>>364 ありがとうございました。私の関心は、ざっと以下のようなものです。
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巨大な大王墓と飛鳥以降の天皇家は本当に関係があるのでしょうか?
古代の天皇は、死んだらどうなると思われていたのでしょうか?
怨霊的な、神宮の神様になる? じゃぁ、古墳は?
古墳ってのは死体を埋葬するためだけの「穢れた地」に過ぎないのでしょうか?
それならば何故手間隙かけて、あんなに壮大な物を造る必要があるのか?
死者の権力の象徴? それならば、その分の手間隙やお金を使って、絢爛豪華な神社、神宮を造ればいいのに・・・。
ひょっとしたら、神宮・神社(天皇家)と古墳(大王)は、別文化だったりしないんでしょうか?
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天皇崩御の時の信仰・・・平たく言えば宗教ですが。
(庶民の場合)神道葬式が行われるのは明治の神仏分離令以後、寺社葬式もせいぜい、江戸以降ですよね。
で、特別な血筋の場合、当然、固有の儀礼があったと思われますが、仏教式火葬は、僧道昭と持統天皇が初めですよね。
それ以前、日本書紀などに「もがり」と書いてあるのが実際、神道形式のお葬式と呼んでいいものなんでしょうか?
古事記の仲哀記に「大祓え」が出てきますから、古事記成立712年、そのもっと前に、神道が成立しているはずですが、
それをもって「神道」の葬式があったといっていいかどうか?
仮に「神道のお葬式」が古代にあったら、その「オクツキ(お墓)」を、そのまま氏神として祀った神社があり得るのでは?
極端な話、最古の神社と言われる大神神社が山がご神体というのは、超巨大な円墳に見立てての話だったりしないんでしょうか?
三輪山にはイワクラがごろごろあって、中津イワクラ、奥津イワクラ、辺津イワクラだったと思いますが、それらがオオクニヌシ、オオモノヌシ、スクナヒコに対応させられて鎮座していることになっていたと思います。
そうしてみると、「イワクラ信仰→神社」「土葬習慣→古墳」
であって、あえて別文化とか、別民族と考える必要もない気もしてきますが・・・・