なんで公家は公家のままだったのか

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1日本@名無史さん
なんで公家は武装し武士のようにならなかったのでしょうか?
西洋は貴族=騎士ですよね。なんで日本の貴族だけ、なよっちい
まま、武家の世に突入しちゃったんでしょうか?同じ人間なんだし
幼いころから鍛えれば武士のように戦闘力を高められたはずですがね
そうすれば建武の新政もあるいは成功していたかもしれません。
2日本@名無史さん:03/07/20 02:22
1がガンガッテ立てたスレなのに無視でつか・・・。
3日本@名無史さん:03/07/20 02:33
ここの住民はみんな頭悪いんですね
4日本@名無史さん:03/07/20 02:34
いえ みんな夜が早いだけだと思われ
5日本@名無史さん:03/07/20 03:02
>>1の言っていることは意味不明

中世以降の公家があまり戦ったりしなかったのは、
単に軍事力を失ったからでしょ?
別に人間的性格として公家の人々が
「なよっちかった」わけではないですよ、多分。
(もちろんなよっちかった人もいるだろうけど、
それは個人の問題であって)
6日本@名無史さん:03/07/20 03:10
坂上田村麻呂って公家じゃないの?
7日本@名無史さん:03/07/20 05:39
>1がガンガッテ立てたスレなのに無視でつか・・・。
>ここの住民はみんな頭悪いんですね

いや、なんつうか・・・建武の親政の時に、公家が何と言ったかを見れば、理由わかると思うが。
わかる人間は「こいつ、なに常識的な事きいてるんだ?」と思ってるだけ。

当時の公家は
武力→殺傷の手段→穢れた仕事→下賎の仕事
と思っていた。

一部には武家化した人物も居た。
後醍醐にしても刀は作ったけれど、あくまで鑑賞用か美術品程度の認識でしかなかったんだよ。
8日本@名無史さん:03/07/20 05:56
>坂上田村麻呂って公家じゃないの?
彼は元々武官で位は低かった。帰化人(渡来人という呼び方は歴史的に間違ってる!)ですので、有る意味特殊な人。
伝えられている容貌も、話半分にしても完全な異人。
と言う事は、あまり日本人と混血していなかったとも考えられ、倫理観も違っていた可能性が大きい。
(血統的な交流と、文化的な交流を、同一視する気はないんですが・・・)

それと征夷将軍といっても、だたの臨時の軍総指揮官。戦が終われば即無くなりました。
9日本@名無史さん:03/07/20 08:56
北畠顕家って公家じゃないの?
10山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/20 09:05
「その家」の者でも無いのに、しかもわざわざ死穢に触れるような真似をす
る人(貴族)は居なかったでしょう。
11日本@名無史さん:03/07/20 09:27
もう、何と言うか・・・
氏姓制度からやり直せ。
古代、豪族は氏名に則した職能を持っていたわけよ。
土師氏・・・土師器製作担当
忌部氏・・・祭祀担当

という具合に分業制の名残で平安期以降も貴族は軍事はそれを
担当するものにやらせておけばよい、という認識だった。

日本には常に天皇を味方につけた方が勝ち、という歴史があり、
好戦的な天皇は歴史的に僅かな例外を除いていなかったわけで、
よその国のように地方軍閥がいきなり帝位を簒奪、
という文化がなかったから、その補佐役である貴族たちも
武装する必要がなかった。
誰が天下とっても自分らは殺されたり地位を追われたりしないからね。

単発質問でスレ立てんな。

      
12日本@名無史さん:03/07/20 09:33
ま た 公 家 ス レ か 。
13日本@名無史さん:03/07/20 10:52
平安期以降から、江戸幕府成立まで400年余りありますが、
穢れに対する意識や分業意識は変化しなかったんでしょうか。
14日本@名無史さん:03/07/20 11:05
>>8
>あまり日本人と混血していなかったとも考えられ、倫理観も違っていた可能性が大き
>い。
思い込みです
15日本@名無史さん:03/07/20 13:19
こ こ は 公 家 総 合 ス レ で す か ?
16日本@名無史さん:03/07/22 04:07
>>1
折んちは千ニ百年かけて百姓になっている(泣
皇族⇒公家⇒武士⇒農民
一応は庶子ではないのだが・・・・・。
17日本@名無史さん:03/07/22 04:32
>16
幕府を開きたいのですが、の心境ですな。
18日本@名無史さん:03/07/22 07:55
>>16
あんたががんばって家名を再興しる!
19日本@名無史さん:03/07/22 08:04
公家はべつに公家のままじゃねえよ。
公家と武家の差異はわれわれがふつうに考えるよりもずっと小さい。
北畠顕家や近衛前久の例を挙げるまでもない。
20日本@名無史さん:03/07/22 08:26
律令国家では朝鮮と同じく、文官支配が続いていたので武官は文官に比べ
1等落ちる身分とされており、自ら武官になろうという気は起こらないのでは。
21日本@名無史さん:03/07/22 08:58
だからなぜ新スレを立てる?
22日本@名無史さん:03/07/22 09:00
個人的に武術に優れたお公家さんっていなかったのでしょうか?
昔 千葉真一主演の「柳生十兵衛」に「何とかの少将」って人物が
出ていて白塗り化粧に「まろは・・・おじゃる」とか言いながら忍者相手に
丁々発止のアクションシーンを繰り広げていたのですが。
着物をひらひらさせながら飛んだりはねたり、かっこよかった〜。
23坂之下おじゃる丸:03/07/22 09:13
その方たち、マロを忘れてはおらぬか、ウッウッウッ(悔し泣き
24日本@名無史さん:03/07/22 09:13
>>22
『柳生一族の陰謀』で故成田三樹夫氏が演じていた烏丸少将文麿では?
ttp://www.h2.dion.ne.jp/~redbat/movie/88yagyu.html
25山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/22 10:05
>>22
橘則光なんかどうでしょう。文人の家系のくせに和歌が苦手で、清少納言が
愛想をつかして離婚した相手(by『枕草子』)。しかしその分強かったら
しく、夜道で強盗三人を返り討ちにして殺害しています。しかもその内一人
は腕を切り落とされていた(しかし本人は面倒だと思って隠しています)。
ほかに盗人を素手で取り押さえたという話もあります。出世は陸奥守止まり。
また後鳥羽院が乗馬や武術に優れておりしかも怪力だったというのは有名。
26日本@名無史さん:03/07/22 10:56
>>24 そうです、そうです、その人です!なつかしい〜。
涙出そう。(すごく好きだったんで)
映画があったんですか、でもあんまり活躍しないまま殺されるのですね。
がっくし。

>>25 あ、そういう人を陰陽師のマンガで見ましたが、あの人かな。
つまり結構いるわけですね、お公家さんでも強かった人。

どうも有難うございました。
27日本@名無史さん:03/07/22 11:25
>>25
受領階級だから、一般的な公家とはちがうやろ。
歴史上、こういう腕っ節の強い受領から武士が生まれたわけだし。
28日本@名無史さん:03/07/22 11:29
細川幽才なんてどうだ?
29日本@名無史さん:03/07/22 11:40
細川家は管領だから公卿ではないのとちゃう?
30_:03/07/22 11:42
31日本@名無史さん:03/07/22 11:53
>>22
藤原隆家。
関白道隆の子として生まれ、中納言までに登りながら、
花山院に矢を射掛けて、エリート街道踏み外したり、
太宰権帥として刀伊の入寇を退けたり、と萌える逸話多し。
32日本@名無史さん:03/07/22 12:59
<公家?>
北畠大納言(伊勢国司)・木造大納言
一条大納言(土佐国司)
姉小路中納言(飛騨国司)
33日本@名無史さん:03/07/22 13:20
あの、ふと思ったんですが
橘則光や藤原隆家って平安時代の人ですよね?
と言う事は 武士の時代の鎌倉以降あまり強い人は
いなくなったということでしょうか?
>>32さんのはいつの時代の人達なのでしょう。

すいません、あまり歴史に詳しくないので「管領」「公卿」
「受領階級」の違いがよく分からないんです。
京の公家が地方の土地の管理に派遣され居ついたのが「受領」で
国司は役目だけ貰って身は京にいた人?管領って重役みたいな
立場の人? どこまでがお公家さんなんでしょうか。
なんかアホさらしてすいません。
34日本@名無史さん:03/07/22 13:42
>>33
居つかなくても、現地に赴任したら「受領」だよ。
「管領」は室町幕府を文字通り軍司令部とすると、その幕僚のトップみてえなもの。
35日本@名無史さん:03/07/22 13:44
管領は室町幕府の最高役職だから明らかに公卿ではないわな。
たしか、室町後期には紫波、細川、畠山3家の独占ポストだったとか。
鎌倉幕府で執権のことを管領とも呼んだのからきたらしいが。
36日本@名無史さん:03/07/22 13:51
国司と受領の違いは何なのでしょう。
共にもうお公家さんではないのでしょうか?
37日本@名無史さん:03/07/22 13:56
公卿は確か、五位以上の官位を受けた者の総称だったと
思う。大河ドラマ「太平記」で足利尊氏が征夷大将軍の
宣下を受ける画面で、同時に官位を受け(何位かはわすれた)
ナレーションで「同時に尊氏は公卿になった。」と言う、
台詞があったと思う。だから、武士でも五位以上の官位を
受けた者は公卿だと思うが?
38日本@名無史さん:03/07/22 13:59
受領  国司の最上席の者。通常は「守」ときに「権守」、
「介」などの場合もある。  (広辞苑)
39日本@名無史さん:03/07/22 14:12
広義に解釈すれば、必要条件を満たした武士も公卿というかもしれないが
一般的なイメージは朝廷の直臣だけどな。(公卿)
今川なんかも官位貰った公卿かな?
40日本@名無史さん:03/07/22 14:13
>>37
公卿は三位以上の者。
足利尊氏は建武の新政のスタート時に従三位になってますから、
将軍になる前から公卿だったことになりますな。
41m:03/07/22 14:14
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42_:03/07/22 14:14
43日本@名無史さん:03/07/22 14:23
徳川の歴代将軍や息子たちも当然高い官位貰ってるはずだが
一般には公卿とは思わない、やっぱ、武家。
44日本@名無史さん:03/07/22 14:32
御三卿の「卿」は公卿の「卿」だけどな。
45日本@名無史さん:03/07/22 14:36
うーむ、よくわからない・・・・。
46日本@名無史さん:03/07/22 14:49
武家に対する、言葉は公家じゃない?
公卿は位を受けた者で良いと思う。
47日本@名無史さん:03/07/22 14:54
武家=幕府ないしそれに相当する政権、及びその従者
公家=天皇ないしそれに相当する君主、及びその従者
48日本@名無史さん:03/07/22 15:11

公家でも根っからのスポーツ好き・武道好きがいただろう

そういう人たちはどうしていたのか? 
49日本@名無史さん:03/07/22 15:14
>>47 従五位以下の位ってどんな物があるのかな?
50日本@名無史さん:03/07/22 15:33
>>49
正六位
51日本@名無史さん:03/07/22 16:00
>>48
それはそれでその人なりに楽しんでいたはずだよ。
もっとも江戸時代には非難の対象になったかもしれないが。
52日本@名無史さん:03/07/22 17:14
ここは体育会系公家を語るスレですか?
53日本@名無史さん:03/07/22 17:22
そりゃ個人的には、鷹狩りの好きなお公家さんもいたことでしょう。
幕末の岩倉なんかもかなりアウトドア志向のような気もする。
ただし、いくら公家で武術を身につけてもそれは出世の役に立たない。
(平安中期以降はね)
従って、それは個人的な趣味に留まるということだと思う。
江戸期の官位は武家(大名等)と公家では別扱いです。例えば、大納言の定員が
本来は3人だとします。でも紀伊・尾張が大納言に仮になっていても、それは
勘定外。
54日本@名無史さん:03/07/22 17:32
近衛前久は鷹狩の最高権威として尊敬されていたらしいぞ。
55山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/22 17:33
>>40に補足すると
参議も公卿のうちです。
56日本@名無史さん:03/07/22 17:34
>>53
戦国時代には武将として大名に仕えた粋人の公家もいたがな。
57日本@名無史さん:03/07/22 17:36
>>55
四位で参議になった者も「公卿補任」は載っている、と言いたいのか?
58山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/22 17:38
>>57
普通に「参議であれば四位の人も公卿に含まれる」という意味でしたが、何か。
59日本@名無史さん:03/07/22 17:40
>>58
毎度のツマラン知ったかぶりゴクローサン。
60日本@名無史さん:03/07/22 18:11

古代には恵美押勝の乱、橘奈良麻呂の乱、藤原広嗣の乱、とかが
あって貴族でも兵権を掌握していたわけだが、いつのまに放棄した
のか?

あと、武力がないと政権を掌握できないのをわかっていただろうに
何故あえて武力を得ようとしなかったのか? これはつまり政権を
得る気がなかったと見て良いのか?
61日本@名無史さん:03/07/22 18:13
>>60
自ら政権を掌握することよりもそのときどきの政権に寄生することを選んだわけだな。
62日本@名無史さん:03/07/22 19:10
>>56 誰ですか?
63日本@名無史さん:03/07/22 20:22
源三位頼政はぬえを退治したくらいだから、相当武芸に通じていたはずだが。
64日本@名無史さん:03/07/22 20:51
源三位頼政は武士だろ。
65烏丸少将ってイイ!:03/07/22 21:47
「マロは○○でおじゃる。」とか言いながら剣の達人。
格好イイ!
66烏丸少将ってイイ!:03/07/22 21:52
東大出のボクサーみたいなもんかな。
67日本@名無史さん:03/07/22 21:57
それじゃあ大江広元・中原親能・三善康信なんかは、公家なの?それとも武家なの?
まあ、武芸に通じていたタイプではないだろうけど。
68日本@名無史さん:03/07/22 22:05
 明治時代だが醍醐忠重侯爵。(清華)
 海軍中将でもあり、嘉納治五郎に柔道を習っていた。
 青公家にあらず。
69山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/22 22:10
>>63
清和源氏で公卿は彼が最初だったような・・・。
70日本@名無史さん:03/07/22 23:06
中曽根元首相は大勲位だから、死んだら正二位、従二位
もしくは正三位のいずれかを叙任されますね。そしたら、
中曽根さんも公卿の仲間入りですね。
71日本@名無史さん:03/07/22 23:15
んだから武士が生まれて確立した鎌倉以降
強かったお公家さんはいなかったのでしょうか?
平安の頃は別として。
72日本@名無史さん:03/07/22 23:18
公家はプレイボーイ
73日本@名無史さん:03/07/22 23:20
>>71
だから、いるって。
最も強かったのは、何度も出てきているが北畠顕家。
74日本@名無史さん:03/07/22 23:21
北畠顕家と奥州の北畠って関係あるの?
75日本@名無史さん:03/07/22 23:36
ありあり
76日本@名無史さん:03/07/22 23:46
>>71
征夷大将軍で兵部卿の護良親王。気性が激しく、武藝にかなり通じていたらしい。
騎馬姿の肖像も残っている。
77山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/22 23:52
飛騨姉小路家や土佐一条家は・・・芳しくありませんでしたねえ。
78日本@名無史さん:03/07/22 23:55
>>76
親王は「公家」とは言わんだろ。

>>77
確かに一条なんかは戦国大名とは言え弱そうだしねえ・・・

他には幕末の中山忠光ですか。
これも北畠に比べるとダメダメだが。
79日本@名無史さん:03/07/22 23:56
関係ないけど北畠顕家って、美少年だったんだってね。
80日本@名無史さん:03/07/23 00:03
>>79
こんな人だったらしい
ttp://bluewish.hp.infoseek.co.jp/raku07.htm
81日本@名無史さん:03/07/23 00:09
>>80 おいおい。

ttp://www2.odn.ne.jp/naifu/tanteidan/akiie1.htm

こっちに載ってるけど、これ本物の肖像画?
82日本@名無史さん:03/07/23 00:16
http://ultramomo.hp.infoseek.co.jp/father/namioka.htm
北畠顕家関連の画像なら、ここにほとんどのってると思う。
83日本@名無史さん:03/07/23 00:20
鎌倉幕府は、九条家とかから将軍を迎えているが、その将軍は武家なの?公家なの?
84日本@名無史さん:03/07/23 00:25
>>83
まあ、このスレ的には「軟弱な公家」なんでしょうな
85日本@名無史さん:03/07/23 00:30
征夷大将軍は武士の棟梁であり、当時の鎌倉幕府の
長だから、将軍在任中は武家じゃないかなあ。
将軍を辞職(解職)したら、公家に戻るでのしょう。
実際、将軍をやめた後、京に戻っているし。
8685:03/07/23 00:31
訂正>>戻るのでしょう。
87日本@名無史さん:03/07/23 01:37
>>81
前田青邨か安田靫彦の絵では?
88日本@名無史さん:03/07/23 02:34
当時公家、武家なんていう区別なかったよ。
89日本@名無史さん:03/07/23 02:37
>>88
当時っていつよ?
90日本@名無史さん:03/07/23 03:14
>89
摂家将軍のとき
91日本@名無史さん:03/07/23 07:18
>実際、将軍をやめた後、京に戻っているし。

追放・強制送還だけどな。
92日本@名無史さん:03/07/23 07:44
>>70
中曽根ごときに公卿になられるのはかなりイヤだw

土佐一条は食いはぐれたとはいえ土佐なんて鬼国に下った度胸はたいしたものだと思うがな
あと、幕末の暗殺された姉小路さんは飛騨国司家と関係あるのか?
93日本@名無史さん:03/07/23 08:01
烏丸少将の「少将」って武士的つか、軍的なんだけど、
この人はそういう役目についてた人?
94日本@名無史さん:03/07/23 08:05
成田三樹男の烏丸少将は実在の人物なのか?
95日本@名無史さん:03/07/23 08:11
違うと思うけど、少将の意味を知りたくて。
96日本@名無史さん:03/07/23 08:17
「少将」というのは、天皇の親衛隊である近衛府の次官補にあたる。
正式名称は「左近衛少将」または「右近衛少将」。
本来は親衛隊の指揮官だが、平安時代には実質を失い名誉職になった。
97日本@名無史さん:03/07/23 08:26
有難う 有難う >>96
親衛隊って事はやっぱ武力を持ってたんですか?
烏丸少将は江戸時代の人(の設定)ですが。
98日本@名無史さん:03/07/23 08:30
>>97
江戸時代には完璧な名誉職です。武力のブの字も持ってません。
99日本@名無史さん:03/07/23 08:30
>>97
江戸時代の公家が武力を持ってるわけないよ。
石高もせいぜい100石くらいだろうし

肖像って言っても>>81も所詮は後世の想像という意味では、
>>80と大差ないかと。
100日本@名無史さん:03/07/23 08:45
>>98 >>99 有難う。

100石かあ・・・。この頃のお公家さんって
どんな仕事をしていたんだろう。
まさか本当に和歌詠んだり、蹴鞠ばっかってことは
ないですよね。農業はやってたのかな?荘園は
どうなっていたのでしょう。
烏丸少将が実在の人物と設定したら、この人は
どういう仕事をしていたのでしょう。事務ですか?

江戸時代、下級公家は工芸品?なんか細々と作ってたと聞きましたが。
101日本@名無史さん:03/07/23 09:19
>>100
>烏丸少将が実在の人物と設定したら
 ↑
くだらん
意味が無いこときくな
102日本@名無史さん:03/07/23 09:43
どうもあてにならん香具師が多いな。
103日本@名無史さん:03/07/23 12:16
>>99
いいかげんなことを書くんじゃない。
3000石の桂宮家から、1石の地下家まである。

>>98
>江戸時代には完璧な名誉職です。武力のブの字も持ってません。

儀式のときは近衛官人を率いて並ぶけどね。
104日本@名無史さん:03/07/23 12:24
http://www010.upp.so-net.ne.jp/crage/essay/006a.html

堂上公家の一覧表
江戸時代の石高も載っている。
10599:03/07/23 12:32
>>103
いい加減なこと書いたわけじゃなくて、
「烏丸少将」が摂家とか清華家のわけないから
ヒラの堂上公家だろうと思ってだいたい100石と書いたんだが・・・
>>104を見るともうちょっと多いらしいな。
百数十から200石程度ですか。
106日本@名無史さん:03/07/23 12:59
>>101
?? あの〜 別に烏丸少将が実在の人物と言ってるわけじゃなくて
仮にこういう人がいたとして、その人はどういう仕事をして
いたのでしょうかと訊いてるんだけど・・・・。
107日本@名無史さん:03/07/23 13:07
>>37
五位は大夫。
例外はあるが、一〜三位が公卿、四〜五位が大夫、六〜八位が士で、その下に流外相当として初位あり。
あくまで奈良平安期の話だけどね。
108日本@名無史さん:03/07/23 13:12
一石は人一人が一年分食べる米の量だから百石は
百人が食べる一年分の米。少将って結構いい実入りじゃん。
そうでもないのかな?
109日本@名無史さん:03/07/23 13:29
>>104のホムペ、面白いけど堂上公家とか初耳っす。
藤原朝臣が多いなあ。なんだこれ?家門?氏姓?家名?
御蔵米ってなんだ?基礎給与のこと?
家業のとこにもマジ、和歌とか蹴鞠がある。楽器はわかるとして
明経道 紀伝道 神祇道 ってなんだ?儒学が家業って
先生か学校って意味なのかな?わからない・・・。


110山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/23 13:32
>>109
簡単に言うと、元服より昇殿を許され、公卿になれる家です。>堂上家
>明経道 紀伝道 神祇道
こちらは書いて字の如く。
111日本@名無史さん:03/07/23 13:37
>>100
実在の烏丸家は寛文年間の記録では950石の知行。
112日本@名無史さん:03/07/23 13:44
>>111 ほんとだ、>>104に950万石って書いてある。
    家業は和歌かよ。

烏丸
藤原朝臣
日野家
旧家
950石
和歌
113日本@名無史さん:03/07/23 13:45
>>111
ホントだ。ずいぶん高いね。
>>104を見ると並みの清華家なんかより高いよ。なぜだろ
114日本@名無史さん:03/07/23 13:50
>>110 ありがと
115日本@名無史さん:03/07/23 17:20
頑張って全部読んでマジ損しました。基本的な日本史の知識のない人の雑談スレじゃないですか。山川の高校教科書と用語集で解決するレベルの話ばかり。どうして山野野衾さんがまじめにお相手なさっているのかが不思議なくらいです。
116日本@名無史さん:03/07/23 17:31
藤原朝臣や源朝臣の朝臣とは、朝廷(天皇)の臣下と
言う意味ですか?
117日本@名無史さん:03/07/23 17:35
くずの集団よね
こういう連中が日本史板の品位を下げる
知識のないアフォは学問板から去れ
エヴァ板にでもいけや
118日本@名無史さん:03/07/23 17:57
平安時代は荘園からの上がりで、寝殿造の豪邸に住み、庭の池に船を浮かべて、
優雅に和歌や蹴鞠を楽しめだが。
 江戸時代は内職に励む日々。岩倉なんか、やくざに博打場として屋敷を貸して
その家賃で食べていたからね。(公家屋敷は町方は介入できないため)
119日本@名無史さん:03/07/23 18:08
>>115
山野だって似たようなもんだろ
120日本@名無史さん:03/07/23 18:14
>>118 でもホムペ見たら石高高いじゃん?
121日本@名無史さん:03/07/23 18:41
118みたいな無知が知ったかぶって仕切ってるのが信じられない
122日本@名無史さん:03/07/23 19:00
>>116
私も藤原朝臣とか源朝臣とか、なんだろうと思って
検索したら系図が出てきた。
天皇家から臣下になった時に貰った姓?「いんせき降下」
(字忘れた)ってやつかなと受け取ったけどそれでいいのかな?
123日本@名無史さん:03/07/23 19:02
朝臣は「あそん」と読むんだってわかってる?
朝臣は、氏のランク付けを示す称号である姓(かばね)の一種。
124日本@名無史さん:03/07/23 19:04
あそんは知ってるよ。かばねは知らなかった。
125日本@名無史さん:03/07/23 19:18
ランク付けっつーと
どのアソンが上でどのアソンが下っつーのがあるわけか。
126日本@名無史さん:03/07/23 19:20
日本史の基礎知識以前に日本語の基礎知識がない連中ばっかじゃん
127日本@名無史さん:03/07/23 19:21
姓(かばね)には朝臣とか宿禰とか真人とかいろんな種類がありましゅ。
128日本@名無史さん:03/07/23 19:26
さっきから一生懸命煽ってるやつがいるな(w
129日本@名無史さん:03/07/23 19:29
>>128
しかも答えられないクセになw
130日本@名無史さん:03/07/23 19:35
ヨーロッパでは貴族に神性は無く、聖職者が一手ニ引き受けているが、
日本の公家は貴族と神官を兼ねたので、ヨーロッパの貴族に比べ、世俗に疎かった。
131日本@名無史さん:03/07/23 20:06
はぁそれでなんざんしょ?
132日本@名無史さん:03/07/23 20:15
ヨーロッパの貴族は免罪符を発行する立場には無い。
日本の公家は時には穢れを祓い、清める役目を果たした。
133日本@名無史さん:03/07/23 20:22
もういいよ。答え出てるんだから。終了。
もっと上手い釣り氏は出てこないものか
134日本@名無史さん:03/07/23 21:08
堀川は>>104にも載っていないから、相当下級な家なんだろうが、具視が岩倉の養子に
なったところにも、なにやら黒い影が...
孝明天皇だけではなかったか。
135日本@名無史さん:03/07/23 21:14
>>1-133=リア厨

っていうか、重複スレになんでこんなにレスがつくんだ?
136日本@名無史さん:03/07/23 21:23
134だけ違うんですね
137日本@名無史さん:03/07/23 21:30

50石の公家というのはどうやって食っていたのか?
138日本@名無史さん:03/07/23 21:38
>>130
兼ねてないよ。
平安〜鎌倉初期には、武士と神官の兼務のほうが多いくらい。
139日本@名無史さん:03/07/23 22:03
神官の任状を発行していたような大きな神社は公家の支配下で、
武士の地方の神社の神官の任状はこれらの神社が発行していた。
140日本@名無史さん:03/07/23 22:12
139よ 調べてから書け
141日本@名無史さん:03/07/23 22:12
>>133 答えって何の?
142日本@名無史さん:03/07/23 22:13
夏休みだなぁ
143日本@名無史さん:03/07/23 22:16
で結局、藤原朝臣とか源朝臣は何だったんだ?
144日本@名無史さん:03/07/23 22:31
そんな常識知らずをまともに相手するのは山川恵里香だけです
145日本@名無史さん:03/07/23 22:32
もう釣りは必要ないです
146日本@名無史さん:03/07/23 22:34
流し読みしたけど、
ここレベル低いな〜

>例えば、大納言の定員が本来は3人だとします

4人だよ。
時代が下ると権官ばかりになって、8人になるけど。

こんなところで聞いてないで、こっちにいきなよ。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1053610902/l50
ただし、まず読めよ。
そして、自分で調べてから聞いてくれ。
147日本@名無史さん:03/07/23 22:36
>>139
本社クラスでも、神官に武士が多いんですがね。公卿は皆無。
出雲大社・宇佐大社・出雲大社・諏訪大社・熱田神宮などのトップは武士。

松尾大社・伊勢神宮・大神神社などのトップは武士ではないけど公卿でもない。
だたし、地下官人を兼ねていたから、広義の公家といえるかもしれない。
148日本@名無史さん:03/07/23 23:11
147が1番タチの悪い嘘つきじゃん。バカばっかなんだからみんな信じちゃうじゃん。
149日本@名無史さん:03/07/23 23:33
公家と公卿の違いがわからないんだけどどっちが正しい言葉なんだろ?
テストとかではどう書けばいいの?
150山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/23 23:35
>>149
三位以上が公卿(参議含む)。公家は元々朝廷・天皇を指した言葉。
というか以前のレスぐらいお読みなさいよ。
151日本@名無史さん:03/07/23 23:35
>>146
流し読みだねぇ。
「本来は」が何故ついているのか考えた方がいいよ。
少なくともそんな断定はできないと思うけどな。
俺は>>53じゃないけどさ。
152日本@名無史さん:03/07/23 23:39
>>151
養老令では、大納言の員数は四名。
断定できます。
時代が下ってくると、権官が増えてきて、四名より多くなり、
江戸時代には権官ばかりの八名が常態になる。
公卿補任を見よ。
153日本@名無史さん:03/07/23 23:41
>>149
もう疲れたぞ・・・釣りだよな?だから答えない。
マジだとしたら自分で検索しろ。


鯨統一郎って作家がいてさ(代表作「邪馬台国はどこですか?」)
「とんち探偵一休さん」って作品の中で
「足利義持、義嗣、斯波、山名
(斯波、山名は名前を失念)、世阿弥らの殿上人に囲まれ・・・」
って書いてあって・・・。河原物が殿上人て。
作家でこれだからなあ・・・。
154日本@名無史さん:03/07/23 23:42
>>152
三人の時もなかったっけ?大納言の定員。
時期によって変動する定員にこだわっても意味がないような気がしますが。
155日本@名無史さん:03/07/23 23:42
156日本@名無史さん:03/07/23 23:43
151はバカ丸出し。146はアノ駄スレで質問しろと勧める位のユーモアで対応してるのに必しこいてるのがブザマ。俺は違うけどねって駄目押しが笑える。まっ俺も違いますけどねっプププ
157日本@名無史さん:03/07/23 23:44
>>154
定員は四人。
時期によって変動はしない。
だから、「権(定員外)大納言」が出てくるんだよ。
158山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/23 23:45
>>153
代表作がアレですから。
159日本@名無史さん:03/07/23 23:47
「構って君」が居ついているね、ここ。
居心地いいのかな?
160日本@名無史さん:03/07/23 23:48
>>159
構いたがりの君もいる。
161日本@名無史さん:03/07/23 23:55
>>154ちゃんって、
にほんには、大宝律令と養老律令のほかにも律令があったと思っているのかな?
しょっちゅう改正していたと思っているのかな?
令「外」官の意味を考えたことが無いのかな?
162_:03/07/23 23:55
163日本@名無史さん:03/07/23 23:59
どうでもいいけど なんでこう昔の人は名前が多いのかなあ。
こんがらがってくるよ。=3
摂家の藤原朝臣の閑院家の西園寺の何某さんって呼べばいいんかな?
たとえば。
六条の源朝臣の村上源氏の何某さん?

164日本@名無史さん:03/07/23 23:59
公卿補任について調べられるサイトないかな?
どんな人がどんな官職についていたか調べたくなった。
165日本@名無史さん:03/07/24 00:00
また釣りが来たよ。悪質だねえ。
166日本@名無史さん:03/07/24 00:01
(・∀・)ジサクジエーソ
167日本@名無史さん:03/07/24 00:03
>>165
とっとと、dat落ちさせましょう
酔っ払ってると、判っていつつつ釣られてしまうから。
168日本@名無史さん:03/07/24 00:03
165は163に対して。164はさっさと寝て朝一番で図書館行きな。
169日本@名無史さん:03/07/24 00:03
>>163はまじめです。
170日本@名無史さん:03/07/24 00:07
しかし釣りに見えたのか・・・
ということは相当トンチンカンな事を言ったわけだな・・・
171日本@名無史さん:03/07/24 00:11
>>153
雲上人って書きたかったんだろう
172日本@名無史さん:03/07/24 00:11
169自体も釣りだろうが
173日本@名無史さん:03/07/24 00:13
171はこりゃまた巧妙な釣りだなあ危ない危ない
174山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/07/24 00:16
>>170
これも釣りかもしれませんが。よく読めば知識がなくても気付きそうな点も。
175日本@名無史さん:03/07/24 01:53
ここはいちおう「学問・文系」板だから、
確かにあまりに初心者な質問はスルーするのがよかろう。
このスレは落とすべきかと存ずる。
今まで何度かカキコしたけど(>>80とか w)、以後やめるよ。
176日本@名無史さん:03/07/24 09:23
桓武が兵制を廃止したんじゃなかったっけ?
怨霊信仰やらなんやらで・・・by井沢元彦
177日本@名無史さん:03/07/24 09:26
ここ落とすの? では挨拶。
上で烏丸少将の事を訊いた者ですが、おかげで「柳生一族の陰謀」の
DVDが出ている事がわかって注文しました。
このキャラからお公家さんというものに興味を持ってどんな仕事を
していたのですかと色々訊いてしまいました。漠然とは知っていても
なんか混沌としてどうにもはっきり掴めない。イメージだけが漂ってる。
そんな感じでした。石高とか分かってくると現実的になりますね。
あのホムペきっかけにあちこちのサイトを回ってます。
お公家さんのイメージに烏丸少将の影響を受けてる人、結構多いようです。
なよなよしてるのに強い、この設定がいいみたい、このスレに合ってると
思って来ちゃいました。

もう一方のスレは範囲が広すぎて訊きにくかったもので。
178日本@名無史さん:03/07/24 09:51
あなたのキャラクター最高です。
179日本@名無史さん:03/07/24 11:27
根本的な疑問なんですが。
実際に太政官とかで政治を行っていた頃ってどんなことしていたんでしょうね。
もう少し時代が下がったとして、摂関政治の頃でもいいんですが。
今でいう税金の徴収を受領がしていたのはわかるが、中央の都ではどうだったん
だろう。毎日出仕していたのかな。参議とか中納言とか特別職掌を持たない人は
さておき、右衛門督とか、右京大夫とか式部大輔とか仕事があったとも思えない。

で、江戸時代だと、本当に実務は何もないだろうし何をしていたんでしょうね。
毎日家で内職してたとも思えない。江戸時代のお公家さん(冷泉家みたいな家業が
ある家は除いて)の日記とかてないのかな。
まあ、武士だって平和な時代には、仕事は少なかっただろうけど。
180日本@名無史さん:03/07/24 11:41
>>179
江戸時代の公家の日記は、残っている量が多すぎて読む研究者が足りない状況です。
181日本@名無史さん:03/07/24 11:45
>>179
当時は儀式が政務のかなり重要な一部をなしていたので、
貴族たちもそれなりに忙しかったようですよ。
182日本@名無史さん:03/07/24 13:28
今の天皇家も国民の知らないところで儀式なんかやってそう。
日本を守る儀式?
あの冷泉家もしょっちゅう儀式やってるみたいだね。
一般市民から見ると鬱陶しそうでちょっと同情する。

それにしても いざ具体的な仕事について質問されると
誰も答えないんだね。さあ・・・って感じで。
183日本@名無史さん:03/07/24 13:31
>>182
「平安貴族の具体的な仕事」というテーマで学者が1冊本が書けると思うけど。
184日本@名無史さん:03/07/24 13:35
どこかのサイトで以前見かけたが、昔、朝鮮に住んだ人が見た上流階級の儀式と
皇室で行われているある儀式とが同じだったのに衝撃を受けたとあったがな。
185日本@名無史さん:03/07/24 13:44
>>183 なぜ書かない?
186日本@名無史さん:03/07/24 14:27
>>184
ヤパーリ天皇家は半島起源だったのか
187日本@名無史さん:03/07/24 15:14
同祖なのかパクッタのかは断定する資料もないが影響は受けてるみたいだな。
188日本@名無史さん:03/07/24 15:16
まあ長いこと朝鮮が先進国で日本は後進国だったわけだからな。
逆転したのはせいぜい幕末あたりからだろう。
189日本@名無史さん:03/07/24 16:09
釣りはいらねぇ
190日本@名無史さん:03/07/24 17:45
>>177
もしや「からすましょうしょうふみまろ」とか呼んでないだろうな?
「からすまるしょうしょうあやまろ」が正しい
191日本@名無史さん:03/07/24 20:34
日本の公家も朝鮮の貴族制度のパクリだしな
192日本@名無史さん:03/07/24 20:39
>>191
どのへんがパクリ?
193日本@名無史さん:03/07/24 20:41
富士山だって朝鮮のパクリだしな
東京だって朝鮮のパクリだしな
2chだって朝鮮のパクリだしな
194日本@名無史さん:03/07/24 20:43
2ちゃんねるって韓国語でどう書くんだ?
195日本@名無史さん:03/07/24 21:00
2ちょんねる
196日本@名無史さん:03/07/24 21:20
あははははははは!
197日本@名無史さん:03/07/24 21:21
194=195=196
198日本@名無史さん:03/07/24 21:26
>>197
ハズレ。
199日本@名無史さん:03/07/24 21:48
\もうすぐチョンがひっかかるよ!/
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄         
          ∧_∧
         ( ´∀`)
         /    ヽ
          / ,/⌒Y⌒゙il, ∠チョンシネ!!
         / /   l  | l_∧
          |  ゙┤  |.  |ノ´∀`)∧∠イッテヨシ!!
        ゙,┬┤  l.  l つ と)Д゚)
         ヽ,_,,|   |  レ'⌒)⌒)@〕
          (  丶 丶               _____
            ヽ_)_)            /\ チョン  \
                           /バカ\ ホイホイ\
                           ‖ ̄ ̄ ̄‖ ̄ ̄ ̄ ̄|
                           ‖     ‖  □□  |
                           ‖     ‖  □□  |
 ↓チョン                     ‖     ‖____|
      /⌒ヽ
     / 丶`Д´>
     | U  /
     ( ヽノ
      ノ>ノ  ヒタヒタ
200日本@名無史さん:03/07/24 22:21
200
201日本@名無史さん:03/07/25 00:26
「柳生一族の陰謀」がすごく見たくなった。
明日借りてくるか。
202日本@名無史さん:03/07/25 01:36
ハンターチャーンス!!
203日本@名無史さん:03/07/25 08:24
このスレの感想を書きます。
結局 公家と武士の境界線って結構曖昧なんだなと思いましたよ。
武士も元をただせば公家、皇室から発生してるものだし無理もないかもね。
単純に分ければ天皇に仕える者が公家で
幕府に仕える者が武士って事になるんだろうけど
二つの間をウロウロした人もいるようだし、武士も天皇から位を貰ってる
わけだから天皇の家臣って事にもなるんじゃないかな。
そういや、江戸時代の公家の給料は誰が払ってたんだろ、天皇?
収入源はどこからだったんだろ。荘園はどれぐらい残ってたんだろ。
204日本@名無史さん:03/07/25 08:35
それにしても ここの人も公家の日常生活には疎いと分かりました。
それに江戸時代の公家の日記は沢山残ってるって言うのに
それを研究している学者がいないようで それにもびっくり。
なんで?
公家に関するサイトを廻っても 摂家とか精華家とか どういう家系で
どんな家が発生した みたいな事は説明してくれているのに
一番知りたい人間としての公家の姿がどうしても立体的に見えてこない。
武士は結構物語になってるのに、江戸時代の公家となるとまるで
雲を掴むようだし。これはどうしてなんだろう。そんなにつまらない
分野なんだろうか。
205日本@名無史さん:03/07/25 08:40
>>203
敢えて釣られてあげます。

>荘園はどれぐらい残ってたんだろ。

荘園は、太閤検地で全滅します。
教科書にも載っていること。不勉強すぎる。

>江戸時代の公家の給料は誰が払ってたんだろ、

これは教科書には載ってないね。
大名も公家も寺社も、その所領は将軍が安堵する形になっていた。
よって、公家の場合、将軍の代替わりごとに京都所司代を通じて契約更新。
公家の蔵米取も大坂の幕府の御蔵から支給されていた。
ちなみに、関白や武家伝奏の役料を支給するのも幕府。
武家伝奏なんか、就任時に血判の誓約書を朝廷ではなく幕府に提出していた。
206日本@名無史さん:03/07/25 08:42
>>204

最近はだいぶ研究が進んできたよ。
戦後しばらくは戦前の皇国史観の反動からか、空白の時期が合ったらしいけど。
207日本@名無史さん:03/07/25 10:14
>>205 釣りじゃないよ、だから教えてくれて有難う。

>教科書にも載っていること。不勉強すぎる。
教科書ははるか昔に卒業しちゃってるんですっかり忘却の彼方でした。
それに学生の頃は歴史ってテストのための記号の暗記のみで
実感として頭に入ってないんですよね〜。太閤検地・・・
言葉だけは頭に残ってるなあ。勉強し直しますよ。
しかし 朝廷から位を貰いながら給料は幕府から払ってるって変なの。
部長に任命された人が会社の実権握ってて血筋だけの社長に給料を
払ってるようなものだね。
208日本@名無史さん:03/07/25 10:26
>>206
>戦前の皇国史観の反動
あ、なるほどって思っちゃいました。極端でしたもんね、戦後。
まあ、人というものはどうしてこう極端から極端に走るんだろう。
私も戦後の教育を受けてきましたが改めて日本史に注目するまでは
天皇って「日本の象徴」と言う認識しかありませんでした。
こんなにも日本の歴史の土台にがっちりと根っこを下ろしている
実感はなかった。
209日本@名無史さん:03/07/25 10:44
>朝廷から位を貰いながら給料は幕府から払ってるって変なの。

即位式などの諸儀式の費用も幕府が丸抱え。
禁裏御料の管理も幕府から派遣された役人(禁裏付と呼ばれる旗本)が行った。
こいつらが、御料からの上がりをちょろまかして大量処分されたこともある。
朝廷に経済力をつけさせず、飼い殺しの状態にするのが幕府にとって都合が良い。
別に変でもなんでもない。

江戸時代の朝廷に興味があるなら、学習院の高埜利彦の「江戸幕府と朝廷」なんか面白いと思うよ。
山川出版社から出ている。
210_:03/07/25 10:45
211日本@名無史さん:03/07/25 13:32
>>209 その頃の幕府の考え、朝廷の位置もそれまでの歴史を
振り返るとちゃんと理解は出来るんですけどね。改めて考えると
この日本における「天皇」というものの特殊性と言いますか
不動性と言いますか これはなんなんだろうと考えてしまいます。
どんなに不必要と思えても「どうしても なくてはならないもの」
なんでしょうね。不思議な気がします。

>江戸時代の朝廷に興味があるなら
朝廷と言うより、その他大勢の公家衆の日常生活に興味があります。
やっぱり男でも化粧していたのか、おじゃる言葉でどんな会話をしていたのか
何で笑って何で泣いていたのか 朝は何時に起きてどんな仕事していたのか・・。
その本はそういうことは書いてあります?
212日本@名無史さん:03/07/25 15:08
>>211
>その他大勢の公家衆の日常生活
「皇女品宮の日常生活」という本がありまっせ。
出版社の宣伝文句をコピペすると、

寛永文化の花開かせた後水尾院鍾愛の姫宮の34年間,
36巻にわたる日記が初めてその姿を表す.関白近衛
基熙の正室であり,近衛家熙や将軍家宣の御台所熙子
の生母でもある品宮が,こまやかな視点で描く人間
後水尾院,文化サロンの様子,夫婦の関係,子育て,
趣味等々.後水尾院を中心に結束した家族の肖像が
生き生きと描かれる.

だそうです。
213日本@名無史さん:03/07/25 15:10
>>211
>その他大勢の公家衆の日常生活
東洋文庫の「幕末の宮廷」も参考になるかもしれんなァ
214日本@名無史さん:03/07/25 15:11
>>211
マンガだけど「公家侍秘録」というのもある
215DVDエクスプレス:03/07/25 15:12
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216日本@名無史さん:03/07/25 16:35
征夷大将軍って位的には大納言より格下なんでしょ
そのへんどうなんだろうか。
217日本@名無史さん:03/07/25 16:39
>>216
どうなんだろうかって言われてもな
218日本@名無史さん:03/07/25 16:58
>>212> >213 >>214
有難うございます。「江戸幕府と朝廷」も含めてチェックして見ます。
最近、マンガも含めて日本史三昧の日々です。
時代劇も見るようになったし。ふう。
219素人でごめん:03/07/25 17:16
ttp://homepage1.nifty.com/kitabatake/kitabatake.html

北畠で検索して出てきたんだけど
ここに出てくる有馬とかいう人は?
武闘派っぽいけど。
220日本@名無史さん:03/07/25 17:29
>>216
確かに征夷大将軍は朝廷の官職では高くはないが
鎌倉時代以降は本来の蝦夷討伐将軍の意味から、
武家の棟梁としての職と捉えられているし、多く
の将軍は左大臣や右大臣を兼職するから、それで
征夷大将軍の地位のバランスをとっているのでしょう。
221日本@名無史さん:03/07/25 17:30
>>219
そいつは電波だから相手にするナ。
222日本@名無史さん:03/07/25 17:32
>>216
征夷大将軍という官職は、官職自体の意味を超えて、
武家政権の長としての象徴的な意味合いが強くなっているから、
格上とか格下とかいうことはあまり意識されていなかったのでは?
223代打名無しさん:03/07/25 17:36
征夷大将軍は「職」。そもそも位というのは設定されていない。
だから大納言という「官」と格の上下を云々することが間違い。
224日本@名無史さん:03/07/25 17:48
本当に権力があると、形式的な位階の上下とかは関係なくなるんじゃ
ないかな。 リビアの最高権力者のカダフィ大佐なんて、大将だろうが
元帥だろうが名乗ろうと思えば名乗れる。 ローマ法王も正式名称は
ローマ司教(あとなんたらかんたら続くが)。基本的にはローマ司教は
大阪司教やマカオ司教と変わるところがない。 ローマの司教はペテロ
の跡継ぎということで実際の権力・権威は大違いだけど。
ケ小平も党の軍事委員会の委員長で国家主席とか形式上の最高位について
いない。 真の権力者のついてる職、リビア陸軍とか大佐征夷大将軍とか
共産党軍事委員会委員長が実は最高の位階だと誰もが認識してるということ。
これの問題点は、時代が離れると大将や大納言が偉いんじゃないのと
思われてしまうことだろうな。

225日本@名無史さん:03/07/25 19:51
しかし(仮に)二人の人が会ったときには、
席の上下とかは朝廷の位で決まるんだろうからなあ。
一概に無意味とはいえない。

徳川将軍がヒラの公家より格下ということはないだろうけど
(御三家だって大納言・中納言だし)
226日本@名無史さん:03/07/25 21:42
>>223
元々は官だよ。征夷将軍他の例からしても、他の官と変わらない。
後には、仰るように職扱いになったような感じですけど。
227日本@名無史さん:03/07/25 22:00
>225
「幕末の宮廷」によると、秀忠、家光参内の時には、上皇の格式だったそうです。
 それぞれ左大臣、右大臣だったのを、
「それを京都の右大臣、左大臣、関白さんの上に上げた。天子様と御同間で、天
子と向かい同士にした。全く太上天皇のお取扱い。」
これが、幕末の家茂参内の時には完全になめられていて、関白・大臣より下、摂
家・親王並にされたとか。

 室町時代でも、摂関も含め公家は皆将軍の家礼みたいなもんですから、
>席の上下とかは朝廷の位で決まる
とはならないんではないですかね。
 (「私が先官だ」といって足利義持や義教を下座にさせる度胸のある公家がい
たとも思えない。仮にいても、たちまち官位も所領も没収された上で逼塞、とな
ったろうけど。)
228日本@名無史さん:03/07/25 22:58
ドラマだけど、暴れん坊将軍で江戸に下向した元大臣が吉宗(当時右大臣と大岡越前が
言っていた)より上座に座ったことがある。
まあこいつ悪公家で8時45分に吉宗に斬られたんだけど(w。
229日本@名無史さん:03/07/25 23:06
四位五位の摂関家の子息に平公家の大納言中納言に礼をして道を譲ったという話もある
230日本@名無史さん:03/07/25 23:29
>>229
助詞の使い方がおかしい。

>摂関家の子息「に」
>大納言中納言「に」

どっちが譲ったか分からん。
231日本@名無史さん:03/07/25 23:33
将軍の地位は官位で語ってはイカンとゆうーことか。
232日本@名無史さん:03/07/26 07:38
>>230
スマソ。摂関家の子息「に」平公家「が」譲ったのね
233日本@名無史さん:03/07/26 10:39
実質武家政権が権力を掌握してからは宮廷内の将軍の座は特殊な位置に
置かれていたのある意味当然でしょう。>>227のいうようなことも尤も。

だから将軍職をついでも若年だったり職に就いたりしたばかりの時は
朝廷上の官位はまだ低くても(三位参議とかあるいはそれ以下とか)
参内とか儀式に参列する時は摂関なみの序列になっていても不思議ではない。

234日本@名無史さん:03/07/26 10:53
位特進みたいなモンだな
235日本@名無史さん:03/07/26 12:05
全体を総括して一言申し上げさせていただきます。
個人の現任官位ではなく、家格の極位極官が基準にされるようになったからです。
「家」の重視です。
236日本@名無史さん:03/07/26 12:31
微妙にスレタイとずれてきてるわけだが。
237日本@名無史さん:03/07/26 13:37
もともと夏厨スレだからいいだろ。
238日本@名無史さん:03/07/26 13:47
もともと源氏 平氏も天皇の親戚だから公家でしょ・・
朝廷が軍事放棄したのが原因で中央貴族が有名無実化→地方貴族武装化→
源氏平氏の台頭→中央貴族いまだに迷信(怨霊信仰)から逃れられない者多数
=軍事無効化=権威に頼る傾向が続く→武士が強大化 実質的権力を握る→
公家が気づいたら手遅れになっていた→公家細々と生きながらえる方が得策と
気づく・・・そして幕末を迎えた・・・
239日本@名無史さん:03/07/26 14:50
>>238
朝廷の文臣を指して公家(くげ)というのは、
武家が台頭し社会的・政治的に力を持った平安末期から鎌倉初期に出てきた呼称。
武家に対して公家(くげ)。
それ以前は、公家(こうけ)=朝廷、天子、院
240あげ:03/07/27 22:41
ageてみる
241日本@名無史さん:03/07/28 17:56
公家って、いつからやる気なくしたんでしょうかね。
242日本@名無史さん:03/07/28 18:29
やる気の問題か?

厨学の部活じゃあるまいし。
243名無しさん:03/07/30 14:55
激しく遅レスだが>>134は堀川じゃなくて堀河な。
>>104に載ってるよ。

ってもう見てないだろうが。
244日本@名無史さん:03/07/30 15:05
>>241
やっぱり承久の乱の敗北が致命的だったのでは・・・
それに、天皇や上皇が頼りなくてもうまく立ち回れば将軍が養ってくれたというのも大きい。
245山崎 渉:03/08/02 01:22
(^^)
246日本@名無史さん:03/08/05 22:31
一条・西園寺など武家化した公家もいるじゃん
247日本@名無史さん:03/08/05 22:34

とりあえず食っていけるし、従一位〜従五位という一般人が簡単に得られ
ない高い位を貰えるし、体制を変える気は起こらなかったのだろう
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
  iiiiiiiiiiiiiii《    ━━━'/  ヽ━━━ ヽミヽ
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251日本@名無史さん:03/08/12 01:51
252山崎 渉:03/08/15 13:01
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
253日本@名無史さん:03/08/15 22:45
254日本@名無史さん:03/08/20 15:31
255日本@名無史さん:03/08/27 13:23
256日本@名無史さん:03/09/03 21:57
257日本@名無史さん:03/09/12 00:35
258日本@名無史さん:03/09/18 05:21
何百年か後に、何で自衛隊が権力を握っていないんだ。
自衛官のステータスが低いなんて信じられない、と言われるのだろうか。
259日本@名無史さん:03/09/18 12:44
昔から答えが出てる、質問ではあるが、
永遠の謎でもある。

三国史でも、曹操は天子を擁護し漢帝の命令を出しながら
常に、天子を廃止て自分が天子になる日を狙ってる。
本来は転覆したいのだろう。

しかし武家も、家が武家である理由そのものが源氏であるとう理由で浪人を
集めることが出来たので、それ以外の家が浪人を集めると
領地がないゆえに山賊と言う事になってしまうのだろう。
そもそも領地=源氏ゆえの割譲であるので
朝廷を否定すると領地の正当性もなくなってしまう
結局、江戸末まで中央集権制ではなく、朝廷ゆかりの朝臣や源氏の
地方の領主が地域を治めていた制度でしかなかったのだから、
武家ってのは、最後まで、大宝律令や姓制度の中にあったということ

260日本@名無史さん:03/09/18 13:03
やっぱり、
秀吉が関白となり、天皇制の天皇機能を有したことで、
武家としては公家制度を破壊するエネルギーが消滅してしまったのだろう

武家が公家のトップである理由も、天皇制に組み込まれてしまった以上、
公家を廃する理由が消えた。

ただし、江戸幕府が中央集権制に成功したらどうなってたか判らんね、
各大名家を朝廷の名の下に廃止して直轄にしたら天皇と将軍はかぶる
261日本@名無史さん:03/09/18 22:33
将門は、新皇を名乗ったそうだから、一概にはそうとも言えないのでは。
262日本@名無史さん:03/09/27 11:39
263日本@名無史さん:03/09/28 09:01
>>260
どうだろう、朱子学の「君臣の忠義」をテーゼとして掲げている以上自己否定になるのでは?
新しい政治理念の確立にまで到達しないと無理なのでは?
264日本@名無史さん:03/10/08 14:56
>>258
更に数千年先には、何で引き篭もりが権力を握っていないんだ。
引き篭もりのステータスが低いなんて信じられない、と言われるのだろうな。
265日本@名無史さん:03/10/15 22:24
266日本@名無史さん:03/10/26 19:35
>>260
高木昭作「天皇権威と近世」くらい読んでから書き込め。
バカ丸出しだぞ。ゲラゲラ
267日本@名無史さん:03/11/02 21:06
今も公家って職業あんの?
職名は変わっても同じ仕事ってあんの?
鷹司家や近衛家の当主は今も公家なの?
268日本@名無史さん:03/11/02 22:06
南朝の公家大将は華々しいな。
 征夷大将軍 大塔宮護良親王 
  北畠顕家 戦死
  千種忠顕 戦死
269日本@名無史さん:03/11/02 22:15
麻呂はどうなちゃうのか、ホッホッホッホッ。

笑い事じゃないぞよ。
270日本@名無史さん:03/11/02 22:16
このすれで存命中に大勲位菊花大綬章を受賞した中曽根先生が
正三位になることを取り上げられてたがちげーだろ、
小渕や竹下は、死んでからもらっとる。

とうぜん、中曽根先生は従一位をもらえるはず。
しかも、吉田茂、佐藤栄作につぐ戦後3人目の国葬となるだろう。
かれの功績ではね。

271日本@名無史さん:03/11/02 22:37
公家の出身者でも独自に領地を広げてそれ武装して守るようになった
者を武家というんじゃないの。藤原秀郷のように。
272日本@名無史さん:03/11/02 22:39
中曽根が国葬なら小泉も当然国葬だな。
273日本@名無史さん:03/11/02 22:44
>267
近衛 鷹司 ともに昭和天皇の娘婿 ちなみに近衛は細川護煕の弟
274日本@名無史さん:03/11/03 13:22
刀を振り回したり、金勘定したり、・・・・一応公家にもプライドがおじゃる。
275日本@名無史さん:03/11/03 15:33
今回から勲章の等級がなくなったってことは、「大勲位」の授与も廃止?
ということは、中曽根閣下が最後の大勲位保持者ってことですか?
276日本@名無史さん:03/11/03 15:53
大勲位菊花大綬章・・・主な受章者

有栖川宮熾仁親王(陸軍大将、参謀総長) 明治10年11月2日
有栖川宮栽仁王(海軍少尉) 明治41年4月4日
皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇) 大正元年9月9日
徳川家達(公爵、貴族院議長) 昭和15年6月5日
山本五十六(元帥海軍大将、聯合艦隊司令長官、戦死) 昭和18年4月18日
鳩山一郎(内閣総理大臣) 昭和34年3月7日
吉田茂(内閣総理大臣) 昭和39年4月29日
池田勇人(内閣総理大臣) 昭和40年8月13日
佐藤栄作(内閣総理大臣、ノーベル平和賞受賞者) 昭和47年11月3日
田中耕太郎(最高裁判所長官) 昭和49年3月1日
皇太子徳仁親王 昭和55年2月23日
大平正芳(内閣総理大臣) 昭和55年6月12日
秋篠宮文仁親王 昭和60年11月30日
岸信介(内閣総理大臣) 昭和62年8月7日
三木武夫(内閣総理大臣) 昭和63年11月14日
福田赳夫(内閣総理大臣) 平成7年7月5日
中曾根康弘(内閣総理大臣) 平成9年4月29日
小渕恵三(内閣総理大臣) 平成12年5月15日
竹下登(内閣総理大臣) 平成12年6月20日
277日本@名無史さん:03/11/03 16:18
小渕氏も竹下氏も死後の叙勲だから、中曽根大勲位でジ・エンドか。
278日本@名無史さん:03/11/03 16:55
有栖川宮さんがいるぞ。
279日本@名無史さん:03/11/03 16:58
大垣のお方ですか?
280日本@名無史さん:03/11/03 19:15
>>277
中曽根氏が死んだら、菊花章頸飾という磁気ネックレスが贈られる。
http://www8.cao.go.jp/intro/kunsho/kunshou/kikka.html
281日本@名無史さん:03/11/03 20:07
>>280
しかも正二位か従二位が叙位されるから左大臣か右大臣級
282日本@名無史さん:03/11/03 20:30
>>233
 これは、大河の葵徳川三代と徳川慶喜をみるとわかる。
 葵では当初、天皇実弟の関白近衛信尋公が勅使として江戸下向した時、
 信尋公が上座で、家康と秀忠が下座だった。
 その後、家光の時代に江戸下向したさいは、家光と秀忠が上座で
 信尋公が下座に座らされていた。
 「ご厚情痛み入る」とか無礼な言い方していたし

逆に、徳川慶喜では、おれんさんが語りで
勅使は下座し、将軍が上座で朝廷の意向を伺っていたのが
家茂の時代に、勅使が上座で、将軍が下座するるように
替えられちまったって解説してたぜ。

時代考証をきちんとやった大河は有益だな。
利家とまつはクソだな。
283日本@名無史さん:03/11/04 00:06
本来は征夷大将軍は天皇の臣下で部下だから、天皇の使者の
勅使の方が上座だな。
御三家でも自分より格下の大名でも将軍の使者として「上意」を
伝えに来たら、使者を上座に御三家の当主は下座につく。
284日本@名無史さん:03/11/04 21:33
徳川慶喜といえば母方は"有栖川"(本当の!!)
285日本@名無史さん:03/11/04 21:38
父の正室を母とする将軍は実は珍しい
286日本@名無史さん:03/11/04 21:48
>>1
武家だって貴族の一種だろ。
287日本@名無史さん:03/11/05 00:36
>>266
上級貴族が軍事力を捨てたのはなぜか?。ということですが・・。

288日本@名無史さん:03/11/08 01:49
>>287
権威となって生き残るため。
289日本@名無史さん:03/11/08 02:24
>287
外国人労働者が増えるのと同じ。
3Kは日本人やりたがりません。
290日本@名無史さん:03/11/21 23:26
>>287
朝廷に寄生するため。
291日本@名無史さん:03/12/06 14:05
元禄時代になると公家から武家になる家系もあったよ
六条有純の子孫とか江戸幕府高家になってるし、
日野も武家になっている。
292あぼーん:あぼーん
あぼーん
293日本@名無史さん:04/01/14 22:51
294日本@名無史さん:04/01/15 22:33
らくだからヨ
295日本@名無史さん:04/01/24 23:14
296日本@名無史さん:04/01/24 23:15
公家が武装したら武士だろ
297日本@名無史さん:04/01/24 23:20
公家は高貴な血筋なので腰に武器を刺して相手を威嚇なんて
動物的な下品な真似はしないんです。
298日本@名無史さん:04/01/24 23:27
>>297
奈良時代までは上級貴族も武装していましたが。

高貴さを保つためには血や汗も必要なはずなのに、平安時代以降、それなしで高貴さを何百年も保持できたのは不思議ですね。
299日本@名無史さん:04/01/24 23:32
奈良時代はまだ文化が洗練されていない野蛮人だったからです。
300日本@名無史さん:04/01/25 17:21
>>296
百姓が武装したら武士と同じ意味で武士だね。
301日本@名無史さん:04/01/25 17:22
武士と公家には血筋の大きな壁がある。
特に江戸時代以降。
302日本@名無史さん:04/01/25 17:25
戦国時代から江戸時代にかけては武士になった公家もいたよ
303日本@名無史さん:04/01/25 17:30
>>302
生活に困ってしかたなく、とかそういうレベル。
京都で商人・職人になった公家のほうが武士になった公家より
断然多い。
304日本@名無史さん:04/01/25 18:44
>商人・職人になった公家

へえ、そういう例ってあるんですか?
一つ二つ実例を教えていただけるとありがたいんですが。
305日本@名無史さん:04/01/25 18:48
公家ってのは朝鮮人の生活共同体。
日本人を支配する為には、万世一系を守らなくっちゃ
天コロも近衛も鷹司も九条も輝かしいチョンの純血種。
306日本@名無史さん:04/02/07 11:33
何百年か後に、何で自衛隊が権力を握っていないんだ、
自衛官のステータスが低いなんて信じられない、
と言われる
307日本@名無史さん:04/03/03 00:51
308日本@名無史さん:04/03/03 01:27
質問します
公家ってみんなもともと藤原氏なのかな?
色んな家があるけど
何をしてたのですか?
309日本@名無史さん:04/03/03 09:06
ウンコしたりいろいろ大変
310日本@名無史さん:04/03/04 11:28
藤原氏が多い(7割くらい?)ですが、村上源氏、宇多源氏、桓武平氏、菅原氏等
それ以外の氏もかなりあります。
ただ家格が高いほど藤原氏の比率が高い感がありますね。
摂家は5家とも藤原氏、清華は九家中七家、大臣家は三家中二家が藤原氏です。

なにをやってたかというと、平安〜室町にはそれなりに仕事はあったようです。
ほらなにもしない組織がでも、存在するだけで仕事ができるでしょう。それですね。
戦国時代はとにかく生き延びるために苦闘していたというところでしょう。
江戸時代は幕府の保護のもとで学問に励んでました。建前上は。
実態は内職したり、屋敷をやくざの賭場にしたりする不届き者もいたようです。
まあ一部結構裕福な家もあったようですけど。
何か利権があるとか、幕府や親戚の大名から援助があるとか、家元みたいな権利があるとか。
やはり今も昔も許認可関係は金が絡むということで。

あと五摂家筆頭の近衛家は、少なくとも幕末期はかなり裕福だったらしいです。
表高以上に実収のある土地を領地としていたためのようですが、
そう言うところを領地に認められたということは、幕府に優遇されたということなのでしょうか
311日本@名無史さん:04/03/20 00:42
312日本@名無史さん:04/03/20 19:53
武家化した公家って燃えるものがある
北畠とか一条とか姉小路とか・・・
なんかいい。
全部滅んじゃったけど。
313日本@名無史さん:04/03/20 20:43
上野吉井藩主鷹司松平家。
3代家光の正室・鷹司氏の弟が武家化。
松平の名字をもらい大名となる。
小藩ながら摂関家の出、将軍家の縁戚ということで高位を得る。
314日本@名無史さん:04/03/20 21:37
武家になって、すぐ公家にもどった例もあるらしい。
遅いカキコになってしまったが、上述の烏丸なんかは平氏から公家に逆戻りした、とある本で流し読みした記憶がある。
いつの時点かはわからないが。
315日本@名無史さん:04/03/20 22:17
京極って武家なのか公家なのか
よう分からん姓だ
316日本@名無史さん:04/03/22 22:57
武家の京極は近江佐々木氏で六角の分家。
と言ってももともとあまり家格差がなかったし、室町時代になると京極の方が有力な感がある。

公家の京極は藤原定家の子孫で冷和泉家の親類。
もう一つ二条家(摂家とは別)があって三つ巴で和歌の宗家争いをした。
ところで定家って道長の子孫になるんですよね、あまり意識されてないけど。

そもそも京極とは京の端の意味で東西両端を言ったようですから、
多分そのあたりに屋敷があったことに由来するのではないでしょうか?
六角の方は京都六角に屋敷があったことからの名乗りのようですし。
317日本@名無史さん:04/03/24 18:54
おお、俺の長年の謎が解けた
318日本@名無史さん:04/03/24 19:36
>公家の京極は藤原定家の子孫で冷泉家の親類。
もう一つ二条家(摂家とは別)があって三つ巴で和歌の宗家争いをした。

定家の嫡流が、二条。庶流が、京極と冷泉。
当初は、二条と京極に勢いがあり、冷泉は振るわず。
しかし、南北朝期に二条と京極が絶家(なまじ勢いがあったので政争に巻き込まれたというか、
自ら参加していったというか)。
そして、廟堂の中枢から外れていた冷泉家が浮上する。
振るわなかったゆえに却って生き残れた。
そして、二条家の祭祀を受け継ぐ形で、下冷泉家が(上)冷泉家から分家する。
319日本@名無史さん:04/03/26 17:19
>>310
>あと五摂家筆頭の近衛家は、少なくとも幕末期はかなり裕福だったらしいです。
>表高以上に実収のある土地を領地としていたためのようですが、

宇治とか灘を領地にしていたから、美味しかった。

>そう言うところを領地に認められたということは、幕府に優遇されたということなのでしょうか

六代将軍家宣のときか、七代家継のときに加増されている。
家宣の妻が近衛基ひろの娘で、基ひろは関白当時、家宣擁立の後押しをしている。
また、関白辞職後、現任の太政大臣のまま江戸へ下向し、
2年間江戸にいて家宣の後見人のような役割を果たしている。
320日本@名無史さん:04/03/26 23:16
>>319
>宇治とか灘を領地にしていたから、美味しかった。
灘じゃなく伊丹ね

>六代将軍家宣のときか、七代家継のときに加増されている。
たしか正徳元年(1711)だったと・・・
321日本@名無史さん:04/03/29 19:04
>灘じゃなく伊丹ね

そうでしたか。失礼。
322日本@名無史さん:04/04/13 21:30
>>1
しかしまあ、変なことを疑問に思うもんだねえ。
323日本@名無史さん:04/04/23 21:34
〉公家のままだったのか? →公家のパパになれなかったから。
324日本@名無史さん:04/05/03 02:13
325日本@名無史さん:04/05/03 10:52
>>1
上杉なんかがそうだよ。
観修寺家の庶流で女院の蔵人を務めていた藤原重房が初代。
将軍宗尊親王に従って鎌倉へ下向し、武家となった。
326日本@名無史さん:04/05/03 22:12
>>325
と言っても、新潟→米沢の上杉はまた別、本当は長尾氏
毛利は元公家の大江氏 これははっきりしている。
327日本@名無史さん:04/05/03 22:39
いまは長尾ですらなく、吉良くんだが。
328日本@名無史さん:04/05/04 03:02
>>326
>本当は長尾氏

上杉の養子になったではないか。
329日本@名無史さん:04/05/04 14:46
土佐中村の一条教房は武家?
330日本@名無史さん:04/05/04 23:34
>>329
戦国大名かもしれんが、"武"家ではないだろう。宇和島の西園寺もそうだけど貴種として担がれていただけ
331日本@名無史さん:04/05/05 00:22
>>328
日本の養子相続は女系で血を繋いでいることが多い。
婿養子はその最たるもので家付き娘に子供を産ませる。
そうでない養子も母親が養家の出であったり何らかの関係がある。
例えば人吉藩相良家は7代で直系が絶えた後公家の鷲尾家から養子を迎えたが
2代藩主の妻が鷲尾氏で3〜7代はその子孫という縁があった。
長尾→上杉の間にはこうした関係がなく
単に名跡だけを継いだのが異色。
332日本@名無史さん:04/05/05 01:06
>>331
その次の、景勝も養子(長尾家の別系統から)だしねぇ。こっちは謙信の甥だけど。
それよか、本来の養嗣子は北条からの養子で景勝は簒奪者の可能性も高いし。
333日本@名無史さん:04/05/05 02:17
謙信は朝廷から官位をもらった時何姓を称していたんだろか。
藤原姓?平姓?
334日本@名無史さん:04/05/05 02:29
関東管領の上杉家だから「源」では?
335日本@名無史さん:04/05/05 02:32
>>334
えっ…どして源姓なの?
336日本@名無史さん:04/05/05 02:39
>>1
公家が武装しても公家だよ
臣籍に下った時点で武家になる、源氏や平家は、名より実を取った一族。
結果的にだけどね。
公家とは、天皇家と姻戚関係にある家柄で、且つ臣下に下っていない人をさす
所謂西洋で言う王族、あえて騎士になる必要はない
337日本@名無史さん:04/05/05 02:44
戦前までは天皇、皇族以外はみんな臣下ではないの?
「大臣」の臣は臣下を指すのでは?
338日本@名無史さん:04/05/05 03:04
>>337
公卿と公家は、違う。
皇族の身分を、捨てた物が公卿となる
もちろん源氏や平氏にも、武家源氏・平氏、公家源氏・平氏がある

明治以降の華族制度とは全く違う。

339日本@名無史さん:04/05/05 03:08
>公家源氏・平氏がある
公卿源氏・平氏
340日本@名無史さん:04/05/05 09:54
公卿 くぎょう

明治維新以前の上流貴族。大臣を公(こう),
大納言・中納言・参議および三位(さんみ)以上の貴族を卿(けい)といい,
両者をあわせて公卿という。

公家 くげ

朝廷に仕える役人の呼び名。
公家(こうけ)はもとは天皇・朝廷の意味であったが,
やがて朝廷の役人をさすようになった。鎌倉時代以後は武家に対して,
朝廷に仕える公卿・殿上人(てんじょうびと)・地下(じげ)の役人(昇殿をゆるされなかった役人)
をさし,公家衆ともいった。


ってあるけど・・・
341日本@名無史さん:04/05/05 11:06
>>338
公家と公卿の違いではなく、天皇皇族以外の日本人は、
臣下では?と聞いているんでは?
皇族が公家に養子に行ったり、嫁に行く時も「臣籍降下」と
言うから摂家も臣下では。
342日本@名無史さん:04/05/05 11:31
>>336
>公家が武装しても公家だよ
>臣籍に下った時点で武家になる
違います。

>公家とは、天皇家と姻戚関係にある家柄で、且つ臣下に下っていない人をさす
違います。
343日本@名無史さん:04/05/05 13:08
>>336
>公家とは、天皇家と姻戚関係にある家柄で、
池田(岡山)、島津(佐土原)ですか?そういや、徳川慶喜も母は有栖川宮家の人ですが
>且つ臣下に下っていない人をさす
それは宮家。
344日本@名無史さん:04/05/05 14:37
良くごっちゃになりますが>>340が正解です。
三国司等南北朝以降に地方に土着した場合どこまで公家とみなすかはよくわかりません。
345日本@名無史さん:04/05/13 18:08

五位以上の家格持っていればいいのでは?
346日本@名無史さん:04/05/13 18:12
>>1
じゃあ、なんで「軍事貴族」なんて言う物言いがあるんだろう。
347日本@名無史さん:04/05/14 04:41
「軍事貴族」=武士の原型(中央における)=今で言う警備会社のような護衛の口入れ屋?

では、どうして院・貴族は自分の荘園の人民から自前で徴兵しなかったのか?
348日本@名無史さん:04/05/14 04:53
>>341
>皇族が公家に養子に行ったり、嫁に行く時も「臣籍降下」と
>言うから摂家も臣下では。

養子に行くときは、勿論臣籍に降りるけど
明治以前は嫁に行っても別に臣籍には降りない。
「降嫁」であっても、「臣籍降下」ではない。
例えば、徳川家茂夫人の和宮は、一生皇族のまま。
349日本@名無史さん:04/05/14 07:09
>>343
岡山の池田家は名家ですね。
昭和天皇の弟4皇女厚子様が池田に嫁がれたのをはじめ、もちろん
島津、松平家などとも姻戚関係にありますからね。
350日本@名無史さん:04/05/14 07:19
池田家は初代恒利から有名になっただけで元は出自不詳の土豪だから名家ではない
351日本@名無史さん:04/05/14 10:01
>>348
一生皇族だったら何故、和宮の墓は宮内庁管理でなく徳川家管理なのか?
352日本@名無史さん:04/05/14 15:32
>>351
徳川家の嫁だからでしょ。
353日本@名無史さん:04/05/14 17:47
>>350
池田は清和源氏頼光の末裔です
354日本@名無史さん:04/05/14 18:09
 明治以後の華族の内、公家出身者としての
特徴みたいなのはあるのかな?
355金魚:04/05/14 18:37
1>

 日本の貴族が、一部の例外を除いて、非武装化していった最大の原因は、外国との
戦争の少なさにある。
 「大国の興亡」によると、財政を逼迫させる最大の要因は陸軍にあり、貴族の贅沢
や海軍など陸軍に比べたら、屁らしい。だから、西洋では
 外国との戦争のための陸軍の大支出⇒民に重税⇒貴族は武装して力ずくで徴税

しかし、日本では
 陸軍無し⇒多少脱税されても大丈夫⇒徴税は卑しい武士とやらに任せとけ。麿は手を汚したくない。
と、言うわけである。もちろん、例外もあるが。

356日本@名無史さん:04/05/14 19:05
平和やのう  (*´д`*) 
357日本@名無史さん:04/05/16 04:58
お〜ほっほっほっほ  まろは嬉しいでおじゃる。
358日本@名無史さん:04/05/16 06:07
 鮮卑系騎馬民族の民族衣装を脱ぎたくなかったからだ。
359日本@名無史さん:04/06/18 00:28
360日本@名無史さん:04/06/18 00:33
公家なんか笑ってっけど本当はおっかねえだど
361日本@名無史さん:04/06/18 04:36
アーネスト・サトウとかいろんな外国人が幕末の日本のこと書いてるけど
日光例幣使はギャングと言われてるよ
362日本@名無史さん:04/06/22 16:27
>>104
消えてたんで探したら移転してた。
更新はしてないみたいだが。
ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~cool/essay/006a.html
>>1
承久の変・南北朝の争乱を起こしてみたものの、散々ボコられ、大いに懲りて
以後、すっかりおとなしくなった
364日本@名無史さん:04/07/29 14:46
      m
      山
    , ┴┴ 、
.  /.r⊂┴⊃、 \   / ̄ ̄ ̄ ̄
 └C。−..−。 ^)┘ <あげるでおじゃる
    _> ∩<_     \____
   ( _))⊃⊂((__)
   7_____T____ヽ
     ̄   ̄
365日本@名無史さん:04/08/28 16:08
ところでさ、公家の定義ってなによ?
官位とか官職ってのは大名とか旗本ももってるし。
366日本@名無史さん:04/08/28 17:20
言語)自分のことを「まろ」という、語尾が「おじゃる」
要望)顔に白粉をぬっている、眉がない、お歯黒
趣味)蹴鞠する、歌を詠む

こんなもんかな?
367日本@名無史さん:04/08/29 16:18
>>365
宮廷貴族のことじゃないの?
368日本@名無史さん:04/08/29 23:10
「宮廷貴族」ってのも曖昧だな。
宮廷貴族の定義は?てことになるよ。
369日本@名無史さん:04/09/10 04:22

      m
      山
    , ┴┴ 、
.  /.r⊂┴⊃、 \   / ̄ ̄ ̄ ̄
 └C。−..−。 ^)┘ <あげるでおじゃる
    _> ∩<_     \____
   ( _))⊃⊂((__)
   7_____T____ヽ
370日本@名無史さん:04/09/10 05:34
>>365
無為徒食、権謀術数の徒輩。
371日本@名無史さん:04/09/10 18:54:26
>>370
それって上層の人には当たり前というか、必要というか。
372日本@名無史さん:04/09/13 12:43:49
a
373日本@名無史さん:04/09/13 12:45:12
公家と武家の官位は別物。
374日本@名無史さん:04/09/13 13:04:46
もともと「公家」って、朝廷そのものを指していた言葉だったんでしょ。
時代が下るにつれて朝廷に仕える貴族、廷臣を指すようになったけど。

だから、「公家」といった場合、地下官人も含めているんではないの?
375日本@名無史さん:04/09/13 13:10:17
○○の守とは朝廷から与えられた官職です。
官職と位階の違いは官職が太政大臣とか大納言とかいった、役職を指すのに対し、
位階は、正一位、とか従一位とかいったくらいを指します。
守は基本的にその地方の長官を指しますが、江戸時代領国と地名は対応していなかったようです。
尚、ランク的には大国の方が小国よりうえで京都に近いほどランクが上だったと記憶しています。
376日本@名無史さん:04/09/16 17:17:27
>>374
もともとは「公家」といえば天皇、「武家」といえば征夷大将軍
のことで、天皇のとりまきは公家ではなく「公家衆」、
武士階級は武家ではなく「武家衆」といった。

その公家衆・武家衆が後の時代になると公家・武家と略されて
しまったので、ごっちゃになってるってわけ。
377日本@名無史さん:04/09/21 23:30:44
同じく「公家」と書いても「くげ」と読むか「こうけ」と読むかで全然意味が違ってくることを、
>>376の屑下郎は知らないようだな。プ…
378日本@名無史さん:04/09/24 03:55:25
>>377は、
おのぼりの江戸侍を相手にした京都のいんちき公家商売みたいな奴だなw
379日本@名無史さん:04/09/26 02:33:30
>>378
京都のいんちき公家商売は、
今でもやっているよ。
安物料理に能書きタレて、
ボッタクリやっとるぞ。

おのぼりの江戸侍とは、旗本の大番組かね?
380日本@名無史さん:04/10/09 15:39:17
なんていう公家がやってるの?
381日本@名無史さん:04/10/09 22:38:42
エンペラー吉田

「天才・たけしの元気が出るテレビ」で有名な素人。

「偉くなくとも正しく生きる」の座右の銘と入れ歯をはずすその技で、お茶の間を沸かせた。


382日本@名無史さん:04/10/31 02:02:52
383日本@名無史さん:04/11/18 01:21:51
>>381
公家の子孫?
384日本@名無史さん:04/11/18 02:48:54
>>375
介はナンバーツーなんだけど
上総介と上野介は他の国の守よりランクが上なんだよね
律令官制でのランクづけじゃなくて
貰う人の気持ちというか誇りの上でのランク
守が親王任国だからね
385日本@名無史さん:04/11/18 11:58:04
小泉総理を平成幕府初代将軍に
386日本@名無史さん:04/12/02 21:10:58
いやん
387日本@名無史さん:04/12/15 22:37:04
「公家は公家のままだったのか」というより、「貴族はなぜ公家になってしまったのか」と
言ったほうが良いのじゃないかな。平安中期以降、貴族が武力を放棄したのはなぜか?。
貴族が武力を放棄しなければ、「武士」という新たな特権階級は生まれなかったはず。
388日本@名無史さん:04/12/17 20:31:27
いや公家のまま残ったの公家が公家 で武家になった元公家は武家じゃないか
例:毛利、上杉、北畠、姉小路、一条、西園寺etc
389日本@名無史さん:04/12/17 23:09:36
>>388
公家のまま残ったというより、公家になったと言った方がいいと思う。宮廷貴族も奈良
から平安時代初期までは武装していた。

すべての上級貴族が武力を放棄し、わずかな下級貴族が武力を保持し続けた。武力
自体が蔑視の対象となり、武装下級貴族は貴族社会から浮くようになった。そのわずか
な武装下級貴族すら、平安〜鎌倉前後の混乱ですべて没落してしまった。

鎌倉武士は、武装下級貴族の出身ではなく、その郎党にすぎない。

390387 389:04/12/17 23:24:28
>>387>>389の「公家」は、天皇家の廷臣という意味じゃないです。
一般人の想像する型の公家、つまり、武力を行使しない文官宮廷貴族の意味で使ってます。
391日本@名無史さん:05/01/02 00:13:38
392日本@名無史さん:05/01/08 16:58:51
まろはageるでおじゃる〜
393日本@名無史さん:05/01/08 17:20:32
麿は戦いたくないでおじゃる。
394日本@名無史さん:05/01/08 19:47:42
おじゃると言えば茂野の味川柳だがあれも公家なのか
395日本@名無史さん:05/01/28 17:04:04
なにそれ?
396日本@名無史さん:05/01/28 19:03:03
397日本@名無史さん:05/02/20 14:15:32
へえ
398日本@名無史さん:05/03/12 17:22:23
公家侍って世襲だったの?
399日本@名無史さん:05/03/12 18:33:25
俺のうちは普通だし、別に関係ない。周りにそんな身分の高い知り合いいないし。
別に関係ない。
400日本@名無史さん:05/03/13 00:32:15
蹴鞠の伝統があるのに、日本からストライカーが出現しないのは
ここらへんあたりに理由があるのか。
401日本@名無史さん:05/03/13 21:50:09
戦国厨によって今川氏真公が不当に貶められてるからだろ。
402日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:09:56
不当なの?
403日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:26:40
不当だろ。今川氏真は絶世の名君。神。
404日本@名無史さん:2005/04/30(土) 00:14:45
マジ?
405日本@名無史さん:2005/05/01(日) 00:45:52
ネタだろ、釣られるな
406日本@名無史さん:2005/05/04(水) 02:31:16
個人的な趣味で武芸を磨いてるやつはいたけどな
本能寺の変で信忠と一緒に戦って怪我して退場したやついたよね?
407日本@名無史さん:2005/05/07(土) 14:48:35

葉室なんとかだったっけ?
408日本@名無史さん:2005/05/13(金) 01:20:45
葉室なんとか(大納言?)はもっと昔に畠山氏の合戦で自刃した人だったような
陶の謀反のときも斬られてる人がいるね
やっぱ公家と武家は別と言いつつもさすがに関係が深いと見逃してもらえないのかな
409日本@名無史さん:2005/05/14(土) 00:23:50
落城とか乱戦になると、相手が男だったら手当たり次第殺戮しまくって首を取るんでしょ。
公家も戦場では鎧着てるだろうから、武士と見分けつかないだろうし。
410日本@名無史さん:2005/05/14(土) 09:37:21
>>406が言ってるのは正親町季秀。
>>408が言ってるのは葉室光忠。
陶の謀反のときに斬られたのは二条尹房、三条公頼、大宮伊治など数名。
411日本@名無史さん:2005/05/16(月) 22:47:01
age
412日本@名無史さん:2005/05/20(金) 13:48:31
age
413日本@名無史さん:2005/05/26(木) 00:14:42
葉室ってわりと俗っぽいのが多いよな
414日本@名無史さん:2005/06/05(日) 13:23:27
>>410
二条って摂関家?
415日本@名無史さん:2005/06/06(月) 04:31:09
播磨の冷泉家って公家のうちに入るの?
416日本@名無史さん:2005/06/22(水) 20:57:38
なにそれ?
417日本@名無史さん:2005/07/04(月) 00:01:52
そんなのあるのか
418日本@名無史さん:2005/07/07(木) 17:07:37
播磨の冷泉家は所謂分家の下冷泉家と言う公家で、戦乱を避けて所領のある
播磨の細川に寄寓していたが、三木の豪族別所長治の攻撃を受け、当主為純は
子の為勝と共に戦死してしまいました。そして、その後を継いだ為将も亡くなった
ため、一時絶えたが、為純の三男で有名な儒学者である藤原惺窩の子の為景が後を
継ぎ下冷泉家を再興しました。
419日本@名無史さん:2005/07/07(木) 17:44:54
江戸期に公家領で一揆など起きた場合、
どうやって鎮圧するの?
もっとも江戸期の一揆では武装蜂起はほとんどないが。
420日本@名無史さん:2005/07/09(土) 11:22:34
そもそもその前提として、公家領で一揆が起きた事なんてあるのか?
421幕末維新:2005/07/13(水) 12:32:52
三条実美は王政復古後の政治の舞台では臆病な物事ハッキリできない性格だったんですか?
422日本@名無史さん:2005/07/14(木) 08:06:16
醍醐
423日本@名無史さん:2005/07/14(木) 09:59:29
近衛
424松平鷹司右衛門督信平:2005/07/14(木) 12:41:34
麿から拙者になれました私は勝ち組ですかね
425日本@名無史さん:2005/07/14(木) 13:17:44
女優の久我美子や宝塚の花總まり(醍醐まり子)は本当に公家の末裔らしいね。
426日本@名無史さん:2005/07/14(木) 13:26:02
文化放送にいた九条道弘氏も。
427日本@名無史さん:2005/07/14(木) 16:46:46
綾小路公麿
428日本@名無史さん:2005/07/14(木) 19:03:08
往年の女優・東山千栄子の本名と父親の爵位を教えて下さい。
宜敷く。
429藤原定価百円一種:2005/07/14(木) 23:56:03
>425
醍醐まり子や東山千栄子はいざ知らず、久我美子(実家を憚って「くが」と
言っているが、勿論本姓は「こが」)の侯爵令嬢は有名でしょう。
今更何をと叱られますよ。村上源氏の嫡流、久我家と言えば、清華の一つで
名門公家華族です。今の久我家は養子を辿って行けば、美子氏の曽祖父通久が
一条家から継いでおり、更に辿れば、鷹司家から二条家に達する。それ以前にも
近衛家からも養子を迎えており、摂関家とは関係が深い。
430日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:00:38
しかし個人的には、久我美子ってあんまり気品みたいなものを感じない
女優だと思うんだよなあ。
公家のお姫様って実際にはあんなもんなのかなあ?
431日本@名無史さん:2005/07/15(金) 00:12:05
知り合いに某大名家の分家の姫君がいたけど
普通のおにゃのこだったよ。


正直、小渕総理の娘なんかよりは、細川護熙さんの娘さんに
衆院選に立候補してもらいたかったものだがw
432日本@名無史さん:2005/07/15(金) 08:26:44
ちなみに加山雄三の母親などは?
433日本@名無史さん:2005/07/15(金) 08:40:09
>432
加山雄三氏の母親は小桜洋子=芸名。岩倉具視の孫。
434日本@名無史さん:2005/07/15(金) 09:50:18
>>431
公家って奉公人の娘に手を付けて子供産ますの多いから
八百屋の娘に産ませた子なら血の半分は八百屋だし次の代は4分の3が
435日本@名無史さん:2005/07/15(金) 10:00:37
だからそういう実例、本当に多くあるのかよ?
奉公人っていったって地下の官人の娘だったりするほうが
多いと思うが?
436日本@名無史さん:2005/07/15(金) 11:26:59
山科言継の実母は?
437日本@名無史さん:2005/07/15(金) 12:19:09
往年の女優・東山千栄子の本名と父親の爵位を教えて下さい。
宜敷く。
438日本@名無史さん:2005/07/15(金) 20:20:58
しかし考えてみると、
八百屋の娘にせよ奉公人にせよ、手をつけるからには
それなり以上の美人だったには違いないんだろうな。
政略結婚とかの正妻の子にせよ、「お手つき」が何人もいる中でその人とエチしたんだから
あながちブスな正妻ではなかったに違いない。

↑こういう理由から、昔の上流階級は遺伝的に美しい人が多かったに違いないと
推測するのは、恐らく正しいと思う。
439日本@名無史さん:2005/07/15(金) 20:32:01
大名は美女の中から選び放題だから、子供も池面が多い。
実際幕末の大名の写真を見ると
みんなイケメンだったりする。
徳川慶喜とか松平容保とか

公家の場合、羽林家とか名家レベルだと
それほど美女と槍マクリではなかったに違いない。
岩倉具視とか武者小路実篤とかブサイクだし。

同じ公家でも清華家以上だと、三条実美とか西園寺公望とか
ある意味公家的なハンサムっぽくも見える。
440日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:54:04
往年の女優・東山千栄子の本名と父親の爵位を教えて下さい。
宜敷く。

或いは誰ひとり知らぬのかゑ?


441日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:00:29
>>438
近衛なぞ見ても、そうは思えんぞ
442日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:16:15
>>440
大体、東山千栄子自体、ほとんど誰も知らないのでは?
30代半ばの俺でも名前しか知らないもん。俺の同世代でも2割も
知らないと思うよ、その名前。ここに出入りしている人のほとんどは
知らないでしょ。
443日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:40:01
>>441
ふーみん(近衛公)≒護熙タン だけど

平均的な日本人から見たら、池面な方でしょ。
(山拓とか亀井と護熙タンを比べてみれば瞭然)
444藤原定価百円一種:2005/07/15(金) 23:27:35
>440
教えろ教えろって、大体東山千栄子の父親が華族だと言う根拠は何?公家か
大名か宗教か勲功か何なの。私の年代はリアルタイムで東山千栄子を知って
いますが、上品な老婦人で華族出身と言っても通りそうではありましたが・・。

>443
天子摂関御影の近衛基通、家実の顔を見ると思わず笑いますね。
しかし、山崎や亀井と比べるのは論外でしょう。もう少しましな、せめて人間に
近い政治家と比べましょう。
445日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:30:57
東山千栄子が華族出身だという事実は子供でも知ってるゾ!
446日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:35:58
いや子供は知らないだろ
つか、一般人で東山千栄子と言う名前を知ってるのかさえ(ry
447日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:37:49
俺はマジで知らんけど何か?
448日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:49:47
旗本なんかも美形おおいな
陪臣でも東郷とか陸奥とか
http://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/mutuwife.html
449日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:58:40
450日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:07:54
ふーみんは当時端正な容貌と認識されていたみたいだよ。
母は前田家だね。
451日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:27:35
明治以降は身分違いの養子・縁組も多くなるし
何より、大名だからといってヤリまくれるわけではなくなるので
>>438-439の理屈は成り立たなくなる。
だから幕末〜明治初頭のみが参考となる正しい資料。

ふーみんは比較的端正だったんだろうけど、
>>449を見る限り篤麿公は微妙だね。
松平容保がカコイイ
452日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:58:24
なるほど、GHQによって一夫一婦制されてしまった皇室典範を、明治時代
のものに戻せば、やりまくれるので池面の可能性が高くなるし、女系相続
の心配をしなくともよくなるな。
453日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:12:49
フィリピンかタイかマレーシアか忘れたけど
秋篠宮の隠し子が男子だっうわなnおすyてゃk
454日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:49:36
文麿の生母は前田家の姫だけど産んですぐ死んじゃったんで
妹がスペアとして後妻に来たんだよな
秀麿などの弟妹は後妻の子
跡継ぎの長男として大事に育てられたけど
「文麿さえいなければ」という陰の声は常に聞こえていたらしい
455日本@名無史さん:2005/07/16(土) 07:56:11
>>452
その通り。せめて皇室だけでも、昔のように一夫多妻にしても
良いと思うが、アホなフェミやマスコミ共が許さないだろうな
456日本@名無史さん:2005/07/16(土) 08:06:15
もう役割は完全に終った。
457日本@名無史さん:2005/07/16(土) 10:52:58
>>453
隠し子(ご落胤)くらいならば、歴史上いくらでもある話だし
全然構わないけど、
正直外国人とのハーフがいきなり現れて皇室を継いだりしたら、イヤだな・・・
458日本@名無史さん:2005/07/16(土) 12:25:29

ハーフを差別するのか?
この人間のクズが!
459日本@名無史さん:2005/07/16(土) 12:44:41
>>458
あんたは、自分は心の底の底でも全く人種差別をしていないと言いたいのか?
それこそdでもない嘘つきだと思うが
460日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:03:20
つーか歴史的に隠し子がたくさんいたからっていて、
現代において国民感情に受け入れられるわけねーだろ。
461日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:58:04
俺は受け入れるが
462日本@名無史さん:2005/07/16(土) 15:23:37
もれはむしろ一般の皇族以上に受け入れたいよw
463日本@名無史さん:2005/07/16(土) 16:10:41
顔つきが日本人的だったら、外人の皇后もいいんじゃない?
非皇族の日本人だけじゃなく、外国人のDNAも取り込んで、ますます皇族に優秀な人が出てくると思う。
464日本@名無史さん:2005/07/16(土) 17:54:29
文麿は容姿端麗かどうかより、イギリスの貴族にだって負けない風格があるよ
465日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:24:03
>>464
だって家柄の古さだったら、近衛家と比べたらイギリス貴族なんて赤子も同然じゃない。
風格あるはずだよ。
466日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:31:17
・・・なんで天コロは風格ないんだろう??








ま、まさか大室・・・!?
467日本@名無史さん:2005/07/16(土) 22:37:07
>>465
「わが家には古いものはありません。この前のいくさで全部焼けて
しまいましたから」って応仁の乱のことだって話だもんな
468日本@名無史さん:2005/07/17(日) 09:34:47
醍醐家は江戸初期に摂関家の一条家に世継ぎが絶えそうになったから
後陽成天皇の息子がそのまま臣籍降下してその子の息子が新たに起こした
家だから、公家というより完全な皇族だな。
469日本@名無史さん:2005/07/17(日) 10:49:39
>>468
しかしまあ、よくもそこまでいい加減なことが言えるもんだ。
歴史の捏造が得意なつ○る会にでも入った方がいいよ。
470風早左近衛権中将:2005/07/17(日) 10:57:21
公家、公家言うても、生活に困ってまんねん、わしら。そこいらの町人の方がよっぽど公家らしい生活してまっせ。次、生まれてくる時は商人がええなあ。
471日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:40:30
>>470
公家がそんな下品な大阪弁か奈良弁みたいな言葉を使うはずないだろうが。
氏ね
472日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:42:29
コメントお願いします。

マスコミ評論 社会*政治
http://blogs.yahoo.co.jp/tlabyo
473日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:50:37
新体制運動は元々近衛を党首とし独裁的政治組織を作り上げる事が目的だったが、
これを嫌った観念右翼が
近衛は天皇家を上回る政治力を持ち国体を乱す気だと批判した。
近衛はこれに大きなショックを受け、細川護貞が
ヒトラーのようにするんじゃないんだから無視するべきだと言うと、
僕の先祖には藤原道長みたいな人もいたからね、と言って
新体制運動の具体的な案を全て投げ捨てた。
474日本@名無史さん:2005/07/17(日) 14:42:43
>>473
華族になってからの公家の話は華族スレでやってね。








バカ
475日本@名無史さん:2005/07/17(日) 14:48:59
>470
なんで大和ことば忘れっちまったんだよ?

大和の公家さん。
476日本@名無史さん:2005/07/17(日) 18:16:15
>>465
しかし、近衛氏は断絶しているけどな。天皇家の出身者が後を
継いだとはいえ、道長の子孫ではないのは痛い。

477日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:25:50
>>476
このバカが。
天皇家の血が入っても、>>465が言っている家柄の古さについては何ら問題ないだろ。
だいたい何で道長なんだ?
家柄の古さが話題になってるんだから、どうせあげるなら鎌足だろうが。
脈絡のない道長オタの基地外め。
とっとと氏ね。
478ハイジ:2005/07/18(月) 01:34:01
君達、名君 今川義元、氏真親子を忘れてはいけません。
この公家的ながら、文武両道な生き方、参考にしよう。
氏真公の生き方は、現代にも通用する生き方だ。
479日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:50:47
公家なんて寄生虫だな。
480ハイジ:2005/07/18(月) 02:03:08
名君今川義元公は、公家ではないが、公家風生活を好んだ。
一方、弓矢が得意で、海道一の弓取りなどともいわれた。
このような、文武両道な公家的人物も存在したわけだ。
481日本@名無史さん:2005/07/18(月) 02:13:42
>>480
若いころ、妙心寺に居て、公家と交わっていたからな。
482日本@名無史さん:2005/07/18(月) 02:34:51
公家さんて上品な京弁で喋らはるんやて。
お茶屋とか料亭の女将はんみたいな。
483日本@名無史さん:2005/07/18(月) 09:21:10
「京弁」やて、あんさん、阿呆とちゃいますか?
京都の御所言葉と色街の廓言葉とは全然、違うもんどっせ!
484日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:26:45
そういえば前も今川のことカキコしてた蛆虫がいたな。
485藤原定価百円一種:2005/07/18(月) 11:22:31
ほかの板でも書きましたが、人の意見に、誹謗、中傷は最低です。我々は素人の
趣味に過ぎず、学会の発表じゃあるまいし、間違いも御愛嬌の内です。
反論があるなら、堂々と内容で切り返しなさい。悪態は自分自身恥ずかしいと言うか、
情けないでしょう。せめて、ハンドルネームぐらいは示しなさい。その勇気も
無いなら、黙っておく事です。何にせよ、気持ちよく論議したいですからね。
486日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:29:37
誰に対して言ってるんだよバカ
487藤原定価百円一種:2005/07/18(月) 11:39:49
>>486
オメエにきまってんだろ、クズ!
488日本@名無史さん:2005/07/18(月) 11:52:25
>>480
一条、西園寺、姉小路
489日本@名無史さん:2005/07/18(月) 13:45:11
>>487
はあ?バカも休み休み言え。
490ハイジ:2005/07/18(月) 13:50:21
冷泉家もお忘れなく・・・。
491藤原定価百円一種:2005/07/18(月) 14:45:47
>487
人のハンドルネームを騙るのは止めなさい。オメエこそ最低だ、と言いたいね。
私はナンバー表記をその様には表さないので、嘘を書くなら、注意する事。
注意力の程度と言うか、頭の程度が知れるよ。
492日本@名無史さん:2005/07/18(月) 14:56:32
>>491
ハンドルネームを騙られたくなかったら、トリップをつけることをお薦めする
493日本@名無史さん:2005/07/18(月) 20:29:48
>>483
「郭言葉」やて、あんさん、阿呆とちゃいますか?
お茶屋、料亭の女将はんは花魁やあらへんがな
494日本@名無史さん:2005/07/21(木) 07:55:18
ここ阿呆ばっかり揃うてけつかるノウッ!!
特に493番!!
495日本@名無史さん:2005/08/05(金) 14:01:51
荒しなのかアンチが出て以来凹んだな、このスレは。
496日本@名無史さん:2005/08/05(金) 14:21:04
甘やかすからダメなんだよ。パソコンの前で揚げ足を取ったりさ
普段はビクビクしてるんでしょ。単に臆病なだけなんだから
誰かを批判する事しか出来ないし、そういうのは身分を明かしてやれよ。       
               by太田
でも、そういう場を与えてやらないとなんか可哀相。
ネットの中でくらい好きにさせてあげたい。
お外にも出れないし、きっと友達もいないんだと思う。
               by真鍋
ああ、まあ、うん。ね、そうそう、まあね。
               by田中
497日本@名無史さん:2005/08/05(金) 14:58:09
明治維新で華族になられ、第二次大戦で華族が崩壊し長い伝統ある公家が無くって残念です。
498日本@名無史さん:2005/08/05(金) 18:30:34
公家ってのは今でいう官僚か役人と同じような感じがするな。武士のように勇ましく闘って
覇者になった訳でもないし、僧侶のように慈善活動してた訳でもないし換言すれば
御所の近所に住んで天皇・皇族の世話した”忠犬ハチ公”のような存在だな。
大体、「下り藤」発想は現在の「天下り官僚」と同じへタレそのものだよ、残念ながら・・・
499日本@名無史さん:2005/08/06(土) 12:46:04
>>498
上り藤は?
500日本@名無史さん:2005/08/06(土) 12:54:30
家紋だろ
501日本@名無史さん:2005/08/06(土) 12:56:12
500
武家だってもとは御上や公家の犬ですわ。
僧侶なぞ世捨て人も多くおりましょうに。
502日本@名無史さん:2005/08/06(土) 15:23:31
お公家様ってのは、明治まで男は毎日衣冠束帯で女は十二単だったのか?
503日本@名無史さん:2005/08/06(土) 15:43:21
幕末維新期の写真だと、公家も普通の羽織袴姿で写真に写ってる。
例、仁和寺宮、武者小路実篤の父親、
504日本@名無史さん:2005/08/06(土) 15:44:41
公家って江戸時代は朝廷の政を行なっていた?
今はどんな暮らしを?
505日本@名無史さん:2005/08/06(土) 16:33:42
今はもう庶民と同じだよ
近衛文麿の娘の野口昭子さんは父親のことを最後の公家と言ってる
「兄にはもうあの雰囲気はないんですよ。父だけにある雰囲気なんです」
506日本@名無史さん:2005/08/06(土) 18:03:38
まぁ文麿公は誠気品漂う高貴な殿方
写真から見てもわかりますわ。
歴代首相の中では一番気品がございますこと。
その気品ゆえのプライドの高さか
昭和帝ともお友達感覚だったのでございましょう。
自害なされたのがおしゅうございます。
政治家としてはどうあれ
その匂うが如く危険さが大好きですわ。
たいそうオモテになったのでは?
某博物館で彼の演説を聞いたら歓声が凄かったもの。
507日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:01:50
>>506
>まぁ文麿公は誠気品漂う高貴な殿方
写真から見てもわかりますわ。
歴代首相の中では一番気品がございますこと。




でも馬面だけどね>近衛
508藤原定価百種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/06(土) 21:29:09
まあ貴族は馬面が通り相場だが、近衛文麿の顔ってそんなに気品がある?
むしろ、ちょっと古いけど、徳川慶喜や松平春嶽や山内容堂のような大名の方が、
悠揚迫らずと言った感のある貴族顔をしているように思える。
近衛の顔はどうも卑近に見えてしまうが、言いすぎだろうか?
509日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:33:40
定価卿はどこへ行っても嫌われ者だな。
卑怯な自作自演で人を罵倒するのがバレバレだから仕方ないか。
510日本@名無史さん:2005/08/06(土) 22:54:29
>>508
徳川慶喜=母方が宮家出身、近衛=父方が宮家出身
容堂=父方山内でも分家、母方大工

現在の貴族顔といえば坊さんの両大谷家の人とかみたいな顔のことかな。
511藤原定価百円一種:2005/08/06(土) 22:55:02
>>508
こっちにもいた!漏れの偽物が!
トリップ付けてなりすまして、漏れの評判を貶める気だな。
512日本@名無史さん:2005/08/06(土) 22:59:23
近衛文麿は2度首相になって、2度とも碌な事をしていない
1度目、「国民政府を対手とせず」
→シナ事変収束の機会を失った

2度目、ハルノートを見て政権を投げ出した。
513日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:01:32
>>512
>近衛文麿は2度首相になって



(´_ゝ`)プッ
514日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:31:40
ハルノートも首相やめた後だしプッだな。
西園寺も馬面。
顔が長い。
皇族も昭和帝とあの時代の宮様達までは顔長かったね。
岡義武の『近衛文麿』と『近代日本の政治家』読んだけど
結局西園寺も近衛も行動パターンがソックリ。
やはり公家だ。
515日本@名無史さん:2005/08/06(土) 23:40:17
岩井忠熊は評価高いけどね>西園寺
516日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:22:59
近衛さんは、たしか1937年、1940年、1941年と3回組閣をしているはず。
517日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:29:14
戦後は東クンニ宮内閣で副総理、溜詰格、内大臣府御用掛
518日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:37:13
ナル殿下の顔が丸くなっちゃったのはやはり問題だね。
519藤原定価百円一種 ◆U2UnG/UZg2 :2005/08/07(日) 00:46:36
>510
近衛=父方が宮家出身。と言っても、後水尾帝の子孫なんだからもう何代になるの?
そんな事言い出したら王孫系統の公家はいっぱいいるよ。それに、宮家と公家は同じ
カテゴリーだよ。
容堂も分家だと言うが、山内の血筋には違い無いし、母親は関係ないでしょう。
520日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:04:48
>>519
顔は母親も関係すると思うが・・・
521日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:22:40
藤原定価って人、性格悪そう。
522日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:41:12
ここのスレの住人って公家侍の存在を知らない馬鹿ばっかりなんですかぁ?
523日本@名無史さん:2005/08/07(日) 05:02:42
土佐一条家とか?
524日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:58:03
>>522
公家侍が武士だと思っている馬鹿がいる
525日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:27:37
>>524
公家の家臣の侍のことじゃないの?
一条とか西園寺とか姉小路、鷹司松平のことではなく。

526日本@名無史さん:2005/08/09(火) 04:35:51
公家侍とは、どのような人でしょうか?斬首人とか
岡っ引きとか、そんな人々のことかなァ?
527日本@名無史さん:2005/08/10(水) 23:25:49
>>526
>>525の言うとおり。
公家侍というのは公家の家臣の侍のこと。
この場合の「侍」とはおおむね六位までしか出世できない階級の人々を指す名称。
「侍」とは武士の出現以前から存在する言葉であって、もともと武士とは関係ない。
武士のほとんどが「侍」階級だったことから、後世“侍=武士”となっただけ。
528日本@名無史さん:2005/08/25(木) 00:59:40
ほー
529日本@名無史さん:2005/09/13(火) 01:14:32
530日本@名無史さん:2005/09/16(金) 23:12:30
しばらくsage進行でお願いします
531日本@名無史さん:2005/09/18(日) 18:25:05
>>530
史ね
532日本@名無史さん:2005/10/02(日) 00:54:46
>439
単純に公家は新モンゴロイド系
で武家が古モンゴロイド系なだけだよ。
533日本@名無史さん:2005/10/02(日) 00:58:38
侍階級=使い走り階級
534日本@名無史さん:2005/10/19(水) 01:18:40
535日本@名無史さん:2005/10/19(水) 01:25:18
糞スレを!
.    _, ,_
   ( ・e・) 
    ⊂彡☆;)`ω゜)

  
   ageるなと!!
         _, ,_
        (・e・ )
   ( ゜ω´(;☆ミ⊃


   言ってるだろうが!!!
.    _, ,_
   ( ・e・)
    ⊂彡☆;)`ω゜)
536日本@名無史さん:2005/11/16(水) 08:03:47
公家って江戸時代は朝廷の政を行なっていた?
537日本@名無史さん:2005/11/16(水) 08:50:13
公家=天皇
538日本@名無史さん:2005/11/29(火) 20:10:36
>>219
>>221
さっき、Wikipediaの北畠の項目みたら正直に信じて掲載してる香具師がいるな。
いいのか?
539日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:19:15
公家にさぶらう(侍う)のが武士
主が臣下になってどうすんのじゃ
540日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:43:30
>>536
他にやることないし。
541日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:43:39
ハム家に銭が無いんじゃ。経済力のあるヤツが強い
コレが世の理
542日本@名無史さん:2005/11/30(水) 02:04:16
>>539

その理屈で没落したんでしょうね…。
543日本@名無史さん:2005/11/30(水) 04:57:01
捕手
544日本@名無史さん:2005/11/30(水) 08:28:32
>>536>>540
儀式と宮廷のごく軽度の日常的雑務のみ。
例えば修理でも一定額を超えたら幕臣の決済が必要。
儀式でも不足は幕府が賄う制度だから仕方がないけど。
545日本@名無史さん:2005/11/30(水) 20:19:22
ヒモは幕府が握ってたってことね。
ある程度高位の官位や年号も実際は幕府があれやこれや
指示してたみたいだし。
546日本@名無史さん:2005/11/30(水) 20:49:24
公家の仕事は和歌?書道?毛鞠?
547日本@名無史さん:2005/11/30(水) 20:56:23
家によってちがう。
和歌は冷泉、書道は有栖川、蹴鞠は飛鳥井。
あと、琵琶は西園寺、包丁道は四条、相撲は五条など。
548日本@名無史さん:2005/12/01(木) 01:51:31
有栖川て公家か?
549日本@名無史さん:2005/12/04(日) 10:26:40
>>548
広義では公家だろ。
皇族(宮家)も公家と考えていいと思う。
550日本@名無史さん:2005/12/04(日) 21:31:55
蹴鞠専門の公家なんかいたのか
551日本@名無史さん:2005/12/04(日) 21:38:18
飛鳥井家は和歌の宗家だが、蹴鞠の宗家でもある。
今出川堀川にある白峰神宮は、飛鳥井家の邸宅跡が神社になったところで、
鞠精大明神が祀られ、球技の神様としてJリーグの選手たちなどが参詣して
いる。
552日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:12:37
ほほう
553無官鷲尾隆冬 ◆uYNB6iFD.k :2005/12/05(月) 02:54:18
南朝の公家は多くが武装して戦闘にも参加してますよ。
北畠親子は比較的知られているけど、他にも…

○四条一族
四条隆資→正平3年、楠木正行と共に四条縄手合戦に参加。野武士2万を率いる。
     正平7年、八幡合戦の時、殿をつとめ足利義詮軍と戦闘の末、戦死。
四条隆貞→元弘3年1月、「大将軍」として楠木正成と共に天王寺で幕府軍と戦う。
     護良親王の側近だったため、その失脚と共に粛清され「打死」。
四条隆俊→正平8年、「公家大将」「四人大将」として神楽岡合戦に参加。
     正平10年、「公家大将」として摂津神南合戦に参加。
     正平15年、龍門山合戦に参加、畠山軍と戦う。
     正平16年、「公家大将」として上洛軍に参加。
     文中2年、天野行宮にて楠木正儀と戦い戦死。
四条隆保→神楽岡合戦に参加。
554日本@名無史さん:2005/12/10(土) 19:13:06
公家の親玉が皇族
555日本@名無史さん:2005/12/10(土) 19:20:27
宮家は摂家より実質的には扱いが下でしたけどね。
556日本@名無史さん:2005/12/16(金) 00:54:34
北畠、一条、姉小路は何で戦国大名になれたんだろ
557日本@名無史さん:2005/12/23(金) 04:03:49
京都在住の友達に、室町って苗字の人がいるんだけど
公家確定?
558日本@名無史さん:2005/12/23(金) 23:19:03
下流の公家じゃね?
559日本@名無史さん:2005/12/25(日) 17:10:02
>>557
旧堂上の四辻家はもともと「室町」を号していたが、足利将軍が室町殿と言われるようになったため、
憚って「四辻」と称するようになった。
その後、明治維新になって昔の「室町」に家号を復し伯爵に叙されている。
もしかしたらその一族かもね。
560日本@名無史さん:2005/12/28(水) 01:34:12
>>558
堂上公家はそこそこええとこだろ@室町家
561日本@名無史さん:2005/12/29(木) 11:02:15
>>560
バカ。
>>559の尻馬に乗ってるんじゃねえよ。
バカ。
562日本@名無史さん:2005/12/29(木) 11:04:37
室町家は徳大寺経由で東山天皇の男系子孫。
563日本@名無史さん:2005/12/29(木) 15:32:50
四辻から室町になったんじゃなくて
室町→四辻に変わったの?
サイトによって書いてること違うんだけど。
564日本@名無史さん:2005/12/29(木) 15:56:47
>>563
いいか、一度しか言わないからよく聞けよ。
もう一度目ん玉をひん剥いて、よーーーーーーーーーーく>>559を読み直せ。
565日本@名無史さん:2005/12/29(木) 23:57:55
土佐一条氏は公家?
566日本@名無史さん:2006/01/03(火) 11:02:57
>>565
公家じゃなかったらもう少しマシな滅亡の仕方だったと思う。
567日本@名無史さん:2006/01/08(日) 12:05:31
>>566
どういう無様な滅亡をしたのですか?
568日本@名無史さん:2006/01/09(月) 17:34:05
「公家の中のある者は、豊かな富もなく、目を眩ますようなけばけばしさ
もなかったが、想像力を掻き立てるものは全て備わっていた。彼らは、
簡素な家に住み貧乏と言ってよい程の質素な生活を送っていたが、
周りには後光がさしていた。

彼らの前では、地方の豪族や、大きな城に住む貴族の豪華絢爛の生活や、
煌びやかな軍隊も 色褪せて見えた。

公家たちは貧しく謙遜であったが、自分たちは聖なる天皇と同じく、
祖先の神の栄光を、独特な神秘的な方法で受継いできた者と自任し、
周り(の人々)もそれを認めていた。」

英国貴族出身の外交官リーズデイル卿の『回想録』からの引用だけど、
こういうのを読むと、公家には、武家には無い特別なオーラや存在意義
があったようにも思える。近代以降のヘタレな子孫にはその資質はないが。
569日本@名無史さん:2006/01/09(月) 17:46:04
公家衆がうるさくて東京遷都でしょ。「夜逃げしやはった」
570日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:32:50
推測だが、天皇家が日本に渡ってきた時に、天皇家と共に渡ってきた人々が公家なのではないだろうか?
未開の日本で天皇家は神として、その供達は神の眷属として地位を確立したのでは?
未開人に大陸文明の片鱗をチラっと見せ、神であると思い込ませたのだろう。
571日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:36:51
>>570
先祖だけ考えると土豪出身(藤原)が大多数で、残りは旧皇族。
572日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:54:52
神話では、藤原氏は、アマテラスとともに日本に降臨した神
の子孫ということになってるよね、たしか。
573日本@名無史さん:2006/01/09(月) 20:10:45
>>569
冷泉家などの一部を除いて公家も東京に集団移住なんですが
574日本@名無史さん:2006/01/10(火) 21:01:41
>>570
大伴の方が藤原より名門
575日本@名無史さん:2006/02/06(月) 17:08:39
そうか。
576日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:16:38
うちも大臣家公家の一族らしくて
ちっちゃい頃から年に何度か冷泉邸の茶席に呼ばれたりするんだけど
すごい豪邸。まさに貴族って感じ。
でもうちは普通の庶民。なんだこの違いは。
577日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:18:12
河原乞食だったから。 武士にはなれない。
そもそも、武士の家系ではない。 海賊は所詮海賊。
サンカは所詮サンカ。
578日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:22:44
六朝文化の影響だよね日本の貴族がなよなよしてるの
579日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:24:21
この間テレビで、朝鮮顔で頭悪そうな一家が○○○路の名前を
大切にしたいとか言ってたけど、大爆笑したw
580日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:25:05
性格下品すぎない? 意地汚いっていうか。
581日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:35:13
>>576
大臣家って、三條西、正親町三條、中院、の3家だけだよね。近世以降は。
なら羽林の冷泉家より格上じゃん。

冷泉家の今の屋敷って敷地800坪ぐらいだろうけど、この家の先祖に
あたる藤原長家(御堂関白・道長の庶子)の本邸は敷地9000坪ぐらい
だよね。10分の1以下に没落してもなお豪邸なんだから、平安貴族の栄華
はいかばかりか。
582日本@名無史さん:2006/02/11(土) 00:36:40
三條河原
583日本@名無史さん:2006/02/11(土) 01:07:58
>>576
詳しく☆
584日本@名無史さん:2006/02/11(土) 02:14:21
五摂家って今どんな暮らししてんの?
近衛は別格としても
普通にサラリーマンなのかな
585日本@名無史さん:2006/02/11(土) 02:27:59
九條家→製薬会社を退職後神職になって現在平安神宮に奉職中
一條家→国際弁護士として法律事務所勤務
鷹司家と二條家は知らない
586日本@名無史さん:2006/02/11(土) 02:33:51
へぇ〜
平安神宮のエライ人なのかな?
一条家もすげー
やっぱ良い扱いされてんだ
587日本@名無史さん:2006/02/11(土) 03:22:51
588日本@名無史さん:2006/02/11(土) 03:31:10
大きな神社の宮司とかは公家らしいと言えるけれど、
弁護士っていうのは五摂家にしてはむしろ没落なんじゃないの。
英国貴族の例でもそうだが、貴族から見たら弁護士なんて
所詮、使用人程度の人間でしかないもの。
五摂家の末裔なら、もっと優雅に生きればいいのにな。
そうもいかんのか。ちなみに羽林やそれ以下の家格の公家の末裔では
リーマンなんてごく普通にいる。
589日本@名無史さん:2006/02/11(土) 15:01:48
お公家の没落は、鎌倉室町からだから
今でも存続できているだけでもたいしたもんだと思うけど。
あくまで「元」貴族なだけだし。

イギリスでも庭師の伯爵がいたな。
元伯爵家でなくて、今でも伯爵家だとか。
こっちの方がつらい。
590日本@名無史さん:2006/02/11(土) 20:11:11
>>587
この方も、皇族の血を引いてるんだよね。
鷹司家には閑院宮家から養子が入ってるから。
591日本@名無史さん:2006/02/11(土) 20:16:53
>>590
この人は松平家から孝宮和子の養子となったから
閑院宮家の血は引いてない

だいたい鷹司熙道が九条家からの養子だからずっと前にきれてる
しかしこの人の奥さんが徳大寺家の人だから女系で継ながったが
孝宮和子の夫平通が不慮の事故で亡くなったためこの人が松平家から養子となった
したがって閑院宮家とはもうほとんど血縁関係はないと言ってよい
592日本@名無史さん:2006/02/12(日) 09:32:31
>>589
インドの話で恐縮だが、以前通ってた大学に留学に来てたインド人が
金持ち階級だったんだが、使用人の中に2000年前からの王族の人(?)
がいるって言ってた。 身分(例のカースト)でいうとその使用人の方が
はるかに上らしい。その留学生自体は井戸掘り職人の子孫らしいから。
593日本@名無史さん:2006/02/14(火) 21:51:09
今日、コンタクト作りで眼科の待合室にいたら
「コノエ(近衛)さま〜診察室にお入りくださ〜い」って呼ばれてる人がいて
めっさ反応してしまった。
オネエ系?の今っぽい感じの人だった。in京都
594日本@名無史さん:2006/02/15(水) 00:25:48
近衛って苗字の人って一般人でいるのかな
595日本@名無史さん:2006/02/15(水) 01:05:24
九条、一条とか〜条は全国にけっこう多いね
特に東北地方
596日本@名無史さん:2006/02/15(水) 01:20:32
京都には公家の傍流が多く住んでるね。嫡流は東京住まいだが、
同じ名字の庶流の人が京都に居たりする。
ただ、近衛はさすがに希少な気がするなあ。
597日本@名無史さん:2006/02/15(水) 05:41:39
>>596
公家名字の香具師って寺っ子に多いような気がする。
598日本@名無史さん:2006/02/15(水) 18:09:13
本家があれば、分家はあまたあるでしょうよ。
一人っ子なわけじゃなし。
599日本@名無史さん:2006/02/16(木) 02:36:38
地方から京都の学校に通ってるけど、
学内に三条西さんと、他学に嵯峨さんて苗字がいたはず。
嵯峨さんが旧姓・正親町三条家の嵯峨さんなら
どっちも三条家分家の苗字じゃねーか

地方でそうゆう人がいても、たまたま同姓なだけだろって思うけど
京都住まいでそれらしい苗字がいると公家フェチの僕は気になる。
600日本@名無史さん:2006/02/16(木) 20:33:53
600
601日本@名無史さん:2006/02/18(土) 18:14:28
三條西は公家しかあり得なさそうだよね。
公家でも、中山とか橋本なら別だけど。
602日本@名無史さん:2006/02/18(土) 19:52:56
友人でいるよ
公家さんが
苗字からして分かる
家紋を聞いたら日本に一つしかない家紋だった
上杉の家紋に似ている
603日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:15:56
>596
京都市の電話帳見てみると3件ある。
604日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:18:20
平泉の義経展に巻物を貸し出してた盛岡の一条家は
甲斐発祥だそうで江戸時代は心眼流剣術を教授した
605日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:33:41
清和源氏庶流の俺からみても、公家(藤原氏系)は非常に羨ましいね。
606日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:46:00
http://www2s.biglobe.ne.jp/~suzakihp/index40.html

ここで近衛って苗字検索したら全国で24家だってさ。
何千年もたってたった24件ってすごいね。
鷹司は9件だってさ。
607日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:52:53
近衛といっても公家だけじゃないだろ
確か四国のどっかの神社の代々宮司も近衛だったような
608日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:54:25
その近衛にしたって大昔の公家の近衛からの分家だろ?
609日本@名無史さん:2006/02/18(土) 20:58:55
たぶん違うと思う
だいたい公家の近衛家は分家をつくらせなかった
次男や三男は他家に養子にいったり出家したりした
明治期に入って初めて文麿の弟秀麿が分家して子爵になったと思う
610日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:18:25
つうか鷹司家が鎌倉時代に近衛家から分かれていた筈だと思う。
あと、明治維新後に創始された奈良華族の水谷川家(男爵)も近衛家の
支流。この水谷川家の現在の令嬢が、チェロ奏者として活躍してる。
と言ってもクラシック界での知名度は低いんだが。音楽家としては
近衛秀麿(子爵)のほうが有名。
611日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:29:28
>>609が言いたいことは
近衛という苗字で新たに分家させたことはない、ということでしょ
612日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:43:22
鷹司と九条ってどっちが家格が上なの?
613日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:51:31
>>609
南北朝時代には近衛家も南朝方と北朝方に分裂しているよ。
614日本@名無史さん:2006/02/18(土) 22:39:09
五摂家内部の家格では、近衛の次が九條という気がする。
摂関家分立の端緒は、嫡男ではなかった藤原兼実(九條家の祖)が
異例にも関白になったことに始まるから。 違うかのかな?
615日本@名無史さん:2006/02/19(日) 03:47:24
現代の意味での苗字としての近衛は、明治からになるよね。
明治以後は、分家もさすがに近衛じゃないかな。
特に戦後は。
苗字の変更って法的に大変でしょ。

で、明治から120年で出産上20年を1世代としても6世代たっているとして
明治初期に元の近衛『本家』が一つとして、男子が二人生まれたとしたら
男子の子孫は64名。
全員が分家すると64家か。かなり多いかな。
まあ男子二人も生まないから。現実には24家でもおかしくないよ。
苗字サイトでも、近衛さんは100人程度

逆に明治以前は、名乗りにはうるさいんじゃないの。
左記のレスのとおり、近衛を名乗れる藤原家は限られていたって事じゃないの。
明治の際には、戸籍上、苗字をとるか姓をとるかで、迷った家も多かったと聞いたことがある。



616日本@名無史さん:2006/02/19(日) 03:51:22
明治から120年て、いつの人間だよ、オマエ。
617日本@名無史さん:2006/02/19(日) 04:01:58
苗字っていうのは地名からおこるわけだから
公家以外にも他にいて不思議ではないと思うが
618日本@名無史さん:2006/02/19(日) 05:45:34
>ならなかったのでしょうか?

ならなかったんじゃないの。ならしてもらえなかったの、狸親父のせいで。
武士は文武両道。公家は文のみ。武は禁じられた。高橋嫁
619日本@名無史さん:2006/02/23(木) 05:50:19
貞成親王の生母が「藤原法印の飛鳥井某の娘」だといってる人が
他のスレにいたけど、出典はなに?
貞成親王の生母は「阿野中納言実治女(大納言局)」だよね?
阿野と飛鳥井じゃ同一人物ではありえないと思うんだが・・・・
620日本@名無史さん:2006/02/23(木) 06:34:36
「阿野中納言三条実治女、治子」だった。この場合、阿野ってのは苗字じゃないのか?
621日本@名無史さん:2006/02/23(木) 08:26:56
>557西園寺(伊豫)もね
622日本@名無史さん:2006/02/23(木) 16:50:09
現在の鷹司家の当主の実父って戦死じゃなかったっけ?
623日本@名無史さん:2006/02/23(木) 19:13:58
藤原道長も弓矢の名手だったよね?
といってもソースが「大鏡」しかないけれど。
624日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:14:14
武家になった公家
下野喜連川20万石格・喜連川右兵衛督
上野矢田1万2000石国主格・松平左兵衛督信平
625日本@名無史さん:2006/02/23(木) 21:56:03
>>624
秀吉の妾だった"まあ"が、公家に払い下げられてから生んだ子供たちも武家になったと思う。
626日本@名無史さん:2006/02/23(木) 22:57:55
喜連川は小弓御所の末裔だからもともと武家
627日本@名無史さん:2006/02/24(金) 17:27:47
>>604
その一条って甲斐源氏の一条氏じゃないの?
盛岡藩主の南部氏も元は甲斐源氏だし、盛岡にそういう由緒の家があっても不思議はない。
628日本@名無史さん:2006/02/24(金) 22:25:09
>>620
公家の場合は前近代では「苗字」というより「家号」といったほうが良いのでは?
629日本@名無史さん:2006/02/25(土) 00:50:52
清華家のひとつ広幡家(正親町源氏)はもともと尾張藩士だった
630日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:15:33
>>629
てゆうか、一時期尾張藩主の義直の娘婿みたいになってただけでしょ。
尾張徳川家の家臣になったわけじゃない。
631日本@名無史さん:2006/02/25(土) 01:16:34
× 娘婿
○ 婿養子
632日本@名無史さん:2006/02/25(土) 16:17:39
>>1
中世以前なら、公家も普通に武装してると思うが。
江戸幕府が公家の武装や武芸の稽古を禁じてからじゃないの?
公家が武力から切り離されるのって。

あと建武政権は公家政権と言うよりも実体は後醍醐独裁政権なので、大半の
公家からも見放されていた。
633日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:06:31
九条政基は借金取りに来た部下を手討ちにしたらしい。
634日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:29:09
平堂上の東久世家(村上源氏庶流)も江戸時代以前の一時期、
武家化していたようだが。

あと、正親町源氏の広幡家の初代は、桂離宮で有名な八條宮の弟
だったとおもう。多分。だとするとあまり武家化はしてなさそう。
広幡家は、清華の久我家(村上源氏嫡流)からの養子が二代目と
なって継承してるので、実質は村上源氏の一員という感じ。
635日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:39:03
>>630
そうだよね。広幡家の祖・忠幸は、智仁親王の二男で、
当初は忠幸王だったぐらいだから、尾張徳川なんかより格上
のはず。家臣っていうのはおかしい。
636日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:43:40
王だから格上というのは浅薄。
平安時代ですら納言クラス公卿の家司・家人であることが多い。
637日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:52:06
>>635
いやいや、徳川との比較の話。平安期だって受領になれただけでも
幸運な三世王は山ほどいるね。
だけど、幕府開いて間もない頃の徳川の格式ってそんなに高いのか
な?仮に大納言でも、堂上の大納言と全く対等とは思えないんだけど
638日本@名無史さん:2006/02/25(土) 17:53:57
637でつ。>>636へのレスでした
639日本@名無史さん:2006/02/25(土) 22:23:56
>>637
徳川将軍家が最盛期の足利将軍家の先例を継承している限り、朝廷内での序列は
最低でも摂関家と同格。
640日本@名無史さん:2006/02/25(土) 22:43:46
>>637
幕府開いて間もないころだからこそ、大納言の格式は高いのだろう。
武家の官位が公家の官位と異質のものとして区別されるようになる前の話だぞ。
641日本@名無史さん:2006/02/25(土) 22:53:18
>>640
どっちにしても広幡家は清華の家格だから、大納言が極官の家より
家格は高いと思われ。もっとも初代の忠幸は大納言である間で没した
ようだが。
642日本@名無史さん:2006/02/25(土) 22:59:17
相手が元服後まもない摂関家の子弟とかだった場合、その時点での官位は自分の
ほうが高くても、実際の社会的身分は相手のほうが高いよね。
そういう場合はどうなるの?
643日本@名無史さん:2006/02/25(土) 23:04:11
>>639
「最低でも」ということは摂関家よりも上があり得るって事?
てゆうか、徳川の宗家つまり将軍家の家格は清華と同じなんでわ?
従一位・太政大臣が上限というのは確かに極めて高い家格と言える
が、摂政・関白にはなれない以上、摂関家よりは下位になるんでわ。
実際、内大臣ぐらいにはなっても、摂政・関白になった徳川将軍
て居ないよね。
644日本@名無史さん:2006/02/25(土) 23:22:49
>>642
摂関家や清華家の子弟が公卿に列するときは、参議を経ずに
直ちに中納言となる慣例だったので、相手が大臣でも、
平伏する必要が無かったらしい。参議は公卿といっても末席なので、
大臣には平伏せねばならなかったそうな。
それに、江戸期あたりだと、大臣まで昇進してるのは摂家と清華
が殆んどなので、平堂上との間で気まずい状況になることはまづ
なかったんではないの。
645日本@名無史さん:2006/02/25(土) 23:32:07
>>642
>>644
摂関家の子弟が四位や五位の時期でも、平堂上の大納言や中納言より格上に待遇されたと「幕末の公家」に書いてあるぞ
646日本@名無史さん:2006/02/25(土) 23:37:24
>>643
将軍家の家格は天皇家と同じ。
家康や秀忠が参内したときの待遇は上皇と同じで天皇と対等の座席だったとされている。
将軍から天皇への書状や献上物は「公方様から禁裏へ」と対等の立場での書式をとる。
また知恩院門跡(代々法親王が務める)は歴代ときの徳川将軍の猶子になることになっていた。
法親王の義理の父親になれるほどの家格だったということ。
647日本@名無史さん:2006/02/26(日) 00:04:21
>>645
『幕末の宮廷』ではないの?
648日本@名無史さん:2006/02/26(日) 00:13:48
>>646
天皇家と家格が同じ、と一般論化できるの?
そもそも、従一位とか言ってる時点で天皇より下位だろうよ。
同格というのは、武力を背景に、天皇を凌ぐ勢いって事
(つまり制度でなく事実として)を言いたいの?
それに将軍が内裏に参内するという行為自体、臣下である証拠
だと思うが。天皇は江戸城に登城なんてしないし。
649日本@名無史さん:2006/02/26(日) 00:38:52
>>646
いくらなんでも徳川家が臣下である限り天皇家を同格と言うのは
ありえない。
征夷大将軍自体、天皇から任命される官職なのだから。
650日本@名無史さん:2006/02/26(日) 00:42:42
↑逆。
天皇家が徳川家の支配下。学問のみを許され、押し込まれた存在。
次期天皇を誰にするかは江戸の意向による、次期将軍を誰にするかに
朝廷は無関係。
651日本@名無史さん:2006/02/26(日) 01:09:34
何だ徳川厨か。マジレスするんじゃなかった
652日本@名無史さん:2006/02/26(日) 01:13:15
官軍に大敗した徳川は、明治の世では押え込まれた存在。
653日本@名無史さん:2006/02/26(日) 01:15:25
そのとおり。江戸時代とは逆転。てゆうか殆ど忘れられた存在、もと将軍。
654日本@名無史さん:2006/02/26(日) 01:22:04
>>650
血統の格について語っているのではないのか?
格と権力は一緒のようで一緒ではない。
655日本@名無史さん:2006/02/26(日) 01:33:59
>>645
「幕末の公家」ってなんだ?
656日本@名無史さん:2006/02/26(日) 02:28:31
>>643
摂政・関白は、征夷大将軍と同様で、本来的には官位相当制に基づいた朝廷の
官職体系には含まれない令外官。
官位相当制的な官職体系のなかでの極官は、摂家・清華家・将軍家はいずれも
太政大臣であるといえる。
実際に武家政権の将軍は、晩年に太政大臣になることはあっても、将軍宣下を
受けた時点ですでに太政大臣になっていることはない。
同様に摂家の当主の場合も、太政大臣になるときより摂政・関白になるときの
ほうが若年であることが普通であり、摂家当主は摂政・関白への初任時は
左右大臣くらいを兼任していることが多い。

要するに朝廷の官職体系のなかでは、
単に極官が太政大臣である家・・・清華家
極官が太政大臣でプラスαとして摂政・関白になれる家・・・摂家
極官が太政大臣でプラスαとして征夷大将軍になれる家・・・将軍家
ということになる。

なお将軍家は足利義満以降、元服の形式やその後の昇進ルートなんかも
基本的には摂家と同じになっている。
657日本@名無史さん:2006/02/26(日) 02:37:33
左右大臣が摂政・関白を兼ねている場合、朝廷内での会議や儀式などの際には、
本来的には左右大臣である者が太政大臣より上座に着かなければならなく
なるので、摂政・関白への就任時に同時に「一座の宣旨」を受けるのが通例。
658日本@名無史さん:2006/02/26(日) 09:16:38
令外官は中納言も参議も同様だけど。
内大臣でも右大臣でも摂関なら太政大臣よりも上席のはず。
659日本@名無史さん:2006/02/26(日) 14:54:23
>>658
だからそれは摂関就任と同時に一座の宣旨を受けるのが通例だからだろ。
660日本@名無史さん:2006/02/26(日) 15:28:44
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%B0%EC%BA%C2%A4%CE%C0%EB%BB%DD&search_history=%B0%EC%BA%C2&kind=jn&kwassist=0&mode=0
いちざ-のせんじ 【一座の宣旨】
宮中席次の第一位につくことを許す旨の宣旨。摂政・関白は位階の順位にかかわりなくこの宣旨を被り、上座につく。

661日本@名無史さん:2006/02/26(日) 15:53:48
令外官には2種類ある。

内大臣(従二位相当)・中納言(従三位相当)・参議(正四位相当)など
 →→→官職に相当する凡その位階が決まっている。
摂政・関白・征夷大将軍など
 →→→相当する位階は決まっていない(他の官職との兼任が前提)。
662日本@名無史さん:2006/02/26(日) 16:11:18
摂関の地位と一座の宣旨はセットなんだから、
敢えて、一座の宣旨がないとダメなんだ〜と言う必要は全く
無いと思うが。>>659
663日本@名無史さん:2006/02/26(日) 16:29:45
>>661
とは言ってもさ、四位で摂関とか、中納言と摂関を兼任というのは
有り得ないでしょ。それに摂関のみで大臣を兼任しない場合もあるし。

摂関に明確な相当位階が無いのは、若年者でも摂関になれるように
する為の、藤原氏の方便のように感じる。てゆうか、
摂関とくに関白という官自体、藤原氏のエゴにより生まれた訳だし。
664日本@名無史さん:2006/02/26(日) 18:40:46
>>662
では何故摂関就任と同時に一座宣旨というものを一々やらなければならないのかを考えてください。
それは摂関就任だけでは上座に着くための根拠がないからといわざるを得ない。
摂関が太政大臣より上座につける根拠は、摂関の地位そのものではなく、一座宣旨を被っていることであるといえる。
665日本@名無史さん:2006/02/26(日) 20:14:39
>>657
太政大臣と、左右大臣の摂関が併存した例ってあるの?
666日本@名無史さん:2006/02/26(日) 20:23:32
>>664
だから、まさにセットなわけでしょ。それに、摂関の地位自体と、
一座の宣旨とを、わざわざ観念的に分離するのは、多分に現代の視点から
見た見方では?「執柄必ず一座の宣旨を蒙る 故に一の人と称す」と
『職原抄』では書いていますよね。

摂関でありながら一座の宣旨を伴わない事例が相当数あるならともかく、
「必ず」という表現からもセットになっていると見るのが自然でしょう。
では、本来、一座に就き得ない大納言などが、大臣を差し置いて、
一座の宣旨を得た事例ってあるんでしょうか?もし、そのような事例が
相当数あるならば、あなたの仰るように、摂関とか大臣という官は重要
ではなく、宣旨こそが重要だ、という事になるでしょうが。

しかも、摂関期には宣旨は形骸化しているので、そこには、実質的・政治
判断的要素はかなり希薄だと思われますが。一座宣旨がセットになっている
理由は、摂関が令外官である事に由来する部分が大きいように思われます。
もしあなたが研究者なら、私に誤りがあれば指摘して頂けると幸いです。
667日本@名無史さん:2006/02/26(日) 20:57:48
官の序列が、その時々の宣旨により大きく左右されることは、
むしろ令制の趣旨にも反するだろう。
一座の宣旨も、摂関という地位に附随する形式的・儀礼的なものに
過ぎないと考えるのが妥当だろう。
668日本@名無史さん:2006/02/26(日) 21:21:00
むしろ逆に、一座の宣旨は、摂関の地位を権威づける飾り
として機能していたと見ることもできるだろう。
本来最高位の太政大臣でさえ、摂関よりは下位なのだ、
というメッセージを常に発し続けることは、藤原氏の威光を補強する
効果がある。だからこそ、藤原氏が支配する朝廷で、儀礼として存続
したのだ、と言えよう。
669日本@名無史さん:2006/02/26(日) 22:00:54
>>665
公卿補任を見ろ。普通にある。
670日本@名無史さん:2006/02/26(日) 22:05:15
>>666
これ以上は研究者としてのスタンスの違いになってしまうと思いますが、
私としては、時代が下っても、どんなに手続きが形骸化しても、一座宣旨が
省略されてなくなったりしないことにはそれなりの意味があると考えます。
もし省略してしまったら一座にはなり得る合法的根拠がなくなってしまうから、
省略されないということです。
671日本@名無史さん:2006/03/01(水) 01:21:22
>>670
ここまで丁寧に説明したのですから、逃げないで、負けを認めるべきではないのでしょうか。
研究者としてのスタンスじゃなくて、私とあなたとの研究者としての能力の差ではないのでしょうか。
672日本@名無史さん:2006/03/01(水) 01:29:38
煽りにしちゃ下手だな。
673日本@名無史さん:2006/03/01(水) 08:51:08
>>670-671
たいして意味なんかないんじゃないの?
意味なくても省略はしないってことはあり得るよ。
公家なんてもったいぶるのが仕事みたいなもんだし。
674日本@名無史さん:2006/03/03(金) 19:01:48
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
675日本@名無史さん:2006/03/11(土) 02:28:54
>>673
>公家なんてもったいぶるのが仕事みたいなもんだし。
こういう酷い偏見を持った奴が、低俗時代劇なんかによくあるような
公家=バカ殿みたいなイメージをつくってるんだろうな。
676日本@名無史さん:2006/03/12(日) 09:01:06
↑むりに煽らなくていいよw
677日本@名無史さん:2006/03/16(木) 03:04:32
摂関と太政大臣は同列には論じられないでしょ
太政大臣は官僚機構すなわち臣のトップだけど
摂関は天皇つまり君の代理人なんだから

旧軍でも将軍の師団長より佐官尉官の宮様の方が
敬意を以て遇されたことは間違いない
678日本@名無史さん:2006/03/16(木) 08:04:09
京都の近衛さんは在日があやかってつけた姓かと思われ。
公爵家、子爵家も男性のみだ。
子爵家のうち一人はは実は司法試験受験生で成績優秀者に載っていた。
弟の方はファゴット奏者。
公爵家は男性一人のはずです。忠大氏は一人っ子だと思います。

その京都の女性は摂家とは無関係であろう。

三条西家は横浜在住なので、息子さんが京都にいるんだろうか。
679日本@名無史さん:2006/03/19(日) 00:26:41
>>677
どうして摂関の話から近代の宮家の話に飛ぶ?
680日本@名無史さん:2006/03/19(日) 01:59:16
織田信長が生きてたら公家は全員取り潰される運命だった。
681日本@名無史さん:2006/03/19(日) 02:38:07
>>680
嘘付け。鷹司家を再興させたのって信長だろ。
682日本@名無史さん:2006/03/19(日) 02:47:22
>>679
公的な序列と実際のヒエラルキーのギャップの例を
「太政大臣:右大臣の摂関」と「将軍:宮様の佐官」で出してる
683日本@名無史さん:2006/03/19(日) 14:12:05
中近世の朝廷での家の序列だと、実質的に摂関家>世襲親王家だね。
684日本@名無史さん:2006/03/19(日) 14:44:35
>>681
信長は能力主義。
ごく一部の使える公家は残すけど、あとは全部処分するはず。
685日本@名無史さん:2006/03/21(火) 00:01:19
嵯峨=旧姓の正親町三条なの?

関係ないけど京都嵯峨の近く、細木(数子)邸もある高雄の住宅街に
嵯峨表札の、寺か何かと見間違うような馬鹿デカい個人宅を発見した。
686日本@名無史さん:2006/03/21(火) 01:28:05
近代の三条公爵家=前近代の転法輪三条家
近代の嵯峨侯爵家=前近代の正親町三条家
687日本@名無史さん:2006/03/21(火) 03:13:40
>>685
あまり関係ないんじゃないかな
嵯峨侯爵家は明治の初めに東京に引っ越してるし屋敷も大きくない
溥桀を助けた嵯峨家の財力は浩の母方の浜口家から来たものだし
688日本@名無史さん:2006/03/21(火) 15:15:14
一応、幕末期の当主の実愛は、明治維新の功労者の一人だけどね。
689日本@名無史さん:2006/03/22(水) 04:49:02
>>1
天皇が存在したからだよ。
まあ徳川なんかは、現状がこうなると分かってたら朝廷は潰してたかもな。
別に一番武力持ってる奴が支配者になって何の問題もないわけだ。
400年ぐらい時代が経てば、権威としては十分だし。
690日本@名無史さん:2006/03/29(水) 17:59:12
四親王家は摂関より席次が上なんだっけ?
691日本@名無史さん:2006/03/29(水) 18:13:29
親王が上総、上野、常陸の国守になる親王任国の由来は何ですか?
692日本@名無史さん:2006/03/29(水) 21:18:28
>>691
当時、まーまー、豊かな土地で水田面積も多かったんで
下っ端貴族では長官になれなかった。
693日本@名無史さん:2006/03/29(水) 21:28:17
>691親王増え杉(皇室経費→諸国経費)
694日本@名無史さん:2006/03/29(水) 22:31:47
>>691-693
最初は治安維持のため。すぐ形骸化。
695日本@名無史さん:2006/03/29(水) 23:13:52
>>693
院政期以降だったら知行国主にするよね。こういう場合。
696日本@名無史さん:2006/03/30(木) 09:15:43
文化放送の九条

女優の久我美子

作家の武者小路
697日本@名無史さん:2006/03/30(木) 14:54:12
>>690
親王家最高の伏見宮の行列と摂関家最高の近衛の行列がぶつかれば
伏見宮が端によける。
有栖川宮の一代目は近衛の弟。
698日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:10:56
近衛に限らず、摂政・関白・内覧は、天皇の権限の代行者という地位なわけだから、一傍系皇族より席次が上になる。
699日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:18:43
扨て話題は些か変わりますれど、
徳川家光の正室・鷹司孝子(「中の丸殿」)と日野権大納言資勝とが
親戚関係にあったという話を聞き及びました。
ために対馬の御家騒動「柳川一件」にて、
宗対馬守義成(その夫人が日野権大納言資勝の娘)は
「お咎め無し」と相成ったとか。
したが、日野家と鷹司家との親戚関係が、よく分かりません。
もしや中の丸殿の生母が日野家なりしや?
識者の方々の御教示を願い上げます。
何卒よしなに。
700日本@名無史さん:2006/03/31(金) 00:34:23
701日本@名無史さん:2006/04/02(日) 21:42:40
>>696
久我美子は
芸名は「くが・よしこ」
本名は「こが・はるこ」
702日本@名無史さん:2006/04/05(水) 00:52:13
公家の分家はないの?
703日本@名無史さん:2006/04/05(水) 01:57:50
山椒太夫(安寿と厨子王)って厨子王が受領になって
盲いて富家の奴婢に売られていた母親を救い出す話だったんだな
704日本@名無史さん:2006/04/05(水) 03:19:32
奴婢に売られていた?w
ま、細かいつっこみはやめとくか
705日本@名無史さん:2006/04/06(木) 01:32:29
>>703
エライさんの一族にそのようなことをして只で済んだのか?
といっても、検非違使も都以外では役立たない。
706日本@名無史さん:2006/04/06(木) 02:09:07
>>705
失脚し任地の秋田から筑紫に行って消息不明になった父親を
探しに行く途中で人買いにだまされて母親と乳母は佐渡へ
安寿と厨子王は丹後の山椒太夫の屋敷に売られて
安寿は自分がおとりになって弟を逃がし捕まってから自害
厨子王は藤原師実に見出され丹後国司となって山椒太夫を成敗
休暇を得て佐渡に渡り母親を探した
707日本@名無史さん:2006/04/07(金) 00:57:24
いきなりすんません

京都のKBS京都に飛鳥井雅昭だか雅行ていうアナウンサーの人がいる(今はもう出世したか定年になったかもしれませんが)んだけど、この人はやっぱり飛鳥井家の出ですかね?
708日本@名無史さん:2006/04/17(月) 22:42:23
足利は武家が公家になったといえるの?
709日本@名無史さん:2006/04/18(火) 00:46:17
公家になったつーより,堕落したんじゃないの?
710日本@名無史さん:2006/04/18(火) 00:54:47
>>708
公卿の身分になったことを「公家になった」というのなら、
平清盛も源頼朝も織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も同様だが、
武門の家の出身の場合は、公卿になっても武家だという人もいる。
711日本@名無史さん:2006/04/18(火) 00:57:34
>>707
「雅」の字がついてるから、そうなんじゃないの?
嫡流かどうかはわからんけど。
712日本@名無史さん:2006/04/18(火) 11:00:09
毎年長者番付にも「醍醐総一郎」として名前が出ています。
また彼女の一族はテコンドー協会の幹部も務めているので
帰化していますが在日朝鮮の一族です。
その絡みで韓国での海外公演を他組に譲った経緯があります。
居住区は豊島区の中で高級住宅地とされる場所に豪邸を構えています。
また宝塚大劇場(93年竣工/95年地震による復旧)と東京宝塚劇場(2001年竣工)の
建築の際には、大理石の柱を複数寄付していたり、どん帳も何枚か寄付しているとの事。
毎年の莫大な寄付金だけでなく、興行地域つまりは暴力団関係に顔が利く為、
全国ツアーの等際には劇団にとって非常に有益でした。
彼女の生い立ちは複雑です。
母親は元新橋の一流売れっ子芸者で、妾から後妻に出世しました。
現役時代は政財界の大物から贔屓にされていたようで、コネクションも
強く、そのあたりも娘の追い風になっています。
また父親は総一郎氏ではなく、総一郎氏の父、つまり祖父の子説が関係者の間では
有力のようです。どういう経緯で息子の嫁になったかは、なんとなく察しはつきますね。
花總まりが、劇団の後援者であった戦後最大の右翼故岡村吾一氏の
招待を一度も受けなかった(これはトップやスターにはあり得ない事なんです)
事から考えても、華族や皇族でない証拠になると思います。
敵対する勢力の娘だから、というのもあるらしいですが。
ちなみに故岡村氏は、自分の立場をフル活用しつつも無償の愛で宝塚を支えた
宝塚にとっては大恩人なので、ここでは黒いイメージは抱かないでください。
713日本@名無史さん:2006/04/18(火) 11:01:36
順番まちがえました!!

時折出てくる宝塚宙組トップ娘役花總まり皇族・公家説ですが
彼女の本名は確かに醍醐まり子ですが、
醍醐といえば→元華族か宮家。という短絡的思考に基づく
話の一人歩き話の典型で、完全にデマです。
加えて彼女の素顔が、目が細く切れ長でおちょぼ口という
世間一般の「公家顔」や「皇族顔」のイメージにあてはまる事と
宝塚用語でいうところの「姫役者」というカテゴリーに属するもので
噂に拍車がかかってしまった経緯があります。
彼女の実家は、曽祖父の汲み取り会社からスタートし、祖父がその資金で
戦中・戦後の混乱期に大田区・川崎周辺にて地上げを大々的に行い
転がしに転がして土地神話の先駆者となった不動産業を営んでいます。
祖父と叔父にあたる人物は都議会議員になっていますが
彼女の父親は議員ではありません。
714日本@名無史さん:2006/04/18(火) 11:02:29
宝塚で華族というと、松平節子姫こと寿美花代、それから日向薫という
元星組トップ男役ぐらいなのではないでしょうか。
私は通りすがりなものでよく知りませんが、音楽学校にばあやが
ついてきてしまったエピソードや結婚の際には、松平家総出で反対されたという
逸話しか知りません。どなたかフォローを。
日向は白根男爵家(伯爵家という説もあるんでしょうか)の令嬢。
代々軍人一家だったとの事ですが、曽祖父縁の戦艦?から芸名を決めたとか。
こちらもあまり私も詳しくありませんのでよろしければフォローをば。
715日本@名無史さん:2006/04/18(火) 20:46:50
>>713
西蒲田の醍醐一族?
現当主の兄の安之助氏は自民党都連幹事長として
そこらの国会議員よりは遥かに力を持っていました
戦後のドサクサに土地を買い占めたと言われてますね
716日本@名無史さん:2006/04/19(水) 05:37:50
数字+条の家はみんな公家子孫?
717日本@名無史さん:2006/04/20(木) 00:26:15
甲斐源氏の一族に一条氏がいる。
九州の豪族に五条氏がいる。
718日本@名無史さん:2006/04/20(木) 07:35:09
たとえば公家でも二条は希少苗字だが、三条の苗字は二条に比べて非常に多い。
だからちって、もちろん二条が全て公家の末裔というわけでもない。
719日本@名無史さん:2006/04/20(木) 07:37:12
720日本@名無史さん:2006/04/20(木) 10:47:06
公家の三条も転法輪三条と正親町三条の2系統あるからな。
721日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:00:10
>>718
真宗の寺っ子にも二条、七条、九条なんかはいたよ。
722日本@名無史さん:2006/04/20(木) 20:06:25
平家の落ち武者も伏せ名を使い

隠しつつ苗のどこかに名残

を残す。
723日本@名無史さん:2006/04/22(土) 22:56:41
最近は「軍事貴族」という言い方が出てきましたね。
中央の源平はあくまで「貴族」であって、それに動員された関東人が「武士」?
724日本@名無史さん:2006/04/22(土) 23:24:31
もともと武士とは源平出身、つまり貴族で構成されていた。
初期の武士=軍事指揮者と考えると分かりやすい。
源義経は武士だが、何万といる劣兵は明らかに武士とは言えない。
725日本@名無史さん:2006/04/24(月) 23:19:31
軍事貴族=いまでいう警備会社?
726日本@名無史さん:2006/04/25(火) 13:48:51
つまり、武士とは兵を引率している者=上長クラスに限られると?
727日本@名無史さん:2006/04/25(火) 20:14:26
武官てことでいいじゃないの。
728日本@名無史さん:2006/04/25(火) 22:18:59
官じゃない田舎武士は?
729日本@名無史さん:2006/04/25(火) 23:18:58
一条兼房卿はどういう扱いになるのですか
730日本@名無史さん:2006/04/26(水) 13:42:13
武家と武士を区別せよ。
731日本@名無史さん:2006/04/26(水) 14:36:26
松殿家って再興されなかったの?
鷹司家は戦国期に一回潰れたあとも再興されてるけど。
732日本@名無史さん:2006/04/26(水) 23:16:56
江戸時代の公家さんたちはどうやってお金を稼いでいたのかねえ
・【事業収入】少ないながらも、一応領地は持っていた?
・【贈与収入】大名家と親戚になってスポンサーになってもらった
・【労働収入】地道に内職(三条実美の親はかるた絵師?)
・【一時収入】日光例幣使になって利権で稼ぐ
・【不法収入】893と契約して名義貸しでばくち場を開帳
733日本@名無史さん:2006/04/27(木) 04:44:22
>>732
【事業収入】○○道の家元 とか
734日本@名無史さん:2006/04/27(木) 07:41:55
よく下級公卿と言われる岩倉でも150石の知行地があった。
新規取立の最底辺の公卿だと30石程度の蔵米給付だが。
近衛家は酒造業者の多い伊丹を領していたので年貢の他に
運上銀を課したりして裕福に暮らせた。献上酒も飲めるし。

大名はいくら富強でも少し前を辿れば事実は野武士強盗の類
なので由緒ある公家と縁戚になって箔を付けたい思いが強い。
しかしこれはいわゆる下級公卿には当てはまらない。
735日本@名無史さん:2006/04/27(木) 08:26:58
>>734
裕福商人と縁組しなかったの?
736日本@名無史さん:2006/04/27(木) 08:48:54
下級公家は娘を富裕商人に嫁がせたの?
737日本@名無史さん:2006/04/27(木) 10:11:16
富小路家の出自は?
738日本@名無史さん:2006/04/27(木) 10:54:47
>>731
 松殿は2度再興された。初代当主は2回とも九条の庶子だが、初代当主が嗣子なくして
早死にし、すぐに絶えた。
 家格は一度は摂家、もう一回は清家だった。
 以上記憶のみに頼って書いているので微妙に間違っているかも。
739日本@名無史さん:2006/04/27(木) 20:59:07
「再興」というのは、只、名跡をつくっただけ、
本当の松殿は吉野かどこかで野垂れ死にか北朝にあぼーんされたはず。
740日本@名無史さん:2006/04/27(木) 21:42:31
百姓出身で武士を掌握し関白になった豊臣家は武家?公家?
741日本@名無史さん:2006/04/27(木) 22:16:59
豊臣というのは氏ではなく、「源平藤橘」に並ぶ新たな「姓かばね」として創設されて朝廷から賜った。?
742日本@名無史さん:2006/04/28(金) 00:35:19
公文書は
源朝臣家康
平朝臣信長
豊臣朝臣秀吉
となる
743日本@名無史さん:2006/04/28(金) 00:59:48
>>740
秀吉はそんなチンケなものではなく、日本史上最高の貴公子。
ただ一人専用の姓をいただいたのだから。
744日本@名無史さん:2006/04/28(金) 01:57:23
>>742
木下家の足守藩主なども江戸時代公文書で「豊臣朝臣」だったのでしょうか?

それとも「豊臣朝臣」自体、廃絶・禁止という処分にされたのでしょうか?
745日本@名無史さん:2006/04/28(金) 01:59:42
「徳川」も新たに創設された姓かと思っていたが・・・?何時から、何の契機に「徳川」と名乗るようになったの?
746日本@名無史さん:2006/04/28(金) 14:29:09
備中と豊後の木下家は豊臣姓を名乗っていたと思います
747日本@名無史さん:2006/04/28(金) 15:46:45
「徳川」は「姓」だったの?
「徳川」は姓―朝廷から認可されたステータスとしての姓(かばね)―で、
御三家よりも格下だから、御三家以外は「徳川」と名乗れずに「松平」なの?
748日本@名無史さん:2006/04/28(金) 21:23:28
>>747
源氏の氏の長者って肩書きも徳川宗家当主はもっていたと思うので姓は源のはず

偽証だけど
749日本@名無史さん:2006/04/29(土) 01:57:39
>>744
木下氏(杉原氏)は本来的には平姓だが、秀吉以後は江戸時代になっても豊臣姓です。
750日本@名無史さん:2006/04/29(土) 04:42:35
そう。
ず〜と四貴姓(源平藤橘)だったのが700年ぶりぐらいに豊臣の貴姓が造られて
五貴姓になった。
751日本@名無史さん:2006/04/29(土) 05:08:25
他の姓の貴族もアル
菅原、清原、在原・・・
752日本@名無史さん:2006/04/29(土) 05:19:16
>745本気かよ?
姓は天皇から下賜るもので、徳川は苗字だろ。姓は源(捏造だが)。一族でも、将軍になれない家系が松平。

秀吉は豊臣が姓で、苗字(家名)は羽柴。一時、摂家の猶子になったから、違うかもしれないが。
「とよとみ ひでよし」ではなく正しくは「とよとみ の ひでよし」
更に言えば、豊臣朝臣羽柴前太政大臣秀吉かな?
753日本@名無史さん:2006/04/29(土) 05:33:01
橘など公家からは影形もない
754日本@名無史さん:2006/04/29(土) 05:35:22
姓カバネの捏造は古代にもあったの?
755日本@名無史さん:2006/04/29(土) 08:27:02
>>754
あった、発覚して処分された例を続日本紀あたりで見たことがある。
756日本@名無史さん:2006/04/29(土) 08:39:56
豊臣秀頼が大坂城をあきらめ、摂関家として生きる道を
選んでいたら、断絶せずにすんだかもしれない。
まあ、公家衆には歓迎されなかったかもしれないが
757日本@名無史さん:2006/04/29(土) 21:01:48
皆さん、氏姓家名を混同なさっていますな

氏: 源 平 藤原 橘 豊臣など
姓: 真人 朝臣 宿禰など(八色の姓)
家名: 近衛 九条 徳川など

例えば徳川家康の場合、氏:源、姓:朝臣、家名:徳川、諱:家康
となる。
758日本@名無史さん:2006/04/29(土) 21:23:20
公家が武家や農民を兼ねると反則だから。
759日本@名無史さん:2006/04/30(日) 03:27:07
公家の奴らほど中世以降の日本史上世の中役立たずはいないよな

760日本@名無史さん:2006/04/30(日) 04:58:01
能無しの公家をやっつけて武家政権を打ち立てたってか。
何十年前の学説だよw
761日本@名無史さん:2006/04/30(日) 05:40:30
>>757
公家の家号と武家の苗字は微妙に違う。
762日本@名無史さん:2006/04/30(日) 05:41:10
>>759
あなた他の公家スレにも似たようなことを書いてるね。
763日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:49:32
>>761
どのようにでしょうか?
公家は「邸宅の場所」
武家は「所領の地名=「苗字」」ですか?

>>760
どういう「新説」があるのですか?

>>757
姓(かばね)は、「古代氏族に対し朝廷から階級付けした称号」なのですか?
その氏族でも首領格だけが「連(むらじ)」とか名乗れたわけですか?
被支配層、隷属民は「部(べ)」と呼ばれていたわけですか?
古代に戸籍に記録されていた人間は、奴婢であっても、いちおう全員「氏(うじ)」があったのでしょうか?

764日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:53:04
中臣という古代氏族があって、その中でも鎌足の子孫のみが、
特別に昇格扱いで「藤原の朝臣」と階級付けられたようです。
765日本@名無史さん:2006/04/30(日) 08:57:39
手抜きマンション事件の犯人たちは、姉歯には直接具体的に違法なことをしろとは言っていないかも知れない。
しかし、鉄筋の量を減らせ減らせとアネハに迫り、もう無理だと言っている人間に無理に減らさせた。
建築家なら、それは即強度不足になることは分かっていた筈だ。
しかも、鉄筋の量を減らしても強度は維持できるなどと言いながら、具体的にどうすれば良いか
姉歯には全く示していない。勿論、その方法も本当は知らなかったのだろう。
唯、鉄筋の量、コンクリートの量を減らせとばかり迫れば、とんでもない物が出来ることを知りながら、
姉歯が勝手にやったんだみたいな構図を作ろうとしていた様だ。
そんなことで責任逃れ出来ると思っていたらしい。

これ天皇がしたことと同じだね。
そしてその後右翼が天皇をかばってる言い分とそっくりだ。

「天皇はそんな指示はしていない。軍隊が勝手にやったんだ」

天皇制は日本社会の不正の根源だな。
天皇制を残しておく限りは、日本から不正は無くならないだろう。

不正は日本の文化であり伝統なんだから、偽造マンションの被害者は諦めなさい。
766日本@名無史さん:2006/04/30(日) 09:09:40
>>763
地域によっては公民で無姓は珍しくないようです。
種子島など郡司クラスまで最初は無姓だったらしいです。
767日本@名無史さん:2006/04/30(日) 09:29:07
公民というのは、豪族所有の奴隷は含まず?
768日本@名無史さん:2006/04/30(日) 10:09:20
769日本@名無史さん:2006/04/30(日) 19:54:46
 あくまで一般的にはだが、臣・連・君(公)が最上級、造・直がそれに次ぎ、首・史・
村主(勝)等がそれに次ぐ感じのようだ。
770日本@名無史さん:2006/04/30(日) 20:46:27
俺は京都の郵便局でバイトをしていたが近衛・九条・塩小路・飛鳥井・
岩倉・北小路・粟田口・今出川(菊亭とは別?)・北大路(地下官人?)
は見た ありきたりな名前の公家の子孫もいるだろうが、庶民の中に埋も
れてわからん

公家でも綾小路とか徳大寺とか花山院とかの派手な?名前は一発で公家と
わかるが、竹内・外山・萩原・藤井・・・・とかになったら地味すぎて
わからんし、子孫は「損した」「ハズレ」と思ってるのだろうか?
771日本@名無史さん:2006/04/30(日) 21:35:45
>>770
綾小路と花山院、北陸出身の百姓でそういう苗字の香具師を知ってる。
772日本@名無史さん:2006/05/01(月) 06:01:18
>>771

流刑された公家の子孫?−もし真正だとしても、元の家名は名乗れないと思う。
綾小路、花山院という地名は京いがいにもある?−地方の城下町にも「小路」はあるようだが、農民のすむ所でなさそう。
公家の所領の農民が名乗ることを許された?−わからない。
勝手につけた?―明治維新とはいえ、えらいさんの苗字を僭称することについての規制はなかったのか?
773日本@名無史さん:2006/05/01(月) 06:04:06
武家で、「近衛・九条・塩小路・飛鳥井・
岩倉・北小路・粟田口・今出川(菊亭とは別?)・北大路」というふうに、
公家風の苗字というような例は無かったのだろうか?

六波羅探題の下っ端番士が駐屯していた京の-小路、-大路という苗字にしたとか?
774JAPAN:2006/05/01(月) 06:53:55
775日本@名無史さん:2006/05/01(月) 11:06:00
>>772
韓国人の大半が両班の子孫だと言うのは
奴僕が主人の戸籍に入っているからだし
アメリカでは奴隷は主人の姓を名乗った
776日本@名無史さん:2006/05/01(月) 22:00:42
>>766
古代が母系社会だったからだと思う。?
777日本@名無史さん:2006/05/03(水) 12:15:55
北面の武士など、朝廷直属の武官、兵士は、承久の乱のあとどうなったのですか?
778日本@名無史さん:2006/05/03(水) 18:13:55
後鳥羽に味方した者は罰せられ、そうでない者はお咎め無しですが、何か。
779日本@名無史さん:2006/05/03(水) 18:29:40
では、ほとんどあぼーーんで、
西国の地頭のように東国から送り込まれた御家人の子孫に入れ代われらたの?
780日本@名無史さん:2006/05/04(木) 00:37:49
>>777
朝廷の武官ってのは羽林家クラスの者をいってるの?
それとも地下クラスのこと?

>>779
何故そういう結論になるんだ?
781日本@名無史さん:2006/05/04(木) 01:49:18
天保14年(1843)2月1日滝口・左右近衛府地下官人一覧
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/3914/jige18430201_takiguchi-konoefu.html
782日本@名無史さん:2006/05/04(木) 10:30:00
>>780
地下クラスも鎌倉御家人にかなり入れ替えられたということ?
783日本@名無史さん:2006/05/04(木) 13:15:52
782は武官=武士(武家)と思ってる?
784日本@名無史さん:2006/05/04(木) 13:31:32
武士はいちおうみな官位もつか僭称
785日本@名無史さん:2006/05/04(木) 14:55:20
>>779=>>782は釣り?
786日本@名無史さん:2006/05/04(木) 17:26:34
>>784
うそつけ。僭称すらしとらんただの太郎だの次郎だのはいっぱいおるわ。
787日本@名無史さん:2006/05/04(木) 18:59:15
爵位・領地を相続できない英国貴族の二男三男が軍隊に入ったり植民地や海賊に活路を見出したように、
公家の次男三男が武士団に入って武士になったの?
788日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:20:04
次男三男というより藤原でも支流庶流の連中や藤原以外の氏族では?
789日本@名無史さん:2006/05/04(木) 19:46:33
殆どは出家だったのでは?>公家の次男三男
790日本@名無史さん:2006/05/04(木) 21:26:31
>>789
嫡男が急死したりすると、非常召集がかかるんだよな
791日本@名無史さん:2006/05/04(木) 22:50:41
>>738
松殿家って、どうして2回とも九条家出身の人物で再興したんだろうね。
本来の松殿家の祖である松殿基房は、近衛基実とは同腹だけど、九条兼実とは
異腹だから、しいて近衛流か九条流かで分類するなら、近衛流だよね。
そういえば明らかに近衛流である鷹司家も、戦国期に断絶したあとは、
二条家出身の人物が再興しているね。

なんか近衛流って、本家の近衛家が五摂家筆頭だといわれる割には、
九条家・二条家・一条家の九条流のほうが繁栄しているような気がするね。
もっとも鷹司家や松殿家を再興させるときに、単に近衛家に男子が
いなかっただけかも知れないが。
792日本@名無史さん:2006/05/04(木) 22:51:49
坊さんになるとオナニーか衆道だけで血統絶やされ
793日本@名無史さん:2006/05/05(金) 00:37:25
近衛家は要領のよさそうな人物が少ないような印象がある
794日本@名無史さん:2006/05/05(金) 01:49:20
まあ五摂家って、そもそも近衛流が2家で九条流が3家だからなぁ。
もっとも近衛・松殿・九条の3家が分立した時点で、
近衛家=親平家、松殿家=親木曽、九条家=親鎌倉って感じになってたから、
鎌倉初期の段階で九条家の一人勝ちだったのかも知れないが。
795日本@名無史さん:2006/05/05(金) 19:28:49
将軍頼経の子孫っていないのかな?
武家に残っても公家に残っても最高の家柄なのに
796日本@名無史さん:2006/05/06(土) 02:09:52
>>1
殺生禁止の仏教のせい
797日本@名無史さん:2006/05/06(土) 11:54:01
>>791>>794
九条家が繁栄してるのは鎌倉時代だけ。
室町時には二条家、江戸時代には近衛家が大繁栄。
逆にこけらの時代には九条家は見る影もないな。
798日本@名無史さん:2006/05/07(日) 02:04:53
九条家ではなく九条流といったつもりだが。
799日本@名無史さん:2006/05/07(日) 06:44:13
>>1
そもそも日本古代国家の軍制は、いつどのようにして空洞化していたのか?ー国家の兵から武門の兵に
800日本@名無史さん:2006/05/07(日) 07:00:13
健児制からだろ
801日本@名無史さん:2006/05/07(日) 07:58:05
最初から大伴、タケベ、丈部、物部などの氏族の兵だったのでは?
802日本@名無史さん:2006/05/07(日) 08:06:25
早くGW終わってリア廚消えねえかな
803日本@名無史さん:2006/05/07(日) 08:14:56
804日本@名無史さん:2006/05/07(日) 22:17:31
>>798
九条家ではなく九条流としても、>>797の通りじゃない?
室町時代には、将軍家と結びついた二条家(九条流)と近衛家(近衛流)が頑張ってる。
  →九条流の1勝1敗
江戸時代には、天皇家から養子をとった近衛家と一条家(九条流)、閑院宮家から養子をとった鷹司家(近衛流)が頑張ってる。
九条家と二条家は当主が早死にばっかりしてて衰退。
  →九条流の1勝2敗

結果は九条流の2勝3敗。
805日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:15:17
摂関(人)
後鳥羽以降 ○九条13-10

近衛6
鷹司4

九条7
二条4
一条2

後醍醐以降 ○九条32-20

近衛12
鷹司8

九条11
二条11
一条10

後水尾以降 ○九条15-14

近衛7
鷹司7

九条4
二条5
一条7

計 ○九条50-44

多分多少の数え間違いがあると思うが。
暇な人、年数も数えてみてちょ。
806日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:24:13
>>804
>室町時代には、将軍家と結びついた二条家(九条流)と近衛家(近衛流)が頑張ってる。

室町時代の近衛家なんて影薄いと思うが。
室町時代の摂関は事実上、二条家と一条家の独占状態。
何故なら南北朝期に二条良基の存在感が大きすぎて、二条家が一人勝ちの
状態になる。
その後、良基の子供の経嗣が一条家の養子に入ったので、一条家も繁栄の恩恵を
こうむるようになる。
近衛家が元気になるのは戦国期以降でしょう。
807日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:25:29
大ボケかました・・・。

後水尾以降 ○九条16-14

計○九条61-44


近衛25(+基実)=26
鷹司19

九条22
二条20
一条19
808日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:38:09
室町期限定なら、在任年数の集計あるよ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1032360038/651-657n

これは建武3年(後醍醐の親政崩壊による摂関復活)から天正13年(秀吉の関白就任)までだけど。
809日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:54:38
右大臣藤原俊家子

宗俊(権大納言)−宗輔(太政大臣)
宗通(権大納言)−伊通(太政大臣)

基俊(左衛門佐)
基頼(鎮守府将軍)

この差はなに?
810日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:58:17
足利尊氏と徳川家康って、幕府が事実上成立すると、どちらも摂関の復活を行ってるね。
足利尊氏・・・後醍醐天皇の親政で廃絶していた摂関を復活。
徳川家康・・・豊臣秀次死後、空位となっていた摂関を復活。
811日本@名無史さん:2006/05/08(月) 02:06:04
朝廷の秩序を復旧したと言うことか?
812日本@名無史さん:2006/05/08(月) 02:25:53
建武政権崩壊後の摂関復活で、最初に関白になったのは近衛経忠だね。
しかし翌年、経忠は突然南朝へ走る。
その結果、関白の職と近衛家の家督は従兄弟の基嗣に変えられた。
さらにその翌年には、関白は近衛家の手から離れ、その後は20年以上も
近衛家の手には戻らなかった。
やっぱり経忠が南朝へ走ったのが痛かったんだろうね。
813日本@名無史さん:2006/05/08(月) 02:29:52
徳川家康は関ヶ原の戦い後、足利尊氏が摂関を復活させた先例に倣って、
九条兼孝を関白に就けたが、これは家康が足利将軍の後継者として幕府を開く
意思があることを示すと同時に、摂関の豊臣家による世襲を否定したことでも
あったということだな。
814日本@名無史さん:2006/05/08(月) 02:32:55
明治以降男子皇族は入営してるじゃん>1
815電話男:2006/05/08(月) 03:03:01
皇族は公家とは違うぞな しかも公家は明治維新前の呼称であるから明治の華族や皇族の話とはスレ違いになる
816日本@名無史さん:2006/05/08(月) 03:11:27
儒教パクッたけど、テストでなく血筋で人材登用したからではないかと。
817日本@名無史さん:2006/05/08(月) 03:29:54
>>816
科挙は独裁専制君主が完全に自らのロボットとして動く人材を発掘するのには
都合がよいが、日本の風土にはそれは合わなかった。
818日本@名無史さん:2006/05/08(月) 04:56:40
うん。だから血筋で官僚決めれば、代を重ねるごとに、
特権化していくわけだからさ。
819日本@名無史さん:2006/05/08(月) 05:47:56
結果的に経済大国になった日本と、

欧米列強および日本の植民地を化し、20世紀は列強による温情(ODA)で発展した中国

科挙がいかに形だけのモノだったか分かるよな
820日本@名無史さん:2006/05/08(月) 19:36:18
伊予西園寺家はどうなった?
821日本@名無史さん:2006/05/09(火) 20:19:20
>820
滅亡。
どっかに滅ぼされた
長宗我部か 河野か
822日本@名無史さん:2006/05/11(木) 01:02:42
国衙軍制は最初は誰が担っていて、最盛期はどうなっていたのでしょうか>?
823日本@名無史さん:2006/05/11(木) 18:27:18
武装化した公家が源氏なり平氏だろ
824日本@名無史さん:2006/05/15(月) 20:41:08
>>822
地方から地方
825日本@名無史さん:2006/05/16(火) 21:18:15
源氏の女が遊女になって源氏名
826日本@名無史さん:2006/05/18(木) 10:39:06
今出川行雲・天台宗総本山延暦寺執行とは何者?
827日本@名無史さん:2006/05/22(月) 23:12:28
>>823
しかし、上級の公家は武装しなかった。上級貴族だから武装せずに済んだ
って面もあるけど、権力が低下し続けても非武装のままで、そのまま権力を
失った。
828日本@名無史さん:2006/05/23(火) 00:42:09
権力を失ったのか?w
829日本@名無史さん:2006/05/23(火) 00:45:09
>>827
都に進出した地方の『兵の家』が
いわゆる軍事貴族なんだが。
830日本@名無史さん:2006/05/23(火) 01:30:48
825 やまだー座布団3枚!ってことは俺ってば源氏と夜な夜なあそんでたのか?
831日本@名無史さん:2006/05/23(火) 05:01:07
戦国時代より遠い昔の源氏平家の裕福貴族化社会。

あい対戦して平家滅亡、逃げて落ち武者。
832日本@名無史さん:2006/05/26(金) 02:47:07
公家って言っても、摂関とそれ以外では雲泥の差。
833日本@名無史さん:2006/05/26(金) 02:53:09
834日本@名無史さん:2006/05/26(金) 10:10:41
源氏の先祖は続日本紀に出てくる韓国源と、つまり源氏は朝鮮系、といってみる。
835日本@名無史さん:2006/05/26(金) 10:25:23
>>827
「殴り合う貴族たち」 繁田 信一著
を読んでみな。ちょっと高めの値段だけど。

平安時代の上級貴族は江戸時代の武士なんかより相当荒っぽいぞ。
上皇に矢を射かけたのまでいる。
836日本@名無史さん:2006/05/26(金) 13:46:28
藤原隆家は中央貴族の中ではなかなかの武人肌の人物
837日本@名無史さん:2006/05/26(金) 13:57:02
>>836
藤原隆家は「刀伊の入冦」のときは大活躍だったが、
それ以前は都で相当DQNなことしてたみたいね。
武人肌通り越して、殆どヤクザ。

838日本@名無史さん:2006/05/26(金) 19:07:17
藤原保輔は南家なので位は低いけど藤原隆家を超える豪傑、というか強盗w
兄の藤原保昌も武人だな。
839日本@名無史さん:2006/05/27(土) 00:45:22
>>837
でも、彼の子孫は水無瀬600石はじめ、堂上家を出しているし
武家にも子孫を名乗る者がいるくらいだから
摂関家に近い血筋ではそれなりに繁栄した。

840日本@名無史さん:2006/05/27(土) 00:50:40
隆家の子孫で水無瀬家を出して坊門家を挙げないのはどうして?
坊門家のほうが政治史的には存在感が大きいよ。
841日本@名無史さん:2006/05/27(土) 08:23:53
水無瀬家の功績は静子妃を出したこと
但し静子妃の父は裏松家出身
842日本@名無史さん:2006/05/27(土) 08:26:01
土佐の一条氏は既出?
843日本@名無史さん:2006/05/28(日) 00:26:54
>>841
って誰?
844日本@名無史さん:2006/05/28(日) 21:37:15
歴史が嫌いだった。
年号と年号に一致する言葉を覚えるだけだったから点数は取れたけど、嫌いだった。

でも最近江戸時代の暮らしとか戦国時代の暮らしを本で読んでかなり興味わいてきた。
学校も歴史の授業ももっとその時代の人々の暮らしや風土に密着して授業してくれたら
好きになれたのに。

歴史の重要なところだけをなぞるだけってのが駄目な気がする。
845日本@名無史さん:2006/05/28(日) 21:59:12
>>842
中村に一条神社があるからくぐってみ。
846日本@名無史さん:2006/06/05(月) 05:54:19
公家には武術・武道を伝えているのは無かった?
847日本@名無史さん:2006/06/06(火) 00:46:15
>>846
下記スレで問題になってる北畠電波のことですか?
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1123163930/l50
848日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:06:58
藤原保昌は和泉式部の夫?
849日本@名無史さん:2006/06/28(水) 02:45:03
承久の乱で負けて軍備を禁止されたから?>>1
850日本@名無史さん:2006/06/28(水) 06:43:34
851日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:40:33
>>1
公家の大半は建武の新政を支持していません。
かりに当時の公家が大きな軍事力を持っていたとしても、建武政権の崩壊が
時間の問題だったことには変わりないでしょう。
852日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:23:43
うんこしてきていい?
853日本@名無史さん:2006/07/01(土) 02:31:46
巨人が負けるとめしがうまい
阪神の応援は朝鮮人みたい
854日本@名無史さん:2006/07/02(日) 01:09:48
>>852
どうぞ。
855日本@名無史さん:2006/07/02(日) 01:32:08
もう遅いがな
856日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:53:35
ん?
857日本@名無史さん:2006/07/13(木) 15:31:12
>712
超遅レス
花總母は芸者じゃなくて元SKDだよ
858日本@名無史さん:2006/07/19(水) 05:39:20
>>1
武家だって一つの権門であり、一種の貴族だよ。
859日本@名無史さん:2006/07/22(土) 12:15:54
>>848
そうだろ。
860日本@名無史さん:2006/08/11(金) 00:02:48
うんこしてきていい?
861日本@名無史さん:2006/08/11(金) 00:12:47
どぞ
862日本@名無史さん:2006/08/27(日) 23:34:42
すっきりした
863日本@名無史さん:2006/08/28(月) 00:18:04
なげーな
おい
864日本@名無史さん:2006/10/03(火) 02:17:27
再開
865日本@名無史さん:2006/10/29(日) 03:49:17
>>839-841
隆家の子孫は、一時期はかなり没落しているけど、結局は院政期に
院の近臣として復権したような感じだな。
しかし同じように院の近臣として浮上した家でも、その繁栄ぶりは閑院流の
諸家には遠く及ばないけど。

あと武家で隆家の子孫を称する家としては、肥後の菊池氏あたりが有名だね。
隆家の場合、太宰府にいた時期があるせいか、彼の子孫を称する武家は九州に
多いのが特徴だね。
866日本@名無史さん:2006/11/12(日) 05:23:17
隆家の子孫で有名な人を思いつくまま挙げると、

藤原信頼(平治の乱で処刑)、藤原基成(陸奥守・藤原秀衡の岳父)
一条長成(常盤の再婚相手)、一条能成(義経の異父弟)
七条院殖子(高倉天皇妃・後鳥羽生母)、坊門信清(殖子の兄、内大臣)
坊門忠信(信清の子・承久の乱で配流)、西八条禅尼(源実朝室、忠信の妹)
坊門清忠(後醍醐天皇の側近)
867日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:25:30
坊門家は断絶したのか?
868日本@名無史さん:2006/11/18(土) 19:06:11
>>867
後醍醐にくっついて南朝方になったのが祟って子孫は歴史のなかへ消えた。
但し分家の水無瀬家が近代まで残って子爵になっている。
因みに水無瀬家は、旧公家華族のなかで唯一本籍地が大阪府。
869日本@名無史さん:2006/12/08(金) 13:43:30
日本の公家というのは、藤原氏が(天皇の権威を盾に)日本国の行政要職を独占するための排他&閉鎖的システム。
藤原道長から明治維新まで、源平〜足利氏〜信長・秀吉など武家は滅びたが公家は滅びなかった。
公家になろうとした平氏も結局武家の宿命から逃れることはできなかった。
武家にならないという知恵で、藤原氏は断絶を免れたのである。
870日本@名無史さん:2006/12/13(水) 07:37:22
公家でも時が立てば没落して消えてしまう。橘や高階のように・・・。
菅原や清原は学問で身を立てることで生き延びた。水無瀬が残ったのは
祖の親兼・信成が後鳥羽上皇の配流後も仕え、上皇崩御の時に水無瀬の
地を与えられ、そこに御影堂を建て上皇の霊を祀ったから。上皇の怨霊を
恐れた朝廷・幕府から厚い保護を受けた。
871日本@名無史さん:2006/12/17(日) 20:50:13
てか一度受領階層まで落ちて、院政期に院の近臣になって復活って家は結構多いよね。
872日本@名無史さん:2006/12/23(土) 04:10:43
ゴマスリは公家の得意技だから
873日本@名無史さん:2006/12/23(土) 07:39:12
武装した公家は少なくない。戦死した人物も多い。
南北朝・戦国を経て、織田・豊臣政権まではちらほらいる。
しかし家康政権によって許されなくなった。
公家は公家らしく大人しくしてろと。学問だけしとれと。
それ以降のイメージが現代人には大きい。
874日本@名無史さん:2006/12/23(土) 14:51:13
飛鳥貴族は弓が好きでした
平安貴族は男が好きでした
875日本@名無史さん:2006/12/23(土) 18:03:34
>>873
近世でも公家は自分用の鎧兜を必ず持っているはずですが。
使う機会があったかどうかは別にして。
876日本@名無史さん:2006/12/23(土) 18:15:23
古神道その他いろいろ2 他山の石  より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/
821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。

822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
                 
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/
186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。

824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822
神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。

QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ
877日本@名無史さん:2007/01/07(日) 20:33:28
天皇から褒美として下賜された愛用の衣の呼び方、何かあったような気がするのですが、
何だったでしょうか?
878日本@名無史さん:2007/01/12(金) 22:45:39
紫衣とか?
879にゃんこ:2007/01/20(土) 16:49:10
現場の経営者(武士)として、日々、神経をとがらせ、武を高めるよりも、
都でオーナー(公家)として、ぬくぬくと安全に暮らしたがるのが人間の常だ。
しかしだ、オーナー階級も古代は乱暴だったし、近世にも、繁栄を求めて、
織田軍の戦闘に手勢を率いて参加した者もいた。いろいろいるのだよね。


880日本@名無史さん:2007/01/21(日) 00:26:13
せいぜい奈良時代までだな。
駄々っ子の暴れん坊オーナー(王朝貴族)なら掃いて捨てるほどいたが。
881日本@名無史さん:2007/02/22(木) 16:52:48
>>877
恩賜の御衣だっけ?
882日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:38:09
>>879
古代に限らず中世でも結構濫妨だと思うが。
883日本@名無史さん:2007/03/22(木) 09:41:28
もともとの観念論としたら
軍事関係の公務員=武士
それ以外の公務員=公家
ってことじゃないのか?

一種のクーデターともいうべき経過で軍事政権が誕生しても・・・・
なぜか鎌倉時代以降,征夷大将軍なり,執権(北条政権のとき)なり,
が最高権力者の印のように扱われた。本来将軍なんて天皇制の基の一
役職に違いないのに,この形式にこだわるから江戸時代だって当然な
がら天皇「側」の役人も必要でこれが純正公家みたいな感じで細々と
残ったように思う。
武家か公家かってのは観念論だから,観念論を先行させて議論すると
いうのはちょっと間違っていると思うよ。
例えば,豊臣秀吉は何者だったの?ってことになる。
百姓の息子・・・ということだが,実際彼の父親は織田の家来だったわ
けでそういう意味では武家ともいえるが,この時代はまだ兵農分離して
いないからどっちともいえず,長浜城主あたりでは名実ともに「武家」
だろうが,最後は関白太政大臣なわけで,実質的には武家だろうけど
形式的には公家ともいえる。
江戸時代に入って身分制度が明確化して,例外的な存在として天皇側の
文官を「公家」としていたにすぎないのじゃないのか?
884日本@名無史さん:2007/03/22(木) 10:12:08
権門体制って知ってる?
885日本@名無史さん:2007/03/22(木) 23:13:35
藤原一族の下っ端のほうの家系は 武士になった
一条家は、戦国時代に土佐中村の領地に下向して、在地領主となり武士化した

886日本@名無史さん:2007/03/22(木) 23:15:43
一条は下っ端じゃねえええ
887にゃんこ:2007/03/22(木) 23:29:48
882>

あのう・・・織田軍に参加した、とも書いているのですが・・・・。
「古代に限って」なんて書いてませんよ。世見間違いって多いよね。
「織田は中世じゃなくて、近世だ」なんて反論は要旨を外してますので
しないようにね。
888にゃんこ:2007/03/22(木) 23:32:06
まあ、四捨五入したら
身分が高い領主が公家で、一部を除いて、身分の低い領主が武士だ。
889日本@名無史さん:2007/03/23(金) 00:15:48
源平藤橘ぜんぶ貴族。
武士=貴族が武装農場主として在地領主化したものが始まりじゃないの?
890日本@名無史さん:2007/03/23(金) 02:17:36
>>887
貴方は>>879で自ら「織田は近世」って書いちゃってるわけですが。

>>879
>近世にも、繁栄を求めて、織田軍の戦闘に手勢を率いて参加した者もいた。

火気間違いって多いよねw
891日本@名無史さん:2007/03/23(金) 05:36:35
>>885
土佐の一条家は、武士になれず公家のまま滅んだ感じ、実力もなく貴種であることで
そこらの豪族の神輿になっていたわけで
892日本@名無史さん:2007/03/23(金) 19:52:19
>>888
にゃんじゃそりゃ
893日本@名無史さん:2007/04/02(月) 23:43:03
>>891
土佐一条に関する研究論文を一通り読むことをお勧めする。
894日本@名無史さん:2007/05/17(木) 23:18:09
そうか
895日本@名無史さん:2007/05/31(木) 02:49:52
「公家」の読みは「こうけ」?それとも「くげ」?
896日本@名無史さん:2007/06/13(水) 17:46:00
>865
藤原隆家の子孫は、公家としてもずっと残っているよ。
江戸時代の公家、水無瀬家がそう。
天皇の愛妾などを輩出している。
897日本@名無史さん:2007/06/14(木) 03:51:00
水無瀬家は後鳥羽院との関係が深かったからな。
水無瀬家の家名も後鳥羽の水無瀬離宮を貰ったからだし。
898日本@名無史さん:2007/06/15(金) 01:20:48
岩倉「こりゃもうあかん。大久保、今のお上はもうあかんがな。一服ももらなもうあかん」
大久保「じゃっどん岩倉さぁ、一服盛れち、本気で言われっちごわんそかい」
西郷「一蔵どん、岩倉さぁがああ言われる。ここは岩倉さぁの軍配にお任せ致しもんそ」
大久保「じゃっどん、吉之助さぁ、こいばかいはいくらなんでん…」
岩倉「大久保、おまえはそれでも薩摩隼人かいな。キンタマ下げとんのか?何や、天皇の一人や二人、
   一服盛るくらい何や、朝飯前や。京の都の公家を甘うみたらあかんがな」
大久保「分かいもした。一服盛りもんそ」
岩倉「それでええ。お上言うたかて、所詮は将棋の駒や、なあ、西郷」
西郷「そじごわす。主上でんなんでん、邪魔すっ和郎は成敗すっがよかが。アハハ」
899麻呂:2007/08/12(日) 02:49:45
そちを誠意大将軍に任命す
900キリ番マン ◆/SAQfJ7DwI :2007/08/28(火) 18:32:29
900
901日本@名無史さん:2007/09/02(日) 01:47:27
五摂家筆頭藤原北家嫡流藤原氏宗家陽明家近衛殿
902日本@名無史さん:2007/09/13(木) 21:38:56
何が言いたい?
903日本@名無史さん:2007/09/13(木) 21:52:06
確かに近衛家は今もスゴイよ
でも今の当主が初めてじゃない?
武家出身の養子って
摂家って、絶えそうになると他の摂家か皇族から養子をもらうのが慣例でしょ?
細川家って、大大名だけど、細川京兆家の分家でしょ?、細川京兆家は足利家の早い時期の分家だし
分家というより重代の家臣でしょ?
足利将軍家から直接近衛家なら、まだなんとか分かるけど
皇族から妻をむかえられたってことは、天皇家公認だからOKってこと?
904日本@名無史さん:2007/09/13(木) 22:39:38
>>903
語尾の?がウゼエ
死ね
905わんこ:2007/09/13(木) 22:55:54
あなたの方がウザイわよ
906日本@名無史さん:2007/09/13(木) 22:58:42
ネカマもウゼエ
消えろ
907日本@名無史さん:2007/09/14(金) 00:44:32
罵り合う貴族達
908日本@名無史さん:2007/09/14(金) 23:05:27
え?
俺も貴族?
909日本@名無史さん:2007/09/15(土) 16:35:21
>>903
戦後は、皇族といえども、皇族・摂関家以外に嫁いでいるからねえー
近衛家の養子で細川家の出身なら、家柄は良いほうでは?
戦後は、平気で武家へも嫁いでいるし。

戦後、皇族・摂関家以外へ嫁いだ皇女たち
昭和天皇皇女厚子内親王→旧公爵池田家へ嫁ぐ
昭和天皇皇女貴子内親王→旧伯爵島津家へ嫁ぐ
三笠宮王女容子女王→旧松山藩茶道指南役千家へ嫁ぐ(公家角倉家からの養子)
今上天皇皇女清子内親王→庶民の黒田家へ嫁ぐ
910日本@名無史さん:2007/09/16(日) 08:38:00
摂家も皇族も戦前から武家に嫁いでるじゃねえか
なに言ってんだ
911日本@名無史さん:2007/09/17(月) 14:46:54
苗字に「藤」がつけば藤原氏の流れを汲んでいるといえますか?
912日本@名無史さん:2007/09/17(月) 16:16:00
いえません
少しはググったり調べたりしてから聞いてください
913日本@名無史さん:2007/09/21(金) 23:08:52
「藤原」という名字の奴が学部時代の同級生にいたんだけど、自分は藤原道長の子孫だって吹いてたよw
授業料全額免除の上、奨学金ももらえるほどの極貧家庭の出のくせに、なにほざいてんだかwと心の中で嘲笑ってたけどね。
「藤原」だなんて、いかにも明治になってから藤原氏に憧れてとってつけた名字の代表みたいなもんだからなw
914日本@名無史さん:2007/09/22(土) 00:41:29
菅原って女と話してたら
「よく知らないけどうちの家って菅原道真と関係ある
由緒ある家みたい」
とかほざいてた。
よく知らないのならいい加減なこと言うなよ、
藤原とか菅原って苗字は維新後の新姓なんだよアホが、
って言ってやろうかと思たがやめた。
915武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/22(土) 17:47:45
>>912
ググる、かー
バカかパーだな
916日本@名無史さん:2007/09/22(土) 18:01:48
持田真樹「公家のままでいいわ」
917日本@名無史さん:2007/09/22(土) 19:21:04
>>914 明治新姓な奴らも木端ずかしいけど維新貴族たちも恥かしいぞ。

折れの知り合いに63歳でぶで眼鏡ポンチな長州人が「家はサムライだよ、だって戸籍に書いてるから」ってふん反りかえって偉ぶる御下劣な奴がいたけど何のことはない江戸期は旅館経営だってよ。
918日本@名無史さん:2007/09/22(土) 19:25:53
毛利藩主も泊まりにきたこともある、だって。馬鹿じゃんてか典型的な維新捏造家系じゃん!悔しかったら自分自身か毛利氏(血縁)になってみろっーっーの。しょぼ、しょぼデブ。w
919日本@名無史さん:2007/09/22(土) 19:34:26
俺んちは『信長の野望』に出てくる家臣の家の末裔らしい
おじいちゃんがその戦国武将の名の一字を重代している
920日本@名無史さん:2007/09/22(土) 19:57:09
薩長土肥ってほとんど士族ってとこじゃなかったっけ
郷士もみんな士族
そんなのが明治新政府のもとで子爵、男爵ってのが笑える
921日本@名無史さん:2007/09/22(土) 20:02:01
西園寺のほうが公家らしい公家
922日本@名無史さん:2007/09/22(土) 23:27:23
ただ長州藩士の家の中には、中国地方以外の他地方にいれば、戦国期に毛利に
呑み込まれずに、近世にも独立大名か上級旗本クラスで存続できたんじゃないか
と思われるような家が少なくない。
923日本@名無史さん:2007/09/22(土) 23:31:13
長州
政権握っても今も昔もダメダメな過疎貧乏県
924武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/23(日) 11:22:14
古代中世史の武士論の世界じゃ、今や当たり前に共有されてるターム「軍事貴族」ってのが、
私が見た限りこのスレじゃ出てきてない。
在地領主を別にすれば、武士は貴族から出てきたんだよ。
つまんない茶々入れるとこのスレだけじゃなく2ちゃんねるって、
日本史の事典(辞典)に載ってて、学部生なんかでも知ってる基本的なターム、認識が全然なかったりする。
(そうかググっても、ウィ開いてもなかったんだなあ(笑い))てな小馬鹿にする気持ちを抱いていしまうことしばしばなんだよね。
925日本@名無史さん:2007/09/23(日) 12:45:47
あぼーんで見えないが、まだ馬鹿コテはこの板にいるのか
926日本@名無史さん:2007/09/23(日) 13:37:57
>>924
そんなお馬鹿な人しかいない掲示板に何で毎日貼り付いてるの?
世の中には、学部生レベルの基本的なタームどころか、
あなたよりも高度な知識を持った人なんて、たくさんいますよ?

馬鹿な人なんかを相手にしてないで、即刻ここから消えてはいかがでしょう?
927日本@名無史さん:2007/09/23(日) 16:46:09
>>923
長州出身の首相は、伊藤博文・山県有朋・桂太郎・寺内正毅・田中義一・岸信介・佐藤栄作・安倍晋三の8人。
しかしこのうちの実に5人(桂・寺内・田中・岸・安倍)が最後に異常な情勢の中で辞めている。
928日本@名無史さん:2007/09/23(日) 16:50:07
>>924
テクニカル・タームとして知っているからといって使わなければならない義務はない。
自分の研究スタンスによっては知っていても使いたくないという立場の人も当然いる。
使わないからダメだとかそういう発想をする奴のほうがダメだと思う。
929武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/23(日) 17:32:50
>>926
毎日じゃないよ。
ここ数日だよ。意識的にみっちり書いた。
ぶっちゃけ私はネットで勉強する奴を根絶したいんだよ。
最近辞典レベルの調べもしないバカが生身でも多くてさ、うんざりしてるんでね。まあ君もそうなんだろうが、
悪いけど君みたいなのは潰したい。
ネットから受け売りを面前でやられた日にや、蹴り入れたくなんだけど、じっと我慢の子。
ストレスたまるわ。
怒鳴るのも我慢。トラブルからね。
偉いだろ(笑い)?
ウィとかググはやめるべきだ。
そういうとこからの切り貼りは専門の人をないがしろにしてんのわかんないのかな?
まあこれからも一月に一回、二回来ては、つまんない書き込みした奴を小馬鹿にして叩くんでよろしく。
私の書き込みは正論だし。悪いが確信犯なんで遠慮なくいくぜ。
いやなら専門の奴が書いた書物くらい目を通してね。
君はウィなんてゴミ集積所を崇拝してんだろうけど(笑い)。
追伸:私の日本史板での書き込みを印刷して史学プロパーの人間のところに持って行くことをお奨めします。
930日本@名無史さん:2007/09/23(日) 18:02:28
>>924-929
「軍事貴族」という用語は、うちの娘も知っていた。教科書とか用語集を見せてもらったが、日本史用語集(山川出版社)にはちゃんと載っている。
私自身は、歴史書が好きで読んでいたから、最近の歴史書で知っていたが、日本史の教科書も、自分が習った頃に比べたら随分変わったね。
もう神護寺の肖像画を源頼朝像として掲載していないし、足利尊氏も同様。

ただ、ネット上の情報については、正直、後発の為整理がついていない状態だと思う。
私は情報処理技術者なので、ネットについても早く情報の整理が進んで、歴史のコンテンツも淘汰が進み、良質の情報に集約されて欲しいと思っています。
931日本@名無史さん:2007/09/23(日) 18:17:27
なんかすげ〜カッコイイんですけど。
軍事貴族。
英語では「ウォー・ロード」にあたるのかな。
932日本@名無史さん:2007/09/23(日) 19:22:08
>>931
日本の外国人観光用の史跡パンフレットなどには、武将は「war load」とよく書かれますね。
大坂城のパンフだと、こんな感じです。

This giant and fortress castle was built in the year 1583 by the famous war load Toyotomi Hideyoshi, a man who held a ruling first over the entire country.

単なる「サムライ」ではなく、それなりの地位がある武将に対して使用するようです。
933日本@名無史さん:2007/09/23(日) 20:12:36
年寄りの文章ってなんでこんな読みにくいんだろう
読点が多すぎるのか
934日本@名無史さん:2007/09/23(日) 20:25:31
厨房の文章って、何でこんなに読み難いんだろう。
読点が少な過ぎるからか。平仮名も多いし。
文章力がないから短いので、なんとかなっているようだがw
935日本@名無史さん:2007/09/23(日) 21:01:14
でも本当に読みにくいよ

936日本@名無史さん:2007/09/23(日) 21:21:13
たぶん軍事貴族の賛同者が現れたから、>>933は焦ってるんだよw
937日本@名無史さん:2007/09/23(日) 22:22:09
>>932
その場合の“war load”は、単に「大名」というような意味で使われている
可能性が高い。
外国人に対して、中世後半期から近世における公家と大名の違いを説明する
ときに、大名のことを“war load”などと表現していることは多い。

ただ>>924>>929が言っている「軍事貴族」というのは、主に平安の中後期に
おける武士論のなかで使用される(使用する人がいる)言葉。
938日本@名無史さん:2007/09/23(日) 22:24:41
war loadじゃなくてwar lordな
939日本@名無史さん:2007/09/23(日) 22:25:49
もっとも2chでわざわざこういうことをいう>>924>>929
空気の読めない基地外以外の何者でもないだろう。

あとこの手のテクニカル・タームは決して全ての研究者の了解のもとに
使われているわけではないから、好んで使うかどうかは人による。
940日本@名無史さん:2007/09/23(日) 22:27:53
>>938
すまん。
941日本@名無史さん:2007/09/23(日) 22:50:17
てゆうかここ見ている人全てが古代や中世前期の専門家とは限らないわけだし。
スレのタイトル的には、中世後期や近世の公家の話だって問題ないわけだ。

それに「軍事貴族」なんて言葉は、研究者でも使うかどうかは立場が分かれるはずじゃないのか?
たぶんいわゆる権門体制論に肯定的か否定的かでも割れるだろうし。

>>929は本人は専門家のつもりらしいが、その学者先生(プロ研究者)がここに趣味で来ている素人の歴史ヲタを煽って悦に耽っている光景のほうが端から見ると異様というかバカみたいに見えるぞ。
942日本@名無史さん:2007/09/23(日) 23:36:55
>>924みたいに、
コテハンつけてトリつけて頻繁に書き込みしてる奴が
「2ちゃんねらはバカだ」って書いてるのは
どう見ても「俺はバカだよーんアババババ」
と言ってるだけにしかならないんだが。
数多くいる2ちゃんねらの中でも自分だけは何故か特別な人間だ、
っていう根拠のない思い込みがデフォで
しかも2ちゃんねらの中にも色んな人がいるから
一概に2ちゃんねらだからどう、などとは言えない、
っていう基本的な認識さえ持てていない。

ちょうど、自分も日本人のくせに
すぐ「これだから日本人は・・」って言いたがる人と同じで、

基本的な論理能力や状況把握能力に乏しいんだろうな。
943日本@名無史さん:2007/09/24(月) 00:01:41
>>941
だから「軍事貴族」は、既に高校生でも知ってるんだってw
944日本@名無史さん:2007/09/24(月) 00:19:14
公家のままじゃなかったら、公家じゃないんじゃね?
945日本@名無史さん:2007/09/24(月) 01:48:51
いや、思うに、「軍事貴族」というような位置づけに相応しい意識が、当時の
該当する源平や武家の藤原氏にあったことが、日本の歴史を左右したとされる
から重要なんだ。

もし、武士が在地系しかおらずに武士の勢力が拡大するような歴史があったと
するなら、政治体制や社会体制の行き詰まりの結果発生するのは王朝打倒だと
考えられる。
しかし、武士の頭目が、軍事貴族で、特に天皇の血筋であることが「貴種」た
る所以の場合、王朝打倒は自己否定でもある。
結果的に平清盛にせよ、源頼朝にせよ最終的に帰属したのは「公卿の地位」で
あって、そうなったのは、彼等が軍事貴族だったからに他ならないのでは?

と考えると、「軍事貴族」が武士のトップだった事実は、日本の中世の性格を
決定するくらいの重要事項だと思われるのだが、如何だろう?
946日本@名無史さん:2007/09/24(月) 03:29:08
>>943
高校生が知っていることと、そのテクニカル・タームを使いたがらない研究者がいることは別次元の話だと思うがw
947日本@名無史さん:2007/09/24(月) 03:29:37
>>929
世間が狭いのだな…かわいそうに

ケータイでコミュニケーションしてる人間許せねえ
面会してコミュニケーションしろ
みたいなレベルだ
948日本@名無史さん:2007/09/24(月) 03:31:09
>>946
でも、その違いが理解できてるのなら
>>943のような的外れなレスは出て来ないんじゃないかなあ
949日本@名無史さん:2007/09/24(月) 03:31:14
>>945
では貴方は平将門の乱をどう評価しますか?
950日本@名無史さん:2007/09/24(月) 03:38:10
>>945
すごいおおざっぱにいえば
別に軍事貴族持ち出さなくても
権威(天皇の血統)と権力が分かれてたってことでいいんじゃない?
951日本@名無史さん:2007/09/24(月) 03:55:02
>>945
でも西洋史なんか見ていると、王朝の妥当は多くのケースでその王朝の縁者に
よってなされているように思える。
だから西洋史の場合、王朝名が変わっても前王朝と新王朝に血縁的にある程度の
繋がりがあることが多い。
また仮に前王朝と全く繋がりのない者が新王朝を立てたケースでも、多くは
婚姻などによって前王朝と系譜的な繋がりを持とうとする。

そういう意味では、むしろ血縁者のほうが同じ血を受ける者ということで、
ライバルになりやすいとも考えられる。
だから王朝と血縁関係にある者による王朝打倒が、必ずしもその者の自らの
正統性否定に繋がるとは限らない気もするが。
952日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:00:13
>>950
確かにすごい大雑把だけどw、でも大きな観点で良いかも知れない。
というのも世辞ではなく、西欧でも似たような事情を感じるからね。

ローマ教皇は、やはり日本の天皇のような立場だと思う。
そして、ヨーロッパは、キリスト教徒から成り立っていた。
ヨーロッパの各王国が成立して、国王たちが力を持った際も、決して
ローマ教皇を打倒の上で、ローマ帝国のようなものを目指したものはいなかった。
(まあ、旧東ローマ帝国は、ちょっと違う展開になったが)
キリスト教徒がローマ教皇を倒すことは、自己否定に繋がる。
そして権威と権力は分かれていった。
この場合の国王たちも、軍事貴族の延長線上にある。違うのは教皇とは
血統ではなく、信仰による連なり。ただ、もっと言えば日本の場合も
単に血統ではなく、信仰も絡んでいる。

日本の場合は、最終的に源平合戦と奥州藤原氏の滅亡があったから頼朝の
政権に一本化されたが、源平藤原の「天下三分並立」もあり得たと思う。
953日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:06:36
カノッサの屈辱
954日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:10:51
>>951
おおっと、ほぼ被ってしまったが、西洋の話題も図らずも一致しちゃったね。
それを読まずに>>952を書いたんだが、>>945を書いたものとして言うならば、
西洋の王朝内での戦いは、非常に近接した間柄の戦いで、権威の差が殆ど
ないことが大きい。というより、権威の源は教皇にあり、国王と血縁者は
実力の違いでしかないに近い状態であること。言ってみれば、頼朝と義経、
足利と新田とか、そんな争いなんだ。
軍事的な力を共に持っていて、かつ権威的な要素はほぼ同等。少なくとも
天皇との対比で言えば彼等同士の違いは「誤差の範囲」でしかない。
まあ、世界史は日本史ほど詳しくはないが、流れ的には西洋のwar lordと
共通する「軍事貴族」であると考えればよい。
その証拠に、軍事貴族とはもう言えないレベルの伊豆の北条氏は、どんな
に実力があっても、征夷大将軍には絶対になれない。
955日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:11:06
軍事貴族というか、
藤原氏んときから天皇を立てて脇で実権を取るってのが確立してるからなあ
もっとさかのぼれば蘇我氏もか。
例外的にときどき親政のやる気ある天皇もいるけど。

そういう権威と権力の分割というベースと
平安時代の兵事やケガレへの徹底的な忌避で
軍事要素を抜かれた存在(公家というか貴族)が生まれたというのがベースで

そういう特殊な構造で権力の移動を迎えたときに
軍事力=権力持った武士層(軍事貴族でもいいや)が台頭したって話だろう。
権力とは別に権威が存在して、そっちをものにするために貴族化という手段をとるから
軍事貴族なんてものになってしまったってだけで。
956日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:14:30
>952
並立したら誰が権威を持つ?

>>954
>かつ権威的な要素はほぼ同等。
>天皇との対比で言えば彼等同士の違いは「誤差の範囲」
それじゃ権威じゃないだろう。
だから日本では錦の御旗を味方につけることが重要なわけだ
957日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:16:44
何か深夜に白熱してしまったw
>>955
あの、ひとつ誤解して欲しくないのは、「ケガレ」という発想に基づく
公家の軍事への忌避感、という流れが、それとは別に厳然としてあった、
というのは否定しない、というよりそれも積極的に支持したい。

だから>>1の前提が、ちょっと大雑把過ぎていると思えるね。
本当は、流れが二つあるんだ。ケガレ忌避の都の貴族と、地方進出の
軍事貴族と。
958日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:19:29
>>956
だから権威ではなく、敢えて「権威的な要素」と言ったんだ^^。
959日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:29:38
チト逃げにも取れるから^^ちゃんと説明しておくね。
「権威的な要素」とは、権威のコピーだと考えればよい。
例えば、水戸黄門(徳川光圀)の漫遊記は完全な創作だが、あの印籠に
ひれ伏すのは、絶対的な権威ではない。徳川将軍の権威のコピーだ。
権威は本来一元化されていくものだが、そういったものをコピーする
事は可能だ。何故なら、黄門様は「権力」を持っている訳ではないから。
何かチャットみたいなペースで応酬したから、話が性急になったが、
「権威的な要素」とはそういう意味ね。
960日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:36:15
天皇…血統原理の権威の頂点

一応血統的に名門な源平…権威を戴き、権力のトップに立つ「資格」あり

そのへんの庶民…実力は合っても「資格」なし

この「資格」が「権威的な要素」ってことか?
961日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:43:54
>>960
うーん、そんなところかな・・・

実は咄嗟の考えだから^^、決して概念として確立した考え方ではないが、
そういうものかも知れない。スマソ

で、最後の課題は、「流れが二つあるんだ」と俺は言った。実はこれが
このスレの最大のテーマだったはずだが、では何故、そのように流れが
分かれたのか、だね。

実はあっけない結論で恐縮なんだが、それは、軍事貴族が生まれる前段
階で、中央での勢力争いの勝敗結果、ということでしかないのでは。

すなわち、勝ち組がケガレ忌避貴族、負け組みが地方進出の軍事貴族。
そして、では軍事貴族は何故、ケガレを忌避しなかったのかだが、そ
れは、負けたものだから、そんな余裕はなかった、ということかな。
これ、結論じゃ、ダメ?^^
962日本@名無史さん:2007/09/24(月) 04:57:05
>そんな余裕はなかった
それでいいんじゃない?

権威はそれが機能する世界の真っ只中でないと飯がくえんが
権力なら飯がくえるしね
権威の中心から階層的にも地理的にも遠ければ
軍事力の権力性を重く見ることになるんだろう

軍事貴族とは少し違うかもしれんが
受領階級なんて上位貴族になれないから
都離れるデメリットがあっても財を取ろうって感じだろうし

>中央での勢力争いの勝敗結果
一概にそれだけでもないだろうけど、皇族の臣籍降下やら
一族中での本流支流もまあ勢力争いっちゃ勢力争いに含まれるだろうから
まあ合ってる気がする
963日本@名無史さん:2007/09/24(月) 05:02:33
うみゅ、・・・もう眠い

深夜の論議、なかなか興味深かったです。スレも終わり近くまで食ってしまいましたね。
武陽陰士さんは何というでしょうか?^^

そして、武士が政権を取るに及んで、勝ち組と負け組は逆転した、という感じでしょうか。
お付き合い頂いて有難うございます。寝ます。
964日本@名無史さん:2007/09/24(月) 05:05:51
もうごじか…
965日本@名無史さん:2007/09/24(月) 05:27:13
>>955
公家に関しては、彼らが天皇に近侍する階層だからこそ、単なる武家同士の
争いには巻き込まれにくい側面もあるが、彼らが完全に軍事から無縁の存在に
なっているかといえば、そうでもない。
中世の後半期に至っても、なお公家が軍事領域に介入することは十分に
あり得る(特に南北朝期や戦国期には公家が合戦に参加して討ち死にしたような
例も探せばいくらも出てくる)。
また近世においても、公家の家には当主用の武具一式がちゃんと揃えてあるのが
普通。
966日本@名無史さん:2007/09/24(月) 05:38:54
>>965
>公家が軍事領域に介入することは十分にあり得る
そりゃ平安後半とか南北朝ってのは京の天皇上皇やら貴族も争いの真っ只中だから
当然といえば当然だわな
967日本@名無史さん:2007/09/24(月) 05:40:48
>>961
>実はあっけない結論で恐縮なんだが、それは、軍事貴族が生まれる前段
>階で、中央での勢力争いの勝敗結果、ということでしかないのでは。

そりゃ確かに保元・平治以前の段階での清和源氏や桓武平氏の官位を見れば、
公卿なんかには遥か及ばず、五位程度にも何とか引っ掛かるようなレベル。
そういう意味では、賜姓皇族の中でも武家(軍事貴族?)化した者のランクは
公家(宮廷貴族?)として残った者よりも明らかに低い。

ただ中には、いったん受領階級まで落ちながら、院政期以降に堂上として
復活してくるような家もあるわけだが、彼らと武家化した連中の違いは
何だろう?
活動拠点を地方に移して在地武士の組織化を図ったか、それともあくまで
中央に残って下級官人から再浮上する機会を狙ったかの違いかな?
968日本@名無史さん:2007/09/24(月) 05:56:09
寝ようとしましたが、>>945の問い合わせが残ってました^^
一旦結論みたいなのを出してからで、何か補遺みたいで恐縮ですが。
>>949
>では貴方は平将門の乱をどう評価しますか?

これね、武士が「鎌倉幕府」というシステムを構築するまでの長い試行錯誤の最初
の試練だったと評価してます。
軍事貴族と在地系武士が、地方で結びつきます。それは、共に都やら律令制度の理
不尽な点での不満があることで、利害が一致したのでしょう。そして、それを何と
かしたいと考えた。

平将門の手法は関東独立。実は「独立」とは、意味的には、こうです。
「選択肢」としては、一番安易。だが、継続および「達成」は最も困難。
選択肢として考えられるのは、王朝打倒か、独立。「幕府(朝廷を滅ぼさないで政権
樹立)」という発想は当時ありません。
相手を滅ぼさなくても良い独立は、滅ぼすより安易でしょう。だから選択した。
しかし、こんな大変なものはないです。相手が常にいるのですから、次々に新手を
送り込んで阻止しようとします。独立が達成されるのは、相手(朝廷)が諦めて認
めるか、自滅するかしかありません。そして、結果はそうはなりませんでした。

安易なだけで選択した訳ではないでしょう。これこそ、平将門が持っていた「軍事
貴族」としてのディレンマだと思います。
将門が、昔世話になった都の小一条太政大臣藤原忠平に宛てた書状の中で、
「將門柏原帝(桓武天皇)五世孫」と書いて、独立(新皇宣言)の正当性を主張しています。
すなわち、自分の正当性に天皇の末裔であることを挙げているのです。これでは、
王朝打倒の大義たり得ません。王朝の不当性を主張出来ないからです。啓蒙思想の
ような理論が別途あれば、理論で正当性を主張できますが、それもなかった。
結局、王朝打倒をしないでも良い道、すなわち関東独立だったと思います。
969日本@名無史さん:2007/09/24(月) 05:59:30
将門って、自らの行動の正統性の一根拠として、渤海が契丹(遼王朝)に滅ぼされた例を持ち出してなかったっけ?
970日本@名無史さん:2007/09/24(月) 06:02:03
清盛あたりのことを見れば事足りるんじゃないか?
もっと極端に言えば秀吉とか

これらの人はせいぜい自分の代どまりで長期的に続かなかったが
権威に歩み寄ったことになるんだろうな
藤原氏とかだともっとうまくやれたんだろう
971日本@名無史さん:2007/09/24(月) 12:02:28
>>970
そうですね。武士が「鎌倉幕府」というシステムを構築するまでの試行錯誤
第二弾が「既存の朝廷の中で武士が政権を取る」だったと思います。
それで、清盛・秀吉が永続しなかったのは「既存のシステム」を利用する
特色でもあります。
何故なら、もともとある仕組なので、平氏や豊臣氏がいようがいまいが存
立するからです。ですから余程頑張らないとお呼びでない、ということで
しょうね。それを永続するには、藤原氏方式(天皇との外戚関係の維持)し
かなかったようですね。これは、鎌倉幕府すら、後に源氏が不要になった
ように、「その一族が支配していないと、困る事になるよ」という形にする
のは難しいです。
972日本@名無史さん:2007/09/24(月) 12:14:59
>>969
同じく小一条太政大臣藤原忠平に宛てた書状では、「自昔振兵威取天下者,史書所見」
とも書いていますね。
この史書の例として、渤海のこともあったようです。要は軍事力で天下を取っている
ものなど、過去の歴史をみればいくらでもいるではないか? ということでしょうが、
同じ書状で「將門柏原帝五世孫」と書いている辺り、将門としても自分が決起した動
機とか時代の中での位置づけをを自分の中で完全に総括出来ていなかったのではと思
います。
973日本@名無史さん:2007/09/24(月) 12:35:27
>>967
院政期以降は、結果としてあなたのいう立場の「双方」とも、官位は上げた
と思われます。それは、中央に新たな「需要」が生まれたからです。

ひとつは政治を行う人材の需要。院という形で別のシステムが出来ましたか
ら朝廷とは別に人材が必要となります。院は、大江氏とか村上源氏とか
今まで朝廷内ではうだつが上がらなかったが、実務に長けた人材を積極的に
登用しました。それにより、朝廷側からすれば、有能な人材が抜けたポスト
が空いたりする訳です。リストラされた人にも再度チャンスが巡って来ます。

あと、「武士の需要」も出て来ました。それは院政が始まったことで結果的
に従来の中央政界の勢力分布が錯綜し、対立が起きたからです。
崇徳上皇と後白河天皇、藤原頼長と忠通。それぞれの対立が一方ずつ合従連衡
するような形で、対立はより大規模に根深くなって行きます。そして、武力を
必要とするまでになります。それが、武士を必要とするようになったのです。
保元の乱の起きる背景ですね。これにより、地方で勢力を張っていたが、中央
では「さぶらう」に過ぎなかった武士たちが脚光を浴びる契機となったようで
す。
974武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/24(月) 14:20:48
>>955他の方々
軍事貴族というのは貴族化した武士のことじゃなくて、軍事・武芸を家職とする貴族のことだよ。
それから軍事貴族というタームを敢えて使わないという奴も、変わり者あるいは老人の研究者なんかにはいるかもね。
大昔、日本に中世はないとかいう持論を展開する学者がいて、それを真に受けていた外人とかいたし。
ただ軍事貴族のような存在をどういうタームで説明すんだろうね。こっちが訊きたいよ(笑)
975武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/24(月) 14:49:07
軍事貴族は朝廷直属だよ。
摂関家とか院の犬になって人殺しとかする。
四位とか五位とかあるからまあ貴族だ。
院政期ころの荘園制の展開で各地で暴力で解決する事案が増えるんだけど、こういうトラブルも軍事貴族の出番だな。
976武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/09/24(月) 14:56:25
軍事貴族は朝廷直属だよ。
摂関家とか院なんかの犬になって人殺しとかする。
四位とか五位とかあるからまあ貴族だ。
院政期ころなんかは荘園制の展開で各地で紛争が頻発するんだけど、そういうのを暴力で解決したりするのも、軍事貴族の役目だな。

977日本@名無史さん:2007/09/24(月) 18:21:31
>>971
>それで、清盛・秀吉が永続しなかったのは「既存のシステム」を利用する
>特色でもあります。
>何故なら、もともとある仕組なので、平氏や豊臣氏がいようがいまいが存
>立するからです。ですから余程頑張らないとお呼びでない、ということで

あともう一つ既存システムを利用してその中に入り込んで政権樹立という
やり方を取る場合、元々そのシステムの中で暮らしていた階層(公家)との間に
軋轢が生じる。
平氏政権も豊臣政権もそれまでの朝廷の官位体系や家格意識・序列を大きく
引っかき回したという側面がある。
また後醍醐天皇の建武政権に関しても既存システムを利用しつつ、それを
滅茶苦茶にしたという側面は否定し得ない。

結果、平氏政権から鎌倉幕府、建武政権から室町幕府、豊臣政権から江戸幕府と
いう流れを朝廷内部の公家勢力がある程度積極的に支持するような結末を迎える。
978日本@名無史さん:2007/09/24(月) 18:24:53
>>973
院政期の村上源氏は、院よりもむしろ摂関家との姻戚関係によって勢力を
伸ばしたような気がするな。
一方、院(皇室)との姻戚関係で勢力を伸ばしたのは、閑院流。
そしてこの2つの流れの家が、後世に摂関家に次ぐナンバー2である清華家の
家格として固定する。
979日本@名無史さん:2007/09/25(火) 00:05:58
軍事貴族ってなんかにへんいいかただよな…

「軍事『公家』」ってことだよな…
兵法を家芸にした公家ってこってしょ。
980日本@名無史さん:2007/09/25(火) 00:55:26
>>930
良い国作ろう鎌倉幕府(1192年)と習ったけど、今は1190年を幕府成立と教えてるんだな。
頼朝が上洛して左近衛大将を受任した年で、
昔、近衛の詰め所を幕府と称したから左大将任官をもって開幕とするらしい。
実際、すぐ返上して先ノ左代将家政所として安堵状を乱発しだした年だから、
幕府行政の開始と一致してるとも言える。
つまり鎌倉幕府ってのは所領関係の調整機関でもあって、院政期の記録所券契所とちがうのは、
武力制裁力を有していて強制執行能力を伴っているところ。
これが武家政権初期というか当時の幕府の実態であったといえる。
権門体制と武家政治の違いってそんなところ?


981日本@名無史さん:2007/09/25(火) 03:24:10
建久元年(1190)を鎌倉幕府の開始点とする見方がないとはいわないが、
それが最有力では決してないだろ。
あと頼朝は右近衛大将になった事実はあるが、左近衛大将になった事実はない。
とゆうか鎌倉幕府の将軍で左近衛大将に任官したことがあるのは実朝だけと
記憶する。
982日本@名無史さん:2007/09/25(火) 04:47:40
>>974
六衛府とか地方とかの武官系の職員のことを言ってるの?
そん中でも上位貴族の名誉職っぽい長官とかじゃなくて
実際に武装して動くようなスタッフ?

あまり実効的な意味はなさそうだが…
983日本@名無史さん:2007/09/25(火) 04:49:08
>>981さんに禿同ですね。
>>980さんが仄聞した学校の先生は、お調子者ではないでしょうか?

それと、院政期の記録所券契所と決定的に違うのは、鎌倉幕府は収奪はやらないということ。
より公正な司法機関でしょ。土地問題については。
それは、後の江戸幕府のような場合でしょうね。
984日本@名無史さん:2007/09/25(火) 06:59:49
ただ司法機関は、判決の強制執行力を有していないと信頼されない。
判決に強制力がないところに、訴訟を持ち込もうとする人は普通いない。
鎌倉幕府の場合、使節遵行という形で判決の強制執行が行われたが、時代が
下って室町幕府段階になると、別段問題がない限り幕府からの使節派遣は
行われなくなり、守護に遵行が委託されるケースが多くなる。
985日本@名無史さん:2007/09/25(火) 07:03:57
ところで次スレどうする?
漏れ的には、特に異論がなければ話題的にほとんど変わらない下記スレに
統合でもいいんじゃないかと思う
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1154231784/l50
986日本@名無史さん:2007/09/25(火) 07:08:26
むこうは家系とかのルーツにウェイトを置いてる感じで
ここみたいな内容は初心者の質問が時々混じってる程度な気もするが
スレを無闇に立てるのは好きじゃないので
合流しても問題なければ合流でいいんじゃない
987日本@名無史さん:2007/09/25(火) 09:00:24
統合でいいっしょ
わざわざ分けるほど違わないし
988日本@名無史さん:2007/09/25(火) 09:05:46
では梅
989日本@名無史さん:2007/09/25(火) 09:38:23
>>982
あえて「軍事貴族」といっているのだから、たまたま武系の職員に就いているだけという意味ではないと思う。

例えば、960年に平将門の息子が京に入ったという情報が流れると
検非違使の動員とは別に、村上天皇の蔵人を通じて源満仲が朝廷の命令で動いたり(扶桑略記)
平維時・源頼親・源頼信が「武勇の人」として盗賊討伐を命じられたり(日本紀略)
長徳の政変で不測の事態に備えて源頼光や平維時・源頼親・平維叙らが内裏の警護に動員されている(栄華物語)
けれど、
これらの人々は警察や軍事の職に就いていないのも関わらず軍事・警察力として動員されている。

彼らが徴用された理由が「皆これ満仲・貞盛子孫也」とあり、
平将門・藤原純友の大反乱を戦って鎮圧した平貞盛や源満仲の子孫達である事が挙げられている。

「世に優れたる四人の武士」(十訓抄)と評された平維衡・平致頼・源頼信・藤原保昌(将門を討ち取った藤原秀郷の子孫)
続本朝往生伝で「武士」として源満仲・満正・満政、源頼光、平維衡・平致頼などが挙げられるように
彼らや彼らの子孫や氏族は官職抜きに、すでに「武士」という軍事に特化した人間という評価が与えられている。
990日本@名無史さん:2007/09/25(火) 10:00:51
過渡期の武士つーか
それなりの血統を持ち
武士団の棟梁になりうる人々のことか。

軍事貴族なんて呼び方することもないと思うがなあ

>軍事・武芸を家職とする貴族
もっと後世の羽林家みたいな家格ならともかく
摂津源氏とか関東の平氏とかは
「貴族」の範疇からはもうはずれかけてる気がするな
991日本@名無史さん:2007/09/25(火) 11:10:32
移行統合先

『公家・廷臣・門跡について〜5巻目』
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1154231784/
992日本@名無史さん:2007/09/25(火) 11:13:56
うめ
993日本@名無史さん:2007/09/25(火) 11:15:52
 
994日本@名無史さん:2007/09/25(火) 11:16:59
 
995日本@名無史さん:2007/09/25(火) 13:27:08
>>986
でもここも武陽陰士とかいう基地外が乱入してくる前は、初心者質問中心の
マターリしたスレだった。
統合には異存ナシ。
996日本@名無史さん:2007/09/25(火) 13:28:20
>>990
受領階級まで貴族の範疇に含めるかどうかだな。
997日本@名無史さん:2007/09/25(火) 13:31:29
地下官人は貴族か?
998日本@名無史さん:2007/09/25(火) 13:32:04
998
999日本@名無史さん:2007/09/25(火) 13:33:10
999
1000日本@名無史さん:2007/09/25(火) 13:34:22
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