斎藤環関連の話題や、ひきこもり論などについて
過去スレ等
>>2-10ぐらい
とりあえずテンプレは以上
斎藤本人必死だな
8 :
火遊び ◆ajRYWAbWSI :04/02/07 13:54 ID:bxZse1T0
斎藤環先生は鬱病だと思う。顔見ればすぐわかるんですよ。。
いまの世の中、ほとんどの人が鬱病です
前スレの終わりの方で面白かったと思ったもの
http://www.cafeglobe.com/news/dailynews/dn20000210-02.html >イギリスは、マザコン男の巣窟だったのだ。35歳以下の成人男性の3分の1がいまだに母親と同居し、
>そのほとんどが今も子ども部屋に寝ていることが判明したのだ。
>このニュースは、特に50〜60代の男性を驚かせている。彼らが20代だった60〜70年代、
>男の子は18歳にもなれば、一刻も早く親元を離れて独立したがるのが当たり前だったからだ。
自分の認識では、イタリア以外の欧米諸国では20歳過ぎれば親元離れるのが普通で、
日本式ヒッキーなど極端に異常視されると思っていたので、意外だった。
その他の欧米諸国でも、似たような状況になってきているとの指摘もあるので、「ひきこもり化傾向」
みたいのは、意外と先進諸国で共通になってきているのかも。もちろん、「親と同居」と「ひきこもり」の
間には大きな隔たりがあるのは確かだし、日本だけがこの現象が突出してはいるんだろうけど。
10 :
9:04/02/07 14:20 ID:???
既に前スレで紹介された
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson4.htmlに 似たような話が出てたな。読んでなかった。
>どうやらパラサイトシングルは、家族形態のグローバルスタンダードとなりつつあるようです。
面白かったのが、
>アメリカCBSテレビの女性レポーターは、マモーニたちにインタビューを試み、盛んに呆れ、憤慨していました
>しかしマモーニ当人たちも両親も、何が悪いんだい? と自信に満ちた表情だったのが印象的です。
>社会や世間からなんといわれようと、個人の生き方は自由で変える必要がないとするイタリア人気質がよく現れていました。
11 :
(-_-)さん:04/02/07 20:15 ID:LUrEI2ac
このごろは、平成14年度岡山大学のひきこもり調査でひきこもりはひかえめな全国推定41万人という結果が発表され、
斎藤環さんはこの調査結果をよく引用しています。
12 :
1:04/02/07 21:36 ID:???
1だけど、テンプレの参考サイトのリンク先は
ごちゃごちゃ入れすぎたかも、と思う。
次回不必要そうだと思うものも、幾つかある。
情報量が少ないようなサイトは、外してもよいかと思う。
あと、OUTのサイトも、メンバー登録しないと見られないところなので、
順番としてはもっと下の方に入れたほうが良かったと思う。
次、立てる人の参考までに…
スレの回転が速いので、950近くなったら誰か立てられる人が
次スレを立てちゃった方がいいと思う。
確かにテンプレ長いよねぇ・・・。
で、前スレの蒸し返し。
990 名前:最近勤め先がコケて無職になった名無しさん[sage] 投稿日:04/02/07 11:32 ID:???
とりあえず、「底辺労働者=パート労働者」(アルバイトもパートに含めて)という認識で
皆さんOK?
異論がある人も賛論がある人も齋藤環センセイの話に絡めつつ意見をドーゾー
984 名前:(-_-)さん[sage] 投稿日:04/02/07 09:35 ID:???
まず、3K自体は底辺労働じゃない。給料もよく正社員で社会保険などもあるなら尚の事。
パート・アルバイトは職種に限らず、「底辺」でしょ。時給以外何もないし、時給も殆どが安い。
「水商売の方がパート・アルバイトより格上」だって、一般人の普通の感覚。
↑にかいた理由からして、普通パート・バイトが「底辺」なんだから。
アメリカがどうしたとか関係なく、それが一般人の普通の意識だと思うけど。
なんかもうどうでもよくなってきた。
>>9-10 イギリスでのそうした事情については、「青年・家族・市民権」(ジル・ジョーンズ、
ウォーレス・クレア著 邦訳『若者はなぜ大人になれないのか』新評論)に書かれ
ていますね。ちなみに高岡氏もこのことにふれています。
下のリンク先を読むと、アメリカ合衆国においても同様らしいですね。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson4.html 『家族という神話―アメリカン・ファミリーの夢と現実』(ステファニー・
クーンツ著 筑摩書房)からの引用箇所を参照。
イタリアはもちろんですが、フランスや西ドイツなどでも似たような傾向が
見られるようです。
16 :
(-_-)さん:04/02/08 01:20 ID:sIYP20+e
「甘えの構造」必読のレベルで行きましょう
ある対象が概念的にカテゴライズされて社会問題として注目され、統計上にも表される
ようになる事態と、そのが実際に存在したかしないかという事態とを混同しないように
気をつけたほうがいいと思います。
家族の崩壊とか家族の危機とか、家庭や地域の教育力の低下などといったことも盛んに
叫ばれますけど、それが本当に現在に顕著で特有な現象なのかと疑ってみたほうがよさ
そうです。
「社会的ひきこもり」にしても、欧米には斎藤氏の定義する意味での「社会的ひきこもり」
というカテゴリーが存在しないがために、その個別カテゴリーでもって社会問題化されて
いないだけなのかもしれませんし。
むしろ欧米でさえも、親と同居する若者の比率が下がった傾向というのは、
60年代や70年代に目立った現象に過ぎなかったのかもしれませんしね。
>>13 なぜ「底辺労働」の話題が出てきたかといえばたぶん、
「脱ヒキしても底辺労働しかない。底辺労働は嫌だ。」というようなカキコがあったからだと思う。
んで、そう言ってる人が本当に、「底辺労働」が嫌なだけで、働かないのか。
もしも「底辺」ではない仕事があれば、すぐにでも脱ヒキするのか。
もしそうなら、その意味では「働きたくない仕事」が、その人にとっては「底辺」になるのかも。
実際には「高等?労働」だって大変で、過労や精神を患ったりするし、
むしろバイトの方が、ヒッキー体質の人にとっては楽なのかもしれないし。
>>17 近年、いじめ自殺、児童虐待、ドメスティックバイオレンスやストーカーとかが
社会問題になっているけどさ、昔はそれらが極めて少なくて現在に急激に増加した
現象なのかというと、実際のところはその認識はかなりあやしいんじゃないのかな。
これまで良かったことは一つも無くこれからも無いだろうに
どうして必死でヒキ脱出しようとするの?
じゃあ、どうしろっていうの。
金持ちでもないのにずっとひきこもってて、どうなるというの。
他人と深く関わらずに生きるには
池田清彦(著) 新潮社
池田先生がこんな本も出していたんだね。
略)の続き
これから良いことも無いだろう
>>19 高等労働の方がプレッシャーはあるだろうけど
楽しいんじゃないの?
精神的に鬱にならずに済むとかさ。
仕事が存在理由になってるから、代わりが誰でも務まるバイトじゃ駄目なんだろう。
ヒキ脱出しても底辺労働者の惨めな人生が待っているだけ
すすむも地獄 戻るも地獄
どうあがいても見下され踏みつけられるしかない運命
スレちがい
32 :
(-_-)さん:04/02/09 22:11 ID:Rd87+7q4
あの、間違って立っしまったスレからのお引越しです。あわててすみません。■▲▼
【2:6】★(乱心する)斉藤 環12(先生)★
1 名前:(-_-)さん 04/02/09 21:47 ID:Rd87+7q4
素人にも分かる二枚舌のせんせい、タマキ。
彼のハチャメチャ言説の今日明日。
批判者にして名医とも言われる高岡、西の心理省ともいうべき
河合について、その他関連の話題もOK!
2 名前:(-_-)さん :04/02/09 21:51 ID:???
ぼ、ぼくは、CGIの脆弱性をおしえてやりたかっただけだぞ。
ぼ、ぼくのおじさんはち、長官だぞ
3 名前:ヒキ玉子 ◆Tamago7L3Q :04/02/09 22:04 ID:???
斎藤環まんせですよ
4 名前:(-_-)さん :04/02/09 22:05 ID:Rd87+7q4
>>1 タマキ? 常陸の国出身のタヌキの間違いかもよ〜。
縞模様の尻尾が見えているじゃない? え? 幻覚? ど-しよ-!
>>2 分かりました。あなたがたは家単位での自意識過剰だったのですね。
5 名前:(-_-)さん :04/02/09 22:06 ID:???
新撰組の人だよね?
大卒でも底辺労働の時代
選挙池
>>30 何が甘いのかすら、解らんのね。見るからに甘いですにぃ・・・
高等労働が鬱にならない、楽しいなんて。
簡単なバイトすらとても苦痛なら、絶対無理なのにさ。
全く仕事らしきことしたことないのかしら。
バイト=簡単
という認識も甘いと思うけど
簡単にクビにしやすいバイトだからこそ
逆にミスが許されなかったりする。
正社員のほうが気楽な面もある。
いまや正社員とてバイト身分のようなもの。
いつリストラされるか分からない。
>>35 バイト=簡単なんていってませんよ。
バイトの中でも比較的簡単なものできないなら、、っていってるの。
>>36 そんなことを言うのはたやすいけど。。。
では、あなたは正社員で雇ってさえ貰えれば、仕事が普通に出来るの?
話を聞いてると、社会生活能力は十分にあるのに
雇ってもらえないことだけが問題、というように聞こえるけど、どうなの。
その辺の感覚が甘くはないですか?
それじゃ現実的な事にはつながっていかない、と思うのでいうんですけどね。
>>38 >バイト=簡単なんていってませんよ。
正社員とかより気楽で簡単(?)みたいな意味かと思ったもんで。
でないならいいんだけどね。
>バイトの中でも比較的簡単なものできないなら、、っていってるの。
そういう問題か?
>雇ってもらえないことだけが問題
誰がそんなこと書いたっけ?
要は、仕事が簡単とかそういう問題以前に人間関係でしょうな。
これはべつに引きこもり問題にかぎった話ではなくて、会社とか学校とか
を辞める理由の多くが人間関係の問題だったりするからね。
40 :
(-_-)さん:04/02/11 00:17 ID:Q3C5xBZh
ニワトリが先か、卵が先か?
問題は就労後の人間関係なんだね。
>>39 あなたの書きこみ見てると、たしかにかなり人間関係難しいだろうな。。
なんでもいいから、何かすこしでも出来る事があるなら、
まず、やってみてからだと思いますけどね。
話は変わりますけど、ミニミニ斉藤君はどこへ行ったの?
ネットは、あまりひきこもり治療において期待してないって言ってたね
>>45 最近ではネットの弊害も認め出したようだしね。
やはりネットに対しては消極的な容認に過ぎなかったと思われ。
っていうか治療の仕様が無い
48 :
(-_-)さん:04/02/13 07:04 ID:oo8y8jso
遺伝子治療しかないね。
49 :
(-_-)さん:04/02/13 07:15 ID:oo8y8jso
イタリアでも親同居者は増えています。
国立人口研究所のロッセラ・パロンバさんは、
25歳から34歳の働く男女の4割が両親の家で暮らしていると報告しています。
イタリアでは彼らを「マモーニ」と呼んでいます。
ただしこれは、日本のパラサイトシングルとは少々定義が異なります。
30代から40代の比較的高所得のホワイトカラーで、
実家に住み続ける「男性」に限定されます。
アメリカCBSテレビの女性レポーターは、マモーニたちにインタビューを試み、
盛んに呆れ、憤慨していました(おそらく彼女は、他人を蹴落とし出し抜いてテレビレポーターの地位を手に入れた、自立した女なのでしょう)。
しかしマモーニ当人たちも両親も、何が悪いんだい?
と自信に満ちた表情だったのが印象的です。
社会や世間からなんといわれようと、個人の生き方は自由で変える必要がないとする
イタリア人気質がよく現れていました。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson4.html
>>48 分かってないなあ。人間は遺伝子の乗り物ではないよ。ホルモン、文化的環境などなど、いろいろな
ファクタ−によって変わってくるものだよ。
そういう発想はナチスみたいな優生思想にもつながるので危険だね。やめてくれ、
迷惑だ。
>>49 面白いね。そう、両親の実家にいることも一つの文化のありかただし、
経済的には合理的だものね。
それを認められずにキレ気味になるアメリカ人ってホント偏狭だね。
そんな非難にバカ正直に同調する日本人は情けないね。例えば歌舞伎なんて
まさにパラサイトから出た文化なのに。日本人はもっと日本の文化・伝統を
誇るべきだ。何でもアングロサクソン流にすればよいってものじゃあない。
52 :
固定さん:04/02/13 09:54 ID:???
>>51 ちょっとは同意できる。あ、入るよ。雑談にね。
53 :
固定さん:04/02/13 09:55 ID:???
久しぶりに祖父母の家に行ってきたよ。脳梗塞なんだよね。うちのおじいちゃん。
54 :
固定さん:04/02/13 09:56 ID:???
>>51 だけどそれもありだと思う。だけど私は少しずれていると思うよ。
55 :
固定さん:04/02/13 09:59 ID:???
>>51 いい?説明して。あのね。切れ気味という日本語はそもそも間違ってると思う。あれは欲望、だからそんな単語はありえない。
バカ正直も間違っていると思うよ。なぜなら正直者はバカなことではないからね。馬鹿ではあるけどね。
パラサイトも性格には依存(いそん)症(しょう)だと思うよ。
私も日本語間違えることはあるけどね。
56 :
固定さん:04/02/13 10:01 ID:???
>>55 性格→正確ね。私も馬鹿だね。少なからず結構間違った日本語を使っているんだね。
57 :
固定さん:04/02/13 10:02 ID:???
間違えると魔法使いになれると思う。だから私も魔法使い。皆はどうかな。ま、いっか。どうでも。ね。
58 :
固定さん:04/02/13 10:04 ID:???
人いない?じゃあ漫談デモしてみようか。どう?漫談のデモをしてみるんだよ。なかなかおかしい造語だと思わない?
59 :
固定さん:04/02/13 10:05 ID:???
しゃーないなー。わいら東京天国人やさかいになんや比べもんにならんくらいおっしゃれやわー。
そやなー。おらうーたん洋服につけたって歩いてるおばさんなんか見ると特に・・・ってそれはカンガルーやんけ!!!
60 :
固定さん:04/02/13 10:06 ID:???
>>59 おらうーたん→オラウータンね。ごめんごめん。
61 :
固定さん:04/02/13 10:10 ID:???
しっかしあれやなー。なんや最近気道悪いねん。ってそれは気候やないのかいな!
これまたしつれーいたしました。どゃんどゃん。ってなんぼきぃ高めたらきぃ済むんかいなー。ほんま困りもんやわー。l
なんでやねん!あれ?なんか間違えた?テヘ(笑)
62 :
固定さん:04/02/13 10:13 ID:???
>>61 きぃ→キィね。ごめん。なさい。な。ギャグだよーん。(ノ−0−ヽ)
なんや気ぃわるーなってきたわ。どないやねんおまえら。ガンガンいってこいっ天然観念なんでやねんな!ちゃんちゃん。
63 :
固定さん:04/02/13 10:14 ID:???
寒いね。寒いよ。○○。あっためて欲しいな。来て。○○。
64 :
固定さん:04/02/13 10:15 ID:???
魔女とは付き合いたくない?嫌い私のこと・・・。
65 :
固定さん:04/02/13 10:16 ID:???
リノア・・・可哀相。リノア・・・。
66 :
固定さん:04/02/13 10:19 ID:???
ゲームでもしてくる。ダーリン。好きよ。後で見かけたら気軽に声でもかけてね。
私の名前は近藤いくみよ。横須賀市の公郷町に住んでいるの。県立高校のすぐ近くなのよね。
来たいなら来て。嫌いだったら来て。私に会いに来て下さい。私、待ってるから。ご馳走用意してね。
67 :
固定さん:04/02/13 10:20 ID:???
愛してるよ。みんな。
68 :
固定さん:04/02/13 10:22 ID:???
やっべ。雑談スレと勘違いして書いてた。上げ。ていい?上げちゃったよーんだ。
なんだかスゴイ個性の持ち主が現れたようだなあw
>>55 一時期、キレるという言葉をマスコミが盛んにとりあげたときに、
文化人の一人が、頭がキレるというむかしから言い方はあるが、
そういう意味でのキレるという表現は日本語にはないみたいな
ことを言っていたが、本当にそうだろうかと思った。
キレるという言葉はおそらく「堪忍袋の緒が切れる」から来て
いるのではないか。
まあ、自称文化人のいうことなんて、その程度ですから……。
たわごとたわごと。
>>49 こういう本もあるよ。
『パラサイト・シングルは日本を救える』(中屋 宗寿著 武田書店)
斉藤さんのバランス感覚が好き。
何故か中々見つけられなかったけど、次スレ、もう出来てたんだね。
前スレの過去ログ、まだ出来てないみたいだけど、
あれ、どうすればできるんですか?
法律守って得するのは失うものがある金持ち達だけ
いざとなったら人を殺せばいいよ
ヒキはもう未来も無いし失うものもないのだし
ヒキと人殺し、どっちが世間の目が冷たいかの違いだな。
普通に考えて世間は殺人者には冷たいだろw
NHKすらサポートしてくれそうもないしな。
論点になるほど引き篭もるってのは重罪なんだよねw
80 :
(-_-)さん:04/02/14 19:39 ID:eC0VP/re
働かざるもの食うべからずだからね。
社会的にはひきこもっていて貰ったほうがいいんだよな。
上の世代は正社員のイスにしがみつきたいから若い奴を採用しないし
同年代の俺らからしたら狭き門だから周りの奴にはひきこもっていて
貰いたいしw
だからそのまま部屋の中に居てくれよ。
職安にももう来んなよ。
お前らの家族は泣くだろうがそんなの知ったこっちゃねぇ。
んでさぁ、前スレの過去ログみたいんだけど、どうすればいいんだっけ?
ちょっと見なかった間に嵐が増えたなあ
どっかのスレにあったコピペ。出典がどこかも分からないけど。
同大学のGus Thompson博士は、Modayil氏の調査レポートを評価しつつ、
通説とされている「長時間のインターネット利用は、引きこもりなど
社会的な孤立をもたらし、精神的に悪い影響をもたらす」との既成概念を
否定して、インターネットは「諸悪の根源と思われていたかもしれないが、
実際は良薬であることが明らかになるかもしれない」と語り、精神的に
難しい状況にある人々に大きな助けとなる可能性に言及した。
今日のNHKテレビのニュース番組で報道されていたけど、大学生を対象にした国際的な
調査の結果、抑鬱傾向の見られる学生の割合が、日本、韓国、台湾のアジア諸国に高
かったとかいう事が伝えられていたね。
そういえば、韓国で20歳の男性を対象に何千人だったか忘れたけど検診してみたら、
その45%に対人関係やソーシャルライフに障害を持つ人格障害が疑われる結果が
出たとかいう報道もあったなぁ。
「ネットゲームはn時間まで」って、まるで遠足のしおりの「おやつは300円まで」みたいだ。
>>90 そもそも、ひきこもりという言葉が流行っていなければ
「ヒキ叩き」横行はしなかったかも知れない。
問題視した時点で、ある事象は初めて「問題」になる。
商業主義に染まらないひきこもりは至高の存在
595 名前: 名無しさん@4周年 投稿日: 04/02/01 12:31 ID:pYo6O9H3
2ちゃんもう閉鎖するって本当?
596 名前: ひろゆき ◆3SHRUNYAXA @どうやら管理人 ★ [sage] 投稿日: 04/02/01 12:31 ID:???
>>595 本当。
758 名前: ひろゆき ◆3SHRUNYAXA @どうやら管理人 ★ [sage] 投稿日: 04/02/01 18:31 ID:???
(嘘を嘘と見分けられない人には)・・・
なんて言ってたおいらですが、今回ばかりはネタじゃないです。
さっきまでネタっぽい雰囲気出してましたけど、閉鎖直前に大騒ぎになっても
なんか後味が悪いので、本当のことを言います。
2chは3月いっぱいで閉鎖です。
閉鎖理由や経緯等は、まあ、後々報告します。
残り2ヶ月ほどですが、みなさん楽しんでね。
高木俊介編集メンタルヘルスライブラリ−Fひきこもり 批評社2002 より。
高岡健の発言から引用。
高岡:私は稲村博批判をやっているときに、気づいたことがあるんですよ。彼の場合は、
ある民間団体の思春期病棟でアルバイトの診療をしていただけですから、特別なスタッフが
いるわけでも、設備があるわけでもないんですが、そこに閉じ込めておいた人たちがよい転帰に
なっているということを言っています。しかし、あそこで暴動を起こして強制的に退院させられた
人たちの数は、どういうふうにカウントされているんだろうかと思って、調べたことがあるんです。
そうすると、どのように統計を読んでも、暴動を起こして強制的に退院させられた人たちが良い転帰に
なってくるんですね(笑)。
つづき。
稲村博の治療の失敗にもかかわらず、良い道を歩んでいったということに
なるんですよ。強制的に治療したから良くなったという発想は、すでにあの時点で
無効になっているんです。さすがにあれと同じことを主張する人は少ないと思いますが、
発想としては、あれは連綿として続いているのです。
何が続いているのかというと、『論座』で村瀬学さんと斉藤環さんという人が対談をやって
いますけれど、まったく意見が噛み合わず、最期に斉藤さんは村瀬さんから慰められていま
した。二人の間で一番の違いは何かと言うと、結局、公のもの、規範というものは強くあるべき
だと、斉藤さんは思っているわけですね。だから、強くある中で、これと闘いながら成長して
ゆくのが人間なんだという発想です。
つづき。
わたしはまったく、そういう発想をとらない。むしろ、公のものとか規範
は弱くなればなるほど進歩だというふうに思うわけです。規範が弱いと個
が確立できないというのは、まるっきり間違いだと思います。極端な場合
は戦争を考えてみると一番分かりやすいと思うんですけど。
参考になる引用だね。参考しますた。
村瀬 僕は、昔の人は、暦というのはないところからもつくれるし、すでにあってもそれを
壊して別なちがうかたちの共同性、つまり暦を組み立てられるということを承知して
いたんだと思いますよ。だからはじめからその地域にあったというわけじゃなくて、
あえてつくった暦というのがたくさんあるんじゃないかと思う。土佐だったら土佐
なりの暦をつくったとか。
斎藤 それは、暦が有効だった頃は、地域のものにせよ、国単位であるにせよ、一応お上の
理不尽さがまだ受け入れられやすい時代だったからではないですか。だって、暦の
根拠は何も説明されないわけでしょう。説明されないけど、まあ、上の決めたこと
だから、一応守ってやろうということで守ることができた時代の産物だろうと私は思います。
しかしいまは、何をするにも説明が必要なわけですよ、人々が納得いく説明が。
ところが、説明を受けちゃったら、その時点からもう暦とか共同性は効果を失うん
じゃないかという気がしてならないんですね。やはり力をもつのは、理不尽さゆえの暦
だろうと。つまり震災が暦になり得るのは、それが理不尽で、説明がなかったからだと思うんです。
逆に「こういう暦があったほうが家族や共同体が維持できるから、暦をつくりましょう」
という説明のもとにつくられた暦は、多分機能しないんじゃないか。
村瀬 僕は地域の小さな集まりで、それが民間のということになるんでしょうが、「大人に
なったよ」と宣言してもらえれば、そこから大人がはじまるんだと考えています。
その共同体が、たとえば16歳のグループでもいいのですが「もうきょうから成人だ」
と決めたとしたらもう大人なんですよ。
斎藤 要するに、暦の設定とか共同体の復活によって人の成熟を制度として実現できると、
成熟というのは、制度行かんで可能になるものだとお考えなんですか。つまり制度の
問題ですか、それとも個人の内面の問題でしょうか。
村瀬 僕は制度の問題だと思います。
斎藤 なるほど。じゃ、内面の変化はなきがごとしといいますが、この際無関係という
ことでよろしいんでしょうか。
村瀬 それは昔だって、成人式を過ぎても、いつまでも「おれは大人ではない」って思っている
人はいたでしょう。それでも「大人」とみなされるんですよ。
>>98 「OK?ひきこもりOK!」からの引用
内容からして
>>95にある「論座」での対談では無さそう
暦ってのはただ単に、農作物の収穫やら古来からの
宗教儀礼やらを元にしたカレンダーだと思うから、
お上がどうのという話じゃないような。
民間習俗として、庶民の暮らしの中から出てきたものだと思うけど。
近代になれば別だけど。
共同体とか成人儀礼、通過儀礼みたいなものは
世界各地でそういうことが行われてきて、日本でも昔は、
若者組とかいって、思春期ぐらいの同性のみを集めて共同生活をさせてたとか読んだことがある。
そういうのを通過して、社会的にも内面的にも、大人になっていく、みたいな。
現代で言えば、体育会系の部活の集団性みたいのが、近いものがあるのだろうか。
でも、ひきこもりがそういう「通過儀礼」を経ていないから大人になれないのかは
分からないな。そういう問題じゃないような気もする。
でも、学校中退とか不登校経験を経てとかが多いので、
その意味では、きちんと「卒業」していないというのが
内面的にも響いてる感じはする。
俺も高校「卒業」後何年後でも、学生服で「通学」して苦しむ
という夢を結構見たな。もう通わなくていいのに。
Ph.アリエス氏、それから日本では柄谷行人氏が近代社会における「児童期」
の発明ということを論じていたね。それに対して栗原彬氏が、いやむしろ
「大人(成人)」のほうが発明されたんだ、という意味のことを論じた。
>>98 斎藤さんて、発言見てると、本当に若若しい(子供っぽい)なあ。
それに
>斎藤・・・しかしいまは、何をするにも説明が必要なわけですよ、人々が納得いく説明が。
斎藤氏のすること(してきた)事について、人々が納得する説明、しきれるのかな。
その場その場の話題の中でだけで、ナンとでも言っちゃうから、
矛盾も出ちゃうし、二枚舌といわれちゃう。
で、その二枚舌を自称・自認する事で、批判されるべき要素すらも
自分の予定的行為だ、として言い包めてしまう言論トリック。
目的は、単なる偏差値エリートの社会に対する自己発揚??
またーり過ぎるスレの代表で、やっていくシブトサ。
このスレで高岡氏を支持している人達は、
今までの自分たちの発言が高岡氏のプラスになっていると考えているんですか?
マジで?
その手の誰かのためにという生き方はやめようというのが高岡やその支持者の
基本的な考えだから、そんなことを言っても会話が成り立たないね。
ここで書かれていることは、高岡にとっては昔調べてすでにあちらこちらで
発表した古い話。彼にとってはどうでもよいことのはず。
>斎藤さんて、発言見てると、本当に若若しい(子供っぽい)なあ。
以前からそうだと自分も思っていました。
例えば、「出会い」という言葉を純粋な憧憬をもって語ってしまう
あたりなど。普通、日本語の日常会話で「出会い(系)」といえば、
連想するものはだいたい援助交際とそれにまつわるもの(笑)。
なのに、ヒキコモリ脱出に絡むキ−ワ−ドとしてそれを選んでしまう
異様な非常識さ、世間知らずさ、幼稚さにはウンザリさせられてきま
した。
実際、彼のマニュアルの信奉者には、理論・実務ともにたいへんガキっ
ぽい人が多いですよ。それこそ幼児的万能感むきだしの、元祖ピ−タ−
パン・シンドロ−ムみたいな人たちがね。
だいたい、出会いといっても話の会う人との出会いから、就職につながる
出会い、ヤクザな道に入るきっかけとなる出会いなど様々なのだが、それ
らをすべて善とみなす単純な集団崇拝ぶりがばかばかしい。例えば、街で
ホストクラブの営業に出会った女性が、拒絶的な態度を治療されたゆえに
断れずに、結局ロ−ン地獄にはまり、ソ−プで働くことになったとしよう。
それでもなお、出会いや友達や恋人や人間関係を至上の善とみなすことが
できるのか? 観念的なだけで具象性がなく、単純な善悪2元論のわかりやす
さによってTVでウケてしまう。それほどの情報を出す人を、信用する気には
なれないね。
ここが新撰組スレですか?
斉藤一ファンですか?
確かに今の医療全体にいろいろな問題がある。それでも、斉藤はちょっといきすぎ
だと思わない? 五十歩百歩であっても、あえて五十歩のほうを選ぶべきだろう。
つまり、斉藤ではなく高岡のほうがよりマシなのでは?
斎藤の実際の医療についてはよく知らないけど、
メディア上の斎藤のイメージや主張については、
それほど酷いとは思わないけどな
>>105 事情通の方々は別として、普通の人にとっては高岡氏は、
その他大勢のひきこもり関係の中の一人、という感じだったと思うけど、
このスレ的には、斎藤に唯一対抗しうる理論的支柱、みたいに扱われているから、
へぇどんなもんだろうと、興味を持って読んでみる人も出てくるかもしれないと思う。
直接読めば、このスレで言われていることとの共通点や違いが分かると思うし。
斎藤氏が著名になる以前からのこの問題についての脈絡を私はある程度知
っていましたから、彼に対してはどちからといえば批判的な立場ですし、
賛成できるところはほとんど既出であると思いますけれども、けっきょく
のところ、どの先生がいいと思うかは人それぞれではないかと思いますね。
その人が自分により適していると感じた先生を、この問題に対する考え方
やスタンスなどの情報を参考にして選べばいいのではないでしょうか。
仮に医者の診療を受けるにしても、特に心に関わるデリケートな問題の
場合には、本人の意思にそぐわない先生に診てもらってかえって事態を
悪化させたなんてことになるよりかは、本人の希望する先生に診てもらっ
たほうが長続きもすると思いますし、そのぶん効果も期待できるかもし
れません。
ただしその場合にも、あくまで利用する主体性を自分に置いて、他人を
必要以上に過信しないことも重要かもしれませんね。
115 :
(-_-)さん:04/02/22 06:04 ID:nmCdCWT5
きょう2月22日(日)日本経済新聞で作家・藤原智美が斎藤環著「ひきこもり文化論」を批評しています。
「背景に家族の孤立化、密室化」という見出しがあります。
>>115 そもそも、近代核家族なんでそんなものじゃないの? いまさら、って感じ
の情報だな。退屈すぎる。
>>116 そのように家族の形態を問題視して社会的に「煽る言説」というのが爆発的に
情報生産されていますよね。逆にそういう情報に実際の家族のほうが振り廻さ
れる時代にすらなってきている。
知への意志 性の歴史
ミシェル・フーコー 著 渡辺守章 訳 新潮社
家族に介入する社会 近代家族と国家の管理装置
J.ドンズロ 著 宇波彰 訳 新曜社
>>118 うん、そのへんが読書案内としてはよいと思う。サンキュ−。
あんまり理論武装しすぎるのも、どうなんだろうねと思う。
ひきこもりを肯定するのに、あんまり大げさな理論で武装するっていうのも…
知は大切だし必要だと思うけど。
いや別に、
>>118や
>>119が、そうだと言っているわけではないんだけど…
世間一般のひきこもりに対する価値観を否定することは、向こうが
ひきこもりを否定するのと、大して変わらないような気がする。
121 :
(-_-)さん:04/02/23 22:15 ID:sWTzf7wP
そうかな。今のところ圧倒的に力関係が違うと思うが、どうか?
>世間一般のひきこもりに対する価値観
を仮に否定できても、それでひきこもり当事者は納得するんだろうか。
救われることができるんだろうか。
それよりもむしろ、もっと身近な感覚で、「自分がひきこもったことはしょうがなかったんだ。」とか、
「今はしょうがないので、とりあえず、ひきこもってる自分に納得していこう。」とかみたいな
考え方の方が、支えになるような気がする。そう考えることができれば、だけど。
確かに、世間の価値観を受け入れることによって、
ひきこもっている状態の自分を否定して、葛藤してエネルギーを奪われ、
苦しみ、それによって回復を遅らせるばかりか、状態を悪化させたりすると思う。
それに対して、「理論武装」みたいなものが、有用なのかどうか…
124 :
(-_-)さん:04/02/23 22:46 ID:Zr8nSrrY
理論武装はよくないな。
かといって絶対経験主義も嫌だが。
常識という先入観ばかりに縛られずに、いろいろな見方や考え方を
知ることで世界観(世間)の幅を広げる必要もあるんじゃないかな?
太宰治だったっけ?「世間というのは自己」というふうに言っていたのは。
斎藤の読者ならジャック・ラカンくらい読みなさい。
『人間失格』太宰治だったかな?
つか、世間とは「世界内存在」じゃないか?
「世間というのは、君じゃないか」
各々の心の中に世間のイメージ(妄想)があるだけ
実体はない
「それは世間が許さない」
在るのは個別の実践的な関係だけ。世間は観念上のシンボル。
観念上のシンボルに惑わされてはいけない
惑い惑わされて・・・。それが人の一生かも知れん。
社交的現実と観念とは、意味と表現、ソシュールのいう
シニフィエとシニフィアンの関係みたく不可分なもの。
138 :
(-_-)さん:04/02/24 11:31 ID:g91aD6NP
287 名前:(-_-)さん :04/02/24 11:43 ID:???
K西は過激派であって、どうも口先だけの男で、施設のコミキャンでは
理由をつけて監獄にヒッキーをほおりこんでいるだけなのだろう。
そんな男を近寄らせておいて、何のメリットもKHJにはなさそうだが。
288 名前:(-_-)さん :04/02/24 11:46 ID:???
>>287 だから、O代表の長男がK西のコミキャンの人質なのだ。さからえない。
O代表も長男の処理を望んでいるようだから、O代表とK西は共犯関係といえよう。
O代表はK西を評価し、K西はO代表やKHJを持ち上げるわけだ。
で、巨額な助成金(KHJマネー)はO代表とK西で山分け。
一部の金は中核派へ流れて、ゲリラ活動の資金となる。
絶望を知らないお前らは幸せだな
絶望の中から希望は生まれる。
142 :
(*´・ω・`*)ヌルー ◆kXn47FN4zU :04/02/25 01:31 ID:CQWSh/vD
内的な荒涼たる個人の世界があって、その先に関係性を断絶した世間があり、
その向こうに騒がしいが活気と魅力に満ちた社会があり、その社会の外の
コミュニケート可能な域を越えた全ての領域を世界と呼び・・・
まずは世間から、関係を修復しよう。近所の雪掻き、床屋のおじさんとの会話、
早朝か深夜の散歩、市民プール、図書館あたりから関係を修復しようじゃないか。
その先に、帰属すべき社会が見つかるはず・・・もともと無いのかもしれぬが。
中学高校時代の夢を飽きる程繰り返し体験し、昔好きだった女の子や友達でオナニーする生活。
これはちょっと寂しいじゃないか。
絶望から始めよう、一縷の望みはその果てにある。
絶望中毒になったらアカンで、病み付きになるからなw
外部とはそれを外部と規定するシステムの作動表現であるがゆえに、
それはシステムの内部に存在する。
社会システムが外部と見なしたもの、それは社会システムそれ自身でもある。
「ひきこもり文化論」を読み始めました。斎藤さんの本では以前、「OK?
ひきこもりOK!」を読んだことがあります。本が好きなもんでいろいろ読
むのですが、個人的には斎藤さんがどうこうというのではなく、ひきこも
り問題の方に興味があるのがメインといった感じです。
機会があればいろいろ読んでみたいと思っているのでおすすめなどがあっ
たら教えてください。
それにしても斎藤さんに関するスレはぎすぎすしているというか、半ば殺
気だっているものも多く見受けられ、おいそれと気軽に書き込みにくい空
気がありますね。
145 :
(-_-)さん:04/02/26 18:17 ID:cmPdG1wJ
NHK人間講座「若者の心のSOS」(講師・斎藤環)4回目の放送
3月9日(火)〜3月12日(金)午前2時00分〜2時50分
1回分25分全8回を4夜連続(月〜木深夜)放送
146 :
(-_-)さん:04/02/26 18:19 ID:cmPdG1wJ
145の続き・・・3月9日(火)〜3月12日(金)午前2時00分〜2時50分NHK教育テレビでの放送です。
>>102 >斎藤さんて、発言見てると、本当に若若しい(子供っぽい)
以前、全く同じ感想を、自分の知人も言っていたよ。
ある日の彼の、診察室での患者(自分ではない)とのやりとりを話したのだけどね。
なんでも、当の患者の言動を、理詰めで身も蓋もなく罵倒していったんだそうでね。
今考えれば、実にあの人のやりそうなことです。
自分は当時「まぁ、それはそれで一つのやり方なのかなぁ」と思っていたのだけど、
「正論に思えるからといって、居丈高に出れば患者が言うことを聞くかと思ったら
大間違いだ。患者だって、それなりの年齢の大人なのだから」
と。
それを指して「まだまだ青いな」と言っていた。
細かく書くと、その患者が誰であるかわかってしまう恐れがあるので、書かないが
斎藤氏に相談した内容は、常識的に考えて誰にでもありえる程度の、人生相談的な
悩みだった。
が、その対応が意外というかショックだったらしく、その患者は自分に「斎藤先生
からこんなこと言われたんだけど、どうよ」と泣きついてきた。
で、ちょっとディープな内容であったので、自分以外の年上の人間の感想を仰いで
みたのだが。
>>107 >実際、彼のマニュアルの信奉者には、理論・実務ともにたいへんガキっ
>ぽい人が多いですよ。それこそ幼児的万能感むきだしの、元祖ピ−タ−
>パン・シンドロ−ムみたいな人たちがね。
>観念的なだけで具象性がなく、単純な善悪2元論のわかりやすさによって
>TVでウケてしまう。
それは、このスレをはじめ、2ちゃんねるを見ているとよくわかります(笑)。
たぶん彼の言動を盲目的に報道するマスコミも同罪だと思うのだけどね、
要するに思考停止してるんだよ。
不況・失業率上昇・その他諸々の社会不安を背景とした、いわゆる
ヒーロー待望論的なところに、彼がジグソーパズルのピースのように
カチッと当てはまってしまっている。
「石原慎太郎を首相にせよ」と同レベルの現象かと。
そこでは、もはや斎藤氏が斎藤氏である必要などない。彼が臨床で何をしているか
など、さして注意が払われない。(否、意図的に目をつぶる)
善人面してヒーロー役さえ演じてれば、自動的にビリーバーがつく構図に
なっているわけだ。
それを全て承知の上で、青健の連中はそこに乗っかってるわけだから
どうかと思います。
>>148の
「そこでは、もはや斎藤氏が斎藤氏である必要などない。」
のくだり、事情を知らない人にはわかりづらいかも知れないので、自己補足。
もし、斎藤環氏という人がこの世に存在していない・あるいは青健の関係者でないと
仮定すれば、彼らは今ごろ稲村の後釜の広告塔に、倉本英彦氏あたりを採用して
いただろうということ。
で、このスレッドは「倉本英彦 11 〜ループ〜」と題され、
「倉本の体質は稲村と同様だ」「いやいや、倉本センセイのご著書はスバラシイ」
などといったループが展開されることになる。
医師の固有名は、さして重要ではないんです。
組織にとっての、一般人向けの広告塔がほしいだけのこと。
>>147 >患者だって、それなりの年齢の大人なのだから
さいたまも年齢が驚くほど若いよね。今で43ぐらい?
仮に5年前なら、38歳?
「患者」であるひきこもり当事者と、たいして年齢が変わらないぐらいだよな。
一方が社会経験皆無のひきこもり当事者(患者)、
一方が年齢がそう変わらない同性の著名精神科医。
それはそれで、難しいものもありそうだ。
>>107>>148 >実際、彼のマニュアルの信奉者には、理論・実務ともにたいへんガキっ
>ぽい人が多いですよ。それこそ幼児的万能感むきだしの、元祖ピ−タ−
>パン・シンドロ−ムみたいな人たちがね。
このスレの「信者」のことを言ってるのかもしれないけど、
しかし「彼のマニュアル」ってなんですか? 稲村+不登校対応の複合パクリなわけでしょ?
そのうち、不登校対応マニュアルを信奉する分には良くて、「稲村的部分」
については、受け入れるべきではない、ということでしょうか?
>彼が臨床で何をしているかなど、さして注意が払われない。(否、意図的に目をつぶる)
例えば彼は、臨床で何をしているんですか? イメージでは多く語られているけど、
実際に彼の臨床で、どの辺が一番大きな問題なのか。
例)・健康でただ無職なだけで、ライフスタイルとして家庭内中心の生活を送っている人
に対して、薬漬けにしたり入院させたりする とか?
・投薬をする必要のない人にまで過剰な投薬をして、問題を悪化させたりする傾向がある とか?
>>118 へー、渡辺守章氏はこんな仕事もしていたんだ。
>>150 >さいたまも年齢が驚くほど若いよね。今で43ぐらい?
1961年生まれとのことだから、大体そのくらいだね。
当の患者の年齢性別、その面接があった時期等は伏せておくけれども
ほとんどの患者にとって、自分らの親の世代よりは確実に若い。
元オウムの上祐史浩が1962年生まれ。
いろんな意味で、上祐と環はよく似ていると思う。
知的エリートを目指して、なにやら変な方向に行っちゃった人っていうのは、
やはり似たような傾向があるのかね。
そうそう、前スレの終わりの方のあんげ氏に、一つ言い忘れていたのだけど。
前スレ
>>566の件は、どのように公開するべきか、あるいは一生闇に葬ったままの
方がよいのか、未だに考え続けています。
自分としても、なるべくこの話にも近づけたくて、いろいろ書いてみている
という部分もあるんですが。
公開することで、予想のつかない不利益が自分に及ぶ可能性がある。
既に過去のことなので、今以上の進展とかはないです。
ですから、もしこのまま放っておけば、一生闇の中です。
自分の良心としては、公にされるのが当然のことであるという認識があります。
もちろん斎藤氏は、あらかじめ何重もの予防線を張っていますから、
今更どう動かれようが、痛くも痒くもないのでしょうがね。
奥歯にモノの詰まったような事しか書けなくて、すみません。
とりあえず当面、外堀から埋めていく感じでやってみます。
要するに、さいたまの、医療面でのミスや
悪い傾向などですか?
ひきこもり文化論を読もう。
話はそれからだ。
彼の書物やネット上の言説を気に入っている人は、そろそろ環のリアル患者に
なろう。
それが無理なら、北の丸の患者にでもなるか、別の医師から佐々木のデイケアに
紹介されるなどして、とにかくリアルで「あの界隈」の空気を吸ってこよう。
おすすめしとくから。(w
全て、話はそれから。
たまきん萌えー
>>118-125 昔(になってしまったが・・・)、文系の落ちこぼれ学生やってた頃に痛感したけど、
知識や教養や思想や芸術は、自律できる人間(経済的な自立でないにせよ、精神的な
ベースのある人)が囓ってこそ、力になると思う。
まあまあの偏差値の学校だったから、受験エリートオンリーでもなく、いろんなことを
知ってて博識で優秀なヤツもいたけど、意外な所でスカスカだったりした。
(もっとも、そいつらは現在、それなりに就職しているけどね。自分の能力はそいつら以下だった訳だけど)
もっとも、皮肉なことに今の日本では、「知性」は院生・学者といった人種の遊芸になっていて、
普通の生活者はマガイモノしか掴まされていないのかもしれないけど・・・って、オレが言うことじゃないけど。
ここの人たちは、「斎藤はマガイモノだ」と言ってるのかな?
(159からつづく)
自分は自律能力がないままに、生活者にも知的遊芸人にもなれないままに(院なん
か行けるアタマも無かったし)ヒキっちゃったけど、正直、いまさら本を読んでも、
虚しいだけというか。もう遅い、というか。
フーコー、渡辺守章(ハスミの兄弟子だっけ?)、だから何? というか。とくにここ数年は
眼も悪くなったし、精神的緊張も激しく、イライラとしてまとまった読書ができないせいもあるけど。
もちろん、頑張って読めばそれなりの知的充足感を得るだろうけど、「自律」が無い自分が、
そんな知識を身に着けたところで・・・アタマでっかちになって苦しむだけなのは目に見えている。
セックスの相手もいないのに、マスターベーションに没頭して苦しむようなものだよ。
セックスする妄想はキモチいいけど、だから何? っていう。
現実にはキスさえしたことないじゃん? っていう(そんなオレはもちろん童貞だが)
いろいろ紹介してくれている人たちには、そういう葛藤は無いのかな? それとも、
自律できてて、そうした煩悶に耐え得る人たちなんですか?
自慰行為をしながら先生の事を考えています
(160からつづく)
>>157 自分の主治医(非筑波)は斎藤さんを誉めてたけどね。少しだけ面識があるらしい。
自分は深入りして、リアルにあの界隈に関わる気はないけど、恨み買いまくりですか。そうですか・・・。
余談ですが、私の親が以前、ある場所で工藤タメ氏に会ったのですが、「斎藤くんは優秀だけど、
ヘンタイで変人なんだよ」と言ってたらしい。患者になる気はないので、個人的にはヘンタイOKだけど。
過去スレで、斎藤のエロ漫画裁判加担の意図への批判があった。ついでにエロ漫画
そのものまで否定している人もいたけど、これにはやや違和感があった。
わざわざ言論の自由を持ち出して裁判をやる輩も大仰だが(エロ屋の大半は適当に誤魔化して
済ませてしまう)、ヘンタイ漫画が許される日本でいいじゃんよ。
自分はかつて、恐らく世間ではカルトと呼称される、あるジャンルのファンだった
から、つくづくそう思う。ロリモノは趣味じゃないけど。
ヘンタイ漫画が許される日本=マイノリティにも優しい日本(!?)、でいいと思うけどねえ。
(162のつづき)
>>161 自慰行為をしながらたまきんを読んでます。自慰行為をしながらフーコーを読んでます、とかなw
>>159-160 貴方にとってはそうした教養が単に他律的なものでしかなかった、
ということなんでしょうね。
やはり、自らの経験的な思考の道程に沿ってそれらの書を読むのでなければ、
そこに虚無感以外のいかなる意味や価値をも発見できないでしょうからね。
それは教養のみならず経験一般について言えることなのかもしれません。
しかし学校的な経験(教養であれなんであれ)というものは、
他律的な動機づけの方向にのみ大きく偏っているんですよね。
>>164 (誤字訂正)
経験的な思考→自律的な思考
(163のつづき)
>>164 ここで本や理論を紹介している人たちは、そんな思考の童貞(ではなく、道程)に
耐え得る自信や能力、知識がある人たちなのだろうかね? なんか世界が違うなあ・・・。
違和感。
ええと、うまく言えないけど、ここでひきこもり論や斎藤批判を語る人々の自律の根拠、
コトバの原動力って何ですか? 身も蓋もなく言えば、「斎藤の医療に痛い目に遭わされたから」なの?
既に失敗したゲームを続けることに何の意味があるのか
初回に大量点をいれられてコールドなしで9回まで続けるのか
1点も取れる見込みが無いのに
単にかまってほしいんだろうよ。かの粘着は(藁
斉藤も高岡もよいが、あまり医療に頼りすぎるのもどうかね。
両者を肯定するにも否定するにも、一生斉藤なり高岡の方針に従って人生を
組み立てるつもりなのかね、ここでどちらかを擁護している諸君は……。
考えてもみてごらんよ。表面的な対立はさておき、深層では両者ともに精神医
療で食っている利益共同体のお仲間同士。なんのかんのといいながら患者を
収奪している。二人とも上の世代の男性だけあって、上半身はサヨ、下半身は
ウヨといったところだろう。医学部を出ているということは、下層階級の実態
が分からないのに分かったフリをしているだろう。タテマエはリベラルでも実
際には家父長的、ふたりとも万能感が強いもの同士、目くそ鼻くそをたたき
あっている蓋然性は強いと思うよ。
ヘンにTVやネットの情報を見て、期待して診療にでかけても、斉藤にも高岡
にもがっかりさせられる、カウンセリングの副作用も出て苦しみさらに病院に
依存する、というのがオチだったりして。
まあ、右と左、体制と反体制みたいなもので、彼らのみかけの利害衝突なんてそ
んなものだろう。連中は深いところで既得権益にあぐらをかける立場だからね。
決して医療に頼ったりすがったりしないことだ。
おや、
>>169氏は、高岡氏をマンセーしていた人だと
思ったが、勘違いだったか。
>>169 >二人とも上の世代の男性だけあって、上半身はサヨ、下半身は
>ウヨといったところだろう。
大学で生きている人には、そういう人が多いですからね。著作を読んだり講義・講演を聴くのはいいが、
リアルでは接触も対話もしない方がいい。ガッカリするだけだから。
なんだかんだ言って、高岡さんも岐阜大では助教授ですし。高岡シンパは、斎藤の
属性(筑波出身)を批判する癖に、なぜかこの点をスルーするね。
さて、斎藤さんがどこかの大学に転職する日は来るのだろうか? 医学部はムリだろう
から、ナントカコミュニケーション学部とか、そういうヤツw
>>169-171 うむ、その話題、すでに前スレでも書いたはずだが・・・スルーされたか。
つまり、ここで例えば高岡氏の名(でも誰でもいいが)を挙げたからといって、
「じゃあ高岡先生の所(医療機関)へ行くべきだ」みたいな意味で、逆に医療機関
などの第三者機関を絶対化=不可欠化して受けとる人がいては元も子もない。
「ひきこもり」に関していえば、高岡氏のほうが相対的にみて、医療機関等への関与に
いくらか批判的な観点をもっている、という点からしてここでその名を挙げたに過ぎない。
といっても、私が最初に高岡氏の名を出したわけではないし、たまたまその名が出たので、
その話の流れに従っているだけなのだが・・・。
>>172 >「ひきこもり」に関していえば、高岡氏のほうが相対的にみて、医療機関等への関与に
>いくらか批判的な観点をもっている、という点からしてここでその名を挙げたに過ぎない。
そういう文脈ならいいのですが。ここでの斎藤環批判の根強い論拠は、その属性(彼は
筑波の故稲村氏の直系であり、そのリメイクを行っているに過ぎない)なんですよね。
>>149 なんかモロにそうでしょ? (個人的には、倉本さんでは広告塔はムリだった、と
思いますけどね。斎藤の独特のキャラクターがあればこそ)
だったら、その片方の高岡さんとやらはどうなのよ? 彼も岐阜大の助教授サマじ
ゃん? という話になってしまう。
>>173 稲村系の歴史、つまり、不登校児を病気認定し、
入院治療で薬漬け、みたいな流れを、
さいたまが受け継いでいると言ってるんでしょ。
・稲村系が、その他一般の精神医療と比べて、その様な傾向が強くあったのか。
あったらしい。
・現在及び過去のさいたまが、その他の一般の精神医療と比べて、
その様な傾向が強かったのか。
・「彼ら」は、不登校やひきこもりは「精神科で治療を受けなさい」と、積極的に宣伝している。
それらとは、高岡氏は全然違うものだと思うけど。
どちらのアプローチが、当事者にとって良い影響になるのかは別として。
それらに反発するあまり、
「ひきこもりはノー問題」「主体的に選んだライフスタイル」
「ひきこもり援助の動きはみんな引き出し屋」
「ひきこもりを肯定しない人はウヨク」
とかまでなっちゃうと、・・・って感じだけど。
>>173 リメイクといわれているのは、社会的地位うんぬんという意味ではなくて、
その発言内容の上からしてその系列の方向性に近い面が多々あるという意味だろう。
筑波大学で稲村氏の弟子であったという事実もそのこととまったく無関係とは
いえないのかもしれない、という意味も含めて。
>>177 逆バージョン
それらに反発するあまり、
「ひきこもりは問題アリ」「望まずにその状態に陥っている」
「ひきこもり援助の動きはみんな本人のためになる」
「ひきこもりを肯定する人はサヨク」
とかまでなっちゃうと、・・・って感じだけど。
>>118 >知への意志 性の歴史
>ミシェル・フーコー 著 渡辺守章 訳 新潮社
>
>家族に介入する社会 近代家族と国家の管理装置
>J.ドンズロ 著 宇波彰 訳 新曜社
フーコーの著書では『狂気の歴史』や『臨床医学の誕生』も参考になりますよ。
『狂気の歴史』で扱われている内容は、そのまま「不登校」や「ひきこもり」
の問題にも当てはまる点が多々ありますからね。
>>172 それは、医療機関にかぎらず、当事者に交流や学習の場を提供する
フリースクールや居場所などの支援組織にも同様に言えることで、
そこへ通うことが暗に強制されるような雰囲気を持つようになると、
そういった施設へ通わせなければならないかのような圧力が当事者に
有形無形に加えられるようになって、治療や支援と称して中国政府も
顔負けな非常に強硬な措置をするところまでが現われるようになる。
このスレに粘着寄生している、例のループの元凶(ミニミニ斎藤君)
最初てっきり、盲目的に環の本を信じちゃってる奴かと思っていたんだが
これはどうも思い違いだったようだ。
単に、スレッドに書かれている内容を片っ端から否定して回ってるだけで
主体的な意見がほとんど書かれていない。
常に立ち位置が相手の論旨にベッタリ依存していて、その反対を書き込んでいる
だけなんですな。
A と言えばnot A 、B と言えばnot B、と返してくるだけで
何か別のCという意見があるわけではない。
この書き込みに関しても、総否定のレスが来るんだろうね(w
よそも似たような手口で荒らして回っているようだし、
暇な時の遊び相手くらいにしか使い道はないかもねえ。
暫くこれなかったから・・いま、伸びスレみて発言したい個所が沢山あったけど。
粘着クンについては、もう、何が言いたいのか、何言ってるのか
おれにはもう良くわからない。
斎藤の医療で痛い目に会った人は相当数いるみたいだし、そこにはどんな問題があるのか
それは大事な事だと思うし、それで斎藤批判をする立場ってのも当然あるわけだよ。
>>174-178あたりが、粘着クンの質問(?)に対する最も的確な回答だと思うけどなあ。
>>147-149 >>154 できる範囲からでも、問題認識だけは捨てずにやっていきましょうよ。
そのことは、とても重要なことに繋がっていると思う。
いずれ、斎藤氏たち等の「医療問題」について、実情を詳しくまとめてみたいと思ってます。
それには、例の当事者だけでなく、このスレにもいる体験者の話はとても貴重。
いずれは、どういう形でか、最終的に問題提起に共闘(ちと表現が強いかもしれないけど)
してもらえたら、本当に心強いです。
おお、偶然にも2分違いで「粘着クン」についての似た意見が並んだねw
どこかのあなたとどこかの私が、シンクロw
あ、181の自分のカキコを受けてのレスにしては、どうりで早過ぎると思った(w
別個に書いてたんですね。
うん。まさにシンクロニシティーだよねw
ところで、2週間くらい前に、ルクダルさんの所で前スレDat化依頼しといたんだけど、
さっき見たら、そのスレが既にdat落ちしてたんだけど・・w
どうなっちゃったかな。前スレ過去ログできてる?
なんかねえ、思うんだけど…。
たまきんが好きな人はブラコン、高岡が好きな人はファザコンなんじゃあないの?
家族との複雑な感情が、どちらを支持するか否かを決めている気がする(もち
ろんそれだけじゃないけど。)
>>171 >さて、斎藤さんがどこかの大学に転職する日は来るのだろうか? 医学部はムリだろう
>から、ナントカコミュニケーション学部とか、そういうヤツw
いかにもありそうな話だ。
どこだったか忘れたけど、現に講師としては他大に顔を出してるよね。
たぶん、普段の講演とかと同じようなノリでやってるんだろうなぁ。
>>180 強硬措置からくるその手のプレッシャー、思い返してみれば80年代までは
あちこちで大手を振ってまかり通っていたんですよね。
嵐は多少は弱まったかと思っていたのに、悪夢再び、か。
>>182 同感です。
問題意識を捨てるだなんて、仮にやれと言われても無理。
薬盛られようが、賄賂渡されようが無理。(w
彼らの不条理な点を少なからず見てきてしまった者としては、ね。
我々は共闘して、彼らの実情を世間に晒していく必要があると思います。
マスコミや商業サイトは、何も伝えていないに等しいから。
>>187 それと関係あるかどうか分からんけど、斎藤環は時々「母性べったり」を
批判しているね。要するに父性の復権を訴えているのかな。
バブル期のようにカネでブイブイ言わせることが出来なくなった、中身のない
みじめな男のヒガミにしか聞こえないのだけどね。「父性の復権」云々というヤツは。
あるいは、戸塚ヨットのような集団の台頭を許すだけの結果になる。
PTSDのような状況下で、庇護や癒しといったアプローチを否定されては
たまったもんじゃないと思うのだけどね。
>>190 そうなんだあ。「父性の復権」かあ。父権的・公的な外圧や
締め付けが強いことがいいんだ的(
>>95)な発想なのかな。
どうやらその辺も、ネオコン的というか、新保守的とされるような
イデオロギーと相通じていると言われる所以の一つなのかもね。
父性・母性という(実はそこに共犯性をはらむ)二項対立図式が、
現代社会のなかでそう単純に通用するのかは大いに疑問なんだけどね。
前スレの過去ログ作って貰ったよ。↓
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0403/04/1071140540.html >>189 >我々は共闘して、彼らの実情を世間に晒していく必要があると思います。
>マスコミや商業サイトは、何も伝えていないに等しいから。
これには私も、もはや完全に同感してます。
とりあえず、近い将来の具体的な「共闘」に繋がる可能性を維持する意味でも
ここでの種火(接点)は絶やさないようにしたいので、よろしくお願いします。
>>192 >ここに当事者・元当事者はほとんどいないのでは? という点が気になるんだが。
どのくらいいるかはわからないけど、確実にいるわけだし。
「気になる」ってなんで?何が気になるのw
>余談だが、偶然、「樹が陣営」サイトを見ていて知ったんだが、高岡氏は浅草レッ
>サーパンダ帽殺人事件の裁判にも関わっているそうだ。(12/16)を参照。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-kiga/henshunikki.htm でも、ここのリンク先にあるコメントは面白かったよ。
以下に引用しとくけど、高岡証人尋問の様子が、エロ漫画裁判でルポされている
たまきん証人尋問とは全く対照的だw
「・(12/16)浅草事件公判傍聴。証人は精神科医の高岡健氏。弁護人にとっては完璧と言ってよいような隙のない証言に終始。
自閉症とアスペルガー障害に関するレクチャーのような感さえあり、裁判長まで(珍しく?)身を乗り出して聞いていた。」
>>193 >とりあえず、近い将来の具体的な「共闘」に繋がる可能性を維持する意味でも
>ここでの種火(接点)は絶やさないようにしたいので、よろしくお願いします。
「共闘」か。ついに、そういうコトバが飛び交うスレになったか。はーん・・・。
「樹が陣営」を見ていて気付いたんだが、そういえば、佐藤幹夫さんも、斎藤を
批判している1人だったように記憶する。思った以上に論者たちの構図は複雑だ。
当事者・元当事者の頭越しに、周囲の事態だけが沸騰していくように見えて
仕方がないんだが・・・。
とりあえず、斎藤にも高岡にも、ましてや「共闘」にもノレない第三者は、
お呼びでないスレになっちまったようだな・・・。ふーん・・・。
ここで言う共闘とは、言葉通り、共同で闘うって意味なんだけど。
「共闘」のどこが「ふーん…。」なの?
「全共闘」みたいなイメージとダブらせているのかもしれないが、
そもそも、ここの一部の人の思考ベースにうっすらと、しかし根深く感じ取れる、
「ウヨサヨ二分化」&「他人のスタンスやら意見まで、半ば無意識にウヨサヨ当て嵌め深読み」
って一体何かね?
ひきこもり当事者でかなりの高齢の人だとしても、そんな「ウヨサヨ構図」の実体験者は
あまりいないはず…と思うんだがねえ?
そう言う思考ベースの持ち方も、
>>187にある、
>家族との複雑な感情が、どちらを支持するか否かを決めている気がする(もち
>ろんそれだけじゃないけど。)
こういった各自の親との関係性・影響からくるものなのかな?
>当事者・元当事者の頭越しに、周囲の事態だけが沸騰していくように見えて
>仕方がないんだが・・・。
はあ、どこがそう見えるの?またカマッテちゃんの難癖かいw
斎藤にも高岡にも「共闘」にものれない「第三者(?)」が
ある意味「お呼び出ない」のは「共闘」以前から、当たり前といえば当たり前でしょう。
だって、他はともかく「斎藤にも乗れない」のなら、お呼びとか何とか以前に、
その人自身にとって、ここにくる意味が無いだろう?
何も飲みも食べもしない人が、飲食店に入って「オレはここではお呼びじゃないのか、ふーん…。」
といっているのと同じ。何を求めてんのか、何言っていんのか、もう判らんよ、キミ。
>>195 「共闘」と言われたって・・・熱くなり過ぎだぜ・・・。
うーん、かの誰かさんがボけて、あんげ氏がツッコむという、みごとな漫才が成立している。
>>191 そうだね。本来はそんなスッパリ竹を割ったような母性/父性ジェンダーはありえない
というか、実際には混在しているとされるものね。
どちらか一方だけを取り上げて否定してみたり、高く持ち上げたりするのは
なんか違うよなぁ、と思う。
あと確か「癒し系」「AC系」批判もしていた。
これは彼一人でじゃなくて、身内で作った内輪のメーリングリスト「e-mago」の中で
覆面座談会状態でだけれども。
「治療に当たって有害だ」という論旨が多かったと思うけど、それって要するに
患者たちの自主的な組織が大きくなることを警戒しているのかなぁ、と。
自分たちの権威の喪失を意味するものね。診察室の外で物語解釈をされてしまうと。
以前『エヴァンゲリオン』によく言及していたのも、これらと同様で、ぶっちゃけ
患者たちが自分以外のモノで癒されてちゃあ、商売上がったりだと思っているのかも
知れない。
(つづき)
>>95の後半は、やや抽象的ではあるけれども、
>>94やこのスレの内容と
あわせて読むと、実態の一面を突いた意見だということがわかるのではないかと思う。
これはそれこそ高岡氏も指摘しているんだろうけれども(漏れはその人の本とかは
読んだことないが)、「公なるものの絶対」と「自分たちの医療行為の絶対」、
および「公からの逸脱に対する懲罰的な意味合いでの医療行為」という大前提を
置かなければ、稲村たちの方法論を説明するのは難しい。
これらを「父性の復権」という最近流行りの(笑)動きで捉えると、まあやはり
位置的には新保守・ネオコンの系譜に置かざるを得ないんだと思う。
本人が仮にそうした政治性を意図しているにせよ、いないにせよ、ね。
表面だけを見ていると、サブカルにしばしば言及しているせいか、
ちっともそうは見えないというか、一見香山リカ並みにリベラルかつ痛い人(wの
ようにも見えてしまうのだけど。
>患者たちの自主的な組織が大きくなることを警戒しているのかなぁ、と。
>自分たちの権威の喪失を意味するものね。診察室の外で物語解釈をされてし
>まうと。
そうだよ。おおかたの医者やカウンセラーのホンネなんてそんなもの。
理想のお兄さんを求める人は斉藤を、
理想のお父さんを求める人は高岡を、
理想の女王サマを求める人は長田を、
それぞれ支持する、って図式なのかな?
>>192 >
ttp://hihyosya.co.jp/NewBooks/NBT0211.htm おお、情報を有り難う。
漏れは、高岡さんという人が何を言っているかは、最初あんまり興味はなかったん
だけど(このスレは斎藤環に関するスレッドだからね)、
自分の関心に近い本を紹介してくれたことは収穫だな。
以前イリイチという人についても、やけに意味もなく騒ぎ立てて、これを必死に否定
するレスがついていたけれども、このスレでなにやら必死に否定される情報って
かなりの確率で有用そうなものが多いから、かえって「おすすめなの?」とか
思っちゃうんだよね。
そういう意味では、良いバロメータになっているんだよ。ここは。
あの、ところで。
いったいなにが悲しいの? (w
202 :
嗚呼 日本の何処かに私を待ってる人がいる:04/03/05 17:14 ID:915h3mzR
NHKの番組も終わっちゃったからねえ
>>200 >理想のお父さんを求める人は高岡を
ああ、高岡さんは優しいからね。「一歩下がって見守りましょう」なんて、理想の
慈父そのものじゃないか・・・。
実際、貴方が主張する、その程度の理由でしかないと思うんだが、そうではないらしい。
>>203 そういう関連でいえば、高岡はいい人ぶれるポジションをうまく確保したね。
イヤな側面は斉藤や長田などにまかせて、ひとりいい人ぶれる。
斉藤・長田は高岡の下請け的ポジションとして、
「汚れ仕事」を引き受けているのか??
上は寛大で常識的、中はたいへん厳しいなんてよくあることだし。
それにしても斉藤のネオコンぶり、長田のロコツな暴力に比して、
高岡は上品に賢くやっている分いいと思うけどね。
結局、高岡のほうが一枚役者が上、ってことだろうね。
長田あたりは、子どもの行動や状態をとにかくマイナスに予期して
常に干渉・統制・操縦したがる過保護な母権像に近いんではないか。
高岡氏自身は、引きこもりをあえて肯定的・積極的に捉えるという立場からして、
世間の通説に追随するのでなく、むしろ少数派であることを自認しているようだ。
斎藤氏は右にも左にも都合のよい顔をしながら要領よく立ちまわっているかのよう
にも見えるが、ここのスレでその化けの皮(?)が徐々に剥がされたといったところかな(w
>>197 共闘といっても、たまきん稲村界隈の「治療行為」に直に接して、
そこで何らかの「問題」の存在に遭遇した人が、
そのままでは隠蔽されていくかもしれない、「その医療」の問題点を
そのままで置かずに何とかしたい…ということについての共闘だから、
幸いにも、その辺界隈の体験なり知見なりが近くに無ければ、ピンとこないとは思うけどね。
>>204 何か最近突然、高岡についても価値を切り下げたような意見になったね?どうかしたの?
>理想のお父さんを求める人は高岡を、
これはちょっと極端過ぎないか?
高岡氏の著書などを読んでも、同氏の考察その他を、
これだけの印象で総括するのは、ちょっとどうかな、と思うけど。
>>208 名前欄0がみんな同じ人とは限らんでしょ?
違うなら、なぜ似せて見せるの?こういう時にそう言うためかい。
たまきんの煽っていることは小田晋がずっと煽っていたことと同じだしね。
そういう意味ではどれもだいたい既出だったりする。
>同氏の考察その他を、
>これだけの印象で総括するのは、ちょっとどうかな
あのね、高岡の考察じゃなくて、高岡支持者についての考察だよ。
高岡がファザコンなんて誰も言っていないだろ? 高岡支持者はひょっとしたら
ファザコンが多いんじゃないかと、ふと思ったから書いてみただけ。
つづき。一見論理的に見える対立の裏にひそむのは、実は感情的な
しがらみのようなものだった、という可能性だってあるだろ?
もちろん政治的な立場や利害が対立しているのも分かるけれど、
斉藤なり高岡を見たはじめの印象ではそんなものだったんじゃあないの?
そういえば、5ヶ月ほど前のウエイツのシンポジウムでは、
高岡は理想のお父さん、三沢直子は理想のお母さん、宮台真司は理想の
お兄さんっていうイメージで演出されていた。
最近斉藤と宮台とがギクシャクしているのは、理想のお兄さんをめぐる
ポジション争いも一枚かんでいるんだろうね。宮台も優等生だから、上の
世代の男性にこびるのはホンネじゃキライではなさそうだしね。
>>204 ヨゴレと言えば、他にタメ(工藤)もいるね。
>>213 >宮台も優等生だから、上の
>世代の男性にこびるのはホンネじゃキライではなさそうだしね。
注意深く見ていると、宮台は、目上でも利害が衝突しないような人間を叩く。
そもそも宮台は、本来は大学に足場を確保した社会学者。
戦後二人目の東大の社会学博士という経歴を見ればわかるように、本来は学
内メインに留まっても、その中だけで充分に偉くなれた人。
バカ論壇人は、基本的にはミヤダイとは学界的にかぶらない人ばかりだし、
開き直ればいくらでも叩ける。巧いよね。
>>193 おお、ルクダル氏版の過去ログ来ましたな。前スレはなにかと密度が濃かったからね。
>とりあえず、近い将来の具体的な「共闘」に繋がる可能性を維持する意味でも
>ここでの種火(接点)は絶やさないようにしたいので、よろしくお願いします。
こちらこそ、よろしくお願いします。
予想もしていなかったようなことが燃料になったりする当スレなので(笑)、
ある意味とうぶん火種は絶えないのでは。
そんな冗談は置いておくとしても、何もない所に煙は立たないわけで……。
>患者や関係者のカキコ
2002年くらいまでは、メンヘル板で盛んに情報交換されていたね。(漏れも時々書いてた)
http://life.2ch.net/utu/kako/1018/10187/1018724685.html http://piza2.2ch.net/utu/kako/1002/10022/1002280893.html この頃から比べて、みかけ上少ないようにも見えるのは
・自分達のプライベートな情報が漏れることを恐れる人たちが
強く自主規制している。
・外来やデイケアだけなら、それほど強い管理下に置かれることもないが
入院以上の経験者になってしまうと、けっこう従順になってしまうので
あんまり書かなくなる。
・環がこうした動きを警戒し始めた
・環が新患を取らなくなった(と聞いてるけど)
・環そのものが有名人化してしまったので、病院関係者以外のカキコが増えて
相対的に患者のカキコが減ったように見える
というあたりではないのかなぁ。
メンヘル板にいた者としては、ヒッキー板って結構荒れているから
病院関連の情報交換は向こうでやってきたという経緯もあるしね。
ていうか、今過去ログ読むと、なかなかシャレにならない(w 結構書かれまくってるじゃん、っていう。
んで今の話題は、論壇政治の中における斎藤環、かぁ。
メディア露出が盛んになる以前は、論壇人をチクリチクリと揶揄したり
軽く論評したりするような発言が多かった。
あの頃から「なんか論壇有名人に嫉妬でも抱いているのかねぇ」と
思っていたけど、今となってみては、嫉妬というか「あの中に入りたい」
という野心の現れだったんかなあと。
>どんな相手を叩くか
環は基本的に目上の相手は公然とは叩かないよね。常々狙ってはいるけど。
叩くのは、しょーもない相手ばかり。それも、こっぴどく。
「ゲーム脳の恐怖」の著者を叩いたのが、その良い例だよ。
あんな電波チックな本、そもそも真剣に読む人などいないだろうに
それを一つ一つ検証して、ボコボコに叩いてる。
あんなん、そもそも叩くに値するような相手じゃないんだよ。
ほぼ100%の勝ち目があるからこそ、ドラクエでいえばスライムみたいな
ものだからこそ、高飛車に出ただけのことだろう。
ああいうやり方は、イケスカナイねぇ。
アリンコ踏み潰しまくって遊ぶ子供みたいで。
>>204 引きこもりを肯定的な意味を込めて理解するという、むしろ世間の目に抗し
たヨゴレ役を積極的に引き受けているのはむしろ高岡らというべきだろう。
斎藤やタメらは天下のNHKをはじめ、公的機関にも頻繁にとりあげられ、
世間的にも受け入れられやすい図式で、いわば引きこもりを救い出す
善意の救世主役を演じてもてはやされている。
>>218 >引きこもりを肯定的な意味を込めて理解するという、むしろ世間の目に抗し
>たヨゴレ役を積極的に引き受けているのはむしろ高岡らというべきだろう。
たしかに、世間的な支持・知名度は弱いかもしれない。
だが高岡氏とて「引き出さず、ひきこもりを見守ろう」と言いつつ、講演などに集まる
保護者には、間接的に指導的に振る舞っていることに変わりはないよ。
その支持者のあいだでは、憎まれることもなく、このうえなく美しく振る舞えるじゃないか?
「貴方のお子さんは異常ではありません」と、癒やしてくれるのだから・・・。
>>213 >つづき。一見論理的に見える対立の裏にひそむのは、実は感情的な
>しがらみのようなものだった、という可能性だってあるだろ?
それはある意味当然ではないかな。本人の心情や価値観とも切り離せない問題だし。
本人が実存的な意思において、斎藤やら高岡といった精神科医を支持したいと
本当に思うなら、それはその人の勝手で、べつに構わないことなんじゃないかな。
ただし、精神科医のなかにさえも考え方を異にする人がいるわけだし、仮に第三者
機関の支援を利用する場合でも、いろいろ異なる考え方があるということは知って
おいたほうがいいと思うからね。
>>219 >だが高岡氏とて「引き出さず、ひきこもりを見守ろう」と言いつつ、講演などに集まる
>保護者には、間接的に指導的に振る舞っていることに変わりはないよ。
そういう点に関しては、聞き手なりに情報を相対化し、真に受けすぎないように
したらいいと思うよ。
何度も繰り返しになるけれども、この斎藤スレで高岡氏などの名が出ているのも、
べつに高岡氏を支持すべきだって意味じゃなくて、この問題で一般に流布された
斎藤氏を中心とする言論をある程度相対化して距離を置いて認識するために、同じ
精神科医のなかでは高岡氏の言論がその一つの例になるというだけであって、
もちろん唯一の例になるって訳じゃないからね。
>>221 >斎藤氏を中心とする言論をある程度相対化して距離を置いて認識するために、同じ
>精神科医のなかでは高岡氏の言論がその一つの例になるというだけであって
それならいいんだけど、ひきこもり論以外の活動においても、高岡>斉藤なんだ。
と言いたい人もいるでしょ?
>>193とかもそうだし。
>以下に引用しとくけど、高岡証人尋問の様子が、エロ漫画裁判でルポされている
>たまきん証人尋問とは全く対照的だw
とかわざわざ引用したりしてさ。
>>222 高岡>斉藤とか高岡<斉藤とか高岡=斉藤とかの判断に関わる問題は、
本人が自らのすすんでそう思うぶんにはべつに構わないんじゃない?
その究極的な判断は引きこもり本人の数だけあっていいと思うよ。
224 :
(-_-)さん:04/03/07 00:21 ID:IMroc5M2
>>219 >だが高岡氏とて「引き出さず、ひきこもりを見守ろう」と言いつつ、講演などに集まる
>保護者には、間接的に指導的に振る舞っていることに変わりはないよ。
具体的にはどういうことでつか?
>それならいいんだけど、ひきこもり論以外の活動においても、高岡>斉藤なんだ。
>と言いたい人もいるでしょ?
>>193とかもそうだし。
うんそうだよ。何か問題ありますか?
こういう分野は、その人格が持つ基本の価値観が事象の捉え方や考察の礎となる。
物の性能や特徴を部位的に比較するみたいにはいかないよ。
ひきこもり論の中味や社会的野心に疑問がある人間のすることは、
総じてそれに違わない範疇でなされるだろうし、現にそうなってると感じますけどね。
>>以下に引用しとくけど、高岡証人尋問の様子が、エロ漫画裁判でルポされている
>>たまきん証人尋問とは全く対照的だw
>とかわざわざ引用したりしてさ。
だって、本当にそうなんだものw
たまきん証人尋問は、斎藤自身のマニアックでオタクなワンダーランド展開がすぎて
裁判官やら検事やらそのジャンル精通者以外は、皆が、唖然(ポカーン)という
状況だった様子なのだから、とても対照的でしょう?
>>218 >斎藤やタメらは天下のNHKをはじめ、公的機関にも頻繁にとりあげられ、
>世間的にも受け入れられやすい図式で、いわば引きこもりを救い出す
>善意の救世主役を演じてもてはやされている。
あ、そういう見方はできるね。
大手マスコミの扱いとしては、基本的にそういうキャラになってる。
それに対して、斎藤が批判している高岡・奥地といった面々は
汚れ役というか少数派というか、そちらの役回りを負うキャラになる。
NHKなんかでも、論客を呼ぶ時の人選が、明らかに前者寄りになってきていると
いうし。
>>225 >たまきん証人尋問は、斎藤自身のマニアックでオタクなワンダーランド展開がすぎて
>裁判官やら検事やらそのジャンル精通者以外は、皆が、唖然(ポカーン)という
>状況だった様子
前にも少し触れてたかもしれないけど、詳細キボンヌ。
>>229 斎藤先生が深く関与している公的機関はこんなにあるんだね。
>また、青少年の健全育成に関わる政府関係の仕事として昨年の9月から今年の
>3月まで文部科学省不登校問題にかかわる調査研究協力者会議の委員を務め、
>今年 4月からは文部科学省の新家庭教育手帳作成の委員を務めています。
>また昨年内閣府の青少年の育成に関する有識者会議で参考意見を述べています。
>で、東京都の第25回青少年問題評議会の委員も務めております。また、NHKの
>引きこもりサポートキャンペーンのメインアドバイザー、8月から放映されま
>すNHKの『人間講座』の講師を務めております。
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/shoubun0701-01.html それにしても松文館裁判はひどい判決が出たようだね。
>>226 >それに対して、斎藤が批判している高岡・奥地といった面々は
>汚れ役というか少数派というか、そちらの役回りを負うキャラになる。
そうだよね。いまやスティグマ(社会的汚名)としてレッテル化された感すら
ある「引きこもり」を反対に徹底して擁護する側に立つという、あえて世間体
(世間が与える美名)には大きく反する役柄を引き受けている人だからね。
一方、天下のNHKに特集番組を何度も組まれるほどに持ち上げられて、
公的機関のお墨付きまでもらい、「ひきこもり」の救世主的ヒーロー扱い
をうけている斎藤氏や工藤氏らは対照的な立場だよね。しかも斎藤氏と
いうのは現政府機関のブレーン役まで多数務めるような人であるみたいだし。
>>229 斎藤先生は「オタク系」「フェティッシュ系」は徹底して擁護するんだね。
先生によると、「おたくをバカにしている」感すらあるらしい「ひきこもり系」
の人たちに対しては、主観的にあまりよい印象がもてず、内心どこかで無意識的
に敵視しているのかもね。ふとそんな気がした。w
>>233 文の訂正
先生の言葉によると、「ひきこもり系」の人は「おたくをバカにしている」感すらあ
るらしいから、「ひきこもり系」に対しては主観的にあまり好感がもてず、内心どこか
で敵視している部分が無意識にあるのかもね。ふとそんな気がした。w
>>232 >いまやスティグマ(社会的汚名)としてレッテル化された感すら
>ある「引きこもり」を反対に徹底して擁護する側に立つ
この人たちの言動が真に「擁護」と言えるか否かは、最終的にはよくわからないと思う。
「貴方は悪くない」という癒やしを、保護者・本人に与えてはいるけど。
たしかに、稲村的投薬医療に対する防波堤としては機能しているかもしれない。
多かれ少なかれ、稲村的側面は各所に残っているし。
だが仮に、本人的には不登校・ひきこもりが大事な期間だとしても(どんなダメな精神科医も、
いまどきその程度のことは言うけどね)、その間の社会的空白は埋まらないことには変わりはない。
現実に、履歴書や、職能・社会的スキルの低さでみんな挫折してる訳で。NHKの
番組で取材された人も、実際にはほとんど続いてなかったらしいし。
だからタメのように「やはりいつかは出した方がいいし、具体的な支援もした方が
いいんだ」とゴリ押しする人も出てくる。
ああ、この人たちは、「苛酷な外の世界に出す必要はない」として、現実の就労や
社会参加は要求しない主義なんだっけ?
長田・斉藤・タメたちとベクトルは正反対にせよ、この人たちもやってることは、
「引き出さない」をポリシーにした癒やし産業そのものだと思うんですけど?
まあ、実際には実利は出ていないだろうけど。どうしてそんなに持ち上げる人がいるのか不思議。
>>236 まぁ癒し産業として役に立ってるならいいんじゃない?
それで癒しの海にどっぷりつかって社会復帰できなくなっても、それはそれ
本人の責任だってことで。
そういう意味では長田女氏あたりは「暴力系癒し産業」として役に立ってるかもな・・・主に当事者の親の。
>>235 >現実に、履歴書や、職能・社会的スキルの低さでみんな挫折してる訳で。NHKの
>番組で取材された人も、実際にはほとんど続いてなかったらしいし。
NHKの番組で取材された人は皆、いわば引き出された人たちでしょう。
ちょっと今回は、レスしたい事が沢山あるので、長くなるよ。
>>228-229 ソース有り難う。初めて読んだ。
……うわはははははははははは(爆笑)
すんげえおかしいわコレ(笑) 大傑作だよ。
添付資料が、よりにもよって、コレかいッ!
ttp://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Tone/9018/saitou01.jpg ----------------------------
弁護人:それで、これは同人誌のなかでなんというジャンルですか?
証人:これはショタというジャンルでありまして…
裁判長:な、なんですか?
場内、どっと爆笑。
なぜ笑いのツボなのかも、裁判長さんにはわからないと思う。
証人:同人誌ですか?
弁護人:いやショタが…。
----------------------------
ひー、腹痛い……。(w
斎藤環がバカ真面目に説明すればするほど、ギャグにしかなっていない。
(上のつづき)
これは、果たして被告側の証人になり得たのか、という疑問が湧く。
サラッと流し読みするだけで、誰にでも分かると思うのだが、これらは
精神科医としての見地に根ざした学術的な発言というよりも、
それこそマニアックでオタクな知識を、自虐的に開陳しているだけにしか聞こえない。
率直に言って、法廷の場にエロ同人を引きずり出してくることによって
「一般人の預かり知らないところで、こんなエログロな本が飛び交っているんだ」
と、むしろ心証を悪くしているように見える。
また、もうちょっと踏み込んで読んでみると、斎藤環は「ひきこもり」と「おたく」を
かなりゴッチャにして語っている。
----
1 自分は「ひきこもり」の専門家だ。
2 「ひきこもり」と「おたく」は重なる面がある。
3 だから「おたく」領域の問題にも専門家として言及できる。
----
こういう論理で、この裁判の証人を引き受けているのだと思うのだけれども、
2番目の点はどうなんだろう。
以前「おたく」は対人関係が活発だから「ひきこもり」ではないと発言していたよな?
(さらにつづき)
で、エロ漫画が重大犯罪を引き起こす要因には滅多にならないことを立証する過程で
こういう漫画を消費する「おたく」というのは、多重見当識だと言っている。
多重見当識なる環の造語は、本人の発言を読めば分かる通り、統合失調症の二重見当識
からひいてきているという。
病跡学的手続きなどと言われてしまえばそれまでなんだが、たかだかエロ漫画を読む
人間を、精神病の枠組みで解釈している。
本人はまず間違いなく「それは我々の世界の、一種のお約束なんですよ」と嘲笑う
だろうけれどもね。
エロ漫画を読む人間を「おたく」という特殊な人間だとして括り、それを精神病圏内で
解釈している。
で、その「おたく」と「ひきこもり」は、層として重なり合うとも取れる発言をして
いるわけなんだよ。
誤解を恐れずに、すんごく大ざっぱにいえば「ヲタ=ヒッキー=キチガイ」と(笑)。
この「ひきこもりの権威」さんは、おたく板かヒッキー板に定期的に立つような、
駄スレレベルのことしか言っていないのかもしれない。実は。
(これでこの件についてはラスト)
「おたく−ひきこもり」という人格類型を、彼自身は病理として、場合によっては
医療の名のもとに人権が抑制されてもやむを得ないものとして、日ごろたくさん
取り扱っている。
そんな斎藤がなぜ、表現の自由や人権を護るようなコトを一方でやろうとしたのか
はじめは疑問だった。
また二枚舌なのか。それともタダのエロ漫画好きなのか。(w はたまた気まぐれかetc...
しかし、フタを開けてみれば、なんのことはない。
本業とは全く矛盾はきたしていなかった。
漫画表現はもちろんのこと「おたく」も「ひきこもり」も擁護などしていなかった
のだよ。
>>228 >少数派かもしれないが、「ヨゴレ」は免れている、というのが
>>204の主張。
ああ、まぁそれはコインの裏表みたいなものでしょ。
少数派を汚れ役と見るか、善人役とみるかは。
実際、どちらの側面もあるわけだ。
ただ確実にいえるのは、少数派は少数であるがゆえに立場が弱いということだね。
>ま、ブレーンが青少年健康センターだから、当然といえば当然ではある。まあ安心し
>なよ、キャンペーンはもう終わる。何人ものヒキを晒し者にして、視聴率も稼いでな。
まさにそうですな。
んで、これで本当に全てが"終わり"ならば、心から安心できるのだけどね。
この先の風景は、どうなることやら。
>高岡信者云々
ひとこと多いんだよ(w
>>232 そうそう。まさにそんな構図。
現実にはもっともっと複雑だけど、とかく世論なりマスコミなりの上では
キャラクターというか、役どころをあらかじめ決められて扱われるからね。
片一方がお上の威を持ち出してくるとなると、ソレと対決している側は
それこそまるで悪役的に見えてきてしまう。
"お上の威"をどう捉えるかで、そのヒーロー役/悪役は正反対にもなる可能性が
あるけど、とかく今のご時世では……ね。
しかし斎藤氏は、あれよあれよという間に、ずいぶん"お上"に近づいて
いったんだなぁという感じはする。ほんのここ数年じゃないのかね。
>>233 うん、漏れも最初はそんな構図なのかと思っていたのだけどね。
上で4レスに分けて書いた通り、結局は誰のことも擁護なんかしていなくて、
「おたく」も「ひきこもり」もひっくるめて手中に収めたいだけだったんじゃないかな、と。
>>235 そうね。なにが擁護・支援なのかは、単純ではない。
現実問題として、自分でメシが食えない/職がない限りは意味がないではないか
というのは、正論だ。
#だから環は生活保護や年金をエサにしてるんだな。
#彼の一筆で、健常者を精神障害認定して。
>「貴方は悪くない」という癒やしを、保護者・本人に与えてはいるけど。
しょせんは言葉だけで、就職には繋がらないから偽善だという見方もあるけど、
その前段階として、PTSD的な状況から当事者を救い出すに当たっては
この部分は重要。
非善よりは偽善の方が、なにがしかの安息と自信は得られるわけで。
この自分に対する自信こそが、履歴書の空白を埋める前提として、最低限必要。
たとえカンチガイの自信であってもね。
もっとも実際には、前提条件が揃っただけではダメで、
履歴書の空白があっても大いに正社員として受け入れるような、寛大な会社(w
がない限りは、過酷なバイトや日雇い労働に甘んじるほかないわけだけどね。
で、肉体労働主体の仕事が向く人だったら、そもそもひきこもっていないわけで。
(ちょっと長くなったので分割)
>たしかに、稲村的投薬医療に対する防波堤としては機能しているかもしれない。
>多かれ少なかれ、稲村的側面は各所に残っているし。
そう。だからその部分に、高岡や奥地らがカウンターパンチを浴びせることは必要。
別に信者になってもメシは出してくれないけどな。(w
稲村たちの仕事は、自分達の患者に対する、わけわからん投薬医療だけに留まらず
「ひきこもり」という言葉を流布することによって、社会的偏見を作り
広く全国の当事者に生き辛さを与えている側面もあるからね。
>社会的空白は埋まらないことには変わりはない
それで、空白・脱線があっても、再復帰が容易であるような雇用慣行や
福祉の整備を求める声が出てくる。
そのもう一方で、手っ取り早く引きずりだしましょうとか、入院させましょうとか
いう話も出てくる。
勢力構図の逆転・再逆転はあったけど、実は昔からこの構図自体は変わらないんだね。
(´-`).oO(あ〜、ひとりで何発言かいたんだろw
>>241 >エロ漫画を読む人間を「おたく」という特殊な人間だとして括り、それを精神病圏内で
>解釈している。
性的対象が実在の人間に向わないフェチを精神医学は「異常性愛」である
と診るんだっけ? 「おたく」は「異常性愛」者ばかりのはずだから
かえって社会的に無害だとたまきんは主張しているということなのか。
エロコミックの弁護のつもりかどうか知らないけど、世の不安症な親
たちはかえって引くんじゃないか。うちの子がこういうコミックに夢中
になって「おたく=異常性愛者」になってしまったらどうしようとか(w
高岡氏と斎藤氏とは、河合洋氏と山登敬之氏(編集)による『子どもの精神障害』
という書のなかで共に執筆している。ご存知かと思うが、河合洋氏は当時稲村氏を
厳しく批判していた中心的論客の一人。おそらくそのつながり(?)で高岡氏も
そこに執筆しているものと思われる。斎藤氏は、編者の山登氏と同じ筑波大医学
出身ということで、そのつながりなのかもしれない。
教育社会政策の方向性とも深く関わる不登校やひきこもり問題をめぐる認識の
対立軸からみれば、斎藤氏はある意味かなり従来の政府機関寄りの立場を補完
する側におり、「不登校-引きこもり」に対する彼の再医療化の視点は、宮台氏
の論敵である保守系精神科医の小田晋氏が前々から述べていたこととまさに一致する。
>>247 >「ひきこもり」という言葉を流布することによって、社会的偏見を作り
>広く全国の当事者に生き辛さを与えている側面もあるからね。
これはこのスレでよく言われることだけど、まったく逆だと思うんだけど。
稲村らがいようといまいと、初めから「長期無職友達無しスネカジリ」状態は、
当事者自身にとっても、周りの人たちにとっても、容認しやすいものではないよ。
「ひきこもり」に関して言えば、環の本を読んだりして、「ああ、自分だけではなかったんだ」と
安心したという当事者も多いよ。
「ひきこもり」の部分を、「登校拒否症」とかに変えれば、そのまま通用するのかもしれないけど。
このスレで斎藤を攻撃している人々は、かつての「不登校」で稲村らに痛い目にあった人たちが多いのかね?
攻撃の構図が、「ひきこもり・斎藤」を「不登校・稲村」に置き換えれば話が通じるものが多いと思う。
>>250 未だにミザルキカザルの勝手な見当でもって、繰返し同じことが出るなぁ・・
あなたがたまきんの本で「安心した」なら、それはただ、公に出版物などで言われた
というだけで「安心した」っていう、斎藤についても極めて浅い認識レベルじゃないか思う。
そのレベルで満足できる「浅いカンジ」人以外で、斎藤の著書やら論説で
「安心できる」当事者はそんなにいないんじゃないかな?かえって不安になってもさ。
あなたは要は、高岡を良く言う&斎藤を悪く言う人間の動機は
「斎藤に感情的に痛い思いがあるから、高岡を支柱に使って反撃」だとでも?
高岡の論説もたまきんの詳細も自分で良く勉強すれば、
そんな単純じゃないってわかるはずだけどね。
それをしないで何言われても、どうしようもできないね。
いう事は言うけど、自己主張も強いけど、勉強したり調べたりは面倒・・じゃなあ
252 :
250:04/03/08 20:22 ID:???
>>251 率直に言ってあなたの言う通り、このスレのアンチが
斎藤を叩く動機が、感情的なものが先に走っていると、自分は感じている。
斎藤についての極めて浅い認識レベル、斎藤や高岡などについての勉強不足、
それらは全くその通りだよ。おっしゃる通り。
だけどやっぱり、疑問を感じたりする点には、今後も
つっこまさせてもらいますよ。
>>252 スレに書かれている批判意見や体験談、それに関連する斎藤や高岡の論説などを
色々と見ていっても、それでも尚、疑問が生じるなら
その疑問点について、その都度、具体的につっこんでくれるなら、
こちらも出来る限り回答するつもりはある。
>率直に言ってあなたの言う通り、このスレのアンチが
>斎藤を叩く動機が、感情的なものが先に走っていると、自分は感じている。
未だにこう思える、というのは、いくら何でもちょっとアレじゃない?
今まで色んな体験談や稲村や斎藤についての話が出ているのに、そうしか思えないなら、
「批判の動機=感情先走り」という見方にこそ、感情的なものが先ばしってませんか?
>これはこのスレでよく言われることだけど、まったく逆だと思うんだけど。
>稲村らがいようといまいと、初めから「長期無職友達無しスネカジリ」状態は、
>当事者自身にとっても、周りの人たちにとっても、容認しやすいものではないよ。
自分もこの辺はその通りだと思うけどね。「当事者の生き辛さ」は斎藤氏が
ヒキコモリという問題設定をする以前からあった訳だから。
>>254 >これはこのスレでよく言われることだけど、まったく逆だと思うんだけど。
>稲村らがいようといまいと、初めから「長期無職友達無しスネカジリ」状態は、
>当事者自身にとっても、周りの人たちにとっても、容認しやすいものではないよ。
>「ひきこもり」に関して言えば、環の本を読んだりして、「ああ、自分だけではなかったんだ」と
>安心したという当事者も多いよ。
この発言が「全く逆だ」といってる意味は、そういう状況の下、
斎藤の言説がスティグマとして更に当事者を追いこんだのではなく、
逆に多くの人に「安心を与えた」んだといっているんだよね?
>これはこのスレでよく言われることだけど、まったく逆だと思うんだけど。
>稲村らがいようといまいと、初めから「長期無職友達無しスネカジリ」状態は、
>当事者自身にとっても、周りの人たちにとっても、容認しやすいものではないよ。
ここまでで切っちゃえば、これに異議がある人は、そもそもいないだろうね。
なんかこのスレは他のスレと違って真面目に議論してるな
おまいらほんとにヒキコモリ?
・高岡のひきこもり擁護に対する、斎藤のひきこもり否定の構図
→斎藤は「ひきこもり否定派」だろうか? 世間一般のひきこもりに対する温度からすれば、
斎藤は、「ひきこもり肯定派」とすら、言えるのではないだろうか。
>>246 >その前段階として、PTSD的な状況から当事者を救い出すに当たっては
>この部分(>「貴方は悪くない」という癒やし)は重要。
→これは同意。ひきこもり肯定による、当事者の内面の考え方の組み替え
それが当事者にプラスになると思う。露骨な「ひきこもり否定」的なアプローチは
あまりうまくいかないのではないか、とも思う。しかしこれも、
斎藤が「ひきこもり否定」のアプローチを取っているとは思わない。
実際の治療は知らないが、メディア上の説では。斎藤が例に出す、「北風と太陽」寓話も納得するし。
「引き出し屋」を批判するのも、分かる。でも、斎藤はそのような、「引き出し屋」なのだろうか、と。
自分は、全面的な「ひきこもり肯定」には賛同しない。ので、斎藤ぐらいの「ひきこもり観」に
違和感を感じないし、あの程度のひきこもり言説で、「引き出し屋」やら「保守」やら果ては「ネオコン」呼ばわり
までされる方が、違和感を感じる。
繰り返すけど、実際の医療で、どんなトンデモ悪行を行ってきたのかは、知りません。
>>255 斎藤の言説が直に、というより「ひきこもり」という言葉が
普及して、それによって当事者の内面が楽になったという意味もある。
斎藤の本を読んでどう感じるのかは、本によって違うかもね。
「社会的ひきこもり」はキツいかもしれないけど、近年の本やテレビ上での話からは、
そのような安心感を得ても不思議はないと思う。
ついでにいうとそのような安心感みたいなものは、当事者にとって
マイナス(危機感が薄れて開き直ってしまうなど)よりもはるかに、プラスの影響が大きいと
自分も考えています。
それから、そのような「ひきこもり」概念が普及して例えば行政などがサポートしてくれる
ようになったのは、自分は非常に良いことだと思っていて、実際にお世話にもなってます。
そういう動きに対して、「引き出し屋」とか「国家による〜〜」とかの批判があるけど、
それを言うのが当事者ならいいんだけど、違うのなら、当事者の頭越しに利害に関することを
決め付けないでほしいと思う。
>>256 自分は定義上は「社会的ひきこもり」だけど、自分を「ひきこもり」と
名乗ったりしたくないや。「無職プーすねかじり」でいいや。
>>255 だから、自分も「この辺は」と限定して同意できると書いてあるし、
250も安心したという当事者「も」多いと書いてる。だから、
>斎藤の言説がスティグマとして更に当事者を追いこんだのではなく、
>逆に多くの人に「安心を与えた」んだといっているんだよね?
というのは両方の側面があると思うんだけど。
>>257 >>斎藤は、「ひきこもり肯定派」とすら、言えるのではないだろうか。
当事者の話しを聞いても、そう捉えてる人の方が多いと思う。
確かに著作とか発言時期でも、捉え方は違うのかもしれないけど。
>>257 >繰り返すけど、実際の医療で、どんなトンデモ悪行を行ってきたのかは、知りません。
この一行から、このレスで云わんとすることの意味合いは十分わかります。
要は、まさにそこなんだけどね。実際。
確かに、斎藤自身の「表面上の言説」は、年月の間に少しづつ変わっている。
メディア露出が頻繁になったり、ある種の「地位」を獲得しつつある中、
そうしたポジションを維持発展させるためか、あからさまに叩かれそうな言説は避け、
より多くの人間を穏便に取りこめそうなスタイルに「洗練」されてきてはいるかもね。
メディア上の著書などをみてすら、「社会的ひきこもり」当時と現在では、だいぶ違って、
表面上は柔軟になったように見えるし。
以前の誤りを認め、現在は違う考え方をする。というなら、それはそれでいいんだけども、
それなら、誠実に以前の考え方の間違いは「間違い」として位置付けるべき。
以前に誤りがあったとして、それを隠蔽し、なかったことにするとか、
トリック言説で肯定的に言い包めてごまかして進もうとする「人格」なら、
そんな人が、現在は表面上、一見、聞こえの良い事をいっている事があったとしても、
とても信用しがたい。
まあ、実際の斎藤は、少し前に、なんかのインタビューで
「稲村が悪いんじゃなく新聞社が悪い」的なトリック発言をしたりして、
本質は全然変わっていないことが、随所で伺えるから、単に受け入れられやすい、
叩かれにくい、落とされにくい「スタイル」を身に付けつつあるだけ、、みたいだね。
>>258 >それから、そのような「ひきこもり」概念が普及して例えば行政などがサポートしてくれる
>ようになったのは、自分は非常に良いことだと思っていて、実際にお世話にもなってます。
ちょっと話が外れる?けど、この点関心あるので、出来ればもう少し詳細教えて?
自分の個人的な話はさておき、まず、このスレ的には
斎藤らによって「ひきこもり」が問題視されるようになり、
当事者が追い詰められてる、といった文脈で、
行政によるサポートとか、NHKヒキサポートキャンペーンとかが
否定的に語られることがあった。それに対する反発がある。
具体的には、保健所や精神保健福祉センターなどで、ひきこもり問題が
対応されやすくなったと思う。税金を使うことに対する賛否はあると思うけど、
自分としては、ありがたいことだと思ってる。
これらの動きを否定的に見るのもアリだし、「引き出し圧力」と見るのも自由だけど、
自分の考えを言ったまで。
>具体的には、保健所や精神保健福祉センターなどで、ひきこもり問題が
>対応されやすくなったと思う。
どんな対応を受けている(受けた)のかとか、できれば詳細教えてくれませんか?
行政サポートがあるとして、それについて、
>これらの動きを否定的に見るのもアリだし、「引き出し圧力」と見るのも自由だけど、
>自分の考えを言ったまで。
「引き出し圧力」みたいなこと誰か言ってたかなあ?オレは言ってないよ。
批判意見が、実際には言っていない意味まで言っているかのように誇張された上で、
「批判意見」が批判されているのを良く見るけど、それは「感情先行」ではない?
ある種の烙印化が家族ばかりか世間の差別的で非寛容の風潮を後盾に、
それをさらに煽って加熱させ、社会の困った連中として「事件化」させる
ようなことは、例えば「おたく」にしたって同じなんじゃないかな。
「おたく」という烙印も、擁護派の論客がそういう風潮に抗した面はあ
ったけれど、にもかかわらず、80年代以降に生まれた新たな差別語とし
ての意味的慣習の地位にほとんど固定化されてしまっている感があるからね。
こうした社会問題視によって世間の不寛容な風潮が、まるで寝ている子を
起こすかのように煽られる構造というのは、「有害図書」や「有害ゲーム」
などの社会問題化に関してもかなり共通するものだと思える。この点は
『社会問題の社会学』(中河伸俊 著 世界思想社)とかが参考になるかも。
「引きこもり」という言葉が使われる前から「閉じこもり」という言葉で
この現象が以前から広く指摘されていたんだよね。
「閉じこもり」という表現に対して「引きこもり」という言葉を新たに
用いはじめていたのは、いわゆる引きずり出し屋さん系の人たちだよね。
>>261 そうだよね。いまここで話題になっていることもループで、同じような話題
が以前のスレでも何度となく持ち上がったけど、斎藤氏が著書で実際に述べ
ている文が引用されたりして、斎藤批判側の指摘する斎藤氏に対する認識が
案外当たっている、的を外れていない、というのが分かったりしたもんね。
268 :
(-_-)さん:04/03/09 02:06 ID:RYvELa1D
NHKハジマタ。
「シンジは成熟を拒否している」
↑
????????????
誰か説明できる?
>>250 斎藤はけっきょく「長期無職友達無しスネカジリ」状態を表す
意味として「社会的ひきこもり」概念を定義したわけだよね。
つまり「社会的ひきこもり」なる概念は前者の意味に代わるもの
として造語されたわけじゃない。前者の否定的な意味を統合し、
その意味に呼びやすいレッテルを与えたに過ぎないんだよね。
精神医学や精神病理学、あるいは心理学は、「日常生活」とか「社会」とか
いった社会学的なな概念でもある慣用語を、超越論的な意味としてア・プリオリ
に前提にする傾向があるよな。それは社会学にもあったが・・・
>>268 「ネット自殺」という言葉を引用して、ネットの悪影響を論じているYO
一部の人にとっては、なんかもう宗教の教祖みたいな存在になっているようで。
マスコミの効果というのは、恐ろしいものですネ。
>>248 あれだけ、一部の特殊な趣味を持つとされる人間の病理を描き出しておきながら
とってつけたように全面肯定しているから、首を傾げざるを得なくなるんだよね。
この論旨で話を展開した後に、小田晋のようにハッキリと異常性愛の烙印を
押すほうが、首尾としては一貫している。
>「おたく」は「異常性愛」者ばかりのはずだから
>かえって社会的に無害だとたまきんは主張しているということなのか。
うーんと、「異常者が圧倒多数という事態になれば、それはもはや正常とみなされる」
という話の展開ならば、その通りだと思うんだけどね。こうした漫画を愛好する人は
「マイノリティーと呼んでも過言ではないとおもいます」
と明言しているから、やはり特殊な人の特殊な倒錯の形だと言っているんだよ。
>世の不安症な親たちはかえって引くんじゃないか。
>うちの子がこういうコミックに夢中になって「おたく=異常性愛者」になって
>しまったらどうしようとか(w
そうそう、世論としては、そのように受け取られてしまう。
そうなれば、表現の自由をもっと規制したほうが良い、って方向になる。
(続き)
しかも
>>240で見たように、「おたく」なる特殊な趣味者は「ひきこもり」層とも
重なっている、と斎藤は言っている。
# 同時に「ひきこもり」と「おたく」は違うとも言っているから、滅茶苦茶なんだけど
これは要するに「ひきこもり」に対しても、倒錯だの異常性愛だのの可能性を留保して
いるということだよね。
このスレッド的には、この裁判の件は、たぶんココが最も重要な点なんじゃないか。
んで、世論としては
「うちのひきこもり気味の子が、異常性愛者になってしまったらどうしよう……」
という具合に、不安をかき立てられるわけですよ。(笑)
これは一度センセイに診てもらったほうが良いのではないか? と。
やはり彼は「おたく」も「ひきこもり」も擁護などしていないんだよ。
本来、このことを大塚英志氏か東浩紀氏あたりがしっかり釘を刺しておいて
くれないと困るのだけどね。
「ひきこもり気味の○○」
↑
このての話題で必ず出て来る言葉だが一番定義が難しそう。
>>247 >そう。だからその部分に、高岡や奥地らがカウンターパンチを浴びせることは必要。
最近気づいたけど、稲村派ほどでなくても、精神科医やこの方面の人間は、多かれ少
なかれ、どこかで治療主義・介入主義なんだよね。その手続きのレベルの問題では?
高岡・奥地ほど徹底して「引き出し」を避ける人はまれ。高岡・奥地に期待する人
は、こういう尖鋭さに期待を賭けているのかな?
>それで、空白・脱線があっても、再復帰が容易であるような雇用慣行や
>福祉の整備を求める声が出てくる。
残念ながら、そんな社会は来ないのでは? そんな社会だったら、長田や工藤のよ
うな、引き出し系社会復帰支援業も、もっと儲かるでしょうよ。
今は、こういう場所で訓練しても、復帰は容易ではないのが現状だし。
>そのもう一方で、手っ取り早く引きずりだしましょうとか、入院させましょうとか
>いう話も出てくる。
今はここまで露骨な人はいないと思うけど、ここで批判している人たちは、「斎藤
はソフトだがそれを煽っている」と言っているのかな?
たしかに、最近ブームの情短なんぞ要らんようには思うけどね。
>>266 閉じこもりという語が、児童心理関係の方面で漠然と使われていた覚えはある。
これって、専門用語的な使われ方でしたっけ?
なんか記憶だと、単なる状況の記述みたいな、そんな印象だったような。
言葉が発祥した状況を思い浮かべてみると、なんとなく想像はつく。
不登校の子がいて、それを始業前に自宅まで迎えに行く熱心な先生とかがいて、
文字通り引きずり出して連れて行こうとするんだけど、子供はそれに抵抗して
部屋に鍵をかけて閉じこもる。
#で、そういう子を、なぜか彼らはさらに閉鎖病棟に閉じ込めてしまうんだな
「ひきこもり」は、93年の段階ですでに稲村が「不登校・ひきこもりQ&A」で
使っているけれど、他に誰か使っていた人っていました?
不登校なる言葉をあっさりと外部から持ってきているのを見る限りでは、
もしかしたらこれもどこかのパクりだったのかなぁ、なんて思ったりして。
それとも、同系統の人たちの間で同時発生したのか……?
>>274 うむ。曖昧になればなるほど、網の範囲は広がるからねぇ。
自分はそもそも医療って言うもの自体をあまり信用していない。
だから、斉藤だろうが高岡だろうが、基本的に警戒している。
どちらも、言論人としての批判的言説はともあれ、日常生活や医療の実務での
行動は基本的にはあまり違わないのでは?
まあ、それでもたとえ50歩100歩であっても高岡のほうがマシそうだとは
思うがね。
それでも脱病院するというか、専門家を崇拝する儀礼をやめるのが一番だと
思うよ。
つらければ自分で適当にクスリを選んでセント・ジョンズ・ワートやメラトニン
で調子を整えてもいいしね。それでどうしても迷ったり困ったりするのであれば、
はじめて医者に相談でいいのでは? (もっともその医者の治療が自己治療
よりも優れているという保障もないけどね。)
>>274 >「ひきこもり気味の○○」
> ↑
>このての話題で必ず出て来る言葉だが一番定義が難しそう。
すでにそのイメージは出来上がっている。
「家のなかで独りでテレビゲームやネットゲームばかりをして、
外で友達をつくって遊ばない傾向の子」というのが「ひきこもり傾向の児童」。
専門家たちまでもがその種の現代の子どもの傾向を事件化して、そのリスクと
やらを盛んに煽っていて、そういう子は社会性(コミュニケーションスキル等)
なるものが育ちにくいし、脳の(能力の)発達が疎外されるかのような言説まで
が出てきていて、将来、学校や社会にうまく適応できなかったり、本当の引き
こもり状態に陥ったりするリスクがそれだけ高くなるに違いない、みたいな
ことを言うわけ。
で、世間の親たちの心理としては、そういうリスクを少しでも避けたい、
無くしたい、というふうになるわけだから、もともとあるネットやテレビ
ゲームに対する世間の不寛容さが加熱されて、それらの環境にアレルギー
反応を起こすような世論が益々強く形成されていく。
現在深刻な問題としてマスコミがさかんにとりあげているネガティブな
「引きこもり」に関する情報というのも、世間の親たちの目に入ってくる
わけだから、その結果、親たちの不安症は頂点に達するという具合。
>専門家たちまでもがその種の現代の子どもの傾向を事件化して、そのリスクと
>やらを盛んに煽っていて、
医者や心理学者や教育論者等によるそういう一連の煽りの言説が、
「ひきこもりの若者が100万人・・・」「激増・・・」「国を
滅ぼす・・・」云々といった煽りの言説とも見事にリンクし合って
いるわけだよね。
>>257 >→斎藤は「ひきこもり否定派」だろうか? 世間一般のひきこもりに対する温度からすれば、
>斎藤は、「ひきこもり肯定派」とすら、言えるのではないだろうか。
斎藤自身は肯定も否定もしないというような都合のよい言い方を
していたと思う。
そりゃそうだよね。いっぽうでは世間一般のひきこもりに対する
不穏な空気をむしろ煽り立てるような意味のことも盛んに述べて
きた張本人でもあるわけだから。
斎藤が「社会的ひきこもり」を問題視するときには、世間のひきこもり
に対する不寛容な温度というのを後盾として、いっぽうでそれを加熱し
沸騰させておいて、むしろそうして加熱した世間や親たちの当事者に
対する不安や不寛容な圧力というものを活用して、それをこの問題に
対する自らの再医療化的な介入主義の論拠にさえしてしまう。
でもって、いっぽうでは自分は本当はひきこもりに寛容な精神科医だよ
という顔もしてみせる。
それでなくとも世間に恐怖感を抱くことさえある引きこもり当事者が、
斎藤氏のこうした半ば確信犯的にダブルバインドを強いるような態度を
敏感に読み取って、不信感をもつことはある意味当然ではないかと思うよ。
>>280 とにかく専門家は信用しないことだ。病院になぞ行かないほうがいい。
自分は病院にカウンセリングに行った後、腹痛や不眠を覚える。それに死にたくなる。
一応診療室では明るく落ち着いた患者を演じて「よい患者」を演じるが、
家に帰るとむなしさでいっぱいになって死にたくなる。
結局、その医者はいわゆる家父長制バカオヤジタイプで患者が少しでも医者を崇拝する
儀礼をしないとキレ気味になってしまう。一応管理職クラスだけあって違いを楽しむ
多少の雅量はありげだが、医者としてやりすぎている。
彼が「もっとカネを使え。そうしないと経済が悪くなる」と語ったときには
ウンザリした。ウチだけ赤字になって、社会貢献しろっての? 国体主義
ならぬGNP体主義か? 人間関係主義が好きでどうでもいいことで関係、
関係と連呼するが誰だって人間関係のなかで生きている以上「空は青い」と
唱えるも同然で中身はない。結局ファシストなんだね。国の病院の先生だけあって
、今の文化長官には逆らえないということなのか……。親を静めるために
イヤイヤ通院しているが、とてもウツ。正直、死にたくなる。
>>278 >>283 学校や医療というのは、権威主義的なサービス押し売り制度になりがちなところが
ありますからね。「ガンと闘うな」論争でも結局そういうことが問題になっていた。
しかもそれに救い主と救われるべきと烙印された者との宗教的な支配関係が成り立
ってしまう構造すらある。
それらの制度やサービスを賢く使うためにも、そうした学校崇拝、医療崇拝という
のをある程度相対化して見ておいたほうがいいかもしれないですね。
そんなときに、例えば、石川憲彦氏の『影と向き合う教育と治療』
『治療という幻想』といった著書などが一つの参考にはなるかも。
>>284 だって、仕方ないよ。本当に死ぬほど辛いことだけど。親がキレたら暴力やら
長田送りやら、ハロペリづけ病院への入院に至るまで、何をするかわからないもん。
うちの親の場合ウヨクっぽくて、権威主義的で人権意識が薄いから何をやらかすか
分からない。
だから、仕方がないんだ。そこのセンセイは、国の大学の先生のわりには少しでも
実務レベルで抵抗しようとしている方で、半分は敵・半分は味方って感じ。
人格障害認定もクスリも出さないというのはそうとうがんばっているなと感じる。
言っていることはムチャクチャでふんぞりかえっている助教授だけれど、そこそこユーモア
のセンスはあるし、雑談もできるし、あんまり暴走しなさそうだから、なんとか妥協
できるかな、と。少なくとも稲村系の病院でクスリづけ入院づけよりはマシでしょ。
それでもカウンセリングの副作用は出るわけで、カウンセリングを受けたあと酒びたりになったり、
夜眠れないのでドラッグストアで手に入れた睡眠薬を使ったりするので、小遣いが
減るのが困る。
やっぱり病院になど行かないのが一番。そこは総合病院だから院内感染のリスクも
増えるしね。特に今の季節は行きたくなくてかなわないよ。
287 :
(-_-)さん:04/03/09 17:20 ID:KN/IcSri
ずっと前から思っていたんだけど、「引き出し」を否定している人たちは、
自室から一歩も出ない真性ヒキに対しては、ずっと死ぬまでそのままにしていても
やぶさかではないわけ?
だとしたら、その姿勢が一部の急進的な「引き出し屋」を肥え太らせてしまったことに
怒りを感じる。
>>284 >一部の急進的な「引き出し屋」
急進的か? その手の対応は保守的だと思うが。
>>288 ご親切に心配してくださってすみません。
紹介してくださった本のなかで、小沢牧子さんの本は読んだことがあります。
いますぐそれでどうこうできる状態ではないのですが、心の支えになっています。
いまかかっている医者は、ローカルエリートの野郎自大っぽくて困っています。
いつも「偉大で高貴な○○先生」「権威ある○○先生」「先生はたいへん文化レベルの
高い方」などとヨイショしないと自尊心を満足できないらしくて、大変なんです。
なぜ患者が医者の自尊心のお守りをしないといけないのか? 多分わたしが女性である
こととも関連すると思うのですが。この自我の脆弱さをなんとかしてほしい……。
仮にも国立大学の助教授の職にあるのなら、ヒキに対して
「ヨイショしても何も出ないよ」くらいの落ち着いた対応を願いたいのですが。
実際には「そんな風に目上の人を敬えない失礼なことでは世の中では通用しない」
と怒鳴ったり、「この歳にもなって、そんなことではいけない!」と叫んだり、
あげくのはてには「どうしてこんな所に来たんだ? こんなことではいけないじゃないか!」
と自らの商売を否定するような意味不明のことさえ説教? している。
なんか、酒こそつがなくてもいいけれど、ただで使われるホステスになった気分……。
女性の「社会復帰訓練」って今時こんなことではどうしようもないのに。
長田百合子から暴力を抜いたらこうなる、って感じ。
カウンセリングと称して社会的弱者いじめを楽しんでいるように見えなくもない。
バカバカしくて最低です。
この医者についてはほかにもムカつくことがあるので、また少しずつカキコします。
訂正。↑のカキコの「ただで使われるホステス」は「治療費を払って
使われるホステス」の誤りでした。
>>290 追い出す訳じゃないけど、メンヘル板に行った方がいいんじゃ? 可能なら医者を変えたら?
私見では、大学の医局人脈の中枢に距離が近づけば近づくほど、妙な人が多くなると思う。
自分が以前掛かっていたヤツの場合、某大学の医局に近い病院の医者だったが、医局で
助教授や教授になれなかったコンプレックス丸出しでどうしようもなかったよ。
>>278 そんな訳で、自分もなぜ、ここで「岐阜大助教授」高岡が持ち上げられるのか、本当に不思議。
彼の書いたモノを読むのはいいかもしれないけどね。
>>292 ごめんなさい。ここまでのカキコではスレ違いと思われたかもしれませんが。
実は最後の段階で斉藤とも高岡とも絡む情報を発表する予定です。だからもう少し
待ってください。
話は変わりますが、実は以前自分のかかっていた医者も某名門国立大の医局
から最近独立したばかりのお医者さんでした。彼女も権威的・家父長的・
官僚的で、ユング心理学なんかやっていただけあって40分間ずーっと
UFOの夢を見たかどうか尋ねてきたりしてかなりイッちゃっている様子でした。
「岐阜大学助教授」高岡健については、ある情報を握っているのですが、今は
タイミングがよくないのでいずれ報告します。
ユングって、おいが捕まっちゃった人ですか
>>278 >だから、斉藤だろうが高岡だろうが、基本的に警戒している。
>どちらも、言論人としての批判的言説はともあれ、日常生活や医療の実務での
>行動は基本的にはあまり違わないのでは?
高岡氏の場合は、ひきこもり当事者があえてそのために医者にかかる必要
などないと考える基本姿勢にあるわけだから、根本的に違うのでは?
彼がとにかく本人を受診させるように仕向けるべきだと主張しているなら
別ですが。
まあ、本人の側からあえて診療を強く希望して来れば追い返すわけには
いかないから、高岡氏なりの接し方で相談役として関わるでしょうけどね。
>>286 >だって、仕方ないよ。本当に死ぬほど辛いことだけど。親がキレたら暴力やら
>長田送りやら、ハロペリづけ病院への入院に至るまで、何をするかわからないもん。
>うちの親の場合ウヨクっぽくて、権威主義的で人権意識が薄いから何をやらかすか
>分からない。
だから斎藤さんは、そういう↑のような親に応えるために自分は引きこもり
を医療の対象にしたい、というふうなことを言っているわけだ。
だから、親がウルサイから嫌々病院に行かざるを得なかったような人は
そのまま治療を受けるべきだって言い方で、遠まわしに本人の意思に
プレッシャーを強いて暗に医療を強要しているわけ。
ttp://www.excite.co.jp/News/weekly/02/forum.dcg?10
>>292 >追い出す訳じゃないけど、メンヘル板に行った方がいいんじゃ? 可能なら医者を変えたら?
というより、
>>292の人はなんらかの精神疾患と診断されているの?
>>264 そのような場所で、継続的に相談に通わせてもらってる。
>>269 斎藤の意図としては、ここで指摘されているように
そのような状態の人は精神科に行かなければ治りませんよ。
そういう状態の人が大勢いますよ。ということを言いたかったのかもしれないけど、
「ひきこもり」概念が流通するにしたがって、そういう人が大勢いるんだ、
という部分が認知されたと思う。2ちゃんにヒッキー板があるのも、その一つ。
それが当事者に、良くも悪くも、癒しを与えている。
それから、「長期無職〜」は状態を表すだけだけど、「社会的ひきこもり」は、
状態を表すとしながらも、その言葉自体が、物語性を持つ。その物語性は、
環や色々な人の見解を吸収しながら、今はまだ固まっていないと思う。
つまり、「社会的ひきこもり」と聞いても、その意味やイメージは人によってまだ違う。
>>277 詳しくは知らないけど、『引きこもりからの旅立ち』フレンドスペース代表富田富士也 平成4年発行
ってのはあるな。
>>287 あなたは自室から一歩も出ない真性ヒキの人?
その当人が自ら希望してなんらかのサポートを求めるのなら
結構なことないんじゃない? それを否定する人がここにいたか?
>>298の、『引きこもりからの旅立ち』、興味深い。たまたま家の書棚にあったのだが、
ちょっと目次から抜粋して引用してみる。
■引きこもりという名の社会現象
・増える登校拒否・高校中退・就職拒否からの引きこもり
・誰でも引きこもる因子を持っている ・燃え尽き、息切れる引きこもり
■引きこもる本音
・引きこもりの心理を生活から理解する ・アダルトチルドレン
・男性としての自信のなさが引きこもりへ
■引きこもりへの道すじ
・挫折からのはじまり
■子どもを追いつめる精神的暴力
・大切なのは「登校刺激」よりも「ふれあい刺激」
■登校拒否
・引きこもりと登校拒否 ・学校は社会の構図
■引きこもりと病気
・引きこもりは病気ではない ・共感が症状を癒す
・追い込まない関わりへ(子どもの話に耳を傾けて…見捨てない…プラスの話題を増やす…
病気ではないという認識を持つ…etc…
■社会病理として引きこもりを見つめる
↑これらは、思いっきり、抜粋です。平成4年発行
>>300同書p19-20
「引きこもり」という言葉を私が意識しだしたのは、ここ五年くらい前からである。
登校・就職拒否に悩む親子と関わって十数年になるが、最近(略)
そんな一昨年の春(1990年)、厚生省が「ひきこもり・不登校児童福祉対策モデル事業」の
予算化を大蔵省に均衡している記事を読んだ。そこで私は、初めて「ひきこもり」が
社会問題となっていることを認識した。
その中では「ひきこもり」とは「家に閉じこもりきりで、家族としか接触できない児童」と
なっていた。私はあえて「引きこもり」と言っている。人間関係、対人関係から「引」いている
というイメージがあるからだ。(略)問題は、その長期化だ。人間関係の希薄化を起こし、
孤独と不安の中で追いつめられた者たちは、先述の少年のように"症状"として訴えていくこともある。
(略)とにかく問題提起のつもりで著す、ということで取り組んでみた。
「引きこもり」についての本は、本書が最初らしい。(略)
>>277 >閉じこもりという語が、児童心理関係の方面で漠然と使われていた覚えはある。
>これって、専門用語的な使われ方でしたっけ?
主として不登校問題の文脈で「二次反応」の一つとして使われていた語だね。
>不登校の子がいて、それを始業前に自宅まで迎えに行く熱心な先生とかがいて、
>文字通り引きずり出して連れて行こうとするんだけど、子供はそれに抵抗して
>部屋に鍵をかけて閉じこもる。
そうだね。そういう有形無形の圧力とかその過程で増幅された自己嫌悪とが
二次的に反作用して「閉じこもり」という状態が現われることがある。
斎藤はこの「閉じこもり」の意味をいくらか拡大解釈して「社会的ひきこもり」
という語に置き換えただけなんだよね。
>>209 フレンドスペースはかなり前から有名だね。
斎藤氏がテレビなどで有名になる以前からしばしばNHKの番組などに
富田富士也氏が出て、「引きこもり」という言葉を使っていたね。
>>300-301 その本、斎藤本のソースじゃないかと思わせるくらいそっくり?
>>300同書p60-62
自己中心的な発言が目立つが、これはそうでもしなければ自分の存在を認められないからである。
自尊心を前面に出して、自分を守ろうとする。このことから、周りは頑固者、素直でないと
言われたりするようだ。だからこそ、本音の部分では自信がなく、引っ込み思案になっていく。
親や他人をよく批判したり、責任転嫁するのも、こうした心理からではないだろうか。
さらに追いつめられた状態が悪化すると、人の目を敏感に感じるようになる。そして、人目を避けて
外出したりする。帽子を深く被ったり、サングラスをかける。人の少ない時間帯に外出するようにもなる。
そして何より特徴的なことは、不安と緊張の生活を余儀なくされていることだ。体全体から
沈んだ雰囲気が漂い、表情にも険しさや疲労感が見られるのだ。その不安と緊張は「胸が
張り裂けるような痛み」と、ある少年は言う。失望の積み重ねから新しいことにチャレンジする意欲もなくなり、
無理にさせようとすると、特異な抵抗を示す。
さらにひどくなると、家族とも交流や会話がなくなり、トイレ以外に部屋から出てこないという例もある。
そうなると、髪の毛はボサボサ、髭は生え放題。破れたズボンをはいても気にならない。
冬でも夏のTシャツに短パンで平気になり、明らかに季節感がずれはじめる。生活感覚の完全な喪失だ。
下着を一ヶ月も替えず、風呂に一年も入らないことも珍しくない。そんな生活を二年、三年と続けるケースも多いのだ。
私は白い靴下を一年間もはき替えず、汚れで黒い“靴”になった子どもを知っている。本当に辛いだろうと思う。
実は、このことは極めて心理的なことである。心に変化(刺激)を起こさせたくないからだ。
引きこもることで、やっと自己保存ができたわけで、(略)事実、訪問して、その変化に対して
「まかせてみろよ」と“保証”すると、安心して基本的な生活習慣を取り戻す場合が多い。
引きこもりの相談で特徴的なことのもうひとつは、男子が大部分を占めていることだろう。
ある人の調査によると相談者の97パーセントが男子だという。さらには年長者が多い。
引用しといてなんだけど、全体的にはつまらない本だと思います。
個々の具体例の部分が多すぎて。それと、露骨なフレンドスペースの宣伝本。
今までの部分でちょっと。
>>301の、14年ぐらい前の厚生省の定義は、当時は「家に閉じこもりきりで、家族としか接触できない児童」
だったのが、今では「自宅以外での生活の場を長期間失っている状態」だっけ?
つまり、外出する人も、含まれる。
それから、「引きこもりは長期化しがち」というのも、たまきんの専売特許ではないですね。
悪化していくと病的になっていくイメージも、そう。
>>305 わたしのウチにもフレンドスペースの宣伝本が二・三冊あります。
閉じこもりは
高齢者の場合に今は多く使われます。
体力も気力もなくなり外出しなくなるのを「閉じこもり」といい
やがて寝たきりや、老人性うつ病になる確率が高いので
閉じこもりにならないよう地域でケアしようといわれています。
同書p142
言葉としては表現しにくいのだが、最近の登校拒否の相談の中に、先に触れた意図的登校拒否に
“便乗”するケースが増えている。そして、そうした子どもがわりと長期にわたって
引きこもり状態を続けている場合がある。
これは、登校拒否が広く理解され、「市民権」を得てきたことと無関係ではない。
(略)ところが、登校拒否が「どの子どもにも起こり得る現象」となった以上、
学校や登校にこだわり続けたり、せめぎあう必然性もなく、どちらかというと心理的抑制の少ない
家庭で暮らす方が生き活きとしていられるという子どももいる。
生き活きしていられれば、それはそれでいいのかもしれない。しかし問題はその後だ。(略)
元々対人関係が苦手の「便乗型登校拒否」の場合には、登校拒否した時点で自分の世界のみに
落ち着いてしまう場合が多く、結果的にその長期化が、引きこもりに至るのだ。
さらに問題なのは、年齢を重ね引きこもり続けた場合だ。「便乗」し「逃避」した自分を責めてしまうのだ。
そして学校や社会に出て行く不安を徐々に増していく。しかもそうした不安から逃がれようと、
妙に攻撃的になり、社会や他人に対する「不平・不満」を親などの身近な人にぶつけることでしか、
自己を保てなくなってしまう。一種の「こだわり」となっていく。
なかなか興味深い本だと思うので、また今度、
機会があれば引用します。
>>266 >「閉じこもり」という表現に対して「引きこもり」という言葉を新たに
>用いはじめていたのは、いわゆる引きずり出し屋さん系の人たちだよね。
そのようですね。
>>303 富田富士也氏が宗教関連(たぶんキリスト教系)のテレビ番組にも
出演して「引きこもり」のことを語っていたのを視た記憶がある。
「ひきこもり」という言葉が社会にこれほどひろまる前には、
ネット上にも誹謗中傷カキコや集中バッシングのようなカキコなんて
いっさい見かけなかったよ。それが今では...
他人を誹謗中傷する際のお決まりの烙印になっているくらいだからね。
フレンドスペースからずっとDMみたいなのが送られてきたよ
いいかげんにしてくれと思ったよ
>>290 そういう精神科医が少なからずいるから、頭を抱えてしまうんだよね。
病院や医者によって、多少の程度の差はあるかも知れないけど
どこもある意味似たようなもの。
>実際には「そんな風に目上の人を敬えない失礼なことでは世の中では通用しない」
>と怒鳴ったり、「この歳にもなって、そんなことではいけない!」と叫んだり、
>あげくのはてには「どうしてこんな所に来たんだ? こんなことではいけないじゃ
>ないか!」 と自らの商売を否定するような意味不明のことさえ説教? している。
言い回しは少し違うけど、斎藤環も似たような感じで患者に対して
罵倒したりキレることがあったと聞いている。その人は泣いて帰ってきたが。
>酒こそつがなくてもいいけれど、ただで使われるホステスになった気分……。
>カウンセリングと称して社会的弱者いじめを楽しんでいるように見えなくもない。
いゃ、もうそれが全てを言い表していると思う。
あの人達、典型的な古臭いオヤジ思考なんだよ。家父長制バンザイの。
しかも、えらく貢がせる。
>長田百合子から暴力を抜いたらこうなる、って感じ。
(w 笑っちゃイカンけど、笑った。なんとなくイメージは伝わってくる。
彼らは何のために存在する人達なのか、我々に何をするために生きている人達なのか
時々よく分からなくなる。
>>314 共感のカコキをありがとう。あなたのカキコのほうがよほど癒されるよ。
その問題先生についての続報ですが。
実はその先生は、一応講演とか本の執筆といったレベルではかなりの情報開示
をしているリベラル派なんだ。
まあこの手のエライさんが、マスコミ等でしゃべるファッショナブルな言論と
実際の日常生活や実務レベルでのホンネは逆、ってことはよく言われるが、
彼の場合は半分は一致、半分は不一致という状態だ。
その先生のシンポとか本とかでの活動は存じ上げていて、尊敬と感謝の念を
いだいているのでフクザツなんですよ。
斉藤とか工藤あたりが100%敵なら、その人は50%敵で50%味方だから、
相手をキレさせないようにうまく操作できれば親の暴発への牽制にはなっているんで。
その先生も、親が暴走しそうになったらまた相談にいらっしゃいとおっしゃっているしね。
個人的にはイヤだが、政治的な理由で友好関係を維持せざるをえないんだ。
もちろん作戦として当面の間「あえて」仲良くする、ってことだけど。
その先生は女性や下層階級のことはよく分かっていないようだけど、患者の側から
先生に教育? できることがあればしていこうと今思案中。
一か八か、その先生のおかしさや地位の高さを利用して、親の自分への迫害を
非難し反省させられるか否か、やってみる。そうしないと親に対しては気がすまない。
ちなみにその先生の名を今ここで出すと大混乱になると思うので、しばらく伏せて
おきます。また時期をみて追加情報をうpします。
>>298 >
>>264 >そのような場所で、継続的に相談に通わせてもらってる。
その程度の行政窓口の対応を「引き出し圧力」だなんて言った人はいないでしょ。
>>315 で、あなたのかかっている、その著名なリベラル系医師ってダレなんですか?
高岡医師ですか?あなたが以前からいる「名前欄0」さんだとすれば、
以前、あなたは「自分は幸いたまきんらとは違う、リベラル系の良い医師に恵まれてきた」
確かこういう意味合いでご自身の加療についていってたと思うんですけど、
何かが変わったようですね?・・・・うーーん・・どういうことですか?
>ちなみにその先生の名を今ここで出すと大混乱になると思うので、しばらく伏せて
>おきます。
別に確かな情報なら、構わないのでは?あなた自身が大混乱することになるかもしれない(?)なら、
それは十分気をつけたほうが良いけど。
>>315
補足。
その先生は、引きこもりを恐れることはないといった題名の本で話題になった
方なんだけど。
診療室での彼の言動を見るに、最も引きこもりを恐れているのは彼自身なのでは?
と思わせるものがあったね。
それから幼児的万能感論についてはこのスレでも何度もループしているけど。
決してパーフェクトな優等生ではないタイプや、能力を示すことを求められつつ
抑圧されがちな女性やマイノリティについては単純に誤解しているのが手に
とるように分かった。
彼がこちらの話を聞きながらうなずいたりメモをとったりしているポイントを
間近に観察していて、それはたいへんよく分かったよ。
あと、ローカルエリートだけあって、すごくルサンチマンが強い。人がいわゆる
成功とか出世をしようとすると全力でつぶしにかかるタイプっぽい。
物理的にではなく精神的に暴力ふるいまくり。
人のことを頭でっかちでキモチワルイと暗示するけれど、そういう自分こそ
輪をかけてひどいじゃん、てヤシなんだよ。
で、あなたが言っている人物は、、、
>その先生は、引きこもりを恐れることはないといった題名の本で話題になった
>方なんだけど。
「ひきこもりを恐れず」著者の高岡健医師のこといっている、と解釈してOK?
>>318 ○ーダーの特徴*他人に対する評価が反転
>>292 >そんな訳で、自分もなぜ、ここで「岐阜大助教授」高岡が持ち上げられるのか、本当に不思議。
「岐阜大助教授」だからダメとか「岐阜大助教授」だから持ち上げている人はいないでしょ。
・・・それより、今、なーーーんかミョーな「臭気」漂ってる気が・・・。
えーっと・・大丈夫!?
その人は前から、ある傾向が感じられたから、気にすることはないと思う。
まあ、確かにここ数日は、特に悪いみたいね。
>>300-301 うわ、抜粋だけ見ても、まるでそっくりだ……。大量の引用乙です。
平成4年ということは、1992年ですか。
で、さらに遡ると
>一昨年の春(1990年)、厚生省が「ひきこもり・不登校児童福祉対策モデル事業」
の 予算化を……
ということになるのか。この時期に行政が不登校云々と言っているのは、ちょうど
この頃に奥地圭子が有識者として呼ばれたりしていたからだと思うけど、
「ひきこもり」という言葉を持ってきた学者なり有識者は、誰だったんだろうかね。
今度暇があったら、省庁のウェブをあさってみることにするよ。
どのみちこの時点で、既に不登校とセットで「ひきこもり」という語も使われて
いて、それらを受けて稲村博も93年の段階で、ハッキリこの言葉を使っている。
今まで彼が提唱してきた「アパシー」等と同様の概念の言葉として。
んで、その仕事が斎藤環にも受け継がれる。
少なくとも「ひきこもり」概念は、斎藤が初めて唱えたものではないことは
これらを見てもよくわかるね。
しっかし
>男性としての自信のなさが引きこもりへ
とか、なんかもう笑うしかないな(w もんのすごい体育会系的発想。
>補足。
>その先生は、引きこもりを恐れることはないといった題名の本で話題になった
>方なんだけど。
おもしろいw
登校拒否から不登校へとか、精神分裂病から統合失調症へ
とか、そういう言葉の切り替えって、意外とスムーズにいくな、と思う。
普通の会話の中でもメディア上での使われ方でも、何の違和感もなく
新しい名称が使われるようになるね。
>男性としての自信のなさが引きこもりへ
自分もワラタ(W
さて、これだけヒントをあげればもう自分のかかった医師が誰か分かった方も
いらっしゃるようだが。
自分はつい最近その医者にかかりはじめたばかりなので、あくまでも第一印象
ということで。
実務家としては? だけれど、彼を日本の啓蒙家としては
尊敬しているからね。別に業かが反転しているわけじゃない。
自分はもともと
医療からの自由>自由な医療>支配的な医療
といった価値判断を有しているので、大きなブレはないよ。
ただちょっとフィールドワークで診療室でのその先生の実態を観察する機会を
経て、彼への評価が変わっただけ。
もちろん、診療室の中では表面上そのセンセを崇拝してはいるがね(W
半分は面従腹背、半分は心よりの自発的服従ってとこ。
だから別にその先生を単純な善悪2元論で割り切るわけじゃない。別に人への
評価のシーソーゲームを楽しんでいるのじゃないよ。
ただ、本や講演等でのイメージと、実際の日常実務におけるイメージには
ズレがあった。そのことを報告しておきたくて。
斉藤・高岡どちらを支持/不支持するにせよ、おさえておいてよい重要な
情報だと判断したので。
高岡氏って、岐阜でしょ?
斎藤も新患は受け付けてないっていうし。
だから両者とも、自分がかかる選択肢にはなり得ないね。
>>326 325の追加。
これまでの某助教授の患者になりすましてのフィールドワーク報告は、
単に特定の医師のみならず、一般の医師、もしくは言論人の特徴・傾向を
知るために有益な資料になると思われます。ですのでうpしています。
みなさんどうぞご自由にお使いください。
またまた追加。
例の助教授センセイのことだが。
しばらく通ってみて、プラスとマイナスを天秤にかけてみる。
それで、プラス>マイナスであればもうしばらく彼のところへ通って
みるし、マイナス>プラスであればもうやめる。少なくともあと2〜3
回通って様子をうかがってみる。
一応クスリなし、人格障害診断ナシなので、ハロペリづけにされることは
大いなる蓋然性をもってないだろう。
まあ、酒の飲みすぎで胃薬を常用するようになったころが、切り上げどきかな?
話のネタが手に入ったらまた報告するよ。
>>327 現在は、診察室での新患はもう取らないようですが、青少年健康センターの
セミナーを受講すれば、斎藤の話は聞けますし、質疑応答もできますよ。
そこでは薬は出していません。センター圏内の当事者のクラブ・デイケア
(料金はお高めですが)は、もう希望者が多くて入れないそうですよ。
>>328-329 ホントに行ったの? 禿しくインチキくさいんだが。大学病院の新患なんか
少ないから、特定されっぞ。
>まあ、酒の飲みすぎで胃薬を常用するようになったころが、切り上げどきかな?
関係ないが、酒はヤメとけ。
行ったのが本当だとしたら余裕で特定出来るね。
もっとも病院側の人間がここを見ていればの話だけど。
転移
さいたまにしろ、高岡氏にしろ、著名精神科医は
患者側の期待感が大きいし、著書の中でも、私のところに来れば治ります
みたいな雰囲気を醸し出したりしているので、実際にかかって
不満を感じる人は多そうだ。
334 :
(-_-)さん:04/03/10 14:02 ID:v8AG+1jZ
すいません割と最近にNHKでやっていた再放送で環さんが
「ネットにはあまり期待していない」というようなことを仰ってたんですが
具体的にどういう意味で期待していないのか、分かる方がいらしたら是非教えてください。
>>334 自分は分かりません。。
>>300 同書p80-
■男性としての自信のなさが引きこもりへ
N君のように「男としての人間関係の作り方」に悩み、
女性とつきあえないと女性不安で引きこもっている青年が増えてきている。
女性をリードする「たくましい男性」ではなく、女性に気を使いすぎ、相手を
疲れさせてしまうタイプの男性である。もちろん、その心理には完全に独占してしまいたいという
願望があるわけで、それが叶わないと感情は反転してしまう。
(略)男性が生きにくい状況にある。満ちたりた母性の中で育った男性が、
父性を持つ「男らしさ」みたいなものを獲得できず、成長していく。
そして、自立、働くといった父性を発揮すべき状況に直面したとき、立ち往生してしまうのだ。
一方、その男性の自信のなさに比べ女性は「自己猶予」の余裕の中で、のびのびと「自分らしい自立」を
つくりあげているのだ。したがって、女性の開放感を見る度に、男性は引きこもってしまいそうになる。
ところが最近、「女性の自立」が言われだしてきたためか、その期待の前にすくみ、
引きこもりに至る女性も現れはじめている。
p148-
■引きこもりは病気ではない
引きこもりと同様に登校拒否についても「病気」かどうかで論争があった。
(略)たしかに、引きこもりの長期化は自閉的な傾向を示し、ときには
対人不安などの神経症状を起こす場合も多くある。そんな状態のときに
精神科を訪れ診察を受ければ多様なそしてショックな病名を言われることもあるだろう。
実際、そのように“診断”された子どもも多い。(略)
かつて「登校拒否は病気」との話題が世間を騒がせたことがあるが、確かに、
登校拒否の子どもの中にも、こういう症状があったためだろうが、「症状」をあまりに意識しすぎて、
「病気」と見てしまう精神科医のいることも否定できない。
また、原因をはっきりさせてほしいという親は意思に対して
「病名」を求めてしまう気持ちも働くようだ。(略)
また安易に母親の子育ての責任、子ども自身の甘え、といった決めつけ方で、
カウンセラーや精神科医から「突き放されたような説教的治療を受けた」という親もいる。
もう一度言うが、登校拒否や引きこもりそのものは病気ではないと私は思う。
そういう見方で向きあうことが、子どもに人間への不信を生み、引きこもり状態をエスカレートさせることに
なるのではないだろうか。引きこもりは「薬」だけでは回復しない。
人間関係で傷ついた心は、必ず深い愛情と理解に支えられた人間関係で癒され、解かれていくと
私は思っている。
繰り返すが、抑圧された登校拒否、引きこもり状態が高じて「病気」になる場合もあり、
「病気」が原因で登校拒否、引きこもりになる場合もあるわけで、(略)
そしてそのあたりの見極めは従来の精神医療では難しいようで、「専門家」ですら
苦しみの中で「診断」しているようだ。
337 :
引用者:04/03/10 15:07 ID:???
長々と引用したけど、平成4年発行の本だという点が
おもしろいと思ったので。
本の全体の印象は、
>>305に書いたような感じですね。
>>328 フィールドワーク報告と呼べる程のネタならいいんだが・・
夕べからあなたが書いている程度の悪口だと、
あなた自身の具合が少々悪い。という事しか伝わらない。
いや、やっぱり、環のネタ本の一つにはなっているのかも…
というかこの本が直接かは知らないけど、やっぱり過去の先人の積み重ねの上に
環のひきこもり理論もできあがっているということだろうなあ。。
p177-
問いつめるようなことをしても、その場で思いついた理由を話すだけで、
本当の原因を見つけることはできないのだ。子どもたちは、すべて自分の現実課題はお見通しなのだ。
だからそのことを刺激すればするほど、頑なになる。
年長者の場合だと言われなくてもわかりすぎている「仕事」「自立」「責任」といった言葉は
重すぎるもので、特に父親にとっては禁句である。
p190
いずれの段階でも、子どもたちは、表情とは反対に心底では「人間関係がほしい」と
懇願している。引きこもりは、人間に対して無関心ではいられないのである。(略)
挫折し現実の前から逃避している段階では、子どもに被害者意識が強く見られることは先述した。
また、子どもが「評論家」のようなことを言ったり、理屈気味になるのもよく見られる傾向である。
(略)でも、それは決して本人がその行動が取れるというわけではない。
プライドがそう言わせてしまうわけで、そこを理解してやると、「僕は人とつきあうのが怖いんだ」と
告白することが多い。
私が言いたいのは、これらのひとつひとつの気持ちをよく理解して、対応してほしいということである。
(略)だから、親はこれを安易に非難してはいけないのだ。(略)
なぜなら、先に述べたように、彼らは自ら望んで逃避しているわけではなく、そうせざるを得ない境遇にあったのだ。
しかも、子どもは何とか親のように社会(集団)で生活を営める人間になりたいという意思を持っている。
だから絶対に、「お前は現実逃避している」と本人に向かって言ってはならない。
それは本人がいちばんよくわかっていることである。
本人が社会(集団)と関わろうと努力していることを理解して接しなければならない。
その上で社会(集団)へ戻ろうとする本人の努力を支援することが必要なのだ。
>>338 つか、ネタでしょ。w
>>340 >いや、やっぱり、環のネタ本の一つにはなっているのかも…
ネタ本の一つというよりは、見解の細部まで
まるで一緒と言って差し支えない感じすらするよね。
著者の富田という人は、後書きを読むと、
出版社勤務中に、登校拒否の本を企画して、その縁で
親の会のようなものを作ったらしい。
>>342 全能感に満ちた文だね。総ての「引きこもり」の心の内は
あらかじめ自分が全部読み切っているという感じ。
>>343 でも、それほど的外れではないとも思うけど…
名前0さんの書き込みの話題にあえてマジレスすると、
>>113-114 >>172 >>180 >>220-223といったあたりの
けっきょく繰り返しになる。
要は、医者やカウンセラーとの相性の問題になるよね。
医者やカウンセラーも所詮は一人の人間だからね。
大人格者を期待して利用するとその期待のぶんだけ傷つく
結果になる。ま、これは医者に限った話じゃないけどね。
仮に医療期間などを利用したときには、出遭った医者や
カウンセラーが自分と相性が合わない、かみ合わないと
思ったら、無理してそこに通い続ける必要もないだろうし、
他の場所や選択肢を探せばよいだけだからね。
その点は結局個々の選択の問題になる。
>>114の書き込みを再びここに引用すれば、
>ただしその場合にも、あくまで利用する主体性を自分に置いて、他人を
>必要以上に過信しないことも重要かもしれませんね。
ということになる。何度もループする意味になるけど、
どの第三者機関を利用するにしても、「患者になりすまして
フィールドワークをしているんだ」(笑)くらいの気持ちで
距離をとって関わったほうがいいだろうね。
>>347 自己レス
念のため付言しておくと、医療機関などを利用すべき
と話しているわけじゃないよ。仮に利用した場合の話ね。
>>348 自分と一致するところがあるかもしれないし、
一致しないところもあるかもしれないけど、
この程度の内容なら、充分ひきこもりに共感的だし理解的だと思う。
>>350 それを決めるのは個々のひきこもり当事者になるよね。
だから、あなた自身はどう?と訊いたわけ。
>>351 大筋では、よく理解できていると思ってる。
>>350さん自身が自分と照らし合わせて「結構当たっているな。
よく理解してくれているな」と思えば、それでいいことだからね。
ただし・・・
354 :
350:04/03/10 17:33 ID:???
個々の部分では、「?」と思う部分もあるけど、
全体的に、
>>350のような印象で、それほど否定するされるような
内容でもないと思った。
ただし、コミュニケーションが相対的である面を忘れて、
一種、自分がそうした第三者に一方的に導かれるべき客体
を演じる側になった場合に、どうかな?というのがあるね。
>>354 全体的に、という抽象的な表現ではなくて、
>>350さんご自身に
とってどこがどう自分自身について解ってくれているなと感じる
のか具体的に書いてくれると分かり易いんだけどね。
>>356 この辺かな↓
>>304 >新しいことにチャレンジする意欲もなくなり、
>無理にさせようとすると、特異な抵抗を示す。
>心に変化(刺激)を起こさせたくないからだ。
>引きこもることで、やっと自己保存ができたわけで、
>>340 >問いつめるようなことをしても、その場で思いついた理由を話すだけで、
>本当の原因を見つけることはできないのだ。子どもたちは、すべて自分の現実課題はお見通しなのだ。
>だからそのことを刺激すればするほど、頑なになる。
>でも、それは決して本人がその行動が取れるというわけではない。
>プライドがそう言わせてしまうわけで、
>なぜなら、先に述べたように、彼らは自ら望んで逃避しているわけではなく、
>そうせざるを得ない境遇にあったのだ。
>本人が社会(集団)と関わろうと努力していることを理解して接しなければならない。
>その上で社会(集団)へ戻ろうとする本人の努力を支援することが必要なのだ。
>>340
偶然の一致か、互いに影響しあっているのか。
なんにせよ狭い世界のなかで情報をぐるぐる回しあっているのが分かるね。
当然視野も狭まるだろうね。
それで、こんなに異質な他者に対して不寛容な言説が再生産されるわけだ。
なんとかこの情報生産の閉鎖サークスにくさびを打ち込まないとね。
その役を内側からになっている高岡らはイイ。たとえ先生方の派閥抗争の
結果そうなっているとしても、市民側からは歓迎すべき動きだ。
少々診療のときにDQNでデムパな行いが目立つとしても、それはそれで
批判するとして、オルタネテイブな視点や情報公開を行うのはOK.
それと利害衝突している環らの側はダメダメ。
固有名が出ちゃうと、かえってその固有名に囚われちゃうからあかんな。
また関西高齢ヒキがコテハンに絡んでんのか
>>302 どうもです。了解しました。
>そうだね。そういう有形無形の圧力とかその過程で増幅された自己嫌悪とが
>二次的に反作用して「閉じこもり」という状態が現われることがある。
やはり主にそういう使われ方でしたよね。
登校拒否・不登校という状態に対して、周囲がたとえ善意で働きかけをしたとしても
逆効果として現れる場合もあると。
また、そこまで露骨に引きずりだそうとしなくとも、世間の風潮であるといったような
無形のプレッシャーを敏感に感じ取って「閉じこも」る場合があると。
つまり、周囲の大人たちの対応のマズさを批判する言葉でもあった、と
いうことですよね。
>斎藤はこの「閉じこもり」の意味をいくらか拡大解釈して「社会的ひきこもり」
>という語に置き換えただけなんだよね。
上の文脈でいうところの「閉じこもり」は、社会の責任をも視点に入れた言葉だったと
思うけれど、斎藤たちの使う「ひきこもり」は、社会そのものは免罪されている様子
だね。
問題発生の背景を記述する時は、社会と個人のあいだの問題というマクロな視点が
導入されるけれども、いざ対処法を提示する段になると、個人と家庭の問題という
ミクロな視点ばかりにこだわっている。
文芸春秋に載るような、フリーター増加批判・パラサイトシングル批判・サブカル批判
(
>>279-280が触れているような)も、大体いつもこういう個人攻撃的な論調じゃないのかなぁ。
問題発生の背景にバブル崩壊などの要因があるのは認める。けれども、フリーター等が
増えるのは、やっぱりお前ら若者が甘えているからだ(笑)
などと、正社員採用を減らし、契約社員やアルバイト・パートに積極的に置き換えて
いる、当の管理職たちが吠えているわけだ。なんだか矛盾している。
>>340 >いや、やっぱり、環のネタ本の一つにはなっているのかも…
てか、それらは「登校拒否」で言われていたことと
ほとんどダブる内容だけどね。
日本では、河合洋氏や渡辺位氏らの著作で、英米を中心と
する不登校研究の経緯を踏まえて記されている内容だよね。
>>330 >そこでは薬は出していません。センター圏内の当事者のクラブ・デイケア
>(料金はお高めですが)は、もう希望者が多くて入れないそうですよ。
ホントに行ったの? 禿しくインチキくさいんだが。セミナーの新規受講者なんか
少ないから、特定されっぞ。
歴史的にはこうなりますか?
英米を中心とする不登校研究→河合洋氏や渡辺位氏らの著作
→上で引用されたような人たち(富田氏など)→(稲村)→斎藤
これは直系という意味ではなくて、不登校やひきこもりへの
共通する理解・対応マニュアルなどの意味で。
>>363 別にその人は、自分自身が最近行ったとは言ってないよ。
365 :
364:04/03/10 21:02 ID:???
稲村と富田氏などは時間が逆だ。
>>364 >別にその人は、自分自身が最近行ったとは言ってない
じゃ、実証的ではないな。
>>296 そのサイトのインタビューを読んだ。驚いた。
少なくとも、発する言葉の表層だけは、以前とはかなり変わったね。
>>261も指摘する通りで。
なんかもう、ツッコミどころ満載。ちょっとまた長くなるよ。
>最近増加している『自称ひきこもり』。僕はこれ、認めないわけです。
>『職場には行くけれども誰にも心を開けないひきこもり人間です』というような人ね。
>どんなに内向的で人付き合いが苦手でも、一応、仕事に行けたりしている人まで
>『ひきこもり』とくくってしまうと論点がぼやけてしまいますから
これは、
>>198で触れた「自称AC」批判に通ずるものがある。
彼らがその権威を持ち続けるためには、患者側が「ひきこもり」を自称する
(自分の症状を自分で解釈する)のはマズくて、つねに専門家から付与される
他称でなければならないんだよ。
「論点がぼやける」ということはあり得ない。環自身が定義を述べている以上
その定義から外れる者は、彼的には「ひきこもり」ではないのだから。
その枠の外で、彼とは別の定義で「ひきこもり」という語が使われることを
止めることは不可能だ。
認めようが認めまいが「ひきこもり」を自称する人はいくらでも存在するし
禁止したところでそれが止むべくもない。
あれだけ全国的にマスコミ戦略を張って「ひきこもり」という言葉を流通させた
のだから。
(続き)
>世代で見ると、全共闘の世代には『ひきこもり』はほとんどいないんですよ。
>その世代って、全共闘運動に参加した・しないに関わらず、そういう運動が
>あったってことが世代間のリアルな共有体験になってますよね? でも、僕ら
>(39歳)よりちょっと上の世代から下になるとそれがない。あるのはアニメとか
>漫画とか、バーチャルな体験だけ。
80年代の時点で、浅羽通明が同じような事を言っているね。
ゴー宣の小林よしのりのブレーンになっていた、浅羽に言わせると
全共闘の連中から革命理論の部分をすっぽり抜いたのが、70年代以降に出現した
「おたく」であったというんだな。ここでは「ひきこもり」に読み替えていい。
これらを
「閉ざされた世界に安住」し「人とのコミュニケーションが苦手な人たち」
「他人と接触する必要をあまり感じない若者たち」だとしている。
で、ここからが問題で、戦後社会は高度成長によって日本の原風景が失われ、
教育現場も近代化されて学校化(イリイチ)されたから、パブリックな共有体験が
失われ、このような病理が噴出したのだ――というような主張をしている。
#イリイチを日教組批判に援用している点なんて、不登校の論理を「ひきこもり」の
#論理にすりかえて奥地批判に援用している斎藤環と全く同じ手法だ。
結局、戦後民主主義批判の文脈なんだよ。これらは。
どれだけ斎藤が頑なに否定しようともね。
(続き2)
>いい意味で、個人主義になるというか。ひきこもりたい人はひきこもらせて
>おけばいい、という考えですね。
ここが最も驚いた点。言葉だけならなんとでも言えるもんね。ああいえば上祐。
>(ひきこもりは)厳密に言えば、誰でもなりうるのだとしか言いようがない
まさにここは不登校の文部省定義の焼き直しだな。
>『ひきこもり』ってすごく叩かれるわけです、異常なくらい。
そうやってあんたらが世論を煽るせいだろう、と小一時間(w
この当事者感覚のなさはどうなんだと。
>僕は、『ひきこもり』は甘いという見方は、否定はしません。彼らは甘えてるし、
>怠けてるし、わがままだし、そういう見方はあって当然だと思う。ただ、『ひき
>こもり』の問題を何とかしようと考えた時、そういう批判の仕方には何の効力もない。
以前は「お説教は逆効果」などと穏当な言い方に留めてたけど、この点に関しては
最近は随分ズバズバと当事者叩きやっとりますな。(w
甘えてるし、怠けてるし、わがまま!(w まさに保守系論壇誌のタカ派論客そのまんま。
(続き3)
>溜まり場とか、ネットワークとか、家族会とか、こういうのはどんどん作って
>欲しいし、少なくとも公的なものを各地域に必ず一つは作って欲しいと思います。
そりゃ私的な勉強会などでは、自分の掌の外に出てしまう恐れがあるからね。
全国に広がる「ひきこもり」利権。
>『ひきこもり』の人の大半は、インターネットやってませんから。
……どうでしょう? 皆さん。これを聞いて。
ヒッキー板とメンヘル板の各所に張り回ったら面白いだろうなぁ、コレ。
>批判の言葉がある程度のレベルで止まってしまっていて、ぜんぜん深みがない。
>これは、単に感情的に否認したいと言ってるだけに過ぎない。
#
>>252は、これの受け売りか。
(中略)
>例えば、僕らに対する批判、それだったら受けられます。『ひきこもり』を擁護して
>いいのかというレベルでもいいし、人からの又聞きで、若干の取材をベースにした
>海外文化の分析について『間違ってる』という指摘でもいい。そういうのをマス
>メディアで堂々とやって欲しいですね。そういう批判やご教示ならお待ちしています、
>ということです
批判はマスメディアだけで堂々と!
斎藤先生はこのスレが相当お気に召しませんようで(笑)
ネット世論からのバッシングに対して、がっぷり四つで格闘している東浩紀とは
大違いですネ。
「『ひきこもり』を自称するな」の次はコレですよ。なんてワガママで全能感タップリ
な人なんだ。全てが自分の思い通りになるとでも思っているのか。
これらが
>>334に対する、ひとつの答えになるのかも知れないね。
久々に粘着信者をやってみるか。
>>369 >まさに保守系論壇誌のタカ派論客そのまんま。
まず、多くのひきこもりを診てきた環がそう言うんだから、
それはそれで、そういう面もあるのかと俺は思うけど。
むしろその引用部分は、環のバランスの良さを感じさせると思う。
それから、環批判の方向が、>保守系論壇誌のタカ派論客そのまんま。
とかなってるけど、例えばひきこもりを甘えと見たりするのは
必ずしも保守とかタカ・ハトとかの思想と、一致するものでもないと思うんだけど。
リベラルな思想の持ち主でも、そう見る人がいても不思議ではないと思う。
極端なことを言っちゃえば、社会主義体制でも別に、ひきこもり生活が保障されるわけではない。
>>370 批判のくだり
そこで言ってる「批判」とは、ひきこもりに対する世間の側からの批判
という意味でしょ。俺はそう読んでたけど。
それから、「ひきこもりを自称するな」は、むしろひきこもり当事者に
迎合したような発言だと俺は思ったけど。働いてたりする人が
「自分は心がひきこもってるから、ひきこもりです。」とか言ったりするのを
当事者が嫌ったりするのは、知ってるよね?
それから細かいことだけど、
>(ひきこもりは)厳密に言えば、誰でもなりうるのだとしか言いようがない
この発言でさえも、斎藤の口から出るなら、ケチをつけられる対象になってしまうのかと思う。
>そりゃ私的な勉強会などでは、自分の掌の外に出てしまう恐れがあるからね。
公的なものがあったほうがいいとする意見は、それほどおかしなものだとは思わないけど。
「ひきこもり利権」ともこれはあんま関係ないような…
>>370 >そりゃ私的な勉強会などでは、自分の掌の外に出てしまう恐れがあるからね。
>全国に広がる「ひきこもり」利権。
信者ではないが、邪推し杉。有名サイト「ひきこもりを考える会」とか知らんのか?
>斎藤先生はこのスレが相当お気に召しませんようで(笑)
それも邪推だ。01年のインタビューでしょ、それ?
>>371 >必ずしも保守とかタカ・ハトとかの思想と、一致するものでもないと思うんだけど。
かなり親和性はあると見ていいんじゃないか。父性うんぬんにしても。
>>374 そうかね。例えば、社民党や共産党の熱心な支持者なら
ひきこもりをどう見るか。右翼活動家の方々なら、ひきこもりをどう解釈するか。
はっきり分かれるわけでもなく、人によってバラバラだと思うけど。
>>371 >極端なことを言っちゃえば、社会主義体制でも別に、ひきこもり生活が保障されるわけではない。
何を根拠に? つか、社会主義体制はガチガチの保守体制だわな。
>>375 だからかなり親和性はあると思うよ。
右翼活動家に誰かいる? 不登校やひきこもりに肯定的な人?
378 :
375:04/03/11 00:02 ID:???
まあ一般的に言えば、保守の人は旧来の秩序や常識から
外れた人には不寛容で、リベラルな人は、共同体から外れた人に
寛容な傾向があると思うけど。
ややこしいのが、ひきこもりは家庭内のことなので
その枠組みとは少し違っている。
だから、政治思想・傾向に関係なく、「親が甘やかしてる」とか
色々な解釈をされるものだと思う。
>>372 >「自分は心がひきこもってるから、ひきこもりです。」とか言ったりするのを
>当事者が嫌ったりするのは、知ってるよね?
そうかな? そうだとしたらどういう理由で?
むしろ斎藤環をヒイキしているのはそういう自称系の人のほうが多いと
いう実感があるんだけど。
>>379 ヒッキー板ではよく見るよ。バイトしてたりする奴は
「偽ヒキ」と呼ばれて嫌われる。
>>378 >まあ一般的に言えば、保守の人は旧来の秩序や常識から
>外れた人には不寛容で、リベラルな人は、共同体から外れた人に
>寛容な傾向があると思うけど。
>ややこしいのが、ひきこもりは家庭内のことなので
>その枠組みとは少し違っている。
「社会的ひきこもり」と定義されているわけだから、
「社会」に参加していない、適応していない存在
という定義になっているわけでしょう?
しかもその「社会関係」からネットは排除されているし。
>>380 >「偽ヒキ」と呼ばれて嫌われる。
だからそれはどういう理由で?
「おたく」にしたって、いろいろな人が「おたく」を自認すること
に抵抗がなくなって「自分はオタクだよ」とか自称していって、
差別的な意味合いがそこから融解していったほうがいいと思うんだけどね。
そういう意味での自称ひきこもりは、もっと増えるべきだね。
たとえば前スレにこんなのが
> From: [432] (-_-)さん <0>
> Date: 04/01/06 22:40 ID:???
> 略
> ・なぜ擬似ヒキを演じるのか?
>
> それは「得」だから。病人には社会的弱者としてのうまみがある。
> 病人は社会的な義務や責任を果たさなくても許される。
> 病人だから多少のわがままも許される。
> 病人だから甘えも許される。
> 彼らは病人を演じることでさまざまな「得」を得るのである。恋人はその「得」の中のひとつ。
> 擬似メンヘラとは病人を演じることで病人のうまみを味わいもう一方で健常者のうまみ(恋愛、オフ等)も
> しっかりと味わう卑劣な人間達である。
>
> ・なぜ擬似ヒキと真性ヒキの違い。
>
> 客観的に見て病気で得してるか損をしてるかの違い。擬似ヒキは病気を演じて弱者のうまみを
> むさぼってる人間であるから恋愛を楽しんでたりオフに出たりと健常者と同じように人生を楽しめる。
> それに比べて真性ヒキは恋愛もできないし人生は病気のせいで破滅している。
>>382 そうやって「おたく」とか「ひきこもり」とか「おかま」とかが(笑)
異端者的なレッテルという意味を失っていたほうがいいと思うね。
> From: [436] (-_-)さん <0>
> Date: 04/01/08 15:30 ID:???
>
> 真性ヒキが受けるべきサービスを偽ヒキが奪ってるんだね
> NHKのひきこもりサポートキャンペーンを見てるとつくづくそう思う
>>382 要するに、それはお前ひきこもりじゃないじゃん、ていう。
自分とは違う。自分の苦しみとも全然違う。
勝手にひきこもりを名乗って、自分の領海内に入ってこないで欲しいという
感じかなあ。
上のインタビューの、
>どんなに内向的で人付き合いが苦手でも、一応、仕事に行けたりしている人まで
>『ひきこもり』とくくってしまうと論点がぼやけてしまいますから
は、もっともだと思うよ。
>>385 「真性ヒキ」とは「社会的ひきこもり」ではなく「閉じこもり」のことじゃない?
「ひきこもり」っていう共同体に入っていることで、癒されているのかも
しれない。働いてる人まで「ひきこもり」に入ってくると、
働いてない自分がまた、阻害されてしまう。気持ち的に。
そんな感じかな。自分的には。
>>388 ヒッキー板的には、真性ヒキとは、全く外出しない人
だと自分は理解しているけど。
阻害→疎外ね。
>>387 >どんなに内向的で人付き合いが苦手でも、一応、仕事に行けたりしている人まで
>『ひきこもり』とくくってしまうと論点がぼやけてしまいますから
この発言も矛盾したことを言っているというか、友達うんぬんだよといいながら、
やっぱり仕事というところを絶対的基準(境目)にしているんだな。
境目は、社会参加しているかどうかでしょ。
友人関係も、社会参加に含まれる。
>>379 >むしろ斎藤環をヒイキしているのはそういう自称系の人のほうが多いと
>いう実感があるんだけど。
そう。似非?ヒキにしろ真性?ヒキにしろ、共通しているのは、
同じラベリングを欲しているということだろうね。
>>394 むしろ、真性よりの人のほうが自分を「ひきこもり」として
レッテルを貼られたくないような気がする。
「ひきこもり」と名乗るのは、それが本当のコンプレックスではない
ある程度元気な人かも。
>>393 社会参加といわれてもねえ?
その社会関係の定義からネットは除外されているわけでしょ?
で、友達が一人もいなくても会社か学校という場所に出席出社
していれば社会参加だと。
あるいはネット上で一人で仕事やっている人も社会参加?
>>395 そうだよね。真性?の人のほうが世間が「ひきこもり」キャンペーン
で騒ぎ立てていることにむしろ心理的圧迫を感じていると思う。
|
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>>371のような粘着信者が必死になればなるほど、
| そこで語られていることは真相に近いんでつよ。
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>>396 自分は斎藤じゃないので細かい定義は知りませんが、
要は問題提起としての、「ひきこもり」カテゴリーなわけでしょ。
これは斎藤の定義であって、今後社会の中での「ひきこもり」の
表す意味は、変わってくるのかもしれないけど。
そう言えば斎藤批判で、ひきこもりの範囲を「社会的ひきこもり」まで
広げたことに対する批判があったけど、今度はそのひきこもりの範囲が
狭すぎるってわけか…
>>400 >そう言えば斎藤批判で、ひきこもりの範囲を「社会的ひきこもり」まで
>広げたことに対する批判があったけど、
そんな批判あった? 批判の中身を勘違いしているんじゃないのか?
>>400 狭すぎるとか広すぎるとかいうよりその中身。
>>400 つか、「斎藤批判」そのものが目的じゃないからね。たまたま斎藤さん
の言説が「ひきこもり」のバイブル的存在になってしまっているからね。
>>401 ひきこもりの範囲を広げて問題を煽って、みたいな言い方をされていたと思う。
斎藤さんの発言にはここで叩き台役になってもらっているわけでね。
斎藤さんの発言の中で同意したいと思う部分もないわけじゃないよ。
多くは同意できる内容だしね。でも批判的・懐疑的なところも大いにあるから。
>>404 拡大解釈して言い換えただけの語、というやつ?
>>406 よく覚えていないけど、以前は、引きこもりの範囲を広げて
人数を広げて、社会不安を煽ってるとか言われてた。
たしかに、ひきこもりという言葉は元々は家からほとんど
出ない人を指していたと思うけど、環以降は、無職パラサイト
友達無しも、ひきこもりに含まれるようになった。
>むしろ、真性よりの人のほうが自分を「ひきこもり」として
>レッテルを貼られたくないような気がする。
>「ひきこもり」と名乗るのは、それが本当のコンプレックスではない
>ある程度元気な人かも。
これは当たっているかも。
>>407 どういう手段にしろ、社会不安を煽ることが問題にされていたんだよね。
斉藤と対立中の某先生のフィールドワーク報告のつづき。
彼と面談している間じゅう、ストレスで死にそうだった。
酒のことは記したが、それこそストレスで気がちがいそうになって、
髪の毛をメチャクチャに切ってしまった。近所の美容院に行ったが、
あまりに短く切りすぎたので、あと2〜3ヶ月してから出ないと直せないと
言われてしまった。ドライヤーをあててもワックスをかけても頭のシルエットが
メチャクチャ。しばらく外出しずらいでしょう。
親はこういうヘンな医者のところに行くのがいい、病院に行けば行くほど健康に
なると信じて疑わない病院教信者だから、断れない。
どうせ患者のほうがおかしい・悪いとあれやこれやの解釈で責められるんだろう。
もう心がボロボロ。
友達とメールをやりとりするのだけが心の支えだ。「医療なんかに負けちゃダメだ」
と自分にいいきかせ、ジョギングをしたりしているが、食欲はうせて、
受信した日から数えて10日ほどたつ今も、一日1食しか食べられない。
どうしてあれほど自己嫌悪・自己否定をあおるようなおかしなことばかり言えるのか
不思議。本を書いているときとは多重人格なのか? と疑ってしまうくらい。
政治的には支持するが、個人的には生理的嫌悪感しまくり。
それでも斉藤よりはマシだというのが何とも……。
>>408 案外、たまきんはそれを解っていてやった可能性もあるな。w
つづき。その医師にはもう大事なことは何一つ打ち明けられないと思う。
無意識のうちにごまかしたりうそをついてしまうだろう。
はじめはウヨク系の親に影響されていたのか、国の先生に忠誠を誓えない
自分がおかしいと自分をせめたが、意味がない。後でおちついて考えれば、
むこうのほうがおかしいとしか思えない。
まあ50歩100歩でも50歩のほうがマシってことか。
何をもってまともな人間「関係」とするか否か勝手に医者が定義するというのも
ファッショ的だしね。まあ今時の国家公務員なんてこんなものか。文化長官が
長官だしね。本では立派なことをおっしゃる先生も職場では処世術優先なのだろう。
彼は年金も退職金もとれる世代だしね。
まあ、多少イタかったが、自分がかねてから興味のある文化社会学の
いいフィールドワークになったさ。かなりムリヤリだが、
面 白 か っ た
それでいい。
みなも、誰とは言わないけど、医者には気をつけようね。
斎藤環は過去の人
よってこのスレ終了
いえいえ、まだまだ批判する必要があります。
よってこのスレ存続。
今時の知識はリンクやループを含んで展開するってミヤダイも言っている
しね。いいじゃん。ループしたって。
>>410 >親はこういうヘンな医者のところに行くのがいい、病院に行けば行くほど健康に
>なると信じて疑わない病院教信者だから、断れない。
親がわざわざその先生がいいからその先生の所へ(だけ)行けと言うの?
でもその先生は、ひきこもりは病気じゃないし、病院へ行く必要なんかないし、
周りの人が病院へ行け行けと煽るほうが悪化すると言っているような医者なのにw
その先生のところへ行けだなんてまったく勘違いしている親だね。
>>410>>412 痛々しい自己告白になってきたね・・・。
精神科医にはおかしい人が多い。というよりも、意外とどんな先生も、大したことはし
ないものだからね。期待が大きくて、それでガッカリさせられる側面もあると思う。
>>326,
>>410 なるほどね。ボーダーとか何とか叩かれてるが(w 指摘はとても冷静だと思う。
たとえば自民党の主流派と非主流派の違いのようなもので、非主流派の側は
必ず一般受けすることを言って、世論の支持を集めて主流に転じようとする。
(晩年の野中広務のように)
かつて奥地に負けた稲村・斎藤の側は、だからこそ一般受けを狙ったのだろうし
現在主流の側に躍り出た斎藤を追い落とそうとする側も、やはり一般受けを狙う
だろう。
みんな、世論にはすごく敏感なんだね。
でも、診察室や病棟の中で起こっている事にも、世論からの断罪は及ぶ。
今や、ネットを通じて口コミが広がるからね。口に戸は立てられない。
ただ、薬を出さないという点だけは珍しいと思うし、評価していいのかも知れない。
#カルテにどう書かれているかはワカランけどな
これは、某青健関係とは大違いだ。
あそこの人たちは、
>>410のような状況を正直に訴え続けてると、場合によっては
入院を勧めてくる。外来患者も、割とあっさりハロペリ漬け。
本人が受診していなくても、親とだけ綿密に話し合って、我々を病室にねじ込む技も
お得意だ。恐ろしいことです。
>それでも斉藤よりはマシだというのが何とも……。
……ご愁傷様。というかお疲れ。
しかし本当に、精神科医と言う方々は、一体なんのために存在するのやらと
つくづく考えさせられる。
>>417 >ただ、薬を出さないという点だけは珍しいと思うし、評価していいのかも知れない。
ここを読む限りでは、薬が出ているか否かまでは書いてないよ。このあたりは
どうなんですかね?
>これは、某青健関係とは大違いだ。
具体的には、佐々木・北の丸のこと? その診察室の中は知らないが、青健のセミナ
ー出席者の子どもには、病院に行ってない人、薬を飲んでない人はけっこういるらしいよ。
重なる層もいるが、あそこの会員=佐々木・北の丸の患者ではないし。診察室の
中まで入るとヤヴァいのかもしれないが。
417と418のタイムラグ: 12分
>>417 >かつて奥地に負けた稲村・斎藤の側は、だからこそ一般受けを狙ったのだろうし
>現在主流の側に躍り出た斎藤を追い落とそうとする側も、やはり一般受けを狙う
>だろう。
例えば高岡のような立場が、一般受けを狙ったものとは思えないが、
反対に一般の価値観にあえて抗しているように思われる。
稲村や斎藤や小田や町沢のような価値観のほうがよっぽど一般受けしやすい。
ひきこもりに無理解な親の期待も満たし易いと思うが。
「ひきこもり」肯定論がいまの世論に迎合したものとは思えないけど。
むしろそうした迎合を広告上でうまく演じているのは斎藤先生なんじゃないかなあ
広告上でうまく演じ分けている
>>417>>420 一口に「一般」といっても、多様化しているのだろう。
大雑把に言って、保守一般に受けるのが斉藤系。
リベラル一般に受けるのが奥地〜高岡系。
>>335 >■男性としての自信のなさが引きこもりへ
何度見ても、包茎手術とかダイエットの広告の煽り文句みたいで笑える(w
やはり
>>190-191のような「父性の復権」志向が色濃いね。
こういうジェンダー観に基づく「ひきこもり」文脈が、斎藤以前からも脈々と存在
する点は見逃せない。
これら父性絶対信仰論者の本音は、以下のような粗暴極まりないものだ。
(戸塚ヨットスクールが、ゴリゴリの保守系誌「正論」に載せた文章)
ttp://www.totsuka-yacht.com/seiron2.htm >力の否定が男をダメにした
>
>何でも平等を唱える戦後教育は、力を否定し、体罰を否定し、いじめを否定し、
>競争を否定し、当然のように戦争を否定し、男が強くなるチャンスを奪って
>しまいました。
>日教組が行った戦後教育は、人間の悪い側面の行動(=自分本位の身勝手なシステ
>ム作り)のそれであり、大いなる自然の意志に反した行動なのです。
> 「力は正義なり」は正しい言葉です。強くなければ縄張りを守れません。
>強くなければ女は寄ってきません。強くなければ、指導者、権力者、インテリ、
>士にはなれないのです。
>>336 まさに環と同じ論理で、「ひきこもり」そのものは病気ではないとしながらも
彼らを精神科で囲い続けることの意味だけは手放そうとしないんだな。
んで、発行年が1992年、と。うーむ。
>>415 その医者が自分に合わない医者なら代えりゃいいだけの事じゃんね。
世の中、斎藤とその医者しかいないってわけじゃないっしょ?
ある人には最悪でもある人には最高という問題だからね。
ま、そもそも、社会の精神医学化とゆーんか、なにか心に問題がある
というと、とにかく医者に池とあおるような世の風潮も問題だね。
>>425 冨田さんの肩を持つわけではないが、引用部を読む限り、ストレートな男性主権願
望とは言い切れないのでは?
>満ちたりた母性の中で育った男性が、
>父性を持つ「男らしさ」みたいなものを獲得できず、成長していく。
>そして、自立、働くといった父性を発揮すべき状況に直面したとき、立ち往生してしまうのだ。
つまり、「男らしさ」「父性」の強迫から解放されれば救われる、という読み方も
できるよ。
>>425 そういうネオコン的論理が世論をつかむことがある...でもって戦争まっしぐら
現に女性についても、
>ところが最近、「女性の自立」が言われだしてきたためか、その期待の前にすくみ、
>引きこもりに至る女性も現れはじめている。
ここもまた、「自立」の強迫の苦しみについて記している訳だし。
その後の冨田さんの結論部分を知らないので、ひょっとすると冨田さんは「やはり
自立・父性の獲得は必要だ」と言っているのかもしれないが。
余談だが、冨田さんのフレンドスペースは高いらしいので、お世話になりたい人はよく
考えよう。お金は大事だよ。
>>427 >つまり、「男らしさ」「父性」の強迫から解放されれば救われる、という読み方も
>できるよ。
まあ、あえてその文を逆説的に解釈するように読もうとすればね。
>>429 >その後の冨田さんの結論部分を知らないので、ひょっとすると冨田さんは「やはり
>自立・父性の獲得は必要だ」と言っているのかもしれないが。
講演会でも父親の存在感を強調しているね。
いくつもの連帯のカキコ、ありがとう。
>薬を出さないという点だけは珍しいと思うし、評価していいのかも
その某大学病院の助教授は、ずっと稲村系の病院の調査をしており、
不登校への投薬主義を批判してきたからね。(とはいってもギルドの仲間内での
ゆるい甘い馴れ合い的批判ではあるが。)
そうだね、今度はテープレコーダーでも回しながら、
「カルテ見せてください」と頼んでみるか。(いや、リスクが高いから
やめたほうがいいかな)
その先生はタヌキオヤジだね。診察室に人を呼ぶときは優しくソフトな
印象を与えるように装っていたのに、部屋に入るといかにも人を見下した
家父長制バカオヤジ丸出しに豹変したんだもん。しかも、もう一度部屋の
外に出るときには、上のほうのカキコにもあった「理想の慈父」像を
演じている。こちらもうまくキツネになって相手をバカさないとね。
というか、つきあわないですむのが一番いいんだが(苦笑
>>429 >>ところが最近、「女性の自立」が言われだしてきたためか、その期待の前にすくみ、
>>引きこもりに至る女性も現れはじめている。
>
>ここもまた、「自立」の強迫の苦しみについて記している訳だし。
自立を迫ること、自立に拘ることが、かえってその反動形成を強めると、
自立強迫観念を批判・相対化していると読める?
>>433 >というか、つきあわないですむのが一番いいんだが(苦笑
じゃあなぜその医者のところへ行くの? 同じ病院ですらその医者だけしか
いないわけじゃないでしょーに。自分に向いている医者を探せば?
>>436 まるで「機能不全家族」とかいう言葉を使っている人の・・・
>>435 いい質問だね。
それはね、親を牽制する必要があるからさ。
親は国だの権威だのに大変弱い。
親と大事な交渉ごとがあるときに、まともに話し合いにならない。
そのときに、不本意ではあるが、その先生の権力・権威を利用したいのさ。
それは直接先生にも伝えて同意をえている。
彼も主観的には善意の人なのだよ。(客観的にはヒドくても)。
診療室の中だけでは権威を崇拝する儀礼を行うが、自分で選んだ面従腹背
なんだからなんとかこなせるよ。
オヤジなんてたいがいエッチでアホ、エリート的な階層の人なんて
たいがいは傲慢で自意識過剰、そんなことくらいでハシゴをはずされて
途方にくれる自分じゃない。うまく利用して自分の権利を勝ち取るための
道具として使うよ。そもそも医者なんて機能であって対象じゃない、
当為であって存在ではないんだから。
別にその医者と個人的に友達にならなくてもいいんだしね。
信用できないならできないなりにつきあうしかないさ。だいたい、
学校に行っているヤシらのほとんどは信用ならない世の中だ。
ちょっと信用できないからってつきあいを切っていたら誰ともつきあえなく
なってしまう。
自由に関係を選べない環境にいる以上、当面のところこれで行くしかない。
いつかもっと自由になる希望を捨てずにしぶとく生き残ってやるさ。
>>438 たぶん君はひきこもり(?)にしてはかなり行動派な人なんだな。
親を牽制するために病院にも行くし、信用できない医者とも妥協
しながら付き合い続ける。たぶん自分では気がついていないくらい
世渡り上手な人だと思うよ。
>>439 あるべき正しい「家族」のイメージをノスタルジックに美化して、
その理想型モデルに現実の個人を当てはめようと矯正するのは、
保守系思想にありがちなパターンだったりするけどね。
>>373 とびらの会に対する斎藤のアプローチを知らんの?
>01年のインタビュー
全体の意味を捉えていない、些細な揚げ足取りだね。
なんなら
「当事者同士の情報交換が相当お気に召しませんようで(笑)」
でもいいよ。
浅羽通明と斎藤環の言説がシンクロしていたという点(
>>368)については
特にどこからも否認の言葉が飛んで来ないようで。
>>382 >「おたく」にしたって、いろいろな人が「おたく」を自認すること
>に抵抗がなくなって「自分はオタクだよ」とか自称していって、
>差別的な意味合いがそこから融解していったほうがいいと思うんだけどね。
>そういう意味での自称ひきこもりは、もっと増えるべきだね。
同意。その意味で、宮崎勤事件の後に岡田斗司夫が展開した仕事というのは、
管理教育が吹き荒れた季節に、登校拒否・不登校をみずから名乗って
手記を書き始めた「シューレ」と同じベクトルを持っていたと思っている。
どんなに商業上の理由で脚色が加えられていようともね。
ところがしかし、自称ACや自称ヒッキーを許さない斎藤センセイは
やはり自称おたくにも否定的で、「おたくがおたくを自称することはあり得ない」
というような言い回しを、あちこちでしている。
この点、一貫性はあるんだよ。
この論理で行けば、自称・異性装者とかもNGなんだろうなぁ。あくまで医師の名の下に
性同一性障害という診断を下さないと気が済まない。
いわゆる当事者性を、当事者の手中から自分の手中へと持ってきたいわけだね。
(2)
元「ゴー宣」関係者・浅羽通明の「おたく」論を、もう少し詳しく見てみよう。
----
「おたく」は「おたく」自身の姿をも俯瞰し、パロディ化する。
ロリコン青年を嘲笑する漫画を掲載した同人誌は多い。
ほかならぬ「おたく」であった中森明夫によってネーミングされた「おたく」という
言葉自体、差別語というよりも自嘲語だったのではないか?
彼らは自嘲により、自分だけは自覚できている→最悪の「おたく」ではない、という
安心を得るために使った。「おたく」は「おたく」の当事者性さえも引き受けようと
しない。
いつでもどこでも当事者とはならない傍観者である彼らは、認識するのみであるから
傷つかず、経験せず、成長しない。
----
↑はもう、斎藤環のおたく論の元ネタかと思えるほど、そっくりだ。
ヒッキー板的には、このように読み替えれば理解しやすい。
----
「ヒッキー」は「ヒッキー」自身の姿をも俯瞰し、パロディ化する。
ロリコン青年を嘲笑するスレは2ちゃんねるに多い。
ほかならぬ「ひきこもり」であった2ちゃんねらーによってネーミングされた
「ヒッキー」という言葉自体、差別語というよりも自嘲語だったのではないか?
彼らは自嘲により、自分だけは自覚できている→最悪の「ひきこもり」ではない、と
いう安心を得るために使った。「ひきこもり」は「ひきこもり」の当事者性さえも
引き受けようとしない。
いつでもどこでも当事者とはならない傍観者である彼らは、認識するのみであるから
傷つかず、経験せず、成長しない。
----
(3)
これらは確かに、ある一面を言い当てた意見ではあるのだが、見逃してはならないのは
このような手法で、ラベリングされた側の当事者性・主体性を、ことごとく無効化
している(それが結果的であれ何であれ)という点だよ。
こういう論理展開を取っているからこそ、斎藤は
>『ひきこもり』の人の大半は、インターネットやってませんから
と、首を傾げざるを得ないようなことを言えるのだろう。
>>384 「おたく」→ 二重見当識ならぬ多重見当識により、統合失調症の疑い
また性同一性障害併発の疑い
「ひきこもり」→ ひきこもった後、二次的に精神病・神経症が発病する
ビョーキ予備軍
「おかま」→ 性同一性障害の疑い
ステキだね。(苦笑)なんでも回収できるように出来ている。
こういう状況一般については、それこそ今まで何度か取り上げられた通り
様々な人が批判を加えているよね。
>>428 そうそう(-_-;
>>438 こちらが利用する側なのだ、という当たり前の意識を持ち続ける事は
大事だね。どこの科でも、医療全般を受けるにおいては。
>>469 けど、
>>335を読むと、男性の父性の獲得については当然の前提のように語って、
その欠如が男性の挫折を招くと嘆き、他方、女性については「女性の自立」が
言われ出した時代の風潮を嘆くかのような書き方を富田氏はしている感じだね。
>>443 >その意味で、宮崎勤事件の後に岡田斗司夫が展開した仕事
世間に与えたインパクトの大きさにおいて、最大のオタクは宅八郎では? 良くも
悪くも、メディアでオタクを笑いモノにして、無害化したのは彼でしょう。
もちろん、彼はあくまで「オタク」の世間的イメージを利用した自虐タレント(そのくせ、
田中康夫とケンカしたり、プライドだけは高い)に過ぎなかったけど。
オタク論壇的には、大塚や岡田の名前が出てくるのだろうが、岡田なんざ、東大の講師に
なるまで世間では誰も知らなかったよ。
>>444 浅羽さん、まるで思想オタクである自分のことを指して言ってるかのようだw というか、
そうなんだろうけど。
それにしてもここのヤツらは妙に詳しいな・・・。
>>443 >手記を書き始めた「シューレ」と同じベクトルを持っていたと思っている。
>どんなに商業上の理由で脚色が加えられていようともね。
改めて読み直してみたが、岡田がシューレと同ベクトル!? とは・・・いや、恐れ入った。
いいことを言っていても、しょせん、メディアプロデューサーとオタク評論家を使
い分ける岡田の本質は、ボケつつ元を取る関西系商売人だと思ってたんで・・・。
これは、中森明夫・大塚英志・唐沢俊一といったメンツにはみな感じることだが。
結局、ヒラのオタクは岡田たちに搾取され、ひきこもりは斎藤に搾取され、の違いじゃないのか?(苦笑)
ところで、宅八郎はオタク・イメージを自ら笑いモノにし、オタクを無害化したが、
新たに固定された偏見を生み出す(理解不能な他者はとりあえず「オタク」と呼べば、
それで済ませてしまえる)という諸刃の剣でもあった。
シロウトにはオススメできないが、ひきこもりにこういうタレントが出てこない理由を
考えてみた。要するに、他者と交流した段階で、彼はひきこもりではなくなる(?)ので、
不可能なんじゃないだろうか? 余りにも単純な原理で恐縮だが・・・。
例えば、斎藤がプッシュしていた勝山実はどうか?(すぐに失速したが)
メディア登場以前から、勝山さんは鶴見済イベント追っかけの常連として、鶴見ファンの
間では顔馴染みだったらしい。
さらに、モノカキ志望の彼は、某商用サイトに連載される(これが「ひきこもりカレンダー」
になる)以前から、実はあちこちに自分の書いたエッセイを持ち込んでいたと聞く。これってどうよ?
ここの人たち的には、勝山さんが自分の物語に則って「ひきこもり」を自称するのはOKなの?
それとも、斎藤に飼い慣らされた犬なので論外?
>>447 >世間に与えたインパクトの大きさにおいて、最大のオタクは宅八郎では? 良くも
>悪くも、メディアでオタクを笑いモノにして、無害化したのは彼でしょう。
「世間に与えたインパクト」でいえば、おそらくほとんどの人が、真っ先に
宮崎勤の名を挙げるでしょ。
あと、なぜ「オタクを笑いモノにする」ことが、オタクの無害化に繋がるの?
ここ、ちょっと意味不明。
で、宅八郎と岡田斗司夫だと、メディア上でのキャラが違いすぎると思うが。
宅八郎は
>>447も指摘の通り、一にも二にも「キモい人」というイメージを過度に
押し出したタレント。
「おたく」自身が他人事のように「おたくってキモいですね」と自嘲する、
まさに中森明夫や浅羽通明が描いた、自称不可能な「おたく」像をトレースして
演じてみせた人ではないのかな。
岡田斗司夫は、彼の太目の風貌を指して「キモい人」という人はいるのかも
知れないが、ワイドショー的には
「サブカルチャー全般に詳しく、東大非常勤も勤めるコメンテーター」
ということで、権威に弱い日本にあっては、少なくとも宅以上には文化人(wだという
認知がなされていたのでは。
#もちろん東大で教鞭を握るようになって以降の話だが
岡田は、中森や浅羽の試論をトレースするような自嘲や卑下は、あまり行っていない。
むしろ逆に、自分たちの生き方を、趣味だけでなく人生レベルで積極肯定し、
さらにはオタク資本によって全世界を支配するのだ(笑)的な、ユダヤ・キリストばりに
大仰な選民思想を流すことによって、宮崎事件以降も続くバッシングを解毒
する者としてのメディア展開をした人だったように記憶しているけど。
宅はどうみても、世間の恐怖を煽る表象だろ(w
>>448 いや、それを言い出したら「奥地がどれだけ登校拒否・ひきこもりの地位回復に
役立ったのか」という議論と同様、ある種、各人の主観に依存せざるを得ないような
レベルの話になりかねない。
#奥地はいちおう客観的な実績も挙げているけどな
そりゃ、岡田は本質的には関西気質の商売人であり、芸人でございましょう。
ネット上の反応だけを見ても、彼の元いた業界周辺では「あんな文化人崩れに成り
果てた奴など知ったことか」という冷めた意見が多く、感謝や歓迎までは
されていない様子だ。
ただ、それはそれとして、奥地も岡田も、当事者の地位回復を図るような言説・
当事者の選択を積極肯定するような言説を展開した、という点では共通しているよ。
こうした共通点があるからこそ斎藤環は、奥地のことも岡田のことも揶揄している
のではないか。彼らの言説の持つ、強い当事者性こそが、斎藤の利害には触れる
のだよ。
くれぐれも言っとくけど、彼らの言説が一体どれだけ当事者の地位回復に役立ったか?
というのは、また別途検討されるべき話であってね。
>>450 粘着するのも何だけど・・・そもそも、
>>443 で展開された
>宮崎勤事件の後に岡田斗司夫が展開した仕事というのは、
>管理教育が吹き荒れた季節に、登校拒否・不登校をみずから名乗って
>手記を書き始めた「シューレ」と同じベクトルを持っていた
という史観は、そもそもが間違いなのではないか?
宮崎勤事件が89年。JICC出版局(宝島社)の「おたくの本」が、同じ89年。
ちなみに、これが町山智浩の述懐だね。
ttp://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040305 いま手許にないが、ライター陣はどんなメンツだったか・・・。ライターに岡田はいたか? 岡田
たち関西系オタクの活動はルポされていたか? 肝心のその点は記憶にないが・・・。
宅八郎デビューが翌90年。さて、岡田がやたら一般向けのメディアに登場するようになったのが、
94・95年前後だったと記憶する(岡田本人のサイトの書庫でも、バックナンバーはこの時期から始まっている)
少なくとも時間軸としては、岡田が「宮崎勤事件の後に」云々、というのは、まったく
成立し得ない話だと思う。80年代から90年代前半までの岡田は、商売に忙しかったのではないか?
何しろ、当の89年には「トップをねらえ!」が発売されているのだから・・・。
繰り返し書くが、彼の本質はあくまで、メディアプロデューサーだろう。
だから、東大も騙されて(!?)講師に採用してしまった。
>当事者の地位回復を図るような言説・当事者の選択を積極肯定するような言説を展開した
と仰るが、彼の場合、どこまでが商売上のサービスか、本気か、よく判りがたい所
があるので、こう言い切っていいものか、どうか?
あらら? なんか話が逸れてきたようだ。
奥地-岡田のような当事者(の利害を代弁する表象)を「みずから物語解釈をする
資格はない」として捨て去る斎藤環、というのは、それはそれで事実だろうよ。
そんなに粘着されましてもね。
>>443-445の要点としては、のちにコヴァの「ゴー宣」ブレーンとなる浅羽通明が
ラベリング論において斎藤環とほぼ全く一致する発言をしているという点であり、
それらには戦後民主主義批判論者に典型的な論理展開が読み取れる、ということだ。
こっちがむしろ本題ね。
中森にしろ宅にしろ浅羽にしろコヴァにしろ、この人たちはみんな産経「SPA!」方面
というか、思想的には近いグループなのかも知れないね。内紛はあるようだが。
当の環も「SPA!」方面には支持されてるようだし。
>>454 だから私は、岡田は「当事者(の利害を代弁する表象)」と言うに値するのか?
という話をしているのだが・・・。どうして岡田なんぞにそんなに期待を掛けるのか?
たしかに岡田の発言を読むのはいい。タメにはなる。それは否定しない。
ただ貴方は認めたくないだろうが、岡田がいかに、オタクの自嘲・自虐を小ネタにしま
くっていることか。「オタクの迷い道」とかね。
>それらには戦後民主主義批判論者に典型的な論理展開が読み取れる
たしかに、浅羽さんは元々、自分は師匠格の呉智英を超えられないのに、他人には
「オトナになれ」と言いたい人みたいだけどね・・・。
話がサブカル方面に展開してきたね。
これはこれで面白い。
>ここの人たち的には、勝山さんが自分の物語に則って「ひきこもり」を自称するのはOKなの?
>それとも、斎藤に飼い慣らされた犬なので論外?
うーん、自分的には、「引きこもりカレンダー」は当事者の実感が上手に
書かれていてよかったと思うよ。読み物としても楽しめるつくりになっていたし。
ただ、彼の「引きこもり」というアイデンティティ認識は浅いと思った。
自ら「引きこもり」と名乗ることによって、かえって差別・偏見を再生産してしまう
リスクについて無自覚すぎる。それに、自分たちの権利なり解放に決して最終的には
協力的でないであろう斉藤環と距離をおかずにべったりなのがイタイ。
結局勝山は、環を利用する気でいながら利用されただけじゃないのかな?
やっぱりヒキっぱなしだと、視野がせまくなったりして不自由という苦しみは
あるよね。
斉藤系にせよ高岡系にせよ、ヒキを極端にもちあげたり、おとしめたり、
ちょっとリベラルかと思えば同情にすぎなかったり、はたまた「自分のほうが
エライ」と示すための見栄だったり、自分のおかしな性格をごまかすために必死に
非難/擁護していたり……。
やはり本当に当事者の利害を代表する言論はまだ出ていないとみるべきだろう。
(もちろん、ヒキというカテゴリーは虚構かもしれない。しかし、ヒキであるゆえに
まとめて差別され偏見にさらされるという一点においてだけは確実に共通性が
あり、利害の一致があるのだ。)
>>440 おほめの言葉をありがとう。
まあ、これから何度も通ううちにハロペリづけにならない保障もないわけだが。
病院とはそんなコワイところさ。
まるでマッドサイエンティストみたいな環も、はたまた敵対者の社会批判オタクの
ような高岡も、ともに偏差値で自尊心を刺激する日本の受験システムや、
異様に窮屈な共同体的医局制度や、社会のために個人を否定し侮辱し排除する
精神医療制度そのものが生み出した怪物なのかもしれないと、自分は思う。
二人とも客観的には問題ありすぎなのに、主観的には善意でいるのも共通している。
論争もギルド仲間の近親憎悪の側面が強そう。
故稲村先生や広い意味で自分たちの後輩にあたる環について彼が語るときの
姿勢・表情・声色などからそう直感したね。(もちろん文化社会学の
理論学習で免疫ができていたこともあるけど。)
>>453 >宅八郎デビューが翌90年。さて、岡田がやたら一般向けのメディアに登場するようになったのが、
>94・95年前後だったと記憶する(岡田本人のサイトの書庫でも、バックナンバーはこの時期から始まっている)
「おたく」のスティグマ的イメージは、少なくとも80年代末から90年代
前半くらいまではずっと持続・固定化されるか増幅・強化されてきた面の
ほうが色濃いとは思うけどね。現在でもそのベースには変わりがないと思う。
ただ自分の周囲の傾向として言えば、己の趣味趣向を語るときに「オレは
○○オタクだよ」みたいな表現を半ば自慢気に半ば自嘲気味に、誰もが気楽
に自認して使う雰囲気がいくらか見出せる程度には、限定的意味において
その異端視的感覚が相対化された側面は若干あるかも。
「おたく」という語それ自体としては正面から精神医学化されなかったけど、
このラベリングによる社会問題化が、その前から存在したメディア趣向への
不寛容な有害視をひろく世間に目覚めさせ、意識強化し、増大させるような
イメージのコード化の役割を果たしてきたということはあったと思う。
オタクの人が、オタクの地位が向上したことによって
楽になった。生きやすくなった。これはまあ、いいでしょう。
んで、ひきこもり。ここでの主張の一つに、ひきこもりの範囲を広げて、
働いていたりしてもひきこもりだと認められるべきだ、という意見があるよね?
それによって、「ひきこもり」のマイナスラベリングが軽減して、当事者が楽になるという主張だよね?
それも一理あって、現に「ひきこもり」であることが、「ひきこもり」を自称することが
以前よりは、恥ずかしいことではなくなっていると思う。
でも、本当の問題提起としての「ひきこもり」はやはり、どこかで線引きしないと。
あまりに意味が広がりすぎると、本当のひきこもりがまた、自分の状態に関して、
疎外感を感じてしまう。「ひきこもり」カテゴリーに、働いている人も含まれたりするとね。
それからそもそも、環が「ひきこもりには働いている人は含まれない」と言ったことに対する反発だと思ったけど、
例えば高岡氏なら、「働いている人もひきこもり」と言ってるわけ?
高岡氏による「ひきこもり定義」なら、OKなのか?
ひきこもりの意味が広がることによる、疎外感について。
例えば、ここヒッキー板でも、普通に働いてたり学校に通ってたり
する人が、普通にそういう話題をここに書き込む。
それを読んだひきこもりは、
『お前はひきこもりじゃない。どうしてわざわざ、ヒッキー板に来て書きこんでるの?
書くのはいいけど、もう少し話題に気を使ってくれ』
と思う人もいる。要するに、こんな状態の人はやっぱり自分だけなのか、という気持ちを感じるから。
それに対して、
『俺は学校に行ったりバイトしたりしてるけど、心がひきこもってるから、ひきこもりだよ』
と言ったりすると、
『お前は偽ヒキだ。どうしてこうみんな、ひきこもりを名乗りたがるのか。』
と思う人もいる。
という内容の書き込みを以前はよく読んだけど、最近はどうなんだろう。
あんまり読まなくなってきたような…
>斉藤系にせよ高岡系にせよ、ヒキを極端にもちあげたり、おとしめたり、
>ちょっとリベラルかと思えば同情にすぎなかったり、はたまた「自分のほ>うが
>エライ」と示すための見栄だったり、自分のおかしな性格をごまかすため>に必死に
>非難/擁護していたり……。
>やはり本当に当事者の利害を代表する言論はまだ出ていないとみるべきだ>ろう。
それは、あなた自身の一連の書き込みのこと「でも」あるでしょう?
あなたの書き込みこそ、他人の評価を持ち上げたかと思えば、また
いっぽうではひどく貶めてみたり・・・それと同じことをやっている。
自分がひきこもりを客観的に代表しているつもりでもないわけでしょう?
むしろ私の感覚では、その行動力からみて、あなたが「ひきこもり」
であるとは思えないくらいですから。
むろんそれは私の見方であり、個々の数だけ多様な「ひきこもり」の
解釈があっていいんじゃないか、ということですよ。精神科医系のなかに
さえも斉藤-高岡という対立項が一つの見方・立場として存在するように。
どちらがより崇高かなんていう基準(それはあなたの見方自体のなかに
あるのでは?)でここでのやりとりを評価しているのはまったくばかばか
しいでしょう。それより、そこから「ひきこもり」の基準をみずから
相対化する視点をもてばいいんじゃないでしょうか。
>>424 >大雑把に言って、保守一般に受けるのが斉藤系。
>リベラル一般に受けるのが奥地〜高岡系。
大体その通りなんだろうけど、必ずしも一致するとは限らないと思う。
保守系の人から見れば、斎藤は「ひきこもり」ラベルを作り上げて宣伝して、
当事者のひきこもり状態を保証して増加させてる、とも見られるんじゃないかなあ。
本当はあいつらはただの怠けか甘やかしに過ぎないのに、病気みたいなものを作り上げてると。
裁判で、人格障害者が減刑されるのを、あいつらは勝手に病気を作り上げて…
みたいな反発があるのと同じように。
>>461 俺はその人の書き込み、別にいいと思ってるけど。
全ての書き込みを真に受ける必要もないんだし、
正直おもしろいので、もっと書き込んで欲しい。
>>462 たとえば、中国共産党政府が法輪功の信者を精神病として、家族制度を
破壊する社会病理として、精神医療の対象にとりこむような現象はどう思う?
精神医療がそういう役割を果たす構造も社会的には存在するんだよ。
>>462 ちなみに人格障害者というカテゴリーも問題を含んでいるね。
>>459 >例えば高岡氏なら、「働いている人もひきこもり」と言ってるわけ?
>高岡氏による「ひきこもり定義」なら、OKなのか?
どうも「高岡」という固有名の次元の問題にもっていきたいようですね。
ちなみに、高岡氏は「ひきこもり」を明確に定義していないようですね。
彼のなかでの一つの見方としてはあるようですが、定義する人の数だけ定義
があり、その人が自分を「ひきこもり」と見なすその自己評価過程こそが
問題になるでしょう、というふうな語り方をしていたと思いますね。
>>464 法輪功が、中国政府にとって反体制なのは分かる。
それから現在の中国の政治体制が、そのような体制なのだろう。
日本政府が、長期無職友達無し者を潜在的反体制分子と見て
それ故、体制維持の為に、精神医療を利用しているとは、
思わない。斎藤が、国家体制維持の為に、無職友達無し者を
病気扱いして協力いるとも、思わない。
話を不登校に戻せば、その構図は当てはまるかも。
文部省は、学校体制は問題がない。
不登校をする子どもにこそ、問題がある。
稲村も、不登校をする子どもが、病気同然だとする。
しかしそれでも、稲村が学校体制維持に協力するために、
そのような主張をしていたのかは、分からないと思う。
結果的には利害が重なるものがあると思うけど。
>>467 >法輪功が、中国政府にとって反体制なのは分かる。
法輪功は反体制なの?
付言すると、「同性愛」にもよく似たような社会の構造が
絡んでいるかもしれないねね。
>>468 潜在的反体制
と中国政府は見なしてると思う。
>>470 知らないけど、だからこそ中国政府は、弾圧するんでしょ。
>>471 中国政府の側にしてみれば「弾圧」しているつもりじゃないと言うはず。
「政治的弾圧」は法輪功信者の被害妄想だと。
中国政府の側はむしろ人権保護の観点からカルトによる被害対策を
積極的に講じているんだみたいな理由づけになっているようです。
>>458 誤字があった。w
趣味趣向→趣味嗜好
メディア趣向→メディア嗜好
法輪功という教団名をスティグマ化するために、その活動がいかにトンデモで狂信的
な内容なのか、その信者を救い出すために治療が必要であるか、さらに犯罪報道とも
結びつけ、その教団がいかに社会秩序に有害な影響を及ぼすのか、斎藤氏ではないけど、
それこそ「国を滅ぼす」ような存在になるみたいなことを、中国政府は、公共電波など
公共機関を導引してキャンペーンしているようです。
まあ、日本のような国ではこれほど露骨なキャンペーンはできないでしょうが。
>>462 普通は、人格障害では減刑されないそうですね。
勘違いしていた。
>>478 人格障害はそういう便宜的概念として登場しましたからね。
>>455 激しくループしている。
>>451。
奥地や岡田は当事者を自称している。あるいは自称当事者という表象を世間に晒して
出版活動などを行っている。
そして斎藤環は当事者による自称を常に否認している。
「自称ひきこもりは認めない」
「おたくはおたくを自称しない」
とね。
で、このロジックは、斎藤に先行して活動していた元「ゴー宣」ブレーン・
浅羽通明とも共通していたと。
そしてそれは戦後民主主義批判の文脈ではないかと。
ただこれだけの話をしているにすぎない。ので、それらの指摘は無意味だ。
つか、
>>453と
>>455の質問の間には、ある矛盾が含まれているね。
>勝山さんが自分の物語に則って「ひきこもり」を自称するのはOKなの?
自称ひきこもりを認めないという斎藤は、なんと言っているんだ?
念のため言っとくと、斎藤がそこで言った「自称ひきこもり」は、
働いてたりするのに「私はひきこもりです」という人のことね。
>>477 日本のマスコミの構造も、ある意味かなり一元管理されてはいるっしょ。
記者クラブの警察発表と、広告代理店という2つに縛られてるし。
欧米から見たら、ちょっと息苦しいかも。
>>481 あのインタビューの表面上は、ね。
自分の定義の範疇以外で「ひきこもり」という語が使われる事は常に認めないと。
でも、精神病・神経症全般に対する彼らの見解を読むと、患者が「症状」を自称する
事自体がマズいという立場のようだよ。
なるへそ。なんとしても環サイドは患者の自律性を認めたくないんだね。
>>483 >自分の定義の範疇以外で「ひきこもり」という語が使われる事は常に認めないと。
これは推測でしょ。
>>483 >患者が「症状」を自称する事自体がマズいという立場のようだよ。
その病気(症状)ではないのに、『私は〜症(精神系)です』とか
勝手に自称するのは、そりゃあんまり好ましいことではないだろう。
>>480 ループも何も・・・自分はそもそも、岡田はオタクの利害を代弁する表象と言えるのか?
疑いを持っている。
>>443に記述された歴史観など噴飯の極みでしょう。その理由は書きましたよね?
貴方の話の前提そのものが違うと思う。それが言いたいだけ。
よしりんとくっついていた、というだけの理由で浅羽さんに粘着しているけど、当の
浅羽さん自身がオトナになれない人なので(呉さんを超えられず、宮台にはバカにされ)、
「浅羽、オマエモナー」と言えば終わる話でしょう。
>自称ひきこもりを認めないという斎藤は、なんと言っているんだ?
「ひきこもりカレンダー」解説を読めばわかる。詳しい内容は忘れたw トリック・
スターとしての勝山実に期待したい、らしいよ。
>>467 >話を不登校に戻せば、その構図は当てはまるかも。
>文部省は、学校体制は問題がない。
>不登校をする子どもにこそ、問題がある。
>稲村も、不登校をする子どもが、病気同然だとする。
登校拒否という社会制度不順応状態をあたかもそれ自体で病気であるかの
ごとく治療の対象に仕立て上げたということは、精神医学が社会制度維持
ないし問題解決のための政治的道具として濫用された面があった、とされ
ても過言ではないと思う。
>しかしそれでも、稲村が学校体制維持に協力するために、
>そのような主張をしていたのかは、分からないと思う。
>結果的には利害が重なるものがあると思うけど。
中国政府とてそういう理由は否認するでしょう。
中国精神医学会も精神医学の濫用を否定しているようだし。
ヒキ板最強オタクだね。
>>488 だから勝手に噴飯でもなんでもしてればいいじゃないか。
漏れに八つ当たりされても困るよ。
君個人がそんな疑問を持とうがなんだろうが、なにも影響力はないし
事実は事実として変わらん。
粘着信者ってタチが悪いねぇ。
つか、コヴァ信者?(w
>>487 「自己診断と、私たちによる診断とは違います」というだけの話なら
納得できるのだけどね。
だってさ、たとえば働いてる人が「ひきこもり」」を名乗って、何が悪いんだろう?
それこそ、それが本人にとって良い結果を促すのなら、それはそれで良いと思うのだけど。
>>494 わたしはそういう人は(ひきこもり問題の専門家の1人として)
「ひきこもり」とは認めません。
というだけの話でしょ。勝手に自称するのは誰にも止められないし。
ひきこもり定義論争はわりと不毛になりがちだと思うんだけど、
斎藤は、こう思う。こういう定義をしている。厚生労働省はこういう定義。
高岡はこういう定義。一般的にはこういうイメージ、とか色々あると思うけどね。
んで、斎藤としては、そう考えているというだけでしょ。
>>494 >だってさ、たとえば働いてる人が「ひきこもり」」を名乗って、何が悪いんだろう?
>>385 が言ってる見たいに援助のリソースが拡散してしまうからでしょ。
「みずから物語解釈をする資格はない」とかじゃなくて、単に実利的な問題だと思うよ。
精神医学の濫用の疑いがあるんだよね。
カルトといえば、日本ではオウムか。
これも、国を挙げて・世論を挙げて排除されたな。
犯罪を排除することと、少数弱者を排除することが、なんだか一部で混同されている
感じがするけど。
>>485 そんな感じはするね。
>>494 >だってさ、たとえば働いてる人が「ひきこもり」」を名乗って、何が悪いんだろう?
そうだよね。
結局、「社会的ひきこもり」概念は何を物差しにしている概念なのか。
斎藤によれば、働いているか働いていないか、という物差しになる。
それに、斎藤の社会的ひきこもり概念自体にもかなり幅があるわけだしね。
支援なら支援を要望する側のケースも一様ではない。
>>499 >犯罪を排除することと、少数弱者を排除することが、なんだか一部で混同されている。
法輪功信者は犯罪者として排除されているのだろうか。
犯罪の原因と結びつけられて少数派が排除されることもあるね。
>>496 >んで、斎藤としては、そう考えているというだけでしょ。
斎藤は、精神疾患でないその状態をあたかも医学の対象であるか
のように論じた側面があったからね。
>484 :(-_-)さん :04/03/11 22:20 ID:???
>なるへそ。なんとしても環サイドは患者の自律性を認めたくないんだね。
>485 :(-_-)さん :04/03/11 22:45 ID:???
>
>>484 >精神科医はみんなそうだよ
だから精神医療のあり方も含めて問われる必要があるね。
>>501 >法輪功信者は犯罪者として排除されているのだろうか。
法輪功のメンバーは、社会的に排除されているのではなく、
社会的に救い出されている、ということになっている。
>>493 >事実は事実として変わらん。
大塚英志でも持ち出すならまだわかるんだけど・・・。
宮崎事件後、世間が「オタクってどうよ?」といちばんホットだった頃、岡田は一般
にはまったく知名度が無かった。岡田がメジャーシーンに登場した95年頃は、すでに
ジブリのヒットで、一般人がこの類のサブカルチャーに寛容になり始めた時代。
この一事で充分じゃ?
>>505 >ジブリのヒットで
ジブリは「オタク」とあまり関係ないような・・・
ディズニーアニメのような地位にあるのでは?
>>493 「事実」とは、斎藤が当事者を・・・云々のこと? 実はこの解釈の当否については、
自分は興味がないのよw
延々と粘着しまくってきたが、要するに自分が言いたいのは、
>>448 >結局、ヒラのオタクは岡田たちに搾取され、ひきこもりは斎藤に搾取され、の違いじゃないのか?(苦笑)
という一行に尽きるな(爆
アンチ岡田
>>507 まだソレやってたのか(w
1「岡田はおたく当事者である」
2「岡田はおたく当事者を名乗っている」
1「奥地は不登校当事者(団体)である」
2「奥地は不登校当事者(団体)を名乗っている」
1「勝山はひきこもり当事者である」
2「勝山はひきこもり当事者を名乗っている」
これらの文意の違い、わかりますか?
2は客観的事実。
1をどう思うかは、主観だろうと。
1を否定すれば2も否定できると考えているのだろうけど、んなこたーない。
誰が否定しようが、彼らが当事者を自称することは、他人には止められんよ。
たとえそれが斎藤氏であってもね。
当事者性、主体性というのは、そういうことでしょう。
嘘だと思うなら、岡田や奥地や勝山に「オマエは当事者としての要件が欠けている!」
とか言ってみなさいよ(w
何も変わらないから。
>>509 >嘘だと思うなら、岡田や奥地や勝山に「オマエは当事者としての要件が欠けている!」
>とか言ってみなさいよ(w
>何も変わらないから。
話に割って質問して申し訳ないけど、
それは肯定的な意味で?それとも否定的な意味で言っている?
>>491 >>498 特に精神分裂病・統合失調症をめぐっては、行政の権力の発動としての側面が
常に争点になるね。
行政の権限で、警察等も協力しつつ入院をさせる制度がある以上、
精神医療には常に政治的なファクターがつきまとわざるを得ない。
医療従事者ひとりひとりが好む・好まざるとに関わらず。
稲村は、不登校と精神分裂病を直にリンクさせて失敗した。
同じ轍を踏まないように、「ひきこもり」と統合失調症は別々ということに
(定義上は)しておかないとマズい。
>>505 >宮崎事件後、世間が「オタクってどうよ?」といちばんホットだった頃、岡田は一般
>にはまったく知名度が無かった。岡田がメジャーシーンに登場した95年頃は、すでに
>ジブリのヒットで、一般人がこの類のサブカルチャーに寛容になり始めた時代。
宮崎駿監督がみずから「おたく」を自称していたとか?
>>461 なんだか、議論をやめさせるような議論だね。
いろんな視点があっていい、というのは「空は青い」「斉藤環は有名人」
というのと同じ程度の当然の前提だからこそ、あえて強調も確認もしなかった
だけですよ。何も自分は視点の多様性自体に反対の声明を出したのではない。
あなたのこのカキコは何がいいたいのか分からない。
>>463 応援のエールをありがとう。そうだね、また今度書くからちょっと待っていて。
今日はもう眠くて……ムニャムニャ。
>>511 精神医学のディシプリンと社会制度(システム)のディシプリンとを
直リンさせちゃった点は、両者とも同じなんじゃないかと。
定義については、「ひきこもり」という語のみならず、
「社会」とか「親密」とか、そういう意味づけ全部にいえることですね。
>>500 >支援なら支援を要望する側のケースも一様ではない。
そう、まさにその多様性という点なんだよね。
多様な当事者(それこそ、働いている者であっても)が、
多様な形の「ひきこもり」を自称することによって
それこそ「安心感を得る」ですとか「所属感を得る」ということに
繋がっていくのであれば、これらは必ずしもマイナスの効果ばかりではないと
言えるのかも知れないけれどもね。
「ひきこもり」というのは、一体誰のために存在するレッテルなんだ?
当事者が自由に定義づけてよい言葉なのか。
それとも、あくまでも斎藤氏たちが管理し続けねばならないものなのか。
この2つの、どちらが当事者にとって利得があるのか。
>>513 特定の医者(人格)との対人関係の個人的感想を延々と感情的な表現で
もって主観的に述べるだけで、おまけにそれで客観的だと書かれてもね。
それはもう人によって違う主観的な相性の問題だとしか応じ様がないでしょ。
同様の印象や感想でよければ、私だって個人的に会った関係者(人格)のこと
を良い奴だったとか嫌なタイプの奴だったとか、主観的な個人評価でもって
好きなようにどうにでも表現するよ。対人関係はいわば相対的な関係だからね。
>>513 517のつづき
仮に私があなたに会ったとして、私が抱いたあなたに対する個人的印象を、
例えばですよ、傲慢で偉そうで独りよがりで自己中でうぬぼれていて・・・最悪な
人格の持ち主だったなどと延々とここに書き綴ることだってできるでしょう。
でもって、みなさん、名前0さんは本当は私がここに書いたとおりの人物ですよと(w。
あなたに対する私の個人的(客観的?)なその評価を読んであなたはどう評価する?
そのとおりの人物だと認めますか? その私のほうこそ傲慢な奴だと思われますか?
つまり自己言及をしているわけですが・・・(w
斎藤環と雑談しても話が噛み合わないだろうな
ヒキネタ以外で共有するものがない
>>514 同じ。でも今回の直リンは、一見それとわかりにくいというか
齟齬を起こさせまいと必死。(w
>>520 何を考えているのか、さっぱりわからない感じはするね。
___
/ ∧∧ \
/ ヽ( ゚∀゚)´.、` 、
/ /\ \つ つ .、ヽ
| | ,\ \ ノ | |
. .ヽ ヽ レ \ \フ ./ /
\[さいたま禁止]/
ヽ、 ____,, /
||
||
>>517-518 どうやらカキコの意味や意図を根本的に誤解されているようですね。
>特定の医者(人格)との対人関係
など問題にしていません。客観的事実によってその機能と構造を知るべく
模索しているわけです。
繰り返しになるが、機能と対象とは異なる。または当為と存在はちがう。近代病院医療の
なかの医師と患者の機能は、例えばグルイズムのグルと弟子の機能とは異なります。
わたしは病院という公の場において、医師ー患者、つまり治療するー治療される
「機能」としての一例を紹介しただけです。
なお、医師が患者の人格を否定・侮辱するような診断を下した場合、すべて
公的・客観的とされるのに、逆は個人的・感情的・主観的とされるのは、
そこに暴力を隠蔽し非対称な関係を温存する社会法則があることを示しています。
わたしはそれを宿命とはみなさず、抵抗しているのです。
ちなみに、わたしはその医師の個人名を出してはいません。みなさんいろいろと推測されて
いるようですが。なぜ出さないかというと、これは医師一般に共通する問題だと
みなしているからです。別に医師AでもBでも基本的に同じ法則があることを
前提にしているわけです。
「感情的」に言えば、わたしはその医師を尊敬し感謝しています。だからといって
批判すべき点がないわけではありません。そして患者には医師を批判する権利も
あるはずです。権力関係の上位にいる医師は謙虚に患者の情報を聞かねばなりません。
>>518 ↑ を見ればもうお気づきかもしれません。そう、つまりわたしは
人物評などしていないのです。
言論人一般の行動パターン、または医師一般のかかえる傾向性を、
彼の言動を例にして語ったにすぎないのです。
一部の人はそのことを即座に理解したので「面白い」と評価しています。
ところがそのことが分からない人が、関心をもちながらも誤解しています。
それこそわたしのねらいどおりです。そうしてまず関心や疑問を持ってもらい、
説明すべきことをしやすい状態を作りたかったのです。
主観/客観論については、長くなるため機会を改めて話したいと思います。
生真面目なレス、ありがとう。
>>524 急にスタンスが変わったなぁ。
>>517-518のツッコミは無駄ではなかったようだ。
最初からそのように書くべきだし、そう書かなければ多くの読者が誤解
するような表現内容だったけどなぁ。
>>524 >わたしは病院という公の場において、医師ー患者、つまり治療するー治療される
>「機能」としての一例を紹介しただけです。
であるなら、もうちょっと客観的な表現で書くべきですね。ああいった
表現だと、あなたの対主観関係の意味づけだけを並べ立てたほとんど
誹謗中傷文の内容・機能・構造に等しく、とてもそうした客観的機能を
具体的に述懐しているようには読めなかったので。
>など問題にしていません。客観的事実によってその機能と構造を知るべく
>模索しているわけです。
と分かれば、今後もいろいろとツッコミ入れさせてもらいますよ。
ちょっと気にかかったのは、あなたの文が医者に対しむしろ神様のような、
万人に対する高次の客観主義的人格体であるべきイメージを前提にし、
本当ならそうあるはずだ、そうあらねばならない、といったふうな観念論
的前提の上に語っているように思われるところです。
医者の権威性を問題にするならば、むしろその権威が何によって可能に
なっているのか、その背後の根拠・構造のほうが問題にされるべきでしょう。
(追記)でないと、単なる個人の人格攻撃に終ってしまう危険があります。
>>527 (自己レス)
>ちょっと気にかかったのは、あなたの文が医者に対しむしろ神様のような、
>万人に対する高次の客観主義的人格体であるべきイメージを前提にし、
むしろこの前提基盤こそが問題であると思います。
医者=聖職者ではないけど、その期待の上に特定の医者がその期待を
裏切ったといくら述べ立てても、個人への人格攻撃で終ってしまいます。
その社会的期待(予期関係)が権力生産される構造が問題なのです。
>>527 (訂正)
>具体的に述懐しているようには読めなかったので。
述懐→記述
そういえば、述懐という語には個人が主観的な心情を述べる
という意味合いがあると気づいて訂正。
ひきこもりという言葉は普通に使われているし、
意味も軽い意味で広い意味で使われているけど、
それはそれでいいと思う。
だけど、本当の「ひきこもり」がそもそも感じている疎外感は分かってほしい。
働いてても「ひきこもり」、〜〜でも「ひきこもり」とかあんまり意味が広がっちゃうと、
じゃあ、自分自身は何なの?と。「ひきこもり」の中でもさらにも増して、
変な奴、異常な奴なんだという気持ちにもなりかねない。
働いてたり、学校行ってたりする奴は、自分の状況とは違う。
自分の問題の深刻さとも違う。と感じたりする。
社会に出ている人からすれば、自分だって社会で嫌な思いをしたり苦労をしたりしているのだから
大変さ、辛さは自分も同じだ、というところでしょうけど。
当事者が「ひきこもり」カテゴリーに所属する意識による、
功罪(安心感や、逆に危機感の薄れなど)は、あると思いますけどね。
でもそういうある種の所属意識のようなものは、これだけNHKで放送されたり
言葉もメジャーになれば、良くも悪くも避けられないと思う。
そもそも斎藤環が「ひきこもり」を宣伝した意図は、別のところにあるのかもしれないけど、
それはまた、別の話として。斎藤環の意図とは別かどうか、当事者にも「ひきこもり」メジャー化の
影響は及んでいると思う。
0さんが、高岡氏に転移感情を持ったのなら、
それはそれで「治療」がうまく進んでいるんではないか、という気もする。
高岡氏との間で色々な感情を強く感じ、それに苦しみ、しかしそれでも
氏との信頼関係の中で、それを克服していく…。
それによって、実はこれまでにも、他の人との間で同じように苦しんでいたことを
理解し、それを乗り越えられるようになる…
こういう理屈は、0さんがきっと嫌っているであろう、臨床心理畑の理論なんだろうけど。
たまきんは古びた新人類。
「乖離性障害など少ない」と言っていたのに、
「そうでもないと思うようになった」と言う。
どこで臨床してんだろ、このヤブ医者は。
医者だからといって、それは特別な人格どころか、
ただの人、ただのオヤジ、ただのオタク。
医者に客観的な人格者たる普遍性を期待する社会の前提
そのものが、その社会的権力関係の制度化による結果。
>>526 ううん、別にスタンスを変えてもいないよ。
ただ、もう少し慎重に情報を出したほうがいいかな、とは反省している。
それから詳しく展開すればするほどスレの話題から遠ざかる、とも。
これはもう少しキレイにまとめてHPにでも出したほうがよさそうなので、
そうしようかな。主観/客観論争なんて水掛け論になりそうで面倒くさい。
それから。やはり最近その医師にかかるのをよそう、と考えなおすようになって。
ここでのいろんなレスも参考にさせてもらったけど。
やはり自分にとって病院とか医療とかいうもの自体がよくないのでもっと積極的に
拒否しよう、一生脱学校・脱病院でいきたいなと思うようになって。
そのためにも、理論だけでなくフィールドワークをしたのはムダではなかったね。
興味のある人は一度やってみるといいと思う。
鶴見済の受け売りになるけど、とりあえず「死にたい」「眠れない」の2点を訴えれば医者はみざるをえないように
習慣づけられているようだし(w)。原因不明の頭痛や腹痛などのヴァリエーションも
加えればなおさら「それじゃ一度診ましょう」ってなことになるだろうよ。
患者になりすますのはカンタン。演技する程度に元気のある人は、他の病院や
医者のフィールド報告をきぼんぬ。
>>535 まったくそのとおり。
ただし、患者や市民の側も医者による情報開示があってこそ選択肢を
もてる。医者のお墨付きがあってこそ、新しい選択肢を堂々と行える。
その点では実際にはやはり医者の権力・権威は大きい。
さらに言えば、その医者の動きを決めているのは、官僚。
官僚の政策よって入院患者数を増やすか否か、医者を儲かる商売に
してやるか否か、精神科に予算を厚くするか否か等が決められる。
だから、つい目を奪われがちだが、目の前の医者に苦情を言うだけでは
問題は解決しないのもまた確かなことなのだ。
お人よしの医者であれば、官僚と患者との板ばさみに悩むだろう。
強いていていえば、斉藤系はそのことに関して悩まない側、
高岡系は悩む側といったところか。(だからあそこまで相性が悪いの
だろう。)
>>526 何様のつもりなんだ。
自分の意に添うような方向に、議論の相手を遠まわしに誘導しようと
しているだけじゃないか。
自分が「多くの読者」の総意であるかのような驕りのある投稿だ。
>>533 >0さんが、高岡氏に転移感情を持ったのなら、
>それはそれで「治療」がうまく進んでいるんではないか、という気もする。
それを「治療」と言ってしまうのはどうかな?って思うよね。
一般には、医者が治す側で、患者が治された側ってことになるのかな?
社会システムの権威を代理する医者が社会に適応できない患者を直す、
という構造が、どこかに強固に出来上がってしまっているのかもね。
>>538 >自分が「多くの読者」の総意であるかのような驕りのある投稿だ。
むろん、多くの読者が、私が危惧したように読まなかったんなら
結構なことなんだけどね。
>>524 >なかの医師と患者の機能は、例えばグルイズムのグルと弟子の機能とは異なります。
>わたしは病院という公の場において、医師ー患者、つまり治療するー治療される
>「機能」としての一例を紹介しただけです。
しかし同時に、「救う-救われる」予期関係の上に出来上がった権威権力関係
という意味では共通していると思います。
>>521 >↑ を見ればもうお気づきかもしれません。そう、つまりわたしは
>人物評などしていないのです。
>言論人一般の行動パターン、または医師一般のかかえる傾向性を、
>彼の言動を例にして語ったにすぎないのです。
その「医者」を一人の「患者」に置き換えて読み返すと、たしかに逆説的
な意味でも面白い。観察主体を一人の医者やカウンセラーに置き換え、
臨床ワークの対象を一人の「患者」のケースに置き換えてみる。
そうやって読むと、その相対的・両義的意味での滑稽さが見えてくる。
「患者」一般の傾向、行動パターンなるものを彼らが語るときの相対性が。
>>539 普通は、どこかを「治したい」がために、それへの「専門家」の
援助と協力を求めて、病院に行くよね。お金を払って。
0さんの場合は、そういうことではないみたいだけど。
ひきこもりの場合は、何が「治療」なのか、何が「治療のゴール」なのか、
色々とあってややこしいんだけど。
>>540 そうですねえ、もし多くの読者が君の意見とは違おうとも、
2chではいくらでも自作自演できますものねえ(藁
>>544 社会・経済学的にみれば医療も(公私問わず)商業・サービスでしょうからね。
医療においては「検診」や「薬」や「治療」のみならず、「病名」も立派な
商品(名)ですから、その商品(名)を開発・宣伝することも必要なんでしょうね。
それに現代では特に、消費(商品への志向・必要)そのものを商業的に生産する
ような広義の社会的心理的コントロールが軽視できいものになってきていると思います。
>>545 >そうですねえ、もし多くの読者が君の意見とは違おうとも、
>2chではいくらでも自作自演できますものねえ(藁
そうですね。その点、2chではお互い様ですもんね(笑
>>547 にもかかわらず「多くの読者」とやらを想定する526は、やはりアフォだね。
全員がアンタと同じである保障も、またないのだよ。
患者の手によって「症状」の解釈が行われることの是非について。
主にACを中心に。
http://homepage3.nifty.com/tamakis/%8C%8E%8A%A7%82%85%82%8D%82%81%82%87%82%8F%8C%B4%8De/emagoM9712.html まず4番目の発言。
>従来、問題を持った人々が治療者を訪ねるときは、基本的に helplessな状況、
>つまり精神症状なり問題行動なりを理解するコンテクストを持たない弱者です。
>そのようなクライエントに対して治療者は分析なり診断なりをして、治療者の
>専門性や権威性をもってコンテクストを付与するという強者の立場でした。
>ところが、患者がのっけから「私はACなので治して下さい」と言ってくるのは、
>既に問題に対するコンテクストをクライエント自身が保持しているということに
>なります。
(中略)
>クライエントの「診断」と治療者のそれが異なる場合、治療者にとっては全く
>やりにくいわけです。
……と、医師にとっては否定したい性質のものであることを認識しつつ
>そのことが、裏を返せばクライエントにとっての功になるんじゃないでしょうか。
>専門家によって与えられたコンテクストではなく、自分が理解できる物語を主体的に
>持ち得たわけです。
と一定の評価をし、
>一般の人にとって、自分をACと「診断」することは容易ですが、その次のステップ
>が困難ですし、この点はACブームからは見えてきません。その部分に治療者がどう
>援助できるかあたりがわれわれの課題ではないかと
として締めている。
次に5番目。
>一部精神科の敷居が低くなるなら、悪いことばかりでもないでしょうが、
>3. の指摘のように、イシャを試しに来る道場破りみたいな患者なら、ぞっと
>しませんね。
と、嫌悪感をあらわにされているご様子。
当の3番目は、患者がチエをつけるのは防衛的であり、さらには倒錯だと言っている。
患者団体や当事者団体の目の前で言ったら、どうなんでしょうかなー。
6番目では、このような自己批判が提示される。
>例えば医者の方が急性腹症で手術が必要と判断したとすると、患者側は、食い合わせが
>悪かっただけで何で手術だと、治療法をめぐっての対立が生ずることもあるわけで、
>「私はACなので治して下さい」という要求には似たようなトラブルが生じうるように
>思います。しかし、このような「解釈モデル」の相違は臨床では避けられないこと
>なので、プロとして、「治療者にとっては耐えられない」などといっていては
>いけないのではないでしょうか。
飛んで11番目で、今ここで議論されている「自称ひきこもり」に繋がるような
興味深い疑問が出るものの
>ところでその昔、自称アパシーや自称モラトリアムが精神科を受診してくる
>ということはあったんでしょうか。
12番目の以下の発言で、このテキストは終わっている。
>ここら辺は、いわゆる「オタク」の市民権と切り離せないのではないでしょうか。
>本当にどこまでプラスの価値が与えられているのか、知りませんが。
>retreatというと引きこもりを主に連想しますが、要するに行き詰まりで、
>司法試験七浪とかも、この口に入ります。あと、これは大変失礼な連想ですが、
>塾講師やら受験産業関連のスキルで食べている人というのも、この一群の
>スペクトラムにいるような... --
しかし、5番目と12番目、どーもどっかで見たような文体.......(w
>>538 >何様のつもりなんだ。
>自分の意に添うような方向に、議論の相手を遠まわしに誘導しようと
>しているだけじゃないか。
そういう↑は何様のつもりなんだろ? 以下同文。
553 :
(-_-)さん:04/03/12 23:35 ID:gvvDWhiD
( ゚д゚)
>>543 打てば響くようなレスがかえってきて、うれしい!
そう、そういったことをいっしょに楽しみつつ考え・論じ合いたいと思って、
あえて自分のプライバシー情報をもこちらに流したんだよ。
気づいてくれてありがとう。
>>544 ひきこもりは病気でも障害でもありません。だから、ひきこもりを理由に受診
する人はみな、患者になりすました健常者なのです。エセ患者を診る病院は
儲かって言うことナシ。ただし、他の本当に病気・ケガ・障害を持った人々
には迷惑でしょう。
その点をふまえて、決して病院では自分が一番不幸だみたいな態度をとらぬよう
お互いに気をつけたいものですね。
話は変わるが、小児科の待合室を通りぬけるときに、ずーっと点滴をしている小さな子
を見た。自分みたいなのがこちらに受診してその子に対して申し訳ない気分
でいっぱいになってしまった。違う科だったものの、自分のおかげでその子の
クスリの待ち時間等にほんのわずかでも影響があるかと思うとなんとも……。
(ひとりやふたりエセ患者が増えたり減ったりした程度で大した違いはないとは
思うが)
>>552-553 こちらの二つもなかなかのレス。
一口に主観/客観といっても、主体の数だけ主観があり、客体の数だけ
客観がある。
主体Aの行動を観察する客体Bの主張する客観的言説は、時に客体Cと
は食い違う。また観察する客体BやCは、別のDまたはEに観察される
主体となりうる。なお、観察されるAがBまたはCを同時に観察する
ことも考えられる。
だから、わたしが他者を観察するときにその言説を客観と称することはできる。
その言説を批判者が客観化して「実は主観だ」と言うこともできるわけだ。
ただし、客観のほうが主観よりも正しいというルールが適用される界では、
互いに「われこそが客観なり」として正当性を争うことになる。
かくして客観1が客観2によって、客観2が客観3によって相対化される。
というのがまとめでどうよ。
もちろんこのレス自体も客観化され、
そのレスもまた客観化される。要するに「オマエモナー」の繰り返し。
結局どの視点を客観とみなし、支持するかは個々の主体によるのだよ。
常に人の目があると思わないとな
>>555 そういう意味なら、
初めから
>>512も「いわば相対的な関係だからね」と書いているじゃん。
でもって
>>518で自己言及的な表現をしている。
ハァ、やっと最近一日2食食べられるようになってきた。
上のほうで「医療への過剰期待」の指摘が何箇所かあったが、それは関係ないと
思う。医療への期待があろうがなかろうが、いきなり人を否定・侮辱するのは
ヒドイこと・失礼なことだし、件の医者はそれをしたのだから、食欲うせたり
ストレスを覚えて当然だよ。相手がどこぞの学会の理事であってもなくてもね。
例の助教授先生の続報だが。
どうやら自分自身が幼児的万能感が強いので、人もそうだということに
しているみたいだった。こっちは関係ないのに。
勝手に強引な推論でもって「キミは○○なタイプ」って言うけど、
ほとんど当たっていない。ヘタな鉄砲も数うちゃ当たる程度には
当たっているけど、素人が推量しても多分同じ確率だろう。
まあ、本人がやりすぎを制御したつもりでも、医療なんてこんなものだろう。
そもそも野蛮でいかがわしいものなんだよ。ネットで「名医」との評判も立つ
センセイであっても大した差はないのかもしれない。
行きたくなくてかなわないが、親がキレたりするようならまた行くか。
最期のオプションだが。
以前に、このスレで、NHKのヒキサポートキャンペーンに
肯定的な意見を書いた者だけど、今日のように、
NHK総合で土曜日、夜9時からとかあんまり大々的にやられちゃうのも、
ちょっと困る。あんまり不自然に「社会問題」化されちゃうのも。
NHKサイトとかNHK教育テレビとかで、静かにやってくれる分には、いいんだけど。
ちなみに今日の朝日新聞のテレビ番組欄に大きく紹介されていて、番組について、
「甘えだと切り捨てず耳を傾ければ、感じるものは多々あるはず。」とのこと。
本スレはこっち→NHK ひきこもりサポートキャンペーン Par10
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/hikky/1075742491/ >>561 よう分からんが、ガンガレ。漏れもガンガルから
>>549 そのサイト、どの部分が環の発言なのかよく分からない。
内容もなにやら難しいし。
しかし、「自称AC」が診察室に来ても困るという話だけど、
同じように、「自称ひきこもり」が診察室に来ても困るという医者もいるんじゃないかと思う。
ひきこもりも、医学的に確定して認知されている概念ではないだろうし。
医者にはその医者なりの、来た患者への見立てがあるはずだし。
「ひきこもり」っていう患者側の勝手な物語的解釈について、困る場合とかないのか。
にもかかわらず、環はひきこもり概念を宣伝し、「ひきこもりはまず、親御さんだけでも
精神科に相談に行ったほうが良い」と広めているわけで。
「自称AC」について苦言を言ってる場合ではないような…言ってるのが環かは知らないけど。
>>555-560 精神分析とて本当は方法論的に相対分析(構造=関係分析)であるべきはずだが、
既成の精神医療システムのなかで、社会システムの権威構造に基づいて個人の
順応度を測るための個人管理分析に成り果てているからな。
>>561 名前0氏も医療権威をけっきょく相対的に補完している気がするんだよね。
医師の権力、教師の権力は、象徴的な権力であって、それはつまり超人格的に
構造化されている社会関係だってことを見逃しているとしか思えないですけど。
>>468 >付言すると、「同性愛」にもよく似たような社会の構造が
>絡んでいるかもしれないねね。
「障害」者問題がらみでも同様の問題提起がある。
567 :
(-_-)さん:04/03/13 23:01 ID:WLepZB+F
>>565 的確な指摘だね。
そうだよ。自分は何も医療権威を相対化などしていない。
ここで医療をたたくからこそ、診療室の中では空疎な権威を崇拝する儀礼に
なんとか絶えることができるわけだ。
まあ、実際には保身術として崇拝儀礼をしておかないと、その医者がキレて
処置入院だのハロペリづけだのになったらイタイのは自分だから。
アホらしいと思いつつ、当面のところ儀礼を行うさ。
でないと親がキレて長田送りになってもコワイからね。
楽しませつつ啓蒙する意図と、自分個人のケ−ススタデイを同時に記述したので
複層的なカキコになっているんだよ。
レス長いなぁ、ここ
名前欄0は自己愛性人格障害と反社会性人格障害を併発してるんじゃないの?
>>563 確かにどれが誰の発言なんだかわからない。ざっと読んでみた感じでは
医療側のイニシアティブを維持したいと考える人が多いようだけど
>>550の
> 当の3番目は、患者がチエをつけるのは防衛的であり、さらには倒錯だと言っている。
は誤読にしか思えない。
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/hikky/1069417418/477-479 で、「博士の奇妙な思春期」からの引用があって、その中で自らの政治的態度に言及
する場面があった。
--
イデオロギー的な態度について問われれば、中井久夫氏が若い頃、幼いマルキス
トたちにオルグされるたびに、ヴィトゲンシュタインを引用して論破していたとい
う逸話が好きだ、と述べることにしている。だから精神科医の書いた政治的文章で
最も見事なものが中井氏の昭和天皇論「昭和を送る」であると信じている。
左翼的なイデオローグたちを「可愛そうな連中」(浅田彰)と切って捨てるほど
傲慢ではないつもりだが、そこから新しいものが生まれてくるとも思わない。その
印象は、高岡氏の著作を読んでもほとんど変わらなかった。というか、むしろ強化
されてしまった。とはいえ、もし「彼ら」に対話を求められたら、拒むつもりはま
ったくない。話し合いには応ずるし、笑って握手もするだろう。
しかし悲しいことに、私は「彼ら」に嫌われている。フリースクール活動で知ら
れる某女史は、私との対談企画がもちあがった際に、きわめて感情的に拒否した
と伝え聞いた。噂だから真偽のほどはさだかではないが、多分事実なのだろう。
それにしても、なぜ拒否されるのかがわからない。私は妥協はしないが、誰とで
も対話する準備はいくらでもある。これまでタメ塾の工藤定次氏や、哲学者の村
瀬学氏ら、論点が対立する論者ともうまくやってきた。論点においては一切妥協
することなく、しかし和気藹々と対話をするという技術に関しては、自分の中で
定評がある。
だから彼らも、物陰で批判していないで私を対話の場に読んでくれれば、それ
ですむことなのだ。あえてそれをしないとすれば、わたしにはよくわからない、
何らかの恐れか脅えが、彼らの中にあるとしか思われない。
--
さっき立ち読みしてきたら、この文章の前に、もう少し前フリがあるんだね。
記憶だと、この文章自体は、斎藤を批判する者たちを「あきれた」と切って捨てた上で
「私はむしろ心情左翼である。『日教組に入る親の元で朝日新聞を読む』のと
同じ程度の意味合いで左翼的である。」
という一節があって、その繋がりで上の文章が出てきている。
朝日を左翼的と位置付けている時点で、彼のモノの考え方がよくわかる。
あと、彼が特に奥地を感情的に拒否しているのも、改めてよくわかる。
あと
>>572に追加。
石原慎太郎に対して、その小説については良いと評価していたね。
>>573 親の財産で遊び暮らしてる大学生が、苦労して働いてる女の子を騙して輪姦した上に、
障害を負ってなお働きつづける被害者を見て「健気に生きてるのが気に食わない」といって
殺す小説だけどな>石原慎太郎の著作
まぁブンガク的評価はさておいて、あれ人前で褒める人間は「左翼」と名乗ることは
できんと思うんだけどねぇ。
まぁその辺が齋藤せんせいのスタンスというわけか。
>しかし悲しいことに、私は「彼ら」に嫌われている。フリースクール活動で知ら
>れる某女史は、私との対談企画がもちあがった際に、きわめて感情的に拒否した
>と伝え聞いた
なんだかとてもナイ−ブすぎる。
自分が世界のすべての人から愛されるとでも信じているのか?
女性とくれば感情的というのも単純だし。なんだか奥地さんに甘えているという
印象さえ受ける。
誰だって企画を受けるか否か決める権利はあるのに、自分だけは絶対に
対談を断られないとでも言うのか?
だいいち、これはウワサだろ? 実際には対談したくてもスケジュ−ルがあわなかった
のかもしれないし、もっと魅力的な対談相手が見つかった可能性もある。
なのに、どうしてここまで単純・素朴になれるんだろう? この程度のことで
悲しいと嘆くなんて世慣れていないなあ。こんなものニュ−ス価値ないよ。
もっと自立しろよ。
幼児的万能感、ナルシシズム丸出し。人一倍孤独に弱くて、不安定。自己を
過大評価、他者やその他の条件を過小評価しすぎ。
自分で自分にベンゾジアゼピン系の精神安定剤でも処方すれば?
社会スキルとやらのトレ−ニングもナ−!
>>571 ↑からつづく。
環先生は、「理想の慈父」高岡先生にこう言ってもらったほうがいい。
「対談企画をたった一度拒まれたくらいで、君のすべてが壊れるわけじゃあ
ないんだ。崩れていくのは君のごく一部にすぎないんだ。」
って、ね。
>>575-576 弁護する訳ではないが、断ったのは一度や二度じゃないらしいよ。
永遠に平行線でしょ? あの人たちが合うわけないよ。もうわかりきったことだ。
>>577 確かに話が成り立たないだろうね。
ただ、対決がないのは読者としてはちょっと残念。
シューレ側もちょっと対立を避けすぎという感も否めない。ただし、それは
何を言っても言わなくてもたたかれる弱い立場や、医師で有名人という斉藤
とのあまりの力の差や、これまでに受けてきた失礼で非情のしうちを考えると、
ごく当然のことだろう。
それをわざわざおおげさに言い立てる斉藤もどうにかしていると思うがね。
武士の情け、じゃないけど、斉藤はせめてもう少し敵に敬意を払うべきだと思うよ。
自分の側のほうが圧倒的優位なのに、ヘンに主観的な弱者意識・被害者意識を
持つのはやめてもらいたい。
どうせなら朝倉景樹氏や竹村洋介氏とかと対談してもらいたいね。
>>578の補足。
斉藤は斉藤で問題があって。
あまりに対談相手に安直にすりよっている。まともにやりあっていない。
なんだか手抜きの議論という気がする。
それから。たとえイヤな相手であっても表層的にはニッコリ微笑んだり、
握手をしたりするのは、社交の儀礼だろ? 信仰上の理由もなくその程度
のことをしない・できないのではちょっと非常識・失礼すぎるぞ。
一体何を言っているんだ? ただ感情的に奥地はロクデモナイ、自分は
タダシイっていうこと?
ひきこもりは、親が子離れできないからだ。
「もういい、この子は何処かでのたれ死んでもいい」と
親が覚悟して、家から本気で追い出せれば、
その日からひきこもりは治る。
>>580 その8行の無意味なカキコする間に、英単語の2つも覚えろ。
そうして
一日に10の英単語をきっちり覚えていき、TVやラジオで会話の練習を
続ければ、軽く英会話もこなせる。バイトでも就職でも、武器になる。
くだらない無意味なことに時間を費やさずに、自分が生きていく為の
ツールを地道に身につけるのが、りこう。
>>581 おまえはおれの父親か?
よくそういうこと言われるんだよな〜
「もういい、おまえなんか何処かでのたれ死んでもいい」と
親が覚悟して、家から本気で追い出せれば、
その日からひきこもりは治るそうだぞ。
治 し て や ろ う か (w」
って。
話は戻るが斉藤と抗争の某助教授先生笑ける話を。
その方は、国や公の規範は弱まったほうがよいと考えているとさんざ本などで
煽っているのだが。
実際には診療所では患者に医者の自意識過剰のお守りを要請したことは先にも
書いたとおり。
それで「国の大学を出られた国の権威たるセンセイのお力を借りようと〜」
などと持ち上げると、急にニコニコとハイになった表情で、カルテを取る
手も軽やかになっていた。つまり、タテマエは国否定、ホンネは国の権威で
ある自分を崇拝してもらわなきゃ気がすまない、ってことだ。
絵に描いたように見事に表現されたので、噴出すのをこらえるのが必死だったよ。
どうでもいいことに逃げるな、おまえのひきこもりが、当面の問題。
それからそのセンセイ、自分が帰るころになると、電車のルートは
どちらのほうが早いの安いのって喜ばしそうに語りはじめた。
あの異様な詳しさは 鉄 ヲ タ 。
それもかなり年季が入っている。
こりゃにわかオタクの斉藤環と相性が悪いわけだ。(もちろんそれだけ
じゃないけど。)
>>586 いきなりおせっかいですね。そういうキミこそ何よ?
文化社会学のフィールドワークという概念の分からない人とは
話ができないね。
この時期に石原慎太郎の本を褒めてる時点で、ステロタイプなほどにわかりやすく
政治的態度を表明しているようなもので。
『ひきこもり文化論』だか何かで「自分は政治的なことに言及しているつもりはない」とか
言ってたのとは、やはり矛盾してる。その発言自体の政治性が問われるね。
>>575 >>578 多分アレだよ、いくら煽り立てても奥地が自分の思い通りに動いてくれないから
「ヽ(`Д´)ノウワァァン!!」って感じになってるんじゃないか。(w
確か、他の本でも同じような話題に触れてたしな。
どんなに騒いでも奥地に相手にしてもらえず、環必死すぎ。
どっちが感情的だか、わかったもんじゃありませんな。
>>585 ある意味、えらい正直な人だな、それは。
もう少しタヌキ度が上がってくると、そこをポーカーフェイスで貫けるように
なるんだけどね。(w
…あるいは、そこでどういうリアクションが期待されているのか承知の上で
わざとそうした態度を取っているとか。
(この線も、捨てきれないんじゃないかと思うけど)
どのみち、精神科医と患者という立場が、一種の化かし合いであることには
変わりないか。
>>589 >どんなに騒いでも奥地に相手にしてもらえず、環必死すぎ。
一方のシューレ系の団体では、「斎藤の本は暗いので良くない。希望がない。
読まない方がいい」というお触れが出てるらしいけどな。
>>582-583に同意。そうやって、奥地だ斎藤だ高岡だ、って、一生、ケンカ
してれば? その間にも、文明はどんどん発達していくけど。
ちょうど先日「おたく」と「ひきこもり」の話題をしていた矢先に
まさにこの手の話の実例とでもいうべき事件が報道されたわけだが。
http://news5.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1079116449/ 75 :名無しさん@4周年 :04/03/13 04:35 ID:jNGB1MHu
少女ものの雑誌やDVD多数 群馬の女児殺人容疑者
(中略)
遺体が見つかった和室内には、少女ものの雑誌やDVDなどが数百点あり、床にも
大量に散乱していた。
アニメの主人公の人形なども数多くあった。
取り調べで野木容疑者は自分の性格を問われ、「内気でおとなしく、
友だちが少ない。ビデオとDVDを見る生活が楽しみだった」と
自己分析をしたという。 (03/12 21:55)
あえて抜き出すと、この辺り?
69 名前:名無しさん@4周年 投稿日:04/03/13 04:28 ID:odvuZqso
アニヲタでロリコンか。
これでヒッキーなら三拍子揃ってたんだがな。
33 名前:名無しさん@4周年 投稿日:04/03/13 04:02 ID:MCkTj39c
アニヲタ=犯罪者予備軍
ってことかな?
ニュー速+にも様々な発言があって、↑ほど典型的なものばかりではないけれど
少なくとも、特定の人格類型や趣味嗜好と犯罪とを関連させるような記述は
警察発表・報道の段階でなされているわけで、
皆それを前提として「この件をどう見るか?」という話をしている。
おたくキモイ → ひきこもりキモい
→ 病気じゃないけど治療対象 →環たち・大繁盛(゚д゚)ウマー
という、
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/hikky/1071140540/708-709 で書いた通り
の状況ではないのか。あるいは、もっと簡潔に
おたくキモイ → 環んとこにでも逝け
的な状況ではないのか。
また、環たちの「ひきこもり」言説によって、マイノリティ=犯罪者予備軍的な傾向は
結果的に煽られていないのか。
そしてそれは誰の利得に繋がるのか。
…こうして何度となく、ヒッキー=犯罪者予備軍的な煽りは繰り返され、固定化されて
いくんだね。
実際のところ塗装工のほうが名前をよく聞くんだが……
それよりさ、
>>1よ聞いてくれよ。
昨日、近所の青少年健康センター行ったんです。青少年健康センター。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、「斎藤環先生の実践的ひきこもり対策講座」、
とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、ひきこもり如きで普段来てない青少年健康センターに来てんじゃねーよ、ボケが。
ひきこもりだよ、ひきこもり。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人でひきこもりか。おめでてーな。
よーしパパひきこもる我が子と戦っちゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、「思春期挫折症候群」やるからその席空けろと。
不登校・ひきこもりの現場ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
隣に座った家庭内暴力少年といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、「ひきこもりを恐れず」とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、ひきこもり擁護なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「ひきこもりを恐れず」、だ。
お前は本当にひきこもりを理解しているのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、「斎藤環はネオコンだ」って言いたいだけちゃうんかと。
ひきこもり通の俺から言わせてもらえば今、ひきこもり通の間での最新流行はやっぱり、
NHKひきこもりサポートキャンペーン、これだね。
ヤイコのトーク&ライブに行って友だちづくり。これが通の頼み方。
NHKってのは厚生労働省が多めに入ってる。そん代わりシューレが少なめ。これ。
で、それにデイケア参加。これ最強。
しかしこれを頼むと次からハロペリドール漬けにされるという危険も伴いかねない、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、吉本隆明に「ひきこもれ!」とか言われてなさいってこった。
>>595 考えるのがor対話するのがめんどくさいので思考停止したい人か?
ごめんね。イメージと実態とはちがうよ。
安っぽいワイドショーの報道ばかり見ていると虚像と実像の違いが
見えなくなっちゃうよ。
>>590 面白いレスをどうも。
そうだね。その場その場の役割期待にそって演じ分けている蓋然性はあるよね。
時々タヌキ・キツネの世界がイヤになって人間に戻りたくもなるが、
そうすると向こうは大学病院の医師。検査漬け・クスリ漬けになるとヤバイ。
グルイズムに突入するとさらにヤバイ(w
適当にタヌキ・キツネを演ってりゃいいよね。
正直なタヌキさんに診てもらってよかった? これからも仲良く……とか
入っているとまたボーダーとか転移とか自己愛性などの叩きが……(w
>>596 >イメージと実態とはちがうよ。
>虚像と実像の違い
具体的に何を指して言ってるのか、はっきり書いてもらわないと・・・。
スレと関係ないけど、緒川たまきって女優しってる?
エロくていいよなあ・・で、スレタイの人だれ?エッチな人?
たまきんって病院にとって都合が良いだけだろ。
大人しめな患者を集めるだけの。
かつての同僚の町沢じゃ、ボーダーが集まっちゃうし。
たまきんは、昔はボーダー概念自体に否定的だったのに
最近は違うみたいね。ワンテンポ遅れた感じの医師だね。
メディアでのオタク発言も時代から遅れてるような。
自覚してないのかなあ。ところでヒキコモリって何だ??
>>593 そのレスで話題にしているヲタクが、どのレベルを指しているのかが、よくわかんないけど。
ミヤダイは、「最近は、オタクも外見に気を使ってて、見分けがつきませんけどね」とか
言ってたけど・・・環とは関係なく、ヲタクには、どう弁護しようとやはりキモい人もいると思うよ。
(だから犯罪に走るとか、治療しろとかは、もちろん言わないけど)
これはやまがたの言い分だが、そのキモさを認めたうえで擁護できるか? という問題だと思う。
ttp://be.asahi.com/20040306/W12/0022.html もっとも最近は、食玩買ってますとか、エロゲやネトゲやってます、という人は珍しくもない
ので、万が一捕まると、誰でもオタクにされてしまうのかもしれない。
>>593 まったくもって同意!
しかし、
たまきんは正義の味方(ヒッキーの味方)を続ける。
天然のボケか、確信犯かは不明。
>>599 バカ真面目な顔しながら、エロネタを公衆の面前で展開するのが大好きな男だよ。
>>598 それではリクエストに答えて。
例えば暴力をふるわないヒキもいるよ。
そのほか、女の子のヒキもいるでしょ。
モレは親の会とかフリースペースとか何箇所も行ったことあるけど、
不登校やヒキコモリの現場というのは殺伐としているというよりも、
疲れ・絶望・ゆううつ・悲愴感等であふれているんだよ。
まあ、いろんなところがあり、いろんな印象があるんだろうけど。
なんか、すごく単純で観念的なカキコだから、多分TVの見すぎだろう
と判断したので。
>>600 禿げるほど同意。
当時はマッチーをそれとなく牽制しておきたかったんだろうな。
マッチーが佐々木を辞めた後の、環の態度といったらもう
掌返したようだったし。
607 :
(-_-)さん:04/03/15 06:15 ID:P5Evoo3c
3月14日(日)東京新聞で、フリーライター・速水由紀子が斎藤環著「ひきこもり文化論」を批評しています。
見出しに「甘え下手のせいだったのか」とあります。
何かこのスレ、ここ数日間で一気に
重度メンヘラの病理暴露スレに成り下がった感。
もっとも御当人はそんな自覚は全くないようだが、
そこがまた病理リアリティをムンムン醸し出してる。
それどころか煽りに過ぎないエールや同調なんぞ真に受けて、
ますますテンション上げちゃってさ。メンヘラ臭充満し杉。
(>。<)ゴホッゴホッ
>>607-608辺から軌道修正されることに期待。
★ヒッキー板ローカルルール★
■引きこもりに対する煽り、叩き、安易に自殺を促す発言、頭ごなしの説教・説得は『絶対禁止』です。
荒らし・煽りに直接反応する事は荒らしへの加担にしかなりません!!
どのレスが煽りかどうかは判断が参加者ごとに分かれると思うが。
例えば差別論なり文化社会学論をしているのにすべてココロの問題にすりかえるのは
視野狭窄では?
ちなみに例の藁けるセンセイについては、報告すべきか迷っていることがあるが。
プライバシー保護のため一部修正したうえうpするかもしれん。
今は他に用事があるためしばらくお待ちを。
>例えば差別論なり文化社会学論をしているのにすべてココロの問題にすりかえるのは
>視野狭窄では?
それは
>>611さんのこと。個別人格・心系レべルの中傷にすり替えている。
で、差別論なり文化社会学論をしているつもりなのがイタイ。
それでは精神科医や心理臨床カウンセラーと同じ穴のなんとやら。
>個別人格・心系レべルの中傷にすり替えている
いいえ全然。この手の強引なバックラッシュ・カキコこそ、まさに中傷でしょう。
自分はただ事実とそれに対する解釈を記しただけ。
医療権威を徹底して相対化しようとする方以外は、ただ国や大学病院や医師への幻想を
ゆるがされて戸惑っているだけだと思う。
なお、観念の中で医療権威を相対化したとしても、実際にウヨクみたいな親がいて
絶望的な状態に追い込まれれば、いかがわしいと分かっちゃいても何かにすがりたく
なってしまう。また一度患者となれば医師の権限は大きく、情報操作から処置入院、
検査づけクスリづけといろんな手段をとれる。
仮に医師を過小評価していどめば、どんなヒドイ目にあうのか分からない。
そんな状況でもしあなたが患者だとしたらどうだろうか?
医者に何らかの期待や希望を持ってリクエストをすること、苦情を言うことが
それほど不自然だろうか?
自分とて、それが医療の権威一般を補完するという事実については十分に
自覚的だ。それでも「あえて」医療に「期待」するのは、当面のところ素人は
医療と共存せざるをえないという見通しによる。今の自分のように、原因は
何であれ医療に依存せざるをえない者もいるのだ。ならば、よりリベラルな
専門家を選び、よりリベラルにふるまってくれとリクエストをするしかない。
あるいは苦痛なふるまいには苦情を述べるしかない。その程度のフィードバックは
真に患者の利益を考える医師としても望むところだろう。
患者の利益と医師の利益はいつも一致するとはかぎらない。かといっていつも
反するともかぎらない。患者と医師の共通の利益を見出し、医療を絶対視しなければ、
医療を無視・過小評価もしない道を模索しているところだ。
いきなり医師にこれらの情報を出してパニクられても困るので、とりあえず
2ちゃんで情報開示をしてみた。いろいろなレスをありがとう。考えと表現を
鍛えるいい機会だったよ。
>>609 ヒッキー板だからいいんだよ。
当事者をさておいて、議論オナニーするだけの場所じゃない。
>>596 >>606も言ってるけど、
>>595は有名な吉牛のコピペってやつで、
元のテンプレをみんな色々改造して遊ぶもの。内容がどうのというレスじゃないですよ。
上の方でこの間のロリヲタの少女殺害事件に関してのレスがあったけど、
ああいう事件の時に、犯人がヒッキー(無職)じゃないとホッとするのは
俺だけじゃないはず。会社員で良かった。
犯罪者予備軍みたいに見られるのは、嫌だ。
>>593 斎藤環は、心情的にはオタクにもヒッキーにも
共感的というか擁護的な人だという印象を、持ってるけど。
それとこういう事件(ロリコン男が小1少女を殺害)が起きれば、
犯人と同じような趣味や境遇の人が、キモいと思われるのは
ある程度はしょうがないかも。
NHKスレでおもしろいレスをハッケソ。元々の出所は不明。人権問題板にあったコピペのよう。
>日本でだけ何故多い?とか言っている学者がいますが、わかっていないんですね。
>それは、ある精神科医が「動詞」を「名詞化」して自分の売名行為に利用したため
>です。現在彼は文芸評論家なども手がけてイケメン精神科医なんて言われていますが、
>彼は医師としてはまるでダメで自分が有名になることにこうした人を利用している
>にすぎないんです。昔から存在したけれど農業や自営業者のつてで雇用されていた
>んです。ところがこの医者が煽ったことと、たまたま起きた犯罪が結び付けられたん
>ですね。それを厚労省やらNHKが馬鹿馬鹿しいキャンペーンをやって全国に
>差別の芽をふりまいてしまった。このお陰で宗教団体や易者集団、怪しげなNPO
>法人、少子化で経営難の塾が共同作業所みたいなのを作って今度は囲い込んでしま
>った。はっきり言って作業所やら共同生活所になんか入れたらもう社会では受け入
>れませんよ。障害者は助成金が下りるから使う企業もあるでしょうけれど。いざ社
>会復帰の時、このネガティヴな言葉のお陰で復帰できないという悪循環が起きてい
>ると問題になっているんです。原因は心身の病気も含めてさまざまなのに、とにかく
>囲いこんだり問題視するからいけないんです。この人たちが一斉に職安に押し寄せ
>たらエライことになるよ(笑)。失業率を上げたくなかったら放っておくことです。
>暴力なんてのも多くはないし女性に少ないと思われるのは花嫁修業や家事手伝いっ
>ていう便利な言葉があるから。NHKと厚労省と精神科医は少しはしゃぎすぎで
>しょうね、特に精神科医は「処方のできる技術者」にすぎないのに社会のことが
>何でもわかったふりをするのは反省するべきです。まずTVに出たがり、本業と
>関係ない就職や受験本を書いたり評論家や占い師みたいなことをやっている奴に
>こそ精神鑑定した方がいいですね。まあ万が一受診することがあっても有名だから
>といって彼らのところに行かないことですね。まともな治療ができないどころか
>金ふんだくられてあなたの症状がエッセイのネタにでもなったらいやでしょ。
>>614 (誤解を恐れず敢えて言うけど)自己病理暴露爆進中の「0」さん、
>自分はただ事実とそれに対する解釈を記しただけ。
どんな事実をあなたが記したっていうの?
その医者の所で、あなたがどんな言動(発言や態度)したら、
その医者がどんな言動をしたのか、普通に状況が判断できる程度、
多少なりとも客観的・具体的に書いているの記述など、どこにもないじゃない。
タヌキオヤジだの家父長制封建オヤジ、権威主義だの、
単なる感情的な表現ばかりなのに、「事実を書いた」と言い切ったり、
医者から見ても常識的に見ても、あなたが自分の意思で勝手に診療にきているに過ぎないのに、
ホステスやらされている気分、ご機嫌取りさせられているなど、病的に状況を履き違ていたりなどの錯乱ぶりは
受け手としては、メンヘラ的切迫感を感じざるをえないですよ。
>>615 >当事者をさておいて、議論オナニーするだけの場所じゃない。
当事者が自己の病理と(自分のためにも)正向する冷静さを失って
単なる病理暴露発散オナニーしたって、もっとしょーもないだけじゃない。
というか、
>>615はエールのフリして「0」を煽って、
その壊れぶりによるある種のスレの乱れを楽しんでいるだけじゃな?
あのですね、実は。。
前スレぐらいから感じていたことなんだけど。
名前0さんは、あんげ氏に屈折した感情抱いていて、
前スレぐらいからその感情が露骨になって。。。
遂には(高岡氏のメディア面と違う裏面を暴露)てな
スタンスを破滅的風情で演出するようになった。。。
てな具合に感じる。。。てな。
正直、名前0さんがここまで乱れまくるとは。。
思わなかったので愕き(w
>>619 >ある種のスレの乱れを楽しんでいるだけじゃな?
正直それもあるけど、2ちゃんなんだし、何というか
こういうのもアリというか、そんな感じ。
>>620 >名前0さんは、あんげ氏に屈折した感情抱いていて
それは自分は、まったく思わなかったよ。
仮想的環への共闘関係かと思っていたけど。
仮想敵
624 :
620:04/03/15 20:38 ID:???
で、そんな名前0は粘着くんにとっても
案外面白いので、エールや賛同にみせかけて
名前0を煽って0もノル。。ってな具合。
じゃないでしょうか(w
>>624 それでもいいけど、あんまカタ真面目な議論だけっていうのもねぇ。
前にもあんげが妙に叩かれていたときもあったけど、(自分も叩いたことはあったけど)
みんな妙に真面目だなと思った。
626 :
620:04/03/15 21:10 ID:???
>>622 その部分は残しながらも。
前スレぐらいから裁判の話を軽視するレスしたり、
高岡氏を感情的に扱下ろしたり、
しまいには高岡氏の裏話あるぞー!?てなところに
ピンと(w
>>625 >前にもあんげが妙に叩かれていたときもあったけど、(自分も叩いたことはあったけど)
粘着くんは妙に叩いていたよね(w
叩かれていた(みんなから?)となると、
それはいつ頃、どうしてなんですか?
それはそれで興味ある。
>>626 粘着くん呼ばわりされている人が複数いるんだけど、
自分はそんなに叩いていたかなあ…?
思い出した。別の「粘着くん?」があんげとやり合ってたな。
>>619 少し天然系なのかなとは思うが、
根はなんとなくイイ人という気はする。
>>614 >医療権威を徹底して相対化しようとする方以外は、ただ国や大学病院や医師への幻想を
>ゆるがされて戸惑っているだけだと思う。
そうかなー(・・?)。いやまあ、そーゆーことにしときましょうか。
631 :
620:04/03/15 21:53 ID:???
>>627 数スレ前から見てるつもりなんだけど、
粘着くんといえば、限りなく固有キャラに近くなかった?
アンチはあんげさんと名前0さんと稲村齊藤系関係者さんとか
割と区別しやすいところだけでも、複数確認できますが。。
>>629 今の乱れっぷり以前は同感でしたけどねぇ。。(苦笑)
もう少し落着きを取り戻して貰いたいもんです(w
>>618 これは久々に同意。いきなり戻りますが(w
>>618 まったくその通りじゃないか。
これを解決することを、
当のたまきんはしない。
それが問題だと思う。
>>614 たしかに、ある種の防火壁というかぎりで、ユーザーの側が自律性を保つ
ことのできる範囲での(自分にとって少しでもマシな)選択肢をある程度
設けておくことは有益であるかもしれませんね。
「青少年健康センター」に座る場所はない。ありゃただの事務所だ。
>隣に座った家庭内暴力少年といつ喧嘩が始まってもおかしくない
確かにこんな「現場」は少ないな。鬱々としている「現場」ならよくあるが。
>「斎藤環はネオコンだ」って言いたいだけちゃうんかと
>NHKってのは厚生労働省が多めに入ってる。そん代わりシューレが少なめ。これ。
ははぁ、結局いつものアレかw
粘着信者の自演ばっか(プ
「ヒキは、そっとしておくことにした」
と言ったら環は神!現実は、ただのバカ。
>>633 >
>>614 >たしかに、ある種の防火壁というかぎりで、ユーザーの側が自律性を保つ
>ことのできる範囲での(自分にとって少しでもマシな)選択肢をある程度
>設けておくことは有益であるかもしれませんね。
錯乱ぎみのユーザが、錯乱ぎみの思考によって自律性を保つのだから
まさに超常現象並みの神業だし、尊敬に価するよね・・・
>タヌキオヤジだの家父長制封建オヤジ、権威主義だの、
>単なる感情的な表現ばかりなのに、「事実を書いた」と言い切ったり
お言葉ですが。あなたはあまりに上品すぎるので、一般庶民の日常生活
用語を理解できないのではないですか? 具体的なイメージがわきやすい
表現、ユーモラスな言語を選んだだけですよ。
私が相談したときの助教授先生(?)の印象とはかなりちがう感じだけど、
ただ、その印象の持ち方は人それぞれでしょうから、なんとも。
>>639 相性が悪いのだと思うよ。医者-患者関係だって、結局のところ
人間同士の関係なのだから、最終的には相性だったりしますよ。
>>639 え。はぁ、つーかですねー。。。
どんな事実があって「タヌキオヤジだの家父長制封建オヤジ、権威主義だの」
なのか、事実の方が判断できる程度に全然書かれてないじゃん!!!
ということではないでしょうか?
自分もそこを答えて欲しいでつのよ。
だから、そのドクターに、どんな時にどんなことをどんな風に言ったら、
何て言われたーーみたいにね、背景、前後関係が最低限わかる程度に、
具体的な じ じ つ やらをかいてほしいでつのよ(w
名前0さん。。。(;´Д`)
何を言われても少し的を外して反論しつづけでつね。
なんか粘着クン状態じゃん(w
>錯乱ぎみのユーザが、錯乱ぎみの思考によって自律性を保つ
ううん、酒におぼれてみたのははじめの10日間。一日3食食べられなかった
のははじめの2週間。いまは酒は飲まないし、3食事食べていますよ。
わたしはそのX先生をずいぶん高く買っているし、気に入っているんだよ。
相性は結構イイ。これまでたくさんのカウンセラーだの医師だのに相談
したなかでは一番オモシロイ。ただ、患者として医者にムカつくことはあるし、
下の世代として上の世代に絶望させられることもある、と報告をしただけ。
ところで自分に片っ端からイチャモンをつけている諸君。
自分たちで患者になりすましてフィールドワークをして報告してくれない?
実際にやってみると自分や家族・友人のプライバシー情報の扱いのむつかしさや、
やはり生身の人間でもある医者に対してどう評価すべきか、その難しさも
分かると思うよ。
例えば状況を具体的に書け、ってリクエストが上のほうにあったけど。
いくらなんでも何月何日何時に診てもらっただの、予約をとっただのとらなかっただの
、診療費がいくらかかっただの、そこまで詳しく書く必要はないだろ?
いちおう大学病院に行って、斉藤環と係争中の助教授先生Xに診てもらいつつ
観察をした、この程度で十分だろ?
実は自分は大学とか院とかにまったく行っていないので、こういうフィールドワークを
したくてうずうずしていた。でも予算や機会がなくてお流れになっていた。ところが
病気と自己申告すると、親から予算がとれたんだよ。だから喜んで患者に
なりすましに行った、ってわけ。
それから、あんげに対して特別の感情はないよ。利害が一致するようだな、とは
思うし、親しみもわく。それだけ。
名前0さんには「うんうん」と頷いているだけの
カウンセラーをおすすめします。
>>643 で? キミは行政からいくらカネ貰ってるんだっけ?
奥地に何をされたんだっけ?w
具体的な じ じ つ やらをかいてほしいでつのよ(w
一応断っておきますが、自分は
>>619 ではないですが。
でも名前0さんにはもっとしっかり じ じ つを書いて欲しいので(w
>いくらなんでも何月何日何時に診てもらっただの、予約をとっただのとらなかっただの
>、診療費がいくらかかっただの、そこまで詳しく書く必要はないだろ?
また的外すぅーーーーもーーーー。
そんなこと聞いたって じ じ つ としても意味ないでつよ
繰返しまつね。。
「だから、そのドクターに、どんな時にどんなことをどんな風に言ったら、
何て言われたーーみたいにね、背景、前後関係が最低限わかる程度に、
具体的な じ じ つ やらをかいてほしいでつのよ(w」
>いちおう大学病院に行って、斉藤環と係争中の助教授先生Xに診てもらいつつ
>観察をした、この程度で十分だろ?
これも じ じ つ の 報告も無いのに、ただただ たぬたぬオヤジぃ〜
みたいのだけじゃわかんないんの。。でつよ。。。
>>646 はい。でわ。
具体的な じ じ つ をおこたえしませぅ。しっかりと(w
行政からのおかねは ¥0 でつ。
オクチさんとも過去現在みらいに置かれまして ¥無縁 でつ(w
>>648 かつて例がないほどの必死ぶりだなw
一人で大ハッスルの構ってチャン(はぁと
>>650 はぁ。どちて構ってちゃんなのね?\(?。?”)
しっかし答えてやってんのにさーー(*`3´)
まーーそんだけ、モーーツッコミどころがナイよぉ!!
つーことだろーーんから、(ダローーンデローーーンダローーーン)
いーーけどね(w
共同体批判のようなことを展開するタマキン自ら
「ひきこもり共同体」を志向してるというのは、
ネタなのか釣りなのか。
>>555 こんな感じか。
A ← → B
↑ × ↑
↓/ \ ↓
D ←→ C
>>613 確か以前に、現地では非合法化されていると聞いた覚えがあるけど
国を挙げた一大キャンペーンだね。まるで「テロとの闘い」みたいだ。
ここまで処罰だらけだと、かえって何者なのだかわかりにくいや。
あ、そうか。何者なのか暴くために裁いてるというよりも、この場合は
処罰そのものが前面に押し出される必要があるのか。
話を戻すと、「ひきこもり」という語を定義することで、逆に「これが
健全なんだ」という規範をも生み出しているといえるのか。
別に「ひきこもり」に限った事ではないだろうが。それこそ「テロ」でもいいが。
これらの語を個々がどう解釈するかよりも、
どのような立場の誰が発したかが重要になるのか。
ダローーンデローーーンダローーーン とは何なのか??
高察すべきダローーン(藁藁
http://homepage3.nifty.com/tamakis/%8ER%93o%8Ch%94V/Ymtcocoro77.html 入院についていえば、もっとキツイ思い出がある。その当時、というのは彼に
出会った頃ということだが、私は籍を置いていた大学の稲村博先生を手伝って、
これまた別の病院で「登校拒否児の入院治療」を行っていた。
中学生から大学生まで、学校に行かない若い人たちを、精神病院の閉鎖病棟に
入院させ、そこから学校に通わせるというようなことを、そのときは「治療」と
称していた。今からたった十五年前のことであるが、その当時はまだ、子どもが
学校に行かないことを「病気」とみなし、これを積極的に「治療」しようとする
医者が少なからずいたのである。
ある日のこと、私はひとりの女子高生を入院させることになった。学校に行け
なくなっていた彼女は、すでに大学の方で稲村氏に診察を受けており、入院を
勧められていた。困ったことに、病院には君みたいな子がたくさんいて入院は
修学旅行のように楽しいよ、と言われて来たのだという。宇都宮病院事件が
起きるか起きないかの頃のことである。断言するが、修学旅行のように楽しい
精神病院など、日本中のどこを探してもありはしなかった。
しかし、医者になったばかりの私にとって、上司の命令は絶対であった。
その日の私の仕事は、彼女を鍵のかかった鉄扉の向こうに収容することだった。
最初から無駄とわかっている説得を小一時間ほど続けた後、私はインターホンを
取り上げ看護人を呼んだ。
こんなふうに強制的に入院させられたにもかかわらず、入院後の彼女と私は
うまいこといっていた。そのころ、面接中に私が口にした言葉の中に、彼女の
お気に入りのフレーズがあったことを、ずいぶんあとになってから聞かされた。
学校に行けなくなったことに関して、私は彼女に、「君はババ抜きでババを
引いちゃっただけで、そのババはいつか誰かが持っていってくれるさ」と言った
そうである。まったくよく言うよ、てめえでもう一枚余計にババを渡しておいて
……と、私なら思うところだが、彼女は、あれでだいぶ気がラクになった、と
言ってくれた。
それでも、結果的に、彼女の「病気」は治らなかった。入院中こそけなげに
病院から通学していたが、退院後にふたたび学校を休むようになり、やがて
高校を中退した。
そして、私たちの「登校拒否児の入院治療」も、彼女の退院後間もなく、
さまざまな無理がたたって挫折し、そのまま立ち消えとなってしまった。
私は自分がしてきたことにすっかり嫌気がさして、それからしばらくして大学を
逃げ出した。
歴史は意外に早く評価を下したようである。「登校拒否を考える親の会」が
全国的に集会を開いて、稲村氏の悪しき治療主義を糾弾し、学会もこの問題に
ついて調査に乗り出した。
時をほぼ同じくして、彼女はかつて自分の受けた「治療」に疑問を覚えるよう
になり、雑誌の誌上座談会や不登校の勉強会などで、その不当性を訴え始めた。
だまし討ちのように入院させられたこと、その入院によって自分と親との関係が
決定的に引き裂かれたこと、そしてそれらのことを、いま自分がいかに悲しく
残念に感じているか……。
私にとって幸いなことに、などと言ってはバチがあたるだろうが、彼女の批判の
矛先は稲村氏ひとりに向いていた。私自身も、やりたくもないことをやらされた
という思いが大きかったので、彼女に連帯して、自分の先生である稲村氏を糾弾
する側に回った。
学会の組織した調査委員会に参加し、稲村氏の過去の悪行を暴いた。そうすることで、
私は私が彼女にかけた「呪い」のことを忘れようとしたのかもしれない。
658 :
(-_-)さん:04/03/16 07:07 ID:0INwmIMN
↑
随分と正直な人だね。
酷すぎる。たかが不登校程度に対してこんな「治療」を…
>病院には君みたいな子がたくさんいて入院は
>修学旅行のように楽しいよ、と言われて来た
>彼女を鍵のかかった鉄扉の向こうに収容することだった。
97年の文章で15年前と言っているのだから、82年ぐらいのことですね。
ちなみにこの文章は山登氏によるもの。
神戸・連続児童殺傷事件から7年
「両親の手記」を読み解く
親子の和解にみる更生へのステップ
芹沢俊介、斎藤学、福島章、高岡健
週刊朝日3月26日号
書き手が環とかだったら、家庭内病理に還元して
社会に不安を煽ってるとか批判されそうだ。
ハーイ、ゼロでっす。
ここでのみなの反応を見て手ごたえを得たので、さっそく原稿にまとめて
どこかにうpする予定でつ。ご批判ご意見ありがとう。
それから自分を特定されては困るのと、家族や友人のプライバシーに関わる
ことなので、ちょっとここでは書けないこともあります。それは本人たちに
確認してから。
自分にとっても悪夢のような出来事だったので、明るさを装わないとかけませんでした。
なので一見ふざけたような表現になったことはご容赦ください。KHJの親の会のスレ
などもそうですが、あまりにひどい扱いを受けたり、それらを多数目撃・見聞すると、
かえって明るくしないとやっていけないんです。カラ元気でもなければやっていけない
ほどキツイ状態なんです。
なお、相性問題がループしていますが。そもそも医者っていうもの事態が患者と
相性がよくないのではないですか? 個々の関係や相性が強調されるあまり、
医療そのものの暴力性、問題性が隠蔽されることにわたしは十分警戒しています。
できれば関係とか相性といった言葉を一切使わないで議論をできないものかと
提唱したいくらいです。
595 名前: 名無しさん@4周年 投稿日: 04/02/01 12:31 ID:pYo6O9H3
2ちゃんもう閉鎖するって本当?
596 名前: ひろゆき ◆3SHRUNYAXA @どうやら管理人 ★ [sage] 投稿日: 04/02/01 12:31 ID:???
>>595 本当。
758 名前: ひろゆき ◆3SHRUNYAXA @どうやら管理人 ★ [sage] 投稿日: 04/02/01 18:31 ID:???
(嘘を嘘と見分けられない人には)・・・
なんて言ってたおいらですが、今回ばかりはネタじゃないです。
さっきまでネタっぽい雰囲気出してましたけど、閉鎖直前に大騒ぎになっても
なんか後味が悪いので、本当のことを言います。
2chは3月いっぱいで閉鎖です。
閉鎖理由や経緯等は、まあ、後々報告します。
残り2ヶ月ほどですが、みなさん楽しんでね。
>>661 回りくどくて情報をちらつかせて
もったいぶって出さないのは叩かれるよ。
>>663 いいんですよ。神秘的な魅力が出るから。
>>655-657 貴重なコピペありがとう。とても参考になります。
まさに同じ稲村門下生でも、最終的にこのような反省的回顧に到る人と
たまきんみたいに過去現在において一貫した正当性を
トリック言説上で捏造しながら押し進もうとする人に別れる訳だね。
山登氏とたまきんは時系列的に、丁度長男と次男みたいな位置だろうけど、
そう考えても、何か興味深い。
>>661 それこそ名前0さんの言い方を借りれば、
****コンプレックスの問題だろう、
てな話で片付けられてしまうことだって・・・
>>661 >ここでのみなの反応を見て手ごたえを得たので
確かにここんトコ、多くツッコまれてはいたが
手ごたえを得ていたのかは不明。
>>620 自分のブラウザでは名前欄に0が出ない仕組みなのでよく分からないが。
0とされているのはおそらく自分でしょう。それで、さまざまな推測を呼んで
いるので立場を明らかにしておくと。
自分は別に高岡なりあんげなりに特別の感情はないよ。
ただ、誰からも何からも自由なスタンスをとりたいだけ。
斉藤からも高岡からも距離をおきたい。あんげからも奥地からも自由でありたい
だけだよ。
他者への評価が極端にゆれるってな指摘もあったね。違うよ。是々非々というか。
OKはOK、ダメなものはダメだと一個一個論じていっただけ。
あんげの言うことなら何でも賛成ではない。だからといって全部否定でもない、
ということ。
自分は自分の独自の立場を出したかったんでね。
で、他の人たちの視点なり情報は? 情報への評論ではなく、斉藤については
どう思うわけ?
稲村家次男・山登の話が出たけど。十年二十年たってからやっと情報を開示したのは
いいとして、タイミング的に遅すぎる。反省もよいが、当事者に謝罪したのか。
それもできれば公の席で記者会見でもすべきだろう。
また学会のおこなった当事者の調査についてだが。いつどこでどのような方法で行ったのか、
予算はどこから出ているのか、調査メンバーのバックグラウンドなどもっと詳しく
情報開示すべきではないか。
まさしく言えば言うほど逆効果。突然戻って何なに?
ゼロの暴走はまだ終わってなかったのか(w
だいたい、稲村家の長男が山登、次男がたまきんつーことではないか?
それは言ってみなけりゃわからないさ。
暴走じゃない、常識的議論だよ。医者はタダシイ、患者はマチガッテイルという
偏見で暴走してるのはチミでしょ。
つーかここ最近、あなたが何か言えば言うほどですね、
要するにあなたの言っている事が支離滅裂なんですよ。
医者はタダシイ、患者はマチガッテイルなんて誰も言っていませんでしょ(w
少し休んだ方が良いと思いますが。
他のアンチだって今のあなたの状態には困惑では?
喜んでるのは○○くらいでしょうね。
比ヤング下げ
斉藤環はファザコン?
>>671 >喜んでるのは○○くらいでしょうね。
呼んだ?
>>674 >喜んでるのは○○くらいでしょうね。
粘 着 とか 信 者 とか 斎 藤 とか
該当しそうな適語は多そうw
>>671 医者はタダシイ、患者はマチガッテイルなんて誰も言っていませんでしょ(w
そのことを大前提としたバイアスがかかっているのでわ?
( ̄Д ̄)ェー? ┐('〜`;)┌
もりあえず、もちつけ。
>>655-657 山登氏の「懺悔文」について。
15年前と書いてあるが、確か83〜84年頃の出来事だったはず。
対外的に、このような形でいつまでも懺悔を表明せねばならないほど、
稲村氏を師匠と仰いだ者たちの側にとっては、トラウマとして残る事件だった。
>「病院には君みたいな子がたくさんいて入院は修学旅行のように楽しいよ、
>と言われて来たのだという。」
ここだけ読むと、まるで自発的な意志で入院先の病院を訪ねたように読めるけれども、
彼女本人が自ら公にした話によると、違う。
ある日、親が「ドライブへ行こう」と言って彼女を車で誘い出した。
目的地はわからなかった。
着いた先は、全くどこだか知らない場所の、見た事もない病院だった。
彼女はとても不審に思ったが「親がついているのだから大丈夫だろう」と考えて
病院の中に親と一緒に入っていった。
着いた先に居たのは、主治医の稲村氏ではなく、部下にあたる山登氏だった。
彼女は、もちろん見ず知らずであった。
山登氏は、
>>655にある通り、彼女に対して淡々と入院の準備をすすめていった。
しかし、なぜか親は全く止めなかった。
このとき「謀られた」と彼女は感じた。
親は事前に主治医たちと相談済みで、入院について全て了承していたのである。
ほとんどの病院は、保護者だけの受診というものを受け入れたがらないが、
稲村氏たちは、これを積極的に行っていた。(いまだにこの点は変わらない)
彼女の親もまた、本人に内緒で、事前に主治医と入院の手順を細かく話し合って
いたのだった。
ただ不登校であるというだけの理由で。
>>657で
「だまし討ちのように入院させられた」
「入院によって自分と親との関係が決定的に引き裂かれた」
と、退院後の彼女が語っているのは、つまりはそういうことだ。
山登氏は、上記の通りに立ち振る舞ったので、その後も仕事自体は続けられたが
もとの職場は退いているはずだ。現在は河合洋氏のクリニックに勤務している。
稲村氏は、この事件も一つの大きなきっかけとなって、医療・教育・マスコミ
関係者や、不登校当事者団体などから糾弾された。
さらに、学会の調査委員会の手が及んだというのだから、当時の彼らの立場は
推して知るべしである。
こうして、やがて実質的に失脚していった。
84年に発足した「登校拒否を考える親の会」は、
>>657にある通り
全国ネットワークで包囲網を敷き、この問題を一般社会や教育・医療・行政などに
訴えていった。この会は、翌年に設立される東京シューレの母体となった。
長い確執の、ほんのはじまりだった。
「稲村失脚は新聞報道のせい」などという斎藤環氏の著書の説明は、
こうした深いトラウマを隠しているのである。
>対外的に、このような形でいつまでも懺悔を表明せねばならないほど
大事な情報を保身のために・業界のために十数年かくしていた可能性もあるのでは?
>さらに、学会の調査委員会の手が及んだというのだから
これはあくまで推論ですが。当時の業界全体がその傾向があり、それを隠す
ためにたまたま稲村スクールが「トカゲの尻尾切り」されたのではないでしょうか?
他の医者がそれほどリベラルだとは思えません。
学会の調査結果はどこを参照すればいいのかご存知ありませんか?
当然、学会内部の派閥抗争も絡んでいるのでしょうが。それほど情報公開が
すすんだとは思えないのですが。それに関係者が真に反省しているのかどうか。
対外的な圧力によってロコツに全面に出さなくなっただけで、「不登校=悪」という図式は温存された
ままなのでは?
<現在の相関図?>
高岡健(岐阜大) ←敵対→ 斎藤環(佐々木病院・旧筑波大稲村研究室)
<東京シューレ≒奥地圭子 > /<青少年健康センター(≒北の丸クリニック)>
<雑誌「精神医療」高木俊介ら> / <倉本英彦・田村毅・池上恭司ら >
<また、芹沢俊介らとも親しい> / <NHKひきこもりサポートキャンペーンなど>
‖ / ‖
‖協力関係? /友人 ‖知人
‖ / ‖
かわいクリニック(河合洋・山登敬之)←協力→タメ塾(工藤定次)・はぐれ雲(川又直)
間違いがあれば、訂正していただければ幸いだ。また、宮台真司、藤井誠二といった、
両者に共通する知人もいる。また、河合氏と斎藤氏は、対立はしていなかったと思う。
>>684 図解がややズレてしまったが・・・。
構図としては、稲村氏が亡くなったこともあってか、旧稲村研究室の人間を直接に
批判する同業者・関連運動家は少なくなっていたようだ。
その中で、高岡氏陣営(高岡氏と親しい者としては、この他に滝川一廣・門眞一郎
らがいる)は急先鋒と言えよう。
また、宮台・三沢直子・江川達矢・平田オリザ・寺脇研などを招いたザッツジャパン
のシンポジウムを軸にして、高岡氏の学界外へのコミットが多くなっているように見受けられる。
この他にも、各所にひきこもり研究をしている医学者はいるのだが、彼らが上記の
構図の中でどう位置づけられるのかは、よくわからない。
>>655-657 にあるような事は、
不登校、ひきこもりにかぎらず、一般の精神病患者に対しても
激しく人権蹂躙問題だよね。
一定の条件がなければ強制入院のようなことはできないはずで、
病院側がそういう処置をしていたとしたら大問題で、もちろん
障害者団体からの非難だって浴びる事件だよね。
>>685 当事者の問題をさておいての対立なら、悲しいことだ。
ひきこもりを容認 ←→ ひきこもりは「治療」されるべき
ひきこもりは自然治癒する ←→ ひきこもりは自然治癒しない
ひきこもる権利 ←→ 親にも親の人生が
ひきこもりを問題視するな ←→ ひきこもりは社会問題
個々の対立点としては、こんな感じですか?
他にもありますか?
>>686 よっぽどの「重症」で「危険」な患者ならともかく、
思春期の「不登校」でそういうことをやってたというのが、ものすごい。
>>687 当時は宇都宮病院事件とかも問題になったしね。
現在でも精神医療にあり方については、
障害者団体などの当事者団体からも批判的な声があるし。
>>687 ひきこもり問題にかぎらず障害者問題などでも同様のことが
言われはじめているね。
従来のネガティブな「障害」観を問い直す視点で。
>>682>>687 山登さんの告白文にしても、斎藤氏のサイトに再録されてある訳で。この2人はまだ友人だし。
上の図解には入れなかったが、かつて大きな役割を果たした人に渡辺位(元国府台病院)さんが
いらっしゃるけど、ご高齢のためか、最近は高岡氏の方が目立つね。
日本における精神病理学の歴史も絡むので、これ以上は外野にはよくわからない。
そして現在、医学部はバイオ偏重で病理は廃れ、臨床心理だけがバブルに踊っている。
一方、文科省は不登校容認・教育複線化の名目で、フリースクールの囲い込みに乗り出し
ているように見える(フリースクールが「学校化」させられる? という危惧が現実に?)
あるいは、滅びつつある村の中の争いなのかもしれない。
>>688 矮小というか、図式化するとこうなる。おかしいなら訂正してくださいよ。
>日本における精神病理学の歴史も絡むので、これ以上は外野にはよくわからない。
そこが問題。学閥や筋・師弟関係の見取り図を誰かが作る必要があるよね。
>宮台・三沢直子・江川達矢・平田オリザ・寺脇研などを招いたザッツジャパン
>のシンポジウムを軸にして、高岡氏の学界外へのコミットが多くなっているように見受けられる。
ああ、それはあるよね。
@大学・学会での出世が頭打ちになったので、メディアで有名になることによって
影響力を強める戦略に出た。高岡は地元の岐阜新聞にも書いているよね。
A斉藤環らと対抗するために、東京の文化産業関係者に影響力を持つ
作戦に出た。
そもそも彼は目立ちたがり屋で、非日常的な華やかなイベントが好きな
ようだからね。普段、診療室でもずいぶん凝ったファッションで決めているようだし。
>>692 実は当初はもっと大きく図解しようと思っていたのだが、広げ過ぎると収拾がつかないのと、
各論者の相関関係についてあまり把握していなかったので、狭い範囲内だけにしました。
どなたか、完全版図解を作って頂くとありがたいのですが。
このスレでは、斎藤環を中心にした旧稲村研究室の面々だけでなく、ついでに小田晋やら町
澤静夫やら富田富士也やらも批判されてきたと記憶する。
しかし、背後には精神医学界や関連各方面の様々な構図もあるようで、単純に言い
にくい側面もあるように思うのよね。
>>693 そこまで言っちゃ可哀想ではw
>>690 この問題も、医療、教育、そして社会と個人の関係観にまたがる、
そういう広い視点から見ないといけないかもね。
>>693 高岡らのように、相対する社会軸を積極的に展開する人が
いなかったとしたら、どうなっていた・いくと思う?
嫌々通院どころか、無理やり入院生活でしょう?
>>696 だから、それは単純な善悪二元論では図れないよね。
強いて言えば、環らは悪・悪、高岡らは善・悪といったところ?
だから自分としては、専門家の利益と衝突する自らの利益を考慮しつつ、
ここ1、年は2高岡サイドを応援してこうと思っている。
ただし客観的な分析は必要だし、たまたま高岡サイドにつくことになったからといって、
絶対に高岡らを批判しないわけではない。官僚の政策変更や世論の流れなどによって、
高岡らがいつまで相対的にリベラルでありうるかわからないし。例えば石川憲彦などは
、東大から植民地の静岡大に飛ばされたころから言うことがあやしくなってきて、
今では引き出し屋をしている。高岡らも学内パージされたり、学会での勢力争いに
敗れればどう変わるか分からない。
ただし、誓っていうけど、絶対に彼(女)らを誹謗・中傷しない。
>>697 >例えば石川憲彦などは、
>東大から植民地の静岡大に飛ばされたころから言うことがあやしくなってきて、
>今では引き出し屋をしている。
ん? そう? そのソースはどのあたり?
彼の見解は、当時から一貫して、医療などに対しても、ある意味
高岡氏や奥地氏らよりもシビアな見方をしていると思えるけど。
ちなみに石川憲彦氏について付言しておけば、
例えば「登校拒否は『病気』じゃない」という表現に対し、
その限定された表現方法の意義を十分認めつつも、さらに
その意義の幅をひろげる視野に立って発言していた人だよね。
それは彼が、不登校問題のみならず、障害児教育問題に
深く関わっていたという経緯とも関係がある。
>>681 >「稲村失脚は新聞報道のせい」などという斎藤環氏の著書の説明は、
>こうした深いトラウマを隠しているのである。
そうだよね。それこそがたまきんお得意のトリック言説だし、人柄なんでしょうね。
>>683 稲村の「不登校=病気→治療で対処」なる偏向を、記事自体は稲村の主張するとおりに
書いてはあるものの、それを医学的に実証された症例であるかのように
何の疑いも挟まず、夕刊の一面トップに扱ったことについては、新聞社の判断ミスだしポカだね。
実際、当時、新聞社にも、稲村という人間の扱い方を間違えてるぞ!!的な趣旨の抗議が殺到したらしい。
>>684-685 その図式では石川憲彦はどの辺にはいるかな。ついでに町沢とか・・・までは広げすぎかなw
>>687 >当事者の問題をさておいての対立なら、悲しいことだ。
どんな問題においてもいえる事だけど、もし、そういう構図になってしまうとすれば、
それは、当事者が当事者能力を発揮しない(できない)ことに原因があると思う。
やっぱその辺が、重要な「鍵」だろうね。
>>686>>689-690>>695 オレが、後のち問題提起したいと思っている問題点はまさにその辺に係る事だと思う。
なので、こういう視点・意識を持つ人がやはり当事者(?)の中にも
少なからず存在すると思うと、心強いし、やる気が湧いてきます。
>>696 全く同意。そういう見方でないと、何もかも、どうにもなっていかないよ。
>>698 ある意味、高岡さんや奥地さんのほうが中途半端というか、
かなり控えめな批判しかしていないような気がする。
>>697 >>696は単純な善悪二元論とはおもわない。
むしろ、善悪の誇張や装飾を全く削ったうえ、
その分野の潮流について「最小でも、これだけはいえる」的な要点でしょ。
>強いて言えば、環らは悪・悪、高岡らは善・悪といったところ?
高岡が「善・悪」として、その「悪」の部分があるなら、判るように提示すればいい。
その「悪」が高岡氏の医療方針・実際の治療行為に問題点があるなら。
ただ、相性としていい関係になれない対人関係的「不快感」と上記診療上の「悪」は
必ずしも一致しないから、その辺は冷静に吟味&区別できた方が良いと思う。
自分のかかった助教授先生は、あまりに怒りっぽくて、温厚な雰囲気のもと
話し合いのできるような人ではなかった。
>相性としていい関係になれない対人関係的「不快感」と上記診療上の「悪」は
>必ずしも一致しないから、その辺は冷静に吟味&区別できた方が良いと思う
人の個性は多様なので、もちろん合う・合わないは存在する。
ただし診療上の不適切さを「相性」問題にすりかえて医療側がごまかす
処理をしていないか否かも慎重に検討を要する問題でしょう。
>>693 >そもそも彼は目立ちたがり屋で、非日常的な華やかなイベントが好きな
>ようだからね。普段、診療室でもずいぶん凝ったファッションで決めているようだし。
これが、
「医師一般に共通する問題だとみなしているからです。
別に医師AでもBでも基本的に同じ法則があることを
前提にしているわけです」(
>>524)
という視点に立つものだとは到底思えないけどね。
それこそ名前0さんが危惧するように、
個人の人格的属性の問題で片付けているとしか思えないですよ。
>高岡が「善・悪」として、その「悪」の部分があるなら、判るように提示すればいい。
我ながら単純かつ乱暴なレスだ。
「悪」というよりも、あやふや・どっちつかずというべきだろうか。
これは固有名詞の誰かさんの問題ではなく、知識人一般の立場が
浮き草のようにあちらにこちらに流れる性質を持っていることによっている。
結局、知識人をどう見るか、という問題になるが。 自分は十代のころから
文化社会学・知識社会学を学んでいるので、どうしてもそういう思考が
強くなる傾向はある。
ただ、件のセンセイに患者のフリをしてフィールドワークをした結果、
その確信を深めた。
>>704 だから人格・相性レベルの問題に還元しているのは貴方なんですよね。
怒りっぽい医者もいればそうじゃない医者もいるだろって話にしかならない。
それだと、医療の権威一般から目を反らすことになるのではないかと
こちらは指摘しているわけですよ。
>>703 「あまりに怒りっぽい」といっても、そこでどんなやり取り(あなた側の言動の提示も不可欠)
をしたのか、全くわからないから。
普通怒るだろうな、ということで怒っているのか、前後関係みて尚、不可解といえる怒り方してるのか、
全く見えないので何ともいえない。
同じ助教授先生の診察を受けたらしい他の人で、ちがう印象をもった人もいるようだし←
>>641 >>704 >診療上の不適切さを「相性」問題にすりかえて医療側がごまかす
>処理をしていないか否かも慎重に検討を要する問題でしょう。
検討したくても、あなたのかかっているその助教授先生に対する「不快感」が
単なる「相性」問題なのか、問題とすべき「診療上の不適切な行為」なのか
検討できる程度、最低限の事実提示が無いのでなんとも。
>>706 > 自分は十代のころから文化社会学・知識社会学を学んでいるので、
だったら象徴的暴力がそれを代理する個人(の人格)によって不可視になる
ということを考慮しなきゃ。
>>706 じゃあ、その「悪」をより正確に言うと「あやふや・どっちつかず」だというなら、
フィールドワークの結果、どんな事実があったことを元にそういうわけさ?
そこまでわかるように最低限事実を書いてないと、「フィールドワーク報告」にならない。
それはさておいても、あなたのレベルまで厳しく人を見ていくと、きりが無いし、
あなたのような抽象論を「文化社会学」なぞと称してすりかえながら用いれば、
どんな立場や思想の人に対しても、自分の期待や意に沿わない人でさえあれば、
どこまでもなんとでも、価値の切り下げが可能でしょうね。
おやすみなさい
あ。おやすみー
ここの天皇にあたる高岡系を叩いたので、まるで「非国民」扱いだな。
いいんだ、自分は自分も他人もすべて信用していないんだから。
ちょっと話が逸れるが、文化社会学など勉強したくなかったよ。
本当は動物学とか古生物学をやりたかった。
女の子だということと、内申書という人間関係の科目の点数が足りない
ことによって中学入試の権利を奪われたり、女の子はイヤでも何でも
理科に行けないってきかされて絶望して、大好きな理科の勉強を10代
初頭に諦めさせられた。それでも国語も社会もキモチワルイし、少々
いい点をとれても大嫌いだ。あんな非科学的なもの、それに自分の選択でも
実存でもないものなど絶対に信用したくない。忠誠を誓えない。
もともと自分は選択を捨てた時点で生きているか死んでいるかわからない
ゾンビのようなもの。ただ安らかに成仏できることを祈るほかない。
自分を助けられないであろうに、助けている・助けられるでしょうと
あの手この手で広告しているという点では斉藤系も奥地系も同じ。
なので両方とも信用しないことにしている。心理的背景としては
そういった事情もある。
だからといって医者なり、その助教授センセの対応なりの問題点が
消えるわけではない。心理=真理ではないのだよ。
小学校高学年に戻って、理科だけやればいい学校に行きたいよ。
文科とか人間関係(内申書・勤務評定・心のノート)の点数など
一切気にせずにね。
ちょっとどころかかなーり話が脇に逸れてしまった。スマソ。
ただ病院に行かずに死ねればいいのだがね。十代半ばからイリイチなぞ
愛読しているものが大学病院に行くことになるとは夢にも思わなかった。
やはり最期に信用できるのは天皇陛下だろう。
こちらのスレの天皇の奥地や高岡のようなミニ天皇ではなく、
ホンモノの天皇陛下だけだ。
>>700 稲村失脚についての斎藤さんの言い分は、必ずしもウソではありません。うまく開く
かどうかわかりませんが、このPDFファイルを見れば当時の事情はわかります。
ttp://www2s.biglobe.ne.jp/~quappa/sodati-keyaki-97materials.pdf 恐らく、それ以前から批判があって、88年の新聞記事が決定打になったのではないでしょうかね?
自分は図解を作った者ですが、稲村系のアキレス腱が過剰医療にあるとすれば、対立している
人々のそれは、散々言い古されているが、当事者の過度の美化だと感じられてならない。
ただし、石川憲彦さんなどは、永年、障害児童とつきあってきたせいか、他の人たちとは
次元が異なるというか、腹の据わり具合が違う印象がありますね。
もっとも石川さん、静岡大を辞めて、再びヨーロッパのマルタに行くらしいけどね。
完全に壊れますた(T^T) ナケルゼ
だから、診療室のなかで「偉大で高貴な○○先生」などと礼賛儀礼をするのは
陛下への反逆にも思えてとても心苦しい。不敬だなと思いつつ、面従腹背
だと割り切って「国の権威である○○先生」というのは息苦しい。
なので、ここで思い切り○○と彼の派閥を叩かなければ精神的にバランスを
とれないのですよ。
彼はわたしが診療室に入るや否や意見を言うようにうながした。何を
どのように話せばよいのか。長年意見など聞かれずに、話したくても
話せず、話したとしても無視・蔑視・誤解・侮辱にさらされてばかり。
話したくてもまごついていると、「その歳にもなってそんなことでよいと
思っているのか」と大声で怒鳴っている。違う。十代半ばのころは
フリースクールにも行っていて今の数倍はなめらかに語れた。そのあと
予備校に不本意入学をしたりアルバイトをしたりしてボロボロになった。
まともに話せなくなってしまったのだ。単純な古い発達論的発想、話を
聴かないでいきなり決めつけることに驚き・戸惑う。
「キミは勉強はできるようだが世の中それだけでは渡っていけないから〜」
また事実誤認。まともに勉強できないほうなのに。長年の失業によって意気喪失し、
生活も乱れ、コートのホコリひとつ払えぬほど憂鬱の状態になってしまったのに。
でもこの吹き上がっているオヤジに何を言ってもムダだろう。上の世代の男性は
この手のステロタイプのイヤガラセめいた話が大好きだ。わたしが嫌がっているところを
見てこのオヤジは面白がっているのだ。それしか人生の喜びがないのだろう。
こんなところで処置入院だの検査漬けだの診断名半ダースだのはごめんこうむる。なので
あえて「すみません」「まことに申し訳ございません」「どうも失礼しました」と何度も繰り返した。
深々と頭を下げて、それ自体疲れる。腰にきそう……。
病院を出るまでは礼儀正しく微笑んでいたが、内心寒々とした気分だった。
やはり「相性」の問題とも捉えられる状況ではございませんでしょうか。
でしたらもう、いくのをやめたらいかがでございましょうか。
それで自分自身の問題について、自分の納得いく解決法を
自分でお決めになられ、自分で実践したらいかがでしょうか。
大好きな天皇陛下に直訴でもなさってみては、いかがでございましょうか。
そのうちに天皇にも会ったなんて話にならないよね(^^;)
忠告をありがとう。
やめるかどうか少し迷いはあるが。
あのオヤジにこびてこびて、内心の陛下への忠誠だけは守りつつ、
彼を道具として用いうちのウヨク親を牽制する作戦は変更ナシ。
作戦名は「権威の嵐」か? 国・大学病院・東京でも活躍する著名人・
年長世代の男性……といった記号にたいへん弱いウチの親相手には
ちょうどよいのでつよ。
できれば東大ブランドの東大の先生が一番有効だが、東大のなかに
相対的にはリベラルな立場の先生を存じない。なので中部地方の某大学の
助教授で、日本児童精神医学会理事の肩書きもお持ちのセンセイを利用させて
もらうのさ。
こちらが利用する以上、もこうがこちらを多少いじめゲームに利用しても
取引の範囲内。ただそれで心は傷つくけれどね。むこうは機能だし、処置入院、
薬漬け、検査づけといった多様な武器があるのでこちらは不利だが、力関係
や身分さがある以上いたしかたがない。
>ご忠告ありがとう
・・・てありがとうじゃないよ・・・ったくわかってねえな。
大体、何でいきなり天皇への忠誠??
最終的に天皇がひきこもりやメンヘラを救済するの。へえそうかそうか。よかたね。
何言ってんだか、もうサパーリわからんのよ。
この調子では、助教授先生に限らず誰でも、普通に怒りたくなると容易に推測できるよ。
>>721 今から世界統一反戦デモに出かけるので詳しくレスできないが。
アメリカネオコンに対抗するためにこそ、また君側の奸臣こと日本ネオコン
に抵抗するためにこそ陛下への忠誠は有用であり尊いのだよ。
斉藤にも高岡にも巻き込まれないためにも、第一に天皇陛下を奉じる選択を
自分はした。別に人におしつけるわけではない。
誰でも怒りたくなるって、それは人にもよるでしょう。キミが自分を嫌っている
し理解できないのはわかったがね。
あたりまえだよ。大場嘉門め。アッポーの詳しいレスなんていらねえよ(爆笑)
補足な。お前を理解できないのは当たり前って事だぞ。
人にもよるって、お前みたいなのもふくめれば、
そりゃあ「色んな人」の「個性」とやらは存在するからな。
まーーーーー、・・・・がんばりや┐('~`;)┌
天皇ネタでふと思い出したんだけど、精神科医の浅野誠氏が、
ある本のなかでこんなこと言ってた。
「精神病院の患者たちは、ほとんどが天皇と巨人のファンであると
言ってもいいんじゃないですか」(P223 精神病を知る本 JICC出版局)
だって。これ、ホントかな?
>>722 はっきり言って、あなたのカキコを今後一切見掛けるのも嫌になった。
何かわからないけれど、本当に思う。
あんたの自由だが、出来ればもうここにこないで欲しい。
粘着と同質の性格問題ありすぎ。むしろ粘着以上の異常粘着。とても嫌。
なんつーか、本物のデムパとはここまで強烈なのかと・・・。
文章そのものはそんなにヘンでないのがかえって怖いね。
>>725 本当らしい。
まぁ、日本人が良くも悪くも意識するもの、ってことなんだろうけど>天皇陛下と読売巨人軍
天皇という制度はそもそも日本という一個の社会自我の象徴だ。
日本という国家の最大公約数的自我として存在している天皇は、
精神病患者にとって自己存在の最後のよりどころとして
機能していたということらしいぞ
>>729 それこそ何か薄ら寒い話だね。
うんと困って、最後に盲信的天皇崇拝が拠り所になるっつーのは、
数々の歴史の場面での日本の社会大衆の在り方もしかり・・?
精神病患者のそれに相通じるものなのかな。
親との悪い意味での密接な関係が、主たる原因なんじゃないかと感じるが。
年齢わからないけど、どんな苦境であっても、自分の精神状態の成立ちについて
自分で冷徹に見つめる姿勢と、それを維持する忍耐を放棄したら、見も蓋もない。
破滅を露呈しても、ほんとに破滅するだけだ。
>>731 そういう話が通じるなら幸いですけどね(^^;;;
>>715 >稲村失脚についての斎藤さんの言い分は、必ずしもウソではありません。
斎藤の言い分を再度良く確認してみてほしいんだけど、ウソ(トリック)はあると思う。
・(「登校拒否症」が臨床的に病理として確立されているかのような主張)について、
斎藤の言い分:
稲村はそんな事言ってないのに、新聞記者が勝手にそういう内容で書いた。
記事の書き方に、新聞社の落ち度があるため、混乱が起きた。
なので、本当は、稲村師匠も僕らも実際はそれほど悪いことはしていない。
実際の事実関係:
新聞記事の内容自体は稲村の主張、見解を何ら相違なく書いている。
新聞社の落ち度は、稲村とその主張を専門家として間に受けすぎ、
まともな人としてそのまんま取り上げた事。
たまきんの言い分はごまかしがあると思う。
>うまく開くかどうかわかりませんが、このPDFファイルを見れば当時の事情はわかります。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~quappa/sodati-keyaki-97materials.pdf >恐らく、それ以前から批判があって、88年の新聞記事が決定打になったのではないでしょうかね?
既にオレは比較的理解してたつもりだし、他の人からもこのスレで同旨の情報&説明はあったけど、
そのリンク先PDFは、不登校を巡る経緯について、とても簡潔にまとまってる。わかりやすい良いソースだね。
特に、その中の[2]「不登校に関する文部省見解の推移」と[3]「不登校をめぐる専門家の見解」は
多くの人に是非、見て欲しい。
文部省見解を要約すると、始めのS46「不登校=性格異常」S58「不登校=病気=治療対象」までは同じ流れ。
S46は恐らく、少し以前のたまきんと同程度の中堅前後の位置で、稲村氏も関与していたはず。
それで、S58にはその稲村が代表格として、病理見解を更に「充実」させたものを採用。
それ以降、H2からは「稲村式」に対する同業者含む各方面からの反発があって偏向がやや軌道修正し始め、
H4でやっと、もっとも実態を正確に捉えているに近い見解となってる。
ごく普通の見解に辿り着くのに、多くの過ちや犠牲をだした上で20年間もかかるなんて、なんだろうね?
S46時点でも、今にして思えば、H4見解で見る方が妥当だろうに。
>稲村系のアキレス腱が過剰医療にあるとすれば、対立している
>人々のそれは、散々言い古されているが、当事者の過度の美化だと感じられてならない。
俺がここへ来始めたころから言ってるけど、俺もこれは一部同意してる。
不登校は「イイ」んだ、という考えはまさに「過度の美化」だし、始めからオレは全く賛成してない。
ただ、対立している人の中でも、所謂その手のアレは、実は一部の団体等じゃないかとも思う。
石川憲彦はもとより、高岡氏なんかも、そうした感情的反動ではない合理的な異論だと思うけど。
実際、高岡だって、「ひきこもってていいんですよ」と言っている訳ではないでしょ。
本人(広げてもその家族内)の「病理」として、外形的に本人の表面上の行動を
思い通りに矯正する趣旨の偏狭な「治療」でなく、
一人格が抱えた心に起因する問題として、もっと普通に原因なり、どうすれば良いか、なりを
考えようというのが、高岡氏だと思う。
名前0
ネタなのかマジなのかようわからんけど、自分の内の事は
結局、自分にしか判らないんだから、休み休みでも
自分が最低限しっかりし続けないといけないと思う。
自棄になってもロクなことはないからね。
>当事者の過度の美化
これは問題だと思う。自分も当事者の一人だが、十代半ばのころから
これじゃかえって問題の隠蔽になると危惧してきた。
教育と絡む階級・階層やジェンダー・民族・地域間格差の問題について、あの人たちは
無頓着だからね。東京の山の手の人たちが中心になってやっている以上多少の傾斜が
かかるとは思うが。
余りにも美化しすぎると現実離れしてくる。大方の当事者が親しみをもてない
ところまでうまくいったレアケースばかり紹介する意図って? と思う。
たとえ主観的には「善意」にせよ、客観的には単に不毛、あるいは失礼、
格差を検閲する機能においては差別的でさえあるのではないか?
ちなみにウチは天皇信者だが。野球はあまり好きでないこともあって
巨人とかはどーでもいい。
日本人の大半は自覚なき天皇信者だと思うよ。解釈にもよるが、ここの人たちも
斉藤なり高岡なりを小天皇とみなしてそれを崇拝するコミュニケーションを
楽しんでいるんじゃないの? 違うかな?
だからわずかでも高岡を叩くと「不敬罪」で「キ○ガイ」扱いがはじまる、
とゆーわけね。
これからも自分は高岡なら高岡のOKな所はOK、ダメなところはダメと
論じてゆくつもりなので、そこのところヨロシク。
あと、自分は日本の外に出たいのに閉じ込められた。そうするともう、
天皇に象徴される日本文化に帰依するほかないのかな、と思えてくる。
正直言って、ノーチョイスまたはレア・チョイス状態ゆえにやっている面は否めない。
それでも今、愛国って流行なんだよ。今日のデモは3000人集まったんだけど。
スピーチでもプラカードのコピーでも、「愛国心」「日本の伝統文化を
守れ」「心を魂をアメリカに売るな」ってな言葉が踊っていた。別にウヨの
集会じゃないよ。共産党や組合も入っていたし、無党派プロ市民もいた。
音楽・絵画・書道に従事する芸術家のコミュニティも参加していた。つまり、
いろんな個人・団体の幅広いコーリション。
そのなかで一般的に「国の自主性が大切」「日本は日本の道をゆけ」と
スペインやエルサルバトルの大統領選にも触れながら語られたんだ。
飲み会でも哲学教師からタクシーの運転手まで、いろんな人が日本の
伝統や遺産について積極的に論じていた。近代の実存主義の枠に
入らなくとも、そこにこそ自分の人生があるのならプラスの面を生かして
やっていくしかないさ。それがきっと、「何でもアメリカ流」を拒む
他の国や地域の人たちとつながる触媒になるのだと信じて……。
>>738-739 真 面 目 に 云 う が も う 来 る な
こ こ に 来 て も 意 味 無 い
自 分 の 問 題 直 視 せ よ
そ れ に つ な が る 事 ヤ レ
は っ き り 云 っ て ジ ュ ウ ド メ ン ヘ ラ - ウ ザ
ゲロでる
>>738 >>当事者の過度の美化
>これは問題だと思う。自分も当事者の一人だが、十代半ばのころから
>これじゃかえって問題の隠蔽になると危惧してきた。
アナタがここで一番のコレ系不登校美化厨だったのですよ。
多分ご記憶に無いのでしょうから教えてあげますね。
>斉藤なり高岡なりを小天皇とみなしてそれを崇拝するコミュニケーションを
>楽しんでいるんじゃないの? 違うかな?
それはあなたの自己説明ですよ。
自分というのはアナタ、みんなというのは他人のことを指します。
>だからわずかでも高岡を叩くと「不敬罪」で「キ○ガイ」扱いがはじまる、
>とゆーわけね。
違います。あなたの書いている事がテンパな為です。
>これからも自分は高岡なら高岡のOKな所はOK、ダメなところはダメと
>論じてゆくつもりなので
論じてないのに論じているとか論じてゆくと確信もっていうから、、、
デンパゆんゆん
でつ。
にしてもこの壊れ方、、、インパクトでか杉
何となく高齢over40代女性メンヘラと推定w
ゼロたたきでみなさん盛り上がっているようで。
断っておくけれど、自分は別に個人的に高岡に恨みがあってやっているわけじゃない。
高岡と自分を同一視し、批判と中傷をとりちがえ、部分否定と全部否定をまちがえる
人たちとは会話もできないよ。ここで自分をたたく人たちは「長いものには巻かれろ」
というノリだけでやっているんだと思うな。あるいはただ「勝ち馬に乗る」のが
好きなのでしょう。
ちょっと自分と違う意見や立場があれば即座にデムパ扱いってのも、どうかね?
気分だけではなくちゃんと考えてカキコしてくれよ。
あのね、自分は奥地も渡辺も高岡も、好きだよ。でも好きー嫌いと賛成ー反対
はまた別の軸なんだ。好きだけれど反対、嫌いだけれど利益に沿うので反対、
ってなことはよくある。
例えば高岡のこの態度はキライだが利益のことを考えると賛成、
なんてこともありうる。
そこのところの複雑・微妙さを読み取ってもらいたいな。
あと、自分を高岡(やそれ系統の論者)に同一化して尊厳を得ているゆえに、
高岡系批判に過敏に感情的に反応するのなら、自らの尊厳のあり方を
見直したほうがいい。でないとファシズムの方向に行ってしまうよ。
かなーりキツくヒキっていると難しい条件もあるかもしれないが、
いろんな人とつきあって、自分なりの尊厳を確保しようね。
>>744 >批判と中傷をとりちがえ、部分否定と全部否定をまちがえる
それは君のことだろう。
複雑/微妙さを他人に読み取れというなら、まず自分がそうすべきだろう。
747 :
ループ:04/03/21 12:05 ID:???
斎藤氏が著名になる以前からのこの問題についての脈絡を私はある程度知
っていましたから、彼に対してはどちからといえば批判的な立場ですし、
賛成できるところはほとんど既出であると思いますけれども、けっきょく
のところ、どの先生がいいと思うかは人それぞれではないかと思いますね。
その人が自分により適していると感じた先生を、この問題に対する考え方
やスタンスなどの情報を参考にして選べばいいのではないでしょうか。
仮に医者の診療を受けるにしても、特に心に関わるデリケートな問題の
場合には、本人の意思にそぐわない先生に診てもらってかえって事態を
悪化させたなんてことになるよりかは、本人の希望する先生に診てもらっ
たほうが長続きもすると思いますし、そのぶん効果も期待できるかもし
れません。
ただしその場合にも、あくまで利用する主体性を自分に置いて、他人を
必要以上に過信しないことも重要かもしれませんね。
何度も繰り返しになるけれども、この斎藤スレで高岡氏などの名が出ているのも、
べつに高岡氏を支持すべきだって意味じゃなくて、この問題で一般に流布された
斎藤氏を中心とする言論をある程度相対化して距離を置いて認識するために、同じ
精神科医のなかでは高岡氏の言論がその一つの例になるというだけであって、
もちろん唯一の例になるって訳じゃないからね。
高岡>斉藤とか高岡<斉藤とか高岡=斉藤とかの判断に関わる問題は、
本人が自らのすすんでそう思うぶんにはべつに構わないんじゃない?
その究極的な判断は引きこもり本人の数だけあっていいと思うよ。
>>715 >人々のそれは、散々言い古されているが、当事者の過度の美化だと感じられてならない。
それがまさしく稲村路線を弁護する斎藤側の言い分でしょう。
なぜ、個人の主体性を無効にする、医療などによる強制的介入が
正当化されるかといえば、まさにその言い分のなかにあるわけです。
>ただし、石川憲彦さんなどは、永年、障害児童とつきあってきたせいか、他の人たちとは
>次元が異なるというか、腹の据わり具合が違う印象がありますね。
障害者問題においても当事者の主体性というか自律性が第一義に
置かれるべきという視点から、治療や障害者支援の名による介入
主義・医療主導主義の傾向に一貫して批判的であったのが石川氏
の立場であると思います。
>仮に医者の診療を受けるにしても、特に心に関わるデリケートな問題の
>場合には、本人の意思にそぐわない先生に診てもらってかえって事態を
>悪化させたなんてことになるよりかは、本人の希望する先生に診てもらっ
>たほうが長続きもすると思いますし、そのぶん効果も期待できるかもし
>れません。
あのね、あのセンセイがいい、悪いの話をしているんじゃないの。
医療そのものが無効じゃないかと疑っているの。医療そのものを信用していないの。
病院に社会の法則の圧力によって「主体的に服従」して通う期間など
短ければ短いほどよい。効果なんかはじめっからこれっぽっちも期待していない。
ただ診療するフリをしていりゃいいの。親が暴発してコミュニケーション系のいじめを
激化させたり長田塾などのあやしげな所に送られたり、親が妙な宗教やセミナーに
ハマって経済的破産と社会的排除に連帯責任で巻き込まれるのがイヤだから
通っているだけ。
ちゃんと人のカキコ見てから、反論らしい反論を書いていただきたい。
>>749 >それがまさしく稲村路線を弁護する斎藤側の言い分でしょう。
斎藤さんがメジャーになる前から、稲村サイドのプロパガンダとは無関係に、
そうした批判はあったと記憶します。
そしてそれは、必ずしも保守的な人々だけでは無かったと思いますけどね。
深入りすると、また相関図を作成しなければならないので止めておきますが。
>>751 いえ、稲村サイドのプロパガンダに限定した話しを
しているわけではありません。
c
>>750 >あのね、あのセンセイがいい、悪いの話をしているんじゃないの。
もちろんそうです。本人の意に適わずに医療などの介入を受容させ
られてしまうような有形無形の社会的不可抗力のことも含めてです。
>医療そのものが無効じゃないかと疑っているの。医療そのものを信用していないの。
>>614の見解は
>>750さんのものですか?
>>750 それは、仮に、本人自ら積極的に医療などのサービスを受ける選択
をするにしても、という条件つきのことを書いているわけです。
親がウルサイからそれに耐え切れず病院で治療を受けざるを得ない
のならそうすればいい、というのは斎藤氏の立場ですよね?
ウザがられているだけなのに、反応さえ貰えれば
嬉しがって増長、つートコロも
デムパゆんゆん
マジで本物ってコワ
>>752 のつづき
>いえ、稲村サイドのプロパガンダに限定した話しを
>しているわけではありません。
つまり、
稲村サイドにかぎらず、または医療制度のみならず、
フリースペースやフリースクールのような場であろうとも、
そこへ行って適応することが暗に周りから一律に強要されて
しまうような、社会的強制に加胆する傾向に対して、共通に
言っているわけです。
>>755 >親がウルサイからそれに耐え切れず病院で治療を受けざるを得ない
>のならそうすればいい、というのは斎藤氏の立場ですよね?
環先生にとっては名前0さんの親のようなウルサイ親がいてくれて、
名前0さんのように病院に来てくれる事を期待しているんだろうね。
利用しているどころか、けっきょく環先生の意のままって訳か。
名前0
もうさあ、 何を言ってんだかわけが判らないね。
ただの粘着に成り下がったね。
あなたの批判意見、ほとんど「あなた自身について」と前置きがあれば
納得して読めそうな内容ばかりになってきたね。
ある意味、自分のことを良くわかっている。ただ、それが自分のことを指してるという認識が全く無い。
コレ問題。
無限ループに入ったな
>>725 どうでもいい話だけど、
「精神病院の患者たち」を「ひきこもり」に置き換えれば、
天皇と巨人のファンっての、全然違うと思う。
むしろ傾向としては、逆なような…
ひきこもりは「社会の規範」意識に過度に縛られているみたいな意見もあるけど、
それももっともだと思うけど、同時に、その「社会の規範」から自ら離脱したとも言えるわけで。
上の方で「当事者の主体性」という言葉が出ているが、難しい問題だ。
過去スレに出ていた、タメ塾の工藤氏の話では、入塾してきたひきこもりは皆、
自らのひきこもり期間を後悔している。そして工藤氏は、そういう半ば強制的な介入が
本人のためになると考えているよう。(工藤氏はそれが商売なんだろうから、
額面どおりにスナオに受け取るのは危険だと思うが。)
斎藤氏もその辺は似たような感覚だと思う。放置されるよりも、医療の介入こそが
望ましく、本人のためにもなると。
両者におそらく共通するのが、ひきこもり期間が、本人にとっても苦痛でマイナスの期間だという
認識だと思う。ポジティブ確信的ひきこもりについては、放置で構わないと考えているようだけど。
一方で、ひきこもりのプラス面に注目する人たちもいる。斎藤氏も、こっちにも(少しは)属する。
「治療」上の必要性から、ひきこもりのマイナス面に着目して原因探しをするよりも、
プラス面に着目していくやり方のほうが、良い経過をたどっていきやすいという実際の経験から
そういう言葉(ひきこもりのプラス面に注目)が出てくる面もあると思う。
ひきこもり期間についての認識も、「必要な期間だ」とかポジティブな認識をしたりするし、
当事者も脱ヒキ後にそのように語ったりする。
で、今ひきこもっている当事者は本当はどうしてほしいのか。
NHKのネットアンケートでは
http://www.nhk.or.jp/hikikomori/magazine/file/file_031213.html ひきこもりから抜け出すために家族以外の第三者の手助けが必要か、に半数が、
「とてもそう思う」と答えている。しかし、強制的な介入は、ほとんどの人が嫌だろうと思う。
ひきこもりは、自ら主体的に選んだライフスタイルだから、放っておいてくれ、とは
当事者自身が、あまりそう考えないと思う。当事者自身にとっても、快適な望ましい状態ではない。
でも、社会には出たくない。ひきこもっていたい。今はこうして家の中にひきこもっていたい、
という気持ちもおそらく強くあって、だから実際の行動面では「ひきこもり」を自ら選んでいるという面もあると思う。
誰かに鎖で幽閉されているわけでもない。
出来れば脱ヒキしたいと願いつつ、しかし(少なくとも今は)脱ヒキしたくないという気持ちなど、
本人の意思が固まっているわけではないと思うので、「当事者の主体性」という言葉も難しい。
ましてひきこもりは、仮に本人が主体的にその状態を望んだとしても、それを維持するのには家族の負担や
(生活保護のような形での)税金の投入などが必要になってくるので、それを家族や社会がどこまで認めるべきか、
ということもあるし。家族は「ひきこもる権利」を守るために、一生養いつづけなければならないのか、ということにもなりかねない。
ひきこもりが本当に主体的に望んだライフスタイルだとするなら、それを維持するのに税金が投入されることには、
社会の理解は得られないと思う。現状の法律もそうだし、将来的にも。
>>762-764 煽りと言われても構わないけど、斎藤さんや引き出し屋批判は白熱するのに、なん
でこういう話になるとスルーされるの? たまたま、まだレスがついていないだけ?
それはみなさんたぶん考えるたくもないことだから……。
>家族は「ひきこもる権利」を守るために、一生養いつづけなければならないのか、ということにもなりかねない
家族、というのが兄弟や義理の親だったりするとまた違ってくるが、親と言うのは自分たちの判断で
子供を作って産んだわけで。
別に子供のほうが親に頼んで生んでもらった訳ではない。
だから、親は根本的なところでは一生子供の面倒を見る義務があるだろう。
自分たちの選択で生んでおきながら「こんな筈ではなかった」というのは身勝手に過ぎる。
嫌なら最初から子供なんか作らなきゃいい。
嫌な言い方だが、「ペットは責任を持って最後まで飼いましょう」ということだと思う。
>>757 それはもはやフリースペースやフリースクールでなく、
フリーとは名ばかりの少年院みたいな収容施設。
>>762 工藤氏や斎藤氏のその考え方は基本的に強制入院の発想に通じる
ものだと思う。
>>765 煽りつーか、ヒキ叩きがひきこもりを叩く時の視点そのものだもんね
>>766 みなさんはイイから自分の治療に専念してろよ。
>>767 親と子の関係の中では、それでいいんです。自分たちで責任を取れば済む訳だし。
しかし、社会はそういう負担をどこまでするのだろうか? という話。
>>768-770 早速、ループが始まってるしw
>うんと困って、最後に盲信的天皇崇拝が拠り所になるっつーのは
これはウヨクがかった親を説得するために編み出した苦肉の策。
世代的にもウチは20代おわりだし、天皇崇拝なんてどーでもいーよ。
>タメ塾の工藤氏の話では、入塾してきたひきこもりは皆、
>自らのひきこもり期間を後悔している
いわゆる家父長制バカオヤジ的なものすごい形相と支離滅裂な論理でもって、
「おまえらそんなことをしていて恥ずかしくないのか」「周りに申し訳ないと
思ったこともないのか」などと初対面でいきなり怒鳴られたり叫ばれたりしたら、
怖くなったり「自分は自覚しているのにこの人とは話ができない」「分かってもらえ
そうにもない」と絶望をあおられ、相手にひきずられるように相手の望む話を
自主的にしてしまう、ということじゃあないのかな? まるで拉致するように強引に寮に
入れられた後ではなおさらでしょう。
ここで特定の主張を感情的に叩いている人たち、もう落ち着いたのかな? キライだ、
くらいの理由では人を排斥できないし、すべきでもないよ。少数派には寛大に。でないと
「ぷちナショナリズム症候群」でつよ(w
自分は@ドミナントな専門家 Aリベラルな専門家に加えてもう一つの視点を
加えたいんだ。つまりBリベラルな当事者(市民)だね。
他の人たちの特定の主張をいびるようなカキコを見るに、@とAのどちらかしか
選択肢がないと思い込んでいないでしょうか?
いくらAリベラルな専門家であっても、100%当事者なり市民の利益に沿うことは
ないと思う。それは大学間のハイアラーキーや年功序列や学閥の縛りその他の
利害の衝突がある以上、当然でしょう。
だから、当事者なり市民としての視点が必要なんです。
例えば「先生方が派閥抗争・イデオロギー対立に患者や市民を巻き込んでいないか?」
「先生がたの生活実感だけで人を測っていないか? もしそうならどんな傾向が
あるの?」などをいつもヲッチする立場も必要だと思うのですよ。要は人に頼らず
自分の頭で考えよ、ってコト。これぞ自律性。他人がなんと言おうと自分は自分
としてこう思うというところを述べること、たとえ100人中99人が反対し
ても自分が正しいと思うことを貫くこと。
馴染みがないのでちょっと戸惑った人もいるかもしれませんが、
とにかくそういうことです。
なお意見に理解・賛同できないからといって、「出てゆけ」なんていうのは
ちょっと乱暴すぎます。スレという小社会から異端者を排除していたのでは、
最期にはキミも排除でつよ。ま、システム的にはカキコできるから「排除され
てたまるものか」と思って、「自分はこのスレに参加する権利がある」
「新しい視点を提供して議論の充実に貢献できる」という思いもあるので、
これからも出入りする予定だけどね。
追加。自分を個人攻撃している人、見苦しいよ。
自分は「アナタはダメだ」みたいな個人攻撃論はしていない。
なのに一方的に個人攻撃。アンフェアだしあまり上品な議論じゃないよね。
「あなたは何?」って単一のアイデンティティで人を管理するなよ(苦笑
何が書いているか見えないからって、誰が書いているか詮索してどーすんの?
もっと自信をもって開かれた態度で議論しないと、オープンな掲示板という場に
ふさわしくないのでわ?
閉鎖的な仲間内の会話がいいのなら、MLでも作ったほうがいいよ。
それから、長くなるけど、統合失調症の方に失礼なことばかり書かないように。
統失だから○○っていうけど個人差もあるっていうし。
レトリックとして「天皇」を用いたからといって、誰に迷惑をかけた?
スレを私物化するような偏狭な発言、オヤジ的な態度はひかえてください。
でないと(特に女性や若い世代には)嫌われまつよ。
もとより好かれてると思ってないから大丈夫
781 :
(-_-)さん:04/03/23 11:20 ID:TNjhOnCp
中央公論2004年4月号で、斎藤環さんの2004年1月の韓国訪問について紹介されています。
韓国型ひきこもり、学校に通学しているが友達・仲間にいない人のことについて韓国事例を紹介しています。
>>772 ループをしているのはそっちだって。
>>762-764で書かれていることは稲村系のそれに代表される発想
そのものでもあって、そうした考え方の系がまさにこのスレで
引き出し屋に共通するものとして指摘されてもきたわけだし。
それは法輪功の信者を保護し一般社会に戻すという理由で治療措置
の対象にしようとする中国共産党政府の発想にも通底するソフト
スターリニズムであって、そういう意味ではある種の左翼も例外
ではないね。まあ体制の実態は保守主義的だが。
>医療の介入こそが望ましく、本人のためにもなると。
だから、まさしく強制入院的措置もそういう考え方の延長線上
に正当化されたわけで。
>>779 タメと長田のとことはほとんど同じようなもんだろ
当事者が外部の助けを求めて、専門家等の援助を受ける。
その専門家がマッド投薬医師であろうと素人傲慢引き出し屋であろうと、
本人がその援助を求めるなら、あるいは親に勧められて心から同意するなら、
それはある意味、構わないんだよね?
しかし、本人の意思に反して、あるいは本心では嫌がっているのに
そのような方針の援助が行われやすい状態が、批判されているんだよね?
おそらく環の本心は、本人のそのような意思に関わらず、医療が関わることが
望ましいことだと考えていると思う。放置するよりも、望ましい経過をたどると考えていると思う。
>>782 たしかに強制は良くありませんね。それは真理でしょう。しかし当事者・保護者に
とっては、「それで、具体的には自分たちはどうすればいいの? 社会や他者はどこまで
何をしてくれるの?」が切実なのだけれど、そういう問いには答えてくれないの?
そういう脱医療みたいな思想についていけずに、かつての反稲村派からも結局は離
脱していった人も多いよ。
シミジミと「○○さん(ある親の会の主宰者)の家庭はいいのよ。本気で不登校や
ひきこもり(閉じこもり)が権利だ、自由だ、と思ってらっしゃる。でも、仮にそうだ
としても、社会はどう思うかしら?
あの人たちの運動のお陰で、容認はするようになってきたわよね。でも、生活や人生の
面倒は誰も見ないわよね・・・」と言っている人もいましたね。
稲村的治療にも、反稲村派の理想にも、二重に傷ついた人たちがいたと思うのよね。
>>784 >おそらく環の本心は、本人のそのような意思に関わらず、医療が関わることが
>望ましいことだと考えていると思う。放置するよりも、望ましい経過をたどると考えていると思う。
斎藤さんの本心はそうかもしれませんね。そこを批判するのはいいでしょう。
投薬・入院が無為で有害だとすれば、それを否定するのも当然でしょう。
ただ、様々な人たちの発言を見ていると(商売上のセールストークだとしても)、
二者択一で決まる問題ではないように思うんですよね。
話はややズレるが、高岡さんなども、「人間には(好きなだけ?)ひきこもる権利がある」
と言っているのか、「放置しておいた方が、かえって外に出られるようになる」と言
っているのか、よくわからない所がある。
後者だとすれば、引き出し屋系とは方法論の是非で争っていただけでは? という話になるのでは?
>>785 >それで、具体的には自分たちはどうすればいいの?
斎藤なら、「精神科へ(まず親御さんだけでも)いらっしゃい」
「本人が家庭で安心してひきこもれる環境が大事」とか答えるかもね。
脱ヒキのためにそうした方がいいですよ、と。
ヒキ容認派なら、「ひきこもっていてもそれでいいじゃないですか」と答えるんですかね?
本人への影響としては、斎藤の「本人が家庭で安心して〜」と少し似てますね。
>>763 >出来れば脱ヒキしたいと願いつつ、しかし(少なくとも今は)脱ヒキしたくないという気持ちなど、
当事者からすれば、
>>772が煽るような社会的な圧力・引きだしプレッシャー
と自分自身との狭間で常に引き裂かれた心理的葛藤状況に置かれている場合
が多いのではないかと思うよね。
名前0さんのような例もあるし。
>>786 高岡さんの主張は、その両方じゃないですか?
放置については、両親が子どもばかりに目を向けるのではなくて
趣味などを楽しんだ方が良いとか、読んだことがある。
これは分かる気がする。親の目が息苦しいという気持ち。
ひきこもる権利については、理想としてはそれが保証されれば良い社会だとは思う。
よっぽど経済的に余裕のある社会じゃないと、実現不可能だけど。
だから現状としては、「親がたくさん稼ぐしかない」とする笑い話みたいなオチになったりする。
>>784 >おそらく環の本心は、本人のそのような意思に関わらず、医療が関わることが
>望ましいことだと考えていると思う。
当事者はそのことを敏感に見抜いちゃうと思うよね。
>>788 そういう心理的葛藤状況が大きな「鍵」だからこそ、
「引き出し屋」的なひきこもり解釈に対して、大きな反発が出るんだと思う。
だから、「アンチ引き出し屋」の主張もある程度効力があると思う。
理想的に過ぎても、「正論」から批判されても、そういう主張が
本人の気持ちを楽にして、結果的には脱ヒキへの方向へ向かわせたりとか。
その意味では、>方法論の是非で争っていただけ
という面もあるのではないかと思う。当事者的にはそっちの方が興味がある。
「ひきこもり肯定」の思想を通じて脱ヒキしていくのなら、おもしろいと思う。
>>773-778 イイから自分の治療に専念してろ
偏狭で感情的で見苦しくて訳がわからなくて嫌われる
全部貴方自身のこと。
スレの私物化だって、名前0自身がもっともその特徴持ってる。
>>790 なぜそう思ったかというと、何かの本で環が、
ロジャーズ(カウンセリングの教祖)とある哲学者の論争を引き合いに出して、
そこから、本人の意思決定や希望に必ずしも沿わなくても、周りがするべきことがある、
その方が望ましいことがある、というような結論を導き出して、それに対して
我が意を得たり、みたいな感じで書かれていたので、そう思ったというのもある。
>>785 なんだか、なんにもやってこなかったみたいなことが書かれているけど…
時代を率先して親の会のネットワーク化、フリースペースやフリースクール
のような居場所・出会いの場所をつくる活動などを積極的に展開してきたのは、
むしろ稲村派に批判的であった側でもあるよね。
精神科医やソーシャルワーカーなどの専門家の意見を聞く勉強会のようなこと
だってやったりしてきて、そのなかには「この医者なら」と本人が望んで精神科
に積極的に通院していた参加者も勿論いるでしょう。
居場所などで元気を取り戻すことができれば、そこをステップに自らの選択で
塾や予備校などに通って進学などを目指すことだってできる。
今では多くの支援期間がそうした活動を模倣するようにもなってきている。
斎藤氏のマニュアルだってそこから借用した内容がほとんどではないでしょうか。
以下またループになるので省略するけど。
>方法論
環の考えとしては、やっぱり第三者(なるべく精神科医)
が介入して、デイケアや投薬などを通じて、うまくいくと考えているんだろうね。
フリースクールやフリースペースなども、より自然な「デイケア」みたいな面もあるだろうから、
その両者は実は方法論はあんまり違わないのかも。
・家庭で安心してひきこもれる環境 ・デイケア
>>794 そのあたりなんかもネオコン的な論理が正当化される哲学に
通底するとされるような要素がたしかにあると思うね。
>>788 >当事者からすれば、
>>772が煽るような社会的な圧力・引きだしプレッシャー
>と自分自身との狭間で常に引き裂かれた心理的葛藤状況に置かれている場合
が多いのではないかと思うよね。
このことは、「障害」者や同性愛またはトランスジェンダーなど
においても共通して提起されている問題の構造であると思われる。
800ゲット
おめでとさん。
>>781 韓国のひきこもり定義は、そういう状態なんだ・・・
何か日本もそのうち変わりそうだな
自分はひきこもり当事者だけど
最近はひきこもりって言葉が空しい響きに感じるよ・・・
>>795 だとしたら、なおさら、
>>796 さんの言うように、具体的な次元では実は方法論の違
いに過ぎませんでした。という話になってしまうよ。
投薬・入院・デイケアの代わりに、そうしたフリースペースや居場所、ネットワークを
利用する、という話でしょ?
脱学校思想を囓った人が「調べれば調べるほど、学校化社会からは逃れられないこ
とがわかるだけだね」と苦笑していたっけな。
>>803 ん???? またループになる予感。
勿論、方法論的にも重なる部分と相対する部分とがあるだろうね。
方法論の背景になる考え方(大げさにいうと哲学)もふくめて。
>>769 >>782 で指摘しているような相違にもつながる。
>脱学校思想
って?
学校化社会をどういう意味で用いているのか不明
なのでなんともいえませんね。
>学校化社会からは逃れられない
これはフーコーの権力関係論に対して俗に言われた印象
と同じ気がするね。
>>780 ならば、いちいち「嫌いだ」程度の感情的理由でもって人を攻撃しないでください。
議論のルール・マナーに反する。
わたしだってあなたのことを「DQN」「デムパ」と言おうとすれば言える。
ただし、あえてそんな失礼なことは言わない。そんなことを言うこと自体、
ちょっと、考えにくい。
どうも被害者意識が高ぶって、自分もまた加害者になりうることについて
無頓着になっているようだが。ナイーブだと思う。その幼稚さ・単純さ
を克服してほしい。こんなことを言うのもあまり上品ではないが、
「おたくもヒキを直せ」とか言おうとすれば言える。けれど言わない。
言ってもしかたがない。自分があなたを嫌っていて、みながあなたを嫌って
いると自分自身判断したとして、それを人に押しつける権利はない。
というわけで、あなたもスレの品位を保つために協力を願いたいのですよ。
シミジミと「○○さん(ある親の会の主宰者)の家庭はいいのよ。本気で不登校や
ひきこもり(閉じこもり)が権利だ、自由だ、と思ってらっしゃる。でも、仮にそうだ
としても、社会はどう思うかしら?
>あの人たちの運動のお陰で、容認はするようになってきたわよね。でも、生活や人生の
>面倒は誰も見ないわよね・・・」と言っている人もいましたね。
>稲村的治療にも、反稲村派の理想にも、二重に傷ついた人たちがいたと思うのよね。
いい視点ですね。実際わたしやわたしの周りの当事者やその家族・友人も、
そこで絶望を感じてているんです。あるいは、それゆえに反動で皇国教育
復活、昔のムラやイエ社会の抑圧を回顧し美化する運動に加わった人も……。
あるいはそこが、あまりに男の子中心であったり、金持ち中心であったり、
優等生中心の価値観を(裏返しも含めて)押し付けるので、もうウンザリと
言うことで一切親の会との縁を切った人も知っています。日常と非日常の
バランスが大きく壊れるのがかなわない、このまままったく常識知らずで
いくと、常識に従うことも反抗することもできない不適応者になりそうだ、と
不安と苦痛を訴えた当時十代半ばの女の子も知っています。
カウンセリング批判とも通底しますが、意識や観念の問題を終止あつかい、
具体的な社会の変革(官僚へのロビー活動など)がなおざりにされた。
それにおそらくレアケース的にうまくいったフリースクールや個人の例だけが
宣伝・広告され、それ以外の情報はリーダー的な勢力が握りつぶしたというのも
人をバカにした話だと思います。
>>803 不登校・ひきこもりについての、そもそもの対立軸が
「病気として治療すべき」派 VS「無問題・主体的ライフスタイル→権利獲得を目指す」派
なの?
それだと両極端過ぎて、何かがズレて、
まともな線が、あえてこぼれ落ちるようになっている気がするんだけど。
「無問題・主体的ライフスタイル→権利獲得を目指す」は、
稲村式の台頭を抑制する為の反動力として、有用だった時期は確かにあっただろうけど、
いつまでもこの対立軸上での結論導出に縛られていると、
まっとうな道は見つからないのでは?
斎藤さんはひきこもりから併発した鬱病等には投薬が効果があるといっているけど
ひきこもり自体には投薬の効果はほとんど無く、第三者との関わりが大切と言ってたと思う。
ただひきこもりから他の病気を併発することは多いと言っているので、このへんは話の
取りようによってはひきこもりに対して投薬主義だととられるかもしれない。
ひきこもりの意思に関しては、ひきこもりの多くが「このままでいい」と思って
いても心の奥底ではそう思っていないというように言ってた。それでこの考えの
根拠が「経験から」ということになってるんだけど、これは危険だと思う。
確かに経験は大切で経験から判断してもいいとは思うけど、その一方で経験が無い人
にも判断の根拠が良くわかるように説明なりをしていくべきだと思う。
内容が内容だけに難しいとは思うけど・・
斎藤氏は、実質的には「病気として治療すべき」派と共通する立場
であるように思います。「病気」という露骨な表現を使わない
だけで、それに等しい、それに荷担する立場であると思いますね。
>>806 >生活や人生の>面倒は誰も見ないわよね・・・
ヤマギシに行けば?
>>805 >>780ではありませんが、少々。
>ならば、いちいち「嫌いだ」程度の感情的理由でもって人を攻撃しないでください。
>議論のルール・マナーに反する。
近頃の貴方が、もっとも理解すべき事じゃないかと思います。
大体、
>>805-806すら、自分が批判・否定(具体的な指摘による批判が多い)
された事に対して、気持ちの収まりがつかないゆえの反論という以外、
反論すべき文脈上の論点も感じられない。感情的な意見。
>わたしだってあなたのことを「DQN」「デムパ」と言おうとすれば言える。
ここ最近、貴方が書いたカキコを自分で全て読み返しても、
貴方には批判される理由が全く理解できませんか?不思議ですか?
人に注文をつけるのも結構だけど、同時に人の批判も聞いて考えながら、
自問自答もしながら。
常に自分だけが全てをチョイスする立場で、自分は言いたいことを言いたい様にいい、
他の人がそれを無条件で受け入れないのは「悪」「理解不足」というのは
幼稚でわがままなだけ。
第一、言う内容がそれだけの説得力もまるでない。
親自体が楽しく過ごすのが良いと言うのはあってると思う。俺は親が別の部屋で
テレビを見て馬鹿笑いしてるのが聞こえてきたら少しほっとする。まあこれも
最近、気持ちが落ち着いてきたからで、昔は俺のことを笑ってるんじゃないかとか
いい気な奴等だとか思ってたけど。
親がひきこもりを養うということについては、やっぱり限界があるわけで当事者
としてはひきこもったままでいいと言われてもその限界にはすぐに気づいて、その限界が
プレッシャーになるというのは大きいと思う。でも実際は、これは推測だけれども、
親が力尽きる前に脱ヒキする場合が多いと思う。だからといって親が力尽きることが
無いわけではないので、この点についてどうするかという問題はあると思う。
ただ、このことを考えること自体がプレッシャーにつながるので難しいとは思うが、
かといって無視してもいい問題でも無さそう。
仮に、フリースクールやフリースペースなどの居場所がいわば狭
義の意味での学校(制度)のような、万人がそこに適応するべき
普遍的な手段であることを主張したんなら、どうでしょう?
それはある意味、不登校や閉じこもりの若者に対する矯正収容所
としての絶対的機能と役割を主張することと同じで、そうなれば
少年院や精神病棟への強制的入院措置と等しい構造と言っても
過言ではありません。
>>807 そう、本当に大切な論点です。
昔ながらの右ー左の対立では割り切れない問題は多々ありますものね。
>>808 そう、あまりにも個人の経験だけで語りすぎるんですよね。
経験を無視しろというのではないけれど、内輪で分かればいい、といった
閉じた姿勢ではなく、もっとひろくコミュニケーションできる表現を
勝ち取る必要があると思います。
フリースクールや親の会にも広報担当、パブリック・リレーション
のためのコーデイネーター役が必要なのでしょうね。
>>811 ちょっとどう答えたらよいのか……。何もあなたのカキコだけにレスを
つけたのではないのですし……。
ありがたくも批判があいつぎ、全てのレスに丁寧なレスをつけることが
これまでできませんでした。だからといって、八つ当たり・個人攻撃を
されても困ります。
人の冷静なカキコまで感情論扱いしないでください。
誰が書いたか、よりも何を書いたのかが大切です。具体的にどのカキコに
ついての話なのか指定してください。でなければ話が成り立たない。
かつて、とある医師について批判的な(パロデイ的批評も含めた)カキコを
しています。だから何ですか? 彼は物がきであり、世論を形成する力を
もつのですよ。つまりみなし公人扱いとなります。そうすると、その言説が
信頼できるか否かを判断するために、メディアは彼のプライバシーをも
報道してよいのです。
その彼の主張が、ふだん診療室での行為と関連があるかどうか
を知らせるのは、@公共性A公益性B真実・相当性があります。
アメリカではこの3つがあれば、それがプライバシーであっても
報道をしてよいことになっています。
ましてや彼のそれは個人的な友人へのおしゃべりではなく、国の施設の
中というパブリックな場所における行為なのです。
こちらのスレに、著書や講演等の内容とちがう治療をしているか否かを報告
するのは何ら問題はないはずです。
わたしのキライな方は、嫌う権利があると思います。無視してもよいでしょう。
わたしは孤独に強いほうですから、その程度で排斥されるヤワなタマでは
ありません。人の自我の強さに、主体の確かさに嫉妬して弱体化させようとする
ルサンチマンによるレスは、相手にしたくない。
スレの本題とも逸れるので、もしコテハンたたきをしたいのなら、
最悪板に新スレを作ることをおすすめいたします。
816 :
811:04/03/24 01:14 ID:???
>>815 言ってる傍からこれですもんね。まさしく糠に釘、粘着に指摘、ですね。
>>811でも言いましたが、批判に対して感情的にすぐ反論しないで、
一旦、相手が言う趣旨をよく検討してみてはどうですか。
批判されると、感情的になって直ちに否定しようとするから、
今まで自分の言った内容も棚上げになって矛盾する上、
「批判された」という気持ちだけで一杯になっていて、批判意見の内容について、
まるで理解できていないし、回答もしていない、と毎度感じます。
合理的な反論があるならどうぞ。
但し、それは批判された趣旨に対する回答になっていなければいけないのですよ。
とはいえ恐らく今回も、的外れに言いたい事を言い捲るだけの
感情的な反論返ってくるだけで、糠に釘でしょうから、
今後は私も貴方に対する対処としては、貴方のおっしゃる様にスルーすることにします。
フリースクールなどの社会システムは、万人に通用する、裏を返
せば、すべての人がそこに適応しなくてはならない「学校」のよ
うな絶対主義的な(義務的)システムであることを主張している、
というわけでは本来ないはずですね。
すべての不登校児なり閉じこもりの人がそこに適応させられて
集団訓練されるべきだということになったら、そこはもうフリ
ースクールではなくなって、一種の収容施設になってしまう。
フリースクールなどのサポートシステムが世間に認知されることで、
世間が上記のような意味でその存在を受け取ってしまう傾向が生
じてきて、学校へ行けないならそこへ行け、みたいなことになっ
てしまうんですよね。
あるいは、サポートシステムを運営している人自らがそういう
ことを主張するにようなる場合すらある。
一つにはそういう問題があるわけですね。
>>817 脱字訂正
×フリースクールなどの社会システムは、
○フリースクールなどの社会サポートシステムは、
とりあえず誰かサンは、自分の治療に専念してくれたほうが
公益面でも。
>医療そのものが無効じゃないかと疑っているの。医療そのものを信用していないの。
>>614の見解は
>>750さんのものですか?
>>806 >具体的な社会の変革(官僚へのロビー活動など)がなおざりにされた。
これは、具体的には何を求める、どういう活動を指していますか?
>>808 >考えの根拠が「経験から」ということになってるんだけど、これは危険だと思う。
>確かに経験は大切で経験から判断してもいいとは思うけど、その一方で経験が無い人
>にも判断の根拠が良くわかるように説明なりをしていくべきだと思う。
突詰めた論拠となると、「多くの症例をみた経験から」とかすごく曖昧なのに、
多くの症状、趣味思考・行動傾向の詳細を断定して説明付けしている事は多いよね。
しかも、そういう曖昧な論拠を正しい統計でもないのに数値化したり、
学会に発表なりの装飾を施して、一見したところの「信憑性」工作もしてさ。
それは稲村の登校拒否症時代からのトリック伝統芸として、受け継がれている。
>>809 オレも、斎藤は「病気として治療すべき」派だと思います。
で、オレはそんな稲村〜斎藤「医療」に批判的立場なんだけど、
もし、相対するVS軸が、唯一「無問題・主体的ライフスタイル→権利獲得を目指す」派
だとするなら、その対立構図においては、オレはどこにも入らなくなっちゃう。
要は
>>812 >親がひきこもりを養うということについては、やっぱり限界があるわけで当事者
>としてはひきこもったままでいいと言われてもその限界にはすぐに気づいて、その限界が
>プレッシャーになるというのは大きいと思う。でも実際は、これは推測だけれども、
>親が力尽きる前に脱ヒキする場合が多いと思う。だからといって親が力尽きることが
>無いわけではないので、この点についてどうするかという問題はあると思う。
>ただ、このことを考えること自体がプレッシャーにつながるので難しいとは思うが、
>かといって無視してもいい問題でも無さそう。
この辺を出発点に、「病気として治療すべき(たまきん)」でも「無問題・権利獲得闘争」でもない
もっとも思想も普通で現実的でまっとうな結論検討すべきだよね。
eom
EOM
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殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺
主体的ライフスタイルというふうに書いていたのは名前0さん
だったような気がするけど、その人と今の人とは別人なのかな?
>「無問題・権利獲得闘争」
無問題なら権利獲得闘争をする必要はないわけで…
問題を見る視点がちがうということだよね?
>>822 >オレも、斎藤は「病気として治療すべき」派だと思います。
>で、オレはそんな稲村〜斎藤「医療」に批判的立場なんだけど、
とゆーか、「病気として治療すべき」派に等しい、というのは
「医療」に限定した意味ではないんですよね。個人に「病気」
のレッテルを貼るというのは、その個人が要するに「治される
べき対象」と定義されることですからね。
>>827 「無問題・権利獲得闘争」は、不登校やひきこもりに対して
全面肯定でなく、ある意味違う視点では問題意識をもっているということ?
いわゆる象徴的対立軸の主張が、不登校やひきこもりを
主体的に選択したライフスタイルとして強く肯定的に捉えて、
多様なライフスタイルの1つとして認知される権利の獲得を目指してる様にも
かんじられるけど、ちがうの?
それだと、オレも同意しきれないところがある。
>>822 そういう話は、ある意味、永久にループなんですよ。
けっきょく
>>822さん自身の場合は何を望むかで個別に決まる。
既存のサポートシステムのなかに自分の望むものがあれば
自らの意思でそれを選んで利用すればよいだけの話ですよね。
>>828 え??だから、それは「医療」に限定した話なんじゃないの?
>>830 え??むしろここの特徴的ループに少し釘さしたつもりだったんだけど。
オレの
>>822も永久ループだっていうなら、一体どんな話がそうでないの?
ところで、
>>830は近いところでどの意見書いた人?
どういう流れから言っているのか判りませんんので。
>>822 >この辺を出発点に、「病気として治療すべき(たまきん)」でも「無問題・権利獲得闘争」でもない
>もっとも思想も普通で現実的でまっとうな結論検討すべきだよね。
結局、そういう常識的な話をしてたのかよ。不登校に限れば、なぜか、反引き出し系の人々
からは嫌われているけど(何らかの前科があるのだろうが)、開善塾がそういう立場でしょ?
この人は、開善塾をフィールドワークしている松下政経塾の人だけどね。
ttp://www.mskj.or.jp/profile/ikuko.html 河合洋や斉藤環と親しい「はぐれ雲」もそうだよね。タメ塾もそうかもよ。
そういう場所の利用法については、永富さんがNHKのサイトに書いているよね。
当然、怪しい場所もあるので注意しようと。
個人的には、フリースペースや支援寮の類はお金が掛かり過ぎるから、公的に安価で
行えないか、と思うけど。いざ具体策となると、意外と当たり前なことしか無いね。
>>829 そのあたり、決定的な誤解があるように感じます。
まあ、これは私の理解ですが、あなたが当事者の一人として主体的
に同意できないならば、べつにそれはそれで結構なわけですよ。
あなたは自分の思う道を行けばいい。
>>832 表現が足りなくてすみません。
>>830は
>だとするなら、その対立構図においては、オレはどこにも入らなくなっちゃう。
へのレスポンスのつもりです。
>>833こそループだね。
前にも過去スレで同じような場面で、俺は「もともと当たり前のことしか言っていないつもり」
と何度か言ってるじゃないか。
で、君は一体何が欲しいわけ?金だけ?
このままの自分で金には困らない様にだけ、そこを何とかして欲しい訳?
もしかして、たまきんならヒキに金銭的受給がもらえる道が開くカモ・・とか思ってる?
「障害者年金」とか著書で触れる人だし?
まず、結論として、それは現実的に難しいでしょうね。
現実化するとうーんと仮定して、
たまきんを軸にそう言う動きが現実味を帯びたとしても、
それは相当の代償と引き換えでしょうね。
つまり、生活は保証されるが、新たに「ひきこもり症」として認定され、
自活不能を理由に「生活支援施設」のような場所への入所が条件とかね。
>>837 そう突っかからないでくれよ。自分はただ、「思想も普通で現実的でまっとうな結論」
と言ったら、こういう所しか思い浮かばないけどなあ、と言っただけなんだから。
>>831 >え??だから、それは「医療」に限定した話なんじゃないの?
そうです。
「病気」と見なすことは一般に何を意味するかといえば、
「治されるべき対象」としてレッテルが貼られることですね。
治されるべき対象(治療対象)と定義することが「病気」の意味
するものですから。
>>835 つまり、彼らは不登校やひきこもりを「主体的ライフスタイル」として
肯定しているわけではない、ということですか?
>>836 だったら尚の事、それはループしない方向へ持っていきたい趣旨なんだが・・。
オレがそこで言いたいのは、つまり象徴的対立軸以外の批判的立場なり、
不登校やひきこもりについての認識なり、具体策なり、検討する立場が
ないと、まっとうな結論って出ないんじゃないか?ということなんだけど。
上記対立軸以外に、タメ塾とかその他色々あるだろうけど、とりあえずその辺もさておいてね。
>>840 だからその結論はあなたがあなた自身に対して出せばよいのですよ。
それとも全体主義的な結論に至りたいのですか?
>>840 >上記対立軸以外に、タメ塾とかその他色々あるだろうけど、
タメ塾のようなところも含まれていると思います。
タメ塾のようなところも、専門機関かそうでないかの違いは
あるものの、稲村氏らと同様に入院的治療対象にすることに
等しいのではないでしょうか?
>>841 はあ・・何故に全体主義??
どうしてそう捉えるのか判らないけど。
そしたらなんで、こんな場所でみんなで話してるわけなんですかね?
NHKも、たまきんも何もかも、一体なんなのか?という事にも。
それなら、ある意味、始めから全て解決済みじゃないですかね?
再度
>>835 つまり、彼らは不登校やひきこもりを「主体的ライフスタイル」として
肯定しているわけではない、ということですか?
>>833 >>840 あれ? 斎藤の立場のほうがタメ塾などの引き出し屋よりも
稲村式から離れたところにあると書いていた人もいたと思うけど。
稲村と斎藤の間にタメ塾があるんじゃないの?
あんげが名前0と半ば混同されて突っ込まれ
それにまとめて答えるあんげつー雰囲気だな(w
>>843 >つまり、彼らは不登校やひきこもりを「主体的ライフスタイル」として
肯定しているわけではない、ということですか?
ですから、その問いがある意味、無意味だと思います。
当事者が主体的に判断する事だからです。
それは「ひきこもり」という定義にしてもそうだと思います。
>>842 その意味では枠を大きくすれば
「医療」に限定されない団体なども「病気だから治療すべき」派にはいるのかな。
というか、大枠を「外形的状態矯正派(引き出し系)」、
その詳細が医療系「病気だから治療すべき(稲村-たまきん)」と民間団体系(タメ塾とか)
とかなってるね。
>>846 無意味じゃないよ。
彼らとしてのどういうスタンスなのか、明確なところを知りたいんですよ。
当事者自身の判断云々は、別問題でしょ。
>>843 >はあ・・何故に全体主義??
>どうしてそう捉えるのか判らないけど。
当事者の個別の意思、差異、要求を無視して、
いわば全体主義的に導くことにしかならないと思いますが。
>>848 それは正しくは彼ら一人一人に訊くしかないですね。その彼らも
人それぞれに考えは異なってくるでしょうからね。
>当事者自身の判断云々は、別問題でしょ。
別問題ではないと思いますよ。まさに当事者自身の判断を
含んだ主体的…という意味ですから。
>>849 >当事者の個別の意思、差異、要求を無視して
オレが?そんなことしてる覚えは全く無いが。
むしろ、こうした文言を用いて、
気に入らない個別の意思、差異、要求を封じこめる手口もあるがw
で、だから、誰(オレの意見対していってるんだからオレだろう)が、
何を、どう、全体主義的に導こうとしてるというの?
なにか勘違いしている人が多いような気がするのですが、
不登校やひきこもりを肯定的にとらえる(否定的に見ない)と
いうのは、全ての人は学校に行くべきでないとか、断じてひきこ
もりつづけるべきだとか、まるでそういうふうな意味合いで受け
取っているかのような…
>>850 どんな団体だってその中の1人1人は個別の考えはあるだろうが、
彼らも一応まとまって一つの方針なり主張を一本打ち出しているんだろう?
その大枠の範疇での回答もできないの?
不登校・ひきこもりという状態を、肯定的に捉えているのか、そうでないのか。
その点は主張の根幹・基本軸となる重要点なのに?回答できないの?
そんなはずは無いだろうに。
>>851 でーすから、他人に押しつけることなく、あなたがあなた自身に
対して、どうすべきかという結論を出せばいいのでは?
>>853 なんかいつのまに一つの団体になっちゃっているんだけど、
回答もできないのって、そんなこと私に言われてもね(w
党じゃないんだから統一見解なんかあるのかなー?
で、「主体的なライフスタイル」という言葉はその団体
とやらの誰が言っているのですか?
>>852 いや、そんな極端な勘違いしてる人は少ないじゃないの?
でも、彼らが不登校なりひきこもりを、就学、就職、マンガ家なりタレント志望等と同じ
多種多様の選択肢の中の1つとしてのライフスタイルとまで言うなら、
稲村-たまきんが病気というのを同じ位、言い過ぎだと思うから、
その辺を確認したいだけ。
それはそれで、病気化と同じくらい、問題をすり替えてるように思えてしまうから
とまで
>>855 だから、奥地サンとかその辺りの団体ですよ。
その辺の団体のスタンスについて聞いてんだから、
否定肯定、どっちだってはっきりしてるんだろうから、回答できるでしょう?
なんではぐらかすのかね?何かまずい事でもあるの。
オレ自身の判断なんて関係ないんだよ。
今は、奥地さんらが否定肯定、どういうスタンスなのか聞いてるだけなんだからね。
>>851 >>当事者の個別の意思、差異、要求を無視して
>
>オレが?そんなことしてる覚えは全く無いが。
そう思うのでしたら、個別の判断に任せるべきでしょう。
>>856 >それはそれで、病気化と同じくらい、問題をすり替えてるように思えてしまうからとまで
どういう意味でどう問題をすり替えているように思えるのですか?
だーからーねー?
キミが言った意見なんだから、それに対して突っ込まれたら、
キミが自分の意見について、責任持って回答しなさいよ。
個別の判断とか、個々の主体性みたいな言葉で、はぐらかさないでさ。
>>861 >キミが言った意見なんだから、
どの意見が? 具体的に番号を示してくれないと。
>>856 それをここで言っていたのは、私の記憶では
名前0さんだったような…
>>859 奥地サンたちが、
文言はどうあれ、不登校問題から端を発して、
この手の趣旨で肯定してるんではないのですか?
(さっきからそれがどっちなのか?と何度も聞いてるわけだけども?)
>>860 オレは不登校にしろヒキコモリにしろ、消極的な選択である場合が多いのではないかと思っている。
もちろん特例もあるかもしれないだろうけど、
ほとんどがそうなるしか身の置き場がなかった、そこしか避難場所もなかった、と言うことじゃないかと。
それを学校行きたい、働きたい、何かの特技で身を立てたいなどと
同列においてライフスタイルの一選択肢だよ!何て位置付けはどうかと思う。
だって違うでしょ。病気化と現実を正確に捉えてない両極に位置するでしょ。
ていうか、なんでそんなに絡むの??
オレは、奥地サンたちが不登校やひきこもりの状態そのものを
肯定してるのかどうか、聞いただけなのにさw
>>857 私の理解では、フリースクールなどの居場所の理念は、万人に
普遍的な場や考え方を提供しているものではなく、いわばオルタ
ナティブな考え方を提示しているというもので、それを全体主義
的に押しつけられるべき考えや場であると受け取ってしまうのは、
その意味をまるっきり反転させることになってしまうと思います。
>>865 無理して学校に行きつづけていることが消極的行動だった場合も多いよね。
>>845 はあ?オレと名前0を混同してるのかい? なんだいそれ。
>>863 オレもその辺はわかっていたつもりなんだけどね。
そのつもりで意見をいってたら、それが誤解だ(
>>835)言われたので、
へえそうなのか、と思って、じゃあ彼らは肯定してるわけじゃないの?
と確認したくて質問しただけなのだよ。
そしたら、明確な回答がなくて、はぐらかされている、と。
否定肯定どっちでもいいから、「誤解」あるのかどうか、確認しただけなのにさあ。
だからさあ、不登校の子供に対しては、まず安心させることが何より大事だから、
その存在(状態)自体を肯定してあげる事はとても大事だと思う。
ただ、そこから先、本当はさあ、
結婚制度とかまで出してきて、学校制度とかの問題だけにすり替えたりしないで、
なんで学校いけないのか、そこにどんな問題があるのか、これから本人が、
どうやって潤った生活、人生を送れる様になれるのか、
そこを見て対応していかないと、それこそ、はじかれた者から手なづけて…てな
事にもなるでしょう?
>>865 >オレは不登校にしろヒキコモリにしろ、消極的な選択である場合が多いのではないかと思っている。
>もちろん特例もあるかもしれないだろうけど、
>ほとんどがそうなるしか身の置き場がなかった、そこしか避難場所もなかった、と言うことじゃないかと。
これは奥地さんらも言っていることですよね。
というか、奥地さんらが積極的に主張していたことですね。
もっと言えば、本人はいずれに対しても消極的だと思いますね。
つまりそういう状況に追い込まれている場合が多いですよね。
>>868 >じゃあ彼らは肯定してるわけじゃないの?
つーか、
>>866の意味が理解できないのかなあ?
>>868 言いたい意味が抽象的ではっきりしないんだけど、
具体的にはどういう対応をすべきだろうと思うの?
こちらの主張をさんざんスルーしているんだけど…
奥地さんらは、べつに、本人にフリースクールを参加強制する
方針でも、学校へ行くべきだとか行くべきでないとか主張して
いるのでもないと思うが。
>>870 >>866を見る前に
>>868を書いていたんですよ。
>>840に対する回答として、何故、すぐそう回答しないの。
その答えでも、完全に理解出来てもいない気もするけど(結局、押し付ける押し付けない問わず肯定なのか否定なのか)、
それならそのまま、とりあえず、質問に対する回答の趣旨になっているではないの?
>>868さんの考えをうかがっていると、斎藤氏よりもずっと
稲村寄りのような気さえしてくるんだけど。
>>871 じゃあ、もっと具体的にいうと・・・
オレの印象では、奥地さんはかなり学校制度に対して抵抗している。
そして、学校に復帰させるのは「イケナイ考え」だ、と言う主張が強い。
なんだか、個々の不登校児童の問題と言うより、それを足掛かりにした
反体制運動化という印象。
で、個々の不登校児童などが個々として、どう幸せになれるようになっていくかより、
反学校制度化を足掛かりに反体制分子として別の「教育」をしているような印象も免れない。
ので、そのへんどうなんですか? まーったく違いますか?違うなら違うで良いんですけどね。
>こちらの主張をさんざんスルーしているんだけど…
え??私が散々スルーしたってのは、どちらの主張ですか?
>>873 全然違うよ。
前にエロマンガでオレが意見したときも保守だのなんだの言われたけど、
それは、受けて側に体制と反体制という図式のビジョンしかないから
一定の法則でどちらかに振り分けてしまうんではないか?
例)ロリエロマンガ批判→検閲支持→体制寄り とか
奥地(反体制)不支持→体制支持 とかさ
>>872 >
>>866を見る前に
>>868を書いていたんですよ。
>>866以前にも同じ意味のことを一貫して何度も繰り返し書いてきた
はずなんだけどなあ。
>結局、押し付ける押し付けない問わず肯定なのか否定なのか
私が思うに、奥地氏らは、オルタナティブとしての不登校の肯定
にすぎないと思いますけどね。
>>875 いえ、そういう意味で稲村寄りと思ったわけではないです。
>>874 やはりそんなことだろうと思いました。
その書き込みは逆にあなたの政治性を物語っていると思います。
>>876 それはそういう意味じゃないだろうにさあ。
>>866が
>>868に対して、
>>866の意味判らんのかっていうから、
そういう返事になるんだろうにさあ。
はぐらかしてばかりで回答なんでしてなかったぞ?
>>877 じゃあどういう意味で稲村寄りなのさ??
はあ。しかし、きりないね。
>>875 あなたは以前にもここで…
314氏だったかな?を思い出した。
>>878 じゃあ、更に具体的にいうと・・・
反体制運動とか、反体制分子とかを、必ずしも俺は否定的には捉えてないよ。
ただ、不登校児童を、不登校問題を足掛かりにして反体制思想教育するってのはどうかと。
不登校児童は、不登校から、どうしたいのか、どうすべきなのか
本人がどう自分なりの自己実現をして生きていくのかということが1番でしょ。
反体制思想だけが、そこへ直リンしていくとは思えないので、そこはおかしいなあと。
不登校でもひきこもりでも一般人でも自分が反体制の考えをするってのは、まあ自由でしょ。
でも、それとは似て非なるニュアンスもなきにしもあらずなので、
そのどうなの?といってるだけだけど。
言ってる趣旨、判らないかな?
>>879 >じゃあどういう意味で稲村寄りなのさ??
登校拒否が既成の学校システムへ不適応だから、既成の学校
システムに適応させるべき治療と矯正の対象になる状態だと
考えているわけでしょう?
>>875 >それは、受けて側に体制と反体制という図式のビジョンしかないから
それはあなたのことではないかな?
反体制思想教育だという図式で語っているわけで。
>>881 なら、体制順応化教育だったらオーケーなわけ?
>>882-884 全然違うよ。繰返すけど
ただ、不登校児童を、不登校問題を足掛かりにして反体制思想教育するってのはどうかと。
不登校児童は、不登校から、どうしたいのか、どうすべきなのか
本人がどう自分なりの自己実現をして生きていくのかということが1番でしょ。
反体制思想が、そこへ直リンしていくとは思えないので、そこはおかしいなあと。
不登校でもひきこもりでも一般人でも自分が反体制の考えをするってのは、まあ自由でしょ。
例えば、奥地さんが一般人やら不特定の人間相手に「反体制思想塾」みたいなのをやっていても、
別になんとも思わないわけよ。
このニュアンスわかってもらえないとしたら、前記「図式」のビジョンによる所以じゃないか
ずっと交わされてきたんだけど、その判断は本人がそれぞれに出す
ことでしょう? 奥地さんのところが自分に合わないなあと思えば
そこに行く必要はないのだしね。
行くことを強要されるような状況があれば問題だけどね。何度も
繰り返しになるけど、システムの選択の自由にかかわる問題ですね。
>>885 あなたが反体制というのはどういう意味?
どうやら、あなたの側には体制と反体制という図式の
ビジョンがあるようだけど。
あなたこそ既成の学校体制を絶対化したいんじゃないの?
>>886 そうだよ。そもそもオレだって、行掛り上で肯定否定を確認しただけなのにさ。
仕事しながらだけど、久々夜が開けちゃったよ。
それにオレの印象が誤解なら、それはそれで結構、
という程度で確認しただけなのにさ。
>>887 だから、全然違うのにさあ。解る様に何度も言ってるはずだし。
だのに、そう言いつづけるのって、図式のビジョンにとらわれているからなんだよ。
何に賛成か反対っていったかを、一定の傾向で両極のBOXに振り分けてる。
学校の絶対化なんぞしつつ、稲村たまきん批判をするなんて、有り得ないでしょ。
>>874 >学校に復帰させるのは「イケナイ考え」だ、と言う主張が強い。
だからそうした選択は本人の判断に任されているわけでしょう?
本人が自らすすんで行ってもいいし行かなくてもいいんじゃないか
と、そういう選択肢として学校を考えているだけでしょう。
>>881 >本人がどう自分なりの自己実現をして生きていくのかということが1番でしょ。
もちろんそうだよ。
>反体制思想だけが、そこへ直リンしていくとは思えないので、そこはおかしいなあと。
>不登校でもひきこもりでも一般人でも自分が反体制の考えをするってのは、まあ自由でしょ。
だから東京シューレに通うかどうかは本人の自由でしょう?
引き出し屋のようにしつこく勧誘して連れ出しに来るのか?
そこに自分が馴染まないと思えば行く必要はないだけだろ?
>>864 いきなり戻るけど・・つまり
「不登校・ひきこもり」=「一選択肢としての主体的ライフスタイル」というのは、
名前0がいっていただけで、奥地さんは言っていない、ということでOKなんでしょうか?
ちなみにオレだってどちらかと言えば、決して体制派とはいえない人間なんだけどね。
とりあえず、寝ないでこのまま今日1日頑張ります・・(-_ゞゴシゴシ
ちょっと話が戻りますよ。体制ー反体制の話がまた出てきたけど。
多分上の世代(全学連・全共闘、ヒッピー世代くらい)にとっては、反体制
=オルタナテイブという冷戦体制の論理があてはまると思うのね。
ただ、今時のヒトけた・10代・20代・30代の子どもや若い世代にとって
は体制も反体制もイデオロギーもないと思う。ベルリンの壁が崩れる少し前から
「イデオロギーの終焉」は指摘されていたからね。
むしろ、「人とはちょっとちがう」といった消費社会における差異化欲求として
フリースクールなり、奥地メソッドを選んでいるんじゃないかしら? ちなみに、イデオロギーと
関係のない親についても同じことはあてはまるね。
消極的不登校と積極的不登校があるんじゃないか。
消極的不登校は、神経症化、閉じこもり化などの
二次(副次)的症状をほとんどの場合呈するか、呈する傾向が強い。
消極的不登校だった人も積極的不登校のほうに近づくと、
重度の閉じこもり、神経症化、精神病様症状などを含めた
さまざまな二次(副次)症状の進行が緩和されるか、消失し易い。
>>895 二次的症状でなく二次的反応だ。
そもそも不登校・登校拒否はその概念に登校とあるとおり
特定の(狭義の)学校制度イデオロギーを基準にしたもの。
例えば、医療制度を基準にすれば、通院拒否症、入院拒否症とか、
そういう言葉になる。でもって入院拒否症が治療対象にされる。
不登塾とか登塾拒否症などという言葉だって考えられる。
>>868 反体制云々の話でいえば、たしかに、体制に順応できないことは、
その子その人にとって、社会的な大きな不利益をもたらすかもしれない。
体制に順応し、出世して、できればその体制のエリートになったほうが
得なんだろう。
日本で放送される北朝鮮の女性や子供達を見ていてもそう思う。
>>891 >だから東京シューレに通うかどうかは本人の自由でしょう?
>引き出し屋のようにしつこく勧誘して連れ出しに来るのか?
東京シューレも、閉じこもっていずにシューレに来いとヒキの自宅に
執拗に押しかける、粘着引き出し屋になればいいんじゃねえのか
>>892 >「不登校・ひきこもり」=「一選択肢としての主体的ライフスタイル」
奥地さんは直接は言わないかも知れないが、あそこ系の人で、それに限りなく近い
ことを言う人など珍しくもないよ。
だから、一方でなぜ「義務教育を卒業する権利」を要求するのよ、バカじゃない? 主体的
に行かなかったんでしょ? という、一般人の素朴な疑問が出てくるのもまあわかるよ。
(個人的には紙切れ一枚のこと、ケチケチせずに出せばいいと思っているが)
>>895-896みたいな議論も繰り返されてきた(と思う) そして斉藤環氏は医者なので、
その中で振る舞う限り、良し悪しは別にして「治療」という発想になる訳ですね。
たとえ外面がソフトになっても、やはりあれは「治療」なんだ、許せない、という人も
そりゃいるのでしょう(実際に、踏み込み過ぎの入院や投薬を行っているのかは別にしてもね)
上で、「刺激しない方が、外に出られるようになる(学校にも社会にも参加できるようになる)」
と言っているのか、「当然、学校に行かないことは権利だし、(いつまでも?)ひき
こもることも権利だ」と言っているのか、どっちだ? という話があった。
前者だとすれば、引き出し系とは方法論の違いで争っていただけ、ということになるし、後者だと
すれば、権利獲得闘争を行っていた? ということになる。
いっけん矛盾するのだけれど、いずれの方向性であれ、当事者に「主体的」に「選択」
された、という理屈を前提にしている以上、彼らの中では何の矛盾もないのよ。
>>898 それは彼らのタブー(フリースクールの第二の学校化)に抵触するのでダメらしい。
代わりにホームスクーリングを始めたよね。
>>899 >だから、一方でなぜ「義務教育を卒業する権利」を要求するのよ、バカじゃない? 主体的
>に行かなかったんでしょ? という、一般人の素朴な疑問が出てくるのもまあわかるよ。
義務教育形式の多様化を主張しているからね。
教育=学校への出席ではないし、既成の「学校」だけが学校ではない
ということだね。
>>900 >それは彼らのタブー(フリースクールの第二の学校化)に抵触するのでダメらしい。
参加を強制しない学びの場・出会いの場(学校)がフリースクールだから、
不登校児の誰もが収容されるべき少年院や刑務所や病棟のような収容所
としてフリースクールが機能したなら、それはもはやフリースクール
ではないからね。
フリースクールも日本語でいえば自由学校だから学校であることには
違いがないけどね。ただ、そこへの画一的参加を絶対化せず、個人が選択
可能な社会システムの一つとして考える、ということになるのだと思う。
因みに、学校化社会というのは、教育=学校が絶対化された社会で、教育を
学校が独占・支配しているような全体主義的システムを指しているんですよね。
>仕事しながらだけど、久々夜が開けちゃったよ
メル欄あんげ氏って仕事してる人だったのか・・・。
真性ヒキだと思ってたのに、ショックだ。
少しでも働いてたり自宅から出れるような人はひきこもりではありません!
偽 ヒ キ は カ エ レ!!
以降あんげ氏の主張には「当事者の意見」としての説得力は全く無し、ということで。
あんげ氏は稲村氏よりもかなり露骨に心情保守主義的なことを表していて、
既成の学校体制の画一的・保守的な権威をなんとか擁護したい気持ちがあって、
その体制に適応出来ない子はその体制に適応するよう矯正されるべき存在だ、
みたいな立場にいる感じだったね。
なんとかオブラートに包んだ表現を使おうとしていたけどね。
>>899 >
>>895-896みたいな議論も繰り返されてきた(と思う)
これは奥地氏自身の考えというより、海外の不登校研究の流れなどを踏まえた
精神科医らの見解から奥地氏が学んだことだと思いますね。
あと、奥地さんの団体の事だけど、ここで肯定してる人が
そこの関係者(不登校当事者として)なら、
別にそれなりに良いものなんじゃないかと思ったけど。
稲村-たまきん患者当事者で、ここまで根をおろした理解(納得)のもと
「稲村先生や斎藤先生は本当に素晴らしい治療をしてくれたんだ!!」
なんぞと強く肯定し続ける人はみたことがない。むしろ反対のケースは複数みたけど。
(一時的に絶賛・崇拝する人はいても、そういう人は後々状態が悪化する事も多い様だし)
医療化と肯定化の一見両極のようでも、その辺で既に実質に大きな違いが在るかもしれないね。
>>911 あ、オレ奥地氏のやってる会に行った事あるけど、
>「稲村先生や斎藤先生は本当に素晴らしい治療をしてくれたんだ!!」
って言ってる人に会ったことあるぞw
その人は奥地氏と稲村ラインの対立を何も知らなかったみたいで、素で言ってたみたいだがw
場が凍っちゃっておかしかった。
・・・しかし「素晴らしい治療を受けたなら何故ここに来てるんですか・・・?」とは流石に
突っ込めなかったな(苦笑
>>909 否定するも何も、以前からひきこもりでないと言っていたし、
その認知を前提で発言していたわけだからな。
むしろ、今になって
>>903みたいなこといわれることに
こっちがビックリしてるよ。
つーか、オレが奥地全否定したと思って、今度は俺に色々理由つけてバッシングなんだろ。
オレは別に学校絶対化とか矯正適応とか、そんな事全然言ってねえのによw
何度も噛み砕いていってるつもりなんだけどさ、頭、かてぇよなあ。
>>912 >>911良く見ていいなよ。そういう人もいる。それも、予後はさておき一時的な絶賛なら結構な数いるよ。
>>913 >オレは別に学校絶対化とか矯正適応とか、そんな事全然言ってねえのによw
そうかぁ? 要するにそういうことと大差ねーんじゃないの?
>>915 ふーーーん。あ、そう。
じゃあ勝手にそう思ってれば良いじゃないの。
違うと言っているのに、なんなのかね。
>>913 >オレは別に学校絶対化とか矯正適応とか、そんな事全然言ってねえのによw
まあ、そこまで露わな表現はしなかっただろうが、
既成の学校体制に適応出来ない子はその体制に適応するよう矯正される
べき存在だ、ということを言っているのと結局は同じことじゃないのか。
>>916 >違うと言っているのに、なんなのかね。
どこがどう決定的に違うの? そこをはっきりさせてよ。
>>917 どこがだ?どこ?え?俺の発言のどれがそうなんだかいってみろ。
オレの発言趣旨
1:奥地さんがひきこもりや不登校の状態そのものを肯定してるのか否かの確認。
2:不登校問題をそのまま反体制思想に直結させるのは、問題の捉え方、解決方法として適正とは思えないので、
そういう「印象」をもっているがそれが誤解なのかどうかの確認。
3:学校化社会等、所謂既成の体制に対する、
反体制的アンチテーゼ等そのものについては否定的捉えていない。
この3点しか言ってないのだよ?
これがどうして体制適応〜矯正主義と言うことになるのだね。
もろ手を上げて賛成でないと反対分子もしくは危険思想かい。
毛沢東の紅衛兵なみの決め付け方だな。
>>919 >もろ手を上げて賛成でないと反対分子もしくは危険思想かい。
そんなこと言ったか?
>反体制思想に直結させるのは
だから君の考えるその反体制思想とは何なんだ?
>>917に書かれてあるような意味とはまったく違うのかい?
個人が選択可能な社会システムの一つとして学校を考え、
不登校児童にその選択肢の一つの提供していることが、
反体制的だからけしかん、というのか。
本人がシューレなどのフリースクールに行きたくなければべつの行かなくて
よいのだし、本人が学校に自分から戻りたければ、次のステップとしてその
道を選んでいけばよいことじゃないのか。
>>922 その選択肢の一つの提供→その選択肢の一つを提供
>>919 >これがどうして体制適応〜矯正主義と言うことになるのだね。
君が、体制とか反体制とかって言うからだよ。
既成の学校体制に順応するように仕向けていないから
けしからん、ということなのか。
>>922-923 だから別に良いんじゃないの?
まして貴方がシューレの不登校当事者としての関係者であって
そういうのなら、良いんじゃないのかな!!!!(はぁ〜・・)
ただね、不登校の問題だって、
「制度としての学校」の問題ばかりが原因ではないはずなんだよね。
例えば、いじめの問題、それに対する担任始め教員の対応の仕方、考え方の問題など
普通にその現場現場の子供なり親なり教師なりの「人となり」の問題に拠る所も
おおきいだろう?
そういうのを、もっと普通に、その現場の子供たちなり、教師なり、親たちの問題として、
しっかり捉えて解決すべき事もあるだろう。
それを制度や思想の問題ばかり強調したり、制度に適応できる出来ないの適応矯正の問題
としてしかみなかったりするのは、ある意味、稲村タマキンたちの「病気化」と同じように、
「本当のそこにある問題」の姿を覆い隠す事にだってなりうるだろう?
そのへんがどうなのかを確認しただけなのだが。
>>921 人の質問にも答えてから質問したらどうだ?
お前が言ってるようなこと、オレがどこでそんなこと言ったのか?
それを聞いたんだから、まず、それ回答してからにしろ
>>927 子どもの人権という立場から、いじめの問題なども含めて学校の運営に対する
批判もしてきていると思うぞ。特に公教育の場はすべての子が公平に参加する
権利があるのだから、それが侵害されているのなら子どもの人権問題だしね。
シューレ厨の噛み付きぶり、ある意味異常だね。
なんだか身震いすら感じてしまう。
>>927 寧ろ学校における子どもの人権侵害の問題を一貫して告発する側にあったと思うが。
不登校問題は第一に学校との関係における子どもの人権問題であることを、この問題
を語る誰よりも強く言及してきていたのは、他ならぬ奥地氏らではなかったか。
あげ
>>929>>931 だったらそれは大変結構じゃないのか。
どうして今までの質問に対して冷静にそういう回答を出来ないのさ。
子供の人権、患者の人権、人権意識は大事だ。
オレがこれまで、それに違う事を言った事あるのか?←ない。
>>927 >まして貴方がシューレの不登校当事者としての関係者であって
関係者ってどういう意味だろ? たぶん関係者とはいえないな。
つか、べつにシューレが最高・完璧、すべての人がそこへ行けば
人生ばら色になるはず、なんて思うわけではない(笑)。
そういうふうに受けとることのほうがおかしい。勘違い。
けっきょくはその本人がどう思うかで選べばよいことではないか?
>>934 じゃ、一体何が言いたかったのだよ(´ー`)
粘着シューレ厨の噛み付きぶり、ある意味異常だね。
なんだか身震いすら感じてしまう。
>>935 だから一貫してそう言っているんだよ。
シューレが許容できると思うのは、あくまでも当事者の
判断による選択肢の一つになっているかぎりにおいてだよ。
>>898が煽るように、
>東京シューレも、閉じこもっていずにシューレに来いとヒキの自宅に
>執拗に押しかける、粘着引き出し屋になればいいんじゃねえのか
みたいな方向に走ったら見方を改めるかもしれん。
粘着シューレ厨の噛み付きぶり、ある意味異常だね。
なんだか身震いすら感じてしまう。
>シューレが許容できると思うのは、あくまでも当事者の
>判断による選択肢の一つになっているかぎりにおいてだよ。
これは当たり前。斉藤でさえ、そう言ったらそれだけのこと。
そこから先の思想や方針がどうなのか、
これの繰返しは回答を避けているだけに等しい---に1000点。
粘着信者と粘着シューレ厨と粘着メルヘンとあんげと愉快な仲間たち
>>939 親がウルサイからそれに耐え切れず病院で治療を受けざるを得ない
のならそうすればいい、というのは斎藤氏の立場ですよね?
>>941 「親がウルサイからそれに耐え切れず病院に治療を受けに行く」
当事者の意思で来たとみなすことが可能。
周りが本人に対し、学校へ行かないならシューレに行ってくれ、行くべき、
行ったほうがいい、などとまるで学校へ行け、病院へ行け、と同様に本人に
執拗に有形無形の圧力をかける・・・そういう傾向が生じてしまうことに対する
反省が関係者(奥地氏ら)から問題提起されたこともあったと思う。
>>942 まあ、ここだと名前0氏のケース(?)もそれに入るんだろうね。
しかしそれは本人が自らすすんで行きたいと望んだわけではないからね。
そこの考え方が一つ異なるかな。
>>944 シューレだって、本当にすすんで行きたかったのは地域の学校だったけど、
虐めなどで行けなくなったので行くという選択だから動機に大差ないのでは。
それとも、学校で友達も多くて楽しい毎日にもかかわらず、
シューレ理念に学校以上の魅力を感じて、
自らすすんで脱学校してくる人でもいるっていうんで?
斎藤氏には第三者機関をある意味絶対化しているような傾向が目立つ
ような気がする。
第三者機関が当事者に対する社会的な圧力になってしまう可能性を
奥地氏らが反省的にとらえた(
>>943)のに対し、斎藤氏はむしろその
ことを推奨し、そのことに荷担しようとする考え方のほうに傾いている。
>>945 だからその場合でもべつにシューレには行かなくてもいいんだよ。
シューレに行く必要などまったくないわけだよ。自ら望まないかぎりね。
>>947 だからそういってしまえばそれは斉藤だって同じなんだと言ってるんだよ。
>>947 続き
シューレに行くことがその話の中でごっちゃにされている気がする。
>>945 >自らすすんで脱学校してくる人でもいるっていうんで?
学校のような所・集団に嫌気がさしてという人はいるかもね。
えーー、本当ですか??
いいんですか、そんなことまで言ってしまって。
粘着シューレ厨のマンセーぶり、ある意味異常だね。
なんだか身震いすら感じてしまう。
>>948 そうかなあ?
斎藤氏は、本人に対し親なり誰なりが
>>943に書いてあるようなことを
やるべきだ、というふうに煽っている訳であって。
>>949 >学校のような所・集団に嫌気がさしてという人はいるかもね。
自分の知るかぎりそういう人は多かったよ。
あんな学校みたいなところに誰が好き好んで行くもんかって。
>>952 煽ると同時に当事者自らが選択して治療に来ると言う様態を上手く整えているわけで。
都合が悪くなればいつでも、「私は一選択肢に過ぎません」と
同様の台詞で回避できる余地は残しているし、実際に使う場面も多いだろう。
だからその台詞のリピートってかなり便利だよね。
>>953 学校で友達も多くて楽しい毎日にもかかわらず、
シューレ理念に学校以上の魅力を感じて、
自らすすんで脱学校してくる人がそんなに多くいるんですか。
いいんですか。そんなこと言ってしまって。
>>954 斎藤氏は、第三者機関を利用するのは一選択肢どころか、その選択は
絶対的に不可避だみたいに煽っているんだよね。
>>955 ん? 学校が楽しいならすぐまた学校に戻っているのではないかな?
学校は一つだけではないわけだし。
>>957 社会参加の為の一選択肢としてでなく、けっきょくは選択の余地なく・・・
と言っているにほとんど等しいわけですよね。
>>945 [シューレだって、本当にすすんで行きたかったのは地域の学校だったけど、
虐めなどで行けなくなったので行くという選択だから動機に大差ないのでは。
それとも、学校で友達も多くて楽しい毎日にもかかわらず、
シューレ理念に学校以上の魅力を感じて、
自らすすんで脱学校してくる人でもいるっていうんで?]
>>949 [学校のような所・集団に嫌気がさしてという人はいるかもね。]
>>950 [えーー、本当ですか??いいんですか、そんなことまで言ってしまって。]
>>953 [自分の知るかぎりそういう人は多かったよ。
あんな学校みたいなところに誰が好き好んで行くもんかって。]
>>955 [学校で友達も多くて楽しい毎日にもかかわらず、シューレ理念に学校以上の魅力を感じて、
自らすすんで脱学校してくる人がそんなに多くいるんですか]
>>958 [ん? 学校が楽しいならすぐまた学校に戻っているのではないかな?
学校は一つだけではないわけだし。]
いいんですか。そんなこと言ってしまって。
>>946 >第三者機関が当事者に対する社会的な圧力になってしまう可能性を
>奥地氏らが反省的にとらえた(
>>943)のに対し、斎藤氏はむしろその
>ことを推奨し、そのことに荷担しようとする考え方のほうに傾いている。
「そのこと」は、「反省的にとらえた」を指しているのでなく、
「なってしまう可能性」のことを指しています。念のため。
>>960 >学校で友達も多くて楽しい毎日にもかかわらず、シューレ理念に学校以上の魅力を感じて、
>自らすすんで脱学校してくる人がそんなに多くいるんですか
これはなんか変なレトリックだよね。
学校とシューレと比べて学校のほうが楽しいなら学校へ行くし、
シューレのほうが楽しいと思うならシューレへ行くでしょう。
>>962 だから結局
シューレだって、本当にすすんで行きたかったのは地域の学校だったけど、
虐めなどで行けなくなったので行くという選択だから動機に大差ないのでは。
ということだろ。
当事者の消極的選択として、通院とそれほど大差ないだろ
粘着信者と粘着シューレ厨と粘着メルヘンとあんげと愉快な仲間たち
966 :
(-_-)さん:04/03/25 02:04 ID:IdTY+/m2
寒い
寒いというツッコミの意味に寒いと突っ込むこの寒さこそが
愉 快 な 仲 間 た ち
名前0は自爆テロ
シューレ厨は誤爆戦争を展開
廃墟に燦然と輝くは、
粘 着 信 者 と 愉 快 な 仲 間 た ち ! ! d=(^o^)=b
>>965 どうでもいいけど、メルヘンじゃなくて、メンヘルだろーが。
そろそろ、次スレ立てたほうが良いね。後で立てます。
>>963 >シューレだって、本当にすすんで行きたかったのは地域の学校だったけど、
地域の公立学校がフリースクールのような教育の場だったら
地域の学校に行くだろうという人も多いでしょうね。
>>964 >当事者の消極的選択として、通院とそれほど大差ないだろ
それは、そもそも既存の「学校」への登校に対してこそ言える
ことではないでしょうか。
学校が毎日楽しくて行きたくて自ら積極的に通っていた子もなか
にはいたのかもしれませんけど、登校拒否をした子は、そもそも
学校へ行きたくて通うようになったわけではなく、選択の余地な
く通っていたにすぎないような消極的な登校であった場合が多か
ったのではないでしょうか。
>>933 >だったらそれは大変結構じゃないのか。
>どうして今までの質問に対して冷静にそういう回答を出来ないのさ。
>子供の人権、患者の人権、人権意識は大事だ。
<表現-解釈>間の誤解が誤解を生んでお互いに大きくすれち
がったのかもしれません。
メル欄あんげ氏には、全く同意するというレスをいただいたこと
もあったのですが、どうやらお互いに相違する部分もあったよう
ですね。受けとり方や考え方にお互い違いがあるのは、ある意味
当然というか、仕方のないことかもしれません。
/ ̄ ̄ ̄ ̄\〜プゥン ◆徹底放置推奨! キチガイ粘着君(犯罪者予備軍)◆
( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-) /
(6 (_ _) )< ぷぷっ、ボ、ボクタンまじエリート
|/ ∴ ノ 3 ノ \ いつか朝生で有名に
\_______ノ,, ∩_
/,|┌-[]─┐| \ ( ノ ・自称高齢ヒキ ・名前欄に番号を入れたがる癖あり ・精神科で治療中
. / ヽ| .| 高 | '、/\ / / ・気に食わないカキコには全て詭弁で食ってかかり、無限ループを繰り返す
/ `./| | 齢 | |\ / ・特にコテハンに粘着する ・何百回も同じ質問を繰り返す
\ ヽ| lゝ | | \__/ ・ただ場をかき回したいだけの確信犯 ・メール欄のことを「メル欄」と書く
\..|  ̄ ̄ ̄ | ・教育板のフリースクール/脱学校関係スレでもコテハン叩きを繰り返して鼻つまみ者扱いされている
・年賀状は3枚以下 ・合コン歴無し ・童貞、彼女無し ・自尊心が著しく低いわりにプライドだけ高い
−煽り・叩き・粘着ループはスルーが基本です−
><表現-解釈>間の誤解が誤解を生んでお互いに大きくすれち
>がったのかもしれません。
という結論で、停戦に合意しますw
相違する部分があったというか、決定的な相違があるのかどうか
今1つ確認できなかったという感触だけどね。
しかしながら、問題自体とその取り扱いの構造の中にある、
当事者の人権問題に関する認識は一致しているんだと思う。
とある精神科医療の方針や手法については特にね。
間にヘンなのが挟まったな…。
粘着信者必死だな
粘着信者はシューレで失恋でもしたのかw
本スレ後半粘着シューレ厨というものの恐しさを実感した。
粘着信者はただのアホで恐怖は感じないけれど、
シューレ厨はまるで組織的な信徒みたいでなんだか恐い。
さて、ここで叩きのネタにされている人だが。
やはり例の学会による調査は仲間内の裁判ゴッコだった、とあえて少数派の
主張をしよう。
理由は、いわば「ドロボーがドロボーを裁く」ようなものだからだ。
第三者を中心とする機関が、どのような医療過誤があったのか否か、
原因は何で責任は誰にあるのかを調査すべきだろう。そしてHPや報告書を
作成し、情報公開すべきだろう。だが今それはなされていない。
もし稲村なり斉藤が、犯罪にも等しい行為をしたのなら、なぜ医師会から
追放したり、医師免許を一時取り消しまたは永久に廃絶できないのか?
やはり仲間内の馴れ合いで、外の世界への「いいわけ」としてやったからでは
ないのか? あるいは「トカゲの尻尾切り」の可能性は? 数々の疑問が出てくる。
詳しい報告書が出ていない以上これ以上は分からない。
「もし高岡らがわずかでも情報を外部に出さなかったらどうなると思う?」
との問いがあった。それは情報を出さないよりは出したほうがいい。その「先例」
を作ったことにはプラスの評価をしたい。しかし、ほんのわずかに、十数年以上も
遅れたときに情報を出すというのはマイナスに評価したい。他のかたがたは
どのようにお考えだろうか?
なお、「医師を神のように扱うのはおかしい」というご批判について。それは、
時に学校なり病院の権威を守りたい批判に耐える自我のない方があげる悲鳴なんですよ。
「学校に期待しすぎ」「病院に幻想をもちすぎ」などなど。しかし人にはあえて期待
するというオプションもあるんですよ。「確かに学校はそれ自体抑圧的だ。
病院にもいろいろと問題があることは、知っている。それらを分かったうえで
あえて自分の見込んだこの学校にだけは(例えば受験指導についてだけは)期待したい。
この病院にはオープンな医療を期待したい。」といった風に。
困っている人に対して「期待するな」「幻想を抱くな」といってもたいがいの
場合「おぼれる者はワラをもつかむ」ってこともお忘れなく。
あーへあーへあーへあへあへあへ
>>978 んん? こちらの書いていることをあえてネジまげてない?
>>934 >>937 >>963 をちゃんと読んでよ。
フリースクールやフリースペースであろうとも、当人が行きたく
ない、馴染めない所、行くつもりのない所と感じるなら、通う意味
などない場所のはずと相対化しているのに。
フリースクールやフリースペースは素晴らしいから、万人が通って
順応すべき所だなどという意味とは反対のことを言っているわけ
ですよ。
「フリースクール拒否症」の子が精神面行動面で治療矯正されて、
フリースクールに行けるようにさせられるべき(笑)というような
考え方とは、まったく逆です。
もし行く必要のある所だとされるようになったのなら、そこは
最早フリースクールやフリースペースであるとさえ呼べない筈ですしね。
>>979 いいから治療に専念してなさい。
何か書きたい事があったら日記にでもかいてなさい。
メール欄0よりも、それを叩く奴らの方がよっぽどウザいんですけど
粘着はどっちなんだか…
>>979 >なお、「医師を神のように扱うのはおかしい」というご批判について。
医者を神(=超人格的な客観権威)のように崇拝するのはおかしい
という意味です。
神という実体が最初からあって神という絶対的権威が生じるの
ではなく、最高権威としての神を生じさせる人間の社会的信仰が
あって、神という最高権威主体が人間社会に君臨するようになる
のではないでしょうか。
無神論者にとっては、神はただのフィクションであり、神の地上
代行人(王とか司祭とか聖人)とてただの俗人に過ぎません。
そうした神の存在を信じること、即ちその権威を前提にすることが
個人の信仰の自由に任せられている水準を越え出て、社会システム
として仕組まれた義務的な制度性を帯びるようになったとき、それ
は権力になると思います。
医者や教師などがただの俗人であることが分かれば、そんな存在に
専門的な権威を見出して期待する社会的予期関係の構図が、いかに
バカバカしいものかが見えてくるかもしれません。
ただし、いまの社会では、個人の選択を後回しにした専門家サービス
を押しつけようとする傾向がありますからね。
ですから現在、患者(利用者)の側の主体性を無視する医療サービスの
あり方が大きな倫理問題になってきていますよね。
要するに、社会サービスの姿勢全体が問われているのだと思います。
また社会全体に対しても、ノーマライゼーションということが言われ
るようになってきていますね。
>>985 個人の選択を後回しにした→個人の選択を後回しにして
>>86 ちょうどその頃は哲板で粘着していたんだよね(はぁと)
>>979 そこまで一般化して考えるとすれば、そうした構造は精神医療・精神医学の歴史そのもの
のなかに影を落しているものかもしれない。
例えば、フーコーの「狂気の歴史」で論じられていることなど
>>982 摺れ鯛先生にかかっていた頃を思い出します。
電話や診察でこちらが話すと、しばしばそんな返答をされた記憶がある。
>>979 >詳しい報告書が出ていない以上これ以上は分からない。
たしかに、学会の調査が行なれたなら、その調査報告書くらいあるはずだと思う。
どっかにないのかな??
>十数年以上も遅れたときに情報を出すというのはマイナスに評価したい。他のかたがたは
>どのようにお考えだろうか?
今の世間の風潮としての「医者は偉くて当然」という中で考えると、
月日が経過したとはいえ、過去の非について自省的に回顧するというだけでも、
開き直りつづけるよりは「立派」である様に思えてしまうけど、
責任ある職務に対する、厳しくも本来的な見地で言えば、
そのくらいの批判的評価の方が良いかもね。
ただ、本人は「間違いに気付いた時点より遡った(正しいと思っていた時に)自省はできない」
というかもしれないけどね。真偽はともかく。
>人にはあえて期待するというオプションもあるんですよ。
医師にしろ学校にしろ何にしろ、社会的役割には
期待されて当然であろう範疇のニーズには、答えるべき義務は当然ある。
「学校に期待しすぎ」「病院に幻想をもちすぎ」「警察に期待しすぎ」「政治に期待しすぎ」
「行政・役所に期待しすぎ」「地域に期待しすぎ」「家族に期待しすぎ」
などなどを、各当事者が本来当然に果たすべき範疇の期待への義務すら怠る為の
「言い訳決め台詞」として開き直って色んな場面で乱発しているという風潮も
ないとはいえない。
特に最近、どこもそういう傾向が強いからね。>責任逃れ
無理難題をふっかけているのならともかく、患者を人間扱いするというのは
常識的に考えて、当然なされるべきことなのだが。
>>992 期待を煽っておいて責任逃れというのは当然いけませんね。
ただいっぽうで、不登校の病理化や強制的な医療介入にしても、
ある種のニーズに答える善意の手段として正当化される口実に
なることもあるんですよね。
ですから、ニーズの主体がそのサービスを利用する当人に帰属して
いることも重要になるんですよね。
答える→応える
>>994 残レス数に限りがあるので、もうカキコ控えるけど、
ですので、「期待されて当然であろう範疇のニーズ」というのは
その中味が道義的妥当性を外さないものである事が大前提なのも、
また当然な訳でね。
>>994 その過度な疑心による主体念押しレスに
組織的信徒みたいな恐怖を感じる。
ニュースステーション終わったな。。久米宏またすぐやれ。
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。