信長が暗殺されなかったら日本はどうなった?

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1日本@名無史さん
みなさん、信長がその後何をしたのか?
そして日本はどうなったか想像してみましょう!
2日本@名無史さん:03/05/16 09:50
2だニダ
3日本@名無史さん:03/05/16 09:50
信長が死なないとなると、信長は有力家臣は大きくなりすぎるまえに
どんどん潰すだろうね。安土城の天主と御殿の配置が示すように、
彼は天皇よりも上を望んでいた。その手法が何であるかは色々と
考えられるが、ある種の絶対君主のような者になっただろう。
ただし、二代目に信長と同等のカリスマを期待するのは無理で、
その天下は一代だろう。
4日本@名無史さん:03/05/16 09:50
産業革命が日本で起きる。
5日本@名無史さん:03/05/16 09:52
絶対主義誕生か。
6日本@名無史さん:03/05/16 09:54
信長の場合、世間で言われているほどの「兵制改革」は実際は
やっていないし、その軍勢の動員はあくまでも中世的なやり方を
かなりの部分で踏襲している。絶対君主となるには、その権力の
バックボーンたる軍事力の掌握が不十分になるのではないか。
7日本@名無史さん:03/05/16 09:56
てか信長の場合「暗殺」というのか?
「敗北」だと思うのだが。
8日本@名無史さん:03/05/16 09:58
つうか「自殺」では?
9日本@名無史さん:03/05/16 10:36
是非に及ばず。
10日本@名無史さん:03/05/16 10:44
キリスト教はどうなってただろうか…。
信長が入信するとは思えんが。やっぱ禁教令だすんかな?
11_:03/05/16 10:52
12日本@名無史さん:03/05/16 10:54
天皇制の廃止
13日本@名無史さん:03/05/16 11:12
チョン国の征服
14日本@名無史さん:03/05/16 11:25
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15日本@名無史さん:03/05/16 12:23
秀吉、家康と違い、鎖国はしなかったと思います。
その結果、日本が世界に遅れる事なく、イギリス、フランスより先にアジア各国
を植民地にして巨大国家になる。
16日本@名無史さん:03/05/16 14:54

>6
エリザベス女王も対して軍事力なかったからなんとかならないかな。
>10
しばらく自由にさせて様子見て、政治に口だししたら根切り。
17日本@名無史さん:03/05/16 18:42
>>10
宣教師たち自体がそもそも純粋な宗教者は少ないし、
その上本国は植民地化を狙っていたのだから、
いずれ決別したのでは。
18日本@名無史さん:03/05/17 09:19
明智光秀、柴田勝家らがもう少し長生きしている
19日本@名無史さん:03/05/17 10:03
世界1の帝国。
当時あの規模の戦力をもつ国家は他になかった。
20日本@名無史さん:03/05/17 10:07
明、オスマン帝国、スペインの方が上。
21日本@名無史さん:03/05/17 10:23
世界一はいすぱーにゃ
22日本@名無史さん:03/05/17 11:17
たらればを語るなら、
信玄公にも興味が湧きますな。
23日本@名無史さん:03/05/17 11:19
通商国家をめざすだろうか、それとも植民地化のための征服をめざすだろうか?
でも明は征服できそうもないな。
24日本@名無史さん:03/05/17 13:45
いまよりも国際社会になっていただろう
俺らがこんなに英会話習得に苦労しないでも、話せた時代になっていたかもしれない
25日本@名無史さん:03/05/17 14:11
結局 対信長同盟が結成されて

戦死か刑死か島流しか幽閉

大して変わらんだろ。
26日本@名無史さん:03/05/17 14:25
>>1の意見をきかせれ
27日本@名無史さん:03/05/17 15:09
やっぱ朝鮮引いては明に攻め込むような気がする。
28日本@名無史さん:03/05/17 15:54
秀吉が勝家にけなされて、怒って信長の命に反して上杉攻めから手を引かなければ、
毛利攻めに回されることはなく、本能寺の変もなかっただろう。
光秀謀反の大きな理由のひとつとして、間近に迫った長宗我部攻めがあったけど(光秀
の部下が長宗我部に娘を嫁がせ縁組を交えた和平工作をしていた)、それも上杉陥落前に
実行されているところだった。
また、信長が入洛したのは、光秀とともに毛利攻めの秀吉支援というのが定説だけど、
実は朝廷が、親密な毛利屈服前に将軍宣下をするという名目でおびき出したという見方もある。
いずれにせよ、光秀の謀反は、信長が全方位戦争をしていることが前提だから、
毛利攻めが進展する前に、上杉と長宗我部が屈服していれば、光秀としても信長の首
を取っても意味がないと思って諦めただろう。
結局、拾ってきた秀吉が疫病神になったわけだ。
信長が生きていれば、明征服をやってのけた可能性がある。もともと秀吉の征服構想は
信長の影響。秀吉が総大将で攻め込んだら面白いことになっただろう。
29日本@名無史さん:03/05/18 11:00
明に攻め込んだら、結局泥沼になるような気もするが。
301:03/05/18 12:11
信長は艦隊を構築し、インドに進出、英蘭と海上にて決戦する。
31日本@名無史さん:03/05/18 12:18
明智はやっぱり出雲に転封されてたのかね
32山崎渉:03/05/22 03:05
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
33日本@名無史さん:03/05/25 16:35
出雲・岩見の転封話しは、証拠ないからね。秀吉政権下で語れている話。
34山崎渉:03/05/28 11:31
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
35日本@名無史さん:03/05/28 17:23
本能寺の変が無ければ、多分、毛利輝元、小早川隆景、吉川元春・は信長から切腹を命じられ、毛利は滅亡
 その手柄により、秀吉には、旧毛利の所領である安芸・備後・周防・長門・石見・出雲を拝領され大大名になってた可能性はある
安土城での徳川家康への接待での失態と四国対策の失敗などからして、光秀は信長から近江・丹波56万石を召し上げられ佐久間や林みたいに追放されてた可能性もあるね
36日本@名無史さん:03/05/28 17:28
 信長は優しい男じゃないぞ
 容赦なく厳しいシビアな人間だから
 敵やあくまで逆らう奴は滅ぼす
 脳無しには織田家を辞めてもらう
 天下統一事業に義理・人情は不要
  結果が全て
37日本@名無史さん:03/05/28 19:45
しかし誰も蝦夷に行くってのは考えてないな

信長なら、気付いて植民地化させるかもしれない
38日本@名無史さん:03/06/01 05:27
佐藤大輔の『覇王信長伝』の四巻(中公『信長征海伝』)早くでないかなー
39日本@名無史さん:03/06/01 05:35
誰も気づいてないようだが、日本の首都が名古屋になる。
名古屋弁が標準語だぎゃ。
40日本@名無史さん:03/06/01 05:46
信長が統一しても、その死後信忠に信長のカリスマを求めるのは
無理っぽいなあ。
織田家内部分裂で信忠は一地方大名に落ちぶれるって感じ?
41日本@名無史さん:03/06/01 07:32
>>39
えっ、滋賀じゃなくて?
42日本@名無史さん:03/06/01 08:55
とりあえず、今頃は男色天国だな。
43日本@名無史さん:03/06/01 09:44
>>39 >>41
信長は最終的には大阪に城を築きたかったらしい
44:03/06/01 10:02
信長が日本を統一したら、
今の官僚に近い政治態勢を築くと思われ。

信長が絶対君主ではあるが
さらなる合理的な官僚システムを築き上げると思う。
(信長が生きてた時も 合理的な官僚システムはあったが。)

信長が生きてたら、日本は合理化が進んで
近代的な貿易国になったと思う。
他国への侵略戦争はないと思う。
しかし、信長の死後は、近代的な合理化に馴染めない
名誉や身分の権勢にこだわる連中が
信長のやり方の廃止を浸透させていき
信長態勢は崩れたと思う。が
しかし、秀吉のような存在がそれを打ち破り、
信長態勢の良さをとり入れた新しい政治態勢を作ったと思われる。
45日本@名無史さん:03/06/01 10:07
  / ̄ ̄ ̄\
  |  FDH  |
  |/ ̄ ̄~\|
  ┃ __  __ #┃ 
 [| (・) (・) |]   
  | ┐・・┌ |  / 「今年は優勝できる!」とか「去年とは違う!」とか言ってるけど
   \ ◎ / <   それって去年も言ってなかったか?
    |   |    \ 毎年同じことの繰り返しだな。 犯珍ファソって学習能力ゼロ!
   /\__/\ 

46日本@名無史さん:03/06/01 13:59
>>43
信長が本拠地としようとしたかは別問題。
安土にあれだけのものを築いて捨てることはあるまい。
大坂は所詮、前進基地だよ。

>>44
官僚制の定義とは?
47日本@名無史さん:03/06/22 19:26
日本国初代皇帝織田信長
日本国二代皇帝織田信忠
日本国三代皇帝織田秀信
48日本@名無史さん:03/06/22 20:16
秀信が皇帝?はぁーっ三代で終了だな。
49日本@名無史さん:03/06/25 04:23
信忠が長生きしていれば、正式に結婚して子供を作っただろう。
秀信は側室の子。後継者になった可能性は低い。

>>46
大阪こそ、首都にふさわしい(馬と小型の船と歩行が交通手段の時代には)。
安土は前進基地でしょう。
それにあそこは、琵琶湖からの風で居住環境としてはよくない。
安土城は天下統一完成の暁には、記念碑・モニュメント、あるいは”信長教”(?)の神殿というところじゃないかな?
50日本@名無史さん:03/07/02 17:44
欧米の傀儡政権になる。
信長は売国奴。欧米の言いなりに、日本をめちゃくちゃにする。
外国人が我が物顔に日本の国土を闊歩し、蹂躙する。
信長ひとり、欧米からのおこぼれを頂戴する。
51日本@名無史さん:03/07/02 18:03
少なくとも、いまよりは明るくて、風通しがよくて、
ホンネとタテマエの較差の小さい社会になっていたと思われ。
52日本@名無史さん:03/07/02 18:07
連行されてきたシナ人や鮮人がゴロゴロ混住の悪夢。
53日本@名無史さん:03/07/02 18:11
>>52
100年もたてば適度に混じりあってマターリ治まると思われ。
54日本@名無史さん:03/07/02 18:32
将軍にはなったろうね。
恩賞に茶会開催権とか茶器を与えて家臣もそれを喜んでたし、
強烈に貨幣経済が根付いていたみたいだから、
封建制ではなく群県を敷いて年俸制になってたかも知れんな。

信忠も家臣団の評判高いし、実際に尾張・美濃衆を率いて連戦連勝だったし。
秀信にしても、落城間際に家臣の再就職斡旋の推薦状を書いてるくらいだから、
良い主君だったろう。

良い政権になったんじゃないかい?

>50
当時はアメリカまだ無いよ。w
55日本@名無史さん:03/07/02 19:51
南蛮から造船技術を導入し軍艦大量建造。
陸軍大量輸送して明を攻め滅ぼし和を建国し自ら皇帝に。
さらにインドシナを攻め南蛮を退けて香辛料ビジネスを独り占め。
その勢いでインドも攻めて、三国にまたがる大帝国を築くのじゃ。
56日本@名無史さん:03/07/03 00:05
>>54
信長の時代、むしろ貨幣経済は衰退しつつあったわけだが。
57日本@名無史さん:03/07/03 00:17
>>1
光秀が殺らなくても、いずれ誰かに殺られてたでしょう。
58日本@名無史さん:03/07/03 00:19
>>54
むしろアメリカ大陸に進出して、アメリカは日英両国の移民が中心の国家となり、
日米英の世界覇権トライアングルが成立する。…ってのもアジア進出以上に浪漫がある。
59日本@名無史さん:03/07/03 00:23
>>55
まず人数的に明に勝てないからさ・・・
しかも陸戦で有効な火縄銃を持ってなかった朝鮮と違って明は
1548年から量産体勢に入ってるから。
60日本@名無史さん:03/07/03 00:23
猿は速攻抹殺
明智の次の餌食は猿だった
61日本@名無史さん:03/07/03 01:11
明智がやらなきゃ
羽柴がやった
羽柴ができなきゃ
徳川がやった
それだけのことで
信長は結局、死んだね
62日本@名無史さん:03/07/03 01:16
いつかはしぬさにんげんだもの
              みつを
63日本@名無史さん:03/07/03 01:18
満州族は原始的な武器と小人数で征服したが。
64日本@名無史さん:03/07/03 01:18
信長も49歳だったんだろ?上杉謙信なら死んでた歳だし
信玄でもあと4年で死ぬって歳だ。
信長もあと何年生きることができたか。
信長個人のカリスマあっての絶対権力であり、信長が死んだら
終わりってなもんだ。
65日本@名無史さん:03/07/03 02:11
あのさあ、信長は病死だよ
66日本@名無史さん:03/07/03 11:09
交易を求めて南方に進出じゃないかな?
鎖国政策しないだけでも日本の近代は違ってたかもね

交易求めて覇権を太平洋・アジア・オセアニアに求めた織田帝国は
一時は太平洋をほぼ手中に収め栄華を誇るが
しかしインドでイギリスとアメリカでスペイン等と衝突し
また各地の独立民族運動により次第にその勢力を弱める
だが織田帝国末期には危機感なく産業革命の0欧州列強に取り残されて
落日の帝国と呼ばれた
想像すると楽しいね
67第六天魔王:03/07/03 12:10
信長なら日本を統一しただけじゃ物足りないと思っただろうから、世界征服を狙いそう。
68ぽちくん:03/07/03 12:17
>>64
家康は70過ぎても生きてましたが・・・。

やっぱり天皇を廃嫡したかもだ。
69日本@名無史さん:03/07/03 20:50
>>64
自然死できた信長の弟達や子供達は比較的長生きだから、
信長も長生きする可能性は高いと思うよ。
あくまで自然死ならばだけどね。
70日本@名無史さん:03/07/04 01:12
確かに今ごろ皇太子さまも愛子さまもこの世にいらっしゃらないだろうな
71日本@名無史さん:03/07/04 01:13
>>66
鎖国してもしなくても変わらんよ。たぶん。
鎖国してても日本の絵画や陶磁器がヨーロッパに大量に輸出されてたのは
周知の事実。商取引は行われていたのだから大して変わる要素が無い。
オランダだけだと言われてもイギリスはオランダに東南アジアを追われて
から復活に時間を要したし、スペインやポルトガルは来航を禁止された
けれどもその後廃れたから意味ないし。
ロシアやアメリカの捕鯨船が姿を現すようになり、さらにペリーが
来航するに至るまで、日本から求めぬ限り変化を強要される要素が
ないんだよね。
72関西人:03/07/04 01:55
信長は49歳で死んだが、なぜかイメージでは
もっと若い信長が浮かんでくる。
やっぱり本能寺の変とかで壮烈な死に方をしたので
そう思うのかな。
加藤清正は50歳、上杉謙信は49歳、池田輝政は50歳
で死んだけど、こっちはどういうわけか老いぼれた感じがする。
73日本@名無史さん:03/07/04 01:59
その話はこのスレでもでてたね

■★秀頼は本当に秀吉の子供だったのか?★■  
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1037466816/
74日本@名無史さん:03/07/04 04:38
>>71
ヨーロッパの諸国がその体たらくだったのなら、
鎖国しなければ、
17世紀、アジアの海は日本の勢力圏だったかもしれないのにー。

やっぱり、秀吉・家康の天下よりも、
信長の天下のほうが、夢や可能性を感じるのは、俺だけではないであろう。
75日本@名無史さん:03/07/04 05:02
>>74
同意。信長が天下とって欲しかったな・・
76日本@名無史さん:03/07/04 06:30
まぁ、俺は生まれていなかった・・・
77日本@名無史さん:03/07/04 07:25
狂気の信長に対して秘密裏に動いていた大名級の反乱組が強化され、
結局殺される。50才前半で殺されるので、なーんも歴史がかわらん。
狂い死にしたかもしれんなぁ。むなしいムナスレじゃの〜〜
78日本@名無史さん:03/07/04 10:14
むなしいムナスレじゃの〜〜
79日本@名無史さん:03/07/04 10:40
たとえ信長が生きながらえたとしても
跡を継ぐ信忠にそれほどの器があったかどうか。
そこそこのいくさ人だったようだが。
80日本@名無史さん:03/07/04 11:13
所詮、信長は見下していた部下に殺された哀れな男
まぢ犬死だし、なんでそんなに夢を見れるのか不思議
漫画・小説の読みすぎ?
81日本@名無史さん:03/07/04 17:15
いや、ネタ。丸ごとネタスレ
82日本@名無史さん:03/07/04 18:49
信長が南に侵略したとして
アジア・オセアニアに日本が権益を持っていたら
欧米列強との衝突やアジアでの立場も変わってたね
秀吉もそうだが朝鮮じゃなく琉球から南に進路を変えて
インドシナとかに行ってればナァ…と
83日本@名無史さん:03/07/04 22:37
琉球王に負ける信長は見たくない
84エロタン星人:03/07/04 22:45
この度、ファンの度重なるご要望により、
 眼鏡娘の作品を作ることにしました。

眼鏡マニアの方がいらしゃいましたら、
  言ってもらいたい台詞や、
 プレイの内容など、参考意見としてお聞かせ下さい!

 当HPの欲望BBSの方で、ご意見を募集していますので、
  よろしく、お願いします!
ttp://pink.sakura.ne.jp/~erotan/
85日本@名無史さん:03/07/05 03:38
>>74
朝鮮水軍に勝てないレベルでんなことできるわけがねえ・・・
だいたい大砲を鋳造する技術が極めて劣っているから
海戦ではどこに対してもほとんど勝ち目が無い。
86日本@名無史さん:03/07/05 23:41
>信長が暗殺されなかったら日本はどうなった?

とりあえず上のような誇大妄想はもうできなくなる。
(信長ならこれを期待させるってのばっかじゃん)
87日本@名無史さん:03/07/06 00:06
そういや、信長が暗殺されなかったら、
信長公記が日本の正史になりそうだね。
88日本@名無史さん:03/07/06 01:45
非道信長を抹殺した光秀公は
日本を救ったのです
89日本@名無史さん:03/07/06 04:06
光秀マンセー
90日本@名無史さん:03/07/06 04:32
昔どっかの栄養士が
「信長のライフスタイル(主に食生活)では長生きできない、
本能寺の変で死んでなくても50代で病死してる」
なんて言ってたな。
91日本@名無史さん:03/07/06 05:12
その栄養士とやらは、
信長のライフスタイル(主に食生活)を知っていて、
そんなでまかせを言っているのかと、小一時間問い詰めたい
92日本@名無史さん:03/07/06 07:11
信長って何食ってたの?
93日本@名無史さん:03/07/06 07:35
髑髏杯で酒飲んでたのが体に悪かったとか(w
94日本@名無史さん:03/07/06 09:13
都の料理人の味付けが薄いとか言って、キレたとか言うエピソードからじゃない?
この話の信憑性がどれほどあるかは謎だが。
塩分とり過ぎといいたいのだろう、その栄養士は。
95日本@名無史さん:03/07/06 10:12
それだけのエピソードで長生きできないなどほざくのか?
96日本@名無史さん:03/07/06 13:47
>>90の栄養士ではないと思うが
信長は早食いだったので消化器官への負担が強かった。
秀吉は天下人になってからは美食家になり
栄養のバランスが悪く寿命を縮めた。
家康は粗食をよく噛んで食べてたので長生きできた。
という話を聞いたことがある。
97日本@名無史さん:03/07/06 14:12
ふ〜ん
でも信長は人間じゃなさそうだからな・・
病死ってのはなんか想像つかない
98日本@名無史さん:03/07/06 20:07
>信長は早食いで、家康は粗食を咀嚼・…
ホトトギスの歌と同じで、
イメージだけのでっち上げ。
根拠なし。
99日本@名無史さん:03/07/06 21:40
>>96
漏れもその話は聞いたことがあるけど、
早食いのせいで短命に終わった人って他にいるんかね。w
100日本@名無史さん:03/07/07 02:30
まあ年中ブチ切れてばっかだったから、高血圧だったろうな。
そのうち脳溢血かなんかで死んだだろう。
101 :03/07/07 04:30
ルイス・フロイスの『日本史』によれば、信長は日本統一後、
「中国を武力で征服し、日本は我が子たちに分かち与える」
と自らの構想を語っていたとのこと。
フロイスは直接信長と会見した人物なのだから、
この記述は信用してよい。
そしてフロイスは、信長のことを絶対君主と呼んでいた。
102 :03/07/07 04:31
絶対王政とは、中世封建政治から近代民主主義政治への
移行期(16-18世紀)に現れた中央集権政治のことである。
1.常備軍、2.官僚制、3.重商主義、4.植民地獲得などを
特徴とするが、これらは、信長が実行もしくは実行しようとしたこと。

西洋の近代化は、地方分権的な封建体制→中央集権的な絶対主義
→個人分権的な民主主義というプロセスを経ている。
本能寺がなければ、信長は完全な官僚制を敷き、
また世界に先駆けて、産業革命を実現したかもしれない。
信長は秀吉のよに妥協的でもなければ
、家康のように退廃的でもない。
ちなみに秀吉も家康も日本の約1/3程、600万石を
支配したに過ぎないが信長は日本全土が直轄領だ。
103 :03/07/07 04:32
秀吉の朝鮮出兵において、
日本軍は、陸上戦で連戦連勝であったにもかかわらず、
海上戦では李舜臣が率いる朝鮮水軍に連敗し、
このため補給路が断たれ、明まで攻めることはできなかった。
なぜ日本の水軍は、連敗したのか。
朝鮮の亀甲船が優秀だった訳ではない。
李舜臣が一時失脚した時、日本の水軍によって
亀甲船の艦隊が全滅している。
日本水軍が制海権を失ったのは、李舜臣に匹敵する
海戦のエキスパートがいなかったからだ。
104 :03/07/07 04:32
信長なら、たぶん、朝鮮・中国の沿岸に詳しい倭寇を
活用していたであろう。
しかし、秀吉はそうしなかった。
すでに大名になっていた九鬼嘉隆は、日本国
内の海賊の出身だったから、朝鮮沿岸の事情は詳しくなかった。
これに対し、李舜臣は、潮の流れの逆転を利用するなど、
地元である利点を利用して、
少数の亀甲船で日本の大軍を破った。
105 :03/07/07 04:34
秀吉は朝鮮出兵で約15万人の軍勢を送り込んだが、
信長なら少なくとも50万人は可能。
後年「明」を滅ぼした女真人の国「後金」は
人口が、わずか50万の小国だった。
106日本@名無史さん:03/07/07 11:55
でも女真の戦闘員率は激高だよ。
女真のまえに秀吉の朝鮮征伐もあったし。
107日本@名無史さん:03/07/07 12:29
日本人の性格は変わってただろうな。
徳川家の暗い性格じゃなくてもっと開放的に。
108日本@名無史さん:03/07/07 12:40
徳川一族恨めし・・
109日本@名無史さん:03/07/07 19:01
SF小説「とらえられたスクールバス 後編」(眉村卓/角川文庫)より

>未来から来た少年とともに過去へ旅する主人公たちの目の前で歴史が変わろうとしていた。彼らは時間
>航行管理局の駐在員たちと協力して歴史の修復作業に当たる事になる。

教授はうながした。「これで打ち合わせが済んだのなら……あなたが調べて来たという、本能寺の変がおこらなかった歴史というのを……聞きたいものだ」
「――うむ」
セドウド・ジンは、ちょっと渋った。
「お願いしますよ。ぼくも興味がある」
北先生がいう。
「どうなるんです?」
「歴史はまるで変わってしまうんですか」
「話して、くれ」
信夫たちも、口々にいった。
「セドウド・ジン氏、あなた、あとで話すといったがね」
教授が、迫った。
「よかろう」
セドウド・ジンは、あぐらのまま、上半身を伸ばした。「いや……私がためらったのは、私が調べたというのも、本能寺の変がおこらなかった場合の、そのうちのひとつの流れに過ぎないし……その把握のしかたも、的を射ているかどうか、あまり自信がなかったものだから……」
「いいじゃありませんか。それが今、主流になりかけているんでしょう?」
と、真一。
「修復に失敗したら、ぼくたち、その流れの中で生きなきゃならないんでしょう?」
信夫もいった。
「そうしたら、わたしはひどいことになるかも知れないとおっしゃいましたね?どうなるのです?」
みねも、たずねる。
「――そうなんだよ」
セドウド・ジンは喋り出した。「つまり……明智光秀が謀反をおこしたと知った信長は、いったん安土城にしりぞいて、防備を固めようとした。が……光秀は物見を出して、自分の反逆がすでに信長に察知されたと悟り、京に入るのを断念して、西へ向かった」
110日本@名無史さん:03/07/07 19:06
「なぜ、京へ入らなかったんです?」
「西って……どこへですか?」
信夫と真一が質問した。
「京に入ったところで、そのままでは立ち枯れになるからさ」
と、セドウド・ジン。「かりに京に入り、天皇を擁して天下に号令しようとしても、信長が健在で、信長の下の武将たちが大軍をひきいてのぼって来れば、ひとたまりもないだろう。古来、京ほど守りにくいところはないとされているし……光秀という人は、
伝統を重んじる教養人で、京を戦乱の巷にはしたくないはずだ。だから反転して……西の、毛利と対戦している秀吉の背後をつくことにしたのさ」
「秀吉の?」
「そう。光秀は反転と同時に毛利方に使者を送り、信長には許しがたい行状が多々あるため、今後は毛利方に一味したいといい、それを裏づけるため、秀吉に攻めかかったんだな」
「面白い」
教授が身を乗り出した。「で……どうなんだろう。私が学んだところでは……いや、これは本能寺の変がおこったほうの歴史でだが……信長を討った光秀は、毛利方にその旨を知らせる使者を何人も送った。ところが不運なことに、その最初の使者がまちがって秀吉の陣中に入り、
事情を知った秀吉は、あとの使者もことごとくつかまえて斬る一方で、このことを秘密にし、毛利と和睦を結んで大急ぎで引き返し、山崎の合戦で光秀を破った、と、こうなるわけだが……その密使は、秀吉につかまらなかったのかね?」
「使者のひとりかふたりは、秀吉軍にとらえられたようだ」
セドウド・ジンは答えた。「だが、最初の使者が無事に毛利の陣中に到着したので、毛利方は奮い立った。秀吉軍の水攻めにあって和議の交渉をはじめていた高松城の人たちも同じだ」
111日本@名無史さん:03/07/07 19:08
「それじゃ、秀吉軍ははさみ打ちにあって全滅したのですか?」
と、早坂哲子。
「そんなに滅茶苦茶にはならなかったよ」
セドウド・ジンはいう。「大体、このときの秀吉は、自力でも高松城を落とせるところまできていたというのが、一般の定説なんだ。ただ……そうしてあまりの大手柄を立てると、主君の信長に警戒される。
それではあと、信長にうとんじられるだろう。うとんじられる位ならいいが、殺されてしまうかもわからない。それをおそれて、ご主君みずからご出馬になって下さらねばどうにもなりません――
と、わざと助けを求めたんだ。そうすれば中国平定の大手柄は、信長のものになるから……秀吉自身は安泰だ、と、こう計算したのだといわれている」
「むつかしいんだなあ」
真一が首をひねった。
「そのへん……それほどくわしくは勉強していないが……かしこいやりかたかも知れない」
これはアギノだ。
「ともかく、そんなしだいで、秀吉軍には結構余力があった」
セドウド・ジンはつづける。「だから毛利方と光秀勢にはさみ打ちになっても、よく頑張った。それでもしだいに劣勢になって、壊滅寸前までいったときに、四国を攻めようとして大坂にいた丹羽長秀と神戸信孝の軍が到着して……助かったんだ」
「やはり豊臣秀吉という人は、歴史の流れが変わっても、運が強かったのかな」
北先生がいう。
「いや、そうでもないよ」
セドウド・ジンは肩をすくめた。「豊臣秀吉という人物は、結局、存在しないことになる。彼は、羽柴秀吉のままで終った」
「へえ。どうして?」
と、北先生。
112日本@名無史さん:03/07/07 19:11
「秀吉が天下を握ることが出来たのは、信長を討った光秀を滅ぼしたのをきっかけとしてなんだ。そうじゃないか?」
セドウド・ジンはいうのだ。「しかし、この歴史では、光秀は一旦毛利方についた。またそれだけの大義名分もあったんだ。光秀は元来、十五代将軍だった足利義昭に仕えていて……
信長に追われ備後にいて、反信長連合を作りあげようと工作していた義昭を、自分も奉じる格好で、毛利と対等に手を組もうとしたんだな。だが毛利は光秀を、自分のところの客将と
して利用しようとしたから、両者の間はまずくなり、光秀はしだいに孤立していった。それに、武将たちはともかく、光秀がひきつれていた兵たちは、本来織田の軍勢なんだから……
結局は失脚して……あと行方知れずになった。いいかえれば秀吉は、天下を取る機会を持てなかったわけさ。織田家の家臣として……そのまま働くしかなかったんだ」
「それじゃ、本能寺で死ななかった織田信長が、そのまま天下を統一して……織田時代になったんですか?」
信夫は問うた。
「信長は、天下統一を果たさなかった」
セドウド・ジンは答える。「信長一代では、無理だったんだな」
「なぜですか?秀吉は天下統一を……ぼくたちの知っている歴史では……やったんでしょう?それが、信長には出来なかったんですか」
と、真一。
「秀吉が行なった天下統一は、大急ぎでなされたものだよ。だからある意味では、中途半端だった」
セドウド・ジンはいう。「自分に従うものは許して、領土を元のままにし、逆らったものでも、そんなにひどい仕打ちはしなかった。そのため、大名たちが次々と帰順したのだ。
だから秀吉の天下は、大名の大連合体の上に乗ったものといえる。それが秀吉の死後、豊臣の天下が崩壊した原因のひとつだともされているがね。しかし、信長はそんな気はまるでなかった。
ひとつひとつ、ちゃんと方をつけ征服していこうとしたんだ。これは、時間がかかるよ。信長が六十一歳で死んだときには、まだ関東以北と中国の一部、それに九州も残っていた」
113日本@名無史さん:03/07/07 19:13
「なるほどな」
北先生がうなった。
「それに信長自身の評判も、しだいに悪くなっていった。本能寺の難をのがれ、毛利に大打撃を与えたころから、信長は、自分が神だと信じだしたんだ。
政治がきびしいのはそれ自体悪いことではないだろうけれども、度をこして、独断的になると、これは厄介だ。おまけに用がなくなった家臣は、どんどん殺したり追放したりした。
これでは民心はおろか、家来の気持ちも離れて行く。それでも信長が生きているうちは、何とか持ちこたえた。もっともこの死因も、病死か毒殺かよくわからないらしいが」
「で?」
と、教授。
「信長の死後、織田家の跡目は内大臣になっていた長子の信忠がついだ。信忠は弟たちより出来は良かったようだが、大勢力になっていた織田家をとりまとめていくには、
器量が足らなかった。弟たちがたてつき、柴田・丹羽・羽柴・滝川などの武将もそれぞれ反目し合ううちに、徳川に乗じられて、滅んでしまったんだ」
「…………」
「だが、だからといって、徳川の代になったのではない」
セドウド・ジンはつづける。「徳川は日本の中心的勢力になったものの、西には毛利、島津などがおり、東の北條は伊達などと組んで対抗して……大きく分けると、
七つか八つのそれぞれ数ヶ国にまたがる大大名たちが並び立ち、たたかいを繰り返すことになった」
「それじゃ、戦国時代に逆戻りじゃありませんか」
早坂哲子がいう。
「そういうことだね」
セドウド・ジンはうなずいた。「でも……考えてみれば、このほうが本当かも知れないよ。無数の勢力が並び立ってたたかううちに、しだいにその数は減って、少数の大勢力になるのが、
一般的な歴史の流れなんだからな。ただし、そうなってしまうと、なかなか決着がつかないのも事実だ。後期戦国時代となってからこの七つか八つの勢力は、
以後さらに六十年以上もたたかいつづけ、ひとつ、またひとつと滅ぼされて、徳川を筆頭とする四大勢力に落ち着いた。いってみれば日本は四つに分割されたわけで、
中でも北條家を滅ぼした徳川家が、最大の勢力だった。四勢力は他と手を結んだりたたかったりしながら、おのおの独立国家として存続し……十九世紀に入って、
西洋諸国の力が東洋に及んできたときに、天皇をいただいた連邦国家になる」
114日本@名無史さん:03/07/07 19:14
「ちょっと考えると私には、その四勢力がそれぞれイギリスやフランスなどと組んで、相争いそうに思えるがね」
教授が呟く。
「そんな必要はなかったんだ」
セドウド・ジンは受けた。「それらの勢力は、国力をつけるために、あたらしい技術をどんどん受け入れ、海外貿易にも熱心だった。鎖国なんてしているひまはなかったんだ。
ただそれだけにどの勢力も、キリスト教徒との問題にしょっちゅう悩まされていたようだが……とにかく、世界と歩調を合わせて近代化の道を進んで来たから……強力だったんだ」
「…………」
「そして、こういう道をたどったゆえに、日本人の気質は、私たちが知っているものとは大きく違っていったようだな。この歴史の中での日本人像は、きわめて先進的・開明的で、
それだけ攻撃欲も支配欲も強いイメージがあるようだ。それでいて礼儀とか大義名分を重んじるから……何となく、イギリスと昔の中国を合わせたようなところがある」
セドウド・ジンは、溜息をついた。「ここから先は、私たちの知っている歴史から、いよいよ離れていく感じだが……日本は海外にたくさん植民地を作り、植民地の奪い合いで他国とたびたび砲火を交えた。
第一次世界大戦のときからすでに主役を演じ、第二次世界大戦では、アメリカに上陸して……優勢のうちに講和を結んだりしたんだ」
「へえ……すごい!」
真一が叫んだ。
「けれども結局、そういう行きかたは、各国の反撥を招いた。しかも二十世紀後半、前半じゃなくて後半の、アジア・アフリカの民族運動の盛りあがりによって、植民地を次々と放棄しなければならなくなる。
植民地のあり余る資源の上に繁栄を誇っていた日本は、そうなるともろい。活気を失い……二十世紀後半から二十一世紀の前半にかけての技術革新時代にも遅れをとって、あと、百年近く沈滞の時代がつづくことになる」
115日本@名無史さん:03/07/07 19:15
「その先は……」
信夫はたずねた。
「いや」
セドウド・ジンは、ふっとわれに返ったような表情になった。「いや……ここから先はやめておこう。というより、はっきりとはいえないのだ。
そのあたりにまた大きな分岐点があって、主流がどっちへ行くか、揺れているんだよ。天正十年六月一日と同じようなことがおこっているんだ」
「どういうぶんきてんだ?」
アギノがいう。
「それは……説明しようとすると、長くなる。あなたがたの知らなかった歴史の、そのむこうにあるんだから……話しても、わかってもらえないだろう。
第一、あなたがたに、別の時間流とはいえ、そこまで喋るのは、控えたほうがいいと思う」
「…………」
116日本@名無史さん:03/07/07 22:33
>>103-104
それは結果としてそういう敵の反撃になっただけで、
こちらの攻め方が歴史と違えば向こうの反撃も歴史と違うはず。

その世界の後世が現在よりよくなるという保証は何もない。
都合良すぎでは?
117日本@名無史さん:03/07/08 01:29
信長が61歳まで生きていたとすれば、
毛利、上杉、長曾我部、こいつらは1・2年のうちに滅亡していたはず。
島津、北条、伊達、こいつらは、帰順しなければ、やっぱり滅亡していただろうなあ。
問題は、徳川と羽柴で、こいつらは、信長につぶす口実を与えるかどうかで生死が分かれる。
まあ、生きていたとしても辺境へ追いやられるんだが。
で、信長61歳まで生きていたら、
国内に反抗するものなし、したがって調停者としての朝廷も用なし。
天皇制も、16世紀を一期として終了していただろうなあ。
惜しい人を亡くした……・

で、後継の信忠は、柴田・丹羽・滝川程度を押さえるのはわけないでそ。
問題の徳川・羽柴は辺境で、領土も縮小されているので、野心はあれど、何もできない。
そして、絶対君主制の織田王朝は近代まで繁栄するのであった。
チャンチャン
118日本@名無史さん:03/07/10 22:27
明智光秀あげ
119日本@名無史さん:03/07/10 23:17
信長が生き続けてたとしたら対北条戦はどうなっていただろうか?
「秀吉に任せれば結果は同じ」とは思えない。
あの包囲作戦は莫大な金と兵力を要すると思う。
一家臣にすぎない秀吉にそんなことができただろうか?
また信長はその秀吉の計画に援助をするだろうか?
北条と膠着状態になっているうちに東北を統一した
伊達政宗が攻めてくる可能性も否定できないだろうし。
120日本@名無史さん:03/07/11 00:05
北条は信長が死ぬまでは友好関係を保っているんだが
121m:03/07/11 00:06
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    └-\.  \  ヽ.
          ヽ、__ノヽ、_ノ
123日本@名無史さん:03/07/11 02:01
>>120
伊達も、信長には、白雉(?)を献上して、よしみを通じようとしていたよね。
政宗が東北を統一した史実もないし(笑
124日本@名無史さん:03/07/11 02:43
輝宗ですか?
125日本@名無史さん:03/07/12 02:10
>119
恐らく武田討伐後の信長の対北条外交をみると、北条家にかなり厳しい要求を
したことは容易に想像できる。北条家としては受けいる事ができず敵対。した
がって半年以内に北条攻略に乗り出しただろう。
しかし大国の北条家、数年の内は北は一益を大将に西からは家康を大将にして
攻囲をしたのではなかろうか?
その後一益、家康らで北条旗下の内応工作を進め、上杉、長宗我部、毛利家滅
亡後ぐらいに上田、成田、里見らが北条家から離叛して、北条征伐に乗り出す
のでは?
そして大将は信忠で、副将に一益、家康と信雄。応援に勝家、秀吉、光秀、長
秀らほとんどの織田寄騎衆が参加することになると考察する。
126日本@名無史さん:03/07/12 03:41
漏れは「秀吉に任せれば」が疑問だがね
127 :03/07/12 10:47
秀吉って、天下統一後も常に信長の影に怯えていたと思うね。
本当にヤツが本能寺で死んだのか確信がもてない、もしかしてある日
突然自分の前に姿を現すんじゃないかと。
イラク人がいまなおフセインの影に怯えているように。
128日本@名無史さん:03/07/12 10:48
>>122
アンタ絵がヘタだよ、悪いけど。
129日本@名無史さん:03/07/12 17:25
>>128
どうせ、コピペだろが
130日本@名無史さん:03/07/12 17:37
>>128-129
コピペって言うか宣伝にマジレス(ry
131129:03/07/12 17:46
俺は>>128にレスっただけだぞ。日本語を理解しろ(ry
132山崎 渉:03/07/15 11:54

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
133日本@名無史さん:03/07/15 17:30
アメリカは日本領
134日本@名無史さん:03/07/15 17:49
>>129-131
つか、漏れはリンク先を見に行ったうえで言ってるんだが。
135日本@名無史さん:03/07/15 17:54
つまり、AAではなくてグラフィックスのことだな?
136日本@名無史さん:03/07/15 17:58
>>135
んだ。
137日本@名無史さん:03/07/15 18:26
>>127
ソースは?
138日本@名無史さん:03/07/16 00:24
織田信長が生きていたら?気宇壮大にいこうよ。
雄大な版図を日本は確保してたとか。
多分北は樺太、南は台湾にフィリピン・香港・海南島、東は
ハワイ王国程度は版図とし
東南アジアに日本租界ができてたくらいかな。ただそれが限界だろう。
あとは南蛮貿易や対中国貿易の利潤を確保し競争相手の欧州勢を
蹴落としたが、但し信長路線はどっかで蹉跌がきたろうね。
日本を中心とした守りの姿勢に入る。鄭成功の救援要請に応じて
明を手助けし香港とか海南の領有とか交易利権を得れたろうけど、それが
限界、徳川みたいな内向的な国土開発・内需拡大の重農路線がでてくるだろ。
スペインポルトガルが没落しオランダも力を失いイギリスとかはインドに
重点を置き交易相手が不安定になるし。
 そしてやはり産業革命からは一歩遅れ、近代的な国家への脱皮は黒船来航
じゃなく先進的な情報を入手しやすい海外日本勢と保守内向的な本国日本
の内戦。
この場合の維新は何処まで成功しうるか保証の限りじゃない。
なんせ海島海洋帝国のスケールは広い。東南アジアとか朝鮮半島とか満州
(この場合明健在なので別の国)まで強制的に巻き込んで・・
何処かで失敗するか運が良くても史実のような強権じゃなく緩やかな
インドネシアのような連邦みたになる。
人口も国土も一目置かれるが到底世界第2の経済大国にはなりえなかった。
139日本@名無史さん:03/07/16 00:26



毛利の天下になっていたでしょう



140日本@名無史さん:03/07/16 00:37
平和ボケした250年間が取り戻せる
141日本@名無史さん:03/07/16 10:33
平和ボケした250年間モッタイナイ
142日本@名無史さん:03/07/16 12:59
>>138
「インドネシアのような」
とは情けないね。
しかし、西欧の植民地になり、現在は華僑に経済を牛耳られているインドネシアと、
織田王朝(?)を経て近代化した日本は、全然似ていないと思ふ。
鎖国をしていないから、偏狭な尊皇攘夷論が強まると考えられないし、
いきなり黒船が来るのではなく、
産業革命の情報は、史実よりもスムーズに浸透してくると思ふ。
よって、近代化にあたって、海外派本国派の内戦は、起こらないか、
対立はあっても、まとまりは維持できると思ふ。
143日本@名無史さん:03/07/16 13:39
>>142
本部と現場との対立はよくあるぞ。まして現場が東南アジアとかで
開拓屯田兵の軍閥、本部が本国中央政権の武家官僚・・ちょっとした
きっかけで対立紛争、多分本国への税金とか軍役とかも絡んでくるし。
なにより距離があるし、
138の主張だと本国の場合・・他国への脅威じゃなく、植民地の発言権
拡大への脅威がウェート高くなっての内戦の方が起きかねないかな。
144日本@名無史さん:03/07/16 15:22
信長は天下布武そして新しき秩序を求めて死んだ。
秀吉は天下統一し、朝鮮征伐という新たな戦を求めて死んだ。
家康は国内を丸く治め鎖国と言う名の引きこもりを完成させた。
145日本@名無史さん:03/07/16 15:28
信長と家康が戦争したらどっちが強いんだろう?
146日本@名無史さん:03/07/16 16:14
>145
どちらが強いか比較するということは
ある程度戦力が同じだという状況を想定するのだろうか?

家康が順当に信頼を集め、信長は好き勝手やって周囲が不満を持たれる状態?

・・・やっぱり信長は謀反で死亡の予感
147日本@名無史さん:03/07/16 16:23
>>145
戦略の信長、戦術の家康だな。
信長は基本的に戦わずして勝つがモットーだから。
148日本@名無史さん:03/07/16 18:22
>>145
史実では、圧倒的に信長が強いね。
家康は、内心不満を抱きながらも、従属せざるを得なかったという。
家康は、信長よりも信玄のほうが馬が合いそうだと思っていたが、
勝つのは信長と判断して同盟を続けたという。
しかし、
信長の援助のおかげで三河を統一し、駿河を領土化することができたんだから、
家康にとっても、同盟はプラスだったんだろう。
149日本@名無史さん:03/07/16 22:57
徳川幕府のために停滞していた250年。
織田王朝だったら、どうだったんだろう?
150日本@名無史さん:03/07/16 23:55
停滞?
馬鹿も休み休み言ったらどうだ。
151日本@名無史さん:03/07/16 23:58
>>7が正解
152日本@名無史さん:03/07/17 00:15
>>150
徳川信者だろ
153日本@名無史さん:03/07/17 09:43
信長はその個人のカリスマ性故に、自分の死後も織田政権を確立できる
ような組織作りはできなかっただろうね。
一代で終わりの政権じゃ何も変わらないよ。
154日本@名無史さん:03/07/17 14:44
天皇廃して王権建てるだろうな。
155日本@名無史さん:03/07/17 18:55
>>153
部下に裏切られたのにカリスマ性があるなんて変な話だな。
少なくとも生きているうちは部下に裏切られなかった秀吉・家康の方がカリスマ性は上だろ。
156日本@名無史さん:03/07/17 19:41
>>155
そこらの糞坊主信じるより
第六天魔王を信じろと言うことだろ。
157日本@名無史さん :03/07/17 19:57
 それよりも信長って呼ぶのっておかしいと思わないか
 信長って忌み名だろう
 やっぱり天下様とか上総の介様か?
158日本@名無史さん:03/07/17 20:06
家康は結構、裏切られまくってるが。
159日本@名無史さん:03/07/17 20:09
家康だもん
160日本@名無史さん:03/07/17 21:15
考えてみたら光秀以外も信長の裏切られっぷりは凄まじいな。
もう少しカリスマ性があればもっと早くに天下人になれたかも。

秀吉は気配りをしまくったおかげで生前は裏切り者がほとんどでなかったが、
これは信長を反面教師にしたんだろうな。
161日本@名無史さん:03/07/17 21:27
>>160
信長にカリスマ性があるなんて与太はどこで生まれたんだろうね?
162日本@名無史さん:03/07/17 21:35
>>152
江戸時代が停滞していたなどというのは、一部のお馬鹿だけだ。
むしろ、現代のほうが文学、芸術は停滞している。

163日本@名無史さん:03/07/17 21:38
信長も秀吉も家康も
皆それぞれカリスマ性持ってんじゃないの?
カリスマ性がなけりゃ天下人になるどころか国を治めるのも難しいんじゃない
164日本@名無史さん:03/07/17 21:41
>>162
二行目に同意。大衆音楽は堕落しきっておる。
優秀な人材がアメリカに流れるのも仕方あるまいて。
165日本@名無史さん:03/07/17 21:42
キリスト教を禁止しなかったので、欧米列強の植民地になっていたと思う。
166日本@名無史さん:03/07/17 21:58
大衆音楽が堕落していない状態を想像できないが。
167日本@名無史さん:03/07/17 21:58
>>162
禿同・・・確かに江戸時代のほうが文化的には豊かだった。
悲しいかな実生活的にも江戸時代のほうが・・
少なくとも公害とか汚染と無縁だった分だけ・・ゴミの不法
投棄も無いし(あっても所詮木と紙の製品)
168日本@名無史さん:03/07/17 22:06
江戸時代、西洋に負けていたのは、科学技術と武器だけだな。
商業の発達は言うの及ばず、世界に類を見ない識字率を背景にした
豊かな文化と女性でも一人旅ができたような平和な国。
世界でもっとも清潔で美しかった江戸。


169日本@名無史さん:03/07/17 22:15
>>168
それはちと江戸を美化しすぎでは?
170日本@名無史さん:03/07/17 22:29
信長が生きていたら、天皇家は滅びていた可能性がある。
しかし信長が死んだら、同じように明智・柴田・豊臣の三人で天下を争っていたと思う
171日本@名無史さん:03/07/17 22:36
>>170
徳川は入れないの?
172日本@名無史さん:03/07/17 22:40
徳川は豊臣の言いなりになる可能性が高い
173日本@名無史さん:03/07/17 22:44
普通に信忠が信長の後を継ぐってのは考えないの?
174日本@名無史さん:03/07/17 22:44
天皇家の廃絶は無理だろ。完全に武力統一を果たしたとしても
政権の永続化を図るなら違う方法で無力化を図るだろ。
なんせ天皇を根絶なんぞしたら信長の代はともかく、次の代に
あっという間に下克上だろ。そのくらいの計算は出来るだろう。
ただし天皇を取り巻くウザイ長袖人・・白粉公家は排除して
信長以下の側近武将連が朝廷簡易官位を固めたような
ようは朝廷と幕府を合体したような政権にしたのでは。
175日本@名無史さん:03/07/17 22:45
ただ平和ボケした250年間だろ。
階級設けて民を押さえつけ、上は美味い汁を啜る。
文化なら安土桃山だって負けてない
176日本@名無史さん:03/07/17 23:01
>>169

私が美化したわけではなく、江戸時代に日本を訪れた西洋人によって
行われた、きわめて客観的な評価です。


>>175
平和ボケって、君は植民地になって独立後も、キリスト教徒と非キリスト教徒
の紛争が現代にいたるまで、行われていたほうがいいとでも?

177日本@名無史さん:03/07/17 23:03
>>174
なんか秀吉がやったことに似てるな
178日本@名無史さん:03/07/17 23:08
>>176
信長が生きていれば、植民地にさせるとでも言いたいのか?
179日本@名無史さん:03/07/17 23:13
>>178
結局、2代目、3代目あたりで、キリスト教を禁止していたかもしれないので、
そんなことは断言できないよ。(苦笑
180日本@名無史さん:03/07/17 23:41
>>175
ほとんどの武士は決して裕福ではなかった。
幕府が金を使わせるように仕向け続けたからだな。
では武士が使わされた富はどこへ流れたのかと言えば――
181日本@名無史さん:03/07/17 23:51
吉原
182日本@名無史さん:03/07/17 23:54
元禄バブルの時は吉原を借り切って、小判まいてた商人もいたからな。
183日本@名無史さん:03/07/17 23:59
参勤交代で使われた金がもったいないね
184日本@名無史さん:03/07/18 00:11
信長が個人的に天皇家を敬っていないとしても、
またウザイ存在だと思ってたとしても、
「だから廃止した」とはならない。
天皇家を潰すことのメリットがほとんどない。
185日本@名無史さん:03/07/18 01:30
ごくつぶしをつぶすだけ。
存在することのメリットがない。<天皇
186日吉丸:03/07/18 01:49
荒廃した天皇家に三千石を与えたのは信長だよ。少なくとも天皇は残ったはず。
延暦寺まで焼き尽くした人なのに・・それは不思議・・。
あとねぇ〜、鎖国をしたのは家康じゃないよ。3代将軍の家光だよ〜。
187日本@名無史さん:03/07/18 02:58
>>186
利用できるものは、糞でも利用したというだけの話<天皇

比叡山の焼き討ちについては、当時の人の文書にも出てくるのが、
比叡山の寺域からは、大規模な火災の痕跡が出土していないという(新聞で読んだ)。
大寺院や、森林が燃えたのなら、大量の焼け炭が出るはずなのだが、出ていない。
てことで、
俺の想像だが、比叡山焼き討ちはなかった。
そこに住んでいた僧侶や坊主や、妾や子供を追放し、
抵抗する僧兵は容赦なく殺戮したが、
放火はしなかった。
逃げる際に、あわてた坊主が蝋燭にけつまずいて、2・3の僧坊は燃えた。
それが、京都の町からは全山が燃えあがっているように見えた…
てことではないのかな?
188日本@名無史さん:03/07/18 03:30
>>185
あるものを潰すのならそれに対する
メリット、デメリット考えるのが普通だろう。
で、メリットがごく潰しだからで
デメリットはナシか?(w
あまりにアホすぎてもう笑うしかないな。
189日本@名無史さん:03/07/18 03:32
>>187
つまり利用するだけのメリットがあるということだな。
190日本@名無史さん:03/07/18 04:58
>>187
延暦寺の坊主どもが全国に逃げ散り、秀吉が再建のために巨費を
投じているのに、焼き討ちが無かったと言うのはありえないな。
もちろん、焼けたのが二三の僧坊なんてこともない。
だったら再建の手間もかからないだろ。
延暦寺はこの頃は既に比叡山になく坂本の町にほとんどが移動していた。
だから信長が焼いたのは坂本の町ということになる。
その後光秀が入って以降町が再建されているのだから、延暦寺があった頃の
ことなんて今となってはわからない。であるから、比叡山を調べてみても
焼け跡なんざ見つからない。
191_:03/07/18 05:05
192_:03/07/18 05:22
193日本@名無史さん:03/07/18 05:54
>>1
>信長が暗殺されなかったら


( ´,_ゝ`)プッ  暗殺されてねえよ、自殺だろ
194日本@名無史さん:03/07/18 06:16
>>193
≫信長が暗殺されなかったら

>( ´,_ゝ`)プッ  暗殺されてねえよ、自殺だろ

ウザイよ。


195_:03/07/18 06:33
196_:03/07/18 07:10
197_:03/07/18 09:05
198_:03/07/18 09:47
199_:03/07/18 10:33
200_:03/07/18 11:20
201_:03/07/18 13:57
202_:03/07/18 14:09
203セイラ:03/07/18 15:02
204日本@名無史さん:03/07/18 15:15
信長が死んでなかったら
しゃくれ人間の末えいが増えていたと思われ
205_:03/07/18 15:30
206_:03/07/18 15:34
207_:03/07/18 16:48
208_:03/07/18 16:59
209日本@名無史さん:03/07/18 20:19
>>190
> 延暦寺はこの頃は既に比叡山になく坂本の町にほとんどが移動していた。
> だから信長が焼いたのは坂本の町ということになる。

なるほど。だとすると、比叡山焼き討ちは誤まりで、
延暦寺焼き討ち、または坂本焼き討ちというべきなんだねえ。
210日本@名無史さん:03/07/19 01:51
>>209
例え場所が移動していても延暦寺を「比叡山」だの「山門」だのとは
皆呼んでいたのだから問題ないでしょ。
211日本@名無史さん:03/07/19 05:00
信長が生きていてもキリスト教に対して禁教令の様なものが出された
と思うんだけど…。
信長は別にキリスト教に心酔していたわけじゃないだろうし、
「利用していた」と言った方が近いんじゃないだろうか?
だから教徒が徒党を組んで一揆でもかませば、信長は
容赦しなかっただろうね。
そこら辺は秀吉と同じでしょう。
212日本@名無史さん:03/07/19 05:51
こらこら、織田信長を賛美しすぎると、層化に狙われますよ・・・。
213日本@名無史さん:03/07/19 05:51
本能寺の変は、公家や天皇家の陰謀。
214日本@名無史さん:03/07/19 05:53
ところで、織田信長は哲学をも弾圧していたのだろうか?
215日本@名無史さん:03/07/19 05:55
>>1
明治維新以降の日本の、共産主義的な自己犠牲的な行動は見られなかったであろう。
功利主義。
216日本@名無史さん:03/07/19 05:56
>>215
明治維新以降の日本は、キリスト教のイエス・キリストのようなメシアを目指していたような感じがしますね、はい。
217日本@名無史さん:03/07/19 05:58
>>216
そのような救世主たらんとする行動は見られなかったと思いますよ。
アメリカ合衆国ほどまで行くかどうかわかりませんが、道義よりも実利(利益)を重んじる、功利主義だったでしょうね。
218日本@名無史さん:03/07/19 06:00
>>217
もっとも本能寺の変そのものが、十字架に掛けられ磔にされたイエス・キリスト(織田信長)と思えないでもないですが・・・。
彼(織田信長)は新約聖書は読んでいたでしょうから、そういうつもりが無かったとは言い切れないでしょうね。
219日本@名無史さん:03/07/19 06:01
>>217
もっとも本能寺の変そのものが、十字架に掛けられ磔にされたイエス・キリスト(織田信長)と思えないでもないですが・・・。
彼(織田信長)は新約聖書は読んでいたでしょうから、そういうつもりがまるっきり無かったとは言い切れないでしょうね。


220日本@名無史さん:03/07/19 06:04
徳川家康(松平元康)は織田信長よりも、武田信玄の方を尊敬していたみたいだから嫌い。
大殿さまの恩を忘れおって・・・。
221日本@名無史さん:03/07/19 07:10
>>220
ソースを教えてくれ。
222216,217:03/07/19 07:54
>>221
NHKか何かで、徳川家は武田家の家臣たちを数多く起用し、幕府づくりもほとんど武田家のやり方を参考にしたそうだ。
徳川幕府は武田幕府であったわけだ・・・。
223日本@名無史さん:03/07/19 07:55
「その時」か?
あんなモン、小学生で卒業せな。
224216,217:03/07/19 08:14
ちっくしょーっ、江戸時代なんてつまんねぇんだよ!
戦国時代最高!!
織田幕府日本よ!!東洋の大英帝国たれ!!
225216,217:03/07/19 08:15
徳川幕府が生んだ、坂本龍馬なんてクソ!!
織田信長最高ッ!!
226216,217:03/07/19 08:18
うひょ〜〜っ、織田幕府日本の艦隊が、大英帝国(イギリス)と大蘭帝国(オランダ)と大仏帝国(フランス)の艦隊と激突ッ!!

最っ高に盛り上がるっ!!
227216,217:03/07/19 08:19
うひょ〜〜っ、織田幕府日本の艦隊が、大英帝国(イギリス)と大蘭帝国(オランダ)と大仏帝国(フランス)の艦隊と世界各地の七つの海で激突ッ!!

最っ高に盛り上がるっ!!
228日本@名無史さん:03/07/19 08:19
放置
229日本@名無史さん:03/07/19 08:20
>>220
つーか信長は対等な同盟者なんだから恩なんてないだろ。
長篠の戦みたいに手を抜いて戦ったくせに美味しいとこだけもっていったりするし。
230216,217:03/07/19 08:21
>>227
織田幕府日本の実力なら、東南アジア諸島とオーストラリア大陸とアメリカ大陸の西側はゲットゲット!!
231216,217:03/07/19 08:22
>>230
もちろん第2次世界大戦の敗戦なんて無し!!
今でも絶大な影響力っ!!
超超超狡猾で圧倒的な外交力っ!!!
232日本@名無史さん:03/07/19 08:22
信長はタイムスリップした自衛官
233216,217:03/07/19 08:22
>>230
もちろん第2次世界大戦の敗戦なんて無し!!
今でも世界中に絶大な影響力っ!!
超超超狡猾で圧倒的な外交力っ!!!


234216,217:03/07/19 08:24
>>230
引きこもりの徳川幕府日本とは何もかも全っ然違うもんねっ!!
235日本@名無史さん:03/07/19 08:25
信長狂はサンケイウヨ厨
236216,217:03/07/19 08:25
>>230
引きこもり政策の徳川幕府日本とは何もかも、全っ然違うもんねっ!!

超っ超っ超っ圧倒的で先進的っ!!!

237216,217:03/07/19 08:30
おまけ 信長と黒人家来・弥助の話
http://members.tripod.co.jp/dotabatanikki/dom020716.html
そしてこのようなことからわかるように、織田幕府日本が出来上がっていたら、超ッ超ッ超強大な世界帝国が出来上がっていたに違いないっ!!
238216,217:03/07/19 08:30
おまけ 信長と黒人家来・弥助の話
http://members.tripod.co.jp/dotabatanikki/dom020716.html
そしてこのような話からわかるように、織田幕府日本が出来上がっていたら、超ッ超ッ超強大な世界帝国が出来上がっていたに違いないっ!!
239216,217:03/07/19 09:06
>>238
フン・・そこのサイトは早稲田卒の奴のサイトか・・・どうりで織田信長が軽視されてるわけだ。
左翼主義で、欧米に頭を下げている大学だもんなぁ・・・。
そもそも大学自体が、欧米に頭を下げて初めて存続している機関なわけだが。
そうだよなぁ・・欧米なしではこの日本に大学なんて存在し得ないもんなぁ・・。
240日本@名無史さん:03/07/19 12:01
>>220
信長は分国法の一つも作っていないのだから仕方あるまい。
241日本@名無史さん:03/07/19 13:52
マジレスすると備中で毛利に敗れて死亡
242日本@名無史さん:03/07/19 13:59
>>241
いや毛利は敗北寸前だし、秀吉に殺されてたろ。
まぁ毛利のせいにされたかもしれんが。
243日本@名無史さん:03/07/21 16:01
 
244日本@名無史さん:03/07/21 21:36
天皇家の処遇と後継者養成がカギになりそうだな・・・。
245日本@名無史さん:03/07/21 21:46
信忠は優秀だったと思ふ
246日本@名無史さん:03/07/21 23:22
まあ、
家康の秀忠(ぼんくら)
秀吉の秀頼(無能力者)
と比べれば、ずっと優秀なほうでせう。
247日本@名無史さん:03/07/22 00:11
秀忠って無能か?
秀頼もデビュー前で評価不能だろ。
248日本@名無史さん:03/07/22 00:44
>>247
禿げ同
249日本@名無史さん:03/07/22 02:31
秀頼は家臣が駄目駄目
250日本@名無史さん:03/07/22 13:07
秀頼
23歳で、母親の言いなりだから、ダメダメ

信長、家康、その他優秀なのは、10代から活躍を始めている
251日本@名無史さん:03/07/22 14:10
信長も家康も生まれつきガチガチの権力者だったら10代で自分から行動したかねぇ?
親の言いなりのいい子チャンだったんじゃネーノ?

個人的にはいい子チャンの信長なんて見たくないが
252日本@名無史さん:03/07/22 20:31
敵本主義という言葉は生まれなかった
253日本@名無史さん:03/07/26 21:18
1590年 東北の伊達と10年戦争勃発
254日本@名無史さん:03/07/27 03:35
それはありえない。
関東以南を統一した織田が圧倒的に強いから、10年も戦争しない。
第一、伊達は東北を統一できない。
255日本@名無史さん:03/07/27 05:28
じゃ君達の大好きな一年戦争ってことか
256日本@名無史さん:03/07/27 10:01
信長が死んで天下統一は遅れたのか?
武田があっという間に滅んだように、毛利、上杉、北条もあの時点で信長の敵ではなかったのですか?
秀吉のように降伏した敵を赦さない信長では天下統一が遅れたという意見もありますがどうでしょうか?

257日本@名無史さん:03/07/27 13:01
毛利、上杉は本能寺時点でほぼ敗北してたじゃん。
258日本@名無史さん:03/07/27 15:13
>>255
伊達は、戦う前に降伏するだろう。

>>257
そうそう

>>256
北条は、信長の命令で、武田攻撃に協力しているので、
ほぼ従属決定でそ。
その他の大勢力は2つくらいしかない。
しかも東北と九州という、いわば辺境地帯のみ。
その時点で、信長の支配地は国土の60%くらいだが、
支配下の経済力と人口は80%以上になっている。
よっぽど馬鹿でない限り、降伏して生き残ることを考えるでそ。
もちろん領土の大幅削減要求を受け入れざるをえないが。
てことで、
秀吉よりもずっと早く天下統一ができたでそ。
しかも、秀吉のやり方では、大勢力のパワーバランスの上に乗るやり方で、
政権は不安定だったが。
信長のやり方なら、政権奪取を狙うほどの勢力は生き残れない。
家康も、東北のどこかへ、領土縮小して配置替えされただろうにゃあ。
259日本@名無史さん:03/07/28 01:21
織田幕府と言うよりも織田帝国の方がしっくりくるな・・・
260日本@名無史さん:03/07/28 13:12
織田帝国、いいね。
織田幕府ってことは、天皇制が存続してるってことだからな。
261日本@名無史さん:03/07/28 15:54
織田帝国が続いていても対外戦争と植民地維持で
国力消耗して19C中頃にはオスマントルコみたいに
衰退してたでしょう
それを考えると江戸時代の250年の平和は大きい
262日本@名無史さん:03/07/28 16:08
江戸時代は暗黒時代
263日本@名無史さん:03/07/28 17:44
信長は仏教が嫌いだったから、廃仏毀釈が起こる。
戦争ばっかりする国になる。
江戸時代、戦争がない時代が何百年も続いたのは、幕府が仏教を保護したからだ。
(世界史上、仏教国が戦争をやった例はない。)
信長には、平和な社会は築けない。
264日本@名無史さん:03/07/28 19:43
>世界史上、仏教国が戦争をやった例はない。

足利将軍も武田や上杉みたいな大名も、みんな熱心な禅の修行者
でしたが?

まあ仏教の中でも禅が特殊なんだろうけど。
265日本@名無史さん:03/07/28 21:30
延暦寺も、僧兵が薙刀を振り回して、領土争いをやっていましたが。
本願寺は、百姓に武器を持たせて、
「欣求浄土、厭離穢土」「進めば極楽、退けば地獄」とあおっていましたが。
そして自分は大名並の暮らしをしていましたが。

仏教が平和的なんて、大嘘さあ。

江戸時代、寺は人民管理の末端になり、
仏教は宗教としての本質を失いますた。
そして、現代、仏教は葬式のためだけの宗教に成り下がりますた。
逆にいえば、我々が、宗教的支配から解放されて、
精神的自由を得たということです。
みんな、信長のおかげです。
266日本@名無史さん:03/07/28 21:35
モンゴルはバリバリのラマ教なんだが・・・
満州族も文殊進行だし・・・
267日本@名無史さん:03/07/28 21:36
信長は別に仏教嫌いじゃないだろ・・・
268日本@名無史さん:03/07/28 21:38
仏教排斥を大々的にやったのは水戸の隠居ぢゃ
269日本@名無史さん:03/07/28 21:49
信長の宗教観が好きだ
270山崎 渉:03/08/02 01:28
(^^)
271日本@名無史さん:03/08/02 18:49
272たぬき:03/08/05 01:37
家来にも一向宗徒いたし...(^^;
信長的には、何を信仰してもエエけど宗教が政治に口出したら
タダじゃおかんじょ って感じだと思う(’’
一向一揆は、弾圧したけど、一向宗は弾圧してないしね(;>_<;)b
273日本@名無史さん:03/08/09 17:02
日本の首都は安土市
274山崎 渉:03/08/15 13:43
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
275日本@名無史さん:03/08/16 15:03
276日本@名無史さん:03/08/16 15:09
織田内閣希望
277日本@名無史さん:03/08/16 16:01
おそらく将軍になるだろ。
それで2〜3年後には信忠に将軍職を譲って大御所になる。
その後は天皇家廃絶をして自ら皇帝になるかな。
278日本@名無史さん:03/08/16 16:02
>>1はバカですか?織田が生きてたらなんてことを想像するだけ
不毛です。そもそも荒木村重など裏切る必要もない武将が無謀な
裏切りに走った事について考えてみろ。
あれだけ無謀な裏切りをするのには織田のやり方に言いしれぬ恐怖が
あったとともに裏切るだけの要素があったからだ!
仮に織田が生きていたとしてもあの恐喝的やり方では天下統一はできなかった
だろう、結局国内に内戦の火種を残したまま無理矢理海外に出兵して
多数の犠牲者を出し数年でつぶれただろうな。なまじ信長は戦略ができるから
深く唐に攻め入って甚大な被害を受ける可能性が非常に高いだろう。
279日本@名無史さん:03/08/17 01:21
無謀ってか、
荒木の考えとしては、本願寺・毛利と組めば生き残れると計算していたと思う。
実際は、その両者は救援に来てくれなかったんだけどね。

信長のやり方以外では、天下統一は不可能だ。
秀吉・家康も、信長の成果を引き継いだから。

信長が明を攻めたかどうかについては、なんとも言えんな。
ただ、秀吉ほどアホではなかったと言えるだけだ。
280日本@名無史さん :03/08/17 22:08
>>279
あなたの信長を擁護したい気持ちは解ります。
しかし信長は育ちが良い為人の心が解らないという精神的最大の欠陥を
もっているんです。信長が天下統一を果たせずに明智に殺されたのは
それが原因です。
いいですか考えてください部下を平気で足蹴にしたりする人が
いくら有能でも仮に貴方の上司だったどうしますか?
仮に貴方が明智だったとして大勢の人の前で面罵されたりしたら
耐えられますか?家康および秀吉と信長の決定的違いはそこです
家康と秀吉は若いとき非常に苦労し人の気持ちが理解できるのです。
(ただ両人とも老いてくる従って性格が悪くなってくるが)

あと荒木の件ですがあなたは本当に荒木が本願寺と毛利が
助けにこれたと考えていたとお考えですか?それはないと思います。
部下の手前そういって励ましたとは思いますが当時本願寺は信長に
包囲され立てこもり中で援軍なら本願寺がほしいくらいでしょう。
毛利は確かに水軍があって援軍を出せますが水軍の上陸兵などたかが
知れています増して敵中のど真ん中に援軍に行くんですよ?
毛利もそれほどバカじゃありませんよ。一時的な攻撃ならともかく
援軍としての要素には欠けすぎています。仮に荒木の元にたどり着いた
としてそれがなんになるというんですか?包囲されて一緒におじゃんですよ。
戦の経験の多い荒木さんは本当にそんな援軍を期待してたでしょうか?
はなはだ疑わしい限りです。
281日本@名無史さん:03/08/18 01:22
>>280
戦争に出発する信長軍が通りかかった時、百姓達が昼休みで昼寝をしていた。
「殿が戦争に行くのに、けしからん奴らだ。起こしてどやし付けましょう」
すると信長は、
「いやほうっておけ。俺が戦争をするのは、あいつらがのんびり生活ができる世を作るためだ」
信長といえば、残虐なイメージが固定しているが、上のようなエピソードもある。
部下の妻に優しい手紙を書いたり、
裸足で戦っている若い侍にわらじを与えた話もある。
全部が本当とは言わないが、
残虐だけでは、信長の人間を語ることはできない。
逆に、
信長が光秀に加えた数々の暴行は、後世の作り話だという説もある。
光秀の謀反の動機がわからないために、よっぽどいじめられたんだろうという想像の産物であるわけだ。

だいたいが、信長が育ちがよい、なんて言っているのが誤解もはなはだしい。
信秀の後継者の地位もあいまいで、敵に囲まれて苦労して育ってきた。
幼少期を比べれば、秀吉、家康のほうが気楽だったとさえ言える。

荒木について、
それは、荒木の見こみ違いだったというだけの話でそ。
部下が勝手に本願寺に兵糧を売るわ。
それで自分に疑いがかかれば、弁明もせずに、やけっぱちの反旗を揚げるわ。
最後まで戦えば、かっこいいとも言えるが、
最後は城兵を見捨てて、自分だけ逃げるんだからなあ。
荒木、逝ってよし!てところですな。
282日本@名無史さん:03/08/18 21:39
>>281
その逸話には穴があります。
「殿が戦争に行くのに、けしからん奴らだ。起こしてどやし付けましょう」
という発言は裏を返せば信長の残虐性を証明してる発言とならないでしょうか
つまりこの発言をした信長の側近?はいつも信長がこのような事をしている
ためにこのような発言をした、すなわちたまたま信長が慈悲心をだしたと言う
逸話をもって信長の残虐性を否定するのは無理があります。
さらに言えば自分の領内の良民や味方の部下にやさしくするのは至極当然の
ことでそれをもって信長の非残虐性証明にはならない。ただそれをウソとは
私も言いません明智にたいする暴行が世の作り話だとしたらどうか?
火のないところに煙はたたぬと申します。これはすなわち暴行が事実は否かは
問題ではない信長はそういった作り話をされる人物だったと言う点が重要なのです。

信長が育ちがよいと言う点はでのそちらの反論はたしかに
そちらの理にかなっています。それに関してはこちらの知識
も薄いためそちらにゆずりましょう。ただだからといって
信長の非残虐性の証明にはならない。

荒木についてですが
これに関しては単なる暴言ですので論ずる価値はありますまい
私は別に荒木好きじゃないし荒木擁護がしたいわけではありません
荒木をもって信長の残虐性を言いたかっただけです。
283日本@名無史さん:03/08/18 23:22
荒木は城中に妻子を残してたよね?
逃亡の時に子供すら連れて行かないのはおかしいような。
284日本@名無史さん:03/08/19 02:22
>>282
俺は、信長の残虐行為を否定したいわけじゃないのよ。
他の戦国大名と同様に、あるいはそれをスケールアップして、残虐行為をおこないますた。
残念ながら、天下統一のためには必要な行為ですた。
それぞれが武力を持って争い、混乱が続いている状況では、
誰かが、最大の武力を構築し、
「逆らうものは斬る!」と態度で示さなければ、戦乱は収まらなかった。
ある時は思いやる余裕がなく、
ある時は強い怒りのために、残虐な行為をしたこともあるだろう。
怒らせれば、後が怖いと思わせることも、時には必要だった。

秀吉・家康は、信長の成果を引き継いだので、
信長ほどには、残虐行為をしないですんだだけである。

>>281で紹介したエピソードは、
側近の態度は、権力におもねる、一般的な家来の態度だが、
信長は、彼の抱いていた“志”を表現していると、俺は素直に解釈している。

息子・信雄への手紙で、
「勝手に戦争を起こしてはならない。おまえが戦争をする時は、
第一に天下のため、第二に父(信長)への孝のためでなければならない」
と書いている。
「信長のため」の上に「天下のため」と信長自身が考えていたんだよ。
285日本@名無史さん:03/08/19 19:16
>>284
正直なかなかおもしろい論戦だった、俺は正直信長は
あまり好きではない。だがそちらの答弁を聞いて一面に
おいては考え直さざる得ない部分があると思った。
ただ俺は悪魔で信長には天下は取れなかったと思っている
歴史という事実の前にはこのことを論ずるのは馬鹿げて
いるかも知れないが俺は天下を取るには信長のような
一国一国を亡ぼしていくやり方では無理だと思う。秀吉
あるいは家康のように時として相手を許すことも必要で
あったと思う(同時に苛烈さも必要だが)がそれに関して
は考え方の違いだから仕方ない。

>>281のエピソードでの信長の志は俺も認めるよ、確かに
信長には志があったこれについては間違いはないだろう。
信長論争はなかなかおもしろかった、日本史板にいるかぎり
また論ずる機会もあるだろう。どっかでまた話しましょう
ではおまえも天下取れよ(笑)
286日本@名無史さん:03/08/20 02:47
家康が気楽?
287日本@名無史さん:03/08/27 00:30
>>285
>ではおまえも天下取れよ(笑)

おまえモナーーーーー (^O^)

だけど、>>285はまだわかっていないよね。
288  :03/08/27 04:25
おまいら、遂にあの名マンガ「信長」(池上遼一画)の8巻が発売されることに
なったぞ。あれに真実が描いてある。
「光秀 謀反つかまつる」
289日本@名無史さん:03/08/28 04:55
だけど、あのマンガはつまらなかったよね。
捏造満載だし。
290_:03/08/28 09:24
信長が案外情に厚いように見えたとしても、史記に出てくる将軍呉起のエピソードに習ってであろう。
誤記は部下の兵士が足に怪我を負って歩けなくなると、怪我をした部分の膿を口で吸い取ってやった。このことを聞いた兵士の母親は嘆き悲しんだ
「実はあの子の父親も誤記将軍に膿を吸い取ってもらって感激して獅子奮迅の働きを見せ、将軍を逃がすために戦死したのです」

また、冷酷な人間が表面温厚な人間であるかのように取り繕う事を「反動形成」という。
信長にもそういう心理ががあった野かもしれない
291日本@名無史さん:03/08/28 12:13
>>290
あったかもね。
でも自国民のことはよく考えていた、何て説もあるしな。
だからって良い人なんて言う気は無いけど、それにしても冷酷大魔王ってのはやっぱ言いすぎと思う
292日本@名無史さん:03/09/01 13:13
「第六天の魔王 信長」は、
信長が、自分で書いたことらしい。
「天台の沙門 信玄」をからかったのじゃないかな?
293日本@名無史さん:03/09/06 00:39
ただ、彼にどんな思いがあろうと行動・言動があまりに破天荒すぎて一般人には理解しきれんだろう。(まあ、それが彼の魅力なんだが)
天下とっても大もめするだろうし、隙を見て家康が不平分子焚きつけて反逆しそう。
それで勝っても負けても収まらないだろう。
国内でしょっちゅう起きる反乱への対応に追われて一生を送ったのでは?
彼はあそこで死んだのが一番よかったかもしれん。
294日本@名無史さん:03/09/13 00:43
東南亜細亜の公用語は日本語だな
295日本@名無史さん:03/09/13 00:55
「天台の沙門 信玄」は信玄が天台宗のお偉いさんだったkらいいんでない?
296日本@名無史さん:03/09/13 13:14
>>295
信玄は天台宗の僧籍を持っていたらしいが、
俺が読んだ本によると、
信長が比叡山を焼き討ちしたことを、信玄が非難して送った手紙の署名が、
「天台の沙門 信玄」
それへの返事として、
延暦寺の堕落・僧兵の乱暴狼藉などを示して反論した信長の手紙の署名が、
「第六天の魔王 信長」
(なかなかしゃれてるよね(w)
297日本@名無史さん :03/09/13 14:14
山科けいすけの「SENGOKU」風に・・・

信玄「比叡山を焼き討ちにするなんて・・・アンタは仏法の破壊者よっ!」
信長「あんな堕落した比叡山のどこが仏法?それに天台宗から権大僧正を貰ったのは誰?」
信玄「余計なお世話よ!アンタこそ天魔の再来よっ!」
信長「なるほど。なら「仏法の破壊者」として『第六天魔王』とでも名乗りましょうか(w」
信玄「んまー、なんて生意気っ!誰かあるっ!騎馬軍団で織田軍を蹴散らしておやんなさいっ!」
298名無しさん@3周年:03/09/16 01:52
>>282
「火のないところに煙はたたぬと申します」
朝日新聞があーるじゃないか
299日本@名無史さん:03/09/16 02:15
日本全部が耶蘇になっている、京の朝廷も無くなっている。
坊主は皆殺し。そして、ジンギス。ハーンの様に世界を席巻
するね。
300日本@名無史さん:03/09/17 02:47
なんか信長を突飛な人間と思い過ぎてる気が。
301日本@名無史さん:03/09/18 08:48
席捲
302日本@名無史さん:03/09/18 09:08
信長は、自分は神であると言い出して家来に石を拝ましたのでは?。
303日本@名無史さん:03/09/18 09:09
>>302
あれは一時の座興だろ。フロイスの言うことをあまり真に受けないほうがいい。
304日本@名無史さん:03/09/18 09:31
信長は神さん信心で、仏教とでないと思う、でないとあれだけ坊主を
大量虐殺は出来ないと思う。天皇家に対しても余り関心が無かった、
官位をも断って居るぐらい。しかし聡明な頭脳の持ち主と思う。
地球が丸いと言うことも直ぐ理解したと言う。
昔は、神さんと、仏さん、とは天敵の間柄でこのころは両方信心していたが

彼を殺したのは惜しい、狭い日本より大陸にやり世界を目指して遣りたかっ
たとおもいますが。ルイス・フロイスの本国へのレポートはかなり正確に
当時の日本を捕らえていると思いますが。
305日本@名無史さん:03/09/19 01:59
「信長は神さん信心」

それは例えばどんな事例から想定したのですか?
306日本@名無史さん:03/09/19 03:01
信長は法華だっけ?
307日本@名無史さん:03/09/20 16:59
>>36
 なんかS急便とか、某レストランチェーンの話みたいだな……
308信長:03/09/21 23:07
神ですが何か?
309日本@名無史さん:03/09/26 21:45
2万人の軍隊を指揮する武将に暴力振るうなんて信長以外にありえんだろ?
310日本@名無史さん:03/09/27 00:12
光秀は日本の半分を治める武将に暴力ふるってぶち殺したけどな。
311日本@名無史さん:03/10/04 05:34
信長は自分を神と勘違いして細川政元のようになり、
森を始めとする側近政治がはびこる
312日本@名無史さん:03/10/04 05:54
>>304
フロイスやなんやらの書いてることからすると、無神論者というより
禅宗だな。
313:03/10/04 07:21
ここだけの話、ときどきすがってきたから助けてやったりもしたよ。
信玄殺してやったりとか。
あいつが無神論者なんてウソウソ。ふところにはいつもうちのお守り入れてたし。
314日本@名無史さん:03/10/04 09:26
山田くん〜! >>313の座布団、全部持っていっておしまい。
315日本@名無史さん:03/10/05 05:19
あげまん
316日本@名無史さん:03/10/14 14:11
hosyu
317日本@名無史さん:03/10/14 14:53
それまでに★にか、将軍か。
318日本@名無史さん:03/10/14 15:17
フロイスを改造してふろのいす
319日本@名無史さん:03/10/14 23:41
日本を飛び出して、夢を海外に繋ぐベンチャー企業信長になった。
320日本@名無史さん:03/10/15 00:02
ジャパネット信長
321日本@名無史さん:03/10/15 01:35
信長が暗殺されなかったら、日本統一は信長の手によってなされる。
標準語は尾張弁になる。
322日本@名無史さん:03/10/15 03:00
暗殺って屋根裏から毒をたらすとか木陰から毒吹き矢で狙うとか
謎の少年をヒットマンに仕立てるとかじゃないの?
光秀なんて堂々としすぎて暗殺になってないよ!
323日本@名無史さん:03/10/15 05:42
いいですかぁ・・織田信長様はぁ・・・300年早い明治維新をやろうとしていたんですよ!!
それを明智光秀がぁ・・・。
>>1
乞食や農民で天下取りをしたってことは、あれですよ高杉晋作の奇兵隊ですよ・・・。
つまりですね、高杉晋作の奇兵隊は織田信長のパクりなんですよ・・・。

324日本@名無史さん:03/10/15 05:42
織田信長様はぁ・・・つまり16世紀において既に、19世紀から20世紀初頭並みの思考と構想を持ち合わせていたと言う事ですよ!!
16世紀の戦国時代において既に、坂本龍馬や西郷隆盛や木戸孝允や大久保利通らに匹敵する19世紀から20世紀初頭並みの思考と構想を持ち合わせていたんですよ・・・!!!

325日本@名無史さん:03/10/15 05:43
しかし一人じゃ・・一人じゃ無理だった・・・。
日本人は織田信長の予想を遥かに超えて馬鹿だった・・・。
明智光秀や豊臣秀吉、松平元康こと徳川家康の中の誰一人たりとも彼の思考と構想の真髄の域まで達する事は出来なかった・・・!!!

326日本@名無史さん:03/10/15 05:43
そういえば日本人と言う概念が出来たのも、19世紀から20世紀初頭の明治維新前後の頃だったな・・・。
駄目だこりゃ。


327日本@名無史さん:03/10/15 05:56
織田信長はグノーシス主義、ルシフェル教の信者。
フロイスか誰かから渡された旧約聖書と新約聖書に登場するルシフェル(サタン)が大のお気に入りだったに違いない。
だからこそあのような真似が出来たのだ・・・。
一見混沌としているように見え、暴虐武人に見えるが、実はその中に一筋の理がある・・・。
328日本@名無史さん:03/10/15 05:58
>>327
そういえば、坂本龍馬と親しかったと言われるトーマス・グラバーもロスチャイルドの一員だから、グノーシス主義、ルシフェル教の信者だろうな・・・。
坂本龍馬自身もその影響を受けてグノーシス主義、ルシフェル教に染まっていたに違いない。
329日本@名無史さん:03/10/15 08:28
宇月原清明の小説の読みすぎ。
330日本@名無史さん:03/10/16 13:01
信長信者が多いスレだなここは
俺も人の事は言えんけど

でも客観的に考えると信長を過大評価しすぎだろう
戦術もほとんどが猪突猛進で運が良かっただけだし
行政に関しても特に信長のオリジナルがあるわけでもない

将来のビジョンが見えるような領国支配も行ってない
仮に日本を統一していたとしても
あっさり政権崩壊していただろうな
331日本@名無史さん:03/10/16 13:48
ホトトギスが絶滅。
332日本@名無史さん:03/10/16 23:32
>>330
ふ〜ん。
じゃあ他の戦国大名なんて糞以下だね。
333日本@名無史さん:03/10/17 15:25
>>330
戦術が猪突猛進で運がいいって、桶狭間のことかな?
あれほど綿密に練られた戦いはないと思うが。
334日本@名無史さん:03/10/17 21:10
>>戦術もほとんどが猪突猛進で運が良かっただけだし

これが、桶狭間合戦のことを言っているとしたら、
またまたNHKのDQN歴史番組を盲信しているアフォーの登場だな。
335日本@名無史さん:03/10/17 21:16
桶狭間は互いに後詰に出張って来ただけだからねえ。
んで今川本隊と遭遇戦になっただけ。奇襲も糞もないですよね。
まあ互いに不意の出来事ではあっただろうけど。
336日本@名無史さん:03/10/18 00:42
>>335
それは、藤本某の珍説ですな。NHKが参考にしていまつが。

信長にとっては、遭遇戦でも、不意の出来事でもなかっただろうね。
義元軍が来ることは、ずっと前からわかっていたことで、
当然、対策や準備をして待ち受けていた。
33 が言うように、綿密に練った作戦を実行したんだよ。
337日本@名無史さん:03/10/18 02:57
綿密に何を練ったの? 作戦? どんな作戦?
338日本@名無史さん:03/10/18 05:18
織田信長が謀反に遭わず、羽柴秀吉、明智光秀、徳川家康などを幕臣とした織田幕府が出来上がっていたら、
日本は300年早めの明治維新を成し遂げる事に成功し、敗戦も無ければイギリスやスペインやアメリカ合衆国によるホロコーストも存在しなかったであろう。
それにより白人も憎まれる事も無く、平和のうちに近現代科学技術の夜明けを迎える事が出来たであろう・・・。
339日本@名無史さん:03/10/18 05:24
とりあえず織田信長が謀反に遭わなかったら、単なる貿易や出兵の次元に止まらず、日本の大航海時代への突入は確実であっただろう。
340日本@名無史さん:03/10/18 05:25
>>339
そうやってあまりにも世界ばかり見ていたので、足元をすくわれた、と言うところか・・・。
341日本@名無史さん:03/10/18 05:28
足利義昭を処刑せずに逃がしたので、それで恨みを買ったんだろうな・・・。
342日本@名無史さん:03/10/18 05:47
一握りの僅かな英雄ではなく、システムで勝つ、と言う事か・・・。
343日本@名無史さん:03/10/18 14:33
>>339
( ´,_ゝ`)プッ
344日本@名無史さん:03/10/18 21:38
>>337
> 綿密に何を練ったの? 作戦? どんな作戦?

めんどくさいので、書きたくないが、
信長にとって、”後詰”ではなかったことは、
丸根砦、鷲津砦を救援しなかったことで明らかではないか。
345日本@名無史さん:03/10/20 14:15
丸根・鷲津を救援しなかったとは?

18日夕、丸根の佐久間大学などから注進
19日明け方、清洲を出立
同日正午、丸根と鷲津が陥落
その直後、信長軍が今川の一軍と遭遇戦を行って失敗

特に「敢えて救援しなかった」と見受けられるところはありませんが。
その後の信長の台詞に注目しているのかもしれないが、
それでも推測できるのは、信長が状況をそう把握したことだけでしょう。
「敢えて救援しなかった」と推測するには想像が過ぎると思いますよ。
346日本@名無史さん:03/10/20 14:52
どうやったら桶狭間山に陣取っている義元本隊と
”たまたま遭遇戦”になるのか理解できない。

347日本@名無史さん:03/10/20 23:21
>>345
2000人を率いて救援に行ったところで、
8倍〜10倍(?)の今川軍に包囲されて、
致命的な敗北を喫することは自明ではないか。

砦の将兵を救うためならば、
今川軍の来襲の前に撤退させることしかない。
しかし、丸根、鷲津、中島、善照寺の各砦を撤退させれば、
丘陵地帯は今川の支配下になり、
義元は、一気に清洲城を包囲しようとするだろう。
信長軍は砦の兵を合わせて4000人くらいになるが、
篭城しても滅亡を待つだけ。
途中の平野で野戦を挑んでも、勝ち目はない。
逆に、
丘陵地帯の各砦に兵を配しておけば、
今川軍は、これを落とすために兵を分散し、
義元本隊の防備は手薄になる。
2000の我が軍をこれにぶつけるチャンスが必ずできる。
ぬあんてな、
こんな感じの作戦ではないでそか?
348日本@名無史さん:03/10/21 03:51
>>347
つまり、砦はオトリだったと。
349日本@名無史さん:03/10/27 14:00
信長が暗殺されなかったら、はっきりしていることはひとつ。

明智光秀ももっと長生きできたということだ。
羽柴秀勝ももっと長生きしただろう。みんなふとんの上で死ねたんじゃないか。
350日本@名無史さん:03/10/28 15:19
信長が逝って無かったら高野山も焼き討ちでしたか?
ちなみに10万で包囲したって事らしいですけど、
参戦した武将の内訳とかご存知の方いますか?
351日本@名無史さん:03/11/05 15:29
信長が暗殺されなかったら?
彼が生きてるうちは大丈夫。だけど、信長が病死した後、息子があまり大した事はないから秀吉か家康につぶされたんじゃないかな?
352日本@名無史さん:03/11/05 16:33
>>351
そうなると「上様の敵討ち」って大義名分がつかえない
秀吉は厳しいねぇ。家康もそこまで大きな勢力じゃないし
柴田がかなーり有利になるかな?
とはいえ、国内統一できるのはかなり後になると思うけど。
353日本@名無史さん:03/11/05 16:47
>>351信忠もたいしたこと無い息子にはいりますか?
354日本@名無史さん:03/11/05 16:59
信忠って過小評価され杉な気がするのは私だけ?
355日本@名無史さん:03/11/05 17:09
独自の才覚を発揮する場面がなかったからな信忠は
武田攻めで武功を上げてるが、これも父から与えられた家臣と圧倒的な戦略優位のお蔭と言われてしまう(確かに信長全盛の時こけたのは信雄ぐらいだが・・・)
悲壮な最期から同情票が集まってもいいと思うんだが・・・
356日本@名無史さん:03/11/05 17:47
>>335

桶狭間は互いに後詰に出張って来ただけだからねえ。
んで今川本隊と遭遇戦になっただけ。奇襲も糞もないですよね。
まあ互いに不意の出来事ではあっただろうけど

義元ってそんなにバカなの?
357日本@名無史さん:03/11/05 17:52
やっぱ信長秀吉家康の流れは重要だな。
そう考えると光秀はある意味グッジョブだった。
まぁ暗殺されなくても大差なかったような気がするが。
358日本@名無史さん:03/11/05 18:18
>>356

335 は、DQN藤本の信者でそ
359日本@名無史さん:03/11/07 03:20
お館さま
360日本@名無史さん:03/11/10 18:07
外国のTRPGの本かったらそんなシナリオがあったな・・・
21世紀の世界の大国はフランス王国、ブラジル帝国、スウェーデン帝国、日本帝国
という設定だった。
361日本@名無史さん:03/11/10 21:00
親方さま
362日本@名無史さん:03/11/11 22:35
信忠って評価わかれるな。
光秀が信長と一緒に葬り去ったのでわからんが、
信長が家督を早々譲ってるところを見ると結構イケてたのか?
それとも、家康に対する秀忠みたいな感じだったのか?
363日本@名無史さん:03/11/12 01:31
>>362
信忠と秀忠は、全然似てないぞ。
秀忠はぼんくら。
信忠は、武将としてなかなか優秀だす。
364日本@名無史さん:03/11/13 20:32
>秀忠はぼんくら
その扱いにワラタ
365日本@名無史さん:03/11/13 20:35
>>362
私は家康に対する信康だと思ってました。信忠は。
366日本@名無史さん:03/11/13 20:43
秀忠は「家康に過ぎたるものがふたつあり おん嫡男に 鯛の天麩羅」と歌われたほどの男だぞ。
367日本@名無史さん:03/11/13 21:06
>>366
ほほおー
秀忠は、
鯛のテンプラと比較されるほどの、優れものだったのか。そりゃあすごいね! (w

>>365
信康は、DQNばか殿。
368日本@名無史さん:03/11/13 23:32
信長の死後、信雄は父の遺志は継げなかったのか?
369日本@名無史さん:03/11/13 23:58
信雄は、DQNばか殿。
370日本@名無史さん:03/11/14 02:23
信雄と信孝どっちがドキュソ?
371日本@名無史さん:03/11/14 14:40
>>370
どっちもどっちじゃない?
信忠>>>>超えられない壁>>>>信孝>信雄
372日本@名無史さん:03/11/14 14:50
世界征服に乗り出していた。
373金魚:03/11/14 18:43
 信長の意図がどうであろうと、後継者達が結局は徳川幕府みたいなのを作って
いるだろう。対外進出は補給や人口の面から考えて無謀。史実の秀吉による朝鮮
侵攻は、秀吉自身の精神の病理抜きにはあり得ないだろう。本来の秀吉の戦略論は
、小田原城攻めで見せた「戦場で贅沢できるぐらいの補給力が無ければダメだ。」
なんだから。結局、信長が本能寺で死ななくても、日本統一ぐらいで体力的限界。
後継者は「歴史的必然」「民族性」を乗り越えるほどの気力も信念も持たないだろう。
 なお、産業革命は日本では独自には起こらない。なぜなら、日本には資本主義を
自前で作るための思想的背景が足りないからだ。この点は、マックスウェーバー
の解説書なんかに詳しく書かれている。
374日本@名無史さん:03/11/14 20:06
信長が暗殺されなかったら、織田家の強力な中央集権の政権ができた。
南蛮好きで商業重視の信長なら、欧州諸国のやり方を真似て、
まずは欧州諸国が日本としてたような貿易による通商の拡大をしたのでは?
375日本@名無史さん:03/11/14 23:20
産業革命については起こってたんでねーかな?
石田梅岩やら鈴木正三やら。
いまさら産業革命の説明にプロ倫でもなかろうかとおもうが。
思想より現実の要請にしたがって産業革命は起こるんでないかな?
376日本@名無史さん:03/11/15 00:21
マックスウェーバーなんか、ヨーロッパの資本主義を、後付けで解釈しただけだしなあ。
377金魚:03/11/15 11:30
 
石田梅岩や鈴木正三は
1,浄土真宗よりずっと影響力が小さい。
2,ピューリタンほど論理的にピュアでなく、また切迫感も無く、貧者への無情さ
 も無い。
378金魚:03/11/15 11:43
今日、発展途上国への莫大な援助が無駄になっていることによって、以下のことが
証明されていると思う。

 物質的富や技術がいくら蓄積しても、資本主義は「自然発火」しない。発火点
に達するためには思想的高熱が必要だ。
379金魚:03/11/15 11:54
 江戸時代末期は
1,勤労意欲・勤労倫理が高まり、
2,高度な労働に適応するため、寺子屋が急増。


 まさに700度くらいに達していた。が発火点の800度にはおそらく
自前では達しない。やはり、黒船は必要だった。
 700度にまて達していたことが、他のアジア諸国とは決定的に違う点。
380日本@名無史さん:03/11/15 15:43
論理的にピュアって・・・
当時の商業活動の現実を理論化したものというか理由付けしたものが当時の資本主義でしょうが。
理論が先にあったわけではなかろ。順番が違うと思うが。

ちなみに江戸時代後期の商業活動は世界的にもかなり高度なとこまで言ってたと思うぞ。
為替相場やら米の先物取引など。
381日本@名無史さん:03/11/15 16:30
>>378
どうかね。
昔日の資本主義が発火した国と現在の発展途上国とでは外的環境要因が違いすぎることの方が大きそう。

382日本@名無史さん:03/11/19 18:21
ほしゅ
383日本@名無史さん:03/11/19 19:06
「信長が本能寺で暗殺」が「信長が老死」に変わるだけ。
384日本@名無史さん:03/11/19 19:13
暗殺のがカコイイ
385日本@名無史さん:03/11/19 19:47
信長が本能寺で死ななくても、どこかで別の奴に殺されておしまい。
386日本@名無史さん:03/11/19 21:34
純粋な軍事で信長を負けさせられる武将っているか?
仮にいたとしても不利な戦略状況ならあっさり決戦を避けてしまうと思うんだが
それこそ逆桶狭間にでもならんかぎり暗殺しか他人の手にはかからんと思うんだが
387日本@名無史さん:03/11/19 22:09
実は信長死んでないんだよ。
いくら燃えたからって、遺骨までなくなることはありえない。
ずばり秘密の隠し穴から外へ出ていた。
で、どうしたかと言うと、天海になった。
つまり信長はもう天下統一の布石は充分にうったわけで、
その後は掃討線と考えていた。
もう自分は動かずとも天下は収まると見ていた。
だから後はその後の体制を考えていた。
で、次の体制だが、はっきり言って自分のカリスマが強すぎて、
一族では幕府を開けないだろうと思っていた。
それにこのままでは自分が天皇になる可能性もある。
勤皇の志ある彼はこれを防ぎたかった。
それで、幕藩体制をとる上で最も適している人物
家康の所に行きブレーンになった。
意外性のある信長らしい決断といえよう。
388日本@名無史さん:03/11/19 22:23
>>387
>それにこのままでは自分が天皇になる可能性もある。
>勤皇の志ある彼はこれを防ぎたかった。

この部分に大爆笑
389日本@名無史さん:03/11/19 23:03
信長が天下とってたら家康の作った日本とは全く別のものになってたと妄想。
390日本@名無史さん:03/11/20 01:24
>>387
あのさ、信長は焼死ってわけじゃないんだけど。普通に槍でブスっと刺されて死んだんですが。
391日本@名無史さん:03/11/20 22:26
>>387
義経ですらジンギスカンになったというのに信長は天海か。
みみっちいな。笑っちまうな。
392日本@名無史さん:03/11/21 04:16

おた のぶお

393織田信忠:03/11/21 14:44
そんなことより1よ、ちょいと聞いてくれよ。天下の行方とは関係ないけどさ。
昨日、本能寺に行ったんです。父上に挨拶しに。
そしたらなんか公家がめちゃくちゃいっぱいで入れないんです。
で、よく見たらなんか前関白太政大臣近衛前久も来てて、祝辞を述べてるんです。
もうね、アホかと、我御料かと。
お前らな、祝辞ごときで普段から陰で悪口言ってる父上に頭下げてんじゃねーよ、ボケが。
公家なんか眼中にねぇんだよ、父上は。
なんか吉田兼和もいるし。悲参議のくせに従三位に昇進して嬉しいのか。おめでてーな。
よーし麿右府殿の西国平定の戦勝祈願するでおじゃる、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、西国を平らげた暁には父上と共に禁裏を粛正するから覚悟しろと。
今の禁裏ってのはな、もはや腐りきったものなんだよ。
形ばかりの権威や慣例を掲げ、時の権力者にすがって政には介入しない。
都合の悪い相手は朝敵にして我が身を守ろうとする、そんな雰囲気が父上に嫌悪されてんじゃねーか。女子供みたいな輩はすっこんでろ。
で、父上との会談が終わって妙覚寺に戻ったと思ったら、貞勝が、明智殿謀反です、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな光秀、天下統一を目前にして世を乱してんじゃねーよ。ボケが。
得意げな顔して何が、敵は本能寺にあり、だ。
お前は誰のお陰で国持大名になれたのかと問いたい。問い詰めたい。半刻弱問い詰めたい。
お前、後世に謀反人の名を残すだけちゃうんかと。
父上救出が無理だった俺から言わせてもらえば今、馬廻り衆の議論内容はやっぱり、
二条御所へ篭るか京都からの脱出か、これだね。
明智の大軍をかい潜って脱出して再起を図る。これが後世の自称歴史通が考えるであろう机上の作戦。
俺の元にいる馬廻り衆はわずか。そん代わり士気だけは高め。これ。
でも、落ち延びる途中で名も無き者の手にかかれば織田の名に傷がつく。これ最悪。
しかしここで潔く自害すれば織田の天下は一代限りで終わってしまう危険も伴う、諸刃の剣。
源五には薦められたくない。
まあ三法師よ、生き延びて織田家嫡流の血だけは残してくれ。
394日本@名無史さん:03/11/21 15:05
暗殺されなかった事を考えたいなら、暗殺以前の歴史が変わらなければならない。
395日本@名無史さん:03/11/21 19:36
それよりよ、おまいら敦盛の踊り方乗ってるサイト知らないか?
漏れ踊りたくて、踊りたくて仕方ないんだが、ぐぐっても埒あかない
んだわ。知ってたらぜひ教えてくれ。
396日本@名無史さん:03/11/21 19:38
>>390
ソースは?
397日本@名無史さん:03/11/23 23:33
なんで遺体って見つからなかったんだっけ?あと前テレビでやってた明智が実は生き延びてて秀忠と家光
の名前考えた人になったってほんと?
398日本@名無史さん:03/11/24 03:56
>>397
うそ
399日本@名無史さん:03/11/24 20:40
>>366
嫡男て信康のことではないの?
400日本@名無史さん:03/11/25 01:55
>>399
信康だったら、鯛のテンプラと比較されることはないだろう。
信康を比較するとしたら、狂犬、とかそんなのだろうな。
401日本@名無史さん:03/11/26 14:09
>>397
家光の"光"と、秀忠の"秀"が、"光秀"から付けられたというやつだろ
それは天海大僧正が明智光秀だったというのと同じレベルの話だな
402日本@名無史さん:03/11/27 18:06
>>400
信康>秀忠とでも?
403日本@名無史さん:03/11/27 19:56
>>402
狂犬と鯛のテンプラを比較することに、意味があるとでも?
404402:03/11/27 21:08
>>403
正直、すまんかった。
405日本@名無史さん:03/11/27 21:11
ていうか366の歌は俺の捏造だったわけだが。
406日本@名無史さん:03/11/27 23:55
秀忠の秀は秀吉の秀だろうに。
407日本@名無史さん:03/11/28 02:41
秀忠の忠は広忠の忠だろうに。
408日本@名無史さん:03/12/01 20:06
あげ
409^@kj7^@kj7 ◆VswWSpFPH2 :03/12/07 23:37
 
>>88

>非道信長を抹殺した光秀公は
>日本を救ったのです


 八切止夫作品集
 http://www.rekishi.info/library/yagiri/
 八切止夫 先生 略歴&関連リンク集
 http://member.nifty.ne.jp/sv/biblio/yagiri.htm
 日記とお知らせ
 http://www2.pot.co.jp/tacoche/diary/nikki02.06.html
 八切止夫作品集
 http://www2u.biglobe.ne.jp/~REKISI/library/yagiri/
 

 八切止夫『信長殺し、光秀ではない』(作品社)
 
410日本@名無史さん:03/12/17 21:20
agetemiru
411日本@名無史さん:03/12/18 16:30
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2003/1218/sony_14.jpg
ロボ生50年
下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり。
一度生を得て滅せぬ者のあるべきか
412日本@名無史さん:03/12/27 12:35
信長が本能寺で基地外光秀に殺されなかったら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・










天才指揮官信長が自らチョンを皆殺しにしてくれていたでしょう
413日本@名無史さん:03/12/27 21:39
信長の末裔、織田信成が5位 全日本フィギュア

フィギュアスケートの全日本選手権で27日、織田信長の
末裔(まつえい)にあたる16歳の織田信成(大阪ク)が男子シングルで5位に入った。
自由演技で3―3―2回転の連続ジャンプを決め、「会心の出来でした」。
今年の全日本ジュニア2位。来年3月の世界ジュニアへの出場も決まっている期待の星だ。
男系の名前に「信」が付いていて、「僕は17代目。
名前が似ているのでよく(子孫かと)言われます」。戦国武将の
イメージとはかけ離れたフィギュアだが、織田は「来季(の演技)は
人気映画の『ラスト・サムライ』でチャレンジしてみたい」。
http://www.asahi.com/sports/etc/TKY200312270260.html
414日本@名無史さん:03/12/28 00:56
信長書店
415日本@名無史さん:04/01/13 14:29
保守あげ
416日本@名無史さん:04/01/13 15:48
秀吉・家康と違い布教を認めていた&神社仏閣破壊したらしいが・・
ローマカソリックが日本支配を企てていたらしいからそれで明智に殺されたのかも。
明智=愛国者?
417日本@名無史さん:04/01/13 15:58
因みにあの当時の日本水軍は炸裂弾の大砲持ってなかったし船が杉素材でつくられていたので体当たり&砲撃でほとんど全滅してる(つД`;)
こんな遅れた装備でアジア制覇など論外。まあ陸は最強だったろうがね。
418日本@名無史さん:04/01/13 16:42
世界が日本にひれ伏していた
419日本@名無史さん:04/01/13 16:53
鎖国はしなかったろうな。w
身分制度はどうしたろう。
意外と、穴が多くて、結局徳川に乗っ取られるかな?
420日本@名無史さん:04/01/13 18:38
信長が生きていたとしても、結局は秀吉か家康に取って代わられただろう。
信長はこの二人には武人としての才能も、政治家としての堅実性も到底及ばない。
日本史最高の武人は足利義教で、残念ながら信長は数段劣る。
421日本@名無史さん:04/01/13 18:59
>>日本史最高の武人は足利義教
(´Д`)エェー?
「最高」の「武人」と言われると違和感を感じるが。本領発揮したのは政治家か陰謀家としてじゃないですかね?
それもあまり巧くいってないと言うか。暗殺されちゃうようじゃやり方が拙かったと言えるだろうし。
422日本@名無史さん:04/01/13 21:41
信長が生きていた天皇は廃されたろう。
423日本@名無史さん:04/01/14 16:52
信長だったら明を征服していたか
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1055052617/l50
424日本@名無史さん:04/01/14 16:54
易姓革命が信長の代で起こった。
とすれば、一度有史時に易姓革命が起こった以上、
あとは中国並みの易姓革命の連続だろう。
425日本@名無史さん:04/01/14 18:34
>>421
バカを言ってはいけない。
信長自身、足利義教をことあるごとに意識し、その例に倣おうと必死だった。
義教は将軍になるとすぐに傾きかけた足利幕府の権威を取り戻し、13年に
渡り大戦を続け、しかもただの一度も敗れてずに、あの義満でさえできなかった
関東平定をも成し遂げ、短い治世でたちまちのうちに奥州から琉球まで完全に
支配下に置いている。後の薩摩の琉球侵攻よりもはるかに平和的で効果的に。
源頼朝は確かに最初に武士の天下を開いたが、実際の天下統一は足利義教が完成させた。
この絶対的な勢力圏は家康の晩年まで訪れることはなかった。
ちなみに信長の恐怖政治、比叡山攻撃、軍事制度などは義教のコピーだ。
426日本@名無史さん:04/01/14 18:41
信長も一流の武将だったが、それを言えば家康も秀吉も一流だった。
どちらも政戦両略ともに信長をしのぐ力量を持っていた。
信長はケチで優柔不断で戦が下手。
しかし謀略や計略は巧みで人物眼がある。
それが彼をして戦国レースの暫定一位に登らせた要因だろう。
427日本@名無史さん:04/01/14 22:40
何か明石信者がいるな。
428日本@名無史さん:04/01/15 02:42
そういうことか。
429日本@名無史さん:04/01/15 12:50
俺も義教に一票。
明石はDQNだが、彼に限らず信長教徒の井沢元彦も「足利義教は偉大だ」と誉めている。
ま、どっちも色のついた人間の意見だが。
最近の日本史の研究者で義教をただの暴君として否定的に捉えている人がいたっけ?

430日本@名無史さん:04/01/24 14:34
戦国は終わっただろうな。貿易国家にもなったろう
天下さえとれば、不要な公家・朝廷連中はさらに干され、最後の力で反乱を起こしそうだが、しかしそれだと信長にやられ、消えていたかも
世界に打って出たかどうかは分らない。宣教師に、「明へ出てくれ」と頼まれてたらしいが、それも結局「知らんなそんなこと」
と言ってたぐらいだし、明へ出る気は無かったのではないだろうか。
少なくとも、秀吉のような馬鹿イクサはしなかったろう。

ただ、本気でとろうと考えたなら、出来る可能性はあった。
当時、日本の鉄砲生産力は世界一であったし、斬新な鉄甲船を作った信長なら。
人垂らしの秀吉や、それよりやや戦略に長けた家康などでは、あんな結果がせいぜいだろうが

と、信長信者振りを恥ずかしげも無く披露してみた
431日本@名無史さん:04/01/24 15:32
義教は将軍で戦った相手は賊軍。これだけでかなり義教が有利。
432日本@名無史さん:04/02/04 01:49
hosyu
433日本@名無史さん:04/02/06 15:29
信長が、本能寺で死ななかったら、
毛利・上杉・長曾我部を滅ぼし、その他の有力大名も滅ぼし、
国内に反対勢力の存在しえない、独裁権力を樹立しただろうな。
その上で、天皇・朝廷はあぼ〜んだな。
ヨーロッパのように、重商主義的な絶対主義王朝ができただろうなあ。
434日本@名無史さん:04/02/07 01:48
で、老けた信長ならヌルハチに勝てたのか?
同盟するなんて言わずに・・・
435日本@名無史さん:04/02/07 19:38
信長の動物的直感は、
中国に深くかかわることの危険性を予感すると思う(?)
よって明攻略はない。
それよりも海だ。
エウロパの国々との交易の方が儲かる。
436日本@名無史さん:04/02/07 20:01
家臣虐める事には危険性感じなかったのか?
437日本@名無史さん:04/02/08 15:40
>>436
別にいじめてないぞ(w
438日本@名無史さん:04/02/14 18:54
あげ
439日本@名無史さん:04/02/14 22:06
信長なら明を征服してたかもね。
でも、日本が近代化できたのは徳川幕府の安定した封建制の土台があったからじゃない。

信長が長生きしていたらロシアやトルコみたいな時代遅れの国になってたろな。
440日本@名無史さん:04/02/15 00:46
信長が生きてたらとかどうとかアホじゃねーの?
歴史の流れを特定の個人でどうこうできるかってーの。
441日本@名無史さん:04/02/15 02:21
  //  /'/:/ /::::: .: .. ::: ..::: .: .. :: .::::;::/:::: ::::: ::::l::::::::::::::::::::::::::::::i
..//_,. -_'"l l:::/ /::::.. ..::: ..: ./: .::: :: :/:/:/:::::: ::: .:: !::::::::::::::::::::::::::',::l  イーゴリ・スヴャトスラヴィチ
',/‐",. ',"'::::l l::;ノ:::::: .::/ ..::: :/ .:.::::/.:::/:/::/:::i::: .. : .: .l .l::. ::::. :: ::',: :',:',丶   12世紀〜13世紀初頭のロシアの諸侯。
、,. :''"/::::,. -''´,.:/:::..::/:.:::::::/:.:::::::/.::/::/i;;/-l|:::::: .:l:/!::|::. ::i::: . :::i: i:ヽ::ヽ   チェルニゴフ公国の分領公国ノヴゴロド・セヴェルスキー公国の公。
´ ,/:::::::::`フ7´::/:::::::::!::::::::/_,,.:-/'''///´l:| !:i l::::: .:::i/゙|、;、:: :l::::::: ::!:: :!::i `''ー  歌劇『イーゴリ公』を書きました。
''´:::::::::::::// /::i::::::::::l:::::::/!:::::://:/-i/;;;;ヾ !| !::::::::/,_ ソ、!:::ノ::::::::/:::ノ::::!     次は「ち」ですよ。兄さん…
"::::::::::/:::/ /::::!::::::/,!::::/:l:::::/,;;::''テ''::::Oi゙ ゙' !::::://'ー、、l::/::::/::イ:::/、!:l     
::::::::/:::::/ ./::::::!:::/!∧::i:::|:/!'''、 l :::゚: /   /// ::(/l、/:::ノ:/,'/ 、 !'     
::::/:::::::/ ./:::;;::ヾi::ツ:::ヾ:::゙'::|   、>::=''-  /'  ,,゚_,,/ "/ '-!'´、"  l `'、    
///:::/ /::::l!::i::::::l::::::::::::::::ヾ            `゙' 7::::::ヾ:::::ヽ   !  ',   
/i/i'!:::'ー-':::::l:!::l::::::ヽ::::::::_,!,,.!ヾ-- 、      '    /::::::::::i_、::::iヽ  l   ',  
  '´`ー--':、_;;::ゝ‐'''">"   `ヽ、 \   --  ,. : ''゙゙゙゙ヽl、!i `i::! i  ー-'
   ,-=ニニ゙''ー.、  /       \ `''ー-、,. : '´       | ヾ! !      
.  /    `ヽ、`ソ         `ヽ / !, /       !  ヽ .|     
. /        /            ヾ_,,'/ /  /-、_  /   ゙;、
/         /==ニニ''ー、       >゙'ー ゝ ,. '" `>'       !l`、
442日本@名無史さん:04/02/15 02:23
  //  /'/:/ /::::: .: .. ::: ..::: .: .. :: .::::;::/:::: ::::: ::::l::::::::::::::::::::::::::::::i
..//_,. -_'"l l:::/ /::::.. ..::: ..: ./: .::: :: :/:/:/:::::: ::: .:: !::::::::::::::::::::::::::',::l  
',/‐",. ',"'::::l l::;ノ:::::: .::/ ..::: :/ .:.::::/.:::/:/::/:::i::: .. : .: .l .l::. ::::. :: ::',: :',:',丶   
、,. :''"/::::,. -''´,.:/:::..::/:.:::::::/:.:::::::/.::/::/i;;/-l|:::::: .:l:/!::|::. ::i::: . :::i: i:ヽ::ヽ   激しく板違いなとこにきてしまいました…
´ ,/:::::::::`フ7´::/:::::::::!::::::::/_,,.:-/'''///´l:| !:i l::::: .:::i/゙|、;、:: :l::::::: ::!:: :!::i `''ー  すみません、兄さん達
''´:::::::::::::// /::i::::::::::l:::::::/!:::::://:/-i/;;;;ヾ !| !::::::::/,_ ソ、!:::ノ::::::::/:::ノ::::!     
"::::::::::/:::/ /::::!::::::/,!::::/:l:::::/,;;::''テ''::::Oi゙ ゙' !::::://'ー、、l::/::::/::イ:::/、!:l     
::::::::/:::::/ ./::::::!:::/!∧::i:::|:/!'''、 l :::゚: /   /// ::(/l、/:::ノ:/,'/ 、 !'     
::::/:::::::/ ./:::;;::ヾi::ツ:::ヾ:::゙'::|   、>::=''-  /'  ,,゚_,,/ "/ '-!'´、"  l `'、    
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/i/i'!:::'ー-':::::l:!::l::::::ヽ::::::::_,!,,.!ヾ-- 、      '    /::::::::::i_、::::iヽ  l   ',  
  '´`ー--':、_;;::ゝ‐'''">"   `ヽ、 \   --  ,. : ''゙゙゙゙ヽl、!i `i::! i  ー-'
   ,-=ニニ゙''ー.、  /       \ `''ー-、,. : '´       | ヾ! !      
.  /    `ヽ、`ソ         `ヽ / !, /       !  ヽ .|     
. /        /            ヾ_,,'/ /  /-、_  /   ゙;、
/         /==ニニ''ー、       >゙'ー ゝ ,. '" `>'       !l`、
443孤高の24歳無職:04/02/15 02:54
明智光秀は源氏の流れを汲んでいた為、平氏の
流れを汲んでいた信長が征夷大将軍になろうと
していたので本能寺で信長を暗殺したと
どっかの本で読みましたが、これはほんとでしょうか?
444日本@名無史さん:04/02/15 03:19
明智光秀は土岐氏出身なので源氏の流れは汲んでいる。(自称ですが)
ただ源平対決が明智謀反の原因ではなさそう。

 ときは今 雨がしたたる さつきかな
445日本@名無史さん:04/02/15 04:56
ここに限らず、日本史版の住人はすごいです、知識と分析力が。

ROMっているだけでも、図書館で歴史書を読みたくなりました。
446日本@名無史さん:04/02/15 15:29
源平遷移説といって源平が交代で天下を支配するという考え方もあった
447日本@名無史さん:04/02/23 01:15
あげ
448日本@名無史さん:04/02/23 02:07
以前テレビで信長の夢だった安土をCGで再現したのを見たが凄かった。
天皇が住む部屋とかあるわ配下を住まわす家有るわ城下町はハンパじゃないわで
信長ってのは凄いと思ったね。
449日本@名無史さん:04/02/23 02:32
信長は安土を首都にしたかったんじゃなくて
本人はすでに安土を首都にしていたつもりだったんだけどな
450日本@名無史さん:04/02/23 12:56
都を京都から移す必要があった信長にとって安土は京にも近く、
政治的にも戦略的にも、
また楽市楽座の自由商業都市を形成するにも最適地だった。
451日本@名無史さん:04/02/23 13:00
ところでおまいら徳川大阪城か豊臣大阪城かどっちが好きだ?
スレチガイカ…
452日本@名無史さん:04/02/24 20:31
信長は、最終的には大阪を首都にしようと考えていたと思うけどね。
外国との交易を考えれば、大阪が一番適している。
安土は、武田と上杉をにらんだ戦略的暫定首都。
天下統一完成後は、安土城は“信長教の神殿“ないしモニュメント、てところ

第一、安土山の頂上に、そんなに長く生活したくないでそ。
夏はよくても、冬は、琵琶湖から北風が吹きっさらしで、寒くてたまらんかったと思ふぞ。
453あぼーん:04/02/24 20:58
岐阜城なんてケーブルカーがなければ登る気にもならん。
それと比べれば安土城は天国。
454日本@名無史さん:04/02/25 15:43
>>452
ヲマイ必死だなw
たしか過去ログでもまったく同じ書き込みしてたな
これ以上ヲマイの妄想なんて聞きたくないんだが藁

信長が安土を選んだのは時代を変えるには首都を変えることが必要だと知ってたからだろ。
それに安土は北陸・東海・近畿の三文化圏の接点で京都まで半日で行けるし前面の琵琶湖は無限の道。

455日本@名無史さん:04/02/25 15:51
>>454
ageるな!

そんなに長々書かなくても信長が安土を自分の城にした理由は

「生まれ故郷の尾張と旧勢力の中心地である京都とのちょうど中間にあったこと」

こ れ で 充 分 だ ろ !
456日本@名無史さん:04/02/25 18:42
>時代を変えるには首都を変えることが必要
ここらへんを説明してくれ。
時代が変わっても首都が変わらない例はあるし
首都が変わっても時代が換わらない例もあるわけだが。
457日本@名無史さん:04/02/25 22:50
>>456
話が長くなるから「信長 安土 首都機能移転」でググるか
「信長と安土」関係の書籍結構出てるから読めばわかる
458日本@名無史さん:04/02/25 23:24
「時代を変える」ことと「首都を変える」ことの因果関係についてだよ。
信長とか安土は関係なくって。
459日本@名無史さん:04/02/26 03:04
>>458
その時代時代の名称にはその首都の名が付くだろ?
大きくハッキリと時代を変えるためにはそれが必要だし一番手っ取り早い
その事を言ってんだよ!
>>457で書いたこととりあえず調べてみてくれ
そのことについても詳しく触れてるし

それにそれよりも重要な理由が↓だ
信長が安土を選んだのは時代を変えるには首都を変えることが必要だと知ってたからだろ。
それに安土は北陸・東海・近畿の三文化圏の接点で京都まで半日で行けるし前面の琵琶湖は無限の道。
460_:04/03/02 06:13
mL( ^∇^ )グッチャー!
461日本@名無史さん:04/03/02 12:22
          ,. ‐ '"~´ / ̄ ̄`~`''‐ 、     `` 、       光秀!!
        , '´    /     /    `''‐、     \
      , '‐''"~´ ̄ ̄`~`ヽ、 /          \     ヽ   信長が殺されたんだぞ!
.   /             ̄``''‐.、     ∠>ヽ./\ ヽ  いっぱい部下が殺されたんだぞ!!
.  /             _____   \     /゚ /   ヽヽ
 〈       ,. ‐''"~´      l  ``''‐、 ヽ.    / [ [[[ ヽi 遊びでやってんじゃないんだよっ!!
.  ヽ.    /ヽ、_,. -┴─-== __=-'_、_, \、_/      _l
.   |   / 、.__/ ノ!ヽ、._ー-‐''⌒,r=-─ゝノ|| ‖  ̄ ̄ ̄  |  信長は…信長は力なんだ
   !  {   / ,イ{ ヽ ( 〈、_,.ィrヮー< _,リ_|| ‖         !  信長は戦国の世を
   ヽ :ヽ _{. 〈.'`ァrッ‐、- - ,, ヽ-‐='..ゞ.{_.|| ‖        :l      支えている人なんだ!
.     `‐、\\ヽヽ-‐ツ ''´         `{_ |! ‖       !  それを…
      :   |{_ ヽ.i. 〔ー-            { !.  |!__       ,'   それをこうも簡単に失っていくのは
.       :  |{_ _)l   `,ィ-─_、    //  | 0| ___/   それは、
       :   |{_ ミ. !  ヽ ̄,.-‐) .//    /l ̄ __/    それはひどいことなんだよ!!
      :  |{ ,.`ヽ.   `ー '´.∠‐'´    /'´ ̄ノ,ノ/    何が楽しくて信長を殺すんだよ!!
        ,l ‐''"~´ ̄ ̄ ̄l~´      /-──<´
       |  「 --┘    |___/  `!     |     貴様らのような奴はクズだ!
          L.. -─ ''_""~ ̄‐''"~´l       |    |     生きていちゃいけない奴なんだっ!!
          ̄「 |  |      |   _,,.⊥_-‐ 
462日本@名無史さん:04/03/02 13:04
>>459
鎌倉は首都ではなかったが、学者は鎌倉時代と呼んだ。
首都の名称=時代の名称
となると日本は平安期以降、幕末までずーーーーっと京都時代?
463日本@名無史さん:04/03/02 14:15
そこで東京遷都は無かった!ですよ
464日本@名無史さん:04/03/02 14:16
日本の首都は幕末まで京都ですよ。あたりまえちゃうんかと
465日本@名無史さん:04/03/07 19:48
政治の中心ではなかったけどね。<京都
466日本@名無史さん:04/03/16 00:56
元首がいたとこが首都→京都
国政の中心があったとこが首都→最近はず〜〜〜と江戸・東京
467日本@名無史さん:04/03/22 03:58
今ごろ首都は香港
468日本@名無史さん:04/03/22 04:13
信長が諸国を従えて、なんらかの政治的実権を握っても長くはもたなかっただろうな。
年齢から考えて家康じゃないにしろ、だれかに乗っ取られてたよ。
鎌倉の源氏みたいに。

やっぱ家康はスゴい。
のちのちのことまで考えて、ちゃんと耐久年数300年の基盤をつくったもんな。
その才は信長にはないと思う。

逆に家康には信長のような天下統一に積極的にひた走る才はなかった。
信長、秀吉がいなきゃ、徳川300年もなかった。
なんか、めぐり合わせだよな……。
469日本@名無史さん:04/03/22 23:32
>>375 西欧の産業革命は日本でいったらいつ頃におきたの?
470日本@名無史さん:04/03/24 07:09
18世紀には起きていたでしょう
471日本@名無史さん:04/03/24 07:59
どうだろうな、いくら信長が進歩的でもそれだけじゃ産業は発達しないよ。
江戸幕府以上に科学技術が発展する社会体制を、はたして信長はつくれるかどうか。
472日本@名無史さん:04/03/24 08:17
いや、まずその信長が進歩的という認識から改めないと。
473日本@名無史さん:04/03/24 13:23
>>471
江戸幕府は、科学技術を促進する政治体勢ではない
信長の政府の方が、科学技術、それに経済・文化も発展しただろう
474日本@名無史さん:04/03/24 16:15
その「江戸体制よりも発展する社会」とはどういう社会なのか、ということ。
475日本@名無史さん:04/03/24 22:28
>>474
いくらでも考えられるだろう。
1)鎖国をしない
2)商業を抑制しない
3)発明を禁止しない
4)身分を固定しない
5)人々を土地に縛り付けない
などなど
476日本@名無史さん:04/03/24 23:43
鎖国をしたために工業性手工業が発達していった、って話が無かったっけ?
477日本@名無史さん:04/03/25 01:58
>性手工業
なんかエロい。

2)商業を抑制しない
3)発明を禁止しない
は江戸時代には該当しないな。
478日本@名無史さん:04/03/25 05:11
仮に、オリンピックで100メートル走の優勝経験がある現役選手と、
鈍足の小学生が、100メートル走で勝負するとして、
勝負したら、現役選手が転んで失格となり、小学生の方が勝ったとする。
しかし、この場合、現役選手が転ばずに最後まで走っていたら、
現役選手が必ず勝っていたという事になる。

歴史に「もしも」がないという事は、
運命論(未来は決まっているという事)が正しい気もするがな。
479日本@名無史さん:04/03/25 06:05
ざっとスレ読んだところでは農本主義か貨幣経済か、ってとこに集約されそうな気がする。

だったら信長が死ぬのが20年遅れて影響が残る→経済テクノクラートの権限が強まる
→石田三成(みたいな立場の人物)と徳川家康(に代表される国人重視・農本主義派)の相克が長引く

で、日本があと50年くらい混乱に耐えられていたら、
確かに鎖国は起きなかったかもしれないし、
被差別階級も徳川体制ほどには差別されなかったかもしれない。
飢饉の時の混乱も農業主義一辺倒の時ほどではなかったのでは?
何より徳川体制は相互監視社会で人心を萎縮させてしまった(これは今でも影響が濃い)。

結果、農本主義の徳川体制になって、
日本にはマイナス面のほうが多かったという事になる。
480日本@名無史さん:04/03/25 06:24
朝鮮・明を攻略するが失敗、織田家は衰退、
代わって、戦国最強と言われ、5代100年続いた、関東8州250万石を治める、小田原・後北条氏が台頭、天下をとる。

後北条体制が現在まで続き、日本の大統領は、後北条家・当主。
天皇は象徴的存在。

アメリカの属国になる事もなく、平和な日本が続く。

後北条家の世なら、俺は、後北条家・当主の側近だな。
481日本@名無史さん:04/03/25 06:31
>>480
追加

日本の首都は小田原になっていた。
482日本@名無史さん:04/03/25 06:48
鎖国して徳川の二の舞になりそうだな・・・
483日本@名無史さん:04/03/25 11:05
結局鎖国の後、アメリカと戦争しそうだね。
徳川と一緒だなあ。
484日本@名無史さん:04/03/26 14:50
信長が死ななかったとしても、急成長組織の膨張圧に織田政権が耐えられたかは
疑問。仮に信長が60まで生きたとして、日本が統一されたとしても、混乱が一掃
されているはずはない。むしろ二代目の力量にかかっている訳で、信忠の資質を
議論すべきでは。
攻勢を続ければ秀吉に近い末路。守成に努めたとして、政治家としての資質が秀忠
に匹敵するとは考えにくいな。信長は中央集権志向だったから、織田政権を倒すのは、
大名勢力に加えて、市民勢力(例えば地侍+キリシタン)になった可能性もあるかなと
妄想してみる。一向宗でも無理だったから無理っぽいけど。



485日本@名無史さん:04/03/27 01:03
もし信長が天寿を真っ当できたら、秀吉がやれた(やった)ことくらいは達成したと思う。
486日本@名無史さん:04/03/27 02:07
>>485
信長のやり方と秀吉のやり方はじぇんじぇん違います。
それがわからんとですか?
487日本@名無史さん:04/03/29 04:03
江戸時代の良い点

関東地方の開拓。(日本の二大都市の一つを創生)
地域経済、殖産興業の発達。
参勤交代による、交通の発達。
鎖国による、情報収集の一元化。(朝鮮のように中華蛮欧思想に毒されなかった。)
鎖国による、独自文化の発達。
鎖国転じて、後の文明開化心理の形成。


意外に利点も多い。
488日本@名無史さん:04/03/29 04:17
シュミレーション小説では家康に滅ぼされ 最終的には伊達政宗が徳川を乗っ取るって天下になるらしいけど 俺としては秀吉と違って交戦的な信長だから戦で日本平定を考え、平定一歩手前で敗戦する。でまだ混乱が続き1630年ごろ乱世が終わる。
489日本@名無史さん:04/03/29 04:18
日本が泰平の世を享受してたとき、日本以外はみな西欧の植民地だからな
490日本@名無史さん:04/03/29 04:22
本能寺、賎ヶ岳以降は秀吉のかけひき的な乱世生き残り術が諸武将にも影響して 以降は二元的な対立になったけど 信長が生きてればただ単純に強い者が勝つみたいな価値観が広まり群雄割拠の乱世が続いたと思う。
491日本@名無史さん:04/03/29 20:44
世界制覇をイギリスと争そう
492日本@名無史さん:04/04/01 01:49
>>488
シ「ミュ」レーション小説といってもたくさんあるわけだが、誰の?
493日本@名無史さん:04/04/01 15:24
信長が死ななかった場合の日本や世界を予想した
大真面目な本ってありませんか?
494日本@名無史さん:04/04/01 15:35
あるだろ
そういうシ「ュミ」レーション
495日本@名無史さん:04/04/01 15:38
信長が暗殺されなかったら日本はどうなった?

家康が国外へ連れ出され、秀吉の天下。
496日本@名無史さん:04/04/01 15:51
>493

夢幻の如く
497日本@名無史さん:04/04/01 19:44
f
4981:04/04/02 11:51
「デカイのが負けたその時は・・・・
お礼にテメェ等全員この場で処刑だぜッ」
499493:04/04/04 18:55
>>496
コミックじゃなくて活字で何かないですか?
500日本@名無史さん:04/04/07 20:08
『信長征海伝』(佐藤 大輔)
501日本@名無史さん:04/04/10 20:11
ji
502日本@名無史さん:04/04/10 21:51
首都は大阪です
503日本@名無史さん:04/04/11 17:45
>>502
つまり東京は存在しない。
504日本@名無史さん:04/04/11 20:01
>>503
あのあたりはもともと人口は多いし、
形的に良港ができる条件は整っているから、
戦乱が収まれば、徳川がやらなくても大都市ができていたと思ふ。
505日本@名無史さん:04/04/15 16:46
織田信長が天下を取っていたら日本の国民性も変わっていただろうって
意見が目立つけど、日本の国民性が今のようになったのは、いつの時代なんでしょうか?
江戸時代の町人(職人)の生活事情を読むと、「働くのは月15日ほど。労働時間は
10:00〜14:00ほど。身分固定で働けど上昇はできないから、情熱を
遊びと恋に傾けた。火事が多く財産をすべて失うリスクがあったので、
貯蓄など考えなかった。」
現代とは違って徳川の世はラテンな薫りがして結構じゃないかと思うんですが、
人口の大部分を占める農民は事情が違ったのでしょうか?
今の日本も「ムラ」社会と言われますしね・・。
506 :04/04/15 17:10
朝鮮、樺太、東南アジア、ハワイとーストラリアの全て又は一部を支配し産業革命は日本で最初に起こり
世界一の強国になってただろう。
今頃は(この世界の価値で)GDP二千兆円を超えながら年一%成長する大超大国となってただろう、日本の軍隊を恐れ世界は戦争から解放され天国と化してた。
全ては同じアジアの国でありながら裏切った中国と野蛮な西欧諸国のせいでこんな世界になってしまった。
507桓武平氏:04/04/15 17:27
信長が生きていたら・・・きっと、どっちにしろ長生き出来なかっただろうね。
彼だからこそ、旧習を打ち破れたしあそこまで出来たと思う。これが
先に家康だったり、秀吉だったらまず無理だろね。信玄、や謙信もしかり
その位激烈な個性ゆえ、長生きは無理だね。だから、想像出来ないね。
508山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/04/15 17:35
>>505
今の国民性、というのであればちょうどこの頃でしょうね。
宗教的寛容性・合理性など。近世はラテン的とおっしゃいますが、たまに働き
ながらも「真面目にまともな仕事をしていれば、お天道様が報いて下さる。」
という発想はやはり存在した訳で、こうした志向が日本の近代化を促したとい
う意見もあります(柴田実先生ほか)。
509日本@名無史さん:04/04/15 17:36
>504

大都市ができても、首都にはしなかっただろうね。
510日本@名無史さん:04/04/15 17:40
>>507
でも、ルイスフロイスの記録だと、酒をあまり飲まず、
食にどん欲でなく、よく運動したとあるから、普通に
長生きの生活だがね。しかも記録上からだのどこかが
悪いってのもないし。50歳くらいだとどこかあっても
不思議じゃないのにね。

問題は性格が短気なことがどうでるかだが、家康も信長
に負けず劣らず短気なのに長生きだったからこれも短命
の決定打にはならんね。

あとは母親も自然死した兄弟もだいたい長生きなんだよね。
そういえば信雄も長生きだったなあ。

こう考えると80歳くらいまで生きても全然不思議じゃない
わな。となると1612年くらいまでは生きる可能性があった
ということか。日本も相当変わっていただろうね。
511桓武平氏:04/04/15 19:40
中国の劉邦がそうだった様に、(秀吉もそだが)権力を握るまでは出来るだけ無理をしない
しかし一旦握るとどうしても出てしまう。そう意味で無理だろうね。
512平家の落ち武者:04/04/15 19:59
>>511
そいえば家康も短気な面と嫌な性格が現れたのは天下を取ってから
だったねえ。まあ、人間だからどうしても遠慮がいらなくなると
地が出るわなあ。


ただ、どうなんだろうね。信長が本能寺に会わなければ折込みの
計画として海外に進出しただろうからその場合は目標があるので
いろいろと妥協した可能性もあるともいえるしねえ。天下統一で
満足な秀吉家康とはひと味違うかもしれんしね。
513日本@名無史さん:04/04/15 23:15
家康は秀吉の失敗がなければまた違ったのではないかな?
514日本@名無史さん:04/04/17 02:24
秀吉が失敗しなければ、家康は天下取れないけどね
515日本@名無史さん:04/04/21 21:53
あげ
516日本@名無史さん:04/04/21 22:38
まー、信長が暗殺されず長生きしたとしても、
チョンが乞食民族って事だけは間違いない。
517日本@名無史さん:04/04/21 23:46
信長とチョンの間にどういう関係があるんだ?
もしかして脳味噌腐ってる?
518織田上総介信長:04/05/15 04:40
 数年の内には、瞬く間に全国を統一す。

 間髪を入れず、鉄鋼船軍団、大砲を擁して朝鮮半島に乗り込み、数年を経ず
して明、元(モンゴル)を攻略、メディチ家オーストリア公国、フランス公国、
攻略。そしてフェリペ2世のイスパニア王国に至り、おそらくマドリード安土
城を完成させ、英国、モスクワも平らげ、天下布武は完了。
 アジア、ヨーロッパにまたがる日本国ができる。
 世界の主要言語は平成の現在、日本語になっていただろう。

 しかし、信長が83まで天寿をまっとうしたとしても、後継者争いや地方の
反乱で、やがて衰退し、新たに興った国に逆に攻め亡ぼされ、最後には日本は
雲散霧消し影も形も残らない。中国の一部、日本省日本県になっているかもし
れない。
 そして今ごろは、共産主義国として中国共産党の統制の元、洗脳義務教育を
受け、言論、集会、思想、出版などの権利は制約を受ける。天安門事件や
東京芝、大門の御成門事件や京都仁和寺の山門事件や大阪の追手門事件などが
起きては、戦車による弾圧を受けて革命は実現せず、民主化は起こらず、自由
な天平の清新の風はまだ吹いていないかもしれない。
 現在の北朝鮮か中国の福建省辺り(どういう所か知らないが)と同じような
産業、所得水準、暮らしではないかと想像される。

 従って、明治維新もなく、宮内庁の低脳公務員による人権侵害の犯罪(告訴
すれば精神的苦痛を与えた傷害罪及び対策を取らず傍観した共犯で逮捕可能よ
くて罰金刑、重くて懲役)も起きていないし、年金など端(はな)から貰えな
い制度なので、年金問題、道路公団大借金、何百年かかっても返ない膨大な赤
字国債も存在せず、遂にはアルゼンチン共和国のように破産宣告もない。。
 じつに長閑で貧しくも慎ましい。たまによその国に犯罪者を輸出して、。

519日本@名無史さん:04/05/15 11:54
信長は短気じゃない。むしろ臆病なくらいに猜疑心の強い性格。
それが外敵に対しては怒りやすいと勘違いされる。
520日本@名無史さん:04/05/20 13:23
更に想像を深めませんか?

当時の戦国時代を一切無視して全て信長家臣だったら・・・。
武田信玄も上杉謙信も毛利元就も全て織田家の武将だとしたら
世界制服できただろうか・・・?
その織田家の組織図はいかに!

スレの立て方が解らないので誰かやってくれませんか?
521日本@名無史さん:04/05/20 14:35
本能寺の頃の日本は全世界の鉄砲総数の3分の2近くを所有していたし、
鉄砲の性能や装填速度が欧州のそれを凌駕していたことは宣教師も認めている。
同時代イギリス全土には2600丁程度の鉄砲しかなかったが日本は80万丁を保有していた。
オスマン帝国についで2番目に早く鉄砲を集団戦闘において組織化したし。
当時の日本の国力はイギリスとフランスとドイツを併せたのと同じくらいだったそうで。
まあ今もそんなもんだけどね。

どこかの学者が当時の欧州に信長政権くらいの国力・軍事力の国家があったら
速やかに欧州を占領してしまったろうと言っていた。
まあしかし海軍力の低さと大砲の技術・保有数に劣ること、
外征戦争の経験の少なさはマイナス要因だな。

当時欧州で最も優秀とうたわれたスペイン軍と信長軍はどっちが強いのかね。
海戦ではスペインの圧勝は疑うべくも無いが、陸戦ではどうか。
シャムの日本人傭兵部隊とスペイン軍が戦ったことがあるが、
そのときはスペイン軍に勝利している。
オスマン帝国は・・・どうかな。
522日本@名無史さん:04/05/20 14:55
もちろん日本統一。
信長は朝鮮なんぞ相手にせず東南アジアに艦隊を派遣。
貿易を活発化させる。
台湾領有問題で明と戦争に突入。
ここに来て朝鮮半島上陸。
半島ルートと沖縄・台湾ルートの二方面から侵攻する大規模作戦。
半島ルートは秀吉・光秀・勝家などの織田軍団主力部隊。
沖縄・台湾ルートは九鬼艦隊に島津・大友の九州勢で福建上陸占拠。
半島では朝鮮人の裏切りに激怒した信長による撫で斬り。
無人の野を北京まで進軍。
523日本@名無史さん:04/05/20 15:13
>>513
>家康は秀吉の失敗がなければまた違ったのではないかな?

秀吉の失敗って、将軍の養子になれなかったことですか?
かりに秀吉が将軍家の養子になることに成功しても、
第16代室町幕府の将軍になっても家康は天皇を担ぎ、
豊臣幕府はつぶれる結果になったと思うよ。

世の中は策略家が勝つ!!
524日本@名無史さん:04/05/20 15:18
あっさり幕府開いて実際の江戸時代とさして変わらない時代が訪れてたかもよ。
525日本@名無史さん:04/05/20 17:25
>>521
全世界に概算で何丁くらい鉄砲があったの?
信頼できるソースキボン。
526日本@名無史さん:04/05/20 23:10
>>521
15世紀末で120万丁程度と言われている。
ソースは持ってないけど複数の本にそうあった。
題は忘れたがアメリカ人の日本の江戸時代の軍縮にテーマを絞った本とか。
鉄砲の有効射程距離はヨーロッパの鉄砲の倍近くあったという説もある。
527日本@名無史さん:04/05/20 23:42
ジェフリー・パーカー「長篠の合戦の世界史」だろ。
528日本@名無史さん:04/05/21 01:29
シタガワヌナラ殺シテシマエホトトギス
529日本@名無史さん:04/05/21 02:14
>523
秀吉の失敗は、将軍うんぬんじゃないと思うよ。
秀吉も、政権維持のため徳川幕府同様「国普請」という名の巨大公共事業を
やって大大名の蓄財阻止をやろうとしたが、肝心要の家康は天下への野望があるため適当な理由をつけて
サボる。しかも、外様の大名は家康がサボッてるのでこれに口添えしてもらってなるべく負担を減らそうとする。
だからといって、いいだしたことをやらないのは、政権の求心力にかかわるので
仕方なく清正、福島、黒田などの子飼いの武将にやらせる。
そういう、家康に人望が集まって、子飼いの武将に不満が高まるような構造ができてた中で、新たな求心力を
求めて朝鮮出兵するが、これも子飼いの武将にばかり負担がいく。
関が原で子飼いの大名が2分されるような状況をつくり出してしまったことを、豊臣政権の失敗というんじゃないかな。
まあ、家康の陰険な策略の勝利といってもいいけどね。
530日本@名無史さん:04/05/21 13:12
中国北京まで攻め入ったかもしれない。
でも、そのときの虐殺、略奪やらで反感もたれるのは確実。
必ず中国の新帝国に危険視されて、百年後侵略を受けるはめになったかも、、、、
531赤いミニタイト:04/05/21 19:54
次のことが考えられる。
1.将軍足利権大納言義昭放逐同様、天皇放逐。
  平将門同様、新皇(新帝)宣言。
2.あるいは関白・征夷大将軍・太政大臣兼務。
3.豊臣秀吉は存在せず。尤も、信長の息子は凡庸
  と思われるので、徳川幕府は開幕したかも。
532日本@名無史さん:04/05/21 21:23
信長の息子が凡庸だったとするとなおのこと信長存命中に徳川は潰されそうだろ。
秀吉にとっては家康は一応は部下だが信長にとっては同盟者。天下取ったら潰されそう。
533日本@名無史さん:04/05/23 18:28
天下をとったあと、家臣団への粛清が派手に行われた可能性がある。
織田信長は足利義教を模範にしていたというが、
それと同じように粛清を怖がった家臣の館、城に呼ばれて暗殺されたかも。
今みたいに、惜しまれていたかどうか。
534日本@名無史さん:04/05/25 15:40
「信長なら海外に進出していたはずだ」とか「どこそこまでなら征服できて
いた」という意見が目立つようですが、
そもそも国内統一を果たした後に、海外遠征を行う必要性やメリットは
あったのですか?
535日本@名無史さん:04/05/25 16:15
貿易の一巻としてやるなら意味はあったかもな。
その場合朝鮮中国よりも東南アジア方面にいくことになるのかな。
536日本@名無史さん:04/05/25 16:24
三河の山奥から出てきた半キコリ・半百姓の家が天下を取ることがなくなるので
あれば、少なくとも現在の日本人の海外コンプレックスという気質は形成され
なかったのではないか。
537日本@名無史さん:04/05/25 16:41
いくら海外進出して海外に領土を持っても、渡航して国際感覚を磨くのは
一部の日本人だけだろう。本国が海に囲まれている以上、大部分の人は
外国人との交流は稀で、気質の大きな変化は望めない。
やっぱり様々な異質な国と地続きじゃないと、国民性が変わるほどの
交流はないと思う。
イギリス人も欧米の中では、シャイだの、陰気だのと言われてるじゃないか。
538日本@名無史さん:04/05/25 16:46
>537
たしかに地理的条件による不利さはあると思うが、それでも鎖国をしなければ
より大量の日本人が海外に出ただろうし、外国人も大量に日本に入ってくるだ
ろうし、やっぱり多少は違うじゃないかなあ。
539日本@名無史さん:04/05/25 19:14
七つの海を思うがままに行き来するシャイな日本人になってたと思うね。
540日本@名無史さん:04/05/25 22:59
予想としては>>537>>539さんの認識で正しいと思う。
海外へ進出しようとしなかろうと、何百年経とうとも、
国民気質はそう変わるものではないから。大陸民族の
場合は交流と言うよりも流動化と混血化の結果に因る
所が大きい。ここまでなるともう民族というもの自体が
変質し消滅してしまっていると言えるのだろうけれど。
541日本@名無史さん:04/05/26 00:27
信長がいると大航海時代になっただろうね
しかし2代目以降がこの路線をとるのか分からんな
542日本@名無史さん:04/05/26 01:23
ヒデヨシの唐入りも、元々の目的は東アジアに貿易ネットワークを
作る事だからね。
信長が生きてたら確実に同じ道を進んだだろう。
ヒデヨシと光秀が遠征軍の大将になるだろうね。
もし明朝を倒して、女真族みたいに少数統治を完成させる事ができたら
東アジア連邦が出来上がってお互いに繁栄し合い、後の欧州列強の侵略による
悲惨な植民地化は避けられたかもしれない。
世界の歴史がまるっきり変わってただろうな。
543日本@名無史さん:04/05/26 02:53
>>534
日本なんてちっちゃい島は猿にくれてやる、
自分は中国大陸を支配するとか言いそうだが
544日本@名無史さん:04/05/26 04:04
当時の人口や、信長の戦のやり方を見ると大陸支配は無理な感じがします。
朝鮮あたりまでは支配できたと思うのですが・・・。
もし信長が大陸をめざしたとするなら(経済・知行・野望)といった三点からだと思うのですがその中の知行に関しては、家臣や大名の粛清などでかたずけてしまうことも出来ると思うので、そんなに重要ではないかもしれません。
そう考えると大陸進出を無理矢理するとは考えにくい気がします。
よほど画期的な兵器でも発明しない限り大陸支配は難しい気がします。
545日本@名無史さん:04/05/26 10:05
age
546日本@名無史さん:04/05/26 10:42
>>544
そうだと思うけど
東西の貿易とかは積極的にしたと思う
大航海時代になったんじゃい

547日本@名無史さん:04/05/26 12:32
話は戦国時代にさかのぼる。これは日本と外の勢力との隠された歴史。
信長のスポンサーには、スペイン・ポルトガル側の【カソリック】。
信長を殺す陰謀を企て、後に秀吉を君主に仕立てたのが、【マラーノ】。
マラーノとは、スペイン教会の中に忍び込みキリスト信者を装い、海上貿易を
乗っ取り、世界の金、銀、「金になる物全て」を漁っていたユダヤ人。
ユダヤと言っても、現在一般に呼ばれるヨーロッパ系イスラエル人
【アシュナケージ】とは違う人種だ。(マラーノ階級の頂点は、ロスチャイルド)
その頃既にスペインでの陰謀が発覚し、弾圧を受け、オランダへ集団移住。
やがて中国(明)・朝鮮半島にカソリック勢力の大きな波がやってきたが、
マラーノ(ロスチャ)は、秀吉の軍隊を使ってそれを阻止しようとする。
 当然、朝鮮人は、突然日本が攻めてきたものと捉えた。朝鮮軍だけでは秀吉の戦力に
は全く歯が立たず、やがて半島を占領されることを危惧した明をも巻き込むことに成功。
これがマラーノの今日も衰えない強力イカサマ戦法である。

この戦争で豊臣幕府も明も財力を使い果たし、がたがたになる。
(明においてのその後の陰謀は、この際省くことにー)

しかし、ロスチャの諜報部員「三浦按針」(日米合作TV映画「将軍」の主人公
ウイリアム・アダムズの帰化名)に操られる徳川家康だけは健在だった。
豊臣時代には、まだまだカソリック勢力側につく大名もいたのだが、関ヶ原の
合戦を境にどんどん追い込まれていく。家康は、事実上ロスチャの所有会社で
ある「東インド会社」(オランダ)と独占貿易契約をする。キリスト教の布教
を弾圧し、ポルトガル等のカソリック国との貿易を禁止したことは、皆さんも
よくご存じのこと。江戸の町民文化は、ユダヤの著名人が指摘しているほど、
ユダヤ商人文化と極似していた。悪く例えると、よく時代劇で使われる「少数
の町商人と悪代官の癒着という構図」だ。
548日本@名無史さん:04/05/26 12:34
まずスペインでSeaPowerを手中に、金銀で財力を蓄え、ローマ・カソリックに迫
害されながらもオランダを独立させ、世界金融の拠点を築き、やがてイギリスで
の産業革命を促してイギリス・フランス・ドイツ等ゲルマン系主要国の王族と血
の契約を交わし、裏で政治工作まで可能にしてしまったマラーノ。
その少数派マラーノの手助けをし、大きな力となったのが先にも述べた『アシュ
ケナージ』と呼ばれる西欧ユダヤ人共同体。力になったと言っても決してマラー
ノと同化したわけではなく、13世紀頃からマラーノが始めた金融業(金貸し)
の末端を請け負っていたり、ネットワーク拡大のための要員として利用されたの
である。
彼らは自ら自分の祖先は、カナンの地を負われたイスラエル12氏族の子孫だと
信じて疑わないようだが、騙されている。実は全く違う民族の子孫であるのは間
違いない。彼らの祖先は、途中から強制的にユダヤ教に改宗させられ、後に難民
となったハザール人だ。詳しいことはこの辺を読んでほしい。
http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F3/a2f1000.html#02

20世紀の戦争では、マラーノと、そのマラーノと悪魔の血の契約をしたアメリカ
・アングロサクソンは、ユダヤ世界金融に対する批判を封印する目的で最も恐ろし
いことをやってのけた。
ヒットラー率いるナチスを創り上げ、アシュケナージの民をそっくりそのまま神の生
け贄として捧げたのだ。
その効力たるや、今日の世界で絶大なる魔力を持続させていることは言うまでもない。
549日本@名無史さん:04/05/26 17:54
>>547-548
長文お疲れ。で、信長が暗殺されなかったら日本はどうなったの?
550日本@名無史さん:04/05/28 14:45
 というか、秀吉とか信長のような権力者以外に、本気で海外に領土を
欲しがった武将っているの? いないと思うんだけど。
光秀なんか国内で知行地を換えられただけで嫌がったんだろう?
「明国の何々に転封を命じる」なんて言われてもねぇ・・。
海外に遠征をするには動機というかモチベーションに決定的に欠けていると
思う。
 本国に物質や食料が欠乏しているわけでもないし、宗教的情熱に駆られて
いるわけでもない。新大陸のような勢力の空白地帯がすぐそばにあるわけでも
ない。
551日本@名無史さん:04/05/28 17:47
>>550
というか、スレタイ読め。
552日本@名無史さん:04/06/03 09:20
a
553日本@名無史さん:04/06/03 12:43
日本及び南蝦夷連合王国織田王朝
554日本@名無史さん:04/06/03 16:35
当然イギリスは鎖国だな

織田王朝は一時、革命騒ぎで絶たれるが
その後、血縁関係にあった朝鮮王朝から織田家の血筋の夫婦をまねいて再興
つまり”現在”の王家は朝鮮筋
555日本@名無史さん:04/06/03 16:46
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【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
556日本@名無史さん:04/06/07 08:44
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557日本@名無史さん:04/06/09 22:21
≫423
通例により、征夷大将軍は、源氏に与えられる、武家の棟梁たる官職だよね。
これ自体は、決して高い位にない。が、武家政権では、絶大な力があった。
盆暗の15代将軍義昭も、こればかりは秀吉に継承させなかった。
止む無く、秀吉は公卿の最高位・関白になり、武家を統治する事にした。
武家関白の出現だ。しかし、これには、武家の棟梁が公家の最高位であるという、
自己矛盾が常に付きまとった。秀吉が室町幕府の16代になるということは、足利に養子になったことになり、
源氏であることを認められた事になり、秀吉の存命中は、家康の出る幕はない
んだよ。 家康の源氏出身説も公には強く言えない状況になり、(豊臣幕府を
脅かす姿勢丸だしだから)、秀吉に睨まれた。 つまり、晩年のボケがはいった秀吉
になら、時期天下人たる野望を示せても、意気軒昂な秀吉に、あからさまな敵対姿勢は、とれるはずもない。
大体、若き日の秀吉は、家康以上に策略家だぜ。
558日本@名無史さん:04/06/09 22:22
↑≫524の間違えだった。
559日本@名無史さん:04/06/10 10:48
結局、天下統一した織田信長が秀吉のように朝鮮、明帝国に出兵したかどうかという問題になり、、、
結果、かなりの合理主義者だったそうだから、無理な面倒なことはやらないと計算して決め、
いらなくなった家臣を徹底して粛清し、細かい大名ばかり作り、芸術的な美城をいくつも作って隠居。
自身がつくった茶器がいくつか残っている、、、と終わったのでは。
560日本@名無史さん:04/06/10 10:56
>信長が暗殺されなかったら日本はどうなった?

遅かれ早かれ10年以内に死んでたはず。

それよりも
>北の政所が不妊じゃなかったら日本はどうなった?
のほうが気になる。
561日本@名無史さん:04/06/10 17:14
信長の政治はかなり彼自身のカリスマ性が色濃くにじみ出た
ものだから、仮に大陸に進出したとしても信長の死によって
一気に瓦解してしまう気がする。
まあいいところ中国大陸の沿岸部、ベトナム、ルソンぐらいが
関の山のように思う。ただ、武器に関しては当時日本は世界有数の
軍事大国だったし倭寇などでそれなりに近隣の情報も得ていたから
あながち苦戦の連続になったとは思えない。しかし痛いのは、
日本は国を挙げての対外戦経験が少ないということ。しかも当時は
大航海時代、対外進出に欠くべからざる日本の水軍は外国勢力と
一戦交えたことがほとんどない。したがって、東南アジアあたり
までは行けたとしても欧州勢力ともろにぶつかると苦しくなったと
思われる。
562日本@名無史さん:04/06/11 10:34
織田信長が優秀な大砲に注目し、開発し、また西洋の船の高造船技術を手に入れていれば、かなり面白いことになっていたと思われ、、、
563日本@名無しさん:04/06/11 11:45
>>562
あと十年長生きして島津や北条攻めを行うであろう時
訪れていたならば、そのようなものが現実に織田軍に
配備使用され、歴史に残っていた事でしょう。
564日本@名無史さん:04/06/12 06:48
>>560
>北の政所が不妊じゃなかったら日本はどうなった?
関ケ原の合戦が家康&秀吉長男VS三成&秀頼に。秀吉長男は名古屋幕府を開き、江戸の
陣で家康を滅ぼして260年続く名古屋時代の礎を築く。以上「金鯱の夢」(清水義範)より。
565日本@名無史さん:04/06/12 10:37
でも偉大な人物の子供って、可愛がられて凡庸な人が多いから、、、、。
結局、百戦錬磨、老練な徳川家康に陰謀でやられたかも、、、
結果、やはり徳川天下かも。
関が原当時、家康がどれほど怖がられていたかというと、小牧長久手のとき着ていた鎧を指差すだけで相手はびびったというし、、、
566日本@名無史さん:04/06/12 11:31
海外に進出してもスペインかイギリスに負けて終了
567日本@名無史さん:04/06/12 11:37
そんな事になったら俺が生まれてないかも知れないので考えたくない
これは皆にも当てはまる!
568無知人:04/06/12 11:58
信長はその当時、朝廷からの官位も受けていなかったようなので足利
義昭を追放したように天皇も追放して自ら日本国王を名乗り新王朝を
宣言した可能性があると思います。でも結局は全国の大名の総スカン
にあい失脚か暗殺される運命にあったのではないかと思います。
569日本@名無史さん:04/06/12 12:21
天下統一がならなかったって結論はどう?
戦国時代があと100年以上続いて
それぞれが外国勢力なんかを引き入れて混乱のうちに
草刈場と化して惨めな植民地になるとか。
570日本@名無史さん:04/06/12 17:43
>>569
信長が暗殺されなかったら、天下統一が完成したのは、100%確実。
毛利・上杉・長曾我部に、同時に、優勢に戦争していたので、
この3者を滅亡させた後、信長に反抗できる勢力は、国内に存在しない。
571日本@名無史さん:04/06/12 21:32
後継者だが信忠で大丈夫かね?すぐ下二人の弟に比べればましだと思うが。
そういえば信忠の妻って誰だったのだろう?
いや、信玄の娘じゃなくてね。それとも秀信の母(塩河長満の娘)が正室だったのか?
あるいは信長はいずれもっといい家から信忠の正室を迎える気だったのかな?
旧武田家取り込みの為とか上杉引き込み為(景勝の妻も信玄の娘)やっぱり松姫を嫁にするとかしたらドラマなんだが。
572日本@名無史さん:04/06/13 00:37
>>571
織田家の系図には、信忠正室は武田信玄女と書いてあるそうだけどね。
秀信の母(塩河長満の娘)は、あくまでも側室でしょう。
後継者の結婚は、もっと政略的に利用しなくては。
信長は、公家か、天皇の娘と結婚させたかったんじゃないかなー。
もっとも信忠という息子、
自分の考えをしっかり持ったひとかどの男臭いので、
結婚については、父の要求に従ったかどうか、わからないyo
大名の息子で、26歳まで独身というのは珍しいんじゃないのかな。
573日本@名無史さん:04/06/13 00:49
たかが腐った鯛ごときで光秀にキレなければ殺されるハメにはならなかった。
574日本@名無史さん:04/06/13 01:03
腐った鯛はどうでもよかったんじゃないかな。佐久間の追放とか、光秀に対する過剰な反応を見てると、天下統一後に使えない奴とか朝廷寄りの人間を排除したかったんじゃないかな。
575日本@名無史さん:04/06/13 01:07
信長の政権は信長一代でしか持たないでしょ。
576日本@名無史さん:04/06/13 01:10
朱元璋ばりに・・・・そうすればあるいは?
577日本@名無史さん:04/06/13 01:11
朱元璋ばりに・・・・そうすればあるいは?
578日本@名無史さん:04/06/13 02:33
暗殺が起こらなかったら。
中国の毛利は羽柴&増援の明智に,四国の長宗我部は丹羽に,北陸の上杉は柴田に,関東の北条は滝川&徳川に,それぞれ攻めほろぼされる。
信長存命なら,途中から降伏してもぬっ殺されるだろう。

その後,羽柴&丹羽&明智による九州攻め。
ある程度の大きさを持っていたら戦わずして降伏しても減封だから,九州の大名で生き残れるのは大友,竜造寺くらい。こいつらは羽柴や丹羽の幕下に編入。島津は大きくなりすぎた勢力のせいで帰順適わずぬっ殺される。
関東以北では,佐竹,宇都宮あたりの戦国大名化していない封建大名は早々に帰順して存続。滝川の幕下に編入か。最上あたりは微妙。帰順適えば柴田の幕下に編入。伊達は戦力は小さいので帰順すれば適うだろうが,史実の対応見ても判るとおり反抗してぬっ殺される。

その後,勢力が大きくなりすぎた徳川も因縁つけて潰す。
九州に羽柴,丹羽,明智を封じ,信孝が管領に置かれる。奥羽,出羽に柴田,滝川を封じ,信雄が管領する。
それ以外の地は織田家の直轄領で,信忠親政。朝廷工作を初め,秀勝の嫁を天皇家から貰う。これは,秀勝の子(仮称織田政権の4代め候補)を天皇に据えるための布石。

この後,功臣や管領が勝手を始めないように,蝦夷攻略,朝鮮攻略を命じる。
しかし,これは上手く行かない。
異民族の征服の労力が日本内のそれと違うことを思い知る切っ掛けとなる。
そこで,これらの攻略戦は管領地の力削ぎのために継続され,中央政権は南方貿易により力をつけることを目指しはじめる。

あとは,ヴェネティアみたいな感じの歴史になるんじゃないか。
579日本@名無史さん:04/06/13 02:36
つ〜か,こういうネタスレは,日本史板じゃなく,三戦板で立てたら?
580日本@名無史さん:04/06/14 07:19
少なくとも蒲生氏郷はもっと出世できたろうな。
信長は娘婿の氏郷に相当期待してた見たいだしな。
信忠を後継者にし氏郷を補佐に…というところだったんだろうか?
581日本@名無史さん:04/06/14 07:33
>>580
>信長は娘婿の氏郷に相当期待してた見たいだしな。

何を根拠にそんなことを言ってるんだ?
小説読みすぎ。

身内ですら信用しないし、ましてや氏郷は森兄弟や堀久太郎のような
側近・エリートコースに乗っていない。

それに娘をもらった者は他にもいるし、そのことを信長は重要視していない。
信雄・信孝がマイナーな伊勢の大名の名跡をつがされ、安土政権成立後は、
四国攻めの際に信孝を三好康長の養子にしようとしていたのと同じく、
しょせん信長政権が不安定で上昇過渡期の京〜尾張間の政情安定の対策レベル。

氏郷厨には困ったもんだ。
「氏郷と戦った場合、先頭の騎馬武者を何人か討ち取れば、簡単に殺せる」
と秀吉にバカにされていたように、しょせん猪武者の侍大将クラスの武将。
前田利家と同レベル。
582日本@名無史さん:04/06/15 11:26
宣教師たちに西洋の政治形態とか聴いていた話がある。
イギリス、スペインみたいな政治形態にし、海外遠征の艦隊くらい作ったかも。
大砲装備の大艦隊があれば、島国日本は征服、統治しやすいだろうし。
583日本@名無史さん:04/06/15 21:09
前田利家を猪武者とか言うな。織田家きっての猪武者の称号は池田恒興のもんだ。
584日本@名無史さん:04/06/16 00:11
猪武者ゆえに、無理をしたか。
最後は、逃げる家来を制止も出来なかった。
まあ、若い三次信吉の懸案だったようだが。
585日本@名無史さん:04/06/16 05:29
信長が長生きして、老醜さらす権力者になってたら…
それはそれですごいな
586日本@名無史さん:04/06/16 10:01
信長と光秀の子孫が和解しますた。
587日本@名無史さん:04/06/16 12:30
壬生一族が日本を手中にした
588日本@名無史さん:04/06/16 12:41
信長が暗殺されなかったら・・・
柴田丹羽明智羽柴滝川荒木の誰かが過労死してる。
589日本@名無史さん:04/06/17 16:16
もし信長が本能寺で殺されなかったら〜の適当な想像

1534 織田信長誕生
1551 織田信長家督を継ぐ
1553 平手政秀諌死によりウツケ改善
1555 清洲を攻略
1556 織田信行軍に勝利
1559 単身上洛。将軍足利義輝に拝謁。
1560 桶狭間
1562 織田信長と松平元康が同盟
1566 木下藤吉郎が墨俣に築城成功
1567 稲葉山城落城 岐阜に改名し本拠をここに移転
1568 足利義昭を迎える 近江平定 入京 足利義昭征夷大将軍
1569 徳川軍により今川家滅亡。
1570 浅井長政離反。絶体絶命。信長狙撃負傷。秀吉殿軍。
   織田・徳川連合軍、浅井・朝倉連合軍に勝利。
1571 戦う坊主。打倒信長、比叡山延暦寺を完膚なきまで焼き討ち。既存権威の破壊。
1572 黒幕、足利義昭に条書17ヶ条
1573 足利義昭挙兵 足利義昭を追放す。これにて室町幕府滅亡。 
1574 武田軍により、徳川方の高天神城落城
1575 長篠の戦いにて織田・徳川連合軍、武田軍に勝利
1576 安土城築城に着手 安土に移る
1577 松永久秀謀反 松永久秀爆死
1578 上杉謙信病死 織田水軍が毛利水軍に勝つ。荒木村重謀反
1580 無断で外出した女中数名を斬る 佐久間信盛を追放 リストラ敢行
1581 羽柴秀吉軍、兵糧攻めにより鳥取城を落とす。 秀吉順調。
590日本@名無史さん:04/06/17 16:17
ここからif
1582 謀反の疑いにより明智光秀切腹。 毛利軍に勝利。
1584 小田原城落城 謀反の恐れありと徳川領土の半分没収。家康、江戸を開拓。
1585 天下統一。 織田幕府設立。 神戸周辺に本拠を移動。
1586 日本初の鉄船海軍設立。諸将に朝鮮出陣命令。陸軍総指揮は秀吉。
1587 朝鮮出兵。 漢城入城。 鉄砲量産。
1588 北京落城。 明滅亡。
1589 満洲族と交戦。 休戦条約締結。
1591 ポルトガル・オランダなどと平等通商条約締結。
1592 秀吉領土の一部没収。
1593 キリスト教信者増加。
1595 信長死亡。 家督は信忠。
1598 秀吉死亡。
1600 以降→鎖国はなく、300年近代化が早くなり、賄賂政治は行われなかった。
   軍という組織が強くなり、海軍の力が増大した。なおフィリピンなども攻略した。
591日本@名無史さん:04/06/17 20:27
>>590
>1582 謀反の疑いにより→明智光秀切腹。
>1584 謀反の恐れありと→徳川領土の半分没収。家康、江戸を開拓。

この違いは何なんだ?

つうか、大陸出兵はそんなに簡単じゃないし。
まして、征服統治は超困難。
信長の動物的直感が働いて、その路線はとらないと思う。
それよりも、主家を失った武士が大量に東南アジアに流出。
各地に日本人町を築く。
織田政権の方針としては、それを援助ないし利用して、東南アジアに支配権を確立する、と考えたい。
592その後の信長:04/06/19 16:16
1584 全世界総生産の80%を独占し経済的世界征服完了
1585 国連非加盟国を軍事力で制圧統制世界征服完了
1586 エネルギー問題と人口問題を解決する為に粛清し人口を1000分の1へ
1587 労働力不足を補う為人型ロボットを開発
1588 恒星間移動船及びワープ航法を開発
1589 天の川銀河系を支配下に置く
1591 アンドロメダ銀河連邦と全面戦争→完全勝利
1592 アンドロメダを植民地とする
1593 50億光年内の全ての惑星を掌握し宇宙征服完了
1595 自分の導いたワーム理論により他宇宙を掌握し森羅万象征服完了
1598 自分の導いたスーパーストリング理論により多次元空間へ
1600 108次元に居た神と対決→完全勝利
1602 神を忠実な僕とする
1603 109.655次元にて物理法則の再構築を開始
1604 なんかめんどくさくなってきたからこの世の全てをn=n+1とする
1606 鬱病で自殺
593日本@名無史さん:04/06/23 10:10
織田西洋風無敵艦隊と明帝国艦隊との決戦に勝利詩、制海権確保すれば、大陸制覇なんて考え出したかも、、、
594日本@名無史さん:04/06/23 10:29
信長が生きていたら・・・

宗教弾圧はますます激しくなり今日の創価学会が生まれる予知はなかった。
麻原が出てくることもなかった。
秀吉のような朝鮮出兵失敗はなかった。
おそらく世界を物にした。
忠臣蔵はなかった。
明治維新はなかった。
おそらく今も織田政権が続いていた。

だろうな。
595日本@名無しさん:04/06/23 11:24
>>594
「日本最初の総理大臣になった」を追加しる
596三色 ◆rx7XbMrXJU :04/06/24 15:12
徳川が15代まで続かなかった
597日本@名無史さん:04/06/25 08:17
>>592
鬱病で自殺にワロタ
598日本@名無史さん:04/06/26 11:40
あれだけ好き勝手やってる人が鬱病にはならないと思われ、、
隠居して、初めてヨーロッパ旅行を派手にやった大名になる、
その肖像画と落書きがパリ・ルーブル博物館に残っている。と思われ、、、
599日本@名無史さん:04/07/02 10:34
信長だったらモンゴルの歴史から、騎馬軍団に鉄砲、サーベルを持たせ、数万の騎馬でタタールの如くユーラシアを荒らし回ったかも。
600日本@名無史さん:04/07/02 11:57
信長と会った事あるけど別に普通の人だったよ
601日本@名無史さん:04/07/02 16:10
 仮に本能寺で死ななかったとしても、近い内に殺されるであろう事は
確実。
602日本@名無史さん:04/07/02 16:40
>>599
本宮ひろしの漫画では、小船に大砲を積んで、大型戦艦を撃沈していたよ・・・。
スレイマンか誰かの作戦だっけ?
憶えていないけど。
603日本@名無史さん:04/07/02 16:53
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1085705671/
これが信長が倒れた理由さ・・・夢幻の如く・・夢のまた夢・・・。
604日本@名無史さん:04/07/02 16:54
>>603
どうしても出来なかった、無理だった、そしてそれは今でも出来ないだろう・・・。
おそらくは未来においてもそれは無理であろう・・・出来ないだろう・・不可能だろう・・・つまり夢。
夢を追ったんだ・・・夢幻の如く・・夢のまた夢・・・。
人間には出来ない事があるんだろうさ・・。
605日本@名無史さん:04/07/02 16:56
信長が生きてたらという話してると確実に天皇制が無くなってたという意見が出るが
そんな馬鹿なこと本当に信長がするんかいな。部下からも総スカン食らうと思うんだが。
606日本@名無史さん:04/07/02 16:56
>>603-604
辞世の句「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちるとも、留めおかまし大和魂」吉田松陰
そういう事さ・・バベルの塔。
人間の意識と感覚器官の限界・・・それを超えたければ人間を辞める事だ・・・。
607日本@名無史さん:04/07/02 16:58
>>606
光と灰にならなければ宇宙を旅する事なんてのは出来ないんだ・・永遠の命。
608日本@名無史さん:04/07/02 18:03
>>605
叡山焼き討ちした信長ならやりかねん。
609日本@名無史さん:04/07/02 18:36
日本平定後は水軍に情熱を注ぐのかな?
鉄鋼船の大船団を創って、朝鮮征伐を行ってたら
面白かったろうね〜
610日本@名無史さん:04/07/02 19:42
>>605
部下が反対しても、やると決めればやる。それが信長だろ。

本能寺の時点で、
毛利・上杉・長曾我部というローカルの覇者を同時に攻めて、しかも必勝の態勢。
残る大勢力としては九州の島津、関東の北条くらい。
当然、これも滅ぼす。
結果、織田家と他の大名との実力差は、豊臣・徳川とのそれと比較にならないほど大きくなる。
豊臣・徳川の政権は、諸大名のパワーバランスの上に乗って成り立ったので、
彼らを平伏させるために天皇の権威を借りる必要があった。
信長も、本願寺などとの戦争の際には、天皇の権威を借りたが、
天下布武を完成させた後は、もはや天皇は必要ない。さあ、どうするか?

元号や暦の選定では、すでに天皇の権威を否定する動きを見せていた。
将軍・関白・太政大臣のいずれかに就くことを要請されながら、
それを断り、無官のまま天下統一を進めつつあった。
(足利幕府の副将軍に要請されながら、それを断って、最後には幕府を滅ぼした事実を想起させる)

てことで、信長なら、天皇制を廃絶しただろうなあーと、現代の我々の夢を体現している。
611日本@名無史さん:04/07/02 20:14
信長が天下統一したとしても1代限りで終わって、
結局徳川幕府の世になりそうな気が・・・
612日本@名無史さん:04/07/02 20:43
信長が死んだ時はたして徳川は次代の覇者を競い合えるほどの有力な勢力として存続しているのでしょうか?
613日本@名無史さん:04/07/02 20:52
>>612信長の死ぬ時期にもよると思うが?
614日本@名無史さん:04/07/02 21:03
>>612-613
織田信長は夢を追い、徳川家康は現実を選んだ・・それだけの事さ・・・。
615日本@名無史さん:04/07/02 23:39
>>614
所詮は少年だったのさ・・・。
49歳の少年・・・。
616日本@名無史さん:04/07/02 23:40
>>615
15歳の少年の心に49歳の肉体がついて来れなかった・・それだけの事さ・・・。

15歳の少年の精神に49歳の肉体がついて来れなかった・・それだけの事さ・・・。

617日本@名無史さん:04/07/02 23:42
>>614-616
織田信長は49年間、初陣の時の15歳の頃と同じ精神で過ごしたのさ・・・。
618日本@名無史さん:04/07/02 23:52
>>614-617
そういえば明治天皇も、15歳の時に天皇に即位したね・・・何だか運命的だ・・・。

そういえば明治天皇も、15歳の時に天皇に在位したね・・・何だか運命的だ・・・。
619日本@名無史さん:04/07/02 23:59
>>610
いつも思うんだけど、どこか足利将軍家や比叡山を朝廷と同列に扱ってる節があるよな。

朝廷の政治への介入を完全に無くし無力化した上で、
治世の為の己の道具として利用するのも自分の城に住まわせるのも結構だが
そこで「はいもう用済み」なんつって代わりの物も無いのに朝廷を潰しちゃったらさ、
ただ部下が反対するどころじゃなく忠誠心も民心も完全に離れると予想する。
武家にとっては一応平等の『お上』ってのが無くなっちゃうわけだし。

そんなモノホンのキチガイにいつまでもおとなしく従ってる奴らもおらんだろう。
信長存命中は無いと仮定しても信長死後、又は二代・三代後になる頃には謀反が起こり
日本中がずーっと荒れに荒れて黒船が来るまで戦国時代やってた可能性もある。
だから信長がそういうことも考えずにそんな愚行を犯すことはしなかったのではないか。

と、思うわけ、俺はね。
620日本@名無史さん:04/07/03 00:13
>>http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1085705671/
これが信長が倒れた理由さ・・・夢幻の如く・・夢のまた夢・・・。
どうしても出来なかった、無理だった、そしてそれは今でも出来ないだろう・・・。
おそらくは未来においてもそれは無理であろう・・・出来ないだろう・・不可能だろう・・・つまり夢。
夢を追ったんだ・・・夢幻の如く・・夢のまた夢・・・。
人間には出来ない事があるんだろうさ・・。
辞世の句「身はたとえ武蔵の野辺に朽ちるとも、留めおかまし大和魂」吉田松陰
そういう事さ・・バベルの塔。
人間の意識と感覚器官の限界・・・それを超えたければ人間を辞める事だ・・・。
光と灰にならなければ宇宙を旅する事なんてのは出来ないんだ・・永遠の命。
織田信長は夢を追い、徳川家康は現実を選んだ・・それだけの事さ・・・。
所詮は少年だったのさ・・・。
49歳の少年・・・。
15歳の少年の心に49歳の肉体がついて来れなかった・・それだけの事さ・・・。
15歳の少年の精神に49歳の肉体がついて来れなかった・・それだけの事さ・・・。
織田信長は49年間、初陣の時の15歳の頃と同じ精神で過ごしたのさ・・・。
そういえば明治天皇も、15歳の時に天皇に即位したね・・・何だか運命的だ・・・。
そういえば明治天皇も、15歳の時に天皇に在位したね・・・何だか運命的だ・・・。
光と熱と灰。
その光と熱と灰と、素粒子や量子を物凄く詳しく分析したら、宇宙の彼方や反対側からでも、地球で何時何所で何が起こったか・・・?
を分析して調べる事も出来るんだろうね・・・。
水の波紋の一片からでも、波紋の形状や落ちてきた物体の重さや形を推測する事が出来るように・・・。
詳しい事はよく知らないが。
永遠になったのさ・・・。

621日本@名無史さん:04/07/03 00:26
>>610
島津は信長の覇権を認めていたらしいよ。
622日本@名無史さん:04/07/06 04:45
>>621
島津は、攻め取った領地を放棄して、薩摩一国に退け。
その他の九州は、羽柴・明智・丹羽に分け与える。

・・・・・・・それが信長(w
623日本@名無史さん:04/07/21 10:29
常識的に考えれば、織田家は分裂し、再び混乱の戦国時代が来た。
そして、一番巨大な毛利が復活し、天下の覇権を光秀と協力して握る、、、予定だったのでは。
624日本@名無史さん:04/07/21 16:28
信長が生き長らえていたとすれば、自然ちょーせんは日本の領土になっていただろうなあ
結局信長ってのは西洋文化の長所を見習い日本近代化を計ったわけだなあ 
秀吉は宣教師や諸外国の連中が日本人を奴隷として連れ去ったり、宣教師をやがて日本征服をもくろむ西洋のスパイだと感づき激怒してこれらを追い出したわけだが
信長はどう行動しただろうなあ まあ秀吉も鎖国まではいたらなかったわけだがなあ
まあ西洋との貿易はますます盛んになるわなあ 使節団なんかも送るやもしれん んでどっかで植民地って言葉を聞きつけて
てごろなちょーせんに目が行くかもしれんなあ
彼は国家というものを形成するにいたったかもしれない
戦国時代は策謀にうずまいた時代でもあり、外交技術の手練達がごろごろいただろう
鎖国なしで戦国を経て現在にいたったなら違ったかたちの世界地図ができあがっていたかもなあ
625日本@名無史さん:04/07/21 19:23
ここからif
1582 謀反の疑いにより明智光秀切腹。 毛利軍に勝利。
1584 小田原城落城 謀反の恐れありと徳川領土の半分没収。家康、江戸を開拓。
1585 天下統一。 織田幕府設立。 岡山に本拠を移動。
1586 日本初の鉄船海軍設立。諸将に朝鮮出陣命令。陸軍総指揮は秀吉。
1587 朝鮮出兵。 漢城入城。 鉄砲量産。
1588 北京落城。 明滅亡。
1589 満洲族と交戦。 休戦条約締結。
1591 ポルトガル・オランダなどと平等通商条約締結。
1592 秀吉領土の一部没収。
1593 キリスト教信者増加。
1595 信長死亡。 家督は信忠。
1598 秀吉死亡。
1599 岡山のあまりの都会さに失禁死する人間が続出。社会問題へ。
1600 世界一の高さ及び容積を誇る人類最強の建造物ハラシバラシティ新棟建設される。
1601 日本を岡山国に改名。
1602 地球を岡山星へ改称。
1603 岡山で原子配列操作技術が完成される。
1604 人類の発祥が岡山であることが判明。
1605 火星の人面石が古代岡山人による建築物であることが証明される。
1606 月面の宮殿で古代岡山人と思われる化石発見される。
1607 地球は岡山人により作られた人工惑星であることが証明される。
1608 人類を岡山人類と改名。
1609 地球上の全生物を岡山物と改名。
1610 人類全体に謎の奇病が発生する。
1611 汲み取り式便所から発生する病原体により人類滅亡。
626日本@名無史さん:04/07/22 14:10
何で岡山なのよ?
627日本@名無史さん:04/07/23 22:32
信長が死んだ後秀吉政権に変わるから。

==================================
朝鮮出兵で秀吉軍が勝っていれば岡山が(関白宇喜多氏)が日本国首都なのは間違いない!!

太閤秀吉の構想『古蹟文徴』『太閤三国処置』によると

明国皇帝(北京遷都)・・・天皇(後陽成)
日本国天皇・・・皇太子or皇弟
関白:大唐(明国)・・・豊臣秀次
関白:日本国・・・★宇喜多秀家★or羽柴秀保
朝鮮総督・・・★宇喜多秀家★or羽柴秀勝
九州都督・・・小早川秀秋
628日本@名無史さん:04/07/27 15:11
>>信長が死んだ後秀吉政権に変わるから
信長が死んだら後を継ぐのは信忠だよ。
まあどうしてもと言うなら、信忠、信雄、信孝、三法師が全て死んで秀勝しか跡取りがいない場合だな。
それでも織田信勝(秀勝改め)として後を継ぐだろう。秀吉は精々後見人。
629日本@名無史さん:04/07/27 21:15
信長が死んでも秀吉は普通に信忠の元で働くのだろう。

しかし滝川なんかの元からの側近と対立して、秀吉VS信忠になりそう。
家康はどっちにつくんだろうな。
630日本@名無史さん:04/07/29 06:21
mL( ^∇^ )グッチャー!
631日本@名無史さん:04/07/29 20:06
信長が殺されなかったら、オレが生まれなかった。
632日本@名無史さん:04/07/29 22:56
 天皇家が滅ぶか、あるいは天皇家からの禅譲を受けて畿内に織田王朝が成立。
 九州にポルトガルの支援を受けた大友王国、東北にイスパニアの支援を受けた
伊達王国が成立し、三国時代へ突入。
633織田長信:04/07/29 23:05
滋賀県東部辺りに日本の首都が出来ていたと思われ。
634織田秀信:04/07/30 21:32
>>633
首都は大坂やろ…
635日本@名無史さん:04/07/30 22:08
安土だろ?
636日本@名無史さん:04/07/30 22:08
千島、カムチャッカ、アリューシャン(とは名づけられないだろうが)ルートでノビスパン(新大陸)への独自航路は発見されるが開発に金がかかりすぎるので織田王家は新大陸経営を断念。
海外進出は主に南方に。

しかし日本国内の迫害を逃れる為に一向宗門徒の一部が和船命花丸で新大陸入植を目指して出航。
これが本朝(神道&キリシタン)と大和民国(一向宗)との対立と前兆だった。
637siraki:04/07/30 22:19
残り10年生きるとして、毛利、長曽我部、北条などは、なんとか制圧できるでしょう。家督は信忠に継がせるが、もちろん織田派、羽柴派にわかれ、骨肉の争いが長引くだろう。そんなところで秀吉は死ぬ。そこで家康が腰をあげるが、日本の戦国時代はまだまだ続く。
638日本@名無史さん:04/07/30 22:29
あと10年あれば,上杉,伊達,最上も平らげているだろう。
佐竹,宇都宮は初めから織田よりだから残るだろう。
西では毛利,長宗我部,島津は制圧され,十河,竜造寺あたりが残る感じか。
639日本@名無史さん:04/07/30 22:34
大阪城は秀吉が作った城、ということになっれいるけど、
信長の築城計画であり、仕上げたのが秀吉と言う人もいる。
どちらかと言えば安土の次は大阪を居城に政を展開していっただろうと。







640日本@名無史さん:04/07/31 05:32
長男坊が生きていたら羽柴にでるまくなし。
親父ほど苛烈にせんだろうから徳川幕府に近い形態だったろうな。
織田御三家 尾張 近江 伊勢 で政権安泰。
毛利 上杉 あぼーん 島津 北条は厳封 残りは降伏

5大老 柴田120万石 羽柴100万 滝川50万石 丹羽40万 佐久間30万(復活)

5外様 北条100万石 徳川80万 島津60万 佐竹50万 伊達40万
641日本@名無史さん:04/07/31 08:15
北条100万石,伊達40万石って?
秀吉にあんだけ抵抗してた奴らが無条件降伏ですか?
642日本@名無史さん:04/08/03 08:50
どうしても大阪を首都にしたい人がいるみたいだ。このスレにはw
643日本@名無史さん:04/08/04 00:14
今頃、織田帝政時代が続き、大坂城が皇居になっていたかもね。
644日本@名無史さん:04/08/04 00:18
信忠では政権を維持できなくなって、義理の弟である徳川信康が後を
継いだ。
645日本@名無史さん:04/08/05 11:25
>>641
成り上がりの秀吉だから、あそこまで抵抗したんでしょ?
今川、武田を降した信長、自身が出馬したら降伏やむなしでしょ
646日本@名無史さん:04/08/05 15:45
武田氏が滅んだ。その報を聞いた秀吉は、自分がその時
、信長のそばにいたならどんなに怒りを買ってでも、
信長を諌めて勝頼を殺させはしなっかったろう、と言っていた
らしい。
647日本@名無史さん:04/08/06 00:23
逆に桶狭間で信長が死んだらどうなったかな
648日本@名無史さん:04/08/06 00:30
>どうしても大阪を首都にしたい人がいるみたいだ。このスレにはw

当時は、関東などは論外
649日本@名無史さん:04/08/06 03:09
>>640 >>645
そもそも信長存命なら奥州に行くのがもっと早いから伊達はそんなに勢力が伸びてないな
それまでの親織田具合を考えれば
残るのは島津40万石 佐竹20万石 伊達10万石がせいぜいだろ
それなら三好や宇都宮の方がよほど大きくないか?

北条は織田でも無条件降伏はあり得ないと思うが
徳川の処遇が難しいところだな
650日本@名無史さん:04/08/06 11:10
人間五十年
化転の内をくらぶれば
夢幻の如くなり
ひとたびしょをむけ
滅せぬことのあるべきか
信長のうたってこおゆうのだったけ。
651日本@名無史さん:04/08/06 12:52
>650

敦盛だけどね
652日本@名無史さん:04/08/06 13:33
>>646
秀吉って、自分の主君が滅ぼした大名の
菩提を弔ったりしている。
朝倉とか...
あと、北条氏直に対して丁重に扱っている。
653日本@名無史さん:04/08/06 13:56
信長も慶喜も一代限りの権力者だよ。
存命(政権維持)していても、その人が死ねば結局大混乱
654日本@名無史さん:04/08/06 14:28
一橋慶喜?
655日本@名無史さん:04/08/06 14:55
ちょ、ちょっと待てよ!!
信長が天下取ってりゃそりゃその後どうこうって希望はあるよ。
でもよでもよ、信長天下取ってたらここに書き込んでる全員生まれちゃいねーよ!!
656日本@名無史さん:04/08/07 06:44
信長は死ななければ、、、で一番妄想できるからなぁ〜
武田、今川とか死ななければ妄想しても、結果変わらない気がすんだけど

>>653
信長も秀吉も後継者健在(よほどの無能で無い限り)
なら、あんがい巧くいくんじゃね?
2代目まで、ある程度 全国治めたら、すんなりいきそ〜
徳川ほど長期政権は別として50〜100年ぐらいね。

秀吉は、辛いかも。。。徳川削らないと
657日本@名無史さん:04/08/07 08:42
>>649
 >佐竹20万石

  佐竹は滅亡。あるいは改易で「出羽2千石」だな。
658日本@名無史さん:04/08/22 18:03
まあアメリカの天下はなかった
659日本@名無史さん:04/08/23 16:32
乱世に革命家は必要だが、平和時まで長生きすると、得てして大粛正
を行うものだから、革命終了時に惜しまれて死んだ方がよい。

確か、司馬遼太郎が、そんなこと書いていた。
660日本@名無史さん:04/08/23 19:20
>>659
大粛清は、必要なら、やってもいいんじゃないかな?
秀吉・家康だって、相当な粛清をやっただろう。
信長は、乱世を平定するだけでなく、次の時代を建設するビジョンと能力を持っていた。
だからこそ惜しまれる。司馬は何もわかってない。
661日本@名無史さん:04/08/23 19:54
江戸時代の鎖国は無く
環太平洋は日本のものに
そして北米大陸に日本が黒船で押していく立場だったりして
662日本@名無史さん:04/08/24 00:19
>次の時代を建設するビジョンと能力
ってなによ?
663日本@名無しさん:04/09/02 01:12
平和時に粛清がなされるのではない。粛清の後に平和が齎されるのだ。
そもそも粛清がなされるときは、平和が実現されている時とはいえない
だろうに。御都合主義なものよ…
664日本@名無史さん:04/09/16 21:08:13
665日本@名無史さん:04/10/02 00:01:57
>>24
僕らはスペイン語を喋っているわけで、やっぱり英語には苦労していただろう。
666日本@名無史さん:04/10/03 10:30:46
age
667日本@名無史さん:04/10/03 21:15:56
>>644
>信忠では政権を維持できなくなって、義理の弟である徳川信康が後を継いだ。

アホの秀忠でさえ徳川幕府を継いだんだから信忠なら問題なし
668日本@名無史さん:04/10/03 21:38:29
信長なら朝鮮や明には興味示さないだろうね
秀吉と違って、明を征服しても旨みがないと思えば興味示さないんじゃない?
世界地図見て、日本に近いから朝鮮→明って言うのは短絡過ぎる気がする。
信長に与えた影響力を考えれば、南蛮>>>>>>>>>>亜細亜は明白だし
やっぱり鉄砲やキリシタンの伝来ルートを逆に辿って行く気がする。

鉄砲をオリジナルより優れたものを量産し、常に旺盛な好奇心で新技術を採り入れる
その上100年戦争し続けた当時最も戦闘力のある軍隊を駆使して
東南アジア、インド辺りでヨーロッパ人と対等につばぜり合いして
世界に通用する偉大な通商国家になっていたんだろうかなって思うよ

でもそうなると特異な鎖国時代が来ないわけで…
そうなると今の”日本人”とは、随分違った日本人だったんだろうね
669日本@名無史さん:04/10/03 23:02:38
明や朝鮮には旨みがないか?
戦国時代の当時の知識しかない信長がそう判断する根拠は何?
670日本@名無史さん:04/10/04 07:11:28
信長に与えた影響力を考えれば、南蛮>>>>>>>>>>亜細亜は明白だし
やっぱり鉄砲やキリシタンの伝来ルートを逆に辿って行く気がする。


この辺から推察した。安土桃山時代に明の文化がどれだけ日本に影響を与えているのか、
また良く分からないが当時の対民貿易額や対南蛮貿易額、その伸び率なんかがわかれば興味深いけど。

その他南蛮寺の建設、ヨーロッパの鎧や服、ワインや食べ物を好んだという事実
などから、信長が日本を統一した後必要なのは、領土ではなく魅力的な文化、ヨーロッパの
技術なんだと思う。

まあもともとifの話だから、何言っても明確な根拠にはならないけどね
671日本@名無史さん:04/10/18 11:04:44
あげ
672日本@名無史さん:04/10/18 12:16:22
1523年にインカ帝国が滅亡。
これはスペインが大西洋というでかい海を超えて軍隊を送り、
一つの国を滅ぼしたという大事件である。
つまり日本のような島国国家の安全保障は、
千年もの間、九州だけを守っていればよかったのに、
明、清、ロシア、共産主義(大陸勢力)に対抗するためには、
朝鮮を取るしかないという状況に追い込まれていた。
日本は島国国家であり、船の性能の向上というものに関連して、
安全保障の観点が転換した時期でもあったため、
日本は秀吉でなくても、誰かが朝鮮に出兵したと思う。
家康も十年若く天下を統一したらやってたと思う。
673日本@名無史さん:04/10/18 12:22:57
1532ねんですね、すみません逆でした
674日本@名無史さん:04/10/18 12:25:31
秀吉の大陸への無謀な侵略→敗戦→徳川の小日本主義
帝国の大陸への無謀な侵略→敗戦→対米追従保守の小日本主義
675日本@名無史さん:04/10/18 17:08:17
秀吉の大陸への進出→停戦→日本大衆文化開花
帝国の大陸への進出→停戦→民主主義開花+チョンの粘着
676日本@名無史さん:04/10/27 10:00:59
2度の大陸進出は結果的には失敗に終わったが
3度目は必ず成功させねばならない。いや必ず成功する。
支那に日本の偉大さを示さなければならない。
677日本@名無史さん:04/11/01 13:01:58
>>676
その驕りが自らを滅ぼすのだ。
678日本@名無史さん:04/11/01 17:37:39
次の支那事変では支那竹野郎に大和民族の魂を見せつけなければならないのは言うまでもないことだ。
679日本@名無史さん:04/11/03 00:10:24
当時としては珍しく、世界に眼を向けていた信長。
フロンティア精神にあふれていた男らしいからやっぱり新大陸の発見とかに情熱を燃やしそうな気もする。
オーストラリアは日本の真南にあるわけだし、距離もそうたいしたことは無い。
発見する可能性的には当時の日本が一番高かったんだよな。
というわけで、オーストラリアを日本の領土に。
680日本@名無史さん:04/11/03 00:45:05
そう珍しくもないよ
681日本@名無史さん:04/11/03 21:18:17
結局はイスパニア辺りに制圧されるか毛利,上杉,長宗我部,南部,島津等の諸大名に負けるかじゃない?
まず信長の器量じゃ天下統一は厳しいでしょ?というより無理に等しいような…( ̄o ̄;)
682日本@名無史さん:04/11/03 23:15:09
信長の目は西に向いていたはず。
家内実力者の秀吉、光秀に毛利対策に当たらせようとしていたし。
仮に本能寺がなかったとしたら、その後、大阪に本拠を築いた事は間違いない。

東は家康、一益に任し、西日本を完全に平定。
その後は東に転じ、一気に日本統一。
秀吉、明智、柴田で100万石。
家康で80万石。
伊達はどっちに転んでもでも60万石。
北条は歴史通り滅亡だろうな、親父がガンコだし。
毛利は歴史通り20万石。

統一後、皇室をどうするかが興味津々だが、これまでの状況から推察するに
打倒するんだろうな。

最適最善、合理的な考えをする人の様だから、自分のビジョンの下、
邪魔な物は排除する方向に動くはず。だから本能寺になったのでは。

その後は、秀吉のように海外侵略はなかったと思いたい。
彼の理想は「天下布武」。
武力統一後は平和を創造し、海外貿易で富国強兵を図ったに違いない。
そう坂本竜馬の理想のように。

返す返すも、光秀の軽挙に歴史の面白さというか、
せつなさを感じる


683日本@名無史さん:04/11/04 00:44:02
やっぱり暗殺されたんじゃないかな
或いは信長が帝国を築くも、死後崩壊して徳川幕府のようなものができる
684日本@名無史さん:04/11/04 01:04:37
大阪より神戸の方がいくね?
685日本@名無史さん:04/11/04 08:07:24
信長の戦略って、存在が分かっているもので価値がつけられるものであれば
最大限かき集めるっていう手法なのよね。要するに、金で買えるものは何でも全部買え、と。
タイプ的にいえば野球界を騒がせたほりえもんのような感じ。
ああいうのがパッと出てきて天下取りそうだったから、
そじゃない旧勢力の皆さんはこぞって反対したんじゃないかと。

で、あの当時そういう人間がいたとするなら、明や朝鮮のような老大国は絶対狙わないと思う。
折衝に手間隙かかって利益少なそうだし。
それよりも、ルソン・東南アジア等比較的交渉事がラフそうな国を狙うだろうし、
アメリカ大陸発見みたいな情報が南蛮からもたらされるのであれば、一挙に移民策に出ていたかもしれない。
とにかく、交渉事や手続きが面倒くさそうなところとは絶対敵対してるからなぁ。
その田舎者臭さが好きなんだけどw
686日本@名無史さん:04/11/04 08:11:36
明智光秀の旧領召し上げ事件は、信長的には移民推進感覚だったような気も。
んで、土着志向が強くて移民政策反対派の光秀がキレて殺っちゃったとか。
687日本@名無史さん:04/11/06 01:39:56
>>686
>>明智光秀の旧領召し上げ事件

も、後世の捏造だそうだ。
688日本@名無史さん:04/11/06 02:09:05
>>686
明智は「惟任」を下賜されてるから
最終的に九州に行く事もよしだったんじゃないの?
689日本@名無史さん:04/11/06 21:17:34
>>682
竜馬ヲタうざい
690日本@名無史さん:04/11/07 20:59:50
日本初、医療カルト、前世織田信長を主張する内海康満のMRT(仙骨治療)です。
アメリカでカルト拾って来ました。ごめんなさい。
死にませんでした。
691日本@名無史さん:04/11/17 16:16:43

毛利は本能寺直前の秀吉の下交渉で、安芸・周防・長門・石見などの数ヵ国安堵の条件が
示されてたらしいので、20万石という事はないのではないか?
もっとも、信長出陣後の四国での対長宗我部戦や九州の状況次第では、毛利家を滅亡させた
かも知れないが、講和した場合、いずれ毛利家を先手に九州平定戦を行ったであろう。

九州平定後は大友家も数ヵ国安堵の可能性は高いと思われる(耳川の敗戦以降、斜陽の大友
家は織田家へ従属的な誼を通じていた)。
島津・龍造寺の処遇はどうだろうか。龍造寺家は本能寺の変の時点では隆家が健在であり、
島津家は大友家を耳川(高城川合戦)で打ち破り、それぞれ隆盛を誇っている時期である。
両家とも素直に軍門に下るなら(島津家では家久を上洛させて、光秀は居城の坂本城で歓待
している)、宇喜多家の処遇を考えれば、やはり1,2ヵ国程度の安堵は得たかも知れぬ。

北条の滅亡は、武田征伐後の北条家に対する信長の態度からも(北条家の信長への戦勝祝
の馬の返却)免れなかったと思われる。
上杉家も遠からず、滅亡していたであろう事は間違いない。(柴田軍が魚津城を攻める際、上野
から滝川一益が信濃より森長可が呼応して同時に越後に攻め込んでいる)
佐竹を初め関東の諸大名は、この時点での信長に抗しきれるはずもなく、素直に軍門に下ろう
とするだろうが、信長がそれを認めるかどうかで処遇も違ってくるだろう。

奥羽では伊達輝宗が早くから信長に誼を通じているし、どの大名も中央の政権には抗う事は
しないであろう。
ただし、各大名のそれまでの信長への接近度で処遇の不公平差は出るだろう。
東日本平定戦の際、従軍するであろう徳川家は最低でも1,2ヵ国程度の加増が考えられるので、
100万石くらいの大々名にはなったであろう。

その後の信長は海外へ進出したであろう事は多くの人間が想像するところだが、合理的な思考
ゆえ明とは直接戦う事はせず、貿易の拡大を求めるだけに留め、東南アジアへ進出していたの
ではないか。
あるいは、いくつかの国々を植民地にしていかも知れない。
692日本@名無史さん:04/11/18 21:34:21
>>691
>>東南アジアへ進出していたのではないか。

その辺は同感。
ただし、当時、東南アジアに進出して来たスペイン・ポルトガルと抗争になる可能性もある。
693日本@名無史さん:04/11/20 03:45:36
信長だからなぁ、別の誰かにまた暗殺されるだけだと思うが
中国と違って日本の大名で殺されたアホは、そう多くないから。
694日本@名無史さん:04/11/21 00:47:55
>>693
>日本の大名で殺されたアホは、そう多くないから
おまいが知らないだけ
695日本@名無史さん:04/12/03 10:23:43
んだな
696日本@名無史さん:04/12/03 11:05:14
大身の大名で殺された人物は、そう多くないんじゃ?
大友と松平くらいしか思い浮かばないな、伊達は無しね。
697日本@名無史さん:04/12/03 15:52:24
>>696
信長誕生前後以降で暗殺・謀殺された、あるいはその蓋然性が高いと思われる大名および
それに準じる大身武将。

足利義輝(13代将軍)、足利義栄(14代将軍)、里見実堯(里見氏4代)、松平広忠(家康父)
斯波義統(斯波家14代尾張守護)、斉藤義龍(美濃国主)、北畠具教(北畠家8代伊勢国司)、
細川持隆(阿波守護)、安宅冬康(淡路支配)、三好義興(長慶嫡男)、毛利隆元(元就嫡男)
大内義隆(大内家31代)

こういったところか。

それ以外で他の勢力に従属しつつ半独立状態だった大身(数万石規模)の国人領主で暗殺・
謀殺・急襲されたのは数知れず。

実際、信長誕生以前の方が急襲や謀略で大名や大身の当主クラスが多く死んでいる。
また、全ての急死がそうだとは言えないが、病死とされている大名でも毒殺されている可能性も
あるかも知れない(武力で謀殺した場合は証拠が事件としてはっきり残る)。
698日本@名無史さん:04/12/03 20:56:27
>>697
足利義栄・斉藤義龍は、病死だと思っていたが、、、
毒殺だとすると、誰がやったの?

毛利元就の兄とその子はどうなのかな?
病死だということになってるが、かなり怪しいと思う。
699日本@名無史さん:04/12/04 03:11:24
三好義興は盛られたと思うけど、毛利隆元、斉藤義龍、足利義栄は疑問
安宅冬康、北畠具教、足利義輝は、立場的に暗殺とは違う気がする。
700日本@名無史さん:04/12/04 18:36:19
今川義元の長兄と次兄は、暗殺じゃないのか?
701日本@名無史さん:04/12/06 00:41:43
>>699
正当(何を正当とするかは議論が分かれる)な歴史書で、はっきり暗殺(謀殺)と限定
しているものは少ないが、

毛利隆元は当時の記録にも、暗殺(毒殺)されたらしいという記述が散見されるらしい。
元就はそれを恥辱として、隆元の存在を徹底的に無視(家督の譲渡という事実さえも)
しようとした。

斉藤義龍についても、死亡当初から噂(毒殺)があったようだが、確証は分からない。
やったとしたら、信長じゃないかな。(叔父信光の急死は限りなくクロ)

足利義栄は信長が義昭を連れて上洛した永禄11年9月、摂津富田の普門寺で急に
病没したとされている。
建前上は14代将軍義栄が病没したので義昭が15代将軍になれた。
歴史はあまりにタイミングの良すぎる偶然の死は病死とする傾向がある。

安宅冬康は松永久秀の讒言で詰め腹を切らされたので、暗殺ではないが謀殺だろう。

北畠具教、足利義輝はその時点で大規模な権力(軍事力)を持っていた訳ではないが、
身分的には遥かに高位な武家の当主なので、騙し討ちの急襲による殺害は戦国を象徴
する出来事だ。

>>700
信長生誕前の出来事だが、可能性は高いと思う。
この時代は権力争いでの、親兄弟・骨肉相食むという争いは珍しくないというよりも、どの
家でも必ず起こっていた出来事だった。
702日本@名無史さん:04/12/06 00:51:24
信長が生きていたら
先ず「キリスト教」をどのように扱っていたか非常に気になる。
言うまでもなく西洋史において「キリスト教」は切っても切り離せない関係であるので
海外進出を目論む信長がこれをどう扱うで今後の歴史が異なる。
さしあたっては大村の長崎寄進領をどうするかだが。
703日本@名無史さん:04/12/06 01:29:23
>>702
確かに。
東南アジアに進出した時に利害がぶつかるであろう各国との対応によっても
違ってくるだろうし、イスパニアやポルトガルの国家と新進のオランダなどの
国家との複雑な要素が絡んできて予想がつかない。

@ 九州平定戦においては、まだ摩擦を大きくしたくないと信長が考えるなら
   イスパニアやポルトガル各国へ一定の譲歩(保護)をするかも知れない。
   その間に優れた造船技術や航海技術(日本には星座利用した航海技術
   が確立されてなかった)を得ようとするだろう。

A 日本平定後、朝鮮半島へは武力による覇権を目指すか(その場合は明と
   も争う事になるだろうが)、通商の拡大に留めるかによっても違ってくる。

B 東南アジアに進出した場合、母国との距離から言えば日本が有利だが、
   台湾を1620年代にかけて植民地化していくオランダ、1571年にルソン島
   を初めとしてフィリピンを植民地化したイスパニアとの駆け引きが想像され
   る。
   信長の性格を考えると、どちらかの勢力と手を組みながらも、武力衝突も
   辞さなかったかも知れない。

もしかすると、後にインドネシアまでをも植民地化して、現在のエネルギー問題
もなくなり、太平洋戦争の形も違っていたかも知れないと考えると、ちと妄想が
過ぎるか。
  
704日本@名無史さん:04/12/06 02:35:48
>670
信長は南蛮風のマントやよろいを着て戦場に望んでいたらしいね(その姿見てみたいw)
チョンやチャンコロよりも南蛮人の方が気があったと思うよ。

現代の版図はせいぜい今の列島に台湾加えた程度しかのこらんだろうが
705日本@名無史さん:04/12/09 12:59:48
独裁者は年齢食ってボケ始めるとかなりヤバイ。
もし、信長ジイチャンがボケはじめたら、何やらかすか……。
706日本@名無史さん:04/12/09 13:06:29
弥助の子孫が増えてオリンピックの金がそら恐ろしくなるくらいとれてた。
707日本@名無史さん:04/12/09 13:49:36
>>705
あれだけ独裁的だと、ボケた途端一族に追放されるか
家臣に暗殺されるか、な気がする。
708日本@名無史さん:04/12/25 02:57:46
信長は日本史上並ぶべきもののない天才。世界史的にも信長の天才に人間性も
加えた人間はペリクレスとユリウス=カエサルと太宗とナポレオンくらいしか
存在しない
709日本@名無史たん:04/12/25 04:32:49
>>708

 いやそれよりも始皇帝やヒットラーと比べたいな。
710日本@名無史さん:04/12/25 04:41:30
太宗以外はイマイチ君だな。
711日本@名無史さん:04/12/25 09:59:23
>>709
始皇帝は優秀だったろ。
ヒットラーはどうだろうな。並べるのはおかしいかな
残虐性だけを強調したいだけ?
712日本@名無史さん:04/12/27 10:39:29
どの太宗?
713日本@名無史さん:05/01/02 11:17:21
信長信者はどうして低能ばかりなんでしょう。
714日本@名無史さん:05/01/02 13:23:09
5,6人の並び称される人物が居る状態で
地元でもないのに信長信者になることは
ある種の欠陥を示すから、と、思われる。
715日本@名無史さん:05/01/02 15:09:28
信長が桶狭間で滅びた場合も考察してください
716日本@名無史さん:05/01/04 04:41:25
上洛←美濃攻略
      ↑
     尾張陥落
717日本@名無史さん:05/01/13 23:16:36
結局のところ西洋から学ぶべきものを吸い上げた後、キリスト教は利用価値無しと判断され放置もしくは余計なまねしていると追放
西日本を撃ち滅ぼすと天下泰平へむけて大規模解体を実行しだす
しかし結局のところ独裁者であって目標は日本のキング
キングになったら今度はちょーせんにいうこときかせてみたくなるのがまず手始めだろう
そうなってくるとシナが目の上のたんこぶ
信長がはたして多大な犠牲をおかしてまで自分の欲望をおしとおすか
これは秀吉と大きな違いである
信長は緻密で大胆 上にたつものとして常に下のことをかんがえてきた
秀吉は違う
農民あがり、成り上がりの道楽家
辞世にうたったようにしょせん自分のはかない夢物語とたかをくくっている
すきほうだいやって大往生したが信長はちとちがうのでは?
718日本@名無史さん:05/01/13 23:46:55
殺されるほど恨まれてたのに下のことを考えてたと?
一向宗や叡山への仕打ちは?
719日本@名無史さん:05/01/14 01:12:00
よく信長が天皇を打倒するとかいうのをみるけどそれはないと思うが・・・。

とても天皇家とは仲が良いのです。信長の事跡を細かくみれば分かるし、最近の発掘状況からも裏付けられる。
天皇家は「敵対」はしないので、信長が一統しても廃止や打倒はしない確立がとても高い。

あと717ではないが、一向宗や叡山はその後も寺や信仰は保護しているので、
座の利権や寺領の横領の恨みはあるだろうが、門徒らの命に対する恨みは現在と違うし
世間一般的に言われるほど問題はない。
それと信長本人は下々の口論とかでもイチイチ仲裁に入っているし、
百姓とかにも身分関係なく意見を聞いている。
しかも関所撤廃や楽市や残っている史料からも下々の評判はかなりいいですよ。
720日本@名無史さん:05/01/14 15:07:09
>>719
1.関所撤廃や楽市に関して評価するソースを希望します。
 どこぞのお坊さんが書いたものがあるらしいですが、
 それ以外でおながいします。できれば僧侶・公家ではなく商人などの地下人のソースを。

2.なぜ、安土山下町が信長死後、短期間で廃れたのか説明してください。

この2つに関して納得いく説明をいただけない限り、
貴方の意見に対して首を縦に振ることはできかねます。
721日本@名無史さん:05/01/14 15:23:39
>>719
>とても天皇家とは仲が良いのです。
>信長の事跡を細かくみれば分かるし、最近の発掘状況からも裏付けられる。 

清涼殿(?)の遺構のことですか?
信長が寝起きした天守は、天皇の御座所を見下ろす位置になりますが。
"仲がいい"という表現にはやや違和感を覚えます。
むしろ、蘇我入鹿・平清盛に似た印象さえ覚えます。
722日本@名無史さん:05/01/14 20:44:04
>>720
憎まれていたという事に関して首を縦にふれないってことかな?
しかも随分と限定的で、またその事由を持ち出す事がよく分からないが?

1、に関しては何故に商人?商人のソースとはどういうことか?
寺社や商人の利益専有の特権に関して制限条項なのに・・・。
豪商が楽市を評価するなどとはあるわけがないと思うが・・・。

ガスパル=ヴィレラ書簡 耶蘇会士日本通信

商人や坊主ではないが、地下人ではあると思うが・・・。
あと関所撤廃や楽市を貴君は全く評価してないの?
因みに京七口の関所は撤廃はしてないようだ。
そもそも大学試験レベルでおたふくソースだけど・・・。
723日本@名無史さん:05/01/14 20:45:59

2、については軍事的、経済的理由が大きいと思われる。軍事や街としての拠点性は、
秀次の下、すぐ近くの近江八幡に移ったのでは?
秀次の指示のもと、安土から移住しています。
信長馬廻りや与力等の武家町は美濃と尾張本国に戻った為廃れたと推測するけども・・・。
それまでは近江商人町として、移住の前までは廃れていないと思うけど?

あと軍事的には秀吉と勝家との抗争地帯となっていたことも要因ではないのかな?
また安土、観音寺城域は広大な為、軍事的地勢はよくないと考えたのでは?
それともし羽柴家が拠点とすれば織田家を乗っ取った形にもなってしまうのも論考であろう。
また貴君が言うようなことだと実質的に近江等の在地一向一揆は、秀吉等が直接征伐や戦闘に加わっているので、
信長というよりは秀吉等に刃が向くはずですが・・・。
724日本@名無史さん:05/01/14 20:47:36


あと逆に720貴君の根拠となるソースを示していただきたく存じますが・・・。

>>721
私も貴方と程近い認識と思います。仲が良いと言ったのは「思ったより云々」ということで、
通説に言われるほど云々ということです。

あと清涼殿に関しては正親町天皇行幸の為と云われていましたが、
知っていると思われますが、新説によると正親町帝が譲位を望んでいた事から
新帝即位の為ということです。
恐らく正親町帝は天主の下の清涼殿の事は知っていた事だろうと思われます。
725日本@名無史さん:05/01/14 20:51:01
訂正
>>寺社や商人の利益専有の特権に関して制限条項なのに・・・。
寺社や商人の利益専有の特権に関して、ある意味制限条項とも受取れる事なのに・・。
726日本@名無史さん:05/01/14 20:55:01
制限条項だと御幣があるかなぁ。
では、既得権益の喪失とも受取れるがいいかな?
727日本@名無史さん:05/01/14 21:00:33
あと清涼殿に関してなのですが、そういったことからも天皇を追放とか
天皇家の抹殺等は考えていなかったと思われます。
しかしながら祭政(まつりごと)以外での政治的上位には立とうと
思っている節は多々ありますが・・・。

武家である将軍ですら追放ですから・・・。
728日本@名無史さん:05/01/15 20:52:46
天皇の利用価値としては、
手強い敵と戦争していて苦戦している時に、
一時和議するために、調停してもらうためだろう。
必勝の準備ができれば、その和議は破棄して、また戦争を始めるわけだ。
そうやって、有力大名をすべて滅ぼした後は最早、天皇イラネ、になるだろう。

あと、家来に官位をもらってやって箔をつけてやるという利用法もあるけど、
絶対君主になった後は、自分自身が官位発行者になればいいだけの話しだしな。
729日本@名無史さん:05/01/15 21:09:56
アホか。
名目上、官位を与えるのは天皇・朝廷の権限だろ。
信長は天皇を任免する地位を目指したんだよ。
その地位の呼称は、神ともいう。
730日本@名無史さん:05/01/15 23:04:19
アホか。
神から官位もらうほうが、ありがたいわ。
731日本@名無史さん:05/01/15 23:43:55
720さんは来ないのかな?

>>728
前半は同意だけど、何故天皇イラネになるんのかな?
それに天下布武を目指した信長は、義昭を切腹か打ち首にせず何故追放にしたのかな?
あと官位については私論では自分でつけていると思うな。後述するけど・・・。

>>729
その地位だけども、私論ではあるが天主ではなかろうか?
主である大主(唯一神ゼウス)と治天の君(天孫の天皇)から取ったものであろうか・・・。
その象徴は自分であり石コロであるけども・・・。
732秋花水:05/01/16 05:22:36
南方進出説を挙げる人が多いみたいだけど、いくら鉄砲を大量に持っていても
軍艦と大砲がなければ結局は欧州勢力に負けるんじゃないのかな。

それに、殖民地帝国の拡大が本格化するのは17世紀中盤に英が世界に乗り出して
からなんだよね。仮にオランダやスペインから造船技術を取り入れて南方進出を
成功させたとしても、イギリスの対中国貿易の邪魔をするようならば本国丸ごと
東インド会社に支配されちゃうんじゃないの。

更に、オーストラリア発見はありえないでしょ。まぁ、カボットみたいに「兎に角
何か殖民地を探してみよう」なんて発想を持ったら別かも知れないけど新大陸発見
の衝撃を知らない日本人には無理だよね。ちなみにクック船長のオーストラリア発見は1770年。
中国貿易という動機がないためにマゼランから実に250年もかかってる。

よって「信長生存→南方進出→大植民地帝国」路線は不可能、ないし中途半端に進出すると本国
丸ごと殖民地化の危険大。
733日本@名無史さん:05/01/16 15:22:11
まあ信長生存→南方進出→大植民地帝国と言うのはハァって感じだけど
イギリスの対中国貿易の邪魔をするようならば本国丸ごと東インド会社に支配されちゃうつーのもどうだろうね。
当時のイギリスが日本に軍隊送り込んで支配できるほど国力があったかって話で。
734日本@名無史さん:05/01/17 04:36:03
>>732
「影響or変化」という視点が欠けてる。
あの時代に日本が継続的に海外進出路線に出れば
日本という国の質自体が今俺達が知ってるものとは良くも悪くも変わってくる。
そして日本の海外進出は他の国にも影響を与える。
最終的に現代日本にとっていい結果をもたらすかどうかは知らんが
もっと多様な可能性を含んでるよ。
735734:05/01/17 04:42:44
まあ「信長が生きてれば日本万歳」みたいな脳天気な説は俺もどうかと思うけどね。
736日本@名無史さん:05/01/17 05:06:01
首都が西に移動してしまうと、江戸時代の人口爆発が無くなってしまうよーな。
737日本@名無史さん:05/01/18 04:43:55
>>736
鎖国している日本は、8000万で頭打ち
738秋花水:05/01/18 08:46:22
>>733
>本国丸ごと東インド会社に支配されちゃうつーのもどうだろうね。
やっぱり東インド会社に支配されることはまずあり得ないかな、とか思いなおしたりした。
19世紀初頭にインド貿易の独占権を失うまでは、東インド会社はインド貿易が主な仕事でして、
中国貿易はオマケみたいなものでした(オマケじゃなくなった30年後にアヘン戦争が勃発します)。
とすると、イギリスから攻撃を受けるとしても精々殖民地の居留都市くらいで、本国とは早々講和
でも結ぶような気がします。んで、「外に出たとたんイジメラレタ」日本はショックで引き込もると、
なんか、結局は史実に行き着くかな。
>当時のイギリスが日本に軍隊送り込んで支配できるほど国力があったかって話で。
ん〜、クロムウェルの英蘭戦争後からイギリスの海外進出が本格化するのですが、
その背後には産業革命があります。それ以前のオランダくらいなら多少技術格差が
あったとしても、地の利で撃退できるかも知れませんが、産業革命後のイギリスの
国力は半端じゃありません。ムガル帝国は日本より遥かに軍事力も経済力も技術力も
優れていましたが(16世紀初頭には大砲その他の兵器が伝わっています)イギリスには
全く太刀打ちできませんでした。18世紀になるとフランスでも産業革命が興りますし、
この辺になると、日本に限らず誰にも止められません。
まあ、繊維業といわず何かで工場制機械工業の基盤を作って、どこかの天才がコークス製法
でも発見して・・・となれば話は別かも知れませんが・・・。
739日本@名無史さん:05/01/18 09:21:21
ひとりよがりな断定が多いな
740日本@名無史さん:05/01/18 22:03:22
足利尊氏、義満を超えたいと
そう思うのは自然でしょうね
741日本@名無史さん:05/01/18 22:17:45
>>731
有力大名をすべて滅ぼしたら、調停者としての天皇は不要になる。
天皇を官位発行者として存続させると、
日本の「帝王」としての織田家の地位も、支配権もいつの間にか、天皇から預かったということになる。
実際、史実でも徳川家の将軍職が、幕末の段階では、天皇から預かったことになってしまっていた。
家康が実力で獲得したにもかかわらずだ。
預かったものなら、いつかは返さなければならなくなるのは道理だ。
ゆえに、天下の主を目指すならば、天皇から官位をもらっては駄目だ。
家康よりは頭のよい信長が、そのことに気づかないわけはない。
信長が将軍・関白・太政大臣の三職を勧められながら、これを拒否したのは上記の理由による。
家康が天皇から将軍職をもらったのは、
秀吉と同じく、有力大名のパワーバランスの上に立つ自分に箔をつけるためだった。
有力大名をすべて滅ぼすつもりの信長には、既成の権威から箔付けをもらう必要はない。
自ら「帝王位」就任を宣言するだけである。
そして、織田家の権威を脅かす可能性のある古代の遺物はきれいに除去しておかなければならない。
よって、信長は「帝王位」に就任するまでに、天皇家を廃絶したであろう。
「帝王」の実際の名称はどんなものにするつもりであったかは、信長のみが知るである。チャンチャン
742日本@名無史さん:05/01/18 22:29:55
大陸まで攻め込んで、チンギスハーンと世界の覇権を争ったことでしょう。
743日本@名無史さん:05/01/19 00:36:30
?
744731:05/01/19 08:18:30
>>741
他の人と勘違いしてない?そのためかレス内容がズレているし質問にも答えてないよ。
しかもオレの十年以上まえの意見みたいだし、他の歴史家の受け売りだね・・。
あとよくレスを読んでね・・・。おれは天皇が調停者や官位発行者なんていってないしね。

オレがいう私論の「天主」とは、君の言う「帝王位」よりも上に存在しているんだよ・・・。
その証拠となる史料もあるし、その後の秀吉がとった行動や二次史料からも比定できるんだよ。
推論ではなくて比定。だから他の人がいっている官位発行者としての天皇は、
おれには意味をなさないし理由や説明になっていないんだ。

それに信長のみが知っているわけではない。
君がそもそもいっているじゃない「天下の主」ってw
安土城の「天主」は「天守閣」の意味ではないといっているんだよ!
もうすでに信長は宣言していると思うからね・・・。

信長は君のというか一般流布しているような「覇道」は実はやっていない・・・。
あとよく調べるとわかるのだけど、そもそも信長は基本的にはわざわざ他家を滅ぼそうとはしていないんだ。
敵対する戦国大名や将軍、一向一揆宗教勢力でさえもね。
また信長の政策は一貫していて和睦調停も天皇の名を借りているだけであることがわかる。
それに天皇家にかぎらずあるし、また一定の権威に対しても武力によらない一定の配慮が見られる。

ある程度良質の史料で研究や考察している人なら、すぐ判る書き方してあるはずなんだけど・・・。
ここにはいないのかな?

745日本@名無史さん:05/01/19 09:54:44
>>744
>その証拠となる史料もあるし、その後の秀吉がとった行動や二次史料からも比定できるんだよ。
>推論ではなくて比定。
>あとよく調べるとわかるのだけど、そもそも信長は基本的にはわざわざ他家を滅ぼそうとはしていないんだ。
>ある程度良質の史料で研究や考察している人なら、すぐ判る書き方してあるはずなんだけど・・・。
>ここにはいないのかな?
とりあえずは、資料とやらを出すべきだなぴう(あるならだけど)
         ~~~~
746日本@名無史さん:05/01/19 18:06:37
>>745
741さんなのかな?
ここで私論の証拠とある史料等を提示して議論するのは一向に構わないが、
そもそも同じ土俵にたっていないと思うが?
おれは今まで考察や史料もだしてはいるけど、君はその要望にこたえてないし
逆に否定するソースもしくは根拠を明示してとレスしているのに答えてくれていないのでは?

もともとオレも君の考えと大差はなかったんだから・・・。
それが分からないのかな?そもそも君が
きちっと文意と文章を的確に返答できなければ、
いくらや史料を持ち出して、君を論破しても意味がないんだよ。

ちとその前のレベルが低いのでは?
まずは調停者としての天皇不要論から答えて頂きましょうか?
本当に調停者なの?それに不要なの?
まずは説明にさえなっていないから証拠と考察を願いますが・・・。
747日本@名無史さん:05/01/19 18:13:29
暖簾に腕押し糠に釘状態はやめてほしいのよw
748日本@名無史さん:05/01/19 21:42:26
とりあえず信長が何をしようとしても、いずれ殺されるってこと。
だから信長の思想を論じても無駄。
749日本@名無史さん:05/01/19 21:52:10
>>746

>>まずは調停者としての天皇不要論から答えて頂きましょうか?
>>本当に調停者なの?それに不要なの?

調停は天皇の本来の機能ではないけど、
信長は自分が不利な戦争の時は、天皇を利用して一時和議し、
準備が整えば、その和議を破棄してまた攻めるということをやりましたな。
天下統一を完成した後の信長には、こうゆう調停者は不要なのは自明だ。

>>官位発行者としての天皇は、 おれには意味をなさないし

そうゆうけど、官位発行こそ、天皇の機能、存在理由だ。
古代の権力者の末裔として、(ありがたがる人がいるもんだから)
それぞれの時代の権力者と結びつき、官位という形で権威を付与してやる。
そうすることで、天皇は永く生き残ってきたわけだ。
741でいいたかったのは、
権力者が天皇から官位をもらうのは、結局、天皇の権威を存続することになり、
徳川家のように最後には返さなければならなくなるので、
実力で天下を平定しつつあった信長は、三職推任を拒否したのだということ。
で、
信長が考えていた最高位が、「帝王」か「天主」か、なんて、俺は知らないよ。
741で帝王と書いたのは仮に書いただけだし。信長しか知りましぇん。
750日本@名無史さん:05/01/19 23:06:15
本能寺を生き延びたと仮定して
何歳まで生きただろうか(天命・寿命で)
気質からして70歳までは生きてないと思うがどうよ

統一を終えた後、何が出来ただろうね
751日本@名無史さん:05/01/19 23:16:14
生き延びても統一は出来ないだろ。
752日本@名無史さん:05/01/19 23:39:51
どっちにしても、49歳で無惨な最期を遂げたのが歴史的事実。
殺されなかったら何をやったか、という仮定自身が無意味なお遊び。
口角泡を飛ばすほどの議論ではない。
753日本@名無史さん:05/01/19 23:46:27
>>752は口角泡という単語を使いたかっただけ、に200ポンド。
754日本@名無史さん:05/01/20 02:15:45
もし、架空信長戦記があるとすると、諸君はどの時代のどの架空要素から
読みたいと思う??
755日本@名無史さん:05/01/20 02:30:10
>>754
白亜紀もしくはジュラ紀。百歩譲って三畳紀でもいい。
鳥盤目より以前に生まれた竜盤目の場合、恥骨は前方へのびている。
まさにここが架空要素である。このほかの時代は一切認めない。
俺の美的センスが許さないのだ。
756745:05/01/20 10:16:58
>741さんなのかな?
人違いですw
私論の証拠とある史料等云々〜、としか言わないから
適当な事をもっともらしく語ってるだけなのかな〜と思いまして
ある史料は私も見てみたいですし。
757日本@名無史さん:05/01/21 21:23:00
もし信長が大陸に進出すると仮定しても、秀吉のように無理矢理
朝鮮半島に侵出みたいな真似はしなかったのでは。
信長は意外と用意周到な部分もあり、婚姻関係や養子縁組、その他
外交交渉で基礎を固めてから他国に迫め来む場合もあるし、また
いちど自分を裏切った人間でも、その向こうにさらに敵がいるとなると、
いったん取り込んで許したりもしている。
対朝鮮・中国でも、必ずまず味方になる勢力を探し、明と敵対しそうな
地方の王権をリサーチしたりしたと思う。
758日本@名無史さん:05/01/21 22:02:42
ただやっぱり、大陸には根拠地を求めていくつか港を借りた可能性はあるけど、
貿易の充実を目指すんじゃないかな。
そして必ず、さらに強力な軍艦の製造を始める。
その後は明やオランダ、ポルトガルからの情報収集によって何を考える可だが、
台湾やインドシナ、インドネシアあたりには侵出したような気がする。
で、途中出会ったイギリスを見てショックを受け、イギリスとは戦争回避、
再び軍艦やその他の武器、科学技術の輸入に全力を尽くすと思う。
結局、海洋国家として成長し、カルタゴみたいな国になるんじゃないかなあ。
信長も年をとっていくわけだし、国内の天下統一を不動のものにしたら、
後は勝つか負けるかわからない戦争を、しかも寿命の問題もあるから、
敢えてすることはなかったように思えてきた。
うまく行けば、東南アジアの大海洋国家として、イギリスやアメリカも一目
置き、「アジアで利権を得るなら日本と協力せざるを得ない」と考えるぐらいの
規模になるのでは。
当然キリスト教は、アメリカやイギリスとの交渉に有利になるように、あえて
布教を許していたと思う。
意外と緩やかで、階級格差のない、自由国家になっていたような気がする。
759日本@名無史さん:05/01/21 22:12:28
そういう話はこの本にかいてあるな

伊沢元彦 『洛陽城の栄光』
760日本@名無史さん:05/01/21 22:40:12
>>759 サンクス。面白い?面白いなら買ってみようかな。
761日本@名無史さん:05/01/21 22:45:46
宗教の創始者も、ものすごい過激な人が多く、その後民衆に定着していく
ことによって、非常に穏やかな、生活になくてはならない存在に変わってゆく。
信長が作ったかも知れない帝国も、天下統一まではさらに大名家など血の
粛清によって恐怖支配していくだろうが、信忠以降、次第に穏やかなものに
なっていくだろうし、各地に残った大名や武士の力を相対的に落としていく
ためには、身分の差など関係なく、実力者を登用していくことは、それまで
通りだろうと。
となれば、徳川が天下をとるよりもずっと早く、ブルジョワ国家が誕生していた
のではないか。
さらに妄想をたくましくすると、日本的ブルジョワジーが確立し、貿易が盛んに
なっていれば、イギリスとどの程度orどういった形での接触になるかによるが、
いずれ産業革命も起きていたのではないかと思う。
762日本@名無史さん:05/01/22 00:17:58
未来のイフではなく、信長が天下統一していく過去の時点で、
「あのときもっとこうしておけばよかったのに」
というイフってある?

漏れ的には、以前にも書いたけど、やはり本願寺は最後まで仲良くする
ふりをしておけばということなんだけど。
763日本@名無史さん:05/01/22 00:38:31
>>762
でも、宣戦布告してきたのって一向一揆側なんだよね、実は。

将軍義昭からの斯波氏相続と管領職を素直に賜って置けばよかったんじゃね?
権威にとらわれず実利を重んじて堺・大津・草津の直轄領化したのは偉い
とかいう論調もあるが、権威付けもそれなりに大事だったと思うね。
764日本@名無史さん:05/01/22 01:39:40
>>763
>>将軍義昭からの斯波氏相続と管領職を素直に賜って置けばよかったんじゃね

そうゆう信長なら、今ほど人気が出なかっただろうにゃ。
旧い権威を破壊したってところが、現代人にとって魅力的なんで。

>>762
>>「あのときもっとこうしておけばよかったのに」

最後の最後で油断?
やっぱり、それなりの大軍を引き連れて京都へ行けばよかったのに、と思ふにゃ。
765日本@名無史さん:05/01/22 01:45:24
>>764 たしかにまあ、それが一番の失策だわな・・・・・・
まさかあの段階で謀反起こされるとは思ってなかっただろうし。
どうしてきちんとした近衛軍みたいの作らなかったかが疑問。

スケール大きい人間って、自分の足下が見えなくなるのかも。
ただ、ふつうだったら、自分の足下見えなくなってても、後継者である
自分の息子の親衛隊は充実させていたはずじゃないのかとも思う。

ともかく、あれだけ近衛軍少なくて、信長と信忠が二人とも京都にいた
ってことが、信じられない。

もしかして、それも罠だったってことはないのかなぁ?
766日本@名無史さん:05/01/22 01:45:26
古い権力を破壊したのであって、古い権威を破壊したわけではあるまい。
権威を破壊するのは、ただの「弱い者虐め」か「嫉妬による復讐」だぞ。
ちょうど共産主義者のような連中。信長は断じて共産主義者じゃない。
767日本@名無史さん:05/01/22 02:15:46
それは同意だが、共産主義と似て非なる全体主義者や絶対主義者も、
権威を破壊するぞ。信長は絶対主義者ではなかったのか。
権威も権力も糞もあるまい。
逆らう者は殺すのみ。
768日本@名無史さん:05/01/22 03:32:29
>>767
堺津・高野山・比叡山・本願寺・・・
いずれも経済利権・軍事強制力を奪われたが消滅していない。
消滅した権威は室町幕府ぐらいだろうか?

ちなみに、足利義昭は追放されたのではない。
義昭が自らの意思で毛利方への落ち延びた。
義昭下向の意思を知った信長は一応慰留している。

信長にとって、幕府消滅は想定外だったらしく、
信長は、義昭下向後しばらくの間、
人質である義昭嗣子の義尋を将軍の代理として側近くに置いていた。
幕府の将来と政権の運営方針が定まっていなかった傍証であろう。
769日本@名無史さん:05/01/22 03:41:07
堺津・高野山・比叡山・本願寺・・・
加えて義昭の都落ち、さらには義尋の処遇。

それらに共通するものはなにか。
「殺すほどの抵抗力がなくなった」
というひと言に尽きないか。
「逆らう者は殺すのみ」と言ったのは言い過ぎかも知れない。
信長は、利用できるものは利用できるまで残しておくという柔軟性も持っていた
というだけのことに過ぎないのではないか。
松永弾正さえ殺さなかったのだぞ・・・・・・
770768:05/01/22 15:17:01
>>769
・・・まぁ、そうなんだけどね(藁)。

絶対主義者として晩節を汚す前に死んだこともあり、
美化されがちな傾向があるのは否めない罠。

秀吉も弟・秀長と死ぬ時期が逆だったら、
違った評価になってた罠。
771日本@名無史さん:05/01/22 19:41:22
信長の時代頃に起きた重要な事件や戦って
結構狭い地域(琵琶湖周辺)で行われているよね
そんなに広大な視野は持ちにくいんじゃないかと思うが
まして情報もゆっくりだっただろうし
九州や東北なんて遠いところは
実際あまり気にとめなかったんじゃなかろうか
でも、黒人(やすけ)が近くにいたというのは
面白いよね 怖かったろうね
772日本@名無史さん:05/01/22 19:44:37
夜な夜な責められたんだな 信長
773日本@名無史さん:05/01/22 21:48:02
家康の天下盗りの裏には肉人との密約があり。
さすがの大坂城も粒子砲には勝てなかった。
774日本@名無史さん:05/01/22 23:06:40
>>771 いや、宣教師がいたし、堺や近江の商人、さらには海賊衆など、
全国どころか、朝鮮半島、大陸にまでまたにかけて歩いている人間から、
情報は常に入っていたと思う。
だからこそ、それまでの戦国大名や守護大名とはまったく違った動きをし
たとも言える。
信長の視野の広さは、父親の信秀が、港で貿易していたころから培われていた
のではないか。そして、信長はそうした商人から話しを聞くことで、後日の
重商政策を採り始めたのではないかと思う。
あの当時の商人や海賊の情報収集力は、馬鹿にできなかったと思うぞ。
775日本@名無史さん:05/01/22 23:58:57
花糞 (かふん・はなくそ) 花糞

種子植物の雄性配偶体。
雄しべの葯(やく)の中で減数分裂によって作られる半数性の単細胞。
直接または風・虫・鳥などによって雌しべの柱頭に運ばれる。


776日本@名無史さん:05/01/23 00:05:01
↑こういうのって、いったいなんなの?
777日本@名無史さん:05/01/23 01:14:20
嵐だ。虫しろ。
778日本@名無史さん:05/01/23 01:19:47
そういえば一昨年、京都の本能寺にお参りに行ったことがあるのだが、
寺を移したとき、やはり信長の骨はなかったのだろうか?
ないとしたら、信長の遺体は、どこ行っちゃったの???
織田家の血筋はいっぱいいたわけだし、秀吉だって勝家だって、
遺体があるところを知ってたら、盛大に埋葬したと思うんだよね。
もし光秀が信長の遺体を辱めて、八つ裂きにしちゃったとしても、
秀吉が拷問してでも、どうしたのか吐かせるのが当然だと思うけど・・・・・・

あ、信長が脱出して、天海僧正になったとかいうのは許してね。
779日本@名無史さん:05/01/23 04:12:37
焼けちゃって本人確認ができなかっただけデショ
780日本@名無史さん:05/01/23 07:32:41
え?焼けてないって聞いてるけど・・・槍をぶち込まれて死んだんじゃないの?
781日本@名無史さん:05/01/23 07:48:36
槍をぶち込まれてその後燃えたんでそ。
一番槍をぶち込んだ奴はその後不遇だったらしい。
782日本@名無史さん:05/01/23 16:07:59
阿弥陀寺の住職が、遺体を運んで埋葬したそうだが、
なぜか秀吉に無視されて、それっきりらすい。
783日本@名無史さん:05/01/23 17:43:52
恩賞としての領土拡大には限度があって
いずれ破綻することはすでにわかっていたと思う
まさかずっと茶器ということはないにしても
朝鮮その他外国への遠征という方向は選んでなかったと思うよ
その後の秀吉がとった朝鮮征伐のようなことは
下策中の下策と考えてたんじゃないかな

自ら神の存在になることで解決しようとしたんじゃないだろうか
官位を授けたり、「ありがとう」と言えば
感謝感激してくれてモチベーションもあがるしね

朝廷から太政大臣でも関白でも征夷大将軍でもといわれて
ムカついたんじゃないか
自分がしようとしていたことだからね
784日本@名無史さん:05/01/23 20:54:59
いや信長はそこまで頭が回らない。
785日本@名無史さん:05/01/23 21:22:12
タラの話は、北海道。
786日本@名無史さん:05/01/23 22:31:30
タラの話は、サザエさん。
787日本@名無史さん:05/01/23 23:48:12
槍をぶち込まれて、その後焼けたとしても、骨がないなんて、
あり得る?
相当意識して散骨しまくったしか考えられないよ・・・・・・

>>782さんの阿弥陀寺って、具体名はわからないの?
なんか、信長の天下を継承する場合、葬式をあげるってのは、常識的な
ことだと思うのに・・・・・・
だって勝家だってお市の方を娶って正当性を主張するみたいなことをした
わけでしょう?
信長の骨を探して、埋葬するなんて、天下を狙うすべての信長配下の武将が
やるべきことだし、お市の方他遺族もそれを強く主張すると思うのだが・・・・・・

これって、光秀の裏切りの理由とかなんとかより、もっと現実的で、
不思議な「謎」とは思わん?
788日本@名無史さん:05/01/24 00:29:32
>>1
信長が天下を統一していた、秀吉と家康は天下を統一できなかった
789日本@名無史さん:05/01/24 00:38:58
わ・た・しセンター試験の出題者 誰が何と言おうと俺が正解を決めるんだ♪
文章中に根拠なんかなくても 俺が言うんだから間違いない♪

 ☆。:.+:    ∧_∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 .. :.     ( ´∀`)  < …って、言うじゃな〜い?
     / ̄ヽ/,― 、\ o。。。\________
.:☆   | ||三∪●)三mΕ∃.
.:*    \_.へ--イ\  ゚ ゚ ゚ ジャジャスカ ジャジャスカ…
+:..♪.:。゚*.:.(_)(_)     ☆。:.+:
 ☆。:.+::..   ☆:.°+     .. :
             ∧_∧        ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
            (`Д´ )      /
        。。。o /、 ―,゙/ ̄\ <  でもあんた
      .Ε∃三m三(●∪三|| |  \ 二度とセンターからお声がかかりませんから!
      ゚ ゚ ゚  /__〜〜_/    \       残      念   !
         (_)   (_)       ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
∧||∧
(  ⌒/
 ∪ / / ヽ
    /  ノ
    ∪∪
         ∧ ∧,〜           < 根拠のない主観で論文でも書いてなさい
        ( (⌒ ̄ヽ    _                  十 ノ  .| |  |
          \  \ `ー'"´, -'⌒ヽ                 田 |┬  レ |  |
         /∠_,ノ    _/_                  十 .ノ | .  ノ  。
         /( ノ ヽ、_/´  \
       、( 'ノ(     く    ヽ、
      /`   \____>\___ノ
     /       /__〉    、__>
790日本@名無史さん:05/01/24 07:51:21
>>787
本能寺で死んだのは信長1人なのか?
何体も黒コゲ死体の中個人を特定するのは難しいと思うが
夜なんだから身分を表す衣服を着てる可能性も低いし
 
それとも骨にノブナガとでも書いてるのかw
791日本@名無史さん:05/01/24 21:12:39
>>790 判別できないからって埋葬しないのかw
特定が難しくても、もし遺骨が複数あれば、次の後継者もしくは織田家の
遺族が埋葬するはずだろ。
792日本@名無史さん:05/01/25 00:36:42
>>787

阿弥陀寺が具体名でつな。
どこかの信長スレで読んだのだが、
明智勢の襲撃の最中、阿弥陀寺の住職が、本能寺の生垣を破って中に入ったところ、
数人の武士が信長の遺体を火葬しようとしていたので、
それを引き受けて、自分の寺に運び込み埋葬したという。
当時、阿弥陀寺は本能寺の隣にあったという。
秀吉や織田家の遺族が無視したのは謎でつな。
793日本@名無史さん:05/01/25 07:50:00
あやふやなソースで語るのはヤメレ
794日本@名無史さん:05/01/25 19:29:30
>>793
そうゆうスレがあったという情報を書いたまでだ。

阿弥陀寺まで行って、寺伝を確かめてから書けということなら、大部分の人は何も書けない。
795日本@名無史さん:05/01/25 21:12:06
>>792 サンクス。ちと調べてみたら、こういうページがあった。

http://www11.ocn.ne.jp/~kanikami/page021.html
ttp://www.geocities.jp/ukikimaru/ran/ranhyper.htm

上の方には、信長、信忠の墓の写真も写ってる。
なるほど、阿弥陀寺って、元本能寺跡なんだね。今はそこから移転したと
書いてある。現在ある本能寺は秀吉が建てたものだそうだし、
そうか、これで供養は終わったと秀吉は考えたということかな。
これ以上盛大にやってしまうと、織田家が家督争いに絡んできちゃうから、
ある程度のところで終わらせたかったとか・・・・・・
796日本@名無史さん:05/02/03 15:50:11
悲しい・・・・・・もう論議は打ち止めか。だろうなあ・・・・・・
797日本@名無史さん:05/02/03 18:10:05
信長が暗殺されずに海外に雄飛したら…

2005/1/0X
NHKきょうの料理

ふるさとの味図鑑A印度県

鶏肉の竈焼き
798日本@名無史さん:05/02/03 19:17:09
お、おもしろいが、スレ末期状態のような。
799日本@名無史さん:05/02/03 19:38:06
左様!
800日本@名無史さん:05/02/03 19:40:37
       祝! 800get

☆       ∵∴∴☆※☆∴∵∴       ./
     \  ※∵☆☆★☆★☆★☆☆∵※
        *∵☆★☆☆*☆*☆☆★☆∴*
      ※∴★☆☆*°°|°°*☆☆★∴※
     *.∴☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∴ *
    *∴☆★☆°\°☆☆★☆☆°/°☆★☆∴
   .. ※☆☆*°°★°° 人   ★ °°*☆☆※  *
   ∴☆★☆°°☆     (__)   ☆ °°☆★☆∴
   ∴☆☆*°°☆    (__)   ☆°°*☆☆∴
   ※☆★☆――★  ∩ ・∀・)∩  ★――☆★☆※   ⌒★
   ∵☆☆*°°     〉    _ノ   °°*☆☆∵ *
   ∵☆★☆°°☆   ノ ノ  ノ      ☆°°☆★☆∵
   ※☆☆☆*°°★ し´(_)  ★ °°*☆☆☆※ *
   *∵☆★☆°/°☆☆★☆☆°\°☆★☆∵
      ∵☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∵    うんこーーー!!!
      ※∵★☆☆*°°|°°*☆☆★∵※
      *...☆∵☆★☆☆*☆*☆☆★☆∵☆    .ζ
         ※∴∵☆★☆★☆★☆∵∴※      ☆
            ∴∵∴☆※☆∴∴∵
801日本@名無史さん:05/02/03 19:44:16
あうー
802日本@名無史さん:05/02/03 19:52:52
鉄砲による連続攻撃を世界で始めて考案した信長ですが、
おそらく彼は次に現在で言う「生物兵器」のようなものを
使うことを思いついたと思いますね。
803日本@名無史さん:05/02/03 20:45:24
アホか
804日本@名無史さん:05/02/03 21:59:13
信長が生きてるうちに使える生物兵器って・・・・・・大腸菌か?
805日本@名無史さん:05/02/03 23:32:27
井戸に排泄物を撒くぐらいのことは、戦国時代にも普通に行われた。
806日本@名無史さん:05/02/04 02:19:28
てか動物の死骸を投石器で城に投げ込んだりとか大昔からやってますしね。
鉄砲の方は雑賀衆のパクリだしね。
807日本@名無史さん:05/02/04 16:04:01
木炭と硫黄を焼いて亜硫酸ガス攻撃なんてのもあったよ。
808日本@名無史さん:05/02/04 19:05:35
>>807 え、そんなの日本であったのですか?
809日本@名無史さん:05/02/04 19:39:21
するとアレだな、忍者は夜陰にまぎれて敵の城に忍び込んで井戸でうんこしたりとかするわけか。
810日本@名無史さん:05/02/04 21:20:04
武田・長尾両氏が兵を動かすと疫病が流行るという風聞が
関東・甲信越でまことしやかに囁かれた。
何か根拠があってのことであろうか・・・?


>>807
平時にはマタギが狸を穴から燻り出すのに使われてた。
811日本@名無史さん:05/02/05 13:14:54
>>810どの。
へええ〜、木炭と硫黄攻撃なんか知らなかった。

しかし武田長尾が兵を動かすとうんぬん、どんな資料にそういうことが
書かれているかご存じですか?

なんか、戦国時代の生物兵器とか、地雷のような特殊兵器だけ調べるのも
面白そうですね。根来衆が皿を二枚重ねにして、間に火薬を詰め、そこに
導火線をつけて投げつけたというのは読んだことがあるんですが。
812日本@名無史さん:05/02/05 16:38:22
くのいちの技の数々

ぜひ知りたいぞ
813日本@名無史さん:05/02/05 20:29:45
>>812
忍法 筒枯らし、かけられてみるか?(w
814日本@名無史さん:05/02/05 20:37:28
い・イッチャウよぉおお・・・
815日本@名無史さん:05/02/06 07:40:10
48手しかござらん。
816日本@名無史さん:05/02/06 07:41:09
>>812 自分の筒を枯らしてどうしる! それを言うなら「芋枯らし」だろ。
817日本@名無史さん:05/02/06 16:27:53
デアルカ
818日本@名無史さん:05/02/06 19:10:19
819日本@名無史さん:05/02/07 17:11:18
三戦の信長スレは厨ばかりだから、止めるが吉。
820日本@名無史さん:05/02/07 19:18:29
でもさー、ここも、こうまで書き込みがないと、寂しい・・・・・・
821日本@名無史さん:05/02/08 02:04:37
>>811
生物兵器どころか・・・
当時は、投石も有力な兵器だったんだぞ。印地撃ちといって。
武田信玄配下には、投石部隊もあったそうだ。
まあ、練習すれば、プロ野球投手なみの投球が可能だから、
毒をつけない弓よりは効果的かもしれんが。
織田鉄砲隊との直接対決を見たかった・・・
822日本@名無史さん:05/02/08 02:50:18
信長が生きていれば、武田家同様毛利家も木っ端微塵に粉砕し、後の世に薩長の蛮族がのさばることもなく、
平和な日本になったのに・・・。
823日本@名無史さん:05/02/08 02:58:12
信長が生きていれば、キリスト教が爆発的に広がり、ポルトガルの植民地になった。
間違いない
824日本@名無史さん:05/02/08 07:09:35
信孝を殺した秀吉は、当然信忠にも背いただろう。
しかし、前田、池田、森らが信忠に背くとは限らず、
逆に秀吉を倒し、前田利家が天下を取っていたかもしれん。
825日本@名無史さん:05/02/08 09:59:42
んな、こた〜ないw
秀吉が信忠に背くワケが無い。
826日本@名無史さん:05/02/08 10:22:39
>>825
俺もそう思う。

秀吉はすでに、信忠母・生駒御前を経由して信忠の信任厚いので
清洲会議後のような修羅場を迎えることなく、
平和裏に織田家中の大番頭としての地位を築くと思う。
827日本@名無史さん:05/02/08 12:04:57
信忠はすでに織田家家督を継いで尾張美濃衆も配下にしてたからな
828日本@名無史さん:05/02/08 13:20:56
>>226
>うひょ〜〜っ、織田幕府日本の艦隊が、大英帝国(イギリス)と大蘭帝国(オランダ)と大仏帝国(フランス)の艦隊と激突ッ!!
最っ高に盛り上がるっ!!

ネタ元は小松左京の「南海太閤記」ですな。
織田信長の存命にともなう日本国の大航海時代参加を夢見る信者が多いが…
漏れには、「日本に侵略されなければ韓国は近代化できた」と考えるコリアンと
おなじ、裏づけのない願望にしか思えん。

マジレスすると、信長の政策の後継者が秀吉。したがって国内の大名配置が多少
ちがうことと、スターリン主義的恐怖政治の色合いが濃くなるだけ。
早晩、瓦解したはずだ。 信長にも太平洋に目が向くような発想はない。外征に向か
ったはずだが、その方向は日本海側以外にありえない。

信長の西欧理解とその導入の実践は、ロシアのイヴァン雷帝のそれに比すべきだろう。
いずれも、支配者の西欧文明への理解に被支配層がじゅうぶんついていける段階にない。
日本ではまだ、信長じしんがそうであるように、地方の自治領主の実力者が力の均衡で
政権を掌握する段階であり、せいぜい西欧の12世紀から13世紀の封建社会段階でしかない。
社会の成熟度がちがう。そんな段階で、どうして未開拓の北米大陸や豪州大陸に殖民し、
かつ西欧に伍していくというのか? すでに株式会社を興して海外植民地を債権と
している西欧人に、地方領主の家臣団が、競えるはずもなかろう…

誰だったかが言っていたが、江戸時代という前準備の時代なくして大航海時代に
参加していたら、20世紀を見る前に、日本はオスマントルコになっていたという
意見に、漏れも賛成だ。

目立たぬことながら、西欧の覇権に巻き込まれずに、独自の統一された国民国家の礎石を
準備し、さらには統一された国内市場を準備した江戸時代こそが、けっきょく日本近代
化の不可欠な要素にほかならなかった。その礎石を築いた家康こそが、「先進国日本」の、
真の生みの親たる大政治家。
家康の貢献にくらべれば、「革命児」の下克上大名・信長や秀吉の功績は、むしろ
皮相的・表面的レベルにとどまっていると思う。
829日本@名無史さん:05/02/08 21:30:43
そうか、信長に夢見る人はコリアンか。
830日本@名無史さん:05/02/09 02:45:58
日本史板はどうしてこう
夜郎自大な意見か
頭が高い頭を下げろな意見ばかりなんだ。
世界史板みたいにもっと広がりのある話をしたいんだが。
831日本@名無史さん:05/02/09 06:37:03
>>830
世界史規模の話になると、専門から外れるからイヤなのでは?

だから日本史規模に話を押し込めようとする
832日本@名無史さん:05/02/09 10:43:41
信長が死んでよかったよ

あいつ寺とかよく焼くから

重要な建築物や書類、絵画、仏像、古典など

今に残ってなかったはずだよ
833日本@名無史さん:05/02/09 11:43:37
>>832
信長の名誉のために言っておくが、信長は思想弾圧などしていない。

文化財・思想哲学への被害は、信長の直命ではなく、
妄信的キリスト教徒の武将・足軽の自主的行動によってやられるだろうね。
数年前のNHKの模擬裁判主催者の「松井や○り」みたいな人格が畿内に多かった。

例として挙げると、四天王寺で多くの文化財が失われたのはキリスト教徒足軽による蛮行。
最悪なことにフロイスら宣教師も偶像破壊を賞賛していることを覚えておいて損はない。
834フロイス日本史:05/02/09 12:42:11
信長はその包囲(石山本願寺包囲)の間、
大坂から一里距たった天王寺という名の寺院と僧院を焼かせた。
それは日本で建てられた最初のもので、仏教の大いなる帰依者であった聖徳太子という
名の皇子の創建したものであり、格別参詣者の多い霊場であった。

その寺院(四天王寺)が焼ける前、人々が僧院に放火し始めた時に次のような出来事があった。
彼らのなかには、かの地方でもっとも善良で確乎たるキリシタンの一人である若い兵士がいた。
彼は人柄は非常に勇敢な男で、たいへん貧しかった。

彼は仏像の中味がどんなものであろうかと訝っていたので、ただちに斧を手にし、
祭壇のところに行き、非常に高く、全身塗金してあったと言われる木製の偶像の上に登り、
足で踏みつけてその肩の上に立ち、偶像の頭を割り始めた。
835フロイス日本史:05/02/09 12:42:56
彼はその頭の中に、この僧院と寺院の建立当時からの幾枚かの文書が入った
非常に古い一つの袋を見出した。

彼はさらにその真中に書類の中に混じって、金製の小箱を見つけたが、
それには釈迦に遺骨の一部と言われている遺物が入っていた。

そのキリシタンは、その袋、文書および似而非遺物を
この一件の証拠品として司祭のところにもたらし、
司祭に全部焼いてもらうことにしたが、司祭も彼の希望どおりにした。
だがそのキリシタンは塗金した小箱は受け取りそれを売った金で
一頭の馬、その他必要として品々を購入した。

そして彼は他のキリシタンたちに向かっては、皮肉ってこんなことを言った。

「私は仏にはなんの恩義もない。なぜなら、このようなちょっとした御恵みを与かるのに、
 私はこの斧で仏の頭を割り裂かねばならなかったのだから」と。
836日本@名無史さん:05/02/09 12:47:32
見たのかよ  
837834,835:05/02/09 12:51:53
>>836
ただの「フロイス日本史」からの抜粋だ。
当時のキリスト教徒の信仰の姿が垣間見えるエピソードとして紹介した。
838日本@名無史さん:05/02/09 16:24:49
>>833 まあ宗教家はみんなそんなもんですよ。
異教徒との対話、なんて最近の流行り。本質的に分かり合える
はずが無いじゃないですか。全く違うものを理解する事もできないし、
アブラハムの宗教のようになまじ似てるところがあればかえって
それが諍いの原因になるだけ。

あと、当時の宗教は権力であったり、また権力とつながっていたから
要注意。いわゆる「宗教弾圧」でもそれは必ずしも一方的に差別行為
とは言いにくいところもあるんで。
839日本@名無史さん:05/02/09 17:08:32
信長は「宗教」の名の元に徒党を組んで戦を挑んでくるのが気に入らなかっただけ。
宗教そのものを弾圧したわけではない。
徳川の世ではキリシタンに信仰そのものを捨てろと迫害したが、
信長は一向宗を捨てろとは一言も言ってない。
自分は宗教を信じなかったが、それを他人に強制はしていない。
証拠に、降参したら許してるだろ。顕如の命を奪ってないし、その後も一向宗は存続してる。
今も本願寺として存在してる。
要は、信長は宗教を攻撃・弾圧したわけではなくて、天下統一に邪魔な勢力を排除しようとしただけ。
これ以降、宗教が政治に権勢を振るう事は無くなった。
840日本@名無史さん:05/02/09 17:53:33
層化みたいな連中が武装したら困るよ。
841日本@名無史さん:05/02/09 20:57:12
キリシタンを保護した信長はロクデナシ
842日本@名無史さん:05/02/09 21:23:41
やっぱ国民性は変わってるんじゃなかろか
規律正しく、愚直なまでに忍耐強く、かつ排他的って言われてる今の日本人(つっても最近はそうでもないが)の国民性って元は三河の住民性だろ
尾張の住民性は信長とか秀吉みたいなアメリカナイズな「俺」主義だし
もし、信長が天下統一してたら、日本の国民性は全く変わってるような気がするんだが
まあ、徳川幕府みたいに、織田政権が何代も続いた場合の仮説だけど
843日本@名無史さん:05/02/09 21:33:09
信長がキリシタンに「好意的」だったとは、とても思えない。
『信長公記』のどこか、たしか荒木村重謀反のあたりだったと思うが、
この鎮圧に宣教師の協力を要請した際の文句が「協力しなさい。さもないときみたち
皆殺しにするよ」といった類のもの。信長は西洋に対する見栄と貿易以外に興味は
なかったと思う。かりに存命中にサン・フェリペ号事件みたいなものが起これば、処置
は秀吉の比ではなかっただろう。
844日本@名無史さん:05/02/09 22:15:39
光秀でなくとも信長はいずれ家臣に殺される。
性格に問題あり。人を治める力量は秀吉の方が
圧倒的。そもそも秀吉が居なければ、信長
は、とっくの昔に滅びていた。
逆に言えば、信長が取り立てなければ
秀吉の出世は無かったという説もあろうが
そうではないと思う。秀吉程の才覚が有れば
当時の名だたる戦国大名の誰に付いても
全国制覇の重臣として活躍したと思われる。
もし武田信玄の家臣で有ったら歴史は
変わっていたであろう。想像すると面白い。
845日本@名無史さん:05/02/09 22:33:43
>>844
小説とか漫画を鵜呑みにしちゃ駄目ぽ。
846日本@名無史さん:05/02/09 22:37:30
そもそも秀吉が居なければ、信長は、とっくの昔に滅びていた。

この一文がおかしいから、あなたの発言の全てが説得力を欠いた
847日本@名無史さん:05/02/09 23:37:59
>>844
武田家で出世できたと本気で思ってるの?
織田に仕えたから出世できたんでしょ。信長に仕えたから。
事実、信長に仕える以前の今川では出世できてないだろ。イジメにあって。
信長のスゴイところは、家柄とか出自をまったく気にしないところだ。
もっと歴史を勉強したほうがいいな。
848日本@名無史さん:05/02/10 00:13:44
>>844
サルマニアwwww












又は関西人(爆
849日本@名無史さん:05/02/10 01:14:20
>>832 薩長を中心とした官軍が、日本中の城を壊し焼いたのは
知ってるよな。
850日本@名無史さん:05/02/10 01:15:45
>>832>>849
薩長の奴等が廃仏毀釈で寺を破壊しまくったのは知ってるよな?
851日本@名無史さん:05/02/10 01:18:09
信長と信忠が、ろくに兵隊もつけずに、なぜ同時に京都にいたのか・・・・・・
油断してたとしか思えない。信長は暗殺されたとしても、信忠が生きてれば、
かなーりその後の展開が変わっただろうと思うと、信長がどうして警戒しなかった
のかと思ってしまう。
権力者の血族は、いっしょの場所にいないように用心するのが常識だし、
一同に会す場合には、それなりの護衛兵を配するのがふつうなのに・・・・・・
852849:05/02/10 01:18:48
>>850 だからそれを言いたくて言ってるんだって。
853日本@名無史さん:05/02/10 01:20:27
>>850
薩長が廃仏毀釈を推進したソース希望。
明治新政府が廃仏毀釈運動の行き過ぎを禁止する通達を出してるのは無視?
854849:05/02/10 01:21:29
行き過ぎは禁止したが、運動そのものを禁止していないのでは
855日本@名無史さん:05/02/10 01:23:05
>>853
維新前から、薩摩と長州では寺を壊しまくってるんですが・・・。
856日本@名無史さん:05/02/10 01:28:37
鹿児島でも島津義弘が帰依した妙円寺が明治初年の廃仏毀釈の犠牲になった。

廃仏毀釈で実際に破壊活動を行ったのは無辜の民衆。
これは、国学思想の影響によるもの。

当時、国学は多くの階層に広まっていたという事実を確認しておきたい。
この国学が戦前の国粋主義・大陸進出政策へと発展していったという事実も確認しておきたい。
857日本@名無史さん:05/02/10 01:39:16
もとおりのりながなんて読むと、感動する部分もあるけど、幼稚としか思えない
部分もけっこうあって、
「オイオイ」
とか言いたくなるもんなあ・・・・・・マッカーサーに12歳の子供と言われた日本人は
明治初期のころ、はいくつぐらいだったんだろうか。単純すぎ。
858日本@名無史さん:05/02/10 02:54:00
本居のこ頃と幕末期の国学はだいぶ違うけどな。
859日本@名無史さん:05/02/10 03:54:50
フロイスの『日本史』にある信長の言動を見ると、信長って本当にカコイイと思う。
俺が特に好きなのは、キリシタンと日乗上人(信長の部下)の宗論のシーン↓。
宗論に負けた日乗上人が怒りくるった勢いでその宗論の会場に置いてある信長の刀を取って
相手のキリシタンを殺そうとするんだけど、周りで見てた大勢の貴族が止めてかなり非難するわけ。
でもそこで信長だけは冷静で(そう書いてある)、そいつに
「貴様のすることは刀で人を斬ることにあらず、議論することではないか。予は大いに信頼を失った」
みたいなこと言って、これにはマジしびれたわ。
860日本@名無史さん:05/02/10 04:20:32
>>851
よく信長の油断といわれるけれど・・・・・
信長を討った光秀も、乱の後、誰も支持するものがなく、孤立して滅んだ。
乱を起こす前、光秀に冷静で合理的な思考力があれば、乱の後どうなるかを予測することができ、
乱を起こすことを思いとどまっただろう。
軍事的空白の京都の周辺に光秀軍がいることは、信長はもちろん知っていたが、
光秀はいつでも冷静で合理的な思考力を失う男でないことを、信長は信じていた。
だから、危険ではないと思っていた。
だが、光秀は、後先を考えずに乱を起こしてしまった。光秀に何があったのだろう?そこが謎だ。
861日本@名無史さん:05/02/10 11:34:41
>>860
光秀単独での犯行ではないでしょう。
光秀=実行犯
黒幕=???
862日本@名無史さん:05/02/10 12:23:10
>>861
黒幕はやっぱり「家康」かな?
863日本@名無史さん:05/02/10 13:02:41
>>847
史実通りとまでは行かなくとも、かなり出世したでしょ
山本勘介や高坂の例もあるし。
~~~~~~~~~
864日本@名無史さん:05/02/10 14:05:11
信長が秀吉のような出自だったら、
間違いなく最初の仕官先で殺されるだろうな。
865日本@名無史さん:05/02/11 01:54:56
>>863
でも信玄が死んでから先はどうにもならんだろ。
山本や高坂以上に、織田にいた秀吉は出世できてるのは間違いない。
武田なんて所詮半農だからな。織田に比べりゃシステムが古い!
冬になったら撤兵よ、お前。365日、24時間スクランブル体制の織田に居たから戦の仕方や人たらし戦術、出世の方法をあれこれできたんでしょ。
それに甲斐じゃ京は遠いだろ。
歴史をよく見れ!信玄の元に居ても結局滅びる運命だ。跡取が阿呆なせいで。
運良く勝頼から離れて難を逃れたとしても、所詮外様だから真田止まりだ。
そうなると信長相手に一戦だぞ。秀吉は城攻めは得意だが、野戦は苦手なんだよ。
ろう城戦なんて全く考えない信長に野戦で勝つ?w
甲斐の山国には最新式の鉄砲も入って来ないよ。信長が全て押さえてるから。
な、分かったろ。歴史にもしも、は無いんだからそれ以上言うな。恥ずかしいぞ
866日本@名無史さん:05/02/11 02:48:34
新手の荒らしか?
867日本@名無史さん:05/02/11 03:18:15
>>866
荒らしではない。俺は839、861と同一人物だ。
反論しただけ。
868日本@名無史さん:05/02/11 03:19:44
847も俺
869日本@名無史さん:05/02/11 06:36:08
>>865
大筋は同意だが
>甲斐の山国には最新式の鉄砲も入って来ないよ。
これは違うだろ・・・・
870日本@名無史さん:05/02/11 10:08:16
>>867
無駄な長文を書く人なのは理解できたが
アンカー間違ってないか?文が繋がって無い‥
871日本@名無史さん:05/02/11 10:52:45
勝頼が君主となれば、早々に見限って
小軍団を率いて野党の頭となり振り出しへ。

調略を最も得意とする秀吉の事だから、
最終的には時の最高権力者
に取り入れれる事となるのでは?

外様云々というなら光秀も外様だった。

872日本@名無史さん:05/02/11 13:48:53
山本勘介がでてる時点で釣りだと気づけ
873日本@名無史さん:05/02/11 21:48:41
信長と秀吉が野戦となったら、まず信長の家臣団がこぞって裏切り、
秀吉は戦わずして勝つ。以上。
874日本@名無史さん:05/02/11 22:06:59
なんか、
秀吉チュウが吹きまくっているようだけど、
織田家以外に仕官したら、秀吉は史実ほどには出世しないよ。
うまくいって、足軽大将程度だろう。
どんなに才覚があっても、それを認め、働く場を与えてくれる上司が必要。
信長がいなければ、秀吉もない。
信長と秀吉が野戦となったら、、とかいってるけど、もう馬鹿かと、アフォかと(w
875日本@名無史さん:05/02/11 23:50:08
光秀が殺さなくても、柴田勝家が謀反を起こした筈です。
とにかく、部下からの人望無さ杉。独りよがりのお山の大将。
天与の運と奇才とヒラメキだけで、上りつめた。
性格的には異常者。当然、累々と続く政治システムの
確立は無理でしょう。
876日本@名無史さん:05/02/12 01:38:42
秀吉の才気は、何処に居ても花開いたろう。
が、信長がどこかで、適当に死んでくれなければ、彼の天下事業は成される前に、秀吉自身の人生のリミットが来てしまったろう。
主君の仇討ちが、追い風になった羽柴秀吉。その主君が何時までも生きていたら・・・。どこで、どんなふうに信長落しを講じたか。
これも面白い。 
877日本@名無史さん:05/02/12 03:05:44
少なくとも徳川家のためだけに300年も遅れることはなかったんじゃないかね。
878:05/02/12 05:30:30
本能寺の変っていつ?
879日本@名無史さん:05/02/12 11:21:59
6月2日
880日本@名無史さん:05/02/12 14:36:59
しかし秀吉がいなかったら信長の勢力もあそこまで拡大しなかったよ。
せいぜい美濃尾張
881日本@名無史さん:05/02/12 15:08:07
>>880
金ヶ崎で滅亡していた。
882日本@名無史さん:05/02/12 16:47:51
>>880
それに対しては異議あり!
883日本@名無史さん:05/02/12 20:35:59
>>880
美濃も無理
美濃攻めは藤吉郎大活躍!
884日本@名無史さん:05/02/12 20:49:32
>>883
オマイ、「太閤記」を信じ杉(笑
885日本@名無史さん:05/02/13 00:16:13
>>884
太閤様が居なかったら、オマイはこの世に存在しなかったぞ!
よく物事の本質を捉えて発言し給え。
太閤関白秀吉様の事を「はげネズミ」と言って良いのは
信長様だけだなも。オマイは何処の土民か知らんが
身分をわきまえて、モノを言え。さもなくば打ち首ぞ!
886日本@名無史さん:05/02/13 03:02:25
>>885
ここはオサルさんを褒めるスレではございませんですよw
884が土民ならオサルも元は同類だろw
身分をわきまえないから家康さんにお家を潰されたんよ
887日本@名無史さん:05/02/13 04:23:22
>>883
>>885
は、「太閤記」を歴史史料と思い込んでいる時点で終わってるな。(w
888日本@名無史さん:05/02/13 04:29:20
このスレ、三戦板よりレベル低いな‥
889日本@名無史さん:05/02/13 09:53:34
藤吉郎マンセー!
890日本@名無史さん:05/02/13 13:03:36
信長好きなやつは人間として痛んでいるのが多いからな
891日本@名無史さん:05/02/13 14:11:47
革命児、天才、旧体制打倒...
リアル厨房の馬鹿心を擽る存在なのだろう。
時代の変換期に必ず登場するキャラ。
ルターみたいなもんだな。
892日本@名無史さん:05/02/13 23:59:19
革命児、天才、旧体制打倒というところからして間違ってるんだけどな。
893日本@名無史さん:05/02/14 13:36:11
「信長が天下を盗っていたら善い世界ができていた」なんていう輩、
自分が努力もしないダメダメ人間であることを棚に上げて、
なんでも社会の責任だと言い張っているようなものだよね。
どんな世の中になっても、信長厨はダメダメ。
894日本@名無史さん:05/02/14 21:50:26
あのー、政治家とか財界とかの、いわゆる日本の権力者層にも、
信長厨けっこう多いんですが。
895日本@名無史さん:05/02/14 21:56:05
どうかな?
経営という点では信長は失敗してるし。
講談的に語られる特性のうちいい点(決断力・進取・合理性なんかか?)は参考にしても全面的に信奉してる経営者っていない気が。

896日本@名無史さん:05/02/14 22:14:35
権力者層の成功者達は、
「信長が天下を盗っていたら善い世界ができていた」などと愚痴を言いませんな。
897日本@名無史さん:05/02/14 23:57:28
いえ、自分が信長だと思ってまつ。
それか龍馬のどっちかでしょう。
898日本@名無史さん:05/02/15 00:32:50
独断専行でリーダーシップを執って
成功を納めたい経営者が多いのだろう。
実際は自分の能力の限界を知り諦めざる
負えないか挫折するケースが殆ど。

時に今回の堀江vsフジテレビ騒動は
桶狭間の構図に近い。結果が楽しみ。
堀江は、今の所東大中退の「ウツケ者」!
果たして、如何なる顛末となるか?
899日本@名無史さん:05/02/15 08:59:44
非情な独裁者が暗殺されるのは古今東西どこにでもあること。
もし、暗殺されなくても、手足のしびれ痛みなど
糖尿病性神経障害 の症状でてるから悪化の一途をたどって
苦しみながら残り少ない余命を過ごす。
900日本@名無史さん:05/02/15 22:26:03
まあ非情な独裁者が暗殺されないで苦しまないで天寿を全うするってのも古今東西どこにでもあることなんだけどな。
901日本@名無史さん:05/02/16 01:03:21
900の言うとおり、ステレオタイプで思考停止してるやつって多いよな。
902日本@名無史さん:05/02/16 13:41:09
信長が極悪非道で冷酷で残忍で自己中心的で非情で
最後に暗殺された独裁者であることを認めない馬鹿な奴って多いな。
903日本@名無史さん:05/02/16 13:54:30
生きててもなんも変わらなかったりして
904日本@名無史さん:05/02/16 14:12:43
うん
905日本@名無史さん:05/02/16 16:58:06
その後の秀吉、家康が、信長に比べて良かったとも思えんが。
906日本@名無史さん:05/02/16 17:54:33
>>905
その通りだね。
家康が天下を獲っちゃったから日本の近代への歩みが遅くなった。
当時の織田軍団は世界最強だったという説もあるし、
ひょとしたら秀吉より上手く海外出兵して、連戦連勝したかも。
信長が大将だったら、秀吉や家康は真っ先に朝鮮へ渡ってるだろから、
後の秀吉の部下たちとは雲泥の差があるのは間違いない。
907日本@名無史さん:05/02/16 19:36:54
江戸時代がなかったら海外と伍する体力ついてないでしょ。
日本中がへたってる状態の戦国末期にいきなり海外に出ても後が続かないのでは。
まあ300年間引きこもりっぱなしってのはちとながすぎる休息ではあるが。
908日本@名無史さん:05/02/16 19:54:51
>>907
ケンペル自身も、鎖国を日本にとって良い方針だと言ってるしな
まあ本人は鎖国という言葉は使っていないが・・・
日本の伝統文化や大衆文化も江戸期からの財産が多く
それ以前は、中国の劣化コピーといわれてもしょうがない物ばかり
後の戦争での兵質の高さや、高度成長期の社蓄ぶりも江戸期の財産だ、良くも悪くも

フランスや韓国など未だにことあるごとに文化侵略だとか言ってるを見れば、仕方ない部分もあると思うんだが
特にキリスト教とかいらねえな
909日本@名無史さん:05/02/16 20:34:32
>当時の織田軍団は世界最強だったという説もあるし、

>信長が大将だったら、秀吉や家康は真っ先に朝鮮へ渡ってるだろから、

馬鹿の妄想。根拠ナシ。
910日本@名無史さん:05/02/16 21:05:13
>>908
戦国時代は経済的、文化的にも発展があった時代だと思うけど。
戦国大名が富国強兵政策をとったのが大きかったね。
911日本@名無史さん:05/02/16 21:47:39
勤勉、質素、倹約、村的団結、終身雇用、年功序列...
日本の高度成長社会を支えた日本人気質は徳川時代に養われた
のもで、17世紀に本格的なアングロサクソン=キリスト教の進出が
あれば、日本は衰退していたと思われる。
せいぜいタイ程度じゃないか?現に当時スペインが進出
していたフィリピンなんて、どうしようも無い状態。
良い意味で、日本の基礎を創ったのは家康と言える。
912日本@名無史さん:05/02/16 22:03:51
>>909
織田軍団はともかく、兵士の質は世界最強だったという説はある。
913日本@名無史さん:05/02/16 22:11:01
現代だって、個人主義やフェミニズムの勘違いが多いしな
西洋の価値観と東洋の価値観で、いいとこ取りするのはバランスが難しい
多分ぼろぼろになって即植民地
914日本@名無史さん:05/02/16 22:19:10
>>911
個人的な特質はともかく、イエ社会やタテ社会、間柄主義、共同団体主義、集団主義といった
「日本的」と呼ばれる現象を個々に調べていくと、現在のような形で現れたのは古くて
1920年代、大部分は1960年代だよ。江戸時代にまで遡る必要はない。
915日本@名無史さん:05/02/16 22:22:29
>>913
オリエンタリズムから脱却しましょう。西洋人と東洋人の境界なんて曖昧なものです。
916日本@名無史さん:05/02/16 22:28:13
そりゃ連続性はあるわな、じゃあ日本社会と欧米白人社会とするか
917日本@名無史さん:05/02/16 22:48:31
嫡子単独相続、俸禄世襲制、等は家康のアイディア。
国主に忠誠を誓い、忠実に仕えれば子々孫々まで安寧が約束される。
その結果が終身雇用であり、年功序列、護送船団方式に繋がる。
明治初期、英仏のアングロサクソン系文化が急速に移植された当時は
その思想も(今の外資系進出と同じように)崩壊したが、
第二次大戦の敗戦を期に、家康的集団社会思想が復活する。
その全盛が1960〜1980年。


918日本@名無史さん:05/02/16 22:57:28
>>917
全然違う。
919日本@名無史さん:05/02/16 23:34:47
家康は秀吉のアイディアを踏襲だけ。
920日本@名無史さん:05/02/17 00:05:50
>>909 根拠は大いにあり。鄭成功が日本に武力介入を求める使者を
送った当時の日本の国力について、多数の学者たちが分析をしているはず。
世界でも有数の武力を持っていたということは明らかになっています。
921日本@名無史さん:05/02/17 00:09:18
現在の日本社会の根本的な構造は、やはり江戸時代までさかのぼらないと
説明でけへんよ。1920年代にうんぬんって、世の中そんな簡単に変わりまへんがな。
あの当時の日本の話ですが。
なにしろ、江戸時代、200年間物価がほとんど変わらなかった時代ですよ。
社会制度も、ほとんど張りついたままだったと思います。
精神的構造というのは、数百年間、受け継がれるものだったと思いますよ。
終身雇用制度の制度自体と、バックボーンの精神とは、違った問題だと
思われます。
922日本@名無史さん:05/02/17 00:31:44
>>909
当時3000もの鉄砲隊を組織的に運用していた軍隊がよその国にあったか述べてみよ。
当時鉄張りの軍艦を何隻も持っていた軍隊が他にあったか述べてみよ。
全て調べました。ありましぇ〜〜〜〜ん!!
923日本@名無史さん:05/02/17 00:36:34
3000もの鉄砲隊を組織的に運用していた軍隊←信長がそういう軍隊を保有していたと!?
鉄張りの軍艦を何隻も持っていた軍隊←信長がそういう軍隊を保有していたと!?

すげーw
924日本@名無史さん:05/02/17 00:40:47
>>909
朝鮮出兵の失敗は、若造どもに任せたからだ。
信長存命なら、自ら朝鮮に乗り込んで、秀吉、家康をコキ使うのは間違いないぞ。
四国・九州はあっというまに平定してたろうからな。天下統一は早かったろ。
となるとだ。秀吉、家康の両名もまだ若い。あり得る話しだ。
925日本@名無史さん:05/02/17 00:42:48
>>923
ちゃんと調べてみー。
小説や講談では話しにならんぞ。
どんな本読んで笑ってるのか知らんがねw
926日本@名無史さん:05/02/17 00:44:48
>>923
鉄甲船っていうのかな、あれ世界初らしいですよ。
927日本@名無史さん:05/02/17 00:50:04
>>925
3000もの鉄砲隊は信長公記ですか?あれは1000の上に三と書き加えただけですよー
それに三段撃ちなんて、10年以上も前に否定されてますよー

鉄張りの軍艦?鉄甲船の事?信長公記では、鉄装の船6隻とはあるけどねー
鉄装がどうやって鉄張の船になったんですかー?
928日本@名無史さん:05/02/17 00:52:36
鉄砲3000て長篠のか?
ありゃいろんなところから集めて来たもんだし、3000という数もかなり怪しいし、
組織的に運用されたかどうかかなり胡散臭いもんじゃん。
つーか釣りか?
929日本@名無史さん:05/02/17 03:40:47
909は文盲だな。
930日本@名無史さん:05/02/17 03:41:59
>>927 あんたの主張をすべてそのまま受け入れたとして、
その当時、世界でトップクラスの軍事力だったってことを、否定出きることには
ならんが。
931日本@名無史さん:05/02/17 04:14:24
世界でトップクラスの軍事力てのの根拠をまず説明して。
932日本@名無史さん:05/02/17 05:51:33
ここで説明を求める前に、少しは本読めや。
要約して書くのもめんどくさい。
933日本@名無史さん:05/02/17 06:09:12
>>921
現在の日本人の精神的構造なるものが江戸時代に
大きく依存してるなんて見解は感覚的で説得力に欠けるな。
934日本@名無史さん:05/02/17 11:13:32
信玄だったら信長を倒せた?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1108262931/l50
935日本@名無史さん:05/02/17 13:55:23
>>922の参考文献は、井沢元彦氏「逆説の日本史」でした。w
なお信玄では信長を倒せないと思う。決定力不足。

結論。秀吉>早雲>家康>元就>道灌>信長>義元>信玄>謙信
936日本@名無史さん:05/02/17 15:23:01
>>935
俺はそんなもん一度も読んだ事が無いんですが・・・
決めつけはやめなさい!
っていうか、そんな安っぽい本しか読んでない事に笑えますよw
937日本@名無史さん:05/02/17 15:49:40
「逆説の日本史」だけは読まないと、心に決めております。
それより、コツコツと原典を読めるように日々努力せい。
938日本@名無史さん:05/02/17 16:00:42
結局なんの説明もせずに逃げる>>922であった
939ぴーす ◆u0zbHIV8zs :05/02/17 16:12:12
>>935 なんの順位ですかそれは。
940日本@名無史さん:05/02/17 16:34:23
身長の逆順、じゃないかな。
941日本@名無史さん:05/02/17 16:46:51
>>938
説明、説明という前に、日本史板に来てるんだから、
自分で文献を読み漁りなさいよ。自分で銭かけて資料集めてね。
それから反論したら?
日本史好きなんでしょ? だからココに来てカキコしてるんだよね?
あれはこうだぞ!と議論できるようになったら相手してやっからさ。
942日本@名無史さん:05/02/17 16:57:19
碌に信長軍が世界最強である根拠も示さない相手に反論なんかできん罠W
943日本@名無史さん:05/02/17 16:58:03
まあ、もし徳川家が鄭成功の要請にしたがって大陸に進出していたら、
その場合、朝鮮の抵抗もないだろうから、大陸の歴史はかなり変わって
いただろうと、日本史の大先生方も大昔「イフ」話に花を咲かせていたなあ。
なにしろ、正式な武家だけじゃなく、庶民、農民崩れにいたるまで、刀や
あるいは鉄炮まで持ってた国で、しかも実戦豊富だったわけだからね。
秀吉どころじゃなく、そりゃ強かっただろうと、常識的に思うよ。
当時、武器を持って戦う人間の数は、おおざっぱに見積もって、たしか
500万人を下らないと言われてるわけでしょ。もちろん正式な武士というのは
もっと圧倒的に少なくて、この数字には、一向宗徒みたいなのまで含まれて
いるんだろうけどさ。
もし徳川将軍が
「行け」
となったら、大陸は大変なことになってたと思う。
944日本@名無史さん:05/02/17 17:31:50
行ける訳ねーじゃん>>943
バカじゃねーの?
945日本@名無史さん:05/02/17 17:36:14
>>938,942
中世ヨーロッパの諸侯に、常備兵力が備わっていなかった事知ってるか?
日本史だけ勉強してもダメポン。
欧州諸国の軍隊も、武田や上杉やらと同じ古い組織だ。
946日本@名無史さん:05/02/17 17:38:06
たとえ500万人分の船が用意できなくたって泳いでいけばいいじゃない。
物資だって水に濡れないようにして背中に背負っていけばいいだけのこと。
947日本@名無史さん:05/02/17 17:39:24
>>945
まるで日本に常備軍があったかのような書き方ですね。
948日本@名無史さん:05/02/17 17:53:21
>>947
相手すんのも面倒くさいなぁ・・・
織田軍団を勉強せいって!
949日本@名無史さん:05/02/17 18:10:52
>>947 も相手にするのうざい。
常備軍って、各大名の家臣団は、戦国末期にはほぼ常備軍化してただろ。
それができなかった、旧いタイプの守護大名は、みんな滅びるか、秀吉や
家康に土下座するしかなかった。
しかし、信長が旗本の三男坊、四男坊をひきつれて、2千人ほどのいわゆる
常備軍を使って成功したことで、特に近畿地方の大名は、それをまねて、
農民と軍隊とを切り離し、専業の軍隊を作り始めた。
これはどうみても常備軍としかいえないだろ。

たのむから少しは本読んでくれ。厨房よ。
950日本@名無史さん:05/02/17 18:28:06
>949
井沢の説そのものですけど。
951日本@名無史さん:05/02/17 18:32:57
井沢が唱えはじめた説じゃないだろ。井沢がいろんな本からぱくりをやって
書いただけだろうが。
952日本@名無史さん:05/02/17 19:02:04
つまり井沢と同レベルか、センセイの頭の中はw
953日本@名無史さん:05/02/17 19:04:39
>>952

おまえ、結構重症だな。
954日本@名無史さん:05/02/17 19:56:00
兵農分離は豊臣秀吉の刀狩り、常備軍に官僚制は戦国大名の家臣団という理解は間違ってる?
955日本@名無史さん:05/02/17 20:18:12
もうさ、日本史板で井沢の名前出した時点で痛すぎるよ。
956日本@名無史さん:05/02/17 20:19:47
井沢の次は、童門 冬二 でも読んだら?
役に立つよ〜。ビジネスの常識もばっちりだぜ(^◇^;)
957日本@名無史さん:05/02/17 20:21:28
>>954は合ってるのか?
958日本@名無史さん:05/02/17 20:33:50
大ハズレだな‥
常備軍と家臣団は関係あるけど、重要なのは軍役衆の方だろうし
官僚制にしては人数が少なすぎる
刀狩はどうでもいいw
959日本@名無史さん:05/02/17 20:35:36
兵農分離を、制度として実行したのは、秀吉でいいのでは?
ただし、>>949で書いたのは、あくまで自主的な軍制としての兵農分離だ。
これは、日本においては、織田信長が最初だと思う。だからこそ、初期の
破竹の進撃ができたわけだし、桶狭間でも、力を発揮できた。なにしろ、
毎日朝から晩まで、戦争ごっこ、剣術、馬術などに明け暮れていたんだからな。
職業軍人の走りは、信長によってはじめられたいうことで異論はないと思う。
960日本@名無史さん:05/02/17 20:38:59
>>世界でトップクラスの軍事力てのの根拠をまず説明して。

への返答がないよな。
もし信長が世界最強なら、せめて日本くらいは統一できるはず。
できないんだから違ったってことだ。
あきらめろ信長厨。
961日本@名無史さん:05/02/17 20:39:17
>>958 たしかに厳密な意味では君が正しいと思う。
信長の家臣団も、宿老たちの軍団と、馬廻りや小姓などの旗本集団とは、
はっきりと分かれていたわけだからね。
ただ、過渡期だから、官僚的な人間や、も代々の宿老とその家臣、そして
旗本連中、傭兵などが、並行して混在していた時代だと思う。
962日本@名無史さん:05/02/17 20:40:18
>>960 だからてめえで本読めって。釣りはもうじゅうぶん。みえみえだよ。厨房。
963日本@名無史さん:05/02/17 20:40:33
刀狩より文禄役前に秀吉によって出された身分統制令が重要かと思う

天正19年8月21日付の秀吉朱印状で、奉公人・侍・中間・あらし子と呼ばれる
武士と百姓・町人との中間みたいな人々をはっきり武士とするようにってしてる
まぁこれは朝鮮出兵への布石とも取れるけどね
964日本@名無史さん:05/02/17 20:42:43
自分で説明できないから本で読めって言うんだよw
学研か何かの厨房向けの本の受け売りを真に受けただけだから相手にしちゃ駄目ですよ
965日本@名無史さん:05/02/17 20:47:58
>>960
ちょっと、その発言は痛いと思うのだが・・
信長の日本統一は実現可能であったよ。
ただ当の本人の油断とアクシデントで頓挫しただけ。
 現に信長の後を継いだ格好になる秀吉が天下を統一した。
秀吉が織田家の内紛や徳川との確執で足を引っ張られつつ
というのを考慮に入れれば、信長に不可能なはずは無いだろうが。

まあ確かに織田信長の軍が世界最強という意見も痛い意見ではあるが・・
966日本@名無史さん:05/02/17 20:54:38
それとついでなので
なんで織田信長の軍を世界最強と言い張る厨房が湧いているのか
考えてみると
 まさか関が原合戦の時の資料とか考察して日本の動員軍事力と
鉄砲の数&性能が世界でも高い水準と言えるからとか
 その軍事的水準に合わせて当時の日本は世界の銀の3分の1
と金の大半を担っていたとかいう面から
短絡的に発想したのだと思うが
 信長と同じ発想をして朝鮮に攻めた秀吉の顛末を考えてみてほしいがな。
967日本@名無史さん:05/02/17 20:59:37
俺も、信長軍が世界最強という意見には?がある。
同数のイスパニア軍と戦ったら、たぶん負けてるだろうと思うし。
銃の数だけでなく、それに合った軍制、陣地の敷設など、ヨーロッパの軍隊は
長年研究を重ねているわけだし。
日本の場合、信長は突出してはいたが、やはり「遭遇戦」を色濃く引きずって
いたと思う。長島攻めなんて、いかにも行き当たりばったりだもんね。
もし負けたら、狭い街道の両側から、伊賀などの鉄砲衆の攻撃を受けると
わかってながら、一気に長島に攻め入って、ぼろぼろに負け、連枝衆も
多くが命を落とした。
そういう例をみれば、信長が必ずしも銃や大筒を有効に使っていたとは
思えない。むしろ、雑賀衆、根来衆の方が、組織的なバランスがとれて
たんじゃないかという印象がある。
968日本@名無史さん:05/02/17 21:01:30
実現可能でも実現できなかった事実はどうしようもない。
969日本@名無史さん:05/02/17 21:05:14
欧州の軍よりは強いと思うな
イスパニア軍同数と戦うとしても、イスパニアの方は
消耗が痛いから強く戦えないと思ふ。
970日本@名無史さん:05/02/17 21:09:54
信長が生きていたら、軽く世界制覇
世界の皇帝、織田信長になっていたのは間違いないだろう
971日本@名無史さん:05/02/17 21:13:22
968も970も、あきらかな釣りだな。
972日本@名無史さん:05/02/17 21:15:22
>>969 まあたしかに、信長は消耗なんてぜんぜん気にしてなかったから(^_^;)、
その点では強気に戦えたと思うが・・・・・・
でも陣形とか、補給とか、邀撃といった部分では、ヨーロッパの軍隊に
一日の長はないかい?
973日本@名無史さん:05/02/17 21:28:09
軍事の天才 織田信長公が毛唐ごときに負けるわけがない
974日本@名無史さん:05/02/17 21:30:20
>>964
爆笑!お前、そんな本しか読んでないのかっていうんだよw
お前今までどんな本読んでみたかここで語ってみろ!
それから俺に対抗しなさい
975日本@名無史さん:05/02/17 21:33:31
>>967
イスパニア軍は信長軍と同数の兵を常備用意することがまず出来ない。

あと、聞いた話だけどこの頃の日本の火縄銃の精度って世界一だったらしいな。
日本の職工が改良を重ねてたんだと。
976日本@名無史さん:05/02/17 21:35:44
>>975 そうなのか。
常備軍を用意できないということと、精度のこと、ふたつとも初耳だ。
とくに火縄銃の精度のことは、少し勉強してみるよ。
どうも、武器の一つ一つに関しては興味がなくて、読み飛ばしてしまうんだ。
大局的な戦略とか戦術の方が好きなもんで・・・・・・サンクス。
977975:05/02/17 21:43:23
書いた後気付いたんだけど、イスパニアに攻めるのか攻められるのかで事情って変わるよなw
978日本@名無史さん:05/02/17 21:47:45
いや、そこまでときちんと考えてたわけじゃなく、たとえばイスパニアの軍隊
1000人と、信長の軍隊1000人が、五分と五分の地形で正面から激突
した場合というような、単純なシミュレーションを考えてただけなのだ・・・・・・
979日本@名無史さん:05/02/17 22:11:24
信長が暗殺されてなかったら、秀吉の天下はなかった。
信長は50才前後(糖尿病合併症)で逝って、家康の手で織田家滅亡
980日本@名無史さん:05/02/17 22:31:49
信忠がきちんと跡を継いでいても、家康にやられたかなあ・・・・・・
981日本@名無史さん:05/02/17 23:11:04
>>975
イスパニアは常備軍だろー、同数は絶対揃えられないのは同意
費用高くてあまり使い物にはならなかったみたいね。。
982日本@名無史さん:05/02/17 23:34:46
信長は、きっと西洋の軍式を、もっと積極的に取り入れていただろうね。
本能寺がなかったら。
ますます、守護大名から脱皮できなかった東北、九州の大名と、歴然とした
実力の差が生まれていたと思う。
やっぱり、秀吉とか家康とかじゃなくて、このキチガイに、天下をとらせてみたかった
なあ。
983日本@名無史さん:05/02/17 23:48:19
常備軍の始めは今川氏親って説は?
984日本@名無史さん:05/02/17 23:49:27
信長が謀反に遭うのは必定。
光秀でなくても何れ誰かが殺した。
信長の人格に惚れ主従していた家臣は誰も居ない。
恫喝等による恐怖心を植え付けると同時に、家臣団同士を
争わせることにより、絶妙なバランスと求心力
を保っていた。人間的魅力はゼロ、完全に孤立していた。
現代キャラとすれば、堤義明と被る。
985日本@名無史さん:05/02/18 00:05:05
>信長が謀反に遭うのは必定。 光秀でなくても何れ誰かが殺した。

ここまではまあ同意したとしても、

>信長の人格に惚れ主従していた家臣は誰も居ない。

というのは、あまりにも不勉強だね。
986日本@名無史さん:05/02/18 05:14:02
信長が最強だったと仮定して、その信長が使用していた大量の火縄銃と、
信長以上の動員能力を持っていた秀吉はさらに最強ですがな。
987日本@名無史さん:05/02/18 05:35:41
いやあ、信長は、その動員能力を持ってる秀吉を「ふくめ」、複数の軍団を
持っていたわけで・・・・・・
988日本@名無史さん:05/02/18 05:46:33
いや信長が滅んだ後の秀吉の軍は明らかに信長を上回っているってこと。
まあ、信長が世界最強の時期があったとしてさ、
その後秀吉が天下人になった時は信長以上にすごい軍団になっていたのでは。
989日本@名無史さん:05/02/18 06:22:44
どうだろう。
それには異議があるなあ。
信長の他の方面軍をぜんぶつぶしたり、佐々以下、織田家や徳川家に近い
武将をつぶしていったわけでしょう?
秀吉は、軍団のひとつを任されていたにすぎないわけで・・・・・・
990日本@名無史さん:05/02/18 06:50:59
でも秀吉は信長の敵対勢力を自分の味方にしているから、
動員数は秀吉が信長を上回っている。
991日本@名無史さん:05/02/18 07:55:44
信長は合理的な考え方の持ち主らしいからね
近代化がもっと早い状態で来ていたのは間違いないだろう。
でも、歴史でもしもはタブーだよ
992日本@名無史さん:05/02/18 10:55:33
秀吉の動員数云々という話しが出ているが、
朝鮮出征の最前線で戦っていたのが秀吉子飼の武将達だろ。
戦国の世を生き抜いてきた百戦錬磨の秀吉や家康、光秀、勝家…等々が行っていたらもっとうまくやったろ?
まだまだ働き盛りの信長も渡っていたかもしれない。
と考えると、動員兵数で全ては語れないだろ。
993日本@名無史さん:05/02/18 11:45:08
てゆうか、
信長が天下統一を完成していたら、当然太閤と同程度以上の軍事力を持っているわけだが。
動員兵数、鉄砲など武器の数も。
しかも、有力外様大名は滅亡済みだから、統制は抜群。家康も先頭に立って働かざるを得ない。
だけど、
信長の関心は朝鮮・中国よりも、海・ヨーロッパだという感じがするな。
そのうえ、トルデシリャス条約の存在を知れば、怒り心頭ですよ。(w
994「未来試写室の親父。」のブログ、否り付録マンがひょうけん代理!:05/02/18 11:57:58
 不純金在日創価マスコミテレビ等を見
、八百長人事放送となり腐った日本国民
、汚染国土とかば嘆いているんだって?
995日本@名無史さん:05/02/18 12:00:30
外様が滅亡してるなら、その間の戦乱で疲弊してるばすなんだけどね。
動員兵数、鉄砲など武器の数も。
996「未来試写室の親父。」のブログ、否り付録マンがひょうけん代理!:05/02/18 12:04:20
 「攻防に 誤ちあれば 弘法の 御筆に降れり むほんのしか」・・・ 
997「未来試写室の親父。」のブログ、否り付録マンがひょうけん代理!:05/02/18 12:11:38
 キリスト教の聖地を訪問し
、また殺してくだされし高祖
弘法大師奥の印を、また王国
の88遍路を、そして伊勢皇
太両神宮をもすでに根性参拝
完了したってよ。惨敗し敬虔
な気も智もソセヰすこし信長
!ヤッホーのブロググッド!
998日本@名無史さん:05/02/18 12:26:25
ルイス・フロイス『日本史』 本能寺項
信長は「元来、逆上しやすく、自らの命令に対して反対を言われることに堪えられない性質であった」
999置くの印か、億の因か。:05/02/18 13:34:59
 本の表面記載かなあ?
鎌足のわ妻よしのさん?
信長のわ妾よしのさん?
1000日本@名無史さん:05/02/18 13:39:48
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