前回>>1000でまで質問があったので続けると、 まず >"Homo estas animalo."とかも誤り?
その前に、「クジラが絶滅する」は、 1.(単・無) *Baleno estas malaperonta. 2.(複・無) *Balenoj estas malaperontaj. 3.(単・定) La baleno estas malaperonta. 4.(複・定) *La balenoj estas malaperontaj.
前回>>989で、 1.(単・無) Leono estas dangxera besto. (たぶん、英語勢力に押されて、口語的に使われるかも) といったけど、ここのクジラの場合、英語でも*A whale is extinct.とは言えないし、2.(複・無)はフランス勢に反対されるとすれば、 結局、3.(単・定)しかないんじゃないかということになるわけ。だから、Leonoの例も本当は、やっぱり3.(単・定) La leono estas dangxera besto. が一番ということにならないか?
>"La Leono estas dangxera besto."の意味が総称ならば、 >特定用法はどう表現するんでしょうか。
知らん。文章で考える。「人間(というのもの)は」なら、 "La homo estas animalo." が自然で、 「その人間は」なら、 "Li/sxi estas..." ", kiu estas..." "Cxi tiu homo..." などと言い換えできることもある。
じゃあ、何を勉強するか。 文章全体をいかにすばやく把握して、何を言いたいのかを理解する学習しかないじゃん。 んでもって、おしゃべりな連中に負けないように、こちらからも発信する訓練しかない。 I can't speak Englishを正しく発音する時代じゃない。 Dokto, Korean island nida. Jap is lier......と外人がいってきたら、 Hey, you risten, I speak Engrish. You tory to shut up and understand. What I mean is...... としゃべり続けろってこと。 >>23作ってねーよw
these/thoseの単数はご存じthis/thatで、物だけじゃなく、「こちら」「あちら」という人でもあるな。 ただ、重要なのは、あくまで「指すもの」であり、日本語の「こ・そ・あ」の3択ではなく、2択。 thatの方は、thisより離れているだけだから「あれ」というより「それ」の方が、ぴったりくる場合も多い。 That's a good idea! I feel sorry to hear that. などのようにね。
エスもili (=they)と指示代名詞の違いは同様だが、this/thoseなどより細かいのは、 「これはペンです」のように物のときのthis = cxi tio (estas...) しかし、 「こちらさんはジョーン(ヨハネ)です」の人の場合は cxi tiu (estas...) 「この窓は今朝壊された」のように形容詞の場合も cxi tiu (fenestro)
まとめると、 this (これ、こちら、この、など): cxi tio, cxi tiu these (これら、こちらの方たち、など): cxi tioj, cxi tiuj that (それ、あれ、あちらさんは、その、など) : tio, tiu those (それら、あの人たち、など): tioj, tiuj
で、一度話に出てきたものや分かっているものを言い換えるとき(日本語では省略できることも多い)には he (トムや犬などの言い換え): li she (ナンシーや猫などの言い換え): sxi it (インディアンの死体などの言い換え): gxi they (夫婦やジーパンなどの言い換え): ili
>>63 そのまとめで概ね合ってるんですが、"tioj"という形は取らず that も those も tio にすべきです。 同じ物が3つあるとき「あれは何?」だったら Kio estas tio? になります。 3種類の物があるとき「あれとあれとあれは 何と何と何?」と聞くケースで初めて Kioj estas tioj? という文が成り立ちます。 ザメンホフは、kioj, tiojは文法上誤ってはいないが、 使用を推奨できないという立場のようです。
>>69 tiojは確かにあまり使わないと聞いたが、どうせなら中途半端じゃなく、複数形すべてなくせばよかったのにザメさんよ。Kio estas tio? って聞かれたらどうせIlioj estas rozoj.って答えるわけなんだからさ。
ま、このように、エスでも複数形や特に集合名詞がややこしいから、整理したいと思う。 「その男たちは強い。よく働く。」 (Those men are strong. They are hardworking.) Tiuj vir-oj estas strong-aj. Ili estas laborem-aj.【可算名詞の複数形。代名詞はもちろん複数形のiliで受ける】 これが集合名詞だと、 「その人々(国民、日本人など)は強い。よく働く。」 (The people are strong. They are hardworking.) La popol-o estas strgong-a. Ili estas laborem-aj.【英語とは違い、単数扱い。しかし、代名詞は複数のiliになる】 (The police are...) La polico estas... -a.【「警察」も同様に集・単】 (Everyone is...) Ĉiu/Ĉiuj estas... -a/-aj.【「みんな」は集・単/集・複の両方あるが、違いはよくわからん。代名詞はどちらにしてもili】
続き 「日本人は寿司を食べることで有名です」(The Japanese are famous for eating sushi.) La japano estas fama por manĝi suŝion.【可・単 定冠詞+単数の総称表現】
「ニューヨークに住んでいる日本人は大勢います」(There are many Japanese people in New York.) Multaj japanoj troviĝas en Novjorko.【可・複】
「日本人はロンドンに住んでいます」(Japanese people live in London.) Japanoj/ Japana popolo loĝas en Londono.【可・複/集・単】
「日本民族は日本から来た」(The Japanese people come from Japan.) La japana popolo/La japano estas de Japanio.【集・単/可・単】
「エベンキ族は北方アジアから来た」(Evenks come from Northern Asia.) La Evenka popolo/La evenko estas de norda Azio.【集・単/可・単】
「日本語は習得するのが難しい言葉です」(Japanese is a difficult language to learn.) La japana estas tre malfacila lingvo por lerni.【-a型名詞。代名詞はĝi】
総合的に、英語は集合名詞の扱いで英米で少しぶれるところがある。エスは集合名詞を単数扱いするくせに、代名詞になったとたん複数iliになるため、形容詞も複数語尾にしなければならないという煩わしさがここでも出てくる。 エスでは、「日本人」を複数に出来るのは便利(英語は普通two Japanese people)。しかし、言語名「日本語」は、名詞なのに-aで終わるとか、例外過ぎる。ここでも「例外がまったくない」というのは詐欺だということがわかる。 エス辞書に「線動詞」・「点動詞」など聞きなれない不要なものを載せるより、こういうことをきちんと載せてほしい。
tiu -o【形】「あの〜」 tiu libro の代名詞はgxi tiu viro の代名詞はli tiu studentino の代名詞はsxi tiu familio の代名詞はili tiuj -oj【形】「あ(れら)の〜」 tiuj florojでもtiuj knabojでもtiuj hundinojでも 代名詞はiliで受ける。
>>103 >>101で >定冠詞と複数形はどっちもなしでいいですよ。 >私には同様に伝わりますから重要ではない。 と言っておきながら(そもそもあなたにだけ分かればいいのであれば、こうやって日本語で話せば良い。) >La japana popolo loĝas en Japanio. って、ちゃんと定冠詞をつけてるけど、 >>73の La japana popolo/La japano estas de Japanio.【集・単/可・単】 と一緒じゃん?"La japano"の方がだめってこと? ちなみに、あなたの例文は「日本民族(日本人)は全員日本に住んでいる」って海外に住む日本人を無視しているけど。
>Japanaj homoj loĝas en Londono. これも>>73にあわせて冠詞を省いているけど、 japanojがだめで、Japanaj homojに変えた理由はなんですか??
それから、冠詞のないjapana popoloがだめだといっているけど、 多民族(multpopola, de multaj popoloj)な街ロンドンに、 北アイルランド,ウェールズ,スコットランドそしてアフロ・カリブ,南アジア,中国系もいれば、 その中に、日本人も住んでいる、という意味で間違ってないのでは? ここで、冠詞をつけるわけはいかないと、というのを明らかにするのが目的な例文だったのだから。
>エスペラントにおいて定冠詞のない可算名詞は不定冠詞 これの意味が分かりますか? la kato = the cat, kato = a cat この場合 kato ≒ unu kato となります。これが成り立つには du katoj という表現がが成り立つ必要があります。 猫は複数存在するから、冠詞のないkato という表現が許されます。
さて、popoloの意味は、 1. Etno 民族 2. Regataro kontraste kun regantaro. 平民 3. Plimulto de nacio kontraste kun kleruloj, riĉuloj ktp. 一般国民、大衆 1のEtnoとは、 Historie estiĝinta homgrupo, kies vivmanieron karakterizas komunaj trajtoj kulturaj, civilizaj aŭ religiaj, kaj havanta konscion pri tiu komuneco. つまり、共通した文化的指標★ココ大切★(つまり同じ言語を話すなど)により構成員が互いに伝統的に結ばれているという意識を持つ集団。 だから、japana popolo は japana etnogrupo (popolo/etnogrupo Yamato)とも言い換えられる。
じゃあ結局、popoloとhomojの違い何かというと、 まず、前者は集合名詞だから、du popoloとはできない(du popolojは後述)。 また、「一般的な人々」が集まったというときには homoj であり popolo は使えない。 しかし、popoloは「民族」、「平民」、「国民」などの「具体的な人々」なのだから、何かに修飾された場合、たとえば、民族名がついた場合の意味は、 japana popolo = japanaj homoj といってよい。前者は集合名詞、後者は可算名詞の複数形という文法上の性質の違いだけ。
例:Wilshire estas okupita de korea popolo/koreoj/*la korea popolo (定冠詞はだめ).
Mi estas japana homo 私は日本人の一人です。 Mi estas japana etno. 私は日本民族の一人です。 Ni estas japanaj homoj. 私らは日本人の連中です。 Ni estas japanaj etnoj. 私らは日本民族の連中です。 Mi estas la japana homo. 私は日本人に属します。 Mi estas la japana etno. 私は日本民族に属します。
>>113 そういう意味ではhomoもpopoloもまったく同じで、 「日本人 la japana homo」の数も一つではないですか? 一つの集合を指す。 なので、Ni estas japana homo.は成り立たなくても、 Ni estas la japana homo.という文は成り立ちますよね?
>>118 Ni estas la japana homo.という文は成り立ちますよね? ない。 確かに、定冠詞の付いた単数が総称表現(>>4などで話した)にはなりうる >>73の最初の例文「日本人は寿司を...」もそう。 しかし、niは、「私たち」という特定のグループであり、日本人全体ではない。 niが複数形なのだから、それに合わせて、Ni estas japanaj homoj.とするのが普通。 Ni estas la japanaj homoj.というのは、海外で警察に指名手配の日本人強盗犯か疑われて、「私たちがその日本人たちです」と自白するときなど。
皆さんもよく分かってるでしょうが、英語のpeopleとエスのpopoloは同じでは ありません。 many peopleの意味でmultaj popolojとは言えない。この場合は、multaj homoj でなければいけない。 エスのpopoloは、nacio(国民)、etno(民族)、gento(民族)などの言葉に近い。 「人々」の意味はない・・・
>>132 質問されても困りますw 大したレベルではありませんので。 前述のとおり、私には popoloj ≒ kelkaj popoloj popolo ≒ unu popolo という図式しか頭にありませんので la popolo ≒ la tuta popolo popolo ≒ kelkaj homoj el la tuta popolo という使い分けを認めると unu popolo ≠kelkaj homoj el la tuta popolo という矛盾で頭が混乱してしまいます。
また、もしエスペラントが「英語のような」集合名詞を持つなら Mia familo estas sanaj. みたいな表現も可かなと。
>popolo ≒ kelkaj homoj el la tuta popolo >という使い分けを認めると >unu popolo ≠kelkaj homoj el la tuta popolo >という矛盾で頭が混乱してしまいます。 最後がわからない。矛盾している? unu popolo ≠kelkaj popoloj... el la tuta popolo ということ?
popolo ≒ unu popolo ≒ kelkaj homoj el la tuta popolo でいいのでは?
あと名詞・形容詞の単複の扱いについての私の理解は以下の通り。
主語[集合名詞] = 補語[形容詞]の場合、主語との文法上の単複は合わせる。 だから*Mia familio estas sanaj.不可。(ただし、意味上は複数なので、代名詞ではIli estas sanaj.) しかし、 主語[集合名詞] = 補語[加算名詞]の場合、 1.-ojにして複数形, 2.-aroをつけて集合名詞化 がありうる。
まとめると、こういうこと。 Mia familio estas tute sana ĉar ni estas ĉiuj vegetaristoj. La registara partio, kiujn alilandanoj sxatas, ne estas patriotoj.
BRO1の 15 "aŭ-vortoj"中の almenaŭ ambaŭ ankaŭ ankoraŭ anstataŭ antaŭ apenaŭ baldaŭ kontraŭ kvazaŭ preskaŭ が覚えられないのですが、皆さんはどうやって覚えました? チルカウはサークルKっぽいので周囲にあるコンビニと関連付けて覚えました。 ヒエラウホディアウモルガウは3つセットの音で覚えられました。 音で覚えるのは限界がありまして、一週間の曜日名は多すぎて覚えられませんでした。 ちなみに英語の1週間は歌があるので数えることで覚えられました。
almenaŭ イタリア語の almeno meno = minor 少ない方 ambaŭ アンビバレント(両義的・両価的) ankaŭ イタリア語 Anch'io! = Me too ankoraŭ アンコール anstataŭ ドイツ語起源だけど、英語のインステッド・オヴとも響きが偶然似てる antaŭ アンティパスト(前菜) apenaŭ フランス語 à peine で「苦痛とともに」→「やっとの思いで」 baldaŭ ドイツ語 Bis bald! = See you soon! kontraŭ カウンターアタック kvazaŭ quasi = 似ている、類似の、偽物の a quasi liberal うわべだけの自由主義者. preskaŭ フランス語presque(ほとんど)=ぴったりとは言いきれない質的抽象的範囲のものごと など、個人的に見聞きした覚えから
さて、冠詞について盛んだが、 「迷ったら冠詞をつけるな」、といいながらも、無冠詞じゃだめとはっきり言われている場合もあるんだから、やはりきちんと学ぶしかない。エスペランチストを自称するならね。 PMEGによると • La kato preferas varman klimaton. よく知られた動物の種の場合。 • Kato preferas varman klimaton. とも言って良いが、 • *Urso troviĝas kaj en Eŭropo kaj en Ameriko.* とは言えない。
• La urso troviĝas kaj en Eŭropo kaj en Ameriko. これは、一頭の熊と考えてはいけない • Ursoj troviĝas kaj en Eŭropo kaj en Ameriko. 可算名詞の場合、その種を複数にしても表現可能。種について語る場合、単複の意味の差は小さい。 • La ursoj troviĝas kaj en Eŭropo kaj en Ameriko. 種全体について語るときは定冠詞とともに複数名詞も使える。
• Leono estas besto. • Leonoj estas bestoj. • La leonoj estas bestoj. • *La leonoj estas la bestoj.* これはだめ。
• Angloj ĝenerale parolas pli malrapide ol Hispanoj. • La Angloj ĝenerale parolas pli malrapide ol la Hispanoj.
しかし、民族名の総称表現の例は書いていなかったな。やはりないのか。 だが、こうは書いてある。 • Kian profiton havas la homo de ĉiuj siaj laboroj, kiujn li laboras sub la suno? (説明La homo = ĉiu homo, la homoj, ĉiuj homoj, la homaro.)
その説明に合わせて、 La japano = ĉiu japano, la japanoj, ĉiuj japanoj, la japana popolo. じゃないかというのが、私の意見だった、、、
• Hodiaŭ la problemo interesas la publikon, morgaŭ ĝi povas esti indiferenta pri ĝi. 人々(publiko)は今日その問題に関心を持ち、明日は無関心であるかもしれない。 最初の ĝi が "la publikon" (複数の personojn)。 (二番目の ĝi は "la problemo".)
相手がlaを付けてきたって事は、具体的に何を指すか共通認識があると確信してるんだよ。 前者は、何か誰かに付いて既に話題になっていて、実は私がその人なんです、ってな感じですかね。 後者は抽象的に「私は人間だ」に読める。 よって唐突に"Mi estas la homo."と言われたら「はあ?」と言えばいい。
【可算名詞】 「ライオンは危険な動物だ」 A1 Leono estas danĝera besto. ...英(語話者に人気。以下同様) A2 La leono estas danĝera besto. ...英仏 A3 Leonoj estas danĝeraj bestoj. ...英 A4 La leonoj estas danĝeraj bestoj. ...仏
「狐は絶滅の危機にある」 B1 *Lupo estas formortanta. ...×不可 B2 La lupo estas formortanta. ...英仏 B3 Lupoj estas formortantaj. ...英 B4 La lupoj estas formortantaj. ...仏
【不可算名詞】 「ビールはアルコール飲料だ」 C1 Biero estas alkoholaĵo. ...英独 C2 La Biero estas alkoholaĵo. ...仏
「人生は短い」 D1 Vivo estas mallonga. ...英(独は別) D2 La vivo estas mallonga. ...独仏
【集合名詞】 「家族は社会の基本単位だ」 E1 Familio estas la baza unuo de socio. ...英 E2 La familio estas la baza unuo de la socio. ...英仏 E3 Familioj estas la bazaj unuoj de la socio. ...英 E4 La familioj estas la bazaj unoj de la socio. ...仏
「人類は一つだ」 F1 *Homaro estas unu tutaĵo. ...×不可 F2 La homaro estas unu tutaĵo. ...英仏 F3 *Homaroj estas unu tutaĵo. ...×不可 F4 *La homaroj estas unu tutaĵo. ...×不可
「辞書は便利だ」 G1 Vortaro estas utila. ...英 G2 La vortaro estas utila. ...英仏 G3 Vortaroj estas utilaj. ...英 G4 La vortaroj estas utilaj. ...仏
続き その他 (総称表現ではないが、集合名詞による数の多様性) H1 La grupo estas malgranda,... 「そのグループは小さく、、、」(数の一致) H2 La alia grupo estas la turstrigoj,... 「その他の種類はメンフクロウであり、、、」(数の不一致)
"Plena Manlibro de Esperanta Gramatiko" は、 Esperanto-Ligo por Norda Ameriko(NPO法人「世界エスペラント協会」米国支部) において書籍で発行されています。 著者はアカデミーオ・デ・エスペラント(UEAから年間予算が計上されています)会員でもあります。
限定、総称のほかにも次のような役割りがあります。 - la ĉielo「空」、la suno「太陽」(無冠詞や複数は「恒星」) - la Monto Blanka「モンブラン」、la plej alta pinto de la montaro Alpoj 「アルプス」の「最高峰」 - la Blanka Domo「ホワイトハウス」(無冠詞、小文字は「白い家」) - la oka (tago) de decembro「12月8日」 - je la oka (horo)「8時に」 - Li levis la kapon. = Li levis sian kapon.「彼は(自分の)頭を洗った」 - la Nederlanda (lingvo)「オランダ語」 以下の総称用法を含む文は、すべてザメンホフの用例です。文句があるなら、エスペラントをやめてください。
- La rozo apartenas al Teodoro. [FE.5] 「その薔薇」 - Mi manĝas per la buŝo kaj flaras per la nazo. [FE8]「口」、「鼻」 - En la printempo la glacio kaj la neĝo fluidiĝas. [FE39]「(毎年・総べての)春」 - La saĝulo havas siajn okulojn en la kapo, kaj la malsaĝulo iras en mallumo. [LR119]「(総じて)賢き者」、「愚かな者」 - El ĉiuj miaj infanoj Ernesto estas la plej juna. [FE.10]「最も幼い」(=la plej juna infano) (FE: "Fundamento de Esperanto", LR: "Lingvaj Respondoj")
>>237 Rata Vortaroからの引用 la: Senfleksia difina artikolo, uzata antaŭ substantivo, por montri, ke la priparolata persono aŭ objekto estas jam konata aŭ ke oni parolas pri la tuta speco. 「既に知られた人や物」或いは「その種類全体」ってあるから、正式に両方を採用してる。 確かに初心者向きの教科書には限定用法しかのってない。 総称用法の知識は中級者レベルなのだろう。
>>245 >発音上、 >「ホワイトハウス」を言いたいときは、"la BLANka domo" >「その白い家」と言いたいときは、"la BLANka DOmo" >と区別するかなと思うのだが、皆さんの意見はどうだろうか。 またまた英語の知識に惑わされているのかな? それって、ホワイトハウスを一語の固有名詞として表現する意図なんだろうけど だったら、エスペラントのアクセント法則では当然、 "la BLANka domo" ではなく"la blanka-DOmo" になると思うけど。 何か別の悪意を持った意図があるのかな?
>>249 anglaにla anglaと冠詞がつけられている点は重要ですか? 冠詞抜きにinstruisto de anglaとすれば「英国の先生」になりますか? つまり、anglaは「英国の」で、la anglaは「英語の」になる。 某サイトではlingvoをanglaが限定しているので定冠詞がつくのだ と説明していました。 それから、 instruisto de la angla homo instruisto de angla homo とかいった表現は可能ですか? この場合、定冠詞は間違いですか?
>冠詞抜きにinstruisto de anglaとすれば「英国の先生」になりますか? deの後は名詞が予想されるのに形容詞だけで終わってるから不自然だし、 そのままでは「英国の先生」にはならないだろう。 instruisto de angla lernejoなど、ならいいと思うが。 instruisto de angla homoも、instruisto=homoなんだから不自然だよ。 instruisto de angla gejoならありかもな。。
私はいままで「これしかない」という人に対して、 「いや、こういう使われかたもある。ただし、これは明らかに非文(たとえば*Homaroj estas unu tutaĵo.はだめ)」 というような書き方をしてきた。 だから、今回もAngla instruistoの使い方をもう少し踏み込んで考えてみる。
たとえば、 "La angla klaso estas en la tria periodo."「英語(の授業)は三時間目だ」(http://tatoeba.org/ita/sentences/show/549897) や、今ホットなPMEGでも、 "Coca Cola → koka kola (Angla nomo de trinkaĵo). " "La Angla vorto “what”signifas “kio”." など、"Anglalingva"とせずにanglaだけで「英語の」という意味で使っている。
また、「英語化する」(traduki en la Anglan lingvon)を "angligi" というが、 これをわざわざ"anglalingvigi"などというのは、ググっても2ちゃんを含む6件しかでてこない。
つまり、「Anglaで英語の意味を持たせるには絶対に冠詞laをつけなきゃだめなんだよー!」 というのじゃなく、Reta Vortaroが"angla"を "Rilantanta al angloj, ilia nacieco, lingvo aŭ lando"と解説するように、 「イギリスに関すること」全般を含んだもっと広い意味であることがわかる。
君達は文脈というものを考慮しないのかね? 言葉は文法だけで成り立つものではないのよ。 文脈つまり常識での取捨選択を無意識に行っている筈だ。 angla vortoやangla nomoは、vorto、nomoという言葉の意味上「英語の」と捉えるのが 人間の常識だろう。 angla homoならば、「英語の人間」は常識としては稀な発想だから、「イギリス人の人間」となるだろう。 angla instruistoは両義が可能。イギリス人の先生として捉えるのが先入観が無ければ普通だろうが、 高校の先生達の話をしてる時なら、日本人の英語の先生の意味で使ってもお互いに了解済みなら良いだろう。 そこだけ厳密にjapana instruisto de la anglaなどと言っても意味がない。
Nun ausklutu min, >>1. Hiera? al Jo?inoja iris mi, Jo?inoja. Sed tie estis tiel multaj homoj, ke neniu loko vakis por mi. Mi trovis la kurteno, sur kiu oni skribi "150 enoj da rabato."
Ho, ?u vi estas stutula a? azena? Vi ne venu al Jo?inoja, al kiun vi ne kutime venas, por nur 150 enoj da rabato. Estas 150 enoj, bone? E? estis personoj kun la familio. ?u vi kvar ?iuj kun la familio venu al Jo?inoja? Ho, senkonsidero! La patro diris "Nu, mi mendos grandkvantegon da bova?o vazo!" Mi ne povis ?in vidi.
Vi cedu la lokon al mi, kaj mi donas al vi 150 enojn. Jo?inoja devas esti pli malluma. Estas eble, ke lukto komenci?os inter du homoj, kiu sidas unu kontra? aliaj en U-forma tablo. Vi estos mortigita, se vi ne mortos lin, kia atmosfero estas agrabla. Virinoj kaj infanoj ne venu!
Kiam mi feinfine sidi?i, mia najbaro diris "Mi mendas grandkvanton da bova?o vazo kun sufi?e supo!" Tio kolerigis min denove. ?u vi ne sciias, malmultaj da homoj nun mendas "kun sufi?e supo", vi demenca? Kio estas tiu fiera viza?o, kun kio vi diris "kun sufi?e supo?" ?u vi vere volas man?i la bovo?o vazo kun sufi?e supo? Tio mi volas demandi vin. Volas demandi dum unu a? malpli horo! Vi nur volas diris "kun sufi?e supo", ?u vi?
Kiel konanto de Jo?inoja mi volas diris, ke "kun sufi?e ajlo" estas ?ismodo en konantoj de Jo?inoja. Ni kutime mendas grandkvanton da bova?o vazo kun sufi?e ?ismodo kaj ovo. "Kun sufi?e ajlo" havas pli multan da ?ismodo, sed havas malpli multan da bova?o. Grandkvanto kaj ovo ali?i. Tio estas la plej bona.
Tamen ?i estas amba?tran?o, ?ar komizoj gvatos vin se vi mendos "kun sufi?e ajlo." Mi ne ?in konsilas al novicoj. Ho, vi novico mendas man?a?oj el bova?o kaj salmo.
Nun ausklutu min, >>1. Hieraŭ al Joŝinoja iris mi, Joŝinoja. Sed tie estis tiel multaj homoj, ke neniu loko vakis por mi. Mi trovis la kurteno, sur kiu oni skribi "150 enoj da rabato."
Ho, ĉu vi estas stutula aŭ azena? Vi ne venu al Joŝinoja, al kiun vi ne kutime venas, por nur 150 enoj da rabato. Estas 150 enoj, bone? Eĉ estis personoj kun la familio. Ĉu vi kvar ĉiuj kun la familio venu al Joŝinoja? Ho, senkonsidero! La patro diris "Nu, mi mendos grandkvantegon da bovaĵo vazo!" Mi ne povis ĝin vidi.
Vi cedu la lokon al mi, kaj mi donas al vi 150 enojn. Joŝinoja devas esti pli malluma. Estas eble, ke lukto komenciĝos inter du homoj, kiu sidas unu kontraŭ aliaj en U-forma tablo. Vi estos mortigita, se vi ne mortos lin, kia atmosfero estas agrabla. Virinoj kaj infanoj ne venu!
Kiam mi feinfine sidiĝi, mia najbaro diris "Mi mendas grandkvanton da bovaĵo vazo kun sufiĉe supo!" Tio kolerigis min denove. Ĉu vi ne sciias, malmultaj da homoj nun mendas "kun sufiĉe supo", vi demenca? Kio estas tiu fiera vizaĝo, kun kio vi diris "kun sufiĉe supo?" Ĉu vi vere volas manĝi la bovoĵo vazo kun sufiĉe supo? Tio mi volas demandi vin. Volas demandi dum unu aŭ malpli horo! Vi nur volas diris "kun sufiĉe supo", ĉu vi?
Kiel konanto de Joŝinoja mi volas diris, ke "kun sufiĉe ajlo" estas ĝismodo en konantoj de Joŝinoja. Ni kutime mendas grandkvanton da bovaĵo vazo kun sufiĉe ĝismodo kaj ovo. "Kun sufiĉe ajlo" havas pli multan da ĝismodo, sed havas malpli multan da bovaĵo. Grandkvanto kaj ovo aliĝi. Tio estas la plej bona.
Tamen ĝi estas ambaŭtranĉo, ĉar komizoj gvatos vin se vi mendos "kun sufiĉe ajlo." Mi ne ĝin konsilas al novicoj. Ho, vi novico mendas manĝaĵoj el bovaĵo kaj salmo.
>>289 別にTioで聞かれてTioで答えるのはエスの常識でもないでしょう。 初級の例を挙げてくれてるが、日常的な会話ではĜi estasで答えている件数も十分多い。 Ĉu estas tio? -- Tio (指示代名詞のまま) estas のオウム返しで答えるのは、あくまで子供用の「これは何?これは人」のようなときにはよいとして、 いつもそれで済ませていると、ふとしたときに、じゃあ指示代名詞と人称代名詞の違いってなに??ってやつが沸いてくる それにもし、 Ĉu estas ĉi tio? ときかれたときにまで、 -- Tio estas... としてしまうと、質問者のĉi tioと、回答者のTioが何か別のものを指しているような違和感がある。 だから、普段から一度登場したものについては人称代名詞で、ここでは中性の単数(か複数)で答えていれば、何の誤解も生じない。 そもそも、ヨーロッパ諸言語のこういう場合の人称代名詞は、弱いアクセントとすばやさで話すものだろ? しかも「それが複数ならTio estas 〜oj.でいいんだよ。」っていう主語と補語の数が一致しないエスペラントの特例をいってるわけだから、 代名詞がiliになることがあることぐらいわかっているんでしょう?
人称代名詞などとの関連については次のようにまとめられると思う。 ソースは探してないから文句あったらいってくれ。 ■集合名詞-代名詞(人称、指示、関係)との関係■ 「彼の家族はこの街に住んでいます。今晩のパーティーにやって来るでしょう。」 A1 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ĝi venos al la hodiaŭa festo.(文語的) A2 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ili venos al la hodiaŭa festo.(自然) B1 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tio venos al la hodiaŭa festo.(×不可) B2 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tiuj venos al la hodiaŭa festo.(不可、または超不自然) C1 Lia familio, kio loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(文語的) C2 Lia familio, kiuj loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(自然)
>>289 別にTioで聞かれてTioで答えるのはエスの常識でもないでしょう。 初級の例を挙げてくれてるが、日常的な会話ではĜi estasで答えている件数も十分多い。 Ĉu estas tio? -- Tio (指示代名詞のまま) estas のオウム返しで答えるのは、あくまで子供用の「これは何?これは人」のようなときにはよいとして、 いつもそれで済ませていると、ふとしたときに、じゃあ指示代名詞と人称代名詞の違いってなに??ってやつが沸いてくる それにもし、 Ĉu estas ĉi tio? ときかれたときにまで、 -- Tio estas... としてしまうと、質問者のĉi tioと、回答者のTioが何か別のものを指しているような違和感がある。 だから、普段から一度登場したものについては人称代名詞で、ここでは中性の単数(か複数)で答えていれば、何の誤解も生じない。 そもそも、ヨーロッパ諸言語のこういう場合の人称代名詞は、弱いアクセントとすばやさで話すものだろ? しかも「それが複数ならTio estas 〜oj.でいいんだよ。」っていう主語と補語の数が一致しないエスペラントの特例をいってるわけだから、 代名詞がiliになることがあることぐらいわかっているんでしょう?
人称代名詞などとの関連については次のようにまとめられると思う。 ソースは探してないから文句あったらいってくれ。 ■集合名詞-代名詞(人称、指示、関係)との関係■ 「彼の家族はこの街に住んでいます。今晩のパーティーにやって来るでしょう。」 A1 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ĝi venos al la hodiaŭa festo.(文語的) A2 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ili venos al la hodiaŭa festo.(自然) B1 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tio venos al la hodiaŭa festo.(×不可) B2 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tiuj venos al la hodiaŭa festo.(不可、または超不自然) C1 Lia familio, kio loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(文語的) C2 Lia familio, kiuj loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(自然)
たとえば、 Por mi ĝi estis la plej kora ĝojo inciti la hundon. [La Rabistoj. p19] Ĝi estis varmega posttagmezo. [Rt.83] の形式主語のĜiの使い方は、今日では使われなくなった。はずせといってる。
■集合名詞-代名詞(人称、指示、関係)との関係(改訂)■ 「彼の家族はこの街に住んでいます。今晩のパーティーにやって来るでしょう。」 A1 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ĝi venos al la hodiaŭa festo.(文語的) A2 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ili venos al la hodiaŭa festo.(自然) B1 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tio venos al la hodiaŭa festo.(×不可) B3 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tiu venos al la hodiaŭa festo.(×不可) B3 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tiuj venos al la hodiaŭa festo.(超不自然) C1 Lia familio, kio loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(×不可) C2 Lia familio, kiu loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(文語的) C3 Lia familio, kiuj loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(自然)
A1英 His family lives in this town. They will come to the party tonight. ◎ A1仏 Sa famille vit dans cette ville. Ils viendront à la fête ce soir. ◎ A1'英 His family live in this town. They will come to the party tonight. △ A1'仏 Sa famille vivent dans cette ville. Ils viendront à la fête ce soir. × A2英 His family lives in this town. It will come to the party tonight. × A2仏 Sa famille vit dans cette ville. Elle viendra à la fête ce soir. ○ B1英 His family lives in this town. That thing will come to the party tonight. × B2英 His family lives in this town. That will come to the party tonight. × B3英 His family lives in this town. Those will come to the party tonight. △ C1英 His family, what lives in this town, will come to the party tonight. × C2英 His family, who lives in this town, will come to the party tonight. ○ C2仏 Sa famille, qui vit dans cette ville, viendra à la fête ce soir. ◎ C3英 His family, who live in this town, will come to the party tonight. △ C3仏 Sa famille, qui vit dans cette ville, viendront à la fête ce soir. ×
■まとめ。もう一度■ A1 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ĝi venos al la hodiaŭa festo.(仏人が好むかも) A2 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ili venos al la hodiaŭa festo.(英仏) B1 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tio venos al la hodiaŭa festo.(×不可) B2 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tiu venos al la hodiaŭa festo.(×不可) B3 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Tiuj venos al la hodiaŭa festo.(×不可) C1 Lia familio, kio loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(×不可) C2 Lia familio, kiu loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(仏) C3 Lia familio, kiuj loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la hodiaŭa festo.(英)
>>326 [あるコングレッソ会場にて] A: Kiuj estas tiuj? 「あの人たちはだれ(どこの団体)?」 B: Tiuj estas la familio de Johano. Ĝi estas grandega, ĉu ne? Ili ĵus alvenis ĉi tie. 「あれはジョーンの家族だよ。とても大家族だよね。さっき着いたんだよ。」
Tio をすぐに人称で答えるかどうかを一番の問題にしたいのではなく(Kio estas tio? Ĝi... もあるから検索してご覧?)、 >>323では特に集合名詞の数の扱いを整理したわけです。 でも、私は初級者にも(そして洗脳されている人には特に)、目をそらさないで見てもらって ああ、エスペラントも思ったほど簡単じゃないんだな。不規則な物もたくさんあるんだ。でもそれが言葉というものだ。 とにかく、これからは「最も簡単な国際共通語だ」なんて言いふらすのはよそう! と改心してもらえれば私の目的は達成されています。
>>314は、family, which の形を忘れていた(というかそれが一番自然)のと、 後半も単複の扱いをわかりやすくするため will をやめてbe進行形に変えました。 エスで使えるもののみをピックアップすると以下の通り。
「彼の家族はこの街に住んでいます。パーティーにやって来るでしょう。」 A1 集合名詞(単数)− 人称代名詞(単数) 世 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ĝi venos al la festo. 英 His family lives in this town. It is coming to the party. × 仏 Sa famille vit dans cette ville. Elle viendra ce soir. ○ A2 集合名詞(単数)− 人称代名詞(複数) 世 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ili venos festo. 英 His family lives in this town. They are coming to the party. ◎ 仏 Sa famille vit dans cette ville. Ils viendront à la fête ce soir. ◎ C2 集合名詞(単数)− 関係代名詞(単数) 世 Lia familio, kiu loĝas en ĉi tiu urbo, venos festo. 英 His family which lives in this town is coming to the party. ◎ 仏 Sa famille, qui vit dans cette ville, viendra à la fête ce soir. ◎
>>328 >A: Kiuj estas tiuj? >「あの人たちはだれ(どこの団体)?」 >B: Tiuj estas la familio de Johano. Ĝi estas grandega, ĉu ne? Ili ĵus alvenis ĉi tie. >「あれはジョーンの家族だよ。とても大家族だよね。さっき着いたんだよ。」 これも許容範囲の不規則性。
規則性重視したいならTiuj estas la familianoj de Johano でも間違いではないだろう。 家族の一体性を重視する文脈ではfamilioが好まれるかもしれないが、 familianojは絶対間違いだ、という強制力はないと思う。 民族語の場合、不規則な規則や、根拠不明な言い回し習慣があり、従わなければ笑い物だが、 それが無いのがエスペラントの長所。一言で言えば、「文法は相当自由で簡単」
>>331 >>「文法は相当自由で簡単」 だけど、許容できないものはだれにも理解してもらっていた方がいい。たとえば、>>328では Ĝi estas grandega.はいいけれど、Ili estas grandegaj.は無理だな。
それとすまん、>>329はコピペでいろいろ間違えた。フランス人にも確認してるから、ほぼ間違いないと思う。 A1 集合名詞(単数)− 人称代名詞(単数) 世 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ĝi venos al la festo. 英 His family lives in this town. It is coming to the party. × 仏 Sa famille vit dans cette ville. Elle viendra à la fête. ○ A2 集合名詞(単数)− 人称代名詞(複数) 世 Lia familio loĝas en ĉi tiu urbo. Ili venos al la festo. 英 His family lives in this town. They are coming to the party. ◎ 仏 Sa famille vit dans cette ville. Ils viendront à la fête. ◎ C2 集合名詞(単数)− 関係代名詞(単数) 世 Lia familio, kiu loĝas en ĉi tiu urbo, venos al la festo. 英 His family which lives in this town is coming to the party. ◎ 仏 Sa famille, qui vit dans cette ville, viendra à la fête. ◎
>>334 >>「文法は相当自由で簡単」 >だけど、許容できないものはだれにも理解してもらっていた方がいい。たとえば、>>328では >Ĝi estas grandega.はいいけれど、Ili estas grandegaj.は無理だな。 文法にそって理解すると「彼ら個々人が超でかい」と、意味が変わってしまうからね。
>>334の再び訂正。 A1 集合名詞(単数)− 人称代名詞(単数) 仏 Sa famille vit dans cette ville. Elle viendra à la fête. ◎ A2 集合名詞(単数)− 人称代名詞(複数) 仏 Sa famille vit dans cette ville. Ils viendront à la fête. ×
しかし一方、とことん日本式で通すのなら、 Saluton! をやめて、Estas bona vetero hodiaŭ. Kiel vi fartas? をやめて、Ĉu vi iros ien? Dankon! をやめて、Estas vere malofte. という方法もあると思う。 エスペランチストの友達確実に減ると思うけどw
>>357 >エスペランチストの友達確実に減ると思うけどw ついったのふぉろあは友達じゃないよ。ww 最近はフォロア欲しさでエスペラントやりたがる人間がいるらしいが。 友達ならĈu vi iros ien?って言ってみりゃいいじゃん。 相手が?と顔したら「これは日本語で挨拶で云々」と会話につなげればいい。 その程度のエスペラント語もできないから、Kiel vi fartas?しか言えねんだろが。 答えはJes, tienでいいんだよ。別の地域ではĈu vi profitas?とも言うぞ。何じゃそりゃwww的なね。 ついったで永遠にKiel vi fartas?やってろww
>>357 >しかし一方、とことん日本式で通すのなら、 >Saluton! をやめて、Estas bona vetero hodiaŭ. >Kiel vi fartas? をやめて、Ĉu vi iros ien? >Dankon! をやめて、Estas vere malofte. >という方法もあると思う。
無いと思う。どんな国粋主義者でも。 日本語で「ありがとう」「こんにちは」「おはようございます」「さようなら」等の挨拶言葉は 今ではその由来(有り難い事でございます、今日は良いお日柄で、お早くございますね、左様ならばお別れいたしましょう等々) はほとんど忘れ去られ、語源の意味を意識しながら挨拶する事は滅多にない。 せいぜい蘊蓄といて耳にした事がある程度である。 日本人すら語源を意識してない「ありがとう」を、Estas vere malofte.と翻訳するのは不自然で行き過ぎである。 ここは言葉の機能を表面的に対応させ、dankon,salutonと言うべきである。
しかし、国によっては、 店 La sekva, bonvolu! 「はい、お次」 客 Saluton! 「(会計を)よろしく」 店 Kiel vi fartas? 「ごきげんいかが?」 客 Bone. 「いいよ」 店 Estas bone. 「それは結構」 . . . 客 Dankon. 「(会計や袋詰めを)ありがとう」 店 Bonan tagon al vi. 「良い一日を」 客 Ankaŭ al vi. 「そちらも」
>>374 だれも日本の習慣を変えろなど言ってないw(もしかして本当に欧米コンプレックスのある人の反応??) Kiel vi fartas?が形骸化している場合も十分にあるということをいってるだけ。 本当の会話は、「いやー、実は娘が熱を昨夜から出して。」「そうなの?あの評判のお医者さんには観てもらった?」 というのが実際の会話じゃないかと。
>>384 フランス語初心者ですが、そういう表現があるようです。 http://www.fra5.net/lecture/lecture30res.html の説明を借りると > se laisser:se laisser+inf.不定詞が他動詞で seがその直接目的語の > 場合「〜されるままになる、〜される」 > たとえば、se laisser séduire「誘惑に身を任せる」、 > se laisser tromper「みすみすだまされる」 se laisserをエスに逐語訳するとsin lasiになります。 se laisser séduire = sin lasi logi se laisser tromper = sin lasi trompi
エスは、再帰動詞と自動詞化の両方が可能というのがややこしい。 >>390のように複雑なものも La infano laviĝas [mem]. といえばすっきりする。
英 Мary and Peter kiss [each other]. 独 Мaria und Peter küssen sich. 世 Maria kaj Petro kisas [sin reciproke].
Peter became/was offended. Peter ärgerte sich. Petro ofendis sin/ ofendiĝis.
The door (was, got) opened. Die Tür öffnete sich. La pordo malfermis sin/ malfermiĝis. などといえるからsiはなくてもいい。
Sinjoro Petro amas lian edzinon. が別人の男の妻だというのなら(本人の妻ならsian edzinonとしなければならない)、 Sinjoro Petro kaj lia edzino tre amas miajn infanojn. この文章も別人の男の妻でなければならない(sia edzinoは不可で、本人か別人の妻かどうかは文脈で決定)。
>>413 一日かけたんだから、もう分かるだろ? 再帰代名詞の説明など、初心者スレじゃないから書かないよ。 ただ、面白い事に気付いた。 日本語にはもちろん再帰代名詞など存在しないが、 「彼と彼の妻は」では二人は夫婦で、li kaj lia edzinoと同じだが、 「彼と自分の妻は」の「自分」は決して「彼」ではない。 つまり、この場合、「自分」は再帰代名詞的には使えない。 日本語で意味を取れば、li kaj mia edzinoの意味となるだろう。 しかし 「彼は自分の妻と」ならば、li kun sia edzinoの理解が可能だし、より自然。 日本語はエスペラントとは全く異系統の言語であるから、 これは偶然の一致と考えられるが、完全異系統の言語間で一致するという事は、 そこには何か本質的な根拠が存在するのではないか、という想像もできるのである。
>>422 >まあ、大体自動詞表現にもできるし 日本語には再帰代名詞が無いから、日本人の苦手分野の一つだけど、 ドイツ語フランス語が得意な人には分かりやすいのでは? 外国語知らなくても分かるけどね。 他動詞 sin は 必ずしも常に、他動詞-iĝになるとは限らない。 Li batis sin.は Li batiĝis. にはならない。
何でイタリックやゲルマン語派を多少知っててもsiの使い方が面倒かというと、 1. Johano lavis sin/lin. の区別は良いが、 2. Ŝi kisis sian/ŝian edzon. のように再帰代名詞の所有格のときには区別する習慣がないから。 つまり、 英 1. John washed himself/him. 2. She kissed her husband. (区別不可) 独 1. Hans wusch sich/ihn. 2. Sie küsste ihren Mann. (区別不可) 仏 1. Jean se/le lavait. 2. Elle a embrassé son mari. (区別不可)
両方をうるさく区別するのはスラヴ語派だと思う。そこまであまり手が回らんだろうから、エスはやはり難しい。 露 1. Иоганн моет себя/его. 2. Она поцеловала своего/её мужа. 波 1. Jan mył się/jego. 2. Ona pocałowała swojego/jej męża.
スペイン語も 1. Juan se/lo lavó. は区別するけど、 2. Ella besó a su esposo. はやはり区別しないと思う。所有格としては使わないから、 例の「彼と自分の妻」は con (=kun) にしようが y (=kaj)にしようが él con su esposa と él y su esposa の代名詞は変わらないのに、 エスの"li kun sia edzino"と"li kaj lia edzino"は決して論理的ではないということ。
続き >エスの"li kun sia edzino"と"li kaj lia edzino"は決して論理的ではないということ。 「論理」を知らないからそう思い込むだけ。常に逐語で翻訳しようとしてるから何も理解できない。 再帰代名詞は動詞との関わりが強い。動詞があってこそ、その対象が自分である事を指し示すための再帰なんだよ。 そう理解すれば、動詞が無い段階で、まだ主語である段階でsiが出てくるのはあり得ないんだよ。 逆に難しいパターンとして、文の本主語と文中の不定詞の意味上の主語が異なる場合は、 意味上の主語が不定詞にとってのsiになる。難しいけど、理屈としては筋が通っている。 kunの場合は、kunが出た時点で動詞の存在が予測できるし、何よりkun節は語末に移動できる。 そうすれば動詞を修飾してる事が一目瞭然だろう。 Li kun sia edzino iris tien. = Li iris tien kun sia edzino. 主語のkaj lia edzinoは、もう片方の主語liと離して同じ動詞を共有する事はできない。 Li kaj lia edzino iris tien. ≠ Li iris tien kaj lia edzino????? 民族語では所有格の再帰代名詞をあまり使わない事もあり、使用方法が曖昧なのだろうが、 エスペラントは人工的に強制的に理屈で決めてるから、一度理解してしまえば楽。
の原則をやぶってよいことの理由にはならんだろ。つまり、 Mi kun mia edzino iris tien. = Mi iris tien kun mia edzino. だから何?ってこと。
素直に認めればいいのに。シナ語の「自己」みたいに追加するような形にすれば論理的だったのにって。 lia propra edzino みたいにね。文脈から判断して誤解を生む可能性があるときのみpropraをつければいい話だった。 mi は一人しか存在せず li は二人以上指す可能性があるというなら名前なりalia veroなり言い換えればいいだけの話なのに、 母語の癖を捨てられなくて、エスペラントを複雑なものにしてしまった。
>>444 http://bertilow.com/pmeg/gramatiko/pronomoj/si/simplaj_frazoj.html Tamen oni povas uzi "si", se oni ŝanĝas la frazon jene: Karlo kun sia frato promenas en la parko. Nun la subjekto estas "Karlo", kaj "sia" ĝuste reprezentas Karlon. La frazparto "kun sia frato" ne estas parto de la subjekto, sed "kun"-komplemento.
続き ロシア語だったら 何人称であっても再帰代名詞はсебяでいいみたいだから Mi vestis sin.と言えないのはフランス語などの用法に準じていると思われるが はっきり決断を付けてもらっていれば、こっちとしては何も文句は無い。 まあ、ある程度規則を作っても、どうしても両義的にならざるを得ない面もある。 >Sinjoro Petro kaj lia edzino tre amas miajn infanojn.(sia edzinoは不可で、本人か別人の妻かどうかは文脈で決定)。
「開いたドア」 la pordo (kiu estas) de malfermo la pordo (kiu estas) malferma/ la malferma pordo la pordo (kiu estas) malfermita/ la malfermita pordo la pordo (kiu estas) malfermiĝanta/ la malfermiĝanta pordo la pordo kiu malfermiĝis la pordo kiu malfermis sin la pordo kiun oni malfermis
>>477 >さて、「君はまだそこまで至ってない」「ほとんどエスペラントの文章を読んだことがない初心者」 >といってくれる先生たちよ、まだ問題は"malferma al diskuto"だ(いわねーかw) 君に先生と呼ばれる筋合いは無い!ビシ
>>470 >la pordo (kiu estas) malferma/ la malferma pordo >la pordo kiun oni malfermis >の大きく2つだけを知っておけば良いことになる。 概念的には、その通り。 la pordo kiun oni malfermis = malfermita pordoであり、 malfermiĝinta pordo は「勝手に開いた」感があるかもしれないが、まあ、ここでは似たものとしておく。 いづれを使おうとも自由だが、小さな事に関係代名詞を使うと表現が煩わしくなるぞ。 自分で作文書いたことがあれば誰でも同感だと思うが、それすらままならない初心者には忠告だな。
続き ここでは多数派に従い「開く」と理解するとすると、La pordo malfermiĝis.いう表現だけでは 単なる過去の時点での話なのか、今も尚開いているのか、不明である。 今も開いている事を強調したければ、La pordo estas malfermiĝinta. と言えば良いのだが、 これが心理的な抵抗を生むのだと思う。La pordo malfermiĝis.と一体何が違うのだ、という。 同じ文型でも、Mi estas skribinta la leteron.なら「終わってる」に変わりはないから抵抗無い。(「重い」は別) 「論理」で行けば、La pordo estas malfermiĝinta.= la malfermiĝinta pordoとなる。 La podro estas verda.= la verda pordoと同様に。 理論的にはそれで間違いは無いのだが、心理的にはそうはいかない。 誰もがおそらく、今開いているのかいないのか不安になるのだろう。
>>503 >malfermiĝiは「開いている」という継続的な意味である、と解するのが主流派と? んなこといってねーよw だから>>457で la pordo kiu malfermiĝis と表現したじゃないか。本動詞の場合は、過去に「開いた」(今は知らん)とも取れるが、 今に至るまでに「開いたところだ」(現在完了として)とも取られるわけだから、問題ないだろ? la malfermiĝanta pordo については、何度もいうように分詞が重い以上に、能動-intaは-antaよりさらに重たい(めったに使われない)から、 その妥協として、-antaの形で使っている例が多いといってるだけだ。
>>504 そうだな、>has died じゃなく、 "He has been dead for 5 years.""has been dying" といえるだろ!というつもりだったw それらをエスにしたとき、 Li estas/estis morta/mortanta. などとも訳せるが、分詞を嫌うのだから、 Li mortis. と単に過去形にしてもそのニュアンスを含んで表現できるということになる。 じゃあ、そのmorti語幹は「一回の死亡」以外に「死んでいる状態の継続」も含むことになるじゃないか。 意味の範疇において民族語vs国際共通語という対立をでっち上げるのじゃなく、 エスの範疇、英語の範疇、独語の範疇、日本語の範疇...と見ていくしかないんだよ。わかるかな。
もちろん英語でも曖昧な部分はある。 He has died for five years. については http://okwave.jp/qa/q2210603.html では正しいといってる。 5年は長いから気持ち悪いとして、 "He has died for a few days"なら問題はない。
509の続き mortiの語幹は動詞で "Ĉesi vivi, perdi la vivon"という意味で、瞬間的なもの。 英語でも、"to stop living and become dead"で瞬間的。 deadは「死んでいる」という状態を表す形容詞。 元はdieの過去分詞らしいから、have deadの完了・結果的な意味が分離してdeadという別の形容詞になったのだろう。 「死の概念」が一回で瞬間的なのは、おそらくは人類(少なくとも輪廻の概念が無い人)共通だろう。 ただし、人間、死ぬ時は一気に、と願っていても、実際は苦しみながら死んでいくので そこに「死につつある」段階もある訳だが、その状態は実際は「まだ生きている」のであって 決して「死んでいる状態の継続」ではない。その「死につつある」がmortantaだ。
調べて見たら、Bertilo Wennergren(1956年10月4日〜)という、スウェーデン人で、 韓国のソウル在住のエスペラント学会のメンバーの人が書いたものらしいよ。 上のPMEGを執筆したことで、雑誌『La Ondo de Esperanto』で 2006年のエスペランティストオブザイヤーを受賞したらしいね。
"C^i estas krajono"(これはペンです)が "tu et kaz"だから、語順とか音の種類以外はぱっと見似てないね。 "kion havas Taro?"(太郎は何を持ってますか?)が "talo til to?"(太郎 持 何)みたいな感じで、疑問文で倒置がないとか、 V2語順の規則が働かなくて、語順レベルでも実は微妙に違ってるよ。
David Salo "A Gateway to Sindarin"(Univ of Utah Pr 2004) Jim Allan "An Introduction to Elvish: And to Other Tongues and Proper Names and Writing Systems of the Third Age of the Western Lands of Middle-earth as Set Forth in the Published Writings of Professor John Ronald Reuel Tolkien"(Bran's Head Books Ltd 1978) Ruth S. Noel "The Languages of Tolkien's Middle Earth"(Mariner Books 1980) 伊藤 盡『『指輪物語』エルフ語を読む』(青春出版社 2004)
>>651 >>"Mi trinkis multe.""Kion?""Mi trinkis multe da vino." >の方はtrinkiが自動詞として文章が完成してるけど、 自動詞ではなく目的語が省略された他動詞
>>652 >multaj homojとmulte da homojはちょっと違うという説がある 後者の方が同一の塊というニュアンスが強いらしいね。 multaj homojは一人づつでも死ねるが、multe da homojは一瞬で死ぬ。 「計量」という元々の意味から来た発想か--taso da kafo
>>905 >次に、自動詞は目的語は取らないというのは正しく、守らなければならないが、エスペラントの対格は常に目的語の役割だけをしているわけじゃない。 >"Teorie oni povas ĉiam anstataŭigi rolvorteton per N, se la senco ne fariĝas malklara."や、 >「対格語尾<−n>は、ふさわしい前置詞が見つからない場合や、思いだせない場合に、必要な前置詞の代りに用いることができます。」 >と言われる。 それで良い。その動詞がある対象物を要求するなら何でも対格に成りうる。 ただし対格=目的語になり易いランク付けも、言語学的には存在する。 エスペラントでは対格か前置詞かの使い分けは大体習慣的に決まっているが、 対格が普通でも、alその他で代用可能な場合もあり(danki al, saluti al等) 日本人から見て想定外な用法はほとんど存在しないのが現実だ。
>"Mi ridas je lia naiveco.= Mi ridas pro lia naiveco.= Mi ridas lian naivecon."としている。ridiは自動詞だ。 動詞の意味に着目すると良い。 「笑う」は対象物の存在を前提としない自発行為だが、何かが要因で笑う場合を考えると その要因が動詞の対象物と捉えられれば対格となる可能性がある。 故に自動詞、他動詞の別は言うほど厳密ではない。それはどの言語でも共通だ。 >従って、vestiĝi ionがルール違反をしているとは一概にはいえないのである。 しかしiĝiは「形式上」明確な自動詞なので、そこに形式上明らかに対格のionが付くと 明確すぎる論理違反になるので避けられるであろう。 iĝi ionを避けさせる理由は、意味で無く形式だと言える。
エスペラントで「〜好きだ」と表現するときに、 主語が「好きなもの」で、plaĉi (人を喜ばせる、を気に入らせる、を魅了する、を虜にする)という動詞を使うのを覚えていても、 1. Pomo plaĉas al mi. か 2. Pomo plaĉas min. か迷うこともあるだろう。 (「林檎は私を魅了する」なのに、「al mi 私に?」だっけ?と日本人は迷うかもしれないし、 "Me gusta"や"Mir gefällt"と与格を使うスペイン人やドイツ人は間違えることはないが、 "pleases me"と与格が対格に合流した英語話者も間違うこともあるかもしれない)
しかし、エスペラントでは 2. も認められているのだ。 "Teorie oni povas ĉiam anstataŭigi rolvorteton per N" 交換できる前置詞は je ばかりでなく、実際に、PMEGで al iu をiun に置換した例: "Mi pardonis al la malamiko lian kulpon." → "Mi pardonis la malamikon pri lia kulpo."
そして、これが可能なために Ŝi plaĉas al si. 「彼女は彼女自身を魅了する」という文章を見たときに混乱していた初心者も Ŝi plaĉas sin. と体格化して、さらに Ŝi plaĉiĝas. とiĝi化すれば、「彼女はナルシストだ」と理解しやすい。
初心者スレには(当然の権利だが)初心者が存在していて、 その人は目的語の対格とその他の用法が区別つかなかった。 Ili translokiĝis Parizon.のParizonを目的語だと思っていたらしい。 もちろんParizonは方向の対格で、しかも裸の名詞に直接Nが付くのは地名などでしか容認されない。al Parizoに置き換え可。 Li naskiĝis la lastan jaron.のlastan jaronも目的語だと思っていたらしいが、これは時間の対格でen la lasta jaroに置き換え可。 その初心者は、前置詞は何でも対格になるのだと早合点していたらしいが ここは本スレ、エスペラントの初歩から抜け出てない初心者は御遠慮願いたいものである。 必要ならまた初心者スレ立ててそっちで質問してくれw
>>730 >エスペラントで「〜好きだ」と表現するときに、 >主語が「好きなもの」で、plaĉi (人を喜ばせる、を気に入らせる、を魅了する、を虜にする)という動詞を使うのを覚えていても、 >1. Pomo plaĉas al mi. か 2. Pomo plaĉas min. か迷うこともあるだろう。 Mi plaĉas pomon.の間違いは論外だが、 Pomo plaĉas min. なら議論の余地はあるな。
確かに、辞書だと、plaĉi :(ntr)Kontentigi aŭ simpatiigi iun per sia ĉarmo と、なんだか「誰かを満足させる」というような説明だ。 (ntr)と書いておいてこれでは説明としては腑に落ちないが、仕方ない。 実際の用法としては、「誰かを満足させる性質を持つ」という自動詞である。
正しい用例:Pomo plaĉas al mi. Pomoは満足させる性質を持っている、という意味。 その性質は誰かに向けられて作られたものではなく、そのものが独自に有しているもの。 その性質がたまたまmiの方向に向いた、という意味で al mi。 つづく
Ŝi plaĉas al si. 「彼女は彼女自身に対して魅力を有する」 Ŝi plaĉas sin. 再帰代名詞の対格は圧倒的に他動詞で使われるから、これだとますます間違って使ってるバカと思われるな。 Ŝi plaĉiĝas. 再帰≠iĝだという事がまだ分かってないよww これだと線動詞の自動詞を点動詞化したと思われる。「(前は違ったが)彼女は魅了する性質を持ち出した」
Lernu!のLernadoのコーナーに、前はHTMLで読めたが今はPDFにされてしまった"la tuta Esperanto" という文法書があるのだが、そこにiĝ動詞については詳しく書かれてある。 勉強したい人はElŝutiしてp46-P47を読むと良い。ここでも親切に引用してやるが。
Verboj: Komparu la frazojn Mi vekiĝis kaj Mi vekis la dormantojn. Oni ne povas diri «Mi vekis min», ĉar tio estas sensenca: oni povas veki aliajn, kiam ili dormas, sed sin mem oni ja ne povas veki! *«Mi vekis min»とは言えないよ。寝てる他人は起こせるが自分を起こすのは無理!
-iĝi enhavas la ideon «per si mem, aŭtomate» kaj ĉe la transitivaj verboj oni ne povas anstataŭigi ĝin per -igi sin aŭ nur sin: -iĝiは「自分で、自動で」の意味を含む。故に他動詞ではそれを -igi sin や nur sin で代用することはできない。
La pordo fermiĝis (neniu bezonis fermi ĝin, sed ĝi fermiĝis tute aŭtomate, per si mem). 誰もドアを閉める必要は無い。ドアが自動で閉まったのだ。
Ĵus finiĝis la leciono de geografio kaj komenciĝis la leciono de Esperanto (oni ne povas diri leciono finis kaj komencis sin!). レッスンは自分で自分を終わらせたり始めたりできんだろw!
Kiam vi naskiĝis («naskis vin» estas tute absurda!)? «naskis vin»だって!馬鹿すぎワロタ つづく
Rimarko 3: Oni ne povas diri «mi laviĝis, kombiĝis, raziĝis, vestiĝis», ĉar tiuj agoj ne okazas aŭtomate, per si mem, kaj la homo ne restas pasiva ĉe tio; oni devas diri: mi lavis min, kombis min, razis min, vestis min.
「語順は例文に示す通りである。不定法や名詞節は普通副詞で受けるが、意味の混乱を防ぐため、形容詞を用いる。 1.Antaŭ kelkdek jaroj oni opiniis neebla sendi raketon ĝis la luno. 数十年前、月にロケットを飛ばすことは不可能と考えられていた。」(山川修一 『エスペラント翻訳のコツ』)
では、初めから意味が混乱しないように、Estas varme! も Estas varmaだとどうしてだめだったんでしょうかね?
>>758 >では、初めから意味が混乱しないように、Estas varme! も Estas varmaだとどうしてだめだったんでしょうかね? これは、論理性を非常に重視したための結果と言えるでしょうね。 -aが形容するのは名詞と代名詞で、その他は無主語含め-eが形容する、という 最も単純明快なルールを設定し、常にそれに合わせるのが「論理的」だろうという判断。 通常動詞は副詞が形容するが、不定詞になった場合は形容詞で形容する等というルールがあると 条件分岐が追加される=複雑化するという事である。 例えば、Mi iris rapide. だが Mi volas iri rapide.だとrapidaなの?という初心者の新たな悩みは増えるだろう。
>「語順は例文に示す通りである。不定法や名詞節は普通副詞で受けるが、意味の混乱を防ぐため、形容詞を用いる。 >1.Antaŭ kelkdek jaroj oni opiniis neebla sendi raketon ĝis la luno. 数十年前、月にロケットを飛ばすことは不可能と考えられていた。」(山川修一 『エスペラント翻訳のコツ』) この例は、ルールを適用すると誤解を招く可能性があるため、敢えてルール違反をしている稀な例である。 ルール違反が気持ち悪ければ、oni opiniis, ke estas neeble sendi raketon ĝis la luno.などにすれば良い。 (oni opiniis neebla la sendon de raketo ĝis la luno.など他にも色々言いようはある。) このような例外的な例に囚われて、圧倒的多数に応用できる最も重要な単純ルールを犠牲にしても意味が無い。
こういった問題はPMEGでは既に回答済みである。http://bertilow.com/pmeg/gramatiko/specialaj_priskriboj/perverba/objekto.html Laŭ PAG oni uzu A-vorton anstataŭ E-vorto kiel perverban priskribon de objekto, kiam la objekto estas I-verbo aŭ subfrazo:Mi opinias konvena vigligi vin per rememorigo. Tio tamen ne ŝajnas rekomendinda, ĉar tio rompas la bazan principon, ke I-verboj kaj subfrazoj estas priskribataj per E-vortoj. Tamen oni povas trovi ekzemplojn de tia uzo ĉe Zamenhof: PAGでは、目的語が不定詞や副文の場合、その目的語に対する補語は-aを使えと書いてあるが これは推奨すべきでないと思われる。なぜなら「不定詞や副文は-eで修飾される」という基本原則を破ってるから。 しかし、ザメンホフの用例にはそのような例は見受けられる。
実用エスペラント小辞典では、vest/iĝ/i[自]服を着る だが、日本語の「着る」は「何かを着る行為」を表す他動詞である。 Reta Vortaroにはvestiĝiは登録されてないが、 最近できたネット版PIVでは登録されている。vestiĝi. Kovriĝi per vesto: これを見て「わーい日本語の着ると同じだー」と早合点したのが先輩諸氏。 しかしここでKovriĝi を引くと Iĝi kovrita: 覆われた状態になる、の意味である。 つまりKovriĝi per vestoは「服を着た状態になる」。 これは動作としての「着る」ではなく、「状態変化」の意味である。 ネット版PIVの文例を見ると ili pente vestiĝis per sakaĵo; 彼らは悔悟して袋物で身を包んだ状態となった。(着る行為よりその状態が重要?) la kampoj vestiĝas per greno 畑は穀物で身を包んだ状態となった。(畑は自分で穀物を着るのか?) ili vestiĝu per honto k malhonoro. 彼らは恥と不名誉で身を包んだ状態となれ。(ここでも着る行為でなく結果を求めている) ここでは「彼らは普通に何かの服を着た」という普通の文例は皆無であり、比喩か例外的な変な物を着ている。 袋物を着たのも悔悟して自分からすすんで着たのか、悔悟の表明として着させられたのか、その辺りの事情はこの一文では不明だ。 そこを読みとらず「彼らは悔悟して袋物を着た」と理解し 日本語の「着る」=vestiĝiだと早合点したのではないか。
A1 Rozoj sur la tablo estas blankaj. 机の上のバラは白い。 A2 Estas blankaj rozoj sur la tablo. (イ)白いバラが机の上にある。=机の上にあるのは白いバラだ。/(ロ)机の上のバラは白い。 A3 Estas rozoj blankaj sur la tablo. (イ)白いバラが机の上にある。=机の上にあるのは白いバラだ。/(ロ)机の上の白いものはバラだ。 A4 Rozoj blankaj estas sur la tablo. 白いバラが机の上にある。
B1 Lerni esperanton estas interese. エスペラントを学ぶのは楽しい。 B2 Estas interese lerni esperanton. (イ)エスペラントを学ぶのは楽しい。/(ロ)楽しく学ぶのはエスペラントだ B3 Estas lerni interese esperanton. 楽しく学ぶのはエスペラントだ。 B4 Lerni interese estas esperanton. 楽しく学ぶのはエスペラントだ。
>A1 Rozoj sur la tablo estas blankaj. 机の上のバラは白い。 >A2 Estas blankaj rozoj sur la tablo. (イ)白いバラが机の上にある。=机の上にあるのは白いバラだ。/(ロ)机の上のバラは白い。 >A3 Estas rozoj blankaj sur la tablo. (イ)白いバラが机の上にある。=机の上にあるのは白いバラだ。/(ロ)机の上の白いものはバラだ。 >A4 Rozoj blankaj estas sur la tablo. 白いバラが机の上にある。 >A2では(イ)で解釈される場合が多く、修飾・被修飾語を切り離した(ロ)で理解されることは少ない。
A1,A2(ロ),A3(ロ)は連結動詞としての訳。A1はごく普通のSVC文。 A2,A3では、sur la tabloは、君の発想どおりrozojにかかると理解されるのが普通。 sur la tabloが無ければそれぞれVCS,VSCと解釈される事も可能なのだが、 それがあるため「存在動詞」の方に理解が傾く。 故に君が直感的に『(ロ)で理解されることは少ない。』と思ったのは正しい。
つづき A2は、口頭でEstas blankajで大仰に間を開ければ、後続のrozoj sur la tabloを一つの名詞句として VCS構文として理解してもらえる可能性もある。文章では無理。 A3のVSCはエスペラントとしては比較的稀な構文となる。 また、blankaj sur la tabloは「机の上の白いもの」とは訳せない。 「バラは机の上で白い」なら良い。しかしこの訳も特殊な状況下でなければ不自然。 自然な理解ではrozoj blankaj sur la tabloで一つの名詞句とされ、estiは存在動詞となるだろう。
>B1 Lerni esperanton estas interese. エスペラントを学ぶのは楽しい。 >B2 Estas interese lerni esperanton. (イ)エスペラントを学ぶのは楽しい。/(ロ)楽しく学ぶのはエスペラントだ >B3 Estas lerni interese esperanton. 楽しく学ぶのはエスペラントだ。 >B4 Lerni interese estas esperanton. 楽しく学ぶのはエスペラントだ。
>>787 エスペラントのestiも、もともと「英語のbe動詞同様に存在動詞を兼ねている」ものをあえて存在動詞と連結動詞に分けて説明する必要などないのでは? 日本語だって、「で有る、で在る」なので「有る=存在する」という発想でしょう? PMEGにだってSVOだのSVCだの出てこないのに、さては食うために中学の英語の先生でもやってるのかな?w そんな考えでは Mi pensas, do mi estas. が訳せませんよ。 カチカチな5文型など言ってるご高齢の英語教師が住んでいる国は、わずかですw
B4ができないのは、日本語の訳がどうとか5文型がどうとかではなく、動詞と対格はestiを間に挟めないという明快な理由から。外国人は5文型など知りませんw それでも、B3の訳は奇妙な感じがするという人間もいるかもしれないが、たとえば Malfacile por 2ch-uzanto estas lerni interese esperanton. 「お前等にとってエスペラントを楽しく学ぶのは難しい」 と十分理解できる。 でもB3にはSとCの関係がないよという奴がいると思うが、 Estas varme. の文にそれらがあるのか?w
1. エスペラントの利点は、その使いやすさにある。 A. La avantaĝo de uzi esperanton estas ĝia utileco. B. Esperanto superas aliajn lingvojn ĉar ĝi estas utila.
2. エスペラントは美しい共産主義社会を作るためには重要である。 A. Esperanto estas grava en la konstruado de bela komunisma socio. B. Esperanto ludas esencan rolon en la konstruado de bela komunisma socio.
3. 実験結果から、X方式が効果的であることは明らかである。 A. Estas klare de la rezultoj de eksperimentoj, ke la X-metodo estas efika. B. La rezultoj de eksperimentoj klarigas la efikecon de la X-metodo.
>>793 相当無理のある反論ww >エスペラントのestiも、もともと「英語のbe動詞同様に存在動詞を兼ねている」ものをあえて存在動詞と連結動詞に分けて説明する必要などないのでは? 西洋語の使用者もしくはネイティブの如くそれを繰れるあなたのようなw日本人であれば 「同じ物」であるestiをわざわざ分けて説明する必要ないだろうがw 普通の日本人には絶対必要。「〜である」と「〜がある」は我々にとっては全く別の言葉。 「彼は先生である(SVC)」≠「彼は先生がある(彼には先生という後ろ盾が存在する)」 ちなみに西洋人が主に西洋人向けに作ったPMEGにさえestiの説明は事細かく載ってるwww これは我々日本人にも非常に参考になる。 La verbo esti havas plurajn signifojn kaj uzojn. Esti動詞は複数の意味と用法がある。 1)Esti estas uzata precipe por ligi priskribon al la subjekto. Tia priskribo nomiĝas perverba priskribo: La patro estas sana. 主語とperverba priskriboを繋ぐ。perverba priskriboは英文法的な用語だと補語がぴったりくる。 2)Esti estas uzata kune kun participoj por formi kunmetitajn verbojn. Li estos dirinta al mi la veron. 分詞とともに使い、それで一個の動詞の様になる。 3)Esti povas montri la ekziston aŭ aktualecon de la subjekto Sen regalo ne estas balo. 主語の存在を示す。 4)Esti povas montri troviĝon en loko, kiam ne necesas tre ekzakte esprimi sin: Kie vi estas? — Mi estas en la ĝardeno.FE.26 = Kie vi troviĝas. — Mi troviĝas en la ĝardeno. はっきり言う必要のないような場所にいる事を示す。
>Li mortis juna. >Li mortis june. >Li mortis junaĝe. 文法的な区別は理解できるし、それにより微妙なニュアンス差は生じるかもしれないが (junaは補語で主語を叙述、june,junaĝeは動詞を修飾する副詞) sola,sole,unua,unueなど、例外的に意味の差が大きいものはよく知られているが、 それ以外に一般的に話を広げて、形容詞と副詞を置き換えると完全に意味が異なる、というような、 そこまで激しく世界の全エスペラチストが完全合意しなければならないような定義もあるのかな? 『まるごと』にはそう書いてあるのかな?
彼は先生「として存在する」。 (O名詞) Li "estas" instruisto. 彼は年とった「状態として存在する」。 (A形容詞) Li "estas" maljuna. 彼は家に「存在する」。 (E副詞) Li "estas" hejme. 彼は部屋の中に「存在する」。 (前置詞句) Li "estas" en la ĉambro. 彼は「存在する」。 (φ) Li "estas".
とみれば、「である」と「がある」に騒ぐ必要もなくなる。(それが本来の西洋語の考え方なのだし) 文章を1行10分かけて読んでいられる初心者ならいいが、会話やラジオの最中に"esti"が出てきて、これは「存在動詞」なのか、「存在動詞」なのかと無駄なわけ方をして頭の中で直訳しているようなら、エスペラントも西洋語も到底会話についていけないことでしょう。 また、 Lerni esperanton estas malfacile. のmalfacileは、lerniにあわせているという「極めて初歩的な段階での「仮の教え」」だけなら、 Li estas hejme.
は、なぜ主語にあわせてLi estas hejma.ではないのか迷う初心者も出てくるかもしれない。 ですが、それがわかって中級者になったとき、 Li mortis juna. Li mortis june. の違いもわかることでしょう。SVCなど言っているうちは一生理解できませんw
ついでに>>807の例をもう少し解説すると、A形容詞と前置詞句はもちろんO名詞・E副詞もすべて名詞を修飾することができる。 La vero, instruisto, estas mia frato. La vero maljuna estas mia frato. La vero, hejme, estas mia frato. La vero en la ĉambro estas mia frato.
また、副詞を述語とすることについて、ザメンホフも、 La gazetoj ne trovas necesa eniĝi en tion, pri kio ili skribas. Pro evito de malkompreniĝoj ni trovas necesa doni la sekvantajn klarigojn: という動詞にもかかわらず、形容詞を「述語」として使うという不規則なエスペラント文を書いてきた。
英語の5文型のようにSVCを主張し、述語述語いうのなら、述語は常に特別なものとして、すべて単数形容詞なら問題は起きなかったと主張しても良いはずである。その場合、 Liaj piedoj estas longa. Lerni esperanton estas malinteresa. Hodiaŭ estas varmega. のように。 estiを渡ることはできないというルールにすればよく、しかも、そのような例外は何もエスペラントでは珍しくなく、>>793のB4の対格(Estas esperanton)は許されなかった。 実際に、限定形容詞にのみ単複(性)をあわせて、叙述形容詞は常に単数とする西洋語も存在するのである。
>彼は先生「として存在する」。 (O名詞) Li "estas" instruisto. >彼は年とった「状態として存在する」。 (A形容詞) Li "estas" maljuna. >彼は家に「存在する」。 (E副詞) Li "estas" hejme. >彼は部屋の中に「存在する」。 (前置詞句) Li "estas" en la ĉambro. >彼は「存在する」。 (φ) Li "estas".
>結局お前自身が、存在動詞の場合は「存在する」と訳し、連結動詞の場合は「として存在する」と訳し分けているではないかwww 名詞のときは、「として、という姿で存在しています」だよ。そのサイト読んで勉強しろ 「お母さんはどこ?」、「母は台所です」をこう書かなくてすむようになるぞw *Patrino estas la kuirejo.* 母は台所「として存在しています」 → ならおかしいと気づくだろ?
Patrino estas en la kuirejo. 母は台所に「存在しています」 → (に)がついているから、「として」はつけない。
>西洋人も含め、両概念を全く同一と見なしているだろうか どうしてもはっきりさせたいのなら、この前の例文は次のように言いわけられる。 A1 Rozoj sur la tablo blankas. A2,A3 (イ)Blankaj rozoj suras la tablon/table. (ロ)Blankas rozoj sur la tablo. A4 Rozoj blankaj suras la tablon/table.
>>811 >ついでに>>807の例をもう少し解説すると、A形容詞と前置詞句はもちろんO名詞・E副詞もすべて名詞を修飾することができる。 1)>La vero, instruisto, estas mia frato. 2)>La vero maljuna estas mia frato. 3)>La vero, hejme, estas mia frato. 4)>La vero en la ĉambro estas mia frato. この理解は間違いだ。 1)同じ物を言い換えているだけ。PMEG用語ではapudmedoといい、修飾ではない。 2)これは正しい通常の直接修飾 3)エスペラントでは例外的な副詞を除き、-e副詞は決して名詞は修飾しない。 4)これは可。前置詞句は-e副詞ではないので名詞を修飾できる。
>>815 >A1 Rozoj sur la tablo blankas. >A2,A3 (イ)Blankaj rozoj suras la tablon/table. (ロ)Blankas rozoj sur la tablo. >A4 Rozoj blankaj suras la tablon/table. こういうエスペラント文は見た事がない、初心者は真似しないように。 しかし学会エスペラントってのは滅茶苦茶なんだな
>ちなみに英語は「存在動詞」としてのbe動詞は、昔は使用されていて慣用的表現には残るが、 He is there.彼はそこに「存在しています」 Are you crazy? あなたはキチガイ「として存在していますか?」-Yes, I am. はい、私は「存在しています」 これを、「はい、私はです」 と教えていた5文型には、罪があるわなw
>お前の説に準じれば La stuktuloj, malsanuleje,ならいいんだろ >hejmeだって属性違う 場所の副詞だから余談としてはありうるが、名詞と同じようにあわせるとはいっていない。 前置詞句ももちろん、 Taso sur la tablo だろうが、 Virinoj sur la tablo だろうが、変わりはない。
副詞だって、名詞を修飾することぐらい常識。エスペラントの初心者スレってやっぱ必要なのかな?というか、薬中の被害妄想スレかな。 Eĉ infano scias tion. 子どもだってそんなこと知っている Nur vi estas komencanto. 初心者はお前だけだ
>>824 blankas = estas blanka/blankaj (時にはblanke)と、主語によって補語の形が変わる可能性があるものを防ぎ、estiと収束させた言い方。
受身 estas farita = faritas みたいなもの。 しかし、「どうしてもはっきりさせたいのなら」と例外的な文章であることは断ったはずだ。
Tiam oni subkomprenas kiu estas, kiu troviĝas, kiu okazas, estanta, troviĝanta, okazanta aŭ similan esprimon. 場所、方向、時間の-e副詞は 名詞の後置修飾として現れることもある。 その場合は、 kiu estas, 等の省略と見なされる。 例:La pordo kontraŭe estis ankaŭ malfermata vespere. = La pordo, kiu troviĝis kontraŭe..
Ofte oni ankaŭ povas uzi postmetitan A-vorton kiel lokan aŭ tempan priskribon de O-vorto: Iafoje tio estas pli klara. 大抵は、場所と時間の修飾としてなら、-a形容詞でも可能である。場合によってはそっちの方が明瞭だ。 例: la pordo kontraŭa,
Rimarku, ke A-vorta priskribo povas stari ĉu antaŭ, ĉu post la O-vorto, dum tia ĉi E-vorta priskribo nur povas stari post la O-vorto: 注意としては、-a形容詞は名詞の後ろでも前でも置けるが、 同様の-e副詞での修飾は後ろにしか置けない。
Postmetita loka, direkta aŭ tempa priskribo de O-vorto ofte mem havas precizigan priskribon kun rolvorteto. Tiam oni por klareco preferas E-vortan formon: Se oni uzus A-vorton, oni povus iafoje pensi, ke la preciziga priskribo rilatas al la O-vorto: 場所、方向、時間の名詞修飾が前置詞句で詳細化される時は、-e副詞を使用するのが望ましい。 -a形容詞を用いて同様に詳細化してしまうと、前置詞句は名詞に係ると見なされる場合がある。 例:la regionoj sude de Parizo 例:la regionoj sudaj de Parizo = la sudaj regionoj de Parizo
言い分け:お前のla vero, hejme, の例が不自然すぎて見過ごしてしまった。 PMEGの文例のように、 Alie la malfeliĉa blindulino ja neniam povus trovi la vojon hejmen. だったら自然に理解できたが。 つまり、文法だけを形式的に教わっても意味が無いという事だ。 そうでなければならない実例を出せば論理的な説明がつく。
ちなみに、PMEGの文例を自分なりに解釈をすると、一様に副詞が名詞を修飾してるとは言えない場合もありそうだ。 La floroj supre sur la tero odoras. 花は、大地の上で匂っている。でも同じ意味ではないか。 La vesperon antaŭe la tuta urbo estis iluminita.La vesperonと antaŭeはapudmeto的言い換え。 Sur mizera lito tie kuŝis la patrino de la infano.Sur mizera lito と tieも言い換え。 いちいち,kiu estasを省略しようなどと考えてながら話しているとは思えないから、そこには自然な発想があるのだろう。
ついでにかねてから気になっていた点。 >Li mortis juna. >Li mortis june. これも文法の型だけに依存した単なる言葉遊びにしか見えない。 グーグル検索では前者2,840件、 後者5件。 junaは形容詞なので名詞と連結し、この場合はLiを修飾する。 Li estis juna.とLi mortis.がオーバーラップしている感覚。 つまり「彼は若くして死んだ」という世界で通用する最も一般的な概念を表現する。 juneとなるとmortiを修飾するが、juneな状態で死ぬって具体的にどういう事?となる。 PIVではjune. En juna maniero: konduti, ridi, frenezumi june. この文例では、若々しく、或いは青臭く、とでも訳され konduti juneは若々しく振舞う、ridi june 若々しく笑う, frenezumi june若々しくいかれる など、esti junaとはオーバーラップせずにきちんと意味が伝わる。 しかるに、morti juneとは? 若々しく死ぬ?いじめでも受けて発作的に飛び降りたから? 全く意味不明なのだ。もしかしたら morti junaの間違いか?とも思われる。
エスペラントでは文法に従ってさえいればどんな用法でも可能なのではなく、 他者から見て意味が通じるように使わないと意味が無いのだ。 おそらくこの文例は、Li mortis juna. とLi mortis june. は違う意味なんですよ、 aとeの違いだけで曖昧性が無くなり論理的でしょ?と教えてための例だろうが、 エスペラントの論理性ってそういう自己満足表現のためにあるのではないんだよね。
>>834 Kazuo sola laboras en la oficejo. *1 その事務所で働いているのはカズオだけだ Kazuo laboras sola en la oficejo. *2 カズオは事務所で一人ぼっちで働いている Kazuo sole laboras en la oficejo. *3 カズオは事務所で働いてばかりいる Kazuo laboras sole en la oficejo. *4 カズオは事務所でしか働かない Li mortis juna. *5 彼は若くして死んだ Li mortis june. *6 彼は未熟な死に方をした Li mortis junaĝe. *7 彼は若いときに死んだ Ili geedziĝis malriĉaj. *8 貧しいながらも、彼らは結婚した Ili geedziĝis malriĉe. *9 彼らは貧乏くさく結婚した Ni trinku bieron la unuaj. *10 最初にビールを飲むのはわたしたちだ Ni trinku bieron unue. *11 まずビールを飲もう (『まるごと』より)
>Kio estas tio? - Tio (ili) estas ŝiaj rozoj./ Mi ne scias. Sed tio estas belaj. >と主語と補語の数が一致しないこともあるのだから、将来変わる可能性はあるわな。 tioは抽象的に事物全般を指す。その内容を個別に見れば単数でも複数でも良いんだよ。
これからは、PMEGソースが学会ソースか「ソースは俺」か明記しませんか? で以下は「ソースは俺」で。 apudmetoと直接修飾と補語(perverba prislribo)は別物と考える方がいいと思う。 apudmetoは単なる言い換えなので、どっちか片方だけにする事が可能。 La viro, instruisto, estas mia frato. は La instruisto estas..でも同じ意味であるからapudmeto。 Sur la lito tie kuŝas mia patrino.も Tie kuŝas..だけでもいいのでapudmeto的と私は解釈する(PMEGは異なる) しかしIli, malriĉaj, geedziĝis. は La malriĉaj geedziĝis.ではないからapudmetoとは言えない。 iliとmalriĉajは完全に対等ではなく、あくまでもmalriĉajはiliの描写にすぎない。
La viro malriĉa mortis. は曖昧な表現であるが、La malriĉa viro mortis.と同じと見なされるだろう。 この場合は直接修飾で、その貧しい男は、の意味。 La viro mortis malriĉa.は補語で apudmetoでも直接修飾でもない。 ちなみにこの例もPMEGはperverba priskriboの一種と呼んでいる。 何が違うのか。それは La viro estis malriĉa と La viro mortis.が同時並行で起こってる、という概念だからだ。
Sola Kazuo laboras en la oficejo.なら「孤独なカズオが」かもしれないが Kazuo sola laboras..だとKazuo estas sola. Kazuo laboras.が、たまたま同時並行で起こっている。 この概念の違いを知れば「Li, juna, mortis. にならない理由? 英語でdie youngって言うからさ」 というような表層的な理解から脱却できると思う。 ちなみにこういった補語の使い方は、どんな動詞でも可能なのではなく、 使ってみて自然かどうか考えながら使わないと、文法遊びに終わってしまう可能性がある。 例えばLi laboras juna.は、意味が分からないし使うべきではない。
さて、こういうと「一字一音原則」とか言う初心者が出てくると思いますが、今のエスペラント表記でも実はそれは完全には守られておらず、たとえば、 c = t + s ĉ = t + ŝ ĝ = d + ĵ (一方、c の有声音である (d + z) には、対応する一字文字はない) となっているのです。(mortsciigisto は仮に*morctsiigistoでも*morcciigistoでも*mortstsiigistoでも発音はまったく同じです)
したがって、アルファベートにある二重子音文字のバラエティとして、 x = k + s q = k + v などがあっても良かったわけです。そのほうが、語源がわかりやすく、ご指摘のek+sなどの混乱も防ぐことができたのです。 さらに無駄な2種類の綴り(ekz系とeks系)を覚えなくても良いわけです。
ekz系 ekzakta -> exakta (英語exact) ekzemple -> exemple (フランス語exemple) ekzerci -> exerci (フランス語exercer) ekzili -> exili (英語exile)
eks系 eksciti -> exciti (英語exite) eksporti -> exporti (英語export 今のエスペラントの表記だと「スポーツをし始める」に見えてしまう) ekstra -> extra (英語extra) fleksebla -> flexebla (flexible) kompleksa -> komplexa (ドイツ語Komplex) Aleksandro -> Alexandro (名前だが、なぜAlekzandroではないのか、今のままではまったく覚えにくい)
さらに詳しく言うと、 Mi havas hundon, kiu havas nigran voston. は、 「私は、黒い尻尾を持った一匹の犬を飼っている。」 →違う色の尻尾を持った犬が、他に居るかも知れない。(限定) 「私は一匹の犬を飼っています。そしてそれは黒い尻尾を持っています。」 →犬は一匹しか居ない。(継続) の両義を持つことになる。
前者の意味に制約したければ、発音においては、hundon と kiu以降に間をあけずにできるだけ滑らかに言うと良い(まるでhundonの後に形容詞をつけるかのごとく)が、 会話はできませんという初心者もこのスレには混ざっていて「ソースは俺」とかいってくだらない思いつきの長文を連ねている者がいるから作文にしぼって説明すると、 エスペラントではコンマの有無での区別はできないから、 Mi havas hundon kun nigran voston. などと言い換えると間違いはない。が、通常関係代名詞は限定用法と思われる(ソースは学会ではない)。
後者の意味に特定化するのなら、会話では逆に、間をおいて、kiu にストレスをおいたイントネーションとなる。作文では、 Mi havas unu hundon, kaj ĝi(li/ŝi) havas nigran voston. といいかえると限定できる。
1. 制限(限定)用法の可能性 「彼にはエスペランチストの息子達がいます。(Li havas filojn esperantistajn./Li havas filojn, iuj de kiuj estas esperantistoj.)」 「kiuj」以下は「filoj」を修飾していますが、ここで注意が必要なのは彼にはエスペランチスト以外の息子がいる可能性があることです。 「kiuj」以下は「filoj」を制限しているので、もしも彼に5人の息子達がいて、そのうちの3人がエスペランチストならばその3人のことしかあらわしていないことになります。
2. 非制限(継続)用法の可能性 「彼には息子がいて、その息子達全員はエスペランチストです。(Li havas filojn, kiuj tute estas esperantistoj.)」 ということも、エスペラントではありえます。
*Li havas filoj, sed ili estas esperantistoj. や *Kvankam li havas filoj, ili estas esperantistoj. ができないのはもちろん承知しているかと思いますが、このスレには初心者も混じっているようですので、念のために記しておきます。
>>867 >"Li havas filojn, kiuj estas esperantistoj." これなんかは自分だと、どっちかと言えば非制限的に読みとれてしまう。 彼には息子達がいるんですが、彼らはエスペランチストなんですよ。
エスペラント文章ではコンマの有無に頼れないから、 文脈に頼るか、或いは語解されないように別の表現にするか気を使わないとならないだろう。 制限用法にするには、Li havas tiujn filojn, kiuj estas esperantistoj.もありかと「思う」。 彼にはエスペランティストである息子が複数いる。
>"Li havas filojn, kiuj estas esperantistoj." を読んだだけなら(繰り返すが、聞いたらニュアンスで判別できる)、 「彼には息子が複数いて、(そのうち全員の可能性もあるが、少なくとも二人以上)、エスペランチストなのだ」 という情報しか頭に入ってこないのが、英語だけに犯されているわけではない(しかし、他の西洋語の知識も総合的に踏まえた)真のエスペランチストである。
つまり "Li havas filojn, kiuj estas esperantistoj." は「彼にはエスペラチストである息子達がいる」 "Mi havas hundon, kiu havas nigran voston."「私は尻尾の黒い犬を飼っている」という、一義しかありえない。 関係代名詞の初歩で学んだろうが、 "Li havas filojn, kiuj estas esperantistoj." <- "Li havas filojn." + " Ili estas esperantistoj." と学んだ筈である。
制限用法の例 "Mi vidis la filmojn, pri kiuj vi tiel multe rakontis." <- "Vi rakontis tiel multe pri filmoj." + "Mi vidis la filmojn." この場合は、関係節が先行詞を限定するので、2文に分けるならば 関係節を先に言って、先に限定を明確にしてもらわないと、気持ちよく通じない。
"Estas frenezuloj ĉiuj, kiuj lernas Esperanton." これは2文には分けられないから、完全なる制限用法。
つづき 非制限用法の例 "Marugoto", kiu estas lernolibro de Esperanto, tre bone vendiĝas. 「まるごと」は、エスペラント教科書だが、非常に良く売れている。 間で追加説明しているだけなので、読めば間が空く。
"La patro ŝovis sin sub la felon, per kiu li sin kovris." <- "La patro ŝovis sin sub la felon , kaj li kovris sin per ĝi." 「父は毛皮の下に滑り込み、それで自分の身を隠した」 *"La patro sin kovris per felon." + " "Li ŝovis sin sub la felon."* *「父は、自分を隠すための毛皮の下に自分を滑り込ませた」* 毛皮は身を隠すために限定された物ではない。
>>909の時系列の話の続きで、より高度な話をすると、下に行くほど口語的になる。と思ういます。 La patro ŝovis sin sub la felon , kaj li kovris sin per ĝi. = La patro sin ŝovis sub la felon por kovri sin per ĝi. = La patro sin ŝovis al sub kaj kovris per la felo.
"Mi havas hundon, kiu havas nigran voston." でおさらいすると、
"Mi havas hundon..." ここで間が空くと、受信者には、「あぁ、一匹しか飼っていないんだ(2匹以上居るならhundojnといわなければならない)」 と考える時間を与えてしまい、その結果、 "...kiu havas nigran voston."「...でそいつの尻尾は黒なのね。」となる。(非制限用法)
しかし、 "Mi havas hundon(,) kiu くぁwせdrftgyふじこlp..." と続くと、「なんだかある特徴を持った犬が一匹居るのだな」 と、一文としてすんなり理解されるのである。だから、他にも居るのかもしれないと理解される(制限用法)
kio,tio,io,等の*ioは、単一の名詞で表せる個別の物体ではなく、抽象的な事物の塊をイメージすると良い。 まだ名詞で呼べない場合はKio estas tio? と尋ね、文章全体を指す場合もtioとなる。 対してtiu,kiu,iu等には「個別に指させるイメージ」が元にあり、 名詞で表せるような具体的なイメージ。 hundoは名詞であるから関係代名詞で受ける時はkiu tiu hundo,kiu estas と言える。(こうすると完全な制限用法になるが)
例文:(初心者の外人) Mi multjare uzas esperanton kaj havas filojn kiuj estas denaskaj parolantoj. 息継ぎの有無に関わらず、この人の息子らは全員デナスカと考えて差し支えないだろう。 コンマ無しで息継ぎしないで話したからと 「では、デナスカでないお子さんたちとは何語で会話してるんですか」 と聞くのが上級者の会話
>>924 A: Mi havas filojn, kiuj estas alkoholistoj. 「おれ虎飼ってるんだ」 ※Aさんは、虎=酔っ払い をhaviしています。どうやら複数の息子のようです。
B: Ve, estas ĉagrene havi alkoholistajn filojn. Vi havas kvin filojn, ĉu ne, kiuj estas alkoholistoj? 「そう、アル中の息子さんを持つと大変ね。お宅は確か、5人息子さんがいたけれど、5人とも?」 ※Bさんは、ĉu ne を挿入したため、kiuj 以降は非制限用法として聞いているようです。
A: Ne. Mi havas tri filojn, kiuj estas alkoholistoj. 「いや、うち、3人だ」 ※ここでは、Aさんが、コンマを息継ぎなしで答えると、「いや、(その)うち(虎は)、3人だ」になり、 コンマで間をあけると、「いや、うち(家、私の息子の数は合計)、3人だ」と解釈できるでしょう。
>>923 A: Mi havas filojn, kiuj estas alkoholistoj. B: Ho, tre amuze! Kiel vi promenas kun ili? A: (;゚д゚) Eĥ? ※Aさんは大変な話をしているのに、Bさんが楽しそうに散歩について尋ねているので、Aさんは困惑している様子です。
A: Mi havas filojn, kiuj estas alkoholistoj. B: Kaj ankaŭ leonojn? A: Σ(゚Д゚;≡;゚д゚) Ha?? ※Aさんは大変な話をしているのに、Bさんがライオンの話をし始めたので、Aさんは非常に困惑している様子です。
の説明も、まったくわからない。 「hundoは名詞であるから関係代名詞で受ける時はkiu」であれば、 Kiu estas la hundo? もありなの?
また、 Kio estas la besto? - Ĝi estas hundo. 「その動物は何?」 - 「犬。」 Kio estas vi? - Mi estas nudisto. 「あなたは何者?!」 - 「ヌーディストです。」 という場合、besto や vi が「抽象的な事物の塊」ということになるの?でも、「単一の名詞」であらわしていますよ。
tiu → 単品では常に「その人」。「個別に指させるイメージ」であろうと、人以外には絶対に使えない。 形容詞では、tiu+物(その物)とtiu+人(その人)の両方を修飾できる。
tio → tiu+物(その物), tia+物(そのような物), ties+物(その人の物)などを一言でいったらtio(それ)になる。
kiu → 疑問詞の単品では常に「だれ」。「個別に指させるイメージ」であろうと、人以外には絶対に使えない。 形容詞では、kiu+物(どの物)とkiu+人(どの人)の両方を修飾できる。 関係詞の場合は単品で、先行詞がtio以外の人・物の両方に使える。例、「エスペランチストである息子」や「黒い尻尾を持つ犬」など。
kio → 疑問詞で、kiu+物(どの物), kia+物(どんな物), kies+物(誰の物)などを一言でいったらkio(何)になる。 関係詞の場合、先行詞がtioか、その省略のときにのみ使える。「〜ということ」などの訳に限られる。
>>955 その条件ならOKです。 しかし、よく考えてみてください。「これは犬ですか」など、子供の幼稚な会話です。 百科事典の中でで、うじゃうじゃハイエナやらオオカミやらシベリアンハスキーの骨格を並べて見せたりして、 Kiu estas hundo? - Tiu estas hundo! というような会話を親子がするでしょうか。
絵本でブルドッグを一匹見せて、 Kio estas tio? - Tio (ĝi) estas hundo! というのが普通じゃないでしょうか。
一度も名前を聞いていない状態では、 Kio estas via nomo? で、「あなたのお名前とは何を意味しますか」になるはずがない。 Kion signifas la nomo "名前"? の方が確実。
そのほか、 Kiom vi aĝas? Ĉu vi havas amaton/amatinon? Kiom estas viaj jarenspezoj? De kiu universitato estas vi? Ĉu vi ŝatas manĝi hundan viandon? 文法的には正しくても、初対面で何でもかんでも聞かないようにしましょう。そういう習慣の文化もあるようですが。
1. Tio, kion vi diris, estas vera. 2. Tio, ke vi diris tiel, estas vera./ Estas vere, ke vi diris tiel. が区別できるだろうか。答えは↓。
お題の「世界が明日滅ぶということ」では、 *Tio, kio la mondo pereos morgaŭ, estas vera. はkioのほかに主語がもうひとつでき、主格が二つになるためできない。 したがって、>>967か、 Tio, ke la mondo pereos morgaŭ, estas certa. Estas certe, ke la mondo pereos morgaŭ. とkeを使う。
※Tio, kio mi estas hodiaŭ... 「私が今日あるのは」などは、estiだから主格が二つあって、OK。 この辺も、英語のwhat と (the fact) that や、フランス語のce que と (le fait) que などの違いがわかれば簡単です。仕方ないのですが、エスペラントは西洋語ですから。
ともあれ、続けましょう。 >>971は間違いです。 La mondo perei mogaŭ estas certa.
まず、不定詞主語にしたいのだろうから、certa ではなく certe.
「世界が滅びるのが」から、 La mondo perei の語順にしたいのだろうけれど、 certe の形容詞の後に結びつく前置詞は主にpor (これも、英語等の西洋民族語の"It is certain for"などがわかっていれば楽勝だが)、 したがって、「世界にとって滅びるのは」のように、pereiに対して主語の形を整える。
>>982 妄想してろwしかし相変わらずお前ら馬鹿ばかりだ これ終わっても初心者スレ立てず、学会スレを消化しろよ >963 >Kio estas via nomo? >がだめというエスペラントの教科書があるのなら、見てみたいものだ。 これが一般的だというのも、 西洋人の感覚よりエスペラントの論理性が勝った例の一つと言えるね。 西洋人だけでなく、イスラム教徒の名前なんかも皆同じだし 慣習的名前リストからどれを選んだか的にKiuで聞く方が感覚的には合ってるんだろうが 日本人のように日々ドキュンネームを創作してる民族もいるし。 それを考えたら非常に国際的だ。 中国人韓国人には、Kiu estas via familia nomo?かな。冗談だが。
>>974 >したがって、正しくは >Estas certe por la mondo perei mogaŭ. これもまあ、論理的は?理解してもらえるかもしれないが 一見して奇妙な文章だという気がする。理由ははっきりしないが。 mondoがpereiするのがcerteだと感じてる主体は人間だからかな? 外国語が達者と自負する奴のエスペラント文はなぜか奇妙だな。