【Esperanto】エスペラントのスレッド【国際補助語】 parto2 >>950 >どちら様
ないことはないだろうけど、
「こそあど」からいけば、
「こちら様」「そちら様」「あちら様」「どちら様」
と考えるのが普通だろうな。
エスペラントでは、ĉi tiu/tiu/kiuの三種類。
もし、日本語にも同様に選択の意味があったとしても、そこばかり強調して「エスペラント 日本語近似説」を唱えていると、
Tio estas hundo.「それは犬だ」というべきところで、*Tiu estas hundo.というような混乱した作文をいつまでもしてしまうだろうな。
※Tiu estas lia hundo.「(何匹か犬がいる中での)それは彼の犬だ」は良い。
>>951 現在では
Q: Kio estas via nomo?
Q: Kiel vi nomiĝas?
が自然でしょう。初期のころには
Q: Kiel estas via nomo? というのもあったり、
Q: Kio vi nomas vin? もあったとかなかったとか。
もちろん、繊細さに欠ける西洋人とはいえ、人間だから、ぶっきらぼうにKioで聞くのを敬遠したい気持ちがあって、さまざまな表現が生まれたのかもしれない。
しかし、エスペラントは日本語と系統も文化背景もまったく異なる。
"Ĉu mi rajtas demandi vian nomon?"などと深刻な顔で質問したら、
「果たして私の本名を、何か悪用されるのではないだろうか?」などという憶測を与えかねない。
"Saluton. Mi estas ..."といってまず自分から名乗って握手の手を差し出せば、相手も
"Mi estas..." と必ず答えるのである。だって、西洋語だもの。
>>952 「こちら様は犬ですよ」とは日本語でも言わないんじゃ?w
>>953 Tiu =「そちら」で覚えていたら、
Tiu estas Johano.
Tiu estas la libro, kiun Maria donis al mi.
「そちらはヨハンです。*そちらはマリアが私にくれた本です」という日本語にしてしまうし、
「私はピョートルです。そちらは?」をエスペラントにしたとき、
Mi estas Petro. *Kaj tiu?
などという間違いを犯してしまうということ。
それでも Tiu と 「そちら」の使い方が似ているといいますか?
tiuとtioの違いが定冠詞と不定冠詞の違いかと思っていたりしたので、
冠詞を覚えるときのような難しさを感じていました。
>>952 > ※Tiu estas lia hundo.「(何匹か犬がいる中での)それは彼の犬だ」は良い。
その考え方ですと、仮にliaがつかなくても、つまり"Tiu estas hundo."でも、
何種類かの動物がいる中で「(特定の動物を選択して)それは犬です」と表現した
用法だと想像することができなくはなくなるので、有りじゃないでしょうか??
>>955 その条件ならOKです。
しかし、よく考えてみてください。「これは犬ですか」など、子供の幼稚な会話です。
百科事典の中でで、うじゃうじゃハイエナやらオオカミやらシベリアンハスキーの骨格を並べて見せたりして、
Kiu estas hundo? - Tiu estas hundo!
というような会話を親子がするでしょうか。
絵本でブルドッグを一匹見せて、
Kio estas tio? - Tio (ĝi) estas hundo!
というのが普通じゃないでしょうか。
>>956 いえでも、会話が幼稚かどうかという問題と、文法上有りかどうかとは別問題であって、
それだと話のすり替えになっちゃうんじゃないでしょうか。
けっきょく文脈や状況依存なのですから、状況によってはTiu estas lia hundo.だって×になる。
*Tiu estas hundo.
Tiu estas lia hundo.
というのは成り立たなくなると思うんですが。
普通の会話 "Kiu estas li? - Li estas Karlo." 「彼は誰?- 彼はカルロだよ。」 ところが、○○な人が入ってくると、こういう会話のほうが自然だという "Kiu estas li? - Tiu estas li." 「(集合写真を見ている場面において、今話題になった)彼はどの人のこと? - (指を指しながら)それが彼だよ。」
結局うなぎ文と同じで、どの解釈が正しいかは話される状況次第ということでしょ?
普通の会話 "Kio estas tio? - Tio estas hundo." 「坊や、これは何?- それは犬だよ。」 "Kies estas tiu hundo? - Tiu estas lia hundo." 「この犬は飼い主は誰ですかね? - 彼の犬だよ。」 ところが、○○な人の日常会話 "Kiu estas hundo? - Tiu estas hundo." 「(さまざまな動物を見ている場面において、)犬とはどれのこと? - (指を指しながら)それが犬だよ。」
>>958 でも、kiuが一つでwhoとwhichとを兼用しているかぎりは・・・
>>951 > Q: Kio estas via nomo?
> A: via nomoとは聞き手がどう呼ばれているかを示す言葉です。
けっきょくこれは間違いなのですか。
日本語なら「あなたの名前とは何?」という言い分け方ができますけれども。
Kio estas via nomo? がだめというエスペラントの教科書があるのなら、見てみたいものだ。 ・一度以上会ったことがある人 ・道で歩いている少女 ・怖い人 ・家族 ・エスペラントを話さない人 などに対してこの質問をしてはいけない、というのでない限り。
Kiu estas via nomo? は「あなたのお名前を教えてください」という意味で使えるけど、 Kio estas via nomo? だと「あなたのお名前とは何を意味しますか」みたいな質問になる というのは本当なんですかねえ。
一度も名前を聞いていない状態では、 Kio estas via nomo? で、「あなたのお名前とは何を意味しますか」になるはずがない。 Kion signifas la nomo "名前"? の方が確実。 そのほか、 Kiom vi aĝas? Ĉu vi havas amaton/amatinon? Kiom estas viaj jarenspezoj? De kiu universitato estas vi? Ĉu vi ŝatas manĝi hundan viandon? 文法的には正しくても、初対面で何でもかんでも聞かないようにしましょう。そういう習慣の文化もあるようですが。
La mondo pereos morgaŭ. Tio estas certa. これを1つの文につなげるにはどうしたら?
Tio estas certa, ke la mondo pereos morgaŭ.
ついでに、keもkioもどちらも「こと」と訳されるので混乱する人が他にも絶対いる(しかも、あなたのように礼儀正しくなく、恩をあだで返す)、
と思うので、もう少し説明すると、
ke は接続詞で “ke S V = S が V したということ・事実”であり、関係詞ではない。
1. Tio, kion vi diris, estas vera.
2. Tio, ke vi diris tiel, estas vera./ Estas vere, ke vi diris tiel.
が区別できるだろうか。答えは↓。
お題の「世界が明日滅ぶということ」では、
*Tio, kio la mondo pereos morgaŭ, estas vera. はkioのほかに主語がもうひとつでき、主格が二つになるためできない。
したがって、
>>967 か、
Tio, ke la mondo pereos morgaŭ, estas certa.
Estas certe, ke la mondo pereos morgaŭ.
とkeを使う。
※Tio, kio mi estas hodiaŭ... 「私が今日あるのは」などは、estiだから主格が二つあって、OK。
この辺も、英語のwhat と (the fact) that や、フランス語のce que と (le fait) que などの違いがわかれば簡単です。仕方ないのですが、エスペラントは西洋語ですから。
ここの答え
1. 「あなたの発言内容は正しい。」
2. 「あなたがそう発言した、ということ(事実、事柄)は正しい」。
あと、 1. Tio, kion vi diris, estas vera. のtioも省略可。 = Estas vere, kion vi diris.
La mondo perei mogaŭ estas certa.という文は間違いですか。
972 :
何語で名無しますか? :2012/05/02(水) 19:17:27.48
>>969 > しかも、あなたのように礼儀正しくなく、恩をあだで返す
これはどういう意味ですか。こちらのどこに礼儀正しくないところが
あったのかお示しください。
そう書くそちらのほうがあまりに失礼なおっしゃり方じゃないですか。
それに、そうお思いでしたら、
私の疑問にあなたがわざわざ答えてくださらなくても結構なんですよ。
私はべつにそんなことを思わせてまで、
あなたに対してお願いしているわけではないつもりですので。
973 :
何語で名無しますか? :2012/05/02(水) 19:23:12.23
>>972 「あなたのように礼儀正しいのではなく」が、正しい日本語でしたな。
「正しいのではなく」vs「正しくなく」の間違いで、まさかこんな誤解を受けたのは初めてwww勉強になった
ともあれ、続けましょう。
>>971 は間違いです。
La mondo perei mogaŭ estas certa.
まず、不定詞主語にしたいのだろうから、certa ではなく certe.
「世界が滅びるのが」から、
La mondo perei
の語順にしたいのだろうけれど、
certe の形容詞の後に結びつく前置詞は主にpor (これも、英語等の西洋民族語の"It is certain for"などがわかっていれば楽勝だが)、
したがって、「世界にとって滅びるのは」のように、pereiに対して主語の形を整える。
したがって、正しくは
Estas certe por la mondo perei mogaŭ.
>>973 あ、鬱憤たまってたんですね?あげてまで怒らないでくださいなw
普通、常識から考えて、「どうもありがとうございます 」といってくれた人に対して、
「あなたのように無礼だ」など言うわけないでしょう?wいい間違いだと気づきませんかね。
それともよっぽど礼を言いたくなかったのかな?まあ、くだらない誤解なので、エスペラントに話を戻しましょうw
例文:「彼は彼女のように礼儀正しくない」 1. "Li estas tiel malbonmaniera, kiel ŝi (estas)." 彼は彼女のように(二人とも)礼儀正しくない。 2. "Li ne estas tiel bonmaniera, kiel ŝi (estas)." 彼は彼女のように(は)礼儀正しくない。(彼女は礼儀正しいが、彼は礼儀正しくない。少なくとも彼女ほどは。)
ほとぼりは冷めたかな?つまり、私が完全に間違えたわけでもなく、両義に取れたわけで、
>>972 は
>これはどういう意味ですか。こちらのどこに礼儀正しくないところが あったのかお示しください。
ここでやめておけばよかった。
礼を言った直後に「礼儀正しくない」というのなら、ロジックに合わない。だから質問するのは結構なことだ。
そして私は、「いえ、あなたは礼儀正しいですよ。他の人があなたほど礼儀正しくなくという意味で、、、」という会話になっていたことだろう。
しかし、ロジックをはずれ、一面の解釈で決め付け、
>そう書くそちらのほうがあまりに失礼なおっしゃり方じゃないですか。
と相手を失礼だと罵倒し始めると、もう際限がない。
>>973 になると、学習したリンク(
>>960 に限っては自己投影するとむかつくだろうがそれ以外のリンクはまったく無害)に対し、
「失礼」だと決め付け、一度、ヒステリー?ファビョる?と、どうしてこうなってしまうのやら。。。
私は「失礼」だといったことに謝罪を求めるつもりはないが、語学の初心者には、どんなむかつく相手が言おうと正論は正論だし、間違いは間違いだというロジックを学ぶと成長するよ、といいたい。
>>975 そうでしたか。失礼しました。その点については私の読み間違いで安心しました。
>>977 > 礼を言った直後に「礼儀正しくない」というのなら、ロジックに合わない。
言い訳になりますが、そのロジックに合わないことを誰かがする可能性が
現実にあるからこそ非礼な態度というものがこの世の中に存在しうるのですから、
ロジックに合わないことをもって「あなたのようには礼儀正しくなく」という
読解以外に解釈しようがなかったじゃないかとおっしゃられても困ります。
それはロジックの問題というよりは、そちらの心の中のお気持ち次第のことで、
客観的には私が知ることができなかったものです。
>>977 > になると、学習したリンク(
>>960 に限っては自己投影するとむかつくだろうがそれ以外のリンクはまったく無害)に対し、
>>968 や
>>960 は、ほぼ明らかに、
>>946 >>951 >>955 の質問及び見解を真面目に書いた投稿
への侮辱やからかい混じりのものと受け取られるようなものになっているように見えます。
こうした一連の書き込みを拝見するにつけ、その「ロジックに合わない」ことを
するわけない方だという前提はかなりの程度疑わしいものになってしまったのです。
>>977 > 私は「失礼」だといったことに謝罪を求めるつもりはないが、語学の初心者には、どんなむかつく相手が言おうと正論は正論だし、間違いは間違いだというロジックを学ぶと成長するよ、といいたい。
そう思っていらっしゃるならば、
>>969 >(しかも、あなたのように礼儀正しくなく、恩をあだで返す)
などとなぜお書きになる必要があったのでしょうか。
たとえ私に対する言葉であるなしに関係なく、ここに投稿されたことのある
どなたかを罵っていることは確かですし、憤りを感じさせるような言葉であることは
たしかだと思います。
それを私とのやりとりの中でもされているので、それがたとえ私を名指すものでなかったとしても、
そういう書き込みをされている方を礼節ロジックに常に当てはまる方だとは思えないでしょう。
>>980 アナタが20代までの女学生だったら見せ合いっこしましょう。
>>982 妄想してろwしかし相変わらずお前ら馬鹿ばかりだ
これ終わっても初心者スレ立てず、学会スレを消化しろよ
>963
>Kio estas via nomo?
>がだめというエスペラントの教科書があるのなら、見てみたいものだ。
これが一般的だというのも、
西洋人の感覚よりエスペラントの論理性が勝った例の一つと言えるね。
西洋人だけでなく、イスラム教徒の名前なんかも皆同じだし
慣習的名前リストからどれを選んだか的にKiuで聞く方が感覚的には合ってるんだろうが
日本人のように日々ドキュンネームを創作してる民族もいるし。
それを考えたら非常に国際的だ。
中国人韓国人には、Kiu estas via familia nomo?かな。冗談だが。
>>974 >したがって、正しくは
>Estas certe por la mondo perei mogaŭ.
これもまあ、論理的は?理解してもらえるかもしれないが
一見して奇妙な文章だという気がする。理由ははっきりしないが。
mondoがpereiするのがcerteだと感じてる主体は人間だからかな?
外国語が達者と自負する奴のエスペラント文はなぜか奇妙だな。
>>979 いいえ、あなたはロジックというものをわかっていないようです。
そういう、「礼節ロジック」とかモラルの基準みたいな曖昧なものではありません。
「ありがとう」(礼が有る) に対し 「無礼・失礼だ」 は偽。
「バカだな」(馬鹿にした) といった後 「いえ、馬鹿にしたわけではない」 も偽。
「フンダメントではLaを省略しても良い」 だから 「日本語と同じで省略するのが本来のエスペラントだ」も偽です。
しかし、
「非礼な態度というものがこの世の中に存在しうる」、だから、「この人もきっと失礼だ」
「一連の書き込みを拝見するにつけ、...疑わしい」だから、「礼節ロジックのない人だ」
は、匿名の掲示板では不可能なロジックなのです。だって、誰が誰に向けてどういう意図で書いているか不明だし、
私が、ググれば済むような質問をわざわざここで尋ねるあなたに対してどう思っているか、
釣りだと見ているか、楽しんで見ているか、哀れに見ているか、愛しているのか、憎んでいるのか、知る由はないでしょう?
そして、エスペラントという西洋語を学ぶときもそういうものだということです。
もし、あなた(日)の家にパスポルタセルボで来たある西洋人(西)に、
日"Ĉu vi ŝatas rizon?" と聞いて、
西"Jes! Vi ŝatas rizon." と答えたからといって、次の日から毎日3食ご飯を出して御覧なさい?
西「私はご飯が好きだといったが、毎日食べたいとは言っていない」
日「でもあなたは、ご飯が好きだといったじゃないか。じゃあ、撤回しなさいよ。泊めさせてもらっておいて、何だよその言い草は」(怒)
西「私はそれでもご飯が好きだし、泊めてもらったことに感謝していないとは言っていないよ」(笑顔)
日「何で笑ってるんだよ、国に帰りやがれ、訳わからんな」
ということになるかも知れません(途中から日本語訳にした)
あなたの考えでは、「ご飯が好き」といえば、毎日、パンよりもパスタよりも白飯じゃなければだめで、漬物ももしかしたら必要と思うかもしれませんが、
その西洋人にとっては、「リゾット」や「ポリッジ」や「リオレ」などの米料理やデザートも好きだから、よく食べるよ、という程度の意味かもしれないし、
毎日食べなくても、ŝatiの範疇に入っているわけなのです。(日本人がいくら「うなぎが好き」と言っても、三食は食べられないでしょう?)
また、ロジックでは泊まっていることと、ご飯が好き・嫌い も無関係な話のです。
>>984 いや、私もこの場合、無生物を持ってくるのがしっくり来ないのはわかるんだが、不定詞を使うなら、というのがこれ以上思いつかなかった。
"La mondo certe pereios..." ならいいのだが。
訂正 pereos
>>986 また間違い、Jes! Mi ŝatas rizon.ですw
>>985 > いいえ、あなたはロジックというものをわかっていないようです。
> そういう、「礼節ロジック」とかモラルの基準みたいな曖昧なものではありません。
> 「ありがとう」(礼が有る) に対し 「無礼・失礼だ」 は偽。
まず第一に、私やあなたが問題にしていることはモラルの問題ということです。
論理学的命題の真偽を論争しているわけではありません。
モラルは常に破られる可能性があり、それをモラルに反しているというのですから。
モラルを問題にしているかぎり、そのロジックに反する可能性をその解釈から
除くことはできません。モラルとは常にそれに反される可能性を除外しない
ロジックで成り立っているのですから。
モラルのこの本質的ロジックを私は言っています。ご理解いただけますかね?
さらに論理学的命題にかぎってみても次のような条件が必要になりそうです。
「(しかも、あなたのように礼儀正しくなく、恩をあだで返す)」
という言葉が
>>968 の「どうもありがとうございます」についての真偽を
表現していることが明確である必要があります。
それは少なくともその時点では不明でありました。
>>972-973 が書かれた後になって
>>975 ではじめて明らかにされたことなのです。
「どうもありがとうと礼を言うあなたのように礼儀正しくなく、
恩をあだで返す」などと書かれてあったならば、
論理学的にも「〜なく」の打ち消しが「あなたのように」を含意していない
とする解釈があなたのおっしゃるロジックからして読み手によって選ばれる
必然性は高くなったことでしょう。
あなたが
>>976 でエスペラントの例文と対応させ修正してくださっているように
係助詞の(は)が入っていたならば、
「あなたのように礼儀正しい」というところで一つの文節が切れ、
「〜なく」が「あなたのように」まで掛からないと読者が解釈する可能性は高まりますが。
>>989 >私やあなたが問題にしていることはモラルの問題ということです。
え?私はずっとエスペラントを問題にしていたと思うし、このスレではすべきだと思うのですが。
だって私がモラルがある人間だろうと、なかろうと、ネトウヨだろうと、ネトサヨだろうと、ナマポだろうと、社長だろうと、関係のない話でしょう?
「嘘」を書いたら、たとえ社長でも「嘘つき」と言われるべきだし、
質問に対し答えたり、何かためになることを書いたのなら、たとえナマポでも感謝されてしかるべきだということ。
それでも、あなた以外の誰か(あるいは、2chですからあなた自身かもしれませんが、それは知ったことはないけれど)に、
たとえば、
>>867 のようなためになっても嘘ではない話に対して、「キチガイ」と言われるのだから、
「恩をあだで返す」と私がつぶやく権利くらいはあるでしょう?
でも、もちろん、お礼を言ってくれた人にいうはずはありませんね。という話です。
モラルとは、
良いことをしたらDankon. それに対して、Ne dankinde.といいましょう、ということで、
道を尋ねて答えてもらったのに、Dankonを言わなければ、彼はモラルがない、というのならわかります。
しかし、
Dankon.という人に対して、Vi ne dankis al mi! という人がいたら、モラルがないといいますか?
モラルの問題ではなく、ロジックに欠けている、ではないですか?ということです。
「あなたのように礼儀正しい」と「礼儀正しくない」とが
「礼儀正しい」のところで重なっているため、この二つを分節して読解する
そちらの意図した文意を読み取ることが困難になりました。
「あなたのように礼儀正しくなく、恩をあだで返す」はよくよく考えれば両義的だとしても、
「礼儀正しいあなたのような人とは違う人が別にいて、その人が恩をあだで返す」
という意味のほうにこの文を直観的に読解する人は果たして多いのでしょうか。
さらに同一性がはっきり確認できる
>>969 内にかぎった文脈を見てみますと、
> ついでに、keもkioもどちらも「こと」と訳されるので混乱する人が他にも絶対いる
> (しかも、あなたのように礼儀正しくなく、恩をあだで返す)、
> と思うので、
とありますが、この()内の文がその前の「他にも絶対いる人」の意味にかかっているとすれば、
「他にも」ということは「私を含めた他にいる人」とも受け取れますよね。
ここでもやはり、「混乱する人がいる」と「礼儀正しくない人がいる」の二つの意味が、
「人が他にも絶対いる」すなわち「他にも絶対いる人」に重なってかかっているので、
「混乱する人が他にも絶対いるし、その他の人もあなたのように礼儀正しくなく」と
解釈できてしまう文であるように思います。
「混乱する人が他にも絶対いる(しかし、その他の人はあなたのように礼儀正しいとは
かぎらなく)」とあれば、「他にも絶対いる人」が()文では「私と他の人」とで異なる
属性をもった人であると区別されていることが読み取れるわけですけれども。
>>991 >直観的に読解する人は果たして多いのでしょうか。
エスペラントに興味のある人なんて多いのでしょうか、というのと同じレベルの質問です。
私は、少なくとも両義性を持った表現をした。
あなたは、ひとつの解釈で、私が明確に「失礼(礼儀に欠けること)」をあなたに向けてしたわけではないのに、曖昧な状況証拠から「失礼」といい始めた。
ただ、それだけのことです。
>>990 の
>Dankon.という人に対して、Vi ne dankis al mi! という人がいたら、モラルがないといいますか?
>モラルの問題ではなく、ロジックに欠けている、ではないですか?ということです。
をもう一度考えてみてくださいね。
で、次は、どうするの?
【非公式Esperanto】エスペラント改造論の隔離スレッド【PAG・PMEG】 は侮辱しているから訴えられるという話もあるし、
我らは日本エスペラント学会員 も会員限定か、あるいは、皮肉→中傷スレになる恐れがあるし。
やっぱりこの本スレを作るべきだな。初心者スレは分ける必要がないと思われる。
>>985 > 匿名の掲示板では不可能なロジックなのです。
それをおっしゃるのであるのでしたら、
>>968 の「どうもありがとうございます」を
私が書いたのかもはっきりしないので、あなたのロジックも不可能になりますよ。
そのことは、あなたのいうロジックがこの掲示板ではますます成り立いことであって、
その他のいろいろな憶測の可能性、それらの蓋然性が相対的に上がるということです。
さらに、
>>969 も
>>968 >>966 に対して書いているのか、それ以前のkiu, kioの問答をした投稿者
のことも含めて書いているのかアンカーがないので明確ではありませんから、
「あなたのように」の「あなた」が
>>968 を指しているとはかぎらなくなります。
「あなたのように礼儀正しい」のではない他の人が、kiu, kioの質問をした人を
指している可能性だってあり、その質問をした人が私であった可能性もあるわけですから
そうであったならば私が憤った根拠になるでしょう。
>>990 ですから、かりにですが、命題文の論理的な真偽についての話に限定したとしても、
「Vi ne dankis al mi!」が「Dnakon.」といった礼の挨拶に対して言及されたものか
どうかは明確ではないので、そうした不完全な文は命題文として成り立ちえないと思います。
アンカーもないので、
>>969 が
>>968 を指しているのかどうかはますます不明です。
こういう文は論理学的に厳密に真偽を定義できる命題文として成立しないでしょうから。
>>993 >「Vi ne dankis al mi!」が「Dnakon.」といった礼の挨拶に対して言及されたものか どうかは明確ではないので、そうした不完全な文は命題文として成り立ちえないと思います。
そうでしょう?
だから
>>968 どうもありがとうございます [Dnakon.]
に対して
>>969 他にも絶対いる(しかも、あなたのように礼儀正しくなく、恩をあだで返す)、 [Vi ne dankis al mi ??]
という文章は成り立ち得ないと思います、というのが、私の意見です。
思うか思わないか、本人の勝手です。
両義に取れるか取れないかは、事実の問題です。
勘違いで怒ってしまい、教えてもらった相手に「失礼」といってしまってからじゃ、引っ込みがつかないでしょう?気をつけようね、という話です。
この話で終わりそうだから、スレ立て頼む。
996 :
何語で名無しますか? :2012/05/03(木) 11:10:11.71
>>992 > >直観的に読解する人は果たして多いのでしょうか。
> エスペラントに興味のある人なんて多いのでしょうか、というのと同じレベルの質問です。
さいわい、ネット上でも確認できることかもしれないので同じではありません。
「あなたのように礼儀正しくなく、恩をあだで返す人がいる」
「あなたのように礼儀をわきまえておらず、恩をあだで返す人がいる」
などと書いた場合に相手が「失礼なことを書く人だな」と思わないのが普通であるというなら
どんどん書いて試せるかもしれませんw
「あなたのように礼儀正しくはなく、恩をあだで返す人がいる」
「あなたのように礼儀をわきまえてはおらず、恩をあだで返す人がいる」
と比較してみることもできるでしょう。
「礼儀正しい」の論理的否定は「礼儀正しくない」でしょう?
同様に、
「ルールを守る」の論理的否定は「ルールを守らない」でしょう?
同様に
「礼儀がある」の論理的否定は「礼儀がない」でしょう?
日本語の表現についてのこの論理的理解からすれば、
「あなたのようにルールを守らず、恩をあだで返す」
「あなたのように礼儀がなく、恩をあだで返す」などと同様の文であったことが分かりますよね。
同じことでしょう。
>「あなたのように(は)ルールを守らず、恩をあだで返す」
>「あなたのように(は)礼儀がなく、恩をあだで返す」
「は」を言わなくても、間を空けたり、イントネーションをかえれば2種類に取れる。しかも、文脈で判断がつく。
礼をした(有った)すぐに、「礼儀が無い」というのは、ロジックにかけている本当のキチガイでしょう?
エスペラントの制限・非制限が文書(両方コンマがある)では区別ができないというのと同様ということ。
ネガティヴにしか取れないとしたら、常日頃、「私は無礼者だ」と考えているのか、
>>969 と喧嘩したかったのか、礼を言ってるにもかかわらず礼儀が無いという本当のキチガイだとずっと色眼鏡で見ていた、などやましい事があるかもしれないね。
>>995 > 勘違いで怒ってしまい、教えてもらった相手に「失礼」といってしまってからじゃ、引っ込みがつかないでしょう?気をつけようね、という話です。
そういう理屈をそこまでおっしゃるのならば、
>>969 の投稿者が
その前で教えてくださった相手かどうかも定かでないことになるわけじゃないですか!
ですからあなたのその理屈ですとそれすら成り立たなくなるわけですよw
私がそもそも憤りを感じていたのは、
>>958 や
>>960 や、
>>952 >>956 などのやりとりからです。
あなたが教えてやったと思っていた相手がその回答を疑問を投げかける
>>955 のような
ところからどうやらそちら側(あなたとは言いません)の雰囲気が一変したように思います。
>>956 はその条件ならOKと返答なさっていますが、Tiu estas hundo.など子どもの
幼稚な会話だなどと、論点とはなんの関係もないところに話をもっていっています。
よく考えてみてくださいとありますが、よく考えればなんの関連もないことが分かります。
なぜならそもそもhundoを例文にもってきたのは
>>952 です。それまではvia nomoの話でした。
名簿の一覧を見て「あなたの名前はどれ?」と尋ねる場面の話だったはずです。
子供の幼稚な会話とはなんの関係もないはずです。
そして、その直後にさらに
>>958 や
>>960 のようなものが書き込まれています。
匿名の掲示板ですから、それらがあなたの書き込みではないとおっしゃってくれれば了解しますよ。
心の中で少し憤っていようと、私はちゃんと礼から外れない書き込みだけを
冷静にしてきたはずですので。
>>998 >匿名の掲示板ですから、それらがあなたの書き込みではないとおっしゃってくれれば了解しますよ。
私がそうではない、といっても証拠にはならんでしょうw
>心の中で少し憤っていようと、私はちゃんと礼から外れない書き込みだけを 冷静にしてきたはずですので。
あなたの心境など誰も察しませんから。あなたは常にです・ます形を使って来ましたが、ロジックなエスペラントにその違いがあると思いますか?
そこが、
・日本人なら常識で通じるはず、と考えているか、
・ロジックで、考えているか、
の違いです。
くだらないので次スレからはやめましょう。
以上、1000ゲトでした。
1001 :
1001 :
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