1 :
日本@名無史さん:
吉田神道、紀、阿蘇などの国造家、
あるいは賀茂氏と徳川の関係についてなど、、、
神社総合スレ@日本史板でつ、、、
2 :
日本@名無史さん:03/01/30 20:54
2げっと
>2 せっかくだから常連さんになってね。
これも何かの縁です。縁、は仏教用語だけど。
4 :
日本@名無史さん:03/01/31 12:39
>>1 とりあえず、信濃国一宮諏訪神社。
上社大祝:諏訪氏(神氏、建御名方神の後裔)
下社大祝:金刺氏(神武天皇皇子神八井命の後裔)
上社の諏訪氏については、本姓を神氏とするほか、
下社大祝と同じく科野国造家からの分かれとする説や
清和源氏源満快流とする説などもあり。
5 :
日本@名無史さん:03/01/31 12:48
賀茂朝臣松平益親
6 :
日本@名無史さん:03/01/31 13:38
出雲大社宮司:出雲国造家
室町時代に家督争いから千家と北島に分家
現在出雲大社祭祀の大部分は千家家が担う
現出雲大社宮司は第84代出雲国造、千家尊祐氏
千家尊福は詩人ですね。
父親は東京府知事だったと思う。
>6 北島家が分家ですか?
北島家の人は今何をなさってるんでしょうか?
>8 神主です 戦前は男爵です。
二家に分かれた時は、両家が分担して出雲大社の祭祀を行うことになっており
出雲大社の西側に千家、東側に北島の国造館がそれぞれあります
どちらが本家・分家ということではなく、対等分立だったはず
明治以後両家は教派神道として
千家=出雲大社教
北島=出雲教
の宗主となりました
しかし現在は実質千家>北島で、ほとんどの祭祀を千家家が担っているそうです
>>7 東京府知事だったのは千家尊福自身では?
尊福は「一月一日」の作詞者としても知られています。
詩人なのは子の元麿(?)だったような気が
>>8 北島国造家もきちんと祭礼を行ってます
うちの姉は北島で結婚式を挙げました
11 :
日本@名無史さん:03/02/01 22:11
ばんばひろふみは賀茂の社家らしい
12 :
日本@名無史さん:03/02/01 22:19
>6,10
すいません。元麿が詩人です。
せんけ もとまろ 詩人 1888.6.8 - 1948.3.14
東京麹町に生まれる。武者小路実篤ら白樺派の影響下に詩作をはじめ、
大正七年(1918)玄文社刊の処女詩集『自分は見た』に平明で自在な口語詩風を確立、
以降の活躍で白樺派文学の一極致を成した。
アナウンサーの鈴木さんが京都の社家の出ですね。
14 :
日本@名無史さん:03/02/02 00:21
16 :
日本@名無史さん:03/02/02 21:49
>>14 さんま、の番組でお達者クイズの司会してた鈴木史朗アナです。
17 :
日本@名無史さん:03/02/02 21:51
鈴木っていう苗字自体、神社に関係あるらしい。
棒の先に鈴のついたもので神様を呼ぶんです。
諏訪と言えば武田勝頼が一時期諏訪家を継いでましたな。
19 :
日本@名無史さん:03/02/02 22:55
>>18 戦国大名の諏訪氏は諏訪社の大祝と同じなんですか?
20 :
日本@名無史さん:03/02/02 23:01
同じだったと思うが、、、
国造家って戦国時代は大名化している例多し
21 :
日本@名無史さん:03/02/02 23:04
諏訪氏は信玄に滅ぼされた頼重まで大祝と領主を兼任することが多かった。
江戸時代は大祝家と大名家(高遠藩主)はわかれてたはず。
22 :
日本@名無史さん:03/02/02 23:06
両方爵位もらえたの?
類(華族の同族単位)は同じ?
諏訪さんて今も神主してんの?
>>24 現在の諏訪家は神事とは関わりをもっていないはず。
26 :
日本@名無史さん:03/02/06 01:37
おお!こうゆう板が出来るのを待ってたんだ。
これからちょくちょく寄らせてもらいますよ。
27 :
日本@名無史さん:03/02/06 02:55
今も残ってる国造家は出雲くらいですか?
紀国造は平安以降も残ってたと思うがどうなったの?
28 :
日本@名無史さん:03/02/06 23:00
宇佐八幡の社家の宇佐氏は宇佐国造の直系、
武蔵一の宮の氷川神社の社家の岩井、西角井、東角井の3家も系図上は武蔵国造の直系。
紀国造の子孫は今でも紀伊一の宮の伊太曾根神社の社家だと思う。
確か、紀国造の子孫が運営している、この筋では有名なホームページがあったと思う。
鹿島神宮の主な神官の家系もみんな上代から続いている家。
ちなみに氷川神社の社家の岩井は「大祝」、西角井、東角井は「忌」が転化したものだと思うがどうよ。
29 :
日本@名無史さん:03/02/06 23:08
阿蘇、紀、出雲が残っておる。
三島大社の社家も古いな。暦関係で1000年以上続いている
河合家が今でも三島にある。
石川県小松の温泉宿は1300年以上続いている。ただの宿屋の家。
46代目だったかな。本屋の雑誌にのってます。
ちなみに千家、北島は鎌倉時代に分裂。北島の母が佐々木某といい有力者
の出であった。確か、病気がちの国造(千家、北島の兄だったと)
が後継者を指名せずに逝った。そこで両者で争いがおき、神事が滞った。
現北島国造の亡き妻は今上の母方の従姉妹である。若いころは
明治神宮で奉職していた。カネカという化学メーカーの取締役の
千家さんはこの千家。島根出身。北島は菊亭家からも嫁をもらっている。
(戦前のはなしだが)
30 :
日本@名無史さん:03/02/06 23:10
日前国懸神宮では?紀国造は?
31 :
日本@名無史さん:03/02/06 23:14
社家で検索すると系図がでてくる。
出雲の国は日御碕、日御碕神社の小野家は
スサノオの命の神裔といわれている。松江の八重垣神社の
社家もふるいはず。益田の柿本神社の社家は人麻呂に随伴して
石見まで来て土着したらしい。
さらに、九州は大宰府にある太宰府天満宮の宮司は西高辻家、
高辻家から近世になって分家した、息子さんは東大生だ。
権禰宜の味酒さんは味酒安行の子孫。
32 :
日本@名無史さん:03/02/06 23:18
伊勢、春日
====別格===家柄がいる。
番外
牧岡神社も藤原氏でないと宮司になれないらしい。
高木家は河内のなんとか八幡宮宮司。河内源氏。
大阪のえーとなんだったかな。渡辺綱の子孫が宮司をやっている
神社があった。こうしてみると社家、宮司というのは名家の出身が
多い。代表的なのは九条さん、神社庁統理の久邇さん。
>>28 >ちなみに氷川神社の社家の岩井は「大祝」、西角井、東角井は「忌」が転化したものだと思うがどうよ。
「大祝」は「オオイワイ」じゃないぞ。
「オオハフリ」「オオホウリ」と訓む。
諏訪社の場合「オオホリ」ともいうらしい。
34 :
日本@名無史さん:03/02/07 00:29
ふぅん、神社ってすげー昔の神様の子孫が
ずっと宮司さんやってるってことですね。
お寺も今では血縁が顔を利かせますが
神社にはかないませんなー。
35 :
日本@名無史さん:03/02/07 00:39
でもねー、格に見合ったところにお嫁にいかされるからねえ、女の人は。
九州の大きな神社にお参りしたときそこの宮司の奥さんがおられて
僕らが東京から来たと言うとすごく懐かしんでおられましたよ。
同じ大神社でも大都会の娘さんが九州の片田舎に嫁いだんだからねえ。
36 :
日本@名無史さん:03/02/07 00:54
宇佐って「いとーず」さんじゃなかったっけ?
37 :
日本@名無史さん:03/02/07 01:39
宇佐八幡の社家は応神以前から続く宇佐族の当主である宇佐家と、
平安時代に朝廷の命を受けて宇佐八幡に入った
修験道系の大峨ノヒギの子孫である大峨家の共同経営ですね。
諏訪大社における諏訪家と金刺家の関係に近いですね。
ただ、宇佐氏の当主は数年前、すでにかなりの高齢で、
東京の建設会社の役員をしていて、後継ぎがいないと自分の著書に書いていたから、
すでに断絶しているかもしれない。これだけの氏族だから傍系は沢山いるだろうけど
>>26 ありがとう。1はそんなに知識ないのでいろいろ教えてください。
40 :
日本@名無史さん:03/02/07 08:05
41 :
日本@名無史さん:03/02/07 11:36
42 :
日本@名無史さん:03/02/08 01:32
>>40
これは面白い
宇佐神宮神職で宇佐国造の直系が2人入ってるね。
宮成氏と到津氏と。
でも2人とも宇佐氏の傍系ですね。
宇佐氏の当主は約2000年間、門外不出の伝承を語り継いできた。
いまは、誰が受け継いでいるんでしょうね。
宮司や物忌が当主とは限らないと思うが、
先代のように当主が神職を離れた場合はどうするのだろう。
43 :
日本@名無史さん:03/02/08 01:49
>「大祝」は「オオイワイ」じゃないぞ。
>「オオハフリ」「オオホウリ」と訓む。
わりい、説明不足だった。
「大祝」が「オオイワイ」だったら転化じゃなくて、そのままだしね。
つまり、当てた漢字の読みに転化したということが言いたかった。
蛇足になるが、千葉県安房地方にある岩井(いわい:海水浴場で有名)
も大祝が転化したものだと思う。あそこは古代の聖山である富山を
仰ぐ位置に古い神社がある。
その他の地名を見ても、地域全体が神域と言う感じがする。
三輪山もそうだけど、児玉の金讃神社、越後の弥彦神社、加賀の白山神社等、
東日本の主要な古社にはこの形態が多いんだよね。
たぶん阿波氏が移ってくる以前の国造の本拠地だったと思う。
44 :
日本@名無史さん:03/02/08 06:12
英彦山の座主が華族だったとは知らなかった。
今は神社自体がだいぶ廃れてしまって過去の面影はまったくないが。
45 :
日本@名無史さん:03/02/08 20:35
>>43 九州で磐井の乱。
平将門の国王神社があるのも岩井。
「いわい」ってなんか意味があるのかって
「古代関東学」という本にのってた。
46 :
日本@名無史さん:03/02/09 08:44
>>40 >津守国美 住吉神社神職
これは大阪の住吉さん?住吉神社って他にもあると思うが。
大阪の住吉大社です。
48 :
日本@名無史さん:03/02/09 23:21
大阪の住吉さんは全国の住吉神社の総本宮だからな。
49 :
日本@名無史さん:03/02/11 01:47
ところで、関東の古い神社の社家を調べると
朝廷の隠された部分が見えてくるよ。
それも核心に迫る部分。
つまり、古代関東の国造の配置と興亡だね。
もともと関東開闢の神は「海つ神」一族と「武狭」一族だった。
西半分が「武狭」、東半分が「海つ神」だ。
これが応神天皇と大友大連の登場で一婦されてしまうんだよね。
まず、内陸は「毛」一族が支配することになる。
この一族は応神天皇の兄の一族だ。
ついで東の海側は中臣氏、鹿島氏の一族が「海つ神」一族に取って代わる。
今の鹿島神宮の神職の一族だ。
ついで武蔵に竹比(たけひ)一族がはいる。
のちにこの竹比は関東南部を蹂躙することになる。
後の武蔵国造の一族だ。
50 :
日本@名無史さん:03/02/11 01:57
ここで注目すべきは
これら一族の出自だ。
まず、毛の君は天皇家と同格。
これは応神天皇が西を支配し、東を兄が支配するとゆう約束があったから。
その他の、中臣、鹿島、竹比は出雲系の氏族。
そして、追われたほうの武狭、海つ神は出雲の国譲りの時に活躍した、
つまり、出雲を滅ぼした功績により、関東の地を与えられた一族。
総括すると、応神の登場により、出雲勢力が復権したんだよね。
51 :
日本@名無史さん:03/02/11 21:12
>>49 50
興味有る話題なんで是非ソースをお願いします。
52 :
日本@名無史さん:03/02/12 07:44
>>49 実に面白い。
ところで鹿島神宮は藤原氏と関係ありますか?
>ところで鹿島神宮は藤原氏と関係ありますか?
藤原氏は中臣氏ですよね。中臣氏にも諸流があって、僕もよくわからないが、
鎌足は鹿島神宮の社家が出自だと言われていますよね。
この一族は日立に広く勢力を持った一族で、
那珂川、那珂湊等、水戸周辺に広く地名にも名前を残している。
鹿島神宮関係者はみんな鎌足は鹿島出身だと断言している。
ぼくも鎌足の生まれは大和かもしれないが、一族の出自は鹿島だと思う。
鹿島神宮ほど、古代の形式をとどめている神社は無い。
これはなによりも関係者が自分の祖先に誇りを持って、
伝統を大切にしてきたからだと思う。
恐らく伝承も正確だと思う。
それに、鹿島神宮と藤原氏の氏神である春日大社の
歴史的な関係は疑いようも無い。
僕はソースを出せといわれると頭に来るんだよね。
受け売りじゃないんだから。
この部分の根拠は何?と聞かれれば答えられるけど、
文章全体の根拠となると、いくつも文献や神社の縁起を挙げなくてはいけない。
さらに、鹿島神宮や氷川神社の神主に聞いたとかね。
ただ、説明するのはやぶさかではないよ。
まず、国造の出自は「国造本記」や「新撰姓氏録」を調べればある程度はわかる。
ただ、それからそれを補足するのは神社の縁起。
考古学の専門書も一通り読んでおくとよい。
たとえば、海つ神一族が出雲連合に蹂躙されたとする説は
僕の見解とは違うが、埼玉大学の教授の原島礼二氏の著書「古代東国の風景」
に詳しく出ている。(極めてまじめな著書)
巨大な海つ神王国があったことは考古学的な成果や
古い郡の名称でもほぼ明らかだし、
海つ神一族の上祖が出雲を滅ぼしたタケミカズチであることも
記紀や鹿島神宮の伝承により明らかだ。
ここで、ひとつ言っておきたいことがある。
応神は大王家をつぶしたのではなく、
大王家の後を継いだんだ。
応神(ホンダワケ)は大王家の正当な継承者として自認していたんだ。
家を継ぐと言うことは、その家の祖霊を祭るということ。
けして、他人ではできないことだ。これは中国の王朝や、わが国の事例でも
一貫して貫かれている事実。
応神の血統は、その後も続いているが、けして応神以前を粗末にはしていない。
それともう一つ、応神を考える上で重要なことがある。
ニギハヤヒのみしるしも、天照(ヒミコ)のみしるしも、
崇神の時代に宮中から出されて、再び戻ることはなかったが、
実は、今でも宮中に祭られている重要人物(出雲の国ゆづりに登場する)
がいるんだよね。
今でも天皇陛下が毎日、宮中三殿であがめているその神(人物)とは??
いったい誰でしょう?
調べればすぐわかるよ。
56 :
日本@名無史さん:03/02/13 05:09
大物主?
57 :
日本@名無史さん:03/02/13 05:22
あ、違うか・・・
国譲りに登場するんだから大国主か事代主??
58 :
日本@名無史さん:03/02/13 07:59
良スレ保守あげ
59 :
日本@名無史さん:03/02/13 08:09
40
京都の平野神社の宮司の藤井家は子爵だったが、載っていないね。
60 :
日本@名無史さん:03/02/13 08:31
それを言うなら水無瀬神宮の水無瀬子爵も。
61 :
日本@名無史さん:03/02/13 09:09
東大出身で創価学会という肩書きのおかげで
東大出身者および創価関係のスポンサー側が使いたがる
だが、好感度ランキングは圏外の50位以下
人気がないのにテレビに出まくる
不思議なタレント菊川怜
俺は好きだけどな。
63 :
日本@名無史さん:03/02/13 21:22
鹿島と藤原は今ひとつはっきりしないんだよな。
鹿島や応神が出雲系か。へぇ。
宮中は園韓神。
笠間に最近出雲大社ができたけど
出雲と諏訪の延長線上にあるんだって。
なんか鹿島とあるのかな。
本州で一番長い横線は出雲と鹿島のあいだにひけて
その真中に熱田があるとか。
皇居の宮中三殿に今でも祭られているのは事代主。
出雲王朝の最後の皇太子だね。
伊太祈寧神社のホームページあたりに行けば確認できる。
ちなみに、明治天皇が京都から東京に移った時、
真っ先にお参りに行ったのが、大宮の氷川神社。
そして、氷川神社を新首都の守り神に定めたんだ。
氷川神社の祭神は出雲王朝の創始者と言われているスサノオ、
出雲王朝の最後の王であるオオクニヌシらだ。
ちなみに皇室の新婚旅行は応神天皇稜と伊勢神宮がならわしだ。
ひねくれものの秋篠宮さまは大神神社だったけどね。
>63
そう言えば、諏訪も出雲系だけど、応神以後、一族は栄華を誇ったよね。
ここは、他スレの馬鹿チンと違って、もしかしたら勉強になる。
>57、正解です。
>63、応神は出雲系じゃないよ。
ただ、出雲を心の拠り所としていたと思う。
その根拠については、そのうち書きたいと思っている。
それから鹿島神宮を出雲系と言うのはちょっと苦しい。
鹿島神宮には、その後も朝廷から派遣された氏族も含め、
いろんな氏族が神職として入っているからね。
それに、祭神は今でも海つ神の上祖のタケミカズチだし。
常陸の広大な地域の実権を握った中臣系が
相対的に優位になったということは言えるかもしれないが・・・。
それから、中央の名族の中臣氏が関東の片田舎の出だと言うと、
ありえないように思えるかもしれないが、さにあらず
平氏、源氏(もちろん足利を含む)、徳川氏等、
中央の実権を握って栄華を誇った氏族は、
そろいもそろって数代前は関東の片田舎に暮らしていたんだよね。
おお、良スレだ。49・50さん宜しければお暇な時に続きをお願いします。
ネタなしじゃ申し訳ないので地元愛媛の大山祇神社の略史でも。
大山祇神社は愛媛県大三島、愛媛と広島のだいたい中間点に位置します。
祭神は大山積大神、山神であると同時に海神であることが特色。
神武天皇東征に先駆けて大山積大神の子孫小千命(おちのみこと)が四国に渡り、
芸予海峡の要衝である御島(大三島)を神地と定め鎮祭したのが起源だとか。
社家は伊予小市国造の越智氏の後裔である三島大祝家、
なのですが系図に関しては異論も出されてます。
越智氏は同族である河野氏、村上氏とともに伊予水軍を形成し、
平安以後瀬戸内の水運を牛耳ったり蒙古水軍相手に奮戦したりするも、
16C後期には長宗我部、大内氏、毛利氏に南北から挟撃される格好となり衰退。
大祝家は水軍を失い神社の社家としてのみ存続し現在に至る。
ついでながら源平期を中心に武門の神としても信仰が篤く、
国宝、重文指定な甲冑の8割を保管、展示している宝物館は一見の価値ありです。
神武東征の拠点であり、銅矛、銅鐸両文化圏の境界線上でもあった
大三島を中心とする芸予諸島は古代史上の要衝だったんじゃないか、というのが私の推論です。
日本史板か宗教板か極東系板かちょっと迷う質問。
祭神論がらみの話ってここでいいのだろうか。
昭和初期頃に朝鮮半島や台湾に神社が立てられたのだけれど、
その神社の祭神に造化の三神が祭られていたのかいたいのかがものすごく気になる。
明治初期には「国家の祭祀」としての祭神について猛烈な議論があっただけに、
植民地に立てた神社がどうなっていたのかは興味の沸くところ。
天照大神と明治天皇が祭られていたらしいのだけれど…。どなたかご存知な方いらっしゃいます?
ていうか、明治後期から昭和初期までの2,30年、神社立てずに統治してたのね…。
…スレ違いだと感じたらスルーしてください。
69 :
日本@名無史さん:03/02/14 09:53
>>67さん
百済から来たという伝承をどう思われますか。
>>69 私はナガスネヒコとその一党の敗退は近畿での銅鐸文化終焉と同義であり、
AD300年頃に神武天皇と天孫一族が近畿の支配権を手中にしたと解釈してます。
それに対し百済建国はAD350年前後、新羅、高句麗を無視して東征を開始したとしても
AD400年程度に近畿到達となり、これはちょっと厳しいんじゃないでしょうか。
>>70さん
大山祇さんが百済から渡来して
摂津国三島に鎮座されたので和多志大神と
呼ばれたというはなしのことです。
由緒によると神武天皇東征の前に小千命が
大三島に祭祀したとありますな。
>>70 近畿での銅鐸の終焉はAD300よりだいぶ前に遡るのでつが…
>>37 >>42 俺は宇佐一族の一人だが到津家は今でも宇佐神宮の宮司家として残っている。
宮成家は宇佐姓に復姓している筈。神職ではない。
ちなみに当家は到津家の分家筋。
大正か昭和初期までは到津家の隣に邸宅があったらしいけど、今は所有している山の中腹に引っ越しています。
74 :
日本@名無史さん:03/02/16 01:36
出光って宇佐か阿蘇系列の家らしいが。出光石油。
事代主は出雲の美保神社の祭神なんだが、当地では鶏肉と鶏卵を食べない
風習が残っているそうだ。近年はだいぶゆるくなったらしいが。
このへんが出雲だよなぁ。出雲大社の千家国造家の邸宅の正反対には
神官の家がある。佐草家の邸宅だ。
吉田、白川という、中世から近世に至るまで勢力を振るった氏の話が出てこないのが不思議。
>67、ありがとう、今は暇が無いけど、おりにふれて、ここに書きこみたいと思っている。
小千・海部氏は日本屈指の名族。伊予は小千(越智)の王国だね。
古代から社稷を守りつづけて、今でも一族から国会議員を出してるしね。
「新撰姓氏録」の系図によると、確か、7代天皇の孝霊の皇別だっけ。
孝霊の王子の「小千の命(おじのみこと)」が伊予に下ったのが始まりだったかな。
原田常治氏の著書、「続古代日本正史」にその系図が載っていたけど、
極めて信憑性が高いと感じた。
その系図によると、8代天皇の孝元はクーデターで皇位に就いたとある。
記紀に記載の無い出来事だけど、思い当たる節があるんだよね。それも複数の。
ちなみに原田常治氏の著書「古代日本正史・続古代日本正史」は一読の価値がある。
古代史ファンならぜひ読んでほしい。
妄想が半分ぐらい入っているが、後の半分は画期的な考証だと思う。
情報量がすごいし、足で稼いだ資料にも基づくまじめな著書だ。
今、流行の「ニギハヤヒ」に最初に注目したのも原田氏だと思う。
>73
宇佐氏の直系が登場とは参りました。
じつは37、42を書きこんだのは僕なんだが、
前々から宇佐神宮には、並々ならぬ興味を持っていたんだ。
「宇佐神宮の伝承(だったかな?)」と言う本を読んだことがあるんだが、
これほど衝撃を受けた著書は少ない。
たぶん、宇佐姓に復姓した宮成家の当主(伯爵を返上した?)が著者。
内容は宇佐家の当主にだけに、口伝で伝わってきた宇佐神宮の伝承を著したものだった。
何しろ宇佐神宮は中世においては別格の扱い、
八幡神社を含めれば日本一の分家を持つ家の本家だからね。
宇佐神宮は大古墳の上に祭殿があって、
その祭殿の下に大きな石棺があることが知られており、
その被葬者が誰かは、昔から議論されてきた。
神宮皇后とか、色々な説があったが、
その宇佐家の当主が言うには被葬者は応神天皇のお祖父さんだとのこと。
(応神天皇のお父さんは宮島、厳島神社の裏の山の何処かに葬られているとのこと)
つまり、宇佐神宮には今の皇室の源流があるわけだ。
朝廷の宇佐神宮の扱いを見るとそれもうなづける。
ま、その信憑性については、議論の余地はあるけど、
著者の出自が尋常じゃない事、その内容のまじめさから推察して、
僕は信じる気になったけどね。
ただ、応神=神武としている所は納得できないけど。
>>77 あくまでも到津家の分家なんで宇佐一族の直系ではないです。
晒せないけど、名字も違うし。
ただ宇佐神宮は、つくづく謎が多いよね。
我が家は一回、祖父の子供がみんな女子で途絶えてる(俺は母方の家に養子に入った)から家伝も一緒に途絶えてしまった。
宇佐神宮が出している「宇佐神宮史」の一読をお薦めします。
あと宮成(宇佐)・到津両家の爵位は、男爵ですよ。
79 :
日本@名無史さん:03/02/16 12:51
>>70 百済はBC1世紀の建国だよ。
三国史記読め。
80 :
日本@名無史さん:03/02/16 13:04
82 :
日本@名無史さん:03/02/17 08:03
宇佐神宮と言えば和気清麻呂ですな!
宇佐神宮の到津家の到津伸子さんは、パリ在住の画家になってられます。
84 :
日本@名無史さん:03/02/18 07:03
49,50氏に期待。
それにしても狼に慣れてると日本史板がマタ-リ過ぎてびっくりするな
86 :
日本@名無史さん:03/02/18 22:49
>>76 あれ、あの本はいま「続古代日本正史」という名前に変わってるの?
同感。上代日本正史じゃなかったっけ?
88 :
日本@名無史さん:03/02/19 11:59
89 :
日本@名無史さん:03/02/20 11:51
三神社・三宮司家
伊勢神宮(三重) 唯一神明造 渡会家
出雲大社(島根) 大社造 千家家
住吉大社(大阪) 住吉造 津守家
>86、87
わりい、たぶんあんた達が正しい。
読んだのは少なくても10年以上前なので
ほんとのこと言うと、あまりよく覚えてなかった。
文献や古代の人物の名前を、全て暗記しているわけだはないし、
2chのために文献をひっくり返す気にもなれないので、ゆるしてくれ。
ところで、原田氏の著書に載っていた、
小千・海部氏系図に記載のある「8代天皇の孝元はクーデターで皇位に就いた」
と言う事件、このことの信憑性が高いなら、
日本史上の1、2を争そう重大事件を解き明かす鍵になると思っているんだよね。
だから、この事件あたりからここで考証したい。
まず、この事件、記紀に記載が無い。
てゆうか、孝霊、孝元自体の記載が少なくて、
欠史8代などと言われているけどね。
なぜ記載が少ないかも、考えて見たい。
しかし「新撰姓氏録」などを見ると、孝元を上祖とする氏族は意外と多い、
一方、孝元より前の天皇を上祖とする氏族はほとんどいない。
小千・海部氏は例外と言える。
これは、孝元がクデターで行為についたため、
孝霊や正当な系統の親近者は処分されてしまって、もしくはは落ちぶれて、
以後に名を残すだけの力を失ってしまったのではないか。
小千の命等、地方に下っていた者だけ、かろうじて生き延びたのでは。
次に
行為→皇位の間違い。
次に小千・海部氏系図の信憑性。
自分達の上祖が、皇位を奪われてしまった人物と言うことは、
けして誇れることではない。
そのことを敢えて書いているということは
かなり記録として信じて良いのではないかと思う。
系図自体も後の創作とは思えない。
創作系図は当地出身の有名人を軸にして、
それを繋いでいるものが多いが、そう行った作為的な記載が無いしね。
次に、孝元の孫の崇神、
彼は「ニギハヤヒ」のみしるしを、恐れ多いと言って宮中から出してしまった。
そして、オオタタネコを探し出してニギハヤヒを祭らせている。
これは崇神がニギハヤヒの子孫ではないことを示している。
もし、直系なら、祖先を恐れることは無い。
また、苦労して探さないと見つからないほど、
ニギハヤヒの正当な子孫は落ちぶれていたと言うことを示している。
ちなみに、中国の王朝では、子孫を全て殺すと、たたられると言われていることから、
血筋のものによって、前王朝の祖霊を祭らせるのが慣わしになっている。
92 :
日本@名無史さん:03/02/21 12:28
横レスですまんが、仮にクーデターだったとして孝霊と孝元が親子関係って
こともありうるんじゃないの?
歴史上では子が親を殺したり排除したりして権力を握った例も数多くあるよね?
件の系図にはどう書いてあるのだろうか?
>>90 >ほんとのこと言うと、あまりよく覚えてなかった
>2chのために文献をひっくり返す気にもなれない
なんかやだな。
>>67さんみたいに楽しみにしてる人もいるのに、話半分で聞けと
言っているような印象を受けるよ。
>93
わっかた。
でも、そこまでして書きこむ気力も無いので
もう、書きこむのはやめるよ。
話題もスレの趣旨と合わなくなってきたし。
95 :
日本@名無史さん:03/02/22 10:48
49・50氏に一時期待したけど、原田信者じゃね…
「皆の知らない知識」を「語って」くれたから「をっ!」と思ったんだけどなぁ…
「皆の知らない知識」なはずだよ、個人の妄想を「騙って」んだから。
鹿島昇と大差なし!
96 :
日本@名無史さん:03/02/22 15:39
阿蘇といえば阿蘇国際ホテル
「クボタ次期社長幡掛大輔氏――苦境克服へ調整力生かす(けいざいじん)」
実家は代々、北九州市にある戸明神社を守る社家。自身も神官の資格を持つ十七代目だ。
ぼくとつな語り口で「びびり屋で派手に大きく動かない慎重居士」と自己分析する人物を
土橋芳邦社長は後任に選んだ。
管理企画部門が長い。工場や事業所で事業企画を担当し、若手時代のあだ名は「ミスター
中計(中期計画)」。間接部門出身の「能吏」がトップに就いてきたクボタの伝統が今回も
生きた形だが、「裏方に徹してきた自分が表舞台に立つとは思わなかった」と謙そんするように、
決して本流を歩いたわけではない。
担当したのは建設機械や自動販売機などの不採算事業。「赤字続きのしんどい貧乏事業ばかりやった」。
土橋社長は「周辺事業が長いせいかバランス感覚や調整能力に優れる」と評する。
社長になっても「しんどい」状況は続きそう。農機や水道管を主力にしてきたクボタだが、
ここ数年は工場閉鎖や事業売却に追われた。今の中期計画も昨年、官公需低迷の直撃を受け、
目標の下方修正を余儀なくされた。慎重さだけでは苦境を超えられない。買収や提携など
拡大路線をどう描くかが課題。「メーカーは最後は人」と人材育成の重要さも強調する。
趣味の読書では「万葉集や新古今和歌集など日本に回帰している」。一男二女。昨年暮
れに生まれた初孫の写真を背広のポケットにいつも持ち歩いている。(久)
はたかけ・だいすけ=64年(昭39年)横浜市大商卒、久保田鉄工(現クボタ)入社。
99年取締役、01年常務。福岡県出身。
>>94 いえいえあなたの登場でこのスレ立てた自分を誉めたくなったくらいです。
みんな期待していると思うのでお暇なときはまた来てください。
>>96 私のたてた2,3のスレを姉妹スレとして貼ってくれてサンクス!
そちらにも書き込みにいきます。
101 :
日本@名無史さん:03/02/24 13:30
age
神人ってどうよ
103 :
日本@名無史さん:03/02/26 22:13
age
104 :
日本@名無史さん:03/02/28 19:55
age
105 :
日本@名無史さん:03/03/08 19:53
もうみんなあきたのかな
106 :
日本@名無史さん:03/03/08 23:36
司馬遼太郎が新聞記者時代に、ともに仕事をしていた記者がいた。
この人、出雲の語り部だという。
司馬が伝承を聞きたがっても、「現政権下ではお話できない」と言ったそうだ。
この意味わかる人、どなたかおられぬか?
107 :
日本@名無史さん:03/03/11 20:56
住吉大社の「神代記」によると
住吉大神と神功皇后の子が応神天皇になっている。
住吉大神
‖-----応神---仁徳---
神功皇后
住吉大社は所謂「河内王朝」の氏神的存在(天武王朝の伊勢神宮のようなもの)とする解釈がありますが、
その神社側の消息を伝えるのが、上のような系譜なのでしょう。
住吉大社宮司の津守氏の氏神は、大社境内にある大海(オホワタツミ)神社です。
108 :
日本@名無史さん:03/03/11 22:14
>>79 超遅レスだが、それはただの伝説。
前660年の神武の即位とおんなじようなもん。
109 :
日本@名無史さん:03/03/11 22:23
>>106 それは富さんとかいう人では?
「謎の出雲帝国」という本にも紹介されてた。
ま、この本自体、トンデモ本なんだが。
110 :
日本@名無史さん:03/03/11 22:50
>>107 ご親切にありがとうございます。
ちょっと私には難しいので、う〜ん。
111 :
日本@名無史さん:03/03/11 23:02
>>109 そうなんですか。トンデモもすきっ!
司馬遼太郎の「歴史の中の日本」にこの語り部が出てきます。
このひとは、狂人ではない、て書いてありました。
代々最も適任な息子をひとりだけ選び、伝承する。
そしてほかの子には絶対に話さないそうです。
どんな話なんだろう?
>>91 オチ氏が孝霊帝裔というのは仮冒で、越智国造の後というのは半ば常識だと思うが。
それから崇神が祀らせたのは、大物主であって大田田根子はその子孫なんだから
別に異とするには足らないが。
113 :
日本@名無史さん:03/03/22 16:31
あげ
114 :
日本@名無史さん:03/03/25 18:09
非蔵人の多くは社家出身ですね。
115 :
日本@名無史さん:03/03/28 20:28
社家といえば北大路魯山人
116 :
日本@名無史さん:03/04/05 11:31
age
117 :
日本@名無史さん:03/04/06 12:16
住吉神社って大阪にも福岡にもありますがどういうつながりですか?
118 :
日本@名無史さん:03/04/07 18:47
age.
119 :
日本@名無史さん:03/04/08 21:54
国造って何?
120 :
日本@名無史さん:03/04/08 21:57
>>119 出雲国造は、天皇家の直系子孫のうち、別系統として2000年を経てます。
現在の天皇家は皇位継承者に欠いているので、そろそろ出雲国造の出番でしょう。
出雲国造のどちらか一家を将来の道州制で中国地方の首長(藩王)にすればいい。
122 :
日本@名無史さん:03/04/09 21:25
紀伊国造は?
123 :
日本@名無史さん:03/04/10 00:52
近畿地方なら石上氏か三輪君だろ
124 :
日本@名無史さん:03/04/10 18:51
石上氏か三輪君?何ですか?
125 :
日本@名無史さん:03/04/10 19:32
どっちも大和の古代豪族の末裔氏族。今は神主でしょ。
126 :
日本@名無史さん:03/04/10 20:40
九州は宇佐?宗像?
127 :
日本@名無史さん:03/04/10 22:35
阿蘇の大宮司
128 :
日本@名無史さん:03/04/10 22:59
関東は武蔵国造ですか?
1の言う徳川と加茂氏の関係は、葵の紋以外にそれを示す物が無いけれど、
戦国時代の陰陽師に対する需要は軍師としてのものだったから、
松平氏が軍師として重宝された可能性は高いと思う。
三河は吉良を筆頭に足利の御家人の本拠地でありながら、
尾張との境では南朝の遺臣である水野氏が強いという、複雑な土地だった。
その中で軍師として地元の武士たちの尊敬を受けたとすれば、
その成功が優れた情報収集能力にあったと俺は思う。
そこで思いいたるのは、伊賀と松平氏の関係なのだが、
はっきりいって全て俺の想像だけで証拠はない。
ただ江戸や東海道が風水を重視された設計になっているというのは、
よく聞く話だ。
>128
武蔵国造は氷川神社社務職。祭祀と血縁は繋がってるけど氏はかわってるみたい。
131 :
日本@名無史さん:03/04/11 19:42
age
132 :
日本@名無史さん:03/04/14 20:48
『陛下、実はわたくし阿蘇の国造です。』
『あっそう』
>132
おもしろくない。
「実は」とかいって告白するまでもなく、今も皇室と繋がってるらしいよ。
>今も皇室と繋がってるらしいよ。
マジですか?詳細希望!
135 :
日本@名無史さん:03/04/16 20:10
>戦国時代の陰陽師に対する需要は軍師としてのものだったから、
松平氏が軍師として重宝された可能性は高いと思う。
そうだったのか、、、
136 :
日本@名無史さん:03/04/16 20:12
白川伯家を差し置いて吉田神道が一世風靡したのが不思議です。
137 :
日本@名無史さん:03/04/16 20:30
★一重★目が細いか小さい★目頭がほとんど無い★ツリ目かトガリ目★
★ヨリ目★眉毛がかなり薄い★目と眉毛の間が広い★ハの字眉★
★肌が茶色い★ヒゲが薄いか生えない(男性限定)★
★歯が大きい、または出っ歯★スネ毛など体毛が薄いかほとんど生えない★
★頬骨が強く張っている★彫りが極端に浅く、起伏に乏しい★
★うりざね型の面長★絶壁頭(過短頭)★
以上のうち4つ以上該当すれば朝鮮
138 :
日本@名無史さん:03/04/16 23:02
>134
詳しくは知らんけど、噂。
阿蘇大宮司家の人が学習院在学中に特別扱いされてたとかなんとか。
皇太子の御学友だったかな。不確かだから鵜呑みにはしないでくれよ。
(^^)
140 :
日本@名無史さん:03/04/18 00:24
141 :
日本@名無史さん:03/04/18 16:00
神社ってのは一部(出雲大社・伊勢神宮など)を除いて、
天智・天武朝あたりにでっちあげられたんだよね。
142 :
日本@名無史さん:03/04/18 17:07
143 :
日本@名無史さん:03/04/18 17:56
というか逆なんじゃないの?
伊勢の神宮なんて壬申の乱の時に天武が祈ったのが初出じゃなかった
かな。 道教かぶれの天武がでっち上げたのが伊勢神宮といって
いいだろ。 出雲大社もそう古い起源ではない。 あの辺りでは
熊野神社のほうが古い(紀伊半島の熊野神社ではないよ)
選りによってでっち上げの代表例を反例に挙げないでね。
もちろん延喜式内社には 起源がはっきりしないほど古いものが
多いんだけど。
144 :
日本@名無史さん:03/04/18 18:04
んでも神社のでっち上げは天皇家の十八番だんべぇ
平安神宮・明治神宮、なんだそりゃ 睦仁は何で神なのぉ
建勲神社・靖国神社、テンコロの為に死んだら神かぁ
朝鮮神社・南洋神社、あ〜ん ええかげんにせえよぉ
でっち上げがアマテラス・天皇家のお得意だと、第六天魔王さまも
おっしゃってます。
145 :
日本@名無史さん:03/04/18 18:12
ソースをどうぞ。
146 :
日本@名無史さん:03/04/18 19:10
>>143 伊勢神宮についてはあまり知らないが、出雲大社に関して私見を一言
とりあえず現在地に出雲大社が祀られたのは斉明朝でしょう
その前身となる祭祀は少し東の斐伊川流域にて行われてたものと思われます
出雲国造の祖神たる熊野大社も古いですが、明らかに出雲大社より古いとは言い切れません
前に論文やった関係で、ちょっと言いたかっただけです
147 :
日本@名無史さん:03/04/18 19:11
148 :
日本@名無史さん:03/04/18 19:27
日本中の古社(廃社含む)がすべて
「天皇家」より新しいなんて、とても思えません。
古志の国にも石見や大国、倭、毛、蝦夷、隼人、熊襲など
あちこちにあったのではないでしょうか。
今日のような「社殿」はなくとも。
149 :
日本@名無史さん:03/04/18 20:14
>>143 伊勢神宮は元々あの地方の太陽信仰の社で、
その後皇室と縁を持つようになったんじゃなかったか。
「皇祖神を祀った神社」という意味では神話時代までは遡らないかも知れんが。
>>144 日本語の「カミ」は大きな力を発揮したり功績があったりした人に対しては
わりと簡単に使われる言葉なんだよ。2chでも「神降臨!」とかいうだろ。
それと似たようなもん。西洋的な唯一神とは違うんだよ。
ま、国家神道時代の神社にはいらないものもありそうだが。
日本人には「とりあえず祀っとけ、拝んどけ」という素朴な信仰心がある。
>148
そうですよね。磐座信仰を見ても、信仰施設として
「社殿」が必須というわけじゃないのがわかります。
建物が築何年であるかというより、信仰の起源がいつか、だと思う。
150 :
日本@名無史さん:03/04/18 21:13
>>149 昔外人さんに、神社(全般)の起源を訊かれて困りました。
>>151 祖霊信仰と王権のマツリゴトもあるでしょう?
一口にはとてもとても・・・
起源というか、始まりの時ですかね。言葉たらずですみません。
詳しくもないんです。
>>153 お宮でたずねても、神職が知らないんです(例外もあるのでしょうが)。
155 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:07
>>154 神職さんはそこに伝わる鎮座由来は把握してても、歴史学的な起源まではあまり考えてないでしょう
突き詰めたら自分とこの祭神を否定する結果になったりするかも
まあ神職さんで研究者の方もたくさんいますが
>>155 なるほど、そうですか。
外人さんは「日本人の癖に、そんなことも知らないの?」って思ったに違いありません。
自分の無知をしみじみ感じました。
157 :
日本@名無史さん:03/04/18 23:32
>>156 個別の神社に関する鎮座伝承はすぐ分かると思いますが、神社全般の起源に関しては分からないと思います
神社によって違うでしょうから
その外人さんは西洋の一神教的な感覚で神社が全て同様の起源を持ってると思われたのかも知れませんが
日本は多神教だから神社によってその起源も多種多様なんだよ、と応えてあげればよかったかも知れませんね
できれば番号かコテ名乗ってください。
神主が今みたいに衣冠束帯するようになったのは
わりと最近らしい。
161 :
日本@名無史さん:03/04/19 22:33
age
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
163 :
日本@名無史さん:03/04/20 06:04
>>76 >小千・海部氏は……「新撰姓氏録」の系図によると、確か、7代天皇の孝霊の皇別だっけ。
>孝霊の王子の「小千の命(おじのみこと)」が伊予に下ったのが始まりだったかな。
「旧事記」に「小市国造」を大新川命の孫小致命の裔としている方が正しく、孝霊裔とするのは俗伝。
越智氏の氏神・大山津見神がたまたま吉備系氏族の氏神でもあったため、出自を誤っただけ。
>152
交通の要衝にある神社は、もとは軍事目的だったりするのかも。
中国の史書にもある。
166 :
日本@名無史さん:03/04/24 21:04
age
167 :
日本@名無史さん:03/04/26 16:44
奄美大島って神道しかないのかな?
168 :
日本@名無史さん:03/04/26 21:04
169 :
日本@名無史さん:03/04/29 22:27
>168
ありがとう。
170 :
日本@名無史さん:03/04/29 22:55
私も鮭が大好き。
171 :
日本@名無史さん:03/05/02 23:15
age age
172 :
日本@名無史さん:03/05/03 14:07
北島 脩孝 神職 出雲大社神職 1884年7月8日 男爵 出雲国造
↑北島、千家って親族ですか?
173 :
日本@名無史さん:03/05/03 23:25
age
174 :
日本@名無史さん:03/05/05 19:49
>>172 出雲国造家は鎌倉時代(だったか?)に千家と北島に分裂
現在は千家の方が有力だが、北島も出雲大社宮司
175 :
日本@名無史さん:03/05/05 20:10
なるほど。では出雲大社には宮司が二人いるの?
176 :
日本@名無史さん:03/05/05 20:55
なんだか本願寺が東西に分裂した経緯に似ている。
これで良くわかりました。ありがとう。
178 :
日本@名無史さん:03/05/05 22:50
諏訪大社なんて上社と下社があって、
上社が前宮と本宮、
下社が春宮と秋宮に分かれていて、
全部が総社。つまり本家が4つある。
179 :
日本@名無史さん:03/05/05 22:52
上賀茂、下鴨、も二つか、、、
180 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:15
age
181 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:18
隠岐国造は?
182 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:30
183 :
日本@名無史さん:03/05/06 21:30
184 :
日本@名無史さん:03/05/07 18:42
185 :
日本@名無史さん:03/05/07 21:12
え、そうなの?
186 :
日本@名無史さん:03/05/07 23:05
上賀茂神社=賀茂別雷神社
下鴨神社=賀茂御祖神社
187 :
日本@名無史さん:03/05/07 23:07
賀茂氏と徳川の関係について知りたい
188 :
日本@名無史さん:03/05/07 23:35
あのう、親戚が神主しているんですが、最近、漏れも神主になろうと考えています。
どうやったらなれるのでしょうか?
最近、神道関係の本を読んで、研究しています。
やっぱり、國學院か皇學館の神道学科いくのがいいのでしょうか?
神社関係のサイトがあるのでそこの掲示板で聞いてみるといいよ。
190 :
日本@名無史さん:03/05/08 15:31
>>185 諏訪社は諏訪氏が下社祝の金刺氏を追って乗っ取った。
191 :
日本@名無史さん:03/05/09 03:31
>190
それは1600年ごろの話で、
根はいっしょだよね。
双方とも祭神はオオクニヌシの息子のタケミナカタ。
諏訪氏はその子孫。
金刺氏はもともと諏訪氏の目付け役として
朝廷から送り込まれた氏族だけど、その後、同族化している。
諏訪の4宮はいづれも祖先の埋葬地の拝殿。
モレヤ伝承から推測すると、
おそらく「タケミナカタ」は上社の本宮の裏に埋葬されている。
よって、諏訪の本当の総社は「上社の本宮」だろう。
諏訪の本家の領地は伊那と諏訪、
その他の信州の主な盆地にはタケミナカタの息子が配されている。
そのうち、更埴・長野に配された息子の一族は強大な勢力に成長し、
飛鳥時代には蘇我入鹿の娘を嫁にもらっている。
善光寺は蘇我入鹿の娘の発願で建立したもの。
蘇我入鹿の娘が、嫁ぎ先から聖徳太子に送った手紙(重分?)が残っている。
この娘は、若き日の聖徳太子の恋人と言われている。
訂正
(重分)×
(重文)○ =重要文化財
193 :
日本@名無史さん:03/05/09 14:07
>>191 祭神はあとから同じものをまつっただけで、もともとは違う。
金刺氏も同族ではないし、同族化もしていない。
194 :
日本@名無史さん:03/05/09 20:19
訂正
入鹿×
稲目○
>194
あんたが言っているのは中世以後のことだろ。
もともと金刺氏は松本盆地に配されたタケミナカタの息子の家に養子に入ったんだよ。
朝廷向けには皇分の金刺氏を名乗っていたが、
地元ではタケミナカタの一族として、諏訪大社の祭祀を分担していたんだよ。
良く考えてみな。信州では何処でもタケミナカタの伝承は今でもみんな知っている。
当然、金刺氏が信州に下った頃はタケミナカタの記憶も、もっと生々しくいきていた。
金刺氏も当然、自らの血筋に誇りを持っていたはずだ。
何の脈略もなく、タケミナカタを祭るわけないだろ。
3代続けて諏訪の娘を娶れば、氏は金刺氏でも4代目の血の7/8は諏訪の血になるんだよ。
古代、祭神は自らの血の証であり、源平以後のようにいいかげんなものじゃなかったんだ。
新田と足利は敵同士だが、紛れもなく同族であり、八幡神を信奉していた。
これと同じだよ。
197 :
日本@名無史さん:03/05/10 00:31
>>196 タケミナカタの養子云々の根拠不明。
神氏は神別でいわば現人神。金刺氏は皇別で現人神ではない。
同族ならばなぜ別なの?
>197
だから、あんたが言っているのは中世以後のことなんだよ。
現人神云々は祭祀が形骸化した後世に、権威づけの為につけたもの。
神道が宗教という概念を持ったのは仏教が入って来てからのこと。
神の概念も当然違う。
偉大な祖先の霊的な力にあやかろうと言う概念は当然あったが、
神(カミ)→上(上に立つ人、支配者)
神(カン)→官(まつりごとを司る人)
に近い意味だった。
江戸時代でも大名は、たとえば攝津の神とか呼ばれていたでしょう。
当然、一族とは言え、本家と分家の区分はあった。
分家から見たら本家は上でしょう。
>197
佐久の臼田町にある新海神社に行ってみな。
全国で最も素晴らしい神社の一つだ。
少しは古代の諏訪王国のことがわかるだろう。
佐久はタケミナカタの五男の「オキハギ」が配された地。
新海神社の本殿脇の笠石の下にオキハギが葬られている。
その後ろは広大な古墳群になっている。
神社の参道の入り口には一説には樹齢1000年以上のケヤキの木がある。
佐久一帯には神社を中心に古代の「神(カン)の道」が巡っている。
オキハギの一族は峠の反対側の上野毛国造家と血縁を通じて関係が深かったから
富岡市の上州一の宮のことも調べると良いだろう。
200 :
日本@名無史さん:03/05/12 08:16
先日出張で出雲にいったとき、大社に行ってみました。
パンフレットには千家国造館は載っていたけど、北島は無かったような?
201 :
bloom:03/05/12 08:20
202 :
日本@名無史さん:03/05/19 00:08
age
203 :
日本@名無史さん:03/05/19 20:28
社家、国造の連枝の書き込み希望。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
205 :
日本@名無史さん:03/05/22 20:52
社家の川帰り
207 :
日本@名無史さん:03/05/25 12:52
千秋家って尾張氏なんですか?
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
209 :
日本@名無史さん:03/05/28 22:47
210 :
日本@名無史さん:03/05/31 19:35
社家出身の華族はいるけど士族になった家はあるのですか?
211 :
日本@名無史さん:03/06/01 00:19
大体は士族になったんじゃなかった?
212 :
日本@名無史さん:03/06/01 00:39
対馬に由緒ある神社が多いのはどういうわけ?
213 :
日本@名無史さん:03/06/01 01:07
>212
ただの推測だけど、大八洲の一つとして本州や四国,九州などと
同列に名が並ぶあたりが理由かと。格のある島なんじゃないですか?
とりあえず社家の歴史に一番詳しい本は「古代豪族系図集覧」
かな。1万円ぐらいする。でもきちんとした神社紹介本を読んでると
これでもカバーされていない現存の古い社家が明治以降も結構
残っていることがわかる。
それにしても明治の社家廃止令は痛かったね。
ちなみに神社が戦後国家管理から離れて神職が公務員で
なくなってから新しく世襲が始まった神社も多いが、これらも社家
、場合によっては新社家というらしい。
>214
>それにしても明治の社家廃止令は痛かったね
本当に同意。欧化路線は外交に必要な部分に留めておくべきでした。
古いから壊せじゃあ単なるヒステリーです。犯人は誰なんでしょう。まったく
216 :
日本@名無史さん:03/06/01 20:52
社家廃止令って初耳です。
詳細希望です。
あと明治の神社統合について詳しい人いませんか?
217 :
日本@名無史さん:03/06/01 20:59
>>216 社家廃止令については神社についての詳しい本なら多分
載ってると思う。地方の弱小社はともかく、大神社の社家は
これでかなり神社から離れた。出雲大社等は例外的な存在で、
それでも北島の方は飛ばされかけた。
それまではどの神社も世襲が当たり前だったんだよ。でも今では
大神社で世襲のところの方が珍しいでしょ?
218 :
日本@名無史さん:03/06/02 00:28
明治政府は伝統的な神道を守ったのではなく、
プロイセンの「ツァー」とキリスト教の「God」を兼ね備えた天皇を支える
権威基盤として神道を改造しようとした。
天皇を中心とする擬血縁社会と宗教と国家組織を重ね合わせたのだ。
だが、神道の由来は氏神ばかりではなく、性格によって何種にも分類ができ、
上記の「天皇国家」になじまないものも多い。
南方熊楠などは、それに異を唱えた珍しい人だった(といっても合祀・廃社に対してだが)。
219 :
天之御名無主:03/06/02 00:58
たしかに住吉大社の津守家も社家ではなくなった。
千家は出雲大社教設立にこぎつけて、事実上の社家として君臨。
さらに、春日大社のように藤原氏専横のたらいまわしの例もある。
春日も例外なのだろうか。神社庁の介入も及ばない?
平安神宮も旧公家が独占。三條家、九条家と。
221 :
日本@名無史さん:03/06/02 01:25
>>220 春日は中臣系が一部残ってるんじゃない?社家廃止令で
かなり入れ替わったが、一部は残ったって聞いたけど。
平安神宮はそもそも明治の創建じゃん。今のは戦後誕生した
新社家に分類されるのでは?
住吉大社って津守家は完全に残ってないの?少なくとも終戦後
の一時期は津守家の人間がいたようなんだけど。まあ
長門の住吉神社(荒魂を祭ってる方ね)は明治に神社を離れた
けどね。
>>219 古墳の祭祀に起源を持つ神社は珍しくないけど
古墳の埋葬者が社家の祖先とされているところは少ないね。
というか、今となっては、はっきりわからなくなっている所が多いんじゃないかな。
伝承によると宇佐神宮や熱田神宮はそうだとされているね。
それと、大神神社と三輪山の関係はリンク先に書いてある通りでしょう。
諏訪大社等、日本の古い神社はこのタイプが多い。
たぶん古墳時代より起源が古い神社はみんなそう。
山がご神体(たぶん埋葬地)の典型的な例に
埼玉県児玉郡の金讃(かなさな)神社がある。
この神社、祭殿がない。
拝殿裏の山に洞穴があって、その中に入った神主が青くなって出て来たそうだ。
神主が何を見たかは極秘になっている。
ちなみに、ご神体の山の名前は御室山(室=むろ=死体、死体を安置するところ)
そう言えば香川県の金毘羅様さまも祭殿裏に洞穴があって、
そっくり同じ話があったね。
金毘羅様はもとも阿波国造家の氏神で、
本当は山全体がご神体だといわれている。
象頭山の古い名前は大麻山、
読みは「おおさやま」つまり、大長(おおおさ)=一族の長の山。
224 :
日本@名無史さん:03/06/02 20:43
>>大体は士族になったんじゃなかった?
官幣やらになった場合は士族に移行
村社とか。ようするに公費負担する神社の場合
関係ないが、司馬遼太郎をふくろうのしろで本格デビューさせた編集は、対馬の神主の息子で皇學館卒だったな。
皇學館卒は死に方も文学的でいいね
ところで能の梅若六郎が橘諸兄だっけ?その後裔と称して、現在の
六郎で56世らしい。代ではなくて世なんだよ。
>225
代だったらもっといくんでしょうね。
そういえば天皇家って今上で何世目なんですか?
227 :
日本@名無史さん:03/06/04 14:23
228 :
日本@名無史さん:03/06/05 00:24
>227
ほえー、72世ですか。どうもです。
80世を超える社家とかありませんでしたっけ。
北島家は79世だよね。千家は84代目だと思う。83代目は最近なくなった。
北島さんは若いころ明治神宮にいた。九条家の若様といい明治神宮は
名門社家の子息がいる。
出雲万歳
続いて午前11時前、祖霊社において筑波和俊宮内庁掌典より、天皇陛下よりの祭粢料(さいしりょう:御霊前へのお供え)が尊祀國造公の
孫にあたられる喪主千家國麿様に渡され、御霊前にお供えされました。
↑筑波さんて旧皇族の筑波さんだと思う。
232 :
日本@名無史さん:03/06/07 17:03
234 :
日本@名無史さん:03/06/08 18:09
確か、飛鳥の飛鳥坐神社の宮司家は、89代くらいじゃなかったか?
25年位前に書かれた本で88代だったと記憶しているが。
235 :
日本@名無史さん:03/06/08 18:10
多神社の宮司家もかなりのものだと思うがな。
236 :
日本@名無史さん:03/06/08 20:03
>234
何世かわかりますか?
237 :
日本@名無史さん:03/06/08 23:14
238 :
日本@名無史さん:03/06/12 19:04
239 :
日本@名無史さん:03/06/12 20:50
多さんなら筑波で研究者だね。有名な国立の研究所かなんかだったが。
考古学関係だったかな。
>232
行ったようだね。
気がつかなかった。返答遅れてすまん。
何についてだか詳しく書いてくれれば答えることも
出きるかもしれんが、
その様子だと、何も感じるところは無かったようだね。
猫の目に小判だったか。
241 :
日本@名無史さん:03/06/20 00:59
age
実家、継ごうか迷ってる。食ってける位の規模の神社だけど。つまらなすぎて。
243 :
日本@名無史さん:03/06/20 01:15
まあついどけ
>>243
本当にそう思う?長ーーーーーー生きすれば発言権が増すみたいな閉鎖的かつ封建的な職場は
淘汰されるべきじゃない?
誰かー神社が好きで神社の仕事ができるなら満足でなおかつ別居して
そこに2号抱えてても文句言わない女性がいたら俺と結婚してください。
誰かー神社が好きで神社の仕事ができるなら満足でなおかつ別居して
そこに2号抱えてても文句言わない女性がいたら俺と結婚してください。
247 :
日本@名無史さん:03/06/20 20:17
神社は残すべきと思います。例え寺院が全滅しても。
天祖神社って、明治に命名されているのが多いみたいだけど、
なんで?
249 :
日本@名無史さん:03/06/21 00:23
247に賛成。南方熊楠の神社合祀反対運動関連の手紙や南方二書を読むと痛感する。合祀によってどれだけ貴重な遺跡が破壊されたか。もしかして、古代史の疑問点を解決するような発見があったかもしれないのに。神社の破却という愚行は二度と繰り返されたくはない。
>>249 資料のほうが価値あるな。建物残っていても分からんのよ、素性が。
わが社は建物、重要文化財だけど資料が一片も残ってなくて受け継がれてきた儀式の意味も
誰も分からずじまい。立てなおすとき興味を持って調べた文化庁の人間もお手上げ。
>250
いつか建て替えなんかで遺構調査したときに色々出てくるかも。
周辺の神社の諸式典礼の調査が進めば意味不明の儀式の謎が解けるかめしれませんよ。
社家という立場を最大限使って、地元の文化の細かい調査をおやりになっては?
神主さんのライフワークとしては実に尊敬に値することとおもいます。
× 解けるかめ
○ 解けるかも
253 :
日本@名無史さん:03/06/26 22:42
age
254 :
日本@名無史さん:03/06/27 07:14
全国で鈴木姓が多いのは、熊野勧進に出歩いた熊野社人が行く先々で子供を作りまくったせいときいたことがあるがほんまにそうなん?
255 :
日本@名無史さん:03/07/08 00:49
256 :
日本@名無史さん:03/07/10 21:12
age
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
>254
歴史の闇の部分だな
259 :
日本@名無史さん:03/07/13 00:08
東北に転勤で来て色々出張したが、「古峯神社」がそこかしこに鎮座している。本宮はあるんかな?かなりきになっとるんやけど。知ってはる方おりまへんか?後、「神明社」も多いけど、こっちもおんなじように本宮があるんかな?あるんなら一度行ってみたいわ〜
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
261 :
日本@名無史さん:03/07/17 17:56
262 :
日本@名無史さん:03/07/24 22:33
「古峯神社」は修験系、「神明社」は在地系だろうね。
だから「古峯神社」の本宮はあえて言えば熊野神社、
「神明社」はわけのわからい神様をとりあえず、そう呼んだのだと思う。
東北の神社には朝廷の支配が固まった頃から、
ものすごい勢いで、修験者が入っている。
それまでの司祭者はほとんど駆逐されている。
言わば、歴史の抹消。
また、どんなに大きな勢力を持った神社でも、
朝廷と無関係の旧来の支配者を主神にしている限り、
官位をもらえなかった。
これは人間とて同じだが・・・。
朝廷は奈良期以後、
住民の大規模な配置換え政策を行っている。
また、信州や半島から大量の移民を投入している。
だから東北にはそれ以前からの集落はほとんど残っていない。
遺跡にその面影をしのぶのみだ。
これは同族意識の強い、在地勢力の分離作戦、
大規模な反乱を防ぐためだろう。
これにより、旧来の祭祀は決定的な打撃を受けたと思われる。
ちなみに、修験者にのっとられた代表格は出羽神社や葉山神社。
いまは月読命、葉山大権現とか、
ほとんど実体のない神が主神になっているが、
実は出羽神社は奈良期以前に南東北一帯を支配した一族の本宮で、
葉山神社(複数ある)はその有力な支族の祭祀する神社だった。
265 :
日本@名無史さん:03/07/28 01:17
>>259神明社は伊勢神宮の分社ではないでしょうか。もちろん本当の由緒は別にあるかもしれないですけど、それは他の地域の稲荷社や八幡社などにも言えることですよね。 ところで、鹿児島神宮(大隅正八幡宮)の社家である沢氏の由来を知っている方はいませんか?
>神明社は伊勢神宮の分社では
よくわからないから、一番偉くて無難な神様にしとけという感じでしょうね。
お伊勢もうでが盛んな頃、伊勢講が中心になって改名したのかもね。
いづれにしても、古来からの呼称とは思えない。
>稲荷社
おそらく新羅、カヤから大量に入ってきた移民が祭ったものだと思う。
うちの実家の周辺は6〜7世紀頃の渡来系の開拓地だが、稲荷神社が多い。
>八幡社
これは、在地系だと官位がもらえないため、
源氏の婿をもらった支族が多かったため。
古来、わけのわからないやつに、はらまされたら、
「源氏の落とし種にしとけ」ということも多かったらしいが。
もちろん、「とりあえず中央の受けが良い神様にしとけ」も多いと思う。
訂正
支族×
氏族○
269 :
日本@名無史さん:03/07/28 02:35
西日本では「お神明さん」は伊勢の外宮が広めた例が多いけどね。
とんど(左義長)と結びついてる。 ところが明治になって伊勢
だから、天照(内宮)のことにされちゃったのが多い。
いまの神社本庁も天照中心のほうが都合がいいから、ばっくれてる。
国家神道の歪みが一番よく表れてるのが、神明さんだね。
>神明神社は俘囚の神社
東北ではある意味そうだね。
ちなみに東北には3つの民族がいたと遣唐使の記録にあるが、
いろいろ調べて見ると、かなり信憑性が高いことがわかる。
>国家神道の歪み
悲しいかな、その通りだね。
地方の歴史が抹消されてしまった。
それと同じに、地方の人は自らの父祖の地と血に
誇りを失ってしまったようで悲しいね。
歴史自体、地方文化を尺度にした解釈がまったくされていない。
>全国で鈴木姓が多いのは、
>熊野勧進に出歩いた熊野社人が行く先々で子供を
>作りまくったせいときいたことがあるがほんまにそうなん?
亀レスすまん。
当っていると思うよ。
修験者は全国に出かけて、在地の神様を担いできた神様と取り替えている。
これは、地方の歴史を抹消するために、かなり組織的に行われている。
そんな理由で人口200万にもなるわけねえだろ?
(^^)
>272
ところがなるんだよな。
熊野の修験者は多いときには数千人いた。
そして、修行がすむと全国に出ていった。
これが1000年近く続いたんだよ。
述べだと数万人(数十万人?)になるだろう。
全てが鈴木姓を名乗ったわけではないがね。
東北では、朝廷の使者という名目で、
百人ぐらいの集落の神社にさえも入っている。
集落では指導的な立場に成れたから、子供も思う存分作れたろ。
訂正
述べ×
延べ○
276 :
日本@名無史さん:03/08/04 14:51
>>200 北島家は既に出雲大社が行う祭祀には基本的に関わっていないのでその
ように書かれていると思われ。
北島家は北島国造館で出雲大社とは関係なく独自に祭祀を行っている。
宗教法人でも千家と北島は別になってるわけだし。
実際北島国造館の存在に気がつく観光客はまれだしひっそりとしているね。
そうはいっても’ご近所さん’でもあるし、ごく一部の祭礼などで交流がないわけ
でもないそうなんだが・・・
,,,--─===─ヽ/へ
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iiiiiiiiiiiiiiiiiii彡≡≡≡≡|≡ミミヾ丶
iiiiiiiiiiiiiiiiiiii/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ミiiiiiヽ
iiiiiiiiiiiiiiiiii/ \iiiiiiiゞ
iiiiiiiiiiii/ \iiヽ
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...iiiiiiiiii彡/ __,.:: :: __ ヽiiiii|
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280 :
日本@名無史さん:03/08/09 15:54
神明社は伊勢神宮系または東北在地の神でええということかいな?
参考になった。
メルシー。
後、東北には宗吾神社も多いんやけど、やはりそれは、
一つ肥後の清正公から始まる数え歌に歌われた三は佐倉の宗五郎やねんろうな〜
宗吾神社のことはよくわからんが、
佐倉の隣町の成田に宗五廟堂があるね。
だとしたら宗吾神社は、かなり新しいことになるが、
これも後からつけられた名前じゃないかな。
うちの実家がある集落は、
少なくても7世紀以前からある集落だが、
ご多分に漏れず、神社がある。
古老に聞いても何の神様だかわからない。
官製地図には稲荷神社と書いてあるが、
八坂神社だという人もいる。
住人は、ただ「神社」とよんでおり、
それ以外の呼称は、
他界した、うちのじい様も聞いたことがないというから、
少なくても100年以上、たんに「神社」と呼ばれて来たわけだ。
こうなると、何の神様が祭ってあるかなんて関係ない。
前出の神明社も単なる神様の代名詞みたいな意味もあるので、
昔からの集落の村社が多いのかなと思う。
名もない神社の多くは、
その集落の一族の祖先を祭った「氏神様」が始まりだと思う。
世代が変わると、いろんな人が集落に入ってきて、
自分の祖神も合わせて祭るようになる。
後から祭った神様が名のある神様だと、
主客が入れ替わることも多分にあったろう。
皆さんの地元の神社について色々語って頂けると嬉しいです。
日本で始めて餅つきが行われた場所らしいのだが、主祭神は餅をついた人だそう
です。
286 :
日本@名無史さん:03/08/13 14:17
七条兼仲の力餅大会
287 :
日本@名無史さん:03/08/13 16:03
自分が熊野の関係者だったらバット売るね
鈴木一朗(イチロー)・鈴木尚典・鈴木健
288 :
日本@名無史さん:03/08/13 16:15
高橋に由来する神社があったら画材
キャプ翼・銀牙・遊戯王・スカイハイ・ほか、数多くの漫画家がいる
289 :
マリーナの夏:03/08/13 16:25
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
291 :
日本@名無史さん:03/08/15 23:39
292 :
日本@名無史さん:03/08/18 01:57
>>282 祭りのときに神官・総代にことわって棟札を探してみれば?
焼失記録がない神社なら、室町くらいまで遡れる神社も珍しくない。
293 :
日本@名無史さん:03/08/18 03:52
来年、御柱祭に行きます。 その時に宮司さんの事を聞いて参ります。 諏訪の宮司さんと言えば地元では諏訪氏さんが有名ですが、宮司さんも何人か居るらしいので分裂を昔したのでしょうね。 まあ、日本舞踊のようなものかと…。
294 :
日本@名無史さん:03/08/24 22:02
295 :
日本@名無史さん:03/08/30 16:24
296 :
日本@名無史さん:03/08/31 15:24
甲子夜話に、某大名(名前ど忘れ)の江戸屋敷内の水天宮がおおはやりで、
幕府に規制されたという記事があった。東京の方の地理知識は皆無なので
よく知らないが、東京の水天宮はその水天宮なんかな?
ちなみに水天宮に詳しい人、水天宮とはなんぞや教えてくれへんか。
当時は迷信社会なので、鸚鵡籠中記にもお札がとんできたり、
豆みたいなものが降ったり、伊勢神宮の奇跡としてお陰参りが大はやりとの記事。
尾張藩でも事跡があったことを言いふらすなと禁令をだしたんやて。
水天宮もなんかあったんかいな?
奈良の奥地(五条→新宮へ行く道沿いやったと思う)の荒神さんに参った人おる?
年に一度だけ願いごとを聞いてくれるという有り難い神社らしいが願いがかなったん?
297 :
日本@名無史さん:03/08/31 15:34
298 :
日本@名無史さん:03/08/31 16:03
ありがとさん。甲子夜話では小さな祠と書いてあったが、今ではえらいりっぱやねんなあ。
299 :
日本@名無史さん:03/08/31 16:18
神職は被差別階層。御一新があってよかったな。
300 :
日本@名無史さん:03/08/31 19:49
>>293 諏訪社に宮司職が置かれたのは明治以降でしょ。
現在宮司を務めている松本さんは、大祝家や神長官などとは全く関係ない人のはず。
301 :
日本@名無史さん:03/09/01 18:03
302 :
日本@名無史さん:03/09/01 23:59
>301
神職は貴種ですよ。
でなければ男爵や伯爵に成れるわけが無いでしょう?
299は何の脈絡も無い、単なる荒らし。
あなた、ちょっと素直過ぎますよ。
この子のオッパイは巨乳という言葉では片付けられません。
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>>302 皮肉を込めていろいろ書こうと思ったのですがめんどくさくなり、
301のようなカキコになってしまいました。
始めから認識してます。「代々続く神職は貴種である」と。
305 :
日本@名無史さん:03/09/09 23:19
age
306 :
日本@名無史さん:03/09/10 02:11
代々続く神職だろうと貴種と呼べる存在はそんなに多くはあるまい。
>>306 ですね。まあ、神代からの系譜に連なるってほどの意味でどうぞよろしく。
質問ばかりで申し訳ない。フレイザーの金枝篇「The Golden Bough」では
イタリア北部の都市アテナイの神官は代替わりの際、殺されなければな
らなかったという謎がテーマとして始まるが日本でも代々殺しあいの末に
神主として就任した神社があったんかな?伝承ならありそうな気がするんやが。
309 :
日本@名無史さん:03/09/15 14:35
>>308 ちょっとご指摘のような例とは違うのかもしれないが、古代から中世の諏訪上社大祝と下社大祝
の争いは、殺し合いともいえなくないかもしれない。(必ずしも宗教的な理由ばかりじゃないらしいが)
最後は下社大祝が殺されています。どんなもんでしょ。
あと、先日、茅野市神長官守矢氏史料館にいったところ、上社も大祝が絶えただけでなく、神長官守屋氏も
現在の当主は女性で東京在住。その他の五官の家もいろいろあって大変だそうです。
世の流れなんですかね。
レスありがとさん。
答えてもらってけちをつけるのはなんだか、気が引けるが、
自分のイメージとしては下克上的なものがあればうれしいのだが。
311 :
日本@名無史さん:03/09/21 16:16
age
312 :
日本@名無史さん:03/09/21 17:20
≫263
延喜式内社をみるとそうとも限らんぞ。 遅レススマソ。
>>312 ここの所かな?
>どんなに大きな勢力を持った神社でも、
>朝廷と無関係の旧来の支配者を主神にしている限り、
>官位をもらえなかった。
確かに断言は出来ないかな。
正確には「高い官位はもらえなかった」かな。
しかし、朝廷と無関係かどうかの判断がつかないケースも多いね。
でも、わけのわからない神に、
むやみに官位を与えてはならないという、お達しは出ていたよね。
また延喜式をみると、6世紀頃の国造の祖神を祭った神社が、
高い位をもらっているね。
315 :
日本@名無史さん:03/09/27 18:59
あげ
316 :
日本@名無史さん:03/09/28 13:52
南方熊楠の神社合祀反対運動の際、合祀推進の「紀俊」を目の敵にしていたが、話によると
紀伊の国造の子孫だったらしい。紀伊の国と言えば熊野神社や淡嶋神社が有名
だが、紀氏の先祖ははどこの神社にまつられていたんかな。
誰か羊太夫について詳しく語ってくれ。伝説?実在?色々言われているが
実際どうなのかな。続日本紀だったと思うが、武蔵国に高麗郡を設置し、
渡来人を入植させた記事がある。となれば、同じく続日本紀の給羊を考えれば、
羊という人に領地を与え、開墾させたとも考えられると思われるが...。
かなりうさん臭い話ですまん!地元の人ならもっと色々な別な側面を語って
もらえると期待している。
羊太夫は群馬県西南部に伝わる伝説の人物だね。
316に書いてある続日本紀や元国宝の多古碑(日本3古碑の一つ)
に記されている「羊」がもとだから、6・7世紀の実在の人物とも言える。
カヤ地方からの渡来人であることはほぼ確実。
ただ、現在の伝説は物語。
伝承ではカラ国から来たことになっており、
1日で京都まで往復したとか。
鎌倉時代の山城跡が羊太夫の館跡とされていたり、
七越山古墳(だったかな?)が一族の墓とされている。
この地方では、訳のわからない昔のものは、みんな羊太夫に結びついている。
ちなみに七越山古墳は群馬西部最大の古墳で、
多分、上毛野氏の支族の車氏(くるま→群馬)のもの。
羊太夫の続き。
また、悲しい伝承も残されている。
あまりに羊太夫の勢力が大きくなり過ぎたので、
当時の官がの国司に言いがかりをつけられ、
一族もろとも攻め滅ばされたとのこと。
まあ、これもありうる話だと思う。
埼玉県西部、北部から群馬の南西部にかけては
半島から集団移住してきた渡来人が大きな勢力を持っていたからね。
ちなみに、私の母方の祖先は現在の埼玉県入間郡辺りの渡来人のリーダーで、
「ヨシノノコシ」という者だったらしい(確証は無い)。
この辺りの人たちは渡来系の子孫だということを、
かなり後代まで、意識していたらしいが、
中央集権の過程での国造制の解体と住民の大規模な移動で
糸が切れてしまっている。
また、残念なことに、この地域の古い神社の古文献は
戦国期に上州・武蔵に乱入してきた仏教徒の上杉謙信に
ほとんど焼かれてしまっている。
遺跡の発掘のみが、今後の手がかりだ。
>1
今、あらためて気がついたのだが、
このスレの一番最初に「賀茂氏と徳川の関係など」
と書いてあるが、このことについて、
誰か詳しく教えてくれないかな。
俺は詳しくないんで・・・。
でも、もしかして、このことに関係する
新たな話題を提供できるかもしれない。
今のところ仮説の域を出ていないけど。
322 :
日本@名無史さん:03/10/01 00:50
>>320 賀茂在親の子が松平中興初代親氏。
親氏が婿に入った在原信重の妻は在親の姉妹(親氏のオバ)。
すなわち親氏と妻はイトコ。
親氏妻の妹の婿となったのが松平中興二代源(世良田得川)泰親。
親氏と信繁娘の間に生まれ泰親の養子となったのが
3代目信光。その子孫が徳川氏。
賀茂氏→葵祭→葵紋→徳川ってことじゃなかったかな。
325 :
日本@名無史さん:03/10/04 17:20
羊神社一度いってみてぇ
>>319 そんな低能な一言でその素晴らしいフラッシュを紹介するなよ。
あ、紀氏が日前国懸神宮に奉斎してるってことね。天道根命がどこに祭られてるかは知らない
>>322 松平氏が新田氏の子孫ではなく、
実際は賀茂氏の子孫って説はもう認められてるの?
330 :
日本@名無史さん:03/10/07 03:04
331 :
日本@名無史さん:03/10/07 04:46
>329
松平太郎左衛門の家のこと?
332 :
日本@名無史さん:03/10/07 05:14
>>329 新田氏の子孫なのは泰親
松平太郎左衛門は在原氏
親氏は賀茂氏
親氏は太郎左衛門の婿となり、その後を泰親が継ぎ
その後を親氏の子信光が継いだ。その後が松平・徳川氏。
従って信光(及びその子孫である松平・徳川氏)からすれば
血系を重視すれば父の姓である賀茂姓、
家系を重視すれば太郎左衛門の在原姓、
養父泰親を重視すれば源姓となる。
しかし実際は信光の段階ですでに藤原姓を名乗っており
家康がコロコロ変えたのは周知の事実。
333 :
日本@名無史さん:03/10/07 09:22
>>332 断定するなら根拠を示してね。
煽りとかじゃなくて
断定できる史料を知りたいから。
>>332 横レスすまんが、
言い方が失礼だと思うぞ。
安易に根拠やソースを求めるのは2chの悪い癖。
まず、自分で出きる限りの検証をして見て、
わからなかったら聞いてみる。
もしくは、論点をはっきりさせて指摘するのが
歴史学の論法だと思うぞ。
そうじゃなければ、煽りや、単なる突っかかりと一緒だよ。
335 :
日本@名無史さん:03/10/08 02:05
336 :
日本@名無史さん:03/10/08 02:16
>334
誰にレスしてるんだ?
藁
337 :
日本@名無史さん:03/10/16 21:04
断定のもととなった史料を提示することこそ歴史学の論法だと思うがね
「いちいち提示してられっかまんどくせ」ってほうがネットの論法かと
横レスすまんが
鹿児島神宮(大隅正八幡宮)の社家の情報ありますか?
340 :
日本@名無史さん:03/10/26 13:43
>>330 三河の上和田神社下和田神社も熊野系の和田氏?
確か、泉州の犬鳴不動尊と同じような話
(飼い主のピンチを救おうと知らせたのに分かってもらえず、殺された)で
建立されたようやけど。確か建立したのは和田氏やったと思う。
341 :
日本@名無史さん:03/10/27 00:44
>>340 上和田神社と下和田神社という名前ではちょっと見付けられなかったのですが、前者は岡崎の犬頭神社(糟目犬頭神社)のことですか?
建立した上和田城主の宇都宮泰藤っていう人が和田氏かどうかは分かりませんが、永延元年六月十五日に紀州熊野三所大権現を合祭していて、観応元年に足利尊氏が熊野権現領として百貫文目を寄付したようなので、熊野と関係していることは確かですね。
下和田神社というのはどこでしょう???
342 :
日本@名無史さん:03/10/27 01:01
道教狂いの天武朝の時、
秦氏が、八幡、稲荷、など日本一の神社を作っていけたのは何故?
秦氏が景教というHPは多いが、時代は道教。 ともに唐つながりという点はあるが、
どう考えればいいんだ? 道教=景教 となった経緯はありえるか?
王権を狙わない秦氏
皇室の祖神を祀るのは伊勢神宮だけではない。宇佐神宮もそのように云われる。応神天皇を祭神とするがゆえである。すなわち王権そのものが秦氏と言える。
また別に、新たに渡来してきたハイテク技術を吸収し続けている。氏族的にも厚遇したものと思える。日本では蕃別に分類されることは覚悟の上の集団を目指したのかも。
丁度マレーシアなどで経済を押さえている華僑ではあるが、彼らは政治の表舞台には出ず、政治はマレー人に任せるといったスタンスを思わせる。
344 :
日本@名無史さん:03/10/27 02:40
多分、スレ違いなのですが。
私の父方の祖母の家は、代々大神神社の禰宜をしてきた家だそうなのですが。
禰宜って、どのような地位なのでしょうか?
というか、根本的に神社関係の地位とそれがどのくらいの力を持っていたのでしょうか?
(特に、武家社会以降。)
神社って一応土地の支配もしてたんですよね。
いったい、国造?とかは家臣?の地位とかどのようにして決めていたのでしょうか?
鎌倉以降の神社っていったいどうゆう存在だったの?
うろ覚えで書き込みしたらあかんな〜。間違えとった。
遅い訂正ですんまへん。
和漢三才図絵に犬頭社/犬尾社あり。
犬頭社は三河上和田森崎にあり、犬尾社は下和田にあり。
建立は宇津氏、大久保一族の祖先とある。
地名、人物名がごっちゃになっとった。
逝っときます。
かつて三菱銀行の頭取をされていたイブキさんは伊吹山近くにあるイブキ神社の神主の家系。
348 :
日本@名無史さん:03/11/03 00:55
禰宜→中級の神職でしょう
349 :
日本@名無史さん:03/11/03 01:11
辛島って姓が神職に関係のある姓だと聞いたんですが
350 :
日本@名無史さん:03/11/03 01:12
辛島美登里の辛島?
>>350 おなつかしや。もうじき彼女の曲が聴きたくなる季節がやってきますね。
352 :
日本@名無史さん:03/11/04 22:12
age
354 :
日本@名無史さん:03/11/05 22:07
355 :
日本@名無史さん:03/11/06 23:04
神官の階級(明階とか)について知りたいのだが。
356 :
日本@名無史さん:03/11/06 23:05
神社仏閣板の方が詳しいよ。
358 :
日本@名無史さん:03/11/11 23:10
thanks
359 :
日本@名無史さん:03/11/13 14:06
水天宮と言えば、総本山は久留米だけど、その久留米にある高良大社って、どんな由来の所なんですか?
俗説では、卑弥呼のお墓が有るとか‥
360 :
日本@名無史さん:03/11/16 15:30
神社の縁起ってかなりおもろいよな。
361 :
日本@名無史さん:03/11/21 21:30
神社史=古代の日本史でつ
362 :
日本@名無史さん:03/11/23 15:04
元伊勢神社ってあるけど、伊勢神宮より古いってこと?
363 :
日本@名無史さん:03/11/23 16:16
>>362 伊勢神宮がもとはそこにあったんじゃなかったっけ。
364 :
日本@名無史さん:03/11/23 16:38
365 :
日本@名無史さん:03/11/23 16:40
総社の近くには被差別部落が多い気がするんだけど、
何か関係があるのでしょうか?
>>365 漏れの実家のほうはそうでもないよ。
八坂神社の隷属民の犬神人とかは学校で習ったけどね。今でも差別があるかどうかは知らない。
367 :
日本@名無史さん:03/12/01 21:45
age
368 :
日本@名無史さん:03/12/15 23:06
sagarisugi
369 :
日本@名無史さん:03/12/16 00:35
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‐''"´'''"""''"`''""`"""''''''"´'''"""''"`''""""'''"''''''"`"""''''``'‐
370 :
日本@名無史さん:03/12/20 02:48
age
371 :
日本@名無史さん:03/12/21 18:51
あげ
372 :
日本@名無史さん:03/12/23 09:43
373 :
日本@名無史さん:03/12/27 20:09
age
374 :
日本@名無史さん:03/12/28 00:12
久留米は完全に高良大社の世界だね。
水天宮は有馬氏が岡山の方から持ち込んだ神様だから根付いてない。
高良大社は旧国幣大社(都道府県が奉仕)。
もともと大社は官幣(国家が奉仕)だけだったが、
久留米を挙げての運動で国幣にも大社が出来た。
なんで高良大社が官幣じゃないかというと国家神道と何の関係もないからだ。
祭神は玉垂宮で筑後には玉垂宮を祭った神社が多いが何者かは不明。
伝承では古代の人物に仮託されてるがそれが何者かも諸説あって不明。
要するに古事記・日本書紀とは別世界の神様だね。
375 :
日本@名無史さん:03/12/30 03:50
初詣は大宮氷川神社、児玉金讃神社と遠州秋葉神社に行ってくる。
376 :
日本@名無史さん:03/12/30 11:31
377 :
日本@名無史さん:03/12/30 12:59
>>288 超遅レスだが、釣りキチ三平の矢口高雄も本名は高橋。秋田出身だっけか。
木内石亭の辞世に「大名窮屈公家貧乏坊主うそつき禰宜さみし云々」とあるが、
江戸後期は神職冬の時代やったんかな?
379 :
日本@名無史さん:03/12/31 13:23
明治以降も春が来たとは言いがたいかもな。
380 :
竹田丹後守 ◆gVkD2onhQc :03/12/31 14:28
高校(京都)で他のクラスに「北大路」という奴がいたが、社家の
子孫だったのか
381 :
日本@名無史さん:03/12/31 17:14
北大路魯山人の親戚では?
あぼーん
383 :
日本@名無史さん:04/01/06 11:06
むー。
384 :
日本@名無史さん:04/01/13 02:26
伊那谷の片桐神社に行って来た。
385 :
日本@名無史さん:04/01/17 12:06
age
386 :
日本@名無史さん:04/01/21 01:22
神主の書き込み希望
387 :
日本@名無史さん:04/01/25 19:40
age
389 :
日本@名無史さん:04/01/29 02:54
徳川氏って賀茂氏から出たんですか?
390 :
日本@名無史さん:04/02/04 02:20
そうかも。
391 :
日本@名無史さん:04/02/07 20:05
賀茂氏→葵祭→葵紋→徳川氏
392 :
日本@名無史さん:04/02/24 12:42
393 :
日本@名無史さん:04/02/24 22:11
age
394 :
日本@名無史さん:04/02/29 22:22
age
395 :
日本@名無史さん:04/03/01 15:05
社家・非蔵人・地下官人に関するよい論文・文献などを教えてください
(幕末の宮廷はあります)
396 :
日本@名無史さん:04/03/02 21:51
『京都岩倉実相院日記』
397 :
日本@名無史さん:04/03/02 21:52
398 :
日本@名無史さん:04/03/02 22:00
2chが今月一杯で閉鎖になるってほんと?
400 :
日本@名無史さん:04/03/07 20:32
400
>401
余計わからなくなった。
誰がいってることがほんとなのよ。
403 :
日本@名無史さん:04/03/21 02:25
後藤田と水野が忌部神社で挙式
404 :
日本@名無史さん:04/03/21 11:38
後藤田なんて四国の百姓だろw
405 :
日本@名無史さん:04/03/21 19:52
やっかみキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!
406 :
日本@名無史さん:04/03/28 06:58
koko
407 :
日本@名無史さん:04/04/10 15:53
age
408 :
日本@名無史さん:04/04/11 13:48
社家制度は何故廃止されたの?
落ちてなかったのか
:
411 :
日本@名無史さん:04/04/19 01:12
age
m(--)m====nn
**** HH
oi
414 :
日本@名無史さん:04/04/30 10:46
甲斐源氏が入る前の甲斐の国造、どのような氏族だったか、誰か知りませんか?
和漢三才図会より抜粋。全国一宮一覧、和漢三才図会の表記に従う。祭神はリクあれば追記します。
陸奥国「塩竈六所大明神」
出羽国「大物忌大神」
上野国「抜鉾大明神」
下野国「日光山社」
常陸国「鹿島大明神」
下総国「香取大明神」
上総国「玉前大明神」
安房国「州崎明神」
武蔵国「氷川大明神」
相模国「寒川社」
伊豆国「三島大明神」
越後国「伊夜彦社」
佐渡国「渡海社」
越中国「高瀬大明神」
信濃国「諏訪大明神」
甲斐国「浅間大明神」
駿河国「富士浅間大権現」
遠江国「事任社」
三河国「砥鹿大明神」
能登国「気多大明神」
加賀国「白山大権現」
越前国「気比大明神」
飛騨国「水無大明神」
美濃国「南宮大明神」
続きです。
若狭国「遠敷大明神」
近江国「建部大明神」
尾張国「真清田明神」
伊勢国「都波木大明神」
志摩国「伊射波大明神」
山城国「上賀茂皇大神宮」
大和国「三輪大明神」
摂津国「「住吉大明神」
河内国「平岡大明神」
和泉国「大鳥神社」
紀伊国「日前宮」
淡路国「伊弉諾宮」
丹波国「出雲大明神」
丹後国「籠守大明神」
但馬国「粟鹿社」
因幡国「宇倍社」
播磨国「伊和大明神」
美作国「中山大明神」
備前国「吉備津宮」
備中国「吉備津宮」
備後国「吉備津宮」
伯耆国「倭文大明神」
出雲国「大社杵築大神宮」
隠岐国「由良姫大明神」
続きです。
阿波国「大麻彦大明神」
土佐国「土佐大明神」
讃岐国「田村社」
伊予国「大山祗社」
安芸国「厳島大明神」
石見国「物部大明神」
周防国「玉祖大明神」
長門国「住吉神社」
豊前国「宇佐八幡宮」
豊後国「柞原大明神」
筑前国「筥崎八幡宮」
筑後国「高良明神」
日向国「都農大明神」
肥後国「阿蘇宮」
大隈国「鹿児島正八幡宮」
薩摩国「渡海明神」
肥前国「川上大明神」
壱岐国「石田明神」
対馬国「和多都美社」
418 :
日本@名無史さん:04/05/05 20:55
備前国「吉備津宮」
備中国「吉備津宮」
備後国「吉備津宮」
3か国に一つだけってこと?
>甲斐の国造
甲斐国造は開化天皇皇孫狭穂彦王の玄孫塩海足尼(シオミノスクネ)に始まるとされる(国造本紀)。
系図は『甲斐国社記・寺記』第一巻神社編に「甲斐国山梨郡酒折宮・八幡宮社家飯田氏系図」が掲げられているが、
古代の部分は不明、塩見足尼後胤と言う国造塩見友定(天禄二年没)に起こり、その子貞義(治承二年没)、
その子頼季、その子四郎頼為のとき母系(母は飯田三郎為実女)によって氏を飯田に改めたと云う。
『保元物語』に「甲斐に塩見五郎」と見えるが、これは友定のことであろうと推測されている。
以上の史料より、塩見氏が甲斐の武士として存在したことはほぼ認めてよい。
ところが、宝賀寿男編著『古代氏族系譜集成』所収「甲斐国造甲斐君、甲斐造」系図によると、
塩見宿禰は神別天孫氏族の出自(天津彦根命の十世孫)として、その後に歴代系図が掲げられているにも拘らず、
分出した名字に甲斐・広瀬・雨宮・山梨・石阪・小林などが確認できるだけで、塩見氏の存在は確認できない。
また、同書所収「甲斐国造壬生宿禰」系図は彦坐王(開化天皇皇子)に系を起こし、歌人壬生忠岑・忠見父子も
見えるものであるが、塩見氏は見えず、子孫は鎌倉時代に土佐に下向し、片岡氏を称したと言う。
なお、三枝氏は『続日本後紀』承和十一年五月條に「甲斐国人三枝直平麻呂」と見えることなどから、
従来は甲斐国造族とも考えられてきたが、『古代氏族系譜集成』に茨城国造族三枝部造の裔としている。
>419
有難うございます。
塩見宿禰ですか・・・。なかなか興味深いですね。
ということは、東八代郡にある大古墳群は塩見一族のものなんですかね。
この近くには甲斐一の宮の浅間神社や聖山といわれる大栃山(神山)がありますね。
また、周辺には神坐を名乗る一族等がいますね。
あと、甲斐ではないですが、南アルプスに塩見岳がありますね。
飯田氏というのは甲府の飯田町(字名)と関係あるのでしょうかね?
それから、甲斐源氏がなぜ武田を名乗ったのか、知ってる方居りませんか?
教えてくればかりで申し訳ないですが・・・。
ところで、
421 :
日本@名無史さん:04/05/08 03:16
>>418 吉備国が分割された際、それぞれ分社化したんでは?
ちなみにそれぞれの吉備津宮は、備前国は岡山市一宮、備中国は岡山市吉備津、備後国は芦品郡新市町宮内に鎮座しているよう。
423 :
日本@名無史さん:04/05/08 12:35
>421
有難うございます。
塩見宿禰一族の本拠地が甲府盆地東部だとすると
武田王(韮崎が本拠地?)は別系統のような気がしますね。
源氏の御子は在地豪族の武田一族に婿入りしたということですね。
ところで、甲斐源氏の宗家は血統的にも武田氏でいいんですか?
すいません。詳しい方がいたら教えてもらいたいのですが、
神社合祀令により氏神様が全て天孫系に書き換えられたと言うことを聞きました。
私の家の氏神様にはモリヤノオトドとタケミナカタと言う神様を祀ってあります。
これは勧請された諏訪神社で地域の氏神・祖霊とは無縁の神社といわれました。
この神様はどういう神様なのかはたして本当に書き換えられたものかりかいできませんでした。
スレ違いかも知れませんがどなたか教えて下さい。
425 :
日本@名無史さん:04/05/08 18:22
>>423 異説もあるよ。
新羅三郎義光の次子義清が常陸国那珂郡武田郷に居を構えて
「武田冠者」を号したことに始まるとする説。
彼が甲斐国へ来たのは、罪を得て子の清光とともに配流になったためだとか。
426 :
日本@名無史さん:04/05/08 19:20
守屋大臣と建御名方
427 :
日本@名無史さん:04/05/09 01:52
age
429 :
日本@名無史さん:04/05/22 12:22
ty
430 :
日本@名無史さん:04/05/29 15:52
上下賀茂社の社家って何家くらいあったんですか?
431 :
日本@名無史さん:04/05/29 18:36
12家。
>427
サンクス
隠岐家saikou.こんな家が残ってたんだな。
434 :
日本@名無史さん:04/06/12 13:38
age
435 :
日本@名無史さん:04/06/20 06:34
もう話題無いか?最初の頃は面白かったのに。一応あげとく。
436 :
日本@名無史さん:04/06/20 09:17
そういえば羽倉信也さんが亡くなっていたんだね。
しらんかった・・・
437 :
日本@名無史さん:04/06/30 06:28
江戸時代にお伊勢参りが盛んになった理由って何でしょう?
438 :
日本@名無史さん:04/07/25 01:50
439 :
日本@名無史さん:04/07/26 10:59
>437
世の中に戦争もなく平和になってゆとりが出てきたからでしょう。
440 :
日本@名無史さん:04/08/15 00:48
全国の忌部氏、卜部氏の活躍や相互関係とか知りたいよ。
441 :
日本@名無史さん:04/08/15 11:05
442 :
日本@名無史さん:04/08/15 12:10
宮司になった国造は朝廷から送り込まれたものが多いということに
なっているが、本当のところはどうなの。度会とか諏訪とかは土着系
なんだろうか。
443 :
日本@名無史さん:04/08/20 23:37
忌部氏の末裔
444 :
日本@名無史さん:04/08/21 02:08
日本は神の国
445 :
日本@名無史さん:04/08/21 19:19
バカ総理の国
446 :
日本@名無史さん:04/08/22 19:55
出家して....権現様に御詫びしろ!
447 :
日本@名無史さん:04/08/24 09:41
白川(源氏),藤波(中臣),吉田(卜部)。忌部氏はどこへ?
>>447 ・京都の下御霊神社は今でも斎部(忌部)氏だったような気が・・・
・千葉の安房神社も安房忌部氏が少なくとも明治維新の社家廃止令まで
はいたはず。その後は知らない
湯島天神のあたりがラブホ街になったのは、なんで?
450 :
日本@名無史さん:04/08/28 13:46
アイヌ・蝦夷系の神社ってないの?
あるわけないだろ
452 :
日本@名無史さん:04/08/30 13:32
社家でも信仰心がない奴が多い。
453 :
日本@名無史さん:04/08/31 22:45
宇都宮氏の起源について。
454 :
日本@名無史さん:04/08/31 22:49
秀郷
455 :
日本@名無史さん:04/09/06 11:30
筑紫君の子孫
456 :
日本@名無史さん:04/09/13 21:18:20
一番格式、歴史があるのは千家家でしょ。
華族制定のとき他の神社・仏閣とひとまとめに男爵になることに相当抵抗し、もっと上の爵位を要望した。
>>456 千家尊福は維新の際に家を傾けそうになるぐらい王事に奔走したわけだから
他の奴と同じ待遇が不満だったんだろ
458 :
日本@名無史さん:04/09/20 16:17:42
東国の神社の神主で古いのはいないのか。
459 :
日本@名無史さん:04/09/20 19:41:05
武蔵国造と出雲国造は同祖
三島大社の社家。
462 :
日本@名無史さん:04/10/04 22:31:04
金沢に国造神社がある
463 :
日本@名無史さん:04/10/17 21:28:26
信玄とかの先祖の在地豪族の武田氏って存在するの?
464 :
日本@名無史さん:04/11/06 22:51:28
先祖が存在しないわけないだろ
465 :
国造:04/11/18 15:44:58
保守
466 :
日本@名無史さん:04/12/02 21:52:17
467 :
日本@名無史さん:04/12/17 23:48:12
甲斐源氏が婿入りする前の武田氏と言うことだよ!
468 :
日本@名無史さん:04/12/18 10:49:48
469 :
日本@名無史さん:04/12/23 01:05:57
◯ _____
// ____/ \_________
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// │ /
// │ (
// │ ,,,,,||||||||||||,,, )
// │ ,,,||||||||||||||||||||||||| /
// │ ,,||||||||||||||||||||||||||||||||| /
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// / ||||||||||||||||||||||||||||" /
// / ""|||||||||||||||||"" (
//< _____\
// \__ ______/  ̄
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//
∧_∧ // / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)// < 日章旗掲揚!
( つ \___________
| | |
(__)_)
丹後の海部家は出てきたか?丹後国造で、天橋立の神社を仕切って、2000年鏡を伝世してきた家だよ。
蝦夷の神社としては、岩手のアテルイ神社は違うかな?
472 :
日本@名無史さん:04/12/29 11:44:35
葛城氏、和邇氏、平群氏、大伴氏・・・・
とかの祭る神社はあるの?
>>471 丹後の海部家って、豊前海部郡から移住してきたんだっけ?
海部郡にも籠神社ってあったっけ?
>472
もちろん
475 :
日本@名無史さん:04/12/29 19:55:00
和邇下神社、高天彦神社、三輪神社とかの
社家はどうなんだ?
>>49 >もともと関東開闢の神は「海つ神」一族と「武狭」一族だった..
どの関東の古い神社の社家の伝承から、こういえるのですか?
昔はさいたま市の氷川神社まで海だったでしょ。
その辺も気になるね〜
479 :
日本@名無史さん:05/01/21 04:34:51
出雲国造って、皇孫なの??
480 :
日本@名無史さん:05/01/21 05:21:22
出雲国造は神別天孫系。
天穂日命の子・建夷鳥命の後。
481 :
日本@名無史さん:05/02/11 19:26:30
age
482 :
日本@名無史さん:05/02/11 21:44:00
出雲系の神社は蝦夷的では?
というより先住民的というべきか。
今でも大和の政治に口は出さないとかいうし
言葉のアクセントが何故かここだけ東北訛りに
酷似しているらしいし。
>>482 大和の政治に口出してる神社ってどこだよw
484 :
日本@名無史さん:05/02/13 16:33:18
方言周圏論
485 :
日本@名無史さん:05/02/14 04:34:39
大伴連→大伴直 富士浅間神社
和邇臣→物部首 石上神宮
和邇部宿禰 浅間大社
487 :
日本@名無史さん:05/03/03 23:58:03
大伴連が大伴直になったの?
488 :
日本@名無史さん:05/03/04 05:02:15
大伴連(神別)と大伴直(皇別)は別系。
489 :
日本@名無史さん:05/03/09 23:25:05
490 :
日本@名無史さん:05/03/11 01:53:31
【日産】南部氏について語るスレ【コンツェルン】
491 :
日本@名無史さん:05/03/12 03:23:00
>>489 古屋家家譜が信憑に値しないことをしらんのか
↑釣りに注意
493 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:38:52
阿蘇国造家もながく続いたの?
出雲国造と紀伊国造だけかと思ったが。
>出雲国造と紀伊国造
「国造」という職名を世襲し、神事を管掌していたのはこの2国造だけ。
阿蘇国造の子孫は「国造」の職名を世襲していない。早くから祭政一致の
方針を採っていたために、社家であると同時に武家化して、古代から中世
にかけて永らくその血脈を伝えていたに過ぎない。
国造本紀に無い国造は?
陸奥国造、千葉国造、那須国造、ほかまだまだあるな。
那須国造は載ってるよ
隠岐氏もなにげにすごいよね。
隠岐島に営々続いている家系ですよね。
氷室家のご子孫は健在でしょうか。
闘鶏国造
>>495-500 国造本紀にのってない国造は10個
本巣国造・牟義都国造・長狭国造・千葉国造・東国造・
闘鶏国造・都下国造・近淡海之安国造・吉備国造・大分国造
律令国造でよければこんなの↓もある。関係ないけど。
摂津国造・備前国造・美作国造・多[ネ執]後国造・陸奥国造
>>501に加えて、須佐国造と逝ってみるテスト
その実在は確認出来ないのだがw
須佐国って地域としては今のどこらになるのかな。小国としてならあってもいいんじゃないか?
下鴨神社の社家の系図ってありますか?
(鴨脚とか梨木とか)
506 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 00:15:25
うーむ
507 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 05:02:21
出雲国造は逆臣ホヒ一族。上官神主の富家がオオクニヌシの直系子孫。
なんで逆臣なんだよw
509 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 09:40:04
>507,>508
俺はよく知らないんだけど、
富家ってカンド一族の末裔なの?
それから、ホヒは王子だから「臣」ではないな。
むしろ、自分の実家と嫁さんの実家のあいだを
取り持とうとして苦労している。
というか、結果的には自分の実家の横暴から
嫁さんの実家を守ろうとして、暗殺されてしまったわけだが・・・。
だから、ホヒ一族と大国主の直系であるカンド一族は、
仇ということではない。
その後、ホヒの子孫は応神の登場によって復権し、
栄華を誇ることになる。
その結果、出雲でのホヒ一族の優位が際立つようになり、
結果的にカンド一族は飲み込まれてしまったわけだ。
510 :
日本@名無史さん:2005/05/01(日) 15:21:01
どちらの電波本をお読みで?
つーか出雲勢力=出雲国造=出雲氏=天穂日命の子孫なんだが。
カンド一族ってなに?
512 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 08:15:03
なんかもう、神話と歴史と妄想がごちゃ混ぜになってるな
天穂日命
天孫族だろ。
出雲征伐の長官だったんだぞ。
いわば征夷大将軍だ。
出雲勢力の子孫は小野家だ。
514 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 04:39:05
カンドはホヒの子孫。トミ家は熊野大神の子孫。トミとスサがオオクニヌシの官を
出していたらしい。オオクニヌシは熊野大宮司の下に5人いて、合議制で国を統治
。オオクニヌシは北陸征伐で日本を統一した。
出雲の伝承では。また北九州から稲佐浜に天孫族が攻めてきたと富マサオは言う
。下克上の野心に燃える北九州の倭国が攻めてきたらしい。
出雲の国譲り。このとき家臣のホヒがスパイ活動で天孫族に取り入って領地を広げ
たという。天孫女王の末裔の南九州の土豪の子が神武。大和朝廷の時代になると
没落したトミノスクネ家はホヒ出雲臣家の姻戚になり奈良期に大社上官神主に。
トミノスクネ家の一門からノミノスクネが出て大和で出世。土師氏の祖に。
515 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 04:45:08
富マサオ氏は死んだらしい。語り部の宝筋の継承者は。だが荒神谷の
358本の大型祭祀銅剣が真実を伝える。
516 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 04:52:58
天孫族を先祖にもつ新参の出雲家臣だったホヒ意宇一族が国造になったこと
に怒った旧来の名門たちが、亀太夫神事を行わせた。
出雲は独特の霊気がある。
518 :
509:2005/05/06(金) 19:46:39
>514
大社の神主は最初から大国主の子孫じゃなければ出来ないはずだけどね。
藤原氏の春日大社のように。
もともと神社は子孫が上祖を祭ったもの。だから氏子と言う。
でも出雲は母系相続の気配があるから、
大国主の娘婿であるホヒ一族が祭祀を行ってもいいのかな。
しかし、国造という称号はおそらく崇神以来だと思うが、
初期の頃、出雲大社のあたりはカンド氏の版図で、
ホヒの子孫である出雲氏(その頃はまだ出雲と名乗ってなかったが・・・)
は八束郡以東が版図だったんだよね。
国譲りの後も大和は大国主に一定の身分保証(出雲の領有?)と
天皇と同格の扱いを保証している。
出雲大社が大国主の宮殿であったことは、確かだと思うので、
やはり、カンド氏が大国主系の宗家だったと俺は思っている。
519 :
509:2005/05/06(金) 20:15:53
それからホヒは大和系であると同じに、大国主の臣下でもあった。
だから513、514ともにある意味正しい。
だけど、ホヒは出雲征伐に大和から遠征したのではない。
その頃は身分的には出雲が「主」で大和が「臣」
ただ、力的には大和が上だった。
中国の春秋時代の姫氏と覇王の関係に似ていたと思う。
日本で言えば朝廷と信長、清盛の関係かな。
(幕府のように独立した機構ではなく、あくまで最強勢力という意味で)
だからホヒは、大和の王子として出雲朝廷に任官したんだ。
飛鳥時代に地方の勢力が朝廷に一族の優秀な者を任官させたように
そして、出雲側は最強勢力である大和との橋渡し役としてホヒを破格に扱い、
大国主の娘を嫁にやったんだ。
ただ、大和側としては野心満々だったから、
ホヒに密偵の役割を期待していた。
そして、嫁と自分の実家の板ばさみになったホヒは暗殺されたんだよ。
520 :
509:2005/05/06(金) 20:37:35
>514
あなたの書きこみは非常に興味深いけど、
時代が前後している部分や明らかに違う所がある。
>トミとスサがオオクニヌシの官を出していたらしい。
これは俺にはわからない。
>オオクニヌシは熊野大宮司の下に5人いて、合議制で国を統治
これは意味がちょっと違う。
熊野大権現、すなわち「上祖であるスサノウは別格で、
その後、5代の大国主が世襲し、合議制で国を統治」が正しいと思う。
このことは日本書紀にも書いてあるし、
その他の考証でも、間違いないと思っている。
名前を見れば一目瞭然だけどね。
大国主は「大き国」すなわち日本の主。
実際に政治を行ったのは皇太子。
大国主の代わりに物事を取り仕切ったから「事代主」。
521 :
509:2005/05/06(金) 21:07:19
>オオクニヌシは北陸征伐で日本を統一した。
これは正しいと思う。
新潟県頚城地方の民間伝承、神話としても語られているしね。
ただ、北陸は「越」だけではなく、出羽等の東北も含んでいた。
だから、奈良期の朝廷の版図よりも広い。
ここには書き込めないけど、有力な証拠がある。
いずれ、学会等で発表しようと思っている。
>北九州から稲佐浜に天孫族が攻めてきた。
>下克上の野心に燃える北九州の倭国が攻めてきたらしい。
これは違う。というかキーワードはいいのだが、
パズルがごちゃごちゃになっている。
面倒なので、説明は略。
522 :
509:2005/05/06(金) 21:28:21
>出雲の国譲り。このとき家臣のホヒが
>スパイ活動で天孫族に取り入って領地を広げたという。
これは違う。時代がずっと後。
ホヒの子孫である出雲臣が領地を広げたのは国譲りの前ではなく、
応神以降、朝廷の実力者である大友連に取り入った後。
出雲臣には大国主の子孫の監視と言う役目もあったから、
スパイと言えなくもないが・・・。
このことは記紀や出雲の神事でも明らか。
>天孫女王の末裔の南九州の土豪の子が神武。
これは違う。ここでは明かしたくないので説明は略。
>大和朝廷の時代になると没落したトミノスクネ家は
>ホヒ出雲臣家の姻戚になり奈良期に大社上官神主に。
これはよくわからない。
ただ、トミノスクネ家ではないが、カンド氏は没落して
出雲臣家に版図と出雲大社の祭祀権を奪われているから、
このことと関係あるんじゃないかな。
523 :
509:2005/05/06(金) 21:38:10
>トミノスクネ家の一門からノミノスクネが出て大和で出世。
>土師氏の祖に。
このことは確認していないが、関連することを・・・。
武蔵国造家はホヒの子孫であるわけだが、
武蔵国造家は土師氏を同族と見なしていたんだよね。
もしかしたら、武蔵国造家は奈良期に武蔵氏を朝廷から賜う前は
土師氏を名乗っていた可能性もあると思う。
埼玉県東部や東京、千葉の葛飾地方に分布する○神社(名前は忘れた)
は土師氏が祭ったと言われているんだよね。
その神社の宗社は北埼玉郡騎西町、
すなわち埼玉古墳郡のすぐ近くの敷玉神社と言われている。
敷玉神社は、もしかしたら武蔵一宮の氷川神社より古いと言われている。
524 :
509:2005/05/06(金) 22:03:58
訂正
○神社(名前は忘れた)→久伊豆神社
敷玉神社→玉敷神社
525 :
509:2005/05/06(金) 22:22:06
ただ、一方で玉敷神社 は多治比真人の創建と言われている。
多治比真人は尾張氏に関係あるともいわれているが、よくわからない。
この辺に詳しい人、頼む。
多治比氏の祖は宣化帝。宣化の母は尾張氏。
多治比(多治とも)→「大治?」
尾張→ 「小治?」
527 :
509:2005/05/10(火) 01:32:13
>526
ありがとう。
多治比氏の祖は宣化帝、宣化の母は尾張氏か・・・。
宣化の父は継体だったよね。
これは、もしかしたら日本史がひっくり返るな。
それも、ちょっとした修正ではなくて、
古代史が全て塗り代わるくらい。
528 :
日本@名無史さん:2005/05/10(火) 11:28:05
騎西町といえば武蔵七党の私市党の本拠だが、
私市党の系図は開化天皇を遠祖とするもの(日下部氏と同系)が
もっとも知られているが、多治比氏の末とする系図も存在する。
>>527 それもともと知られてることじゃん。今さらひっくり返りはしないだろ。
>>528 騎西久伊豆神社に伝わる系図では、丹遅真人貞成の二人の子がいて
兄・丹遅真人峰成が私党(私市氏)の祖先、
弟・多遅真人貞峰が丹党(丹遅氏)の祖先になったという。
貞成と貞峰は続日本紀にも名が見える。峰成は私市氏の祖として
各種の系図に頻出し、延喜の少し後(正確な年代はちょっと忘れたが
寛平元年889年だったかな?)に武蔵守として下向、私市郡に土着したという。
貞峰は世代年代からいって、丹治比武信と同一人物になってしまう。
丹治比武信は丹党系図によると元慶元年877年に武蔵に押領使として下向して
秩父に土着した丹党の祖先。
しかしこれらの伝承は、私市党と丹党が同じ祖先からでたという説から
生まれたもので史実ではないかも知れない。
私市系図によれば、私市氏は但馬の日下部氏(孝徳天皇の子孫)の分家のようである。
日下部氏は但馬公氏(但馬国造氏・開化天皇の子孫)の支族だが、その一部が関東に
分出して私市氏となっていたという。二つの説をむりやり合成すれば、日下部系の
私市氏が先にいて、丹遅峰成を迎えいれたと解釈できるが、すべて史実ではないだろう。
実際には私市党の祖先は武蔵国造の分家の私市部氏で、丹党も武蔵国造の分家の
檜前舎人氏とみられ、どっちも現地の土着勢力だったのが京都からの貴族に
こじつけたにすぎない。
530 :
日本@名無史さん:2005/05/12(木) 00:08:13
平城京と東大寺の位置関係にはどんな意味が込められているんですか?
なるべく詳しく教えてください
明後日までの宿題なんです
お願いします
531 :
509:2005/05/12(木) 20:49:32
>529
>それもともと知られてることじゃん。
>今さらひっくり返りはしないだろ。
そうだね。ちょっと大げさだったかな。
ひっくり返るためには確証がないとだめだしね。
ただ、異説の状況証拠がかなり強化される可能性はある。
武蔵国造の上祖が問題なんだよね。
国造本紀や記紀にのっている名前の呼び方が問題なんだよね。
武蔵国像の乱の記載についてもオズキ等、
反朝廷側は本当に呼ばれていた名前で書かれていると思うのだが、
朝廷側の人間は姓付きだし、
実際になんて呼ばれていたかよくわからない。
532 :
509:2005/05/12(木) 23:06:58
>529
詳しい解説ありがとう。
素晴らしい考察だと思う。
後世、多治比真人が入ってきたのは事実だと思うが、
武蔵国造家の流れでいいと思う。
地方豪族は定期的に中央勢力から婿を取らないと
地位の確保すら難しかったわけだから、始祖が複数いても不思議ではない。
足利氏も源氏の御曹司がいきなり名乗ったのではなく
足利家に婿に入ったから源姓足利氏なわけだしね。
支配している地域では血族社会の頂点にある足利家の婿、
中央に対しては官位をもらいやすい源氏の直系と、
都合がい方を使い分けていたわけだから。
ちなみに、足利氏はその少し前の代は
藤原氏から婿を取っている(籐姓足利氏)。
しかし、その実態は御諸別王の息子「かが」の直系子孫であり、
下毛野君一族の宗家だろうと思う。
それから玉敷神社、久伊豆神社に関しては
下のサイトの考察が面白い。俺もこの考えを支持したい。
http://marikoh.hp.infoseek.co.jp/hisaizu/hishizu_001.htm
533 :
509:2005/05/13(金) 00:09:13
前のレスで名前が問題と書いたが、
このことについて少し・・・。
藤原秀郷と俵藤太、
豊臣秀吉と木下藤吉郎、
前者と後者が同一人物だと言うことはだれでも知っている。
だけど知識がなければ何の脈略もないと思って当然なんだよね。
だけど古代の人物については多くの場合、
公文書しか残っていないわけだから前者の呼び方しかわからない。
だけど、実際に地域の伝承とか神社とか地名とかに残されているのは
後者の呼び方だと思うんだよね。
これらを結びつける確証はまず出てこないだろうから、
仮説を裏付ける状況証拠を集めて推測するしかない。
534 :
日本@名無史さん:2005/05/14(土) 01:56:46
そもそも、神道というのは、縄文時代からある土着の信仰が起源なのか?
それとも、大陸や朝鮮半島起源?
朝鮮系住民の多かった出雲に最古級の有名な神社があるけど、
日本独自と思われている神道も、やっぱり朝鮮渡来なのか?
関東に朝鮮渡来人が建てた高麗神社というのがあるけど、
朝鮮人が建てたのに、なぜ一般的な廟とかではなくて神社なのか?
535 :
名無し:2005/05/14(土) 07:00:51
縄文時代から勾玉はある。
536 :
日本@名無史さん:2005/05/15(日) 15:48:17
保守
>>532 >後世、多治比真人が入ってきたのは事実だと思うが、武蔵国造家の流れでいいと思う。
>地方豪族は中央勢力から婿を取らないと(中略)始祖が複数いても不思議ではない。
まぁもれも本当はそう思ってるよ。
ところで、私市部氏も但馬の日下部氏の分流でいいかもしれない。
氷川神社の神主はもとは武蔵国造の一族だったんだろうけど
なんらかの理由で日下部氏にかわったと。日下部氏の分流が武蔵によばれて
武蔵国造の支配下に入ったんだろう。それが私市氏の起源。で、のちに
京都からきた丹遅氏を婿に迎えることで格式アップして武蔵国造家から独立したと。
多治氏を迎えいれたのは秩父の丹党(檜前舎人氏)の方が先で、
これは檜前舎人氏が宣化天皇の部民だったことによる。
京都の官僚としてそろそろ苦しくなってきた多治氏がその縁で
土着先を求めたのだろう。
私市氏はこれに隣接していたから、それを真似て貞峰の兄・峰成を招いたのかもしれない。
丹党と私党のちょうど中間に熊谷郷があり、ここの地頭だった熊谷氏は、後世の伝説だが
家系・先祖は丹遅氏を名乗っているのに私市党の旗頭だったという伝説をもつ。
538 :
509:2005/05/18(水) 03:35:19
>537
詳しいなー。
武蔵七党についてはあんたを信じるよ。
ただ、格式アップして武蔵国造家から独立したというより、
やはり婿に入ったと考えるのが自然。
前にも書いたが、神社の祭祀は血縁者がするもの。
祭神(祖先)の霊はその子孫にしか祭れない。
これは古い神社の記録をいろいろ見ればわかる。
このことは修験が入るまで当たり前だった。
修験道は中央集権推進に伴う地方の歴史の抹殺を目的としていた。
皇統につながらない祭神は修験者によってことごとく抹殺されている。
ちなみに「古神道」に関する雑誌がいくつか出されているが、
これは神道ではなくて修験道の本。
みんな、くれぐれも騙されないように。
539 :
509:2005/05/18(水) 03:50:11
一昨日、山梨県に行ってきた。
いろいろ面白いものを見てきた。
東八代の古墳はいいね。
ここには俺が古代史を解く鍵だと思っている古墳がある。
それから富士吉田や都留の神社をいくつか見てきた。
そのなかで上暮地と言う所にある「山ノ神」は素晴らしかった。
小さい神社だけど、古式ゆかしい。雰囲気が抜群だった。
おかげで一日中、良い気分で過ごせた。
540 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 21:19:36
age
>>538 >ただ、格式アップして武蔵国造家から独立したというより、
>やはり婿に入ったと考えるのが自然。
同じことでしょう。婿を迎え入れたから、受け入れ側としては
父系の系統がそれまでと切れるわけで、それまでの本家の支配から抜けることになる。
いや関係はきれないまでも、格式においては一方的に分家という上下関係はなくなるでそ。
542 :
509:2005/05/20(金) 00:38:48
>537=529
まあ、大して変わらないけど、俺が言いたいのは、
宗家を継いだんじゃないかという事。
氷川神社は武蔵氏の宗廟なのだから、
その祭祀を行うと言うことは宗家になったということ。
繰り返すが、このことは修験が入るまで当たり前だった。
宗家の地位は別に父系にこだわる必要はない。
歴史的に見ても娘がいるのに、傍系の男系に宗家が移っているのは
皇室と将軍家ぐらい。地方豪族ではめったになかったと思う。
以後の歴史を見ても娘婿に後を継がせた例はいくらでもある。
だから、独立と言う表現は合わないと思う。
543 :
509:2005/05/20(金) 01:06:55
だから、前に公文書に出ている名前が問題だと書いたが、
日下部氏出身だろうが、多治比氏出身であろうが、
当時は婿に入ったのだから武蔵氏を名乗っていたと思う。
だけど、官位をもらう時等は皇統に近いほうが有利なので
多治比等の名前を出したに過ぎないんだと思うんだ。
分化して行く一族を束ねるには官位は有効だったろうからね。
または当時の慣例として。
たとえば毛利元就だって公文書には「大江」と書いている。
だから朝廷の記録等には武蔵氏の名前は絶えて久しかった。
ところが「将門記」など、民間による記録だと
将門と武蔵氏の交流が記されている。
少なくても10世紀まで武蔵氏は豪族として
健在だったことがわかるんだよね。
時代が下れば、子孫だって考えることは同じ。
田舎豪族の子孫より、少しでも皇統に近い方がかっこいいと思って
天皇につながる系図を書かせたんだろうと思うよ。
>>542 ごめん。根本的なまちがいとして、氷川神社じゃなかった。
氷川はスサノオでしょ?
天之日鷲命を祀ってるとこだよ。名前忘れた。
世に日本史、古代史マニアは多いのに、
何十代も続いているはずの社家の歴史について述べた
本やHPがほとんどないのがすごく不思議。
自分はめちゃくちゃ興味あるんだが。
546 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 22:20:06
明治に社家制度が廃止されたのは何故?
547 :
509:2005/05/25(水) 14:39:38
>537=529
>天之日鷲命を祀ってるとこ
そうゆうことね。
酉の市をやってる所だね。
俺が以前、住んでいた目黒にもあったな。
大鳥神社もそうだよな。
日枝神社は違ったかな?
いずれにしろ、東京都区部に多いのかな?
時代が下って「官が」の力が強まると
地域の血族関係より官位のほうが重要になってくるからね。
血が薄くなると、本家の威光が薄れ、
分家が独自路線を歩むのは世の常か。
分家が独立するさい、よく使うの手が
婿に入った中央の名族の名前を使って官位で本家の上に立つこと。
本家と分家の争いでは大義名分的に分家だと分が悪いからね。
信州の諏訪氏(神氏)と金刺氏の関係もそう。
548 :
509:2005/05/25(水) 14:54:10
ところで
地方豪族と中央氏族の関係について・・・。
平安期の奥州、安部氏や清原氏の一族構成(血縁関係)
をみると、当時(古代)の様子が垣間見れて面白い。
安部氏は「官が」の有力者である源氏や藤原氏を婿にして
栄華を誇っていた。
中央に対しては婿で懐柔しているが、実態は安部氏の同族経営。
また、清原氏にしても同族名簿を見ると、蝦夷っぽい名前ばっかり。
549 :
日本@名無史さん:2005/05/25(水) 23:56:12
>546
国家神道は日本の帝国主義との絡みで批判されるが、ここから
みてもろくなもんじゃないことがよくわかるな
550 :
509:2005/05/26(木) 03:25:29
>546,549
俺はこの件に関してはズブの素人なんだが、
これは国家神道とは関係ないんじゃないかと思う。
明治政府の理念に基づいているんじゃないかな。
と言うのは、社家はそれまで世襲で、ある意味、武士と同じ特権階級。
武士と同じように、才能や意思のみではなれなかった。
だから、身分制度の廃止の一環として廃止されたんじゃないかな?
大名でさえ、その地位が保証されなくなったのだから、
社家だけ特例とするのは無理がある。
ある意味、理想の具現と言える。
しかし、神道の本質を考えると複雑な思いがあるよな。
(※俺は神道を宗教と思っていない。精神文化・民族文化だと思う。)
551 :
546:2005/05/26(木) 21:16:50
実際には多くの社家が生き残っていますけどね。
その一方で何故か公家の子孫の多くが有力神社の要職についています。
自分も国家神道は嫌いです。
552 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 14:54:57
俺はある村(武蔵国)神主の子孫w
『新編武蔵風土記稿』に吉田家(京)の配下って載ってる。
553 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 15:43:14
公家の家司がいるからかな?
554 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 20:17:14
早速のレスありがとね。吉田家は全国の神主に裁許状を与えて支配してた。
もちろん例外はあるけども、武蔵国でも鷲宮神社の大内氏(鷲宮村の領主)とかでも吉田家
の配下だった。
555 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 00:38:39
鴨脚氏ってどうなの?
556 :
秦公:2005/05/29(日) 22:39:20
>>552
社家の歴史をぜひ聴かせてください!
557 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 20:29:13
552・554だけど、歴史といっても小さな神社の社家だったからね…。神道裁許状も残ってないし、
明治以降は神社の祭祀から離れたようで、伝承も全く残ってないんだよね。
それと、他の社家よりも小土豪的な要素が強かったようなので、その影響がかなりありそう?
遠祖は武蔵七党の○○党の出自かな?はっきりとはしないんだけど。
558 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 02:11:20
何党ですか?
559 :
日本@名無史さん:2005/06/04(土) 00:04:14
何党かを書いちゃうとまずいなあ。発祥地に結構近いところだし…、ごめんなさい!
まあ、触頭(ふれがしら)クラスの有力社家だと、坂戸市の大宮住吉神社の社家があるね。
勝(すぐろ)氏だったっけ?この家は村山党かな。中世以来の名家だね。
村山党は平姓だけど、本当の出自は何だろう?武蔵国造??
560 :
日本@名無史さん:2005/06/04(土) 23:16:32
ふれ、すぐりって渡来系?
561 :
552・554:2005/06/11(土) 00:13:23
寺社奉行⇒触頭(有力社家)⇒触下(一般の社家)
村山党系図だと、山口家俊ー家恒ー恒高ー頼高(勝呂氏)
鷲宮神社なんだけど、江戸期の社領は400石で埼玉県内の神社では最も多く、格式も高かった。
でも、今の県内で知名度はそれほど高くないかも?鷲宮高校の野球部の方が有名かもね。
埼玉栄・大宮東のお膝元w、大宮氷川神社だと社領300石で、更に社家が三家あったしね。
てか、埼玉ネタばっかで埼玉人だってバレバレだなw
神道裁許状(『坂戸市史』から)
北武蔵十二郡勝呂郷惣社山大宮住吉大明神之神主高麗伊
勢守源重家、任先例神事祭礼之時、可着風折烏帽子・紗
狩衣、且下神官已下先例之通可令其沙汰者、 神道裁
許之状如件、
宝永六己丑年三月廿六日
神祇管領長上従二位侍従卜部(吉田)朝臣兼敬
勝呂(勝)氏は南北朝の頃から、大宮司(神主)職を世襲するようになったみたいだけど、
天正五年(1577)、大宮司になった右京進重吉は、高麗神社の高麗氏から養子に入った
人で、慶長七年に苗字を勝から高麗に変えてる。高麗氏は源姓。
562 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 01:24:03
明治時代に廃止されたけど、社家として続いている末裔の末端
神道裁許状らしきものならウチにあるでよ
よーわからんが、江戸時代初期のものだ。
神道裁許状と呼ぶのかもしらん。
吉田家と北白川家か?
可着風折烏帽子・紗
狩衣、且下神官已下先例之通可令其沙汰者、 神道裁
許之状如件、
というような部分は読める。
ただ、花押が読めん!
ただ、官位がデタラメ。そういうのが流行したらしい
備前守か播磨守@@というくだりがある
こんな中部のド田舎の末端神社の社家が「@@守」のわけがない!
源@@@**(現姓)なんたらとあるが、どーも怪しい。
戦国時代の時にはもう神社自体はあった。
563 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:06:36
>>562 葬送の事でお聞きしたいんですけど、葬送は仏葬ですか?神葬ですか?
うちの旧社家は、江戸期からずっと仏葬なんだけどね。(旧)村内では古い墓石が
最も多いんだけど、無縫塔の墓石に権大僧都、院号、法印とか刻まれてるのも
いくつかあって、修験との関係を感じさせる。
江戸時代に神葬の場合、神主本人は神葬でも、その家族には許されずに仏葬かな。
神職の官位は、吉田・白川家とか公家の伝奏を受けて、○○守とか○○頭とかを
称してたから、例えば戦国期に地侍(小土豪)が、○○守とか称してたのとは違うかな。
吉田・白川家から、位階・烏帽子・狩衣の許状を受けてたのが、江戸時代に幕府公認の神主
ってわけだけど、神主は各村々に居たわけじゃなくて、その数は結構少なかった。
武蔵国の場合、横浜市域とかは少なかったと思う。
『新編武蔵風土記稿』に、橘樹郡平村の熊野社社家・小泉信濃が記載されてるんだけど、
「近村神主の少きゆえ、何れの村にても祭事あるごとに、信濃に託して今の俗に用ゆる所の
十二座及び五座の神楽を行へり」、ってある。
564 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:01:32
地方の小規模な神社なら何代も続く社家が今でもあるだろうか?
565 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 18:36:01
流れ豚切りゴメンナサイ。
日本三代実録に出てくる、筑前国田心姫神、端津姫神、市杵嶋姫神についてご存知の方いませんか?読み方もわからないので神名帳でも調べられずに困っていますね。
携帯から失礼しました。
567 :
552・554:2005/06/16(木) 21:27:46
>>563、名前入れ忘れた
宗像本土(玄海町)の辺津宮に市杵嶋姫神(いちきしまひめがみ)、筑前大島の中津宮に端津姫(たぎつひめ)神、
沖ノ島の沖津宮に田心姫(たごりひめ)神が祭られていて、三神をあわせて三の女神(みはしらのひめかみ)と
いうそうですよ。この三社をあわせて宗像大社という。
568 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 23:54:04
age
569 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 17:23:50
ありがとうございます!
570 :
552・554:2005/06/21(火) 22:31:21
>>564 世襲の社家は明治四年の太政官布告で廃止されたから、一旦は途絶えたけど戦後になって再び
神職となって世襲してる家なら結構あると思う(宮司に限らず)。
あと、明治に修験が復飾して神官になったのが多いけど、経済的に苦しくて辞めてしまう場合が
多かったらしい。まあ、スレ違いだけど…。
大宮氷川神社は三神主家の一つ、東角井家(物部姓)が宮司だと思うけど、明治には途絶えてた。
鷲宮神社の旧社家・大内家は戦国期、鷲宮城主で小田原北条氏滅亡後、神主職に専念した。
以下、『鷲宮町史』から
鷲宮社は社領四百石、武官を兼ねた神職として三十挺の鉄砲を所持することが許された。
道中万石以上の格式による「四ツ供」の供立備えを許されていた。
鷲宮神主は例年正月六日には葵の紋付時服で江戸城に登城、独礼席で将軍に御目見えを
仰せ付けられる慣例にあった。
571 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 22:42:38
古代豪族が地方の社家になった例って多いのかな。
572 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 12:48:24
既に他の人が書き込んでるけど、気になるので質問させてください。
須佐神社の須佐氏に関してはあまり記録がないのかな?前の人の質問も
ほぼスルーされているけど確かスサノオの末裔でしょ?なんでマイナーなのかな?
須佐氏は出雲国造家に対抗すべく、須佐国造をデッチ上げたような気もする。
574 :
552:2005/06/29(水) 20:19:07
>>571 島根県大田氏の物部神社の金子氏は石見国造の後裔だよね。
同社は石見国一ノ宮で神階は従四位下。江戸期の社領は300石。
金子氏は元男爵。いまは社家じゃないのかな??
島根県益田市の柿の本神社の社家は
人麻呂の家来の子孫だそうだ。
福岡の大宰府の味酒家は道真公の随行者の子孫。
三菱銀行元頭取の伊吹さんは伊吹神社の社家の子孫。
577 :
552・554:2005/07/03(日) 22:38:48
江戸時代の武蔵国で最大の社領(500石)を有してたのが府中の六所宮だった。
六所宮=大国魂神社(東京都府中市)
この神社の神主家・猿渡氏なんだけど、小田原北条の家臣で佐江戸から府中に
移ってきたので、社家としての歴史が古い家ではない。
猿渡氏は江戸城代の遠山氏との姻戚関係が深く、八王子城で討死(1590)した
猿渡盛昌の後は、江戸城代遠山景政(政景)の子・景次(のち猿渡盛道)が継いだ。
578 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:21:16
ものごとにはやはり格ってものがあるから
宮司家の婚姻は今もそれなりの格の家同士でやるらしい。
筑後の田舎に水田天満宮というのがあって、それなりに大きな神社。
宮司は不在だったが奥様が出てこられて我々が東京から来たと言うと
非常に懐かしがっておられた。府中の大国魂神社のお生まれとか。
579 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 08:47:44
近くに小さい神社があって、そこの社家とは親しく付き合っている。
そこの神主さんは学校の教師をしていたが、神主のほうが儲かると言って
教師を辞めてしまった。
その神社自体は明治になってから、修験者だった曾祖父さんが創建したもので、
歴史は浅い。しかし、講(こう)を作って熱心に活動している。
だだ、宗教色は薄くて、講にしても親睦団体と言う感じ。
580 :
552:2005/07/27(水) 23:24:35
修験だけど…、西戸村の山本坊
本山派修験の先達・山本坊(相馬氏)は、25世徳栄が明治に復飾して神官になったが、
結局は帰農したらしい。
山本坊と旗本の加治氏(丹党加治氏の後裔、250俵)には姻戚関係が見られる。
加治左右衛門次郎の娘が山本坊の妻になってる。
【修験】・・・・本山⇒先達⇒霞
581 :
三社祭:2005/07/31(日) 15:30:18
浅草神社に葵の紋章があるけど御神体は?徳川家を祭ってるの?
これから社家を造れるの?
583 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 23:29:09
突然ですが、大分由布院の六所宮の立川家について教えて頂けませんか?
現在76代目だそうなんですが。
584 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 20:52:55
age
585 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 23:54:43
「まんまんちゃんにあんしいやぁ」
586 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:17:52
age
587 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 15:25:53
これだけの古い家が残るのは日本だけ?違う?
588 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 21:57:06
あげ
589 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 19:03:34
チョン囚人の作った靖国神社は燃やして、
東軍のみを祀る追悼施設に作り変えるべき!
590 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 19:31:20
チョン囚人の作った靖国神社は燃やして、
東軍のみを祀る追悼施設に作り変えるべき!
591 :
006:2005/08/30(火) 20:21:13
意宇一族とは何ですか。
592 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 03:43:12
age
593 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 04:46:00
>>191 上社では現在皇室等にまつわるお祭りをしているが、陛下が訪問されたのは下社の方だ。
だからちょっと?
594 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 08:50:07
>>235 詳しく調べた方がいいと思うけど・・・・
神武の子以来だからな。
595 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 21:29:12
江戸時代の社家はもともと普通の村人の一人だったのか?
596 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 00:08:01
age
597 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 00:49:09
出雲ー千家・北島 出雲大社
紀伊ー紀 日前神宮・国縣神宮
阿蘇ー阿蘇 阿蘇神社
摂津ー津守 住吉大社
大和ー大倭 大和神社
因幡ー伊福部 宇部神社
石見ー金原 物部神社
隠岐ー意岐 隠岐玉若酢神社
伊勢ー度会 豊受大神宮
伊予ー三島 大山祇神社
http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20050902/K2005090200301.html 出雲大社北島国造家第79代出雲国造の北島英孝さん死去
北島 英孝さん(きたじま・ふさのり=出雲大社北島国造家第79代出雲国造)が1日、内臓疾患で死去、80歳。
通夜・葬儀は近親者で営む。告別式は9日午後1時から島根県出雲市大社町杵築東194の出雲教祖霊社で。
喪主は孫大孝(ひろのり)さん。自宅は同市大社町杵築東194。
出雲国造(こくそう)は、出雲大社の祭祀(さいし)をつかさどり、南北朝時代に千家、北島の2家に分かれたとされる。
現在、北島家は大社に隣接する北島国造館で神事を営んでいる。
00年11月に亡くなった英孝さんの妻洋子さんは、天皇陛下のいとこ。
599 :
552:2005/09/03(土) 10:07:50
>>595 村神主クラスでも、中世以前から代々社家だった家もあるし、在地土豪が江戸期になって
祭祀権を握った場合もある。修験が社家になった場合も多いと思う。
ウチの先祖は土豪色の強い神主だったけど、村内での力の弱かった神主もあるし色々。
江戸後期になると、有力農民が許状を受ける動きも見られた(身分秩序の崩壊は社家にも起こった)。
何にせよ、吉田家他から裁許状を貰うのにも金が掛かるから、近在村々の農民の負担になった。
600 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 22:55:52
ウチは綿貫の選挙区だが・・・
601 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 19:20:44
うーん、ついにネタ切れか・・・
602 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 21:48:35
603 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 13:23:00
はあ?
604 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 18:03:38
605 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 20:59:35
お岩さんの子孫もいるらしいな
606 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 14:27:48
落ちそうだからネタ振りage
・宝暦10年(1760)、六所宮の祭祀組織
神主(猿渡)⇒禰宜(織田氏)⇒社家(鹿島田、忠善寺、田村、佐野)⇒社人、宮役
(他に社僧)
※社家(在庁官人の末裔)以上が神職身分。
607 :
日本@名無史さん:2005/10/17(月) 15:00:56
age
608 :
552=606:2005/10/26(水) 23:29:26
誰も来ないけど六所宮ネタage
「禰宜」の織田氏は、猿渡(遠山)氏よりも社家としては古いらしい。
ただ織田氏の血筋は猿渡氏に移ってるので、禰宜織田氏=猿渡氏と同族になる。
六所宮の社職でいう「社家」とは神主、禰宜に次ぐ身分で、「庁官」とも呼ばれてる。
「庁官」という呼称からも、社家としての古さが窺われるかも。
社人、宮役は身分的には百姓なんだろうな。
609 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:31:39
猿渡って本当は古いんじゃないの?
>>609 系図だと鎌倉期以来らしいけど、実際は戦国期以降の世襲神主みたいよ(
>>577)。
猿渡氏の嫡流は北条氏と運命を共にしているから、婚姻関係の深い江戸城代遠山氏から
養子を迎えて家を存続させている。その為、江戸時代には遠山姓も名乗っていたようだ。
その土地での権力を失えば祭祀権も喪失する事にもなるから、小田原北条氏が在地勢力を
駆逐して、北条家臣の猿渡氏が祭祀権を握ったという事だろうか?
武蔵国で神領NO1は日枝神社に訂正。六所宮はそれに次ぐ約554石。
611 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 21:22:58
天照大神は日の神ではなく水の神ではないか
名前: 日本@名無史さん
E-mail:
内容:
天照大神と縁の深い神社は水の神を祀っているところが多い。
「あま」てらすおお「み」かみ、と雨と水とも読める文字が入る。
有名な岩隠れの神話も台風の話と考えると理解しやすい。
「(台風がきそうなので)天照大神は大きな岩の戸の奥に隠れた。
(すると台風が直撃して)天地が暗黒になった。
そして神々はうなり声をあげた。(草木が暴風雨によって大きくしなり大きな声をあげた)
八百の神は、あめやすのかわら(雨矢の河原)に集まりお祈りした。」
612 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 20:41:24
落ちそうだage
旗本の大岡(岩槻藩大岡氏もあり)、神尾氏は社家出身らしいね。
大岡明神って何処にあるんだろう?
数字コテ外すか・・
613 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 23:09:18
何で神社仏閣板に立てへんの?
614 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 00:59:02
>>613 お望みどおり寺社板に同じスレを立ててきてやったぞ
満足か?
>>613 普通に日本史なんだが?
1 :日本@名無史さん :03/01/30 20:51
吉田神道、紀、阿蘇などの国造家、
あるいは賀茂氏と徳川の関係についてなど、、、
神社総合スレ@日本史板でつ、、、
近ごろ日本史板だけじゃなくてどこの板でも仕切り厨が痛すぎる。
明らかに板違いのスレを乱立する厨はもっと痛いが。
でも、まさかこんな過疎スレにも襲来するとはねえw 暇か2chヲチ専業かどちらかだな。
しかも頼まれもしないのに勝手に他の板にスレを立てて結局共倒れになると言う傾向も似ている。
密かに香具師らは2chつぶしの北の国から来た隠密じゃないかと疑ったりしているのはマジ
617 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 13:44:16
618 :
《暴力的羊》ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/11(日) 14:11:02 BE:140826274-##
//
_//
/ ||_ノ __________________
\/// ̄\ /
|> <_> \ | 靖国神社における遊就館は無罪なる戦死者を冒涜
く\___| < するものであり、すべての責任はA級戦犯のみにある。
|∇ \ | 東京に核が落ちますように!
\__/ \
|≧||≦ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
軍事経済で得られる成果は賭博と同じ原理である。
軍事経済そのものは以前にも述べたように、殺戮と破壊そのものであるから、我々のアイデンティティーとは対比するものである。これは経済においても同じである。
もし、それで戦利を得たとしても、戦争によって生じたリスクは新たな戦争の可能性を必ず招く。
よって、この戦争によって生じた泥沼のような連続的なリスクによって,戦利もまた賭博にかけられたお金のように増減を繰り返す変化に過ぎないのである。
それはまた同時に、軍事費という参加費を積み重ねなければならないので、結局は破綻するのが自然なのだ。
軍国主義は殺戮と破壊を侵しておきながら、正義を主張している。
そしてもうひとつ、蔑ろにされている重大な問題がある。
軍国主義は我々のアイデンティティーを抑圧しているのであり、結果的に軍事力のその抑止力が機能していないのである。
>>616 ルールを守らず常識の無い人達→日本人
ルールを守り常識を持ちましょう→北の国からの隠密
自分達がルールを守らないことを指摘されると正義感のある奴は日本人じゃないって考え、なんでなの?
秩序を大事にしたりモラルのある人は日本人じゃないって考え、なんでなの?
620 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:25:42
ウホ
621 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 14:13:09
★★ 古代朝鮮人は、日本に移住していない ★★
朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
朝鮮人は、古代日本に一人も移住していないのである。志良岐・任那・久多良は 倭人の国だった。
また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、半島に『輝かしい先進文化』なるものは
存在しなかった。高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。 先進文化ウンヌンという話は、
日本人に対し優越感を持ちたい朝鮮人の妄想が生んだ フィクションである。
そもそも、日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人)
が移住しており、日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していたのだ。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準の
レベルに差があった、などということはありえない。ふつうに考えれば分かることである。
たしかに、古代ヤマトもカラ半島南部も、大陸文化の影響を受けてはいる。
しかし、ヤマトとカラに文化的影響を与えたのは、越地方の越人(倭人)と帯方郡の漢人であって、
朝鮮人ではないのだ。古代朝鮮人は『先進文化』を持っていなかったのだから、ヤマトやカラに
文化的影響を与えるわけがないのだ。無いものは与えようがないではないか。
622 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 15:24:44
age
石清水の新善法寺氏や北野天満宮の松梅院みたいな一族も社家になるの?あれは坊官?
何れも社家でよろしい
625 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 17:16:11
age
626 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 12:22:11
社家は士族になれるの?
627 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 14:08:54
姫路の広峯神社は、鎌倉幕府の御家人だった。
628 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 14:10:05
【『嫌日流』まとめサイト】
http://homepage3.nifty.com/hakch/ マンガで描かれている日本人の顔と朝鮮人の顔がおもしろい(W
目が細く、目尻が吊り上った、一重マブタの、着物を着ている女二人組が
日本人だという。
1)目が細い
2)目尻が吊り上っている
3)一重マブタ
これらの特徴は、朝鮮人の顔に見られるものなんだが(W
逆に、マンガに登場する韓国人の女たちは、二重マブタ(笑)で、
目が大きい日本人顔で描かれているよ。
よく、
「韓国人が、日本人について語っていることは、すべて韓国人自身に
当てはまることだ」
と、言われるが、ニセ嫌日流は、まさに日本人と韓国人の容姿を逆転させて
描いているんだよな(笑
韓国人は、いつも、事実を真逆に語る(描く)よな。
嫌日流が日本で出版されたら面白くなるね(笑
629 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 17:41:52
・
★★ 朝鮮民族の先祖はワイ族だった!! ★★
最近、韓国人が宣伝している歴史観は、韓国人=フヨ人説に基づいた『騎馬民族征服論』である。
満州地方に住んでいたフヨ(扶余)民族が、朝鮮半島に侵入し、半島南部に新羅や百済を建国し、
さらに対馬海峡を渡って日本列島の先住民(日本人)を征服して、古代ヤマトを建国したという説。
『2ちゃんねる』の日本史板や考古学板を中心に、この説を宣伝している。
もちろん、すべてデタラメであるが。
朝鮮人はフヨ人ではない。フヨ人の子孫でもない。フヨ人に征服された民族が、朝鮮人である。
高句麗およびその後継国=渤海国はフヨ人の国である。また918年に建国された高麗もフヨ人の国である。
そして、フヨ人とは満州民族であって、朝鮮民族ではないのである。
朝鮮人は、韓人(カラビト=倭人)でもない。
朝鮮民族の先祖として、もっとも可能性が高いのは、穢(ワイ)族である。
このワイ族は、現在の韓国の江原道地方(ソウルの東方地域)に住んでいた少数部族であるが、
高句麗が楽浪郡=帯方郡を滅ぼした313〜314年頃に南下して、日本領=シラキに移住した。
後に、高句麗と手を組んで稲飯命の子孫である志良岐王族を虐殺し、王権を簒奪して志良岐を
乗っ取った金奈勿(キン・ナブツ)も、ワイ族であった。
おもしろいのは、韓国の歴史学者や政治家たちは、朝鮮民族の先祖について語るとき、フヨ人や韓人に
ついては積極的に語るが、このワイ族については語ろうとしないことである。
おそらく、韓国朝鮮人は、自分たちの先祖がワイ族であることに、うすうす気づいているのだろう。
ワイ族のワイ(穢)には、「汚い」「ケガレている」という意味がある。
このような名前の部族が朝鮮民族の先祖だとは、認めたくないのだろう。
彼らは、楽浪=帯方郡を支配していた中国人から、そのように名付けられた部族なのである。
朝鮮民族は、けしてフヨ人ではないのである。
もちろん、倭人=日本人でもない。
ウィキぺディアなどで、朝鮮人の工作員が、
「ワイ族は扶余族だ。ワイ族が改名して扶余族になった。高句麗人も百済人も、
みんなワイ族だ!日本人もワイ族だ!」
と、宣伝しているが、大ウソなので、騙されないように。
630 :
日本@名無史さん:2006/02/21(火) 20:23:19
朝鮮人の主張
「高句麗が滅亡した後、高句麗人が1800人くらい日本に移住した」
実は、高句麗人は一人も来てない。旧帯方郡出身の倭人だけが日本に来た。
いわゆる狛人(コマ人)と呼ばれた倭人たち。
高句麗人は日本民族の敵だったので、大和朝廷は、高句麗人の日本移住を
認めなかった。だから一人も来ていない。
これが正しい歴史。
↓↓
★★ 和漢同盟と百済建国 ★★
4世紀(西暦300年)以前に成立した
日本と楽浪郡=帯方郡の同盟、いわゆる和漢同盟について。和漢同盟があってこその
百済建国である。
反高句麗で同盟していた、大和と楽浪=帯方郡。
和漢同盟が基礎となって百済が建国されたという事実から推測するならば、百済はやはり倭人国家か。
百済が、最初は、日本領・任那の北部地域に建国されたという事実に注目してほしい。
任那とは、日本国の第十代大君=崇神天皇が建国した、あの任那だ。任那は、志良岐の西側に、
広大な領土を持っていた。
中国の自治領である楽浪=帯方郡の南方にあった倭人の二つの国、それが志良岐と任那である。
任那から分離して誕生したのが百済。最初は駒国(狛国。コマ)と呼ばれていた。
楽浪=帯方郡が古代日本人から「コマ」と呼ばれていた点に注目してほしい。
百済が任那領内に設置されたコマ(楽浪=帯方郡)の亡命政府であった事実が見えてくる。
西暦313〜314年、高句麗の攻撃によって、楽浪=帯方郡が滅ぼされた。その時、コマ(帯方郡)の役人や
武将、民間人等が、難民となって任那に流入したことは容易に想像できる。
百済とは、大和朝廷が日本領=任那を守るための防波堤として、帯方郡の漢人・倭人を援助して
計画的に建てた人工国家なのだ。人工国家という意味では満州国に似ているが。
631 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 00:21:42
凡河内国造だっけ
上賀茂神社と貴船神社の確執について詳しいことご存知ありませんか?
HPに掲載されている話で終わってしまいまして。
何故に支配関係ができたのでしょう?
633 :
1:2006/03/21(火) 13:08:20
同名すれ、神社仏閣板にも立てていい?
634 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 13:58:14
立てました
636 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 16:41:06
637 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 10:41:05
age
638 :
日本@名無史さん:2006/04/25(火) 13:54:55
639 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 06:40:39
やっと大杉が解除された。
まだあったのか、このスレ。
保守人の方、ご苦労様。
640 :
日本@名無史さん:2006/05/23(火) 02:23:06
斎部氏の子孫って各地の神社の宮司さんになって結構残ってるんだな。
641 :
日本@名無史さん:2006/05/23(火) 05:09:52
忌部、紀氏だろ、そりゃそうだろうね。
神社建造し始めた最初の頃の豪族だもの
そしてホロンだ軽々しくいうけど本家が本職で滅んだだけで
通常そういう繁栄した貴族の子孫は大量に子孫増やしてるよ。
642 :
日本@名無史さん:2006/05/23(火) 05:52:42
日本の神社を宗教施設と考える西洋史観には無理がある。
643 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:16:46
最近のコンクリート神社はいかがなものか
>>641 ホロンだとか言って馬鹿にしてる椰子が
馬鹿にしてる豪族の部民の子孫だったりする。
645 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 11:01:52
.┌━┐ ┌━┐
┃┌╋──╋┐┃
└╋┘ └╋┘
┃ ・ ・ ┃ ┌━━┐
●━╋┐ ┌╂━━━━╂┐ ┃
└━┷┴━━╂┘ └╋━┘
同じスレにはコピペ ┌╋┐ ┌╋┐
できるけど、違う ┃└╋╋━━╋╋┘┃
スレにはコピペでき ┃ ┃┃ ┃┃ ┃
ない不思議コピペ ┃ ┃┃ ┃┃ ┃
└━┘┘ └└━┘
646 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 11:03:37
647 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 15:36:16
出雲大社の社家は天穂日からでてるが、
天穂日と大国主は同一人物だからだよね。
書紀でも一説で大国主は、天照とスサノオの子となってるのに、
神社に天照の子供として、何処にも祀られてないからね。
>天穂日と大国主は同一人物
?
649 :
日本@名無史さん:2006/06/23(金) 16:33:46
>出雲大社の社家は天穂日から
天照るが大国主の親は書いてあるかな?
しかし他の神社でも、祭神と社家の系図が合わないけど、あれやっぱり可笑しいね!
普通なら先祖を祀るのが当たり前なのに、幾ら世襲でも傍系の神を祀るものかな?
少なくても記紀の上で、天穂日の父はスサノオだから、真実味を感じるよ。
>先祖を祀る
厳密には逆。祖先を祭神に結び付けた。
651 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 14:20:58
>>650 649です。どうしてでしょうか? 創建が新しいから?
古い神社の多くが古墳やモニュメントですが、
今の日本人も死んだら直ぐ墓参り始めますよね。
そうゆう意味では、死=祭祀だと考えますが。
ご指摘は別の意味でしょうか?
墓参りは仏教だろう。
祭祀の起源は自然神信仰で、
おそらくその派生が祖先祭祀。
古墳時代において祖先祭祀があったか
どうかは、研究者の間でも論が分れる。
653 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 16:29:26
>>652 自然神に大国主等の神々が重なったと仰りたいのでしょうか?
そうですね、私も重なった事は否定できません。
ただ何故重なったかに注目してください。
しかも何故祖先神以外を祀るのか?
もし自然神に大国主が重なったとしても、
それはきっかけにはなりますが、
総ての理由とは言えないと思います。
天穂日と大国主の接点の説明が出来ないからです。
654 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 23:42:22
age
出雲国造神賀詞は読んでる?
656 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 15:46:45
657 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 01:30:14
とんでもない素人が来たね。
古い神社のご神体は全て古墳。
このことは少しでも古代史の知識がある者にとっては周知の事実。
自然神を祭ったのは、後に朝廷の命を受けた修験がしたこと。
部族社会を抹殺し、中央集権社会を築くため。
nn na mu tya ku tya na
>>657 えっ、えっーーーーーーーーーーーーーーー
660 :
657:2006/07/04(火) 01:49:13
>天穂日と大国主は同一人物
面白い仮説だね。
俺も、今まで一度も考えたことなかったけど、
言われて見ると、可能性は否定できない。
日本書紀では、大国主は1人と言う説と、5人(5代続いた?)と言う説を列記している。
俺は5代説を支持しているが、その内の一人の可能性はあると思う。
また、天穂日の子孫が、大国主を上祖と考えていることは間違いないと思う。
そういえば、記紀に描かれた大らかな大国主像が、
なぜか、人のいい天穂日の人物像とダブるんだよね。
661 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 01:57:53
aho降臨
662 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 23:39:50
なんかおかしな説がチラホラと・・
664 :
日本@名無史さん:2006/07/05(水) 16:19:41
>>657 >>660 >自然神を祭ったのは、後に朝廷の命を受けた修験がしたこと。
>部族社会を抹殺し、中央集権社会を築くため。
? 修験は坊主ですよね。しかもこれどこからでた話なの?
666 :
657:2006/07/06(木) 02:19:58
天穂日=大国主
これについては、決定的な証拠は求めようもない。
よって、状況証拠を積むことで考えてみる。
@出雲は「女系相続→婿が王位を継承」だった可能性がある。
例)スサノオ→大国主(初代?)
A天穂日は大国主の婿
B天穂日は最強勢力である大和の王子で、人望がある。血統・人格、共に申し分ない。
C天穂日の子孫である出雲氏、武蔵氏や土師氏は大国主を祖廟の主として奉っている。
これくらいかな。
こうみると、天穂日=大国主もありえなくもないかなと思えてくる。
667 :
567:2006/07/06(木) 02:41:48
古い神社のご神体は全て古墳と書いたが、
少数だが例外もあるので、訂正する。
と言うか、こうなると、厳密には神社の定義まで、ここで話さなくては行けない。
それは面倒なので、おいとく。
例外は出羽の大物忌神社、それから、たぶん浅間神社も。
その他の式内社(奈良期以前からった神社)の起源は古墳・墓域。
ただ、奈良期以後、移設されている神社も多い。
社家に修験が入った所の多くは、祭殿の場所を移されている。
また、平安以後、その土地に縁もゆかりもない領主が封じられた場合、
真っ先にしたことは、神社の移設。
ただ、社家が力を持っていた所は免れている。
668 :
567:2006/07/06(木) 02:54:55
>664
修験は坊主だけど仏教徒じゃない。
「修験道」と言う、全く別個の宗教。
修験は神社の軒先を借りて母屋を乗っ取ったようなもの。
今では「古神道」と称した修験の解説本まで出ている。
その過程は、このスレのどこかに、俺が書きこんだことがあるから、
暇だったらロムってくれ。
ちなみに修験の3大聖地は熊野の大峰山(本山)、出羽の羽黒山、筑紫の彦山。
本山は別として、他の2つは、中央集権に最後まで抵抗した勢力の聖地。
669 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 11:12:37
日吉大社のご神体は、比叡山。
670 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 14:20:45
>>666 当時の相続は末子相続ですよ。(モンゴル系相続)
これでややこしい相続は解決しますよ。
それから出雲も畿内も九州もおなじです。
例えば大国主は別名で他に登場しているのです。
これは神社伝承を幾つも調べるとわかりますよ。
671 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 09:12:55
別名で他に登場していると言うよりも、各地域で信仰されていた土俗の神が、
大国主の名に飲み込まれたのではないだろうか?
弘法大師が実際には行ってない地域に、弘法大師伝説があるようなもので。
672 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 12:56:03
>>671 たしかにありえますね、
だけど大国主を祀る集団が移動した方が自然だと思います。
各地域で信仰されている土俗の神が、同じような物が多いですからね。
大国主と一緒に土俗の神を持ち込んだから、
大国主も土俗の神も各地で同じになるでしょうね。
673 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 15:50:15
明治の神仏分離のような、国家による全国規模の宗教への干渉が、
古事記や日本書紀、風土記の編纂の段階で行われたと思う。
674 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 15:53:12
大国主系土俗の神は、八世紀以降「記・紀」神により封印された。
「記・紀」神は、編纂者らの作り出した即席神
675 :
657:2006/07/07(金) 22:19:21
>669
古い神社は山をご神体にしている所が多いよね。
有名な所では、大神神社のご神体の三輪山、
春日神社のご神体は春日山、
関東では武蔵二の宮の金讃神社のご神体の御諸山(御嶽山)。
これらは、山そのものが墓域。
大神神社、金讃神社は拝殿のみで、本殿(祭殿)すらない。
弥彦神社、厳島神社も、元はそれぞれ弥彦山、弥山がご神体だったが、
後に、ご神体が鏡等にすり代わって、祭殿が立てられている。
宮城の塩釜神社などは、拝殿がいつのまにか本殿になって、
本来のご神体の山は削られ、埋め立てに使われてしまったという例もある。
修験が社家に入ると、こうゆう事も起こりる。
676 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 23:02:43
>>675 弥彦は古墳だから、山が御神体じゃないよ。山頂と、境内に二つもある。
あと大神神社は、九州からの移設だから、急場凌ぎで作らなかったんだよ。
春日大社の元宮は、牧岡神社、それよりもまだ先祖があると聞くよ。
あとは解らないけど。神社は寺よりも古い信仰だから、
古墳やモニュメントか移設後のもぬけの殻だと、考えた方がいいよ。
677 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 23:30:26
神社という形式は、寺があったから出来たものだと思うが?
布留川、布留山
七支刀
石上神宮(布留御魂神社)
石上並松
布留今道
教祖中山w
679 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 23:46:45
古墳は仏教じゃ作らない そして神社は古墳に建つ
680 :
日本@名無史さん:2006/07/07(金) 23:55:45
神社と言う建物は、寺と言う建物の後に出てきたのでは?
681 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 00:00:20
自然信仰否定の古墳厨
683 :
657:2006/07/08(土) 06:33:28
>弥彦は古墳だから、山が御神体じゃないよ。山頂と、境内に二つもある。
だから、山全体が墓域
>大神神社は、九州からの移設
それは違う。筑紫にある大和との類似地名は、岩井の乱の後、
大和から入った物部配下の大量の移民が大和を偲んで付けたもの。
同名の神社も同じ。ここでは詳しく書かないが、九州のほうが新しい。
>神社と言う建物は、寺と言う建物の後に出てきたのでは?
たしかに拝殿等の建物は、仏教の壮大な建造物に習ったものだが、
神社とは、本殿、拝殿とかの建物のことはない。
社とは「目的を持ってつどう」と言う意味。
会社とは、社屋や本社ビルのことではなく、組織のことを指すのと同じ。
>自然信仰否定の古墳厨
別に自然信仰がなかったといっているのではないよ。
神社の起源はちがうと言っているだけ。
別の形では当然あるし、修験が横行してからは、自然崇拝起源の神社(戸隠神社等)もあるが、これらは本来の神社ではない。
名前は神社でも、本当は修験道の施設。
684 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 09:22:27
播磨の伊和大神は自然崇拝だったと思う。山は墓地ではなく、神の居住地。
淡路島のいざなぎ神社は墓地。古墳の上に本殿が建てられている。
685 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:21:30
>>657 大神神社は僅かしか置かれなかった、飛鳥の都の鬼門神社で、
都が直ぐ移動したから、本殿を造りそこない、山をご神体と偽っただけ。
飛鳥の都の遺跡が、ろくな物が出てこないのは、
大神神社が不満足な形態をなす事と同じ事です。
だから山が御神体などと言われる神社は、
移設や分祀で、いわばご神体が無いのです。
弥彦は古墳があるのだから、山が御神体ではありません。
間違えないように。
686 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:33:27
瀧がご神体の那智大社は?
687 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:36:26
由緒が無い
688 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:38:10
卒論の時に、此処のスレッドを知りたかった・・・。
まさか、自分の家の話がこんなに出ているとは。
とても面白く読まさせていただきました。
ものすごくマイナーな家柄だと思っていたので、ちょっと嬉しいです。
689 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:47:59
690 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 10:59:18
創建317年は、嘘?
691 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 11:02:55
信じるものは救われる。
692 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 11:06:40
>>691 これ結局神武絡みの熊野だから、古めにしてあるけど、
神武絡みの神社で本当に古いとこなんて僅かだよ。
第一式内社にも入ってないんだよ。
693 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 11:39:46
那智大社が載ってないのは、当時の政治的理由から来てるようだ。
694 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 11:52:13
式内社に入ってない、式外社は多数あるから、
入ってないから新しいとは、必ずしも言えない。
695 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 13:00:12
>>694 それなら無視される程度の神社です。
瀧がご神体で、式外社なら、
条件が揃いすぎてアウトです。
696 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 13:03:51
「式内社」で、検索を。
697 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 18:13:12
自然崇拝起源の神社が本来の神社。
記紀神話・風土記でも読んで下さい。
698 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 20:09:22
那智大社が、無視される程度の神社?
上皇の御幸は?
699 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 21:10:14
>>698 あなた那智大社が、御幸に預かるのは、都からの方向ですよ。
太陽信仰の国を理解しなければなりません。
神武の神話でも、わざわざ南から、大和に攻め込んだでしょう。
神武以前に何も無かった場所ですよね。
日の昇る處に伊勢、真南の最頂点に熊野、これが、畿内の都の作り方です。
しかしこれは九州の王朝の真似でして、
これを太宰府に移すと、宇佐と高良となります。
ですから熊野3社の那智大社は、九州の当時の祭祀を続ける為に、
祭祀の場所としてのみ、機能しているのです。
700 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 21:29:56
熊野って、水への信仰なんだけど。
701 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 23:33:50
>>700 そうです、熊野は水です、神武が遡った、十津川です。
しかし那智は、瀧ですから、一段と格が落ちます。
熊野3社の最低の格ですよ、調べて下さい。
,、
//
///) 英語版wikipediaを見たことがあるのか!
/,.=゙''"/ _,r'三 ̄`ヽ、 竹島は韓国人によってdokdo(独島)に書き換えられたのだぞ
i f ,.r='"-‐'つ /ヘ/" ゙̄\,ミ\ Liancourt Rocksという名前があるにも関わらず!
/ _,.-‐'゙~ ,! 、!r r。-r ミ i
,i ,二ニー; ドツ ヽ ̄ fハ, il 奴らは「ラスク書簡」を無視し、一方的な
ノ il゙ ̄ ̄ l ー-_゙ ,、/ / 李承晩ライン以降、竹島を占拠している。
,イ「ト、 ,!,! ゙! )二」゙ ,!i Y
/ iトヾヽ_/ィ"___. ヽ.t _/,! i 韓国人は英語版wikipediaで都合のいい意見を書き続け
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/ ゙''y' l .i 、 l !.j .l l 「,> ( \ 人
703 :
日本@名無史さん:2006/07/08(土) 23:58:01
704 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 00:02:22
誰でも書き込めるようなトコに、そんなに真剣にならなくてもいいんじゃないの?
オレは、AAなんて描けない。(700)
705 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 00:10:27
間に受け返事あやし
706 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 11:00:31
瀧だから格が落ちるって、理由がわからん。
707 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 11:38:44
>>706 神社御神体の基本は古墳! あなたはいつものお馬鹿さん?
708 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 18:06:55
age
709 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 20:07:55
熊野本宮大社は、川の中州にあったんだよ。
そんなところに古墳を作ると思う?
710 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 20:25:11
紀伊熊野はからっぽです。 何度いったら解るんですか!
>>699
711 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 20:48:59
宇佐の創建は、725年。
那智の創建は、317年。
712 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 20:49:50
奴は仏教も知らない奴だろ
713 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 00:01:53
714 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 00:29:26
715 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 21:06:41
>>711 この創始年については、冷静に考えれば直ぐ嘘だと解ります。
那智は記紀至上主義による、後押しで自称です。
宇佐は記紀至上主義による、規制で押さえ込まれています。
創始年代は多分逆さまです。
記紀でも、宇佐は景行紀にみられますが、
那智は十津川にもからんでませんから、
無記載の自称です。あと他の資料に記載がありますか?
しかも宇佐は725年以前の由緒もある。
那智には、目立った由緒が無い。
道鏡事件は那智にはありません。
地形も那智の僅かな平地で、どれ位人が住めたか疑問だが、
宇佐は広い平野部にある上、その奥の山間地でさえ、
かなりの人口を養える。
あとは
>>699等を参照ください。
貴殿の前からのレスをみるとかなり浅はかな主張ですが、
実際に行くなり、調べて主張すべきです。
716 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 21:29:17
大宰は、吉備にもあった。
717 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 22:58:14
宇佐は、外来の神だ。
718 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 14:55:18
それをいったら 日本人総て外来だよ。
719 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 15:07:07
>>715 貴方が逆さと、称える宇佐の由来が語られ或は成立したのは何時?
全て「記紀」の後ではないですか?
720 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 15:17:49
東大寺造営の部分を読むと、宇佐の渡来系色の強さを感じる。
721 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 20:52:30
>>720 当たり前です。神の下に仏がいますから。
722 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:50:44
神に下に仏がいるって、八幡神は僧侶の姿をしているのだが?
723 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:00:52
724 :
日本@名無史さん:2006/07/12(水) 13:44:16
宇佐の由来を記した文書は、記紀以前にどんな物があるの?
725 :
日本@名無史さん:2006/07/12(水) 15:50:15
726 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 12:08:53
阿蘇や諏訪は戦国期には武士化してましたが、
紀伊等のほかの国造家はどうしてました?
727 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 15:26:09
728 :
657:2006/07/19(水) 00:51:36
しばらく日本を離れていたら、過疎スレから脱却したね。
>大神神社は僅かしか置かれなかった、飛鳥の都の鬼門神社
時代認識がメチャクチャだね。大神神社は飛鳥時代よりずっと古い。
記紀には、崇神が奉ったと書いてあるし、
大神神社の禁足地からは、飛鳥以前の出土物が多数出ているんだが。
>飛鳥の都の遺跡が、ろくな物が出てこない
これは、都が短期間だったからではなく、
平城京に、すっかりそのまま移設されたから。
日本書紀にも書いてあるし、発掘調査でも証明されている。
>弥彦は古墳があるのだから、山が御神体ではありません。
弥彦の祭祀遺跡は古墳時代より古い。
つまり、以前から墓域だった所だから、古墳時代には古墳が造られた。
神社の原型は古墳が出来る前からあったと見るべき。
間違えないように。
729 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 01:06:04
物部や蘇我もこのくくりですか?
730 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 01:06:31
>>728 何処の外国に行ってたの?お里が知れるけど。
>大神神社の禁足地からは、飛鳥以前の出土物が多数出ているんだが。
当たり前だろ「移設」の漢字の意味が解らないの?
反論だったの?みっともないから消えろ!
731 :
657:2006/07/19(水) 01:12:33
>瀧がご神体の那智大社は?
熊野は解釈が難しいんだよね。
那智大社のことは良くわからないが、多分689が書いているように新しい。
那智の滝は修験の重要な修行地だから、
おそらく修験がらみで格が上がった神社。
修験がらみの縁起は捏造が常識。
>熊野本宮大社は、川の中州にあったんだよ。
そうなんだよね。元の本宮は川原の砂利の下だ。
だけど、これは拝殿。本来は祭殿はなかったと思う。
と言うか、熊野本宮大社の祭殿は、背後にそびえる玉置山の山頂にある玉置神社らしい。
つまり、本当は玉置山がご神体だったのが、後に、すり代えられたと見るべき。
熊野古道のパンフに書いてあったが、今でも、熊野本宮の最も重要な行事は玉置神社がらみのものらしい。
732 :
657:2006/07/19(水) 01:37:07
>宇佐の由来を記した文書は、記紀以前にどんな物があるの?
宇佐一族の当主が、世襲の際、口伝されてきた門外不出の歴史を綴った本がある。
続編と合わせて読むと良い。
筆者の解釈の部分は、どうかと思うところはあるが、口伝の部分は本当に衝撃的。
筆者がただならぬ人物であること、
執筆に至った経緯と、本その物の内容を見る限り、
かなり信頼できると俺は思う。
少なくても、巷のとんでも本とはレベルが違う。
この本に宇佐神宮と厳島神社の創建にまつわる秘話が書いてある。
733 :
日本@名無史さん:2006/07/19(水) 14:06:30
>>728 >日本書紀にも書いてあるし、発掘調査でも証明されている。
どうゆう発掘調査の証明したの?何も出てこないのが?証明じゃないよね?
>神社の原型は古墳が出来る前からあったと見るべき。
何を根拠に?
>かなり信頼できると俺は思う。
どうして信頼できるの?
思い込みがかなり入ってませんか?
734 :
657:2006/07/20(木) 00:34:56
>どうゆう発掘調査の証明したの?何も出てこないのが?証明じゃないよね?
建造物の礎石は残っている。礎石以外の柱とか、上の部分は移設されている。
当時、木材は不足していたし、壮大な建造物に使えるような大木は、そうそうなかったんだろうね。
しかし、こんなこと、少し歴史に詳しいやつなら、皆知ってるだろう。
というか、ただの突っかかり相手に議論している俺が悪いのか・・・。
735 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 01:55:53
>神社の原型は古墳が出来る前からあった
未だに池上曽根の高床建物を神殿とか逝ってる人ですかww
737 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 20:36:45
>宇佐一族の当主が、世襲の際、口伝されてきた門外不出の歴史を綴った本がある。
>続編と合わせて読むと良い。
なんて本?
738 :
657:2006/07/23(日) 22:06:34
>なんて本?
正確な題名は忘れた。
「宇佐神宮社家の伝承」みたいな、
わりとストレートな題名だったと思う。
宇佐家伝承古伝が語る古代史
宇佐公康著 木耳社 1988.5
これか?
740 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 09:11:39
竹内文書みたいだな。
741 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 15:58:42
あまり画期的な事書かれてなかったぞ、
飛ばし読みだったが。
742 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 21:18:52
式内社=大和朝廷の管理下に有る神社
天孫系 天皇をはじめとする初期の国造り
天神系 藤原をはじめとする外来系
地祇 その他
『新撰姓氏録』氏族一覧2(第二帙/神別)
743 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 21:30:23
住吉は白木系なのですばらしい
745 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 22:49:56
五年辛卯(かのとう)春正月、天八意(アマノヤツココロノ)命、其の子、手力雄(タチカラヲノ)命と倶(とも)に信濃(ノ)国に降り、
親(みづ)から吾道(アヂノ)宮を建てて居ましけり。手力雄(ノ)命、戸隠(トガクシ)山に遷り、親から巖窟を営みて居しけり。
六年壬辰(みづのえ)春正月、天(ノ)八意(ノ)命、手力雄(ノ)命、倶に内に参りて、以(もつ)て天皇に謁して、其の状を奏す。
天皇、乃(すなは)ち祭供を設けたまひけり。
746 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 23:03:10
戸隠が式代社に載っていない
747 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 01:19:35
天神(菅公ではない。日本で謂う天津神)を祀るのが宮。
地祇(同じく国津神)を祭るのが社。
それを踏まえて、天孫系の大きなものを神宮(伊勢内・外宮、鹿島・香取)、それ以外の大きなものを大社(出雲、諏訪)と呼称したのだろう。
しかし時代が下がるにつれ曖昧になり、天孫系を含めて式内"社"制度が出来たり、例えば氷川社を大宮と呼んだりした。
抑、"神社"という呼称も間違いである。神宮と祇社に分けるべき。
みや=御屋
やしろ=屋代
749 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 12:59:10
750 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 13:04:33
>>739 口伝も確かに含まれてるけど、かなり思い込みによる作品だね。
新説珍説数あるけど、あんまり証拠から作られてないよね。
今立ち読みしてきました。
751 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 19:15:49
大木は、有ったけれど切り倒して運ぶのが大変だった。
さらに ホゾ穴の加工 使いまわしは、戦国時代の城でも同じ。
752 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 20:40:25
なんだこの意味不明な書き込みの連発!
確かに一つ一つコメントする気にもならん。脳みそ割って調べたいな。
755 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 23:43:50
宇佐家伝承古伝で気になったのは、古のみやこは備中と書いてあった、さてどうだろう?
何時ごろ備中なんですか?あまり近い時代には考えられないからね
たしか紀元前だけど良く覚えてない。
いわば記紀みたいな時間設定だね。
758 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 17:56:32
紀元前じゃ問題外だな
759 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 08:34:19
記紀に影響はかなり受けているけど、
口伝は貴重かもね、
吉備は確かに何かありそうだし。
760 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 09:16:31
吉備にも、大宰があったからね。
電波に満ち満ちたスレだなー。頭痛くなるw
>>761 お前電波本の話で、電波だと?通じないから、言い直して・・・はいどうぞ
763 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 00:31:03
電波本なのか
字よめね奴いるな
766 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 18:09:21
age
768 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 15:38:12
太宰って旧首都だったんじゃね
出先の職名じゃろ
770 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 20:00:07
総督のようなもんじゃないか?
太宰って治?
ちゃうちゃう
773 :
747:2006/08/01(火) 11:13:48
>749何故?漏れは>747だけだよ…
774 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 00:06:08
忘れてたけど
宇佐家伝承古伝でさ、面白いのは、
宇佐と厳島と宗像の順で、
宇佐家が作った神社なんだと、
なぜか平氏と源氏の神社とも、
宇佐家が作った話なんだよ。
775 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 11:04:00
宇佐は、桃太郎に退治された鬼の残党が作りました。w
776 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 12:28:29
あんたいつもの電波男か?
777 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 15:43:50
備中に、古の都があった。w
たとえば越前守が奈良の神社の宮司になるような
任地?と神社が遠いことって結構あることなんでしょうか
時代は江戸時代だと思います
江戸時代になれば官名は関係なくなるよ。
賀茂でも越中守やら伊予守の社家がいるくらいだから。
>>779 そういう例が何例もあったので変だなあと思ってまして。
ありがとうございました<(_ _)>
奈良の神社の神社史を見ていたら、越前守という宮司や伊予守という宮司の名前をみつけました。
越前や伊予の守なのに奈良の宮司って変じゃない?これで普通なのかな。
時代は江戸時代だと思います。どなたかわかる方がいたら教えてくださいませ
という質問でした。
783 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 13:46:52
○○守は幕府御用達の無実の肩書きだろ。
大名も職人も貰ってたから、
宮司が貰っておかしくないだろ。
いったい何が疑問なんだ?
>>783 無実の肩書きなんですね。職人さんももらってたのか
アリガトン
一宮の社家って身分的にはどのあたりになるんでしょうか
また、名字は持っていたんでしょうか
786 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 09:06:29
多賀神社かっこいい
>>785 何時の時代だ?
苗字が無い社家あるのか?
この程度直ぐ検索できるだろ。
>>787 時代は平安〜江戸と広いです
検索で名字は出ましたが、公式なものなのかちょっと疑問だったので…
俸禄や所領で調べればいい。
>>789 ありがとうございます。図書館行って調べてみます
791 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 15:46:49
辛島氏とか宇佐氏も、秦氏だよ
辛島=韓嶋勝
宇佐=宇佐国造
社家ってほとんどが神様の末裔か豪族なんだな
天皇の末裔が多いんだけどね。
795 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 18:42:48
記紀じゃ、殆ど活躍しない神の子孫が、国造になってるのってオカシイデスヨネ?
記紀に登場しない地方神もありうるだろ
記紀自体が信憑性に欠けるような
国造本紀も信憑性に(ry
終 了
799 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 23:19:32
大山祇神社は、日本総鎮守だってさ。離島にあるのにね。
800 :
日本@名無史さん:2006/08/12(土) 09:13:25
よく解らない時代だから、吹いた者勝ちだな。
>>800 799です。
吹き専門で生きている方は、
さすがに悟ってますね。
でも僕はソースたっぷりです。
だからちっとも吹いていません。
802 :
日本@名無史さん:2006/08/13(日) 00:19:35
>>800 どれが吹いた者勝ですか?
説明して下さい!
803 :
日本@名無史さん:2006/08/13(日) 18:38:51
神社が。
806 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 08:56:42
口伝が、歴史的資料になるのか?
807 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 11:42:55
>>806 史書の多くが、口伝を途中記録した物じゃないのか?
どこに口伝じゃない歴史資料があるんだよ。
808 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 12:56:17
>>806 またプラム大先生だな、突っ込まれそうな事解らないのかな?
809 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 10:07:54
吹いてないと、信じるしかないんだね。
810 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 20:39:23
>スサノオは、黄泉国に行く前に、姉のアマテラスに別れの挨拶をしようと天上に昇る。
>スサノオが天に昇るとき、海は轟きわたり、山も鳴りひびいた。このあまりの猛々しい登場ぶりに、
>アマテラスは、スサノオが国を奪いに来たのかと男の姿で武装してのぞむ。
★日本神話におけるアマテラスとスサノオの関係★
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1067010993/148-150 古代日本の二大勢力、日向族と出雲族の戦争が、神話に投影されている。
>スサノオの行いがひどかった。
>アマテラスが機殿で神衣を織っているところに、屋根に穴を開けて皮を剥いだ馬を投げ入れるという
>スサノオの暴挙に対し、それまで我慢していたアマテラスもとうとう怒る。
>アマテラスは天の岩屋戸に閉じこもり、世界は暗闇につつまれてしまう。
スサノオが日本神話の中で、アマテラス(日向族の神)を困らせる悪神にされているのは、
この神話を書いた日向族が、ツクヨミのエピソードを、スサノオのエピソードに書き変えた
せいでもあるが、戦勝部族である日向族が、敗戦部族である出雲族の神=スサノオを、
神話の中で意図的に悪役として描いたためである。
アメリカ軍占領下の日本で、日本人を悪者扱いする<歴史教育>が行われたのと同じことである。
811 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 12:46:58
日本の神様って総て同族だよね、
記紀でも、神社伝承でも、
ほぼ血縁で繋がるんだよ、
祀り方とか、殆ど同じだから、
否定の余地は無いね!
ついでに墓である古墳までもが、
全国ほぼ同じでしょ、
これは、古墳時代を治めていた人達は、
全国的にほぼ同じ習俗をもった人達だった証明だね!
それなのに、出雲王朝とか、日向族とか、
戦国時代みたいに、別けたがる人が多いよね、
ソースも無しに不思議だよ!
別族の出雲と日向がなんで同じ墓なのかね?
無視だけがたよりで、妄想しているよね。
812 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 02:34:54
もし、阿蘇や諏訪が信長や義満みたいな立場になったら、
天皇家との関係はどうなったかな?
813 :
日本@名無史さん:2006/09/10(日) 21:00:22
>>812 いつもの妄想の人だね
君に付き合う奴はいると思うのか?
814 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 10:05:52
>古代日本の二大勢力、日向族と出雲族
の墓が同じ古墳なのは何故ですか?
天孫にも何故古墳があるのですか?
815 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 20:10:43
かわいそうだから
プラムに突っ込むなよ
816 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 11:52:44
あの〜
国造って、
どう読むんですか?
こくぞう
くにのみやつこ
818 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 12:11:15
○こくそう
大○さん間違いだよ!
819 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 13:59:06
あの〜
社家って、
どう読むんですか?
ググればいいと思うよ
821 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:43:26
四代前の先祖が神官で名前が「蔵人」だったのですが、これも幕府にもらった
無実の肩書きなんでしょうか?それとも朝廷系?ずっと先の先祖の役職と関係あるでしょうか?
822 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 22:48:09
823 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:11:13
無知は分かったから教えていただけませんかねぇ?
824 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:25:51
自分で調べろ バーカ
4代前と言われてもw
名前は名前だろ
827 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:40:11
なに威張ってんのこいつらw?お前らどうせ大した生まれでもないし学者でも
ないんだろw?分からないから偉そうにしてんだろうがw。低脳ども。
828 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:41:32
かわいそうだから
プラムに突っ込むなよ
829 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:54:39
822 :日本@名無史さん :2006/09/23(土) 22:48:09
>>821 無知な奴
こういうことを自信たっぷりに書いている人もいるし、実際詳しい人も
いるようなのに結局は2ちゃんにありがちなしったかぶりですか?
畑違いの人間が低姿勢で聞いてるのにどういう口の利き方なんだ、こいつ。
俺にそんな口を利くなら博士号くらいもってるんだろうな?
830 :
日本@名無史さん:2006/09/23(土) 23:58:57
816 :日本@名無史さん :2006/09/18(月) 11:52:44
あの〜
国造って、
どう読むんですか?
で、こういう質問には親切に答えている。何考えてんだw呆れて物も言えないな。
831 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 00:06:17
そのわりに連投してるね
832 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 10:04:50
あのさ自作自演で、他が解らん妄想で進められると、すっごい邪魔なんだよな!
833 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 13:08:25
君は何が妄想だと思ってるわけ?自分がわからないから逆ギレしてるだけなんだろう。
ガキなんだろうけどあまりにも幼稚だな。
俺だって父方は綿密に系譜を辿れるけど、母方の祖母のほうにはっきりしない点がある
そもそも蔵人と言う名前は神職に多い気がするんだけど、どういう関係なのか誰か知らないかと
思っただけなんだけどな。歴史専攻でもないし、一般にそう学者が興味持ちそうでもないし。
実際に社家の子孫とかはここにいないのかな。学問にも社家にもご縁のない、マナーの悪い
奴ばかりなのか・・。
とりあえず時代と蔵人でググレば
835 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 15:59:46
>>833 まぁ、荒らしだよね。
江戸期
京から裁許状を受け、任官した者が正式な神主、あるいは禰宜など。
神道裁許状⇒官位・風折烏帽子・狩衣
>>816 の質問を見て思い出した、そこはかな疑問。
「くにのみやつこ」は
「国の御奴」であって、
「国の宮つ(所有・所属の「つ」)子」ではありませんよね。
いかがでしょう。
838 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 02:08:44
>>836 なるほど、いわゆる「吉田官」というやつだったのですね。ありがとうございます。
うーん。。母方たいしたことないなぁw
839 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:29:39
>>816 関東では「くにのみやつこ」
関西では「こくぞう」
と聞いたけど、ホント?
>>838 概ね社家だった家は維新で没落してると思う。
なので、そう考えるのも仕方ないが。
苗字帯刀身分の豪農でも、公的な文書では苗字を名乗れないのが普通。
社家は吉田家など配下なら当然名乗る。地元の郷土史読めば名前あるかもよ。
公的文書で苗字を名乗れる身分だから苗字帯刀じゃないの?
842 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 20:46:47
>>833 >ガキなんだろうけどあまりにも幼稚だな。
貴方は口語と文語の区別がつかないの?
知らなくても普通の人は徐々に覚えるけど、
どうも使い方を覚える意義を持たないんだね。
貴方の文章の区別は簡単だよ。
ちょっと煽られただけで切れてるようだしガキと言ってる本人がガキなんだろう
生暖かく見守ってやれw
844 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 21:15:19
口語と文語
本当に知らないんだねw
845 :
日本@名無史さん:2006/09/30(土) 21:23:28
こいつはいつもの有名人だよ!
この有名人は最近流行の、
自分の優秀さに気が付いてくれ症候群だよ。
でも周りのみんなは
君の馬鹿さに気が付いてくれ集団だけどね。
>>837 「みやつこ」というのは「宮ツ子」。神を祭った宮を世話する人。
国造はその土地の神を祭る。伴造はその技能職能の司掌神を祭る。
847 :
837:2006/10/03(火) 19:47:28
なるほど、勉強になりました。
ありがとうございます。
>>848様に「電波じゃない説」を披露してもらおうか
>>846様に「電波じゃない説」を披露してもらおうか
851 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 17:16:50
寺=庶務雑用をする役所、漢代に西域から来た僧を鴻臚寺と云う接待所に泊めた為、仏寺に用いるようになった。
社=中国古代の地縁的結合社会を象徴する土地神。また、それをまつる場所。
宮=国王が住む御殿
漢字それぞれの元々の意味を調べると、
現代日本の使われ方とは少し違っている事に気付く。
しかも「み」「や」と云う音は、古来日本では最上級の尊冠詞である。
国造の訓にしてもかなり可笑しい。
はたして当時、国造=「くにのみやっこ」と発音していたのだろうか?
>>846は通説を述べたのかもしれないが、
これは記紀作者による創作だと考えられないだろうか?
あまりにも恐れ多い音で呼ばれる地方役人だと考えられるからである。
この当時の氏族名には既に、
地名を冠して〜連〜縣主等が使われている事からも、疑いは強くなるのである。
封建的な上下関係の中で、上下を乱す職名も、八逆の罪とはならなかったのだろうか?
852 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 23:46:29
「や」も尊冠詞なんだ…。
853 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 01:04:19
>>851 なるほど。。。
と言いつつ「くにのみやつこ」の読みで疑問が、、、
自分は「くにのみやっこ」と発音すると思ってて、書籍に「くにのみやつこ」と書いてある場合は旧仮名使いだと認識してたんだが、
テレビでハッキリと「くにのみやつこ」と発音してるのを聞いてから、どっちがより正しいのか気になってて…
どっち?
学校ではくにのみやつこと習ったよ
855 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 01:30:14
国の御奴でしょ
856 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 02:13:54
上の方で蔵人云々の質問があったけど、マジに答えてやれよ。
蔵人ってのは、もともと令外の官で天皇の秘書みたいな役だ。これは高校日本史でも習うな。
で、幕末頃の神官だった先祖が名乗ってるとしたら、官職というよりは通称、名前だな。
もちろん神官も朝廷から官位をもらってるが、その場合、○○守みたいな受領名が多いな。
蔵人とかは江戸時代、武士の通称で使われてたから、勝手に名乗れたんじゃないのかね。
4代前とだけしか書いてなかったから明治かもしれんよ
あいまいな情報、煽られてぶち切れる
こんなの相手に出来ないよ
858 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 13:37:18
>>854 そうなのか…
しかし、「くにのみやっこ」と表記してある本もあるし…
上の方で「こくぞう」って読みも書いてあったが、使ってる人いる?
860 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 20:50:18
>>851 馬鹿以外も書き込むんだな(◎◎)
馬鹿の相手は辞めた方がいいですよ。
馬鹿がうつります。
国造田
国造本紀
>>851 もまえの個人的な電波はどうでもいいんだよ
「通説」はどうした、「通説」はw
>>853 「っ」がオッキイといっぱい褒めて貰えるのかな?
864 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 19:04:26
>>857 (あんたじゃないかもしれんが)変に煽らなきゃいいんだよ。
>>862 現在の通説が偉い奴の妄想だから、証拠つきの
>>851が電波に見えるんだろ・・・
それはお前がずれているぜ!
不思議だけどさ、偉い奴らに証拠を聞くと、みんなお前みたいに切れるんだよ。
妄想が素晴らしければそれでいいんだってさ。
だけど冷静に考えて欲しい、世間じゃ証拠無しの犯人なんて居ないって事をさ?
866 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 22:23:57
868 :
日本@名無史さん:2006/10/13(金) 23:02:54
>>865 研究姿勢に問題がある奴多いよね。
自分の妄想の方が、証拠付きの論に、勝ると思うらしいからね。
偉い奴がそうすると、下々の出来の悪いのまで真似して邪魔する。
真実までもう少しなのに、盲目な理解力の無い奴だけ増殖する・・・
869 :
864:2006/10/14(土) 00:12:17
870 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 09:20:36
>>851 >はたして当時、国造=「くにのみやっこ」と発音していたのだろうか?
>あまりにも恐れ多い音で呼ばれる地方役人だと考えられるからである。
確かに可笑しな話だね、
当たり前の通説も、改竄だと考えてもいいかもしれない、
「宮」とかは「行宮」とかでも、一度は天皇が言った場所にしか使わていない、
和名抄の地名も「宮」付きは、天皇絡みのようだ、
>宮=国王が住む御殿
の意味を古代人は守っているようである。
「みや」と言う訓は気楽に使えたとは到底考えられない。
参考までに、
「宮」+「つ」+「子」で、「つ」は接続詞であり、「天皇の子供」の意味にとれる。
「御」+「奴」の説は、古代に「やっこ」と言う使用例が見当たらないことから、
こじつけだと考えられる。
あと記紀作者は、明らかな間違いを、後世の人が解るように、
幾つも挿入している事も、申し添えておく。
871 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 09:40:53
>>870 >「天皇の子供」
は面白いですね、
ニニギの子孫とか、記紀の上では天皇の子孫以外も、
国造になっています。
だけど本当は、「天皇の子孫しか、地方の役人になっていないよ」
というメッセ−ジなのかもしれません。
実はそれを裏付ける説もあります。
いずれにせよ、不自然な訓である事は確かですね。
普通に「くにつくり」で良かった事ですよね・・・・・
872 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:12:39
出雲国造って現在まで続いているの?
873 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 13:23:56
874 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 14:43:44
神社と神宮があるでしょ、
これは
神+社 社=中国古代の地縁的結合社会を象徴する土地神。また、それをまつる場所。
神+宮 宮=国王が住む御殿
と考えて頂ければ、もう少し分りやすいと思います。
875 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 16:20:04
>>874 神宮は天皇の御殿だから、都が有ったと考えるのか?
876 :
日本@名無史さん:2006/10/14(土) 22:24:13
>>875 多分殆どの、古代よりある神宮は、
移設の可能性が高く、素直に受け取れないと思いますが。
877 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 10:40:10
>>871 面白い仮説に行き付きましたね。
しかも説得力がある。
あのよろしければ、
それを裏付ける説に興味を持ちました。
わかる範囲で、教えて頂けませんか?
848:日本@名無史さん:2006/10/04(水) 20:24:38
>>846 と
>>847 電波にお礼かよ! 作るなよ!
849:日本@名無史さん:2006/10/09(月) 00:08:24
>>848様に「電波じゃない説」を披露してもらおうか
-------引用おわり
電波よばわりしてる奴=848に対して
「じゃ、電波説じゃなくて学界の通説とやらを書けば?」
といってるわけだが。
なんで俺が学界代表みたいに叩かれなきゃならんわけ?
879 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 21:23:54
>>876 畿内に神宮が無いって事は、
畿内に天皇の都が無いって考えられませんか?
注 橿原神宮とか歴史の浅い神宮は考慮してません。
石上神宮
881 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 22:39:26
>>879 イワレ神宮とかないもんね。三輪神社とかはあるのに。
882 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 20:35:24
帝にこだわらず、神様がすんでいても 御家 と呼んでいい気もするが…。
883 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 19:51:58
>>880 畿内に代々都があったなんてナンセンスだね
飛鳥の遺跡は、都なんてとんでもないし、出先機関にも見えないよ。
何言ってるのこの人
885 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 21:30:15
古文漢文板で質問をしますと、日本史板の方が
詳しくて正確に答えてもらえると回答をいただいたので、
日本史板で改めて質問をさせていただきます。
以下の文の書き下し文と現代語訳をお願いいたします。
全くの初心者ですので、わからないのです。 お願いいたします。
事相方内傳草案之巻第十
一切成就之祓
極汚濁事毛無波、汚者不在登内外玉垣正常止啓須、
退啓、神者一滴於以天四海仁満、一粒於以天五嶽仁等須、
通力在須、今所献乃礼尊於、雖軽微止、清浄仁照納受志天、
眷属諸神達仁毛施与給天、所在乃罪咎於者、
如潮沫、如春雪、消失比給江止啓須
886 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 22:06:27
>>885 古文漢文板の方が詳しく正確に答えてくれると思うよ。
887 :
日本@名無史さん:2006/10/18(水) 23:32:27
国家神道死ね
古文漢文板から
>>885から誘導されてきているのに、
尚も「古文漢文板の方が詳しく正確に答えてくれると思うよ」と
言ってのける真性DQNに非常に笑えるw
>>885は宣命体の訓読、現代語訳だから、
俺も古文漢文板の住人達から、日本史板へ誘導されるのも頷ける。
(宣命体は通常の古文漢文とは全く違うので古神道関係に詳しい者が
来るところでないと回答が来ない)
民俗神話板の方がイイかもよ
>>889 そっちはあまり質問とか嫌がる傾向があるんじゃないか?
まあ現在の神職は祝詞を訳せたりできる能力は
求められないから無理もあるんだが。
奏上できればそれでいいだけのことだからね。
神社仏閣板とかもダメかね
だめだろうね。
この手の質問は、古神道の文献に詳しい人でないと無理。
古文の知識や神職の知識では無理と考えていい。
893 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 20:35:37
894 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 21:20:42
895 :
太国:2006/10/20(金) 22:49:52
君は例のコテ無パンか?
>>893も君だろう? 893さんも神社・仏閣では
礼があるぞ。君はそっちの板でも暴走族のようではないか?w
896 :
日本@名無史さん:2006/10/20(金) 22:58:06
897 :
太国:2006/10/20(金) 23:08:15
>>885 これは古神道というよりも平田神道の内容のような気がします。が、古神道の
範疇に入れる状況の昨今です。本来はさっとこさんという方の専門だと思い
ますな。
最下段は
潮の泡沫や春の雪の如く、消え失えたまえと申す
ということでしょうな。汚濁のものは神殿の内外玉垣の中には入場するのを
止めれ、退去ということでしょう。
神さまは一天四海の一滴の水にも、五嶽の一握りにも通力が行き渡っておられ
ますから、礼と尊敬をうやうやしくしほんの少しでも清浄と輝きを納受したく
眷属諸神にお給仕致しますから、ここのとがめある者の罪障をかき消したまえ
と申す。
と、だいたいこういう意味ですかなぁ?誤訳あるやもしれません?
では、これにて・・・。
ただの素人じゃねーかw
その程度なら誰でもみりゃわかるっつの
899 :
太国:2006/10/20(金) 23:36:17
>>898 じゃぁ、そう能書きを垂れてろ。w
昭和と平成の現在は卜事的に汚辱が強い時代に来てるのだ。だから奇妙な伝染病
やエイズ等がはびこっている。
これが過ぎればそんなんでもなくなって来る。つまり今の東宮殿下が即位され
る時代からは少しずつかような病気は減少に向かう。しかしさらに4〜6代あと、
つまり130〜132代天皇の世では現在以上にはおっかない病気が蔓延するんだぞ。
今はまだいいほうだ。
過去では崇神世に疫病の兆候が始まり、以後2〜3代は人民が苦しんだのだ。
ウソだと思うなら、紀の崇神5年の文を読んでみろ。それは疫病の始まる
リハーサルの時なのだ。そういうことで禊祓は大事なのだ。
通常の質問者にはやさしく説明すれば足りる。お前は暴走族の親分にお似合い
だから、そっちのスレでも言ったらどうだ?w お前は冥土の牛頭馬頭の役が
大似合いだな。www
また関係ない方向に話ずらしてるし・・・
おまいらのせいでこのスレ死亡しましたよ
902 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 12:46:32
>>898 ははは太国は単なるニートだよ。
自称古神道の最高権威らしいけどppp
903 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 16:40:09
>>897 >これは古神道というよりも平田神道の内容のような気がします
平田神道というよりも吉田神道では?
一切成就之祓だから。
事相と書いてるからそれで検索して君たちの図書館で調べたら
すぐ解るよ。
太国さんは平田は吉田家、白川家を掌握してたから総合的に言ったんだよ。
太国さんが最高権威と言ったらそうなんじゃないの?
お釈迦様だって唯我独尊ていったじゃない。
誘導で来たから場所わかんないし時間制限で来れないよ。ばいばぁ〜い。
905 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 20:45:23
>>904 お前も馬鹿すぎて相手できないよwww
お釈迦様と太国が一緒だとよwww
しかもなんの説明したつもりなんだ???
似てるよwww
906 :
太国:2006/10/21(土) 20:54:16
さっとこさん
平田神道、吉田神道等はさっとこさん、貴方のほうが詳しいですよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この前、神道体系をどうのこうのとそれがしがいいましたが、それはあの
コテ無パンのようなやつがちょっかいをしにやって来るだろうと読んでワザと
弱点らしきものを出しておいたんです。まぁ〜釣りのエサですよ。
案の定、あいつが能書きを垂れにエサに食いついて来たわけです。w
あいつは、猪の直進のように単純な奴なんですよ。暴走族タイプでしょうね?
907 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 21:06:50
908 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 21:32:03
太国とか@っとことかの馬鹿の来るとこじゃないよw
必死に主張しても、知識が足りないよppp
>>908幼稚なクイズを出し解いてなにを偉そうに。
対馬が危ないからととことこが書いたら政府がP3C意外にE2C、Aワックスと護衛艦数隻を
回すと報道があっただろ。
とことこも「よろしい。」と回答したよ。笑
神宮 社家 のスレか?ここは。
じゃ基本的クイズ。
>>908前にどこかで書いたけど天御中主之神から
記紀以外に氏族に続く系譜がある。有名なやつだ。もちろんわかるな?なぁ〜んだ。
千木の形がX型なのは何故が。これは知恵がいるぞ。
>>908人を馬鹿にして
君は答えられるかな?・・無理だろうな。笑
>>905釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。笑
ん?日本史板かここは。笑
>
@っとこ の文章・・・読める?
913 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 20:58:05
@っとこ?
それはニートのコテですから、読めない事が当然ですよ。間に受けない間に受けない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自治スレに帰れ
915 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 22:25:24
>>913にーとのクイズに答えられないのぉ?
引っ込んで練ったクイズじゃないんだよ。日本史知ってるなら答えてよぉ。笑
918 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:30:09
>引っ込んで練ったクイズじゃないんだよ。
意味ぅおぉしぃぅえぇぇて欲しい。
919 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:44:37
>>916それは多分・・・本当に教えて欲しくて・・・素直に言えなかった・・・のかもよ・・・・・・・・・・・・・きっと彼はきのこを食べて死ぬよ・・・きっとwwwww
920 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 22:55:19
それは
引っ込んで練る=ニート・・・ニートの習性じゃありませんか?
せいんせい。間違えていましたらご指摘頂けますでしょうか?
921 :
太国:2006/10/23(月) 22:57:40
922 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 23:07:59
太国さんは知恵があるのか・・・すごいな・・・・・・・・・・・・・きのこ好きですか太国さん。
・・・引用場辛子・・・
>釈迦はキノコを食べて死んで有名な坊さんからも「知恵がないやつだ。」と言われた。が太国さんはもっと知恵があるよ。
924 :
日本@名無史さん:2006/10/25(水) 00:06:56
太国キノコ食ってるか?
925 :
日本@名無史さん:2006/10/25(水) 21:09:32
・・・総括・・・
馬鹿レスしかできん奴くるな!
>>1は有名人だな・・・(理由は・・・)
>太国さんはもっと知恵があるよ。
知恵が無いから文章書けないのにねppppppppppppp・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
コテ無パン
929 :
日本@名無史さん:2006/10/27(金) 18:30:23
おかしなキノコ食べてないっすか?太国さん。
最近は焼き芋食ってるらしいぜ
ニートは社会貢献ゼロなんだから、神社の庭掃除にでも使えないかな?
932 :
日本@名無史さん:2006/10/28(土) 17:07:40
コンビニ店員も勤まらないらしいよ・・・
ニートはくるな
935 :
日本@名無史さん:2006/11/01(水) 00:21:36
神代〜中世までだと、総合的に見て阿蘇大宮司家が最も由緒正しい。
江戸以降はただの宮司になってしまったが・・・
現在の阿蘇家が生き残ってるのは戦国時代に宗家を裏切らなかった一族のおかげであるが(誰も知らない)
大間違いだね
出雲じゃね?
938 :
日本@名無史さん:2006/12/16(土) 14:09:46
940 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 16:13:34
>>939 マスゴミ連中の黙殺振りが怒りを倍増させる。
941 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 15:17:21
国家神道よってどれだけの神社が潰されたことか?
それなのに靖国に総理が参拝する事を喜ぶ連中が居る。
942 :
↑:2006/12/22(金) 15:45:27
ホロン部乙
943 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:15:22
古神道その他いろいろ2 他山の石 より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/ 821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
944 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 18:30:47
古神道その他いろいろ2 他山の石 より
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1160815450/ 821 :太国 :2006/10/09(月) 07:59:17
余も「神道体系」が欲しかったが、あまりにも高額となるのであきらめていた。
最初から最後まで完読は容易ではないだろうから、図書館等で見つけて必要個所
を読めば足りると考えた。当然大学の神道関係の部署ではあるはずだな。w
無理はしないことですな。それは入手可能な財力あれば購入を否定しないけど。
822 :名無しさん@京都板じゃないよ :2006/10/09(月) 09:54:00
古神道の最高権威太国様は神道体系も持ってないの?
「古事記・日本書紀」総合スレ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150629621/ 186 :太国 :2006/09/23(土) 22:14:36
精一杯だと?w 笑わせるな。 余が古神道の最高権威だぞ。
余が臥海に崩れたら、臥海に神社界は面子が丸つぶれになるのだ。
そうはならんぞ。
これだけの真を、お前は余から教えてもらってるんだから
有り難く思え。
二朝並立は、おおむね祟神の時代から文武の時代までの間だ。その間は
畿内の朝廷と九州王朝は並立にあったのだ。
824 :太国 :2006/10/09(月) 14:35:09
>>822 神道と古神道は違うんだよ。古神道の最高権威とは、最高機密『卜』を確実に
知悉することなのだ。そんなの持ってたって学者にはなれようが、こいつは
分かりはしないと想うぞ。余は神道のほうは権威者ではない。
QQQQQQQQQQQQ この人明らかな馬鹿ですよね! QQQQQQQQQQQQQ
945 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:03:27
せっかくだから常連さんになってね
946 :
日本@名無史さん:2007/02/22(木) 13:36:50
そういえば最近は神社が荒される事が多い。
昔はそんな事なかったのに…と神主さんが嘆いているってコピペが以前良く張られてたね。
何でこのスレ荒らされたんだろ
948 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 19:15:02
うーん
マンダム
950 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 14:49:46
情報求む。
以前、神社本庁だったかのHPの背景になっていた、霧がかった森の中に鳥居が
立っている場所は、なんていう神社ですか?
951 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 22:38:17
はじめまして。最近、宮中祭祀の関連から神道の歴史に興味を持つようになりました。
まだ日が浅く、神道の知識が皆無なので教えていただきたいのですが、明治時代に
廃絶してしまった「伯家神道」は出雲大社と関連があるのでしょうか?
全くの検討違い?とも思うのですが。漠然とした質問ですみません。
954 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 16:28:50
>>953 ごめんなさい。間違えました。「出雲大社」ではなく「出雲神道」ですね。
明治政府により国家神道が伊勢系で統一された事を知り、「伯家神道」が
衰退した時期と重なるようなので、何か関連があるのかなと思いまして。
もう少し調べてみることにします。
どうもありがとうございました。
弐スレ目建てました。宜しく。
957 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:26:03
風林火山に諏訪氏出てくる
959 :
日本@名無史さん:2007/06/06(水) 16:52:09
探すの面倒なので、あげとく
960 :
日本@名無史さん:2007/06/06(水) 19:05:42
ぼくは到津です
じゃあボクは公務員になる
962 :
日本@名無史さん:2007/06/10(日) 01:06:59
公務員は公僕
つまり国家の奴隷
神官は神にご奉仕する
つまり神のry
「神の奴隷」ってのは、神官じゃなく神人(じにん)だろ。
神人って神社そのものや社家に隷属した人じゃなかったっけ
神奴は賎民
冷奴は美味い
968 :
日本@名無史さん:2007/06/19(火) 04:54:24
消化不良につき、上げ
969 :
日本@名無史さん:2007/06/21(木) 15:36:34
消化不良につき、再上げ
970 :
日本@名無史さん:2007/07/02(月) 14:29:32
阿蘇あげ
971 :
日本@名無史さん:2007/07/04(水) 06:09:45
消化不良には正露丸
972 :
日本@名無史さん:2007/07/04(水) 11:28:29
金杉や内倉は理由が分かるんだけど氷川神社の岩井家ってなんでああなっちゃったの?
973 :
日本@名無史さん:2007/07/04(水) 18:01:43
岩井家がどうなったの?
住吉や紀国造のような華族になった社家と
鴨や石清水のようになれなかった社家はどこで線引きしたんでしょう?
975 :
日本@名無史さん:2007/07/11(水) 10:40:35
書評をいくつか
「神社のルーツ 血統から探る神様のルーツ」
戸部民夫 著、ソフトバンク新書を読んだ。
何というか、題名から連想する内容ではない。
内容はすべて修験以後。
よって、中世以後の各神社の伸張を理解するためには、よい書といえる。
現在の神社の名声が必ずしも社格にマッチしていない理由がよくわかる。
その点では、神社マニアには勧めたい一書。
反面、それ以前の神社の歴史については、
ほとんど触れられていないというか、著者はまったく理解していないようだ。
源流(ルーツ)を自然崇拝に求めるあたり、
修験による改ざんの思う壺にはまってしまっている。
というか、こうも無知だと、回し者のにおいを感じてしまう。
976 :
日本@名無史さん:2007/07/11(水) 13:36:02
東京都23区でいちばん広いのが明治神宮、2番目が靖国神社。
明治神宮や靖国神社は明治維新後できた国策神社で
3番目は杉並区大宮の大宮八幡宮。
977 :
975:2007/07/11(水) 20:50:54
>住吉や紀国造のような華族になった社家と
>鴨や石清水のようになれなかった社家はどこで線引きしたんでしょう?
俺もよくわからないが、以下、仮説だが・・・
紀国造等は源流が「国造」、つまり古代の大名家、
石清水等の源流は単なる神官(多くの場合、修験)なのでは。
宇佐神宮の場合、主要3家の内、
国造が源流の2家は華族になれて、
修験出身のオオガ氏はなれなかったと思う。
978 :
日本@名無史さん:2007/07/11(水) 21:39:39
到津氏とか宇佐氏?出光だったかな
979 :
日本@名無史さん:2007/07/12(木) 14:15:39
岩井家は氷川神社から別れて書道の先生になってるね
住吉の津守氏は国造じゃないだろ
981 :
日本@名無史さん:
適当に言ってみるけど、近世後期に公家から養子をもらっているから華族になれたの?