元寇に勝ったのは運ですか?実力ですか?

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
台風OR武士
2日本@名無史さん:03/08/11 22:09
ジツリキ
3日本@名無史さん:03/08/11 22:09
でも勝ったのか?
鎌倉幕府は元寇のせいで倒れたぞ。
4日本@名無史さん:03/08/11 22:12
そりゃ実力もだし台風もだろ。
5日本@名無史さん:03/08/11 22:17
どこかで見たようなスレタイだな
6野球解説者:03/08/11 22:24
運も実力のうち
7日本@名無史さん :03/08/11 22:27
実力でしょう
欲に駆られた侵略者は
橋頭堡を確保することもできずに
逃げ帰ることに
8日本@名無史さん:03/08/11 22:43
御稜威によるに決まってんだろうがゴルァ!!!
9日本@名無史さん:03/08/12 00:09
当時の人々はどう考えていたんでしょう。

踏ん張った武士のおかげ?
祈祷のおかげ?
単なる運?
10日本@名無史さん:03/08/12 01:07
隣の国のおかげでしょ。
元寇が全滅したのは高麗の船大工が元に反発して手抜き工事をしたからだと
恩着せがましく語る半島人にたまに会いますが、
現代でも車の重みで橋が落ちたり、人の重みでデパートが崩れるような
繊細なものしか作れない半島の匠に船を作らせたのがそもそもの失敗かと…
そういう話を聞くたびに、
「でも先鋒は高麗軍でしょ」。
と言う言葉をいつも喉元で押さえている。
11日本@名無史さん:03/08/12 03:52
>>10
>元寇が全滅したのは高麗の船大工が元に反発して手抜き工事をしたから
中学のときの歴史教師も同じ事言ってた
12日本@名無史さん:03/08/12 04:13
>>11
でも先鋒は高麗軍でしょ
13日本@名無史さん:03/08/12 04:14
自分たちが乗る船を手抜きするはずないだろ・・・
普通に技術が無かっただけでは?
14日本@名無史さん:03/08/12 05:14
要するに元寇で追い返したのは運だったと。
15日本@名無史さん:03/08/12 06:44
>>11
手抜きしたのは南宋だよ。
高麗は必死こいて船作ったけど、ろくなのが作れなかった。

>>10
『繊細』ってう言う言葉はほめ言葉です。
『もろい』という言葉を使いましょう。
16_:03/08/12 06:46
17日本@名無史さん:03/08/12 06:59
日本側では宋兵を捕虜にする事があったが、高麗兵とモンゴル兵については残虐行為の張本人として捕虜にはとらず、
皆殺しにした。
18日本@名無史さん:03/08/12 08:35
>>17
どの文献ですか
19日本@名無史さん:03/08/12 10:16
>>10
俺が昔見た、漫画の朝鮮の歴史(著者朝鮮人)では高麗の造船技術は優秀であったため、
台風にあっても、その多くが帰還したとあったが、どういう事なんだ?
>>18
俺も知っているし、有名な話です。
残虐が理由かどうかは分かりませんが、
おそらく南宋人はそれまでモンゴルと戦っていたから、
許されたのだと思われます。
20日本@名無史さん:03/08/12 10:38
弘安の役では、蒙古軍は、防衛上、船を鎖でつないでいたので、
台風の被害が大きくなった。

弘安の役では、台風は来てない。蒙古軍の自主退却。
このとき、翌日に上陸されたら大宰府はとられてた。
21日本@名無史さん:03/08/12 11:06
弘安の役では、
司令官を討ち取っている。
組織的な行動が不可能になったので退却したわけ。
22日本@名無史さん:03/08/12 11:10
司令官級の乗った一部の船は頑丈だが、兵卒級が乗った大半の船は即席で造った為、欠陥だらけで、
ちょっとぶつかっただけで破損・沈没しかねない代物だったとか。
23日本@名無史さん:03/08/12 13:37
運(40)、実力(30)、必然(30)、てとこ?
24日本@名無史さん:03/08/12 13:38
>>23
必然って何だ?意味不明
25日本@名無史さん:03/08/12 13:39
チョソの作った船が手抜きだったから。
26日本@名無史さん:03/08/12 13:55
↑ソースは?
27日本@名無史さん:03/08/12 14:01
やはり渡海・敵前上陸は難しいだろう。
よほど精鋭でないと。高麗軍じゃねえ。
28日本@名無史さん:03/08/12 15:16
必然=あの法則
29日本@名無史さん:03/08/12 15:23
神風
30日本@名無史さん:03/08/12 15:24
つーか単純に当時の軍隊では、
島国の制圧が困難であったと・・
31日本@名無史さん:03/08/12 19:49
>>30
それも必然
32日本@名無史さん:03/08/12 22:42
菊池、松浦の連合水軍が異常に強かった。
33日本@名無史さん:03/08/13 06:06
>>19
>漫画の朝鮮の歴史(著者朝鮮人)では高麗の造船技術は優秀であった

その本かどうかは分からんが、ハン板で実在する「漫画朝鮮の歴史」について語られたことがあった。
その本では例によって高麗の軍人がヒーローで、日本征伐に高麗人が反対したにも関わらず
元によって強行されたふうに描いてある。
だがいざ侵攻の段になると高麗の将軍は有能に、元の将軍は無能に描かれており、
高麗の将軍が侵攻に際し的確な助言を行うも無能な元の将軍が言うことを聞かなかったために
敗北したというふうに描かれているんだなこれが。
もちろん高麗の将軍は無能な元軍を尻目に大活躍w

そして撤退に際しての高麗兵士の捨て台詞が、
「高麗の将軍の言うことを聞いていれば勝っていたのに」
お前ら戦争に反対じゃなかったんかい!やる気マンマン?とハン板でつっ込まれていますた。
ま、いつものウリナラマンセーというわけで。

以上のことから韓国人自身の描いた通俗的な歴史書はあまり当てにはならんかと思われます。
34日本@名無史さん:03/08/13 11:56
>20
文永弘安の役の区別もつかないお前に語る資格なし。
35日本@名無史さん:03/08/13 14:44
文永の役の蒙古軍の撤退理由の一つは矢玉の欠乏もあるだろう。わずか一日で
半数を消耗してしまい、博多から撤退した日本軍が水城に立てこもったので、
翌日の戦闘で不足する事が予想されたため。
36日本@名無史さん:03/08/13 21:26
>撤退理由の一つは矢玉の欠乏もあるだろう

そんなへっぴり腰で言っちゃあかんよ。
史書に残っている明らかな理由はそれしかない。
37日本@名無史さん:03/08/14 15:16
高麗の人々の勇敢な抵抗のおかげでモンゴルの侵略は防がれました
コリア(韓国)の皆さんありがとう^^
38山崎 渉:03/08/15 12:58
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
39 :03/08/15 13:02
>>37
チョンには本当に、勝った方にすかさず尻尾を振る習性があるようだな。

チョンがモンゴルに抵抗していた形跡があるなら、日本側はチョンの投降兵を皆殺しにはしてないよ。
実際に捕虜を受け入れたのは、実際にモンゴルに抵抗し続けていた南宋兵だけだ。

40日本@名無史さん:03/08/15 16:44
あげ
41日本@名無史さん:03/08/15 21:51
三度目の出兵はベトナムの反乱で断念されたわけだが・・・
高麗の抵抗によってではなく・・・
42日蓮 ◆e0H/mgrdzA :03/08/16 05:33
私は元寇を予期していた。
早くより鎌倉幕府に警告しておいた。
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
43日本@名無史さん:03/08/16 07:11
某シミュレーション作家曰く、文永の役で蒙古軍は日本武士団との
交戦で大損害を出していたのではないかとのこと。
そうでなければ橋頭堡を放棄して船に戻るという行動に説明がつかない、と。
もしその推測が正しければ蒙古軍には、兵力を集結しつつある武士団に対して
侵攻する力は既に無く、文永の役に関して言えば神風などあってもなくても
同じ事だったのではないか、と。

確かに「夜襲を恐れた」「矢弾の欠乏」などは、進撃停止の理由にはなっても
船内への撤退を説明するには今ひとつだと思われ。
44日本@名無史さん:03/08/21 04:47
>>43
佐藤大輔?
45日本@名無史さん:03/08/26 03:48
>>44
あい。
同氏の「目標、砲戦距離四万!」の「不征ノ国」からでつ。
自分的には結構説得力を感じたのですが、どうなんでしょう?
優勢なはずの上陸軍が船に戻った、本当の理由は何だったのか。
46日本@名無史さん:03/09/04 23:13
>>45
お母さんが船から「晩御飯よ〜、早く帰ってきなさい」と呼んだから(w
47日本@名無史さん:03/09/05 19:14
弘安の役では本当に台風がきたみたいだね。
文永の方は、帰り途中に嵐に遭ったくさい。
でも、一隻日本の海岸に座礁してたらしいが
48日本@名無史さん:03/09/05 20:14
文永の役は脅し目的だけだったんだろうな。
対馬壱岐で捕まえた女たちを船べりにぶら下げて来たりと
長期戦闘をする気があるようには思えんのだが。
で、予想以上に日本軍の抵抗が強かったのと矢種が切れたのと劉複了の負傷で
早々に切上げる事にしたと。
49日本@名無史さん:03/09/05 20:18
元寇は日本の負け、とかいい出す厨が現われる予感。
50日本@名無史さん:03/09/05 20:29
まあ、勝ちと言えば勝ちだけど、苦勝と言った所でしょうか。
51日本@名無史さん:03/09/05 20:47
元寇は日本側の敗北です。
「敵国降伏」を祈祷しながら、日本は寸土も得ることが出来ませんでした。
元軍と高麗兵によって日本軍は半島から追い落とされたのです。
負け戦を負けてないと言いくるめようとするのは売国奴の所業です。
52日本@名無史さん:03/09/05 21:05
1.兵站地である朝鮮半島の疲弊が激しく補給線が築けなかった
2.船旅で馬が弱り得意の騎馬戦が使えなかった
3.地形的に、得意の大兵力を展開する戦術が使えなかった
4.被征服地軍(高麗兵、宋兵)の統制が悪く戦意が低かった
そして何より、鎌倉武士たちが強かった
こんなところじゃないの
53日本@名無史さん:03/09/05 22:47
蒙古が大帝国を築いたのと同様、運100%に決まっとるだろ。
54日本@名無史さん:03/09/06 00:13
蒙古が負けたのは日本以外にどこがあるの?
55日本@名無史さん:03/09/06 00:17
56日本@名無史さん:03/09/06 00:59
>>54

確か、エジプトで大敗したって記憶があるが・・・。
うろ覚えですまん。
57日本@名無史さん:03/09/06 01:20
>>54
上に加えてベトナム・インドネシア。アイヌにも撃退されたらしいが詳しいことはわからない。
58日本@名無史さん:03/09/06 01:46
>>52
鎌倉武士って強かったんですか?

平和な世の中になると、軍隊は必然的に弱くなると思うのです。(中国の歴史とか見てると)
もし強かったということは、鎌倉時代って、紛争が絶え間なかった時代ってことですか?
59日本@名無史さん:03/09/06 02:28
>>58
宝治合戦から文永の役のまで30年たってない
60日本@名無史さん:03/09/06 11:11
>>59
でも、宝治合戦に関わったのって、鎌倉に近い場所にいた武士だけですよね。

ていうか、前の方に書いてあったけど、鎌倉時代ってヤクザ同士の抗争の時代とかあった
ような気がするんですが、もしかして、日本中で宝治合戦みたいな小競り合いや、だまし討
ちをやっていたんですか?
61日本@名無史さん:03/09/06 13:24
>>58
あれだけの大軍に橋頭堡さえ築かせなかったんだから
強かったと解釈したほうが良いんじゃない

紛争が多かったかどうかって件だけど
鎌倉下り衆などの守護、地頭と
朝廷派遣の国司をはじめとする行政組織
さらに、在地の旧勢力と宗教勢力
同じ場所でこれらの権力が重複する時代だから
大規模な戦闘がなかったからって平和な時代じゃ
なかったろうと想像している
62世界@名無史さん:03/09/06 16:25
元の敗因って言ったらこんな所か?
船に殴り込みをかけられると、タイマン勝負が発生しやすくて切れ味が
鋭い刀や長刀を持っていた武士の方が有利だった事とか。
日本側の方が、地元の海流や風を知っている為に船の移動で先手が取れた。
しかも拠点になる港はいたる所にあり、その港を全て元軍が制圧する事は
出来なかった事とか。
モンゴルの矢は長射程だが軽い為に武士の鎧を容易に貫く事が出来なかった。
船の上からだと弓による狙撃はまず不可能で結果大量に消費する一斉射撃を
繰り返して弓矢の欠乏を招いたとか。
逆に日本の矢は短射程だが重量が有り、硬く鋭い矢じりは、射程内なら皮の鎧を
貫く事が出来た。上陸してくる敵を狙撃する事で効率よく殺せた事とか。
なりよりモンゴルお得意の機動攻撃が出来なかった、させてくれなかったのが
最大の敗因だったとか。
63日本@名無史さん:03/09/06 17:15
>>62
弓は日本のほうが射程も殺傷力も遥かに上
さらに、『弓馬の道』『海道一の弓取り』という言葉が示すように
武士の主戦兵器が弓であり、熟達していた
隊列を組んで整然と前進してくる元軍に対して
長大な射程を生かして後方の指揮官を弓で倒す
作戦を取っていた模様
64日本@名無史さん:03/09/06 17:23
弓を持ったモンゴル兵自体の数が少なかった。
65日本@名無史さん:03/09/06 17:27
>>17
かの有名なマルコポーロの東方見聞録です
6662:03/09/06 17:42
>>63
自分の知っている範囲ですが当時の元の矢が軽かったのは輸送の際の
重量軽減と乗馬しながら打つ為に取り回しが容易な軽い矢を採用したのでは?
その為、飛距離としては二百M以上飛んだかわりに殺傷力が乏しく、
それを補う為に毒を塗ったと覚えていましたが・・・。
それに対して日本の弓は射程が精々百五十M位だと思っていたのですが
当時の日本と元の弓の射程は実際の所、何Mぐらいあったのか出来ればご教授
お願いしたいのですが。
6765:03/09/06 17:53
>>18へのレスの間違いだった
でも原文読めばわかるけどその後捕虜となった宋兵が
反乱起こして日本を占領したとか書かれてる

17の文章は確か田中芳樹と陳瞬臣の対談でそんな言い回しが
68日本@名無史さん:03/09/06 23:04
>>67
田中芳樹「中国武将列伝 下」
全艦隊覆滅したあと、何万人もの捕虜を日本は手に入れますが
そのうちモンゴル人や高麗人はことごとく殺しています。
ところが南宋出身の兵士たちというのは全部助命してるんですよね。
これはもうはっきりと日本にそういう国際認識があって、南宋の人たちは
侵略されて嫌々つれてこられたわけだから被害者ということで区別してますね。

ガイエ節全開でやや誇張を含んでる気もするが、
珍しく彼にしては良い点を突いた日本史認識だと思う。
69日本@名無史さん:03/09/06 23:12
>>66
私の知ってる範囲(元寇を離れて単純比較)
飛距離は判らないけど
蒙古騎兵が使っていた二種類の弓(短弓、長弓)を
混同しているのでは
取り回しの楽な軽い弓というのは短弓のほうで
こちらは騎射で使う弓で然程張力も必要とせず
射程、殺傷力も大きくなかった
蒙古騎兵が機動力を重視し重装備をしていなかったから
これで十分だった
一方、金や宋、中央アジアの城塞や都市国家を攻める際には
長弓と呼ばれる大きな弓を使っていて
こちらは城壁越しの攻撃が可能なように遠距離戦を
得意としていた
(蒙古騎兵の得意技『草原での待ち伏せ』にも使われた)
蒙古騎兵は、騎射で短弓、歩射で長弓を使い分けていた

一方日本の弓は、長弓よりもさらに長い弓を使用してた
弓の長さの限界は射手の身長までだが
日本の弓は上長下短の様式をとっていて
身長よりさらに長い弓を実現していた(縄文時代より)
さらに、上長下短の様式は長弓による騎射も可能にした
また材料にも恵まれ(西日本の竹、東日本の真弓、梓)
当時、最高の能力を発揮していたとされています
現在弓道として伝わっているものは、ほぼ鎌倉時代には
完成していた(作法を除く)
−−−−−弓道部当時の受け売り−−−−−
70日本@名無史さん:03/09/07 08:48
>>69
それって、重藤の弓っていうやつのこと?
71日本@名無史さん:03/09/08 09:09
1ヶ月モンゴル軍は地上に基地をつくれなかった。 夏だからかならず嵐にあう。
従来の戦闘と違っていたわけだ。
(1)降伏しないから、かっても占領地がない。
(2)日本勢は負けても負けてもやってくる
(3)半島はともかく南宋は日本と同根で戦意がない
などがある。
72日本@名無史さん:03/09/08 09:42
台風をおこしたのが幕府だから実力
73日本@名無史さん:03/09/08 12:48
南宋の人々の抵抗が無ければ、日本人は心も体も韓国人みたいになっていた
74日本@名無史さん:03/09/08 14:39
それはやだな
75日本@名無史さん:03/09/08 15:10
文永の役:実力(帰る途中で嵐にあったらしいから)
弘安の役:実力(陸地を踏ませなかったから。嵐が来なくてもいずれ食料が尽きる)
76日本@名無史さん:03/09/08 15:39
>>73
南宋だって、鄂州辺りの戦いで、賈似道がちゃんとモンゴル軍に致命的なダメージを与えて
いれば、滅びずに済んだか、少なくとももっと延命できただろう。

結局のところ、仮に日本にもっと早く攻めてきたとしても、補給が続かないので、モンゴル軍
による日本征服はありないと思う。
77考え中:03/09/08 15:44
実力だと思います。
そもそも元(モンゴル)は海が苦手です。高麗が、わずか300m先の
島に立てこもってるだけで30年くらい抵抗できました。
また、元の強みは騎兵隊です。元の騎兵隊は、戦国時代の武田騎馬隊などと
ちがい、末端の兵士に至るまで馬に乗っています。しかも、馬は乗り換えるために
一人あたり2〜3頭の割合です。だが、当時の造船技術では、そんなに大量に馬が
運べなかったので、騎兵突撃が使えませんでした。得意技を封じられてたから、
日本は勝てたと思います。
78日本@名無史さん:03/09/08 17:53
モンゴル兵が一人当たりで馬を何頭も携えて居たのは、
長距離移動で馬が疲れる場合に乗り換えて、進撃速度を下げない為。
だから局地戦での突撃には無関係だよ。
79日本@名無史さん:03/09/08 18:16
チョンが弱すぎただけ。

まぁ、チョンがきてくれたこと自体を運としてもいいけど(w
80日本@名無史さん:03/09/08 19:14
>>1
高麗の人々の勇敢な抵抗による元の弱体化と、まぐれ
81日本@名無史さん:03/09/08 20:12
三別抄が30年粘ったっていうけど、単に元が南宋攻略のほうに戦力を集中していただけでしょ。
82日本@名無史さん:03/09/08 20:18
なんだかんだで日本は元軍の将軍をけっこう討ちとってるんだよな。
83日本@名無史さん:03/09/08 20:34
勝った方にすかさず媚びるのはチョンの勝手なのだが、
この間は同じ手で日本を裏切り戦勝国ヅラしようとしたのがバレてるんだから、
日本人を騙す事は出来ないよ。


84日本@名無史さん:03/09/08 20:36
江華島に引きこもってるだけなら、モンゴルとしては放置しても大して目障りではないからな。
85日本@名無史さん:03/09/08 22:10
>>78
いや、騎乗率の極端な高さ故に機動力を生かした迂回戦術を
真骨頂としていた。
86日本@名無史さん:03/09/08 23:51
兵力が少なすぎ。
博多湾近辺に七万もの兵を集中した日本軍に対し、
わずか三万で上陸しようなど、無謀すぎる。
87日本@名無史さん:03/09/09 03:27
>>86
つまるところ元は鎌倉幕府の動員力を正確に把握できていなかったのだろうが、
それ以前に「とにかく、まず当たってみよう」という考えだったのだろう。
機先を制したおかげで、九州御家人軍団が集結する前に有利な兵力比の下で戦うことができた。
88日本@名無史さん:03/09/09 03:29
英国のTVで日本刀がすごく有効だったとか見たことがある。
蒙古の船に乗りつけて戦う時に極めて有効だったと専門家の意見を述べている。

その後の倭寇の進出なども日本刀の威力かもしれない。
89日本@名無史さん:03/09/09 03:31
>>88
倭寇の過半は大陸の(ry
90日本@名無史さん:03/09/09 03:33
>>86
弘安の役では10万の南宋軍の到着が遅れたからな。

>>88
思うに、過大評価。
91日本@名無史さん:03/09/09 05:28
時宗には感謝しないとな。モンゴルの血はさすがにキツい
92日本@名無史さん:03/09/09 07:04
白兵戦で、日本刀が元や高麗の装備よりも有効だった可能性は有るんじゃないかな?
あっちの刀剣は片手持ちで、切り結んだ場合両手持ちの日本兵の方が押し切って勝つ事が多いだろう。
その上、日本の鎧は盾を肩に装着しているような構造だから、片手では刃が立たない。
93日本@名無史さん:03/09/09 07:36
倭冦の場合、日本刀で武装した集団であれば、明や高麗の人間は
皆日本人だと解釈してしまうのだろう。
船同士の戦いなら、槍等の長距離を攻撃できる兵器が有利だろうが、
船に乗り移って戦う場合、日本刀が接近戦では威力を発揮すると思う。
諸刃だと、狭い場所での格闘戦では”諸刃の剣”になり、危険が大きい。
94日本@名無史さん:03/09/09 08:45
いつものアレだろ?

ウリは生粋の倭人ニダ
95日本@名無史さん:03/09/09 09:49
半島や大陸には日本のような優秀な鍛造技術がなかったのでは?
あちらは鋳造で刀つくってたらしい。
鎧も皮だったのでは?
96日本@名無史さん:03/09/09 09:53
>>95
ウリナラが授けてやった技術ニダ
97日本@名無史さん:03/09/10 01:49
>>92
うん。「日本刀のおかげで元寇を撃退できた」は強引すぎるが、
上陸できずに海上で南宋軍を待っていた元軍に対して、
夜な夜な夜襲をかけていたらしいから、そういう場面では日本刀は
脅威だったかもしれないね。

>>95
おいおい、たたら製鉄も鍛造も、そもそも中国から伝わったものだろうよ。

>>96
黙れ通り道
98日本@名無史さん:03/09/10 08:02
>>97
起源は詳しい人に任せるが、中国刀は鋳造性だよ。朝鮮はどうでもよい。
安く大量につくれるし、日本ほど鍛造技術のレベルが高くない。
人海戦術が売りの中華には鋳造がふさわしい。
99日本@名無史さん:03/09/10 12:16
>>98
鋳造の剣だと、日本刀でサクッと切れちゃったりするのかなぁ?

その辺、どうなんでしょうか。
100日本@名無史さん:03/09/10 12:26
やはり菊池、松浦水軍が強かったのが勝因かな。
101日本@名無史さん:03/09/10 15:29
鋳鉄は硬度が高い代わりに弾性が無いので、
鍛造した刀に比べると衝撃に脆くて容易に割れるんだよ
102日本@名無史さん:03/09/10 16:34
陸上の戦闘はどうyo
103日本@名無史さん:03/09/10 20:58
菊池の西郷隆政が、十六人切りをしたというがほんとうかな。
同田貫を使用したのだろうか。
104日本@名無史さん:03/09/11 01:00
>>98
日本刀と言っても数打ちと名刀では強度もまるで違うわけだしね・・・
全軍に均一の武装をさせるには鋳造。
日本にはそもそもまともな鋳造技術がなかっただけとも言える。
だから大昔に入ってきた鍛造技術を磨くしかなかったわけだ。
105日本@名無史さん:03/09/11 01:05
>>104
とりあえず何か持たせてやれ、という意味では鋳造のほうがいいね。
ポコポコつくれるし。
106日本@名無史さん:03/09/11 01:51
歴史で習ったのは 押し寄せた元になすすべなく九州博多湾から上陸されのそのまま大宰府あたりまで一時は攻め入られたとか
その後武士が奮闘してとりあえず博多湾まで押し戻す 元は第二次作戦をたてるため博多湾の舟に引き返したと
その後台風にやられて海の藻屑
当時神風としてもてはやされたとか

しかし博多湾は内海で荒れるといってもたかが知れている
博多湾を埋め尽くすほどの舟、兵は相当な量だ
当時の日本には独特の戦作法があって、有無をゆわさず押し寄せる元の兵隊の前に侍たちはあっけなくやられたという。 一対一から集団戦になったというのがこの時期かららしいが
どのくらいの期間元に攻め入られていて どのくらいの期間で元を押し戻したのか
いままで定められてきた戦のルールをいきなりかなぐりすてて元と戦ったのだろうか
空白の歴史があるような気がする

107日本@名無史さん:03/09/11 01:58
手当たり次第に敵におそいかかり殺戮、道徳破棄の戦に新たな快感を見出し
野獣製さらけだした戦の狂喜に酔いしれる超マジメだった御家人達
ゆうならばキレたらなにするか分からないガリ勉君達ですかな
108日本@名無史さん:03/09/11 01:58
>106
教科書的な歴史では日本軍が苦戦する話しか出てこない。
にもかかわらず、突如敵の副将が射倒されたり、上陸できなかったり、
最終的に壊滅したりしている。

その間のつながりが教科書的な歴史では分からない。
あるとすれば、『高麗の民による船工事の手抜き』の作り話。

何かが抜けている!
109日本@名無史さん:03/09/11 02:00
北から飛んできたミサイル一つで突然極右がまかり通りだすと予測される温厚な日本人
110日本@名無史さん:03/09/11 02:01
>>106
まず集団戦はそれよりずっと以前から行われていて、
一騎討ちのようなものの方がイベント的なものだった。
元軍は一時的に上陸したが初日は陸地に陣地すら確保できずに
夜までには船に帰ってしまった。そしてその夜のうちに帰途についた。
日本軍も損害大きく大宰府まで退いたが、攻め入られたわけではない。
防衛線を自分から下げただけ。
基本的には日本軍が水際での戦闘で粘り抜いて敵に橋頭堡を
確保させず、撤退に追い込んだというのが文永の役。
111日本@名無史さん:03/09/11 02:01
>>108
あんたたまには正論ゆうじゃないか
112108:03/09/11 02:04
>>111
たまには・・て、ここにはほとんど書いていないはずだが。
ま、褒められたから許す。
113日本@名無史さん:03/09/11 02:04
>>112
君のあらゆる2ちゃんでの書き込みは彼によって監視されているのだよ・・・
114日本@名無史さん:03/09/11 03:23
スーパハカー>>111
115日本@名無史さん:03/09/11 04:38
なるほど歴史を必要な箇所だけかたり万世に通じる意識操作をおこなっている。
まず、日本は神の国であるとする格付け。 神風が吹いたという史観
外来から押し寄せる脅威によって日本変わるべきなのだという教訓。 幕藩体制に不満を持つ人間が倒幕の理由を諸外国の脅威に対する打破にありとする 
現にそうなってはいたものの、主に逆らうは士道にあるまじき行為。結果的に武士全体を裏切ったうしろめたさと、藩主の将軍に対する忠誠をうやむやにする。
欧米の脅威に対抗するべく富国強兵。 よって導かれた近代化への急速な波。 これをよしとするべし。 
裏切りと闘争。混乱と過剰防衛の否定
考えてみれば日本の歴史は合理性に満ち溢れている。

なにがいいたいのかまとまりがつかんからとりあえずけなしといてくれ
116日本@名無史さん:03/09/11 06:41
ではお言葉に甘えて・・・


そんなに合理化すんな!
117日本@名無史さん:03/09/11 08:59
>>115
日本の歴史がこんなに貶されるのなら、他の国は目も当てられない歴史だな。
みんな糞歴史だ!
118日本@名無史さん:03/09/11 09:45
実力だろ
119日本@名無史さん:03/09/11 15:29
>>110
マジで?
大宰府まで退くってどうやって?
博多湾から大宰府まで歩くの? 馬の足でも相当な時間要するよ…

敵は博多湾に大量の舟群がらせて待機してるんでしょ? 
大宰府から博多湾の敵の状況伝達するのに丸一日かかるよ。
120日本@名無史さん:03/09/11 15:38
上陸できなかったと考えるのはおかしい
海を埋め尽くすほどの大軍がいきなりおしよせてくるんだから。
ひとたまりもないよ。
それともなに? 敵の動きはレーダーで察知してたの?
福岡に一体何人の防人がいたというんだ
九州全体に何人の防人がいたのだ
鎌倉に集まった武士団が九州に到着するまでに一体どれほどの時間がかかったのか 
121日本@名無史さん:03/09/11 15:44
>>119
水城を楯に防御しようとしたのだ。
122日本@名無史さん:03/09/11 16:50
もっとガチンコ勝負してみなきゃ解らん
123日本@名無史さん:03/09/11 18:08
神風なんて嘘だよ。
退却途中に沈んだだけ。
124日本@名無史さん:03/09/11 23:25
>>120
鎌倉の武士団ではなく、現地の武士が中心となって、博多の防衛に当たっていました。
125日本@名無史さん:03/09/11 23:28
>>124
ソースきぼんぬ。

無いと知りつつ言って見た。
126日本@名無史さん:03/09/12 00:03
>>125
124ではないが答えてやる
『大友文書』
蒙古人対馬・壱岐に襲来し、合戦を致すの間、軍兵を差し遣はさるる所なり。
且は九国の住人等、其の身縦へ御家人ならずと雖も、軍功を致すの輩有らば、
賞を抽ぜらるべきの由

あまり他人を馬鹿にした文章は感心しない
127126:03/09/12 00:33
しかもこれ中学の史料集にも出てた
>無いと知りつつ言って見た。
このソースをきぼんぬ
128日本@名無史さん:03/09/12 00:35
>>125
文永5年(1268年)異国警固番役の設置。主に九州地方の御家人が交代で博多、大宰府
周辺に駐屯し任に着いたもの。
文永の役時は島津、少弐氏が担当。
129日本@名無史さん:03/09/12 00:56
>>127
おいおい・・「ソース」の意味、わかってる?
130126:03/09/12 01:02
>>129
わかってるよ
大友文書が偽文書だと言っている論文があれば紹介しろって意味ですが何か?
131日本@名無史さん:03/09/12 01:17
>>125
「無いと知りつつ」とは、また大きく出たもんだねw
132日本@名無史さん:03/09/12 02:13
どっちかと言うと俺は>>123のソースの方が知りたいんだが
133日本@名無史さん:03/09/12 02:25
『元史』だろ確か。
博多湾への上陸を図ったが矢が足りなくなったから、高麗の将軍の
反対を押し切って撤退に決めたとか、いろいろ書いてある。
(手抜き工事で日本に貢献したはずの高麗の将軍が一番の
強硬派ってのには笑える)
134日本@名無史さん:03/09/12 03:15
「冬十月、其国(日本)に入り、これに敗る。しこうして官軍整わず。また矢尽く」
135日本@名無史さん:03/09/12 04:08
文永の役後の撤退中に嵐に遭った記録は載ってたっけ?
136日本@名無史さん:03/09/12 04:17
『高麗史』じゃねーの?嵐の記述は。
137日本@名無史さん:03/09/12 06:32
元に本気で勝利する気がなかったから。
ヨーロッパや中近東や中国では王族が率い、
東南アジア日本へは王族を出していない。
モンゴル人が本気で攻めてきて勝てる訳が無い。
李承晩の韓国や金日成の朝鮮のように、
宗主国に無い物ねだりして攻め込んだというのが実態だろう。
元にとっては良い迷惑だ。
138日本@名無史さん:03/09/12 06:46
肥後や肥前ではなく高麗に近い対馬などを最初に征服したという事実。
日本を征服できれば元の直轄領でなく高麗の領土になる予定だったろう。
現に対馬へのアプローチは自国領で当然というスタンスで続いていく。
船などを故意に壊れやすくして沈めたというのが良く語られるが、
出典を始め何処から出てきて広まった発想なのかは非常に興味深い。
日韓併合後に物語として作出されたのか他に類似する事実があったのか。
或いは朝鮮戦争の韓国側で形を変えて同様の事があったのかもしれない。
139日本@名無史さん:03/09/12 14:47
高麗人は戦場から帰還できた人が多かった。自分たちの船は丈夫に、他の
奴等の船は脆く造ったからだ。

みたいな事をNAVERで聞いたような。
140日本@名無史さん:03/09/12 17:36
兵卒の船が手抜きで一部の将領級に船だけが頑丈だったので、
高麗人兵卒は潰滅し、モンゴル人幹部が脱出できたと中国の史書のか記されていたような。
141日本@名無史さん:03/09/12 17:39
コリア(高麗)の人々が抵抗を頑張った 倭を救った彼らの武器や戦術についても語らおう
142日本@名無史さん:03/09/12 19:38
>>141
手抜きの船だってさ
143日本@名無史さん:03/09/12 19:51
高麗王はモンゴルに抵抗する連中をモンゴルの支援の本(支援を懇願した)滅ぼしました。
144日本@名無史さん:03/09/12 19:53
>>141
客が入店しただけで崩壊するデパート
145日本@名無史さん:03/09/12 19:55
越南における反乱によって三度目の元寇が中止されたとか。
蒙古に抵抗したのが誰で協力したのが誰かといと高麗は(ry
146日本@名無史さん:03/09/12 20:07
別に嫌韓ではないが、高麗の挙動は結果の成果に過ぎないのでは?
147日本@名無史さん:03/09/12 21:16
中国で生活不適応を起こしフビライの手を焼かせていた一部の不良モンゴル人、
征服して間もなく何時また反乱起こすか分からなかった一部の徹底抗戦南宋人、
頻りと日本への遠征を嗾ける高麗人、
フビライにとっては遠征が成功しようと成功しまいとどうでもよかったろう。
牧草地になる国以外には基本的に無関心と言うのが当時のモンゴルだから。
148日本@名無史さん:03/09/12 21:38
フビライ自身、本気で日本を占領するつもりだったはず。
3次遠征以降は計画するたびに、反乱等が起き、伸び伸びになってしまい、結局フビライの寿命
がつきた。
149日本@名無史さん:03/09/12 23:29
>>147

牧草地となる土地にしか興味はない、なんてモンゴル帝国を甘く見すぎ。

フビライは中華文化に傾倒していたしね。

150日本@名無史さん:03/09/13 00:33

  ∧∧∧∧∧∧∧∧∧
< チョッパリは土下座して>
< 謝罪するニダ!! >
  ∨∨\|∨∨∨∨∨∨
    Λ_Λ  \ ヾ \  ☆
   <丶`∀´> ヽ    ペチ!!/      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   く    つ=(======∧==⊃   <  悪うございました
   ノ ノ> >   (((´Д`;)―-○))   \
  〈_フヽ__7   ⊂⊂  (  ノ       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
http://homepage1.nifty.com/daiiin/rinji/dogeza.htm
151日本@名無史さん:03/09/13 01:01
ウクライナ=牧草地(征服者バトゥは王族)
イランおよびアゼルバイジャン=牧草地(征服者フラグは王族)
インド=牧草地でない初めから興味無し
ヴェトナム=牧草地でないから執拗には攻撃せず(征服者は非王族)
インドネシア=牧草地でないから失敗しても放置(征服者は非王族)
152 :03/09/13 01:21
>>151
王族が海を渡るはずないだろ
モンゴル人は海はおろか、草原の湖も迂回するほど『水』がお嫌いなんだから。
にもかかわらず、海の向こうの島に住む尚武の野蛮人を攻めたのだから
それだけで称えるには十分ではなかろうか。
153日本@名無史さん:03/09/13 02:19
>>151
その基準なら宋と争う理由が無いがw
154日本@名無史さん:03/09/23 01:56
155感謝セヨ:03/09/23 09:11
粘りずよく抵抗してくれた高麗さまありがとう。

ザコの鎌倉武士相手に手加減してくれた元軍さまありがとう。

まぐれ勝ちを後押ししてくれた神風タイフーンありがとう。
156日本@名無史さん:03/09/23 12:20
粘りずよく抵抗し撃退した越南さん勇敢だね。

ザコでへタレの高麗を動員してくれたクビライさま御人よしだね。

草原文化原理主義のカイドゥさん頑張ってね。


157日本@名無史さん:03/09/24 11:44
韓国を襲った台風を見れば、いかに半島人の台風に対する知識が無いのか分かる。
元寇は日本が勝ったのではない。
元&高麗が勝手に負けてくれた戦いです。
158日本@名無史さん:03/09/25 17:15
>>157
おまいは教科書の見すぎ。
159日本@名無史さん:03/09/25 17:17
>>155
> 粘りずよく抵抗してくれた高麗さまありがとう。
> ザコの鎌倉武士相手に手加減してくれた元軍さまありがとう。
> まぐれ勝ちを後押ししてくれた神風タイフーンありがとう。

典型的なダメダメ日本史観で育った世代だな(w
それか韓国の国定教科書の見過ぎ
160日本@名無史さん:03/09/25 17:26
恫喝は言い過ぎだが、少々威圧的かも。菅原長成が起草した返書草案を見るに、
朝廷はそのあたりを感じ取っている。
「兵を用いるに至っては、夫れ孰か好む所ならん」という文言は見せかけではなく、
朝鮮南岸の金州に屯田兵を進駐している。
『元史』日本伝を見るに、日本側は屯田兵の存在を気にしている。異国警固番役を
本格的に実施する一方で、「蒙古は攻めてくるのではないか」と蒙古使・趙良弼に
言った。
だから趙良弼は、高麗へ帰った後、これら屯田兵を移転して日本を刺激しないよう
進言した。
この進言は聞き入れられず、大宰府が独自に派遣した使者には「耽羅の三別抄への
防備として仮に設置しただけ」と説明した。
この説明は、むろん本音ではない。耽羅は朝鮮半島の西南にあり、金州は半島の東
南(つまり日本寄り)にある。三別抄の乱が鎮圧された後も、屯田兵は解散されなかった。

ただ、杉山正明『モンゴル帝国の興亡』のように、それなりに好意的であったとす
る見解もある。
国王を皇帝より一段下げた文面は驚くほど低姿勢であり、「兵を用いるに至っては、
夫れ孰か好む所ならん」は常套句なのだそうである。
常套句=ハッタリとも限らぬ。国書の送付から数年たっているとはいえ、それなり
に本気で兵を用いているように見えるが……。
161日本@名無史さん:03/09/25 17:27
元寇において高麗が犠牲になった様子を描いた小説である。だから、小説として
普通に読めばいい。
小説なので、流れにそぐわない史料は省かれている。前述した趙良弼の進言も、
『元史』日本伝にある大宰府の主張も、やはり書かれていない。忠烈王が強行し
て民を苦しめた膺慶宮の造営も、もちろん書かれていない。
162日本@名無史さん:03/09/25 17:27
日教組の採点基準を奉じ、以下のように教えて社会主義革命の実現へ邁進す
べきである。
生徒に考えさせるという体面を保ちつつ、強調する箇所・議論させる箇所/方向
性を調整し、「あるべき思想」に導くことが教師の役割だろう。

当時の中華思想を現在の国際感覚で批判し、日本の外交感覚に疑義をとなえ
る。
日本が返答の使者を送らなかったことについて、非難する。高麗も蒙古の要求
に従わなかったから攻められたんだけど、これは黙っておく。あるいは、「外敵
に対する民族意識が高かった」と肯定的に論じる。これも、日本に適応しては
ならない。「夜郎自大」と否定的に論じること。
三別抄については、都合の悪い記事を黙殺。特に、崔氏政権滅亡の時の活躍
とかは、絶対に言ってはならない。
使者を送りつつ朝鮮半島に屯田兵を置き、大宰府における蒙古使・趙良弼の立
場を悪くした蒙古皇帝は非難しない。
アジア民衆の峻烈なる民族的抵抗を強調。
高麗民衆の被った苦難を強調し、半島への敵意を抱かせないようにする。日教
組と定期交流もあり、尊敬する金正日様のおわします北朝鮮への配慮を怠って
はならない。
神風→「あの悲惨な戦争」。
高麗も南宋も苦しんだことを再度強調。日本が攻められた場合に対してのみ、
「一面的な見方」を排除。
「みんな戦争なんてしたくないんだ」と、平和への想いを新たにする。
163日本@名無史さん:03/09/29 21:52
>>162
>日本が返答の使者を送らなかったことについて、非難する
幕府が蒙古と結んだ場合、当然海から宋を攻めさせられたわけですが
そうなっていた場合、あなたがここに何て書き込んでいるか楽しみです
164日本@名無史さん:03/09/30 13:37
165日本@名無史さん:03/10/01 19:44
>>163
たらればで語るのは小学生。
166日本@名無史さん:03/10/01 22:22
167日本@名無史さん:03/10/01 22:52
>>163
それは後段の

>高麗も蒙古の要求に従わなかったから攻められたんだけど、これは黙っておく。
>あるいは、「外敵に対する民族意識が高かった」と肯定的に論じる。
>これも、日本に適応してはならない。「夜郎自大」と否定的に論じること。

の前フリなんだからそんなレスつけちゃダメだよ。
168日本@名無史さん:03/10/17 19:58
169日本@名無史さん:03/10/17 20:17
元がハイイログマだったとしたら、
日本がクズリくらいの実力をもってただけの話。
170日本@名無史さん:03/10/18 15:38
ある意味、共倒れって感じがしないでもない。
171日本@名無史さん:03/10/18 17:12
元軍との勝利は、中身が朝鮮人と華南人であったことが幸いした。
172日本@名無史さん:03/11/06 00:56
173日本@名無史さん:03/11/06 01:04
んですな。モンゴル人は指揮官クラスばっかり。モンゴル人以外はやる気なし
174日本@名無史さん:03/11/06 22:25
ほとんど運だったのでは、だから神風信仰ってものが生まれたんだ。

>173
主力がモンゴル人だったら対馬、壱岐の悲劇が拡大再生産されたかもな。
175日本@名無史さん:03/11/09 02:06
定説は、信じられない。
高麗軍に、壊れ易い船と丈夫な船とを作り分ける、人員なり技術なりあったなら
ば、そして、すごい数の船つくる元気があれば、元に対して氾濫おこすだろ。

本当は、高麗軍の思惑は、九州を制圧したら、元の手下として高麗が支配しよう、
と考えてたんじゃないの? 日本は元にとっては、気候的にも馴染まず、首都から
も遠すぎる。 むしろ、台風で当てが外れたのは、高麗のほうでしょう。
176日本@名無史さん:03/11/09 02:29
うむ、同意。
戦前のある朝鮮人は、大東亜共栄圏を奉じて日本軍兵士を志願し、
アメリカに押し渡って占領し、地主になる気でいた。
弱者と言うものは、それはそれで狡いものだ。
「虎の威をかる狐」になるしか能のない朝鮮人は、
そうとしかやりようがない。
強者のおこぼれにあずかるキボウが無くして、
なんで自ら動くものか。
177日本@名無史さん:03/11/09 13:48
日本とベトナムは地形的な要因もあるだろうが
両者ともモンゴルを撃退してる。
朝鮮の人たちに酷い事されたのも共通。
アメとガチバトルもした。
もっと仲良くしてもいいんじゃないか?この国とは。
半島なんかほっといて。
チョゴリよりアオザイのほうが可愛いし。
178日本@名無史さん:03/11/09 14:01
>>174
本気でモンゴル族選抜部隊で来られたら、
今頃は九州の草千里でも遊牧が名物になっていたかもしれない。
しかしそれはそれで文化的にも面白かったかもしれない。
179日本@名無史さん:03/11/09 14:05
ベトナムについては東遊運動とか、
戦後も皇族の日本亡命とか実は知られざる事実が色々とあったとか。
モンゴルやベトナムや台湾といった、
光るものがある独特の国と仲良くして行くのがよっぽどアジアのため。
将来仮に移民を受入れるとしても、
これらの国からこそ大勢来て頂きたい。
180愛子:03/11/09 14:45
181日本@名無史さん:03/11/10 18:59
>>175
高麗軍が壊れ易い船を造ったてのはいつ定説になったんだ?
182日本@名無史さん:03/11/11 18:21
ウリナラの歴史は本当にみじめですね
183クソレス2号:03/11/11 21:01
>>178
もし100%モンゴル人が来たら、日本に辿り着かずに南の海で鱶の餌に
なったと思われる。

184日本@名無史さん:03/12/19 19:36
185南条聖:03/12/19 19:43
一回目は、確かに台風のお陰といって構わないと思います。

二回目は、少し実力が入ったかと・・。
夜の襲撃や、高い所から攻撃等、やはり相手は海での戦は向いていない様です。
他、敵の船に忍び込んだり色々しましたから・・・。

確か、↑と小学校の時習った記憶が。(現在中1
186日本@名無史さん:03/12/19 19:44
ハーンだけはガチ
187日本@名無史さん:03/12/19 20:11
一回目も確かな文献に出ているらしいのでおそらく大風が有ったんだろう
が、大風によって艦隊が沈んだというより、すでに一回日本に打撃を与え
て本来の目的は果たしたので帰還する途中で不覚にも大風にやられたのだ
という説もござる。
二回目は、石築地により上陸かなわず、また遅れてきた江南軍という
移民船が到着しても意味なく、逡巡して博多湾に浮かんでいたところを
不幸にもつむじ風にやられたということだろう。
もっとも、モンゴル兵の乗る新型船は沈まず、江南からの移民船が多く
沈んだという。
いずれにせよ、大風は一回二回ともに決定的なモンゴル敗戦の原因とは
いえないのかもしれない。
188あぼーん:あぼーん
あぼーん
189日本@名無史さん:04/01/17 09:54
運壺+町内会みたい
190日本@名無史さん:04/01/17 12:20
元寇で台風が来なかったら日本はどうなってた?
191日本@名無史さん:04/01/17 12:26
>>190
一回目はたかが三万では日本を支配するのは無理。
「脅し」「威力偵察」というのが最近の学会の有力な説。
二回目も台風が来る前に元の将軍は病気の蔓延や士気の低下を鑑みて
既に撤退を唱えていた事から、どちらにせよ元の勝利は覚束ない。
大した違いは無いと思われ。
192日本@名無史さん:04/01/17 18:43




193日本@名無史さん:04/01/17 19:53
結局スレの意見としては、戦争と言う物に運の要素が全く無いという事も在り得ないにしても、
全体的に見れば日本の実力による勝利という事で良いのかな。

もっともその勝利の為にその後払ったつけで鎌倉幕府は崩壊する訳だけど。
194日本@名無史さん:04/02/04 22:31
195日本@名無史さん:04/02/04 23:00
九州の兵だけでよく勝てたな
196日本@名無史さん:04/02/04 23:29
ロシアに於ける元寇、キプチャク=ハン国のタタールのくびきで名高い、タタール人が中国にも居る。

タタール族の祖先は唐代に中国北方の突厥国の韃靼(蒙古族)部落から移住してきたといわれている。

中国の少数民族:韃靼(タタール)族:http://www.china.org.cn/ri-shaoshu/tataer.htm
197日本@名無史さん:04/02/05 00:14
風が吹いた
ホームタウン(勝てなきゃ恥、まあ文化の質の低いザコだからそうとばかりともいえんか)
夜襲を駆使するなど卑劣極まりない戦術の多様(反則はサウラビ道に反するぞ)


つーかまぐれでしょま ぐ れ
198日本@名無史さん:04/02/05 20:47
>風が吹いた

少なくとも文永の役では無関係。
最初の戦闘で損耗したままの攻略軍に、集結して更に兵力を増強しつつある
九州武士団と再度決戦して大勝する可能性は極めて低い。
(防御側である日本軍は「負けなければ勝ち」)
例え勝っても、消耗しきった残存兵力では九州北部を支配することなど叶わず、
どのみち攻略軍には撤退する以外に選択肢は無かったろう。
弘安の役の場合も、神風の効果を最大限に演出しえたのは攻略軍に海岸堡を
確保させなかった野戦築城と武士団の活躍に拠る。
仮に武士団が敗れて敵主力が早々に上陸を果たしていた場合、例え神風で
船団が潰滅しても戦闘は容易に終わらず、逆に補給を絶たれた敵の大軍が
窮鼠と化して略奪目的の内陸侵攻を行い、国土と民に多大な犠牲が発生したと思われる。
以上から、元寇における九州武士団の功績は文永・弘安両方において
極めて大であったと結論できる。

>夜襲を駆使するなど卑劣極まりない戦術の多様

鎌倉〜戦国期においては「夜討ち朝駆け」は当然の戦法であり、やられるほうが
間抜けだというのが一般的認識だった。
異国へ計画的侵攻する側としては、仮想敵の基本的戦法を事前にリサーチして
対処法を準備することは当前の事であり、自国の文化では反則云々などというのは
軍事的無能を糊塗する言い訳に過ぎない。
199日本@名無史さん:04/02/06 11:05
>>198
>>197は釣りだよ(w
20063:04/02/06 13:06
モンゴルの支配を免れた所っつったら

ヨーロッパの大部分:ギリギリの所でオゴタイ病死。3代ハーングユクとの対立などの諸事情もあって
          バトゥがそれ以上進軍せずにキプチャクに居座ったから助かった

マムルーク朝:対イスラム戦の切り札だったフラグが病死。
       その後マムルークのスルタン、バイバルスがモンゴル撃破。

ベトナムの陳朝:日本の時と同じくモンゴル本来の騎馬戦術が活かせる場所ではなく
        ベトナムの名将陳興道が水軍を巧みに操って3回にわたって攻めてきた
        モンゴルの侵略軍を破った。

ってとこかな。あんまし世界史詳しくないからわからんが。
インドとインドネシアはよくわからん。
あと、最終的には滅ぼされたとはいえ南宋が30年以上持ちこたえたのは
長江の存在が大きいと思う。
それから弘安の役は6月〜7月頃だった(と思う)からあの暴風雨は決してまぐれじゃないと思う。
一番台風が来やすい頃だよ。元はともかく高麗の人間は予測できなかったんだろうか?
まあ日本に関しては辛勝とはいえ自力で破ったと言っていいんじゃない?
201200:04/02/06 13:07
あ、ごめんなさい。63っていうのは別のスレの話だから。
私はこのスレの>>63さんではありません。
202サムライ:04/02/06 17:28
基礎知識

1・事実上、世界征服状態のフビライが20年の歳月をかけ、渇望した国、それが日本
2・マルコポーロによれば、こいつらは日本が黄金財宝の国だと思い込んでいた。
3・アジアの古今東西史で、元(五胡軍)、漢(漢軍)、宋(華南軍)、朝鮮軍 が
統一大将のもと総がかりで、侵攻してきた国は、日本しかない。
当時でいえば、日本VS世界全軍
4・船が嵐でやられてラッキーだったのではない。
そもそも、長期にわたり、何十万の大軍の前線基地を陸地に設けさせる事を許さなかった、
ファーストサムライの偉大さが重要である。 
夏の九州沿岸で長期に上陸させず海に留めておけば、そら嵐で全滅するって。
これは、幸運ではなく必然。
5・神風という言葉は、時の朝廷が、朝廷による祈祷を勝因としたから。
サムライたちは鼻で笑った。
6・ 後の中国の諸王に孫孫と伝わる遺言
  「日本(あいつ)には決して手を出すな」

203サムライ:04/02/06 17:44
日本「あいつ」伝説 番外編

そもそも、世界番長連合のフビライ大番長は、まだ連合に入ってない
奴の噂を聞きつけ、同じ地域の手下のチョン番長に、奴の噂を聞く。
「奴は、昔から生意気なんです、フビライ大番長からの伝言といえば、
奴もビビルでしょう へへへ」
チョン番長、日本に会う
「よー日本、俺は最近フビライ大番長の下に入ってるんだが、大番長が
なんとおまえにも目をかけてくださるって言うんだ、大番長知ってるか?
いまや世界の大番長なんだぜ、 何、下部組織に入ればそれでいいんだ。
ご機嫌をそこなったら、おまえなんてどうなる事やら、へへへ・・・・
お・・・おい・・・・日本・・・・・・・おまえ何やってんだ、
それ、フビライ親分からの書状じゃないか、お・・・おいまさか、やめろ、いや
やめて、お願い 破らないで・・・」
日本、フビライ番長の事など全く無関心で、ビリビリやぶいて鼻かんでポイするのだった。
続く




204伊達雅宗:04/02/06 17:55
もちろん実力!!(大和魂)
205伊達雅宗:04/02/06 17:58
もちろん実力!!(大和魂)
206サムライ:04/02/06 18:06
日本「あいつ」伝説 番外編2

チョン番長、フビライ大番長に事を報告するが、大番長はチョンの言う事など
全く信じない。
「おいおい、チョン、おまえワシの事を説明して脅したと言ったな、
それで、たかが一国の島国の奴が、ワシの事を恐れもせず無視するはずないだろ、
嘘もタイガイにせーよ」「よし、俺の直属の部下を そいつのとこにいかせよう。」

が・・・今度はその部下、日本にコテンパンにされてしまう。
しかも、今度も日本野郎は何が不満かも明かさないのだ。
 フビライ大番長「 し・・・信じられん、世界大番長の俺に逆らう・・いや
というより、 全く無視する奴が世界にいるなんて・・・」
「い・・・いやまて 日本の奴は俺がいかに偉大か知らないんだろ
よし、俺の学校へ呼んで俺がいかに偉大な番長であるか判らせてやろう。」
というわけで、日本の親友の対馬くんを元に呼んで歓待して返すのだった。

しかーーし 日本からは全く音沙汰なし、その後なんど手紙を出しても無視。
フビライくんからの手紙 日本はオール無視。

そして とうとう、 フビライ君が切れました。
おまえらーーーー 日本を締めにいくぞ! おー!
これが 第一回元寇  の発端です。

そしてなんと、フビライ大番長連合軍、
先方は、チョン番長軍
「へっへー 日本、おまえ馬鹿だねー 俺らでおまえ殺っちゃうよー
おまえ、昔から偉そうなんだよー 」・・・・ 
しかし、チョン軍も元軍も あっさり日本に返り討ち・・・・全滅。
侵攻どころか、陸地にあげてももらえず・・・・
207サムライ:04/02/06 18:24
日本「あいつ」伝説 番外編3

そのころ・・・
「なあ、日本。おまえなんでフビライの手紙無視するの?
相手は世界番長連合のフビライ大番長だろ?」

日本「 あ? だって フビライの手紙、俺より偉そうだろ」
「・・・・・え・・・それでけ?  それだけで世界敵にまわしてんの?」
日本「 向こうが勝手に来てるだけだろ、 サムライの俺が
礼儀知らずの手紙に返事がかけるかっつーの」
「・・・・・・・・」

これが、東アジア最大の戦乱の 顛末です。 ホント
208日本@名無史さん:04/02/06 19:51
↑くせぇなコヴァはw
209日本@名無史さん:04/02/06 22:07
>>208
「いわゆる進歩人」、必死だな。(w
210日本@名無史さん:04/02/06 23:44
>>200
( ・∀・)つ∩へえ
211日本@名無史さん:04/02/16 02:08
まあ、上でどなたかかいてるとは思うが、

神 風 は 奇 跡 で は な い

台風シーズンまで上陸をはばんだ、もののふ達の防衛の結果にすぎない。
大体、台風がくるのわかってて、台風シーズン前から侵略開始して
ふせぎきられた元と朝鮮の負け。
212211:04/02/16 02:09
台風はずそうとしたのは元冦の2回目ね。
213.:04/02/16 03:34
韓国人が高麗の手抜き工事を主張する根拠を知りたい。
まさか壁画に工事中に居眠りしている職人が描かれてるからとか
言い出すんじゃねーだろうな
214日本@名無史さん:04/02/16 03:35
台風が実力というなら実力。
215日本@名無史さん:04/02/16 03:47
運だっつーなら

島国であったこと


これが最大の幸運。
216日本@名無史さん:04/02/16 03:57
天候も勝敗のうちじゃないか?

例えば鉄砲隊がいて、豪雨で「雨がふらなければ・・」とか
言ってもさ。
217日本@名無史さん:04/02/16 05:39
実力に決まっているだろが。

こういう論争は戦前からネタとして連綿と続いてきた。
218日本@名無史さん:04/02/16 09:35
九州と朝鮮の距離からいって、実力で阻止したと
考えて良いのでは。
219日本@名無史さん:04/02/16 12:48
倭討伐に成功した暁には ブサイクな 倭雌を 妾にして犯しつくしてやっただろうに
220日本@名無史さん:04/02/16 16:14
>>215
幸運て……馬鹿?
おまい日本語知らないだろ。
辞書で意味ひいてみ。
221日本@名無史さん:04/02/16 22:11
>>19
日本海を渡る能力がなかったんだな
222日本@名無史さん:04/02/17 15:42
↓蒙古襲来絵詞を読んだ安達泰盛の感想
223日本@名無史さん:04/02/17 15:51
>>167
あ り え な い 。それは。
バストダンジョンでリリカのおっぱい値を800近くまで調教強化してやらないと、そのフラグは立たない。
仮にフィリオナをメンバーから外してリリカを集中調教しても、アナルバイブが使えないその段階では
スカリバーはまだ手に入れられないはず。 妄 想 で つ か ?
とりあえずアンダー草原で淫獣マリリスを大量に調教して淫度をどんどん稼いどけ。
展開が不安ならバックアップ取っておくのを忘れんなよ。説教くさくなってスマソ・・・。ついな・・・
224日本@名無史さん:04/02/17 18:41
「蒙古襲来絵詞」ってのはエロゲーの事だったのか
すごいよ安達タソ
225日本@名無史さん:04/03/13 18:21
226日本@名無史さん:04/03/14 09:08
神風?が吹かんでん九州武士団と松浦党には勝てんやったとばい。
ばってん、蒙古に皆殺しにされた肥前鷹島が、
なしてモンゴル村やら作って日蒙友好ばしよるとやろか。
227日本@名無史さん:04/03/14 11:51
運とマグレ

228日本@名無史さん:04/03/14 13:49
運も実力のうち
229日本@名無史さん:04/03/14 13:55

つか、海がなければ日本なんて独立保っていられなかった。
半島のような歴史になってはず。
変に自信がついて弱いくせに日本強いと思ってる連中を生み出した。
いまだに右翼それを信じて疑わないしw
人の能力関係なし。日本があってこれたのは
日本人が優秀だったのではなく運と地形的要因のみ。
それだけで命脈を保ってきた国だというのに。
大体もっと優秀な民族はたくさんいる。
世界に名だたる大帝国を気づいた中国、モンゴル、イギリス、フランス
世界の王様アメリカ合衆国などなど。
勘違いして島から出てきてはボコボコにされる日本とは大違い。
夜郎自大も大概にしろ
230日本@名無史さん:04/03/14 16:17
まず海があって日本が生まれた。 >>229は地獄の使者
231日本@名無史さん:04/03/14 16:19
>>211
全く同感、近代においてもドイツ軍のソ連侵攻という解りやすい実例があるのにね。
232勝手に宣伝:04/03/14 16:39
【大いなる大陸の息吹を感じよう】
●モンゴル村●
住所:長崎県北松浦郡鷹島町阿翁免1646-1
鷹島にある1つの半島を利用して作られた別世界!
海の見える高原や輸入雑貨のショッピングバザールも人気!
ここでは、モンゴルから輸入された本物のゲルを始め、
2002年1月にオープンした温泉センターなどの施設が充実しています!
本場モンゴルの貸衣装(200円)を着て、写真を撮るのも楽しいはず!!!
アクセス:肥前町星賀港よりフェリー(乗用車2000円)10分、日比港より車10分
営業時間:9:00〜17:00
休業日:年中無休
入場料:300円、こども150円(3才〜小学生)
料金: 3才〜小学生150円、スロープカー300円、草スキー300円
駐車場:あり(無料)165台
30棟あるゲルの中は意外に広くて快適
233日本@名無史さん:04/03/14 17:15
「本場モンゴル」=現代モンゴルと当時じゃ相当違うような。
今残っている伝統衣装って旗服とかだろう。
234日本@名無史さん:04/03/14 23:10
勝負ごとでは「運も実力のうち」って言うから、実力の勝利ではないかい。
235日本@名無史さん:04/03/15 10:49
運も実力のうちです。
236日本@名無史さん:04/03/15 10:56
>>229
最悪の条件で生き延びてきた。
ユダヤ人がもっとも強烈だな。

ただ生き延びてどうなんだとも言いたいけど。
237日本@名無史さん:04/03/18 09:51
>>229
南宋が30年以上持ちこたえたのは長江のおかげですが何か?
ベトナム陳朝がモンゴルの支配を免れたのは河川のおかげですが何か?
キエフ公国はヴォルガ河が凍ったから滅ぼされましたが何か?
ポーランドは平原だったからモンゴルにボコられましたが何か?
ヨーロッパはモンゴルが内部分裂したおかげで助かりましたが何か?
238日本@名無史さん:04/03/19 09:16
>>237
必死だな(w
239日本@名無史さん:04/03/20 19:47
逆に自分が元の対象だったらどう攻めるかを考えたけど、
むずかしい。
勝利条件が、京の占領だったら不可能じゃないかな。

電撃的に博多平野・大宰府まで占領しても、食料を現地調達できるか。
日本の水軍が、絶えず退路を脅かす形になるし、
北九州の維持は無理だろう。
240日本@名無史さん:04/03/20 19:47
対象→大将ね。
241日本@名無史さん:04/03/22 09:40
>>239
武士達がゲリラ化するかも。
242日本@名無史さん:04/03/22 22:58
>>241
ゲリラ化するのは日本軍?
それだと充分ありえる。
というか絶対そうなる。
楠木正成のプロトタイプみたいなのに個別に撹乱・殲滅されて終了。
243日本@名無史さん:04/03/22 23:01
元寇という言葉はきわめて明治からの国家主義的な言葉。

本来は「蒙古襲来」が歴史的に正確かつ伝統的な言葉。

244日本@名無史さん:04/03/22 23:09
日本の運
245日本@名無史さん:04/03/23 00:41
愛国心あふれるにほんじんtぽして、隣国んぽ勇敢な抵抗に感謝の異を表する
246日本@名無史さん:04/03/23 00:42
あと「元寇」は刺激的すぎるので「倭島征伐」と自主的に呼ぶようにしている
247日本@名無史さん:04/03/23 11:34
蒙古っていうのはモンゴルの人を侮蔑する意味合いがあるみたい。
248日本@名無史さん:04/03/25 19:29
249日本@名無史さん:04/03/25 19:32
やっぱ全国の社寺が調伏儀式したからだろ。
それは戦後の恩賞に如実に現れておる。
250日本@名無史さん:04/03/25 19:45
>>241
昔反三国志とかイフものがはやった時にそんな本書いた人がいましたよ。
鎌倉幕府も滅亡し元の占領下にある日本で、
最後の天皇と元の王女の間に生まれた尊治親王を担いで楠正成がゲリラ戦で大活躍。
ついには占領軍を殲滅し日本開放ってご都合主義の話。
251日本@名無史さん:04/03/26 02:54
結論
運も実力の内!
252日本@名無史さん:04/03/26 08:03
つまり、運ってことか。
253日本@名無史さん:04/03/26 08:47
文永の役は日本側の準備がなかったから、3万5000の敵に5000くらいで防戦したというサイトを見た。

例)
http://www1.linkclub.or.jp/~yukos/dazaifu/d0cgenko.htm

この論拠は何なんですかね?

3万5000対5000〜10000じゃ苦戦するのは当たり前。
すべてが上陸戦闘に加わっていたのではないにしても、
敵はイニシアティブを持っているのだから、
戦力を集中できる。

戦法、武器以前の問題。
254日本@名無史さん:04/03/26 08:57
にもかかわらず元が後退したのは、
日本の防御が巧みであった事、
元の主たる兵器である矢が尽きた事、
それに食糧問題があったのではないか。

博多上陸の翌日には船に帰っている所を見ると、
兵站への配慮が全くなかったように思う。
博多を荒らして食糧を得るつもりが果せず、
夜になったので日本の夜襲を恐れ、いったん船に引き上げた。
そこを風雨が襲ってきた。

という具合か。

日本への威力偵察という見方は、弘安の役がそれから7年後になっている
のを見ても当らないと思われる。
高麗がわざと船を壊れやすく造ったというのは
最近になって言われだした根拠のない捏造。
255日本@名無史さん:04/03/26 09:05
朝鮮の大将が元の指揮官に撤退せずに攻勢に出ようと
具申し、元の指揮官が「矢が尽きた」と拒否した記録が事実だったとしたら、
後退が予定の行動とは考えられない。
256日本@名無史さん:04/03/27 04:52
本当に矢が尽きたのだとすれば、兵站上のミスか日本軍の迎撃兵力を極めて過少に見積もっていたかのどっちかで、
どちらにせよ信じ難い程の無能であるといえよう。
257日本@名無史さん:04/04/03 14:09
ようするに日本はなめられてたってワケか。
でも少なくとも弘安の役は日本国内でも1番台風が来やすい時期だったんだから
台風が来るまでの1ヶ月間持ちこたえた幕府側の戦略的勝利と見るのは・・・
ちょっと無理があるかな?
まあ当時の人がそんな事知ってたかどうかは知らんが。
258日本@名無史さん:04/04/10 22:40
台風が来ようが来まいと
我が優秀なる日本民族が撃退していた
259日本@名無史さん:04/04/10 23:43
>>258
それは、全てあなたの思い込みです。
260日本@名無史さん:04/04/25 13:27
>>259
それはあなたの妄想です
261山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/25 14:48
>>253
参加した御家人の顔ぶれからおおよその数を算出したもので、故黒田俊雄
先生も同意見で概説書を書いてらっしゃいましたね。
弘安の役でもせいぜい2万人であったとか。九州からだとこんなもの。
262日本@名無史さん:04/04/26 10:35
>>261
おまえうざい。
263日本@名無史さん:04/04/26 16:38
我が民族は神の氏子である!
264日本@名無史さん:04/04/26 23:44
↓ここらで新説。
265日本@名無史さん:04/04/27 02:10
中国の河童伝説は、日本人を指しているという説もある位だ。
ただの人間が河童(妖怪)に勝てるわけがない。
266日本@名無史さん :04/04/30 03:45
>>265
マジ?
詳しく
267日本@名無史さん :04/04/30 04:15
>>266
ネタに決まってるだろ…
中国にカッパ伝説など無い
西遊記でも沙悟浄は、砂漠の海の民と言う説もある
日本のカッパが中国から渡って来たと言う伝説が日本にあるだけ
268267:04/04/30 04:21
>西遊記でも沙悟浄は、砂漠の海の民と言う説もある
砂漠の民もしくは、毘沙門天の化身が一般的

どっちにしろカッパは日本固有の妖怪だよ
269日本@名無史さん:04/04/30 08:12
カッパで思い出したが、カッパの原型は
宣教師ってほんとかなぁ?
なんでも九州のどっかにあるカッパ祭りで歌われる
一文に今は使われない昔のスペイン語が使われてるとか
270山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/30 18:40
1444年に成立した『下学集』に記された「河童」が最古の例で、『日葡辞書』
にも登場しています。
それ以前に『今昔物語集』などに記された「小さ子」としての水神・雷神のイメ
ージが投影されたものだといい、桃太郎が川上から流れて来て大力を発揮する
のも道場法師以来のこうした「小さ子」の系譜上に位置するものだとか。
その姿については本草系の書では亀のようなもの、民俗系の書では子供のよ
うなものと伝えています。
描かれるようになったのは江戸時代からですが、宣教師云々のように特定の
史実をもとに全国的な伝説が形成されたという説はこれに限らず無理があり
ますね。生活の中で伝えていかねばならない理由がありませんから。
271日本@名無史さん:04/05/01 08:12
>>270
おまえうざい。
272日本@名無史さん:04/05/09 16:09
わざわざ狙ったかのように台風シーズンに攻めてきた元側のリサーチ不足。
273日本@名無史さん:04/05/09 23:46
元の杜撰な侵攻計画に日本軍の勇敢な防戦という2つの要素が組み合わさった結果、
あのような決定的大勝利となった、でFAですな。
274日本@名無史さん:04/05/11 00:02
あげ
275日本@名無史さん:04/05/11 00:57
どうせリサーチしたって難破するかもしれないから一緒じゃね?
276日本@名無史さん:04/05/11 03:44
>>275
名将は失敗の確率を僅かでも下げるべく最大限の準備を行うもの。
277日本@名無史さん:04/05/11 10:41
>>272
冬は季節風、秋は台風、春は日本海低気圧の影響で
海が荒れることが多い。
弘南軍は予定より1ヶ月遅れて出発したけど、予定通りなら
1年中で最も気候が安定している7月に上陸できるはずだった。
278日本@名無史さん:04/05/11 20:17
スケジュール調整の失敗から既に敗北の第一歩を踏み出してたわけか。
「勝敗は戦場の外で決まる」とはよく言ったもんだわなー。
279日本@名無史さん:04/05/16 05:34
旧日本軍が天気を軍事機密に下のも頷ける。
280日本@名無史さん:04/05/19 19:17
偶然か、故意か。
意外と元軍大嫌いな中国人貿易商人たちに台風の智識があって、この季節にやったら、と勧めたかも。
281日本@名無史さん:04/05/19 20:00
陰に日向に元に抵抗する朝鮮人がこの時期にと、薦めたのだ。
われわれ日本人は朝鮮人に感謝しないと。
282日本@名無史さん:04/05/19 22:29
例え中国人が嘘をついても、いろんなところで聞いてみれば
嘘だとすぐにバレるだろうから、故意に不味い時期を薦めた
という説は成り立ち辛かろう。何だかんだで、最もいい時期
から一ヶ月ずれて出撃することになってしまったというのが
真相ではなかろうか。
283日本@名無史さん:04/05/20 10:40
元南宋の降伏将軍だったコブンコは、偉そうな元軍が大嫌いだった。
また、何年掛かるかわからない日本侵攻もうんざりだつた。
で、日本の防御が堅いを理由になかなか上陸しなかった。
そのうち彼が商人たちに聞いていた台風の季節になり
望み通り大きいのが来て、元やら艦隊は全滅した。
ひそかに頑丈な船に乗っていたコブンコは当然助かって、ざまみろ、モンゴルと大喜び。
そのまま帰った。
フビライも天災なので何もいえなかった。と、昔、何かに書いてる人がいました。
284日本@名無史さん:04/05/20 12:31
>>283
中国人らしいなぁ。
仕返しの理屈が童話みたいに後付けな所も。
285日本@名無史さん:04/05/21 02:04
まぐれと高麗の30年にわたる粘り強い抵抗 じゃないのかね
こううとウヨ坊がファビョっちゃうからなかなか学問的に話ができず困るw
286日本@名無史さん:04/05/21 13:26
当時はこの二度の台風による奇跡の勝利が、何らかの神によるもの、
祈祷との噂が広まった。
日本人はますます信仰深くなったそうです。
287日本@名無史さん:04/05/22 11:27
>>283
遠征軍14万のうち10万は南宋人なんだが。
同郷人殺してどうすんのよ。
288日本@名無史さん:04/05/23 18:32
元の恨み重なる将官たちを殺せればそれでよかった。

有名なのは博多箱崎八幡宮を元軍が一回目の遠征で焼いてしまった。
それの神のたたりで二回も台風が吹いて全滅したという説です。
289日本@名無史さん:04/05/23 20:30
確か、船の手抜きの話は誰か日本人学者のキワモノ説じゃなかったか?
それを、国粋的な人から見れば「容共的」な某新聞が取り上げた。
それから広まったのでつ、漏れの記憶が正しければ。
290日本@名無史さん:04/05/23 22:47
対馬の人たちはいったん全滅してるのか?
だとすると、現対馬人たちは、韓国の血が入っているのかなぁ
素朴な疑問なのだが。 知り合いが対馬出身なもんで。
291山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/23 23:10
>>290
文永の役の時はともかく、弘安の役については『八幡愚童訓』甲本に次のような
東路軍の行動に関する記述があります。
「・・・壱岐・対馬より上り、見る者をば打殺す。人民堪難て、妻子を引具し深山
へ逃入処に、赤子の泣声を聞付ても押寄ければ、片時の命も惜ければ にや、
褊愛する緑子を我と泣々害しつつ、
世の中に 最惜き物は 子也けり 其に増るは 我身也けり
と詠じける、人の愛ぞ思出らるる。」
もっとも全島民皆殺しに遭っていた可能性は低く、例えば壱岐ではこの六年
後には国衙が正常に機能していました。
そもそも当時皆殺しにされたところで「韓国の血が入っている」という結論
に至るのはおかしいと思うのですが。
292日本@名無史さん:04/05/23 23:48
日蓮大聖人の御法力のおかげです。
南無妙法蓮華経
293日本@名無史さん:04/05/24 00:38
>>291
お答えサンクス。
皆殺しにされて人が居なくなった島に住み着いちゃった人がいてもおかしくないかと思ってね。
んでその子孫かなと思ったのよ。でも6年で復活したならそんなこともないだろうな。
別に韓国に対して特別な感情はないよ〜、念のため。
294山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/05/24 00:45
>>293
弘安の役では農具持参でしたからね。でも失敗しましたから定住どこ
ろでは無かったでしょう。捕虜にされたのは旧南宋人だけで後は殺さ
れたそうですし。
295日本@名無史さん:04/05/30 21:23
軍板でも元寇について考察しておりますな。
板ならではの視点もあってなかなか興味深い。

http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/army/1084109929/l50
296日本@名無史さん:04/06/09 10:33
台風が来たのは、やはり偶然だろう。二回目はまさに奇跡に近い。
日本軍が意識して、待っていたというのはありえない。
しかし、元軍がなんで長崎あたりに上陸して、さっさと橋頭堡作らなかったのかは不明。
297日本@名無史さん:04/06/09 20:15
>>88
遅レスだけど、日本刀は有力な輸出品となっていた
298日本@名無史さん:04/06/10 10:34
元帝国は日本の正確な地図を持っていなかっつた。このため博多湾上陸にこだわった。
それから朝鮮から来る後続軍のためにも大きな港が必要だった。
このためますます博多あたりにこだわって、停滞したのが運の尽き。
299日本@名無史さん:04/06/10 11:11
>>296
日本軍は、意識してまっていた。か、いないか がポイントなのに・・・
「ありえない」 だけならROMだけにしてね。

陸上に陣を上げさせなければ、いずれ台風が来るのは常識だったろうから。
300日本@名無史さん:04/06/10 11:33
『高麗史』金方慶伝によれば、中国(宋)式のしっかりした造りの船では侵攻時期に間に合わないから高麗式にしろ、と命令が出たとかかれている
当時の高麗船は、ぶっちゃけ宋式に比べればあらゆる点で劣ったしょーもない船(まぁ当時の宋の船舶建造技術に比べれば世界中の船がそう言えるんだが)
つまり、高麗船自体が元の感覚でいえば手抜き船
301日本@名無史さん:04/06/10 12:28
>日蓮大聖人の御法力のおかげです。


すると、日蓮は大量殺人犯
302日本@名無史さん:04/06/10 14:24
>>301
話がずれとる。
303山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/10 14:53
>>301
実際には『法華経』回帰主義を受け入れなかった日本が勝ち、しかも罵倒し
ていた叡尊の祈祷により神風が吹いたという評判まで出て来たのでかなり
居心地の悪さを感じていたようですが。寧ろ不本意な結果でした。
304日本@名無史さん:04/06/10 15:40
>>1
ん?日本征伐?
やっぱ高麗の数十年に渡る抵抗で元が疲弊してたからこそ
野蛮なバーバリアンにも辛勝する余地が生まれたのだよ?
305日本@名無史さん:04/06/10 16:20
クマーーーーー
306日本@名無史さん:04/06/10 19:31
高麗は日本侵略をブビライに勧めて積極協力した
しかもその間、高麗王は何をしていたか?
国中から美女を集め、巨大な宮殿を建てていた
そして日本遠征のための兵士主力は高麗
元のいいなりじゃん。ついでに国王馬鹿じゃん
307日本@名無史さん:04/06/10 19:59

  二度の遠征失敗で面目丸つぶれ。国力も疲弊。
旧南宋
  江南軍主力として元に使役され多大な損害を被る
高麗
  東路軍主力として元に使役され多大な損害を被る
日本
  恩賞不足が鎌倉政権崩壊の原因となる。

四方皆損の結末。得をしたのは日蓮くらい。
308日本@名無史さん:04/06/10 21:21
そんなこと分かるわけなかろー

書物に事実があることを証明してくれよ
309日本@名無史さん:04/06/11 10:46
テレビの北条時宗ではかなり元の火薬や弓の兵器に日本軍が苦戦していた。
しかし、当時の日本では武士同士の一騎打ちが基本。集団戦法が基本の元軍とでは苦戦するのが当たり前。
船による上陸戦は奇襲でないと難しい。二回目は大軍が来るのが察知されていたため、なかなか上陸できなかった。
映画トロイでは、船を砂浜にそのまま乗り上げさせて上陸していたが、ああいう思い切ったことを元はしなかったのだろう。していたら強行上陸成功していたかも。
310日本@名無史さん:04/06/11 15:56
大将以外の一兵卒も一騎打ち?
じゃあ 弓矢があったのはなんで?
311山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/11 20:11
戦闘方法としては、組打(東国で多い)、打物(西国で多い)、騎射。
まず最初は矢をいかけあうところから開始したでしょう。
集団戦云々は『八幡愚童訓』に出て来るもので、あまり額面通りに受け取る
と馬鹿を見るかも。
312日本@名無史さん:04/06/11 23:28
一騎打ちが起こったのは、功名を狙う武士同士がぶつかったような場合のみ
日本の武士は長らく家単位で動いてたから、所領がなかったり小さかったりする御家人はどうしても個人の動きで手柄を狙わざるを得ず、いい各個撃破の対象になったらしい
だけど大武士団はそれなりに統率が取れており、集団で騎射を仕掛けるなどそれなりに高度な連携戦闘を展開していたようだ
313日本@名無史さん:04/06/12 11:04
それは二回目の元寇のときは、大軍でくると解かっているから、
何回か集まってそれなりの訓練、用意をしていたとも思われ。
しかし、一回目の時は、いきなりの寄せ集めでどの程度の動きが出来たかはわからず、、、
相手もどう動くか解からないので苦戦したと思われ、、、
もともと軍隊は集まってある程度の訓練をしていないと、
統率の取れた集団の動きなどは出来ないので。一回目の個人戦の反省の結果ではないだろうか。
314日本@名無史さん:04/06/12 14:26
>>313
『八幡大菩薩愚童訓』によると、蒙古軍と日本軍が初交戦した際、よく知られるように矢合わせの儀式をやって蒙古軍に笑われたり、一騎駈けを狙って包囲されて討たれたり捕虜になったりする武士が多くいた一方で
菊池一党(総勢百騎程度らしい)は二手に分かれて挟撃を仕掛けたという記録もある
二回目の時の戦術変化はよくわからない
正面戦闘に懲りて防塁を利用して矢戦に徹する一方で、夜襲・海上夜襲をメインにしたらしいが
これが組織的計画・に訓練されたものかは…
315日本@名無史さん:04/06/12 14:34
>>311
おまえうざい。
316日本@名無史さん:04/06/12 14:44
まあ、7年後に同じ場所に上陸作戦する元馬鹿だよな。
317日本@名無史さん:04/06/12 17:24
高麗が妨害工作をしたからだよ。

元の命令をのらりくらりと交わし台風シーズンまで遠征をずらしたのさ。
318日本@名無史さん:04/06/12 18:05
>>317
と、いうことは高麗は味方殺しの非道国家か
まぁ餓死者続出なのに宮殿おったてて美女漁りする馬鹿国王が指導する国だからありえない話じゃないな
319日本@名無史さん:04/06/12 18:14
>まぁ餓死者続出なのに宮殿おったてて美女漁りする馬鹿国王が指導する国だからありえない話じゃないな

どっかで聞いたような国だな
320日本@名無史さん:04/06/12 19:44
第一次元寇で拉致され、高麗王に献上された日本人二百余名は返されなかった・・・
元々拉致国家なんだよ連中は
321日本@名無史さん:04/06/13 05:37
珍しいサルを捕まえて家畜として飼ってるのに返せとはこれいかに
322日本@名無史さん:04/06/13 18:35
>>321
慶長の役の時は、拉致された側が帰りたくないって主張して日本に残ったな
サルを飼ってると思い込んだ側は禽獣以下の国だったってことか
323日本@名無史さん:04/06/14 09:54
文永の役では対馬の農民は男は殺され、女は集められて手のひらに穴をあけられて縄をとおされ、船べりにつるされたという。
ぶっちゃけ文永の役は今の11月だから台風ではない。
強制的に船をつくらされた高麗人の手抜き工事。
さらには三別抄が元の軍船を襲って焼き払ってくれたのが日本侵略を防いだ。
弘安の役は石塁で上陸を防いだ。さらに暴風雨。7月だから台風だったと考えられる。
324日本@名無史さん:04/06/14 10:05
鎌倉武士はなぜ源平の合戦同様
われこそは・・・
などと名乗りをあげたのかな?
相手は外人だよ。言葉が通じるわけないじゃん。
325日本@名無史さん:04/06/14 10:07
弘安の役では武士の妻子がたくさん捕らえられたという。
この人たちはどうなっちゃたのかな?
元軍といっしょに海に沈んでしまったのだろうか?
326日本@名無史さん:04/06/14 11:16
>>323
三別抄の戦いを過大評価してる辺り、歴史スレにそぐわないですね。
三別抄は蒙古と戦ってたというより、ただ単に内乱してただけと
見るのが適当なんですが。
327日本@名無史さん:04/06/14 11:25
三別抄が多少暴れても、日本侵攻の体勢は整えられたわけだし
なんで朝鮮の働きを過大評価しようって香具師が多いのかな?
朝鮮は元寇の手伝いする代わりに元の駐留軍常駐解除や、莫大な戦費の受け取りなどの恩恵をたっぷり蒙ってるのに
328日本@名無史さん:04/06/14 11:27
三別抄は蒙古に恨みがあったから反乱してた。
329日本@名無史さん:04/06/14 17:12
簡単に元寇っていうなよ、
歴史上に一回だけ登場した、大アジア連合軍だよ、
後にも先にも一回きり。

  世界連合         VS 日本
元+中国+江南+朝鮮  VS 日本

で、日本は、敵陣を上陸させる事なく勝っちゃった。



330日本@名無史さん:04/06/14 18:01
戦術とか台風とか関係ないんだよ!
元が負けた理由はチョンを手下にしたから。
チョンを手下にするとかならずって言っていいほど負けるからな。
負け犬民族は仲間にするなって事だ。
331日本@名無史さん:04/06/14 20:54
 >>329
大アジア連合って、別に全アジアが一丸となって攻めてきたわけじゃ
ないでしょ?
332日本@名無史さん:04/06/14 21:31
運だべ 運
こんなありえないようなマグレで勝っちゃったから後世調子に乗って
侵略戦争をぶちかまして南京虐殺とか従軍慰安婦とかさんざん調子こいたあげく
ほんとに世界中を敵に回して最後はボコボコにやられたんだろうが
333日本@名無史さん:04/06/14 23:22
>>332
後世調子に乗っちゃった原因にはなったろうけどね。イコール運にはならんよ?
334日本@名無しさん:04/06/14 23:57
>>324
いや、あの…名乗ってから戦わないと、味方から手柄として認めてもらえないでしょ?
335日本@名無史さん:04/06/15 00:09
>>333
イコール運なんて>>332は言っていない。
336日本@名無史さん:04/06/15 00:16
>>332
いや、増長した例にそんな『捏造されて言われてる』事を持ち出されても
実力でしょ。海という防壁があってもそれを上手く利用できなきゃダメだったはずだし
337日本@名無史さん:04/06/15 01:10
釣り師にレスしても意味ないんじゃないのか?
338日本@名無史さん:04/06/15 08:59
正確にいうと元の船を焼き払ったのは三別抄の残党でした。
三別抄はすでに元に滅ぼされてた。
339日本@名無史さん:04/06/15 11:47
九州北部の人によれば十一月でも嵐のような強い風が吹き、波が荒くなる日は多い。
第一次元寇は四万五千もの大兵を送ったし、後続軍もいただろうから、様子見とか、脅しということはありえず、やはり嵐に近い風が吹いて船が次々と壊れたのだろう。
第二次元寇は本物の大嵐がきた。日本軍が大兵力を海上の船に何ヶ月も置けない、食料や水、健康の状態によって、のは見抜いていたと思う。
だから守っていれば、海が荒れたり、食料、健康などの理由で引き上げるかも、くらいは考えていただろうと思われ。
340日本@名無史さん:04/06/15 21:01
いまでも福岡市東区、筥崎宮の楼門には「敵国降伏」の扁額が掲げられている。
醍醐天皇が書かせたらしいが、とにかく元寇は防いだわけだ。
341日本@名無史さん:04/06/15 21:50
元寇の後 日本人の和寇が出現し その後何百年も 中国 朝鮮の沿岸を荒らしまわった。
百人たらずで出撃し 三千以上の兵士を殺したとか あまりに和寇が荒らしまわったので
朝鮮半島のアチコチに無人地帯ができたとか とにかく強かったらしい。ある日 
急に日本人が強くなるわけがないのだから  やはり当時の日本武士達は 
蒙古兵や高麗兵にとって かなり手強い相手だったのだろう。弘安の役の元軍兵士は
そのまま海に沈んだのではなく 実は日本人によりその大半は捕らえられ 首を切り落とされたと最近なにかの
本で読んだ。あの狭い唐津の入り江は何万人という元軍兵士の血で文字どおり真っ赤かに
染まったのではないだろうか?私も小学生のころは みんな海で溺れて死んだと信じていたが
どうやら そうではないらしい。
342山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/16 01:02
>>339
難破船の記録が一艘しかありませんし、やはり無かったという事でいいかと。
弘安の役の台風の方は京都まで影響を及ぼしたらしく、北九州の南部をかす
めて行ったようです。
では文永の役ではどうだったかといえば、11月26日に台風が来なかった
のは当然として、普通に引き上げている最中に大風に遭っていただけのよう
ですよ。
>>340
醍醐天皇には無理だったと思いますが。後宇多天皇では?
>>341
何万人は無理です。2000人ぐらいの集団が戦って降伏し、旧南宋の兵士
だけが助けられたという事ならありましたが。
343日本@名無史さん:04/06/16 01:22
>>341
中国 朝鮮の沿岸を荒らしまわった連中の中には、日本人のふりをした
なんちゃって倭寇がいっぱいいたって何かで読んだ事ある。
344山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/16 02:05
>>343
後期倭寇になると八九割が現地人の変装であったとか。
345日本@名無史さん:04/06/16 03:26
東洋最強の兵・武士が
悪逆モンゴルとその手先の高麗を見事撃退したんだよ
正義が常に勝つとは限らないが。この戦いにおいては正義の大勝利
346日本@名無史さん:04/06/16 09:43
みんな、誤解があるって、
敵は、有史以来初めて登場した、 
元・漢・南宋・朝鮮 オールスター連合軍 で

当時は、世界 VS 日本 の図式 

後の世の明の皇帝の遺言は、日本だけには手を出すな だからね
347日本@名無史さん:04/06/16 12:04
348日本@名無史さん:04/06/16 15:25
まぐれニ・・・です
カミカゼと高麗の勇敢な抵抗あってこそこんなまぐれが生まれたニ・・・です
高麗に感謝したいニ・・・です、マンセ・・・いや万歳ヽ(`Д´)ノ
349山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/16 20:14
>>346
>日本だけには手を出すな
日本「だけ」を指名した訳じゃなかったと思いますが。
350日本@名無しさん:04/06/16 21:47
では「日本には手を出すな。(そんな所攻めるくらいなら)」なのか?
351日本@名無史さん:04/06/17 00:47
341です。たしかに偽和寇が後期には大勢いたが それは日本人の海賊が
非常に強かったからで 弱かったら何も日本人の真似はしません。
2000人が降伏したということは それ以外に降伏しているのに日本人に
殺されてしまった兵士が その数倍はいたのではないでしょうか?
戦闘を続行しながら敵を捕虜にするというのは 実は大変に困難なことなのです。
私の祖父は 先の大戦で英軍や豪州軍と戦いましたが 戦闘中の捕虜は
こちらに よほどの余裕がなければ その場で例外なく殺していたと
言っていました。ましてや 中世で人命が紙より薄い時代で 悪いことを
しにきた異民族には容赦はしなかったでしょう。捕虜になれた兵士達は
運がよかったのです。
352山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/17 02:07
>>350
元々あまり積極的じゃありませんでしたからね。>対外侵攻
353日本@名無史さん:04/06/17 08:01
>>331

元寇って、たまに
元一国の兵師団が攻めてきたと勘違いしてる奴がいるが、

実際は
元が統帥権をもって、
朝鮮軍 南宋軍 漢軍 元軍 それぞれが
それぞれの地域から一斉に日本に侵略してきた戦争。
恐ろしい
354日本@名無史さん:04/06/17 13:45
ちょっとスレタイからずれるけど
ベトナムじゃ元寇撃退の英雄は陳興道が有名で、当時の王は二の次、みたいな感じだよね?(間違ってたらスマソ)
日本では逆に北条時宗が英雄に擬されて、実戦指揮官だった小弐・大友はあんまり取り上げられない感じがする
この辺は何か事情があるのかな?
355日本@名無史さん:04/06/23 10:20
四万五千、数百隻の船を動員しながら、一日で引き上げるというのは納得できない。
一 上陸成功、戦況有利。
一 大将負傷なれどもそんな事態は計算済み、予備将あり。
一 敵日本軍は大宰府あたりまで撤退。博多を焼き、敵の夜襲を警戒。
一 敵日本軍の戦法は稚拙、武器は遅れている。

結局、文永の役の時、夜襲を警戒し、船に戻って外海あたりに出たらかなりの嵐に遭い、かなりの大損害、やむなく戻った。が正しいのでは。
記録だが風、海流で朝鮮あたりに流されたら、高麗の敗北の歴史になるので正確な記録は残さなかったのでは。
356日本@名無史さん:04/06/23 13:28
>>354
いわれてみれば確かにそうですね。なんでかな?
357日本@名無史さん:04/06/23 20:28
>>355
>夜襲を警戒し、船に戻って外海あたりに出たら

上陸に成功していたら(=海岸堡を確保できていたら)船には戻らないんでは?
358山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/23 22:22
>>354
・ベトナム王の活躍より、名将の働きの方が目立った。
・日本の場合内陸部まで攻め込まれた訳でもなく、「名将の采配によって防衛
出来た」と意識する機会が無かった。勢い、若くして執権となって元寇を防い
だ後に亡くなった時宗に偶像化が集中する。
若くして亡くなるというのは英雄の(必須ではないにせよ)条件の一つであっ
たし、これといった失敗が目立つ訳でもない。
・・・といったところでしょう。
359日本@名無史さん:04/06/23 23:33
はいはい、シッタカ君は氏んでいいよ!
360日本@名無史さん:04/06/26 11:07
あの時は博多の町が炎上していたし、兵も疲れており、時間も遅かったいた。陣地を築くにはそれなりの資材と労力がいる。初めての土地で警戒して、船で休息させてから、と考えた。その方が安全確実であると思われ。
361日本@名無史さん:04/06/26 11:45
>>355
岸から離れ外海に出ざるをえないような理由があったのかもしれない。
上陸して乗ってきた船を岸に放置すれば、それを奪われると考えたとか、
あるいは近海に停泊していたら、夜中に切込まれて鬱陶しかったとか。
いずれにしても、気の毒なのは船に乗った事も無いモンゴル人や漢人。
太平洋戦争末期に、援護無しで何時沈められるか判らない船に乗ってた、
南洋行きの日本兵と良く似た気分だったんじゃなかろうか。
362日本@名無史さん:04/06/26 12:24
文永の役は地理に不案内なので奥地へ進撃すると言う意見と一旦舟に戻ると言う意見が対立、結局舟に戻ったら、神風でアボーン。
だとすると、力関係的にむしろ進撃論が高麗軍、慎重論が蒙古軍なのでは?
で、結局対馬&壱岐での住民虐殺による情報収集失敗が致命傷になったのでは…。

蒙古軍の他の戦いを見てみると従わない敵に確かに苛烈な仕打ちをする事はまま有るのだが、いきなりは殺さない、
ましてや侵攻拠点を潰す様な馬鹿な真似はまずしない。
ひょっとして、高麗軍の仕業なのでは…
対馬を朝鮮領だと考えているのなら、日本側に従う島民は当然憎悪の対象で有ろうし、この機会に弱体化しておけば
将来の奪回にも繋がると考えたのでは?

高麗軍のお陰と言うのは別の意味では間違って無いのかも知れず。
363日本@名無史さん:04/06/26 12:50
故郷を遠く離れて移住するのが普通のモンゴル人や漢人は、
一刻も早く陸地にあがりたかったんじゃなかろうか。
目と鼻の先に故郷があって、
帰りの船が無くなる事だけを最も恐れたのは、高麗人のような気もする。
どの仮説が正しいにしても、
高麗軍の御陰ということになるのかもしれないが、
高麗人に煽られて付いていった元人にとってはとんでもない災難だな。
364日本@名無史さん:04/06/26 12:52
この構造は見方によっては朝鮮戦争にまで続いてると言う事も出来る。
365日本@名無史さん:04/06/26 13:06
366日本@名無史さん:04/06/26 16:31
>>356
霜月騒動で粛清されたのが結構いたからじゃないかな。
367日本@名無史さん:04/06/26 17:49
なんで松浦党については誰も語らないんだろ?
http://kyushu.yomiuri.co.jp/smouko/mohon/mou040.htm
≪蒙古襲来ー白石一郎著≫ 
 蒙古襲来で松浦党は本拠地に潰滅的な打撃を受けながら善戦し、多くの犠牲を
出したが、鎌倉幕府から報償されることがなかった。自分の領土を守るのは当然だ
として無視された。
この体験にこりた武士団は中央権力をあてにせず小領主達が一致結束して同盟を
結び、再度の元軍の襲来に備え、朝鮮や中国への復讐を誓い合った。
戦国時代の終焉とともに消えていった松浦党海賊は、あるいは蒙古襲来が日本に
生み落とした鬼子であったといえるかもしれない。
368日本@名無史さん:04/06/26 23:21
>363
高麗人と言うより、韓半島の基本防衛戦略「敵を用いて敵を討つ」の基本パターンかと。
これ自体は大国からの防衛戦略としては優れているとは思うのだが、よせばいいのに衰亡して来ると逆襲&復讐に
転じて余計な恨みを買い、次の王朝にまだ手酷い目合わされ慌てて服従、またそれが衰亡すると逆襲&復讐… の繰り返し。
戦後、半島からの引き上げ日本人の一部が虐殺された(無論それに反対した方々も少数ながら存在した)のもこのパターンかと。
まだ免疫の無いロシアが次の生贄か、大部間が空いてそろそろ忘れかけてる中国がその記憶を呼び覚まされるのか…

>367
松浦党の切り込みでもう1日舟に留まったので、神風が…
保塁、壱岐への逆襲で、徹頭徹尾まともに上陸させず、夜間の舟への切り込みで神経を磨り減らせ続け…
弘安の役に付いては日本側の戦い方は一環してますな。
369山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/27 00:10
高麗側のやった事かはさておき。『元史』には、弘安の役の時にフビライが、
「人の家国を取るには、百姓・土地を得んことを欲する」という漢人の言葉
を引用して無用な殺戮を行わないように支持したとありますね。
それと手に平に穴云々は日蓮の書簡しか伝えていません。『八幡愚童訓』では皆
怖れて山に逃れたという事になっていましたが、実際の元軍の行動はどうだっ
たのやら。
370名無し:04/06/27 10:43
元寇の時、元から日本に降伏せよという使者がきたが、北条時宗は受諾せず
使者を龍の口で処刑した。フラグ汗はバクダッドを陥落させ住民30万人を
処刑し、さらにエジプトに降伏を勧める使者を送った。このときエジプトは
受諾せず、使者を処刑した。国内を見られているからだ。
古代の使者は失敗すれば生還できない任務であったのだ。
ただ日本では元の使者を哀れんで慰霊している。昔の日本人は偉かった。
蒙古が寛大だったのいうのは史実ではない。バクダッド陥落では大殺戮後、
死臭と疫病で3ヶ月市内に入れなかったという。フラグ汗はエジプト攻略直前
にジンギス汗が死亡したので軍勢をカラコルムに戻しエジプトは救われた。
371日本@名無史さん:04/06/27 11:44
>>370
元からの使者は実はスパイだったんじゃないの。
モンゴルはホラムズ帝国攻めの時も似た様なことやってるし。
処刑したのは全く適切の処置だったと思う。
372日本@名無史さん:04/06/27 12:17
ぶち切れて見境無く使者を殺しちゃったけど、祟りと蒙古を恐れるあまり慰霊するヘタレで野蛮な日本人、と。
373山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/27 12:23
>>370
>ただ日本では元の使者を哀れんで慰霊している。
哀れんだというより、安国寺同様怨霊鎮撫のためでは無かったかと。
朝鮮出兵後に島津も敵味方の慰霊を行っていますね。
>にジンギス汗が死亡したので
倅のオゴタイでは?
374日本@名無史さん:04/06/27 12:31
国王とその取り巻きだけが江華島にさっさと逃げ、
その他はモンゴル人に皆殺しにされた蛆虫以下の朝鮮人、と。
375日本@名無史さん:04/06/28 00:05
文永の役では元軍に推されたが、少し前の時代のヨーロッパやロシアでは、モンゴルと鎧袖一触で
負けているが、鎌倉武士は一日は持ちこたえている。それも準備不足で劣勢な軍勢で。
弘安の役では、一ヶ月以上も元軍を上陸させずに台風の季節まで持ちこたえたのだから、やはり
強いと思う。
376日本@名無史さん:04/06/28 20:02
日本の武士団は只でさえ寄せ集めなのに
「その日の大将」ぐらいしか決めずに戦陣を張ったんだよね
よくそんな遅れた軍制で戦えたもんだ
377日本@名無史さん:04/06/28 23:36
やはり高麗の勇敢なる抵抗が倭の討伐を遅れさせたのだ
378日本@名無史さん:04/06/29 01:10
>>377
そうだね。時期が早まろうが遅れようが関係なく元・高麗軍は勇敢な武士に負けてただろうがね(プ
379日本@名無史さん:04/06/30 18:10
>>377
だから、高麗は元と一緒になって三別抄の反乱軍を討伐してるだろ。
国内の権力争いに、外国勢力を引き入れるようなカスどもが勇敢な抵抗なんて
お笑い草だな。
380日本@名無史さん:04/06/30 22:35
抵抗したのは高麗じゃない。一部の対元強硬派のみだ
高麗は元の積極的な日本侵攻を手助けし、莫大な戦費援助を受けていた
作戦上でもやたら日本の民間人を殺害したり攻撃に積極的だったのも高麗の将だ
それとも三別抄こそ高麗の正当政権だ!とでもほざくつもりかな?
381日本@名無史さん:04/07/01 07:06
>>378-380
自分達に都合の悪い歴史事実を認められないバカウヨ三匹
お前らが韓日友好に邪魔だのだ
382日本@名無史さん:04/07/01 16:52
韓日? おいおい日韓友好じゃねえのかよ在日クンw
383日本@名無史さん:04/07/01 17:42
>>381
尻尾が見えてるぞ(藁
事実を言われたのがそんなに悔しいか
384日本@名無史さん:04/07/01 20:58
モンゴルを撃退した日本・エジプト・ベトナム>>>>>>「抵抗」が精一杯で、後に元の完全な犬に成り下がった高麗
385日本@名無史さん:04/07/01 22:59
やはり北条時宗の存在がでかい。
使者を切り殺して断固とした姿勢を示した後は、上皇の宣旨を得て武士団の司令官になり、速やかに船を使った兵力集中を行って台風の時期まで防戦した天才。
また半島からの難民から着々と元軍の情報を得ていたというし、この男こそまさしく将軍の中の将軍といえよう。
386日本@名無史さん:04/07/02 07:00
マグレ(武装土人の野蛮な暴れっぷり)と運(後世カミカゼアタックの
狂気を生み出した暴風雨)、そして隣国高麗の人々の執拗な抵抗でこれまた
運良く元が弱体化してきただけっしょw
387日本@名無史さん:04/07/02 07:00
高麗ありがとう
暴風雨ありがとう
388日本@名無史さん:04/07/02 11:33
モンゴルは全兵士騎兵という利点を生かし、迂回、包囲、奇襲戦術という要素で勝ってきた。
勝てたのは同じように全騎兵で馬が優れていたサラセン帝国のみ。
つまり、日本に馬が運べるかどうかが勝敗の分かれ目で。
しかし、三千頭も運べればかなりの脅威だったかも、、、彼らの奇襲戦は凄かったらしいし
389日本@名無史さん:04/07/02 13:06
チョソ系のネタにマジレスするのもなんだが
日本への第三次攻撃実現可否に影響を与えたのは高麗じゃなくてベトナム
感謝するならベトナム相手だね
元を叩いたつながりだし
390日本@名無史さん:04/07/02 21:19
いくら騎馬戦が強くても海の上ではただのお荷物。
もともと蒙古軍は海に出たことがない上、船は半島の山々を禿山にして作った急造品。
毎年必ずといっていいほど台風が来て荒れる対馬周辺ではまさに自殺行為。
その辺を考慮して戦えると判断した北条時宗はやはり凄い男だ。
391日本@名無史さん:04/07/02 23:36
考慮したのかね
392日本@名無史さん:04/07/03 00:50
対馬島(テマド)住人だけど高麗ありがとうといいたい
はやいとこ倭政府が我が島の不法領有をやmて大韓国に再び帰属できる日がまちっどおしいい
393日本@名無史さん:04/07/03 03:14
モンゴルと騎兵戦やって勝ったバイバルスは凄まじい
394日本@名無史さん:04/07/03 03:26
文永の役(1274)総兵力約2万5千。うち高麗人1万2千
弘安の役(1281)総兵力約5万。うち高麗人2万5千
実質は日本VS高麗
日本完全勝利
395394:04/07/03 03:32
弘安の役のは東路軍総兵力より
396日本@名無史さん:04/07/03 10:23
>>392
これネタ?
397日本@名無史さん:04/07/03 11:33
>>396
日本語変だしねw
398日本@名無史さん:04/07/03 17:07
>392
この手を見て毎回思うのだが…
倭や大韓国と書いた時点でバレバレなのになぜ改める気が無いのやら…
1度ぐらい、本物と見紛うような書式のを見て見たい気すら…
399日本@名無史さん:04/07/03 18:04
【文永の役】
 〈蒙古軍の兵員数〉
   蒙古軍総兵力   40600人
    梢工 水手   15000人
   戦闘部隊兵力   25600人
    兵站       5000人
   交戦兵力     20000人
 〈日本軍の兵員数〉
   交戦兵力      5300騎
   交戦兵力     10000人

【弘安の役】
 〈蒙古軍の兵員数〉
   東路軍総兵力   42000人
       交戦兵力 25000人
   江南軍総兵力  100000人
      交戦兵力  60000人
 〈日本軍の兵員数〉
   長門地区交戦兵力 25000人
   博多湾交戦兵力  40000人
   京都地区交戦兵力 60000人

 「元寇ー本土防衛戦史ー」(陸上自衛隊第四師団司令部 1963年)
400日本@名無史さん:04/07/04 03:19
あなたの学校に、在日韓国・朝鮮人の友だちがいるという人も多いと思います。本当はいるのだけれど、
その人のことをよく知らないだけという場合もあるかもしれません。日本に住む外国人の中で一番人口が多く、
住んでいる期間が長いのが、在日韓国・朝鮮人です。しかし、日本に住む在日韓国・朝鮮人の多くは、
自分の本当の名前(本名・民族名)では生きていけなくて、日本人ふうの仮の名前(通名・日本名)で生きて
います。自分の本当の名前を使えない苦しさについて、一度真剣に考えてみて下さい。

2001年にヒットした、アニメ映画「千と千尋の神隠し」を見た人は、千尋(ちひろ)が
名前を奪われて千(せん)という名でしか生きられない世界から、どのようにして抜け
出してきたのかの物語だったことを思い出して下さい。映画を見ていない人は、
もしビデオなどで見る機会があれば、そのへんにも注目すると物語がよく理解
できるでしょう。本当の名前を奪われて「神隠し」にあったように別の世界で生き
なくてはならなくなった千尋は、最後には元の世界にもどることが出来ました。
しかし、昔の日本は韓国・朝鮮人の名前を奪い、今もその頃の名前でしか日本
では生きていけないと考えている韓国・朝鮮人もいるのです。差別の歴史が
名前を奪い続けているのです
401日本@名無史さん:04/07/04 03:35
そんなに日本人名を名乗るのが嫌なら韓国へ帰れば?
402日本@名無史さん:04/07/04 07:40
元寇なんか俺の真空飛び膝蹴りで蹴散らしてやるよ
403日本@名無史さん:04/07/04 08:12
>>400 もとの世界へもどれば?
千尋は、妖怪さんたちの世界を変えようとはしていない
自分の世界へかえろうとしている。

妖怪さんたちには妖怪さんの世界がある。それを壊すのは
おかしくないですか?それとも妖怪だから、なにをしてもいいのですか?
それは侵略者の口実だと思いますよ。
404日本@名無史さん:04/07/04 09:50
>>400
はいはい使い古されたネタはいいから
名前なんて奪ってない
朝鮮人特有の姓もちゃんと戸籍記載などで認めたまま・日本人としての名前があると便利なんで日本人としての氏を創『氏』するのを認めたのが実態
朝鮮人名のまま役人になったものは大勢。総督府高官まで上ったものもいる
405日本@名無史さん:04/07/04 09:54
神のご加護です
406日本@名無史さん:04/07/04 10:13
モンゴル鉄騎なんて日本のよう国ではあまり威力発揮しないんじゃない。。
遠征軍の内部も不統一だったんでしょ。
台風が来なくても日本を押さえることは出来なかったと見た方がいいんじゃない。
そもそもモンゴルって日本以外でも結構ぼろ負けしてるしね。
407日本@名無史さん:04/07/04 11:18
>>404
あらま、古いな。今時・・・。
創氏は100%。ちょっと調べればわかることなんだが・・・。
朝鮮名のままだというのは、登録をしなかったので、
朝鮮名のまま、日本人名にされた人なのよ。
釣りにマジレスカッコワルイがw。
ご存知のごとく、改名は8%ね!
408日本@名無史さん:04/07/04 11:20
>>400
区別つかなくて日本人がここまで悪くなったのかと思うのはしゃくなので
どうせするならご自分の名前で堂々と犯罪していただきたいと思います。
409日本@名無史さん:04/07/04 12:12
一回目は上陸されて内部に入り込まれたが、二度目は石塁作って水際防御してる。
上陸できずに海上にいたらまた嵐が来てアボーン
410日本@名無史さん:04/07/04 12:22
そもそも主力は高麗兵
虐殺掠奪にかける情熱はともかく(藁
実力・士気ともに二線級の部隊で日本を支配しようとするならそれこそ10万単位で送り込まなければ無理
411日本@名無史さん:04/07/08 19:40
結局、当時の水運技術では日本の防御兵力を圧倒しきるだけの兵員輸送は無理
よって実力でFA。ただし元・高麗などの実力に問題が・・・のほうで
412日本@名無史さん:04/07/08 21:09
主に高麗人だったから、戦争よりレイプすることを目的にきたから、勝つわけない
413日本@名無史さん:04/07/08 21:28
九州勢と瀬戸内海の海賊の混成軍に負けるなんて・・・・2度も。
414日本@名無史さん:04/07/10 17:27
蝦夷のアイヌも元侵攻を撃退してるぞ
エジプト・日本・ベトナム・アイヌ>>>>>>>>中国・朝鮮
415日本@名無史さん:04/07/13 18:12
ところで、福岡の東公園に「元寇史料館」っていうショボい建物があるよね。日蓮像のとこ。

あの公民館みたいな建物に入るのが有料 (と言っても数百円だったと思うが)
ってのは微妙なんで入ったこと無いんだが、あそこって面白いものある?>近隣で入ったことある人
416日本@名無史さん:04/07/15 08:15
日本征伐(近隣国に配慮してこう言う)が成功してたらもう少し日本は早く発展してたかも
417日本@名無史さん:04/07/15 09:31
>>416
nandeyanen
418日本@名無史さん:04/07/15 13:34
>>416
高麗の例を見れば元の支配下に置かれた際の惨状は明白だが
419日本@名無史さん:04/07/15 19:33
>>416
近隣諸国?素直に朝鮮って言えばいいのに
格下と見下したい日本に歴史的に負けるか頼るかしかできず捻くれた連中ぐらいだろ。そんな用語使いたいのは
420日本@名無史さん:04/07/21 00:55
高麗は残虐なくせに弱い
そして後世の態度はセコイでFA
421日本@名無史さん:04/07/21 11:15
数があれば勝てるというものではない。モンゴルは時には数倍の敵にも勝っている。
新兵器とか戦法とかも重要。ローマのシーザーも常に数倍の敵に勝っている。
問題は充分な補給。で博多港、あるいは大きな港占領に固執した。
間違いではないが、大台風は計算の外。
422日本@名無史さん:04/07/21 11:16
日本史教科書にも載っている「てつはう」の威力はどうだったのよ?
423日本@名無史さん:04/07/21 13:33
てつはうで打たれるんやで?ばーんばーん
424日本@名無史さん:04/07/21 14:59
>>422
手または縄に括りつけて投げる、癇癪玉のでかいやつだったみたい
相手を殺傷できるほどの破壊力はないが、馬とか予備知識のない武士の動きを効果的に封じたらしい
一種の防御兵器
425御家人C:04/07/21 15:23
蒙古軍は太鼓やドラムを鳴らして攻めてきたから、日本軍御家人の乗った馬
が驚いて逃げてしまった、御家人が落馬してしまった、と言うのは本当ですか?
426日本@名無史さん:04/07/21 15:37
対馬壱岐で捕まえた女を船縁に吊るしたのには
なんか理由があるのかね?
427日本@名無史さん:04/07/21 16:27
鎌倉武士へのファンサービス?
428日本@名無史さん:04/07/21 18:21
>>426
朝鮮の残虐な風習の一つに則ったもの
李氏朝鮮でも沿岸部で同様の拷問が日韓併合までは行われていたらしい
429山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/21 18:32
>>425
『八幡愚童訓』に、「馬が驚いて進退ならず、抑えるのに懸命で戦うどころでは
なかった」とあります。宗教書ですので割り引いて考える必要もありますが。
>>426
蒙古の脅威を煽った日蓮の書状に見える一文で、あまり信用出来ません。
430山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/21 18:47
「震天雷」については、『金史』に以下の記述あり。
「其攻城之具有火砲、名震天雷、鉄爟盛薬、以火点之、砲起火発、其声如雷、
聞百里外、所爇囲半畝之上、火点著甲鉄皆透、大兵又為牛皮洞、直至城下掘
城為竈・・・」
すさまじい描写ですね。もっとも『八幡愚童訓』には、
「逃ル時ハ鉄放ヲ飛シテ暗ク成シ、鳴音闇高レバ、心ヲ迷シ肝を潰シ、目眩
耳鳴テ、亡然トシテ東西ヲ弁不」
とあるだけですが。実際にはこけおどしレベルであったのでしょうが、白髪
三千丈では御本家にはかないませんね。
431日本@名無史さん:04/07/23 00:06
ま た 日 蓮 か
432日本@名無史さん:04/07/23 00:19
日蓮の予言って当たったようで外れてる
確かに外敵から襲われる災難はあったが別に法華経オンリーじゃなくても撃退した
歴史の事象は怪しげな予言なんぞで動きはしない
433日本@名無史さん:04/07/23 00:21
ホー法華経
434日本@名無史さん:04/07/24 00:59
日蓮は確か日本が滅びるようなこと言ってませんでした?
確かに外敵の襲来はあったけど、結局元寇なんて北九州のほんの一角で行われた
戦闘にすぎないでしょ。結果的には国難とはほど遠い事件だったんじゃない?
鎌倉幕府の滅亡の遠因にはなったけど直接の原因とは言えないと思うけど。
何かノストラダムスの予言とやらを大層に言い立てておいて結局なんかわけの
分からん事件がそうだったとかと、こじつけるのと大して変わらないと言えばちょっと
言い過ぎですかね。
435日本@名無史さん:04/07/24 01:16
倭寇 は変換できるのに 元寇 は変換できません
436日本@名無史さん:04/07/24 02:29
元寇
ATOKではできたよ。IMEはホントにダメね。
437日本@名無史さん:04/07/24 04:09
IME2000でも変換できるぞ>元寇
438日本@名無史さん:04/07/25 07:04
当時はモンゴル族が全世界を席巻しつつありました。イスラム諸国を軒並み滅ぼし、
ロシアを征服し、東ヨーロッパを荒らして、中国を制圧下に置いたモンゴルは、
13世紀後半には東南アジアへの進出を試みていました。1258年北ベトナム征服、
1274年第一次日本遠征(文永の役)、1281年第二次日本遠征(弘安の役)、
1284年南ベトナム征服、1287年パガン朝(ミャンマー)滅亡……

こうした情勢に危機感を抱いたジャワの国王たちは、モンゴルの侵略の意図に対し、
朝のフビライ・ハーンがラマ教僧侶たちに戦勝祈願させたことに対抗して、
シンガサリの諸王はカーラチャクラ派の密教で“武装"したのです。

そうした妖術戦略が功を奏して、クルタナガラ王はシンガサリ王国の最盛期を
作り出します。勢力はマラユの他、バリ島、マドゥラ島、ジャワ島西部スンダ地方
などにも及びました。すっかりいい気になったクルタナガラは、1289年に元の使節が
ジャワを訪れた時も、その顔に入墨をして(または使節の鼻をそいだとも、
顔に侮辱的な文句を彫り込んだとも言われる)追い返しました。
439日本@名無史さん:04/07/25 07:06
ところが、落とし穴は思わぬところにありました。
クディリ朝の子孫と称するジャヤカトワンが兵を起こし、首都シンガサリに
攻め入ったのです。例の密教儀式でべろべろに酔っていたクルタナガラ王は、
総理大臣と共に殺され、シンガサリ朝は滅亡しました。1292年5月のことです。

ジャワは大混乱に陥りました。しかもここに、追い打ちをかけるようなニュースが
飛び込んできました。使者を侮辱されて激怒したフビライ・ハーンが、
ジャワ討伐の大軍を差し向けたというのです。1293年初め、2万の兵、
1000隻の船から成るモンゴルの軍勢は、ジャワ北岸のトゥバンに姿を見せました。

王を失って動乱のただ中にあるところへ、最強最悪の侵略者がやってきたのです。
インドネシアは史上最大の危機に立たされました。
440日本@名無史さん:04/07/25 07:08
危機のジャワを救ったのは、クルタナガラ王の女婿ラーデン・ヴィジャヤでした。
彼は、クルタナガラ王がジャヤカトワンに攻められた時、救援しようとしましたが
果たせず、いったんジャヤカトワンに降伏しました。ヴィジャヤはブランタス川下流の
不毛の地へ追放されました。従者の一人のマドゥラ人が近くのマジャ(果物)の実を
かじってみましたが、余りに苦くて(パヒット)、ぺっと吐き出してしまいました。
それ以来この地は「マジャパヒト (Majapahit)」と呼ばれるようになりました。

元の大軍の到来は、ラーデン・ヴィジャヤにとっては天の助けでした。
彼はモンゴル軍にうまくとりいり、懲罰の対象はジャヤカトワンであると説明し、
元軍にジャヤカトワンを攻撃させました。そして、ジャヤカトワンが倒されるや否や、
今度は計略を用いてモンゴル軍を追い出したのです。1293年4月24日のことでした。

その後ラーデン・ヴィジャヤ自ら初代国王に即位(位1293〜1309)し、
クルタラージャサ・ジャヤヴァルダーナと名乗り、
「マジャパヒト王国」(1293〜c.1520)を開いたのです。
441日本@名無史さん:04/07/25 07:25
ヴィジャヤの軍勢に襲われた時、元軍のクディリ方面駐屯軍の司令官、史弼は、
ジャワ侵略中に集めた夥しい財宝、貴金属、それに巨大な金塊を、70名の部下に
命じて密かに東ジャワの山の中に隠匿した、というのである。
場所はアルジュナ山とカウィ山の中間、ブランタス川の水源近くの、とある元滝壺。
元軍兵士が見張りにつき、その使命は代々子孫に伝えられた……

時は下り、1635年の半ば頃、ポルトガルの海賊船がジャワ南岸スリスロール岬近くに
漂着した。3人の水夫が降り立ち、奥地へ分け入り、ブランタス川の上流に遭遇した。
川に沿って奥地へ進むと支流があり、その滝壺には朝日を反射してきらきら光る物が
沈んでいた。黄金だった。川底には他にも金塊、サファイアなどが散在していた。

いざ財宝を抱えられるだけ抱えて立ち去ろうとしたその時、突然原住民の一団が現れ、
3人を襲った。二人は殺され、一人だけが辛うじて半死半生の状態で逃げ帰った。
この話を聞いたのが、オランダ東インド会社 (VOC) の商館長ヤクスペックは、
二人の宣教師に命じて、秘宝の話が真実かどうか調査に行かせ、恐るべき結果を得た。
「原住民たちは、付近に住む一般のジャワ人とは全く似ていません。
言語、風俗、習慣、あらゆる点から言って、モンゴル系部族としか考えられません。」
442日本@名無史さん:04/07/25 08:03
倭寇

日本征伐
443日本@名無史さん:04/07/25 08:37
元寇での勝利って
Kー1曙の負けたけど相手の負傷による
準決勝進出みたいなもんじゃない
444日本@名無史さん:04/07/25 08:50
運だ実力だって…

あそこと組んだとこは負ける運命にあるんだよ!
445日本@名無史さん:04/07/25 09:54
>>441
続きマダーー?
446日本@名無史さん:04/07/25 16:02
刀伊の入寇の際にも上陸されて荒らされたんだよな
どの程度の規模の戦いだったんだろう
447日本@名無史さん:04/07/25 16:52
>>446
50隻ぐらいの大型船に、3千ほどの兵力だったようだ
元寇とは比べ物にならんが、それでも当時の日本人が1,000人以上も拉致喰らったらしい
448日本@名無史さん:04/07/25 18:43
>>447
3000人積んできた船に1000人も乗せて帰ったら、かなりやばいんじゃないの?
船が沈まなくても、食料とか水とか
449日本@名無史さん:04/07/25 20:00
地続きだったら瞬殺されてたよ。
450日本@名無史さん:04/07/25 20:11
>>448
現代のロシア・ウラジオストックあたりを根城にしてた連中だから
航行距離は朝鮮からやってくるほどではないとはいえ、あまり考慮しなくてもよかったんだろ
それに大宰府軍や在地武士(のはしり)との戦闘で戦死者や置き去りも出ただろうし
451日本@名無史さん:04/07/25 20:22
高麗は40年も戦って、国土はボロボロになって、蒙古側も驚いたとか。
452446:04/07/25 20:22
>>447
レスありがとう。
刀伊も真っ先に対馬・壱岐が襲撃されてるんですよね。
その際に女真族は朝鮮沿岸も荒らしてたんだろうか
453日本@名無史さん:04/07/25 20:38
大宰府軍って何?
454山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/25 22:47
>その際に女真族は朝鮮沿岸も荒らしてたんだろうか
荒らしていましたよ。高麗軍との間に戦闘が行われ、その際日本人も何人か
救出されています。
日本から国禁を破って海外へ家族を探すために追いかけた者もいましたが、
彼が会えたのは叔母だけでした。彼女の話によれば、使えそうな人間以外は
海に放り込まれたらしい。母や妹もその時死んだと。
455日本@名無史さん:04/07/25 22:52
>>453
大宰府管轄の軍団
当時の日本は律令制で、兵備なんかは大陸に近かった
結局財政難やら武士の台頭やらで軍事面でも律令制は保持されなかったが
456日本@名無史さん:04/07/28 19:21
絶対に運だよ
元軍の先導役・主力は高麗だった。これ以上の幸運はない
地球上もっとも弱くてそのくせプライドと残虐性だけはいっちょまえのアホどもが敵だったから勝てたんだよ
457日本@名無史さん:04/07/28 19:49
>454
>日本から国禁を破って海外へ家族を探すために追いかけた者もいましたが、
なんか感動してしまった。どんな資料に書かれてたんですか。
458山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/28 23:36
>457
土田直鎮先生が、もうずいぶん前に概説書に書いてらっしゃいましたね。
『八幡愚童訓』にもそうした話があった筈ですが、それだけでは無かった
ような。
459日本@名無史さん:04/07/29 01:40
>>458
おまえうざい。
460日本@名無史さん:04/07/29 02:31
いや、おれの方がうざい
461457:04/07/29 07:38
>>458
教えてくれてありがとうございます。
土田直鎮先生の本を図書館で探して見ます。
『八幡愚童訓』は現代語訳した本はないのでしょうか。
462山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/29 22:54
>>461
現代語訳が必要な文章でもありません。日本思想大系本で充分かと。
463日本@名無史さん:04/08/01 19:54
実力でFA
っていうか地形に恵まれててもジャワみたいに内紛激化とかしてたりしたら防げなかっただろうし(少なくとも一時支配は甘受せざるを得ないだろう)
464軍板元寇スレより:04/08/02 14:32
853 名前:名無し三等兵 投稿日:04/08/01 22:36 ID:P3BJOEsj
敵進攻予定地に防御施設を建設し
兵力を動員し集結させ
幕府トップの親族・側近を現場に送ることで統制をできるだけとる

ごく基本的なことを地道に実施したから撃退できたんじゃないの?


854 名前:名無し三等兵 投稿日:04/08/01 22:50 ID:???
そうだよなぁ、軍事行動における劇的な事は稀な事だよな。
465日本@名無史さん:04/08/06 19:50
1回目・・・当時支配していた高麗に急造の欠陥船を作らせたのと、台風の時期に来てしまった事。
2回目・・・1回目+土塁
466日本@名無史さん:04/08/06 19:53
と・・・大学の先生は言っていました。
467日本@名無史さん:04/08/06 19:58
【ネット】"大規模" 中国のハッカー集団、靖国神社など日本のサイト攻撃か…香港紙報じる
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1091761326/l50

田代砲発動間近か?
468日本@名無史さん:04/08/08 22:10
おい、おまいら!
元寇に関する重要な画像を手に入れますた!
http://ch.minidns.net/bbs/src/1091970562972.jpg
469日本@名無史さん:04/08/12 09:50
晒しage
470日本@名無史さん:04/09/02 20:08
468で流れが止まりました
471名無し厨房:04/09/02 21:28
えーと、スレ違いだったらすみません。

べトナムへ侵攻したモンゴル軍の武将の中に、
陳朝に滅ぼされた李朝(朝鮮じゃないですよ)の王族出身者がおり、
(李ナントカというところまでは覚えているんですが・・・)
べトナム侵攻が成功した暁には、李朝を再興させてモンゴルの傀儡国家(?)を
べトナムに作ろうとしたという話を聞いた事がございます。

この話について、ご存知の方いらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。
472日本@名無史さん:04/09/21 07:25:14
ガイシュツだったらすいません
鎌倉幕府は元寇のあとに朝鮮へ出兵したと
なにかの本に書いてあったのですが詳しい人いますか?
473日本@名無史さん:04/09/23 21:02:18
474日本@名無史さん:04/09/24 16:35:13
元寇に勝ったのはウンですか?実ですか?
475日本@名無史さん:04/09/24 18:40:49
ウソ

本当はチョッパリは大韓に跪いていたニダ
476日本@名無史さん:04/10/09 14:43:19
477日本@名無史さん:04/10/10 15:10:54
日本が元の脅威を撃退できたのは島国という地の利があったからだ。
モンゴル軍の最大の武器である騎兵隊が一切役立たなかった。
逆に陸続きだったら日本も高麗や宋と同じようにボロボロにされてただろう。

弱小のジャワでさえ元を撃退できたんだし。
478日本@名無史さん:04/10/11 12:17:02
よろしかったら、ご覧ください。

http://sun.accela.jp
479日本@名無史さん:04/10/19 12:19:05
(´д`)エー
480日本@名無史さん:04/10/19 14:26:47
じゃあモンゴルって馬がないと、弱小のジャワ以下なの?
481日本@名無史さん:04/10/20 00:00:40
弱小国の倭でさえ撃退できたのにボロ負けしたアッバース朝のムスリムは屁たれ。
482日本@名無史さん:04/10/23 18:26:47
博多湾大虐●は史実なのか。
483日本@名無史さん:04/10/23 21:46:47
普通に実力。
元は海上戦で日本の侍達に勝てなかった。
484日本@名無史さん:04/10/23 22:38:51
こういう史実で必ず出てくる、婦女子への暴行話に萌えてしまう漏れ。
485日本@名無史さん:04/10/24 05:54:30
なんで攻めて来たんだろ
日本に来てもあまりメリット無いと思うけど
黄金目当て?
486日本@名無史さん:04/10/24 13:03:15
女性2人を監禁暴行。
      朝鮮大生ら3人逮捕。

新潟東署は3日までに、略取,監禁、婦女暴行の疑いで、いずれも朝鮮民主主義人民共和国・北朝鮮国籍の朝鮮大学校
4年生崔智栄(21)、金乗實(21)と無職少年A(19)の3人を逮捕した。

調べでは3容疑者は3月28日、新潟市竜が島一の新潟西港南埠頭で、乗用車で休んでいた、
新潟市アルバイト店員B子さん(18)の顔や腕を木刀やこぶしで殴り軽傷を負わせた。
さらにB子さんと同乗していた同市、専門学校生C子さんを車外に引きずりだし、3容疑者の車に無理やり監禁した。

北浦安田町まで車を走らせ、同日午前9時に新潟市内の路上で解放するまで、車内などで代わる代わる乱暴した。
http://kankoku_manse.tripod.com/Rape_in_Japan/Miscellany/rapejiken.html
487日本@名無史さん:04/10/24 13:42:53
元寇に負けたら、本土決戦か
瀬戸内が死守圏になるかな

中央アジア、東欧で無敵を誇ったのは海がないからでしょ
海軍力を持とうと、フランス王に接近したけど、結局はイスラムに負けて後退
バルカンルートのビザンツもキリスト教に抑えられたし
488日本@名無史さん:04/10/27 02:49:07
>>482

史実。
壱岐、対馬の大虐殺をやらかした東路軍の末路がこれだったというのは歴史の皮肉というかなんというか
489日本@名無史さん:04/10/27 05:07:52
=元寇 の最重要ポイント =

12世紀の日本では、鎌倉も朝廷も、

「日本が世界で唯一神聖な神国、であり、
その日本の天子にタメ口は、
たとえ、中国や朝鮮を統べた世界皇帝であっても、全く許されない」

とガチで信じていた事。である。 このガチぶりが凄い。妥協0
490日本@名無史さん:04/10/27 23:11:47
要は自分の土俵で戦えたからって事だろ?
陸続きならやられてただろ
491日本@名無史さん:04/10/28 15:59:35
陸続きならやられてたという可能性は全然ある。


でも匈奴、突厥、鮮卑、女真、蒙古、契丹、ウイグル、タタール等、周辺諸民族と同じく、
陸続きの利点を生かして隣の部族、国家を併呑して相手を勃興させる前に滅ぼしてしまうありがちな
可能性もある。
そういう利点もある。

朝鮮のように降伏して生き残るという可能性も
ベトナムのように陸続きでも結局撃退していたかもしれないという可能性もある。

陸続きだとしても、一つの可能性だけには限定できない。
492日本@名無史さん:04/10/30 04:16:34
『八幡大菩薩愚童訓』によると「菊池武房が手勢をふた手に分けて勝負した」とあり一騎打ち以外の戦い方をしたとあるが、なんでも『八幡大菩薩愚童訓』は宗教本であまり信用できないというのが定説。
ところが「一騎打ち」というのもこの『八幡大菩薩愚童訓』がネタなんですよね。
また竹崎李長も先駆けをして取り囲まれたけど、救援に駆け付けた白石通泰が百騎ばかりで矢を一斉に射掛けた。

流れとしては一騎打ちしたが通用しないので切り替えたんですね。
定説では史料の都合のいいところだけ拡大して「一騎打ちに固執した」とし、都合の悪いところは同じ史料自体を否定してるんですね。
493日本@名無史さん:04/11/18 01:20:40
494日本@名無史さん:04/11/22 20:08:32
あの国のあの法則★Part27
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/korea/1099729223/l50

《歴代の戦争》
勝ち           負け
唐         vs 日本+百済          (白村江の戦い)
イスラム帝国   vs 唐 +高句麗人の総大将  (タラス河畔の戦い)
日本        vs 元 +高麗          (元寇)
明         vs 日本 +朝鮮         (文禄の役)
日本        vs 明 +朝鮮          (慶長の役)
清         vs 明 +朝鮮          (明滅亡)
日本        vs 清 +朝鮮          (日清戦争)
日本        vs 露 +朝鮮          (日露戦争)
ソ連        vs 日本+朝鮮          (シベリア出兵)
アメリカ      vs 日本+朝鮮         (大東亜戦争)
ベトナム      vs アメリカ +韓国      (ベトナム戦争)
イラク       vs 多国籍軍 +韓国      (ブッシュ政権崩壊)
日本+台湾    vs フランス +韓国      (高速鉄道)
番外編(引き分け)
アメリカ+韓国 vs 中国+北朝鮮 (朝鮮戦争)
※中国は人民解放軍200万人&毛沢東の長男が戦死
 米も5〜6万人が戦死。マッカーサーは解任され大統領になれず
 また戦争中トルーマン政権を失う
 ソ連もスターリン政権崩壊
495日本@名無史さん:04/12/03 14:14:13
朝鮮は全敗?
496日本@名無史さん:04/12/04 10:30:32
おいおい、真に受けるなよ。
497日本@名無史さん:04/12/06 00:51:51
陸続だったら、 そもそも日本が大陸を制覇してただろ。

何より、船から5万の兵力が上陸基地をつくれず、
いつまでも船を拠点に戦わさせられてたんだから。そりゃーいつか嵐で沈むはな
498日本@名無史さん:04/12/16 05:38:19
>>492
多分、竹崎季長みたいな例があちこちであったんだろうね。んで、運のないやつは矢を
射られて蜂の巣。一騎駆けで「タイマンしようぜ」って相手には礼節を尽くす作法のあ
った日本側としては、なんちゅー奴らだ、ということになり、「こいつらに一騎駆けし
ても無駄だ」ということで、集団戦術を多用するようになっていったんだろう。
といっても、文永の役の段階では、集団戦の単位が基本的に「家」単位か、あるいは
せいぜい面識のある武士同士との連係プレーでしかなかったため、大豪族である大友や
菊池、武藤、相良などはかなり高度な連係プレーが可能だったんだろうが(普段
の訓練もあっただろうし)、各地から集められた少豪族クラスでは、例え一騎駆けを
止めて多数戦に切り替えたとしても、なかなか苦しい物があったんではないか。

その点、弘安の役では曲がりなりにも指揮系統がある程度整備されていただろうし、
少なくとも日本側は小豪族間でも意思の疎通の点で文永の役の比ではなかったろう。
また、相手が博多に上陸することを予想し、まずそこに上陸させない戦略に
転換したことが決定的だったのではないだろうか。
もしこの時点でモンゴル軍が博多への固執を棄てて、熊本あたりに兵を進め
平野部での集団戦になれば、どう転ぶか分からないからだ。
とはいえ、補給路のことを考えればこれは現実的ではない手段だったん
だろうな。
どのみち占領してもゲリラ戦になるし、補給路は夜討ち朝駆けが大得意の
瀬戸内水軍と松浦水軍のおかげで早々持ちそうもないから、九州すら
確保出来ない可能性の方が高そう。南宋を滅ぼしているからゲリラ戦は
ともかくも、水軍の暗躍による補給路の断絶はかなり効果的。
地理的効果を上手く使った、鎌倉武士団の知恵がちというのが結論では。
499日本@名無史さん:04/12/16 21:26:27
文永の役は単なる偵察部隊、弘安の役は台風でしょ。
北条時宗って卓越した才能もないが元寇の時の執権
だという事で大河の主役だからな。
500日本@名無史さん:04/12/23 02:22:43
クマ-
501日本@名無史さん:04/12/30 01:04:21
ってなに?
502日本@名無史さん:04/12/30 01:50:29
光来のおかげに決まっているではないかニダ。

1993年度東京大学入学試験
日本史 第2問 B
 朝鮮半島の国高麗の政府や人民は、この戦争でどのような役割を果たし、
モンゴルの対日本戦略にどのような影響を与えたか。下の文章を参考にして、
4行以内(注:1行30文字)で述べよ。
(1)1266年、モンゴル皇帝フビライの外交使節が、日本へ渡るべく高麗に
   来た。高麗の宰相は使節に働きかけ、対馬を目前に引き返すように工
   作した。
(2)1270年、高麗の軍隊三別抄が、モンゴルに屈服した王室に対して反乱
   を起こし、海中の島をねじろにモンゴル軍・高麗軍に抵抗し、1273年
   に鎮圧された。
(3)1274年と1279年の2度にわたって、高麗はフビライから日本征討用の
   軍船900艘の建造を命ぜられ、人民に大きな負担を強いつつ、期日ま
   でに完成させた。
(4)文永の役には約6000人、弘安の役には約1万人の高麗軍(非戦闘要員
   を除く)が、フビライの命を受けて従事した。
503日本@名無史さん:04/12/30 20:35:56
間違いなく実力。
地の利が日本側にあったことを実力に加味するのが普通だから、当然そうなる。
運だといってるのは、地の利を運に数えているから。

その伝でいくと、高地を先にとったほうが有利なのも運。
川をわたる途中を攻撃したのも運。
相手を包囲下においたのも運。
504日本@名無史さん:04/12/30 20:37:27

http://rock23.value-net.net/29/dsi/ 最近、この子に萌え。


     まじヤバイ・・

                リリカぁ、俺とも頼む・・・

505日本@名無史さん:04/12/30 20:48:57
フビライハーンは宋と高句麗の残兵を処理したかっただけだから
別に日本軍が強かったわけではない
残兵が海の藻屑になるように、わざわざ台風シーズンに出撃した
506日本@名無史さん:04/12/30 20:57:07
>>505
何を証拠にそんなたわごとを?
負け戦でメンツがつぶれることを覚悟したうえでそんな手間をかけたってのか?
507日本@名無史さん:04/12/30 21:08:02
フビライハーンの軍勢がどうしても勝つという気配がない
なんだかマゴマゴマゴしてる
あれだけの武器で本気で攻めれば、日本軍はイチコロだろう
実際に来たのはフビライハーンの本隊ではなく、宋の捕虜と
高句麗の捕虜ばかりだ 駆り集めた軍隊で寄せ集め
実際、捕虜の処理に一番、頭を悩ましていた時期だ
別に台風のことを知らないわけではあるまいに・・・・。
508日本@名無史さん:04/12/30 21:09:20
モンゴルがそれまでに下した西夏、西遼、ホラズム、金といった国々の人口・兵力はどのくらいだったのでしょうか。
陸路よりも海路のほうが輸送効率がよいはずなのに、なぜ以上の国々は落とせて日本は落とせなかったのでしょうか。
509日本@名無史さん:04/12/30 21:40:36

元軍は戦が夜になると夜襲を恐れて船に戻ったそうだが、そんなんではいつまでたっても上陸できないぞ
大体何十万の軍勢船に乗せたって、船に詰めた補給物資がそういつまでもつわけないだろ。
やる気あるのか? 
510日本@名無史さん:04/12/30 21:47:27
大体秋春の時期に何十日も船で漂っていれば普通に台風通過するだろうよ
なぜ冬に攻めないのか。日本は温暖なんだから台風のない冬に攻めるべきだろう。
てかフビライという男には学習能力がないのか。
モンゴルに引き篭もっていたから台風というものを認知していなかったのか
511日本@名無史さん:04/12/31 00:16:37
必死になって土塁築いたら、ピンポイント同じ場所に来襲するあたりなんというか・・・
512日本@名無史さん:04/12/31 01:09:03
>>510
冬の玄界灘を渡るのは大変だよ。台風並みに時化ることもある。

>>511
大軍の上陸に適した場所は少ない、ということなんじゃない?
513日本@名無史さん:04/12/31 02:14:01
514日本@名無史さん:04/12/31 13:57:55
>>513
アレを信じてるのか?
まあ、たとえアレを信じたとしても、高麗をうまく押さえられなかった、
モンゴル側の不手際だろ。
モンゴル側の実力が劣っていたのまで、運に数えるなよ。
515日本@名無史さん:04/12/31 21:16:45
ていうか、身のほど知らずのDQNな国が隣にいて元をてこずらせたというのも運のうちだと思う。
図らずして「夷をもって夷を制す」を実践したことになる。
516日本@名無史さん:05/01/01 01:13:04
体が巨大になりすぎて、ウィルスと気づかずとりこんでしまったのが運のつき
517日本@名無史さん:05/01/01 01:53:57
まず、夜は船に戻ったという確証はない。
元の兵はほとんどが捕虜であり、寄せ集めだったというのは合っていると思う。しかし、どう考えても疫病や船酔いによる士気・兵力の低下もあると思うが、それらだけでは勝てなかったと思う。僕は運だと思います。
518昔、名無しありけり:05/01/01 02:01:57
神風特攻隊の活躍で撃退したんだよな
519日本@名無史さん:05/01/01 02:33:04
夜襲で蒙古の武将死んでるんだけど・・・(高麗の人だったかも、うろ覚え)
520日本@名無史さん:05/01/01 08:45:17
最大の幸運は、元と4汗国に分かれていたことだろうな。
521日本@名無史さん:05/01/01 10:04:37
日本は三百位に分かれてたりして・・
522日本@名無史さん:05/01/01 10:39:20
金が制圧されたのが1234年。これでモンゴルは海に出られるようになったから、
高麗相手に手こずったのならますます、海を越えて日本を奇襲、制圧して、高麗を挟み撃ちにすることもできたはず。
源三代に代わって北条氏が権力握って間もない動揺した国内情勢で果たして全国の武将を集められただろうか…
523日本@名無史さん:05/01/01 12:17:43
>>522
御成敗式目が、1232年(貞永元年)だから、その直後か。
承久の乱(1221)で朝廷の権威が地に落ちてた時期。
逆に日本国内が異常にまとまってる時期じゃネ?
524日本@名無史さん:05/01/01 14:34:51
朝廷側が起死回生を狙っていてもおかしくない時期だが、
そうだとすると、朝廷側が外国勢力を利用して反撃する事態は考えにくいから、
結局、外国の侵略に対しては団結できそうな気がする。
525日本@名無史さん:05/01/01 16:49:34
逆に日本とモンゴルで高麗を分割する手もあるんじゃないか?
その時期なら、宋と蒙古は反金で同盟国だし、
日本と宋も一応民間レベルでの交易はしてる。
宋を仲立ちにして、同盟を結び、ポーランドを分割した独ソみたく南北から高麗を挟撃。

まあ、その後は朝鮮半島を舞台にモンゴル騎兵と戦うという、
日本側敗北必至の展開が待っているが。(藁
526日本@名無史さん:05/01/07 03:16:03
運?

一度も陸上に陣地を築かせなかった結果だからな。 日本最強だろ。
船の中の5万人は死にもの狂いだよ。海は怖いのは当然。面前の陸地に
移動したくてたまらんだろう。
527日本@名無史さん:05/01/07 03:46:54
元側で法則が発動したって事でいいだろ
528日本@名無史さん:05/01/07 05:47:46
んだ、朝鮮の造った軍船で来たのが間違い。
529名無し募集中。。。:05/01/08 12:23:50
石井良助
530日本@名無史さん:05/01/29 00:58:24
って誰?
531日本@名無史さん:05/01/29 17:31:56
936 名前: マンセー名無しさん [sage] 投稿日: 05/01/29 00:46:50 ID:xRGTlGvp
ttp://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=1039096&work=list&st=&sw=&cp=6
【自国の歴史書『高麗史』 モンゴルの歴史書『世祖(フビライ)本紀』】

>重要な事は、『高麗史』『世祖本紀』 共通する事実として、
>朝鮮人が積極的に日本に攻め込もうとしていると記述がある事。


>当時状況で高麗がモンゴルをけしかけるなんらの理由がない.
>高麗史を見れば分かる


>その高麗史の記載を提示しているのだが? 君って馬鹿?

高麗史や世祖本紀で高麗が自ら日本を攻めたいといっているのに
何故日本でも高麗が元に強要されてという話しか聞かないんでしょうか。
韓国併合だってロシアが元になる可能性が高いからでしょ?
重要な事だと思うが何故か?

ちなみに高麗史の原文はっこのP56だそう
http://kyujanggak.snu.ac.kr/IMAGE/SNUG0638.PDF
532日本@名無史さん:05/01/30 22:19:59
日蓮上人の念力で勝ったんだということだ。
533日本@名無史さん:05/01/30 22:21:33
学会がのさばる国難も上人の霊はお見過ごしにはならないだろう。
534日本@名無史さん:05/01/30 22:58:00
でもあれだね、別に靖国参拝の是非をここで問うつもりはないが、
中国が歴史問題でとやかく日本のことを責めているけど、そういう
こと言うならなんで元寇問題で中国は日本に謝罪しないんかね?こ
れも立派な侵略行為だと思うんだが・・・
535日本@名無史さん:05/01/30 23:21:56
>>532
草加が単独政権を取ったら、教科書はそのように書き換えるんだろうな。
536日本@名無史さん:05/01/31 08:01:54

『真実の中国4000年史』(杉山 徹宗) に
モンゴル軍は日本刀の切れ味にパニックに陥ったに違いない・・・
ってなことが書かれたあったけど。(うるおぼえ)
537日本@名無史さん:05/01/31 13:54:14
そりゃデムパだ。
538日本@名無史さん:05/01/31 14:21:03
http://academy3.2ch.net/history/
ここの46あたりにも元寇について書いてる
539日本@名無史さん:05/01/31 16:09:00
540日本@名無史さん:05/01/31 18:26:39
>>519
誰?夜襲は殆ど効果なかったと関(せき)某という人の本に書かれてたぞ。
541日本@名無史さん:05/02/09 00:37:00
  ,j;;;;;j,. ---一、 `  ―--‐、_ l;;;;;;
 {;;;;;;ゝ T辷iフ i    f'辷jァ  !i;;;;;   元に勝った鎌倉武士は世界最強
  ヾ;;;ハ    ノ       .::!lリ;;r゙
   `Z;i   〈.,_..,.      ノ;;;;;;;;>  そんなふうに考えていた時期が
   ,;ぇハ、 、_,.ー-、_',.    ,f゙: Y;;f.   俺にもありました
   ~''戈ヽ   `二´    r'´:::. `!
542日本@名無史さん:05/02/16 19:57:10
地政学的には勝利は必然ではないかと思う。
543日本@名無史さん:05/02/20 14:28:32
なんで?
544日本@名無史さん:05/02/20 14:41:08
運:実力=8:2
だろうね。
何が「神風」だよ。下らない。
「神風」に頼るということは、実力がないということだ。
545日本@名無史さん:05/02/20 23:38:04
元の強さ=騎馬突撃。
日本には来てない。
でも、日本を防衛したのは事実。
戦術的にも的確です。
546日本@名無史さん:05/02/21 00:10:27
日本軍の敢闘で2ヶ月近くも上陸出来ずにうろついたあげく自滅したわけだが

http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog207.html
547日本@名無史さん:05/02/21 00:11:11
無謀な作戦1、大風2、中国兵の士気1、朝鮮兵の弱さ四=8(運の内訳)
548日本@名無史さん:05/02/21 01:26:26
>>544
逆だね。
文永は実力で撃退したことが明らかだし
弘安では敵主力の上陸を最後まで許さず、
奇襲上陸してきた支隊も包囲殲滅している。
例え神風がなく、あのまま推移しても日本軍有利はかわらない。
狭苦しい船内に収容されてる兵馬は戦わなくても
肉体的精神的にどんどん消耗する一方だからだ。
強襲も奇襲もダメ、持久戦など問題外。
元軍は日本軍の防戦の前に完全に手詰まり状態のところで
神風に遭遇したにすぎない。
549日本@名無史さん:05/02/21 09:51:01
高麗のが兵士がボイコットしたからだよ。モンゴル軍には読み書きできない
武将も多かったし基本的にアホ。海図も読めない。高麗人の手を借りなければ船も動かせない。
日本も少しは感謝してくれよ。
550日本@名無史さん:05/02/21 15:20:56
>>545
弓騎兵のヒットアンドウェイだろ
551日本@名無史さん:05/02/21 17:11:10
>>549
チョンの戦闘ボイコットって別に元寇に限ったことじゃねぇだろ。
サルフの戦いでは、満州騎兵の突撃に恐れをなして、寝返ってやがるしw
552日本@名無史さん:05/02/21 19:47:09
>>549
自分で煽って日本攻めさせた上にボイコットか。
最低だな、高麗。
553日本@名無史さん:05/02/21 21:52:03
>>549
対馬と壱岐に上陸して、男は皆殺し、女は連れ去り、ボイコットかよ。
コリアンジョークはハングル板で頼む。
554日本@名無史さん:05/02/21 23:01:05
でも三次遠征(計画)で募った兵の逃亡が相次いでいるのは確かだね。日本に征くも蒙古に刃向かうも死あるのみだから、そら逃げるしかない。俺はこの辺の事情は理解しているつもりだ。(なんでそれで恩着せがましくなれるのかは理解できてないけど)
555日本@名無史さん:05/02/21 23:07:47
日本のおかげで西洋の植民地から独立できたんだから感謝しろってのと同じ理屈じゃね?
556日本@名無史さん:05/02/21 23:23:01
似ているが、ミャンマーが独立の功績を評して旧南部機関関係者にアウンサン賞を授与したり、インドネシアの独立式典での扱われ方を見ると一概に日本人だけが言っているわけではないので、それについては弁解させてもらう。
557日本@名無史さん:05/02/22 01:45:33
>>554
もし日本が弱かったら、対馬でやったようなことを日本全土でやったんだろうな。
連中の事情なんか理解するきにはなれにょ。
自分で、元を煽ったくせに。
558日本@名無史さん:05/02/22 20:41:44
国力を現代的に考えると
モンゴル帝国が
アメリカ合衆国、NATO・EU諸国、カナダ豪州NZ、日本、ASEAN諸国
中東アラブ諸国、中国、インド、ロシアを合わせたくらい

鎌倉幕府が北朝鮮

といった感じでしょうか?
559日本@名無史さん:05/02/22 20:42:52
そんなもんだな
560日本@名無史さん:05/02/22 21:17:57
いってみれば
日清日露戦争時代に
日本が
大英帝国+帝政ロシア+フランス+ドイツ・オーストリア+アメリカと
清帝国の連合軍を相手に二度の戦争するような
無茶な戦だったわけで・・
勝てたというか負けなかったのは運以外の何者でもないだろーな。
561日本@名無史さん:05/02/22 22:29:35
でも日本戦に裂いたのはたかだか14万だろ?相手は中国諸王朝の中でも最も弱兵でならした南宋軍と高麗人だろ?そんな大した戦でもねーべ。防衛線突破できずにいつまでも海に浮いてるだけさ。
562日本@名無史さん:05/02/22 22:31:27
558-560
総力戦じゃないからな
織田徳川相手に弱い信玄でも三方ケ原ぐらいは出来るってだけ
タイマンだったら勝てるわけない
563日本@名無史さん:05/02/22 22:32:39
この場合の「運が良い」とは、元がその強大な国力兵力を日本へ集中して指向しえなかったこと
つまり世界地図レベルでの政略上の「運」である。
元は日本の事だけを考えていられるような状況ではなかった。世界帝国なのだから当然。

で、>>1が言うような武将や兵士の力云々のレベルの話なら紛れも無く「実力」と断言できる。
564日本@名無史さん:05/02/22 22:49:00
実力だと思います。日本の実力ではなく、元側に実力がなかった。
当時の文明度では船舶にせよ、兵器にせよ遠く離れた島国を制圧
するには無理があったのでしょう。
脳内で考えて見ましたが、台風や時化の時の海で海洋民族でもない
物が長い間船に乗ると言う事は致命的なのではないだろうか。
前後不覚の泥酔した酔っ払いが戦に出ても役に立たない気がするし。
565日本@名無史さん:05/02/22 22:50:53
それから日本の古武器の進化において鎌倉中末期〜南北朝期に掛けて、
鎧と日本刀の形状が劇的に変化しています。これは蒙古襲来における
侍の戦闘方法について、過去の戦闘様式が全くの無力であった反省から、
リアルタイムに変化したとあります。馬上一騎打ちから徒歩集団戦に
向いた形状で、幅が広く切っ先が巨大化、長さも長大になり、反りも
浅い大刀になったそうです。きっと従来の日本刀は蒙古に対して有効
な威力を発揮できなかったのではないでしょうか。
566日本@名無史さん:05/02/23 06:17:57
高麗兵が持ってったべらぼーに良く切れる韓国刀のインパクトが後の日本刀の発展に繋がった。
567日本@名無史さん:05/02/23 14:51:44
>>564
船酔いどころか、船内で疫病が発生したらしいね。

>>566
ソース
568日本@名無史さん:05/02/23 19:10:00
確かにかつての貿易上の表玄関は裏日本であり、
現在の中国や朝鮮半島を渡って最先端の技術が渡ってきました。
しかし、朝鮮で発生進化した技術は皆無で、すべて中国からの物
であったらしいです。朝鮮から渡来した名刀工に「来」という人が
いますが、日本刀の技術が自国の武器を凌駕することを認めて
日本に帰化したと言われています。当時の金属製武器に関しては
日本製の物が最高峰であったと言われています。
大陸側では質よりも量、重さで押し切るなど、集団戦重視だったからで
しょうか。
569日本@名無史さん:05/02/23 19:32:46
当時でも10万人規模を動員できた幕府の支配力が凄い
570日本@名無史さん:05/02/23 19:51:47
10万人って今で言うと何市の人口くらい?
571日本@名無史さん:05/02/23 21:40:21
現在の国際情勢から見て
フビライ率いるモンゴル帝国=アメリカ合衆国
 高麗          = 今の日本 
鎌倉幕府         =ジョンイル率いる朝鮮労働党
ってとこになるのだから
今リアルで逆元寇の真っ只中とも言える 。    
572日本@名無史さん:05/02/23 22:14:28
大陸の刀剣は鋳型に流し込んで鋳造するのが主流じゃなかったかな
もろくて折れやすかったろうね
573日本@名無史さん:05/02/23 22:14:48
当時の日本の国力は相当なもんですよ。
幕府は最大20万以上の軍勢を動員可能ですからね。
鎌倉幕府成立初期に京に侵攻した際、実際その程度動員していたはず。
日本全国が一体となって戦った場合、その倍は確実でしょうね。
戦国期の日本の石高が3000万石程度な訳ですから、鎌倉期の日本の石高は2000万石以上でしょうか?
総人口の1%動員で20万。妥当な線かと…。
ちなみに鎌倉期の世界で人口2000万を擁する国家は数える程しかないと思いますよ。
574日本@名無史さん:05/02/23 22:19:52
2000万の根拠を説明してよ
575日本@名無史さん:05/02/24 02:08:26
キャバクラバクフスゲー!!
いざ、キャバクラ!
576日本@名無史さん:05/02/24 03:09:46
で、高麗旧宋兵は植民兼棄民のために送られてきたんですか?
怖いですね
577日本@名無史さん:05/02/24 03:47:34
>>576
旧南宋兵についてはその通り。
降伏した旧敵国の兵士を、戦争に投入して消耗させるのは
大陸の常套手段だ。
朝鮮戦争もそうだったな。
578日本@名無史さん:05/02/25 00:22:21
>>574
太閤検地の石高から逆算して。
579日本@名無史さん:05/02/25 06:32:06
いやだからその過程を説明してくださいって。
煽ってるわけじゃなくて本気で知りたいです。
580日本@名無史さん:05/02/25 21:14:57
>>579
中学や高校の歴史資料集に、日本の人口の予想推移があったんだけど記憶にないですか?
あのカーブからだと、鎌倉期(後半)の人口は2000万程度はいたよ。
どの会社だったかは忘れた。
581初陣拾歳:05/02/26 00:34:30
実力だろう。
だって一気にあの大軍勢を博多に派遣することができるってまずなかろうに。


ま、その後一気に衰退したのは結構ワロタ。
582日本@名無史さん:05/02/26 03:22:12
鎌倉初期ですが行政区分は66カ国、604郡で一万三千郷です。1郷は50戸なので総戸数は65万戸になります。戸籍・計帳から1戸はだいたい15〜7人なので総人口は約975〜1100万人ぐらいです。鎌倉中期も同じぐらいだと推定されます。
583日本@名無史さん:05/02/26 04:55:36
大風でボロボロになった船からアップアップで岸にたどり着いたモンゴル兵の首をバサバサ切ってったんでしょ?
でもモンゴル人か宋の人かは顔を見れば見分けが付くから
日本人は宋の人とはおつきあいがあったからって切らなかったらしいね。
584日本@名無史さん:05/02/26 09:26:55
南宋兵は命を助けたけど、高麗兵は助けなかった
謝罪と賠s(ry
585日本@名無史さん:05/02/27 14:18:08
>>584
そりゃ、嫌々参加した連中と進んで勇躍参加した連中を同じには扱えないよ。
586日本@名無史さん:05/02/27 18:52:11
>>565

枝葉末節を突付くようでごめんなさい。

>馬上一騎打ちから徒歩集団戦に向いた形状で、幅が広く切っ先が巨大化、長さも長大になり
>反りも浅い大刀になったそうです。

これ、まず引き金部分の「馬上一騎打ちから徒歩集団戦」という部分が違うかと。

切っ先は猪首という短いタイプから中切先という長めのタイプに変化しますが、猪首は切先の
損傷を補修できない(すると鋩子が無くなる)ため。(刺突の場合にも中切先が有利という理由も。)

また、幅については蛤刃というふっくらしたタイプから、切った時の抵抗が少ない薄刃に変化し
それに伴う強度不足を補うために幅が増えたのでは無いかと思われます。

どちらも、従前より堅い鎧を着込んだ相手への対抗策でしょう。
587日本@名無史さん:05/02/27 19:11:19
現存する刀剣類から見ると、この時期の特徴は「より堅い相手を倒すため」というコンセプト
で進化してきたことがわかります。

長刀は、よりほっそりした(刺突に向いた)菖蒲刃が多くなります。
(この点、鉾への回帰と言えなくもありません)。
また、長刀と初期の鑓(菊池鑓)の中間形式を持つ物が出てきますし。(筑紫長刀)
588日本@名無史さん:05/02/27 19:23:24
>>564

一局面だけで判断するのは危険と思いますが、文久の役はともかく弘安の役の場合は
実力で勝った......という点で非常に同意です。

北部九州に残る石土塁を見ると、簡単な作りながら、当時としては非常に有効な防御
施設であったろうと思うんですね。

まず、石土塁から波打ち際までの距離が100m弱と短く、上陸直前〜直後まで和弓の射程に
納め、かつ敵側が陣形を整えるスペースを与えない造り。
また、土塁の敵側には外郭土塀を設けている場所もあり、堀を設けた場所もあり、土塁上は
広く取って移動を楽にしていたり.....と、少数の味方でも機動力で補えるような造りであったり。

こういう施設をキチット整備して、十分な兵力を整えたんですから、これはもう実力であると
判断していいかと思います。(伝承の台風は、まぁオマケみたいなもので)
589日本@名無史さん:05/03/06 08:09:01
まあそりゃ総力戦、消耗戦になれば間違い無く負けてただろうな。
590日本@名無史さん:05/03/06 11:19:23
「日本の海は十個師団に匹敵する」
591日本@名無史さん:05/03/06 11:41:31
元寇が終わって。
天皇が日本国王の称号を与えられ
辮髪を結い
モンゴル風の名前を名乗り
モンゴルの民族衣装を着て
モンゴルの皇女を妻にし
大都の宮廷に伺候し
死ねば元の皇帝から諡号を賜る
・・・
日本もいまよりはもう少しマシな国になっていただろうな。
592日本@名無史さん:05/03/06 12:21:55
モンゴルに支配された朝鮮などを見ると
必ずしも日本がモンゴルに支配されてたら良くなったとは思えないが…
593日本@名無史さん:05/03/06 12:59:44
>>571
チョンの寝言。
594日本@名無史さん:05/03/06 14:05:21
>>591
ハン板から追い出された寄生虫乙
595 :05/03/11 19:58:47
まあ、台風が襲来する季節を狙って元をおびき寄た
日本の工作員の勝利だな。
596日本@名無史さん:2005/03/24(木) 20:03:26
鎌倉武士とそれに協力した民衆の力がなければ
日本は元軍に蹂躙されつくされてただろうな
元は元々容赦無いし
特に高麗兵はタチが悪かったし
597日本@名無史さん:2005/03/25(金) 03:42:24
つくづくチョンって負け民族なんですね♪
598日本@名無史さん:2005/03/26(土) 09:11:09
小倭(日)征伐が成功に終わっていれば、倭地の開拓もいち早く進み
後世の愚劣なな侵略戦争もお子らなった
599日本@名無史さん:2005/03/26(土) 14:46:31
征伐されたあなたの国や、
北にある国なんざ、未だに開拓出来てないようですけど?
600日本@名無史さん:2005/03/26(土) 15:35:22
運命は志のある者を導き、志のない者を破滅へと引きずっていく。
601日本@名無史さん:2005/03/27(日) 06:53:17 ID:9DKEIePS BE:173842979-#
元(蒙古)の手先の中国人と朝鮮人が日本を侵略しました。
壱岐・対馬に上陸し、そこにすむ日本人30万人を虐殺しました。
その殺し方は残忍なものでした。
韓国はいまそれを祝って対馬の日を制定しました。
みなさん 壱岐・対馬30万大虐殺を行い 対馬の日を制定した
韓国に抗議をしましょう。
602日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:33:00
cの国と、kの国はそゆ事ゆってくるよね。
603日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:43:29
元の雄大な残虐と
高麗の粘着質な残虐
が合体すれば確かに恐ろしいな
604 ◆GUNBOYdbqE :2005/03/29(火) 00:37:03 ID:w8w95huQ BE:163987788-#
ここも神風が吹いただけ
605日本@名無史さん:2005/04/06(水) 21:44:49
age
606日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:02:11
>>595
日蓮とか?w
607日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:26:37
仮にクビライの懐柔に応じたら日本どうなったんだろう。

やっぱりガチで植民地化政策とか?
608日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:47:13
その当時の大陸の人が「日本の向こうの」に何か素晴らしい土地があると信じていた可能性は無いの?
実際には「日本の向こう」には太平洋があるが、
「日本の向こう」の情報を日本がシャットアウトしているんじゃないか?と考えた大陸人はいないの?
609日本@名無史さん:2005/04/06(水) 22:59:55
19 名前: 番組の途中ですが名無しです 投稿日:2005/04/06(水) 22:32:48 ID:1csNXlIr0

http://homepage1.nifty.com/~kibouhou/history/jk/index.html

韓国人の口癖「日本人に教えたのに・・・」の背景がよく分かった。
特に近世以降の韓国教科書の記述はひどい。
610日本@名無史さん:2005/04/06(水) 23:58:28
途上国では、教育統制、新聞統制が強いので、
教科書や新聞に書いてあるまんまのことを、
国民は民意であるとおもっているのだよ。


つまり、途上国では、民意を、政府や宗主国が統制できるのだね。
611日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:12:04
日本史板もレベル墜ちたね。
もう少し元寇について客観的な評価が出来るかと思ったのに。
612日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:38:53
元寇は日本が元の書状を無視したのが原因とあるが、

仮に元と同盟を結んでも、南宋が滅んだらやはり日本に侵攻してきただろうと思う。

かつて唐が朝鮮を支配するため、まず新羅と組んで百済、高句麗を滅ぼしたが、

目的が達成されると唐は新羅を攻撃した。

そういう意味でいうと北条時宗が元と戦ったのは正しかったと思う。
613日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:34:26
結果的には元軍侵攻を食い止めた事で日本は今まで通りに大陸とは国交を結ばないまま自由に交流出来たわけだしな。 やはり異国との付き合いは付かず離れずがちょうどいい。
614日本@名無史さん:2005/04/07(木) 11:35:29
>>612
>仮に元と同盟を結んでも、南宋が滅んだらやはり日本に侵攻してきただろうと思う。
だからそれは「元寇」のみに焦点を当てた場合にはあの戦役は外交次第では回避できた
と言う事だろう。
「元寇」は鎌倉幕府が倒れる遠因にもなったのだし、結果的に撃退出来たからといって
あれが当時の日本政府である鎌倉幕府が取りうる最善の策であったとは言えないのでは
ないか?
615日本@名無史さん:2005/04/07(木) 11:44:03
「いずれ戦争になっただろうから、戦争回避の努力をするのは無駄だ。そこでやってしまった方が良い」
これは乱暴な意見だろうし、結果的に勝ったから後知恵で言える事で結果論だ。
元寇は国外からの脅威を受けた事が無い日本が初めて受けた海外からの侵略だ。
もし「IF」が許されるならこの元寇を外交で回避し、元との交渉によって大陸の事情を知り、大陸の
脅威を時の政権が認知すれば、大陸沿岸の防備体制を見直す事も出来るだろうし、いずれ元寇と同様な
元の日本侵攻があった場合でも、緒戦から「弘安の役」の様な善戦が出来てのではないか?

「勝ったからあれでいいんだ」

これが歴史の正しい評価とは私には思えません。
616日本@名無史さん:2005/04/07(木) 11:59:43
身贔屓な歴史評価ばかりしていたら中国や韓国がやってる事と同じになってしまう
617日本@名無史さん:2005/04/07(木) 12:03:41
ここは一応学問板だということすら認識できていない香具師がいるな。
元と同盟を結ぶということが何を意味するのか理解できないのか、
非武装中立論的な脳内お花畑なメデタイ香具師なのか。。。
具体的に当時のどの国が元との外交に成功し国を富ませたのか具体例を挙げてくれ。
話はそれからだ。






日本の近代史のみが議論の余地無く悪で、中国の悪行は電波全開で正当化しようとしているのか、
元の侵略を正当化するのと同じ論理で日本の近代史を正当化しても良いと考えているのか。。。
618日本@名無史さん:2005/04/07(木) 12:10:06
>具体的に当時のどの国が元との外交に成功し国を富ませたのか具体例を挙げてくれ。

確かにな。アレクサンドルネフスキーはちょっと違うか。
619日本@名無史さん:2005/04/07(木) 12:36:23
>>617
学問板だからこそ余計な色眼鏡は外すべきではありませんか?
620日本@名無史さん:2005/04/07(木) 13:07:20

何を色眼鏡であるから外すべきだと判断したのかは不明だが
(争点を逸らすのが目的?)地続きで情報が容易に習得できた国が
当時これだけの外交成果をあげたのだから日本でもせめてこれぐらいのことは
できたのではないかという論には聞くべきところがあるし学問板に相応しい
議論であると思うが、>619は論点をどのように捕らえているのか明らかに
すべきではないだろうか。
そのレスでは単なる煽りであって学問板的にはそぐわないように思う。
621日本@名無史さん:2005/04/07(木) 19:39:37
619が言いたいのは
>日本の近代史のみが議論の余地無く悪で、中国の悪行は電波全開で正当化しようとしているのか、
>元の侵略を正当化するのと同じ論理で日本の近代史を正当化しても良いと考えているのか。。。
歴史上の出来事を善悪で語るなと言うことではないかと勝手に考えるがどうだろう。善悪をつけることが色眼鏡だと。
616の書き込みから微妙に論点がずれはじめてる気がする。
622日本@名無史さん:2005/04/07(木) 20:46:09
成程。最後の二行が癇にさわったというわけね。
漏れは同時代に比定すべき事例が無いにもかかわらず
空論に空論を重ねることが学問的だと主張しているのかと思たよw

617は616を受けて書いた訳では無いので最後の一行は誰に
向けてなのか分からんが。。。
623日本@名無史さん:2005/04/10(日) 08:37:06
今日の報道2001を見てて驚いた。
「子どもと教科書全国ネット21」の吉田典裕氏の見解では、対馬は日本の領土ではないらしい。
624日本@名無史さん:2005/04/10(日) 08:42:01
子どもと教科書全国ネット21
ttp://www.ne.jp/asahi/kyokasho/net21/top_f.htm
625日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:56:21
1億3千万の人間がいるんだから、おかしな考えの人だっているよ。
いちいち噛み付くな。
国会議員で「対馬は日本の領土で無い」と主張する人が出たら叩け。
それ以外は相手にするな。
626日本@名無史さん:2005/04/10(日) 19:09:11
あ〜〜〜〜〜〜え〜〜あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いぇ〜〜〜〜〜
あ〜あ〜あ〜あ〜〜〜〜〜〜
627日本@名無史さん:2005/04/10(日) 19:23:01
>>625
それは違う。国会のような公の場に出る前に叩くことこそ大事だ。

叩かれないとまるで自分が正しいことをしていると勘違いする人が増える。
外国の工作機関にとってこれほど好都合なことはない。
「新しい歴史教科書」への左派勢力による理不尽な攻撃はその一例。

同じことを右派識者も行えるようにして牽制する必要がある。
左右双方が攻撃しあえる状態。それこそが健全な状態。

新しい教科書が実際に現場でどの程度採用されるかはわからないが、
社会に投げかけたインパクトは評価されていいと思う。
628日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:49:56
>>623
侵略・遠征の話では
「私は詳しくは知らないが、それは歴史学者の方の一つ評価である」、みたいな事を言ってたね。


社民党ホームページでは拉致事件で、
「真相は分からないが、両国の親善を妨げる事を目的とした日本政府による陰謀である」
と、
根拠がない状態ではあるがに北朝鮮の主張が正しく、日本の陰謀だと結論するぐらいのバランス感覚
の記事を、金正日が謝罪伊した後もしばらく掲載していたけど、
こんなバランス感覚で書かれている記事もこの人にかかれば

「一部政府関係者の方による一つの評価」なんだろうな。
論点はその評価の偏りそのものの話をしているのに、正直なにもわかってない人だと思ったよ。
629日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:58:43
628が何を言いたいのか漏れには分からんが
板違いであるということだけは間違いないと思う。
630日本@名無史さん:2005/04/10(日) 22:06:42
元寇に教科書の右派左派も関係ないだろう。
631日本@名無史さん:2005/04/10(日) 22:14:08
まあ、理想としてはそうだろうな。
632日本@名無史さん:2005/04/10(日) 22:40:41
むしろ中国(南宋)を滅ぼしたのだから、
元を讃えるべきじゃないのか?
633日本@名無史さん:2005/04/10(日) 23:04:37
>632
謝れ!
お前は岳飛に謝れ!!
634日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:50:20
>>633
予め岳飛の変わりに金も滅ぼしておいてやったから、
ここは平等ってことで。
635日本@名無史さん:2005/04/11(月) 16:37:43
岳飛じゃなくて文天祥に謝るべきだと思う
636日本@名無史さん:2005/04/12(火) 00:00:54
天地有正氣 雜然賦流形・・・

いいねえ
637日本@名無史さん:2005/04/14(木) 21:22:46
明治期の日本に来たドイツの軍事顧問いわく、日本の地形はそれ自体が100個師団の守りに匹敵するそうです。
そんなところに、海越えて侵攻するのに十数万程度の軍勢で兵站線の確保用の船舶もなく、
現地調達前提では上陸に成功しても、日本本土の制圧は不可能。
638日本@名無史さん:2005/04/15(金) 00:17:49
NHKで蒙古襲来。
639日本@名無史さん:2005/04/15(金) 00:21:25
意味不明だな。。。
現在NHKでその時歴史が動いた放送中。
んで、無いようが蒙古襲来っと。
640日本@名無史さん:2005/04/19(火) 21:39:15
>>626
もしかして北条時宗のOPのつもり?
641日本@名無史さん:2005/05/03(火) 01:40:00
なるほど・・・
642日本@名無史さん:2005/05/05(木) 03:45:42
クビライは第3次日本派兵を考えていたのですがもし、第3次日本派兵、3度目の元寇があったら、日本はどうなったでしょうか?リーダーシップある北条時宗は死んでるかもしれないし、安達奏盛と平頼綱は争ってそうだし。

643日本@名無史さん:2005/05/05(木) 10:48:22
昔ドラクエVのラスボス戦で一人生き残ったキャラのHPが1、で最後の攻撃したらそれでラスボスが死んだ。
そんなもんじゃないか?
644日本@名無史さん:2005/05/05(木) 14:59:23
>>643
たとえがわかりづらい。
誰に対するレスなのかもわからん
645日本@名無史さん:2005/05/10(火) 04:04:14
>>642
時期と元の投入戦力次第としか言いようが無い。
とりあえず10万ちょい程度ではどうにもならんのは確か。
646日本@名無史さん:2005/05/10(火) 18:18:31
つまり、朝鮮半島の人は秀吉の侵攻、明治政府から始まる植民地支配を見越し、
元に対して日本侵攻を煽った(当然の報いだ!として)、とでも言い訳しているのかな?
647日本@名無史さん:2005/05/10(火) 21:10:38
李朝後期に安鼎福が書いた『東史綱目』では、倭寇の原因が元寇にあったとしている。
李翼の書いた「星湖塞説」でも、秀吉の朝鮮出兵も究極の原因は元寇にあったとしている。
648日本@名無史さん:2005/05/10(火) 22:41:42
>>642>>645
日本国内の内戦で10万単位の戦力を両軍でぶつけ合ってますからねえ。
攻勢側3倍の原則を満たすなら、20万×3=60万の兵力が必要になりますね。
これは日本側が根こそぎ動員を行った場合にはさらに必要になるでしょう。
649山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/10(火) 22:58:59
>日本国内の内戦で
奥州征伐や、承久の乱での事を仰っておいでなのかもしれませんが、洋の東西
を問わず、中世の兵数の記述は、過大過ぎて話になりません。
割と信頼出来そうな数字では、陸奥・出羽以外の全国(西国は二軍)各地から動
員した奥州征伐の先発が二万人はいた様ですが。
文永の役に参戦した御家人らの兵数を、『八幡愚童訓』は13万以上としていま
すが、黒田俊雄先生の目算によれば、実数一万前後といったところです。
本所一円地などからも動員されましたが、九州で二万か、三万か・・・。
兵站の問題もありますし、大軍で長対陣は出来ませんよ。
これは向こうも同じですが、三倍を動かさなくても、各個撃破という手もあり、
ホラズム遠征などでは、倍の敵にこの手で勝利しています。
山がちな国土でゲリラ戦でもやれば、占領は難しかったと思いますが。
650日本@名無史さん:2005/05/11(水) 00:27:50
そういえば弘安の役の時は、どうやって6万↑といわれる兵力を速やかに
対峙させることができたんだろ?
まさかずっと張り付いてたとは思えんし、来寇後に召集では関東組みが
間に合わないはず。
貿易商経由で情報収集して、凡その来寇時期を読んでいたのかな?
651山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/11(水) 01:04:52
六万云々の話、何によったものか今ひとつ明らかでないのですが、よろしけ
れば、お聞かせ願えませんか。
652日本@名無史さん:2005/05/11(水) 01:52:21
>>651
すまん、以前にどっかのサイトでみた数字なんだ。
元ネタは不明。
山野的には6万は多杉?それとも少な杉?
653山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/11(水) 02:06:35
多いかと。九州全域から動員出来なくもないでしょうが、じきに現地が飢餓地獄
に襲われそうというか、両軍とも敵よりこちらが厄介です。
蒙古側の14万人というのも、鵜呑みにして良いものかどうか。
治承・寿永の内乱は、養和の大飢饉も挟んで地獄でしたからね・・・。
654日本@名無史さん:2005/05/11(水) 02:28:45
確かに蒙古側はともかく日本側は大小武士団の寄せ集めだから
兵站つー概念が無いか、あっても恐ろしく希薄そうだからなー
領地を離れて戦うのは特に大変だったろうな
655日本@名無史さん:2005/05/11(水) 02:46:12
>>653
おまえうざい。
656日本@名無史さん:2005/05/23(月) 16:17:06
元軍は勝手に引き上げただけ。
勝ったなんて嘘じゃん。
657日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:36:22
勝手に逃げ帰っただけだろ。別に相手にさしつかえさえなければもっと日本に留まって貰ってもよかったんだよ。可能ならね。
658日本@名無史さん:2005/05/23(月) 20:58:49
>>656
煽りのための煽り乙
メル欄に小細工までしてご苦労なこって
659日本@名無史さん:2005/05/23(月) 23:37:19
Q.元寇に勝ったのは運ですか?実力ですか?

A.天気予報がはずれたから。
660日本@名無史さん:2005/05/29(日) 03:18:44
実力で勝利!に一票。
テポドン飛んで来ても神風が吹くから大丈夫
北チョンが核実験失敗して放射能が漏れても神風が大陸側に吹き返すから大丈夫。
天皇の神威に勝るものなし
元寇の時の御家人もコタツでミカン食ってりゃ良かったんよ。無駄死に(ぷ

>>626
懐かしい。
661日本@名無史さん:2005/05/29(日) 03:48:34
まあ室町期には神がホントに存在していたんだろうね。時宗は実は祈祷祠だったのかも
662日本@名無史さん:2005/05/29(日) 03:50:11
カルトか?一ヶ月半も戦って壱岐まで追い返したりしている御家人の力なくして九州防衛はありえんだろう。
663日本@名無史さん:2005/05/29(日) 05:57:50
技のデパートの元軍について語りませんか?
664日本@名無史さん:2005/05/29(日) 18:57:39
>>649
しかし、ホラズム戦の時のような柔軟な戦術がかけているような、
何もわざわざ石垣組んで守りを固めているところに攻め込まなくても、
他の上陸地点を考えられなかったものだろうか?
海上渡航作戦でモンゴル軍本来の戦略戦術が使えなかったのだろうが、それにしても・・・

ここらへんの考え方を変えていかないと三度目があって失敗したのではないかと思うし、
逆にそうでなければ二度目で成功していてもおかしくないとも思うのだが。
665日本@名無史さん:2005/05/29(日) 23:15:36
知らない人も多いいけど山口にも元の別働隊が来て1日だけ戦闘して
撃退されてるよ。
666これからの人生めちゃくちゃの女性M:2005/05/30(月) 00:11:49
元・高麗軍を撃退した日には、何か慰霊祭をやっていますか?日本を守ってくれた英霊のためにもやるべきだと思います。
反対を言う人はないでしょう。
667日本@名無史さん:2005/05/30(月) 00:44:04
>>666

英霊だけでなく、
漢人、蒙古人、高麗人の墓や慰霊碑もあっり、お寺がちゃんと供養してくださっています。




ええ、壱岐・対馬の罪のない住民を虐殺した人達とはいえ慰霊に反対をいう人は今のところ
いないので安心してください。
668日本@名無史さん:2005/05/30(月) 01:02:56
>>666-667
犬御家人など祀る必要ない
アジアの豚共を殲滅した記念日には亀山院を慰霊すべき。
669日本@名無史さん:2005/06/04(土) 13:16:28
時宗「頼綱よ、君が見た蒙古の印象を語ってくれぬか」

頼綱「蒙古の襲来は栄えある我が、鎌倉武術史――――――未曾有の一大事 かと・・・・・・・・・・・・」

時宗「質問の答えになっていないが・・・・・・・それほどの実力の持ち主ということかな」

頼綱「例えるなら・・・大国の仕掛けてくる集団戦法と、てつはうなどの近代兵器による武力に対し―――

我々、鎌倉武士が一騎討ちのみを武器に戦うことに似るかと・・・・・・」

時宗「はっはっは、これはこれは・・・ならばもとより結果は見えているではないか」

頼綱「はい、我が鎌倉武士の圧勝かと!!」

670日本@名無史さん:2005/06/04(土) 15:36:19
それ元ネタなんだったっけ?
おもいだせねー
671日本@名無史さん:2005/06/04(土) 19:46:49
>>670
バキ
672日本@名無史さん:2005/06/04(土) 20:02:09
>>671
おう、ソレダ!
思い出したぞ、さんくす!
673日本@名無史さん:2005/06/04(土) 20:41:48
>>665
恥ずかしながら知らなかった、
それってどのくらいの規模だったの?
ちなみに他の地域にも来襲したことはあったのですかね?
674日本@名無史さん:2005/06/08(水) 03:42:22
675日本@名無史さん:2005/06/08(水) 22:10:04
>>664
後、北から攻めてきたこともあるみたいだね。
でも元の大軍は三千のアイヌに撃退されたそうだ。
これを以て日本が救われたって言う人もいるけど、実際どんだけの規模で
行われた戦いだったんだろ?

文永はともかく弘安の役はまぐれ勝ちでも奇跡でもなく武士達の作戦勝ちだ
っていう見方は駄目なのか?
676日本@名無史さん:2005/06/12(日) 08:53:46
12世紀にモンゴルの元に侵略されて服属、日本侵略を行う。
677日本@名無史さん:2005/06/12(日) 18:10:54
二度目の侵攻はズタボロだったからな。元軍は。
まあ神風がなくても元の負けだったっぽいな。
678日本@名無史さん:2005/06/23(木) 23:32:18
マジですか?
679日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:32:49
元寇に勝ったのは運ですか?実力ですか?


偶然です。
680日本@名無史さん:2005/07/07(木) 07:00:19
北への襲撃に詳しく
681日本@名無史さん:2005/07/15(金) 02:46:02
元・高麗軍は石の築地をみて上陸を躊躇したらしいですが、回々砲持ってたんですから一部分を集中的に破壊すれば良いと思うんですが?
やはりじょうようの広い城壁と違って、築地は当たりにくいからですかね?
682日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:05:25
水城ってどれくらい役に立ってたんだろ。
800年くらいたってんでしょ
683日本@名無史さん:2005/07/17(日) 07:56:41
大自然のおしおきです


ってねえさまが言ってたー。
684日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:10:37
>>682 水城ってなんでしょうか?白村江の戦いのあとつくったやつ?
685日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:16:38
鎌倉時代にも残っていたのか?>水城
686日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:26:43
第3次が来たら負けてたかも?!
687日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:27:53
>>682 ボキも昔は水城と元寇防塁をごっちゃにしてた時期が
あります(>_<)
688日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:44:48
689日本@名無史さん:2005/07/17(日) 18:27:33
元寇では、日本は独力で元軍と戦えるだけの実力を持っていた。
日本は昔から戦闘力が高かったわけだ。
だからこそ、未だに近郊の国から警戒されている。
690日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:14:48
やっぱ海があったのが最大の勝因だな。鎌倉武士と元の騎馬軍団が戦ったら
負けていたのは明白だよ。
691日本@名無史さん:2005/07/23(土) 08:02:52
>>690
確かにな。
それを思うとモンゴルと全く同じ釣り出し戦法を使って
騎馬戦でモンゴルに勝ったバイバルスってマジで凄ぇな。
692日本@名無史さん:2005/07/24(日) 12:24:29
釣り出し戦法なんて使ったか?
693日本@名無史さん:2005/08/03(水) 02:06:11
>>691
スルターン・クトゥズ率いるエジプト軍(バイバルスは将軍の一人)の場合、
基幹兵力は1万2千あまりで、キトブカが元々統括していたフレグ西征軍の
前衛軍1万2千騎と大差ない。多分エジプト勢には歩兵部隊が別個に随伴して
いたと思うが、それはあまり記録に出てこない。

実をいえばこのアイン・ジャールートの戦いというのは、部隊長キトブカが死んでモンゴル側が
決定的に敗北したという極めて重要な結果のみが残って、それ以上に戦いの推移がよく分かっていない。

平原部での会戦だったのか奇襲戦だったのか、エジプト側とモンゴル側とで記録の記載内容が
違っている。フレグ側はその後北方のジュチ家とアゼルバイジャンで境域紛争になってシリアに
手を出す余裕がなくなり敗北の雪辱を雪ぐ機会を失い、エジプト側は戦後の論功行賞がもつれて
バイバルスらがクトゥズを謀殺しバイバルスがスルターン位を継ぐと言う事件が起きている。

アイン・ジャールートの戦いの場合、
日本の蒙古襲来の場合よりも戦闘経過と要所でいささか不透明な部分がある。
694日本@名無史さん:2005/08/10(水) 19:45:56
それって、
とりあえず、勝ったのはバイバルスではなく、
モンゴル軍に勝った奴を暗殺したのがバイバルスってことだよね。
695日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:49:11
というか主将がクトゥズで別働隊率いて勝負を決めたのがバイバルスじゃね?
クトゥズが敵弾きつけたとこをバイバルスが後ろからぶん殴ったと。
それに明確にクトゥズの勢力がバイバルスの上位にあったとはいえないんでね?
696日本@名無史さん:2005/08/15(月) 01:23:54
697日本@名無史さん:2005/08/15(月) 14:23:25
バキネタワロタ
698日本@名無史さん:2005/08/15(月) 18:07:53
>>695
そういう詳細がわかるな資料ってどこにあるの?
699日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:01:21
元の騎馬軍団は平原での戦闘しか知らぬから、平原の少ない日本に上陸しても、戦えたかどうか・・・
700日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:26:19
>>699
四川の山岳地帯を制覇し、
冬にコーカサス山脈を越えて敵領に侵攻し、カルパチヤ山脈でも敵軍を撃破、
森林が多いロシアから東欧でも連戦連勝。
雲南やビルマの密林でも勝利し、丘陵・山岳地帯が続くイラン・アフガニスタンを経て、
熱帯のインドを荒らしまわり、乾燥気候の中東もシリアまで占領していますが、何か?
701日本@名無史さん:2005/08/15(月) 22:32:18
あ、「元」だけの話か。
それでも、四川・雲南・ビルマでも勝っているね。
702日本@名無史さん:2005/08/16(火) 00:02:39
モンゴル高原だってただだだっ広い草原ってわけじゃないしな
703日本@名無史さん:2005/09/03(土) 15:16:49
704日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:09:00
長崎県に鷹島という島がありそこに首先(くんざき)という名前の土地がありますが陵辱・殺戮を繰り返した元寇が捨てた死体の頭部が潮の流れによりその地域に集またのがその地名の由来らしいです。
あと、あるお婆さんが鶏小屋に隠れていた時もう少しの所で難を逃れるはずが鶏が鳴いたばかりに元寇に見つかって殺され以来その土地の人は何百年経った今も
鶏は食べないらしいです。
705日本@名無史さん:2005/09/07(水) 10:00:01
夏の時期に
何ヶ月も停泊していれば
台風がきて木造船が沈むのは当たり前。

蒙古が停泊していた地理、期間、季節を考えれば
台風が一回や二回直撃しても全然おかしくないわけで。
706日本@名無史さん:2005/09/07(水) 12:22:02
>>704
普通に食べてるぞ

鷹島出身の俺が言うんだから間違いない

707日本@名無史さん:2005/09/10(土) 22:31:05
日本ツヨスwww
708名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:43:38
ディスカバリーチャンネルでやってた海から引き上げた船を分析したらそもそも
台風に耐えられない川船がたくさん混じってたんだって。
 間に合わなくて南宋の川船流用してたようだ。弓の射程は元軍の方が
広かったが。、白兵戦では武士が強かったとか言われてた。
 鷹島の海底から掘り出したいくつかの錨が同方向を向いてたから一方からの
強い風で沈んだのは間違いないようだとさ。
709名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:46:21
そして旧日本軍の蛮行とホロコーストの話は?=ディスカバリー
710名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 12:04:50
>>708
ついでに新規で作った船も欠陥だらけ
711名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:33:59
モンゴル兵は世界で初めて爆弾を戦闘に使用し、
強力な弓を使って戦いました。サムライ達は両手持ちの刀で戦う、剣の達人です。
ノルマンディー上陸作戦にも匹敵する規模の艦隊で
攻め込んだモンゴル兵達は、投石器の爆弾投射による支援を受けて
上陸しましたが、一騎打ちになるとサムライの技とスピードに圧倒され、
惨敗して船へと退散しました。
…と、番組ではアメリカ人だかイギリス人だかの歴史家が再現映像付きで
堂々と言ってたな。
712名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:57:11
>>711

馬鹿丸出しじゃんw
「投石機の爆弾発射」ってなんだよ!?
713日本@名無史さん:2005/09/20(火) 07:55:35
文永の役ではともかく、弘安の役では日本の方が兵力に勝っていた。
台風が来ようが来まいが、最初から元が日本に勝てる道理は無かった。
714日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:14:53
山川まで「朝鮮の人々の抵抗によるところもあったが」って書いてるのな。
まるで同盟国が協力してくれたみたいな言い方じゃんよ。

「赤穂浪士が討ち入りに成功した理由は、上杉氏の抵抗によるところもあったが」
っていうのと同レベルのような……。
715日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:49:59
敵(侵略者側)の朝鮮がヘタレだったので
日本は負けずに済んだ、というのが実際のところでは。
>>714の山川の記述はまるで逆だな。
716日本@名無史さん:2005/09/30(金) 08:20:31
歴史の参考書を見てみたのですが、いまいち分からないので質問させてください。

元が日本に負けた理由は分かるのですが、元が日本を攻めた理由が分かりません。

ただ単純に服属を要求しだけかもしれませんが、詳しく分かる方ご教授下さいm(__)m
717ヨゲンツャ:2005/09/30(金) 08:48:26
>>716
マルコ君の妄言「ジパング」に惹かれたのだよ。と聞いているがな。

「えー!?うそー!?黄金の国ー!?絶対ほしー!」

まともな家臣は多分反対していたはずだ。
当時の日本は完全に世界の端。
制海権も治めた所でベトナムより価値は無い。

故に攻めた理由は
「男のロマン」なんだよ。
アレクサンドロス君と一緒。
718日本@名無史さん:2005/09/30(金) 08:48:45
そこにまだ服従してない土地があるからだよ。
仲良くしよーやという手紙持って来た使者を無視して
何かいえよ馬鹿という手紙持って来た使者を殺したからだ。
よく言われる高麗人の入れ知恵と言うのにそんなに影響力があったとは思えんのよね。
スネオがのび太の悪口言わなくたってやっぱジャイアンはのび太のこと殴るみたいなもんで。
719フビライ尊士:2005/09/30(金) 09:43:12
あー眠い
さーて
南宋も高麗もほろぼしちゃったしなぁ〜
明日からどーしよっかなー
んー
んー
ん(・ω・ )?
トーホーケンブンロク?
どれどれ…

(翌日)
ねーねー
金だってさ金!!
皆欲しくね!?

重臣「( ;´゚,_」゚)ハ…ハイ」

んじゃさ、攻めちゃお!
さぁ、準備じゅんび!!

重臣「(;´゚,_」゚)イヤ…先に使者送りましょう…(殿ご乱心…?)」

えー!?ま、いーや。早くしてね!
あ、チョン達にも伝えといてね。「がんばれー!」ってw
あいつらバカだし使い勝手いいし。
先陣切らせたらきっと使えるよ。うん。

↑これが真実!
720フビライ:2005/10/01(土) 23:15:56
フン、わしの中にあったのはただ征服欲のみよ
たどるが良い 
わが祖父から侵略に次ぐ侵略を繰り返してきた歴史を。

ちなみに高麗 そして日本もそのつもりだったが
それはお前たちが満州国を操っていたのと同様の扱いだ
お前たちの言を借りれば侵略ではないという事になるな フォッ フォッ フォッ
721日本@名無史さん:2005/10/02(日) 02:56:04
成功すりゃ併合とか新国家建国とか言えるけど失敗すりゃ侵略だよ。ただの侵略失敗。
722日本@名無史さん:2005/10/14(金) 07:08:19
>>698
ドーソンの『モンゴル帝国史』に当時のアラビア語、ペルシア語資料についての
解説が出ているから、そこからピックアップするのが良いだろう。

アラビア語だと、マクリーズィーやヌワイリーなど年代記や地誌、イブン・アブドル=
ザーヒルやシャーフィゥの『バイバルス伝』、イブン・タグリービルディーの伝記集
などがあるが、『バイバルス伝』についてはS.F.Sadequeによる英訳があるので適宜
利用すべきだろう。

最近だとマムルーク朝についての専門書もあるだろうからアマゾンなどで調べてみるのも
一計か。資料の所蔵場所は、東洋文庫や東大、京大、早稲田、東京外大などがあると思うが、
まずは文献目録に目を通してみて所蔵箇所の確認が必要だろう。神保町あたりに資料の英訳本や
概説書が有るかも知れない。
723日本@名無史さん:2005/10/19(水) 01:26:39
724日本@名無史さん:2005/11/14(月) 20:22:31
土曜日の『世界一受けたい授業』河合先生が、
日本軍は一対一で名乗っていたところを、蒙古兵に囲まれて討死した、と
いう話をしていたのですが、これって一応教授クラスの人間でも『通説』なのですかね?

基本的に、武士が名乗るのは名のある相手に対してであって、確率的には満塁ホームラン以下の出来事で、
なにより平安期には弓による一斉射撃が武家の戦法の一つだったと思うので、
異国の人間にむざむざ名乗りを挙げて討たれるとも思えないのですが。

文永の役ならば、単に『全軍統一の集団戦法を運用する蒙古軍』vs『各御家人で統率の取れなかった日本武士』
と表現したほうが良いと思うのですが・・。


725日本@名無史さん:2005/11/14(月) 22:35:00
≫712 「投石機の爆弾発射」って何?
あはは  ≫711さんの方が正解。「てつはう」って書いてある
屏風絵見たことあるでそ?あれだよ!!合戦屏風絵で鉄の弾が
爆発しているあの絵だよ!!
726日本@名無史さん:2005/11/14(月) 22:39:23
>>711
それはもしかして、ディスカバリーチャンネルの『フビライの野望』ですか?

見ようとしたけれど、都合で見れなかった。
映像は凄そうだったけれど・・。
見なくてよかったのかな?
727日本@名無史さん:2005/11/27(日) 05:40:34
>>726
あれは実地調査を行うのは日本人の海洋考古学者だったけど、
歴史家の言及と再現映像は元の方に重点を置いてたからな。

元軍はリアルな考証と、アラカン司令官の人間性とかにまで
踏み込んでたのに対して、
日本は人名・政治機関一切無しだったし。

弓矢も馬も兜も持ってないけど、
陣盾と逆茂木で海岸に防御陣地を設営して船からの砲撃に耐え、
上陸してきた完全装備の元軍に白兵戦を仕掛けて撃滅するサムライ達という、
日本人の元寇観とは全く違う再現がされてたぞ。
728日本@名無史さん:2005/11/27(日) 11:17:32
オトコたちの大和
なわけね。
729日本@名無史さん:2005/11/27(日) 11:23:27
我が軍事大国沖縄はゲンコウなど自力で撃退しておる
神風だの台風だのに頼るほどヘタレではない。
730日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:29:38
大元ウルスから時宗への国書にポーランドとかハンガリについての記述があるらしいけど、
詳細キボン
731日本@名無史さん:2005/12/05(月) 22:28:09
>>727
まるで硫黄島の戦いの日本勝利版だな。

732日本@名無史さん:2005/12/20(火) 03:13:20
斬り合いではやたらと強かったけど、
明らかに元兵よりも御家人の方が貧乏臭かったからな。

ああいう戦いで弓とか槍とか使ってたら
戦況が膠着してそのまま橋頭堡を築かれてたような気もするね。
733日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:13:15
言っていることが分からん
734日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:51:50
海賊最強説は?
海賊を避けるためモンゴル軍は沖に避泊した。
735日本@名無史さん:2006/01/04(水) 01:38:37
最初の時は河野は何もしてないんだけ?
736日本@名無史さん:2006/01/06(金) 13:34:09
勝ったのは日本が神の国だからだ。
737日本@名無史さん:2006/01/06(金) 13:45:50
神風だよ 歴史で何回も教えただろうが ばかもん!
738日本@名無史さん:2006/01/06(金) 13:48:48
――あなたはこの板を知っていますか?
ペット苦手板、通称ペット虐待板。
http://c-others.2ch.net/test/-/cat/1

2chの中でも有数の悪板。
ここでは日々猫や犬、その他のペットが理由もなく虐待者に傷つけられ、その報告に住人は興奮し、
さらに虐待が増長されてゆきます。
猫や犬の虐待は日常茶飯事。酷い時には意味もなくその命すら奪われました。
ある猫は首を切られ、ある犬は足を切られる。
そんな我々が目を背けたくなるような光景さえ彼らには興奮の種でしかないのです。
この板からは既に逮捕者も出ています。
ネタスレ・クソスレ・愛護スレを立てたり、関係ないスレを優勢的に上げるなどで構いません。
既にVIP・ラウンジ、その他各板から協力者が集まっています。
この板を2chから消し去るために皆さんの力をお貸し願えませんか?
http://j.pic.to/3gfxv


739日本@名無史さん:2006/01/06(金) 14:26:30
元が失敗したのは必然、日本が占領されなかったのは偶然。
740日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:42:22
オカルト的やが、旧約聖書に出てくる「契約の箱」が実は日本にあり
元寇の際、玄界灘まで飛んでいき、雷を落としまくったらしい。
作り話やろうけど、神国日本は絶対におかすことはできん!ちゅうこっちゃ!
741日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:45:20
一回目は偶然だろうが、二回目は日本軍が圧倒してたのと違うの?
対策や戦闘法についてそんなこと言ってるの聞いたよ
742日本@名無史さん :2006/01/08(日) 17:41:25
(運:実力) 4:6
743日本@名無史さん:2006/01/08(日) 17:58:44
日本勝利の功労者は、東シナ海・日本海の荒波様に決まっておろうが。

奈良時代の坊主がただ単に渡航するだけでも10回近くのトライアルを要し、
挙げ句視力を失ってしまうようなあまりに強大な天然の障壁ですよ。

トラマナの使えない勇者ご一行がダンジョンのバリアを渡り切った後、
HPが1になった段階で雑魚敵に遭遇してやられてしまったようなもん。
744日本@名無史さん:2006/01/09(月) 06:05:15
だから第一回目の襲来を撃退したのは100%武士団の奮闘によるものだって何度も言わすな。
九州武士団との交戦で不利を悟り撤退を決定して引き上げる途中で嵐に遭遇したにすぎん。
洋上で防塁と睨み合いしてた所を嵐に丸ごとやられた第二回目なら天佑神助のおかげといえるが
それにしたところで嵐がくるまで敵を陸に上がらせなかった武士団の奮闘のほうをまず評価するべき。
745日本@名無史さん:2006/01/09(月) 16:04:32
元寇関連の本を何冊か読んで一番不思議なことは、文永の役で博多で戦った武士団
の損害がどこにも書いてないこと。
通説では集団戦法の元軍に個人戦法の武士たちが次々に討ち取られたはずなのに、
わずか5騎で先駆けした竹崎とかもしっかり生き残ってるし。
そもそも野戦で丸一日押されまくった軍隊って組織的に水城へ後退できたりする
ものなのか?
もしかしたら損害は圧倒的に元軍>日本軍だったのではないのかな?
746日本@名無史さん:2006/01/09(月) 16:54:01
指揮官は次々に討ち取られたってことじゃないのかね。
集団戦法ったって一人が同時に攻撃出来る相手は一人だし。
747日本@名無史さん:2006/01/10(火) 08:03:48
>>725
「てつはう」について八幡愚童訓には「敵が引き際に使う」と書いてあるそうだぞ。
つまり、水戸黄門で風車の弥七が逃げる時に使う爆薬を強力にしたような感じだろ。

大体、蒙古襲来絵詞の中で「てつはう」の出てくる有名な場面は、
「逃げる元軍を竹崎秀長が追撃しようとしたが、馬を射殺されたために果たせなかった場面」
を描いたもの。
だから元兵の大半が逃げ腰で、中には負傷している者も居るんだよね。
「てつはう」を使ってるってことは、それだけ元軍が苦戦しているってこと。

それなのに「火器と集団戦法に苦戦している日本の武士」みたいな正反対の説明文を
平気で添えてる教科書をはじめとする歴史関連書籍って、はっきり言って異様。
748日本@名無史さん:2006/01/10(火) 08:08:45
>>747
竹崎季長の間違い
749日本@名無史さん:2006/01/16(月) 08:34:58
正直、元寇にかんして調べれば調べるほど大半の歴史教科書に対して怒りを感じる
ようになった。

有名な蒙古襲来絵詞で、竹崎季長に矢を放っている3人の元兵だけは他の元兵と服装や
線の太さが違い、実は後世加筆されたものであることが判明している。
それなのに、もともと描かれていた敗走する元兵をカットして、加筆された元兵と
竹崎季長だけを抜き出し、「苦戦している日本の武士」みたいな説明を添えるのは
明らかな史実の捏造だろ。

それと「集団戦法の元軍に対して、名乗りをあげて挑んだ武士が次々と討ち取られた」
ってのは八幡愚童訓がソースなのだが、ここでも情報操作が行なわれていて実は
「そのなかに松浦党おおく討たれぬ」と記されているんだよね。
元軍が姪の浜に上陸した時、付近に展開していたのは松浦党などの一部で、日本軍の主力は
筥崎付近に集結していた。
日本軍の犠牲のかなりの割合を松浦党が占めるとすれば、それはファーストコンタクトの
時に集中し、全体の犠牲者数自体は軽微だったということ。

大体、文永の役に参加した30余氏はほぼ特定できるわけだから、日本軍が大きな損害を
受けたとすれば、それがまったく記録に残らないはずがない。
実際には博多に上陸した元軍は、一方的に日本軍に叩かれて逃げ帰った。
それを何故わざわざ情報操作してまで「武士は弱かった」みたいな嘘を子供に教える必要が
あるんだよ?
750日本@名無史さん:2006/01/16(月) 10:06:27
元軍の主体が高麗兵である以上、チョッパリの方が強かった結果としてあっさり撃退された事実をどうにかして隠蔽する必要が


日教組にはあったんだろうね。
751日本@名無史さん:2006/01/19(木) 03:13:58
>>750
そんなバカな理由で、ありえん!


・・・と言い切れんところが怖いな;
752日本@名無史さん:2006/01/19(木) 06:42:15
日教組以前からそういう話になってるじゃんよ。
753日本@名無史さん:2006/01/19(木) 23:54:24
そう言えば蒙古襲来絵詞のあの絵って矢が一杯突き刺さって逃げ惑う元の兵も描かれてたよね。
754日本@名無史さん:2006/01/20(金) 12:56:48
>>753
蒙古襲来絵詞は横に長い絵だし、その他にも何枚かあるからイメージ検索で
全体を見れば、基本的に逃げ惑う元兵がほとんどだとわかるよ。

『高麗史』に記されている文永の役で日本軍と戦った後の元軍指揮官の会話。
               ↓
高麗軍指揮官:金方慶「兵法には『千里の県軍、其の鋒当たるべからず』とある。
           我が軍の兵は少ないが、すでに敵境に入っている以上、
           人は自ら戦うもの。即ち『孟明の焚船、淮陰の背水』だ。
           戦闘の継続を許可してください」
元軍副指揮官:洪茶丘「兵法には『小敵の堅は、大敵の擒なり』ともある。
           疲兵を策して日ごとに増大する敵と戦うのは、完計では
           ない。ここは撤退するしかない」

これって明らかに元軍の劣勢を意識した会話だろ。
元軍にとっては自軍が「小敵」で、日本軍が「大敵」なんだぜ。
ちなみにこの中で強硬策を唱えている金方慶は、高麗軍5500を率いておきながら、
赤坂で菊池武房率いる騎兵230に蹴散らされた元敗退の戦犯。
755日本@名無史さん:2006/01/20(金) 14:34:22
いつの世にもチョンは口先のみ威勢が良いだけで役たたずのヘタレ
756匿名希望:2006/01/20(金) 21:06:26
蒙古襲来絵詞の改竄や描き込みがあったのや逃げ惑う元兵の姿が多いなんて知らなかった。
大抵、竹崎季長と3人の元兵が本に載っているのにその元兵が後世の作なんて。
江戸後期に今の形になり、明治に明治天皇に献上されたということは、尊皇攘夷思想とか
で、苦戦する日本軍を神風が救ったみたいにしたくて改竄されということかな?
757日本@名無史さん:2006/01/25(水) 02:09:29
蒙古襲来絵詞って、自分がいかに勇敢に元と戦いました
(恩賞ください)
ってものだから、基本的に鎌倉武士優勢のはずだもんな
758日本@名無史さん:2006/01/25(水) 02:35:38
「恩賞ください」なら、敵は優勢かもよ。
弱い敵に勝っても評価は低いからね
759日本@名無史さん:2006/01/25(水) 09:40:28
元側の記録でも高麗側の記録でも蒙古軍の撤退は、はっきりと自発的なもの。
それに、あきらかに蒙古軍の指揮官たちが劣勢を意識していたような記述が、
いたる所にある。
そもそも、博多湾に上陸したのはそこに大宰府があるからだろ。
もしも、日本側が劣勢なら博多付近で1日戦っただけで、大宰府にはまったく
手付かずのまま撤退するわけがない。
760日本@名無史さん:2006/01/28(土) 22:44:05
ふむふむ、文永の役で元側が後退した理由はだいたい明らかになったみたいだな。
あとは日本側が水城に後退した理由か。
これまでは初日の戦闘で苦戦・大損害の結果、「逃げた」というイメージで語られて
きたわけだが、実際はどうだったのかねぇ?
761日本@名無史さん:2006/02/02(木) 15:47:39
文永の役の推移を追っていて感じるのは、その日の大将である少弐経資が実は
水際撃滅作戦を採用していなかったのではないかということ。
本戦前日の10月19日に元軍の少数部隊が今津に上陸しても放置しているし、
翌20日に姪の浜に高麗部隊が上陸した時も、迎撃に向おうとした竹崎季長に
「あそこは足場が悪いから筥崎でまとまって戦った方がいい」とか言っている。

ただ、わざわざ上陸させてから戦うなんて事をしたら当然付近の住民には甚大な
損害が出るわけで、要するにこれまで外国との戦争経験が少ないために、非戦闘員
を保護しなければならないという観念が希薄なんだよね。
恐らく少弐経資の念頭にあるのは、大宰府の防衛と敵の主力との堂々たる決戦で
勝利することだけで、夜になったら博多を放置してあっさりと水城に退いたのも
その延長線上ではないかと思う。

弘安の役で日本軍が博多湾を石築地で固めて水際撃滅作戦に転ずるのは、文永の役で
非戦闘員に損害が集中したことの反省からという意味の方が大きいのではないかな。
日本では他の文明のように都市を取り囲む城壁がそれ程発達しなかったんだけど、
博多の場合は初の本格的な異民族の侵略を受けた結果、都市防衛の必要性に目覚めた
のだと思う。
762日本@名無史さん:2006/02/02(木) 21:00:18
一般に迎撃側有利と言われる水際撃滅作戦を
日本側は当初から放棄していたらしいという事実は
自分には軽い驚きでした、感謝。
ただ後から良く考えてみれば、そういう判断をした
理由はなんとなく想像できますね。
何故なら、この時点でまだ鎮西軍は兵力の集結が
完了しておらず、多数の武士団が戦場へ急行中であった。
未知の敵に対して万全の体制で当たりたいという
指揮官の心理が働いていたように見えます。

そして最初の激突で侵攻軍の規模と戦闘力を
おおよそ把握した結果として、内陸の要害へ
敵を誘引し、集結した戦力で一気に撃滅しようと
構想して後退を選択した、と。
そしてそのあたりを読んだ洪茶丘は猪突の愚を
避け軍勢を退いた、と。

こんなトコではないかと思うのですがいかがなもんでしょ?
763日本@名無史さん:2006/02/15(水) 16:28:39
アイヌの方が凄かったんでしょ?実力だけで何度も元軍退けてるし。
764日本@名無史さん:2006/02/15(水) 16:29:48
>>763
ソースなんだっけ?
耳にしたことはある
765日本@名無史さん:2006/02/15(水) 18:22:35
元寇関連やば過ぎ・・・
巷で流布している話のウラをとろうとすると、必ずまったくのデタラメという
可能性に行き当たるのだが・・・
アイヌについてもう少し調べてみるけど、ざっと調べた範囲では嘘。
766日本@名無史さん:2006/02/15(水) 20:36:27
アイヌと元軍の戦いについては元史に断片的な記録があるだけ。
まず、1264年にアイヌがモンゴルに服属していたギレミを攻めたため、フビライが
救援軍を送り、これを征したという記録がある。
次は1284年〜1286年の3年間で、元軍は約1万を動員してアイヌを攻めている。
記録では元軍は果夥という前哨基地を築いているのだが、これがサハリン南端に
ある白主土城跡だと考えられるため、アイヌは元軍によってサハリン島から駆逐
されてしまった可能性が高い。
その後、1308年にアイヌは元に貢物の毛皮を納めて服属。
767リムルル:2006/02/15(水) 23:24:27
>元寇に勝ったのは運ですか?実力ですか?

大自然のおしおきだってねえさまが言ってた!
768日本@名無史さん:2006/02/15(水) 23:51:51
>元寇に勝ったのは運ですか?実力ですか?

もちろん、運です。
769日本@名無史さん:2006/02/16(木) 00:28:50
 大体日本の武士、選手宣誓みたいな事やってたら元軍に取り囲
まれたっていうし まあそうでなくとも768さんのいうとおり運が
よかっただけだろうね。
770日本@名無史さん:2006/02/16(木) 00:38:00
10年後の日本史解説書『蒙古襲来』
チョソが元の威を借りて、有史以来初(?)の対外侵略を試みるも、
鎌倉武士にあっさり反撃され、台風で止めを刺された。

771日本@名無史さん:2006/02/16(木) 00:42:07
宣誓してからの攻めって戦の終盤や名がある武将を引き止める時なんだけどw
ここの前の方のだかに詳しくあるけど、蒙古襲来絵巻の教科書などにある苦戦部分は後から書き足された物と科学的に承認されたよ。
そもそも、手柄を立てた証で苦戦の絵なんて書かないし、苦労話にしても当時の武士から考えたら不名誉なだけ。
上陸戦では日本兵が有利だったのと、元兵は朝鮮半島の兵でやる気ない。
本体投入を断念させたは台風のおかげで運だろうけど、上陸戦に関してはかなり有利ってのが最近の研究らしいよ。
>>765 本当に裏取るの難しいよね。博物館とか研究者に相談して見通したっててから方がいいよ。
伝が無ければきついけど、会える所言って聞くと意外と丁寧に答えてくれるよ。
772日本@名無史さん:2006/02/16(木) 00:42:11
自由主義史観の回し者はニュース極東板に帰れ。
773日本@名無史さん:2006/02/16(木) 01:01:25
反日宣伝の嘘を見破る人は目障りかい?
774日本@名無史さん:2006/02/16(木) 01:07:44
橋頭堡の陣地構築できずに、夜は船で寝ていたんでしょ。
775日本@名無史さん:2006/02/16(木) 01:33:05
ちょっと前のほうに書いてある事すら読まずに、なんの根拠も無い自分の妄想や
憶測の開陳にばかり熱心な人間の多い事多い事。
仮にも学問板にしてこの有様とは実に嘆かわしい。
776日本@名無史さん:2006/02/16(木) 13:26:43
>>772
レッテル張り乙
777日本@名無史さん:2006/02/17(金) 09:55:32
無意味に777Get・・・

唐突だが、“てつはう”と焙烙火矢は同じ物ではないのか?
元寇の際に鹵獲された“てつはう”が三島水軍に代々受け継がれ、対信長戦の頃には鉄砲の普及と
共に火薬の入手が容易になり量産が可能になったと。
778日本@名無史さん:2006/02/17(金) 21:20:42
もう>>767がFAでいいじゃんw


と冗談はさておき
>>777
焙烙火矢とてつはうの関連性はしらないが、種子島銃が伝わる前の時代に水軍が火薬兵器らしきものを使ってた記録がある。
っていうのをなんかの本で読んだ事あるよ。
779日本@名無史さん:2006/02/17(金) 22:15:24
九鬼水軍は、それでひどい目にあったらしいのだが、火薬の成分が同じかどうか?
780日本@名無史さん:2006/02/17(金) 22:56:34
元に勝ったのは運だよ。
781山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/17(金) 23:04:53
>種子島銃が伝わる前の時代に水軍が火薬兵器らしきものを
『梅霖守龍周防下向日記』の記事の事でしょうか。
途中、「賊船」と記主の乗っていた船が通行料で揉め、「鉄炮」で追い払っ
たとあります。天文19年(1550)ですから鉄砲伝来後の話になりま
すが、それにしては早過ぎる。
もっとも、ここで乗っていたという船は「水軍」所属では無かった模様。
782匿名希望:2006/02/18(土) 00:25:34
焙烙火矢とてつはうの関連性は知りませんが、単に考えることは同じということでは。
材料さえあれば、技術的に難しいものでないので作ったとか。
室町時代に中国の火薬を用いた武器が入ってきていたのでそちらからの影響の方がありえると思う。
鎌倉時代の御家人では火薬が手に入らず、受け継ぐのは難しかったはず。
元の弓を元に、材料は動物で形は和弓の弓を作らなかったのが不思議。
783日本@名無史さん:2006/02/18(土) 00:33:12
野島政雄(医者)

http://www.nojimaiin.com/p04.html
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1137812759/
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1140108471/

テレビ遠隔でも直観的に私を超根源意識を越える存在と信じると全知全能なる力が出てきます。 
全知全能なる力を持った人が、どのようなことをするのか、まだわかりません。
 いずれ報告があるでしょう。 
 直観的に私と超根源意識を信じると完全自然治癒力が出ます。 病気は何でも治るはずです。
 私が治療して乳癌が柔らかくなってきています。 マシュマロ見たいになってきた人もいます。
784日本@名無史さん:2006/02/18(土) 03:26:11
>>782 >単に考えることは同じということでは

どうでしょうか?
印字打ちで石投げ紐(旧約聖書に於いて、ダビデがゴリアテに対し用いたと謂う投石器。投石紐,
投弾帯も同意)が一般的に用いられていたならば、あるはそうかも知れません。また火薬は、火縄
銃から弾を撃ち出す薬として日本に伝わった物のようですし、火薬の主原料たる煙硝は、当初は
輸入に頼っておりまして高価でした。
その火薬を鋳鉄製の球体に撞き込め、ないし鉄製以外の容器ならば鉄片を共に詰め、導火線を付けて
(その長さで点火→爆発のタイミングを調節する)、場合によっては導火線の根元には調合を変えた
点火薬を配する。さらに、そのようにして拵えた擲弾に縄を結わえ、(ハンマー投げよろしく)回転
させ勢いをつけて投擲する。これらの組み合わせが自然発生的に思い付くものでしょうか?、半々
難しいのではありますまいか?
やはり、その元となる何かが何処かからもたらされたと考えた方が無理がないように思われます。
785日本@名無史さん:2006/02/18(土) 07:54:07
倭寇で中国沿岸を荒らしてる時に獲得したんじゃないのかな?
786日本@名無史さん:2006/02/20(月) 23:54:03
Wikiの元寇の項目はひどいことになってるな。
アレを見てここに来たら何かいろいろと納得させられた。
787日本@名無史さん:2006/02/22(水) 00:23:26
『馬明達老師論文 - 歴史上中、日、朝刀剣武芸交流考』
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/syogen.htm
ここに倭寇とその後の中国武術に与えた影響について書いているね
788日本@名無史さん:2006/02/22(水) 00:42:50
朝鮮人が足りない知恵を搾って歴史を歪曲しても、
日本の知識人を騙す事は不可能なのにな。
789日本@名無史さん:2006/02/22(水) 07:02:44
>>788
所々に嘘を貼り付けても、嘘でない部分と必ず矛盾する。
そこで嘘を貼り付けられなかった部分まで、誤った解釈で無理矢理こじつけよーとする。
その典型が、韓国の歴史観。
韓国政府や御用学者が提唱してる歴史観のトンデモな矛盾に、韓国の青少年は気付かんのか?と。
気付いた後、彼等は自国にどーゆー感情を抱くだろーか?、そっちの方がもっと問題だろよ(w

中国は?と云えば、党に不都合な部分はその時代ごとバッサリと省いてしまう。
ま、どっこいどっこいなんだけどな。
790日本@名無史さん:2006/02/22(水) 09:35:36
望んで騙されてるんだから矛盾してても関係ない。
791日本@名無史さん:2006/02/22(水) 11:44:44
>>789 スレ違いになりつつあるのでとりあえず以下のサイト見てみて
http://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/index.html
例えばそこのhttp://www.geocities.jp/savejapan2000/korea/k232.htmlとか
反日とか韓国でも一部。中年連中と利権のある奴等、ソウル大学くらい。
で、そいつ等は自尊心が変な方向で強いからとりあえず何でも言ってみて大騒ぎするだけ。
本人たちも信じてないことを平気で言うから・・・
792日本@名無史さん:2006/03/04(土) 17:04:04
>>788
実は歴史を歪曲した真犯人は韓国人でも日教組でもないぞ。
文永の役で鎌倉武士は元軍に勝っていたのに無理やり負けたことに変えさせたのはGHQ。
戦前の人は武士が奮闘して元軍を撃退した事を知っていた。
793日本@名無史さん:2006/03/04(土) 17:16:14
じゃあ神風って言葉はなんで流行ったのよ。
撃退したあと台風であぼんってのを知ってたんならあそこまで神風神風言わんだろ。
歴史が書き換えられてたのはもっと前の時代からじゃないの?
794日本@名無史さん:2006/03/04(土) 17:41:26
>>793
俺も最初はそう思っていたから驚いた。
昭和天皇のための歴史教科書である国史が書店で売られているけど、そこに書いてある
元軍の敗因は文永の役が「武士の奮闘」で弘安の役が「武士の奮闘+偶然の暴風雨」。
「神風」の記述はなし。
「武士は弱かったのに2度とも台風に助けられた」というストーリーは、戦後GHQの政策で
押し付けられた可能性が高い。
アメリカが書いた歴史だからこそ逆に「神風」が強調されることになった。
795日本@名無史さん:2006/03/04(土) 22:31:42
>>794
文永の役については佐藤大輔が分析していておもしろい。
796日本@名無史さん:2006/03/04(土) 23:35:58
神風特攻隊という命名は戦時中でも神風伝説が確立していた事を示している。
連合国による歴史歪曲を待つまでもなく、
それ以前から日本人自身が神風伝説を作り出していたと見るべきだろう。
日本社会の伝統がアニミズム的な神風観を生み出し、戦後は反日勢力につけ込まれて日本人の優秀さを隠蔽する為に神風伝説が利用されたという所だろう。
797日本@名無史さん:2006/03/04(土) 23:50:34
798日本@名無史さん:2006/03/04(土) 23:51:26
西洋諸国や漢族や高麗人がズタズタにボロ負けを喫したモンゴルを日本ではあっさり撃退していた事実は、
反日陣営にとってかなり目障りだったろうからな。
799日本@名無史さん:2006/03/05(日) 00:03:15
反日史観の家元であるアメリカがARPAネットを開放して、
日本人が歴史歪曲に気付く環境が整った事こそが神風。
800日本@名無史さん:2006/03/06(月) 00:57:23
自衛隊ガンガレ
801日本@名無史さん:2006/03/16(木) 13:34:53
>>798
日本以外にモンゴル撃退してる主な国は、ベトナム、マムルーク・・・・・
そりゃアメリカ人にすりゃ面白くないわな。
802日本@名無史さん:2006/03/16(木) 13:40:06
義のない戦を仕掛けた元の負け。
それに、中国兵と朝鮮兵の寄せ集めで日本に勝てるわけがない。
803日本@名無史さん:2006/03/16(木) 14:10:48
元に実力があったのなら何度でも日本遠征を繰り返しただろう。2回で止め
たのはそれ以上やると日本を征服する前に自分が崩壊するおそれがあった
からだ。
804日本@名無史さん:2006/03/16(木) 14:13:36
遠征軍が2回も全滅して生還者が殆ど居ないんだから、3回もやれば反乱が発生しかねない。
漢族と高麗人を民族浄化しているのと変わらないんだから。
805日本@名無史さん:2006/03/16(木) 18:14:53
>>803-804
元では漢人兵を一般庶民から分けて一種のカースト的集団にしてたので
軍人が不満を持っても大規模な反乱につながる恐れは少ないと思われ。
むしろ中央アジアでモンゴル軍団の反乱が始まって14世紀初頭まで
続いたのが海外遠征の妨げになった。
806匿名希望:2006/03/16(木) 20:38:15
1257年 元の第1次ベトナム進攻
1274年 文永の役
1281年 弘安の役
1283年 元がチャンパを攻撃、首都占領
1285年 元の第2次ベトナム進攻。元がタンロン(現ハノイ)を占領。
1286年 元の第3次ベトナム進攻 (海からも侵攻)
1294年 フビライハン死亡
1367年 元が滅亡。

元にはまだ遠征をする国力はあるから、成果のでない日本ではなく南方に向かったのでは。
元寇の時、フビライに日本の情報は入ってなかったのではと思う。
中華思想と小中華のフィルターを通った情報しかなかったのでは思う。
フビライ「チャンもチュンも口だけで使えねぇ。南は陸続きだし、南に向かおう。」
807日本@名無史さん:2006/03/16(木) 21:56:39
ジャワとかにも遠征してますが
808日本@名無史さん:2006/03/27(月) 21:37:41
弘安の役で元・高麗軍は回回砲(投石器)持っていたんだから、それで石塁壊せばよかったと思うんだが、何でしなかったんだろう?
809日本@名無史さん:2006/03/27(月) 22:14:30
モンゴル人や朝鮮人という海戦の不得手な軍隊が日本遠征をやろうとした
のが、間違いの元だろう。台風シーズンに2回来て同じ失敗をするという
のも行き当たりばたりの計画だったのだろう。

810日本@名無史さん:2006/03/27(月) 22:42:13
>>809
日本海にせよ、東シナ海にせよ、大軍を渡らせて補給を確保するには当時の軍隊には広すぎたということ。
朝鮮半島を策源地として利用して、対馬を経由して補給を確保するしかない。

日本を降伏させるためには、九州北部を確保しただけでは足りない。京都まで攻め上らないと。
たかが15万程度では、難しいと思うよ。
対馬での虐殺から、住民の協力はないだろうし、陸上の後方の補給線はたぶんゲリラ戦で遮断される。
鎌倉幕府とて、全力で動員すれば20万〜30万程度の兵力は捻出できる(源平合戦の動員から見て)。

べつに元と高麗が海戦に慣れていても負けはしなかっただろう。犠牲は大きいだろうが。
811日本@名無史さん:2006/03/27(月) 22:42:19
3回目は大成功だろ。
日本の国技の世界で朝青龍は横綱まで上り詰めたんだから。
更に、白鵬が成長して
東と西の両横綱がモンゴル人になる可能性も高まって
そうなれば日本を制したことになる
812日本@名無史さん:2006/03/28(火) 00:27:47
文永の役のときはともかく、弘安の役で対馬・壱岐に兵と住民置いていかなくてもよかったと思うんだが。
そうすれば虐殺されなかったし。
813日本@名無史さん:2006/03/28(火) 00:33:55
>>809 二回目は台風シーズンじゃなかったはずだぞ
季節外れなんで神風伝説とこじつけられたって習った
>>812 三回目にもしばらく備えてたみたいだから長期戦で構えてたせいじゃない?
対馬とかに兵が居ないと連絡もできないし、侵略されっぱなしになっちゃうしで
それに年貢とかの関係もあるだろうしね
814日本@名無史さん:2006/03/28(火) 00:45:43
>801
20世紀には
ベトナムは仏中米の3強大国を追っ払った
ある意味史上最強の国
815日本@名無史さん:2006/03/28(火) 01:40:54
史上?
816日本@名無史さん:2006/03/28(火) 01:43:39
日本の市民団体が韓国で秀吉の侵略戦争反省集会
http://live22x.2ch.net/test/read.cgi/news/1143473993/
817日本@名無史さん:2006/03/28(火) 02:01:05
運。
ただし、九州で幕府軍を殲滅したとしても、どうやって本州を制圧できるのか見通し立たなかったんじゃない?

最終的な結果はそんなに代わらないと思う。
てか上陸地点として九州を選んだ時点で終わってるw
818日本@名無史さん:2006/03/28(火) 02:29:59
そもそも元寇の元って本当に日本を制圧しようとしたのかな?
高麗兵とかばかりで主力を使ってないから脅しだけだった気がするんだけど
まあ、負けたってことへの面目問題も二回目以降はあっただろうけど
819日本@名無史さん:2006/03/28(火) 03:01:46
>814
北ベトナムは旧ソ連の後ろ盾があったから、南ベトナムを支援する
アメリカを追い出した。北ベトナム単独でアメリカを追い払った
わけではない!
(アメリカが去った後、北ベトナムが進行してきた際の南ベトナム
 は略奪、強姦、虐殺の地獄絵図だったとか・・・。)
 アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、中国、
アジア諸国の抗日ゲリラを同時に単独で相手にし4年近く戦った日本が
一番すごいと思う。世界戦史上アメリカの空母を沈めた国は日本だけやし
(巨大空母のレキシントン、ヨークタウン、ホーネット、ワスプの4隻を
 葬ったのは、あまりに有名!ミッドウェーで不意をつかれ、ボロボロ
 の状態で、唯一使用可能だった飛龍に残った航空機を集結させて、
 ヨークタウンに反撃し沈めた話は泣ける。)
 当時、イギリス国民の誇りであった、最新鋭戦艦、プリンスオブウェールズ
 、レパルスもサイゴンを飛び立った98式陸攻雷撃隊がわずか20分で
 葬った。(一報を聞いたエリザベス女王は、ショックで寝込んだとか・・・。)
 みんな、日本人である事に誇りを持とう!  プチ右翼より。
820日本@名無史さん:2006/03/28(火) 03:14:22
みんなバカだな
日蓮大聖人のおかげだよ。

プチ創価より。
821日本@名無史さん:2006/03/28(火) 03:21:59
>820
学会のものか!佐渡へ帰れ!

プチ右翼より。
822日本@名無史さん:2006/03/28(火) 07:07:48
海があったから。
823日本@名無史さん:2006/03/28(火) 08:32:47
世界戦史上アメリカの空母を沈めた国は日本だけ
って言っても空母と言う艦種が出来てから1世紀すら経ってないじゃん。
アメリカと言う国が出来てから3世紀しか経ってないじゃん。
824日本@名無史さん:2006/03/28(火) 11:48:25
>>817
元から見れば九州さえ制圧できれば満足なんだよ。
当時の九州は日本の玄関口で、そこを押さえればとりあえず日本と南宋の関係を
断ち切ることができるんだから。
だから大宰府のある博多に襲来したんだけど、2度ともその手前で日本軍に撃退
されてしまい、大宰府には指一本触れることができなかった。
825日本@名無史さん:2006/03/28(火) 13:53:31
三別抄の残党とか高麗の僧侶出身の将軍(籠城の際、身分を記した書類を焼いて、みんな平等だ!といって士気を高めた人物)などが日本に亡命して
元・高麗軍と戦った人とかいなかったのかな?
826日本@名無史さん:2006/03/28(火) 14:36:29
御恩奉公が、みんな平等じゃなぁ。
827日本@名無史さん:2006/03/28(火) 19:12:20
>>812
ていうか2回目にも対馬で虐殺があったの?
そういえば大河ドラマでは虐殺のシーンで高麗兵も関与してた件はスルーしてたなw
828日本@名無史さん:2006/03/29(水) 20:54:12
>>827
「高麗兵も関与していた」と言う表現は的確ではない。
弘安の役での壱岐・対馬の住民に対する虐殺は高麗兵が主犯。
八幡愚童訓にわざわざ「高麗の兵」と名指しして、野山に潜伏した女子供を
赤ん坊の泣き声を頼りに狩りたてたと書いてある。
829日本@名無史さん:2006/03/29(水) 20:58:26
実力に決まってるぞ
830日本@名無史さん:2006/03/29(水) 23:54:06
台風後、投降兵は皆殺しにあったらしいが、日本と交流のあった南宋兵は助けられて帰してくれたって言うのは本当?
高麗ももちろん交流があったが、壱岐対馬での虐殺を考えると殺されても文句言えんな
831日本@名無史さん:2006/03/30(木) 01:17:09
>>830
南宋兵は帰したのではなく奴隷にした。
その話のソースは元史日本伝の「9日、八角島(博多)に至り、尽く蒙古・高麗・漢人を
殺し、新附軍は唐人たりといい、殺さずしてこれを奴とす」という記述。
新附軍というのが南宋兵のことで、同じ中国人でも旧南宋出身以外の兵は、モンゴル兵や
高麗兵と一緒に処刑された。
832日本@名無史さん:2006/03/30(木) 03:05:54
奴隷か....なんかかわいそうだな。兵士以外の農民とかも連れてこられたんでしょ
833日本@名無史さん:2006/03/30(木) 08:37:18
785 名前: 世界@名無史さん 04/09/27 23:19:59

俺の母方は口伝では弘安の役で捕まった蒙古兵らすぃ。でも蒙古とか中国とか高麗とかでは
ない隠し姓あり。イラン系?西域の方っぽかった。なんか長ったらしかったぞ。
そのせいか俺の目の色が薄い赤と灰色が混じったような色で初対面も人にはあれ?ッといわれる。
室町期になると普通に侍としてリーマン生活してたらしい。
んなことより、俺もキエフ攻略戦に参加してロシア少女とはぁはぁしてぇ、まじしてぇ
834日本@名無史さん:2006/03/31(金) 00:02:30
>>833
そういうのも結構格好いいな
835日本@名無史さん:2006/03/31(金) 12:32:08
数百年経っているのにありえないw

母親の浮気の末生まれたんじゃないのか?w
836日本@名無史さん:2006/03/31(金) 12:52:26
そのくらいの遺伝形質ならありえるよ。
先祖代々似たようなジーンプールならね。
837日本@名無史さん:2006/03/31(金) 14:15:32
838日本@名無史さん:2006/03/31(金) 16:40:13
元寇って別の意味で言うと色んな人種が戦ったよね。
モンゴル人&中国人(華北系・華南系)&朝鮮人VS日本人。
こんな大掛かりな戦なんて元寇ぐらいだしな。
839日本@名無史さん:2006/03/31(金) 16:57:39
よく教科書とかに「元軍は中国人や朝鮮人などの征服された民族で構成されて
いたため士気が低かった」みたいに書いてあるけどさ、あれって大嘘なんだよね。
普通、征服された民族って帝国内で自分たちの居場所を確保するには、戦場で
奮闘して忠誠心を示すしかないから士気が高いんだよね。
だから、アレキサンダー大王もローマもオスマンも積極的に征服された民族を軍の
中核に取り込もうとした。
元寇の時もモンゴル人の将軍よりも高麗の将軍の方が積極的だったし。
840日本@名無史さん:2006/03/31(金) 20:00:47
>>838
満州の女真族を忘れないでくれ。
あと元軍にイスラムっぽい名前の指揮官がいたような。
841日本@名無史さん:2006/03/32(土) 03:38:37
そういや対南宋戦、対ハイドゥ戦で大活躍したバヤンは色目人だったな。
奴が日本遠征の際に加わっていたらヤバかったかもな。
842日本@名無史さん:2006/03/32(土) 13:14:27
中書左丞相バヤンはいまいち出自がはっきりしないが、彼がやってきた
西方の資料によればバアリン部族のアラク・ノヤンの孫らしい。
ちなみにアラク・ノヤンの兄ナヤアはモンゴル帝国の大勲臣のひとりで、
テムジンとボルテの婚儀の宴席に侍りオゴデイ時代に100歳近くまで
存命だった。
843日本@名無史さん:2006/04/02(日) 13:54:14
このスレの「負け」の定義がはっきりしないんだが

1、大宰府が落とされる
2、一時的にも京都が占領される
3、幕府・朝廷が降伏する

1は運の要素もあったかも知れないが2、3は運が悪くても無いだろう
844日本@名無史さん:2006/04/02(日) 14:23:41
南宋が落とされたとき、首都は虐殺も略奪もせず機能はそのままだったので、市民には元に征服されたと気づかなかった人もいたって本当?
845日本@名無史さん:2006/04/02(日) 16:10:55
日本最悪のシナリオ。

大宰府陥落

西国御家人が鎌倉ではなく、元に忠誠

東国武士団vs西国武士+元帝国

東国武士も続々と元につく

朝廷も幕府を捨てて、元につく

おしまい

846日本@名無史さん:2006/04/02(日) 20:42:02
領土を割譲したり、冊封を飲まされたりしたら負け。
まあ、日本の完全勝利だよ。
847日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:06:52
>>845
本国が分裂し元の力が弱まる

後醍醐が討幕ならぬ倒元の挙兵

挙兵失敗

いきなり処刑

大覚寺党族滅
848日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:45:19
後醍醐?
朝廷も滅ぼされると思うが。
849日本@名無史さん:2006/04/03(月) 00:25:59
元寇で日本は博多上陸を防いで侵略軍は撤退したわけだけど
対馬・壱岐をどのようにして日本は奪回したのか知ってる人いませんか?
また、占領下の島の住民の生活はどうだったのでしょうか?
850日本@名無史さん:2006/04/03(月) 01:01:17
>>847
高麗も末期にそれやってたけど元は国内の混乱で対処できなかった。
まして日本はもっと遠い。
851日本@名無史さん:2006/04/03(月) 03:30:59
当時3万人も船で来たのが凄いと思います。
852日本@名無史さん:2006/04/03(月) 21:28:31
船作るのに山の十や二十、禿げ山にするくらい木を切り倒したろうな
853日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:22:37
二回で終わったのはこれ以上続けると元軍が崩壊しかねないから?
第三回も計画されています、その時は越等各地で反乱が起き、その後フビライが死去したから、

まら、確かに日本が勝てたのは運もありますが、戦術上元軍には誤りがあった。
また日本軍も善戦していたのもある。

>>845
鎌倉武士が遊牧民に付く理由はない、元に裏切ったら土地の保証を貰えるとでも?
また倒元の挙兵があったら成功するだろう、既に元各地で反乱が起き、
元はそれに対応し切れていない、さらに遠い島国で、その国の頂点とも言える天皇が挙兵するとしたら失敗する理由もない。
他にも理由は山ほどあるがまずは自分で考えてみて欲しい。
854日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:31:50
占領されてそのまま滅ぼされちゃった国だっていっぱいありましたよ?
反乱おこしても鎮圧されちゃった国も。裏切り者続出の国も。元について成りあがった奴も。
そしてこの国の頂点であるがゆえに天皇家も北条家も皆殺しじゃね?

ただまあ大陸から離れた島国だと言うのはでかいと思うけど。
855日本@名無史さん:2006/04/03(月) 22:43:19
国の頂点がどうとかいうなら高麗王家はとっくに皆殺しにされてる。
856日本@名無史さん:2006/04/03(月) 23:14:13
高麗王家はモンゴル人のケツのアナ舐めたからね。
857日本@名無史さん:2006/04/03(月) 23:24:44
まあ、糞を嘗める遊びのある民族だから、
そのぐらいは平気だっただろうな
858日本@名無史さん:2006/04/04(火) 00:04:18
>>855
元と高麗が戦っていた頃、実権を握っていたのは武臣たちで高麗王家は傀儡に過ぎなかったから。
高麗王家は進んで元に協力する事で、武臣たちを滅ぼして王政復古を達成したんだよ。
859日本@名無史さん:2006/04/04(火) 00:34:18
>>853
元のベトナム侵攻は日本侵攻とは別セクションで行なわれていたため、第三回元寇が
おこなわれなかったことには、ほとんど影響を与えていない。
実は「ベトナムの反乱のおかげで第三回元寇が行なわれなかった」という説が
広まったのはちょうどベトナム戦争の頃なんだよね。
当時は日本の歴史なんて左寄りの連中が捏造し放題だったから
「アメリカの帝国主義を打ち砕いたベトナムが実は過去に日本を救っていた。
鎌倉幕府の自衛力なんてまったく役に立たなかった」というストーリーを
何の裏づけも無いままに、教科書や歴史書に書きまくったんだよ。
860日本@名無史さん:2006/04/04(火) 08:03:54
むしろハイドゥやナヤンが反乱を起こしたのが第三回元寇の妨げになっただろう。
861日本@名無史さん:2006/04/04(火) 09:00:55
時宗執権は運が強すぎる 〜時宗超ラッキー伝説〜
862日本@名無史さん:2006/04/04(火) 11:33:22
↑朝青龍
863日本@名無史さん:2006/04/04(火) 12:04:06
もし台風が来なくて武士が大量に死ねば恩賞として与える土地がたくさんできるから
鎌倉幕府はもう少し長く続いたかもな。
九州の武士にとっては運が良かったけど幕府は運が悪かったよ。
864日本@名無史さん:2006/04/04(火) 14:06:39
禅宗の亡命坊主から大陸情報の収集が行われたか?
三別抄の戦況分析が行われ、元軍の戦術や揚陸戦能力の
評価がどのように成されていたか?
ここらへんの史料が在ったら面白そうです。

個人的には、長門探題であった北条時村の息子為時(時定)が
文永の役で鎮西奉行として九州に下向したことから、元軍に
対する二段構えの北部九州防衛戦略が在ったのではないかと
思います。

要地である日田、阿蘇、鞠智(菊池)の中間辺りに在る小国郷に
戦勝祈願として満願寺を建立している事など非常に興味深い。
865日本@名無史さん:2006/04/05(水) 15:05:27
高麗の三別抄の残党が日本に亡命して元寇でともに戦ったとか記述はないのかな?
866日本@名無史さん:2006/04/05(水) 15:17:42
野蛮人の軍門に下るのが嫌な余りに孤島に立て篭もっていた連中が日本の軍門に下る訳無いよ。
高麗人は日本の事も野蛮人扱いなんだから。
867日本@名無史さん:2006/04/05(水) 15:26:24
>>863 親類縁者の他、妻にも相続権があるから無理。
戦った結果の死は源氏の武門としては誇るべきことだったし、賞されてこそ罰は無いよ
ま、いくら侵攻できたとしても九州が限界だし、兵糧問題で博多辺りに追い落とされるのが落ちだよ
そもそも、ここでもいろんな人が言ってるけど、台風来る前に戦局は日本有利だし
868日本@名無史さん:2006/04/05(水) 15:34:40
>>864-865
「日本軍事史」p75より

ところで、現在「異国牒状不審条々」という史料が東京大学史料編纂所に残されている。一二六八年(文永五)と
一二七一年にそれぞれ高麗からもたらされた「牒状」(国書)の内容を比較し、不審点を列挙したものである。
一二六八年の国書とは、日本に通交を求めるクビライの国書に添えられた高麗国王の国書のことで、皇帝
クビライの徳を称え、日本も使者を派遣してモンゴルと好を結ぶことを勧める内容のものであった。それに対して、
一二七一年のものは一転してモンゴルのことを「無遠慮」と批判し、日本に食料と援兵の派遣を求める内容と
なっており、両者の内容の食い違いを不審点として書き上げたものが「異国牒状不審条々」である。実は
一二七一年の書状とは、高麗国王の国書ではなく、モンゴルの高麗支配に抵抗して反乱を起こした高麗国軍の
精鋭部隊「三別抄」が日本に救援を求めて送ってきたものであった。結局、朝廷も幕府も一二七一年の牒状の
意味(三別抄が元・高麗政府に反乱を起こしていたこと)を理解できず、三別抄の反乱も一二七三年には鎮圧
されてしまう。モンゴルに対する朝鮮半島の勢力と日本の共闘の可能性とともに、当時の日本政府首脳の
対外情勢認識の限界をこの史料は教えてくれるのである。
869日本@名無史さん:2006/04/05(水) 20:54:34
>>868
三別抄の牒状の意味を理解していなかったと資料から確認できるのは朝廷のみで、
幕府がどう思っていたかは不明。
幕府は文永の役の時も弘安の役の時も元軍の来襲時期を正確に予想しており、
朝鮮半島情勢を把握していなかったとは思えない。
三別抄の乱ってかなり過大評価されてるけど、牒状を送ってきた時には耽羅に
追いつめられて、はっきりと落ち目だった。
援軍を送らずに三別抄を見捨てたのは正しい判断だよ。
870日本@名無史さん:2006/04/08(土) 18:43:59
ディスカバリーチャンネル
「元寇 フビライ軍の難破船」

フビライ率いるモンゴル軍が襲撃前夜に暴風雨に見舞われ4000隻の船を失ったとされる文永・弘安の役。
日本史でいう元寇の舞台とされる海域で、水中考古学者チームが当時の暴風雨で沈んだものと見られる難破船を調査し、フビライ軍の姿を思い描く。
(この番組観た人もいるかと思うけど、見た人の感想、意見も多数書かれています。)

http://japan.discovery.com/episode/epiintro.php?id1=845386&id2=000000
871日本@名無史さん:2006/05/06(土) 15:49:02
>>796
神風特攻隊という命名も、もともと元寇とは何の関係も無かったみたいだぞ。
命名した人が「神風流」という剣道道場に通っていたことが由来らしい。
だから正式な読み方も「カミカゼ特攻隊」ではなく、「しんぷう特攻隊」。
神風伝説そのものが、GHQの占領下で政治的理由によって創作されたものかも。
872日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:26:11
その「神風流」というネーミングが神風伝説に由来する件
873日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:27:40
それから調べていてもう一つわかったのは、文永の役で元軍が敗退した理由が
「神風」によるものとされたのは、戦後の教科書である第七期国定教科書の
『くにのあゆみ』からってこと。
日本人は「2度とも神風が吹いて元軍を撃退した」と700年にわたって信じていた
なんて完全に大嘘だった。
874日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:37:54
>>872
「神風流」って剣道の流派な名前としてはスピード感を強調した特に違和感のない
ネーミングだと思うぞ。
もし、神風伝説に由来するなら「カミカゼ流」にするのでは?
875日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:43:23
カミカゼはフジヤマやイオージマと同じでアメリカ語だよ。
日本では昔から神風伝説がある。
戊辰戦争時の桑名藩では神風隊と命名されていた部隊が存在する。
876日本@名無史さん:2006/05/06(土) 16:48:11
太平洋戦争時に「神風」という名の駆逐艦があったことも知ってる。
でも、それって逆に言えば「神風」には駆逐艦に付ける程度の重さしかなかったってことだろ?
877日本@名無史さん:2006/05/06(土) 17:39:57
相撲取りの神風も関脇止まり
878日本@名無史さん:2006/05/06(土) 17:56:32
大正〜昭和あたりで定着した帝国海軍艦艇に対する命名ルールがあるんだよ。

駆逐艦には気象関係
巡洋艦や巡洋戦艦には山や河川

戦艦は旧国名、

空母には竜や鳳凰などの幻獣

空母で赤城や加賀なんてのがあったのは、戦艦や巡洋戦艦を改造したから。

神風は風の種類だから駆逐艦なんだよ。
879日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:50:30
1876年 神風連の乱。萩の乱。秋月の乱。
880日本@名無史さん:2006/05/07(日) 07:49:18
戦後、俺たちが聞かされたのは「元寇で武士たちはボロボロだったが、2度とも
神風が吹いて日本は救われた。その結果、日本は神国だと思い込み無謀な戦争に
突入した」って話だろ。
でも、戦前の人の認識では、文永の役は「武士たちが元軍を撃退した」だし、
弘安の役も「武士たちに散々苦戦していた元軍を、最後に神風がとどめを刺した」
って感じだった。
戦前の人たちの神風に対する認識は、戦後俺たちが聞かされていたのとは、全然
違うじゃん。
戦後になってわざわざ、「文永の役でも神風が吹いた」なんて話が付け加えられた
のは、戦前は大して重要じゃない歴史上の一エピソードに過ぎなかった神風を、
戦後の人間がクローズアップしたからではないの?
881日本@名無史さん:2006/05/07(日) 09:54:10
フビライ:遠い海の向こうだしー、めんどっちぃ
元重臣連:手紙でも送っとけばぁ?
高麗連中:やらせろ!やらせろ!
882日本@名無史さん:2006/05/07(日) 13:45:08
ついでに南宋の連中棄ててくればぁ〜?

と言うのも忘れてるよ。
883日本@名無史さん:2006/05/07(日) 16:55:12
日本人が幸運に恵まれていただけの無能だと言い張りたい反日勢力によって天候による損害が過剰に注目されたのは事実だが、

日本人は日本人で神風隊だの神風流だのと命名したがる伝統から見ての通り
「国家が危険な時には風が敵を撃退する」という思い込みに陥っていたのは間違いない。
風が吹いても吹かなくても元軍は日本に勝てなかっただろうが、
高麗製の脆弱な軍艦が天候のささやかな悪化で2回連続の全滅を喫したりしなければ、
今度こそ勝ち目の無い陣容による3回目があったかも知れない。
884日本@名無史さん:2006/05/07(日) 17:21:52
黒船来航の時には風が撃退してくれるから大丈夫だなんて話にはならなかったな・・・
885日本@名無史さん:2006/05/08(月) 00:52:29
886日本@名無史さん:2006/05/14(日) 11:28:55
>>883
百眼さんの投入ってわけか。
887日本@名無史さん:2006/05/14(日) 13:16:22
神風って古事記にも載っているから相当古い言葉みたいだよ。
少なくとも古事記編纂の8世紀にはあった。

神武天皇がナガスネビコ討伐にあたって詠んだ歌。

「神風の吹く伊勢の海 大きな石に這い回る
きさごの貝のように這い回り 敵を撃たずにおくものか」
888日本@名無史さん:2006/05/14(日) 16:15:53
一般的な日本人の中で神風と元寇が結びついて考えられるようになったのは大正になってから。
889日本@名無史さん:2006/05/17(水) 18:11:59
フビライは時宗の名前くらいは知っていたんだろうか?
890日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:35:57
軍事指揮官(将軍)の副官なんてチェックしてないんじゃないか?w
日本の統治形態は特殊だから
891日本@名無史さん:2006/05/21(日) 10:52:29
しかし、往年のモンゴル軍は侵攻先のことは徹底的に調べつくしたそうだから、
軍事組織の有力者くらいはチェックを入れていたのでは?
まあ、そこまで国を挙げてのこてでもなかっただろうから、
日本侵攻の責任者は時宗の名を知っていても、
フビライ本人はやはり知らなかったかもしれないが。
892日本@名無史さん:2006/05/24(水) 13:08:14
その辺は鎌倉幕府の情報管理が徹底していたから。
一切外交関係は結ばない、返書も出さない、使節は大宰府までしか入れない
では流石のモンゴルも日本の情報を集めようがない。
893日本@名無史さん:2006/05/25(木) 00:09:17
え?
894日本@名無史さん:2006/05/29(月) 09:44:37
弘安の役における元軍の損害について元史日本伝には「十万の衆、還るを得たる者三人のみ」
って書いてあるじゃん。
これって今まで損害を誇張して書いてるだけだと思われていたんだけど本当の話だったんだね。

元軍が台風に遭った後、幹部連中は兵を捨てて、無事だった船に乗船して帰国。
それでもまだ船が無くて帰れないだけで、生き残ってる元軍が九州付近に10万近く居たんだ。
その人たちは船を作って帰ろうとしたんだけど、日本軍の掃討作戦で一掃されてしまう。
捕らえられた人の内、南宋の人以外は皆処刑されたのは、わりと有名な話なんだけど、この時
3人だけ殺されずに、フビライへの警告のため小船に乗せられて送り帰されたんだって。

フビライや高麗の忠烈王は3回目の元寇をやりたかったんだけど、10万の元軍残党の中で
たった3人しか生きて帰れなかったことにビビッた家臣たちが猛反対し、結局そのうちに
フビライが死んじゃったんだよね。
895日本@名無史さん:2006/05/29(月) 13:14:47
猛反対した家臣って誰々? 興味ある
896日本@名無史さん:2006/05/29(月) 16:09:32
残された元軍は悲惨でした。
南宋の兵だけは奴隷として各御家人へ渡され、ほかは例外なく首をはねられました。
当時、あれほどの大軍が海を越えて攻めるのも初めてですし、その大軍がせん滅されたのも初めてでございました。
女子供も殺戮する野蛮人(蒙古)VS首狩りキチガイ(鎌倉武士)はキチガイの勝利に終わったのでございます。

今宵はこれくらいで
897日本@名無史さん:2006/05/29(月) 16:13:18
首を狩るだけでキチガイ扱いとはずいぶん粗雑な奴だな。
898日本@名無史さん:2006/05/29(月) 16:49:52
日本に攻めて来た元軍て大半が滅ぼした朝鮮の兵やらの寄せ集めだったから本気でなかったんじゃね?
899日本@名無史さん:2006/05/29(月) 17:08:26
モンゴル人は少数民族だから基本的に指揮官クラスにしかモンゴル人が居ない。
900日本@名無史さん:2006/05/29(月) 17:36:40
「滅ぼされた国の兵だから、本気じゃなかった」なんて話は大嘘。
滅ぼされた国の兵っていうのは、後が無い「背水の陣」みたいな心理状態だから、
戦場では地位の保証された支配民族の兵よりもはるかに本気で戦う。
学校では「朝鮮や中国の兵は滅茶苦茶本気で日本を侵略しました」なんて教える
訳にはいかないから、代わりに何の根拠もない嘘を教えてるんだよ。
901日本@名無史さん:2006/05/29(月) 17:46:20
↑ブハハ!本気で攻めてきたと教えても特に問題ねーし?^^
902日本@名無史さん:2006/05/29(月) 17:53:26
>>901
じゃあ何で「朝鮮の船大工たちが手抜き工事をしたから船が脆かった」みたいな、
何の史料的裏付けもないことを平気で言う奴が後を絶たないんだよ?
903日本@名無史さん:2006/05/29(月) 18:02:45
その方が金になるからじゃね?
904日本@名無史さん:2006/05/29(月) 18:33:17
昔対馬の人に、対馬・壱岐の住民がモンゴル軍(殆ど高麗人だけど)に大量に拉致られたんだけど、
目的は食料にする為だったからと聞いた事がある。
905日本@名無史さん:2006/05/29(月) 21:34:28
確かに・・・自分たちが乗る舟だもんな
906日本@名無史さん:2006/05/29(月) 22:49:56
手抜きしたんじゃなくて朝鮮人が本気で造った船の強度があの程度だった
907日本@名無史さん:2006/05/30(火) 12:17:03
手抜きと言われるとうっかりKBブリッジみたいなのを想像してしまうが
908日本@名無史さん:2006/06/03(土) 12:03:22
だからケンチャナヨ式建築だって何度も言ってるだろ!!
909日本@名無史さん :2006/06/15(木) 16:18:19
拉致った人を女なら船に乗る何万の兵隊たちの●●●の相手で、男は奴隷としてどこかに献上されます。所で●●●とは何でしょう?1将棋2卓球3その他
910日出ずる処の愛国者:2006/06/16(金) 14:15:36
>>909

2卓球
911日本@名無史さん:2006/06/16(金) 14:41:48
>>910
おいおい、ちょっとは頭使え。
男じゃダメ、女にしか兵隊の相手がつとまらないこと
ってんだから異性どうしでヤることにきまってるだろ。
というわけで正解は

3. フォークダンス
912日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:04:14
弓箭のみちは進をもって賞とす
913日本@名無史さん:2006/06/17(土) 12:05:35
>>911
お前マジで頭いいな
914日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:04:29
アホだよ
915某研究者:2006/06/30(金) 02:35:20
http://blogs.yahoo.co.jp/sa341gazelle
矢張り絵にも描かれて居る通り
鎌倉武士は集団戦で戦って居たと言う
事かも知れぬが
大集団が纏まって動くと言う形式では
無い訳だろうか

916某研究者:2006/06/30(金) 02:36:47
http://blogs.yahoo.co.jp/sa341gazelle/MYBLOG/yblog.html
>何故か時々「文永の役の原因は鎌倉幕府が元の使節を処刑したこと」だと勘違いしている人がいるのですが、それは間違いで文永の役以前に来日した使節は、全員無事に帰国しています。

使節は戦争前には
処刑はされて居なかった
訳だろうが
スパイ行為を行っていたのが割れたから
後には処刑されたと言う事なのだろうか
(まあ矢張り日本側も最初は戦う気が無かったから
 処刑しなかったと言う事なのだろうか)

>実際、作戦の中心にいた金沢実時が死亡したために実行されませんでしたが、文永の役の後の鎌倉幕府では、「日本の方から元に侵攻しよう」との攻勢論が支配的だったのです。

まあ此れは輸送能力の問題で
無理だったと言う事なのだろうか


>「元軍は高麗や旧南宋などの征服された民族で構成されていたので士気が低かった」と言う人もいますが、これも間違いです。
>何故なら征服された民族というのは、戦争で奮闘して忠誠心を示す以外には、帝国内に自分たちの居場所を確保する術がないので、一般的に士気が高いのです。

高麗や南宋軍の士気は高かったと言うが
モンゴルの指揮官の士気はどうだったのだろうか
917某研究者:2006/06/30(金) 02:40:09
絵を見る限りモンゴル側で
まともな鎧を着て居る兵は少数だろうし
この様な格好で打ち合ったら
何れが勝つかは明白と言う
事かも知れぬが
日本側の鎧は硬皮鎧で有り
数が揃えられたと言う事なのだろうか
918日本@名無史さん:2006/07/09(日) 17:32:17
くやしい
919日本@名無史さん:2006/07/09(日) 18:00:14
豪族の集合体である幕府が「国を守る」って前例の無い戦いを強いられてるから
序盤が劣勢なのは当然。
豪族の土地は豪族のものだから、原則的には襲来地を治める豪族が、自分で守
るしかなかった。
来るのが分かっていながら、兵力が揃わなかった。
国を挙げて守ることになった2度目には、完全に着上陸を阻止できている。(挙げる
といっても総兵力を動員したわけでもない)
南宋軍が間に合い、九州が制圧される事態は想定できるが、この場合取り返せば
恩賞が望めるだけに、日本中から兵力が集まる可能性が高く、日本全土が支配さ
れる可能性は低い。
日本兵は戦慣れしてはいたものの、命を掛けて戦う上での大儀がないため兵力が
揃わない問題を抱えていた分劣勢になった。
一所懸命と言う言葉の通り、自分の領地のために戦うわけだから、縁もゆかりも無い
豪族の土地のために戦うことはできない。

集団戦法に圧倒されたのも序盤だけ。勝手が違うから始めは面食らうが、慣れれば
「相手に合わせればよい」のだから大きな問題にならない。(名乗る必要が無いだけ
なので、相手を全て雑兵と思えば、なで斬りにするだけでよい)
博多が制圧されたのは、単純な兵力差でしかない。
920日本@名無史さん:2006/07/09(日) 19:44:42
集団戦法vs一騎打ち、というのがそもそも誤まりの始まりなんだよ。
近い将来、駆逐される俗説となるだろう。

日本でも集団で矢を射掛けたり、集団で相手を取り込んだりしているに決まっている。
ずっと戦をしていればその程度のことをやるのが当たり前であって。
事実、矢による面制圧は源平合戦の頃にはすでに記録にあるし、
元寇では菊池タケフサの軍勢は敵勢を包み込んで撃破している。

蒙古の集団戦法というのは、全軍統一の集団運動を指すと思ったほうが良い。
というのも日本は統一的な指揮系統も定まっておらず(文永の役)、
御家人ごとに戦法も突撃タイミングもバラバラだった。

一騎打ちというのは名のある(と自分で思っている)将が身分のあった相手に申し込み、仕留めるという、
多分に演出的なものであり、室町期でも稀には存在している。
だが確率的には稀というしかない。
それをもって日本軍の苦戦の理由にするのは違うだろう。
921日本@名無史さん:2006/07/20(木) 19:30:22
まあそうやろうな。
922日本@名無史さん:2006/07/21(金) 11:21:09
そもそも苦戦してたのは日本軍の方じゃないだろ。
923日本@名無史さん:2006/07/21(金) 20:37:50
騎馬軍団再現、戦闘シーンも…建国800年のモンゴル

 【ウランバートル=加藤隆則】建国を迎えたモンゴルで、初代皇帝チンギス・ハーンの騎馬軍団が再現され、海外の観光客を含む約3000人を前に10日、13世紀の軍服姿で戦闘シーンを披露した。

 建国記念行事の目玉イベントで、同国のエンフバヤル大統領、エンフボルド首相のほか、行事に協力している日本からも森喜朗前首相らが参加した。

 会場は首都ウランバートル南郊約45キロの草原。モンゴル国軍兵士による計500騎の騎馬軍が約45分間、弓矢やヤリ、剣による戦闘を演じた。同イベントは8月まで計30回開催の予定。

 800周年事業実行委員会の責任者ガラムオチルさん(70)は「世界最大の帝国を築いたモンゴル民族の偉大な力を改めて見直し、その力を特に今の若者たちに授けたい」と熱弁を振るった。

 見学に来ていた中学生バトオルンホー君(16)は「隊列がきれいで格好よかった。騎馬隊のことは本の中でしか知らなかったので、本物を見ることができ感激した」と話していた。

(2006年7月10日19時47分 読売新聞)

ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=66986
924日本@名無史さん:2006/07/24(月) 16:18:33
ジツリキ
925日本@名無史さん:2006/08/06(日) 16:44:33
>>920
>日本は統一的な指揮系統も定まっておらず(文永の役)、
>御家人ごとに戦法も突撃タイミングもバラバラだった。

そんなことはないぞ。
蒙古襲来絵詞には、日本軍の大半が大将・少弐景資のもとに集結し、足場の有利な
博多で、攻寄せて来た元軍に一斉に追物討ちをおこなう作戦だったって書いてある。
926日本@名無史さん:2006/08/06(日) 19:45:14
↑馬鹿
927日本@名無史さん :2006/08/12(土) 22:57:33
で、日本の弓とモンゴルの弓はどちらが射程距離

長かったのだろうか。
928日本@名無史さん:2006/08/13(日) 00:04:01
ヨーロッパ・中近東の武具の専門家のデヴィッド・ニコルは
日本の弓がアウトレンジされていたと書いていた。
ソースは不明だが。

ちなみに16世紀の中国人はこんなことを言ってますね。

神速者、非強弓重矢、安能殺敵於百歩之外哉。故倭虜矢重弓勁、中之者必斃。
彼近而始発、発必中人。乃華人徒畏之、而不知用其長也。
929日本@名無史さん:2006/08/14(月) 22:17:30
一昔前の中世史研究者たちはアホだったから、三十三間堂の通し矢を根拠に
日本の弓の射程距離は100メートルそこそこしかなかったなんて滅茶苦茶な
ことを平気で書いていた。
デヴィッド・ニコルって人もその頃のとんでも説を鵜呑みにして書いたのでは
ないかな?
三十三間堂の通し矢は、建物の天井に矢を当てないように120メートルを射通す
という競技で、高さに厳しい制約あるってところがポイントなのに・・・
930日本@名無史さん:2006/08/14(月) 22:43:42
>>929
アウトレンジって相手の射程外から打つんだから
逆じゃない?実際モンゴルは馬上弓で短い射程だし
(まあ相手は南宋とか朝鮮かもしれんが)
931日本@名無史さん:2006/08/16(水) 22:47:19
合成弓かもしれんが、半分くらいしかない弓の方が射程距離が長いとは

どうも考えにくい。
932日本@名無史さん:2006/08/17(木) 00:32:26
>神速者、非強弓重矢、安能殺敵於百歩之外哉。故倭虜矢重弓勁、中之者必斃。
>彼近而始発、発必中人。乃華人徒畏之、而不知用其長也。

翻訳plz
933日本@名無史さん:2006/08/17(木) 02:18:23
わかるかそんなもん。

神速は、強弓重矢に非ず、いづくんぞ百歩の外より敵を殺さざらんや。
ゆえに倭虜の矢重く弓強く、当る者は必ず斃る。
                、発すれば必ず人に当たる。
すなわち華人いたづらに之を畏れ、しこうしてその長を用いるを知らざるなり。

適当に。誰か正解を頼む。
934日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:56:36
もとは「射経」の文章です。日本語訳が明徳出版社から出てるけど>>928を書いたとき
手元に漢文のメモしかなかった。

前後の文章ごと載せます。

敵を射る場合は、また的を射るときとはその心構えが異なる。的前での行射のときは、ゆったりと従容
迫らない心配りを重んずるが、実戦にて敵を狙い射るときは、敏捷な神速を重んずる。従容として
迫らなければ、弓を引き分けるのが、いとも軽快で安定し、さらに矢飛びは長く微小のものにも的中
させられる。神速とは、強弓重矢の敏捷な射でなければ、どうして百歩(約百五十メートル)以上も先に
いる敵を殺せようか、ということである。故に、倭寇や北虜は、その用いる矢は重く弓は強力であるから、
命中した者は必ず死ぬ。彼らは射程を引きつけ狭めてから、やおら発射するので、必ず人に命中する。
それで中国人はただ恐れるだけで、彼らの優れている点を取り入れることを知らない。
935日本@名無史さん:2006/09/09(土) 20:41:19
三十三間堂の話は、単にぶつからずに通すだけでなくて、
それを連続何本通したかが記録になるんだったような。
今のところ5000本だか7000本だかが一番で、
その記録を作ったやつは、これ以上やると後世の人間が記録を破ることが出来なくなるので
もうやめると言って中止したと甲野なんとかの本で読んだ。
弓矢も専用のものだったとか。

936日本@名無史さん:2006/09/15(金) 02:16:11
金剛仏子叡尊感身学正記って言う当時の文献には、「モンゴル軍は20日に博多に来て、すぐに退散した」って書いてあるんだよね。
モンゴル軍なんて弱過ぎで、まったく日本軍の敵ではなかったらしいぞ。
937日本@名無史さん:2006/09/15(金) 02:24:58
モンゴル軍とは言っても主体は高麗兵と南宋の投降兵だし。
938日本@名無史さん:2006/09/15(金) 08:35:03
>南宋の投降兵

そっちはほとんど戦う機会がないまま海の藻屑になったはず。
939日本@名無史さん:2006/09/16(土) 00:36:03
海の藻屑多すぎ。

元寇=バルチック艦隊=>環境汚染

940日本@名無史さん:2006/09/16(土) 08:15:11
三十三間堂では仰角を制約される事も知らずに和弓の飛距離が短いなんてほざいてた奴がいたのか。

昔読んだ本では、弓の素材が違うからモンゴルの短弓の方が強かったと書いてあってそんなもんかと納得していたよ。
941日本@名無史さん:2006/09/16(土) 08:25:33
弘安の役の掃討戦では、元兵を殺しすぎて死体の処理に困り、結局は放置して魚の餌にしたらしい。
942日本@名無史さん:2006/09/16(土) 08:27:21
つか嵐で沈んだんだろ?教科書で読んだ気がする
943日本@名無史さん:2006/09/16(土) 09:09:18
>>942
元史や高麗史の記述では、10万近い元兵が嵐の後も生き残っていたんだけど、
その後の日本軍の攻撃で殺されたことになっている。
944日本@名無史さん:2006/09/16(土) 10:12:10
>>942-943
文永の役は撤退(はっきりした理由は不明)の帰路で、海上にて大風で難破。
公安の役は上陸戦に失敗し、一ヶ月以上海の上で漂う。そして台風。最後は掃討戦で皆殺し。

945日本@名無史さん:2006/09/16(土) 11:28:26
まあ皇紀2600年とか、
ご先祖様達は後世のために自国の名誉のためなら平気でねつ造するから
真実はわかったもんじゃない
日本人の赤子に蒙古斑が多いのは
想像以上に蒙古軍は内陸まで食い込んできて
その時に日本人との間に子がたくさんできたとも考えられる

蒙古の印を確実に押されている日本人
946日本@名無史さん:2006/09/16(土) 13:08:58
良い子が読んでいるとまずいので一応言っておきますが、日本人の赤ん坊のお尻が青いのは、
13世紀の蒙古襲来の結果ではなくて、未だ日本が大陸と地続きだった頃、つまり先史時代の
人の群れの移動の影響なのですが・・。


947日本@名無史さん:2006/09/16(土) 16:34:42
日本人の蒙古斑が13世紀以降の遺伝形質ねえ。
なんだか朝鮮人みたいに馬鹿丸出しの珍説だなぁ
948日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:39:10
日本人もモンゴロイドですからな
949日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:28:26
>>940
素材が違うのは確かだ。
950日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:57:32
イングランドが長弓隊によるアウトレンジで有名なのに、
モンゴルの短弓よりも明らかに長い和弓がアウトレンジされていたってのが昔から不思議だったんだよな。
素材が違っても弓道部の練習なんかを観察してると和弓はかなり強力な運動エネルギーを矢に伝えてて殺傷力は高そうだし。
951日本@名無史さん:2006/09/16(土) 19:15:44
ロングボウはただの丸木弓だから威力を増すには弓自体を長くするしかない。
和弓は複数の材質を組み合わせて威力を増している。
952日本@名無史さん:2006/09/16(土) 21:37:35
運っていうけど、台風など自然環境に対する知識や、制圧に必要な兵士の
数やモチベーションの管理、制圧後のビジョンなんかは実力に入るよね?
普通は。

だったら、運:実力=0:100

でいいじゃん。基本的に、海戦ではモンゴルは素人集団で、鎌倉武士も
強かった。モンゴル敗退は必然ってことで。
953日本@名無史さん:2006/09/17(日) 04:59:49
上陸後も撃退されて船まで逃げ帰ってるしな。

勝っていたなら占領地を放棄してわざわざ船まで戻って侵攻をリセットする訳がない。

船から降りて敵地に拠点を確保するまでが1番危険で困難なんだから。
いちいち船まで帰るなんて海賊かよって感じ。
954日本@名無史さん:2006/09/17(日) 08:04:38
刀伊より遙かに大規模だから、やばかった気もするし、でも九州から
陸上を制圧しながら上京するのは困難な気もするし。

やはり、水軍に不慣れなモンゴル人では、水陸の柔軟な運用が
困難だったと思うよ。刀伊のように若狭上陸なら京都は焼け野
原だったかもしれないけど。
といっても、鎌倉幕府自体朝廷の権威を否定するために東方に
都を置いたわけだから、むしろその方が守りにくい京都を放棄
できて、戦力運用を柔軟にできたから良かったかもしれないけど。
うっとーしい公家や寺社勢力も一掃できるしw
955日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:23:03
元に抵抗しボロ船を作った韓国のおかげ
日本人は韓国に感謝しなければいけない
956日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:35:20
江南軍10万を載せてきた艦隊もボロ船だったとでもいうのでしょうか
957日本@名無史さん:2006/09/17(日) 10:33:45
あの時期に台風などを想定してないなんて
知ってても進言できないヘタレチョンか、気象の統計にうといアホチョンか、漁師とかに聞くこともしないバカチョンか
どれか知らないけどどーしようもねーなぁ・・・
958日本@名無史さん:2006/09/17(日) 12:49:42
>>944
> 公安の役

警察のクーデターか?
959日本@名無史さん:2006/09/17(日) 15:44:50
>>957
フビライ自身は、日本の漁師を捕まえて平戸の地図を書かせるなど、それなりに情報収集をしていた。
あと、弘安の役で、本当はモンゴル人の将軍は、6月上旬に博多湾から撃退された時点で、諦めて撤退
したかったんだけど、軍議で高麗人の金方慶って奴が常に反対して、断固日本征服を唱え続けたのに
ズルズルと1ヶ月以上も引きずられた挙句、台風に遭遇した。
960日本@名無史さん:2006/09/17(日) 17:20:16
>>955-956
実際には江南軍の艦艇がボロ船で、高麗製の艦艇は丈夫だった。
台風で沈んだのは江南軍の艦艇がほとんどで、東路軍は大した損害を受けていない。
そのため、1292年に丁右丞とかいう役人がフビライに「江南製の船は大きいだけで、
簡単に沈んでしまうから、今度は全部高麗で造船すれば、日本を征服できます」って
進言している。
韓国の船大工は日本侵略のために、いい仕事をしたみたいだね。
961日本@名無史さん:2006/09/17(日) 18:48:11
文永の役では東路軍の船も沈んでなかったっけ? うろ覚えだが・・・
962日本@名無史さん:2006/09/17(日) 19:45:34
高麗人がサボタージュでボロ舟つくったのではなく、全力で作ったのがボロ舟だった。
963日本@名無史さん:2006/09/17(日) 23:03:39
よし、俺が纏めてやろう。

鎌倉武士団:

フィジカル・メンタル面共に、それなりに強い。
そしてホームゲーム。

モンゴリアンとその仲間達:

陸戦では無敵、でも海戦は素人。更に兵士のモチベーションも低い。
それに加え、日本を制圧するのは兵士の数が圧倒的に足りない。

だから、台風のシーズンを避け、地形を良く調べて兵士を60万位に増やして
さらに丈夫な高麗製の船で博多ではなく別の場所に襲来し、補給の問題が
出ないうちに短期決戦で勝負を挑まねばならなかったのに、無能な部下が
ズルズルやってるうちに台風が来た。(戦略上のミス)

ただ、モンゴルが当時海を隔てた日本を長期的に経営できるとは到底思えず、
結局シナ事変の戦線拡大のような、あまり意義の見出せない戦いだったよう
な気がする。
964日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:15:42
どっちにしろ今、
日本はモンゴルに征服されてるんだから。
日本の国技であり神事の一つでもある相撲という土俵を舞台に
正に800年の時を超えた執念
 
965日本@名無史さん:2006/09/19(火) 06:08:49
同じ対馬海峡を逆から攻めただけなのに、秀吉が朝鮮半島に攻め込んだ時は、
台風なんてまったく問題にならなかったな・・・
966日本@名無史さん:2006/09/19(火) 09:15:43
相撲の勝ち星と外交を混同するなよ。
キムチ臭い発想だな。
967日本@名無史さん:2006/09/19(火) 09:18:42
高麗製の船も勝手に沈んで全滅した件。
968日本@名無史さん:2006/09/19(火) 09:20:30
>>965
対馬や竹島に住んでて土地鑑のある日本人と
縁もゆかりも無い朝鮮人の差だな
969日本@名無史さん:2006/09/19(火) 09:39:07
皆殺しとは言っても捕虜も4万ぐらい(主に旧南宋兵)獲得したという。
蒙古・女真・高麗・漢人の捕虜は皆殺しにして南宋の捕虜は奴隷として戦利品扱いで
御家人達に分配したとある。
970日本@名無史さん:2006/09/19(火) 13:25:42
送還してなかった?
971日本@名無史さん:2006/09/19(火) 16:27:25
>>970
捕虜の内、3人だけは助命して「いつかこの復讐をするつもりだと、おまえらの王に
伝えろよ」と言って、小船に乗せて送り返したという記述はある。
972日本@名無史さん:2006/09/19(火) 19:24:23
>>833のような話もある
973日本@名無史さん
うむ、俺もロシア少女とはぁはぁしたいぞ