大日本帝國★無能軍人大會

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1日本@名無史さん
【乃木希典】
キチガイ精神論のハシリ。こいつが失地王・昭和天皇の教育係に
なったばっかりに人生の大半を狂わせたといってもいい。
薩長藩閥政治により、たいした能力もなく軍内で上り詰める。
西南戦役において、軍旗を盗まれるなど、マヌケっぷりは
従軍当初から際だっていた。
旅順要塞攻略に失敗し、白タスキ隊という決死隊を組織させ、それ
すらも失敗。児玉源太郎がいなければ、永遠に攻略はムリだった
だろう、手柄は児玉一人のものといってもよい。
明治帝崩御のとき、まったくキチガイならではの意味不明の殉職を
遂げるが、時の政府により美化され、「天皇陛下のために殉じるの
は潔し」と勝手に解釈されてしまった。
「檻の外にいた芦沢将軍」といってもよかろう。
【南雲忠一】
「ハンモックナンバーでなりあがった中将」との定番評価あり。
ミッドウェーで魚雷積み替えを何回もやりなおし、仕舞には
連合艦隊を米軍航空機の絶好の餌食にしてしまった、逡巡の
迷将。敗戦の責任をとらせて免職させればよかったのに、しな
かったのは敗戦のすくなからぬ遠因となった。
2日本@名無史さん:2001/07/01(日) 10:47
【辻政信】
ノモンハン・シンガポール華僑虐殺・インパールと重大な局面に
関わるものの失敗の連続。それでも「作戦の神様」の異名をとる。
敗戦時,死亡を装ってタイに潜伏。戦犯追及を逃れる。戦犯指定
解除後,表舞台に登場,衆議院議員,参議院議員を歴任。内戦中
のラオスに単独潜行して,以来行方不明。
こういう「エリート」軍人の無責任さは,服部卓四郎や瀬島龍三
に通ずるものがある。
3日本@名無史さん:2001/07/01(日) 11:19
【田中新一】
東条を殴った硬骨漢との自己宣伝に酔っているが、
無謀な強硬論で日本を破滅に追い込んだ罪は重い。
一撃論で日中戦争を拡大し、手詰まりになると
「アメリカが弱れば中国が妥協するかもしれない」という
無茶な論理で対米開戦を推進。
代表的なドキュソ軍人に数えられよう。
4日本@名無史さん:2001/07/01(日) 11:25
【牟田口廉也】
昭和十九年三月、制空権もなく食料・弾薬の補給もないままに、インド東部のインパールを急襲するため、 配下の師団長
たちの反対をも押し切って、この作戦は進められた。 雨期に入った豪雨と泥濘の中、三千メートル級のパトカイ山脈を横断
し、 それでも一時は、インパール後方のコヒマまで突入したが、堅固な守備陣に阻まれたまま、 弾一発、米一粒の補給もな
く、飢餓とマラリヤのため戦闘力は失われてしまう。 牟田口はただ叱咤電報を打ち、遂には、配下の三人の師団長たちを解
任するが、 大勢を変えることはもとより不可能で、七月に入ると渋々に撤退命令を出す。 しかし、以後の敗走は悲惨を極
め、 幽鬼のようになって退却してゆく道には瀕死の兵士や息絶えた兵士が累々と横たわり、地獄さながらの凄惨さであっ
た。 兵士たちはこの道を靖国街道と呼んだ。 この作戦における死傷者は七万二千を数え、生き帰った者は一割にもみたな
かった。 「第一線部隊をして、ここに立ち至らしめたるものは、実に軍と牟田口の無能のためなり」、 これは、山内第十五師
団長が前線から打電した悲痛な電文である。 それは、敵を知らず己を知らず、ただ大和魂のみを叫ぶ牟田口廉也に対する
怨念の電文である。
5日本@名無史さん:2001/07/01(日) 13:20
【源田実】
責任転嫁の名人。
戦闘機無用論を唱えたり、航空機の防御を軽視するなどドキュソな過去を持つ。
前者を他人事のように語るのは卑劣としか言いようがない。
6たしか「昭和天皇の終戦史」で:2001/07/01(日) 13:51
福留繁中将は、フィリピンで捕虜になり軍旗を奪われた
が帰国後、さらに昇進。東京裁判でも尋問に協力しまく
り(海軍提督にはそのたぐいは多かったそうですが)…
と聞きました。中将の他の無能ぶりや戦後のようすなど
ご存知でしたらおしえてください。
7日本@名無史さん:2001/07/01(日) 15:25
牟田口は、部下の軍隊が死闘していたとき何をやっていたかと
いえば、ビルマの山の中で祝詞を毎朝甲高い声で読み上げていた。
時の部下は

  「神 懸 か り か ら つ い に 頭 に 来 た」

といって、失笑していた。いまのコヴァどもに近い(藁
8  :2001/07/01(日) 20:29
このスレ勉強になるな。名将の話はよく読めるけど、こういうのも
まとめられてると、バランスがとれて健康的だ。

俺が読んだのは、ビルマラングーン詰めの将軍達は毎日昼日中から売春宿へ
公の車で乗り付けてて、こういった事を勤務時間にする将官というのは
例えば米国などでは考えられない、と書いてあった。(別に米将校が偉いから
じゃなく、職務規定違反での査問が怖いから)

内部査察ができない、自己浄化ができない日本的集団そのものだな、
と思った。
9日本@名無史さん:2001/07/01(日) 20:49
【富永恭次】
参謀本部部員としてエリート街道を驀進。
北部仏印進駐の時には、現地軍に教唆して平和進駐を妨げた。
「粛軍」を進める立場にありながら、自らはそれを破ったのである。
最後に第4航空軍司令官として部下を特攻に送り出しながら、
自らは逸早く台湾に逃亡した事件も有名。
10薩摩人:2001/07/01(日) 20:54
非常にいいスレだ。
ただし、注文がある。このドキュソ軍人の出身地を明記していただくと
尚可。
 薩摩人は全く登場しないと断言できる。
11長州人:2001/07/01(日) 20:57
うそばっか
12日本@名無史さん:2001/07/01(日) 20:59
>>2
俺、こいつが一番許せん。
13名無しさん@そうだ確定申告に行こう:2001/07/01(日) 21:00
長州コヴァくん、これは自虐史観ではなく、

とりもなおさず、  「 史 実 」  なのだよ?(藁
143,5,9を書いたが:2001/07/01(日) 21:05
調べてやったぞ、ゴルァ

乃木=山口、南雲=山形、辻=石川
田中=北海道、牟田口=佐賀、源田=広島
福留=鳥取、富永=長崎

ちなみに佐賀閥は上原勇作の系統に繋がるので、
牟田口は薩摩系の延長と言えなくもない。
15薩摩人:2001/07/01(日) 21:15
>14
うむ、よくぞ調べた。ありがたい。
しかし、最後の一文が余計だということも付け加える。
16 :2001/07/01(日) 21:26
>薩摩人は全く登場しないと断言できる。

・・そんな出身地ぐらいで人間の質がコンポンテキに
違うなんてことないと思う・・
17薩摩人:2001/07/01(日) 21:40
いや、ある!
おれは都会でいきなり初対面の男が同じ薩摩の人間かどうかが
わかるという特技がある。
 見分け方がある。その地域独特の行動のとり方の違いが俺様にはわかるのだ!
出身地で人間が読めないのは都会もんだけだな。
残念ながら都会もんはつかめん。
18日本@名無史さん:2001/07/01(日) 21:48
究極の無能軍人、富永恭次は既出か・・・

薩摩出身なら、突撃以外の作戦を考えない「神重徳」がいたな。
他の戦法は思いつかないのか。
嫌いなキャラではないんだけど・・・
19日本@名無史さん:2001/07/01(日) 22:03
伊知地幸介はどうでしょうか?
参本1部長まで務めているのに・・・・・・
20:2001/07/01(日) 22:12
【田中隆吉】
満洲から海外世論の目を引き離そうとする謀略を川島芳子を使って
起こす(第二次上海事件)。東条英機と対立して第一線を離れるもの
の,戦後の極東軍事裁判でGHQ側証人として登場。自らの謀略や
冀東密貿易には一切触れることなく,東条らを糾弾。しかし自らも
脛に傷持つ存在であったため,なれ合いに終わる。
『日本軍閥暗闘史』は陸軍軍人史としては参考になる。島根県出身。
21日本@名無史さん:2001/07/01(日) 22:45
――――――――――――――――――
マスター、徳仁と雅子様を宮内庁が必要以上に囲うのはなぜ???・・・
__  __ .r――――――――――――――――――
    ∨   | 明治天皇は1年で40センチ背丈がのびた???・・・
日 凸 U | ______
≡≡≡≡≡| /〃∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 U ∩ [] ∨%(´∀` ) < ソレはネ、秋篠宮様(北朝)とちがい徳仁は大室家(南朝)から岸が養子にしたから
                     宮内庁の役人も政治家(橋本、麻生太郎も)もいつこのことが国民にばれるのか
__ ∧ ∧__∧_∧___)_ |        ヒヤヒヤしているからサッ!!!。
  (   ,,)日(    .)□     \______________
― /   | ― (     )―――   .
\(__.ノ    ━┳━)
 ━┳━   └ ┃―・゛
 ̄ ┻  ̄ ̄ ̄ ┻ ̄ ̄ ̄
22日本@名無史さん:2001/07/01(日) 22:46
現皇室の血統上の始祖は神武天皇ではなく島津久光!

北朝正統論万歳!!次期天皇は秋篠宮様!!大阪の大室照明の子徳仁に皇位継承権などナシ。

(出典 秋篠宮様 ・・・「美智子様バッシングと秋篠宮様バッシングは同類。ソレはつまるところ美智子様の絶対言ってはならない秘密に原因がある。」
→『美智子さまの絶対言ってはならない秘密』・・・とは。

美智子様は平成天皇と結婚した日から20日目!!に妊娠なされたが本当は岸と昭和天皇の田布施コンビが大室照明の子徳仁を美智子様の子ということにしてこっそり養子にしたということ)

★時がたち41年目の今日、北朝三笠宮派(タカヒト 平成天皇 美智子様 キコ様 眞子かこ 高円宮 三笠宮寛仁 紀宮)と南朝大室派(雅子様 徳仁 岸 橋竜 昭和天皇 高松宮)の対立はすさまじく雅子様と紀子様は宮中で会話もなされないという

だから平成天皇美智子様秋篠宮様バッシングは南朝大室派からのバッシングのことで三笠宮タカヒトにしても大室近祐の弟大室竹夫少尉率いる潜水艦がドイツにつき原爆を受け取り、日本へ帰る途中インド洋を航海中に見方の潜水艦に魚雷を打ち込まれて撃沈されたがその作戦指揮とったのが三笠宮タカヒトでタイのバンコクにいたが無線で変名を用いて逐一情報を流す指揮をとった。三笠宮が自分の息子明仁を次の天皇にするためわざわざ原爆積んだ潜水艦ごと沈めたのであろう。

以上南朝大室天皇と北朝三笠宮天皇の対立の構図はいまだに根深い物があるのだ。
23日本@名無史さん:2001/07/02(月) 01:16
21,22を除けばいいスレと思うのでこれをあげよう。
24日本@名無史さん:2001/07/02(月) 02:05
>>8
辻政信に崇拝者が多くかつ上司も辻を抑えることが出来なかったのは辻がこういった
将官の芸者遊びなどを遠慮なく糾弾したからなんだよね。
結局上司に後ろ暗いところがあるとドキュソな部下が下克上するという末期状態に
陥ってしまう。今の外務大臣の真紀子は辻政信みたいな存在だな。腐敗した官僚を
追及するのはいいがやろうとしている外交はドキュソそのもの。
やっぱりエリートは道徳がなによりも大切だという平凡な教訓になる。
25日本@名無史さん:2001/07/02(月) 02:33
>>24

少しく同意。
26日本@名無しさん:2001/07/02(月) 19:10
荒木貞夫は?
27日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:03
荒木は無能な上に、ドキュソな精神論者なんだっけ?
28日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:19
>>27
陸相時代、陸軍の予算について、
蔵相の高橋是清に政策を説明した後で、
高橋から「要するに君は何が言いたいんだ???」と
言われたことがある。
荒木の実績といえば、軍人のサーベルを日本刀に変えたとか、
皇軍など、頭にやたらと「皇」の字のつく言葉を作ったことくらい。
でも、皇道派の若い将校には、初めのうちだけは人気があったらしい。
29荒木貞夫:2001/07/02(月) 21:20
若いものは元気がいいのお
30日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:53
真崎甚三郎もすごいぞ。
2.26のときのドキュソぶり。
31日本@名無史さん:2001/07/02(月) 21:54
【菊池武夫】
美濃部達吉教授を貴族院議員辞任に追い込んだ
天皇機関説もう一方の立て役者。軍人
天皇自身は「機関説でもよい」と言っていたのに、
「アラヒトガミを機関と呼ぶのは学匪」と独自解釈の
オリジナル電波ヴィンヴィンではしたなくわめきちらす様は、
いまの無職コヴァ連中とかなりダブる。(藁
32真崎甚三郎:2001/07/02(月) 21:55
お前らの気持ちは、よぉ〜っくわかっとる。
33名無しさん@1周年:2001/07/02(月) 21:59
冨永恭次の息子は、鳩山由紀夫、邦夫の幼少期の家庭教師(実話
34日本@名無史さん:2001/07/02(月) 22:33
DQNなら、服部の卓ちゃんも忘れずに。
35日本@名無史さん:2001/07/02(月) 22:56
真崎甚三郎って大将のころの写真を見ると、気の弱そうな、なんとも情けなさそうな
顔をしてるよね。
将軍クラスは、もっと堂々とした雰囲気があるもんだが。
軍事的な功績とか、実戦での戦歴って実はあんまりないんじゃない?
36武藤信義元帥陸軍大将:2001/07/02(月) 23:12
>>35
真崎の軍事的な功績、実戦の戦歴って・・・
派閥と陸士・陸大の席次、軍事官僚としての事務的能力で大将になったの知らないんですか?
37日本@名無史さん:2001/07/02(月) 23:16
ss
38日本@名無史さん:2001/07/02(月) 23:32
兵の命、祖国の命運を預かる要職にありながら、
己の名誉欲、あるいは天性のドキュソぶりで取り返しのつかない惨禍をもたらした無能軍人は、
末代まで語り継ぎ、糾弾し、辱めなければならない。これは国民の義務だ。
3935:2001/07/02(月) 23:38
>>36
やはりそうでしたか。
どうも。
40日本@名無史さん:2001/07/02(月) 23:39
>>38 末代まで語り継ぎ、糾弾し、辱めなければならない。
 誰様だあんた
41日本@名無史さん:2001/07/02(月) 23:47
ガイシュツの牟田口廉也について、カレが死んだとき
かれの部下だった者の遺族は
「アイツが天寿をまっとうしたのは全く信じられない」と
怒りをあらわにしたそうだ。
42日本@名無史さん:2001/07/02(月) 23:57
【板垣征四郎】
満州事変の首謀者の1人。
なんの定見もなく雰囲気に流されたドキュソ。
日中戦争に当たっては、
盟友の筈の石原の意図を理解できず、第5師団長として戦域を拡大。
和平派と期待されて陸相になっても、
まともな判断能力がなくあちこちで迎合するばかり。
終いには、軍のメンツにこだわって外務省と対立し、
満州国の正式承認にこだわって和平を潰した。
43日本@名無史さん:2001/07/03(火) 00:04
【嶋田繁太郎】
戦中の川柳「東条にオカマ掘られた繁太郎」で充分でしょう。
44日本@名無史さん:2001/07/03(火) 00:08
【野村直邦】
自分の能力もわきまえず海相に就任した馬鹿たれ。
あっ、こいつも薩摩だ。
45日本@名無史さん:2001/07/03(火) 00:16
【石川信吾】
海軍省軍務局第2課長として、仏印南部進駐を推進した。
秦によれば、仏印南部に進駐すれば
アメリカが石油の輸出を停止することを知っていたくせに、
こいつらが根回しして陸海軍の合意をとりつけたとか。
そうだとすればとんでもないヤツだ!!!
46日本@名無史さん:2001/07/03(火) 00:23
【栗田健男】
海軍中将。第7戦隊司令官、第3戦隊司令官、第2艦隊司令長官、海兵校長を歴任。
戦歴は、ミッドウェーでの最上、三隅の置き去り、有名なレイテの反転、etc.
部下の田中菊松熊野艦長(第7戦隊旗艦)から、「とかく避敵の傾向があった」と言われている。
4743:2001/07/03(火) 00:27
>>45
石川信吾の場合、無能というより確信犯。
「軍事官僚」としては有能だが、有害な人物という感じでは?
48日本@名無史さん:2001/07/03(火) 00:31
山本五十六。
敗戦責任は重い。
4946:2001/07/03(火) 00:31
追加だけど、>>46の栗田中将は、茨城出身ね。
50日本@名無史さん:2001/07/03(火) 00:57
【小松原道太郎】
陸軍中将。第23師団長。神奈川県出身。
ノモンハン事件。
51日本@名無史さん:2001/07/03(火) 03:12
【東条英機】
はっきり言ってドキュソ。
田中隆吉が広げた事務屋というイメージが広がっているが、
実際のところ典型的な向こう見ずの強硬派。
基本的な国策の選択は田中新一と同じで、
無謀な一撃論で行き詰まり、メンツにこだわって戦線縮小もせず、
ついにはヤケクソで対米開戦。
52名無し:2001/07/03(火) 03:29
政治の面で無能か、軍事の面で無能なのかは分けた方がいいと思うけど。
栗田君なんて政治に干渉してないし。
53日本@名無史さん:2001/07/03(火) 05:39
非常に勉強になる良いスレありがとうございます。
もっとカキコしてください。

ところで上記の方々は靖国に奉られているのでしょうか?
54名無し:2001/07/03(火) 16:37
乃木以外はほとんどが大正、昭和の奴だね。
55山口多聞:2001/07/03(火) 20:29
栗田健男は、プリンスオブウェールズとレパレス来襲の時、重巡含む水雷戦隊で迎撃するはずだったが、いざ来襲の報が入ると艦隊が一斉に大回頭。つまり敵前逃亡です。それも海軍機攻撃隊の直下で。そして、ミッドウェーの狂態。レイテの破廉恥に続きます。山本長官の人選もたいしたものです。本人
も真珠湾の際、2次攻撃しない南雲をへらへら笑っていたそうですから。牟田口は不要作戦のインパールの時、緑のジャングルを見て、ここから水も食料も自活できるとし、胸をはってバイキング作戦だと言ったそうだ。兵は餓死状態なのに、この作戦指導部は毎夜、本土からつれてきた芸者と毎夜酒池肉林で
あったらしい。最高だね、こりゃ。指揮権を毎度狂わす発狂脱糞参謀の辻は戦後じみん党から、議員になったのだろう。あんな人殺しに入れる国民もどうかしてるぜ。東条が言ったサイパンは太平洋の防波堤、、、。それを信じた人々はバンザイクリフから、飛び降りちゃったよ。あ、おれ、あの島で日本兵の幽霊みたよ。
ああ、まったく、兵は、哀れ。
合掌。
56木口小平:2001/07/03(火) 20:52
がはははは、山口艦長殿おもしろいです。
特に陸軍が精神至上主義にですね。ガ島で、隠密裏で部隊単位で夜襲をかける時、部隊長が突撃ーと叫び、兵も大声だすので、すぐ米兵がきずき、奇襲攻撃を自ら台無しするから、
日本兵の死屍の山を作ったそうだ。これ、日露戦争からの伝統らしいです。いまの自衛隊もこれやってますか。
57飛龍二等水兵:2001/07/03(火) 21:10
>>55
山口中将殿!「バイキング作戦」は「ジンギスカン作戦」の間違えではありませんでしょうか!
58山口多聞:2001/07/03(火) 21:44
あ、すまん。ジンギスカンであった。
59日本@名無史さん:2001/07/03(火) 21:45

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             ||:+:*+*:\_/:* * +::*:< 、ノ        ___  r'二ノ`7:::::|  | /|
              ||:+:*;*::::| \::::::::::::::+ ' \\    ,--ー'7/  ̄ ̄ '  /::::: |' `| |:レ
             /:*; *  ::|   \:::/   \\rー|   / |::      /   ト'   ト、
            /:+:*::*::+:|、    ` 、   / ̄j/:  |:   / |:::         |::..  |::
            / ̄ ̄7ー---―' ̄ ̄/:::.. /::::.. |:::. /  l:::::....        l:::..  l::
60日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:25
【四王天延孝】
陸軍中将。陸士11期、陸大21期。國際聯盟陸軍兼空軍代表。
翼賛選挙でユダヤ人排斥を主張して衆議院議員に当選。
日本人のくせにユダヤ人排斥なんぞ言い出した、DQNなお調子者。
61東条英機:2001/07/03(火) 23:47
航空機生産各社へ
「燃料の要らない飛行機を開発せよ。」
62日本@名無史さん:2001/07/03(火) 23:55
そんな英機にオカマ掘られた繁太郎って・・・
63日本@名無史さん:2001/07/04(水) 00:37
俺は辻みたいにやりたい放題やってみたいな
64日本@名無史さん:2001/07/04(水) 00:40
>63
帰ってきたら銃殺ね。戦地で最後まで戦って氏んでね。
65日本@名無史さん:2001/07/04(水) 02:15
>>64
銃殺じゃなくて、やっぱ首吊りでしょう。
66【^▲^】ヤマト@管直入squid1.marushin.media.kyoto-u.ac.jp :2001/07/04(水) 02:22
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67日本@名無史さん:2001/07/04(水) 18:48
>>66

 5,6回氏ね

 ないしはその場で、息を止めて逝け
68日本@名無史さん:2001/07/04(水) 19:07
【中村震太郎】
日本人立入禁止区域に潜入・情報活動に従事中のところを中国兵に
捕らわれ,処刑される。れっきとしたスパイ行為で国際法上も問題
ない措置にも関わらず,中村大尉遭難事件として報復世論が俄然持
ち上がる。情報将校として未熟だっただけなのに。
69日本@名無史さん:2001/07/04(水) 19:12
わざとドキュソ工作員を送り込ませて開戦の口実をつくったかも?(藁
70日本@名無史さん:2001/07/04(水) 19:16
【土肥原賢二】
「東洋のロレンス」の異名をとった情報将校として有名な人物。
華北分離工作にて大活躍。
しかし情報活動に従事する者が,そんなに有名でいいのかは疑問。
川島芳子(東洋のマタ・ハリ)も同様。
で,土肥原は東京裁判で死刑。
71俺も忘れないで!:2001/07/04(水) 22:34
【林 銑十郎】
1876.2.23〜1943.2.4。石川県出身。
1896年陸軍士官学校卒。1903年陸軍大学校卒。
30年朝鮮軍司令官。
31年満洲事変に際し独断で朝鮮軍を越境派兵して問題となる。
32年大将。34年岡田内閣で陸相。
統制派として真崎甚三郎陸軍教育総監を罷免し、後の相沢事件の原因を作る。
36年予備役。宇垣内閣流産の後を受け大命降下、組閣する。
内閣の方針に「祭政一致」を掲げ、政務次官、参与官の職を廃止して政党と対立。
帝国議会で「軍財抱合財政」を唱える。
政党懲罰を目的として帝国議会を抜き打ち解散するが、総選挙では惨敗。
選挙結果を無視し企画庁などを興したが、倒閣運動が起こり総辞職した。

影は薄いが立派なドキュソ。
72日本@名無史さん:2001/07/04(水) 22:43
>>71
林銑十郎、辻政信、そして森喜朗は、
石川県の生んだ三大ドキュソ政治家、
ということでよろしいでしょうか?
73日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:03
>>72

 異議なし!(藁
74日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:07
ぎゃはは!!
そのとうり!!!

しかし、揃いも揃って見事なドキュソだなあ
75日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:17
金沢というのはダメ軍人が多い。殿の前田利為中将からして。
76日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:32
(ただ、森喜朗には陸軍大学校どころか陸軍士官学校も無理だろう。
いや、高等商業すら危うい。)
77日本@名無史さん:2001/07/04(水) 23:41
前田は飛行機事故で死んだのに
大将に進級ってことになったんだよね。
アホな話だ。
関係ないからサゲとく。
78日本@名無史さん:2001/07/05(木) 08:22
【上原勇作】
第二次西園寺内閣の陸相。2個師団増設を拒否され,
その腹いせに帷幄上奏し陸相を辞任。後任陸相を得ら
れなかった内閣はそのまま倒閣。軍部が内閣を倒すと
いう悪しき前例を作った人物。薩摩出身。
79日本@名無史さん:2001/07/05(木) 12:12
>>72

加賀って、むかしは尾山御坊とかスゲー某過激宗教拠点があって、
「百姓どもの統べる国」とかいって、恐れられていた国だった。
信長・秀吉が焦土にしたあと、前田が封ぜられてやってきたと
き、はじめにやったのは”愚民化政策”これによって金沢城下を
除く領民をイエスマン化して、百万石の土台を築いた
80日本@名無史さん:2001/07/05(木) 13:37
大久保利通を殺したドキュソも石川じゃなかったっけ?
81日本@名無史さん:2001/07/05(木) 22:47
石川はDQN県
8281:2001/07/05(木) 22:48
出身軍人がね。
83日本@名無史さん:2001/07/05(木) 23:15
阿部信行も使えねーしな。
84なあり:2001/07/06(金) 01:09
誰と言うことなく幹部全員
バブルのころの大蔵省の高級官僚と全く同じで
エリート意識だけは、異常に強く、
国のためより、軍隊内の派閥優先で自分の
出世のことばかり、かんがえていた。
中国の戦場が無意味に拡大したのは、
だだ幹部の勲章のためだった。
そのくせ戦場では死ぬのは、たたきあげの下士官ばかりで
幹部はにげてばかりで、戦後までいきのびた。
この無責任体制が現在も高級官僚にのこっている。
85日本@名無史さん:2001/07/06(金) 06:48
石川県は、日露戦争時代の海軍に瓜生外吉(大将)、寺垣猪三(中将)、川島令次郎(中将)といった
人材を輩出してるんだけどね。
86日本@名無史さん:2001/07/06(金) 10:44
軍人じゃないけど、各航空会社の社長とか関係者いろいろ

工場の直ぐ横に飛行場作れよ。だから分解して牛車で輸送(藁
三菱の愛知・名古屋は終戦まで牛車輸送(藁
87佐藤中佐:2001/07/06(金) 21:24
黙れ!>All
88日本@名無史さん:2001/07/06(金) 23:00
>>87【佐藤賢了】
89日本@名無史さん:2001/07/06(金) 23:17
【佐藤賢了】
宮脇長吉代議士に対する「黙れ!」という言葉は、
議会を無視した蛮行として知られる。
東条英機の懐刀であり、政治的立場はほぼ同じのドキュソ。
ちなみに田中新一との違いは、対ソ戦に振れず、
あくまで南進にこだわった点。
戦後は自己正当化のドキュソな本を幾つも残した。

※鉄道関係の著書で知られる宮脇俊三氏は、
宮脇長吉の息子さんです。
90日本@名無史さん:2001/07/06(金) 23:23
>>87
駐米武官までやって、何してたんだか。
91日本@名無史さん:2001/07/06(金) 23:26
無能かどうか知らないが、宮脇長吉代議士も軍人だね。
予備役陸軍中佐だったけ?
92日本@名無史さん:2001/07/06(金) 23:44
宮城の上を訓練中の気球が飛んでしまい
引責辞任だそうだ>宮脇長吉大佐(だと思う)
93日本@名無史さん:2001/07/06(金) 23:55
ああ,やっぱりDQNな人だった。
94日本@名無史さん:2001/07/07(土) 00:27
そうそう。
佐藤賢了も石川だよね。
ホントDQNばっか。
95名無しさん:2001/07/07(土) 00:29
ドイツの快進撃中、日本が北進しなかった理由って何?
やはりノモンハンの痛痒?
96日本@名無史さん:2001/07/07(土) 00:34
それもあるけど、佐藤なんかは資源の問題を重視していたみたい。
北を攻めても資源は手に入らないっていう主張をしてた。
ま、だからといって
アメリカと戦うことで日中戦争を解決させようという発想は
アホにしか思えないけどね。
97日本@名無史さん:2001/07/07(土) 00:41
もう少し詳しく書くとこんな感じ

対ソ開戦派・・梅津関東軍司令官
対ソ開戦寄り・・田中第1部長
中間・・東条陸相
南進・・佐藤軍務課長

武藤軍務局長がどうだったかは忘れた。
98日本@名無史さん:2001/07/07(土) 00:53
>>97
田中は「寄り」じゃなくて、開戦派の主要メンバーでは?
99日本@名無史さん:2001/07/07(土) 00:55
>>95
石川信吾と海軍第一委員会の存在でしょ。
100日本@名無史さん:2001/07/07(土) 00:56
おれが史料を見てきた限り、田中にはまだ躊躇いがあったと思う。
梅津あたりの「絶対」という姿勢とは多少違うよ。
101日本@名無史さん:2001/07/07(土) 00:56
陸士・陸大などの「主席組」はやはり優秀だったの?
10298:2001/07/07(土) 01:00
>>100
プロセスでの躊躇を否定する訳じゃないけど、結局、関特演発動してるじゃん。
103日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:02
>>101
関係無い。有能、無能どちらもいる。
試験には強いんだろうけど。
104日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:35
普通の本には載っていない、かなり細かい話をしたつもりだったが、
そう突っかかられると腹立つな。
田中は40年後半から41年前半には、南進に熱心だったわけだ。
それが別の因子が入ってきたので、北にも対処できる準備をしたということ。
関東軍の、なにがなんでも対ソ開戦というのとは若干ニュアンスが違う。
田中が南進を完全に放棄したのなら、あんな転回にはならんだろうよ。
105日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:39
間違えた
×転回→○展開
106日本@名無史さん:2001/07/07(土) 01:52
>>103
一応、
「成績」と「その後の活躍」の相関性を調べてみたんだけど、
東條や永田や石原などはやはり主席だったみたい、、。
あと、名前は忘れたが、陸小からずっと「主席」の凄いのもいた。
107103:2001/07/07(土) 01:58
>>106
陸幼・陸士・陸大首席って高嶋辰彦や西村敏雄でしょ。
108日本@名無史さん:2001/07/07(土) 02:05
>>106
古荘幹郎もずっと主席だったよね。
109日本@名無史さん:2001/07/07(土) 02:07
誰か軍部首脳陣の写真などあったら見せて!!
11098:2001/07/07(土) 02:26
>>104
気に障ったのなら、あやまるよ。
もちろん田中が中心となって「大東亜長期戦争指導要綱」をまとめているのは知ってるよ。
>>95が言ってるのが、独ソ開戦以降のことだと思ったので、6月初旬(だったかな)の満州視察から戻ってからの田中の方向転換と土居作戦課長の排除(別の要因もあるけど)にウェイト置いただけなんだ。
細かいこと書いてもしょうが無いから、一言でいっただけ。『田中作戦部長の証言』あたりを読んでると、その辺のプロセスはよく分かるよね。
111日本@名無史さん:2001/07/07(土) 02:33
古荘幹郎って2.26事件時の陸軍次官でしたっけ?
有能な人物だったんですか?
112日本@名無史さん:2001/07/07(土) 02:40
【磯谷廉介】
西安事件のとき、「おもしろいことになったね」と事の重大さに気付かず、呑気に構えていた、と叩かれていた。
チョットかわいそう。(後知恵だよね)
113日本@名無史さん:2001/07/07(土) 02:46
軍事課長、軍務課長、作戦課長、作戦部長、軍務局長を歴任した真田穣一郎少将は有能だったんでしょうか?
重要ポストに就きながら、負け戦に持ち込んでしまった張本人の1人のような気がするのですが。
114日本@名無史さん:2001/07/07(土) 13:41
あげ
115日本@名無史さん:2001/07/07(土) 14:06
>>106
陸小って何?
116日本@名無史さん:2001/07/07(土) 15:37
>>115
短小って何?
117日本@名無史さん:2001/07/07(土) 15:41
種田政明って無能じゃない?
118日本@名無史さん:2001/07/07(土) 16:54
熊本鎮台ですか…
119日本@名無史さん :2001/07/07(土) 17:30
>>113
真田穣一郎少将は個人的には嫌いじゃないけど。
2・26事件当時警備司令部参謀(少佐)だったにも関わらず、大臣告示について香椎司令官(中将)、安田参謀長に対して「叛軍に銃剣を突きつけられて書く誓文ようなもの。そのようなものはだめです」って、ちゃんと意見してるし、インパールの時も大本営作戦部長として、無謀な計画を阻止しようとしたはず。
その他の功績は知りません。
120113:2001/07/07(土) 22:06
>>119
戒厳司令部の参謀長って、安井藤治少将じゃなかったっけ?
121日本@名無史さん:2001/07/08(日) 02:03
>>111
ドイツに陸軍武官としてヨーロッパ近代戦を学びに留学、
近代戦の物凄いエキスパートだったらしい。
ドイツ駐在、第一参謀本部長、第14師団長、陸軍次官、陸軍大将歴任。
奇襲作戦が得意だったらしい。
太平洋戦争前の昭和15年に病没、もし、存命していたら陸軍元帥か教育総監になっていただろう。

ちなみに、戦後ミーズリー号で日本代表として調印した梅重嘉和も陸大首席。
122揚げ足取りじゃないよな、こんなに凄いと:2001/07/08(日) 02:55
>>121
おいおい、滅茶苦茶じゃん。>>111を撹乱させようとしてるのか?
@「第一参謀本部長」とか「陸軍元帥」って何だよ?「参謀本部第一部長」、「元帥陸軍大将」だろう。帝國には元帥って階級は無いんだから。
A元帥か教育総監って並べて比較するものか?書くなら「陸相か参謀総長、教育総監のどれかになって・・・」だろう。
B「梅重嘉和」って誰?「梅津美治郎」じゃないのか?
123日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:00
>>122
すまん、急いで調べて書いたのだ、、。
君、とても日本史が詳しいね、、。
124122:2001/07/08(日) 03:06
>>123
起きてるなら教えて。
古荘幹郎が近代戦のエキスパートっていってる元ネタは?チョット興味があるので。
125日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:13
古荘が存命していても、元帥は無理な感じが・・・
126日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:17
>>124
参考資料は
雑誌「丸」や
彼が病没した日の当時の新聞記事からです。
「奇襲」が得意だったので新聞は「覆面将軍」と称えていたようです。
あと、彼が留学した頃はドイツの「シロ狐」と呼ばれた将軍やドイツが一番熱かった頃みたいです。
そこで、確か彼はクラウゼビッツや近代兵站学を知悉してきたそうです。

あと、彼は永田鉄山や石原莞爾などのいわゆる「政治的軍人」や山形や長州の「藩閥」軍人では無かったそうです。

あと、124さんに聞きたいのですが、やはり永田鉄山や石原莞爾は天才肌だったのでしょうか?
なにか凄いエピソードがあれば教えてください!!
127日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:27
>>124
凄い詳しいひとですね。
質問ですが、当時の陸軍・海軍エリートは
現在の東大をはじめとする偏差値エリートの比ではない位に知力体力気力ともに
凄かったのですか?
私の知るところによれば、当時の海軍学校生が夏休みなどで帰郷した際などは、
なんでも、地元の女学生が「キャー」と黄色い歓声をとばしたとか・・。
丁度その様は、マンガの「男塾」の剣桃太郎みたいなもんだったんでしょうか?
128122:2001/07/08(日) 03:28
>>126
だいたい分かったよ。ありがとう。
永田鉄山や石原莞爾のエピソードは文献ですぐ読めるし、このスレの話題から脱線するからご勘弁を。
永田スレや石原スレは結構あったしね。
129122:2001/07/08(日) 03:37
>>127
そんな個人個人状況が違うことで、凄いかどうかなんて言える訳ないでしょう?
海軍学校生って多分海軍兵学校生徒のことだと思うけど、海兵生徒が人気あったというエピソードはよく見かけるね。
剣桃太郎(後に内閣総理大臣)は好きだけど、あれはチョット・・・
(関係無いからsage)
130日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:41
>127
でも日本をほろぼしたのは、そのエリートだよ。しょせん大蔵官僚
とたいしてかわらん。っていうかひと殺しまくっただけそれより悪。
でも剣みたいにもてたんだろうなー。
131日本@名無史さん:2001/07/08(日) 03:58
【黒田重徳】
陸軍中将。陸士21期(石原莞爾と同期)、陸大28期。
教総本部長、南方軍総参謀長、第14軍司令官、第14方面軍司令官(山下奉文大将の前任者)。
こいつの所為で、第14方面軍の士気は弛みっぱなし、防備も準備不足。本人はサボタージュしまくり。
さすがに陸軍中央部も目に余ったようで、昭和19年12月に予備役編入。
132119:2001/07/08(日) 08:35
>>120
ごめン。安田じゃなくて安井警備参謀長だった。
この人は鈴木貫太郎内閣の国務大臣、中将まで行ったね。

ところで、詳しい名前は忘れたが、
最後のビルマ方面軍(?)司令官木村中将は最低。
本部を放り出して真っ先に空路タイ方面へ脱出、そのしんがりを、民間人がつとめ多数戦死。
三菱商事などは、150人の社員のうち40人?くらいを、この撤退戦で亡くしたそうだ。
それまで、ひとりの戦死者もなかったのにだよ!
当時タイにいた司令官(中将。名前失念)はもちろん自分の管轄域内へは足を踏み入れさせなかったそうだ。
133日本@名無史さん:2001/07/08(日) 09:54
うちの田舎の近所のおじいさんは永野軍令部長の副官だったことを
ひとつ語りのように自慢していました。
それはそれはとても立派な方だったとか。
元帥とは斯くあるべしと言ってました。
134120:2001/07/08(日) 10:27
>>132
木村兵太郎だろう。
関東軍参謀長、陸軍次官を歴任。
東条の元で開戦時の陸軍次官を務めたので、とばっちりでA級戦犯で法務死。

>>133
人格は立派でも・・・
軍事官僚としてなら、それなりに優秀で革新的だったけど、有事の海相、軍令部総長としては、無能で有害。
135日本@名無史さん:2001/07/08(日) 10:45
昭和期に集中してる観があるなー。
こんなのどう?

【三浦梧桜】
漢城駐在公使時の1895年,朝鮮王宮占領事件及び閔妃暗殺事件
を引き起こし日本政府を驚愕させるものの無罪放免。通称「観樹
将軍」。政府の意思をも超えて暴走する現地のはしりみたいなもの。
長州出身。
136119:2001/07/08(日) 10:59
>>2
辻政信は幼年学校・士官学校首席、陸大二番でしたね。
士官学校時代、同僚の放蕩を攻撃、特に見習士官には士気涵養のため図書館に行き史跡古戦場を訪ねる事を求め、剣道の稽古をつけてやったり。
面倒見が良く、上官の命令に盲従するだけでなく同僚の非違・弛緩を糾弾、師団長を翻弄、努力の人。
この頃の辻政信は好感が持てる部分がある。
その後士官学校事件(スパイを潜入させ、クーデターを捏造、報告)あたりから、晩年の辻政信らしさが出てくる。
侍大将としては古今無双であるが、それ以上の名将ではない、ハンドルの狂った重タンクとは、うまく言ったものです
ただ、インパールに関しては、昭和19年7月、第三十三軍作戦課長に就任、第一線を詳しく視察し作戦計画建て直しを図った筈。
ガイシュツの木村中将から個人感状も送られている。
137田中清玄研究家:2001/07/08(日) 12:35
>>135 その辺になると竹橋事件を経由して、
維新期や民権期の話につらなっちゃうから、
別ジャンル…という印象なんでしょう。
礫川全次「史疑」改訂版p101とか…事件自体
は、ちょー関心あり。
138日本@名無史さん:2001/07/08(日) 12:47
>>137
武装共産党時代ですか…。
139119:2001/07/08(日) 20:04
>>2
【瀬島龍三】
陸士44期首席、陸大51期トップの軍刀組、中佐。
大本営作戦課作戦室(通称奥の院・鉄の密室)暴走の中心人物のひとり。
新任の参謀が軍刀組でないから、作戦課の入口にバリケードを張って中に入れさせなかった。
陸大の7期先輩がインパールの現状視察、撤退すべきと電報で意見具申。
帰国後、作戦室に足を踏み入れるや、金属製の筒を投げつけ「この馬鹿野郎!なんちゅうことを言うんだ」
と。
昭和19年10月の「電報握りつぶし事件」
台湾沖航空戦の多大なる戦果に基づきレイテ島上陸作戦を天皇に上奏した直後、実際の戦果は巡洋艦二艦が撃破されただけと判明。
既に上奏した後にそんな電報が来ても今更どうにもならないので握りつぶした。

終戦後、電報を送った堀栄三情報参謀は、瀬島から「日本中が勝った勝ったと言っているときにただひとりそれに反対する人(=堀)がいた。
あの時自分は君の電報を握りつぶした。」と謝られたが、他方では「あれは堀の誤解だ」と言っていたらしい。

瀬島龍三は一度も戦場の弾の下をくぐったことがない。
ここは辻政信とはまったく異なる点。

中曽根首相のブレーンだったり、戦後賠償に功あり、戦後の産業界には貢献したのかもしれないが。
140日本@名無史さん:2001/07/08(日) 22:09
有能、無能関係無しにDQNが並んでいる感じだな。
141日本@名無史さん:2001/07/08(日) 22:19
【三浦梧桜】は長州の奇兵隊出身だな。
晩年は学習院院長という名誉ある地位についた。
142世良修蔵:2001/07/08(日) 22:57
>>141
つうことは、俺も生き残っていれば、
学習院院長か枢密顧問官くらいにはなれたということだな。
143日本@名無史さん:2001/07/08(日) 23:44
>>140
有能なDQNって表現いいですね。
144119:2001/07/09(月) 00:27
今日、辻政信「潜行三千里」の昭和25年初版を某ページで発見、近日中に入手予定。
毀誉褒貶様々だが、よく売れてベストセラーとなったこの本。
毎日新聞社の編集者により、読者の反感をそそりそうな威勢のいい好戦的な字句は慎重に削り取られたにも拘わらず、全編にあふれる痛快な冒険が戦後の読者の心を捉えたそうだ。

この本をきっかけに辻は国民の英雄的存在になり、政界へと進んでいく。
145日本@名無史さん:2001/07/09(月) 02:43
>>144 まだ生きてたりして。その時は「潜行何万里」になるのやら?

【東宮鉄夫】
(とうみや・かねお)。位は大尉と低いものの,近代日本史の重大局面に
色々と関わる。張作霖爆殺では実際に起爆スイッチを押す役割を果たす。
後,加藤完治とぐるになって満洲移民を推進。「満洲移民の父」と称される。
杭州湾攻略戦で戦死。
146日本@名無史さん:2001/07/09(月) 02:46
【明石元二郎】
日露戦争時のヨーロッパ大陸での攪乱活動は有名。
しかしその後台湾総督となり蛮人抑圧政策をとったことが
霧社事件を引き起こす。植民地統治にはえらく不向きだった人。
147145:2001/07/09(月) 02:47
>>145
すまん【東宮鉄男】の間違い。
148日本@名無史さん:2001/07/09(月) 02:54
辻、消されてたら面白いね。
149日本@名無史さん:2001/07/09(月) 12:21
消されたんだよな,絶対。
日本じゃ裁ききれなかった戦争犯罪を,東南アジアの仕置き人が…。
150>146:2001/07/09(月) 12:38
外交機密費がこの時は有効に使われたわけですな。
151日本@名無史さん:2001/07/09(月) 13:02
機密とはいいつつも,当時から有名だったようですが…。
152日本@名無史さん:2001/07/09(月) 14:11
【宇垣一成】
彼って結局誰からも疎まれちゃうのね。
宇垣軍縮といい,11月事件といい陸軍全てを敵に回すことに。
結果大命降下なるものの「流産内閣」を余儀なくされる。
朝鮮総督でもあった彼は,「内鮮融和」論によりこちらでも
評判悪し。面構えも不敵。
153日本@名無史さん:2001/07/09(月) 18:30
>>152
「独白録」によると昭和天皇の覚えもよろしくなかったみたいね。
154日本@名無史さん:2001/07/09(月) 20:16
155日本@名無史さん:2001/07/09(月) 23:29
【本庄 繁】
陸軍大将、男爵。陸士9期、陸大19期。
満州事変時の関東軍司令官、2.26事件時の侍従武官長ってことで充分でしょう?

まだ出てなかったよね。
156日本@名無史さん:2001/07/10(火) 23:28
【細萱戊子郎】
海軍中将。海兵36期。
第5艦隊司令長官、アッツ島沖海戦で遠距離砲撃を行い、ほとんど命中弾無し。
157日本@名無史さん:2001/07/11(水) 00:05
優良スレあげ
158119:2001/07/11(水) 00:35
>>144
>>148
>>149
>>154
Res どうもです。
144の続き。
辻政信について最後に書かせてください。

潜行三千里で国民の英雄となった辻は、ついに昭和27年ついに立候補を決意。
草鞋をはき、手弁当で選挙に臨む。
陣中見舞いに来るファンにはうどん1杯ださず。
会場に誰もいなくても、定刻には開会を宣し、
応援弁士をおかず、
「お願いします」を絶対言わず、
演説中にその土地の知人の名前を入れる。
1ヶ月の選挙活動で64,913票を獲得し、トップ当選。
そして、昭和28年3月4日の読売新聞夕刊。
モンテンルパの監獄に6年間繋がれていた(=辻がちょうど潜行していた時)元陸軍少将川口清健が、近く刑期満了して帰国するが、彼が戦犯の責任を問われたのは辻のせいであるから、帰国の上は対決して黒白を明らかにしたいという記事が載った。
その年の暮れ、辻のライバルである岡代議士のところへよれよれの国民服を着て手には風呂敷包みを下げ、補聴器をつけているがそれでも十分ではなく受け答えがちぐはぐになる老人が現れた。
彼こそ、元陸軍少将、川口清健であった。
「辻の旧悪を暴露して、彼を社会から葬りたい。」
川口の戦犯の罪は、フィリピン最高裁長官ホセ・サントス処刑によるものである。
辻の命令に対し、川口はホセの高潔な人格・堂々たる態度に敬服しており、再三助命運動を軍政部に懇願したが、辻がたちどころに殺せと厳命した為やむをえなかったのだと。
もう一つ、辻の出版した「ガダルカナル」で、川口支隊の生き残りが泥棒集団だったとされ、話を面白くする為に部下を誹謗することは慎んでもらいたい、と言うものであった。
また、二度目の総攻撃の際、敵の左側背に迂回して攻撃する方法を進言したといつまでたっても迂回攻撃の命令が来ない。
いよいよ総攻撃という時に、師団司令部から川口は解任されてしまう。理由は「川口は臆病である」との事だった。
以上を選挙戦で暴露するのが川口の考え。
川口も陸大軍刀組であり、本質は土佐っぽらしい剛直な武人気質、こんなでしゃばり小僧のいうことをハイハイと聞いて、みすみす部下を犬死にさせられるものか!といったところである。

しかしながら、いざ対決の場になると、辻は巧みにかわし、逆に川口を攻撃する。
川口は応答がちぐはぐになってしまう為、印象を悪くした。
この場は、川口の失敗であった。

その後、川口は新聞、雑誌、週刊誌等にあらゆる機会を捉えて、辻攻撃の文章を発表した。
川口の文章は、点滴のように徐々に辻の足元の堅固な地盤をうがち、知識層の間に辻に対する疑惑の念を植え付けていった。

長くてすんません。この話だけは書いておきたかったので。
辻は今生きていたら、99歳(明治35年生まれ)ですな。
ミャンマーで昨年末、旧日本軍兵士の方が90歳で亡くなられたと言う話もあるので・・・。
159日本@名無史さん:2001/07/11(水) 20:51
辻政信あげ。
160軍国野郎:2001/07/12(木) 16:42
日活映画戦争と人間のノモハン編の辻の悪たれぶりは笑える。何で、大戦前に貴重な近代戦を経験したのに、その経験がいかせれなかったのだろう。
皇軍の戦力は、イタリア軍程度のものだったのではないか。
161日本@名無史さん:2001/07/12(木) 22:29
【大島 浩】
陸軍中将。陸士18期、陸大27期。岐阜出身。
駐独武官、駐独大使。DQNなドイツ好き野郎。
162日本@名無史さん:2001/07/12(木) 23:26
【小林 仁】
海軍中将。海兵38期、海大21期。山形出身。
駐米武官、山城艦長、大阪警備府長官、第4艦隊司令長官。
4F長官だった昭和19年2月のトラック空襲時、ろくに警戒もせず大損害を受ける。
その責任を取らされ予備役編入。トラックでは、もっぱら魚釣りばかりしていたらしい。
163日本@名無史さん:2001/07/13(金) 00:02
【河辺正三】
陸軍大将。陸士19期、陸大27期軍刀組。
牟田口廉也中将の懇請によりインパールへの進攻作戦を発動したが失敗。ビルマ方面軍司令官としてその作戦中止時期を誤った。
その失態にもかかわらず、昭和20年陸軍大将に進級(昭和19年、ラングーンで既に陸軍大将の名刺を準備していた!一方で日夜観音経を称えていた)、航空総軍司令官に。
「佐藤中将が精神異常で勝手な行動をとったから、インパール作戦は敗退した」との牟田口廉也の陰謀に加担。
佐藤幸徳中将の言う、インパールの悲劇を招来した大本営・総軍・方面軍・十五軍の「ばかの四乗」の中心人物の一人。
164日本@名無史さん:2001/07/13(金) 00:29
>>163
盧溝橋事件のときからのコンビだもね。
河辺支駐歩兵旅団長と牟田口支駐1聯隊長の無能2人組。
165164:2001/07/13(金) 00:31
>>164の訂正(sage
コンビだもね。→×
コンビだもんね。→○
166日本@名無史さん:2001/07/13(金) 00:37
濃霧、濃霧逆さにすれば無能なり>上村第2艦隊長官
167日本@名無史さん:2001/07/13(金) 01:20
>160

兵器より気合いだという精神論者が、陸軍の中枢をしめていて
特にノモンハン事変を研究しなかったからでは。

日露戦争後の陸軍は官僚化しすぎて、ほとんどの将軍は無能だっ
たと思います。メッケル教育の弊害出過ぎ。
168日本@名無史さん:2001/07/13(金) 19:30
>>167
今の世の中でもねえ、
「売るぞ」という気合さえあればモノが売れると信じている
エライ人っているんだよ。
169トミー:2001/07/13(金) 21:01
>>167
インパール作戦とかすごかったみたいですね。補給も無いのに。ほとんど自殺行
為です。
当時、叩き挙げの様な人が軍関係の大学出のエリートを抜きん出て上官になる様
な余地はなかったんでしょうか?
170  :2001/07/13(金) 23:27
>今の世の中でもねえ、
>「売るぞ」という気合さえあればモノが売れると信じている
>エライ人っているんだよ。

確かにそうだね・・これら全て、けして過去ではない、ということか・・。
暗鬱。
171日本@名無史さん:2001/07/14(土) 02:14
【寺内寿一】
陸軍大将、元帥。陸士11期、陸大21期。
2・26事件の粛軍人事で大将・陸軍大臣となる。
大東亜戦争がはじまり南方軍総司令官に。
ガイシュツの河辺中将が綾部南方軍副長(こいつもDQN)にインパール作戦について「是非(寺内大将へ)実行されるように具申されたい」と言った。
綾部副長は寺内総司令官に報告、寺内は作戦の細かい中身をまったく知らないにも関わらず、「いやあ、どこかで攻勢に出なきゃいかんと思っておったが、これができれば大したもんだ。ぜひやってくれ」と。
綾部副長は大本営へ。ここで真田穣一郎少将は反対するが、杉山総長の「寺内さんのたっての希望である。なんとかしてやらせてくれ」との意見で作戦実行へ。
結局寺内は終戦まで南方軍総司令官にとどまり、何らその責任を追及されることはなかった。
終戦で日本に帰るときはよだれを垂れ流し、既に痴呆状態だったようだが。
南方軍下の第十四方面軍兵站監・洪思翊中将が一切弁明をせず、軍事法廷でA級戦犯となり、刑死していった生き様と大変な違い。
172日本@名無史さん:2001/07/14(土) 02:29
【綾部橘樹】
陸軍中将、陸士27期、陸大36期首席。
インパールについて、「こりゃダメだなあ」と言いながらも、満足な兵力も与えず作戦認可。
その後第七方面軍参謀長で終戦。当然、責任をとることもなく、この人は昭和55年まで生きたそうです。
晩年反省していたのがどうかは知りません。

ちなみに昭和41年8月2日牟田口廉也死去。4日の告別式では会葬者に「私が決心したとおりにやっていたら勝てたのだ!」と書いたパンフレットが配られたそうだ。
本人も本人なら、配る遺族も遺族だ。
173日本@名無史さん:2001/07/14(土) 02:34
陸大卒業時の成績上位5名には恩賜の軍刀が下賜された。
恩賜の軍刀組は師団に配属されても師団長以下ハレモノにさわる態度。
いずれ自分の上官になるかもしれないんだからね。
師団勤務を終えると陸軍省や参謀本部で軍務官僚の階段を駆け上がっていく。
174日本@名無史さん:2001/07/14(土) 07:16
>>169
そんなことは絶対にありませんでした。
陸大卒でも軍刀組とそれ以外には明らかな差別があったし、陸大卒と士官学校卒にはそれ以上の、これまた露骨な差別があった。
陸大卒は天保銭と呼ばれ(2・26事件までは天保銭に似た徽章をつけていた)、士官学校卒は無天と呼ばれた。
無天で中将まで行った人もいたらしいが、稀なことだったみたい。
このスレに出てくる人は陸軍の場合、ほぼ全員陸大卒じゃないかな?
そりゃもう、今の官僚なんか比較にならないくらい閉鎖的で硬直化していたのでした。
175日本@名無史さん:2001/07/14(土) 08:28
>>1 こいつまだ失地王なんて言ってるよ。
176175は偏執狂(藁:2001/07/14(土) 08:48
http://www.google.com/search?q=%8E%B8%92n%89%A4&hl=ja&lr=

はいはい、キミの世界ではずーっと「欠地」なんだよね。

今日はまだ、クスリ呑んでないの?(藁
177日本@名無史さん:2001/07/14(土) 15:50
>>171
洪思翊中将は、BC級戦犯として法務死じゃなかったっけ?
178日本@名無史さん:2001/07/14(土) 23:01
>>177
洪思翊中将は陸士26期、陸大35期。
昭和21年9月、マニラで絞首刑となっています。
山下奉文大将の処刑前であることは間違いないが、その時日ははっきりしません。
洪中将は、自身の裁判では一切証言せず、山下裁判の証人として出廷した記録が残るのみです。
処刑直前も何一つ遺言めいたことは言わず、取り乱して何かを訴えることもなかったとのことです。
このスレに登場する将軍とは全く違う、人格識見とも非常に優れた名将だったといえます。
179日本@名無史さん:2001/07/14(土) 23:39
>>169
ちなみにインパール作戦の補給面からの困難を指摘し、昭和15年5月、わずか2ヶ月で牟田口廉也より第15軍参謀長を解任された小畑信良少将は陸士30期、卒業後すぐ輜重隊(軍需品の輸送にあたる補給部隊)に配属された兵站の専門家。
兵站の専門家は第一線より軽くみられたし、小畑少将が陸大卒でなかったのも解任の要因の一つかも。
後任の久野村桃代中将は陸士27期、陸大37期ですな。この人もインパール後、近衛第二師団長に親補・出世している。
180山口県民:2001/07/14(土) 23:53
小沢(下の名忘れた)
この馬鹿がとどめをさした山本以上航空主兵主義をし、
敗戦に導いた知らなかったとわいえアウトレンジ戦法をもちい
VT信管でほぼ壊滅させた
戦闘機だけつみ防空し艦隊戦もちこめば勝った
181179:2001/07/15(日) 00:14
>>179
自己レスで申し訳ないが、小畑少将は陸大36期だったようだ。
182ななし:2001/07/15(日) 00:18
まともな軍人はいないのか
いても出世できなかったのか
183日本@名無史さん :2001/07/15(日) 09:13
>>182
まともな軍人はいたよ。
宮崎繁三郎中将
本間雅晴中将
栗林忠道中将
安達二十三中将
大西瀧治郎中将
岡田啓介大将
渡辺錠太郎大将
橋本虎之助中将。
184日本@名無史さん:2001/07/15(日) 09:25
例えば本間は、トラウトマン工作を続けようとしたのは確か。
その点に注目して、本間を見直そうという人たちもいるね。
だけどトラウトマン工作のときの参謀本部の和平条件を見なよ。
北支全体を蒋政権から切り離そうというあのドキュソな条件を
中国側が飲むはずもない。
よって本間もドキュソの一人には違いない。
185日本@名無史さん:2001/07/15(日) 09:27
あと、宮崎なんぞも称える人は多いが、
彼の戦後の著作を読んでごらん(ボーエーチョーに行けば読めるよ)
あんたのイメージはきっと変わるぜ。
186日本@名無史さん:2001/07/15(日) 10:05
失地王という言葉を使い続けて恥を書き続ける1
187日本@名無史さん:2001/07/15(日) 10:50
大西なんぞも航空主兵論の強硬派で、
十分アメリカと戦えると考えて、
開戦を推進したようなタイプじゃない?
188日本@名無史さん:2001/07/15(日) 12:15
で、このヴァカどもは、まさか靖国に奉られているんじゃあるまいな。
189183:2001/07/15(日) 12:44
>>184
>>185
ふーん、こりゃ勉強不足でした。
特に、宮崎繁三郎の戦後の著作は初耳。是非読んでみたい。

貴兄は誰をまともな軍人と考えるのか?是非教えてください。

>>187
確かに「特攻の父」と呼ばれ、開戦を推進したタイプであることは認める。
190日本@名無史さん:2001/07/15(日) 17:59
昭和にいたっては、陸大天保銭組以外が指揮系統を司る役職に就くのは
殆ど無理でしたね。例外もいますが。

太平洋戦争時、参謀本部第一課(あやふや)の瀬島龍三(当時大佐 天保
銭組)が南方戦線で敗れて帰ってきた中将に、なんで俺の命令通り働かな
いんだ、バカヤローと怒鳴って灰皿を投げたとくらいに自惚れているやつ
らが跋扈している陸軍にまともなやつなどいるはずありません。
191日本@名無史さん:2001/07/15(日) 18:47
186=(かなりの)偏執狂(藁
  
192日本@名無史さん:2001/07/15(日) 18:48
だいたい、英字を邦訳したのに正解なんてあるわけねーじゃん

ヴァカまるだしだね頭の足りない「欠地」クン(藁々
193日本@名無史さん:2001/07/15(日) 18:49
いかん間違えてた

誤)欠地
正)欠知

・・・・・・プププ
194日本@名無史さん:2001/07/15(日) 19:06
あれ?まだいたんですか、貧相な日本語訂正野郎君(曝!)
どうやらサーチエンジンでザクザクでてくる結果は間違いにして、
カレがおもってるほうが正しいと思いこまなければ死んじゃう
んでしょうね?(笑)かわいそうですね。低学歴っこって・・・
195日本@名無史さん:2001/07/15(日) 19:12
敗戦後ソ連の捕虜になった将兵を強制労働で使ってくれと
ソ連に提言したドキュソは誰だったっけ。

5万人もの日本兵がシベリアで死ぬ原因を作ったやつは誰?
196日本@名無史さん:2001/07/15(日) 20:30
瀬島といわれてるけど、わたしゃちゃんと調べたことはないよ>195

まともな軍人かあ
遠藤三郎なんてどう(藁
岡田には今まで調べたところ別に悪い印象はないが、どうなのだろう。
柴山兼四郎にも今のところ悪い印象はない。

戦後に自己正当化をしないような人も、人間として尊敬できるね。
奥宮正武なんかは、航空主兵思想に固まっているところはおかしいけど、
自己正当化はしてないように見える。
197 :2001/07/15(日) 20:33
そうかね?善悪ってのは勝敗で決まるものなのか?
負けたら急に転向して自己否定やりだす輩も信じられないがな。
小林秀雄のように「利口な奴はおおいに反省すればいい。俺は馬鹿だから
反省しない」って人間の方がむしろ誠実だろ。
198日本@名無史さん:2001/07/15(日) 21:54
>>171
洪中将はA級戦犯じゃないだろう。
A級戦犯の意味を分かってるのか?
199日本@名無史さん:2001/07/15(日) 22:14
【花谷 正】
陸軍中将。陸士26期、陸大34期。
満州事変時の奉天特務機関員。満州国軍事顧問、第29旅団長、第1軍参謀長、第55師団長、第18方面軍参謀長を歴任。
第55師団長時に、師団長自ら士官、下士官、兵を殴りまくったDQN。彼の暴力の所為で、ノイローゼになった士官もいる。
200日本@名無史さん:2001/07/15(日) 22:22
>>190
参本一課は編成動員課で、参本二課が作戦課じゃなかったっけ?
手元に資料が無いから、ちょっと自信無いけど。
201200:2001/07/15(日) 22:26
>>200で誤字があったので、訂正します。
編成動員課→×
編制動員課→○
202日本@名無史さん:2001/07/15(日) 23:53
【及川古志郎】
海軍大将。海兵31期、海大13期。
軍令部1課長、1班長、支那方面艦隊長官、横鎮長官、海相、海上護衛総隊長官、軍令部総長を歴任。
第2、3次近衛内閣の海相で、三国同盟に賛成した。(渋々だったらしいけど)
近衛首相は日米開戦阻止の最後の望みを海軍に託していたが、それを打ち砕いた人物。(自分で踏ん張れよ>近衛)
及川大将が軍令系の要職を歴任したのは、伏見宮のお気に入りだったためで、能力が優れていたからではない。
203日本@名無史さん:2001/07/16(月) 00:10
及川大将は、漢籍の造詣が深かったそうです。でもそれだけ。
204日本@名無史さん:2001/07/16(月) 22:37
鈴木貞一
205兵八:2001/07/16(月) 23:09
>>1児玉源太郎がいなければ、永遠に攻略はムリだった
だろう、手柄は児玉一人のものといってもよい。

まーだこんなこと言っとるヒトがいるの?自分でいいかげんにみっともないと思わないんですか?
ま、悪口の部屋なら仕方が無いか。失礼。頑張ってくださいね。
206日本@名無史さん:2001/07/16(月) 23:52
>>205
みんなシカトしてんだから、いまさらしたり顏で書き込むなよ。(sage
207日本@名無史さん:2001/07/17(火) 00:06
渡辺安次海軍大佐
マーシャル取られて、膿を出しただけだとは・・・
208日本@名無史さん:2001/07/17(火) 00:16
>>206
負けずきらいなんだろ?205クンは、
なにしろ実社会では負け犬なだけに、
ネットでは勝ちたいみたいだね・・・クッククク(藁
209兵八:2001/07/17(火) 00:40
>>206
スマソ、ヒマだったのでつい反応してしまったのだよ。許しちくり。
210日本@名無史さん:2001/07/17(火) 01:00
無能かどうかは知らないが、加藤隆義、塩沢幸一って大将になってから影が薄いね。
211日本@名無史さん:2001/07/17(火) 22:12
>>190
瀬島龍三は中佐でしょ。あと作戦課は第二課です。
212171:2001/07/18(水) 01:25
>>198
おっしゃる通り。ものすごい間違えでしたな。大変失礼しました。
最高戦争指導会議の共同謀議に洪中将は参加しておりませんです。
判決後の洪中将の一言。「絞首合格だったよ」。…。
山下大将の最期が迫った時の「おれは東条の奴に売り飛ばされたんだ!」という一言も印象的だが。
213183:2001/07/18(水) 02:18
>>196
早速のResどうも。
遠藤三郎は、陸士26期、陸大34期軍刀組ですね。
陸軍航空を育成した人物らしいですね。ここで貴兄が書かれている(藁)の意味がわかりませんです。

柴山兼四郎も同じく陸大34期ですな。この人は数少ない輜重出身、陸軍次官まで行ってるのだから凄いですね。

両名とも、その人物を記した本を知らないので、この程度の知識しかありません…。
214日本@名無史さん :2001/07/18(水) 02:54
>>190
この話は
>>139
と一緒じゃない?
よく前の書き込みを見てから書きましょうね。
215日本@名無史さん:2001/07/18(水) 02:56
>>190
しつこくて申し訳ないが、陸大卒=天保銭。
天保銭組とは言わないよ。陸大卒の中でも恩賜の軍刀をもらった上位5人のみを軍刀組と言うんです。
216日本@名無史さん:2001/07/18(水) 21:43
上記の諸将軍は決して無能ではない。日本のために尽くしたのだ。
無能なのは私の母親の従兄弟の暴海軍少将だ。 敗戦になるや一転
新橋某ダンスホール フロリダの支配人となり、アメリカのGI達の
接待につとめたのだ。これこそ無能の代表だ。
217日本@名無史さん:2001/07/18(水) 21:51
>>216
個人としては無能ではないな・・・。
218日本@名無史さん:2001/07/18(水) 22:34
<a href="http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=993948958&st=215&to=215&nofirst=true">>>215</a>

資料見ないであやふやに書き込みしたんで、申し訳ない。
こういう話題って日頃出来ないんで、忘れちゃいますね。
219日本@名無史さん:2001/07/18(水) 22:36
恥さらしで更に申し訳ない(汗
220日本@名無史さん:2001/07/18(水) 22:44
【小松原道太郎】
陸軍中将。陸士18期、陸大27期。
ノモンハン当事の第二十三師団長。損耗率73%の壊滅的打撃を蒙る。
捜索隊第23連隊長井置中佐は、フイ高地には作戦上意味がなくなったことを主張し師団長と激論。フイ高地放棄・後退した理由で小松原師団長から自決を強要された。
師団長は軍医部長に足の負傷は治癒しないと言わせ、助からないのだから潔く死ねと。
井置中佐は拳銃で自殺した。
負傷して捕虜となり、戻された将兵は陸軍病院に収容され、憲兵の監視下で私語一つ許されず・加療もされない。
その後軍法会議が出張してきた。終わると拳銃を与え、自決を強要した。
自決して果てたものは数多い。事件戦没者数は一万八千余。
連隊長級に自決を強要した小松原中将は現役にとどまれるものと思い、停戦祝宴を計画。
間もなく待命となり、陸軍軍医学校で病死した。
小松原ってのはひどい!

もうひとり、荻洲立兵中将(第六軍司令官、陸士17期・陸大28期)も自決を強要。
停戦後人事で参謀本部附、翌年予備役編入。
221220:2001/07/18(水) 22:53
>>218
「君の気持ちはヨオークわかっとる!」
あっしもここに書き込むときは資料見ながら書いとるよ。
「ここの人たちは元気がいいのお」って、間違ったこと書くと怖いけんね。
めげずに書こうね。
222日本@名無史さん:2001/07/19(木) 00:16
元帥陸軍大将梨本宮守正王は何をした人ですか?
223日本@名無史さん :2001/07/19(木) 01:27
【梨本宮守正王】
陸軍大将、元帥。陸士7期。
歩兵第二十八旅団長、歩兵第一旅団長、第十六師団長、軍事参議官。
一貫して一線の部隊長をつとめたらしい。何をしたのかはよく分かりません。スマン。
224日本@名無史さん:2001/07/19(木) 18:54
>>220
損耗率70%以上はすごいな。
軍事的にはほとんど全滅やん。

小松原はそれで予備役編入?だけとはね・・。
225yakuza:2001/07/19(木) 19:11
>>220
あっしらヤクザはヘマしても、小指ですみます
陸軍では、自決ですか
ヤクザでよかった
226日本@名無史さん :2001/07/20(金) 02:24
>>225
自決もしないで開き直って昭和41年まで生きた「鬼畜牟田口」なんてひともいます。
>>172
に書いてあります。
難儀やのー・・・。
227日本@名無史さん:2001/07/20(金) 22:21
後宮参謀次長は存在価値無し。
228日本@名無史さん:2001/07/21(土) 01:16
どうでもいいけどジパングに出てくる辻は
良い奴っぽく描かれてるな。
もっと非人間的な人だと思うのだが。
229日本@名無史さん:2001/07/21(土) 03:41
ジパングネタはやめようよ。
230日本@名無史さん:2001/07/21(土) 22:48
三奸四愚
231日本@名無史さん:2001/07/21(土) 23:58
>>228
二宮隆雄とかって作家先生の「小澤治三郎」の辻もやたら良い奴にかかれてる。
この人最近雪風の本出したみたいだけど間違いが多いみたい。
232日本@名無史さん:2001/07/22(日) 00:26
>>224
確かにノモンハンの事後処理では小松原に問題がある。
しかし、そもそも辻政信がいなければこんなことにはならなかった。
セットで服部卓四郎。
233日本@名無史さん:2001/07/22(日) 21:59
age
234日本@名無史さん:2001/07/23(月) 02:51
>>232
五味川純平の「関東軍私記 虚構の大義」の小松原はすごいね。
あと、誰が書いたか失念したが、「参謀辻政信」、
「ビルマ脱出記」の木村兵太郎、いずれ劣らぬ凄さです。
235日本@名無史さん:2001/07/23(月) 21:37
五味川純平ってさ、
たしかノモンハンの生き残りでしょ?

「人間の条件」
この本も
鬼気迫るものがあるもんね。
236日本@名無史さん:2001/07/24(火) 03:33
戦国時代が一番。自然淘汰されていくしね。
体制的に秀吉のような成り上り物に出てきてもらっては困るんでしょうが
そのかわりに学歴はないが戦場では優秀な人間も出てこないと。
お〜い大名出身の華族さま、ご先祖サマはこうしてでてきたんだぞ。
(徴兵逃れをした馬鹿は子孫を名乗る資格なし。)
237日本@名無史さん:2001/07/24(火) 03:49
>>235
虚構の大義は、終戦直前からの自分の部隊が全滅してからの表記が凄まじい。
上官の気が狂ってその首を絞めて殺してしまうところなど、鬼気迫るものがあります。
戦争論には出てこない、これは読んでおくべき世界です。
238帝國海軍兵学校生徒:2001/07/24(火) 18:34
今の価値観でみても軍人の優劣は評価しがたい
239日本@名無史さん:2001/07/25(水) 22:40
三奸:鈴木貞一、加藤泊治郎、四方諒二
四愚:木村兵太郎、佐藤賢了、真田穣一郎、赤松貞雄

なぜ冨永恭次は入ってないのか・・・
240119:2001/07/27(金) 03:09
>>239
宜しければ四愚に真田穣一郎が入っている理由をご教示願えないだろうか?
確かに、2・26もインパールも反対しながら肝心な所で押しが弱い所は認めるが、木村兵太郎と同列になってしまうほどの理由があるのだろうか。

富永恭二もそうだが、牟田口廉也、河辺正三が入っていないのも不思議な気がする。
241アズマの一族:2001/07/27(金) 03:30
ここに書くの久しぶり。
真田は戦略的に意味の無い大陸打通作戦を
積極的に推進したのがマイナスってイメージだね。
しかも補給が切れて、退却時には餓死者ゴロゴロ。

あと、「ビルマ脱出記」を書いたのは田村とかいう外務官僚じゃ
なかったっけ?
242119:2001/07/27(金) 15:51
>>241
真田穣一郎の件了解。
ふーん、顔つきは嫌いじゃないけどね・・・。

ビルマ脱出記を書いたのは元大東亜省ビルマ大使館員田村正太郎氏です。
この人は陸士予科卒業後病気退校、外務官僚となってます。
243239:2001/07/27(金) 21:00
>>240
「三奸四愚」っていうのは、東条首相兼陸相の側近(取巻き)を指してるんですよ。(戦時中からいわれていました)
河辺も牟田口も東条首相の側近じゃないよね。
三奸の方は、星野直樹書記官長が入ってることもあります。(三奸、四愚とも諸説あります))
自分も真田の代わりに冨永が入った方がシックリくるが・・・
244日本@名無史さん:2001/07/27(金) 23:23
DQNだけど辻ーン好きだよ。何でだろう?
ジパングでは暴れ方が足りん!もっと暴れさせてー!
245>1:2001/07/28(土) 02:37
>ミッドウェーで魚雷積み替えを何回もやりなおし、仕舞には
>連合艦隊を米軍航空機の絶好の餌食にしてしまった、逡巡の
>迷将。

南雲でも山口多門でも結果は同じだよ。
作戦の全貌が筒抜けなうえ、挙句の果てに「敵らしきもの見ゆ」だけじゃ
どんな名将でも勝てないよ。
米軍による一方的な虐殺戦にならなかっただけでも南雲は評価できる。
246日本@名無史さん:2001/07/28(土) 10:41
>>245
ゴメン、突っ込ませてくれ。
「山口多門」じゃなくて「山口多聞」だよ。逝ってくれ。
247日本@名無史さん:2001/07/28(土) 12:03
>>244
辻政信が、あんたの上司だったら良かったのに・・・(ワラ
248日本@名無史さん:2001/07/28(土) 12:06
>>247
辻希美が、あんたの上司だったら良かったのに・・・(ワラ
249日本@名無史さん:2001/07/30(月) 01:38
吉田善吾海軍大将ってどうだろう?
評判良くないけど。
250日本@名無史さん:2001/07/30(月) 08:58
>>248
辻元清美が、あんたの上司だったら良かったのに・・・(ワラ

クルシイカ・・・サゲッ。
251日本@名無史さん:2001/07/30(月) 12:08
>>250
遥洋子が、あんたの上司だったら良かったのに・・・(ワラ

地獄だな・・・
252日本@名無史さん:2001/07/30(月) 19:27
>>227
息子は連隊旗なくして自害した真の帝国軍人であったよ。
253日本@名無史さん:2001/07/30(月) 19:32
【いるいるシリーズbP】
他人の誤字脱字をめざとく見つけては
時間をツブす、日頃事務処理能力では
一切評価されてないカス(藁
254日本昔名無し:2001/07/30(月) 19:59
おーい、海軍の最高機密文書を敵に渡してしまった福留繁と山本祐二を忘れていないか?
255日本@名無史さん:2001/07/30(月) 22:21
黒島亀人は戦後自分の都合の悪い資料を隠滅したワル。
256日本@名無史さん:2001/07/30(月) 22:36
戦藻録欠番は黒島が無くしたためらしいが、そのことか?
257日本@名無史さん:2001/07/31(火) 22:01
>>252
聯隊旗を無くしたのではなく、軍人勅諭を間違えて自決したと思われ。
258日本@名無史さん:2001/07/31(火) 22:08
【いるいるシリーズbQ】
自分の誤字脱字指摘されて逆ギレし
つまらん煽りを書き込みする、
事務処理能力が皆無なカス(藁
259いるいるNo.1:2001/07/31(火) 22:15
誤字の指摘なら、>>6の「軍旗」を指摘したくてウズウズしてたんだけど。(ワラ
260>:2001/07/31(火) 22:52
源田実 の評価はどんなもなの?
261日本@名無史さん:2001/07/31(火) 22:55
>>260
戦闘機無用論や戦後の生き方で評判悪いね。
262日本@名無史さん:2001/08/01(水) 01:18
【武藤 章】はどうなんだろ?
明治25年生、熊本県出身、陸士25期・陸大?期(優等卒?)
陸軍中枢である軍務局長を歴任し、近衛第二師団長の後第十四方面軍
参謀長に就任。。
開戦前から常に表舞台で活動し裏から陸軍大臣を動かしていた。
しかしその後東条と仲たがいし(どういう理由で?)左遷される。
児島襄の「史説・山下奉文」読むかぎり、最後の方はなんかいい人
っぽく感じたんだけど。どう??
263日本@名無史さん:2001/08/01(水) 01:49
参本作戦課長時代の武藤はDQN、軍務局長以降の武藤はメチャ有能って印象だな。
264日本@名無史さん:2001/08/01(水) 21:52
武藤は田中証言の犠牲になったともいわれているが・・・。彼自身東京裁判を、見当違いの裁判といっていたそうだ。
265日本@名無史さん:2001/08/01(水) 22:12
>>264
田中隆吉は武藤をずっと目の敵にしてたからね。
武藤軍務局長は日米開戦前は避戦、開戦後は停戦(講和)の道筋を探っていたから、とばっちりもいいところだね。
266日本@名無史さん:2001/08/01(水) 22:23
うーん、東京裁判って正当な裁判ではないような・・。本来断罪されるべき軍人が、多く生き残ってますな。
267日本@名無史さん:2001/08/01(水) 22:25
>>265
田中だってチャハル事件に加わっていたDQNだろ?
268日本@名無史さん:2001/08/01(水) 22:36
>>266
日本の敗因を作った軍人は連合国から見れば功績の有る軍人。
ある意味正当な裁判だ・・・。
269日本@名無史さん:2001/08/01(水) 22:44
田中がやらかした綏遠事件の後始末をやったのが武藤だよね。
結構振り回されてるじゃん。
270日本@名無史さん:2001/08/01(水) 23:17
児島襄「史説・山下奉文」の山下と武藤の別れるくだりは非常に
感動したぞ。
271日本@名無史さん:2001/08/02(木) 13:33
>>267 >>269
そういえば徳王の回顧録が岩波から出ていたよね?
あれではどうなっているの? 買い忘れていたら,いつの間にか品切れに
なっていたので。
272日本@名無史さん:2001/08/02(木) 14:31
>>271
徳王って蒙古連合自治政府の主席だよね。ことの顛末をよく知っている人物だな。
273日本@名無史さん:2001/08/02(木) 14:33
武藤は処刑されるほどの人物ではなさそうだな。やっぱり田中の私怨の犠牲者っぽいね。
274日本@名無史さん:2001/08/03(金) 23:15
「武藤の前に武藤無く、武藤の後に武藤無し」
「永田の前に永田無く、永田の後に永田無し」

・・・・どっちやねん?
275日本@名無史さん:2001/08/04(土) 04:38
特攻好きな、【神重徳】はどうかな?
なんか、無謀な特攻作戦ばっかりで、成功させたためしが
ないんだけど。
276日本@名無史さん:2001/08/04(土) 06:43
>>275
ソロモンで一回だけ運良く成功してます。それに味を占めて同じような作戦を
くりかえし、そのたびに惨敗を喫しております・・・。やっぱこいつもドキュンだね。
277あずま党:2001/08/04(土) 07:08
つーか、アメリカなんかの場合、普段は軍人は完全に年功序列の世界です。
しかし一旦戦争になると無能軍人は片っ端から左遷されて実力者が成り上がります。
日本の場合、制度自体がドキュンだったのです。
278日本@名無史さん:2001/08/04(土) 10:24
age
279日本昔名無し:2001/08/04(土) 20:18
西南戦争の田原坂で死んだ篠原国幹、あまりに早すぎた。
280日本@名無史さん:2001/08/05(日) 04:07
>>279その頃なら。
【桐野利秋=中村半次郎】はどう?
陸軍少将・幕末時人切り半次郎として有名。西郷隆盛の護衛役。
盟主西郷大将の鹿児島下野に伴い反乱を促す。

西郷曰く「桐野に一軍を任せられる程の名将」と賞賛されるが、
どう見ても戦国時代ならいざ知らず、近代戦には全く向かない
タイプだと思う。どうだろう?
(説明不足のため誰か補足してください。
また太平洋戦争時の無能軍人は多数出ていますが、
西南の役・日清・日露役での無能軍人は?誰でしょうか?)
281日本@名無史さん:2001/08/05(日) 04:09
国粋主義=オウム
282日本昔名無し:2001/08/05(日) 11:14
戊辰戦争の長岡の戦いで敵に夜襲をかけられて逃げた指揮官って誰?
283名無し:2001/08/05(日) 12:53
>>282
山県狂介じゃないの?軍人の官僚化をすすめた【山県有朋】こそ日本軍部最大のドキュンといえまいか?
284名無介:2001/08/05(日) 14:31
>>283

その子分の寺内のほうがもっと悪い
285日本@名無史さん:2001/08/05(日) 15:51
>>283
>>284
最高に人気無い二人だね。
286名無し:2001/08/05(日) 17:54
>>284
寺内の息子もね。
287名無し:2001/08/05(日) 17:58
>>284
初代朝鮮総督【寺内正毅】

小早川 加藤小西が世にあらば 今宵の月を如何に見るらむ

って読んだ時点で明らかに侵略者ということで、ドキュン。
288名無し3:2001/08/05(日) 18:02
【上原勇作】
西園寺内閣の陸軍大臣。西園寺から朝鮮に2個師団増設を反対されて、天皇に帷幄上奏。自ら陸相を辞任して内閣倒壊に手を貸したDQN。明治にもDQNは結構いるよ。
289日本昔名無し:2001/08/05(日) 20:06
日露戦争で停車中に列車から下に降りて用を足した時に川に落ちて大ケガした参謀長がいたそうだけど。
290日本@名無史さん:2001/08/05(日) 21:31
>>289
松永正敏第三軍参謀長でしょ。
後に第三師団長、第二師団長を歴任。明治40年に男爵もらってるよ。
291軍事しろーと:2001/08/06(月) 00:21
三好艦隊って知ってる方いますか?
292日本@名無史さん:2001/08/06(月) 01:31
>>291
「三好艦隊」について貴方が知っている情報を記述して下さい。
何のことだか、見当がつかないので・・・
293日本@名無史さん:2001/08/06(月) 03:46
>>287
別に侵略者かどうかなんてどうでもいいじゃん。
無能かどうかがポイントだろ。
あの時代は侵略OKの時代だったんだしやらなきゃ損じゃん。
294日本@名無史さん:2001/08/06(月) 04:02
ソーユー発想ガムノー
295>293:2001/08/06(月) 05:54
侵略しなければ侵略される時代というべきです。
296名無し:2001/08/06(月) 11:42
>>287
いや、寺内は朝鮮総督でもDQNだが、首相になってもDQN。ビリケンといわれて、もろに藩閥専制を推し進めようとしたんだから・・。やっぱりDQN。
297日本昔名無し:2001/08/06(月) 20:29
永野修身は昭和天皇に「(開戦になれば)日本海海戦のような大勝はもちろん、勝ち得るや否やもおぼつかない」と答えた。後で昭和天皇は「永野は捨てバチ的で困る」ともらした。
298日本昔名無し:2001/08/06(月) 22:41
>297 訂正、「永野は捨てバチ的…」は「永野は好戦的で、海軍の作戦は捨てバチ的だ」が正しいです。(臨時増刊「歴史と旅」「帝国海軍のリーダー総覧」秋田書店1987年)
それから、ニ・二六事件時の陸軍大臣の川島義之。永田軍務局長斬殺事件後皇道派でも統制派でもなかったために大臣になったが、事件が起こったにもかかわらず、適切な処置を執らなかった。
299日本@名無史さん:2001/08/06(月) 22:54
川島は自他ともに認めるドキュソですな。
キツオンだったし。
300日本@名無史さん:2001/08/06(月) 23:10
大角岑生が忘れられてるな。
301日本@名無史さん:2001/08/07(火) 19:16
>>299
その時の東京警備司令官の香椎浩平中将とかもどうよ?
例の大臣告示な。
302日本@名無史さん :2001/08/07(火) 23:54
>>300
二・二六事件で斃れた(と思われていた)岡田首相(大将)の弔問に、真崎大将をはじめ、軍事参議官が岡田邸に参集した。
この時、岡田大将の秘書官(名前失念)はその中の1人、近衛師団長 橋本虎之助中将に「実は岡田大将は生きている、岡田邸の警備と称して近衛師団を派遣してもらい、隙を見て岡田首相を救出してもらえないか?」と頼もうとした。
秘書官は、橋本虎之助中将の誠実で正義感の強い人格を知っていたので、これは成功すると思ったが、「いやまて、ここで言うのはまずい。彼らの誰がこっちを向き、あっちを向いているのか分からない中で橋本虎之助中将に頼むのは危険である」と言う事になり、その救出作戦は実行されなかった。
その後、秘書官は大角岑生大将に「岡田首相は生きている。何とか救出してくれないか」と頼んだ所、大角の一言。
「馬鹿を言うな。そんな事をして陸軍と海軍の全面戦争になったらどうする!」と及び腰だった。
それを聞いた海軍大将(名前失念)の一言。
「大角の奴も頼りにならんなあ!」
そりゃそうですわな。
斎藤実、渡邊錠太郎、そして生き残ったが岡田啓介、よりによってみんな海軍大将。
海軍が、「陸軍の奴等、やりやがったな!」と激怒し、東京湾に艦艇を集結させたのだから。
303日本@名無史さん:2001/08/08(水) 00:10
>>301
香椎浩平ねえ。東京警備司令官。真田穣一郎から「このようなものは駄目です」と言われた大臣告示の元凶の1人。
二・二六事件の時は何も行動せずでしたな。
杉山元に散々迫られてようやく「決心変更」したんでしたな。(この時の杉山は凄かった。)
匂坂首席判事は真崎・香椎両大将を有罪に出来なかった事を非常に悔やんだ。
その後死刑になった磯部浅一らの墓参を毎年命日に、夜が明ける頃1人で来て帰って行く初老の人こそ、匂坂首席判事だった。
その何年か後、匂坂首席判事は亡くなった。なんと、磯部浅一が銃殺された同じ日に・・・。
304日本@名無史さん:2001/08/08(水) 00:38
>>303
自己レスでスマン。
匂坂春平氏は首席検事だったね・・・。
大変失礼しましたです。
305円ショップ:2001/08/08(水) 01:04
加藤寛治
306重箱の隅:2001/08/08(水) 01:32
>>303-304
もうひとつあるよ。
香椎浩平は陸軍中将ですよね。
307日本@名無史さん:2001/08/08(水) 02:09
>>303
>斎藤実、渡邊錠太郎、そして生き残ったが岡田啓介、よりによってみんな海軍大将。
渡邊錠太郎は陸軍大将だろ?
大丈夫か?>303
308307:2001/08/08(水) 02:12
>>303
ゴメン、打ち間違えた。
>>302へのレスだったよ。逝ってきます。
309日本@名無史さん:2001/08/08(水) 02:29
>>307
オッチョコチョイだね。(w
310303:2001/08/08(水) 03:48
>>307
スマン。顔を洗って出直してきます・・・。
311日本@名無史さん :2001/08/08(水) 11:45
渡辺錠太郎大将は陸大17期主席である。
ちなみに、19期主席は荒木貞夫大将・・・。えらい違い。
312日本@名無史さん:2001/08/08(水) 18:00
永田鉄山や渡辺錠太郎が生きてたらなあ・・・。

ドキュソなヤツほど長生きする。
313日本@名無史さん:2001/08/09(木) 12:57
>>312
真崎教育総監更迭の際の非公式軍事参議官会同。
出席者
林銑十郎陸相、渡辺錠太郎教育総監、杉山元参謀総長代理、阿部信行、荒木貞夫、真崎甚三郎、菱刈隆、川島義之、松井石根の各参議官。末席に控える永田鉄山軍務局長。
真崎・荒木は、永田の首を取るつもりでだした永田作成の(怪)文書により、逆に渡辺錠太郎大将にグーの根も出ないほど徹底的にやり込められる。

この会同で渡辺大将の有能さは際立ち、一方で林大将の無能ぶりが明らかになった。

渡辺錠太郎大将。つくづく惜しい人を亡くしたと思う。
314日本@名無史さん:2001/08/09(木) 17:33
>>1さん。

ぼくは半年前に伝言ダイヤルで知り合って以来、
何度もあなたのお母さんとテレホンセックスしている者です。
いきなりショッキングな告白でごめんね。でもこれは事実なんです。

(実際に会ってセックスしたのは、つい先週の事なので、
 まだあなたが心配するほど深い仲ではないと思いますがね)

しっかし、あん時は気持ち良かったな〜。
「ご、ごめんなさい、>>1ちゃんっ!
 お母さんは●●(ぼくの名前)さんの女になりました…、ぁあっ」
って言わせた時は我慢できなくて、ドピュッて中に出しちゃいましたよ…。

(でもまだ大学生ですので熟女マニアといわれたら反論できませんね)

おおっと、本題に入らなくっちゃ。

実はあなたのお母さんから君の事で相談を受けたんですよ。
「あなたの学校でもうちの子みたいに
 ずっとパソコンの前にかじりついている子が多いの?」って。
ぼくはあなたみたいな人はあまり見た事がないですから、
あなたのお母さんの話しを聞くうち、あなたのことに興味を持ってしまいました。
それであなたのお母さんにお願いして、(あなたが眠っているうちに)
携帯電話で指示しながら、悪いとは思いながら、あなたのパソコンに触れてもらい、
インターネットで何をしているかを調べてもらいました。

すると、四トロ二○会が「お気に入り」に入ってて・・・!

あれからぼくはあなたがここで何をしているのか、つぶさに見せてもらいました。
ひどいですね・・・。あっちのスレでもこっちのスレでも人の迷惑かえりみないで・・・。

>>1さん、どうしてそんなに人のいやがる事ばかりするんですか!?
お母さんを悲しませてはいけないって学校で教わらなかったんでしょう?
ぼくがあなたのお父さんだったら、絶対に許しませんよ。
これ以上、ぼくの愛するあなたのお母さんを泣かせないで下さい。
彼女が泣くのはぼくのお腹の下だけでいいんです。
315303:2001/08/10(金) 01:26
>>307
いまさら言い訳してもなんだが、渡辺錠太郎ではなく鈴木貫太郎と書くつもりだったのでござる…。
それにしても穴があったら入りたい間違えであった。
>>308
逝かないで!あっしが逝かせていただきます…。
316307:2001/08/10(金) 01:46
>>315
一緒に逝きますか?それでは・・・
317ななし:2001/08/11(土) 02:48
第十五軍高級参謀 木下秀明大佐
第十五軍参謀   橋本洋中佐(ビルマ英霊顕彰会会長)
318日本@名無史さん:2001/08/14(火) 00:52
あげ
319日本@名無史さん:2001/08/14(火) 04:04
戦前、戦中を通じて戦争に強硬に反対した軍人っているの?
320日本@名無史さん:2001/08/14(火) 09:23
自称「赤の将軍」遠藤三郎という立派なお方がいらっしゃる。
321日本@名無史さん:2001/08/14(火) 21:31
素朴な疑問なのだが、杉山元とか寺内寿一とか言ってることもやってることも馬鹿、顔つきだってどこか足りない老人という感じなのに何で在任中元帥までなれるわけ?
死後追贈ならまだ話はわかるが。
322日本@名無史さん:2001/08/14(火) 21:58
>>275 >>276

でも、神大佐の立てた「捷一号作戦」は、アメリカの軍事専門家が、
「太平洋戦争中、最も優れた作戦」と称賛してたりする。
作戦としてはね・・・。
323ぁゃιぃアズマ人:2001/08/14(火) 22:02
やはり大元帥閣下ヒロヒトが一番の無能大将(藁
324アズマの一族:2001/08/15(水) 10:36
>>319
片倉衷の談話速記録を見てると、満州事変直前にはほとんどの軍人が、
軍部大臣現役武官制に反対していたんだって。
根本的な部分でそれなりの健全さが保たれていたということかもね。
それがどんどんおかしくなるのは、なんともはやという感じ。
325名無しさん:2001/08/15(水) 11:06
戦争、戦争責任を考える上で、参考になるHPをご紹介させて頂きます。
http://www4.ocn.ne.jp/~aoitori/sensou.html
(上は私のHPです。戦争体験談)
中国帰還者連絡会(元日本兵による加害行為の証言など)
http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/
326日本@名無史さん:2001/08/15(水) 12:49
>>323
大元帥ヒトヒトは、自己保身術に関しては、ここに出てくるどの軍人よりも
長じていただろう。無能ではない。
327「保身術」にかけては:2001/08/15(水) 13:00
朝日にはかなう奴はいません
328日本@名無史さん:2001/08/15(水) 13:17
>>327

しかしなんだね、朝日ごときを必死に敵視して溜飲を下げている
ところに、昨今のウヨ坊の小者ぶりがよくあらわれてる気も
するな・・

歴史の大局を見て、もっと大きな敵に挑んだら?
329日本@名無史さん:2001/08/15(水) 15:17
富永恭次陸軍中将
軍司令官でありながら、フィリピンから飛行機で台湾に逃亡、
その後満州に島流し。
http://www.geocities.co.jp/Athlete-Crete/6514/
330日本@名無史さん:2001/08/15(水) 16:53
「軍人の鑑」と言われた乃木希典について。
学習院長だったとき、在学していた足利家の末裔のかたのまえで皇国史観
について大演説し、足利尊氏をさんざん悪者呼ばわりした。
ちなみに乃木希典は佐々木高綱の末裔だそうだが、学習院で国語の教師が、
源平合戦の宇治川の戦いで佐々木高綱が梶原景季を出し抜いたのは卑怯だ
と言ったところ、すぐにその授業を遮ったそうだ。
人の先祖は平気で本人を前に罵倒するくせに、てめえの先祖が批判される
と怒るとはふざけた野郎だな。
西南戦争でも日露戦争でもクソの役にもたたねえで、明治天皇のお情けで
首が繋がっておきながら、くっだらねえことにこだわるんだな。
こんな奴を軍人の鑑だなんていうから、その後の日本陸軍はアメリカと戦
争をおっぱじめるようなバカばっかになったんだ。
331日本@名無史さん:2001/08/15(水) 17:28
乃木なんて西南戦争で軍旗盗まれるわ、
自分の尻拭いを決死隊にやらせるわ、
んで、手柄だけ独り占めして
マジでろくな人間じゃねーよ。

あいつキチガイだね
332名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 17:31
冨永の息子は、鳩山由紀夫、邦夫の家庭教師。
333名無しさん@1周年:2001/08/15(水) 17:38
やはり、最強のどきゅそ軍人は、ロンドン海軍軍縮会議締結程度で寝台列車の中で
見事割腹し、しかも遺書で自ら楠正成等につづく「第三神」であると宣言した
草刈英治・軍令部参謀でしょう。
だれか東郷神社みたいに草刈神社でも建てたのでしょうか?
「第三神」にしては、誰も伝説にしてくれませんでしたね。
同じ割腹なら、三島由紀夫の割腹を通じて一部日本人の精神に強い影響を与えた
「憂国」のモデル、青島健吉・輜重兵将校夫妻の割腹のほうが、効果大でしたね。
334日本@名無史さん:2001/08/15(水) 18:09
東郷平八郎。
日本海海戦の勝利は認めるが、その後航空機導入に反対し続けたのがよ
くなかった。
あとロンドン海軍軍縮会議で刑部何とかいう軍令部長が夫人を同伴した
ことについて、「カカアを戦場につれていくとは何事か!」と激怒した
そうで、周りが単に国際的な慣例に従っただけだと言っても聞く耳持た
なかったそうだ。
こんな奴が昭和天皇の教育係だったことを考えると、日本は負けてあた
りまえだな.
335日本@名無史さん:2001/08/15(水) 18:13
旅順閉塞で自沈した広瀬中佐・杉野も
逃げ遅れたのを脚色しただけという噂もあるが
336日本@名無史さん:2001/08/15(水) 18:18
「爆弾三勇士」も単に導火線の長さを間違えて逃げ送れただけ。
337名無しさん:2001/08/15(水) 22:24
>>335
広瀬中佐が杉野兵曹長を探したのは、本当らしいですよ。乗り組み員の証言を読んだことがある。
338スレ:2001/08/15(水) 22:30
d
339日本@名無史さん:2001/08/15(水) 22:37
ラッパのマークの征「露」丸♪
340日本@名無史さん:2001/08/15(水) 22:40
服部卓四郎
この男のおかげで信じ難い数の日本兵が餓死した。
341日本@名無史さん:2001/08/16(木) 15:56
田中義一が出てきていない。
342日本@名無史さん:2001/08/16(木) 23:27
>>334
刑部何とかって財部彪のこと?
軍令部長じゃなくて海軍大臣だよね。夫人は山本権兵衛の娘。
343日本@名無史さん:2001/08/16(木) 23:34
>>334
乃木はともかく、東郷がいなかったら負けてたかもしれんからなあ、日露。
まあ、その辺はとんとんだろう。
344日本@名無史さん:2001/08/17(金) 10:41
このスレ、凄い。
わが国民の歴史・物語の一節として、末永く語り継がれるべきもの
であろう。
345日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:06
「広瀬中佐」 作詞不詳・岡野貞一作曲?/文部省唱歌

轟く砲音(つつおと) 飛来る弾丸
荒波洗う デッキの上に
闇を貫く 中佐の叫び
「杉野は何処(いずこ) 杉野は居ずや」

船内隈(くま)なく 尋ぬる三度(みたび)
呼べど答えず さがせど見えず
船は次第に 波間に沈み
敵弾いよいよ あたりに繁(しげ)し

今はとボートに 移れる中佐
飛来る弾丸(たま)に 忽(たちま)ち失せて
旅順港外 恨みぞ深き
軍神広瀬と その名残れど
346日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:11
「爆弾三勇士」って一人朝鮮人だってさ
347日本@名無史さん:2001/08/17(金) 11:22
アーリントンにある米軍の「硫黄島上陸の像」って
本当は7人だったけど、一人マリファナ中毒になって
削られて6人になったんだって。

あと硫黄島本島にも同じ像があるんだけど、米国統治時代に
「戦っているのはお前らだけじゃない!」って落書きされて
弾痕だらけになってるらしいよ。
348日本@名無史さん:2001/08/17(金) 17:57
今日靖国神社に行ってきた。
遊就館は改築中で、『かく戦えり・近代日本』と題する特別展をやっていた。
其処でもらった「インパール作戦とインド独立」のパンフレット。
「インド国民軍も烈と弓の両兵団と行動を共にして遂にインド国領土に進出、インドの三色旗をひるがえしたのである」
「この作戦が直接の契機となり、今後相当の年月がかかるであろうと言われていたインド独立が、戦後わずか2年で達成されたのである。それぞれの国と家族を思う純粋な心と信念をもって戦った、日本軍とインド独立軍の英霊を私たちは忘れることはできない。」・・・。

このパンフレット、惨澹たる結果となった事、戦死者数は書いてあるものの、その原因については一切触れられていない。

いくら靖国神社が英霊を弔う場所とはいえ、あまりにも一面的では。
これでは、牟田口廉也他、無謀な作戦計画を押し進め・補給もせず・全く責任を取らなかった将軍達が歓喜するだけの内容である。
349日本@名無史さん:2001/08/17(金) 18:00
牟田口みたいなキチガイでもエレベーター式出世
してしまったのが日本軍の組織論的失敗だろうな
350日本@名無史さん:2001/08/17(金) 18:07
日本陸軍がアメリカみたいに正規の士官学校(ウェストポイント)でな
くても将軍に出世できる(マーシャル元帥みたいな)組織だったら、暴
走することも無かっただろうな。
将軍が全員同じ陸軍士官学校出身者なのは、かつての大蔵省(現財務省)
のエライさんが全員東大出なのと一緒だ。
しょせん純血主義は狂気のもとだな。
351日本@名無史さん:2001/08/17(金) 20:28
自衛隊も同じだな
352名無しさん@1周年:2001/08/17(金) 20:51
純血主義といえば、東大、京大、慶應といった法学部では、昔ほどではないけど、未だに強いね。大学院でも東大、京大の研究者養成コースは多分に純血。
353日本@名無史さん:2001/08/17(金) 21:02
”逆純血コース”は、この時期ヤブ蚊のように靖国に来襲してくる
塗装工・飲食店店員・パチンコ店店員・家事手伝・無職
の集団(いわゆるコヴァ)だな(藁
354日本@名無史さん:2001/08/17(金) 21:43
>>321
杉山元
宇垣、白川、南という大臣に仕えておれば、立派な幕僚であった。
時代が変わって荒木らの専権時代になると、適当にこれに仕える術を持っていた。二・二六事件のときには青年将校に狙われることもなく、また彼らの尻馬に乗る愚もしなかった。
無傷でやがて陸相になった。敵か味方か、白か黒かという派閥抗争劇甚のおり、相当の地位にいながら偏せず党せず、中道を歩いたことは並々ならぬ処世の才能を持っていたことを語る。
これを裏返せば強い信念とこれを実行する力に欠けていたといえる。

寺内寿一
若い頃には放蕩者で、正毅の嗣子でなかったらまあ少将どまりと見られていた。
彼は生来ののんき者というか、伯爵家の坊ちゃん育ち、部内にどんな風が吹いていようが自分に対してどんな冷や飯を食わせようが、超然として酒を飲んでいた。
まあ、毒にも薬にもならないからと、皇道派時代でもあえて首にはしなかったのだ。
他人の邪魔をしたり、何かの野心を持たずにいれば、かえって生き延びられるものだ。
あくせくして上手に立ち回ろうとして、足をすべらして、どんどん転落していく者が出てくるので、いやでも順番が回ってきて第四師団長になった。
第四師団長もまあどうにか勤めたから、もうこれ以上は現役軍人として望むところはない。もとより元帥や大将になろうという野心はない。
昭和九年八月の大規模人事異動で、今度こそ自分の番だとお別れの宴を開くことにし、招待状に日付を書き込むばかりにして待っていると、台湾軍司令官に転補されることになった。
これですっかり運命は一変して、やがて大将になる。
軍司令官から軍事参議官として大礒の自宅に悠々自適しているうち、二・二六事件が起きた。
一番遠隔の地大磯にいた寺内が、参内将軍第一着となり、真崎から不審をもたれる一幕もあって、今度は陸軍大臣になった。
全くついていたというほかはない。

高宮太平、「昭和の将帥」より。
355丸山真男を:2001/08/17(金) 21:53
二等兵にしていた日本軍。

米軍は学識者とかいきなり佐官に抜擢したりしてたんだろ?
356日本@名無史さん:2001/08/17(金) 22:03
>>353
いたいた。黒Tシャツに白スラックス、金色ネックレス。
もうちょっとましな格好で来れないものか・・・。
357321:2001/08/17(金) 22:11
>>354
Thanks! 参考になります。結局失点が無い(ように見える)だけ?
358日本@名無史さん:2001/08/17(金) 22:16
>この時期ヤブ蚊のように靖国に来襲してくる
>塗装工・飲食店店員・パチンコ店店員・家事手伝・無職の集団(いわゆるコヴァ)

=== sample =====                         , - '   ~ヽ
      【 パチンコ店員(23) 】     /      ヽ
          ↓             / l A A .A ヽ
                      ノ.ノノ,lニヽl_,l.ニヽ、ヽ、
         , ‐、/ ̄\‐、       |-ト--‐'l.`‐--'|-|~
        /  l/~ヽ l ヽ      ト.|   .|   .|.'l  ←【 無 職(31) 】
       /  /~ ̄ ̄ヽ.\ ヽ     ヽヽ.. __`___ ./ lノ
        / / /-、  ,--\_`ニ'      ヽ`‐-‐'/-=、
      ノ/ノ ̄ .)-(  ̄ヽ_ヽ_ `-'    ./~_l ̄l_\
       (/ `― ' . .`―‐' |' ) ~    / /.!   ヽ ヽ
       l  ∵┌‐┐ ∵ l'     ,∩. ト====l ∩、
        >、  `−'   , <     / .~`┤    l/ ~ ヽ
      / ` ‐-----‐'  \   lヽ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| / l
     /   ______  ヽ  |  (~ヽ靖国の /~~l  .|
     /__|        |,___| く 〈 ノ英霊にヽ__」、_|
      |   ,┴、天皇陛下,┴、  | |  ノ.|_敬意を|、 ヽ |
    | /(  )     (  )、 | |、/ | |     |  ヽ  ヽ
     |   `i ' 万歳! .`i '  ヽ ~l_ノ |     |  \_)
     ヽ__ イ. ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ __)  |  |      |  |
360日本@名無史さん:2001/08/18(土) 01:15
>>354
昔の朝日の記者は骨があったのお(涙)。
361日本@名無史さん:2001/08/19(日) 19:40
陸大14期主席の高塚彊ってどんなひと?
参謀本部員、少佐どまりだったようだが・・・。早世したのかな?
ちなみに13期は武藤信義元帥大将、17期は渡辺錠太郎大将、18期は松井石根大将。

362日本@名無史さん :2001/08/20(月) 01:03
 少し前に書かれてたけど、山県有朋ってどうなんだろうね?
確かに軍閥化の基礎を作ったり、私生活などでは弁解の余地が
無いほど駄目な男だけど、少なくとも当時の明治新政府軍の中
では万単位の軍勢の補給を整える事が出来る、そこそこ優秀な
男だと思うんだけど・・・。
 ただ戦闘指揮に関してはイマイチなので、万単位の軍勢を
養えて、かつ戦闘指揮も上手い大村益次郎と比べるとどうし
ても格下なんだけどね。もし大村が暗殺されなかったら陸軍の
トップにはなれなかっただろうね(大村が存命なら、後継者に
山田顕義を指名したでしょうからね)

 ちなみに北越戦争で寝間着で逃げ出したのは馬鹿な公家の
総督たちで、山県は寝間着姿で敗残の兵を撤収させ、四日後
に見事長岡城を再々奪取してます(もっとも河井継之助が
負傷したので、同盟軍の指揮をとってたのは米沢の千坂だけ
どね)
363無能、っていうかDQNの類だけど:2001/08/20(月) 02:58
なんでも大戦末期の大阪のほうで、厭線気分の強い老人たちに業を煮やして、
本土決戦の邪魔だから老人と子供は処分してしまえ、なる上申書を参謀本部に
3度提出して3度却下された地区司令官がいたそうそうだけど、これって誰?
364日本@名無史さん:2001/08/22(水) 11:39
おもしろいからあげ
365日本@名無史さん:2001/08/22(水) 14:19
>>355
米軍は,文化人類学者のベネディクトに日本研究をやらせたりしてるもんね.
これがほんとの総力戦だよね.
ようするに米軍のほうが,日本よりも戦争をまじめにやっていたってことだな.
366日本@名無史さん:2001/08/23(木) 02:20
米軍は勝つために何が必要か真面目に考えたが
日本軍は大和魂しか言わなかった
魂で戦争ができるなら将校はいらない、全部クビにしろ(藁
367日本@名無史さん:2001/08/23(木) 02:24
開戦後、日本語通訳を200人養成したアメリカ。
適性語追放に血道を上げた日本。
スタルヒンを須田博に改名させてるんじゃ負けるよ。
368日本@名無史さん:2001/08/23(木) 02:54
The best and the brightestが書けそう。
369日本@名無史さん:2001/08/23(木) 14:02
【宇垣 纏】
いまレス全部斜め読みしたけど、でてないぢゃないか、宇垣のオオボケが!
頑迷な大鑑巨砲、神龍部隊のムチャクチャな出撃命令(引き返し指示しない)
8月15日の多くの部下を巻き込んでの特攻出撃!(今会社だから家ならもっと
DQNぶりを書けるんだけど・・・)
この黄金仮面こそとんでもねぇ輩と思ふのだが・・・。

ご参考)http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/sinpu-ugaki.htm

前スレに載ってたらスマソ・・・
370日本@名無史さん:2001/08/23(木) 21:06
>>369
ふーん。こりゃDQNだな。
371日本@名無史さん:2001/08/23(木) 23:03
>>369
神龍部隊⇒神雷部隊の間違いと思われ・・・

ちなみに>>369にコピペされてるHPの神雷部隊のページに宇垣の超ドキュソぶりが余す事無く載ってるぞ
372名無しさん@1周年:2001/08/23(木) 23:53
369にコピペされてるHPに源田実の凄まじい最期についての記述発見
終戦後、戦争犯罪人を罰する罪の一つに「人道に対する罪」があった。特攻計画の中枢に

いたある軍令部参謀は、大西中将の自決により全責任を大西中将に負わせ、自分は安全

圏に身を置いた。その参謀は「桜花」計画の全貌を秘匿するるため、大田正一に「戦争犯

罪に時効は無い」と脅していた形跡がある。自決を試みて未遂に終わり全国を逃げ回る大

田正一には、「人道の罪」「戦争犯罪の時効」の定義を調査する精神的余裕、相談

相手は無かったのだろうか。



その軍令部参謀は戦後、自衛隊を経て参議院に当選したが、精神を患って病院に隔離さ

れ、看取る家族も無く死んだという。
373日本@名無史さん:2001/08/24(金) 00:18
>>369
宇垣の弁護するわけじゃないが、陸式ドキュソどもと比べると
宇垣はかわいいもんだぞ。

頑迷な大艦巨砲主義者といっても、当時の海軍の主流が
そうであった点、こんなものは非難されるほどのことではないと思う。

ましてや軍令部第1部長だった頃には、結果として無理やり
承認させられたものの、部下の中沢祐第1課長とともに三国同盟に
強行反対している。

宇垣が軍人としては有能だったことは、GF参謀長としてミッドウェー海
戦時に混乱状態に陥った主力部隊を統率、
第1戦隊司令官としてレイテ沖海戦参加時に第2艦隊司令部が「愛宕」
ごと海に投げ出された際に、水際立った応急指揮を執っている。

貴重な一次資料として知られる陣中日誌「戦藻録」の存在は言うまでもない。

宇垣が必要以上にドキュソよばわりされる理由は、多くの識者が指摘しているが、
山本GF司令部の参謀長を無理やり務めさせられた点。

山本は先入観の強いタイプの人間(私の妄想じゃない、伝記なりを読んでいただければ
多くの本が指摘している)だから、宇垣をバリバリの大艦巨砲主義者で親独派と見下し、
今から見れば基地外といって過言でない黒島首席参謀を重用して、宇垣の存在を
ないがしろにした。およそ海軍要務令に定められている参謀長としての任務は果たすべく
もないし、要職を務めた頭も役に立たなかった。
(黒島構想のミッドウェー作戦やらが失敗するまで、この状況は続いている)

無論、最後の勅命無視の特攻出撃は非難されてしかるべきだが。
ありゃ自刃するべきだったな(嘆

ちょっと熱くなりすぎた。スマソ
374373:2001/08/24(金) 00:19
>>373
×海軍要務令
○艦隊令
だったスマソ
375日本@名無史さん:2001/08/24(金) 00:47
「戦藻録」を残したことをDQNかどうかの判断材料に入れるのはちょっと。
あと宇垣って、レイテの時に栗田とかとちゃんとコミュニケーションとってたの?
376373:2001/08/24(金) 01:01
>>375
「大和」に栗田が移乗後は満足にコミュニケーションとれてないね。
艦橋左右の席に座っていた。栗田司令部と宇垣司令部は別々に合議を行って、
宇垣側がたまに具申をしてもなしのつぶてだったらしい。
栗田は合同会議を一切開こうとしなかったとのこと(「レイテ戦記」より)

宇垣寄りになっているのは申し訳ないが、
栗田自身もバダヴィア沖海戦、ミッドウェーとコミュニケーションを
とろうとしない、人間的欠陥のある人間だしね。

漏れも宇垣=完璧な人間とは思っていないが、コミュニケーションの
不足は栗田司令部に原因が求められると思うが。
377日本@名無史さん:2001/08/24(金) 04:42
>>376
個人的には同意する。
宇垣の欠陥は能力的なものと言うより人格的なものと言った方が良いような気がする。
城山三郎いってよし。
378日本@名無史さん:2001/08/24(金) 14:23
城山三郎はどう言う関与だったっけ?>377
379日本@名無史さん:2001/08/24(金) 23:19
>>373
禿同!
380377:2001/08/25(土) 01:59
>>378
すまん、全然関与して無いです。
この前NHKのドキュメントで宇垣についてテキトーなこと言ってたからつい。
381378:2001/08/25(土) 09:03
>>380
サンクス、了解です。
城山三郎の著作で宇垣語ったのあったっけ・・・?
なんか褒め称える事でも書いてたのかな? と考えてました。
382日本@名無史さん:01/08/26 10:47
今「特攻」の再放送やってるよん
383日本@名無史さん:01/08/27 21:15 ID:P8fmdyZk
ひろゆき無能あげ
384日本@名無史さん:01/08/27 22:05 ID:sLDZD8cg
あげ
385日本@名無史さん:01/08/30 00:18 ID:wDpMTCq.
城山三郎の特攻の小説出ましたな。
386日本@名無史さん:01/08/30 13:05 ID:w0rYYMoE
【三浦大将】
硫黄島作戦の最高司令官
米軍上陸の前日に内地へ逃亡した。
坂井三郎氏の一番最初の単行本の初版にこの話が載っているが
再版からは削除された。

日本サッカーが国恥的に激弱なのは
三浦姓ばっかだからだ。
野球や柔道や二輪ロードレースには居ないのに。
387日本@名無史さん:01/08/30 13:17 ID:p8ztXW3I
>386
聞いたこともないが
388日本@名無史さん:01/08/30 13:21 ID:p8ztXW3I
追加
陸海軍ともに三浦性の大将はいない
389日本昔名無し:01/08/30 22:27 ID:0uURGRDY
昨日の「その時歴史が動いた」で飛行機の実用化を妨げてしまった長岡外史はどうか?
だいぶ経ってから、長岡は二宮忠八にそのことを謝罪したそうだが。
390主計士官:01/08/30 22:48 ID:BZEZ79Qo
>>386
三浦鑑三大佐!
横須賀航空隊司令
ほどなくして病死
391日本@名無史さん:01/09/04 01:21 ID:inwSetm6
>>300
大角岑生
昭和8年1月海相の椅子に座る。と同時に条約派の提督達をことごとく予備役編入。
山梨勝之進大将、谷口尚真大将、左近司政三中将、寺島健中将、堀悌吉少将、坂野常善中将。
いずれも次代の海軍を担うはずの軍政家であり、有数の国際感覚の持ち主。
堀少将の無二の親友、山本五十六少将が、堀少将あてに送った手紙。
「かくのごとき人事が行われる今日の海軍に対し、これが救済のために努力するも到底難しと思わる。
やはり山梨さんがいわれるごとく、海軍自体の慢心に斃るるの悲境に一旦陥りたるのち、立て直すのほかなきにあらざるやを思わしむ」
伏見宮殿下、東郷元帥からの大角への圧迫・口出しによる人事・・・。

その後加藤寛治・末次信正ら対米強行派が台頭していく。
392日本昔名無し:01/09/04 22:19 ID:t2p6f4iU
>301
大角は外地視察の途中、搭乗機墜落により殉職したのになぜ元帥になれなかったか?
393日本昔名無し:01/09/05 06:21 ID:/kN5yFZ.
>301→>391
追記、太平洋戦争中の連合艦隊司令長官で山本五十六は戦死、古賀峯一は殉職でそれぞれ元帥を贈られている。
大角は殉職時の役職は軍事参議官で現役で大将進級からかなり年数も経っている。
394日本@名無史さん:01/09/11 00:36
>>386
どっから仕入れた情報?
三浦鑑三大佐のことだとしても、米軍上陸前日に内地に逃亡した事実は無いけど?
395日本@名無史さん:01/09/12 13:12
>>146
遅レスだけど、
明石元二郎は大正8年に病没し、台湾に埋葬されている。
霧社事件が起こったのは昭和になってから。
このときの総督は石塚英蔵。
霧社事件の責任をとって首になった。
396日本@名無史さん:01/09/12 15:59
一番無能なのは高須四郎海軍大将
こいつが余計な真似をしなければ海軍はマリアナで米艦隊を撃滅できたはず
397日本@名無史さん:01/09/12 18:41
>>396
無理です。
398日本@名無史さん:01/09/12 23:01
>>397
病気だったらしいね
本人よりも代理に任命したほうが問題。
399日本昔名無し:01/09/15 18:17
八甲田雪中行軍の青森連隊の山口少佐と神成大尉は?
400日本@名無史さん:01/09/16 00:35
>>345
んで?足手まといの杉野さんはどうなったのよ?
401354:01/09/17 02:17
寺内寿一についての山岡重厚のエピソード

山岡中将が寺内司令官の元で行った石家荘作戦のおり、思わぬ犠牲者を出してしまったことについて、山岡が「多くの犠牲者を出して何とも申し訳なく思っております。」
と言ったところ寺内が、
「君、そんな事は心配しなくて宜ろしい。兵隊は招集すればいくらでもある!」
というをきいて、山岡はびっくりして、
「貴方は本気でそれを言うのですか」
と詰め寄ったところ、
「わるいか?わるかったら取り消すよ!」
このような人生観を持つ将軍によって、中国大陸の戦火は拡大された。
インパールもまさにこの人生観に基づくものと推察される。

2・26事件の時、真っ先に宮中参内して、陛下の御耳に「この事件の黒幕は真崎大将である」と入れた為、真崎が無罪であるとなると軍法会議長官として立場が無い。
真崎を何としても死刑にしようと必死に画策するが果たせず。

真崎大将については、諸説紛々(必ずしも黒幕でないと言う説もあり=「二・二六事件の偽史を撃つ」山口富永著)だが、自分の保身から真崎大将を死刑にしようと寺内は老獪であり、小心者の大悪人であると思う。
402日本@名無史さん :01/09/24 13:43
>>401
真崎擁護派の人、真崎大将の功績について書いてくれたらありがたい。
403日本@名無史さん:01/09/25 18:21
洩れも真崎大将の功績披露キボンヌです。
やはり226の黒幕、青年将校をスケープゴードにした悪人と言う印象しかない。
新たな視点があるならば是非!
404日本@名無史さん :01/10/01 21:51
誰もいないのか・・・。
「ヨォーックわかっとる!」とは言わなかったとか、天皇がその後長男を側近(通訳)として丁重に扱ったからシロであるとか・・・。
士官学校校長時代には積極的に教育改革に専念した事やら、中国戦線の拡大には断固反対した事は2・26事件が余りにもクローズアップされすぎているせいか、あまり表には出てこないけど。
405日本@名無史さん:01/10/01 23:16
眞崎といえば、例の『ヨオーックわかっとる!』が通説。
しかし他の説によると、逆に『何ということをしたのか馬鹿者!』と
叛乱将校を厳しく叱責したのだともいわれている。
旗頭と仰ぐ眞崎大将から、かくも厳しく叱責されたのだとすると、
叛乱将校たちとしても、もはや万事休すである。なんとしても
眞崎大将を自分たちの側に縛り付けておかねばならない。
となると、叛乱将校たちが『ヨオーックわかっとる!』という発言を
でっち上げて、眞崎の退路を断とうとしたのだ、という推論も一応は
可能だろうと思う。
『ヨオーックわかっとる!』と『馬鹿者!』では、天と地ほども差がある。
はたしてどっちが正しいのか、今となっては確かめようもないが。
ただ、眞崎を快く思わない統制派の思惑が働いていたことは事実
だろうし、そのことが眞崎の評価を実際以上に低くしている面も
なくはないように思う。
406日本@名無史さん:01/10/03 23:43
眞崎は中国戦線拡大反対してたんですか?そういえば荒木は軍事とも政治とも関係ないしょーもない場面でちょくちょく顔出しますけど2.26以降の眞崎って何やってたかわかりませんよね。
407日本@名無史さん:01/10/04 07:34
>>406
眞崎は日中戦争そのものに反対してたらしいですよ。
大陸で暴走する統制派をなんとか抑えようとして、
近衛が眞崎に接近していたという話もありますね。
なお眞崎は、226事件については無罪放免、
郷里に帰って佐賀県教育会長に就任してます(w
408日本@名無史さん:01/10/05 20:50
途中から割り込みの非礼をお許し下さい。
軍令部作戦課長の時、ミッドウェー攻略に反対、
第2段作戦として「FS作戦」構想を策定した富岡定俊大佐はどうですか?
409日本@名無史さん:01/10/05 21:50
永野修身は海軍大臣、軍令部総長、連合艦隊司令長官の3職を歴任した唯一の海軍軍人である。
東郷平八郎は海軍大臣になっていないし、米内光政は軍令部総長になっていない。
410日本昔名無し:01/10/05 21:53
南雲も加来(飛竜艦長)もミッドウェー作戦には反対だった。
411日本@名無史さん:01/10/05 22:06
牟田口..わかりにくいけど、たぶん馬にのってるやつのようだ

http://2ch.kakiko.com/syasin/m0094.jpg
412日本@名無史さん:01/10/05 22:13
>>408
個人的には無能どころか、と評していいと思う。

FS作戦は(長期戦として)太平洋戦争を見ていた軍令部としては
何のために行うのかすら定かではないミッドウェイより健全な案である。

フランス駐在だったのでアメリカを知らなかった点はアレだが。
413日本@名無史さん:01/10/05 22:16
>>411
見れないよ
414日本@名無史さん:01/10/05 22:37
杉山参謀長
寺内南方軍総司令官
松井

大西
仁科(回天考えた奴)
石井
415牟田口?:01/10/06 13:38
直リンはだめみたいなので
http://2ch.kakiko.com/syasin の軍事の1枚目です
416日本@名無史さん:01/10/07 23:37
長勇少将は?
417海軍絶対:01/10/10 13:45
昭和の陸軍はほとんど馬鹿。
418日本@名無史さん:01/10/10 15:19
海軍贔屓だが、海軍もドキュソばかり
419ドラウト神父:01/10/13 12:46
 軍事というより政治面ですが,日米諒解案の交渉に関わった予備役海軍
大将野村吉三郎とか岩畔豪雄陸軍軍事課長などはどうでしょう?
 教えてくんでスマソ
420日本@名無史さん:01/10/14 02:18
岩畔大佐て、どこかの特務機関長やってた人?
421氏名黙秘:01/10/14 02:37
中島中佐だろ?
「お前たちだけを死なせない」とか言って部下を特攻に駆り出して置き
ながら、戦後おめおめと生きおって。
戦記読んでても悪口よく出て来るぜ。
422日本@名無史さん:01/10/14 16:48
セブ島で虎の子のゼロ戦100機、地上で喪失した時の指揮官。
423指を数えるように:01/10/14 16:58
ノギサンハワルイヒト
424nanasi:01/10/15 01:17
>>419
10年ぐらい前CNNで「日本占領時に日本海軍の提督に敗因をインタビューした映
像」が発掘されたといって放送したことがあった。永野修身と野村吉三郎のインタ
ビューの一部が流されていた。彼らは英語でインタビューに答えていたがそれは
絵に描いたようなカタカナ英語。CNNはカタカナ英語の台詞に英語の字幕を入れ
ていた普通のアメリカ人の視聴者が聞き取れないと判断してのことだろう。

 野村吉三郎といえば海軍きっての国際派といわれ運命的な瞬間に駐
米大使を勤めていた人である。あの映像を見て俺はがっかりした。
425takthara:01/10/15 01:34
>>424
 NHKの「ドキュメント太平洋戦争」ってので映像出てましたね。古っ。
 ヒアリングの方は大丈夫だったんだろうか……。
426日本@名無史さん:01/10/15 08:09
岩畔は、インド工作の岩畔機関長を務めた。
しっかっし、岩畔とその前任者の藤原岩市の回想記を見ると、
2人共手柄のとりあいをしてるんだよな。
「インド解放の夢」もクソもねーな、と思ったよ。
藤原なんぞ、インドの占領地は独立させるんじゃなくて、
軍政をするってなことを言っていたし。
それなのに、インド解放のため戦ったとかホラを吹いてやがる。
こんなアホのホラに乗っかってアホ教科書書いてるやつもいるんだよな(ワラ
427419:01/10/16 10:27
>>424 >>425 >>426
 情報深謝。
 関係ないですが,ANAの現会長は野村吉三郎という人なんですね。日経
のコラムで名前を見付けてちょっと驚いた。
428日本@名無史さん:01/10/25 03:26
>>220
荻州立兵陸軍 中将
ノモンハン事件の第六軍司令官
辻政信「ノモンハン秘史」より。
ハイラル方面の守備には、最初騎兵集団が充てられていたが、大陸戦線に転用されたので、新しく第二十三師団を編成して之に代えられた。昭和十三年の七月である。新婚匆々の神世帯でお互いの気心も判らず、鍋釜だけで店開きした師団である。
師団長小松原中将は、永年ソ連駐在武官としての経験もあり、ハルビン特務機関長として、対ソ情報の権威であった。
選ばれて、ハイラルに師団長となったのは、このような経歴を重視されたものであろう。
人情豊かな円満な性格の武将であった。これを補佐する大内参謀長は、騎兵出身で、長く陸大の教官を勤めたソ連通であり、よい女房役であった。
人的関係は比較的精選された師団であるが、新編一年を出でずしてこの難局に立たされたので、師団としての団結訓練は不十分であった。よくもこのような新編匆々の師団であのような激戦が、百日以上に亘ってやれたものだとの所感は著者のみが抱いたものではなかろう。
429428の続き:01/10/25 03:34
>>428
(中略)
八月三十日、事態は正に最悪であり、崩壊寸前に瀕している。身を挺して善後処置に当たるべく、軍司令官、参謀長に願い出て五度ハイラルを経由し将軍廟に到着したのは三十日夕刻であった。
天幕内の幕僚室は誰一人一語発する者がなく、陰惨な空気にとざされている。
軍司令官室(第六軍司令官 荻州立兵中将、)に申告に行った。ウヰスキーで大分酔いが廻っているらしい。心の苦しさを酒で紛らわせねばならなかったのだろう。申告が終った時、
「辻君。僕は小松原が死んでくれる事を希望しているが、どうかねえ君ッ」その瞬間唖然とした。次いで憤然とした。
この事件が発生してからこんなに癪に触ったことは未だかつてなかった。身分を忘れて、
「軍の統帥は師団長を見殺しにする事ですかッ。小松原閣下ちしては数千の部下を失った罪を死を以て償おうとしているのは当然であり、御胸中は十分判ります。
それだけに軍司令官としては何とでもして、この師団長を救い出すべきではないですかッ。
これが閣下の部下に対する道ではありませんかッ」
天幕の外にまで、筒抜けの大声であったらしい。
(中略)
話している最中に一人の若い青年将校が入ってきた。
「師団長閣下は最後の決心をなさいまして、絶筆を軍司令官に託されました。御命令で私はそれを持って参りました。」
鉛筆で肉太に通信紙に書かれた筆跡はまごう方なき師団長の遺著であった。多くの部下を失った罪を謝し、最後の一兵まで立派に戦って死ぬから御安心下さい。という意味のものであった。
(中略)
突然小松原師団長が昨夜の田中少尉に案内されて軍司令部に帰来された。肩章が外されてある。一同狂喜したが、当の師団長は何らの興奮もない。生も死も超越された姿だけであった。
ウヰスキーで赤い顔の軍司令官に対し、「多くの部下を殺し、誠に申し訳ございません。死ぬべきであるとは思いましたが、御命令に接しまして敵を突破して帰りました。この上は師団を再建し必ず汚名を雪ぎます。」
もはや一点の不平も無く不満もないようである。唯、あるものは私情を殺して、軍命令に従う態度と、部下への御詫びの気持ちだけであった。
「えらい将軍だ。桁違いだ。新軍司令官とは」。
これを読むかぎり、小松原中将が生き残った者に自決を強要、停戦祝宴を上げたとはとても思えない。
ノモンハンを関東軍の立場から書いたこの書物、辻政信参謀ゆえの誇張はあるであろうが、荻州中将=寺内元帥的発想、
また前線を知らない大本営奥の院にも大いに問題があった事が良く分かる。
長文スマン。
430日本@名無史さん :01/11/11 00:32
そろそろ上げないとやばそうAge
431日本@名無史さん :01/11/16 23:36
真崎甚三郎の長男、真崎秀樹氏が亡くなりましたね。
まだ生きてらっしゃたとは・・・。
つい先日張学良が亡くなったのにも驚きましたが。
432牟田口:01/11/17 02:45
>>431
そのご長男は何をなされていたのでしょうか?

寺内寿一元帥の写真のあるサイトを教えてください。
433日本@名無史さん:01/11/17 08:35
真崎秀樹氏は、昭和「34年昭和天皇と皇族方の通訳として
宮内庁御用掛に就任。」平成6年引退とのこと。
著書に「側近通訳25年昭和天皇の思い出」。

だって。昭和天皇と父親に関する話しを
したことはあったのだろうか。
434日本@名無史さん:01/11/29 01:11
真の無能はこのスレの住人全部。
435日本@名無史さん
典型的オナニストは434