1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:04/02/03 00:44
3 :
日本@名無史さん:04/02/03 00:46
4 :
日本@名無史さん:04/02/03 00:56
5 :
日本@名無史さん:04/02/03 00:59
旗本
江戸時代、将軍直属の武士のうち、禄高が一万石未満で御目見え以上の格式のあった者(御目見以下を御家人という)。
江戸時代には将軍の直臣のうち、大名(1万石以上)・御家人(御目見以下)を除いた1万石未満、御目見え以上の家格の者。享保年間(1716年―1736年)5200人、文化年間(1804年―1818年)4800人、嘉永年間(1848年―1854年)には5280人がいた。
俸禄は最高9500石(横田氏)から10人扶持まで。各自陪臣を有し、御家人とあわせて俗に旗本8万騎と称されて幕府の軍事力をなしていた。
知行所を与えられた者も多く、3000石以上は陣屋をもったが、大多数は幕府代官に収納をまかせ蔵米だけを受け取っていた。
旗本の幕府勤仕は有職を原則としたが、無役の者も3分の1近くにのぼった。 有職者は武事系の番方と文事系の役方に分かれ、はじめ番方が重視されたが、泰平が続き行政が複雑になると役方が重きをなすようになった。
無役の者は3000石以上・布衣(ほい)以上の者が寄合、それ以下の者は小普請に編入された。
旗本と御家人とあわせて直参(じきさん)という。
6 :
日本@名無史さん:04/02/03 19:35
>1
お疲れさん。
とりあえず新スレおめ。
7 :
日本@名無史さん:04/02/03 21:29
無役の御家人は何してたの?
+
+
* ○__ +
‖ ~" ー 、,,_
+ ‖ ウリ領土 , >
+ ∧_∧ ‖ _,:-−'´ * +
∧_∧ <`д´ >‖~ ~∧_∧ +
∧_∧ <丶`д´> _∧∧_∧つ <`д´ >
<丶`д´>( ) `д´>`д´>::::::( )∧_∧ ∧_∧
( ) |∧_∧ ) ∧_∧:::| | |<丶`д´>∧_∧<丶`д´>
| | | <`д´ > | | <丶`д´>∧_∧ ( <丶`д´> )
:::〈_フ__フ;;;;( )_フ__フ( <丶`д´>| | | .( ) | |
9 :
日本@名無史さん:04/02/04 02:15
10 :
日本@名無史さん:04/02/04 05:22
11 :
日本@名無史さん:04/02/04 09:27
大身の横田家の子孫とか
花房家の子孫とか、登場しないかな・・・
平野家や山名家みたいに華族になった家も・・
12 :
日本@名無史さん:04/02/06 00:06
腹減ったなー
13 :
日本@名無史さん:04/02/07 20:05
age
14 :
日本@名無史さん:04/02/07 20:14
花房家のHPならある。
15 :
日本@名無史さん:04/02/07 20:15
>14
雄琴のソープの間違いじゃないだろうな?
16 :
日本@名無史さん:04/02/11 00:07
age
17 :
日本@名無史さん:04/02/14 00:28
>平野家や山名家みたいに華族になった家も
旗本が華族になるのはかなり運次第という気がするが、、、
18 :
日本@名無史さん:04/02/16 15:25
>17
そういやそうだな。
山名みたいな名門はわかるが、平野はなぁ・・
禄高なら、横田とか板倉とか他に万石級の家もあるし。
これらの家は申請しなかったのか?
いくら高家だったといえ、大沢とか、由良とか座光寺とかが申請してるのに
これらの大身が申請してないのが不思議だな。
そこんとこの事情知ってる人いるかな?
19 :
日本@名無史さん:04/02/16 20:25
高家や交代寄合には元々徳川家とは主従関係のなかった家が多く、
江戸開城前にいち早く上京し、新政府に帰順して朝臣になった者が多い。
横田や板倉は関ヶ原以前の家臣であり、江戸開城以前に上京していない以上、
諸侯取り立ての目はなかった。
20 :
日本@名無史さん:04/02/16 20:30
また、山名や平野が早くに帰順したのは、畿内周辺に所領を持っていたため、
新政府から本領安堵を受ける必要性があったということもある。
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22 :
日本@名無史さん:04/02/16 22:08
>21
一応殿様ちゅうことでw
しかし、かわいいw
23 :
日本@名無史さん:04/02/21 14:19
age
職場の同僚からの情報
いたい旗本の子孫氏=官僚説との情報あり
25 :
日本@名無史さん:04/02/21 20:45
>24
その割に、文章読みにくかったな。
年末忙しそうだったから、中央省庁かとは思ったが・・
職場の同僚は、どういう理由から官僚だって言ってるの?
26 :
日本@名無史さん:04/02/21 20:52
そういう、あんたの職場の方が気になる。
27 :
日本@名無史さん:04/02/21 20:57
俺の職場に屋根はない!
28 :
日本@名無史さん:04/02/22 01:17
幕末の旗本も今の官僚も似たようなモノかも
29 :
日本@名無史さん:04/02/22 18:21
武家貴族vs受験貴族ですね
同僚の彼女が某省庁のアルバイトしていて、ここの前スレに頻繁に
書き込んでたと言うとこからです。
書き込んでいた人がいたそうです
32 :
日本@名無史さん:04/02/22 23:28
時代劇なんかでは奉行職なんかに就く旗本は、何千石なんていう大身の旗が多い
けど、少なくとも江戸後期はほとんどが千石未満の小禄の旗本が多かったんです
ってね。家柄なんかも結構怪しい人が多かったりして。
むしろ幕末に出てきた、幕末最大のテクノクラート(と私が思う)小栗忠順なん
ていうのは例外だったんでしょうか?
天下の直参なんて言っているけど、幕政批判の狂歌、ちょぼくれといった類の
作者は旗本の隠居なんかが多かったらしい。
33 :
日本@名無史さん:04/02/22 23:54
でも何か、官僚が勤務時間に2ちゃんにカキコか?
このご時世に面白すぎるなぁ。
自宅や官舎で2ちゃん見るのは結構だが、
役所でやっちゃまずくないか?
34 :
日本@名無史さん:04/02/23 00:00
まあ、ええやん。面白ければ。
35 :
日本@名無史さん:04/02/23 21:11
age
したがって稼がねばならない。
37 :
日本@名無史さん:04/02/24 16:19
8万騎もいたのになんで倒幕なんかされちゃったの? 弱いの?
38 :
日本@名無史さん:04/02/24 22:10
age
39 :
日本@名無史さん:04/02/24 22:26
戦国最強の三河武士も300年の安寧をむさぼり、、、
40 :
日本@名無史さん:04/02/24 23:05
>>37 官軍が来たときは雨戸閉めてブルブル震えてたんだよ
41 :
日本@名無史さん:04/02/29 22:19
age
>>37 旗本八万騎に対して、外様十八万騎と言われている。
43 :
日本@名無史さん:04/03/02 22:00
44 :
日本@名無史さん:04/03/02 22:01
フランス式の軍装してたはず
そうだね。幕府には海外から招いた軍事顧問が何人もいたね。
46 :
日本@名無史さん:04/03/03 21:23
そしたら農民の素人集団に負けなくないか?
百姓にも意地とプライドがあります。
江戸の旗本事典 (講談社文庫) 小川恭一
概論としては良い本です。
49 :
日本@名無史さん:04/03/04 22:38
>48
そだな。結構おもろかった。
その手の本で他にいい本無い?
安いので。
安室奈美恵とオマンコしたいね。
51 :
日本@名無史さん:04/03/05 15:05
現代の官僚=江戸の旗本=将来(今)の時代劇の悪役
職場のパソコンは、保全のため火壁等の処置をしているため書き込みできない
のですよ。私は、職場からなんて書き込みませんよ。一応、弁解しときます。
53 :
日本@名無史さん:04/03/08 20:39
>52
いいんだよ、気にしなくても。
また、ネタ提供して頂戴。
54 :
日本@名無史さん:04/03/08 20:53
ようするに役立たずの穀潰しだったんだねぇ
55 :
日本@名無史さん:04/03/24 21:55
>>45 大半の幕臣は言うこと全然聞かなかったから
結局あんまり役にたちませんでした。
57 :
日本@名無史さん:04/03/26 01:13
確か、今現在も徳川宗家中心の旗本子孫の集まりなんてのがあるらしいけど・・・
・・・いったい”どの面下げて”集まっているのかと。
58 :
日本@名無史さん:04/03/27 19:35
武田遺臣系や大名分家の旗本って三河系の旗本と
生活文化が違うとか言うことはなかったんだろうか?
59 :
日本@名無史さん:04/03/27 21:27
上野戦争で最後まで残った奴とさっさと江戸から逃げた奴の子孫は確執だらけだろうなw
それ言うならさっさと新政府の官僚になり遂せた連中と
駿府に無禄移住した連中とか。
うまく帰農できた香具師とそうでない香具師とか。
61 :
日本@名無史さん:04/04/10 15:53
age
62 :
日本@名無史さん:04/04/27 11:34
甲府勤番山流しになった旗本の子孫とか来ないかな。
甲府勤番の歌とかあったって聞いたことがあるが・・
八万って言う割には五千しかいないの?
旗本、御家人とその家臣の軍役規定での総数が8万近くの人数に。
語呂が良いから八万騎と俗称されたにすぎない。
もちろん平時にこれだけの人数の家臣をかかえてはいなかった。
65 :
日本@名無史さん:04/05/20 00:47
じゃあどのぐらいだったんですか?
旗本:5205人(享保7年の調査)
御家人:17、399人(享保7年の調査)
例えば1000石の旗本の場合だと。
用人二人、給仕一人、小姓三人、足軽二人、中間八人、女中七人
など家来や使用人も含めて二十三人ほど屋敷にいたという。
戦時の場合
軍役規定では人数21人を動員(侍5人、槍持等16人)
67 :
日本@名無史さん:04/05/30 05:32
【畠山家】(河内畠山家)
清和源氏足利氏流
高家
摂津国八部郡、下野国都賀郡内5000石。在所:下野国嘉右衛門(現:栃木市嘉右
衛門町)。
義純・泰国・時国・貞国・家国・義深・基国・満家・持国・政長・尚順・
稙長・政国・高政・昭高・貞政・政信
政信が徳川家康に仕えて以降、基玄・基祐・国祐・政如・国儔・国祥・基利・基徳・
基永と続いて、最後の基永は明治維新後、足利菊麿と改名したようだが、家系はまだ
続いてるのかな?
信玄の子孫と信長の弟筋の子孫が仲直りしたらすいね
69 :
日本@名無史さん:04/06/16 01:35
大身の旗本の子孫ってどんな職業に就いてるんだろ。
織田家の宗家ですらda埼玉県庁職員なのに。
70 :
日本@名無史さん:04/06/16 03:27
幕臣伊庭八郎の子孫ってどうなっているのかな?
72 :
日本@名無史さん:04/07/25 01:48
73 :
日本@名無史さん:04/07/25 23:12
age
74 :
日本@名無史さん:04/07/30 21:46
大名って、外様と譜代があるけども、
旗本や御家人には、外様と譜代はないのか。
本来あるはずなんだけど、そういう区別しないのかな。
たとえば、大名が減封されて万石以下になったとき、
もともと外様でも、旗本になった途端、そういう言い方はなくなるん?。
その後加増で大名に返り咲いたら、今度は譜代になれたりするか。
関が原で改易された大名とか、一万石未満という形で生き延びたら、
どういう扱いなんだろ。
>>74 旗本も譜代・外様の区分は可能だが、一般にそのような区分はしない。
76 :
日本@名無史さん:04/08/11 11:33
あげ
77 :
日本@名無史さん:04/09/08 22:08
「譜代」は御家人だと違う意味になるな
79 :
日本@名無史さん:04/10/01 01:50:25
>>74 一応区分はある、安祥譜代、山中譜代、岡崎譜代などというようにね。
でも大名のように差別待遇は制度されておらん。
外様の分家の旗本が幕府の要職についたりしてるよん。
81 :
日本@名無史さん:04/10/05 14:58:51
DQNな旗本もいたみたいだね
>81
お前みたいだな
あ〜旗本八万騎ね、まあつよいっちゃつよいね
84 :
日本@名無史さん:04/10/07 00:31:12
85 :
日本@名無史さん:04/10/07 01:52:45
先祖が旗本なんだけど、俺自身にはあまり影響がないかな
86 :
日本@名無史さん:04/10/07 21:31:31
旗本八万騎 VS 満州八旗
袁崇煥の火力>満州八旗>旗本八万騎
88 :
日本@名無史さん:04/11/07 17:50:53
袁崇煥ってだれ?
89 :
日本@名無史さん:04/11/07 17:59:58
旗本の子孫でも、維新後にすぐ帰農(商)した家は士族じゃない。
士族になれたのは、朝臣になった家と静岡藩士になった家。
士族たることを羞じて、意志的に平民を選んだものもいる
91 :
日本@名無史さん:04/11/20 00:01:21
旗本も大名も将軍の直臣なのに、旗本の家臣は平民で、大名の家臣は士族というのはどうして?
92 :
日本@名無史さん:04/11/20 00:12:04
士族の族称ができたときは、大名(徳川宗家も)は天皇の直臣、旧旗本は陪臣だから。
93 :
日本@名無史さん:04/11/20 09:55:20
朝廷直臣になった大身旗本もいたけど、こっちの方はどうよ?
封建的な主従関係は否定されて
旧殿様も旧藩士も、等しく天皇の臣民になったのよ
(心理的な主従関係は残ったけどね)
95 :
日本@名無史さん:04/12/03 15:09:33
心理的以上の繋がりがあったケースもないわけではない。
96 :
日本@名無史さん:04/12/11 14:49:19
旗本の家来で士卒族に編入された家はある。
諸侯の陪臣でも士族に列した家は多数。亘理伊達家・片倉小十郎家他
97 :
日本@名無史さん:04/12/11 14:51:23
公家の諸大夫家も士族
98 :
日本@名無史さん:04/12/12 18:10:44
お前らは死族
旗本というのがいまいちわからない。
領地もっているのか、有名な者はいたのか。
100 :
日本@名無史さん:04/12/20 01:11:49
>>99 遠山の金さんなんて有名だろ。
鬼の平蔵とかも。
101 :
99:04/12/20 01:34:25
>>100 要は幕府の役人を旗本・御家人と呼ぶでいいんだろか。
で新たに疑問なんだが、天領を治めている人らも旗本??
102 :
日本@名無史さん:04/12/20 01:38:16
どこに居ようが何石だろうが関係ない
御目見得以上の幕臣が旗本
勝海舟も旗本かな。
104 :
日本@名無史さん:04/12/20 22:58:38
105 :
日本@名無史さん:04/12/21 03:38:01
>>101 >天領を治めている人
代官のこと?
ならば代官は役料150俵の旗本。
岩瀬忠震・榎本武揚も旗本なんだろか。
てか、旗本って老中までいけないよね? 幕府直轄なのに。
旗本って老中までいけないよね? 幕府直轄なのに。
旗本って老中までいけないよね? 幕府直轄なのに。
旗本って老中までいけないよね? 幕府直轄なのに。
旗本って老中までいけないよね? 幕府直轄なのに。
旗本って老中までいけないよね? 幕府直轄なのに。
108 :
日本@名無史さん:04/12/25 13:26:45
109 :
日本@名無史さん:04/12/25 13:41:50
勝先生が陸軍総裁になったんだから、我慢しろ
110 :
日本@名無史さん:04/12/26 21:25:00
徳川忠長、綱重、綱吉が立藩する時、家臣はどうしたわけ?
旗本・御家人が割り当てられたわけだよね?
しかし選ばれた旗本・御家人は直参から陪臣になってしまって辛いな。
綱吉と綱重家は後に将軍になったわけだから振り返って見ればラッキーだったかもしれないけど忠長は取り潰されて悲惨だな。
111 :
日本@名無史さん:04/12/26 22:23:50
直参の次三男と新規召し抱えがメインだろ
112 :
重複:04/12/30 07:18:24
113 :
日本@名無史さん:04/12/30 17:09:25
明治初年の調査では約3万3千4百。
114 :
日本@名無史さん:05/01/21 14:59:02
cv
115 :
日本@名無史さん:05/01/30 12:04:46
尋ね人
私の先祖が仕えていた、梶清三郎 禄高1000石 知行地常陸国 外国奉行並 維新後行方が判りません。ご存知のかたいらっしゃいませんか。
116 :
日本@名無史さん:05/02/05 00:50:50
池袋の地下で寝てる。
117 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:22:36
とっくに死んだよ。
そりゃそうだっと
119 :
日本@名無史さん:2005/03/25(金) 21:21:28
>>115 とりあえず菩提寺。うまくいけば子孫に会える
121 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 14:42:26
彼岸とかならな。
>>120 マジな話、漏れはバッタリ出会ったことがある。お盆だったな
不確定名 MAN IN ROBES ローブをきたおとこ
出現階 10F
出現数 1匹
A.C. -1
HP 12〜48 攻撃回数 3
ダメージ 72以下
特徴 クリティカル有り
E.P. 1400〜1800
124 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 23:10:54
>>124 名前は出せないが、旗本某氏の子孫。
お蔭で、寛政譜より後の家系を教えてもらえたよ
126 :
日本@名無史さん:2005/05/14(土) 00:14:08
age
127 :
日本@名無史さん:2005/05/14(土) 05:39:18
>>37 徳川慶喜が将軍に就任した当初、
慶喜は実は薩長との戦争にやる気まんまんだった。
そして外様などに頼らずとも徳川に屈強の旗本八万旗がいるとばかり、
旗本たちに武装して江戸城に来るように命じた。
ところがその日、江戸城に集まった旗本は年端もいかない子供たちばかり、
どういうことかと調査したところ、
旗本たちは戦を嫌がり当主にしか兵役がないのに目をつけ
自分は隠居して子供たちに後を継がせて兵役を逃れたという。
これを見た慶喜は呆れて幕府の存続をあきらめたという。
幕末の旗本の腐敗、堕落ぶりを現す逸話。
128 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 22:24:54
戦国最強の三河武士も260年の特権の上にあぐらをかけばこんなもんですわ。
129 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 09:11:05
>>128>>戦国最強の三河武士
基本的に中部地方は最弱では?豊かだったので弱さを補完するために鉄砲などが発達したものと思われ。三河最強は相対的なものかと。
130 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 12:52:03
最強は薩摩隼人
131 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 14:25:29
>豊かだったので弱さを補完するために鉄砲などが発達したものと思われ
それは尾張兵
三河兵を破ったことがあるのは甲斐兵だけで後に三河兵が勝つから五分五分だろう。
尾張と三河では三河の圧勝だし。
まあ一番弱いのは尾張兵にぶちのめされて泣きをいれた薩摩だろうが
132 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 21:54:37
一番弱いのは大阪の師団ですわ
133 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 05:46:44
島津の敵中突破
134 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 07:10:42
先祖(徳川直参)の墓をみたけど。三百石級でも法名が「院殿居士」なのは
驚いた。
135 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 07:15:00
中級、高級旗本だと「院殿大居士」なんだろうな。
家は大した事ない。
136 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 07:41:08
三百石級でも旗本は「殿様」だからね。
身分の高い家(数千石クラス)でも当主の
生前の出世具合によって居士と大居士を分けてる
場合もあるらしいな・・・
5位になった当主は大居士、なれなかった当主は
居士ってぐあいにな・・・
138 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 18:07:57
うちは、どっちにしろ直参の中では低級だな。三百石だし。
三百石級っていうと、家臣は何人いたんだ?
だれかおしえて。
139 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 18:11:05
200石の旗本で侍、中間など5人くらい。
140 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 18:41:30
サンクス!!
ってことは、5人はいたわけだ。しょぼっ。
141 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 18:46:51
まあ、気にするな。
300石でも出世すりゃたいしたもん。
柳沢吉保も田沼意次も大岡忠光も
300石そこそこの旗本だったんだから。
142 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 21:56:17
age
143 :
日本@名無史さん:2005/05/22(日) 20:43:57
144 :
日本@名無史さん:2005/05/23(月) 19:24:58
>143
140かな?141だが,いいって事よw
禄や出自は違えども、同じ直参同士さ・・・
鬼平も400石だろ?な。
江戸も後期になると、小身の旗本はおろか
庶民から引き立てた人間に、実務を任せたのさ。
完全世襲制にすると、制度の実質的担い手がいなくなるからな・・・
145 :
日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:19:24
強兵だの弱兵だの現実的に考えて
あんまり意味のない概念だと思われ。
同じ日本だし兵自体の差はそんなにはあるまい。
ただ装備の差はあるかもしれない。
146 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 12:32:43
そうかねえ?
147 :
日本@名無史さん:2005/06/05(日) 12:56:54
薩摩人のような剽悍な野蛮人と惰弱な都会人である旗本とでは(ry
148 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 02:49:16
あげ
149 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 03:49:11
300石なら大したもんだよ
書院番で歴史に名を残した松平外記も300石だし
旗本と言っても数十石の者もあるし(交代寄合米良家は無石)
御家人で最高は250石程度だったはず
150 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:48:56
300石は一万石大名の筆頭家老クラス
149
松平外記は・・・ちょっとなw
米良家は広大な山林持ってたろ?確か。
152 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:27:51
>>150 300石もあるかね?
俺の母方の先祖が3万石の小藩の家老でたったの250石だよ。
153 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 11:19:09
>>144 隼新八で有名な根岸肥前守は、家禄1,000石、役高3000石だったが出自は町人
らしい。(だから、先代からの家臣ということになっている隼新八はまったく架空)
154 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 11:32:17
旗本八万旗は八万歳生きた人間しかなれない。
155 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 11:37:12
満州八期とは関係ないの?
156 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:30:08
age
157 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 02:54:52
>>153 町人出身は根岸肥前守その人じゃなくて父親。
158 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:19:38
159 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:42:06
age
160 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:23:24
age
161 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 15:42:12
age
162 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:58:35
根岸って法親王の領地ですか?
163 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 23:27:34
勝海舟の父親である勝小吉は自著の夢酔独言で自分のことをたびたび旗本だと名乗っています。
しかし、夢酔独言についていた解説文には「勝家は幕府御家人で〜」などとありました。
どちらが正しいのですか?
教えてください。
164 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 19:47:24
御家人も広義の旗本なんじゃ??
165 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 20:32:54
166 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 12:42:26
>>163 >>164 御目見えできる将軍の直臣を旗本、
御目見えできない将軍の直臣を御家人という。
勝家は御目見えできるので旗本。
167 :
日本@名無史さん:2005/08/28(日) 23:34:46
確かに勝小吉は旦那でなく殿様だとあったから
旗本にはちがいないが・・・・
それでなぜ勝家=御家人説がひろまったんだ。
168 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 03:34:47
>>167 それは勝家の家禄から。
44石くらいだよね。
一般的に旗本と御家人の差は200石で分かれると誤解されているので。
169 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 08:12:18
すると勝吉は家督相続の時にお目見得をしたのかね?
どうもそれらしい話しがないんだが・・・・。
170 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 01:17:26
もとは按摩の家だよね。海舟は諸大夫に列するが、、、
171 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 03:59:36
ah
172 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 01:23:30
へえ
173 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:19:15
検校やろ
174 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 22:14:42
検校の息子男谷平蔵は旗本、その息子の男谷彦四郎は代官をつとめた。
流鏑馬武田流のHPに
小笠原流は肥後細川に仕えていたとあるが、
当の小笠原流弓馬術のHPでは幕臣とある。
互いが自らが流鏑馬の保守本流といわんばかりだ。
176 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 20:10:59
・旗本の家臣
用人
給人
近習
中小姓(若党)
他に何がある?
7千石とか8千石の大身旗本は職制的には小大名並では?
多分家老とか番頭とかも居たと思う。
>>177 サンクス
そうだね、三千石の池田家には家老が居たし。でもこの家は富裕だったようだから
他の数千石クラスの大身旗本のも家老とかいたのかな?
世襲の旗本家臣でも六両(=約十五表?)二人扶持の家とかあるんだよな。
池田家は備前池田家の分家だけど、3000石の軍役が56人に対して
明治3年の時点で38人の家臣を抱えてるから富裕ぶりは窺える。
幕府崩壊前には更に家臣が居たようだから。
軍役中から3分の2を雑兵とすると、抱えている侍の数38人は多いと思う。
6400石の戸田家だと約40人前後の家臣が居たらしいけど、軍役から計算すると
ちょうど侍身分の人数には合うな。
上級家臣の神崎湊は、40俵4人扶持で役職は「用人、側用人兼帯、給人以上支配」、
でも、この上に家老クラスの家臣があったらしい。
後に男爵になる交代寄合の新田(岩松)120石、
こんなところで家老と称する家臣が居たらしい。
どうやって対面を維持したのか疑問だけど。
渡辺崋山が家禄百石、家老になって20石プラスと主君が同等。
なんでも殿様は絵を書いて生計の足しにしていたらしいけど。(これも崋山と同じだ)
正直弾佐衛門のところの家老のほうがはるかに裕福じゃなかろうか?
「江戸幕府役職集成」だと、個別の例じゃないけど、
8000石で家政・家老・給人・中小姓・側用人・奥用人・納戸役・近習役・勘定方・
祐筆・医師・絵師・徒士・足軽・中間とある。
>>180 岩松といえば、猫絵の名人岩松満次郎だよね。あだ名は何だっけか?
岩松氏は清和源氏新田流の嫡流だけど、下剋上で家臣の横瀬(由良)氏に実権を奪われて没落。
岩松家にも家老職があったんだね。
由良氏は金山城を本拠として、小戦国大名として君臨したけど、これも小田原北条家の滅亡により
本領を没収され、子孫は大身旗本として残る。
由良氏は小野姓猪俣党(武蔵七党)の出自だが、新田氏を称して幕府高家。
猪俣党も名族だけどね。
旗本が雇う中間の給金は、年2両〜3両に一人扶持が付くぐらいかな??
もちろん侍ではない。素行は悪い・・・。
貧乏旗本の家臣で、若党(中小姓)と呼ばれる下級の侍だと4両一人扶持程度の
給金で仕えていたようだね。
>>179、戸田家の中小姓だと6両2人扶持というから、6400石だけあって待遇が良いな。
でも、戸田家中の用人でも8両3人扶持程度の家臣が居るから、旗本家臣の懐は厳しいね。
>>181 ちょい判り難かったな。
戸田家中の身分は、
側用人(1人)⇒用人(約3人)、大目付(約3人)⇒納戸⇒近習(約10人)
⇒中小姓(10人以上)⇒徒士(1人)
みたいな感じだけど、役職を兼帯してるし調練、勝手、給仕、右筆などの
役職もみられるね。
側用人、用人以上の家臣もあったようだけど、その部分は不明のようだ。
それが家老身分の家臣だろうな。
183 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 17:41:05
age
1794年に鳥取藩へ国目付の副使として派遣された新見又八郎(1165石)が連れてきて家臣は、
家老・用人・目付・取次・書役各1名、近習3人、中小姓3人、勝手役人1人、徒士3人、計15名
おそらく全員少なくとも中小姓以上の12人は侍身分、外に留守番も居るはず。
ちなみに1100石の軍役は23人(内侍5人)、1200石は25人(内侍6人)で、
普段からこんなに侍を抱えていたとは思えず、どうも任務のために家臣を雇ったと推測されるので、
普段から家老が居るのかどうかは怪しいが、1000石程度でも家老と称することもあったようだ。
185 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 19:55:35
江戸幕府の格式の序列ってどうなってるんでしょう?
例えば、鷹匠頭ー鷹匠組頭の席次から、山吹の間席>焼火の間席。
大番頭ー大番組頭の席次から、菊の間席>躑躅の間東御襖際席。
小姓組番頭以下の席次から、菊の間席>菊の間南御襖際席>紅葉の間席。
書院番頭以下の席次から、菊の間席>菊の間南御襖際席>虎の間席。
勘定奉行・勘定吟味役・勘定組頭、芙蓉の間席>中の間席>焼火の間席。
などいくらか推定できるのものはありますけど、いくつくらい席次があってどういう序
列になってるんですか?
>167
先祖の1人が材木石奉行に昇進、旗本に列されたけど
吉宗公のおかげで家禄はそのまま。
187 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 18:09:31
旗本の最高ポストって
町奉行と勘定奉行となんだっけ?
188 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 18:34:18
>>180 >>181 岩松家の猫絵は鼠を追い払うとされ高額で買われた
120石なんてのはあってもなくてもいいようなもの
189 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 15:01:34
新田はさ貴族みたいなもんなんだから他の収入もあったのでは?
考えてみたら代官所ってすごいよな。
本社採用の総合職だけどエリートコースとは縁のない支店長(代官)の他は、
現地採用のパート(手代)とアルバイト(足軽・中間等)だけで構成された支店。
その後本社から余剰人員の一般職(手附)が数人派遣されてきた。
でも実権は相変わらずパートが握ってることが多い、ってところか。
いや、ロードサイドの青山とかはるやまだろう。
>>187 側とか大目付とか留守居とかが格はたかかったような。
藤井譲治著「江戸時代の官僚制」青木書店によると、
格式はともかく昇進の実態は、
側>>留守居>>大番頭>書院番頭>小姓組番頭>>新番頭
側>>留守居>>大目付>町奉行>勘定奉行>>作事奉行
勘定奉行>>京都町奉行>大阪町奉行>長崎奉行他
といった感じらしい。>>は昇進の序列、>はほぼ同格中の序列。
「代官の日常生活」って本を読んでいたら、布衣は従六位相当って何度も書いてありました。
六位相当と理解していたのですが、従六位相当と限定した根拠はなんなんでしょう?
岩松は家康にお目見えした時何か失礼な発言があって追い返されて、
新田の名乗りを禁じられ禄高も20石、後100石加増でやっと120石。
譜代の家臣がいて生計が苦しく、寄付を募って歩いたとか。
例の絵も寄付の口実でホワイトバンドみたいなものかも。
正確には交代寄合に准ずる家柄のようだ。
久能門番の榊原家は交代寄合筆頭で唯一従五位下(他の家は無位無官)
まあここの初代は神官兼務で旗本唯一の従二位だけど。
交代寄合中山名は格別の家。
無役の高家=表高家ではなく、寄合になることもあったそうだ。
松前家はもと交代寄合。
最上は大名→高家→交代寄合
元大名の某家は席次は大名と同じだったが、無位無官のため服装が異なり浮いて
しまうので席次を下げてもらったそうだ。稀にはそんなこともある。
よく高禄の御家人として紹介される正田隼人家500石、
得川の家来筋で地元に土着していた家、岩松と対照的に家康に気に入られて旗本取り立て
の話もあったが、お断りして地元に留まり縁の寺の面倒見ていた。
正確には御家人ではなく郷士で、領地も170石くらいらしい。
以上主に原書房「旗本人名辞典別巻」小川恭一著より。
図書館で読んだだけだからうろ覚えだけど。
197 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 09:06:35
御家人から中途半端に出世すると子孫に迷惑だよね。
布衣役まで昇進すれば100俵までは加増されるし、後継ぎは両番入できるから出世に有利だけど、
ただのお目見え以上ではそんな特権もないし。
50俵以下で旗本なんて惨め過ぎ、体面上御家人より金はかかるし、名目上の身分が上なだけでいいとこなし。
勤務中だけならともかく、永世お目見えなんかなるもんじゃないな。
198 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 15:13:58
改易された旗本ってどれくらいいたのだろう・・・
多かったのかな・・・。
>196
その正田てもしかして「館林の粉屋」のご先祖様ですか。
200 :
弐百:2005/12/03(土) 17:06:20
粉屋ってなに?
醤油屋だったんか・・そこと正田隼人家とは?
由良家(高家)は大身旗本ではなかったなw千石くらいか。
>>184 亀サンクス
>>187 高禄の大身旗本は大番頭、書院番頭、小姓組番頭が定番なんだろうな。
7500石の三枝氏とか。
>>195 無紋の狩衣(礼服)を着た。六位相当の階級名。
>>196 >久能門番の榊原家は交代寄合筆頭で唯一従五位下(他の家は無位無官)
まあここの初代は神官兼務で旗本唯一の従二位だけど。
榊原照久(1800石)だね。
204 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 19:31:30
高家は従五位下で侍従になれた。
この場合大名の単なる従四位上より上とされたそうだ。
つまり、従四位下侍従>従五位下侍従>従四位上>従四位下
位階より中将>少将>侍従>その他という官職の序列のほうが重要ということ。
5000石超の旗本は家格相応の職がなく(役高は5000石高までしかないから)
すべて引き下勤めになる。
5000石以上と以下とで昇進コースに大きな違いが有ったらしい。
5000石以上はほとんど番士にはならず、無役かいきなり頭クラスになるらしい。
3000石くらいだと、昇進の上では普通の両番筋とあまり変わらないようだ。
本田正純の子孫で3000石の旗本が長崎奉行になっていて、任期が終わって江戸に帰るときに
家来が遊女と仲良くなってしまって関所破りをさせたために処分されたことがあるそうだ。
そのとき家老や用人が監督責任を問われている。
3000石以上は小大名と組織的には変わらないらしい。
それでなぜ3000石以上かと考えるのに、3000石以上が一部隊ということで馬印を与えられる。
3000石以上が寄合と言うのも予備隊・遊撃隊を構成するからだろう。
つまり3000石未満は武士とその補助者として戦闘に参加するのに対して、
3000石以上は部隊として行動するためなのだろう。
207 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 15:17:03
age
208 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 00:27:50
外様の小大名と外様の大旗本どちらが一番役得多いんだろう?
一度つぶされた外様大名が復活すると譜代になれるんだよな
なんか計画倒産みたいw
209 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 01:13:12
>>208 旗本に外様はないよ
朽木なんか外様大名→分家が旗本(譜代)→譜代大名
柳川の立花さんちて譜代?
211 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 01:15:02
そうなん?
万石未満がみんな旗本になるんなら
生駒とかも旗本になっちゃうわけで
まぁここに限らずその地方の郷士や小領主だって
万石未満なら旗本で
こいつらは関が原以後に従ったことになるから外様じゃないの?
400年目前に大久保彦左衛門殿がそう嘆いておられたな。
実態として外様系の旗本はいるけど、基本的に旗本は外様も譜代も区分されておらず、
同じように幕府役職に就くこともできる。
高家なんて出自から言えば全部外様だし、交代寄合もほとんど外様系。他に外様大名の
分家で旗本と言う例もある。
大名の場合、外様は正確には表大名=お客様、逆にいうと譜代大名=家臣、つまり旗本
は全部家臣だから出自はどうあれ外様ということは有り得ない、と言うことなのだと思う。
214 :
日本@名無史さん:
age