日本軍閥闘争史

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1日本@名無史さん
陸海軍の軍閥について語るスレです。

前スレ
陸軍の統制派と皇道派について
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1024259247/
2陸軍草創期:03/03/12 16:53
長州閥
山縣有朋・山田顕義・鳥尾小弥太・三浦梧楼
三好重臣・福原実・福原長勝・堀江芳介
長谷川好道・佐久間左馬太・岡沢精・乃木希典
大島義昌・山口素臣・桂太郎・児玉源太郎

薩摩閥
西郷隆盛・西郷従道・黒田清隆・大山巌
桐野利秋・篠原国幹・種田政明・野津鎮雄
野津道貫・高島鞆之助・川路利良・樺山資紀

土佐閥
谷干城・谷重喜・山路元治

西南戦争で西郷一派が一掃され、陸軍は山縣が切り回すこととなる。
3海軍草創期:03/03/12 16:54
薩摩閥
河村純義・伊東祐磨・伊集院兼寛・仁礼景範
松村淳蔵・伊東祐亨・井上良馨
準薩派
小森沢長政・林清康・伊藤雋吉・笠間広楯

肥前閥
中牟田倉之助・真木長義・相浦紀道・沢野種鉄

陸軍から、西郷従道・樺山資紀が回ってきて、肥派は薩派に押されてゆく。
4陸軍其の1:03/03/12 16:55
月曜会(反山縣グループ)
会長:堀江芳介
顧問:鳥尾小弥太・三浦梧楼・谷干城・曾我祐準
桂太郎・奥保鞏・長谷川好道・児玉源太郎・小川又次
立見尚文・寺内正毅・井上光・大久保春野・上田有沢
浅田信興・中村覚・早川(田村)怡与造・東條英教・井口省吾

顧問の4人はそろいも揃って、明治14年の上奏事件を起こした4将。
学術研究を目的にした勉強会は、当然反山縣色の強い政治団体になっていく。
山縣系の桂・児玉・寺内・早川らは脱会。
山縣は偕行社をつくり、月曜会を吸収合併しようとする。
山縣の切り崩しにあい月曜会は解散。
堀江・鳥尾・三浦・曾我の4人はバッサリ予備役。
谷もその1年後、条約改正問題で、
鳥尾と共に政治活動をして予備役に。
5陸軍其の2:03/03/12 16:59
川上操六登場!!
陸軍の至宝、参謀総長川上操六の門下には
陸大の俊才が集まった。川上は決して派閥的な
人間ではなかったが、彼の門下の多くは、反長閥であった。

田村怡与造・福島安正・伊地知幸介・大生定孝
上原勇作・小川又次・土屋光春・東條英教・伊東圭一
井口省吾・松川敏胤・大沢界雄・落合豊三郎
柴五郎・松石安治・仙波太郎
6陸軍其の3:03/03/12 17:02
縮小する薩派
大山巌・野津鎮雄・野津道貫・高島鞆之助
西寛二郎・川上操六・黒木為禎・川村景明
大迫尚敏・大迫尚道・上原勇作

薩摩は、戦将には事欠かないが、山縣等を
向うに回して戦える政治的な将は少なかった。
7日本@名無史さん:03/03/12 17:08
8日本@名無史さん:03/03/12 17:31
笑う→藁→ワラ→ワーラー→water→水

これからは(水


これをひたすら流行らせてください。

(水  を広めるOFF @ 2ちゃんねるの各所
http://life2.2ch.net/test/read.cgi/offevent/1047456318/
9陸軍其の4:03/03/12 17:48
長州閥の隆盛
山縣有朋・佐久間左馬太・岡沢精・長谷川好道
大島義昌・桂太郎・児玉源太郎・山口素臣・乃木希典
(大島久直)・寺内正毅・(中村雄二郎)・(浅田信興)
長岡外史・(石本新六)・(木越安綱)・(山根武亮)
(本郷房太郎)・(楠瀬幸彦)・(岡市之助)・(大島健一)
田中義一・大井成元・大庭二郎・(河合操)・(山梨半造)
山田隆一・(菊池慎之助)・菅野尚一・井上幾太郎・松木直亮
()内は準長閥

川上の早逝もあり、長閥は山縣・桂・寺内・田中
実に4代にわたり隆盛を極める。
しかしその隆盛が、新たな軍閥を生むことになる。
10陸軍其の5:03/03/12 17:55
佐賀左肩党
宇都宮太郎・武藤信義・村岡長太郎・安満欽一・荒木貞夫
真崎甚三郎・梅崎延太郎・原田敬一・香月清司・柳川平助等

宇都宮太郎が少佐時代から郷党の後輩を集めてつくったグループ。
宇都宮は結局三長官になることなく、大正11年に没したが、
彼は、死ぬ間際、枕もとの荒木に、世界地図の統計六十度と百七十度の線に
赤線を引かせ、「それだけを日本のものにせよ」と言うと、後は一言も言わ
なかったという。宇都宮亡き後、佐賀閥のリーダーは武藤信義が継いだ。
11陸軍其の6:03/03/12 18:20
上原閥
宇都宮を失った佐賀閥に目をつけた上原勇作は、彼らと手を結んだ。

町田経宇・田中国重・菱刈隆・武藤信義・福田雅太郎・尾野実信・村岡長太郎
明石元二郎・安満欽一・真崎甚三郎・梅崎延太郎・原田敬一・香月清司
林仙之・柳川平助・秦真次香椎浩平・石光真臣・筑紫熊七・牛島貞雄等、
大分を除く九州勢に、東京出身ながら、宇都宮に可愛がられていた
荒木貞夫が加わった。彼らは長閥、その跡を継いだ宇垣閥と対立した。
12日本@名無史さん:03/03/12 18:20
こんな何処かの本読めば、すぐ出てくるような知識
披瀝してもしょうがないんじゃない?
13陸軍其の7:03/03/12 18:31
宇垣軍閥
田中義一から跡目を譲りうけた宇垣一成は
長州閥を守る気は更々無く、自分の人脈で、
あたらしい派閥を作り上げる。
同期の鈴木壮六や白川義則、大分の金谷範三、南次郎、林弥三吉
岡本連一郎、津野一輔、多門二郎、畑英太郎・俊六兄弟に阿部信行、
林桂、後輩の二宮治重に小磯国昭、杉山元、建川美次などが集まり、
陸軍に宇垣時代を築くことになる。
14名簿:03/03/12 19:19
二葉会
14期 小川恒三郎
15期 河本大作・山岡重厚
16期 永田鉄山・小畑敏四郎・岡村寧次・小笠原数夫・磯谷廉介
   板垣征四郎・土肥原賢二・黒木親慶
17期 東條英機・渡久雄・工藤義雄・飯田貞固・松村正員・小野幸吉
18期 山下奉之・岡部直三郎・中野直三

木曜会
20期 橋本群・草場辰巳・七田一郎・吉田悳
21期 石原莞爾・横山勇
22期 本多政材・北野賢造・村上啓作・鈴木率道・鈴木貞一・牟田口廉也
23期 清水規矩・岡田資・根本博
24期 沼田多稼蔵・土橋勇逸・深山亀三郎・加藤守雄・本郷義雄
25期 下山琢磨・武藤章・田中新一・富永恭次
29期 渡辺秀人
30期 高島辰彦

19期が一人も居ないのは、彼らが全員中学卒だからだろうか
15日本@名無史さん:03/03/12 19:21
新スレ、おめでとう!!
16日本@名無史さん:03/03/12 19:48
19期の主要な人物は全員中学卒だったのですか?
17日本@名無史さん:03/03/12 20:00
19期は全員が中卒のはず。

今村均大将
田中静壱大将
河辺正三大将
喜多誠一大将
塚田攻大将
本間雅晴中将
斎藤弥平太中将
18日本@名無史さん:03/03/12 20:11
ありがとうございました。
そのためか少し肌合いの違う人達が多いですね。
19日本@名無史さん:03/03/12 20:40
湖月組
陸軍:井口省吾・松川敏胤・堀内文次郎・田中義一・尾野実信
海軍:八代六郎・上泉徳弥・秋山真之・松井健吉
外務省:山座円次郎・松井慶四郎ら5人

派閥とは違うが、日露戦争前に湖月亭に集まって開戦論をぶちあげていた連中
20日本@名無史さん:03/03/12 21:00
21日本@名無史さん:03/03/12 21:41
http://www.kokubou.com/document_room/doc_menu.htm

の一番下の方に軍閥関係が少しあった。(アレなサイトだけど)
22日本@名無史さん:03/03/13 04:09
派閥の目的が人事抗争なら、興味がない。
それぞれの派閥の志を知りたい。
23日本@名無史さん:03/03/13 04:57
志はないでしょ
24日本@名無史さん:03/03/13 07:16
あるのは、出世願望だけ。
25日本@名無史さん:03/03/13 08:24
>>22
ただ人事ってのはいかなる組織でも盛り上がるからね。
26日本@名無史さん:03/03/13 08:59
斎藤実は山本権兵衛の引きで、大佐の身分で海軍次官になった。
軍務局長の諸岡頼之は少将だった。山本の斎藤への信頼の深さが
よくわかる人事だ。もっとも最初は出羽重遠を起用したかったらしいが、
出羽が斎藤を推挙したそうだ。斎藤は水沢、出羽は会津、ともに閥外であった。
27日本@名無史さん:03/03/14 16:06
山本と対立関係にあったのが、同じ薩摩の柴山矢八と日高壮之丞
2人とも日露戦争では活躍の場を与えられず
28日本@名無史さん:03/03/14 21:56
シーメンス事件の後、山本、斎藤を予備役に入れたのが
八代-鈴木-秋山ライン
29日本@名無史さん:03/03/14 22:47
山本と日高が対立関係にあったとは知らなかった・・・
30日本@名無史さん:03/03/14 23:05
秋山もそうだけど、佐藤鉄太郎も森山慶三郎も中将で整理された。
権兵衛の婿、山路一善も中将止まり。
海軍の大将昇進の基準が厳しいのか、陸軍が甘すぎるのか・・・・
31自決した人々:03/03/15 20:02
陸軍大臣 阿南惟幾
第一総軍司令官 杉山元
東北軍管区司令官 吉本貞一
台湾軍司令官 安藤利吉
東部軍管区司令官 田中静壱
元関東軍司令官・侍従武官長 本庄繁
航空本部長 寺本熊市
スイス公使館付武官 岡本清福
元陸軍士官学校長 篠塚義男
第5師団長 山田清一
第十二師団長 人見秀三
第百十二師団長 中村次喜蔵
元厚生大臣 小泉親彦
第十八方面軍参謀副長 浜田平
第十八軍司令官 安達二十三
第四軍司令官 上村幹男
第百四十二師団長 小泉恭次
陸軍法務中将 島田朋三郎
大陸鉄道司令官 草場辰巳
第137師団長 秋山義允
元憲兵本部長 城倉義衛
第二十八師団長 納見敏郎
陸軍航空審査部長 隈部正美

こうやってみると、比較的派閥色の薄い人が多いね。
32後の鶴:03/03/15 20:58
それにしても山本ほどついてない首相はいない。シーメンス事件・虎の門
門事件で退陣を余儀なくさせられ山本本来の手腕
を発起出来ずじまいにおわつた。哀れでなりません。



33日本@名無史さん:03/03/15 20:59
34日本@名無史さん:03/03/15 21:04
シーメンス事件といえば、藤井茂太は、弟の光五郎海軍機関少将が
これに関わって処分を受けたことの責任を取って、自発的に待命になった。
35日本@名無史さん:03/03/16 02:29
自決した人々の一人

元厚生大臣 小泉親彦 軍医中将。
36日本@名無史さん:03/03/16 15:22
文官なら橋田邦彦や近衛文麿も自決してる。
海軍将官だと、大西と黄金仮面(自殺的特攻)以外に
自決した人は?
37日本@名無史さん:03/03/16 22:54
>>30 何言いたいの?自決と派閥が関係あるかっつーの
38日本@名無史さん:03/03/16 23:08
30は、省部の中心にいて、派閥的な活動をした人物には、
自決するという価値観があんまりないと、言いたいのでは?

軍官僚だから、国策の結果に対しての責任感がないとか。
3938:03/03/16 23:09
31だった。
40日本@名無史さん:03/03/17 14:13
権兵衛はシーメンス事件のおかげで、元帥も棒に振ったからねえ。
甥っ子の英輔大将は、2.26で、満井たちに、真崎の代わりに首班に
祭り上げられそうになったけど、権兵衛が生きてたら、間違いなく
殺される側の人だよねえ。叔父と甥で思想に隔たりがあったのかな?
41日本@名無史さん:03/03/17 14:37
児玉源太郎の息子もえ
42日本@名無史さん:03/03/17 19:05
永田陸相、小畑総長

梅津陸相、石原総長

夢のまた夢
43日本@名無史さん:03/03/18 00:27
渡邊首相兼陸相 多田総長
米内海相    山本総長

なら、日米戦回避?
44日本@名無史さん:03/03/18 00:58
>>43
次長に石原を持ってこないと。
しかし、石原は人望がないんで省部の押さえが効くかな?
45日本@名無史さん:03/03/18 13:19
>>44
無理でしょうな。
対中停戦工作もさっぱりだったし。
46日本@名無史さん:03/03/18 18:07
対支和平も大事だけど、三国同盟反対も大事
陸軍で三国同盟反対の人は?
親英派の本間や辰巳ぐらいか
47日本@名無史さん:03/03/18 22:53
辰巳栄一と言えば親英派。ほんとにそうだったの?
48日本@名無史さん:03/03/18 23:56
軍閥といえば
山縣有朋
この一言じゃ。
4934:03/03/19 01:54
>>47 :日本@名無史さん :03/03/18 22:53
 辰巳栄一と言えば親英派。ほんとにそうだったの?

 辰巳栄一中将
 ロンドン駐在武官当時、吉田大使に三国同盟の重要性を説くも、
 吉田に論破され、以降、吉田に心酔。戦後は、吉田のアドバイザー。

 辰巳の功績
 ・ロンドン駐在武官当時、イギリスが子供の生命を守るための集団疎開
  に影響を受ける。
  帰国後、東部軍参謀長?として、「東條首相の、日本人は家族一丸と
  なって戦うから疎開は不要」との考えに反対し、文部官僚とともに、
  都市の学童疎開に尽力する。
  これにより、都市の多くの学童が空襲から生き延び、
  戦後、高度成長の時代に、彼らが大きな働きをすることになる。
  (いずれ平和となる将来への責任を果たした)

 ・戦後、警察予備隊の発足時にも、吉田のアドバイザー的役割を果たす。
  旧作戦参謀の復権を図る勢力を吉田とともに駆逐し、文民管理を理解
  する旧軍人による組織づくりを手助けした。
  (軍人が政治の実権を握ったことの反省によるもの)


 こんなところですかね。
5043:03/03/19 01:57
49≠34
49=43

スマソ
51日本@名無史さん:03/03/19 14:19
陸大で成績のいいのはドイツへ
というのが、お定まりのコースだったからね。
陸軍は独ソを重視して、英米を軽視した。

親英米派といえば、田中静壱大将
龍野中学-陸士-陸大-オックスフォード大
52日本@名無史さん:03/03/19 16:46
成績は良いのが当たり前。歩兵はドイツ、砲兵はフランスへ行った
53日本@名無史さん:03/03/19 16:48
226以降の政権は傀儡政権だそうですが、本当ですか?
54日本@名無史さん:03/03/19 20:02
「若杉参謀」も旧日本軍の中国大陸での悪行三昧を批判していたな
55日本@名無史さん:03/03/19 20:06
関東軍ちゅうのは何者なんでしょう。。。。
56日本@名無史さん:03/03/19 22:12
>>53
第32代
廣田内閣 皇道派シンパの近衛が辞退したためお鉢が回ってきた。
     軍部大臣現役武官制を復活させてしまう。

第33代
林内閣 石原を中心とした中堅幕僚の傀儡。しかし、陸相人事で梅津に横槍を入れられ
     石原も放り出してしまった。議会からも軍からも見放されて”食い逃げ解散”

第34代
第1次近衛内閣 全国民の期待を一身に受けて登場。陸相人事でやはり揉めて、
     挙句の果てには支那事変を拡大してしまう。

第35代
平沼内閣 右翼色が強く、西園寺に嫌われていたが、ようやく首相に。
     独ソ不可侵条約で、総辞職。「欧州情勢は複雑怪奇」

第36代
阿部内閣 宇垣の庇護で出世した阿部。当初はかなり期待をされていた。
     しかし、貿易省問題で紛糾。最後は陸軍にも見捨てられ4ヶ月で総辞職。
     彼の担ぎ出しに奔走したのが、時の軍務課長有末精三。
     昭和天皇は、独白録で有末をはっきり批判している。
     この内閣も陸相選びで紛糾。1)東條2)西尾3)磯谷4)多田の候補から
     多田にきまって人事局長が満州に飛んだが、新聞が磯谷に決定という誤報を。
     天皇からは「畑か梅津を」とあり、結局畑俊六に決定。


57日本@名無史さん:03/03/19 22:12
第37代
米内内閣 当初は畑が有力視されていたが、原熊の策動で、三国同盟反対の米内に。
     陸軍は歯噛みをして悔しがった。天皇の信任も厚かったが、畑陸相が辞任して
     陸軍が後任を出さず倒閣。当時の参謀次長沢田茂は阿南次官と相談して、
     畑に辞めてもらったと、自著で書いている。

第38代
第2次近衛内閣 大政翼賛会は、事務総長に有馬頼寧を持ってきたことでもわかるように
     軍を押さえるためにつくったものだが、あっと言う間にのっとられてしまった。
     松岡外相によって、三国軍事同盟、日ソ中立条約が締結されるが、
     バルバロッサ作戦で、松岡構想は崩れ去る。近衛は松岡を除くために
     総辞職を敢行。

第39代
第3次近衛内閣 南部仏印進駐でアメリカとの対立が決定的に。八方塞の近衛は
     遂に内閣を投げ出した。後任には若槻が宇垣を推し、岡田・清浦がこれに
     賛成したが、木戸・阿部が、掛合漫才式(岡田啓介)で東條を推した。
     東條なら陸軍を”統制”できると木戸は思っていたようだ。
58日本@名無史さん:03/03/20 01:13
幼年学校出と中学出に大きく分けられますね。
中学出は、英語を勉強していたため、アメリカやイギリスに
行くことが多かった。
田中の他に、辰巳、本間、今村、山内、柳田、八原などですね、
でも、主流は、幼年学校出です。

ところが、東條は、中学出じゃなかったですか?
59日本@名無史さん:03/03/20 01:23
>>58
東條は幼年学校出。しかし、成績は悪かった。

建川、安藤利吉、柴山兼四郎あたりも中学卒。
60日本@名無史さん:03/03/20 01:36
陸軍士官は、まず天保銭と無天組(陸大出たか出ないか)に大別されます。
それから、幼年学校出か中学出かにわかれます。しかし、この差は
上の天保銭と無天組ほど大きくはありません。
それから、出身地や配属された部署、閨閥など多少あるでしょうか。
61日本@名無史さん:03/03/20 07:19
幼年学校卒と中学卒では
仲が悪いよ。
幼年学校組みは、中学組みを
デーコロと呼んでいた。
デーの意味。幼年学校=エリート=カデー(士官)のC
デーは、D(Cの下)
コロは、犬コロなどのコロ。
62日本@名無史さん:03/03/20 13:56
>>60 知ったかぶりの厨房よ!
そんな単純なもんじゃーないよ
6358:03/03/20 23:49
>>59
>>東條は幼年学校出。しかし、成績は悪かった。

そうなんですか。成績は悪かったにはワロタ。

>>62
幼年学校+天保銭+恩賜が最強?
石原のパターンですか?
単純じゃないでしょうけど。


64日本@名無史さん:03/03/21 00:44
成績が悪いといっても東条の時代、幼年学校は全国に5校
一つの地方幼年学校に一学年定員約50名、日本全国でも250名程度。
こんなエリート教育機関の中の話ですから…。
65日本@名無史さん:03/03/21 00:46
陸大も首席の古荘や梅津が最強かな>学歴

武藤信義は教導団から陸士だから、二等兵から元帥になったことになるな
66日本@名無史さん:03/03/22 10:44
鉄拳・田中新一

黙レッの佐藤賢了
67日本@名無史さん:03/03/22 13:01
先制主導コンビ
服部卓四郎・辻正信

死んでよし!
68日本@名無史さん:03/03/22 19:00
でも、堀場と服部は親友だったわけで、
陸士同期のつながりが、いかに強いかがわかる。
69日本@名無史さん:03/03/22 19:06
今で言う中学生から大学生までずっと一緒に勉強・生活するからね。
その分、派閥も形成されやすい。
70日本@名無史さん:03/03/23 01:21
生徒時代に同性愛関係になって、後に将官にまで昇進した人っていますか
71日本@名無史さん:03/03/23 03:39
土橋勇逸が、自分で自分のことを美少年と書いてて、ワロタ。
確かに写真をみると、若いころは美形だっただろうと思われる。
ちなみに、土橋は、佐賀産で、宇都宮太郎の子供(代議士だった徳馬氏)
の面倒を見たりしていたことから、皇道派と目されることが多いが、
彼自身は、永田や東條らと親しく、自分のことを皇道派とは思っていなかったらしい。
72日本@名無史さん:03/03/24 03:55
皇道派 無天組みが多い?
73日本@名無史さん:03/03/25 20:39
歩一や歩三で中隊長をやるぐらいの人間だったら
本人にその気があれば、陸大ぐらい行けたと思うけどなあ
74日本@名無史さん:03/03/25 21:32
真崎ってのは、参謀次長だったときに大将昇進が決まった後、
それでも参謀次長に居座って人事に口出ししようとした。
陰湿な策略家。
宮様総長に「真崎、もういいだろう」と苦言を呈されしぶしぶ
参謀次長からしりぞいた。
林のことも内心蔑視していた。
75日本@名無史さん:03/03/25 21:33
宮様も真崎の策略人事に気づいてたからな。
76日本@名無史さん:03/03/25 21:55
筒井清忠「昭和期日本の構造」
http://books.yahoo.co.jp/bin/detail?id=19767956

は昭和軍人史を語る上で外せない好著。
ただしどこが歴史社会学なのかはまったくわからないし、
社会学と歴史学の境界領域が社会史ではなく歴史社会学なのかも不明。
77日本@名無史さん:03/03/26 01:49
眞崎は、閑院の宮から嫌われていた。
78544:03/03/26 10:59
>>65
ほう、詳しいな。
教導団といえば、
東条英教(英樹の親父ね)も教導団出身で、中将までいった。
79日本@名無史さん:03/03/26 15:29
東条英教の世代で幼年学校も士官学校も出てる人はいませんよー
80日本@名無史さん:03/03/26 15:48
英教は陸大第一期の首席じゃなかったっけ?
81日本@名無史さん:03/03/26 16:26
任官が明治11年。西南戦争の次の年
ぎりぎり教育制度が出来上がった頃ですね
陸大卒業が明治18年
82日本@名無史さん:03/03/26 18:32
荒木が、正月の深酒で肺炎になり、陸相を辞めざるを得なくなったとき
3長官会議で柳川次官と林総監は、真崎を後任に推した。
しかし、総長宮はこれに大反対。
「お前たちは真崎を俺に押し付けるのか。林、お前が陸相をやれ」
といって聞かないので、2人はしょうがなく、真崎を林の後任の教育総監にした。

昭和天皇も、真崎には、あまりいい感情を持ってなかったらしく、
大問題になった真崎総監罷免のとき、林陸相に対し
「それだけでいいのか」(予備役にしてしまわなくていいのかの意)と
御下問があったとか。
83日本@名無史さん:03/03/26 20:28
>>76
〔社会学板〕京都大学文学部T教授 2
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1013627015/l50
84日本@名無史さん:03/03/26 23:57
眞崎ってそれだけ悪い奴。
85日本@名無史さん:03/03/28 13:54
真崎の教育総監罷免は、裏で永田が糸を引いていると思われたが、
本当は、今井清人事局長の意見。
86日本@名無史さん:03/03/28 20:26
今井人事局長は、真崎を待命に、という意見だった。
それに対して永田軍務局長は、軍事参議官にとどめるという意見。
林陸相は緩やかな永田の意見を採った。
しかし・・・・
87日本@名無史さん:03/03/28 23:03
実際の強さは、総長>陸相>局長>総監なのか????
88日本@名無史さん:03/03/29 00:07
>>87
「強さ」って…
89日本@名無史さん:03/03/29 03:09
建前
陸相=総長=総監
実際
軍務局長>陸相=総長>総監
90日本@名無史さん:03/03/29 16:45
鈴木壮六参謀総長の後任問題で、上原が武藤教育総監を推し
宇垣が金谷範三を推し、紛糾したとき、宇垣は自ら武藤のところに赴き
「3長官は本来上下の差別がないはずなのに、部内でも、教育総監部は
他の2つより下に見られがちだ。ここで閣下が横滑りすれば、やはり、参謀本部は
教育総監部より上だという印象を与える。3長官鼎立の原則を守るためにも
閣下は留任してほしい」と、正論でもって武藤を丸め込んだ。上原はそれでも抵抗したが、
宇垣は奥元帥の協力も得て、金谷を参謀総長に据えることに成功した。
91日本@名無史さん:03/03/29 23:43
軍務局に軍務課を新設したのは梅津次官
92日本@名無史さん:03/03/30 00:58
フジテレビアナウンサー梅津弥英子は
梅津美次郎の曾孫
93日本@名無史さん:03/03/30 01:40
>>92
嘘だろ?
94日本@名無史さん:03/03/30 01:42
731部隊は関東軍ではなく近衛兵てきそんざいだったんだってさー
天皇直轄の犯罪者集団(藁
95日本@名無史さん:03/03/30 02:48
本当ですよ。調べてみそ
96日本@名無史さん:03/03/30 07:56
そういえば・・・、少し面影があるかな(w
97日本@名無史さん:03/03/30 08:05
梅津の若いころは、まあまあ美形だと思うが・・・・・
98日本@名無史さん:03/03/30 22:08
石原が関東軍参謀副長に転任したのは、多田次長が阿南人事局長に
どうしてもと頼み込んだからなんでしょ。
ということは、石原と東條は、その時点では、それほど仲悪くはなかったのかな?
99日本@名無史さん:03/03/31 01:11

>>93
笹○の孫?とケコーンしたアナもいるんだからな。

100100:03/04/01 09:55
100式司令部偵察機
101日本@名無史さん:03/04/01 12:18
真崎裁判で、真崎の処罰を強硬に唱えた藤室良輔中佐。
幼年学校から陸大まで常に恩賜で通した陸軍きっての俊才。
真崎処罰は一時の恥だが、これをしないと、永久に軍紀は粛清できない
と訴えたが、これは上層部に容れられなかった。
102日本@名無史さん:03/04/01 17:42
田村怡与造の娘が、本間雅晴の奥さんて本当ですか。

あ、これは軍閥でなくて閨閥か?スレ違いかな?他にも義理の親子関係ってありますか?
103日本@名無史さん:03/04/01 18:10
>>102
本当。ついでに山梨半造も田村の婿。
ほかには、野津道貫-上原勇作、立見尚文-鈴木孝雄、尾野実信-武藤章
小川又次-杉山元などなど

ちなみに田村の弟2人も中将。
104日本@名無史さん:03/04/02 19:24
騎兵の大将森岡守成と鈴木壮六、中将の建川美次は、
いずれも騎兵少将森岡正元の婿。

海軍なら、仁礼景範の婿が斉藤実、山本権兵衛の婿が
財部彪と山路一善、鮫島員規の婿が竹下勇
105日本@名無史さん:03/04/03 07:27
にしても海軍軍閥は人気ないねぇ。
106日本@名無史さん:03/04/03 14:36
稲田正純は阿部信行の娘婿
107日本@名無史さん:03/04/03 19:02
稲田は確か坂西一良の実弟だよね。
108日本@名無史さん:03/04/03 21:13
海軍といえば、ロンドン条約の帰りの列車で自決した草刈少佐。
財部全権の暗殺を計画してたとかいう説もあるけど、本当のところはどうなのかな?
彼は死ぬことで何を訴えたかったんだろう
109日本@名無史さん:03/04/04 00:48
坂西一良は坂西利八郎の養子。在郷軍人相手に暴言を吐いて停職になった。
どっちかっつうと統制派。
坂西利八郎は、青木宣純とならぶ元祖支那通。
土肥原や多田の師匠格になる。
110日本@名無史さん:03/04/04 19:23
軍事評論家の宇垣大成氏って、宇垣一成と関係あるんですか?
111日本@名無史さん:03/04/04 20:40
>>110
そのおっちゃんの名前なんて読むのか知らんけど、大将のほうはカズシゲだから
112日本@名無史さん:03/04/05 11:46
海軍の宇垣(纏・莞爾)は従兄弟だそうな。
陸軍の一成とは親類ではないが、同じ集落の出身だと聞いた。
岡山県のどこだか忘れたが、宇垣さんがやたら多い地域だって、纏か一成の
伝記小説で読んだ記憶がある。
113日本@名無史さん:03/04/05 12:44
不審な自殺といえば、佐分利貞男中国公使(他殺の可能性もある)、
陸軍なら、田中弥大尉ですな。
114日本@名無史さん:03/04/05 14:45
酒井鎬次、彼こそが日本陸軍が生んだ
最高の理論家だ!
115日本@名無史さん:03/04/05 20:13
>>114
あまり良く知らないけど、支那事変に反対して、辞表出した人だよね?
116日本@名無史さん:03/04/05 23:07
稲田正純って誰ですか
117日本@名無史さん:03/04/06 00:17
稲田正純 陸士29期(野砲10)陸大恩賜
戦争指導課高級課員、軍事課高級課員、参謀本部作戦課長
南方軍総参謀副長等を歴任。終戦時第16方面軍参謀長
118日本@名無史さん:03/04/06 00:22
>>116
陸士29期、中将。張鼓峰、ノモンハンのときの作戦課長。
119日本@名無史さん:03/04/06 17:28
稲田は、確か司馬と対談してたと思う。
120日本@名無史さん:03/04/06 21:02
司馬は執筆予定であったノモンハン事件取材のため
数度、稲田と会見したそうな。
非常によく喋る人ではあったが、いざ話題が肝心な箇所にすすむと
うまく会話をはぐらかし証言を避け続けた。
話せば話すほどその弁舌から感じ取れるのは、虚しさだったと…。
彼を極めて官僚的人物と評していた。
そのあたり瀬島龍三に通ずるものがあるような
121日本@名無しさん:03/04/08 21:54
>>120
人間講座で半藤氏が触れてましたね。稲田との会談で司馬に激怒した
下士官がいたような・・・
122日本@名無史さん:03/04/08 23:12
まあ、ノモンハンに関しては、一番悪いのは関東軍だけどね。
辻たちも悪いが、司令官の植田大将も多田中将の忠告を聞かなかったし。
磯谷廉介はこの事件おかげで、陸相になれなかった。
ただ、張鼓峯に関しては、稲田の責任大だね。
123日本@名無史さん:03/04/09 00:18
稲田との対談は能弁なわりに空疎で、途中で取材ノートを閉じたらしい>司馬
奇妙な人種、みたいな形容をしていたな。
その対談に怒って司馬と絶交をしたのは須田大佐だっけ?
ノモンハン生き残りの連隊長。
司馬が最後の小説の主人公にしたかった人物。
あんな卑劣な人間(稲田)と対談したのなら、今後はお付き合いできないと。
124あぼーん:あぼーん
あぼーん
125あぼーん:あぼーん
あぼーん
126日本@名無史さん:03/04/10 01:21
皇道派の人ほど、天皇に嫌われてる気がするんだが・・・・
127日本@名無史さん:03/04/10 02:19
>>126
キモヲタがアイドル本人に嫌われるようなもんだ。
128日本@名無しさん:03/04/10 13:57
須田大佐について教えてください。
129あぼーん:あぼーん
あぼーん
130あぼーん:あぼーん
あぼーん
131あぼーん:あぼーん
あぼーん
132あぼーん:あぼーん
あぼーん
133日本@名無史さん:03/04/10 16:05
第23師団の連隊長クラスって、多くが自決を強要されたんじゃないの?
134あぼーん:あぼーん
あぼーん
135日本@名無史さん:03/04/10 20:59
須田ではありません。須見新一郎大佐です
第七師団歩二六連隊長。
それと彼が司馬に激怒したのは稲田正純との対談ではなく
瀬島龍三との対談。
136日本@名無史さん:03/04/10 22:54
とすると、怒った理由も、ノモンハンとは関係ないのかな?
瀬島ってノモンハンに関係してる?
137日本@名無史さん:03/04/11 00:00
須見が瀬島との対談で司馬に絶縁状を送ってきたというのは
半藤 一利が自分の文章の中で書いてたことで確証はないでしょ。
瀬島は年代的にノモンハンとはまったく関係していないし
怒ったのだとしたら、ただ参謀と肩書きのつく奴が嫌いだったのかなー?
138日本@名無史さん:03/04/11 00:13
及川古志郎、東条英機。米内光政、以上岩手県人だな。
県人としては複雑な気分だよ。
139日本@名無史さん:03/04/11 00:27
>>138
板垣タンも岩手でっせ。あと山屋他人も。
140138:03/04/11 00:36
>>139
んだったな。板垣征四郎も岩手だ。
山屋他人は妃殿下の曾祖父かな。
141138:03/04/11 00:38
ちなみに私の実家の寺は板垣家と同所でつ。
142日本@名無史さん:03/04/11 00:45
陸海軍大将がいないのは、北海道沖縄のほかに、群馬、岐阜、奈良、島根、香川
であってるかな?
143日本@名無史さん:03/04/11 00:50
>>142
もっとあるでしょう。
144日本@名無史さん:03/04/11 02:21
米内海相、板垣陸相、東條陸次官という時期がありましたよね。
共に岩手県人。
145日本@名無史さん:03/04/11 23:50
九州って、佐賀を中心に皇道派が強いのに、大分だけは別だね。
南、金谷、梅津、阿南、少しさかのぼれば河合。
146日本@名無史さん:03/04/13 02:57
下村サダム・フセインは統制派ですか?
147日本@名無史さん:03/04/13 12:15
>>146
サダムは、皇道派の拠点の一つ高知出身ですが、多分統制派よりだと思います。
148日本@名無史さん:03/04/14 13:07
どなたか、小畑敏四郎を褒めちぎっていただけないでしょうか。
149日本@名無史さん:03/04/14 14:21
>>148
図書館で、須山幸雄著『作戦の鬼 小畑敏四郎』を借りてくださいw
150日本@名無史さん:03/04/14 14:24
この本を読んでも、対ソ「小畑作戦」なるものがどういうものなのか
さっぱり分からないのだが・・・・・・・・・
151日本@名無史さん:03/04/14 14:26
戦術はともかく、戦略は見えないよね。
あげくのはてに、日中戦争まで永田の遺志になってるし。
152日本@名無史さん:03/04/14 16:50
「シュリーフェンこそ我が師」

んー、よくわからん。中蘇二正面作戦つうことか?
153日本@名無史さん:03/04/14 17:24
総力戦でしょ>シェリーフェン
小畑は、機会を捉えて捕捉殲滅
永田はそれよりもまず、国内に総動員体制を
154日本@名無史さん:03/04/14 18:37
>>152
日本軍についてはよく知らんがシュリーフェンは二正面作戦なぞ立案しとらんぞ。
速攻(三週間以内だったかな)で巻き舌の変態どもを叩いて
その上で露助を叩くって言う「二正面だけは断じて避ける」路線。
それがいわゆる「シュリーフェンプラン」。
「右翼(白耳義経由での仏国突入軍)を徹底的に強大たらしめよ」が遺言。
それを勝手に最悪の二正面作戦にしちまったのは小モルトケ。
155日本@名無史さん:03/04/14 19:01
小畑の親父さんって、土佐勤皇党かな?
156日本@名無史さん:03/04/15 00:32
陸大校長時代も、とにかく積極的な作戦を好み、
幹事の岡部直三郎とは、あまり合わなかったらしい。
小畑や、村上、鈴木率らの作戦思想の結晶が、統帥綱領・統帥参考書。
157日本@名無史さん:03/04/16 17:45
>>155 うましね!

小畑美稲(敏四郎パパ)
158日本@名無史さん:03/04/16 18:13
永田鉄山の家も、医者の家系のせいか、親も兄弟も
けったいな名前。
159山崎渉:03/04/17 13:12
(^^)
160日本@名無史さん:03/04/17 17:00
薩長土肥 皇道派の中心は、この土肥+薩
ただ、大分はガチガチの統制派。長閥全盛期は、長に近かった。
常に与党側にいる県という感じがする。
161日本@名無史さん:03/04/18 20:19
池田純久中将も大分。
秋永月三中将と共に近衛からアカと目された、統制経済の信奉者。
陸軍パンフレットの影の執筆者。東大。
162日本@名無史さん:03/04/21 20:46
東大に通ってたのは、池田のほかに、東條の腰巾着の四方諒二
汪兆銘工作の影佐禎昭、怪文書で知られる田中清、それから柴五郎の婿で
機甲本部長を務めた西原一策。変わったところでは、本庄繁の婿で、
皇道派の山口一太郎は理学部を卒業。
163日本@名無史さん:03/04/23 03:49
梅津美次郎の功績を教えてください
164日本@名無史さん:03/04/23 04:54
梅津美治郎だと思うのです。
165日本@名無史さん:03/04/23 09:03
>>163
デス・バイ・ハンギング
166あぼーん:あぼーん
あぼーん
167日本@名無史さん:03/04/23 09:54
梅津は、満州事変当時、参謀本部総務部長でしたが、彼は一夕会などにも
一切入っていなかったので、この手の陰謀には関知していなかったようです。
彼は、中央の方針に従わない現地の参謀たちに、不快感を持っていたようですが
結局なすところなく、支那駐屯軍司令官に補されます。
支那駐屯軍時代、梅津・何応欽協定が結ばれます。これを推し進めたのは
参謀長酒井隆と北平武官輔佐官高橋坦でしたが、当然梅津も認可を与えてます。
この協定は、何応欽のプライドをいたく傷つけ、戦後酒井中将は南京において、
イの一番で死刑にされました。この協定は、梅津の失策といえると思います。
168日本@名無史さん:03/04/23 09:56
梅津は所謂統制派と目される人物なので、”皇道派史観”の人からは永田、東條と
並んで、国を滅ぼした元凶のように書かれますが、村中の怪文書にも、2.26当日
香田大尉が川島陸相に読み上げた要望事項の中にも、その名前は見られません。
要するにその時点では、”ノンポリ”とみなされていたようです。
ただ、2.26当時第二師団長だった梅津は、「叛乱軍即時討伐すべし」という電報を
陸軍省におくり、中央の幕僚たちを驚かせました。他に同じ趣旨の電報を打ったの
は、第六師団長の谷寿夫だけだったそうです。これにより、事件後梅津は、幕僚の
期待を一身に受け、陸軍次官に就任することになります。
169日本@名無史さん:03/04/23 09:58
次官となった梅津は、粛軍を推し進める一方軍部大臣現役武官制を復活させます。
この直後に宇垣内閣が流産します。この時、上京してくる宇垣の車に直接乗り込み
宇垣に大命拝辞を勧告したのが、梅津の親友中島今朝吾だったため、この陰謀の
黒幕は梅津だとする声もありますが、梅津は石原の林銑十郎担ぎ出し工作には
内心反対で、石原の板垣陸相計画を阻み、中村孝太郎を送り込みます。
その後、支那事変が勃発しますが、この時の彼の態度ははっきりしません。
拡大派と断じる人もいますが、彼の最も信頼した部下である柴山兼四郎は不拡大派
であり、また堀場一雄の進言を聞き入れ、一度は和平拒否の閣議決定を取り消して
おり、内心は不拡大派だったんじゃないかと思います。しかし彼は最後まではっきり
とした意思を示すことが無く、支那事変は泥沼化します。
170日本@名無史さん:03/04/23 10:00
その後、板垣征四郎の陸相就任に伴って第一軍司令官に転任しますが
そのとき自分の後任に東條英機を推薦したといわれています。
ノモンハン事件の後には、陸軍最古参の大将がやるという慣例を破って
関東軍司令官に就任、後始末をつけています。また阿部内閣の時には
天皇直々に陸相候補の一人として名前が挙げられるなど、信頼も厚かったようです。
関東軍司令官としては関特演をやるなど北進論者だったようです。
東條の後任として最後の参謀総長となり、ミズーリ号上で降伏文書に調印しますが
終戦間際における彼の考えも、これまたはっきりしません。強硬な継戦派といわれる
こともありますが、内実は終戦賛成だった思われます。ちなみに阿南とは同郷で
親しかったようです。
東京裁判ではA級戦犯として終身禁錮を宣告され、獄中で病死しました。
171日本@名無史さん:03/04/23 10:02
梅津は、陸大を首席で卒業、2位は永田でした。その性格はきわめて冷徹で合理的な
官僚タイプで、徒党を組むこともなく、一方、あまり自分の意見を表に出すことの無い、
悪く言えば事勿れ主義といわれる面もあったようです。
近衛などからは、池田、秋永の親玉でアカと見做されていたこともあったようですが、
これは間違いです。田中隆吉には、恩人二宮治重の葬式にも来なかったと罵倒されて
ますがこれも言いがかりに近いでしょう。ただこの人が、もう少し自分の意思をはっきり
表示する人なら、少し日本の歴史が変わったかもしれません。
172日本@名無史さん:03/04/23 10:26
>付け足しスマソ

梅津美治郎 1882‐1949(明治15‐昭和24)
うめづよしじろう

陸軍軍人。大分県出身。陸軍士官学校(15期),陸軍大学校卒。第1次世界
大戦直前のドイツ,大戦中のデンマーク,スイスなどに参謀本部部員と
して駐在。
1935年支那駐屯軍司令官として日本の華北進出のてことなった梅津・何応欽協定
を締結,翌36年の二・二六事件直後には陸軍次官に就任して粛軍と軍部の政治的
進出を推し進めた。
その後,第1軍司令官,関東軍総司令官などを経て,40年大将,44年に参謀総長
となり,敗戦に伴い全権の一人として降伏文書に調印した。
極東国際軍事裁判では A 級戦犯として終身刑。
173日本@名無史さん:03/04/23 10:38
旧陸軍大将は全員 国賊 死刑。。。。井上海軍学校長
174日本@名無史さん:03/04/25 01:24
>>173
んなーことは無い。
175日本@名無史さん:03/04/25 08:25
軍事課長と兼任で陸大の教官をやっていた梅津が、軍制学の講義で、
「陸相は文官が良いか、武官が良いか」と質問したところ、10人目までで、
文官が8人、武官が2人という比率になった。梅津は慌てて打ち切り、
質問自体を取り消した。学生たちの間では、「犬養あたりにやらせればいい」
というような声があったという。
176日本@名無史さん:03/04/25 18:21
井上が兵学校校長時代、教育参考館に飾られた歴代大将の額入り写真を、この中には
日本を今日の事態に陥らせた国賊といってもいい人間が混じっていると言って、額を
すべて下ろさせたのは事実。立身出世主義の弊害に生徒を染めたくなかったという説も。
東京帝大から兵科予備仕官になり戦艦大和に乗組み九死に一生を得た吉田満は、艦内では
“世界の三馬鹿、無用の長物の見本・・・大和”とか“少佐以上銃殺、海軍を救うの道
このほかになし”などという雑言、暴言が青年士官の間で公然と発言され、憚ることなし、
と書いている(戦艦大和の最期)。
177日本@名無史さん:03/04/25 22:29
梅津ってフジテレビの梅津穴のひぃおじいちゃんって本当?
178日本@名無史さん:03/04/25 22:52
>>177
わかんない。なんか上のほうでもそういう話出てたけど。
アナ板で聞いてきたら?
179日本@名無史さん:03/04/26 17:51
梅津に関する余談其の2
梅津・何応欽協定というのは、日本人が思う以上に、中国人(特に何応欽上将)にとっては
屈辱的なものだったようで、梅津の訴追要因の中で、一番重いのもこれでした。
一説には協定の内容そのものより、交渉に望んだ酒井隆、高橋坦の態度が、非常に
傲慢だったせいとも言われていますが・・・・・
酒井中将は、戦後、町中引き回された上、絞首刑にされました。
その口から血を流した死に顔は、翌日の中国の新聞の一面を大きく飾ったそうです。
高橋中将は、無期禁錮の判決を受けましたが、4年で仮釈放されました。
梅津自体は、そのころ新京に行って留守だったんですが。
180日本@名無史さん:03/04/26 23:30
そういや
田中の上奏文ってでっち上げって結論ついたみたいだけど
中国側から見たら今でもあれは本物って思ってる奴って多いの?
田中=妄想悪人って思ってる中国人って多そうだけど
181日本@名無史さん:03/04/26 23:47
>>180
多分ね。日本でもいるんじゃないの?特定の思想の持ち主とか。
182日本@名無史さん:03/04/26 23:59
同じ中国人でも、中共と国民政府じゃ、戦犯の対象が、かなり違うしね。
日本人が考えも付かない人を恨んでる可能性は有る。
183日本@名無史さん:03/04/27 13:21
中国における日本軍戦犯はほとんどが国府政府(軍)の裁判で判決を受け服役
中共軍が国府軍を本土から追い落として中華人民共和国が成立(s24)後は、
そのまま服役中の戦犯を受け継いだんでないかい。
184日本@名無史さん:03/04/27 14:40
国民政府が台湾に逃げるときに、日本に還送された戦犯もたくさんいる。
中共が戦犯として求めていた岡村寧次に無罪判決を出した後、
中共の手に渡さないように、日本に送り返したりもしてる。
185日本@名無史さん:03/04/27 16:22
無罪ななった以上、日本に送り返すのは当たり前じゃん。
186日本@名無史さん:03/04/27 16:41
支那派遣軍総司令部の要員は岡村が戦犯容疑で残留を命じられた以外は
小林総参謀長以下全員が1946/7/2長興丸に乗船して帰国している。
南京、上海、漢口など八ヶ所には今井参謀副長以下少数だけが連絡班として
残留し、残務処理にあたっている。
187日本@名無史さん:03/04/27 17:04
終戦直後、蒋介石は国際軍事裁判に起訴すべき戦犯を12名指名したという。
特に重視したのが土肥原賢二、本庄繁、板垣征四郎、磯貝廉介、和知鷹二、
影佐禎昭、酒井隆、喜多誠一ら支那屋と呼ばれた8人。土肥原と板垣はA級で
死刑、本庄は自決、酒井は中国で死刑、磯貝は巣鴨から南京に移され終身刑
の判決を受けたが5年後に釈放された(中華人民共和国成立後)、和知は重労働
6年の刑だったが2年後釈放。喜多はシベリヤで病死、影佐は日本で病死。
188日本@名無史さん:03/04/27 17:05
逆に中共が求めたのは、岡村、多田
189日本@名無史さん:03/04/27 17:09
磯貝廉介 は 磯谷廉介 に訂正。
190日本@名無史さん:03/04/27 17:18
でも、多田駿は国府の戦犯として拘留中に死亡(s23年12月)している。
191日本@名無史さん:03/04/27 17:44
多田はA級戦犯として指名されたが、巣鴨に入らず自宅で拘留。
市ヶ谷で証言台に立った其の姿は非常に立派で、朝日新聞記者団も絶賛してる。
板垣とほぼ同時期に病死。石原は翌年、2人の後を追うように死去。

192日本@名無史さん:03/04/27 17:51
小林浅三郎派遣軍総参謀長が帰還後、1946/3/31、天皇に行った上奏。
「顧みれば事変勃発以来満八ヵ年間、御稜威の下、中央の懇篤なる指導ならびに
友軍部隊の適切なる協力と隷下軍の奮闘に関わらず、ついに支那事変解決に関する
重任を果たし得ずして、皇国懇今日の事態に招来するに至りし点まことに慙愧に
耐えず、とくに終戦の御聖断をたれたまえる御宸襟のほど拝察し奉り、恐懼おく
ところ知らず。しかるに今日まで幾多忠勇なる陛下の赤子を鋒鏑にたおし、あるいは
病魔に失いしは、まことに恐懼の至りにして、とくにその遺族が苦難の前途を
想到する時、まことに断腸のきわみなり」まあ、こうした場面の常套句ではあるが。
193日本@名無史さん:03/04/27 18:00
多田はA級戦犯28名の中には含まれていないよ。中国によるBC級。
194192:03/04/27 18:02
1946/3/31、天皇に行った上奏。 ⇒1946/8/31、天皇に行った上奏。
195日本@名無史さん:03/04/27 18:18
酒井隆は、華北で対支工作をしてたときに、共産党とも接近してたらしい。
それが、大の共産党嫌いの何応欽を、余計に刺激したんだろう。
逆に岡村なんかは、何応欽に助けられてる。
196日本@名無史さん:03/04/27 18:36
ポツダム宣言受諾後の8月29日、岡村と何応欽軍の副参謀長・冷欣中将の会談
があったがこの会談で、冷中将は“いかなることありとも上海、南京、北平、
天津、武漢、青島、広州、香港の8大都市はこれを確保するよう努力せられたし”
と申し入れたが、岡村は“右8大都市はおおむね大丈夫ならん・・・・・現在の華北の
地方軍の力量ではとうてい中共軍の攻撃に耐え得ないから、早急に中央直系軍を
華北に移動させる必要がある”と勧告した。
197日本@名無史さん:03/04/27 18:39
インドネシア独立に参加した軍人も結構いるけど、
国共内戦に参加した人は、もっと多いんじゃないかな?
198日本@名無史さん:03/04/27 18:53
降伏後の支那派遣軍の逃亡者約2000名(他の部隊は含まず)、この中の
かなりの数が国共両軍に入っているとみられる。
ちなみに、国府軍側、共産軍側から引き渡された日本軍捕虜は陸軍1212名、
海軍40名、民間人106名、計1358名。
199日本@名無史さん:03/04/27 18:57
金門島で中共軍を撃破したのは、根本博という話もある。
本人はもちろん否定してるが。
200日本@名無史さん:03/04/27 19:33
根本は駐蒙軍司令官だったが、ソ連、外蒙軍の進撃に抵抗しながら、居留民を
徒歩、自動車、列車などあらゆる手段をつくして北平地区に後送した。居留民の
後送を援護した後、軍自体もたくみに戦線を離脱し、主体を平津地区に、一部を
大同に撤収することに成功。居留民や前線部隊を置き去り、作戦至上の名を借り
いち早く司令部を後退させた関東軍とは大違い。
201日本@名無史さん:03/04/27 19:40
>200
自身は関東軍に応召し、ソ連参戦で妻と義母(集団自決)を失った人の歌に
こういうのがある。

北満の 開拓民を 放棄せる 参謀という名の 卑劣のウジ虫
202日本@名無史さん:03/04/27 19:50
根本は第3次南京事件で、2階から飛び降りて腕を骨折した。
自分が死ぬことで、幣原軟弱外交を変えようとしたと書いてる本を
読んだことがあるが、これは褒めすぎかな。
相沢事件のときに、永田を切った後の相沢と、それと知らず握手をしてしまい
裁判で「永田の腹心根本さえも、握手をして喜んでくれた」とさんざんやられて
随分困ったそうだ。
203日本@名無史さん:03/04/27 20:29
南京事件と呼ばれるものは1913、1927、1937年の三回あるが根本が遭遇したのは
1927(昭和2)年3月24日に発生したものだから第2次だと思う。この時、彼は
所持品を巻き上げられ上腰部を強打された。警察の木村署長と2人で領事の病室に
駆けつけたが、ここへも暴兵が乱入、根本は銃剣で刺され二階から飛び降りて水槽
に落ちて気を失ったというが。
204日本@名無史さん:03/04/27 20:32
>>187
蒋介石や毛沢東は石原莞爾についてはどう思ってたの?
中国にとっては最大級の犯罪者じゃないの?

あと松井石根とか牟田口廉也とか
205日本@名無史さん:03/04/27 20:48
>>204
松井は当然戦犯としてみてたでしょう。
牟田口は、所詮連隊長だったからねえ。
穿った見方をすれば、牟田口が反撃をしてくれたおかげで、支那事変が勃発して、
最終的に日本が敗れたわけだから、功労者といえなくも無い。
どっちかといえば、日本側から見た戦犯。
石原に関してはよくわからん。
206日本@名無史さん:03/04/27 20:57
松井石根はもちろん入っているけど、石原は一幕僚に過ぎないと見ていたのでは?
日本軍では参謀が実権を握っていたとは思わないから最高指揮官の本庄や高級参謀
板垣に目を付けたのは当然だと思う。また、牟田口は蘆溝橋事件当時の連隊長だが
これとて前線の1部隊長にすぎず目を付けらてたのは事変当時の日本政府要人や本省
にいて支那事変を推進した武藤章あたりだと思う。松井の場合は南京事件のスケープゴート
の感もあるが。
207日本@名無史さん:03/04/27 20:58
石原は支那では参謀職しかやってないからねえ。
戦犯として指名された人を見てると、司令官、師団長が多い。
208日本@名無史さん:03/04/27 21:07
板垣死すとも石原支那'S
209日本@名無史さん:03/04/27 21:10
本当の責任は幕僚にあるなんてことが分かったのは、後になってからでしょう。
例えば、上に出てる多田駿なんて、きわめて親中国的な人だけど、天津軍司令官と
支那事変当時の参謀次長という役職だけで戦犯に指名されてるし。
まあ一番気の毒なのは、本間雅晴だろうけどね。辻みたいなキチ○イのおかげで、
陸軍きっての親英派でありながら死刑。
210日本@名無史さん:03/04/27 21:12
中国の戦犯対象と言えば
鄭孝胥と張景恵が漢奸とかいって
死刑にならなかったのもよく分からん

溥儀は利用価値があったにしろ
211日本@名無史さん:03/04/27 21:12
南京で気の毒なのは、谷中将。「機密日露戦史」という著作が残されてるが。
212日本@名無史さん:03/04/27 21:23
>>209
A級戦犯や山下や本間などの有名どころは
逆説に言えば名誉ある死刑だ
東条や土肥原ですら後の歴史家が弁護してくれるし、
それなりの発言記録や資料もある

本当に悲惨なのは
一般兵で上の支持に従っただけのBC級戦犯
復讐裁判のもとに反リンチなどで嬲り殺された人間も多いはず
ある意味日本人兵士というだけで復讐された可能性もあるし

しかも彼らは
記録にすら残らないし、歴史家が弁護しようにも存在すら知られていない
永久に名誉が回復することもない
213日本@名無史さん:03/04/27 21:31
漢奸として追求されながら、共産党の支配下に逃げ込んで助かった人もいる。
214日本@名無史さん:03/04/27 22:02
周仏海も漢奸として一度は死刑を宣告されたが、のちに無期懲役に減刑された。
これは周が1941年以降、しばしば国府に自首を申し出ていたのが認められた。
215日本@名無史さん:03/04/27 22:15
周仏海は最初見逃されてたんだけど、民衆の非難の声が高まって、
結局裁判に掛けられた。死刑は免れたけど、翌年に急死してる。
216日本@名無史さん:03/04/27 22:24
梅津・何応欽協定締結の発端となった酒井隆参謀長の高圧的な要求内容は、
中央軍の撤退、省幹部の罷免、国民党幹部の華北よりの撤退などで1駐屯軍
参謀の要求にしては越権であるとし日本政府と交渉を求めたが広田外相は拒否。
力関係から、国府側はやむなく要求を呑み前記協定を結んで排日行為の禁止を
命令。梅津の後を継いで支那駐屯軍司令官になった多田はかなり中国に対し
かなり強硬な多田声明を発表した。これが、多田が戦犯に指名された遠因か?
217日本@名無史さん:03/04/27 22:37
多田の場合は、その多田声明と、支那事変初期の参謀次長がひっかかったんだろう。
酒井の態度に関しては、海軍側の記録でも、かなり悪かったと残ってるが、真相は?
当時北支には関東軍がちょっかいを出してきていて、天津軍もあせってた。
218日本@名無史さん:03/04/27 22:48
通州事変を起こした冀東自治政府長官の殷汝耕(妻は日本人)は、
戦後、漢奸として処刑されてるね。
219日本@名無史さん:03/04/28 23:57
昭和期のもっとも良識ある陸軍将官は
梅津美治郎ということでよろしいでしょうか?
220日本@名無史さん:03/04/29 01:39
たけし軍団は戦時中何をやっていたのですか?
221日本@名無史さん:03/04/29 02:11
>>220
ヒヤカシハ、ココクルナ
222日本@名無史さん:03/04/29 05:11
>>219
よくないです。

正解は渡辺錠太郎です
223あぼーん:あぼーん
あぼーん
224あぼーん:あぼーん
あぼーん
225日本@名無史さん:03/04/29 13:45
渡辺を殺した軽機は、渡辺自身が導入したものだとどこかで読んだが。
226日本@名無史さん:03/04/29 18:25
昭和期でもっともハンサムな将官は
鈴木貞一ということでよろしいでしょうか?
227日本@名無史さん:03/04/30 00:19
小畑敏四郎が不肖・宮嶋に似てるなって思うのは、私だけでしょうか。
228日本@名無史さん:03/04/30 00:30
蒋介石は西武の西口に似てると思う。
229日本@名無史さん:03/04/30 00:32
何故にルックス談義になっておるのか。
230日本@名無史さん:03/04/30 01:53
いったい誰が指導的な立場にいれば
支那事変を早期解決に導く事が出来たのでしょうか?
231日本@名無史さん:03/04/30 02:17
皇道派の言い分では真崎・柳川↑
232日本@名無史さん:03/04/30 03:13
>>226
寺内の方が男前
233あぼーん:あぼーん
あぼーん
234日本@名無史さん:03/04/30 22:41
昭和期でもっとも長寿だった将官は
三国直福ということでよろしいでしょうか?
235日本@名無史さん:03/04/30 22:44
少将だった人ってまだ生きてるの?
236日本@名無史さん:03/04/30 23:32
階行社いって調べたら
237日本@名無史さん:03/05/01 00:14
山脇正隆は、一番最後まで生きてた大将
238日本@名無史さん:03/05/01 15:34
山脇は昭和49年死去。
海軍では嶋田繁太郎が昭和51年6月に死去。
(1月には百武源吾が死去、前年には井上成美が死去)

・・・よりによってこいつが海軍大将最後の生き残りかよ!
239日本@名無史さん:03/05/01 16:25
東久邇宮は1990年没。102歳
新聞の死亡記事読んで驚いた。
240日本@名無史さん:03/05/01 23:03
昭和の最終日まで生きてた元帥がいますだ。
241日本@名無史さん:03/05/01 23:42
それは「大」元帥では?
242日本@名無史さん:03/05/02 21:22
閣下!ageさせて頂きます
243日本@名無史さん:03/05/06 02:06
東久邇さんも、皇道派は嫌いだった。
244日本@名無史さん:03/05/06 07:05
東久邇宮は皇族の中では型にはまる形式的なことを嫌う人。皇道派みたいな
神がかり的な言動は嫌うだろうな。
245日本@名無史さん:03/05/06 15:35
皇族の人は陸大出てますが、入学は無条件としても
講義についてこれたのでしょうか?
それと秩父宮の参本作戦課といううのが不思議でたまりません
246日本@名無史さん:03/05/06 17:07
閑院宮も秩父宮も、言うこと聞かないから、東久邇宮を篭絡して
自分たちの意見を陛下に奏上してもらおうとしたんだよ>真崎&小畑
東久邇さんに断られると、一転陰で悪口言い回ってたとか。

247日本@名無史さん:03/05/06 17:19
秩父宮は、戦争指導班時代、トラウトマン工作の打ち切りか継続かで
政府と統帥部が対立したとき、多田次長に御前会議を開いて、天皇の
御判断を仰いではどうかと、進言している。多田は、それは憲法違反になる
と反対したが。
248日本@名無史さん:03/05/06 22:15
そうなんだよな。
この時は、統帥部、特に、戦争指導班の連中は、
必死で交渉継続に努力した。

彼らは、こののち、中央から去っていったね。
残る連中は、、、、。
249日本@名無史さん:03/05/07 00:25
はい、クソです
250日本@名無史さん:03/05/07 00:42
>>232
寺内が男前?
誰かと間違った写真を見てるのでは?
251日本@名無史さん:03/05/07 00:48
>>250
寿一は結構男前だよ。
252日本@名無史さん:03/05/07 01:01
嫁さんも美人
253日本@名無史さん:03/05/07 08:04
美人、美男は見るヤシの鑑識眼が違うとかなり変わるからの〜。
でもあのノッペリした顔は?でも、親父が長州閥の重鎮、若い時から
出世コース進んでたから女房もブスは貰わんだろうから・・・。
254あぼーん:あぼーん
あぼーん
255日本@名無史さん:03/05/07 21:20
>>253
昭和期だったらやっぱ寺内じゃないのかな?
他にいるか?
あの年であの顔って
256日本@名無史さん:03/05/07 23:33
永田鉄山と武藤章は顔が似ている。
俺は寺内寿一より畑俊六の方が男前だと思うが。
257日本@名無史さん:03/05/07 23:59
>>256
http://www.history.gr.jp/tokyo/

畑はブサイクというかおっさん
258日本@名無史さん:03/05/08 00:36
どなたか、柳井好道という中佐をご存知ではありませんか?
15年くらい前に亡くなっていますが、近所のおじいちゃんでした。
幼年学校出?で、戦時中は満州にいたそうです。
259日本@名無史さん:03/05/08 19:54
ヤングジャンプで本宮が、石原とかが出てる漫画描いてるね。
今日読んだら、満州某重大事件だった。
ただ、町野や嵯峨は名前を変えられたたけど。
石原や板垣はそのままなのにね。
260これで決着:03/05/08 19:56
佐藤賢了より寺内の方が男前。
これにて一件落着。
261日本@名無史さん:03/05/08 22:56
>>259
あれは
作者の一方的な歴史観と無知が露呈されている
262日本@名無史さん:03/05/08 23:13
石原は良い人に描かれることが多い。
「六三四の剣」の作者が描いてる「龍RON」っていう左巻きの漫画でも、
かなり良い役だったと思う。あと安彦良和の「虹色のトロツキー」も。
263日本@名無史さん:03/05/08 23:16
なんて石原莞爾は評判が良いんでしょうか?
私の中では絞首刑のA級戦犯なんですけど。
264日本@名無史さん:03/05/08 23:21
A級戦犯にならなかったからだろ?
昭和天皇ももし戦犯になってたら
ボロカスに言われてただろうし
265日本@名無史さん:03/05/08 23:22
東條がもっと酷いから
いわば国民党治下で日帝支配を相対的によいと思うのと同じ
266日本@名無史さん:03/05/08 23:23
>>263
英機と仲悪かったからじゃないの?
田中新一も東條と仲違いしたおかげで助かったんじゃない?
奴の責任は、どう考えても、武藤より軽いとは思えん。
267日本@名無史さん:03/05/09 00:09
石原が現代に生きていたらやっぱりネット掲示板で自作自演しまくるんだろうか?
268日本@名無史さん:03/05/09 02:07
>>267
石原は俺こそがA級戦犯の一等って言ってたんおでは。
269日本@名無史さん:03/05/09 07:57
石原が酒田の極東軍事裁判出張法廷で、自分が満州事変を計画したのに何故戦犯に
指定されないのか、と言ったという話は伝説で信者の作り話らしい。
石原が、戦後も一部に人気があるのは、彼が戦時中から活動していた東亜聯盟の会員が
農村部を中心に多数おり又、退役後は講演会などで公然と軍部を批判していたことなどが
口コミで伝わりファンを増えていったのでは?ま、石原慎太郎信者みたいなものか。
270日本@名無史さん:03/05/12 10:45
石原が、先見の明があった例として出される西安事件。
引き合いに出される磯谷廉介サイドからすれば、また別の言い分があるみたい。
271日本@名無史さん:03/05/14 21:19
NHKで5.15やってまつ
272日本@名無しさん:03/05/16 11:09
5・15事件の青年将校たちについて教えてください。
273日本@名無史さん:03/05/16 11:25
教えます
274日本@名無史さん:03/05/16 12:43
>>272
中心人物は、実は5.15の時にはもう死んでました。
275日本@名無史さん:03/05/16 12:59
ところで、昭和六年度の世界的デフレは日本農民を、ひとたまりもなく
ひきつぶしてしまった。実に悲惨だ。たとえばブタに例をとってみよう。
1頭七円で買い込んだブタコロを六ヶ月育てて二十貫にする。
その二十貫のオヤブタを売るだんになるとなんと六円。
ブタコロ代七円の支払いに一円の足が出る。当時の一円は大変なものだ。
どうにもこうにもなるもんじゃない。飼っとけばエサを食わせるし、
飼料を買わねばならぬ。だから20貫のオヤブタをどんどん鹿島灘にほうりこんだ。
鹿島灘には20貫のオヤブタが累々とそのしかばねをさらした。が
小作争議に血道をあげて来た社会主義者や共産主義者はなにもやりはしない。
・・・伊達や酔狂で桜田門のマネなんか出来やしない。わしも命はほしい。  
わしはフェミニストで  愛妻家でね。・・・     橘孝三郎
276日本@名無史さん:03/05/16 13:05
三上某は禁固15年の判決を受けたが、1938年(在獄6年)で仮出所。
戦時中も海軍の一部にある程度の影響力あった。戦後は民族派運動の
重鎮として暗躍?してたが1971年、伊豆(だったと思う)の温泉宿で頓死。
277日本@名無史さん:03/05/16 13:42
三上は獄中でも獄吏から先生呼ばわりされて特別扱い。
278272:03/05/17 00:10
ありがとうございます。
このことが2・26につながっていったのですね。
中心人物は上海事変で戦死したのでしょうか?
279日本@名無史さん:03/05/17 07:00
海軍の革新将校といえば、藤井斉。上海事変で『加賀』から出撃して
撃墜され戦死。井上日召の共鳴者でもある。

280日本@名無史さん:03/05/17 08:19
暗殺グループに渡った拳銃は藤井斉らが海軍から持ち出したもので一味から
拳銃を預かっていた濱勇次大尉は海軍当局の厳しい取り調べを受けて発狂。
海軍病院から松沢病院に移されたが2年後退院。郷里の長野県で農場を開いた。
281日本@名無史さん:03/05/17 09:02
大蔵や安藤が血盟団員を匿ったりと、一応つながりはあったけど
一方で、西田が川崎某に襲われて重傷を負ったりもしている。
282日本@名無史さん:03/05/18 02:01
畑俊六と寺内寿一、純粋に戦略家又は最高司令官としてどちらが上ですか?
283日本@名無史さん:03/05/18 08:51
基本的に体制側の軍人どもは皆クズ。
テロリストのほうが人間的に好き。
284日本@名無史さん:03/05/18 09:03
寺内はインパール作戦で
内容よりも温情でGOをだしたから駄目
285日本@名無史さん:03/05/18 09:09
寺内寿一って武藤章のロボットでしたな
286あぼーん:あぼーん
あぼーん
287日本@名無史さん:03/05/18 11:09
でも、武藤章が第14軍方面軍(山下奉文)の参謀長として赴任後、南方総軍に対し
「南方総軍ならびに大本営の作戦指導が動脈硬化症状を呈し、そのため如何に多くの
人命が過去、現在のおいて無駄に失われ、かつ失われつつあるか、作戦失敗を虚心に
認識されたし」とまで極言したが総軍(寺内)は聞く耳持たず、決戦続行を命じている。
作戦開始前にも、決戦場をルソンから急遽レイテへの変更に山下大将が反対の意見具申
に対して「元帥は命令する」の一言で却下(命令は参謀の案かも知れぬが命令者は寺内)。
288あぼーん:あぼーん
あぼーん
289あぼーん:あぼーん
あぼーん
290あぼーん:あぼーん
あぼーん
291日本@名無史さん:03/05/19 01:40
>>282
畑俊六が明らかに幕僚の指導に秀でているな!
16年の支那派遣軍司令部は最強だ
292日本@名無史さん:03/05/19 17:36
寺内はロボット中のロボット。部下を信頼してすべて丸投げにする人だから。
陸相の時は武藤を信頼し、レイテの時は飯村を信頼してたんでしょう。
293日本@名無史さん:03/05/21 22:31
寺内ほど内容が無くて出世した者もいないだろう。
時流にのって中将以降はまさに幸運児。
かの「ゴーストップ事件」の当事者たる大阪第四師団の師団長。
これだけでも予備役に入れてもよかった気がする。
陸相が荒木貞夫だったという狂気の体制だったから生き延びたか?
元帥・首相経験者の息子で伯爵家の当主ということで食うには困らんのだが。
294日本@名無史さん:03/05/21 23:26
寺内タンの良いとこ探し

1)松前重義を助けた。
2)ボンボン育ちで欲が薄い。

295日本@名無史さん:03/05/22 01:23
おミズ遊びが過ぎて、激怒した親父によって水戸の連隊に飛ばされた寿一。
296日本@名無史さん:03/05/22 01:35
小さいころは源太郎のところに預けられてたこともあったらしい。
秀雄タンと寿タンは義兄弟。
297山崎渉:03/05/22 02:38
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
298日本@名無史さん:03/05/22 03:36
でも結局日本に帰ってくることはできなかったね。
一応首相候補にも挙がってたけ。
299日本@名無しさん:03/05/22 23:58
>>293
ゴーストップ事件とは何でしょう?
300日本@名無史さん:03/05/23 00:11
ググれ!
犬養内閣で、平時の街で一兵率が警官の干渉(信号無視)を受けたことによる
内務省と陸軍の対立。
結局ヘタレ文官が折れた。
301政治家にはだまされるなー!!有事法制反対!!:03/05/23 00:12
有事法制(戦争法)は必要ありません!!!

有事法制ができて、得する人たち(その理由)
1、日本政府  ―軍事的にアメリカ政府に良く思われる。市民の行動を監視し、命令どおりに従わせることができる。
2、アメリカ政府―アメリカが気に入らない国を攻撃するときに、日本に軍事的、経済的支援してもらえる。
3、政治家   ―アジアに対する軍事的支配を実現させる。愛国心をあおって、政治家としての地位を確実なものにする。
4、自衛隊   ―有りあまる武器を実戦で使うことができる。戦争ができる。

有事法制ができて、損する人たち(その理由)
1、日本国民  ―市民は日常生活における自由を制限され、財産は国家の所有物と化す。
           戦争に協力しなかったり、反対すると犯罪になり、懲役や罰金が科せられることもある。
           自分の家が軍事戦略的に邪魔なときは、没収、解体される。
           医療現場では兵士が優先的に治療され、市民は後回しにされる。
2、アジア    ―軍事大国である日本が、軍事的にアジアを威嚇することになり、アジア全体に軍事武装強化の動きが強まる。
3、世界     ―9.11以降、世界的に軍事的な緊張が高まるなか、さらに戦争やテロに依存する傾向が強まる。
4、平和にとって―話し合いによって進めてきた過去の平和外交を大きく否定することになる。

どちらでもない
1、北朝鮮   ―日本を攻撃する理由はない。戦争するための軍備も金も、資源も食糧もない。
            有事法制は北朝鮮に対して、軍事的に大きく刺激してしまうことになる。   

有事法制ができてしまうと、市民の人権や、生活の自由は大きく制限される。
有事法制は、国を守って市民を守らないものだという事を政治家が言っている。
北朝鮮は全然、戦争する気はないのだが、
北朝鮮問題を利用して、知らないに国会では、政治家や日本政府、アメリカ政府や
自衛隊などの権力者のための法律を作ろうとしています。
(武力に頼らない)本当の平和のために、市民の自由のために
有事法制は反対だ!と声を上げていきましょう!!!!!!!
もう、政治家にダマサレていてはダメ!!!!!!!!!!!
302日本@名無史さん:03/05/23 00:41
>>299
八連隊の一等兵が信号無視をしたところを、曽根崎署の巡査がふんづかまえた。
ところが兵隊が、憲兵の言うことしか聞かんとごねて乱闘となり、見物人が憲兵に
通報して大事になった。第四師団は、警官の行為は皇軍の権威を失墜させるものと
警察側に抗議、ことは井関参謀長と粟屋警察部長との論争に発展した。
荒木陸相は、一日も早く解決せよ、できなければ「皇軍の威信のため」中央部で
処置すると通達。師団側はますます強気になり、一等兵は、弁護士を代理人に、
巡査を憲兵隊に告訴した。事件から5ヵ月後に、和田検事正の斡旋で、和解に至った。
「曽根崎警察署長が第八連隊長に陳謝、連隊長は兵隊の不注意に遺憾の意を表する。
一方警察部長も師団参謀長を訪問、挨拶を交換する。告訴は取り下げ、折を見て
大阪府知事が、師団長を訪問挨拶する」というのが調停の内容だった。
303日本@名無史さん:03/05/23 02:57
>粟屋警察部長

粟屋仙吉だね。
この事件で引責辞任を余儀なくされた柔道の猛者にして、酒も飲まない潔癖なクリスチャン。
そこがまた陸軍の癪に触ったとか。
後に広島市長。そして原爆で落命。数奇な人生。
井伏鱒二の小説に出てくる。
304日本@名無史さん:03/05/23 03:14
俗に言うゴー、ストップ事件ね。
305日本@名無史さん:03/05/24 21:21
寺内自身は、第四師団長で終わりと思ってたようだが、
ゴーストップ事件の対応が荒木に気に入られた?のか台湾軍司令官に栄転した。
306日本@名無史さん:03/05/24 21:52
同じように、第十二師団長だった杉山元も、福岡日日新聞の硬骨のジャーナリスト
菊竹主事が、軍に批判的な記事を書くということで、福日の社屋の上に、爆撃機を
飛ばして旋回威嚇させた。菊竹はびくともしなかったが、荒木がこれを喜んで、
杉山を航空本部長に返り咲かせた。
307日本@名無史さん:03/05/24 21:59
荒木って・・・・・バカ?
308日本@名無史さん:03/05/24 22:06
>>306
事実でつか?
309日本@名無史さん:03/05/24 22:09
確かに皇道派ってバカっぽいな。
310日本@名無史さん:03/05/24 22:59
高宮太平の「軍国太平記」には、確かにそう書いてあるな。
高宮は福岡出身で杉山に可愛がられ、その流れで小磯永田東條武藤ら
統制派と親しかった。
311日本@名無史さん:03/05/25 19:08
朝日の高宮は統制派より。読売の岩淵は皇道派より。
312日本@名無史さん:03/05/25 19:36
近衛は皇道派好き、天皇は皇道派嫌い。
313日本@名無史さん:03/05/25 19:38
岩淵辰雄は近衛のブレーン
314日本@名無史さん:03/05/26 02:35
どなたか朝枝繁春中佐参謀について教えて下さい。
315日本@名無史さん:03/05/26 04:34
>>263
日蓮宗に力のある人だったから、日蓮系の信仰を持っている人が書くと
石原莞爾に同情的になる。

「虹色」を出している潮出版は、日蓮宗創価学会の出版部。
316日本@名無史さん:03/05/27 23:13
朝枝・・・まだ生きてるんだっけ?たしか。
317日本@名無史さん:03/05/27 23:15
あなたが探してる話題あれはこれでしょ♪
http://endou.kir.jp/betu/linkvp/linkvp.html
318山崎渉:03/05/28 10:43
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
319日本@名無史さん:03/05/28 15:44
>>316
2,3年前に亡くなったはず
320日本@名無史さん:03/05/31 18:36
日蓮信者といえば、佐藤鉄太郎海軍中将も。秋山弟は大本教だったっけ?
321日本@名無しさん:03/05/31 21:33
>>320
そうだと思う。息子の大がそこの僧侶になったんじゃなかった?
322日本@名無史さん:03/06/01 01:55
佐藤鉄太郎も森山慶三郎も大将になれなかったね。
加藤友三郎は厳しいなあ。
323日本@名無史さん:03/06/01 01:59
軍縮した張本人だからね。>大カトー
まあ、人事についての批判は高木惣吉もしてるね。
324日本@名無史さん:03/06/01 08:45
森山って誰ですか
325日本@名無史さん:03/06/01 09:11
森山真弓
326日本@名無史さん:03/06/01 09:18
森山慶三郎(中将)のことでっしゃろ。
佐賀県出身、海兵17期、秋山と同期、各戦隊司令官、大湊要港部司令官
呉工廠長など、あまり陽の当る配置にはなかった。
327日本@名無史さん:03/06/01 12:46
>>323
高木惣吉の海軍人事批判って、どういうの?
加藤友三郎の人事について?
それとも米内光政の人事について?
米内人事については、たしかに批判的なことを言っていた気はするけど。
328日本@名無史さん:03/06/01 20:38
海軍人事(1)
山本権兵衛が海軍官房主事時代に、赤松則良・林清康・松村淳蔵ら将官9人、
佐官尉官89人を整理。
海相に就任後も柴山・日高ら艦隊派の勢力を削ぎ、自派を伸張。

海軍人事(2)
シーメンス事件後、海相に就任した八代六郎によって、山本・斎藤が待命。
財部も閑職に。

海軍人事(3)
加藤友三郎は海相として、片岡七郎・八代六郎・加藤定吉・名和又八郎
山屋他人・山路一善・森山慶三郎・佐藤鉄太郎らを整理した。
ただ、特別恣意的なものは感じないが。
329名無し:03/06/01 20:55
>1:日本に軍閥なんて無いよ。軍閥というのは、清朝滅亡後の
シナの地方政権のことだよ。中央政府のある日本には存在しない。
これも従軍慰安婦や南京事件と同じうそだよ。
330日本@名無史さん:03/06/02 02:10
大加藤は海兵同期の吉松茂太郎大将、藤井較一大将も自らの手で整理している。
331日本@名無史さん:03/06/02 02:44
>>302
おかげ伝統的に警察の一部は今も自衛隊が嫌い。
オウム事件の時に信者に自衛官が多数いたことで、さらに…とか。
332日本@名無史さん:03/06/02 06:49
>329
日本の軍閥という呼称は、便宜上そう呼んでいるのであり財閥、閨閥、薩閥などと
同じ類。世界百科事典などでも、その一般呼称に基き解説してるので無いとはいえない。
そう瑣末なことに目くじら立てなさんな。一知半解はコヴァたちの常態ではあるが。
333日本@名無史さん:03/06/02 23:03
養子の隆義はどっちかというと、艦隊派じゃなたかな
小林躋造は甥だっけ?
334日本@名無史さん:03/06/02 23:13
加藤(船越)隆義は加藤寛治軍令部長らとともにロンドン軍縮条約に
強く反対し、艦隊派の中でも強硬派として知られる。
335日本@名無史さん:03/06/02 23:20
隆義の生家って船越衛と関係あるの?
336日本@名無史さん:03/06/03 00:44
>>335
実家だよ。広島(安芸藩つながり)
加藤隆義は子爵を継いで侍従武官などを歴任。
軍令部次長に就任したことで艦隊派の急先鋒と目される。
だいたい過激な艦隊派は作戦優先の軍令部勤務の長い香具師が多い。
義父とはまったく正反対の海軍人生を送ったといえよう。
337日本@名無史さん:03/06/03 17:29
>>336
やっぱりそうか。衛の息子?
338日本@名無史さん:03/06/04 22:08
海軍は名誉進級がなかったから、大将中将の数が陸軍と比べて少ない。
339日本@名無史さん:03/06/04 23:34
>>338
>海軍は名誉進級がなかったから、大将中将の数が陸軍と比べて少ない。
名誉進級は普通にありましたが何か?
そもそも陸軍と海軍とでは人員も違えば組織の大きさが違いすぎ。
組織が大きければ必然的にポストも増える。
ポストが増えればその地位の人間も増える。
それだけの話。

340日本@名無史さん:03/06/05 00:35
楽しい二・ニ六事件
341335:03/06/05 06:48
自己レス
息子だね。養子に入ったのは大分遅いみたい。
342日本@名無史さん:03/06/10 20:15
何かネタは無いかな
343日本@名無しさん:03/06/11 20:32
白川義則は無派閥ですか?
344日本@名無史さん:03/06/11 20:35
>>343
宇垣と仲良かった。
345日本@名無しさん:03/06/11 20:45
>>344
てことは、同じ政界の惑星扱いですか?
346日本@名無史さん:03/06/11 20:55
>>345
いや政界には縁がなかったと思うが
宇垣、白川、鈴木壮六あたりがつるんで、
上原と対抗してた。
347日本@名無史さん:03/06/11 20:56
陸軍と海軍てどれくらいの人数差があったの?
348日本@名無しさん:03/06/11 21:01
>>346
渡辺錠太郎と宇垣・白川は仲がよかったのでしょうか?
349日本@名無史さん:03/06/11 21:05
渡辺が尊敬してたのは山縣だけだと思う
350飛び入り:03/06/11 21:09
陸軍の将官数3473人(大将134人)、他に将官相当官607人、計4080人。
海軍の将官数1647人(大将77人)、将官相当官489人、計2136人。
351日本@名無しさん:03/06/11 21:11
山治元治って容堂の側近?
352日本@名無史さん:03/06/11 21:27
白川と宇垣は、同い年じゃなかったっけ
353日本@名無史さん:03/06/11 21:29
鈴木白川宇垣は陸士の1期生
354日本@名無史さん:03/06/11 22:23
>>347
将官だけをみるなら >>350 の通りだが佐官以下の士官や下士官・兵までふくめると
人数比の差はもっと大きくなる。
355日本@名無史さん:03/06/12 01:10
宇垣白川は悪くなかったけど特別親密ではなかったと思うが。
356日本@名無史さん:03/06/12 05:39
ある統計では、敗戦時の陸軍兵員数547万人、海軍242万人(この当時は艦船はほとんどなく、
航空機も数が減っていたので当然陸戦要員)。当然この人数に応じた下士官、下級将校が必要。
357日本@名無史さん:03/06/12 05:44
もちろん、通常時の海軍要員はこんな厖大な数はいらない(356追記)。
358日本@名無史さん:03/06/12 07:14
↑ これ見ると、やはり海軍も紛れもない官僚機構だと分かる。
実質、海軍力としての兵力(装備)は存在しないのに、組織を維持するため
陸軍の真似事(陸兵増強)をして人員の膨張は続ける。
359日本@名無しさん:03/06/13 21:57
そんなにいたんですか。凄まじいですね。
360日本@名無史さん:03/06/14 19:10
文藝春秋読んでてふと思いついたネタだけど、
阿部内閣の陸相選びって、あまり話題にならないね。
その後の人事を考えると、かなり重要なポイントだと思うけど。
昭和天皇は何であんな発言をしたのか?東條一派の陰謀はあったのか?
361日本@名無史さん:03/06/14 20:34
昭和天皇は防共協定強化問題で陸軍の動きに不快感をもっていたとか。そこで、
侍従武官としての畑の日頃の言動、考えを知っていたので、紀律重視型の畑、梅津
を陸相に据えれば陸軍を統制できるのではと考えていた(特に畑に好感もっていた)。
362日本@名無史さん:03/06/14 20:44
昭和天皇独白録
阿部内閣の成立には軍部大臣の選定が一番大きな問題であった。
当時、新聞では陸相候補として、磯谷中将外一名が出ていた。
この両名では又日独同盟をもり返へす怖れがあるし、又当時
政治的に策動してゐた板垣系の有末軍務課長を追払ふ必要があったので
私は梅津又は侍従武官長の畑を陸軍に据ゑる事を阿部に命じた。
阿部はこの問題では随分苦慮したらしいが板垣に相談した処、
板垣は梅津に反対したので阿部は畑を大臣に据ゑる事になった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
>磯谷中将外一名の外一名は多田中将のこと。この2人が日独同盟に熱心というのは
聞いたことが無いが、熱心だった前任の板垣との関係の深さが憂慮されたのかな。

363日本@名無史さん:03/06/14 20:51
山脇正隆の回想
昭和十四年八月二十八日、平沼首相が辞意を表し、板垣大臣はこれに同意を表した。
そこで陸軍省では早速後任の陸軍大臣の内選に移った。
いろいろの意見もあったが、八月末には次のようにまとまって来た。
一.東條案
これは防共協定が不可能となり、陸軍の今後の動向も考慮してこの際向こう意気の
強いのが必要である。しかし東條さんは人事に対する意見があまりに一方的に
はっきりしており、国内に対する評判も心配がある。あまり強硬な主張をすると、
かえって諸問題の成功を阻むものであるから、との理由の下に板垣さんも我々も
同意見で反対をした。
二.西尾案
これはやむを得ない時は西尾さんという案も出るだろうが、今は支那総軍司令官の
引当てになっている。また中級将校には西尾さんに反対意見が多い。
364>363の続き:03/06/14 20:53
三.磯谷案
これは誰もが第三案に挙げる案であったが、最近のノモンハン事件の
当面の責任者であり、また軍司令官の責任処罰をすることになるかも知れないのだから、
この際問題とすることができない。
四.多田案
これはとくに人事に於いて、東條案と反対で普遍的であるがその周囲の人選がよければ
公平な人事を行い得ることができるであろうから、他に人がいなければ仕方がなし
これで行く外はない。と多田案で進めることになり、飯沼人事局長が飛行機で満州に
行った。多田第三軍司令官は、「時局柄、板垣閣下が是非陸相に留任してもらいたい。
中央部から返事があるまで人事局長は待っていて欲しい」との旨であった。
陸軍省はこの返答に困った。さてどうしよう、と協議をしている最中、天皇陛下から
侍従武官長を通じて御意図が下された。(大将、当時陸軍次官)
365日本@名無史さん:03/06/14 20:59
飯沼守の話
「八月二十六日午後五時頃、大臣に呼ばれて陸相官邸に行く途中、
軍務局長町尻量基に会った。町尻は、”軍務局では後任陸相は東條英機中将で
意見が一致している”という。僕は東條は”不賛成”といって大臣室に入った。
大臣から”三長官会議で後任陸相に関東軍第三軍司令官の多田中将が
決定した。満州へ行きその旨伝えよ”といわれた。
新京で植田軍司令官と磯谷参謀長に伝えたところ、磯谷が
”満州国の防衛を軽く見てもらっては困る”と、多田を陸相に出すことに反対。
二十七日二十八日と板垣陸相、植田軍司令官の間で電報のやり取りが行われ、
多田を出せ出さぬと押し問答が続いた。急に大臣から多田中将に伝えることは
中止して帰京せよとの電報が来た(後略)」(中将、当時人事局長)

366日本@名無史さん:03/06/14 23:46
28日に「後任は磯谷」という”誤報”が各紙に出たが、これがポイント。
あくまで後任候補は多田であったにもかかわらず、戦後かかれた独白録でも
「磯谷中将外一名」とかかれているのを見ても、この”誤報”が天皇に与えた
インパクトは相当なものだったのがわかる。もしかしたら後任人事に口を出す
きっかけも、この報道にあったのではないか
確かに人事局長が向かった先に磯谷がいたのは確かだが、
陸軍省に詰めてた記者たちは後任は多田とみんな知ってたらしい。
もしこの”誤報”が意図的に流されたものだとしたら・・・・・
ちなみにこのころ木戸のところを加藤泊次郎が訪ねているが・・・・・
367日本@名無史さん:03/06/15 16:15
>>358は船に乗っている人間だけが海軍軍人だと相変わらず思い込みの禿しい伊達遠江守家中だな。
368日本@名無史さん:03/06/15 19:09
>>367
平時だとあながち間違いとも言い切れないがな。
無論、陸上にも部署や部隊はあったけど数は知れてるし。
369日本@名無史さん:03/06/15 19:31
陸戦隊があったのぐらい知ってるわい!
でも、いくら艦船がないからといって200万人を超す陸兵が海軍に必要か?
本土決戦用なら陸上戦に手馴れた陸軍に任せるべき(358)。
http://school2.2ch.net/test/read.cgi/kouri/1051379467/l50

私がうさんくさい自称予備校講師の誤りを指摘しているにも関わらず
非論理的な意見を述べ、揚げ足ばかりとる煽りを何とかスレッドから
追放したいので申し訳ありませんがみなさん協力してください。
過った知識で受験生達を困惑させてしまいたくないのです。どうかお願いいたします。
371日本@名無史さん:03/06/15 20:07
ま、集めてみても終戦間際には満足な武器もなく、やることといったら
設営とか穴掘りといった土木作業員みたいなことだけ。だから、予科練生
などは予科練ならぬドカ連などと自嘲してた。兵員数、戦史叢書では169万人、
戸部良一(防大教授)の著では242万人となっているが、いずれにしても多い。
なお、陸軍の兵員数は両著とも547万人。
372日本@名無史さん:03/06/15 20:25
ついでだから、陸戦隊のレクチュアー(薀蓄)でも一つやるか。
日本海軍の陸戦隊の歴史は1868(明治元)年、蘭、英に倣って常備の海兵隊が
創設され、艦船に乗組み、衛兵などの任務に。有事には上陸戦闘にも従事。
だが、1886年廃止、替わりにその任務は艦船乗員が行うことに。同時に、各艦
には陸戦隊部署が定められ選抜配置された者により陸戦隊が編成された。平時には
警備、居留民保護、戦時には上陸戦闘や局地の占領など。他に、艦船乗員以外の
特別任務の陸戦隊も編成され、日露の旅順、ww1の青島、上海事変の上海特別
陸戦隊(しゃんりく)などが知られる。
373日本@名無史さん:03/06/15 20:31
↑ だが、1886年廃止⇒だが、1976(明治9)年廃止。
374日本@名無史さん:03/06/16 00:22
>>368
陸上にいる海軍軍人は陸戦隊だけちゃうだろ。
内線部隊だけでも四大鎮守府に大湊・大阪・馬公・旅順などの警備府があるし、外地も含め
れば特別根拠地隊や傘下の警備隊がある。
航空隊にしても、空地分離の影響で飛行機を持たず整備・兵站部隊だけからなる乙航空隊
と称する部隊が多数存在している。
また、大本の官衙としての海軍省・軍令部・艦政本部・航空本部や兵学校・機関学校に代表
される各種教育機関も陸上にいる海軍軍人だよ。
これらを「陸兵」ってひとくくりに総称するのはどうなんだろ?
つーか>>358みたいなのが、正面装備だけに気を取られて兵站を重要視しない帝国陸軍式
発想の典型なんじゃないの?
375日本@名無史さん:03/06/16 04:10
山本五十六が長官着任時の聯合艦隊乗り組み四万人というのを基準に考えよう!
376日本@名無史さん:03/06/16 06:15
>374
そういうのはわかっているの!フネがない海軍の戦闘部隊の代表として陸戦隊を挙げただけ。
一般官衙の人員はそんな厖大な数必要ない。それに、根拠地隊は実質、陸戦隊(358、371、372)。
377日本@名無史さん:03/06/16 06:37
それに、正面装備ばっかに力いれたのは海軍も同じ。主力艦の数ばかりを重視
補助鑑定の運用を間違えた。特に潜水艦の運用は、米の提督から「古今の戦史
において、主要な武器が、その真の潜在能力を少しも把握されずに使用された
希有な例を求めるとすれば、それはww2における日本潜水艦の場合である」と
酷評される有様(潜水艦も正面装備ではあるが)。海軍の補給は、前線で長期間
の作戦に従事することはないし、最小限のモノは戦闘員と同じフネに積んでいけ
るので陸軍のような深刻な状況にはならなかっただけ。
378日本@名無史さん:03/06/16 06:39
補助鑑定⇒補助艦艇(377)
379日本@名無史さん:03/06/16 07:02
言いたかったのは、海軍力としてのプレゼンスはほぼ喪失しているのに
陸兵という姑息な手段で組織維持をはかる海軍の官僚体質。残存航空機
だって、前線ではツギハギだらけ。特攻機に、練習機まで刈り出す始末。
温存していた機も満足な航空燃料もなく性能を発揮できない。問題が、
違う方向にそれてしまったが。

380日本@名無史さん:03/06/16 07:15
>>376
>一般官衙の人員はそんな厖大な数必要ない
???
省、軍令部、鎮守府のほかに、工廠の工員さん(軍人ではないが海軍には属している)
とか考えると、えらく膨大になりますが…
私も>>374と同じ疑問を持つ者であります。
>>376氏は素人さんだと思うのですが、資料を自分でチェックしたことありますか?
381日本@名無史さん:03/06/16 08:09
だから、肝心の実施部隊(海軍力)がないのに、何で、そんなに後方支援組織に
人員が必要なのかと言いたいの。これらは、実施部隊あればこそ必要な組織。
382日本@名無史さん:03/06/16 19:07
>>380
>工廠の工員さん(軍人ではないが海軍には属している)
とか考えると、えらく膨大になりますが…

どのくらいの人数でしょうか?
383日本@名無史さん:03/06/16 21:26
>>381
つーか356による242万人の内訳を上げてくれ
それがなければ戦争末期にそれが妥当かどうかの判断などできん。
384日本@名無史さん:03/06/16 22:50
内訳なんぞ分からん。先に戸部のあげた数字を書いたが、あとで戦史叢書の数字も
参考に挙げておいたが、こちらにも内訳なんぞ書いてない。戦死者の数さえ出処に
よって違う国だからどちらが正確かはわからん。陸軍の数字は第1復員局作成。
385日本@名無史さん:03/06/17 00:07
>>384
何のための人員が確保されたかわからんのに必要なかったと主張されても説得力がないよ。
輸送船修理するための町工場の人間も海軍軍属とかの数字にいれてるかもしれんし。
戦闘力は壊滅したけど、海上活動は終戦まで必死で行われてたんだから
386日本@名無史さん:03/06/17 22:18
>>379
そうだそうだ! 海軍軍人のくせに海軍工廠で軍艦修理してたり倉庫で物資の管理してた
り、空技廠で研究やってたり練習航空隊で教官や練習生してたり回天や震洋で最後の出
撃の時を待ってたり、最後にわずかに残った海防艦で朝鮮半島や満州から代用燃料製造
用の大豆輸送の護衛をしてたりするのは姑息だぞ!
そんな海軍力としてのプレゼンスに関係していない海軍軍人なんか陸軍の二等兵で徴兵
して海岸で蛸壺掘らせてればいいんだ・・・・














と一見>>379に同意しているように見せかけて皮肉ってみるテスト
387日本@名無史さん:03/06/17 22:19
http://homepage3.nifty.com/coco-nut/
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!
388日本@名無史さん:03/06/17 22:44
>>386
>と一見>>379に同意しているように見せかけて

全然そうは見えなかったよw
389日本@名無史さん:03/06/19 01:28
プ板より救助信号!

【旅順要塞は】乃木だけはガチ【お化け屋敷】
http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/wres/1055939107/l50
390日本@名無史さん:03/06/29 23:16
孫引きになるが、高木俊朗『抗命』のなかで、佐藤幸徳の遺稿が引用され、
その中に彼自身の派閥観が書いてある。佐藤によると
皇道派=荒木貞夫、真崎甚三郎、柳川平助、小畑敏四郎、山岡重厚、山下奉文、
      岡村寧次
保身栄達派=宇垣一成、杉山元、二宮治重、梅津美治郎、河辺正三、
      河辺虎四郎、柴山兼四郎
粛軍派(統制派)=小磯国昭、松井石根、建川美次、永田鉄山、東條英機、
      樋口季一郎、佐藤幸徳
満州組=板垣征四郎、石原莞爾
革命家=橋本欣五郎
利口にして世渡り上手組の筆頭=阿部信行、畑俊六
貴族=寺内寿一
超然とした学者肌=下村定

もちろん因縁の牟田口は皇道派

391日本@名無史さん:03/06/30 01:21
戦艦「大和」の最期の写真発見される

太平洋戦争末期の1945年4月、沖縄水上特攻作戦に出撃した
旧日本海軍の象徴、戦艦「大和」が、九州南西沖で繰り広げた
米空母艦載機群との死闘の模様を撮影した米軍側航空写真と
戦闘記録が24日までにワシントン郊外の米国立公文書館で見つかった。
 戦史家の原勝洋氏が入手したもので、対空戦闘で世界最大の
46センチ主砲を発射する大和の艦影が映し出された未公開写真もある。
また、右舷に命中した魚雷が巨大な水柱を上げる生々しい瞬間や、
爆煙に覆われてのたうち回る断末魔の姿が米軍機によって克明に捕らえ
られている。 (時事通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030624-00000733-jij-int
392日本@名無史さん:03/07/01 08:42
●右翼団体の青年組織が組織的な書き込みを行うことは、ひろゆきも認めている。
●過去、某女子大サイトにリンクした左翼叩きスレッドを2ch中に乱立させた
のは、生長の家信者であることが、宗教板の生長の家スレの過去ログで確認されている。

●韓国叩きスレでしばしば引用される、日韓併合と植民地支配を近代化論の
立場から正当化するサイトの歴史観が、生長の家の歴史観と酷似するという識者の指摘がある。
●また、日韓併合と植民地支配を近代化論の立場から正当化するサイトの多くが、韓国以上に
日本国内の「反日左翼」に対する病的な敵視を特徴としている。

●韓国とは対照的に、彼らが礼賛する台湾に対する認識が、生長の家の熱心な信者である蔡焜燦の
「台湾人と日本精神」、および、蔡がすべてを手引きして小林よしのりに書かせたといわれる
●「台湾論」の、誤った記述に依拠している。
●社民叩き、朝日叩き、中国韓国叩き、日教組叩き、市民団体叩き、および、「大東亜戦争」肯定、
靖国公式参拝推進、石原慎太郎待望論、台湾礼賛を目的とするそれぞれのスレで、上記の認識が

●通奏低音として存在する。いわゆる、2chの神道系による政治的「板」買い取り不明事件である。
●女子高生に小バカにされて右翼団体や宗教に抱かれるような落ちこぼれが増加しているらしい。
●昨年、「歴史教科書の採択が日教組に妨害された証拠」とする内容のスレが乱立したが、
日本青年協議会(生長の家系右翼団体)サイトの、表からリンクされていない画像ページを引用していた。
●右翼団体の青年部が日がな一日常駐している,,,
393日本@名無史さん:03/07/03 20:16
佐藤幸徳は陸大をドベで出たらしい
394日本@名無史さん:03/07/03 23:26
>>393
しかし佐藤は指揮官としては有能では?

逆に、そこそこ陸大では成績優秀だったっぽい牟田口の無能っぷりって…
395日本@名無史さん:03/07/04 19:08
牟田口もインパールさえやらなけりゃ、マレー・シンガポールの勇将でとおったのにな
396日本@名無史さん:03/07/04 19:45
2.26事件当時、牟田口は佐官だったが、皇道派に分類されていたという。一方、
佐藤は東条少将(当時)と親しく統制派寄りだったとか。その時期、佐藤は参本
人事課長だった牟田口が自分を敵視してスパイを張り巡らせていると信じていた。
397日本@名無史さん:03/07/04 20:19
牟田口は佐賀だからね。ただ真崎は、牟田口は永田の推薦で取ったと言ってる。
398日本@名無史さん:03/07/05 00:16
牟田口も陸大の席次はあんまりいいほうじゃないけどね。
むしろ、牟田口にインパール作戦の最中にクビにされた
祭の山内・弓の柳田両師団長が恩賜だったと思う。
ちなみに2人の後任は無天の叩き上げ。
399日本@名無史さん:03/07/05 00:20
>>395
牟田口は盧溝橋事件引き起こして日中戦争引き起こしましたけどね…

盧溝橋事件で行方不明扱いされた兵士は、インパール作戦従軍して
お亡くなりになり、盧溝橋事件について戦後証言を得ることができなくなり…
400日本@名無史さん:03/07/05 00:30
「撃たれたら撃て」という牟田口の言葉に、一木清直はびっくりして
何回も電話口で確認したんだよね。ただ政府がその後の対応を
ちゃんとしておれば、あれはそんな大事にはならなかったと思う。
支那事変の責任は大本営のほうにあるでしょう。
401日本@名無史さん:03/07/05 00:39
柳田は陸士26期首席で陸大も5番以内、山内は陸士、陸大の席次は不明だが
米国の陸軍参謀学校卒で、駐米武官も勤めた知性派、一方、佐藤は牟田口に
似た単純タイプの実戦派で、張鼓峰、ノモンハン事件で積極的だった。だが、
牟田口とは長年の反目し合った間柄なのでシックリいかなかったらしい。
402日本@名無史さん:03/07/05 00:58
柳田の後を継いだ33D(弓)の田中信男師団長の陣中日誌が残っている。
s19/5/23 柳田中将より申送りを受く。悉く悲観論なり。戦況は刻々
不利にして全滅は時間の問題なりと。前任者は士官学校の首席、陸大の
軍刀組なるもあまりに神経鋭敏なれば、斯くの如き悲観的に物を見るならんか?
頭の良きは此種難局に際し兎角弱気が出るなり。・・・。だが、強気の田中も日が
経つにつれ現実を知ることになるのだが。
403日本@名無史さん:03/07/05 01:07
まあ、田中も柴田も牟田口に相当吹き込まれてたんだろう。
インパール作戦に反対して更迭された1参謀長小畑信良少将は
名前からしてグアムで玉砕した小畑英良中将の弟かな?
終戦後昭和31年までシベリアに抑留されたんだよね。運が悪いというか・・・・
404日本@名無史さん:03/07/05 09:52
でも、現実を知った後の田中師団長は次の様な言葉も残している。

http://www.asica.jp.contents/mirai/
405日本@名無史さん:03/07/05 09:54
406日本@名無史さん:03/07/06 19:01
牟田口って結局戦争裁判でどういう判決受けたの?
407日本@名無史さん:03/07/06 19:04
無罪のはずだが(シンガポールに送られたような?)。
408_:03/07/06 19:06
409日本@名無史さん:03/07/06 19:17
そう。シンガポール。河村参郎の遺著に一緒に収監されてる様子が載ってる。
やっぱり無罪か。
410日本@名無史さん:03/07/08 22:16
牟田口って敵より味方殺しまくったから無罪になったんか?
411日本@名無史さん:03/07/11 15:45
戦後はおとなしくしてたみたいだけど、
英軍の将校が作戦をちょっと誉めるみたいなことを言い出したら・・・・

もう途端に自己弁護の嵐。同期からも
「よくあれで牟田口は生きていられる、自殺するか出家すればよいのだが」
と言われる始末。
412日本@名無史さん:03/07/11 15:53
戦後亡くなった部下の葬式で「自分は悪くない」てビラまいたんだろ?
413山崎 渉:03/07/12 11:41

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
414日本@名無史さん:03/07/12 11:53
>412
英軍中佐の手紙(貴殿の作戦破は正しかった。ついては、貴殿の作戦の目的を
教えてほしい、という内容)を基に、「我が作戦に誤りなし」というパンフを
生前に印刷、41/8に死んで葬儀の際、会葬者の1人1人に「お礼」として渡した。
415日本@名無史さん:03/07/13 03:10
小畑信良(30)は大阪出身、輜重の専門家で、小畑英良(23)の弟。
英良は騎兵から航空に転じ、サイパン防備の第三十一軍司令官に任命されたが、
偶々よその島を視察中に米軍がサイパンに来襲。結局サイパンには還れず、
サイパン守備隊は玉砕。彼もその後グァムで玉砕。死後大将に昇任。
416打通さん:03/07/14 16:50
君たち! 支那派遣軍総司令官 岡村寧次閣下について語ってくれ
417日本@名無史さん:03/07/15 00:25
派閥抗争に敗れたドサ周り大将。

永田が生きてたから岡村も光ってた。
永田と小畑の抗争を阻止できたの自分だけと、後悔してたけどどうだか。
418日本@名無史さん:03/07/15 03:18
>>410
戦犯は複数回に分けて裁判する予定だったが、冷戦が始まり
朝鮮戦争が始まったから、無罪になった。
419山崎 渉:03/07/15 11:35

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
420日本@名無史さん:03/07/15 15:10
江戸っ子
421日本@名無しさん:03/07/17 22:47
宮崎繁三郎について教えてください。
422_:03/07/17 22:48
423日本@名無史さん:03/07/17 22:56
>>421
陸士は26期。インパール作戦で烈の歩兵団長として活躍。
牟田口は、佐藤じゃなくて宮崎が師団長だったら良かったのに
と件のイギリス人相手に書いてる。
424日本@名無史さん:03/07/17 22:57
部下を無駄に死なせず現地住民の支持を裏切らず、
なおかつインパール作戦に於いて唯一目的を達成した将軍。
425日本@名無史さん:03/07/17 23:00
実際に宮崎将軍だったら作戦も成功したのかしなかったのか。
今考えてみたら作戦成功を至上にして結果的に犠牲を増やしたかも。
作戦の本筋から外れた部隊を指揮したから未だ余裕があったのかもしれない。
426日本@名無史さん:03/07/19 12:29
岡村は一度中央に返り咲くチャンスがあった。平沼のとき、次の陸相やってほしいと
人事局長から要請を受けて断ってる。
427日本@名無史さん:03/07/19 16:37
どうして陸相人事に人事局長が口を出せたの?
あの頃、昭和天皇お気に入りの陸相候補は梅津と畑ではなかった?
428日本@名無史さん:03/07/19 17:07
三長官(陸相、参謀総長、教育総監)の人事は基本的に三長官会議で決める。
当然幕僚の意見も反映はされるが。
野田人事局長が岡村を訪ねたのは14年の12月5日。阿部内閣がもう倒れるという時。
三長官の意向を受けて来たと考えるのが妥当だろう。岡村は自分より梅津が適任と
辞退したが、執拗な要請に、他に人がいなければ犬馬の労をとろうと答えた。
しかし結局、米内内閣では畑が留任した。
天皇が口を出した畑のとき(阿部内閣の組閣時)は例外中の例外。
ちなみにそのときの三長官の決めた後任陸相は多田中将だった。
429日本@名無史さん:03/07/20 17:53
http://www.nhk.or.jp/archives/fr_yotei.htm
7月20日

午後11:10〜翌午前0:40(90分)


■NHK特集
 「戒厳指令…交信ヲ傍受セヨ
  〜二・二六事件秘録〜」
430日本@名無史さん:03/07/20 19:43
↑ 20年以上前に放映したやつだね。まだ、健在だった鈴木貞一や先年、亡くなった
池田俊彦元中尉なども出てる。安藤大尉と北、栗原中尉と真崎の会話もある。
431日本@名無史さん:03/07/20 20:24
2.26時の鈴木貞一はどとらかというと青年将校を弁護してた。
432日本@名無史さん:03/07/20 20:29
>>429
おもしろそうなので期待
433日本@名無史さん:03/07/21 03:11
>安藤大尉と北

北は偽者だったとさ・・・てか初めて見たけど良かった!
歴史の生き証人が大勢いることに今更ながら興奮。
上司と部下の会話には聞き入ってしまったよ
434日本@名無史さん:03/07/21 07:19
山下奉文は自宅を盗聴されるようじゃ、完全にマークされてたみたいだ。
435日本@名無史さん:03/07/21 08:58
最近の226番組は、「ヨォーッく わかっとる!」の真崎吊るし上げがパターン化しててつまんないけど、
これは客観的に攻めてて非常にヨカッタね
「だれがいい?真崎か?柳川?」あたりの話にはムチャクチャ興奮した
生き証人が出てくると迫力が違うわなぁ・・・
このスレのお陰で見れますた、謝謝!
436日本@名無史さん:03/07/21 10:36
2.26の後、中央から飛ばされて復帰できなかった山下と、
統制派の東条内閣で国務大臣・企画院総裁となった鈴木の違いは何?
処世術の上手下手といえばそれまでだけど。
437日本@名無史さん:03/07/21 11:00
高宮の本には貞一の二又膏薬っぷりが描かれてるけど
仕事も抜群にできる人だったらしい。
438日本@名無史さん:03/07/21 11:17
電話の口調からもその敏腕さがうかがえる
439日本@名無史さん:03/07/21 11:50
見ていて非常に疑問に思ったのだけれど、
鈴木はどうして、反乱軍に対する説得について、
盗聴の対象になっている自宅から古荘次官へ電話したのだろう?
直接会って話すか、勤務先の内閣調査局から電話をする方が自然ではないか?
盗聴・録音されているのを知っていて、後日の保身のためにあえて自宅からかけたのだろうか?
440日本@名無史さん:03/07/21 13:57
盗聴をばらす馬鹿はいない
441日本@名無史さん:03/07/21 14:30
盗聴されていることを知らないなら余計に、鈴木の古荘次官への電話は自宅の電話から話すような内容に思えないんだよ。
直属の部下が幸楽に立て籠もって接触できず、電話での説得を試みた機関銃中隊の中隊長の電話は自然だけど。
442日本@名無史さん:03/07/21 15:38
あそこまでクオリティの高い226事件を扱った番組は
関係者がほとんど死んだ今では絶対に不可能だろうな

本人が直接出てきて喋るってやっぱ勝てないよ
443日本@名無史さん:03/07/21 20:13
>>439
事件発生時、自宅にいて簡単に出歩ける状況じゃなかったんじゃないか?
444日本@名無史さん:03/07/21 21:19
山下奉文が、マレー作戦時の日記に辻政信のことをぼろ糞に書いてたのも、
作戦にシャシャり出て口出すことに対する怒りだけでなく、自分をドサ回りさせる
統制派(辻は何かと皇道派を監視してた)に対する私怨もあるような気がする。
445日本@名無史さん:03/07/21 22:24
>>444
マレーの虎も、松本清張「昭和史発掘」ではボロカス
「山下はその巨躯を買いかぶられ、自分でもそれを気どって日ごろ豪放なことを云っていたが、
実は狡猾な官僚主義者であった。」
山下が告示文を青年将校の前で3回棒読みしたところね。
446日本@名無史さん:03/07/21 22:39
>>444
ドサ回りって表現は当てはまらない
447日本@名無史さん:03/07/21 22:48
たしかに、山下は巨体に似合わず、意外に神経質で細かいところがあったらしい。
歩兵3連隊長時代、前任の永田鉄山が部下に「おい、連公、飲ませろ」と叫び
深夜、自宅の襲ってクダまいても永田はいつもニコニコしてた。一方、山下は
連公呼ばわりは黙認したが、夜間の訪問は認めず、必ず事前連絡を求めたという。
営内巡視でも、炊事場の検査など入念を極めたそうだ。抜き打ちで装備の点検など
しても終わった中隊には張り番をつけた(備品を融通し合うのを防ぐのが狙い)。
448447:03/07/21 22:52
自宅の襲ってクダまいても→自宅襲われクダまかれても
449日本@名無史さん:03/07/21 23:02
前任の永田鉄山が部下に「おい、連公、飲ませろ」と叫び
→前任の永田鉄山の部下が「おい、連公、飲ませろ」と叫び
450日本@名無史さん:03/07/21 23:11
報道班員として比島で一緒だった作家も山下が妙に神経質で感情的だったという。
でも、敗走の途中、栄養失調で路傍に休んでいる兵にはよく話かけ、「ご苦労、
頑張ってくれ」と言う時、あの大きな目に涙が光っていたという。
451無料動画直リン:03/07/21 23:11
452日本@名無史さん:03/07/21 23:12
いい話。いろいろ書いてね。

http://www3.ezbbs.net/13/ainenjyukai/
453日本@名無史さん:03/07/22 21:48
私の祖父の葬儀に列席した元陸軍将官たち
 
稲田正純、橋本秀信、辰巳栄一、三国直福、原守、白銀重二、磯田三郎
454日本@名無史さん:03/07/22 21:54
お祖父さん何期?
455日本@名無史さん:03/07/22 22:03
25期〜28期の間ということにしといて
456日本@名無史さん:03/07/22 22:13
>>450
山下って処刑される直前に
かなり取り乱したらしいけど
どんな感じだったの?
オセーテ♪
457日本@名無史さん:03/07/22 22:15
ほな中将閣下ですな。

それはそれとして、山下は見かけによらず芸術家肌だったそうで
そういう意味では、清や晴郎とも満更無縁でも・・・
458日本@名無史さん:03/07/23 00:05
>>456
山下大将は、処刑直前「俺は東條の奴に騙されたんだ!(or 嵌められたんだ!)と言ったはず。
それに引きかえ、洪思翊中将は潔く刑場の露と消えた。
「戦争が終ってわしも故郷に帰ることになろうが、何をするかなあ。そうだ数学の先生をやるか。
小学校の先生でもいいが、中将にまでなったんだから、小学校ではちょっとかわいそうかな。中学校の先生がちょうどいいかな・・・・・・」
でも>>450氏の書かれているエピソードは知らなかった。非常に繊細な部下思いのところは分かる気がする。
>>453
うちの嫁さんの曽祖父も陸大卒、貴殿の御祖父の先輩。ロシアで抑留中に戦死、そんな錚々たる人たちは出席出来なかっただろうな(涙・・・。
459日本@名無史さん:03/07/23 01:17
日本は何故朝鮮半島に進出したのか?を外交史的に教えてください。19世紀の話です!
明日テストでやばいんです!どなたかお願いします。
460日本@名無史さん:03/07/23 03:19
山下の最期に立ち会った森田正覚教誨師の残した遺稿では、股を縛られた不自由な
足取りで森田師の肩にすがり階段を上った。執行官が黒布の袋を大将にかぶせ、首に
ロープの環をかけ、引き締めると「ちょっと、待ってほしい、そんなに酷くされると
痛い」といい、執行の3時まで10分ほど話している間に時間が過ぎ、堪りかねた執行官が
握りあっている山下と森田の手を下から撥ね、傍らのロープを切ったとある。
A級戦犯の中には、歩けなくなった者(軍人)もいたらしいが、彼ら軍人ではあるが、
学校秀才の官僚タイプ、死刑なんて人生の予定には入ってないし動転するのも無理ないが。
461日本@名無史さん:03/07/23 03:36
ま、ライバル東条も同じく刑場の露と消えたのだから、もって瞑すべき。南無阿弥陀仏
462日本@名無史さん:03/07/23 03:37
本間中将は最後「さあ来い!」と叫んだらしいが、
まあ銃殺刑と絞首刑は全然違うからね。それに、山下大将も
怖くて逡巡してたわけじゃなく、森田教誨師の引導?が長くかかっただけだし。
463456:03/07/23 07:49
>>458>>460
あいがとん♪

教誨師の本を読まねば・・でも売ってないか
また、図書館だな

山下のエピでは武藤章とフィリッピンで「いびき判定」をした話や
ジャングルを敗走する時、芋のつるを首から下げて
かじりながら指揮を執っていたなんてのが
澤地久枝の「暗い暦・武藤章と226」って本に載ってたよ
464日本@名無史さん:03/07/23 17:24
2.26の後、東京憲兵隊長は特設軍法会議の首席法務官(検察官)の匂坂春平に宛て
「軍上層部内の叛軍一味徒党検挙計画案」なる文書を送っている。内容は「叛乱幇助」
により香椎、真崎、荒木、山下の4将官を逮捕すべしとしたもの。結局、検挙されたのは
真崎大将だけ(後、無罪放免)、この時、検挙されてれば山下も刑死の悲運はなかった。
465日本@名無史さん:03/07/25 23:44
>>450
山岡荘八?
466日本@名無史さん:03/07/25 23:51
↑ 今東光の弟の今日出海の「山下奉文の悲劇」
467日本@名無史さん:03/07/25 23:57
山岡荘八は佐藤幸徳と知り合いだった
敗戦直後、佐藤が山岡の家(テントだったかな?)を訪ね
「俺のしたことは間違っていたのか?」と聞き、ボロボロになった地図を前に色々と語り合ったらしい
468日本@名無史さん:03/07/26 15:04
我が家の古いアルバムに写っている軍人

荒木貞夫、柳川平助、酒井鎬次、内山英太郎、菰田康一、橋本欣五郎
畑勇三郎、武藤章、富永恭次、武田馨、綾部橘樹、稲田正純、井本熊男

他大多数は顔の識別がつかない
469日本@名無史さん:03/07/26 21:12
山岡は牟田口と対談もしてるね
>>120みたいな結果に終わったらしいが
470日本@名無史さん:03/07/26 22:05
>456さん。
あなたがもし東京に住んでいるのなら神田に行けば手にはいると思う。
『ロスバニオス刑場の流星群』芙蓉書房、というやつ。
私は1000円ぐらいで手に入れました。

あと、「俺は東条の奴に売り飛ばされたんだ!」という言葉だったとのことです。
これは偶然、古本屋で見つけた「中央公論ー歴史と人物」昭和53年8月号で知りました。
片山弘ニという、森田教誨師とともに山下さんに付き添ったひとが書いていました。


471日本@名無史さん:03/07/26 22:37
>>468
見てみたいですね。
472日本@名無史さん:03/07/27 02:36
田中隆吉ってどんなひと?正直、東京裁判のイメージしかない。
証言は非難轟々だったけど、案外内容に嘘は少ないとか。
戦前も問題人物だったらしいけど、どんなことしてたの?
473日本@名無史さん:03/07/27 04:35
>>468
うpきぼんぬ
474日本@名無史さん:03/07/27 05:51
田中隆吉
陸士26期。上海事変を謀略によって引き起こした張本人。板垣から依頼を
受けたと言っている。川島芳子は彼の工作員として働き、愛人でもあったとか。
モンゴルの徳王と謀り綏遠事件を起こすが、見事に失敗。なお、この資金は
陸軍の承認がなかったため、冀東政府の特殊貿易(麻薬?)収入を流用した。
475日本@名無史さん:03/07/27 08:07
田中隆吉は東京裁判で陸軍の謀略をみなバラしてA級戦犯から蛇蠍の如く嫌われたが
これは、すでにマッカーサーが決定済みの天皇を戦犯から除外するためにキーナンらと
連携の上でのシナリオだったという説が有力だが?
476日本@名無史さん:03/07/27 09:10
453=468?
25-28期は陸大?陸士?
陸大だったら、
25=岡村寧次、多田駿、安井藤治
26=東久邇宮稔彦王、今井清
27=磯谷廉介、東条英機、小松原道太郎、本間雅晴、今村均、河辺正三
28=板垣征四郎、荻洲立兵、山下奉文、橋本群、牛島満、木村兵太郎、村上啓作
といった人たちが居られましたな。
もしやこの中に入ってる???法務死した将軍ではないでしょうが・・・
477直リン:03/07/27 09:11
478日本@名無史さん:03/07/27 14:19
田中隆吉尋問調書っていうのがあるから、図書館ででも借りてみたら?注釈もついてる。
有名な話で、12月8日に、田中が武藤に「これで東條さんは英雄になった」と言ってきたので
武藤は「だが負けたら国体変革までいくから英雄どころか国賊といわれるかもしれない」
とかえしたが、裁判で田中はこの会話を完全に逆にして証言してる。
「武藤、佐藤、岡(敬純)の3人をフン縛らせたのはおれだ。この3人は必ず殺してみせる」
と豪語してたそうだ。
479日本@名無史さん:03/07/27 22:52
田中隆吉は昭和17年9月に退役直後、1ヶ月ぐらい脳神経症のため陸軍病院に入院。
田中少将は日米開戦は日本敗北につながるとの信念をもち、その考えを陸軍次官
木村兵太郎に進言して、敗戦思想者とみなされ、病院に押し込められたという説も。
この説で判断すると、弱気だったのは田中のような?
480日本@名無史さん:03/07/27 22:57
新一と隆吉の両田中。
2人とも戦犯にかかってもおかしくないのに、なぜか逃れた。
481日本@名無史さん:03/07/27 23:06
 田中隆吉と洪思よくは陸士同期だよ。
 
482日本@名無史さん:03/07/27 23:09
新一の方は日米開戦に積極的だったが作戦担当者としてその職務を遂行しただけと
いう逃げ道があった。開戦時には国家意思を決定するポストにはなかったのが
幸いした。隆吉の方は、中国での謀略には関わっていたが裏方の役割、上に
上級者がいたし、開戦後、間もなく退役しているので石原莞爾と似た立場。
483日本@名無史さん:03/07/27 23:19
リュウキチは千葉の国府台病院で精神療養を受けていた。
今も総合病院として有名な同病院だが、当時は「生きては帰れぬ国府台」
と、恐れられる場所であった。

戦争中はそんな風に電気治療(今でも鬱病対策に使用)しつつ、
朝鮮半島だか(羅南)旅順要塞の司令官を拝命したが、赴任せず。
これもボイコットとみなされたのであろう。

戦後は刑死した武藤章の亡霊が見えるなどと神経衰弱が悪化。
484日本@名無史さん:03/07/27 23:35
A級戦犯だった笹川良一もそういうこと(亡霊云々)言ってた。A級戦犯の
軍人からは恨まれてるからその他にも色々言われてる。検事らの聞き取り中
最初泊まっていた東京新聞の江口記者との話では、誰かを重い罪にしなければ
お上に責任が及びかねない。その為にも少数者に罪を被せるしかない、と言い
江口が、それでは少将の同僚、上司を罪に落とすことになり非難されるのでは?
と聞くと、どうせこれ迄散々悪口を叩かれてきたんだ、覚悟してるよ、と答えた。
わしは、天皇さまをお助けする為ならどんなことでもするつもり、キーナンにも
天皇を助けるために協力してくれと言われた、と言った。この後、田中は検事団
の指定する野村ハウスに移ったらしいが。

東京新聞の
江口記者
485日本@名無史さん:03/07/27 23:38
田中新一中将は昭和51年9月24日急性心不全により死去
葬儀は26日有末精三中将を委員長に川崎市多摩区の自宅に於いて
盛大に行われ、同期生総代として松下芳男氏が弔詞を捧げた

偕行51年11月号より
486日本@名無史さん:03/07/28 00:28
どなたか一夕会と桜会の関係を教えてください。3月事件を研究しているのですが、
よくわかりません
487日本@名無史さん:03/07/28 00:32
フィリピン版2.26か
488日本@名無史さん:03/07/28 00:55
二葉亭に16期の3人を中心に集結して、長閥の排除、人事の刷新などを議題に論議してた。
これが二葉会。それを見て24期の土橋勇逸が下級生を中心に作った弟分のような会が
木曜会。2つが合流して一夕会。(昭和4年5月)メンバーは>>14

昭和5年9月、21期の樋口季一郎、坂田義郎、23期の橋本欣五郎を中心に国家改造を
目的とした少壮将校による結社、それが桜会。ただし穏健派と過激派で一枚岩とは
いえなかったようだが。
489日本@名無史さん:03/07/28 00:58
>>488
なるほど。三月事件は桜会が中心となっておりますね。これを一夕会の
永田、岡村が掣肘しているようです。ここから、この時期の国内改革先行
派と国外改革先行派の対立があるようにも指摘されておりますが、そう
なんでしょうか?
490日本@名無史さん:03/07/28 01:24
永田岡村はもちろん山下奉文、鈴木貞一も大反対。
国家改造の必要は認めるが、その前に満蒙問題を解決すべしということだった。
491日本@名無史さん:03/07/28 01:34
>>490
しかしどうもこの何で反対なのかがいまいちわからんのです。満州問題
解決と国内改革がそう分立するのか?現に10月事件は両方を一挙にと
いうことでしょ?
492日本@名無史さん:03/07/28 01:39
永田の考えは新官僚らと結んで合法的に国内を改造すること。
クーデターには反対。10月事件も抑えにかかった。
493日本@名無史さん:03/07/28 01:41
>>492
なるほど。合法的がポイントなんですね。だから永田が小磯に語った
「非合法には反対です」の意味が明らかになるわけだ。いやぁ勉強
になります。
494日本@名無史さん:03/07/29 21:06
 戦後、旧軍人社会から義絶された将官は、田中隆吉と遠藤三郎の二人だけだと
聞いたが本当なの?
 
495日本@名無史さん:03/07/30 09:34
本間雅晴は初めっからホンマついてなかった。開戦直前の11/6、14軍司令官本間は
16軍(蘭印担当)の今村、25軍(マレー担当)の山下らと参謀総長(杉山)の部屋に
呼ばれた。田中新一による作戦についての説明が終わった後、今村らは「つつしんで、
お引き受けいたします」と答えたが、本間だけは「開戦後、45日でマニラを占領という
ご説明ですが、その根拠は何ですか」と質問。杉山は「貴官は、14軍司令官に親補され
たのが不服なのか」険悪な空気が流れたが今村が中に入りこの場はおさめた。3人が出て
行った後、杉山は田中に向かい本間を罵ったという。この経緯がバターン攻略のもたつき
も重なり本間の予備役編入の原因に、また、本間が無理な作戦を強行した原因となって
戦後、米軍に捕われ刑死したのだろうか。
496日本@名無史さん:03/07/30 12:02
>杉山は田中に向かい本間を罵ったという。

こんな事実はない
497495:03/07/30 12:40
罵ったという言葉の受け止め方は様々だから、別に異論は差し控えるが
土門周平(陸士55期卒、機甲科中隊長、戦後陸幕勤務や戦史編纂官)、退官後も
幹部学校で講義。防衛学会≪現国際安全保障学会≫の会員でもあった)に
よれば、杉山の言として、「あの質問は何だ!命令をもらったら、軍人は
誇りと喜びをもって、その任務に邁進すべきなのに・・・・・」、とある。
498日本@名無史さん:03/07/30 16:33
田中隆吉の本(敗因を衝く)で、谷田勇中将が前書きを書いてた。
あと、遠藤のほかにも、赤くなった軍人っているんじゃない?
499日本@名無史さん:03/07/30 16:48
橋本欣五郎の遺書を筆記したという半田敏治氏をご存じの方はいますか?
500日本@名無史さん:03/07/31 16:18
東条の頭を叩いた大川周明は帰りのバスの中で大ハシャギ
「おい、今日の昼食は新橋の新喜楽に席が用意してある。天皇はもう行っているから
みんなで一緒に行こう。カネは、これが払うんだ」と畑俊六の肩を叩いた。
501日本@名無史さん:03/07/31 17:07
脳梅 梅川忠兵衛  恋飛脚大和往来
502日本@名無史さん:03/08/01 23:56
>>500
ハァ〜?
503日本@名無史さん:03/08/02 00:35
前スレ見たけど、

>63 名前:日本@名無史さん 投稿日:02/10/06 17:44
>陸軍急進派、桜会の橋本欣五郎らが計画した10月事件では、同士の将校百余名が
>指揮下の各連隊から十数中隊を出動させ、首相官邸、警視庁、陸軍省、参謀本部などを
>襲撃、首相以下は斬殺し、他の反対派は捕縛。その後、東郷元帥が参内して荒木中将に
>大命降下という筋書きだった。他に霞ヶ浦の海軍爆撃機や大本教の出口王仁三郎が信徒
>40万人を動員して支援に立つ約束もできていた。だが、後に大本教は強烈な弾圧をくう。

出口王仁三郎は北の要請を断った
40万人動員どころか、その後の大本教弾圧でも武器はおろか竹槍さえ見つかっていない
504山崎 渉:03/08/02 01:02
(^^)
50563:03/08/02 04:59
この計画は橋本欣五郎の手記にあるものだそうだ。
大内力(兵衛の次男)の書いたものからの転載だが、専門は経済だから
手記を借用しただけで確認はとってないのだろう。
506_:03/08/02 05:25
507日本@名無史さん:03/08/02 06:53
>502
ハァ〜じゃないよ!児島襄の「東京裁判」(上)p149に書いてある。
508日本@名無史さん:03/08/02 07:08
王仁三郎が橋本欣五郎らと深いつき合いがあり十月事件にも何らかの
くちばし入れてたのは事実みたいだが。
509日本@名無史さん:03/08/02 12:51
士官学校各期の卒業時の席次を調べる方法ってある?
510日本@名無史さん:03/08/02 13:58
恩賜かどうかならわかると思うけど、細かい順位まではなあ
俺も何人かは知ってるけど、首席とかに限られるな
511日本@名無史さん:03/08/02 14:09
畑俊六て最後の元帥だけど、終戦の報が伝わるといち早く元帥位の返上を
申し出ている、真意は?
512日本@名無史さん:03/08/05 17:48
実は永田鉄山は、陸大も陸士も次席なんだよね。
513_:03/08/05 17:52
514日本@名無史さん:03/08/05 18:01
>>512
釣りか?
永田は陸士16期首席卒業
陸大23期の首席は15期の梅津美治郎だが
515日本@名無史さん:03/08/05 19:49
トップは松井命じゃなかった?>16期
俺の記憶違いかな
516日本@名無史さん:03/08/05 19:53
一般にもある程度知られた軍人の、陸大首席名
1期東条英教、13期武藤信義、17期渡辺錠太郎、18期松井石根、19期荒木貞夫、
21期古庄幹郎、22期畑俊六、23期梅津美治郎、26期山脇正隆、27期今村均、
28期下村定、30期鈴木率道、33期澄田しょう四郎、42期西浦進、51期瀬島龍三、
517516:03/08/05 20:01
33期澄田さんはライ四郎と読むのかもしれない?
518日本@名無史さん:03/08/05 20:28
澄田?四郎中将の息子が第25代日銀総裁澄田智。澄田智も大蔵省から
海軍の短現4期(中曽根の2期先輩)として主計科士官を経験。
519日本@名無史さん:03/08/05 21:09
陸士陸大首席卒業者
古荘幹郎、鈴木宗作、藤室良輔、高島辰彦
西村敏雄、花本盛彦、高瀬啓治、瀬島龍三
520直リン:03/08/05 21:11
521日本@名無史さん:03/08/05 21:21
陸軍三長官を歴任したのは
上原勇作(旧3期)、杉山元(12期)
        ,,,--─===─ヽ/へ
      /iiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡|≡ヾ ヽ
     iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
    iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
   iiiiiiiiiiiiiiiiii/             \iiiiiiiゞ
   iiiiiiiiiiii/                \iiヽ
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525日本@名無史さん:03/08/08 22:55
参謀本部第一部長荒木貞夫、二課長小畑敏四郎、二課課員鈴木率道
この荒木部長以下3名は昭和初期、満州事変に至る期間
陸軍の作戦部門の指導的立場にあったとされますが
皇道派人脈によって作戦中枢部が組織されたのか
上司部下の関係が皇道派という派閥を形成したのか
どちらが最初なのですか?
526日本@名無史さん:03/08/08 23:06
>>525
前者
527日本@名無史さん:03/08/11 00:27
>>525
後者
528日本@名無史さん:03/08/13 15:32
>>525
そのころ、荒木と小畑は既に親交があったけど、鈴木と小畑はどうかな?
鈴木はこのとき小畑の指示で、統帥綱領を書いたといわれてるが。
どちらにしても、皇道派なる派閥はまだないよ。
上原を本尊に、肥前土佐を中心とした反宇垣グループといったところ。
529528:03/08/13 15:38
大正15年頃から昭和3年頃の話ね↑
530山崎 渉:03/08/15 12:43
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
531日本@名無史さん:03/08/15 20:27
>>519
やっぱり瀬島氏は、頭は抜群なんだね
532日本@名無史さん:03/08/27 04:03
『本庄日記』と『本庄繁日記』って別の本なの?
533日本@名無史さん:03/08/28 04:31
本庄繁日記は大正14年から昭和8年まで
534日本@名無史さん:03/08/28 20:54

必携

 軍刀(旧日本政府 文部省 陸軍省 認定教本)を読む事で、日本国と中国の
歴史的事実がわかりますので、日本武道 中国武術の視点から、それぞれ各人の
立場による日中の歴史認識を知り、日中両国の恒久平和を願う礎となる資料を、
是非ご利用下さい。
 また、一般の方にもおすすめします。

http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/index.htm
535日本@名無史さん:03/08/28 21:14
536日本@名無史さん:03/09/05 23:37
>>532
別の本です。本庄繁日記は大正14年から昭和8年まで。
本庄日記は昭和6年7月から昭和11年3月まで。
537日本@名無史さん:03/09/06 03:13
好フルはどの派閥にぞくしているのですか?
538日本@名無史さん:03/09/06 03:30
長州と激しく対立した井口や松川と比べると、好古はそこそこ円満にやってた。
『陸軍の五大閥』ではかなり嫌なことが書かれてるけどね・・・・

ただ騎兵科自体は評判悪いね。少ないポストをめぐって、小さい所帯の中で
ぐちゃぐちゃと足の引っ張り合いをしてたらしい。好古はそういうのとは無縁だったと思うが。
539日本@名無史さん:03/09/06 18:53
好フルはパリ留学時代に訪仏中の山県のフランス高官へのプレゼントを列車のなかに
忘れている。 どうも飲んでいたフシガアル。
山県はそれいらい好フルは戦闘用だけに限定したときいている。
まあ 管理職としては、相手にしないということかな

>『陸軍の五大閥』ではかなり嫌なことが書かれてるけどね・

どんなことですか?

540日本@名無史さん:03/09/06 20:04
>>539
・騎兵の逸材といわれているが、秋山が優れているのではなく、騎兵に人材がいないだけ。
・第一師団参謀のとき、仕事の上で、薩摩の大寺安純に睨まれて、その職にいづらくなり
 自費で洋行。それ以来薩摩人の間では不評判。
・戦場での勇猛さは酒の力をかりたもので本物ではない。
・頭脳粗雑にして建設的経綸の才なく、騎兵操典改正に際して、軍事参議官会議で
 草案を岡市之助に否認され大恥をかいた。
・騎兵科に不平の徒が多く、部内がまとまらないのは、秋山に人を見る目がないから。
・取り柄としては、不潔な生活が平気なことぐらい。

要するに立派な容貌に騙されてる人が多いが、中身はそれほどでもない
ということがつらつらと。もちろん他の将軍連もボロクソ。
この本は大正四年出版だから、まさに陸軍は長州全盛時代。そういうこともあって
長州寄りの人に対しては手厳しい。
541日本@名無史さん:03/09/06 21:02
>540 戦場での勇猛さは酒の力をかりたもので本物ではない。ETC

ありがとうございます。 いや実に芯をついた評論ですね。
よしフルも否定できないでしょう。

>立派な容貌に騙されてる人が多いが、中身はそれほどでもない

立派な容貌は認められているんですね。 それだけで充分かもしれませんね。

騎兵は、いずれ戦車機動隊に吸収されていきますからね。
よしフルは早晩無用に人間になる。
オンボロ不良高等学校の校長として最適に人だったのですね。
所詮は明治に人なんですね。
542日本@名無史さん:03/09/07 01:11
>540 取り柄としては、不潔な生活が平気なことぐらい。
>  長州寄りの人に対しては手厳しい。

そういえば、乃木将軍は好しフルがすきで日露戦争終了時に
スッポンをみずから料理したそうである。

好しフルも乃木将軍を尊敬したいたというが、乃木の派閥なんて純粋そのものだね
もっとも乃木さんは綺麗好きだから、どうなんだろう。

543日本@名無史さん:03/09/07 04:00
>541 オンボロ不良高等学校の校長として最適の人だったのですね。

訂正
オンボロ不良高等学校ーー>オンボロ不良中学校(いまの某高等学校)

544日本@名無しさん:03/09/10 23:27
なぜ杉山元はあれほど出世し、重要人物になりえたんでしょう?
545日本@名無史さん:03/09/10 23:38
とりあえず、日本軍は復員省時代が一番マトモだったな。
546日本@名無史さん:03/09/10 23:48
>>544
仕事はできるし、誰とでも割合うまくつきあう世渡り上手だし、、、、
3月事件に際して、二宮小磯建川が賛成してるなか、杉山だけ態度が不鮮明と橋欣の手記に
あったと思うけど、若い頃から仲良くやってきて、宇垣の四天王なんて言われながら一人だけ
こういう態度を取れるある意味図太い保身能力、後に陸軍が宇垣を排斥するときには、
待命拝辞を勧告に行ったのもそうだけど、そういう軍界遊泳術が、結局彼をトップに押し上げ
たんでしょう。杉山の人となりについては、高宮太平の『昭和の将帥』に詳しいです。
547544:03/09/12 22:49
ありがとうございます。参考にさせていただきます。
548日本@名無史さん:03/09/13 16:38
軍事ヲタども キターーーーーーーー
549日本@名無史さん:03/09/15 00:52
杉山は腹を切ったの?
550日本@名無史さん:03/09/15 02:25
>>549
ピストル
参謀長に向かって「我輩は脂肪が多いのでコレ(引き金を引くまね)で失礼するよ」
銃声を聞いて飛び込んできた副官に、指を4本立てて「これだけやったよ」
ちなみに奥さんは自刃だと思う。

551日本@名無史さん:03/09/15 12:59
ええっ 奥さんも自決したの!!
黙祷
というか無理に自決させたような印象があるのですが?
553日本@名無史さん:03/09/17 21:13
逆だよ。杉山は夫人に自決を思いとどまるよう説得し、夫人も表向き諒承したが、
杉山自決の一報を自宅で受けると、夫人はすぐに後を追った。
杉山が死んだのは第一総軍司令官室、夫人は自宅、強制のしようがない。
554日本@名無史さん:03/09/17 21:14
杉山は拳銃の操作を知らなかったて本当?
555日本@名無史さん:03/09/17 21:24
「弾が出んぞ」と言うので副官が調べてみたら、装弾されてなかったとか・・・・
なんとなくそんなことを読んだ記憶がある。
556日本@名無史さん:03/09/20 00:41
杉山は3つのハンデを背負っていた。
卒業席次の悪さ、体調の悪さ、カミサンに死別など3度(だったと思う)の再婚。
出世は無理だと思われていた。

こんなのでもなんだかんだで上原勇作いらいの三長官職制覇。
戦争遂行のためにということと、皇族しかいなかったことからも元帥に。

つくづく人の世の栄枯盛衰はわからない。
杉山が参謀総長でなければもっとましな戦争指導であったのかもしれない。
東條がその地位をぶんどったことがインパールの悲劇を生んだことも忘れてはならないが。
557日本@名無史さん:03/09/21 22:17
杉山の死後、宇垣が杉山の副官に送った手紙を見ると、
やはり宇垣は杉山に対して、腹に据えかねるものがあったんだな。
558日本@名無史さん:03/09/22 00:18
宇垣は杉山と小磯についてはムカついただろうなあ。
次官だ軍務局長だとさんざん引き立ててやったのに。
いざとなると関係を迷惑がられて。
おかげに自分より出世しやがったし。
559日本@名無史さん:03/09/22 01:24
小磯は、自分が首相になったときに、宇垣の気持ちがわかったんじゃないか。
現役復帰を陸軍に拒否されて。
560日本@名無史さん:03/09/22 19:26
561日本@名無史さん:03/09/22 20:28
今、宇垣の気持ちがわかるのは野中某だと思う。
562名無し:03/09/22 23:09
日本に軍閥などない。支那の軍閥は地方政権である。
日本に軍閥は無かった。これも占領軍の出鱈目な言いがかりの残渣だ。
21世紀の今、敗戦後の占領政策の歴史観は、すっかり捨て去ろう。
563日本@名無史さん:03/09/22 23:38
>>562
戦前の日本国内の軍閥は「軍内の派閥」っていう意味だと思うぞ
564日本@名無史さん:03/09/22 23:47
軍部大臣現役武官制がなかったら、宇垣は陸相を得ることができたのかな?
組閣参謀の林三弥吉中将、和田亀治中将あたりがなったとして、務まるかな?
二宮治重中将なら何とかなったかもしれんが。
565麻生の妹の嫁先<林三弥吉中将、和田亀治中将 :03/09/23 00:14
三笠宮は、「今も良心の呵責(かしゃく)にたえないのは、
戦争の罪悪性を十分認識していなかったことです」とものべています(十四ページ)。
http://www.asyura.com/2002/bd18/msg/894.html
http://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/2002.4.10/1.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mmr/glocal/2001/589/kyokasyo.htm
昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁(たかひと)著『古代オリエント史と私』(学生社、八四年六月刊)所収の
「一 なぜ私は歴史に関心をもったか」。
 その中で三笠宮は「皇族の身位令」による義務で「軍人への道を進むことになり」、
四三年一月、「支那派遣軍総参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任したときに、
日本軍の残虐行為を知らされました」「ごくわずかしか例があげられませんが、
それはまことに氷山の一角にすぎないものとお考え下さい」と前置きして、次のように書いています。
 「ある青年将校――私の陸士時代の同期生だったからショックも強かったのです――から、
兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。
また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、
毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。その実験に参加したある高級軍医は、
かつて満州を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿(きょう)の一行に、
コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。
 『聖戦』のかげに、じつはこんなことがあったのでした。」(十六?十七ページ)
 いずれも驚くべき事実です。日本軍の残虐行為は「南京事件」だけではなかったのです。
これが日本軍の中国侵略の実態だったのです。
 三笠宮は、「今も良心の呵責(かしゃく)にたえないのは、
戦争の罪悪性を十分認識していなかったことです」とものべています(十四ページ)。
566日本@名無史さん:03/10/03 20:33
ネタは、ないがage
567日本@名無史さん:03/10/03 20:39
すみません。
乃木将軍の生涯を描いた本を探しています。
ご存知でしたら教えて頂きたいのです。
568日本@名無史さん:03/10/03 20:58
『乃木希典』松下芳男
569日本@名無史さん:03/10/03 20:59
手軽なところで 司馬遼太郎の「殉死」
570日本@名無史さん:03/10/03 22:04
>>568-569
ありがとうございます。
2冊とも読んでみます。
淵田美津雄は司馬氏と交流があったのですか?
572日本@名無史さん:03/10/26 13:03
ネタはないけどage


乃木が出てくる小説といえば、小笠原善平の自叙伝を、託された徳富健次郎が
自分の名義で出版した『寄生木』も有名。本の中で乃木は大木、小笠原は篠原になってる。
ちなみに篠原の同期生で、落ち込む彼に、妹を貰ってくれないかと薦める太田中尉は
後の大将多田駿。
司馬氏もこの小説の事を何かの後書き(坂之上の雲だったか?)で触れてた。
573日本@名無史さん:03/11/03 18:05
息が詰まる重苦しさの小説、みたいな感じで触れてたね。
574日本@名無史さん:03/11/03 19:09
日本軍党争史、のスレタイの方が良くない?
575日本@名無史さん:03/12/01 07:31
保守ピタル
576日本@名無史さん:03/12/05 17:16
小磯国昭の「葛山鴻爪」読んだ。
獄中であれだけの分量を書き、自分で装丁をして箱まで作るとは、
高宮太平が、小磯を評してとにかく器用な人と書いてたが、
確かにいろんな意味で器用だな。
577日本@名無史さん:03/12/21 09:44
>>576
暇だったのもあると思う
578日本@名無史さん:03/12/21 14:04
軍閥に関する入門書を教えてください。
579日本@名無しさん:03/12/21 23:56
華族出身の仕官を教えてください
580日本@名無史さん:03/12/21 23:58
>>579
公家出身てこと?なら町尻量基陸軍中将
581日本@名無史さん:03/12/22 00:12
>>578
今、本屋の店頭で買えるものなら、
高橋正衛「昭和の軍閥」講談社学術文庫
伊藤正徳「軍閥興亡史」光人社NF文庫

図書館や古本屋を利用するなら、いっぱいある。
582日本@名無史さん:03/12/22 00:35
>>581
ありがとうございました。「軍閥興亡史」は長いので、まず「昭和の軍閥」を買ってみます。
583日本@名無史さん:03/12/22 01:48
>>579
侍かよ>仕官

士官といいなさい
584日本@名無史さん:03/12/22 21:13
>>579
公家出身なら醍醐忠重海軍中将(侯爵)
大名出身なら前田利為陸軍大将(侯爵)
どちらも本家の当主。
585日本@名無史さん:03/12/23 23:44
軍人の画像が載ってるサイト知りませんか?未だに顔がわからない人がたくさんいます。
586日本@名無史さん:03/12/24 01:28
587日本@名無史さん:03/12/26 01:23
>>586
サンクス。
でも誰が誰だかわからないです。
588日本@名無史さん:03/12/26 17:46
海軍大将ならこのページに名前と顔写真は全部載っているよ。

http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/hyoushi.html
589名無し:03/12/26 22:59
>1: 日本には軍閥は無かった。軍閥というのは私兵を持つ集団だ。
軍閥は支那で清朝が滅亡して発生した。蒋介石の国民党軍閥。毛沢東の
共産党軍閥。張作霖の満州軍閥だ。日本は国民軍であり軍閥ではない。
日本軍を軍閥というのは左翼の罵倒表現で史実ではない。
590日本@名無史さん:03/12/26 23:55
軍閥興亡史って文庫が出てたのか、文春のハードカバーのやつ、
このまえ古本屋で買ったよ。
591日本@名無史さん:03/12/29 15:01
永田鉄山の殺害現場の写真は国会図書館で閲覧できるらしいですね。
592日本@名無史さん:03/12/29 15:14
ミシマ先生の生首写真は当時の新聞に出たらしいが、全然見かけませんね。
593日本@名無史さん:03/12/29 15:41
三島由紀夫の首チョンパ画像キボンヌ
594日本@名無史さん:03/12/29 15:52
>>591
遺体の写真なら池田純久の本にも載ってる。刺し傷がエグイ。
595日本@名無史さん:03/12/29 21:00
>>592
こないだ、三島と川端の対談をNHKを放送してるときに、実況に貼ってあったから、
探せば見つかるかと思います。
596日本@名無史さん :03/12/29 23:43
(warlord)
1, a supreme military leader
2, a military commander(eg inChina in former times)exercising civil
power by force
1の意味なら軍閥でもよさそうです。
597@:03/12/30 01:28
598日本@名無史さん:04/01/01 22:02
木村兵太郎って、何で死刑になったの?
599日本@名無史さん:04/01/01 22:09
統制派も皇道派も目的は同じで方法論の違いだけなのに、なんでこんなに殺伐としてたの?
600日本@名無史さん:04/01/01 23:18
>>599
軍閥と呼ばれるのが相応しく、実態は己が出世欲を元にした徒党集団だったわけです。
現代の会社や官庁の派閥と同じですね。彼方の勢力伸張=此方の勢力減退ですから。
601日本@名無史さん:04/01/02 10:48
>>598
たまたま、開戦時の陸軍次官だったから。要は東條の一味という解釈。
602日本@名無史さん:04/01/02 11:08
>>599
それだけ必至なのよ。
会社でもよくあること。
シェアを伸ばすか、売上を伸ばすか、利益をあげるか、
と部外者がみたら似たような目的というか、最終的には会社を成長させるという同じ目的でも、
その方法論の違いから、派閥が出来あがり、ついには他派閥の粛清になり。
更に600のように出世問題などもからんでくる場合がある。

実際俺も方法論で上司と対立して、前の会社辞めたしね。
603598:04/01/02 12:02
>>601 ありがとうございます。運が悪いですね。木村兵太郎が話題に上る事ってまず無いですね。
B,C級で処刑されるよりはマシですが・・・
604日本@名無史さん:04/01/02 14:18
>>603
>木村兵太郎が話題に上る事ってまず無いですね。

むしろ、インパール戦後にビルマ方面軍司令官になってからのボンクラぶりの方が語られ
ることがあるかも。
まあ、所詮ダサイタマの土百姓の出ですから。(w
605598:04/01/02 19:20
ここのスレ、かなりディープでレアですね。勉強になります。
606日本@名無史さん:04/01/02 20:18
号外祭り!!! 2004年は千葉総帥の年!
チバック第3代皇帝の千葉総帥の新スレができたよ!!
この神々しさ!この癒しのお姿!!たまんないね〜
みんなも遊びにいこうよ!!フォウ!
┌────────┐
│J 謹賀新年    │          
│O 臣民たちよ  . │
|K  %%%%%%%%   |
|E   6|-○-○ |  . |
|R   |   >  |   │
|    \ ∇/    ..|
|    /  \     |  
│    |     |   │
│あけまして     .│
│  おめでとう!! │
└────────┘
明けましておめでとう!チバック帝国千葉です
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1072942920/l50
607日本@名無史さん:04/01/03 20:08
>>604
ビルマ方面軍撤退時の不様さは有名だよね。
ガタガタと震えて、司令官自らとっとと撤退してしまったらしい。
しんがりを勤めた中には確か民間人の商社マンとかも多数いて、ここでかなりの数が戦死したんじゃなかったかな?
「ビルマ脱出記」に書いてあったよ。
608日本@名無史さん:04/01/04 13:08
>>607
まさに、ダサイタマの土百姓上がりに相応しいヘタレっぷりだな。(w
609598:04/01/04 15:05
>>604&607さん 木村兵太郎って、そんな人なんですか(笑)
どうりで、話題にものぼらないはずだ。貴重な情報、ありがとうございます。
610あぼーん:あぼーん
あぼーん
611日本@名無史さん:04/01/06 00:52
>>603
B級で処刑された洪思翊中将はフィリピンの地で非常に立派な最期を遂げられました。
洪中将は名前の通り韓国人、李王家を除いたら唯一の陸大卒、陸軍中将まで登りつめ、最後まで帝国陸軍に忠誠を貫きました。
南方総軍兵站監であった洪中将は、捕虜収容所を含む総括責任者であり、捕虜収容所の責任者であったがゆえに絞首台に送られました。
人格的には非常に高潔・立派なお方で、その散り際も見事であったそうです。まさかご自分が絞首台に送られるとは思っておられず、韓国に帰って高校の数学の先生になることを夢見ておられたそうです。
絞首刑を宣告あと、ある人に言ったといわれる「絞首合格だったよ」という言葉、これは徴兵検査の甲種合格にかけた語戯ですが、近くに迫った処刑をこのように口にできる精神的強靭さ、
そして処刑の際、教誨師の片山氏に「片山君、心配するな、私は悪いことはしなかった。死んだら真直ぐ神様のところへ行くよ。僕には自信がある。だから何も心配するな。」と逆に片山氏を励まし、最後は片山氏の健康まで気遣い、遺言めいたことも言われず散って行かれました。
かたや、山下大将が処刑直前に取り乱され、口走るように叫んだ一言、「おれは東条の奴に売り飛ばされたんだ!」と比較してしまいます。
詳しくは山本七平氏の「洪思翊中将の処刑」に記されています。
私も読みかけ途中でしばらく間があいていましたが、「B級戦犯」という言葉を見て不意に思い出し、今斜め読みをしながら書きました。
あらためて、通読したいと思います。
軍閥闘争史とは全く無縁のところで、散っていかれた、それも韓国人の高潔な将軍がおられたことを知っていただければと思います。
長文スマソでした。
612日本@名無史さん:04/01/06 20:02
>611
あの恨国人でさえ帝国陸軍で修業すれば
人間として立派にするニダと言うお話でっか?
613日本@名無史さん:04/01/06 21:24
山下奉文は、体型の割には、かなりの小心者だったみたいだな
614日本@名無史さん:04/01/06 21:28
>>612
低レベルな書き込みするな。
615日本@名無史さん:04/01/06 22:16
>>611
阪神大震災の時、呆然と佇む日本人とは対照的に在日韓国人が甲斐甲斐しく働き
救助復興に貢献したという逸話を思い出させますね
いざという肝心な時は日本人より韓国人の方が何かと精神的に強いんでしょうね
616日本@名無史さん:04/01/06 22:23
>>586
そのサイトの32頁目の写真の人が水野晴郎にクリソツ
617日本@名無史さん:04/01/07 10:36
>>611 感動的な話をありがとうございます。
その一方でずるがしこい奴が、戦後ものうのうと生き延びてます。
618日本@名無史さん:04/01/07 10:39
>>616 ワロタ
619のすいよう:04/01/11 14:22
米英が画策してイスラム諸国を分断・対立させて
支配する手口
米英から支払われる金を高額な兵器を買わせて再び米英に
還流させる
日本軍備強化を煽る世論もおそらくはそういうことであろう
620日本@名無史さん:04/01/11 14:40
開戦劈頭、スピーディなシンガポール攻略作戦の成功で、マライの虎と謳われた山下奉文も、
その後彼を敵視する軍首脳によって満洲牡丹江に左遷され、第十四方面軍司令官として再び
陽の目をみた一九四四年秋には、戦局はすでに絶望的であった。しかも彼の任地フィリッピンは
前任黒田司令官や彼の直接の上司寺内南方総軍司令官の無能無策から、さし迫る米軍の上陸への
何の備えもしていなかった。彼は死を覚悟して赴任する。--いよいよ米軍のレイテ上陸がはじまるに
及んで大本営、総軍はにわかに当初の作戦を変更し、レイテへの方面軍主力の傾注を命じてきた。
山下はその不利を痛感しながらも、黙々実行に移した。が、結果は手薄すに乗じてルソンへの敵の
大挙上陸となり、友軍は各所に分断される。新たに彼の指揮下にはいった第四航空軍も保有機数の
大半をレイテに失い、富永司令官は台湾へにげだす始末、さらにマニラの海軍部隊は山下の再度の
撤収命令を無視、狂暴な市街戦のすえに全滅した。--八月十五日終戦。そして九月三日に山下大将は
投降した。彼の命を拒んだマニラ海軍部隊の惨行をその主な罪状に負って、山下は勝者の「みせしめ」裁判--
その絞首刑の判決に伏した。不当を鳴らすこともなかった
621日本@名無史さん:04/01/11 15:20
山下閣下のマニラの虐殺の責任て・・。

ありゃ、精強な海軍陸戦隊に手を焼いたアメリカさんが
で無差別爆撃&砲撃で市民ごと市街アボ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンして
しまった跡始末じゃないですか?

あんなスラム見たいな市街でなくて東欧式の文明都市なら
スターリングラードが再現出来たかもしれない。
622日本@名無史さん:04/01/11 16:59
晴郎はマニラをオープンシティにしようとしたんだけど、海軍や航空軍が
言う事聞かなくてね・・・・しかし、シンガポールの責任はあるな。
主犯は辻だとしても。
ちなみに伊藤正徳は、黒田重徳を卓見の将軍と評価してる。
623日本@名無史さん:04/01/11 20:25
>>621
ちなみに、マニラの海軍根拠地隊の司令官は第三次ソロモン海戦で沈んだ「霧島」の艦長
を務めていた岩淵少将。
「霧島」喪失から約2年、死に場所を求めていたのかいなかったのか。

>>622
>ちなみに伊藤正徳は、黒田重徳を卓見の将軍と評価してる。

どこで?
624日本@名無史さん:04/01/11 22:20
>>623
『帝国陸軍の最後』

黒田中将に対する評価ってのは、人によってまちまちだけど、
一貫してるのは、軽薄で口が達者ってところだな
625日本@名無史さん:04/01/13 01:28
統制派でも皇道派でもない、無派閥人間ってどれくらいいたのですか?
将官にはいなかったのかな?
626日本@名無史さん:04/01/13 01:33
>>625
アナーミは無派閥
627日本@名無史さん:04/01/13 01:34
>>625
いっぱいおりまっせ。
逆に明確に派閥分けできる人のほうが少ない。
628日本@名無史さん:04/01/13 02:39
宇垣一成って一般に親英米的、親政党的だったと言われていますが、
どうして三月事件に関わっていたのでしょうか?
629日本@名無史さん:04/01/13 08:14
このスレ最近レベル落ちたな
630日本@名無史さん:04/01/13 16:40
>>628
まず、宇垣は別に政党好きでも親英米派でもないよ。
三月事件に関しては、内に軍縮、外に満蒙問題と陸軍は完全に
行き詰ってた時だから、それを一気に解決しようとしたというところでしょう。
政党政治も腐りきってると思われてたし。
尤も、宇垣が本当に、あんな粗漏な計画に乗り気だったのかは疑わしいけど。
631日本@名無史さん:04/01/13 21:04
防衛庁防衛研究所 戦争史研究職職員を目指して勉強しています。
どうかこんな僕を応援してください。
632日本@名無史さん:04/01/13 21:06
もっと地に足のついた仕事をめざしなさい。
633日本@名無史さん:04/01/17 01:38
>>632
国家公務員T種に準ずる待遇だから
目茶苦茶地に足がついてるぞ。
国費で戦史研究が出来るんだから
戦史マニアにとってこれほど恵まれた職種はない。
ただ、募集要項を見れば分かるように、
国家公務員T種に受かる学力と優れた歴史論文をかける能力とを兼ね備えてなければならんので
間違いなく東大に入るよりムズイと思う。(今年度の倍率は二十倍近かったようだ)

そういうわけで>>631よ。
2chなんぞ見てる閑あったら脇目もふらず勉強せえ!!
(自分自身にもはね返ってくる言葉だ・・・・・)
634日本@名無史さん:04/01/31 18:00
バー・モウの「ビルマの夜明け」読んだ。
河辺正三、田中新一、磯村武亮(息子はNHKアナ)なんかは評判悪いね。
絶賛は、飯田祥二郎、那須義雄(終戦時の兵務局長)あたり。
本間、山下と東條との確執は有名だけど、飯田中将の扱いも、
ビルマ攻略を成し遂げた司令官にしては酷いよね。
親父が長州の飯田俊助中将ということで、嫌われてたのかな?
ビルマ方面軍が設立されたとき、彼をそのまま格上げして司令官にしてたら、
あるいはインパールの悲劇も、もっとましなものになったんじゃないかと思う。

大体、大東亜戦争中期以降の人事は分からん事が多い。
20期前後のバリバリの人らを予備にしたかと思うと、
末期には15期くらいのおじいちゃんを再招集してるし。
635日本@名無史さん:04/02/07 18:09
澄田将軍
636日本@名無史さん:04/02/07 19:55
>>635
一部の人からは、結構恨まれてる
637日本@名無史さん:04/02/07 20:01
うちの爺様も取り残され苦しめられた
638日本@名無史さん:04/02/07 20:03
澄田さん、中国での日本軍の非道も結構書いてるからね。
639日本@名無史さん:04/02/07 20:18
>>638
ちがう。>>637のような山西省に残された第一軍の人たち。
640日本@名無史さん:04/02/07 20:29
自分はさっさと逃げて あとでエェかっこして
書きまくったということだ。
641日本@名無史さん:04/02/07 21:12
>611
 洪中将の陸士同期には、部下を殺すのが大好きな花谷正中将がおるから、
長身でよく目立つ洪中将は花谷中将にさんざん苛められたと思うが。
 26期は花谷以外にもあくの強い奴が多いけどね。
(主な26期生)
大将 栗林忠道(長野・長野中、陸大軍刀)
中将 影佐禎昭(広島・大阪府市岡中、陸大軍刀)、花谷正(岡山・大幼)
   遠藤三郎(山形・仙幼・陸大軍刀)、宮崎繁三郎(岐阜・岐阜中)
少将   田中隆吉(島根・広幼)
 戦後、軍人社会から永久追放された、将官が二人もいる期も珍しいよな。
 遠藤三郎と田中隆吉のことね。
 洪中将の一人息子、洪国善は戦前は早稲田大から朝鮮銀行に就職。しかし、
戦後は銀行員から軍人に転職し、韓国陸軍大佐となる。
 
642日本@名無史さん:04/02/07 21:50
一応説明しとくと、山西省の軍閥閻錫山に頼まれて、第一軍の一部が、戦後も
残留して中共と戦った。高級軍人では、元泉馨少将、今村方策大佐(均大将の末弟)
が残った。昭和24年に太原が落城して、生き残ってた人は捕虜になった(捕虜の中には
河本大作もいた)。元泉、今村は自決。
で、澄田中将はというと、終戦時の第一軍司令官。部下を引き渡して自分たちだけ
帰ったということで、捕虜の生き残りの人たちに訴えられてたはず。
643日本@名無史さん:04/02/08 07:31
やっぱ田中隆一でしょ
644日本@名無史さん:04/02/15 20:20
洪中将の顔写真、初めて見たけど男前だね。
鮮人らしさが全然ない。
645日本@名無史さん:04/02/15 20:42
>644
たとえ、鮮人でも帝国陸軍で修業すれば漢になれるというもの。
部下の罪を引き請けて刑場の露と消える。
これぞ真の武士の顏でごわはんか。
646日本@名無史さん:04/02/16 00:45
来週またNHKアーカイブスで2.26関係のやつやるみたいよ
647日本@名無史さん:04/02/16 01:16
NHKは例の『雪は汚れていた』で、完全に味噌をつけたね。
648磯部浅一:04/02/16 04:55
↑に賛成、何が匂坂資料だ。
649トロちゃん元帥:04/02/16 16:20
ところで素人質問で申し訳ないんだが、なぜ一民間人の北一輝が皇道派に
あれだけの影響力を持つ事が出来たんだ?
650日本@名無史さん:04/02/16 17:45
陸軍につながる人脈はもってたよ。カリスマ性もあったみたい。
ただ、皇道派上層部への影響力は、大してもってなかったんじゃないの。
651日本@名無史さん:04/02/20 20:01
「陸軍大臣告示は予め作られていた!」ってやつね>匂坂文書
あれは結局、憲兵と近衛師団のでっちあげだったわけでしょ。

まだやるのかNHK
http://www.nhk.or.jp/archives/fr_yotei.htm
652日本@名無史さん:04/02/20 21:51
ここは軍オタスレですか
653日本@名無史さん:04/02/21 07:47
>>651
ごめんまだ興味を持った程度でその辺りにはあまり詳しくないんだけど
でっちあげってどういうこと?
654日本@名無史さん:04/02/21 17:18
>>653
事件全体は長いので、大臣告示に関することだけ

陸軍大臣ヨリ  二月二十六日午後三時二十分 東京警備司令部
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、國体ノ眞姿顕現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコト申合ハセタリ
五、之レ以外ハ一ニ大御心ニ待ツ
655日本@名無史さん:04/02/21 17:21
陸軍大臣告示
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國體顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、國体ノ眞姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐惶ニ堪ヘス
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコト申合セタリ
五、之レ以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ
656日本@名無史さん:04/02/21 17:25
山下少将が青年将校に口述

諸子蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シアリ
諸子ノ真意ハ国体真姿顕現ノ至情ヨリ出タルモノト認ム
国体ノ真姿顕現ニ就テハ我々モ亦恐懼ニ堪ヘサルモノアリ
参議官一同ハ国体顕現ノ上ニ一層匪躬誠ヲ致スヘク
其以上ハ一ニ大御心ヲ体スヘキモノナリ


まず最初にこの3つを掲げとく
657日本@名無史さん:04/02/21 17:33
村上軍事課長、山下軍事調査部長(両方とも皇道派)によって起草された布告を、
川島大臣は軍事参議官会議にかけた後、香椎警備司令官(皇道派)に渡した。
香椎中将は電話で警備司令部にいる参謀長安井藤治に伝えた。安井少将はそれを
一字一句違えず書き取らせた。この文書が>>654の「陸軍大臣ヨリ」

植田大将(反皇道派)等は、>>654の「行動」を認めるというのは
あまりにも行き過ぎだと修正を加えた。
午後3時15分、電話から戻ってきた香椎中将は、先ほどの文章が一部修正されているのに
気づいたが、全体の大意は変わってない為、再び電話する事はなかった。

修正されたものを持って、山下少将は青年将校のところに行き、
口頭で伝えた。これが>>656


658日本@名無史さん:04/02/21 17:38
一方、警備司令部では、「陸軍大臣ヨリ」を近衛師団、第一師団、東京港湾要塞に
電話で通達、更に通牒も送付した。
これを受け取った橋本近衛師団長は「これは怪文書」といって破棄してしまった。
しかし、堀第一師団長は「これはいいものが来た」を喜び、兵士に配布する為に
大量に印刷させた。このとき参謀の手によって一部改竄され、出来上がったのが
>>655の「陸軍大臣告示」
話はこれだけなんだけど、ここに「匂坂文書」というのが出てきてややこしくなる。
659日本@名無史さん:04/02/21 17:45
軍法会議に近衛師団長が提出した文書に
「二月二十六日午前十時五十分陸軍大臣ヨリ東京警備司令官ヲ経テ下サレシ告示」
というのがある。中身は「陸軍大臣告示」で、これが午前11時前に来たという。
これをみて大喜びしたのが、澤地某たち。
午後三時にできたはずの文書が、午前十時五十分に近衛に下されていたというのは
大変な事だ。文書は予め作られていた、もっといえば青年将校のけっ起自体も、
皇道派上層部は知ってたのではないか。


660日本@名無史さん:04/02/21 18:01
ところが最近、「陸軍大臣ヨリ」の原本が見つかった。東京港湾要塞司令部に送付された
ものが残っていたのだ。さらに近衛師団長が提出した文書も、第一師団がばら撒き、
後に憲兵隊が押収したものと同一である事が分かった。
要するに告示は午前中に来たというのは近衛師団の偽証であり、
こっちこそが陰謀だったわけだ。
主導したのは誰かはわからないけど、東京憲兵隊長坂本俊馬から匂坂に宛てた
「軍上層部内ノ叛軍一味徒党検挙計画案」というのがある。
近衛の「午前十時五十分」説を利用して、皇道派を一掃しようという狙いだ。
もっともこの計画は、陸軍大臣に取り上げられることはなく終わった。

661日本@名無史さん:04/02/21 21:41
近衛師団長橋本虎之助は陸軍次官も務めた人物。
この事件で予備となり、終戦時は満州国祭祀長官。
溥儀と一緒にソ連につかまり抑留先で亡くなった。
第一師団長堀丈夫は航空の逸材で、無天ながら
小磯が軍務局長を辞めるとき、自分の後任に推したほどの人物。
やっぱり予備となった。有名なマッカーサー参謀こと堀栄三は、
確かこの人の養子。
662日本@名無史さん:04/02/21 21:54
皆様古い話で恐縮ですが>>60あたりで言われている
学制に関してご説明いただけないでしょうか?

現在の小学校6年>>中学校3年>>高校3年>>大学4年
みたいな感じで。
663日本@名無史さん:04/02/21 22:00
尋常小学校6年>>中学校5年>>高校3年>>大学3年

尋常小学校6年>>中学校5年>>専門学校3年

尋常小学校6年>>高等小学校2年>>実業学校
664日本@名無史さん:04/02/21 22:11
>>663
ありがとうございます。
大変お手数ですが、できれば>>60の話にそくして
ご説明いただければなおありがたいのですが。
宜しくお願い致します。
天保銭の話は知っています。
665日本@名無史さん:04/02/21 22:30
>>664
学制は結構変わってるんで、幼年学校卒と中学卒が最もいがみ合ってた
陸士15期から36期までを例にあげます。(明治29〜大正9)

地方幼年学校3年間
中央幼年学校2年弱
隊付約6ヶ月
陸軍士官学校2年弱

地方幼年学校には、中学を1年か2年の夏に中退して入学します。
隊付のところで、初めて中学を卒業した同世代の連中と一緒になります。
5年近くも一緒にやってきたところに、ポンと中学卒が入ってくるんだから、
仲が悪くなるのも無理はないかな。
天保銭、無天は全く別の話。
666くのいち:04/02/21 22:40
NHKってずーっと昔に
電話の声を復元した番組やったよね?
青年将校の安藤と北一輝の声とか、
下士官を説得してる上官の電話とか
臨場感あふれてて面白かったよ。
ビデオで売り出してるのに、あれは再放送しないのかな。
こっちの方がずっと面白かったのに。
667日本@名無史さん:04/02/21 22:45
>>664
陸軍士官学校を卒業すると、見習士官になり、数ヶ月で少尉に任官されます。
これが大体21歳くらい。その後、陸大に行きたいと思えば、受験勉強を始めます。
陸大入学には年齢制限があり、少尉は28歳まで、中尉は30歳まで。
12月入学で期間は3年。卒業すると天保銭に似た徽章がもらえます。

>>666
それ、去年かな?NHKアーカイブスでやってたよ。
馬奈木中佐がドイツ大使館にいて、そこにゾルゲもいたとか。
668くのいち:04/02/21 22:47
>>667
>馬奈木中佐がドイツ大使館にいて

それそれ。
そっか、去年やってたんだ。
669日本@名無史さん:04/02/21 22:51
>>665,667

ありがとうございました。
よくわかりました。

ところであの番組ビデオになってるんですか?
DVDで買えますか?
670日本@名無史さん:04/02/22 00:06
>>669
多分なってないと思うよ
671日本@名無史さん:04/02/22 18:45
672日本@名無史さん:04/02/22 23:28
なに笑ってるんだよ このババアは
673日本@名無史さん:04/02/22 23:30
香椎中将のご遺族は、NHK訴えてもいいんじゃないか。
いまだにこんなの再放送して。
674日本@名無史さん:04/02/22 23:38
すげぇ貴重な資料だな
675日本@名無史さん:04/02/22 23:39
嘘八百だけどなw
676日本@名無史さん:04/02/22 23:50
NHKって何考えてこんなん再放送してんだ?
後でフォローなかったら大問題だぞこれ。
677日本@名無史さん:04/02/22 23:54
香椎中将は、陰性の人が多い皇道派の中では唯一の根アカ人間で、
酔っ払うと、自宅でも裸踊りをして、新聞記者に人事をべらべら喋ってしまう
人だったらしいね。
678日本@名無史さん:04/02/23 01:38
>>657 午後3時15分、電話から戻ってきた香椎中将は、先ほどの文章が一部修正されているのに
気づいたが、全体の大意は変わってない為、再び電話する事はなかった。

しかし香椎中将のこの行動が不可解だという澤地某の主張は一理あるような気がするけど、
この点は現在どう解釈されているんでしょうか。
679日本@名無史さん:04/02/23 09:09
三、國体ノ眞姿顕現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス

此処がどうしてもわかりません
680日本@名無史さん:04/02/23 12:22
>>679
(甚だ良くない)我が国の現状については、我々(軍事参議官ら高官)にも責任がある
と詫びてるというか機嫌を取ってるというか(お前たちの気持ちは分かるよと)
681日本@名無史さん:04/02/23 18:32
>>678
香椎が決起将校に同情的だったのは事実。奉勅命令が出た後もまだぐずぐず言ってたし。
”告示”は、事件鎮定の為の機略であると本人も認めてる。将校たちを慰撫して、矛を
収めさせる為の道具なんだから、”行動”だろうが”真意”だろうがどっちでもいいというのが
当時の彼の心境じゃないでしょうか。「とにかく丸く治めたい」と。頭に血も上ってたでしょう。
その点、寺内や植田の方は、皇道派から距離のある分冷静だったといえる。

だから、皇道派の将官連、特に真崎は非難されて然るべきだと思う。
ただ、あんなクーデターが成功すると本気で思うほど錯誤はしてない。
澤地が非難されるのは、告示午前説なんていうトンデモ説を振り撒くから。
682日本@名無史さん:04/02/23 21:15
皇道派の一掃を狙ったという謀略説もトンデモ説
683日本@名無史さん:04/02/24 10:53
澤地は赤い小母さん
684日本@名無史さん:04/02/25 02:44
>>661
ようやく橋本虎之助中将の話が出てきて、非常に嬉しいです。

高宮太平氏の「順逆の昭和史」(旧名軍国太平記)ではその人物が絶賛されてるよね。
大臣告示の真偽を自ら香椎警備司令に確かめ、香椎が本物だといってもわずかに連隊長に内示した程度で隷下全部には下達せず、
堀第一師団長がろくろく内容も検討せず、隷下部隊に配布させたのと比較して、「分別のある者とない者ではこれだけの差がある」って書いてる。
陸軍次官になったときは、渡辺錠太郎の非常に強い推薦あり、「人物がまことにしっかりしている。外柔内剛の典型的な軍人であって、
その上他人に嫌われることがない。真崎もさすがにこれには反対しきれなかった」とある。
なかなか歴史の表に出てくることは少ないが、重要な局面では登場してるんだよね。
例えば橋本欣五郎が起こそうとした錦旗革命、最後に橋欣を説得してあきらめさせたのは橋本中将。
その時の橋欣の一言が、松本清張「昭和史発掘」に詳しいね。
「橋本少将は僕が陸大卒業後参謀本部に勤務するようになった当初からの上官で、実に人格の高潔な万人の認むる精神家であった。僕はこの精神家橋本虎之助少将の部下としてはまことに不似合いな暴れん坊であった。
幾度か乱暴して首を切られそうになったとき、いつも僕を救ってくれたのがこの橋本さんであったから、橋本さんには全く頭が上がらなかった」。
685日本@名無史さん:04/02/25 02:46
>>661
その他、岡田首相暗殺未遂後の救出作戦のときも当時の迫水秘書官が、宮内省で橋本中将見つけたとき、橋本中将に事実を打ち明け、
総理の遺骸引取りの警衛という名目で官邸日本間に近衛師団の兵力を入れて貰い、うまく総理を救出できないかと考えた。
迫水は橋本が正義感の強い誠実な人柄であることをよく承知していたので、この方法が成功するのではないかと考えたが、
湯浅宮相からの「近衛師団長も独断では措置がとれないで、きっと上のほうに指揮を求めると思うが、
あそこにいる将軍たちはいったいどっちをむいえいるのか判らないから非常に危険ではないだろうか」との助言で実行しなかった経緯がある。

士官学校事件のときも辻が真っ先に報告に行ったのが橋本次官だった。辻も橋本次官には頭が上がらなかった。
唯一、偉そうな態度をとったのは石原莞爾。石原の人間性には非常に嫌悪感を感じます。

2・26事件で近衛師団からも反乱軍が出たことの責任を取って、周囲の慰留も聞かず予備役となってしまった非常に惜しい人物だったと思います。

その後、満州では協和会本部長、宮廷祭儀長を勤めた。

満州国から脱出する直前に空港でソ連兵に捕まり、昭和27年1月24日、抑留先のソ連で亡くなったとされている。

長文スマソでした・・・
686甲種幹部候補生:04/02/25 14:53
軍人には立派な方が多かったですが、↑も読むだに橋本閣下の高徳が偲ばれます
687日本@名無史さん:04/02/25 19:45
告示午前説の最後の根拠もそこ。
橋本ほどの人物が偽証するはずないと。しかし、根拠としては薄弱だわな。

同期で次官だった古荘は予備入りを免れた。
陸士陸大と首席で通し、大将街道を驀進してた人物だけど、
脳溢血の既往症があり、激務に耐えられる体ではなかったらしい。
しかし、その経歴の華やかさゆえに、川島がどうしてもと次官に据えた。
その後、第二十一軍司令官としてバイアス湾上陸作戦の指揮をとったけど、
間もなく亡くなった。

この事件で予備になって、大陸に渡った人は橋本以外にも多い。
歩三の渋谷三郎もその一人。終戦時はハルピン学院長、
8月21日に、家族もろとも自決。
688日本@名無史さん:04/02/25 19:49
軍人賛美はほどほどにw
689日本@名無史さん:04/02/25 19:55
>>666

電話の盗聴記録についての放送は、昨年7月に放送。
北の「○○あるか?」
は北の検束後に何者かが北の名を騙ってかけた偽電話。
690断行:04/02/26 00:16
2月25日午後9時頃、坂井直中尉は第一中隊将校室に新(あたらし)正雄軍曹、
林武伍長、木部正義伍長たちを呼集して明朝の部隊出動を伝えた。
691断行:04/02/26 00:20
同午後11時過ぎに第二中隊の北島弘伍長、渡辺清作曹長、青木銀次郎軍曹、
長瀬一伍長等を集めて同様の部隊出動を伝えた。
692スレ題にワロタ:04/02/26 10:01
689さん
それは本当ですか?
史実だとばかり思い込んでゐましたが‥
693日本@名無史さん:04/02/26 10:42
>>692

うん、それこそが7月放送の番組の主旨だった。
694くのいち:04/02/26 13:27
>>689
ひょえー
そうだったのか。
北と対話してた安藤の声が不機嫌そうだったのも、不審に思ったから?
7月の番組の内容、簡単な概要だけでもいいから知りたいです。
695日本@名無史さん:04/02/27 08:08
禿同
それはさて置き、昨日は二二六事件の記念日
696日本@名無史さん:04/02/27 19:44
>>694
栗原と西田の奥さんの会話の録音「合言葉は尊王討奸」、西田未亡人の話

安藤と北の会話の録音「金はあるかね」、安藤未亡人の話

安倍源基の話

ドイツ大使館にいた馬奈木の話

池田俊彦の話、栗原と亀川の会話録音「例えば河合とか柳川とか」

けっ起部隊にいる下士官を必死に説得する機関銃中隊の高橋中隊長の会話録音
「実際お前ともう戦争したくないんだ」
「出るに出られんのです」
「出るに出られんところを突破するのが下士官の力じゃないか」

山下家の盗聴記録、将軍の義妹の話

鈴木貞一と古荘の会話録音「あいつらは外からかき回されてる」、貞一本人登場

盗聴を行った難波三十四戒厳参謀の話

ディレクターの話によれば、番組放映後、北や西田の名を騙って
偽電話をかけてた人物が名乗り出てきたとのこと。
697日本@名無史さん:04/02/27 23:38
>>696
ありがとう。

ほとんど同じ内容みたいだねえ。
違うのは、放映後のディレクターの話という部分だけみたいだなあ。
698日本@名無史さん:04/02/28 17:10
石井秋穂の鼻毛は凄いYO!!
699日本@名無史さん:04/02/28 22:10
とりあえず武藤章は死刑
700日本@名無史さん:04/03/01 09:39
↑ 同胞の死を喜ぶアカ
701 :04/03/02 14:24
>>699
牟田口も死刑。
702日本@名無史さん:04/03/02 14:36
>>700
何か誤解しているようだな。
漏れは東京裁判に反対なんだ。
なぜかというと、勝者が敗者を裁く恰好になって、
そのせいで敗戦国日本がまとめて一つの扱いになったから。

むしろ無茶な戦争指導(はたして指導といえるかさえ疑問)で
国民に塗炭の苦しみを味わせた指導者連を日本国民が裁くべきだった、
と考える。そうすると死刑囚7人ではすまないし、統帥権干犯を叫び
ながら自ら統帥権を干犯していた陸軍連中は真っ先に死刑だ。

戦後日本遺族会が出来たが、あれは指導層が末端兵士までとりこんで
一緒にやられた口だと、連帯感をもたせることで、戦前指導者層の免罪を
狙う組織だ。遺族会の人たちに言いたいのは、あなた方を遺族に仕立て上げた
のは、遺族会幹部としてのうのうと戦後を生き抜いた軍幹部連なんだと、声を
大にしていいたい。

これをアカというようでは、理解が足らないとしかいいようがないな。
703日本@名無史さん:04/03/02 21:05
満州事変を起こした石原は、支那事変に於いてその不拡大を主張した。
その石原に逆らい、強硬な一撃論を唱えた武藤は軍務局長時代、
最後の最後まで必死で、日米戦を回避しようとした。
>>698の石井は、そのときの武藤の部下。
704 :04/03/02 23:34
>>702
他意は全くないんだけどあなたが考える
日本の戦犯って誰ですか?
まあどこからを戦犯にするか設定するのも
難しいけど。武藤はシナに対しては戦犯だが
対米戦ではそうともいえないし。
705日本@名無史さん:04/03/03 07:21
戦犯賛美はほどほどにw
706日本@名無史さん:04/03/03 08:25

          /           /  _,-':::::::::::::i.  l
.         /          /  /~ヘ,-''^~ヽi.,:  |
         i         /  /        i:::: |
.         i         /  ./          l::: |
         i        /  /            .|::: |
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       i        y'i           |    ,'|::::: i
.       i /       .l;;l           l   ,'ヽ'、/
       i/       .ll:l.|        '^  '   ,.':::::::l.|
. |',  |\ ./        |::l.|.     -;=ニ=ニ;'.  ,'::::::::/l.|  気持ち悪いアカばっかり
. | \| ./       i  |:::|.|ヽ,    ~"='~ /:::::/ l.|

707日本@名無史さん:04/03/03 14:04
武藤が絞首刑になったのは
開戦責任や支那事変より比島の虐殺の方が
大きかったようです。
708日本@名無史さん:04/03/06 14:54
いつの間にやら戦犯スレに堕ちてしまっているけど、
一言いわせてもらうなら、あれでの罪状は大抵、捕虜虐待虐殺系。
これだけでどういう性格の裁判かわかろうもんだけれどね。

そんなもんでいまだにギャアギャア言って金稼いでいる輩など、
本音では日帝などネタでしかないと思っている朝鮮人以下の低能。

709日本@名無史さん:04/03/06 19:05
「戦犯」の方々のやうな立派な人になりたいものです
710日本@名無史さん:04/03/06 19:21
unnkoayajmnfednodsoukutu.
711日本@名無史さん:04/03/07 19:28

今晩の実況は こちらで

NHKアーカイブス ◆ 東京大空襲 桜紀行
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1078649169/
712日本@名無史さん:04/03/07 21:53

今晩の実況は こちらで

NHKアーカイブス ◆ 東京大空襲 桜紀行
http://live8.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1078662725/
713日本@名無史さん:04/03/14 11:02
ぶす
714日本@名無史さん:04/03/14 11:08
戦犯=悪で片付けるのが日本が真の独立国じゃない証拠。
歴史の検証では一番大事なことじゃないでしょうか。
ナポレオンはヨーロッパ最悪級の戦犯か?英雄か?
715日本@名無史さん:04/03/14 18:47
「戦犯」と呼ばれる人たちは国を滅ぼす原因を作ったので納税者としては怒っていいと思います
716日本@名無史さん:04/03/18 02:05
伊藤正徳の『国防史』という本を探しています。
どっかで売ってませんか??
717日本@名無史さん:04/03/18 08:45
当時、納税者は滅多に居ませんでした
アメ公の口真似しちゃいけません
718日本@名無史さん:04/03/18 09:11
>>716
easyseekにある。
719日本@名無史さん:04/03/18 10:13
>>716
ヤフオクで300円で出てたぞ
720日本@名無史さん:04/03/20 10:28
no.m78.com/up/data/u030357.jpg
この人、阿南陸相の子孫?
721日本@名無史さん:04/03/20 11:59
>>720
さぁ知らん。阿南(アナン)って苗字の人は結構いるからなぁ・・・
だがこれってテレビの画像かぇ。ならばこの人を選んだのもそういった
故あったからなのかもしれんな。

余談だが陸相の方はアナミと読む。
「穴見」から転じたもので、歴史的にはこちらのほうが古い。
だが音読のアナンの方が一般的で、昭和天皇も陸相をアナンとお呼び
だったそうな。

陸相は六男二女の子がいた。
中支常徳作戦で戦死した惟晟(これあきら)氏は次男。
アジア局長、駐中大使など勤め、国益を損ねていると昨今2chらー等
から叩かれた惟茂(これしげ)氏は六男。
722日本@名無史さん:04/03/20 12:06
軍国主義はやめなさい。
723日本@名無史さん:04/03/20 12:54
阿南の家系は、豊後の名家。
724日本@名無史さん:04/03/20 13:21
>>721
余は台湾に赴任する前にそやつを斬殺したい。
725日本@名無史さん:04/03/20 18:41
究極の親不孝者だな
726日本@名無史さん:04/03/20 18:44
紀伊国屋書店本店8Fの佐藤さん、かわいい。

727720:04/03/20 20:25
>>721 やっぱりあの大使、息子ですか。
728日本@名無史さん:04/03/24 11:23
アジアの平和
        。      日
  ∧_∧ /〜〜〜/  満
○( ´∀`)/  ●  /   友
 ヽ   |つ〜〜〜/    好
  | |(__)
 (__)(`ハ´⊂⌒__フ
""""""""""""""""""""""
729日本@名無史さん:04/03/27 15:53
立派な父上に恥かしい
730「強制連行」なんて妄想:04/03/27 16:58
「強制連行」なんて妄想もいいところ。
本当は食い詰め者の支那人が、朝鮮人の人買い業者に「良い仕事アルよ」
とかどわかされて渡航してきたのであって、訴えている日本企業と直接の
労務契約を結んでいた者など一人としていない。
.   ∧__,,∧
   ( ´・ω・)  これが有名な”シナチクーのお面”か・・・ドキドキ
  /O( `ハ´)O
  し―-J
.   ∧__,,∧
   (-( `ハ´)  ムズムズ・・・・
(( / つ O ))
  し―-J
.   ∧__,,∧
   ∩-( `ハ´) 謝罪しる!!・・・あっ、やっぱり言っちゃった
  /   ノ
  し―-J
731日本@名無史さん:04/03/27 17:28
阿南の祖先は、大友能直の家臣阿南惟家といわれてる
732日本@名無史さん:04/03/27 19:57
>>731
オマイはレス番731を何と心得て。かようなレスをしたのじゃ? ああ?
733日本@名無史さん:04/03/30 09:46
>>732 731部隊の事か?
734日本@名無史さん:04/03/30 12:31
盡忠報國
      長勇
忠則盡命
735日本@名無史さん:04/04/07 10:13
731説は始めて聞いた
736日本@名無史さん:04/04/07 12:16
軍閥というのは幕府系なんだよな。
737日本@名無史さん:04/04/11 13:14
↑ ばか
738日本@名無史さん:04/04/19 18:31
何を以って幕府系といってるのかわからんが、
派閥色が強いのは薩長を除けば肥前。
佐賀左肩党なんてのもあった。
739日本@名無史さん:04/04/21 20:30
どっちかとゆうと長州系だろ
740日本@名無史さん:04/04/21 22:17
県民性がある程度見える。
面白いのは大分。ここは常に主流派より。
741日本@名無史さん:04/04/22 04:27
旧日本軍 将軍データベース
http://www2.wbs.ne.jp/~ms-db/database(others).htm
742日本@名無史さん:04/04/23 00:35
        。      暴
  ∧_∧ /〜〜〜/  支
○( ´∀`)/  ●  /   膺
 ヽ   |つ〜〜〜/    懲 
  | |(__)
 (__)(`ハ´⊂⌒__フ
""""""""""""""""""""""
743日本@名無史さん:04/04/23 01:58
何が幕府系なのかは別として、2.26のころ皇道派が
参謀本部を幕府になぞらえていたことはあったな
744日本@名無史さん:04/04/23 17:06
>>
745日本@名無史さん:04/04/29 00:50
軍人が 政治をすれば 幕府也

                   井上成美
746日本@名無史さん:04/04/29 00:52
東条が重要ポストをいくつも一人で兼務したときに
「幕府でも開くつもりか」って陰口いわれたとか
747日本@名無史さん:04/05/08 17:21
元々東條自身は、強烈な統帥権独立論者だったんだけどね。
いざ自分が首相、陸相として戦争に臨むと、あまりにも不便だ
ということでころっと宗旨変えしちゃった。
748日本@名無史さん:04/05/13 18:44
「統帥権 マチガヒ」と東條メモにある
749日本@名無史さん:04/05/17 16:54
第一次大戦を見て「総力戦」の本質を見落とし「統帥権の独立」という幻想を打破できなかった
無能者に戦争指導のようなゼネラリストしかできない事ができるわけがない。
東条は靖国神社で掃除でもしてれば良かった。
750日本@名無史さん:04/05/22 12:24
↑ 英霊を誹る、国家民族の裏切者
751日本@名無史さん:04/05/22 16:11
支那軍は阿片戦争の昔から、外国軍と幾百の戦いを繰返し、一勝もしていません。
752日本@名無史さん:04/05/22 18:02
ルーデンドルフに中てられたんだな>東條
もともと親独派だし。
753日本@名無史さん:04/05/26 01:33
>>751
そうでもない、と荒らしにマジレス。
754日本@名無史さん:04/05/27 21:02
次官(副大臣)から師団長への人事は降格ですか?
755日本@名無史さん:04/05/27 21:08
>>754
師団長は親補職だから本来は栄転。本来はね。
756日本@名無史さん:04/05/28 00:59
昭和20年8月で日本陸軍には最終的にはいくつぐらい師団があったんですか?
757日本@名無史さん:04/05/28 08:57
>>756
約170個。ただし玉砕寸前でほとんど師団の体を為してないものも含めて。
後、戦車師団が4個、高射師団が4個、航空師団が20前後。
独混旅団が約100、独歩旅団が10、独立戦車旅団が9、騎兵旅団が1
758日本@名無史さん:04/05/28 19:38
>>754
ちょい調べてみた。
次官と師団長の関係が逆転したのは昭和10年9月に就任した古荘あたりから。
古荘以前に、次官になる前に師団長をやったのは3人だけ。
759日本@名無史さん:04/05/28 19:45
>>758
おまえみたいな粘着ヲタきしょい
760日本@名無史さん:04/05/28 20:03
>>757 758
ありがとうございます。
凄いですね。終戦時師団長、旅団長あわせて330人ほどいたんですね。
これでは陸軍大学校を出ていない無天組といわれる人たちでも、将官に
なれた人は結構いそうです。
こんなに師団の数があっては、次官>師団長となるのは当然ですね。
次官になるような将官は将来的に参謀総長や大臣になるような人たち
でしょうし。第一、中将の職域の幅が広いですよね。大臣から軍司令官、
旅団長(旅団長のまま中将)までいます。東条も首相に就任した時は
中将でしたからね。「東条中将、組閣を命じられる」といったものでw
761日本@名無史さん:04/05/28 20:04
>>757 758
ありがとうございます。
凄いですね。終戦時師団長、旅団長あわせて330人ほどいたんですね。
これでは陸軍大学校を出ていない無天組といわれる人たちでも、将官に
なれた人は結構いそうです。
こんなに師団の数があっては、次官>師団長となるのは当然ですね。
次官になるような将官は将来的に参謀総長や大臣になるような人たち
でしょうし。第一、中将の職域の幅が広いですよね。大臣から軍司令官、
旅団長(旅団長のまま中将)までいます。東条も首相に就任した時は
中将でしたからね。「東条中将、組閣を命じられる」といったものでw
762日本@名無史さん:04/05/28 20:23
長く人事畑にいた額田坦が、もう一つ将官の階級があってもよかったと
書いてます。ドイツの上級大将のような階級が。
中将は何人製造しても良いけど大将はそうもいかないので、
まだまだ現役で使えそうなのに予備に入れられた中将が幾人かいます。

で、そんな中大将に抜擢されたのがビルマの敗将河辺や木村だったりするわけで・・・・
763日本@名無史さん:04/05/28 20:59
>>762
自転車でジャングルに突っ込む作戦を実施した大将を
予備役に編入された中将達はタクシーで料亭に行く途中に罵ってたんだろうな。
764日本@名無史さん:04/05/31 22:44
検索してたら懐かしいスレが見つかったのでageときます。

http://mentai.2ch.net/history/kako/993/993948958.html
765日本@名無史さん:04/05/31 23:31
加瀬俊一氏が亡くなったそうだが、欧州における終戦工作で
岡本清福中将が話題になることはあまり無いね。
766大學教授:04/06/02 12:36
スウェーデン公使の‥‥
歴史の生き証人がどんどん去って逝く‥‥

ご冥福をお祈りいたします
767765:04/06/02 19:51
おかしいなあと思って調べてみたら、亡くなったのはスイス公使の加瀬氏じゃなくて、
同姓同名の外交評論家の方だった。重光にくっついてミズーリ号に行った人。
御恥ずかしい限りですわ。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jinji/fu/news/20040601k0000m060099000c.html
768日本@名無史さん:04/06/02 23:14
あれ、ウヨの加瀬俊一とは別人か。
769大學教授:04/06/05 09:44
加瀬英明氏の他に外交評論家の加瀬俊一氏が居られたのでせうか?
770日本@名無史さん:04/06/05 10:18
>>758
それより前、皇道派の荒木貞夫大臣に、
次官から第12師団長へ異動させられた宇垣四天王の杉山も左遷人事だと思う。
宇垣が次官から大臣へ昇格した頃には、もう次官>師団長では?
宇垣は次官就任前に第10師団長をやっている。
771日本@名無史さん:04/06/05 19:15
>>770
上で挙げてる三人は尾野実信、白川義則、宇垣一成で、
尾野及び白川は山梨陸相のとき、宇垣は田中陸相のとき。
この三人の次官就任はやっぱり例外扱いだと思うよ。

杉山に関しては、本質はともかく形の上では栄転でしょ。福岡は彼の郷里だし。
もう少し後で、次官から第一師団長になった柳川平助と同じ性質の人事だと思う。

要するに明治時代は、次長や次官は師団長から見れば小僧扱いだった。
それが大正に入ると段々逆転してきて、天保銭の連中も、聯隊長より省部の課長、
師団長より次官、次長になることを、喜ぶようになった。満州事変以降、
幕僚ファッショが横行し、遂に名実ともに課長>聯隊長、次官>師団長となった。
ということでどうでしょう
772日本@名無史さん:04/06/05 22:06
自衛隊では次官>>>>>>>>>>>>>>>>>>師団長ですよね。
ていうか、次官>>>>>>>>>>>>>>>>>幕僚長

幕僚監部課長>連隊長でもあります。
773日本@名無史さん:04/06/05 22:14
次官中将(会議室の人)>>>師団長中将(現場の人)

「次官!戦争は会議室で起きておるのではないっ、現場で起きておるのだッ!」
(師団長が次官より年次が上の場合)

師団の数が増えれば増えるほど、師団長の地位はインフレ気味となり、それと
相対的に次官の地位があがると思われます。
774日本@名無史さん:04/06/05 22:43
大東亜戦争末期には少将の師団長もいた。
2.26で襲撃された最後の生き残り片倉衷少将は第二百二師団長。
775日本@名無史さん:04/06/05 22:58
桜井徳太郎、二見秋三郎なんかも少将で師団長
逆に明治時代は大将の師団長もいた

明治の師団長=大東亜戦争時の方面軍司令官
776日本@名無史さん:04/06/05 23:18
>>767
こっちの加瀬氏は、戦前外交の生き証人なんだが。
よく伊藤隆らのインタビューに答えていたが、ドイツに向かう
シベ鉄車中での松岡のエピソードは受けたぞ。

あとカタワの重光がミズーリ号に乗るときの苦労話とか。
777日本@名無史さん:04/06/06 00:32
上原中将って師団長から大臣になりましたよね?
778日本@名無史さん:04/06/06 00:36
なんかよくわかんないけど、終戦末期少将の連隊長もいた。
779日本@名無史さん:04/06/08 21:12
>>777
なりましたよ。増師問題で火中の栗を拾わされたというか・・・
780日本@名無史さん:04/06/09 09:12
 満洲北支の軍閥は、数十年乃至百年先の税金まで徴する、という酷さだったので、
全然徴税しない日本軍は大歓迎されました
781日本@名無史さん:04/06/09 15:02

   のノハら
  (::#´D`) ワタシモ師団長ニナリタイノレス・・・
   ∪:,';;';:) 
 (( し´、;;)
     トコトコ
782日本@名無史さん:04/06/17 00:20
 ε ⌒ヘ⌒ヽフ
 (   ( ・ω・) 日本人は金寄越せブー
  しー し─J
783日本@名無史さん:04/06/17 02:08
>>782

支那兵か!?
784日本@名無史さん:04/06/17 12:37
>>782
また支那人を30万人殺してやろうか?
785日本@名無史さん:04/06/17 18:12
それより某邪教の便衣兵を殺してください
786日本@名無史さん:04/06/17 18:24
師団長に少将で就任したのは
片倉衷
桜井徳太郎
二見秋三郎
重信吉固

上の三人は名の知れた天保銭
本土決戦師団ということで選りすぐられたんだろう
787日本@名無史さん:04/06/17 21:54
質問があります。

・日本海軍に長州閥はいなかったんでしょうか?

・日本海軍のイギリス的性格、日本陸軍のドイツ的性格は、戦後の自衛隊にも残っているんでしょうか?
788日本@名無史さん:04/06/17 22:23
>>787
海軍の長派といえば、初期の有地品之丞、坪井航三
後に末次信正、沢本頼雄、岡敬純、田中頼三、石川信吾ぐらいですかね
閥とよべるほどのものはないですが、反権兵衛、艦隊派、対英米強硬派
の傾向があるような気がします。


789日本@名無史さん:04/06/17 23:40
>>788

お返事どうもです。

海軍に長州閥が少ないのは、理由があるんですか?
790日本@名無史さん:04/06/17 23:44
海軍はもともと薩摩が勢力持ってたからじゃないの?
791日本@名無史さん:04/06/18 00:05
自衛隊に関してはよく分かりませんが、
創設には旧軍の軍人が関わってますから、
多少は気風を受け継いでるんじゃないですか。

吉田茂から警察予備隊について最初に相談を受けたのは
辰巳栄一元中将だったと思う。
792日本@名無史さん:04/06/18 00:54
海上自衛隊は海軍関係者が直接再建に関わってるので
結構帝国海軍の伝統を色濃く引いてる。
陸上自衛隊はアメリカ式の教本で一から再訓練し直されたから、
帝国陸軍とは別物と言っていいかと。と言っても、旧帝国陸軍
士官学校卒の人間も多かったから、間接的に影響は受けてるかもね。
793日本@名無史さん:04/06/18 01:27

なるほど。陸自はアメリカ色に転換したんですね。

戦前の陸海軍の対立ってのは、藩閥のほかにこういうドイツ色かイギリス色かの違いによるところも大きかったんでしょうか?

戦後の陸自と海自は両方とも英米色になって感情的対立は解消したのでしょうかね。
794日本@名無史さん:04/06/18 01:30
>>792
 服部卓四郎がいて、旧軍と関係無いというのは、解せませんな。彼がGHQ
から最初に諮問を受けたはず。さすが参謀本部第1部作戦課長てなもんですよ。
(堀栄三氏の父君、堀丈雄中将などはあからさまに、服部は厚顔無恥かと非難
している。)
795日本@名無史さん:04/06/18 07:44
頭の悪いあんちゃんの話を真に受けると試験に落ちますよ
796日本@名無史さん:04/06/20 11:45
>>794
旧軍出身の人間は多かったが、操典、教育などは全部アメリカ式に変更されたでしょ。
アメリカ軍は帝国陸軍をまったく評価していなかった。
海上自衛隊の場合は海軍出身者のY委員会が自主的にやってる。
797日本@名無史さん:04/06/20 19:42
>>781-785みたいのは削除依頼しても無駄か・・・
798日本@名無史さん:04/06/20 22:40
>>796
 操典、教育どころか組織、編制、装備まで変わっていますよ。全く別組織だ
からね。そのおかげで、堀栄三さんは防衛駐在官のときに、旧軍が未払いだった
報酬の請求を受けても、ドイツの裁判所で請求を斥ける事が出来た。
だけど其処で問題。じゃー、別組織として立ち上げるにしても、指揮官・教官
の供給とか、駐屯地等拠点の割り付け、その他GHQでは出来ない問題は誰が解
決したの?それを判ってからレスしてみてください。
それと、戦略爆撃調査団の報告書を見ても、旧帝国陸軍を無視できないのを一番
知っていたのは、他ならぬアメリカなんじゃないの。
799日本@名無史さん:04/06/20 23:04
>>797
それくらいも放置できなかったら2chにいられないと思うのですが
800日本@名無史さん:04/06/20 23:34
日本での捕虜収容施設に関する情報が欲しいのですが
知っている限りの事で良いので教えて頂けないでしょうか。
801日本@名無史さん:04/06/21 01:10
>>800
俘虜情報局でググって
http://www.google.co.jp/

主な俘虜収容所は
泰俘虜収容所
馬来俘虜収容所
爪哇俘虜収容所
ボルネオ俘虜収容所
比島俘虜収容所
802日本@名無史さん:04/06/21 03:11

こういう記述を見つけたんですが、

ttp://www.kamiura.com/new.html
> 米軍べったりと思われている自衛隊にもプライドはある。海自はすでに米軍と一体化して活動するように組み立
> てられている。その米海軍が中東に行ったので、追いかけて行こうとしているのはそれでしか存在感を示せない
> からだ。しかし陸自は違っていた。米軍の支配下に下ろうとしたことはなかった。日本には日本伝統のプライド
> がある。日本は第2次大戦でアメリカに負けたが、日本人としての精神まで失ったわけではない。

これを読む限りでは、海自よりも陸自の方が比較的米軍からの独立性が高いように見えますが、>>798さんの「帝国陸軍は無視できなかった」という話と関係があるんですかね。
803日本@名無史さん:04/06/21 08:25
長閥というか・・・陸軍や右翼に通じてるんじゃねーか、そいつら?
804日本@名無史さん:04/06/21 20:12
世界一流の戦力があるのは海自だけだからな。
805日本@名無史さん:04/06/25 01:40
                   ///ノ//:::||:::i::::|l::::l:::::\
 我是女兵              ////‐┤/|ミl:|:::|:::|l::::|:::::::i::ヽ
     r---─────-、,_  レ//ノ-=/リノ/|l:::|l::|l:::ヽ:::l::i:::|゙i
     ゙,    、,_       ゙"''‐ゝ-、,,_ レl/ノハl:::ノノ:::l:::\:::i:::|:l
     ゙、     ゙ヽ、:::::::.......       ゙ヽ、_レ'///イl::|l:::::i,:l::i!|l
      \::..     ゙''ヽ、"'''''─-,--、,_   ゙'''//ハヾ、l|ヽ:::ヽミi
       \:::...      ~"''''''‐---、イヽ、 /∧、-ゝヽ::ヽ::ヾリ …え?
         ゙''ヽ、::::....          \ ゙(ヘニノT.T':::i::i:::刈
           ゙'ヽ、;::::....         ヽ:::::"'''{ ∧゙i,:ミl:::ト:::ヽ
              ゙"''ヽ、        :::::::::::::ヽ川:::l:リ:::|l::::l゙i,
                .ノ~゙ヽ、        :::::::ヽl|リ::l:}ヽ:ミ::::|l:i
             ,,-''" :::::::        :::::::::::: ヾ|メ/ ヽノl|:::|l:i
            /   :::::       ::::/:::::::::::::: レ l|  |/ヽ/ リ|
          ./             :::/:::::::::::::::: }   / l/ レ'
         /              :::/:::::::::::::::: /
         ゙、:::......,          .::ノ:::::::::::::::://
          ゙、::::i'         ,,,-'":::::::::::::::/:/
           ゙'┤        "::::::::::::::::::/ :::/
            l        ...::::::::::::::/ ::::/
             :       :::::::::::::::/  :::/
             i      .::::::::l::::::〈‐-  ::::/
            _i     :::::::::::|:::::::゙、::::::::::/

806日本@名無史さん:04/06/25 17:47
>>800
青島独逸兵俘虜研究会
http://homepage3.nifty.com/akagaki/
807日本@名無史さん:04/07/02 18:30
 ε ⌒ヘ⌒ヽフ
 (   ( ・ω・) 日本人は金寄越せブー
  しー し─J
808日本@名無史さん:04/07/03 20:02
陸軍幼年学校は歴史上最高のエリート学校だね
13、14歳という若い年代で全国からたった250人程度が選抜される
学力、運動能力、全てが備わった優れた身体。
真の天才少年だけで構成された究極の教育機関だ


809日本@名無史さん:04/07/05 13:24
軍司令官(第4航空軍)→予備役→師団長(第139師団)
冨永恭次以外にもこんな人事あったのかな?
810日本@名無史さん:04/07/05 13:32
>>808
中学4年段階で人材を集めようとすると陸士は海兵に勝負にならなかった。
最高のエリートは海兵、一高、三高に集まった。
あからさまに偏差値で差がつくと陸軍のエリートは海軍のエリートにぬぐいがたい
劣等感を持ってしまう。それを回避するために中2段階で陸軍が人材を青田刈り
しようとしたのが幼年学校。

何度も廃止論が出たのに復活・存続したのは陸軍の偏差値防衛戦略のため。
811日本@名無史さん:04/07/05 14:26
>>809
戦争後半、将官が足りなくなって召集されたロートルの中には、
そういう格落ちの職についた人もいたみたい。
園部和一郎(16) 第11軍司令官→軍事参議官→予備→久留米師管区司令官 
藤田 進(16) 第13軍司令官→参本附→予備→金沢師管区司令官
812809:04/07/05 15:55
>>811
サンクス!
草場辰巳(20)第4軍司令官→予備役→大陸鉄道司令官
これも同じような例か。
813日本@名無史さん:04/07/05 16:04


カッコイイ           普通              醜い猿
 ┝━━━━━━━━━━┿━━━━━━━━━━┥
                        88彡ミ8。   /)
                       8ノ/ノ^^ヾ8。( i )))
                        |(| ∩ ∩|| / /   <ちゃんころはここ
                       从ゝ__▽_.从 /
                        /||_、_|| /
                       / (___)
                      \(ミl_,_(
                        /.  _ \
                      /_ /  \ _.〉
                    / /   / /
                    (二/     (二)
814日本@名無史さん:04/07/05 17:48
厨房の時の偏差値はともかく、卒業時の知性は
一高>=三高>>>>>>>>>>>海兵>>>>>>>陸士だな
815日本@名無史さん:04/07/05 18:27
>>810
偏差値防衛戦略って?
明治初年に偏差値もへちまない!

幼年学校は明治五年という大昔に兵学寮内に設立されたのが始まり。
それが明治八年に陸軍省直轄の陸軍幼年学校として独立し、
明治十年に一旦廃止。
士官学校官制が改正され幼年学校が分離独立したのが明治二十年。
中央幼年学校と全国に六つの地方幼年学校が設立されたのが明治二十九年。
高等中学校(後の旧制高等学校)が全国に五校設置されたのが
明治二十年。

海兵や旧制高校に対するコンプレックス云々という話は
幼年学校設立の要旨と何の関係もない。
816日本@名無史さん:04/07/05 19:50
地方幼年学校の設立は明治天皇の御声掛りだからね。
817日本@名無史さん:04/07/07 18:28
軍学校の連中は頭悪すぎだよな。
愛読書が銭形平次とか、講談ばっか。
高等学校生との知性の差は歴然としている。
818日本@名無史さん:04/07/10 10:36
www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/db2.html
1942年6月5日海軍少将、柳本柳作、ミッドウェー海戦において空母蒼龍と運命を共にする
1942年6月6日海軍中将、山口多聞、ミッドウェー海戦において空母飛龍と運命を共にする
1942年8月21日陸軍少将、 一木清直がガダルカナル島戦の責任をとって自殺
1942年11月19日陸軍中将、堀井富太郎がポートモレスビー戦の責任をとって自殺
1944年7月6日陸軍中将、斉藤義次と南雲忠一、サイパン島玉砕
1944年8月3日陸軍中将、水上源蔵が北ビルマ、ミイトキーナの戦いにおいて転進を命じた後に拳銃自殺。
1944年8月11日陸軍大将、グアム島守備隊司令官、小畑英良が自殺
1944年10月15日海軍中将、有馬正文、体当たり攻撃を敢行。
1945年6月13日海軍中将、大田実が切腹
1945年6月23日陸軍大将、沖縄防衛軍司令官、牛島満が切腹
1945年6月30日陸軍中将、 雨宮巽が自殺
1945年6月陸軍中将、藤岡武雄が自殺
1945年6月陸軍中将、鈴木繁二が自殺
1945年8月15日陸軍大臣、阿南惟幾が陸相官邸にて切腹
1945年8月15日海軍中将、宇垣纏が最後の神風特攻隊として出撃
1945年8月15日陸軍少将、隈部正美が立川飛行場近くの多摩川河畔にて一家心中
1945年8月16日海軍中将、神風特攻隊の創設者、大西瀧治郎が切腹
1945年8月24日陸軍大将、田中静壷が自殺
1945年9月12日本土防衛総軍司令官、元帥、杉山元が拳銃自殺、知らせを聞いた妻啓子もまた短刀を喉に刺して自殺。
1945年9月13日元厚生大臣陸軍軍医中将、小泉親彦が自殺
1945年11月20日陸軍大将、本庄繁が切腹
1946年3月23日陸軍中将、上村幹男が自殺
1946年4月19日台湾総督、陸軍大将の安藤利吉が上海拘留所にて服毒自殺
1947年9月10日ラバウル裁判において陸軍中将、安達二十三が切腹
819日本@名無史さん:04/07/13 19:59
       。       暴
  ∧_∧ /〜〜〜/  支
○( ´∀`)/  ●  /   膺
 ヽ   |つ〜〜〜/    懲
  | |(__)
 (__)(`ハ´⊂⌒__フ
""""""""""""""""""""""

820日本@名無史さん:04/07/13 20:02
大田実閣下は切腹して居られない
話を作るなよ共産党
821日本@名無史さん:04/07/13 20:03
暗記力しか能のない軍学校出身者。だがら、戦後の日本に必要な創造性の
ある人材は出なかった。
822日本@名無史さん:04/07/13 20:10
杉山元は敗戦時にも、あれこれ言い訳して自決する気がないのを見かねた
奥さんがしびれを切らし自分が先に自決。それで渋々死んだとか、週間新潮
で帝京大の高山正之教授が書いてたが。
823日本@名無史さん:04/07/13 21:13
共産党のデマだ
夫婦なら妻が先に自害するのが古来の作法
824日本@名無史さん:04/07/13 21:15
高山教授て、すごいウヨだぜ。
825日本@名無史さん:04/07/13 21:23
安達二十三将軍も切腹してない
嘘ばかりだな
826日本@名無史さん:04/07/13 21:25
また話を作っているな
軍の学校は暗記じゃないよ
827日本@名無史さん:04/07/13 21:26
一木清直大佐も戦死だぞ
828日本@名無史さん:04/07/13 21:26
果物ナイフか何かで頚動脈を切ったのでは?
829日本@名無史さん:04/07/13 21:28
雨宮、藤岡両将軍だって大将だろ
830日本@名無史さん:04/07/13 21:29
これほど出鱈目なデーターを久し振りにみますた
831日本@名無史さん:04/07/13 21:34
安達氏、腹は刺したが果物ナイフでは死ぬわけもなく、最後は自分で
自分の首を締め殺した。
832日本@名無史さん:04/07/13 21:39
堀井富太郎て、ジャングルの川の中に落っこちて、手を上げて
アップアップしながら流せれていったらしい。いわゆる、溺死だよ。
833日本@名無史さん:04/07/13 21:47
堀井富太郎少将も着任早々で、取ろうにも責任なんて無いよ
834日本@名無史さん:04/07/13 21:49
自分で自分の首を締め殺せる筈無いだろ
安達閣下は単純なる縊死

とにかく稀に見る嘘だらけの書き込みだ
835日本@名無史さん:04/07/13 22:13
>>834
コピペだよ。
>>822-823
お前ら全くデタラメな。
836日本@名無史さん:04/07/13 22:30
822だが
高山教授が新潮に書いていたのは今年(半年経っていない)だよ。オレは
捨ててしまったが、図書館に行けば読めるから確かめてみなよ。
高山教授は、情けない軍人の代表として杉山を挙げていたが。
837日本@名無史さん:04/07/13 23:58
漏れは御毎が改竄したとは言わない
だが、御毎の持って来た話は出鱈目だ
だいたい、雨宮閣下や藤岡閣下、大田閣下が何者か知ってるのか
838日本@名無史さん:04/07/14 08:54
仰げ名将
日本武士の表徴だ
839日本@名無史さん:04/07/14 11:33
日本土防衛総軍司令官なんていう肩書も存在しない
840日本@名無史さん:04/07/14 11:38
たんなる消防軍オタの作文、迷文にいちいち反応するのもどうかと?
841日本@名無史さん:04/07/14 12:18
将官の死亡は、こんな所かな?
1942年6月5日海軍少将、柳本柳作、ミッドウェー海戦において空母蒼龍と運命を共にする
1942年6月6日海軍中将、山口多聞、ミッドウェー海戦において空母飛龍と運命を共にする
1942年8月21日陸軍少将、 一木清直がガダルカナル島戦で戦死
1942年11月19日陸軍中将、堀井富太郎がポートモレスビー戦で戦死
1944年7月6日陸軍中将、斉藤義次と南雲忠一、サイパン島で玉砕
1944年8月3日陸軍中将、水上源蔵が北ビルマ、ミイトキーナの戦いにおいて転進を命じた後に拳銃で自決。
1944年8月11日陸軍大将、グアム島守備隊司令官、小畑英良が自殺
1944年10月15日海軍中将、有馬正文、体当たり攻撃を敢行
1945年6月13日沖縄。海軍中将、大田実が拳銃で自決
1945年6月23日沖縄。陸軍大将、第32軍司令官、牛島満が切腹
1945年6月30日沖縄。陸軍中将、雨宮巽が自決
1945年6月30日沖縄。陸軍中将、藤岡武雄が自決
1945年6月30日沖縄。陸軍中将、鈴木繁二が玉砕
1945年8月15日陸軍大臣、阿南惟幾が陸相官邸にて切腹
1945年8月15日海軍中将、宇垣纏が最後の神風特攻隊として出撃
1945年8月15日陸軍少将、隈部正美が立川飛行場近くの多摩川河畔にて一家心中
1945年8月16日海軍中将、神風特攻隊の創設者、大西瀧治郎が切腹
1945年8月24日陸軍大将、田中静壷が自決
1945年9月12日本土防衛総軍司令官、元帥、杉山元が拳銃で自決、知らせを聞いた妻啓子もまた短刀を喉に刺して自殺。
1945年9月13日元厚生大臣陸軍軍医中将、小泉親彦が自決
1945年11月20日陸軍大将、本庄繁が切腹
1946年3月23日陸軍中将、上村幹男が自決
1946年4月19日台湾総督、陸軍大将の安藤利吉が上海拘留所にて服毒自殺
1947年9月10日ラバウル裁判において陸軍中将、安達二十三が切腹後、自決。
842日本@名無史さん:04/07/14 12:40
1946年2月23日第14方面軍司令官山下奉文大将がモンテンルパの刑務所にて磔
843日本@名無史さん:04/07/14 13:03
1942年11月19日堀井富太郎南海支隊長は小船で川を下り、河口で
乗り換えたイカダが突風で転覆、田中主席参謀とともに溺れ死んだ。
844日本@名無史さん:04/07/14 17:42
>>841
田中静壹大将の名前が静壷になってるぞお。
しずつぼ?
845日本@名無史さん:04/07/14 23:22
とにかく嘘を元にまともな判断は出来ん
アカは無知ゆえに祖国を呪うのである
846日本@名無史さん:04/07/15 09:44
この板には前世紀の遺物みたいな骨董品が多い、みな老人だろうが!
それとも無知なヒッキーか?
847日本@名無史さん:04/07/15 10:52
陸軍といえば、
永田鉄山と石原莞爾の教え子らが、日本を破壊したよな。
迷惑このうえないよ。この二人。
848日本@名無史さん:04/07/15 15:28
老人なら物を知ってるよ
ワケワカな罵詈雑言止めれ
849日本@名無史さん:04/07/15 15:29
古い書物のコピペじゃな〜。
850日本@名無史さん:04/07/15 22:47
>>849
たとえ新しい書物でも、古い書物の記述・説を無批判にコピペしているようでは無価値。
851日本@名無史さん:04/07/15 22:53
一番のたわけ者は、先制主動コンビの二人
死刑!
852日本@名無史さん:04/07/16 20:57
そもそも一木清直は将官じゃない。
853日本@名無史さん:04/07/16 21:25
たしか、加賀前田家の当主だった人が太平洋戦争の最初に死亡した将軍じゃなかったけ?
確か階級は中将だった気がする。
854日本@名無史さん:04/07/16 21:57
>>853
前田利為中将ね。昭和17年9月にボルネオで墜死してる。
855日本@名無史さん:04/07/16 22:03
ゴー宣で出てた前田家当主の大尉さんって利為氏の息子さんなんだろうか?
同じ方面所属な気がするんだが、親子で同じ方面軍に所属するってあるんだろうか?
856日本@名無史さん:04/07/16 22:14
>>855
息子ではなかったと思う。
利為中将は七日市藩主の子供で、金沢の本家の養嗣子となった。
娘に酒井美意子姫がいる。
処刑された利貴大尉は、血筋的には利為中将より本家に近い人じゃなかったかな?
857日本@名無史さん:04/07/16 22:23
>>856
勉強になりました、、
一応ぐぐったんだけど利為中将は結構有名人なんですね、利貴大尉はぜんぜん出てこなかった、、
858日本@名無史さん:04/07/18 09:23
汪精衛が日本の手先なら、蒋介石はアメリカの手先であり、
一時期までの毛沢東はソ連の手先である。
中国の幹部候補生は表面上はどうあれ、本質的には、
かかる色眼鏡の見方はしていないだろう。
間違った認識に基づけば、思考の土台である前提を誤り、
昔の日本のように、それに基づく政策も悉く誤る事になるから。


859日本@名無史さん:04/07/18 13:15
  吉野作造(当時東京帝国大学教授・法学博士)といえば大正
  デモクラシーの旗手として有名だが、彼が大正五年(1916年)
  に満州と朝鮮を視察し、朝鮮の印象を述べている。

「異民族の統治は威圧だけで成功するものではないことは固より言うを
待たない。
 幸いにして朝鮮政府(朝鮮総督府)は、一方に於いて国家の威厳を示し
て居りながら、他方に於いて土民に近世文明の恩沢に浴するの機会を与え
、殊に、昔の独立時代(清朝の属国状態をさす)に見なかったいろいろの
生活上の便宜を供して居る。殖産興業もだんだん盛んになって居る。交通
機関も開けた。殊に道路はどんな田舎に行っても今や立派に造られて居る。
病院も設けられた。その上また、朝鮮政府(朝鮮総督府)は朝鮮民族の精神
的満足並びにその開発を計ることを怠っていない。社会公共の秩序は立派に
維持されて居る。権利の保障には土人と内地人(日本人)との別を立てぬ。
比較的公平ななる裁判は確かに土民を満足せしめて居るようだ。
 某朝鮮人は予に、自分の祖父の代までは、その蓄積せる多額の財産に眼を
つけられ故なくして府の長官に捕縛され、其の度毎に多額の身代金を取られた
ものだが、かくの如き不当の侵害は今日は全くなくなった。これ全て日本の
統治以来のことだと言った。殊に現在の総督寺内(正穀)伯は、正義の観念
の極めて強烈な人で道に合わないことは秋毫の微といえどもこれを仮借しない。
しかも、この点については伯爵は決して土民と内地人とを別たないといわれて
居る。この点は朝鮮人も皆伯を徳として居るようだ」

860日本@名無史さん:04/07/18 13:42
緒戦のギルバートかマーシャルで爆弾が直撃して死んだ将官がいたな
861日本@名無史さん:04/07/18 16:09
サプライズの真実!なんと、東条英機はハゲだった。
862日本@名無史さん:04/07/19 20:33
戦死した陸軍将官
酒井直次中将  第15師団長      17年5月28日淅江省で戦死  
前田利為中将  ボルネオ守備軍司令官 17年9月5日ビンツル沖北方海上で墜死
那須弓雄少将  第2歩兵団長     17年10月26日ガダルカナル島で戦死
堀井富太郎少将 南海支隊長     17年11月23日ニューギニアで戦死
塚田 攻中将  第11軍司令官     17年12月18日安徽省で墜死
小田健作少将  南海支隊長      18年1月21日ニューギニアで自決
有末 次少将  第8方面軍参謀副長  18年8月29日ビスマルク諸島附近で墜死
中薗盛孝中将  第3飛行師団長    18年9月9日広東で戦死
桜田 武少将   船舶司令部附     18年9月10日東支那海で墜死
西田祥美少将  海上機動第1旅団長 19年2月24日ブラウエン島で戦死
片桐 茂中将  第20師団長      19年4月28日ニューギニアで戦死
木村千代太少将 歩兵第59旅団長   19年6月11日河南省で戦死
横山武彦少将  歩兵第62旅団長    19年6月11日淅江省で戦死
斎藤義次中将  第43師団長      19年7月6日サイパン島で戦死
井桁敬治少将  第31軍参謀長     19年7月6日サイパン島で自決
公平匡武少将  第31軍参謀副長    19年7月18日サイパン島で戦死
加嶋三郎少将  独混47旅団長     19年7月18日サイパン島で戦死
森玉徳光少将  白城子教導飛行団長 19年7月25日ホーランジアで戦死
重松 潔少将  独混第48旅団長    19年7月26日グアム島で戦死
岡部英一少将  第29師団参謀長    19年7月26日グアム島で戦死
高品 彪中将  第29師団長      19年7月28日グアム島で戦死
水上源蔵少将  第56歩兵団長     19年8月4日ミートキーナで自決
志摩源吉少将  歩兵第57旅団長    19年8月7日湘桂作戦で戦死
小畑英良中将  第31軍司令官     19年8月11日グアム島で自決
田村義富少将  第31軍参謀長     19年8月11日グアム島で自決

863日本@名無史さん:04/07/19 20:37
戦死した陸軍将官
竹田鼎三少将   歩兵第78旅団長   19年10月25日セブ島で戦死
村井権治郎少将 第14師団司令部附  19年12月31日パラオ諸島で戦死
重見伊三雄少将 戦車第3旅団長   20年1月27日ルソン島戦死
安田利喜雄少将 第16野航修廠長   20年2月6日南方で戦死
山県栗花生中将 第26師団長     20年2月15日レイテ島で戦死
千田貞季少将  混成第2旅団長    20年3月8日硫黄島で戦死
有馬 徴少将  名古屋造兵廠長    20年3月13日名古屋で爆死
大須賀 応少将  第109師団司令部附 20年3月26日硫黄島で戦死
栗林忠道中将  第109師団長     20年3月27日硫黄島で戦死
横尾 闊少将  第14方面軍附     20年4月16日ルソン島で戦傷死
鈴木宗作中将  第35軍司令官     20年4月19日ネグロス島南方海上で戦死
池田栄之助少将 海上機動第3旅団長 20年4月19日北海道へ向かう途中海没
森  厳少将  戦車第2師団参謀長 20年4月19日ルソン島で戦死
吉川 資少将  歩兵第53旅団長    20年5月17日山東省で戦死
高田清秀少将  ビルマ方面軍兵站監 20年5月21日ビルマで戦死
光成省三少将  独立第10飛行団長  20年6月21日南方で戦死
和田孝助中将  第5砲兵司令官    20年6月22日沖縄で戦死
藤岡武雄中将  第62師団長      20年6月22日沖縄で戦死
牛島 満中将  第32軍司令官     20年6月23日沖縄で自決
長  勇中将  第32軍参謀長     20年6月23日沖縄で自決
雨宮 巽中将  第24師団長      20年6月30日沖縄で戦死
有川主一少将  歩兵第64旅団長   20年6月30日沖縄で戦死
牧野四郎中将  第16師団長      20年7?月?日レイテ島で戦死
栗栖猛夫少将  第26師団長      20年7?月?日レイテ島で戦死
沖 静夫少将  第68旅団長      20年7?月?日レイテ島で戦死
864日本@名無史さん:04/07/19 20:42
戦死した陸軍将官
鈴木鉄三少将   独混第55旅団長    20年8月1日ホロ島で戦死
藤井洋治中将   第五十九軍司令官   20年8月6日広島で爆死
小谷一雄少将   広島聯隊区司令官   20年8月6日広島で爆死
小林 隆中将   マニラ防衛司令官   20年8月8日ルソン島で戦死
磯村武亮少将   中部軍管区参謀副長 20年8月10日山梨上空で撃墜さる

森  赳中将    近衛第1師団長    20年8月15日宮城事件で殺害さる
四出井綱正中将  関東軍総参謀副長  20年8月18日台北で飛行機事故

元泉 馨少将(元金福国府軍中将)    23年7月 山西省で中共軍と戦い自決
865日本@名無史さん:04/07/20 22:38
森赳中将が戦死か、こら!
866日本@名無史さん:04/07/21 00:13
>>862に追加
河原利明少将 南方航空輸送司令官 17年10月14日南支那海で墜死
下田宣力少将 南方鉄道隊司令官  18年1月26日泰ビルマ国境で墜死

>>863に追加
川上清志少将  第3航空軍参謀長 19年12月8日マレーで墜死
中島徳太郎少将 歩兵第63旅団長 20年6月22日沖縄で自決
木下 勇中将   東部軍附     20年7月7日墜死

>>864に追加  
植山英武少将  マニラ航空廠長  20年8月4日ルソン島で戦死
867日本@名無史さん:04/07/21 02:32

死にまくってるじゃん。
868日本@名無史さん:04/07/21 18:05
自決した陸軍将官
阿南惟幾大将  陸軍大臣        20年8月15日官邸で切腹
岡本清福中将  スイス武官       20年8月15日チューリヒで短銃自決
山田清一中将  第5師団長       20年8月15日セラム島で自決
寺本熊市中将  航空本部長       20年8月15日航本の自室で切腹
隈部正美少将  航技審査部総務部長  20年8月16日多摩川畔で家族で自決
秋山義~中将  第137師団長      20年8月17日咸興で切腹
中村次喜蔵中将 第112師団長      20年8月18日琿春で自決
田中静壹大将  東部軍司令官      20年8月24日軍司令官室で短銃自決
杉山 元元帥  第1総軍司令官     20年9月12日軍司令官室で短銃自決
城倉義衛中将  元・憲兵隊司令官    20年9月13日自決
吉本貞一大将  第1総軍附       20年9月14日総軍の自室で短銃自決
篠塚義男中将  元・陸士校長      20年9月17日自宅で切腹
浜田 平中将  第18方面軍参謀副長  20年9月17日バンコクで自決
本庄 繁大将  補導会理事長      20年11月20日切腹
柴 五郎大将  北清事変の英雄。9月15日割腹を試みるも老齢ゆえ失敗。同年12月13日死去。
納見敏郎中将  第28師団長       20年12月13日宮古島で自決
上村幹男中将  第4軍司令官      21年3月23日ハバロフスク収容所で自決
人見秀三中将  第12師団長       21年4月13日台南で自決
安藤利吉大将  第10方面軍司令官兼台湾総督 21年4月19日上海監獄で自決
草場辰巳中将  大陸鉄道司令官     21年9月17日東京裁判出廷前に自決
小泉恭次中将  第142師団長      21年12月10日自宅で切腹
安達二十三中将 第18軍司令官     22年9月10日ラバウル収容所で自決
瀬谷 啓中将  羅津要塞司令官     29年5月27日満州で自決
869日本@名無史さん:04/07/21 18:07
東條に嫌われて前線送りになったのだろうか?
870日本@名無史さん:04/07/21 19:16
可哀想に(涙
871日本@名無史さん:04/07/21 19:18
法務死した陸軍将官
山下奉文大将  第14方面軍司令官        21年2月23日マニラで絞首
本間雅晴中将  フィリピン協会理事長       21年4月3日マニラで銃殺
田島彦太郎中将 独混第61旅団長         21年4月3日マニラで絞首
佐藤為徳少将  独混第35旅団長         21年4月6日チャンギーで絞首
鏑木正隆少将  第55軍参謀長          21年4月22日上海で絞首
福栄真平中将  第102師団長          21年4月27日チャンギーで銃殺
斎 俊男少将  独混第36旅団長         21年5月3日チャンギーで銃殺
平野儀一少将  歩兵第92旅団長         21年5月12日広東で銃殺
藤重正従少将  歩兵第17聯隊長         21年7月17日マニラで絞首
酒井 隆中将  酒井機関長            21年9月13日南京で銃殺
洪 思翔中将  第14方面軍兵站監        21年9月26日マニラで絞首
田中久一中将  第23軍司令官兼香港占領地総督  22年3月27日広東で銃殺
河野 毅中将  歩兵第77旅団長         22年4月24日マニラで絞首
谷 寿夫中将  第59軍司令官兼中国軍管区司令官 22年4月26日南京で銃殺
原田熊吉中将  第55軍司令官兼四国軍管区司令官 22年5月28日チャンギーで絞首
河村参郎中将  第59軍参謀長兼中国軍管区参謀長 22年6月26日チャンギーで絞首
馬場正郎中将  第37軍司令官          22年8月7日ラバウルで絞首
重藤憲文少将  南支派遣憲兵隊長         22年8月9日広東で刑死
立花芳夫中将  第109師団長          22年9月24日グアムで絞首
近藤新八中将  第130師団長          22年10月31日広東で銃殺
田中 透少将  台湾歩兵第2聯隊長        23年4月7日アンボンで銃殺
安岡正臣中将  スラバヤ州知事          23年4月12日チビアンで刑死(獄死?)
佐々 誠少将  元・泰俘虜収容所所長       23年4月23日オートラムで絞首
田上八郎中将  第36師団長           23年10月6日ホーランジアで銃殺
872日本@名無史さん:04/07/21 19:26
法務死した陸軍将官
松井石根大将  大日本興亜会総裁          23年12月23日巣鴨で絞首
土肥原賢二大将 軍事参議官             23年12月23日巣鴨で絞首
東條英機大将 元・首相、陸相、参謀総長      23年12月23日巣鴨で絞首
武藤 章中将  第14方面軍参謀長         23年12月23日巣鴨で絞首
板垣征四郎大将 第7方面軍司令官          23年12月23日巣鴨で絞首
木村兵太郎大将 ビルマ方面軍司令官         23年12月23日巣鴨で絞首
河根良賢少将  北支野戦自動車廠長        24年2月12日巣鴨で絞首
谷萩那華雄少将 第25軍参謀長           24年7月8日メダンで銃殺
田辺盛武中将  第25軍司令官           24年7月11日メナドで銃殺
岡田 資中将  第13方面軍司令官兼東海軍管区司令官 24年9月17日巣鴨で絞首
西村琢磨中将  スマトラ州知事           26年6月11日マヌス島で刑死
873日本@名無史さん:04/07/21 21:03
獄死した陸軍将官
三宅光治中将  満州国共和会中央本部長      20年10月21日ルビアンカで死去
岩切義一少将  第4野戦輸送司令官        21年10月20日ラバウルで死去
岡部直三郎大将 第6方面軍司令官         21年11月28日上海で死去
岸本綾夫大将  満州製鉄理事長          22年7月中共に抑留され死去
柳川 悌中将  第132師団長           23年2月27日上海で死去
大木 繁中将  関東憲兵隊司令官         22年4月9日シベリアで死去
喜多誠一大将  第1方面軍司令官         22年8月7日シベリアで死去
村上啓作中将  第3軍司令官           23年9月17日シベリアで死去
梅津美治郎大将 参謀総長             24年1月8日巣鴨で死去
吉岡安直中将  満州国皇帝附           24年1月15日モスコーで死去
秋草 俊少将  関東軍情報部長          24年2月シベリアで死去
中島鉄蔵中将  スマトラ東海岸州知事       24年7月25日バタビアで死去
小林恒一中将  満州国高等軍事学校長       25年5月9日シベリアで死去
小磯国昭大将  元・首相             25年11月3日巣鴨で死去
加藤泊治郎中将 北支那派遣憲兵隊司令官      26年2月19日シベリアで死去
下河辺憲二少将 独混第23旅団長         26年3月20日巣鴨で死去
内田銀之助中将 第118師団長          26年6月29日巣鴨で死去
橋本虎之助中将 満州国祭祀府総裁         27年1月26日ハルピンで死去
横山 勇中将  第16方面軍司令官兼西部軍管区司令官 27年4月21日巣鴨で死去
柳田元三中将  関東州防衛司令官         27年10月1日モスコーで死去
福地春男少将  第23軍参謀副長        28年12月9日巣鴨で死去
斎藤弥平太中将 満州拓殖公社総裁   行方不明  28年9月28日戦時死亡宣告
佐々木到一中将 第149師団長           30年5月30日撫順で死去
874日本@名無史さん:04/07/22 04:12
東条タン、酷いことする!
875世界@名無史たん:04/07/22 11:14
>>874

 懲罰として最前線行きとはゲスの政策といえよう。

 この動きの尻馬に載ったやろうが富永恭二という阿諛追従の得意な腐れ軍人だった。
 こいつの為に、対米戦に関して上層部に適切なアドバイスを遅れる人物が次々と
危険人物として告発され、戦場の露と消えていった。
 そのありさまは”見殺し部隊”と形容できる感があった。

 大戦末に富永がやったこと(フィリピン戦線で部下を神風で出撃させて、自分は
護衛機付きで台湾へ逃亡し、療養という名目でペイトウ温泉で休暇をとっていた。)
を考えると反吐が出そうになるのは俺だけではないだろう。(祖父の有人でこいつの
部下だった人は「海軍が羨ましい。俺は上の連中とは今でも一緒に酒が飲めない」
とこぼしていた。)

 こんな奴を側近にする東條という男の、人を見る目の無さは石原の言うとおり
「上等兵」の器を感じさせるものがある。(父親と息子のほうは中々優秀な人物
だったのに・・・優秀な因子が隔世で遺伝しているのかしら?)
876日本@名無史さん:04/07/22 11:35
東条なんて、事務処理に秀でた、単なる能吏タイプ。こんなヤシを英雄視
する連中の気が知れん。
877日本@名無史さん:04/07/22 11:54
まぁ海軍にも福留繁っつー厚顔なヤツもいたな。
878日本@名無史さん:04/07/22 12:53
福留繁の処置について沢本次官ら5人で協議したが、参加した某軍令部高級部員
のメモ 「福留中将ノ心境並ニ自決ノハラアルヤ否ヤニツキ観測ヲナシタルモ
・・・・・結論ハ今夜特ニ監視ヲ附セズ、若シ本人ガ自決セントスルナラバ、ソノ
欲スル道ヲ執ラシムベシト言フ意見ニ一致シテ、特に監視ヲ附セザルコトヲ決ス」
だが、福留には自決する気はサラサラなく、海軍側は不問に決まったが、これでは
前線の将兵が納得するはずがないというので、わざわざ伊藤誠一次長らを比島に送り
福留を保護した陸軍の31独立混成旅団に派遣して了解を得るという手間をかけた。
879日本@名無史さん:04/07/22 19:10
東條の懲罰人事で死んだ人って、有末少将くらいしか思いつかないけど
外にいるのかね?>>862-864の中に。
880日本@名無史さん:04/07/22 20:54
田中隆吉は羅津要塞に飛ばされて逃げたけど、 その身代わりか瀬谷啓中将は。>>868
881日本@名無史さん:04/07/22 21:21
瀬谷中将は22期の首席。しかし台児荘の責任をとらされてクビになり、
終戦間際に召集されて羅津の要塞司令官になった。
882日本@名無史さん:04/07/22 23:36
>877
戦後は少しは恥じて、ひっそりしているかと思いきや、
水交会理事長までやってるんだから、旧海軍のクサレ具合もわかろうというもの。
883日本@名無史さん:04/07/23 09:48
人を口汚く罵るのはやめれ
884日本@名無史さん:04/07/23 19:42
普通最前線送りは栄誉だろ。やる気無いんだな、上層部。
885日本@名無史さん:04/07/23 21:56
海軍に軍閥無し
886日本@名無史さん:04/07/23 23:05
艦隊派と条約派
887日本@名無史さん:04/07/24 05:53
海軍の矢野英雄少将が中部太平洋艦隊参謀長(サイパン)として前線に出るので
在京の同期が壮行会を開いたが、普段のクラスの集まりでは、いつも陽気で
座持ちの旗頭だった矢野少将、この日は沈みきってモノを言うのも
わずらわしそうだったという(某同期の少将)。誰でも嫌だよ、死にに行くのは。
888日本@名無史さん:04/07/24 06:37
キタカタ軍閥
889日本@名無史さん:04/07/24 06:51
福留、捕虜だけなら仕方ないが、次期作戦(マリアナ)の原案になった
機密書類が敵手に渡っているのに、バックレテいたのは許し難い。
890日本@名無史さん:04/07/24 11:44

これじゃ勝てませんわ。
891日本@名無史さん:04/07/24 14:10
888はわけわか
892日本@名無史さん:04/07/24 14:17
東条の関東軍参謀長時代、妻の勝子の評判が悪かった。勝子は将校婦人会を
自分の好きなように動かし、軍の機密費を湯水の如く浪費した、と非難されたて
まるで、昨今の海外駐在の外務省役人と同じです鯛。官僚社会は似たもの同士。
893日本@名無史さん:04/07/25 16:48
76 名前:ちと曖昧だけど :04/07/25 00:14
東条の家の隣に、ある華族の家があったらしい。
その家の前を通った天皇は侍従に
「東条は随分と大きな家を建てたんだね。馬屋もある。」
と語った。
すると侍従は、
「あの家は**様のもので、東条の家はその『馬屋』です。」と答えた。

東条の家は、華族の馬屋と勘違いされるほど質素なものだったらしい。
「祖父東条英機『一切語るなかれ』」に載ってたように記憶している。
894日本@名無史さん:04/07/25 18:36
後に東條に対しては金銭のことで、いろいろな噂がとんだ。
ことに世田谷用賀の家を建てたときでも、大変な大建築をしたようにいわれ、
その写真までが流布されていた。ところが実際は建築が制限されていて、
いくら総理大臣でも陸軍大臣でも、法外な家は建てられない。
法網をくぐれば別だが、そんなことのできる人物ではなかった。
(略)
それならあの写真はどうしたのかというと、東條家から一丁ばかり離れたところに
華族か富家かの二階建の邸宅がある。それを東條家に見立てたのである。
これならりっぱなもので、あれが東條の新居だといわれたなら、
門標を点検しないかぎり誰も信用する。
895日本@名無史さん:04/07/25 19:38
東条の隣の豪邸は東急の五島(強盗)慶太の邸宅。東条の家は戦時中の
資材不足でたいした家ではなかったのは事実。ただ、敗戦後、MPが
逮捕に来た際、死に損なった拳銃自殺の発砲音を妻の勝子は家の裏手で
畑仕事をしながら聞いていた。金銭に潔癖とはいえ、己の狭量のため、
政敵を自殺に追い込んだり、批判者を前線に追い込む手法は小人物の典型。
896日本@名無史さん:04/07/25 20:04
陸軍は大将の戦死が少ないな
897日本@名無史さん:04/07/26 13:22
海軍大将の戦死はそんなにあるか?

山本五十六、古賀峯一、南雲 忠一、伊藤 整一 遠藤 喜一 高木 武雄、山縣 正郷

陸軍より死んでるか?
898日本@名無史さん:04/07/26 14:08
>>897
最初の二人以外は中将じゃん
899日本@名無史さん:04/07/26 16:48
陸軍には大将の戦没者はいないが、中将は30人(うち7人が大将進級)
海軍は大将3人で897の2人の他は大角岑生ではないかと思われ(軍事
参議官のs16/2/5、南支那視察中、広東天河飛行場を離陸後墜死。
中将17人(うち大将進級5人)。
900日本@名無史さん:04/07/26 18:14
マニラとシベリアが多いな。南京、広東は少ないな。この頃は日中友好の可能性があった気がする。
901日本@名無史さん:04/07/26 19:31
刑死、獄死、自決した海軍将官
宇垣 纏中将  第5航空艦隊司令長官    20年8月15日自爆
大西瀧治郎中将 軍令部次長          20年8月16日官邸で切腹

原 鼎三中将  第12特別根拠地隊司令官  21年6月18日チャンギーで絞首
永野修身元帥  元・軍令部総長        22年1月5日巣鴨で病死
左近允尚正中将 支那派遣艦隊参謀長    22年1月21日香港で刑死
阿部孝壮中将  佐世保聯合特陸隊司令官 22年6月19日グアムで絞首
酒井原繁松少将 第65警備隊司令       22年6月19日グアムで絞首
岡田為次少将  呉鎮守府参謀副長      22年9月3日ラバウルで銃殺
醍醐忠重中将  第6艦隊司令長官      22年10月6日ホンチャナックで銃殺
鎌田道章中将  第22特別根拠地隊司令官 22年10月18日ホンチャナックで銃殺
大杉守一中将  第23特別根拠地隊司令官 23年8月28日マカッサルで銃殺
浜中匡甫少将  第8警備隊司令        23年10月15日メナドで銃殺
浅野新平少将  第41警備隊司令       24年3月31日グアムで絞首
森 国造中将  父島方面特別根拠地隊司令官 24年4月22日マカッサルで銃殺
902日本@名無史さん:04/07/26 20:30
古賀峯一は殉職扱いじゃなかった?
903日本@名無史さん:04/07/27 13:26
.  ', (./::::::::::::::::::::::ヽ, ) !、
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.   ,'::;';;;;;';;;';;;;:',.';:;;.'-;='‐;、::::::::::::::`::::::::: - ..... _
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          i !_!ェ;、_`'__ァ-'゙7‐-;、::::: .:::::::::::::::::::::;:::::::ヽ、
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- ...._',´  、!.|`'ー;‐ '´/  -;'    ! |  |  `'‐、;::::::::ヽ. `
    ` ' ‐、゙、て._ ';‐:/ _/  ':、.! |  |     ヽ;、:;:::ヽ.   支那兵は弱くて悪くて
       r''´`ヾV‐''´   .::.  トイ;;‐‐j=、、    //j.,ヽ;:':,   臭いから嫌いよー
       ゙、_,..ィ゙、i:i     .:::;:'  ゙、 ゙、ヾ;::::::;ヾ:、-;;;ンノ ! ヾ:、
.          `',‐ !.! 、  ̄    ',. 〉 \ヾ;:',ヽ;:l´  j    `
             ゙, | |  ` 、     /、    ヾ,ヾ,.ヾ''`''´
             ',           /、':;ヽ   ` ' '、
             ` 、 _,..- ''"´::;:::::';::';::',
              ';:::i:::::i:::/:::::/::::!::i   ,.- 、
               } i. /::::::::;:':::::/:::!  /    ヽ
              ,' ,i´;;;:::::/::::::/:::;':'、 ,.'::'´`ヽ. ヽ
               /::::/  `' ;::::::/::::;'//::::::::::;:_´   ヽ
               `y゙    `ヾ:::::jヽ/::::::::::/  ` 、__ ノ
             /       /  ̄ '`ヾ:;:::;'
904日本@名無史さん:04/07/28 20:14
ロスケも酷かった
905日本@名無史さん:04/07/28 23:27
>>871-872
本間雅晴中将  バターン死の行進
河根良賢少将  同上
田島彦太郎中将 バタン島での米軍機搭乗員処刑と抗日ゲリラ殺害
鏑木正隆少将  漢口での米軍機搭乗員殺害
酒井 隆中将  梅何協定
松井石根大将  南京アトロシティ
谷 寿夫中将  同上
原田熊吉中将  住民が米穀倉庫を襲い日本憲兵を殺傷した件の処理を巡って
河村参郎中将  シンガポールでの華僑虐殺
西村琢磨中将  同上
立花芳夫中将  父島での人肉嗜食事件
田中 透少将  スルマタ島での抗日ゲリラ殺害
田上八郎中将  ニューギニアでの現地民兵補処刑
岡田 資中将  B29搭乗員処刑。責任を一身に背負って”法戦”を戦った。
>>901
左近允尚正中将 英商船乗組員65名殺害事件
酒井原繁松少将 ウェーキ島の俘虜98名殺害
醍醐忠重中将  ボルネオでの抗日ゲリラ殺害
鎌田道章中将  同上
浅野新平少将  トラック島での生体解剖事件

906日本@名無史さん:04/07/29 00:39
>>855
前田利貴大尉は利家の子孫で華族の長男、戦前は三井物産に勤めてた。
加賀の本家ではないとすると富山藩かな?
907日本@名無史さん:04/07/29 21:55
海軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)

伊東祐亨元帥(薩摩)隠居的人物。
井上良馨元帥(薩摩)一時、反山本派に担がれたが、今は隠居に祭り上げ。
東郷平八郎大将(薩摩)人徳があって艦隊長官として最高と賛辞を呈す。
柴山矢八大将(薩摩)反山本派の雄。両雄並び立たず四年前に予備役編入。
日高壮之丞大将(薩摩)若い頃から山本のライバル。二年前予備役編入。
山本権兵衛大将(薩摩)本書海軍編の主人公。以外に内外に敵多し。目下雌伏中。
片岡七郎大将(薩摩)伊集院、上村のお相伴で大将昇進。中立派と評価。
上村彦之丞大将(薩摩)東郷と反対の性格。政治性のない勇将と賛辞を呈す。
伊集院五郎大将(薩摩)山内、斎藤に加え山本三羽烏といわれる。山本にべったり。
出羽重遠中将(会津)若い頃から傑出。最近は事大主義で山本に迎合。
三須宗太郎中将(彦根)若い頃から山本と良し。頭脳単純、才幹なし。
山田彦八中将(薩摩)温厚な紳士で敵が無い。己の分を守ると好評。
玉利親賢中将(薩摩)柴山の子分で反山本派。早くに予備役編入。
瓜生外吉中将(加賀)文官的武人で、山本も実力を認めているという。
斎藤 実中将(水沢)準薩摩派で山本の傀儡。財部までのツナギと評価。
山内万寿治中将(東京)山本三羽烏。蓄財家、女癖悪しと酷評。
坂本俊篤中将(高遠)温厚な人物で派閥に入らぬが実力有り。
島村速雄中将(土佐)智将と評し日露戦争の帷幄の功を高く評価。
加藤友三郎中将(広島)山本に取り入ったという。天成の事務屋で将帥の器にあらず。
吉松茂太郎中将(土佐)大人物ではないが、参謀の才があるという。
松本 和中将(東京)山本にべったり。頭脳明晰も権謀術数を用い、言行に裏表あり。
藤井較一中将(岡山)出世は遅れたが、最近日が当るようになった。
坂本 一中将(土佐)有能で能弁家だが、短気で人望無しと評す。
伊地知彦次郎中将(薩摩)実力無し。三笠爆沈の責任を免れたのは薩摩ゆえと酷評。
伊地知季珍中将(薩摩)訥弁で才も乏しいが努力家と評す。
908日本@名無史さん:04/07/29 22:23
海軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)

八代六郎中将(尾張)快男児で情の人。山本閥に入らず。
土屋 保少将(東京)戦術学者であるが、秋山に及ばざる事遠しという。
加藤定吉少将(東京)頭脳明晰、能弁で実力ありと好評。
名和又八郎少将(福井)閥外中者で将来性ありと評す。
村上格一少将(佐賀)日露戦争の功を評価し、見識ある人物と好評。
川島令次郎少将(加賀)温厚だが綿密な人物。社交性ありと将来を買う。
江頭安太郎少将(佐賀)地味だが実力あり、公平で人事局長にぴったり。
山屋他人少将(盛岡)有数の戦術家。やっと不遇でなくなった。
有馬良橘少将(和歌山)旅順口閉塞戦を誉め、将来を買う。
上泉徳弥少将(米沢)酒豪だが頭脳明晰、才幹非凡と評す。
土屋光金少将(尾張)頭良く気力もあって将来性ありと好評。
黒川悌二郎少将(米沢)やり手だが人使い荒く人望無し。但し能力優秀と評している。
野間口兼雄少将(薩摩)武人肌だが利口者。財部のお相伴で昇進。
栃内曾次郎少将(盛岡)山本に愛されているが、専ら実力による。なかなかの学者で
          海軍に必要な人物と好評。
財部 彪少将(宮崎)できる人物だが、山本の女婿となって異数の抜擢を受けて昇進。
         閨閥人事とさんざん酷評。
佐藤鉄太郎大佐(鶴岡)口も八丁手も八丁の戦史家。財部と親密という。
小栗孝三郎大佐(石川)海軍のブックメーカー。副官的人物。
井出謙治大佐(静岡)潜航学者。卓抜な人物ではないが如才が無い。
秋山真之大佐(松山)戦略家として白眉。財部も秋山には敵し難く、両者の関係微妙。
山路一善大佐(松山)財部と同じ山本の女婿だが、最近信用やや薄らぐ。
千秋恭次郎大佐(石川)かくれた功績を評価。
松村純一大佐(東京)潜水艦研究家。なかなかの野心家で功名心に富む。
山本 清大尉(薩摩)権兵衛の倅として登場。さんざんの酷評だが、話は事実通り。
平井七三郎主計大佐(薩摩)山本清の岳父となったことで不当に昇進したと評している。
909日本@名無史さん:04/07/29 22:26
910日本@名無史さん:04/07/29 23:23
コピペ厨出現の夏。金鳥持ってこい。
911日本@名無史さん:04/07/30 05:31
松本和、後のシーメンス事件に連座して獄に繋がれた人物だけに
人物評あたっていないこともないじゃん。松本は、この金は政治家に転身する
際の持参金にするつもりだったと供述している。田中義一も陸軍の機密費を
ちょろまかして政党への持参金にしたというから似たようなもの。
912日本@名無史さん:04/07/30 09:28
     アジアの平和は日本が守る!!
     
              。    
       ∧_∧  /〜〜〜/
     ○( ´∀`) /  ●  /
      ヽ    |つ〜〜〜/
      | |(__)
      (__)(`ハ´⊂⌒__フ
"""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""
913日本@名無史さん:04/07/30 09:36
江頭安太郎、山屋他人
この二人皇太子妃殿下の母方の先祖だよね。
914日本@名無史さん:04/07/30 10:05
前代未聞、雅子妃が東宮御所を出る日はいつか?
915日本@名無史さん:04/07/30 10:24
一人娘はどちらで引き取ることになるのやろ、養育権で裁判?
916日本@名無史さん:04/07/30 14:42
シーメンス事件後、海相になった八代六郎は、次官財部彪を海軍将官会議議員に追い、
後任に人事局長鈴木貫太郎を起用。軍務局長野間口兼雄を呉海軍工廠長に追い、
後任に秋山真之を起用。海軍軍令部長伊集院五郎を軍事参議官にして、後任に
海軍教育本部長島村速雄を抜擢。島村の後任に名和又八郎を起用した。
そして山本権兵衛、斎藤実を待命とし、松本和を予備役に編入。
松本中将の収賄事実が確定すると、山本、斎藤両大将を予備役に編入した。

ちなみに松本和と同時に村上格一も家宅捜索を受けたが、松本は神色自若としていた
のに対し、村上は顔色変じて蒼白となった。その様子から人は、松本をシロ、村上をクロ
と見たが、結果は全く逆だった。
917日本@名無史さん:04/07/30 21:57
陸軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)

山県有朋元帥(長州)陸軍の羅馬法王。
大山 巌元帥(薩摩)茫洋として人格大で清濁併せ呑むも、軍事的才幹は川上に遠く
         及ばず。権勢欲薄く、山県にいいようにやられている。
川上操六大将(薩摩)唯一山県派に対抗できた人物も死去。
黒木為禎大将(薩摩)日露の豪将も没要領で元帥になれず。
西 寛二郎大将(薩摩)攻城野戦の将も黒木よりは要領良し。教育総監部に押しこまれた。
川村景明大将(薩摩)閑職に葬られた。
奥 保鞏元帥(福岡)参謀の力を借りず大軍を動かせる唯一の大将。
桂 太郎大将(長州)児玉の死で長閥の二代将軍に。軍事的才幹は川上、児玉に
         遠く及ばず。
寺内正毅大将(長州)山県の目代。政治家としては到底桂、児玉に及ばず。
         度量狭小も勉強家。朝鮮で武断政治を行う。
佐久間左間太大将(長州)猛将。東洋風の豪傑で頭脳粗雑。
長谷川好道大将(長州)山田顕義に認められ引き揚げられた。武人肌で無類の短気。
           見かけの割には陰険。
大島義昌大将(長州)武一点張りで新知識なしも、温厚な性格。政治的才能無し。
乃木希典大将(長州)実行的精神家。崇高な人格。東郷と並ぶ日本の偉人。
井上 光大将(長州)手腕はあるが、山県と悪く、大臣になれず。
大島久直大将(秋田)智謀もあり豪勇無双の戦将も、長閥に擦り寄る。
福島安正中将(松本)温良な紳士で外交家。軍事的才能はあまり無し。長閥。
大久保春野大将(遠州)長州と閨閥で結ばれる。学者。
鮫島重雄大将(薩摩)武将としての能力はある。
神尾光臣中将(諏訪)綿密家。能力は有るも、長州に取り入る。
浅田信興中将(川越)戦は抜群に強いが人望無し。長閥と腐れ縁あり。
梅沢道治中将(仙台)豪胆な武将。
上田有沢中将(徳島)奥の推輓を受ける。才人肌で能弁。
一戸兵衛中将(青森)師団長中最も頼もしき人物。人格高邁、武勇抜群。
         軍部に一人の敵もなし。
918日本@名無史さん:04/07/30 22:02
陸軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)

石本新六中将(姫路)寺内に気に入られ引き揚げられた。傀儡大臣。
木越安綱中将(加賀)桂の秘蔵っ子。頭脳明晰、人格円満、統率の才あり、
         玉の如き文明紳士。師団長中の花形。
長岡外史中将(長州)野心家も人望無し。鼻先の才子。
小泉正保中将(水戸)頭脳明敏にして、戦に強く、手腕は石本輩に劣らず。
仙波太郎中将(松山)陸軍の一奇傑。天性剛腹にして長閥に媚びず。
伊地知幸介中将(薩摩)川上門下故参本から放逐された。
大谷喜久造中将(越前)頭脳周密で頼りになる。
東條英教中将(南部)硬骨直言の士で川上に愛された。長谷川の品行の悪さに
          苦言を呈してクビに。
内山小二郎中将(鳥取)新知識あり、謹厳な性格。
楠瀬幸彦中将(土佐)土佐風の反骨。一癖ある人物も現在は不遇。
本郷房太郎少将(篠山)寺内の寵児であるが、公平な性格で長州に偏らない。
秋山好古中将(松山)其の才は弟に及ばざるも、日露戦争で偉功をたてた。豪傑肌で酒豪。
藤井茂太中将(兵庫)学殖と手腕はあるも、寺内に阿ること甚だし。
上原勇作中将(薩摩)薩閥の英俊。長閥から警戒されている。
大島健一少将(岐阜)山県の副官を務めて、長閥に入った。
山口 勝少将(静岡)不平家。酒の席で寺内を前に露骨な長閥叩きを演じて、
        ”爆裂弾”の渾名を貰った。
岡 市之助少将(長州)頭脳明敏で天成の事務家。条理に合わざる時には諫言も行える。
          そういうところが寺内に気に入られて大臣候補。
919日本@名無史さん:04/07/30 22:06
陸軍の人物評 (明治44年出版の『薩の海軍長の陸軍』より)

大沢界雄少将(尾張)無愛想であるが以外に抜け目が無い。鉄道の専門家。
由比光衛少将(土佐)豪傑風。無愛想で新聞記者に不評。作戦頭はまあまあ有るが、
         松石には遠く及ばず。
松川敏胤少将(仙台)松石と並び賞される陸軍きっての戦略家。長閥に阿らない。
明石元二郎少将(福岡)探偵政治の悪魔。寺内の手先となり、朝鮮で辣腕を振るう。
松石安治少将(福岡)参謀本部を背負って立つ逸材。古今独歩の戦略家。
立花小一郎少将(柳川)若い頃は英俊を謳われたが、ガスで脳をやってからは別人物。
大井菊太郎少将(長州)学識はある。外交家。長閥の寵児。
宇都宮太郎少将(佐賀)仙波、林と共に陸軍三太郎と呼ばれる。川上門下も、
          今は長州の軍門に降る。但し胸中に一物あり。
島川文八郎少将(三重)砲術のオーソリティー。豪傑。
田中義一少将(長州)長人にしては資性豪放で、相当できる。児玉に我子のように愛された。
福田雅太郎少将(長崎)ハイカラ。将来性あり。

920日本@名無史さん:04/07/31 06:10
少将が面白い。
・上原勇作中将(薩摩)薩閥の英俊。長閥から警戒されている。
・田中義一少将(長州)長人にしては資性豪放で、相当できる。児玉に我子のように愛された。

この二人の戦いは、後に田中の勝利。上原勇作の高評価が不思議だ。
しかし田中は残念な死に方をした。しかもさらにできる宇垣が石原に墜とされてしまい・・・。

・明石元二郎少将(福岡)探偵政治の悪魔。寺内の手先となり、朝鮮で辣腕を振るう。
日露戦争の英雄にしてはイマイチな評価だな。
921日本@名無史さん:04/07/31 20:19
終戦時、森赳近衛第一師団長と白石参謀を斬殺したのは航空士官学校の
上原重太郎大尉というのが定説になっているが、これは真っ赤なウソ。
実際はX少佐(現在も名前は不明)。Xの周囲の人間が相談して、事件の
4日後に自決した上原大尉に罪をおっかぶせてしまったのが真相。
Xは昭和40代に噂を聞きつけた「サンデー毎日」には告白したが、この時も
名前は伏せられたままだった。
922日本@名無史さん:04/07/31 20:22
↑窪田兼三少佐
923日本@名無史さん:04/07/31 20:44
ねぇ、今NHKで弥勒丸のドラマやってるけど、これって実話?
てか将校が出てくるんだけどこれって偽名にされてるの?
924日本@名無史さん:04/07/31 20:47
>>921
なんで斬殺されたの?
降伏に従おうとした師団長と参謀にたいして過激な将校が襲ったっていう、よくあるパターンですか?
925日本@名無史さん:04/07/31 20:48
ポイズンのモデルは誰か知らんけど、第七方面軍司令官は板垣征四郎、
第三船舶輸送司令官は渡辺三郎少将。
926日本@名無史さん:04/07/31 20:49
>>925
ん?じゃあ実話なんですか?
927日本@名無史さん:04/07/31 20:52
阿波丸というのが安導券(字は間違ってるかも)持ってるのに沈められた。
1人だけ生き残ったというか助けられた(情報とるため)がコックか何かで
大した情報は持っていなかった。この問題は戦後も補償問題やらでしばらく
話題になっていたが、日本が請求権放棄しておしまいになった。
928日本@名無史さん:04/07/31 20:52
弥勒丸自体はなかったってこと?
929日本@名無史さん:04/07/31 20:54
>924
「日本で一番長い日」で知られた有名な話だが。
930日本@名無史さん:04/07/31 20:56
>>929
それ知らないの教えてエロいお方。
931日本@名無史さん:04/07/31 20:58
弥勒丸は浅田次朗の創作でがせう。もちろん、阿波丸事件がヒントだろうが。
ただ、阿波丸は積んではいけない戦略物資も積んでいたから、正当性を主張
するにはムリがある。
932日本@名無史さん:04/07/31 21:02
畑中少佐たちがクーデターを画策し、近衛師団長の森中将に決起を求めたが、
森はこれを拒否した。そこで森と偶々居合わせた森の義弟を殺し、師団長を騙って
近衛聯隊を動かした。しかし、東部軍司令官田中大将の適切な処置でクーデターは
未然に防がれ、無事玉音放送は流れた>>930
933日本@名無史さん:04/07/31 21:02
>930
かんたんに言えば、戦争終結に反対する少壮将校たちが近衛師団などを
巻き込んだ叛乱を企て森師団長らに決起を迫ったが、断られて殺害した事件。
934日本@名無史さん:04/07/31 21:03
>>932>>933
ありがとうございました。
935日本@名無史さん:04/07/31 21:14
阿波丸事件
1945年3月末、日本軍占領下のシンガポールを内地へ向けて出港した阿波丸
(11,249t)が4月1日夜、台湾海峡北口付近で米潜水艦クイーンフイッシュに
撃沈された事件。阿波丸が問題になったのは戦時中でも航行の安全が保障された
安導券を持っていたこと。
936日本@名無史さん:04/07/31 21:21
935続き
さらに問題は、阿波丸が米国の要請によって、日本軍占領地域の連合軍捕虜
抑留者にソ連を通じて送付された救恤品(医療・食料等)を輸送するために
連合国による安全保障を条件に日本が南方へ派遣したものだったから。
937日本@名無史さん:04/07/31 21:22
そのほかにも太平洋の洋上で捕虜交換もしてたらしいね。
938日本@名無史さん:04/07/31 22:13
ところでそろそろ次スレをつくって、このスレを保守のみに。
次スレ
日本軍閥変革史
ってのはどう?
939日本@名無史さん:04/08/01 01:26
>少将が
>・上原勇作中将(薩摩)薩閥の英俊。長閥から警戒されている。
>・田中義一少将(長州)長人にしては資性豪放で、相当できる。児玉に我子のように愛された。
>
>この二人の戦いは、後に田中の勝利。上原勇作の高評価が不思議だ。
>しかし田中は残念な死に方をした。しかもさらにできる宇垣が石原に墜とされてしまい・・・。

上原は野津道貫元帥の女婿。日露戦争でも第4軍の参謀長として義父を補佐。
その後陸相・教育総監・参謀総長のいわゆる陸軍三長官を歴任。(陸軍史上初)
後に杉山元が人材不足のおりになったぐらいの三冠王。
上原は検証の余地がある興味深い存在。権勢もかなりのもの。
田中よりだいぶ年上だから先に死んでしまうのは仕方ない。

>・明石元二郎少将(福岡)探偵政治の悪魔。寺内の手先となり、朝鮮で辣腕を振るう
明石が日露戦争中にヨーロッパ各地でおこなった活動を考えれば、
その裏がえしで、取締りについて熟知していたのは当然。
当時の資料に、いかに明石が辣腕をふるっていたかがうかがえるエピソード満載。
台湾総督にもなり、総理大臣候補にも。
治安維持(特に植民地)・諜報活動の鬼。
940日本@名無史さん:04/08/01 04:44
明石が有能であればあるほど植民地の民はk(ry
941日本@名無史さん:04/08/02 10:33
↑ あか
942日本@名無史さん:04/08/02 19:56
鵜崎の明石評は、大正時代に出た『陸軍の五大閥』では大分変わってる。

「主将としての器に至ては甚だ疑わしきも、軍人に不似合いなる政治的頭脳と
気分とを有するを以って、古参新参の別を問わず人材主義より言えば、
将来彼を陸相とするの必ずしも不可なるを認めず、彼も亦内心之を期待するならん」

「彼が如きは何の系統に属せずとも、軍人としての成功を必すべきに、憖じ長閥に
囚われしの却って彼の為に不利なるにあらざるか」
943日本@名無史さん:04/08/03 10:18
  吉野作造(当時東京帝国大学教授・法学博士)といえば大正
  デモクラシーの旗手として有名だが、彼が大正五年(1916年)
  に満州と朝鮮を視察し、朝鮮の印象を述べている。

「異民族の統治は威圧だけで成功するものではないことは固より言うを
待たない。
 幸いにして朝鮮政府(朝鮮総督府)は、一方に於いて国家の威厳を示し
て居りながら、他方に於いて土民に近世文明の恩沢に浴するの機会を与え
、殊に、昔の独立時代(清朝の属国状態をさす)に見なかったいろいろの
生活上の便宜を供して居る。殖産興業もだんだん盛んになって居る。交通
機関も開けた。殊に道路はどんな田舎に行っても今や立派に造られて居る。
病院も設けられた。その上また、朝鮮政府(朝鮮総督府)は朝鮮民族の精神
的満足並びにその開発を計ることを怠っていない。社会公共の秩序は立派に
維持されて居る。権利の保障には土人と内地人(日本人)との別を立てぬ。
比較的公平ななる裁判は確かに土民を満足せしめて居るようだ。
 某朝鮮人は予に、自分の祖父の代までは、その蓄積せる多額の財産に眼を
つけられ故なくして府の長官に捕縛され、其の度毎に多額の身代金を取られた
ものだが、かくの如き不当の侵害は今日は全くなくなった。これ全て日本の
統治以来のことだと言った。殊に現在の総督寺内(正穀)伯は、正義の観念
の極めて強烈な人で道に合わないことは秋毫の微といえどもこれを仮借しない。
しかも、この点については伯爵は決して土民と内地人とを別たないといわれて
居る。この点は朝鮮人も皆伯を徳として居るようだ」
944日本@名無史さん:04/08/04 08:22
>>898  戦死大将
945日本@名無史さん:04/08/04 08:28
定年大将て、ないのか?
946日本@名無史さん:04/08/04 08:50
無い
947日本@名無史さん:04/08/04 09:04
>>944
馬鹿か

>>945
名誉大将というのならある
948日本@名無史さん:04/08/04 13:58
豊田貞次郎は定年大将
949日本@名無史さん:04/08/04 14:26
当時は正しくは「停年」だな。
なんで「定年」に変わったんだろ。
950日本@名無史さん:04/08/04 14:38
停年と定年は違う。
(実役)停年というのは、その階級に任ぜられて何年何ヶ月かをあらわす。
定年というのは、文字通り現役、予備役を退いて後備役に入る年齢。
たとえば大将の定年は65歳、中将なら62歳。
951日本@名無史さん:04/08/08 19:00
問題は予備役編入だろ
これはそんな固定的な年齢じゃないよ
952日本@名無史さん:04/08/08 19:20
ほとんどの人は、定年がくる前に予備役になる。大将で定年まで勤めた人は、
昭和の軍人では参謀総長の鈴木壮六大将くらいしか思いつかないな。
953日本@名無史さん:04/08/11 22:03

馬糞臭き帝国陸軍は、徹頭徹尾、馬糞クサッ!!
おまーらさえいなければ……(泣)

政治に口出す頭もないのに……(泣)
954日本@名無史さん:04/08/11 22:58
       ,.-v))((r‐、
       _rv‐`‐-、(⌒
    、_ノノ ハ ハヽヾ)⌒
     ,'{,' メ. jノ゛__、v、}〉
.      {{ハ‐'、´-'} }'メ
      ゝj>`イノゝ、_
      ,r'フY/ /_l  ヘ      支那人を笑はずに
      Y⌒(⌒ } ゝ ,'ハ        生きて行くくなんて、できない
        トr'{`ー,'´ ∧_ハ
      ハリ } ,' '´/ r'_ ‐-〉
     ,'〈ト^ イ ,'/ /‐'
      レijl  l r'__ く
     | L..イ`、 \\
      | l!  l  ヽ  ヽヽ
955日本@名無史さん:04/08/12 22:57
>>952
岡田啓介も海軍大臣のとき大将定年の後備役編入で、予備役を経験していない筈。
956日本@名無史さん:04/08/14 00:01
>>955
宇垣一成も朝鮮総督をやっている間現役期間が延長されて辞めたときには
すでに定年を超えてなかったか?
957日本@名無史さん:04/08/14 00:08
宇垣は朝鮮総督に就任するときに依願予備役となってる。
このとき63歳。
958日本@名無史さん:04/08/14 00:45
あ〜〜〜〜あ、こんな奴らの為に、日本人は死んだのか……。

もう、誰も、信用できない。
いよいよ、国外亡命だな。
959日本@名無史さん:04/08/14 01:26

信用できないというので思い出したが、陸海軍の脚気に対する対応の違い。

海軍は麦が脚気予防に有効なのを発見して海軍の食事を麦飯にして効果を上げた。

他方、陸軍は森鴎外の反対により麦を採用せず脚気に悩まされたという。

明治時代にしてすでにこの病的なまでの対立。
960日本@名無史さん:04/08/14 19:47
陸軍軍人服役令によれば、将校の現役定限年齢は
大将65 中将62 少将58 大佐55 中佐53 少佐50 大尉48 中少尉45

ついでに陸軍武官進級令によれば、将校の実役停年期限は
少尉
   2年 停年2/3 抜擢1/3
中尉
   2年 停年1/2 抜擢1/2
大尉
   4年 抜擢
少佐
   3年 抜擢
中佐
   2年 抜擢
大佐
   2年
少将
   3年
中将
   4年 歴戦者もしくは枢要なる軍務の経歴を有する者にして功績特に顕著なる者
大将

もっともこの通りに進級できるのは皇族だけ。
中将から大将になるのは、進級令では4年だが内規では6年。大東亜戦争直前、
東條を大将にするために5年に縮められた。
961日本@名無史さん:04/08/15 14:48
日本海軍では、少将に進級したときの序列が予備役に編入されるまで変ることがなかった。
抜擢のまったく不可能なこの制度は、適材適所が重要な戦時においては致命的な欠陥となった。
一方、米海軍におけるニミッツの例をみるまでもなく、能力に応じた抜擢主義は効果的だった。
962日本@名無史さん:04/08/15 15:07
ウェデマイヤーもすごい早さで出世したような
963日本@名無史さん:04/08/15 17:54
米海軍は大統領に高級軍人の人事権があったからな。
964日本@名無史さん:04/08/15 22:23
統帥権者だから当然だ
965日本@名無史さん:04/08/15 22:43
福島安正は通訳から大将へ、マーシャル参謀總長なんか一兵卒から元帥へ
966日本@名無史さん:04/08/15 22:46
>>961
ニミッツは少将ポストの航海局長から大将ポストの太平洋艦隊司令長官に抜擢されているけれども、
その間に形式的にでも(たとえば1日だけとか)中将を経験しているの?
それとも、少将から中将を飛ばして大将昇進?

>>962
出世頭は何と言ってもアイゼンハワーでしょう。
第2次世界大戦勃発時は中佐だったのが、終戦時には元帥だから。

>>963
海軍の高級軍人に対してだけ人事権があった、ということはないと思う。
ルーズベルトが海軍に対してほど、陸軍に興味がなかっただけじゃない?
967日本@名無史さん:04/08/15 22:47
>>959
悩まされたどころか、自説にこだわった鴎外は、
2000人規模で脚気で未来ある若い兵士を殺してるよ
968日本@名無史さん:04/08/16 09:44
>966
ニミッツは中将になってないと思う。前任のキンメルが合衆国艦隊(兼太平洋艦隊)長官に
就任する際にも少将から大将に仮昇進して、その後、正式に大将になったらしい。
この時、ニミッツに就任の話があったが、ニミッツは先輩を50人も超えて昇進すれば
恨みや妬みをかい能力を発揮できないと辞退した。そこで、キンメルが31人超えで就任。
しかし、例の真珠湾攻撃でキンメルは解任され、また、少将に格下げ(この後、裁判)。
キンメルもこの時、受けていたら、どうなっていたことやら。なお、合衆国艦隊長官は
大西洋艦隊長官と太平洋艦隊長官が交代で兼任。この後は、大西洋艦隊長官のキングが
就いた。日本で第一艦隊長官が連合艦隊長官を兼ねるようなものかな?
969968
キンメルもこの時→ニミッツもこの時 に訂正