日本史上最高のいくさの天才と言えば?
義経?信長?大村益次郎?
やっぱ大村かなあ…
アドミラルトーゴーだろ。
少なくとも世界的な知名度では。
3 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:22
畠山義就はうまかったらしいぞ。
4 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:22
そりゃ大楠公だろ
5 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:24
楠公は言わばゲリラ戦術の先駆け的存在。
ベトコンがやったのも言わば楠木流兵法。
6 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:25
水攻め成功させたことあるのって秀吉ぐらいでは
7 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:25
>>2 日本海海戦では東郷さんは立っていただけで指揮はしていないよ。
8 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:33
真田昌幸
9 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:39
まあ史上はじめて日本を統一した神武天皇でしょうな。
10 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:40
長嶋茂雄、これ最強
俺は??
12 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:45
>>10 優勝して当然なほどカネをかけても優勝できないことが
多いということで愚将ですな。剣術は上手いのだろうけど(藁。
13 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:47
徳川慶喜
14 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:51
仙石秀久以外はクソ
反論は許さん
死ね!!!
15 :
日本@名無史さん:02/02/17 23:57
局地的な戦術と戦略と言う意味での「いくさ」の捉え方で違いがあるだろうけど、
総合評価で秀吉だろうな。
16 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:00
「マレーの虎」こと水野晴郎
17 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:07
ある意味、人生で一度も敗戦をしなかった徳川家康。
三方が原の敗戦は確かにそのときは惨敗だったが、これで彼は一躍評価され、この敗戦は死ぬまでおおきな財産になった。
義経は壇ノ浦意向敗北続きだし、秀吉は朝鮮出兵は失敗、加えて豊臣家の没落を早めている。
18 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:16
ある意味、人生で一度も敗戦をしなかった神武天皇。
盾津の敗戦は確かにそのときは惨敗だったが、これで彼は一躍評価され、この敗戦は死ぬまでおおきな財産になった。
義経は壇ノ浦意向敗北続きだし、秀吉は朝鮮出兵は失敗、加えて豊臣家の没落を早めているし、
徳川家も維新で没落。
やはり二千六百年の礎を築いた神武天皇が最強だね。
19 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:19
義経は最後の最後で中国制覇、これ最強
20 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:21
>>19 大陸を制覇したのは義経じゃなくてその子孫だろ。
21 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:22
アントニオ猪木>>>>>>>>>>神武天皇
なので猪木が最強。
22 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:24
>21
ばーか。
現代人のアントニオ猪木より古代人の神武天皇のが百倍強い。
23 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:26
ハマコー>アントニオ・猪木>田中真紀子>野中幹事長>上杉謙信>
24 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:35
鶴田だろ
ハマコー>鶴田真由>ジャンボ鶴田>長臭力>アントニオ・猪木>上杉謙信>武田信玄>小早川秀秋>羽柴秀吉>
羽柴誠三秀吉
以上
26 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:49
大村と大楠公の対決が見てみたい。
27 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:55
まあ神武天皇に勝てるやつはいないだろうよ。
必殺金鵄光線!
28 :
日本@名無史さん:02/02/18 00:57
神武天皇>島津義弘>>大村益次郎・上杉謙信>福島正則・河井継之介>伊達政宗>徳川家康>山県有朋>薩摩の海江田>
29 :
日本@名無史さん:02/02/18 01:00
神武天皇最強!
30 :
日本@名無史さん:02/02/18 01:02
神武天皇伝説は東洋のアーサー王伝説と言われているね。
まさに古代歴史浪漫だよ。
31 :
日本@名無史さん:02/02/18 01:03
戦略−織田信長
戦術−真田昌幸
こんな書き方すると銀英伝みたいだな。
32 :
日本@名無史さん:02/02/18 04:26
島津義弘でしょう
33 :
日本@名無史さん:02/02/18 04:51
いずれおとらぬ戦上手ばかりだが…
高杉晋作を挙げたい!
幕末期の大村益二郎は巨星、板垣・桐野・別府ら猛将達も、
高杉にはかなうまい。
34 :
日本@名無史さん:02/02/18 04:56
軍令部:徳川家康
参謀本部総長:楠木正成:参謀主任:真田昌幸
東軍司令:源頼朝、軍参謀:北畠顕家
東北方面軍司令:伊達政宗
関東方面軍司令:北条早雲
中部方面軍司令:武田信玄
上越方面軍司令:上杉謙信
西軍司令:平清盛、軍参謀:大村益次郎
関西方面軍司令:羽柴秀吉
中国方面軍司令:山名宗全
四国方面軍司令:藤原純友
九州方面軍司令:島津義弘
>>34 陛下! 軍令部と参謀主任が仲たがいしてるとの噂が立っています。
36 :
日本@名無史さん:02/02/18 05:10
>34
なんや選択基準がバラバラやな(藁
徳川はシブシブ理解しても、北畠・清盛・山名・純友あたりが…
わけがわからん
37 :
日本@名無史さん:02/02/18 05:12
参謀副主任に柳生宗矩を遣わす。
おのれ〜
このままですますと思うなよ。
39 :
日本@名無史さん:02/02/18 05:25
織田信長って運と鉄砲だけだよね。
って家康が・・・
40 :
日本@名無史さん:02/02/18 05:31
義経だろう。無敗だから。
41 :
日本@名無史さん:02/02/18 05:56
楠木正成のデータ(%)
忠誠95
戦略90
戦術100
政治60
散り様100
42 :
日本@名無史さん :02/02/18 06:10
>>41 戦術値は高くても良いけど、戦略と政治はもっと低くてもいいかも・・・
あと他のキャラとのバランスを取ってね。
43 :
日本@名無史さん:02/02/18 18:54
だから神武天皇に勝てるやつなんていないんだよ。
44 :
日本@名無史さん:02/02/18 19:00
だから、崇俊天皇に勝てるやつなんかいないんですよ。
45 :
日本@名無史さん:02/02/18 19:01
天武天皇もかなり強いぞ
46 :
日本@名無史さん:02/02/18 19:23
純粋に戦術で選ぶなら織田信長でしょうね。
政略、戦略も含めれば秀吉。
時代が違うと基準が全然違ってくるだろ。
東郷平八郎
49 :
日本@名無史さん:02/02/18 20:12
重信房子
>>48 2でも出てるが、知名度だけなら確かに世界的。
私は河井継之助を推します。
乃木希典。
作戦失敗しまくって、けど神将になった。
徳川家康=幕府崩壊だから駄目
っていうのはスレの主旨と違うのでは?「いくさ」と「幕府云々」は違うんじゃ
幕府は政治力の問題でしょ?いや、崩壊は家康のせいではないとか言い出したらキリないんだけど
えぇと、秋山真之と、児玉源太郎さんプッシュ。
山本五十六
54 :
日本@名無史さん:02/02/19 16:38
神功皇后をしのぐ男はいないと思われる。
55 :
日本@名無史さん:02/02/19 16:46
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 早く戦争しようよ!
\ ______________
∨
_____
/_ ☆|
//T´∀`) ̄
(つ¬≡∩二二≒===========ロ
∠/~回=〉 ━┣===========フ
/ / ゝ ゝ
(__) \_)
56 :
日本@名無史さん:02/02/19 16:53
>純粋に戦術で選ぶなら織田信長でしょうね
織田信長が戦上手かな?政略、戦略が上手いだけで秀吉はさらに大規模
に実行しただけ。
57 :
日本@名無史さん:02/02/19 16:57
おまいら児玉源太郎以外に誰がおるんじゃ?
ににぎのみこと
59 :
日本@名無史さん:02/02/19 17:50
大和健命を一押し。
60 :
日本@名無史さん:02/02/19 18:29
鉄砲なし、弓、騎馬、槍などの兵数が同じであれば、
奇策を重視する兵法家である、源義経がNO.1の結果を残している。
61 :
日本@名無史さん:02/02/19 18:38
やはり、義経か正成のどちらかだろうな。
義経の戦術(?)は奇抜さと無謀さが紙一重。いずれも小人数で勝利をおさめた戦績は輝かしいが、逆にそんな少数相手に散り散りになった平家軍の
弱さも一考すべき。
63 :
日本@名無史さん:02/02/19 18:54
戦闘行為のみなら上杉謙信もノミネートされていいかも
64 :
日本@名無史さん:02/02/19 19:37
>56
桶狭間の戦いは天才の業です。
まぁ、完全に計算されたものと仮定すればですが。
敵主力を最小戦力で停滞させて、主力を率いて最小抵抗線に沿って
高速機動、敵中枢を撃破する。
リデル・ハートの教科書に載りそうな戦いかたです。
他の戦いも変な表現ですがキレが良いです。
中途半端な作戦を採らず、攻めるときは徹底的に攻撃する。
さらに逃げ足も速い(藁
マンシュタインなみの天才だと思います。
65 :
日本@名無史さん:02/02/19 19:38
軍師系(黒田官兵衛等)はダメなの
66 :
日本@名無史さん:02/02/19 19:40
日本には孔明クラスの軍師はいないな。
真田昌幸でしょ。
信長は政治力
家康は信玄以下だ
68 :
日本@名無史さん:02/02/19 20:01
69 :
日本@名無史さん:02/02/19 20:16
>>67 勝頼のほうが信玄より戦上手
その勝頼は信長に負けた。
70 :
日本@名無史さん:02/02/19 20:22
>69
いや、勝頼には信玄のような名前だけで敵を震えあがらせる
ようなカリスマがないよ。
いくさは単に兵の動かし方だけで決まるものではありません。
71 :
日本@名無史さん:02/02/19 20:24
まあともかく神武天皇が最強ってことでいいではないか。
72 :
日本@名無史さん:02/02/19 20:59
神四郎武田勝頼
73 :
日本@名無史さん:02/02/19 21:09
整理しよう
1. 記紀から奈良時代
2. 平安鎌倉時代
3. 南北朝時代
4. 戦国時代前半
5. 戦国時代後半
6. 幕末明治大正昭和
これで予選リーグノミネート。出揃ったら基準を決めて決勝トーナメント。
さあどうぞ。
戦が巧い人はやはり、羽柴秀吉。
豊臣時代ではなく羽柴時代の時の。
心理作戦に長けていたしねえ。
75 :
日本@名無史さん:02/02/19 21:14
>73
1は神武天皇で決定だな。
2は源義経
3は楠木正成
4は羽柴秀吉
5は徳川家康
6は児玉源太郎
権造。
77 :
日本@名無史さん:02/02/19 21:16
>>73 それでいいからテンプレ化してくれよ。
集計するんだろな?
78 :
面白いじゃねえか:02/02/19 21:20
>>73 4と5が微妙だ。どこで区切る?
俺は羽柴は5の分類だと思うんだけど。
79 :
日本@名無史さん:02/02/19 21:22
近代の局地戦レベルなら“不敗の将軍”宮崎繁三郎中将でないかい?
ノモンハンでもインパール作戦でも、彼の部隊は戦闘で負けたことがない。
80 :
日本@名無史さん:02/02/19 21:54
1. 記紀から奈良時代・・神武天皇
2. 平安鎌倉時代・・・・源義家、源義経、源為朝
3. 南北朝時代・・・・・楠正成
4. 戦国時代前半・・・・山中鹿之助
5. 戦国時代後半・・・・真田昌幸
6. 幕末明治大正昭和・・児玉源太郎
政略家は抜きにして、戦術、戦闘家でノミネートしてみました。
81 :
日本@名無史さん:02/02/19 22:04
近代戦なら土方歳三も結構いけるかも。
82 :
日本@名無史さん:02/02/19 22:09
信長は戦略家だと思うけどな。
兵農分離で1年中、戦ができるようにしたし、
兵力を分割した軍団制でいたるところで戦えたとか。
どうかね?
宮本武蔵
84 :
日本@名無史さん:02/02/19 22:17
日露戦争の陸戦を事実上、勝利に導いた黒木為禎ではないでしょうか。
世界戦史に残る、弓張嶺の師団夜襲・太子河の秘密渡河作戦。
このどちらかひとつを成功に導いただけでも、東郷平八郎に勝るとも劣らない。
85 :
日本@名無史さん:02/02/19 22:28
>>84 おれも思ってたよ、黒木為禎、第一軍司令官。
野津や乃木なんかより…。
アドミラル東郷はすごいけど、スレタイトルの「いくさの天才」としてはどうかな
86 :
日本@名無史さん:02/02/19 22:32
いくさ天才の定義がむずかしい
影響範囲で追ってけば
日露戦争の山本権兵衛も勝てる海軍をつくったぞ
陸軍は山縣がバカやって大山、児玉らが尻拭い
1. 記紀から奈良時代・・・・該当者なし
2. 平安鎌倉時代・・・・・・義経
3. 南北朝時代・・・・・・・・該当者なし
4. 戦国時代前半・・・・・・該当者なし
5. 戦国時代後半・・・・・・島左近
6. 幕末明治大正昭和・・・・大村
88 :
【^▽^】アフリカ太郎スレイマン・ジョーカー:02/02/19 22:37
板垣は大村と並ぶな。
89 :
日本@名無史さん:02/02/19 22:52
>>88 うわあぁぁははは・・・・(藁い
笑いすぎて腹痛ぇよ
責任とってくれ、うわあぁぁっははははは・・・・(藁い
・・・・失礼。その根拠を。
90 :
日本@名無史さん:02/02/19 23:00
>>86 だけど児玉は戦後満州の領土化を進め、ロシアや欧米との摩擦を招いて、
伊藤山縣などの元老から、かなり注意されている。
優秀な戦術家の上に戦略家ではあるけど、政略能力はないよ。
軍人としては優秀かもしれないが、戦国時代以前のような総合的な能力はないんじゃないかな?
91 :
日本@名無史さん:02/02/19 23:13
軍政家としての児玉はどうなんだろう?
児玉があんなに早死にしなければ、
寺内陸相の長州閥人事・参謀本部弱体化はできなかっただろうけど。
児玉と寺内の仲の悪さは、明治天皇も心配するほどだったというからね。
92 :
日本@名無史さん:02/02/19 23:15
>>90 横スレですまないが
政略云々は抜きにしてのこのスレではないの?
違ったらごめんなさい
93 :
日本@名無史さん:02/02/19 23:17
>82
信長の兵農分離・・・・・実は根拠なし。
信長時代の織田家の軍制・・・・・実は武田家や北条家よりも遅れていた。
94 :
日本@名無史さん:02/02/19 23:18
ドカベン山田太郎のじいちゃん。
甲子園に行かんで、ラジオで太郎の活躍を聞きながら畳に通す針の心意気
いぐさの魔術師、いや一球入魂のいぐさの名人といえよう。
1. 記紀から奈良時代・・・神武天皇
2. 平安鎌倉時代・・・・・源義経
3. 南北朝時代・・・・・・楠木正成
4. 戦国時代前半・・・・・朝倉宗滴
5. 戦国時代後半・・・・・真田昌幸
6. 幕末明治大正昭和・・・栗林忠道
こんなんでどう
96 :
日本@名無史さん:02/02/20 20:01
>>93 ホントですか? 根拠は?
武田は、寄親寄子制の地域連合の軍隊
北条は、支城を中心とした衆編成の地域連合軍に北条一門が管理者として支城主になる「現地企業」型軍隊って聴いた。
織田は、足軽を集めて組を作り、その組に信長の馬回りを配属して直属軍を強化する近代的な軍隊と聞いていたが。
事実が違うならぜひ教えて下さい。
97 :
日本@名無史さん:02/02/20 20:03
ジャージの岡田監督
98 :
日本@名無史さん:02/02/20 20:03
ハハ いつ喧嘩がはじまってもおかしくないスレだな
99 :
なんてったって:02/02/20 21:12
橋場製造費出吉
100 :
日本@名無史さん:02/02/20 21:22
100
101 :
日本@名無史さん:02/02/20 21:22
薩摩の海江田信義だよ。
102 :
日本@名無史さん:02/02/20 21:26
秀吉最強説に一票投ずる。
数万規模以上の兵力限定だが。
103 :
日本@名無史さん:02/02/20 21:33
わたしも羽柴誠三秀吉に一票投じたいニダ。
104 :
日本@名無史さん:02/02/21 20:39
>96
東国大名中心史観なんて言われるかもしれないけど・・。
信長時代の織田軍にしても、小領主連を地域単位などの単位で一門衆や
重臣団が率いていたという意味で、同時代の武田家や北条家と基本的に
変わらない。ただ、織田軍においては、知行・所領高に対応した軍役
人数を定めていた武田家や北条家のような整然とした軍役賦課体制は
整えられておらず、動員兵力は基本的に家臣の「心掛け」次第だった。
家臣団のレベルでは、割と早くから知行高や年貢高に対応した軍役賦課も
なされていたみたいだけど(永禄12年の山城賀茂荘の例)、それが大名
権力のレベルで一元化されることは、信長生存中には遂になかった。
だから織田軍は、装備や兵の構成などの点で、信長の意思の元に一元化さ
れた整然としたものなどではとうていなく、武篇道の督励でそうした欠陥に
対応していたあたり、前時代的な古さが多分に残っていたと言える。
また、信長は傭兵を大量に動員して年中軍を動かせるようにした、などと
よく言われているけど、そんな命令がくだされた証拠などないし、織田
軍の遅れた軍制では、そもそもそんな命令を貫徹することなど不可能だと
思われる。
結局織田政権の軍制は、豊臣・徳川政権はもちろんのこと、同時代の武田家や
北条家にも及ばず、そうした古さを信長個人の力量で補っていたということに
なる。だから、ある意味で、信長個人の才覚は大変優れていたとも言える。
もっとも、武田家などの軍制にも限界はあって、例えば信濃と甲斐とでは知行高
あたりの軍役数が異なっていたし、いくら整然とした軍制を整備しようとしても、
大名に求心力がなければ意味はない。だから、織田政権の軍制の遅れも、当主
個人の才覚次第で覆せるもので、致命傷にはならなかった。
織田政権の軍事面で優れていた点を挙げるとすると、迅速な軍事行動を可能とする
ような環境整備に努めていたということかな。義昭に備えて船を琵琶湖に用意したり、
街道の整備を進めたりと。まあ、この点で他の大名と決定的な差があったかどうか、
自信はないけど。
山本五十六に一票。
勝利数、作戦の立案能力に関しては名将は数多いが、
相当危険なリスクを冒してまで真珠湾作戦を主張・遂行し、
その賭けに勝った、この一点を買いたい。
106 :
日本@名無史さん:02/02/21 23:26
個人的には
山口多聞>山本五十六
戦略家より戦術家のほうが天才という言葉が似合う感じがする。
107 :
日本@名無史さん:02/02/21 23:28
三井理峯女史に一票
>>106 戦略家とか戦術家についての評価はわからないが、背負っていた責任の大きさで
山本の勇気に旗を上げる。
109 :
日本@名無史さん:02/02/23 08:15
神武天皇が一番強いと思います
110 :
日本@名無史さん:02/02/23 08:35
≫104
詳しいですね。ところで、信長の兵農分離というのも根拠はない(時代的に早すぎる)
ということでしょうか。
111 :
日本@名無史さん:02/02/23 08:47
>110
織田政権末期には、兵農分離、つまり家臣団の城下町集住と
在地性の喪失がある程度進行していた可能性はあるけど、
他大名と決定的な差があったかは疑問。基本的に、織田政権
における兵農分離の進展具合は、他大名と大した差はなかった
と思う。
112 :
日本@名無史さん:02/02/23 09:00
>>90 児玉は元老らと同様に満鉄日米共同経営に賛成してたんだろ。
反対して潰したのは小村外相。
113 :
日本@名無史さん:02/02/23 09:04
島左近に一票。
114 :
Cipher:02/02/23 09:19
>>104 信長自身のその”自由度”が逆に
秀吉・光秀クラスの武将の段階で個々の状況にあわせて
整備されていたということはないのでしょうか?
115 :
名無し募集中。。。:02/02/23 10:31
大山 巌でしょう。
戊辰・西南・日清・日露等々負け戦はなし。
黒木、児玉、川上操六などの天才を使いこなした。
116 :
日本@名無史さん:02/02/23 10:37
>>112 いやその後の満鉄経営のことだよ。
児玉は、日本の領土みたいな考えがあったんだよ。
満州の門戸開放を宣言していたのに、締め出していたんだ。
この行動に元老がぶち切れして、会議が行われたんだ。
また設立は満鉄は児玉のアイディアだよ。
来るべきロシアとの再戦の為に輸送力を強化しようとしたんだ、
師団を増設するよりも、鉄道を敷設する方が、
金も儲かるし、補給路の確保にも使えるって案らしい。
補給路の事も考えているし、後の陸軍に見習わせたい。
117 :
93=104=110:02/02/23 10:50
>114
その解釈は無理だと思いますが。信長が、知行・所領高に応じた体系的な
軍役賦課体制を整備することを怠ってきた、と解釈するのが妥当なところ
だと思います。それは、信長の限界というか古い体質に起因するところも
多分にあるのでしょうが、信長自身が、その必要性をあまり認識していな
かった、ということもあるのかもしれません。
結局のところ、織田も武田も北条も、というか戦国大名の軍は、小領主連を
地域単位などに編成して一門衆や重臣団が率いていたという構造に基本的な
違いはないわけで、知行・所領高に応じた体系的な軍役賦課体制が整備され
ていなくとも、大名に求心力があれば、致命的な欠陥とはならないわけです。
支配圏の拡大が急だったため、体系的な軍制整備の余裕がなかったのかも
しれませんが、信長は、武篇道の督励で支配圏の維持・拡大が充分可能なの
だから、面倒な軍制整備の必要はあまりない、と考えていたのかもしれません。
119 :
日本@名無史さん:02/02/23 12:49
>>1 いちよう伝統的な一般通念では楠木正成ってことになってるんでは。
120 :
日本@名無史さん:02/02/23 17:00
バカヤローども戦国最強は毛利元就。
121 :
日本@名無史さん:02/02/23 17:30
九州人は立花道雪を押す
122 :
日本@名無史さん:02/02/23 18:06
↑
九州は日本じゃないので却下。
123 :
日本@名無史さん:02/02/23 18:07
近代日本の戦術家としては、オレも宮崎繁三郎に1票。
最前線の現場指揮官としては、大山、児玉より上かも。
負け戦の中で勝っているもの。
124 :
日本@名無史さん:02/02/23 18:34
>>123 俺も「無敗の名将に」一票。
死に際の病床で夢の中でも指揮を執っていたそうな。
125 :
日本@名無史さん:02/02/23 18:47
>123,124
そんな凄い人がいたとは知らなかった
豊田譲の本を読んだのですか?
栗林に一票投じます。
ドキュン国立信○大学の工学部に行ってたころあっちの郷土史に触れる機会があったし。
で、>95
朝倉宗滴って人について詳細きぼんぬ。
128 :
日本@名無史さん:02/03/19 20:43
129 :
日本@名無史さん:02/03/19 21:22
一度も天下を取れないようなヘタレに戦の天才はいません
130 :
日本@名無史さん:02/03/19 21:58
一度も天下を取れないって・・・
何回も天下を取ってる奴がいたとしたら
そいつは天下取るたびに誰かしらに覇権を奪われてると言う事ですか?
石原莞爾
132 :
日本@名無史さん :02/03/19 22:20
昭和大帝。
俺だよ
呉清源
135 :
日本@名無史さん:02/03/19 22:32
まあ確かに
北条相手の三増峠の戦いや
徳川との三方が原の戦いの成り行きを見ると
武田信玄の晩年は、気持ち悪いほどいくさが上手いよね。
137 :
日本@名無史さん:02/03/19 23:22
138 :
日本@名無史さん:02/03/19 23:27
大海人皇子です。
最初は不利な立場でありながら、最終的には弘文天皇を擁する
近江朝廷(官軍)を撃破して、実力で天皇位を奪取したから。
139 :
日本@名無史さん:02/03/19 23:28
140 :
日本@名無史さん:02/03/19 23:29
141 :
日本@名無史さん:02/03/19 23:40
携帯天皇
142 :
日本@名無史さん:02/03/19 23:43
上杉謙信かな?
戦の巧い「秀才」はいっぱいいるが、「天才」はこいつと
あと強いて言えば義経か。
143 :
日本@名無史さん:02/03/19 23:45
新撰組の土方歳三だって凄いぞ
高杉晋作もな
144 :
日本@名無史さん:02/03/20 00:44
>>143 近代戦にいまいち乗り遅れていたような気もしますが
145 :
日本@名無史さん:02/03/20 00:47
北条氏康本人は戦では負けてなかった事無いか?
146 :
日本@名無史さん:02/03/20 00:48
家康は運のいいタヌキにしか見えんのだが、、
147 :
日本@名無史さん:02/03/20 00:50
>>145 氏康傷ということばがあるくらいだからやばい局面に
立っていたことはあるということか?
148 :
日本@名無史さん:02/03/20 00:53
松本ズショノ助
149 :
日本@名無史さん:02/03/20 00:57
鍋島直茂!
150 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:00
児玉源太郎
秋山真之でいいだろ。
少なくともコイツがいなかったら北海道はいまごろロシアのもんだったぞ。
152 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:06
>>146 運も実力のうちというからな
いくら戦略に長けてても運が悪けりゃ勝てないし
153 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:25
神功皇后
154 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:30
天武天皇
155 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:33
秋山真之が天才とされているのは、司馬遼太郎のおかげでしょ。
156 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:34
山県狂介
157 :
日本@名無史さん:02/03/20 01:53
ここに出てる名将がそろえば太平洋
戦争は日本かってたでしょうか?
158 :
日本@名無史さん:02/03/20 02:05
>157
勝つのは絶対ムリだろ。しかしあんな無様な負け方はしとらんやろうな。
159 :
日本@名無史さん:02/03/20 02:09
>>157 みんな自分の時代の戦い方しかできなくて・・・ってオチも
面白そう。
160 :
日本@名無史さん:02/03/20 08:30
信長なら勝てるだろ
161 :
日本@名無史さん:02/03/20 09:20
名将ならそもそもアメリカとは戦わないだろ(w
162 :
日本@名無史さん:02/03/20 09:21
石原莞爾
163 :
日本@名無史さん:02/03/20 17:52
河井継之助
一回とられた城を再び取り戻している。
再落城の際はすでに戦線離脱後であり彼の責任ではない。
164 :
日本@名無史さん:02/03/20 18:10
秀吉に一票
165 :
日本@名無史さん:02/03/20 18:13
166 :
日本@名無史さん:02/03/20 18:22
167 :
歴史のあと知恵さん:02/03/20 18:39
戦略の天才部門
「織田信長」
「武田信玄」
戦術の天才部門
用兵の天才 「源 義経」
経済戦争の天才「豊臣秀吉」
謀略の天才 「毛利元就」
戦国時代に偏っちゃったけど、アメリカとの対決を決定した昭和の人間は
戦略部門で天才とはいえない気がします。
168 :
日本@名無史さん:02/03/20 23:09
日露の時の人材なら太平洋戦争も、もっと違った形になっただろうに・・。
ところでこのスレには信長の名前がよく挙げられてるが、
「大が小を制する」を繰り返しただけの信長は、いくさの天才というより
”いくさの準備”の天才だと思うのだが。
169 :
歴史のあと知恵さん:02/03/20 23:33
>>168 戦の準備の天才=戦略の天才
イクサ= 戦略 + 戦術
170 :
日本@名無史さん:02/03/20 23:39
ということは合戦をやらずに済ませた奴が真の天才と言うことか
等と今更なことを言ってみる
171 :
日本@名無史さん:02/03/21 00:28
孫子だね。
>>171 少なくとも「日本史上」ではないだろう。
173 :
日本@名無史さん:02/03/21 00:52
170にかけたのだよ。
174 :
日本@名無史さん:02/03/21 00:55
結果論で云えば家康でしょう。
戦になる前の情報・策略が重要視されるべきでは。
>>173 それは失礼しました。
となると毛利元就あたりかな。
176 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:41
>>174 都合よく信長が死んだり秀吉が死んだり利家が死んだりするのは
「戦略」でしょうか。
177 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:46
>>167 信玄は天才か?秀才には違いないけど。独創性があるかっつーと…
178 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:55
>>177 戦略の独創性ってのはあるっちゃああるし無いっちゃあない。
まあ誰に関してもそうだけど。
戦術に関しては啄木鳥とか魚鱗から鶴翼への展開とか面白いけど。
秀才ちゃあ秀才だけど才能もあるべ?ってとこだろ。
179 :
日本@名無史さん:02/03/21 01:56
>>167 偉いのは信玄じゃなくて山本カンスケ(←字忘れたゴメソ)だべ?
180 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:04
山鹿素行はどうなの?
山鹿兵法が実践されたのは赤穂浪士の討ち入りくらいだが、これは戦術として完璧に機能したと言えるんではないだろうか。
181 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:05
義経は上手いだろ
182 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:06
>>179 菅介が軍師だったとはとても思えん。
>>180 すいませんが赤穂浪士の討ち入りは他の戦と同列に扱える
ものだとお思いでしょうか?
183 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:08
>>180 実際に本人が指揮してないからダメだね。討ち入りを言うなら大石の指揮官としての能力はそれなりと言えるのでは。
184 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:13
>>182 それを言ったら、信玄本人が指揮官として戦略を立案・実行してたワケでもないべ?
>>182 あくまでも「山鹿兵法が実践された例」を挙げたまでで、もちろん合戦と呼ばれる軍隊同士の戦と同等に扱えるものとは思っておりませぬ。
186 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:20
実績で言えば秋山真之
187 :
日本@名無史さん:02/03/21 02:23
>>185 じゃあ合戦で使えるかどうかは未知数、と。
まあ軍学で机上の空論でないものを探すほうが難しいが(w
188 :
日本@名無史さん:02/03/21 05:37
大石内臓助は?
189 :
日本@名無史さん:02/03/21 05:41
>>188 お互いに備え固めた実際の戦で役に立ったかどうかわからん。
190 :
日本@名無史さん:02/03/21 06:30
つか、昔の人間がどう立ちまわっても
近代史の人間には勝てないだろ
ってことで、五十六に決定
191 :
日本@名無史さん :02/03/21 21:14
「作戦の神様」こと辻正信を忘れてもらってはこまる。
192 :
歴史のあと知恵さん:02/03/22 01:07
>>181 戦術レベルは天才。
戦略になるとただのアフォ。
いくさの天才を決定する評価基準って、
生存当時の能力平均からいかに突出していたかって事で決まるのかな?
じゃないと、
>>190の言うように圧倒的に近代が有利だよね。
193 :
日本@名無史さん:02/03/24 11:02
実戦経験なしで戊辰戦争最大の激戦を引き起こした河井継之助は天才だろう。
194 :
日本@名無史さん:02/03/24 11:11
山本五十六や石原莞爾は河井継之助の影響をうけている。
山本五十六、石原莞爾、河井継之助、、、、みんな負け組。
196 :
日本@名無史さん:02/03/24 11:56
いくつか指摘はあったけど、
いくさの天才の「いくさ」の定義無しでそれぞれ勝手に名前あげてもしょうがないんでは・・・。
戦争なんて政治の延長って考えもあるんだし。
逆に全く同じ条件で戦った場合の一番って見方も。
おもいっきりおおざっぱに定義するとしても
最低限、戦術、戦略ぐらいの区別はいるんでは?
これでもまだ無理ありそうだけど。
戦術では候補多すぎてこれってのはないけど、
戦略ではやはり信長なんではないかと思われます。
誰かが書いてましたが結局つねに負けない状況で戦をした(桶狭間の例外を除いて)ってのはすごいですね。
あと、銃、物量がメインの近代戦になってくると、なかなか戦術級の天才ってのはでなくなってくるんではないでしょうか。
197 :
日本@名無史さん:02/03/24 12:00
河井をあげる人わりといるけど、ロマンとかそういうの混ざりすぎでは?
長岡がいい戦いできたのはなによりもその装備によるものだと思います。
結局負けたわけですし、上手く負けたってわけでもないし。
どういう点で候補にあげるのかお考え聞かせていただきたい
源平時代 源 義経
戦国時代 立花 宗茂
幕末 大村益次郎
近代 秋山 真之
199 :
日本@名無史さん:02/03/24 16:45
>>197 長岡藩に最新式の装備を導入したのが河井であることを忘れてないか?
戦国時代〜江戸初期では、断然、立花宗茂
秀吉も家康も秀忠も家光も認めたのは、彼だけ。
201 :
日本@名無史さん:02/03/24 17:44
>>179 ワラタヨ!
三戦板のほうが、戦国の造詣が深いな。
202 :
馬○x馬○x馬○:02/03/24 20:17
牟田口 廉也
203 :
日本@名無史さん:02/03/24 20:33
ムネオが一番にきまってるだろ
北海道中の土建業者を率いて国会議事堂に攻めのぼるぞ
204 :
日本@名無史さん:02/03/24 21:05
>>198 剥げしく同意。
とくに秋山真之の存在は、日本の運命すら変えたからな・・。
205 :
日本@名無史さん:02/03/24 23:39
義経も平家の世を覆す原動力となったことで、日本の歴史を変えたかもな。
まぁ、秋山真之ほど直接的じゃないが。
206 :
日本@名無史さん:02/03/25 00:00
207 :
日本@名無史さん:02/03/25 00:03
208 :
日本@名無史さん:02/03/25 00:23
晩年のみならず、現役バリバリの頃から奇行が目立ってたよ。
「天才」と呼ばれる人によくありがちな現象ですね。
210 :
日本@名無史さん:02/03/25 02:07
秋山真之ってさ、日本海海戦の後年、海軍大学の講義で「制海権」という概念を
真っ向否定して、敵の海上兵力を撃破することこそが海軍の究極無二の目的である
見たいな事言い出しちゃって、しかも言われた学生達が希代の名軍師の一言に
揃って無批判に納得しちゃったもんだから、後々日本海軍は「商船を沈めるなどは刀の穢れ」
みたいな風潮が出来上がっちゃた、という見方がある。
ここら辺が、秋山の戦略家としての限界だったんじゃない?
尤もあの当時の連合艦隊の司令部で、後々艦隊決戦主義なんて歪な発想に囚われなかったのは
人材は加藤友三郎ぐらいだと思うから、結局皆あの大勝利に酔いしれちゃったんだろうね。
211 :
日本@名無史さん:02/03/25 02:26
戦術と戦略の才能は違うしね。
212 :
日本@名無史さん:02/03/25 02:43
>>199 藩の財政を立て直し、最新式の武器を手に入れ、最強の兵を作り上げる。
これはまさに才能なわけですが、分類では戦略、政治の能力だと思うんですね。
んで、この点でいうならば長岡という小藩をもって負けの決まった戦いに参加させてしまった時点で
戦略、政治的「天才」であったとは言えないとおもうんですよ。
もちろん優れた人物ではあったが、同時代、また他の時代の偉人に比べて歴史上もっとも「いくさ」において優れた人物であるとは言い難いと思いますね。
城を取り返した点をもって戦術の天才であるとしてる方がいましたが、それもどうかと思いますし。
213 :
日本@名無史さん:02/03/29 01:03
>>210 A・T・マハンを熟知した秋山がそんなに単純だとは思われない。
第一次大戦の帰結を予想したように、総力戦の概念も持っていた。
問題は後継者がいなくて、ただ一回かぎりの艦隊決戦にいかにして勝つか、
ということにこだわりすぎた昭和の提督たちのコマの小ささ。
山本五十六とて例外ではない。
214 :
日本@名無史さん:02/03/29 01:05
日本の基本戦略はマッキンダーだよ。
215 :
蝦○とのいくさの天才達:02/03/29 04:55
神話 神武天皇 神武東征
神話 日本武尊 熊襲・蝦夷平定
古代 阿部比羅夫 秋田・淳代討伐 粛慎征討
古代 大野東人 多賀城設置
古代 坂上田村麻呂 蝦夷征討
古代 文室綿麻呂 蝦夷平定完了
中世 源義家 前九年の役 後三年の役
中世 源頼朝 奥州征伐
戦国 豊臣秀吉 奥州平定
幕末 西郷隆盛 戊辰戦争 別名東北戦争
戦前 昭和天皇 二・二六事件 反乱軍鎮圧
戦後 志賀直哉 太宰治入水自殺
現代 福田赳夫 角福戦争 ロッキード事件 田中内閣総辞職
216 :
日本@名無史さん:02/03/29 05:06
十万もの豊臣軍を相手に、三千人で戦った九戸政実という
武将もスゴイゼ。
217 :
日本@名無史さん:02/03/29 09:01
蛮族を打ち払い領土を拡大した英雄達・・・未知の蛮土へ進軍ワクワク
多賀城復元希望!
218 :
東北戦争といえば:02/03/29 21:21
I,s戦争かなI,sはたいした戦いしてないとか、I、s城下まで簡単
に侵入を許してしまったらしく、他の東北諸藩は傍観したまま、あげくに
同士討ちまで始めたらしい。
東北戦争の主役は新政府軍と旧幕府軍&新撰組みたい
西郷対榎本&土方?
219 :
日本@名無史さん:02/03/29 22:34
島津義弘or島津家久。
220 :
日本@名無史さん:02/04/12 23:11
いくさって、戦略のことをさすのでは?
項羽と劉邦の例を引くまでも無く、戦術で勝る者と戦略で勝る者では、後者の方が結局は勝つと相場が決まっている。
その考えを踏まえて言えば、信長。
戦術での巧者はほかに居るだろうが、その戦術を封殺するだけのきわめてキレのいい戦略を持っている。
もっとも最期の最期で全く愚劣としか言いようのない単なる「戦術」に殺されるのはやや皮肉で面白い。
ただし大陸戦や海戦がメインの近代戦はちょっと異質。兵站の概念がまるで違う。
つまり、戦国と比べると、ことさら補給線を絶対原則に戦略を練らねばならなくなる。
そちらの方は他の意見に譲る。
大村は近代軍隊と近代軍事技術の輸入者であって、独創者ではないと思うよ。
その点、非常にすぐれた偉大な秀才ではあっても天才ではないのでは、と。
221 :
日本@名無史さん:02/04/13 00:20
神代から奈良:大海人皇子
平安・鎌倉:源頼朝
南北朝:新田義貞
戦国前半:該当なし
戦国後半:羽柴秀吉
幕末以降:近代は不明。トーゴーにしておく。
おでぃは強ったけど、蝮はもっと強った
223 :
日本@名無史さん:02/04/13 01:19
>>220 古い物に縛られない、という意味では同じではないかな?
224 :
日本@名無史さん:02/04/13 02:02
>>221 戦国前半は伊勢新九郎か毛利元就あたりはどうかね。
225 :
日本@名無史さん:02/04/13 03:34
226 :
日本@名無史さん:02/04/13 03:44
幕末維新の戦場なら大村益次郎と板垣退助が抜群だろう。
227 :
日本@名無史さん:02/04/13 04:11
>>221 源頼朝・・・・。
新田義貞が快勝したのって、鎌倉攻めだけじゃん。
228 :
日本@名無史さん:02/04/13 04:57
林子平
229 :
日本@名無史さん:02/04/13 05:03
おすぎとぴーこ
230 :
日本@名無史さん:02/04/13 07:57
堀秀政
231 :
常則@天国:02/04/13 08:16
秋山好古!
淳さんの兄上ぞなもし。
立見尚文
新田義貞にするくらいなら、楠木正重にしてほしい。
あと、竹中半兵衛と黒田如水ってどうなの?だれも触れてないけど.
中大兄皇子を、〜奈良時代でPUSH
234 :
日本@名無史さん:02/04/13 13:01
牟田口
辻
栗田
真田昌幸
星野仙一
237 :
日本@名無史さん:02/04/13 16:19
このスレで言う『いくさ』ってどこまで?
平野戦とかゲリラ戦とか・・・何でもいいの?
好きじゃないけど豊臣秀吉は天才だと思うな。
あいつの城攻めとかスケールが凄いって!!
238 :
日本@名無史さん:02/04/13 17:27
水攻めを日本で最初にやった畠山なんとかってのが天才
239 :
日本@名無史さん:02/04/13 19:05
今村均
戦上手、の観点は
「源頼朝」にしたのは、結局こいつが勝っちゃったからです。
義経の戦術が巧いのは確かですが、敗北者になるのが折り込まれていることが
読めてない時点で戦略下手、つーか戦略ないですよね、この人は。
「新田義貞」にしたのは鎌倉の大勝を評価しました。
ほんとなら足利尊氏(あるいは高師直)にしたかったんですが、あまりにも戦術が
ヘタレなので(w
楠木正成は嫌いではありませんが、あれは「出来るだけ負けない兵法」に過ぎません。
その意味では評価できますが、足利有利の状況が読めなかったのは戦略がまずかった
ということになるでしょう。
羽柴、大海人については、特に異論もないようなので放置します。
全体としては羽柴秀吉の評価が一番高いです。
いくさせずに勝ってしまうのがほんとの戦上手でしょ。
朝鮮の役はダメダメですがね。
241 :
日本@名無史さん:02/04/14 06:24
>>240 戦略の強さと戦術の強さのちがいだな。
頼朝・信長・秀吉・家康は戦略、
義経・真田・大村は戦術
このスレはどちらかといえば戦術の強さでは?
戦略と戦術の違いが分からん
243 :
日本@名無史さん:02/04/14 06:31
戦術なら謙信だと思う
朕は架空の人物だ
245 :
日本@名無史さん:02/04/14 08:41
頼朝の戦術ははっきり言って見れたもんじゃないよー。
彼が直接指揮をした戦ってのは数少ないんだけど、それも全部負けた戦だったんじゃないかな。
もっとも彼の優れているところは、自分の軍才のなさをはっきり知っていた形跡があること。
ゆえに直接指揮はなるべくしない、だから直接指揮した戦は数少ない、と。
戦略はどうか、これも微妙。
ただし優れた政略眼はあったので。
>242
戦術は合戦、戦略はそれに加えて政治的要素が含まれる.
247 :
日本@名無史さん:02/04/14 13:43
「軍事の天才というのはひとつの民族の歴史の中でも2、3人いればいいほうでしょう」
って司馬遼太郎が言ってたけど本当かなあ?
司馬作品には結構しょっちゅう「天才的軍人」が出て来るけど。
248 :
日本@名無史さん:02/04/14 14:02
>>242 戦術とは兵力をどう使って相手に勝つか
戦略はどうやって相手に勝てる兵力を用意するか
249 :
日本@名無史さん:02/04/14 14:07
竹中半兵衛って、今孔明とか言われてる割に、目立った軍功は
少ないような・・・秀吉に取られたか、献上したか、実は無能だったとか?
250 :
日本@名無史さん:02/04/14 14:10
>>242 デートの日までにやっとく事が戦略
会ってからやる事が戦術
戦略は、実際の戦闘の前後の戦争に勝つための大まかなプランといえるかも
250のたとえはいいよな。
政治だけはなくて兵站・補給の要素も重要だと思う
戦術よりも実際に重要なのは戦略だな
誰の言葉か忘れたけど「素人は戦術を語る、玄人は補給を語る」
252 :
日本@名無史さん:02/04/14 15:32
戦略=囲碁
戦術=将棋
おっ、だんだん戦術、戦略論の話題に移ってきたな。期待。でもsage
254 :
日本@名無史さん:02/04/15 15:28
一般には戦略の方が上位概念で戦術はその一部と思われがちで、前者に秀でている
人をより優秀と考えるが本当だろうか。
戦略家の方は理詰めでいける一種の秀才でいいと思うが、戦術家の優秀な結果を
残した人は、天才肌ではなかろうか。
前の方にでてきた義経、真之、みなそうだ。
唯一両方で秀でた実績を残したことのあるのは、信長。
田楽挾間の大勝利、その後には決して無茶はせずに基本的に勝つための戦略作りに
力を尽くした。家康や秀吉は、優秀な戦略家ではあっても戦術家としてさほどの実績
を上げたとはいえまい。
255 :
日本@名無史さん:02/04/15 15:31
>>254 家康は野戦の名手と言われるが、実際のところはどうだろか。
三方ヶ原での失態を考えれば実は戦下手だったとか、
そもそも相手が悪すぎたとか。
256 :
日本@名無史さん:02/04/15 18:35
秀吉は戦略というより、建築部門で天才だろ。
墨俣一夜城(一夜でたってないけど…)は現代のプレハブ工法と似た方法で
築城したし、高松城の水攻めではもともとそこの場所は水がたまりやすい地形で
その排水溝にあたるところを秀吉が見極めせき止めたのだから、建築部門で
しょう。一位というと藤堂高虎もって話しになるからやめるけど。
戦は竹中や黒田といった人達がいたから勝てたと思うよ。自分的には弟も
貢献してると思うが…
あと大谷吉継もいいかと思う。
257 :
日本@名無史さん:02/04/15 18:49
>>255 少なくとも下手ではないだろう。晩年の信玄が悪魔的に強すぎる。
258 :
日本@名無史さん:02/04/15 19:50
>>254 北条氏康こそ、それを兼ね備える天才。
川越に大逆転で大勝利、またその時今川家と領土を割譲し和睦するなど、
冷静な戦略眼もある、
またその後も出きる限り、多数の敵とは戦わないようにするなど政略も十分に及第点。
彼こそ真の天才。
259 :
日本@名無史さん:02/04/15 19:58
>>254 美濃、近江、中国攻めと常に織田軍の最前線で結果を残した秀吉を
戦術家として評価しないのはおかしいだろう。
稀代の戦略家である信長の手駒として現場で活躍したんだから。
>>256 竹中、黒田の存在は確かに大きいがそれを言ってしまえば信長、信玄だって
優秀な家臣団故の成果だといえるのでは。
んで秀吉はその優秀な織田家臣団の中でも図抜けた結果を出している。
260 :
日本@名無史さん:02/04/15 20:15
>>254 戦術と戦略、どっちが上か? という課題と、
戦術家と戦略家、どっちが上か? という課題がごっちゃになっていると思われ。
戦術と戦略ならば、戦略のほうがやはり上層の概念になるといわざるを得ない。
戦略が戦術に勝った典型的実例は、関が原でしょう。
明治期にドイツ軍人が日本の軍事顧問教師としてやってきて、
関が原の配置図を見て「西軍の勝ちだ」と断言した、というような話もあったはず。
(メッケルの弟子だったっけ?)
とは言え、仕事師的な戦術家というのは人物として魅力はある。
島左近かっこいいもんね。
261 :
日本@名無史さん:02/04/15 20:30
家康は徹底的な付城戦術をパターンとして持っていた。
その意味では戦略的発想を現場の戦術レベルにある程度
ブレイクダウンさせている。
漏れ家康嫌いだけど(藁
>>261 それ秀吉じゃない?もしくは秀吉のパクリ。
確かに秀吉は城攻め、家康は野戦はよく言われることだな。
家康はどうか知らんが、秀吉は高松城、別所の三木城と、実績はあるな。
264 :
日本@名無史さん:02/04/15 21:03
真田幸隆家系最強
>>262,
>>263 いや・・・、秀吉じゃなくて家康の話だし、パクリとかそうでない
とかいう話でもないですが。
266 :
日本@名無史さん:02/04/15 21:07
戦略と戦術にどっちが上とか言ってる時点でおかしいぞ
戦略は戦略、戦術は戦術
本人のポジションにより必要とされるものは違ううだろ
267 :
日本@名無史さん:02/04/15 22:40
>>254 信長の桶狭間はむしろ稚拙な戦術だと思うけど。
雨が降らなかったら負けてたっぽい。
>>258 兼ね備える「天才」とまで言ってしまうと戦術で謙信に及ばないことを
考えるとちょっと。
>>262 付け城戦術なんてのは桶狭間直前の信長とかも含めて広くやってること
だけど。誰がオリジナルなんてものじゃないでしょう。
268 :
日本@名無史さん:02/04/15 23:30
>>260 関が原を持って戦略が戦術に勝ったというのは難しいぞ。
秀忠軍が関が原に間に合ってて力で西軍を押し切れたなら家康の戦略勝ちと言えるが、実際は戦略的にきわめて不利な状況だった。
秀秋の裏切りも確実なものではなく散々迷った後のものであり、戦場の動き次第ではどちらに転ぶか家康だって確信を持ってたとは思えない。
どちらかというと秀秋の裏切りを決定付けた砲撃は戦術的な発想だと思うぞ。
実は織田信秀も義元の大軍勢を破っているという罠。
270 :
日本@名無史さん:02/04/15 23:34
家康が戦略的戦術的にポイントを稼いだところをあげるとすると、
戦術的には長久手で豊臣別働隊を叩いた時の判断
戦略的には長生きした事
あたりで手を打ちましょう。
272 :
日本@名無史さん:02/04/15 23:37
信秀も人生後半は負け続きだという罠。
斎藤や今川が本気出したら全然敵わなかったというこの現実。
>260
関ケ原の場合、家康の戦略が優れていたと言うより、三成の戦略がマズ過ぎた、
と言う面も考慮しておいた方が良い.
>270長生きで測るなら、北条早雲が最強になってしまうよ?
俺は別にそれで良いけどさ.早雲好きだし.
274 :
日本@名無史さん:02/04/15 23:42
長生きなら南光坊天海が最強。
つまり戦略最強は天海で、戦国最強の軍師は天海だったということか。
275 :
日本@名無史さん:02/04/15 23:43
>>273 まずいか?
三成の戦略で大きな破綻はほとんど無いと思うが。
276 :
日本@名無史さん:02/04/15 23:45
南光坊天海1643没
宇喜多秀家1655没
宇喜多秀家最強
三成が先頭に立って事を起こしたのがそもそもの間違いでしょう。
彼には人間関係で問題点があり過ぎる。実際、西軍方で本気で戦ったのは極わずか
だったでしょう?
278 :
日本@名無史さん:02/04/15 23:49
>>270 長生きした事に加えて、
織田の隣国に生まれた事
信長が今川をやっつけてくれた事
織田の同盟国にしてもらった事
織田が武田を滅ぼしてくれた事
本能寺の変で死ななかった事
秀吉にある程度の地位を認めさせた事
秀吉が北条を滅ぼしてくれた事
秀吉没後、秀頼が幼年だった事
利家が先に死んでくれた事
このうちどれかが欠けても徳川幕府があったかどうか・・。
つか戦略じゃなくて運か、逝ってきます。
そうだね。島津なんかもまともに戦わなかったし
280 :
日本@名無史さん:02/04/15 23:57
>>277 そりゃ戦略の問題ではないな。
それに実際の関が原では秀家の裏切りまで五分と五分だったんだし、
19万石の中小大名が250万石の大大名家康と対等に戦えったと言う事実だけでも三成のすごさがわかる。
281 :
日本@名無史さん:02/04/15 23:57
五分と五分に戦えたのは戦術の方でしょ.
下げちゃった。age
284 :
日本@名無史さん:02/04/16 00:01
運だけでは天下は取れないが、
運が無ければ天下は取れない。
285 :
日本@名無史さん:02/04/16 00:01
>>280 正確には五分と五分がだんだん、だーんだん押されてきた。
んでのろしあげたけど誰も反応しないで以下省略。
287 :
日本@名無史さん:02/04/16 00:13
288 :
日本@名無史さん:02/04/16 00:14
>>286 平家の本拠地、中国地方を制覇したからね。
しかもチンギスハンは別に中国制覇してないしね
290 :
日本@名無史さん:02/04/16 00:28
やはり、何だかんだ言っても
信玄さんより右に出る者はおらんと思うがのう。
291 :
日本@名無史さん:02/04/16 00:30
戦術と言えば越後の龍、軍神殿でございましょう。
目立つ家臣が隣の国の四名臣に比べて宇佐美と直江しかおらんのが
上杉の難と言えば難。
293 :
日本@名無史さん:02/04/16 01:08
>291
どうして?
294 :
日本@名無史さん:02/04/16 01:12
291じゃないが、信玄はロジ担させれば超一流、くらいのイメージだな。
295 :
日本@名無史さん:02/04/16 19:08
やはり天才なら上杉謙信を鎧袖一触打ち破り、越後を制して日本海に
出るぐらいやって欲しいものよのう。
296 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:01
だって上杉謙信のほうが天才なんだもん。
信玄は努力した秀才型って感じだな
297 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:13
毛利元就に1票!!戦術レベル・戦略レベル・結果(子孫)いいんじゃない
高得点で。
武田 滅 /上杉 縮 /織田・豊臣 ボツ /現代自民党にまで息づく
長州閥 毛利でGO!!
298 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:13
天才なら北進しない。
299 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:14
そういう解釈もあるわな>297
300 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:19
毛利・吉川・小早川 いいねぇ
301 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:22
用兵が巧みなのは誰なのさ?
302 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:22
謙信15歳の初陣を見れば天才だということがわかる。
競馬でいえば新馬なのに古馬と競走して勝ったようなもの
そんなら信長はどうなん?あ奴も初陣を華々しく飾ったでしょ.
304 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:32
>>302 毛利元就の初陣もさ 安国寺恵瓊のパパをやっちまったのさ(武田信玄
の従兄弟)
初陣の華麗さは元就が上 有田川合戦
305 :
日本@名無史さん:02/04/16 20:37
山田長政とかテムジンはダメですか?
立花宗茂ってどの程度の兵を率いて戦ってたの
信玄(初陣)、信長(稲生)、秀吉は数百人から数万人を率い
地利に疎い遠征(真田なんかも大坂以外は地元)でも戦果を挙げてたわけで
同列で扱えるほどの人物ですか?
立花宗茂なら佐竹義重(戦略的には政宗以下)のほうが上じゃない
308 :
日本@名無史さん:02/04/16 22:46
>>303 プププ
悪いけど信長の初陣知ってるかな?
申し訳程度に今川領で放火して帰っただけだよ
309 :
日本@名無史さん:02/04/17 19:04
泥にまみれる小規模足軽戦から
天下分け目の十万規模の大会戦までを経験し、
史書に記される規模のありとあらゆる戦いに
勝利した羽柴秀吉こそ最強でしょ。
自分が戦略レベルに関われない戦でも戦術レベルでは
常に作戦を成功させてるし。
ただ秀吉はあの時期だからこその英雄なんだろうな。
信長は戦術レベルの劣勢を徹底的に戦略レベルで
回避し続けた稀有な戦略家。
大村は司令官としてはそれ程優れているとは思わない。
彼はあくまで軍政家だ。
311 :
日本@名無史さん:02/04/17 19:14
童門が軍政家というのなら大村は天才司令官で正しい。
745 :輝かしい戦歴 立花宗茂 :02/04/09 22:37
立花宗茂の戦績は見事の一言。
1 九州三国志 とくに、実父紹運の岩屋城篭城戦後、宗茂の三城奪回
2 1に対し、鎮西の一物と秀吉から激賞される。
3 九州平定、小田原城攻め、肥後の一向一揆鎮圧に目覚しい功績を挙げる。
4 朝鮮の役にて明の大軍を撃退、また加藤清正らを救出。
5 秀吉に激賞され、西の立花、東の本多と、西国一の武将と褒め称える。
徳川家康を呼び、本多と立花を面会させる。
6 関ヶ原合戦では、西軍に属し、大津城攻め。西軍最強の部隊と言われ、
大津城を落城させる。
7 関ヶ原敗戦後、大坂城にて再起を毛利輝元に促すも開城と決まり、柳川へ。
途中、落ち武者となった島津義弘と一緒になるが大友の宿敵を討とうと進言する部下に対し、
勇将のすることではなし、と島津と心を合わせて九州へ帰る。
8 東軍へ寝返った鍋島勢と合戦。柳川篭城となるも、加藤清正らの説得で開城。
9 加藤清正の庇護を受けたあと、浪人の身で江戸へ。家臣がやくざにからまれて
やくざ3人を1人で斬ったことから将軍秀忠の知るところとなり、本多忠勝の
熱心な運動もあって、旗本に取り立てられる。後、1万石の大名へ。
10 大阪の陣で秀忠の軍事顧問の役割を果たし、秀忠の危機をも救う。
11 西軍について改易された大名の中で、唯一、旧領復帰柳川藩主となる。
12 島原の合戦にも参加。家光からさすがは立左と激賞される。
314 :
日本@名無史さん:02/04/17 20:41
間抜けなリストだな。
314の人生<<<<<<<<<313のリスト 藁)
316 :
日本@名無史さん:02/04/17 21:19
朝倉宗滴だろ。すげえよ。
317 :
日本@名無史さん:02/04/17 21:30
こないだあるライブに逝ったんだけど
そこに来てた客の中に大村益次郎みたいな顔の奴がいた。
一目見て、体中に電流走ったよ。
あの肖像画そのままだった。
まさに火吹達磨。思わずサインもらおうかとオモタ。
ただそれだけなんだけど。。
>>317 野戦司令官(第二次長州征伐)と後方指揮(戊辰戦争)
の両方、しかも共に分が悪い戦争だったにもかかわらず成果をあげたのは凄い。
ただ大村の場合、この時代は大村の知識を学ぶ環境を得ること事態が難しく、
彼の知識がそのものが非常に希少価値が高いものだったということがあるから
その分だけ他の連中に比べて有利だったということがあるんだよな。
(厨房の英語の授業の中に帰国子女が混じるようなもんだ)
まともにやれば河合高杉クラスが相手でも楽勝だったろうけど
軍事のセンスそのものが彼らよりも優れていたと言い切れないのが痛いところでしょうね。
島津義弘はどうなのさ?
泗川城の戦い
銀河英雄伝張りのいくさではないか?
チャンコロ、チョンコロが弱すぎか?(w
>319
三戦板やここの過去ログを何個か見てみたが、ことごとく否定されてたよ。
それもチョンや東国人だけでなく、よってたかってという感じだった。
321 :
日本@名無史さん:02/04/18 00:57
信長以外はたいしたのがいないな。
322 :
日本@名無史さん:02/04/18 03:04
なんで信長なんだよ、信長のは秀吉のパクリやん。
戦上手・・・斉藤道三・尼子経久 高得点か
324 :
日本@名無史さん:02/04/18 14:37
戦略の天才は、「信長」
戦術の天才は、「義経」
325 :
日本@名無史さん:02/04/18 15:20
戦術戦略そろって天才なのは「秀吉」
326 :
日本@名無史さん:02/04/18 19:21
>>320 チョン、東国人、沖縄人がよってたかって貶めているのです
いやですね、粘着気質な人たちは(w
>>326 関が原の進退といい、対豊臣軍の進退といい、
泗川城の戦いを抜きにしてもまず名将とは言えるのでは?
328 :
日本@名無史さん:02/04/18 20:23
>>327 カリスマがあると思う
兵が命がけで働くのはカリスマなんだよ
329 :
日本@名無史さん:02/04/18 20:25
信玄
330 :
日本@名無史さん:02/04/18 21:06
天才という称号がたぶんにパイオニアとしての名誉と似たものを指すなら、
信長しかいないだろう。
秀吉は小牧・長久手で信長方式の戦術を採用して見事に失敗してるしね。
政治的な弱味があったとは言え。
331 :
日本@名無史さん:02/04/18 21:42
>>327 義弘が名将であることにまったく異論はないが、
関ヶ原や九州征伐の進退はそれほどものでもないと思う。
>>330 小牧長久手が信長方式という根拠が知りたい。
その論は初めて聞いたのでとても興味があります。
332 :
日本@名無史さん:02/04/18 22:14
信長が「パイオニア」である事跡なんてほとんど無いと思うが。
戦略の天才・というより、ある意味天才的合理主義、というほうがなじむ気がする。
長篠の合戦や鉄甲船など、誰がやっても勝てる状態にする、その発想が正に天才というにふさわしいと思う。
>>332 信長のパイオニア的事跡は、解釈により様々だけど、以下の事項が挙げられると思う。
@ 鉄砲の実用化
A 政教分離
B 商業の規制緩和
C 茶の習慣化
D 兵農分離
E 「天守閣」という発想
以上、私見にてまとめてみた。
334 :
日本@名無史さん:02/04/18 23:51
@ 鉄砲の実用化
信長に限りません
A 政教分離
信長に限りません
B 商業の規制緩和
信長に限りません
C 茶の習慣化
信長に限りません
>>334 あ、そうなん?じゃあ誰がやったの?
@は確か島津の家臣が実戦に使ったらしいけど。
336 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:03
@ 鉄砲の実用化
西国大名や雑賀衆や根来衆がはるかに早いですね。
A 政教分離
してませんね。
だいたいどこまでが政教未分離でどこからが政教分離なのか。
信長がしていたのであれば他の大名もしていたと言える。
他の大名がしていなかったのなら信長もしていなかったと言える。
B 商業の規制緩和
ハァ?
ちんぷんかんぷんですな。これは秀吉のやったことでしょうな。
C 茶の習慣化
信長以前から「禅茶」があり、これの普及なくして茶道は誕生し得なかった。
信長が茶好きだったのはもう広まっていたからですね。
D 兵農分離
してません。
E 「天守閣」という発想
強いて上げるなら松永久秀ですかね。
安土城は「天主」だから天守閣ではないとも言えますしね。
あれば岐阜で作った「天主御殿」を山の上に建てただけですね。
デザインの斬新なることは流石ですがね。
@について
しかし、鉄砲だけで戦に勝ったのは信長だけでは?
Aについて
比叡山延暦寺を焼き討ちにした理由は?政治的介入を一切遮断した、と解釈されているようだけど。
Bについて
「楽市楽座」って知っている?
Cについて
政治的方策で利用したのは信長がでは?滝川一益が関東管領に任命されたエピソードを知っている?
Dについては一般的解釈だけど、兵農分離をしていないという根拠は?
Eは、あ、そうなんだ
鉄砲を始めて本格的に使用したのは島津だよ。抜刀隊や釣り野伏せなどが
有名だけど、島津は日本の戦国大名の中で早くから鉄砲導入に力を入れたのは、
定説です。信長よりはるかに早くね。
339 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:16
>しかし、鉄砲だけで戦に勝ったのは信長だけでは?
信長が鉄炮だけで戦に勝ったことなんて無いよ。
雑賀衆ならあるけどね。
>比叡山延暦寺を焼き討ちにした理由は?政治的介入を一切遮断した、と解釈されているようだけど。
浅井朝倉の味方をしたんで切れただけでしょ。
自分の味方した寺社には特権保証してる。
>「楽市楽座」って知っている?
楽市って信長は三箇所だけに開いたの。知ってる?
座は一つも潰してないの。知ってる?
楽市令のオリジナルは浄土真宗。武士で取り入れたのは六角氏が最初。
今川氏真ですら信長より先にやってるの。知ってる?
>政治的方策で利用したのは信長がでは?滝川一益が関東管領に任命されたエピソードを知っている?
それは「習慣化」ではないですね。
>Dについては一般的解釈だけど、兵農分離をしていないという根拠は?
旧来の在地領主をそのまま軍団に組み込んでるのに兵農分離を
する余地は無い。
>>339 へ〜、そうなんだ。「楽市楽座」なんかは発掘調査かなんかで実証済みなんすかね?
あと、本願寺の「寺内」も楽市に準じた考え方だと思ったけど、いかがっすか?
あと、旧来の在地領主を軍団に組み込んでいるらしいけど、越前支配もそうだったんです?
341 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:33
>>340 >へ〜、そうなんだ。「楽市楽座」なんかは発掘調査かなんかで実証済みなんすかね?
文献で事足りるだろうがね。なぜ発掘なんだ?
>あと、本願寺の「寺内」も楽市に準じた考え方だと思ったけど、いかがっすか?
本願寺の寺内町は楽市の本家本元だけどね。
まさか信長に言われて始めたなんて言い出したりしないだろうね(w
>あと、旧来の在地領主を軍団に組み込んでいるらしいけど、越前支配もそうだったんです?
そうです。農村に住む土豪層を中心にした動員体制は変わっていない。
342 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:34
ああそうだ。
雑賀衆が最強でいいじゃん。
343 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:35
数人にここまで突っ込まれる奴も珍しい。
344 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:38
>>342 秀吉に滅ぼされたのに最強?
それはそれでちょっとな。
雑賀衆に勝てなかった信長は萎えだが。
別に実証主義にハシるわけじゃあないけど、文献だけ、ってどうも乗り気がしないんす。
専門が古代中国史だったためでしょうかね。安土山あたりを掘ってみると、なにかしらでてきそうなきがするんですがね・・・
「寺内」は信長が教えたなんてことは言いませんよ、さすがに。
ところで話は変わるけど、このスレの本題についてですが、折れ、山梨出身なんだけど、武田信玄がよく「戦国最強」
とか言われているけど、あれってどう見てもウソっすよね?家康がてんで歯がたたなかったからそういっているだけでしょ?
いかがでしょうか?
346 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:40
秀吉が負けた勢力はありません。
家康も勝ったとは言わない。
番号だけでレスすると埋まって分からなくなるから引用もしておくれ。
> @ 鉄砲の実用化
実用化というより生産地を抑えて戦場に大量使用を可能にした着眼点を
評価するべき。戦術的な練度や実用化の早さでは根来・雑賀に軍配があがる。
> A 政教分離
というよりは、民衆に深く根を張っていた一向宗勢力と叡山は
目の敵にしたけど、無難と考えられていた浄土宗は保護していた事実もあり。
政策に介入または政権を奪いかねない宗教勢力は徹底的に叩いたという
評価が近い。
> B 商業の規制緩和
> C 茶の習慣化
このへんはよく分からないのでパス
> D 兵農分離
>>339に同意。ただ元亀天正以前になら過渡期として意識して
農村の二男三男を専業兵士として登用した、の、かもしれない(知らん)。
E 「天守閣」という発想
天守は前レスでもある様に信長の独創ではないけど、そこに込めた
思想は独特。パイオニア的事跡と言える面もある。
348 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:43
武田家が最強と言われるのは、江戸幕府には多くの武田家の家臣が居たからだと思われ。
戦国最強って難しいよね。有名な武将はそれぞれ年齢や世代が違うからね。
同じ世代で比べてみてはどうかな。たとえば、
(1)武田信玄、上杉信玄、織田信長世代
(2)羽柴秀吉、徳川家康、島津義弘世代
(3)伊達政宗、立花宗茂、真田幸村世代
350 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:44
>>345 発掘して誰がオリジナルか分かるのかな?
誰が命じたか、誰の施策かは文献に頼るしかない。
安土山は掘ってる連中いるけど江戸時代に相当手が加えられた
という事が分かったぐらいで信長時代の事は発掘だけでは
よくわかっていないわけだが。
上杉謙信でした。すまそ。
>>348 う〜ん、まあ、井伊直政なんかの赤備えを始め、結構マネしていたしね、徳川家は。
でも、そう考えると今度は真田を賛美する理由が説明つかなくなる。あれも元武田家臣だけど、信玄とは別の次元で賛美されていますよね?
353 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:50
>>352 真田も徳川家を戦術レベルでは苦しめたからね。
>>350 だれがオリジナルなのか、というより文献との整合性の問題。
果たして信長の政策はどの程度のものだったのか、を考えてみると、やはり文献はもとより実際の「楽市」
の構造を物理的に検証することも大事だと思うんです、折れは。
江戸時代に手を加えられてしまったんじゃあ、ほとんど不可能に近いのかもしれんけど。
真田(特に幸村)賛美は豊臣の時代の方がよかったという懐古から生じた
民衆レベルのものでしょう。だが真田三代は間違いなく
賛美されるレベルの行動を行ったと考えます。
そして倒幕→立川文庫→(゚д゚)ウマー
356 :
日本@名無史さん:02/04/19 00:53
>>354 楽市の構造って何だよw
町並みがそんなに違うのか?
>>352 そうですね。つまり武田や真田が「強い」イメージを作られたのは江戸以降なのでは?と思うんです。
つまり、天下を取った徳川が完敗・もしくは手が出せなかった相手ですから。
山梨県人は、どうも信玄に対して宗教的信仰心を持っている人が多いんですよね・・・
>>357 戦国武将同士での評が結局、信頼できるんじゃないかな。
そうすると、やはり秀吉に激賞された、立花宗茂、本多忠勝あたりが
挙がってくるんだよね。
>>357 信玄厨が反応するからそゆ事かくな!
(;゚Д゚)ガクガク
>>356 ひょっとしたら、そうかも・・・
まあ、可能性の問題だけど、たとえば売買形跡のある品物なんかについても、他の大名と異なる税制の痕跡があったりしたら、ある意味状況証拠の余地があるのでは?
と思ったんですよ。
>>355 信玄信仰も庶民レベルでしょう。そして折れの知る限り、大正時代あたりから始まったとも言えるでしょう。
現に新田次郎は長野の一地方では、まだ信玄を恨んでいるところもある、と記述していたし。
361 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:00
>>357 信長を無意味に持ち上げていた所を見ると、さては織田厨だな?w
信長が天才だというイメージを作られたのは江戸時代以降なのでは?と思うんです。
つまり、天下を取った家康がずっと頭が上がらなかった相手ですから。
厨房は、どうも信長に対して宗教的信仰心を持ってる人が多いんですよね・・・
362 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:02
武田信玄や上杉謙信が「強い」というイメージは戦国当時から
あったのではないかな。
義昭が頼りにしてたり信長が下手に出たり。
363 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:03
真田・武田・上杉・島津・織田・徳川って
宗教的に入れ込んでるやつが多いな。
いえ、別に織田厨ではありません。本能寺の変の首謀者は家康だった、と折れは解釈していますし、南光坊天海が明智光秀だったとも解釈していますし。
365 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:04
>>360 税制の痕跡が発掘でわかったらそりゃ捏造を疑うな。
税制は文書に残るもんだ。
366 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:05
>>364 それは真面目に歴史を論じる以前の問題ではないかと思われますが
天海が光秀だったら、絶対他の武将が黙ってないって。
368 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:07
>>367 ここだけのはなしだけど
大塚美容整形外科で整形手術をうけたらしいよ・・・・
>>365 そりゃあ、出土資料はまず疑うことが第一課題でしょう。
でも、文献って結構記述が誤っていたりする場合もあるでしょう。安土城址だって、結構いろんなモンでていますから、今後の更なる発掘に期待していますけどね。
>>366 なぜ?
>>368 いや、折れは神奈川クリニックだと解釈していた・・・
370 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:13
>>365 発掘で税制が分かったらそりゃおかしいって言ってるんだよ
>>364が
・本能寺の変家康首謀説
・南光坊天海が明智光秀
の論陣を張るだけで1スレできそうだな。
いや、だから、たとえば収めたモノなんかに付箋みたいな紙切れがついていたら、税制、もしくは下手をすればその当時の経済観念もうかがえるでしょう。
なんたって、近代以前は貨幣経済ではなかったらしい、という理論が結構定説化されているし。
折れの大学時代の恩師は、正倉院の宝物の研究で、いろいろと掘り下げて研究していたんで、どうもその理論が頭に残っているのかなあ・・・。
シー!それを書くなって
本能寺の変が家康首謀だって???
あっはっは。もしそうだとしたら秀吉が黙ってないだろう。
376 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:19
>なんたって、近代以前は貨幣経済ではなかったらしい、という理論が結構定説化されているし。
誰ですかそんな面白い事を言う人は?
永楽戦とか輸入貨幣は存在しなかったって事か・・・
>>371 ・本能寺の変家康首謀説
・南光坊天海が明智光秀
これだけで1スレ作れますよ。実際の話。別個にしても作れるでしょう。
>>372 ほう、なかなか言ってくれますなあ。では、日光の明智平について、キミはどう考えているんでしょうか?
27トンの銭を積んで沈んでた中国船はどこに向かっていたのか・・・・
>>376・377
栗本慎一郎「経済人類学」を読んでみてくださいな。
381 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:23
中国古代史が専攻らしいけどさあ、具体的には何を研究していたのよ?
>>378は人に尋ねる前に自分の論拠の出典を出すべきだろう。日本史板だからな。
一番下の方に新規スレッド作成ボタンがあるぞ。
384 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:24
>>380 池亨氏の『銭貨』読んどけば?
入門書に最適!
横レスすまんが、明智平という地名があるから光秀は天海だったってのは
ちょっとね。百歩譲って明智ゆかりの者がいたっていうならまだわかるが。
整形手術ができない昔に諸大名に隠しとおすのは無理っていうものです。
幕末の高野長英だって硫酸を顔にかけてもばれたんだからね。
>>384 栗本慎一郎「経済人類学」に、信長の貨幣観念について論拠しているよ。
387 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:27
真田はただの判官びいきじゃないか?
もしくは忠節を宣伝する為とかね。
両者とも論拠を言い合えばいいんじゃないの?
否定の為の否定もウンザリだし、相手の論拠を否定=自分の論拠の立証じゃないんだから。
つっても、大抵両方ともグダグダになると思うが
>>ALL
すまんが、もう寝る。
>>385は、んじゃ新スレたてとくわ。
390 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:28
>>386 一人の説が「定説」ですか?
んで、何言ってるのさ?
信長語るだけなら色んな奴がやってるがね。ピンからキリまでね。
391 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:29
>383
いや、もう少し具体的に答えてほしかったのだけど、まあいいや。
とりあえず
>>389が頑張って新スレたててる間に
俺はNHKみるぜ!。やばいよまた。
貨幣流通については諸説様々だから、俺はなんとも言えんと思うが。
394 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:33
>392
本当だ。またテロかな・・・。
395 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:34
つまりいかにも実しやかに「本能寺の黒幕は家康だ」とか
「天海は光秀だ」とか語るしょうもない奴の本に騙されてるだけだろ。
たぶん義経はチンギスハンで、古代日本は騎馬民族に征服されたとか
主張してくるに違いない。
396 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:34
また高層ビルに・・・
今度はミラノだ
>>395 楽しみは新スレにとっとけ。
とりあえずスレ違い話題はそろそろ控えようぜ。
人が落ちてるよ・・・
398 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:37
信長なんて典型的な戦略の天才じゃないかな、
桶狭間以後は、大兵力で寡兵を駆逐って原則をまもりぬいてるし、
複数の敵が存在するのに、
相手よりも大きな兵力を1つの戦場に投入するってのは、すごいよ。
399 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:43
>>398 戦略の「天才」だったらそもそも苦境に陥らないのでは?
信玄も徳川・今川・北条・上杉を同時に敵に回して一歩も
引かないぐらいのことはやったわけだし。
400 :
日本@名無史さん:02/04/19 01:43
森監督(西武時代)
401 :
日本@名無史さん:02/04/19 02:03
戦略が天才なんだったら、明智に足元すくわれてないだろうよ。
実質、一回も負けなかった秀吉でいいんじゃねえの、戦国最強は。
戦略と謀反は別物だと思われ
403 :
日本@名無史さん:02/04/19 02:06
お題は日本史上最高の、だけどね。
佐竹なんちゃらの言葉で、秀吉が信長存命中に反乱しなかったのは
信長には敵わないと知っていたからだとか何とか。
だとすると信長・秀吉・光秀はジャンケンな関係でさ。
誰が最強とかは無いんジャン?
404 :
2ch猛虎会 ◆NXKR8SIo :02/04/19 02:43
最近、実況板が心卑しい読売ファンに荒らされています。
明日から直接対決。マナーを守って、楽しく応援しましょう。
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森(西武)=上田(阪急)>野村(ヤクルト)>>>>>>>>>>長嶋
406 :
日本@名無史さん:02/04/19 03:23
謀反にあう、ってこと自体、本人の問題ってことだよ。
それは部下のコントロールも戦略の一部。
たとえば、会社で対外的にバリバリ利益上げてめっちゃ仕事できる社員
だったとしても部下に足元救われて政治的に負けたら、そいつは馬鹿だろ?
一緒のことだわ。
秀吉は反乱はしないよ。
反乱しても「義」がない。
そんな「勝てない戦」を奴が仕掛けるはずもないわな。
407 :
日本@名無史さん:02/04/19 03:34
部下のコントロールが戦略とは言わんよ。
それに光秀がやったのは暗殺、テロと一緒。誰も謀反が起きる事を想定して戦略なんか組まない。
第一、現在でも変を起した理由がわかってないほど、謎んだぞ。
>たとえば、会社で対外的にバリバリ利益上げてめっちゃ仕事できる社員
>だったとしても部下に足元救われて政治的に負けたら、そいつは馬鹿だろ?
どう一緒なのか説明になってないぞ。
408 :
日本@名無史さん:02/04/19 03:55
まあそこまで言い張るんならそれでもいいけど・・・・。
謀反されるのは本人に責任があるってこった。
直属の部下の野心が読めないような奴を「天才」と呼ぶのはどうかな、って思うがな。
409 :
日本@名無史さん:02/04/19 04:02
明確な理由もわからない、謀反後のビジョンもわからない、行き当たりバッタリ的な謀反なのに
どうそれを予知しろと?
謀反されて殺されたのは危機管理の甘さと言うなら理解できるが
他の人間の心を読めないのが駄目?なんだそりゃ?
死に方で人間の評価が変わるのか、そりゃ初めて聞いた
どもども、問題の330なんれすけれども、、、
書き捨てて寝ちまったらレスがすごいことに、、、
これから会社なんで、帰ったらじっくり読ませてもらいますねー
412 :
日本@名無史さん:02/04/19 08:13
朝鮮出兵は戦略自体が失敗でしょ。
そして戦略の責任者は秀吉でしょ。
413 :
日本@名無史さん:02/04/19 08:15
>>407 概ね同意だけど、
>第一、現在でも変を起した理由がわかってないほど、謎んだぞ。
現在だからわからないと思われ。
414 :
日本@名無史さん:02/04/19 10:28
秀吉の失敗は寿命でしょう。
長生きしてたら問題なし。
415 :
日本@名無史さん:02/04/19 18:20
>412
だからみんな「羽柴秀吉」っていってんだろ?
>414
それをいやあ、戦国最大の天才は
徳川家康ってことだな。。
>409
危機管理能力が信長にない、ってのは間違いないだろ。
あんたも言葉尻捕らえてつまらん突っ込みしてないで、天才でないってこは
受け入れたらどうなの?
羽柴秀吉の影に竹中半兵衛、黒田官兵衛あり。
彼らのおかげだよ、サルが天下を取ったのは。
417 :
日本@名無史さん:02/04/19 19:29
松本伊予守
418 :
日本@名無史さん:02/04/19 19:52
信長は独創的な人物とは言い難いが、
既存の方式や新しい物の取捨選択に優れた人物。
やはり政略家であり戦略家。
優秀な戦略家なら、四方全て敵に回さねーョ。
420 :
日本@名無史さん:02/04/19 20:26
>>419 不確定要因(浅井長政、足利義昭など)が思いつきで
信長を裏切ってるだけでしょ。
それが一時期に重なってるだけ。結果論だよ。
それに近攻遠交の外交政策もきちんとしているから
一概に四方を敵に回したから無能とは言えない。
>不確定要因(浅井長政、足利義昭など)が思いつきで
信長を裏切ってるだけでしょ。
それが一時期に重なってるだけ
こんな風にいいきってしまったら、戦略もへったくれもなくなるよ。
不確定要素をできる限り減らすのも戦略でしょ。
いや不確定要素にきちんと対応したところが戦略的。
力を抜けるところは抜いて一番大事なところに戦力を集中して確保撃破してる。
本当の戦略家なら、裏切らせないようにするだろうね。
ただ二人とも思いつきで裏切ったわけじゃない。
それまでに原因があると考えるべきだろう。
424 :
日本@名無史さん:02/04/19 22:25
浅井はともかく、義昭が敵に回ったのは思いつきじゃないだろう?
果然、信長にしてみても不確定要因じゃないだろ。
425 :
日本@名無史さん:02/04/19 22:28
浅井長政は裏切り者。
なんだか、知らん間に信長について語るスレになってしまったような・・・
確かに、光秀謀反の原因が何だったのか、まったくわからないことは確か。
でも、信長って裏切られることを宿命つけられた人間みたいだよね。弟の信行から始まり、
光秀に至るまで。
どんな内容だったか忘れたけど、あるエピソードに
ある日信長が家臣たちの集まりに声をかけ、話しかけようとしたけど、家臣たちは信長が来た途端
散りじりになってその場を立ち去った。
ってのがあったけど、仮にこれが本当だとしたら、信長に何らかの落ち度があったことになる。
まあ、歴史なんて解釈ひとつでどうにでも読めるから、確信がもてないのも事実だけど。
>425信長にも落ち度はあったでしょ
428 :
日本@名無史さん:02/04/19 23:23
落ち度?
あったのは権謀と打算だけだが?
計算ミスは、たしかにあった。
浅井と朝倉の関係を見誤ったのは落ち度.
義昭を只のお人形さんと見誤ったのも落ち度.
430 :
日本@名無史さん:02/04/19 23:43
>>426 人望のない信長像をつくるための
江戸時代の創作では?
431 :
日本@名無史さん:02/04/20 01:03
朝倉家記だかなんだか信頼性の高い史料を中心に考証していくと、
どうも浅井と朝倉が古くからの同盟関係だというのは嘘らしい。
休戦や和議ではない本格的な同盟というのは1570年、浅井が
信長を裏切るその時までなかったという話が最近では出てきているね。
で浅井朝倉を姉川で「追い払った」だけで満足して大坂方面に出張り、
そのせいで本願寺まで敵に回してしまい、さらに浅井朝倉に背後を
衝かれてやむなく撤退。叡山に篭られてやむなく講和。
天正元年の巻き返しは見事だが元亀元年の行動はちょいと無様。
432 :
日本@名無史さん:02/04/20 01:13
>朝倉家記
初めて聞いた史料。なんですかそれは?
433 :
日本@名無史さん:02/04/20 01:43
無知無知君の知ったか
>>431 どうせトンデモ唱えてるヴォケだろう。
434 :
日本@名無史さん:02/04/20 01:51
435 :
日本@名無史さん:02/04/20 01:54
朝倉家伝記だね。惜しい、一文字抜けてた。
>>433 恥ずかしいなオマエ(プ
436 :
日本@名無史さん:02/04/20 01:57
論拠の元が2ちゃんのレス?
爆笑!!
437 :
日本@名無史さん:02/04/20 02:05
>>436 馬鹿だな。参考に出してやっただけなのに。
せめて検索ぐらいしてから言ったらどうかね?
438 :
日本@名無史さん:02/04/20 02:11
誰が何を元にどういう風に構築した説かさえわかってねーじゃん(プ
439 :
日本@名無史さん:02/04/20 02:12
馬鹿は放置
440 :
日本@名無史さん:02/04/20 02:25
放置っつって逃げるしかねーもんな(プ
441 :
日本@名無史さん:02/04/20 02:27
朝倉家伝記も知らず
2ちゃんねるで語られた事があるからと示してやれば
それを根拠にしていると勘違い。
馬鹿は氏ねと。
誰もがみなオマエのように不勉強なわけではない。
442 :
日本@名無史さん:02/04/20 02:31
だったら論拠をきちんと示せよ
2ちゃん以外で論証されてる本とかサイト示せよ
誰が唱えてる説なのか示せよ
勉強してるんなら、それくらい知ってるんだろ?
おまいら待て待て、
2chのスレに資料価値を見いだしたなんて21世紀ならではで
ある意味すごいんじゃねーか?。
孫引きもここまでひらきなおるとある意味感動するぞ。
逃げたな(藁
446 :
日本@名無史さん:02/04/20 03:36
>>445 何回見ても前のスレでその説唱えてたのと内容が全く同じ
資料を挙げてるのが、それにどう書いてあるのかを原文で書いてない
つか、そのサイトに書いてある「浅井始末記」なんてのは聞いた事ないし、検索しても全く見当たらない
「朝倉始末記」という軍記物なら存在するがな
同じ奴か?
ただのパクリサイト。
448 :
日本@名無史さん:02/04/20 04:01
>>446 一理あるな
2chでは人がネタで書いたものを信じてしまう軽率な輩が多すぎる
449 :
日本@名無史さん:02/04/20 04:09
「朝倉家伝記」そのものは存在するわけだが。
読んだことは無いな。
450 :
日本@名無史さん:02/04/20 04:19
451 :
日本@名無史さん:02/04/20 22:00
うーん。ひととおり読んだよー。
立花宗茂。強かったらしいねえ。
敵からも激賞されるさわやかさ。
織田信長。確かに天才的だねえ。
負けたときは、あっさり遁走す
るのもすばらしい。
秋山好古少将。いいねえ。部下
は負ける気がしなかったろうな。
一戸兵衛少将もいくさ上手だっ
たのでは?
で、結局、立花宗茂に一票。彼
が関が原の主戦場に現れていた
らどんなことになっていただろ
う。
452 :
日本@名無史さん:02/04/20 22:40
吉川と小早川の兄弟はけっこういい線いってたとおもう
453 :
日本@名無史さん:02/04/20 23:12
鬼小島とか村上義清とかは?
454 :
日本@名無史さん:02/04/20 23:21
島津から賞賛される真田信繁が局地戦では最強だろ(戦国限定)
>>453 この二人は日本史上最高のいくさの天才と呼ぶにはチョット厳しい
456 :
日本@名無史さん:02/04/20 23:29
小早川秀秋できまり(w
〜中世:源義経、楠木正成
中世〜近世:伊勢新九郎、太田道灌、毛利元就、織田信長、上杉謙信、
武田信玄、真田昌幸、島津家久・義弘
近世〜現代:大村益次郎、秋山好古・真之
政治面での評価も含めて評価が高い人はあえて抜いてみました。
日本のアレキサンダー=義経、ナポレオン=信長あたりを押したい
ところですが、どうでしょう。
黒田如水入れ忘れました。
460 :
日本@名無史さん:02/04/20 23:43
おい、立花宗茂を忘れるな!
461 :
日本@名無史さん:02/04/20 23:44
>>460 実は漏れ立花宗茂めちゃめちゃ好きなんですが、あまり思い入れ強すぎると
あれなんで外してみました。
463 :
日本@名無史さん:02/04/20 23:49
>ナポレオン=信長
え〜と、秋山駿氏の『信長』にでも毒されているのですか?
>>463 > 秋山駿氏の『信長』
いや読んだ事ないですよ。毒されているというのはいきなりひどいですね。
465 :
日本@名無史さん:02/04/20 23:58
>>464 じゃあ真性の人?
アレキサンダー=義経だのナポレオン=信長だの、
電波ゆんゆん(w
466 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:02
秋山駿「信長」は糞だけど信長とナポレオンに類似点はあると思うよ。
戦術思想は似てると思うけれども
467 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:05
>>466 へえ。面白いこと言うね。どこが似てるんだい?
それまでの戦術を画期的に変革した意味で挙げてよいと思います。
(w使うあたりの人をあまり○○○するのもなんなので
電波ゆんゆんって事でいいです。レスおしまい。
469 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:09
信長が変革した戦術なんてあったっけ?
470 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:10
信長の凄いところ=絶対諦めない、ヘコまないところ、なんとなく日本人離れしていると思うが、どうよ?ガッツあるぜ、信ちゃん
471 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:10
アレキサンダー=義経?(w
472 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:11
オレの中のイメージでは
信長=曹操
473 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:11
>>470 最期が「是非も無し」では思いっきり諦め早いような・・・・
474 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:13
>>473 あ、そうだったね。
是非もなしって信長らしくないね
史実なのかな?この言葉
475 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:14
煽りには反応しない様に
476 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:14
>>474 真面目に検証すれば、事実とは言い難い。
誰が聞いたんだ?と。
だがまあ牛一が信長をそういうイメージで見ていたということなんだろう。
>>472 オレのイメージもそう。
でも、曹操はどちらかと言うと「人材マニア」みたいなところがあった気がする。
>>468 信長の戦術はどちらかというと圧倒的物量作戦、て感じがする。
おもしろくなってきた。
479 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:19
曹操は「能力があれば人格は問わず」って感じ。
信玄も似たようなこと言ってたりする。
信長は20年前の謀反を理由に追放するし、
柴田に与えた掟で「信長に足を向けて寝るな」とか言ってるし、
漏れはついてきたくないタイプ。
480 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:21
信玄のどこが「能力があれば人格は問わず」なんだ?
>20年前の謀反を理由に追放
狡兎死シテ走犬煮ラル
482 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:23
>>480 人間を使うのではない、その能力を使うのだ
みたいなこと言ってる。
483 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:23
信長は狂気を持っていたみたいだね
現代の精神分析ではどう判断されるのだろうか?
エネルギッシュだから偏執狂?
走狗だ。
485 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:27
まあイメージ論争は「戦の天才かどうか」とは関係無いと
思うわけなんだが。
486 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:29
多分
>>1はいくさ=戦術のつもりでスレをたてたと漏れは考える。
この際天下人とか巨大大名の大戦略じゃなくて、もっと現場レベルの
いくさの天才の話を聞いてみたい。
487 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:31
島津家久が現場レベルでは最強クラスと思われ
488 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:32
>>486 現場レベルなら
戦国時代からは
何度合戦に出ても無傷=用兵が非常に巧み
ということで馬場信房と本多忠勝を推してみたい。
489 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:33
逆に井伊直政は常に生傷が絶えなかったというから
猪突猛進型っぽい気がする。
490 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:34
真田の父ちゃんとか
491 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:37
>>490 父ちゃんだけじゃわからんよ
幸綱? 昌幸?
信繁だって息子いたから父ちゃんだ(笑
いっそ真之の方向で。
やべえ、我ながら痛い。上の書き込み消したい。
494 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:47
>>488 村上義清>馬場信房
島津義弘>本多忠勝
※関が原の際銃撃で落馬させられた
495 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:49
村上義清>馬場信房は何故?
496 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:54
馬場信房は村上義清に勝てなかった
村上義清を信濃から追い出したのは真田幸隆の謀略
497 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:57
真田の父ちゃん強いな
498 :
日本@名無史さん:02/04/21 00:58
>>496 それは現場レベルの戦術能力か?
一部隊の奮戦で義清が倒せるとは思わんが
むしろ甘利・板垣等の戦術能力を疑わせるわけだが
499 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:02
>>498 そんなん言ったら島津家久は凄すぎると思うよ
遠征軍の一武将なのに竜造寺隆信、竜造寺四天王のすべてを
一気にアボーンだよ。
しかも兵力差は1:10の割合の寡兵でこの戦果あげてるんだから。
500 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:03
>>499 家久はスゴイと思う。それに依存は無い。
だが兵力差はそのまま信用できる数字なのだろうか?
501 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:04
竜造寺ってどれぐらい強かったの?
新興大名?旧態依然とした大名家?
502 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:07
>>501 たしか元大内家の家臣だったのかな?
大内が滅亡後独立した新興大名で耳川の合戦の敗戦で
大友家が衰退したので急速に勢力を拡大した大名だよね
503 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:12
504 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:15
有馬左衛門佐 五千
島津中務大輔 三千
赤星掃部 五千
新納武蔵守 ?
伊集院右衛門大夫 ?
猿亘越中守 ?
505 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:15
へー、じゃ、結構強かったと見ていいのね。
で、1:10というのはどっち側の史料に書いてあるの?
島津側だったら多少イロついてる可能性あるねぇ
506 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:16
>>503 いやもちろん知ってるよ
ただ今山の合戦ではそれほど勢力の拡大にはつながらなかった
っていう説を聞いたので省いた(余計な論争をまねくのは嫌だから)
オレ自身は今山の合戦で竜造寺家は勢力拡大したとは思ってる
507 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:20
www.pp.iij4u.or.jp/~butakai/simanenpyou.htm
ほれ。
508 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:23
>504
なるほど。諸将の軍勢も入れるわけか。
509 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:24
>>507 踏むのが怖いな〜、butakai=豚飼いですか?
510 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:25
兵力差10倍って島津の勝率は0.5%にもならんはず・・・
戦術云々でカバー可能なレベルだろうか?
桶狭間の信長なんぞ屁でもねえってなもんだ。
まあ一度の奇跡でも起きればそれが事実なわけだが・・・
511 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:26
512 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:27
504さん、それって最近のソースですか?
すごく納得がいくんだな。
(通説は3000と3000で6000)
513 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:30
兵力差の元々のソースは何なんだろうね?
竜造寺5〜6万対島津6千っていうのが言われてるものだけど
514 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:34
515 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:38
そういえば有馬の五千というのはよく見るんだけど、
島津の活躍を強調したものでは、ことごとく三千にされてるな。
516 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:39
北九州一円を領有していたとしても、6万もの軍隊になる?
そもそも石高換算でいくらよ?竜造寺領。
517 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:42
竜造寺の兵力1万上がいいところ
518 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:44
九州の石高(太閤検地)
筑前 32万5695石
筑後 26万5998石
豊前 14万0000石
豊後 41万8313石
肥前 30万9935石
肥後 34万1220石
日向 12万0087石
薩摩 28万3488石
大隈 17万5057石
関が原の徳川(関八州255万石)の兵力すら38000じゃなかったっけ?
60000はちょっと・・・
520 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:45
6万を動員するには200万石ぐらい欲しいね。
521 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:45
だけど「九州治乱記」「肥陽軍記」「有馬晴記」「島原軍記」では全て島津&有馬連合は1万以上になってる
522 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:48
北九州の農村をカラにすればひょっとして6万行くかも、って数字やね>518
523 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:50
>>521 それが現在ではなぜか、あらゆる説が3000と3000で6000なんだな。
>>519 徳川は一族掻き集めたら10万に達するんじゃないかな。
524 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:50
肥前って42万石くらいでしょ、たしか?
まあ港もあるしその辺りの金銭収入を無視できないからな
525 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:55
肥前と言っても肥前一国治めてた訳じゃないしね。
526 :
日本@名無史さん:02/04/21 01:57
結局まずは双方の領地をまとめないと・・・
当時の島津は? 有馬は? 竜造寺は?
527 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:00
通説では、1万石で250人
最近の説では、400人は可能と言われている。
逆算すると150万石〜240万石は必要になるな。
528 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:01
耳川の合戦では
島津4万 対 大友5万
だったからその頃ですら島津は4万を動員できる力はあったのだから
沖田畷の時はもっと勢力拡大しているよね
529 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:02
その石高で6万の軍組める、
それは経済が活発だったから、というのなら
その地域だけ突出して人口が多いってことにもなるね。
普通の地域の1.5〜2倍の人口密度じゃなきゃおかしい。
530 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:02
仮に一万石あたり400人以上の軍役を課していても
実際には地元の防備や交代のための予備役などで
一万石あたり250人〜300人程度の出撃人数に
落ち着いてしまうことが多い。
531 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:04
532 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:04
533 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:05
>>527 薩摩・大隅・日向をあわせても60万石くらいなんだよな
それなのに耳川の時すでに4万人も集めている島津
その計算方法は以前から疑問に思えるのだか、その計算方法にしたがうと
大抵の戦記が石高よりも過大な兵力を動員しているように見える
534 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:10
朝鮮役では、九州の大名は100石につき5人、中国の大名は100石
につき4人の動員を命じられているね。百姓から徴発した、非戦闘員
とされている夫役まで含めれば、軍の数はかなりのものとなるはず。
535 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:10
史料の数字は過大申告してて当然、ぐらいに思うけど根
536 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:11
あの当時は常備軍などいないし、半農半武が多いし、
戦の時だけ狩り出される人も含めれば、4、5万くらは動員出来そうな気もする。
1万石で一万人を養えるそうだから、適齢の男を全て狩り出せば、
一万石で人2、3千人は軽く集められるだろう。(もちろん出来る訳ないけどね)
537 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:13
>>534 ということは可能動員数ではなくて
軍負担の数字なんですよね?
可能動員数だったら中国も九州も国には一兵も残さすに
朝鮮に渡ったことになる
538 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:13
とりあえず504・521氏に感謝。
前から島津は胡散臭いと感じてたんだな。
これなんか有名な「寡兵で大軍を破る」だけど、実態がこうなら
豊臣軍に完敗した高城の戦いも十分納得がいく。
539 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:13
耳川で島津が4万も集めているなんてのは、何に載ってるの?
大友の方ですら3〜4万程度って説の方が多いようだけど。
540 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:14
そういえば、あの「軍」って戦闘する軍勢だけの兵力なのかな?
どうも勝利側は戦闘兵だけ、負けた側は輜重兵などを全て含めている気がする。
541 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:15
>>534 北条攻めで徳川家には「100石あたり7人」の軍役が
課せられたが、実際には命令の半分以下しか動員していない。
その数字もあてにならん可能性すらあるけどさ。
542 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:17
>>539 大友は国を進発する時は3万5千で耳川に到達するまでに
各地の土豪などが合流して5万になっているはず
543 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:20
>>542 「はず」って言われてもなぁ・・・
ネタ元によっては問題になりそうだけど
544 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:20
>537
軍負担というか、実際に朝鮮にまで攻め入った、または名護屋に
陣詰めした兵数(非戦闘員を含む)ね。
実はこれは最低限の兵数で、秀吉は「心がけ次第」といってさらに
多くの動員を奨励した。だから当時、「際限なき軍役」なんて言われて
いたね。毛利氏のある家臣なんて、100石につき8人だか9人だか
動員していた。
545 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:22
>>544 そうすると本当の可能動員数は100石あたり10人以上なのかなあ?
546 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:22
確か北条家は200万石程度で、5万の兵力を動員してたな。
そういえば小田原攻めの時、15歳以上70歳以下は全て軍役に駆り立てたと言われるが、
実際それほど掻き集めていれば、20〜30万は軽く集まらないか?
文献からじゃなくて数式から出した数字を出してくれる人いないかな。。。
548 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:24
>546
実際には、村高20貫につき1人の動員だから、文字通りの総動員ではない。
549 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:24
>>547 それが正しいかどうかは文献に頼らざるを得ないという罠
550 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:26
>>548 20貫に一人はむしろ甘すぎるような気がするが・・・
551 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:27
>>548 そうなのか、民衆に優しい北条家のイメージがあったから、
この話はイメージと一致しなくて不思議に思ってたんだ。
ありがとう。
552 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:27
>545
動員期間などにもよるけどね。実際、毛利氏の家臣の中には、慶長の役の
際には、重い軍役負担に耐えられず、改易処分となった者もいるし。
553 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:28
総動員数というのは人口比で何パーセントまで兵として
狩りだせるかという数字だと思うので当時の人口を知ることが
先決のような気がする。
554 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:29
>550
まあでも、被官ではない百姓を兵として動員すること自体が、百姓に
とっては大変な負担と受け取られていたわけで・・・。
555 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:29
>>553 おおまかに言えば石高と人口がだいたい同じ
556 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:30
>>551 北条家はそんなに甘くないけどな。
戦となったら「種籾以外の米は全て徴収しろ」ぐらいは
平気で出す。
557 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:31
ふーん、すると肥前42万石だから42万人のうち6万人を
動員したという話なるのか
十分可能な数字と見えるがどうだろう?
558 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:36
>>557 無理だろうね。
そりゃ国が破綻すると思うよ。
石高から人口割り出して、人口の男女比や構成年齢比から軍隊に駆り出せる基礎のある人数出して、
そこから農村の維持に最低限必要な人数を引いて、
此処で石高で割り算。
引くことの、地元の警備・防衛等に必要な人数。
で、「もし最大限動員した場合の100石あたりの動員人数」を
概算でなら出せないかな?
もちろん随所で文献頼りにならざるを得ないだろうけどねー
560 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:37
一万石なら一万人くらい。
半分は女、また残りの半分は子供や年寄り、
病人怪我人なども考えれば、一万石で戦力になりうる男は、
二千人くらいが限度。
またこの数字から、防衛戦力を引き、補給などの雑役の人数を考えれば、
戦闘できるのは千人程度になる。
だから村町などから男を全て連れていっても、
一万石で千人を越えるのは難しいと思う。
561 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:38
そういやあ長久手の時の家康も、限界まで動因して
後一歩で崩壊寸前だったらしいな。
田畑は壊滅状態になったらしい。
562 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:39
でも勉強になったよ
今まで100石あたり2.5人、最大でも4人という数字が
どうも胡散臭く感じていたから、
やっぱり可能動員数の数字ではなかったんだね
563 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:39
今確認してきた。毛利氏家臣で336石知行の蜷川新三郎は、朝鮮に
49人連れて行っている。これだと1万石につき1500人弱の動員という
ことになるね。
564 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:42
>>563 すると肥前42万石で動員6万とぴったり一致するね
565 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:42
各大名、各領主、様々だから統一見解みたいなのは、やっぱ無理っぽいね
566 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:45
毛利って戦国有数の富裕大名だよね。
567 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:46
衣服だとか馬だとか武具だとか揃える経費考えるともっと少なくなるでしょ>動員可能数
568 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:53
毛利は鉱山と貿易でウハウハの大名だ。
尼子の残党攻めで宇喜多家併せて十万。
毛利だけで八万の大兵力。
大友とも揉めてたから、動員兵力は10万は軽く超えるだろう。
太閤検地では、因幡や北九州なども合わせても200万石もないけど、
あの兵力。隠れた収入がいかに多かったのかが分かる。
569 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:54
1500人の人間は一日で米15石、味噌3斗、塩1斗5合、その他を
消費する。
1万石の領地で五公五民だとしても収入が5000石、
どう考えても一年の飯代すら出せない。
まして軍役衆になると年貢にある程度の控除もあったらしいことを
考えれば収入すらもっと少なくなるはず。
大名として普段の政務や消耗品等に充てる費用はどこから出る?
集めた兵に武装させて矢玉のような消耗品もあるし馬も揃えて
馬も食費がかかるし・・・・
結論:やりくり不可能です
570 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:55
常備軍なんて誰も言ってないよ。
571 :
日本@名無史さん:02/04/21 02:58
>尼子の残党攻めで宇喜多家併せて十万。
>毛利だけで八万の大兵力。
それはどうにも信頼のおける数字ではないね。
高松城を秀吉に攻められて救援に行ったが、その時の兵力が
一万しかなかったことは当の毛利の書状に書かれている。
大友と揉めていたからそちらに兵を割かれたのだろうが、
大した兵力を持っていたとは思えないな。
572 :
日本@名無史さん:02/04/21 03:00
朝鮮への出兵期間を考えればほぼ常備軍に近いレベルで
やりくりする必要があったはずだね。
その「一万石につき1500人」説の根拠となっている軍役だと。
隣の城を攻めに行くわけじゃないのだから。
573 :
日本@名無史さん:02/04/21 03:00
>569
兵糧は、一部または殆ど全部を大名が負担することがよくあったから。
織田なんかもそうだけど、今川もそういう方針だった。
574 :
日本@名無史さん:02/04/21 03:01
>>571 高松城攻めでは、2万強の兵力と記憶しているが?
575 :
日本@名無史さん:02/04/21 03:03
>572
だから毛利氏は朝鮮役で困窮してしまった。家臣の中には知行分を
質に入れてしまった者もいたし。
576 :
日本@名無史さん:02/04/21 03:03
577 :
日本@名無史さん:02/04/21 03:05
>572
それから、さすがに蜷川新三郎は例外的な存在だと思う。
実際には、毛利氏全体で1万石につき1500人の動員なんて
ことはないと思う。
578 :
日本@名無史さん:02/04/21 03:32
結局何のスレだかわからんな
579 :
日本@名無史さん:02/04/21 04:54
戦上手は上杉謙信でしょう。生涯負けなしだったらしいし(信憑性に欠けるが)
そう言われるだけの戦上手だったってことでしょう。
知略では、豊臣秀吉が一番上手。信長が倒れたと知った後の取って返す行軍スピード
や水攻めなどでそれが良くわかる。
580 :
日本@名無史さん:02/04/21 09:21
その蜷川新三郎の例がわざわざ史料に残ってるのはすごく政治的なにおいがする。
ゆえに誇張している可能性もかなり高いと思われ。
自軍を強大に見せたい場合、荷駄を運んだりする賦役や
炊き出しを手伝ったりするおばちゃん連中まで数に入れる場合も多い。
5万の軍勢と言っても全員が戦闘可能要員とは限らない。
本多平八郎忠勝に一票。ホントかどうかはしらんが、六十余度の合戦で、かすり
傷一つつけなかったらしいし。
・・・なんか、これ書いたらかなり嘘っぽく見えるな。
583 :
日本@名無史さん:02/04/21 10:52
まあとりあえず蜷川新三郎の例を見ても分かる通り竜造寺は6万の軍勢を
用意できる余裕があったのは確かなようだ。
島津有馬の連合軍が1万だとしても1:6の兵力差を逆転したということでいいじゃないか?
両兵衛
585 :
日本@名無史さん:02/04/21 14:59
最近多く見るのは、竜造寺2万5千だな。
その大半も嫌々出兵したのが多かったようだ。
当初、鍋島直茂も出兵を止めるよう具申しているしね。
結局隆信を説得できずに自らも一緒に出兵してあまりの大敗に責任を感じ
割腹しようとしたそうだ。
587 :
日本@名無史さん:02/04/21 15:28
>>579 小田原城を落とせなくて帰陣したのとか
結局川中島とられたのとかをどう数えるかだよな。
榊原式部大輔康政に一票。
589 :
日本@名無史さん:02/04/21 16:32
>>583 毛利家では旧来の貫高制を石高制に統一する際に「一貫=一石」の
計算をしているから、毛利家の軍役状にある「石高」は実際の
生産高とは全く違う基準に基づいている可能性がある。
「毛利家軍役状における336石=一般的に言う336貫」であるならば、
336貫に対して49人の軍役、すなわち約七貫に一人というのは
例えば武田家において信濃の武士に一般的に課されていた軍役と
ほぼ同じであり、不思議な数字ではない。そして貫高を生産高に
換算する場合は「一貫=4〜5石」ほどであり、実際の動員は
生産高換算では100石につき3〜4人程に納まる。
>>587 小田原城を力攻めで落とした武将ってのは一人もいないし
戦術のみに絞るなら川中島の喪失は戦術的失敗ではない。
それだけの理由では謙信を上回る人間がいるとは言えない。
と思うけど?
590 :
日本@名無史さん:02/04/21 17:11
>589
信濃の武田氏被官の知行高は、生産高に近い(とされている)基準高ではなく、
年貢高なのではないかなあ。一般的に、中世の知行高は年貢高だと思うのだけど。
そうすると、やはり信濃の武田氏被官あたりと比較して、蜷川新三郎の負担は
重かったということになると思うのだけど。
591 :
日本@名無史さん:02/04/21 17:17
>>590 毛利家で行われた「一貫=一石」という計算は生産高では
ありえない計算。
592 :
日本@名無史さん:02/04/21 17:36
>591
そもそもさあ、太閤検地以降の石高も、基本的には生産高ではなく、軍役など課役を
前提にした基準高だよね。
593 :
日本@名無史さん:02/04/21 17:39
加藤鷹
594 :
日本@名無史さん:02/04/21 17:39
>>592 だから何?
旧来の貫高で「336貫に49人」なら不思議ではない数字。
毛利家では「一貫=一石」で石高表記に変更。
これだけで謎は解けているけど。
595 :
日本@名無史さん:02/04/21 17:46
(1)一般的に、中世の貫高は年貢高表示で、近世の石高は生産高ではなくそれに近い
(という建前になっている)基準高。
(2)武田氏は統一的な軍役基準を一応は達成していたが、毛利氏はそうではなく、豊臣
政権下の検地ではじめて統一的な軍役基準を達成できた。
(3)石高と貫高の換算比は各地で大きく異なる。
信濃の武田氏被官と朝鮮役の際の蜷川新三郎の負担がほぼ同じと証明するのは極めて困難
だと思うけど。
596 :
日本@名無史さん:02/04/21 17:48
新三郎一人だけじゃなくて毛利家における他の時代や他の武将の
軍役が示されないことには比較にならんでしょうな。
597 :
日本@名無史さん:02/04/21 18:17
えーっと、少しだけまとめておくと・・・・・
恐らくは年貢高表示であろう信濃の武田氏被官の知行高と、
豊臣政権下の毛利氏被官の蜷川新三郎の知行高とは、たとえ
毛利氏が「一貫=一石」と定めようとも、同じ基準の数値として
扱うことには無理がある。
596 名前:日本@名無史さん :02/04/21 17:48
新三郎一人だけじゃなくて毛利家における他の時代や他の武将の
軍役が示されないことには比較にならんでしょうな。
599 :
日本@名無史さん:02/04/21 23:08
有馬家が5000、島津が5000とする説に片寄りつつあるが
なぜか皆問題にしてないが有馬家が5000の兵を用意するのはちと荷が重くないか?
600 :
日本@名無史さん:02/04/21 23:12
それよりも家久配下の将が軍勢を連れていたという事実を
意図的に?無視してきたのが気になるな。
504には赤星が五千もいるんだが・・・
601 :
日本@名無史さん:02/04/21 23:15
結局信頼できそうな数字は無いということか?
敵も味方もよく分からん戦では分析以前だな。
602 :
日本@名無史さん:02/04/21 23:15
有馬が攻められてた訳だし。総動員の可能性が高いと思われ。
603 :
日本@名無史さん:02/04/21 23:17
軍記物しか資料がないのかな?
604 :
日本@名無史さん :02/04/21 23:20
____
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\ ノ \ .|
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| 00 .| <大山 い・わ・お ウフフフフ♥
| ∩ ∩ |
| ヽ工工工ノ |
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| .| / / ゝ
┌○○┐ヾ\
|-†-†- |ヽ\ ゝ
└──┘\_ゝ
レ'⌒`-'\\
|-| ヽ)
| |
しヽ
605 :
日本@名無史さん:02/04/21 23:24
>>600 赤星5000ってどこの資料から出てきたんだろう?
今まで島津家久3000、有馬3000という数字を信じてきたから
わけがわからんよ
606 :
日本@名無史さん:02/04/21 23:49
607 :
日本@名無史さん:02/04/21 23:51
普通に考えれば数字の出典とその史料の成立過程や年代を踏まえて
信頼性を考証していくほか無いだろう。
だから出典を明記して話をするように。
他の板のスレから持ち込むなよ
>>606 気持ち悪い
609 :
日本@名無史さん:02/04/22 00:19
>>608 なんでだよ?
よくあることじゃないか?<他板のスレのリンク
リンク貼っただけでこんな言われ方したの初めてだよ
変な奴
>>609 島津を執拗に落としてるレスがあるならともかく
そんなレスもないのに、いきなり
>>606みたいなレスをする方が変だと思うが
それをよくある事と考えるのも変だ
大丈夫?
611 :
日本@名無史さん:02/04/22 00:31
>>610 よくあることと言ったのは他板へのリンクのことでしょ!
ちゃんと文章を理解してくださいね
貴方こそ自分の頭を疑った方がよさそうですよ
612 :
日本@名無史さん:02/04/22 00:35
つーかな、島津オタこそ自分に都合のいい数字のみ
主張して一切批判は受け付けないんだな。
世界史板にもそんな電波が現れて困ってる。
>>611 あ、よくある事はリンクの事ね
だったら
>>609は
>>608に対して全然辻褄が合ってませんね
ちゃんと文章を理解してくださいね
大丈夫と聞いたこちらが間違ってましたよ
もうやめとけよ
616 :
日本@名無史さん:02/04/22 00:49
173 :日本@名無史さん :02/04/17 23:08
関が原で領土を減らされなかったのって、
そんなに家康に恐れられてなかっただけとか。
上杉家など最後は15万石まで減らされて、
東北の奥地まで飛ばされている。
(島津は最初から僻地だったね)
それだけ恐れられていとという見方もできる。
あー勘弁してくれよ
隔離するために燃料放り込んできますた。
620 :
日本@名無史さん:02/04/22 19:58
>>613 >だったら
>>609は
>>608に対して全然辻褄が合ってませんね
どこが辻褄が合ってないのだ(藁?
608 :日本@名無史さん :02/04/21 23:55
他の板のスレから持ち込むなよ
>>606 気持ち悪い
この608の他の板のスレから持ち込むなよというのは他の板のスレをリンクするなよ
という意味だろ?
609 :日本@名無史さん :02/04/22 00:19
>>608 なんでだよ?
よくあることじゃないか?<他板のスレのリンク
リンク貼っただけでこんな言われ方したの初めてだよ
変な奴
どこが辻褄合わないんだよ(藁?
十分辻褄が合ってるじゃないか?
おまえ本物の馬鹿だろ?
こんな短い文章を読む力も無いのか?
おまえは(藁
こんな奴が相手じゃ島津好きは可哀想だよ
論理的な話なんて所詮無理だからな、おまえは(藁
品がないのぉ・・・
もうやめとけって
>この608の他の板のスレから持ち込むなよというのは
>他の板のスレをリンクするなよという意味だろ?
は?だったらリンクするなとか書きますが?
貴方は本物の馬鹿ですか?こんな短い文章を読む力もありませんか?
貴方が被害妄想に囚われて、全く関係無い話題を持ち込んで
辻褄のあわないレスしてるから、気持ち悪いと言ったんですが?
ところで島津が好きとか何が関係あるんだろう?
624 :
日本@名無史さん:02/04/22 23:46
>>623 オウム返ししか出来ない脳タリンに馬鹿とか言われちゃったよ?
>貴方が被害妄想に囚われて、全く関係無い話題を持ち込んで
辻褄のあわないレスしてるから、気持ち悪いと言ったんですが?
だったら最初からそう書いておけよ、マヌケ!
>他の板のスレから持ち込むなよ
が>貴方が被害妄想に囚われて、全く関係無い話題を持ち込んで
辻褄のあわないレスしてるから、気持ち悪いと言ったんですが?
なんて意味だなんておまえの腐った脳内幻想の賜物で第三者には理解不能なんだよ!
少しは常識を持って書き込めよ!って言ってもこんな低脳には無理な話だよな(藁
おまえらもうやめとけよ
基地害は放置しよう。
627 :
日本@名無史さん:02/04/22 23:52
島津マンセーが来てからおかしくなったな。
戦史関係のスレはたいていこうだ。
読解力がない厨には何言っても無駄
寂しがり屋で、構って欲しいんだろ
629 :
日本@名無史さん:02/04/22 23:55
だいたいオマエの脳細胞の働きは鈍すぎるぞ(藁
>>613で初めて俺の言った「よくあること」が他板のスレのリンクだと気づいたようだが
>>609で、>よくあることじゃないか?<他板のスレのリンク
ちゃんと<他板からのリンクって書いてあるだろ?
これに気づくのに何時間要してるんだよ?
オマエの脳細胞はお粗末過ぎなんだよ(藁
オマエのようなヴァカはレスつける前に自分はヴァカですと3回唱えてから
レス付けるようにしろ。そうすれば馬鹿を自覚できて少しはマトモなレスできるようになるかもしれないからな(藁
誰か本題に戻してクレエ…
もうやめとけつってんだろ
電波ゆんゆんだな
基地害は放置のとゆー事で。
たしかに
>>613はヴァカだとは思うがそこまで酷い言い方しなくとも・・・
お子ちゃまだから、自分に抑えが利かないのれす。。。
>>613お前はあまり頭は良くないと思うけど悲観するなよ
お前よりも頭が悪くても立派に仕事している人もいるんだからな
島津ヲタの末路?
キタ━━━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━━━ !!!
ホンモノデス
島津オタがスレを潰したか。面白い。
もうやめとけっていったんだろ。何か文句あんのかぁぁぁ〜!
/ヽ /ヽ
/::::::::ヽ____/:::::::ヽ
/ ::::_ :::::::::::::._ .\
/:::::: / 。\ヽ v.._/。 \ :::\ クワッ
|:::: / ̄ ̄ /___√ ̄ ̄\ ヽ
|:: :::::. /|ーーーt ヽ ヽ.. :.:::::::::. |
|::. | ||:.. ...:::::.. |
.. |::::: ! | ヽニ⊃| | ::: |
|::. | |::::T:::| | | .. : |.
_丿:::: ├^^^^^--∧ :: :/ ∧
/:::::::::::::::::::: ../ ::ヽ \ / ヽ、
:::::::::::::::::::: / ::::ヽ⌒ヾ⌒ヽ ::::ヽ ←>>島津厨
:::::::::::::::::::: グリグリッ/ ..(.....ノ(....ノ ::::/ ヽ
:::::::::: | ∪ .:(....ノノ ))
:::::::::: / ̄ ̄ヽ ∪ :::::::::::::/`ヽ
:::::::::: (( (___..ノ ::::::::::::::(....ノノ ))
ヽ ノノ ::∪:::::::::::::ノ イ・・・イイエ。
641 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:15
とりあえず話を戻しましょうよ。
私は戦術では島津家久が最高だと思いますよ。
何せ寡兵で竜造寺隆信と竜造寺四天王を一気にアボーンですから
こんな効率的に敵を徹底的に叩いた戦って他にないでしょう。
>>641 アンタ、煽ってんのか?
寡兵かどうか、どのぐらいの兵力差をひっくり返したのか、
そういう部分が分からんのにどう評価するか?って話を
散々してるだろうが。
643 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:21
うむ、6万というのが実は25000程度ではないか?とか
家久の3000以外にも相当の参加があった可能性があるという
話をしてたんだよな。
644 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:21
>>642 そうですね
兵力差の正確な数字については資料待ちということにしておいて
それはおいておいても、大名と主な重臣を一度に討ち取ったのは凄いと思いますよ
それに少なくとも島津軍の方が竜造寺軍よりも大軍だったというのは無さそうですしね。
645 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:23
討ち取ることを目的に戦術を行使したのか
追撃戦等の過程で偶発的に討ち取ったのか。
討ち取ったというだけでは戦術能力の評価にはならない。
646 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:26
正確な資料って聞いた事ないね
現状では龍造寺・島津の双方とも軍記物に頼らざるを得ないんですよね…
647 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:28
そりゃ勝てば官軍、自軍は少なく、敵は多く。
まあたまーに例外もあって、例えば『三河物語』の長篠合戦。
武田軍を1万5000、織田徳川連合軍を10万と記述。
それだけいりゃ何もせんでも勝てるだろー(笑)
648 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:28
649 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:29
女性職員に「イヒヒッ」−早大講師逮捕
交際断られイタズラ電話920回
早稲田大学総長室秘書課に約920回にわたって無言電話をかけたとして、警視庁戸塚署は22日までに、偽計業務妨害容疑で埼玉県飯能市の
同大文学部非常勤講師、安藤優一郎容疑者(37)を逮捕した。
調べに対し、同容疑者は「秘書課の女性職員に好意を持ち、声が聞きたくて電話した」と話している。
調べだと、安藤容疑者は昨年11月中旬から今年3月までの間、公衆電話から早大秘書課に無言電話や「イヒヒッ」と話す
イタズラ電話を約920回かけ、同課の業務を妨害した疑い。
安藤容疑者は昨年4月ごろ、秘書課の女性職員に交際を申し込んだが断られ、それ以降、秘書課に電話をかけるようになった。
1日に約70回かけたこともあり、別の職員が出ると、すぐに電話を切っていた。
早大広報課によると、安藤容疑者は昨年4月1日から同大文学部に非常勤講師として週1回勤務し、逮捕直前まで日本史を教えていたという。
同じ時期から、秘書課に無言電話が相次いだため、昨年10月、同署に相談し、今年4月、被害届を出していた。
安藤容疑者は早大卒業後の平成11年、「寛政改革期の都市政策」の論文で文学博士を取得。郷土史家として、千代田区史や新宿区史の編纂にあたり、
日本地名研究所に評議員として名を連ね、同大では「歴史・民族系演習」を受け持ち、オープンカレッジの講義も担当。関係者によると、
安藤容疑者は独身で、「特別問題があったわけでもなく、変わったところもなかった」という。
ZAKZAK 2002/04/22
じゃあ火吹きだるまに一票
651 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:32
どうも九州の合戦てのは尋常じゃ無いほど兵力差があるね。
それだけ良質の史料が無いってことだろうな。
652 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:35
島津が実際に投入した軍勢よりも過少に後世に伝えるメリットってなんだろうか?
例えば織田・徳川が投入した軍勢よりも過大に後世に伝えるにはメリットがありますよね?
それだけの兵力を持っているという示威になります。
あ、これはその当時の他の諸勢力に対しての示威になるので後世に伝えるという性格のものではないか
653 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:39
九州の武将の残した記録だと、一人で千人を倒したとかいうのが
ゴマンとあるらしい。
逆に東北は無関心で、そういう記録そのものがほとんどないんだって。
しかし九州ってそんなに人口膨大だったか?
654 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:40
島津が実際に投入した兵は少ないと思う
地理的には、まだ島津の勢力範囲ではなかった地域への派兵で
しかも日向方面もまだ安定してなかった訳だし
だけど、その他の参加した有馬やらの兵を、どうして今まで除いていたんだろうか?
655 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:40
>島津が実際に投入した軍勢よりも過少に後世に伝えるメリットってなんだろうか?
漏れはこんなに強いんだぞーとね。自慢したいんですよ。自慢。
>例えば織田・徳川が投入した軍勢よりも過大に後世に伝えるにはメリットがありますよね?
>それだけの兵力を持っているという示威になります。
>あ、これはその当時の他の諸勢力に対しての示威になるので後世に伝えるという性格のものではないか
兵多きが勝ってもそれは当然なだけで自慢にもなりませんな。
656 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:45
>>655 自慢って(w
一応戦国大名も現代で言えば国家元首並の責任ある政治家なんだから
何か政治的なメリットがあってこそ様々な喧伝するなりしていたと思うのですが
657 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:46
九州の石高(太閤検地)
筑前 32万5695石
筑後 26万5998石
豊前 14万0000石
豊後 41万8313石
肥前 30万9935石
肥後 34万1220石
日向 12万0087石
薩摩 28万3488石
大隈 17万5057石
658 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:47
>>654 一応 島津家久3000と有馬軍3000の連合軍だったというのが
もっとも広く伝えられている島津軍の軍容のようですが・・
大軍の烏合の衆よりも少数精鋭の方が相手を威圧出来るっしょ。
660 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:49
>>656 だから自慢ですよ(w
少ない兵で勝つってことは
ウチの兵は強いんだぞー
ウチの武将は優秀なんだぞー
と言ってるんですからね。
それに大名自ら編纂したような史料ばかりではありませんよ。
661 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:52
662 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:54
>>648 北条の川越野戦の数字の方が凄くない?
北条11000対上杉朝定ら連合軍80000って(関が原の西軍並みの兵力じゃん。
663 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:55
607 :日本@名無史さん :02/04/21 23:51
普通に考えれば数字の出典とその史料の成立過程や年代を踏まえて
信頼性を考証していくほか無いだろう。
だから出典を明記して話をするように。
664 :
日本@名無史さん:02/04/23 00:55
665 :
日本@名無史さん:02/04/23 01:00
>>662 関東+伊豆で300万石あることを考えれば
伊豆+相模+武蔵の一部の北条と、それ以外全部の反北条に
分かれて争った川越合戦での上杉方が8万は大袈裟にしても
北条を遥かに凌ぐオーダーであったことは不思議ではない。
上杉謙信の小田原包囲にも実に10万が従ったとさえ
言われている。
666 :
日本@名無史さん:02/04/23 01:04
>>648 今山の合戦は、竜造寺の降伏のほうが真実
鍋島による夜戦で大友方前線指揮官大友親貞を討ち取るも
大友宗麟の本陣が前線へ進出、本格攻勢へ出る直前に毛利が北九州へ上陸
竜造寺の降伏を受け入れ、博多方面へ転進
というのが真実
九州の戦史というのは???が多すぎる
将兵の数なども資料によって恐ろしいほど違う
>大友方前線指揮官大友親貞
これはかなり胡散臭い
668 :
日本@名無史さん:02/04/23 01:07
どうでもいいが何事も論拠を示してな。
お互いにさ。
669 :
日本@名無史さん:02/04/23 01:41
どっちも本題と関係ないじゃん。
よそでやれ、よそで。
言いたかったのは、勝ち負けでさえいい加減なのだから
兵の数はなおさら信じるに足りないという
一番最後の一行です
671 :
日本@名無史さん:02/04/23 06:00
なんだか、最近の話つまらん。勉強してる人たち、
本題にもどって。
672 :
日本@名無史さん:02/04/23 18:03
.
673 :
日本@名無史さん:02/04/23 18:19
>670
それはわかったさ。
資料が不足してて、実際の戦術/戦略がはっきりしないような九州の一地方の
話を「日本史上最高のいくさ上手は?」のスレで話するのはずれてるんじゃないの
てことだよ。
九州戦闘史上、とでもするならわからなくも無いが。
全国的な認知で言えば「島津氏の朝鮮半島での戦闘について」ぐらいしか
天才のレベルでは語れないんで無いの?
674 :
日本@名無史さん:02/04/23 18:31
>>666 今山の合戦は竜造寺が勝ったと思っていました
その大友の勝利というのは何という資料に書かれているのでしょうか?
675 :
日本@名無史さん:02/04/23 18:52
九州には良質の史料が無いのでお話にならんな。
九州に筆まめな人はいなかったのか?
豪傑の酒飲み話みたいなのばっかじゃねーか。
「わしは昔10倍の軍勢を赤子の手を捻るが如く…」
とかばっか。
676 :
日本@名無史さん:02/04/23 18:58
>>675 うーん、どうだろう?
九州は鉄砲の普及率が高かったので寡兵で大軍を破るような戦いが
多かったのではないだろうかと思ってみたりする。
>675
まるで三国志のせかいだねえ。
678 :
日本@名無史さん:02/04/23 19:20
679 :
日本@名無史さん:02/04/24 00:13
>>676 雑賀衆vs信長軍みたいに一方だけが圧倒的な量の鉄砲を装備していた
場合でも、10分の1の軍勢が相手の大将格をことごとく討ち取るなんて
ことはできなかったんだけどさ。
むしろ相手が10倍もいれば守ることはできても攻勢は不可能。
まして九州では鉄砲が広く普及していたのだとすれば
やはり寡勢が多勢に勝てるというわけにはいかないだろうね。
釣野伏つっても限界があると思うし。
大将の一人二人を偶然討ち取れるぐらいならまだしも、
大将格を次々討ち取れるなんて、裏があるとしか・・・
児玉源太郎以外には考えられません
たんに研究があまり進んでいないだけでは?
今山合戦だって研究が進んでから話が変わったようですし
682 :
日本@名無史さん:02/04/24 00:30
>>679 この時代は鉄砲は弓矢に対してアドバンテージはあまりない。
むしろ遊牧民の弓には負ける。
島津はこの戦いでは弓を主用している。
竜造寺隊が湿地で壊滅したのはそれが原因だろう。
683 :
日本@名無史さん:02/04/24 00:33
>>682 いや遊牧民は関係無いだろう(w
ところでならば何故に鉄砲が普及したと思うかね?
それは紛れも無くアドバンテージがあるからだよ。
んで、講談ネタばかりでその弓こそ勝因というのは確かなのかね?
アレだな。上の3行を読んで気力が抜けたのでどうでもいいや。
鉄砲はアドバンテージ有り過ぎで、島津は弓を使用しなかったという事にしましょう。
降参。
685 :
日本@名無史さん:02/04/24 01:19
弓隊でも鉄砲隊でもいいが敵が10倍いたら同じだろう・・・
686 :
日本@名無史さん:02/04/24 01:46
>>679 耳川の合戦で言えば、大友が使用した鉄砲は千丁以上とのこと
(文献により数値が異なっているが装備率が5%〜20%)
敗戦で放棄した鉄砲を回収して島津は一気に鉄砲の所有量が増えたとのこと
また、戦いは島津の大掛かりな釣り野伏せに大友方がまんまとはまった
という感じ
俗に言われている、大友各武将たちが自殺的な突撃をして散っていったと
いうのは講談、伝説の類話
687 :
日本@名無史さん:02/04/24 02:15
ちょっと九州はおいといて他の話しよーよ
688 :
日本@名無史さん:02/04/24 02:16
九州の話になってから基地外が多くなったな。
他の板でも感じたが基地を呼び込みやすいようだ。(戦国関係でな)
689 :
嵯峨源氏蒲池子孫:02/04/24 06:56
黙れ百姓!!!
貴様等は雑兵にすぎない。
690 :
日本@名無史さん:02/04/24 08:00
最高の殺しの天才は?
691 :
日本@名無史さん:02/04/24 10:52
>>690 ベタですまんが、信長かと。善悪政治判断は別にしても、
叡山焼き討ち、長島の一向門徒皆殺し、これ最強。
693 :
日本@名無史さん:02/04/24 23:33
「天才」かなあ?
ぶち切れて火を放つパターンばっかりじゃん。
スマートさが足りない。
秀吉の真綿で首を絞めるがごときしつこさが欲しいな。
デューク東郷に決まっとろうが?
義経様に1票!
696 :
日本@名無史さん:02/04/25 00:18
>>679 鉄砲の装備率が高いから寡兵で大軍を破った戦いが多かったかも書いた者です。
個人的には武器が進化すればするほど一人当たりが殺せる敵の数は増大すると思うのです
いくら強くても素手で殺すとなると限界がありますよね?
おそらくK1選手でも5人も殺すと疲労の限界が来るのではないでしょうか?
素手からナイフという武器を持ったしたら、もっと効率よく殺せますよね?
この場合は慣れた殺人者なら10人くらいは楽に殺せるのではないでしょうか?
それが拳銃をもったら指を動かすだけでいいのですから疲労だけを考えた場合は上の2つの
例とは問題にならない数の人を殺すことができます。
問題は相手も同じ武器を持っている場合ですが、例になっている島津対竜造寺は
島津の仕掛けた罠にまんまと竜造寺が嵌ってしまったケースですので竜造寺側の鉄砲は
まるでその威力を発揮する機会もなく、敗退してしまったのではないでしょうか?
だいたい鉄砲という武器は待ち構えていてこそ威力を十分に発揮でき得る武器だと思うので
攻勢を仕掛けてきていた竜造寺にとってはもともと鉄砲で攻撃しようと思っていなかったとも思います
697 :
日本@名無史さん:02/04/25 20:25
うわ〜ん。良スレだったのに基地害のせいで閑古鳥になったよ。
698 :
日本@名無史さん:02/04/25 20:46
九州はやめれ、とあれほど言っているのに・・・・
もう一度言うが、
「 よ そ の ス レ 」 で や れ
ただでさえ日本史板は九州限定ネタが多くて気分がわるいのだ。
それは見逃してやるから、
こ こ で は や る な
やっぱ、身の程知らずの井の中の蛙が多いからかな。
700 :
日本@名無史さん:02/04/25 20:57
戦争の天才ってコトなら義経
701 :
日本@名無史さん:02/04/25 21:02
>>662 埼玉の川越市で行われた北条×上杉の祭りに
茨城から参加したDQNもいます
っても川越夜戦も眉唾らしいけど
703 :
日本@名無史さん:02/04/25 23:19
北条氏康が8000の兵で出撃して上杉の軍勢を撃破したのは
確かだけどね。
704 :
日本@名無史さん:02/04/26 00:35
竜造寺隆信だって東洋のカエサルと評された男だけどな
705 :
日本@名無史さん:02/04/26 00:41
>>704 知らなかった
カエサルとはすごい別名を付けられたものですね
706 :
日本@名無史さん:02/04/26 00:46
正しくはフロイスが「カエサルにも勝る」と書いたんだよ。
707 :
日本@名無史さん:02/04/26 10:46
.
708 :
日本@名無史さん:02/04/26 20:21
709 :
日本@名無史さん:02/04/27 09:14
立花宗茂らが一万数千の兵とともに、関が原表に出現するところを
見たかった。
711 :
日本@名無史さん:02/04/27 23:39
日本史上最高のいくさの天才は
名もない一向門徒の指揮官
島津なんか目じゃない
織田家の武将を何人討ち取ったか
712 :
日本@名無史さん:02/04/28 00:02
>>711 それは単に兵士が優秀だったっツーだけだと思う。
何せ死ねば極楽浄土に行けると思い込んでるんだから。
むしろ指揮官はぼんくらだろう。
713 :
日本@名無史さん:02/04/28 00:11
>何せ死ねば極楽浄土に行けると思い込んでるんだから。
>むしろ指揮官はぼんくらだろう。
精神論じゃ戦争には勝てんよ。
優秀な兵士にボンクラ上官、旧日本陸軍だな(w
714 :
日本@名無史さん:02/04/28 00:16
715 :
日本@名無史さん:02/04/28 00:20
716 :
日本@名無史さん:02/04/28 01:20
>>710 すげえ。
>>715 そうだね。そもそも信長は武田以上に時間と兵力をつぎ込んだのに
戦闘では常に圧倒されてた。
717 :
日本@名無史さん:02/04/28 01:55
↑意味不明なんだよ!馬鹿?
718 :
日本@名無史さん:02/04/28 01:56
719 :
日本@名無史さん:02/04/28 10:08
尾張兵は弱かった。三河や甲斐の精強な兵に比べどうしようもなく
弱かった。これ定説。
720 :
日本@名無史さん:02/04/28 11:56
>>719 その説はよく聞くけど疑問があるなあ
桶狭間の合戦での今川義元の陣地は桶狭間山と呼ばれる小山だったそうだし
今川本陣を襲った信長軍は今川本隊の1/2の兵力だったそうだ。
地の利、兵力差でも今川の方が勝っていたのに織田が勝ったのだから
尾張兵は強兵だったのではないだろうか
721 :
日本@名無史さん:02/04/28 14:00
ううむ、良くわからんがその理論でいくならば、勝った方=強兵
ってことになるんでは?(笑
大将とか指揮者の素質とか作戦とかをすべて無視してさ。
桶狭間勝った結果をもとにしての尾張兵強かったって推論はちと無理があると思うよ。
722 :
日本@名無史さん:02/04/28 14:04
戦術クラスの天才として異論がなさそうなのが
・義経
戦略クラスでは
・信長、大村益次郎
あたりですか?
723 :
日本@名無史さん:02/04/28 16:54
724 :
日本@名無史さん:02/04/28 17:13
やはり戦国時代最強・戦闘力100の長尾影虎
名前も強そう
本当に荒れちゃったね
しまいにはゲーネタになってしまった
私の言いたかったことは兵力の算出は非常に困難ということをいいたかった
だけなんですけど
申し訳ない
726 :
日本@名無史さん:02/04/28 18:37
尾張兵が弱かったちゅうても織田信秀はそれなりに勝ち戦もあるよな。
今川の兵が弱かったちゅうても、
駿河は後の武田兵=強兵
遠江は後の徳川兵=強兵ってことにならんか?
江北の兵は強かったと言うが秀吉が野戦でガンガン戦う様なんて
思い浮かばねー(w
雪国の兵が強ければ朝倉勢は上杉軍団並みの強さだろう(ww
727 :
顔も名前も出さずに毎月100万円:02/04/28 19:02
Future-Web(フューチャーウェブ)登場
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728 :
日本@名無史さん:02/04/29 14:27
俺
729 :
日本@各蕪央さん:02/05/02 22:58
新戦法と言えば
火力の集中使用とプロダクションシステムによる鉄砲の量産化(全ヨーロッパの
生産数より多かった)を始めた織田信長
航空作戦を海戦の主役にした山本五十六
この辺が世界の戦争を変えたといえる人物ですかね
730 :
日本@名無史さん:02/05/03 00:07
>>729 >火力の集中使用
チェリニョーラの戦い(1503)におけるコルドバ、
日本なら雑賀衆やらのが早いっしょ。
>プロダクションシステムによる鉄砲の量産化
それはないだろ。生産地を押さえて購入しやすかったとは言えるが。
>(全ヨーロッパの生産数より多かった)
全ヨーロッパの「生産数」を調べた奴っているの? 何挺?
>航空作戦を海戦の主役にした山本五十六
まあ主役にしたっちゃしたんだけど、ミッドウェーで本人が
最後方で戦艦に座上したまま動いてない。
彼自身の発想はむしろ戦艦主兵で、空母と航空機は鉄砲玉、捨て駒だった
可能性も指摘されている。
いちおう疑問点を。
731 :
日本@名無史さん:02/05/03 16:51
>航空作戦を海戦の主役にした山本五十六
航空優位思想はハワイの前々から帝国海軍内の一部に盛り上がってきてたんだよね。
もちろん五十六もその一人なんだけど。
海戦の主役にしたって言うよりは、ハワイとマレーでさんざん叩かれて米英首脳部が目覚めた、と言うべきだろう。
>>722 結論を急ぐ必要もないと思いますが、最大公約数に問題なかろうと思われる
人をもう少し追加させてください。
> 戦術クラスの天才として異論がなさそうなのが
> ・義経
に加えて上杉謙信、島津義弘、立花宗茂、秋山好古あたりどうですか。
> 戦略クラスでは
> ・信長、大村益次郎
> あたりですか?
に加えて毛利元就、豊臣秀吉あたりどうですか。
皆さんからのまたーりとしたご意見ください。
733 :
日本@名無史さん:02/05/04 22:05
司馬小説などでしばしば話題にのぼる「中入れ」というのは、
一体誰がパイオニアの名誉を持つ戦術なんでしょかね?
個人的には信長以前にもあったような気はするけど
734 :
日本@名無史さん:02/05/04 22:12
「中出し」なら知ってるが「中入れ」ってのは何さ?
【中入れ】 司馬小説より
両軍が膠着状態、対陣状態、もしくは拮抗状態にあり、
敵の本軍、中軍が手薄となっているとき、
奇襲部隊を編成し、にわかに長躯敵の中軍を急襲、裏から崩れさせる。
しかしながら至って当然、自軍本軍の兵力が薄くなり、失敗すると総崩れとなる。
というような戦術、らしい。
俺も詳しくは知らない。あくまで司馬小説でこんな戦術が出て来てたなー、という程度。
【中出し】
性交の際、女性の膣の中で射精すること。またはその性交。
736 :
日本@名無史さん:02/05/04 22:22
顔や腹の上に出したヤシを、すくって中に注ぎ込むことじゃないか?
うん、そんな君は変態。
>>737 何でバレた?っていうか、おめーもやったことあるだろ?
739 :
日本@名無史さん:02/05/04 22:25
>>735 つまり別働隊の編成か。
んなもんのパイオニアが信長だとか言ったら笑われるって。
740 :
日本@名無史さん:02/05/04 22:28
STOP AIDS
>>739 別働隊の編成、というとずっと昔からありそうだけどね。
司馬が言うには
「戦国中期以降にわかに流行になった戦術で、
中国の兵法書にもヨーロッパの戦術にもなく、
ただ織田信長がしばしばそれを用い、奇功をあげた」
のだそうで。
なんだそりゃ本当かよ。って感じなんですが。
つうか司馬のト書き読んでもどういう戦術なのか輪郭が曖昧。
司馬の創作なのかなー、これ。誰か詳しい人いないかな。
742 :
日本@名無史さん:02/05/04 22:38
モンゴル軍とか武田信玄とか、別働隊が得意なやつは
たくさんいたという罠。
俺は「孫氏」を読んでたよ。
744 :
日本@名無史さん:02/05/04 23:46
孫子
745 :
日本@名無史さん:02/05/04 23:47
尊師
俺は「精子」飲んでたよ。
>>746 彡 ビュウウウ…
彡
彡
.∧ ∧ 寒いレスだなオイ…
ヾ(,,゚Д゚),)
人つゝ 人,,
Yノ人 ノ ノノゞ⌒〜ゞ
. ノ /ミ|\、 ノノ ( 彡
`⌒ .U~U`ヾ 丿
⌒〜⌒
748 :
日本@名無史さん:02/05/05 00:05
豊臣秀長に一票。
秀吉の陰に隠れてるけど戦では負け知らずだったのでは?
749 :
日本@名無史さん:02/05/05 00:06
四国攻めには手間取ったけどなー
750 :
日本@名無史さん:02/05/05 01:37
豊臣秀頼
751 :
日本@名無史さん:02/05/05 01:57
正親町天皇なんかどうよ?一度も負けてないぞ。
一度も勝ってないけどな、っていうツッコミが欲しいのか?
753 :
日本@名無史さん:02/05/05 02:20
神武天皇なんてウヨちっくな意見もあれ。
754 :
日本@名無史さん:02/05/06 14:16
俺は武経七書全て読んだもちろん守屋 洋のヤツ
755 :
日本@名無史さん:02/05/06 14:32
伊勢新九郎長氏
756 :
日本@名無史さん:02/05/06 14:36
短期決戦なら断然、上杉謙信公!!
757 :
日本@名無史さん:02/05/06 17:47
臨機応変の戦術なら黒田如水!!
758 :
日本@名無史さん:02/05/06 19:01
そういえば、早雲ってタヌキ親父の御先祖に負けたことがあるんだってね。
759 :
日本@名無史さん:02/05/12 20:17
>719
>720
『信長公記』や『三河物語』には、今川軍が山頂に布陣していたことになっている。
1.今川軍VS織田軍の兵力について
太閤検地によると、駿河・遠江・三河で67万石くらい。可動兵力約二万弱
同、尾張の石高は57万石くらい。可動兵力約一万五千弱。
確かに今川は尾張に食い込んでいたけど、西三河は織田の勢力範囲。
両軍に決定的な兵力差は無かったものと思われる。
2.どの程度の軍勢が桶狭間に集まったか?
まず、考えてほしいのが、今川が二万人の兵を動員したらどうなるか。
いくら同盟を組んでいたとはいえ、北条・武田に領国を無償で渡すようなもの。
せいぜい桶狭間まで行ったのは、一万人止まりが妥当な線。
また、織田軍と信長軍と混同してませんか?
織田軍は最低でも一万人は集結したと思われる。ただし、信長軍は二千名程度。
3.勝因
迂回奇襲はでっちあげ。織田軍は正々堂々と正面から攻め上げた。
地の利は、圧倒的に今川軍に有利。でも、堀の役目を果たすはずの泥沼を、
織田兵は平気で渡って来た。まず、これでびびってしまう。
先鋒を血祭りにした織田軍は、本陣に逃げ込もうとする先鋒の敗残兵を虐殺。
山から流れ落ちる雨水で、先鋒の連中は逃げられなかった。
これにびびった義元は、とりあえず大高城に逃げ込もうと、
後詰に合流しようとしたが、後詰の瀬名勢は泥沼の中で右往左往し、
沓懸方面に退却を開始していた。
行き場の無くなった本陣は、大高道までたどりつくが、そこで全滅。
4.義元の敗因
信長軍が先鋒に攻めかかったとき、雨霧で眼下が見えなかった。
気づいた時には目の前まで迫っていた。
広範囲に渡って布陣していたため、本陣が攻められても、すぐに対応できなかった。
早朝に活躍した家康達を休憩させていた。
5.信長の計画
今川の動きを牽制しながら、本隊が帰還するのを待って、大高城攻撃。
尾張から今川勢を排除した後、西三河を完全に開放。ここで今川と和睦。
760 :
日本@名無史さん:02/05/12 20:42
ここって
761 :
日本@名無史さん:02/05/12 21:05
信長以外の織田勢と信長勢は有機的連携はとってたのか?
762 :
日本@名無史さん:02/05/13 00:15
正直、いつの時代にも天才は一定数存在しなければならないわけ。
天才の順列をつけるのは不可能。
その機会が与えられるかどうかは天命。
763 :
日本@名無史さん:02/05/13 00:26
古今東西のいくさの天才 ⇒ 斉の孫子(そんぴん)
黒田如水の話はかなりの部分が孫子に依存してる。
孫子に近い日本人なら大村益次郎かな。
辻政信にきまっとる
意表をついて毛利元就
桶狭間の信長・・・今川がたまたま桶狭間に来ただけ=運がいい
厳島合戦・・・一年に及ぶ謀略で陶を厳島におびき寄せる
同じ奇襲を以って少数で大勢を破る結果でも内容はウンデンの差。
それに超弱小国から超有力大名に出世し、幕末、さらには明治まで続いた
大名は毛利だけ。その元を作った元就は天才。
戦だけでなく戦略、政略、謀略、調略、日常生活、何を取っても完璧。
ただ先を見る目なし・・・四国、九州じゃなくて近畿を目指してれば・・・
766 :
日本@名無史さん:02/05/13 16:23
>761
信長が善照寺砦に来た時点で、那古野・守山等の『織田軍』が合流。
『信長公記』の記述を見る限り、暫く対峙していたと思われる。
その中で『信長軍』だけが中島砦まで移動する。
→中島は中州の小さな要害であるため、全軍が入ることは不可能だった。
『信長軍』は更に前進して行くが、この目的は戦闘ではなく、泥沼の過渡地域を確認するため。
一家の主が最前線に出てしまったので、他の『織田軍』も渋々前進する。
太田牛一は旗本であるため、『織田軍』全体の動きなどは見ていない。
このときに、『織田軍』全体を見ていたのは、信長と佐久間信盛くらいか?
また、斜面での戦闘の場合、移動は下の方が有利。陣地戦では上が有利だけどね。
足場が悪くて前に転倒した場合、上の方は足が上になってしまうから、起き上がるのに苦労する。
木が吹き飛ぶほどの豪雨と強風が去った直後だけに、斜面の足場は最悪のコンディション。
つまり、『織田軍』は先鋒や左右の備えを、機動力を活かして個々に撃破していった。
その中で、『信長軍』は一気に本陣に突っ込んだと考えられる。
ちなみに、静岡大学の大和田哲男教授が、「桶狭間山」を推定しているよ。
767 :
日本@名無史さん:02/05/14 20:15
↑
×大和田哲男
○小和田哲男
歴史に興味持ち始めたころ小和田哲男さんの分かりやすい文体の
著作にお世話になりますた!
769 :
薩摩韓国中国米国人は最狂故に最強:02/05/18 19:36
http://yasai.2ch.net/army/kako/979/979203242.html ↑このスレ面白い↑非薩摩最強派の人間をいきなり左翼呼ばわり
薩摩オタクは恐いな〜〜
と、途中まで読んでて爆笑
131 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/01/16(火) 05:23
竜造寺の殿様をぶち殺した一戦は
桶狭間にも匹敵するほどの大勝利だったな。
800くらいで30000に勝利。
これも釣り野伏せだったと思う。
新説登場!!!!沖田畷は島津軍800人対竜造寺軍30000人だった!!
770 :
日本@名無史さん:02/05/18 20:02
近代史なら秋山真之だな。
天才と呼べるほどじゃなくて悪いが、秋山のお兄ちゃんの方は
戦争というものを自分なりにだいぶ把握していた人間に思う。
戦線が膠着した状態で、騎馬隊を持ちながら機動力を生かそうなどとは考えず、
左翼にベッタリ貼り付けたままにしとくには、よほどの抑制と自重が要るよ。
地味だけどいい働きをする、という意味では(天才ではないにしろ)名将かも。
772 :
日本@名無史さん:02/05/21 23:20
>本陣に逃げ込もうとする先鋒の敗残兵を虐殺。
戦闘中に崩れを突くことを虐殺というか?。
なら戦闘をせずに撤退中の織田軍を追撃し数千人を討取った上杉軍も虐殺だ。
そもそも侵略戦争(w)を仕掛けてきたのは今川。
正当な戦闘行為を虐殺と言ふこれがアンチ(サヨ)かメモメモ。
>>765 元就いいね、所謂戦国大名の中では一番凄いと思う
1万石前後の領主からスタートして中国地方の覇者となる
773 :
日本@名無史さん:02/05/22 21:44
>>772 侵略戦争かどうかは、今もって各界で論争中。
今川と織田は過去に二回、大きな合戦をしているよね。
一勝一敗なんだけど、義元が決着をつけたかったのは事実じゃないかな。
でも、太閤検地の石高を見ると、決定的な勢力差ではないんだよね。
(今川は銀山をもってるけど、織田は流通で儲けていたし)
義元出陣の動機自体は、『決着』じゃなかったのかな。
目的は、あくまで大高・鳴海の救援。それと西三河の開放。
このあたりの感じが有力みたいだよ。
まあ、大きく見れば、侵略しあってるんだけどね。
774 :
日本@名無史さん:02/06/02 22:53
age
織田は見舞いにきた今川さんをだまし討ちとかしてるからね・・・
なんか昔は騙される方がバカって感じが強いみたいだよ。
倫理観とかかなーり違う。
真田幸村は自分の家臣団ではない者達を短期間で鍛え、わずか3000で圧倒的多数
の徳川家康をあと一歩まで追い込んだ。もし旧上田の家臣を組織しての合戦であれ
ば、勝てていた。戦国屈指の戦上手である家康以上の戦術能力を示した真田幸村が
史上最強である。それ以外の者は弱い相手の大群にいくら逆転勝ちしたとしても、
幸村以上の評価はできない。どれだけ不利な状況下(少数)で、対戦相手も史上に
残る名将という条件でみても幸村こそ「いくさの天才」である。
778 :
日本@名無史さん:02/06/14 11:55
戦術士官でいくら名人でもだめだよ。幸村がお手本にしてた上泉、その系譜の上の方の太田道灌
って主君に粛清された時当方滅亡って言ったらしいよ。思い上がりだね。
戦略で補給を確実なものとし相手を確実にしとめるようにもっていくのが
最強。秀吉with三成(九州戦線+小田原)あたりが最強。
779 :
日本@名無史さん:02/06/21 21:01
真田日本一の兵、いにしえよりの物語もこれなき由。
上杉謙信公しかない。
781 :
日本@名無史さん:02/06/21 23:36
真田昌幸だろ。幸村の父。
782 :
日本@名無史さん:02/06/21 23:37
小野田寛郎
大村益次郎
784 :
pasii:02/06/21 23:52
785 :
日本@名無史さん:02/06/22 00:00
1.日本全土を支配していた徳川家をうちやぶった。
2.当時の人口はよく知らんが10倍近い人口を要する、中国を打ち破った。
3.ロシアにも負けてない。
その全てにおける総大将明治天皇様最強では?
いろいろつっこみどころ満載かも、、、
あと軍団長レベルでは三方が原前の武田家との遭遇戦で
見事な采配を振るった本多忠勝を。
786 :
日本@名無史さん:02/06/22 00:23
>見事な采配を振るった本多忠勝を。
いやそれぐらいならたくさんいるだろ。
急にレベル落ちるな・・・
787 :
日本@名無史さん:02/06/22 22:21
「いくさの天才」??
そんなの「上杉謙信」以外考えられる??こんだけいくさに勝ち続けた人、ほかにいる???
楠木正成は?竹中は?どう?楠木は、
結局は負けたけど、奇抜な作戦をおもいついたと聞いたことあるが、
俺的に竹中半兵衛。
このスレで話をする時の"いくさ"の言葉の示す範囲を
もう一回定義しないとどんどん拡大していくぞ
>>787 確かに戦闘には強いけど・・・川中島の時の行動には疑問が。
小荷田を善光寺に置いているということは、短期決戦志向じゃないの?
さっさと海津城を攻め落とさなきゃいけないと思うのだが、
武田の援軍が来るまで傍観して窮地に陥っている。
もし、海津城ではなくて武田勢の撃破が主目的であったのなら、
(武田勢を撃破すれば結果として北信濃を得られる、という決戦志向)
武田援軍と海津城の合同を防ぐべきだが、それもしていない。
武田勢が意味不明の兵力分割をしたおかげで上杉勢は善光寺へ脱出できただけ。
まあ、その機会を逃さなかった戦術眼は優れていると思うが・・・
791 :
日本@名無史さん:02/06/22 23:41
>>790 そもそも妻女山布陣だって怪しいんだから、川中島は除外しまひょ。
792 :
日本@名無史さん:02/06/23 01:03
まぁ、何だかんだ言っても、日本史上最高のいくさ天才は
だれあろう毘沙門天で決まりだね!謙信より右にでるものはいません。
793 :
?�?I^?I^?�??~??~:02/06/23 01:44
石原莞爾だろうなぁ
あと 山口多聞
794 :
日本@名無史さん:02/06/23 02:05
>793
同意。
成した成果から言えば、間違いなく石原莞爾だよね。
795 :
日本@名無史さん:02/06/23 02:32
鈴木宗男じゃねえか?
796 :
日本@名無史さん:02/06/25 09:51
真田幸村。
相当期間、周到な準備が整えられている日本全国の大軍を率いた「天下人・徳川家康」
を相手に、寄せ集めの浪人達を組織し、家康が切腹を覚悟するほどの見事な戦いをした事実。
戦国の群雄達の様な、優秀な家臣団がいたわけでもなく、大軍を動員するほどの領地
も所有していない。とくに目立った功績をのこしたわけでもありません。
なぜこれほど多くの人々が、一介の小大名の事を知っているのでしょうか?
400年近く過ぎた今でも、これからも日本史上最高のいくさの天才は、真田幸村です。
797 :
日本@名無史さん:02/06/25 23:20
不識庵謙信。
798 :
日本@名無史さん:02/06/25 23:39
大阪での信繁の活躍は、それほどでもなかった と
いう 研究者もいる
799 :
日本@名無史さん:02/06/25 23:56
評価してやってほしい人挙げるぞグズ共よろすく。
一条忠頼
北条朝時
長崎高重
円心入道
石橋和義
了俊入道
細川頼之が確変した時
宗全入道
春日逃げ弾正忠
田中真紀子。
800 :
radiant:02/06/26 00:36
ヤッパ、家康では?
801 :
日本@名無史さん:02/06/26 23:52
楠木正成か真田幸村。両者とも最後があっぱれ。
802 :
日本@名無史さん:02/06/26 23:56
つーか大坂の陣はやる気の少ない徳川勢と
最後の華を咲かせたい大坂側の戦いだからなぁ
>>800が漏れが書きたい事を書いてくれた
別にそれで真田の事跡の価値が落ちるといいたい訳ではないが、
攻城軍は代替わりが進んで実戦経験のあるものが少なかった。
804 :
日本@名無史さん:02/06/27 00:05
>なぜこれほど多くの人々が、一介の小大名の事を知っているのでしょうか?
大衆のレベルでは昔はやった立川文庫の影響はあるかも。「真田十勇士」「猿飛び佐助」。
805 :
radiant:02/06/27 00:28
戦国以前は知りませんが、天下統一をした家康でしょう!!
直江兼続、真田幸村etc等は、江戸中期に蔓延した、反幕感情
から、尾ひれが付いただけではないでしょうか?
まあ、戦というお題なので、直接采配を取っている人間に限定
していくと、信長や秀吉等も消えるのでは?
皆さんどうでしょうか?
いくさを拡大解釈すれば、松下幸之助や、本田宗一郎等も入るのでは?
島津義弘。立花宗茂。やぱこの二人が最高(笑
807 :
日本@名無史さん:02/06/27 20:21
山口多門
808 :
蝦夷じゃあ!:02/06/27 21:37
藤原経清殿
能力が互角なら、結局は数が多い方が勝つのは道理。上杉謙信が武田信玄と同程度
の兵力を率いていたら、川中島の合戦は謙信の勝ちだった。謙信だから数的不利を
克服して互角の勝負をしていた。家康は数的不利を克服できず、信玄には全く歯が
たたなかった。楠木正成や真田幸村ほどの名将だから数的不利を克服して大軍と互角
に渡り合ったのだ。これは講談でもなんでもない。敵方の梅松論や島津氏の文書にも
絶賛されている。楠木や真田が、尊氏や家康と同程度の兵力を率いての合戦なら、
圧勝していることは間違いない。
811 :
日本@名無史さん:02/06/27 21:51
>810
戦略と戦術
大規模戦闘と小規模戦闘を一緒にしてませんか?
812 :
日本@名無史さん:02/06/27 22:04
「その時」によると、家康、幸村、秀吉、信長の順。
東郷さんだろ、運の強さで。
814 :
日本@名無史さん:02/06/27 22:11
>>810
最終的に勝った者が最高でしょ!!
結局楠木や真田は最終的には負けてるんだから・・・
815 :
日本@名無史さん:02/06/27 22:29
天才というよりむしろ我慢して長生きしたという印象?
816 :
日本@名無史さん:02/06/27 22:42
いくさの天才より
>>810の
意味不明にいろんな要素とレベルを切り分けて論じるべき点を
その思い切りの良さで混在させつつ、今はやりのif論を交えながら、
論点やつっこまれそうな箇所は反論の余地の無い様にうまくぼんやり
させつつ、それでも自信に満ちあふれながら三戦板と間違えて日本史板に
書いたという偉業に素直に感動したぞ
817 :
radiant:02/06/28 00:12
>>810 えーと、大阪冬の陣での家康の立場と、幸村のそれとでは
全く違いませんか?あくまでも家康対幸村の合戦ではありませんよ
徳川側すれば、幸村はただの一部将にしかすぎません。
しかも、負けているわけでもないし、ただの一度の合戦に多少優れた
働きをしたからって、真田の過大評価はやめましょう!!
また、武田に負けたのは事実ですが、家康の生涯戦績を評価している
のであって、一度の敗戦で、武田よりも下というのはどうでしょうか?
もし、それがありなら、武田も敗戦はあるでしょう!!
年齢条件をそろえないと、なかなか比較は難しいと思う。
義経は31歳で死んだが、30代前後なら家康は信玄に負けているし、信玄もそのころは結構村上あたりにぼろ負けしている。
また、信長も27歳で桶狭間に勝つには勝ったが、稲葉山攻めでは苦戦しているし、浅井の裏切りもある。
毛利元就が凄みを出すのは60歳になってからだしね。
ただ、天才=早熟、経験無しでも成熟と言う点では源義経かな。
20代で経験もさほど無いのに、あれほどの戦績を残せたのは凄いともいえる。
他に歴史上20代であれだけの戦績を残せたものはいない。
>1
大海人皇子
821 :
日本@名無史さん:02/06/29 10:38
戦争で一度も負けた事のない武将
中国では雲去病、日本では義経と正成(衣川と湊川は除く)
小室直樹の著書に書いてありました
822 :
radiant:02/06/30 03:52
皆さん、戦という定義をもっと深く考えて見ましょう!! 戦争というものは
人間の知恵と力と運を全て注ぎ込み、生き残りを賭けた戦いなのです。
その中には、兵数を揃える国力や、人徳、狡猾さ、運、政治力、有能な家臣
、それらを全て持ち合わせた人物こそが、真の天才なのでは?
色々な人物の名が挙げられてますが、全てを持ち合わせていたのは、家康公
ただ一人ではないでしょうか? 確かに真田や楠木などは合戦の名手かも
しれませんが、いくさと合戦は別では? それにif論はやめましょう
「もし・・・」がありなら、みんな戦の天才になってしまいますよ・・・
>810さん
もし同程度の兵数ならといいましたが、やろうと思えば幸村は後藤と結託
して、全権を掌握する機会はあったのに、それができなかった=能力が無い
となりませんかね? 仮に大阪方の全権を掌握してたとしても、思い通りの
采配が振れるかどうか疑問ですね。 どうでしょうか?
>>822 『いくさの天才』がスレの主旨で、「結果的に勝ったのは誰?」ではない。
ただのif論なしの結果論なら歴史年表をみていればすむ!(アフォみたいw
やっぱり、源義経・楠木正成・真田幸村あたりになるのだろうな。
個人的には信長・光秀なんぞをあげたいが…ネ
>>777 810 818氏あたりは説得力あるよね。
824 :
日本@名無史さん:02/06/30 17:45
政治目的達成のために、戦略を考えるという意味でのいくさの天才は
織田信長。戦術面でも、長篠の戦は天才的(と評価を受けている)。
ただし、戦闘はよく負けているから、二流かも。
825 :
日本@名無史さん:02/06/30 19:32
……九戸政実などいかがでしょう。
826 :
日本@名無史さん:02/06/30 21:30
羽生
827 :
777・810:02/06/30 23:56
823さん、ありがとうございます。人は想像を越えた人物・物事に対して、尊敬・畏怖
・うらやましい気持ちを持つ事があります。大阪の陣での真田幸村の見事ないくさぶり
に対して、島津氏・細川氏は敵方という立場を超えて、褒め称えています。天下の帰趨
がほぼ決まった状況下で、敢えて徳川家康に対し互角以上の勝負をした幸村が、彼ら
には、武士としてうらやましく、まぶしく見えたにちがいありません。故にこの事実が
歴史の闇の中にうずもれる事を惜しみ、後世まで語り継ぐようとしたと思われます。
「真田日本一の兵、古よりも物語にもこれなき由」この文書がすべてを表していると
思います。
828 :
山本五十六元帥:02/07/01 01:21
わし。
829 :
日本@名無史さん:02/07/01 01:59
俺的には柴田勝家かな?
830 :
日本@名無史さん:02/07/01 02:25
日本武尊が実在したのならば、こいつでは?
831 :
日本@名無史さん:02/07/01 03:39
>>823=827 ジ サ ク ジ エ ン
真田幸村ファンと伊達政宗ファンは歴史的に無知な熱狂的ファンが多いことので、
三戦板でも似たようなスレでみんなにバカにされてましたね(藁
確かに局地戦に優れた指揮官かもしれんが、それだけ。
真田の夏の陣の戦いにはなんら戦術的なところはなく、
島津がほめたのも「勇猛さ」であって「天才的な手腕」などではない。
それにあの時、戦術的に優れた手腕を見せたのは毛利勝永であって、
幸村ではなく、幸村の突撃も勝永のおかげで可能になった。
ましてや「天才」なら霧に巻かれたぐらいで、戦闘に遅刻しちゃ
アカンでしょう。
「芸術的かつ天才的なヒラメキ」を複数回見せた一発屋ではない人としては
源義経、楠木正成、北畠顕家、織田信長、豊臣秀吉、大村益次郎、
あと挙げるとしたら日露戦争の児玉源太郎、秋山真之かな。
832 :
日本@名無史さん:02/07/01 04:02
土方でしょー?
他の幕軍は負けてもヤツの隊は負け知らずだったらしーぞ
833 :
日本@名無史さん:02/07/01 08:14
信長が戦上手とはとても思えん
834 :
日本@名無史さん:02/07/01 20:00
>>829 謙信に比べたら・・・下手に退却しようとして手取川で大敗したし
835 :
日本@名無史さん:02/07/01 20:12
>>831 幸村が局地戦だけが強いとなぜ断言できるのか?
三万の軍勢を率いていれば弱いとでもいうのか?
ただそういう場面がなかっただけであり
その一点だけで評価するのはどうかと思われる
836 :
日本@名無史さん:02/07/01 20:56
>>835 >幸村が局地戦だけが強いとなぜ断言できるのか?
じゃあ、なぜ幸村はイクサの天才で局地戦以外も強かったと断言できるのか?
やってもいないことや見せてもいない能力は証明しようがない以上、
【実績ベース】でお願いします。
if戦国史をやりたいなら三戦板へ。
>三万の軍勢を率いていれば弱いとでもいうのか?
なんのこっちゃ、意味不明。
837 :
日本@名無史さん:02/07/01 20:58
武田信玄だろう。
実際、信長は死を覚悟したらしい。
838 :
日本@名無史さん:02/07/01 21:04
毛利元就だって、実戦指揮も謀略も完璧。
まさに無敵。
839 :
日本@名無史さん:02/07/01 21:14
信玄かぁ・・・、信玄はどちらかといえば政治の天才というような気が・・。
「軍事的天才」という響きから謙信のほうが似合うと思う。
ちなみに
>>1で大村益次郎が出ているなら高杉晋作も・・・。
幕末に薩摩藩からは勇猛な戦士や部隊長はたくさんいるけど、
軍事的な才能を持った武将としては意外にだれもいないんだよねえ。
840 :
日本@名無史さん:02/07/01 21:17
信玄は戦略家で、謙信は戦術家で、元就は謀略家で、氏康が政治家だと俺はおもっとる。
841 :
日本@名無史さん:02/07/01 21:20
>>835 真田厨ハケーン
そういう場面がなかった真田幸村がなぜ天才なのか証明せよ!
「知力も武力90以上だから」なんて言わないでね。
842 :
日本@名無史さん:02/07/01 21:21
>>840 今川義元と織田信長と豊臣秀吉と徳川家康と島津兄弟は?
843 :
日本@名無史さん:02/07/01 21:28
昌幸は戦術家で、幸隆は謀略家で、信之が政治家だと俺はおもっとる。
そして幸村はせいぜい昌幸の小さめのコピーだろうな。
844 :
日本@名無史さん:02/07/01 21:37
>>842 俺の個人的意見では、
義元は政治家、(三国同盟や三河の取りこみの巧みさなどで)
信長、秀吉は戦略家兼政治家かな。
色々失点は多いけど、中々巧みだと思うから。
家康はそれプラス謀略家かな、(関が原や豊家討伐は見事と思う)
島津は戦術家でしょう、
あくまで個人的な意見です、
自分でも書きこんでて、自分で突っ込みが浮かんできたくらいです。
だからあてにしないで。
この人達決めにくいんだもん。
845 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/01 21:43
>>831 ジサクジエンではないよ(藁。
2chでは、自分の対立意見に同調者が出現すると、すぐ“ジサクジエン”って
言ひたがる人居るよね(笑。
>>836 >やってもいないことや見せてもいない能力は証明しようがない以上、
>【実績ベース】でお願いします。if戦国史をやりたいなら三戦板へ。
おい、おい『ifの無い実績ベース』って何よ?
例えば、源義経と大村益次郎の軍事能力を相対的に比較するのに、ifを
使わずどう評価するわけ?
私も極端な「妄想的仮想戦記」には嫌悪を覚えるが、このスレの主旨から
言って、一定程度のif思考は必要だろう。
信玄なり謙信なりが家臣団から切り離されて、どこまでの軍事能力を発揮
できるだろう?…、大村益次郎が同程度の訓練・装備を持った軍隊相手に
同じ様な戦果をあげることができただろうか?
いろいろなifがある。衣川で殲滅されたとしても義経は天才だろう。
君の言う『ifの無い実績ベース』では、このスレの主旨にあわない。
846 :
日本@名無史さん:02/07/01 21:50
大村益次郎はやっただろう。
何も実績のない状態で指揮官やって成功したんだし、
長州だってどの方面も圧勝だったわけでもない。
芸州口は一進一退だし、高杉も熊本藩が撤退するまでは勝てなかった。
勝ちまくっていた、石州口だけ特別とは思えない。
847 :
日本@名無史さん:02/07/01 22:02
>>841 幸村が強いとも天才とも言ってませんが
興奮しないように
848 :
日本@名無史さん:02/07/01 22:03
二葉亭四迷が一番強い。
849 :
日本@名無史さん:02/07/01 22:20
吉田茂
850 :
日本@名無史さん:02/07/01 22:20
851 :
日本@名無史さん:02/07/01 22:23
義経、昌幸、幸村、正成はただのゲリラ家
いくさ人ではない。
真田信繁はまあ、どちらかというと好きな方の武将だ。真田丸の攻防と
夏の陣での突撃にはみるべきところもあるし、感動を呼ばないでもない。
いくさの天才といきなり定義するには苦しいが、大衆レベルに根付いた人気は
捨てがたいものがある。ただし
>>831が書いている様に失点もあるので
ちゃんと考慮しましょう。
とにかく、群像やifモノ戦記あたりで聞いた様な知識を振りかざして
日本史板で幸村養護の突撃を敢行している連中を見てると正直こっちは引く。
それは厨と呼ばれても仕方がない。
853 :
日本@名無史さん:02/07/01 22:42
>>845 >源義経と大村益次郎の軍事能力を相対的に比較するのに、ifを
>使わずどう評価するわけ?
>>831さんは、それぞれの時代における実績のある軍事的天才を挙げて
いるだけで、別にどっちが上かなんて相対評価は言っていないと思う。
反論の内容もピントはずれだし。
それに相対評価って、それぞれの天才性や軍事功績を時代や軍事技術の
違いを補正して比較するというのならわかるが、「大村益次郎が同程度の
訓練・装備を持った軍隊相手に同じ様な戦果をあげることができただろうか」
って相対評価じゃないでしょ。
で、あなたの中のIF戦国史における相対評価的(笑)に
誰が最高ですかぁ〜?
854 :
日本@名無史さん:02/07/01 22:43
晩年の信玄が凄い
負ける気がしない
>>845 自分の文章よーく読み返してろ。
> よね(笑。
> おい、おい『ifの無い実績ベース』って何よ?
> ifを使わずどう評価するわけ?
> 一定程度のif思考は必要だろう。
> 発揮できるだろう?…、
> 同じ様な戦果をあげることができただろうか?
> いろいろなifがある。衣川で殲滅されたとしても義経は天才だろう。
↑文末が「よね(同意を求める)」「?(反論をまず言わせる)」「だろう(推量)」
ばっかりだぞ。
自分の判断を他人に預ける様な、それでいて周囲に同調を求める様な
無責任な文章の書き方やめろって、何の説得力も無い。
いやこれまじで心配して書いてるんだけど。
856 :
日本@名無史さん:02/07/01 23:34
>>845 あなたは
>>823で「
>>777 810 818氏あたりは説得力あるよね」なんて絶賛しているわけですが
777の間違い
・幸村隊には真田旧臣が多数含まれており、幹部は軍監の伊木を除いて全て旧臣であったことを知らない
・家康を追い詰めたのは831氏が言うとおり、毛利勝永の働きによるものを勘違いしている
810の間違い
・811氏の言うとおり、小部隊の前線指揮官と大軍の軍将に求められる素質をごっちゃにしている
818の間違い
・年齢を揃えることに何の意味があるのか?生涯実績で評価すべきだし、そもそも誰を基準にするのか
例え一瞬でも天才的な実績を残せば天才と呼んで構わないし、どれだけ長生きしようが
何も実績がなければ評価に値しない
人間は平等ではない。それをムリヤリ同一条件にしてどうするのか?
あなたのif相対評価論で「秀吉が名門大名の家に生まれていれば」
「伊達政宗があと十年早く生きていれば」「真田幸村が長生きしていれば・・」
など言い出せばキリがない
真田厨の悪いところは、たった一回の戦闘結果に真田伝説や祖父・父の実績を重ね合わせて
イメージしているところだ。また「兵力がもっとあれば・・」と大小部隊での戦闘の違いを
認識せず、毛利勝永などの同僚の戦果を幸村のものと混同し、後藤又兵衛などのある程度の
戦術眼をもった人間なら思いつくような真田丸の発想をあたかも天才の発想のように考えている。
831氏のいうように幸村の「勇猛さ」は評価すべきだが、「天才」ではないことを認識すべきだろう。
857 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/01 23:42
>>851 >義経、昌幸、幸村、正成はただのゲリラ家いくさ人ではない。
戦力劣勢の側が“遊撃戦(ゲリラ戦)”を行うのは、しごくまっとうな
戦術選択だと思う、それが「いくさ」ぞ(笑。
基本的に、天才は既成概念の枠外で思考する。
義経は、騎兵の効果的運用により、それまでの対峙戦の概念を破壊し『機動戦』を
創出した(義仲にも若干その萌芽が見られるが…)速度の概念は素晴らしい。
正成は、山岳機動『遊撃戦』を戦術として確立したと言われるが、それだけでなく
彼の拠点防衛戦と錯妄戦術には極めて非凡なものがある。
昌幸は、種々の戦歴から見て天才的戦術家であることは間違いがない。とりわけ
関ヶ原戦の際、東軍主力を上田城に拘束した手際は余人には真似が出来まい。
信繁は上田城戦・真田丸戦に見せた戦術才能は非凡で、なにより、その統率力と
最期に見せた鋭角的突破の奇襲突撃には驚愕する。 (しかし何故、家康は信繁の
九度山脱出を警戒しつつ阻止できなかったのだろう?)
まあ、個人的には家康より、信玄・謙信・信長・秀吉・光秀・元親・宗茂…
それに高杉晋作・秋山真之…。
あの粘り強い三河軍団がなければ、家康なぞは天才的政治家でしかない。
結局それぞれ得意なスタイルってのがあるから一概に
決められないよね。野戦、山岳戦、攻城戦、多数・少人数
での采配etc。「同じ条件で戦わせたら」って言ったって
結局決め手は皆それぞれの思い入れなんだからさ。
個人的に強いて言えば、統率力は武田信玄・戦略は大村
益次郎・勇猛果敢さは本多忠勝・情報戦&経済戦は羽柴秀吉
謀略は毛利元就・人材登用は織田信長・籠城戦は真田昌幸・
奇襲戦は義経・トータルバランスは徳川家康に落ち着いて
しまうのだが・・・。
859 :
日本@名無史さん:02/07/02 00:01
>>850 それを言ったら、有能な家臣団に助けられた人は全員駄目になるぞ。
それに義元は結構凄いよ。
860 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/02 00:03
>>853 よく読め!!>831に反論した覚えはないぞ。
それに、
スレの主旨は>1の言う「日本史上最高の…」だろ、ならば相対的比較は必然だろ。
>>856 >真田厨の悪いところは、たった一回の戦闘結果…
もし、自分を“真田厨”と目しているなら大間違い。
むしろ君が『真田賞賛者はすべて厨房に違いない』という“アンチ真田厨”で
あるということだろう。
まして「説得力を認める=絶賛している」という短絡的な択一主義は、まるで己の
思考力の幼稚さを告白しているに等しい。もうすこし落ち着けよ(笑。
>戦力劣勢の側が“遊撃戦(ゲリラ戦)”を行うのは、しごくまっとうな
>戦術選択だと思う、それが「いくさ」ぞ(笑。
同意。
時代は変わるのだが、西南戦争で唯一勝利を収めつづけていた西郷軍の
一派があった。
西南戦争そのものに永山弥一郎とともに反対し、熊本城攻略にも反対、
最後まで生き抜いた野村忍介という人物で、日向・延岡・大分戦線の
司令官だった。
彼は少ない兵で戦果を上げるため、情報収集とゲリラ戦術によって
政府軍を撹乱、たった2000の兵で1ヶ月以上も粘り、ここを足がかりに
最後の最後まで四国、瀬戸内を使って西郷らを凍上させるという望みを
捨てずに頑張りぬいた。
”敵を知り、己を知れば・・・”という言葉があるが、やはり戦上手とは
自分達の戦力を把握し、敵を把握して「いま、何ができるか」の判断を誤らない
人物をさすのだと思う。
862 :
日本@名無史さん:02/07/02 01:25
正面から戦うこと>ゲリラ戦
突撃すること>ゲリラ戦
兵の大小で区別すれば福島正則>ゲリラ戦
でいいのかな?
863 :
radiant:02/07/02 01:43
皆さんコンバンワ。なんかえらいヒートしてきましたね!!
えーと、私は決して真田幸村が凡将だとは思っていませんし、故人が
嫌いなわけでもありません。ただ、歴史的に公平かつ、好悪を抜きにして
、議論したいだけで、誰かを中傷するつもりもありません。
で、確かに大阪の陣では目覚しい活躍をなされたことは認めます。
ただ、幸村以外にも、戦巧者は沢山いました。例えば、島津義弘や、島勝猛
明石全登、山中鹿之助、九戸政実、他にも挙げれば限がありません。
私がいいたい事は、彼らの生涯戦績を正当評価したうえで、あの戦国の世
に幾多の戦火を超えつつ、天下統一を成し大往生した事こそ、むしろ常人
のなせる事ではなかったと思うのですがどうでしょうか?
確かに家康公は三方ヶ原で、スーサイドな合戦をしかけました。(基地外?)
と誰しも思うものです・・・・ しかし後年になってから、あの無謀とも
思える合戦があったからこそ、諸大名から畏怖の目で見られていたのでは?
色々な状況で様々な戦闘を乗り越えて、自家を征夷代将軍まで昇り詰めた
彼こそ天才では? と思いますが・・・どうでしょうか?
あと、楠木氏やそれ以前についても勉強したいのですが、誰か良書があれ
ば教えていただけませんか? よろしくお願いします!!
>>856 >幸村隊には真田旧臣が多数含まれており、幹部は軍監の伊木を除いて
>全て旧臣であったことを知らない
累代大名家の軍事組織としての家臣団を知らないな、家臣戦闘団は単純に
家臣の集団というものではない。
郷村・地縁・血縁を軸に組織化されていた家臣団が、いったん解体されてしまえば、
同様な再編は不可能になる。(当然、戦闘力・求心力は低下する)
また、基幹の将士が旧臣であっても、中級指揮者・兵卒等は面識の薄い新参者になる
のは避けられない。
「大阪の陣」の真田隊にしろ長曽我部隊・毛利隊など旧家軍にしろ本来の関ヶ原当時
の戦闘力を保持していたわけではない。例えば家康の榊原隊・本田隊、藤堂隊・伊達隊
等と比べてはるかに不利な条件であった。
いずれにしても、連携・伝達が困難で個人的技量にたよる部分が圧倒的に多い
当時の戦闘形態において、新編戦闘団の紐帯を固め【秩序だった突撃、死戦を
敢行すること】は、君が思うほど簡単なことではない。
>>863 それは
>>857の言ふ通り「政治的天才」ってことだらうさ。
スレの言ふ「いくさの天才」ぢゃあ無いだらう。
まあ、1の言ふ「いくさの天才は誰?」と言ふ設問自体が
論理的なものぢゃないし…(笑ひ)
866 :
日本@名無史さん:02/07/02 14:10
言い方を変えよう
幸村は、普通の人ではなかった
867 :
大御所だわ:02/07/02 14:46
真田の小倅が恐くて海老を喉に詰まらせましたが何か?。
868 :
日本@名無史さん:02/07/02 17:14
幸村は、島津家に褒められました
突撃後死んだなんていうのはこの時代には
はいて捨てるほどいるのに
869 :
日本@名無史さん:02/07/02 17:30
徳川家康や毛利元就は戦の「天才」というのは少し違うと思う。
彼らは長生きしたため、多くの戦場を経験したため、結果として戦争上手になったもの。
天才というには、経験がさほど無くても、戦上手みたい人を言うと思う。
例えば、司法試験を1年の勉強で一発で合格するようなら「天才」かも、と思うが、苦節10何年かかって合格した人を天才とは言わないでしょ。
870 :
日本@名無史さん:02/07/02 17:31
大村益次郎なり。
おそらく日本で戦略と戦術の概念の高度に理解していた
最初の人物と思われます。
天才=「生まれつき備わっている、きわめてすぐれた才能。また、その持ち主。」
ttp://dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=%C5%B7%BA%CD&sw=2 goo国語辞典より。
天才=学んだわけではなく生まれついて持っている才能の事だ。
真田信繁の戦術は少なくとも信玄の軍法を間近で見聞した父昌幸に教わった
ものであり、天才と呼ぶには値しない。ただ、「出丸を用いた防衛戦術、
諜報・謀略戦の非常に高度な具現者」という批評なら諸手をあげて賛同できる。
細かい話だけどね。
数千の兵力で数十万の敵を相手に奮戦したから目立っただけ、という意見もあるだろうが
その見方はあながち間違ってはいないぞ。
天才という言葉を文字通りに解釈するなら、源義経はいくさの天才のトップに
かなり近い位置に居るぞ。
872 :
日本@名無史さん:02/07/02 20:22
見た 聞いたで
幸村ができる!?
ワロタ
873 :
日本@名無史さん:02/07/02 20:42
きもいよ真田オタク
874 :
日本@名無史さん:02/07/02 20:54
見る聞くで理解ができ実践できるなら
信長の子供はすべて信長であるな
875 :
日本@名無史さん:02/07/03 05:22
というわけで、最高の軍事的天才は羽賀賢二ということでよろしいですか?
なんといっても現代日本で「セイイ大将軍」の称号をもつのは彼だけですからネ!
876 :
日本@名無史さん:02/07/03 20:47
真田ファンの幸村への思い入れはわからんでもないが、軍事的な天才とは
違うと思うな。
幸村程度の軍略は真田丸も含め後藤基次も思いついているわけだし、
夏の陣の戦闘においてはガイシュツだけど毛利勝永に負う部分が大きい。
それに実績では父親の昌幸のほうがはるかに上。
こうして見ると幸村と同等、あるいはそれ以上の人間がいる以上
幸村が「日本史上最高のいくさの天才」と言うのはムリがありすぎ。
877 :
日本@名無史さん:02/07/03 21:09
天才というより名人タイプだな幸村は。
878 :
日本@名無史さん:02/07/03 21:50
島津4兄弟
879 :
日本@名無史さん:02/07/03 22:54
個人的には幸村(信繁)は職業軍人てタイプだと・・・
大坂側の全体指揮とかしてれば評価出来たんだろうけど・・・
結論として幸村(信繁)は、未知数のまま死んだと思うよ
未知数という意味で考えれば(歳は言ってたけど)天才かも知れないけどね
880 :
日本@名無史さん:02/07/03 22:55
加藤清正
このスレ、漏れの中では日本史板の名物スレの一つになりつつあるなあ。
このテーマで日本史板で進んでいるのがなかなか興味深い。
パート2いきそうだこりゃ。
882 :
日本@名無史さん:02/07/03 23:15
真田幸村については、結局結果を出せなかった以上、「天才」かどうか依然に「資格」が無いと思うが。
「天才」というからには、なんらかの結果を出す必要があるんじゃない?
義経なら平家滅亡、楠木も鎌倉幕府滅亡、信長は天下統一という結果、もしくは結果に貢献しているが、
彼は結局豊臣を勝たせることは出来なかったんだから。
結果を何も出せなかった「天才」なんて普通聞かないぞ。
883 :
日本@名無史さん:02/07/03 23:16
僕の評価では、
確かに戦略においては、幸村より昌幸だろうね。
でも妥当なとこでは秀才の武田と天才の上杉ではないのかな。
政治面は除いて。
日本でなければ呉起・楽毅をあげたいが・・・。
884 :
日本@名無史さん:02/07/03 23:57
>>882 ほぼ同意。
豊臣家を勝たせる必要はないが、夏の陣は真田だけの戦果ではなく
幸村には実績がない
>>879 おーい、未知数なんですか?
早死にした奴は誰でも将来天才になった可能性があるし、超天才でも
農民や町民に生まれついたがゆえに才能を発揮しないまま終わった奴は
長い歴史の中いくらでもいるだろ。
実績以外に評価基準なし。
885 :
日本@名無史さん:02/07/04 00:04
九戸政実はガイシュツですか?
戦国最後の戦い、九戸の乱の主役なんですが。
戦上手の蒲生氏郷ひきいる豊臣軍6万5千の兵を相手に城に5千で立てこもり
落としあぐねた豊臣軍の講和に騙されて滅ぼされました。
886 :
日本@名無史さん:02/07/04 00:15
もちろん東郷平八郎元帥閣下様。異論反論は許しません。
887 :
日本@名無史さん:02/07/04 00:32
誰も天才では なかった
終わり
888 :
日本@名無史さん:02/07/04 00:59
>>886 指揮官は東郷だが、作戦を考えた参謀(軍師)は秋山真之。
こういう場合、どっちを指すべきですかねえ?
ちなみにおれは北畠顕家を推す。
889 :
日本@名無史さん:02/07/04 01:09
金日成
890 :
K.W ◆West/TGo :02/07/04 01:19
>>882 でも孔明はどうですか?
それに軍事的天才と言った時、純粋に戦術上の天才と、
戦略まで含めた天才は分けるべきでは?
戦略まで含めれば、そりゃ天下を取った人がえらいでしょう。
家康とかね。
先述だけを論ずるなら、楠正成だって幸村だって評価の対象では?
891 :
すなくじら:02/07/04 02:02
日本史上最高の戦争の天才・・・、難しいところですね。
890で戦術上の天才と戦略上の天才とは分けるべきという
意見がありましたが、「天才」という言葉を額面通りに
受けとめるならば、両者はわけずに考えるべきでは?
何せ「天才」なんだから。
893 :
日本@名無史さん:02/07/04 02:22
>>892 ああ、すみません。
孔明は
>>1の趣旨に応えた回答ではなくて、
結果は失敗だったが天才と評価されている人、の例。
>>891 でもそれだと功利的にたちまわった人は評価されても、
義に準じて死んだ人は評価されないです。切ない。
894 :
K.W ◆West/TGo :02/07/04 02:23
895 :
すなくじら:02/07/04 02:28
少し書いておきますが、孔明は戦略においても戦術においても、
軍事の分野に関する限り天才とはかけ離れていると言えるので
はないでしょうか?中国の歴史上統一を果たした偉大な人物は
何人もいますが、彼にはそれができなかった。彼が無能だとは
思いませんが。日本史には関係ありませんが念のため。
黒田官兵衛
手すきとは言え浪人八千の烏合の衆をまとめあげ、九州をほぼ制圧したのには頭が下がる。
しかし、関が原が膠着していれば、島津、鍋島を先鋒に出せば、西軍の島津は戦意なさげなので寝返る公算は大きく、
家康は時間を置いた事で元豊臣の連中の戦意も失せてくる可能性が出てくる。
毛利は分裂して動けず、小早川は当主がアレだし、北の押さえの伊達も上杉と和睦して南下の恐れもある。
歴史にifはないだろうが、随分世は乱れていたかもしれない。
897 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/04 02:47
何だか、真田信繁に対する反発が凄いな(笑。
自分にはその理由が思い当たらないが、たぶん、どこかで幸村ファンが顰蹙を買ったり
したのだろう。まあ、江戸初期の『真田は日の本一の兵(つわもの)』鬼真田の評価が
「幸村天才説」の深淵だろうが、家康より遙かに「いくさ天才」に近いと思う。
生涯に敗北・横死を経験しなかったという武将は坂上田村麻呂以来ごまんと居るが、
それが必ずしも「いくさ天才」と言えるかどうか問題のあるところだろう。
また一方、例えば、秀吉の勝ち戦は官兵衛・半兵衛を無視しては語れないわけで、
軍師と武将の捉え方も色々あり評価も割かれるところだ。
大村益次郎は非常に好きな人物で名将であることは間違いないが、対戦相手の旧装備を
考えると、むしろ、俗論派戦争に見せた高杉晋作の戦才の方を評価したくなったりする。
このように同一藩の同時代人ですら、比較断言できないのが“軍事才能”の異能なる所以
だろう。
対外国軍戦争を除外した西南戦争以前の国内戦争において、および、既存戦争理論を
乗り越える“天才性”という着眼点から視て、自分は
>>857で言ったように義経・正成を
本邦の「いくさ天才」として推挙したいし、その勇戦の才により真田親子を、近似として
推薦する。
(
>>882殿、天下一の“勇名”は「結果を出した」とは言わないのかな?)
898 :
日本@名無史さん:02/07/04 03:04
>秀吉の勝ち戦は官兵衛・半兵衛を無視しては語れないわけで
太閤記でも読んで真に受けたんですか?
899 :
すなくじら:02/07/04 03:42
歴史に「if」が許されるならば、大谷刑部はどうでしょう?
彼はその当時「百万の兵を与えて指揮させてみたい」と言わ
れた智謀の将で、実際関が原での彼の奮戦は、その兵数から
考えて戦術指揮官として凄まじいとおもうのですが。
もし彼が関が原の戦局を左右するだけの兵力だったら?
もし彼が指揮権を与えられていたら?
そう考えると、彼は戦術レベルにおいて少なくとも天才
に近い一人ではないかと思うのですが。
900 :
日本@名無史さん:02/07/04 03:49
北畠顕家は強かったらしいね。
901 :
日本@名無史さん:02/07/04 03:54
関ヶ原で大谷隊や戸田・木下・大谷吉勝隊を実際に指揮したのは平塚為広ですた
902 :
すなくじら:02/07/04 04:16
北畠顕家に関しては、その腹心結城宗弘の力も大きかったと
言えるのでは?もっとも南朝は敗者の側ということもあり、
資料等少ない為実際どこからどこまでといいずらいですが。
戦争において勝者の特権を考えると、敗者の中からというの
は難しいのかもしれませんね。
なにせ歴史は勝者がつくるものですから。
903 :
日本@名無史さん:02/07/04 04:26
勝者が作る、勝者になるには戦争に勝つ
結論出てるじゃん
904 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/04 06:20
>>898 君は所謂「秀吉夜話」って知らんのか?
当時の資料に『信長記』『天正記』『太閤記』『当代記』、フロイス『日本史』
ヒロン『日本王国記』がある。
まあ、太田牛一『大かうさまくんきのうち』『豊国大明神御祭礼記』もある。
大村由己『天正記』の『播磨別所記』がどこまで信用できるか分からんし、
『太閤記』も『甫庵太閤記』『川角太閤記』といろいろ説があるだろう。
むろん(専門家ではないので)原本資料には当たっていないが、一部の訳本や
解説本を読んだことはそれなりにある。
で、
>太閤記でも読んで真に受けたんですか?
と、わざわざ言うからには、君には、それなりの卓見があるのだろう。
ぜひとも聞きたいものだ。
905 :
日本@名無史さん:02/07/04 06:31
竹中重治の功績を信頼できる史料で書かれてる範囲内で挙げてみろよ
>>904 つーか秀吉夜話ってワラタ
んで豊鑑は読んでないのかね?
907 :
日本@名無史さん:02/07/04 07:07
>>905 アンタ、武功夜話と太閤夜話を混同していないかい?
908 :
日本@名無史さん:02/07/04 07:26
武功夜話が何で出てくるんだよw
竹中重治と秀吉の出会いが書かれてるからか?
武辺拙聞書とか鶴頭夜話とか校合雑記、落穂集、豊鑑
慶長見聞書、慶長中外伝、多聞院日記、板坂卜斎覚書
ぐらい読んだか?
尾瀬甫庵太閤記とか絵本太閤記とか名将言行録の読みすぎだなw
尾瀬→小瀬
910 :
日本@名無史さん:02/07/04 13:06
a
911 :
日本@名無史さん:02/07/04 20:12
i、、u、、う?、、うえ??
そう! 上杉謙信!!
912 :
日本@名無史さん:02/07/04 20:54
戦の天才?
義経だろ
戦国だと元就 秀吉 元親 だな
こいつら吹けば飛ぶような身代から
天下を取り 中国を取り 四国を平らげたもんな
でも戦だけじゃないからな スマソ
あのさ、「戦略では誰々」とか書いてる人過去レス全然読んでないだろ。
それと軍事奉行 ◆qXAQxUxIくん、突っ込みたいところが多々あるが
これだけ言わせてくれ。
>>897で君は最初の段落で"家康より遙かに
「いくさ天才」に近いと思う。"と書いてるが、文中に君が幸村が
家康よりいくさの天才に近いと思うに至った理由が書いてない。
一生懸命長い投稿書いているところに水を差して悪いのだが、
君の文章は要するに「思う」としか書いてなくて、長いだけの説得力のない文章。
hizikata
915 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/04 21:44
>>905 やれやれ、ここは相変わらずかまびすしい所だな(^^;)
君は
>>898と同一人という前提でいいかなw?
『秀吉の勝ち戦は官兵衛・半兵衛を無視しては語れない』と言ったことは、
それほど奇異なことなのか? 広く人口に膾炙された常識かと思うが…
>太閤記でも読んで真に受けたんですか?
>竹中重治の功績を信頼できる史料で…挙げてみろよ
まるで、官兵衛・半兵衛が架空の人物であるかの様なつっこみに思わずヒイたよ。
自分の守備範囲は近代戦なので、専門的に原資料にあたってはいないが、戦史として
若干の興味は持っている。
★たぶん『川角太閤記』からだと思うが(「太閤夜ばなし」)、
秀吉が小姓あいてに夜話をして
「もし自分が天下人にならなかったら、誰が天下を取ったか」と聞くと、
小姓達は、ある者は家康と言い、また利家と、それぞれ大身の名前を言上した。
一通り聞いた秀吉は、高笑いして
「それは官兵衛じゃよ、彼の者の知略は、儂と同じくはかり難し」と…
★半兵衛についても、二十歳で難攻不落の稲葉山城を半年近く占拠し、三年後に
寄騎として秀吉の帷幕に入り、三十五歳で死去するまで、数々の逸話があるが、
死の直前に、宇喜多降伏の対応を秀吉に提言したという有名な話を含めて、
信頼に足る史料でと言われると『信長記』『黒田家譜』も異説あり『天正記』『豊鑑』
『隠徳太平記』どれもダメなんだろう。まして訳本・解説本じゃあな(^^;)
ただ、言えるのは。
実存する黒田藩・竹中藩の始祖について、江戸期を通じて、巷間【天才的軍師】と
讃え続けられたと言うこと。
何より同時代の武将達から、逸話が残され、その異議が出ず、讃えられ続ける…。
一般的に見て『秀吉の戦績は官兵衛・半兵衛を無視しては語れない』というのは、
根拠ある事だと、それで証明されているのではないか。
むしろ、君の方こそ『秀吉の戦績と官兵衛・半兵衛は無関係』という、俗論を廃した
斬新な“卓説”を披露して頂きたい。
916 :
日本@名無史さん:02/07/04 22:08
直江兼続は大気と勇気はあったが、知恵がなく、小早川隆景は大気と知恵はあったが、勇気がなく、
鍋島直茂は知恵と勇気はあったが、大気がなかった
※天下人になるには大気、勇気、知恵の3つが必要である
>>915 川角太閤記って、それは史料じゃなくて逸話集だろ・・・。
よく似た話で秀吉が言ったとか蒲生氏郷が言ったとか、官兵衛の部分が前田利家に
なったりころころ変わるあの話だろ。歴史を学ぶ人間だったらその程度の話を
真面目に自説の論拠にするな。
逸話は逸話で語るのは楽しいがそれは三戦ネタでしかなく、都市伝説と同レベルだぞ。
史実の裏付けが無ければどんな立派な話も議論するには値しない。
俺もそういう話は嫌いではないので三戦板だったらつきあうんだがな。
ところで、
>>897で秀吉の勝ち戦には官兵衛・半兵衛の果たした役割は
大きいという意見を書いていたが、その部分は分かる。
分かるんだが、人に向かってかまびすしいだとか、反論されたら
「お前がソースみろ」とか厨な反撃する前に、すこし謙虚になった方がいい。
ソースが分からなくて史料の名前を脳内で自作して、突っ込まれて後から
言い繕ってるから絡まれるんだよ。つかコテハンは引けない宿命でも持ってるのか?。
「やれやれ」とか「ヒイたよ」って、あんたに言いたいくらいだよ・・・。
カナーリ余談かもですが小早川隆景に黒田官兵衛が「自分の考えを皆が理解してくれなくて困る」とぼやいたそうな。
隆景は「それはあなたが俊才に過ぎるからです、私は鈍才なので何事もゆっくり考え実行する、その違いです」
と言ったそうな。
どっかの本で読んだことなのでニュアンスだけ捉えてくれぃ。
ただ、時代を代表する名軍師をよく現していると思う。
>>913 強く否定するつもりは無いが運も重要な要素かと。
919 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/04 22:42
>>913 >君の文章は要するに「思う」としか書いてな(い
★あたりまえだろう。過去の人物の、まして軍事才能についての評価を
誰が証明・断言できる?
>幸村が家康よりいくさの天才に近いと思うに至った理由が書いてない。
★まず
>>857で
『あの粘り強い三河軍団がなければ、家康なぞは天才的政治家でしかない』
『なぜ、家康は信繁の九度山脱出を警戒しつつ阻止できなかったのだろう?』
と、家康の軍事的能力の程度に言及していますが…
いずれにしても、家康の生涯には多くの苦戦・敗戦があるが、三河家臣団の驚異的奮戦の
おかげで家康が敗死しなかっただけ、自身の軍事的才能で切り抜けたのではない。
生涯を通じて「律儀者」とは呼ばせた政治的カリスマ性は高いものの、信長・秀吉より
短命であれば利家ほどの評価も残せないだろう。
ある意味、苦学生の秀才とは言えるかも知れないが、とても『天才』とは呼べない。
武田氏滅亡後大太守となっても、真田家領内に三度攻め込み三度撃退されている(笑)
政治は単純な結果論だが、軍事才能は結果論ではない。
>>919 >>917「少し謙虚(すこしけんきょ)になったほうがいい」←ふりがなつけました
史料の名前を脳内で自作して、つっこまれたら「俺近代戦が守備範囲」と
居直るから引かれるの。
921 :
日本@名無史さん:02/07/04 22:59
17世紀以前なら徳川家康・島津義弘・豊臣秀吉の戦国武将
以降なら黒木為禎・大山巌の日露戦争の総帥。
>>917 >歴史を学ぶ人間だったらその程度の話を真面目に自説の論拠にするな。
★歴史を学ぶ人間だったら【日本史上最高のいくさの天才は?】なんて
楽しい話題を議論するかい。
★実存する黒田藩・竹中藩の始祖について、江戸期を通じて、
巷間【天才的軍師】とうたわれ、同時代の武将達から、逸話が残され、
その異議が出ず、讃えられ続ける…。
というのは史料で考証するまでもない事実と思うが。如何?
いずれにしても、スレの主旨は厳密な考証学とは“ある一定の”距離を
おいてこそ可能なのではないのか。
すぐ真田厨とか、脊髄反射する者達にこそ、君の言葉がふさわしい。
923 :
日本@名無史さん:02/07/04 23:07
>>920 ふりがなを付ける暇があったら、堂々と自説を書いてみなよ。
>>919 こちらの問いたい点になんかレスがずれてるよ。
> ★あたりまえだろう。過去の人物の、まして軍事才能についての評価を
> 誰が証明・断言できる?
じゃなくてさ、まず国語の話だよ。何も引用していない
>>897で思うしか
書いてない点を指摘したら「
>>857に書いてるだろ」でまず(゚Д゚)ハァ?。
その
>>857に目を通せば、一生懸命過去の人物の軍事才能について論じてる。
なんなの?どっちなの?、君の話には一本筋通ってる部分はあるのかい?。
あと、「あのねばり強い三河軍団が居なかったら」という仮定が、
「家康なぞは天才的政治家でしかない」にどう結びつけられるの?。
三河軍団がねばり強い事と(まあ強いって言いたいんだよね?)、
三河軍団が居ないという事=家康が政治家でしかなくなるという結びつきを
もっと科学的に言及しながら書いてくれよ。逆に書けば分かるかな、
家康は三河軍団が居るおかげでただの政治家じゃなくなったという点を
もっと言及してくれつーこと。
君の文章は一言で言って結論づくしで論理の飛躍が激しいの。
家康が天才の話と九度山さんの話はとりあえずめんどいからいいや。
925 :
日本@名無史さん:02/07/04 23:15
>歴史を学ぶ人間だったらその程度の話を真面目に自説の論拠にするな。
武将についての資料などその程度の話だらけだと思うのだが・・・
926 :
日本@名無史さん:02/07/04 23:17
戦国時代なら真田昌幸
近代は村田蔵六
927 :
日本@名無史さん:02/07/04 23:21
せっかく三戦板から夢見がちな少年達が遠征してきてるんだからもっと優しくしなよ
928 :
日本@名無史さん:02/07/05 00:01
辻が最強
最強のシンガポール大要塞を陥落させた軍神
929 :
九度山さん:02/07/05 00:05
>>924 おまえの日本語ようわからん。人のこと全然言えんで。
お奉行様は857から897へ論議が連続してんだろさ、
このレスで、おまえ857読まんと913書いたの見え見えやん、
んじゃコテハン攻めできんわ。
人の事に重点おかんと「家康が天才の話と九度山さんの話」面倒がらんと
したらええやん(藁。待ってるで
930 :
日本@名無史さん:02/07/05 00:24
>辻が最強
>最強のシンガポール大要塞を陥落させた軍神
モー娘の辻タンですか!
931 :
日本@名無史さん:02/07/05 00:27
そうなんだよ。
モはシンガポールでも大人気。
男は全員陥落したね。
>>924 君は読解力ないのかな?
>家康は三河軍団が居るおかげでただの政治家じゃなくなったという点を
>もっと言及してくれつーこと。
★あんね。『三河軍団がなければ、家康なぞは天才的政治家でしかない』
って言っているわけ。分かる?天才的政治家とは認めてるわけ。
逆に書けば分かるかな(爆)
『家康は三河軍団が居るおかげで、ただの天才政治家だけじゃなくて天下人(将軍)
になれた』って言うこと。
君には、もっと、率直・簡単に言う方が良いかな(笑。
『家康は軍事能力は凡才だが、三河軍団のおかげでボロが出なかった』
つーことを言及してるわけ。
あの軍事センスじゃ、三方が原で戦死してる(その前に門徒戦争や姉川で終かも)
おわっ、なんか凄い事になってんなw
とりあえず、俺は
>竹中重治の功績を信頼できる史料で書かれてる範囲内で挙げてみろよ
と書いたんだが、信頼できる史料が川角太閤記かよw
それと
>、専門的に原資料にあたってはいないが、戦史として若干の興味は持っている。
戦史にも話は載ってないぞ>竹中重治
>信頼に足る史料でと言われると『信長記』『黒田家譜』も異説あり
>『天正記』『豊鑑』『隠徳太平記』どれもダメなんだろう。
この中であ信頼出来る史料は、信長記(ただし太田牛一)と天正記(これは微妙)と豊鏡だけじゃねーかよ
>江戸期を通じて、巷間【天才的軍師】と讃え続けられたと言うこと。
嘘つけ、竹中重治が天才軍師と言われ始めて有名になったのは
江戸後期に書かれた「絵本太閤記」と、明治初年に書かれた「名将言行録」によるものだよ
川角太閤記にも豊鏡にも、軍師だったとかそんな記述一切ない
小尾甫庵の「太閤さま軍記のうち」にも、人物像は書いてあるが功績は書いてないぞ
934 :
radiant:02/07/05 01:02
皆さんコンバンワ!!
いやー、やっぱり「いくさ」という意味をもう一度考えてみたのですが、
この板の趣旨である「いくさ」という言葉は、あくまでも軍事、戦略のみ
を指すことではないのでは? 板を立てた人はどう思っていたか知りませ
んが、私的にはこの言葉の中には、「日々戦場が日常」という異常な環境
での生存競争を生き残るために必要な要素を省略したものが、「いくさ」
という一言で表されていると思うのですが。
確かに真田幸村を筆頭に、あらゆる軍事戦略の名手は数多くいますが、
それは戦術戦略の天才かもしれませんが、いくさの天才となると、やはり
生き残って幕府を開設した家康公ただ一人では? 確かに苦労人や忍耐強い
等のイメージが強くて、天才の称号とかけ離れた感じは否めませんが、彼の
生涯を検証してみると、やはり常人で成しえなかった事をしたと感じます。
あと、素朴な質問ですがこの中にいる人で天才もしくは天才の知り合い
がいる人っていますか? 私はまだ天才なる人に巡り合った事が無いもので
天才というのは家康公のような人だと勝手に想いこんでいるのですが・・・
>>934 俺はradiantくんの書き込みは好感が持ててすごく大好きなんだけど、
惜しいけど意見が正反対だよ。俺は「いくさ」とひらがな三文字で
スレタイになってるので狭義的な、まさに戦術に限定して該当者を
探していくスレ進行を希望だなあ(意見も割れにくくて楽だしね。
936 :
特徴、余裕:02/07/05 01:36
>>934 天才と言へるかだうか分からないが、中学時代の級友に知能指数200の
奴が居た。恐ろしいほど余裕一杯の奴で、成績は話にならん位優秀で、
ギターもムチャクチャ巧かったが、女性には全くもてなかった。
将来どうなるかと思ったが、今はただの銀行員になってる。結婚して
普通の生活してるな。
937 :
すなくじら:02/07/05 01:58
「天才」という言葉からもう一度あらためて考え直してみた
のですが、ただの戦上手を指すのではなく、やはり「天才」
というからには閃き、人が思いつかない発想を持った人だと
思うのです。その意味で考えるなら、義経は天才といって
いいのでは?騎馬隊による機動力を重視した点がまず素晴らしく
さらにひよどりごえの発想など、当時の誰が気づいたでしょう?
平家は見事油断しきっていて海上へと追い落とされたのは
周知の事実です。
938 :
日本@名無史さん:02/07/05 08:07
>>軍奉行殿
>いずれにしても、家康の生涯には多くの苦戦・敗戦があるが、三河家臣団の驚異的奮戦の
>おかげで家康が敗死しなかっただけ、自身の軍事的才能で切り抜けたのではない
家康ってそんなにへっちょかったっけ?三河一揆や三方ヶ原は知ってるが、ほかにどれほど
たくさんの苦戦、敗戦があるのかぜひ解説して欲しい。
>『あの粘り強い三河軍団がなければ、家康なぞは天才的政治家でしかない』
>『なぜ、家康は信繁の九度山脱出を警戒しつつ阻止できなかったのだろう?』
>と、家康の軍事的能力の程度に言及していますが…
兵の強さだけで勝てりゃ誰も苦労せんと思うが。
九度山は家康の軍事的能力とは全く関係がない。っていうか、当時の幸村って
そんなに知名度あったっけ?流人だからそれなりに監視されてたとは思うが。
>武田氏滅亡後大太守となっても、真田家領内に三度攻め込み三度撃退されている(笑)
それ、家康じゃないじゃん。まあ真田を見くびり武将の人選を誤ったってことで
汚点と言えないことはないが。
>まあ、個人的には家康より、信玄・謙信・信長・秀吉・光秀・元親・宗茂…
信玄の甲斐も兵が強くて有名で、しかも家督を奪った時点で家康とは異なり甲斐一国を
掌握していたが村上あたりに苦戦したような。信長なんかも原田、簗田、荒木、佐久間
といった連中を起用するなど、家康以上に人選ミスが多い。統計とった訳じゃないが。
秀吉については官兵衛・半兵衛ぬきで戦った小牧長久手で、圧倒的な兵力差がありながら
家康に翻弄されてるじゃん。
>秀吉の勝ち戦は官兵衛・半兵衛を無視しては語れないわけで、
小牧長久手を見る限りでは仰るとおり。
家康を天才的な武将という気は全くないが、凡将ってほどでもないのでは?
>>899 >大谷刑部はどうでしょう?
大谷刑部や立花宗茂、時代は変わるが野津道貫なんか渋いね〜
自分の好きな武将だ。
あっ、それと会津の鬼官兵衛もね♪
940 :
日本@名無史さん:02/07/05 16:18
俺は山脇治右衛門ではないかと思う。彼が彰義隊に残っていれば彰義隊は勝利
出来て官軍になりうる可能性もあったらしい・・・・・
このことは歴史読本の「逆転!日本史シミュレーション」に書いてあった。
結構ifストーリーが充実してるのでぜひ読んでみてくれ。
古い本(93−2特別号)だから探すのは結構難しいかも
軍事奉行さんて戦史や戦術にめちゃめちゃ詳しそうなんですが、
もっと話を聞いてもいいですか?。あなたの思ういくさの天才とは?
942 :
radiant:02/07/05 23:50
コンバンワ〜〜!!
>>935さん。なるほど、そういう方向で選出していくのもいいです
ね!! 戦術となると私は、島津義弘を推したいのですが・・・
どうも私はジジイフェチみたいですね・・・・(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!
もうすぐこのスレも終ってしまうみたいなので、どなたか「最強の天才戦術家・
戦国バージョン」って板を立ててくれませんか? よろしくお願いしますね^^)
また熱い議論をしましょう!! 皆さんおやすみなさい。
943 :
すなくじら:02/07/06 00:34
>939さん渋いね〜!!俺的にいい感じだと思うよ。
941さんにひき続き、俺も軍事奉行さんの意見はぜひ
聞いてみたい。
944 :
日本@名無史さん:02/07/06 02:55
>>941、
>>943 = 軍事奉行本人 ジサクジエ〜ン!
>>831でジサクジエン指摘されたのにまたやってる、カッコ悪ぅ〜!
それに軍事奉行の意見のどこがいいんだか?ジサクジエンなところが?
さんざん真田問題で、「軍事的天才」と「勇猛な前線指揮官」は別物って
書かれたばっかりじゃん。
945 :
日本@名無史さん:02/07/06 02:57
軍事奉行・・・。プッ
946 :
すなくじら:02/07/06 03:01
>>944自作じゃないんだなこれが。しかも
残念ながら、意見聞きたいだけで一言も誉める
気はないし。
947 :
日本@名無史さん:02/07/06 03:23
>>944・947
懲りない厨房だなアンタ、呆れる。
軍事奉行は、「真田親子」と言い「近似として推薦する」と言っておる。
真田幸村(好きな武将だが)党の人達とは、少しニュアンスが違う。
彼が
>>845で言うよう、おそらく別人。
この手のレス白けるので、今後遠慮してもらいたい。
949 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/06 10:35
>>933 まあ、
>>922(とりわけ下3行)を読んだ上でのレスなら、考え方が違うとしか
言えないね。
>嘘つけ、竹中重治が天才軍師と言われ始めて有名になったのは
>江戸後期に書かれた「絵本太閤記」と、明治初年に書かれた「名将言行録」による…
★それ不可解と思わないの?その江戸後期・明治初年の著者は何を根拠にして
その本を記述出来たの、記録無いなら創作で『稲葉城を十六名で占拠し、五ヶ月後
城主に返却』なんて荒唐無稽な話をでっち上げたわけ?…
美濃三人衆の内応・抗命による松寿丸保護、いやそれより、格下の秀吉の帷幕に与力
した事実も捏造だと(爆)『軍師だったとかそんな記述一切ない』ならそうなる。
論理推理なし、それを滑稽とは思わないところが凄い!!
>>938 >家康を天才的な武将という気は全くないが、凡将ってほどでもないのでは?
★家康が凡将って言うほどであるのか、ないのか? なんて命題はそれほど大きな差
とも思えないが…。
>家康じゃないじゃん…武将の人選を誤ったってことで汚点と言えないことはないが。
★それを言い出せば、全ての敗将の責任は免責されるよ(笑)そもそも、このスレが
無意味になる、軍事能力の比較ができない。「前線部隊長の人選を誤った」で終り。
>家康ってそんなにへっちょかったっけ?三河一揆や三方ヶ原は知ってるが、
>ほかに…苦戦、敗戦があるのかぜひ解説して欲しい。
★けっこうあるが、ほとんどが前線部隊の人選誤りと言われればそう言えるなぁ(笑。
解説などするほどの知識もないが、へっちょかった事を並べるくらいはできる。
ただ少し長くなりそうなので、少し時間をくれ。所用を片づけて後レスする。
最優秀武将はスターリンだ
941 名前:日本@名無史さん :02/07/05 19:32
軍事奉行さんて戦史や戦術にめちゃめちゃ詳しそうなんですが、
もっと話を聞いてもいいですか?。あなたの思ういくさの天才とは?
952 :
日本@名無史さん:02/07/06 10:57
石原莞爾
953 :
日本@名無史さん:02/07/06 11:18
954 :
日本@名無史さん:02/07/06 11:21
酔鯨ジョーカー土佐守
955 :
日本@名無史さん:02/07/06 11:24
禁酒ショッカー阿波守
956 :
日本@名無史さん:02/07/06 14:47
あの〜 自衛隊の幕僚本部が最強だと思うんですが・・・
戦史研究もきちんとやってるし・・・ダメですかね〜
なんでみんな軍事奉行さんいじめるの?
すごく詳しく解説してくれてるのに。
958 :
日本@名無史さん:02/07/06 15:45
あ〜言えば こ〜言うのだ
959 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/06 21:53
家康の合戦歴
1)桶狭間の戦い(田楽狭間の戦い)1560
今川義元が討ち取られた後、今川軍は総崩れになり敗走。尾張領内に進出中の家康は
すぐに動かず慎重に情況を確認した後、岡崎城へ撤収。
★信長と概知(懇意?)でもあり、織田軍の行動を見切っていたのかもしれんが、
ある意味、敗軍のなか孤軍で居残るのは危険とも言える
2)三河門徒戦争(一向一揆)1563
上宮寺から兵糧米を強制的に徴収したことに反発して門徒衆が蜂起。三河全土で戦争。
非常な苦戦の結果半年後に和睦。和議条件は、一揆側の本領を安堵し首謀者も殺さず、
一向道場・信者・僧侶ももとのまま、という家康の全面譲歩。
しかし、一揆軍解散確認後に、寺道場を破壊し、有力信者・僧侶を迫害追放する。
★和議条件の違約を抗議された家康は『もとのまま、とは元の野原にすること』と
嘲笑したという話が残ってる。挑発し苦戦し和議し、そして違約する…。何やら
「大阪の陣」を連想しますなw。
3)掛川戦争1568
家康は信玄と駿河・遠江の分割密約をかわし、信玄は三国同盟を破棄し駿河に侵攻、
今川氏直は掛川城に敗走。これに呼応して家康は掛川城を包囲攻撃する。
二月〜五月になっても城を落とせず苦戦、家康は、駿河を信玄から回復することを条件に
和議、氏直は掛川城を開城し蒲原城に移動。
★孤立した城を落とせず、今度は「信玄の撃退」!を約束して、氏直と手打ち。
4)姉川の合戦1570
信長の要請を受け姉川に布陣、朝倉軍正面を担当。織田軍が浅井軍に押しまくられ後退、
家康は大苦戦するも、榊原衆の奮戦により戦勢を逆転。別働隊と合流した織田軍が総攻撃。
浅井・朝倉軍は小谷城に撤退。
★信長が故意に部隊を分割し、浅井・朝倉軍を野戦に誘引したと思われるが、家康軍は
ある意味「時間稼ぎの閂」に利用された。思ったより北陸軍は精強で、三河勢の死戦が
なければ家康は捨て石にされ戦死もありえた。
5)三方ケ原の合戦1572
織田軍三千の援軍を得て、三方ケ原進行中の武田軍を急襲するも、たちまち打破され敗走。
★おそらく信玄の誘引策に引っ掛けられた、武田軍は地勢の利を充分にいかして迎撃。
本田隊等の血戦によって浜松城に逃げ戻れたが、信玄が積極的に追撃戦を敢行していれば、
家康は敗走中に戦死していた可能性が高い。
6)高天神城戦(天正二年)1574
武田勝頼が遠江に侵入、高天神城を包囲した。家康は援軍を送ることなく、信長の援軍を待ち
待機を続け、高天神城(小笠原長忠)は落城。救援途上の信長は岐阜へ帰還。
★信長は一向一揆対応に忙殺されていて、遠江遠征には消極的であったと思われます。家康には
単独で対抗できる戦力がありました。見殺しにしたのは三方ケ原大敗の後遺症かもしれません。
まあ、へたれです(笑。
7)本能寺の変後の伊賀越え ★危機一髪でしたが、ま、これは事故でしょう。
ただ穴山信君を囮にした手際は見事!こういうことは巧い…
続く
960 :
日本@名無史さん:02/07/06 22:44
見事な難癖ぶりだな。軍事奉行って家康嫌いの真田厨か。
あほらし。
小泉首相。。。。。
>>960 家康嫌いなら、真田厨か…激藁やなこいつ。
皆さん!、あんまり軍事奉行さん攻撃しないでください!
とても詳しいじゃないですか!
>>949 稲葉山城の件が、逸話と講談と史実を混同しまくってるぞ、何の本に↓の事が書いてあるんだ?
>『稲葉城を十六名で占拠し、五ヶ月後城主に返却』
安藤守就について2千の兵でクーデターを起して、稲葉山を占拠、西美濃は内戦状態になり、半年後に和解
史料を元に立証されてるが
>格下の秀吉の帷幕に与力した事実
は?何それ?秀吉の与力になったとされるのは1570年頃、当時の秀吉が格下?
何をもって格下なのか説明してくれ
>美濃三人衆の内応・抗命による松寿丸保護
松寿丸保護なんて全然史料による裏付けが無いんですが?
で、全然君が『秀吉の軍師』と思われるような行動すら書いてないが?
>『軍師だったとかそんな記述一切ない』ならそうなる。
>論理推理なし、それを滑稽とは思わないところが凄い!!
上の内容で、こう結論づけるのも意味不明
論理も推理も、君の言ってる内容は全て講談の内容で、江戸後期の読み物が根拠
それ以前の史料には全く無いモノですが?考え方が違うとかのレベルじゃないな
君の考え方でいけば、『真田三代記』に出てくる穴山小助や由利鎌之助は実在してて
関ヶ原の時に、秀忠は12万も率いて上田城を襲ったんだね
そして穴山小助が真田幸村の身代わりになって死んで、幸村は秀頼を連れて薩摩に落ち延びてるわけだ
すげぇな、そりゃ
>そして穴山小助が真田幸村の身代わりになって死んで、幸村は秀頼を連れて薩摩に落ち延びてるわけだ
>すげぇな、そりゃ
そしての後に、大坂の役が抜けてた
967 :
日本@名無史さん:02/07/07 01:24
北畠顕家はどうかな
968 :
日本@名無史さん:02/07/07 01:54
楠木正成は如何ですか。
969 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/07 01:55
(959続き)
本能寺後の“旧武田領内混乱”は家康からの干渉が主原因だと思う。
織田家内紛の隙に、甲信に版図を拡げる…けっこう苦戦もしている、
まあ
>>919でも言ったし、ダナサ連中が精髄反射するので省略。
「派遣武将の能力不足」つーことで(^^;)
8)小牧・長久手の戦い1584
★さすが家康円熟期(43歳?)の合戦、内線移動して別働隊を殲滅。
ま、派遣武将の人選を誤らなかっただけかもしれないけど(笑)見事。
しかし、出兵要請をしてきた当の信雄に単独講和され、孤立してしまい、
家康は次男於義丸を養子として秀吉に送り講和します。
秀吉と信雄の反目を仕掛けたのが家康との説もありますが、いずれにせよ
結果的に秀吉の「天下人」を確定した合戦になりました(皮肉にも)。
ただ、秀吉に必要以上の警戒心を抱かれたらどうしたのでしょう?
9)関ヶ原合戦
★個人的には、家康の軍事センスがさっぱりわからない合戦。
aー主力譜代部隊を別働隊にするなら、督戦官に戦略眼を持った最優秀な部下を
指名して権限も与えていなくてはならない。
bー別働隊が到着するまで、ゆっくり対峙していて、どこがマズイのだろう?
三成が決戦を焦ったのではない。むしろ、家康から仕掛けている。
cー布陣が不可解。万一内応が不発なら、包囲殲滅されてもおかしくない。
事実、南宮山部隊が中立であっても緒戦はいい勝負。小早川が戦運を握った。
dーcを考えると、よほど毛利勢の内応に自信があったのだろけど、だったら、
なおさら決戦を急ぐ理由はない(bに戻る)
eー戦後処理で、毛利家への所領安堵の誓紙を反古にし、伊達家への百万石の
約束も幻に。豊臣系大名が残存しているなか、毛利・伊達が反目すれば?
10)大阪の陣
★説明の要はない。
a-方広寺の鐘銘への難癖は、ヤクザ真っ青の言いがかりで、天下人の面子も
大義名分もなく、天下統一の最後の残した歴史の恥。
b-天下の大軍で孤城を囲みながらも、攻めあぐね、老女相手に詐欺条件で講和。
すぐに条件に違約して、外濠以外に外塀・郭・内濠を破却。
c-天下の大軍で、裸城を相手に開戦。楽勝のハズが、“予定どおりの野戦”で
本陣旗本まで攻め込まれ、乗馬して敗走…(爆)
★★秀吉の『小田原城包囲戦』と比べれば、ただの袋叩きに手間取っただけ(笑。
いかにも田舎の凡将がブザマに見える。
…「いくさの天才」なんてとんでもない
970 :
日本@名無史さん:02/07/07 01:56
立見鑑三郎にイピョー
971 :
日本@名無史さん:02/07/07 01:57
デアルカ
972 :
日本@名無史さん:02/07/07 02:29
>軍事奉行 ◆qXAQxUxI
どして家康は史実中心にしてるのに他は逸話中心なの?
皆さん、あんまり軍事奉行さんの説の微妙なところを攻撃しないでください。
974 :
軍事奉行 ◆qXAQxUxI :02/07/07 02:49
>>965(898)
自分としては、スレの主旨『日本史上最高のいくさの天才は?』で気楽に
遊びたいんだが、どうも寄り道ばかりで(笑。
「日本史上最高のいくさの天才は?」スレに『史料絶対主義』がなじむとは
思えないが。いずれにしても、君のは史料絶対主義でもないね(嗤)
君の脳内では『半兵衛は秀吉の軍師』と『幸村は秀頼を連れ薩摩に落ちた』と
が同程度の信憑性と認識しているようだが、誰も同意できないだろう。
>江戸後期の読み物が根拠それ以前の史料には全く無いモノ
まあ、史料が認定されないから、後代の読本は全て捏造だという考え方も、
まったく分からないではない。
事実、専門得意の近現代史・戦史においては、自分もそれに近いスタンスを
取る分野もある。しかし、このスレの「いくさ天才」ウンチクに、その癖を
持ち込む気はない。
>>922【厳密な考証学とは“ある一定の”距離をおき】
自分は気楽にレスするつもり、ある一定の…が意見の別れる所だろう。
義経の「いくさ天才性」と「なぜ日本で大砲が普及しなかったのか?」と、
こんな関連話を、確実な史料でもって展開できるわけがない(笑。
あるいは、護良親王の戦績なんぞ確実な史料がどこにある?
悪いが、この問題でこれ以上君を相手にしないよ。
975 :
日本@名無史さん:02/07/07 02:50
レスするな攻撃
>>972 徳川家康関連の資料は多く、研究もはかなり整理されているから。
977 :
日本@名無史さん:02/07/07 02:57
> どうも寄り道ばかりで(笑。
> 君のは史料絶対主義でもないね(嗤)
> 展開できるわけがない(笑。
> 君を相手にしないよ。
・・・・・・・学生か。
978 :
日本@名無史さん:02/07/07 03:00
話に突っ込むが、半兵衛の軍師としての行動を言ってないじゃん。>軍事奉行
相手がまともな事言ったら、話を誤魔化してトンズラしてるようにしか読めないけど。
979 :
日本@名無史さん:02/07/07 03:05
コテハン使うなら、自分の書いたレスには責任もって答えろ
980 :
日本@名無史さん:02/07/07 03:10
おまいら、あと20で1000いっちゃいそうです。
で次スレもやっぱりこの板?。三戦板でいい気がするんだがなあ。
981 :
日本@名無史さん:02/07/07 03:14
>>978 自分は「秀吉の勝ち戦は官兵衛・半兵衛を無視しては語れない」に異議はない。
それに、軍師の事跡は記録されないのは当たり前、逸話しか残らん。
それより
>>974の後ろ4-2行に興味がある。
983 :
日本@名無史さん:02/07/07 03:34
>>982 でも黒田如水のは記録されてるけど?
竹中半兵衛のは竹中藩の家譜にも書いてないよ。
息子の竹中重門も書いてないよ。
軍事奉行は書いてあるような事言ってたけど。
このスレに限った事じゃないけど、自説を正しく見せる為に
ググルで調べても1分もかからずにわかるような捏造する輩は後を絶たないんだろうか
しかもそれを問われても、何にも答えず頓珍漢な反論するだけ
こういう輩は自分の認識を認知させたいが為に、歴史を勉強してるんだろうか
985 :
日本@名無史さん:02/07/07 04:42
竹中が早死にして、黒田が長生きしたから
黒田が先に死んで、竹中が天下統一以降も長生きしてたら
黒田の記録はなく、竹中の記録がたんとある。
戦国時代より、幕末の方をキボヌつーても後はなし
たらればで語る奴に説得力なし
ま、黒田関係の資料は当時からあるけどね
こういう輩は山本勘助が軍師で、きつつきの戦法を考えたと言い張るんだろう
988 :
(゚д゚):02/07/07 05:04
信長・秀吉・家康どれも捨てがたいんだよな。
信長は、その柔軟な思考によって結果的に革新的とも言える事をやった。
ちょっと違うが国難という状況で最も力を出すタイプ。
秀吉は、戦術戦略のオールマイティ型かな?朝鮮征伐あたりは晩年すぎて参考外として、
問題はナンバー1になった課程が本能寺の変による棚ぼた式だった事。彼が黒幕ならモンク無し。
家康は、有る程度力をつけるまではマジでそこら辺にいる大名クラスだと思う。
しかし本能寺の変以降は巧みに秀吉の圧力をのらりくらりと交わし(関東転封・朝鮮行き拒否)つつ
存在感を見せつけ(小牧長久手でのDRAW)豊臣相手に勝てるまで辛抱したのは凄い。
長生きは結果的にそうなっただけでこれは参考外。
個人的には、信長でOKかなと。
>>984 きっと自分がフェチってるところだけ強気に書けるんだよね。
そうじゃないとこは調べてないとか専門外だとか
「・・・によれば・・・らしい」とか書いておけばとりあえずOK。
で、その「・・・によれば」の部分が何かっつーと、
軍記物・講談・群像(ぉなどの二次史料、司馬遼をはじめとする小説の類
だったりする。誰の事か・・・、書かなくてもいいか。
軍事奉行は三戦板いけ。厨房は消えろ。
でまたこれをコテハン叩きと錯覚するんだろうな。
コテハンを叩きたいんじゃなくて、自意識過剰で自我だけやたら
肥大して精神的に幼稚な奴にコテハンが多いだけなのだが・・・。
>>989 軍記物・講談・群像・小説の類どころか、脳内妄想で作り上げてる部分が多々ありますた
でさあ、次スレどーすんよ?
このネタはこのまま軍事奉行といっしょに葬り去るか?
おいおおい、家康擁護派がいっぺんに黙ってしまったなw
オマイラは真田虫がどうこうってしか言えないの?
なさけないぞ!
誰か、マトモに『家康vs軍事奉行』書けや!
まあ俺は、実は関ヶ原で家康はヤバかった、なんて思ってねえけどな。
>>994 マトモに『家康vs軍事奉行』やったトコで、都合の悪いレスは無視して捏造するので
とてもまともな議論にはなりません
1000いかないで余ったまま放置てのもめずらしいな。
じゃあ、軍事奉行は次スレもたったみたいだし逃げ出さずに頑張れよ。
998
999☺
1000☠ฺ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。