戦国大名二代目

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
武田勝頼、織田信忠、豊臣秀頼、上杉景勝・・・
結局優勝者の徳川秀忠が最も優秀だったのか?
それとも隆慶一郎の描く冷酷な馬鹿か、または山岡荘八が
描いた唯一家康の思想を正しく継承した者だったのか?

武田の老臣たちも小一時間問い詰めたい。
勝頼がだめなら誰ならいいんだ?あの勇将以上の
同年代の若者が甲斐にいたか?

そして、もし信忠が生き延びていたら・・・
2日本@名無史さん:02/03/08 22:57
何をいっとるのかサパーリ分からん
31:02/03/08 23:05
要するに、戦国武将の二代目について
語ってみようってこと。
4日本@名無史さん:02/03/09 23:46
上杉景勝、前田利長は見事に家を維持した。
5日本@名無史さん:02/03/09 23:48
2代目ってどんな基準で選べばいいの?
6日本@名無史さん:02/03/09 23:50
こいつ等>>1初代だったのか。
7@名無史さん:02/03/09 23:50
大きく世に出た武将の後継ぎかな?
8日本@名無史さん:02/03/09 23:57
斎藤道三は2代目ってことでいいよね?
9日本@名無史さん:02/03/10 00:20
伊達政宗って、二代目と考えるべきなのかな?
10日本@名無史さん:02/03/10 00:35
政宗は初代(?)だろ
11日本@名無史さん:02/03/10 00:40
そもそも、いつからが「戦国大名」と呼ばれるのか はっきりとした基準があるのか?
12日本@名無史さん:02/03/10 00:42
>>11 半済を行った頃?
13日本@名無史さん:02/03/10 08:14
>>10
出遅れてるから、親父を初代ってカウントする?!って意味だと思われ。
14日本@名無史さん:02/03/10 09:41
2代目か…
え〜と、松永久通!さあ、語ろうよ!
15日本@名無史さん:02/03/10 22:29
後北条は誰が2代目?
16日本@名無史さん:02/03/10 22:53
当時の武士は家ではなく個人に仕える傾向が強い。従って先代が隠居もしくは死去すると先代の重臣たちも隠居するのが通例。
いつまでもしがみついていると肩たたきをされる。
また、戦国時代の家督相続はスムースに行き事はほとんどない。織田家したり、武田家したり、上杉家したり、伊達家したり・・・。
これは家臣が個人に仕えるからで先代重臣は取り巻きが多い嫡男より穴馬的な傍流の方が自分たちの活躍の場ができるので支持する。そのため家中を二分するお家騒動が多発するのである。
17日本@名無史さん:02/03/10 22:55
勝頼は3代目
18日本@名無史さん:02/03/10 22:55
結局、確実に二代目といえるのは豊臣秀頼ぐらいか
19日本@名無史さん:02/03/10 22:56
>>18
>>14がいるじゃないか!
20日本@名無史さん:02/03/12 22:12
徳川家康の子供たちについて少し。
・結城秀康は関ヶ原で、功績はゼロ?プラス?マイナス?
明らかにマイナスである秀忠が世継ぎになったのは、
上杉の抑えとして何もしなかったことが秀忠の遅刻以上に
マイナスだったから?それともどんな功績があっても
一度養子になった秀康に後継者の目はなかった?

・本当にあんなミスをした秀忠がなぜ二代になったのだろう。
「影武者徳川家康」説も分かる気がする。
それとも山岡荘八「徳川家康」で言うように、家康の母や
庶民の願いが種をまき、信長が芽吹かせ、秀吉が花開かせた
天下「思想」の継承者は秀忠だけで、関ヶ原の遅刻は旗本を
温存するための暗黙の作戦通りだったということ?
21日本@名無史さん:02/03/13 10:40
>>19
後を継いでいないから二代目じゃないよ。
22月と星より:02/03/23 05:17
こう言ったら身もふたもないんですけど、
二代目って大変ですよね。特に戦国時代後期はね。
1570年以降になりますと、大国になるための合戦から大国同士の戦争になり、
二代目に関わらず、北条氏政・武田勝頼・毛利輝元・長曽我部元親は、
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三人と戦わないといけなくなっていくのですが
これはもう悲しい運命としか言いようがないと思います。
機略を用いて戦うのであるなら、大国であり過ぎて身動きがとれないでしょうし、
勿論、まともにやっても勝てるわけがありません。
北条氏政は、伊達政宗・徳川家康・織田信雄をあてにして戦いましたが、
やはり、他人をあてにし過ぎた為に滅亡してしまいましたけどね。頑張ったのに。
でも、二代目と言われる人もそうでない人も、
それこそ農民にいたるまでみんな頑張っていたんですよね。
滅亡しても、家を残しても、その事じたいあまり問題ではなく、
当時の人達が命を賭けて、自分の信じた道を進んだことが、
今の私たちと比べてもかっこいいですよね。多分そういう時代なんでしょうね。
ところで、私は北条家二代目の北条氏綱はとてもかっこいいと思います。
23日本@名無史さん:02/03/23 21:51
氏政って汁かけご飯の汁の量が一回で決められなくて器量が無いって評された、
って逸話なかったっけ?
つまり、毎日やってる事なのに分からないのは頭が鈍いという意味で。
一回に入れるそばの量に悩む事がある俺としてはドキッとしたんだけど
マジの話なの?
うまくできてるからなんとなく江戸の作り話みたいな気もするけど、
氏政の限界を表してるという意味ではオモロイエピソードだという気がする・・・
最悪な2代目は、大友宗麟の息子吉統でしょう。

九州の役で救援してくれた先発隊の長宗我部信親を見殺しにして自分だけ
遠くに逃げ、キリスト教の洗礼を受けながら、禁教令でまっさきに棄教。
激しく由布院の信徒などを弾圧。朝鮮の役では、敵前逃亡して改易され、
関ヶ原合戦では、東軍につくと宣言しながら、気が変わって西軍に加担し、
黒田如水軍に粉砕される。丸坊主になって命乞いをして、常陸に流される
ラストは哀愁をさそうね。
25あのねえ:02/03/23 22:30
後北条氏の2代目は、氏綱です。
26月と星より:02/03/24 02:34
北条氏綱は伊勢新九郎の跡を継いで伊豆・相模から武蔵へ進出していきます。
当初、北条家の本拠は韮山城でしたが、氏綱は小田原城へ本拠を移しています。
当然、関東制覇を考えての事なのですが、本拠を移す戦国大名は珍しいですよ。
戦略の為に本拠を移した有名な戦国大名は、上洛を実行した織田信長がいますよね。
同じ様に上洛を考えた今川義元や武田信玄は本拠を移してないんですよ。
また、北条氏康も本拠を移してはいません。
彼の場合は、上杉謙信が関東を荒らし回りましたからね。
こう考えると、北条氏綱は新しい考えを実行することが出来る人なのかな?
ところで、北条家の歴代の当主の中で一番好きな人は、三代目の北条氏康です。
とてもかっこいいですよ。
27日本@名無史さん:02/03/24 02:53
 地味だけど上杉景勝は結構頑張ったと思う、確かに謙信は滅茶苦茶強かった
けど領国経営はてんで駄目だったから、景勝の代になって初めて戦国大名と
して成立したと思う。それに目立たないけど結構戦も謀略も上手かった気が
する、川中島奪取は有名だけど、個人的にはあの伊達正宗を出しぬいて庄内
を謀略で奪い取ったのは凄いと思う。
 ただ越中に攻め入らなかったのは、やはり佐々成政は手ごわいと判断したから
なのかな?
28月と星より:02/03/24 03:19
佐々成政、いまひとつ評価されていない武将の一人ですね。
私は結構好きなんですけどね。
でも豊臣秀吉としては、危険な人物と見ていたのかな。
肥後に追いやり失政の責任を取らせて切腹させられてしまいましたね。
そんな佐々成政に皆さん温かい目をお願いね。
29月と星より:02/03/24 04:13
あと、上杉景勝は佐々成政を手強いと判断していると思いますが、
それ以上に、新発田重家の離反が最大の領内問題で、
これを鎮圧するのに1587年までかかってしまい、
越中に攻め込むわけにはいかなかったのです。
ちなみに、1587年は九州征伐がありまして、佐々成政は肥後へ転封。
多分、越中は親豊臣秀吉派の前田利家領になったのでしょう。
そして、翌1588年に佐々成政は切腹。
他に、信濃においては、真田昌幸と徳川家康が対立。1585年、神川合戦。
ちょっと、微妙なところでしたのでしょうね。
30日本@名無史さん:02/03/24 16:46
真田信之は2代目?それとも3代目?どっち
31月と星より:02/03/24 17:12
初代を真田幸隆と考えますと、
二代目が真田信綱(長篠の合戦で戦死)。
三代目が真田昌幸(徳川家康の天敵)。
四代目が真田信之(結構長生きの人)。
こう考えますと有名な真田幸村はでてきませんが・・・。
32日本@名無史さん:02/03/24 18:05
黒田長政は良い?
33月と星より:02/03/24 18:32
良いかと思われますよ。
34月と星より:02/03/25 00:48
もし、徳川秀忠のファンの方が見てしまいましたらごめんなさい。
徳川秀忠の場合は徳川家康の築き上げた江戸幕府があったのですから、
優秀かどうかは分り難いですよね。しかも1616年まで生きて後見していましたしね
でも、ここのテーマの『二代目』としての役割を考えるととても優秀ですよ。
武将としての資質は普通かな。(本当にごめんなさい。)
ここまで書いといていまさら信用されないと思いますが秀忠は好きなんですよ。
35月と星より:02/03/25 23:39
ところで、武田家も戦国大名という点で考えてみますと、
初代が武田信虎。(信玄の父)。
二代目が武田晴信(信玄)。
三代目が武田信勝(信玄の孫)。
実は、武田勝頼は武田信勝が16歳になって正式に家督を継ぐまでの陣代と、
考えられているようですが・・・?
ああ、武田勝頼、悲運ですね。
36月と星より:02/03/26 00:34
其の二。上杉家も戦国大名という点で考えてみますと、
初代が長尾為景(この人とても上杉謙信の実父とは思えない)。
二代目が長尾晴景(この人もとても上杉謙信の実兄とは思えない)。
三代目が長尾景虎(この人が上杉謙信)。
四代目が上杉景勝(この人は上杉謙信の養子)。
こうしてみますと武田勝頼は本当に不運ですよね。(T_T)
37日本@名無史さん:02/03/26 00:47
でも、普通は二代目というのはどうしても、初代に比べれば、下に見られるので、
そこそこ頑張ればいいんじゃない?
二代目はその代わり、初代の番頭たちがしっかりすれば、大体大丈夫なはず。
二代目でつぶれるのむしろ回りの番頭にろくなのが居なかった方が問題では?
秀忠は優秀かどうかはともかく、土井利勝などの有能なスタッフがいたことが大きいと思う。
38月と星より:02/03/26 00:57
私もその意見に賛成ですよ。
戦国時代は戦国大名一人で何とかなるものではないもの。
39日本@名無史さん:02/03/26 01:00
謙信はホモ!!!
40日本@名無史さん:02/03/26 01:29
豊臣秀頼もスタッフを関が原で全滅したのが痛かったな。
三成ももう少し粘って、秀頼が大きくなるまで、粘っていれば、家康も困ったろう。
あの当時、戦争しなくてはいけない方に追い込まれていたのは、家康だったんだから。

41月と星より:02/03/26 01:30
一応お知らせしますね。
上杉謙信も実は3人の女性と付き合いがあるという説があるんですよ。
だからと言って関係があるのかまでは分かりませんけどね。
そして、だからといって同性愛者ではないとも言い切れませんけど。
でもある意味、あの時代は武家の方々では当たり前なのではないのかな〜?
42日本@名無史さん:02/03/26 01:49
上杉謙信は実は女だろ。常識だよ。
43日本@名無史さん:02/03/26 01:51
「景虎」という名前の女がいたとは思いたくないが・・・
44日本@名無史さん:02/03/26 01:55
宗教オタクのおばさんかと思うと、悲しくなるな >>謙信
45日本@名無史さん:02/03/26 01:56
玄奘三蔵法師も実は女。(←それはTVドラマ)
沖田総司も実は女。(←それは映画)

セルフ・ツッコミ。哀しい。
46月と星より:02/03/26 02:00
40番の方へ。
そうですよね。石田三成・小西行長・大谷吉継。
この三人を失ってしまった事は致命的ですよね。
ところで、私は大谷吉継がとても好きなのです。
関が原の合戦での智略は本当にすごいです。
47日本@名無史さん:02/03/26 02:04
大谷吉継は関ケ原がなくても先は短かったのでは。
48日本@名無史さん:02/03/26 02:09
>>36
 なんで為景が景虎の実父と思えないのかな?
 戦術的には強いがすぐに盛り返されるところなんかそっくりなような気がするけど。
49月と星より:02/03/26 02:09
上杉謙信は女の子?
そうするとかなり怖い人ですね。
大酒飲みの女の子・・・。ちょっと楽しいかも。
50日本@名無史さん:02/03/26 02:11
ニ代目を議論する前に。
戦国時代の「家督」というモンがよく分らないのですけど。
例えば。
信長は早い頃(安土築城前)に家督を信忠に譲って、隠居になっていたのですよね。
でもね、そうすると、清洲会議において織田宗家の家督をモメる理由が分らんのですよ。
家督は秀信に決まってるじゃん???

誰か教えてくだされ。お願いします。
51月と星より:02/03/26 02:14
47番の方へ。
そうですね。余命いくばくもないですね。(T_T) カナシイ・・・。
52日本@名無史さん:02/03/26 02:14
>>50
 秀信(三法師)が幼すぎたからでしょう。
53月と星より:02/03/26 02:30
48番の方へ。
そうですね。鋭い所を突いてきますね。
長尾景虎は子供の時に実父の為景が死んでしまっているから、
そして、あまり目をかけられてはいないようですから、
下剋上的野心が育たないで、本能的な軍神としての素質が育ったのね。
うん、納得。
54月と星より:02/03/26 03:10
50番の方へ。
結論から言えば、52番さんの言葉どうりと思われます。
織田信長が本能寺の変であのような最期をとげたとしても、
家督を継いでいた織田信忠が生きていたら良かったのですが、
ご存知のように二条城で戦死してしまっています。
また、ここで厄介な事に、三男織田信孝が山崎の合戦で羽柴秀吉と共に、
明智光秀を討ち破り功績を作ったことが問題でした。
ここで家督をめぐる争いが始まるのです。
二男織田信雄が何の働きもないのに、織田信孝に家督を取られてしまうと、
駄々をこねて清洲会議を開くのです。
さて、まだこの世は戦国時代ですから、三法師に家督を継がせるには、
危険すぎました。(色々な意味でね。)
豊臣秀頼の時のように天下統一がされていれば、
家臣一同忠節を尽くしたかも知れませんが・・・。
結果、家中分裂という羽柴秀吉の思惑道理になってしまいました。
正統なる家督相続者三法師と信長の弔い合戦に功績のある羽柴秀吉。
正統な家督相続者ではない織田信孝と功績のない柴田勝家。
決まっている事を自分の為に羽柴秀吉が作り出した
猿芝居というところでしょうか。
55月と星より:02/03/26 03:48
50番の方へ。
書き忘れました。『家督を継ぐ』なら『家を相続する』という意味です。
そんなもんですよ。
失礼いたしました。
5648:02/03/26 10:46
>>54
 ああなるほど。
 下克上的な野心の問題ね。
 為景→景虎。
 とりあえず納得。
57月と星より:02/03/27 01:52
戦国大名二代目の事がテーマですが脱線しますね。
二代目が優秀になるならないは、個人の力量で決められないと思いました。
多分、私達は歴史の結果からしか見る事が出来ないので、
今川家・武田家・長尾家・北条家の動向で考えないといけないのかもしれません。
今川義元の事情、武田晴信の事情で動いているのではなく、
今川家には今川家の事情、武田家には武田家の事情で動いていると思います。
勿論、トップの人が上手く動かすという方法も有りますけどね。
そういう風に考えますとスタッフというものがとても重要になってきますよね。
優秀なトップと優秀なスタッフの両方が揃って優秀な二代目に成るのかなと
ちょっと思ってみました。あれ?脱線しなかったね。ははは。
58月と星より:02/03/27 03:37
南から順に確認していきますが、
島津家の二代目は、島津貴久で良いでしょうか?
意見のある方お待ちしています。(^−^)
59月と星より:02/03/28 02:52
後30分位で丸1日です。意見が無いようでしたら、決定としますね。
3時37分位に締切りとしますね。よろしくお願いします。
60月と星より:02/03/28 04:07
それでは締め切りますね。
島津家の二代目は、島津貴久という事でお願いしますね。

では、今度は、肝付家の二代目は肝付良兼で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。(^−^)島津で無いから、どうかな〜?
61ぴか:02/03/28 10:35
>>60
スネオは何代目?
62日本@名無史さん:02/03/28 11:33
やはり肝付兼太さんはご子孫にあたられるんでしょうか
63ぴか:02/03/28 12:15
いや、違うと思うけど・・・
64月と星より:02/03/29 01:34
あ、すごい。島津家の時には無い展開。
更なる意見をお待ちしています。
注、今回は3時ぐらいに締め切りますね。
65日本@名無史さん:02/03/29 02:13
九州はさりげなく行きましょう
戦国九州で盛り上がると
粘着蒲池君が出てくる予感
66月と星より:02/03/29 02:29
蒲池君とは、蒲池鑑盛の事?でも粘着って一体?
如何すれば、良いのでしょうか?
67日本@名無史さん:02/03/29 02:38
>>66
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/history/1007380453/l50
このスレでね蒲池に執着して暴れとる人がいたの。
68月と星より:02/03/29 02:53
島津の所で熱く語っていらっしゃる方ですね。
有難う御座いますね。でもここ人通りが無いから来るのかな?
予定では、次回は伊藤家なのですが・・・。
69月と星より:02/03/29 02:54
あ、『粘着』の意味が解からないまま・・・。
70月と星より:02/03/29 03:30
3時になりましたので、締め切りますね。
今回は、多数の貴重な意見を頂きまして有難う御座いました。
結果発表。
肝付家の二代目は、肝付良兼という事でお願いしますね。
では、今度は、伊東家の二代目は伊東義益で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。ここは、意見が出そうですよね?
でも、粘着蒲池君の事、気になりま〜す。
九州には、まだ相良家や阿蘇家もあるのに・・・。
71ぴか:02/03/29 13:21
タフマンは何代目?
72日本@名無史さん:02/03/29 13:51


       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 冫、  <  あっそー
 `     \_____

73ぴか:02/03/29 14:26
義益って一瞬だよね
でも確かに最盛期が義祐だと思うし
しょうがないかぁ
祐兵は?
74日本@名無史さん:02/03/30 00:17
>>68
伊藤家 ×
伊東家 ○
近くの伊東家は
藤伊藤(ふじいとう)と東伊東(ひがしいとう)に非常にこだわってます
本家筋に非常に近いらしく
いまだにほとんどの人の名前に祐または義がついています
祐○の子義○
義○の子祐○
両方ついてる義祐が最盛期でしょう
75月と星より:02/03/30 02:07
73番の方へ。
そうですね。伊東義祐は1512年から1585年に生きた人ですから、
1569年に死去しました伊東義益では、一瞬にもならないかもしれないですね。
ただ、1560年に家督を継いでいる事も事実。
しかも、1560年から1569年は伊藤家の全盛期のような気がする。
あまり詳しくは知らないのでどうなのかな?
一応、3時頃に締め切りますね。
76月と星より:02/03/30 02:11
74番の方へ。
有難う御座います。やってしまってますね。
また、コメントの方もためになりました。
重ね重ね有難う御座います。(^−^)
77親切な人:02/03/30 02:15

ヤフーオークションで、凄い人気商品、発見!!!

「高性能ビデオスタビライザー」↓
http://user.auctions.yahoo.co.jp/jp/user/NEO_UURONNTYA

ヤフーオークション内では、現在、このオークション
の話題で、持ちきりです。
78月と星より:02/03/30 02:28
御免なさいね。私、ビデオは持っていないの。
79月と星より:02/03/30 03:18
3時になりましたので、締め切りとさせて頂きますね。
今回も、多数の貴重な意見を頂きまして有難う御座いました。
結果発表。
伊東家の二代目は、伊東義益という事でお願いしますね。
今回の決め手は、
家督を継いでいたという事実が勝負を決したのだと思います。
伊東祐兵も勿論家督を継いでいますが、
兄の死後ですから、ここはお家のために一歩引いて頂きたいと思います。
では、今度は、相良家の二代目は相良義陽で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
今回も無事に終わって良かった。(^−^)
80月と星より:02/03/30 03:22
追伸。
二代目の事だけしか受け付けているわけではありません。
色々な意見をお待ちしていますね。
81日本@名無史さん:02/03/30 13:50
面白い展開。
>>1の意図はよく判らんけど三戦板の似たようなスレ
その1
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1011160839/ (読めない)
その2
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1014482800/l50

二代目というのは大体のニュアンスとして、知行制への移行期世代ととってよろしいか?
82藤原三位卿:02/03/30 14:26
知行制といわれても
九州が知行制になるのは秀吉以降じゃなかったかな
特に今回の相良家の場合
上村、深見、相良等による連合国家のような感じじゃなかったかな?
ごめん豊後以外は詳しくない
ここの二代目というのは最大版図、最大勢力を築いた次の代
ということかなと思っています
Moon&Starさんはどうせすか
日向で伊東氏を取り上げたなら土持氏もと思ったけれど
あまりにマイナーで名前がわからん
83日本@名無史さん:02/03/30 23:09
やっと氏真厨の俺の出番か。
84日本@名無史さん:02/03/30 23:23
>>83
戦国板に(・∀・)カエレ!!
85藤原三位卿:02/03/31 00:09
>>83
南から一日一家で行くと今川までにはかなりかかりますよ
その上、柳川あたりに来ると例の荒らしさんがやって来るような
いやな予感がします
86月と星より:02/03/31 02:57
ただ今、帰りました。確かに今川家は、まだ先になりますね。
65番の方が書かれていました粘着蒲池君の事ですよね?
そんなに荒らしているのですか?
藤原三位卿様へ。
私も、土持親成しか知りませ〜ん。名将と聞いてますけど。
ただ、二代目を考えますと如何すれば良いのか?
あと、私個人が考える二代目の規定はありません。
島津家の様に、貴久を2代目に考えますと、
初代を忠良にするのか勝久にするのかという事に困ります。(私は、初代を忠良)
伊東家の様に、二代目が早くに死んでしまうと、
その人を入れるかどうかと言う事にも困ります。
知識も無いので、専門の方に指摘されれば、
あっさり賛成してしまうかもしれませんよ。
硬い事抜きにして、
いろんな人の見方や捉え方、考え方を勉強できればと思ってやっています。
そんなんで良いのかな〜? (ちょっと、長い文になってしまった。)

今回も、3時30分頃に締め切りますね。   
87藤原三位卿:02/03/31 03:32
ここの通りは人通りが少ないのでいまいち盛り上がりませんね
三戦板だともう少し盛り上がるのかな
88日本@名無史さん:02/03/31 03:34
>80
「だけしか〜ない」が正しい日本語。
89日本@名無史さん:02/03/31 03:38
>>87
三戦板の1は秀頼だけハミゴにするからな。
90月と星より:02/03/31 03:43
87番の方へ。
三戦板とは何でしょう?そういえば、81番の方も書いてありましたが?
88番の方へ。有難う御座いますね。確りした日本語を使わないと・・・。
気を付けますね。これからも、ご指摘お願いします。
91月と星より:02/03/31 03:45
ああ、89番の方が。
今度は、ハミゴ?何でしょう?
92 :02/03/31 03:50
>月と星より
やっぱ先代の業績がすげー二代目を中心にやった方が盛り上がりやすいと
思うが。でもって、人が増えたところでマニアックなところの話題で盛り
上がり出したら、それも良しみたいな感じで。

あと、三戦板→三国志・戦国板だよ、ガムバッテ。
93日本@名無史さん:02/03/31 03:53
>>90
初心者でっか?
87じゃないが三国志・戦国板ってのが下のほうにあるのよ。
(あそこは固定ハンドルだとたたかれやすいから 除く女性)
ハミゴ・・・仲間外れってことか。
94藤原三位卿:02/03/31 03:58
三戦版は三国志・戦国の略
ゲーオタの集い的色彩が強い
三戦板あたりから何人か来てくれると盛り上がるけど
一気に荒れたりします
今のようなマターリすぎるのも寂しいですが
荒れるのもいやですね、特に春休みですし
それと、全国的な知識を持っている人はそんなにいないのでは
私も、自分の家系を調べるのに豊後の歴史を少しかじっただけで
九州を過ぎたらついていけなくなります
95月と星より:02/03/31 04:00
92番の方へ。
あそこの事ですか。分かりました。有難う御座いますね。
え〜と、盛り上がるですか。色んな人の意見が聞けますので良いですよね。
有名なところの方が、入り易いですもんね。
96月と星より:02/03/31 04:26
93番の方へ。
はい。電話線を繋げて、まだ10日くらいです。
インターネットも今回が初めてです。
ハミゴの意味、分かりました。有難う御座います。
あ、でも、三国志と戦国時代の所にも行って来ました。
94番の方へ。
ああ、あれが荒れるというものなんですね。分かりました。
で、この全国行脚の旅は、狭く深くよりも広く浅くを目指しています。
ただ、みなさんの知識を私にも教えて欲しいと考えていますので、
あまり有名ではない家も取り上げていきます。
勿論、私も全く知らない家もありますけど、
知らないから飛ばすのはどうも駄目なんです。
知らないから知りたいと書くと、ちょっと照れますけどね。
だいたい1日で、動いてますし、有名どころも各地に点在してますから、
もう少し、この形でいってみようと思います。
でも、貴重なご意見、本当に有難う御座いますね。頑張ります。(^−^)
97月と星より:02/03/31 05:08
もう五時ですが、締切りとさせて頂きますね。
今回も、多数の貴重な意見を頂きまして有難う御座いました。
結果発表。
相良家の二代目は、相良義陽という事でお願いしますね。
ところで、ここでは二代目を決める事に、それほど力を入れていません。
それより、二代目にと考えているその人の捉え方の方が、重要と考えています。
もっと書くと、二代目の話ではなくても良い(オイオイ。)かなとも思います。
趣旨が変わりましても見ている本人が確りしていれば、
困ってしまう事も無いかな〜と呑気に考えています。
(私が、確りしているのかな?こんな時間まで起きていて・・・。)
では、今度は、龍造寺家の二代目は龍造寺政家で良いでしょうか?
有名所ですよね。
意見のある方、お待ちしています。
今回も、無事終わってよかった。(^−^)
あ、あと、三戦板の他に、ドラクエの所にも行っています。
あちらこちら行って見ますね。
98日本@名無史さん:02/03/31 05:18
2代目なんてのは国史みりゃ書いてある
99日本@名無史さん:02/03/31 07:14
>>98
そんなこと言ったらつまらんよ
100藤原三位卿:02/03/31 10:54
100GET
てのが来ないから
私がGET
101ぴか:02/03/31 10:58
ちょっと遅くなったが
http://www.cmp-lab.or.jp/~mario/index2.html
日向の国のことならここが詳しい

こんな感じで各国のオススメを見てみたい
今は肥前の話題か
102日本@名無史さん:02/03/31 11:00
秀忠はホンマに鈍やった、だから安心して跡目を譲った
寝首掻かれる心配ないもんね
103日本@名無史さん:02/03/31 11:20
お邪魔します♪私今日、誕生日なんですけど、同じ日生まれの戦国武将いたら教えてキボンヌ
104日本@名無史さん:02/03/31 11:38
戦国武将にはおらんけど、KSD理事長の古関忠男なら3月31日生まれや
あんたも気ィ〜つけなはれや
105103:02/03/31 11:49
>>104
ありがとう
106月と星より:02/03/31 17:00
>>104
ただ今、帰りました。
104番の方へ。
お誕生日、おめでとう御座います。
私も、思いつく戦国武将は出てこないです。
かわりに、あなた様が、歴史上の有名な人物になって下さいね。
注、戦国武将は難しいですが・・・。
107日本@名無史さん:02/03/31 17:07
103の人です
108月と星より:02/03/31 17:08
あ、103番の方でした。
どうも御免なさい。(TxT)
109月と星より:02/03/31 18:33
今回は、1時30分頃に締め切りますね。
110藤原三位卿:02/03/31 18:58
最近の言い方をすれば
>>103サンに、お誕生日おめでとうと言いたいと思います」
といわなければならないんだよな
素直に「おめでとう」と言ったほうが素敵なんですけどね

月星さんへ
InterNet10日でこれなら上出来ですが
2Chは魑魅魍魎の巣窟(ここでは「すうくつ」と読む)です
私は基本的にクラ板と速報版の住人ですが、2Ch初心者のころ
騙りとあおりでひどい目にあいました
安易にコテハンを使わない
むっと来る様な書きこがあったら、まず煽りと思って冷静に
アドバイスしてあげるとすればこれくらいですね
111月と星より:02/03/31 19:32
>>110
110番の方へ。
アドバイスをありがとう。(こんな感じでいいのかな?)
ただ、難しい言葉でしたのでちゃんとした意味が理解できたかどうか・・・。
もっと勉強して本当の意味が分かる様にがんばります。
112103:02/03/31 19:36
>>106-110
ごっつーサンキューな♪
歴史上の人物になるでー(o´∀`)

ええ誕生日やわ♪
113藤原三位卿:02/03/31 22:24
よそでコテハン曝してしまった(この板の書店スレ)
それにしても狙ってないのに>16,>26,>36が来た
次の>46までにねたを考えておこう
114月と星より:02/03/31 23:49
>>61
ぴか様(61番の方)へ。
今、分かりました。スネ夫、なるほど〜。
>>71
同じく、ぴか様(71番の方)へ。
こちらも、今、分かりました。
>>72
72番の方へ。
イラスト付きで有難う御座います。
あっそー、分かりましたよ。
直ぐに気が付けなくて御免なさい。
今更ですが、うけました〜。(^v^)
115月と星より:02/03/31 23:52
しまった。一人一人に書かないと駄目なんだ。
116月と星より:02/04/01 00:07
>>113
藤原三位卿様(113番の方)へ。
書店スレ、見に行って来ました。面白かったです。
『慎重』『朝日姫』『仙台』よく出てきますね。齋藤道三、素敵です。
117藤原三位卿:02/04/01 00:39
さすがに疲れた
ねた切れです  といいながらも頭の半分は考えてます
それにしてもえらい6がついてくるもので
16、26、36、46と今のところ連続ゲットです
自分的には16が一番かな
118ぴか:02/04/01 00:51
ここは本当に2ちゃんか?って
雰囲気のスレになってきましたね。
相良家の二代目は、相良義陽でいいんじゃないすか?
119月と星より:02/04/01 00:54
>>117
藤原三位卿様(117番の方)へ。
本当に46番。吃驚です。あの数々の作品の質の良さが凄いです。
120ぴか:02/04/01 01:02
今まで登場した2代目のネットでの知名度?(検索してHitした数)
島津貴久 675
肝付良兼 49
伊東義益 25
相良義陽 233

相良義陽が意外に多いですね
同姓同名の現代人でもいるんでしょうか?
121月と星より:02/04/01 01:02
>>118
ぴか様(118番の方)へ。
御免なさい。ちょっと寂しいですよね。
あ、そうだ。この場を借りて伝えます。
61番・71番を有難う御座いますね。本当に気が付けなくて・・・。
122月と星より:02/04/01 01:18
>>120
ぴか様(120番の方)へ。
今度は、知名度まで。
伊東義益、知名度25。大健闘していますよね。
相良義陽は、甲斐宗運と戦って戦死してしまっていますけど、
結構、頑張っていた人と聞いてます。知名度233、名を残してますね。
123藤原三位卿:02/04/01 01:42
わ、やっと人がいた
誰も来ないのかと思って心配した

相良家は義陽しかしらないのでなんともいえませんが
義陽は、元は上村家の人じゃなかったかなと思う
甲斐家ともかなり近い関係だったかな
両方ともだったかな程度の知識でごめん

肥後は相良以外に、水俣の犬童(いんどう)、阿蘇、甲斐、そして
肥後の最大勢力、隈府(わいふ)の菊池氏等が有名どこです
菊池氏は在地の勢力(一説には藤原氏とも言われている)として
古くから中部九州で勢力を伸ばして来た、南朝方の忠臣です
南朝の衰退とともに力をなくし、戦国時代にはついにお隣豊後の大友氏から
養子(義武?)を向かえ入れ、大友氏の風下に立つことになります
その後、この養子さんが何を思ったか大友家に対して独立を図ろうとし
逆にアボーンされて戦国勢力としての菊池氏が消えてゆきます
養子さんは確か大友宗麟の伯父?だったかな

二代目とは関係ないですが、大族菊池氏が飛ばされたて
次の肥前に行ってしまったのでので一筆
124月と星より:02/04/01 01:43
今日は、これで締め切りとさせて頂きますね。
今回も、多数の貴重な意見を頂きまして有難う御座いました。
結果発表。
龍造寺家の二代目は、龍造寺政家という事でお願いしますね。
これは、単純に初代を龍造寺隆信と素直に考えた方が良いですよね。
しかし、龍造寺家は平穏な時期があまり無かったようですね。
戦国時代ですから平穏と言うわけにはいきませんか・・・。
では、今度は、大友家の二代目は大友義鎮で良いでしょうか?
いつもの様な穏やかさであれば良いな〜。
意見のある方、お待ちしています。(^−^)
125月と星より:02/04/01 01:54
>>123
藤原三位卿様(123番の方)へ。
すみませ〜ん。飛ばしてしまいました。
せめて、阿蘇家だけでもと思ったのですが・・・。
126ぴか:02/04/01 01:55
義陽の父晴広が上村家から養子にきてますね。
127月と星より:02/04/01 02:04
しかも、父晴広の死後、子の義陽が家督を継ぐと、
晴広の弟達(叔父)が甥に反抗。しかも敗北。
戦国の世は無情ですね。
128藤原三位卿:02/04/01 03:05
いまだ三人だけのようですが
だんだんそれらしくなってきましたね

今戦国九州スレに行ってたのですが今日はどこでもここでも
コテハンだしまくり
厨房なら、鬱だ氏のうというところですが
そんな年じゃないのでやめときます
129藤原三位卿:02/04/01 03:27
ここは意見の別れるとこだと思います
大友氏の最大版図を築いたのは大友宗麟こと義鎮です
今までの流れから行くと義統ということになるかなと思いますがいかに

地元大分では大友宗麟を名将、良将としてすごい評価をしていますが
やってきたことをみると、引きこもり、婦女暴行、キリシタンオタ
と、見る影もありません
(もしかすると2Chねらー??)
大友氏がこの時期に最大の版図を築きえたのはひとえに、父義鑑が築いた
質量ともに全国有数の家臣団の賜物です
そういう意味で言えば、義鎮が二代目でもともおもう
130月と星より:02/04/01 04:06
>>129
藤原三位卿様(129番の方)へ。
そうですよね〜。大友義統ですよね〜。
今回、二代目で考えるより、初代の方から考えてみたのです。
父の大友義鑑。この人を考えなきゃと思ってみました。
宗麟ほどではないにしても、父の義鑑も頑張っていた人ですよね?
あ、でも、二代目=大友宗麟を強く推している訳でもないので、
今回、初めての逆転劇が起こるかもしれませんね?
明日どうなるのかな?
131月と星より:02/04/02 00:33
ただ今、帰りました。
今回は、2時頃に締め切りますね。
132月と星より:02/04/02 03:33
すみません3時です。これで締め切りとさせて頂きますね。
さ〜て、今回は困りましたね。
先に理由(言い訳)を書きますね。
>>129で最後の行で『義鎮が二代目でもともおもう』
>>130で『今回、二代目で考えるより、初代の方から考えてみたのです。』
で、もう一回129で、『大友氏がこの時期に最大版図を築きえたのはひとえに、
父義鑑が築いた質量ともに全国有数の家臣団の賜物です』
ここが、決め手というところでしょうか。
という訳で、結果発表。
大友家の二代目は、大友義鎮という事でお願いしますね。(強制力 0)
藤原三位卿様も、大友義鑑が初代と言う事には何となく御理解頂けている様ですし。
(勝手に決めてはいけませんよ。by心の審判。)
では、今度は、大内家の二代目は大内義隆で良いでしょうか?
これは、逆転を狙うには難しそうですね。
意見のある方、お待ちしています。

ああ、九州ともこれでお別れ。
以前書かれていた事ですが、『全国規模で詳しい人は少ないからと・・・。』と
ありましたが、私もその一人なんですよね〜。大丈夫なのかな?
藤原三位卿様も、よろしければ、これからもよろしくお願いしますね。
九州を離れると辛いかもしれませんが・・・。(これも強制力はありません。)
133月と星より:02/04/02 03:36
追伸。
藤原三位卿様、『56』おめでとう御座いますね。
134日本@名無史さん:02/04/02 16:07
九州の戦国大名で肝付、相良、伊東家があるなら、
有馬、大村は必要じゃないのかな?
まあ宗はいいっか。鍋島は近世大名だもんな。
あとの小大名は結局、島津、大友、竜造寺、大内(毛利)の配下だもんな。
135月と星より:02/04/02 23:13
ただ今、帰りました〜。
>>134
134番の方へ。
ああ、やっぱりそうとられてしまいますよね。
阿蘇家だけではなく、有馬家・大村家・蒲池家もと思いました。
でも、書いてなければ何を書いても致し方がないですよね。
そして、決めたのは私自身、それぞれのファンの方々、御免なさい。
136藤原三位卿:02/04/02 23:41
>>134
同意
肥前の国を考えるとき、竜造寺の活躍はほんの短期間
特に松浦は外せないとこ
さらに筑前の秋月を飛ばしてますよ
といいたいところですが
ここは、月と星さんのな〜んとなくという進行で
進んでるところなので
私的には、各国一家の法則で進行しているのかとも思ったのですが
そうすると
筑後:蒲池
筑前:秋月
豊前:宇都宮(城井)
あたりで来るのかとひそかに思ってました
137月と星より:02/04/02 23:56
>>136
藤原三位卿様(136番の方)へ。
すみません。あの、蒲池君に怯えてしまって・・・。
やはり、有名な戦国大名だけではいけないという事なのですね。
138藤原三位卿:02/04/03 00:10
>>137
いえいえ
ただ私がそう思っていたというだけで

実は、義鎮の母親候補の内の一人(はっきり特定できていない)
藤原の某というのがうちの家から出ているのではという説があって
もう亡くなりましたが、親族の一人が調べていたことがあります
田原家(親宏以前)とはかなり行き来があったようです
139月と星より:02/04/03 00:22
誰か教えて下さい。
『大友親貞とは、どういう方なのでしょうか?
今山合戦で戦死とありますが・・・。』
お願いします。
140月と星より:02/04/03 00:27
そして、1時30分頃に締め切りますね。
義鎮のお母さんは特定されていないのですか〜。初めて知りました。
141日本@名無史さん:02/04/03 00:28
大友親貞とは佐賀藩編纂の家譜や軍記物による架空の人物と思われる
142藤原三位卿:02/04/03 00:31
>>139
まだ特定されていなかったんじゃなかったかと思います
あれだけの大軍を任されたことを考えると
義鎮の知られざる兄弟とも考えられますが
同紋衆(庶家)の内の誰か(田原、田北あたり)
という説を支持します
143日本@名無史さん:02/04/03 00:36
大軍を任されたってのも佐賀藩創作
ついでに今山合戦で大友が惨敗したってのも佐賀藩捏造
144月と星より:02/04/03 00:39
>>141
141番の方へ。
え〜、架空の人物?そうなんですか〜。
あれ?そうなるとあの今山合戦の方はどうなるのかな〜?
あ、新しい質問になっている。
もし、知っている人がいましたら、教えて下さい。
(何か図々しいですね。怒られてしまうのを覚悟でお願いします。)
145月と星より:02/04/03 00:45
>>143
143番の方へ。
私の質問の前にもう答えが・・・(さすがにびっくり!)
でも、捏造〜?もう今日は大変だ〜。
146藤原三位卿:02/04/03 00:47
>>143
確かに疑問の多い戦いですが
では鍋島が杏葉の紋をパクってしまう話は?
実際に鍋島は杏葉の紋を使ってますが
147日本@名無史さん:02/04/03 00:50
ちょと大げさに言い過ぎたので
簡単に言えば龍造寺は今山で大友の1部隊を撃破、その後大友に降伏
その時に義鎮は八郎親貞について全く触れてない
存在がかなり疑問視されるって訳ね
148日本@名無史さん:02/04/03 00:52
高良山の宗麟が逃げ帰ったってことは前線が壊走したからでしょ。
この窮鼠猫を噛むの状態から五国二島の太守への飛躍はやはり今山の陣の効果だね。
喧伝もあったろうけど。
149藤原三位卿:02/04/03 01:00
>>147
その説(竜造寺の降伏)は、はじめて聞きました
勉強不足でした
しかし、この後の大友は肥前への影響力を一気になくしていきますが
150日本@名無史さん:02/04/03 01:02
>高良山の宗麟が逃げ帰ったってことは
あ、これも捏造ね

義鎮から田尻鑑種宛に8月20日宛の書状が残ってて
それには、今山での敗報を聞いたので自身が筑後川を越えて肥前千栗まで陣を進めるとある
んで、義鎮から10月23日付け隆信・鎮賢宛に起請文が出てるけど
それには隆信が降伏の起請文を大友宛に送ってきたので、それを受け入れるという内容が書いてあるよ

詳しくは「龍造寺氏の戦国大名化と大友氏肥前支配の消長」って本に書いてあるから一読されたし
151月と星より:02/04/03 01:03
>>147
147番の方へ。
なるほど〜。
今山合戦はあるにはありましたが、私が知っているものとは、
ちょこっと違うのですね。
しかも、結末は大友家の勝利なの?
九州ではみんな知っている事なのかな?
謎が謎を呼んでいる〜。でも大友親貞がいない事は分かりました。
(まだ、存在が完全否定と決定された訳ではないですが・・・。)
152日本@名無史さん:02/04/03 01:07
ついでに大友の肥前への影響力というか
天正6年ぐらいまでは確実に龍造寺が大友の影響下にあったと思われる
耳川合戦に義鎮から龍造寺宛に出陣命令が出てるからね
隆信は色々理由つけて断ったようだけどね
153月と星より:02/04/03 01:11
もう、ただただ見入るばかり・・・。
すごいよ〜。勉強になりましたよ〜。(^v^)
ところで、私は、このスピードについていく事ができません。
後から、追いかけて行きますね。
154藤原三位卿:02/04/03 01:15
>>150
ついでで悪いにですが
立花宗茂の島津追撃戦はご存知でしょうか
あったという説、そんなもんは講談の話だけ
という説があってはっきりしません
(手元に資料がないので)
155藤原三位卿:02/04/03 01:20
>>151
存在したかどうかは別にして
田原親貞や田北親貞がいたとしたら
大友親貞でも良しですよ
(同紋衆で、国東武将筆頭と何郡武将の筆頭家です)
156月と星より:02/04/03 01:22
>>152
152番の方へ。
あの耳川合戦の頃までですか〜。
1578年以降に龍造寺隆信が自立と考えますと、
1584年の戦死までの六年間が龍造寺家の黄金時代?
そんな短期間であそこまで勢力を築き上げてしまうとは、
肥前の熊、噂以上の人物。
157日本@名無史さん:02/04/03 01:31
五国二島の二島ってのはやっぱ壱岐・対馬ですか?
五島列島とかじゃないよね?
158日本@名無史さん:02/04/03 01:34
筑前若松城を攻撃したのは事実のようですが、島津追撃戦はどうも過大宣伝と思われます
理由として島津側に全く損害を与えられた形跡が見られないのと
島津追撃戦の話が「豊薩軍記」にしか書いてなく、「歴代鎮西要略」「九州治乱記」には記載がないから

実際、島津追撃戦で大損害を被ったのに、一ヶ月もたたずに同じ編成の部隊が
豊後に再侵入してる
これは8月中旬から下旬にかけて、四国勢が豊後に上陸してるのを受けて
島津が筑前から撤退、それに伴い、宗茂が若松城攻撃だと思われ
159月と星より:02/04/03 01:36
>>154
藤原三位卿様(154番の方)へ。
あの追撃戦までが・・・。
今日は、大内家どころではありませんね。
ちょうど1時30分は経過しましたので、
結果発表。
大内家の二代目は大内義隆という事でお願いしますね。
次回の事は、もう少し落ち着いてからにします。では、また。
160藤原三位卿:02/04/03 01:36
>>156
どういう噂かはわからないけど
蒲池氏への仕打ちを考えるととても人間業とは思えない
(蒲池君ここ見てないみたいだから蒲池ねたOKみたい)
161日本@名無史さん:02/04/03 01:40
それと親貞が怪しいのは同じ八郎に大友八郎晴英がいるから

>>155
ごめん、親盛は?
162藤原三位卿:02/04/03 01:47
>>158
どうもです
与えた損害の寡多ではなく、撤退の際に仕掛けた島津得意の
釣野伏の陣を次々に破っていったことが秀吉に評価されたというよな
話をどこかで見たような気がします
それがちゃんとした資料なのか、物語なのか思い出せなかったもので
163藤原三位卿:02/04/03 02:05
>>161
正確な資料がないのでなんともですが
親盛は田原紹忍(安芸田原?武蔵田原)の養子
兄親家が田原宗家(大田村田原)に養子
逆だったかも
今山で討たれてなければありえるかな
年表があればわかるのですが
164月と星より:02/04/03 03:39
そろそろ登場しますね。
いや〜、見事に私だけ会話がずれてしまっていますね。はずかし〜。
九州関連の本は読んでいませんから、とても勉強になりました。
本当に、驚きの連続ですね。
そしてまた、質問をすると皆さん親身になって教えて頂ける事も分かりました。
だからといって、無闇に質問はしない様に気を付けます。
また、ここではない別の所においても北条家の事で、
『公平な歴史の見方』と『説得力のある知識の使い方』を教えて頂けたりと、
とても幸せな日です〜。
ここが素敵な場所になれる様に
私も、大きな包容力と細心の心遣いを目指して頑張ります。そんな人になりたい。
あと、やっぱり、九州に戻ります。
阿蘇家の二代目は、阿蘇惟将で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしていますね。
165藤原三位卿:02/04/03 16:23
>>161
八郎親貞 = 大友八郎晴英 に5000両
今山で討たれたと思っていたので除外してたけど
生き残ったのであれば話は別
晴英=親貞でしょう
親、貞供に大友家に伝わる名字を二つとも使っている
重臣吉弘鑑理、立花道雪の両名に采配を振るえる立場
幔幕に杏葉の紋を使える
と考えると宗家に近い人間と思われる
とすると、晴英か義統の二人(親家、親盛はまだ子供)
義統は惣領なので親ではなく義のほうを使うので親貞ではない
残るは晴英だけ
166日本@名無史さん:02/04/03 20:09
晴英って毛利に腹切らされた大内義長のことだよな?
167日本@名無史さん:02/04/03 22:48
義鎮、義長(晴英)、塩市丸の三兄弟でしょ?
義長は1557年に死んでるし、今山合戦は1570年だが…
168167:02/04/03 22:50
大友晴英で検索したらこんなページが…(w
ttp://www2u.biglobe.ne.jp/~kamomax/ohtomo.htm

関係無い話でスマソ
169藤原三位卿:02/04/03 23:18
>>166
そうでした
1570年にはもう死んでいたことを忘れてました
そういう基本的なことも忘れてはしゃいでしまいました
ごめん
170藤原三位卿:02/04/04 00:35
>>167
もう一人か二人いたのような気がする
塩法師丸 義鎮
塩市丸  二階崩れの変で死去
塩乙丸  義長
???  致明(何者か不明)
それと塩見丸という幼名があったような
検索したけど出てこない
171月と星より:02/04/04 01:17
ただ今、帰りました。
見てびっくり。大友家の事が昨日に続いて書かれている!
でも、大友家は九州一の実力ある戦国大名なのに、
弱体化してしまうのは何故だろう?
やっぱり、毛利家との抗争と意外に多い内紛の為でしょうかね。

長男=義鎮は分かります。
次男=塩市丸で良いのかな?
三男=塩乙丸(晴英)で良いのかな?
塩市丸が早く死にすぎてよく分からないのです。
172月と星より:02/04/04 01:19
今日は、2時頃に締め切りますね。
173日本@名無史さん:02/04/04 01:34
次男が晴英だったかと
174月と星より:02/04/04 01:58
>>173
173番の方へ。
晴英が次男らしいのですか。
175日本@名無史さん:02/04/04 02:23
>>171
ごめんなさいねいつまでも大友で引っ張って
大友衰退の原因はいろいろ考えられますが
@義鎮が隠居後にも強い影響力を持っていたため、臼杵城の義鎮
 府内の義統の二頭政治が出来し家臣団の分裂を招いた
Aまた二頭政治のため、本来の棟梁である義統の近くに優秀な家臣が
 少なくなり、決断力の弱い棟梁(政権)になってしまった
B加判衆の一門への取り込みや、庶家への干渉等、強引な組織強化が
 かえって家臣の反発を招いた
等かなと思います(詳しく書けば長くなります)
義鎮は世間で解釈されているような名君ではないようで
若いころは引きこもり、家臣(一万田)の妻を奪って謀反を
起こさせたり、キリシタン狂いや、神社仏閣の焼き討ちなど
家臣の心を離反させるような事例ばかり目に付きます
一方の義統は、優秀な家臣も少ないうえに政治、軍事供に
実質は父義鎮が取り仕切っており、決定権もない上に決断力のない
棟梁になってしまった

塩見丸の件は、捜してみたけど原典が見つからず、私の記憶頼り
塩法師丸:嫡男の幼名(義鑑も同じ)
塩市丸 :市=一
塩乙丸 :乙=二
塩見丸 :見=三
致明は目が見えないか、弱視で子供のころに出家して僧籍
(これも私の記憶頼り)
176藤原三位卿:02/04/04 02:27
>>175
ごめんなさいハンドルが切れてた
私です
177月と星より:02/04/04 02:35
では、2時になりましたので締め切りますね。
結果発表。
阿蘇家の二代目は、阿蘇惟将という事でお願いしますね。
ところで、私個人は阿蘇惟将と相良義陽が何となく好きでして、
響ヶ原合戦などは結構気に入っていたりします。
ただこの合戦でさえ、島津家の台頭の手助けになってしまうんですよね。
次回は、蒲池家の二代目は蒲池鎮漣(しげなみ)で良いでしょうか。
意見のある方、お待ちしていますね。
178月と星より:02/04/04 02:50
>>175
藤原三位卿様(175番の方)へ。
同じ二頭政治でも、
北条家の様な場合(氏康と氏政・氏政と氏直)や
徳川家の様な場合(家康と秀忠)とは様子が違うのですね。
最初の方で書かれていた事ですが、補佐役が重要と言う事なのですね。
でも、こうしてみると二頭政治は多いのですね。
179藤原三位卿:02/04/04 03:40
家臣に頭が上がらない秀忠と微妙に像がダブります
しかし秀忠は幕藩体制という確固たる支配形態を相続しますが
義統の手元に残された家臣は、従兄弟の吉弘統幸だけで、多くの家臣と
権力は父義鎮の元にとどまったままです
勢い田原紹忍(母方の伯父)のような何の功績のない家臣を重用しなけ
ればならなくなり、従前の家臣との間の溝をさらに広げてしまいます
いっそここで武田信玄のようなクーデターを起こせればその後の
展開も変わっていたと思われます(そういう気力も育たなかった)

戦国史を見ていると、クーデターや棟梁の戦死、病死などでいきなり
代替わりをしたところのほうが、平和裏に家督相続したところよりも
発展しているようです(織田家、武田家、上杉家、毛利家等々、そして義鎮自身)
家督だけではなく、家臣も一枚岩で相続できるのがその理由でしょう
180日本@名無史さん:02/04/04 06:23
一枚岩?????????????
181日本@名無史さん:02/04/04 20:13
とくがわひでただだ
182日本@名無史さん:02/04/04 22:10
>>180
ごもっとも
自分で読み直しても??です
本意は
次の代に家督を移譲するときにどうしても権力の二重構造が起こりやすく
これをうまく処理するのが大変で、どこの家でも苦労している
(例で上げた家)
大友家の場合は、いっそ先代が死んでいきなり代替わりしたほうが良かった
のではということをいいたかったんですけど
特に、崩壊のプロセスが武田家の場合と似ていると思っているので
その辺の話をしようかなと思いながら、変なまとめ方をしてしまいました
183月と星より:02/04/04 22:26
ただ今、帰りました。
今日は、12時頃に締め切りたいと思いますので、よろしくお願いします。
184月と星より:02/04/04 22:56
>>179
藤原三位卿様(179番の方)へ。
島津家の場合(貴久と義久)は、上手くいっていますよね。
1566年に家督継承。
それから5年後の1571年に先代の貴久が早く死んでしまわれた事が、
原因なのかな〜?(島津貴久は結構好きなんです。残念。)
大友家の場合(義鎮と義統)は、1576年頃に家督継承。
先代の義鎮の死は11年後の1587年。こんなに違いますね。
そういえば、ここで書かれている大友義鎮は良い所があまり無いよ〜。(哀)
185日本@名無史さん:02/04/04 23:34
耳川の戦いでは、軍師角隈石宗も秘蔵の兵法書や占いの書をすべて焼き捨てて、
討ち死にを決意して島津軍に突入している。それくらい、大友義鎮のどきゅんぶり
(キリスト教に帰依するあまり、宇佐神宮を焼き討ちをはじめとして、豊後の
神社仏閣の破壊、それから家臣の妻をレイプするなどなど)が、家臣団の
動揺をさそったのだろう。 キリシタン大名で聡明な、、、という従来の
見方の方が間違っている。

駅前の大友義鎮の像は、福沢諭吉(中津出身)か立花道雪(大野出身)、
宗茂(国東出身)の像にすべきだった。
186月と星より:02/04/05 00:01
大友義鎮・・・これでは、あまりにも・・・。
1587年に逝ってから415年になりますが、
悪い事はしない方が良いという事ですね。
しかし、良い事もしていると思うのですが、
これは、勝者の歴史という訳ではないのでしょうか?
従来の見方がダメなの?
187日本@名無史さん:02/04/05 00:54
>>184
書ける量の都合でかなりはしょった書き方をしていて
真意がうまく伝わらないだろうなと思います

一般に、大友家の崩壊の原因として語られるのは
義鎮の行状の悪さと義統の棟梁としての資質のなさです
私もその点に異論はありませんが、大友家というシステムを
考えたときに、褒章領地の飽和化の問題、多紋衆(大神系)との関係
と供に、権力の二重化の問題があって、こちらのほうを語ることが
非常に少ないので、あえて取り上げて見ました
これ(権力の二重化)がすべてといっているわけではなく
このスレの「二代目」ということを考えると、ひとつの論点かなと思って
書き始めました
以上、自分の書きこをみて「こりゃいかん」と思いましたので自己弁護まで

いつか書いたように私の場合、義鎮の母親候補の一人とされている
「某城の藤原某娘」(原文)が家の先祖ではないかというのを調べた時の
知識しかありません(信長の野望のゲーオタ程度の知識はある)
それと数冊の本
で、ほかの家の話題についていけないところがあって「ごめんなさい」です
188外郎屋:02/04/05 00:56
三戦版より出張。
月と星より殿。
あーまで誉めていただけると照れてしまいます。
こちらのスレも楽しみに眺めております。
しかし外郎屋です。下郎屋では・・・(小田原名物のういろうね)。

>>185の内容を見ると九州三大戦国大名(大友、島津、竜造寺)って島津以外こんなの
ばっかってこと? 
竜造寺は沖田綴りの際は島津が首返そうかって言ったら拒否されるし。
桶狭間の今川義元は岡部元信が織田に返せっていってるのと比較すると、
家臣にも嫌われていたんでしょうね(確かに恐怖政治だけど)。
でも大友宗麟の人間性はともかく政治家としては一流でしょう。ほとんど外交と
政略で版図を拡大したのだから。そういう意味じゃ銅像向き。
189月と星より:02/04/05 01:14
では、12時になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
蒲池家の二代目は、蒲池鎮漣というこでお願いします。
この人ですよね?龍造寺隆信が騙し討ちをされたのは。
これだと、大友も龍造寺も悪役ですよね。
島津に人気があるのは、こういった背景もあるのかな?
次回は、有馬家の二代目は有馬義貞で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
190月と星より:02/04/05 01:32
ああ、何という事。12時からず〜と189番の文を考えていまして、
今、気が付きました。(しかも、あんなに短い文なのに、もうだめ。)
しかもず〜と見ていたんですか?とても、恥ずかしくて・・・。
あの、でも、あの公平な歴史の見方、本当にすごくって、
私は歴史の本しか知らず、読んだから知っているだけで、
私自身が考えて私の目で見る事ができていないという事がわかり、
とても、勉強になりました。これからも頑張ります。(^v^)
191月と星より:02/04/05 01:38
今、確り読みますと、
文がとても下手になってしまっている事に気が付きました。
慌てて書いてしまい、申し訳ありません。でも、頑張りますね。
192藤原三位卿:02/04/05 02:10
>>188
確かに政治家としての資質は認めます
秀吉への手土産に、筑前の領土と供に高橋紹運と立花統茂を
持っていったあたり、良いセンスをしています
(譜代の家臣のいない秀吉にとっては領土以上の土産)
それと対外貿易
南蛮貿易ばかりに目が行きますが大陸、朝鮮との貿易でも
かなり利益を上げています
ただし、政略で版図拡大というのは大友家累代の基本戦略、
領国経営の根本で、義鎮(宗麟)の時代はその範疇を豊後の
国内がほぼ終了し、外へ伸ばし始めた時期です
基本的に在地の勢力を参加に組み込むという形を取っているため
なびくのも早いですが、離反するのも何のためらいもありません
さらに、領土化しないため、家臣の恩賞領地を豊後国内に求め
なければならず、領地の飽和化が進んで、これが家臣の不満を
招いた理由のひとつでもあります
肥後、豊前は早く領土化して家臣を置いておくべきだったと思います
政治的には功罪相半ば(私的には)かなと思います
193月と星より:02/04/05 02:30
なるほどね。そういう話でしたら分かります。
関東における上杉謙信と同じ様な感じかな?(中身は正反対の様ですが。)
謙信も領土的な野心がありましたなら、
厩橋城に家臣を派遣、または謙信自身が本拠を移した方が良いですからね。
大友家の事情も大変ですね。
あ、大友義鎮の良い所もあるじゃないですか〜。
194日本@名無史さん:02/04/05 02:42
家臣派遣は諸刃の剣
武力による制圧でない限り、ほぼ無理
195月と星より:02/04/05 03:16
>>194
194番の方へ。
北条高広(きたじょうたかひろ)もそうですよね。
あと、九州は特に大変の様な気がしますね。
ここに当てはまるのかどうか分かりませんが、
立花家や高橋家の事を考えますとね。
毛利元就が関与しているとされていますが、真相は時の彼方。
あ、北条(きたじょう)の方も、
武田晴信や北条氏康が見え隠れしていますね。
成功した例は、織田信長の家臣柴田勝家が当てはまりますか?
196日本@名無史さん:02/04/05 07:10
大友宗麟は、特に高城、耳川の戦いの前のどきゅんぶりが目立つね。行軍の
途中で神社仏閣を打ち壊し、矢を射掛けながら進むために末端の兵士が浮き
足だち、士気が著しく低下してしまった。

父の義鑑が宗麟を廃嫡しようとしたエピソードも結果から見たら分かる気がする。
とにかく自分勝手でマイペースなのが宗麟の人生なんだよね。
197月と星より:02/04/05 08:48
>>196
196番の方へ。
そうですか。これだけの意見があるのですから、
大友義鎮は自分勝手でマイペースの人なんでしょう。
織田信長も『自分勝手のマイペースの人』でありましたけど、
対照的でちょっと面白いですね。
戦国時代の九州、
やはり本で読んで知っているだけの知識に頼っている事が、
今回、大変よく分かりました。
私自身の考えで歴史を見ていきま〜す。
198日本@名無史さん:02/04/05 09:10
耳川の戦いってよく言うけど、あれって高城川(小丸川?)で戦って、
耳川まで追撃したってだけでしょ?高城川での戦いについては結構よく
取り上げられてるけど、耳川で何があったかってのは全然聞いたことないが、
知ってる人っています?
199藤原三位卿:02/04/05 18:14
>>198
正式(?)には
「高城攻城戦と耳川追撃戦」です
略して、「高城・耳川合戦」
さらに略して「耳川の合戦」てとこでしょうか
「耳川の合戦」で十分この戦いが特定できるので
この呼び方が一般的
200藤原三位卿:02/04/05 18:15
ついでに
ズサーーー
200GET
201日本@名無史さん:02/04/05 19:10
高城から耳川まで20キロちょいあるんだねえ。
田北鎮周、角隈石宗、斎藤鎮実、その他大友御家中の皆様御愁傷様です。
さぞかし惨めだったことでしょう。ご主人様は選びたいもんです。
202外郎屋:02/04/05 19:28
なぜかROMっているうちに上杉謙信と大友宗麟の精神構造が似ているような気が・・・(笑)。
どっちも神や仏に帰依してるし。
ただ帰依した結果物事が悪い方向に行くと、自分が悪いんだだからもっと精進しなくちゃと
思うのが上杉謙信で、こりゃ神様が悪いんだからと他の神さまに帰依するのが大友宗麟。
なんか引きこもりと家庭内暴力だぞ(笑)。家臣への対応もそんな感じだよね。
結構目から鱗がって感じです。
203藤原三位卿:02/04/05 21:35
>>201
家臣は主君を選べないんです
この時期、家臣団のほとんどが親戚です(大友家の基本戦略)
>>202
ちょっと宗麟を悪く書き過ぎたようで反省
確かに似ているというか、若くして親を亡くして当主になり
家臣との間に隙間があり、孤独というところが似てますね
腹心の部下がいない
204日本@名無史さん:02/04/05 22:40
レイプマン大友宗麟
205月と星より:02/04/05 23:25
ただ今、帰りました。
>>202
>>203
下郎屋様(202番の方)&藤原三位卿様(203番の方)へ。
193番で私も書いていましたが、
その時は、『あれ、ちょっと似ているかも・・・。』と軽い感じで思いましたが、
お二人が書きますと、凄い説得力がありますね。
そういえば、あの二人って、同じ頃に家督継承していますよね?
206藤原三位卿:02/04/05 23:30
>>205
「げろう」じゃなくて「ういろう」
下じゃなくて外です
下郎はちょいと失礼ですよ
207日本@名無史さん:02/04/05 23:35
>>202
言われてみれば似てますよね謙信と宗麟って、ただ謙信が全国規模のヒーロー
なのに対して宗麟が地元のヒーローに留まってるのは後継者の差なのかな?
景勝が関ヶ原で意地を見せたり、なんだかんだ言って米沢30万石を残して
くれるので義父の謙信が神格化されて気がします。
208月と星より:02/04/05 23:37
>>204
204番の方へ。
事情はよく分かりませんが、本当なのでしょうか?
そういえば、酷い話といえば、黒田長政の話を聞いた事があります。
あれがもし本当の話でしたら、かなり許せないんですが・・・。
ここではよくあります捏造物ですよね?
209藤原三位卿:02/04/05 23:43
>>207
それもあるのですが
謙信 = 軍神(ヒーロー)
宗麟 = 政治の人
大友家の戦は大将が前線から30Kmくらい後方にいて
決して敵と刀を交えることがありません
この違いかな
210月と星より:02/04/05 23:45
>>205>>206
ああ、本当だ。本当にすみません。知らないでは済みませんです。
これから気を付けます。
藤原三位卿様本当に有難う御座います。
『外郎様』本当に失礼致しました。
211月と星より:02/04/06 00:00
重ねて、すみません。
今日は、1時30分に締め切りますね。
これでは、私が荒らしているように見えます。
注意して書きます。間違いがありましたなら、ご指摘お願いします。
212藤原三位卿:02/04/06 00:05
>>210
ごめん、今読んだらなんだかきつい書き方>>206でした
とがめているようですが、そういうわけじゃなくて
早めに訂正しておいてあげたほうがいいかなと思ったのでして…
>>204
酒池肉林、引きこもりをやって立花道雪から説教されたり
有力家臣の奥さん(正室)が欲しいばかりに腹切らせて
謀反を招いたりということでしょう
実は子供をたくさん作ることが政策的に重要なことでした
213日本@名無史さん:02/04/06 00:33
ういろうやさんって...小田原の方とみたっ
214月と星より:02/04/06 00:35
>>212
藤原三位卿様(212番の方)へ。
咎めているだなんてとんでもないです。
ご指摘有難う御座います。気が付かずにいる事が一番怖いです。
215外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/06 01:11
>>210
やっと訂正してもらえた(ホッ)。
本来は某軍団のその他大勢なのでトリップをつけました。
別に様で呼ばなくてもいいですよ。所詮外郎屋なんだから。

>>202
それはやはり二代目の活躍の差もあるけれど徳川家が武田家を信仰した結果
(石川数正の出奔後の軍制改革)、ライバルの上杉家にも光があたったんじゃないのかな。
上杉は徳川政権に残ってるけど大友はその前に取り潰されてるわけだし。
でもその前に人のとしてみた場合どっちに引かれる?
前に勝者の歴史(>>186)てあったけど大友家は宗麟の時代に豊臣政権に残ったことで
勝者の歴史になっていると思うな。義統の取り潰し以降、豊後は小大名や天領で管理
されていって、豊後一国を治めた大名はいなかった。後世の豊後(大分県)の人にとって
鎌倉時代から400年当地を治めた大友家は特別な存在だろうし、まして他国まで領土を
増やした宗麟は特別な存在なはずなのだから(山梨の人の武田信玄信仰もちょっと近いかも。
じゃあ宗麟と何が違うかは、記述済み)。

今回の有馬や大村は宗麟以前のキリシタン大名で貿易を始めた先進性は知ってるんだけど、
あとはあまり詳しくないのでROMさせて勉強させて頂きます。
(今もうろ覚えの記憶とURLフォローなので詳細じゃないんだな)。
216日本@名無史さん:02/04/06 01:31
それと、上杉は景勝の代に、謙信を神格化するのに一生懸命に
なってたようです。
217月と星より:02/04/06 01:38
>>215
外郎屋(215番の方)へ。
以後、気を付けますね。
う〜ん。『様』の事ですか。
付けないと何だか呼び捨てにしているみたいでして、
ちょっと、気が引けるのですが・・・。
では、お言葉に甘えて今回から『様』は省略させて頂きますね。
218月と星より:02/04/06 01:57
1時30分になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
有馬家の二代目は、有馬義貞という事でお願いしますね。
有馬家で有名な人は義貞の跡を継ぎました有馬晴信かな?
この人でしたよね?天正少年使節を派遣した三大名のうちの一人は。
最期は刑死ですよね。
次回は、大村家の二代目は、大村純忠で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしていますね。
219藤原三位卿:02/04/06 02:37
リヒテルいいねー
シューベルト最高、ってのはクラ板の話題でした(衛星見てました)

大友、有馬、大村といえばキリシタン大名三点セットですが
信仰というより、南蛮貿易のため(キリスト教と貿易がセットになっていた)
という側面が強いような気がします
現に、大友も義統、大村も喜前二人とも、秀吉の禁教令が出ると即棄教して
弾圧に乗り出してますよね
特に大村は悲惨ですね
領民全員キリシタン化しといてキリシタン以外は領内に入れない
とまでやっといて、次は弾圧、領民もたまりませんね
島原の乱の遠因ですね

さて、リストもいいですよ
220日本@名無史さん:02/04/06 03:04
いらすまってどこの大名ですか?
221摂津守:02/04/06 03:11
話が中国になりますが。
尼子の二代目は初代を経久とすれば晴久と言うことになりますね。
計略の鬼”毛利元就”を相手にそれなりに奮戦はしたが...。
毛利のバックに居た大内も相手に良く戦ってるのに、いまいちな立場...。
結局、父親の遺産で何とかしのげただけにしか見えない...。
彼ってどんな人なのかイマイチ良く分からん。
222藤原三位卿:02/04/06 03:20
STER & MOON 参江
たとえハンドルでも呼び捨ては如何なものかと
「さん」あたりが適当か(外郎屋様 → 外郎屋さん OR 外郎屋参江)
うちもね

「いらすま」??
223日本@名無史さん:02/04/06 03:26
だんだんウザくなってきたな・・・
敬称にまで言及してきやがった
224藤原三位卿:02/04/06 03:31
>>221
そう、経久の陰に隠れていまいち目立たないよね
だけど、大友義統よりましでしょ
名前なりと知られているし
新宮党をポアしたのこの人でしょ
事跡も知られている
義統なんて大分のもんでもほとんど知らない
225日本@名無史さん:02/04/06 03:53
>>224
>新宮党をポアしたのこの人でしょ
そうそう、しかも元就の計略で。
晴久は吉田郡山城を攻めて以来、大内は兎も角、毛利には舐められっぱなし。
元就も晴久よりもむしろ新宮党を見据えた戦略で蝶略してるし。
家督と城は晴久が継いだけど、尼子の用兵は新宮党が継いでた形。
父親の遺産を台無した状態で義久が継いで尼子家崩壊。
そいう意味では愚鈍な二代目と言ったところか。
226日本@名無史さん:02/04/06 04:06
>>225
元就の計略があったかどうかは不明だけど
若い領主にとって党というのは諸刃の剣ですね
元就自身も井上党?渡辺党を粛清してたんじゃなかったかな
(資料がないので詳細不明)
党を解体すれば党員(?)が直接家臣になるというメリットが
あるけど、一時的に新しい体制が固まるまで戦力の低下と
忠誠心の低下は免れないですね
尼子の場合ここを毛利にうまいこと突かれて崩壊の道をたどっていく
見たいですね
逆に毛利はうまく戦力の増強に成功している
尼子の不幸はというより、晴久の不幸は毛利と領地を接していたことですね
227秋田藩士:02/04/06 11:32
>>216
>それと、上杉は景勝の代に、謙信を神格化するのに一生懸命に
>なってたようです

 景勝は自分が謙信のような天才じゃないと自覚してたみたいですからね、
だからこそ自分の威光を高めるために殊更先代の謙信を神格化して、自分の
求心力を高めようとしたんでしょうね。実際無口な所も自分の能力を隠そう
と言う意図が感じられます。
 そう言う意味では先代の名声を凌駕しようとして滅んでいった、ここの
スレで語られる多くの二代目よりは賢明と言えるかもしれませんが、別の
目で見れば覇気が無いと言えるかもしれませんね。
228五十騎組:02/04/06 15:20
>別の目で見れば覇気が無いと言えるかもしれませんね。

(゚Д゚)ガーン 名より実を取るタイプと思っているんだが・・・

いや、悪気があるとは思ってないが景勝ヲタなんで言わずにはおれん(w

229日本@名無史さん:02/04/06 17:45
無口だったりしたのは、義父の影響もあるのでは?
結局、義父に少しでも近づきたかったんではないだろうか。
覇気がないとか言われてるが、奇矯な行動がなかっただけ。
230秋田藩士:02/04/06 19:49
>>228
 わ、すいません悪気はなかったんです、と言うより私も景勝ファンなんです、
ただだからこそ一方的な絶賛意見にならないよう、ああ書いたんです。
 実際世間では高評価されてる直江兼続についても、私は家康に対して挑んだ
景勝を表立って誉めれないので、兼続を代役にして誉めてる内に、それが通説
になったと思ってるので(石田三成と島左近の関係と同じ)。

 ところで佐竹家は義重と義宣のどちらが二代目なんでしょう?、一週間も
すれば回ってくると思いますが、気になるもので・・・。
231日本@名無史さん:02/04/06 21:33
八つ墓村だ
232日本@名無史さん:02/04/06 23:54
>>230
此処は星と月殿が>>1に成り代って何気に進めているスレです
二代目も何気に決めているようで、あまりこだわらなくてもOKみたいですよ
その時に成ったら、一緒に何気に話すれば

それに付けても此処sageてたんですね
気付かずにageてた
233日本@名無史さん:02/04/07 00:14
>>225
尼子の二代目は政久では…経久より早く死んじゃってるけど。
この人は名将だったらしいので、生きてれば毛利もどうなってたかわかんないね。
234225:02/04/07 00:51
>>223
すまそ政久の事をスカーリ忘れてました...。

でも実、影の薄い二代目って可哀想だな。
父の死後なら兎も角、生存中に家督継ごうものなら。
その影に隠れてしまう...。
そう言えば毛利の隆元も徳あれど影薄し...。
偉大な父を持った子は大変だね。
235225:02/04/07 00:53
>>232
俺はテキーリ星と月殿が>>1さんだとオモーテたYO
236月と星より:02/04/07 02:03
ただ今、帰りました。
これまたびっくり。もの凄い事になっています。
兎に角、3時頃に締め切りますね。
もうご存知の方もいらっしゃいますが、私は書く事がとても遅いです。
今から書き始めていきますね。
237月と星より:02/04/07 02:47
まだ途中ですが・・・。
>>219
藤原三位卿様(219番の方)へ。
有馬晴信は、頑張っていたと聞いています。
1609年の事件も色々あっての事と聞きました。彼、本物かな?
>>220
220番の方へ。
私も知りませんね〜。頑張ってね。
>>221
摂津守様(221番の方)へ。
尼子家は難しいですよね。二代目は誰になるのかな?
今の大村家が終わりましたら尼子家に行きますね。
>>222
藤原三位卿様(222番の方)へ。
たびたびのお言葉痛み入ります。そうしますね。ありがとう。
>>223
223番の方へ。
うざくならないように頑張りますね。慎重に行動していきます。
>>224
藤原三位卿様(224番の方)へ。
尼子晴久は毛利元就の敵役。大友義統は誰かの敵役にはなれなかった。
ここが勝負の分かれ目ですね。
>>225
225番の方へ。
尼子経久の弟、尼子久幸という方がかっこいいです。
尼子家の一族は有能な方々が多いような気がします。
尼子晴久は結果で考えると負け組みなのでしょうね。(相手が悪かった。)
238日本@名無史さん:02/04/07 03:44
sage進行で行ってますが
ageちゃ何かまずいですか
気付かずにずーとageてた私です
239月と星より:02/04/07 04:36
ぎゃあ〜。消えてしまったのでもう一回。
>>226
226番の方へ。
毛利元就って謀略をよく使う人ですよね。
大事には至りませんでしたが本状常光の暗殺の時は、
かなりの波紋があった様で、石見の国人衆も『明日は我が身。』と考えて離反。
ちょこっとだけ苦境に陥ってしまったとか?
行動は慎重にという事ですね。
>>227
秋田藩士様(227番の方)へ。
御館の乱で上杉景虎が優勢の中、
武田勝頼(の部下)とのやりとりは鮮やかですよ。
その後の織田信長との戦いでは自身の限界を感じてしまったのかもしれませんね。
でも、野心は捨ててないみたい。
庄内地方の事は、関が原合戦まで続いてる様に見えますよね。
>>228
五十騎組様(228番の方)へ。
大丈夫。名より実を取っていますよ。上杉家の家名を残しているではないですか。
大局を見据えて家を残した人も、夢を追い続けて家を滅ぼしてした人も、
自分の信じた道を進んで行ったのですから、かっこいいですよね。
人の考え、十人十色という事ですね。
>>229
229番の方へ。
上杉景勝も、悩んで自分の道を見つけて歩いた人なのですね。
>>230
秋田藩士様(230番の方)へ。
私も上杉景勝の事は詳しくないのですが、文を読ませて頂ければ分かりますよ。
好きであるからこそ、書ける事ってありますよね。
240月と星より:02/04/07 05:33
追伸、秋田藩士様(230番の方)へ。
佐竹家はまだ先の様な気がします。御免なさい。
というか、このまま進みますと西日本だけで終わるような気が・・・。
>>231
231番の方へ。
尼子一族の執念、怖いです。でも、あれは、尼子の人達が可哀想ですよね。
>>232
232番の方へ。
私がここに来た時、10日ぐらい日にちが経っていまして、
ここなら人様に迷惑をかけずにやれるかな〜と思いまして。
始めからこういう事をやっていこうなんて考えていませんでした。
皆さんの考えって凄いですよね。
sageは、つい最近なんですよ。目立つ事をしない様にと教えてもらいました。
あ、1番の方には迷惑かけていますよね。もし見ていましたら御免なさい。
>>233
233番の方へ。
1518年、阿用合戦で笛を吹いていたら討たれてしまった方ですよね。
私も二代目かな〜って思っているんですよ。
人に聞いた事なんですが、家督も継承していたようですしね。本当はどうなのかな?
>>234
225様(234番の方)へ。
本当に家督を継承しているのかな?
>>235
225様(235番の方)へ。
はい。そうなんですよ。御免なさいね。失礼が無い様に頑張っていきます。
241月と星より:02/04/07 06:05
>>238
238番の方へ。
大丈夫ですよ。また下がっていきますから。

226番の方へ。
御免なさ〜い。本城常光が正解です。気を付けないと。

もう6時になりました。締め切りますね。
結果発表。
大村家の二代目は、大村純忠という事でお願いしますね。
前回の二代目、有馬義貞とは兄弟。仲良く二代目で良かったね。(本当かな?)
次回は、再度本州に上陸。
テーマ、尼子家の二代目は、尼子政久で良いでしょうか?
すでに、意見は出されていますが、どうなるのかな?
経久説は、難しいと思いますが、
晴久説は、かなり有力ですよね。
義久説も、やれない事はないかもしれませんね。
意見のある方、お待ちしています。   今日は、本当に、びっくりしました。
242摂津守:02/04/07 08:11
戦国大名と言う条件でいけば尼子の初代は経久でしょ。
守護代の地位を剥奪されて裸一貫で出雲を取りかえす。
まさに戦国大名のはしりだから。
私自身スカーリ忘れてたたがやっぱり順序で行けば政久でしょ。
治めてたと言う見地で行けば晴久と言う意見も捨て難いですが。
243月と星より:02/04/07 10:28
私も初代は尼子経久と考えています。戦国大名としては模範生ですよね。
嫡男政久の事は正直言いますとどんな人で何をされている人かは知りません。
>>233では、名将であったと書いてありますから名将なのかな?

244日本@名無史さん:02/04/07 15:32
>>243
そうですね、政久と聞いても笛の名手としか思い浮かばないですね
家督を受け継いでいたのかな?
それにつけても、戦陣に流れる笛に向かって矢を射掛けるような
不粋者はいやですね
245月と星より:02/04/07 19:25
>>244
244番の方へ。
私も同感です。
確かに戦の最中の事ですから、非難される方もいらっしゃると思います。
歴史に『もしも』は無いですが、一本の矢が歴史を動かしたのは事実ですね。
それにしましても尼子家には、鹿と狼の戦いや白鹿城の矢文合戦と
物語が多いですよね。
246月と星より:02/04/07 19:49
今回は、12時15分頃に締め切りますね。
247月と星より:02/04/08 00:17
12時15分になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
尼子家の二代目は、尼子政久という事でお願いしますね。
もう出尽くしましたという感じですね。
次回のテーマ。毛利家の二代目は、毛利隆元で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
248233:02/04/08 00:41
尼子の二代目は政久では…と言い出した者ですが、
いわゆる「二代目」としては晴久の方がいいかもしれないですね。
政久は島津で言う所の久保みたいなもんで、イメージ的には晴久かな…
今さらスマソ
249月と星より:02/04/08 01:06
>>248
233さんへ。
あ、いいですよ。私が決めたからといっても強制力なんてありませんから。
ただ、私は尼子政久でいきますよ。
以前、伊東義益を伊東家の二代目にしていますし、
今回の毛利隆元も毛利家の二代目に考えていますのでね。
色々な意見がある方が色んな見方ができるから楽しいですよね?
250月と星より:02/04/08 01:28
とうとう、1/4まで来ましたね。
西日本もやれるのかな?やれる所までやりますね。
251月と星より:02/04/08 01:34
皆さん、温かい目で見守って下さいね。お願いします。
これからの予定。
三村家、浦上家と続きまして、その後は、四国に上陸かな?
252日本@名無史さん:02/04/08 01:41
>>250
確かに此処まで来るとは思わなかった
50くらいで蔵落ちするんじゃないかと心配したけど
(内容的に三戦板的でクラ板の住人は飛びついてこないので)
月星殿のこまめな対応がここまで続けられた要因でしょう
だいたい二代目はぱっとしないけどこの板の二代目(月☆殿)は
良くやっているとクラ板の住人も思いますよ
253日本@名無史さん:02/04/08 01:43
ごめん
何気にageてしまった
254日本@名無史さん:02/04/08 01:48
さらにごめん
クラ板じゃなかった
歴板でした
255月と星より:02/04/08 02:42
252番の方へ。
ありがとう。歴板の方も色々見てみますね。参加はしないようにしますが。
クラ板=クラシック、でいいのかな?
あと、必ず下げないといけない訳ではないので気にしないでね。
256日本@名無史さん:02/04/08 07:41
このスレって何するスレ?単に二代目を決めるスレなのか、それとも決めてから
語るスレなのかよう分からん。
257月と星より:02/04/08 09:47
>>256
256番の方へ。
1番の方は、二代目達について語り合う事をテーマに始めていると思います。
ただ、二代目の定義が人それぞれで、
武田勝頼や上杉景勝が本当に二代目なのかという事が問題となり、
そこで私が勝手ながら二代目を決めさせて頂いているという事になります。
二代目を決める前に、この人が二代目としての理由を主張する事も、
二代目を決めた後に、この人が二代目としての実績を主張する事も、
どちらでも構わないと重いますよ。
もともとは二代目の事が語り合える事が最重要事項ですのでね。
もう通り過ぎてしまった九州の戦国大名の事も良いと思いますよ。これで良い?
258月と星より ◆xQ5494pE :02/04/08 16:44
名前を変更しましたのでお知らせします。
259日本@名無史さん:02/04/08 17:17
>>258
名前じゃねーだろ。
トリップつけただけだろゴルァー!!(゚д゚)
260月と星より ◆xQ5494pE :02/04/08 17:41
そうか、トリップと言うのですね。ありがとう。
261外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/08 18:17
某スレでは引き続きトリップなし。
あくまでも某軍団のその他大勢なので、文章から判断できるのかな?

個人的には毛利の2代目は輝元かな、隆元独自の活動が見えないし。
弟達に遊びにきてくれないて愚痴を手紙で書いたぐらいとやはり
3本の矢のイメージしかない。

大友義統はがんばった方だと思うのですが、朝鮮の役の領地没収後、
の関ヶ原の際の石垣原の戦い。相手が黒田如水では相手が悪いけど。
西軍が勝ってたら負けていても京極高知位の扱いを受けてるはず。


262月と星より ◆xQ5494pE :02/04/08 21:52
>>261外郎屋さんへ。あの軍団の方ですね?
隆元独自にですか・・・。これは痛いですね。
私の知る範囲(とは書いても実は毛利家の事はさっぱりなんですけどね。)では、
父元就の後見があるようですしね。
個人的な考えに対して反論しているようで申し訳ないんですが、
独自性という点で考えた場合、
豊臣秀頼は世間的には二代目(あ、まだ決まってないね。)だと思いますが、
独自性はあるように見えず、母淀君の意向が大きく反映されていますよね。
北条家五代目北条氏直(独自性は確りありますけど。)も、
父氏政の意向(この場合は後見ですね。)が大きく反映されていますよね。
この二人の事を考えると、私は独自性だけで決められないのです。
外郎屋さん、御免なさいね。
でも、先代が長生きしたために実績が伝わらない人は結構多そう〜。

石垣原合戦は結果だけしか分からないの。
でも、黒田の主力は長政の所にいたんですよね?
如水(官兵衛)は予備軍と寄せ集めの軍、
また、大友も改易されていたのですから旧臣と寄せ集めの軍、
質では一緒かなと思うんです。数で勝負が決まったのですか?
263月と星より ◆xQ5494pE :02/04/08 21:57
12時頃に締め切りますね。
264秋田藩士:02/04/08 23:13
石垣原合戦で疑問なのですが、幾ら如水が率いてたと言っても主要な前線指揮官
は皆長政と一緒に関ヶ原に行ってたんですよね?、そうなると大将が居ても前線
指揮官がいなければ軍勢とはなれないと思うのですが、それでも大友勢を撃破
出来たと言うのが不思議なのですがどうしてなのか教えて頂ければ幸いです。
私としては確かに義統は如水には遥に及ばない人間ですが、旧臣が居た分前線
指揮官の揃ってたでしょうから、軍勢として大友勢の方が黒田勢より優れたと
思うのですが、何で負けたんでしょう?
265月と星より ◆xQ5494pE :02/04/08 23:27
>>264秋田藩士さんへ。
もし、兵力が互角でしたら、
地の利を熟知している大友側の方が有利ですよね。
黒田側も予備軍の中に元指揮官の老兵がそれなりにいたのでしたら、
如水(官兵衛)の智略が勝敗に影響がありますよね。
私もどのような合戦か不明なので教えて頂けると嬉しいです。
266秋田藩士:02/04/08 23:52
>>月と星よりさんへ
早速のレスありがとうございます、ちょっと調べてみたのですが黒田軍は同時期に
小倉方面、豊後方面、筑後方面と三軍に分かれて行動してるので、前線指揮官だけ
でなく如水の代わりに軍を率いた将があと二人は居たと思うのですが、この人物
の名前が判りませんでした。
267日本@名無史さん:02/04/09 00:30
如水の弟二人は九州にいたのでは?
268日本@名無史さん:02/04/09 00:31
>>262-263
朝鮮の役については完全な言いがかりです
はじめに改易ありきですね
石垣原の合戦はちょっと複雑ですが、そもそも義統は東軍に加担するはずで
行動しています
惣領の能乗(よしのり?よしのぶ)は徳川家に預かりですし家老格の吉弘統幸も
徳川家康との間で交渉しています
義統も黒田如水と東軍に加担することで話を進めていて、直前まで東軍に付く
事で一致して行動していました
ところが、義統が毛利家から兵200と武器の供与を受けたとたんに西軍に傾き
統幸や如水自身の説得工作もむなしく最終的には西軍に付きます
その後の毛利家の行動(本家は大将でありながら参戦せず、庶家の両川ともに
寝返って東軍に付く)を考えるとなんともです

兵力の件は、前にも書いたように権力の二重化構造が尾を引いている上に、東軍
から西軍に方針転換を行っているので大友家の棟梁にふさわしい兵力が集まって
いません
義統のもとに集まった兵は吉弘、田原(安岐)、宗像くらいでした
(南郡の田北家は細川家を通じて東軍で働く予定だったので参戦せず
その他の有力家臣たちも参戦を見合わせるか間に合っていない)

とにかく義統には、「お坊ちゃま」としか言いようの無い甘さがあります
戦後は敵将如水のとりなしで出羽の国への配流ですんでいます
269月と星より ◆xQ5494pE :02/04/09 01:11
>>268 268番さんへ。
本当ですか?それでは私が書いていた事以前の問題ではないですか。
この解釈は毛利家側の謀略という事で受け付けます。
黒田如水(官兵衛)に謀略かけるのは難しいからという事で。
270日本@名無史さん:02/04/09 01:29
「2代目」といえば、毛利隆元に興味がある。
歴史家の間では、ぼんくらという評価が多いが、俺はむしろこの人は有能だったのではないかと思ったりする。
例えば、陶晴堅との合戦で、元就はむしろ躊躇していたが、隆元が攻めるのを決断しているし、
彼の死後、税収入というか補足率が一挙に下がったと言う点でも内政にもそれなりの能力を発揮している。
それになによりも、吉川元春、小早川隆景という弟達が謀反を起そうとしなかったし、その遺児輝元を守り立てたのは
隆元に対してそれなりの敬愛感なり尊敬の念があったと思われる。

ただ、2代目のつらいところで、本来元就、隆元二人で成し遂げた偉業を世間は全部元就の功績と見てしまい、
その中で自信を失っていったんだろうなー。
271日本@名無史さん:02/04/09 01:59
>>265
合戦前夜
大友方
義統が長州上の浦で兵装を調えている所へ、吉弘統幸(家老格)が柳川藩
より駆けつけ東軍に組するよう叛意を願い出るが聞き入れず
同じく中津より黒田如水も使者を送り叛意をそくすがこちらも聞き入
れず、西軍に付く事で決定
一旦国東に上陸し家臣を糾合し、別府へ再上陸し立石に陣を張る
吉弘統幸、別働隊を指揮し木付(杵築)城(細川家)を攻めるが
攻めあぐねている所へ黒田軍の接近を知り軍を立石に戻す
兵力 約九百

黒田軍
長州上の浦への使者が不調に終わる所で大友家への戦闘を決意
城内広場に金子を積んで浪人を募集する
この時の浪人の中にはかなりの数の大友家の旧臣もいたらしい
(そもそも東軍で働く予定だったから)
軍を進発後、中立の高田藩(竹中家)へより東軍への参加を説得し
竹中重義を大将に兵200を加える
国東半島を横切り富来城(筧毛)、安岐城(熊谷家)の西軍方二城に
脅しを掛けて素通り(城主以下主力が関が原参戦で不在)
木付(杵築)城で細川家の兵200を加え石垣原に進軍
細川勢(松井康之、有吉立行)山手側実相寺山に布陣
黒田勢先遣隊(時枝平太夫、井上九郎左衛門)2000は海沿へ進軍
決戦前夜、如水再度義統へ使者を送り翻意を促すが聞き入れず
兵力 黒田本隊 1000(後方に布陣)
   先遣隊  2000
   竹中勢   200
   細川勢   200
272月と星より ◆xQ5494pE :02/04/09 02:31
>>271 271番さんへ。
兵力差も歴然としていますね。これで戦う事を考えたのですね?
情報が的確に入るという訳でもありませんが、
物見ぐらいは出していると思いますので、普通に考えても勝てるとは思えない。
しかも篭城戦ではなく野戦で挑んでいますから、
何か秘策があったんでしょうね。(一体どんな秘策があることやら。)
273日本@名無史さん:02/04/09 02:57
>>271続き
慶長五年九月十三日午前十時ごろ開戦
吉弘統幸、義統(吉統)に決別の挨拶をする
黒田勢、時枝平太夫、母里(森)太兵衛、海岸側より大友勢に対し
先端を開く
遅れて、細川勢、松井康之、有吉立行、山側から攻め入り挟撃を行うも
大友勢必死の働きで白兵戦となる
第一段階は大友勢の力戦で黒田勢を押し返す
黒田勢、援軍を投入して接戦約一時間後、大友勢が敗走を始める
これを追っていくと小川の反対側より鉄砲を撃ちかけ再度陣を建て直し
大友勢が反撃に転じる(憎っき島津の釣り野伏せをまねたか)
一進一退を何度か繰り返すが、兵力差は如何ともしがたく兵の疲労ととも
に大友勢の敗色濃厚となる
このとき吉弘統幸と井上九郎左衛門の一騎打ちがあり吉弘統幸が打たれる
(朝鮮の役の際、例の大友家卑怯の振舞として叱責され解体された際
吉弘統幸はこの井上家の預かりとなり、一緒に戦った仲であり、さらに
大友除国後もしばらくは身を寄せていた仲)
一騎打ちは互角であったが、井上の鎌槍が統幸の頬をしたたかに切りつ
けるのと統幸の槍が井上の胸をつくのが同時であった
しかし統幸のやりは井上の胸を軽く突いただけで鎧を通すような力では
無かったといわれており、討ち死に覚悟の統幸は、世話になった
井上九郎左衛門へ手柄を送ったとされている
また、統幸討ち死にの際、吉弘勢兵八十三騎、雑兵九十七人は亡き主君統幸
の周りで全員討ち死にしたと伝えられている
右翼大将吉弘統幸討ち死に後、左翼大将宗像鎮続も討ち死、その他多くの
将兵も討ち取られ大友方が敗退
日没前、義統は敗軍をまとめ立石から退陣
その後如水の本陣が石垣原に到着、義統に降伏勧告の使者を送る
翌日日没後、義統剃髪の上僧衣をまとい黒田陣へ出頭、降伏
なお、肥後の加藤清正もこの戦に参陣する予定で兵を進発させたが
由布院を過ぎた辺りで黒田の戦勝の使者が到着、兵を引き返す
如水は翌日の首実検の際、吉弘統幸の首の前で酒を献じ
「武門の習わしとはいえ、惜しい人物を死なせたものだ」と
惜しんだそうです
274月と星より ◆xQ5494pE :02/04/09 02:59
時間になりました(ごめん。)ので、締め切りますね。
結果発表。
毛利家の二代目は、毛利隆元という事でお願いしますね。
270番さんが良い事(>>270)を書いて頂いていましたので、
あと、正直に書くと自分の主観も入っていますよね。(御免なさい。)
尼子政久、毛利隆元、伊東義益、その他の方々、ちょっと可哀想ですね。
歴史って証拠が無いと『本当に無い。』になってしまうから仕方が無いのですね。
誰かがタイムマシーンを発明するまでは・・・。
次回のテーマ、三村家の二代目は、三村元親で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
275月と星より ◆xQ5494pE :02/04/09 03:13
>>273 273番さんへ。
戦場の花ですね。井上九郎左衛門も立派に応えたわけですね。
基本的には争い事や殺し合いは好きではないのですが、
こんな良い話があるのに何故有名ではないのですか?(私が無知なだけ?)
悪事は千里を突っ走るとありますが、良い事は難しいのですね。
276日本@名無史さん:02/04/09 03:32
>>275
上の書きこ(273等)は私(藤原三位卿)です
ノート+携帯でやってるので此処に三日コテハンを使っていません
吉弘統幸、享年三十七歳
この後吉弘統幸の首は、如水の好意で国東都甲の菩提寺に送られ
葬られています
また、統幸最期の地には神社(吉弘神社)が建てられ現存しています
黒田家の戦記でも「日ごろ情の在る物で、武の道に達し、将の器のあった人」
と褒められています
また、吉弘家の当主は祖父鑑理が病没した以外は、ほとんど戦陣の中、特に
敵陣のど真ん中で討ち死しています
岩屋城の橋紹運は叔父、立花宗茂は従兄弟です
私が統幸のファンなのも少しわかってくれたかな
277日本@名無史さん:02/04/09 12:47
>>251
宇喜多家もやりませんか?
278外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/09 18:11
>>262
2代目の件はあくまでも主観ですから気にしないで下さい。
よく考えたら大内義隆滅亡後の陶に敵対を明確にしたのは隆元でしたね。
大内家に人質に入っているし、御嫁さんも大内重臣の内藤家の娘ですし。
元就が躊躇ってるのをはっぱかけてました(>>270)。

本来は毛利の件なのに大友義統の話を振ったばかりに、そちらに皆さんの流れが
いってしまいましたね。申し訳ないです。
そうか東軍参加の予定があったのですね。そうすると・・・う〜ん。義統・・・。
ちょっとだけ弁護するなら、九州で明らかに東軍なのは黒田・加藤・細川家だけ
だから、そこで躊躇ってしまったのかもしれませんね。
御家復興を図った心意気だけでも評価してあげたかったもので。竜造寺政家に
比べたらと・・・話の流れとは関係ないので無視して下さい。
藤原三位卿のお話には感謝です。

次は三村家ですか。宝塚の劇に三村家を題材にしたものがあって、それで存在を
初めて知ったのですよ。最初毛利と同盟して宇喜多家と戦っていたけど、宇喜多
が毛利と同盟してからは宇喜多と戦うために毛利から離反、結局毛利に滅ぼされる。
皆さんのをROMって勉強です。

>>277
同意。宇喜多いいですね。
279大友家臣の末裔:02/04/09 22:41
戦国大名2代目はどきゅんが多いのですが、立花宗茂はどうでしょう。
立花道雪を初代とするとおそらく2代目では最強と思うのですが。

立花宗茂の戦績は見事の一言。

1 九州三国志 とくに、実父紹運の岩屋城篭城戦後、宗茂の三城奪回
2 1に対し、鎮西の一物と秀吉から激賞される。
3 九州平定、小田原城攻め、肥後の一向一揆鎮圧に目覚しい功績を挙げる。
4 朝鮮の役にて明の大軍を撃退、また加藤清正らを救出。
5 秀吉に激賞され、西の立花、東の本多と、西国一の武将と褒め称える。
  徳川家康を呼び、本多と立花を面会させる。
6 関ヶ原合戦では、西軍に属し、大津城攻め。西軍最強の部隊と言われ、
  大津城を落城させる。
7 関ヶ原敗戦後、大坂城にて再起を毛利輝元に促すも開城と決まり、柳川へ。
  途中、落ち武者となった島津義弘と一緒になるが大友の宿敵を討とうと進言する部下に対し、
  勇将のすることではなし、と島津と心を合わせて九州へ帰る。
8 東軍へ寝返った鍋島勢と合戦。柳川篭城となるも、加藤清正らの説得で開城。
9 加藤清正の庇護を受けたあと、浪人の身で江戸へ。家臣がやくざにからまれて
  やくざ3人を1人で斬ったことから将軍秀忠の知るところとなり、本多忠勝の
  熱心な運動もあって、旗本に取り立てられる。後、1万石の大名へ。
10 大阪の陣で秀忠の軍事顧問の役割を果たし、秀忠の危機をも救う。
11 西軍について改易された大名の中で、唯一、旧領復帰柳川藩主となる。
12 島原の合戦にも参加。家光からさすがは立左と激賞される。

280日本@名無史さん:02/04/09 23:24
道雪は大名か?>>279
それが理解出来ないなら来るな。
281藤原三位卿:02/04/09 23:59
三村家の事跡がいまいちわからない、というより周りの大名に対して
マイナーすぎる
詳しい方レスつけて

ちなみに三村親家はgoogle一発です
282日本@名無史さん:02/04/10 00:02
>>281
柳川藩祖は宗茂ではなく道雪とされています。

広い意味で、年齢的にも立花家の2代目と言うイメージが強いのですが、、。

なんとまあ、狭量な280さんですな。
283月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 00:03
276番(藤原三位卿)さんへ。
私事ですみませんが、高橋鎮種(紹運)、大好きなんです〜。
多分、立花道雪、立花宗茂の方が世間的には人気あるかと思いますけれど。
岩屋城の七六三名の無名の城兵達も大好き!
普通こういう方々を好きという人はいないと思うのですがやっぱり変でしょうか?
284日本@名無史さん:02/04/10 00:05
>>282
立花道雪は戦国大名か?
>柳川藩祖は宗茂ではなく道雪とされています。
だったら今までの2代目の決め方全て変えるべきだな。
285日本@名無史さん:02/04/10 00:09
>>280
べつにいいんじゃない?
286藤原三位卿:02/04/10 00:15
>>283
私も好きです
高橋紹運も吉弘家の出です
吉弘ばかり誉めて心苦しいのですが
ここの頭首と家臣は岩屋城の事跡のように「あまりにも潔い」のです
大友家に咲いた最後の大輪の華です
287月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 00:21
>>277 277番さんへ。
御免なさい。心配かけてしまいました。やりますよ。
変と思われますが宇喜多直家大好きなんです。領民には評判が良いんですよ。
>>278 外郎屋さんへ。
という訳でやります。(宇喜多家の事ですよ。)
三村家・・・、今までの中で一番マイナーなのかもしれませんね。
頑張れ三村家!メジャーになるビックチャンス。本当かな〜?
288月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 00:40
>>279 279番さんへ。
立花宗茂の家臣に内田元叙(もとのぶ)という人がいるのですが、
この人がとても好き。
歴史に『もしも』は無いですが、立花宗茂が関ヶ原にいてくれれば・・・。
289藤原三位卿:02/04/10 00:52
>>288
おおー禿堂
歴史のIFを考えるとわくわくしますね
だけど、当時の人もかなり思い入れを込めて歴史を
書き残しているので、このIFの部分を取り除いて史実を直視するのは
大変ですね
290月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 00:59
>>280 280番さんへ。
私も初代が立花道雪?う〜ん。と思いましたよ。
>>282 282番さんへ。
ありがとう。私も勉強になりました。

>>284
あと、この二代目の決め方なんて、ほとんど私の主観で〜す。
強制力なんかありませんし、歴史上の人物に直接聞いて来た訳でもないので、
皆さんがこの決定に従う必要なんかありませ〜ん。(当たり前だ〜!)
色々な考えを知る事で、自分自身は何を見つけ出す事ができるか、
そういう目でこれからも見て頂けますと気楽に見れますよ。(^−^)
勿論、強制力は無いですよ。
291日本@名無史さん:02/04/10 01:12
まあ、立花家を語る上で道雪はかかせないでしょ。
鍋島も勝茂が初代だけど直茂ははずせないし。
292月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 01:14
>>285 285番さんへ。
ありがとう。
こう書いて頂けるという事は、いつも見ていらっしゃる人なのでしょうか?
これからも頑張っていきますね。
>>289 藤原三位卿さんへ。
御免なさい。『禿堂』とは?多分専門用語ですよね?
良い意味で使われているのかなと思うのですが当たっています?
293日本@名無史さん:02/04/10 01:15
>>292
はげしく同意の略。当て字ですな。
294日本@名無史さん:02/04/10 01:20
それにしても、三村さんのレス付かないですよね
検索してもたいしたこと出てこないし
「三村さーん、このままだと歴史に埋没しちゃいますよー」
295日本@名無史さん:02/04/10 01:22
鉄砲で暗殺された武将って三村家親ぐらいか?
未遂なら信長がいるけど。
296藤原三位卿:02/04/10 01:31
>>295
一説には武田信玄鉄砲暗殺説てのもあるけど
眉に唾して読まないといけないけどね
297月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 01:32
>>291 291番さんへ。
鍋島勝茂って関ヶ原合戦では伊勢方面に出陣していたんですよね?
私の推測ですが、毛利秀元、吉川広家、長曽我部盛親、毛利勝永らと、
行動を共にしていたと思われるのですが、南宮山近辺には布陣していません。
鍋島勝茂と毛利勝永は伊勢の長島城にいたのでしょうか?
毛利勝永の事が知りたくて調べているのですが確証が取れないのです。
298月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 01:58
>>293 293番さんへ。
感謝!『禿』という字、知りませんでした。学校で習ったのかな〜?
>>294 294番さんへ。
島津家に意見が無かったのですから、仕方が無いと思います。
>>295->>296 295番さん&藤原三位卿さんへ。
1562年に三好義賢が久米田合戦で鉄砲に撃たれて戦死。
1550年7月15日に、やっぱり三好の兵が鉄砲により戦死しています。
この頃では実戦には向かない武器ですが、記録には残っていますね。
299月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 02:00
今回は2時40分頃締め切りますね。
300291:02/04/10 02:01
鍋島勝茂は長島城(福島正頼)の抑えだったかな?
勝永はわかりません…多分長島か安濃津にいたのでは
301日本@名無史さん:02/04/10 02:05
>>298
295のは暗殺の話ですよ。
死んだだけなら森長可とか武田の重臣とかいますが
302月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 02:06
>>300 291番さんへ。
あ、安濃津城もありえますよね。そ〜か。
303藤原三位卿:02/04/10 02:10
>>297
勝永は関が原に行ってません(と思います)
小倉城で篭城してた様な記憶が
記憶違いならごめん
昨日の如水の軍のうちの一つが攻めた相手で、もう一つが柳川の立花
304月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 02:14
>>301 301番さんへ。
あ、なんか脈絡無く書いている様に見えますね。
信長流の鉄砲の使い方が登場するまでの、
鉄砲の使われ方を考えてみたのですが・・・。
でも、三村家とは関係ないからいいです。御免なさいね。
305月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 02:32
>>303 藤原三位卿さんへ。
多分、島津家や鍋島家と同様に九州に戻っているんですよ。
黒田家の小倉城攻めって、10月14日開城ですよね?
306日本@名無史さん:02/04/10 02:36
>>16
したり って?シカリじゃないの?
307291:02/04/10 02:41
今ちょっと調べて見たら、毛利秀元の指揮下で南宮山に布陣したって書いてあるサイトがありますね
308藤原三位卿:02/04/10 02:47
>>305
南宮山に布陣したのは父親の毛利勝信で、毛利秀元の与力
息子の勝永が父に代わって自分の手勢を率いて小倉城に入り留守居
だったはずです
309藤原三位卿:02/04/10 03:03
310月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 03:30
>>>309 藤原三位卿さんへ。
ありがとう。見てきました。あんな便利なものがあるんですね。
ついつい見入ってしまいました。
父様の方が出陣された訳ですね。
でも、同じ名前だからといっても一族ではないのですから、
戸田重政、平塚為広と同じ様に扱って欲しいですね。
竹中重門も黒田長政に属していましたよね?こういう人達って多いのかな?
311月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 04:09
306番さんへ。
ずいぶん前のを見つけましたね。まだ私がいない時ですよ。

3時30分になりましたので、締め切ります。
結果発表。
三村家の二代目は、三村元親という事でお願いしますね。
ま〜、こんなところですね。
次回のテーマ、浦上家の二代目は、・・・?あれ、誰だろう?
浦上村宗が主家の赤松義村を暗殺(?)していますが、
子の赤松晴政を傀儡にしていますから、戦国大名とは言いにくいですよね。
村宗自身は自らが立てた傀儡の晴政に敗死してしまいますしね。
子の浦上宗景は自立して戦国大名になったと言えます。
(兄の浦上政宗は家督争いに負けたと考えていますので。)
ただ、宇喜多直家にやられてしまいましたので・・・二代目は直家?

浦上家は二代目はいないという事でお願いします。(おいおい。)
宇喜多家の二代目は、宇喜多秀家で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしていますね。(私の方にありそう・・・。)
312日本@名無史さん:02/04/10 05:05
っていうか、ここで言うところの戦国大名とは、戦国時代に自立していた大名
ってことでいいの?いまいちよう分からん。
313日本@名無史さん:02/04/10 05:48
>>312
君がよくわからん。
それ以外でいうところの戦国大名とは?
314月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 06:04
>>312 312番さんへ。
そうですね、そんなに拘っている訳ではないですから、
自立をしていなくても良いかなとも思いますよ。
例えば、浅井家(まだ二代目を決めてはいませんが。)で考えますね。
自立という点で考えますといまひとつ弱いなかなと思いますの。
朝倉家の従属勢力浅井家に、織田信長が独立勢力として対応して、
引抜をかけてきたと考えますと、分かりやすかったりしますしね。
松平家も独立勢力と考えますと、?マークがついたりする人もいますよね。
逆に、陶晴賢を取り上げてないのは、大名とは言い難いのかなと思います。
皆さんもこの人の事を取り上げないようですしね。
陶晴賢や浦上村宗の問題点は、
実を取る事ができましたが、名を取れていない事が大きいですね。
すぐに滅んでしまった事も痛いですよ。
でも、これは私的な考えですので、
『二代目はこの人!』というのがありましたら、是非書いて下さいね。
これでいいのかな?
315日本@名無史さん:02/04/10 06:08
守護大名と戦国大名との違い、それから戦国大名とそれ以下との
境界線がよく分からんわけよ。
たとえば、安芸武田氏なんかはどうなるんだ?いちおう戦国時代に大名だったが、
あんまり戦国大名とは言わないと思うが。小弐なんかも。
316月と星より ◆xQ5494pE :02/04/10 06:12
あ、考えてみたら、陶家の二代目で陶長房を主張する人がいるのかな?
317日本@名無史さん:02/04/10 06:26
一般的な解釈で言えば
応仁元年から天正元年までで、室町幕府や朝廷などの旧権力に頼らず
国人層を家臣団に組み込むなどをして農民に対する直接的な支配を強化し
専制的な支配を領国一円の政治・経済などの全分野に及ぼし
また、及ぼす為に分国法・城下町建設・商工業者の保護統制・宿駅と伝馬の整備などに努めた大勢力
となってますな
318日本@名無史さん:02/04/10 06:36
317は戦国大名

守護大名は幕府に任ぜられて
荘園・国ガ領の年貢を請け負う守護請、ケツ所地や半済の給付、段銭・棟別銭の徴収
軍勢催促などの諸権限を持ち、これをもって領国内の国人層を支配した
地域的な封建権力を打ち立てた勢力
となってる
319日本@名無史さん:02/04/10 06:42
最後に国人

地方の地頭・荘官・有力名主らが自立し、地域的な党・一揆などの連合体を組織して
一郡ないし一国規模で行動した勢力らしい
320日本@名無史さん:02/04/10 07:42
微妙ですな。このスレでは戦国大名大内氏の二代目は義隆ってことになってるが、
では初代の義興とその先代の政弘の統治がそんなに違うかって言うと・・・。
大友でも同じことが言えるでしょう。
まあ、どいつが戦国大名かっていうのは適当っていうことで。
321日本@名無史さん:02/04/10 08:01
微妙なのはいいとしても明らかに違うと思われるのは除くべき。
322外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/10 18:37
あっ。三村家の話題ではなく立花家で盛り上がってる。
話題に上がってる三人は今更ここで語ることも無いくらい。
ただ高橋紹運は岩屋城の攻防の時に既に老将のイメージがあるのだけど
実は40歳と思うともったいないですよね。
立花道雪と同僚って書かれてると同じ年位に思えてしまう。

宇喜多は事績よりイメージが先走ってしまいますが。
戦国大名としては直家なのだけど戦国大名二代目となると秀家は違うな。
秀家は織豊大名ではあるけど。秀家自身豊臣家で人質で指図してないから、
ここでは秀家が成人するまで宇喜多家をまとめた忠家を、宇喜多秀家(忠家)
で押させて頂きます。

宇喜多直家といえば戦国の三悪人に例えらて手段も悪辣だけど、祖父以来の
御家再興という目的があるなら、松永久秀、斎藤道三に比べると多少は考慮できるのかな。
しかし実の弟(忠家)が兄の前に出るときは鎖帷子を付けていたという逸話は頂けないな。
宇喜多秀家はそんな父親とは逆に真っ直ぐなイメージですね。秀吉にとっても血がつながら
ないから安心してかわいがることもできたろうし。豪姫との結婚もそんな秀吉の愛情の一つ。
でもそのおかげで秀家はあまり岡山に戻ってないんですよね。それで関ヶ原前に家臣が分かれ
てしまうのですが。関ヶ原でも負けたにせよ前田利長や島津義弘から助命嘆願で一命を助けられ
八丈島で80歳くらいまで生存。どこかで父親の生き方を反面教師にしてる感じがします。
あと宇喜多家で忘れてほしくないのは坂崎直盛、宇喜多忠家の子供で大坂夏の陣の際の千姫救出
劇で有名。伝説かどうかはさておいといて叔父直家を反面教師にしている感じがしますね。
323日本@名無史さん:02/04/10 21:04
でも、秀家は家臣団の統率がなってないんだよな。
真っ直ぐすぎて気に入った家臣を重用しすぎたってとこか。
324藤原三位卿:02/04/11 00:48
>>322
確かに直家というと暗殺、毒殺何でもありで陰湿なイメージが強いけど
考え方によったら、頭だけとって、民、兵、将みな無事なんだから
かえって人道的ともいえるような気がする
325月と星より ◆xQ5494pE :02/04/11 01:28
>>322 外郎屋さんへ。
1581年、宇喜多直家死す。このタイミングは良いのか悪いのか?
この当時ですと秀家10歳。羽柴秀吉には良かったのかな?

宇喜多忠家の存在はとても大きいですよね。
朝鮮出兵の頃までは生きていたのですよね?
326月と星より ◆xQ5494pE :02/04/11 01:50
今日は、3時頃に締め切りますね。
327日本@名無史さん:02/04/11 02:00
宇喜多基家が死ななかったらまた歴史が変わってただろうにな
328月と星より ◆xQ5494pE :02/04/11 02:08
>>327 327番さんへ。
御免なさいね。宇喜多家の事はそんなに詳しくは無いので分かりませんの。
329藤原三位卿:02/04/11 02:17
>>323
大阪表の秀家と国表の忠家との間に徐々に溝ができて、関が原の時には
忠家の子供は徳川についているような(?)
とにかく、秀家が国許をほとんど忠家にまかせきっていたので、二人の間の
亀裂が、家臣の亀裂となったみたい
330日本@名無史さん:02/04/11 02:56
うきた家も結構長く続いたんですね(@_@)фメモメモ
331日本@名無史さん:02/04/11 04:21
家中が秀家派と忠家派に割れたってこと?普通は長船対その他、
キリスト教対日蓮宗ってな感じでいわれることが多いと思うけど。
332月と星より ◆xQ5494pE :02/04/11 10:38
かなり遅れましたが、締め切りますね。(2時過ぎ頃に眠ってしまいました。)
結果発表。
宇喜多家の二代目は、宇喜多秀家という事でお願いします。
こうして見ますと、宇喜多家って人気ありますね。
しかも、宇喜多忠家の存在ってとても大きいのなのですね。
次回のテーマ、河野家の二代目は、河野通政で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
でも、河野家って分かり難いですね。来島騒動が衰退の原因なのでしょうかね?
333日本@名無史さん:02/04/11 11:13
宇喜多忠家自体にはあまり野心はなかったと思うよ。
直家が死ぬとすぐに出家して、秀家を立ててるし。

>>328
基家は直家の養子だった人です。春家の子。
1581年、毛利勢との合戦で戦死。足腰の神様(?)としてまつられた。
334藤原三位卿:02/04/11 12:43
>>331
私自身は宇喜多についての知識があまりないので
以前読んだ本がそんな切り口だったので、そうかなと思ってました
領国をあまり省みない秀家に対する不満を忠家が吸収していたけれど
宗教とか朝鮮の役などの問題で少しずつ気持ちがずれていき、最終的に
関が原の際に忠家の跡継ぎが徳川についてしまう
というような展開でした
長船の件は、囲碁をしてて鉄砲で撃ち殺される事件のことですか
335日本@名無史さん:02/04/11 16:10
宇喜多騒動について
秀家が秀吉の養子ということもあり、国許を岡、長船、戸川、花房の四重臣体制
で運営していたが、長船が朝鮮出兵の留守中に露骨な派閥人事を行ったため家中が険悪化。
反長船派は宇喜多右京亮(忠家の子、後の坂崎出羽守)をたて秀家に諫言
・・・するも秀家これを放置プレイ(w
この時長船が急死した為 長船派筆頭中村刑部(元々は豪姫の付き人)毒殺と騒ぎ立てる。
対立は手が付けられず、大阪城下であわや合戦か?というところまで発展。
これに家康と三成の綱引きが絡むが、めんどくさいので割愛。
結果、家康が大老職権で表向き反長船派を蟄居(実質取り込み)させて一件落着。

直家、忠家は秀吉、秀長の関係に似てると思うけどなぁ
本人がそう望んだかは別にして
336日本@名無史さん:02/04/11 16:19
↑あ、普通言われてる宇喜多騒動ね。
337日本@名無史さん :02/04/11 16:49
河野家・・・マイナーだな(汗)。
本家分家の争いでややこし過ぎ・・・

河野通直の親父って誰?
っーか河野家もうわからん(汗)。
338外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/11 18:04
>>325
直家の死が宇喜多家にとって吉かどうかは微妙な気がします。
宇喜多家は秀吉の中国平定のキーマンだと思うのです。
毛利から織田に寝返った際、秀吉は信長から宇喜多の寝返りを許したことを叱責しています。
後の高松城の水攻めに信長に出陣の要請を以来した理由の一部に、それの帳消しも含まれてる
といわれています。
史実だと直家の死によって奥方を側室にしたことで秀家を実質的に人質にしたにせよ、家中を
安心させることができます。それはほぼ秀吉直轄軍と扱うこともできます。そこを強調できれば
信長の叱責もかわせられます。
秀吉にとっては吉ですね。豊臣政権下で宇喜多の優遇を考えるとこれも吉。
ここから先は歴史のIFですが。
もし直家が生きていたら暗躍癖は直らないから、秀吉の中国平定戦はどうなったか分かりませんね。
その時に本能寺の変が起きたら・・・?
素直に秀吉に従っていても信長が許すかどうか・・・?
そのとき秀吉は・・・(明智家と長曽我部家の関係に近いかも)秀吉の本能寺の変か?
という理由により微妙です。

忠家はいつまでいきていたのだろう。没年不明みたいです。
でも秀家が一軍の将になるころだと表にでてないみたいですね。

次は瀬戸内海軍ですね。
大祝の鶴姫に一票
(オイオイ・・・そりゃ三島水軍だけど、二代目か?)

>>329
その忠家の子供が坂崎直盛(>>322)です。
家中の対立は>>335に書いてありましたね。
339334:02/04/12 00:19
>>335
Thank's
この対立を大阪派と領地派=秀家派と忠家派みたいな書き方だったようでした
で、その本では長船 某は毒殺じゃなくて囲碁に誘い出されて鉄砲で射殺された
という話になっていた様な記憶です

河野家は三つに分かれていてそのうちの二つの派の当主がほぼ同じ時期に通直
で、守護家の通直が死んだ後の河野家をまとめたのがまた通直だったという
複雑な関係でした
340月と星より ◆xQ5494pE :02/04/12 01:00
ただ今、帰りました。
今回は、2時20分頃に締め切りますね。
341月と星より ◆xQ5494pE :02/04/12 01:19
今読ませて頂きました。
宇喜多家の話今だ終わらず、宇喜多騒動の事を取り上げているなんてびっくり!
でもどちらにしましても、岡山の宇喜多秀家は影が薄いという印象かな。
関ヶ原の宇喜多秀家なら黙って見ている様には思えませんけどね。

それにしましても、直家君、あなた養子がいたのね。なんだか意外です。
342335:02/04/12 03:14
>>339
大阪派と領地派という視点なら秀家の措置は意外と剛腕だったかも
何かの小説で関が原時の宇喜多軍は夾雑物を排したものであった・・・
という評価をしているものがあったし。
343月と星より ◆xQ5494pE :02/04/12 03:43
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
河野家の二代目は、河野通政(何した人なんだろう?)という事でお願いしますね。
やはり、河野家の敗因はお家の事情に有りという所でしょうか。
次回のテーマ、長曽我部の二代目は、長曽我部元親で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしていますね。

お知らせ。私事ですみませんが、4月14日(日)、15日(月)は、
『高山祭』に出かけますので、14日の日は多分ここにはいないと思います。
詳細は、また明日書きますね。
344日本@名無史さん:02/04/12 10:53
>>337
河野家最後の当主・牛福丸四郎通直の父は
河野家庶流・池原通吉といって、戦っては侵入して来た
長宗我部・三好らを撃退し、善政を敷いて慕われた
名将だったそうです。宗家・通宣の隠居により
通宣の養子に入っていた息子の通直が幼少で宗家を継ぐと、
これをよく補佐し家中をまとめ上げるのですが、
天正七(1579)年に通吉が急死すると再び混乱状態になり、
長宗我部氏の傘下に屈してしまう訳です。

>>343
時間切れですけど、通政は夭折してしまっているし
通宣の方がしっくりとくるような・・・。
予州家通存の子で、天文十二(1543)年に死んだ、
という事しか解らないです・・・
345日本@名無史さん:02/04/12 13:08
>>343
長宗我部の2代目は信親では? 豊後大友家の救援のため、戸次川の合戦
で壮烈な戦死。元親はショックのあまり、人格がかわってしまったという。

このとき、大友吉統は、はるか後方にいて、しかも逃げ出してるんだよね。
346日本@名無史さん:02/04/12 13:29
>>342
むしろ関が原のときの宇喜多軍は夾雑物で構成されてたようです(藁
明石全登が戸川秀安に宛てた手紙によると、重臣連の抜けた穴を浪人で埋めたことが書かれてます。
六千人の福島勢相手に一万五千の兵力で互角の戦いしかできなかったのもそのせいでしょう。
347日本@名無史さん:02/04/12 13:32
ちょうそかべ が変換できない。(ウインドウズXP)
李舜臣とか盧泰愚は一発変換なのに、、、、。
348日本@名無史さん:02/04/12 14:00
歴史群像の「戦国合戦大全 下巻」のP166〜167には河野は長曾我部に屈してなかったと言う説が書いてあるね。
詳しくないからわかんないけど、どうなんだろうね。

それと長曾我部の2代目が信親と言うのは無理があると思うけど。
国親の事もあるし、何より信親が家督を相続してないんだし。
349日本@名無史さん:02/04/12 14:06
>>347長宗我部=ちょうそ「が」べ
350日本@名無史さん:02/04/12 14:13
長曽我部家の二代目は一般的に言って盛親なんでは、
英雄的な親父の後を継いだし。
351日本@名無史さん:02/04/12 16:22
信親は家督継いでないなら除外だね。
問題は国親をどう評価するかなんだけど、一旦滅びた長宗我部を再興し、
吉田氏やら香曽我部氏やらとうまくやって元親の飛躍の基礎を作ったからな。
ちょうど織田家でいうところの信秀みたいなものか。
でも、国親当時の長宗我部氏は大名といえるかどうかは疑問。
せいぜい有力国人といったとこだとおもう。
ということで、不本意ながら元親に一票。

ところで、長宗我部と長曽我部ってどっちがより正確な表記といえるんでしょ?
352外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/12 18:28
長曽我部元親も信親なき後の行動が秀吉の老後に重なりますね。
盛親と信親娘の結婚、吉良親実、比江山親興を死に追い込んだり。
盛親も関ヶ原の敗戦後、井伊(だったかな?)を通して本領安堵の約束
があったのに津野親忠に詰め腹切らせて領地没収。
そこまで津野に家中の信頼があったのかな?
大坂の陣参戦の心意気は買うんだけど・・・あそのこ連中は死に場所求めてる
だけだし。
でやっぱ、盛親に一票
353日本@名無史さん:02/04/12 18:36
でも本来なら家督を継ぐはずだった有力大名の御曹司って、
いずれも非業の死を遂げている気がする。
織田信忠
岡崎信康
長曾我部信親
武田義信
(上杉景虎)
354日本@名無史さん:02/04/12 18:49
長曾我部って、関ヶ原では全く動かなかったのか、前がつかえて動けな
かったのか、どちらなんでしょう?

また、戸次川の合戦での信親公の戦死は本当に涙をさそうね。
355335 342:02/04/12 19:42
ワラタ その小説思い出した。ヘボ小説だった(w
356日本@名無史さん:02/04/12 19:45
>>346
357351:02/04/12 20:27
訂正。二代目は元親じゃなくって盛親だと思う。
358日本@名無史さん:02/04/12 22:46
>>345
このとき大友義統の手元にはほとんど兵力がなかったんです
実際、高崎山城に篭城するだけの兵もいないので豊前まで後退しました

大分県民ならびに大友ヲタを代表して、高知県民ならびに長曾我部ヲタの
皆さんにお詫び申し上げます
359月と星より ◆xQ5494pE :02/04/12 23:30
ただ今、帰りました。
今回は、1時30分頃に締切りますね。
360日本@名無史さん:02/04/12 23:44
二代目は元親に1票
山田氏を駆逐し、香宗我部氏を取り込み、本山氏を長浜合戦で破り
土佐における長宗我部氏の勢力を確たるものにした国親を中興の祖と見て
2代目は元親だと思う

戸次川合戦で、大友義統や長宗我部、十河を責める人間はいないでしょうな…
十河と長宗我部は渡河に反対して、大友は増援が来るまで戦うのをやめるように言ってるんだし
361月と星より ◆xQ5494pE :02/04/13 01:02
>>344 344番さんへ。
河野通直の実父は池原通吉という方なのですか。
まだまだ私が知らない将がいるわけですね。記憶させて頂きます。ありがとう。
>>345 345番さんへ。
私も長曾我部信親は勇将と認識しています。享年22歳。
>>346 346番さんへ。
徳川家康の天下への執念。こういう所は凄いですね。
>>347 347番さんへ。
一発変換、北条氏康はできますが、北条氏政はできない。悲しいよ〜。
>>348 348番さんへ。
河野家については私も詳しくないのですが、
桶狭間合戦においての織田信長の尾張未統一と同じレベルではないのでしょうか?
>>350 >>351 350番さん&351番さんへ。
長曾我部国親の評価が問題でありますね。
私は有力国人として考えていません。浅井長政と同じ様な感覚かな?
基準は私の独断偏見でありますから気にしないでね。
362藤原三位卿:02/04/13 01:22
>>361
ネームバリューから行けば長曾我部、実質は一条氏ですね
一条氏が語られることは少ないですが、かなりの勢力でした
363藤原三位卿:02/04/13 01:33
話を戻してごめん
河野氏の場合は、通が通字のため「通直」が何人もいる
守護家最後の当主「通直」の爺さんが「通直」、その曾爺さんが「通直」
上にも書いた守護家が絶えたあと河野氏をまとめた豫州家最後の当主も「通直」
よく観ないと死んだはずに人が再登場してくるようでよくわからなくなる
ちなみに、近所の河野さんも「通○」を使っている
364日本@名無史さん:02/04/13 01:39
今日は誰だーっ
365日本@名無史さん:02/04/13 01:59
>>360
確かに戦国大名長宗我部氏の基礎を作ったのは国親ですね。
でも、国親はがんばったんだけど、土佐にはまだ実力と権威を兼ね備えて
ぬきんでた存在の一条氏、有力豪族の本山氏、安芸氏がピンピンしてましたからね。
国親だけを見ると、戦国大名といえるほどの勢力はなかったかと。
366月と星より ◆xQ5494pE :02/04/13 02:22
>>352 外郎屋さんへ。
子を失う親の気持ちを幾人の人が体験したのでしょう?
天下統一への動乱の中で知って欲しい一つですね。
>>353 353番さんへ。
家督を継承する事も大変な時代なのですね。
くじ引きで決められた将軍もいるというのにね〜。
>>354 354番さんへ。
長曾我部盛親は関ヶ原合戦の場にいたとは言い難いですね。
私個人の考えでは『前が動かないので動かない。』かな。
積極的に動いてはいませんからね。(もともとは東軍にと思っていたのですよね?)
>>358 358番さんへ。
その当時の事をあまり批判をしたくはないのですが、
どう考えてみましても、仙石秀久の失策と思いますよ。
いくら自分の国だからと言いましても大友義統には責任は無いです。
ここで討ち死にしてしまえば、大友家としては大問題になります。
一筆。この話で、長曾我部信親を批判するつもりもありません。
長曾我部家にも討ち死にしなければならなくなってしまった事情がありすからね。
367藤原三位卿:02/04/13 02:33
>>354
動かなかったみたいよ
ただし国許の津野親忠(長宗我部親忠)を謀反として切腹させたのが家康の不興
を買い、お取り潰しと成ったらしい
詳細不明、それだけ書いてあった
368藤原三位卿:02/04/13 02:43
ちなみにみんな使っている「長曾我部」と「長宗我部」どちらが正しいのじゃ
調べたらほとんど「長曾我部」、ただし一部わざわざことわって「長宗我部」
を使っているとこもあった(宗我部郷の出身で長宗我部と言う書き方)
ただし、読みはにごらない方の「チョウソカベ」を使っていた
369日本@名無史さん:02/04/13 02:44
久武親直の進言だったといわれてますね。
ところが親忠さんはタヌキの腰巾着、藤堂某の息子だかなんだかと
仲がよかったらしくって・・・。盛親君、あぼ〜ん。
京都の寺子屋にデューダするはめに。
という話だったような。
370外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/13 02:53
>>368
それを言ったらちょっと戻るけど、浮田と宇喜多どっちが正しいのだろう?
371日本@名無史さん:02/04/13 02:53
>>349にもでてるけど、うちのパソは「ちょうそがべ」で、長宗我部がでる。

ちなみにこういうもんを見つけました。

 おまけ:「長宗我部」の表記について
 「長宗我部」は「長曾我部」や「長曽我部」と表記されることがあります。
 ですが、以下の点から「長宗我部」を使うこととします。

 ・当時は音を聞き当て字を当てることが多かった。
 ・子孫が「長宗我部」と名乗っている点。
 ・「長曾我部」や「長曽我部」を使っている資料が少ない。

 ttp://home3.highway.ne.jp/mas/shikoku/
372月と星より ◆xQ5494pE :02/04/13 02:57
>>364 364番さん、大変お待たせいたしました。
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
長曾我部家の二代目は、長曾我部盛親という事でお願いしますね。
今回は、初めての逆転劇が起きてしまいました。
私が押す長曾我部元親が二代目になれなかった理由は、
初代長曾我部国親が戦国大名としてではなく、
有力国人の認識がここでは強いと感じましたので、この結果となりました。
浅井長政などを出して抗戦を試みてみましたが衆寡敵せず敗退です。
次回のテーマ、三好家の二代目は三好義継で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしていますね。

心の中では、三好義興なのですが家督を継承してないですよね〜。

私事ですが、明日はいると思います。
明日の予定は、二家を取り上げてみようと考えています。
一方は本願寺家(?)。戦国大名ではないと思いますが、
反対が無ければやろうかな〜と思います。
もう一方は足利家(?)。これも戦国大名では断じて無いのですが、
反対が無ければやりますね。(傍若無人ですよね〜。)
373日本@名無史さん:02/04/13 02:57
>>370
基本的には宇喜多=本家、浮田=庶流でしょ
374日本@名無史さん:02/04/13 02:58
>>370
子孫は浮田を称しているところが多いね
375日本@名無史さん:02/04/13 17:48
三好の二代目は義継でしょ。元長は大名とはいえないから長慶が初代、
義興は家督相続する前に死んでもうたから、二代目は義継。
でも、なぜ義継が継いだんだろう・・・。
376月と星より ◆xQ5494pE :02/04/13 22:04
ただ今、帰りました。
今回は、12時30分に締め切りますね。
>>375 375番さんへ。
私も不思議です。でも、誰が選ばれても同じかな?
ちなみに、私は三好長慶とその弟達が大好きですから、
義継君の良い所を誰か教えて下さいね。(これはランクAの難問と思われます。)
377月と星より ◆xQ5494pE :02/04/13 23:51
残り30分ですが『本願寺家』と『足利家』の事は良いのかな?
もう少し様子を見ますね。それでは、またここで。
378日本@名無史さん:02/04/14 01:16
三好の二代目は長慶
元長は長阿波を統一して、讃岐や淡路を勢力圏にし、足利義維と細川晴元を擁立して
京に入り、当時の管領の細川高国を討ち滅ぼした

十分戦国大名と言えると思う。
379藤原三位卿:02/04/14 01:28
三好はやっぱマイナーで盛り上がりに欠けるので一回上げとく
集えや、新参者ども
380月と星より ◆xQ5494pE :02/04/14 01:36
もう少し考えますね。
三好元長は織田信長と同じ様に(しかも早くに)擁立して幕府を牛耳る事ができました。
ただ、この二人の考えが『幕府を操る事』と『幕府を利用する事』に分かれてます。
この似て非なる相違点をどう考えたら良いのかな?
381日本@名無史さん:02/04/14 01:41
>>380
それが「戦国大名2代目」とどう関係あるんでしょ?
382月と星より ◆xQ5494pE :02/04/14 01:45
では、三好長之や三好長秀(家督を継承しているとは思えませんが。)はどうします?
彼らは抜かします?
383日本@名無史さん:02/04/14 01:54
之長は細川澄元の重臣として、澄元の意向に沿って軍事行動を行なってる
元長は足利義維と細川晴元を(語弊があるけど)自勢力で擁立して、傀儡として扱おうとして晴元と対立してる
その差だと思う
384藤原三位卿:02/04/14 02:03
>>380
深く考えたことないけど、スタンスの違い見たいなのはわかるな
三好氏にとっての幕府は、自分のステータス(幕府高官?)を確立
するためのもので、あくまでも幕府組織の一部
織田信長のポリシーは「天下布武」で、国土すべての領地化すること
幕府も宗教も、あるいは天皇の権威さえも別次元の話で
あるものを利用しただけでしょう

>>381
あまり気にしないでください
ここはそんなところです
385月と星より ◆xQ5494pE :02/04/14 02:17
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
三好家の二代目は、三好長慶という事でお願いしますね。
>>383
ここで明確な違いを出して頂きましたので、
今回も逆転という結末を迎えました。
確かに御幣はあるかなと思いますが、私はこういう考えがとても好きです。
次回のテーマ、
1、本願寺家の二代目は、教如で良いでしょうか?
2、足利家の二代目は、足利義輝(第13代将軍)で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。

お知らせ。今回はこの二家について考えていく事になってしまいました。
以前、お知らせしました様に明日はここにはいません。すみませんね。
この二家の結果発表は月曜日の真夜中にありますのでまた見てください。
それでは、またここで。
386日本@名無史さん:02/04/14 07:01
もう決まったようなので今更って感じだが、元長は有力被官の域を出ないだろ。
>>378に阿波を統一して、讃岐や淡路を勢力圏にし、とあるが、そんなことしたっけ?
安宅や十河に養子を出したのはあくまで澄元、晴元派内部での養子のやりとりに
過ぎない。毛利元就が独立以前にやったことと同じ。
晴元擁立も元長単独でやったわけではなく、柳本賢治や三好政長、その他旧澄元派が
京都を制圧したあとで、晴元つれて上洛したわけだし。
傀儡として利用しようとしたのかもしれないが、柳本、木沢、一族の政長などと
対立し、結局失敗。大内家における陶晴賢以下。
之長と元長は五十歩百歩の観が否めない。之長は、澄元が阿波守護家から
京兆家に養子に入った時に付き従ったらしいので忠誠度が高く、元長は
時代が下って細川家の権威がより落ちた分独立性が高まったってとこでは?
387藤原三位卿:02/04/15 00:36
歴史のIFは禁物ですが、このときに顕如上人、教如上人が信長を破って天下の
覇権を手にしていたら西欧のキリスト教のように成っていただろうか、それとも
タリバン/アフガニスタンのようになっていたか興味がわきます

ちなみに
お東さん(大谷派)は十二世を教如上人としていますが、お西さん(本願寺派)
は教如上人を御門主の内に数えておらず、十一世顕如上人の次の十二世は
准如上人(第四子)にとしています
実際は、十一世顕如上人の還骨勤行を教如上人が勤められているので、ご門主を
継職されています
388日本@名無史さん:02/04/15 01:24
本願寺の二代目は、あえて言うならば顕如だと思う。あ、顕如って
一発変換できるのか・・・。
顕如の先代の証如は、山科を追われたあと石山に本拠を移し、三好元長を
自害に追い込むなどの軍事活動をしている。その後、晴元とも対立し、
石山に数年間篭城したそうな。初代といってもいいのでは?

そうそう。本願寺を検索してみたのですが、面白いホームページを見つけました。
ttp://www.yk.rim.or.jp/~akabaku/
389日本@名無史さん:02/04/15 02:05
>>386
元々、之長の時には既に阿波においては細川は三好の勢力を頼ってた。
「多聞院日記」によれば、永正三年の時に阿波細川家であった澄元が
京兆家を継ぐ為に上洛した際、七千の兵を連れて来たと書いてる。
元々、阿波は小笠原家が守護を務めていて、三好は阿波小笠原の惣領であったから。
これは「三好記」「足利季世記」にも同様な見解が見られる。
安宅や十河に養子を出したのは、澄元が勝瑞御所で死んだ後の永正十七年から
享禄四年の間と言われているが、永正十七年の時は晴元は元服前。
また、晴元自身が元長の軍事力によって支えられていた。
晴元派があったとしても誰が主導権を握っていたかは考えるまでもない。

波多野・柳本が挙兵したのは大永六年で、高国と争ってるが
京を依然として維持してる、そして三好勝長・政長兄弟は阿波から派遣されていて
両名は晴元を擁した元長の指示。これは「足利季世記」か「三好別記」。
そして高国が京を放棄したのは、元長が堺に上陸した大永七年。
そしてどれだけ力があったのかは、堺に上陸して以降
「その後は三好方の太刀に恐れて合戦なし」と「細川両家記」に書かれてるほど。
晴元と反元長派は自勢力では元長に対抗出来ないので一向宗を使って自刃に追い込んだ。
それと時代が下ってと言うのが今一わからないし、何をどう考えて有力被官と捉えるのかがわからないが、
晴元を管領に据えた後に、阿波守護を何の後ろ盾もない持隆したり、
晴元を管領と山城守護だけに限定してような行為は、戦国大名と言えるのでは?
390389:02/04/15 02:06
ところで
>柳本賢治や三好政長、その他旧澄元派が京都を制圧したあとで、晴元つれて上洛したわけ
京を制圧したあとで上洛したと言うのは自分の知っているのと違うので、
是非詳細を教えてください

>柳本、木沢、一族の政長などと対立し、結局失敗。 大内家における陶晴賢以下。
政長は知ってますが、なぜここで柳本と木沢の名前が挙がるのかわかりません。
詳しく述べてもらえませんか?

> 毛利元就が独立以前にやったことと同じ。
これも理解できません。どう同じなのかご説明を。
391藤原三位卿:02/04/15 02:32
>>388
こ、この本願寺は…
確かに、親鸞上人も蓮如上人も否定してはおられんけれど
罰が当らんとも言い切れん

確かに証如上人の時代の真宗教団の力はすでに大名並ではある
392月と星より ◆xQ5494pE :02/04/15 17:40
今回は、23時30分頃に締め切りますね。
393日本@名無史さん:02/04/15 19:27
三好元長が細川晴元政権での第一人者であったことを否定する気は全くないが、
元長時代の三好氏は、管領とはいえ一大名の細川氏の家臣だから、戦国大名というのは
言いすぎかと思う。傀儡化云々にしても、三好長慶政権における細川氏綱ぐらいならともかく、
元長の頃は政権内部での権力争いとよべる程度では?
本当かどうか知らないけど、殺された時も、いじけて頭剃って引きこもってる
最中だったってどっかで読んだような。
元長が政権からいなくなっても、軍事的には弱い面があったにせよ、それなりに安定してるし。
元長と言う人物は、細川政権への密着度が高すぎ。自力で領土を拡大するというよりも、
主家に貢献して所領をもらうタイプにみえる。
それに、一大名の有力家臣にまで戦国大名の範囲を広げると、そこらじゅう戦国大名だらけって
ことにもなりかねん。
394日本@名無史さん:02/04/15 19:34
元々、阿波は小笠原家が守護を務めていて、三好は阿波小笠原の惣領であったから。
>これは「三好記」「足利季世記」にも同様な見解が見られる。
三好が小笠原一族だとはよく言われていることだけど、惣領とは初耳です。
あまり支持されていない見解のような。

>それと時代が下ってと言うのが今一わからないし、何をどう考えて有力被官と捉えるのかがわからないが、
時代が下ってって言うのは細川家では内紛が続き、三好家には之長、元長と有能な当主が出て
地盤が強くなったってこと。有力被官って言うのは、三好家は元々細川被官であり、有力であったから
そう言ったまで。

>晴元を管領に据えた後に、阿波守護を何の後ろ盾もない持隆したり、
>晴元を管領と山城守護だけに限定してような行為は、戦国大名と言えるのでは?
これってどういうことでしょうか?そのような行為があったとしても、ありがちな
専横な家臣に過ぎないでしょう。

>京を制圧したあとで上洛したと言うのは自分の知っているのと違うので、
桂川で戦ったのが二月十三日、元長が足利義維、細川晴元と共に堺に入ったのが三月二十二日。
出所はよく分からないけど、『実隆公記』か『言継卿記』ではないかと。今井明『戦国時代の貴族』
や、杉山博『日本の歴史』にでてきた。あなたはいろいろと原典を読んでるようですが、
『細川両家記』、『足利季世記』あたりではどのようになってるのですか?

>政長は知ってますが、なぜここで柳本と木沢の名前が挙がるのかわかりません。
元長と対立した人物を挙げてみただけです。別に彼らによって傀儡化が阻止されたと
主張するつもりはありません。いや、言い様によっては政長と木沢長政によって
阻止されたといえないこともない。

>> 毛利元就が独立以前にやったことと同じ。
>これも理解できません。どう同じなのかご説明を。
大内傘下時代の毛利元就が、同じく大内配下の小早川に養子を出したことを
いっているんです。

ところで、>>378の阿波を統一って何のことですか?
395月と星より ◆xQ5494pE :02/04/15 22:06
『あ〜。』ただ今マイクのテスト中。(意味無し一行ですね。)
最初に『この戦国大名の二代目は?』ですが、
ここでの決定には何の強制力もありません。(いきなり逃げていますが。)
これを踏まえて書きますね。
私がいない間に繰り広げられている三好家の二代目論争に、
水をさす様で申し訳ないです。
もう少しこの論争が早ければ、
私の『三好長慶が初代で義継が二代目説』が勝てましたね。それが残念ですよ。
でも、決まってしまった事なので諦めますけどね〜。
私個人としては元長も長慶もやっている事は同じかな〜と思います。
結果的に二人とも形式的には自分が国を治めようとはしないで、
元長は細川晴元を、長慶は足利義輝を立て実質的に支配しようとしました。
元長は細川家を操ろうとして(語弊有り)、
長慶は足利幕府を使ってより効率的にね。
二人とも考えがあっての行動ですので、これが最善の一手という所ですよね。
織田信長は『上洛作戦』という点だけで考えますと、
三好家と違い強力な軍勢を率いる事ができました。
さらに、徳川家の軍勢、浅井家の軍勢など畿内以外の勢力を従えていました。
元長はその点から考えると弱いですよね。(基本は阿波の軍勢。)
長慶は三兄弟達がいましたので父様よりは強いですけどね。
自勢力で何とかしてみようと考えるには三好家ではかなり難しいと思います。
摂津衆、丹波衆、畠山家などなどの扱いが難しいですからね。
この点は北条家の関東における背景と似ていますけどね。
(氏綱、氏康の頃。でも、足利家や上杉家を傀儡にしようとはしていません。
足利家の方は取り込み利用しましたけど。利用したのかな?)
三好家の戦国大名化は見る人によっては十人十色の結論が出るのかもしれませんね。
というわけで、結論は出ずに私の心の演説になってしまいました。許してね。

でも、『この戦国大名の二代目は?』って、何処から・・・?
396月と星より ◆xQ5494pE :02/04/16 00:08
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
本願寺家の二代目は、本願寺顕如という事でお願いしますね。
足利家の二代目は、足利義輝という事でお願いしますね。
戦国大名ではないのでこの二家は無理がありましたね。
次回は普通に進めますね。
次回のテーマ、山名家の二代目は山名豊数で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
397日本@名無史さん:02/04/16 00:43
>>394
>あまり支持されていない見解のような。
どう支持されてないのかわかりません。詳しく説明してもらえますか?

>有力被官って言うのは、三好家は元々細川被官であり
三好が阿波小笠原あり、阿波守護が細川に取って代わられたのは前述しました。
細川の被官したのは長之の頃と言われ、長之は元長の曾祖父。
細川の中では比較的新しい方で、元々の被官ではありません。
付け加えるならば、細川の方が後から阿波に来た新参ですが。

>ありがちな専横な家臣に過ぎないでしょう。
長宗我部元親も浅井亮政も長尾為景も里見義尭も全く同じ事してるが違いは?
それに宇喜多直家は大名ではないと言う事になりますが?

>桂川で戦ったのが二月十三日、元長が足利義維、細川晴元と共に堺に入ったのが三月二十二日。
自分もどちらか記憶してないのですが、「実隆公記」か「言継卿記」には高国が京を脱出したのは
元長が堺に上陸した方を聞いてからと書いてませんでしたか?

>元長と対立した人物を挙げてみただけです。
>言い様によっては政長と木沢長政によって阻止された
柳本賢治は波多野稙通の末弟で、香西元盛の弟でもあり、高国と敵対したのは
この争乱のきっかけとなった元盛暗殺だった訳で、元は高国派。
木沢長政に到っては、畠山との争いと、法華宗徒と組んで一向宗門徒との争いは記録として残ってる。
というか柳本も木沢も元長と対立したと思わせるような事が何一つないと思うんですが。
何にどう書いてあるんですか?木沢長政が戦ったのが長慶なら知ってますが。

>大内傘下時代の毛利元就が、同じく大内配下の小早川に養子を出したこと
主導権がどっちにあったかで全然違うと思うんですが。
大内と毛利の関係では、明らかに大内が主導権を握ってますが、
永正十七年から享禄四年の阿波において、三好元長と晴元or持隆では誰が主導権を握ってますか?

>阿波を統一って何のことですか?
澄元や之長が死んだ後で、高国や反之長の勢力があったんです。
晴元は元服前で、家中を取り仕切っていた元長が反勢力の鎮圧をして
元長個人の勢力拡大に使われたんです。それの延長が安宅や十河への養子の件になるんです。
康長や政康を要所に入れたり、一宮・篠原などの同族との関係を強化したりしてる

というか晴元を大名と扱い、元長を有力家臣と扱うのが理解できません。
398藤原三位卿:02/04/16 02:18
>>396
山名豊数がよくわからない
誰の子供
399月と星より ◆xQ5494pE :02/04/16 03:00
>>398 藤原三位卿さんへ。
山名豊数という人は、
『山名豊定の長男。実績は武田高信と結んだ山名豊弘を討ち破るも、
居城の鳥取城を武田高信に奪われてしまう人。』としか私も知りませんね。
山名家はこの時代でもたくさんいるみたい。
ここで取り上げました山名家は因幡の山名家。
父の山名豊定、長男豊数、次男豊国。
但馬の山名家は山名祐豊と山名堯熙(父子)がいます。(こちらが本家なのかな?)
あと、但馬の山名祐豊(長男)、因幡の山名豊定(次男)、山名豊弘(三男)は、
兄弟らしいですよ。
400月と星より ◆xQ5494pE :02/04/16 03:08
有名な戦国大名でしたら皆さんも楽に書けるのでしょうけれど、
色々な人がいたんだな〜と、気軽に思って頂けるといいですね。
とか書いていますが、心の中では『ク〜ッ。』という感じですよ。(はあぁ〜。)
401藤原三位卿:02/04/16 03:48
>>399
当方の本には豊定、の次の代は豊国に成っていた
もう一冊調べたら確かに出てました、ただ鳥取城で武田氏に討たれるとだけ
山名氏の全盛期は応仁の乱だから、この辺に来るとほとんど判らん
ヲタ降臨希望に付きage

402日本@名無史さん:02/04/16 04:15
政豊―俊豊
  到豊―祐豊
  |  豊定―豊数=豊国―豊秋
  |     豊国   豊義
  誠豊=祐豊―棟豊
        義親(堯熙・氏政)
403日本@名無史さん:02/04/16 04:37
404日本@名無史さん:02/04/16 11:22
>>399
話の流れから外れて申し訳ないが、
この武田高信というのは甲斐源氏なの?
前から気になっていたもんで。
405日本@名無史さん:02/04/16 15:36
そうじゃないの?
隣国に守護いるし。
406日本@名無史さん:02/04/16 20:44
すいません、三好の話です。
>>397
>どう支持されてないのかわかりません。詳しく説明してもらえますか?
今まで三好が小笠原惣領などとなっている本や辞典は見たことがないと言っているんです。
大抵は、「・・・の子孫と伝える」のように書かれているので。
三好が小笠原惣領っとなっている辞典等はありますか?ぜひ紹介して下さい。

>細川の被官したのは長之の頃と言われ、長之は元長の曾祖父。
>細川の中では比較的新しい方で、元々の被官ではありません。
元長の曾祖父の代から被官なら、元長の代には元々の被官以外の何者でもないでしょう。
あなたにとっての元々の被官とは、どういった連中のことを指すのですか?
そもそもあなたは>>389
>何をどう考えて有力被官と捉えるのかがわからないが、
と発言してますが、三好は細川被官なのか、違うのか、どちらですか?

>長宗我部元親も浅井亮政も長尾為景も里見義尭も全く同じ事してるが違いは?
>それに宇喜多直家は大名ではないと言う事になりますが?
彼らは完全に傀儡化している、もしくは主君を追放している。元長は傀儡化など
できていないし、主君と対立すると引きこもってる。大違いでしょう。

>自分もどちらか記憶してないのですが、「実隆公記」か「言継卿記」には高国が京を脱出したのは
>元長が堺に上陸した方を聞いてからと書いてませんでしたか?
原典にあたっていないのではっきりしたことは言えませんが、『言継卿記』ではないでしょう。
二月十四日に高国らが都落ちするのを見物したとの記述があり、十六日には
柳本賢治らが入京したとあるようですから。
『実隆公記』にもあまりの惨敗ぶりに仰天している記述があるようです。
このあたりの経緯は、今井明『戦国時代の貴族』に結構詳しく書かれています。
ところで、>>394でもお聞きしているのですが、『細川両家記』『足利季世記』
『多聞院日記』『三好記』『三好別記』などにはどのように書かれているんですか?
407日本@名無史さん:02/04/16 20:46
>柳本賢治は波多野稙通の末弟で、香西元盛の弟でもあり、高国と敵対したのは
>この争乱のきっかけとなった元盛暗殺だった訳で、元は高国派。
知っています。なぜここでこんな話を持ち出されたのかよくわかりません。

>木沢長政に到っては、畠山との争いと、法華宗徒と組んで一向宗門徒との争いは記録として残ってる。
>というか柳本も木沢も元長と対立したと思わせるような事が何一つないと思うんですが。
>何にどう書いてあるんですか?木沢長政が戦ったのが長慶なら知ってますが。
柳本は大永八年に元長と衝突し、同年七月には髻を切って下野していませんか?
享禄二年八月に、元長は阿波に引き上げているようですが、なぜだと解釈しますか?
木沢についてですが、そもそも元長自害の原因となったのは木沢ではないですか。
「何一つない」とおっしゃいますが、「それは聞いたことがない」という意味ですか?
それとも、「それを証明する資料を知らない」という意味ですか?
あなたの読まれている資料には晴元政権からの柳本の離脱、元長存世中の木沢の動きは
どのように書かれているのでしょう?

>主導権がどっちにあったかで全然違うと思うんですが。
どう違うんですか?

>澄元や之長が死んだ後で、高国や反之長の勢力があったんです。
>晴元は元服前で、家中を取り仕切っていた元長が反勢力の鎮圧をして
>元長個人の勢力拡大に使われたんです。それの延長が安宅や十河への養子の件になるんです。
敵対勢力くらいあったでしょうし、主君が若年ですから元長が鎮圧し、それなりに勢力が
拡大したことでしょう。それが何故元長の阿波統一などということになるんですか?

>というか晴元を大名と扱い、元長を有力家臣と扱うのが理解できません。
元長さんちは代々細川家臣だったはずですが?何故晴元が大名でなく、
元長が大名だと思うのか理解できません。

あと、以前にも伺ったのですが、>>389
>晴元を管領に据えた後に、阿波守護を何の後ろ盾もない持隆したり、
>晴元を管領と山城守護だけに限定してような行為は、戦国大名と言えるのでは?
というのはどういうことでしょうか?
408日本@名無史さん:02/04/16 20:51
で、山名の二代目なんですが、本家筋にあたる但馬守護家から選んだほうが
いいと思うけど、よくわかりませんねぇ。
なんか、代を重ねるにつれて戦国大名からとうざかっていくような。

>この武田高信というのは甲斐源氏なの?
ひょっとしたら若狭武田氏と関係あるんじゃないかと思わないでもないけど、
よくわからん。国信、元信、輝信、盛信・・・似たような系統の名前もちらほら。
これだけじゃなんともいえないけど。
409日本@名無史さん:02/04/16 23:19
410月と星より ◆xQ5494pE :02/04/16 23:20
ただ今、帰りました。
今回は、2時頃に締め切りますね。
411月と星より ◆xQ5494pE :02/04/17 01:50
>>401 藤原三位卿さんへ。
そうですね。山名家は難しい〜。
この後、赤松家、一色家、畠山家、北畠家、六角家、浅井家、朝倉家、畠山家、
姉小路家、斎藤家と続きますが・・・。危険ですね。
>>402 402番さんへ。
家系図を書いて頂きまして有難う御座いますね。
義親=堯熙なんですね。
>>403 403番さんへ。
ありがとう。見ますね。
>>404 404番さんへ。
武田高信?ん〜。分かりません。
津軽の沼田祐光が群馬県の沼田家の一族と言われていますから、
違うとは言い切れないですね。謎です?
>>405 405番さんへ。
安芸と若狭を考えますとね。
>>406->>407 三好家を伝承する人達。(勝手に名前を付けて御免なさい。)
レベルが高くついていけないんです。御免なさいね。
私も三好家が好きなんですけれど・・・。
あれ(>>395)みたいになるとなんか恥ずかしいですしね。
>>408 408番さんへ。
本当はそうしたかったのですが、
山名祐豊を初代と考えていますから二代目をどうするかで困ってしまいまして。
412日本@名無史さん:02/04/17 02:31
>>406
>三好が小笠原惣領っとなっている辞典等はありますか?ぜひ紹介して下さい。
「三好記」「足利季世記」に阿波小笠原惣領と書いてますが?
貴方は「あまり支持されていない見解のような。」と書いてますが
説明は「・・・の子孫と伝える」だけですか?
どう支持されてないのか、これを否定する明確な見解を説明してくれませんか?

>あなたにとっての元々の被官とは、どういった連中のことを指すのですか?
阿波細川家が、京兆家の庶流守護家なのは説明するまでもありませんが、
京兆家とも繋がりを持った人だと思ってます。
阿波細川に取っての元々の被官とは、飯尾氏・清氏だと思いますが。
三好は京兆家に対しての繋がりは、この両氏を通じて出しかなく
とても細川有力被官とは言えないと思いますが。
各庶流家の内衆を通じて京兆家が庶流守護家を統制していたのは、事実であり
三好が内衆として認められてない事実をどう考えてますか?

>彼らは完全に傀儡化している、もしくは主君を追放している。
>元長は傀儡化などできていないし、主君と対立すると引きこもってる。
之長が堺を拠点に活動したのは説明するまでもないので除きますが、
元長は京から高国派を追放したにも関わらず、義維と晴元を堺に置いて
堺公方府を形成したのはどうなんですか?また元長と対立した結果、堺を脱出して
京に入った理由は?
晴元に管領就任した後に、阿波に傀儡の持隆を立てたのはどうなんですか?
それと長尾為景や里見義尭が、傀儡化したと言うのも初耳です。具体的に説明を。
それと元長は引き篭もったのではなく、晴元が堺を出て、元長は義維を立てて
対抗しようとしてたんですが?
413つづき:02/04/17 02:32
>二月十四日に高国らが都落ちするのを見物したとの記述があり、十六日には
>柳本賢治らが入京したとあるようですから。
高国都落ちの記述は知ってますが、十六日に柳本入京は洛外にまで来た記述しか
ないと思いますが。「実隆公記」にも京中が混乱している様子が書かれてるはず。
二十日には高国派が再入京の動きがあり、柳本も入京してあらず、二十四日に元長の
堺上陸の報が流れて、高国が義晴連れて近江へ逃れたのでは?
これは「細川両家記」「多聞院日記」「三好記「「三好別記」には日付など詳細は書いてませんが
「足利季世記」には同様の日付などはないものの記述が見られます。

>柳本は大永八年に元長と衝突
元長と衝突と言うより、晴元が一向宗と接近した為に、柳本の軍事基盤が興国寺などの
法華宗だった為に晴元と対立した結果では?

>享禄二年八月に、元長は阿波に引き上げているようですが、なぜだと解釈しますか?
持隆の阿波守護就任と、高国との争いの為の兵力増強だと思いますが。

>木沢についてですが、そもそも元長自害の原因となったのは木沢ではないですか。
元長が自害した原因は木沢と和泉守護畠山との争いの延長にあるのは知ってますが、
木沢と元長が対立とは知りません。というか木沢は、この頃から晴元と対立の傾向が
見受けられますが、それはどのように考えておられますか?

>どう違うんですか?
元就の養子縁組は、大内の意向もあったのでは?と言う事です。
晴元が阿波・讃岐に置いてどれくらいの影響力があったのですか?
軍事基盤を元長に支えられて、管領就任までは澄元の遺児という立場でしかなかった
晴元にです。管領に就任するまでは、神輿でしかなかった訳ですが。

>何故元長の阿波統一などということになるんですか?
阿波の細川内衆の影響力を駆逐して、三好一党による軍事的・政治的支配を進めてます。
守護権力の一掃と言うわけで、これは元長自害の後の阿波を見てもわかると思います。

>晴元が大名でなく、元長が大名だと思うのか理解できません。
晴元が阿波に軍事基盤などの影響力を持ってないからです。
管領就任以後や元長自害以後に阿波に対して何ら手を出せてないからです。
晴元は軍事基盤を持っていなかったために、管領就任以後も木沢や波多野・柳本・六角・三好
などの勢力争いに苦慮してます。元長を追い込んだ事にしても、自らの軍事力で
駆逐できないが為に、一向宗の力を借りなければならなかった事実が全てを物語ってると
思われますが。

>というのはどういうことでしょうか?
貴方は晴元と元長の関係のみで、戦国大名ではないとしているようですが、
阿波での元長の行動・行為は戦国大名と言えると言いたい訳です。
阿波・淡路は言うに及ばず、畿内や讃岐にも三好の基盤を作ろうとした経緯を見て取れば
とても細川被官と言えないと思いますが?
414藤原三位卿:02/04/17 03:04
うーん、会話の応酬について行けん
どこがどこに対応しているのかも理解できん
何が語られているのか、それもわからん
二人とも、かいつまんで論点を整理してくれるとうれしい
せっかく、高度な内容(このスレ始まって以来)らしいのだ
415月と星より ◆xQ5494pE :02/04/17 03:35
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
山名家の二代目は、山名豊数という事でお願いしますね。
さて、皆さんちょっと大変かと思われますが、
有名ではない戦国大名が続きます。
次回のテーマ、赤松家の二代目は赤松義祐で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしていますね。
注、気軽な意見でいいですよ〜。

三好家を伝承する人達も御自分の意見を発表する事は良い事と思います。
ただ、歴史は数学と違って結論を出す事は非常に難しいかなと思うの。
一つ一つの出来事は紛れも無い事実なのですが、
出来事≠結論かなと私個人は思います。
歴史上の人物に直接聞く事ができましたら答えは一つかな?(嘘はダメです。)
これ以上続けても泥沼化しそうですし、ここで結論を出す事ができても、
三好家の二代目は三好長慶というここの決定は変わりません。(説得力無い文。)
それに今度は赤松家。三好家の版図は播磨にも拡がっていますよね。
赤松家の事でも書いて頂けますと嬉しいですので、
よろしくお願いしたいと思います。いかがです〜?

あと、私個人は尼子晴久の播磨侵攻の事が全く分かりませんので、
そんな事も書いてあると嬉しいかな〜。
尼子家の時にちょっと期待していたのですが・・・。ははは。
416月と星より ◆xQ5494pE :02/04/17 03:44
>>414 藤原三位卿さんへ。
私も〜。文才無い&知識も無いので整理してもらえると勉強になりますねよ。
『このスレ始まって以来』のもったいない事です。
417日本@名無史さん:02/04/17 15:33
このスレはなんなんだ?厨房とヲタが重箱の隅をつつきあうスレか?
くだらん。sage
418417:02/04/17 16:33
煽っただけで消えるのも何なのでちょっと検索してみた。
三好元長は木沢長政や柳本堅治と権力争いしてるじゃないか。
大体おまえら三好マンセーなくだらない軍記物の読みすぎ。そんなもんを元に
語ってて恥ずかしくないのか。三好なんて蒲池もどきの卑しい成り上がり者
じゃないか。蒲池の嵯峨源氏と同じく三好の小笠原も詐称に決まってんだろ!
そんなやつをみんなでたたえれんじゃねーよ。きも。
そもそも三好なんて戦国大名化してないだろ下克上はしたが細川政権のっとった
だけでその内情は何にも変わってないんだから誰が初代誰が二代なんて言った
ところでなんもいみなし。あの時代三好元長みたいなやつはごろごろしてるだろ。
おまえら自分たちの世界に閉じこもってないで世間に目を向けな。とりあえず
検索の仕方ってやつを学んでみたらちょっとはましになるだろうよ。
くだらないあげあしとりやってないで消えな。ヲタと厨房逝ってよし!
419417:02/04/17 17:04
さっきのカキコ見たらちょっと言い過ぎたかもしれないがお前らもうスレ違いに
なってるだろ。マニアックな世界に走るのもいいんだろうがもう少し通説に
目をむけたらどうか。二人では何の議論してるのかわかってるのかもしれないが
はたから見てるとくだらない細かいことにこだわって話のおおもとのことを
忘れてないか?木を見て森を見ずってとこだな。ここは三好スレじゃないんだから
よそでやれよ。つうかあえて初代を選ぶなら長慶だろ。日本史の教科書にも
載ってる位だからな。世間の人は元長なんてほとんど知らんし評価してないぞ。
そもそもこなスレは戦国大名二代目らしいがただの人気投票をするスレのようにしか
みえんぞ。本願寺や足利を大名にしてるとこを見ると大名の人選がまるで信長の
野望から選んでるみたいでそのうちも森田なんかが登場しそうだがそこんとこは
どうなんだ。なんか少人数でひっそりやってるようだが三戦板に移ったほうがいい
んじゃないかとおもうぞあっちのほうがねた的にあってると思うし。
っていうか書くのも解読するのも疲れたからきえるわ。
420月と星より ◆xQ5494pE :02/04/18 00:08
ただ今、帰りました。
今回は、2時頃に締め切りますね。

>>417 >>418 >>419 417番さんへ。
痛烈な意見ありがとう御座いますね。
『言い過ぎたかもしれないが』とありますが、
この意見は的を得ているかなと思います。
色々心配されての事と私自身は解釈させて頂きます。

内容的に『三戦板』との事ですが、
最初は同じ歴史と簡単に思っていました。
しかし最近ようやくその意味が分かりかけてきました。
ただ、せっかく日本史板にあるのですからここで頑張ってみようと思います。
悪い所があるのでしたら直す。直せないなら良い所に変える。
悪いから諦めるという事はどうもダメなんです。
人気投票をするつもりで進めている訳でもないです。
そう見えないように気を付ける道もみつかりましたのでやはり進む事にしますね。
基本的な所は今までと同じ様に、
『ここの決定は強制力はない事。』
『決定された事は変更しない事。』
『意見は何を出しても良いと思いますが、期待通りの答えを望まず、
勉強するつもりで受けとめる事。』
ま〜、人それぞれ色々な考えがありますから、
自分以外の人を否定しない事を基本に進めていきますね。

417番さんはここを見る可能性は少ないかなと思いますが、
本当に意見ありがとう。
でも、信長の野望はやった事がありますが、森田とは誰なのかしら?
421日本@名無史さん:02/04/18 01:29
三好についていろいろ書いていたのの一人です。なんか御迷惑をおかけして
すいません。
>>417−419の言っていること、表現に承服しがたい点もありますが、
確かにもう三好についてはもう終わっているのでこの辺で止めます。
恐らく以前からこのスレを見ていた人で、私たちの他人に分かりにくい
会話の応酬に腹を据えかねた人なんでしょう。
どうもすいませんでした。
422月と星より ◆xQ5494pE :02/04/18 02:12
>>421 421番さんへ。
色々あると思いますが自分の思い通りに進む事ほど、
つまらない事は無いかなと思います。(本当なのかな?)
わざわざ書いて頂いた事に心が伝わります。
よろしければ、これからも参加して下さいね。
ちなみに、私は歴史の勉強は中学校まででして、
高校は文系ではないから本当の授業は知らないの。
分かり易くお話されて頂くと嬉しいですね。
423月と星より ◆xQ5494pE :02/04/18 02:46
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
赤松家の二代目は赤松義祐という事でお願いしますね。
やはり赤松家は風のように過ぎ去ってしまいましたね。残念。
次回のテーマ、河内の畠山家の二代目は畠山昭高で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしていますね。
家督をめぐる戦いの本家といってもいい家柄です。
誰を初代と考えるかで二代目も決まると考えた方が楽ですね。
424月と星より ◆xQ5494pE :02/04/19 00:15
ただ今、帰りました。
今回は、2時10分頃に締め切りますね。
425日本@名無史さん:02/04/19 00:18
最近、ピカ来ないね
426藤原三位卿:02/04/19 01:05
>>421
個人的には、話の内容を理解したかったのですが
二人とも、文章の語尾にとげが出てきてたので、よい引き時かな

>>419
三戦板的は認めるけど、歴板にこんなスレがあってもいいと思うよ
それに、月星さんや、某家若君のお忍び、三好ヲタの二人等、その他
ここの住人はそれぞれ結構力量あるぞ
信長の野望レベルの厨房じゃないことは、間違いない
427日本@名無史さん:02/04/19 02:01
>>385
よしあきらだ
428月と星より ◆xQ5494pE :02/04/19 03:07
>>425 425番さんへ。
ぴかさんは、温かい目で見守ってくれていますよ。
あの頃は私もまだ理解力が無く(今もですけれどね。)、
あの最高で爽やかなセンスに気付けなかったんですよね。勉強させて頂きました。

>>426 藤原三位卿さんへ。
ここに書いて頂いた人達って本当に歴史が好きな人達ですよ。思いが伝わります。
歴史が詳しくない人も気軽に参加できる様になると嬉しいな〜。

ところで、私、信長の野望って好きなんですよ。ははは。

>>427 427番さんへ。
ふと思います。二代目ってやはり大変ですよね。頑張れ二代目!
429月と星より ◆xQ5494pE :02/04/19 03:44
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
畠山家の二代目は畠山昭高という事でお願いしますね。
ここで、ちょっとだけ考えますね。
有名な戦国大名、北条家、長尾家、武田家、今川家、三好家などなどは、
いいですけれど、小さい勢力の場合は戦国大名と言えるのかしらね?
今更ですが、ここで決めている二代目は初代がいての二代目。
その人が初代で良いのか?本当に戦国大名で良いのか?奥が深いですよね。
まあ、そういう学術的な事は専門家に任せてしまう事にします。
もう少しで半分。上手く行けば1000に行くまでに北海道に行けます。
さ〜、頑張ろう。
次回のテーマ、一色家の二代目は一色義道で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしていますね。
一色家について良い事を書いている本は見た事が無いので、
今回も辛いでしょうね。
430藤原三位卿:02/04/19 03:53
昔、摂津の守さんが訪れてきてるんだけど、このあたりは彼のテリトリー
かな
畠山は能登にもあるけど、なんだか似たような末路をたどっているような
河内にももう一家あるけどここもなんだか似てなかったかな

わたしゃ、信長の野望第一作目から知ってますよ(九州や東北が無かった)
MS_DOSじゃなくてKOEI_DOSというOSを使ってCOPYを防止していたけど
逆アッセンブル(リバースエンジニアリング)してCOPYを作ってた
ゲームよりそっちが楽しかったような思い出
もう時効だよね
431ぴか:02/04/19 10:36
見てますよ
そんな知識ないのと九州出身なんで
九州でちゃうとついていけない・・・
勉強させてもらってます。
432藤原三位卿:02/04/19 11:21
>>431
こちらも九州「大友ヲタ?」ですが
九州はつらいですね
話が盛り上がってくると「蒲池君」が出没してスレを食い荒らして
しまうので盛り上がれませんね
433ぴか:02/04/19 12:09
大友オタではないです。
日向の国の出身です。
たしかに九州戦国スレは悲惨ですね。
ずーっと見てないです。
伊東家の話はもともと出ないですが
434月と星より ◆xQ5494pE :02/04/20 00:55
ただ今、帰りました。
>>430 藤原三位卿さんへ。
私、最初の信長の野望は見た事は無いの。(全国版と同じなのかな?)
天翔記&烈風伝が好きです。音楽で菅野よう子がとても良いと思うのですが。

>>431 ぴかさんへ。
お久しぶりです。お元気でした?
『知名度』の件面白かったですよ。
『見てますよ』と書いてありますが、なんか照れてしまいます。
私の書き方、変な所はありませんでしたか?
これからも頑張りますね。
ぴかさんも、よろしければまた来て下さいね。

でも、振り返ると色々な人達が来ている。それ以上の人達が見ている。
何だか、とても凄いな〜。本当に。とにかく頑張っていこ〜う。

今回は、2時15分頃に締め切りますね。
435月と星より ◆xQ5494pE :02/04/20 02:49
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
一色家の二代目は、一色義道という事でお願いしますね。
次回のテーマ、北畠家の二代目は北畠具教で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
多分、この人も有名では無いから余り書かれる事も無いと思いますが、
私個人としては、結構頑張っていた人かなと思います。
織田信長も何故か伊勢だけは養子縁組で勢力を拡大したりと、
他には見ない外交を展開していますよね。(長島一向一揆は別ですが。)
伊勢を完全に平定したのは1576年。1575年の長篠合戦の次の年です。
本当に、不思議。
436 :02/04/20 03:51
剣術上手いひとだっけ?
それにしても伊勢の平定にそんなに時間かかってたのは意外。
美濃平定前から着手してたよねぇ?
無知なるDQNでソマソ
437月と星より ◆xQ5494pE :02/04/20 04:41
>>436 436番さんへ。
伊勢については、
1567年、織田信長の将の滝川一益が北伊勢に出陣。
1568年、織田信長、神戸家に三男信孝を養子に出す。
      長野家に弟信包を養子に出す。関家、降伏する。
      これで、北伊勢を平定する。
1569年、織田信長、北畠家に二男信雄を養子に出す。
      これで、南伊勢を平定する。(北畠家は存続。)
1576年、北畠家滅亡。(女子供含めて13人殺害。)
      一族では二人だけが生き残るとの事。
ただ平定したという事でしたら、1569年でいいと思いますよ。
438日本@名無史さん:02/04/20 08:18
一般的には2代目と言う印象の、今川氏真、ばーか。
439日本@名無史さん:02/04/20 09:51
   ___________________
   ||                          4. ||
   ||       エイプリルフールです         月 ||
   ||                          1. ||
   ||              ∧ ∧            日 ||
   ||          (*゚ー゚)/               ||
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ  つ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                /  ̄ ̄ ̄ ./| lヽ_______________
                | ̄ ̄ ̄ ̄| | | 「氏ザネ」は2ちゃんの「氏ね」
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|____|/|と密接な関係があるのです。
                    | 
    ∧ ∧    ∧,,∧   ∧ ∧ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    (・,, ∧▲  ミ  ∧ ∧ (  ∧ ∧
  〜(_(  ∧ ∧_( ∧ ∧_ミ・д・∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    @(_(,,・∀・)@ (   *)〜ミ_ (   ;)< ホントかよ。じゃあ良真は?
      @(___ノ 〜(___ノ    〜(___ノ  \________

        / は〜い、先生。 \
440 :02/04/20 23:46
>>437
親切にどうもです。
こやって改めて見ると、他の国と違ってやたら息子を養子にだしてる
んですねぇ。どうしてだろ?
後継者とそうでない息子たちの差別化がこの頃の信ちゃんのマイブーム
だったとか?(w
441月と星より ◆xQ5494pE :02/04/21 01:39
ただ今、帰りました。

>>438 438番さんへ。
印象で考えましたら、二代目は辛いですね。
特に今川氏真を始めとした歴史の中の敗北者は、
例え良い事をしていたとしても結果で判断されてしまいますしね〜。
(ちなみに今川氏真が二代目とはまだ決まっていないけどね。)

>>439 439番さんへ。
今川氏真、やはり人気が無いですね。
織田信長の最期を考えると今川氏真の人生も良いかな〜と思ってみたりします。

>>440 436番さんの方なのかな?(間違えていましたら御免なさい。)
歴史の事実は一つだけ。人の主観は人の数だけ。
『何処にでもある正義』に批判したくは無いから書いてみました。
でも改めて考えますと伊勢の勢力に対しては神経質ですね。
あとは、徳川家と浅井家に対してもかな。

今回は、2時50分頃に締め切りますね。
442藤原三位卿:02/04/21 01:42
>>436
そう
北畠具教は、塚原ト全から秘剣「一の太刀」を一人相伝された剣豪とされ
ています
伊勢方面攻略に時間をかけたというより、美濃と違い尾張に対して脅威と
なるような大きな勢力がないので、主戦方面を美濃、近江方向に定め、
伊勢は余力で順次切り崩していくという戦略を取ったのではないかと

養子ブームというより、息子たちがそんな年齢になったときに、名門北畠家
が目前にあったということでは
443月と星より ◆xQ5494pE :02/04/21 02:55
>>442 藤原三位卿さんへ。
織田信長は同じ事を繰り返していないのかな?
美濃は謀略作戦で敵将を取りこみ、
南近江と畿内は電撃作戦(結果的にはと考えた方が良いですね。)迅速な動き。
1568年の上洛直後の、1569年の伊勢侵攻と1570年の越前侵攻、
何か考えがあるのかもしれませんね。(今、思いついたからこれだけです。)
444月と星より ◆xQ5494pE :02/04/21 03:26
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
北畠家の二代目は、北畠具教という事でお願いしますね。
次回のテーマ、六角家の二代目は六角義賢で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。

北畠家は国司の家柄なんですよね。これも戦国大名ではないのかな?

六角義賢も織田信長が上洛するまでは頑張っていたんですよね?
445436(=440):02/04/21 04:08
月星殿、藤原殿、ご丁寧なレス痛み入りまする。
外交作戦との併用とはいえ、「余力」程度の兵力(実際にどれくらいかは
知りません)で伊勢を切り取った滝川は軍事面においてはやはり一流とい
ったところでしょうか。

>>444
義賢の先代は確かゲームで能力値が超一流だったのを覚えてます(w
そういう意味ではやはり義賢が2代目なのかな。
とりあえず、浅井は織田と組まなければ六角に従属するしかない立場まで
追いこまれてたらしいですから、実質近江の覇者に上り詰めたと言っていい
のかもしれませんね。
446月と星より ◆xQ5494pE :02/04/21 04:44
>>445 436番さんへ。
六角義賢の父様定頼は、
1520年に足利義稙と細川高国を助けて3万(?)の軍勢を率いて上洛。
細川澄元と三好之長を討ち破ります。他にもやっているみたい。
滝川一益、良い働きをしていると思いますが、世間の評価は厳しいですね。
447月と星より ◆xQ5494pE :02/04/21 16:21
今回は、0時0分頃に締め切りますね。
448藤原三位卿:02/04/21 17:15
>>443-445
ごめん、余力という表現は適切じゃなかったと自分でもおもう
戦略の二本柱、武力と諜略を使ってきちんと攻略を行っているし、最後の
南伊勢の北畠氏攻略の際には五万とも八万とも言われる大軍を動員していま

ただ、織田家の伊勢攻略は数段階に分けて行われていて、第一段階の北伊勢
攻略は美濃平定と平行して行われています
第二段階の南伊勢の北畠氏攻略は、南近江六角氏や三好氏の攻略と平行して
進められています
第三段階の北伊勢長島一向一揆平定は、石山本願寺との戦いと平行して進め
られています
こんな風で、信長の伊勢攻略は美濃、近江、山城と進む上洛戦の第二方面と
して進められています
これは、伊勢が南北に長いという地形が大きな要因として考えられますが
北畠氏の勢力が大きな脅威とはならなかったので早急に取り除く必要が
なく、上洛戦の途次並行して伊勢攻略を進めて言ったと思われます

美濃攻略と伊勢攻略の違いを書くと長くなるので省略しますが、信長の居城
が、名古屋→清洲→小牧→岐阜→安土と上洛方向で移動していることからも
主要戦略が上洛であったと考えられ、伊勢方面を余力という言葉を使ったの
ですが、決して小手先の策戦というわけではありません
449月と星より ◆xQ5494pE :02/04/21 18:11
>>448 藤原三位卿さんへ。
こちらこそ御免なさい。
今読み返したのですが(>>443)、
『織田信長は同じ事を繰り返していないのかな?』という文。
私としては『いつも違う事をしている様に見える。』という意味で、
書きたかったのですが、
あれですと『いつも同じ事をしている様に見える。』という意味にも読めますね。
気を付けて書かないとね。迷惑かけない様にしよう。

織田信長は『鈴鹿の関』より『不破の関』を重視した訳です。
琵琶湖の水運と北陸道方面と東山道方面を考えての事でしょうね。
今の時代でも東海道新幹線と名神高速は不破の関の方にありますが、
この理由は鈴鹿の関の方が建設するには大変という事だからでしょうね?
450436(=440):02/04/21 22:23
>>448
なるほど。
節目にはちゃんと大軍で制圧していたんですね。
状況に応じて本部から援軍を派遣したり、外交を使ったりって考えると、
伊勢攻略は以後織田家で主流になる方面軍制のはしりと言えるかもしれ
ないですね。
451(o´∀`):02/04/21 22:59
斉藤家はよし立つだ
452藤原三位卿:02/04/22 00:06
>>449_450
信長の戦略は基本的には
1.遠交近攻
2.同時他正面作戦
で、中部、畿内、北陸制圧まではこの戦略を変えていないように見えます
450さんが書いているように、このときに以後の基本戦略が固まったのかも

本題
六角氏は、伊賀忍者の元締めで幕府の情報収集を担当していたはずなのに
信長の実力を正しく認識できなかったんですかね
その後のゲリラ戦はさすがに忍者の面目躍如ですが
453(o´∀`):02/04/22 00:57
>>438-439
お前こそ氏ね。
安倍川餅はうまいんだぞ!!
454月と星より ◆xQ5494pE :02/04/22 02:51
>>452 藤原三位卿さんへ。
1568年の六角家のお家事情。
1563年、観音寺騒動で統治力の低下。
1564年、三好長慶、死去。
1565年、京で十三代将軍足利義輝が殺害される。
      この時、細川藤孝や和田惟政が足利義輝の弟の覚慶を助ける。
1566年、蒲生野合戦。浅井家対六角家。
1567年、織田信長、稲葉山城を攻め落とす。
当主六角義弼が治めるには少し大変でしたね。
家臣団の統制が執れていない様ですから忍者も上手くはいかなかったのかも?

>>453 453番さんへ。
安倍川餅は美味しいですね。
455日本@名無史さん:02/04/22 06:43
>>452
>六角氏は、伊賀忍者の元締めで幕府の情報収集を担当していたはずなのに
マジ?詳細きぼん。
456月と星より ◆xQ5494pE :02/04/22 08:48
あれ?今気が付いたのですが書き込まれていませんでした。
遅くなって御免なさい。
結果発表。
六角家の二代目は、六角義賢という事でお願いしますね。
次回のテーマ、浅井家の二代目は浅井久政で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
でも、この浅井久政は悪い所ばかり言われていますから、
良い所を書いてもらえるといいね。
457(o´∀`):02/04/22 15:08
おいちですよ
458(o´∀`):02/04/22 15:10
あ、間違えた。
よどですよ
459濃州浪人道化某:02/04/22 19:53
おいち、おいちいかい?
よどよ、ど〜なってるの?
460436:02/04/22 20:14
>>452
漏れのようなDQNが反論するのは恐縮至極ですが、外交に関しては
必ずしも遠交近攻ではないのでは?武田しかり。徳川しかり。
要はセオリーにとらわれず、自分の物差しで合理的と判断した方針
を推し進めたって感じがします。

>>456
浅井に関しては益々無知なんで、なんとも言えませんねぇ。
久政を2代目とするってことは先代はやはりそれなりに版図を拡大した名君
だったのですか?

461日本@名無史さん:02/04/22 20:19
>>452、455
六角は伊賀より甲賀のほうが縁が深そうだが。
462藤原三位卿:02/04/22 21:59
>>461
そうでした、甲賀武士団の頭です
ただし、テレビや映画の忍者とは違って、畿内とその周囲の情報を
収集する役だったようです
斎藤道三が二人(親子二代)いたという説も、六角家の記録の中かにそのこ
とに触れた文書が残っていて、決着がついたようです

>>460
私も細かいところまで調べて書いてるわけじゃなくて、多分に観念的なとこ
ろもあります、ごめん
もちろん、必ず「遠交近攻」だったわけではありませんが、
合理的な外交戦略が、「遠交近攻」になったと考えてもいいです
尾張国内統一の時には、隣国の美濃と婚姻同盟を結んでいます
美濃攻めの際には、美濃の後背地、信濃の武田と同盟を結びますが
甲斐攻めの時には、その後背地の相模武蔵の北条と同盟を結んでいます
越前朝倉攻めのときは、四面楚歌の状態でしたが、越後上杉、越中神保
あたりとの同盟を模索しています
もちろん徳川のような例外もありますが、これも信康の切腹の件を、甲斐
武田との同盟が有効なうちに徳川との同盟を解消しようとしたとも考えら
れます(私見でごめん)
まー、そんなとこで「遠交近攻」が基本戦略かなと考えたわけです
463月と星より ◆xQ5494pE :02/04/22 22:05
ただ今、帰りました。
今回は0時15分頃に締め切りますね。
464藤原三位卿:02/04/22 22:18
浅井と朝倉の関係ですが
最近一番有力なのは、今川と徳川の関係に似ているという説ですが
最近TVでやってたのかな、浅井久政の代に六角氏に接近したために朝倉氏が
浅井の支城(朽木城?)を攻めているらしいというのをやっていた
とすると、独立勢力だけど朝倉傘下と考えたほうがいいのかも
465436:02/04/22 22:53
>>464
なるほどー。武田との親交が美濃平定以前からだとはしりませんでした。
また自分の無知を思い知らされました(w
信康切腹の件、私見とはいえ、面白いですねー。
その仮説が真説ならば、信長の徳川・武田への考え方もこれまでとは違うという
ことですね。
浅井・朝倉ですが、その話は僕も聞いたことがあります。
徳川・今川に例えるなら、六角が織田ということですよね。
しかし、この両家は愚鈍な2代目の負のダブルパワーで共倒れになったって感じ
が強いです。二人の器量如何では信長も畿内を平定するに至らなかったような気
がします。
466日本@名無史さん:02/04/22 23:15
>>462
信康の切腹は勝頼時代のことですが、三方が原や長篠の合戦のあとも武田と同盟してたの?
467日本@名無史さん:02/04/22 23:18
 信康切腹は『当代記』を素直に読むと、家康が希望して
信長の許可をもらってから行われたことになるよ。
468月と星より ◆xQ5494pE :02/04/22 23:20
>>457 >>458 >>459 457番さん&濃州浪人道化某さんへ。
お市の方も三姉妹も不幸な人生なのかな〜?
私はですね、『精一杯生きたんだ!』と思っているんですけどね。
いつの時代も自分が進む道は一つです。
自分の信じた道を選べる力を身に付けたい!

>>461 >>462 461番さん&藤原三位卿さんへ。
対等同盟は遠交近攻が多いかな?
1甲相駿三国同盟(善徳寺の会盟)は珍しいと思います。
2織田家と武田家の同盟、私はちょっと違うんですよ。
 織田信長は東美濃を制圧しています(しちゃった)ので、
 自分の背後を安全にしたい。
 武田信玄は駿河侵攻作戦がありますので背後の安全と、
 徳川家康との連携を円滑に進めたい。
3武田勝頼と上杉景勝の同盟も対等と考えて良いかな?
 あまり機能されていない様に見えますが。
4織田家と徳川家、織田家と浅井家の場合は対等性より従属性が高いと思います。
従属同盟は遠交近攻が難しいかな?
1大内家と毛利家、朝倉家と浅井家、今川家と松平家等など、隣同士でよね。
 大友家と阿蘇家もそうですよね?(同盟しているのかな?)
2同盟という訳ではないですが、別所家は毛利家から離れすぎているため、
 見殺しという結末で終わってしまいました。

え〜、『齋藤道三は二人なの?説』決着してしまったんですか?
やだな〜。もうすぐ斎藤家なのに。
二代目は斎藤義龍と考えていましたがどうしよう〜。困ったね。ははは。
469日本@名無史さん:02/04/22 23:27
義龍でいいでしょ。道三のオヤジがいても大名とはいえんし
470467:02/04/22 23:31
参考までに『当代記』の一説

「八月五日岡崎三郎信康主家康公一男令牢人給ふ、
是信長之雖為聟、父家康公の命を常違背し、
 信長公をも被奉軽、被官以下に無情被行非道間如此、
 此旨を去月酒井左衛門尉を以信長へ被得内證所、
左様に父臣下に被見限ぬる以上は不及是非、家康存分次第之由有返答、
家康岡崎へ御越、三郎主を大濱に退被下…」

最後の三行に注目。信長の指示は「そのように父や臣下に見限られてしまっている以上は
是非に及ばず(もうどうしようもない)、家康の思うとおりにせよ」

家康の思うとおりにした結果が信康切腹、築山殿処刑(暗殺?)。

471日本@名無史さん:02/04/22 23:41
朽木城は朽木氏でしょ?
浅井の支城なの?幕府というか足利将軍家に直接仕えていたんでは?
472日本@名無史さん:02/04/22 23:44
酒井がそういうふうにしゃべった可能性もあるけどね。
長男が信康をかばって死んでるし、家康が息子かわいさに武田についたら間違いなく徳川潰れるし。
473467:02/04/22 23:53
>>472
問題は『当代記』の作者がはっきりはわからないのだけど、
松平忠明というのが有力で、この人が信康の同母妹の亀姫の
息子ということ。本人が生まれる前とはいえ、
血縁的にかなり関係者に近い人物の記述で、信長のせいにしていない。
もともとはこれが真相なんでは、と思えるのです。
474藤原三位卿:02/04/22 23:54
>>466
私も同盟という形ではないとは思うけれど、娘をやり取りした
婚姻関係は残っているし、東美濃の遠山氏や高天神城の際の消極さ
から、武田から来なければ手出しをしないという方針だったのでは
ないかと思い、考え付いた私説です
>>467
これは知らなかった

やっぱ私説はどっか無理があるようですね
自分でも少しいけてるかなと思っていたんですが
475日本@名無史さん:02/04/23 00:30
亀姫って奥平に嫁いだ人だっけ?
476467:02/04/23 00:35
>>475
そう。その4男が松平忠明。家康の養子になったので松平姓。
477藤原三位卿:02/04/23 00:40
>>471
TVなので記録が残ってないので??です木本??かも
ただ、江北は浅井氏の勢力下ではなかったかなと思います
>>470
道三二人説は、六角家の文章の中から義竜の前に二人いると
書いてあったとのこと
ついでに姉川の合戦は織徳連合の圧勝じゃなくて、織徳6:4朝浅
で織徳の勝ち程度の戦いだったとのこと
(その後の兵員の動員数から朝倉完敗というのはないらしい)

同盟は双方の利害が一致している間だけ有効ですし、機能を続けます
どちらか片方の利害バランスが崩れれば、同盟を結んでもうまく
機能しません
同盟の有無よりも、そのときの利害がどうかの方が重要です
478月と星より ◆xQ5494pE :02/04/23 01:07
>>464 藤原三位卿さんへ。
私もそう考えています。
ああ、朝倉家の本を読んだ事がありませんので、
朝倉家の動きがつかめません。

>>465 436番さんへ。
織田家と武田家の外交について。多少、変な所も有り?
1554年、武田家が木曾を平定。木曾家は武田家の傘下に入ります。
      武田家が東美濃(岩村城)を占拠?
      遠山家は武田家の傘下に入ります。
1555年、第二次川中島合戦。(以降、対長尾政策が重視。)
1565年、東美濃で武田家と織田家が衝突。
      織田家と武田家が同盟?
      飯富虎昌、切腹。
1567年、武田義信、死去。
1568年、織田信長、上洛。
      武田信玄、駿河侵攻。
1572年、遠山景任、死去。
      織田家が東美濃(岩村城)を占拠。
      遠山家は織田家の傘下に入ります。
お役に立つと嬉しいのですが。

>>466 >>467 466番さん&467番さんへ。
『武田義信の死』や『徳川信康の死』は結果は出ていますが、
解釈が微妙に人それぞれで難しいですね。

今回はちょっと追いつけないので、後から行きますね。
479467:02/04/23 01:07
>>477
六角承禎書状の該当部分は以下のとおり。

「一彼斉治身上之儀、祖父新左衛門尉者、京都妙覚寺法花坊主落にて、
 西村与申、長井弥二郎所へ罷出、濃州錯乱之砌、心はしをも仕候て、
 次第ニひいて候て、長井同名ニなり、又父左近太夫代々成惣領を討殺、
 諸職を奪取、彼者斉藤同名ニ成あかり、剰次郎殿を聟仁取、
 彼早世候而後、舎弟八郎殿へ申合、井口へ引寄、事に左右をよせ、
 生害させ申、其外兄弟、或ハ毒害、或ハ隠害にて、悉相果候、其因果歴然之事。

 一斉治父子及義絶、弟共く生害させ、父与及鉾、親之事取候。如此代々悪逆之体、
 恣ニ身上成あかり、可有長久哉。」

最初の「斉治」が斎藤義竜です。
書状の日付は永禄三年(1560年)7月21日。道三の死の4年後になります。
当時、道三に追放された土岐頼芸は正室の実家である六角家に身を寄せてたので、
内容については信用できると思います。
でも大名としての二代目は義竜でいいと思います。
480日本@名無史さん:02/04/23 01:28
入室します
481日本@名無史さん:02/04/23 01:47
>>478
遠山家は武田の勢力が伸張すると傘下に入り、景任が死んで秋山信友が進駐したのでは
その後長篠の余波で援軍を送れなくなって落城、と
482藤原三位卿:02/04/23 01:52
>>468_469
ありがとう
469みたいなのが出てくるところがさすがに歴板ですね
私のトンでも説で意外と盛り上がってしまいました、反省

1565年に養女を武田勝頼に嫁しているので、このころはすでに友好関係
が出来上がっていると思ってました
483月と星より ◆xQ5494pE :02/04/23 03:06
>>469 469番さんへ。
斎藤家の時に発表しますね。

>>470 467番さんへ。
徳川家康がどうしても嫡男を殺さなければいけない理由?
誕生したばかりの秀忠に心を奪われてしまいましたとか?(絶対無い。)

>>471 471番さんへ。
朽木家って足利将軍に直接仕えていたんですか。
六角家や浅井家に服属しているのかなと思っていましたよ。

>>472 >>473 472番さん&467番さんへ。
私の考えで御免なさい。
私、織田信長は徳川家に恩を売りたかったのではと考えているの。
多分、この当時徳川家の評判は良かったと思います。
1579年の織田家の事情で考えますと、
柴田勝家、明智光秀、羽柴秀吉といった国持ちの家臣達よりも、
力でも、頭でも、名声でも上で、さらに律義者ときていますのでね。
ただ、徳川家康の方が恩を買わなかったのかなと考えています。
1580年の林通勝や佐久間信盛、安藤守就らの追放を、
家康は読んでいたのかもしれません。
そしてこれ以降、伊賀者や武田家旧臣を大勢雇い入れています。
羽柴秀吉もまるで兵力温存を考えている様な兵糧攻めを行っていますが、
この辺の事は私の主観が入っていますからこれくらいにしますね。

>>474 藤原三位卿さんへ。
私はいつも私説だらけですよ。↑はまさにそれですよ。

>>475 >>476 475番さん&467番さんへ。
奥平家って結構厚遇されていますよね。詳しくは分かりませんが・・・。
ははは、分からない事ばかり。全部知っている方が怖いですね。

>>477 藤原三位卿さんへ。
1582年においての清洲同盟は、
武田家が滅亡した瞬間に意味を成さなくなりましたね。
東の壁が東の脅威に変わってしまったと徳川家康は考えたかもしれませんが、
織田信長の方は考えていないみたいですけど。
484日本@名無史さん:02/04/23 03:29
家康本人というより家臣団が信康を亡き者にしたかったのでは…
大浜は海沿い、二俣は武田との国境で逃げやすく、家康は信康が逃げてくれることを望んでたのに、
警備の大久保忠世が逃がさなかったとかなんとか
485藤原三位卿:02/04/23 03:42
>>483
1575年の長篠で武田の牙を抜いたときから織田家にとって徳川との同盟
は重要じゃなくなったと思っています
1579年に安土に移ってからはいっそうだと思いますが、信長自身は家康を
丁寧に扱っているから理解できない
重臣たちは簡単にリストラしてるんですが

ところで、流れは斎藤家に移ったんですかね
486月と星より ◆xQ5494pE :02/04/23 03:54
>>479 467番さんへ。
最近思うのですが皆さんこういう本や資料をお持ちなのでしょうか?
何だか凄いですね。図書館で借りて書き写しているのかな?

>>480 480番さんへ。
え、入室?とりあえずこちらにどうぞ。
何かありましたら書き込んでくださいね。

>>481 481番さんへ。
御免なさい続きを書きますね。
織田家と武田家の外交について。パート2。(これも主観有り。)
1572年、遠山景任、死去。
      9月〜10月に織田側の織田信忠と川尻秀隆が岩村城を攻略。
      11月14日に武田側の秋山信友が岩村城を攻略。
      12月22日に三方ヶ原合戦。
      織田家はこの援軍を送ったために、
      岩村城に守備していました織田信忠と川尻秀隆を、
      岐阜城に戻す事になったみたい。(本当か?)
秋山信友ってかっこいいですよね。

>>482 藤原三位卿さんへ。
え〜と、基本的には良い様な気がしますよ〜!
487月と星より ◆xQ5494pE :02/04/23 04:19
>>484 484番さんへ。
あ、でも、1600年9月15日の関ヶ原合戦で徳川家康は、
いまだ到着しない秀忠を見て(いないから見れないのですが。)、
『もし、信康が生きていたなら。』という言葉を口にしているみたいですから、
何とかして助けたかったのでしょうね。(影武者はダメなのかな?)
9月15日、信康の切腹の日と関ヶ原合戦の日なんですよね。凄い偶然!

>>485 藤原三位卿さんへ。
1575年の長篠合戦以降も武田勝頼は頑張っていました。
1578年から始まりました御館の乱による北条家の離反と、
1581年の高天神城の陥落まではね。
斎藤家はまだ先です〜。あ、浅井家の二代目、結果まだでしたね。

歴史に詳しい方いますか?
俺は「信長の野望」とか好きで、結構日本の戦国時代の本とか読んだこと
あるんだけど、あの時代、対馬は日本領だったのか朝鮮領だったのか
どっちなんですか?
(あんまり対馬に関しての記述が無い)
宗氏というのが対馬の領主だったらしいけど、対馬人自体は日本語、
朝鮮語どちらを使用していたのでしょうか?

歌手のMISIAは対馬出身らしいですが、あの顔を見る限りでは
朝鮮人のようですね。
489月と星より ◆xQ5494pE :02/04/23 08:36
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
浅井家の二代目は浅井久政という事でお願いしますね。
次回のテーマ、朝倉家の二代目は朝倉氏景で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
御免なさい。朝倉家は知らないのでそのまま二代目を選んでしまいました。
このままですとこれできまってしまいますのお願いね。
490月と星より ◆xQ5494pE :02/04/23 09:25
>>488 坂上田村麻呂さんへ。
私も詳しくないので調べてみました。
宗家自体は1245年から対馬に勢力を拡げているみたいです。
ただ、宗家も元は九州の肥前・筑紫に自領を持っていましたが、
大内家の勢力拡大のため、九州での勢力範囲は喪失してしまい、
結果、対馬へ本拠地を移しているみたいです。
ところで、この対馬は自立してやっていく事がかなり辛いみたいです。
生産性はかなり低いらしく、朝鮮との中継貿易が重要になりました。
宗家としては日本の側でありますが、
また朝鮮との関係も日本と同等に重要視しているから、
他と比べてちょっと独自路線になってしまう様に見えるのかなと思います。
言葉についてはそういう土地柄なのでどちらも使っていたのではないかな?
これは私個人の考えですから、
より詳しく正確な事は本職の方に聞かれた方が良いですよ。おしまい。
491日本@名無史さん:02/04/23 11:26
>>490
ネタだから相手にしないように。
492日本@名無史さん:02/04/23 11:27
>>476
松平忠明は家康の養子にはなっていないはず。
493藤原三位卿:02/04/23 16:42
>>491
たとえネタでも丁寧な対応の月星さんがこのスレの命
>>488
ついでに、宗家について(私も本職じゃないけど知っている範囲で)
宗家は「平清盛」の三男「平知盛」の孫「重尚」を祖とする桓武平氏です
鎌倉期に対馬の守護代となり以後明治維新まで対馬を領有していました
二度にわたる元寇の際には、元、朝鮮軍の蹂躙を受け対馬は壊滅的な
打撃を受けましたが、室町期には再び、対朝鮮外交、貿易の窓口として
機能し、秀吉の文禄、慶長の役の際の外交面の活躍は有名です
江戸期には鎖国に伴い、対朝鮮外交、貿易上のバッファとして特権を獲得
し、朝鮮に対して一元的な窓口となった
封額は、慶長以降約一万石、文化十四年に加増を受けて三万三千石
ただし家格は慶長十四年以降十万石以上の格とされています

さらに対馬について(知っている範囲で推測を交えながら)
魏志倭人伝に対馬国の記述があるので、少なくとも卑弥呼の時代には
すでに倭(日本)国の一部だった
日本書紀に白村江の戦いに敗れて朝鮮半島に足がかりを失った朝廷が
防衛のため対馬に金田城を築いたという記述があるので、平安期以降も
日本の領土
鎌倉以降は宗氏の領土なので、日本領土
朝鮮が領有していたのは、二度の元寇の折に元、朝鮮連合軍が占領して
いたときくらい
このとき壱岐とともに対馬も徹底的な殺戮と破壊を受けているようなので
元、朝鮮連合軍にとっては敵地であった
(対馬に対する蹂躙は、壱岐ほどひどくなかったという話もある)

土地柄、混血は考えられるが、基本的には日本人(TVで見た範囲)
現在住んでいる人たちは、話し言葉も北九州の言葉で本土との違いは
感じないし住んでいる人たちは沖縄の人ほどの違和感は感じない

推測だけど
使っていた言葉は、日本人が住んでいたので母国語は日本語
朝鮮との交流が深いので、バイリンガルで朝鮮語も使える人がいた
程度ではないかと
494外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/23 19:01
久しぶりに分かる家にきたので参戦!!

朝倉氏景が二代目というのが妥当でしょう。
畿内に近いこともあり、幕府とも密接(相判衆になってるし)。畿内から遠いと
こうすぐに箔はつかないでしょう。
義景の時代は爛熟期ですね。
でも近頃だと浅井・若狭武田家を半従属させていたといわれてますね。
そうすると織田家への対抗意識もわかるような…
(どちらも斯波氏の被官。朝倉家の方が上位。家紋が物語っていますね)。
他の織田・豊臣家が滅ぼした大名の当主が再評価されているのと比べると
今も昔も評価が変わらないのは一体・・・。
でも義景の辞世の句を詠むと、彼なりに言いたいことが一杯あったんだろうな
と感じられて、思わず共感してしまいます。
辞世の句、載せときますね。

七転八倒 四十年内 無自無他 四大本空
495藤原三位卿:02/04/23 20:37
越前朝倉氏、甲斐武田氏、駿河今川氏、豊後大友氏等、ほとんどの戦いが
外征で、国内で大きな戦いを経験していないところは、いったん攻め込ま
れるとあっけないほど脆いですね
朝倉景恒、仁科盛信、朝比奈泰朝、志賀親次等ほんの一部の武将の抵抗は
あっても、それ以外は十分な抵抗線も築けず反撃どころか、ろくに兵力も
集まらずに一気に攻めまくられます
さらに、重臣や身内からの裏切りが続出して、敵を引き込んだり寝返った
りしています
攻め込まれるまでは、外見的には弱体化はしているものの、こんなに弱っ
ているようには感じられないんですが
496藤原三位卿:02/04/23 20:52
>>494
(私信)
お久しぶりです
あちらの方のお忍びので書かれた文、拝見しました
いつもながらの力物に驚きます
もうちょっと手を加えれば、卒論でいけそうですね
               以上、私信でした
497外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/23 20:53
>>495
挙げている家の内、朝倉家以外は外征の失敗で当主が死んだり、権威が失墜して
小領主達がこれ以上領土が増えなそうだから、増えそうな勢力に着いてしまえと
いう感じなのだけど。朝倉家はそういう意味じゃ外征じゃないですね。
朝倉家自体の領土って基本的に越前一国。加賀・越前との一向一揆に当たることで
領地を掌握できたのかもしれませんね。武田家経由の一向一揆との和睦で、小領主
達がこれ以上領土が増えないと思ったのかな。
498外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/23 21:03
>>496
(私信です)
かぶってしまいましたね。
拙い文章を誉めていただけると・・・どうもです(照)。

499藤原三位卿:02/04/24 00:22
>>497
私も恩賞領地の問題が大きいんじゃないかと思います
外征をして勝利しても、そこをきちんと領有化できなければ恩賞の領地は
自国内の領地を切り崩していくしかないですから、いずれ飽和状態になり
十分な領地を支給できないか、大名家の国力を奪っていくかですからね
朝倉家の場合痛いのが一向一揆が相手なので勝っても領地が増えないし
戦った武将たちに後味の悪さだけ残しますから、やればやるほど家臣の
朝倉家に対する求心力を失う事にもなりかねませんからね
それにしても、あまりにあっけないという感じ
500月と星より ◆xQ5494pE :02/04/24 00:29
ただ今、帰りました。
今回は、2時10分頃に締め切りますね。
とうとう500になりました。
皆さん東日本も頑張りましょうね!(^−^)
501月と星より ◆xQ5494pE :02/04/24 03:22
>>491 491番さんへ。
御免なさいね。気を使って書いて頂きましてありがとう。
答えられる事は何とかしたいと思いますので、
多分これからも答えてしまうと思います。(悪質なものは答えませんですが。)

>>492 492番さんへ。
松平忠明、伊勢亀山城主。
私的にはもう知らない人ですね。徳川家康の外孫という事で良いでしょうか。

>>493 藤原三位卿さんへ。
いつも弁護して頂きましてありがとう。あれがネタなのですか?
書いている事はかなりまともかなと思うのですが。そもそも、ネタって一体?
対馬では日本語が一般。
外国との交流が盛んな所ですから朝鮮や中国の言葉は話せると便利という事で。

>>494 外郎屋さんへ。
御免なさいね。ず〜とあんな感じで進めていました。
私、朝倉家の事が余り分からないので何とも書けませんが、
朝倉義景の評価は固定化されていますね。
織田家は朝倉家を滅ぼし越前を平定するという考えが明確であるのに対して、
朝倉家は織田家を攻め滅ぼして天下を狙おうという意志は無いと思います。
朝倉家にもお家の事情があるのかと思いますが、
この勝負を決定する最大の要因でしょうね?

>>495 藤原三位卿さんへ。
朝倉景恒(金ヶ崎城主?)、仁科盛信(高遠城主)、朝比奈泰朝(掛川城主)、
三人とも好きですよ〜。
志賀親次、北志賀家の人ですね。志賀家の人は多いのよくは分かりません。
志賀家の人は余り良い印象が無い様な気がしますが、この人は別なのですね。

502月と星より ◆xQ5494pE :02/04/24 03:32
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
朝倉家の二代目は、朝倉義景という事でお願いしますね。
次回のテーマ、能登の畠山家の二代目は畠山義続で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
再びマイナー戦国大名が続きます。みなさんごめんね。
気軽な意見、待っていますね〜。
503月と星より ◆xQ5494pE :02/04/24 03:37
あ、間違えてしまいました。
朝倉家の二代目は、朝倉氏景という事でお願いしますね。
あ〜やってしまいました。しくしく。
504月と星より ◆xQ5494pE :02/04/25 00:18
ただ今、帰りました。
今回は、2時50分頃に締め切りますね。
それにしましても畠山家、このまま終わりそうですね。
505藤原三位卿:02/04/25 00:48
>>501
私も488はネタと思いますが、それにも丁寧に対応する姿勢がこのスレを
荒氏から守っているのではと思い、フォローを入れときました
多分、宗氏のことは後ろの二行に対する前振りなんでしょう

志賀親次は、大友三大庶家の一つ志賀氏の最後の頭首で豊後竹田の岡城主
です
歴史的に名を残しているのが
@薩摩の豊後侵攻の際島津義弘が指揮する大軍に対して、寡勢を持ってよく
 守った(当時二十歳の青年武将でドラマがあって結構有名です)
A大友家が除封されるきっかけとなった朝鮮の役の際の鳳山城からの退却を
 決定付ける進言をした人
大友家改易で浪人となった後、多くの大名からの仕官の話を断り何処にか
消えてしまった人
506藤原三位卿:02/04/25 01:01
能登は温井氏、遊佐氏、長氏ら畠山七人衆(ただし後の四人は名前も
知らない)の連合政権で、畠山本家を傀儡としていたというくらいしか
知らないのです
後、上杉謙信によるのと侵攻のときの七尾城のことくらいです
畠山義続は、名前も知りません(畠山さん、ごめん)
507月と星より ◆xQ5494pE :02/04/25 01:17
>>505 藤原三位卿さんへ。
という事は、私、後ろの二行を完全に無視してしまった事に・・・。
分かっていないのは私だけ・・・。ははは。
志賀親次も名のある武将だったのですか。
大友家の将は高橋紹運だけではないという事ですね。
508藤原三位卿:02/04/25 01:41
>>507
他、全国区で有名どころは、立花道雪、立花宗茂の義理の親子
ご存知とは思いますが、立花宗茂は高橋紹運の実子です
その他、綺羅星のごとくです
509月と星より ◆xQ5494pE :02/04/25 01:42
>>506 藤原三位卿さんへ。
遊佐続光、遊佐宗円、温井総貞、長続連、三宅総広、平総知、伊丹総堅が、
畠山七人衆らしいです。
私も同じ。歴史の中の出来事しか知りませんよ。
51015:02/04/25 02:10
ごぶさたしてます。ってゆうか、ほとんど、はじめまして。
勉強させてもらってます。
畠山ってゆうと、戦国のきっかけとなった、応仁の乱で有名な河内畠山しか
思い出せない位の素人なんで、良く分からないんですが、
初代にあたる、義総はどんな風な人なんでしょう?
511藤原三位卿:02/04/25 02:24
>>510
名前すら知らんのでGoogleで検索しました
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/6989/YoshifusaHatakeyama.htm
512日本@名無史さん:02/04/25 02:29
長氏って畠山の監視に送りこまれたんだよね?鎌倉幕府から
もともとは長谷部兵衛尉という北面の武士だったとか
51315:02/04/25 02:33
なるほど。ありがとうございます。
イクサは嫌いで、いろんな勢力と結んで、文化面に力を入れていたみたいですね。
平和な時代に生まれた方が、より名を残したであろう人物ですね。
514藤原三位卿:02/04/25 02:41
>>512
畠山氏は、吉良、今川氏と並ぶ足利源氏の庶家なので室町以降の
家かと思ってました
515日本@名無史さん:02/04/25 02:44
>>514
もともとは秩父平氏ですよ。
畠山重忠とか

途中で足利系になったけど
516藤原三位卿:02/04/25 03:06
>>514
そうでしたか
うちの資料では坂東八平氏の秩父氏−畠山氏−江戸氏となっていて
江戸氏に改姓したことになっています
能登、河内上下の三つの畠山氏は足利義兼の子、義純から始まった
ことになっていて
同じ三管領の一つ斯波氏や、今川氏、吉良氏、一色氏、渋川氏、
桃井氏等と同じ系列ということになっています
517月と星より ◆xQ5494pE :02/04/25 03:23
15番さんへ。
はじめまして。(なのかな?)
畠山家の事を詳しく知らないのは私も同じですよ〜。
名を残す人は、多分いつの時代でもやるべき事はやる人かなと思います。
時代を選んでいたら仕様が無いですしね。
畠山義総も自分がやる事に全てを賭けていたのでしょう。
518藤原三位卿:02/04/25 03:37
>>515
たしかにありました
足利義兼の子義純は、長子ながら遊女の子であるため、足利家を相続
できず、謀反のため断絶した畠山家を継ぐこととなり、これにより
源姓畠山氏が興る
という、そっけない一文がありました
519月と星より ◆xQ5494pE :02/04/25 03:40
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
畠山家の二代目は、畠山義続という事でお願いしますね。
次回のテーマ、姉小路家の二代目は姉小路自綱で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしていますね。
予想を大きく裏切りましてのこの展開。
何が起こるのかはやってみないと分かりませんね?
520藤原三位卿:02/04/25 03:44
月星さんへ
あちらの136は気にしないように
クラシックコンサートのフライングブラボー位の気持ちでどうぞ
521月と星より ◆xQ5494pE :02/04/25 04:50
>>520 藤原三位卿さんへ。
ありがとう。やはり行ってきます。

なんか宗っていう姓が、朝鮮ぽいので、朝鮮系かな?とか思ったりしたんだけど。
MISIAの本を読んでたら、対馬の人というのは、朝鮮の民族衣装を着て
お祭りとかするらしいです。
道路標識も補助的にハングル文字を使ったりしているそうです。
(対馬の人はハングル自体は読めないが、友好の証しという意味で)
それに、韓国人って、独島(竹島)は韓国領、対馬は日本領とか言うでしょ?
だからもともとは対馬は朝鮮系だったのかな?と。
あまり日本史の舞台に出てきませんよね?対馬って。

MISIAも偏見が持たれるのが嫌で、最近まで福岡出身って言ってました。
露出が少なかったのも(特に顔)それが理由とか。
MISIAの顔立はどー見ても朝鮮っぽいですよねえ。

ところで、元寇のとき、対馬は一体どうなっていたのでしょう?
523日本@名無史さん:02/04/25 06:27
竹島も対馬も日本領だよ。幕末史をよく読むべし。
524日本@名無史さん:02/04/25 09:13
>>522 MISIAはロンパリを隠すために露出が少なかっただけ
525日本@名無史さん:02/04/25 09:35
>>522
現行のとき対馬人は虐殺されました。女子供はさらわれました。
そのあと本土から人が入って増えたのかなあ?
526ぴか:02/04/25 10:29
あれ?宗氏の話題?
うちの祖先はこの人の家来だったらしい(かなりいいかげん)
http://www1.ocn.ne.jp/~kurose/rekishinenpyo.htm

ここわかりやすいカモ
527日本@名無史さん:02/04/25 11:46
惟宗→宗
長谷部→長
高階→高

もともとの名を縮めた名字って、結構あるね。
528ぴか:02/04/25 12:45
ちなみにオイラの苗字も1文字
529日本@名無史さん:02/04/25 14:23
平家とか菅家もそれに近いよね。
すいません。誤爆しました。
531日本@名無史さん:02/04/25 18:30
(  ` ◇´)
532藤原三位卿:02/04/26 01:04
飛騨の国にも戦国の風が吹いていたんだねー
血なまぐさいことのなかったところかと思っていました
姉小路自綱が二代目も何も、姉小路を名乗ったのは自綱からだし
大名としての姉小路はこの人で終わっているし
三木を名乗っていた間は、守護代でたいしたことなかったし
533月と星より ◆xQ5494pE :02/04/26 02:08
ただ今、帰りました。
今回は、3時00分頃に締め切りますね。
534月と星より ◆xQ5494pE :02/04/26 03:37
>>522 坂上田村麻呂さんへ。
もともと日本に住んでいる人は、
シベリアや朝鮮、中国、南方と色々な地域から集まっていますから、
これが本当の日本人というものは無いと思いますよ。
日本に住んでいて、言葉、文化、感性などが分かる人が日本人かな?
ちょっと危険な感覚でしょうか?

>>523 523番さんへ。
国境がないとやはり大変なのでしょうね。特に日本の場合は!

>>524 524番さんへ。
御免なさい。コメントが思い浮かびませんでした。
せめて歴史の事であると嬉しいのですが・・・。

>>525 525番さんへ。
戦争ってこういう事があるから嫌です。
こうならない様にする事って難しいですよね。

>>526 ぴかさんへ。
いつも思いますが、色々な事よく知っていますね。
宗家の事が書いてある所なんて、どうやって見つけるのでしょう。
本か何かに乗っているのですかね。

>>527 527番さんへ。
へ〜。そ〜なんですか。驚きです。私、知りませんでした。

>>528 ぴかさんへ。
テストの時、名前の字の数が少なく簡単である人を、
うらやましいと思った事があります。

>>329 329番さんへ。
菅家って菅原家の事なの?間違っていましたら御免なさい。

>>530 坂上田村麻呂さんへ。
誤爆って何かしら?

>>531 531番さんへ。
怒っているのかな?

>>532 藤原三位卿さんへ。
飛騨って密かに戦国時代をしっかりやっていますよね。
535月と星より ◆xQ5494pE :02/04/26 03:44
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
姉小路家の二代目は、姉小路自綱という事でお願いしますね。
次回のテーマ、斎藤家の二代目は斎藤義龍で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
やはり多いでしょうね。
536藤原三位卿:02/04/27 00:32
上げます
537月と星より ◆xQ5494pE :02/04/27 00:37
ただ今、帰りました。
今回は、2時15分頃に締め切りますね。
予想に反して斎藤家、書かれていないですね。ちょっと驚き!
538月と星より ◆xQ5494pE :02/04/27 02:28
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
斎藤家の二代目は、斎藤義龍という事でお願いしますね。
次回のテーマ、今川家の二代目は今川氏輝で良いでしょうか。
意見のある方、お待ちしています。
私としては斎藤義龍、かなり気に入っているのですがね。
斎藤義龍の死は謎です。あんな偶然があるのでしょうか。
今川氏輝の死も謎です。奇遇ですね。同じ二代目になれるかな?
539月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 00:19
ただ今、帰りました。
今回は、2時10分頃に締め切ります。
今川家について一つ。実は女戦国大名と呼ばれる人がいます。
寿桂尼という名前の人なのですが、
私個人ではこの人が今川家の二代目かなと思っています。
ただいくらなんでもさすがにちょっとね。
1568年3月24日、死去。龍雲寺に葬られています。
その直後12月に武田信玄の駿河侵攻がありますが、
何故ここで信玄が動いたのでしょうね?
540436:02/04/28 00:34
ごぶさたでございます
その女性、全く知りませんでした(w
ポジション的に氏真の後見って感じですか?
ちょっと話がとんで申し訳ないですが、武田の駿河侵攻といえば、三増峠。
個人的にかなりマンセーな合戦です。
一連の信玄の軍略がほんと素晴らしいです。しかも相手が氏康ありきの北条
でしたし。
541外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/28 01:00
決定後だけど斎藤家クラスに意見がないのはあまりにさみしいので。

義竜は道三の施策をどの位引きついたのだろう?
一般書では道三と義竜の確執が詳細に書かれてないのですが、義竜が土岐の血を引いてる
からということが一般的な気がします。
そうすると斎藤家の後継者というよりも土岐家の後継者という感じがするので、道三の施
策をどの位引き継いだかが気になります(道三は立波の紋を使ってるけど、義竜は桔梗の
紋を使ってますよね)。

あとは竜興ネタになってしまうのですが、信長の失策の一つに稲葉山城の落城の際に竜興
の命を取らなかったことだと私的に思っています。後の信長包囲網にほとんど参加してま
すね(元々斎藤家は朝倉家と同盟を結んでいるから、朝倉家の上洛拒否の件も信長の悪口
を吹き込んでいたかも…。信長の書面より、義景本人の近くにいる人の方が信じますよね)。
最後は朝倉殲滅戦のときに戦死してしまうわけですが…こいつはこいつなりにがんばった
と思ってしまうわけです(敗者は敗者なんだけど、どこか日の目を見せてあげたいな)。
542外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/28 01:01
今川家の二代目に関しては寿桂尼を押します。
氏親が体調不良後からは寿桂尼が連判してますし、病弱な氏輝に代わって書面を多数だし
ているようです(もう、立派な戦国大名というくらいな量らしい)。彼女が書面を出さなく
なるのは義元が家督を継いだあとらしいです。
花倉の乱のときも良真側に反意を冷まそうと手紙を出しているし、義元時代の親北条から
親武田の方向転換は義元の意向というよりは寿桂尼の意向を感じます。義元の京都嗜好も
彼女の影響だろうし。武田家の駿河侵攻は彼女の死後です(それだけ彼女に影響力があった
証拠)。
彼女の遺言は、駿府の鬼門に我が遺骨を埋め今川家を守るというような内容でした。奇しく
も徳川家康の遺言(一般的には、重き荷物だけど)の一つもこれにそっくりですね。
武の方面はともかく文の面では活躍しているし、武田信玄に彼女が生きている限り駿河侵攻
をためらわさせたことを考えても、十分に二代目と呼んでいいと思います。
543外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/28 01:16
>>540

寿桂尼がどんな人かは>>542を見れば大体わかると思います。
後はフォローすると、父は公家の権大納言中御門宣胤。
「駿府の尼御台」と呼ばれていたりも(当時)します。
武田関連なら三条夫人の輿入れも彼女の実家経由ですね。
544436:02/04/28 01:26
>>543 外郎屋さん
どうもです!
想像していたよりも前の時代から影響力を発揮していた人なんですね。
確かに542の文を読む限りでは2代目の候補に上げられてもおかしくない
ですね。
雪斎ともかぶる時期がありますね。
545日本@名無史さん:02/04/28 01:31
>>540
薩「土垂」峠のこと?

寿桂尼は実力者だが家督継いでないですし、いくらなんでもちょっと。
546436:02/04/28 01:36
>>545
>薩「土垂」峠
ごめんなさい。漏れが無知なせいか、よくわかりませんです
547日本@名無史さん:02/04/28 01:43
信玄が小田原を攻めて、甲斐に帰る途中に北条と戦ったのが、三増峠。
山県昌景の別働隊が活躍した戦いですね。
駿河絡みが薩「土垂」峠 。
548外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/28 01:47
>>543
肝心なことが抜けてる(全く…)。
氏親の正室。
氏輝・義元の実母。

月星さん。
向こうのスレ(http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1015921760/143)はスレすれ
違いっぽいので、こっちで意見。
>>541にも書いたけど(都合よく)、義竜→竜興の施政が土岐氏の流れを汲むもので、信長の
施政が道三の流れを汲むものだとしたら…どうなんなんだろう?
道三→義竜のときはまだ土岐氏の影響力が強いだろうし(時期的にも)、竜興→信長の場合
(時期的に)美濃三人衆に代表されるような独立性の高い(安藤守就は竹中半兵衛と組んで
稲葉山城乗っ取りが有)連中が増えてきたのでしょうね。それが道三時代の施策に合ってい
て、その流れを汲む信長に心情的にも傾いた可能性(道三の遺言状もね)はあると思います。
549日本@名無史さん:02/04/28 01:48
さった峠は北条氏信でしたっけ?幻庵の息子ふたりが守将で戦死したときですよね
550436:02/04/28 01:50
あれ、三増峠も一応きっかけは駿河絡みですよね?
551日本@名無史さん:02/04/28 01:56
三戦板より精度の高いスレですな、こっちに移住しようかな
552日本@名無史さん:02/04/28 01:56
まあ、一応駿河がらみで武田と北条は断交したんですけどね。
幻庵の息子が戦死したのは蒲原城らしいですね、たしか。
553日本@名無史さん:02/04/28 01:56
ところで誰か学研から出てた斎藤道三の小説読んだ人います?
まあ小説なんで資料にはなりませんが、これの3巻は義龍(と庶兄の長井隼人祐)が主役で面白かったよ
554月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 02:01
>>540 436番さんへ。
お元気でした?寿桂尼は今川氏輝や義元の母様。
氏真から見ますと婆様になる人です。
しっかりした息子たちであるならのほほんと老後を過ごせたのでしょうが、
孫はやはり心配らしくて1564年頃まで政治活動をしています。
1565年は龍雲寺を開き、政治活動の跡は見られなくなります。
同年、飯尾連竜が殺害されていますが、
それ以前に松平元康の自立や井伊直親が殺害されたりしてますので、
西への影響力は後退しています。

武田信玄が小田原城包囲戦をするのが10月。
本当は7月に侵攻したかったらしいのですが(遅くなると冬が来る。)、
この時、関東地方に大型の台風が襲い、河川が大洪水を起こして9月に延期。
さらに秋の収穫期なので兵糧米を奪う計画もこの件で挫折。
運の悪さ極まりというところですね。
555436:02/04/28 02:12
>>554
いつも丁寧にどーもです!
寿桂尼については先の外郎屋さんのレスとともにとても参考になりましたー。
信玄の北条攻めに関しては、駿河・伊豆侵攻の返す刀でもっと鮮やかに展開
したのかと思っていたんですが、そんな足踏みがあったんですね。
556外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/28 02:12
>>550

第一次薩土垂(さった)峠の戦…武田信玄の駿河侵攻の際の戦い。
              今川氏真がなにもすることなく敗退。
第二次薩土垂峠の戦…三増峠の戦後の駿河平定戦の一つ。
          蒲原城攻めが有名(北条好きだけ?)

557436:02/04/28 02:20
>>556
なるほど。
駿河平定戦において2度あったわけですね。
特に第一次において氏真はあっさり敗退とありますが、この時今川方は
どれくらいの兵力を維持していたんでしょうか?
558外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/28 02:46
>>556
実数は手元に資料がないので分からないのですが、氏真はほとんどの重臣を引き連れて
いたようです。数的には武田信玄の引き連れていた軍勢より多かったそうですが、
重臣のほとんどが武田の内応攻略を受けていて戦うことなく自分の軍を退却させ、その
余波をくらい氏真は退却を余儀なくされ、その後は雪崩式に…という訳です。

追加補足。
雪斎の件は、義元の後見役として任命したのは氏親と共に寿桂尼でしょう。
雪斎自体由比家(今川家重臣)の人間だから。
氏親が家督相続したのが14歳のとき(このとき義元は6歳位)。同じような年齢で
家督を継いだ斎藤竜興とや、氏親の家督相続の時を比較しても、家督継承の安定さは
寿桂尼の施策が上手くいってたことの証明だと思います。
さすがに突発的だった花倉の乱の時は荒れていますが…、家中が二分になった争いと
いうよりも一部の反乱(負け覚悟の)ですね。
559436:02/04/28 03:01
>>558
おー意外と武田の手が伸びるまでは瓦解していなかったわけですねぇ。
そして、その戦力瓦解の鍵となった要因の一つとして寿桂尼の死があるわけ
ですね。北政所と比較しても遜色ないというか、それ以上の影響力かも。

個人的にこれまであまり今川家に関しての書籍等は読んでませんで
したが、今日の色々な話を聞くと、とても面白そうですね。
今度小説の一つでも読んでみますわ。
560外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/28 03:03
>>559
お奨めは、永井路子の『姫の戦国』(上・下 2冊)です。
561外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/28 03:05
(独り言)
月星さんのこの知識の豊富さはなんなんだろう?
手元に資料が置いてあったとしても、年代の表記とかを見ると何冊位あるのだろうかと
考えてしまいます(こっちは手元資料なしのうろ覚え&URLフォロー故)。
それも連日…感服致します。
562月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 03:42
ははは。何時の間にかたくさんの人が。
>>541 >>542 >>543 外郎屋さんへ。
私が考えている事です。
斎藤義龍は織田信長との戦闘を避けています。それは信長も同じですね。
双方共に互いを認めているからこそ国力の強化を図っているみたいです。
信長は弟の信行を殺害して家臣団をまとめる事に力を入れて、
義龍は内政に力を入れて道三亡き後の領内安定を目指しているみたいです。
奇しくも二人がやっている事は同じであるわけですね。

寿桂尼の親武田外交説は私の中で一番のお気にです。

あちらでは織田信長の事を少しだけ触れるつもりでしたが・・・。


>>545 545番さんへ。
そう!そこなんですよね。やっている事は立派な戦国大名なのですが・・・。
家督がね。

>>548 再び、外郎屋さんへ。
齋藤道三二代目なる人がいるのでしたら、
その人って残虐で狡猾な性格の持ち主ですね?。
美濃国内では畏怖されて、『蝮』と内外から呼ばれています。
義龍は国政に力を入れて家臣をまとめるつもりでしたから、
道三の様な『厳しく鋭いやり方』をあえてやらなかったのではないのかな?
内容は取り入れても良いかなと思います。
ただ、この短期間では実態は不明でしょうね。
竜興は・・・せめて、美濃にいる時に頑張ってほしいですね。
信長は道三に似ているでしょう。考え方が合理的ですから道三以上かな?
ま〜、美濃の人達も混乱しているよりは、
力ある人が治めてくれる方が良いという事でいいのかな?
土岐家の政治は、やはり保守的なのでしょうか?

>>549 549番さんへ。
武田信玄の駿河侵攻作戦は六回の出陣で駿河を制圧する事に成功します。
この蒲原城陥落は第三次侵攻の時です。
最初は北条側が優勢、しかし多勢に無勢。陥落との事。

>>550 550番さんへ。
小田原城包囲戦や三増峠合戦は、第二次侵攻の時です。

>>551 551番さんへ。
皆さん一生懸命に書き込まれていますからね。
そういう意味では何処も一緒ですよ。三戦板も勉強になります。

>>552 552番さんへ。
北条家側の蒲原城には鉄砲衆もいたらしいですが、300人位では・・・。

>>553 553番さんへ。
御免なさい。私、小説は全く読まないので・・・。
563月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 03:53
あの〜、コメントの書き込みは後で必ずしますから、
結果発表を先にさせて下さいね。
今川家の二代目は、今川氏輝という事でお願いしますね。
寿桂尼、好きなんですが家督を考えますと・・・。
氏真くんは出番無しですね。仕方が無い。
次回のテーマ、武田家の二代目は武田晴信(信玄)で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
取り敢えず書き込み。
564日本@名無史さん:02/04/28 04:02
やはり勝頼だと思うんですが。
565月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 06:22
>>555 436番さんへ。
ありがとう。でも、同じ様な内容なので。ははは。

>>556 外郎屋さんへ。
これはダメ?
1569年正月26日頃、北条氏政は今川家救援のために出陣(三島に着陣。)。
武田信玄は1568年12月に駿府を占拠していましたが、
甲斐への連絡路を断たれてしまい危機に陥ります。
水軍を持つ北条家が優勢に事を進め、
武田家は劣勢になり、ついに甲斐へ退陣を決める事になります。
その後、駿府は今川家旧臣岡部氏により奪回。
いいかな?

>>557 >>558
武田家は二万(?)の軍勢。今川家は不明。
裏切り行為の事ばかりでよく分からない合戦かな?

>>561 外郎屋さんへ。
あの、その知識無いです。歴史の勉強なんて中学校で終了ですし。
北条家、今川家、織田家、三好家は好きですから本はありますが、
資料みたいな本物は見た事も無いですよ。
前を読み返してしまうとばれてしまいますが、
皆さんの様に文献を元にかっこよく書けません。
『私個人は〜』と私が思っている事を書いている事が多いです。
私の根拠は全て思い込みですよ〜。
これを読んだ人、私の事、変な人と思いますよね。
566月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 07:06
>>564 564番さんへ。
武田勝頼のイメージは悲運の将ですね。
頑張っていたのに何処がいけなかったのかな?上杉景勝との同盟かな。
上杉家が好きな人に怒られそうですね。
本当のところは織田家と対立していた事でしょうね。
567藤原三位卿:02/04/28 14:06
>>541
最近は、義龍が土岐頼芸の子であるというのは否定され、道三の実子である
という説が有力です
道三→義龍の家督相続時の権力の二重化による家臣団の分裂と考えたほうが
良いかと思います
これも私説ですが
当時、越前朝倉義景、駿河今川義元、尾張織田信長等、相次いで検地や地制
改革を行っていますし
(織田信長の場合は、尾張統一自体が地制改革、兵制改革のようなもの)
下克上で、土岐家から権威、権力を簒奪した斉藤家には、子飼いの家臣や旧
来の家臣をほとんども持たず、旧土岐家の家臣団である土豪衆の連合政権の
長と言う立場だったと思います
権力強化と中央集権化を狙って美濃斎藤家も地制改革や兵制改革を行おうと
して、家臣団、土豪衆に対する求心力を失った可能性が考えられます
道三の隠居も地制改革、兵制改革を行うためではないかなと考えています

どなたかこのあたりに詳しい方居られたらフォローお願いします
56815:02/04/28 14:28
ごぶさたです。畠山義総については、もろもろ、ありがとうございました。
月と星よりさんのおっしゃるとおり、生きる時代は誰にも選べませんね。
ただ、義総にそういう時代に生きてほしかったってほど、思い入れはなく、
彼の資質が平和な時代に向いた資質だったのかなぁ、と思ったわけです。
言葉足らずで、申し訳なかったです。
斎藤氏については、他に選択肢はなかった気がします。

以上、遅レスでした。

で、武田ですが、選択肢は多くないですが、結構、難しいと思います。
二代目を信玄(晴信)とするなら、初代は信虎ですよね。
信虎自身は、十分、戦国大名だと思います。

勝頼が二代目とすると、信玄が初代ということですが、この板の傾向としては、
一族で最も活躍した人を初代としているのかと思ってましたので、
勝頼説が有力か思ってました。
ちなみに、この板の1は二代目を勝頼としていますね。

初代を勝頼として、二代目を信勝とするのは...やっぱり、無理ですね。

このスレのみなさんは、ご存知でしょうが、世間では、信玄が死んで、
勝頼が家督を継ぎ、<即座に>長篠の合戦で武田家滅亡みたいな印象が
あるみたいですね。
勝頼の家督相続後、足利、浅井、朝倉を倒した信長と、家康をあいてに、
勝頼はめちゃめちゃ頑張った思います。合戦に関していえば、信玄にも
負けてないと思います。
義信が信玄に対して、無茶な反発をして、死んでしまったこと。
信玄の遺言が勝頼の家督相続を結果的に遅れさせてしまったこと。
この二つが彼を悲運の将にしたのでしょう。

歴史にIFは禁物ですが、義信がまともに家督を継いでいれば、
部将として相当な結果を出せたのではないいかと思います。
もちろん、この場合、勝頼は武田の頭領にはなれませんが。

また、信玄の遺言ですが、これはその時点での最善策かもしれませんが、
(三年間はいくらなんでも隠せないと思うが)いずれにせよ、
元亀4年4月12日の信玄の死の直後から5月あたりまでで、主な戦国大名は
信玄の死を事実ととらえているか、断定できないまでも
その可能性が濃厚と考えていたらしいのに、武田の御親類衆や家臣団は
神の如き信玄の遺言を重くとらえすぎ、他に遅れを取ったと思われます。
この間におきた、長篠城を失ったこと、穴山信君と勝頼の対立は
武田家の滅亡に直結したものと思われます。
勝頼の最期も大変哀れなものですが、小山田信茂の領地の出身の私としては、
彼の悪口は書けません。
ただ、武田家への裏切りは自身も認めるところだそうです。

長文かつ乱文、失礼しました。
569藤原三位卿:02/04/28 15:20
>>562
>>齋藤道三二代目なる人がいるのでしたら、
その人って残虐で狡猾な性格の持ち主ですね?
評価は難しいのですが、少なくとも美濃の土豪国人達は土岐頼芸よりも斎藤
道三を支持したからこそクーデターが成立したはずなので、美濃の諸勢力に
はそれなりの評価があったはずと思います

信長と道三の類似性ですが
信長は家督相続の直後非常に権力基盤の弱い状態で家督を相続していて、尾
張統一までに同族間での血で血を洗う悲劇、さらに兄弟の間でさえ命を奪い
合うという悲劇に見舞われています
(信長の人間不信はここに原因があると思いますが別の話なのでここまで)
この戦で信長は、自分の直近の家臣団を率いて同族衆や国人衆との戦いを乗
り切り尾張を統一してゆき、結果、統一後の尾張は信長一人に権力が集中し
た(他国に比べてですが)構造が出来上がり大きな力を持ちます
この中央集権のおかげで以後の戦いを有利に進めていけたと思います

一方斎藤道三は、土岐家の陪臣の身から興り、いわばクーデターによって美
濃の権威、権力を簒奪します
ただ単に毒殺したり暗殺して成り代わっただけでは、家臣たちが後々従うこ
とはありえません
当然土岐家の家臣たちや土豪たちの多くが、土岐頼芸よりも斎藤道三のほう
が自分たちの利害にかなっていると判断したから成功した下克上だったはず
です
こうしてできあがった斎藤政権は、多くの土岐家旧臣と土豪衆の連合政権の
利害の上に立ったものと思われ、初期の斎藤家の権威、権力はそれほど強く
なかったと思われます
ここからはさらに推測ですが
道三は第二の斎藤道三(下克上)を防ぐためにも、外敵からの防御のために
も権力基盤の強化を図っていく必要があったはずです
そのため早くに家督を義龍に委譲して裏から権力の強化を図ったのではない
かと思います
たとえば、地制改革、兵制改革それと危険家臣の粛清ですが、これが多くの
家臣たちの不満を募らせ、旧臣たちが義龍を取り巻き道三との間の亀裂が深
まっていったのでは、と思います
こうして出来上がった義龍政権は、旧態の諸勢力の連合政権の長という立場
に逆戻りし、以後の信長の侵攻に対して各勢力単位で離反寝返りをうけると
いう状態になってしまったのではないかと考えています
570藤原三位卿:02/04/28 17:29
>>568
厳密に言えば、勝頼は武田家の家督を相続していません
信玄の後の家督は勝頼の子信勝に渡っています
勝頼の立場は、陣代として信勝が成人するまでの後見役で、正式には諏訪勝
頼です
ただし実質は、武田家棟梁として振舞っていますが

勝頼と穴山信君の関係ですが、新府城は信君の領地である韮山に築かれてお
り、信君自身の進言とされているので悪い関係だったとは思えません
徳川家康に降りる条件が、武田家の存続と救済だったといわれています
また、同じ時期に同じく信玄の娘婿である木曾義昌が織田信長に降りている
のを見ても、すでに勝頼体制は崩壊しており求心力をなくしていたと思いま

その中で、武田家の家名、血統の存続を考えて徳川家康と誼を通じていたの
ではないかと思います
信玄の娘婿であるこの二人の裏切りが武田家臣団の崩壊を決定付けたのは間
違いありませんが
571436:02/04/28 18:56
>>563
やはり急成長を遂げた代の後継者という視点で考えると、勝頼だと思います。

>>568
勝頼がめちゃくちゃ頑張ったということ、賛成ですね。

武田の没落の原因は一端は勝頼自身にもあるでしょうが、それだけではない
と思います。自分なりに挙げるなら、

1.四方を上杉・織田・徳川・北条と油断ならぬ強敵に囲まれていた。
 これは誰の落ち度でもなく、武田が拡大していく上でどれも一度は敵に
 まわさなければならなかったと思います。

2.信玄が自分亡き後の組織運営について、楽観しすぎていた。
(もしくは本気で3年間も秘密が守れると考えていたか。いずれも楽観。)
 これに関しては晩年の天才的な信玄を考えると、信じられないミスです
 よね。信玄が想像する以上に武田は、信玄という存在なしでは広大な
 領土を保ち得る状況ではなかったということでしょうか。

3.そんな中、勝頼の急進的やる気が空回りした。
 下手に覇気のない人間なら、もしかしたら旧臣が中心に組織を運営して、
 織田・徳川を凌駕するのは不可能でも、滅亡は防げたのかも。しかし、
 勝頼は不運なことに、気概に満ち溢れたいた(w そして急進的な政策を
 打ち出すもキャリア不足からか急ぎ過ぎて失敗。逆に組織崩壊を促進させ
 てしまう。けど、これもある種結果論だし、責めるのは酷ですよね。

4.そして、同盟する相手を間違えた。
 御館の乱ですね。勝頼を責めるとすれば、これでしょうね。上杉はどっちが
 勝っても国力が半減するのが目にみえている状態。北条につく方が安全なの
 は自明だと思うのですが・・・これも結果論でしょうかねぇ?

5.長篠
 やはり、この戦いで多くの戦力を失ったのは事実なので挙げざるを得ない
 ですね。それでも罠にはめた側の織田・徳川にあれだけの損傷を加えたの
 は勝頼の軍人としての才気を感じさせますし、若い頃の判断ミスは信玄も
 信長も家康もやっていますし、この件に関して一方的に勝頼を責めるのは
 かわいそうですね。

武田勝頼・・・ホント悲運という言葉がピターリですねぇ。
572月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 20:16
ただ今、帰りました。
今回は、0時00分頃に締め切りますね。

チラッとしか見ていないのですが、『げっ!長文ばかり。』みたい。
時間かかると思います。許してね。

>>567 藤原三位卿さんへ。
はい、私も斎藤義龍は齋藤道三の実子と考えている人です。
家臣団の当時の状況も賛成。
土岐家のイメージが旧体制という感じですから、新参者(道三)は辛いかもね。
そして新しい改革が旧体制の打破となるとなおさらでしょうね。
革新派と保守派の戦いは考え方が違いますから理解される事はないので、
齋藤道三という人物が必要になるのかな?
それにしても、斎藤家って名前は有名ですが実態は分かり難いですよね〜。
573月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 21:19
>>568 15番さんへ。
あ、いえいえ。充分伝わりますよ〜。
ただ賛成というのも味気無いので、あんな書き方をしています。

戦国大名初代を誰と考えるかで大きくゆれる二代目(なんか可哀想。)です。
色々な考え方やものの見方がここでは重要かな?
今川家の二代目で寿桂尼は残念でしたけど、
武田家の家督を正式に継承してない(?)武田勝頼でも良いと思いますよ。
別に判定基準が決まっている訳でもないですから自由に考えて下さいね。

武田勝頼は高天神城を攻略させただけでも素晴らしい。
(関東では北条家が関宿城を開城させています。)
武将としての資質は信玄以上と考えていますよ。
武田義信、本当に惜しいですね。
1557年頃 今川氏真、家督継承?
1559年頃 北条氏政、家督継承?
1565年  武田義信、東光寺に幽閉。
武田信玄は家督を譲る気なんて死ぬ直前まで無かったのではと思いますよ。

小山田信茂については、武田信玄の同盟者と聞いています。
私の周りは親武田派の人ばかりが多くそういう話を聞いた事があります。
小山田家の所領の郡内では武田信玄の発給文書が無いというのが、
小山田家の領国と武田家の領国に分けている理由らしいです。
だから、小山田信茂は裏切りではなく自分の国を守る責任の行動との事。
小山田、葛山、内藤とあの辺の人達については不明な点が多いですね。
574月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 22:04
>>569 >>569 藤原三位卿さんへ。
齋藤道三の評価、ついこの間まで私の中では一人でしたから、
まだ整理がついていませんね。
ただ、戦国大名として魅力があるからクーデターが成功し独裁者になれた。
それは、裏を返せば魅力が無くなり邪魔な存在に変わると、
齋藤道三の末路(長良川合戦)や織田信長の末路(本能寺の変)の様な、
最後を迎える事になるのかな?

地制改革、兵制改革、危険家臣の粛清とこの辺の事は分かりません。
御免なさい。何か良い本とかありますか?

韮山については、幽霊が出るくらいしか分かりません。間抜けな事を書いてます。
今度は穴山梅雪ですか。
駿河方面で活躍している穴山梅雪としては、
武田家が織田・徳川連合軍に勝てる訳が無いと、
早くから考えていたのではないかな?
予想に反して、武田勝頼の大活躍により判断に迷ってしまいますが。
しかし、高天神城の陥落は『やはり無理。』と冷静に判断したのでしょう。
それと同時に武田家の生き残りを探し始めたのかもしれませんね。
575月と星より ◆xQ5494pE :02/04/28 22:26
>>571 436番さんへ。
武田勝頼、人気ありますね。予想はしていましたが。

武田信玄は楽観というよりも死ぬ事を考えていない様な気がします。
本当に『自分が天下を取るぞ〜。』と死ぬまで考えていたのかも。

私は北条家派のオタなので、どうしても御館の乱の一件が致命的と思います。
上杉景虎が家督を継承する事が出来れば幻の甲相越三国同盟が成立し、
信長の北陸平定や武田家滅亡など簡単に進まないと思いますが・・・。

『失敗は成功の素。』といいますが、成功した人ほどそうですね。
武田勝頼の場合は時間が無くなり試合終了なのかな?
576436:02/04/28 23:20
>>475
レスご苦労様です。
信玄に関してはまず最後の出兵が何を目標にしていたかというのも意見が
分かれるところですよね。漏れは濃尾平野までは出張るつもりだったと
思います。そっから信長の出方次第だったでしょうが。

北条ヲタですか。北条の回のコメント期待してますよ(w

>時間が無くなり試合終了なのかな?
そうですね。浅井・朝倉を撃破した織田の膨張がそれを許しませんでしたね。
あと、それ以上に勝頼自身が自分を追いこんで焦りを生み、それで状況が悪化
してさらに焦ってという悪循環でしたねぇ。
577藤原三位卿:02/04/28 23:24
厳密に言えば勝頼は武田の人間じゃなくて、諏訪家の家督を継承して
諏訪四郎勝頼のです
578諏訪の一族:02/04/29 00:09
初めて書き込みさせていただきます
武田についてですが藤原三位卿の言われるとおり勝頼は諏訪家の当主であり武田家を継いではおりません
信勝の陣代だと言っても宇喜多忠家の例もあります。
秀家に代わり宇喜多家を率いてましたが勿論後継者ではありませんでした

だからと言って勝頼が無能だったとは思っていません。
昔読んだ本で(タイトルは忘れましたが)大将に向かない武将の例として
「強すぎる大将」というのがありました
勝頼はその強すぎる大将の例として載ってたんですが、
強い故に油断してしまったり慎重より大胆を好みます
強いので戦を好み、配下の武将や領民を省みることが出来なくなったとき・・・
武田家は滅びるべき運命だったのかもしれませんね
579五十騎組:02/04/29 00:24
>>575
景虎が家督を継いだとしても三国同盟成立ははなはだ疑問。
北条の外交戦略上、関東管領を持ち出してくる可能性のある景虎より
上州に野心なしとはっきり意思表示をする景勝のほうに魅力を感じたかもしれません。
詳しくは上杉の時に・・・

結局勝頼が貧乏くじを引かされた(引かざるを得なかった)格好ですね。
三戦板で景勝は御館の乱を利用し越後の近代化を成し遂げたと言うような話があったのですが、
勝頼に(というより武田に)知行制移行のチャンスは有ったのでしょうか?
信玄は早い段階から意図だけは持っていたようですが・・・
580日本@名無史さん:02/04/29 00:38
勝頼って本当に家督継がなかったの?信玄に遺言では陣代だけど、
信玄の死がばれた後に、なし崩し的に継いでしまったってな話を
聞いたような気がするんだが。細かい内容は忘れたが、御旗、楯無、
諏訪法性の兜が絡んでたような。ソースはない。
勝頼が家督を継いでなかったって言うのはまあよく聞く話なんだが、
信勝が家督継いだって話は聞いたことないですね。なんでだろ。
581月と星より ◆xQ5494pE :02/04/29 00:40
>>576 436番さんへ。
ありがとう。
そんでもって本題。武田信玄の西方侵攻作戦ですね。
1濃尾平野を席巻する軍事作戦と考えるのか?
 この場合ですと、占領地政策や本拠地の移転が問題になりますね。
 一気に上洛する事は避けて、地道に進む事になるのかな?
2小田原城包囲戦と同様の軍事作戦と考えるか?
 畿内の織田軍を美濃・尾張(身の終わり)に集中させて、
 朝倉家、浅井家、三好家、松永家の救援?
 特に朝倉・浅井連合軍が近江一国を制圧する事ができたのなら、
 真面目に天下を狙えますが・・・。
3意外に徳川家康だけを狙っての軍事作戦と考えるのか?
 あ、これ濃尾平野ではないですね。
この作戦、最終的には負けない武田信玄が選ぶとしたら何でしょうね?
582日本@名無史さん:02/04/29 00:45
信勝が家督を継ぐべき16の年に武田が滅んでしまったからでは?
勝頼は奥羽(芦名?)へ落ち延びるように言ったそうですが、信勝が親の言うこと聞いてれば後の歴史も変わったかもしれませんね。
家康が天下取ることになっても甲州閥が幅きかせそう
583藤原三位卿:02/04/29 00:45
>>579
手元に資料がないので記憶頼りですが
知行制移行のためか検地を試みているようですが、これが元で旧来の家臣の
反感を買っているような記憶があります
さらに、上にある小山田、木曾、真田等は半分独立勢力ですから、全領地に
わたる知行制は不可能ですし

ところで金山はどうなっていたんでしょうか
金の産出が確保できれば恩賞等にも有利ですし
どなたか情報希望
584日本@名無史さん:02/04/29 00:47
主を切り 婿を殺すは 身の終わり 昔は長田 今は山城

585通りすがり@名無し:02/04/29 00:55
>>578
武田信玄のリーダー学という本では?
586藤原三位卿:02/04/29 01:13
>>581
武田信玄の侵攻作戦ですが、三方ヶ原の後、裸の浜松上を見てすどうりして
いるところをみれば、家康の首ではないと思います
ひょっとすると、死期を悟った信玄の老執で本気で瀬田の唐橋に武田菱の征
旗を立てたかったのかも
587月と星より ◆xQ5494pE :02/04/29 01:24
>>578 諏訪の一族さんへ。
はじめまして。
強さゆえの油断。私もわかります。
織田信長も明智光秀を信頼しているから本能寺の変が起きたと思います。
織田信長は頼れる家臣が多すぎましたね。
話を戻しまして武田勝頼です。
そういえば、軍事面、外交面は有名ですが、政治面はどうなのかな?
あまり省みてはいないの?

>>579 五十騎組さんへ。
関東管領ですか。持ち出されると辛いですね〜。
知行制移行の件。
もし、チャンスがあるとしましたら、やはり長篠合戦かな?
実際よりもたくさんの老臣や一門が戦死して、
大敗北を被っていたならやれるかもしれませんが・・・。
注、若い家臣に有能な人材がいる事が前提です。
かなり危険な考えですのでおすすめしませんが。

>>580 580番さんへ。
武田信勝が家督を継承した話が出ないのは、
1573年に家督を継承しなかったからかな?
信勝が十六歳になった時に家督を継承する様な事を信玄が言ってます。
(嘘ついていましたら御免なさい。)
こういう話は大きい戦国大名だからできる話です。
今川家でもありました。(伊勢新九郎が登場し一件落着。)
盧名家では当主が死んでしまったので、父様が復位しています。

ちなみに、信勝が十六歳を迎えた年に武田家は滅亡しましたので、
やはり話を聞く事は難しいと思います。
588日本@名無史さん:02/04/29 01:25
織田本隊をおびきだして野戦で叩きたかったのでは?
実際総力戦になったら豊かな織田のほうが有利なわけで、家康くんだりにつきあって共倒れしている場合ではないのでは
589月と星より ◆xQ5494pE :02/04/29 01:55
>>582 582番さんへ。
盧名家に落ち延びるの?同盟している上杉景勝はダメなのかな?

>>583 藤原三位卿さんへ。
ぐぅ〜。やはり書く事が違いますね。私は滅茶苦茶・・・。
真田家も半独立勢力と考えるの?
検地が上手く実行できなかったのですか〜。これは重要。

>>584 584番さんへ。
すみませ〜ん。注釈があると嬉しいのですが。

>>585 通りすがり@名無しさんへ。
その本に武田勝頼の事が書いてあるの?良く書かれていれば良いですね。

>>586 藤原三位卿さんへ。
信玄も人の子という事ですね。しかし、中途半端な事を・・・。
後の人の事を考えてあげてね信玄。
590日本@名無史さん:02/04/29 02:30
>>589
584ではありませんが
長田は源義朝を討った長田忠致(名前間違ってるかも)、山城は斎藤山城入道道三で、謀反人の代表格のことをあらわしてるのでは
永井直勝(伝八郎)は長田の子孫ですね。
591藤原三位卿:02/04/29 02:38
真田に関しては微妙ですけど
武田に仕えて功により、信濃に返り咲いているので武田の家臣なのですが
沼田城を中心にかなりの裁量権をもって上州計略を行っていた、とされて
いるので、私的には半分独立かなと
といっても、この当時線を引くのは難しいですね
592月と星より ◆xQ5494pE :02/04/29 03:00
>>588 588番さんへ。
武田信玄としては、得意な野戦の方が良いでしょうね。
その方が一日で勝敗が着くかもしれませんから。
やはり敵地での遠征は武田信玄に分が悪いです。

で、突然ですが4月29日午前2時02分に交通事故発生。
手伝える事がないか直ぐに現場へ行って来ましたが、
6人くらい集まっていまして、男性3人が救出活動をされていました。
原因は車に乗っている人が飲酒運転をしていたみたいで、
道路から外れて道路脇に激突。
乗っていたのは若い男の子が一人で、
頭をフロントガラスにぶつけたらしく出血は凄く意識は完全にない様でした。
私は手伝える事が無く、救急車も直ぐ来たので帰りました。
車の事故は怖いですね。
593月と星より ◆xQ5494pE :02/04/29 03:25
>>590 590番さんへ。
山城はやはり齋藤道三ですか。
長田は本当に分かりませんでした。野間の一件ですね。
何年か前、大御堂寺に行きましたが刀のアレは何か凄かった。

>>591 藤原三位卿さんへ。
真田幸隆も好き勝手に上野を攻めていた様にもみえますし、
武田信玄も好きにしなさいみたいな扱いをしてますしね。
私、最初は長尾景虎と村上義清の様な、
客将みたいなものかなと思っていたのですが、
今は、木曾義昌や小山田信茂よりは家臣かなと思います。他国衆でありますが。
594月と星より ◆xQ5494pE :02/04/29 04:15
時間を大幅に過ぎていますが、締め切りますね。
結果発表。
武田家の二代目は、どうしよう。う〜ん。
交通事故とかでバタバタしていたから考えていませんでした。
やはり武田信玄にしようかと思います。
いきなりですが、言い訳その一。
武田勝頼を二代目にしてしまうと今まで二代目を決めていた事に、
疑問が発生して混乱や問題が起きそうなので。
家督代行や補佐や後見とありましたが、
宇喜多家の事を考えますとなるほどと思いまして、
主観で考えないで公平に考えようと思いました。
(別にこんな時に考えなくてもね。)
言い訳その二。
戦国大名初代の事ですが、
私は一族の中で最も活躍している人を初代と考えてはいないのです。
たまたま活躍していただけとも思いません。
守護大名から戦国大名への転換の時は、
やはり目立つ事をする訳ですから必然かなと思います。
言い訳その三。
武田信虎は多分、戦国大名でしょう。
言い訳その四。
武田勝頼には悲運の将が似合っているので・・・。(これは滅茶苦茶。)

ま〜気軽に考えて頂ければこれ幸いですね。
ここ武田勝頼が好きな人が多そうですけど御免なさい。
次回のテーマ、長尾家の二代目は長尾晴景で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
でも、自分の思い通りにならない事って嫌ですよね。
595日本@名無史さん:02/04/29 04:33
ところで織田と松平ってやりましたっけ?
信州・上州系の小大名とか
596日本@名無史さん:02/04/29 04:43
武田2代目は信玄でいいでしょう。
で、土岐や斯波は?ノブナガの時代にはもうへばってたけど、戦国時代って
結構長いですからね。
597月と星より ◆xQ5494pE :02/04/29 20:05
>>595 >>596 595番さん&596番さんへ。
細川家、斯波家、京極家、土岐家、小笠原家、村上家ほか、
みんな飛ばしてしまいました。
書かれると思ってはいたのですが・・・、御免なさい。
織田家は後回しにし様と思います。(多分、無理でしょうね。)
松平家ですか・・・、う〜ん。(織田家の後にしたら無理確実。)
戦国時代って本当に長いですね。
598月と星より ◆xQ5494pE :02/04/29 20:13
今回は、2時00分頃に締め切ります。
あ、先に書いておきますが、長尾家の次は上杉家を予定しています。
でも、何だか変ですよね〜。変なら止めますね。
599外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/29 22:37
遅レスながら
>>563
氏真君ネタが欲しそうなので…なにげに神様に祭れています。
菊川町(静岡県)で今川さんと呼ばれている治水の神様だそうです。
なんとなく徳川時代の大名なら名君って呼ばれていそう。

>>565 
第一次薩土垂峠の戦の概略ですよね。ならOKでしょう。
(その手元資料の豊富さ(戦国大名の全般に対して)が凄いなと)

長尾家に関しては、長尾家自体が元来関東に向いていたか畿内に向いていたかを知りたい。
多分敦賀経由で畿内で繋がっていたのだろうけど、一方長尾玄以(字あってる?)みたいな人
もいるわけで。長尾玄以関連も詳細を知っている方がいたら教えて下さい。
その方向性が見えなかったゆえに、謙信時代までうろうろしたのかなと思ってしまいます。
晴景については家中をまとめられないことを考慮すると、二代目は謙信って気がしま
600日本@名無史さん:02/04/29 23:07
能景→為景で二代目は為景じゃないの?
601外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/29 23:59
>>599
上杉は山内と扇谷に分けますよね。犬懸と深谷は関係ないだろうけど…(一応)。
602月と星より ◆xQ5494pE :02/04/30 00:56
>>599 外郎屋さんへ。
私、今川氏真も好きです。(やはり変でしょうか。)
最近、菊川町には行っていませんが治水の神様ですか〜。
何故、神様になってしまったのかは今はもう分からない事と思いますが、
政治力はある様ですの良いかな〜。(やったね、氏真くん。)

さった峠の件ありがとう。北条家の事でもありますから、知る事が出来ました。

私が知っている範囲で書きますね。
長尾昌賢(父)、長尾伊玄(本人)、長尾景盛(子)と白井城城主。
それだけです。子の景盛に興味がありましたのでこれくらいしか分かりません。
でも、これもちょっと怪しいと思いますので、
『ふ〜ん。』と軽く流して頂けると嬉しいです。

長尾家が関東を意識するのは、
関東管領上杉憲政が長尾景虎を頼ったからではないのでしょうか。
多分、領内が不安定ですから外征を避けたい。また、侵略を考えていない。
上杉謙信側から考えますとこうでしょうか?

あと、山内上杉家だけにしようと思っていましたが・・・。

>>600 600番さんへ。
長尾能景、戦死した人ですね。
詳しい事はやはり分かりませんが(古すぎて。)、
この人、越後守護上杉家を助けた良い守護代と聞いていますから、
戦国大名としてはちょっと困りますね。(この話が嘘でしたら御免なさい。)
603藤原三位卿:02/04/30 01:21
長尾家の出自は坂東平氏ですが、南北朝の折から越後の守護代として越後に定着しています
越後の国は代々上杉氏が守護職を勤めてきていましたが、在京する守護に変わって守護代である長尾氏が直接統治していました
1450年、七代守護上杉房定、下国により直接統治に乗り出し、守護代長尾邦景より支配権を奪い、守護代職も同族の長尾頼影(謙信の4代前)に変えます
こうして、支配権を確立しようとする守護職上杉氏と、既得権を守ろうとする守護代職長尾氏の間に確執が生まれます
八代守護、上杉房能は父の検地にもとずいて役銭納入帳簿を作成するとともに、郡司不入権(守護の介入を排除できる権利)の否定を宣言し、守護、守護代間の対立が決定的になります
九代守護代、長尾為景(謙信の父)は植えすぎ房能の養子定実を擁立し、上杉房能に対してクーデターを起こし排除します
その後、反為景の揚北衆、本庄、色部氏らも降ろし、幕府より守護上杉定実(守護代の傀儡)、守護代長尾為景の認知を受けます
これに対し、上杉房能の兄である関東管領職上杉顕定は越後に対して軍事介入し一気に府中を落としいれ、上杉定実、長尾為景らは府中へ逃げ延びました
長尾為景は幕府の援助、越中、信濃、さらに出羽の伊達氏らの援助を取り付け、越中から佐渡を経て蒲原津(新潟市)に上陸、上杉軍を破り顕定を敗死させます
これにより、守護代長尾氏による越後の統治が始まりますが、傀儡とはいえ守護職には上杉定実がついたままの二重政権の状態になっていました
この状態に対し、宇佐美房忠が反為景の兵を揚げ、これに呼応して守護上杉定実も春日山で兵を揚げますが、程なく鎮圧され上杉定実、宇佐美房忠ともに自害して果てます
この後、越後は安定時となり、畠山氏の要請を受け数次にわたる、越中への軍事行動を行うようになっています
1528年、将軍足利義晴より長子(晴影)に対して「晴」の字を下賜されるとともに、白傘袋、毛氈鞍覆の使用を認められ、公私共に越後の支配者となります
こうして、長尾為景の越後支配は強化されてゆきますが、これを快く思わない勢力(主に揚北衆)は、定実の甥上条(じょうじょう)定憲を旗頭として反為景の兵を揚げます
一時は、反乱軍の上条軍に府内まで攻め込まれるが、三分一原の激戦で破り危機を脱しまが、家督を長子晴景へと譲渡しています
その後、長尾景虎の越後統一まで国内は不安定な常態となります

上杉謙信までの越後長尾氏です、参考までに
604藤原三位卿:02/04/30 01:29
わちゃー
改行入れとらんは、誤字はあるわ
読みにくくてごめん
急いでたもんで
605藤原三位卿:02/04/30 01:43
為景以前の長尾家は、守護上杉、関東管領上杉の繫がりから関東方面への出
兵が多かったようですが、為景の代の軍事行動はほとんど越後国内の鎮圧に
費やされていますし、安定期には越中方面へ軍事行動もとっています
また、外交も守護上杉の傘下から脱した後の為景は、関東方面よりも越中、
信濃等、近隣地区や相模後北条家、出羽伊達家との外交を重視するようにな
ります
長尾家が、再び関東方面に本格的に軍事介入を始めるのは、長尾景虎が関東
管領職を受けてからとなります
606月と星より ◆xQ5494pE :02/04/30 02:24
>>603 >>604 >>605 藤原三位卿さんへ。
長尾為景の足跡、ばっちりですね。
と書いてはみたものの古すぎて分からないのが本音ですね。
ところで伊達家からの養子問題(天文の大乱の原因)の事、
長尾家側の見解を見た事がありませんが何ででしょう?(本を読まないから。)
見た事ある人がいるのでしょうか。
607日本@名無史さん:02/04/30 02:32
上杉定実って晴景と謙信の仲をとりもってたような…
>>603で自害してる人は別人?
608月と星より ◆xQ5494pE :02/04/30 02:35
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
長尾家の二代目は、長尾晴景という事でお願いしますね。
家中をまとめられない二代目は多い様な気がしますので晴景にしました。
次回のテーマ、上杉家の二代目は上杉景勝で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
これは、荒れるかもしれませんね。
609月と星より ◆xQ5494pE :02/04/30 02:44
>>607 607番さんへ。
上杉定美は幽閉されていたかもしれませんね。
浅井家と京極家の関係に似ていますね。
610藤原三位卿:02/04/30 03:20
>>608
確かに、上杉定実は府内に幽閉と書いてありました
その後もたびたび揚北衆から担がれて反乱の火種になっていましたし
そのうえ息子の晴影が復権させています
ごめん
611 :02/04/30 04:33
612外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/30 18:28
月星さん。
>>602
桶狭間の時点で今川領国の内駿河は氏真が治めているので、内政面は合格点を
上げられると思うのですが。楽市だって(信長よりさきに)富士大宮(今だと何所だ?
富士宮近辺?)で行ってるし。
氏真の人間性は、目の前にある物で十分じゃん欲をかかなくたって+ちょっとだけ
プライド、という感じでなんか静岡県の真中当たりの人間性につながるような…(苦笑)。
別に静岡県の真中を馬鹿にしてるわけじゃなくて・・・(自嘲的な笑い)。
しかし菊川町は頻繁に行くとかなのかな(地元民以外に)。JRはあるけど高天神城なら
掛川の方が近いような・・・(ここの発言は独り言)。

>>608
またなんちゅう無茶な選択を!!。
いくらなんでも上杉(山内家)の二代目が景勝はなしでしょう。それなら謙信の方が
まだ説得できるのですが。それとも上杉(長尾)ということなのかな。それはそれで
昨日の結論だろうし…。
上杉(山内家)と自己解釈して、上杉憲政を推薦。といってもいい弁護が本当に
出来ない・・・。努力の跡も全く見えないし…、御館の乱での最後も自分の権威が
まだ残っていると勘違いしてそうだし。でもこいつしかいない。その権威から
自立できなかった関東の名家も多いわけだけど(長野業正・太田資政)。


藤原三位卿
>>603
略歴でなんとなく長尾家の関東に対する屈折が見えました。感謝です。
関東管領が領土に組み込まんと越後にちょっかいをだしていたのですね。
北条オタにしてみれば、関東管領の上杉でなく越後の守護の上杉から
上杉を譲られれば(OR奪い取れば)両家にとって問題なかったのにと
考えてしまいます(でも上杉憲政が越後上杉の血筋なんですね。だから
越後を頼ったのでしょうね)。
613五十騎組:02/04/30 19:42
うわ!長尾が終わってる!
越後が関東を向いていたか畿内を向いていたかですが、圧倒的に関東でしょう。
為景も景虎も(晴景も)双方を権威として利用していますが、南北朝時代からの
成り行き上、関東管領との結びつきが非常に強いです。
これは長尾家だけに限りません。
後に謙信がこれにこだわったのも国内諸将への求心力として効果が高い為という側面があります。
謙信自身もこの空気の共有者で有った訳ですが・・・
山路愛山の言葉を借りると「是れ猶 スラブ人種統一の運動と云えば、露西亜人の血を湧かすに足るが如し」
と言う状態でしょう。

614五十騎組:02/04/30 19:54
>>605
>安定期には越中方面へ軍事行動もとっています
 また、外交も守護上杉の傘下から脱した後の為景は、関東方面よりも越中、
 信濃等、近隣地区や相模後北条家、出羽伊達家との外交を重視するようにな
 ります

為景の代ではすべて国内統治の延長でしょうね。
けして領土拡大という積極性ではないと思います。
自領の安全圏の確保と国人勢力既得権(圏)の保証をしなければならない訳ですから
615外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/30 20:04
五十騎組さん(>>613)。
そうすると長尾家の基本方針は越後平定→関東進出ってことですかね。
そういう意味だと関東管領職を引き継いだのは都合がよかったのですね。
ただそれまでの関東の武将が畿内政権と関東政権は別個だと認識していた
なかで、関東政権の上に畿内政権があると認識した謙信が特別だったってこと
なのでしょうね(関東政権内の対立の為に畿内政権を利用した例があったとしても)。
どこでそう思ったのでしょうね?
616五十騎組:02/04/30 20:56
>>615下郎屋さん
>そうすると長尾家の基本方針は越後平定→関東進出ってことですかね。

この点は個人的に疑問。
自分の中では為景が一生かけて脱した構図を、子の謙信が押し付けに行く歴史の皮肉・・のような認識でいますんで。
ただ、基本方針でなくとも長尾家としての国内統治がゆきずまった場合、関東に野心を向ける可能性は否定出来ません
この場合憲政がいなくとも佐竹、太田、長野といった反北条の救援依頼だけで口実にはなるでしょう。

>関東政権の上に畿内政権があると認識した謙信が特別だったってこと
なのでしょうね

為景は関東管領のクビキ(字が出ない)を脱するため上位構造として将軍家を利用してますね
維新志士たちが将軍家否定のため朝廷を持ち出したように・・・
さらに越後は青苧の座の関係で関東より畿内と関わりが深かった、という事情も関係してるでしょう
617日本@名無史さん:02/04/30 22:39
>>612
静岡県人の気質をあらわす例えで、家(財産とかだったかも)がなくなったら、
駿河人は乞食に、遠州人は強盗に、伊豆人は詐欺師になるというのがありますが
(国の豊かさによってるんだけど)、たしかにそんな感じですな
618外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/30 23:19
五十騎組さん(>>616)。
レスどうもです。
関東管領職がなければ自ら関東進出はなしなんですね。
救援依頼があったとしても進出は上野止まりってとこでしょう
(それなら、北条家としてはちょっと楽だったかもしれませんね)。
やはり越後辺りだと関東政権と畿内政権の境界線ですからどこかで
意識してるのかもしれません(物品の流れも 北陸側:敦賀経由、
関東側:大湊経由だと畿内に対する近さも違いますね)。

>>617
その例えは静岡県人には…(アワワ・・・ アワワ・・・)

619外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/04/30 23:22
>>616
どうでもいいけど、外郎屋です。
大須ういろ・青柳ういろのういろう屋です。
さすがに下郎と呼ばれると…。
(しかし説明が北条オタじゃないぞ(笑))
620五十騎組:02/05/01 00:15
はうぁ失礼
ういろうで一発変換 馬鹿丸出し。(゚∀゚)アヒャ
621月と星より ◆xQ5494pE :02/05/01 00:23
ただ今、帰りました。
今回は、2時15分頃に締め切りますね。
622月と星より ◆xQ5494pE :02/05/01 01:18
>>610 藤原三位卿さんへ。
それにしましても、長尾為景の事、よく知っていますね。
大友家以外の事も凄い様な気がします。
今までず〜といてくれていたから気が付きませんでした。

>>611 611番さんへ。
これは一体・・・?こんな事初めてです。

>>612 外郎屋さんへ。
富士宮市に浅間大社の北に大宮という所がありますよ。
139号線沿いにね。(そこが同じ所かどうかは分かりませんが。)

『駿河乞食に遠州泥棒』という言葉を聞いた事があります。
『駿河の人は細かい事を気にしない大きな心の人。』
『遠江の人は物事いつでも真剣に捉える確りした人。』
こんな意味の様な気がしますが、これを思い出しましたよ。
それにしましても何だか凄い言葉ですよね。

やはり無茶苦茶ですよね〜。
山内上杉家を考えていましたら『戦国大名って誰からなのかな?』と・・・。
とりあえず出てきましたのが上杉景勝となりました。
私自身がこんな感じですから上杉憲政でも・・・。
あ、でも、そうしますと戦国大名初代は上杉憲広(足利高基の子)に?

つづき、待っててね。
623月と星より ◆xQ5494pE :02/05/01 02:34
>>613 >>614 五十騎組さんへ。
ごめんなさい。多分、一番楽しみに待っていた戦国大名ですよね。

スラブ民族ですか・・・。ロシア史は弱いですね。
東欧史は、スウェーデンとポーランド、ハンガリー、トルコは好きなんですが。

上杉為景も家臣代表として守護に立ち向かっていったのかなと思いますが、
その家臣一同も皆が同じという訳ではないみたい。
宇佐美房忠と宇佐美定満は関係あるのかな?

>>617 617番さんへ。
あれって本当はそういう意味なのですね。
伊豆は詐欺師、これも凄い言葉。

>>619 外郎屋さんへ。
その節はご迷惑をおかけしました。でもおかげさまで薬屋の事が分かりました。

>>620 五十騎組さんへ。
私も以前同じ過ちをしてしまいました。
624日本@名無史さん:02/05/01 02:59
ところで富士の楽市ですが、当時富士氏って神官系の豪族がそのへんにいたような気がしますが、
守護の今川が勝手に税を免除しちゃってよかったのかな?
直轄地があったのかな
625月と星より ◆xQ5494pE :02/05/01 03:43
>>624 624番さんへ。
富士信忠とかっていう人がいますよね。
でも名前だけで実態はよく知りません。とりあえず大宮司とか。
修験者とかで情報収集をしていそうですね。

ところで伊豆には三島大社、駿河には浅間大社、遠江には秋葉神社と、
大きい神社が多いですね。ま〜何処でもあるのでしょうけどね。
626月と星より ◆xQ5494pE :02/05/01 04:03
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
上杉家の二代目は上杉憲政という事でお願いしますね。
今回深くは考えていません。
確かに何をしたという訳でもなさそうですが・・・。
上杉景勝についても何か無理があるかな〜と。
次回のテーマ、里見家の二代目は里見義弘で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
そういえば、2000年12月に南房総の洲崎という所に行ってきたのですが、
冬なのに暖かい気候でびっくりしました。
里見家のイメージがちょっと変わりました。
627外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/01 20:41
レス違いな気がするけど、やはり弁明しといた方がいいと思うので…。
(お国自慢板でも静岡イメージ悪いし…(鬱))
『駿河人は乞食に、遠州人は強盗に、伊豆人は詐欺師』
これは駿河・遠江・伊豆の人間がそういった人だというのではなく、その各国で身代を
潰した場合の過し方になります。
つまり、駿河なら住人が物に不足してないのでなにもしないでも物を恵んでもらえる、
伊豆なら住人が素朴で人の話を信じ易いのでそこを利用すればなんとかなる、遠江なら
住人がしっかりしているので(駿河・伊豆の温暖な気候と比べて"からっかぜ"の風土故に)
強盗でもしないと生きていけないという例えです。
決して強盗や詐欺師をするという意味ではないので勘違いされないように切に御願いしま
す。

薬屋のこと? 現地の外郎屋にいったのかな?

富士信忠の件、御指摘の通り浅間大社の宮司です。ただ同じような宮司系の豪族(諏訪氏、
阿蘇氏)と比較すると独立性は弱かったみたいです。それでも氏真の時代でやっと富士氏の
独立性に介入できたということですね(今川家自体が豪族の連合体の証明みたいだ)。

里見家の二代目は義弘というより義尭の方がイメージが強いです。
北条家との対比を考えたこともあるのですが(義弘が二代目なら氏政も…?)。
先代実尭が里見家をある程度まとめ、家督争いがあったとはいえ里見家の基盤を気付いた
のはこの人だと思うのですが。小弓公方が第一次国府台の戦いに里見を主力に置いたのも
その勢力をかったのだろうし、第二次国府台までの勢力盛り返しもね。
義弘を二代目にすると、なんかあとがパッとしないもので…。
628藤原三位卿:02/05/02 00:12
外郎屋=薬屋
役職名or官職名が外郎という名前の中国からの渡来人が
漢方薬を作っていて、特権的に保護されていた
薬の傍ら、菓子も作っていてそれを外郎と呼んでいた
一般的な解釈として、外郎屋=唐渡り漢方薬局
とか何とか言うような話でしたか
629月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 00:26
ただ今、帰りました。
今回は、2時45分頃に締め切りますね。
630月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 01:12
>>627 外郎屋さんへ。
静岡県って良い所と思いますよ。本当に暖かい。
静岡市に至っては雪なんてほとんど見る事は無いですし。
あ、そうそう静岡市といえば、あまり言われないけれど、
小京都の様な気がしますね。
清水寺(舞台付き。)、愛宕山(?)と言う所がありますし。

この話とは関係無いのですが、『銀座』の発祥の地の様な気がします。

薬屋の件、
『あんた、北条オタのくせに知らないの?小田原に行ってるのに?』と、
言われましてはじめて知りました。
という訳ですから行った事はありません。

今川家が豪族連合の件。
駿河は支配していた歴史がありますからまだいいと思います。
でも富士川以東は支配力が弱いから、
そのため伊勢新九郎が興国寺城の城主になったとも聞いています。
多分、その時に富士川以東の安定化が成功したのかな?やる〜。流石!
遠江の方は今川氏親の時に支配し始めていますから不安定なのかな?
小笠原氏、松井氏、飯尾氏、天野氏、井伊氏、朝比奈氏とありますが、
今川家の家臣(譜代)は朝比奈氏だけなのかな?(他は分かりません。)
631日本@名無史さん:02/05/02 01:18
>>630
朝比奈も国人ですよ
由比とか蒲原は一族だから譜代(?)かな?
632月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 01:20
>>628 藤原三位卿さんへ。
という事は、薬屋でもありますが、お菓子屋でもあると言う事?
今度、小田原に行きましたら行ってみますね。
633日本@名無史さん:02/05/02 01:25
東海道中膝栗毛のネタで出てきますね。>小田原のういろう
634月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 01:30
>>631 631番さんへ。
朝比奈氏もという事は、上(>>630)で書いた人達もですか?
岡部氏、三浦氏はどうなるのでしょう?
635月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 01:39
>>633 633番さんへ。
そうなんですか。本を読まないから知らなかった。
636藤原三位卿:02/05/02 01:48
>>632
外郎さんてそういう話じゃなかった?

話を今川に戻して悪いけど、今川氏の主要な庶家(同紋衆)は
関口氏、瀬名氏(築山殿の実家)、蒲原氏くらいしか見つからない
(女婿関係時は不明)
朝比奈氏は三浦氏の支族or藤原北家になっていて、今川氏親からの家臣
637日本@名無史さん:02/05/02 01:49
岡部は鎌倉時代から岡部郷の地頭のようです
関口、瀬名は今川一門ですね
どの程度から家臣というかにもよりますが、今川入部前から駿河にいたのは国人と言ってもいいんじゃないでしょうか
徳川でいうところの本多、大久保クラスの譜代家臣というと三浦あたりかな?
638日本@名無史さん:02/05/02 01:51
あと葛山氏は以前は今川と同格(将軍の直臣)だったようです
639月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 02:06
>>636 >>637 藤原三位卿さん&637番さんへ。
そうですね。家臣、国人の明確な区別は難しいです。
関口氏、瀬名氏、堀越氏は一門衆でしょうね。
という事は朝比奈氏や岡部氏も含めての国人連合政権ですね。
今川家の国政って、結構大変かも・・・。
640藤原三位卿:02/05/02 02:14
国人や支族、党の連合政権じゃないとこの方が少ないんじゃないかな
今川は検地までやって直接統治に乗り出そうとしているから、力があった
ほうですよ
検地をやろうとしただけで不安定になったり、つぶれたところもありますよ
641月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 02:49
>>640 藤原三位卿さんへ。
検地を実行できる事はそれだけですごい事ですね。
北条氏康もしてますよね。あらためて本当に凄いな〜。
ところで、つぶれたところって?
642月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 03:27
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
里見家の二代目は、里見義弘という事でお願いしますね。
やはり初代を誰にするかですね。
里見義堯より前の人がどういう人なのか分かりませんですし、
それまでの国人勢力から戦国大名としての自立を考えますとね。
次回のテーマ、千葉家の二代目は千葉利胤で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
本当に来てくれる人いるのかな?来ない様な気がします。
珍しく補足しますね。
千葉利胤の父様の千葉昌胤を戦国大名初代と考えてみました。
この千葉昌胤という人は本当かどうかは分かりませんが、
小弓御所を潰して勢力拡大を考えていたとか、
北条家と共に古河公方を立てて行動を起こしたとか、
どちらにしても戦の道を進んでいたようですのです。
でも、北条家の圧力で仕方が無くという訳ではなさそうかな?
643藤原三位卿:02/05/02 03:42
>>641
佐々成政の肥後とか、国人一揆を起こされてお取り潰しじゃなかったかな
ローカルで悪いけど、大友除封後の豊後に入ってきた領主たちはみんな
苦労してるみたい

ローカルだと訪れる人が少ないと思って、先日の長尾家のとき昔の本を引っ
張り出して、一夜漬けをしてみたけど効果があまりなかったですね
644月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 04:06
>>643 藤原三位卿さんへ。
佐々成政ですか。そうしますと木村吉清の事も同じでしょうか?
同じでしたら、ちょっと可哀想な人達ですね。(二人とも、豊臣政権下の大名。)
逆に成功した人って誰でしょう?
一部だけの検地も可です。自領全ての検地は無理ですよね。
645藤原三位卿:02/05/02 04:14
>>644
成功したのは
言わずもがなの、信長、秀吉(毛利を除いてほぼ全国)でしょう
646月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 04:26
>>645 藤原三位卿さんへ。
やはり、そうなりますか。そうですよね。
647藤原三位卿:02/05/02 04:32
>>646
とりあえず645を書いといて考えようと思ったけど、北条、今川、武田、
朝倉くらいしか思い浮かばない
それも、自領の中心部だけだったような
648月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 05:12
>>647 藤原三位卿さんへ。
あら、朝倉家もなの?頑張っていたんですね。
東の方が多いのですか。

ごめんなさい。ちょっと眠いので、また明日ここに来ますね。おやすみなさい。
649日本@名無史さん:02/05/02 19:00
今川の一門衆って、同紋衆って呼ばれてたっけ?武田の御親類衆、大友の同紋衆は
結構有名だが、他の家はあんま聞かんな。ちょっとずれたネタなのでsage。
っていうか、このスレはsage進行なんか?
650外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/02 19:36
>>630
残念ながら静岡に銀座はないんだな、金座町・銭座町という地名はありますが。
小京都の件は今川氏時代に意識して町を創ったという説があります。

>>628 >>632
その通りです。基本的には喉の薬だったみたいです。
今もメインは薬屋さんですね。
膝栗毛では御菓子だと思ったら薬だったというオチ(>>633)
(現物に出会うまで、小田原ういろうは薬だと思ってました)

>>641
その肥後の国人の独立性・頑固さが『肥後もっこす』という例えなっているというのを
聞いたことがあります。
豊後も大友以降小藩乱立で意見が統一できず『肥後もっこす』みたいな言葉で
例えられていると記憶にあるのですが・・・分かります?

>>649
今川家は今川の姓を名乗れるのは直系だけだから、一門衆といっても親近感がないですね。
常に独立の機会を伺ってるし(小鹿、堀越)。分家した時点で今川家という特権を奪われて
上級家臣という立場なのでしょう。そういう意味で一門衆なのに特に呼称がないのかもしれ
ません。
今川の歴史を探っても一門が補佐してるというイメージがありません。

多分sage進行じゃないと思うので・・・千客万来!!
651213=(o´∀`):02/05/02 20:36
ういらう屋さん
ヤパーリ漏れの見解はビンゴでしたね。

>>627
嬉しいっす(o´∀`)
652日本@名無史さん:02/05/02 22:33
>>650
>今川家は今川の姓を名乗れるのは直系だけだから

よく聞く話だけど、典拠を教えてください。
尾張今川なんて、滅びるまで今川名乗っていたようだけど。
653藤原三位卿:02/05/02 23:12
>>649
同紋衆は大友の呼び方です
この場合は、同じ引き両の紋を使っているというくらいの、読んで字の如し
という感じでたのんます

>>648
朝倉の場合は、検地というのではなくて、地制改革を行い在郷勢力の反発を
招くという書き方をされています
具体的な記述がないので詳細は不明ですが、検地に順ずるようなものかな
と思います
654月と星より ◆xQ5494pE :02/05/02 23:28
ただ今、帰りました。
今回は、2時00分頃に締め切りますね。
655日本@名無史さん:02/05/02 23:40
尾張今川って了俊系だって言われてるけど、氏豊はほんとに義元の弟だったんじゃないの?
それで今川って名乗ってたとか…
堀越氏は了俊系だね
656藤原三位卿:02/05/03 00:17
千葉さんマイナーだから盛り上がらないですね
イメージとしては、北条家上総の国支店ってとこですか
657日本@名無史さん:02/05/03 00:21
千葉氏と言ったら千葉わらいぐらいしかネタがないからねえ
658日本@名無史さん:02/05/03 00:36
>今川家は今川の姓を名乗れるのは直系だけだから
特にそういう決まりとかってなかったんじゃない?ほかの大名家と同じく、分家筋は
適当な時期に、なんとなく姓を変えていったと思われ。
同姓の分家が残った守護、準守護大名家としては、島津、佐竹、朝倉・・・。
なんか決まりとかってあったんだろうか。
659日本@名無史さん:02/05/03 00:39
千葉<原<両酒井・高城
困ったもんだ。あんまり困ってなかったみたいだけど。
660月と星より ◆xQ5494pE :02/05/03 00:46
>>649 649番さんへ。
そうなんですか。私、北条家の『一門衆』をそのまま使っていましたよ。
北条家には『御家門』と呼ばれるグループもあるみたいですが、
北条幻庵、吉良氏朝、伊勢貞運、小笠原康広、大和晴統という人達の様です。
(伊勢、小笠原、大和は三軍師と考えています。)
sageとか別に気にしていませんよ。

>>650 外郎屋さんへ。
『銀座』は静岡が発祥の地、そうですか。違っていましたか。残念。

『肥後もっこす』という言葉は、幕末維新史でよく出てくる言葉なのですが、
やはりまだ分かりませんね。という訳でごめんなさい。

>>651 213番さんへ。
やはり有名なのですね。

>>652 652番さんへ。
そういう事って調べられるのですか。何だか難しそうですね。
でも、今川氏豊の件、義元(1519年生まれ。)の弟のようですから、
1532年の尾張今川家の滅亡の時、氏豊は最高14歳。
1536年、花倉の乱。
1540年、松平広忠を岡崎城に復帰させる。
那古野城を最前線と考えると謎ですから、
文化の人今川氏豊として那古野城に赴いたのかもしれませんね。
注、100%、私の世界です。
66115:02/05/03 00:49
剣術家の千葉周作の父は周作に「我が家は千葉氏の末裔だ」といってる
シーンをなんかの小説で読んだ。
...こんなことしか書けず。

PS >藤原三位卿さん 新府城は韮山ではなく韮崎ではないでしょうか?
せっかく、いろいろ教えてくれてるのに、「重箱のスミ」みたいなこといって
ごめんなさい。それと、こちらの勘違いの場合もごめんなさい。
勉強させてもらいました。
662日本@名無史さん:02/05/03 00:51
>>660
1533年、山科言継が尾張に下向し、今川竹王丸(=氏豊?)に会って和歌と蹴鞠の指導をしたそうですが…
663大分県民:02/05/03 00:58
>>650
大分県民は「赤猫根性」と呼ばれているそうな
よくわからんので、二階から「県民性の日本地図」て本を出してきたら
そう書いてあった
「ずるがしこくて計算高く偏狭」だそうな、大分県民は
もうちょっと良いこと書いてほしいよ
そう言えば昔お酒を飲んでいて、九州男児の話になったとき
「大分県って九州の東北地方よね」(東北の方ごめん)
「九州男子らしいスッパりしたとこ無いわ」
と、東京の女の子に言われてショックを受けた記憶があります
人種的?にも、熊襲や隼人とは違うような気は自分でもしてます

ちなみに、上であった静岡県民に対して同書は
「駿河人は下駄の歯が後ろから減るが、遠州人は前から減る」
とされています
駿河は人の往来が多かったため、駿河人は順応性が高く自己主張に書ける
遠州人は、せっかちで新物好きで独創性に富む
と書いてあります
664藤原三位卿:02/05/03 01:04
>>661
ごめん、大分県民なので↑
韮崎と韮山の区別がつかんかった

665外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/03 01:12
>>651
キャラ属性は小田原です(良くしってる町だし)。
あとは、でもねって…ことで…。

>>652
ごめんなさい手元資料なしのうろ覚えなのです。
たしか足利尊氏が認めたような…(間違ってたらゴメンナサイ)。
でも事実、駿河・遠江の今川家の分家は同じ姓を名乗ってません(瀬名・堀越・小鹿・
関口等)。氏真の長男も早死にして高家になったのは品川家、でも今川姓は継いでません。
尾張今川家に関しては血筋とかはっきりしてるのかな? 駿河・遠江守護を継ぐ前(建武の親政辺り)に分家したものなら問題がないのかもしれません。

666外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/03 01:14
千葉氏は立場上、ある程度知っていないといけない立場なので…(笑)
戦国時代の千葉氏の活躍を簡単にまとめてみます。
千葉氏のついて詳細なサイトはここ(ttp://members.jcom.home.ne.jp/bamen/index.htm)

千葉考胤…古河公方・成氏の旗下として活躍。山内上杉が古河城を陥落させたときに
     成氏が庇護先として考胤を頼る。古河城を奪還させる。
千葉勝胤…上総の武田如鑑入道に支援を受けて古河公方・政氏の次男・義明が原氏の
     子弓城を攻略し小弓公方を名乗ったことに対して反発。北条氏綱と共に
     小弓城の奪還及び討伐を図る。
千葉昌胤…小弓公方・義明の原因により生じた上総武田氏の家督争いは、嫡子・信隆
     は北条氏綱に義明討伐を依頼。それに対する異母弟の信応は義明に信隆の
     討伐を依頼し義明は北条家討伐も画策する。義明は北条家と敵対関係にあ
     る里見義尭を参加に加える。一方古河公方晴氏は小弓公方の勢力の増加を
     恐れて北条氏綱に荷担。世にいう第一次国府台の戦いには古河公方勢とし
     て参戦。
千葉利胤…正室に北条氏綱の娘を迎える。古河公方・義氏の家臣に領地の寄進をして
     いるので、北条家と好をもちつつも古河公方にも従来の対応をしてると考
     えられる。
千葉親胤…北条氏康の古河城攻めに参陣するも、反北条の立場を取る。北条氏康の娘
     を娶るも、房総での反北条が大きくなることを恐れた北条氏康により幽閉
     される。
千葉富胤…親北条として活躍。上杉謙信の臼井城攻略時の白井胤治の策略を持っての
     撃退は有名。
千葉良胤…織田信長に好を通じるも、北条家の機嫌を損なうことを恐れた重臣により
     隠居させ幽閉後・追放される。
千葉邦胤…北条氏政の娘を嫁に迎える。北条家の武田家の戦いにも参陣。
千葉(北条)直重…北条家側の意向と千葉氏重臣側の意向により家督を相続。これで千葉氏は
        完全に北条家に取り込まれる。

略歴だけだけですが千葉氏は最初は古河公方配下、後に北条家配下という流れです。
こう見ると戦国大名という活躍が見られません。もしそれを求めるなら千葉氏の家臣
でありながら独立を目指した原・酒井氏の両家と考えられます。
ということで千葉氏は戦国大名ではないということで、二代目もいないこと押します。

千葉氏をやるなら、信濃の諏訪・小笠原・木曽・村上・真田辺りもやる必要があると
思うのですが…。スレが足りなかったら次のスレを立てればいいわけだし。
667日本@名無史さん:02/05/03 01:18
ところで、剣聖・上泉信綱の嫡男は上泉秀胤というそうですが、
千葉氏や相馬とは関係無いの?
668月と星より ◆xQ5494pE :02/05/03 01:24
>>653 藤原三位卿さんへ。
朝倉家の件、ありがとう。頑張っている事に代わりはないですね。
あ、朝倉家の家臣団にまとまりが無いのって・・・?

>>655 655番さんへ。
1537年に今川義元が見付の堀越氏延を滅ぼしているみたいなのですが、
この事柄が全く分かりません。(悲しい。)

>>656 藤原三位卿さんへ。
私的に、今回は大盛況の方なんですが・・・。(内容は別にしてね。)

>>657 657番さんへ。
『千葉わらい』、ごめんなさい。分かりません。

>>658 658番さんへ。
逆に同姓の分家がいない戦国大名は長曾我部家。何か違いますね・・・。

>>659 659番さんへ。
原胤貞という人って、
1566年、上杉謙信の第六次関東遠征の時に、
臼井城で撃退しているみたいで、
しかもかなりの惨敗の様です。(千葉家の後詰有り。)
669藤原三位卿:02/05/03 01:33
>>661
上泉氏は上州の在郷領主のよう
上野箕輪城主長野業正に属した一国人となっている
670日本@名無史さん:02/05/03 01:48
疑問
@今川氏豊が氏親の子で今川領那古野を与えられて分家した場合・・・
A今川氏豊が氏親の子で尾張今川家に養子にやられた場合・・・
何で正室所生の義元を寺にいれて氏豊に分家させるのかわけ分からん。
氏輝の対抗馬になる可能性もあった義元と、バックに福島の付いてる
もう一人さえ出家させれば御家安泰だと思ったのだろうか。彦五郎は
あまりに病弱すぎて寺にも入れられなかったとか。

B今川氏豊が駿河の今川と関係なく、尾張の今川仲秋の子孫だった場合・・・
何故「氏豊」などという名前なのか?「氏」の字は仲秋の系統では
使われていない(みたい)。ひょっとして氏親が烏帽子親だったとか?

千葉ネタじゃなくってすまん。
671藤原三位卿:02/05/03 01:52
>>666
これを読んでると、中小勢力の悲哀が伝わってきますね
桓武平氏の名門なんですがねえ
672月と星より ◆xQ5494pE :02/05/03 02:03
>>661 15番さんへ。
もうご存知かと思いますが小説は読んでいませんので分かりません。
でも幕末維新史は好きですから千葉周作の話は聞いた事があります。
奥州盛岡藩の浦山寿貞の次男として生まれているみたい。
1856年死去、63歳。
もう少しだけ長生きして欲しかったです。
江戸の三大道場の齋藤弥九郎は1871年に死去。
もう一人の桃井春蔵は1885年に死去。

>>662 662番さんへ。
上(>>660)に書きました1532年ですが最近は違うとの事です。
ただ詳しい事は分かっていませんのでそのまま書きました。
1534年、那古野城で織田信長が生まれていますからその頃のようです。
信長誕生が間違いではなければね〜。
673日本@名無史さん:02/05/03 02:16
   大永年中 今川氏豊那古野に城を築き柳の丸と號く
 
   始め名古屋氏の人此地を領して城を築くと云ふ。
 
   次ぎに大永十二年間今川左馬助氏豊の居城となる。
   氏豊は今川氏親の末子にして義元の弟に当たる。
   大永十二年八月当国斯波義達遠州に於て今川氏と戦ひ、敗れ降りて帰国す、
   これより斯波氏威なし、
   よりて今川氏親末子氏豊を此地に置き尾張を計らしめしが如し。
 
   氏豊、義達の娘即義統の妹を娶る。
 
   享禄五年春海東郡勝幡城主織田信秀計を以つて城内に入り、(中略) 当城を攻めて陥る。
   氏豊京に逃る。

だそうで。氏豊は斯波義統の妹婿だったのね
 
 
 
674日本@名無史さん:02/05/03 02:53
>>673
それってここですよね?
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~gokuh/ghp/busho/bu_0021.htm

大永って八年までしかないような。大永八=享禄元=1528
享禄五=天文元=1532
675月と星より ◆xQ5494pE :02/05/03 02:57
>>663 >>664 藤原三位卿さんへ。
『県民性の日本地図』面白そうですね。
良い事と悪い事があるから人は面白いのかもしれませんね。

>>665 >>666 外郎屋さんへ。
歴史って謎があるから面白いのかな?今川家の事って不思議です。
千葉家の人達ってたくさんいますね。
あれだけたくさん書いているのに二代目はいないなんて・・・。哀れ千葉家。
でも、あんなにたくさん調べて頂きましてお疲れ様でした。

>>667 667番さんへ。
多分、関係無いのでは・・・。
龍造寺家の説はダメ?ちょっと古すぎますね。
676月と星より ◆xQ5494pE :02/05/03 03:49
>>670 670番さんへ。
あのへんの事、分かりにくいと思いますよ。
@これは無理がある様な気がします。分家する必要性が無いと思いますしね。
 しかも、わざわざ敵地に・・・。(でもこれが正解かも。)
A那古野城に養子に行く。今川家の勢力範囲外の敵地ですから、
 文化人を送ったのではないのかな?(波風が立たないように。)
 今川氏輝と彦五郎の急死を考えますと、
 義元を手放す事ができなかったのかもね。
 今川家の事情は不安定かな。氏輝くん、頑張っていたみたいですから。
B尾張今川家ってあの系統なの?知らなかった。

千葉家ネタでなくてもかまいませんよ。
分かる範囲でやっていきますから。(私的も含みます。)

>>671 藤原三位卿さんへ。
戦国時代は下剋上の世界ですから大勢力も悲しいのかもしれませんよ。

>>673 >>674 673番さん&674番さんへ。
那古野城って今川氏豊が築いたの?
私の解釈の仕方が変かな?
677月と星より ◆xQ5494pE :02/05/03 04:18
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
千葉家の二代目は、千葉利胤という事でお願いしますね。
今までも弱小勢力の家の二代目を決めていましたから今回も決めました。
次回のテーマ、北条家の二代目は北条氏綱で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
そのままですね。何の芸もありませんが。
ところで今日から和歌山県に行ってきますので明日はいないと思います。
でも、後で追いかけますから、意見ありましたらお願いしますね。では。
678日本@名無史さん:02/05/03 12:15
尾張今川について、
那古野城の築城者が実ははっきりしていない。
那古野が駿河今川の勢力圏ではない。
元服前の子供を養子に出したとしては、
言継の日記には、駿河今川家から付くはずの重臣の姿がはっきりと見えない。
等など、駿河今川との関連は疑問が多いようです。
679日本@名無史さん:02/05/03 16:52
二代目の定義
永禄末〜天正年間頃に家督を継いだ、若しくは、継ぐ予定だった武将
でいいんでは?

里見義弘・・・1564第二次国府台前に家督
島津義久・・・1570年頃家督・・・したはず
北条氏政・・・1571父氏康死去
毛利輝元・・・1573祖父元就死去
武田勝頼・・・1573惣領代行
織田信忠・・・1576家督だったかな
上杉景勝・・・1579家督
伊達政宗・・・1584だったか
佐竹義宣・・・1590年以前に家督してるはず

信忠が家督した年代でみると、信康が死んだ頃ってのは
信長の威光を背に、徳川の家督を信康に継がさせようという動きが
出ていてもおかしくない感じか
680日本@名無史さん:02/05/03 20:19
>>678
今川の那古野領有は、斯波との講和の条件だったりして。もっといい土地を
分捕りたかったが落ち目の斯波には那古野くらいしかなかった。那古野は飛地で
いざという時に救援もままならないので、あまり大切でない竹王丸にやった。
大した家臣もつけなかった。そのかわり、斯波の娘を嫁にもらってやった。
以上妄想。

>>679
なぜに永禄末〜天正年間に限る?
681日本@名無史さん:02/05/03 23:16
>>680
那古野はもともと尾張今川の領地だよ。
682藤原三位卿:02/05/03 23:54
>>668
堀越氏延は花倉の乱のときに反義元派だったので、勢力を徐々に削られて
その後、甲斐武田氏と接近するようになり、義元の死後1563年に飯尾
氏とともに、氏真に討たれて滅亡したことになっています
683日本@名無史さん:02/05/04 00:17
>>279
最盛期を達成した当主の跡継ぎでいいんじゃない? >二代目
684日本@名無史さん:02/05/04 00:25
それって、二代目じゃなくて二世じゃん。
685683:02/05/04 00:32
>>684
 でも>>1の趣旨はそうだったと思うけどな。
何となく親に比べられて低評価になってる武将達を
語りたかったんじゃない?
686684:02/05/04 00:44
>>683
そういえば、最初はそうだったな・・・。
途中から変わったようだが。
687日本@名無史さん:02/05/04 01:01
>>681
それって根拠あるの?
688日本@名無史さん:02/05/04 01:44
北条氏になったのに、肝心の外郎屋さんは見えませんね
689外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/04 20:16
>>688
北条オタ(ねっ。月星さん)は二人は要らないかなと。
皆様の意見を妨げないように今回はread onlyに徹します。
690月と星より ◆xQ5494pE :02/05/05 01:43
ただ今、帰りました。
今回は、3時00分頃に締め切ります。
では、今から追いかけていきます。
691月と星より ◆xQ5494pE :02/05/05 02:36
>>678 678番さんへ。
そうですね。気になる謎はいくつかありますし小豆坂合戦の事もありますが、
とりあえず今ある条件で私的に考えてみますね。

>>679 679番さんへ。
二代目の定義ですか。う〜ん。あんまり考えていなかったですね。
私がよく使ういい訳は『初代を誰にするか?』ですね。
正しい答えが無い以上(本当はあるのかもね。)、
人の数だけ答えがあるという事で。
島津義久の家督継承は1566年頃らしいですよ。
(北条家や毛利家と同じ様に考えますと1571年の父様死去かな。)
伊達家については、
1565年、伊達輝宗家督継承。
1577年、先代晴宗死去。
1584年、伊達政宗家督継承。
1585年、先代輝宗刺殺。
佐竹家については、
1565年、佐竹義昭の急死により、嫡男義重家督継承。
1612年、先代義重死去。
伊達輝宗や佐竹義重も入れてあげて下さいね。(ダメ?)
ところで、織田信忠の場合、父様が生きていますから、
北条家や毛利家と同じ様に考えましたら三法師になる様な気が・・・?
でも、実権なんてありませんが。
692月と星より ◆xQ5494pE :02/05/05 03:07
>>680 680番さんへ。
『落ち目の斯波家。』
戦国時代はこれからというのにね。

>>681 681番さんへ。
那古野城って謎ですね〜。

>>682 藤原三位卿さんへ。
堀越氏って、あの後生き延びていたのですね。
でも、やはり滅びているのですか。
その頃は堀越貞忠でいいのかな?(これは分かりませんよね。)
ところで、飯尾氏ですが1565年の謀殺とは違うのですか?
693月と星より ◆xQ5494pE :02/05/05 03:27
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
北条家の二代目は、北条氏綱という事でお願いします。
そういえば高野山に行ってきましてびっくり!
なんと、小田原北条家五代のお墓があるじゃありませんか〜。
前に早雲寺の北条家の五代のお墓にも行っていましたから、
『何で?』と思いました。
分骨でもしているのかな?(他の戦国大名もありましたよ。)
次回のテーマ、宇都宮家の二代目は宇都宮興綱で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
さて、書き込みの続きを書かないとね。
694月と星より ◆xQ5494pE :02/05/05 04:38
>>683 >>684 >>685 >>686 683番さん&684番さんへ。
あ、最初から見て頂いてますね。
そうですよね、誰も千葉家の事や三村家の事を求めていないかもしれません。
(弱小勢力に命を賭けていらっしゃる人達、ごめんなさい。)
ただ、今のやり方でも『親に比べられて低評価になる武将(戦国大名)』を、
語れると思いますので、できれば語って頂けますと嬉しいです。
私も偉業をなしえた父様を持ちます北条氏政を応援しています。
『がんばれ〜氏政くん。』

>>687 687番さんへ。
私が調べたところ、
1521年頃、今川氏親が築城とか書いてありましたが・・・。
あまりあてにはなりませんね。
多分、問題は以前書いてありました今川仲秋の系統の事が説明できる人が、
現れて頂けると嬉しいという事ですよね。(難しいですよね。)

>>688 688番さんへ。
あら本当。外郎屋さんがいない。

>>689 外郎屋さんへ。
と思ったら登場。あははは、そうですね。
私も人の見方を知りたいと思っていますので。
って、もう締め切ってしまいましたよ。
でも、意見がある時は皆さん書き込みお願いしま〜す。

今日はこれで終わりかな?
695(o´∀`):02/05/05 07:17
おだわらじょう
696月と星より ◆xQ5494pE :02/05/05 09:53
>>695 695番さんへ。
以前使っていましたパソコンは『小田原嬢』と変換していました。ははは。
697外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/05 19:14
>>693
何故北条家のお墓が高野山にあるか?
ヒント:小田原落城後、氏直達北条一門はどこに蟄居したでしょう?
多分これが縁で狭山北条家も高野山が檀家なのでしょう。
早雲寺の五代のお墓ができたのは小田原落城後四十年位経ってから
(北条氏政、氏直の肖像画の寄進と同じ時期)。
早雲は早雲寺、氏綱はわからないけど、氏康は古河当たりに氏康開基の
寺があったはず(今はなくなってる)。

結城家はやらないのですか。北条オタにとってこの家が関東制圧の
鍵を握ってた気がするので、詳しい人がいたら話を聞いて見たいです
(一度は全国を相手に戦った家だけに余計に)。
698月と星より ◆xQ5494pE :02/05/05 20:26
>>697 外郎屋さんへ。
ありがとう。氏直は分かりますが北条家五代全員とはね〜。
他の北条家の人もお墓あるのかな?もう分からないでしょうね。

結城家の事、分かりました。結城家と小山家の二家同時でやりますね。
699月と星より ◆xQ5494pE :02/05/05 20:37
結城家と小山家の次ですが、いよいよ陸奥(みちのく)です。
足盧家
700月と星より ◆xQ5494pE :02/05/05 20:47
>>699
見ての通りですが間違えて書き込みました。
陸奥(みちのく)エリアについては、
盧名家、相馬家、畠山家、伊達家、最上家、大崎家、葛西家、斯波家、
南部家、安東家と進めていきます。
残り300ですから、松平家、豊臣家、織田家もいけそうですね?
70115:02/05/05 23:52
もう、締切っちゃってるんで、なんなんですが、
小田原北条氏のことで、ちょっと書きます。
(なにせ、15で北条の二代目が誰かと聞いた本人なので...)

その時点で二代目の概念が明確でなく(今も?)、
1氏が意図するところが分からなかったので、この質問をしてみました。
15のレスでも今回の結果発表でも、あっさり氏綱となりました。

その結論はとても納得できるんですが、679氏のような考え方も
ありだと思って15で問うた訳です。1氏が挙げている二代目は
秀頼は微妙だが、他は年代的に活躍した時期が近いと思うんだけど、
北条の二代目を氏綱とすると、氏綱が死んだ時点で1氏の挙げる
二代目は誰も生まれてすらいないわけです。

そんなことは関係ないと言うことなら、
それはそれで、いいんです。(勉強になるし)
ただ、同じ戦国大名二代目でも、生まれた家の勢力、地理的事情、お家事情、
もろもろ違うので、比較しにくい上に時代も異なるとなると、
比較するのは、(個人的には)お手上げかなぁなんて思ってます。
(まぁ、だれも比較せよとは言ってないんですが)

さぁ、何が言いたいのか、よく分からない文章はこれくらいにして、
宇都宮氏です。
ちなみに、興綱は鎌倉御家人宇都宮氏19代目だそうな。
流石に鎌倉時代の人を二代目にとは言いませんが、
上に書いた時代重視案として 広綱か国綱あたりは、どうでしょう?
いわゆる、関東三国志とかゆうのってこの頃ですよね。
702月と星より ◆xQ5494pE :02/05/06 00:19
>>701 15番さんへ。
大丈夫ですよ。『世界遺産』が何故か遅れて始まりましたから。
今から書き込み始めますね。
703日本@名無史さん:02/05/06 00:32
「盧」で「あし」って読むんですか?知らなかった…
704月と星より ◆xQ5494pE :02/05/06 00:38
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
宇都宮家の二代目は、宇都宮広綱という事でお願いしますね。
15番さん、そうしますね。
次回のテーマ、結城家の二代目は結城晴朝で良いでしょうか?
       小山家の二代目は小山秀綱で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。

15番さんへ。
よく読まずにごめんなさい。直ぐに書きますので待っていて下さいね。
705日本@名無史さん:02/05/06 00:54
>>700
大宝寺や仙道諸家は細かすぎかな?
津軽…は二代目ほとんど江戸大名だからダメだね
706日本@名無史さん:02/05/06 01:00
っていうか、「盧」って字違わないか?
707月と星より ◆xQ5494pE :02/05/06 01:24
>>701 15番さんへ。
二代目の概念は今も決まっていないですよ。
決まっていましたらこれする必要が無いですからね。
正直、今でもする必要は無いのかなとも思っていたりします。
人の考えってそれぞれですからね。
でも、それではあまり先に進みそうも無いようでしたので、
(私が見た時、何日か止まっていた様な気がする?)無理やり決めています。
二代目は便宜上決めさせて頂いているだけで、
どんどん書いた方が1番さんも喜ぶと思いますよ。
なので私的に比較をするのでしたら、
島津義久、龍造寺政家、大友義統、
毛利輝元、長曾我部元親、上杉景勝、北条氏政、
盧名盛隆、最上義光、伊達輝宗かな?
あの三家は、織田信忠、豊臣秀次、徳川信康かな?
(三法師は1580年生まれ、徳川秀忠は1579年生まれ、
これを考えますと秀忠をここに挙げるのには抵抗があります。)
あ、でも、比較する必要は無いですね。

>>704 704番さんへ。
ははは、私も知りませんよ。
ただ、いつもこれで書いていましたから、何となく『盧名』で書いています。
708日本@名無史さん:02/05/06 01:29
っていうか、「芦名」か「葦名」ですぞ。
709日本@名無史さん:02/05/06 01:31
盧=「ろ」だと思ふ
710日本@名無史さん:02/05/06 01:37
やっとトーホグがきた。待ちくたびれた・・・。
711藤原三位卿:02/05/06 02:00
蘆名が正しいですよ
草かんむりのほう
712月と星より ◆xQ5494pE :02/05/06 02:00
>>705 705番さんへ。
武藤家、二賀保家、岩城家、石川家、田村家、小野寺家、戸沢家の事ですよね。
九州の時に有馬家や大村家などなども入れましたから、
必要であるというのでしたら入れていきます。(近畿地方の時よりは楽かな?)
津軽家ですか・・・。為信以外知らないの。名前が分かればね。
大坂の陣に誰か参加しています?

という訳で、意見のある方、お待ちしています。
この家は必ずやろうという方々、書いて下さいね。
(書かないと無視してしまいますのでお願いします。)
あ、『書く』は取り上げた大名の書き込みをしなさいという事ではないですよ。
興味があるから知りたいというのも良いと思いますのでね。
書き込みできる戦国大名って、
そうそうたくさん有るという訳では無いですからね。
(何か文の意味が分かり分かり難くなってしまいましたが・・・。)

>>706 706番さんへ。
え、間違えました?ごめんなさい。
ちょっと難しい字でしたから、適当に覚えてしまったみたいです。
正しい字を教えて下さい。お願いします。ははははは〜。と笑って誤魔化そう。
713日本@名無史さん:02/05/06 02:14
>>712
津軽の二代目は信牧(のぶひら)です。為信の三男。
関が原の合戦で為信と共に東軍についたため家督を継ぎました。
もうひとり、長男の信健というひとがいますが、西軍についたため廃嫡されました。悲運
714月と星より ◆xQ5494pE :02/05/06 02:36
皆様、ありがとう。ご迷惑をおかけしました。
でも、皆さん親切ですね。直ぐに教えてくれるなんて。

>>710 710番さんへ。
お待たせいたしました。先に東北から始めていなくてごめんなさいね。
でも、まだ関東地方をやっていますので結城家&小山家の方もよろしくね。

昔の小山家は分かりませんが、ちょこっとだけ書きます。
結城家から小山家へ養子に来た小山高朝の代はかなり没落しているみたいです。
で、建て直しを図り実家の結城家と行動を共にしてます。
河越夜戦後に古河公方足利晴氏が援助を求めてこれに応じてしまったために、
北条家と敵対する事になります。
1575年、子の小山秀綱の時に落城。
その後、北条家側として返り咲いているみたいですが、
1590年の小田原城包囲戦で北条家と共に滅亡しています。
大まかな流れですね。
715月と星より ◆xQ5494pE :02/05/06 02:54
>>713 713番さんへ。
津軽信牧で(のぶひら)と読むのですか?
多分、直ぐには覚えられそうにも無いですね。
津軽家も関ヶ原合戦で生き残りを賭けて戦っていたのですね。
でも、津軽家の事、南部家からの独立の話は有名ですが、
それ以外の事ってあまり聞かないです。何でなのかな?
716713:02/05/06 03:08
多分、為信一代でなりあがったこと、辺境過ぎて中央政界にあまり関わりがないことなどが原因では?
といっても小田原征伐では南部氏よりも早く秀吉に使者をだして本領を安堵されてます。
さすがそのへんの政治感覚は機敏だったようで。時流が読めなかった九戸政実とはえらい違いだ。



津軽氏の変わった話と言えば、石田三成の子孫がいたり、キリシタンをかくまったりしてるなんてのもありますね。
またこれは江戸時代の話ですが、相馬大作事件は有名(?)ですね。
717月と星より ◆xQ5494pE :02/05/06 03:47
>>716 713番さんへ。
そういえば、戸来町という所にキリストの墓がありましたが、
あれっていつからあるのかな?(あそこは南部領になるの?)
でも、青森県って本当に不思議な物がたくさんありますね。
相馬大作事件ってあの未遂事件の事?
718日本@名無史さん:02/05/06 04:02
どうでもいい事でありんすが、葦=蘆。両方とも植物の「あし」を意味する字。
ただし、それぞれ別の意味もある。それから、「芦」は「蘆」の略字、ということに
なってるらしい。ほんとは違うけど。以上漢和辞典。

で、どの字が正しいかというと・・・どれでもいいんじゃないすか?多分。
検索したところ、なんか菩提寺では「葦名」って表記してるらしいけど、
いつの時代の資料か知らないのでなんともいえまへん。
ttp://www.akina.ne.jp/~oba/AIZU-ashina.html
719月と星より ◆xQ5494pE :02/05/06 04:14
>>718 718番さんへ。
元はといえば私が字を間違えてしまったばかりに・・・。
ご迷惑おかけします。
昔の日本人は漢字にあまり拘っていませんから、
正しい字は分かり難いですよね。(私の方は完全に間違いですが。)
ところで、『菩提寺』はやはり会津にあるのですか?
720日本@名無史さん:02/05/06 04:43
>>719
そのようですね。多分これのことだと思います。
ttp://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/j/yukari/shiseki/tenneiji.html

伊達に焼かれちゃったのか・・・。
721月と星より ◆xQ5494pE :02/05/06 20:35
>>720 720番さんへ。
そうですか。焼けているみたいですね。
あと、会津は幕末維新の方もありますから行ってみたいですね。

今回は、0時00分頃に締め切りますね。
722月と星より ◆xQ5494pE :02/05/07 00:28
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
結城家の二代目は、結城晴朝という事でお願いします。
小山家の二代目は、小山秀綱という事でお願いします。
次回のテーマ、蘆名家の二代目は蘆名盛氏で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
723素涼 ◆/KwXL/Ao :02/05/07 18:25
あげ
724日本@名無史さん:02/05/07 23:38
はげ
725月と星より ◆xQ5494pE :02/05/08 00:28
今回は、2時10分頃に締め切ります。

>>723 素涼さんへ。
はじめまして。ですよね?

>>724 724番さんへ。
心配して頂きましてありがとう。
726月と星より ◆xQ5494pE :02/05/08 02:34
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
蘆名家の二代目は蘆名盛氏という事でお願いしますね。
次回のテーマ、相馬家の二代目は相馬盛胤で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。

そういえば、蘆名盛興はお酒の飲み過ぎで亡くなられたと聞きます。
いつの時代も飲み過ぎは体の毒みたいですから気を付けましょう。
本当は百薬の長なのですが・・・。
727外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/08 20:18
東北ラインに突入した途端人気がなくなったような・・・。
そういえば佐竹ってやった?
ということで・・・上げます。
728月と星より ◆xQ5494pE :02/05/09 00:53
今回は、1時40分頃に締め切ります。

>>727 外郎屋さんへ。
ははは、ま〜いつも通りに進めていきますね。
あっ!やってしまいましたね。
佐竹家、やります。待っていた人ごめんなさい。

729素涼 ◆/KwXL/Ao :02/05/09 01:22
>725
失礼しました。素涼=15です。

>727
そうですね。当方も詳しくないので、たいした事は書けません。
それで、また、年代の話でお茶を濁します。

二代目決定のキモは、初代ってことで、盛胤が二代目ならば、
初代は高胤ですよね。高胤は1424年に生まれていて、太田道潅や
北条早雲の少し年上ですね。戦国時代の長さには、困ったモンです。

中央(京都)からあまりに遠く、伊達みたいなのが近くにいては、
メジャーにはなりにくいだろうなぁ。
東北諸勢力が仮に天下を目指した場合、
やはり、地理的不利は否めないでしょう。
その点、伊達政宗は、よく頑張ったと思うけど、天下は取れなかったし、
伊達家としては、政宗の代までかかってはいかんともしがたいですわな。

また、ifですが、伊達家なんかは、もっと中央に近い地理条件だったら、
天下も近かったかと...
また、伊達同様、相馬も京都に近かったら...なんて考えてみたり...
730月と星より ◆xQ5494pE :02/05/09 01:50
>>729 素涼さんへ。
え〜と、あの〜、15代目の相馬盛胤のつもりでしたが、
よく調べてみますと、13代目にもいます?
ははは〜。多分その人ですね。
う〜ん。奥が深いですね。
12高胤―13盛胤―14顕胤―15盛胤―16義胤・・・こんな感じ?
731月と星より ◆xQ5494pE :02/05/09 01:59
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
相馬家の二代目は、相馬盛胤(15代目)という事でお願いしますね。
次回のテーマ、佐竹家の二代目は佐竹義昭で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。

なんだか、ちょっと可笑しい〜。『盛胤』。
732素涼 ◆/KwXL/Ao :02/05/09 02:16
>730
ホントだぁ。そうかぁ。
すると、初代は顕胤で、今川義元、北条氏康、武田信玄などの一回りくらい
年上で、まさに戦国時代で納得です。
しかし、顕胤の父も子も盛胤とは驚きました。
こんな事って、他にもあるんでしょうか?
733月と星より ◆xQ5494pE :02/05/09 02:31
>>732 素涼さんへ。
有名どころですと、伊達政宗という人が9代目と17代目にいます。
流石に相馬盛胤みたいに自分の父様と息子が同じ名前というのは、
いつの時代でも珍しいのかも・・・。
あれれ、私の名前も同じ様な気がします?
734藤原三位卿:02/05/09 03:16
>>733
筑紫広門は親子二代で同じ名前「広門」を使っています
伊予河野家は、宗家河野通直の二代前(爺さん)と五代前が同じ通直で、
宗家通直の後、河野家を纏めた豫州家の党首も通直だったようです
島津家は義弘の子供と弟がともに家久を名乗っています
735日本@名無史さん:02/05/09 03:50
親子じゃないけど、朝倉孝景、朝倉教景、相良長毎とか。
あと、ちょっと違うが藤堂高虎の父は虎高だとか・・・。
ほんとかどうか知らないけど。
736月と星より ◆xQ5494pE :02/05/09 04:04
>>734 >>735 藤原三位卿さん&735番さんへ。
結構あるものなんですね。しかし親子でね・・・。ははは。
737月と星より ◆xQ5494pE :02/05/10 00:36
今回は、1時10分頃に締め切りますね。

ところで、関ヶ原合戦の時、
佐竹家は54万5000石の大名。
宇喜多家は57万4000石の大名。
なんとなしに、いつも比較してしまいます。

佐竹家は何もしてないのに(?)出羽久保田18万石に転封。
738月と星より ◆xQ5494pE :02/05/10 02:01
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
佐竹家の二代目は、佐竹義昭という事でお願いします。
次回のテーマ、畠山家の二代目は畠山義継で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
739日本@名無史さん:02/05/10 02:12
>>737
佐竹は三成の与党でしたからね。中立は敵対しているのと同じですし
また、徳川の本拠地である江戸の近くにこんな大大名がいるのを警戒したのではないでしょうか。
関東はこのあと中小クラスの譜代大名か天領ばかりになりますし
740藤原三位卿:02/05/10 02:26
上げときまーす
741月と星より ◆xQ5494pE :02/05/10 03:15
>>739 739番さんへ。
佐竹家は、動く気は無いという事でしょうか?

そういえば、佐竹家って北の方にも勢力圏を築き上げていたようですが、
1590年頃はどうなったのでしょうか?
伊達家が蘆名家を滅ぼした時に、追い出されてしまったのですか?
豊臣秀吉の奥州仕置の時に、領地を失ってしまったのですか?
う〜ん。
後もう一つ。
佐竹家は、金山を持っていますよね。(ただ書いてみただけです。)

>>740 藤原三位卿さんへ。
東北地方に入りますが、いつもありがとう。
742藤原三位卿:02/05/10 03:39
戦国時代の金山って重要なファクターなんですよね
たとえ負け戦でも、領地が増えなくても恩賞を金で払えるから
他の大名に比べて有利ですよね
(武田、上杉、毛利、等々)
ほかの大名は、負け戦をして領地が増えないと、恩賞や補償をしなければ
ならなので、自前の領地を切り崩して力をなくしてゆくか、家臣たちに恩賞
を与えずに忠誠心を下げてゆくかで、結局弱っていきますからね
743日本@名無史さん:02/05/10 07:35
信長が茶器等に権威付けをしたのも、そんな理由なんだろな
744外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/10 20:25
佐竹の天正18年当時の領土について(いつも通りうろ覚えだけど)。
常陸の最大で2/3位+南陸奥の一部(岩城領)じゃないかな。
もともと佐竹氏の進出方向は下野・南陸奥でしょう。
先に上げた領土というよりは影響力があるのがに言い換えた方がいいかも。
水戸には江戸氏、南常陸の方は小豪族の連合体がいるし(名前忘れた・・・ゴメン)。
南陸奥の方は義重の弟が岩城氏と白河結城氏(後に芦名氏に)を継いでます。
で芦名を弟が継いで勢力拡大を狙ったわけだけど・・・
(結城氏は後に伊達一門衆になっている)。
豊臣配下になった方が実際の領土としては増えていると思います。江戸氏や先に
上げた豪族連合も滅ぼしています。

今気づいたのですが東北の戦国大名って新興勢力が少ないような気がしました(津軽
位かな)。
745藤原三位卿:02/05/11 00:18
このあたりの戦国大名ってほとんど親戚同士みたいな気がする
そうでもないかなー
746月と星より ◆xQ5494pE :02/05/11 01:49
今回は、2時50分頃に締め切ります。
>>742 藤原三位卿さんへ。
昔の日本は『黄金の国』とうたわれていました。
有名な金山は分かりますが、あまり有名ではない金山を知りたいですよね。
あ、銀山の方も・・・。
そういえば、歴史と地学、両方が好きな人って今まで会った事がありません。
そういう人って珍しいのかな?

>>743 743番さんへ。
最初、この茶器については、『何でこんな物に・・・。』と思いました。
今は、織田信長は錬金術師と思います。頭良い〜。

>>744 外郎屋さん。
佐竹家の勢力圏は白川だけかと思います。
白河の方は蘆名家の勢力圏でしたが、
佐竹義重の時に勢力圏を拡げているかもしれません。(私もうろ覚え。)

小田氏は1569年に佐竹家が滅ぼしています。、
江戸氏、大掾氏も1590年に佐竹家が滅ぼしています。
小田原城包囲戦に参加しなかったためだそうです。
小野崎氏は1590年にやはり佐竹家が滅ぼしています。
北条家が滅んでしまった後も戦国時代の残り火がありました。

東北の戦国大名って新興勢力が少ないについて。
多分、義理堅い忠臣が多かったのですよ。(葛西家・大崎家の事を考えますとね。)
747月と星より ◆xQ5494pE :02/05/11 03:00
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
畠山家の二代目は、畠山義継という事でお願いします。
次回のテーマ、伊達家の二代目は伊達輝宗で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。

私は伊達晴宗を戦国大名の初代と考えています。
天文の大乱の事ってあまり知られていません。
資料が無いのでしょうか?
748月と星より ◆xQ5494pE :02/05/11 23:21
今回は、0時40分頃に締め切ります。
伊達家がこのまま終わりますと、この後はとても楽になりそう。
749月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 01:20
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
伊達家の二代目は、伊達輝宗という事でお願いしますね。
次回のテーマ、最上家の二代目は最上義光で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
この人、東北地方では珍しく謀略家の将ですが、
周りにそういう人があまりいないので目立ってしまったのかな?

一月に京都の瑞泉寺に行って駒姫の事を調べてきました。
聞いてびっくり、駒姫は豊臣秀次の側室になるため七月に都に来たのに、
八月二日に打首に遭っています。相手の豊臣秀次にも会えないまま・・・。
正確には自分が死ぬ日(八月二日)に秀次の御首(七月十五日に切腹)と
対面したみたいですが・・・。
何のために都へ来たのでしょう?
悲劇。
750藤原三位卿:02/05/12 03:14
東北まで来ると九州のもんは??になりますね
畠山??、あー政宗のお父さんを殺した二本松か、程度です
ただ何気ですが、西日本、関東、東北それぞれのエリアの戦国時代の底流を
流れているものが違うような感じは受けます

駒姫可哀想だけど、おかげで最上は関が原で東軍についたので最大の功労者
かもね
751藤原三位卿:02/05/12 19:13
ROMしてる人いる
いるならなんか書いて
と言いつつAGEます
752月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 19:21
>>750 藤原三位卿さんへ。
そういえば、畠山家=二本松家ですよね。
武藤家も大宝寺家、安東家も秋田家と苗字が変更されていますが何故でしょう?
多分意味があるんでしょうね。

会津の蒲生秀行が宇都宮に転封となり、
その後を承けて上杉景勝が会津に封じられますのが1598年1月。
最上義光としては、上杉景勝が庄内地方の武藤家を滅ぼし領国化した事と、
親石田三成派である事が敵視する条件になります。
タイプ的には正反対の二人なのですが、
何故か雰囲気が似ているように思える事が不思議です。(私だけかと思いますが。)

駒姫は豊臣秀次に以前出会っているのかもしれません。
九戸政実の乱鎮圧後、豊臣秀次が奥州から凱旋する際に、
山形を通過しているようです。運命の出会いをしているのかも・・・。
753月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 19:31
>>751 藤原三位卿さんへ。
では、最上家の事をもう一つ。
父様の最上義守は1521年生まれという事ですが、
2歳の時に家督継承されたみたいです。
織田秀信は3歳で家督継承(?)ですから、
ひょっとして戦国時代では記録なのかも?(変な記録。)
754月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 20:02
あ、蘆名亀若丸って生まれたその年に家督継承の様な気が・・・?
1歳かな?
755月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 21:00
今回は、0時00分頃に締め切ります。
756五十騎組:02/05/12 21:15
守備範囲がGWになってしまったので、いつの間にかもう東北・・・
>>752
出会ってます。
秀次に見初められたのが運の尽き、義光も渋りに渋ったが断りきれず・・・という状況です。
辞世の句
罪をきる弥陀の剣もかかる身のなにか五つのさわりあるべき
涙を誘いますな
757月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 22:01
>>756 五十騎組さんへ。
やはり会っていたのですか。
でも、『渋りに渋ったが断りきれず・・・。』という事は、
最上義光、これからの時流を読んでいたという事でしょうね。
この時は39人の女子供が死罪。

秀次の辞世の句
月花を心のままに見つくしぬなにか浮き世に思い残さむ
世は無情ですね。

GWもそのまま続けてしまいました。ごめんなさい。
でも、今ちょうど最上家の所で上杉景勝の事を書いていました。
やはり、仲が悪いのでしょうね。
758五十騎組:02/05/12 22:19
大宝寺領の確執ですが本庄繁長が奪い返した直後、葱無事令で義光は反撃の機会を潰されてます。
景勝が狙って仕掛けさせたとも取れますが。
ここ面白い描写↓
ttp://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x091.html
明珍VS正宗・・・(゚Д゚;)ヒィィィ    
759月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 22:51
>>758 五十騎組さんへ。
庄内戦記。(勝手に題を作りました。)
武藤義氏が家臣の東禅寺氏に討たれる。
最上義光の得意技、家臣を味方につける方法で。
その後武藤義興が上杉家の後押しで巻き返しを図るも、
返り討ちに遭ってしまい武藤家は滅亡。
その東禅寺氏も上杉家の家臣の本庄繁長に討たれてしまう。
こんな感じ?
760月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 23:07
>>758 つづき。
今、ちょこっとだけ見てきました。
東禅寺氏の事が書いてありました。先に見ておくべきでした。
明珍VS正宗って何でしょう?
761藤原三位卿:02/05/12 23:11
明珍って鎧のメーカー
正宗が刀のメーカー
ということでしょうか
762藤原三位卿:02/05/12 23:18
共に、鑑定団に出展すればゼロが7〜8こつく代物
「いい仕事してますね〜」
という話かな
763月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 23:20
>>761 藤原三位卿さんへ。
メーカーさんなのですか。へ〜。
でも、高価な物なのでしょうね。
矛盾?
764月と星より ◆xQ5494pE :02/05/12 23:28
>>762 藤原三位卿さんへ。
一億〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!
高価。(安物でもいいですから欲しいな〜。)
765五十騎組:02/05/12 23:32
私もそれ以上のことは知りません
>最上義光の得意技、家臣を味方につける方法で。
上手いし周到ですね
「義光は塩鮭が食いたくて庄内を攻めた」と言われたそうですが、よほど食いたかったんでしょう(w
766五十騎組:02/05/12 23:38
>>759
明珍=「鉄は明珍」と謳われた甲冑の最高峰
正宗=相州五郎正宗(鎌倉後期)刀匠の最高峰。江戸期に「幽霊と正宗は見たことがない」と言われるくらいの希少性
767月と星より ◆xQ5494pE :02/05/13 00:20
>>765 >>766 五十騎組さんへ。
鮭、大好き。結構庶民的ですね。
武具とかはまるでダメですね。完全に素人です。
でも、安物が無さそうな事は分かりました。
鎧の進化の事や槍の長短の事でしたら少しは分かるのですが・・・。
刃物は備前と美濃の関かな?ははは。やはり分からないですね。
鮭の話の方が性に合っています。
768月と星より ◆xQ5494pE :02/05/13 00:28
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
最上家の二代目は、最上義光という事でお願いしますね。
次回のテーマ、大崎家の二代目は大崎義隆で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
名門の家との事ですが・・・。マイナー街道を突っ走りま〜す。
769外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/13 19:37
小田原明珍も忘れないで〜。

大崎家って奥州探題斯波氏の末裔だったかな?
もう東北になると知識不足でROMるのみ。
太平記絡みなら北畠顕家の弟の血筋(?)が浪岡御所の北畠
ですよね。どうせ、ここにも上がらない弱小勢力だけど・・・。



770月と星より ◆xQ5494pE :02/05/13 20:04
今回は、0時00分頃に締め切りますね。

>>769 外郎屋さんへ。
私も分かりませんが、
この大崎義隆という人、1588年の合戦で伊達政宗を打ち破っています。
頑張っているみたいですよ。内容は不明。

北畠家は津軽家に滅ぼされています。(私も詳しくは・・・。)

明珍も相模ですか?
771外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/13 20:58
明珍の件は北条家(関東?)の兜は西国とは形が違うらしいです
(ここら辺は専門外・・・ゴメン)。
で小田原鉢と言われてたらしいです。
772月と星より ◆xQ5494pE :02/05/13 21:12
>>771 外郎屋さんへ。
兜と鎧は違う物なのかな〜?
兜は東国と西国で形が違うのですか?
これも文化ですね。(それにしましても色々有りますね。)
鎧の方は、合戦での鉄砲導入と南蛮貿易による南蛮風の鎧が、
戦国時代後期に影響を与えているみたいです。
(でも、雑兵は関係無いのかも・・・。)
773月と星より ◆xQ5494pE :02/05/13 21:49
お知らせ。
小野寺家と戸沢家と津軽家は取り上げる事にしました。
(書き込みが減っている分大丈夫かな〜と思いまして。)
津軽家の二代目の事を教えて頂きましたので何とか行けそうかな。
774外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/13 21:49
小田原明珍派の兜・鎧はこんなの。
ttp://www.fsinet.or.jp/~usa/indexja.html
(現物じゃないけど・・・あくまで参考程度で)
775月と星より ◆xQ5494pE :02/05/13 22:52
>>774 外郎屋さんへ。
見てきました。凄いですね。紙であれほどの物が作れるなんて。
北条五代祭でも使われているほどの出来栄え。
やはり刀、鎧、兜にも名産があるのでしょうね。
776月と星より ◆xQ5494pE :02/05/14 00:05
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
大崎家の二代目は、大崎義隆という事でお願いしますね。
次回のテーマ、葛西家の二代目は葛西親信で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
マイナー街道、さらに進んで行きますね。
777月と星より ◆xQ5494pE :02/05/14 00:29
ところで、大崎家もそうなのですが、この葛西家も実際よく分かりません。
大崎義宣は何をしたのか?
葛西晴胤は何をしたのか?
この二人は伊達晴宗の実弟らしいのですが・・・。
勝者の歴史、滅びてしまった家の悲しさです。(北条家も同じですね。)
778藤原三位卿:02/05/14 00:52
777おめでとうage
779月と星より ◆xQ5494pE :02/05/14 01:19
>>777 藤原三位卿さんへ。
あ、いつの間に!
気が付きませんでした・・・。
そうですか〜。もうこんなに進んでいたんですね。
東北も頑張ります。
780五十騎組:02/05/14 02:30
>>774
やや小田原鉢とは明珍でしたか   メモメモ
刀剣も相州と備前では作風がかなり異なりますね。
小田原恐るべし

ああもうわかんない場所へ・・・ヒソーリROMりますんで頑張って下さい
781外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/14 19:48
秀吉の奥州征伐で太平洋側と日本海側を比較した場合に、日本海側の
方が取り潰された家が少ないというのを読んだことがあります。
日本海側は京都と海路つながりでもともと関係が深かったからとか。
田村は政宗の正室のがこの家の出ですよね。
(既にスレが苦しい・・・)。

782通りすがりの商人:02/05/14 22:13
>>1
なんなんだこのスレは??
全部通して読んだけど、この展開方法は2chぢゃないね〜。
783五十騎組:02/05/14 23:25
>>782
だから貴重なのです(少なくとも自分にとっては)
こんなスレでないと全国網羅する機会もないし。>>1の意図とは違ってるが(w
ググル引き引きお勉強
784藤原三位卿:02/05/15 00:19
>>782
なかなかいいでしょ!?
月星さんのおかげすね
785日本@名無史さん:02/05/15 00:37
何だよ、この低レベルなスレは。
参考書はノブヤボ武将ファイルか?
厨房は三戦板逝ってくれよ。
786日本@名無史さん:02/05/15 00:39
>>785
きしょい歴史ヲタがしきってるスレと思われ
787日本@名無史さん:02/05/15 00:41
>月と星より
おまえ個人でサイト作れよ
スレを私物化してるぞ
788ROM:02/05/15 01:48
>>787
目ついてるか?
月星殿はマメにレスしてくれるが、私物化などしておらんよ。
789月と星より ◆xQ5494pE :02/05/15 02:09
遅くなりまして、ごめんなさい。
今回は3時00分頃に締め切りますね。
書き込めるかな?
790月と星より ◆xQ5494pE :02/05/15 03:19
>>780 五十騎組さんへ。
私もびっくり。相模って何でもありますね。驚きです。

>>781 外郎屋さんへ。
日本海側といえば、その昔はかなり栄えていた様です。
大きい都市も太平洋側と比べて多かったそうですが、
人に聞いただけで資料とかは無いです。(そんな資料が有るのかな?)

田村清顕の姫君(愛姫)は伊達政宗の奥さんになるのですが、
この事は伊達家の南下政策に大きな意味を持ったようですよ。

>>783 >>784 五十騎組さん&藤原三位卿さんへ。
これからも頑張りますね。
『全国網羅』って今まで無かったのかな?
やっている人はいると思いますが、こういう形は無いでしょうね。ははは。
でも、1番さんには、ご迷惑をかけています。ごめんなさい。

今更ですが、
1595年7月15日、豊臣秀次が自害しています。
実はこの年、色々な人が死んでいます。
1595年2月7日、蒲生氏郷が京で死す。
1595年4月16日、羽柴秀保(秀次の実弟)が死す。
偶然の出来事なのでしょうか?(多分、そう。)

今日は参りましたね。
書き込む事ができず、今日はダメかなと思いました。
これも上手く行くかどうかは分かりませんが・・・。
791月と星より ◆xQ5494pE :02/05/15 03:42
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
葛西家の二代目は、葛西親信という事でお願いしますね。
次回のテーマ、斯波家の二代目は斯波経詮で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
マイナー街道何処まで続くかな?
792月と星より ◆xQ5494pE :02/05/15 04:04
>>788 ROMさんへ。
ありがとう。これからも気を付けてやって行きますね。
793日本@名無史さん:02/05/15 12:05
クソスレあげ
794日本@名無史さん:02/05/15 15:02
>>791
その斯波は戦国大名じゃないでしょ?
言うなれば国人クラス。
795藤原三位卿:02/05/15 23:35
この斯波さんは、奥州探題の斯波さんですか
奥州でも斯波家や畠山家は旧態というか、古い体質というか
いずれ駆逐されるべくして潰れたというか
近畿、中部の斯波、畠山両家と同じような運命でないかえ
なんとなく
796日本@名無史さん:02/05/15 23:58
古い体質だから滅んだというより、両家とも応仁の乱の余波で勢力を失った
から滅亡したんだろう。あと奥州探題は斯波大崎家だな。
高水寺斯波家は違うぞ。
797藤原三位卿:02/05/16 01:08
>>796
高水寺は斯波氏発祥の地ですよね
ということは、ここの斯波家が本家ということでしょうか?
798通りすがりの商人:02/05/16 01:49
>>795,797
斯波氏と大崎氏どっちが本流?
どっちが戦国大名でどっちが大崎地方の盟主??
ってとこから考えるべきではないのか?
顕かに大崎氏ペースだと思われ。
斯波氏を戦国大名で論じることに抵抗が…。
浪岡御所北畠氏と同レベルかそれ以下だぞ、戦国期の斯波氏ってのは?
799月と星より ◆xQ5494pE :02/05/16 01:53
今回は、3時30分頃に締め切ります。
800月と星より ◆xQ5494pE :02/05/16 03:36
>>794 794番さんへ。
ははは、そうでしょうね。
本当の戦国大名って、ごく僅かと思いますよ。
基準が無いので分かりませんが、
島津、龍造寺、大友、毛利、尼子、浦上、長曾我部、三好、六角、
朝倉、今川、武田、長尾、北条、蘆名、最上、伊達、徳川、織田かな?
私的にですよ。

>>795 >>796 藤原三位卿さん&796番さんへ。
まだ権威が通じる戦国時代前半は良かったのですが、
戦国時代の終わりが近づく頃には南部信直に滅ぼされてしまいます。
権威という御守りに頼りすぎ、自身に力を求めなかったためかな?
土佐の一条家と似ているのかも・・・。

>>798 798番さんへ。
ははは、北畠家にも似ていますね。(北畠家の方が努力していますね。)
斯波家も南部家の内紛の際には、積極策をとって頑張っていたみたい。
でも、斯波家の方が内紛のために滅びてしまいました。

ここに書かれるまで気に留めていなかったのですが、
大崎家と斯波家って同族ですよね?
斯波家の家系図は持っていないので分かりませんが。
801月と星より ◆xQ5494pE :02/05/16 03:54
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
斯波家の二代目は、斯波経詮という事でお願いしますね。
次回のテーマ、南部家の二代目は南部晴政で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
マイナー街道、つづく。
802日本@名無史さん:02/05/16 11:18
>月と星より
あんたの言っているようなことは、この板にいる奴らには
常識的なことばかりなんだが。なけなしの知識を披露したいのか
分からんが、自分が恥をかくだけなので止めておこう。
803日本@名無史さん:02/05/16 13:28
おれ他板からロムに来てるんで、こういうスレはありがたいわ。
それとも何かい。日本史板住人でスレ独占なのかい。
他にもスレは山ほどあるからね。気に入らないなら見なきゃいい。

スレ汚し失礼。あと少し頑張ってほしいだけ。
804日本@名無史さん:02/05/16 14:24
ここでいう戦国大名は、歴史シュミレーションで出てくる大名家という考えですか?
戦国大名でないのが多数含まれているようなので。
国人とはどう区別しているの?
805通りすがりの商人:02/05/16 20:19
>>月と星より
ココ見たことあんの??
http://www2.harimaya.com/sengoku/buke1.html

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/o_siba_k.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/osaki_k.html
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mogami_k.html
奥州斯波氏の嫡流ってのは志和御所なんだけど・・・。
806日本@名無史さん:02/05/16 21:23
>>805
それは家系図的な長男=嫡流に限定すればの話。
斯波氏総領は、斯波氏累代の奥州探題職を受け継いでいる大崎氏。
したがって実質的な嫡流も大崎氏で間違いない。
807月と星より ◆xQ5494pE :02/05/17 03:11
今回は、3時40分頃に、締め切ります。(短くて、ごめんね。)
>>802 802番さんへ。
そうでしょうね。私、日本の歴史なんて中学校で終わりですからね。
別に恥じをかいてもいいですよ。
『知るは一時の恥じ。知らぬは一生の恥。』ということわざもありますし、
間違っている事をそのままにしていてもね〜。
もともとは、自分が勉強するためにやっている事ですから。

>>803 803番さんへ。
ここ見ている人って30人位いるのかな?
でも、歴史を知っている人が見ているだけなら、
『こいつ間違えているよ〜。』で終わりですが、
歴史を知らない人(私も含めて。)が、間違えた事を見て、
そのまま信じてしまいますと良くないですよね。
間違えた事を書かない様に気を付けよう〜。

でも、本当に好きなら自分で調べて知る事の方が面白いですから調べてみてね。

>>804 804番さんへ。
戦国大名の選考基準ですか。
上の方(>>800)で書きましたが、本当の戦国大名で考えてしまいますと、
ごく僅かになりますよね。(近畿地方は六角家だけというのもね。)
それですと、何か味気無いですよね。
浅井家ぐらいまではやった方が良いかな?
沖縄と北海道を除いた地域は万遍無くやろうかな?
色々考えていましたらこうなっていました。
(私は北条家があればいいのですが・・・。)
歴史シミュレーションで出てくる大名家ですと、
たくさんあり過ぎて分かりませんよ。

>>805 805番さんへ。
教えて頂きましてありがとう。少しだけ見ましたが面白そう〜。

>>806 806番さんへ。
大崎家と斯波家、何故か人気が有りますね。
こういう事って、双方共に滅びてしまいましたから結論は難しいですよね。
一般的にはどちらかな?
と一瞬思いましたが、すでにこの話自体が一般的ではないですね。
808月と星より ◆xQ5494pE :02/05/17 03:54
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
南部家の二代目は、南部晴政という事でお願いしますね。
次回のテーマ、小野寺家の二代目は小野寺義道で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
マイナー街道、何処まで行くのかな?
809806:02/05/17 21:18
>大崎家と斯波家、何故か人気が有りますね。
おまえ俺の言っていることの意味が理解できているのか?
てか大体このスレをおまえの私設掲示板か何かと勘違いしてるだろ。
自分の理解できない話にまで口を挟もうとするんじゃない。
はっきり言ってうざい、おまえ。

>小野寺家の二代目は小野寺義道で良いでしょうか?
ボケ、戦国期の当主は小野寺輝道が二代だ。親父の惟道の存在を知らんのか。
てか南部二代が晴政で小野寺二代が義道ってどういう判断基準してるんだ。
妄言もほどほどにしてくれ。
810日本@名無史さん:02/05/17 22:00
二代目といえば真田幸村じゃないかい?
811日本@名無史さん:02/05/18 00:16
>>809
それで800レスも来てんだから気に入らなきゃほっときゃいいのに…
812月と星より ◆xQ5494pE :02/05/18 00:55
今回は2時00分頃に締め切ります。

>>809 806番さんへ。
ごめんなさいね。『806』と書いて頂ければ返事は止めておきますよ。
人に意見するつもりは無いですから。

>>810 810番さんへ。
自分自身が『この人、二代目だ。』と思えばそれが正解かな〜と思いますよ。
私、真田幸村の事は詳しくないので、そういう発想は出てきませんでした。
『真田』といったら『真田幸隆』が出てしまう人なのです〜。

>>811 811番さんへ。
本当に800レスを超えてしまうとは・・・。
ところで、1000レスまで行く事は珍しい事なのかな?
813806:02/05/18 01:11
>ごめんなさいね。『806』と書いて頂ければ返事は止めておきますよ
だからこのスレをおまえの私物化するなよ。
てかおまえのレスなんていらねーし(藁

『ここは【学問・文系】の日本史板です。』という文が見えなかったか?
厨房はさっさと三戦板へ逝ってよし。
向こうにはおまえの友達も沢山いるから、厨房同士馴れ合ってろ。
814日本@名無史さん:02/05/18 01:15
なんか806って自分の意見に固執して学級会とかでひとり頑張るタイプだな(ワラ
815俺もROM:02/05/18 01:18
>>806
みっともないぞ
確かに内容的には三戦版に近いけど
久々の良スレだ、荒らすのはやめとけ
俺は楽しんで ROM してるぞ
816806:02/05/18 01:26
>>815
荒らすってか、>>806の何処が荒らしだ?
質問に普通に答えたのに、バカなレスしたから腹立ててるんだ。
>>812はただ自分の思いとおりにスレをすすめたいだけなのが見え見え。
発言内容をよく吟味してから発言してな。
817日本@名無史さん:02/05/18 01:32
> >>812はただ自分の思いとおりにスレをすすめたいだけなのが見え見え。

それは自分もだろ?
このスレが気に入らなければ見るのをやめるなり、その都度訂正をしてやればいいんじゃないの?
818806:02/05/18 01:40
てか訂正してあげた結果のレスが>>813だよ?
斯波と大崎の話が途中なのに結論も出ないまま、勝手に次に進んでるし。
ここは勉強する場所だって彼も自分で言っているのに。
819月と星より ◆xQ5494pE :02/05/18 01:43
え〜と、今、読みました。(817レスまでですが。)
ま、人それぞれという事で良いのではないでしょうか。
100人が100人、みんなが面白いという事も難しいでしょうし、
そんな力が私にあるとも思いません。
でも、そうなるような力をつけるためにも前に進んでいきますよ。
820806:02/05/18 01:48
前に進みたかったら、人の意見に耳を傾けられるよう努力しろ。
それが嫌なら荷物をまとめて三戦板へ逝け。
821五十騎組:02/05/18 02:18
あり雰囲気変わってる
>>820
806みたいなレスは出てきにくいし、出てきても相手出来るレベルの人はこのスレに居ないよ。
ディフォルト引き上げスレという解釈で流してはもらえんかね。
無理にでも結論出して進めないと全国網羅できんし・・・

それももうじき終わるんで、突っ込んだ話はパート2スレでも立ててそれからでいいんでないの?
あなた詳しそうなんで議論じゃなくて講義きぼん
822月と星より ◆xQ5494pE :02/05/18 02:25
時間になりましたので、締め切りますね。
結果発表。
小野寺家の二代目は、小野寺義道という事でお願いしますね。
次回のテーマ、戸沢盛安で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
もともとは雫石の出である戸沢家。
もうずいぶん前ですが、飛行機事故があった事で有名な所。
一回だけ、小岩井農場へ行くついでに、
ちょっとだけ寄ってみた事があります。長閑な町。
823藤原三位卿:02/05/18 06:50
二日間目を離したら2chらしくなってしまってますね
>>806
斯波家総領は三管領筆頭の尾張斯波家ですよ
それくらいは、あなたの言うここの厨房住人でさえも常識です
奥州に限っても、他姓の大崎を名乗っているのに斯波姓の嫡流は
無茶に思えますが

上から読んでくると判ると思うけど
>>809
のような書き方はあなただけです
いやなら近寄らないほうがいいですよ
よその家に上がり込んで、家具や間取りにけちをつけてるようなものです
824(o´∀`):02/05/18 08:55
小野寺昭だろうな
825806:02/05/18 19:03
あきらかな間違いで反論されたままでは俺の沽券に関わる。
>>823の誤りを指摘して消えるとしようか。

>>823
文脈読めば理解できると思うが、ここで話題に登っているのは奥州斯波家だ。
各地に派生した奥州斯波氏(最上、高水寺斯波)の惣領が大崎氏ということだ。
推敲もせずに反論するようでは、自分が厨房住人だと証明するようなものだぞ。

>他姓の大崎を名乗っているのに斯波姓の嫡流は無茶に思えますが
大崎氏が斯波の苗字を捨てたと思っているのか?
美濃守護土岐氏を例に出せば、伊勢守護を継いだ嫡流家は世保氏、美濃守護
を継いだ惣領家(土岐頼芸の家系)は池田氏と名乗っている。
言うまでもないが、両家とも土岐姓を捨てた訳ではない。

何をもって無茶と言っているのか、到底理解しがたい。
逆に大崎氏が斯波氏の惣領ではないなら、大崎氏が奥州探題を世襲した
理由が説明できないだろう。幕府から奥州探題に任命されたのは斯波氏。
斯波氏から大崎氏に探題職が譲渡されたとでも言うのか?
826日本@名無史さん:02/05/18 21:10
「奥州の斯波家」っていうくくりで総領とかいってもねえ…
斯波は斯波なんだから総領家は尾張斯波家でしょ。
奥州に限定した上で「一番本流に近いのは?」という話なら確かに大崎氏がそれにあたるんだろうが。
827藤原三位卿:02/05/19 00:13
>>825
消えなくてもいいよ
ここは排他的なとこじゃない

総領、嫡流の話でしょ
この辺の分類ができてないんじゃない
斯波家総領といわれて奥州に居る斯波氏を指名されても??でしょ
奥州の斯波氏に惣領を求めるのも??でしょ
現に二系統(志和御所系と大崎系)あるのに惣領は無いでしょ
もう一つは、奥州斯波家の嫡流という話でしょ
嫡流、庶流を語るのに系図に寄らずに、役職によって語って
何の意味があるの(805では探題だから嫡流といってるよ)
私が言いたいのは、志和御所に本姓斯波をそのまま名乗る家がある
大崎も本姓は斯波であるが、大崎を姓にしている
つまり二系統の斯波氏があるので
奥州斯波氏といえば、上の志和御所の斯波氏をさすのではないか
大崎は別に、奥州探題大崎家として考えるべきではないか
ということ
一緒にするなら、広沢、天童、黒川、中野、大久保、楯岡
等、中小の庶家はともかく、最上家までも斯波家で括られてしまうのでは

一番の問題は
>>809
の書き方です
上から読めば判ります、ここがどんなところか
失礼ですが、月星さんの決定は無視しても差し支えありません
斯波家から小野寺家へ移行したからといって斯波家の話題を禁止してません
かえって825のような建設的話題は歓迎されます
しかし809のようにいきなり罵倒するような書き込みは必要とされません
828日本@名無史さん:02/05/19 00:31
藤原さんの仰ること、もっともと思います。
非常にもうしわけないんですけど、藤原さん、句読点つけて下さると嬉しいです。
というか、文末に「。」があれば、もっと読みやすいので。

すみません。無視してくださっても構いません・・・
829月と星より ◆xQ5494pE :02/05/19 01:01
今回は、2時10分頃に締め切りますね。

>>823 藤原三位卿さんへ。
『三管領』という言葉がありますが、
細川家が11人、畠山家が4人、斯波家が4人とバランスが悪いですね。
細川家は細川政元以降、管領職を事実上世襲しています。
この原因は、畠山家と斯波家が家督争いで力を失ってしまったせいなのかな?
他にも理由はありそうですが。
細川家もこれ以降は一族同士の争いのため没落。
権力の魅力って怖いですね。

>>824 824番さんへ。
こうして考えますと、戦国大名と同じ苗字の有名人って少ないのですね。
北条という苗字の有名人っているのかな?

>>826 826番さんへ。
斯波家の総領ですか。
権威と実力が向上するのなら他家を継いだりしてしまいそう〜。
斯波家総領の誇り、あるのかな?
もし私なら、あっさり他家に行きそう〜。(夢の三食昼寝つきを希望。)
830月と星より ◆xQ5494pE :02/05/19 01:31
>>827 藤原三位卿さんへ。
『月星さんの決定は無視しても差し支えがありません。』
そりゃそうですよ。何だか、笑えます。
831月と星より ◆xQ5494pE :02/05/19 02:31
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
戸沢家の二代目は、戸沢盛安という事でお願いしますね。
次回のテーマ、安東家の二代目は安東実季で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。

今までやっていまして、この戸沢家が一番悩んでいたのかなと思います。
今までの二代目の決め方は、初代を先に決めていました。
この方法ですと、初代が戸沢盛重という事になります。
ですが、何もしていない様な気がします。
その前の戸沢道盛も何もしていないかな?今更ながら、本当に困りました。
でも、誰も意見しなかったので、何だか運が良いのか悪いのか?
ところで、戸沢三兄弟(なのかな?)。
聞いた話では、みなさん早くに亡くなられたとか?
戦国時代、よく生き残れましたね。戸沢家、天晴れ。
832806:02/05/19 03:05
言葉遣いの非は認める。

>>827
尾張斯波家と奥州斯波家は別家として考えていると言った筈だが。
言っている意味は分かるだろう?あと大崎氏は斯波氏であるという前提の元で
大崎姓を名乗っていることは分かっているよな?
それならば、斯波氏と大崎氏を分けて考えること自体が矛盾する。
よって最上氏を斯波氏としてみるべきなのは当然の話。
奥州一円を支配する斯波一族を区別する為に、大崎、最上姓を名乗っている訳だからな。
奥州斯波氏という大きな駕籠の中に大崎、最上、その他斯波庶流がいる物として考えて欲しい。
少なくとも俺はそういう前提で話をしているし、そうでなければ惣領などという話は出てこない。
守護大名家のシステムを理解してくれれば、こんな話で手間取ることもないのだが。

あと何度も言うが、惣領及び嫡流はその一族を束ねる氏長者。
奥州斯波氏に与えられる職である奥州探題を世襲する大崎氏を語るのに
系図だけでは語る意味もあるまい。系図のみで言うなら、源氏の嫡流は
中国四国の片田舎の小豪族ということになる。

あと姓をそのまま名乗っているから嫡流かと言えばそうではない。
たとえば小笠原氏の元の姓は信濃源氏加賀美氏。加賀美氏の庶流が甲斐の国人として
残り、終生加賀美姓を名乗っていたが、誰もこれを信濃源氏嫡流とは呼ばないだろうし、
小笠原長清の子孫が信濃源氏の惣領家であることは疑わないだろう。
斯波氏と大崎氏の関係もこれと大差はない。嫡流、惣領は力関係によって決まるもの。
系図だけを見ていては何の意味ももたらさない。

とりあえず何度も言うが、間違った指摘をされたままでは去るに去れない。
>>826のような認識で俺を見られては困る。
反論無ければもう来ない。
833日本@名無史さん:02/05/19 11:45
捨て台詞を吐く奴ほど何度も戻ってくるんだよな(ワラ

奥州系斯波氏と尾張斯波氏を全く別の家として考えるというのもわかる
(伊勢北畠と浪岡御所なんかもそうだが)
だが、それでいくと大崎は大崎、最上は最上で別の家でしょ。なぜ奥州というあいまいなくくりで見るのか。
自説にこだわって自分の土俵に引っ張り込もうとしてるようにしか見えないんだが。


あと、826は別に君なんかを見てるわけじゃないと思うぞ(ワラ

834外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/19 14:36
806さんへ。
このスレに関しては月星さんが勝手に(ここ大事)戦国大名だと思っている家を
上げて更に月星さんとして勝手に(ここも大事)二代目を決めるスレだと思うのですよ。
で、ここ来る人は勝手題材のネタに自分の意見を言い合ってるわけです。

今回の件に関しては、個人的には奥州の斯波氏なんぞは戦国大名だと思ってないから
意見もしなかったわけです。そういう意味では806さんの意見は言葉遣いさえ喧嘩
越しじゃなかったらいつもの一つの意見として普通に扱われていた気がします。

個人的意見として奥州の斯波氏と大崎氏のどちらが惣領・嫡流かと言われたら806
さんの意見に賛成です(奥州斯波氏の場合)。
奥州探題を任命されたのは斯波家兼(大崎家)で、その前から奥州にいたのが高水寺斯
波家(志和御所)で、その時点で二家の斯波家が存在しているのですよね。前者が大崎
に改姓して戦国大名化していったのに対して、後者が細々と戦国期まで残った故に、
別々の家が同視されているのを指摘したかっただけのような気がします(806さん、
まちがってたらゴメン)。
奥州の斯波氏は大崎氏(系)と高水寺斯波氏の二系統が合って大崎の方が有名だったって
感じでしょうか(上杉家(扇谷・山内・犬懸)の惣領はどれとか話題にはあまりならないで
すよね)。
835月と星より ◆xQ5494pE :02/05/19 17:12
>>835 外郎屋さんへ。
ははは。勝手に決めていますよ〜。
という訳で、安東水軍というものを以前聞いた時、
その頃の私はまだ東北地方の事を全く知らなかったので、
つい、『こんな所にも歴史があるのですか。』と失言してしまい、
相手の方を大変怒らせてしまった事があります。(いつもは穏やかな人です。)
それからは、どんな所にも歴史はあり、
教科書に記載されていないから、歴史が無いという訳ではないと、
考えるようになりました。
十三湖にも行ってきました。橋も渡ってきましたよ。
あれから月日が経ちましたが、まだまだ謎が多い安東家です。
836月と星より ◆xQ5494pE :02/05/19 19:21
お知らせ。
もう皆さんもご存知の通り、次回が津軽家です。
その後の事なのですが、徳川家と織田家の二家をやって終わりと考えています。
豊臣家や明智家、または他の戦国大名はどうします?
また、もう決まってしまっているけれど、
もう一度決め直したい戦国大名はありますか?(アタックチャンス!)
あと150レスありますから聞いてみました。
何かありましたらお知らせ下さいね。

今回は、0時15分頃に締め切ります。また後ほど。
837(o´∀`):02/05/19 19:35
共有ですな〜♪

ははは〜っ。
838藤原三位卿:02/05/19 19:59
そういわずにしばらく付き合いなさいな
今川のときに、何で今川を名乗るのが一家なのか
織田は数家が名乗っているのに、この違いはなに?
というのがあったので、そのときに書こうかなっと思っていて
タイミングを失したので今回が良い機会です
煩いと言わずに、読んでください
大崎家と斯波家を別として考えるバックボーンです
(っていうほどの内容じゃないけど)
839藤原三位卿:02/05/19 20:00
惣領制
徳川幕府が幕藩体制であるのに対し、鎌倉室町の両幕府は
御家人、惣領制による統治を行っています
惣領制の根幹は関東地方で多く見られる党による支配体制の
拡大型と考えてよいのではないかと考えます(私は)
将軍(幕府)は惣領(御家人)との間に奉公(軍役、公事等)と
御恩(本領安堵、新恩給付等)に因る契約関係を結びます
惣領(宗家)は庶子(分家)との間にも同じような契約を結び
この庶子(分家)も庶々子との間にも同様の契約を結ぶという
ツリー状の組織による統治です

惣領
一族、一門を束ねる宗家の長で
戦の際には、武士団の長となり、平時には、政庁の長となる
別に、一族一門が持つ所領、官位、官職などの物理的なものを
表わすこともある
840藤原三位卿:02/05/19 20:01
惣領の継承
古くは(平安中期から鎌倉初期ごろまで)「均分法」と呼ばれ
男子女子を問わず分割相続するのが原則でした
その諸子の内、器量に優れたものを一人選んで次世代の惣領と
定め(長子とは限らない)、他の子(庶子、または女子(にょうし))
よりも多くを与えられていました
しかしこの方法ですと、代が進むにしたがって分割贈与する所領
が不足するようになり、組織の弱小化、多分化、矮小化により
システムとして行き詰ってきます
(一期分といって、一代限りの支配のみ許される(女子に多い)
方法もとられていました)
このような体制が西日本で多く見られる一揆の体制かなと思います(私は)
このような組織の弱小化、領地の矮小化に対して、一子惣伝
による体制強化が一般的に成ってきます
841藤原三位卿:02/05/19 20:02
鎌倉末期から室町中期ごろの惣領制
惣領は、正嫡の長子(正妻の長男)と言うことに、システム化されてきます
是は、能力よりも安定を志向した結果かと思われます(私は)
江戸時代にも長子相続が基本になってますが、是も平和な時期で
能力よりも安定を求めてでしょう
惣領は主に次の三つを継承します
@所領、官位、官職などの財産
  官位、官職は朝廷や幕府に対して、継承手続きを取って(金を払って買う)
ということもしていましたが、通常は継承できていたようです
A先祖の祭祀権
  氏の神を祭るものが、氏の長者(うじのちょうじゃ)とされていました(氏姓制度では)
B氏姓(うじかばね)の継承
  基本的に氏姓を継承できるのは惣領一人で、他の庶子は新たに姓を起こし
  新たな氏を作ります
  例の今川家をはじめ、大友家、毛利家、越後上杉(長尾家)・・・・などはこの
  ルールに則った物だったのでしょう
  戦国時代以降になると惣領制の崩壊が進み、この例に合致しないことも多く
  発生してます
  織田家の様に同姓の乱立する家は、この惣領制が崩壊しているのでしょう
  (他の面でも惣領制が崩壊してますね)
  そのほか、戦乱による氏姓断絶を避けるため、同姓庶家を残すという事もあったようですし
  同姓による団結の強化という思惑(北条家など)もあったのかなと思います(私は)
  その氏姓が特別な意味を持つ場合(源平藤橘)など
  一様に語れないのも事実です
842藤原三位卿:02/05/19 20:03
惣領の継承は、長子によるのは上で述べましたが、庶子も所領を継承することが多く
行われています
しかしその惣領(物理的な意味での)は、庶子家の惣領であると共に
宗家(本家)の惣領の一部でもあります

戦国期の惣領制
(戦乱の時代)戦国時代になった原因は、斯波家の家督継承に端を発する
応仁の乱によって幕府の権威が失墜したことですが
一方、惣領制の行き詰まりが内因として考えられます
つまり庶子家へ相続させる所領が不足してきた事により
新たな所領を外に求め始めたということ
戦乱に対する恩賞としての所領を確保できない惣領に対する不満が
下克上の一要因となったこと、等です
惣領制の実態は、地域やそれぞれの家によってかなりの差が感じられます
大友家や今川家の場合は、守護制度も惣領制度も継承したうえで
、戦国大名化して相当な勢力を築き得た例と思います
毛利家の場合はもう一段古い、一揆の体制
(一揆の象徴である唐傘連判状が有名です)
を保って江戸時代を迎えた稀有な例でしょう
多くの場合は、惣領制を残しながらも、一部新しい方向性を
模索しているように見えます(私は)
この中でも、織田家の場合は、惣領制が完全に崩壊している中から
新しい支配体制を築いた例と思います

この後
織田家、豊臣家、徳川家と政権の移行に伴い、幕藩体制が完成してゆきます
843月と星より ◆xQ5494pE :02/05/19 22:17
藤原三位卿さんへ。
>>839の事は、支配体制の確認と同じという事ですね。

>>840の事は、『たわけ』ですね。
中国地方の国人勢力はそんな感じがします。大勢力が少ないかな?
山名家、細川家、大内家、赤松家などの守護大名は、
守護代に任せておけば支配し易かったのかも。(九州と四国は分かりません。)
逆に中部地方や関東地方は守護大名が確りしていないといけなかったのかな。
斯波家と土岐家は西国の守護大名と同じ様に統治してしまったため、
失敗をしているのかもしれませんね。下剋上と感じる事が一番できます。

>>841の事は、惣領制も下剋上という事ですね。
平和な時代でしたら、別に有能な人が惣領を継がなくてもいいですものね。
あ、何だか、ここのテーマの戦国大名二代目と関わりがありそうな話。
しかし、氏姓の継承の事、北条家は一族の団結ですか。
最近の私の心の中の北条家はえらい事になっていますよ。(変わり者。)

>>842の事は、惣領制の崩壊の事ですね。
戦国時代は教科書だけで考えますと、
室町幕府の足利家の権威失墜が大きな原因という事になりますが、
もっと根底の所から考えますと、
政治や惣領制、農民、宗教、文化などなどの旧体制を崩壊させて、
新しい時代を見つけようとした行動が、戦国時代になるという事ですね。
力有るモノ天下を制す。
844806:02/05/19 22:38
>>833
煽りは無視して指摘のみ行う。
>なぜ奥州というあいまいなくくりで見るのか。
斯波氏、最上氏など奥州の斯波一族は全て斯波家兼という人物から派生した家。
のみならず斯波氏累代職の奥州、羽州探題職を世襲していることから立派な斯波一族だ。
奥州での俯瞰を曖昧と感じるのは、はっきり言えばおまえの認識不足だ。
誤解を招く恐れもあるが、近江の佐々木一族のようなものだと考えろ。
この例えが理解できないレベルならこれ以上言っても無駄でしかない。

>>834
高水寺斯波氏については、大崎斯波氏からの分家であるという説やまったくの
別家であるという説などがある。この話が揉めているのはただ単にそれが原因では
ないかという気がしないでもない。仮にまったくの別家であるというというならば、
大崎氏と高水寺斯波氏を同一視できないのも理解できる。

あと、これも重要なことだが、別に大崎氏は改まって改姓した訳ではなく、
基本的には斯波氏のままであるということ。これは最上も同じだが。
奥州畠山氏が二本松姓で呼ばれていることと同じだと考えて欲しい。
大崎斯波氏と呼ばれているうちに、大崎氏として定着したということ。

>>838
>>839-842はこのスレの初心者向けのレスだと思うが、これが何故バックボーン
につながるのかまるで分からないが。というより、君からは奥州斯波氏について何一つ
具体的な発言が聞かれないので、多分抽象的な考えの元に語っているのだと思う。
>>835で疑問の一端は解けたし、もう君にも用はないのでこれで消える。
しつこいと言われるのももう嫌なのでな(藁
845月と星より ◆xQ5494pE :02/05/19 23:01
あと、もう少しでで終わりますが、
戦国大名について質問します。(答えは誰が書くのでしょう?)
前にも書きましたが本当の戦国大名って少ないのかな〜と考えています。
でも、みなさんはどこまでが戦国大名と考えています?
根拠の無い答えもいいですよ。
846藤原三位卿:02/05/20 00:15
実は、今川家のときに下書きしてたのを、カットして揚げました
惣領というと、所領や官位官職のような物理的なものだけを継承すると思っ
ている人が多いようなので、違うよ、家名や先祖等の精神的なものも継承す
るんだよ、ということを書こうとしたんですが
消えちゃいますか、惣領を勘違いしたまま

今川家や大友家のように宗家のみが家名を名乗り、庶家が姓を変えるのは
一子惣伝のルールで、宗家のみが家名も継承できたからなのです
複数の家が宗家と同じ姓を名乗っている織田家の様なところは、惣領のシステム
が崩壊していると考えた方がいいかな

斯波氏と大崎氏の件を考えるとき、806さんの書いてることも理解できます
奥州の斯波姓を考えるとき、最大の勢力と権威を持っている「源姓斯波流大崎氏」
が本筋(?)だという考え方と思います
この考え方自体は正しいのでしょうが、惣領と言う意味では正しくないのでは
大崎の姓を名乗ったという事は、斯波の姓を継承していないということで
当然、斯波氏の惣領も継承していないと考えた方が自然です
逆に、奥州探題大崎家の惣領(物理的な意味での)が新たにでき、是を継承して
行ったと考えた方がいいかと思います
つまり、奥州斯波氏の惣領じゃなくて、奥州探題大崎家の、財産(所領、
官位官職)、家名(斯波姓大崎家)、大崎家の氏の神という三つをあわせた
大崎家の惣領と成るかと思います
斯波姓は別に、志和御所に本家尾張斯波氏が本姓斯波氏を分家させています
こちらの方が、斯波の家名と先祖それと、奥州大将の官職を継承した、奥州
斯波氏の惣領家と思います

後に大崎家より高水寺斯波氏が派生していますが、もしかすると本家尾張斯波家
の嫡流が絶えて養子を入れることがあります
例の、応仁の乱の原因となった件です
これ(嫡流が絶えること)に対して、奥州斯波氏の最大勢力であり、斯波氏
本流を自負する大崎家が、斯波氏本願領地である高水寺に斯波の姓を復活し
たのかな?と電波を飛ばしてみます
(この辺の事情に詳しくないですし、時代考証もできないので電波の可能性
大ですが)

信濃源氏小笠原家の件ですが、信濃源氏の惣領というものが存在したのか
物証を持たないので、なんともいえませんが、となりの甲斐武田氏の場合は
甲斐源氏の棟梁という言い方をして、惣領は源姓武田氏惣領という言い方をします
847藤原三位卿:02/05/20 00:25
>>844
改姓していないのであれば、確かに上の書き込みは正確ではないことに成ります
そのあたりの事情に詳しくないので失礼しました
確かに一般論からの類推です

ところで
本家、尾張斯波家から派生した志和御所の斯波家はどういう位置づけなのでしょう
848外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/20 00:41
月星さん

>>836
織田系の大名で豊臣・徳川政権を生き残った大名はやってもいいかなと思います
(前田、丹羽、池田等…でもこれは又別のネタかな。織田・豊臣系の大名で徳川政権
に生き残った大名達か?…安易な…)。
再度ネタなら意見のあまりなかった結城・北条・佐竹当たりかな。他の人の意見が
聞きたい。やってないのなら小笠原や諏訪当たりかな。

>>843
戦国時代の起因は、鎌倉幕府崩壊〜南北朝統一に至る期間までに日本人がかってない
ほど人の移動があった時期だと思います(南北朝騒乱期の各軍の移動を考えて下さい)。
各々の文化等が対立、融合を得て変革の時期が丁度応仁の乱以降などではないのでしょ
うか(これは私的な考え)?

藤原三位卿(>>838)
本家と分家で(こう書くと生々しいな)姓が違うのは806さんの指摘の通り在の名(領地)
が通称から姓になったのではないでしょうか。本家と姓が同じなのはまだ領地を持てな
い者か家督予備軍なのでしょう(南北朝ネタになってしまうけど足利尊氏&直義と新田義
貞&脇屋義助がいい例かな)。分家したことで本家との格差を明確にするためにも姓を変
える必要もありですね。
戦国期になって今川や大友等は本家が権威と武威を持っていたためその関係が継承されて
いきますが、本家と分家の立場が逆転した場合本家の権威を分家が利用するために本来の
姓を名乗る理由かなと考えられます(806の指摘で大崎の斯波氏ということで、少し考え直
さねばなりませんが…)。分家と本家が同じ位だと島津や織田(守護代だけど)のように同姓
のまま優位を競う傾向があるのかもしれません。

惣領と庶家のネタなら、神奈川の松田町の住所に松田惣領と松田庶家というのがあって、
すごいな〜と思ったことがあります。

806さん(>>834)。
つまり当方が上げた例なら、山内上杉や扇谷上杉が山内氏や扇谷氏と呼ばれるということ
ですね。でこの両家のどっちが惣領家かと言われると…全くの別家だよな。斯波氏ネタで
こっちの指摘してる点はソコです(高水寺斯波氏の系図がハッキリしてないのも指摘通り)
849月と星より ◆xQ5494pE :02/05/20 08:38
今、起きました。
とにかく、結果発表します。
安東家の二代目は安東実季という事でお願いします。
次回のテーマ、津軽家の二代目は津軽信牧で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
あとは、また書きますね。
850日本@名無史さん:02/05/20 15:59
斯波氏ですが、そもそもなぜ奥州斯波氏という括りにこだわるのでしょう。
奥州斯波氏とは便宜的、相対的な呼称であり、本来説明無しに使うべきではないと思います。

大崎氏とは、奥州探題を継承する斯波一族ではあるといえますが、
奥州斯波氏総領なるものとして捉えるべきではないと思います。

また、本来の戦国大名という括りにすると、
大崎氏は境界線上、高水寺斯波御所については、含まれないという認識だと思います。
しかも、ここでは戦国大名の定義が曖昧で、ゲームからの代数で二代目を決めているようです。
ですから、このスレはれはシュミレーションゲームでの分け方に基づいていると単純に考え、
楽しむべきでしょう。


851日本@名無史さん:02/05/20 16:04
黒田さんの戦国はよかったな・・・

戦国史 ちょっとやってみたけど無料だけどけっこうすごいよ

http://www.max.hi-ho.ne.jp/asaka/

有志によるシナリオ集

http://isweb43.infoseek.co.jp/computer/mimimizu/

http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1018720298/l50
852日本@名無史さん:02/05/20 17:31
戦国大名の要件1:国人衆の被官化
853月と星より ◆xQ5494pE :02/05/20 21:35
>>846 藤原三位卿さんへ。
同じ斯波家の家臣なのに朝倉家と織田家、随分違いがありますね。
これは応仁の乱の際、織田家が東軍と西軍に分かれて対立している事も、
関係有るのでしょうね。
(織田家の惣領制は最初から崩壊していたと考えて、あまり問題は無いかな。)
そして朝倉家の方は早い時期に主家の斯波家を追い出すことに成功しています。
スタートの状況がかなり違いますね。
(朝倉家も決して順風満帆という訳では無さそうですが。)

>>848 外郎屋さんへ。
@織豊大名の事は誰かに任せます。
 まともに取り上げますとこの戦国大名二代目以上になりますよね。
A北条家、結城家、佐竹家と気持ちは分かりますが、
 やはり弱小勢力では意見があまり出そうも無いかな。(北条家は強国です。)
B小笠原家や村上家、諏訪家ですか。
 二代目は誰になるのかが・・・。私の知識では限界を越えていますね。

では、AとBの意見をまとめて、津軽家が終わりましたら
(1)今までの検証。
(2)新たに戦国大名を追加。
これをテーマ(?)にやってみますね。
『私は、○○家の二代目はこの人しか考えられない!』と、
意見を投げかけて頂くという形で『1日だけ』進めてみます。
  やり方は、
  『私が考える○○家の二代目は、△△□□です。
  賛成意見だけ書いてね。』
  という様な感じで。
  軽い気持ちで書き込んで頂けるとありがたいです。
  でも、結論は自分自身で決めてくださいね。
  『私が思う二代目は××某という事で決まりだね☆』とか、
  『なるほど、××某の方がいいかも♪』という様な感じで。
私は必ず意見を書きます。絶対無視しません。難しくなければですが・・・。
(あ、私の意見なんか要らないという人はできれば書いておいて下さいね。)
0時00分頃に始まるという事でお願いしますね。

と、書いてはみたもののどうかな〜?
854月と星より ◆xQ5494pE :02/05/20 22:13
>>850 850番さんへ。
はい。曖昧ですよ〜。
しかも私自身が大崎家も斯波家も共に戦国大名とはあまり考えてはいません。
(こんな事を書いてしまうと怒られてしまいそう。)

ま〜、惣領制の定義は今まで書かれている事で良いかなと考えています。
藤原三位卿さんほど詳しくは無いですが。
ただこの制度も仲間内の話だけで、
大崎家も斯波家も最上家も別家意識ですよね。(多分。)
そういう意味では、私的に惣領制の事はそれほど重要ではないですね。
でも、今川家や織田家といった一族内の事は勉強になりましたよ。
(私としてはこちらの方が重要。)

ところで、不思議な事に宇都宮家だけが、かなり怪しい行動をとっています。
豊前から下野まで出かけて宗家の家督継承の調停をしているんですよね。
宇都宮家の事を調べますといつも『何でなの?』と思いますよ。(変わった人。)
855月と星より ◆xQ5494pE :02/05/20 22:32
長文が続いてしまいてごめんなさい。

>>851 851番さんへ。
行ってみました。でも、分かりませんでした。ははは。
よく読んではいませんから、根気よく読めば何とかなるのかな?
諦めずに何とかやってみますね。

>>852 852番さんへ。
国人衆の被官化という点で考えますとやはり弱小勢力では難しいですね。
あ、六角家や斎藤家の戦国大名家としての地位が危うい。
両家共に勢力が後退していましたから仕方が無いという事でいいですか?
戦国大名の要件2は有りますの?
856月と星より ◆xQ5494pE :02/05/20 22:40
あ、忘れていました。
今回は、2時00分頃に締め切りますね。
857月と星より ◆xQ5494pE :02/05/21 00:01
では、0時00分になりましたので始めますね。
書いてくれる人いるのかな?
津軽家の方は、まだ締め切っていませんが、
こちらも書き込みいいですよ〜。
858月と星より ◆xQ5494pE :02/05/21 02:18
時間になりましたので、締め切ります。(津軽家の方です。)
結果発表。
津軽家の二代目は、津軽信牧という事でお願いしますね。
で、今回は0時00分から、
上に書きました事(>>853)をやっていますのでお願いしますね。
予想はしていましたが・・・。ま、気長に進めていきます。

あ、忘れるところでした。
あと残っている戦国大名は、徳川家と織田家の二家を予定しています。
それで終わりと考えています。いいのかな?
859日本@名無史さん:02/05/21 11:55
戦国大名の要件2:幕府体制への抵抗
860藤原三位卿:02/05/21 15:45
上で厨房な電波を書いちゃったから、ついでにもうちょっと書いときます
せっかくここのメンバー??に成っていたんですから
最後に(まだ最後じゃないけど)お礼がてら
知ってる人は読み飛ばしてください
知らない人は、電波に注意して(内容を信じすぎないように)読んでください
厨房な内容には対しては「失礼」
こちら素人です
専門的にみると間違いもあると思うので、そのときは指摘してください
861藤原三位卿:02/05/21 15:46
党と一揆について
組織の形態に、党と一揆があるというのは、上でちょっと書いてますが
党は関東地方を中心に東日本で多く見られ
一揆は西日本に多く見られます
もちろん例外も多数存在しますが
糸魚川、木曽川ラインで分布分けができるようです
党の概念は、惣領を頂点に一族、一門、家人といったように
ツリー上の構造をとり、かなり強力な支配体制をとります
武蔵七党、秩父党、三浦党・・・等が有名です
鎌倉幕府、室町幕府共に関東を出身地としているため、関東の武士たちが
守護、御家人として全国に展開して行き、全国的に広がり一般的に成りました

一方の一揆の方ですが、国人一揆、一向一揆、百姓一揆等、反乱の別称のように
思われがちですが、本来は党に対比する、西日本に多い統治形態の名称です
守護や守護代のような御家人たちが関東出身のため、党の形態に近い惣領制が
全国的に公式なものになり、一揆はその蔭に隠れるようになっていきました
一般的には、一揆から党は進化して行ったように見られがちですが
一揆の体質自体は潜在的に残っていたようで、島津氏や安芸武田氏のように
国内の統治に非常に苦労している例もありますし
逆にうまく利用して急速に力をつけた大内氏、大友氏、竜造寺氏のような存在もあります
862藤原三位卿:02/05/21 15:47
一揆について
地域、時代によってその姿は変わってゆきますが一般的な姿を書いておきます
党と同じように惣領(棟梁)を置きますが、党ほどの権力は集中せず
各構成要素(惣村など)は、其々がかなり独立した状態で存在していたようです
現実には、上下関係は存在していたのでしょうが
公的には対等の関係が基本だったようです
棟梁の世襲も見られますが、基本的にはケースバイケースで
最大の実力者を棟梁に据えることが多かったようです
毛利家と安芸国人一揆の関係を見れば、唐傘連判状が示すように
表面的な地位は対等なものとなっています
毛利家が元就、隆元、輝元と棟梁の地位を世襲できたのは、単に世襲したと考えるより
毛利家の国力(軍事、政治)が他よりも強力であったからと考えた方が良いと思います
大友氏以前に豊後で強力な地圃を築いていた大神(おおみわ、おおが)氏の場合は
平氏を九州から追悼したときの棟梁は緒方氏が、下向してきた大友勢力と干戈を交えた際の
棟梁は大野氏が、大友傘下に組み込まれた後は、佐伯氏や今話題の阿南(あなみ)氏等が
棟梁を勤めていて、そのとき一番の勢力と人望を持ったものが棟梁を務めていたようです
組織自体も、一族、一門による組織のようにかなり強い結びつきを持ったものがある反面
国人一揆のようにケースバイケースで組織の組み換えを行っていることも多かったようですし
臨時編成的な組織もあったようです

863藤原三位卿:02/05/21 15:48
一揆についてU
一揆について、理解してもらうのに例を挙げてと考えていましたが、長くなりそうですし
一般的でなくなるので、概念的に一番理解してもらえる例を挙げておきます
八百万の神(やおよろずのかみ)ならご存知と思いますが、一揆の基本は多分に
多神教的考え方だと考えていいのではないかと思います
八百万の神の長、「天照皇大神」は居ますが、必ずしも絶対的な存在ではなく
たとえば戦には「八幡神」、武芸には「鹿島、香取の両神」のような使い分けをしていますし
一つの神社に二柱、三柱の神様を祭ることも多く行われていて
「天照皇大神」が絶対的な存在とはされていません
(神話の基本は、西日本から勢力を拡大した大和朝廷によるものです)
日本の文化が糸魚川、木曽川ラインで二分できること、一揆と党もこのラインで大まかに分類できることは
上で少し書きましたが、これも文化の違いと根幹は同じものと思います
つまり、縄文文化と弥生文化、蝦夷系と朝廷系ということでしょうか(別の話なので是くらいに)
西日本には、潜在的にこのような体質が存在していたということと思います
864藤原三位卿:02/05/21 15:49
一揆についてV
ここから先は、さらに私の電波が強くなりますが、あしからず
(読み飛ばしていただいて可、特に)
先日来話題になった「奥州探題」「羽州探題」他「関東管領職」などの東日本では幕府の組織が
しっかり機能しているのに対し、九州探題は「渋川〜今川」と何度も変わっている上に
大きな発言力も持ちえませんでした
というより、誰も取り合いませんでした
唯一、「今川了俊」は成功を収めますが、九州の地に定着することはありませんでした
また、西日本の多くの地域で、継続的に一国を纏めるような勢力が少ない反面
急速に大きな勢力となる(尼子、竜造寺、島津等)ことも見られます
(大きくなるのも早いですが、ポシャル時も早いですね、結びつきが弱いから)
是も、下地に一揆の体制が有ったからではないかと思います
備(前、中、後)あたりがごちゃごちゃしてるのも、是が原因かな、と思います
865藤原三位卿:02/05/21 15:50
東日本と西日本
別に対抗心を煽る為の書き込みじゃないです
東西を分けた戦になると、組織力の強固な東日本勢が
ほとんどの場合勝利しているようです
たとえば、関が原は二度とも(大友皇子vs大海皇子、豊臣vs徳川)東軍の勝利ですし
はじめ東(伊勢)から勢力を伸ばした平氏も、もっと東の、木曾源氏から追われて
最後の勝者は、さらに東の坂東武者を組織化した清和源氏でした
一方、文化や文明は西日本の方が充実していたようで
西から東に向かう流れの方が顕著です(別の話になるので是くらいに)
是も、強固な組織の「党」と、柔軟な支配の「一揆」が潜在的に
あったからではないかと考えてます
戦国時代にピリオドを打った、織田、豊臣、徳川がちょうどこの境界線上に生まれたことや
関東の地で備中出身の北条氏が独特の勢力、文化を築いたのも、この東西の長所を
うまく融合できたからか、とも思います(電波かな)
866藤原三位卿:02/05/21 15:51
ついでに 一期分(いちごのぶん)について
家督を相続するとき、多くの場合惣領以外の庶家にも所領が分与されていましたが
時代が進むにつれて、分与する財産が少なくなるとともに、其々が小さくなって
勢力の矮小化が発生するようになってきます
そこで考え出されたのが、一期分(いちごのぶん)という相続方法です
一期分とは、一代限り支配を許される相続方法で
基本的には死後返却されるのが原則でした
戦国時代には、かなり多かったのではないかと思われます

例えば
月星家の三男、月星三郎は父より一期分を相続し、一家を持ちます
何事も無ければ、月星三郎の死と共にこの家は消滅しますが
あるとき、宗家、兄月星太郎の下、隣国との合戦に臨み見事に手柄を揚げ
外郎地方に領地を拝領しました
月星三郎は現在の領地である、一期分を返却し、外郎地方の領地に移り
新たに、外郎三郎を名乗り、外郎家を起こして、外郎家の惣領となります
(または、自分の代は、月星を名乗るけれど、子供の代から外郎家を興す)
といったようことが、行われていたようです
(月と星より、外郎屋両氏の友情出演を感謝します)

867外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/21 20:33
藤原三位卿。
まずは見ただけですが、長文おつかれさまです。
(助演賞は頂き!!)
後程じっくり読ませていただきます。
868日本@名無史さん:02/05/21 23:32
でもヤパーリ句読点て重要ですよ。。。
869藤原三位卿:02/05/22 00:21
長文はやはり読む気がうせますね
自分でもそう思う
句読点はだいぶ増やしたつもりなんですが

中国地方の国人が《たわけ》という書き方をしてますが
西日本の方から見ると、まあ、普通ですね
あー、東日本の方から見ると、そう見えるのか
というのが正直な感想です

逆に、西日本から、東日本を見ると
「何で肩書きだけの『関東管領』や『奥州探題』などに
いつまでも、頭を下げてるの」
という感じを持ちます
(多分私だけじゃないと思いますよ)
870月と星より ◆xQ5494pE :02/05/22 01:24
今回は、2時20分頃に締め切りますね。

>>859 859番さんへ。
幕府体制への抵抗という点で考えますと織田信長は分かり易いですね。
でも、信長の場合は『抵抗』という様な可愛らしいものではないですが。
当時の戦国大名は大なり小なり室町幕府の事を軽んじていますよね。
機内に近い地域は、それでも足利家には敬意を払っていますが、
地方の大勢力は独立国の様な存在と化しています。
あ、上杉謙信はどうしよう?幕府に抵抗しているのかな?
ま、あの人は例外ですね。
戦国大名の要件3も有りますの?
871藤原三位卿:02/05/22 02:10
戦国大名の条件って
「独立した勢力である」
の一点かな
朝廷、将軍ってのは別にして
どんなに大きな勢力でも(毛利の両川のように)
どこぞの配下は戦国大名とは呼べないけど
肥前松浦氏の様に独立してがんばっているところは
小さくても戦国大名だと思うよ
実際のところ、ここからどこまでって言う線は引けないけど
872月と星より ◆xQ5494pE :02/05/22 03:23
>>860 藤原三位卿さんへ。
私も素人。でも、専門家ってここにいるのかな?
『専門家=歴史の事で稼いでいる人』の事ね。

>>861の事について。
今まで、党を意識していませんでしたから武蔵七党しか知りません。
戦国時代で有名な党を知りたいところですね。できれば東日本で。
守護、地頭、党、一揆、国人、土豪と色々と存在するので分かり難いです。

>>862 >>863 >>864の事について。
九州は守護大名三家(少弐家、大友家、島津家)が協力して、
九州探題と対立してあたる事ができましたからね。
今川了俊も頑張っていたのですが失脚してしまいましたから・・・。
その後は大内家が介入してしまいますから、
立場的には関東における公方家とちょっと似ているかもしれませんね。

>>865の事について。
この内容は私好みですから同調するだけで終わります。

>>866の事について。
突然ですが、伊勢新九郎(北条早雲)の事が、
ひょっとしますと一期分にあたるのかもしれません。
富士川以東の地を今川家から与えられて興国寺城に封ぜられます。
家督を継承した北条氏綱はこの富士川以東を相続支配していません。
今川家に返還しています。たぶん一期分かな?

『月星』よろしければまた使ってやって下さいね。
873月と星より ◆xQ5494pE :02/05/22 03:38
さて、今回の事(>>853)はこれで締め切ります。
結果発表。
ま、色々あるのではと思いますが、
二代目の事は今まで通りでお願いしますね。

では、ラスト前。
織田家の二代目は、織田信忠で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
874月と星より ◆xQ5494pE :02/05/22 04:46
>>867 外郎屋さんへ。
え、私が主演賞という事に?
照れますね。
でも、ラストシーンに立っているのは外郎屋さんの様な気がします。

>>869 藤原三位卿さんへ。
上杉家(長尾家)も北条家(伊勢家)も大義名分が欲しかったのですよ。
両家共に旧姓で言い合っているくらいですから。
特に北条家は関八州を治めたかったので、名実共に力が欲しかったのでしょう。
でも、北条家が欲しかったのは関東管領だけで、
奥州探題は勿論、将軍の地位もひょっとしましたら要らなかったのかもね。
一方、畿内の戦国大名も足利将軍に敬意を払っています。
中国(大内家や毛利家)や四国(三好家)でも。
北条家の様に利用しようとまでは考えていないかな?

松浦家やりませんでしたね。ははは。
『独立した勢力』という点で考えますと、
経済面が大きく関係ありますね。
知行をもらっていれば家臣。
(織田家で考えますと柴田氏や明智氏や羽柴氏とか。)
本領安堵も独立性を失っています。
(豊臣政権下で考えますと長曾我部家や島津家や伊達家とか。)
この条件でしたら、ここで取り上げました戦国大名は全員合格になりますね。
875日本@名無史さん:02/05/22 11:38
戦国大名の要件3:領地の一円支配
876日本@名無史さん:02/05/22 20:34
織田家の二代目は織田信長でしょう。元々戦国大名としてデビューしたのは信秀なんだし、ってことは最強の二代目は信長さんじゃないですかね?
877外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/22 22:45
あぶない織田政権の二代目だとだまされるとこだった。
それなら信忠だけど、ここのタイトルは戦国大名二代目じゃないか。
ならば有無を言わさず信長でしょう。
878藤原三位卿:02/05/23 00:04
あくまでも私の想像ですが(具体的な証拠を持たない)
伊勢新九郎の場合、今川義忠の正室となっていた妹の相続するはずの
一期分だったのではないかと思います
正室も、一応相続権を持っています、一期分ですが
今川了俊もその後の代が見えないので、一期分だった可能性があります
879藤原三位卿:02/05/23 00:59
ごめん、了俊は遠州堀越氏の始祖だった
880月と星より ◆xQ5494pE :02/05/23 01:59
>>875 875番さんへ。
領地一円の支配という点で考えますと2通り有りますね?
@自分自身が一番の支配者。他家に属さないという事ですね。
A家臣団の統制。人心を掌握するという事ですね。
実力があって戦国大名と言えるという事で。
戦国大名の要件4も有りますの?

>>876 >>877 876番さん&外郎屋さんへ。
もうこの時間ではお休みされているかもしれませんね。
兎に角、書いておきますね。
織田信秀を初代としなかった理由。
尾張の実力者ではありますが、
@斯波家は健在(実力は皆無。)、
A守護代の織田家(岩倉家と清洲家)も健在(こちらは実力があります。)、
織田信秀は斎藤道三とは違って主家を追い出したりはしていませんですし、
逆に、礼節を重んじている行動をとっている様に見えます。
何となく、太田道灌に似ているかなと思ったりもします。
勿論、太田道灌は主家の扇谷上杉家に忠節を尽くしての行動。
他方、織田信秀は自分の実力向上の為の行動。
二人の思惑は全く正反対と思いますが。

あ、でも、こだわっていませんよ。
織田信秀を初代、信長を二代目でも良いかと思います。
もう一日だけ延長して皆さんの様子を見てから決めてみますね。
では、引き続き『織田家の二代目は誰?』をお楽しみ下さい。
結果発表は明日にさせて頂きます。では。
881月と星より ◆xQ5494pE :02/05/23 03:34
>>878 >>879 藤原三位卿さんへ。
そうですか、正室も一期分とか有りなのですね。
実際のところ、どのような経緯が有ったのかは分かりませんが、
関東に戦国北条家が出現する切っ掛けとなる興国寺城への入城。
ここの場面、北条家オタの私には一大イベントですよ。

今川貞世(了俊)の系統は今川家を好きではないと分かり難いと思いますよ。
親切に系図が全部載っているものはあまり無いですからね。

そういえば、今日、5月23日は大友宗麟が亡くなられた日の様な気がします。
違いました?自信は無いですので間違えていましたらごめんなさい。
882日本@名無史さん:02/05/23 04:07
信秀が大名化させた勝幡織田氏の二代目=信長
織田信長家の二代目=信忠

ってのはどう?
883月と星より ◆xQ5494pE :02/05/23 04:20
>>882 882番さんへ。
折衷案、有難う御座います。
私は何でも受けますよ。(私が分かる範囲でですが。)
でも、織田信秀の評判は皆さんに良いですね。
信秀を支持する人って、結構多いのかな?
そんなに有名な人ではないですよね?
884日本@名無史さん:02/05/23 15:31
戦国大名の要件4:・・・・

忘れた・・・
885藤原三位卿:02/05/23 23:50
織田信秀を戦国大名とするのには、ちょっと抵抗がありますね
>>880の@Aとほぼ同意見で、戦国大名と呼ぶには早すぎる、感じ
しかし、信忠の代になると、すでに戦国大名の範疇を超えているような

大友宗麟の命日ですか、知らなかった
違った、命日じゃなくて昇天記念日だったかな??
アーメン
886月と星より ◆xQ5494pE :02/05/24 01:11
今回は、2時20分頃に締め切りますね。
887月と星より ◆xQ5494pE :02/05/24 01:36
>>884 884番さんへ。
そうですか。分かりました。
今まで、ありがとう。

>>885 藤原三位卿さんへ。
『ちょっと抵抗が・・・。』
ははは、ちょっとの気持ち分かります。

織田家、豊臣家、徳川家の三家は他の戦国大名とは別格ですからね。
今までと同じ様に考えますと、ちょっと変かもしれませんね。

宗麟、天に召されるの事。
あれ〜。間違えてしまいました?記憶違いかな?
あ、でも、5月の事ですから、私も、『アーメン』。
888月と星より ◆xQ5494pE :02/05/24 02:33
時間になりましたので、締め切ります。
結果発表。
882番さんの意見(>>882)を取り入れまして、
(小)織田家の二代目は、織田信長という事で、
(大)織田家の二代目は、織田信忠という事でお願いしますね。

『何だ〜、この結果は。』と思われる方もいらっしゃると思いますが、
『お好きな方をお選び下さい。』という事でお願いします。

ではラスト♪
次回のテーマ、徳川家の二代目は徳川秀忠で良いでしょうか?
意見のある方、お待ちしています。
889日本@名無史さん:02/05/24 11:28
天下様としての信長と、
織田家家督としての信忠を切り離して考えるのはどうだろう。
つまり、織田家は天下を治める大御所信長と、
美濃尾張等を治める織田家家督信忠の二重構造だったわけだから。
890日本@名無史さん:02/05/24 15:43
戦国大名として優秀な2代目って言ったら・・
武田信玄じゃないの?
891日本@名無史さん:02/05/24 15:58
>>890信玄も確かに優秀だったけど、戦略上で見れば信長のほうがはるかに上だと思います。
それには二つの理由があります。一つは不便な甲斐の山奥から結局抜け出せなかった
ことです。というのは信長はその時々に応じて本拠地を変えることのできる大名でし
た。信玄は駿河という海運の開けた国を手中に収めながら結局本拠を変えることは出
来ませんでした。もう一つは、上杉謙信と和睦できなかったことです。このことが信
玄の致命的とも言えるミスでしょう。彼は川中島で時間の無駄遣いをしてしまったが
ために結局上洛することが出来ませんでした。以上のことから私は信玄は信長に劣る
と判断しました。ただ私は大名に大事なのは戦略眼だと思っているのでこうゆう判断
になりましたが、戦における戦術という面においてはやはり信玄が最高ということに
なるのではないかと思います。
892日本@名無史さん:02/05/24 17:18
純粋な二代目だったら北条氏綱かな?

1が思い描いていたであろう“戦国時代に活躍した有名な大名の跡を継いだ子息”
を二代目として定義するとしても、やっぱり北条氏綱かな?

“戦国大名”の二代目だったらやっぱり武田信玄でしょう。
891が言ってるように織田信長って考え方もあるかも知れんが、
父の織田信秀が“大名”って定義に入るかどうかが疑問。
信長の父だから大名ってイメージだけど息子が優秀でなかったら
はたして後世に大名って言われたかどうか・・
893外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/24 20:10
>>889
ちょっとスレ違いかもしれないけど。
戦国大名の後見方法って二種類あるのかも。
全体を先代が治めて、その内一部を治めるパターン。
織田とか今川(桶狭間の時、駿河は氏真が治めてる)とかね。
あとは、先代が全く後ろで後見するパターン。
北条や徳川。
なんとなく後者の方が世代の移行にはいいような気がするのだが、
前者の利点はなんだろう?
後、他の戦国大名家の後見パターンは?


894891:02/05/24 21:41
>>892信秀も下克上をやった人だから戦国大名だとはいえないか?ちょっと根拠が弱いかな・・・。
895日本@名無史さん:02/05/25 01:10
>>892
織田信秀は立派な大名だろう。
身分の形式だけで言えば、伊勢新九郎は生涯今川の被官だったし。
896月と星より ◆xQ5494pE :02/05/25 01:14
今回は、2時45分頃に締め切りますね。
しかし、一番上にあるとは思いませんでした。ちょっとびっくり。
897藤原三位卿:02/05/25 01:23
>>895
伊勢新九郎は
伊豆を手に入れて地歩を築いた時点で
駿河の領地を返納して、独立したのかと思ってた
898月と星より ◆xQ5494pE :02/05/25 01:28
>>889 889番さんへ。
本当のところはそうですよね。
織田信長は信忠に家督継承を行いますが、
織田家の相続で織田帝国を継承したとは言い難い内容ですものね。

>>890 890番さんへ。
武田信玄も優秀ですね。
でも、早く家督を三代目に譲って欲しかったかな。
(今川義元→氏真や北条氏康→氏政と同じ頃に家督継承を希望。)
899月と星より ◆xQ5494pE :02/05/25 01:54
>>891 891番さんへ。
@について。
 武田信玄が駿河を平定できたのは、北条氏康死去した1571年。
 もし、信玄が自分の死期を自覚し始めていたのでしたら、
 本拠地移転の時間ロスを避けたかったかもしれません。
 また、信玄の西進計画は信濃からの進軍を考えていたのでは思われます。
 駿河からの進軍は三河(対徳川家)方面だけに絞られますが、
 信濃からの進軍ですと三河(対徳川家)と美濃(対織田家)を意識できますからね。
 武田水軍については、使い方が分からなかったのが本音かな?
900素涼 ◆/KwXL/Ao :02/05/25 02:00
>895 おっしゃる通り!身分の形式で言えば、信玄は謙信の部下になるが、
実際には、信玄はそれを認めず、いつまでも、「上杉」と呼ばず「長尾」と
呼んでいたとか...
ちなみに、これは歴史に詳しい知り合いからの受け売りで、
892氏の様な私の発言に対する895氏と同じ意味での反論として
語られたモノで、大いに納得しました。

徳川についてですが、「徳川」といえば、秀忠としか答えようがないが、
松平だとどうだろう?

901日本@名無史さん:02/05/25 02:05
本拠地移転ってのはとんでもなく金がかかるんよ。
信虎が国内で石和から甲府に移しただけで反乱起こした家臣まで
いたほどで、その負担は計り知れない。
信長はよほど金持ちだったんだね。
信玄にはそんな余裕なかったろう。
やっぱり立地が違うからかねえ。
902日本@名無史さん:02/05/25 02:05
信秀は武将、信長は大名
903日本@名無史さん:02/05/25 02:07
>>898
同じ頃って信玄何歳の頃?
904?f?A´???a^?c?1/4?c:02/05/25 02:14
>901
武田勝頼が韮崎に築城し移転したが、金や人を費やし、
民や臣の心が離れたとか...
その直後、織田、徳川に攻められて、滅亡。
裏切り多発、城は活かされず、惨々なことに。
905月と星より ◆xQ5494pE :02/05/25 02:21
>>891 891番さんへ。
Aについて。
 上杉謙信との和睦は正直無理でしょう。
 北条氏康が試みましたが、
 内容的には中立条約で軍事同盟という段階ではないですね。
 (北条家はそれで成功です。武田家と上杉家の両方と戦う事は無謀です。)
 謙信は議に厚い心の持ち主ですが、
 信玄の野望に利用されるような簡単な人ではないという事と、
 背後から信玄を襲う卑劣な人でもないという事を、
 信玄は見抜いていたのでしょう。(見抜けない訳が無いですね。)
 武田家も北条家も隣国に上杉謙信が存在した事が不幸。
 織田信長は今川義元との対決は生涯最大の危機でしたが、
 その後は、斎藤義龍、三好長慶、武田信玄、上杉謙信と、
 強敵が死んでしまっていた事が幸運。
 (本願寺は謙信並の厄介さはありますが、戦略と戦術のレベルが違います。)

 信玄の優秀さは『負けない戦を心掛けている事(戦略)。』かな〜。
906月と星より ◆xQ5494pE :02/05/25 02:52
時間になりましたが、締め切りません。
前回、大織田家の二代目と小織田家の二代目と二通りの結果を出しました。
徳川家も大と小で分けたいと思います。
そういう事になりましたので、
追加テーマ、松平家の二代目は○○○○で良いでしょうか?
あまり考えていませんでしたから、
皆さんの御意見をお待ちしていますね。

追伸。
『徳川家の二代目は、徳川秀忠で良いでしょうか?』も、
明日まとめて発表しますね。
907月と星より ◆xQ5494pE :02/05/25 03:49
>>892 892番さんへ。
実は、私としては北条家の二代目が氏綱で良いのかなと、
ちょっとだけ考えていたりします。
当時の状況を見ますと、
伊勢新九郎は今川氏親の事を『御屋形』と呼んでいるみたいですし、
1506年と1508年に三河に出陣しています。
だからと言って、伊豆や相模が今川家の領国ではありえません。
伊豆と相模を支配していたのは間違いなく北条家(伊勢家)でありますので、
やはり、戦国大名になりますね。(何だか独り言になってしまいました。)
北条氏綱のすごい所は、北条家の良い所(官僚制)を整備している事と、
あれだけ合戦しても没落しなかった経済力を維持していた事かな。
ここの部分は、織田信長に匹敵しますね。なかなかいませんよね、こういう人。

織田信秀って、悪そうというイメージが無いですね。
実力があっても下剋上を実行してない事が問題。(問題なのかな?)
908月と星より ◆xQ5494pE :02/05/25 04:32
>>893 外郎屋さんへ。
織田家や今川家の様な後見パターンの良い所。
何でしょう?う〜ん。
この二家はアクシデントのためにデータ不足かな?
徳川家や北条家は実績を出していますから放って置きますね。
織田家の場合は、父子共に死んでしまったので、それ以前の活躍を考えます。
父信長の下でがんばっていたのではと思いますよ。
ま、信長の親ばかぶりも有りますが、力は有ると思います。
ただ、挫折が無さそうですから、打たれ弱そうですね。
今川家の場合も、義元の突然の戦死。
氏真は名実共に今川家を継ぐ事になるのですが、
如何せん、経験不足。ここで氏真を無能というには忍びないでしょう。

この二家で良い所(メリット)考える事は難しい〜。
憶測で考えますと、やりたい事はどちらも後継者の育成ですから目的は同じ。
違いはあまり無いのかもしれませんね。

>>894 891番さんへ。
やっている事は隣国の齋藤道三と同じ様な気がしますから、
弱くても良いと思いますよ。もっと派手にやらかしていたらね〜。

と、今日はここまでにさせて下さい。
明日は、ちょっと早いのでこれから眠りに落ちます。
895番さんからは、明日書きます。
では、おやすみなさい。ZZZ・・・。
909月と星より ◆xQ5494pE :02/05/26 01:56
これから書き込み始めますね。

>>895 895番さんへ。
うんうん。

>>897 藤原三位卿さんへ。
北条家の独立については人それぞれの見方が有るのかな?

>>900 素涼さんヘ。
『松平家の二代目は?』をやってみましたが書き込みは0です。
私は松平広忠が2代目かなと思っています。
もう少し様子をみますね。
910月と星より ◆xQ5494pE :02/05/26 03:05
>>901 901番さんへ。
今も昔も、お引越しはお金がかかるものなのですね。

>>902 902番さんへ。
信秀の事は人それぞれ考えがあるということで。

>>903 903番さんへ。
そうね、武田信玄が42歳の頃がいいかな?(ちょっと早いかな?)
第4次川中島合戦の直後あたり。
他の人では、織田信長が嫡男信忠に家督を譲渡したのが、やはり42歳の時。

>>904 904番さんへ。(お名前が難しくて書けませんでした。)
織田信長の引越しも簡単に事が進んだ訳でもないと思います。
ただ、武田勝頼が実行した事は、
結果が出ている以上厳しい意見が多く、
公平な視点で考えてくれていない所もあるかな。悲運。
911月と星より ◆xQ5494pE :02/05/26 03:25
今回は、4時00分頃に締め切りますね。
912月と星より ◆xQ5494pE :02/05/26 08:49
最後の結果発表。
松平家の二代目は松平広忠という事で、
徳川家の二代目は、徳川秀忠という事でお願いしますね。

二代目の確認はこれで終わりですね。
913素涼 ◆/KwXL/Ao :02/05/26 13:03
月と星よりさんの尽力により、めでたく二代目(仮)確定しました。
(仮確定って矛盾してますが...)

そこで、1氏に代わって改めて、優秀な二代目を問いたいと思います。
1氏は秀忠を「問い」の形で挙げてますが、どうでしょう?

確かに、この板で挙げられた二代目で自身が天下人と認められるのは、
織田信長と徳川秀忠の二名だけで、天下人の二代目であるのは、
当然ながら、秀忠だけです。

こういう面では、唯一の勝ち組ですが(組とは言わんか)、
個人の資質で考えると、戦国大名二代目徳川秀忠って、どうも評価できない。
偏見かもしれないが、特に関ヶ原を前にしての対真田戦とか。

また、勝頼贔屓の素涼としては、秀忠と比べるまでもなく、
当時の家康単独と比べれば、勝頼の方が上かとも思う。
更に勝頼が三代目なら二代目信玄は遥かに優秀だろう。
但し、(二代目ではないが)関ヶ原時の家康と三方原時の信玄は
甲乙つけがたいかとも思う。

二代目同士では、信玄VS信長で、やはり、甲乙つけがたい。
この2人は、イクサもさる事ながら、内政面もどちらも、トップクラスの
優秀さなんじゃないかな。ただ、やり方は全く違う。

以上の様な、中途半端な意見しか出せませんが、
皆さんどうお考えでしょうか?

尚、間違い等ありましたら、御教示、宜しくお願いします。

914月と星より ◆xQ5494pE :02/05/26 17:11
戦国大名二代目の結果発表をまとめて書いてみましたが、
行の多すぎが原因で書き込みできませんでした。(32行でもダメでした。)
皆さんお手数ですが、
この長い書き込みを読んで自分で考えて頂けるとありがたいです。

追伸。
1番さん、長い間、迷惑をかけ続けましてごめんなさい。
これからが本番ですね。(1番さん、見てるかな?)
915月と星より ◆xQ5494pE :02/05/26 17:30
>>913 素涼さんへ。
私は織田信長を優秀な二代目と考えています。説明は省略させて頂きます。
(織田信長を二代目と考えた場合ですね。)
当たり前すぎですから、信長を抜きで考えた方が良いでしょうか?
916(o´∀`):02/05/27 02:46
出遅れたっ!!

徳川家の二代目は秀忠だーっ!!
917(o´∀`):02/05/27 02:47
あっ、松平家の二代目は家康の父だよ。

名前忘れた。
918(o´∀`):02/05/27 02:50
北条はシティーハンターの作者がいるよ
919素涼 ◆/KwXL/Ao :02/05/27 20:39
>915を受けまして、織田信長以外の戦国大名二代目で
最も優秀なのは、誰でしょう?
916〜918氏にも、この問に答えてもらえたら、嬉しいです。
もちろん、月と星よりさん、藤原三位卿さん、外郎屋さん、五十騎組さん、
数字のハンドルネームのみなさん、日本@名無史さんのみなさん(順不同)
にも、お答え頂けたら、幸いです。

920外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/27 21:05
素涼(>>919)。
信長以外の優秀な二代目というのは、このスレで上がったメンバ?
それとも有名戦国大名の次世代(後に織豊徳政権大名なったものも含む)
っていうメンバ?
候補を上げるにしても、このスレで上がった大名だと有名戦国大名の
戦いになってしまうような・・・?
921外郎屋 ◆A4f/JzwY :02/05/27 21:07
ごめんなさい。さん付け忘れた。
素涼さん、気悪くしないで…(トボトボ…)。
922素涼 ◆/KwXL/Ao :02/05/27 21:50
>920(外郎屋さん)
一応、月と星よりさんの尽力の成果に基づいてと思ったんですが、
それぞれの評価は、その都度そこそこ、なされているので、
織豊徳政権大名の方が良いでしょうか?
また、それなら、折角、日本史板なので(三戦板ではないので)、
イクサの強さってこともさる事ながら、その継承をうまくやった人とか、
そうゆうことで、優秀な二代目を挙げてもらえたら、いいかと思います。

919で書くの忘れたんだけど
このスレで挙がったメンバーで、信長を外せば、
山梨出身の素涼としては、信玄は譲れないって、
まぁ、思い入れに過ぎませんが...

>921 呼び捨てでも構いませんよ。

923月と星より ◆xQ5494pE :02/05/28 01:18
>>916 >>917 >>918 『顔の人』さんへ。(変な名前でごめんなさい。)
『北条司』ですね。いましたよ!(有名な人なのかな?)
松平は『松平健』がいますね。

あとね、私が進めていました戦国大名二代目は、
御周知の様に勝手気ままに決めさせて頂きましたから、
気にしないで進めて頂いて結構ですよ。
二代目に選ばれなかった『将』たちや、
戦国大名として選ばれなかった『将』たちに、
天下(?)を勝ち取ってもらいたいと思いますからね。
(三代目もいい・・・?嫌、ダメでしょう。)
924(o´∀`):02/05/28 21:44
>>919
素涼さん、
漏れ的には、えらくなる前の豊臣秀吉(木下藤吉郎氏)がいちばん仕えたいと思います。
でも、えらくなるとみんなおごりたかぶってくるので、逆に最初から最後までよく分からない徳川家康のが
いいかもしれません。

どういう着眼点でとらえて評価したらいいか分からなかったので、自分が仕えるならという
書き方をしました。

>>923
月と星よりさん
松平健、マンセー(o´∀`)
暴れん坊将軍吉宗(・∀・)イイ!
925素涼 ◆/KwXL/Ao :02/05/28 23:40
>924 (o´∀`) さん、仕えるって視点は面白いですね。
秀吉は、出世するので、そういう面では、良いかと思いますが、
最初の頃は、死にそうな目にあう回数は、他の武将の下に仕えるより、
多くなりそう。
ところで、一応、戦国大名二代目スレなので、ちょっと聞きますが
仮に、(o´∀`)さんが仕えている、秀吉が他界したとします。
さぁ、二代目は秀頼です。あなたは、そのまま、秀忠に仕えますか?
まぁ、この問いの答えは、人それぞれでしょうが。
戦国武将二代目の厳しいところは、家臣とうまくやっていけるかだと
思うわけです。
秀頼は若すぎたのでどうにもできなかったとは、思いますが、
チカラのある家臣に見切りをつけられると、大変な事になってしまいます。

初代が隠居して、じっくり、後継者を育てられれば、一番いいんですが、
戦国の世でそんな悠長なことは、できない方が普通でしょう。
家康>秀忠はこのパターンですが、それは、既に江戸時代のこと。
日本の権力の状況は、大分、安定してからの事と言っていいでしょう。


926素涼 ◆/KwXL/Ao :02/05/29 00:10
925の続きです。
ついでにもう少し書きます。

武田好きなんで、武田を例に出すと、
月と星より説の二代目信玄は、うまいことやりました。
信虎が簡単に家臣を斬っちゃう様な人だったから、やりやすかった面も
あるだろうし、むしろ家臣が望んだ部分もあるでしょう。
もちらん、信玄自身が家臣から信頼されたのも、理由の一つだと思います。
それでも、現役の初代を追放するのは、リスクもあり、
やはり、カケだったろうと思われます。

一方、1説の二代目勝頼は、これに失敗しました。
それが、武田家滅亡に繋がりさえします。
織田郡の侵入口にあたる木曽、配下で最大勢力の穴山、最後の砦の小山田らに
裏切られては、生き残ることは叶わないでしょう。
信玄の急死で残された家臣の殆どが、勝頼にとって昨日まで先輩武将で、
叔父なども多くいました。
勝頼は年齢もキャリアも上の家臣をうまく扱えなかっただろうし、
家臣の側もあの信玄の家臣であったものが急に年若い勝頼を御館様と
思えなかっただろうと思います。
927月と星より ◆xQ5494pE :02/05/29 00:51
>>924 924番さんへ。
ちゃ〜ららん、らら〜ららん、ららら〜らら〜ん。
『暴れん坊将軍のテーマ』をお送りしますね。

>>925 素涼さんへ。
豊臣家に仕えている事が前提ですか。
大谷刑部や石田治部の様な立場でありましたら、
例え誰でありましても礼節を尽くしましょう。
しかし、豊臣恩顧で無い場合は真っ先に裏切りますよ。
(私、反秀吉ですから。秀吉ファンの方々ごめんなさい。)
仕える事が前提なら徳川家と誼を通じておきますね。
120万石クラスなら、独自路線を模索するかな?
(所領の場所も重要。九州や東北なら徳川家と結ぶかな?)
書き過ぎましたが、こんなのでもいい?
928(o´∀`):02/05/29 03:40
>>925
素涼さん
まず、漏れの書込みにマジレスして下さってとても嬉しいです(゚∀゚)ジ〜ン!!

そうなんですよね、
仕えるという基準で考えると申し訳ないですが後半の秀吉(藤吉郎氏)は痛いっす。
なぜなら、後半の秀吉は漏れは好きじゃないからです。
それが息子の秀頼氏になった時を考える前に申し訳ないですが、
朝鮮出兵とか言い出す頃仕えるのが嫌になっているかもしれません。

徳川家康の方では、不思議と2代目を意識しても平気でした。

あとは、この人に仕えて命失っても本望と思える武将だったらいいのかも...♪
だったら、個人的にはやっぱ今川義元かな(o´∀`)桶狭間で闘って散るですよ
929(o´∀`):02/05/29 03:55
>>928
ちょっと訂正

最後の行
×桶狭間で闘って散るですよ
○桶狭間で闘って一緒に散るですよ
930月と星より ◆xQ5494pE :02/06/02 00:50
今日は、6月2日。
本能寺の変が起きた日です。という事で揚げてみます。
931(o´∀`):02/06/02 02:48
にんげんごじゅうねん
けてんのうちをくらぶれば
ゆめまぼろしのごとくなり
...
932(o´∀`):02/06/02 02:50
ひとたびしょうをうけ
めつせぬもののあるべきか
933(o´∀`):02/06/02 02:52
愛知では「たわけ」というけど
「うつけ」って何でしょう?
934月と星より ◆xQ5494pE :02/06/02 10:38
>>933 933番さんへ。
『たわけ』や『うつけ』は、標準語なのかな?
935日本@名無史さん:02/06/04 01:24
1から通して読んだけど、
ひでぇースレだね。
まともなのは2人だけだね。
この進め方がどうも気に食わんから、
もう2度と来ることもない。
936日本@名無史さん:02/06/04 01:37
937935の本音:02/06/04 01:55
1から通して読んだけど、 ひでぇースレだね。 →最初から参加してた
まともなのは2人だけだね。          →もちろん自分もいれてな
この進め方がどうも気に食わんから、     →自分の思い通りにしろよ
もう2度と来ることもない。          →類似スレ出来たら、今度こそ俺の思い通りにしてやる
938日本@名無史さん:02/06/04 02:04
>>937
キモいレスつけんな。
939(o´∀`):02/06/04 02:45
>>934
月タンへ
「たわけ」は愛知・岐阜あたりでよく使われませんか?
「くソたわけ」とか結構年配の女性もおっしゃられますよ(^^;

「うつけ」は分からん。
その上をいくのかな?
940(o´∀`):02/06/05 02:33
>>936

戦国大名でいうと貴方は、、、

上杉謙信なのである。

◆上杉謙信とは
正義感が強い。どんなことにも妥協することを許さない。その責任感の強さが大きな第1歩を踏ませてくれる。心の強さに体がついて行けなくなることもしばしばある。臨機応変さを兼ね備えればどんなことにも負けない。

★適する職種
ジャーナリスト。新聞記者。

●最適恋人タイプ
真田幸村

●最適友人タイプ
今川義元

▲恋愛運
★★★★☆

▲勝負運
★★★☆☆

■知識
武田信玄。軍神。

当たっているーーっ!!



義元タン...( ;´Д`)ハァハァ
941月と星より ◆xQ5494pE :02/06/05 02:37
>>936 936番さんへ。
あれで言うと私は織田信長だそうです。
友人は武田信玄。(おいおい。)
恋人は豊臣秀吉。(嫌だ!)
942日本@名無史さん:02/06/06 18:34
>>941
二代目じゃん!!

織田と武田は仲良かったよ。
互いに認め合う仲。
943日本@名無史さん:02/06/06 18:40
おいおい、伊達政宗は3代目だろ??
944日本@名無史さん:02/06/06 19:29
>943
伊達家17代目ですが何か?
伊達家は平泉討伐以来の家ですので、
出来星大名と同列に扱うのは如何なものか
まあ稙宗を守護、晴宗以降を戦国大名とすれば3代目ですね
945日本@名無史さん:02/06/08 04:24
「たわけ」「うつけ」の違いだけど、
「うつけ」はただのバカ、
「たわけ」は性的にタブーなことをする人、みたいな意味もある、というような話をきいたことがあるが。。。
→親子たわけ、馬たわけ(←馬と!?)

信長公記でも信長のことを美濃人は「たわけ」と呼ぶが、尾張人は「うつけ」としか呼ばない。
で、信長は叔母とか異母妹とかに手をつけていたのでは…という話になるのだが
946日本@名無史さん:02/06/08 06:47
>>940 と全く同じになったが・・・。

戦国大名でいうと貴方は、、、

上杉謙信なのである。

◆上杉謙信とは
正義感が強い。どんなことにも妥協することを許さない。その責任感の強さが大きな第1歩を踏ませてくれる。心の強さに体がついて行けなくなることもしばしばある。臨機応変さを兼ね備えればどんなことにも負けない。

★適する職種
ジャーナリスト。新聞記者。

●最適恋人タイプ
真田幸村

●最適友人タイプ
今川義元

▲恋愛運
★★★★☆

▲勝負運
★★★☆☆

■知識
武田信玄。軍神。
947日本@名無史さん:02/06/08 13:08
>>936

戦国武将でいうと 足利義昭で
最適恋人は織田信長(!!)
最適友人は豊臣秀吉


何で足利義昭で信長が最適恋人になるんだ……
948日本@名無史さん:02/06/08 17:39
岐阜県人だが・・・
昔はいざ知らず、今はたわけという言葉に「性的にタブーなことをする人」
という意味はありません。単なる馬鹿、あほっていう意味で使われてます。
まあ、地域によるのかもしれないけど。
ちなみに俺のじいさんもよく使ってたようで、母親もよく言われたらしい。
それがもし「性的にタブー云々」って意味だったとしたら・・・。
俺はオヤジの子じゃなかったりして。う〜む・・・。
949日本@名無史さん:02/06/09 01:21
>>948
たわけにそういう意味があったのは平安時代の話だよ
美濃の方言というより古語
950(o´∀`):02/06/09 02:24
こんばんは、漏れも岐阜や愛知にいた事があって、「たわけ」という言葉をよく
耳にしたのでとても気になっていました。
(うつけは聞いた事なかった)

皆様
>>945さん
漏れの知人(若い娘さん達)は岐阜の方も、愛知の方も「たわけ」を使います。
とても性的な意味をもって話しているとは思えないので今は違う意味になってしま
ったのかもしれません。

>>946
同志よ!!
さぁ、一緒に...今川義元タン( ;´Д`)ハァハァ

>>948
ですよね。
それにしても、最初はご年配の女性が堂々と「くソたわけ」と旦那様に言っている
のは驚きました。

>>949
漏れのくだらない疑問に丁寧なご回答誠にありがとうございますm(_ _)m

何となくたわけやうつけの存在がわかりましたm(_ _)m謹んでお礼申し上げます。
951日本@名無史さん:02/06/18 14:56
もし、次スレ作るんなら、戦国大名の定義を示すか
あるいは織豊時代の大名二代目にするか
二代藩主にするかした方が判り易いな。
952日本@名無史さん:02/06/20 21:59
糞すれ晒しあげ
953藤原三位卿:02/06/29 01:16
お久しぶり
やっと、LINUXで接続できました
苦労しました
記念書きこはここにします
954月と星より ◆xQ5494pE :02/06/29 03:26
☆私もお久しぶりです♪

このスレ、まだ残っていたのですね。
まるで、赤色巨星の様な感じ。(別に超新星は起きませんが・・・。)
955月と星より ◆xQ5494pE :02/07/04 03:33
今日、7月4日は三好長慶が逝った日。
彼の死をもって、三好家は自壊闘争に突入する事になります。
織田信長が上洛する四年前の出来事。
956藤原三位卿:02/07/05 01:18
>>954
超新星ありますよ
>>http://oposite.stsci.edu/pubinfo/PR/2002/15/prc/0215y.jpg

Linux使い始めて約ひと月
やっとINTERNETに継るようになったけど
まだ音が出ません
音を出すのにまたひと月懸かりそう
やっぱ、NOTE_PCにLINUXは無理なのか

スレ違いでした_失礼
957月と星より ◆xQ5494pE :02/07/08 00:29
>>956 藤原三位卿さんへ。
また見事な天体写真ですね〜。しかも大きい。

七夕の星空は綺麗ですよ〜♪
958月と星より ◆xQ5494pE :02/07/17 02:47
天文十年七月十七日、
北条家第二代当主、
北条氏綱、逝く。

戦国大名二代目の彼に敬意を表してレスします。
959月と星より ◆xQ5494pE :02/08/01 03:50
慶長五年八月一日。
伏見城陥落。鳥居元忠、戦死。
天下分け目の関ヶ原へ進む事になります。
家を継ぐ者達は何を考えていたのでしょう?
前田利長、毛利輝元、上杉景勝、宇喜多秀家、長曾我部盛親、佐竹義宣、
島津義久、伊達政宗、徳川秀忠・・・。
天下を巡って戦乱再び!
960月と星より ◆xQ5494pE :02/08/02 03:34
家を継ぐ者@、前田利長の場合。
ごめんなさい。私、この人のことは知りません。
でも、前年に父様が亡くなられて、
加賀前田家を守る事で手一杯というところでしょうか?
狸に難癖をつけられて天下取りどころでもなかったのでしょう。
勝組みについたおかげで、お家存続に成功。
961日本@名無史さん:02/08/03 00:30
お久しぶり

私も詳しくないけど
前田家は、二択の場面に出くわすと
必ず勝ち組についています
1.尾張の織田家内紛
2.しずが岳の合戦
3.関ヶ原の合戦
4.明治維新
その上、積極的な行動をとりません
前田家の処世術でしょうか
____藤原三位卿__________
962月と星より ◆xQ5494pE :02/08/03 02:19
>>961 藤原三位卿さんへ。
お久しぶりです。
こうしてみますと前田家の特技ですね。
『機を見るに敏なり。』かな?

前田家の話題が終わりましたら次に進みますね。
963月と星より ◆xQ5494pE :02/08/04 03:33
家を継ぐ者A、毛利輝元の場合。
この人については、人がよい所を利用されたという理由が多いかな?
でも、野心はあったと思います。
口うるさい小早川隆景も今はいなくなって、
『わしの実力を天下に示さん』と内心心に秘めて、
大阪城に入城したのではないかな?
しかし、何をしたかったのかわからないほどの考えの甘さに、
もはや毛利家もここまでかと思いましたが・・・。
長曾我部家と同じ運命を辿らなくて良かったね。
これ以降は36万9000石の外様大名に相応しい力量を身につけたとか。
964月と星より ◆xQ5494pE :02/08/05 00:15
毛利家といえば両川。
この吉川家と小早川家が本家の野望に対して、
奇しくも反対の行動をとる事になるとはね。
結果的に本家は生き残る事ができたのですから、
草葉の陰で元春と隆景はこの結果に満足していたのかもしれませんね。

毛利家の話題が終わりましたら次に進みますね。
965月と星より ◆xQ5494pE :02/08/06 00:35
家を継ぐ者B、上杉景勝の場合。
状況から判断しますと、やる気で戦をやってますね。
天下への野心があるのかどうかは不明ですが、
関ヶ原合戦以降も、上杉家の戦は続いていますしね。(戦闘はありませんが。)
亡き養父の志を受け継ごうとしたのかな?
結果、30万石の大名に転落するも、やりたい事ができて満足という所かな?
それとも・・・。
966月と星より ◆xQ5494pE :02/08/09 23:46
上杉家といえば直江兼続。
詳しくは知りませんが、よく、石田三成と仲がいいと言われていますね。
徳川家康を怒らせたという弾劾状の返書。
長谷堂城包囲戦とそこからの退却戦。
全ては彼の行動。北の関ヶ原は彼を中心に展開しています。
戦略が甘かったのかな?彼の夢は潰えます。

上杉家の話題が終わりましたら次に進みますね。
967藤原三位卿:02/08/10 21:54
毛利氏の場合
輝元個人ではなく、毛利家の判断として考えた場合
本能寺の変で羽柴秀吉に消極的援助とでも言うか、協力的態度のおかげで
豊臣政権下では外様大名としては破格の待遇を受けています(差出検地等)
関が原以降の、豊臣政権と徳川政権とを比較した場合、当然豊臣政権の存続を考え
豊臣方として行動すると思います
徳川に味方して徳川政権樹立に貢献しても、多くの既得権益を失いますが
豊臣政権に味方して勝利すれば、さらに五大老筆頭が確実です
うがった考え方ですが、吉川広家の寝返りは、毛利グループ全体を考えた場合の
安全バルブだったと言う考え方もできます
968藤原三位卿:02/08/10 22:35
上杉氏の場合も
景勝個人ではなく、上杉家の戦略として考えた場合
こちらも、本能寺の変の後、結果的に羽柴秀吉の直接ライバルである柴田勝家を
挟撃する形となり、豊臣政権下ではこちらも厚遇を得ます
豊臣政権の側から考えて見ますと、関東で大きな勢力を誇る徳川家は軍事力、経済力
ともに脅威となります
徳川の後背居に当たる上杉、佐竹両家に対する布石は戦略上重要な位置を占めます
折りたくない腰を折り、下げたくない頭を下げる価値があります
倣岸尊大の評価のある石田三成としても、両家に対しては違っていた可能性が
考えられます
さらに、先代謙信公以来「儀」を尊ぶ家風の上杉家としては、寝業師「家康」よりも
主家豊臣家に対する「儀」を貫く三成に対して、多くの共感を持って接していたことが
想像できます
969藤原三位卿:02/08/10 23:06
おまけ
北条氏の場合
北条氏の場合、上の両家と同じように織田家の圧力を直接受けていた大名のひとつですが
本能寺の変後両家のように中央に目を向ける事無く(言い過ぎか?)関東平定を続けます
結果、徳川家との同盟を堅持し、秀吉家によって滅ぼされ関が原への切符を手に入れら
れませんでした
もし本能寺の変の際、北条家が中央に目を向けて、秀吉、家康をきちんと評価していれば
三方が原の際わずかでも駿府に向けて兵を送っていれば、関東の地は徳川家ではなく
北条家のものになっていたように思います

三つの書き込みともにかなり強引だな、我ながら

さらにおまけ(かなり脱線するけど)
豊臣秀吉と、徳川家康とを比較すると
豊臣秀吉の場合
戦った相手に勝利して、これを自勢力に付加する戦略をとります
毛利家、長宗我部家、島津家…etc
一方、徳川家康の場合
滅ぼした勢力を、自勢力に取り込んでいく、自家中のものとする戦略をとっています
今川残党、武田残党、北条残党…
このあたりの違いも、関が原の際に大きく影響しているように感じます(結束力として)
970月と星より ◆xQ5494pE :02/08/11 11:48
☆藤原三位卿さんへ。
>>967
天下取りの野望があるのかどうかは分かりません。
でも、あの時代の人間なら持っていて当然でしょうと考えてま〜す♪
外交政策についても、相手の豊臣秀吉は既に逝き、
親豊臣派の筆頭、小早川隆景もいないどころか、
小早川家自体が毛利家とはほとんど関係が無い、
反豊臣派(?)の吉川家でさえも吉川元春はいない。
そこまで、豊臣家に味方する義理があるかどうかは疑問。
それより、どうすれば毛利家が生き残るかを考えそう〜。
もちろん、豊臣政権下で生き残る方が安泰ですが・・・。
試行錯誤の結果が関ヶ原合戦での毛利家なのでしょうね。

>>968
徳川家と上杉家の外交は武田包囲網の時から始まりますが、
織田家と上杉家の戦闘が始まりますと、
自然消滅します。(本当かどうかは置いときます。)
本能寺の変以降は信濃をめぐって、
『上杉・豊臣同盟』対『徳川・北条同盟』という構図が形成されてます。
実のところ、双方共に快くは思っていなかったのかもしれませんね。
豊臣家がどうより、東日本の一番を決めたかったのが上杉家で、
日本の一番になりたかったのが徳川家という感じがします。

>>969
ふふふ、北条家♪(怪しい始まり・・・。)
変な結論ですが、徳川家康が浜松にいた事が原因かな。
徳川家は織田家に対抗するために、
武田家の滅亡が時間の問題になりますと北条家と同盟します。
徳川家は西しか見ていませんし、北条家も東しか見ていません。
ここまででしたら戦国時代史上最大のパートナーになる筈でした。
北条家の誤算は、
徳川家康恐ろしいほどの野望の持ち主だという事を既に知っていましたが、
その家康が簡単に天下取りの野望を棄ててしまった事です。
そして薬によって長生きする事に専念したためです。
戦って天下を取ろうという気が無いのに、
それをあてにしてはいけませんよね〜。
毛利家や上杉家にはこういう『狸』がいなかった事が幸いしましたね。
あと、豊臣家臣団というものが脆弱だった事もプラスに働いてますね。

徳川家康の事はきちんと評価していたと思いますよ♪
豊臣秀吉は馬鹿にしていたでしょうね。ははは。
971月と星より ◆xQ5494pE :02/08/11 12:21
>>970 つづき。
じつは、この後半のお話は根が深いと思います。
何故、羽柴秀吉が中国攻めで兵糧攻めをしたのか?
何故、徳川家康が伊賀の残党、武田家旧臣を、
織田家の目を盗んでまで雇い入れたのか?(織田家の敵なのにね。)
本能寺の変を想定していたからかな?
兵力温存を第一に考えた戦略です。

しかしこの二つのやり方、結果は同じですが内容はまるで別物。
秀吉は織田家の家臣である以上は、主の機嫌を損なう事は絶対にできない。
ある意味、自分の手柄という形にする事が好都合。
家康は嫡男信康を失った以上、もう失うものは無いから強気で何でもできます。
打倒織田家を考える人達にとっては本気で仕える事ができます。
兵の質の差はかなりはっきり出ますね。(結束力として。)

本能寺の変以降の豊臣政権下の大名と
関ヶ原合戦以降の徳川政権下の大名は基本的には同じかな?
秀吉は寛大に。家康は厳しく。

さて、こんなに長く奇天烈な文を読んでいただきましてありがとう。
(本当にいるのかな?)
家を継ぐ者って大変ですよね。
972藤原三位卿:02/08/16 10:27
鎌倉室町時代の守護織、戦国大名、織豊時代の大名、江戸時代の大名
それぞれ似て非なるものですね
ただ、大名というより武士のあり方として
織田信長以前と以後とでは、根本的に変化を余儀なくされています
それまで一貫して農民(比喩的な意味で)に立脚して、領主として存在した武士が
農民から切り離されて、治国体制側の統治者へと変質しています
関が原をはさんで、本能寺の変から、大阪の陣までの間、多くの大名たちが
こうした、変革の波にさらされています
973月と星より ◆xQ5494pE :02/08/16 20:20
>>972 藤原三位卿さんへ。
代表例は、佐々成政かな?(戦国大名二代目ではありませんが・・・。)
他にも一揆はあるみたいですが詳しくは分かりません。
武から文に変わるという事ですね。
974月と星より ◆xQ5494pE :02/08/16 20:49
家を継ぐ者C、宇喜多秀家の場合。
やはり、西軍一の主戦派と考えてもいいかな〜?
『太閤様に御恩を・・・敵は徳川家康!』と思っていたのかな?
宇喜多騒動で何かあったのでしょうか?
詳しくは知りませんのでここでは触れませんが・・・。

豊臣家臣団は『尾張派』と『近江派』があるとの事ですが、
宇喜多秀家は近江派に近いのかな?
高台院と淀君で考えましても、
太閤様の御子息『秀頼』を御守りする秀家なら・・・。

彼は他の豊臣大名と違い、正義を旗印に戦場に赴いたのでしょうね。
純粋過ぎる若き将。
それ故に、戦後、彼は領国を全て失います。
975藤原三位卿:02/08/16 21:09
文を端折りすぎて、うまく伝わっていないようなのでちょっと説明します
長文失礼

武士のスローガンである”一所懸命”が表すように、そもそも武士は農地、農民に密着した
存在でした
平安時代末期、地勢制度が崩壊し始め、体制の底辺である農民たち(比ゆ的な意味で)が
体制から乖離し始めました
徴税の基礎が揺らいだ貴族に代わり、土地に根付いた武士たちが起こり、勢力を増して
行きます
つまり、平安から鎌倉へ、貴族から武士へという革命は、TopDown型の社会からBotomUp
型の社会へ変革したということと考えてます

余談ですが、天皇を中心とする貴族社会が、武士社会の中で細々で或るとはいえ、生き残
りえたのは、夫々の政治体制が根本的に違っていたため、天皇中心の貴族に、将軍中心
の武士が取って代わるということではなく、武士の勢力がどんどん大きくなり、貴族勢力を
片隅に追いやった、ということかと考えてます
976藤原三位卿:02/08/16 22:14
話を戻します
鎌倉室町時代の武士社会を詳しく見てゆく余裕と知識がないので、中略します
とにかく、”一所懸命”のスローガンがあらわす様に武士は、土地(農民)に密着した
存在というか、一貫して農民を代表する存在でした
(時代によって微妙に変化してますが)

さて、戦国時代ですが
そもそも強力な求心力を持たず、権力も分散しがちだった室町幕府の力が弱くなると
政治体制の随所に綻びが出てきます
こうして、幕府権力から独立するという形で、戦国大名たちが生まれてきます
鎌倉、室町両幕府の時代、体制の側の統治者として派遣された守護、守護代たちは
農民を代表し農地の主である領主、戦国大名たちに取って代わられます

領国経営に成功した、大友、島津、今川氏らは守護織より戦国大名へと発展して行きます
守護に替わり領国経営を成功させて戦国大名となった長尾氏、織田氏などもあります
離合集散、戦闘と強調を繰り返しながら勢力を拡大し、やがて守護を倒し下克上を成し
遂げた多くの戦国大名たちも居ます
977日本@名無史さん:02/08/16 22:42
さて、武士の本質が、農民を代表し、農地の主である領主であるということをくどくどと
書いてきましたが、やがて戦国時代にピリオドを打つ「織田信長」が「天下布武」を引っさげ
登場してきます
特に”兵農分離”は、戦国大名のみならず、すべての武士を農地、農民から切り離す
という政策で、戦国時代に根底からメスを入れるような画期的な改革、というよりも
革命に近い政策でした
(詳細を書けば長くなるので以下省略)
信長が倒れたあと、この兵農分離をさらに前進させたのが、豊臣秀吉の”太閤検地”と
”刀狩”です
こうして、そもそも武士と農民との境界があいまいだったところに、はっきりと線引きをし
さらに、農民と武士の利害を分離してしまいます
こうして再びTopDown型の政治形態に戻すことに成功します

余談ですが、豊臣秀吉が武家の棟梁”征夷大将軍”ではなく、公家の最高峰”太閤関白”
となったのも、こうしたことが原因だったのだろうか、などと考えてます
978日本@名無史さん:02/08/16 23:23
激しい誤爆ですよ。
979藤原三位卿:02/08/16 23:26
最後に、徳川家康です
信長、秀吉の二人により兵農分離が果たされた状態を家康が引き継ぎます
大名たちは戦国時代のように、領地の領有を認められますが、兵農分離により
存在の立脚点を失い、体制の側から農地、農民を管理する支配者として役を
担うようになります
(戦国大名は、農地、農民の上に立ち、農民の利益を代表する領主として存在した)
こうして、戦国大名をはじめ武士たちは、時には農民たちと利害が必ずしも一致しなくなり
その力を弱めるとともに、幕藩体制化での機構の一部として存続するようになります

関が原をはさんで、本能寺の変から大阪の両陣までの間は、このような大きな変革の
時期に当たるかと思います
980藤原三位卿:02/08/16 23:35
下でこっそりやる筈だったのに、間違ってあげちゃった
>>978 確かに誤爆っぽい内容ですね(w

長くなりった割には、真意がどれほど伝わったか疑問ですし
かなり独りよがりの説の開陳になっていますが、私の中世歴史観というような
もので、この機会に書いちゃいました
981978:02/08/17 00:34
>>980
あ・・・↓のスレの書き込みじゃなかったんですか。すみません。

なぜ秀吉は豊臣幕府を作らなかったのか?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/history/1027587400/l50
982日本@名無史さん:02/08/17 00:35
1000げっとだぜ
983月と星より ◆xQ5494pE :02/08/18 00:41
>>975 >>976 >>979 >>980 藤原三位卿さんへ。
細かなお話ありがとう。
伝えたい事が正確に伝わったかどうかはわかりませんが、
多分わかった様な気がします。

もう、薄々気付かれていらっしゃるかと思いますが、
私、1590年小田原征伐による天下統一までは好きなのですが、
それ以降は知識として知っているだけで、
特に自分の考えを持っているという訳ではありません。
(関ヶ原合戦だけは好きですよ〜。)
少し考えると面白い所かもしれませんね♪

私自身は、日本史という勉学より物語的な浪漫の方が好きみたいですから、
最初の頃私に言っていただいた通り三戦板の方が向いていると思います。
あ、でも、浪漫だけで歴史の流れが分かる訳ではないですから、
歴史的背景は必要ですし、それを知ってから考えますと別の見方ができます。
ここはそういう意味では『いいところ』でしたよ♪

さて、ここも私のレスが983になる予定ですから残り17レスですね。
残り僅かですが、ご迷惑でなければ最後までお付き合いをお願いします。

ところで、1000までいくとこのスレは消えてしまうのですよね。
いい事が書いてあるのに勿体無いな〜。

(ここからは違う話。)
宇喜多家といえば、明石全登。
彼の場合は関ヶ原合戦の活躍より大坂の陣の方が有名ですね。
ただ、一人の名将や勇将、智将でなんとかなる時代は既に終わりを告げていて、
情報諜略や科学兵器が舞台の物量戦争の時代に進化し、
戦国武将という存在は滅び行く運命だったのでしょうね。

あ、違う見方ですが話がつながっていますね!
984日本@名無史さん :02/08/18 13:52
>大きな変革の時期

その後半、文禄・慶長の役頃から(いやその前から)
家康の権謀術数が組み敷かれていたような気がします。

渡海しなかったこと
利家の死・前田家への恫喝懐柔
三成が自分の懐に飛び込んでくること
宇喜多家騒動も
くわんぴょうえの息子他
そもそも氏郷が死んだ後に上杉が移封されたことまで

・・・・もろもろの出来事が後の幕府の基礎固めに向けて
あたかも計算されたかのごとく運んでゆきます。
幸運というより、悪魔の仕業のよう。

大の政所を人質にうけ、臣下としてはじめて秀吉の謁見を拝するとき
並み居る諸将を見回して「さて、こ奴らの内誰と誰が将来ワシにつくのか」
そんなこと思っていたかも。
985月と星より ◆xQ5494pE :02/08/18 22:05
>>984 984番さんへ。
ああ、面白い事を書かれていますね♪(こういうのは大好きですよ。)
三河の狸はある程度先が読めたでしょうね。
石田三成とつながりがある上杉景勝が会津に目付けとしてくる事や、
今死なれても意味が無い石田三成が自分の所に飛び込んでくる事も、
前田家がお家の為に実母を人質に出す事も、
戦国時代を切り抜け、織田信長を相手に律義者で通せた狸ならわかるでしょう。
石田三成や前田家などの実直な考えの持ち主を相手にするのは、
さほど難しい事ではなかったと思います。

宇喜多家の家臣団の取り込みは、
伊賀者や武田家の家臣団取り込みで経験済みですし、
武将の諜略も甲斐・信濃における対北条家戦で実績を出しています。

『人の心を読んで先を行く!』
これは今川家での人質時代に磨かれた力、狸の財産ですね。
彼は、戦で勝つだけが天下を取るとは考えていなかったのでしょうね。

(ここからは違う話です。)
家を継ぐ者D、長曾我部盛親の場合。
彼の場合は不運の一言ですね。
まず、父の長曾我部元親が1599年に逝った事。
これ自体はさほど不運ではありません。
不運はその父が有能な家臣を自分の為に抹殺した事ですね。
やりたい放題やってからの死去ですから、
最初から逆風が吹いています。
次に、関ヶ原合戦では徳川家康に味方するつもりでしたのに、
やはり不運にも石田三成に捕まってしまった事。
さらに、関ヶ原合戦では戦場にいなかった事。
あの地では何もできないと言っても過言は無いですよね。
毛利隊を中心とする南宮山部隊が、
一丸となって動く事ができれば話は別ですが・・・。
彼ほど運命に翻弄された人もいなかったでしょうね。

あ、そうそう、忘れるところでした。
今日8月18日は太閤豊臣秀吉が伏見で逝く日でした。
彼の死によって関ヶ原合戦への扉は約束されましたね。

懲りもせずに、長文、ごめんなさい。
986日本@名無史さん:02/08/19 00:56
>>983
このスレは、近年にない良スレでした
深くはないんですが、浅く広く全体を見るのには最良のところでした
その上、ほとんど荒らされる事もなく此処まで来るってことは、今では稀です
(参戦版のほうも、良スレのようで、隠れファンがいるようですね)
月星さんの人徳のなせる業です

私も同じく、日本史の専門家じゃないですし、戦国のダイナミズムとロマンが
大好きです
ただ、落とし穴のように、江戸時代の大名のイメージをそのまま、戦国大名や
守護職、守護代に重ねて見てしまって、??になることが有ります

戦国大名の定義が話題になったときに、書こうかと思ったんですが、思い留まった
んで、此処で少し書きます
戦国大名が、それ以前の守護職、守護代や、後の江戸時代の大名と決定的に
違うのは、守護職や戦国大名は、中央から派遣された農民を管理、統治する存在
であるのに対し、戦国大名は農民(そこから派生してくる、郷士、国人たち)の利害を
代表する存在であったこと、だと思います
(話が長くなりそうなのでこの辺で)

>>984
確かに
本能寺の変前後で、確固たるヴィジョンをもって行動していたのは羽柴秀吉と徳川家康
位なものかと思います
先手を取った秀吉は着実に天下を手中にしますが、出遅れた家康にしても、必要な手を
着実に打っています
特に、蒲生の後に上杉が移封されてきたことは、普通に考えればマイナス材料ですが
最終的にはプラスに働かせていますし、三成の件にしても、長期的な戦略でプラス
に働かせています
将来に対して確固たるヴィジョンを持った二人にしてみれば、戦国の夢覚めやらぬ
多くの戦国大名たちは、子供を相手にするようなものだったのかも、ですね
987月と星より ◆xQ5494pE :02/08/19 23:32
家を継ぐ者(レスが残り少ないので、あとはまとめてにしますね。)
佐竹義宣、島津義久、伊達政宗の場合。

佐竹家はよくわからない動きになってしまいましたね。
父の佐竹義重は外交戦術が上手い武将といわれています。
しかし、この関ヶ原合戦では、
『策士、策におぼれる。』を演じてしまったみたいですね。
こう評しますと厳しすぎますが・・・。
ただ、義重が西軍側(親石田三成派)の子の義宣に対して、
積極策を禁じていたふしがあります。
まあ、ここで佐竹家が積極的な軍事行動を展開しましても、
西軍勝利が約束される事はないですが・・・。
当然、戦後、佐竹家は没落していく事になります。

島津家もよくわからない動きになってしまいましたね。
確かに当初は東軍側に参加する予定でしたが、
島津義弘が伏見城篭城戦に断られしまいました。
仕方無いので伏見城攻城戦として参加し、
西軍側として参加する事になってしまいました。
本来、他の西軍側の大名と同じ様に、
除封か減封の運命が待っていたはずでした。
しかし、大勢が決した九月十五日以降、
わざわざ島津家と戦う必要も無ければ、
そこまで遠征する軍事費も勿体無い。
最終目標は豊臣家の滅亡。徳川政権の樹立。
運がよかった島津家。

伊達家、やはり失敗しましたね。
東軍側に参加したところまではよかったのですが・・・。
最上家の活躍を演出してしまった張本人。
南部家に対しても和賀忠親一揆を起こして失敗。
さらに伊達家は上杉家の福島城で敗退しています。
何も言う事は無いですね。
領地が加増された事が奇跡ですね。伊達家は何をしたのだろう?

残り13レスになりますね。
まだ明日も残っている事を祈ります♪
988日本@名無史さん
島津家・・・
中央は中央で適当にやっててくれればそれで良いのに
なまじ、伊集院の馬鹿が(山田も?)あれこれうるさいから
・・・(新納もか?)

唐入り?勘弁してくれよ〜
立花の娘婿

三成には世話になりたくなかったが・・・

しかしやはりここは律儀の人でしょう
・・・アレ、お兄ちゃんなんだか変・・・

250年後には・・・