566日本@名無史さん:2006/11/06(月) 17:52:22
聖徳太子
567日本@名無史さん:2006/11/11(土) 17:05:34
関さんを全体的に信じた今日この日
568日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:04:29
おいおいwww
569日本@名無史さん:2006/11/23(木) 12:55:43
聖徳太子は増田こうすけが作ったキャラだからなwww
570日本@名無史さん:2006/11/29(水) 18:49:10
歴史そのものが架空
571日本@名無史さん:2006/11/30(木) 20:50:46
推古も架空じゃない?
572日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:52:44
7世紀以前の日本史は推定と仮定だけが全てです。
全て、「〜と思われる」「〜でないかと思われる」を付け足す必要が有ります。
573日本@名無史さん:2006/12/03(日) 01:49:46
前世を読める霊能者なら全部わかるはずだけどな。
読もうとはしないだろうな。
574日本@名無史さん:2006/12/05(火) 00:22:30
記紀の記述がまったくの架空とは限りませんよ。
575日本@名無史さん:2006/12/05(火) 02:41:27
王仁博士を古事記ベースで語っても否定されないしな(苦笑
576日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:48:42
あの肖像画を否定する根拠て
ヒゲだけか?
577日本@名無史さん:2006/12/08(金) 21:58:43
聖徳太子みたいな立派な人物が、
なにかちょっとでも邪馬台国についての見解を残しておいてくれたらなあ
残したけど、
内容が気にくわなかった権力者の誰かが捨てたかもしれないな
578日本@名無史さん:2006/12/08(金) 22:04:58
日本の存在自体が架空。
579日本@名無史さん:2006/12/13(水) 17:43:13
逸話に類似性があるだけで本当なんじゃないのか
580日本@名無史さん:2006/12/13(水) 19:03:07
後世の人が何百年もそれが聖徳太子の肖像画だと
考えてきたなら
それはやはり聖徳太子ではないのか?

比較的近い子供の頃に太子を見たことが
ある人があの肖像画を見て聖徳太子はこんな感じだったて
伝えたんではないのか?
581日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:24:33
現在に伝わる西郷隆盛の像は、奥さんが「うちの人に全く似ていない」と言ったとか。
聖徳太子の肖像画が本人に似ているかどうかなど、もはや誰にも分からない。
582選曲してください:2006/12/14(木) 00:20:01
http://joysound.com に登録してリクエストしよう
583日本@名無史さん:2006/12/14(木) 01:01:06
聖徳太子はマジでジャージすごい似合うよ、いやホント。お世辞じゃなく
584日本@名無史さん:2006/12/14(木) 20:00:53
信長がカラオケ似合うのと同じだな
585日本@名無史さん:2006/12/15(金) 08:42:18
>>583>>584
あーおもしろいなー(棒読み)
586日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:58:52
楽市楽座
587日本@名無史さん:2006/12/20(水) 21:50:06
名古屋っぽいな。
588日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:02:14
逸話に類似性ってよりも当時の中国はキリスト教が流行ってたらしいし
中国から聞いたキリスト教の話に合わせて逸話を作ったんだろ。
589日本@名無史さん:2006/12/20(水) 22:44:07
たまたまなんじゃね?現代人は馬小屋なんてみたことないけど古代的に普通にありそうな話だ。
590日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:38:04
聖徳太子は後世に付けられた名前だけど
斑鳩の地に法隆寺を建立して斑鳩宮に
住んでいた有力王族である厩戸王は実在した
これは法隆寺若草伽藍の発掘で考古学的に証明されている
この時代、これだけの寺院を建立出来たのは
他には蘇我馬子の法興寺だけ
まあ厩戸王の妻は馬子の娘の刀自古郎女だから
この二人は義理の親子で敵対関係にあった訳じゃない
591日本@名無史さん:2006/12/20(水) 23:51:57
蘇我氏に滅ぼされたのは長屋王だっけ?
592459:2006/12/21(木) 04:04:39
蘇我に滅ぼされたのは聖徳太子の息子の山城大兄皇子
長屋王は自害(藤原氏の謀殺といわれている)

593日本@名無史さん:2006/12/21(木) 12:39:27
けっこうきな臭い権力争いしてる。
594日本@名無史さん:2006/12/21(木) 16:54:23
天皇家の皇子が、なぜ馬小屋で出産したのかと、小一時間(ry
595日本@名無史さん:2006/12/21(木) 17:27:22
当時馬持ってたのはお偉いさんだけでは?
596日本@名無史さん:2006/12/21(木) 22:12:20
>>594
その辺りは日本書紀の後付けだろ
厩戸王子の名前から、そういう脚色をしたと思われ
事実、厩戸王子が生まれた時は
まだ用明王子は、大王に即位してないから
間人王女も大王妃ではない
それと当時は皇后は存在してなかった
天皇も居なかった、居たのは天皇では無く大王
597日本@名無史さん:2006/12/22(金) 00:02:46
騎馬民族説は面白いが、古代で馬を持っていたのは権力者だけ。大王クラスだろうし
状況と一致する。
598日本@名無史さん:2006/12/22(金) 05:05:05
結局、文字史料には限界がある
ただ厩戸王子が法隆寺を飛鳥から離れた
斑鳩の地で建立出来るだけの、財力を持った王子と言う事は
法隆寺若草伽藍の発掘と言う物的証拠で証明されている

そして蘇我馬子は、飛鳥の地で法興寺を建立出来る財力を持った大臣
599日本@名無史さん:2006/12/25(月) 01:26:46
蘇我氏と同一なんじゃね?
600日本@名無史さん:2006/12/25(月) 02:17:32
>>599
馬子の娘婿だから蘇我氏の身内ではある
馬子ほどの傑物が娘の刀自古郎女を厩戸王に
嫁がせたのは、厩戸王も傑物だから
そして山背大兄王は馬子の外孫で入鹿の従兄弟
601日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:14:11
捏造いうがそれなら太子信仰が発生した理由はなんだ?
庶民が日本書記読めた言うんか?
602日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:25:52
弥勒信仰だろ
603日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:35:55
弥勒信仰と太子信仰なんて全然種類が違いますが
他の事績はともかく四天王寺建立を初めとして仏教を宣伝したのは
やはり太子自身だったんだよ

それよりも播磨風土記にある聖徳王の記述の検証しろ
604日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:43:55
観音信仰だろ
605日本@名無史さん:2006/12/30(土) 00:49:15
もともと太子信仰があったからこそ日本書紀での厩戸王子の記述が
神格化されたものになったというのが自然の流れだな
実際太子信仰は厩戸王子の死後すぐに発生していると見なされているし
推古記を天武の時代に捏造するにはあまりにも時代が近すぎる気もするし
606日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:36:43
隋書の小徳阿輩臺ってどう考えても聖徳王で聖徳太子のことだよね
アメタリシヒコが用明なら日本書紀に第1回の遣隋使の記述がないのも納得いくし
年代が12年ずれているだけと思えば隋書にはぜんぜん謎がない
607日本@名無史さん:2006/12/30(土) 02:07:33
小徳=聖徳てか
アフォくさ
608日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:40:58
年代が12年ずれているだけと・・・

12年ずらす理由がまったく不明
609日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:02:03
>>561
聖徳太子と橘大郎女の娘「手島女王」が、後の「大俣女王」になって
「押坂彦人大兄皇子」と結婚。その孫は、見事天皇になってるという説も
捨てがたい。まさに聖徳太子の悲願達成w
610日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:10:56
橘大郎女じたいが押坂彦人大兄皇子の孫天皇と同年代と思われ。
611日本@名無史さん:2006/12/30(土) 18:33:52
橘タンには、生き残っててほしい。ダンナが愛人(正妃からみれば)と
死んだのに、恨んで泣き暮らすのではなく、ダンナの想いを後世に伝えるべく
刺繍に励み、天皇家の娘なのに、それを寺に寄贈。一途な純愛に泣ける。
612日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:49:36
>>608
用明天皇の死亡年と
第1回遣隋使が日本を出立したであろう年の干支が一緒だということが大事なんだよ
用明天皇がアメタリシヒコであることは唐書で言及されている事実だからな
613日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:02:06
阿輩鶏彌が「オオキミ」なんだから
阿輩臺は「オオジ」
614日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:36:51
>>612
宋史から推測すると、あの記事は、
用明=アメタリシヒコなのではなく、
聖徳太子=アメタリシヒコだろう。
615日本@名無史さん:2006/12/31(日) 00:05:22
>>614
宗史は日本書紀を元に書かれてるから
616日本@名無史さん:2006/12/31(日) 07:28:08
まずは宋史を嫁。
話はそれからだ。
617日本@名無史さん:2006/12/31(日) 08:29:41
そうしようかなぁ。 まずは古事記嫁。ソレからだ
618日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:47:11
聖徳太子よりも推古天皇のほうが謎の存在だよな
実は押坂彦人大兄皇子の即位を邪魔するために
無理矢理大王位に就いたんだろうけど
息長氏は崇神時代前からの最有力の大王家だもんな
だって海部なんだろ?
619日本@名無史さん:2007/01/02(火) 22:01:07
>>611
橘ってほんとに皇女だったのだろうか?
天皇の孫にもかかわらず、郎女の通り名で呼ばれてるのがまずおかしい。
それから墓も謎。厩戸・間人媛はよいとしても、なぜそこに第3夫人の
膳妃が来る?というおかしな構成だし。皇女なのに、どうしてこうも扱いが悪い?

620日本@名無史さん:2007/01/02(火) 23:04:31
位奈部橘王(韋那部橘王)
古事記みると王女も「郎女」で呼ばれてたようだし。
菟道貝鮹(たぶん早世)王族枠の後釜ではないか。
621日本@名無史さん:2007/01/03(水) 21:15:32
アメタリシホコは筑紫のオホキミの名です。
用明でも聖徳でもありません。
622日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:49:08
おまえらは劇団一人かよ
623日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:52:02
あの例の絵は「後世の人」が
伝えられたイメージを元に書いたわけだから
そりゃ笏は当時なかったとか矛盾はあるわな。
しかし、だからいなかったてのはかなり
強引なこじつけ。
624日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:53:03
もう1万円の人って言っても分からないんじゃないかな・・・・
625日本@名無史さん:2007/01/03(水) 23:56:19
厩戸王はいたのは間違いないだろ。
それなら聖徳太子はいたわけだろ。
626日本@名無史さん:2007/01/04(木) 00:01:33
例の絵に矛盾があることと、聖徳太子がいたかどうかとは関係ないな。
627日本@名無史さん:2007/01/04(木) 00:02:45
どいつもこいつもトークが下手すぎるな。
いくら信用できそうな仮説を並べても、あの話し方のせいでダメダメだ。
ツッコミどころ満載すぎるようにしか思えない。
聖徳太子関連も嘘っぽくしか聞こえなかったしね。
628日本@名無史さん:2007/01/04(木) 00:05:24
あの木簡てのは何だったんだ?
推古朝木簡だったら新聞一面ものだよな...
629日本@名無史さん:2007/01/04(木) 00:12:18
厩戸皇子の美称が聖徳太子だろ。
だったらいたわけじゃねえか!
なに無理矢理いなかったて言い張ろうとしてるやつが
いるんだ?何が目的だ?

従来の定説を変えてやったていう自己満足と自己顕示欲が
見えて不快。
630日本@名無史さん:2007/01/04(木) 00:12:53
聖徳太子の存在にたいする疑念くらいの執着あったら
特亜の捏造史なんか容易にわかりそうなもんだけどなあ。
あれは歴史というより政治だからな
631日本@名無史さん:2007/01/04(木) 01:20:46
何今更いきり立ってるのか…
632日本@名無史さん:2007/01/04(木) 01:54:22
そりゃ皇太子と摂政やって斑鳩寺建てた皇子なんだから
後の世の人からしたら聖徳太子だろうよ
633日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:31:38
何今更いきり立ってるのか…
634日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:31:50
そりゃ皇太子と摂政やって斑鳩寺建てた皇子なんだから
後の世の人からしたら聖徳太子だろうよ
635日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:32:09
この程度のことに何今更いきり立ってるのか…
636日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:32:16
自己顕示欲なんだろな・・視聴者を納得させられない仮説って・・もうアホかと。
637日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:38:17
>>574
正しいと証明される部分が少ないと思われるが
そもそも万世一系で親子間のみに世襲された王権なぞ‥
638日本@名無史さん:2007/01/04(木) 02:49:14
豊耳皇子
639日本@名無史さん:2007/01/04(木) 03:36:19
聖徳太子、厩戸皇子は
太子とはすなわち皇太子である。
皇太子すなわち推古天皇のである。
厩戸皇子は熱心な仏教徒であり、同じく仏教徒である蘇我馬子とともに神道の物部守屋を破った暁に四天王寺を建立している。
法隆寺には伝聖徳太子像がある。
厩戸は百済の高僧から教えを受けている
アメノタリシヒコとは有名な随書を送った人物である
日出…によると当時の大王は男性である。
蘇我馬子は聖徳太子の片腕である。
太子の母は馬子の娘である。
蘇我の館は思った以上に大きい

太子の子孫は馬子の子孫によって滅ぼされる。
馬子の子孫は中臣鎌足、中大兄によって滅ぼされる。
蘇我氏滅亡とともに歴史書も焼かれる。
その歴史書に代わって中臣鎌足の息子藤原不比等が舎人親王と共に作ったのが日本書紀である。

以上の事から言えることは?
640雑魚名無史:2007/01/04(木) 03:41:55
日本史初心者です。
641日本@名無史さん:2007/01/04(木) 05:54:00
時空捜査班をその時代に派遣して調査せよ!!
642日本@名無史さん:2007/01/04(木) 10:01:56
丹波さん…(´・ω・`)
643日本@名無史さん:2007/01/04(木) 11:00:22
>>628
あれはiPod
644日本@名無史さん:2007/01/04(木) 12:07:38
>>639
>アメノタリシヒコとは有名な随書を送った人物である

海部氏だろうが?
645日本@名無史さん:2007/01/04(木) 18:51:28
番組リサーチ担当がよほど糞なんだろうw
646日本@名無史さん:2007/01/04(木) 19:03:00
架空の人物じゃなくて、伝説の人物だね、それで良いよ。
647日本@名無史さん:2007/01/04(木) 20:47:34
一万円札は理屈抜きで やはり聖徳太子がいいと思います。
648日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:17:57
厩戸王の実在は法隆寺若草伽藍が証明してるから
大山電波も厩戸王の存在までは否定出来ない
最初の法隆寺は今の伽藍配置と違って四天王寺様式だった事が
若草伽藍発掘で証明されている
649日本@名無史さん:2007/01/04(木) 21:35:22
>>639
アメノタリシホコは、隋書に登場するが、隋書を送ったことはありえない。
ちなみに、厩戸皇子とは関係ない。
650日本@名無史さん:2007/01/05(金) 00:47:54
かなりの長期間お札の肖像にもなったのにそんな存在があやふやな人物だったのか・・・・
651日本@名無史さん:2007/01/05(金) 01:50:12
でも聖徳太子が、お札のだったころの日本は、確実に景気がよかったw
それが聖徳太子がいなくなったとたんに、バブルが弾けて経済的にも低迷。
戦前の景気まで検証したわけじゃないが、なんとなく聖徳太子が日本経済を守って
いてくれたような気がする。それこそが聖徳太子マジックなのかもな。
652日本@名無史さん:2007/01/05(金) 04:42:14
>>651
そうだね、よき時代の象徴なのかも
653日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:04:29
そもそもあのお札無くなったのは絵そのものもウマヤドじゃなかったから
だけどな
654日本@名無史さん:2007/01/05(金) 08:27:24
厩戸皇子でない証拠はない。
少なくとも今よりはるかに飛鳥時代に近い人たちが
厩戸皇子をあの絵のような感じとイメージしたわけだから
やはりそれが一番近いイメージに違いないだろう。

現代の人間は否定抹殺は簡単にできるだろうが
じゃあもっと視覚的にどんな感じの人だったのか
そんなビジョンは示しようすらできない。
ただ抹殺しておしまい。日本の歴史において長らく人々の信仰や支持を集めた聖徳太子は
現代人によって抹殺されました。
655日本@名無史さん:2007/01/05(金) 09:10:12
系図を見ると、蘇我の血が濃すぎる気がするよ。嘘がありそう。

アメノタリシヒコは厩戸なのかどうか。
物部は完全に滅ぼされたのか。実は推古朝と斑鳩朝と二つの政体が存在
したのではないか?山背大兄王以下、上宮家が蘇我氏に滅亡させられた
のは藤原にとって好都合だった?

秦河勝って何者やねん?

謎が多いねぇ
656日本@名無史さん:2007/01/05(金) 11:13:09
確かに厩戸王には謎が多いけど、斑鳩の地に斑鳩宮と
法隆寺(斑鳩寺)が合った事は考古学的な裏付けがある
そして飛鳥時代に寺を建立するのは、相当の財力が必要だから
厩戸王が有力王族であった事は否定できません

つーか有力王族だったからこそ、伝説が付け易かったとも言えるわな
657日本@名無史さん:2007/01/05(金) 12:17:19
>>656
それは同意するのだが、あまりに蘇我の血が濃いのがなんとなく不自然な感じがしてさ。

用明天皇と穴穂部皇女が両親なのだが、この二人は欽明天皇を父にもつ異母兄弟。
しかも、その異母ってのが姉妹で蘇我稲目の娘という・・・。
ほんでさ、継体天皇ってのはご存知の通り、かなり怪しい感じで即位
してる、とされる。欽明天皇はその子。

アマテラスの系統、豊受の系統で 別の王朝があったのではないか、と思うわけ。
658日本@名無史さん:2007/01/05(金) 12:25:07
>>655
歴史を勉強しろよ。
物部氏は物部守屋の戦死後もずっと力を保持している。
朝廷内での勢力が一時衰退しただけで、物部氏というのは
日本全国に支族があって、強大な軍事力・経済力を保持していた。
この基盤はちょっとやそっとでは崩れない。
それに、朝廷の祭祀の最大の勢力は物部氏だった。
蘇我氏討伐後は、完全にその地位に返り咲いていた。
藤原京までは...
しかし、平城京への遷都を転機に、物部氏は
藤原氏らによって、その地位から外された。
物部氏は藤原京に居残った。
659日本@名無史さん:2007/01/05(金) 12:25:38
ほんで、古代中国を見ると、滅ぼされた王朝の祭祀ってのは勝った王朝
の祭祀の中に取り込まれるわけ。商の末期は滅ぼした王朝の祭祀が多過ぎて
こんがらがって退廃した、ってのは事実らしい。

大嘗祭、という祭祀の形態は物部神道のもの。蘇我が勝って仏教祭祀が入って来る。
で、寺がいっぱい建ったわけだ。
660日本@名無史さん:2007/01/05(金) 12:30:03
>>658
いや、それはいいんだけどさ、厩戸の話だから。
661日本@名無史さん:2007/01/05(金) 14:56:42
日本書紀の編纂者は藤原氏に都合が良いようにというが

実はそれほど藤原氏には都合が良いようにはなっていない。

藤原不比等個人には都合が良いようになっているが...
中臣氏や藤原氏には、さほど有利な記述にはなっていない。
662日本@名無史さん:2007/01/05(金) 18:45:57
そうですね。わりと客観的に書かれているんじゃないかな
663日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:50:46
外戚という観点で見た場合、
蘇我氏の血の濃さは田目皇子の方が上だろう。
厩戸皇子の母は蘇我の血を引くがあくまで大王家出身。
母方の伯叔はみな王族。
田目皇子の母はまさに蘇我氏であり、その兄弟には蘇我馬子がいる。
664日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:54:11
                       -彳   ,ィ / /  | X| / /  |      l
                      | /|,イ |′__|l  /|/ .|X|/   |/||    |
         r‐、,. ─‐-ー- 、     |′ |  / l |! /  ◯ ′  -|‐|フ丁   l|
        厂/        ヽ__.      | ハ   |′         ◯ ||   ,イ!
       / 7  /く/ハ |ハl |-{      _」  `ーi     __'     |イ / |!
     ,イ'   |1/ O   -‐仏ィトイ ー=ニ -‐ァ   ハ   /‐- `)    グ'´  ノ
      |    |l    , O 7 ノ :|    -=彳 l.   ヽ、/ ̄ヽ/    //
      1   |ト、 / ァ  ,イ   |     |ィ |   //〈___/r-‐イ 八_,  しらなかった!
      レ|/,r‐く〈_/-イY|   |   r-‐<厂|ハ /〈   └l |  / r-─´
        /厂\ ∀ \ レ|  ,ハ{ . :/ ┐  ヽ.  V  l_ __ノ レl/、代    : : : : : :
      / ,l___ 匸t匕 ̄ヽ|/ノ .: :/ |   \、   l ̄レフ    \   : : : : : : :
     ./ 厂 └介┘ /}  .: : :/   |     \  l   /     /ヽ    : : : : :
665日本@名無史さん:2007/01/05(金) 23:48:35
鮮我氏に滅ぼされたのは、

トジコのこども→山背
ホキキミのこども→つきしね

をはじめとする上宮一家。基本的に、彼らと一緒に住んでいたトジコと
ホキキミの子供たちですよね?
となると、一番身分の高い正妃タチバナは、別に山背大兄皇子達と一緒に
暮らしていたわけではないのだから、娘のテシマ王女とともに鮮我氏に
滅ぼされることなく生き残ったという可能性はないのではないでしょうか?
666日本@名無史さん:2007/01/06(土) 03:43:36
厩戸は学識も広く、当時の皇族の中では突出した人材だったことは間違いないと思う。
更に蘇我氏の血を色濃く引いていたから、何かと蘇我氏の都合の矢面に立たされて、実際に思うことは実現できないジレンマに悩まされていただろうね。
実質的には政治家としては挫折した人だろうと感じる。

書記の記述が鎌足に冷淡というか客観的なのは、書記の鎌足自体が架空の人物に近いからではないかな。
藤原氏そのものに関して以外に冷静なのは、不比等が後代のことなど念頭に置かないような唯我独尊な人物だったからでは?
もっと現世(当時の)の政治に力点を置いた書物だったと思う。

厩戸に話を戻すと、結局聖徳太子は不比等によって作られた虚像であるというのが本当だろうけど、人物そのものは立派な人だったと感じる。
十七条の憲法の最初の「和」の理念などは、厩戸が辿った血の歴史を思うと、彼が書いたものだと信じたい気持ちになるね。
(もっとも「和」の解釈自体にもいろいろ問題ありますが・・・)
667日本@名無史さん:2007/01/06(土) 12:04:54
668日本@名無史さん:2007/01/06(土) 12:07:29
話の種提供
1981から1983の間にK谷市H陽中にてY十郎23X-1Xの
7某国井家系大作の子学とその仲間たちは
5あらゆる身障者と差別されやすい容姿や身体的特徴
5のある人を化け物呼ばわりし、
7第三者の視線が外れると裏顔をあらわし
0弱者に対しては豹変しキチガイやくそたれなどの人に向けてはいけない
0言葉を交えた恫喝、罵倒を行う
社会的弱者や負組が特に嫌いで死ねばいいと度々発言している
こういう類は親族ともども不幸とは無縁の
社会的信用を得たお金持ちの生活をしている
669日本@名無史さん:2007/01/06(土) 12:48:09
聖徳太子=厩戸皇子は存在したのに
なぜ今抹殺しようとしているのか?
他にも抹殺されようとしている
歴史上の人物はいますか?
670日本@名無史さん:2007/01/06(土) 12:52:10
>>669
厩戸皇子の実在は証明されているから消しようが無い。
聖徳太子というのは、後に付けられた尊称にすぎない、と
いうことになりつつあるって事だね。
671日本@名無史さん:2007/01/06(土) 15:07:43
>>670 
なら聖徳太子でいいじゃないか 
厩戸皇子=聖徳太子は一般常識なのに 
なんで長年親しまれてきた尊称を変えなければいけないのか 
その理由を聞きたい
672日本@名無史さん:2007/01/06(土) 15:42:07
存在は証明済みだが、やった事に関してどうなの?って感じに
なってるんだろ。十七条憲法や官位十二階、隋の煬帝への書簡などなど。
こんな事を行ったスーパー摂政としての聖徳はいなかったって事だ。
673日本@名無史さん:2007/01/06(土) 15:49:33
>>672
そういうことだね。
674日本@名無史さん:2007/01/06(土) 15:51:52
 ついにフリーメーソンが金正日に朝鮮戦争の指令を出した。Xデーは200
8年4月8日。去年は洪水などの災害で食糧危機になっており、原油高騰で戦
時の燃料確保が難しくなっている。Xデーまでは中国などが支援を続けていく
ことになる。日本は憲法が改正され、同盟国の韓国が侵略されたら集団的自衛
権の行使の名目で自衛軍を海外派兵せざるを得ない。北朝鮮の後ろには中国、
ロシアがいて、日本は格好のカモになって攻撃を受ける。最後の頼みのアメリ
カは最後に日本を裏切って日本を攻撃する。その時になって朝鮮戦争の黒幕が
アメリカだと気付いても後の祭りである。
675日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:09:16
日本書紀に出てくる聖徳太子と神功皇后は、シナの歴史書に出てくる阿毎
多利思北孤と卑彌呼のことかな、と読者に思わせることで、昔のことは
不明瞭なところはあるけど、なんとなくシナの歴史書と畿内天皇家の歴史
に矛盾がないような印象を与えるための創作だよね。

読めばだいたい誰でもすぐ分かる簡単なことだよね。
それがどうして議論になっているのかが不思議だよ。
議論をすることで、簡単に見えても実は奥深いという
ような印象を一般の人達に与えるという不思議な目的
を持つ人達がいるように感じるね。

阿毎多利思北孤と卑彌呼は、九州王朝の王だね。
676日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:10:07
>>672 
しかしだよ、厩戸皇子の生存中に行われた 
十七条憲法や官位十二階、隋の煬帝への書簡・遣隋使等等の事柄は 
その時代の摂政である皇子が多かれ少なかれ関わっているのだからして 
皇子単独で行ったのが法隆寺の前身の寺を作っただけだとしても 
そんな日本が大きく前進した時代に摂政だった厩戸皇子は評価されてしかるべきであるし 
聖徳太子くらいの尊称はつけてあげてもいいと思うのであるが・・・・・・
677675:2007/01/06(土) 18:46:57
聖徳太子と神功皇后は、太子と皇后ということで、
天皇や大王ではないとしたところが奥ゆかしいね。
678日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:49:04
>>676
厩戸は摂政だったのかな?
679日本@名無史さん:2007/01/06(土) 18:52:52
>>678
違うの?!
680日本@名無史さん:2007/01/07(日) 00:54:30
そりゃここの人は記紀をハナから信じてないんだから
摂政なんざしてないと思うだろうさね

そして代わりの説は空想のみ、と
681日本@名無史さん:2007/01/07(日) 03:10:43
そりゃそうだ。ハナから信じるなんてどうかしてるよ。
神話は神話です。
682日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:42:51
ここは自分の空論を押し付け合うインターネットですから
683日本@名無史さん:2007/01/07(日) 10:58:37
>>672
聖徳太子が行ったことではないという証明がほぼ不可能なんだから
妄想でしかない罠
684日本@名無史さん:2007/01/07(日) 12:05:43
何の事績も記してない古事記が「命」扱いしてるのだから、
単なる皇子でなかったことは推測できる。
685日本@名無史さん:2007/01/07(日) 16:50:31
>>683
悪魔の証明乙
686日本@名無史さん:2007/01/07(日) 22:01:53
>>684
そんな感じだよね。
687日本@名無史さん:2007/01/08(月) 11:17:49
>>684
古事記にも上宮の名前があるのも大きいよな
688日本@名無史さん:2007/01/09(火) 18:54:22
>>678
厩戸王子摂政でも皇太子でもないけど、用明大王と間人大后の
長子として用明王統の代表者であり、王族内での発言は大きかったと
推定出来る
また対隋外交は厩戸王子が中心となって行われていたと通説も
間違いではあるまい

それと大山誠一は余りにも電波だから、もう大山をまともに相手する
古代史学者は居ない
(あれだけ電波を飛ばせば、まあ当然だわな。自業自得さw)
689日本@名無史さん:2007/01/10(水) 02:33:23
いないと言われようが、やっぱり好きだな。聖徳太子…w
逆に、聖徳太子実在論の学者っていないのかな?
690日本@名無史さん:2007/01/10(水) 10:58:45
>>689
厩戸王子が後世聖徳太子と呼ばれただから
通説は聖徳太子(厩戸王子)実在説
厩戸王子架空論は、電波古代史学者の大山誠一だけ
考古学的裏付けのある、斑鳩宮と斑鳩寺が、厩戸王子
実在説の証拠さ

大山がいくら電波を飛ばしても、斑鳩寺若草伽藍発掘と
斑鳩宮発掘と言う、考古資料を覆す事は不可能です
691日本@名無史さん:2007/01/10(水) 13:19:28
要するに厩戸さんは影が薄かったから聖徳太子にでっちあげるのに都合よかったってことだろ。
ちなみに厩戸さん自体は憲法十七だのなんだのたいしたことはあまりやってない。
っていうか憲法十七条なんてものも実在しなかった。
692日本@名無史さん:2007/01/10(水) 13:24:39
http://001.gamushara.net/bbs/mongoose/html/tousenbo.html

aYforv4JWI P
wWDz72NIFM P

暇な人は、悪キン要請の管理人にメールしてちょんまげ
693日本@名無史さん:2007/01/10(水) 14:20:44
>>691
飛鳥時代に斑鳩寺を建立して斑鳩宮を造営した
厩戸王子がマイナーな王族の訳が無いだろう
推古大王の治世で、最も有力な王族が厩戸王子なんだよ
もう少し飛鳥時代の寺院建立について勉強しろ
どれだけの金と労働力が寺院建立の為に掛かると
思ってるんだよw

厩戸王子がお前の言う影の薄い王族だったら
斑鳩寺の建立も斑鳩宮の造営も絶対に無理
ましてや推古大王の娘や孫娘、馬子の娘を
自分の妃や夫人に迎えられる訳ないだろうww
694日本@名無史さん:2007/01/10(水) 14:31:24
大山電波は、法隆寺若草伽藍の発掘で完全に破綻してます
マイナー王族は建立出来るレベルの寺院じゃねーよ

しかもニ寺並立説が正しければ、厩戸王子から山背大兄王に
掛けて、上宮王家は、若草伽藍と現存する法隆寺の両方を
建立した事になるから、その財力と勢力は、他の王族を超えた
存在だぜ
695日本@名無史さん:2007/01/12(金) 16:21:00
 聖徳太子の様な聖者が仏教を勧めるのだからと言って仏教が普及した
 それなのに聖徳太子が架空では誰も信じない。冗談は顔だけにしてくれ
 日本は悪魔の支配下
 日朝共同声明は小泉総理と金正日が協議して出したものだが、一日でお互い
の利害を調整出来る訳がない。事前に外務官が条件を提示し合って合意にこぎ
つけたのである(本当はメーソンの指示)。だから、外務省は拉致被害者の生
死一覧表を事前に把握していた筈で、小泉が訪朝時に初めて見たと言うのは嘘
であり、偽りの一覧表だと判断すれば書類を叩きつけて帰ってくれば良かった
のである。金正日は拉致問題に終止符をうって、日本の経済支援を獲得しよう
としたのである。金正日はしたたか者で日本の総理など相手にしないのである。
 日朝共同声明は拉致被害者の帰還によって小泉総理の人気を高め、メーソン
の傀儡政権である小泉内閣を継続させて、日本の国益を吐き出させる為の策略
である。それが証拠に参議院選挙の前日に、曽我ひとみの娘とジェイキンスが
帰ってこれたのだ。郵政民営化はアメリカの年次要望書にうたってあり、郵貯
と簡易保険を外資が獲得する為の措置である。北朝鮮の核開発は、日本に危機
感をあおって憲法を改正させて集団的自衛権を行使させて、日本を戦争に巻き
込む為の陰謀である。
 太平洋戦争はアメリカが仕組んだ陰謀で、日本が国力が10倍もあるアメリカ
に戦争(負けると判っている戦争)を仕掛ける筈がない。日本は支那事変には
められ、蒋介石支援ルート(米英)によって本当の敵が米英だと知らされ、経
済封鎖、石油禁輸によって国家存亡の危機に追い込まれたから、やむなく、米
英に宣戦布告したのである。アメリカは国際法を踏みにじった、非戦闘員の大
虐殺(大空襲、原爆投下)を行ったのである。そんな国が日本の危機を救って
くれると思っている者はおめでたいと言わざるを得ない。
696日本@名無史さん:2007/01/12(金) 18:06:13
聖徳太子マンセーしてる人たちはヤオイ女だろ
697日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:17:59
仏教を軽く見る風潮が拡がってる
698日本@名無史さん:2007/01/12(金) 20:49:35
>>696
仏法に携わるモノは聖徳太子を尊敬してますよ
「世間虚仮!唯仏是真!」
699日本@名無史さん:2007/01/12(金) 22:05:52
聖徳太子って童貞ってイメージがある
700日本@名無史さん:2007/01/13(土) 11:10:35
>>691
官位12階はガチだけどな
12→13→24て増えていく
701日本@名無史さん:2007/01/14(日) 00:49:45
聖徳太子がいなかったってほんとなんですか?
702日本@名無史さん:2007/01/14(日) 01:30:12
聖徳太子の虚飾部分を否定して居なかったとか言うのは、日本各地の弘法大師伝説を否定して弘法大師は居なかったとか言うのと変わらん気がするね。

厩戸王と空海じゃ残ってる史料の質と量が違うから、空海の存在を全否定する馬鹿は居ないけど、書紀編纂以前の人物に対する扱いが杜撰だよね。

学界の方でも、歴史上の人物で架空か実在か、同一人物か否かを判断するガイドラインみたいな物を創らないと奇説・珍説・トンデモ本が氾濫していくんじゃないの。
703hikytg/:2007/01/14(日) 19:29:26
聖徳太子はいない。というのは合っていると思います。
704日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:46:55
いるけどな。
705日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:48:07
>>703
どうゆう理由でどうゆう意味の「聖徳太子」が「いなかった」のか詳しく説明してみて。

大山の本を金出してまで買う気は無いし、近所の市立図書館にも無かったんで読んでないんよ。

まぁ、理屈はだいたい想像つくんだけどね。
706日本@名無史さん:2007/01/14(日) 19:49:35
後世の創作だからでは?
707日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:39:11
隋書倭国伝で、12の等級に分けているという記述があるのだが?
708日本@名無史さん:2007/01/14(日) 21:51:23
具体的に「聖徳太子」のどの部分が後世の創作なのか。

超人的・聖者的な部分が創作だとしても、それだけで存在自体を否定できませんね。
空海や安倍晴明の存在を否定する人はいませんからね。

「聖徳太子」という贈り名には様々な虚飾が加わっていて、先入観から実像が見えにくいので「厩戸皇子」と呼ぶべきだと言うのなら話しは分かるが、殊更に「聖徳太子はいなかった」と言う理由が分からない。

「弘法大師」という贈り名にも信仰をベースとした虚飾や高野聖等の宣伝が多分に含まれているし、「聖徳太子」同様に死後に贈られた名前であることも同じだが、「弘法大師=空海」だし「お大師さま」の部分だけ切り離して否定したところで、空海の存在否定にはならない。

「聖徳太子」が厩戸皇子に贈られた名前である以上、「聖徳太子はいなかった」=「厩戸皇子はいなかった」という認識になるが、これが本来の主張なのか?それとも、「聖徳太子≠厩戸皇子」で厩戸皇子はいたが「聖徳太子」は厩戸皇子に贈られた名前では無いと主張したいのか?
まず、その辺りをハッキリして欲しいね。
709日本@名無史さん:2007/01/14(日) 22:06:28
岡崎財閥    →神戸銀行+同和火災
阪神特殊製鋼 →山陽特殊製鋼 …粉飾決算で倒産 →1974年には会社更生に成功し、1985年には東証1部に再上場
帝国製鐵    →八幡製鐵→新日鉄

だ。華麗な一族だが実在もモデルをもっている。

大川は河野一郎
永田は福田総理
710日本@名無史さん:2007/01/14(日) 22:26:21
ネタバレすると鉄平は大介の子。鉄平が自殺した時に
血液型で判ると言うベタな設定。

前にドラマ化したときは原作とエンディングを変えちゃったので
山崎の逆鱗に触れた
711日本@名無史さん:2007/01/15(月) 01:24:51
>>699って月刊少年ジャンプ愛読者ってイメージがある
712日本@名無史さん:2007/01/15(月) 03:01:09
>>708
>「聖徳太子」という贈り名には様々な虚飾が加わっていて、先入観から実像が見えにくいので「厩戸皇子」と呼ぶべきだと言うのなら話しは分かるが

いや、わからんでしょ。
そんなこと言い出した日には、
歴代天皇なんか一部の例外を除いてみんな「いなかった」ことになる。
歴史上の人物の大半にしても、実際にある活躍をしていた頃の名前と
現在一般に定着している名前とでは違っているケースは多いが、
「聖徳太子はいなかった」って言ってる連中にしてから
いちいちその頃の正確な名前を呼ぶわけではない。
だから「聖徳太子はいなかった」
は要するに
「厩戸皇子も実在しなかった」って言ってるわけよ。
713日本@名無史さん:2007/01/15(月) 04:45:07
>>712
>いや、わからんでしょ。
>そんなこと言い出した日には、
歴代天皇なんか一部の例外を除いてみんな「いなかった」ことになる。


これって、どうゆう意味?
近代以前は偉人に対して諡号や追号なんかがある場合は諱(本名)ではなく諡号や追号で呼ぶのが一般的ですよね。

たとえば、徳川家康なら「東照大権現」、徳川光國なら「水戸義公」とか。
あと天皇以外の皇族なら早良親王の「崇道天皇」などもありますが、これらの人達は教科書や概説書では諱で表記されるのが現在では一般的です。

「聖徳太子」もこれらの人達との整合性から諱の「厩戸皇子」と表記したところで存在の否定に直結しないと思いますが?

歴代天皇に関しては諡号や追号で呼ぶのは現在も一般的ですし、歴代の中華皇帝や周辺諸国の諸王もそうのですね。

オイラとしては、諡号や追号には後世の価値判断などが入り易い余地があり、それに付随して脚色された創作があるかもしれないが、だからと言って存在そのものを疑う根拠にはなりえないということです。

また、諡号や追号には贈る者の様々な思いが込められていますから、決してこれを軽視するつもりは無く、御霊信仰や偉人の神格化などを考えるとき、「崇道天皇」や「東照大権現」という名前は大変重要な意味を持ってきます。
ですから、「聖徳太子」という名前にしても太子信仰の見地からも当然重要ですし、あれだけ民衆に根強く信仰が維持・発展して来た以上、藤原氏など権力者の都合だけで根が付くものでも無いと考えています。
714日本@名無史さん:2007/01/16(火) 04:23:29
聖徳太子は、赤西くんと同じ、カトゥーン(架空)のメンバーだったの。
715日本@名無史さん:2007/01/16(火) 05:38:23
太子って妹子みたいなもんか
716日本@名無史さん:2007/01/16(火) 09:34:25
てか、聖徳太子=蘇我いるかという説はないの?
717日本@名無史さん:2007/01/16(火) 13:33:51
>>716
関裕二(笑)の著書にはそういうのがある
718日本@名無史さん:2007/01/17(水) 07:37:22
>>716
厩戸王子は完全に蘇我系王族ですよ
父の用明大王は蘇我稲目の孫
母の間人大后も蘇我稲目の孫
自分の妻の一人は蘇我刀自古(馬子の娘)
厩戸王子の後継者は刀自古の息子である
山背大兄王
しかし蘇我系王族でありながら、斑鳩の地を
自分の本拠地とし、斑鳩宮を造営
斑鳩寺(法隆寺)を建立したところが、単なる
蘇我氏のロボットではなかった、厩戸王子の
面目躍如たるところ
719日本@名無史さん:2007/01/17(水) 16:52:03
 科学は詭弁学である(メーソンによる)
 光の速度で飛ぶ事が出来るUFOで速度の加算法則を思考実験してみる。U
FOAとUFOBが光速度Cで並行して飛行している。UFOBから見たUF
OAの速度はC−Cで0となる。今度はお互いに逆行してすれ違った場合、U
FOBから見たUFOAの速度はC+Cで2Cとなる。UFOAを光と見立て
ても同じ事が言える筈だが、光の場合は両方ともCとなるそうである。なぜ、
物体で成り立つ法則が光では通用しないのか。測定機器で測るとCとなるよう
である。昔から光は瞬時に伝わると考えられて来た。オリオン座のリゲルは7
00光年(光速度は30万q毎秒)の距離にあり、今輝いている光が700年
前の光だと到底思えない。光は波でなく光子であり、その集合体が波の様に見
えるのである。だから、マイケルソン・モーレイの実験でエーテル(光の媒体)
の存在が否定されても構わない。相対性理論は真っ赤な嘘である。
 がんは発がん性物質によって遺伝子が傷つけられて発生すると言われている
が、発生したがん細胞は生まれたての様に若く盛んに細胞分裂を繰り返す。な
ぜ、細胞分裂で出来た細胞が急に若返ってがん細胞になるのか。新たに発生し
た細胞と考えざるを得ない。すると、細胞分裂以外の方法で発生した事になる。
このことを科学で説明する事は出来ない。女性の卵子細胞も同じ事が言える。
ボウフラはたまり水からわく。この不思議な現象を神道では邪気によって生物
が生まれると解明している。
720日本@名無史さん:2007/01/17(水) 19:20:57
それはまちがいです
721日本@名無史さん:2007/01/18(木) 03:24:07
そりゃそうだ聖徳太子も不比等も中国人だし(ウソ)
722日本@名無史さん:2007/01/18(木) 10:11:42
厩戸王子は実在
聖徳太子は太子信仰の産物
723日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:04:23
蘇我蝦夷とウホッ!だった説をずいぶん信じてましたよ。
724日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:33:09
>>718
ただの蘇我氏の勢力拡大っていう見方は無しなの?何で?

信仰と結び付いた人物だからどうしても妙なバイアスが掛かるな。
役小角とどこが違うんだよ。
725日本@名無史さん:2007/01/19(金) 17:12:25
>>724
厩戸王子は基本的に蘇我系王族だから、その意味では蘇我氏の
勢力が拡大した事になるけど、厩戸王子が馬子のロボットだったとは
思えませんね

単なるロボットなら斑鳩寺(法隆寺)を建立出来る訳がない
同じ蘇我系王族である、崇峻大王でさえ出来なかった
寺院建立を行った厩戸王子は、蘇我系王族内でも別格の存在です
726日本@名無史さん:2007/01/19(金) 17:19:01
電波大山や他の電波がどう騒ごうが、斑鳩寺は厩戸王子が
建立した寺院で確定

したがって、斑鳩寺(法隆寺)若草伽藍が、厩戸王子の実在と
その実力ぶりを証明してくれている

当時、寺院を建立するのに、どれだけの財力と労働力を必要と
するか理解していれば、厩戸王子が実力を持った王族だと言う事を
自ずから理解出来るはず
727日本@名無史さん:2007/01/20(土) 20:51:45
こうやって我々はつぎつぎと自分たち自身を壊していくんだな。。。
728所得隠し:2007/01/21(日) 09:56:14
聖徳太子が実は仏教には気をつけるようにと小野妹子等に
教えていたというのを読みました。本当は神道系なんです
か?確かに仏教系の装束のイメージがないのですが・・・。
ちなみに井沢元彦さんの対談の中で目に留まったんですが
729日本@名無史さん:2007/01/21(日) 13:40:30
厩戸皇子の諡号が聖徳太子なんだと思っていたが。。。

この議論は厩戸皇子の存在を否定しているってことなのか?
730日本@名無史さん:2007/01/21(日) 20:06:36
>>728
「世間虚仮 唯仏是真」という仏教理念を、太子が大切にしていたのは間違いない
と思いますよ。橘大郎女が残した「天寿国繍帳」に、太子の宗教観が出ていると。
むしろ「蘇我家に気をつけろ」という意味かもしれないですよね?
太子は物部氏は倒しましたが、神道までは滅ぼしていないし、
蘇我一族(仏教派)をたてつつ、神道をつぶさないように心を砕いた
バランスとるのが上手い人っていう印象があります。
731日本@名無史さん:2007/01/22(月) 05:00:48
>>730
物部氏は滅んでいないよ。
朝廷での勢力が衰退しただけで
相変わらず全国に領国を多く持っていた。
732日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:51:59
>>728
あり得ない話しですね
王族で一番最初に自らの寺(法隆寺)を
建立したのは厩戸王子ですから
733日本@名無史さん:2007/01/22(月) 17:20:30
長宗我部は潰されたが
普通に物部系が戦国まで残ってるのもすごいと思う。
734日本@名無史さん:2007/01/22(月) 21:41:04
いまいち論点が分からない。
735日本@名無史さん:2007/01/28(日) 10:27:32
最近の聖徳太子否定論の台頭は、単に歴史学者達の
「派閥闘争」に過ぎないのでは?もともと多少の誇張があるにせよ、
厩戸皇子=聖徳太子だったのだから、今さら目くじら立てて否定することの
方がおかしい。それを言うなら、忍者の忍法とかアベノセイメイとか、
あやしい伝説なんて、エピソードの数だけあるわけだし。それじゃ誇張された
歴史上の人物はみな存在しなかったのか?ってことになるわけじゃん?
736日本@名無史さん:2007/01/28(日) 11:39:36
最近の聖徳太子否定論は別に厩戸王子の存在を
否定しているわけじゃないでしょ。
聖徳太子の事跡を否定しているだけでしょ。
三経義疏や17条憲法等。
737日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:08:01
>三経義疏や17条憲法等。
それって最近か?ずーっと前からじゃないの?
それがなぜ最近になって「いなかった」という話になったのか
738日本@名無史さん:2007/01/29(月) 13:50:14
王族で最初に自分の寺(斑鳩寺=法隆寺)を建立した
厩戸王子が、仏教の庇護者であった事は史実でしょう
もちろん法隆寺の僧侶が聖徳太子信仰を形成し流布して
いった事は否定はしませんが、斑鳩寺=法隆寺を
厩戸王子以外の人物が建立したと言う史料はありません
法隆寺若草伽藍の建立は厩戸王子で間違い無し
ニ寺並立説を取る私としては、現法隆寺の建立したのは
山背大兄王で、日本書紀の記述で焼失した寺が
若草伽藍の方だと認識しています
天智朝に焼失した後に再建されたモノなら白鳳様式となる
はずですが、現法隆寺は伽藍配置、仏像や仏画とも飛鳥様式
なのです
739日本@名無史さん:2007/01/31(水) 04:02:26
家系図みると腹違いの兄妹が親で近親婚なんだな。
740日本@名無史さん:2007/01/31(水) 18:55:23
聖徳太子→福沢諭吉
は架空説が影響してたんですかねー??
741日本七子:2007/01/31(水) 19:38:37
嫁も近親者だらけ。4人中3人は従妹とか、従妹の子供とか、親の従妹とか。
742日本@名無史さん:2007/01/31(水) 23:39:42
>>736
ウィキペディアを見た限り厩戸皇子の実在を否定してないみたいだけど、谷沢永一の『聖徳太子はいなかった』っていうタイトルは不適切だと思う。
聖徳太子は厩戸皇子の諡号なんだから、厩戸皇子自身を指し示す名前として定着してる以上、「聖徳太子はいなかった」と表現すれば厩戸皇子が実在しなかったと思うのが当然。

『聖徳太子の虚像と実像』とか、もっと適切なタイトルを付けることが可能なはずなのに、注目されたいが為、故意にセンセーショナルで、誤解されるのが百も承知なタイトルにしたとしか思えない。

正直、知的誠実さが感じられませんね。
743日本@名無史さん:2007/02/02(金) 03:20:03
大山誠一とか武光誠って
どうして東大で博士号を取れたんだろうか?
武光は1970年代には珍しい課程博士らしいが、
大山が電波化してから論文博士をもらえたのは何故?
744日本@名無史さん:2007/02/02(金) 14:20:02
そりゃ支持した人がいたからだろう。
講談社の「日本の歴史」にも紹介されてるし。
学会で認められた定説だって怪しい部分はいっぱいある。
だからといって学会を批判するトンデモを信じるのはもっとやばいけど。
745日本@名無史さん:2007/02/03(土) 22:30:33
武光の博士論文は
『日本古代国家と律令制』吉川弘文館・1984
だからな。真面目な律令国家成立論であり、細かい論証を批判できても
全体の論旨は批判のしようがない。

あと大山が博士論文の審査に指定した論文が聖徳太子否定論じゃないから。
審査の対象外の論文がいくら電波でも、博士論文自体がまともなら
通さざるをえない。
(それでも相当、審査自体を受け入れるべきか、灯台の教授会ではもめたらしい。
 博士号の授与式には審査の教官全員が並ぶのが当然だが、他の時代の先生がボイコットして
 佐藤信さんと助手しかその場にいなかったとか)
746日本@名無史さん:2007/02/13(火) 19:55:54
2年前のレスに反応してしまう漏れがいる。

なんだか十七条憲法が論語のパクリだなんて言ってるやつ。
どう考えても「和」の使用法が違うだろ。よく読んでみれ。

論語は「礼の用は和を貴しと為す」
そもそも「和」は楽器のハーモニーを指す漢字。
よって「礼楽にとってハーモニーが一番大事」が訳。

憲法は「和を以って貴しと為す」の後「人皆党有り・・・」と続く。
よってこの「和」は人の和を指している。
747日本@名無史さん:2007/02/18(日) 06:51:35
聖徳太子って名前がいけないよな。
皇子とかそんな感じで
748日本@名無史さん:2007/02/18(日) 07:02:20
↑聖ちゃん または 厩ちゃん
749日本@名無史さん:2007/02/18(日) 15:31:16
聖の皇子ってなんかライトノベルみたいだ
750日本@名無史さん:2007/02/18(日) 16:58:00
ありそうだ
超絶美形の影ある能力者
死んだら怨霊とか
751日本@名無史さん:2007/02/18(日) 17:59:12
宇宙の皇子
752日本史@名無しさん:2007/02/18(日) 22:57:55
伝説化が早すぎるので、政治的意図があったのは確実。

実物の方がそんな仏教興隆の立て役者かどうかは何とも・・・。

ウマヤドをヨイショすることで得した勢力を探せばいいと思うよ。
753日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:27:54
>>752
確実と言うからにはきちんと立証してみ。
何も言えない奴に限って言葉遣いが軽卒かつ軽薄。
754日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:38:38
まぁ本当の立役者は蘇我馬子だな。
当時飛鳥寺が仏教のセンターの役割を示したことでも明らか。
755日本@名無史さん:2007/02/21(水) 12:04:34
>>752
法隆寺(斑鳩寺)を斑鳩の地で建立した事から言っても
厩戸王子が王族の中で最も仏教興隆に意欲を持ち
そして現実化するだけの実力を持っていた事は事実です

法隆寺若草伽藍跡と言う考古資料が文献史料の
正しさを証明してますからね
756日本@名無史さん:2007/02/21(水) 12:08:22
それと聖徳太子としての伝説化が早かったのは
それだけ法隆寺の僧侶達の厩戸王子に対する
顕彰活動が活発だったと言う証しでしょう
だからこそ、法隆寺を中心として聖徳太子信仰が
誕生して、それが日本書紀の記述にも影響を
多大に与えたと思われます
757日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:43:00
法華経信仰・太子信仰を積極的に広めた一人に光明皇太后がいる。
758日本@名無史さん:2007/02/22(木) 03:48:14
>>757
母親の縣犬養(橘)三千代が自分の念持仏を
法隆寺に寄贈したからな

藤原氏の氏寺である興福寺ではなく法隆寺に寄贈って
ところが梅原猛の聖徳太子怨霊鎮魂説に繋がっていく

梅原説の肝は、上宮王家を絶滅に追い込んだ真犯人は
蘇我入鹿ではなく、中臣(藤原)鎌足と言う所だからな

梅原説も電波が強いけど、大山説よりは受け入れられる自分が居る
759日本@名無史さん:2007/03/01(木) 12:24:50
やはり聖徳太子は実在したと発覚したら聖徳太子は架空の人物といった人たちは
どうするんだろう?
760日本@名無史さん:2007/03/01(木) 23:39:50
いや「聖徳太子」はいないだろ。
761日本@名無史さん:2007/03/02(金) 06:05:55
うん

762日本@名無史さん:2007/03/02(金) 07:55:57
飛鳥時代に聖徳太子は居なかった
しかし聖徳太子呼ばれるようになった
斑鳩寺(法隆寺)を建立し斑鳩宮を
造営した厩戸王子は実在の人物
大山がいくら電波を発信し続けても
斑鳩寺と斑鳩宮が厩戸王子実在を
証明している
763日本@名無史さん:2007/03/03(土) 22:11:09
厩戸王子と聖徳太子は別の人物
764日本@名無史さん:2007/03/04(日) 08:03:39
>>760
もし本当に聖徳太子はいたと発覚したらどう思いますか?
765日本@名無史さん:2007/03/04(日) 08:16:10
>>760
大山誠一信者?
766日本@名無史さん:2007/03/04(日) 09:51:02
まだ、出雲で荒神谷遺跡が発見される前に梅原猛は『神々の流竄』で「古代遺跡の少ない出雲に分不相応なくらい神話が豊富なのは、藤原不比等が記紀で捏造したからだ」と主張してた。

後に数々の出土品が発見されるに及んで、「当時は藤原不比等を過大評価していた」と反省してました。

大山誠一も藤原不比等を過大評価してる感じがするね。
結構、反体制や反権力な思考の人ほど権力者を過大評価したがる傾向があるよね。
767日本@名無史さん:2007/03/04(日) 10:29:18
大山説は電波だから話しにならん

王族で最初に自身の寺院(斑鳩寺=法隆寺)を建立した厩戸王子は
藤原不比等が日本書紀でっち上げる必要が無い位の有力王族だよ

そして厩戸が宮と寺を築いた斑鳩の地は大和と河内(大阪湾)を
繋ぐ龍田街道を押さえられる要衝の地
つまり当時の王族の中で厩戸王子は、推古大王に次ぐ実力を
持った王族だと言える

それと法隆寺の僧侶を中心として広まったと考えられる
厩戸信仰によって、書紀には超人的な人物として記述される事に
なったと思われる
768日本@名無史さん:2007/03/04(日) 18:47:56
>>764
あまりにもゆとりすぎる質問で返答に困るぞw

聖徳太子が存在するってことは数々の伝説を成し遂げた人物が存在したってことだ。
100%実在しない。といいきってもいい。
人間の限界を超えているからな。
769日本@名無史さん:2007/03/04(日) 19:09:04
聖徳太子は捏造だよ

スーパーマンとおなじ
770日本@名無史さん:2007/03/04(日) 19:12:09
クラークケントと言う人物が実在したとしてもそれはスーパーマンではない

厩戸王子が人物が実在したとしてもそれは聖徳太子ではない
771日本@名無史さん:2007/03/04(日) 19:12:11
>>768
墨俣の一夜城伝説は捏造
故に太閤秀吉は存在しない
772日本@名無史さん:2007/03/04(日) 19:36:09
聖徳太子は蘇我善徳
773日本@名無史さん:2007/03/04(日) 22:56:44
聖徳太子は架空人物だったら今までの歴史人物達もみんな架空人物か?
774日本@名無史さん:2007/03/04(日) 23:33:34
>>771
こういう屁理屈言うやつっているよなぁw
勝ったつもりなのかねぇ?w

墨俣は「物語」であって秀吉の実在は他の史料等で確認できるだろ?

って言ってあげたほうがいいよね厨房DQN君?
775日本@名無史さん:2007/03/05(月) 09:29:15
>>774
自分のレスをよく見直せば?
776日本@名無史さん:2007/03/05(月) 16:38:12
>774
豊臣秀吉が存在するってことは数々の伝説を成し遂げた人物が存在したってことだ。
100%実在しない。といいきってもいい。
人間の限界を超えているからな。
手紙も文書も、全て後世の捏造だ。
だいたい氏素性もはっきりしない人間が天下をとって、
あまつさえ関白になんかなれるはずがない。

あ、但し木下藤吉郎と羽柴秀吉ならいたよ。
777日本@名無史さん:2007/03/05(月) 18:22:12
聖徳太子の次は豊臣秀吉か。
これからもどんどん日本の歴史人物たちはいなかったといわれるのか。
778日本@名無史さん:2007/03/06(火) 06:31:38
>>775-776
絵本太閤記と日本書紀の区別すらつかないDQN・・・。

失笑してしまったw
779日本@名無史さん:2007/03/06(火) 08:20:29
>778
昨日からず〜っと流れを読めていないおまえさんが
一番バカっぽいよ
780日本@名無史さん:2007/03/08(木) 13:21:44
厩戸皇子が架空の人物なら、蘇我入鹿が滅ぼした
山背大兄皇子は 誰の息子なんだろうか?
781日本@名無史さん:2007/03/08(木) 18:23:21
ま、確実に言えることは
あのお札の中の聖徳太子の肖像画は
聖徳太子本人では、決して無いこと。
782日本@名無史さん:2007/03/09(金) 17:13:54
その証拠は?
783日本@名無史さん:2007/03/09(金) 19:28:58
冠とか手に持っているやつ等の
装飾品が6世紀の日本にはまだなかった からでしゅ。
784日本@名無史さん:2007/03/09(金) 19:35:15
バーカ。少なくとも
現代人よりはるかに聖徳太子に近い時代の人が
聖徳太子はこんなのだったという当時の情報から
イメージして書いて長らく支持されてきたんだから
あの肖像画は聖徳太子と言える。

変なケチつけるな!
785日本@名無史さん:2007/03/09(金) 19:37:35
>>774
第三者から見てもおまえの負けだ
786日本@名無史さん:2007/03/09(金) 19:41:59
蘇我の住居跡て日本書紀の記述どおり甘ガスの丘に見つかったよな。
787日本@名無史さん:2007/03/09(金) 19:43:56
>>778
第三者から見ても
おまえのほうに失笑してしまうよ
788日本@名無史さん:2007/03/09(金) 20:35:59
789日本@名無史さん:2007/03/10(土) 01:16:46
自演乙
790日本@名無史さん:2007/03/11(日) 16:15:34
よくテレビとかで、「美空ひばり伝説」とか「石原裕次郎の武勇伝」みたいなの
やってるじゃん?たぶんかなり大げさな…w歴史上の人物となれば、そりゃあ
芸能人とは数段スケールアップして伝説にもなるだろう?
不思議なのは、大げさな伝承なんか他にもたくさんあるだろうに、なぜ聖徳太子
だけが存在しなかったと言われてるんだろう?
791日本@名無史さん:2007/03/11(日) 18:58:57
怪しむ理由が他より沢山あるからだろう
792日本@名無史さん:2007/03/11(日) 22:28:16
正史で褒めちぎられてるから胡散臭い、と思う人が居るってことじゃないの。
793日本@名無史さん:2007/03/11(日) 23:28:01
>>792
結局、その程度の理由なのかな?だったら「いた」ってことにして
もう一回、お札の肖像画に戻して欲しいんだけどな。なんとなく
景気よくなりそうな気がするし
794日本@名無史さん:2007/03/11(日) 23:48:43
>>793
>なんとなく景気よくなりそうな気がするし

ボクもそう思う。架空だとしても架空≒バブルって感じでいいじゃん。
も一回来ないかな〜、バブルぅ。
795日本@名無史さん:2007/03/12(月) 12:05:47
斑鳩寺(法隆寺)
斑鳩宮
上宮王家(山背大兄王等)
が、厩戸王子の実在を証明している

厩戸王子の存在を架空だと主張するなら
斑鳩寺を建立したのは誰か?
斑鳩宮を造営したのは誰か?
山背大兄王の父は誰か?
を、文献史料や考古資料から証明すべき
796日本@名無史さん:2007/03/13(火) 01:28:47
誰も厩戸を否定していない訳だが
797日本@名無史さん:2007/03/14(水) 03:22:34
厩戸王子が後世、聖徳太子と呼ばれるようになった
それが架空と言うなら、天武朝から天皇と呼称され
奈良時代に詔勅によって淡海三船が漢風諡号を
付けた大王や天皇も全て架空って事になるわな

例えば飛鳥時代に推古天皇は存在せずに
額田部大王が存在していた
だからと言って、誰も推古天皇を架空とは言わないわな

聖徳太子もそれと同じで厩戸王子が実在なら
聖徳太子は実在って事だ
798日本@名無史さん:2007/03/14(水) 13:01:48
>奈良時代に詔勅によって淡海三船が漢風諡号を
>付けた大王や天皇も全て架空って事になるわな

語るに落ちたな、工作員。
そう考えて差し支えないw


>だからと言って、誰も○○天皇を架空とは言わないわな

みんな言ってるぞwww
799日本@名無史さん:2007/03/14(水) 14:52:47
諡号・追号したら架空の人物になるなんて初耳だな。

弘法大師は架空なんだろな?
800日本@名無史さん:2007/03/14(水) 15:18:01
>>799
昭和天皇も架空w
801日本@名無史さん:2007/03/14(水) 16:34:47
諡号のあるすべての天皇は、架空決定!!!
豊国大明神(=豊臣秀吉)と東照大権現(=徳川家康)も架空決定!!!
802日本@名無史さん:2007/03/14(水) 16:53:19
>>798
電波学者、大山誠一の弟子!乙!

まず飛鳥時代に実在した額田部大王が
奈良時代に推古と漢風諡号されれば
架空の存在になるのかよw

次ぎに厩戸王子はその死後、法隆寺の僧侶達によって
上宮聖徳法王と言う尊称で呼ばれていた
その後、皇太子制度が成立した以降に編纂された
日本書紀によって皇太子と記述されるようになり
現在では厩戸王子=聖徳太子と言うように
認識されるようになった訳だ
803日本@名無史さん:2007/03/14(水) 17:04:03
「聖徳太子」は偉そうな名前で受け入れがたい「倭郡猿太子」とでもするべき
804日本@名無史さん:2007/03/14(水) 20:40:30
>>800
>>801
なんで?
805日本@名無史さん:2007/03/14(水) 20:43:42
シッダールタはいるがブッダはいないってのと一緒。
何熱くなってんだか。
806日本@名無史さん:2007/03/14(水) 20:46:05
架空人物だったという証拠は?
807日本@名無史さん:2007/03/14(水) 22:21:50
それを悪魔の証明という。
808日本@名無史さん:2007/03/15(木) 00:44:53
聖徳太子→豊臣秀吉→徳川家康→昭和天皇
次々と架空人物だといわれるね。はぁ(ため息)
809日本@名無史さん:2007/03/15(木) 09:18:38
ヒデヨシ以外在日
810日本@名無史さん:2007/03/15(木) 15:49:45
聖徳太子と比べるなら豊国大明神と東照大権現だろw
811日本@名無史さん:2007/03/15(木) 21:00:43
>>809
在日という証拠は?
812日本@名無史さん:2007/03/15(木) 23:00:34
飛鳥時代に聖徳太子は居なかった

しかし、法隆寺を建立した厩戸王子は実在しており
王子の死後、法隆寺の僧侶達は寺を建立した王子を
上宮聖徳法王と尊称し奉っていた

したがって、厩戸王子=上宮聖徳法王は実在で間違い無し
そして厩戸王子の子孫達は上宮王家と呼ばれていた
813日本@名無史さん:2007/03/16(金) 07:25:45
結局、「真田幸村は居なかった」みたいな話なのか?
814日本@名無史さん:2007/03/16(金) 16:53:15
>>813
どちらかといえば
日本書紀にかかれているような聖徳太子の功績はすべて他者(蘇我馬子)のものだとか
聖徳太子像は誇張にまみれており実像とかけ離れているとか
そういう話

たまに人名としての「聖徳太子」はいないとする人もいる
これは屁理屈レベルだが
815日本@名無史さん:2007/03/16(金) 21:12:09
>>814
斑鳩寺(法隆寺)の建立と斑鳩宮を造営出来た
厩戸王子の勢力と財力を考えれば、日本書紀に記述された
聖徳太子の業績が全て馬子のモノだったとは思えないわな

厩戸王子が有力な王子だったからこそ、その子の山背大兄王が
大王候補になれたと思われるし、斑鳩の地を根拠地とした
上宮王家は有力王族だった訳だ

そして用明系かつ有力王族だった山背大兄王率いる上宮王家は
敏達系王族にとっては、大王位継承のライバルだったから
敏達系の田村大王や宝大王、そして軽王にとって邪魔な存在だったのさ
816日本@名無史さん:2007/03/17(土) 01:05:51
なぜ蘇我馬子は実在したと言えるのか?
書紀が信用できないのなら、そっちはなぜ疑わない?
817日本@名無史さん:2007/03/17(土) 01:52:29
大和と河内を繋ぐ重要な街道が龍田街道
斑鳩の地は、その龍田街道を押させられる
要衝の地

例え日本書紀に記述に誇張があったとしても
斑鳩の地に宮を造営し、そこを根拠地とし
河内(大坂湾)を通して、半島や大陸に視野を
向けていた厩戸王子は、当時の王族の中では
群を抜く逸材だったと言える
818日本@名無史さん:2007/03/20(火) 15:23:34
>>斑鳩の地に宮を造営し、そこを根拠地とし 河内(大坂湾)を通して、半島や大陸に視野を 向けていた厩戸王子

それが誇張だろ
819日本@名無史さん:2007/03/21(水) 02:56:01
蘇我入馬=聖徳太子
だったらしいな。
820日本@名無史さん:2007/03/21(水) 18:24:02
>>818
飛鳥寺を建立したのは蘇我馬子
斑鳩寺を建立したのは厩戸王子
両者とも瓦葺の巨大建築物を作る財力を持っていました
飛鳥寺は蘇我本宗家の私寺、斑鳩寺は上宮王家の私寺
821日本@名無史さん:2007/03/31(土) 18:19:00
講談社の概説書『日本の歴史』シリーズにおいて大山誠一の説を取り上げて否定してるね。

小さい図書館でも置いてあるような本なんで、大山説や谷沢説しか知らない人は一読を薦めるよ。
822日本@名無史さん:2007/04/06(金) 15:56:32
結局、日本書紀や古事記を否定すると、
まあ、木簡とかも出てくるだろうが、基本的に裏づけの取れない世界になってくるから、
もう言いたい放題言っても「でも可能性はゼロじゃないでしょ?」と言ってられる。

そこで聖徳太子実在否定論の歴史を振り返ると、

高野勉『聖徳太子暗殺論』(1985年)
石渡信一郎『聖徳太子はいなかった—古代日本史の謎を解く』(1992年)
大山誠一は1996年以降、一貫してこの説で論陣を張ってる
谷沢永一『聖徳太子はいなかった』(2004年)

って、感じになると思うんだが、
問題はこの連中が何をしたいか?って事だよな。
823日本@名無史さん:2007/04/07(土) 11:49:33
【日中韓朝】 女神プロジェクトって? 【済州島】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1175889512/l50
824日本@名無史さん:2007/04/07(土) 13:50:05
その当時「聖徳太子」と呼ばれる人はいなかったってことだろ。
モデルになったのはいたでFA
825日本@名無史さん:2007/04/12(木) 01:06:25
歴代天皇は全ていなかったことになる
826日本@名無史さん:2007/04/16(月) 23:06:35
屁理屈ばっかりだなぁ
827日本@名無史さん:2007/04/23(月) 22:22:04
飛鳥時代に聖徳太子は居なかったけど推古天皇も居なかった
飛鳥時代居たのは厩戸王子と額田部大王
しかし推古天皇が架空の存在ではないように聖徳太子も架空ではない
後の推古天皇=額田部大王、後の聖徳太子=厩戸王子
逆に言えば聖徳太子が架空なら推古天皇も同じく架空の存在になる
確かに飛鳥時代に推古天皇は居なかったからな

828日本@名無史さん:2007/04/28(土) 08:44:37

女神・姫・戦士・

【日中韓朝】 女神プロジェクトって? 【済州島】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1175889512/

★☆★ 神秘の宝石騎士団 U ★☆★
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1177425641/
829日本@名無史さん:2007/04/28(土) 09:06:10
>>827
天皇号はのちに漢詩に優れた淡海三船が奉ったもので、
それ以前には、推古とか欽明とかという天皇号は存在しなかった。
本人たちが推古天皇とか聖徳太子とか呼ばれてなかったのは確実ではある。
厩戸皇子は実在したと思うが、
それとは別に、日本書紀は厩戸皇子の功績をたたえすぎている気はするが。
830日本@名無史さん:2007/05/02(水) 11:30:45
 国民の最大の敵は日本政府
 国民は政府に支配されている。本来、土地は誰の物でもないのにそれを所有
するのにお金がかかり、その上税金がかかる。鉄壁の税体制で生き血を吸われ
ている。これは合法的な泥棒制度である。年金制度は初めからねずみ講であり、
社会福祉制度は正直者がエセ弱者に食い物にされるものである。
 政府はお金を印刷する事によって元手なしにお金を使う事ができ、お金で国
民をコントロールしている。
 江戸時代、生き血を吸われて犠牲になった百姓が大勢いたから生き血を吸う
武士も食べていけたが、今の様に贅沢になり地球の資源を食い潰している経済
で、犠牲になっているのが農民だけでは経済が成り立つ筈がない。それが不況
の原因であり、戦争によって殺戮、破壊を経て、復興特需を待つより方法がな
い。これは今までの歴史が教えている。
 日本が世界文明の発祥の地であり、神の国である事を政府がかくしているの
である。日本は聖徳太子を暗殺した朝鮮人(藤原氏)に乗っ取られ、今の支配層
も同じである。この支配層はフリーメーソンの命令を受けて日本人殺しの手先
となっている。太平洋戦争はこの支配層とフリーメーソンによる日本壊滅の陰
謀だったのである。
 科学は神の存在を否定し、人間を悪魔の道具にするための洗脳の手段である。
世界は悪魔が支配しているから、悪法がはびこって悪くなる一方である。今の
人間のほとんどが悪魔の味方についており、ハルマゲドン(神と悪魔の戦い)に
よって悪が成敗され、弥勒の世(天国)が築かれるのである。
831日本@名無史さん:2007/05/02(水) 20:46:25
ぶっちゃけ大化の改新以前はあやふやなんだよな
日本書紀が100%捏造とは言わないが結構怪しげに見えるのは
読んだ事のある人なら誰でもそう思うでしょ
832日本@名無史さん:2007/05/02(水) 23:18:52
中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を滅ぼした後、
蘇我氏の功績を消し去る必要があった。
その為、推古天皇の甥である亡き厩戸皇子に白羽の矢が立ち
聖徳太子として馬子の功績を厩戸皇子の功績にすり替えたと
聞いたことがある。
833日本@名無史さん:2007/05/03(木) 00:26:39
まぁよく言われることだよね。
834日本@名無史さん:2007/05/03(木) 02:33:01
藤原不比等
835日本@名無史さん:2007/05/03(木) 05:16:17
不比等の嫁は蘇我氏
836日本@名無史さん:2007/05/04(金) 00:38:49
>>832
その厩戸皇子が、蘇我入鹿という説。
蘇我入鹿の功績の部分を、聖徳太子がやったということにするため架空人物を作り、
蘇我入鹿自身を悪人にしたてた。
そう不比等に都合よく書かれたのが、日本書紀。
837日本@名無史さん:2007/05/04(金) 01:13:17
架空人物の捏造だの功績の抹消だの‥‥ほんとに好きだねえ。
838日本@名無史さん:2007/05/04(金) 03:14:21
「騎馬民族制服説」や「三王朝交代説」みたいなもんでしょ。

そのうち落ち着くべき所に落ち着くだろうね。
839日本@名無史さん:2007/05/04(金) 08:14:33
冠位十二階や遣隋使派遣の頃、
入鹿はまだ生まれていないか、子供だったと思われ。
840日本@名無史さん:2007/05/04(金) 08:22:00
そう、デムパに都合良く解釈されるのも、日本書紀。
841日本@名無史さん:2007/05/04(金) 12:58:29
>>837
そういう仮説を前提に考えると、古代が面白くなる。
史実通りに読んでるだけだと、つじつまが合わないし何言ってるんだかわからない。
「ほんとに好きだねえ」って、君このスレタイでどう思う?
では君なりの解釈を教えてくれよ。
まさか揶揄するだけで、意見を持ってない訳じゃないよね?
842日本@名無史さん:2007/05/04(金) 18:14:57
そりゃ架空だろ?
ジャージ着て体臭きつくて毎日おにぎり食べて過ごしてる奴が摂政だなんてな
843日本@名無史さん:2007/05/04(金) 18:26:36
仮説を前提に考えるのも結構ですがどこかの広瀬みたいに破綻してるのは止めましょう。
844日本@名無史さん:2007/05/04(金) 19:34:57
>841
つじつまがあわないってアホか。
聖徳太子を捏造された架空の人物とするほうがよっぽど辻褄があわないだろ。
845841:2007/05/04(金) 19:57:34
>>844
では、史実通りに読んで、君はどう辻褄があうと思ってるの?
歴史かが皆、史実通りは辻褄が合わないということで、結論が出せていないんだよ。
だから辻褄があうと思ってるのなら、君なりの解釈を教えてくれと言ってるんだよ。
まさか茶々いれるだけで面白がってるわけじゃないだろ?
846日本@名無史さん:2007/05/05(土) 17:25:49
>841
>史実通りに読んでるだけだと、つじつまが合わないし何言ってるんだかわからない。
>845
>歴史かが皆、史実通りは辻褄が合わないということで、結論が出せていないんだよ。

変な日本語だな。「史実通り」なら話はそれでおしまいだろうよ。
こういう頭の悪い人に限ってトンデモ説に簡単にはまってしまうって
いういい証明だわ。
847841:2007/05/05(土) 17:50:05
>>846
理解出来ないならいいや。

理屈で来なさい。
848日本@名無史さん:2007/05/07(月) 10:38:12
 君たちは自分の頭で真理を研究したことがなく、馬鹿な学者の妄説を疑いも
なく鵜呑みにしている馬鹿どもだ。その典型が東大出の阿呆どもだ。
 科学は詭弁学である(メーソンによる)
 物理現象が量子力学の言う様に確率の波によって起きるのなら、因果律の法
則が成り立たない。確率の波で遺伝子が作れる訳がない。生物の魂がなければ
死体と同じである。魂まで確率の波で出来たと言うのか。おかしくて笑い話に
もならない。時間とは物体が振動するから考えられる事であり、振動しない物
体には時間は無いの同じである。 
 光の速度で飛ぶ事が出来るUFOで速度の加算法則を思考実験してみる。U
FOAとUFOBが光速度Cで並行して飛行している。UFOBから見たUF
OAの速度はC−Cで0となる。今度はお互いに逆行してすれ違った場合、U
FOBから見たUFOAの速度はC+Cで2Cとなる。UFOAを光と見立て
ても同じ事が言える筈だが、光の場合は両方ともCとなるそうである。なぜ、
物体で成り立つ法則が光では通用しないのか。測定機器で測るとCとなるよう
である。昔から光は瞬時に伝わると考えられて来た。オリオン座のリゲルは7
00光年(光速度は30万q毎秒)の距離にあり、今輝いている光が700年
前の光だと到底思えない。だから、相対性理論は真っ赤な嘘である。
 最初に狂牛病になった牛はプリオンとはまったく関係が無い。牛に牛の肉骨
粉を共食いさせたからである。どうして、共食いさせると狂牛病になるのか科
学で説明してみろ。それは神の意思だからである。共食いは神の律法に反する
罪なのである。肉食も共食いの一種である。
 がんは発がん性物質によって遺伝子が傷つけられて発生すると言われている
が、発生したがん細胞は生まれたての様に若く盛んに細胞分裂を繰り返す。な
ぜ、細胞分裂で出来た細胞が急に若返ってがん細胞になるのか。新たに発生し
た細胞と考えざるを得ない。すると、細胞分裂以外の方法で発生した事になる。
このことを科学で説明する事は出来ない。女性の卵子細胞も同じ事が言える。
ボウフラはたまり水からわく。この不思議な現象を神道では邪気によって生物
が生まれると解明している。 
849日本@名無史さん:2007/05/07(月) 17:48:34
>>848は相対性理論が全く分かってないってのは分かった。
古典物理は時間が絶対,相対性理論は光速度が絶対。
測定によって導き出された光速度一定を前提とする相対性理論のが科学的に正しい。

宗教や神と対比させたいならまずは相対性理論を勉強しようね。
850日本@名無史さん:2007/05/14(月) 01:29:41
1万円札の聖徳太子像は奈良時代の服装だしな。
851日本@名無史さん:2007/05/14(月) 10:11:10
日本書紀が聖徳太子を美化したおかげで、
平安末期頃から聖徳太子信仰がさかんになって、
あっちこっちの寺に童姿の聖徳太子の像とか残ってるもんな。
しかし、生きてるときにそんなに立派なら、
とっくに生前、なんかの教祖さまになってるだろ。
厩戸皇子という人物はいて、熱心に寺を建てたりしたんだろうが、
日本書紀の内容は創作も多いと思う。
852日本@名無史さん:2007/05/14(月) 20:53:14
聖徳太子信仰は光明皇后からでしょ
853日本@名無史さん:2007/05/15(火) 00:44:04
それで結論は、日本書紀は概ね正しく聖徳太子架空説は誤まり。
これで良いな。
854日本@名無史さん:2007/05/15(火) 08:57:46
>852
民間信仰にまで高まったのは平安末。
奈良の寺などへ行くと、この時期に作られた聖徳太子像が非常に多い。
855日本@名無史さん:2007/05/15(火) 11:37:54
>>853
君は何を言っているんだい?
856日本@名無史さん:2007/05/15(火) 17:03:35
>>851
実際の聖徳太子が存命のうちに既に多くの人々の尊敬を集めていて、
様々な伝説めいた逸話を残していたればこそ
後世で更に美化されたってほうが流れ的に自然な気がするけどな。
根も葉もないところから話を作りだすのって大変だよ。
857日本@名無史さん:2007/05/15(火) 20:48:54
>>856の下に>>853をもってくる。
これで良いな。
858日本@名無史さん:2007/05/16(水) 01:50:29
聖徳太子もそうだが、
曽我氏だって、実在じゃないとは言わないが、
少なくとも名前は本名じゃないだろ。

馬子に蝦夷に入鹿って、そういう名前って、
実際ありえるのか?

蘇我入鹿のまたの名が、実は聖徳太子っていう説も
ありえる気がする。
実際、入鹿の本名は尊徳だと聞いたことがあるが、
違ったか?
859日本@名無史さん:2007/05/16(水) 01:56:01
860日本@名無史さん:2007/05/16(水) 09:00:28
また、とんでも説だな・・・
聖徳太子は蘇我入鹿よりかなり年上なのだが・・・
861日本@名無史さん:2007/05/16(水) 10:25:41
>>860
だから聖徳太子のプロフィールをそのまま受け取ってはいけない。
「トンデモ説」と言って思考停止してはいけない。
「義経がチンギスハーン」というレベルじゃないんだから。
862日本@名無史さん:2007/05/16(水) 11:56:30
称号に聖がつく人物にろくなのがいないのは無視ですか
863日本@名無史さん:2007/05/16(水) 12:18:16
聖徳太子を含め、号が送られたのは淡海三船の時代ですから、
この時代に称徳太子という称号がなかったのは確実
864日本@名無史さん:2007/05/16(水) 12:38:10
>695
>聖徳太子の様な聖者が仏教を勧めるのだからと言って仏教が普及した


それ、仏教側の捏造だと露呈しそうだから、
聖徳太子を貶めたり実在しないと主張する流れがでてきたのかな。
865日本@名無史さん:2007/05/16(水) 12:40:56
厩戸豊聡耳聖徳法王、聖徳法王、聖徳王、東宮聖徳王、上宮聖徳法王[上宮聖徳法王帝説]
豊耳聡聖徳[日本書紀・用明紀]
866日本@名無史さん:2007/05/16(水) 12:54:44
>865
「上宮聖徳法王帝説」も、「日本書紀」も、
聖徳太子の死後ずいぶんたってから成立した書物ですが?

867858:2007/05/16(水) 13:01:48
ああ、ごめん。
入鹿の本名は、蘇我善徳 だったわ。
元興寺縁起帳にあるそうな。(以下 ttp://nazo.paslog.jp/article/481997.html

まず『元興寺縁起帳』

     ?
     ├──────聡耳皇子(大王・元興寺をつくる)
    大々王(物部氏の出身)

    巷奇有明子(蘇我馬子)
     ├──────善徳<長子>(元興寺を建てる)
     ?

次いで『日本書紀』

    蘇我馬子
     ├──────善徳(元興寺の初代管長)
    物部守屋の妹

更に『先代旧事本紀』

   宗我嶋大臣(蘇我馬子)
     ├──────豊浦大臣、名を入鹿
   物部鎌姫大刀自連公

となる訳だ。この全部を組み合わせると、蘇我馬子と物部鎌姫の子こそが聖徳太子となる。
それは、蘇我入鹿その人であって本名はおそらく「善徳」と言うのだろう。聖徳太子は
大王であり、「蘇我入鹿」=「蘇我善徳」 と同一人物であった。『先代旧事本紀』は
「入鹿」を豊浦大臣(『日本書紀』ではその弟)と記している。 豊浦太子とでも呼ばれて
いたんだろうと思う。実際に豊浦宮に居たのじゃないかな。
868日本@名無史さん:2007/05/16(水) 13:05:45
869日本@名無史さん:2007/05/16(水) 14:03:21
蝦夷は?
870日本@名無史さん:2007/05/16(水) 14:12:14
正史では、蝦夷は入鹿(善徳)の父だが、
実は蝦夷は入鹿(善徳)の弟らしい。

書記は蝦夷の兄としての善徳(入鹿)はすべて消去したつもりだったが、
1箇所だけ消し忘れたので、蝦夷の兄が善徳と分かる。
871日本@名無史さん:2007/05/16(水) 15:39:42
史料を見てみたが、厩戸皇子と蘇我善徳は明らかに別人だろう。
上記の3つの史料どれも、厩戸皇子は用明天皇の皇子としている。
『元興寺縁起帳』 を見ると、蘇我馬子の長男善徳は出家していたようなのだが。
872日本@名無史さん:2007/05/16(水) 15:59:47
>>871
>上記の3つの史料どれも、厩戸皇子は用明天皇の皇子としている。

それでいいんだよ。
用明天皇は、蘇我馬子なんだから。

以下 http://www2.plala.or.jp/cygnus/k9.html より引用

  『日本書紀』

    用明天皇
     ├──────厩戸皇子
    穴穂部間人皇女


  これに先の三つの系譜を合わせると、「穴穂部間人皇女」=「物部鎌姫
 大刀自連公」=「物部守屋」の妹であり、用明=「蘇我馬子」にも比定で
 きるのだ。従って系譜上では、「入鹿」の父「蝦夷」は、用明=「蘇我馬
 子」と同一人物になる。
873日本@名無史さん:2007/05/16(水) 16:38:23
大々王は物部氏の出身じゃないし、
聡耳皇子は大々王の子供じゃないし、
日本書紀では、善徳の母が物部守屋の妹だとは特定されていないし、
我田引水的考察これに極まれりって感じだな。

その説でいくと、
元興寺縁起帳の、大々王が聡耳皇子と馬子に造寺を命令するというくだりは、
「物部」の鎌姫が「寺造り」に関して、
息子(善徳=入鹿=聖徳)と夫(馬子=用明)に指示を出す〔子、父という順番にも注目〕
という捉え方で良いのかな?
あと、池辺天皇って誰?
874日本@名無史さん:2007/05/16(水) 18:08:51
池辺の宮に居た人
875日本@名無史さん:2007/05/16(水) 20:28:17
>>870
そんなに日本書紀を疑いたいのなら、蘇我氏の存在も疑えよ
876日本@名無史さん:2007/05/16(水) 22:18:46
広瀬降臨?
877日本@名無史さん:2007/05/17(木) 00:39:37
>>876 アハハ。俺は広瀬氏じゃない。

広瀬氏も、馬子と聖徳太子は親子と言ってるけどな。
http://www.kojikiden.com/ の大国主伝で。

でも俺は広瀬氏とは別人だし、だいいち、
広瀬氏は聖徳太子は蘇我善徳だけど、入鹿とは別人としてる。
それに、俺はあの論証自体は感想文のようなもので
論証になってないと思うし。

俺も、関 裕二氏などの受け売りをしてるだけだが、
系図を基にした論証はそれなりに説得力があると思ってる。
http://www.amazon.co.jp/聖徳太子は蘇我入鹿である-関-裕二/dp/4584391114/ref=sr_1_1/250-8286718-9512260?ie=UTF8&s=books&qid=1179329624&sr=8-1

>>875
そもそも、書紀の聖徳太子の記述を疑うのは、随書の記述と
あまりにも矛盾するからだ。随書がそれなりに信用できるなら、
書紀の記載に偽りないしは誤りがあることになる。

また、聖徳太子=蘇我入鹿説の論拠となる元興寺縁起帳は、
仏教伝来の年が書紀と食い違うが、上宮聖徳法王帝説の記述と
一致することから、書紀ではなく元興寺縁起帳の方が正しいと
考えられている。
878日本@名無史さん:2007/05/17(木) 04:48:21
太子彦
879日本@名無史さん:2007/05/17(木) 07:21:30
>>877
その論拠としている「元興寺縁起帳」がそもそも、
厩戸皇子と善徳を別人だとしているのだが。
元興寺縁起帳には、そもそも入鹿は登場しない。
上記の記述によると、蘇我善徳は、元興寺に帰依した僧2人のあとに
3人目として名前が挙がっており、明らかに出家している。
厩戸と善徳は別々の立場、行動をとっており、両者の名前を混同させているような記述は一切ない。
880日本@名無史さん:2007/05/17(木) 13:02:38
>>879
>厩戸と善徳は別々の立場、行動をとっており、両者の名前を混同させているような記述は一切ない。

聖徳太子は蘇我善徳(入鹿)というのは、非常に有力な説だと思うが、
聖徳太子=蘇我善徳説でも、それ以外の部分には諸説だって、
必ずしも一致していない。

俺自身をいえば、聖徳太子=蘇我善徳であり、つまり蘇我入鹿だと
考えるが、
入鹿は善徳の悪の面を抽出して作られた架空の人物だから、
そもそも資料に入鹿の名前があれば、それはおかしいという立場。
(善徳の善の面を抽出して作られたのが、聖徳太子)

厩戸が実在した人物かは、なんともいえない。
いたとしても、それが聖徳太子と同一人物かは、ますます
なんともいえない。(不明、というのが俺の立場)

そもそも、書紀での太子の異名は何種類あるのか。
厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王、法主王…。それを
無条件に、実在の人物で、しかも同一人物と信じるのは素朴すぎる。

例えば高野勉の『聖徳太子暗殺論』(1985年)では、聖徳太子と厩戸皇子は別人で
実は蘇我馬子の子・善徳こそが真の聖徳太子であり、後に中大兄皇子に暗殺された
事実を隠蔽するために作った残虐非道な架空の人物が蘇我入鹿であると主張している。

http://ja.wikipedia.org/wiki/聖徳太子

まあ、そういう考え(聖徳太子と厩戸皇子は別人)もあると思うが、
自分としては、蘇我善徳の善の部分を抽出したのが聖徳太子で、
悪の面を抽出したのが蘇我入鹿としか言えない。
(もちろん、聖徳太子こと蘇我善徳暗殺事件の真相を隠すためだ)
それ以上は不明との立場だ。
881日本@名無史さん:2007/05/17(木) 15:16:46
結局、電波大山説に論拠した支那チョンスレか
882日本@名無史さん:2007/05/17(木) 15:35:29
>880
結局「聖徳太子はいなかった」
そして「蘇我入鹿もいなかった」ってことなわけね。
いたのは蘇我善徳一人だけで。
まぁ面白くはあるけれど、史料解釈がずいぶんご都合主義だな、と思わざるを得ないのが難点かな。
883日本@名無史さん:2007/05/17(木) 15:37:20
おいおい聖徳太子の存在に疑義をはさまれるだけでビクビクするような弱っちょろいプライドなのか
884日本@名無史さん:2007/05/17(木) 19:44:09
関は事実誤認が甚だしい素人さんなんだけど。
885日本@名無史さん:2007/05/17(木) 20:39:34
ここにも専門家はいないんだけど。
886日本@名無史さん:2007/05/18(金) 00:22:04
だから?
887日本@名無史さん:2007/05/18(金) 14:37:05
細部に関しては一致してないものの、
聖徳太子=蘇我善徳(入鹿) 説を唱えているのは、
別に関氏だけじゃないだろ。

それに、素人的直感に訴えるものがある。
つまり、
1 聖徳と善徳という、非常に近い名前。
2 書紀が正史をゆがめるからには、非常に強い理由が必要なはずだが、
  入鹿暗殺事件の真相を隠すためというのは、ふさわしい理由に思える。
3 善徳は、蘇我馬子の長子である。なのに、なぜか正史に1箇所しか
  登場しない。むしろ、消去しわすれじゃないのか? と思わせる点。
4 蘇我氏は馬子、蝦夷、入鹿と穢名で呼ばれる。
  ところが、善徳だけは馬子の長子でありながら、穢名ではない。

系図による論証は専門家に任せるとして、
この説は、こういった素人的視点にズバリと答えてくれる。

ほかにこのような説はない。
たいいち、蘇我入鹿が聖徳太子だとしたら、書紀の編集者でなくても、
真相を隠したと思うのは無理もない。
888日本@名無史さん:2007/05/18(金) 14:57:57
1,聖徳は贈名で、生前の実名ではない。一方、善徳は、法名として適当。
  元興寺縁起帳では、善徳はその名が僧侶とともに登場する。

2,この件に関して、ゆがめた事実はない。

3,馬子の嫡子で後継だったのが蝦夷である以上、嫡子ではない善徳を何度も出すほうが変。
  蝦夷には雄正という兄がいたことも知られるが、こちらも正史にはほとんど登場しない。
  (石川麻呂や赤兄の父として登場する程度)

4,馬子、蝦夷、入鹿は穢名とは言いがたい。それいうなら、厩戸も穢名。
  馬子の子でありながら雄正は普通の名。善徳は明らかに法名。

入鹿が馬子の子であるならば、中大兄皇子に殺害された時は相当なじいさんだ。
子供が大臣になっていておかしくない。
889日本@名無史さん:2007/05/18(金) 16:05:37
>>887
> この説は、こういった素人的視点にズバリと答えてくれる。

それらが答えと思えるようでは(略
そもそも不可思議でもなんでもないのに(略
890日本@名無史さん:2007/05/18(金) 16:07:27
聖徳が入鹿だとか、天武が新羅王の何とかだとか、
馬子、蝦夷、入鹿は蔑称だとか、
まだそんなこと言ってる奴がいるのか‥‥
891日本@名無史さん:2007/05/18(金) 17:48:51
>>890
まだ、そういうのを理解しない人がいるのか・・・。
いいのいいの、君の考えが間違ってるとは言わないから。
意見も書かないのは、意見がないとみなされるだけだから。
892日本@名無史さん:2007/05/19(土) 00:51:27
古代妄想家
893日本@名無史さん:2007/05/19(土) 03:34:57
>891
そういうおまえの意見は?
あ、書いてないから無いのか。
894日本@名無史さん:2007/05/19(土) 10:45:08
>>893
小学生みたいなリアクションだな。
895日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:51:44
 確かに憲法9条の1項で言うと、国際紛争を解決するための軍備を持たない
というのは自衛のための軍備も含み、自衛隊は憲法違反であり、自衛のために
軍備保持できるよう改正すべきである。
 政府はこれとは別に集団的自衛権を行使できるように改正しようとしている。
これは阻止すべきである。前のイラク戦争はアメリカの侵略戦争で、そんなア
メリカを助けるために自衛軍を派兵したら、イラクから見れば日本も侵略者と
なる。今後起きる朝鮮戦争の時に自衛軍を派兵すると、北朝鮮の後ろにはロシ
アがいて日本は格好のカモとなる。最後の頼みのアメリカは最後に裏切って日
本を攻撃してくる。その時になってこの憲法改正が日本を壊滅させる陰謀だと
気がついても後の祭りである。
 国民の最大の敵は日本政府
 国民は政府に支配されている。本来、土地は誰の物でもないのにそれを所有
するのにお金がかかり、その上税金がかかる。鉄壁の税体制で生き血を吸われ
ている。これは合法的な泥棒制度である。
 政府はお金を印刷する事によって元手なしにお金を使う事ができ、お金で国
民をコントロールしている。
 江戸時代、生き血を吸われて犠牲になった百姓が大勢いたから生き血を吸う
武士も食べていけたが、今の様に贅沢になり地球の資源を食い潰している経済
で、犠牲になっているのが農民だけでは経済が成り立つ筈がない。それが不況
の原因であり、戦争によって殺戮、破壊を経て、復興特需を待つより方法がな
い。これは今までの歴史が教えている。
 日本が世界文明の発祥の地であり、神の国である事を政府がかくしているの
である。日本は聖徳太子を暗殺した朝鮮人(藤原氏)に乗っ取られ、今の支配層
も同じである。この支配層はフリーメーソンの命令を受けて日本人殺しの手先
となっている。太平洋戦争はこの支配層とフリーメーソンによる日本壊滅の陰
謀だったのである。
 科学は神の存在を否定し、人間を悪魔の道具にするための洗脳の手段である。
世界は悪魔が支配しているから、悪法がはびこって悪くなる一方である。今の
人間のほとんどが悪魔の味方についており、ハルマゲドンによって悪が成敗さ
れ、弥勒の世が築かれるのである。
896日本@名無史さん:2007/05/19(土) 19:27:56
>>894
まともに受け取るなんて、ほんとバカなんだな。
890だって別なところに意見書いてるかもしれないだろって皮肉を言っているのに。
897日本@名無史さん:2007/05/20(日) 14:34:03
『日本の歴史 03 大王から天皇へ』
熊谷公男 著 (講談社)
より引用。

「聖徳太子は実在しなかった」!?

多分に太子信仰の所産である『書紀』の厩戸皇子=聖徳太子に関する記事には、事実とは考えがたいものが多い。
また、一般に、推古朝といえばすぐ聖徳太子が思い浮かべられ、憲法十七条をはじめとして、冠位十二階や遣隋使の派遣は、聖徳太子の事蹟とされることが多いが、
憲法十七条には偽作説があるし、冠位十二階や遣隋使に関しては、実は、確かに聖徳太子が行ったという根拠はなく、蘇我馬子の施策という説も唱えられている。
太子の実像にせまることは、至難のわざなのである。
近時、大山誠一氏が、太子関係の史料を分析して、「聖徳太子は実在しなかった」というセンセーショナルな説を提起したことも、この問題が根底にある。
大山説の核心は、厩戸皇子と聖徳太子を切り離し、「厩戸王」という名の、一人の有力な蘇我系の王族は実在したが、「聖徳太子」は『書紀』の編纂のなかで生み出された架空の聖人だ、という点にある。
憲法十七条をはじめとする太子の事蹟は、当然事実とはみなされないし、「皇太子」という地位にいたことも否定される。

大山氏の大胆な新説は、はやくも論議を呼んでいる。
自覚的な方法にもとづいた史料批判と思い切った結論に一定の評価をしつつも、「聖徳太子」の成立を『書紀』の編纂時点にまでくだらせ、その「捏造」者に長屋王らの関与を主張する点には疑問を呈する向きが少なくない。
筆者も、同感である。
大山説では、論述の焦点がもっぱら「聖徳太子」を「捏造」した犯人さがしにあてられていて、信仰の問題にはほとんど関心がはらわれていない。
大山氏によれば、「厩戸王」は、『書紀』においてはじめて「聖徳」をそなえた「太子」とされ、中国的聖天子像として創造されるが、「これこそ、聖徳太子の神格化であり、聖徳太子信仰の成立といってよい」という。
しかし信仰の問題は、信徒を中心とした多数の受容者の存在をぬきには語れないはずである。
898日本@名無史さん:2007/05/20(日) 15:13:03
>>897の続き

「聖徳太子」像の形成の問題は、基本的には太子信仰の問題として扱われるべきであろう。
筆者は、大山氏のように太子信仰を『書紀』の成立時点(七二〇年)まで引き下げるのは、やはり無理であると思う。
というのは、『書紀』よりも古い文献で「豊聡耳命」(『古事記』)、「等已刀弥弥乃弥己等(トヨトミミノミコト)」(天寿国繍帳銘)、「上宮太子聖徳皇」(法起寺搭露盤銘)といった尊称が厩戸皇子に用いられていることをみても、
『書紀』以前に太子信仰が成立していたことは否定しがたいと思われるからである。

 太子信仰の形成において重要と思われるのは、法隆寺の再建である。
本巻では法隆寺をめぐる問題については割愛したが、聖徳太子の創建にかかる法隆寺は六七〇年(天智九)に全焼してしまい、現在の伽藍(西院伽藍)は七世紀後半の天武朝から八世紀初頭にかけて再建されたものであることが解明されている。
この再建期に、上宮王家の氏寺であった法隆寺は官寺へと脱皮していくが、大西修也氏がいうように、その過程で太子の父の用明天皇を発願者とする寺の新しい縁起が成立し、金堂の薬師如来像光背銘も造作されたと考えられる。
また、同時に太子の神格化が推進されて、仏徒の間に太子に対する信仰が広がっていったとみられる。
聖人「聖徳太子」の原像が形成されるのはこの時期で、『書紀』はそのような既存の太子像を集成し、さらに儒教思想などを加味しながら聖徳太子像を完成させたのである。
899日本@名無史さん:2007/05/20(日) 15:45:24
>>898の続き

厩戸皇子の政治的地位

『書紀』の厩戸皇子に関する記述には太子信仰の所産とみられる部分が多いが、一定の史実も含んでいると考えられる。

既述のように、『書紀』は五九三年(推古元)に厩戸が「皇太子」となったと記す。
その後は、五九四年(推古二)のいわゆる三宝興隆の詔は「皇太子及び大臣」に下され、六〇四年(推古十二)の憲法十七条は、「皇太子親ら肇めて作る」とあるなど、厩戸皇子はすべて「皇太子」と表記されている。
しかし、「皇太子が定められるのは、天武・持統朝の「天皇」号の制定のときと考えられるので、厩戸皇子が「皇太子」というのは事実ではありえない。
ただし、その前身となるような地位は、推古朝にもあったとみてよい。

『隋書』倭国伝に、推古朝のこととして「太子を名づけて利(和)歌弥多弗利となす」とある。
ワカミタフリとは、奈良時代には皇族の子女の尊称として使われる語であるが、『隋書』では「太子」のことであるという。
じつは太宰府天満宮にたった一巻だけ現存する『翰苑』という唐代の類書に、倭国に関して「王の長子を和哥弥多弗利と号す。華言の太子なり」という一節があり、こちらの方が原意をより正確に伝えていると思われる。
つまり推古朝ごろの倭国では、大王の長子をワカミタフリとよんでおり、それは中国語の太子にあたるというのである。
当時、ワカミタフリとよばれうる人物としては、用明の長子である厩戸皇子以外には考えがたい。
しかもそれが太子に相当するというのであるから、厩戸が「太子」に準じる特別な政治資格を有していたことになる。
900日本@名無史さん:2007/05/20(日) 16:19:21
>>899の続き

このことを別の角度から裏づけるのが、六〇七年(推古十五)の壬生部(乳部)の設定である。
壬生部とは、有力な王子の生活費に充てるために名代・子代に代わって設けられた部で、このときの壬生部は厩戸皇子に帰属し、厩戸皇子の死後も上宮王家に伝領されて、上宮王家と密接な関係にあった。
壬生部は、厩戸皇子の「ワカミタフリ」という特別な政治的地位の経済的裏づけという意味をもっていたと考えられる。

また、厩戸皇子は大臣蘇我馬子の娘刀自古郎女を妃に迎えているが、これは馬子が厩戸皇子ないしその子の即位をみこんでのことと思われる。
厩戸皇子の子、山背大兄王が「大兄」とよばれ、厩戸の死後に有力な大王候補となることも、父厩戸皇子の政治的地位をぬきには説明しがたいであろう。

このように、厩戸皇子が実際に「太子」とよびうる地位にあったことは否定しがたいと思われる。
五九四年(推古二)に、推古天皇が「皇太子及び大臣」の二人に仏法興隆を命じたことや、六二〇年(推古二十八)に「皇太子・嶋大臣(馬子)」が共議して、「天皇記」と「国記」を編纂したというのは、事実を反映した記事とみてよいであろう。
『上宮聖徳法王帝説』にも、推古朝に「上宮厩戸豊聡耳命・嶋大臣と共に天下の政を輔く」とあるので、多くの研究者は、推古朝には女帝のもとで厩戸皇子と蘇我馬子の共治体制がとられたと考えている。
筆者も、そう考える一人である。

「聖徳太子」というなじみ深い呼び名は、実在の「太子」厩戸皇子の地位・事蹟と分かちがたく結びついたものであるから、これだけを切り離して架空の人物とみなすことは妥当ではないと思われる。
901日本@名無史さん:2007/05/20(日) 16:45:16
>>899
>『隋書』倭国伝に、推古朝のこととして「太子を名づけて利(和)歌弥多弗利となす」
>とある。
>ワカミタフリとは、奈良時代には皇族の子女の尊称として使われる語であるが、『隋書』
>では「太子」のことであるという。

隋書の引用の仕方が、あまりにも恣意的だなぁ。

隋書で分かるのは、女帝である推古天皇の時代は、実は男性天皇の御世であり、
その名は、阿毎 多利思比孤(つまりアメ タラシヒコ)ということだろ。

そして、それが誰かといえば、蘇我馬子と見るのがもっとも有力だろう。

であるから、
日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々
と書いたのも馬子であるということになる。
902日本@名無史さん:2007/05/20(日) 17:24:31
なんでそこで蘇我馬子に直結するかな。
日本書紀には、聖徳太子について「総摂万機、行天皇事」とあるのに。
法隆寺戊子年銘釈迦如来像光背銘から、蘇我氏は大臣だったことが窺えるのに。
903日本@名無史さん:2007/05/20(日) 18:11:18
>>901
『隋書』の「阿毎多利思比孤」について、別に触れてないわけじゃないので、その部分を引用しとくよ。

倭国的「天」の思想と大王

六〇〇年の第一回遣隋使のとき、倭王は「姓は阿毎、字は多利思比孤、阿輩(奚+隹)弥と号」したと『隋書』にある。
「阿毎」を姓とし、「多利思比孤」を字としたのは中国人の解釈で、本来は「アメタリ(ラ)シヒコ」というひとつづきの倭王の称号とみられる。
「阿輩(奚+隹)弥」は、アメキミ、オオキミの両説があるが、『通典』に「阿輩(奚+隹)弥と号するは、華言の天児なり」とあり、
『翰苑』にも「阿輩(奚+隹)弥は、みずから天児の称を表す」とあるように、「天児」すなわち天の子の意味ということなので、アメキミ(天君)と読むべきである。
天の子とは天つ神の子孫ということで、大王を天つ神の子孫とする観念がすでに成立していたことになる。

アメタラシヒコは「天から降臨した男子」という解釈もあるが、『万葉集』の「天の原振り放け見れば大王の御寿は長く天足らしたり」(巻二−一四七)の歌などを参考にすると、「天の満ち足りた男子」という意味の尊称と解される。(後略)

アメタラシヒコが具体的に誰を意味するのかは、概説書の性格上触れてないと思われる。
蘇我馬子説など様々な仮説があることくらい著者は知っていると思われるが、学界において定説となるほど信憑性のある説が無いのか、概説書で触れるほどの重要性が無いのか、あるいはその両方なのかもしれない。
904日本@名無史さん:2007/05/25(金) 01:44:19
つまり聖徳太子がいなかった証拠はないということ。
905日本@名無史さん:2007/05/25(金) 02:50:50
つまり従来の通説の通りに聖徳太子は存在した。
906日本@名無史さん:2007/05/25(金) 03:41:53
千年以上も密封されていた実物像があったじゃん。戦後アメリカ人が強引にほどいたやつ。

あれどこ? タイ人みたいな顔だったよな。あれ見て皇祖神はやはり南方系か、と
思ったんだよ。
907日本@名無史さん:2007/05/25(金) 11:03:59
>>906
どれを指してるのかわからないが、救世観音像を言っていないか?
法隆寺夢殿の救世観音像は、明治時代にフェノロサが強引にほどいた。
聖徳太子等身の像と伝わる。
あの顔つきは、飛鳥仏の特徴で、特に南方系云々とかと関係ない。
ちなみに、この救世観音像の光背が後頭部に突き刺さっており、
梅原猛氏の説では、これが怨霊封じの現れ、聖徳太子は怨霊、つまり罪なく殺されたという論調。
908日本@名無史さん:2007/05/25(金) 17:32:14
強引にって政府の許可は得たんじゃ?
909歴史修正委員会:2007/05/25(金) 17:48:18
聖徳太子はフリーメーソン会員だった。
西アジア方面から中国を経てメーソン思想(及び人物)が渡来した。
仏教公伝とは実はメーソン思想伝来でもあった。
太子が関わった仏教建築が多いのも、元は石工術だったメーソンリーが、
日本の土地に合わせて木造に変化したということである。
十七条憲法にもメーソン思想が入っている。
ずっと後代になって、紙幣に聖徳太子像が描かれていたのも、
アメリカのドル札にフリーメーソンのシンボルが描かれているのを模したものである。
910日本@名無史さん:2007/05/25(金) 21:09:37
おまけ、

『日本の歴史 03 大王から天皇へ』
熊谷公男 著 (講談社)
より引用。

蘇我系王族の代表―厩戸皇子

 彦人大兄が非蘇我系王族の重要人物であったのに対し、蘇我系王族の代表格が聖徳太子であった。
ただし「聖徳太子」とは死後に贈られた諡号(おくりな)の一種であって、本名は厩戸皇子である。
『書紀』では厩戸豊聡耳皇子とよばれている。
また、当初、上宮に居住したことから、上宮王、上宮太子などとも称され、厩戸皇子の家は上宮王家とよばれる。
「聖徳」とは、仏教で仏にそなわったすぐれた徳、あるいは仏教に深く通じた人、という意味があり、それ自体、厩戸皇子の死後におこった聖徳太子信仰の産物と考えられる。
『書紀』の編纂時には、すでに人々の信仰の対象になっており、それが聖徳太子の研究をむずかしくしているのである。

聖徳太子といえば、馬屋で生まれたとか、十人の訴えを一度に聞き分けることができた、といった話をだれでも思い出すが、これらはいずれも『書紀』の話に由来する。
『書紀』によれば、五九三年(推古元)に厩戸皇子は皇太子となり、いっさいの政務を執ったとあるが、その箇所に、厩戸の生い立ちと人となりが記されている。
母の大后穴穂部間人皇女が臨月に宮中を監察のため巡行して馬官にきたときに、厩の戸口で苦しみもなく太子を産み落としたという。
そのあとに、生まれながらにして話すことができ、成人すると、一度に十人の訴えを聞いて間違いなく理解し、これから起こることを予知できた、
仏教を高句麗の僧恵慈に、儒教を博士の覚(加+可)に学んで、いずれも奥義をきわめた、という話がつづく。
911日本@名無史さん:2007/05/25(金) 21:28:21
>>910の続き

実は、馬屋と十人の訴えの話は、いずれも聖徳太子の名前のいわれを説くために考えつかれた話なのである。
厩の戸口で生まれたというのが、もともとあった名前の「厩戸」を説明するためのただのゴロあわせということは、だれの目にも明らかであろう。
また、「豊聡耳」とは、仏典に由来する尊称とみられるが、直訳すれば「豊かでかしこい耳」となり、聡明さの比喩的表現である。
これに対応してるのが十人の訴えと予知能力の話ということになる。
つまりこれらの話は、厩戸、豊聡耳という名前がさきにあって、そこから思いつかれた説話なのである。
歴史的事実とは無関係なことはいうまでもない。

『書紀』の太子関係記事は、深い信仰のベールに包まれていて、その実像にせまることは容易でない。
しかし、厩戸皇子は用明天皇の長子であり、父方も母方も祖母は稲目の娘であって、しかも馬子の娘刀自古郎女を妃に迎えている。
系譜から判明することだけをみても、厩戸皇子が蘇我氏と密接な関係にある有力な王族であったことは間違いない。
912日本@名無史さん:2007/05/25(金) 23:05:28
>>16
超wwwウケた!!
913日本@名無史さん:2007/05/26(土) 10:30:46
>>909
ならば、坂本龍馬はなぜ紙幣にされない?
914日本@名無史さん:2007/05/29(火) 00:32:55
>>909
玉虫厨子や七星剣も舶来品だと?
915日本@名無史さん:2007/05/29(火) 14:43:17
 日本は中国、アメリカなどの毒入り食物、狂牛病牛肉で殺され、最後は兵糧
攻めで終わり。
 松岡利勝農相が自殺した?。彼はコメ輸入自由化反対を主張し、米産牛の輸
入条件を月齢20ヶ月以下で危険部位の除去として食の安全を守り、自由貿易
協定で日本の農業が有利になる様に働きかけていた。彼は日本の食糧の生命線
であった。
 今年1月、自らの資金管理団体が政治資金収支報告書に計上した事務所費や
光熱水費について虚偽記載の疑惑が浮上した。05年に光熱水費が507万円
に上った問題を追及され還元水と弁明した。なぜ、こんな子供でも判る不審な
会計処理をしたのか。収入を過少に誤魔化せば良い。こんな事は誰でもやって
いる事である。
 緑資源官製談合は資源機構の内部告発でしか判らない事である。なぜ、この
時期に出て来たのか。6月に米国産牛肉の輸入条件見直し協議が始まる直前に
なぜ自殺したのか。彼の自殺は不審だらけである。ひょっとすると、アメリカ
が米国産牛肉の輸出再開を実現する為に、恫喝の意味で彼を暗殺したのかも知
れない。
 首つりは他殺でも可能であるし、遺書などは脅迫して書かせる事も出来る。
家族宛の遺書が無いのもおかしい。これはフリーメーソンが使う陰謀に違いな
い。アメリカの意に従わない政治家をこの様にして失脚させ、暗殺して恫喝し、
従わせるのである。過去この様に殺された者はリンカーン、ケネディ、ダイア
ナなど枚挙にいとまがない。
916日本@名無史さん:2007/06/06(水) 12:19:18
 嘘がまかり通る
 地球温暖化は二酸化炭素が原因ではなく、太陽の活動に伴なって地球のマグ
マが活発化するからで、根本の原因は放射能などの毒素汚染による地球のアレ
ルギー反応である。環境保全をうたってフリーメーソンが利権を獲得するため
のプロパガンダである。
 バイオエタノール燃料はガソリンにエタノールを混ぜれば安く作れるのに、
一度石油ガスと化合させるため割高となり、それを補てんするためガソリンま
で高くなる。これは石油価格を値上げするための陰謀であり、石油高騰により
物価も上がる。バイオエタール生産のために穀物価格が上がると言うのは嘘で
、メーソンが食糧を買い占めているからだ。
 メーソンの軍産複合体は戦争がないと経営が成り立たない。国家も同じ。わ
ざと敵を作って戦争を行わせるのである。第2次世界大戦時の三国同盟は反ユ
ダヤをうたったもので仕掛人はメーソンである。日本はまんまと挑発に乗って
真珠湾攻撃を行った。これはメーソンである山本五十六の作戦であった。
 9.11テロはメーソンの自作自演のテロで、イスラムのテロを主宰してい
るのはメーソンである。
 エイズはアフリカのミドリザルから発症したと言うのは嘘で、アメリカの同
性愛から発症したのである。それを隠す為にエイズウイルス入りのワクチンを
アフリカの子供たちに接種したのである。これはメーソンが食糧、資源を一人
占めする為の人類削減計画の一端である。
 ハンセン氏病は近親相姦が原因で、メーソンはハンセン氏病の名誉回復を図
っているのである。
917日本@名無史さん:2007/06/06(水) 18:11:07
王と親王の使い分けですら、かつて学者が言っていたほど厳密ではなかったというのが今や常識だというのに。
太子や大兄の使い方に厳密さを求めて、「厩戸王はいたが聖徳太子はいなかった」など、今となってはウケ狙いだけのエゲツナイ表現と言わざるをえない。

また、隋書から冠位十二階と遣隋使は否定しようがない。
飛鳥寺や法隆寺(若草伽藍)などから、当時急速に仏教、特に寺院建築が普及したことも否定しようがない。

そして、日本書紀に基づく限り、冠位十二階・遣隋使・仏教興隆の中心人物が厩戸であることを否定すると、かえって多大な矛盾が発生する。
コジツケ連中は、日本書紀の個々の記述ごとに正確だの捏造だのと恣意的なツマミ食いをしているだけで、一貫性はない。
918:2007/06/06(水) 20:40:23
まとも
919日本@名無史さん:2007/06/06(水) 22:10:01
話を元に戻すなよ。
そもそも、隋書の内容は日本書紀の内容を否定してるだろ。

女帝たる推古天皇の時代は、男性天皇の時代であったことが
隋書から分かる。

その男性天皇を聖徳太子だと言い張るなら、では、聖徳太子は
後宮に女六、七百人を囲っていたことになるわけだ。

いまでは、その男性天皇たるアメノタリシヒコは蘇我馬子であるという意見が
一般的であって、蘇我一族の事績を蘇我の手柄にさせないために、
その一族の誰かをモデルにして、あえて蘇我一族ではない人物として
創作されたのが太子と考えられている。
920日本@名無史さん:2007/06/07(木) 00:50:27
一般的・・・?
921日本@名無史さん:2007/06/07(木) 01:44:07
では、
一般的に、聖徳太子は後宮に女を数百人も囲っていたと
言われているわけ?

アメノタリシヒコが蘇我馬子と考えられているのは妥当じゃないのか?
922日本@名無史さん:2007/06/07(木) 10:58:37
後宮=尼寺
923日本@名無史さん:2007/06/13(水) 12:34:12
聖徳太子の功績の多くが、実は蘇我馬子の功績であったことは一般的に言われることだが
「アメノタリシヒコ」は、あくまでも大王の称号であって、蘇我馬子をさしているとは考えられない。
「アメノタリシヒコ」は、国王の名を尋ねられた際、遣隋使が答えた言葉であって、
蘇我馬子とはなんら関係がない。
その後、隋からの使者が日本(倭国)を訪問するが、
随書が倭の国王を女王だと書いていないことから、推古大王は隋の使者とは直接会わず、
隋の使者から国書を受け取ったのが、皇太子厩戸か馬子であり、それを使者が国王と判断したためだろう。
多くの留学生を派遣し、隋からの僧侶を受け入れてきた厩戸や馬子ならば、
隋の言葉を通訳なしで話すことができたとしても不思議ではなく、
推古大王に代わって隋からの使者を接待する役をかってでたのかもしれない。
後宮うんぬんについては、隋の使者が、
王宮を訪れた際に見かけた推古大王に仕える多くの女官たちを、
大王の後宮の女性たち、と自己判断しただけとも考えられる。
厩戸にしろ、馬子にしろ、六、七百人もの愛妾を持っていた事実はない。
924日本@名無史さん:2007/06/13(水) 17:09:31
そもそも、蘇我馬子の存在は確実だが、
聖徳太子自体の存在が不確実であり、史実として存在したと
しても厩戸皇子とすると、国を代表する資格自体がない。
また、蘇我氏は専横目に余ると書かれているほどで、
国を代表するのは常識的にみても大いにありえる。
また、焼失した太子と馬子撰録の国史も蘇我邸にあったわけだから、
どちらに主導権があったかは明白だ。
さらに、アメノタリシヒコの伝えられる様子が聖徳太子とそぐわない
となれば、ときの天皇・アメノタリシヒコは蘇我馬子としか
いいようがない。

そもそも、理由もなく当時の資料の記述を勝手気ままに
解釈してはならない。
天子は天子であるし、後宮に女を囲ってるとあるなら、
そうであろうと考えるべきで、
天子は騙りにすぎず、愛妾などいるはずがないというなら、
根拠を示すべき。
925日本@名無史さん:2007/06/13(水) 17:26:52
>924
皇太子であった厩戸には、推古大王を代行する権利があってしかるべきだが。
史料を歪曲するなといっておきながら、馬子が天皇だったなんて、
とんでもない史料の歪曲、屁理屈を言うやつだな。
蘇我氏の勢力が強かったというのも、馬子が推古大王の叔父であったという
血縁関係によるところが大きく、馬子に推古大王の意思を無視して遣隋使を行うだけの
力があったとは思えない。
天皇家の皇位継承を決めていたのは推古大王で、
馬子は推古大王の信任なしで政治を操っていたとするのは誤り。
日本書紀にも、そんな記載は一切ない。
926日本@名無史さん:2007/06/13(水) 17:49:12
推古天皇が天皇であったことを、
隋書は否定してるんだろ。

だから、ときの天皇だったアメノタリシヒコは誰よ、
という話してるんだろが。

話をメチャクチャにするな!
927日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:11:56
アメノタリシヒコが大王の称号であったことは間違いない。
隋へ赴いた大王の使者がそういっているんだからな。
ヒコが古代からの尊称であることは、日本書紀の記載にもあう。
で、蘇我馬子がその大王だというのが史料の歪曲だと言っているんだよ。
お前さんが信奉する隋書にすら、そんなことは書いてない。
928日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:20:38
推古天皇の時代(在位592年から628年)の隋書による日本の様子の一部。
天皇は女帝のはずが、男性天皇となっていて、書紀の内容が否定されている。

『隋書』倭国伝(一部文字化け、元urlで見てくれ)
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun9-zuisho.htm
開皇二十年(600年)、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩?彌、
遣使を王宮に詣でさせる。上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。
使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、天が未だ明けない時、
出でて聴政し、結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、日が昇れば、
すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。高祖が曰く「これはとても道理ではない」。
ここに於いて訓令でこれを改めさせる。

王の妻は?彌と号し、後宮には女が六〜七百人いる。太子を利歌彌多弗利と呼ぶ。
城郭はない。内官には十二等級あり、初めを大コといい、次に小コ、大仁、小仁、
大義、小義、大禮、小禮、大智、小智、大信、小信(と続く)、官員には定員がない。

軍尼が一百二十人おり、中国の牧宰(国守)のごとし。八十戸に一伊尼翼を置き、
今の里長のようである。十伊尼翼は一軍尼に属す。 (以下、略)
929日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:30:19
そもそも、帝位に就いている者が後宮に女を囲うのは、
帝位を絶やさないためで、古来から普通のことで、隋書の
記述を疑う必要はない。

それが、世に伝えられる聖徳太子像と全然合わないだろ。

しかも、蘇我馬子なら矛盾なく説明できるんだよ。

彼の先祖はもともと百済の王族の外戚で、(百済の政治の
実権を握っていた木満致(もくまち)が失脚・国外追放をくらい、
渡来して蘇我氏の祖の蘇我満智(まち)になったと言われている)
そういう風習を受けついでいたはずだし。

それに、そもそも聖徳太子自体の実在が疑われているといのに、
(俺もその立場で、蘇我氏内部の人物をモデルに、蘇我氏の事績を
 蘇我氏の手柄にしないために、蘇我氏外部の人物として
 生み出されたものだろう。善徳は出家しており、聖徳太子像に
 名前も伝えられる伝承の内容の印象もよく合致する)
なぜに実在が前提の議論に付き合わねばならないのか、欝だ…
930日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:30:57
そんなのは周知しているよw
その上で、当時の日本の大王は女性の推古大王だったといってるんだよw
この時代の日本側の史料は、相当な信憑性があるからね。
自国の史書を否定して、伝聞を記載しただけの隋書を採用する意味がない。
隋の使者の応対をしたのが厩戸皇子であったならば、
隋には倭国の大王が女性であったという史料はどこにも残らなくて当然。
そもそも、その隋書のどこにも、大王が蘇我馬子だったとはかかれてないのだが。
931日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:33:44
>926
蘇我馬子が多くの女性を後宮に囲っていたという事実はないよ。
子供の数も、厩戸皇子よりもずっと少ない。
日本書紀を否定する割りに、日本書紀に毒されてるな。
その程度の論理で、わざわざ書き込むなよ。
932日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:42:22
お前も馬鹿だなぁ。

いいか、誰もあんまり大きな声で言わないが、
蘇我馬子だと言ってる者だちの想定しているストーリーは、

 当時、百済亡命政権(蘇我氏)と古来からの皇室政権の2種の政権の
 並立状態で、両者の融合が試みられてきたがなかなかうまくいかず、
 百済亡命政権側が優勢にあった。

 聖徳太子のモデルとなった人物は、もともと蘇我氏内部の人物だが、
 蘇我氏の手柄にさせないために、蘇我氏外の人物と脚色されている。

 のちの大化の改新は、百済亡命政権の排除をその本質とする。

 また、大陸・半島にたいして基盤がないはずなのに倭が半島に大きな
 影響力を持っていた証明である広開土王碑も、亡命政権が当時の日本に
 あったことから説明できる。

このようなことが想定されているんだ。
これを大きな声でいうと、いろいろ差しさわりがあるから、
思っていても、あんまり大きな声で言わないの。

なんでもいいが、最初に事実はこうあってほしい、とか、こうで
なければならない、とか、そういう前提を持ち込まないでほしいものだ。
真実を知りたいものには、お前の行為は迷惑だ。
933日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:44:03
>>924
>厩戸皇子とすると、国を代表する資格自体がない。

>>899-901
934日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:50:19
さらにいえば、
このような二種の政権(百済亡命政権と皇室)の並存状態にあると仮定してはじめて、

天皇が暗殺されても、さして問題視されなかったということが
理解できる。

百済亡命政権側にあっては、皇室的序列は、それほどの意味は
なかったということ。
935日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:55:29
>932
馬鹿なのは、お前w
そもそも、大王家と百済亡命政権が並立していたのならば、
百済亡命政権である蘇我氏が、自分の一族の娘を、
大王家に貢ぎ続ける意味がない。
王家同士の並立関係ならば、立場は対等で、
仮に蘇我氏の娘が大王家に入るならば、
大王家からも娘を蘇我氏にいれなければ立場は対等とならない。
実際には、蘇我氏は娘を貢ぎ続けるだけで、
両者に明らかな上下関係(大王が上、蘇我が下)
があったのは確実。
そもそも、百済亡命政権など、根拠がないがな。
馬鹿じゃねえの?
936日本@名無史さん:2007/06/13(水) 18:58:19
>最初に事実はこうあってほしい、とか、こうで
なければならない、とか、そういう前提を持ち込まないでほしいものだ。

そっくりあなたに当てはまるよ。
937日本@名無史さん:2007/06/13(水) 19:04:03
それと、一番肝心なことを言い忘れていたが、
百済亡命政権のトップは、それもまた天子ということになる
ということ。

二つの政権があり、一方に天皇というトップがいる。
しかし、百済亡命政権にもトップがおり、それをなんと呼ぶかは
問題だが、それは 日出る処の天子 の天子 であろうということ。

政権が二つなんだから、トップが二つでなにも問題がない。

これが、蘇我馬子 = 日出る処の天子 と考える者たちの
想定している前提だ。匿名ならともかく、あまり大きな声では言わないけどな。
938日本@名無史さん:2007/06/13(水) 19:04:10
>934
藤原仲麻呂は聖武天皇の皇子を暗殺したが、問題にならなかった。
このことをもって天皇家と藤原氏は対等であったとでもいいたいのか?

逆だよ。
大王よりも蘇我氏のほうが下であったからこそ、暗殺なんだよ。
対等か、蘇我氏が上なら、「征伐した」でいいわけだからね。
大王よりも蘇我氏が下、
天皇よりも藤原氏が下。
だから、暗殺するわけ。
問題にならなかったのは、
蘇我馬子の背後に推古女帝という大王家の協力者、
藤原仲麻呂の背後に光明皇后という内部協力者があったから。
推古女帝や、光明皇后の協力なしにことが運ばなかったのは、
蘇我氏や藤原氏にそれだけの力がなかったという何よりの証拠。
939日本@名無史さん:2007/06/13(水) 19:06:06
>両者に明らかな上下関係(大王が上、蘇我が下)
>があったのは確実。

天皇殺しても文句言われたないほど、天皇より地位が下だった
わけなんだな。頭、大丈夫か?
940日本@名無史さん:2007/06/13(水) 19:29:57
蘇我氏が、百済亡命政権であり、6世紀、皇室と並存していたのではないか、
というのはいろいろ傍証がある。

http://www.okunomasao.com/saikin/051126Ronbun.htm
 広開土王の時代、高句麗は領土を最大限にひろげた。国内城東郊にある広開土王碑には、
 396年に百済王都の漢山城を攻め、58城、700村を奪取、400年に5万の大軍を百済に派遣して
 倭や加羅を撃ち、新羅に朝貢させたなど」「破壊した城64、村1400」、「生口1000人」
 など多数の捕虜や牛馬を獲得した功績が刻まれている。
 
 古代の征服戦争では、敗戦国の家畜や財物は奪い尽くされ、兵士や住民は奴隷として異国で
 果てる運命にあった。それから逃れる一つの道が、海を越えて倭国に移住することであった。
 
 長寿王は27年に都を平壌に移し、475年には3万の大軍を率いて百済の王都・漢城を攻め
 陥した。百済・蓋鹵王は高句麗軍に殺された。高句麗はこの勝利で漢江以北を領有した。
 王子の文周王は貴族の木пiり・ら・羅)満致、祖彌粲取らと南に落ち延び、錦江上流の
 熊津(公州)を国都に百済の再建をはかった。しかし王族や高官の間に内部抗争がつづき、
 478年、文周王は暗殺された。木満致はその後の百済史から姿を消した。

 一方『日本書紀』応神天皇25年条に、百済の国政を執った木満致が登場する。
 
 「25年に百済の直支王薨りぬ。即ち子・久爾辛王、立ちて王となる。王年幼し。木満致、
 国政を執る。王の母と相婬けて、多に無礼す。天皇聞こしめして召す。
 百済記にいわく。木満致は、是れ木羅斤資、新羅を討ちし時に、その国の婦を娶りて生む
 ところなり。その父の功を以て、任那に専横せり。わが国(百済)に来入りて、貴国(倭国)
 に往還(かよ)ふ。制を天朝(倭国の天皇)に承りて、わが国(百済)の政治を執る。
 権勢世に当れり。しかるを天朝、その暴(あしき)を聞しめして召すという」


要約すると、
百済王族の外戚・木満致が当時の日本に亡命し、蘇我氏の祖になったということだな。
941日本@名無史さん:2007/06/13(水) 19:33:20
百済記にいわく。木満致は、是れ木羅斤資、新羅を討ちし時に、その国の婦を娶りて生む
 ところなり。その父の功を以て、任那に専横せり。わが国(百済)に来入りて、貴国(倭国)
 に往還(かよ)ふ。制を天朝(倭国の天皇)に承りて、わが国(百済)の政治を執る。
 権勢世に当れり。しかるを天朝、その暴(あしき)を聞しめして召すという」

の 制を天朝(倭国の天皇)に承りて、わが国(百済)の政治を執る に
注目してほしい。

普通これは、亡命政権という。近代以後ならなw
942坂本太郎:2007/06/13(水) 19:46:34
君たち見守っているよ。
943日本@名無史さん:2007/06/13(水) 19:57:12
>>939

妃を献上するのって下がやるものだっけか?
てか、天皇を殺して、どうして成り代わらなかったのかな?
944日本@名無史さん:2007/06/13(水) 19:58:34
>>940

・・・・並列?なるほど、一方のしたに隷属している状態が
「亡命政権」かw
945日本@名無史さん:2007/06/13(水) 22:15:11
>>944
歴史を捻じ曲げるな。

隋の使者に対して、我は天子であると名乗ったのに、
なんで皇室に従属してるんだ?

まったくの第三者である証言者がいる。
それが、中国というか隋だ。

推古女帝のとき、倭の王は男性だったといっている。

『国記』(くにつふみ)・『天皇記』(すめらみことのふみ)と言った
皇室が代々受け継ぐべき史書を蘇我氏が所持し邸宅で保管していた。
(要するに、国史撰録を馬子がしていたということ)

蘇我蝦夷の邸宅が「上の宮門」(かみのみかど)、子の入鹿の邸宅が
「谷の宮門」(はざまのみかど)と呼ばれており、蘇我入鹿の子らが
親王の扱いを受けていた。

これらはいずれも、皇室と百済亡命政権の並存状況を示す。

いいかげん、歴史を改竄しようとするのはやめろ。
隋書に書いてあるだろ。目がついてないのか。
946日本@名無史さん:2007/06/13(水) 23:10:56
あんまし中国の史書を絶対視するなよ。
たとえば、『明史』の織豊時代の部分を読んでみ。
ズッコケるから。
947日本@名無史さん:2007/06/13(水) 23:38:59
まあ、たしかに『明史』日本伝は笑えるようだけど。(下記、参照)
一方で、実在が疑問されていた殷に関して、『史記』の伝える歴代の王名とはるか後代に
発見された古代の甲骨文字の記載が一致し、実在がほぼ証明されたという例もある。

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku256.htm
『明史』日本伝の懐良親王の記事
『明史』は、明の滅亡直後から多くの学者を動員して編纂され、傑出した正史と言われている。
しかし、その中の日本伝をみると至るところに間違いがある。

たとえば、「日本国王良懐」という王を記し、その上奏文を載せている。 「良懐」というのは、
後醍醐天皇の皇子で、南朝の征西大将軍として九州で活躍していた「懐良(かねなが)親王」の
ことある。 懐良親王を日本国王と間違えたうえに「懐良」を「良懐」と逆に記している。

また、つぎのような記述がある。

「参謀阿奇支(あきじ)という者があり、罪を信長に得た。 秀吉に命じて兵を統べ、これを
討たせた。俄(にわか)にして信長が、その下明智のために殺された。 秀吉は方(まさ)に
攻めて阿奇支を滅ぼそうとした。」

この文を読むと、阿奇支と明智は別人のようである。 しかし、秀吉が攻めていたのは毛利氏で
あって、阿奇支ではない。 阿奇支はおそらく明智を音で記したものでありそれを毛利と混同した
のであろう。
948日本@名無史さん:2007/06/14(木) 00:18:29
だいたい日本書紀はウソ!って決め付けるDQNが珍説を発表するw
949日本@名無史さん:2007/06/14(木) 03:57:47
でも読むと、
これどこの古代中国の聖王?とか
これどこの殷の紂王?とかあるからなぁ
950日本@名無史さん:2007/06/14(木) 06:28:21
>>942
安らかに成仏してください。
951日本@名無史さん:2007/06/14(木) 14:30:21
>>949

例えば?
952日本@名無史さん:2007/06/14(木) 18:29:19
>>947
間違えたわけでなく
懐良親皇はサク封を受けていたはず
953日本@名無史さん:2007/06/14(木) 18:52:22
>>949
だから日本書紀はウソなのか?
954日本@名無史さん:2007/06/17(日) 19:44:36
専門外の者だが質問します。
蘇我氏が百済系って、そうなの?
藤原氏(中臣鎌足)が百済系で、反百済の蘇我氏を殺し(大化の改新)、
その時組んだ、中大兄皇子・後の天智天皇が、百済復興の「白村江の戦い」をやったんではないの?
この認識間違いだったら、簡潔に教えて。
955日本@名無史さん:2007/06/17(日) 21:36:21
専門外の住人しかいません。
956日本@名無史さん:2007/06/17(日) 22:33:23
自称でもウソでもいいから専門家はいないのかい?

>>954
曽我氏は高句麗系のような気がする。
藤原氏はまったく不明。
天智天皇は純血系で「白村江の戦い」は大陸の情勢がわかってない上での失策だったと思う。
957日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:06:32
母系が高句麗系だと思う。
おそらく、550年の道薩城の役後、大伴狭手彦が蘇我稲目に送った、
高句麗の美女媛と吾田子のいずれかが、蘇我馬子の母親だと思う。
958日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:19:39
中大兄皇子は、父舒明天皇の代に亡命してきた
百済の王子を支援する形をとっていたように思う。
豪族が百済系だの、高句麗系だの、いったところで、
帰化してしまえば、本国とのつながりはない。
中臣家(藤原氏)は外来種ではないと思う。
959日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:20:50
百済王族(の最有力外戚)の木満致が、
蘇我氏の祖の蘇我満智とされてるんだから、
もともと百済系で間違いないだろ。

なにしろ、これは日本書紀と百済紀に書いてある
ことだから。

つーか、先に挙げられてる
http://www.okunomasao.com/saikin/051126Ronbun.htm
にそのまま書いてあるじゃん。
960日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:24:37
百済王族の木満致と豪族蘇我満智を結びつけることに対しては、異論が多い。
そもそも、蘇我稲目以前の蘇我氏の家系図は、
信憑性が薄い。
蘇我満智は蘇我氏系図にしか現れず、実在性が疑われている。
961日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:25:41
>豪族が百済系だの、高句麗系だの、いったところで、
>帰化してしまえば、本国とのつながりはない。

とんでもない勘違いだよ。
木満致は、倭にあって百済の政治をほしいままにし、
恨みをかった、という趣旨が百済紀に書いてある。

要するに亡命政権なんだが、本国政権がないわけで、
亡命政権が唯一の政権でもあったということだろうよ。
962日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:31:42
>>954
日本書紀の神功皇后や応神天皇のところに、木羅斤資と木満致(母は新羅人)という親子が出てくる。
よく読むと木羅斤資は神功や応神の家来、木満致は応神の家来としか読めないが、アンチ皇国史観という古臭い偏見のため、百済の将軍とされた。
時には、「木羅」という名が朝鮮っぽいから百済人などと言う高名な学者もいる。
で、木満致は、蘇我満智に名前が似ているからそういつ人物であると、根拠レスに主張。
故に、蘇我氏は百済であると。

要するに
木満致は、百済人で、蘇我の祖先。
その理由は、
a 木満致の父の「木羅」という名が朝鮮っぽいから。
b 木満致の満致が蘇我満智のマンチっぽいから。

アホらしか。なら行くぞ。
満致がオマーンっぽいから、木満致は、オマーン国王の祖先!!!
963日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:32:30
日本書紀と百済記に次のようにある。
これが、蘇我満智でないとは考えがたい。

『日本書紀』応神天皇25年条に、百済の国政を執った木満致が登場する。

「25年に百済の直支王薨りぬ。即ち子・久爾辛王、立ちて王となる。王年幼し。
 木満致、国政を執る。王の母と相婬けて、多に無礼す。天皇聞こしめして召す。

百済記にいわく。
木満致は、是れ木羅斤資、新羅を討ちし時に、その国の婦を娶りて生むところなり。
その父の功を以て、任那に専横せり。わが国(百済)に来入りて、貴国(倭国)に
往還(かよ)ふ。制を天朝(倭国の天皇)に承りて、わが国(百済)の政治を執る。
権勢世に当れり。しかるを天朝、その暴(あしき)を聞しめして召すという」
964日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:36:07
>>962
お前のその素晴らしい説は、百済記と矛盾する。
よって、無価値。
965日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:38:30
百済の木満致は、実在の人物だろうね。
だから、何?
蘇我満智が実在した証明となる史料をもってきてほしいんだけど。
文章、読めてる?
966日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:52:31
お前は百済記が、

日本にいながらにして、百済の政治を牛耳っていたという人物が
日本では有力貴族でもなんでもなく、たとえば一般庶民として
乞食みたいな生活でもしていたと、言いたいわけか?

頭、大丈夫か?
967日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:59:57
>>964
矛盾?  どこが?

ちなみに、>>953でも、
「わが国(百済)に来入りて」
つまり、木満致は、外部から百済へやってきた。

「制を天朝(倭国の天皇)に承りて、わが国(百済)の政治を執る」
木満致の命令権者は倭国の天皇(=応神)としか読めない。
この当時、百済が倭の属国で、木満致は倭人とすれば、何の矛盾もない。

なお、当時の百済や新羅は倭の属国になったり、独立したり、高句麗の属国になったりと安定しないことは、
高太王碑文から明白。
968日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:01:20
間違えちった。

>>964
矛盾?  どこが?

ちなみに、>>963でも、
「わが国(百済)に来入りて」
つまり、木満致は、外部から百済へやってきた。

「制を天朝(倭国の天皇)に承りて、わが国(百済)の政治を執る」
木満致の命令権者は倭国の天皇(=応神)としか読めない。
この当時、百済が倭の属国で、木満致は倭人とすれば、何の矛盾もない。

なお、当時の百済や新羅は倭の属国になったり、独立したり、高句麗の属国になったりと安定しないことは、
好太王碑文から明白。
969日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:03:34
>966
頭、おかしいのはお前だよ。

木満致が日本に住んで、
百済の政治をとっていたなんて、
どこにも書いてない。
木満致はいつ、日本に移住して、
蘇我の姓を賜ったというんだ?
970日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:03:57
 メーソンによる世界経済破壊に続く第3次世界大戦
 北京オリンピック終了後、メーソンは弱者を犠牲にしてしか成り立たない偽
りの資本経済を維持する為に、世界経済から資金を引き上げて恐慌を引き起こ
す。手始めに中国バブルを起こす。中国はバブル崩壊によって経済が潰れ、人
民が暴動を繰り返す。北朝鮮は韓国等の経済援助を断たれて行き詰まり、祖国
統一をうたって韓国に侵攻する。それに呼応して中国は台湾を侵略する。日本
は誤った憲法解釈の下に集団的自衛権を行使して、同盟国の韓国、台湾を救出
すべく自衛軍を派兵する。北朝鮮の後には中国、ロシアが控えており、日本は
格好の餌食となる。ロシアは北海道より攻め寄せてくる。日本の大都市は中国
等の核攻撃を受ける。アメリカは助けてくれないばかりか日本を攻撃する。こ
の時日本人は知るだろう。なぜ、黒船が来たのか。太平洋戦争で日本を挑発し
たのか、侵略者に仕立てたのか。大空襲と原爆で日本人を大虐殺したのか。金
融の自由化、バブル崩壊による日本経済の破壊と乗っ取りが行われたのか。こ
れらは日本を破滅させて占領するためである。
 国家権力の牙が国民を襲う
 国家の破産を先送りにする為に、福祉の切り捨て、大増税が敢行される。国
の借金3000兆円(隠している分も加算)を解消するには焼け石に水である。
政府とすればこれを誤魔化す為には、外国から侵略されて戦争になってくれた
方が有り難いのである。支配層は国を売って奴隷になっても構わないと思って
いるやつらである。こんなやつらが日本を支配しているのだからお先真っ暗で
ある。国民は預金封鎖と大増税で、金と財産を巻き上げられ、住基ネットによ
り管理されて、反逆者は食料も得ることが出来ず抹殺される。運の良い者は共
謀罪で牢獄に収監される。政府は携帯電話による盗聴、防犯カメラ、公安、2
チャンネル等で反逆者を捜索している。
971日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:05:24
いつも思うんだが、なんで日本の歴史書は捏造で、チョンやチュンの歴史書は信憑性があるの?

そういう根拠って何?
972日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:13:07
応神朝の出来事の割りに、
蘇我氏が活躍をはじめるのは、欽明あたりからだよね?
宣化あたりが初出で、それまでは蘇我氏の名前など、正史に一切出ない。
百済の政治を牛耳った大貴族、日本へ移住しても大豪族、だというのならば、
なんで日本側の史料に満智の活躍が描かれないの?
応神朝から天智朝まで、日本の天皇家の外交政策は、
すべて木満致とその子孫の政策だというのならば、
応神以降の王朝で、蘇我氏は第一の外交担当豪族として史料に登場するはず。
でも、実際に、将軍などの名前として史料にある日本側の大豪族は、
もっぱら葛城氏や平群氏なんだよね。
蘇我氏が重用された形跡は、一切なし。

973日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:18:49
http://www.han.org/a/half-moon/hm081.html

<蘇我氏と百済の木氏とのかかわりを示すものは、ほかにもある。のちの蘇
我本宗家のひとりとして名高い蘇我鞍作(入鹿)は、林太郎鞍作ともいわれた
のであるが、その林氏は「百済国人、木貴の後なり」との所伝(『新撰姓氏
録』摂津国諸蕃)をもちつづけた。これもその傍証となろう>
974日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:26:37
チョンチキがまた騒いでるなw
975日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:51:05
>>973 林太郎鞍作
ソースをお願いします。
976日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:57:02
このぐらいのソースで我慢せえや。

http://ja.wikipedia.org/wiki/蘇我入鹿

蘇我入鹿(そがのいるか、生年不詳 - 大化元年6月12日(645年7月10日))は、
大和朝廷の有力者。大臣(おおおみ)。異称は林大臣、鞍作大郎など。
977日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:05:52
だいたいにおいて、
満智の子が韓子(からこ)で、その子は高麗(こま)。
(その次が稲目だが。ちなみに、満智より前の系図は創作と言われる)

朝鮮系でない(つまり、大和土着の豪族)というなら、
なんでそんな名を付けるのよ。

常識をもって判断しろよ。
皇国史観もいいが、あまりに無理な論は、日本の品位を貶める。
978日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:09:43
どちらにしろ想像でしか話できないならすべきではない。
終了。
979日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:11:00
お前は、皇国史観に合致しないものは認めないのか!
俺は、真実しか認めないぞ。
980日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:13:39
雄略天皇の妃、葛城韓媛、
これも朝鮮系だといいかねんな。
ここのチョンチキは。
981日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:19:35
>>976
『上宮聖徳法王帝説』か?
近江、林、豊浦は、いずれも地名ではないの?
一貫性のある読み方のほうが好き。

葛城皇子=中大兄(=近江天皇)であっても葛城の一族ではない。
林太郎=入鹿としても林の一族とは限らないよ。

門脇信者?
982日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:23:38
常識で言うのなら、「韓子」というのは渡来氏族が使う名称ではないよね。
逆に、朝鮮系氏族に「韓子」とか「高麗」といった名前は見かけない。
「大日本人娶蕃女所生爲韓子也」(継体紀24年より)とあるし、
奈良時代には「県犬養唐」という人がいるが、この人は唐人なのかい?
983日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:23:42
>977
満智より前の系図が創作だなんて、誰が決めたの?
そもそも、日本の正史、日本書紀、古事記には、
稲目より前の人物は登場しない。
信憑性がないんだよ。
それを、満智までさかのぼらせるあたりが、君の創作。
いや、君が信仰する先生の創作か。
984日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:24:46
>>977
大昔の名前の流行や好みなんぞ、今さら勝手に憶測してもしょうがない。

むしろ、蘇我氏が百済系だというといいながら、高麗(こま)という名はOKなど、本当にどうしようもない。
行き当たりばったりにしか考えていないだろ。
985日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:25:51
>>979
皇国史観だろうが蘇我氏が百済系だろうが、
どちらも想像・妄想が入った仮説にすぎず、
お前の欲している「真実」ではない。
真実が知りたければタイムマシーン作るほうが早いw
986日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:51:43
蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿
まずこの名前が創作。

 馬鹿の語源は中国の漢代、
秦の二代皇帝胡亥を馬鹿にして創作された作り話が語源
と考えられ、前権力を否定する為に作られた
話が馬鹿の語源である。

 日本書紀を創作した奈良時代にこの言葉が
日本に伝わり、最新の言葉が使われた。
蝦夷は大和朝廷が征服途中であった、
東北地方の蛮族を差別、卑下した総称である。

馬子、蝦夷、入鹿は蛮族を馬鹿でサンドした名前、
実在の名称としてはありえない。

隋との国交を樹立して、日本初の憲法を制定した
人物が蘇我馬子であったら都合が悪かったと考えられる。

後の権力者であった藤原氏の創作が濃い「日本書紀」を
今時鵜呑みにする学者は、絶滅危惧種。
987日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:56:41
また湧いたよ。蔑称説馬鹿が。orz
988日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:58:02
>>980
>雄略天皇の妃、葛城韓媛、
>これも朝鮮系だといいかねんな。

この流れをくんでいる可能性はないとはいえない。
というか、この娘は誰にあたるのかな…

http://ja.wikipedia.org/wiki/倭・倭人関連の朝鮮文献
三国史記(新羅本紀)
312年 春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために
求婚したので、王は阿飡の急利の娘を倭国に送ってやった。
989日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:00:55
漢代に語源があるならもっと早く入ってきてるだろwww

あと名前の創作なんて言ってるやつまだいるんだなw
990日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:01:01
「馬鹿・バカ」の語源説は調べてみた方がいいぞ。
991日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:05:40
>988
雄略妃葛城韓媛は、雄略に滅ぼされた葛城円大臣の娘で間違いないのだが。
葛城韓媛の子が、清寧天皇。
312年は、謎の4世紀、日本に史料がない時期であり、
少なくとも五世紀仁徳天皇以降の倭の五王とは関係がない。
現在の天皇家との関係も不明。
992日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:25:28
しかし、余談になるが、
この(他国の王家に)通婚を求めるという手法が、
当時の日本が朝鮮半島に足場を築くことになったのかねぇ。

そして、皇室は皇室であると同時に、朝鮮王家の血筋をも
受け継ぐという展開に…
993日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:37:09
雄略朝にも池津媛なる人物が天皇に贈られたらしいが、
(池津媛は結局、家臣と密通したため天皇妃にならなかったが)
史料を読む限り、朝鮮籍の妃を母とする天皇は見当たらない。
だから、今上の「桓武天皇の母は〜」発言になるんじゃないのか。
それ以外は、散見されない。
桓武天皇の母高野新笠は、父方はたしかに渡来系の「和」氏だが、
母方は日本土着の「土師」氏。
純粋培養の外国人などではない。
すでに、日本で何代にも渡って住み、本国での権力など全くなかったが。
994日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:53:02
蘇我満智と、百済王族外戚・木満致の件だが、

蘇我満智が日本に来たのは、だいたい475年過ぎのこと。
http://www.okunomasao.com/saikin/051126Ronbun.htm
その後、百済では東城王が即位した。

その件につき、三国史記と日本書紀では次のようにある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/東城王

 『三国史記』では三斤王が479年11月に死去去したので王位についたとするだけであるが、
 『日本書紀』雄略天皇23年(479年)4月条では、「百済文斤王(三斤王)が急死したため、
 当時日本に滞在していた昆支王の5人の子供のなかで、第2子の末多王が幼少ながら聡明だった
 ので、天皇は筑紫の軍士500人を付けて末多王を百済に帰国させ、王位につけて東城王とした。

なぜに日本がこのような力を持ちえたのかと考えたとき、
百済王族外戚・木満致(蘇我氏の祖である蘇我満智)が日本にいたからと考えれば、理解しやすい。
995日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:57:43
妄想
996日本@名無史さん:2007/06/18(月) 16:00:06
>994
その偉大なる蘇我満智が、なぜ一切史料に登場しないかについては全く答えず。
妄想君、もう出て行ってよ。
997日本@名無史さん:2007/06/18(月) 16:04:25
>>994
すでに405年にも同じようなケースがあるんだが?
998日本@名無史さん:2007/06/18(月) 16:04:40
おまえなぁ、
日本書紀は蘇我氏の事績を否定するために作られたもの
なんだから、出てこなくても不思議でないと分からんのか。

ああ、馬子編纂の国史があったらなぁ。

次スレ立てるのか? 立てるなら、

日出る処の天子 は馬子か太子か

とでも題してほしいね。
999日本@名無史さん:2007/06/18(月) 16:11:58
>998
蘇我氏の功績を否定したいのなら、
欽明以降の蘇我氏の活躍こそ、全部省くべき。

日本書紀にかいてないことを捏造することが、正しい解釈?
違うだろ。

頭おかしいんじゃねえの?
1000日本@名無史さん:2007/06/18(月) 16:14:24
捏造君の話で、終わってしまいました・・・
10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。