1 :
諏訪四郎勝頼 ◆SZj9jkeSuw :
武田勝頼は何故、滅びてしまったのか?いくぞ!
なんで悲運なんよ・・・
勝頼より悲運なスレですね
6 :
日本@名無史さん:03/07/01 11:17
梅雪は徳川に内通しやがった
最悪だなこの馬鹿はよ
そんなにトップになりたかったなら勝頼と一戦すれば良かったのに
ただ、雪梅は武田家をなんとかして残したくてそうしたとか言われているし、
勝頼の首だけは討ち取らないでくれみたいな事も言われているし、
真相がいまいちなところがあるんだよね、この裏切りというか見限りというか
まあどっちにしろ雪梅が寝返ろうがそうしまいが潰れる運命には変わりないけどw
そして
>>1乙!
7 :
日本@名無史さん:03/07/01 11:22
勝頼には人心掌握術がなかったのではないだろうか?
彼は確かに知的で勇敢で優秀だとは思うが、
家臣団のまとまりの悪さなんかを考えるとわがままだったという見解が
残されている。実際、穴山だけじゃなく木曽なんかも見限っていること
なんかから考えるとそうなんじゃなかろうかとオモウね
騎馬隊は完全無欠状態で引き継がれたわけだったんだしさ
諏訪城主のぼんぼん育ちだったのが災いしたのでは??
近頃 三戦板化が激しい。
俺はどっちも行くが内容は書き分けたい。
歴史なんて実生活には糞の役にも立たないんだから
せめて面白可笑しく語る対象に出来ればそれでいいんだよ。
史料がどうの出典がどうのとか、最近の説ではこれが主流だとか。
こんなこと言ってる奴等は虚しくないのかね。
10 :
日本@名無史さん:03/07/01 21:38
10get!!!
これは、三戦向きのネタなのでは・・・
12 :
日本@名無史さん:03/07/01 22:20
どっちでもいいから語ろうぜ
13 :
日本@名無史さん:03/07/01 22:30
ガイシュツだろうけど北条を敵に回したからだろ。
14 :
細江直矢 ◆wIjyOeM5Yk :03/07/01 22:34
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その9●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/1016/10165/1016527634.html 341 名前: SF7 投稿日: 02/04/01 03:14 ID:uRitxXOP
>>305, 329
>でもその盗聴グループを使ってる人もバカですよね。.....
そうそう、社会の構成員はみんな監視されているのよ、いろんな意味で、いろんな手段でね。
盗聴屋や糞制作者だけが監視から免れていると信じていい理由がない。
フジの社員がカリスマ(?)美容師を脅迫した刑事事件では、フジの社員が、右翼という脅迫手段に安直に頼っている。
脅迫を思いついた時点で、ばれたら自分が不利になる、と考えなかった浅はかさには驚く。
誰でもできる幼稚な不正アクセスで得た個人情報を使って空疎な番組を作り続けていると、
リアルとバーチャルの区別が見えなくなって、ワイドドラマと同じように現実も制御できると思いこむのだろうね。
忍風戦隊ハリケンジャーが実在すると信じている、近所の未熟なガキと、頭の中身はおんなじだ。
15 :
日本@名無史さん:03/07/01 22:43
16 :
日本@名無史さん:03/07/01 22:55
諏訪勝頼
悲運という意味では
武田太郎があぼんして
あいまいな諏訪四郎が取り残されたと言う点が
実に悲運だ。
19 :
日本@名無史さん:03/07/02 00:36
20 :
日本@名無史さん:03/07/02 00:43
武田は個人主義者が多すぎ
実力があればいいというものではない
野球やサッカーと同じで団体戦なんだから
もっと個人のエゴを抑えるべき
全体的な知能指数が低すぎる、もっと団結しる!
21 :
日本@名無史さん:03/07/02 00:51
、___________
、> .|
>________ .|
 ̄ .|./_ _\ | |
| / ヽ/ ヽ | |
. | | ・ | ・ | V⌒i
_ |.\ 人__ノ 6 |
\ ̄ ○ /
. \ 厂
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 ̄ ̄, -/へ/\/`- 、
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∧
/ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
高天神城等を見捨てた事により生まれた勝頼に対する不信感?
親子でそこまで違ったのかと思えるほどの愚将の気がする。
23 :
日本@名無史さん:03/07/02 02:36
新府城築城がヤバかったかな?
武田家が落ち目であると内外にさらけ出した
結果になってしまったかも。
24 :
日本@名無史さん:03/07/02 02:44
一応、知ってると思うけど、もともと武田家は連合国であってその大統領みたいな
モンの信玄の息子勝頼では、統治するっていう感覚よりも統括するって話しは無理
じゃないかな。有能であったにしても、殿様って感覚じゃないだろうからな。
>>22 父親としては決して信玄も優秀とは言い切れないが
26 :
日本@名無史さん:03/07/02 12:04
>>24 それはいえるかもね
アメリカの土壌でイギリス王室における世襲制をごちゃまぜに組み込んだ
そんな形態だからばらばらになってしまった感があるね
27 :
日本@名無史さん:03/07/02 16:18
合議制も信玄の頃にはよかったんだろうけど、信玄自身だって連合を
まとめる事は不可能に近かったんだからあ、息子なんかぜんぜん無理だよね。
そういった事に不幸があったんじゃないかな。カツヨリはそれなりに優秀だったろうけど、
プライドも高い事は、長篠でヤル気もなかった織田にしかけたりした事見てもわかるしね。
実際、上でも書いてる人いるけど、同盟相手、やり方にも間違いはあったし、でもそれは
この時代に生きた他家にも言える事だしなあ。産まれの悲運は避けては考えられない武将
だよな。
28 :
日本@名無史さん:03/07/02 16:26
29 :
日本@名無史さん:03/07/02 19:06
義信がヘマしたおかげで、その地位が転がり
こんだのも悲運なの?
> その地位
「その」が何を指しているかで 今後のレスが変わるのだが
32 :
日本@名無史さん:03/07/02 20:57
33 :
日本@名無史さん:03/07/02 21:14
これが日本史板か・・・
34 :
日本@名無史さん:03/07/02 21:37
義信が跡をついでいたら武田は滅ばなかった?織田の世であっても豊臣の世であっても徳川の世であっても1万石くらいで存続してたかも?
35 :
日本@名無史さん:03/07/02 21:51
>>34 義信が後をついでいたら今川は滅ばず、上杉攻略に
残りの寿命をかけ、みごとに北陸を制圧していたでしょう。
36 :
日本@名無史さん:03/07/02 23:10
義信?そりゃ無理だ。義信が継ぐって事は織田と早々に敵対する
ということ。上杉・織田・徳川を敵に回して延々戦い続け、
あっというまに滅亡だろう。
37 :
日本@名無史さん:03/07/02 23:20
>>36 理解できないね。
早々とのぶながと対立するってことは信長にとって不利なことだろ。
いくら桶狭間で今川義元がうたれたといっても織田と今川の兵力さは
ダンチ。
武田が今川攻撃せずに中山道から斎藤うってれば織田は今川うった出来人
ぐらいにしか表かされてなかっただろ。
しかし武田の上洛も成功するとは思えない。
38 :
日本@名無史さん:03/07/02 23:45
武田が東山道から西に行けば謙信が北から攻めてくるだけ。
無能氏真を切れない義信では死期を早めるのみ。
39 :
日本@名無史さん:03/07/02 23:50
>>謙信が北から攻めてくるだけ
そんな余裕謙信にはございませんが?
しかも武田が今川を助ける前提なら1560〜の時代背景で語ってもらいたいものだがね〜。
40 :
日本@名無史さん:03/07/03 00:03
1560から?
謙信は1561年と1564年に信濃に攻め込んでるよ?
まして武田の主力が美濃に向かうならこれは大チャンスではないかね。
一方の氏真は家康が独立しても手をこまねいてみてるだけ。
それどころか人質交換で家康から取っていた人質まで持ってかれる始末。
三河一向一揆に乗ずることもできず。
こんな馬鹿と戦うのは無理ってこった。
41 :
日本@名無史さん:03/07/03 00:07
スレタイからずれ過ぎぶす。
42 :
日本@名無史さん:03/07/03 00:10
>>40 いやなにも1560年にすぐ中山道から攻撃するっていってないぞ。
氏真は武田が支援すればよろしい。
1560年と言えば謙信は反北条派勢力を結集させて小田原まで
攻め込み、鎌倉で関東管領就任式典までやって絶頂期じゃないか。
>>42 氏真にやる気が無いのだから支援のしようがない。
だから信玄が氏真を見捨てるんだろ。
45 :
日本@名無史さん:03/07/03 00:38
義信は妻の実家であり、かつ同盟国である今川を攻めよう
とする信玄の非道さに逆らったであろう結果、死んだ
から、これを勘案すれば義信が跡を継げば今川と協力して
織田、徳川に互角以上に対抗出来ただろう。
それに義信は正当な武田家の跡取なので家臣の団結も
図り易かったと思う。
46 :
日本@名無史さん:03/07/03 01:06
義信を担いでいたのが飯富虎昌を中心とする所謂守旧派。
義信ごとこいつらを粛清できて始めて信玄政権は確立したと言って
差し支えない。
>>45 氏真の行動から明らかなように、事実上一人で頑張れという状態に
なりますよw
信玄が織田と結んだのは、背後に謙信を抱えたまま自分で美濃に本格的に
進出するような余裕はなく、かつ斎藤義興では織田信長に抗いきれないと
判断したからでしょう。西上野を固めて初めて余裕が出来たので
引き続き越後に向かうか反転して駿河を狙うかを選ぶ事もできるように
なった。
あくまでも今川重視と言うのであれば、信長の上洛は遅れたかも
しれないが、余計な敵を増やすだけ。
47 :
日本@名無史さん:03/07/03 01:07
義信だったら家中を纏められたなどという意見もよく出るが、
実際問題として国人領主たちは武田家が自分たちより強大だから
従っているのであって血筋に従っているのではない。
48 :
日本@名無史さん:03/07/03 01:32
少なくとも穴山信君は親族だから血筋は重視すんでしょ。
ナガシノの戦い以降は裸の王様状態だったんだろうな、勝頼。
49 :
日本@名無史さん:03/07/03 01:35
穴山とて基本的に協力的な態度を示していたのでなければ
駿河をまかされたりしないでしょう。
ま、腹の中でどう思ってるかは別問題だけどね。
長子相続とかだって絶対の規則ではなかったのだから、この時代の
血縁者ってのは長く一緒に過ごした信頼のおける間柄の奴もいれば、
むしろ獅子身中の虫って奴もいたんだろうね。どこの家でも。
50 :
日本@名無史さん:03/07/03 01:48
血筋を軽視したのは有りえると思うが。四男だしな〜。
諏訪の子供だし。
>>50 昔でもやはりそういうの気にしたんだろうか?
昔の方が気にしたのかね?
あまり関係ないのでは?
それよりも人格や戦術の方に重きを置かないかね
52 :
日本@名無史さん:03/07/03 01:54
諏訪の血を継いでるつっても武田家自体が諏訪を信仰してたしね。
長男が死んで次男が盲目で三男も死んでたら勝頼しかおらんやろ。
>>52 そこで穴山君が登場するから混乱するわけですよw
>>51 大昔は血筋を凄く重要視するんだよ?
例えば一番目の子供でも側室の子だから後を継がせないとかさ。
家督継いでる源頼朝とか信長は三男だしね。
穴山は最後に裏切ったからって『甲陽軍鑑』あたりだと何でもかんでも
否定するようなこと書かれてるからな。
長坂や跡部と同じで実際はそんな悪かったわけじゃあるまい。
主家滅亡となりゃ血縁だからって一緒に滅ぶ義理も無いし。
残念ながら武田氏を良く知らない人の書き込みが多いなぁ。
そうそう、長坂や跡部は悪者にされすぎ。
>>56 具体的に例えば?
指摘箇所を明確にしてさ
>>55 と言うかね、基本的に梅雪は自分勝手なんだよ。
仁科五郎を見ならえってんだ。話にならんよ、彼は。
>>52 諏訪を信仰と書いてるが、信玄が頼継を謀殺し、
その子供を側室にし生まれたのが勝頼だからそうもいかんの。
>>61 いや、そうじゃなくて。戦国時代なら死んだ奴もいるぞえ。
話題を逸らさないで欲しいです。
63 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:18
>>60 諏訪信仰と神官兼領主とは別モンでは・・・
64 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:19
>>62 死ななきゃならん理由なぞないだろ。死にたい奴は死ねってこったろ。
65 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:20
勝頼って、どう考えても
ぼんくらのイメージがあるなあ
66 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:20
もとはといえば、支配欲の強い信玄が諏訪を乗っ取り、
その復讐のために勝頼が武田に乗り込んできたとw
まさに宿命の因縁対決
両者潰しあってチャンチャン♪
67 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:21
跡部は最後まで従ったよね。
その点、忠誠心だけはあったかな、と思ったりする。
梅説は先見の明があったよ、残念だけど節操はないな。
国人領主からすりゃ自分の土地を保証してくれるなら誰でもいいです
69 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:22
>>63 武田の場合、そうとは考えなかったはずだが。
>>67 いや、彼が裏切ったから滅んだんですけど。
>>68 誰でもは良くないと思いますよ。
良く考えてから書き込もうな。
72 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:24
諏訪頼継は武田・村上と三者で結んで攻め取った佐久の土地を、
佐久に攻め込んできた上杉と分け合うという行為に及んだから
その後武田に攻められた。自業自得。
自分で武田と村上に対して背信行為に及んだのだから、同盟も
へったくれもないわな。
73 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:25
>>69 別物と考えたでしょ。だから頼継の後任もちゃんと置いたし諏訪社
そのものは保護してる。
だいたいそうでなければ筒井家とか最強だよw
>>71 大多数の国人領主には誰でもいいことだよ。
十分に強くて自分の土地を保証してくれる領主なら。
75 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:27
>>67,68
穴山は家康に降伏した時も武田家だけは残して潰さないでくれと
哀願して自分の子供を主にするとの約束までさせている
だから生意気な性格だろうが、武田を愛していたのではないかな
ゆえによそ者の勝頼には苛立っていたものとおもわれ
76 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:27
ようはたたりが恐かったのだ。
穴山梅雪が武田家を残してくれと言ったかどうかは定かではないが、
自分の息子に武田家を継がせたかったのは確かだなw
>>75 それが彼のしたたかなところ。
単に自分が武田のトップでいたい訳ですよ。
81 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:30
>>70 それはかなり大きいし、そうともいえる
ただのぶきみがいようがいまいが、潰れただろうなあおそらく
あんまり関係ないんじゃねーの
82 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:30
なんか物知りの人がでてきて
話についていけなくなってきたが。
諏訪云々の話はマイナーすぎじゃねーの?
>>81 いや〜、梅雪が協力的だったら滅びません。
トドメをサシタのは間違いなく穴山だろ。
84 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:33
>>80 穴山ほどのポジションにいたらトップに立ちたいだろうふつうは
ただ、こいつに果たして重臣がついてくるかが疑問
しかし、木曽なんかもトップに立ちたかったのでは?
85 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:33
>>83 あれだけ差があって滅びないはずがない・・・
木曾は地理的な問題からとっとと織田についたのだろう。
人質だった母親や弟、娘を見殺しにしてまで。
88 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:37
>>86 穴山が駿河でいくら頑張っても、信濃でボロボロ寝返ってたじゃん。
逆に兵の数で決まらないなら穴山が寝返った事は滅亡の理由にならない。
89 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:38
>>83 漏れも梅雪はこの上なく大嫌いだが
少なくともこいつが裏切ったのは長篠後だぜ
長篠が分岐点と考えたらやはりどっちにしろこいつはスパイス程度だろ
その前に既に木曽が裏切ってるわけだし
このあたりが危険信号だろ武田の
90 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:41
新府城は北に向かって守る城だから、穴山寝返りで家康の南からの
甲斐侵攻が可能となったのは滅亡を十日くらい早めたとは言えるだろうね。
実際は家康が甲斐を攻める暇も無く滅亡したような感じだが・・・
91 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:42
長篠で勝頼よりも先に逃げ帰り味方を大敗させた。
高坂弾正は梅雪に腹を切らせるべきだと主張したが、
勝頼はそうすれば梅雪が徳川に寝返ると考え、案を退けた。
しかし、この時に間違いなく梅雪を殺すべきだったんだ。
92 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:43
『甲陽軍鑑』で後に寝返る連中を悪く書くのは悪意があって
そう書いてるんだから鵜呑みにしたらあかんよ。
勝頼はなんで梅雪に優しいんだ?
94 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:45
>>88 それは織田信長から送られて来た降伏の書状に、
穴山梅雪の添え書きがあったからだよ。
>>93 その点がカツヨリの甘さだと思う。
もっと早く、穴山の本心に気付くべきだったと。
>>92 それを言うなら勝頼や側近に関してもだろうが。
97 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:48
穴山の裏切りは間違い無く最悪だろ。
木曽が裏切り武田は2万人の兵で木曽討伐を決意。木曽は山を頼りに時間を稼ぐ。
そのころ穴山裏切り。急いで本国に戻る。そのころには2万人の兵はどこかへ・・・
最後の手段とお山だのモトへ逃れようとするも裏切り・・・
天目山へGO−!!もはや無理でつ・・・
>>94 信君の寝返りは2月25日だろ。
木曽・下条・小笠原といった連中はとっくに寝返っているが・・・
100 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:51
101 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:51
>>99 だったらこんな事書くなよ。
>『甲陽軍鑑』で後に寝返る連中を悪く書くのは悪意があって
>そう書いてるんだから鵜呑みにしたらあかんよ。
102 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:51
103 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:53
めだった戦いもしないで消滅していく
勝頼軍は悲惨すぎるよ。
お山だ君にさえ裏切られるんだから勝頼は
人が良すぎる。
104 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:53
>>101 だから何が言いたいんだ?
勝頼や跡部や長坂の記述もそう信用できるもんじゃないことを
キチンと名言しておかないのがイカンということか?
穴山の話でそこまで書く必要もなかろう。
あるいは裏切った奴に関する話は全部信用すべきなのか?
105 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:53
>>98 違う。違う。梅雪は正体を見せなかっただけ。
しかも、人質がいるから下手に動かなかったんですよ。
もっと詳しい人、いないのかな?つまらん奴ばっかり。
109 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:56
110 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:56
nの小説は最高でつ。
新田?
ただいくらなんでも裏切られすぎだろw
勝頼は人望なさすぎ
家康のようなへたれのくせに残酷野朗でもこんなに裏切られないぞ
一人や二人ならそいつを責められるが
ここまで裏切られまくってると勝頼に問題があるとしかおもえんよ
114 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:57
115 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:58
いやいや、北条も今川も豊臣も朝倉も村上も諏訪も滅ぶ時はそんなもんだろ。
116 :
日本@名無史さん:03/07/03 02:58
>>113 家康はそこまで追い込まれたことないよ〜
朝倉でも尼子でもいいけど、滅亡ってのはそんなもんさ。
それこそ自分の領地が保証されりゃいいってだけの連中が多いからね。
かつて信玄が倒した小笠原長時や村上義清も、周辺の連中が
ことごとく寝返って戦うことも適わず逃げ出すしかなかったのだし。
117 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:00
>>111 勝頼の書状と甲陽軍鑑の長篠合戦の記述を見ていて、
意外と正確だなあと思ったこともあるけどね。
だから甲陽軍鑑は止められん(笑
118 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:00
>>114 それでもここまで裏切られまくるか?
もし重臣一同から凄く慕われていたら
いくら側室だろうが少しばかり無能だろうが裏切りはしないぞ
完璧なまま騎馬隊だって残ってたわけだし
119 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:01
カツヨリ公は景勝と言うボングと組んだせいで、、、
120 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:02
>>118 >完璧なまま騎馬隊だって残ってたわけだし
この言葉で無知ということがわかりますた。
>>118 だからさぁ、滅びる時なんてそんな物だってば。落ち着け
122 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:02
いやー日本史板での祭りもあるんですね。
少しおもしろかったがもう寝る。
123 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:03
>>118 名のある人間が何十人も最期に付き従ったんだから、人望はある方だね。
身一つで逃げざるを得なかった奴、孤独に切腹して果てた奴・・・
滅亡は悲惨だ・・・
>>118 お主、書き込まなくていいぞよ。
「無知ほど罪なものはない」、貴殿のことである
125 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:04
>>123 跡部、土屋兄弟、秋山紀伊守、小宮山、、、。他には?
128 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:08
>>120=124
無知なのはすまなかった
ここは一応学問板だしな
ただせめて漏れの文を訂正してくれ
129 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:08
>>127 どうしても勝頼を人望無い武将にしたいわけね・・・
三戦板おいで。
130 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:10
>>129 漏れは人望ないなんて思ってないが。何か勘違いしてまつね。
132 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:11
133 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:11
134 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:12
武田無敵の騎馬隊=後世の創作ですが何か?
135 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:13
土屋、小宮山、秋山等が頑張っても相手は倍以上の、、、
138 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:15
>>127 長坂釣閑・小原下総守・小原丹後守・安部加賀守・小山田平左衛門・
小山田掃部・金丸助六・秋山民部・温井常陸・岩下惣六郎・小原下野・
多田久蔵・大竜寺鱗岳和尚・斎藤作蔵(鷹師)・山居源蔵・山下杢助・
薬袋小助・ぬきな新蔵・・・あと誰だ?
139 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:16
おまえらが勝頼だったらもっと上手くやれた?
140 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:16
141 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:17
>>135 おいおい132なんかを三戦板に誘導しないでくれよ
142 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:17
おまえらが信君だったらもっと上手くやれた?
>>139 俺ならもっと早く夜逃げして高野山で出家したね。
144 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:19
まあ勝頼がめちゃめちゃ若い(ここが重要だ!)カミさんから
めちゃめちゃ愛されてたのは確かなわけでな。
うらやましい・・・
145 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:19
>>139 無理だね。俺なら十年ももたなかったと思う。
信玄の負の遺産を背負い込んだ中、良く頑張った方かと。
>>145 俺には小説みたいな逆転の手は思いつかねえからな・・・
勝頼はよくやったもんだと思うよ。
148 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:20
149 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:20
>>144 信君のカミさんはどんな感じだったんだ?
信玄の次女だろ
我侭そうだな
150 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:20
死んだ時点でカツヨリが37、ヨメが19だから、、、
152 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:22
14歳の頃から・・・ハァハァ
154 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:23
155 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:24
156 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:24
勝頼はやりたいことやって死んだのだからいいだろ別に
むしろ最高の人生をわずかでも味わえただろう
家臣の方が人生的には大変だったろう
穴山が悪いとかどうとか言ったって、
結局、一家臣で終わった身だからな
高遠で戦死した奴。仁科、小山田大学など
158 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:27
>>152 「面白いのが多いな」って表現は曖昧過ぎ
やはり木曽義昌に嫁いだ真里姫を忘れちゃいかんな。
夫が武田家を裏切ったと聞くや激怒して家出、
息子の義通を連れて御岳山に籠ったという・・・
160 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:30
穴山信君の嫁も激怒しろよ
一緒になって行くなよ
長女=北条氏政室、同盟決裂後に送り返され後に病死
次女=穴山室、保科正之を育てた人
三女=木曽義昌室、既出・・・
四女=上杉景勝室、一番普通の人生を送れた人
五女=この辺、四女とあわせて諸説あるな
六女=おんな風林火山w
162 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:34
「家康主従と同行するのは危険だと途中から離れたのに、
明智と間違われ土民に殺される。
その首を献上したところ、明智ではない、違うと捨て置かれる。
この穴山のやりきれなさは尋常ではない」
といったような文を読んだことがあるが、
確かにこの上もなく不幸だよな。
しかし道中別れることなんて出来るのか?
163 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:37
家康と間違われたんじゃないか?
新参者だけに「忠誠を見せてみろ」とか言われて身代わりにされ、
家康の旗印一式とか渡されそうだもん・・・
>>161 普通と言っても景勝は国替えにあってるからな〜。
165 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:39
>>163 あ〜、あの狸ならやりかねないね。身替わりにされたのかも。
166 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:40
ルイス・フロイス『日本史』
「穴山殿は遅れ、また少数の部下を従したため、
更に不幸にして一度ならず襲撃せられ、
先ず部下と荷物とを失ひ、最後に殺されたり」
と最期の模様が記されている。
とあるが、どうして最期の模様が如実にわかるのだ???
陰から誰か見ていたのか?
「最後に殺されたり」とある事から穴山が最後だろ
とすると、やはり謀殺!?
167 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:41
まあ普通は出所のよくわからない伝聞じゃないのか
四女だか五女だかが幼くして死んだ、という説が多いようだ
169 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:43
>>161 これどこかで見た事あるな〜。何処かのサイトのコピペ?
171 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:44
謀殺する必要性もよくわからんけどね。
穴山がいて困ることなんてないんじゃない??
172 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:46
狸の人形
173 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:47
武士との決戦でやられるのなら理解できるが
土民に殺されるって一体どういうことなんだよ
土民とかいってさあ、絶対に嘘だろ
ふつう勝てるよな余裕でw
174 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:47
>>170 俺がさっきまとめたんだよ・・・
コピペとか言うなヽ(`Д´)ノ ウワァン!!
175 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:47
>>171 いや、穴山はキレ者だから邪魔になったんじゃねぇの?
176 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:48
177 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:49
>>171 家康は穴山を恐れていたのかもしれない
深謀な家康のことだからありうる
穴山は当時の徳川家じゃ最有力の一人ってぐらいの領地持ってるしな。
179 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:50
切れ者だから邪魔って理由もいまいちかと・・。
180 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:52
気になるのがルイス・フロイスが記述しているという事実なんだよ
たしかルイスと信長は親密な関係にあったはずでは?
そしてそのルイスがたかが穴山如きの事を書いてる背景から考えると
信長と家康が初めから穴山を消すつもりだったのではないだろうか?
そんなことを知らないルイスがそれを記述と。
それ言ったらフロイスってあれもこれもやろ
182 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:56
穴山がそれほどまでの切れ者とは思えん
それほどの切れ者なら寝返りなんてリスキーなことしないで
勝頼を巧く謀殺して自分がトップに立ってる
真田や曽根昌世とかは良く消されなかったなぁ。
184 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:57
傾いた会社でトップに立っても会社を潰した経営者という汚名だけが残る。
それよりも上手く自分をライバル企業に売り込むべし・・・
186 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:58
家康とは遅れてから別行動で、というのがどう考えても何かある
実際になにかあった
187 :
日本@名無史さん:03/07/03 03:59
>>183 北信濃から上州にかけては対上杉・対北条の先鋒として使うために
残しておいた。ことごとく殺してしまったら再編成する前に
攻め込まれる恐れがある。
188 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:00
むしろ穴山が家康の謀殺を企んだのだろう
189 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:01
謀殺を考えるほどそのときの家康に余裕があったとも思えない。
190 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:01
穴山の死は怪し過ぎる
191 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:02
やはり身代わりか。
>>187 それで小幡氏も残った訳か。木曾も領地加増されたしね。
193 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:03
小山田も結局、信長に殺されてるし、
経緯が異なるだけで
初めから信君も殺す予定だったに違いはそうないだろう
同様の家臣だし
194 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:05
195 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:05
>>193 信長が殺したかったとしても、家康の配下だから直接的に命じるのは
無理だな。
196 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:06
>>194 確かに。
木曽の寝返りと他の寝返りは意味合いが異なる。
197 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:07
曽根は内通説もあるくらいだからな。
198 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:07
う〜ん、戦国七不思議のひとつだな。
って大袈裟か。
199 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:07
それは穴山信君も家康と内通していた
200 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:10
しかし、穴山みたいな死に方は珍しいぞ
ちょっとな〜
201 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:10
テストテスト
202 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:11
ドサクサにまぎれて武田再興を謀った穴山が家康の情報を土豪に
リークし、自分はわざと遅れていった。しかし先行した家康にそ
のことがばれてしまい、逆に待ち伏せに遭い打ち取られた。
203 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:12
204 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:12
やはり身代わりか。
もし殺されずに帰り着けたら、出世できてたかもしれんな・・・
信君は死んでしまったが、家康は信君の働きを忘れずに
ちゃんと息子を取り立ててやり、さらにその息子が死んで後は
信君の妻の面倒まで見てやったわけだな。
205 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:12
206 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:13
>>203 甲斐にいた武田の家臣は皆切られてるから関係ないな。
すごいなその説
きいたことない
208 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:14
ちょっとネタふってみたらこんなに伸びていてびっくりしました。
伊賀越えの穴山のことなんてあまり考えたことなかったけど、
レス読んで考えてみると、かなり不可解な事件ですね。
こんなのもう謀殺としか思えない
ありえない
210 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:15
別行動ってのがそもそも何か理由があるよな。
フロイスは「遅れた」と言ってるが、家康よ家臣を捨てていくなとw
211 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:15
212 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:16
謀殺説は根強いからね
213 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:16
ざまーみろ穴山め
裏切り者は裏切られる運命なんだ
214 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:17
家康は義元の期待を裏切(ry
215 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:18
穴山さえいなければ武田家は繁栄したんだ!!!
こんなバカさえいなければ
こいつさえいなければ
武田を潰しやがってこの能無しスカシやろう
216 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:18
>>214 そして豊臣を裏切り、最後は藤堂に裏切られる
217 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:19
穴山さえいなければ武田家は繁栄したんだ!!!
こんなバカさえいなければ
こいつさえいなければ
武田を潰しやがってこの能無しスカシやろう
218 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:20
穴山君みたいな外道には相応しい氏だよ!!!
219 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:20
土民よもっとはやくやれ
220 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:21
外道ちゅう意味で家康に敵う奴もそういない
221 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:22
おいおい、みんな大切なことを忘れているぞ。このスレは勝頼を蔑む
スレだぞ
221を蔑むスレに変わりました
223 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:23
勝頼さんは頼りなさすぎw
穴山の気持ちもちょっちわかっちゃうわ
224 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:26
ふと思ったんだが、
いつも木曽よりも梅雪の方が責められまくるのはなぜ???
225 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:26
家康さへいなければ全ての問題がなかったわけで、やはり長篠で
しとめておくべきだった
226 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:27
>>224 木曽の方が責められていると思うのだが。何しろみんな木曽の
名前すら出すのを嫌がっている
227 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:28
木曽と梅雪ねぇ
228 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:28
>224
単純に地位の差じゃないのか?
229 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:29
木曽の方がやってることは残酷の様な気がするんだがな
230 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:34
木曽は単なる国人領主だろ。
231 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:34
>>228 地位が高いだけに穴山も彼なりに
悔しかったり悲しかったりしたのではないだろうか?
奴もやつで辛かったろうに
232 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:35
>>224 やはり某作家が武田家の滅亡を穴山の寝返りが原因だと
結論付けたためではないか。
233 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:35
>230
親類衆だろ
234 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:37
>>230 山猿だよ。塩の入っていない味噌汁を食べる(W
235 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:37
>231
これも戦国の習い、って感じですか?
>232
あの長篠での単独撤退はあり得ないんじゃないかと思います。
236 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:38
>>233 娘を与えて親類衆ということにしただけだろ。
義昌は武田の血を一滴も引いちゃいない。
237 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:38
>>235 長篠で真っ先に退却したなんて話はまあ眉唾だな。
238 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:42
結局、木曽も穴山も小山田もそれぞれ織田、徳川、北条との最前線
にいる領主であり、敵の侵攻のさいにまっ先に攻撃される運命にあ
り、武田本隊の援軍を望めない以上、独自の外交努力で自らを守る
他はないだろう。
239 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:57
甲州法度は小山田の領内では施行されなかった
という話もあるくらいだから、
下降線たどるまでは、
強い求心力で寄り合ってたようなもんかな。
240 :
日本@名無史さん:03/07/03 04:59
何か凄い方向に詳しいが
結局木曽氏も武田氏滅亡の巻き添えは逃れるが
豊臣秀吉の命で断絶させられるのだっけ。
で関が原の時家康が遺臣に蜂起を促す書類を送った?
この辺りの原因を教えていただけないのだろうか?
242 :
日本@名無史さん:03/07/03 05:30
面白そうな話題だ。
でも眠い。明日聞こうっと。
>>241 そうそう関東に国替えさせられ、後に断絶したはず。
レスどうも、関東に国替え?
同じように郡上八幡の遠藤氏も領地を半分にされ
関ヶ原で東軍につき、西軍に緒戦で結構重要な
ダメージを与えるとかあったが
こちらは小牧・長久手で織田信雄に密通していたから
というのが理由だったらしいが。
そもそも木曽氏は本当に木曽義仲の子孫なのだろうか?
源頼朝自身が助命された事により平氏滅亡になった体験上
また源氏の貴種という対抗馬が出てこないよう
見逃すはずがないと思うが。
245 :
日本@名無史さん:03/07/03 06:38
あのさあ、武田家ってのはそもそも、領主独自に外交行っていたりするんだよ。
そもそも武田の力を過大評価しすぎなんだよな。カツヨリはよく頑張ったほうだろさ。
穴山とか他の連中もそうだよ、歴史の上の人物で名が残るヤツってのはそれなりの連中だ。
でも汚名を残して死んだヤツラも多いのも事実だよね。武田の名が大きすぎたのもあるが、
俺が穴山でも裏切るかもしれん。そもそも義理人情なんてのは江戸になって朱子学が盛ん
になってからだろ?で、穴山が裏切らなくても、信玄が70まで生きても織田には勝てない
だろうな。勝てない戦いに参戦する程、まだ戦国の世ってのは甘くなかったろね。関ヶ原
以降の就職先のない連中なんていねーだろしな。それはそれで潔い世界で生きた感じでいいじゃん。
かつよりも穴山もみんなそんな世界で命かけてやってたんだ、一角のモンだろ。
戦国時代の木曾と木曾義仲は血の繋がりはないそうです。
第一、息子も処刑されているので跡取りがいるはずなし。
247 :
日本@名無史さん:03/07/03 06:40
>>245 逆だろう。信長は信玄には勝てませんよ。
平家はわずかだが生き残りがいて、
その子孫が平家みちよだとか。
>>248 ハハハ、平氏の生き残りが平家なんて名字を名乗るわけがないだろ。
藤原紀香が、藤原氏と関係ないのと一緒。
250 :
日本@名無史さん:03/07/03 19:49
>>245 歴史に名を残してるっていったって
勝頼は確かに武田家の棟梁だから世間的な認識率もかなり高いが
信君なんて武田ヲタぐらいしか知らないのでは?
勝頼と信君の器の大きさというか、レベルというかそのあたりも
今日における認知度から判断すれば、所詮、信君とは比較にならないだろ
検索件数でも勝頼と信君じゃ全く比較にならないしwww
251 :
日本@名無史さん:03/07/04 01:15
検索とか持ち出してるようじゃ厨房丸出しだな・・・
認知度と器の大きさwなんてものは関係ないわな。
朝倉義景の器は相当にデカイことになるぞw
252 :
日本@名無史さん:03/07/04 01:29
信君で検索するか梅雪で検索かけるかではそりゃ違うわ!
認知度=出世(世に出た)度
どう?
>>253 そうともいえん。隠れた名将も多いからね。
255 :
日本@名無史さん:03/07/04 08:10
御舘の乱の際に
北条との同盟を破棄し金と領地に目が眩み
植え過ぎ景勝を支持した時点でアウトです。
これ本当。
結局 景勝には騙され、後顧にも憂いが生じ
そのうえ城を建設してしまい財政が厳しくなって破綻した
それで家臣から見限られて内部分裂の元を作った
256 :
日本@名無史さん:03/07/04 12:18
255
あれは景虎−氏政による上杉北条同盟(越相同盟)を阻止したい(北条は
織田寄りなので)、という考えもあったという説もあります。
それよりもそこに勝頼も交えた三国同盟にすればいいのに。
どうよ?
>>255 氏政は武田とは縁を切るつもりで中々、援軍を出さなかったとか
一度は勝頼も景勝と景虎の仲裁をしようとしたらしいけど。
258 :
日本@名無史さん:03/07/04 12:36
>>257 つまり氏政は弟を見殺しにした訳ですね。
ただ弾正が生きてれば景勝との同盟には賛成しなかったはず。
彼が死ぬのが少し早かったかも。
261 :
日本@名無史さん:03/07/04 16:40
>>256 北条家は最初 上杉=北条=武田の姻戚同盟で巨大帝国を作って
信長に対抗しようとしてたんだよん
だから氏康は謙信に人質を出す際、
上杉家の世継ぎに景虎がなるよう約束させてたしね
そもそも御館の乱は景勝と直江が仕組んだ説が有力で
謙信は倒れて寝込んでいる時に暗殺されたという説もある
用意周到の景勝側は勝頼に何を言えば北条を裏切るか知っていたようです
氏政としては景虎救援軍を出したときに勝頼軍に小田原を突かれる
恐れがあるとの情報かく乱にあって出兵できなかったとのこと
全ては準備を徹底していた景勝ご一行の画策にやられてしまった訳です
262 :
日本@名無史さん:03/07/04 16:54
261
氏康のころは上杉と武田を結ばせる、なんて無理じゃないのかな。
第一、信長ってそのころそんなに強大だったの?
263 :
日本@名無史さん:03/07/04 18:49
>>262 ごめんね書き方が悪かった
北条はとにかく養子を送り込んで実力がついてきたところで北条家に
汲み入れる政策を取ってきました。
氏康は上杉家に養子として人質を出す際に謙信に家督についてその旨
伝えていたのは事実です
のちの氏政は凡庸といわれがちですが武田と同盟を再び結ぶ際に
姻戚巨大帝国を考えていたようです
あと何故か信長にひどく脅威を感じていたようで色んなもの送ってます
264 :
日本@名無史さん:03/07/04 19:28
265 :
日本@名無史さん:03/07/04 19:42
歴史は結果論なのだから、人物を見る場合、その結果なんかはなんの意味ももたないだろ?
評価の低いヤツでも、時勢に乗れば大仕事をやってのけるだけのヤツもいたろうよ。
棟梁として見れば、他国に撃って出て領土拡張や大志を抱いた連中と、自国の統括に一生
を裂いた人物とでは、だいぶ状況も違うわけだしね。運も実力なのだろうからね。
266 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:10
しかし信玄が後、何年か元気だとして、どうだったかな?
ナガシノの戦いでどう采配したかがポイント位で他は勝頼と
大差なかったんじゃないかなあ。
一般的に信玄は高い評価受けてるけどどうかな。
勝頼にあの状態で承継させたのも間違いなく信玄なんだし。
おれは信玄だったらナガシノであの大敗はなかったように感じる。
でもジリ貧だったろうね。
死んで名を残せたんじゃねーの?
268 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:14
穴山信君こそ名君
269 :
日本@名無史さん:03/07/04 21:26
>>266 そもそも長篠の戦いがおこらなかっただろ。
270 :
日本@名無史さん:03/07/04 22:51
武田勝頼は幸運の武将。兄達が次々に不幸に見舞われ4男なのに
当主の座が回ってきた
271 :
日本@名無史さん:03/07/04 22:54
272 :
日本@名無史さん:03/07/04 23:05
273 :
日本@名無史さん:03/07/04 23:07
>>268 穴山信君に果たして武田の長になって全員を取りまとめて
切り盛りしていけるだけの度量と才覚があるのだろうか?
結局、穴山信君は血縁関係だけを上手く利用して地位を保守していた
という感があるのだが、まあ別に無能とは思わんが
275 :
日本@名無史さん:03/07/04 23:07
>>268 穴山信君に果たして武田の長になって全員を取りまとめて
切り盛りしていけるだけの度量と才覚があるのだろうか?
結局、穴山信君は血縁関係だけを上手く利用して地位を保守していた
という感があるのだが、まあ別に無能とは思わんが
277 :
日本@名無史さん:03/07/04 23:09
無能じゃないといってもあの時代に後をついだら無能の
烙印を押されると思うがな。
278 :
日本@名無史さん:03/07/04 23:58
>>266 信玄があと何年か元気だったら、野田城攻略のあとすぐに尾張、美濃へ
攻め入ってるだろう。
その頃は将軍家や浅井、朝倉も健在だったし松永久秀も武田に呼応するはずだ。
伊勢では北畠の遺臣たちが蜂起するだろうし、しかも東美濃の岩村城は秋山信友が
すでに制圧していた。どうみても武田有利になっただろう。
こうなると頭のいい家康は武田と和睦する可能性だって否定できない。
背後の謙信は家臣の謀反や一揆に悩まされてたし、北条が対上杉に押さえに
なってるから謙信も動けない。
となるとやはり信玄の勝利ではないか。
279 :
日本@名無史さん:03/07/05 00:07
べつに織田がでてきても武田は決戦する必要ないしな。
がら空きになった近畿を朝倉浅井六角本願寺長島斎藤北畠
がとればいいんだし。
しかし織田もばかじゃないだろうからな。
三戦板では西では近江より西を放棄して持久戦。
東武田の補給路が伸びきったところをたたくしだ
ろうってな話になったけど。
280 :
日本@名無史さん:03/07/05 00:20
濃尾は失えないから尾張あたりで決戦かな?
281 :
日本@名無史さん:03/07/05 00:22
このころ本国は美濃だろうけど、織田にとっては尾張は
失えないだろうからね。
でも自分の領内で織田が戦うか微妙。
282 :
日本@名無史さん:03/07/05 00:28
織田本隊が尾張へ武田迎撃に動けば浅井、朝倉が動くだろう。
そして用意周到の信玄のこと、尾張国内で一向一揆を扇動するかもしれない。
283 :
日本@名無史さん:03/07/05 00:32
284 :
日本@名無史さん:03/07/05 00:34
285 :
日本@名無史さん:03/07/05 00:37
286 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:05
やっぱりナガシノの戦いは重要だよな。
佐久間の裏切り説なんてあるけど、どうなんだ?
重臣があれだけ討死したのは尋常じゃないと思うんだが。
そこんとこどうよ。
287 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:13
裏切りはうそで、
重臣は撤退途中に死亡。
288 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:19
今日もオールナイトで盛り上がっていこう
289 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:27
じゃあネタふれよ!
ところで「Y0!」ってつかわなくなったよね・・・
290 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:28
重臣死にすぎ。
連合軍側にしてみたら、物凄い戦果だな。
馬場、山県、内藤、真田兄弟、土屋、原
信実、・・あと誰だ・・。
勝頼もその後7年間よう頑張った。
291 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:29
武田勝頼の生きのびる方法。武田氏なんぞ滅びても構わないから
長篠以降で生きのびる手段があったのだろうか?
292 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:31
武田勝頼が生きて武田家が滅ぶなら織田に降伏したらいいだろう。
293 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:38
降伏が似合わない男、それが勝頼。
本能寺の変の直後、岡崎に向けて逃げる家康一行が、梅雪を囮に使った
という説があるけど本当かな?。
でも、梅雪もあそこで賊に殺されなければ、武田宗家を継承できる位置
にいたのにね。倅が夭逝して御家断絶になったけど…。
295 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:50
>>292 勝頼を売っても武田家を存続させる方に100万ウォン。
297 :
日本@名無史さん:03/07/05 01:59
100万ウォンっていくらだ?
298 :
日本@名無史さん:03/07/05 02:07
>>290 高坂の長男、甘利、横田康景、山本などなど
>>292 信長がそれを許さなかっただろうし、
勝頼とて降伏する気はないはずだよ。
本当なら新府城で戦って死ぬ覚悟だっただろうし。
>>290 >>298 もはや万歳突撃状態。
勝つためではなく死ぬための戦いでないの、これじゃあ。
重臣クラスがここまで悉く戦死した合戦ってほかにあるの?
301 :
日本@名無史さん:03/07/05 02:11
>>300 戦死者のほとんどは突撃時じゃなくて追撃時だぞ。
>>299 だね。
降伏するつもりもない、降伏を受け入れるつもりもない2人…。
でも玉砕したのは高遠城くらいで、ほとんどは自落だものね。
そう、内藤は勝頼を遠くまで逃がす為に立ちはだかって死んだ。
って、この話題はナガシノスレ向きでは?
304 :
日本@名無史さん:03/07/05 02:14
穴山が裏切らなければ織田と1戦できたのにね。
>>301 物は言いようということでw。
実際、最前線から数キロ離れた地点での戦死者の方がはるかに
多かったらしいし、そこまで鉄砲の弾が届くはずがない。
>>302 頼りにした盛信等が玉砕し、新府では敵を支え切れない。
そして、自分の代で武田を潰す訳に行かないので城を捨てた。
しかし、小山田は、、、
>>298 望月(信豊の弟)、馬場の子、山県の子、小幡など
308 :
日本@名無史さん:03/07/05 02:21
蒼天録で信長に下ろうとしたら、潔く戦えと断られてしまいました
309 :
日本@名無史さん:03/07/05 02:22
藻前も玉砕しろよ、逍遙軒!
311 :
日本@名無史さん:03/07/05 02:23
>>310 信綱は臆病だから駄目ですよ。無理無理。
312 :
日本@名無史さん:03/07/05 02:23
基礎討伐では2万の兵を動因したのに、1戦もすることなく
滅亡するとは・・・
314 :
日本@名無史さん:03/07/05 02:33
>>312 木曾相手に二万もの精鋭を失ってしまうとは
315 :
日本@名無史さん:03/07/05 02:36
>>314 木曾討伐したんだけど、穴山が裏切ったから徳川北条の防波堤がなくなり
本国危ないってことで急いで帰ったら、いつのまにか兵の数数百に・・・
ほか逃亡・・・
穴山さえ裏切らなかったら・・・
316 :
日本@名無史さん:03/07/05 03:34
>>300 沖田畷の戦いでは竜造寺は君主含め重臣あらかた討ち死にですな。
317 :
日本@名無史さん:03/07/05 03:36
>>315 木曽の討伐も鳥居峠で敗れて失敗してるし(織田から既に援軍が
入っていたため)、主力がみんな信濃にいる状態で一万を超える
家康相手に「信君一人で頑張ってね」というのは所詮無理なので、
あれは信長が本気出した時点で負けるべくして負けたとしか
言い様が無い。
318 :
日本@名無史さん:03/07/05 04:10
勝頼を語るお勧めのサイトってないかね?
2ch
>>319 まんまと、ワシの策略に引っかかったな。
お前がそう書くのを待ってたんだよ。
321 :
日本@名無史さん:03/07/05 08:43
>>286>>300 長篠の時は武田も鉄砲隊の数が多かったとのこと
騎馬突撃は江戸時代の創作で 史実は連合軍に
袋のねずみ状態で逃げ場がないとこを鉄砲で徹底的に叩かれたから
322 :
日本@名無史さん:03/07/05 19:57
>>315 穴山もさすがにもう無理だと思ったのだろう
確かに織田・徳川と一戦はできたかもしれないが、
それはあくまで最後の一戦ができるというだけのことであって、
最終的に武田に勝つ見込みはないと
思って寝返るより仕方なかったのでは?
武田勝頼ってなんでこんなに人気(話題性?)があるの???
324 :
日本@名無史さん:03/07/05 20:02
いわゆる『武田軍団』が人気あるんだろう
だね
327 :
日本@名無史さん:03/07/05 20:51
>326
信玄以来常勝を誇ってた
戦国最強(まあここは黙って流せ)の武田が
謎だらけの長篠合戦で惨敗し急激に衰退する。
これってロマンじゃないか?(笑)
328 :
日本@名無史さん:03/07/05 20:58
勝頼と穴山始めとした親類衆がただ折り合いが悪かったから
話し合いもまともにきちんと納得いくものが出来ず潰れただけ
329 :
日本@名無史さん:03/07/05 21:02
軍議でしっかりと決めた上で攻撃にかかり、
激闘が続いた末の惨敗かもしれないじゃん。
信玄にはカリスマ性があるが、勝頼はそれがない。
現代に例を求めれば巨人軍の長島親子という感じかな!
お、ベンゼン、最近見なかったけど元気か?
333 :
日本@名無史さん:03/07/05 21:55
327
長篠って謎なのか?俺には謎な部分がわからんのだ。
まぁ、謎だらけでは無いなぁ。
謎は残っているけど。勝頼の考えとか心境とか
335 :
日本@名無史さん:03/07/05 22:06
>333
全てわかってるのならそれはそれでいいと思うよ。
つっこむことでもないし。
336 :
日本@名無史さん:03/07/05 22:18
武田軍団そのものが過大評価されていると思う。
信玄の三方が原の時でも甲斐と信濃の兵を諏訪に集結して、
奥三河から徳川領に侵入している。
例えば信濃からそのまま西進して岐阜を突くとか、
逆に駿河から東海道を堂々と進み浜松を落とすほどの力はない。
あくまで自分の挙兵によって毛利や一向宗が動くことを期待しての、
いやがらせのレベルだ。
(義昭がバックにいたのだろう)
単独で天下に覇を唱えるほどの勢力ではなかったと思う。
まして勝頼の代の信長はさらに強くなっていた。
反抗すれば滅ぼされるのは当然。
337 :
日本@名無史さん:03/07/05 22:27
推測では、後で到着した援軍織田勢力と対峙して、双方にらみあいの中、
しかけたのは勝頼だろ?勿論、局地戦の範囲で考えたんだという事だろうけど、
裏からまわった誰だったかな?忘れたけどそいつに退路を断たれて、全軍前方へ
突撃、総崩れじゃなかったのか?
338 :
日本@名無史さん:03/07/05 22:32
酒井忠次に武田軍主力の背後に回り、長篠城攻めのために配置されていた
鳶ノ巣山の武田方を攻めるよう命じて成功。勢いだった軍勢で挟み撃ちだった
ような、今調べた。
339 :
日本@名無史さん:03/07/05 22:39
考えや心境はわからんがな。
340 :
日本@名無史さん:03/07/05 22:40
結局敗因は弱かったということだ。
交易のかなめである江差は穴山の支配下だったし、
信濃に二公一民という重税を課したそうだが、
あんな山国では検地もろくに出来ないだろうから、
隠し田だらけだっただろう。
おそれられてはいただろうが支配していたわけではないと思う。
たいした動員兵力はなかったに違いない。
そりゃ、何かが弱かったから負けたんだろうよw
342 :
日本@名無史さん:03/07/05 22:54
>>336 >信玄の三方が原の時でも甲斐と信濃の兵を諏訪に集結して、
>奥三河から徳川領に侵入している。
そりゃ戦略だろ。
343 :
日本@名無史さん:03/07/06 03:04
344 :
日本@名無史さん:03/07/06 03:11
>>343 ほかの人がすでにつっこんでるのに。
それじゃつれないだろ・・・
勝頼は滅ぶ運命にあった!信玄様の後なんてとても継げないよ
そもそも、三倍の兵力ではかなわんよ。
単純に考えて家康と勝頼では格が違う。
たった四歳違いとはいえ
家康…人質として苦節13年。その後、弱小勢力を当主として必死に支えて着々と勢力を拡大させた。
勝頼…生まれたときから偉大な父・信玄に寵愛され、棚ボタと父のえこひいきで跡継ぎになる。跡継いだ時点で大勢力。
過ごしてきた時間の濃度が違いすぎたな。
よく、「勝頼は偉大な父のプレッシャーでつぶれた」といわれるが、「父が偉大すぎて自ら何かをなす余地がなくつぶれた」と言う方が正しいかも。
348 :
日本@名無史さん:03/07/06 14:49
そりゃオヤジが家臣に暗殺される体たらくではオヤジより悲惨には
なれねえよな、家康w
349 :
日本@名無史さん:03/07/06 15:55
つか徳川家康は織田がいなけりゃ勝頼につぶされてただろ。
虎の威を借る狐。ってかつりかな?
350 :
日本@名無史さん:03/07/06 16:37
勝頼の最期に花を添えた
妻北条氏について語りたい
岩殿城辺りからなら夫を見捨てさえすれ相模へ帰れたのに
それをしないことによって夫と実家の名を守ったんだね
享年は勝頼37歳、北条夫人19歳、信勝16歳
351 :
日本@名無史さん:03/07/06 17:08
家康なんて今川義元には大いに期待されて太原雪斎を師につけてもらって
勉強もさせてもらったし、三河の土地は基本的に任されていたし
その上三河家臣団支配の権力的バックボーンにもなってもらって、
至れり尽くせりな“人質”生活だよな。
352 :
伊賀の服部:03/07/06 22:18
甲州スッパの使い方が悪かったのさ。
勝頼は名前負け、信頼されなかった!!
武田四天王も勝頼では風林火山の旗印は継げないとふんでいた。
信玄の戦上手は後の家康も真似したほど、確かに信長3千丁の鉄砲
は有利かもしれんが、信長部隊は当時まだ、職業軍人募集でやって
たので、乞食、浪人の輩集団でけつこう弱かった。
長篠でも実際は2千人ほど離脱している。
当時はまだ、農民兵のほうが、領地守りに必死だったんだよ。
あの時、信玄なら動かず浜松に兵を動かし、先に家康を討ったろう。
当時の信長は既に敵だらけ。
孤立した敵を討つのは信玄にとっては赤子をひねるようなもの。
事実、信長も信玄が恐くて、三方が原には応援は出さず。
媚の手紙さえ出している。
まぁ勝頼は違ったんだろう。
ただの気性の荒い武者だったんだね。
353 :
日本@名無史さん:03/07/06 22:23
信長の鉄砲3000丁は作り話だったんだってね。
武田四天王
信長3千丁の鉄砲
信長部隊は当時まだ、職業軍人募集でやってた
355 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:04
3千丁の鉄砲は否定されてないだろ。
織田の鉄砲がたった1000なわけが無い。
1000って言う数字は細川や筒井か借りた鉄砲の数だろ。
って武田信玄スレにあったよ。
356 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:09
武田勝頼と福島正則と平敦盛と勝海舟と日野俊基って感じが似てない?
>>351 >今川義元には大いに期待されて太原雪斎を師につけてもらって
単純に今川マンセーに育てるために雪斎に預けられたのでは?
期待されたのなら義元の側小姓かなんかになってるだろ。
>三河の土地は基本的に任されていたし
家康は駿河に留められ、岡崎城は今川の代官に支配され、上納金取られ、戦のときには今川の指揮で最前線に立たされていたらしいが。
>その上三河家臣団支配の権力的バックボーンにもなってもらって
家康が三河家臣団を動かし始めたのは義元が死んで今川家が崩壊したのでそれを機に独立してからなんだが。
358 :
日本@名無史さん:03/07/06 23:18
>>356 不思議な組み合わせだが。共通点としては真面目くらいしか
思い付かないが。どう似ているのか教えてくれ。
359 :
日本@名無史さん:03/07/07 02:29
>>352 面白くない。
>>357 >単純に今川マンセーに育てるために雪斎に預けられたのでは?
>期待されたのなら義元の側小姓かなんかになってるだろ。
それ以前に一族に加えられてるっちゅうねん。
たかが三河の田舎大名としちゃ破格の扱い。
>家康は駿河に留められ、岡崎城は今川の代官に支配され、上納金取られ、戦のときには今川の指揮で最前線に立たされていたらしいが。
三河で寺に土地を寄進したりしてたのは、元康本人であった。
すなわち、西三河の土地の所有者はちゃんと元康と認められていた。
また元康の名において岡崎の家臣団に対し掟書なども出されている。
言われているほど悲惨な支配があったわけではない。
最前線に立つ事の多いのは地理的な理由に過ぎない。
>家康が三河家臣団を動かし始めたのは義元が死んで今川家が崩壊したのでそれを機に独立してからなんだが。
元康の名で掟書など出されているのが実際の所で、義元は元康の
西三河支配をむしろバックアップしてやっていた。
>>355 三千の部分に手が加えられた後が見られるようだが。
>>360 右上に朱で「三」と書かれた版から後、「千」から「三千」になってしまった、というヤツだな
>それ以前に一族に加えられてるっちゅうねん。
>たかが三河の田舎大名としちゃ破格の扱い。
一族って言ってもいき遅れの姪を押し付けられたのでは厚遇とはいえまい。
単純に「こいつ引き受けてくれるなら色々面倒見るが?」という取引では?
>三河で寺に土地を寄進したりしてたのは、元康本人であった。
>すなわち、西三河の土地の所有者はちゃんと元康と認められていた。
初陣の寺部城攻略戦のあとで褒美として領地の半分返還が行われている。(岡崎城は除く)
もともと家康の好き放題使えたならこんなものが褒美になるわけない。
つまり、所有権はあっても使えるかどうかは義元の許可待ちだったわけ。
子供がお年玉もらったときに「お前名義で貯金する」と言われて親に管理されるのと同じ。
>元康の名で掟書など出されているのが実際の所で、義元は元康の西三河支配をむしろバックアップしてやっていた。
とはいえ、内容は自由に決められまい。
三河人のための掟書、ではなく義元の三河支配のための掟書では?
しかも、家康が松平元信から元康に名を変えたのは18歳、つまり元服から4年は経っており、その1年後に義元死亡→独立なので、家康が自分の意思で掟を出したのは独立後では?
363 :
日本@名無史さん:03/07/07 22:29
>>360 千っていうのは借りた数で、三千ってのが織田がもってた鉄砲って
ことでいいんじゃねえの?
>>363 初期の信長公記には「千」しかないんだと。
悪名高き甫庵信長記が作られた後に、
>>361の版が出てきたらしい。
365 :
日本@名無史さん:03/07/08 00:41
>>362 >一族って言ってもいき遅れの姪を押し付けられたのでは厚遇とはいえまい。
>単純に「こいつ引き受けてくれるなら色々面倒見るが?」という取引では?
武田勝頼が上杉景勝に嫁がせた菊姫だって年齢的には行き遅れの部類だった。
だが行き遅れだから武田家が上杉家を軽視していたのだ、とは言うまいよw
理屈が強引すぎだね。
>初陣の寺部城攻略戦のあとで褒美として領地の半分返還が行われている。(岡崎城は除く)
>もともと家康の好き放題使えたならこんなものが褒美になるわけない。
>つまり、所有権はあっても使えるかどうかは義元の許可待ちだったわけ。
>子供がお年玉もらったときに「お前名義で貯金する」と言われて親に管理されるのと同じ。
元康(元信)による寺社への所領の寄進だの安堵だのは、1556年以降
散見される。初陣が1558年であるから、この時まで所領が無かった
などとするのは捏造に他ならない。もちろん、松平家は今川家に負けた
家だから、それなりの領土を召し上げられてしまった可能性はあるが。
>とはいえ、内容は自由に決められまい。
>三河人のための掟書、ではなく義元の三河支配のための掟書では?
>しかも、家康が松平元信から元康に名を変えたのは18歳、つまり元服から4年は経っており、その1年後に義元死亡→独立なので、家康が自分の意思で掟を出したのは独立後では?
1559年5月16日に出した七か条ぐらい調べてから書こうねw
元康と岡崎衆の間にはちゃんと主従関係が存在した。
366 :
日本@名無史さん:03/07/08 00:55
>>364 その千って数だと武田や北条より鉄砲をもってないってことに
なってしまう・・・
織田は細川や筒井などから950の鉄砲を借りているので全部で
1000だったら織田は50しか鉄砲をもっていないことになるのだが・・・
>>366 武田以外ともやりあってたし、千が総数だったというわけじゃないんだよ。
千というのはあくまで佐々以下が要した数で、別働隊の坂井らには五百を渡してる。
総数は牛一自身、掴めていなかったんだろう、と言われてるよ。
牛一自身、総数を掴めていなかったんだろう、と言われてるよ。
ね。スマソ
369 :
日本@名無史さん:03/07/08 01:04
>>366 あちこちから引き抜いて5人の奉行に指揮させたのが1000挺。
それぞれの部隊が個々に持ってくる鉄砲の数なんて、誰も把握しちゃ
いないし、もともと集中的な運用もできないし。
まあ、武田の嫡流が絶えたりせよ、血はまだ残っている物だなと感心をする。
つーか佐鳴学園のCM許せない!!「信長が初めて鉄砲隊を使って迎え撃つは武田の騎馬隊・・・・」信長が初めて鉄砲使ったんじゃねー!!!
しかも武田って言ったら信玄に思われる!四郎勝頼ってちゃんと言え!兄貴を馬鹿にされた気分だ>典厩信繁
武田騎馬軍隊は朱に染めた甲冑を身にまとい、実際に見たらさぞかし勇猛だろう。
373 :
日本@名無史さん:03/07/09 22:02
強殺容疑などで5人逮捕 姫路のひき逃げ殺人
兵庫県姫路市で2001年12月、車上狙いの車を止めようとした大阪府柏原市の会社員、
伊藤裕一さん=当時(26)=がひき逃げされ死亡した事件で、同県警捜査一課と姫路署は29日、
強盗殺人容疑で車を運転していた大阪府八尾市、無職、武田晴信容疑者(31)を逮捕した。
さらに車上狙いの共犯として窃盗容疑で姫路市の無職の女2人を、事件に使われた車を処分したとして
証拠隠滅容疑で姫路市の無職の男2人をそれぞれ逮捕した。
調べでは、武田容疑者は01年12月14日午前2時40分ごろ、姫路市北条のレストラン駐車場で、
ワゴン車で伊藤さんをはねて、殺害した疑い。
伊藤さんは駐車場で、自分の車の中で友人の女性と話をしていたところ、男ら数人が乗ったワゴン車が女性の車に横付けし、
車内からバッグを盗むのを目撃。ワゴン車を止めようとして前に立ちふさがったが、駐車場出口付近でスピードを上げたワゴン車にはねられた。
目撃情報が少なく捜査は難航。遺族は伊藤さんが結婚資金としてためていた200万円を懸賞金に充て、情報提供を呼び掛けていた。
http://www.sankei.co.jp/news/030629/0629sha007.htm
374 :
日本@名無史さん:03/07/11 02:18
いくぜ、ベイベー
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
継続
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
378 :
日本@名無史さん:03/07/16 21:09
age
age
380 :
日本@名無史さん:03/07/28 23:47
今でもそうだが
山梨県人にとっ諏訪出身の勝頼がトップに座っていること自体かなり嫌気の差す状態であったと思う、その中にあっても
滅亡まで同道したメンツを見ればいかに勝頼自身には人望があったか想像が付く
381 :
日本@名無史さん:03/07/29 00:15
漏れは勝頼よりも穴山信君という人間の奇怪さに興味がある。
こいつは一体なんなんだ!?
ただの裏切りものにしてはどうも馬鹿すぎる気がする。
少しは情があったのではないだろうか?
穴山信君のどこが馬鹿なんだ?
優秀な人物だと思うが。
穴山信君は福島正則同様優秀である。ただ置かれた立場の関係で
貧乏くじを引かされただけである。
384 :
日本@名無史さん:03/07/29 06:10
家康が上洛に伴ったということは、徳川家では新参ながらいきなり相当に
重用されていたということだ。ただの馬鹿には無理な話よの。
385 :
日本@名無史さん:03/07/29 11:03
徳川にとって梅雪は甲信地方接収のためになくてはならない存在であったと思う
プラス梅雪を重用することによって
三河以来の酒井・石川の両重臣の調停者的立場の徳川家を
より強固な絶対君主的な立場に置こうとしたのだと思う。
酒井・石川・穴山を同列に置くことによって相対的に
徳川宗家の力関係が増すってもんだ。
よって酒井・石川→穴山あぼ〜ん。
ただしこれも穴山が有能であったからこそ譜代徳川家臣の恐れによるだろう。
ただし有能であったために
>>380の状況で武田家内部は分裂→滅亡だな
386 :
日本@名無史さん:03/07/29 21:01
>>383 福島は武官で穴山は文官であるからタイプが全く違うのでは?
穴山が武田家ぜんたいをもっとよく見渡せたらもっと武田は善戦できた
のではないかと思われ
387 :
日本@名無史さん:03/07/29 21:06
>384
家康の上洛には伴ってないから、身代わりにされたんだろう。
そこで土民に家康だと見間違われて襲撃されてあぼーん
そう考えるとそこまで深い読みができる有能な輩ではないだろう。
見たことも無いのに土民が家康と見間違えるってか。
389 :
日本@名無史さん:03/07/30 07:25
ちゃんと息子も取り立ててる罠。
卑劣漢・家康が身代わりにして殺したなら未亡人の面倒まで見ねえだろうな。
(^^)
391 :
日本@名無史さん:03/08/02 23:44
穴山 小山田は本人達は武田の家臣ではなく
同盟者的な感覚であるために独自に外交することが当然であり
裏切りには当らないと思っていた節もあり
また勝頼は戦で勝ち続け恩賞を与え続けない限り君主としての立場の強化ができないために
無理な戦を続けていたと思われる
勝頼以外に当時の二世武将で史実以上に武田を存続させられる武将は思い当たらない
景勝、氏政、輝元辺りでは論外
信長、秀吉、家康であっても不可能だろう
元就なら可能かも。。。
393 :
日本@名無史さん:03/08/03 18:02
>>391 >穴山 小山田は本人達は武田の家臣ではなく
>同盟者的な感覚であるために独自に外交することが当然であり
>裏切りには当らないと思っていた節もあり
またあんたか
根拠を示せよ
394 :
日本@名無史さん:03/08/04 08:43
信虎の頃には小山田氏や穴山氏が独自に今川家や北条家などに使者を
送っていたのは確かだがね。
395 :
日本@名無史さん:03/08/04 11:11
つうか、戦国時代の「家というか勢力」自体が江戸時代の「家、俗称として藩」とは違って
上下関係による毅然とした組織が構成されていたわけでは無かったんだな。
戦国時代の「勢力」は基本的には豪族連合もしくは共同体と言えるもので、主君と家臣の関係は対等に近かったりするんだな。
396 :
日本@名無史さん:03/08/04 14:26
393でないが小僧という言葉には子供らしさを感じる今日この頃でありましたとさ。
リアルで聞いたこと無いよ、小僧なんて。
あ、小僧寿しがあるか。
北方ケンゾー
400 :
日本@名無史さん:03/08/05 01:46
>>396 >独自に外交することが当然であり
>裏切りには当らないと思っていた
だからこの「具体的な」根拠を示せよ
>独自に外交することが当然
だから裏切りとは考えていなかっったというのか?
401 :
日本@名無史さん:03/08/05 09:11
裏切りは裏切りだろ。
ただし自分の家を滅びようとも主君に最後まで使えなければならない
というような道義的義務感のようなものはこの時代には存在しなかった。
滅亡に付き合うかどうかは個人の趣味。
402 :
日本@名無史さん:03/08/05 10:17
北條スレからきますた!
穴山家は分からんが、小山田家は北條家からも知行を受けているよ。
北條版図のど真ん中、東京都成瀬近辺は小山田領ですな。
かなり広大な地域の飛び地で主城の成瀬城は500m四方に及ぶ。
あと裏切りっていうなら、木曾家の方が・・・。
まぁ戦国時代は下克上ですな。
403 :
日本@名無史さん:03/08/05 10:24
裏切っただけでは下克上とは言うまいよ・・・
「下が上に克つ」のだからなぁ。
,,,--─===─ヽ/へ
/iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
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408 :
日本@名無史さん:03/08/07 23:09
小僧
自分の意見を語ってみせろ
まずはそれからだ
410 :
日本@名無史さん:03/08/15 04:30
勝頼の生年月日ってわかってないのでぃすか?
411 :
日本@名無史さん:03/08/15 05:10
つーかお前らが勝頼でも無理だって。
SONYを前にしたAIWA、TOYOTAを前にしたいすゞみたいなもんだよ。
もはや余程のことがなければ逆転不可能
(桶狭間のように)
で、自分とこに負け風が吹いてる最中に
・自分の家臣団&家族&知行地
・武田の血統
を維持するには、お前が穴山でも恭順するでしょ。
そりゃおれらが勝頼だったらもっと酷いことになってただろ・・・
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
414 :
日本@名無史さん:03/08/17 03:04
やっぱり勝頼は名君だよな。
415 :
日本@名無史さん:03/08/17 07:54
>>412 だから「穴山へたれ」とか書いてはいけない
ましてや「勝頼」なんて・・・
公、とは言わんがせめて「さん」付けしろよ。
謙信たんハァハァ(;´Д`)
417 :
日本@名無史さん:03/08/24 22:55
勝頼夫人(北条)サイコー!
(;´д`*)ハァハァ
勝頼夫人(北条)とケコーンしたいよほぉぉ〜
勝頼夫人(北条)と温見峠逝きたいよほぉぉ〜
418 :
日本@名無史さん:03/08/29 05:13
ここではあまり論じられてないですが、
長篠の敗戦後、高坂の発案した軍規違反の穴山と信豊の切腹と、
人事改正案が実行されていればここまで悲劇には・・・。
ここからはあくまでも僕の推測論です。
でもそれを実行するには、勝頼には権力・人望がなかったと思います。
この権力の無さは、御親類衆の権力の大きさ、
人望の無さは、父信玄公の偉大さと、その信玄公を崇拝する家臣団と御親類衆、
そしてその家臣団と御親類衆が、亡き信玄公の亡霊にいつまでもとらわれていた。
このような状態の中で勝頼は、裏切りにもあい最後まで降伏せず武士の意地をよく貫いたと思います。
それに武士として武門と武田の名に恥じなかった勝頼を評価するべきではないかと思います。
さぞ天目山には涼しげな風が吹き、きれいな花が舞散ったのでしょう。
長文と歴史への美化、あと間違いがあればすいません。
419 :
日本@名無史さん:03/09/03 04:00
あの時点で駿河探題や御親類衆最上位に位置する人間を処罰できるわけがない。
切腹させようとしていたら裏切りが7年早まっただけだろう。あんな人間(梅雪)
が御親類衆筆頭にいた時点で勝頼の負け。
ちょっと話はそれるが、書物に書かれている勝頼の日常の態度には人間として非常に好意を持てる。
まあ、それと能力は別だろうが。
420 :
日本@名無史さん:03/09/03 04:06
ちなみに上の文は勝頼に能力がないと言ってるわけではない。秀吉だって勝頼を評価してるんだし。
421 :
日本@名無史さん:03/09/03 04:25
武田家家臣団の中でも殊更に国人領主色の強い木曽と小幡を
入れ替えろだとか、正気の人間の進言ではない。
穴山だとか、後に裏切った人間をピンポイントで処罰させようと
しているのも極めて不自然。
ありゃ後世の創作だと断ぜざるを得ないな。
422 :
日本@名無史さん:03/09/03 20:20
>>418 恐らく高坂案の話は新田次郎の創作では?
自信無いけど・・・
423 :
日本@名無史さん:03/09/03 23:54
>>422 『甲陽軍鑑』に書いてあるので小幡景憲の創作。
実際は勝頼が北条氏政の妹を嫁に貰っただけなので、
高坂の進言も「背後の安全を強化するために、北条家と婚姻関係を
結んではどうか」というだけだったのだろう。
それに景憲が余計な話を付け加えたんだろうね。
424 :
日本@名無史さん:03/09/04 02:01
でも新田次郎も書いてるけど、甲陽軍鑑は細かい部分でかなりあてにならない。設楽原の部分
など特に。
425 :
日本@名無史さん:03/09/04 02:12
でももへちまも、あてにならんという話をしているのだろ?
>>424 え?なぜ?それより高坂が死んだ後のあきらかに徳川まんせーの
作者にかわったときのほうがおかしいと思うが?
>>426 小幡て奴は朝鮮人みたいな変わり身の早さなんだな(w
何が愉しゅうて、そんなくだらん煽りを?
429 :
日本@名無史さん:03/09/05 00:17
『甲陽軍鑑』は随所随所の記述からすると高坂なりなんなりが書いた
「原本」があって、小幡景憲が大幅に加筆修正して『甲陽軍鑑』の
形にまとめたんじゃないかと。
>>428 大坂の陣のことを考えると、小幡という人間を好きにはなれない。
結局「諏訪勝頼」から「武田勝頼」になる準備期間が、信玄公の死によって十分に
行われず、家臣団の中の意識改革がなされなかったのが大きいですよね。
432 :
日本@名無史さん:03/09/05 11:20
二年で足りないならどうやってもダメだな。
問題はそんなことじゃないだろう。
433 :
日本@名無史さん:03/09/05 20:15
434 :
日本@名無史さん:03/09/05 20:49
↑凄い館でこらまた凄い恰好してるな
435 :
日本@名無史さん:03/09/05 21:08
俺が武田勝頼だったら信長と決戦しないし、そもそも徳川領にちょっかいを出さない
今川氏真のように一方的に叩きのめされるであろう
生き残って家名を存続させた今川氏真にくらべれば、全てをなくした武田勝頼はヘタレ。
437 :
日本@名無史さん:03/09/06 00:58
そお?御旗楯無を滅亡間際に残そうとしただけでも凄いと思うが。それにその理論なら
、織田信長もヘタレですか?だいたい、家名は三男の家系が残っていると思うが。
438 :
日本@名無史さん:03/09/06 21:55
新府城を普請提案したのが信君なら先見の明があったとも
とれるんだが。
ヘタレというなら小山田だと思うよ。
名も残せず家名も残せず。
439 :
日本@名無史さん:03/09/12 23:26
今川氏真は、のちに信長と会っている。
信長が、「そなたの父(義元)のことはすまないと思っている」
と言ったのに対し、
氏真は 「いくさは時の運だ」と答えたそうだ。
その後氏真が得意のけまりを披露するなど、両者の会見は
終始和やかだったという。
まあ勝頼も、信長に対し敵対行動をとらなければ存続できた
可能性大だね。
440 :
日本@名無史さん:03/09/13 02:22
信長の氏真の「会話」のソースって?
441 :
日本@名無史さん:03/09/14 00:43
442 :
日本@名無史さん:03/09/26 18:26
俺が武田勝頼だったら、
家臣の誰一人言うことを聞かず(T_T)
領国は崩壊。大混乱を起こし領国内でミニ戦国時代状態に突入し
周辺の大名達に切り取り放題され。
田畑は荒れ人口は流失し甲信の二国は百年後まで人のすまない土地になったろう。
まして、
たとえ不利な状況下であったにもかかわらず
曲がりなりにも統制を保って織田徳川連合との決戦や
越後との同盟などありえない
他に例を見ない人間なだれ現象などと書いている作家もいるが
俺ならば世界史上でも有数の愚かな君主として名を残すだろう
443 :
日本@名無史さん:03/09/27 00:54
>>439 それは違う。信長は何としても勝頼を討ちたかったはず
>443
典拠は?
445 :
日本@名無史さん:03/09/27 03:53
勝頼の悲運は武田家臣団の中での地位が曖昧だったことでは?
武田の部将たちにとっては、自分らと同格とは言わないまでも、
あくまで「諏訪四郎殿」でしかなく、ちゃんとした後継者とは家臣団にも思われていなかったのでは。
446 :
日本@名無史さん:03/09/27 03:55
>>438 小山田、功績も多かったのに最後の最後でミソつけちゃったな。
おかげで、こんなところでもへたれ呼ばわりw
まあ自業自得ではあるが、ちょっと哀れ
朝倉景鏡あたりなんかだと、バリバリ一族でしかも土壇場で義景を
裏切ってる奴なんだが、イマイチ知名度が低いのと2年後に一向一揆に
殺されたあたりで忘れられてるな。
戦国時代としては小山田程度の行動は珍しくもないが、小山田信茂は
有名すぎだな。
もし信勝が指示どうり奥州に逃れてたら何処に匿って貰ったのかな?
江戸紀に捨扶持程度で家名は保てただろうか
449 :
日本@名無史さん:03/09/27 10:13
その場合小諸に逃れた信豊同様家臣に殺された可能性大
所詮統制が取れていなければ賞金首程度の扱いになってると思う。
ただし上州あたりまで逃れて岩櫃では無く箕輪、厩橋を根城にし
上州全土掌握できれば
景勝、氏正、と政治的に連携して対抗は可能かも。
ただし上州を取られた北条が、甲斐武田ではなく上州武田に協力することは
低い可能性だとおもう
そいや上杉に逃れた武田信清の武田家はどうなったの?
>>449 それ以前から過半を武田が制圧していたし、北条は最初から敵では。
453 :
日本@名無史さん:03/09/28 22:26
454 :
日本@名無史さん:03/09/28 23:54
敵とはいえ北条夫人を戻したわけではないし
条件次第では協力できたかも
455 :
日本@名無史さん:03/09/29 04:28
小山田君の子孫ってさぁ、結局真田の庇護(松代藩)じゃないっけ?
こらこら・・・。
456 :
日本@名無史さん:03/09/29 05:00
>>454 圧倒的優性で関東安堵も許す織田家との同盟を切って
滅亡寸前の武田勝頼を助ける理由がこれっぽちもないよ。
457 :
日本@名無史さん:03/09/29 08:30
織田家安泰のままならあの人でなしの家康が狙えるのは北条領だけだ、
当然横槍が入って徳川VS北条→仕方なく織田参戦、位は北条方でも
思いつく人間はいると思うぞ
458 :
日本@名無史さん:03/09/29 08:46
>>457 徳川家康が「人でなし」で「北条領を狙う」なんてこた、
北条家の人間は考えもしないだろ。
実際誰も考えてねーしw
459 :
日本@名無史さん:03/09/29 09:08
小僧、
わかってね〜な
460 :
日本@名無史さん:03/09/29 09:33
武田→上州に逃亡、織田甲信地方接収武田追討一旦停止、
駿河→北条徳川分割、武田厩橋では無理かな箕輪にて再挙、
織田→武田殲滅準備、織田北条間で武田を滅ぼした後の上州領有問題でしこり
、徳川が横槍入れて織田北条決裂、
織田徳川VS武田北条上杉(上州に武田が入ることで北条とは領地問題解消)
こんな流れなら可能性は低くても零ではない
461 :
日本@名無史さん:03/09/29 10:07
まず徳川がどうこうちゅうのが有り得んよ。信長が生きている間は。
家康なんてのはこの頃は駿河貰って喜んでる程度のタマでしかない。
実際に全く起こらなかった外的要因を当てにするんではな・・・
462 :
日本@名無史さん:03/09/29 10:16
ほんの数ヵ月後だが
本能寺あとで織田占領地の甲斐信濃に進攻してるじゃん
>>461のいう程度のタマなら当主死んだだけで同盟国に攻め入るか?
463 :
日本@名無史さん:03/09/29 10:21
>>462 だから信長存命中は動か(け)ない。
信長と跡継ぎと現地司令官が死に、北条氏政が動いて滝川一益も
逃亡して初めて動く。
464 :
日本@名無史さん:03/09/29 10:25
ちなみに河尻秀隆が死亡し、滝川一益や森長可が領地を放棄して
逃げた時点で甲信は「同盟国」ではないだろうな。
465 :
日本@名無史さん:03/09/29 10:33
それは本国からの援助が期待できないからだろう
真に同盟国なら援助を行っても良いだろうし
時間的&物質的に余裕が無かったとでも言うのか?
話が拗れている根本的な理由は、
「人でなし」という単語が余計で、あまりにも軽率だったからだな。
467 :
日本@名無史さん:03/09/29 10:37
だからな、家康は火事場泥棒はできても
信長存命中に北条にちょっかい出すようなタマじゃねえ
って言ってるわけなんだけどね。
信長が北条を切ると決めれば別だが、少なくとも信長存命中に
そんな素振りはないんだよ。
468 :
日本@名無史さん:03/09/29 10:47
そうか、ちょっと言い過ぎたかな
希望的観測の比率が多かったのは間違いないし
まぁこ〜なったら良かったのにって事だ
すまん
ではわしが織田・徳川・北条を全部敵に回しても生き残るための
術を考えて進ぜようかね。
470 :
日本@名無史さん:03/09/29 18:59
>>どうなん?
471 :
日本@名無史さん:03/09/30 10:33
>7
木曽は親族とはいえもともとライバルだったのでともに滅びることは
なかったんでは。
473 :
日本@名無史さん:03/09/30 13:01
>>460 の徳川に云々が問題となっているようだが
徳川のファクターが無くても織田北条は早期に決裂すると思うぞ
474 :
日本@名無史さん:03/09/30 13:26
476 :
日本@名無史さん:03/09/30 19:40
どうなん?
織田北条の蜜月はある程度続くと思うか?
そこんところを聞きたい
477 :
日本@名無史さん:03/10/01 01:51
>>472 娘を嫁がせて(押し付けて)親族じゃーと言われても
困るわな。確かに。
>>476 北条は大勢力であるが故に、戦うならば信長とてありったけの力を傾ける
必要がある。秀吉は20万を、しかも長期戦の構えで動員してみせたが、
これは先に西国を片付けて背後が心配なく、かつ諸大名から兵を出させた
結果である。未だ上杉や毛利すら片付かず、四国九州は手付かずだった
当時の信長には難しい。
北条は基本的に関東さえ切り取り自由としておけば文句も出ないと
思われるので、信長は先に北陸及び西国を片付けようとするだろう。
そしてそれにはいくら信長でも数年は必要だろう。
よって本能寺なかりせば、織田と北条の関係は数年は保つだろう。
478 :
日本@名無史さん:03/10/01 08:25
>>476 それならば、本能寺スレでやっていたみたいだが
織田徳川決裂
織田VS徳川&北条の可能性も出てこないか?
織田政権内での徳川の位置はなかなか危ういものだったらしいが
479 :
日本@名無史さん:03/10/01 09:36
信長が生きてる間に家康が裏切るとは考えられん。
裏切るくらいなら信康を殺せと言われた時に裏切ってるだろ。
480 :
日本@名無史さん:03/10/01 11:22
家康が裏切るんじゃなくて
信長が徳川を追い込んで反抗せざるを得ない状態に
なる可能性は?
481 :
日本@名無史さん:03/10/01 17:33
信長から見れば忠実な下僕にして弱小でしかない家康を追い込む理由もない。
まして、北条と対立していた里見氏との連携を担当していた家康を追い込むほど
信長は愚かじゃない。
もっとも、織田による北条征伐が成功していたら、その後はどうなったかわからんけど。
483 :
日本@名無史さん:03/10/01 17:51
家康なんぞよりも秀吉や勝家の方がよほど強大な勢力だな。
484 :
日本@名無史さん:03/10/01 22:15
そうか
誰か勝頼と武田家が生き残れる方法を考えつく
強者はいないのか?
400年以上も経っているのに
武田信玄が3年長生きする。
徳川家を滅ぼし、武田家は甲斐・信濃・西上野・駿河・遠江・三河と
150万石の大国に成長する。
信長は家康の後詰に向かうも野戦にて敗北、その間に浅井・朝倉・足利・
波多野らが都を完全に確保。長島一向一揆・六角義賢・伊賀惣国一揆などが
伊勢・南近江を制圧。
信長は濃尾二カ国に追い込まれる。
ここまでが3年間の流れ。
その3年の間に勝頼は跡継ぎとしての地盤を固め、磐石の態勢で跡を継ぐ。
・・・・・・・・・完全にIF小説である罠・・・・・・・w
誰かもうちょっとマトモなのキボンヌ。
486 :
日本@名無史さん:03/10/02 10:31
希望としては
長篠直後の状態からでよろしく
>485
信玄が3年長生きしなくても徳川家だけでも滅亡させておけば
面白かったのにな。
>484
もともと勝頼自身が織田家と血縁関係だし
織田家の跡取りと縁組の決まっていた妹もいる
信玄死亡直後でも長篠の合戦のあとでも高天神城を攻められたときでも
上杉家を傘下に置いた(謙信死亡後)でもいつでも降伏すれば本領安堵の上に
関東以北を任されただろうに
プライドが邪魔して他人に頭を下げられないから滅んだ
句読点はどこに付けるべきですか?
490 :
日本@名無史さん:03/10/03 01:32
自力では無理でない?可能性があるとすれば、謙信の寿命があと3年長ければ、
といったところだろう。また御館の乱以降なら、上杉・武田と連合軍を組んで
織田・徳川ともう一度決戦して勝てれば、違う局面が生まれたかも。とにかく
国力が全然違うはずの徳川にも押されていたのだから、どちらにしろ甲信駿の
大名として生き残る可能性は10%もないと思うが。
491 :
日本@名無史さん:03/10/03 05:11
>>488 いつから勝頼が織田の血縁なんだw
>>490 徳川に押されたわけではない。家康は北条が勝頼を引き付ける間に
動いてただけ・・・
492 :
日本@名無史さん:03/10/03 08:05
信長がそんな大勢力を許すはずがねーよ
493 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:31
秀吉が宇喜田の降伏を入れて本領を安堵したら信長に激怒されたことがあったはず。
武田の大勢力を信長がそっくり残すはずはないだろうね。
494 :
日本@名無史さん:03/10/03 21:31
×宇喜田 ○宇喜多
>>491 信勝の母親は信長の養女だから一応婿だろ
血縁というのか知らんが姻戚関係
漏れは信玄や謙信が数年長生きしたところで大差はないと思う。
あるとすれば三方が原で勝って、徳川を浜松に封じこめた上で信長と決戦し、
討ち取るとかすれば話は別だが
謙信の寿命が延びても、いままでと同じように関東に出兵を繰り返して終わりだと思う。
495>>同意
信玄の寿命が3年延びなくても、三方が原で糞漏らしのの首を取ってれば
全然違っただろうなぁ〜
信玄は戦術家としては尊敬できるが親としては黒田如水よりは
はるかに劣るな理由は次の後継者を明確に決定していなかった事かな
晩年の如水はワザと憎まれ役に徹して家臣達にあたりちらしたらしい
困った家臣達は次々と長政に相談して「父上!いくら病の身とはいえ
黒田家に功のあった家臣達にあたるのはおやめください!」と
如水に長政がいったところ「すべてお前の為にやってることよ!
わしが死んだら老臣達はことあるごとに如水様ならこうするだろああする
だろうとお前に申して来るであろう!そうなればお前が家中を束ねていくの
は難しい、だがワシが生きてるうちに家臣達に辛くあたば
家臣達の気持ちはワシから離れお前に向くであろう」という逸話を聞いた
事がある!せめて信玄も勝頼に改名させて「信」の一字拝領くらい
しておくべきではなかったのか?漏れは思う穴山でさえ「信」つう名前が
あるので旧態依然の武田家の中では親類衆に軽んじられる原因でもあると
思う次期棟梁はあくまで信勝よ勝頼殿はそれまでの後見役!的な風潮が
武田家の中であったんだろうな、ましてや稀代の英傑 信玄を超える
為には並大抵のことでは老臣達は認めないだろうし勝頼に才能があっても
それを発揮できる環境を信玄が生前築かなかった事が一番の原因では
ないかなぁ〜
498 :
日本@名無史さん:03/10/04 00:50
>>491 二俣城、高天神城と落とされて、それが「北条が引き付けている間に動いただけ」?
武田が他の勢力にどう引き付けられていようが、徳川に押されていた事実はかわら
ないだろ。押されてないなら、どうして信君は裏切ったんだ。
>>498 主語と修飾語が噛み合ってない気がするぞ。
500 :
日本@名無史さん:03/10/04 01:12
>二俣城、高天神城と落とされて、それが「北条が引き付けている間に動いただけ」?
落とされたのは武田だよね? 「動いた」のは・・・?!
502 :
日本@名無史さん:03/10/04 01:59
>>501 だからよく読めって。491が「徳川に押されたわけではない。家康は北条が勝頼を引き付ける間に
動いてただけ・・・」と言ってるのに答えたんだろ。少し日本語が弱いの?
文意なんかハナから判ってるよw
でなければ、主語と修飾語が噛み合っていないと言える訳が無いだろが。
504 :
日本@名無史さん:03/10/04 05:26
言いたいことは分かるが、確かに主部と述部が噛み合ってないよ。
>>498 ま、家康は勝頼が援軍に行くとすぐに撤退を繰り返していたからな。
「徳川に」「押されていた」わけではないだろ。
「徳川に」「火事場泥棒された」程度だな。
なぜ穴山が裏切るかって、信長が動いたからだよw
相手が家康だったのは、自分の領地に攻めてきたのが家康だったから・・・
505 :
日本@名無史さん:03/10/04 08:30
<<504
相手が家康だったのは、自分の領地に攻めてきたのが家康だったから・・
徳川に「攻められて」んだから、「押されてる」てことだろ。???
506 :
日本@名無史さん:03/10/04 08:59
>>495 謙信が上洛に成功したら、という仮定なのよ。謙信が脳卒中で倒れる直前の関東出兵準備も
実は上洛するための信長への目くらましでは、と言う人もいるしね(信長に挑戦状も叩き付けてるし)。
その時は結局、関東に出兵したかもしれないが(倒れなければ)、謙信が近いうちに
上洛の意思を持っていたのは間違いない。謙信が上洛して信長に勝てば、勝頼にも生きる道が出ていたはず。
西でも1578〜1580年頃なら毛利もまだ頑張っていたし。
う〜ん、仮定に仮定を積み重ねるてるからやっぱりちょっと話に無理があるかも。
507 :
日本@名無史さん:03/10/04 09:21
余談だが、勝頼の子供ってどうなったの?
松姫峠から先、武田落武者伝説のある数馬など
奥多摩には武田ゆかりの地が散在してるが
その辺で余生をおくったのか?
508 :
日本@名無史さん:03/10/04 11:17
謙信は戦には強いけど、それが勢力拡大に結びつかないんだよな。
結局、武田も北条も倒すことができなかったし。
信長と戦って1回や2回は勝てるかもしれないが、信長を滅ぼすまでいけるとは思えないな。
そうこうしてるうちに謙信の寿命が尽きるんじゃ。
509 :
日本@名無史さん:03/10/04 12:05
>>506 その仮定に無理がある
じゃあ何で加賀まで出てったかってことなんだが、
緩衝地帯だった本願寺系勢力と畠山氏が織田方になったから。
織田崩壊後も景勝が川中島の切り取りをやってるけど、
これも似たようなもんだと思う。
川中島自体は荒地だし
511 :
日本@名無史さん:03/10/04 16:01
>>510 本願寺は織田方じゃないでしょ。
川中島は荒地じゃないでしょ。
512 :
日本@名無史さん:03/10/04 18:34
>>509 戦は必ずしも1対1でやるもんじゃない。武田の主力を織田・北条が引き付けてたから、
徳川にやられてたという意見にどんな意味があるんだ。要因はどうあれ、設楽原以降
徳川に押されていたのは事実。
フセインが「イギリスにもやられたのは、アメリカに気をとられていたから」なんて
、アホなことを言わんだろ。ん、まてよ?フセインなら言うかも…。
513 :
日本@名無史さん:03/10/04 19:37
高天神城を包囲してる徳川軍になぜ決戦を挑まなかったのかな。
徳川軍相手でも決戦する自信が無くなってたのか。
>>511 数年勘違いしてた
本願寺が織田方って意味じゃなくて、加賀の一揆が滅んで、
残った地侍が織田に帰参して織田の勢力圏が越中まで延びたってことね
これは謙信死んでからだな
515 :
日本@名無史さん:03/10/04 23:24
>>508 信玄、氏康存命のころの上杉と手取川の合戦のころの上杉はかなり状況が違う。織田を手取川で撃破
してから越中、能登、加賀が勢力圏に入り、武田・北条もそれほど気にする必要がなくなった。上洛
にほぼ全精力を傾けることが出来、信長に勝てる可能性は十分ある。
516 :
日本@名無史さん:03/10/05 00:36
・信玄がせめて家康を降伏させるまで生きる
・謙信がせめて信長に一勝するまで生きる
・謙信がちゃんと跡継ぎを指名し、公表する
こんなとこが頼りかな。
いくら謙信でも一気に信長を滅ぼすほどの力はないだろう。
だが一撃を加えてから死んでくれりゃ、違ってくる。
あと上杉家は御館の乱の間に巻き返されすぎだから、これが
起こらないのが望ましいな。
勝頼の子は勝三ってのが生き残ったらしいが真相は分からない
518 :
日本@名無史さん:03/10/06 11:52
つまりその時点ではたとえどんなスーパーマンが武田の当主になっても
勝頼以上の実績は残せなかっただろうって見解で良いのか?
519 :
日本@名無史さん:03/10/06 18:48
>>518 やっぱりそうは言いきれないよな。能力だけでなくタイミングの問題も
あるだろうし。歴史に「たら」「れば」はありえないけど。
520 :
日本@名無史さん:03/10/06 18:50
勝頼より多少上の実績を残せたとしても、滅亡回避は無理だったな。
521 :
日本@名無史さん:03/10/06 19:25
でも上杉や毛利も生き残ったんだし、あながち無理とも言えないのでは。
とりあえず信長が死ぬまで生き延びて秀吉に降伏すれば、ある程度の領地は残せるかも。
522 :
日本@名無史さん:03/10/06 20:40
>>479 信康、切腹が信長の命令というのは嘘。
実際は家康主導で信長は許可を与えただけ。
>>515 手取川の戦いは存在自体が疑問視されている。
七尾城に向かう織田軍が途中で七尾城陥落の報告を受けて勝手に退却しただけで上杉軍と直接、戦ってはいないようだ。
523 :
日本@名無史さん:03/10/06 20:47
>>510 川中島は信濃でも非常に肥沃な土地だったのだが、
だから信玄も十年以上かけて領有にこだわった。
>>507 嫡男、信勝は勝頼と運命を共にしたな。
524 :
日本@名無史さん:03/10/07 06:15
>>521 本能寺の変で織田が自滅したところで秀吉に取り入っただけじゃねーかw
525 :
日本@名無史さん:03/10/07 20:42
>>524 だから武田もそうすれば生き延びれたということじゃないの?
まあ武田が滅びないと本能寺の変も起きないかもしれないが。
武田の滅亡=本能寺
527 :
日本@名無史さん:03/10/08 13:06
真田幸村は武田勝頼の息子?神州天馬侠
528 :
日本@名無史さん:03/10/08 18:42
>>527 永井豪のマンガはそうなってたよね。原作の小説は違った気がする。
でも年齢や状況を考えるとあり得る。マンガは次男が主人公だったけど、
信勝と幸村は同じ1567年生まれ。信勝が生きて真田に助けを求めていたら・・・
529 :
日本@名無史さん:03/10/08 19:26
本能寺が起きた原因てのは、黒幕とか動機は別として、結局は
戦線の拡大によって主要な武将と部隊がどんどん遠方へと
移動していってしまい、中央に空白地帯が生まれたことだからな。
531 :
日本@名無史さん:03/10/08 20:34
>>530 それと普段は数千の兵を警護につかせていた信長が
何故かこの時は手を抜いた。
武田を滅ぼして油断してたんだろうね。
533 :
日本@名無史さん:03/10/09 12:45
しかし武田滅亡が無くても
遠からず織田家は重臣の大規模な反乱が起こったでは?
>>530 黒幕や動機を別として本能寺の変の原因を論ずることに何の意味が・・・
>>532 元ネタもへったくれもないと思うが・・・
柴田勝家以下北陸勢が遥か越中で魚津城を囲み
滝川一益らが関東で北条に睨みを利かせ
羽柴秀吉が高松くんだりで毛利と対峙し
徳川家康はトップと軍団が切り離されて機能せず
こんな状況だったから光秀が信長殺害を実行に移すことができた。
それは自明のことだろ・・・
>>534 流れ嫁
536 :
日本@名無史さん:03/10/13 23:10
織田家の内乱が後1年早く起こる可能性はどれくらいあるのかな
松永や荒木を内乱と呼ばないのかと
538 :
日本@名無史さん:03/10/14 07:54
織田の鉄砲対にやられて、戦死ではナ買ったっけ
(・∀・)σ)・∀・)
540 :
日本@名無史さん:03/10/16 00:36
何時の間にか、レスのびてるね
541 :
日本@名無史さん:03/10/16 23:16
なにげに勝頼は人気もも
age
兄貴のためにほとんど唯一の盾になった仁科盛信燃え
544 :
日本@名無史さん:03/10/27 12:57
545 :
日本@名無史さん:03/10/27 22:06
546 :
日本@名無史さん:03/10/28 00:06
仁科盛信は誘降の使者に「信玄公以来の戦い方を見せてくれる」みたいなことを言ってるね
親族も含めてどんどん裏切ってく連中への意地もあったのかもしれないな
547 :
日本@名無史さん:03/10/28 10:40
548 :
日本@名無史さん:03/10/28 14:50
>>543 >>544 >>546 それにしては高遠城は半日で陥落してるね。
信長公記には二時頃に信忠は城の検分を終えたと書いてあり、半日程度の抵抗だったとわかる。
城というのは数週間あるいは数ヶ月は持たせて当たり前だというのに
それがたったの半日で陥落したのでは実は善戦というに値しないよ。
勝頼も盛信を「使えない奴」とか言ってたんじゃないの?
何でも、せめて貝のように城に篭って粘っていれば良いのにわざわざ織田の大軍の出鼻をくじこうと討って出た結果、
逆に織田軍を城に引き入れる結果になったのはまずい戦をしたとしか思えないな。
549 :
ミネソタ・ソタ:03/10/28 14:51
>>548 双方の兵力差と火力差・戦略的状況わかっててほざいてる?
つか、空気嫁
551 :
日本@名無史さん:03/10/28 15:05
>>552 たった五百人で勝頼の一万五千とも言われる大軍を前に数週間粘り続けた奥平信昌は?
552 :
日本@名無史さん:03/10/28 15:07
高橋紹雲も八百程度の兵で四万の島津を相手に一ヶ月ほど粘って島津兵数千を道づれに全滅したぞ。
>>551 鉄砲装備率が異様に高く、射撃戦に適した改装が為されていた長篠城と同一視するの?正気か?
しかも織田の援軍待ちとはいえ付近に徳川の野戦軍がいたんだぞ?あとレスは
>>550だよな?
>>552 岩屋城を囲んだ島津軍は占領地の軍隊を先鋒にして、全軍攻撃は及び腰だったじゃん。それに後詰足り得る立花軍はスルーでつか?
第一今までのハナシは戦術上のそれではなく仁科盛信が誘降をけってなぜ絶望的な戦いをしたか、なんだが・・・
554 :
日本@名無史さん:03/10/28 18:16
>>553 信玄の息子の盛信を信長が許したかどうかは疑問。
秋山同様、無惨な騙し討ちの運命かもね。
555 :
日本@名無史さん:03/10/28 20:21
信長は信玄をリスペクトしてたんですか?
英語で言うリスペクトなら、してただろうね。
日本語の尊敬、というと知らんけど。
兄貴の為、武田武士の意地を見せる為だよ
558 :
日本@名無史さん:03/10/31 00:14
有能だったんだがなぁ。
559 :
日本@名無史さん:03/10/31 07:58
>>558 有能なイメージあるけどこの最後の戦以外の、活躍した話ってあったっけ?
560 :
日本@名無史さん:03/10/31 09:12
>>359 別に最後で活躍してない。
高遠城は半日で陥落した。
単に織田の武田討伐で
武田家唯一の組織的抵抗をしたというだけの話し。
561 :
日本@名無史さん:03/10/31 21:10
占領地の軍隊を先鋒にする事はなんら問題じゃない。
むしろ、忠誠を尽くすからいい働きを期待できる。
今川→松平氏のように。
高遠城は半日で陥落した。 凡将。
563 :
日本@名無史さん:03/11/01 02:35
はあ?なして空気読めなの?
都合の悪い事は否定して現実逃避ですか・・・・
まさに武田信者それも後期の象徴だね。
勝頼自身及び配下は凡将だと言ったらなに?(王様の耳はロバの耳)
だいたい、家臣団に言われて、本来防衛のみの地域を占領、攻勢に出て、
織田、徳川分断時に投入出来る兵力減らして、決戦?
バカじゃない。武田信玄が三河方面に出した兵力より少ないじゃん。
これで、浅井朝倉居ない織田援軍と戦うのか、で負ければ、媚売って、滅びろバカ。
>だいたい、家臣団に言われて、本来防衛のみの地域を占領、攻勢に出て、
>織田、徳川分断時に投入出来る兵力減らして、決戦?
意味わからん。真性のアホか。
兵力差を考えろと必死になっていうアフォは
勝頼が兵力差も考えられない程、無能だったと立証してるんですよ
所詮、自転車操業してただけの無能な2代目
566 :
日本@名無史さん:03/11/01 06:17
武田勝頼は強かった。いや強すぎた。だから戦闘に過度な自信を持ち、あちこちに敵を作ったわけだ
この辺は高坂弾正の評価が正鵠を射ていたわけだ
盛信は勇猛かつ磊落で「信玄に似たり」と家臣の評判が良く慕われていたが、相手が悪すぎた
高遠勢の戦い振りは大田牛一の「信長公記」にも載り「比類なき働き、前代未聞の次第な」と絶賛されているが、実際の戦闘時間がこの時点での織田と武田の間の差を端的にあらわしている
567 :
日本@名無史さん:03/11/01 06:31
武田は最強、これ常識でしょ。
568 :
日本@名無史さん:03/11/01 06:31
武田は最強、これ常識でしょ。
若い頃の信玄も勝頼同様フラフラと目先の動きで戦闘を仕掛け一応勝ってはいたが、やはり成果が上がらず苦労していた
だが信玄と勝頼の違いは、信玄の場合敵対小領主群をどういう順序で叩くかぶれていたのに対し、勝頼は織田徳川北条といった一カ国以上を領有する大勢力の前で無定見に動き回ることになってしまった情勢の変化だ
信玄が後半生身に付けた狡猾さの無い勝頼は少なくとも権謀及び外交で戦略レベルで情勢を操作する手段をとりえず、結局上杉以外ほぼ全方位を敵に回して滅びた
性格的に考えると勝頼はむしろ上杉謙信に似ている
付記すれば、弟盛信は領民にも慕われていたことを考えると彼のほうが大成する見込みがあったのかもしれない
570 :
日本@名無史さん:03/11/01 06:37
武田はカスの集まり!
571 :
日本@名無史さん:03/11/01 06:58
この前バイクで日川林道という塩山から甲斐大和へ抜ける山道を走りました。塩山側からは冬季全面通行止めです。すると天目山栖雲寺がありました。天目温泉の湯船につかりながら壁にかかれた勝頼公の姿に侘しさを感じますた。
572 :
日本@名無史さん:03/11/01 07:30
勝頼が強いのではなくて、信玄の遺産の兵士と軍法が強かった。
>>572その信玄が全盛時に落とせなかった高天神城を信玄がせめたときより約二千ほど少ない兵力で落としたことが「勝頼戦略は馬鹿だが戦術は凄腕」論の根拠のひとつなんだが
勝頼の戦略が誤っていたからバカだとか無能だとかいう香具師がたまにいるが
戦略が糞ならいくら戦上手でも高天神城を落城させる事など不可能であったろう
それよりも勝頼の敗因には2代目ゆえの焦りと勝頼の勇猛さゆえの性格上からくる
驕りや厳しさがあってそれが本家の息子ならば若干大目に見られたのであろうところ
を諏訪から来たもんだから面白くないと部下に思われて身動きがとりずらかった
のではないだろうか?
しかし、勝頼もそんなに無理せんでも家康的にじっと構えているか
あるいはいっそのこと木曽や穴山あたりに譲って諏訪城主に収まっていればねと
高天神城落とした事が、どれだけ全体的な影響を及ぼしたのか?
信玄より2千少ない?信玄の時と状況は全く異なるだろ
信玄の時は高天神城1つでも落とす事は、(あの当時から考えれば)徳川が滅ぼされる状況だった
しかも高天神城を落とせなかった信玄は、すぐに方針を変えて、落とさずに徳川を追いやってる
そもそも、高天神城攻略も、上洛作戦の一環としての行動であり、城そのものの攻略を目的としたものではない
が、勝頼の時はどうだろうか?何を目的に高天神城攻略をしたのか?
彼が信玄死後の翌年から、年に2回のペースで出征し続けた主目的とは何か?
彼が得たかった利益とはなんだろう?一部の城を落として、徳川領内を略奪したぐらい
勢力範囲も若干広がったが、内部では兵の増加を図る為に、朱印状を乱発し、武田家への収入を減らし続け
上野・信濃衆からは不満が出た為、西への軍事行動には参加しなくてよいという免状を出す矛盾
所詮、父親の派手な部分しか見てないボンボンの2代目という評価しかできないな
それと諏訪から来た云々は甲陽軍鑑の影響で、実際に諏訪から来た為に家臣からというのを
窺わせるような史料は存在しない
おいおいアンチも反アンチも餅突け
織田信長みたいに戦略も局地的戦闘(桶狭間だけでなく本願寺攻めで味方が崩れかかったとき僅かな兵力を率いて突撃し戦況をひっくりかえしている)
もできるほうが異常なんだ
>>576 おいおい本願寺攻めって、天王寺合戦の事か?
信長は全然“僅かな兵力”じゃないぞ。
現地に佐久間信盛や摂津勢やら明智勢なんかが展開してた訳だが。
信長が僅かな兵力を率いてたのは、安土出た時の話。
天王寺には合戦以前から信長が色々指示だして合戦準備はしてたんだよ。
そんな程度も知らないのか…。
ダカラ、空気嫁
>>577はいはい。その展開兵力が崩れかけた際に少数で援軍にいってひっくりかえしたんですがね。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
>>579 バカ?
>展開兵力が崩れかけた際に少数で援軍にいってひっくりかえしたんですがね
なにこれ?展開兵力が崩れてた??
無知って便利だな、少しは調べてみろよ房
>>579-580 某スレの過去ログコピペ
172 名前: 106 投稿日: 2001/03/11(日) 18:51
天正四年の石山合戦について軽く調べた結果を報告。(以下長文)
但し、「信長公記」については多種多様なので
「信長記(太田牛一)」「信長記(小瀬甫庵)」「原本信長記」「信長公記」「安土記」
「安土日記」「織田記」「総見記(織田軍記)」「織田信長文書の研究(全三巻)」
同時期に書かれた古記録として公家女官の
「言経卿記」「晴豊公記」「兼見卿記」「御湯殿の上の日記」「言継卿記」
寺社の僧侶関係の
「宇野主水記(鷲森日記)」「多聞院日記」を参考史料として挙げる。
まず天正四年の信長の行動や石山関連の状況変化を大雑把に述べると
一月中旬に安土築城開始し、同年二月二十三日に信長は移住。
二月に紀伊由良の興国寺に寓居していた足利義昭は、備後・鞆の津に着船し
同地の小松寺に移住。(これにより毛利と織田の交渉が決裂)
四月三日、明智光秀・長岡藤孝の両名に石山近辺の青田刈り、石山本願寺に
篭城している人間の生命保証を条件に退場勧告の制札、抵抗しそうな坊官の
処罰を命じている。
四月十三日夜、今宮口で小規模な合戦。
翌十四日、荒木村重・長岡藤孝・明智光秀・塙直政の四将に石山城の包囲出兵を命ずる。
これにより、村重は尼崎から海路を使い石山北方の野田に進撃し、三ヶ所に砦を構えて
木津川からの補給通路を遮断。光秀・藤孝は石山東南の森口・森河内の二ヶ所に、
直政は天王寺にそれぞれ砦を構築し、石山を包囲する。
「兼見卿記」によれば、織田方が構築した砦は「大坂表に相城七つ出来すと・・・」とある。
対する石山方は楼岸・木津口を抑えて、難波口からの海上通路を確保。
織田は木津口を占領し石山を完全包囲しようと、天王寺に佐久間信栄・明智光秀を配し
検視役に近習の猪子兵介・大津伝十郎を派遣。
173 名前: 106 投稿日: 2001/03/11(日) 18:53
ついでに包囲軍に対して信長がかなり厳しく注意を与えている。
それは四月二十八日に包囲軍の(軍監と思われる)塩川国満・安東平右衛門の両名に
懈怠者・油断者は注進し、昼夜の区別無く守備に励み、敵の出撃に際しては必ず迎撃し、
当方の命令無き進撃は慎み、不要な行動は一切無用などと書いた朱印状を送っている。
五月三日、三好笑岩(根来・和泉衆)・塙直政(山城・大和衆)の部隊が木津口の石山方に
攻撃を開始、石山方は石山城から一万余の軍勢で迎え撃ち、織田勢は敗走。
塙直政率いる軍勢は敗走を食い止めようとし逆に包囲され、塙直政・喜三郎・小七郎、
蓑浦無右衛門、丹羽小四郎が討ち死。石山方は余勢を駆って、天王寺砦を包囲攻撃した。
ここで本題の「信長が三日で3000の兵で出兵」になるのだが、「兼見卿記」によれば
五月五日、天王寺砦包囲を聞き、馬廻衆二千を率いて京を出立とある。
(出立後の事は当然ながら記載されてない。)
「信長公記」では百騎ばかりの伴衆を従え若江入城。翌七日に召集した三千余で
天王寺に出撃とある。
174 名前: 106 投稿日: 2001/03/11(日) 18:54
さらに信長公記での天王寺合戦での陣立をみれば
先陣:佐久間信盛・松永久秀・長岡藤孝(荒木村重は木津口防衛を理由に出兵拒否)
二段:滝川一益・蜂屋頼隆・羽柴秀吉・丹羽長秀・稲葉一鉄・氏家直通・伊賀定治
三段目:馬廻衆とある。
これを見て疑問点をいくつか挙げると
1.馬廻衆が三段目に来ているが、「信長公記」には彼等の出陣の記載が無い
(信長は百騎程度で入城したとある)にも関わらず三段目を構えるぐらいの規模の
人数になっている。
「兼見卿記」通りだとすると、馬廻衆だけで全軍の3分の2を占めるようになる。
2.当時、北伊勢五郡長島城主・滝川一益、北近江三郡長浜城主・羽柴秀吉、
若狭一国・近江佐和山城主・丹羽長秀、東尾張・西三河の一部・南近江の一部
・和田原城主・佐久間信盛、これら三人は実質的には石山攻めに本格的に参加しておらず
臨時で召集された将である可能性が高い。
石山攻めは予め信長は出陣する予定であった可能性が高く、彼等もそれに合わせて
出兵したと考える。何故なら五月三日夜半〜五月七日早朝という流れの中で
天王寺包囲→信長に伝達→出兵→その間に諸将に出兵要請→若江入城→諸将到着
→合戦となるには理論的に諸将の参加自体が疑問視される。
予定されている(又は参加していたと仮定する)ならば、他の砦などの常駐兵、
信長自らの出陣、石山に篭る敵勢数、天王寺を囲む敵勢(一万五千余)、諸将が率いる兵数
から考えても三千という数字は考えられない。
実際に丹羽・羽柴・滝川の三名が天正五年に加賀に派遣された時、彼等だけで二万余も
動員している。
175 名前: 106 投稿日: 2001/03/11(日) 18:57
この天王寺合戦の詳細は除いて、その後の信長の行動を述べる。
合戦後、信長は十ヶ所に付城を構築し、本拠である天王寺砦には
佐久間信盛・信栄、進藤賢盛、松永久秀、水野直盛、池田秀雄を定番として置き、
真鍋・七五三兵衛・沼野伝内らに海上警護を命じている。
五月二十三日、淡路の安宅信康に対し毛利から石山に海路からの兵糧輸送の噂が
あるので、事実なら追い出し、出来れば粉砕せよと三好康長の添状を付けて送っている。
六月四日、尼崎城の荒木村重に対して石山に繋がる水・陸路の遮断を厳重にするように
命じている(謎なのが、前の合戦での命令拒否は不問になっている事)。
翌五日、若江帰城し、六日には真木島に立ち寄った後、入京し妙覚寺に入った。
そして八日に安土に帰城している。
以上から出兵した事実はあるものの、「信長公記」に記載されてるような事は考え難く、
「三日で3000の兵の召集」は「信長公記」の創作(又は誇張)が強い。
「信長公記」とは首巻のある「信長記」で、実際の「信長記」は太田牛一が日記として
記録したのをまとめ、信長の上洛から本能寺までの十五年間を一年一巻で綴った著書
であり、超一級史料として認められるものの、著者の情報不足による錯誤などが
見られる事も、証明されている。
ちなみに首巻とは上洛以前の信長の行動を記したものであり、後世付け加えられた
もので、疑問点が多く、史料的価値は劣る。
太田牛一の「信長記」を読みたければ、池田家文庫本「原本信長記」を元にした本を探すと
いいのではないかと思う。
厨とかバカとか平気で使うなら自分で違うっていう明白な証拠なり理論展開なりしろや
お前らどうせハン板から来たリア厨どもだろ。消えな
>>585 明白な結果がとっくの昔に出てる訳ですなw
>>577の厨が、「信長公記」の記述だろうがそれは傍証が薄い話だ、と一言普通にいってりゃよかったんだ
他にもつまらんことで暴言レスが大杉
どうして戦国時代のことになるとこんなふうに荒れるんだ?
盛り上がって来たのはいいが冷静に書き込みなさいよ。
冷静な判断も出来ないなんて恥ずかしいよ、アンチども!
普通に考えて高遠城を半日で落とさなきゃおかしいだろ!
女子供も含めたわずか数千対織田信忠率いる大軍なんだから。
仁科盛信こそ名将なり。
まぁご本人様は自己弁護と責任転嫁に必死なようだが
>>576の厨の方が問題ありありだがな
この程度で暴言とか荒れると言うなら野風で大人しくしてなさいって事だ
それか突っ込まれても反論出来るだけの知識持つとかな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
>>589 はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
はいはい。戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
591 :
日本@名無史さん:03/11/02 07:47
>>588 城は数週間、数ヶ月持ちこたえて当然。
出撃などせず城門を閉めて堅く守ってろよな。
592 :
日本@名無史さん:03/11/02 07:50
そういや関ヶ原前に織田秀信の守る岐阜城は半日で落とされてる。
この陥落の件についてもわざわざ出撃したから早期陥落したんだよな。
ようやく武田厨撃沈したか…
戦略と戦術レベルの区別がつかんなら黙ってな
↑
プゲラ
>>594 一端の戦略家気取った人間はいるもんだ、あんまり虐めてやるなよ。
例え歴史考証の場で見当違いだとしても、彼なりに思う事があるんだよ。
597 :
日本@名無史さん:03/11/02 23:06
長篠の戦いと耳川の合戦は時代もほぼ同じだし戦いの経緯も良く似てると思うけど。
スレ違いスマソ
武田軍とアンパンマン(軍)が闘ったらどっちが勝つ?
そりゃもちろんアンパンマン!!
600 :
日本@名無史さん:03/11/03 00:26
600!
602 :
日本@名無史さん:03/11/03 01:55
敵の城を後輩に望んで川越しに決戦して、後方から遮断されて殲滅されたよ。
手心を加えたか、落とせず城の分断を図ったぐらいだろ。
後締め城の役目は十分果たしたと思うよ、明智城落ちて、援軍に来た、信長は落ちたら
引き上げしたし、高天神も援軍出したけど、落ちれば引くしね。
高松も毛利援軍出したけど、高松見たら手がだせなかったじゃない、
城や砦は援軍が来るまで撃って出る戦力を温存して、防衛に当たるのが城や砦の役目じゃないの?
まあ、援軍が来るならね、大坂みたに孤立無援だと・・・・・
これ間違ってる?
603 :
日本@名無史さん:03/11/03 02:25
>>591 出撃なぞしなくても山中城は一日かからず落ちたが・・・
北条が誇る名城であったはずなのに。
城は局地的な戦力を上昇させるファクターではあるが、いかな堅城でも
戦理論の壁は越えられん。
>いかな堅城でも戦理論の壁は越えられん。
また胡散臭いのが現れたな…
戦理論とやらで詳細キボン
山中城はいつから北条が誇る名城になったの?
小田原城の付城で、箱根十城の1つでは?
606 :
日本@名無史さん:03/11/03 07:42
小田原の陣でも
忍城とか韮山城とか随分粘った城もあるけどな。
607 :
日本@名無史さん:03/11/03 11:41
山中城は秀吉率いる本隊の通路上だったから、これは是が非でも落とさねば
ならない城で、それだけに秀吉の秘蔵っ子である一柳直末が討死するぐらい、
まあ損害無視でひたすら攻めまくって陥落させた城なんだよ。
高遠城も、信忠が伊那から諏訪へと進むなら杖突峠を通らないわけには
いかないわけで、その入り口を押さえる城だったから、これは通路の
確保のためには必ず落とさなければならない城だった。
だから総大将自ら最前線に出てひたすらに攻め寄せ、一気に落とした。
早い話が、何十倍の兵力でひたすらに攻め寄せたら、大抵の防御施設は、
もう役に立たないんだよね。
高遠城や山中城は、まあ高遠城は南側こそ崖だけど、主な防御施設は
結局の所、空堀と土塁だったからね。
こういうタイプの城は、兵力差があまりに大きい場合に、がむしゃらに
攻め込まれたら、もたないだろうね。
そこまでの兵力差をカバーできるほどの防御効果が見込める構造では
ないからね。
高遠城 織田5万 武田3千
山中城 豊臣7万 北条4千
609 :
日本@名無史さん:03/11/03 14:00
高天神厨氏ね
610 :
日本@名無史さん:03/11/03 14:04
結局、武田勝頼は強かったの?
611 :
日本@名無史さん:03/11/03 15:35
勝頼の指揮は武田信玄が作った軍法に則ったものだからな
例えば謙信のように現場で隊列を強引に編制しなおしたとか、信長のように軍法(というか動員体制そのもの)に手を加えたとかのエピソードがない以上
勝っても信玄の二番煎じ
負けたら無能
二代目の哀愁が漂ってる・・・
>>608 伊那も半分は落ちた後で、高遠一城に3000も集まることはないな。
織田の5万も多すぎると思うけど。
>>611 >謙信のように現場で隊列を強引に編制しなおしたとか、
>信長のように軍法(というか動員体制そのもの)に手を加えたとか
夢見がちなお年頃なんだな・・・
長篠以降の勝頼は、かつての自由党の小沢一郎と同じ立場。
何もしなければ、滅ぶ。
自民党=織田信長に屈服するか、民主党=北条氏に吸収合併されるか。
どうせなら、例え負けるとしても、今回の民主党のように議席増して善戦するくらいの気概を見せて欲しかった。
>>613 >今回の民主党のように議席増して
まだ選挙やってないよw
615 :
日本@名無史さん:03/11/04 00:36
民主党と合併して民主党の議席を増やしたことを言ってるんじゃないの。
もしそうなら合併相手は?そこそこ実力があり、かつ長篠後の武田の傘下に入りそうな大名っていたっけ?
617 :
日本@名無史さん:03/11/04 00:58
>>616 613は武田=自由党、北条=民主党と言ってるよ。
ということは613は 北条に吸収されろ と言っているのか
高遠は数千が限度
勝頼が織田に対する一種の戦犯として隠居あるいは出家
信長の子供の誰かを養子に迎え家督を実質明渡す
・・・でも養子を受け入れた北畠は謀殺されてますな
>620
敵に内通してたからな。当然っちゃー当然。
北条に吸収されろ?
北条と織田が組んでいるのに何を言ってるんだ・・・
織田派は馬鹿ばっかりだな。
第一、氏政が勝頼を見限ったんだろうが。
上杉と手を組むようにと景虎を見殺しにしただけの話。
見限るっつか、北条一族の景虎を見殺しにした時点で勝頼は北条氏を敵に回したんじゃねーか。
氏政や氏照が信長に馬とか鷹とか送ってることからすりゃ織田=北条の連合は明白だろ。
北条の使者に京都を案内したり京都土産の金銭を用意してやったりと、信長も北条氏に好意的に接してる。
どのみち勝頼はピンチだったじゃんねえの?
625 :
日本@名無史さん:03/11/05 21:17
もし長篠で馬場美濃守の進言を採用してたらどうなった?
やっぱり鳶の巣山を取られた時点で正面攻撃しかダメだったの?
それとも進言自体が例によって後世のでっちあげ?
626 :
日本@名無史さん:03/11/06 00:15
高天神を落としたら織田は、兵を引いてると思うよ。
織田が3万を長い間睨み合いに付けてるはずか無いからね。
あとは、徳川消えてたと思うよ。
それとも、高天神を後背した武田と決戦したか・・・・・
どっちだと思う?おれは前者だよ
↑意味不明
>>624 あれはむしろ、氏政が弟を助けて信長を敵に回すのを嫌がったんだろ。
だって北条の動きと来たら――
630 :
日本@名無史さん:03/11/06 01:08
おおおおおお、そうだよ、失礼。
631 :
日本@名無史さん:03/11/06 01:56
> 見限るっつか、北条一族の景虎を見殺しにした時点で勝頼は北条氏を敵に回したんじゃねーか。
北条にしてみれば「お前何してんだよ!」と。
景勝を助けるのかと思いきや、景虎と景勝の和睦斡旋。
景勝にしてみれば「お前何してんだよ!」と。
上杉と同盟を組んだ後、織田に接近します。
織田と交戦中の上杉にしてみれば「お前何してんだよ!」と。
> どのみち勝頼はピンチだったじゃんねえの?
かなり迷走した感があります。
いや、危機感がそうさせたのか???
結局勝頼は一部将でいれば勇猛で破壊力がある猛将との評価で一生を終えたかも・・・
当主になったのが間違いだったと
誰かが言ってたが家臣領民に好かれた盛信のほうが当主向きだったのかもな
>>631 >北条にしてみれば「お前何してんだよ!」と。
むしろ北条氏政こそ何してたんだと・・・
隣に信長も家康もいて本国危ないってのに勝頼が
無理を押して何万も兵出して越後に滞在してるってのに、
ついに三ヶ月の間一兵たりともよこさねえでやんの。
そりゃ景虎見捨てて甲斐に帰りますって。
結局長篠で歴戦の指揮官から下士官兵卒クラスまでぼろぼろにされたのがいけなかったわけだろ
逆転の目があるとすれいわゆる「信長包囲網」を形成しなおすことだが・・・
信玄のときみたいに織田主力軍を拘束しておける大名もほとんど倒され、足絡みになる一向宗ももう下火だったわけだ
くわえて外交・謀略がとことん苦手だったみたいだな勝頼は
635 :
日本@名無史さん:03/11/06 21:48
> むしろ北条氏政こそ何してたんだと・・・
氏政は佐竹と対陣してましたから。
その代わり、北条は勝頼に兵2万2千を与えて
甲府を出発したという事なので、
(ちなみに勝頼は7千ちょい。この数字ホンマかいな?甲府市史)
勝頼の方がマズイような気がしますねぇ。
636 :
日本@名無史さん:03/11/07 00:03
>その代わり、北条は勝頼に兵2万2千を与えて
>甲府を出発したという事なので、
あっはっは(^^)
与太話だにゃあ。
2万2千も兵を出せるなら、佐竹と戦いながらでも指揮官付けて
越後に送れるにゃあ。
なんだかんだ言って氏邦が9月(勝頼は出兵が5月、帰還8月)に
なってから越後に行って、一月ほどで北条(きたじょう)やらの
元・越後勢を置いて帰って来ただけだにゃあ。
援軍はあくまでも援軍であって、「代わりに行って戦って来い」
ってのは通用しないよね。部下じゃ無いんだし。
>>632 しかし、1973年の時点で盛信はまだ15、6才。
まだ当主の器かは分からない訳だ。
>>625 馬場のはでっちあげ
>>624 だから、景虎を見殺しにしたのは氏政の方だってば
640 :
日本@名無史さん:03/11/10 21:16
/ ̄ ̄ヽ
|__T_i_
|ミ. ・ ・|
(6〈 / Jヽ 〉
| ∀ | <1973年の時点で盛信はまだ15、6才。今働き盛りやなぁ。
>>
l\__)
_ノ (___ (⌒)
/| | |\_/| | | `ノ ~.レ-r┐ ビシッ
///| | | | |。|. | | |ノ__ .| | ト、
/ /./| |. | | |。|.( ̄ `-Lλ_レ′
T i g e r s ̄`ー--‐′
8
641 :
日本@名無史さん:03/11/10 21:51
すると今年で45、6歳
642 :
日本@名無史さん :03/11/11 08:38
天目山めざして一目散に逃げてった。
1573年
644 :
日本@名無史さん:03/11/17 13:55
上げてみる(-_-メ)
645 :
日本@名無史さん:03/11/18 01:47
信玄が生前に家督を譲らなかったのが原因。
あの信長さえ家督を譲ってる。
伊達輝宗も政宗に譲ってるし
今川義元も氏真に譲ってるし。
648 :
日本@名無史さん:03/11/20 10:25
そう言えば徳川家康も譲っているな。院政ってスムーズな家督相続に重要だったのだな。
649 :
日本@名無史さん:03/11/20 13:43
信玄が実は悪影響を相当勝頼に残ってたって流れになってきた?
上洛の号令かけた動員で領国は疲弊
勝頼への権限委譲を生前やっとかなかったせいでただでさえ豪族連合の要素が強い武田家臣団は紐帯が弱まる
あとは織田徳川とのっぴきならぬ対決態勢を残してしまったこと
悪影響があるならこんなとこ?
日本語が不自由な方は御遠慮願います
>>650 生前に家督を委譲しても、北条氏政と北条氏直とが二派に別れて
小田原評定で対立したように、前当主と現当主それぞれに家臣団を
持ってしまって分裂の原因になることもある・・・
age
何日もたってからそんなこと言い合うなよ・・・
660 :
日本@名無史さん:03/11/28 09:59
でもさ例えば佐竹家の場合、
隠居してた義重が関ヶ原で三成マンセーだった義宣に圧力をかけて中立にさせた件があるよ。
そもそも秀忠に家督譲ったあとも実験を握り続けた家康なんてどうなんだよ。
前当主が権力握るのは必ずしも悪いことではない。
それで結果として悪い方向に進んだなら
後世の人間に「これだから駄目なんだ」「無能だ」「アホだ」と
言われるのは仕方ないよ。
まあね
でもそれはとてもじゃないが論理的とは言い難い
664 :
日本@名無史さん:03/11/29 14:32
そーね。
665 :
日本@名無史さん:03/12/15 16:34
age
666 :
日本@名無史さん:03/12/16 18:03
勝頼には信勝以外にも勝親という息子がいた。
信勝にも息子がいて大阪の陣で戦死したと歴史雑誌で読んだことがある。
勝親、信勝息子の存在の信憑性は高いんですか?
667 :
日本@名無史さん:03/12/16 21:58
勝頼の、信勝以外の息子の話はいくつかあるが、信勝が息子作っている暇あったかな。
大阪の陣に参戦した青木某というのが、勝頼の死後産まれた息子という話なら聞いた
ことある。
669 :
日本@名無史さん:03/12/17 01:42
670 :
日本@名無史さん:03/12/17 06:27
>>667 信勝は天目山で死んだとき16だっけか?
ちょいと難しいかな。
671 :
日本@名無史さん:03/12/17 06:35
>>670 16でガキをはらませるくらいはありえる話しだろう。
672 :
日本@名無史さん:03/12/17 06:36
男なら13くらいで
ガキを産ませるのは可能だと思う。
673 :
日本@名無史さん:03/12/17 06:48
>>671-672 いや、生物学的にはもちろん可能だろうけど、
あの時期の武田家にあって信勝が事に及んでいたかどうかを考えると、
どうなのかなと思っただけ。
674 :
日本@名無史さん:03/12/17 07:35
>>673 はあ?
いくら末期の武田家でも女くらい
屋敷にいくらでも居ただろうし、
セックスなんて息抜き程度に出来るだろうが。
ましてや現代でいう中高生の頃の性欲なんて一番強いんだしさ。
675 :
日本@名無史さん:03/12/17 08:37
>>670 家康(1542-1616)と信康(1559-1579)見てもわかるように、
戦国時代じゃ十代で結婚・子ども誕生は当たり前。
二十代なんて、むしろ奥手の部類に入る。
ましてや名門は子孫を残せるかどうかは大事なイベント。
676 :
日本@名無史さん:03/12/17 08:50
勝頼一行が自刃したとき、勝頼の北条夫人は死んでるのは確認されているけど
その一行の中に信勝の正婦人または妾はいたんだっけ?
678 :
日本@名無史さん:03/12/17 16:53
>>677 そうなの? 女性と思われる戒名がいくつも残っているようだが、勝頼の妻妾か
信玄の妻妾かはたまた信勝の妻妾か娘か、もしくは侍女か、さっぱりわからない。
出来申す!必ず出来申す!
680 :
日本@名無史さん:03/12/21 00:43
祖父の信玄も13歳で最初の子供を作っているからな。
681 :
日本@名無史さん:03/12/21 01:58
浅井長政が信長の首を取っとけば問題なかったんだよ!
682 :
日本@名無史さん:03/12/21 12:00
山梨県に天目山なんて山無かったYo!
お寺のことだったのね^^;
>>678 基本的に仕えてる女達だと思うよ
みんな自害したし
684 :
日本@名無史さん:03/12/23 06:42
武田信玄尿道
685 :
日本@名無史さん:03/12/23 07:24
>>683 多くの男の家臣たちが勝頼をなんだかんだと見捨てたのと比較すると女ってのは意外と義理堅いんだな。
領地を持って仕えていた連中と
身の回りを世話する人を比較してもしょうがないのに
>>686 確かに、その現象(近習の献身的忠誠と、重臣の保身行動)は、
至る所で見受けられる。という話をNHK教育で見た。
688 :
日本@名無史さん:03/12/23 12:06
領地もあれば領民もいる。そんな連中が主君と一緒に死のうなんて
軽々しく言えるはずがない。
朝倉義景の最期なんざ、誰もいなかった。
勝頼は近習連中のみならず、土屋・跡部・長坂といった領地持ちの
重臣までもが従っている。
なかなかに人望があったのではなかろうか。
>>688 鳥居景近、高橋景業等、少ないながらもいましたが何か?
愛王丸、小少将、光徳院もいましたが。
この3人はとっつかまって串刺しにされたが、最後まで付き添った。
それでも少ないのね。・゚・(ノД`)・゚・。
土地と家族を保障してくれてこその主君です。
主君にその能力がなくなれば
当然新たに保障してくれる人に仕えます。
当たり前の話だろ。
692 :
日本@名無史さん:03/12/23 18:18
一度だけ「信長の方から」勝頼に和睦を申しこんだことがあったはずだ。
時期的には確か手取川合戦前後で、信長VS謙信の対決機運が最高潮に
達していた時だったと思う。
この話を勝頼は蹴ってしまった。
後で後悔してもう一度、信長に和睦希望したが、謙信亡き後では
相手にされなかったと何かの歴史書で前に読んだよ。
693 :
松井 ◆...VBh.www :03/12/23 18:21
みなさんはじめまして
突然ですが宣伝に参りました
みなさんは創価学会をご存知でしょうか?
その創価学会についてインターネットのチャットで熱く語り合おうか
という企画です
場所はヤフーチャットの政治カテゴリのユーザールームに
「創価学会YAHOO支部」という部屋があります こちらになります
ボイスチャット機能もありましてマイクによる声での会話もできますので
マイクをお持ちの方はご使用になれます
皆様のご来場を心よりお待ちしております
尚、部屋の人数制限が50人ですので興味を持たれた方は
お早めのご入室をお勧めします
695 :
日本@名無史さん:03/12/25 11:55
悪い。正確には歴史書じゃない。
確か上野靖朗さん?という人が書いた、かなりお堅い歴史検証本の
「落日の武将 武田勝頼」という本の中で、この和睦話を蹴ってしまった
勝頼に対するある家臣の不平不満の言葉が何かから引用されて出てた。
家を引っ越す時にこの本捨ててしまったんで正確なことはわからん。
甲府出身の親が持っていた本。
>>697 上野晴郎だろ。
ちなみに上野晴郎氏がそれほど堅い検証をしていたとは思わんが・・・
699 :
日本@名無史さん:03/12/28 01:00
>>697山梨日日新聞社発行だろ?上野氏は信玄崇拝者で甲陽軍監を鵜呑みにしてる、と言うか
信じたがってる節がある。勝頼を凡将にする事で信玄の偉大さを強調している。
700 :
日本@名無史さん:03/12/28 01:20
700。我が家の先祖は武田家家臣。
701 :
日本@名無史さん:03/12/28 01:26
>>700 すげー。嘘でも尊敬しとくw。なぜなら、半ば伝説だから。
滅んだ大名だから余計にな。
702 :
日本@名無史さん:03/12/28 01:34
先祖は武田家
703 :
日本@名無史さん:03/12/28 01:38
武田家「家臣」の子孫なら、相当たくさんいるだろ。
>>703 じゃあ、そいつら全員にリスペクト!(なかばマジ)。
705 :
日本@名無史さん:03/12/28 11:22
新人物往来社『武田勝頼』はどう?
武田氏は一族もろとも滅びた訳ではなく、その分家などが現在でも存在するようだね。
本当に滅びたのは、かの源頼友という感じだね。
707 :
日本@名無史さん:03/12/28 22:26
横山光輝の武田勝頼全五巻は・・・
最後の滅亡ぶりがいまいちだったなぁ
死後ももう少し書いて欲しかった
嫡流だったら、信玄次男でれっきとした正室の息子の血統が残ってるのに。
信玄七男も普通に生きてるのに。
勝頼は正式な家督ではない!とか言う割には嫡流の滅亡なのね。
710 :
日本@名無史さん:03/12/31 23:31
信虎も側室の子だから、家督を継いでしまえば嫡流になるのでわ。
でも正式な家督じゃないんでしょ。
信勝も家督相続してないし。
今の説では正式に家督を継いだの
だから、嫡流の滅亡と表現される
714 :
日本@名無史さん:04/01/01 03:53
で、
@勝頼の次男・武田勝親(1580〜1682、左衛門勝三というもうひとつの名前から次男は早世し、勝親は三男という説もある)
A勝頼の庶子・又六
B信勝の子(新五郎?)
ってのは実在?どこで何してたの?
715 :
日本@名無史さん:04/01/01 12:45
>714
すべて俗説。
716 :
日本@名無史さん:04/01/01 14:18
717 :
日本@名無史さん:04/01/01 15:07
718 :
日本@名無史さん:04/01/01 17:23
>>716 正確に言うと武田勝親が勝頼の子というのは俗説。
尼崎の家が勝頼の子孫ではないのは事実。
719 :
日本@名無史さん:04/01/01 17:43
720 :
日本@名無史さん:04/01/01 19:36
武田勝親(左衛門、勝三)
家臣池田丹波に助けられ甲斐を脱出、池田丹波は同族のよしみで池田信輝に
助けを求め、信輝は武田討伐の余韻が消えてから信長に執り成すつもりで
尼崎に匿うも、信長が本能寺で死んだため、武田勝親として池田家に仕えた。
さらに秀吉に見出され、尼崎で千石を与えられ旗本使い番として秀吉に出仕。
大坂の陣が間近にせまると、大坂城に入城し、秀頼の側近として本丸で勤務。
夏の陣で落城が迫ると、淀や秀頼の逃避行に同行せず、本丸で切腹自殺した。
勝頼は長篠の戦いと御館の乱で決定的な判断ミスをした。
それが直接の滅亡原因。
得に御館の乱ではもっとうまく立ち回れなかったのかな?
と思ってしまう。
722 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:41
>>719 勝親が本当に勝頼の子だというソースを示してよ。
723 :
日本@名無史さん:04/01/01 20:45
>>720 秀頼の家臣に武田勝親がいたというソースは?
724 :
日本@名無史さん:04/01/02 00:22
>>721 別に致命的なミスでも無いと思うよ。
結果としてどうなったかなんてのは、どうにでも転がるもんだから。
725 :
日本@名無史さん:04/01/02 00:43
ただの阿呆なのに、このレス数に驚き
727 :
日本@名無史さん:04/01/02 11:18
たしかに信玄があまりにも無責任だっため、
武田が潰れたと見るべきだなあ。
728 :
日本@名無史さん:04/01/02 12:19
730 :
日本@名無史さん:04/01/03 00:13
勝親というより勝近では?
731 :
日本@名無史さん :04/01/04 10:50
新田次郎の武田勝頼ってどのへんまで本当だろうか?
親戚衆の勝手で長篠合戦で大敗し、金山なくなり経営に行き詰まり
北条が裏切ろうとしていたため上杉と同盟を結び、
真田と曽根を重要視しようとしても若いから上手くいかずに滅んだとか・・・
732 :
日本@名無史さん:04/01/04 14:12
>>731 小説なので真偽はともかく色んな説をとにかく盛り込んだ感じ。
あぼーん
>>731少なくとも運も含めて複合要因で滅びたというのは間違いないよね。通説のように短気で内政まるっきり駄目な猪武者というのは単純化し過ぎで間違いだよな.
勝頼を悪く言いまくりの『甲陽軍鑑』ですら、
勝頼は物静かで気短かに騒ぎ立てるようなことも無いと
評しているのにねえ・・・
発給文書を見れば勝頼は勢力の大幅な伸展が無くなった分、
内政を推し進め、権力の浸透に務めた事も分かるしね。
温泉に湯治に行った所まで押しかけて直訴してきた農民の相手も
ちゃんとしてくれるやさしい勝頼タンハァハァ
俺はデブ、ハゲ、毛深、湿疹、B型、高卒、アニメ好き、童貞の38歳だが
毎日がハッピーだ。
朝昼晩と牛丼とマック食って排便してるだけで幸せを感じるようになった。
おまけに風俗行けば俺の汚いチンポをくわえてくれる姫がいる。
自身をもって俺は言える 俺>>>>>イケメン大卒
737 :
日本@名無史さん:04/01/16 01:46
俺はデブ、ハゲ、毛深、湿疹、B型、高卒、アニメ好き、童貞の38歳だが
毎日がヒッキ―だ。
738 :
日本@名無史さん:04/01/16 14:00
>>736,737
ここは高卒の来るところではない!
クズ人間、あっちへ行け!!
真面目にできないのなら来るな!風俗板に行け!
740 :
日本@名無史さん:04/01/23 20:59
塩がないから
741 :
日本@名無史さん:04/01/25 21:56
おい貴様ら、池上遼一の信長8巻読みましたか?
>739,742
何かしゃべれよ。聞いてやるからさ。
744 :
日本@名無史さん:04/01/30 00:27
武田家の先祖って新羅三郎義光だっけ?義家の兄弟だかの。
746 :
日本@名無史さん:04/01/31 14:18
>746
信雄と比べりゃ誰でも良く見える。
帝京と他の大学を比べるようなもんだ。
748 :
日本@名無史さん:04/02/01 02:34
諏訪氏って神官系ってことは、古代から続く名族ですか?
>748
出雲、伊勢と並ぶ古さです。
750 :
日本@名無史さん:04/02/02 19:56
諏訪氏の系図は、一説には神武天皇から始まる。
751 :
日本@名無史さん:04/02/02 21:33
その割にあっけないな。
752 :
日本@名無史さん:04/02/04 10:43
勝頼と信勝はどっちが優秀かな?
信勝に勝頼と比べられるほどの事跡が残ってるのか?
754 :
日本@名無史さん:04/02/04 13:31
実際、勝頼の最後って戦って亡くなったのでしょうか?
無抵抗のまま討たれたなんてのを読んだ事もあるんですが。
終焉の地である田野に行ったのですが、
とても数千人を相手に戦えるとは思えませんでした。
755 :
日本@名無史さん:04/02/04 14:08
>>754 はあ?
部下が防いでいる間に自害しただけだろ。
そもそも大名クラスの敗将が、自ら武器をとって戦い戦死することは非常に稀。
降伏するか、自害するかどっちかだ。
それに「数千人を相手に」戦って死ぬ必要はないだろ。
一人の敵と戦ったって死ぬときゃ死ぬ。
756 :
どちて坊や:04/02/04 15:04
あの・・・勝頼って悲運の武将なの?無能なだけじゃ・・・
長篠の合戦で戦死した馬場などの家来こそわからずやの大将
をもって悲運の武将では。
>756
ではまず、勝頼が家督を継いだ状況からどうやったら大名武田家を存続させることが
できたのかを説明して頂きたい。
758 :
日本@名無史さん:04/02/04 20:26
あの逆境下で10年勢力を保持し続けられただけでも立派。氏政や景勝だつたらもっと早く滅亡してたかもよ.
>>754 いや、疲れてて腰掛けてた時に敵が来たが、抵抗せずに討たれたとか、
ニ三合戦い,討ち取られたという説も結構有力だぞ。
まあ相当逃亡行が体にきてたんだな、女子供もいたことだし・・・
だが武田家の構造上の問題、家督相続、周りの強豪・・・
勝頼はやはり悲運だなぁ
760 :
日本@名無史さん:04/02/04 23:27
美濃明智城攻めや、
北条氏を唖然とさせた用兵、
あるいは窮地に陥った山県(だったか?)を救出したりと
才能は非凡だと思う。
が、運が悪いのか……
北条夫人との仲が一輪の花
なんだかんだ言っても10年間、
織田・徳川と激しくやりあってるくらいだしね
アホの景勝や氏政と比べたら、、、
762 :
日本@名無史さん:04/02/05 09:59
景勝ってどうしても跡継ぎになりたくて上杉家に内紛起こした挙句、
その間に謙信がせっかく取った加賀や能登や越中を織田に取られた
という人ですよね。
763 :
日本@名無史さん:04/02/05 11:42
結局三条の方が全部悪かったってことでしょ?
764 :
日本@名無史さん:04/02/05 14:16
勝頼の1番の悲劇は氏政・景勝・輝元ら同時代の名称2代目よりは優秀なのに不当に後世無能扱いされてる事だな.
766 :
日本@名無史さん:04/02/06 00:48
じゃあ大河ドラマは武田勝頼ってことで・・・
767 :
日本@名無史さん:04/02/06 00:58
勝頼は端役で十分!
まぁ利家と待つよりは面白くなるだろ
769 :
日本@名無史さん:04/02/06 06:47
>>766 実現して欲しいなあ。運命にもてあそばれた悲劇のプリンスってことで。
770 :
日本@名無史さん:04/02/06 22:16
>764
家を滅亡させてしまったのがイタイ
今川や北条ですら残っているからね・・・
771 :
日本@名無史さん:04/02/06 22:37
武田は高家として残ってるよ
ひょんなことから跡を継いだが家臣たちにはまったく信頼されず
無為無策の為政者というよりむしろ積極的に行動した精力的な君主だったが
戦はことごとく大敗、家臣は離散・反乱し放題
家を残せなかったジョン王みたいだな・・・
通説レベルで語られると「まるでダメ夫」になっちゃうから
やめてほしいなあ・・・
本人の資質は別にしても
「家を潰した当主」であるのは厳然とした事実なので
こっちがクローズアップされちゃうのは致し方ないことかと。
>>774 ダメや奴がダメなことをやったから家が潰れた
的な論法を使う奴が多くて嫌だってことだよ。
そんな後ろ向きの予言者みたいなことをやっても
何にも建設的じゃないのに。
776 :
日本@名無史さん:04/02/07 01:32
タイミングの問題だもんな結果だけだと。信玄の代で滅びてたら信玄無能そして信勝の代で滅びてたら信勝無能とレッテル張りされて.
新田次郎原作ならまだ許せる。
時代考証は笹本正治先生で。
津本陽原作・時代考証小和田哲男とかはやめてほしいねw
>774
に同意
さらに敗者に対しては悪い要素がどんどん後付けされる
勝者に都合の良いようにね
779 :
日本@名無史さん:04/02/07 08:32
塩がないから
780 :
日本@名無史さん:04/02/07 11:58
ノブヤボでは、勝頼の扱いが、涙を誘う……。
781 :
日本@名無史さん:04/02/07 23:22
そうそう。日本史板だからあまり触れるのは憚られるが最初は名称だったのにシリーズを重ねるごとに単なる猪武者に成り果てて。勝頼を基準に他の兄弟達も政治・智謀が貶められてムカツク
782 :
名無しさん@Linuxザウルス:04/02/08 23:43
やっぱ、大河で勝頼見たいなー
783 :
日本@名無史さん:04/02/09 01:53
長筱以外で、勝頼が自ら采配ふるって敗北した戦いって、どんなのがある?
784 :
日本@名無史さん:04/02/09 01:55
785 :
日本@名無史さん:04/02/09 03:24
史実に近い勝頼の小説は
どんなのがありますか?
原作は新田で
脚本はジェームズ三木
勝頼:山崎(ドクターコトーの三上医師)
これ以上は三戦板に、、、、
787 :
日本@名無史さん:04/02/09 20:17
そのまま、真木蔵人にやってもらえば年齢的にちょうどいいでは?
中井貴一にも出演してもらって「武田勝頼」でインパクト
弱かったら「武田三代」→徳川三代みたいにしたら可能性あるね。
武田勝頼って結構中小企業から大企業まで二代目の指示受けてるから
面白いよね。
788 :
日本@名無史さん:04/02/09 20:20
原作は新田で
脚本はジェームズ三木
勝頼:山崎トオル
789 :
日本@名無史さん:04/02/09 20:43
うーん山崎トオルかあ・・・弱いなあ
原作は新田で
脚本はジェームズ三木
勝頼:番長清原(引退後のデビュー作として)
791 :
日本@名無史さん:04/02/09 21:56
案外あんな感じだったのかもしれん
792 :
日本@名無史さん:04/02/09 22:01
山崎トオル?>791
793 :
日本@名無史さん:04/02/09 23:45
794 :
日本@名無史さん:04/02/09 23:57
大柄で物静か。
だとすると渡辺謙・・・
しかし勝頼は若いうちに死んでるからなあ・・・
若くてそういう演技が出来るやつって・・・
俺なら長瀬智也がいいかな・・・
795 :
日本@名無史さん:04/02/10 00:41
背は足らないが、上川隆也は?
797 :
日本@名無史さん:04/02/10 00:59
上川隆也っていいキャスティングだけど、毛利隆元ってイメージだからなあ。
798 :
日本@名無史さん:04/02/10 01:06
40近いオッサンが30代で死んだ勝頼を演じるのは・・・
799 :
日本@名無史さん:04/02/10 01:22
尾上菊の助
800 :
日本@名無史さん:04/02/10 08:24
>798
いや、西田敏之と加賀たけしが20代の西郷 大久保を
大河じゃやってたろう。
それにくらべりゃ、30代が30代の役やっても全然問題ないって
>>800 死んだのが36歳というだけで・・・
一年のほとんどを無理な若作りで通されたらイヤン
802 :
日本@名無史さん:04/02/12 11:53
>>796 そうなんだよな、勝頼の戦強さって、
戦国随一だと思うのだが……
あまりにも長篠のイメージが強すぎるんだろうか……。
逆に言えば、長篠が例外とも言える。
もちろん、どんな名將だって不覚をとって敗北することはあるが。
長篠で、勝頼に何があったのか……
803 :
日本@名無史さん:04/02/12 11:58
北條夫人は
深田恭子くらい?
805 :
日本@名無史さん:04/02/12 23:37
北條夫人は
なっちかあさみんしかいない!
806 :
日本@名無史さん:04/02/13 00:41
で、弟の武田勝親(左衛門勝三)は、長生きして何か事跡を残しているのか?
807 :
日本@名無史さん:04/02/13 00:45
信長はいい意味でも悪い意味でも合理的だから当時の武士なら到底出来ないような謀略を多数駆使して長篠で勝ったのは間違いなさそう.
麻美は勘弁。平山あやでどうだ?
809 :
日本@名無史さん:04/02/15 18:16
甲陽軍艦に武田勝頼の最後はたった一人で敵に切り込み腹と喉を突かれて首をとられたとか
首なしの勝頼の死体は10日以上現場に放置されたとかでてるが
この目撃者は誰?というか、書いた人は誰?
>>795 平均身長160程度の当時なら十分大柄だろ。
>>809 とりあえず甲陽軍鑑を読み直して来い。
話はそれからだな。
>>810 大柄小柄というのは相対的な問題だろw
身長160センチ以下の役者だけでやるなら別だが・・・
長篠の戦いは信長・家康連合軍3万対武田軍は多くて1万5千
信長軍は野戦陣地を構築
しかも武田軍の方から攻撃
挙句の果てに真正面から戦ったのだから武田軍に勝ち目はまったくありません。
当時の武田の動員兵力はもっと多く、いったん軍を引き再戦という手もあった。
なぜ勝てなかったのかより、なぜ軍を引かなかったかを論じるべきでは。
813 :
日本@名無史さん:04/02/17 10:23
はやくトイレに行きたかったんだろ。
そこで引いたら後々織田との戦力差がますます開いて更に絶望的な状況になるから。
815 :
日本@名無史さん:04/02/17 21:59
鳶の巣山砦を酒井らの別働隊に落とされて退路を断たれたんじゃなかったっけか
816 :
日本@名無史さん:04/02/17 22:37
>>812 長篠の戦いなんか、もう今までにも散々論争が繰り返されていて
語る事など何もないだろうが
結局はこうだ
信長が築き上げた陣城の前に、勝頼は突進するのをためらったが
後方から、別働隊が迫ってきたため、突っ込まざるを得ず(信長は突っ込ませる様に予め計算した)
馬柵のみならず、武田方から見えなかった、壕によって進撃を阻まれ、次から次へと
鉄砲の餌食になりはて、キラ星の如き武田騎馬隊が事実上壊滅した
ざっとこんなもんで、鉄砲の三段打ちは完全な虚構
尚、この時絶大な効果を発揮した陣城は、その後戦術としてどんどん進化し
秀吉と家康の小牧の戦いでは、一大陣城戦となり、双方とも全く手が出せなかった
何しろこの二人、陣城に突っ込む恐ろしさを目の当たりに見ていたからだ
>>816 「結局はこうだ」と言いながら突っ込み所が多すぎるのは何故だ?w
名和弓雄あたりを盲信しているならオススメしない。
別働隊ってたしか1〜2千でしょ
しかも信長軍本隊は陣地の中に篭っているわけだし
どうせ突っ込むなら別働隊にすればよかったのでは(そのまま帰還)
最小限の負けで済ませるために・・・
それから鉄砲の大量使用(三段撃ち)対騎馬軍団というのも
最近では否定する人・資料多いよ
>818
別働隊は四千じゃなかったっけ?
それと別働隊に突っ込もうとすると織田軍本体が追撃してくると思うんだが、被害が更に増えないか?
わざわざ大軍の方を背後に受けたがる奴も少ないだろうなあ・・・・
連吾川を挟んだ両岸は、陣城のように工事がされて巨大な堀のように
なっている。これは織田が武田を誘い込んで殲滅するためのキルゾー
ンとして造ったものといわれているが、もしかしたら長篠城方面の
加工は武田軍の野戦築城だったのではないだろうか。武田、織田
両軍とも陣城を築き、相手を引き寄せて討ち取ろうと画策していた。
そこへ鳶ヶ巣山奇襲が発生し、武田軍は背後を取られた。当然武田は
撤退を視野に入れることになるが、武田の足下をみた織田は敢えて
武田の陣城への攻撃に踏み切る。白兵戦の状態で撤退は出来ないから
一旦織田勢を押し戻すべく武田勢は突撃する。そこへ織田の陣城から
射撃が浴びせられる。そして再び引こうとする武田に、またしても
織田勢が食い下がる。また武田勢突撃、織田勢連射。以下無限ループ。
そしていよいよ鳶ヶ巣奇襲隊が長篠城の包囲をといた事により危険が
近づいたのを感じた山県は、自分を犠牲にして織田勢を突き放そうと
無謀な突撃を敢行した。長篠城兵と鳶ヶ巣奇襲隊が長篠城から出撃した
のを見た後備えの穴山は、退路遮断を阻止すべく、果敢に反転迎撃を
試みる。しかし前線で苦戦しながら困難な撤退を続けていた諸隊は、
これを穴山が他を見捨てて逃亡する行為だと誤解し、早く逃げなけれ
ば退路がなくなると早合点し、我先にと逃げだし総崩れに陥った。
そして武田勝頼が自軍の陣城へ織田勢を引きつけるために用意した餌
が、簡単に落とせる長篠を敢えて活かしておいたこと。長篠を落城寸
前に包囲しておけばそれを救出するために、織田の方から仕掛けなけ
ればならない。しかし苦戦する長篠城に織田勢が来る前に降伏されて
は困るから、鳥居を利用して長篠城へ援軍が近いことを知らせる謀略
も行われた。
そして武田の敗因は鉄砲の少なさ。もしも武田に織田並みの鉄砲が
あれば、陣城へ攻めてきた織田勢を鉄砲で阻止して退却に移れた。
しかしあいにく武田勢の鉄砲の数では織田勢の突撃を阻止しきれず
ついつい白兵戦に持ち込まれてしまい、退却のタイミングを容易に
掴むことができなかった。
822 :
日本@名無史さん:04/02/21 21:50
蘭丸は多くの織田家臣達を誘っては喰っていた。
しかし、ある夜のこと、信長は蘭丸の締まり具合が緩くなっている事に気付いた。
そして、蘭丸の淫乱振りの情報を得た信長は・・・。
「本能寺の変」それは、蘭丸との無理心中だった。信長は何もかも嫌になり、光秀に命じて本能寺を襲撃させた。
光秀は主殺しの汚名をかぶり、真実を隠し通した。
上げて見よう
824 :
日本@名無史さん:04/02/29 00:53
上げて見よう
826 :
日本@名無史さん:04/03/07 13:48
>>821 のぶ新田センセの考察とはまた違った説で面白いですね
開戦前、実際諸将は勝頼以上にヤる気満々だったともいう話を見たこともありますが…
ツッコミどころ満載だな。
>>821 説得力のある説だと思う。ただ、鉄砲に関しては、あの状況なら武田軍が多く
保有してても、あんまり変わらないかと
829 :
日本@名無史さん:04/03/09 19:53
831 :
日本@名無史さん:04/03/28 21:13
アナル山梅雪
832 :
日本@名無史さん:04/04/05 19:57
.
833 :
日本@名無史さん:04/04/10 01:41
アナル山梅雪
834 :
日本@名無史さん:04/04/11 01:00
835 :
日本@名無史さん:04/04/11 01:07
837 :
日本@名無史さん:04/04/11 11:32
アナル山梅雪
838 :
日本@名無史さん:04/04/11 14:09
あぼぼぼぼぼっ!あぼぼっ!んぼっ!
, - ' ゙ `` ‐ 、_,,,,,
,r' /=ミ
/ 彡ll',''´
. / 彡lll
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ
l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ
. |`゙'' ./ `'゙'''" .〉,l | むしゃくしゃしてやった。
|. ,' // まさか、騎馬軍団が壊滅すると思わなかった。
. ',. ,' , r' 今は反省している。
. ゙, ゙'ー ‐` l |
゙、''゙ ,,、二''‐ ノ l、
''''''''7'ヽ ''' / /`〉`゙T''''''''''
l ` 、,,,,、- ' " / /.| |
. | | .l i / ./ | |
| | | l / ./ .| |
. | | | l / / | |
| | | ', / / l .l
840 :
日本@名無史さん:04/04/12 00:21
あさみんあさみん
841 :
日本@名無史さん:04/04/18 23:13
アナル山梅雪
842 :
日本@名無史さん:04/04/22 16:09
今日から時代劇専門チャンネルで真田太平記が放送
第1話にして武田勝頼あぼ〜ん
843 :
日本@名無史さん:04/04/22 18:49
織田信長→織田吉法師→織田三郎信長→織田上総介信長→→右大臣平朝臣信長
武田勝頼→武田四郎→諏訪四郎勝頼→→→→→武田四郎勝頼
この人は無冠のままで終わったようですね。
844 :
日本@名無史さん:04/04/23 00:39
実際に長篠周辺歩いてみて、とても両軍あわせて
数万の大軍が布陣していたとは思えない狭さだと
感じた。
平地も少ないし。当時は湿地帯も多かったみたい
だし。
845 :
日本@名無史さん:04/04/23 01:36
太閤検地の頃から設楽郷の田んぼの広さはほとんど変わっていないため、
現在の田んぼの位置がそのまま当時の田んぼの位置だったと考える説も
ある。信長が田んぼを前にあてて布陣した事は十分に考えられる。
846 :
日本@名無史さん:04/04/25 20:49
アナル山梅雪
847 :
日本@名無史さん:04/04/29 21:21
アナ山梅雪
848 :
日本@名無史さん:04/04/30 00:27
ハゲしくガイシュツかもしれませんが…
信虎時代の家臣に、「虎」の字がつく人が多いのは分かるんです。
主君から偏諱を賜ったのでしょう。
でも信玄時代だと、「昌」の字が多いような気がするんです。
昌豊・昌景・昌幸・昌信・昌胤・・・・
これ、なんでですかね?
信玄って「晴信」の前は「信昌」とでも名乗っていたんでしょうか。
教えて、エロい人。
将軍から貰った字をあげちゃう訳にはいかんし。
ほんじゃ、「昌」はどっからきたの?
全くのオリジナル?
『「晴」も「信」もあげられないから、オレの代の偏諱は、全然関係ないけど「昌」ね!』
ってことなんでしょうか?
曽祖父だか誰かが「信昌」じゃなかったか?
些か遠すぎる気はするが。
>>848 真田昌輝、土屋(金丸)昌次、昌恒もいるぞ
>>851 信昌 信縄 信虎(信直) 晴信(信玄)
853 :
日本@名無史さん:04/05/01 11:18
>>848-852 信玄が将軍から貰った晴信の「晴」の代わりに与えたという説がある。
ただその説も根拠が無かったと思う。
なぜか越前の国人に多い「国」の字とかもある。
854 :
日本@名無史さん:04/05/01 21:05
甲陽軍鑑っていくつか出てるけど、どの本がお奨めですか?
教育者新書の三冊本がいちばん安いみたいだけどこれって
抄訳ですか?
856 :
日本@名無史さん:04/05/06 22:45
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857 :
日本@名無史さん:04/05/08 21:05
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
/ ̄\ l \,, ,,/ |
,┤ ト | (●) (●) |
| \_/ ヽ \___/ | <今日も鯉ヘルペス発動!
| __( ̄ | \/ ノ
ヽ___) ノ
858 :
日本@名無史さん:04/05/09 17:39
現在登録されているイメージ画像は以下のとおりです。
859 :
日本@名無史さん:04/05/13 11:13
武田勝頼の、あの時点での織田・徳川連合軍と決戦思想は間違っていなかった。
あのまま、ずるずると徳川との一城とったとらないの局地戦に持ち込まれるということは、
優秀な貿易港や富裕な土地を所有し、中央に領土を拡大して行く織田との戦力差が広がるばかりである。
あの時点で織田・徳川に大打撃を与えておくことは、未来の武田家を考える上には必須だった。
しかも、あの時点においては信玄の鍛えた精鋭部隊の名に相手は怯えていた。
しかし、場所が悪かった。あのような狭い土地に兵を集中させるということは、大軍の運用と厚みによる重圧を簡単にし、少軍は騎兵などの空間的な運用の余地を無くす。
結局は突撃を繰り返したが、大軍の厚みを突破できなかったというだけの戦いに終わったのである。
なお信玄であるが、このような難所に篭った敵は謀略で引っ張り出すなり、裏切り者を作るなどの手で勝ってます。
このような父の勝ち手が過去にあるにもかかわらず、参考にしていない勝頼の不勉強は責められるべきでしょう。
武田も鉄砲五百丁は持っていたらしいです。
860 :
日本@名無史さん:04/05/14 10:37
武田勝頼の滅亡は、やはり諏訪勢力と、信玄の長男で自害したらしい義信の甲斐勢力との対立が水面下であったような気がする。
長篠の戦での単純な攻撃による大敗北は、勝頼を失脚させようという勢力の陰謀ではなかったろうか。
861 :
日本@名無史さん:04/05/15 10:37
武田勝頼個人の力がどうのというより、金山が枯渇して、豊富な軍資金がダメになった途端、織田との戦力差が大きくなり滅んだという話ですが、、、
862 :
日本@名無史さん:04/05/15 10:42
勝頼は、信玄が滅ぼした諏訪氏の娘(諏訪御料人)が産んだのですが、
こういう出自が信玄古参の武将たちとしっくり行かなかった要因だ
と思いますね。
「武田の重臣たち」というのは信玄の子飼いが多い。
ああいう地方のせいか家臣達は団結心が薄かったから、それらを
避ける為に育成したんだよね。だから、信玄が死んだらアノミー起
こして長篠で意味不明の行為に及んだ奴がいるのも仕方がない。
ならば勝頼であろうとなかろうと、信玄以後は誰も纏められなかっ
たろうよ。
864 :
日本@名無史さん:04/05/16 18:35
武田勝頼が父信玄を超えようとしたか、参考にしようとしていたか、それは解からない。
が、あまりに長篠の戦の戦法は単純すぎはしなかっただろうか。
何故、一回目の突撃で、鉄砲による大損害を出したと解かった時点で、
一時全軍の突撃を中止し、自身で現場を検証しなかったのか、
その理由がさっぱりわかりません。
865 :
日本@名無史さん:04/05/16 18:42
武田の家臣てほとんどが徳川に降ったの?
家康は積極的にスカウトしていただけ。
武田家臣(一族)の残党は全国に散らばっていった…という伝説だけなら多い。
>>861 もともと金山で武田家の経営だったものは確認されていない。
>>863 本当に信玄に心酔していたなら、その息子を盛り立てない事があろうか?
>>864 鉄砲で大損害を受けたのではない。
ゲームだと混乱部隊は意味のわからない突撃を繰り返すよね。それと
同じとは言わないけど佐久間の裏切り説とか別働隊の本格的な規模(
本当に酒井忠次数千だけ?)とか武田が深みに嵌まっていく要素が当
時は多分にあったんじゃないかな?
そして、それを予め用意周到に信長は下準備を整えていた。
更には狭い局地戦に大人数での混戦状態では上手い指揮系統(ムカデ
衆などによる)も意味を為さない。
織田でさえ前田利家が深手を負わされたり多くの戦死者を出している
事から、もう形振り構っている状況では無かった事が当時、推測され
る。つまり、そういう切羽詰った中での戦いがこの長篠だったんじゃ
ないかな。もう我慢比べって感じで先に根を上げた方が負け。そう考
えると残るのは不安要素が少しでも減る事。これがある、無いによっ
て兵の士気にもそれが影響するよね(穴山、戦線離脱など)
...というのが俺の見解なんだけど、やっぱ厨臭いか。
870 :
日本@名無史さん:04/05/17 10:34
確か太田牛一の「信長公記」にこの戦いのことが詳しく載っているけれど、
それには、兵隊は一兵も出さず、柵の後ろから鉄砲で撃ちまくって、まばらにしたと記述が。
で、兵が少なくなったと気付いた武田勢が、どっと崩れ立ったので追撃したらしいです、、、
信玄の重臣たちが、若手を重んじる勝頼と上手く行かなかったらしいのは確かで、、、
はっきりした理由は無いものの、、、やはり武田本家の血筋のいい家臣たちがかるんじたような、、、
信玄は今川のいい金山が欲しくてたまらなかったので、
今川攻略に踏みきったと新田次郎氏の小説にはあった気が、、、、
871 :
日本@名無史さん:04/05/18 10:48
武田勝頼が世慣れしていなかったのは確か。
たしか高天神城だつたか、徳川に包囲された城の主将が絶体絶命になり
「助けにきてくれるな。お見捨てされよ」と手紙を送った。
で、武田勝頼はそのとおりにし、その城は全滅した。
これで配下の将士の心が離れたという。
こんなときは犠牲を省みず、みずから救出に向かってこそ将士の心を捉えるのだと誰かが書いていた。
単に助けに行ける程の兵の余裕が無かっただけなんだけどな。
873 :
日本@名無史さん:04/05/19 18:46
兵隊不足、金不足、そこをなんとかするのが大将の力量、器では。
874 :
日本@名無史さん:04/05/19 23:09
>>869 織田・徳川の被害はたいした事ないよ。主な武将も誰も死んでないしさ。
利家が重傷を負ったなんて話しも聞いたことない。
武田が一万で、織田・徳川が七千とかデタラメ。
>>870 当時の合戦は遠戦主体という新説があり。
まあ全ての戦いがそうだったとは言えないが
長篠に関してはそうで、
堅固な野戦築城に篭った織田勢が突撃してくる武田勢に
鉄砲に限らず弓矢、投石などの遠距離武器で攻撃しまくったという事らしい。
そうやって弱りきった武田勢に突撃し、武田の諸将のほとんどが討ち取られたという事か。
875 :
日本@名無史さん:04/05/20 10:08
問題は、どうしてそんな野戦堅城、柵、などを築いているのが勝頼に解からなかったか。
すくなくともスパイを雑兵に紛れ込ませるくらい、夜に見に行かせるくらい簡単な筈だが。
最悪でも、前線に突撃した兵士を呼び戻して敵状くらい聞けたはずなのに。
876 :
日本@名無史さん:04/05/21 13:20
信玄はかなり強力なスパイ網を持っていたという。
勝頼はそれを受け継がなかったのだろうか。疑問。
877 :
日本@名無史さん:04/05/23 12:08
武田勝頼が有能な男だったと思うけど、長篠の敗戦は痛かったね。
上杉家で跡目争いが起こって、勝頼がどっちに味方してもいい結果にならない場面で
うまい謀略を使って切り抜ける人がいなかったわけだもんね。
ある人が、会社で言えば、先代から仕えている、やや考えも古い重役達がいてその連中
が何かといえば、若い2代目に文句を言いに来るのだけど、何だかんだいってもこの重役は
数々の修羅場をくぐっても来た手練れだから、難しい場面ではとても頼りになる。その重役
達を一時に失ったようなものだなんていってたけどね。馬場や山県を失ったのは本当に痛か
ったろう
878 :
日本@名無史さん:04/05/23 18:50
あの上杉家の跡目争いの時、越後に自身侵攻して、上杉景勝を傀儡とし、
佐渡などの優秀な金山を獲っていれば良かったのに。
なぜ、そうしなかったのだろうか。
879 :
日本@名無史さん:04/05/24 04:22
長男→アボン(最悪の方法で)
次男→盲目
三男→早世
四男以下の庶子→全部養子に出しちゃった
いくら駿河の重要性を分かっていても、唯一の跡継ぎと言える義信を
アボンしてしまったのはやはり大失敗だったのでは。
北条が激怒して同盟を破棄してくることくらい容易に想像できたはず。
そうしたら北条・今川・徳川・上杉に囲まれて、盟友は遠方のあまり信用できない
織田だけという状態になってしまう。実際そうなった。
信玄自身の才能と北条氏康の死という偶然のおかげで虎口は脱したが
残した傷はあまりにも大きすぎた。
正確には養子ではない
仁科、葛山家は単なるのっとり工作だし
安田は勝頼が僧から武士に戻した時に安田姓を名乗らせただけ
881 :
日本@名無史さん:04/05/24 05:27
いずれにせよ、庶子である諏訪家の四郎が跡を継ぐような
事態になってしまうなら最低でも義信の助命はするべきだったのでは?
だいたい信玄も人が悪い。
とりあえず家督を勝頼に譲っておいて
諏訪家の勝頼を飛ばして勝頼の嫡子を武田の正統な後継者にする、
勝頼はただの繋ぎであくまでも信勝の後見人に過ぎない、
なんて遺言したらそりゃ勝頼はただでさえ血統に問題があるのに
一層家中のものに舐められるに決まってる。
882 :
日本@名無史さん:04/06/09 10:36
しかし、義信を生かしたほうが紛争が起こるのでは。
勝頼はこれといった実績がなく、部下に信用が無かった。
だから、早く功績をと焦っていた。それが長篠の戦の無理攻めになって現れたと思う。
883 :
日本@名無史さん:04/06/10 10:16
二代目の難しさは、一代目が大成功者だと周囲がその路線を変えようとしないこと。
二代目のことを、何かと一代目と比べ、けちをつけること。
二代目が何を言っても周囲が取り上げようとしないこと。
講談とごっちゃになってるな・・・
勝頼は陣代じゃなく当主として公文書を発給してるぞ
885 :
日本@名無史さん:04/06/11 10:22
長篠の戦は、どうみても、勝頼の焦りと、武田軍団の力への過信では、、、
886 :
日本@名無史さん:04/06/11 16:12
>>885 そりは織田と徳川についても言えなくない?
888 :
日本@名無史さん:04/06/12 10:51
織田信長、徳川家康は武田精鋭にただ怯えていた。
だから過剰な大兵を動員し、柵を構えて、鉄砲を揃えていた。と聞いた。
もしかすると武田が正面突破を試みたのは、その怯えがはっきりとわかったからかもしれない。
武田とは、戦国大名ではなく国一揆だったのだ。
守護、武田信虎に対して国人達が信玄を盟主として一揆をおこし、
それ以降甲斐は一揆持ちの国となってしまった。これに対して
新守護である武田勝頼は、国人以外の一門衆や外様衆から、
真田や穴山などの改革派を集め新府城築城によって守護権力の
強化ならびに鉄砲を中心とした新戦法への移行を画策した。
しかし国人領主たちの抵抗派は強力であり、改革は挫折した。
甲斐一揆の利益となる駿河進攻に際しても、それに反対した
武田義信一派を生かしておくことを国人衆たちは認めなかった
のだろう。
>>888 ただ怯えていた?
酒井隊による迂回夜襲は無視ですかそうですか
892 :
日本@名無史さん:04/06/15 11:04
あれは陽動作戦で、武田は無視してもどうということはなかったし。
勝頼は寵臣への手紙に、敵は怯えて動こうともしないと馬鹿にして書いてるし、やはり。
>>892 背後に回られて無視って事は無いだろ。
陽道作戦じゃなくて、包囲殲滅作戦だYO。
894 :
日本@名無史さん:04/06/21 22:04
素朴な疑問。何で武田四郎勝頼は無位無官だったのか?
896 :
日本@名無史さん:04/06/22 12:30
895
武田家は官位取得運動をしなかったのか?
897 :
日本@名無史さん:04/06/22 12:32
武田四郎勝頼。官位はないようですね。
898 :
日本@名無史さん:04/06/22 20:25
武田家の当主であれば、先ずは従五位下に叙せられ更に従四位下に昇叙というのが
のが傾向である。官職は父晴信と同じ大膳大夫あるいは祖父信虎の左京大夫あたりか。
尤も父同様に甲斐国守護職に補任されていたかどうか不明であるが、さしずめ甲斐守を
兼任していても不思議はない。
899 :
日本@名無史さん:04/06/23 10:35
ええっと、あの長篠の戦の迂回作戦は、前夜、徳川家臣が言い出して、
理由は、武田が柵や鉄砲を警戒してこのまま引き上げたらどうするとの意見が出て、
で、後ろに回ったように煙などで見せかけたら、有利にするために突撃してくるのではと意見が出たため。
そのとうりに、勝頼は慌てて全軍突撃を命じたとか。
で、この迂回隊は長篠城周辺の武田と衝突したらしいが、それ以上の攻撃はあまりしなかったような。
900 :
日本@名無史さん:04/06/23 12:57
>>879 3男に関しては上総武田の養子になって、1590年に秀吉に北条方として滅ぼされたという説もあるので一応あげ。
902 :
日本@名無史さん:04/06/26 11:03
武田勝頼は、やはり北条との軍事同盟をもう少し重要視し、工夫するべきだったかも。
北条も、結果を考えれば、徳川をもっと頻繁に攻めるべきだった。
903 :
日本@名無史さん:04/07/02 10:30
武田勝頼は越後で跡目争いが起きたとき、上杉景勝の味方をしたんだろう。
軍事同盟を結んで、協力して織田に当たれなかったのだろうか。越中方面から攻めるとか。
904 :
日本@名無史さん:04/07/21 10:25
一 徳川家康が、勝頼が進めば出ない、退けば追い討ちすると、織田が膨張する時間を稼いだ。
一 金山が枯渇した。
一 同盟が下手だった。
一 織田と再び決戦する機会を作れなかった。では、、、、
905 :
日本@名無史さん:04/07/21 10:33
貧乏武田が豊かな織田に自然に押しつぶされただけ。
906 :
日本@名無史さん:04/07/21 11:52
>>899 織田家の資料では鳶ノ巣砦奇襲は信長の発案とある。
織田家も徳川家も成功した作戦は自分たちの手柄にしたいもので、
信長の発案なのか酒井の発案なのか本当のとこはわからない。
ただ少なくとも信長は酒井の部隊に精鋭の鉄砲隊五百を付けていて、少なくともこの作戦を重視していた事がわかる。
907 :
日本@名無史さん:04/08/25 17:33
>>903 上杉家は御館の乱で疲弊。
家中を立て直すので精一杯。
908 :
日本@名無史さん:04/08/25 18:38
謙信が急死しなければ、日本史変わっていたかも
そんな大物でなくとも歴史上に一人でも「死なない」人がいたらそりゃまったく変わって
いることでしょう。
910 :
日本@名無史さん:04/08/25 18:50
謙信は本当に脳卒中だとしたら、神の見えざる手みたい。
911 :
日本@名無史さん:04/08/25 20:11
甲相駿同盟を重視した義信にこそ見る目があった。
今川領に侵攻した信玄は優れた武将でも何でもない。
単なる田舎侍。
信玄が国人一揆の盟主なら、頼朝もそう。
しかし、義経のように御連枝風を吹かせると嫌われる。
勝頼にも、そんな気負いがあったのではないか。勝頼のもり役が誰だったか
知らないが、高遠なんぞの田舎で開明的なヤツがいたか疑問。
現代でも酒悦の2代目の失敗などそのパターンに映る。
大和村の景徳院はわびしい。笹子峠の旧道も通ったが地形は急峻。
大月の小山田を頼ろうとして駄目だと判ったときはなんと思ったろう。
酒悦は間違い。京樽だった。
小山田は代わりに道通してくれたじゃん。
915 :
日本@名無史さん:04/08/27 23:24
小山田も裏切りのあげく殺されていい気味だな。
名を汚してお家断絶とは馬鹿としか言い様がない。
916 :
日本@名無史さん:04/08/28 01:35
小山田さんはなにげに、北条の他国衆にはいているな。
真田昌幸もだが。
917 :
日本@名無史さん:04/08/28 22:42
勝頼は領土拡大をし過ぎました、度重なる遠征で膨大な費用を使いましたから・・
財政は破綻・・衰亡の道を辿りました。専守防衛に徹していれば長く持ったと思いますが。
918 :
日本@名無史さん:04/08/28 23:02
>917
領土拡大は信玄の規定路線なんだよ。
勝頼に選択の余地はあまり無かった。
だから信玄が悪い。
ただ信玄は内政をきちんとやって国を富ませ、領土拡大だからね〜。内政ちゃんと
やらんで戦ばっかやってたら疲弊するのは当然。
信玄のとりまきは、なにかつけ先代信虎よりはいいかって思っただろうが、
勝頼のとりまきは、先代信玄と比べて不満が溜まっただろうね。
先週、勝沼へ行ったが、今年の葡萄は平年より2週間早いそうだ。
台風はあったが、富士山が防いで、被害はないとか。
922 :
日本@名無史さん:04/09/22 14:50:32
信長は勝頼の首実検で勝頼を散々罵った上で足蹴にしたんだよね。
酷い奴だ。
勝頼は美男だったんでしょうか。
新田次郎どんによると、諏訪御前が美人だから勝頼も美男らしいのですが。
925 :
日本@名無史さん:04/09/23 22:35:02
>>924 信玄はブサイクだと?
>>871 たしかこのあと上州へ出兵してなかったか?
助けにいけないのはしょうがないが、大した用もないのに軍費と兵糧のムダづかいを…
927 :
日本@名無史さん:04/09/23 22:40:22
信玄は自分が死んだら、遠征はやめ内政に力を入れるようにと言ってる
だが、親父へのコンプレックスから遺命を無視し戦を繰り返した
背伸びしていたとは思うが、あまり唯我独尊だったとも思えない。
動機は本当のところ、なんだろう。取り巻きが古老ばかり領地を
持って、新進気鋭の側近にはうまみがなかったからってのがある
んだろうか。
929 :
日本@名無史さん:04/09/30 10:24:10
彼は事あるごとに信玄と比較されていただろうから「さすが信玄の嫡子」と
言われるだけの実績が、早く欲しかっただろうなあ。その性急な性格は、当
の信玄が危機感を持っていたように思える節もあるし。
信玄が臨終で「三年間喪を秘せよ」と言ったけど、その通りに3年間を、戦
無しに国力の維持増強に努めていたら、あのようにあっけなく滅びる事は無
かっただろうに、と思う。
930 :
日本@名無史さん:04/09/30 10:40:42
『新府城と武田勝頼』面白かった。
個人的な感想として勝頼は悲劇の将ではあったけど名将とはいえないし、
特に人の使い方・人身掌握はぜんぜん駄目だったんじゃないだろうか。
若いし、坊ちゃんだったろうから仕方ないんだけどね。
甲陽軍艦は勝頼をボロクソに言っているという人がいるが、自分はむしろ長坂・跡部に責任負わせて勝頼を配慮しているように感じた。
932 :
日本@名無史さん:04/10/10 07:13:49
いやボロクソに書いてあるぜ
「あーまぁ親父にゃ敵わねーや。とりあえず現状維持でOKかな」
とか開き直れれば良かったのに。
今川氏真なんかと比べりゃ武将としてはマトモなんだがな〜。信玄の跡継ぎってのは
荷が重かった。侍大将クラスなら優秀な武将だったかもね〜。
935 :
日本@名無史さん:04/10/12 12:20:40
一門としてなら諏訪衆として恐れられた可能性はあるが、
>>931の本は漏れも読んだが勝頼は判断が甘いからな〜
いずれにせよ当主の器ではないかと思われ
936 :
日本@名無史さん:04/10/12 12:28:41
>>924 信玄のあの有名な肖像は実は他人(畠山義続)のもので、実際は弟の信廉が書いた弱々しい信玄が本物です。
貴族ふうの弱々しい細面で信玄も若い頃は美形だったかもしれません。
後継者として定められて、いろいろ学んでいる最中に
信玄が亡くなってしまったのは痛い。
勝頼自身も、諏訪家の跡取・諏訪社大祝として信濃を統べて
武田の一翼を担うくらいの気持ちで成人したんじゃないのかな。
勝頼のことはさることながら、裏切った、身内並の、穴山とか小山田とか
は、なに考えていたんだろう。結局、自滅とは。
939 :
日本@名無史さん:04/10/14 14:26:40
お前、日本語がおかしいぞ!三国人めが!
940 :
日本@名無史さん:04/10/14 14:38:15
勝頼がみんなとホモ行為しなかったから。
941 :
日本@名無史さん:04/10/14 15:15:24
新府城は勝頼の愚行の一つ。
942 :
日本@名無史さん:04/10/15 09:12:07
>>938 一族や家臣のために裏切るのはしかたないだろう。
それに木曾のようにさっさと裏切れば小山田も助かっただろうけど、母親が人質に取られてダメだった。
穴山にいたってはも本領安堵だったが、本能寺の変のとばっちりで殺されただけ。
小山田は中途半端に勝頼助けるから…
944 :
日本@名無史さん:04/10/15 21:56:50
「勝」の字は名前負けするというが、本当だな
漏れの知り合いにも何人かいるが、気が強いだけで
全員絵に描いたようなダメ人間
俺は武田嫌いだが、勝頼と新府城は好きだ。
新府城が完成していれば織田の大軍を撃破できたことは確実。
そごうもそうだったが、ダイエーもニュースを見ていると、勝頼と同じだな。
947 :
日本@名無史さん:04/10/25 21:01:22
あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
たちつてと
なにぬねの
948 :
日本@名無史さん:04/11/01 01:13:57
家臣のゆうことを聞かずに団結を崩してしまったのがまずかった。
とにかく信玄の子はかわいそうな奴ばっかだの。あと俺は信玄は
あまり好きではない。英雄は謙信のほうだ。
団結を崩したのは震源だ炉
義信を殺した時点で過信の心は離れておる
勝頼って新闘魂三銃士の一人だっけ?
951 :
日本@名無史さん:04/11/27 06:54:07
勝頼って新闘魂三剣士の一人だっけ?
952 :
日本@名無史さん:04/11/27 11:11:34
小山田を悪く言うな!!
俺の故郷の郡内地方を戦火から救ってくれた
郷土の偉人だ!!
大体、枡とかも違うものを使っていた
ように、小山田氏は独立性が強く、
武田と一緒に滅びる義務はなかったのだ!!
武田と共に生きた一族が言うことかーっ!
954 :
日本@名無史さん:04/11/27 11:44:00
郡内を守った男
小山田信茂と聞くと、土壇場で武田勝頼を裏切った不忠の臣
というイメージが浮かぶ。だが自らの命と引き換えに郡内を
戦火から守った武将でもある。武田軍団とは武田氏と穴山氏、
小山田氏の連合体という見方がある。武田信玄という強烈な
輝きを放つ巨星の下では有能かつ忠実な家臣として臣従して
いたが、信玄が死に勝頼の代になると、彼らは再び独立勢力
としての動きを見せ始めたのではあるまいか。嫡流ではなく
諏訪の血をひく勝頼の下風に立つことを嫌った小山田氏は、
結局は武田と共に歴史の渦に巻き込まれ、そして消えていった。
世の中には裏切り者好きもいるんだなw
裏切り以外のやり方なんていくらでもあるわけだが、裏切り者厨には
裏切りこそかっこいいと思えるのかも知れない。
松永久秀と藤堂高虎を分けるものは何か
957 :
日本@名無史さん:04/11/29 02:41:31
小山田や穴山は領地で善政を行っており、領民から
慕われていた。この一点だけでも
小山田、穴山>>>>>>超えられない壁>>>>>>勝頼
信繁が生きていたら、、、と悔やまれてならない。
959 :
日本@名無史さん:04/11/29 19:51:54
>>957 素晴らしい!
男は死ぬまで鉱山で重労働、女をその慰み物とした
どこぞやの信玄とは大違いだ。
そんな奴見限るのは人道に叶っている。
領民を救った英雄信茂万歳!
960 :
日本@名無史さん:04/11/30 20:35:55
小山田厨復活!!!!
でも自作自演はやめてね
では、故小山田信茂氏の名誉を回復し、聖人に列します。
被告の武田晴信、並びに勝頼は前へ出なさい。
963 :
日本@名無史さん:04/12/04 17:42:53
964 :
日本@名無史さん:04/12/12 22:42:36
穴山も小山田も武田の後を狙っただけ。民衆の事など考えてない。
不忠と言えば小山田
966 :
日本@名無史さん:05/01/04 00:49:03
んなこたあない
967 :
日本@名無史さん:05/01/04 03:56:45
じゃあ、反論してみよ
くそスレハケーン
969 :
日本@名無史さん:05/01/04 11:20:52
なんだここは、武田勝頼の知ったかの集まりか?
…どちらにせよ根拠を示したら?皆口だけだぞ?
皆知ったかじゃないなら理由を言えよ!
>>969 言える訳ないじゃん!皆知ったかだもんw
…まあ、俺もなんだがorz
小山田が裏切り者ってのは史実だから、根拠がどうたらはナンセンス。
領地の安泰
小山田って、土壇場で主君裏切って助かろうとしたものの、信長にその卑怯さを嫌われて
不忠者として殺された奴だろ。
あまりに惨めでいい味だしてるよ。
974 :
日本@名無史さん:05/01/24 00:50:47
975 :
日本@名無史さん:05/01/31 21:59:18
長篠での敗北後も度重なる戦で、家臣、領民共疲弊していたのは確か。
当時の武士道は、幕末の会津が見せた美しい忠誠心からは程遠く、
いかに自分と郎党の身を守るかが優先されたのだと思う。しかし最後に
寝返った重臣らは、まるで幕末にあっというまに官軍側についた諸藩の
様で、日本人の軽薄な一面を見る。天目山までついていった三十数人の
人たちは偉いと思う。
976 :
日本@名無史さん:05/01/31 22:58:38
江戸時代の大名と戦国時代の大名じゃ
主君と部下の関係が違うから
偉いとか偉くないとかそういう単純な話じゃないと思うけどね。
三戦 いけよ
板違い 邪魔だ
小山田に至っては家臣じゃなくて盟友と言うべき存在だったわけで、
武田の滅亡に最後まで付き合う義理なんか無かったわけで。
弁護の余地が無いのは穴山梅雪だな。
仁科盛信とかと偉い違い。
降伏勧告はねのけて数千の兵で5万相手に
全員が討ち死にするまで戦ったんでしょ?
生き残ってほしかった。
秀吉が、まだ信長の騎下で毛利征伐に没頭していた頃、
信長が武田勝頼を追いつめ滅ぼしたことを聞くと、
「勝頼に甲信二国を与え味方とし、関東征伐の先陣としたならば、
東国諸国の平定は思いのままであったのに。」と残念がったという。
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日本@名無史さん:
桜の高遠も、その壮絶な死闘を思うと、悲しい花見になる。
主君に殉じた、男の中の男たち。