937 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 11:08:51
>>935 それが可能なら秀吉が成功できてる。
実際には失敗してるんだから、信長であれ家康であれ無理。
938 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 11:15:09
>>937 秀吉の時は、連合軍というか数は多くても寄せ集めだからね・・・
先鋒の大将も、小西行長や加藤清正じゃ、全軍の統率は厳しいよ。
例えば、信長自ら織田家の家臣団だけで攻め込んだら、いいとこいけるんじゃない?
939 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 11:22:17
>>935 それは史実としての信長の成功法則にすぎない。
誰でも知ってること。
それを超えないと明征服はない。
信長は役割を終えたから殺されたのであって
このスレは「できない」で終了でよかったな・・
940 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 11:25:28
という訳で終了です。お疲れ様でした。
941 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 12:25:59
男は、35を超えた辺りで、肉体の限界に気付く。
(あれっ、精子少ないよね……)
信長は上洛時が肉体のピーク。
943 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 21:03:25
□□□□■□□□□□■□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
□□□■■□□□□□■□□□□□□□■■■■■■■■■■■■□□
□□■■□□□□□■■■■■■□□□□□□□□□□□□□■■□□
□■■□□■□□□■□□□□■□□□□□□□□□□□□■■□□□
□□■□■■□□■■■□□■■□□□□□□□□□□□■■□□□□
□□□■■□□■■□■■■■□□□□□□□□□□□■■□□□□□
□□■■□□□□□□□■■□□□□□□□□□□□■■□□□□□□
□□■□□□■□□□■■■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□
□■■■■■■□□■■□□■■□□□□□□□□□■□□□□□□□
□□□□■□□□■■□□□□■■□□□□□□□□■□□□□□□□
□□■□■□■□□□□■■□□□□□□□□□□□■□□□□□□□
□□■□■□■□□□□□■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□
□■■□■□■□□□□□□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□
□■□□■□□□□■■■□□□□□□□□□□□□■□□□□□□□
□□□□■□□□□□□■■■□□□□□□□□□□■□□□□□□□
□□□□■□□□□□□□□■■□□□□□□■■■■□□□□□□□
むしろここはひとつフランスの賢王シャルル5世の逸話に倣って
国内の治安を乱す要因になりかねない戦慣れした兵隊と野心満々の武将どもを明に棄民する感じで。
あとは野となれ山となれ的に。もちろんしっかりと彼らの手綱を握ることが前提だけど。
945 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 17:48:31
江戸幕府がいちばんだな。
平和な時代があったから
寿司や浮世絵が発展した。
秀吉の大陸出兵は国内戦の余勢をかって行った。事前の情報収集が不完全以前の
御粗末なものだった。上陸した日本軍もちゃんとした総大将(秀吉自らが渡海す
る予定が有ったらしいが)も居ない戦慣れしただけの烏合の衆。そんないい加減
な代物で2ヶ月あまりで漢城を落され、秀吉生前に大陸から叩き出せなかった明
の弱さを考えると、
総大将 織田信孝
先鋒 柴田勝家
諜報・補給 羽柴秀吉
で行けると思う。
947 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 17:08:24
北京城城壁、周囲約30km。厚み下部30m上部20m。高さ20m。
これに近いスケールの城壁都市はいくつもあった。
明征服だって〜大砲も持たずにプッ
948 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:29:51
確かに中国史上、攻城戦は信じられん時間かかってるからな。
日本の城でさえ何年もかかった例があるんだから、野戦で破っても籠もられたら
大変だよね。攻城兵器と兵数、それに補給・兵站。
いかに秀吉が経済に長けてたとしてもそれはあくまで言語も通貨も共通の日本国
内での話。後の抗日パルチザンのように、食料や井戸に毒混ぜられただけでも、
精兵の補給が出来ないだけに、被害は甚大。
>>947
天上天下唯我独尊の中国人の方でしたか・・・
ヌルハチに、明は滅ぼされてますよ。
950 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:39:54
中国は歴史上、自分らが蛮族といって嘲っていた連中に何度も侵略され、
挙げ句の果てに征服されちまってたもんな。
951 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:44:59
欄丸と利家は征服した
953 :
とりあえず:2006/09/02(土) 19:50:28
948
清軍が来て皇帝が滅んだら各地に政権が乱立して互いに抗争
そのスキに制圧していった。
日本も同じようにした可能性がある
さらに近代の中国人と明の中国人を同じに考えるには
ムリがある。
当時の中国人は愚民政策でゲリラというものをしなかったし
第一ゲリラがあなたの理論からすれば日本より攻城兵器の少
ない上に補給・兵站の不足する清軍が中国を征服するのは不
可能になる。明の圧制に耐えかねた市民は解放軍として清軍
を迎えた。日本にも同じかと
947
日本にも大砲鋳造技術はあったけど?大阪城で実際に使われ
たし。しかも北京は全国の中枢じゃなかった?大半の都市は
そうじゃないだろ。
こんな事も知らない中国人・・・・プッ
954 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 20:08:38
>>949 女真族の明征服を挙げて「可能だ」という人が多いけど
その過程は知らない人が多いらしい。
あれは、アクシデントのようなもの。
それと、女真族だけで征服したわけでもない。
かつてシナだけでなく、世界の半ばを征服し、日本にも責めてきた民族がいただろう?
ヌルハチは「ハーン」として推戴されていたの。
ちなみに、ヌルハチは明を滅ぼしていない。
その後継ぎ順治帝フリンと叡親王ドルゴンのコンビは中華地域を征服したが、滅ぼした王朝は「明」ではないから。
955 :
948:2006/09/02(土) 20:11:07
>>953 なるほど。
しかし、清軍と同様に倭を解放軍と見てくれるかどうかは。半島での
虐殺行為もあるし。(それは清も同じだが、清軍は略奪を禁じていた)
ゲリラの例えは、明がゲリラ戦を仕掛けるという意味ではないのであし
からず。ただ、面を支配すると常にそれはつきまとう問題であることは
事実。
地続きで、北方から勃興した先例も山ほどある清と、海を渡って明らかに
異民族の倭とでは、地の利が違いすぎると思うな。
それに、清ほどの機動力は日本は無かったし。
火器については圧倒的に日本の方が優勢だが、最先端兵器だけあってその
運用も多額の資金と物資が必要だった。また、実戦で何度も使用できるだ
けの耐久性もなかったし、大阪の陣クラスの大砲に至ってはギリギリ間に
合った秘密兵器だよ。ちょっと例えとしてはお粗末。
956 :
世界史住民954:2006/09/02(土) 20:26:40
>>955 あなとのようなまともな方が…
>>953は、女真軍の大砲を「だれが」作っていたのかも知らないし
なぜ、石田三成が関ケ原で大砲を作らせ使用したのかも、理解していない。
鉄の鍛造技術と、青銅の鋳造技術の違い、当時の日本・明の技術の「種類」(「力」ではなく)の差も知らない。
おそまつな仮想戦国戦記者。三戦板がふさわしいかと。
>>956 明末期の大砲って鋳銅だったっけ?
鳥銃は鋳鉄で作ってたような気もするが(うろ覚え)
953のように可能性だけで話をするんなら、
信長よりも実際に出兵した秀吉が出来ていたはずだろ。
秀吉に出来なかったのだから、
兵を出すどころか日本を統一できない信長に何ができる?
馬鹿じゃねーの。
腐乱鬼砲ですな
960 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 22:02:12
>>953 >大砲鋳造技術
芝辻砲のことか?
あれは鋳造ではなく鍛造。鋳造技術は無かった。
威力的にはまあそこそこなんだけど、一門作るのに二年もかかった試作品で
まともな戦力とは言いがたい。
961 :
951:2006/09/02(土) 22:29:17
何か質問ある?
北方の騎馬民族系の国家に出来たから、秀吉にも出来るなんてことはない。
むしろ逆歴史上中国全土の征服なんてことは、
そういった騎馬民族系の国家にしか出来なかったことなのだから、
秀吉に出来た可能性はむしろ低いということになる。
あ、このスレは信長か、ならなおさら問題外。
部下の掌握も出来ず国内統一も果たせないようでは全くの論外。
きたかたの騎馬民族?
濃そうですね。
965 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 01:05:27
a
966 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 01:07:52
本願寺を11年も攻めて結局落せなかった信太君がですか、プッ
>>962 騎馬民族が中国に進出しても大抵は華北を取るのがせいぜいな訳です。
たとえばフビライなんかでも騎兵軍の行動に不向きな江南を征服するのに
定住民の兵士を大規模に用いざるを得なかった。
「乾討虜」など野盗まがいの連中まで招集して。
仮に日本が大陸に進出して北京をとった場合、むしろモンゴル高原の勢力との
対応が問題になると思う。
女真と違って遊牧民を政治的に統合する方策もなく、巨大な草原の中を移動して
回っている敵を倒す方法も知らなければ、いずれモンゴル方面との戦争で
国力を消耗して衰退するとしか思えない。
日本は自然地形そのものを要害として戦術に取り込んで兵力を展開する技術は
掛け値なしに世界一だったが、広い中国大陸の大地形では、その応用は難しい。
>>967の言うように、機動力に長けた騎馬民族との戦いは、同じく半島〜満州
方面から攻め込む日本軍にとってはそれだけでも優に十年以上を費やす必要が
あり、その間に漢族の群雄が数人に絞られてしまう。そうなると勝ちがたい。
969 :
信長:2006/09/03(日) 12:18:05
フビリャーの騎馬なんか怖ないでよ
わしの大砲を菊門にブチ込みゃーえーだで
970 :
市松:2006/09/03(日) 16:40:34
おじご、じでゃーがちぎゃーますで
971 :
市松:2006/09/03(日) 20:42:09
(げ、大殿!おじごとまちぎゃーたわいやあ!)
これは信長様、その通りでござりまする。殿の御力なら夷敵どもなど鎧袖一触に
がざいますりまする!!
( ((;゚Д゚)ガクガクブルブル )
972 :
信長:2006/09/03(日) 22:14:50
なんだかおかしーと思うとったんだわ。
スレタイと名前見りゃーすぐわかるもんだで。
おみゃーさーはでぇら慌てもんだで、
一代で潰されるんだがね。
征服できるかもしれない。
だが
征服できないかもしれない。
975 :
信長:2006/09/04(月) 17:37:47
今みてぇーなおーぜぇー殺せる爆撃もミサイルもにゃーで
チャンコロは数がおおいでぇーせぇーふくはぁ無理だで
976 :
光秀:2006/09/04(月) 18:50:56
977 :
信長:2006/09/04(月) 19:04:26
市松に時代が違うと指摘されて
正直スマンカッタ光秀
>>969 明の武将戚継光は、荷車で防御陣地を作ってその背後から野戦砲や銃を撃ちまくるという戦法で
何度もモンゴル軍を撃退したけど、「機動性が低すぎて野戦に勝利しても追撃できない」
「敵の本拠地を叩くことができない」という深刻な欠陥のため、騎馬民族の侵攻という事態の
抜本的な解決には至らなかった。
979 :
光秀:2006/09/04(月) 22:08:54
あ、いや、その・・・
殿の言っておられるのは、つまりご自分の一物のことでござりまするから、その
ようにマジレスされると誠に持って恐縮いたしますわけで。
980 :
信長:2006/09/04(月) 22:20:28
そうでしたか。そうですよね。
重装備は機動性が低いですよね。騎馬を追撃するなんて。
しかし、その武将は大砲の打ち所を、間違えたんではないでしょうか。
騎馬民族の頭を筆頭に、配下全てを一網打尽にできる、
砲角及び的を、その明の武将は知らなかったのではないでしょうか。
>>980 当時の大砲は飛距離も制圧範囲も精度も悪いからどちみち無理
982 :
信長:2006/09/05(火) 00:11:17
光秀よ。少しの間、だまっておけよ。
983 :
信長:2006/09/05(火) 00:25:03
当時の大砲は方向かえるのも一苦労ですよ
夜襲にもってくなんてナンセンス
985 :
光秀:2006/09/05(火) 01:36:04
>>982 あ、いや、、その、、それがしは殿の、、、いや、申し訳ありませぬ。
(なんなんだよ、この人。最近こんなのばっかりだ。。。)
986 :
日本@名無史さん:
中の人が変わってると思うんだが