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高麗王朝の時代、それもモンゴルとの戦争以後からだよ。
1231年から1259年までのほぼ30年間、高麗はモンゴル(当時はまだ元ではなかった)と壮絶な戦争をした。
ちょうどモンゴルの成長期、華北の金王朝を滅ぼし中央アジアを抜け、
ワールシュタットで神聖ローマ帝国軍を殲滅・皆殺しにし、
南下してイスラム帝国の息の根を止めた、まさにその時期に、
高麗はモンゴル相手にずっと抵抗を続けていた。
王朝は首都を江華島に移転。金属活字を発明して大量の経典を前線の兵士に配るなどした。
しかし、当時の世界最強帝国の前に結局は敗北。
抵抗が激しかった分、粛清は苛烈を極め、全土に死体の山ができた。
しかし高麗はまだ懲りてなかった。
日本遠征というモンゴルの野望をやめさせるため、高麗はフビライの使者をわざと巨済島に漂着させ、
暴風雨の海を兵は越せないと主張した。が、説得は無駄に終わる。
そのため王朝は分裂。あくまで日本攻撃に反対した一派は済州島を拠点に抵抗した。
「暴風雨の海」を越えるために作らされていた大型船の焼き打ちなどを繰り返した。
これが最終的に鎮圧されたのは1273年。そして、さらなる苛烈な粛清が待っていた。
この40年以上にわたる無謀な抵抗の結果、高麗の住民は9割以上が殺されたと言われ、
残ったのは、ひたすらモンゴルに従うことで命を長らえた人たちだけだった。
この人たちの子孫が現在の朝鮮民族だというわけです。
ちなみにこのあと、完成した大型船は日本攻撃に使われたものの暴風雨により沈没。
しかし、このときの暴風雨は2度とも、日本側の記録には全く残らないほどの小規模のものだったそうです。
当時生き残った連中がどの程度の能力を持ってたヤシらであるかがよく分かりますねw