生成文法批判

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1名無し象は鼻がウナギだ!
タイトルの通り。ウザイんで叩いてみましょう。
2:2001/04/26(木) 23:39
言語能力を解明するってのはいいけど、普通、言語の能力って
言ったら、聞いた言葉を理解して意味を解釈するとか、逆に
言いたいことがあって、それを音声に変えるとかのプロセスじゃん。
そのプロセスを明示しない生成文法はスローガンばかりのいんちきだね。
マージとかムーヴとか派生とか、プロセスとは何の関係もないんじゃねーの。
3名無しさん:2001/04/26(木) 23:52
優秀な頭脳を無駄使いしてる感じ。
4とりあえず匿名:2001/04/26(木) 23:56
生成文法のことはよく知りません。そのあたりから説明して
から批判してくれると面白いのですが、、、。
5名無し象は鼻がウナギだ初心者:2001/04/26(木) 23:59
英語以外でもやってるの?
6名無しさん:2001/04/27(金) 00:08
>>2
まともな意味論がないから(これは生成文法だけじゃないけど)、
無理だと思います。素性でなんか書けるわけないのにね。
7:2001/04/27(金) 00:58
>3 言語やってること自体頭脳の無駄使いかも。笑い。
>4 いやたとえば(I wonder)what you boughtとかの文で
最初buyとwhatとくっつけて(mergeさせて)buy whatを作って
その後youとくっつけてyou buy whatを作って時制とかなんとかくっつけまくって
それからyouを主語のところに上げてwhatを動かすとかって、移動を
繰り返すんだけどさ、それは一見、プロセスのように見えるわけさ。
下から積み上げて構造作っていくんでね。でも、そういう風に
たとえば言語産出のときにやってるんかぁ?っていうとそう考えちゃダメだよ
ってくるんだよ、生成の連中は。じゃあなんなんだ?って言いたくなるぜ。
産出のときに働いてるプロセスを明示しろっちゅうの。

>5 やってる。そいつはあたりまえ。

>6 「まともな意味論」やってないよね。認知も含めて。
8非難するつもりはないけど:2001/04/27(金) 01:32
>>2 7 同感です。それから、産出と理解というプロセスの
非対称性みたいなことをあまり意識していなくて、移動とか痕跡
なんていうのは、理解プロセスを産出(というか生成というべき
か)に転嫁しているだけのような気がする。もっとも、そういう
抽象性はいろんなところにありそうで、音韻論でも、リアリティー
がどれくらいあるにせよ、音韻規則は産出の規則しか書いて
ないから、/ん/が[m]になったり[n]になったりする規則はあっても
[m]を聞いたときに/m/とみなすか/ん/とみなすかというほうは
あまり問題になってない。
窪薗『日本語の音声』の最初のところで母音の有標性を議論して
るけど、音響的なことに何も触れないでそれが議論できるん
だろうかって気がする。
9おいおい:2001/04/27(金) 02:40
みんな、もう少し良く理解してから批判したらどうだい。
「なになにがないからダメ」という趣旨の批判は、余に
大雑把じゃないか。生成文法が説明している事象の、説明
が判例があるとかいう批判なら、「同じ土俵にのっている」
からわかるけど、「なになにがないから」というのは、
「すもうとりは間接技が出来ないからダメ」という
ピントのずれた批判だぞ。1氏が7で言っていることも
誤解がたくさんある。
10名無しさん:2001/04/27(金) 03:02
たまには土俵から降りてください。
11(´∀`):2001/04/27(金) 04:02
もっていきようでは名スレになるだろうから、しばらく
黙って成り行きを見守りたいと思います。
生成系からのマジレス期待してるのか、単なる悪口言い合い
広場なのか、まだ和歌覧し。
>>1は、習った先生が悪かった?
12かかり助詞:2001/04/27(金) 04:20
どうも、11さん、お久しぶりです。最近、多忙で「主語」のスレッドに
書き込みも出来ませんでした。生成文法をやっている身としては、
言い返したいところですが、私もじっとこらえて様子を伺います。

13:2001/04/27(金) 07:59
11、12両氏に静観されちゃ、俺、立つ瀬がねえじゃん。
ほぼ独学で、特に習った先生で決まった人がいるってわけじゃないよ。
だから誤解だらけだと思うよ。だから、そこをつついてくれよ。
疑問は単純だと思うよ。脳内の言語機構を問題にしているんだろ?
それで素朴に考えると言語機構のやってる仕事は、理解なら音→意味への
プロセスだと思うし、産出なら意味(思考?)→音のプロセスだと思う
わけ。だったらそのプロセスに乗るような形で記述すべきじゃないか
という、ただそれだけだ。生成でやってるマージとかムーヴとか
が脳内言語計算での何に対応するのかさっぱり分からないよというのが
本音。悪口言い合いにしたいつもりはないよ(なったらなってでいいけど)笑い。
14かかり助詞:2001/04/27(金) 11:30
私も(今でもそうかも知れないけど)初学者の頃は、疑問でいっぱい
だったよ。私の場合も、学問的・人間的に多大な影響を受けた先生
はいたけど、チョムスキーの理論に関しては特に最初の5年くらいは
独学だったしぃ。生成文法に疑問を感じたこともあるし、言語学
そのものに魅力を感じなくなった時もあったよ。だけど10年
以上続けて、やっぱり私にはこのやり方が一番いいように思う。

1氏の疑問には、「主語」のスレ・「言語理論におけるゼロすれ」
でも書いたことだけど、チョムスキーの目標とは、「可能な限り
明示的な形で、自然言語(個別言語ないしは人の言語一般)を
規定するような理論(モデル)を構築すること」です。そのモデル
の中で想定されている理論的デバイスは、実際に脳の中で
起こっているかどうかは解らない。第一、そんなこと今の神経科学
では確かめようないし。

で、とりあえず、言語のみを扱う領域が脳内にあって、そこで
何が起こっていると仮定すれば、我々が持っている言語直感という
ものを最も上手く説明できるかを考えているだけ。それがどういう
風に他の心的プロセスと絡み合ったりしているかは、あまりに
問題が多岐に渡るので、とりあえず考えないことにしている。

こんなので返事になっているかしら。
15>6、7:2001/04/28(土) 12:14
「まともな意味論」てなんですか?
誰がやてるのがマトモな意味論、もしくはそれに近いんでしょうか?
それともマトモな意味論は存在してないんでしょうか?
ちなみに、形式意味論はマトモですか?
16名無しさん:2001/04/28(土) 14:45
>>15
6です。2さんが言っているような目標に役立つ意味論は存在しないという
ことが言いたかったんです。その意味では形式意味論はマトモではありません。
ただし、学問としてはマトモだと思います。
171はどこ行ったage:2001/04/30(月) 19:55
18:2001/05/01(火) 00:58
>17 わりいわりい。実家に帰ってた。
>15 俺は脊髄反射的に言っただけ。意味論はほとんど知らないよ。ごめんな。
>14 いい人だね。ありがとよ。「明示的に自然言語を規定するモデル構築」は理解しているつもり。この
自然言語というのはEじゃなくってI言語のこと、つまり脳内言語機構の
ことだと思うけど。それで素朴に考えると脳内言語機構がやっている
仕事は音→意味と意味(思考?)→音の処理だと思う(これが誤解の発端か?)
仮にこれが大方正しいと考えると、それを素直に表現した双方向のモデルが一番
I言語のモデルとしてストレートだと思うのだが、なぜそうしないのだろうと
思うんだよ。言語以外の心的プロセスはとりあえず考えないって言うのは
理解しているよ。さらに、そんなプロセスオリエンティドなI言語のモデルが
出たとしてもちろん今の神経科学で確かめられるとは思っていないよ。
19かかり助詞:2001/05/01(火) 06:48
まだこのスレ続いていたんだ。18氏はやっぱり産出とか文処理の
双方向というのを文法論とごっちゃにしているところが誤解の
発端だろうね。2x3=6というのと6=2x3が数学的には同じ事
なので、当然、数学では同じ扱いをする。けど、実際に計算す
る人はたいがい左から読むので違う扱いをする。生成文法が
考えているのは、あくまで計算者(言語理解・産出のプロセス)が
何をやっているのかではなく、その計算者が持っている
計算能力(言語能力)にアルのだから、理解産出どうのというのは
とりあえず考えないコッタよ。
20:2001/05/02(水) 01:35
ちょっと言葉荒げちゃおうかな。どーせ、素人だし。

「計算者が持ってる計算能力」て何よ?理解産出のプロセスに関係なくそういう
能力ってあるの?リアルじゃないね。実在のものについて仮説を立てて検証するって
いうのがまっとうだとすると、生成で言う計算能力ってどんなところに実在性があるの?
文法性の判断?んなの、音→意味のプロセスでのひとつの効果に過ぎないじゃん。
19が計算能力がアルっていうけど、プロセス抜きにアルっていえるの?リアルなの
を扱うのが普通の科学だとすると、言語に関してリアルなのはプロセスじゃないの?
そいつを抜きにして(そいつと「能力」とやらの関係を無視して)生成が言語の科学と言うのは
おかしいんじゃないの?ムーヴとかマージとか、数学アナロジーではどんなやつに
対応してるん?
21名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/02(水) 01:47
言語学でも、ソーカルみたいな人が何か一発かましてくれないかな。
たぶん、ひっかかる奴いっぱいいるだろうな・・・。
22かかり助詞:2001/05/02(水) 02:41
>>20いいね。若くて威勢がいいというのは結構だ。ムーブとかマージとかの
数学での比喩はさしずめ+とかxとかのoperationだろうね。数学者は
こうしたものに関する能力(competence)をもっているから
計算(performance)できる。チョム先生の言語学が興味をもっているのは
その能力のほう。

>>21ソーカルってだれだっけ?
23(´∀`):2001/05/02(水) 03:32
>>20
俺もほとんど独学で、かなり自己流の解釈が入ってることをまず断っときたいんだけど、
音と意味とは本来無関係なもので直接の対応関係はなにもない。両者を繋いでいる
ものとして統語構造があり、人間言語はこの統語構造の仲立ちを持つ点で、他の生物種
の言語(的なもの)と決定的に異なると思われてんだな。
で20さんの関心事の理解とか産出とかは、音を統語構造に変換し、そこから意味を読み
出すとか、逆に意味を構造に変換し、それを音声化するとかいったプロセスのことに
なる。こういう見方をすると、まるで統語構造が音声や意味に従って定められるものと
いう印象を受けるが、そうじゃない。これが昔から統語論の自律性と呼んでる特性なん
だけど、統語構造はあくまで統語論内部の独立した原理や法則のみに従って成立するん
であって、意味や音声側の都合にわざわざ合わせ、それらによって組み立てられている
のではない。だから構造としてはまともでも、そこから読み取られる解釈がおかしい
とか、その逆のケースが生じるわけね。普通、理解や産出がスムーズにいってるのは、
構造と意味と音声それぞれの間のインタフェイスが(ラッキーなことに)ピッタシ合致
して過不足なく情報の受け渡しができてる場合のことで、病理学的なレベルだとそうで
はないケースはいっぱい出てくるだろう。
で、生成文法は第一義的に統語構造を生み出す能力(統語計算能力)の本質と(個体
レベルの)起源を問うわけだが、それは上にも言ったように(広義の)言語能力の中で
この領域が特に種固有性や領域固有性といった、いわば人間の認知能力の中核部分を
探る上でうってつけの特性を持っている領域であり、これなくして人間言語は成立し
得ない、またさらには、これこそが人間の本性に直接関わるような部分だ、と考えて
いるからなんだろう。
実際の言語運用は統語能力、概念・意味能力、音声処理能力それぞれの密接な連携の上
に成り立つんだけれども、それらの能力自体は独立した自律系であり、別個に研究が
可能であり、またそうしなければ見えてこない特性もある、ってな感じかな。
(どっかで書いたような気がするけど、自律系ってのと、閉鎖系・孤立系は違うからね。
自律統語論のテーゼへの反論の多くはそれを混同してるな。)
まあ謙虚な言い方をすれば、理解とか産出とかのプロセス全体を扱うには理論が未熟で、
とりあえずそのなかで重要な役割を果たす構造の特性や派生の問題に焦点を絞ってきた、と
いうのがこれまでの生成文法かな。
24>21、2:2001/05/02(水) 10:13
ここでソーカル考えてみたらどーだ?
ちょうどいいスレじゃん。

福井直樹が、生成文法かは視野が狭すぎとどこかに書いてあったが、
ソーカルを知らないとは、やっぱ生成バカ、と呼ばれかねないぞ。
検索したらすぐたどりつける。
25名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/02(水) 10:27
26ms:2001/05/04(金) 09:45
Mental Space Theory
27衝動派:2001/05/05(土) 00:17
ソーカル??
100万年遅いわ。あったりまえのことをいまさら。リンク先の黒木氏も
その掲示板に集う連中も遅すぎ。その連中に反目する連中はお馬鹿すぎ。
ここでも読めって。

http://mitpress.mit.edu/e-books/chomsky/5/8.html
http://mitpress.mit.edu/e-books/chomsky/5/9.html

1さん、もうちょっと言葉足して言いまくりキボーン。
28名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/05(土) 00:43
だめだこりゃあ。
29  :2001/05/05(土) 09:52
 
30>27:2001/05/06(日) 08:37
英語が読めないので要旨を教えて下さい。
31衝動派:2001/05/06(日) 23:35
ソーカルの主張って端的に言えば、ポストモダンの連中が、自分たちをさも
偉そうに見せるために意図的に難解な表現やレトリックを使ってあたかも
深遠な思想を展開しているように見せているけど、そいつはインチキで
その表現上の武装を解除して見ると、中身はほとんどありきたりの小学生でも
思いつくような内容か、あるいはトンデモか、あるいはゼロかのいずれか
なのじゃないの?ってことだと思うけど?

で、27のリンク先でチョムスキーが言っているのはほぼ同じことで、
「何だか素晴らしいことを言っていそうなんで読んでみたけど、難解
レトリックの皮を剥いでみたら、かろうじて意味がありそうなことを言っていた
のはフーコーくらいなもんで、他はカスばっか。それでもポモはもてはやされる
ってことはやっぱり何か深遠なことを言っているんだろうけど、俺には
ぜんぜん理解できない。多分、ポモ連中が理解できるような解釈能力に
関する遺伝子が俺にはないんだろうな。たいていのことは理解できるつもりだし、
量子物理学みたいな難解な分野でも質問してわかり易く説明してくれたら
理解できるんだけどね〜」とか言ってて、やれラカンだとかクリステヴァだとか
あっちの方が言っているのはナンセンスの塊だって言ってるわけ。ソーカルよりも
前からね。だから、このスレでソーカルのこと取り上げるのはまったくの
おかどちがいで、日本でいったら、ソシュール丸山とか東大総長蓮見とかの
「言語論」とやらのコンテクストで取り上げるのが本当じゃないかってこと。
1の疑問はもっとまっとうだと思うので、ソーカル・ネタで消されちゃうのは
かわいそうだなあと思ったわけ。
32芸者わるつ:2001/05/07(月) 00:03
いや、イカンのは「お茶」のほうだったか。
お茶=ラスト=客が帰る=湯のみを引く を連想するのか?
江戸前寿し屋では「あがり」だもんね。
33名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/07(月) 00:16
チョムスキーやソーカルがポストモダンの連中(なんておおざっぱな括りかたは
良くないけど)に対して抱いた疑問と全く同じことを、誰かが生成文法家(これも
おおざっぱすぎるけど)に対して抱いても、ちっともおかしくないと思う。
もちろん、親玉チョムスキーや一部の人は科学哲学や自然科学の方法論についての
深い理解を持っていると思う(思いたい)けど、特に日本では、言語研究は文学部
出身の人がやっていることが多いわけだから、フランス現代思想をありがたがるのと
同じような感覚でチョムスキーの言語理論をありがたがって追従してしまう人が
出てくる危険性がある。だから、「全くのお門違い」だとは思えないのです。
34衝動派:2001/05/07(月) 22:31
ちと荒れ気味。いずれ消えるから大目に見てね(ハート)

「・・・ちっともおかしくないと思う」の理由が「文学部出身の人がやっている
のが多いから」。ぐげげげげぇ・・・。「文学部出身」ゆえ、チョムスキーをありがた
がっちゃう追従者が多い可能性ありってか・・・。日本全国文学部出身者諸君、
馬鹿にされてるぞ〜〜(笑)。ソシュールありがたがっちゃう人とか、ポリグロット
じゃなきゃダメダメの人とか、田中信者さんとか、言われてるぞ〜。

ポイントは、クリアーに説明しようとしているかどうかってことだけなんだよ。
3533:2001/05/08(火) 00:59
>>34
「文学部出身」の前の「科学哲学や自然科学の方法論についての 深い理解」
ってところも見てください。単に出身学部の問題ではなくて、自然科学の
方法論が身に付くような教育を受けているかどうかということ。もちろん、
教育を受けても身に付かない人がいるとか、教育を受けなくても自分で身に
付けることができる人がいることはありますけどね。
それから、ポリグロットじゃなきゃダメという考え方の人や、田中(克彦?)
信者(そんな人いないと思うけど)は、自分の研究を自然科学の方法論と
同じ原則で進めていくなんて言ってないんだから、関係ない。
「信者」という言葉を使ってますけど、生成文法やっている人のほうが、
それこそ「信者」に見えますけどね。別に、信者でもいいんですけど、
自分たちは常に無謬であるという姿勢は良くないですよ。いや、そういう
姿勢をとってる自覚はないんでしょうけど。
36あぼーん:あぼーん
あぼーん
37衝動派:2001/05/08(火) 22:50
今度アスキーアート貼り付けるときは、エロっぽいのをお願いするよ。

でさー科学の方法論が身につくような教育を受けていないと思う根拠がさーっぱり分
からんだけど。いわゆる自然科学分野と大して変わらんでしょう。どこでも例えば
論文を書く段階に至る過程で、データの扱い方や、他の論文の批判の仕方や、何を持って
理論の優劣を論ずる根拠とするかとかの議論の仕方を体得していくんじゃねーの?
そこんところは生成文法はまったくおろそかいいかげんと35は思っているらしいね。
でさー「自分たちは常に無謬であるという姿勢」を持っているという印象を与えない
ためにはどういう姿勢をとればよいのか、それだけでも教えてよ。そんな姿勢をとってる
つもりはないつもりなんだけどね、たいてーの生成系の研究者は。生成系の研究者に
限って、研究結果を発表するときには極めて卑屈に低姿勢に努めろってことか?(笑)
38かかり助詞:2001/05/08(火) 23:23
あの、私、確かにフランスの思想には通じていなくて、ソーカル
については始めて知ったのだけど、だからといってそれは私の
無知ということを示しているだけで、生成文法がダメだということ
にはならないと思うのだけど。

ただ、確かに生成文法系の人は威張っているという印象を与えるのも事実かも知れない。
生成文法は取っ付きにくいので、言語学で他のアプローチをとっている人に
とっては排他的にみえるかも知れない。だけど、だからといって
生成文法がダメというのは変じゃあないかな。ダメなのは一部の
生成文法をやっている人の態度ナノじゃないの?
39名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/09(水) 00:48
チョムスキーなりソシュールなり、ヘタな批評はどちらも凄いよね。
やっぱり、一見突っ込みやすいところ(突っ込み返し安さもだけど)が人気の秘訣か?
40名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/11(金) 10:56
age
41名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/12(土) 22:42
UGというものは、レギュラティヴな原理としては有意味。構成的にはいかがわしい。
42吾輩は名無しである:2001/05/23(水) 16:59
代名詞って何と聞かれると現在の生成文法ではなんと答えるのでしょうか。
ある人がいてその人がBillさんで、その人をBillと表現するのとHeと表現
するのでは表現する主体の側でどう違うのか。これで言語について生成文法
がどれくらい深い理解に到達しているかがはっきりわかると思います。
43衝動派:2001/05/24(木) 23:14
代名詞って何と聞かれると現在の42さんはなんと答えるのでしょうか。
ある人がいてその人がBillさんで、その人をBillと表現するのとHeと表現
するのでは表現する主体の側でどう違うのか。これで言語について42さん
がどれくらい深い理解に到達しているかがはっきりわかると思います。
44衝動派:2001/05/24(木) 23:19
てか、質問の意図がぜんぜんつかめねーよ。
45名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/26(土) 18:54
賛同
46dege:2001/05/31(木) 23:27
>42
生成文法では、ある文脈で固有名詞と代名詞を使い分ける
場合の主体の認知に対する関心は無いだろうね。
抽象化された言語的意味という観点からも関心はない。
それは語用論の問題だからね。
では使い分けにかかわる要因がいくつあるのかあげてごらん。
47(´∀`):2001/06/01(金) 22:12
代名詞とは何か、と代名詞はどのように使うか、はぜんぜん違うレベルの話し。
で、前者については、代名詞=D、でとっくの大昔に答えは出てる。
しかし、つい最近まで採用されていた解釈意味論のアプローチ、つまり
代名詞は最初から代名詞であって、その非同一指示性を決定する解釈原理が
ある、という考え方には個人的には不同意だな。むしろ、昔の「代名詞化変形」
のほうが、今のミニマリズムの枠組みでは面白いことが言えると思う。
48nanashi:2001/06/02(土) 01:42
>>42
代名詞に関する研究だけで「生成文法がどれくらい深い理解に
到達しているかがはっきりわかる」というのはどういうことだ?
Logicが不明瞭、というか間違い。

>>47
Tanya Reinhartの研究とか知ったうえで話してるのか?
あと、ミニマリズムは研究プログラムであって、枠組みじゃねーぞ。


49(´∀`):2001/06/02(土) 02:07
>48
あはは、誰にモノ言ってんだい、坊や?
Reinhartもそうだが、まず、bound pronominalとreferential pronominalは
はっきり区別する必要がある。core computational systemが直接関わるのは
前者のみ。そこで、だ。Everyone thinks he is intelligent.のheは
everyoneのmultiple occurrenceがPFで音形化を受けたもの、というのが
俺の見方なんだけど、ミニマリズムを知ってるらしい坊やならこれだけで
俺の言いたいこと分かるはずだよな? ではコメントよろしく。
50かかり助詞:2001/06/02(土) 02:25
>>49
ちゅーことは、どっちのeveryoneがpronounにPFでかわるかというのは
c-commandで決まるの?「c-commandされているeveryoneの方を
pronounに代えよ」みたいな規則かね。
PFにc-commandが必要という積極的な根拠はアルのかな。まあ、
copy theory of movementが正しかったら、「他のcopy全てを
c-commandしているcopyを発音せよ」みたいなのは必要だから
PFにも、c-commandという概念は必要かな。
しかし、c-commandみたいなものがPF interface condition
というのもなんだかミニマリストの主旨に反するような気がする。
他にもまだ「代名詞化変形」には問題があるかも知れないけど、
ちょっと調べてから書き込みます。最近bindingはhot topicだから
面白いディスカッションになりそうだ。
51(´∀`):2001/06/02(土) 03:06
お、かかり氏、ご無沙汰。取り敢えず、ひとこと。
>PFにc-commandが必要という積極的な根拠はアルのかな
LCAはいまやPFプロパーのものでしょ。c-commandそのものでは
ないにしろ、c-command関係から得られる情報はPF、LF両方で
活用される。言い方をかえれば、PF、LFはsyntax内にある
構造情報をできるだけ利用して、解釈を効率化しようとする。
52かかり助詞:2001/06/02(土) 08:24
>>50最近、あっしにとって面白いスレットがなかったので書き込み
してませんでした。ご無沙汰しております。
確かにLCAはPF componentでかかるということになっておりますが
私にはこれが胡散臭く感じられてならない。「spelloutはPFに関する
phonologicalな素性のみをもぎ取っていく操作」というのに、それが
c-commandに関する情報ももぎ取っていくというのは違和感がある。
第一、そんなものもぎ取られたら、computationの方にはc-command
情報がなくなっちゃうのかね?まあ、conceptualな問題だから、
どうでもいいけど。
それと、LCAがPF(ないしはSpell-outからPFに行く途中のmorphological
component)のみでかかるというのも、なんだか私には狐に摘まれた
みたいな感じのお話だ。チョムスキー先生は「CHLにlinear orderが
あると考える積極的な根拠が私の知る限りない」という消極的根拠で
LCAはPFとしているけど、ここいら辺は慎重な議論が必要ではないかな。
53dege:2001/06/02(土) 21:15
どなたか教えて下され。
(1) Everyone thinks he isn't intelligent.
(2) Everyone doesn't think he is intelligent.
意味的に異なるこの両者の関係は、生成文法だと
どこで(LF?)どう説明しているの?
54(´∀`):2001/06/02(土) 22:53
>52
人間言語に線状性が存在するのはもっぱらその媒体である音声の事情によるのであって、
そうでなければ語順などはないはず。とすれば、線状性はPF側のinterfaceにおいて
初めて要求される「異質」な特性であって、narrow syntax内では未定義と考えるのが
自然。逆に、syntax/LF側で線状性が必要であるという側にburden of proofがあるな。

それから、あんまりstrip awayというイメージに固執しないほうがよいと思う。
PFやLFが統語構造に(フェーズ単位で)積極的に働きかけ、解釈を与えようと
する、あるいは解釈を引き出そうとするが、その際、c-command情報はPF側にも
アクセス可能であるということだと思う、PFが持ち去っていくのではなくてね。
55nanashi:2001/06/03(日) 05:02

> あはは、誰にモノ言ってんだい、坊や?

どうも。坊やです。

> そこで、だ。Everyone thinks he is intelligent.のheは
> everyoneのmultiple occurrenceがPFで音形化を受けたもの、というのが
> 俺の見方なんだけど、

確認のために整理すると、bound pronominal と referential pronominal は
Syntaxでは全く異なるもので、前者は「代名詞化変形」によって後者と同じ音
形になる、ということでいいのかな?つまり、前者はSyntaxではeveryone
thinks everyone is intelligentで後者はeveryone thinks he is
intelligent。で、前者はPost-syntacticであるPF Componentで「代名詞化変形」
によって後者と identicalになる。(こんなの整理しなくてもいいと思うかもしれ
ないけどごめんね。坊やはうっかり屋さんなので。)

この扱い方だと、pronominalに関するsyntaxとsemanticsをかなり単純にできる
可能性があると思うけど、一つ大きな疑問として、これでは "he"っていうのが、
"he1"(bound pronominal), "he2"(referentail pronominal)の(少なくとも)
2つあるって言ってるのと同じにならない?(便宜上、"he"のみに話を絞ってます)
これを辞書に書き込むのではなく導き出そうとして「代名詞化変形」のようなもの
を考えているんだろうけど、この規則自体、empirical coverageが広いものじゃ
ないとだめなんだよね?じゃないと、辞書に書き込んでるのと同じことになってし
まう。で、ちょっと考えてみると日本語は「彼」などの代名詞はbound pronominal
になれないけど(everyone loves his mother vs.誰もが彼の母親を愛している
cf. 誰もが自分の母親を愛している)、これはどう考えるの?

> Reinhartもそうだが、まず、bound pronominalとreferential pronominalは
> はっきり区別する必要がある。core computational systemが直接関わるのは
> 前者のみ。

当然、区別をつける必要はある。問題はむしろ区別のつけ方でしょ。君の扱いは
Post-syntactic PF approachだけど、何が経験的な根拠になってるの?
56かかり助詞:2001/06/03(日) 11:54
>>54確かにそれがチョムスキー先生のいっていることなのかも知れないけど、
私個人としては、48氏がいっているようにミニマリストはあくまで研究
プログラムの枠を出ていないということをいつも肝に銘じておいた方がいい
と思う。例えば、「PFというinterfaceがlinear orderを要求するから、
CHLはそれを最も最適に満たすように、はなっからlinear orderがある」
と考えるのも十分にminimalist in spiritであると思う。
このスレットは「生成文法批判」だけど、私は生成文法をやっていながら
最近のミニマリストの流れには懐疑的なところもあります。例えば、
MITの博士論文にしても、80年代にはHuangをはじめとして非常に
興味深い論文が数多くあった。90年代の博士論文は、私個人の友達の
かいたのも多くあるのだけど、多くが???です。もちろん、いくつか
非常にすぐれた研究もあるけど、「何じゃこりゃ」というのもある。
パラダイム的に論文を書くのが難しくなっているのではないかな。何せ
パラダイムといっても理論ではなくあくまでスローガンみたいなもの
しかないのだから。

>>55referential pronounはPFでpronominalizationで"he"になったり
するというのはどうだショ。deicticな用法では話者が代名詞の指し示す
人/者の名前を知らなかったりするので、何からpronounになるのか判然と
しないじゃぁないかね。
57>53:2001/06/03(日) 13:02
>どなたか教えて下され。
>(1) Everyone thinks he isn't intelligent.
>(2) Everyone doesn't think he is intelligent.
>意味的に異なるこの両者の関係は、生成文法だと
>どこで(LF?)どう説明しているの?

生成文法では説明できないようです。
58nanashi = 坊や:2001/06/03(日) 14:44
>>56
いや、私の>>54の解釈はbound pronounには代名詞化がかかるという
ことです。referential pronounはおっしゃる通りdeicticな用法と
かもありますから。

ミニマリストに関するご意見、ごもっともです。featureだけいじってる
論文にはあまりinsightを感じません。インターフェイス絡みは面白く
なってきたと思いますが。あと、MITのDissで何じゃこりゃというのが見
られる理由は別にもあるような。何が何でも4年で出ないといけないらし
いので。これがいいプレッシャーになるのかものすごくinnovativeなの
も出てきますが。

いいかげん自分の仕事をしないとやばいので、また覗きにきます。
59(´∀`):2001/06/03(日) 18:06
>56
>「PFというinterfaceがlinear orderを要求するから、 CHLはそれを最も最適に
>満たすように、はなっからlinear orderがある」
俺流のミニマリズム解釈とは全然相容れないな。(1)narrow syntax内では線状性は
無用の長物であり、そのような無駄をすべて捨象して初めて見えてくる言語の真相・
深層が研究対象。 (2)言語が結果的にinterface条件を満たす最適解に偶然なって
いたというのならわかるが、interface条件を満たす「ために」というテレオロジカル
な見方はまったく無意味。
むしろ俺は逆にミニマリズムの時代になってようやく生成文法というか、バイオ言語学
らしさがでてきたと感じてる。UG自体を被説明項にして進化論的考察を行うように
なった点で。GBまでは「生成文法ごっこ」、ことば遣いだけ生成文法の、実は単なる
語法研究だった。
60(´∀`):2001/06/03(日) 18:09
>55=58
お、なんだい坊や。まともなことば遣いができるんじゃないか。だったら最初から
ちゃんと書け。>>48みたいな書き方するからドキュソと間違えられるんだぞ。
で、ない知恵絞って整理しようとしたのは誉めてあげるけど、たとえば
当時、代名詞化変形への反証とされた
Everyone thinks eveyrone is intelligent. =/=
Everyone thinks he is intelligent.
とかも考慮に入れないと、合格点はもらえないぞ。基礎から勉強しなおそう。頑張れ!

>"he1"(bound pronominal), "he2"(referentail pronominal)の(少なくとも) 2つある
実際、日本語ではちゃんと「自分」と「彼」で棲み分けされてるだろ。自分で言ってて
気づかないのか。英語ではどちらも同じ形式が対応しているだけのこと。
代名詞化変形にしろ再帰代名詞化変形にしろ、本質はEqui-NPと同じdeletion under
identityだ。そのidentityが実は同一素性バンドルのmultiple occurrenceのことなんだな。それがPF出力としてどういう形式として具現化するかはそいつの素性値の指定に
従って当該言語のpost-syntactic vocabularyが恣意的に決めているだけ。
(このあたりは「素性・辞書」スレも参考にするよーに。)
要するにLexicalist Hypothesisはとんでもない勘違いだったというわけ。
チョムスキーも今ごろになって substantive lexical categories do not existみたいな
ことを言い出してるけど、俺はそんなことはとうの昔に気がついてたな。

>featureだけいじってる論文にはあまりinsightを感じません
それは自分で考える作業を坊やがサボっているからさ。Agreeがどうした、Probe-Goalが
どうした、だけの議論で終わると思ってるのかい? で、どうなの、So what? の部分
を自分でしっかり考える癖をつけなきゃだめだな。俺自身はfeatureレベルのAgreeに
認知能力の起源を探ることができると思って大いに期待してるよ。
免疫系の研究と同様にね。
61かかり助詞:2001/06/03(日) 23:10
>>59
どうも。私はミニマリストというより、生成言語学そのものに
関して59氏ほど楽観的ではないな。生成文法は言語研究の
精度そのものを飛躍的に高めた、そして、チョムスキー先生が
引退してもその方法論は生き残っていくと思うけど。

私が特に「何じゃぁこりゃ?」と思うMITdissertationは
新しい言語事実を全く出さずに、人のデータをミニマリスト
っぽく書き直した類のものです。枠組みなんていつかかわっ
ちゃうのだから、そういうdissertationにはみじんの価値も
ないぞ。

ところで確かにMITは4年間だったけど(正確にいえば学費さえ
払えばもっと長くいられる。けどあまりに高いのでだれも払えない)、
最近では5年かけてもいいということになったようです。

それとこの間チョムスキー先生を見てきたけど元気そうだったよ。
まあ、「後数年で引退」というのが一般的な見方だけどね。
「チョムスキーが引退したら、どうなるんだろう」と心配する人も
いるけど、どうだろうね。私は、他の諸科学の分野と同じように
「一人の天才リーダー」がいるより、「沢山の対立するリーダー達」
がいるフィールドの方が健全だと思うけど。

Jim HuangがUC Irvineからleaveをとって、来年度からharvard
に行くそうな。harvardはJimをもっとlongtermで欲しいらしいけど、
Jimがirvineを辞めるかどうかは交渉中らしい。Jimがボストンに
いるというのはfieldにとってはいいことだろうな。
62(´∀`):2001/06/04(月) 02:00
あ、逆、逆。
チョムスキー流の生成文法はもう行き詰まってるって。
その遺産を受け継いで新しい言語科学を始めなきゃいけないな。
で、FAJLいったんなら、Beyond Explanatory Adequacyもう読んでるはずだね。
あの中にも受け継ぐべきアイデアがけっこう転がっていると思うけど、
何か感想ある?
63てすてぃんぐ:2001/06/04(月) 02:23
64nanashi:2001/06/04(月) 08:21
>>60
> で、ない知恵絞って整理しようとしたのは誉めてあげるけど、
ほんと、もっと知恵があればいいのに。

> 基礎から勉強しなおそう。頑張れ!
頑張る!

「恣意的に」決めているなら何故bound pronoun がpronounの音形で具現されるの
かというのが疑問だったんだけど、これは同一のfeature bundleがあって、それ
が VIによってpronounの音形になるということでいいの?で、日本語の場合はVI
が「自分」を挿入するってこと? 記憶が正しければ、同様にKoreanも日本語と同
じように self形が出てくると思うけど、この言語間のregularity(これが
regularである限りにおいてですが)はVIを仮定するやり方で捉えられるんでしょ
うか?

> 要するにLexicalist Hypothesisはとんでもない勘違いだったというわけ。
> チョムスキーも今ごろになって substantive lexical categories do not existみたいな
> ことを言い出してるけど、俺はそんなことはとうの昔に気がついてたな。
Lexicalismはいくつかの解釈があるけれど、上のようなVIを仮定するものに関し
てはsound-meaning pairがLexiconに貯蔵されてるということを否定してるんだよ
ね (Separationismだっけ)?lexical categories についてはまた別の話じゃ?

> >featureだけいじってる論文にはあまりinsightを感じません
> それは自分で考える作業を坊やがサボっているからさ。Agreeがどうした、Probe-Goalが
> どうした、だけの議論で終わると思ってるのかい? で、どうなの、So what? の部分
> を自分でしっかり考える癖をつけなきゃだめだな。
これ、舌足らずでした。Chomskyの論文を読むのは楽しい。Gaderine swineが嫌な
だけ。かかり氏(>>61)に同意。

> 俺自身はfeatureレベルのAgreeに
> 認知能力の起源を探ることができると思って大いに期待してるよ。
> 免疫系の研究と同様にね。
こういう生物学系のことに言及する人、一人知ってるけど、もしやFさん本人?
なんて聞くのは野暮かな・・・。

>>61
> 最近では5年かけてもいいということになったようです。
そうなんですか。

> Jim HuangがUC Irvineからleaveをとって、来年度からharvard
> に行くそうな。harvardはJimをもっとlongtermで欲しいらしいけど、
one-year appointmentなのかtenureなのか、異なるソースから全然違う意見を
聞いていたので、なんか納得。
65坊や(=nanashi):2001/06/04(月) 08:23
またレスが切れちゃった。ごめんなさい。
66かかり助詞:2001/06/04(月) 12:29
>>62私、恥ずかしながらBeyond Explanatory Adequacyは未読です。
なぜって、fajlでも別にそんなの出回ってなかったし、今現在、すんで
いる場所がチョイトへんぴな場所なので、そういうのを簡単に入手
出来るような環境じゃあないのよ。第一その存在を知らなかった。
チョムスキー先生はfajlでbeyond explanatory adequacyという
タイトルで話したけど、「なんだか、derivation by phaseとあん
まりかわらないな」という印象を受けました。私がきちんと理解して
いなかったのかも知れないけど。というより、チョムスキー先生の
いっていることは1ページ1時間くらいかけて読まないことには
理解するのむりだな。あっしは凡人なので。
で、チョム先生は「今かいている」って言っていたけど、そのドラフト
が出回っているの?fajlのトークでは「phaseのきちんとした定義を
まだやっていない」って言っていたけどな。とにかくそのドラフトでも
入手せねばならないな。
それにしても「生成文法批判派」の人はどこ行っちゃったんだ?
67初学者>47:2001/06/04(月) 23:21
>代名詞=D
このDってなんですか?
68(´∀`):2001/06/05(火) 00:38
>64
feature bundleとword/VIの対応の恣意性の中にはregularityも含まれると思う。
形態・音韻解釈も何らかの意味で効率化・経済化されているのが自然だろうけど、
regularityはLCAと同様、そのような効率化のストラテジーの一例かも知れないね。
言語間のregularityについては、lexicalismでも同じなんでは。なぜlexicon内に
そのようなregularityがあるのか、lexicalismだとちゃんと言えたりする?
lexical categoryの扱いについては基本的にDM支持なんだけど、[ v [ V ]]のvP構造で
動詞性がvに由来するならVはそもそも[V]範疇の指定がされてる必要がなく、
rootで間に合う、Vなんてものはない、ということだと思われ。

>66
そーなの? もし本名さらして個人連絡とる勇気(?)あるなら俺のコピー喜んで
送ったげるよ。(偽かかり助詞が出てきたら困るけどな)
でもこれでひょっとして「かかり助詞=X」かと思ってたそのX氏じゃないことが
はっきりしてしまった。XならB.E.A.とっくに持ってるはずだから。(てか、俺は
Xに送ってもらったもんで。)チョムのドラフトを人より早く手に入れて読むことに
執念燃やしてる連中がけっこういるけど、あれもヤだねったらヤだねー。

>67
determiner
代名詞の正体は冠詞だ、ってことはPostalって人が60年代にすでに指摘済み。
フランス語とか見れば形態的にも明らかでしょ。
以下はこじつけの与太話だから無視してくれていいけど、日本語の「彼」「彼女」の
「彼」はthatに相当し、that man / that womanに対応してるな。
「彼」はspell-outすれば「彼男」だが、「男」の部分がゼロ形態になってる。
英語のs/heは the wo/man のwo/manがゼロの場合に、このDP全体を具現化する
VIだと見ることもできる。とすればやっぱ代名詞=DPといったほうがよいのかも。
(なぜ俺が日本語はthat manで英語はthe manとしたいのか、分かる?)
69名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/05(火) 00:48
>>68
> フランス語とか見れば形態的にも明らかでしょ。
そういう言い方をするなら、冠詞のない言語を見たら明らかにその説は
間違いということになりますね。
70(´∀`):2001/06/05(火) 00:51
>61
それから
>私が特に「何じゃぁこりゃ?」と思うMITdissertationは
>新しい言語事実を全く出さずに、人のデータをミニマリスト
>っぽく書き直した類のものです。
については、俺はちょっと違う、好意的な見方をしてる。もちろん
単なる言い換えに価値はないけど、よく言われるように「科学の発展は
新事実の発見ではなく、旧事実の新解釈によってもたらされる」ことが
多い。
71(´∀`):2001/06/05(火) 00:59
忙しいなー。
>69
ごめん、ごめん。
ワン・クッションおいてもらって、機能範疇Dの具現体として冠詞とか代名詞とか
がある、ってこと。言語によって特定の具現体の有無に差があることは当然ある。
だから、言語Xには機能範疇D自体がない、しかしXには代名詞がある、なんていう
場合が問題になるな。

今晩は俺はこれにて強制終了。
72衝動派:2001/06/05(火) 01:41
Bach-Peter's文とかロバ文とかどーすんの?あれもreferential?
73坊や:2001/06/05(火) 07:10
>>68
> feature bundleとword/VIの対応の恣意性の中にはregularityも含まれると思う。
この考えはDMのVIからすでに一歩進んでるんじゃない(departってことね)? 独立
した証拠はありますか?VIは単に morphosyntactic featureをphonological feature
([+Latinate]のような diacriticを含む)に読み替える規則で、Lexicalismと決定的
に違うことは、前にもちょっと書いたけど、sound-meaning pairをLexiconに貯蔵する
んではなく、post-syntactic, Morph. Str.にて規則によって導き出すというところで、
これらの違いを除けばVIはLexicalismでの考え方とsignificantに違うところはないと
思うんだけど。規則も貯蔵しないといけないし。つまり、所詮は恣意的な関係を
述べた規則であって、regularityを捉える目的で仮定されているのではないとい
うのが気になっていることです。

ついでに、日本語だと「自分」だけでなくゼロ代名詞もbound pronounになれると
思うけど、この事実もひょっとしたらpost-syntactic PF(DMと言った方がいいの
かな)approachにとってoffendingである可能性があるかも。

> 言語間のregularityについては、lexicalismでも同じなんでは。なぜlexicon内に
> そのようなregularityがあるのか、lexicalismだとちゃんと言えたりする?
Lexicalismとregularityについて具体的に何を指して言ってるのか分からないの
で、もうちょっと手がかりもらえますか?「言語間のregularity」で坊やが指し
ているのは(記憶が正しければ)Koreanでも代名詞ではなくself形がbound
variable interpretationに出てくるということです。英語と日本語が「違う」と
いう事実は(恣意的な)VIによって捉えられるかもしれないけど、Koreanと日本
語が「同じ」という事実はどうなるの?というのが問いです。勿論、それは可能
あるとは思うけど、それがaccidentなのか理論からfollowするのか、そこが知り
たい。
74坊や:2001/06/05(火) 07:12
73の続き
>>68
> lexical categoryの扱いについては基本的にDM支持なんだけど、[ v [ V ]]のvP構造で
> 動詞性がvに由来するならVはそもそも[V]範疇の指定がされてる必要がなく、
> rootで間に合う、Vなんてものはない、ということだと思われ。

もう知ってるかもしれないけど、Marantz97を発展させたものがWCCFLのサイト
(USCだったと思う)で手に入ります。Invited talkのhandoutですが、Paperとし
ても読めます。

> determiner
> 代名詞の正体は冠詞だ、ってことはPostalって人が60年代にすでに指摘済み。
> フランス語とか見れば形態的にも明らかでしょ。
Noguchi96?(Languageのarticle)では日本語の「彼」等はNだということを言って
いました。 NoguchiさんはpronounがDであるかNであるかという違いをbound
variable interpretationの可能性と絡めていたように思います。でも、日本語に
Dがないとは言っていませんので、悪しからず。


>>70
> もちろん単なる言い換えに価値はないけど、よく言われるように「科学の発展は
> 新事実の発見ではなく、旧事実の新解釈によってもたらされる」ことが多い。
確かに。新解釈によってempirical coverageが広がらないとただのnotational
variantだから・・・。似たことを考えてるとは思うけど。

>>72
> Bach-Peter's文とかロバ文とかどーすんの?あれもreferential?
始めまして。坊やです。c-commandされていないbound pronominalがあるってこと
でいいんですよね?

>>66
なんかのっとっちゃいましたね。
75坊や:2001/06/05(火) 07:15
あ、今度は上手くやったと思ったのに!まだまだ坊やだな。
76かかり助詞:2001/06/05(火) 08:31
>>68本名さらけ出す勇気がないモンで、BEAは送っていただかなくて
結構です。MITにも知人がいるので、そちらに頼めば送ってもらえるし。

Bach-Peters文チュウと、
[The student who wants it-i ]-j gets [ the prize that he-j deserves ]-i.
みたいな奴ね。60年代に発見された文で、二つの代名詞が互いの先行詞に
含まれているような形をしているため、underlying structureにnon
-pronominal formでpronominalizationによって当該の文が導き
出されるのだとすると、underlying structureはinfinitely long
になってしまう。これは、>>71氏のやり方ではreferentialということに
ナルだろうし、そうしないといけないのでは?ナンせitの方は先行詞に
c-commandもされていない。>>71氏が寝ちゃったみた
いだから、勝手に答えてますが。

もう一つのdonkeyのほうが>>71氏のreactionが欲しいね。c-command
されていないbound pronounって、Weak Cross Overっぽいけど、
そこいら辺とどう区別つけるのか。

>>67Dに関してはAbneyのMIT dissertation読むといいよ。
77(´∀`):2001/06/05(火) 19:11
>73, 74
お、なんだい、「坊や」が気に入ってHNにしたのかい?
どうせなら「ガルマ様」とか、どお?(って、分からんだろうけど)

書き込みは30行を超えると「省略されました」になるんだよ。
(俺も最初は知らんかった)

「恣意的」というのは「まったくでたらめ」ということではなく、都合のいい
ように、効率が上がるように自由に決めるという意味だと思う。だから
そこに規則性を積極的に持ち込むことも(持ち込まないことも)恣意性の
領域だろうと考えた。

ゼロ代名詞がなぜ問題なのか、よく分からないけど、素性バンドルの段階では
PRO/proも実在していない。このあたりはHornsteinの拡張なんだけど、
trace = PRO であり、また = overt pronoun であり、 = reflexive、って感じで
格素性を始め、具体的な素性構成次第で同じものがさまざまな違ったものに
見える(聞こえる)というイメージだな、俺は。
で、sound-meaning pairをpre-syntacticallyに指定してそこにcross-linguisticな
規則性を持ち込むのと、post-syntacticに考えてそうだというのとで、前者のほうが
好都合なことがあるんかしら?

>Noguchi96?(Languageのarticle)では日本語の「彼」等はNだということを言って
>いました。 NoguchiさんはpronounがDであるかNであるかという違いをbound
>variable interpretationの可能性と絡めていたように思います。
なんとなく名前に聞き覚えがある程度で、論文は全然知らないんだけど、今聞いた
範囲では、全く逆じゃないの? という印象。まず指示性のソースはDにあり、D投射
のない裸のNPは非指示的にしか機能しないと考えられるよね。「彼」がもっぱら
referentialだというのはそれが必ず[+definite]の指定を受けたDを含むからではないの?
(だから、68で「彼」=that man と言いたかった)
78(´∀`):2001/06/05(火) 19:14
>76
Bach-Peters文がinfinite regressionに陥らない深層構造を持てるというのは
昔から指摘されてるでしょ。Wasowだったかな。
[ Every pilot who shot at some Mig hit some Mig that chased every pilot ]
で片付くじゃん、って言ったの。
もちろん実際の文としてこのままだと全然意味が違うんだけど、これが上で
Everyone1 thinks everyone2 is intelligent.
を出して言いたかったこと。つまりeveryone1とeveryone2が同一素性バンドルの
multiple occurrenceであれば、everyone2はheと発音され、そうでなければ
everyone2もeveryoneと発音される、ってな具合。

Donkey文については、そもそも代名詞がbound pronounかどうか、怪しい。
俺はE-typeってか、discourse referentの特殊ケースだと感じるんだけど、
bound pronounだという論拠をあげてみれ。
代名詞に関してはEnglishman's mother文だの、paycheck文だのと、ややこしい
ケースがいっぱいあって、なかなか単純なストーリーではまかない切れないことは
認めるが、まあ、一番コアなものとしてbound pronounがあり、せめてそれだけでも
純粋にfomalなアプローチできれいにさばけなければおかしい、という思い込みは
持ってるよ。
79坊や:2001/06/05(火) 21:25
>>77
> お、なんだい、「坊や」が気に入ってHNにしたのかい?
ゴッドファーザーだね。

> どうせなら「ガルマ様」とか、どお?(って、分からんだろうけど)
懐かしいね。じゃ、「赤い彗星」ってのはどお?
(いつかは言ってね、「坊やだからさ」って)

> 書き込みは30行を超えると「省略されました」になるんだよ。
> (俺も最初は知らんかった)
サンキュ。

> 「恣意的」というのは「まったくでたらめ」ということではなく、都合のいい
> ように、効率が上がるように自由に決めるという意味だと思う。だから
> そこに規則性を積極的に持ち込むことも(持ち込まないことも)恣意性の
> 領域だろうと考えた。
確かに効率が上がるように、というかそれこそMorphological regularityを捉え
るような規則を立てているよね。特にパラダイムを導き出す時に。でも、そのよ
うな規則が cross-linguisticな規則性を捉えられるのかというとやっぱりよく分
からないなぁ。
80坊や:2001/06/05(火) 21:25
>>77
> ゼロ代名詞がなぜ問題なのか、よく分からないけど、素性バンドルの段階では
> PRO/proも実在していない。このあたりはHornsteinの拡張なんだけど、
> trace = PRO であり、また = overt pronoun であり、 = reflexive、って感じで
> 格素性を始め、具体的な素性構成次第で同じものがさまざまな違ったものに
> 見える(聞こえる)というイメージだな、俺は。
うーん。忙しいだろうけど、そのイメージをDMのFormalismを使って具体的に書い
てもらえます?やっぱりまだ全体像が見えてこないので。

> で、sound-meaning pairをpre-syntacticallyに指定してそこにcross-linguisticな
> 規則性を持ち込むのと、post-syntacticに考えてそうだというのとで、前者のほうが
> 好都合なことがあるんかしら?
このコンテクストでこれが直接問題の中心になるのかしら?坊や(anti-lexicalistです)
としてはbound pronominalがbinderと同じfeature compositionを持っていて、pronoun
として具現されるのは特定の統語環境においてSpell-outによりpronounのVIが挿入され
るからっていうViewと「>>47代名詞は最初から代名詞である」という解釈意味論のView
との違いが問題になるような気がします。後者に関してはsound-meaning pairを
pre-syntacticに指定しなくても成り立つので。このViewをとるとcross-linguisticな
規則性に関してはsyntaxかsemanticsのどちらかで(この辺曖昧だけど・・・)扱うこ
とがfollowします。

> なんとなく名前に聞き覚えがある程度で、論文は全然知らないんだけど、今聞いた
> 範囲では、全く逆じゃないの? という印象。まず指示性のソースはDにあり、D投射
> のない裸のNPは非指示的にしか機能しないと考えられるよね。「彼」がもっぱら
> referentialだというのはそれが必ず[+definite]の指定を受けたDを含むからではないの?
> (だから、68で「彼」=that man と言いたかった)
これ、ちょっと待ってね。今日これについてレスするのは無理だけど、Noguchiさんの論
文見てみるよ。
81dege:2001/06/05(火) 21:36
おれの関心は、命題、命題態度、量化、否定とスコープ。
生成文法だとどうなの?否定辞の移動はあるの?
>(1) Everyone thinks he isn't intelligent.
>(2) Everyone doesn't think he is intelligent.
>意味的に異なるこの両者の関係は、生成文法だと
>どこで(LF?)どう説明しているの?
82かかり助詞:2001/06/05(火) 23:30
>>78
にゃるほど。おっしゃることがようやっと解ってきました。で、
Bach-Peters文はreferentialとはとらないの?

それとdonkey文がbound pronounという証拠というのは難しい。
普通ならc-commandしないような文を作ったらboundの解釈が
なくなるというのを示せばいいのだろうけど、はなっからc-command
してないモンな。

>>81だれもこの質問に答えないのはどうしてだろ。「意味的に異なる」
というのは
i) for all x, x thinks x is not intelligent
ii)some x is such that x thinks x is intelligent
かね。>>81の(1)は(i)の意味。(2)は(ii)の部分否定以外にも
全体否定の読みiii)も可。
iii) for all x, x does not thinks x is intelligent
これがご質問の主旨かな。
「動詞句内主語仮説」というのがあって、主語というのはその動詞句
内に元々あって、それが外に出てくるということになっております。
notを動かさなくても、(2)ではeveryoneがVPの中(notのスコープ
のなか)に元々あって、(2')のような形をしている。
(2') not [VP everyone think he is intelligent]
(2')の位置ではeveryoneがnotのスコープ内にあるのでii)の部分否定
の意味になる。notの外に出て位置で解釈されたらiii)の全体否定の
意味。
他方(1)は元々(1')のような形をしているので、everyoneがnotのスコープ
内にある読みはない。
(1') [VP everyone thinks [ not [VP he is intelligent ] ]
こんなとこでよろしい?
83かかり助詞:2001/06/05(火) 23:42
>>82書いていて思ったのだけどpronominalization
では>>81の(1)のunderlying structureが>>82
(1')ではなく、(1")ということになる。
(1") [VP everyone thinks [ not [VP everyone is intelligent]]]
二つ目のeveryoneはnotのスコープの中にあるけど部分否定読み
がないのは問題ではないかね?
84dege:2001/06/05(火) 23:45
あと、Donkey sentenceはLFではどう分析しているのかな。
古典論理への単純な翻訳じゃ問題あるわけでしょ。
85dege:2001/06/06(水) 01:07
>82
かかり助詞殿。回答ありがとうございます。
レスに気が付かず脈絡なく#84をUPしてしまいました。

眠たいので細かい意見はあとでするとして、いくつか所感。
深く考えてなかったけど、heをboundとするかreferentialとするか
で論理形式が異なるなぁと。これについては考えます。
その説明だと生成文法では、命題とかモダリティとか、モダリティ
の関係については、あまり関心ないように思える。
モダリティの関係とは、たとえば様相論理の可能、必然のようなこと。
可能、必然は単純なdualな関係ですが。
86(´∀`):2001/06/06(水) 03:33
>83
>二つ目のeveryoneはnotのスコープの中にあるけど部分否定読み
>がないのは問題ではないかね?
それはHornsteinのやり方でcontrolとraisingが同じものなら、なぜ
control相当の場合だけnarrow scopeがないのか、の問題と同じだろう。
Someone seems [ someone to love everyone ]
Someone tried [ someone to meet everyone ]
それよか>>82でnotを越えるかたちでquantifierがSpec(VP)にreconstructされる、
っつーのは、
Someone loves everyone. (ambiguous)
Someone doesn't love everyone. (unambiguous)
って観察と矛盾しないのかな。

>80
ちょっとレス待ってくれ。確かに今、忙しいもんで。
(生まれの不幸を呪うがいい、ってか?)
MarantzのWCCFLのペーパーはDLさせてもらったよ、あんがと。
それと本棚ひっくり返してたら、Noguchi のUMass diss.が出てきた。
summary見たら、確かに日本語の代名詞はN-pronounって言ってる。
内容を詳しく見てるヒマないなー。

>85
>命題とかモダリティとか、モダリティの関係については、あまり関心ないように思える。
んなこたーない。(でもレスは他人まかせなのさ)
87かかり助詞:2001/06/06(水) 03:37
>>85そうね、boundに解釈するかreferentialかで論理形式
が異なる。それと同じ性質の問題が>>83で書いていることです。

私は様相論理のことをどのようにチョムスキー流の統語論で
やるか見当がつかないな。よくいわれるけどチョムスキー先生
の統語論は明示的な意味論を持たないのでね。
形式意味論ナンかではやられていることだけど。>>85氏はそんな
こと知っているだろうしな。donkey文も当然形式意味論では
やられているけどね。
88dege:2001/06/08(金) 01:30
>82,83

>(1) Everyone thinks he isn't intelligent.
>(2) Everyone doesn't think he is intelligent.

> i) for all x, x thinks x is not intelligent
これはheを「自分」だと解釈したということ?
ここではheをreferential anaphoraとする。
□は「考える」。a はエージェントの変数。tは固体定項。
∀a□a ∃x (¬intelligent(x) ∧ x =t)

> ii)some x is such that x thinks x is intelligent
heをreferenceで考えるとそうではない。
すべてのひとは考えないは、¬∀x think(x) だが、
これはひっくり返すと∃x ¬think(x) となり
そう考えない人もいるとなる。
その意味で(2)に対するiiの解釈はふさわしくない。

つまり直観的には、
¬∀a□a∃x(intelligent(x) ∧ x=t)
であるが、これは要するに
∃a¬□a∃x(intelligent(x) ∧ x=t) となる。

以下の全体否定と言われるは、以下の解釈。
∀a¬□a∃x(intelligent(x) ∧ x=t)

> かね。>>81の(1)は(i)の意味。(2)は(ii)の部分否定以外にも
> 全体否定の読みiii)も可。
> iii) for all x, x does not thinks x is intelligent

> これがご質問の主旨かな。
ではなく、だいたい上のような形式化があるとき、
(1)と(2)との関係をどうとらえるのかということが聞きたかった。

> 「動詞句内主語仮説」というのがあって、主語というのはその動詞句
> 内に元々あって、それが外に出てくるということになっております。
はい。

> notを動かさなくても、(2)ではeveryoneがVPの中(notのスコープ
> のなか)に元々あって、(2')のような形をしている。
はい。

> (2') not [VP everyone think he is intelligent]
> (2')の位置ではeveryoneがnotのスコープ内にあるのでii)の部分否定
> の意味になる。notの外に出て位置で解釈されたらiii)の全体否定の
> 意味。
notが動いても同じだと思うが。

> 他方(1)は元々(1')のような形をしているので、everyoneがnotのスコープ
> 内にある読みはない。
> (1') [VP everyone thinks [ not [VP he is intelligent ] ]
> こんなとこでよろしい?

というこは、(1)と(2)との関連はとくに言及されないということですか。
□¬P と¬□Pとの関係は特に気にしないということですか。

> 83 名前: かかり助詞 投稿日: 2001/06/05(火) 23:42
>
> >>82書いていて思ったのだけどpronominalization
> では>>81の(1)のunderlying structureが>>82
> (1')ではなく、(1")ということになる。
> (1") [VP everyone thinks [ not [VP everyone is intelligent]]]
> 二つ目のeveryoneはnotのスコープの中にあるけど部分否定読み
> がないのは問題ではないかね?

2つ目のスコープは
¬∀x(intelligent(x))とは読めるが、そのまま
∀a□a¬∀x(intelligent(x) ∧x=a)
とすると明らかにおかしい。
he=everyoneでも以下のように解釈すべきではない?
∀a□a ∃x (¬intelligent(x) ∧ x =a)
そうすると、おっしゃる(1'')の基底文の仮定が直観にそぐわない
気がするが。
89かかり助詞:2001/06/08(金) 13:28
>>88 話がこじれたのは、私は質問の主旨がeveryとnotのスコープ
ダト思っていたのだけど、そうでなくて、notとthinkのスコープがだった
のが原因のようですね。英語のthinkという動詞は昔の変形文法の枠組み
ではneg-raisingと呼ばれてます。例えば、
A: Did John come to the party?
B: I don't think John came.
のBの発話はthink(not(P))という意味であって、表層で持つ構造
であるnot(think(P))という意味では(このコンテキストでは)ない。
これが話をこじらしていると思われます。

だからneg raisingでない動詞、例えばそうね、concludeとか使うと
もう少し話が簡単になる。

ところで、88氏は誤解しておられるようだけど、今の生成文法の
枠組みではunderlying structureは意味とのinterfaceでは
ありません。LFというレベルは表層構造(これ自体ないことに
なっているけど)から導き出されるもの。だから、88の最後の
83に対するレスは少しピントがずれております。88氏はかなり
生成文法の素養もあるようだから、何いっているか解るでしょ。

それと、確かにeveryを動かさなくてもnotの方を動かせば
同じですが、notのような生成文法でいうheadを動かしたくない
生成文法の側の「おうちの事情」みたいなものがあります。
ここいら辺は、論理学的にnotational variants
であると思われるような分析をどちらがよりすぐれているのかを
決めるサイに言語学的な考察が役に立つのかどうか、という
非常に難しそうな問題とつながっております。故McCawley先生
ナンかは「論理学は経験科学で言語学的考察が役に立つ」って
いってましたけど。
90(´∀`):2001/06/08(金) 18:56
88でも89でもいいけど、モダリティと否定の相対スコープについて意見きかせてよ。
John may not go.
may > not (epistemic)
may < not (deontic)
しかし、can とかだときれいな対比がくずれてしまい、どっちも not > canだな。
どーする?(笑)

ついでに俺の授業のつかみネタなんだけど、日本語で「〜すべきではない」ってのは
意味解釈が表層の階層関係とは逆転して should > not になるが(実は「〜しないべき
だ」の意)、これもNeg移動かなんか考えるのかな?
91かかり助詞:2001/06/15(金) 14:55
>>90 canのことdege氏が答えてくれるのを待っていたのだけど
反応なし。ちなみに私にはそんなこと解りませぬ。チューか、そんなの
「それはだね、」てな具合に答えられるのだったら、哲学科か数学科で
職を得ているでしょう。

「するべきではない」は、確かにそういう意味になりそうですな。
もう一つnegをつけて、「太郎は言語学を専攻しないべきではない」
何て言えるかな。過去にするともう少し座り良さそうだ。
「太郎は言語学を専攻しないべきではなかった」どう?もし、negが
動いているのだと、「なくないべき」みたいな変な深層構造から
でてくるの?

遅レスすまん。まあ、優良スレッドになりつつあるので、もう少し
続けてみてもいいのでは。生成文法批判派も歓迎。
92名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/15(金) 16:35
生成文法って機械翻訳の役にたってるんですか?
93かかり助詞:2001/06/16(土) 13:46
>>92当たり前だよ。ただし、チョムスキー流のやつはコンピューターに
載せるのは難しい。LFとかPFとかレベルがいくつもあり、それをつなぐのに
複雑な規則・派生が必要だから。だからといってチョムスキーがダメと言うこと
にはならない。チョムスキーの関心は人間の言語部門にあるのであり、
機械翻訳なんて眼中にない。ちなみにチョムスキーは機械が苦手。


LFGとかHPSGはレベルの数が少ないのでこちらの方がコンピューターフレンドリー
だよ。まあ、LFGもHPSGもチョムスキーがいたから存在するようなものだしね。

94名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/18(月) 03:14
Ken HalleとChomskyって仲いいのか?やってること全然違うが、あげ。
95名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/18(月) 03:20
チョムスキーが死んだら、アメリカの言語学の世界が再び戦国時代に。
日本の学者は、その戦に勝った者に追従することだろう。
96名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/18(月) 05:34
HPSG, LFG, CogG, WordG, RRG, OT, RelG, ConstG,,,
What else?
97かかり助詞:2001/06/18(月) 05:56
>>94悪くないと思うよ。ご近所さんだし。ちなみにKen Haleね。
llはMorrisのほう。Haleはあんまり具合が良くないらしい。
きっとあの人がいま生きている人で最も沢山の言葉しゃべれる
人ダト思うけどね。お大事にしていただきたい。
98名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/18(月) 06:09
GPSG, CatG, FG, SFG... and so on, and so forth.
99名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/18(月) 07:06
Too many, I think.
Substantial differences among them?
100(´∀`):2001/06/18(月) 17:36
>94
Ken Haleは、一、二度、話したことあるだけだけど、いい人っぽかった。
MITのファカルティの中で一番の人格者ではないかな。
>やってること全然違う
それほどでもないだろ。チョムスキーもHale & Keyserのconfigurational approach
を受け容れてる。

>91
「〜すべきでない」の類例として、「〜のはずはない」もある。
実は「〜ではないはず」の意味で、やっぱりモーダルとnegが逆転してる。
で、俺としてはこのあたりはmodal raisingとかneg movementとかのsyntaxの
問題ではなくて、euphemismっつーか、もっと運用レベルでのゆらぎのような
気がするんだけど。
101名無しさん@1周年:2001/06/18(月) 23:26
>100さま
もう少し、最近の語法に迎合しない言い方の方がよいのではないでしょうか?
こういう言い方をする人に人格者と言われるのは当人に名誉なことかなあ、と。
102:2001/06/19(火) 00:26
>こういう言い方
どーゆー言い方?
103>101:2001/06/19(火) 03:49
意味が和歌欄
104dege:2001/06/19(火) 04:24
>>89
リプライがそうとうdelayしとります。

>>>88 話がこじれたのは、私は質問の主旨がeveryとnotのスコープ
>ダト思っていたのだけど、そうでなくて、notとthinkのスコープがだった
>のが原因のようですね。英語のthinkという動詞は昔の変形文法の枠組み
>ではneg-raisingと呼ばれてます。例えば、
>A: Did John come to the party?
>B: I don't think John came.
>のBの発話はthink(not(P))という意味であって、表層で持つ構造
>であるnot(think(P))という意味では(このコンテキストでは)ない。
>これが話をこじらしていると思われます。

このコンテキストだと□¬Pより¬Pといっているに等しい。
でもI don't thinkをつけているのは談話的に頭ごなしの否定を
避けているのではないですか?
もし、そういうニュアンスを認めるのであれば、
意味的にthink(not(P))とnot(think(P))を区別するべきではないでしょうか。

thinkを modal operator と考えれば、認識的な強度にもよりますが、
統語的には、¬□Pと□¬Pは意味が異なる。(様相論理の解釈ではそう扱う。)
つぎの例だったら違いが明らかだと思う。
C: I don't know that John came.
D: I know that John did not come.
E: I don't believe that John came.
F: I believe that John did not come.

この例だと否定辞繰り上げは適用しないですよね。
適用可だとすれば、乱暴な規則だと思う。
ちなみに否定辞繰り上げって今だとどういう説明になるんでしょう。
105>1:2001/06/19(火) 05:30
生成文法を叩こうとして出てきては消えていくのは、ここだけでなく
言語学のこの半世紀の常だった。これは何故か?生成文法が真理を
ついているからか?
106名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/19(火) 06:00
叩いても表面的には聞く耳を持たない。
叩くほうは呆れて無視するようになる。
しばらくすると、いつのまにか、その批判が検討され理論に取りこまれている。
戦い方がうまかっただけだと思う。
107かかり助詞:2001/06/19(火) 07:35
>>104
neg raisingはbridge verbの真部分集合の動詞です。think
は典型的な例ですが、knowやbelieveはbridge verbだけど、
neg raisingではない。

neg raisingを、いまの枠組みでどうやるかってのは知りません。
100さんの「べきでない」みたいなのを説明するのと同じように
syntaxの外の問題とするのかな。

>>106具体例を挙げよ。
108>106, 107:2001/06/19(火) 07:54
一番よく知られた事例はフィルモアのケース理論だろうな。
下の本に面白い考察がある。
因みに、他の理論を飲み込んで増強していくのがいい理論、と中井氏は
最終的にはチョムスキー擁護。

---------------
言語学は自然科学か―生成文法の方法論
中井 悟 (著) 単行本 (1999/07/01) 昭和堂
109かかり助詞:2001/06/19(火) 11:08
>>108 Case Grammarというのはあくまで生成文法の一つ
だと思われるけど。それをtheta theoryとして取り入れたのは
別に106のいうような、「盗作」めいたことではないように思う。

106の書き方はミスリーディングだな。例えばCase grammar
なんかには、チョムスキーはチャンと反論しているよ。Remarks
on Nominalizationとそれに続く論文3つくらいを参照のこと。
まあ、主なターゲットはgenerative semanticsの方だけどね。

上で誰かが「チョムスキーが...」何てコト書いていたけど
(「引退したら」という表現使うべき。仮にも生きている人が
「死んだら」何ていうべきではない)、私はチョムスキーに
とってかわるような人は100年くらいしないと現れないように思う。
チョムスキーを直に見ると解るけど、あのカリスマ性は
半端じゃぁないよ。まあ、私も「チョムスキー」という名前に
押されているのもあるだろうけど、あの人が部屋には行って来ると
部屋の空気というか、雰囲気がかわるし。一度、矛盾している
コトをいっているように思えたので質問したら、なんだか解らない
ことをいわれ、それでも納得させられてしまった。そのチョムスキーの
答えはその後3日くらい考えたけど、やっぱり解らなかった。もしかして
30年くらい考えれば解るのかも知れない。

こんなの私だけかと思っていたら、N大のS先生も、「チョムスキーが
1タス1ハ3ダっていったら信じちゃう」っていってた。私だけで
なくてよかったよ。まあ、そんな感じで、105の私の解答は、
「生成文法の方法論が多くの人の共感を呼んだだけでなく、耐えず
その中心にはチョムスキーがいたから」ダト思う。

思う。
110(´∀`):2001/06/19(火) 18:50
う〜ん、俺はガチガチの生成派で、その中でも超過激派だと自認してるが(笑)
どうもチョムスキーへの個人崇拝みたいのだけは勘弁してほしいな。
>N大のS先生
って、○山大の○藤さんかい。多分冗談だろうけど、その発言だけについて
いえば、ヴァカ丸出しだな。
俺が言うのも何だけど、チョムスキーって、結構、人のアイデア無断でパクるし、
人の批判を表向きは軽く受け流しといて、実はコッソリ対抗策考えてたりするし、
イタイとこつかれると感情的になることもあるし、信者のみんなが思ってるほど
聖人君子ではぜんぜんないと思うよ。
ただ持っている知識・情報量は凄いから、彼が言ってることをちゃんと理解する
には、彼が参考にしている、そして特に彼がreferしない文献を知っておく必要が
ある。いろんな人のアイデアを適当につまみ食いしながら、挑戦しがいのある
仮説を提示をし続けている、というような印象だな。
で、生成の隆盛も、チョムスキー一人の功績というより、彼の何気ない一言に
ヒントを得て面白い研究を行うようなミーハー的頭脳集団が絶えず周りにいることが
大きいとおもうんだけど、どお?
(今回、敢えて憎まれ役を買ってでました)
111名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/19(火) 19:39
月刊言語の別冊101人のなんやら、に今井邦彦さんが面白いこと
書いていて、チョムスキー側が成功したのは理論のハードコア防衛と
優秀な人材の育成で、生成意味論はその二つとも失敗した、と。
まぁ、109、110の書き込みを見る限り、「育成」したか
どうかは別にしても、やはりチョムスキーのカリスマ性に負って
いるところは大きそうだね。ということは、逆にいうと、引退後は
???ということになりそうだね。(´∀`)さんには別に
彼の引退は関係なさそうだけど。(w
112かかり助詞:2001/06/20(水) 07:45
私は自分では生成文法の、どちらかといえば保守系に属すると
思っております。私がやり始めた頃はGBだったけど、私が
最もエキサイトしたのはRossやPostalのような60-70年代の
文献だった。GBはあんまり好きではなかったし(論文はGBで
書いていたけど。でないと誰も読んでくれない)ミニマリストは
「う〜ん。。。」て感じがします。相変わらず論文はミニマリストっぽく
書いているけど。だから、別に私は信者ではないと
思うけどな。でもチョムスキーにはやっぱりカリスマ性ある。
「人格者」というのと「カリスマ」は別だショ。数年前に
世間をにぎわした某団体の、今裁判中の、ファミレスの海老フライが好きな、
鼻の通りの悪そうな人何かは明らかに
人格者ではなかったけど、カリスマ性はあったらしいじゃぁないか。

それとN先生の発言は勿論冗談だよ。先生の名誉のために言っておきますが。
私もN先生もビールのんでいた。ビールがおいしい場所だったので大夫のんだ。

ついでに、チョムスキーはdebateの天才でもあるんだな。あの人とは
議論したら絶対に勝てない。元T大のH先生も言ってました(この頃、人の発言
サイトが多いな)。

私もチョムスキーが引退したら、このフィールドはかえって健康的に
なると思うよ。
113(´∀`):2001/06/20(水) 13:09
>N先生
名前が変わってしもとるやんか(笑

いや、俺も冗談とはいえ「ヴァカ丸出し」は言い過ぎた。スマソ。
カリスマ性なのかどうか分からないけど、どんなつまらないことでも
あのチョムスキーが言うのだから、何か重要な意味が隠されているかも
知れない、とみんながいろいろつっつくことで思いがけない研究の進展
がある、という面はあると思うね。
同じこと俺が言っても誰も耳を傾けないくせに、いぢわる……
(と思ってる人は多いはず)
114かかり助詞:2001/06/20(水) 13:23
>>113N先生は誤りでS先生ね。パーフォーマンスのエラー
チューやつよ。最近、コンピュータの具合がおかしくて、
書き込みもママならん。
あっしも、いろいろなところから無視され、M工大の奴等とかに
盗作されたりしながら暮らしているよ。
115名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/20(水) 17:16
>M工大の奴等とかに盗作されたり
んなことあるんですか?
日本人?
やっぱ先生の後ろを見て学生は育つんだな〜。(藁
116名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/21(木) 00:55
てst
117(´∀`):2001/06/21(木) 12:19
よくあるのは次のようなケース。
Aさんがある分析を思いついて発表するが、Aさんは無名の国内組であり誰も注目
しない。
のちにBさんがまったく同じ分析を(Aさんの先行研究を知ってか知らずか)提案
するのだが、BさんはMIT(周辺)の院生だったりして、チョムスキーによって引用
されることとなる。
すると世間はその分析をもっぱらBさんのものであるとして、Aさんの先行研究は
完全に無視され続ける…… ヽ(´Д`;)ノ

ま、チョムスキーが引用するかしないかで同じ研究でもインパクト・ファクターが
全然違うわけで、その辺は悪い意味でチョムスキーのカリスマ性が発揮されてる
とこだな。だから留学するならMIT、というのにも(極めて遺憾ながら)これまでは
一理あったんだけど、チョム引退後はどーなる?

(坊や、どっかにいっちゃった?)
118かかり助詞:2001/06/21(木) 12:52
>115日本人ではないよ。読書と勉強とスシと京都条約が嫌いな
大統領のいる国の人だよ。私の論文送れとか、いうから送る。
代わりに何か書いたら送り返して来るものだと思ってたら、
なんにもなし。某巨大学会で私もその人も発表した。同じような
テーマだし、はっきり言ってその人の分析はなっていなかったので、
後に「意見交換をしよう」といわれたとき、「いいよ」と
いってしまった。しかし、その人は「君のhandoutは部屋に
置き忘れたから、僕の奴だけについて話そう」。私が野暮用で
M工大にいったときも、自分のdissertationにコメントを求めるけど、
肝心のコピーをくれない。「くれ」といってもダメといわれた。
後日、その人のdissertationを入手して読んだときにそういうコトかと思った。
腹は立つけど、学者らしく論文でとっちっめてやることにします。
まあ、台湾製のローレックスみたいなモンだから、
強烈な反論でもしかるべきところに出して、再起不能に
してあげます。
119名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/21(木) 21:51
反論ったって、あーた、自分の分析に自分で反論するの?
120衝動派:2001/06/21(木) 22:46
ぐあああ、そんなんだったら誰も信用できなくなるわ〜。かかり助詞ぐあんばれ!天誅萌え!
121名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/21(木) 23:26
>よくあるのは次のようなケース。
よく、あるの?
122名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/22(金) 03:49
Dixonの『言語の興亡』の第VIII章を読みました。
123>ソvs。チョ44(´∀`) :2001/06/22(金) 07:09
>>機能が構造を決定する
>これは俺としては激しく同意しない(藁

これは勿論想像どおりの反応だ。(w

>てか、上のようなことを言う人は、まず言語の能力と使用の
>区別ができていないだけだろ。
さあ、それはどうかな。

なんで意見がかみ合わないのか考えてみたい。まず第一に、上の
機能主義者のテーゼの具体的事例としてよく出されるものは何か。
例えば、「ドアのノブ」。ドアのノブがあの形状(構造)になって
いるのは人間が握ってひねるという行為(目的=機能)のために、
いまある形状になっている。要するに、芸術などを除けば人工物
というのは人間が行う行為に即した形で構造がある。このことに
特化した分野もある(人間工学)。要するに機能>構造だ。
ドアのノブがたまたまあの構造だったから人間がにぎる訳ではない。
もともと人間が握ることを目的に作られているわけだ。
で、人間は使いやすいように許される範囲で物を改良させる、する
こともできる(意識的、無意識問わず)。

しかし、逆に言うと彼らのテーゼはいったん人工物を離れると
ワークしない。人間が生きていくために空気があるのではない。
人間がガンにならないようにオゾン層があるのではない。
あるアプリオリにあたえられた構造の中で人間は機能が果たせて
いるわけだ。人工物を対象にするか、自然を対象にするかで
機能と構造の関係は完全に逆転する。

さて、本題の「言語」に戻ろう。
要は、生成文法と機能主義の立場の違いは「言語」は自然構造物
なのか、人工物なのかというところに行き着く(一つの解釈として)。

機能主義者は「言語」を人工物と同様に捉えることを前提と
していると言わざるをえないが、「言語」を人工物と捉え、
研究することの妥当性はjustifyが必要なのかもしれん。
(誰もんなこと問うこともしないが。)

しかし、一方で「言語」が純粋に自然の構造体という捉えかたにも
抵抗があるわけだ。なぜなら、機能主義者が主張しているように
例えば、言語変化の原理など、はっきりしているものも多い。
使っているうちに(無意識に)変化したといわれているものなど。
(discourse-basis ---とある研究など)

個人的な感想としては、言語の発生そのものに機能主義者が
回答を与える、もしくは貢献する見込みはゼロに近いだろうな。
(しかし、実は、言語発生の問題を機能主義の観点から声高に
主張している人というのも、おらんのよね、俺が知っている限り。
生成陣営の人はなんかその点を勘違いして、勝手に敵視している
節がある。機能主義をすべからく押し通すなら必然的に発生も
機能的なものにならざるをえないだろうが。個人的には
そんなつもりはないが。)

だが、いったん生まれてしまった「言語」を人工物として
機能的な角度から分析することはアプローチの一つとして
妥当だと思うが。

相変わらず要領を得ないが(w、
これが今のところの俺の理解、だす。
124(´∀`):2001/06/22(金) 19:49
>121
よくある。身に覚えのある人?(ハーイ!)
まあ、同じ問題を同じ視点から考えてる連中が世界にはいっぱいいるわけだから、
自分が最初だと思った分析を他人がとっくに提案してたなんてことは、あって当然。
大事なのは上のようなケースでAの存在を知ったあとのBの対処の仕方だな。
>>118みたいなのは、あくまでその相手個人の研究者としての品性の問題。個人的に
知ってる相手らしいけど、p.c.とかでacknowledgeすらしてないのかい?
125(´∀`):2001/06/22(金) 19:50
>123 (「ソシュールVSチョムスキー」から引っ越し分)
いちおーポイントは押さえてるな。
>生成文法と機能主義の立場の違いは「言語」は自然構造物 なのか、人工物なのかと
>いうところに行き着く
そ。だから上で言ったように「言語能力=生物学器官であり自然物」、「個々の言語
運用方法=人間の人為的な営為と工夫」と区別すればスッキリした見通しになるだろ。
言語の自然物としての領域にまで機能主義を持ち込むことがダメだといってるの。
言語は人間が発明したもののなかで一番すばらしいもの、などといういい方も耳にする
が、それが言語能力の意味ならまさに噴飯もの。じゃあ、鳥の翼は鳥が発明したんかい
┐(´ー`)┌

>言語変化の原理など
通時的、共時的を問わず、すべての変異や多様性はあらかじめ決められたUGの制限枠の
中で起きるささやかな揺らぎに過ぎない、と考える。今問題にしているのはUG自体の
特性。

>生成陣営の人はなんかその点を勘違いして、勝手に敵視している 節がある
てか、生成の中にもウルトラ・ダーウィニストがいるわけさ。ピンカーみたいなのが。
選択圧が作用する前に、選択されるべき構造ができていなければならないのに、自然
選択自身が新しいものを創造するかのように言う連中。「ダーウィンが生きていたら
誰よりも激しくネオ・ダーウィニズムを批判するだろう」みたいなことをチョムスキー
もどっかで言ってたような。

>いったん生まれてしまった「言語」を人工物として 機能的な角度から分析することは
>アプローチの一つとして 妥当だと思うが
それは最初から認めてるじゃん。いったん飛行の目的で使われはじめた昆虫の羽根は、
それによってさらにその機能に合致するように改良され、逆に言えばそれ以外の機能を
失っていく。だが、起こりうるどのような変化も、機能とは独立した物理的法則の制約
のもとにある、ってことを忘れてはいけない。目的語を前景化するためとはいえ、
John is believed [ that Mary loves ]. なんてことが言えるようにはならないのと同じ。
126かかり助詞:2001/06/23(土) 00:40
>>119, 120, 124
そこいら辺がDr盗作の巧みなところで、さすがに私の例文を引用するときには
ソースを出している。しかし、私の分析には私の名前を出さないであたかも
自分の提案のごとく書いている。同じ分析で同じ例文を説明すれば立派な
盗作でありますが、書き方からして盗作ギリギリのところというキモスル。

自分の批判をするのではなくて、Dr盗作は私のいっていることを勘違い
してトンデモナイことを書いているところもある。だから、そこを叩く。
そうすることによって(希望としては)人々が私の論文も読み、「なんだ、
M工大の方は盗作じゃぁねぇーか」という結論に1日も早く達してくれること。

ところで、私は生物学とかに疎いのだけど、「個体発生は系統発生を繰り返す」
というよね。それがもし言語に当てはまるのだとすると、幼児が1語期、2語期
を得てより複雑な言語構造を習得していくように、人類が言葉を使い始めた当初は
1語文ばかりであり、それが時とともにより複雑になったと考えられる。
ミニマリストでは、「言語はinterface conditionのoptimal solution」
ということになっている。これをどうとるかが問題だけど、acquisition
的には、「幼児はどのようにしたらinputとconsistentにoptimal solution
をみたせるかを探している」と言える。これが系統発生にも当てはまるのだと
すると、「optimal solutionという言語デザインに達したのは元々、
そういうデザインを探していたから」チュー事になるような気がするのだけド。
問題は、そういうデザインを探すコトを強いたのが機能かどうかってコト?

素人っぽい考えかしら。教えをこふ。
127dege:2001/06/23(土) 01:10
>>90
>ついでに俺の授業のつかみネタなんだけど、日本語で「〜すべきではない」ってのは
>意味解釈が表層の階層関係とは逆転して should > not になるが(実は「〜しないべき
>だ」の意)、これもNeg移動かなんか考えるのかな?

Deontic Logicの話だと思いますが、
まじめにやると単純には済まないので、
ここでは、抽象化かつ簡略化して考えます。

Deontic Logicは様相論理の応用の一つで、
modal operatorとしてPとOを導入すると考えて下さい。
PA: Aであってもよい。
OA: Aであるべきだ。

意味も、可能世界意味論で定義します。
PA, OAの真理条件は以下のとおり。
世界wの観点からPAが真になるのは、
wから許容可能な世界の少なくとも一つの世界でAが真になるとき、
そのときに限り、wでPAが真になると定義する。
OAがwで真になるのは、wから許容可能なすべての世界で
Aが真になるとき、そのときに限り、wでOAが真になると定義する。

さて、「〜しないべきだ」は、
O¬Aとなり、これを可能世界意味論に翻訳すると、
参照可能なすべての世界で、Aではないとなる。
(∀t(wRt)⇒M,t|=notA)

「〜するべきではない」は、
¬OAとなり、これを可能世界意味論に翻訳すると、
参照可能なすべての世界で、Aであることはない。
¬(∀t(wRt)⇒M,t|=notA) となる。
これはP¬Aと同じで、
参照可能なある世界で、Aではないになる。
つまり「〜しなくてもよい」になる。
また、「してはいけない」は¬PAとなる。

義務論理は倫理の命題と関係して、さまざまな流派があって、
どんな推論形式でも導出可能なわけでなない。

「〜するべきではない」をP¬Aと解釈するなら、
you should not do that
はどうなるのでしょ。

あのH. Reichenbachでさえ、!¬Pではあるが、
¬!Pと解釈できないといってるが、本当??
(!はshouldで、shouldという語は否定できないと)

義務論理は反実仮想や時制論理とも密接で奥が深い。

とりあえず、以下揚げときます。
Hilpinen, Risto, ed., Deontic Logic: Introductory and
Systematic Readings, D. Reidel,Dordrecht, 1971.
128(´∀`):2001/06/23(土) 04:48
>126
そのあたりが俺的には一番おもしろいトピックなんだなー。
取り敢えず今回は次の点だけ。
「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケルの反復説)は額面通りに受け取ることは
できない。ヒトの受精卵は最初からヒトの受精卵なのであって、母胎内でサカナだったり
アウストラロピテクスだったりする時期はないからな。
それどころか、個体発生が系統発生をわざわざ繰り返さなくてもよいことを保証して
いるのが他ならぬ遺伝のメカニズムなのであって、こいつのおかげで各個体は、ご先祖
さまが長〜い時間をかけて積み重ねてきた進化や変異の結果を先験的に享受してるわけ
だろ。そしてそれが言語についても同じであるというのがUG仮説。生物学的遺伝的資質
として俺らのDNAの中に蓄えられている言語の系統発生の記録があるからこそ、各個体
は系統発生を繰り返すことなく最初から言語能力を持った生き物として生まれてくる。
だから実はUG仮説は反復説への言語学からのアンチ・テーゼとして見るべきだし、
その点では現代生物学の立場とよく調和している。
「プラトンの問題」はあくまで個体発生の問題で、不安定なUGがどのようにして具現
化・安定化をたどるのかを問うものだから、当然UGの関与を認めるわけだが、UG自体
の起源と進化を論じる場合には、UGのない状態からのUGの創発を考えるのであって、
UGなしの言語の発生を説明しなくてはいけない。認知言語学が系統発生と個体発生を
混同しているというのはこのこと。(昔のRadfordの、早期の幼児文法には機能範疇が
ない、という分析も、UG仮説からすれば実に妙な話しだったと思う。)
チョムスキー派も、Strong Minimalist Thesisなどといって、言語のデザインの説明を
物理法則とインタフェイス条件に求めているが、これはあくまで系統発生の問題であり、
今の生成文法は明らかに進化言語学(evolutionary linguistics、いちおー俺の造語ね)に
変容しつつあるということにちゃんと気付いている人はどれくらいおるんかねぇ。

(´∀`)の主張: 生成文法は進化生物学の下位領域なのである。 なんちて
129(´∀`):2001/06/23(土) 04:49
>127
何だか要領を得ないんだけど、要するに分からんってことだね?
上の「〜のはずはない」もあるから、deonticに限った話しではない。
>you should not do that
>はどうなるのでしょ。
どうなるって、これは見たままでいいじゃん (should > not)
だからshould notの論理的翻訳は「すべきではない」とすべきではなく、いや、しない
べきで、「しないべき」とすべきなんだな ┐(´ー`)┌
130dege:2001/06/23(土) 08:44
問題は、日本語の「〜すべきではない」が「〜しないべきだ」と
解釈できると言うとるのが正しいのかということ。
字句のまま¬OAとするのと、#90がいうところのO¬Aとするのでは
「意味」がちがってるといいたかったまで。
義務を含む推論に関心あるわけないだろうから、話は以上で終わり。

生成文法のLFに関心あってのぞいたけど、話が意味になるととたんに
語彙が貧困になる印象。雑誌でもあたってみるわ。

それにしてもみんな掲示板に熱心だね。
131(´∀`):2001/06/23(土) 14:39
>問題は、日本語の「〜すべきではない」が「〜しないべきだ」と
>解釈できると言うとるのが正しいのかということ
ではあなたは「〜すべきではない」を実際に¬OAの意味で解釈してるのかな?
俺が上で言ったのは、syntax的には¬OAであるものをO¬Aに転化する
ことが使用レベルで起きるんだろ、ってこと。

>生成文法のLFに関心あってのぞいたけど、話が意味になるととたんに
>語彙が貧困になる印象。
誤解があるようだが、LFは統語構造であって、論理意味を記述するために
勝手にいろんな記号を導入してもよいというレベルではないのよ。
(Inclusiveness Conditionというやつが働いている)
いわゆる論理式はLFを入力にして運用部門で得られるもの(昔、LF'という
言い方があった)と思ったらいいな、きっと。
132名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/24(日) 16:55
ここはあまりソシュールに詳しい人はいないのだな。
残念。
133名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/24(日) 19:22
まぁこっちソシュールスレじゃないけどね
134通りすがり:2001/06/25(月) 15:24
>>129
Should notってnotのストレスのおき方によってスコープが変わるよ
You should not go to school on Sundays. すべきではない
You should NOT go to school on Sundays. しないべき
そんで、こんなのもOK
You should not NOT go to school on Sundays.
誰かこの事すでに言ってたよ。PullumとZwiky(スペル合ってる?)だっけか?
あと、HPSGやってる人たちがこの辺の事言ってたと思うけど
通りすがりのアマチュアでしたー
135(´∀`):2001/06/25(月) 20:29
>134
たぶん、should > not1 > not2(=NOT)
でnot2はVPをスコープにとるconstituent negationなのでは?
問題はsentential negationらしきnot1もshouldとの相対スコープ
では、should > not1 のようだ、ということ。
「すべきでない」と訳していても実際は「する義務がない、しなくて
よい」などと解釈しないでしょ?

>通りすがりのアマチュアでしたー
また通りすがってよね。
136名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/25(月) 20:53
NOTにストレスを置くときと置かないときでは統語構造も
なにかしらちがうと考えたほうがよいのでしょうか。
137衝動派:2001/07/01(日) 23:54
とうとつ質問!

言語能力=Faculty of language(FL) てのは「驚くほど精巧に作られた複雑な最適器官」なのか?
だとしたら、ドーキンスが正しいかも?ピンカーも正しいかも?

FLってのは「驚くに値しないほど単純な最適器官」なのか?だとしたら、チョムスキーが
正しいかも?

でさ、あえて憎まれ役になるけど、ミニマリストって、その「驚くに値しないほど
単純な(物理的にきわめて自明・単純な)最適器官だったのだよ(なんのことはない)」
ってことを結論として導き出すための、方法論的領域限定化なんじゃねーの?って
文句には、どーこたえるよ?
138(´∀`):2001/07/02(月) 02:16
>どーこたえるよ?
そんな訊き方するなら、答えてやらんもんね。プンプン!
なーんてね。

いや、どっから上のような「二項対立的な」まとめ方が出てくるのか、俺には理解不能
だな。少なくとも外見上、「驚くほど精巧に作られた複雑な器官」であることはみんな
同意するわけだな。だけどその複雑さを何が説明するのか、でチョム・ピンの対立がある
(ということになってる)わけさ。自然選択だけでは説明できない、ってのがチョムの立場だけど、そんなの当たり前の話しで、ちょうど母語獲得が経験だけでは説明できない、という指摘と同じ。
人間言語に限らず、動植物の形態や生物の持ってる本能・能力にはわざわざ機能的
動機づけや自然選択・性選択なんかを持ち出さなくても単に物理・数学の法則に従って
いるだけ、ってのがたくさんある。フィボナッチ数列とかハチの巣の正6角形とか。
それで、言語についても生成の関心領域である言語のcore computational systemが
まさにそのような説明が可能な領域であり、自然選択万能説への反証とされるわけだ。
よくある例だと、subjacencyを遵守することがなぜ子孫をより多く残すことにつながる
のか、さっぱり分からん ヽ(´ー`)ノ 選択云々とは無関係に、最初からsubjacencyを
遵守する以外に人間言語はあり得ないんだろーって。最近Calvin & Bickertonが
argument structureの起源を互恵主義に求めておるが、あれなんかも、俺に言わせれば
とんでもない与太話だわ。
で、「方法論的領域限定化」という言い方はまんざら間違ってはいないだろう。限定
された領域だけでも反証としては十分だからね。しかしそれは結果であって、これまで
生成が関わってきた領域には、従来想定してきたような領域固有の特殊な事情など何も
ない、ということがようやく分かり始めた、というのが実状だろうな。別スレのX-bar
からbare systemへの移行なんか、まさにそう。わざわざ句構造の雛形を定義しなく
ても、あるものと別のものが組み合わされば、もののことわり(物理)として必ず
こうなる、それだけで十分、ということだと思う。
どーでもよいけど、正しくはドーキン「ズ」だな。
139名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/02(月) 04:56
>それにしてもみんな掲示板に熱心だね。
生成文法が誤解されたまま求心力を失っていくかどうかの
瀬戸際だからね!?与太話ばかりで、衆愚政治みたいになる
のも困りものだし。(w

>最近Calvin & Bickertonが
>argument structureの起源を互恵主義に求めておる
そんなことまでいってますか。(w
140(´∀`):2001/07/03(火) 01:48
>与太話ばかり
お、俺のことかな?

ASの件も、motivationとして理解するならmake senseするけどね。
しかし今のsplit VPだと、ASって少なくともGBみたいには定義できんだろーに。
141名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/03(火) 13:27
>お、俺のことかな?
あ、逆、逆。
機能>構造という視点しかない
機能主義者の余太話の蔓延=衆愚なんじゃない?
142衝動派:2001/07/05(木) 00:04
>138
訊きかた、不躾だったね。しーましぇん。フィボナッチではライム&リーズンの
最後の音節構造の話しがビックリドッキリホントかよーでしたよ。

で、FLの内容の「複雑さ」のことなんだけど、僕は138とはちょっと違う印象。
あえて二者択一的言い方しちゃうけど、ピンカーらは、「UGには実に複雑な内容
(条件・原理・原則)が含まれている。こんな複雑な装置を作り上げるのは単純な
物理法則などではそもそもムリだ。ガラクタをほーり投げて落ちてきたら、精巧な時計
ができてたってようなもの。だが淘汰によればそういう精密デザインの仕組みが
できることはよくある。ゆえにFLは淘汰による」って感じでしょ?ピンカーらにとっては
FLは複雑であるほど都合がいいのじゃないのかな?

一方、チョムスキーの方は、「言語表現には、それこそ複雑なパターンが出てくるが
その背後にある原理はきわめて単純簡潔ビユーティフル!UGは単純なのだ。それゆえ
FLを作るには淘汰を使わずともできる可能性があるのだ(淘汰は否定しないが、淘汰
万能ではないのだ)。一見、複雑に見えるひまわりの花の種のつき方が単純な物理原理に
基づいているのと同じように」と、そういうことを狙っているのではないかと推測。

その観点から、UGは単純な法則だけから成り立っていることを示そうとしているのが、
ミニマリスト計画の真意なのではないかと。
143衝動派:2001/07/05(木) 01:10
あ、138さんと同じこと言ってたか?分からなくなってきた。
144(´∀`):2001/07/05(木) 02:55
>142
俺と同じような関心を持ってる人がいて嬉しいよ。
ひょっとして以前俺にペーパー送ってくれた人かい?
ま、そんなことはどうでもいいやね。

138で
>少なくとも外見上
という断りを入れたのに気付いて欲しいんだけど、表面上いかに複雑極まりないもので
あってもそれを生み出す原理、説明する法則は驚くほど単純なものに違いない、という
点では俺らはまったく同じ見方をしてる。ただ、俺はUG自体を被説明項として位置づけ
たいので、そいつが外見上複雑であればあるほど、説明のし甲斐があるんだな。だって
説明すべき対象が最初から単純明快であることが見えていたら、その説明も単純なのは
当たり前で、面白くないからね。まあこのへんはontological minimalismとかstrong
minimalist thesisの解釈の仕方と深く関わるので、俺もあまり強気の主張はしたく
ないんだけどさ。
自然選択でしか説明できないとキミらはいうけど、Look! こんな単純な数式(句構造式)
の繰り返し適用によって生み出される複雑なパタンが自然界にはいっぱいあるではない
か、とヒマワリ君も巻き貝さんも呼びかけているわけだね。
145名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/06(金) 08:50
>自然選択 vs.ヒマワリ君も巻き貝さん
何が違うんでしょうか?
なんでその後人間になる猿の一部だけが。。。
146(´∀`):2001/07/09(月) 05:29
↑ も少し質問の主旨をはっきりしてくれ。答えようがない。
147名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/13(金) 06:22
あんげ
148名無し象は鼻がウナギだ! :2001/07/21(土) 17:37
倉庫行き防止のため
149名無し象は鼻がウナギだ!:2001/07/24(火) 05:58
age
150とあるサティアンでの会話:2001/07/30(月) 01:12
ちょむ尊師がサリンまけって言ったらまきまーす!
by 実行部隊まもるちゃん

その心意気だ!
by 正大師ラズラズ
151あぼーん:あぼーん
あぼーん
152あぼーん:あぼーん
あぼーん
153名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/06(月) 16:02
>>122
>Dixonの『言語の興亡』の第VIII章を読みました。
↓これのこと?

>これらの「言語学者」の大半はグループを作っている。互いに助け合い、
>終身在職権を手にいれたり昇任したりしやすいよう計らう。彼らは言語を
>理解するのにいろいろな言語について研究する必要はないと論じる。
>すべて内省的認識により達成できると。これは、実際に誰も手術を行った
>ことがないのに外科学の何たるかについて講義をしている「外科医」の
>グループのようだ。

>他にも誤った考え方がある。一つには、言語理論はたいていの場合演繹的に
>構築されるべきだというものだ。自分たちの、英語やドイツ語やイタリア語
>などの知識に基づいて「言語の一般的な特性」を提案し、それを理論上の
>進歩と称して公刊する言語学者がいる。彼らはそれから、何年も費やして
>別の言語が何ゆえその考えにすんなりと合わないのかを説明する。

>(言語を記録に残す)この仕事は今すぐしなければ、永遠にできなくなる。
>そうなったら、未来の世代は二〇世紀末から二一世紀初頭の「言語学者」
>と称する人々を、失望と侮蔑の念をもって振り返ることだろう。
154名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/06(月) 21:51
>(言語を記録に残す)この仕事は今すぐしなければ、永遠に
>できなくなる。そうなったら、未来の世代は二〇世紀末から
>二一世紀初頭の「言語学者」と称する人々を、失望と侮蔑の
>念をもって振り返ることだろう。

 これは本当に大問題だと思う。少数の言語を深く追求する
ことで言語の本質が得られるとするチョムスキー言語学がこの
半世紀主流だったことは、この問題と無関係ではないと思うな。
理論家を否定するわけではないが、言語学における割合が
多すぎる。逆に誰でもがフィールドワーカーとしての資質が
あるわけでないというのも事実だけど。
155ところで:2001/08/06(月) 23:38
チョムスキーの体系は何度も変化しているけど、
チョムスキアンはそれをどう感じているんだろう?
ミニマリストプログラムを適切と認めるということは、
初期の生成文法を糞と認めることになると思うんだが。

逆に「GBマンセー! MPは糞!」
みたいなチョムスキアンはいないのかな?
156かかり助詞:2001/08/07(火) 00:22
153の引用は勘違いも甚だしいな。私個人は英日語が主だけど、
生成文法をやっている人の中にもexotic languageのfield work
をかねてやっている人もいるし、何より、最もよく研究されている
英語のシンタックスだって今だ解らないことだらけなのに、
その研究が無意味みたいに言うのは言葉の表面しか見れない
アホ学者だ。
生成文法が発見した(生成文法がなければ発見できなかった)
英語に関する事実は数多くある。例えばpostalのcross over
phenomenaを参照されたい。2チャンにもある例としては、
「係り結びすれ」を参照のこと。そこに書かれている事実は
生成文法家である私が見つけたものだ。それは決して無意味な仕
事ではない。誤解に基づいて批判する人の方が無意味だ。
155も誤解。生成文法の歴史は「記述的妥当性」と「説明的妥当性」
のconflictの歴史だ。記述的には初期のtransformational grammar
のほうがGB/MPなんかより遥かに多くの事実を「記述」できる。
それでもGB/MPが研究者の心を惹きつけるのは、こうした理論が
言語学の究極目標である「説明的妥当性」を達成できるという
可能性があるからだ。初期の生成文法を糞というミニマリストは
(いないと思うけど)はっきり言って生成文法のことを理解
していない人だ。
157衝動派:2001/08/07(火) 00:42
>>153, >>154
ディクソンの本はまだ読んでいないのですが、危機に瀕した言語のことが
いつ頃から問題にされ始めたのか気になってます。かなり前から少数言語
の消滅は進行していたのだろうけど、ここ20年程で盛り上がってきた
ような印象。大問題だから、何か自分なりにできることをしたいのだけれど
取っ掛かりが掴めません。フィールドワークの訓練を受けてないし。
近場にいる方言ネイティブの話しをデジタル録音することくらい(苦笑)。
危機言語の話されてるところにでかけるなんてできないのが現実だし
どういう形で協力できるのか皆目不明。SETIプロジェクト的な協力が
できればいいなあと思ってるんだけど。音声ファイルを配信してそれを
IPAに変換して返すとかね。

http://www.planetary.or.jp/setiathome/home_japanese.html

>>155
変化の合理的な理由が分かるなら問題なしです。当然、なんだチョムスキー、
変なことを言いはじめたぞとなれば「チャーンス!」とばかりに突っ込む
論文ネタを探し始めます。ちなみに僕はジャッケンドフが面白いと思っていますが
それでもチョムスキアンと名乗っていいんでしょうか(苦笑)
158名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/09(木) 02:08
ジャッケンドフって認知言語学者じゃないの?
159名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/09(木) 10:37
>158
認知の人だと思うかもしれないけど、統語論の
自律性を認めてるから、厳密には違うよ。
160名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/09(木) 13:08
>159
あんがと。なるほど。

生成文法ってさ、統語論が最初にありき、って文法観だと
思うんだけど、逆に統語論は最後、というか付随(結果)的な
ものという文法論はないのかな?
ジャッケンドフって後者に近いかな?
161名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/09(木) 20:13
ジャッケンドフは統語構造、概念構造、音韻構造というコンポーネントが
それぞれ表示を生成する。で、その三者は対応規則で関係付けられている。
Chomsky流の生成文法だとPFとLFはsyntaxで作られたものをinterpretする
って感じかな。

だから、決して統語論が付随的ってわけではないけど、たしかに統語論だけ
特別扱いしてないね。
162名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/12(日) 21:43
生成派の方々って、仲間内の隠語めいた略語の頻用や、ちょっとした批判でもムキになって反論する必要以上にポレミカルな性格の人が多い(この板でも)のがイヤっす。
163名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/12(日) 22:02
一部の人を除いて自分達の土俵(生成的見方)から出ようと
しないよね。
164名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/13(月) 10:33
要はカルトなんだよな。
カリスマ的なリーダーがいて、仲間内でしか通じない用語やルール=教義があって…
反生成的(e.g. 機能論的)なものいいをすると問答無用で仲間にポアされる。
カルトの信者と同じで、生成的価値観が他の全ての価値観を上回るようにプログラムされている。
あいつらはいらない。駆除すべし。
165名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/13(月) 13:15
専門用語なんてどの理論にもあるんじゃないの?
生成に限って「仲間内の隠語めいた略語」とか非難したくなるのはどういう異常心理なんでせうか?
166名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/13(月) 15:12
>>165
>専門用語なんてどの理論にもあるんじゃないの?

生成文法の人たちはいつもそんな一般化で逃げるなあ。
専門用語の多さ、特に頭文字だけの初見では意味不明な略語の多さでは生成派は群を抜きます。この板でも、説明もなしにイキナリ生成派にしか通用しない略語を振り回す連中の何と多かったことか。自覚してないとしたら恐い。
167名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/13(月) 17:16
通用する相手にしか使ってないんだからいいんではないかと。

生成文法を目のカタキにしてなにかと因縁つけたがるの、見ていて気持ちわりいっす。
168名無し:2001/08/13(月) 17:39
生成の人でも機能論のインサイトを大切にする人いるじゃん。
メカニズム馬鹿もいるけど。
169名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/13(月) 17:50
>>167
>通用する相手にしか使ってないんだからいいんではないかと。

それこそ実に内閉的態度ですね。少しは生成以外の読者も顧慮して下さいませ。
170通りすがり:2001/08/13(月) 19:07
>166
>専門用語が多さ、…で生成派は群を抜きます。
たしかにそうかも。でも、それが一体何を示しているのか
分かりません。教えてください。

>この板では…
この板では確かにそうですね。でも、略語を正式名称で
書いても分からないのでは?もしそうなら、訊けば良い
と思うのですが・・・。

>169
>内閉的態度。生成以外の読者も顧慮。
やはり訊くのが良いと思います。
読者というのがROMを指すのであればそれは都合が
良すぎると思います。基本的には議論している相手が
分かればそれで十分ですから。
171名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/13(月) 19:17
>>170
一々訊かなければならないことばかりなので、議論に參加できず、閉め出しを喰った感じで残念なのです。
172あぼーん:あぼーん
あぼーん
173:2001/08/13(月) 20:59
>>171
でも、やっぱり訊くか自分で調べるかしないと分からないままで終わる
から、訊いた方が良いね。本来なら確かな文献を元に自分で調べるの
が良いと思うけど。本当に気になるんだったら、「用語解説スレ」みたい
なのをたてるのをお勧めします。
174かかり助詞:2001/08/14(火) 01:58
「生成文法批判すれ」なのだから、批判側も当然ある程度の知識がある
ことを想定しているわけです。例えばLCAとかいって、それがLinear
Correspondence Axiomのことだと言っても生成文法のこと知らない人
には何にも解らないでしょ。Linear Correspondence Axiomの
ことが解るには、Kayneの本を読まないといけないし、またそれが
想定している、読者の側のある程度の論理学の素養も必要になる。そんなの
いちいちここで書けないでしょ。批判するなら、理解するために
読まないと。それこそ議論がかみ合わない。

私はこの板で批判される典型的な生成文法家かもしれないけど、きちんとした
批判には怒らない。腹立たしいのは153の引用のような見当違いな言いがかり
(及びそれを読んで信じる人)です。批判するのには、それなりに理解しないと
いけない。解ってもないのに批判できないからだ。

しかし、それを163のように「自分の土俵からでようとしない」というのは
見当違い。言うなれば、「俺は貴の花が弱いと思う。あんな奴、俺の拳銃に
かかればイチコロだ。けど、俺は俺の方が強いのを土俵の上の相撲で証明し
ない。あいつの方が土俵からおりてきて、俺の拳銃の餌食になるべきだ。」
と言ってるサイコ野郎的なトンでもない批判じゃあないカネ。
175名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/14(火) 03:30
貴の花の例は面白いけど、なかなかイカレタ例えを考えたね。(w
そもそも163は、一部の人を除いて、と言ってるようだが???
176名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/14(火) 06:16
結局、生成のことをよく分かって批判してる人って一人もいないってことっすね(苦笑
177かかり助詞:2001/08/14(火) 06:38
175「一部の人を除いて、xだ」というのは「ほとんどの人がxだ」
てのと同じ意味でしょ。数量詞の意味は分かっているかな。私は
昔からくじ運が悪いので、「ほとんどの人がハズレ」のクジには
当たった試しがない。から163のように言われると、私は「土俵から
おりない組」に入っていると解釈してしまう。

明日から2週間近く私は旅にでるので、私の書き込みはないよ。
178名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/14(火) 07:39
つーかテクニカルな話以前の問題だろ、最近のここでの論戦だと。
細かいテクニカルなassumptionだけでなくtheoryの依て立つ
assumptionが受け入れられないからそれを疑問視する人が
いるわけだ(最近だとBOBという人)。

お前の土俵なんか形が変じゃねーか?、と言われてるんだから、
土俵からおりて土俵を確認しろよ。なんで客観的に
自分達の依って立つよりどころを再確認せずに
相撲(議論)を重ねるんだ?

BOBさんの相手をした顔文字さんは噛み合わないながらも
きちんと対応しただけ立派だよ。theoryの比較とかそんな
問題じゃなかっただろ、あれは。
結局、自分達の主張に都合の悪い話になるとけむに巻く、
という印象をもってしまうな。
ま、どうでもいいけど。ウG まん背ー(w
179名無しの象はウナギだ!:2001/08/14(火) 10:38
>>178
>お前の土俵なんか形が変じゃねーか?、と言われてるんだから、
>土俵からおりて土俵を確認しろよ。なんで客観的に自分達の依っ
>て立つよりどころを再確認せずに 相撲(議論)を重ねるんだ?

どこがどう変なのかをちゃんと指摘してんのかよ?
それがなきゃ「自己批判しろ!」って喚いてるんと一緒だぞ。

あと、「依って立つよりどころ」ってのはバカがばれるからやめとけ。
180名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/14(火) 11:28
>専門用語なんてどの理論にもあるんじゃないの?
根拠のない思いつきのような概念でも学術用語っぽい名前をつけられちゃうと、
それがあたかも実在してるような気がしてくるものでさ。spell-outも
reconstructionも結局はチンケなSF的ガジェットにすぎない。
数学的にちゃんと定式化されてるチョムスキー階層とかは別に無害なんだけどさ。
専門用語で結束を強めるのはカルトの常套手段。

>BOBさんの相手をした顔文字さんは噛み合わないながらも
>きちんと対応しただけ立派だよ。

>どこがどう変なのかをちゃんと指摘してんのかよ?
ここ一ヶ月くらいの最近のチョムスキー初心者スレ見てこいよ。
変なとこを指摘されてもまともに対応できるやつが生成側にほとんどいないって
わかるからさ。あんたも本当は見てたけど何も言えなかったんじゃねーの?...
ヴァカだから。自分に都合の悪いことは見えません聞こえませんってか?
逝ってこい。
181東半球:2001/08/14(火) 11:31
用語法って世界観を露骨に反映するからね。
「類型論的常識があれば、こういう表現はしないだろ」
と感じさせるジャーゴンが生成文法には多い。
英語ローカルでなら別に変じゃない用語法でも、
「普遍文法」の用語として考えたら違和感があるような。
182かかり助詞:2001/08/14(火) 11:47
これがホントに旅立ち前最後の書き込みね。

ここのスレの問題点は、多くの人が「名無しの象」のHNを使い、自分の
学問的背景をはっきりさせないことにあるな。例えば生成文法家が
論理学者に理論の説明をするのと、国語学者に説明するのとでは、
何をpresupposeできるかに大きな違いがある。これではもとより
かい摘んだ説明さえもできない。だから、せめて自分のHNを決めて
自分の立場くらい書いたらどうかね。私だって「かかり助詞」という
名を使い、言うなれば生成文法という看板を背負って書いているんだ。

BOBさんと顔文字さんの話が論争とナリ得たのは
BOBさんもHPSGの人で、自分の主張するところがあったからである。
163、164、179(その他)の人の"批判"というのは、上で貴の花の
例えで書いたように、「なんだかよく俺には解らないけど、とにかく
ダメだ」式の、インネンとしか思えない。批判になってない。

この板の生成文法家(私は誰の正体が誰だか全く検討ついていないの
だけど)は、少なくとも解らないことを言って煙に巻いている
ようなことはしない人たちだ。解らないのを自分の不勉強の
せいだと思わないで、人の落ち度だと考えるのは学問をやる
人間の態度ではない。そんな人間がやっていける言語学の分野
があるとしたら、その方がずっと問題だ。
183名無しの象はウナギだ!:2001/08/14(火) 13:21
>>180
>ここ一ヶ月くらいの最近のチョムスキー初心者スレ見てこいよ。
>変なとこを指摘されてもまともに対応できるやつが生成側にほとんどいないって
>わかるからさ。あんたも本当は見てたけど何も言えなかったんじゃねーの?...

あれ読んで理解できるなんてあたまいいんだね。
勿論、ヴァカにも分かりやすく説明できるんでしょ?
184162:2001/08/14(火) 23:10
>>174
>腹立たしいのは153の引用のような見当違いな言いがかり

かかり助詞さんがなんで>>153に(しかも引用に)そんなに腹立てるのかわからないな。
やっぱり必要以上にムキになるポレミカルな性格だとしか……。
185ああ:2001/08/14(火) 23:21
>>183 同意。
チョムスキアンは、瑣末なテクニカルな質問には答えているが、
本当に知りたい根本的な質問は無視しているね。
186(´∀`):2001/08/15(水) 00:32
>>185
具体的に頼むわ。
俺は「根本的な質問」を無視した覚えも、またそのような質問をされた覚えもないんだけど、該当個所をあげてみてくれ。
書き逃げはもうナシってことで、ひとつよろしく。

>>162以下、該当者全員
俺は思うんだが、専門用語もよく知らないのに批判しようなんてことが許される学問分野がいったいどこにあるんだい。
言語学だけはそーゆー無法が許されると思ってんなら、それは言語学への冒涜だろ。生成もへったくれもない、ひとりの
言語学徒として見過ごすわけにはいかないね。いくらでも(暇な時に)相手してやるから、せいぜいレスしがいのある
議論をふっかけてきてみれ。
187かかり助詞:2001/08/15(水) 01:06
もうあと30分もしたら空港に行かないといけないので、
ホントにこれが最後の最後ね。只今、最後の洗濯中に
板を見たらレス(184)がついてたので言わせて貰うけど、
私は理解もしないで批判する奴等が許せないの。
それがチミの言う「必要以上にムキになるポレミカルな
性格」というのかどうか知らないけど、上の引用でとくに
あほうだと思うのは、生成文法のことをわかりもしないで
バカなインネンつけたあげく、「彼らはお互いにtenureを
とる手助けをしあっている」何て言いながら、自分は勉強も
せずに本を書いて、それを出版して業績にしているバカさ
加減なのよ。

ひとこと言わないと旅の間だイライラするといけないので
書かせて貰いました。ついでに、こんなところで性格占い
して貰いたくない。そんなことしている暇あったら、勉強でも
してから批判すべし。

では、顔文字さん後よろしく。無知蒙昧君たちの相手したってや。
188衝動派:2001/08/15(水) 01:31
B.O.Bさんでも、180さんでもいいんだけど、生成系の数ある概念の中でもなぜか
reconstructionが槍玉に上がってるね。これは例えば、

Which pictures of himself do you think John said Tom hated?

でhimselfの先行詞がJohnと解釈することもTomと解釈することも可能という事実
を説明するのにどうしようかってことでよく引き合いに出される概念だけど。
-selfが移動の痕跡位置で解釈されるってところが「SF的ガジェット」なんすか?
コピーを見てどうのこうのってとこ?循環的に解釈すりゃいいのにって言いたいのか?
「こんなの、こうこうやって、こーすればチョロイもんだ。reconstructionなんて
チンケな概念を持ち出すところがヴァカ!」と教えてくれるとありがたい。さらにもひとつ、
そいつが移動を持ち出す説明方法と実質どこが違うのかも。

「根本的な質問」ってのは、言語能力は学習で説明できるんじゃないかってところだけ
だったような(笑)。100%学習で習得可能というのならアタクシも当然ポレミカル。
じゃないとしたら、どっからどこまでが学習で可能かっていう逐一的に具体例を追っていく
泥臭い議論が必須になると思うけど。
189B.O.B:2001/08/16(木) 00:46
>>衝動派
では、移動やリコンストラクションのことを。
Wh-Movement とか Topicalization とか、「本来予測されるのと違う位置に目的語等が現れる」ってのを比喩的に「移動した」、って呼ぶのは分かる。
でも、『実際の』派生によって sequential に素性やらなにやら移動する、つまり移動前の表示と移動後の表示に(計算の)時間的な前後関係があるってのは、
人間の脳の仕事としてはいかにも不自然な感じがする。
目に見えないレベルでの移動とか、いったん移動したものが(目に見えないレベルで)戻るとかは直感的にナンセンスとしか思えない。

>(0.) Which pictures of himself do you think John said Tom hated?
>
>でhimselfの先行詞がJohnと解釈することもTomと解釈することも可能という事実
>を説明するのにどうしようかってことでよく引き合いに出される概念だけど。

1.(I think) John(i) said Tom(j) hated the picture of himself(*i/OKj).
2.(I think) John(i) said the picture of himself(i) won the prize.

みたいなデータが念頭にあって、上の文が不思議だと言うわけだよね。
まず前置きだけど、イギリス英語とか文語体では、1.の駄目な解釈みたいな、目的語内部への長距離束縛が許容されるそうだ。
それはコーパスデータから言われたことで、イギリス英語話者の全員がそれを許容するわけではないと思うが。
つまり、直接目的語内部への長距離束縛に関しては方言、話者により揺れがあるし、俺が0番をふった上の文も方言によっては不思議でもなんでもないということだ。

で、アメリカ英語で、なぜ0.と1.のコントラストが出るのかということだけど、まずひとつには Wh-word は必ずフォーカスとして解釈されるということがある。
フォーカスの有無が anaphora の可能性を左右するのには、例えば、
3. John was hurt by ??himself/HIMSELF.
4. Even JOHN(i) dislikes him(i).
のようなケースがある。
あと、表面的(PF的?)な距離の近さや、指示表現がPF上antecedentより先に表れるかどうか、というのも、指示関係の決定のヒューリスティクスにきっと影響を与えるだろう。
(それは実験等で独立して調べられること)
何より問題なのは、ジャッジに個人差が大きそう。1.(の不可能な解釈)だって、focal stressの置き方によっては「よし」になってしまう話者が何パーセントかはいると思うんだよね。
すくなくとも数人の生成文法家の (possibly biased) intuitionだけで決定的な議論はできないはずだ。
これだけの要因があることを考えると、リコンストラクションのような思い切った仮説を採用するのはちょっと性急すぎないか?って思うね。
190名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/16(木) 01:43
藤永保『ことばはどこで育つか』(大修館書店、2001)が、発達心理学の立場からチョムスキー派を批判するものらしい。
書評はここ。↓
 http://www.platz.or.jp/~virgil/jigoku002.htm#089
もう読んだ方がいらしたら、感想をお漏らし下さいませんか。
191右枝バサミ:2001/08/16(木) 01:43
本当に「ザク」っとスレを見てきたのですが、例文として出てくるのが
英語が中心なのでjudgementができずにいます。
ある現象が英語において顕著に見られるからといって必ずしも日本語にあるわけではないですよね。
出してもらえるなら日本語の例文のほうが説得されます(もしくは反論可能になる)。

あと、素人知識丸出しで言うならreconstructionてA.Ueyama(1998?)の
中で批判されていませんでしたっけ?
拙者、統語論の人間ではないので詳細はわかりませんが(勉強不足?)、そんな記憶がぁ。
如何なもので?
192つうかさ:2001/08/16(木) 02:05
構文のややこしい文が多義的になるのは単に当たり前でしょ。
193>192:2001/08/16(木) 03:21
ん?指摘は面白げなんだけど、
誰のどの発言(例文)に対するコメント?
194B.O.B:2001/08/16(木) 03:26
Ueyamaって、生成文法本流からはあんま評価されてない様子だけどね。
あの人がPFでの order が binding に関係する主張ってのは、
生成の人からみると不届き、その他の人からみると(語順がbindingの可能性
に関わるってんだから)わりと当たり前っぽいんだよね。
だからチョムスキアンシンタックスの枠組みにこだわらなきゃいいのにって思うよ。
(ていうかちゃんと読んでないんだけど)

> 構文のややこしい文が多義的になるのは単に当たり前でしょ。

生成の人は、イデア的な話者共通の「文法」があるんでけど、文のややこしさ
とか、語用論的な要因のような雑音、外部要因が入り込むからジャッジの揺れも
生じる…のように考えるんでしょう。
反チョムの、例えば俺とかは、逆に、ジャッジメントが割れるのは、イデア的な文法など
存在しないことの証拠だと捉える、と。じっさいのとこ、母語話者ならジャッジが一致するだなんて到底いえないでしょ。
例えば、
(1) [太郎と花子](i)はお互い(i)の絵が人気があると思っている。
(2) [太郎と花子](i)は山田先生がお互い(i)の絵を誉めたと思っている。
で、(1)と(2)の容認度にどのくらい差があると思う?(2)は文献では非文にされてたけど俺的には全然OKなんだよね...
195名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/16(木) 03:37
>(2)[太郎と花子](i)は山田先生がお互い(i)の絵を誉めたと思っている。
一見奇妙だけど、

(a)[太郎]は山田先生が[花子]の絵を誉めたと思っている。
(b)[花子]は山田先生が[太郎]の絵を誉めたと思っている。

のミックスかな?
しかも、

(2)'[太郎と花子](i)はお互い(i)の絵を山田先生が誉めたと思っている。

と語順を変更すれば、かなり非文の度合いが減りそうな気がする。
というか、これはもう非文じゃないね。
196名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/16(木) 03:43
ようやく適切なスレで適切な話題になってきたね。(w

俺的には、顔文字さんが他のスレで言ってた、非文を判定
できるのも言語知識、みたいな言い回しが、もう一つ何を
指しているのか、未だに、よくわからん。

非文かどうか分かるのは言語知識に元ずく能力、それも、
ある物を見てリンゴかリンゴじゃないかを判断するような、
言語と独立した、一般的な(認知)能力で可能だと思うんだけど、
それを言語知識とかっていわれるとこまってしまうナリ。(w

もちっと解説してほしい。
197(´∀`):2001/08/16(木) 04:11
はは、今回はわりとまともに書いてるじゃないか、B.O.B。
最初からそーゆー態度に出てりゃいいのに、死ねだのキチガイだの聞くに耐えん煽り文句ばっかわめきちらすから徹底的に
見下されるんだよ。ま、いずれにしても再会できて嬉しいよ(名無しはやめとけや)。

>いかにも不自然な感じがする
>直感的にナンセンスとしか思えない
シロートの印象論はだいたいそんなもんだろうが、学術的批判としては効力ゼロ。たとえば専門家以外の誰しも
不確定原理に対して同じような印象を持つだろうが、では彼らは不確定性原理を「批判」できる立場にあるのか。
(キミは言語学のシロートではないんだろ?)

>『実際の』派生によって sequential に素性やらなにやら移動する、つまり移動前の表示と移動後の表示に(計算の)
>時間的な前後関係がある
キミの疑問は二つに分けるべきだな。
1. 「移動」と比喩的に記述されてきたものは、実際の時間計算量・空間計算量を伴う操作なのかどうか。
2. そのような移動には、音声解釈上に反映されないcovertなものも含まれるのか。
で、キミの言い方だと生成では両方とも答えはyesというのが定説になってると思い込んでるようだが、それは事実に
反する。(1)については派生の経済性の考え方からして当然yesなんだろうと思うだろうが、派生の経済性自体、現在では
ほとんど言及されることはない。俺自身も他者との比較を要する経済性の考え方は間違いだと以前から発言してきた。
(2)については以前にも言及したcyclic spell-out(キミが知らずに批判してたやつね)の立場だと、overt/covertの
部門的区別自体が無意味になるな。個々の操作が音声解釈上何らかのreflexを持つかどうか(音声解釈とのタイミング)
ということになるのだが、reflexを必ず持つ(常に音声解釈に先行)と決めてかかるほうが俺には「直感的にナンセンス」。
で、実際の議論としては、例えばwh-in-situの取り扱いについて、昔のGBみたいになんでもかでもLF移動、みたいなことを
言う人はもういないだろうが、しかしcovertな移動の実在性については間接的証拠が多く蓄積されている。wh-in-situ の
解釈をもたらすメカとして、covertな移動による場合と移動なしのin-situでの解釈を可能にするもの(例えばunselective
binding)の両方があり、それらは異なるタイプの意味解釈をもたらすものだ、ってのが有力な見方の一つ。
198(´∀`):2001/08/16(木) 04:12
あげられている例文に関しては、まず、お決まりの「コアのデータ(のみ)を説明する一般原理と、実際の言語使用の場に
おいて関わってくる一般原理以外の諸要因の関与によって生じる判断の揺らぎ」という線引きを理解しているかどうか、
それに同意できるかどうか、だ。
例えば「自分自身」は長距離束縛を許さないタイプの局所照応語という分類のされ方が普通だが、実際の非専門化の判断と
しては「太郎は花子が自分自身を批判したと思っている」とかで太郎=自分自身を可とする者も少なからずいるな。
だからといって、上の照応語のタイポロジー自体が理論的意義を失うわけではない。上でいう「諸要因」を明らかにする
上で有益なデータだと考えるべきであって、ただちに一般原理自体の存在を疑うべきだということにはならない。
このあたりを全然分からずに、「チョムの提案するナントカ原理によれば常にコレコレのタイプの例文はOKに(アウトに)
なるはずだが、実際には反例はいっぱいある。だからその原理はない。」というアホな議論の立て方をして笑い者に
なってる人、けっこういるね。

照応語の振る舞いについては、昔からReinhartらが採ってる立場、つまり先行詞と照応語がcoargumentsになってる場合
のみ、束縛原理がダイレクトに関与し、それ以外の、照応語がlogophoricに使われる場合とは区別すべき、というのが
妥当な線だろうし、キミの例もそのタイプだろうな。しかし、logophoricの場合には構造的制約が一切無視されるかというと
そうではなく、c-command条件というのはかなり強力な普遍的制約の候補で、こいつ自体がどこから出てくるのかが現在の
面白いissueの一つだな。

それからキミのreconstruction批判を見ていると、あたかもいったん移動したものが文字通り元位置に戻されると思い込んで
るようだが、それも事実に反する。派生モデルでは、統語計算と音声・意味解釈が同時進行的に起きるのだから、いわば操作
の一回一回が(専門的にはphase単位でという提案がある)その都度、解釈に回されるわけだ。例えば
>>(0.) Which pictures of himself do you think John said Tom hated?
ではhimself = Johnの場合、文頭まで移動したwh-phrase(の一部)が中間痕跡の位置まで戻されるのではなく、
その移動途中で解釈を受けたと考える。 = Tomの場合には、initial mergerの位置、ないしは最下位vPのsecondary Specの
位置ということになるだろう。
このようにreconstructionの内実を巡っては生成内部でも異なる見方があるわけで、ある特定の見方を「直感的にナン
センス」と思うことと、それ以外の見方を含めてそもそもreconstructionの概念が捉えようとする現象領域の切り方(reconstruction「効果」という見方)を疑問視することは全然次元が違うな。
199(´∀`):2001/08/16(木) 04:15
>>190
同じような実証的研究で親チョム派のものとして例えば
メレール他「赤ちゃんは知っている 認知科学のフロンティア」(藤原書店)
ってのがある。また習得を巡る理論対立の現状を簡潔に素描したものとして
小林他編「子どもたちの言語獲得」(大修館)
の第一章が便利。
蛇足ながら引用されてるURLにある書評で
>言語は人間に特有だとするドグマ,言語は(統語の部分では)生得的だとするドグマ,言語獲得には臨界期があるとする
>ドグマ
の3つ目のドグマ(ワラ)はレネバーグに帰すべきだし、1つ目は言語=人間言語の意味なのだから定義上いわずもがな。
人間言語の特徴のどの部分は他の言語と共通しており、どの部分は種固有か、といったホケット的視点ならまだ分かる。

>>196
同じような例で悪いけど、意味論的・機能論的にはどこもおかしくないのに構造としてあり得ないケース、逆に
構造としてはオッケーだが意味的におかしいケース、ってのが、統語論の自律性の古典的証拠とされてきた。再掲だが、
人間の驚嘆すべき類推能力をもってして、John wanted Mary to leave → *John tried Mary to leave となってもよさそう
なのにそうはならないということを「一般的認知能力」や「学習」だけからすべての母語話者がどうやって知り得るのか。
これだけだと堂々巡りだから、「いやこういうふうに学習するんだよ!」と言ってくれたらいいな。
200名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/16(木) 05:55
言語の構造の問題と習得の問題なんか入り乱れているような
気がするんだけど。共時と通時を峻別することで一定の
メソドロジーを得たように、構造の問題とその習得の問題は
(一旦)切り離して考えられるべき物じゃないのかな?
構造の話をしているのかと思いきや習得の話し、vice versa
なんかそんな印象が最近強いナリ。(w
201(´∀`):2001/08/16(木) 06:15
>>194
珍しく気が合った(ワラ
>(1) [太郎と花子](i)はお互い(i)の絵が人気があると思っている。
>(2) [太郎と花子](i)は山田先生がお互い(i)の絵を誉めたと思っている。
>(2)は文献では非文にされてたけど俺的には全然OKなんだよね...
同意。これはintervening elementが「お互い」のような複数の先行詞を要求する照応語にとってそもそも
possible binderかどうかによって左右されると思う。
(3) 少年たちは少女たちがお互いの絵を誉めたと思っている。
とは違いがあるはずだが、どうかな?
それからcoargumentsになってる場合との対比も、ついでに判断聞かせてくれ。
(2ユ) 太郎と花子は山田先生がお互いを誉めたと思っている。
(3) 少年たちは少女たちがお互いを誉めたと思っている。

>>195
>(2)'[太郎と花子](i)はお互い(i)の絵を山田先生が誉めたと思っている。
>と語順を変更すれば ... これはもう非文じゃないね。
これは多くの文献で説明済み。

>>200
なるほど、整理しよう。
1. 言語構造に関する知識は、他の認知能力とは独立した自律システムである。
2. そのようなシステムがそれ自体に関する生得的・遺伝的情報を一切必要とせず一般的認知能力(←これ自体、俺には実は
  意味不明)による学習のみに依存してすべての個体に均一に発生するとは考えにくい。
202門外漢:2001/08/16(木) 16:26
>>197
>>いかにも不自然な感じがする
>>直感的にナンセンスとしか思えない
>シロートの印象論はだいたいそんなもんだろうが、学術的批判としては効力ゼロ。たとえば専門家以外の誰しも
>不確定原理に対して同じような印象を持つだろうが、では彼らは不確定性原理を「批判」できる立場にあるのか。
>(キミは言語学のシロートではないんだろ?)

物理現象と言語現象を一緒に出来ますまい。他でもない人間の営為に対して人間の直感に反する説明をするなら、やはり相当の用意が要りますよ。
203観客:2001/08/16(木) 19:48
ほんとの素人です。
>(2) [太郎と花子](i)は山田先生がお互い(i)の絵を誉めたと思っている。
>(2)は文献では非文にされてたけど俺的には全然OKなんだよね...
その感覚は信じられない。皆さん、普段本当に生きた言葉と格闘してます?
「思っている」のは二人ですか?先生ですか?
「思っている」のが二人だったら先生は「誉めた」のだろうけど、その場合
「お互い」という言葉が第三者からでてくるのはどう考えてもおかしい。
「思っている」のが先生だったら、「太郎と花子は」が浮いてしまう。
私の生徒が作文でこんな文を書いてきたら即赤ペンですが。
204観客:2001/08/16(木) 19:53
私が許せるのは下記まで。
  山田先生は、太郎と花子がお互いの絵を誉め(合っ)た、と思っている。
  太郎と花子は、山田先生が二人の絵を誉め(てくれ)た、と思っている。
ぐらいになっていないとなあ。
205B.O.B:2001/08/16(木) 23:22
> John wanted Mary to leave → *John tried Mary to leave となってもよさそう
しつこいなー、これはどうだ、これは説明できないだろうって色んな例を挙げてみて、1%でも説明できないのがあれば言語の自律性が証明されたことになるんだろ?フェアじゃねぇー。
try, intend, promise, propose ... みたいな subject control 専用の動詞には、"Commitment" という概念で抽象されるような意味の共通性があるから、それがキーなんだろうよ。
それに、tell, encourage, persuade みたいな object control 動詞が既にあるから、John tried Mary to leave みたいな言い方がブロックされるということもあるだろう。
それに、こういう言い方できそうだけどできないってのは、なんの証明にはならないと思うんだけど。
例えば「*お正月おめでとう」vs.「あけましておめでとう」ってのは、明らかに習慣的なものでしょ?「お誕生日おめでとう」からの類推は(普通)されない。
あんたの言ってるのは「お正月おめでとう」となってもよさそうじゃないか!というのと基本的に同じだと思うんだけど。キャハ。

> シロートの印象論はだいたいそんなもんだろうが、学術的批判としては効力ゼロ。
俺が最初に言った「移動」観に照らすと、「見えない移動」ってのは colorless green なみの語義矛盾にしかならないってことだよ。お定まりの論法に逃げ込む前に、読めよ。
「Xを仮定すればそしてその限りにおいてこれこれの現象が説明できる。したがってXは存在する」
っていう論法の、Xには、不確定性原理だろうが宇宙人だろうがグレムリンだろうがなんでも入るんだから、問題は「そしてその限りにおいて」の部分が本当かどうかでしょう?
で、「間接的証拠が多く蓄積」ってのは例えば何よ? 衝動派さんがあげた例に関しては俺は反論したよ。つーか証拠になってないよ。再反論とかそういうのないわけ?
> overt/covertの 部門的区別自体無意味になるな。
そりゃあんたらの cyclic spell-out/overt/covert の定義をすべて鵜呑みにすればの話でしょうが?それらの根拠は一体どこから?
たまねぎの皮を剥くのと同じでどこまで掘り下げてもまっとうな根拠はでてこないか、「チョムがそういったから」になる。
そういうのが土俵から降りてこない云々の話になるわけね。
大体さあ、リコンストラクションなんていらないって言っているのに何で「リコンストラクションの内実については諸説ある…」みたいな答えが返ってくるわけ?
かみ合わないじゃん。だからケムに巻くとか言われるんだよ。真面目にやろうよ。

> 俺は思うんだが、専門用語もよく知らないのに批判しようなんてことが許される学問分> 野がいったいどこにあるんだい。
それはとりもなおさず生成文法が「学問分野」の名に値しないってことだよ。
206あぼーん:あぼーん
あぼーん
207B.O.B:2001/08/16(木) 23:36
> このあたりを全然分からずに、「チョムの提案するナントカ原理によれば常にコレコレ
> のタイプの例文はOKに(アウトに)なるはずだが、実際には反例はいっぱいある。だか> らその原理はない。」というアホな議論の立て方をして笑い者になってる人、けっこう> いるね。
こんなこといいたくないけど、やっぱあんたおかしいわ。
反例がでたら原理を疑うのは当然だろ…反例をいくら出しても否定できなきゃ、チョムが撤回するのを待つしかないってか?
反例が出たとき、原理はそのまま保ってその他の要因に原因を帰すのか、
原理の方を見直すのか、その選択は常にあるだろうけど、どんなこじつけめいた理論を組んでもかならず前者を選んで
「今日も生成文法の原理の正しさがまた確認されました。メデタシメデタシ」
になるんだよね。きもちわりい。

> (3) 少年たちは少女たちがお互いの絵を誉めたと思っている。
> とは違いがあるはずだが、どうかな?
多少あるけど、理由はわりとあきらかだね。
> それからcoargumentsになってる場合との対比も、ついでに判断聞かせてくれ。
> (2)'' 太郎と花子は山田先生がお互いを誉めたと思っている。
> (3) 少年たちは少女たちがお互いを誉めたと思っている。
これも、多少悪くなるけど、俺的にはOKなんだよね。俺ってやたらジャッジ緩いから。
>>203
あんた、ら抜き言葉は許せないとかそういう人?キャハ。
下の二つはどうよ?ちゃんと関連する文全部に関して判定してくれないと
すごい中途半端な感じよ。
>(1) [太郎と花子](i)はお互い(i)の絵が人気があると思っている。
>(2)'[太郎と花子](i)はお互い(i)の絵を山田先生が誉めたと思っている。
言語感覚が自分と違う人を異常であるかのようにいう先生は嫌だなあ僕。
208衝動派:2001/08/17(金) 00:26
うわあ〜。一気にそこに沈んでいたかと思いきや、どかどか書き込みされてるし〜(苦笑)

189のB.O.B.さん、どもありがとう。リコンストラクションの効果は、再帰代名詞ばかりでなく
束縛代名詞の認可でも見られるという観察がありますよね(具体例は今は出てこない:笑)。
その場合はフォーカスとは違った概念が関わってるというのかもしれないけど。複数の
奇妙な現象(照応形束縛、束縛代名詞、イディオム解釈、束縛原理B、C関連のごちゃごちゃ:笑)が
いろいろ観察されて(てか生成系のバイアスがかかった判断なのかもしれないが)、それらが
例えば移動経由位置で解釈が行われると考えると一括して扱えるとするとリコンストラクション(効果)
にも一理あるのではないかと思うわけです。「いや、(例えば)束縛代名詞の場合には
また別なんよ、例えば中間痕跡位置での認可は可能なの?判断は確かなの?」とかの反応も
考えられますけどね(えらく弱腰:苦笑)。

> Wh-Movement とか Topicalization とか、「本来予測されるのと違う位置に目的語等が現れる」ってのを比喩的に「移動した」、って呼ぶのは分かる。
> でも、『実際の』派生によって sequential に素性やらなにやら移動する、つまり移動前の表示と移動後の表示に(計算の)時間的な前後関係があるってのは、
> 人間の脳の仕事としてはいかにも不自然な感じがする。

ここは、このスレを立てた(今はどっかにいっちゃった)1さんとも共通する問題意識だと
思いますが、あえて教科書的(生成教義的?:笑)言い方をすれば、時間的な前後関係という
ところで引っかかります。知識表現に関して、手順的表現と平叙的表現の二つの表現方法・
アプローチがあると思います。生成系は言語知識を平叙的に表現しています。したがって、
規則原則の適用に時間的な前後関係は含意されません。平叙的知識表現の中で、規則の適用
方法に関して中立的な「順序」を取り入れ、「派生」考える点で時間的前後関係が
主張されているような印象を与えてしまいがちですが。
209衝動派:2001/08/17(金) 00:38
とはいえ、本スレッドの1さんの出だしの勢いには、ちょいと同感というか
加勢したい気持ちが本音(大笑)。もうちょっと言語運用(てか、理解だったら、
パーサ)との連動をハッキリさせなければ、外部にはなかなか納得してもらえないだろう
なという印象があります(だったらてめえがやれってか?)かといって、Phillips
的に「パーサ=文法」とまでは言い切りたくないし。理論の先鋭化と同時並行的に
解釈機構の明示化もやるべきじゃないの?ってのが本スレッド「生成文法批判」への
俺のコメント(だから、だったらてめえがやれってーの:苦笑)
210衝動派:2001/08/17(金) 00:52
さらに調子こいてノーテンキな書き込みを続けてしまうと、顔文字さんと
B.O.B.さんの話を読んでいて、NLLTのVol.18Nos.3-4のtopic...commentを
思い出してしまいました(てか、さっき読み返した:笑)。俺はどれかといえば
No.4のHolmberg的(苦笑)。さらに同じくNLLT、Topic...Commentで言えば
Vol.10.No.2のLudlowのformalismに対してB.O.B.さんはどういうコメントを返して
くれるのか、はらはらしながら期待してしまったりします(俺なんか、あの
立場で十分かまわないと思ってるけど)。
211203:2001/08/17(金) 01:34
さすがに自分のことを、非文かどうかの問題とら抜き云々を同列に
扱うほどの馬鹿者ではないと思っているつもりではありますが……
判定せよというなら。
(1) [太郎と花子](i)はお互い(i)の絵が人気があると思っている。
この文には人が2人しか登場していないので、意味は為し得る。
ただ、子供への作文指導という観点からすれば「お互い」という語
は別の表現に直させるかもしれません。
  太郎も花子も、両者の人気を認めている
  太郎は太郎の、花子は花子の人気を認めている
  太郎は花子の、花子は太郎の人気を認めている
のいずれの意味でとるのがよいか曖昧になっているから。

(2)'[太郎と花子](i)はお互い(i)の絵を山田先生が誉めたと思っている。
これはギリギリセーフ。非文でないことは明らかなんでしょう、こ
れは?(>>201
(2) [太郎と花子](i)は山田先生がお互い(i)の絵を誉めたと思っている。
でまず問題なのは、「お互いの絵を」という成分が、
  (ァ)太郎と花子は−思っている。
  (ィ)山田先生が−誉めた
のどちらの文に属しているのかわかりづらいこと。いくら日本語は
比較的語順が緩やかだといっても、(2)の位置にあれば普通は(ィ)
の文に組み込んで「山田先生が-お互いの絵を-誉めた」と解釈する
でしょう。「お互い」の中に山田先生が入らないとすれば、この文
は山田先生が主語に立っている時点でおかしな文です。
(2)'がぎりぎりセーフなのは、
「お互いの絵を」という成分の位置付けが決定できる分
  太郎と花子はお互いの絵を山田先生が誉めたと思っている。
             ↓
  太郎と花子はお互いの絵について、山田先生が両者の絵を誉めた、と思っている。
というふうに解釈させることを可能にしているからでしょう。(でも
やっぱり、悪文ではある。子供が書いてきたら直させるな……。)

(2)'' 太郎と花子は山田先生がお互いを誉めたと思っている。
というわけでこれは非文。
山田先生が誉められるのは「二人」であって、先生は、先生自身を
含まないような二人を誉める時「お互い」という語は使えない。
(3) 少年たちは少女たちがお互いを誉めたと思っている。
OK.「少女たち」とあるから、少女A,B,……が相互にほめあう
限り、意味を為す。少年が誉め/誉められる関係に加わっている文
であろうとするなら正しくない文ということになる。

作文指導云々は墨の余りということで目をつぶっていただくとして、
(2)を余裕でOKにするというのは、やはり納得いかないんですが。

……日本語でちょっと例文だしたらすぐ(素人が)これだ……って
思ってるのかな、皆様方。めげずに日本語の用例出してください。
212B.O.B:2001/08/17(金) 02:17
> (2)を余裕でOKにするというのは、やはり納得いかないんですが。
いや、俺も少し失礼な物言いでしたね。実際のとこ、こういう判定って、
言えるかな、言えるかなって思ってると、ダメとされてるやつでもよく
なってきちゃうんですよね。 あれって考えすぎて判断力が麻痺したとか「生きた」
言葉を無視するようになったとかじゃなくて、実際に「よし」になってるんだと思うん
ですよ。たとえ話でいうと、重い石を、「持ち上がるかな?持ち上がりそうだけどな?」って
持ち上げようとしてる内に、筋肉がつくとか、コツをつかむとかしてあるとき急に持ち上がっちゃう、
みたいな。それは文法というものは理論家やあるいは国語の先生が考えるより plastic な
ものではなかろうかという最近の俺の考えにもとづくものなんですが。
optimality theory なんかと相性のいい考えかたかな?
213B.O.B:2001/08/17(金) 02:21
わからん…順序はあるけど時間的な前後関係は無いというのがどういうことなのか。
いつも「○○が××に動いた後に」とか言ってるのに。「動いた」が比喩なのはいいとして「後に」もまた比喩なのか。時間・空間を越えたn次元の論理?うーむ、ちょっと面白げではあるが。
いずれにしても、そもそも、素性というのか語というのかが二つずつくっついて組みあがっていってハイ文ができあがりのコンバージのスペルアウト〜(しかも時間的前後関係なし?)なんて、
根拠もなければ説得力もない「学説」をなんで鵜呑みにするのかがわからないですよ。理論の先鋭化とかそれ以前に。
そんなもの想定しなくてもまともな (formalな) 文法理論はやれる、ってのは HPSG や LFG を見れば明らかでしょう? parsing とかに興味が向くなら尚更だ。
スッキリしまっせ。HPSGにはHPSGの欠点はあるだろうけど、どこか特に不満な点があるんですか?>>衝動派さん

> B.O.B.さんはどういうコメントを返して
> くれるのか、はらはらしながら期待してしまったりします
Topic Comment は読んだことがないのでこんど見てみます。
B.O.Bは普通の言語学がやりたいだけの厨房ですからあまり買いかぶらないでください。
214(´∀`):2001/08/17(金) 04:32
>>202
>物理現象と言語現象を一緒に出来ますまい
あなたはまるで二元論者みたいだけど、言語活動・言語運用の根幹にある言語能力を問題にしているわけです。
生成が現象の記述のみに関わっているという誤解や、言語学はひたすら事実蒐集だけしておればよいという卑屈な
精神も、意味不明なずっこけ批判ゴッコの原因の一つだと思うけどね。

>>203
自分で「ほんとの素人」と言ってるのに追い打ちするようで申し訳けないんだけど、やっぱりその例文のどこが
どのような理論的意味を持つのかを理解した上でないと、あなたのような反応をしてしまうのは無理もないと思うよ。
>(2)'' 太郎と花子は山田先生がお互いを誉めたと思っている。
この例は、太郎は「先生が花子を誉めた」と思い、花子は「先生が太郎を誉めた」と思っている、という解釈で俺には
文字通り「パーフェクト」。これをダメにしたがるのは、英語との平行性に囚われているからだと思う。
*John and Mary think Tom admires each other.はもちろん非文。
203さんはeach otherや「お互い」に関する意味解釈のヴァリエーションとかをまず考えたらいいな。
John and Mary think they love each other. の多義性とか、どうかな(もちろんtheyの先行詞はJohn and Mary)。
また、対応する日本語文でこのtheyを自分、自分たち、彼ら、と訳し方を変えることで可能な解釈も変わる。
こういうふうに母語の直観を磨くというか、自分の中に眠っていた母語知識を暴くというオマケの楽しみもあるよ、
生成研究には。
215(´∀`):2001/08/17(金) 04:33
>>205
生得性が一切ないというからには、生得性の疑いのあるものは全部つぶしにかからんといかんがな。
相変わらず果てしなく幼稚な発想しかできんようだが、生得説は俺らが「お正月おめでとう」と言わんのもUGのおかげ、
などとは言っとらんのよ(藁

>衝動派さんがあげた例に関しては俺は反論したよ
え、どこどこ?(笑  反論っていうのは、より優れた対案を出すことだ。そんなだから
>反例がでたら原理を疑うのは当然だろ
などというヴァカ丸出しの思考法に直結してしまうんだよ。反例が反証にならないってことを知らずに理論言語学
やってる(つもりの)人間は世界でキミ一人だろうね。
>どんなこじつけめいた理論を組んでもかならず前者を選んで
例えばSSCとTSCの束縛理論への統合なんかを見て同じセリフを吐くとしたら、キミの無知さは俺の想像を遥かに
超えとるわ。

>リコンストラクションなんていらないって言っているのに何で「リコンストラクション>の内実については諸説ある…」
>みたいな答えが返ってくるわけ
単にキミの主張が誤ったリコンストラクションの理解に基づいているからじゃないか。そんなことも分かんない?
くどくど言ってもしょうがないけど、reconstruction効果ってのは、人間言語においては統語要素の音声解釈とは
異なる位置(移動前か移動中に占めた位置)での意味解釈が可能であるということの認識であって、そのことをできるだけ
一般化して捉える方法がこれまでいくつか提案されてきたわけだ。キミが思い込んでいる、いったん移動した要素が
元位置に戻るというのはその提案の一つなんであって、それを否定することとreconstruction効果を派生メカニズムから
引きそうとする試み自体を否定することは、当然等価ではないな。

>生成文法が「学問分野」の名に値しないってことだよ
なぜ知らないものをそうやって決めつけられるのか、ってのが以前からの宿題だったな。それにもしキミがそう思うん
なら、わざわざヒステリーおこして反論する値打ちもないだろ? そんなのほっといてキミの学問に精進すればいいのだよ。キミも所詮、生成批判ゴッコして自分がちょっとでも賢いフリをしたがるだけの真性厨房ってこと。滑稽極まりないね。(あ、自分で認めてるのか)

それから>>213の書き方だとキミは他人が生成をやってることも不愉快らしいが、それは違うんじゃないかな?
いろんな立場や視点があるからこそ、こうやって議論もできるわけだ。
「俺はモー娘が好きだ、だから世の中の奴は全員モー娘のファンになるべきだ」ってのがキミの言ってることの実際。
そんな奴が学問だの言語学だの口にしてはいけないと思うぞ。
216門外漢:2001/08/17(金) 04:49
>>214
なんだかトンチンカンなズレたお答ですね。

>言語活動・言語運用の根幹にある言語能力を問題にしている
――すると、言語能力とは物理現象に等しく人間の意識とは無縁なものとでもおっしゃりたいのですか? それとも……?
記述云々のところも、一体何に対して文句をつけてるのだか、どうやら小生の>>202の発言とは異なる方面と交信してらっしゃるご様子で、何だかよく判りませんよ。
217(´∀`):2001/08/17(金) 06:22
>人間の意識とは無縁
意識という言葉の使い方にもよるけど、言語知識の暗黙性を指して無意識と言うならその通り。
生成はそのような無意識の言語能力のモデル化に関わるわけです。ありふれた喩えだと、聴覚器官
自体の研究と、個々の人がどういう理由で聴覚器官をどのように使用するのかの研究は、明らかに別物。
後者のような研究だけで言語学はこと足りるというニュアンスがあなたの書き込みから見てとれたもので
そういう卑屈な態度を諫めたつもり。違ってたら謝罪します。
218(´∀`):2001/08/17(金) 06:31
後者のような研究を見下しているわけではないので、念のため。
どっちも大いに意義深く、どんなアプローチも言語学全体にとって等しく必要、ってのが
毎回言い続けている俺の基本スタンス。
219異議アリ:2001/08/17(金) 06:49
>>217-218
「聴覚器官」みたいな「言語器官」があるものかどうかが、まづ大疑問です。
仮にあったとしてそれは、生理学とか解剖学とかさもなきゃ脳神経学の対象で、音響音声学が補助学である程度には言語学に関係するにせよ、言語学の対象である言語そのもの、それ自体としての言語とは別である筈。
したがって「等しく重要」はおためごかしの言で、両アプローチには自づから軽重はあるべきかと。(正直、どちらを採るのです?)
220(´∀`):2001/08/17(金) 07:40
生成ではLanguage OrganはFaculty of Languageの別名だよ。
言語器官という見方への大疑問も立派に生成批判だろうから、どこがどのように疑問なのか言ってくれたらいい。
逆に聞くけど、あなたのいう
>言語学の対象である言語そのもの
とは、何のことかな? いわゆる現象としての言語、個々の言語活動、言語運用を指しているとしたら
それだけじゃないだろ、っていうのが生成の指摘。
>両アプローチには自づから軽重はあるべきかと
個人のレベルでは、その関心に応じて、当然。俺の場合はもちろん、言語能力への関心が大きいから、たとえば
社会言語学ではなしに生成をやってるわけよ。俺にとっては社会言語学は面白くないものだけど、
だからといって社会言語学自体を軽視したりはしない。
>「等しく重要」はおためごかしの言
ん〜、そーゆー偏狭な見方を俺は軽蔑するよ。自分がやってるのが正しく、他はダメ、みたいな愚かな思い上がりが
例えばこのスレで非生産的ののしり言葉ばっか吐いてるヤツの頭から離れてくれたらいいな、と思う。
221どうも:2001/08/17(金) 11:02
顔文字氏は生物学・進化論の基本を理解してないな。
「奇妙な配置とかおかしな解決の仕方などが、
 進化の証(賢明なる神なら決してとらず、歴史に束縛された
 自然の歩みがやむなくたどる道)になるのである」
という意味を理解できる?
222203:2001/08/17(金) 14:56
本筋の議論の合間を縫って、(けっこうちゃんと)かまっていただいてありが
とうございました。

B.O.B様
>持ち上げようとしてる内に、筋肉がつくとか、コツをつかむとかして〜
このたとえ話って、「上げられない奴は、結局"腕力"がないってことさ」って
意味まで読み取れってことですかね……

(´∀`)様
>どのような理論的意味を持つのかを理解した上でないと、あなたのような反
>応をしてしまうのは無理もないと思うよ。
理論的問題意識を持たない輩(私)が(2)や(2)''を与えられた時、素直に「こ
の『お互い』の使い方は変だ」と感じることは、やはり
  ☆ 土星が奇妙な配置を食べた。
は変だ、と感じることと同レベルなのでしょうか。☆は文法的には問題のない
適格な文ですよね。統語の問題を語る時、その文が示す内容自体の適不敵は問
わなくてもよい(これには特に異存ありません)、これに対して「やっぱりお
かしい」と言っているのと同じような見当違いをしていますでしょうか。

母語の直観を磨けとおっしゃるが、常識で見て引っかかりのある表現を「理論
的にはおかしくない」と思うようになっていくことが「母語の直観を磨く」こ
となのか、それについては疑問ですが……。最初の「生きた言葉」ってのは、
私(素人)なりの殺し文句のつもりだったのですが、皆様蚊に食われたほども
お感じではないようで。

またROMに戻ります。略語をたまには略さずに記すなどしていただけたら素
人にはありがたいことです。
223(´∀`):2001/08/17(金) 15:18
ぷっ、キミキミ、相手間違えてるよ。進化をtinkeringと表現したのは誰で、それはどういう意味だったのかな?
(分からなければキミがド素人)

>生物学・進化論の基本を
ぜひキミが俺に簡単に教示してくれるかな。まずは超初心者向けに、modern synthesisを解説してみれ。
ユニヴァーサル・ダーウィニズムって? 今西の棲み分け理論と木村の中立説の骨子は?
逃げずにレスしてね(笑

一見「奇妙な配置」と見える生物の形態の中に物理数学的最適化が働いており、そのような自然の中の
パターンの発見の言語学版が生成文法だとも言えるわけだ。
224219:2001/08/17(金) 15:42
>>220
(´∀`) さん、言語器官の仮定については一時措いて、>>219の「仮にあったとして」以下の反論にもちゃんと駁論くださいな。

それから、「言語そのもの」ってのはソシュールの『講義』の有名な掉尾の一句を想起して書きました。ですからそれが呼びやすければラングと言っても結構です。
チョムスキー流言語学とソシュールとか社会言語学とかその他の言語学とでは、そもそも学の対象たる「言語」の定義が異なります。それ故どちらも「言語学」として両立するかの如き言は多分に矛盾に目をつぶったゴマカシではないかと愚考します。
ちなみに、「(言語学においては)視点が対象を作る」――と喝破したのもソシュールの『講義』でした。
225(´∀`):2001/08/17(金) 15:43
223は221へのレスね。

>>222
>常識で見て引っかかりのある表現を「理論 的にはおかしくない」と思うようになっていくことが
>「母語の直観を磨く」ことなのか
そんなにひねくれないでよ(笑
自分では絶対使わないような表現、人が使っているのを一度も見聞きしたことがないような表現が専門の論文には
よく出てくる。なるほど、こんな表現もできるのか、あるいは論理的にはあってもよさそうなのに実際には不可能
なのか、って、今まで考えたこともないような母語知識に関する考察が、自己発見の楽しみにつながるってこと。
>「生きた言葉」
それが実際によく見聞きするような表現という意味なら、そのような氷山の一角だけ見ていても言語能力の研究には
不十分だからこそ、専門家は自分の論点を確かめるために工夫をこらして例文を作るのです。ところで
>John and Mary think they love each other.
の日英比較、分かりました?

>略語をたまには略さずに記す
先日もあったけど、ROM全員に配慮しろってのは無茶だよ。レスの相手が分かる範囲で使ってる。
関心があるならどんどん横から質問してくれればいいのです。
226(´∀`):2001/08/17(金) 16:50
>>224
言語能力は心的器官mental organsの一つで、これらをたぶんあなたが短絡的に器官ということばから連想している
解剖学的に同定可能な身体部位・身的器官(たとえば一個の臓器)とただちに同一視することはできないが、しかし
それらと同じ研究法で理解しようというのが生成ないしそれが登場した当時の時代精神だったと思う。霊的なものを
持ち出すのでなければ、言語も意識も推論も演繹も、物質系としての肉体(脳)の中で起きている自然現象・物理現象
の所産なわけで、その現象が起きている部位を現在同定可能かどうかは別にして(ペンローズ的に言えばマイクロ
チューブルとかかな?)言語器官・推論器官などと表現することができる。(器官が嫌なら、系・システムと呼べば
多少は抵抗が減るかも)そして言語器官ないし言語システムの理論研究は、目下のところ入力と出力を比較してその
内的仕組みに対する仮説を立てるというブラックボックス的アプローチにとどまらずを得ないわけだね。
「生理学とか解剖学とかさもなきゃ脳神経学」はハードウェアとしての器官研究だが、理論言語学はいわばソフトウェア
研究。将来は双方の成果がめでたく収束することを期待しつつ、現在はそれぞれの領分で頑張ってるという感じだ。
どっちがどっちの補助学だという見方を俺はしてないよ。心と体、精神と物質を統合理解したいという熱意あるのみ。

>そもそも学の対象たる「言語」の定義が異なります。
そうだね。
>それ故どちらも「言語学」として両立するかの如き言は多分に矛盾に目をつぶったゴマカシ
な、なんでやねん!(笑
言語学の対象である言語とはコレコレの意味でなければならない、って誰がどうやって決めつけるの?
それぞれが違う角度から言語に切り込むからこそ、言語学全体の進展があるんだと思うよ。生成の場合は生物学的
実在としての言語知識・言語能力を主要関心事に設定しているが、それ以外の言語研究の意義を否定したり見下すような
生成家がいたら、俺は遠慮なく叩くよ。オレ様以外のアプローチは認め〜ん、って奴が俺は一番嫌い。

>視点が対象を作る
科学理論はすべてそのようなものだよ。あらかじめ観測されるべき事象、発見されるべき法則が観測者と独立して
用意されているのではなく、観測者が自分で作り上げるものなんだ、ってこと。
227(´∀`):2001/08/17(金) 16:52
なんだか書き込みボタン押す度に新しいレスがついてて、まるで俺へのお便りコーナー化してるけど、本日の俺の
書き込みはこれにて終了です。また明日(以降)ね。

ま、俺が質問したら逃げ出す名無しが多い一方で、俺はできるだけみんなに誠実にレスし続けているのだから、
それだけでも認めてやってね(笑
228異議アリ:2001/08/17(金) 17:21
>>219=>>224です。>>226はやはり答がズレてる感じ。
「器官」と「能力」を一緒くたにしてはいけません。聴覚器官の研究(解剖学)と聴覚能力の研究は別事でしょ。
「生成ではLanguage OrganはFaculty of Languageの別名だよ」ってのが本当なら、ここには奇妙な混同がある。
そもそも大脳局在論的に言語器官の存在が見つけられるかが大いに怪しいので、それでも無理に「器官」を想定しつづけるから「能力」との区別がつかなくなる羽目になるのでは。
>どっちがどっちの補助学だという見方を俺はしてないよ。
いえ、「言語学にとっては」やはり脳神経学etc.は補助学です。いま問題にしてるのは言語学なのだし、あなたも言語学者なんでしょ?

>>それ故どちらも「言語学」として両立するかの如き言は多分に矛盾に目をつぶったゴマカシ
>な、なんでやねん!(笑
二つの異なる学問としてなら並立するけれど、同じ「言語学」としては両立しないでしょ。「言語」といってもそれぞれ別な物を指すのだから。
これは科学認識論(エピステモロジー)の問題として申すのです。見下すとか蔑視とかの態度はハナから問題にしとりません(それを言ったらあなたの書き方だって態度悪いですよ、人を小馬鹿にした感じで)
229(´∀`):2001/08/17(金) 19:53
ほんとに今日はこれで終了ね。

>>228
物質的基盤なしに能力だけあるって言うのでない限り、その物質基盤が何であれそれを器官を呼ぶことに
なんの抵抗もないね。器官と能力はもちろん別物だが、両者の研究はいずれ密接に関連しなけりゃならん。
ボクは言語学者だから(勝手に定義した)言語以外の領域には興味ないっす、ってのも結構だが、俺
(てか生成派の少なからぬ人たち)はそうではない。unification problemというのが常に念頭にあるからね。

>大脳局在論的に言語器官の存在が見つけられるかが大いに怪しい
この辺に詳しいのならリーバーマンの研究へのあなたなりの感想を聞かせてちょうだい。
(前はインチキ脳科学者に逃げられたな)

>異なる学問としてなら並立するけれど、同じ「言語学」としては両立しないでしょ
すまん、理解不能。言語学内に異なる領域ってのが存在し得ない?

>科学認識論(エピステモロジー)の問題
それを言うなら、俺流の認識は極論すれば「言語学」などという閉じた領域はないということだよ。すべての
科学分野は分業による効率化の戦略として恣意的に線引きされたに過ぎず、もちろん個々人の能力や関心に
応じてその人が中心的に関わる領域、そうでない補助的領域があるが、それはその領域自体の位置づけとは
異なる。俺はそんな個人レベルの話しをしていたつもりはないので
>どっちがどっちの補助学だという見方を俺はしてないよ
と言ったのだけど、あなたが個人レベルの話しをしているのなら、それは同意。
あなたにとっては「脳神経学etc.は補助学」、オッケー、異議なし。

>あなたの書き方だって態度悪いですよ
相手の態度に合わせてきたつもりだが、せいぜい気をつけましょう。
230異議アリ:2001/08/17(金) 20:21
>>229
器官と能力は別物。ハードウェアの研究とソフトウェアの研究も別物(両者に密接な関係があるにせよ)。これ当り前。
だのになんで「生成ではLanguage OrganはFaculty of Languageの別名」(>>220)なんですか。「別名」ってのは同じ物の異なる名前ってことでしょ。やはり混同しとりゃしませんか。

>>異なる学問としてなら並立するけれど、同じ「言語学」としては両立しないでしょ
>すまん、理解不能。言語学内に異なる領域ってのが存在し得ない?

それは同じ言語学に属すが領域は異なるってことですね。でも、そもそも「言語」の定義が異なって相容れないのにそれらを同じ一つの言語学に属せしめるのは無理ですよ。分類基準からして違ってるんですから。
わかりません? フーコーがボルヘスから引いたあの中国の百科事典みたいなものです(『言葉と物』参照)。

>あなたが個人レベルの話しをしているのなら、それは同意。
>あなたにとっては「脳神経学etc.は補助学」、オッケー、異議なし。

異議アリ。個人レベルではなく、「言語学」の立場で話をしてるんです。
言語学の立場とは、個人ではなく複数の言語学者が共有するものです。どうやらあなたは言語学者として発言してないんですね?
ちなみに私は言語学愛好家として述べとります。

それから脳局在論には別に詳しくありません。古くはベルグソンが反論した通り、特定部位に特定能力が宿るのではなく、神経系は電話交換局みたいなものと見做した方がよいのではないかってだけのことです。
231B.O.B:2001/08/17(金) 21:47
>>203
>このたとえ話って、「上げられない奴は、結局"腕力"がないってことさ」って
>意味まで読み取れってことですかね……
いや、人よりジャッジが緩い俺としてはそれでかまわないんだけど(笑)
ただ、ある文が文法的かどうかってのは、つまるところ
「人間は幅跳びで8メートル飛べるか」(飛べる人がいるかという意味ではyes,
平均をとればno)と同じで、単純にyes/noで答えられない問いなんじゃないかということ。
それに、誰にだってひとつの例文について考え続けてると起こり得ることじゃないかと思うんだけど。
それでも優劣のニュアンスが出て嫌なら「耳の筋肉を自由に動かせるか」でもいいよ。あれも訓練次第らしいからね。
232B.O.B:2001/08/17(金) 21:54

>生得説は俺らが「お正月おめでとう」と言わんのもUGのおかげ、
>などとは言っとらんのよ
帰謬法っていうものを知らんのか。
引き続きアホな質問で悪いが「お正月おめでとう」と言わないのは学習で、"John tried Mary to go"と言わないのは生得だっていう根拠はなんなんだ、一体。

> 単にキミの主張が誤ったリコンストラクションの理解に基づいているからじゃないか。
じゃあ俺はリコンストラクションのひとつの捉え方を批判してるでいいじゃないか。
他に諸説あるのはいいけど、問題のその考え方が馬鹿げているか擁護可能かを
論じろよ。それに俺は事実の方をより問題にしてるんだよ。あんたが言語事実に関し
て受け売り以外でまともなことをいったのって聞いたことがないな。

> え、どこどこ?(笑

これだよ。あんた具体的なデータについて考えるのはからきしダメなんだろ? それを誤魔化し、糊塗するために誰もアンタを反駁できないn次元の論理を隠れ蓑にしてるだけだ。尊大な態度もそのコンプレックスの表れとみた。

>反例がでたら原理を疑うのは当然だろ
>などというヴァカ丸出しの思考法に直結してしまうんだよ。反例が反証にならないって>>ことを
生成云々よりあんたほんとにアホだな。手ごたえありの真性のアホだ。
「反例がでたら原理を疑う」という原則が通じない学問分野がどこにある?
そんなものは理論でもなければ言語学でもない。確かにあんたの相手はもう時間のムダみたいだな…
233例えば:2001/08/18(土) 07:16
ハニカム構造は、最小限の材料で強度を保つ工学的に合理的な構造だ。
航空機みたいに軽さが要求される分野ではヒトも使っている。
もちろん蜜蜂の巣もハニカム構造だが、
ヒトが一般的知能でハニカム構造を発見したのに対し、
ミツバチの場合はプレインストールされたバイオプログラムで作ってしまう。
でも、ハニカム構造が工学的に合理的であること自体は、
「蜜蜂にそういう本能がある」という仮説の根拠にはならない。
「ヒトと同様に蜜蜂も知能・文化で作っている」
という論理的可能性だってありうるわけだから。
生物学の問題としてそれを説明するためには、
ハニカム構造をもっとプリミティヴな段階の巣と較べる視点が必要になる。
非群居性のハチでも、セルロースと分泌物で円筒形の巣は作るが、彼らが、
「既に存在する巣の壁を、新たに作る巣の壁として再利用する」
という習性を獲得すれば、円筒はくっつきあって六角形になるわけだ。
これは全体的構想なしにハニカム構造を作る簡単な手法である。
逆に言うと、「元のプログラムは何で、新しいプログラムとの差分は何か」
という具体的な説明なしに本能を持ち出すのは、
単に本能をブラックボックス扱いし、
問題をブラックボックスに掃きこんでいるだけで、説明とは言えない。
234例えば:2001/08/18(土) 07:40
ヒトの家の基本構造は多くの文化で共通している。
端的に言って断面が「合」みたいな形である。
ニューギニア高地など、他文化との接触の無かった地域でも同じ。
しかし、これをバイオプログラムと主張する人はいないだろう。
屋上に雨水が溜まらないようにする、
有限の材料で出来るだけ床面積を広くする……
といった諸条件を満たす工学的解答は似たようなものになった、
と考える方が簡単だからである。
「合」型の家を作るという本能を持った生物も
どこかの惑星には存在するかもしれないが、
そういうややこしいプログラムを遺伝的知識とするには、
ひどく長い時間と特殊な淘汰の条件が必要だろう。
もしも「ヒトがそういうバイオプログラムを持っている」
と主張するなら、生物学的説明は文化的説明の場合よりも、
多くの証拠を提示するように求められるはずである。
235(´∀`):2001/08/18(土) 08:51
>>230
どうもmental organsという考え方自体について躓いているように思うな。226の冒頭、もう一回読んでみてくれる?
mental organsという見方はすなわち心的機能のモジュラリティのテーゼを言い換えたものだよ。
「言語器官」は、言語能力が精神機能の独立したモジュールを構成するという立場を端的に表現するという意味で、
FLの別名なの。だからあなたはそのようなモジュラリティの見方に異議を唱えたいのかも、と思うので引き続き
意見聞かせてくれたら嬉しい。

>言語学の立場とは、個人ではなく複数の言語学者が共有するものです
相変わらず俺には理解不能。「複数の言語学者」というのが言語学者全員だというのでなければ、個人的な見解の
相違を排除することにはならないでしょ。端的な話し、チョムのいうI-言語学に対してE-言語学だって、俺はそれを
やってる人にとっては立派な言語学だと思っているし、「○×言語学」ってのは全部そうだと思う。
I-言語学とE-言語学は相容れないというのがあなたの(そしてひょっとしたらチョムを含む大方の生成家の)感覚かも
知れないけど、俺にとってはむしろそれらは相補的なものなんだな。
何度もいうけど、俺は生成やってるけど生成以外の言語学が生成と両立しないとか、そんなものは言語学ではないとか
絶対に思わない。あなたはソシュール以外は認めない? 進化論になぞらえれば競合ではなく共生、それこそ今西の
棲み分けかな。(221、早めのレスを待ってるよん)
>言語学者として発言してないんですね
いや、この板では常に言語学者として発言してきたつもり。愛好家ではないので、既成の言語学の概念を後生大事に
守ったり他人に盲従するつもりは毛頭ないね。
236(´∀`):2001/08/18(土) 08:53
>>231
>確かにあんたの相手はもう時間のムダみたいだな
残念だが俺も同感。キミのアホアホさ加減にはホトホト参った。BOBちゃんの相手はこれで最後にしよう。

>"John tried Mary to go"と言わないのは生得だっていう根拠はなんなんだ
"John tried Mary to go"という表現だけを問題にしているのではなく、これを含めて数多くの一見無関係な非文法文の
背後に働いていると考えられる一般原理が学習可能だということに対して重大な疑いがあるってこと。
対して「お正月おめでとう」にはそのような一般原理の関与を期待しにくい。仮に誰かがそれを言ったとしてもそれに
対する違和感と"John tried Mary to go"のあり得なさには質的な違いがありすぎる。
俺は心が広いから(笑)「お正月おめでとう」と言われてもオモロイいいかたしよるわい、という程度にしか思わないが、
いかに心の広い英語のネーティヴでも"John tried Mary to go"を許容したりはしないね。

>俺はリコンストラクションのひとつの捉え方を批判してるでいいじゃないか
最初から素直にそう言えばいいんだよ。

>あんたが言語事実に関して受け売り以外でまともなことをいったのって聞いたことがないな
キミの生成批判ゴッコも100%人の受け売りだね。批判でもなんでもないものを批判だと言う奴もバカだが、それを
鵜呑みにして繰り返すことで自分が生成批判の先陣きってるつもりになっているキミは実に情けない奴だ。
ところで201で言った俺の観察はキミの受け売りではないよ。(そこでの俺の問いにもキミは答えてないな)
ま、狭い世界だからあまり自分のペーパーの持ちネタをそのまま書くのは躊躇するってのも本音なんだが、225の
>John and Mary think they love each other.
の日英比較に関する観察は(もちろん先行研究の恩恵を十分に被った上での)俺自身の観察だよ。

>「反例がでたら原理を疑う」という原則が通じない学問分野がどこにある
「疑う」(もっと良い分析方法があるのではないかと考えてみる)ことと反証(そのような分析方法を実際に提案する)
は別物だし、原理の具体的な一定式化を疑うことと立てられた原理の背景にある視点自体を疑うことも別物。
キミのを含む多くの生成批判ゴッコはその区別がまずできていないな。とある生成研究者の分析にケチつけることで
生成文法自体を批判したことになると思ってるわけだ。ミソも糞も一緒にして、とにかく生成は全部ダメという
キミみたいなヒステリー症の背景には常にこういう誤謬と、単なる無知があるんだよ。ま、せいぜい自分のチンケな
世界に閉じこもっていつまでも勝手に喚きちらしてればいいよ。ご苦労さん。
237(´∀`):2001/08/18(土) 08:54
>>233
最小資源による最大蓄蜜量という機能的最適性が六角形を「説明」するというのが、機能主義的誤謬だと俺は
言い続けている。
系統発生レベルでどういうことが起きて六角形に落ち着いたかは知らない。円柱の集合が外圧によって変形した
のか、巣作りとは関係のないハチの本能の「隙間にたまたまぽっかり出現した」(分かるね?)だけなのか。
しかし実際にはハチは一つひとつの六角形を独立して作るのであり、「既に存在する巣の壁を、新たに作る
巣の壁として再利用する」のではない。 それが成立する経緯はどうあれ、現在のそのようなハチの能力に遺伝情報化
され生得的に与えられたものの関与を想定するのは極めて合理的だと思う。

>問題をブラックボックスに掃きこんでいるだけで、説明とは言えない。
その通り。UGによって個体発生を説明するという企ては、UGの正体はもちろん、その系統発生を明らかにしない
かぎり実は何も説明していない。ようやく生成はそのことを議論し始めたわけだ。そして俺の私見では、生成と
認知の遭遇(?)もその領域にあるんだよ。

>そういうややこしいプログラムを遺伝的知識とするには
言語に関して言えば、生得的だとしなければならない部分が実はそれほどややこしくなく、どれだけ簡潔なもので
済むのか、しかもそこからどれだけ多くの言語知識が由来しているのかを、理論の最大簡潔化という作業によって
探っているわけだね。
238B.O.B:2001/08/18(土) 12:02
しつこいようだが。
>>John and Mary think they love each other.
>の日英比較に関する観察は(もちろん先行研究の恩恵を十分に被った上での)俺自身の観察だよ。
はぁ?そりゃ観察じゃなくてただのジャッジじゃないか。
その「観察」(目的語位置への長距離束縛)を国語の先生(?)に反対されて、それであんなにやっきになってたのか。
許容できないっていってんだから無理強いすんなよ…と思ってたけどそういう事情があったわけね。
先生、説得されて許容できるようになりました?

> 一見無関係な非文法文の背後に働いていると考えられる一般原理が学習可能だということに対して重大な疑いがあるってこと。
意味も機能も(表面的なことしか)見ないから無関係にみえるだけだよ。不思議でないことを不思議だ不思議だって煽ってるだけ。
あんた、subj-control verbにどんな意味の共通性があるかなんか考えたこともないだろ?

> いかに心の広い英語のネーティヴでも"John tried Mary to go"を許容したりはしないね。
そうかな? やや marginal だけど、
John promised Mary to be allowed to attende the meeting.
みたいな言い方が出来る。subj-control を obj-control に "coercion" した構文と言われてるよ。
tryはどうかわからないけど、可能性としてはゼロじゃないし、お正月おめでとうと同じで
言っても不思議じゃないけどたまたま言わないだけという側面もありそうなもんだけど?
なんか思いついたら意見をくださいな。

> とある生成研究者の分析にケチつけることで生成文法自体を批判したことになると思ってるわけだ。
別にそんなことしてないやん。哲学の部分の批判も具体的な研究の批判もどちらも大切。
自分(=とある生成研究者?)の分析がアレだからって防衛線張ってるの?
ま、俺からみると、
「占星術(風水)があてにならないなんてとんでもない。確かにあの占星術師は占いをはずしたが、
 それはやつが未熟だったからで占星術自体にその原因を帰すのは間違いだ」
と同じオカルトお得意の「トカゲの尻尾きり」論法でまたかよって感じなんだけどね。
239B.O.B:2001/08/18(土) 12:25
>>例えば(?)さん、
家の話、面白いですね。

>「既に存在する巣の壁を、新たに作る巣の壁として再利用する」のではない。
意味をとりちがえてない?
俺は、六角形の各部屋の壁が隣の部屋と共有されてる、とことだと解釈したけど…

俺が最近聞いた話だと、蜂は闇雲におしあいへしあいしながら壁をつくるだけで、
その結果円に近くて強度が強い六角形が自然にできあがるそうだけど。(ソース不明)
キレイなハニカム構造だけを見てればある程度高度なバイオプログラミング
か知能を想定したくなるけど、実際にはどちらも必要ない(かも)、
ってのは、人間言語の玄妙かつ精緻な諸側面を考察するのにきわめて示唆的だと思いまっす。
いや、知能は必要だと思うけど、言語の場合。
240名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/18(土) 17:33
>>235
「FL」とか「I-言語学」とか「E-言語学」とか、
英語や術語ならまだしも略語は止せって注意されたやん。
ワテちっともわかりまへんわ。説明してくれまへんか。
241異議アリ:2001/08/18(土) 18:53
>>235
どうも話が噛み合ってくれませんね。訊いてることには返答が無く、尋ねもしないことをご教示下さるとは。

mental organに就ても、>>226での説明は下記のごときものでした。
>解剖学的に同定可能な身体部位・身的器官(たとえば一個の臓器)と
>ただちに同一視することはできないが、しかし それらと同じ研究法で
>理解しようというのが生成ないしそれが登場した当時の時代精神だったと思う。

同一視できないならそんな誤解を招く呼称は廃する方がよい。いまだに「当時の時代精神」に追随する必要があるのですか。
「それらと同じ研究法」って、だからそれなら器官の研究であって能力の研究(この場合、言語学)ではない。それはあなたも認めた筈。
私はただ、解剖学や脳神経学が別の学問として存立することは認めるが(当然ですね)、それを「言語学」とは呼べまい、と指摘するだけなのです。
もしや、既成の「言語学」の枠組みに拘泥せず、物質的研究も含めて新たな「言語学」を名乗る所存なのですか。
それならそれで既存の「言語学」なる名辞ではない別の名を考案すべきです。そのときあなたは最早「言語学者」ではない。
また、そのパラダイム転換に賭ける企図は雄とすべきも口だけの提唱に終始するのが落ちかと懸念します。

「言語学の立場」がご理解いただけぬ様子なので説明をば。
ソシュールが説いた「(言語学においては)視点が対象を作る」に就き、>>226では言語学のみならず科学理論全般に妥当とされましたね。
私はそこまで拡大適用する用意はありませんが、少なくとも言語学において視点が対象を作るならば、視点の異なる場合、対象も異なるわけです。対象が別なのにそれらの学問を同じ「言語学」の名で括るのは適切なことですか。
あたかもそれは、筋肉なら筋肉の器官を対象とする解剖学・生理学etc.を能力を対象とする体育学・運動学と同一視する如き大雑把な把握です。
イヤ、それでも同じ言語現象に関する研究なのだから、同じ学問の異なる領域を占めると見ればいいではないか、と?
しかしながら「視点が対象を作る」のである以上、その「同じ言語現象」なる対象が先験的に物それ自体として存在することは保證されませぬ――少なくとも言語学においては。
現在「言語学」と一括して称されるものは、それぞれの視点で別々な学問(或る対象の研究)を作り上げてるのが実状ではないか。それらが一致せず相容れぬ視点であれば猶更。
他の諸学は知らず、少なくとも「言語学の立場」は、自らを存立せしめる認識基盤を厳しく問題化せざるを得ない――なにせ「視点が対象を作る」わけですから。
この立場を共有する限り、あれも言語学だしこれも言語学ってな野放図な認識は採れますまいと存じる次第。如何。
242国語の先生:2001/08/18(土) 19:35
逃げずに引き続き読ませていただいてますよ、という証としてレスし
ときます。
>239 >説得されて許容できるようになりました?
each other の多義性他については、私には正直なところ適否判別不
能です。もう30年以上日本語しゃべりながら生きてきたし、今さら
自分の感覚をちょとやそとでは変えられないので、「お互い」につい
てはこれからじっくり考えてゆきます。
243国語の先生:2001/08/18(土) 19:36
実体的なシステムとして言語を仮定するのは非常に魅力的なことで、
実は私も、高校生の頃までは言語をそのようにとらえるべきもとし
てイメージしていたのでした。しかし大学で国語学を学んでいく
(いやいやではなく、それは入学時からの志望でした)うち、言語研
究が自然科学的なイメージのものではなく、社会科学の領域に分類され
ていることがだんだんと納得できるようになっていったのです。
今では、文法は物理学などの法則に近いものとイメージするよりは、
一種の「制度」のようなものとして理解しないといけないものなの
だろうなというのが私の印象です。
ルールは決まっているし、その基盤がなければどうにも始まらない
にも関わらず、ルールから外れた ad hoc な結果オーライもまかり
通る、「正しさ」は多数決で決められる、Yes / No だけではなく
「どのくらい許容」されるかという評価基準が可能である、etc...
言語の習得と使用が、人間の生得的「器官」を前提にせざるを得ない
のは、習得時期にごく少ない限られたサンプルに触れただけで、無限
の「正しい」出力を生み出すから? 出力された表現が正しいかどう
かは、結局受け手にジャッジされるまで決められないんですよね。
個々人の言語「器官」は、習得期に自分が得た範囲内のサンプルを
もとに、正しいかどうかは受け取ってもらわないとわからない出力を
たれ流す器官かもしれません。大枠はともかく、細かい表現やイディ
オムの適否判定などは、おおげさに言えば死ぬまで勉強(試行錯誤の
繰り返し)ですよね。PTA新聞の原稿など、たまに年配の方の文章
を校正しますが、人によってはその歳にして非文の嵐です。
244国語の先生:2001/08/18(土) 19:37
蜂の巣の話から連想したのですが、キリンの仲間は側たい歩といって、
右前足と右後足、左前足と左後足が同時に地を離れて歩行します。
見たところ馬や牛とそんなにかわらない体の造りに見えますが、
キリンの子は生まれた瞬間に親と引き離されても(つまりサンプルなし
でも、つまり生得的に)側たい歩をするのでしょうか。人間の脚は
二足歩行で互い違いに出して進むために付いているようなパーツです
が、人間が、「今のスタイルの二足歩行で」歩くことは生得的能力な
のでしょうか。人間は訓練すれば絶対音感も身につくし、肉声で電話
のダイヤルが出来るくらい正確に声の周波数をコントロールする潜在
能力もあります。周波数の高低に意味を載せても今と同じくらい複雑
な言語活動はできたと思いますがなぜ子音と母音の組み合わせという
スタイルを選んだのでしょう。今のスタイルが、ある非常に強い条件
から要請された必然なのか、単なる多項方程式の最適解なのか、はた
また神様の気まぐれなのか、……よくよく検討しなければならない事
柄というのは非常に多いですね。
暇にまかせてとはいえ、AAコピペ並みのお邪魔ご容赦。
245名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/18(土) 22:34
>>224(異議アリ氏)

> チョムスキー流言語学とソシュールとか社会言語学とかその他の言語学とでは、
> そもそも学の対象たる「言語」の定義が異なります。それ故どちらも「言語学」
> として両立するかの如き言は多分に矛盾に目をつぶったゴマカシではないかと愚考します。

では誰の「言語」の定義が正しく、その「正しい」(とされる)定義による「言語」を研究
している「正統言語学」はどれなのですか?あなたが問題にしているのは、何を「言語学」と
呼ぶかという名称の問題なのですか?だとしたら、私にはあまりにもくだらない問題に思えるので
あなたがどう考えようともかまいません。ですが、そうではないとすると、あなたの真意が
どこにあるのか皆目分からない。

>>241 (同じく異議アリ氏)
> 少なくとも言語学において視点が対象を作るならば、視点の異なる場合、対象も異なるわけです。
> 対象が別なのにそれらの学問を同じ「言語学」の名で括るのは適切なことですか。

どのような定義による「言語」を対象とするならば「言語学」の名で括ることが可能なのですか?
246241:2001/08/19(日) 00:04
>>245
あなたのご質問は畢竟「言語学とは何ぞや」に行き着きますね。
何を「言語学」と呼ぶか、を問うてゆくならば、やはり、
何が言語学であるのか、に摸索することになるわけでして。
或いは、いかなる定義によって「言語」を対象とすべきか、でもありますな。
ソシュール以来、近代言語学はこの問題と挌闘してきたわけで、解答も様々です。
ここで直ぐその答を出せるとも思っとりません(出せたらそいつは大学者)。
私如き一愛好家にお尋ねなさるより、先人の挌闘の跡に学ばれてはいかが。
247245:2001/08/19(日) 00:50
>>246
> ソシュール以来、近代言語学はこの問題と挌闘してきたわけで、解答も様々です
> ここで直ぐその答を出せるとも思っとりません(出せたらそいつは大学者)。
> 私如き一愛好家にお尋ねなさるより、先人の挌闘の跡に学ばれてはいかが。

なのにあなたは「先人の格闘の跡」の1つである生成文法については「言語学」ではない
といわんばかり(>>241)。「対象が別なのにそれらを同じ「言語学」の名でくくることは適切な
ことですか」(>>241)と問うあなたは、一方で、その対象である「言語」の定義自体については
答えを出せないという(>>246)。まったく真意がとれません。真意が取れないとうがった見方
の可能性を検索したくなります。つまり、ただの「生成嫌い」のイチャモンをつけている
だけじゃないのかと。

僕は映画愛好家で、よく「あの映画はいい、この映画はだめ」といった評価をして
一人で喜んでいます。でも「だめ」という判断をする根拠を自分なりに持ってます。
先人の格闘の跡も参考に、自分の意見をもって。真の愛好家なら、そういう意見を
持っていないと他の愛好家にばかにされませんか?
248B.O.B:2001/08/19(日) 01:04
>>異議アリさん、
京極夏彦調の、擬古文体(文体模写?)うまいですねえ。
俺と顔文字サンがケンカしてた「チョムスキー初心者スレ」に、
俺が京極夏彦についてちょっと引き合いに出してるところ(61)があるんで、
よかったら読んでみてください。それだけ。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=994623478
京極夏彦なんて知らん、っていうなら無視してください。

>>ステキな国語の先生
>自分の感覚をちょとやそとでは変えられないので、「お互い」につい
>てはこれからじっくり考えてゆきます。
じっくり考えると変わっていっちゃう(こともある)んですよ、俺の経験では。
俺の場合、代名詞「自分」の主語志向性も(昔はあったんだけど)自分の中で
なくなってしまった。
1.太郎は花子(i)を自分(i)に推薦した。
が、OKになってしまったんですよ。昔は普通にダメだったんですけどね、考えすぎで。
だからといって「『自分』に主語志向性はない」なんて主張はしません。
>大枠はともかく、細かい表現やイディオムの適否判定などは、おおげさに言えば死ぬま
>で勉強(試行錯誤の繰り返し)ですよね。
そうですね。それで「大枠」と「それ以外」の間にはっきりした境界が引けるかどうかってのが、おそらく生得説との争点の一つになる。
俺はひけない、少なくともそんな線が存在するという根拠は全くない、と思ってます。
>人間が、「今のスタイルの二足歩行で」歩くことは生得的能力なのでしょうか。
答えは、yes であり no でしょう。環境からのフィードバックという刺激/「教師」なしでは、人間は歩き方を習得することはできない。
例えば、重力が10分の1(または2倍)の環境や、やっと足がつくような浅瀬、はたまた角度45度の急勾配で成長した人間の子供が、どのような「歩き方」をするかは、神のみぞ知る、じゃあないですか。
タフな環境であれば、最適な移動法を習得するのに時間はかかるでしょうが、それでもそれは成し遂げられると予想します。

言語習得に関して input の絶対的少なさが問題である、って生得派はよく言いますが、それは多くの場合印象論なのであんまり鵜呑みにしない方がいいですよ。
3歳, 4歳になるまでに一体どれだけの単語や文を耳にするのか、その一つ一つの input の質はどうなのか、
個々のケースにどれだけ文脈からコトバの意味に関するヒントを子供が得られるか、なんていう膨大なデータを考察はおろか記録した人すら未だかつていないんですから。
たった一人の子供についてもね。
249241:2001/08/19(日) 01:15
>「対象が別なのにそれらを同じ「言語学」の名でくくることは適切な
>ことですか」(>>241)と問うあなたは、一方で、その対象である「言語」の定義自体については
>答えを出せないという(>>246)。

私には答が出せないけれど、様々な「言語学」がそれぞれそれなりに「言語」を定義したのを読んで理解することはできる。
理解した限りでは、それぞれの視点も対象も異なる。故にそれらを「言語学」の名で括れるのか疑問に思った。
以上の如く、別に私一個の意見など提出せずとも、それ抜きに論理を展開可能でしょ?
自分の意見はまだ固まってない。色々読むたび思考中なので、ここで公開するつもりはありません。
親しい師友となら少しは思考の成果を出して検討して貰ったりするけど、それこそ、あなたがどんな言語観の持ち主かすら知らぬのに真摯な対話が出来るとも感じません。

多分、生成文法は「言語学」ではなくても何らかの学問(科学)ではあるかもしれない。
あるいはそのかなりの部分は心理学か論理学なのかもしれない。
だから言語学愛好家としてはより言語学らしい「言語学」を好みます。
250245:2001/08/19(日) 01:41
>>249

僕は生成系の人間です。真摯な対話をしてください。

> 理解した限りでは、それぞれの視点も対象も異なる。故にそれらを「言語学」の名で括れるのか疑問に思った。
ならば、すべてのいわゆる「言語学」に対して本当に「言語学」といえるのか疑問ということですよね。
ソシュールの仕事に関しても「言語学」といえるかどうか分からない。だったら、僕は異議なしです。
お付き合いいただいてありがとうございました。

> より言語学らしい「言語学」
比較構文を使ってるところからすると、「言語学らしい」というところに
gradableな概念が入ってますよね。gradeをつけるなら「なにがより言語学的か」
を判断する根拠があるのでしょうね。お聞かせください。
251(´∀`):2001/08/19(日) 02:15
>>238
あえて事実確認だけね。>>225で俺が言ったのは>>214での
>John and Mary think they love each other. の多義性とか、どうかな(もちろんtheyの先行詞はJohn and Mary)。
>また、対応する日本語文でこのtheyを自分、自分たち、彼ら、と訳し方を変えることで可能な解釈も変わる。
という点で、対応する日本語文での俺の判断も分析もここでは紹介していないぞ(残念ながら某国内学会誌にしか
書いていないからキミがピンとこないのは当然だが)。相手のいってることをよく理解しようともせずに頭ごなしに
否定しようとキミの悪い癖がここでも露呈されたわけだ。

>>240
FLはFaculty of Language(言語機能と訳される場合が多いが、俺は言語機構と呼ぶことにしている)の略。
また言語行為・運用・活動の所産が「外在化した言語」externalized language (E-language)であるのに対し、
文法知識自体は(脳内に)「内在化した」言語internalized language(I-language)であり、生成文法は後者を
研究の対象に設定するI-linguisticsである、という言い方をするわけ。このあたりの基本用語はいくらでも
自分で調べられるはずだけどね。
外在化・内在化の区別をチョムがどこから借用したか、俺には心当たりがあるけど、ナイショ(笑

>>241
自分と違う考え方を聞かされるたびに「話しが噛み合わない」と文句いってるような印象。
俺のレスがまずくて納得いかんとお思いなら、まずは自分でチョムスキーの著述に当たってみてよく検討されたし。
(もしすでに読んだものがあるならあげてみてくれ。)
>現在「言語学」と一括して称されるものは、それぞれの視点で別々な学問(或る対象の研究)を作り上げてるのが
>実状ではないか。
それをあなたは好ましくないことで、もっと言語学本来の領域(意味不明だが)に限定すべきだというのかな。
だったら俺はそれに断じて同意しない。
>「視点が対象を作る」
ある人がある視点に立ってその「言語」観を形成し、それに従った言語研究を行い、別の人が別の視点で別の
「言語」観を形成し、別のスタイルの言語研究を行う。非常に健全な姿だと思う。あなたの言ってることは端的に
いって言語学内に思想統制を施行せよ、つまりは言語学を不活性化せよ、ということじゃないかな。
252>248:2001/08/19(日) 02:23
>1.太郎は花子(i)を自分(i)に推薦した。
>が、OKになってしまったんですよ。
BOBさんは、もしや「自分を批判した」スレで似たような例文を
clitic climbingとか言ってたあの時の彼かな?
別人でもなんでもいいんだけど、その直感に基づいて論文
書くのも勇気いりそうだなぁ。(w

俺のブラウザーだとemailの欄がなくて下げられ
ないんだが。どうなってるんだろ。
253241=249:2001/08/19(日) 02:29
>>245
>僕は生成系の人間です。真摯な対話をしてください。

してますよ。しかしもっとこれ以上を求められるなら、面識を得て会話を交して気心を通じ合ってからってことです。
通り一遍の挨拶でその師友に等しき境地を得ようってのは無理な話。

>ならば、すべてのいわゆる「言語学」に対して本当に「言語学」
>といえるのか疑問ということですよね。

いいえ。どうもご理解いただけぬご様子。
それらは同じ「言語学」の名で括るべき同一の範疇を成しとらんのではないかいってことです。
「「言語学」といえるかどうか」ってことならば、各々は別な意味での「言語学」を称してるわけです。そこに疑問を感じませんか。
「言語学らしさ」をポジティブ(積極的=肯定的)に定義するのは困難ですが、ネガティブ(消極的=否定的)な形で、即ち、「〜ではない」と定義することなら、不肖私にも可能です。
で、論理学や心理学ではない、と。
254異議アリこと241:2001/08/19(日) 02:49
>>251
やはり話が噛み合ってこない。こちらが思ってもないことを当方の意見だと推定されてもなあ。
科学認識論の問題として申します、と述べた筈なのに、どうしてもそこがご理解できぬご様子。
きっと私の説明が拙いんですな(タメイキ)。仕方無い、あなたではなくチョムスキー御大に問うてみませう。
で、最後にお尋ねしますが、チョムスキーが特にエピステモロジックに言語学を検討した著書といったらオススメはどれになりますか。
255B.O.B:2001/08/19(日) 03:16
>>また、対応する日本語文でこのtheyを自分、自分たち、彼ら、と訳し方を変えることで>可能な解釈も変わる。
>という点で、対応する日本語文での俺の判断も分析もここでは紹介していないぞ(残念>>ながら某国内学会誌にしか
>書いていないからキミがピンとこないのは当然だが)。相手のいってることをよく理解>>しようともせずに頭ごなしに
>否定しようとキミの悪い癖がここでも露呈されたわけだ。

あっそう…そうでなくても具体的な研究ができない云々は言いすぎだと思ってたんだ。
謝る。(「ここでも露呈」の「も」の部分に関しては納得いかんが(笑))

>>「反例がでたら原理を疑う」という原則が通じない学問分野がどこにある
>「疑う」(もっと良い分析方法があるのではないかと考えてみる)ことと反証(そのよ>>うな分析方法を実際に提案する)

私の語感では、「より良い分析方法を実際に提案する」ってのは反証の意味に入ってないんだけどね。
新明解にも、
反証:〔ある論(証)に対して〕否定する証拠(をあげること)... とあるよ。
どうやらあんたはcounterargument、私は falsification の意味でつかっていて、
それで↓のあたりですれ違いが起こったみたいだね
(まあ最初から全部すれ違ってるという見方もできるが)

>>反例がでたら原理を疑うのは当然だろ
>などというヴァカ丸出しの思考法に直結してしまうんだよ。反例が反証にならないって
>ことを知らずに

>その直感に基づいて論文書くのも勇気いりそうだなぁ。(w
この場合、でも大多数の人にとってダメってわかってるからいいですよ。
(いいって人もごく稀にいます。私の学生でも)
まわりの人に聞いてみて7:3くらいにわかれて、自分(の判断)が3の方だったりしたらすごく困るでしょうね(笑)
256あぼーん:あぼーん
あぼーん
257(´∀`):2001/08/19(日) 03:58
>>252
>clitic climbingとか言ってた
そりゃ俺だ(笑

>>254
和訳のあるほうが手っ取り早いだろう。
最近のものとしてしては『言語と思考』(大石訳)松柏社がお薦め。
同時収録の黒田の文章も必読。
258ばぶれ者:2001/08/19(日) 07:09
>>230
ベルグソンをだすのなら、むしろ同じ『記憶と物質』のなかの、
失語症のいくつかの症例に触れてほしいです。
能力の理解と、能力の行使の違いにも論及していたと思います。
259あぼーん:あぼーん
あぼーん
260あぼーん:あぼーん
あぼーん
261あぼーん:あぼーん
あぼーん
262あぼーん:あぼーん
あぼーん
263あぼーん:あぼーん
あぼーん
264名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/19(日) 09:20
一匹キティが迷い込んでますな。(w
265名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/19(日) 10:50
いろんなスレで話題にはなるんだけど、どうやってその生成の
人がいう真の言語能力LFにせまるか、という問題あるよね。
生成の人は語用論とかと無関係な言語能力があることを立証する
のが一つの役目、というか主張を証明することになるわけで、
どうやってイレレな要素を剥ぐかのメソドロジーを開発、確立
すべきじゃないのかな?それをしないから、それは情報構造論で
説明できるとか、例えば、いわれちゃうわけで。もし本当に
情報構造論で説明できて、かつ情報構造論が独立した理由に
おいて言語研究に必要な概念なら、あえて、例えばAという
現象にアドホックな説明を加える必要はなくなるよね。
機能論的な立ちばにいる人間としてはその辺が、言ってみれば、
甘い、という感じがする。だから機能論者の説明には耳を傾け
こそすれ絶対に無視するべきなんかじゃないよ、本当に真の
言語能力LFを突き詰めたいなら(ま、そいうものがあるとして、
だけど)。確かに、情報構造論(例えば、ね)でとらえられ
ない現象まで生成の見方なら捕らえられると言うなら、それは
情報構造論にその現象がかならずしも還元できないという
ことだから、それはそれで生成の人のアドバンテージ。
情報構造論と生成の人の言う原理に相関があるようならそれはそれで
突き詰めなければならないもんだい、かな。とか思ったナリ。
266みんなのおやくそく:2001/08/19(日) 13:26
進化は学習よりも不効率でまどろっこしいプロセスです。
だから「学習として説明するのは難しい」という理由だけで、
生得を持ち出したりしてはいけません。
それは「帝京大は無理だから東京大を目指す」みたいなもんです。
267ばぶれ者:2001/08/19(日) 13:28
>>264
なにかおれに遺恨のあるやつかな?
二度と来るな名無しの低脳
おれも来ないけどね。
268名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/19(日) 15:06
>>267
いや、>>264の言ってるのはお絵描き荒しのことでないの?
直ぐ自分のことだと思ってムカ腹立てるのはよくない癖です(生成派には特に多い?)
269国語の先生:2001/08/19(日) 16:09
不本意ながら↑流れ的に一番私のことを特定しやすそうなので……
仕事にあきるとついついここを開いている自分がいます。

この板にある「田中君が妹が……」スレをじっくり読んでみたら、
「考えていくとだんだんOKになっていく」人々のプロセスがまざ
まざとつづられていて、私的にはタイムリーで面白かった。
で、ひとつ思ったのですが、「最初は非文だと思ったけれど、考え
ていったらいいのではないかという気がしてきた。」という現象が
起こる用例の中には、
  1. 表層構造から一意の内容に無理なく到達しがたい→非文と判定
    どこがいけないのだろう、本当に表現したかった内容は何だろう
    と思索し始める
というアプローチが、
  2. もし「○○○」という内容を意図していながら、眼前の表層構造
    が出来てしまっているとしたら、一般に「○○○」を表現するた
    めのあり得べき表層構造との違いは何だろう、と思索を進める。
となり、やがて、
  3. 「○○○」を表現するため、表層構造生成のプロセスごとに
    適用されるべきルールは何であり、今考えているこの文は、
    許容できる範囲のプロセスを経て生成されているだろうか。
    ひとつひとつは間違った手続きではないように思われる
               →やっぱり非文じゃないや
という思考の過程を経るものがあるのではないかと思います。
ただ、1→2までと3では、アプローチが実は180度?転換しているよ
うに思えるのです。(例えば「○○○」の扱いが、理解側の到達点から
表現側における所与の出発点へと変質している)

私の不勉強ながらの印象では、生成文法のアプローチはかなり3に
偏っているような気がします。
そして、言語を理解するプロセスが生成するプロセスの逆関数(←喩え
です)である(そしてその逆も)かどうかについて、私は明確な答え
を知りません。
検証の意味として1.=2.=3.なのか?そうではないのか?
(あ、流れに有機的な発展をもたらさないのであれば私向けのレスは
特段けっこうです。)
270B.O.B:2001/08/19(日) 16:43
>確かに、情報構造論(例えば、ね)でとらえられ
>ない現象まで生成の見方なら捕らえられると言うなら、それは
>情報構造論にその現象がかならずしも還元できないという
>ことだから、それはそれで生成の人のアドバンテージ。

そうそう、そこであきらめちゃう(還元できないと断ずる)のが早すぎると思うんですよ、
生成の人の場合。
「当時の文明レベルではこのようなもの(例:ナスカの地上絵,ピラミッド...)を造ることは
できない、したがって古代超文明、宇宙人云々…」と『神々の指紋』みたいな短絡になる。
一見不思議でも「できた」んだから、どうやってそれを成し遂げたか探るのがまともな発想です。

言語の習得に関しても同じことがいえる。
「偶然的な進化の結果、もともと知っているから」なんてただのズルです。
271名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/19(日) 17:08
>>269
「これって非文?――誤用判定スレッド」はどうですか>国語の先生
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=997815622
272火星人:2001/08/19(日) 18:25
>>269
わたしの印象では生成文法側が挙げる非文判定の例は、
あいまいさを極力さけたものであり、
むしろ次々と出てくる反例に対し、
敏感に理論のほうを改変して、逆にその原理的一貫性の無さが、
痛烈な批判を招いている気がします。

「○○○」が基底構造を意味しているのであれば、
理解側?は捨象されていいと思いますが...
異常な考え方でしょうか?
「○○○」て何でしょう?
そもそも「○○○」がなぜ所与とみなされるのかわかりません。
音声形が所与であり、
基底構造が構成的(超越論的?)と言われるのなら、理解できますが。

(一般に生成文法はコミュニケーションには興味を示してはいません)
(私も言語がもっぱらコミュニケーションの<道具>であるという見解はとりません)
(また、<制度>とみなすことにも慎重でなければなりません)

とりあえず生成側が何らかの意味で保守的と言うことが正当だとしても、
非文をあえて許容文とみなす意味においてではないでしょう。

非文判定については、かかり助詞氏が挙げられた交差文の日本語の例で、
読んでいるうちにだんだん文法的に見えてきたことがありました。
ご存知の方は、どこでしたかお教え下さい。
273ペインター:2001/08/19(日) 20:07
絵を描いているときって、その絵だけしばらく見ていると、
デッサンが狂っていても気が付かなくなってしまう。
それを防ぐためによく言われるのが「裏返して見ろ」という忠告。
CGで描く場合は、「左右反転させて見ろ」になる。
こうすると、見慣れてしまう前の客観的見方を回復できる。
OKと思っていた絵を反転させて見たら、
デッサン狂いまくりなのに気づいて鬱になることもある。

頭の中でいじっていると文法の正しさを判断できなくなる、
というのも似たような心理過程だと思う。
絵の場合の「反転させて見る」に対応する操作ってないのかな?
274国語の先生:2001/08/19(日) 20:40
>>271-272 長々と書いたら結局レスが来ちゃいましたか恐縮です。
「○○○」はいいかげんすぎましたね、適切な用語を知らなかった
もので。音声形が最終的に負っている表現内容とでも言えばいいで
しょうか。
269を改めて言うと、初めT「この文をそのまま理解しようとすると
○○という意味に受け取っていいのかなだめかな」(音声形だけが
表現者と理解者の間で共有されていて、○○の伝達は正しく遂行され
ていないかもしれない)という問題への分析だったのが、何時の間にか
V「○○という意味を表すのに、この文は使っていいのかな」(内容○○
が既に理解者側に正しく伝わっている所から分析が始まっている!)という
分析へ転換していることがあるかも、ということです。
個人の中でかつての非文が非文でなく感じられるようになるプロセスに、
上記の前者Tから後者Vへの転換がある可能性はないのか、というよう
なことを考えてみたのでした。
275国語の先生:2001/08/19(日) 20:58
表現のプロセスと理解のプロセスは同一のシステムのインプットと
アウトプットを逆にたどるだけのことなのでしょうか。
それとも、生成系と解釈系というよな二つの異なるシステムが存在
しているということはないのでしょうか。前者に依れば、生成のプ
ロセスを追究することは、同時に理解のプロセスも追究しているこ
とになりますよね。
しかし、もし後者が正しいとすると、前レスにおけるT→Vの転換は、
解釈系システムへの観察を、本来は別物である生成系システムへの観
察に微妙に変更してしまっているようなことになりかねない。
276名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/19(日) 23:57
>そうそう、そこであきらめちゃう(還元できないと断ずる)のが早すぎる
>と思うんですよ、生成の人の場合。
 早すぎる、ならまだいい方で、大多数の生成文法家はそもそもそんな視点
ないんじゃないのかな。そういう印象が強い。(ちなみに久野さんって
生成文法家ということでいいのかな?)
でも実はここら辺が生成文法と他の機能論的陣営とがお互いの知見をぶつけ
あうべきとこではないかと思う。機能論側にしても、LFなんて全くない、
という証拠を持っているわけではないわけだし、今の現実としては、
いかにLFという主張をミニマイズするかということ、かな。
Croft 1995とNewmeyer1996?form and functionはこの辺に興味がある人は
一応読んでおくべきだと思うナリ。
277火星人:2001/08/20(月) 00:19
>>275
とりあえず
<生成系と解釈系>という並列表記はイカガナモノカ?なので、
<表出系と解釈系>ならいいかも?
としたうえで、この2つが同一か、異なるかという問いは、
たしかに1つのスレッドに価する有意義なものかもしれません。
とくに語用論に関する限り。

(わたしは火星人なのでよくわからないのですが)
言語能力はいちおういろいろな部門の統合と考えられていますから、
<表出系と解釈系>を比較すれば、
共有部門は統語にしろ、語彙にしろ、相当あるのです。
とくに<文法>という用語を使う限り、
それは誰が主体かにかかわらず、共有されているとみていいでしょう。
したがって、同じか異なるかという問いは、
先生のおっしゃるような相反するものでもないし、
まずはチョムスキーにとっては、興味がないのでしょう。おそらく。

思いつくまま書いてしまいました。そろそろ星に帰るので、
専門家の地球人の方お願いします。
278名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/20(月) 02:21
>久野さんって生成文法家ということでいいのかな
久野すすむは機能論者でしょう。
昔は生成の枠組みを使ってたけど、道具立てを便宜的に使ってただけでは?
折衷主義とはいえるかもしれない。
279>273:2001/08/20(月) 03:39
>ぺインターさん
面白い指摘ですね。やっぱり専門以外の人の意見が
もっと聞きたい。どの分野でも、(そう言っては
なんだけど)素人の人にハッとさせられることは
多いもんだ。「反転」にあたるものがあるかどうかは
よくわかりませんが。

 考えているうちに意味がbに変わってくる(許容する)
と言うのは構造としてその意味を付与する能力があるけど、
その意味bではふだん使われない、ということかな。
で、もしそうだとすると、これは何を意味するのかな?
誰か教えて。やっぱり、8対2(9対1でもいいけど)に
ジャッジが割れても2(1)を無視してはいかんわけか。

となると自分の直感だけで結論を導いてはならぬ、ということに
なるのか?他の人ともジャッジはチェックするけど、論文を
書くのが大変になるナリ。(w
280(´∀`):2001/08/20(月) 05:10
>>265以下
生成が機能論をまったく無視しているとか、機能主義と完全に相容れないものだというのは、誤解も
はなはだしいな。生成の立場は基本的に機能構造相関論。争点は構造が機能を説明するのか、
機能が構造を説明するのかであって、前者のアプローチが妥当と思われる領域を生成は議論している
わけだ。Newmeyerもなんでもかでも形式主義だ機能主義だという立場を諫め、相互交流が必要だと
いう当然の指摘をした上で、あえて機能主義だけではダメダメだという確認をしている。

で、俺は、
>それは情報構造論で説明できるとか、例えば、いわれちゃう
という発言には、それは果たして説明なのかい、と首をかしげるわけ。説明というのは単にデータと
辻褄の合うお話しを作ることではなく、どれだけ多くの一見無関係な事実を統一的に簡潔に予測
できるかという問題だからね。

>情報構造論にその現象がかならずしも還元できない
という表現にも失笑せざるを得ない。還元と単なる言い換えは区別しなきゃ。機能と構造のどちらが
どちらを説明するのか、を問題にしているのに最初から「情報構造論に還元」ということはないな。
そして確認しなければならないのは、構造を作る能力自体と、その構造特性に見合う機能をそこに付与
する・見出す能力は常に別であり、いきなり機能が新たな構造を生みだすことはないってこと。
飛行という機能が昆虫に羽根を生えさせたのではなく、もともとあった構造が偶然ある機能に向いて
おり転用されれば、今度はそのような機能により見合うよう専門家・特殊化され他の機能は果たせなく
なるわけだ。それを短絡的に昆虫は飛行のために羽根を生やしている、人間はコミュニケーションの
ために言語を持っている、受動態は論理主語の背景化のためにある、という表現をしてしまうと、本質
論を見失いがちになるよ、と警告するわけ。機能と構造の棲み分けをちゃんと理解した上での機能研究
自体には何の異存もない。俺の一部のナイーヴな機能主義に対する批判は、目的論は説明ではない、の
一言に尽きる。

それと生得説は人間言語を他の種固有能力と対等に見た場合のdefault仮説に過ぎない。実質的な議論は
どのようなものを生得的能力として認めなければ人間言語を説明できないのか、であって、例えば領域
固有のものを認めるか認めないかで立場が分かれる。いつぞやも言ったが、ネオ・ダーウィニストの中にも
生得的言語能力の領域固有性を認める人は少なくないな。ここで生得論完全否定のようなことを言ってる人、
自分が否定したいのはどの部分なのかをはっきりさせてから発言してくれると議論もしやすい。もちろん
言語生得説に限らず、その時代の有力仮説に異議を唱えること自体はたいへんやりがいのあることだから
(チョムもそうやって登場した)大いに頑張って欲しいのだが、生得説がごく一部の者だけが盲信している
異端のものであるかのような勘違いはまず払拭してもらいたいな。それは現代生物学全体の中で真剣な
検討に値する考え方だ、ってことをまず正視すべき。

>「偶然的な進化の結果、もともと知っているから」なんてただのズルです。
素人の印象論だけ繰り返してても無意味。言語獲得に関する膨大な事実を生得性知識ゼロの状態でどうやって
説明するのかを言わなきゃ、反論にはならない。生得的一般原理としてこんな僅かなものだけを仮定すれば
これだけ多くの事実が自動的にfollowする、と相手が言ってるのだから、いやそんなものは仮定しないほうが
もっと多くの事実をより簡潔に説明できる、って議論をしなきゃね。
281京極堂:2001/08/20(月) 10:31
どうも納得いきません。>>80
目的論が、論点先取りであることは承知しています。
これを、後半の進化論に適用してみましょう。
「ネコの舌がざらざらしているのは、骨についた肉をあまさずたべるため」(俗説)
は、たしかに進化論上の適切な説明ではありません。
いっぽう、この説は、ある種の能力を記述しています。
このネコの能力は、ネコの舌の生得的形質を条件としていますが、
この生得的形質がいまのところ解明不可能となると、
ネコが肉をあまさず食べる能力が生得的であるという説をたてたとしても、
それじたい目的論的残滓をひきずっているように思えますが。

はやい話、言語能力の生得性のテーゼは、
<言語のために進化した>ナニカを思わせるのですが、いかがでしょう?

いっぽう、さまざまな脳の諸機能の連合が言語獲得につながったばあい、
言語能力の生得性のテーゼは、ただたんにヒトの脳に依存するという、
はなはだ陳腐なことを言っているにすぎなくなります。
生得的一般原理とは、いったい何でしょう?
282京極堂:2001/08/20(月) 10:33
>>280
キーボードたたきすぎでこわれてきた・・・
283名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/20(月) 10:51
安いキーボード使うなよ。。。
284京極堂:2001/08/20(月) 18:14
>>283
しがない古本屋なもんで。
285B.O.B:2001/08/21(火) 03:28
そりゃ逆だ、だって生成側の方が、UGや派生のプロセスといった余計な存在物を
仮定してるんだから…
だから、これは意味や機能では説明できまい、だから統語部門の
独立性の証拠だ、ってことを生成の人はいうんだけど、(それ自体は健全な argument だ)
そこで(研究の結果)意味なり機能なりによる説明が可能だということが判明すれば、
それは結局(思弁的なもの以外)何の根拠もない主張ということになるはずでしょう。

ところがそうすると今度はそれはとってつけたようなお話にすぎないからダメだという。いつの間にか統語部門の独立性は所与として扱われるようになって、その枠組みに
合致しないものは「それは本当の説明になっていない」という。
巧妙に論点というか視点がずらされているよ。

>生得的一般原理としてこんな僅かなものだけを仮定すれば
アタマの中でVやらNやらがくっついて派生してspell-outされるっていう根拠も観察
もちゃんとした定義もないナンジャモンジャ分析を、どうしたら信じられるか、
そのコツだけでも教えてくださいよ。
モノみたいにくっつくとか壊れるとかいわれるVとかNとか素性って一体なんなのさ?
数学的にも哲学的にも物理的にも定義がないアレは。
もう流れちゃったみたいだけど「順序はあるけど時間的前後関係はない」派生ってのは
一体どういうことなんだ?(衝動派さんは「教科書的」っていってたな。教科書的?)

>京極堂
まさか本人とは(w
286(´∀`):2001/08/21(火) 08:45
>>281
おもしろい喩えだけど、「ネコが肉をあまさず食べる能力」を可能にしている要因の一つとして「舌の生得的形質」がある
ということと前者の能力の「ために」後者が進化したと述べることは全然違うってことは理解してもらえてるはず。
ある形質・形態が成立したために、それに応じた機能が生まれるということを俺らは日常、便宜的にその機能のために
形質・形態(ないし形式・構造)があるという言い方をするんだけど、それは気をつけないと俺のいう機能主義の誤謬に
陥りやすい言い回しだね。で、「ネコが肉をあまさず食べる能力」というのは言語でいえば、例えば個々の話者がある場合に
能動文ではなく受動文を用いることによって論理主語を背景化したり論理目的語を前景化したりする能力に相当する、
言語構造の機能的使用法に相当するレベルの話しだと思う。もちろんその能力も研究対象として意義深いのだが、では
そもそも受動文という形式自体はどのように成立するのか、その形式からどうして問題の解釈や機能を話者は引き出せる
のか、という、より基本的な問題設定もある。生成の領域はこの後者の問題だろうね。またこの見方からすれば「ネコが
肉をあまさず食べる能力が生得的であるという説」は生成の生得説ではない。

><言語のために進化した>ナニカ
ナニカとは例えばどういうものだろ? この「ために」というのも、上のような意味での便宜上の表現であるということを
理解した上で言ってるんだよね? 咽喉部の解剖学的構造の突然変異は結果的に音声言語の成立の「ために」必要な偶然で
あったわけだけど、もちろん文字通りそれを目的にしてそのような突然変異が起きたのではない。「進化は先読みしない」

>さまざまな脳の諸機能の連合が言語獲得につながったばあい、 言語能力の生得性のテーゼは、ただたんにヒトの脳に
>依存するという、 はなはだ陳腐なことを言っているにすぎなくなります
それを言ってるのは言語固有の生得的能力を認めなくても他の認知能力さえ与えられていれば言語の発生は可能だと
いってる、反生成の人たち。これは個体発生の場合だよ。系統発生については言語の成立に必要な諸条件が脳の構造と
機能を含めてあらかじめ満たされていたからこそ起こり得た出来事だった。そうやって系統発生がもたらした結果を
俺らはいちいち系統発生を繰り返さなくても(反ヘッケル)遺伝的能力として与えられているからこそ、言語獲得が
可能になる、というのが生得説。

>生得的一般原理とは、いったい何でしょう
生成がこれまでどのような提案をし、それをより高い一般性と簡潔性を求めてどのように統合してきたか、ご存知ない?
287(´∀`):2001/08/21(火) 08:49
>>285
もうキミの相手はせん、と決めたがヒステリー起こさないならもうちょっと相手してあげる(w

>UGや派生のプロセスといった余計な存在物を仮定してる
というのが既にある特定の見方に立った発言だってことを自覚してるかな。逆に意味や機能を持ち出すまでもない言語現象に
わざわざそんなもを持ち出すことこそ余計な仮定だ、と言われたらどうする。
>意味なり機能なりによる説明が可能だということが判明すれば、 それは結局(思弁的なもの以外)何の根拠もない主張と
>いうことになるはずでしょう
これも同様。形式と意味のどちらがよりprimitiveなものか、の見解が既に食い違っているのだから、形式と意味・機能
両方の説明が可能な場合に、どちらを採りどちらを棄てるべきかは真っ向から対立するだろう。ところで言語において
機能が形式に先行する(?)とキミがはなっから思い込む根拠は何だ? 俺が構造を優先するのは、これまで何度も
言ったように、意味・機能は構造を選択することはあっても構造自体を生むことはない、という見方をするから。

>そのコツだけでも
コツではなく理性の問題。まず人間言語が内包する階層構造と、その重要性は認めるのかどうか。認めないならおよそ
syntaxとは無縁の領域で研究してもらうしかない。もし認めるなら、その階層構造はどのようなもので、それはどのように
成立するのか、その構造を作り上げる俺らの能力はどのようなものか、という設問が極めて理にかなったものだという
ことにも同意するはずだ。で、キミも知ってるとおり、チョム理論ではPS規則群からXバー理論へという形で初期の句構造
理論の大幅な簡潔化が成し遂げられたわけだが、キミが不審がる「VとかNとか素性って」のはその段階で既に語彙範疇間の
一般性を捉えるために提案されていた範疇素性に他ならない。それからキミは特に「派生」モデルに反発しているようだが、
やはり表示と制約に基づくモデルを支持してのことだと理解していいのかな。チョム理論もGBはまさにそのようなもの
だったわけだが、出力だけを見ていても説明のつかないことをその出力に到る過程の中に説明を求めようという方略が
表示モデルから派生モデルへの転換の根本理念(の一つ)だろう。では、句構造を生み出すために必要最小限の装置は
何か、と考えると、「VやらNやらがくっついて」とかの組み合わせ操作、別々の2物を併合して新しい一つの構成素を
定義する能力だけでよい、Xバー理論が述べていた構造特性はその併合操作の適用から自動的に出てくる、ということに
気づいたわけだ。

>素性って一体なんなのさ
HPSGの人はどう答えるんだい?エーテルやフロギストンみたいなもんか。俺的にはジェミュールだが(w
ま、俺の独断だが、異なる要素間の共通性を最も効率的に簡潔に捉えるための理論装置だと取り敢えずは思うしかないな。
featureは「特徴」でもあるわけだ。多くの要素が名詞性というべき共通の特徴を持っていれば、その共通因子として[+N]
という範疇素性をたて、それによってどのような面白い説明が可能になるか調べてみる。理にかなった研究態度だとは
思わないかい。

>「順序はあるけど時間的前後関係はない」
これは生成内部でも見方が分かれる。旧来の生成の表示モデルは、いちおうD構造→S構造→LFという書き方のせいで
時間的に前後のある写像が存在すると言ってるみたいだったがもちろんこれは誤りで、表示レベル間の写像関係は一瞬にして
同時に定義されるという感じだった。現在の派生モデルになってもその点は同じだと考える人も多くいるが、しかし
(ずさんな扱い方とはいえ)計算効率や時間・空間計算量の観点から統語派生の特性を論じる以上は、実際の時間軸に
沿った一連の計算過程が想定されていなければおかしいだろう、という立場もある(俺も)。まあこの辺は、研究の進展に
よって徐々に明確になるだろうと期待するしかないな。あらゆる詳細な点がすべてはっきりしているものしか検討に値
しないという偏狭な態度が科学を支配していたら、そもそも科学は不可能だったろうよ。
288B.O.B:2001/08/21(火) 23:54
>ところで言語において機能が形式に先行する(?)とキミがはなっから思い込む根拠は何だ?

それは、志向性を持った人間の営為だからね。昆虫の羽の形成との類推で考える方がおかしい。
形式が機能に先行するってのは、例えば、「ある個体の筋肉の収縮等の活動にともない
ある種の金属片または紙片の移動が起こり…云々」という現象が先にあって、
それを我々は「買う」と称して社会生活を営むための手段として利用している、というくらい
奇妙な発想だよ。
人間が「合」の形の家をたてるのと、ミツバチが六角形の巣をつくるのとの違いもいい例だ。

>意味・機能は構造を選択することはあっても構造自体を生むことはない

「意味に構造がある」とは考えられないの? 「あるモノと別のモノとの間の関係」のような
概念には、例えそれが前言語的なものであってもある種の構造を既に含んでいるように思えるけどね。

>featureは「特徴」でもあるわけだ。
そんなもったいぶらなくても、featureは(意味的・形式的な)特徴のこと
でしょう。情報と言い換えてもいいし、多分それ以上の「モノ」ではない。
だからこそ、それがくっついたり動いたりって発想が珍妙だといいたいのよ。
289名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/22(水) 01:10
生成文法では+animateとか今も統語素性とされてるの?
現在の生成文法のシステムでは*drink cookiesとか
*eat beerってどうやって排除するん
でしょうか?
290(´∀`):2001/08/22(水) 06:33
>>288
>志向性を持った人間の営為だから
こちらの立場としては、無意識の領域である言語能力とその能力を特定の目的で実用に付す言語運用を混同しているだけ、
と言わざるを得ないね、。「買う」の例も「家を建てる」の例も、言語運用と同じ運用レベル。その運用を可能にしている
もろもろの諸能力のうちのあるものを取り上げて研究しているわけ。

>「意味に構造がある」とは考えられないの
なんらかの構造を内包していてもおかしくはないが、それはキミも言うように「前言語的」なもの、言語構造に対応する
以前のもの。概念・意味的にはあってもいいはずの構造が、人間言語としては許されないというケースをさんざ議論して
きたはずだが? 言語において可能な構造を決定する原理が独立してあり、前言語的意味・概念を言語構造上に写像する
際は、すでにある構造の中から選択するのであって、前者が新しい言語構造を任意に作り出すことはない、と考えている。
(だから、いつぞも言ったが、UGというのは実は俺らの表現や思考の自由を奪うものとも言え、チョムにとっても皮肉な
ことだよ、と俺は思うのよ。)

>>289
初級者スレか素性・辞書スレにいきましょう。(意地悪してるわけじゃないよ。倉庫行き防止運動の一環ね)
291名無しウナギは尾が象か?:2001/08/22(水) 07:41
>>273
>絵の場合の「反転させて見る」に対応する操作ってないのかな?

作文のハウツー本なんかには「声に出して読め」という忠告が書かれてるよ。
でも、この場合の頭の切り替わり方は絵の反転とは別だな。

書き言葉よりも話し言葉の方が、悪文に対して厳しい。
構文が複雑で何度か繰り返し読めばやっと意味の通る文章は、
書き言葉としては一応許容されるけど、話し言葉としては許容されない。
だから、書き言葉としてはいいだろうと思っていた文章でも、
自分で声に出してみると、不自然なのが判る。
といったような切り替えが起きるわけだ。

このスレッドで出て来るような複雑な構造の文は、
書き言葉としては単なる悪文だとしても、
話し言葉としては、どのみち非文ではないかと思う。
292名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/22(水) 10:15
>概念・意味的にはあってもいいはずの構造が、人間言語としては
>許されないというケースをさんざ議論してきたはずだが?

 まだconvincedはされないなぁ。やっぱBOBさん的な発想で
突き詰めて、それでさらに説明できなければ、そういう
innate structureに目も向きそうなものだけど。
もうちょっと言うと、あってもよさそうなのにない例、として
ad hocに1つあげられてもなぁ。例えば3タイプのrqising
predicateがそれぞれ意味的に類似したpredicate群からなる
(predicate classを構成する)といわれてるし、BOBさんの
言うような、意味構造主導の発想の方がどうにも魅力的なん
だなー、ナリ。ちょっと最後無理が(w
293門外漢:2001/08/22(水) 10:46
>>291
>書き言葉よりも話し言葉の方が、悪文に対して厳しい。

悪文と非文を一緒にしていいんですかい、生成としては?
ふつうは逆で、話し言葉の方が制約がゆるく融通が利くもんですよ。
コンテクストを共有しない書き言葉だからこそ正確な表現を目指して推敲もあるわけで。
そもそも会話の場面では話し言葉は発せられた瞬間に消え去る声なんだから、
非文判定みたいに一字一句をためつすがめつする態度は取らない。
「文法」とは何であれ「書かれたもの」なくしてあり得ない概念です。
294京極堂:2001/08/22(水) 11:50
>>286
>生成がこれまでどのような提案をし、それをより高い一般性と簡潔性を求めてどのように統合してきたか、ご存知ない?
初期の深層/表層構造理論、GB、Xバー理論、ミニマリスト理論などなどのことですか?
当方、ポエム板からまかりこしたので、全然わかりません。
(ポエ夢とは…恥ずかしい…)
とりあえず、(´∀`)さんが好戦的なひとでないことはわかりました。
><言語のために進化した>ナニカ
について。
これはじつは「心的器官」と言おうとしたのですが、
mental/physicalの対照が別の問題を引き起こしそうなのでやめた次第です。
とりあえず「偶然」ということばがでたので、この話はナシ。

<意味>についての議論はずいぶんと、何と言うか、
ソシュールの仕事を黙殺している感じですね。
いわゆる無意識の示差的構造、これ/それ、父/母、金持ち/貧乏人などは、
素性処理についても、有意義な感じがしますケド。

ソシュールの構造が「実在しない」というのがネックなんでしょうかね。
暇でしたら、またお相手して下さい。

突然ですが、おれにケンカ売ってるキティ一匹発見したので、
駆除に行ってまいります。でわ。
295B.O.B:2001/08/22(水) 16:26
>無意識の領域である言語能力とその能力を特定の目的で実用に付す言語運用

無意識vs.意識的の区別のFodor的二分法がどこまで弁護可能かな?
例えば苦労して学習したことでも慣れれば無意識的にできるようになる。
physical activity で言えば、歩くのと、泳ぐのと、野球で変化球を投げるのと、
空手の演武をするのと…どの活動が意識的か無意識かってのには明確な境界線は
なうでしょう。
「平坦な面を直立した状態で移動する」っていう活動(歩行)は無意識に成されるけど、
人間はおそらくもとから歩き方を「知って」いるわけではない。
とにかく移動しようとする本能+平坦な地面や1Gの重力という環境+環境からのフィード
バックという「教師」…という諸要因が人間に「歩く」ことを学習させる(と少なくとも
俺は考えている)。

こと言語に関してだって、そのさまざまな側面…単純〜複雑な文の生成/理解、談話の構成、
ことばの礼儀作法…があって、能力/運用のはっきりした境界線がそのどこかに存在すると
いう保証というか根拠というかそういうものは見あたらないと思うんだよね。

>概念・意味的にはあってもいいはずの構造が、人間言語としては許されないというケースをさんざ議論して

それに対する回答は、
(1) 一見「概念・意味的にはあってもいい」いいように思えても、
意味・機能をよく見ていくとちゃんとそれが許容されない(少なくとも好まれない)理由
が見つかる。
(2) 言語が突き詰めていくと共同体における規約・制度であるという(ソシュール的?)立場から
すると、「あってもいいけど、(偶々)そうは言わない」(極端な例が「*お正月おめでとう」)と
いうことがあっても何ら不思議ではない。
ということですな。なるべく(1)の方に持っていった方が面白いわけだけど。

>3タイプのraising predicateがそれぞれ意味的に類似した

subj control 専用 (``commitment'')、obj control 専用 (``orientation'')、
subj/obj兼用 (wantとか…名前忘れた(ぉ) ですね。
control と raising は別物ですよ、紛らわしいけど。
raising は、意味的にいうと ``seem'' とか、命題の意味内容のコアな部分に影響しない
(モダリティ的といってもいい)やつ。
296B.O.B:2001/08/22(水) 18:02
>書き言葉よりも話し言葉の方が、悪文に対して厳しい。
>ふつうは逆で、話し言葉の方が制約がゆるく融通が利くもんですよ。

メディアや文脈が変われば諸制約の優先順位も変わるということでしょう。
話し言葉に繰り返しや言い換えが多いのは、音声メディアの不利な点(残らない)を補うため、
とか。

>「文法」とは何であれ「書かれたもの」なくしてあり得ない概念です。
言語に関する能力・習慣・規約・規則を「文法」と呼ぶならそうは言えないと思います。
ただ、学問・知識体系としての文法研究だったら、そう言えるかもしれません。
297門外漢:2001/08/22(水) 20:18
>>296
>>>書き言葉よりも話し言葉の方が、悪文に対して厳しい。
>>ふつうは逆で、話し言葉の方が制約がゆるく融通が利くもんですよ。
>メディアや文脈が変われば諸制約の優先順位も変わるということでしょう。

それ(三番目)はあんまり一般論に過ぎやしませんか。
もしそれが「話し言葉の方が融通が利く」への反論だとしたら、不同意です。
私はメディアが変ればなんて一般論ではなくて話し言葉と文章との比較、特に、非文判定のごとき場合に問題となる制約に就て述べたのです。よってそんな一般論では説得的ではありません。
対談などのテープ起こしをやったことのある人ならば、話し言葉がいかに文章の体を成さないものか判るはず。文末の呼応が途切れたり、テニヲハが滅茶苦茶だったり……。
その意味では、>>291の意見とは違って、話し言葉の方が「非文」が多いのです。
しかしもちろん、話してる時はそれを「非文」とは意識しません。
そもそも非文判定式に自らが発した言語を細かに省みる態度は、到底話し言葉だけでは出て来ないもの、文字無くしてあり得ないものです。ウォルター・オング『声の文化と文字の文化』(藤原書店)の議論を想起してみて下さい。

>言語に関する能力・習慣・規約・規則を「文法」と呼ぶなら

そんな風に諸範疇を「文法」の名を以て総称することが既に「学問」的態度なのであり、文字に拠った「知識体系」無しには成立しません。
ですから>>293でも「「文法」とは《何であれ》「書かれたもの」なくしてあり得ない概念です」と書いた次第。定義は何であれ、です。
298火星人:2001/08/22(水) 22:12
門外漢さんへ告ぐ。

話し言葉における非文の頻度、および
それを意識するか否かの問題は、文法の存在論を脅かさないことは、
ご承知かと思います。
とにかく地球人は、文法書を読むことなしに、
母語の文法を獲得(学習)しているのです。
自然な推論によって、表記体系の成立いぜんにも
ヒトは文法を身につけたといえます。
もちろん表記体系のない言語についても同様です。

ご推薦の本は火星人なので存じあげませんが、
とくに<書かれたもの>が権力と結び付けられているようでしたら、
そのようなアプローチがあることは存じておりますが、
ここでの問題群とはかけ離れております。
ちがったらスイマセン。
299名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/22(水) 22:16
>>297
要するに「知識体系」なしには言語は語れないってことをおっしゃりたい
のですかねえ?門外漢さんの言説も「書かれたもの」なくしてありえないこと
になるでしょ?で、そういうこと言って、どんなことが分かるんですか?
300名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/22(水) 22:45
>>297
なんか読みようによっては、
言語学が先か、文法が先か、みたいに読めるぞ。
チョム派でなくても、文法が先に決まってるけどね。

たしかに生物学のできるまえに、厳密な生物の概念はなかったかもしらんが、
そんなこといったら、いまからだって生物の概念はかわるかもしらんのだ。
でも昔から生物がいたことは疑いようがない。
文法の概念だって同じこと。
あんたの言ってることは、まったくナンセンス
301門外漢:2001/08/22(水) 23:09
>>298-299
本題である、話し言葉の方が文章より非文の頻度が高いってのはそれでいいのですか?

ここから脱線。
>とにかく地球人は、文法書を読むことなしに、
>母語の文法を獲得(学習)しているのです。

ふむ、故に文法は表記体系の有無に拘らず存在するのだ、と?

「文法」を生得本能と定義しようが社会制度と定義しようがご勝手ですが、
それが石や木や動物が即自的に存在するのと同じ意味では存在するものではないことはおわかりですね。
「文法」の存在は理論的仮設であって、人間の認識がそれを見出したとき、その意味に限り「存在する」わけです。
そして、その認識は「書かれたもの」無しには獲得できないと言ってるんですよ(権力云々は関係ないこと)。
ご注意いただきたいのは、文法が獲得できないのではなく(おっしゃる通り無文字社会の住民も文法を体得してますから)、文法の認識が獲得できない、ってことです。
さて、いまだそれと認識できない想定物は存在すると称せますか? 仮に「文法」としてではなく漠然とした前意識的な法則なら文字の助け無き時代にも思考し得たにせよ、それはいまだ「文法」ではない。

ここから「どんなことが分かる」かの一例。
以前、係り結びスレッドで、「かかり結び」さんが古文はコーパスとして興味が無くネイティブの残存する琉球語を調査したいって言ってましたね。私はなぜ古文をあんなに避けるのか、不思議でした。
喋る人の存在しない文章語だから? しかし元来「文法」とは文章を媒介とせずしては把捉できないとしたら……? 古文も立派に研究対象となることが分かりますやね。
ま、これは一例に過ぎません。
302B.O.B:2001/08/22(水) 23:23
>>門外漢
>もしそれが「話し言葉の方が融通が利く」への反論だとしたら、不同意です。

基本的に「話し言葉の方が(書き言葉に比べて)融通が利く」というのには
賛成です。ただ、だらだらと長い文なんかは(呼吸やイントネーションの制約のない)
書き言葉の方が「融通が利く」ケースにあたるのでは? と思ったのです。

>そもそも非文判定式に自らが発した言語を細かに省みる態度は、到底話し言葉だけでは
>出て来ないもの、文字無くしてあり得ないものです。ウォルター・オング『声の文化と>>文字の文化』(藤原書店)の議論を想起してみて下さい。

その本は読んだことがありませんが。
例えば日本(社会)でも、文法的間違いがあまりに多いと「あいつの話はテニヲハがおか
しくてどうにも聞きづらい」などと言われるでしょうが、無文字社会では「テニヲハ
がおかしい」にあたるような概念は無いんでしょうか? 多くの無文字社会では流暢な語
りや弁舌が社会的なスキルとして重視されると聞きますが、やはり文法的間違いが多
いのはそこでマイナスポイントになるような…
grammatical error にあたる概念が無文字社会に存在するか否か、興味深いですね。
オングの本には「存在しない」のを匂わすことが書いてあったんですか?

>「「文法」とは《何であれ》「書かれたもの」なくしてあり得ない概念です」
「文法という概念で我々が指示するもの(例えば文法規則)」がないのではなく、
「文法という概念」がないということですね。わかりました。
303B.O.B:2001/08/22(水) 23:30
>いまだそれと認識できない想定物は存在すると称せますか?
例えば○○語の話されている共同体に「文法」という概念が存在
しなくても、例えば○○語を調べにきてるフィールドワーカーは
○○語の「文法」を調べにきてるわけで、やはり○○語には
(そのフィールドワーカーが来る前から)「文法」が存在していたと
考えるべきでは。言語哲学っぽくなってきた… 
304名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/22(水) 23:46
マイナーな論点だなあ。
極端なハナシ、文法の意識を言語学者だけしか持っていないとしても、
言語学(文法記述・分析)は成立するじゃん。
学が研究対象を構成するのはあたりまえ。
それに話者が非文にまったく無意識という前提もまちがい。

いったい何を求めてるの?
表記しか研究対象にするなってこと?
305299:2001/08/22(水) 23:49
>私はなぜ古文をあんなに避けるのか、不思議でした。
容認判断を容易に聞けないからだと思いますよ。データが取りにくかったら避けるのも人情。
まして係り結びさんの目的には現代語で十分だったわけだし。

>しかし元来「文法」とは文章を媒介とせずしては把捉できないとしたら……?
「文法」って人によって定義がいろいろあるわけでしょう?あなたの定義を教えてください。
その上で「文章を媒介とせずしては把握できない」というところを理解しないと何を
おっしゃってるのか分からない。

> ま、これは一例に過ぎません。

もっともっと例をあげてください。

話し言葉の方が碑文の頻度は高いでしょうね。多分。話し言葉だと物忘れしたり、
言いかけたことを取り違えたり、雑音入ったりで大変ですから。でもそのむちゃくちゃな
「話し言葉」を理解し、解釈して会話を行っているってことはどういうことを意味しているんでしょうか?
306B.O.B:2001/08/23(木) 00:02
>マイナーな論点だなあ。
いうなれば「唯名論」対「実念論」ですから、ある意味メジャーな論点でしょう。

>>305
>でもそのむちゃくちゃな「話し言葉」を理解し、解釈して会話を行っているって
>ことはどういうことを意味しているんでしょうか?
その含みを持たせた言い方は…
→文法なんて言語理解の手がかりのうちの一つに過ぎない
→イデア的な確固たる文法が頭の中にあるからこそ多少のノイズは平気
→皆目検討がつかない
→その他
のどれですか。
307304:2001/08/23(木) 00:26
>>306
あなた本気で学の対象の実在性についての議論にふみこむつもりですか?
おっしゃる通りこれは存在論の重大な問題です。
>「唯名論」対「実念論」
はちょっと古いパラダイムなので、
せめて20世紀の数学の
構造(形式)主義ys直観主義の対立でももってきましょう。
前者は、数字の7が現実の「ななつ」を意味しなくても
数論の整合性は保たれるという主張です。
これを支持しますか?それとも7はあくまで7だと主張しますか?
このような対立は、幾何学にも及び、
点の概念は点の表象とは何の関係もないと主張されるに及んだのです。
(いまはこれが主流)

だからこそ、このような学一般の問題になるのを避けるため
>学が研究対象を構成するのはあたりまえ。
といったまで。
そういうことにしましょうよ。
308299:2001/08/23(木) 00:29
どれかというと2番目的。

話し言葉のときは、あーだこーだ考えてると流れに乗り遅れるし、黙ってると相手に悪い。

ゆえにあれこれ頭を働かせて「相手の言ってそうなこと」は何かと考える。

その時「イデア的カッコたる文法」にあわせて相手の発話を再解釈してるってのはどーですか?
309門外漢:2001/08/23(木) 00:44
>>307
私は「構造主義」者で「唯名論」者ってことにしといて下さい。
ソシュールに始まり音素論の論議を経た言語学なら素朴実在論に留まれないのが当然では?
――本題からいよいよ外れるのでサゲ。
310>304:2001/08/23(木) 00:58
>それに話者が非文にまったく無意識という前提もまちがい。

 間違いと言うのはどういうこと?非文とは何か、というのは
最近、関連スレでのトピックの一つなので
何か新しい視点があっての発言なら歓迎。
どう間違い、ナリか?
311304:2001/08/23(木) 01:15
307っておれじゃん!
なんでおれが素朴実在論者なんだよ!
実在のハナシはあまりにも多くの議論を呼び起こすんで、
このスレのために、妥協しただけ。
あなたの話をきいてまっさきに思い出したのは
M・フーコーだけど、(博物学の時代に生物は存在しなかった!)
ここはそんな話をするところではない。
ソシュールのいう構造と群論・射影幾何学の関連も興味あるし、
じっさいチェスの比喩による外的/内的の議論は支持している。
しかし要するに――本題からいよいよ外れるんだよ。
おれは、チョムスキーにまつわる話が聞きたい。
だからここに来た。オワリ
312304:2001/08/23(木) 01:22
>それに話者が非文にまったく無意識という前提もまちがい。
またおれか...
これは、非文に関して新しい視座を設定するとかじゃなくて、
誰だっけ?
門外漢さんが、話し手が「てにをは」の誤用に無意識だという
コメントについて申したまで。
話し手は、たとえコミュニケーションに支障をきたさないばあいでも、
自分で発話を訂正することがあります。そいだけ。
313門外漢:2001/08/23(木) 01:35
>>311
別に素朴実在論者としてあなたを指したつもりはなかった。
むしろ>>308にその気味があると思ってます。
誤解させたらごめん。
ではおやすみなさい。
314(´∀`):2001/08/23(木) 03:07
>>291以下
非文法性自体が理論に依存した概念だから、その定義をちゃんとしておかないと議論が空転するな。

>>292
別にキミをconvinceするつもりはないよ。自分がこうだと思ったアプローチで頑張ればよい、と何度
言ったことか。例をad hocにあげたつもりもない。意味論的には統一的な説明が困難だが、形式的には
きれいに扱えるような例をあげてきた。例えば、
1) a. Who do you think saw whom?
b. *Whom do you think who saw?
のコントラストを意味的にどうやって説明するのか。(なんなとお話を作ることは容易だろうが)
2) a. John is believed to have seen Mary.
b. *Mary is believed John to have seen t.
のコントラストを意味的にどうやって説明するのか。(同上)
3) a. Will John have done the job by Tuesday?
b. *Have John will done the job by Tuesday?
のコントラストを意味的にどうやって説明するのか。(同上)
しかし本当に重要なのは、(1)-(3)の間にある隠れた関係性を、いずれも移動は最短距離でなければならない
という旨の派生制約なしに、意味的制約だけでどうやって捉えることができるのか、ってこと。
それからキミの言い方だとinnate structureというのは説明上のlast resortみたいに考えてるらしいけど、
仮にもinnate structureを認める用意があるのなら、まっさきにそれによる説明を考え、どうもそれとは
無関係らしいと分かったらそれ以外の様々な要因を探るのが合理的、と俺には思えるナーリ(w


>>294
>好戦的なひとでない
相手次第、板次第だよ。(非学問板では俺はコワイよ……w)

>>295
>苦労して学習したことでも慣れれば無意識的にできるようになる
母語を「苦労して学習」する人間はいない。
>諸要因が人間に「歩く」ことを学習させる
その諸要因の中に、最も根本的かつ重要な必要条件としてヒトはそもそも二足歩行を行う動物であるという
生物学的事実、種が共有する遺伝的資質があるだろう。またもや進化論的に言えば、系統発生レベルではいわば
苦心の末に獲得した二足歩行の能力を、俺らは遺伝のおかげで個体発生では最初から持っているわけだ。
それとやっぱりキミは能力自体とその能力の運用や発現を混同している。歩くことを学習する、というのは種
共有の潜在的歩行能力が諸条件が満たされることで各個体に発現するすることだし、母語の獲得と運用も同様。
315国語の先生:2001/08/23(木) 04:11
>>308
>あれこれ頭を働かせて「相手の言ってそうなこと」は何かと考える。
>その時「イデア的カッコたる文法」にあわせて相手の発話を再解釈してるってのはどーですか?

はるか上のレスで、私が「解釈と表出(という言葉がいいんですよね)は同じ系の裏表か」
について思うところを書いたのは、言語理解の過程にまさに上記のプロセスがあることを
感じるからです。(これは話し言葉に限らないと思います。書き言葉でも同じ。)
全ての言語理解には、どの意味で取ることが最も話者の期待に添うかという、確率論的な
演算があるのではないかと思うことがあるのです。

言語理解がそもそもそんな行為であるならば、表出側は、理解者に理解してもらえる確率
が最も高くなるような最終形態(音声形)を作るような演算を用いて表現活動を行うはず。

上記の功利計算的な活動の中にあって、「構造」というのはいったいどの程度関与するも
のでしょうか。基底の構造から作られ得る複数の表層から最後に一つを選びとる功利計算、
与えられたひとつの表層から復元し得る複数の基底構造のうち、最後に一つを選びとる功
利計算。この功利計算装置は、生成文法の守備範囲なのでしょうか。それとも……
316国語の先生:2001/08/23(木) 04:41
>>314(´∀`)様
>母語を「苦労して学習」する人間はいない。
人間は母語を大変な労力をかけて習得していると思いますよ。
愛情ある家庭に育てられた乳幼児は、それこそ四六時中話しかけられています。
(しかも大人の考える赤ちゃんにわかりやすそうな言葉を選んで)
ご飯を食べるたびに「ほら、うまうまだよ」「はーいおいしいね」etc.
片言ができるようになればよってたかって会話練習。年齢が上がるにつれて、
間違いは容赦なく訂正させられてゆきます。
一方で、両親共働きで祖父母もいない、テレビに子守りをされていた子供は、
テレビから聞こえる洪水のような言葉を浴び続けてなお、言葉の能力に遅れ
が出たり、成長して(それこそ本当の)苦労することもあるようです。
(身近にその一例と思われる人物を知っています)

どっちの料理ショーのように、皆様何か書かれるたびに、それもそうか、と
思ってばかりなのですが、このあたりの話については、私はどうも生成文法
とはほんとうに距離が遠いようです。
317このスレ読んでも意味わかんねー:2001/08/23(木) 09:09
>>315。わたしは308じゃないんですけど、
確率論か...
そう考えたことはなかったな。

どういう文型や態を選ぶかという問題は意味論や語用論の問題で、
このとき、先生のおっしゃるような功利的?とか、
確率論的な問題が生じてくるのではないかな。
生成のフィールドは、その個々の形式を可能にする言語能力の問題だと思う。
これは原則無意識のプロセス(しかも実体的)なので、
ご覧のようにさまざまな見解がでてくる。

わたしは声優になろうとしたことがあって、
テレビのアナウンサーの発話をリアルタイムに繰り返したことがある。
聞いてすぐに口に出していたわけ。
すると、ときどき単語が似た意味のものに入れ替わるわけよ。無意識に。
政府与党が自民党になったり。
つまり、完全な鸚鵡返しはできなかったことになる。
音声入力から即、音声出力にストレートにいかなくて、
どうしても意味部門(正確な用語じゃない)に出力されちゃうみたい。

こういう考え方が生成のモジュール的発想で、
すぐ生成文法につながるわけじゃないけど、
とにかく、無意識的な出入力プロセスってこと。

あと、議論をムツカシクしないために、
理想的な話者という想定は受け入れたほうがいいと思う。
言語遅滞児その他の劣悪な環境による影響は、申し訳ないんだけど、無視。
318B.O.B:2001/08/23(木) 11:04
>>314 これは必ずしも批判じゃないんだけどね。

>母語を「苦労して学習」する人間はいない。
そう、そして歩くこともしかり…

>ヒトはそもそも二足歩行を行う動物であるという生物学的事実

>歩くことを学習する、というのは種共有の潜在的歩行能力が諸条件が満たされることで<>各個体に発現するすることだし

しかし、これは自明ではない ... 重力が地球の2倍の惑星で育ったら、
直立歩行ではカラダへの負担が大きすぎる。
直立歩行向けに(進化の結果)デザインされているヒトにとっては残念なことだけど、
這って移動した方が生きていくために効率的だし、きっとヒトはそうするだろう。
逆に重力が1/2の惑星だったら、歩くというよりはジャンプするのがもっとも適切な
移動方法かもしれない。

だからきっと「歩行能力」なんてものはなくて、あるのはもっと汎用的な「移動能力」
または「運動能力」でしかないわけだ。歩行は個体の能力/本能と環境(比較的平坦で
硬くある程度の摩擦係数を持つ地面, 1Gの重力...という「特殊な」環境)のセットでしか
語れないような、個体の成長の過程でその都度発見される-環境を教師とした文字通りの
(最適な移動方法の)学習に基づく-移動方法だ。

昆虫だったらどうかな? 飛行が適切でない環境でも、こいつらは遺伝的な
プログラムに基づいて闇雲に羽を震わせて、空しく滅んでいくだけかもしれない。
(そうでないかもしれない。案外個体レベルでの適応能力があるかもしれない)

言語に関する「言語(文法)能力」も、「歩行能力」と同じでやはりそんな特化したもの
を考えるよりは「一般的な認知能力」(顔文字さんはこれが何を指しているかわからな
いというが、それは実際のところ誰にもまだわかっていないんだろう)と環境(母語環境)
のインタラクションにより個体レベルでヒトの脳の中にその都度構築されていくもの
ではないかな。その環境がどのように生じたかはまた別の課題。
319318へ:2001/08/23(木) 15:03
完全な空論。
重力が2倍だったら乗用車のデザインも変わっただろう、
免許の取得も困難になったにちがいない、
というくらいバカバカしいおとぎ話。
320名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/23(木) 15:32
>>314
ではあなたは非文をいかに定義しますか。隗より始めよ。
そしてその定義では、話し言葉と文章化したそれでは非文の頻度に差が出ますか?
321火星人:2001/08/23(木) 18:01
320に告ぐ

(´∀`)さんのおでましは、最近は深夜から早朝なんで、
かなりレスは待たなければならないと思います。

私事で申し訳ありませんが、じつはわたしは >>272 で、
生成側の提出する非文は疑問の余地のないものだと書いたので、
非文が理論相対的ときいて、正直へこみました。

わたしは火星人なのでよくわかりませんが、
1回性の話し言葉のほうが非文が頻出するのは当然ではないでしょうか。
ということは、失礼ながら、魅力ある論点ではないともいえます。

生成文法は、最終的なspell-outのあとは、基本的に関心が薄く、
話すか書くかは、勝手にせいというふうにもみえます。
すると非文の定義、あるいは解釈も、おぼろげながら見えてきますが、
わたしは火星人なのでやめておきます。

僭越ながら、非文の定義そのものは当面の議論の焦点ではないので、
隗より始めよとはおっしゃらず、持論を開陳なさってはいかがかと思います。

では、わたしは火星の連邦治水学会に参りますので、失礼します。
勝手なことを申し上げてすいません。
322(´∀`):2001/08/23(木) 19:01
火星人さんの予測に反して悪いが……(笑

>>315
>功利計算装置は、生成文法の守備範囲なのでしょうか
うんにゃ、語用論など言語運用理論の領域だと思われ。例えば真理条件が同じ命題を、ある話者がある場合に能動文で
発話するのか、受動文で発話するのか、そんなことは知りません(笑
別の例だと John thinks he is guilty. ではheの指示対象としてJohnも可能だが、He thinks John is guilty.ではそれが不可能、
というところまでが言語能力の問題で、個々の発話において実際にheは誰のことなのかなんてことも(それを言うなら
Johnが誰なのかも)知ったこっちゃない。
いわば人間の四則計算能力自体の議論と、太郎君が今朝どういう理由で20+30を計算しなければならなかったのかの
事情説明は区別されるべきなのと同じ。
>与えられたひとつの表層から復元し得る複数の基底構造
現行の理論では「基底構造」(深層構造の意味で)は存在しないと見るのが多数派なので、音声信号としては(ほぼ)同じ
記号列に対して指定し得る異なる統語構造とそこから読み取られる異なる意味解釈、といったあたりだね。

>>316
>人間は母語を大変な労力をかけて習得していると思いますよ。
あなたのいうのは通常の環境で最低限の言語刺激に晒されることが必要だということで、それを「苦労して学習する」とは
言わないと思う。正常な母語話者全員が「愛情ある家庭」で育ったわけでもなければ、他の学習能力について等しいわけ
でもない。「片言ができるようになればよってたかって会話練習。年齢が上がるにつれて、 間違いは容赦なく訂正させ
られてゆきます」なんてことが、すべての母語話者について等しく起こるとは思えない。むしろ大人がいくら訂正しても
受け容れない子供、大人が絶対言わない表現を使う子供のケースが重要。
まあ、国語の先生さんということで、妙な言い方だけど、国語の成績が良かろうと悪かろうと、素行不良だろうが人格
障害だろうが、あなたの生徒さんはみんな日本語の母語知識においては「平等」なわけです。日本の中学生が英語を
勉強するような意識的な努力は一切なしで、しかも中学生の英語学習とは違って「誰でもごく短期間のうちに実質上同一の
言語知識を獲得する」という驚くべき事実を学習だけで片づけるわけにはいかない、人間には言語に特定化された認知
能力があらかじめ備わっているに違いない、と推測するのが生成文法。それでも「ほんとうに距離が遠い」ですか?
ところで「テレビに子守り」の例は面白いですね。必要最低限の言語刺激はどの程度のものか、ってのを俺も知りたいん
だけど、「素人の印象論」としてはテレビだけでも文法の中核部、たとえば生成でいうパラメタ設定には事足りるんじゃ
ないか、もし「言葉の能力に遅れが出たり、成長して(それこそ本当の)苦労する」のだとしたらそれこそ運用能力の
欠損なのではないか、と思ったりもする。そのような実証研究の報告例はあるのですか?
323(´∀`):2001/08/23(木) 19:02
>>318
>重力が地球の2倍の惑星で育ったら……
>「一般的な認知能力」……と環境(母語環境) のインタラクションにより個体レベルでヒトの脳の中にその都度構築されていく
またまた、系統発生と個体発生の混同だと思う。
地球の環境の中で起こり得た偶然の積み重ねがヒトという生物種を生み、その言語能力を生んだ。そしてそれはラッキーな
ことに、自然選択や性選択を含む進化の諸要因によって排除されることなく現在に至っている。(もし環境が違っていたら
そもそも生まれなかっただろうし、生まれたとしても排除されただろうし、いつ何時、絶滅してもおかしくない。)
もちろんその進化の要因としてキミがいうような意味での学習があってもおかしくないだろう(「ボールドウィン効果」
参照)。しかしそれらと、たまたま現存するヒトの諸能力の生得性の議論は区別せねばならん。言語能力自体は当然そんな
能力のまだない状態から生じたが、そうやっていったん生じた能力(の一部)が遺伝情報の中に組み込まれているのが、
ヒトに限らずすべての生き物の現実のあり方だと思う。
すべては直立歩行から始まった……言語も腰痛も、なんてね(ワラ

>>320
「非文法性」ということなら、当該言語の文法において生成不可能という意味で俺らは使う。現行モデルだと、MLCや
PICなどの派生制約に抵触する派生や、素性照合が完遂せず可読性条件を充足しない派生の出力が、これにあたるだろう。
(術語の頻出はやむを得ない。興味があれば質問してちょうだい。)
で、あなたの「非文」の定義は? たとえばgarden path文とか、どう見るの?

>>321
>非文が理論相対的ときいて、正直へこみました
な、なんで!? 実際に問題になるのはボーダーライン的な例なんだけど、素人が「これはおかしい」と思う文例を
ただちにすべて非文扱いすることはできない。母語話者のそのような直観をモデル化するのが専門家の仕事だけど、
文法性ってのはそのモデル化の過程で定義されるべき概念だから、ね。「おかしい」理由を言語能力以外に求めるべき
ケースがたくさんある。上と同じ質問だけど、「garden path文とか、どう見るの?」あるいは、drink beerが非文法的か
どうか、なんてのも理論に依存しなければ議論し始めることすらできない。
↓いちおう見といてくれる? どれが俺かは明々白々だと思うけど。
http://mentai.2ch.net/gengo/kako/973/973488716.html

次回の書き込みはちょっと先になるので悪しからず>all
324(´∀`):2001/08/23(木) 19:39
「eat beer」でした、スマソ
325N・チョムスキー:2001/08/24(金) 07:07
>いわば人間の四則計算能力自体の議論と、太郎君が今朝どういう理由で20+30を計算しなければならなかったのかの
>事情説明は区別されるべきなのと同じ。>>323

ちがうちがうぞ、このうつけめ!
competence と performance の違いを理解しとったら、そういう議論にはならん。
われわれが加算能力をもっており、さらにその能力を正当に確信しておったとしても、
現実には、一生のうちに実行不可能な加算など、じつは無限に定義可能じゃ。
遂行(運用)についていえば、われわれは加算の全体集合のほとんどが実行不可能なのに、
加算能力があると信じているのが実状じゃ。

ところが、わしの正当な理想化により、
われわれに加算能力があるというのは正しいと言える。
ここのところが重要じゃ。
太郎は20+30という、きわめて幸運な偶然により、現実に計算可能な問題を与えられ、
50という正しい答えに行き着いた、と、ここまで言わなくてはだめじゃ。
そのうえで、加算能力との区別を語らねばならぬ。
わしの言うとることがわからんのなら、おまえは不肖の弟子じゃ。

なおわしは、近々PPTを放棄しようかと思っておる。
覚悟しておけ。皆の衆。
326B.O.B:2001/08/24(金) 07:48
「〜じゃ。」って…

>重力が2倍だったら乗用車のデザインも変わっただろう、
>免許の取得も困難になったにちがいない、
>というくらいバカバカしいおとぎ話。

はぁ? 乗用車は環境に影響を受けながら成長したりしない。
俺が言ってるのは「重力が2倍の環境で人間が進化を遂げていたら」じゃなくて、
例えばいま地球で生まれた哺乳動物の新生児を重力の違う環境で育てたら何が起こるか、だよ。技術的・倫理的な問題はあっても十分現実的な問題。

>またまた、系統発生と個体発生の混同だと思う。
?? なんで? 顔文字さんも misread してる?
>地球の環境の中で起こり得た偶然の積み重ねがヒトという生物種を生み、その言語能力>>を生んだ。
(…というのがそちらの立場ってことはもう知ってるよ)
少なくとも言えることはね、言語の生得性を論じる際に、
人間のどんな能力が生得の典型か知らないけど、「例えば二足歩行のように
(生得的である)」という例えはヤバいんじゃないかってこと。
(reasonableな範囲で)違う環境で育てば、二足歩行は習得しないで、その代わり
四足移動、跳躍、滑走、手を主に用いた樹上移動…という様々な可能性が(個体レベル
で)開花する可能性があるんだから。それでも「歩行能力」という?
327名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/24(金) 11:10
   ( ´∀`)< いい加減ネタギレに気づけよ(ワラ .
   (    ) \_____
   | | |  
   (__)_)
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      ( ´∀`)< いい加減ネタギレに気づけよ(ワラ
      (    ) \_____
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            ( ´∀`)< いい加減ネタギレに気づけよ(ワラ
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               ( ´∀`)< いい加減ネタギレに気づけよ(ワラ
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328>326:2001/08/24(金) 17:35
チョムスキー側は、生得性の議論は経験的な問題といっているわけだから、
いいかがんな思考実験はたいがいにしてもらいたい。
しかも自分に都合のよい結論をひきだしているわけだから、
これは、批判以前の問題。
>技術的・倫理的な問題はあっても十分現実的な問題。
等価原理により、地球上でも重力の問題は技術的にクリアできる。
遠心力による加速度を重力とみなすことにしよう。
倫理的な問題は、二足歩行に近い類人猿を使えばいい。
(もし、きみがサルは学習しないというのなら別だが。)
どうもきみの「現実的」の基準はずいぶん甘いようだが、
ともかくこれで、重力2倍の環境で学習可能な生物を育てることが
わたしの基準では現実的な問題となった。
ずいぶん現実的に推論できるようになったと思わないか?

そこでこのサルの歩行様式がどう変化するかだが、
這いまわるようになるか、転げまわるようになるか、はたまた
やはり何らかのかたちで二足歩行のままなのかは、わたしには確信できない。
わたしは本能行動は可塑的だと考えているので、
行動が環境に依存するというきみの推定は正しいだろう。
ところで、なにかの原因で生得能力の発現が阻害されるとしたら、
まさにこのような異常な環境ゆえではないか?

これは、適切な言語環境から隔絶させられた児童が、
何らかの非言語コミュニケーション手段を会得したとして、
それを「生得的言語能力という?」とたずねるのと同じくらい
恣意的な問題にすぎない。

もしサルが、とんでもない移動能力を身に付けたとしても、それは
せいぜい歩行能力の発現にも、適切な環境が必要であることを証明しているにすぎない。
それは言語能力についてはさんざん言われていること。
329B.O.B:2001/08/24(金) 20:10
話題言語学から離れててゴメンね。
>等価原理により、地球上でも重力の問題は技術的にクリアできる。

>わたしの基準では現実的な問題となった。
>ずいぶん現実的に推論できるようになったと思わないか?

問題があるといっただけでクリアできないとはいってない。
現実的でないってイチャモンつけといてそりゃないだろ、このチョムスキアンめ。

> なにかの原因で生得能力の発現が阻害されるとしたら、まさにこのような異常な環境
> ゆえではないか?
今ここに発生したばかりの個体から見れば、その個体が育った環境が
「正常」なんであって、a priori に 1G が正常とか異常とかいえないでしょう。

例えばたまたま「地表に猛獣がうようよいるような密林(周りは崖)」に取り残された
コミュニティがあるとしよう。この共同体の住民は何しろ地面に触ることもできない
から二足歩行は習得せず、手を使って(我々よりはるかに器用に) 枝を移動しながら
樹上生活を送っている。
こいつらをいきなり平らな地面に連れてきたら、その彼らにとっては「異常な」環境に
戸惑うだろう。

>生得能力の発現が阻害されるとしたら、
>まさにこのような異常な環境ゆえではないか?
だったらなぜこう言えないのか。
我々が「樹上移動」という生得能力を発現しそこなったのは、平らな地面という
「異常な」(俺ならむしろ特殊な、というが) 環境ゆえであると。
330名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/25(土) 01:26
ahe
331>329:2001/08/25(土) 03:03
ほんとうにヒステリーをおこすんだね、きみは。
おれはチョムスキアンじゃないよ。チョム派だったら
「チョムスキー側は...といってるわけだから」
っていわないでしょ?
ま、このへんは明言しなかったおれが悪い。
そのうえで経験論でいこうといってるわけ。
で、329の論考をみるかぎり何の進展もなかったわけだ。
相変らず珍妙な仮設を立てて、ア・プリオリに判断をしているのはそっちだよ。
それに、ヒトの新生児に足指屈曲の反射が観察されるにせよ、
>「樹上移動」という生得能力を発現しそこなった
といってるようじゃ、個体発生と系統発生の区別がないと言われても当然だね。

重力関連でいえば、スペースシャトルでの金魚やメダカの行動の観察があり、
結果から言えばすんなりと0Gへ適応したわけで、
これはきみにとって不利なデータじゃないと思うけど。

なんにせよ言語学からそれているのは明白。では失礼。
332名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/25(土) 05:56
言語学からずれいているってことはないと思ふ。
狭義の言語学からははずれるけど、生成文法が狭義の言語学には
納まらないと主張される以上、認知なども含めたメタ言語的な
議論は大いに結構だと思うが。
メタ言語と言語がどうつながってくるのか。
メタ言語っても、これも狭義のメタ言語ではないよ。(w
333名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/25(土) 06:00
なんで認知文法の立場から生成を批判できるやつがいないの?
学会にはあんなにゾロゾロ(笑)いて、ここも覗いてるだろうに。
人の枠組みを追従するだけで思想がないって、悲惨だな。(w
334B.O.B:2001/08/25(土) 12:11
>321
>>「樹上移動」という生得能力を発現しそこなった
>といってるようじゃ、個体発生と系統発生の区別がないと言われても当然だね。

やっぱmisreadしてる。そもそも引用の仕方が間違ってるもの。
『「樹上移動」という生得能力を発現しそこなった』などというのは
明らかに馬鹿げている、だが
『「二足歩行」という生得能力を発現しそこなった』というのと本質的に
どこが違うのか、このような言い方はみな等しく馬鹿げているのではないか、
という問いかけをしてるんだよ。言うなれば
「「二足歩行」という生得能力を発現しそこなった、といってるようじゃ、
  個体発生と系統発生の区別がないと言われても当然だね。 」
というのが俺の立場。
(ここまでくどくど書かなきゃいけないなんて…腹立つな〜)

威張りくさってないで、少しはアタマを使って答えろよ。
本当に俺が個体発生/系統発生の区別を混同してるなら、それはどこなのか。
335名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/25(土) 15:04
  ピ .|  \\ \/     /      /  /| ll | /// /   / ̄/ //\/ //|  さ
  ッ  |\     |    /        /           // ̄        | /|  げ
  コ  .|\      |   /   /   /          |\//             |   |     ま
  ロ   |  i´`丶  |_  /   /   /           | /             __,l /´`   し
     .|  | \ ヽ、/ /   /  /      ;;;;;;;;,,,     \\              ヽ、/ ヽ   ょ
  さ  |  | / \ヽ /   / /       ;;;;;;;;;;;;;;'''    l/             / /´'|    う
  ん  |\| l l_/  /   / /‐- _        '';;;;;'''',,;;;;;         , -‐ "゙ヾ  / /ゝ    よ
 !!|  |   ) /   / /   ゙'‐-.,,     ;;;'''  '''      ,, -‐ ゙゛     ヾ / (,  |     ・
    |  ヽ、 ヽ、l  l / /- 、,,,_     ゙''‐-,, ;;     ,, -‐ ゙゛     _,,.. -‐'' ゛/   ノ  |    ・
     \  ヽ、  |  l /  \  ̄"''‐- 、,,_ `'‐-l l l-‐'′ ,, -‐ ''゙  ̄ /    / -‐'' / |       ・
___/ ̄    丶、|  l/丶   \  `ー-‐'`゙'‐,-| l |-、‐ ´ 'ー-‐'′ /    /   /  |
   | |        | |  丶     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ===  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄     /  /     |
  / |         | |`ー丶    ゙ ゙゙゛゛゛゛゛"'''   ヽ  ''"゙゛゛゛゛゙゛゛     /一'′      |
/   \//     | |   丶            ヾノ              /        /
| / ̄\  /      |l     丶          ,--――、           /           ̄\_
/     \\          `i、          ト -- 一|        ,;'i     <\
     <_\    _  /l `丶、       ̄ ̄ ̄┃      , '′l\   /  \__/|
        \\ /:::::|/  l   `丶、     ""゛゙゙'┃   ,. '′  l  \//\_   /
336名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/25(土) 15:08
またまたキティですか。(w
337(´∀`):01/08/27 08:53 ID:8WkhraiY
無事帰ってきました >all

>>325
本人か?(爆
なにをこだわってるのかよく分からんが、俺はあんたの弟子ではないよ。
>近々PPTを放棄しようかと思っておる
あれ、まだ放棄してなかったのか。皆の衆はとっくにお見通し。

>>326〜(BOB)
>顔文字さんも misread してる
急に「さん」づけか、キミらしくないぞ、BOB(笑
系統発生と個体発生を混同してる、というのは、ある能力の発生様式が遺伝に依存しない前者と遺伝に依存・決定される
後者を同じように扱ってはならない、という意味で俺はいってんだけど、逆に現存する能力の限界や不備、その能力を
持つ個体の死や種の絶滅を考える時は両者に相通じる部分が出てくる。ひょっとして、そこをさらに混同しているのかも
知れないな、BOBちゃんの場合。
現在とは異なる物理的条件で生まれた現世人類の新生児なら、現在とは異なる移動様式や言語を獲得するかも知れないし、
もしそうなら二足歩行や言語はあらかじめ特定化した生得能力とは言えない、という主張だろうけど、そのような個体
発生レベルで起き得る適応は、生得的に許される範囲内での微調整にとどまると思う。それを越えるような大幅な適応が
生存に必要となれば、当然、絶滅するしかない。人間にとっての四足歩行はまだしも、ゾウやキリンにとっての二足歩行は
かなりヤバイだろう。もし二足歩行をしなければ生命が脅かされるような環境にほりこまれたら、ゾウやキリンの新生児は
成長することなく死ぬだろうし、種としても絶滅する。ゾウやキリンは四足歩行する能力、換言すれば二足歩行はできない
能力を生得的に与えられているから。
人間言語の場合、個別言語間のパラメタ的差異とかピジンの発生とかが典型的にそのような微調整の許容範囲に相当する
んだろう。しかし、もしUGの一般原理に違反するような言語を使わなければ生命の危機にさらされるような環境の変化が
起きた場合(どういう環境だろ?)、やはり人間はUGに違反することができない能力を生得的に与えられているために、
絶滅するしかないな。まあ、思考実験しかできないんだけど、環境次第でUGに違反する言語(要するに地球人言語以外か)
でも幼児は(刺激の欠如下で)母語として自然獲得できるのか、ってのが一つの決め手かな。
338↑334:01/08/27 09:29 ID:vEyqH7Qg
またまたツッコミどころ満載だな。

>「樹上移動」という生得能力を発現しそこなった
>といってるようじゃ、個体発生と系統発生の区別がないと言われても当然だね。>>321
の一文は、キミのテキストの一部に、両者を混同した表現があるという印象を与えるという意味では
適切ではなかったね。
>それはどこなのか。と問うのなら、全部だ。それを説明するのか。鬱だ…

ひとことでいえば、二足歩行は個体の選択の問題ではない。
それが、本質的な違い。
サルトル風にいえば、「われわれは二足歩行をするように呪われている」のだ。

しかし百歩譲って、それが与えられた環境に対する
、ジャンプその他との選択の問題だとしてみよう。
だがそれはこんどは系統発生の問題になり、いずれにせよ個体の問題ではない。(理由は下)
しかもそれは、キミのいうような適応の基準からいえば、まちがった選択だ。
移動能力としては、四足歩行のほうが勝っている。
ヒトが平地で追っかけていって捕まる動物はウォンバットくらいじゃないかな?
しらんけど。

二足歩行する動物としてのヒトの系統的発生は、
バイオテクニクスの見地からいえば、全身骨格のみならず、
神経系、循環器、呼吸器などの変化を伴う大規模な形態的革命であることを
忘れちゃだめだ。しかも難産というフェイタルなリスクつきだ。(腰痛も)
ならば、なぜ二足歩行を獲得したかといえば、
わたしの考えでは、科学的にその「なぜ」に答えるすべはないと思う。

これらの形質を、われわれは受精した段階、すなわち個体発生の段階で運命づけられる。
したがって個体レベルの問題でも、
二足歩行は、他の移動手段とオルタナティヴな関係の問題ではない。
二足歩行の獲得を「学習」とよぶことは可能だが、
「逆立ち歩行」を学習するという意味ににおいてではない。
半分にまで要約してこの分量か。やれやれ。
キミいがい誰か読む人間いるのかな…

この話、飽きた。このスレなんで閑散としちゃったんだろう?
顔文字氏の不在のせいであると思われ。
339↑338:01/08/27 11:24 ID:.05derss
バイオテクニクス→バイオメカニクス
あと、顔文字氏、かってに不在にしてわるい。
ツッコミどころ満載のレス書いたのはわたしです。
氏のう。
340(´∀`):01/08/27 15:41 ID:Uu92ZeNA
あれ、ID導入するなんて知らんかったぞ、おい(笑
誰が誰に発言してるのか分かりにくい、交通整理してくれ。
338=339でいいのか?ID違うけど。

ID消すにはe-mail覧になにか書けばよいはずだけど、どうかな。
341(´∀`):01/08/27 15:42 ID:Uu92ZeNA
あれ、ダメか…… しかも違うID。だれか仕組みを解説してくれ。
342B.O.B:01/08/27 20:21 ID:DznKueuQ
>ひとことでいえば、二足歩行は個体の選択の問題ではない。それが、本質的な違い。
>サルトル風にいえば、「われわれは二足歩行をするように呪われている」のだ。

じゃあ樹上民族にとって樹上移動は選択の問題なのか?
樹上民族に樹上サルトルがいて、「われわれは樹上を足でバランスをとりながら
手で移動するように呪われているのだ」とのたまってるかもよ?
「(環境 E が与えられた場合に限り) われわれは二足歩行をするように呪われている」
という言い方ならよい。
わかんならもういいよ。多分分かってないの君だけだと思うし。

>二足歩行する動物としてのヒトの系統的発生は、
>バイオテクニクスの見地からいえば、全身骨格のみならず、
>神経系、循環器、呼吸器などの変化を伴う大規模な形態的革命であることを
>忘れちゃだめだ。しかも難産というフェイタルなリスクつきだ。(腰痛も)

それはもう俺がとっくに「系統レベルでいえば人間のカラダは(進化の結果)
二足歩行に最適にデザインされている」っていってるでしょ?
中身のないドキュソ、逝ってくれほんと、ネ、飽きたんなら。

> 人間言語の場合、個別言語間のパラメタ的差異とかピジンの発生とかが典型的にそのよ> うな微調整の許容範囲に相当する
> んだろう。
もっといい例があるよ、音声(言語)のインプットが無いという特殊な環境で手話を
習得する聾唖者。これは、もはや微調整の許容範囲とはいえないんじゃないか?
二足歩行と樹上移動なみにかけ離れているように見えるよ、音声言語と手話言語は。
(これらの組の類似度をどう測るかがはっきりしない以上ただの印象だが)

>まあ、思考実験しかできないんだけど、環境次第でUGに違反する言語(要するに地球人>>言語以外か)でも幼児は(刺激の欠如下で)母語として自然獲得できるのか、ってのが>>一つの決め手かな。
そうそう、そっちの方に持っていきたかったのさ。アンタが輝いてみえるぜ顔文字。
UGで違反とされる文を生成する文法でも、それが文法といえるだけちゃんと系統
だった規則を持ち、コンテクスト付きのインプットが(自然言語の場合と比較可能な
量)与えられれば、人間の子供はそれを習得してしまうだろう、とそれがもちろん
俺の予想。

なんか、2チャン全体が不穏な気配です。規模が膨れ上がりすぎて、
学問版とか閉鎖されるかもしれないとか。(IDもその一環)
情報は、批判要望板などで手にはいります。
343B.O.B:01/08/27 20:36 ID:DznKueuQ
>ある能力の発生様式が遺伝に依存しない前者と遺伝に依存・決定される
>後者を同じように扱ってはならない、という意味で俺はいってんだけど

遺伝に依存しない/する という区別が、一体どこでできるかというのはもちろん
easyな問題ではない。
例えば、例え双子でも日本で育った場合とブラジルで育った
場合、あるいは沼地で育った場合と砂漠で育った場合では、身にしみついた歩き方
はかなり違うはずだ(日本育ちはすり足ぎみに歩く…とか)。
前者は文化的環境、後者は物理的環境によってそのような差異がでるわけだが、
ここで「歩くということ自体は生得」、「歩き方は学習」という言い方はどの程度
妥当だろうか? 「歩くということ自体」を「歩き方の様態」から分離できると考える
のは、われわれが自然言語を用いて考えるゆえに陥る、「白いx」とは独立して「白」が存在すると考えるごとき誤謬ではないのか? なーんて…
344(´∀`):01/08/27 22:13 ID:8YVU4NbU
>>342
調子戻ってきたじゃん(w
>二足歩行と樹上移動なみにかけ離れているように見えるよ、音声言語と手話言語は
キミキミ、無知にもほどがあるよ。手話(主にASL)は生成の枠組みでも研究がよく行われていて、
やはりUGの一般原理が作動していることがよく知られている。媒体として音か身振りかは二の次、
シンタクスの領域では人間言語は唯一普遍だということ。
ちなみに手話ピジンの自然発生は、生物進化とよく似ているということで、生物学者も結構注目
してるらしいよ。
阿呆話を続けるなら、X-FILESマニアの俺としては、エイリアンにabductされた地球人の赤ん坊は
果たしてエイリアンの言語を母語とできるのか、ってとこだけど、俺の予想は当然、「無理、無理」。
345B.O.B:01/08/28 00:30 ID:bbGp69js
>キミキミ、無知にもほどがあるよ。手話(主にASL)は生成の枠組みでも研究がよく行われていて、
>やはりUGの一般原理が作動していることがよく知られている。
俺の理解はちょっと違うけどね…驚くほど似ているって話はもちろん聞いたことがあるけど、
「よく知られている」ってのはいかにも誇大広告くさいな。
多少ムリがあっても無理やりUGの枠組みに押し込めるのは、生成の十八番だからなぁ。

ともあれ、二足歩行とそれ以外の身体運動も、中核的な、例えば反射的に体のバランス
をとる能力とか、そういった部分を共有してるんだからね。中核的な領域と、表層的な
違いという説明はこの場合にもあてはめることができるわけだ。
少なくとも、「二足歩行は生得的」というのは「音声言語は生得的」というのと同じ
くらい「くさい」ということは、納得いかない?

>エイリアンの言語を母語とできるのか
人間とある程度メンタリティの近い異星人の言語なら、かなりいけると思うけどね。
ていうか、そちらの立場では、文法と精神構造には直接関わりがないと言ってるわけだから、
メンタリティ/世界観とかは同じで、「通訳さえいれば普通に意思疎通が可能」な異星人言語
で構わないわけだね。ついでに、知的能力(例えば四則演算能力)もほぼ同じレベルだとしよう。

知的レベル・メンタリティは同じだが、お互いの言語が習得不能(解読は可能)、ってこと
が十分にありうると。
俺は人間のUGが wired in などされて「いない」人間の脳の可塑性に100円かけるよ。
346名無し象は鼻がウナギだ!:01/08/28 01:20 ID:657lVbVk
>100円かけるよ。
 自信あるならもっとかけれ(w
347国語の先生:01/08/28 08:11 ID:8683BDIQ
(´∀`)様。テレビに子守りの話は(身近な例の話は別として)又聞き程度
のものなので具体的な観察報告の例などを知るものではありません。幼児教育
とか発達心理の関係での観察として、研究例はあると思います。

まだ歩行の話も続いてるんですね。
阿呆話にならまざれそう。「エイリアンの言語を母語とできるのか」
>>345 俺の予想は当然、「無理、無理」。
>>346 人間とある程度メンタリティの近い異星人の言語なら、かなりいける

これはここしばらくの流れを象徴する発言かなあと。
私は346に近いのだけれど、「人間とある程度メンタリティの近い」=「ほぼ
同じUGを持っている」とはできないのですか?できちゃうとすると二人の
意見は実は対立を生んではいないのかもしれない。


手話のUGが音声言語と同一またはそっくりなのは、聴障者のメンタリティが
手話話者の属する「世界」(絶対的多数は音声言語話者)に受け入れてもらえ
るように最適化されながら完成してゆく(一個人としても、聴障者集団としても)
こと抜きには語れないでしょう。先天的聴障者だけからなる世界が手話を発
展させていった場合にどのようなUGが形成されるか観察することでしか、音声
言語の影響を排除できないのではないでしょうか。

高い知性がありながら人間とは異なる世界を生きる者の好例として、イルカを
挙げたいのですが。彼らは音声による通信をしているようです。彼らには言語が
あるでしょうか。ソナーのように音声の使い、そこから周囲の3D映像まで得て
いるかもしれないそうです。もし彼らが音声を「見る」ことができているなら、
人間の音声言語とはおよそ異なるUGを持ち、しかも高度な?伝達が行われてる
可能性がありますよね(私のイメージは脳内の映像を音声に載せて相手のメロン
へ直接発射するテレパシー級の「会話」なんですが)。
348(´∀`):01/08/28 08:51 ID:yVvhk6uM
>>345
まったく、100円とはしみったれた奴め。俺は豪気だから「獲得できない」にメロンパン10コ(w

つい最近もテレビで見たが、聾唖の親を持つ幼い子供が親とは手話で話し他の人とは音声言語で話す、というbilingualで、
けなげにも親の通訳をしてあげてるそうだ。こんなのを見てると、俺はヒトの言語能力の生得性を一種の感動をもって
信じたくなるよ。英語とASLではwh移動に関してパラメタ的差違があるそうだが(ASLでは顕在的wh移動はoptional)、
英語とASLのバイリンガルというのは、例えば英語とフランス語のバイリンガルというのと何ら違わないな。
フランス語でも間接疑問などでは顕在的wh移動が義務的だが、ASLも同じなんだぜ。手話も音声も関係ない、すべての
個別言語はUGの許す可変範囲内での異なる具現に過ぎない、と思わざるを得ない。

で、キミが聾唖のことを持ち出したついでにもう一点。言語の系統発生においては、他の認知能力との相関が重要で
あっただろうことには俺も同意している。たとえば感覚器官に話しを限定しても、もしヒトがヒトの視覚系ではなく
昆虫の視覚系を与えられていたら、あるいはそもそも視覚系をまったく持たなかったら、発生する言語も随分違った
ものになっただろう。
ところが、個体発生のレベルでは生まれつき目が不自由な幼児でも、母語獲得が阻害されたり、またはヒト型ではない
言語を勝手に発生させたりすることはない。このことは系統発生では必要であったものが個体発生では不要ということの
いい例だと思うが、そのような手間を省き母語獲得への道を迷うことなく進めるのも、言語に特定化した遺伝情報の
おかげ、と考える。系統と個体の差違は、領域固有性の有無でもある。

それから生物学者にとって言語生得説がしっくりくるのは、やはりSLIなどの遺伝性言語失陥の実証的研究報告なんだと
思うが、そのあたりは否定派はどのように見るわけ? だれかが引用していたリンク↓
http://www.sciencenews.org/sn_arc98/1_31_98/fob3.htm
>... it's now possible to begin picking apart language, one of the highest-order cognitive functions, one gene at a time
これについては実は俺もやや ( ゚Д゚)ハァ? なんだが、先にそっちの意見を聞きたいね。

さらに、初心に戻って確認しておきたい。
人間言語が普遍的原理に従うという主張と、その原理が生得的であるという主張ははっきり区別しなければならないが、
キミはどちらも否定するのか、前者は認めるもののそれは他から由来するといってるのか、どっちだね。
349(´∀`):01/08/28 10:16 ID:GQ3c8Hko
>>347
もちろん俺の前提はエイリアン語が地球人語のUGと相容れない文法を持っていた場合ということですよ。

>聴障者のメンタリティが 手話話者の属する「世界」(絶対的多数は音声言語話者)に受け入れてもらえるように
>最適化されながら完成してゆく(一個人としても、聴障者集団としても)
まず問題になっている手話言語の特性とは、まさに生成が扱っているような無意識レベルの法則性であって手話者が
意識して音声言語の中に発見し、それを採用したり迎合したりして生じたものではないです。(そもそも聾唖者は音声
言語を経験しないでしょう。)これは音声言語の獲得において幼児自らが意識的に文法規則を発見してそれを身につける
のではないのとまったく同様。言語学者が束になってかかってもきちんとは定式化できないような法則を、健常か否かを
問わずすべての母語話者は直観的に共有しているわけです。
それからこれも音声言語の場合と同じですが、もし相手に受け容れてもらえるための最適化が働くのだとすれば、少なく
とも接触のある個体や集団間の間では変異は生じないはずだが、実際には上でも引用したように英語とASLはパラメタ的
差違がはっきりしている。実際、最適化と言語多様性は一見して相容れない命題なわけです。
ちなみに生物学でも多様性のパラドクスというのがあって、もし進化が最適者生存なり最適化のプロセスだとすれば
これだけ多くの異なる生物種が同時に存在していること自体の説明がつかない。唯一絶対の最適解ではなく、それぞれ
異なるニッチ(含・ヒトの言語社会)において生存に決定的に不利でないという限りにおいてはどのようなものでも
オッケーという、多数の準最適解を許すのが生物世界であり、また言語世界でもある、と俺には思われ。

イルカ語、結構ですね。立派な言語だと思いますよ。human languageではないだけのこと。
で、イルカのそのような言語能力も「苦労して学習する」ものなのですか?
>脳内の映像を音声に載せて相手のメロンへ直接発射するテレパシー級の「会話」
「ニュータイプ」?(笑  テレパシーなら語順などないはず、とチョムは言ったけど音声にのせてしまったら台無し
ですねぇ。
350国語の先生:01/08/28 17:49 ID:/k2qG6l2
>>349
SF話も引き時が大事かとは思いますが---イルカの「音声」という言い方がすでにダメかも。
「音波」かな…。自分が発した音が返って来た時の時間差、差分(干渉や強弱等)などによって
映像的世界を脳内に再構成している仮説が正しかったとして、現実の物体に対しての反射音と同じ
に聞こえる音波を直接、学習を経ずして恣意的に再現できたら、「イルカ語」生得説となりますね。
用が足せるまでに相当練習が必要(お前の音は絵にならんぞ/ゆがんでるぞ、もっとこうやれって先生に怒られる)
だとしたら学習説となるかな。聴覚映像って言葉、イルカ語のために存在するような言葉かも知れ
ません。(失礼しました)

>(そもそも聾唖者は音声言語を経験しないでしょう。)
これには???。通時的な意味での手話形成に関与した人達の多数派は後天性の失聴だったかも
しれないし、程度のひどくない難聴者だったかもしれません。むしろそうした人が手話を生み出し、
純粋な先天的失聴でなおかつ既成の文字言語を習得できなかった条件の人だけではそもそも言語
としての手話という発想自体を持ち得なかったかもしれない(推測ばかりです)。
集団全部が失聴でかつ音声言語との接触を歴史的に持たなかった手話でない限り、
音声言語とのUG比較は、音声言語の影響を疑わざるを得ないような。
351>342:01/08/29 00:38 ID:W79Ynb7.
したくもない一般論をしたうえで、DQNよばわりとは立場ないな…
とりあえずキミが、平均以下の2ch住人であることは学習したよ。
ところで生物一般の特徴的形質が、本能行動とほとんどうまく調和してることをみると、
帰納的にいって、二足歩行がヒトの典型的生得能力であることは問題ないと思う。
これが本来の争点。樹上民族一切関係なし。
ところで、言語については、それは明らかではない。
わたしは経験主義を標榜しているからね。とりあえず。

で、キミはまれに良い質問をするね。
「ともあれ、二足歩行とそれ以外の身体運動も、中核的な、例えば反射的に体のバランス
をとる能力とか、そういった部分を共有してるんだからね。中核的な領域と、表層的な
違いという説明はこの場合にもあてはめることができるわけだ。」
これはいいね。
一般の認知や、行動や、脳機能の局在を否定する花形としての「記憶能力」にも
出力・入力を持つモジュール的構造を措定することは容易だ。
そもそも運用と行動原理が不即不離の諸動物とヒトの先天的能力が比較不能であるなら、
その説明原理としての心的器官は空虚な概念といわざるをえない。
「左脚」を動かすという単純な能力でさえ、次のように分類されうる。
(1)意識的に、単純に動かすばあい
(2)歩行のような、パタン化された行動の一部であるばあい
(3)ダンス、ペダルオルガンなど、与えられた規則に従って動かすばあい
健常者で、(3)のような趣味のあるひとで、
左脚を動かそうとして左手が動いてしまうことは、きわめて普通である。
失行障害では、(1)が遂行できないが、ふつうに歩行はできる。

わたしの考えでは、きわめて一般的な能力が、このような心的構造を予測させる。
言語は特殊能力ではないと思われ。
352名無し象は鼻がウナギだ!:01/08/29 04:37 ID:2N1htovo
どこで話がこじれているのかな。
>言語は特殊能力ではないと思われ。
これ自体はBOBさんもあなたも共通の認識で、顔文字の人とは
対立するわけだけど。
353教えて君:01/08/29 05:01 ID:6v9zmgko
妹(大学2年)の夏休みの生成文法の課題手伝ってるんすけど、全然分からんです。このスレのテーマと文脈無視の厨房ですが、誰か教えてください。助けてください。

問い@:次の文(1)(2)に動詞句前置を適用した文を書きなさい。
   (1)John might have met Mary and Bill might have, too.
   (2)John studied English and Mary did, too.
問いA:Is Mary pretty ? のD−構造(深層構造、基底構造)を示し、次の変形規則がどういう順序で適用するか答えなさい。
   (1)Affix Hopping(接尾辞飛び越し)
   (2)Be Raising(Be繰り上げ)
   (3)Subject-Aux Inversion(主語助動詞倒置)
問いB:Is he being noisy ? という文について、以下の問いに答えなさい。
   (1)二つのbeの相違を述べなさい。
   (2)D−構造と適用される変形を示しなさい。

よろしくお願いしまっす。
354>352:01/08/29 07:52 ID:b4cF1pjo
>そもそも運用と行動原理が不即不離の諸動物とヒトの先天的能力が比較不能であるなら、
>その説明原理としての心的器官は空虚な概念といわざるをえない。

そもそも運用と行動能力の区別が想定不能の諸動物と、
心的器官によって説明されるヒトの先天的能力が比較不能であるなら、
その説明原理は空虚な概念といわざるをえない。

一部は、わたしの作文能力が至らないせいかと思われ…
355354:01/08/29 09:12 ID:5/3MEXRI
ついでに音声学にもふれておこう。
英語話者で、単語のなかでbとwに挟まれたt
たとえば bitween のtなどをドロップさせる人は(米語に多く見られる)、
語の隣接関係で生じた同様のt
It was hot.
もドロップさせる。しかも話者は、無意識にそれを行う。

この法則は、まったく架空の、はじめて目にする語についても
適応されると推測される。たとえば、存在しない語
datware においても。
この観察可能な言語現象は、心的計算とみなしていい。

ところで、これらの無意識の心的計算は、まったく学習されるのである。

話はかわるが
基礎5母音aiueoが普遍的であり、3母音については同化、
その他の母音については二重、三重母音からの派生ということで説明可能であることが、
かりに立証されたとしても、
母音構造が生得的であるという議論とは無関係。
356354:01/08/29 09:34 ID:YtW.H8mc
音声学の現象はたしかに統語と比較して
単純にみえ、
「刺激の欠如」を論じるにはあたらないかもしれない。
しかし、この語は英語ではないというintuitionについては
どうであろうか?
たとえば、文章のなかの語の隣接や、
接頭語・接尾語の付加においては起こりうるが、
それいがいの単純な単語の語頭には現れない音素配列
たとえばBOBくんが大好きな単語misread のなかのsrなど、
「刺激の欠如」を思わせる例も存在するのである。

かりにそうだとしても、やはり生得説は飛躍の大きすぎる仮説と思われ。
357354:01/08/29 09:54 ID:YtW.H8mc
たとえばBOBくんが大好きな単語misread のなかのsrなど、
native speaker にとってごくふつうの
英単語としての適格性の判断のように
「刺激の欠如」を思わせる例も存在するのである

じゃないと、わかりにくい。
作文5点。さげ。
358354:01/08/29 11:27 ID:RVWb9.xY
>>355
bじゃなくて、母音じゃん!
本格的にアタマ悪い。
BOBさま、DQNは認めるから、あんましいじめんといてくれ…
359354:01/08/29 11:45 ID:RVWb9.xY
独り言モードが続いて悪いけど…
母音とwに挟まれたtのドロップのルールは、
What you got was unknown.
についても適用されているという音声データがある。
痕跡理論かコピー理論かよくわからんけど、
このドロップルールは、音声形の空白表示を否定しているように思われ。
360B.O.B:01/08/29 20:46 ID:G8mkAzzU
レスが間に合わん…経験主義者の人、しばし待て…あと、メロンパンばかり10個も食えるかー(怒

> 手話も音声も関係ない、すべての個別言語はUGの許す可変範囲内での異なる
> 具現に過ぎない、と思わざるを得ない。

顕在的/潜在的wh-移動の話ほど馬鹿げた話は滅多に聞けないよ。
wh移動が、「何かwh素性というものがあってそこにwh句(これも素性?)
が『移動』するものだ」という発想からして(それは記述的には
正しい予想をするだろうけど) 到底飲めない。
wh句が文頭に移動するというのは、形態論的な派生語尾(この派生はMPでいう派生と
は別物だよな)と同様、意味内容(「疑問文であること」)を伝える、それ自体ひとつ
の記号と考えるべきだ。
例えば、野球のサインで、「グー・パー」の順で出したらストレート、
「パー・グー」の順序で出したらフォーク、というのと原理は同じ。
パーを先に出すのにパーを文頭に移動する素性なんてものが必要あるかい?

語順の変更(疑問詞の主題化といってもいい)というストラテジーが、疑問文である
ことを明示化するのに様々な点で利にかなっているからこそ様々な音声/手話言語で
それが用いられていると考えるべきだ。
なぜフランス語では埋め込み文の場合に限り疑問詞の文頭移動が義務的だと思う?
埋め込み文には、主文が利用できる『疑問文を示すマーカ』、つまり『上昇調
 イントネーション』が利用できないから、もう一つの『疑問文を示すマーカ』で
あるところの『疑問詞の文頭移動』を用いざるを得ない、と、俺ならこう説明するね。
俺はASLの文法は知らないが、『上昇調イントネーション』にあたる主節の疑問マーカ
が存在し、しかもそれは超文節的な性質を持つ、と予想するが、どうよ?
361B.O.B:01/08/29 20:50 ID:G8mkAzzU
>人間言語が普遍的原理に従うという主張と、その原理が生得的であるという主張ははっ
>きり区別しなければならないが、キミはどちらも否定するのか、

普遍的原理ねえ…、
俺はやはり人間の認知の雛形、世界の「見立て」方とかそういったものに
源泉があると思うよ。例えば名詞があり、述語があるというのは、
「個体」とその「関係」を「出来事」と捉えるという人間の認知を反映したもの
だというようにね。
人間の認知といっても、情報構造、プロセッシングの容易さ、語用論的原理
など様々な(独立したmotivationを持つ)要素が絡む(そもそも人間の認知自体
に関してわかっていないことが多い)わけで、言語学者はそれら一つ一つと格闘していくしかない。
そうすれば、生成が主張するなんとか原理(が成す予測)は、むしろ、いわば
定理のように導出されるはずだと思ってるよ。

(生物としての人間ではなく)言語の系統的発生に関しても一言。
どんな機能論万能主義者でも、複雑で洗練された自然言語が、
機能論的な要請から一朝一夕にできた、とは思わないだろう。
だからこそ、「もとから知っている」に違いないと考える超合理主義が
生まれる余地がある。
だけど、(人間が生物学的に今と同じ状態まで進化してから) full-fledged な
自然言語が完成するまで、一体何世代がかかったのか(またはコミュニティ単位で
平均何世代かかったのか) は知りようがない。

コミュニティがコミュニティとして死に絶えずに現存しているということ自体が、
すなわち、そのコミュニティがすでに数千年の連続性を持って存在してきたという
ことの証拠なんだから、どのコミュニティも複雑な言語を持っているということが、
人間が複雑な言語をもともと知っていることのサポートにはならない。
(ついでにいうと、ピジン・クレオールだって、既に第一言語を習得した大人たちの
コミュニティから生じたものだ。手話に関しては、聾唖者のコミュニティで自然発生
することはおおいにあり得ると思うが、ASL等に関しては口話(読唇)や書き言葉の
教育による影響を排除できない。)

俺は、どの言語も、少なくとも何百世代というオーダーでの継承と洗練
を経て、より機能的に利にかなった方向に進化してきたのだと思っている。
(全く言語のインプットがない新生児だけのコミュニティを人工的に作って
やったらどうなる? これもまた一つの思考実験)
そして「言語としてどのようなものが利にかなっているか」という機能論的な
普遍性が自然言語の類似性を説明するとも。
つまり、世界中の家が「合」の形をしていることの説明と、同じラインね。
362354:01/08/29 20:51 ID:ymw49IFk
音声学的な心的計算があるというのは、ただの思いつきだけど、
生成文法を相対化するという意味で
生成音声学を作ってみる。ヒマだなあ…。例によって間違いだらけだと思うけど、
あんまりせめないでくれ。

最初の論点は、話者が意識する音声形と、
実際に調音された発声形が異なるということ。
これを、表層と深層の類比で記述する。とするか。

興味深い例で、native speaker が
You should have taken it を
You should of taken it と誤って思い込んでいたというものがあった。
haveの弱形はofとほぼ同じなので、このばあい
発声形が同じで、音声形が複数あったことになる。
音声形は、別に文法的でなくても全然かまわない。

で、音声形で何が表示されるべきかというと、
とりあえず、単語の境界と、強意アクセントの位置、文の属性であるとしておこう。
文の属性には、平叙文・疑問文の区別、批難や皮肉などの文のもつ表情を含む。
これら3つは、発声形への変換において主要な要因となると思われる。
例文として、
you DIDN'T feel ANY trees at once? をあげる。
強意アクセントは、このように大文字の表記ということにする。
(否定辞や、all,everyなどの量記号は、ふつう強調される。)
文の属性については、とりあえず疑問文調ということで。

最初のレベルでは、各単語の発音は、基本的に辞書の発音記号そのままである。
これが、音声形に伴う?と考えられる
発音記号は書き込めないので、まあだいたい
(1) ju: didnt fi:l eni tri:z at wΛns で、どうか。
ほんとうはdntやtrなどの二重、三重子音の変化も扱いたいところだが、諦め。
これらの変化は、単語の隣接関係による変化とは区別されなければならない。

まず、強意アクセントによる変形。順番は便宜的なものだけどね。
ついでに、代名詞や前置詞など弱化するものもまとめて処理する。eはシュワー
(2) je dIdnt fi:l Eni tri:z et wΛns

次に、文の属性による変形。
ここは、簡単にはいかなさそうなので、疑問文であることを指示するだけでやめとく。
とにかくここで、文全体のイントネーションが決定される。
(3) je dIdnt fi:l Eni tri:z et w/Λns

次に単語の隣接関係による変形。
じつは、355で言った母音とwに挟まれたtの脱落の現象は、twで始まる単語ではみられない。
a twist では、tは脱落しない。このような単語による制約は、
他にもいろいろあると考えたほうが自然である。
音声形で、単語の境界を表示させたのは、その理由による。
例文では、母音とwに挟まれたtが、あきらかにtwで始まらない単語の隣接でみられる。
そこでこのtは、脱落することにしよう。しかし、わたしの経験からいって、
脱落のあとにちょっとした間が残るような気がするので、それを痕跡記号*で表す。
あと、fi:lに後続する音素が母音であるばあい、lはlionのlになる。
J−POP女性シンガーの多用する「らりるれろ」のlである。
かりに、l’としておく。
この変形をうけ、単語の区別は消滅する。
(4) jedIdntfi:l'Enitri:ze*w/Λns

これで、音声器官への出力はオッケー。お疲れさまでした。
363B.O.B:01/08/29 23:53 ID:FTHFAzTU
>この観察可能な言語現象は、心的計算とみなしていい。
>
>ところで、これらの無意識の心的計算は、まったく学習されるのである。

ちょっと待てい。
俺は最近 OT-based の習得の話を聞きかじった影響で、この結論には
どちらかというと賛成だが、あんた結論にとぶのいくらなんでもはやすぎだぞ。

「生成音声学」は、帰謬法的パロディのつもりなのか?
生成音韻論という最近ややobsoleteなparadigmではこういうことを
大真面目にやってた思うんだが…
364B.O.B:01/08/30 00:08 ID:WROlvvfc

>『上昇調イントネーション』にあたる主節の疑問マーカ
> が存在し、しかもそれは超文節的な性質を持つ、と予想するが、どうよ?

「超文節的な性質」はちょっと自信がないというか、根拠の無い予想なので取り下げ。
話し言葉でいう『上昇調イントネーション』、書き言葉でいうクエスチョンマークの
ように主節の疑問文性をマークする(埋め込み疑問文には適用できない)疑問マーカが、存在するという予測はできる。
365かかり助詞:01/08/30 01:42 ID:Z6JM.Kdw
2週間の旅から帰ってきたよ。この2週間で随分書き込みが増えて、
読むのも大変だ。なんかある?
366おわり助詞:01/08/30 07:20 ID:W8M4iPVI

「それ」が、前言とかではなく名詞を受けるとき、なにか制限があるような気がするのですがね。
「日本は近代国家となった。そしてそれは朝鮮半島を侵略した。」はおれの感覚では変だ。
「国際連盟が正式に発足した。そして日本はそれに加入した。」は変じゃない。
英語のitは代数αみたいに名詞ならなんでも受けるのに。
なんでか教えてほしい。チョムスキー的に。
兄貴、よろしくね。
367これでおわり助詞:01/08/30 08:35 ID:pC3CDUPI
ここは完全に「教えてさんお断り」のスレみたいだ。。。
おれも2週間の旅に出るとするか。
368(´∀`):01/08/30 08:44 ID:NVJaFydY
>>350(国語の先生)
>学習を経ずして恣意的に再現できたら、「イルカ語」生得説となりますね
確認しとくと、生得か学習かの二者択一が問題になっているのではなくて、学習オンリーではダメ、それを支援する生得的
メカがなければそもそも学習も不可能、ってのが生得論の立場。学習や練習は一切不要で、生まれた途端に言語能力が発現
するなんてことは誰も言ってないよ。たとえば鳥の歌なども、他の鳥の歌を聞き、まねなければ獲得は起こらない。しかし、
いつでも、どんな鳥の歌でも獲得できるのではなく、ある決まった時期に同種の鳥の歌を聞くことが必要で、そのことが
歌を獲得する生得的メカ(SAD?)の存在を生物学者に確信させているわけ。我々のLADも同様。
>集団全部が失聴でかつ音声言語との接触を歴史的に持たなかった手話でない限り、音声言語とのUG比較は、
>音声言語の影響を疑わざるを得ない
ちょっとだけ同意だけど、やはり音声言語の表面的観察だけでは(健常者でも)獲得不可能な原理が議論の対象になって
いること、を失念すべきでないと思われ。

>>351以下
>言語は特殊能力ではないと思われ
いわゆる言語能力全体のどの部分が言語固有の生得的領域で、どの部分はそうではないのか、という話しをしている
のだから、固有でない部分の具体例をいくつかあげただけで、すべての部分が固有能力ではない、と推測するのは飛躍の
し過ぎ。
それから音声解釈、特に実際の発声に関しては現在の生成では言語のコアから相当に乖離した外的世界と見られているので、
中核領域である統語計算系と構造由来型の意味解釈について論じないと反生成にはならないよ。もっとも、音声解釈も
統語構造を入力にした上で外的要素が動員されてくるわけだから、そこに構造由来の普遍原理を見出すことはできるだろう
けど。ちなみに Spec-Head-Complementの統語構造がC-V-Cと同型だ(CVCを起源とする?)という珍説もある。
351さんはよく書き込むようだから、よかったらコテハンにしよう。
369(´∀`):01/08/30 08:46 ID:NVJaFydY
>>360(BOB)
>メロンパンばかり10個も食えるかー
心配するな、キミに勝ち目はないよ。(メロンパンうまいぞ、俺の主食)
>wh句が文頭に移動するというのは . . . 意味内容(「疑問文であること」)を伝える、それ自体ひとつの記号と考えるべきだ。
>語順の変更(疑問詞の主題化といってもいい)というストラテジーが、疑問文である ことを明示化するのに様々な点で
>利にかなっているからこそ様々な音声/手話言語でそれが用いられていると考えるべきだ
これこそまさに機能主義の誤謬ってやつよ。語順変更がもたらす機能の議論と、語順変更をもたらすメカニズムの議論を
混同するなっちゅーの。
>埋め込み文には、主文が利用できる『疑問文を示すマーカ』、つまり『上昇調イントネーション』が利用できないから、
>もう一つの『疑問文を示すマーカ』であるところの『疑問詞の文頭移動』を用いざるを得ない、と、俺ならこう説明
>するね
相変わらずのアホアホぶり。英語習いたての中学生みたいなこと言うなよ。まずロジックが成り立たない。その言い方だと
疑問提示の手段としては「イントネーション>>移動」というランキングがあると考えているようだが、ならなぜそもそも
フランス語では主節内wh移動はoptionalなのかね? 移動が起きない場合はイントネーションによる提示があるのだと
すれば、常にこのストラテジーが選ばれなければならないだろ。
それからフランス語でwh移動が義務的なのは、間接疑問の場合だけではないぞ。平叙文の補文内から主節へ長距離移動する
場合も同様(詳しくは『Step by Step』の中のBoskovic論文見れ。)キミの機能主義的説明では、これらの一見無関係な
事象の間の隠れた関係性は永遠に発見できないね。
>(ASLで)『上昇調イントネーション』にあたる主節の疑問マーカが存在し
おっ、ご明察! だが喜ぶのは早いぜ。ASLではこの疑問マーカ(首をかしげる等)が生じた上で、なおかつwh要素が文頭
にoptionalに移動するのだ! これは何を意味するか、文頭へのwh移動は疑問マーカではないか、少なくとも疑問マーカは
キミのいうようなイントネーションか移動かという二者択一ではない、ということだ。
370(´∀`):01/08/30 08:48 ID:NVJaFydY
>人間の認知の雛形、世界の「見立て」方とかそういったものに源泉があると思うよ
相関は認めるが、一方が他方からfollowするとは思わんな。言語内部の自律特性と、言語外の諸認知システムがうまく
合致した部分を我々が利用しているのではないかな。合致しない部分で、たとえば意味的・機能的にはオッケーなのに
それを表す言語表現がない、という事態が生じるわけだ。
>どの言語も、少なくとも何百世代というオーダーでの継承と洗練 を経て、より機能的に利にかなった方向に進化して
>きたのだと思っている
何百世代というからには、通時的変化のことを言ってるのではなさそうだが、では昔の、今ほど機能的でなかった言語とは
どんなものだったのか、言ってみれ。UGの立場は、人間言語はいったん成立して以来、本質的には不変であり、微々たる
可変領域において変動が起き続けている、という感じだな。ちなみに通時変化、歴史変化も同じように考えるのかね。
なら、例えば英語史においてV-raisingが消失し、do-supportが生じたのは、どんな機能的利便があるのかねぇ。そして
まだV-raisingが残っている他の現代語より現代英語のほうが、機能的に優れていたりするのかね?
>「言語としてどのようなものが利にかなっているか」という機能論的な普遍性が自然言語の類似性を説明する
こういったsimple-mindedな機能論が上で言った多様性のパラドクスと正面衝突するんだよ。wh疑問文の形成ひとつとって
みても、なぜ世界の言語はいくつかのパタンに分かれるのだい?機能は同じはずじゃないか。 あるいは英語では許されない
多重主格がどうして日本語では許される?英語と日本語では話し手が言語に求める機能が異なる、とか言い出すのがオチ。
ついでながら、上のキミの発言は最近のチョムのfunctional motivationの考え方によく似ている。中にはチョムは機能主義
に成り果てたという奴もいるが、やはりmotivationとmechanismの区別は重要だな。motivationだけでなんでもオッケー
なら、空を飛びたいと思う人間に翼が生えてもおかしくないわけだ。

>>かかり氏
なんもないけど、取り敢えずwelcome back
371(´∀`):01/08/30 09:14 ID:ov1jHvnI
いや、ちょっと待ってくれ
>「イントネーション>>移動」というランキングがあると考えて
はいないかも知れんな、スマソ >BOB
372例えばさ:01/08/30 15:55 ID:7Z0xHNEg
[ai]が[e:]に変化したり、母音や子音が規則的に脱落する音韻変化は、
いろんな言語で並行して起きてるけど、これは利便性追求でしょ?
他方で、発音を簡略化しすぎて同音異義語が増えた場合は
別の表現にしたり冗長な要素を加えたりして曖昧さを避ける
――というのも利便性追求。
記録された歴史の段階では両方の傾向がおおむねバランスしているから、
全体的には言語の発音しやすさは別に向上してないわけだけど、その事実は
「音韻は発音しやすいように変化する」という説明と両立できるよ。
373C・ダーウィン:01/08/30 20:18 ID:Ol7wdYeU
(´∀`)よ。なかなかがんばっとるようじゃの。
この東洋の国はうっとうしい創造説の人間が少ないせいで、
まことにすがすがしい場所じゃ。
ところで、
>人間言語はいったん成立して以来、本質的には不変で
あると言うとるだけでは、まだまだじゃな。
現世人類がネアンデルタール人を滅ぼせたのは、
生得言語のおかげだと、ここまで言わなきゃだめじゃ。
で、BOBというのは何物じゃ。
ラマルキストか?
いつまでも遊んどらんと、徹底的に懲らしめてやれ。
まあ、自然淘汰されるのを気長に待つのもよいがの。
気長に待てば、そのうち中間生物の化石も出てくるじゃろ。
ではさらばじゃ、皆の衆。
374B.O.B:01/08/30 22:37 ID:WGMbaz1c
>疑問提示の手段としては「イントネーション>>移動」というランキングがあると考えて?>いるようだが、ならなぜそもそも
>フランス語では主節内wh移動はoptionalなのかね?

>「イントネーション>>移動」というランキングがあると考えて
>はいないかも知れんな

主節内wh移動に関しては、もちろん上昇イントネーションだけで用が足りる。
したがって上昇イントネーションとwh移動両方を用いるのは冗長というものだが、
しかし、この冗長性こそは情報伝達の確実性を(それなりのコストと引き換えに)増す
自然言語で良く見られるストラテジーだ。

>文頭へのwh移動は疑問マーカではないか、少なくとも疑問マーカは
>キミのいうようなイントネーションか移動かという二者択一ではない

そう、1つを選ぶのではなく、イントネーション/移動/明示的形態素(whether, か(どうか)など)の内「少なくとも1つ (なるべく2つ)」の選言的関係だ。
イントネーションが利用できない書き言葉で「?」マークが利用されるのも
これと同じこと。What did John ate? の 「?」マークは、多くの場合
文の形式から予測される、冗長なものだろう。
375B.O.B:01/08/30 22:37 ID:WGMbaz1c
ちなみに通時変化、歴史変化も同じように考えるのかね。
372さんが、大体のとこ言ってくれたね。一箇所で楽をする(より機能的)な方に
変化がおこると、かならず他で損をする部分がでる。例えば、母音の数が減れば
発音や聞き取りは楽になるけど、同音異義語が増えて伝達効率が悪くなる。
ある程度言語が洗練されれば、「どこを変えてもこれ以上は良くならない」という
準最適な状態に至り、そこから先の変化は機能論的な進化を意味しないということ
になる。

>V-raisingが消失し、do-supportが生じたのは
何がraiseするって?
おそらくne...pasの場合と事情は同じで、notに当たる語の音声的弱化(発音という
面でのより楽な方向への進化)が、伝達の効率を下げ、今度は「否定文ですよ」的
意味内容の伝達が確実になるようにdo-supportが用いられるようになったということ
だろう。ストーリーとしては。
それに、「生じた」と一言で言っても、その間には do-support が特殊な文体効果
をもってoptionalに用いられる時期があったんだろ、推測だが。
日本語の連体形終止が、係り結びなど特殊な文体で用いられていたのが、やがて
無標の終止形(終止形終止)にとって変わったのと事情は似てるかも。
どうよ? > かかり助詞さん

>なぜ世界の言語はいくつかのパタンに分かれるのだい?機能は同じはずじゃないか。
「全体として機能論的に理にかなっている」という条件を満たすのは一つのパタンとは
限らない。一例を挙げると、「語順が自由-屈折が豊富」言語(e.g. イタリア語)と、
「語順が厳しい-屈折が単純」(e.g. 英語)のどっちも、(「語順厳密-屈折豊富」、
「語順自由-屈折単純」のような組み合わせに対して)、機能-効率的な情報伝達-という
意味で同じくらい理にかなっている。
このようなコストvs.報酬との関係を、他の様々な要因に関して考えないといけない
わけだ。
376B.O.B:01/08/30 22:55 ID:8O4kosr.
>今ほど機能的でなかった言語とはどんなものだったのか、言ってみれ。

さーなー。なにぶん昔の話だから…
やっぱ「ニクヨコセ」とか「オマエオロカ」とか…(w
言語の input が全くない環境で新生児のコミュニティを実験的に育成して
みれば、そこで行われる音声コミュニーションが即ち言語の第一歩だろう。

>ラマルキストか?
言語は遺伝子の中にはない、子供は環境から言語を「獲得」していく、と考える点では
ラマルキスト的かもね。
>現世人類がネアンデルタール人を滅ぼせたのは、
>生得言語のおかげだと、ここまで言わなきゃだめじゃ。
妄言だ。言語の裏づけになってるのは高い知能と学習/適応能力であって、
それ以外のモジュール的言語能力などというものは無い。
いや、生得的な能力がどの程度関与するかはわからないが、
すくなくともミニマリストが提唱するような、
直接統語構造を産出するような生得的モジュールがあるという
主張にははっきりと反対だ。
377 (´∀`):01/08/31 02:30 ID:4zbG5QZM
>>373
チョムの次はダーウィンか(w
残念ながら俺らは断続平衡説だから中間生物の化石は出てこないよ。
あんたがマルサスからアイデア借りたのはよく知られてるが、今やあんたのアイデアが言語学はもとより、
経済学から宇宙論まで、あちこちで活かされているわけで、チョムのアイデアも同じようなもんになるだろう
と俺らは思うわけだ。

>>374
あのなあ、機能的な辻褄合わせだけなら、何でも言えるぞ。
>冗長性こそは情報伝達の確実性を(それなりのコストと引き換えに)増す自然言語で良く見られるストラテジーだ
ほー、で冗長性がない場合は、無駄を省くことが伝達の効率を増すストラテジーだ、とか言うんだろ(w
372も同じ誤解をしているが、機能的利便をはかるために最適な表現形式を使うことは当然だが、その形式自体は
どっからでてきたか、を俺らは最初から問題にしているわけ。利便のために好き勝手な表現が無制限に作れるわけでは
ない、可能な表現のクラスはあらかじめ厳しく制限されており、その中から選択しているだけ。
>ラマルキスト的かもね
獲得形質の「遺伝」を認めるんなら、最初は学習だった言語能力が遺伝情報化することにも異議なし?

>言語の裏づけになってるのは高い知能と学習/適応能力であって、それ以外のモジュール的言語能力などというものは
>無い
わかった、わかった。そろそろ話題変えろや。自分の勝手な思いこみ語ってるだけで、これじゃどこまでいっても平行線だ。
>>348のリンクは見たのかね?

次の書き込みはまたちょっと先>all
378B.O.B:01/08/31 04:33 ID:63bRafGg
>獲得形質の「遺伝」を認めるんなら、最初は学習だった言語能力が遺伝情報化することにも異議なし?
まさか、それはトンデモだ。人間は獲得した知識を、文化や規則という形で伝えて
いくことが出来るんだから。それもコトバがあればこそだから、ややニワトリタマゴ的なような
気もするが、世代を経るにつれてコミュニケーション様式が洗練されていくってのはアリだろ。

>あのなあ、機能的な辻褄合わせだけなら、何でも言えるぞ。
素直に「辻褄はあってる」って言やいいのに(w
MP的な枠組みにそぐわないものはなんでも「子供じみてる」とか「辻褄あわせ」
だとか、信じるものは救えない、ってのはまさにこのことだな。
機能論は辻褄合わせなどではないよ。この言語ではこういう素性があるから主節での
wh移動が義務的です、この言語ではパラメタがこうなってるから主節でのwh移動が
optionalです、という説明の方がよっぽど辻褄あわせ。ていうかそもそも説明になってない。

>ほー、で冗長性がない場合は、無駄を省くことが伝達の効率を増すストラテジーだ、とか言うんだろ(w
子供みたいなこというな。「経済性」と「確実性」(コスト対報酬)との釣り合いがとれたところが
解になるといってるんだ。

>>348のリンクは見たのかね?
まだちらとしか見てない。見とくよ。
379名無し象は鼻がウナギだ!:01/08/31 06:56 ID:j5KFfmeM
>機能論は辻褄合わせなどではないよ。この言語ではこういう素性が
>あるから主節でのwh移動が義務的です、この言語ではパラメタがこう
>なってるから主節でのwh移動がoptionalです、という説明の方が
>よっぽど辻褄あわせ。ていうかそもそも説明になってない。
前から気になっていたんですが、生成文法では何をもって「説明」と
するのでしょうか?上のBOBさんからの引用に限ってみれば
どうしてもトートロジーの様にしか思えないんですが。

AなのはBのせい
BからAがわかる
素性があるから義務的
義務的ということは素性があるということ
380(´∀`):01/08/31 09:39 ID:GVajtZ9U
留守する直前に一言。
何度か書いたが、ある物言いが「説明」になってるかどうかってのは、当面の現象のみならずそれと
一見無関係な多くの事象をいかに関係づけ、どれだけ簡潔かつ一般的にとらえることができてるか、ってのが
ポイントになる。現象ごとに違うお話作ってるだけだと単なる辻褄合わせだが、個別の現象を越えて
どれだけ幅広い現象を予測できるか、が問われるわけ。だからwh移動がwh疑問文を提示するマーカーっだ
てのはwh疑問文だけについての単なる記述だが、移動現象一般の特性を素性の振る舞いとして捉えることが
できる限りにおいて、素性分析は説得力のある説明となる。
381木陰によって:01/08/31 11:46 ID:UmiEYjq6
348のリンク先を翻訳エンジンにかけたら、こんなんなっちゃったよ。
誰か解説してくれい。罪人に態度を明確にさせるって?


1998年 1月 31日


家族は言語に遺伝の手掛かりを与えます。


B.木陰によって

研究者は、人間のスピーチおよび言語キャパシティーに影響を及ぼすと知られていた第1の遺伝子の指定への大きな進歩をとりました。

それらは、拡張英国の家族のほぼ半分のメンバーの中で約100の遺伝子を含んでいるDNAの特殊な伸張、
どれが厳しいスピーチを引き起こすように見えるかのうちの1つおよび言語が乱す染色体7上で見つけました。
科学者は、2月の自然遺伝学の彼らの発見を報告します。

先の研究は、脳発達に影響する染色体7の同じ地域のいくつかの遺伝子を識別しました。
今のところ、それらのどれもいわゆるKEファミリーにおける言語分裂する人の役割に対する有力な候補ではない、
と英国および彼の同僚のオクスフォードの大学の遺伝学者サイモンE.フィッシャーは主張します。
一層の仕事が罪人に態度を明確にさせるのを試みるだろう、とフィッシャーは言います。
「この遺伝子が何でも、それは脳発達に重要な効果があり、有効なスピーチのために必要とされる顔の筋肉動作の調整に恐らく関係します。」
研究を保持する、Faraneh Vargha-Khadem(ロンドンのWolfsonセンターの心理学者)を共同執筆します。
ほとんどの言語障害および言語が、
家族(それは遺伝影響の基礎となるための探索を非常に複雑にする)の1人あるいは2人のメンバーに生じます。
4世代の37のKE家族のうち、しかしながら、15は、通信するべき能力の同じ厳しい混乱を表示します。
一方の親から相続した単一の遺伝子に混乱が起因することを継承のパターンが示す、
とオクスフォード遺伝学者アントニーP.のモナコ(調査チームの別のメンバー)は述べます。

影響を受けたKE家族が文法の知識中のすべての種類、
低い口頭と空間の知能および赤字の音を発音する際の困難さを含む広範囲の問題を示す、
とVargha-Khademは主張します。
対照的に、他の調査者は、脳(Sn: 2/4/95、p。 70)の中の文法回路の
遺伝学的にそそのかされた破裂にこの条件が集中すると主張します。

フィッシャーおよび彼の同僚は、ある人からもう一人の人まで回の変わる数を繰り返す、
短い化学のシーケンスのための27のKE家族の全ゲノムを検査しました。
特定の染色体7シーケンスは、スピーチおよび言語混乱に苦しむものの100-遺伝子地域をマークしました。

興味をそそって、同じ染色体7セグメントは家族の中で自閉症(言語をしばしば含んでいる混乱は遅れます)にリンクされた
より大きなDNA伸張内に位置します、それを研究する、3月の人間分子遺伝学に現われるでしょう。
モナコは同様にその仕事に寄与しました。

ブレーンスキャンは、KE家族展覧品の影響を受けたメンバーが、ロンドンで、
神経病学の研究所の神経科学者リチャードS.J.Frackowiakによって指図された予備的研究によって
モータ・コントロールに関与するいくつかの内部の脳の構造の開発を妨害したことを示します。

KEファミリーで見つかった厳しくまれな条件と異なり、スピーチと言語の混乱の大部分は
恐らく多くの遺伝影響(モナコ・ノート)を反映します。

「刺激的なもの、ここに、言語をばらばらにし始めるのに今可能なそのitがあります、
最も高いオーダーの認識の機能のうちの1つ、1つの遺伝子、一度に。」
国立ロックヴィル、メリーランドの聴覚障害・他のコミュニケーション混乱研究所のコメント
遺伝学者デニスDrayna

ヒトゲノム研究者が染色体7のそれらの写像の完成に急速に近づいているので、
KEファミリーに常軌を逸した遺伝子を見つけることの見通しが有望に見える、とDraynaは付け加えます。
--------------------------------------------------------------------------------
382B.O.B:01/08/31 20:13 ID:FzLEEE7A
>当面の現象のみならずそれと一見無関係な多くの事象をいかに関係づけ、どれだけ簡潔>>かつ一般的にとらえることができてるか

簡潔かつ一般的な原則の正当性を主張するために、見えない構造を仮構して
(日本語でも潜在的にwh移動が起こっているとか)
「見えないけれどこういうことが実は起こっているのだ(そうすれば辻褄はあう)」→
「(見えないけれど起こっている)様々な現象を、簡潔かつ一般的な原則によって捉える ことができる」
という形で議論するんだから、やはりcircularな感じは拭えない。
素性(に対応する神経細胞の活動?)が脳の中で「移動」してるのが観測されでも
すれば別だけどね…

>移動現象一般の特性を素性の振る舞いとして捉えることができる限り

「捉えることができる」のと、「捉えたいと思う」かは別の問題だ。
意味論・語用論(において独立して要請される諸要因)から、本当に説明
できない、そんな特性があれば、あるいは、そういった素性を仮構する
正当性が生じるかもしれない。
ところがどうだい、機能論的(語用論含む)な説明ははじめから(それが機能論的で
あるという時点で)辻褄あわせ、子供じみてると決めてかかってるんだからね。
論点先取もいいところだ。

「機能は構造を生み出さない」っていってるけどさ、例えば
車をブーブーと呼ぶ名指し行為や、"I hate you."のような
(チンパンジーでも学習できるような)単純な構造さえも、
構造を生み出すのに特化したモジュールがないと産み出せないって主張するわけ?
それとも構造ってのは、移動や束縛を含むある程度高度な構造を指してるの?

遺伝子の記事は、う〜ん、懐疑的だな。反駁するだけの知識はないが、
少なくとも「左右対称の男がもてる」説や「浮気行動を決定する遺伝子発見!」と
同じくらいうさんくさく思える。本当に、言語(文法)だけがピンポイントにやられる
遺伝子などでは、多分ないと思う。他の認知機能や対人関係機能にまず影響があって、
それが言語の獲得や運用のトラブルにつながるのではないかな。
383354:01/08/31 22:32 ID:pP9WhCm.
なんか2ちゃんねるが終末論的フンイキなのでなにか書いておこう。

幼児の言語獲得の速さは、確かに驚くべき事柄かもしれないが、
生命現象全体からみれば、なんだかなーという感じ。
驚異的現象は、ほかにいくらでもあるだろうと思われ。
(ここで例のごとく個体と系統の混同とかいわれても、このさい、どうでもいい。)
顔文字氏が、どっかで生得説はデフォルトだと言ってたけど、
それ以外のの言動をみるかぎり、その真意ははかりがたし。
あと、
>いわゆる言語能力全体のどの部分が言語固有の生得的領域で、
>どの部分はそうではないのか、という話しをしているのだから、
というのは、あくまでチョムスキー側の言い分であって、
これはたとえば、創造進化論者が、
>いわゆる言語能力全体のどの部分がアダム=言語創造者的領域で、
というのと同じ。ちょっときつかったかな…?
あんまり生成派vs反生成派という構図にのっかりたくない。

LADについてだけど、おそらく、
出生後も脳の器質的発達は続くので、言語獲得の条件じたいがdevelopしていくのだろう。
それを阻害する要因は、遺伝子上にあっても不思議ではないと思われ。
とりあえずわたしは、ガチガチの実証主義者ではないので、(ウィーン学派みたいな)
うまく説明できればそれでよし。
ただし、そのばあいでも、滅んでしまって実在しない言語を推測できなければダメ。

BOB氏、ネタレスにマジで反論しないよう。長生きしようぜ。またあう日まで。
384かかり助詞:01/09/01 04:11 ID:Thv5jyFY
いやいや、旅でつかれたせいかログインする気力をしていたよ。
>>375のV-raising・notについて。
私はこういう機能的な言語変化の説明には懐疑的だな。notの時だけではなく
疑問文でもdo-supportがあるのだから、そいうことも統一的に説明できないと。
かといっていいalternativeがあるわけでもないけど。pollockのtheta theory
に基づく説明も、イマイチぴんと来ないキガスル。
日本語の古典には、係り結びスレでも書いたかも知れないけど、「ぞ、なむetc」
に呼応する発音しない文末要素がcategoryとしてはNで、そのために
連体形でいていたのだと思う。

それとこのところのレスにタイするおおざっぱなコメント。
生成文法での「説明」というのはどういうことなのか、という質問は
ある意味で「生成文法とは何か」という根元的な質問と同じと思われる。
GBの頃になって始めて、「説明する」ということの意味が解りはじめ
てきたカンもある。それ以前にの枠組みでやってきたことは「記述」っ
ぽかった。現象Aを説明するというのは、おおざっぱに言うと
現象A以外の現象Bを説明するのにどうしても必要と思われる
理論的道具建てでAをも捉えることができる、ということだと思う。
LFでのwh movementに関してはまた元気になったら書きます。
385名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/01 16:10 ID:uSQWrEl2
age
386名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/01 23:06 ID:o/ADzsNA
批判というわけではないが、思うことを。たとえば
  太郎は花子に由美子に英語を教えさせた。
は文法的に問題ない。しかしこれはいわば文章美学の見地から
は問題がある。文法的にただしいということは言語による営みの大きな
一部分をなすとはいえ、言語的営為の全体を覆うには程遠い・・・
生成文法は理論化できるところだけを理論化することを生きがいと
するのだろうが、理論化できないところがつねに残るところこそ
言語の核心ではないか。生成文法研究者はその残余へのおののきがない。
そして文学にはそれがある・・・。
387名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/01 23:10 ID:Qh/G49GI
あほか?
388>383:01/09/01 23:12 ID:uSQWrEl2
>うまく説明できればそれでよし。
>ただし、そのばあいでも、滅んでしまって実在しない言語を推測できなければダメ。

このあたり、われながら何にも意味してないな。
生成文法がもし厳密な数理化にむかうんであれば、それはやはりモデルとしては興味がある。
たとえば、原子が単体で存在するより、共有結合やイオン結合の安定した状態を選ぶように、
文法的な文が、ある数値が保存されるとか、それが最小になるように誘引されるとかで
必然的に変成されるのならば、画期的なことだ。
どんどんやったらよろしい。皮肉じゃなくて。
はっきり言ってそれが可能ならば、生得説が無用の仮説になるかもしれないし、
逆に依然、幼児の言語獲得はナゾのままかもしれない。
しかし、数学が神学・数秘論と訣別したように、
生成文法も、その根本理念から独立したときが、その真価を認められるときかも。

ところでもし現在のアプローチが、
「この帽子は、ジョンをメロンパン10個で買った」
のような文を排除していこうとするのなら、見通しは極めて暗いだろう。
「韓国は近くて遠い国」はどうなるんだ?は、ともかく
語用論や修辞論のさまざまな困難を背負い込むことになるのはまちがいない。

あいかわらず脈絡ない話になっちゃったけど、
>375
notの歴史の話は、「Don't be」がどうとかとかいうスレの最後にある。と思う。
内容がこの程度なので、コテハンは遠慮しときま。
389名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/01 23:20 ID:o/ADzsNA
ご心配ご無用。「この帽子は、ジョンをメロンパン10個で買った」
は碑文ではない。ありえない。
390名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/02 00:38 ID:759dC2Uk
>たとえば、原子が単体で存在するより、共有結合やイオン結合の安定した状態を選ぶように、
>文法的な文が、ある数値が保存されるとか、それが最小になるように誘引されるとかで
>必然的に変成されるのならば、画期的なことだ。
画期的過ぎるつーの。
391B.O.B:01/09/02 01:46 ID:zuTtRDIU
>出生後も脳の器質的発達は続くので、言語獲得の条件じたいがdevelopしていくのだろう。
うおっ、ダイナミズムだ(w
その線でやってる人はホントにいるよ。
簡単にいうと、脳が比較的未発達な状態においてキャッチできる情報が少ない
(多くのことを無視してしまう)ことが、逆に学習に有利に働くという理屈。

>日本語の古典には、係り結びスレでも書いたかも知れないけど、「ぞ、なむetc」
>に呼応する発音しない文末要素がcategoryとしてはNで、そのために
>連体形でいていたのだと思う。

なるほど辻褄はあう(ハハ
それは、「太郎が来たの?」の「の」を、「大きいのを下さい」の「の」と
同じく範疇Nである、と分析するぐらい無理があると思うんだが。
392かかり助詞:01/09/02 02:41 ID:qdcvUWoc
391 Q-Compの「の」とのパラレルが解らないけど、私見では
384のストーリーはさほど無理ないと思う。古語では(私の調べた限り)
「大きいのを下さい」の「の」のようなnominalizerをほとんど使わない。
おそらく、発音しないNがあったためダト思われる。「ぞ、なむetc」の
連体形系統のかかり助詞が消失したのはこの発音しないNがなくなって
しまったことと関係があると思う。

ところで、旅先で福井直樹氏の「自然科学としての言語学」を
購入して読んでみました。上でなんだか解らない"批判"を繰り
広げている方たちにお薦め。
393名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/02 09:09 ID:b0RiKNSU
自然科学としての言語学ということは、言語学は完全に自然科学いがい
のなにものではないというわけではない
といっているわけですね。ロボットとしての人間、弱きものとしての女、といった
言い方とおなじですからね。

発音しないN. たとえば「来る?」には発音されない
主語があるといえるのでしょうが、同じ意味で

赤きもあり。黒きもあり。

などの「赤き」「黒き」に発音しないNがあると
言わねばならないのですか? それら自身が名詞に相当すると考えて
いけない理由は?
Shall we Haagendatz?
のHaagendatzはそれ自体動詞としてみてよいのではないでしょうか

太郎がきたの?
は、起源的には太郎が来たのか?
の「か」「だろうか」などの言いさしで
「あなたは鈴木さんでは・・・」などとおなじもの。
394名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/02 10:31 ID:Jxw1WQfo
>393
赤きもあり。黒きもあり。
には発音しないNがあるというのは正しい。

しかし
これぞ赤き。
の文末にもそのようなものがあるというのはいかがな
ものか。
395名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/02 12:55 ID:rU9CgKvU
>>392
しかし現に言語学は人文科学でしょ。
自然科学にコンプレックスを感じて無理に真似することはないかと存じます。
飽くまで「自然科学として」やってゆくつもりなら、それはそれで結構だけど、もはや言語学ではない別の学問ですね。
396かかり助詞:01/09/02 12:57 ID:DUiPFrk2
>>393 発音しないNが主語だってのはどこからでてきたのかな。
>>394が想定しているように文末にあるというお話をしていた
つもりだけど。

「太郎が来たの?」の「の」は確かに疑問のマーカーであり、
「か」と同じ機能。「〜か知りません」のように「か」は
補文でも使えるけど、「の」は「〜の知りません」とは
言えないように補文は不可という違いがあるけど。

394氏が言っていることがよく解りません。だから、
レスも書かない。
397国語の先生:01/09/02 15:42 ID:jcw9E5fw
あ、トップページが直ってる。
>368('∀`)様「確認しとくと…立場。」了解。解説有難うございます。
>392 ご参考までに
いにしへのは、あはれなること多かり。(徒然)
尋ねて、文やりたれば、……御前のをおろしたるとて、……(更科)
人の国よりおこせたる文の、物なき。京のをもさこそ思ふらめ、(枕)
さては、扇のにはあらで、海月のななり。(枕)

係り結びについて。(内容は生成の枠組みではありませんが)
A[係助]B。の形においてBが必ずしも活用語を末端に据えた句(連体形)であるとは限りません。
  これなむ都鳥。(伊勢・東下り)
  春はあけぼの。(夏は夜。秋は夕暮れ。冬はつとめて。も同じ。有名な枕草子第一段)
を一文と認め、係り結びと同じ文構造と見る考え方が伝統的国語学の中にあります。
「これなむ都鳥[なる]」「春はあけぼの[をかし]」といった省略[ ]を想定せず、記された
外形だけで文として必要十分に完結していると見ます。

係助詞と文末の間にある空間Bの位置に放り込まれる語句は、全体として体言相当の性格を
要請される、という視点で考える場合、活用語の連体形自体に、句を体言相当化する機能が
あるかどうかが論点の分かれどころということになりますね。
・末端が連体形であれば体言相当(「連体形の準体用法」という用語が現にあります)
  → Nなんて想定する必要なし。見えているものだけでBに入る資格が十分あり。
・連体形の本質にあくまでも名詞に接続する機能のみを認める
  → 無形のNを想定することが必要
ちなみに、どこか別スレで(名無しで)書いたのですが、活用語自体が名詞化する時は、普通
連用形を取ります。形容詞は単体で名詞化する時に連体形を取りますが、動詞は連用形。
  老いも若きも……, 地獄行き, サトラレ,
398国語の先生:01/09/02 15:51 ID:jcw9E5fw
捕捉:渡辺実は、動詞の連用形を、形容詞のそれとは別の機能を持つとして、
「並列形」と呼ぶことを提唱しました(「国語構文論」)。
399393:01/09/02 16:41 ID:jixxtd7I
>いにしへのは、あはれなること多かり。(徒然)
>尋ねて、文やりたれば、……御前のをおろしたるとて、……(更科)
これらは被修飾語の省略というもので、「の」が名詞の代わりをしているわけでは
ない。このような「の」と
大きいのを下さい
というときの「の」は全く別物です。「大きいの」の「の」は
名詞といってよいもので、鎌倉期までの文にはこのような
用法は皆無である。この手の「の」は「もの」がつづまったものではないか?
古文でもむろん「赤きものを」「赤いものを」ともいえるので室町期の「赤いのを」
といった言い方のおこりはこれでしょう。ちなみに古文では「おほきし」という
形容詞はなく、「大きい」に当たる古語は「おほきなり」です。

「来る?」は「君は来る?」とは違い主語が明示されていないが、主語はないわけでは
ないという意味だったのですが。「来る?」では発音されないNが主語になっているとい
ういいかたはだめですか?

「春はあけぼの」はこれだけで完結しているが、「これなむ都鳥」
はやはり「なる」を補って完結するというべきでしょうね。「これが
都鳥で」という現代文と同様/同様です。

「あるべし」の「ある」のあとにはNの補いようがないけれども、これは
例外ですか?各活用形の本質という問は(一般に本質主義は問題ありという
のがすでに最近の学問の常識でもあるが)、やはりここでも苦しくないでしょうか。
たとえば終止形は文の終わりにもくるが、「べし」などの前にも来る・・・

>「太郎が来たの?」の「の」は確かに疑問のマーカーであり、
>「か」と同じ機能

しかし、「の」がなくても「太郎が来た?」だけで疑問文です!

>398
形容詞連用形は「いみじくあつし」のように修飾語にもなるけれども並列
(「あつく、たへがたし」)でもつかえますよね。他方動詞連用形は
「朝起き、刃を磨く」のように並列が多いとはいえ、
急ぎ行く(古文では「急ぎて行く」ではなく「急ぎ行く」が普通)
の「急ぎ」は「行く」を修飾している。
つまり両者の差はそんなにきっぱりしたものではないのでは?
本題からずれてごめんなされ。
400>396:01/09/02 17:02 ID:vSVKZ2Kw
「の」を疑問マーカーと言っていいのかなあ。
まず「太郎が来たの。」と「太郎が来たのか?」を比較すべき。
わたしの予想では、「太郎が来たの?」のばあいの「の」はnominalizerだろう。
そしてNP(体言止め含む)が、強意や疑問を含むさまざまな用法をもったのだと思われ。
そうすれば
「*太郎が来たの知っている」「太郎が来たのは知っている」はもちろん
「太郎や来つる[N]?」や「太郎が来たの?」も一括して説明できる。
だめ?
わたしも、>なんだか解らない"批判"を繰り広げている方たち
のひとりなんですけど…

BOBくん。わたしは初心者なので (w で、どのくらいばかにされているのかわからん。
401400:01/09/02 19:42 ID:vSVKZ2Kw
言語学が自然科学になりえるか、という問いに答えようとすると、
とんでもなく長い与太話になってしまうな。
とりあえず、すくなくとも客観科学であろうとするなら、
個別の現象の記述から、帰納的な説明の体系が必要。
ところが人文科学のばあい、一般に複数の説明の体系を許容してしまいがち。
それはそれでいいというひともいる。哲学には文学的価値があるみたいだし。
しかし、ただひとつの正しい体系があると主張したいひとにとっては、
説明可能性だけではなく、実証的な方法論が必要になると思う。
ことに生成文法においては。

ミクロ物理学では、だいたい理論のほうが先行して、
前もって「命名」され電荷とかの属性が決定されている素粒子が後から「発見」される。
よくいえば、理論屋さんと技術屋さんがうまく働いている。
悪くいえば…論点不明になるので省略。

で、わたしの印象では、生成文法では量子力学ように理論的措定を大胆に推し進めている感じ。
ところが、実在論を標榜するわりには、生成学者そのものが実在論的証明には興味がない。
前にも言ったけど、数理論モデルを構築するだけならそれはいいし、興味もある。
しかし生物学をまきこんでの論争となると、それはどうなのか?

ま、進化論もイデオロギッシュな部分もあるから、ムズカシイところだけど。
また結論なし。ごめん。サゲ。
402400:01/09/02 19:52 ID:vSVKZ2Kw
あと、ずっと上のほうで書き忘れたけど、
文法のパラメータ化を推し進めるのだったら、
任意の素性をONにしたりOFFにしたりすれば、
現存しても不思議ではない架空の文法を作ることが可能なので、
その点についてはクリアしてると思われ。
403sage:01/09/02 20:12 ID:sszbK1n.
>ところが人文科学のばあい、一般に複数の説明の体系を許容してしまいがち。

もしやそれは最適性理論(OT)のことですか。(笑)
まあ言語てのは融通の利くもんですし、説明にも言語を使用するんですから、
それで「ただひとつの正しい体系」を表現しようってのは無理なのかも。
404進化論:01/09/02 21:12 ID:uABcTGro
少なくとも言語変化の最中の過渡期には、
「複数の体系が重なり合って話者ごとに重み付けが違う」
みたいな状況なわけだし、普遍的な言語理論があるとすれば、
そういう過渡期をも説明可能な体系なはずでしょ?
音韻や語彙では、言語は「過渡期じゃない時期」を持たない。
時間尺度が違うだけで、文法も似たようなもんじゃない?
405国語の先生:01/09/02 22:28 ID:jcw9E5fw
>>399
「用言の終止連体形+の」と「名詞+の」の違いや「これなむ都鳥」の完結性については、
単純に省略等で説明してよいのか。かなり慎重であるべきだと思います。
「AがBである。」に係り結びがかぶっている場合だけでなく、
  春[は]あけぼの。/ 象[は]鼻が長い。/ 僕[は]うなぎだ。
など(A-B間に明確な論理構造を設定しずらい文)をも統一的に説明する試みとして、
A係助詞Bという型自体の持つ完結性にそのより所を求める立場からすれば、
「これなむ都鳥。」に、[なる]は必要ないということにもなります。
(結果として「これは都鳥である」という論理が伝わったことと、言語自体がその構造を
もっていることは別問題ですよね…… No! という一語文に I'm not guilty! の構造は
省略されているのだろうか?)

「人が言語を使用できる[の]は、……」の「の」は「もの」に置き換えずらいですね。
「人は言語を使用できる[の]で、……」との関係も浅くはなさそう。
406B.O.B:01/09/02 23:50 ID:zuTtRDIU
あれっ、やたらにぎわってるな。

>BOBくん。わたしは初心者なので (w で、どのくらいばかにされているのかわからん。
馬鹿にしてないっす。むしろ嬉しくて笑った。

>福井直樹氏の「自然科学としての言語学」を購入して読んでみました。
>上でなんだか解らない"批判"を繰り広げている方たちにお薦め。
福井氏の言ってることの方がよっぽど何だかわからないぞ。
この人は(俺基準では)頓珍漢な数学オタクで、「自然科学」を論ずるのに
適任とは思えない。
407B.O.B:01/09/03 00:31 ID:mFuqiE2.
>むしろ嬉しくて笑った。
(補足)つまり、B.O.Bは隠れダイナミズムファンなのだ。失礼しやした。

>福井氏の言ってることの方がよっぽど何だかわからないぞ。
でもまあ本は面白い。一種のトンデモ本(俺分類)

>これぞ赤き。
>の文末にもそのようなものがあるというのはいかがな
>ものか。

(横レスだが)
うん、だって、「これぞ赤き」の意味は、
「これが赤い物(だ)」のような体言止めじゃなくて、
「これが赤いのだなあ」というような、言い切りでしょう。
それなのにNで終わってるというのは間尺にあわない。

>「の」を疑問マーカーと言っていいのかなあ。
賛成。「か」を疑問マーカとするのはよさそうだけど。
それに、「太郎が来たのか?」みたいに両方ある場合はどうなるのか?

>わたしの予想では、「太郎が来たの?」のばあいの「の」はnominalizerだろう。
これはどうかな。nominalizer起源だけど、範疇としては別物(Q-compではなさそう)
だと思う。文全体をNPとみなすのは、やはり受け入れがたい(好みの問題?)

で、私が言いたかったのは、「の」はnominalizerだから「太郎が来たの?」を
NPと分析するくらい、連体形終止には見えないNがあり云々の分析は無理がある、
ということ。だが、『「太郎が来たの?」をNPと分析する』のを無理があると思わない
人さえ実際にはいるのだね。
408かかり助詞:01/09/03 05:32 ID:Jm7vdzBs
>>400「太郎が来たの」の「の」をnominalizerというのは無理っしょ。
Q-compの「の」は例えば「です・ます」にも付けられる。
「太郎が来ましたの?」は女性的であるけど文法的。
でも、nominalizerは「です・ます」には付けられない。
「太郎が来ましたのが問題だ」は非文法的である。

まあ、他にも二つの「の」には違いがあると思われる。けど
まあ、言語学の宿題だと思って自分で考えてね。

ところで、福井さんは私は個人的な面識がない。でも、
友人の友人くらいではある。福井さんは「数学オタク」
というよりも、「勉強オタク」ダト思う。とにかく、
経済学、数学、生物学、物理学といろいろ勉強しているらしい。

私があの本で気に入ったのは最後の章で、「日本の言語学教育」
について結構くそみそに言ってくれちゃっているところだ。
北米流の段階を踏んだ「手取り足取り」教育が必ずしも最高だとは
思わないけど、あそこまで日本のやり方をくそみそに書けるのは、
福井さんくらいのものだろう。ふつう、思っていても言わないか、
言っても文章にして出版はしないだろう。
409400:01/09/03 08:19 ID:n/SE5CQk
>「太郎が来たの?」をNPと分析する、
のは不自然だと思うよ。ふつうはやらん。
ただ「花ぞ赤きN。」「花や赤きN?」と整合性をつけるための、試論。
というか、生成的な推論をやってみたかったんだけど、才能ないみたい…

わたし的には日本語で、文の単位はあんまり信用していない。
「わたしはですね、いまですね、面白い本をですね、探しているのです」
という文はどうなっとるんだ。ここで「ですね」全体を終助詞と考えればいきなり解決だけど。
でもそれでいいのかなあ?ほかにパラダイムはないのか?
「わたしはです」は、一見ヒブンにみえるが、
「そんなにメロンパンが好きなのか?」
「わたしは、です。」なら可能だな。
「だ」「です」はナゾだよ。コプラとは大違い。

>「太郎が来ましたのが問題だ」は非文法的である。
「わたしが申しましたのは、この件です。」は文法的だよ。
そもそも「問題です」と言わなきゃ「です・ます」の統一が乱れてしまう。
でも、やっぱり宿題にしとくよ。そんなにつきはなさなくてもいいのに。

BOBくん、ダイナミズムはかなり妥当だと思われ。もちっと勉強しとく。
410名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/03 10:47 ID:IPiOiBYQ
「これなむ都鳥」のような文は、用例を見ると会話文のようなラフな言い方
がされやすいものにしか出ない。「春はあけぼの」と「これなむ」を同型とするのは
「チョムスキー初級者スレ」冒頭にある「空飛ぶ夢」「空飛ぶブタ」を同型というようなもの。

>「人が言語を使用できる[の]は、……」の「の」は「もの」に置き換えずらいですね。
この「の」の起源は「もの」だろう(ほかに思い当たるものがある?)と言っただけ。
なんでも起源から説明できるわけでないことはいうまでもないでしょう。

388さんの
>ところでもし現在のアプローチが、
>「この帽子は、ジョンをメロンパン10個で買った」
>のような文を排除していこうとするのなら、見通しは極めて暗いだろう。
>「韓国は近くて遠い国」はどうなるんだ?は、ともかく
>語用論や修辞論のさまざまな困難を背負い込むことになるのはまちがいない。
に同意。もっとも生成文法にもいろいろな考え方がありそう。

実際、おとぎばなしでは帽子が物を言い、お金の単位はメロンパンでありうる。
「現実世界」でも、たとえば「この帽子」が「この帽子の男」の換喩だとすれば、また「メロン
パン10個」がたとえば「100万円」の暗号なら(ロッキード事
件でピーナッツってなかったっけ)、ごくごく日常的なレヴェルで
問題なし。「このメロンパンはおいしい」と同じくらい自然。
やっかいなのは、問題は比喩と比喩でないものが明確に区別でき
ないというところにある。「メロンパン」も比喩でしょ? お金の単位
としての円だって比喩さ。

「近くて遠い国」もわざとパラドクシカルに言ったものであり、レトリカルだよね。
韓国は近くて遠い、なら、「遠い」は歴史的背景を援用して理解できるものになる。
日本は近くて遠い、なら、「遠い」は貧弱な道路事情に関する知識を援用することになる。

要するに、コンテクストなしには文の意味は確定できず、非文かどうかも
決まらない。そしてコンテクストは原理的に確定できないものである。
コンテクストにはterm(元来、土地の境界線)がなく、よってdetermineできない。
411400:01/09/03 15:30 ID:NI7f0l52
終助詞→間投助詞>409
>>410
とりあえず同意ありがとう。
でもLIが、そういう方向にいくのかどうかよくわからん。
にもかかわらずコメントしたものだよ、わたしの文は。

結果動詞の考え方は、有名な、水を沸かしているのに「お湯を沸かす」とは
これいかに、という問いには答えてるな。あんまし関係ないけど。
412名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/03 16:17 ID:Pl2y/XPs
>410
ある文が現実を適切に描写しているかどうかは、それが文法的であるかどうか
と関係ない。
1 アメリカの首都はニューヨークでございます。
2 その考え方は緑だ。

は非ぶんではない。それらが自然な発話であるような状況は
いくらでも想定できるが、1や2の文法性はそうした想定可能性は
無関係だろう。(たとえば、正しいと思うなら緑の、まちがいと思うなら
白の旗をあげるという状況での例文2。)
文法的だとは、内容はともかく、言い方として妙なところがないということ。

3 日曜日の上に学校は無い。
はどうか。たしかに日曜の上に学校は無いが、3のような文は
「日曜日に」というべきところを英語などでの言い方に引かれて
間違ったと見るのが自然。すると言い方をまちがっているわけで、
その場合もこれを文法的だということはできない。すなわちそれは
非文だろう。ということは、その文だけを見ても文法性は判断できず、
どんな意味でいったのかを、つまり話者の動機を考慮しなければ
ならないことになる。話者の動機はコンテクストの一部ではないか。

4 私は今度東京にいらっしゃるのだ。
は、敬語の知識の欠如にもとづいた発話なら不適切だが(日本語を
外国人に教える者がこの文を通すことはまずなかろう)、
敬語の知識が完璧なものが4をいうのなら、それはそのような形で
の(修辞がかった)自己表出ということになる。

文法性という概念を洗練させないといけないということか。
413(´∀`):01/09/03 18:33 ID:Ql3zJxlE
留守してるあいだに話しの流れが変わってしもた……
>>410あたりに関係しそうなとこ、とりあえずコピペだ。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=978466881

85 名前:(´∀`) 投稿日:01/08/27 08:56 ID:8WkhraiY
こっち、引っ越し奨めときながらほったらかしにしてたみたいでワリイ。
eat beerなどはsemantically anomalousだと思う。構造的にはどこも問題ないので文法的にはOKだと言うしかないなぁ。
ただし、ここが理論依存性の所以なんだけど、意味選択と直接対応する形式素性をたて、その素性の照合がどうした
こうしたというふうにもってって破綻派生にする可能性もあるでしょう。
で、そのことが[+/-animate]は統語素性かという一点めの問題提起にもつながるんだけど、名詞側にとっては当然
意味解釈可能なこの素性が統語素性なら、この素性によって引き起こされる統語・形態論的現象、例えば主語が
[+/-animate]で動詞のinflectionが変わるとか、Spec(TP)への移動の可否がこの素性によって決定されるとか、まあ
そんな現象があるだろうということになる。ありそうなもんだが俺は知らん、スマソ。
日本語の「いる」「ある」の使い分けは不完全だが一部そのような感じかな。
で、eat beerが意味的にヘンだとか(事実はしらんけど)スプーンで飲めばいいとかビール飴(笑)ならいいとか
(俺のガキの頃はコカ・コーラの錠剤みたいのが駄菓子屋にあって、それをそのまま口に入れるとかなり強烈な刺激が
楽しめたが、あれは「コーラを食べ」てたわけね、多分)あるいはgood knife/good linguist の差も言語外の知識、
いわゆる百科辞書的世界知識が動員されて判断されるものだと思う。文字通りにはヘンでも比喩的に解釈すれば意味が
通るというのもそんな感じ。
でもちょっと考えてみると文字通りの意味を取るにもやっぱり世界知識は必要だし、比喩的・非比喩的の区別は実は
そんなに明白ではないように思う。あえていうと、意味解釈なんて全部、比喩の世界ではないか……
>>83, 84
語彙意味論やってるなら、今度の議論のためにちょっと教えて欲しいんだけど、語彙情報を統語構造に投射するとか、
語彙意味によって統語構造を決定するとかいう場合、実際の時間軸に沿ったレキシコン→シンタクスの方向での
情報の受け渡しがあると考えているわけ? 俺の立場は、語彙意味はシンタクスによって決定される、語彙意味論は
シンタクスに包摂されるという感じなんだけど、シンタクス・レキシコン間の(ジャッケンドフ的に言えば)対応
規則を、時間軸に沿った一方向の写像関係と考えるべきかどうか、ちょっと自分でも不明なので、参考まで教示願う
次第。

86 名前:名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日:01/08/28 09:25 ID:2P/gnJT2
>比喩的・非比喩的の区別は実は
>そんなに明白ではないように思う。あえていうと、
>意味解釈なんて全部、比喩の世界ではないか
わたくし、17にそういうことを書いてから、もうゆう
に半年を越えている・・・。過酷な事実。
414B.O.B:01/09/03 20:32 ID:7SKoUwj2
>「太郎が来ましたの?」は女性的であるけど文法的。
しかし「来ましたか」に比べるとmarginalではある。
これは終助詞の「の」の中でもさらに別の用法ではないか?
しかもますます[+疑問]とは思えない。平叙文でも同様に使う。
「わたくし、先週京都に行きましたの」

copula起源の終助詞なんかもある、
(スポーツアナウンサー口調)「〜しましたです。」
(よく漫画にでてくる方言)「行かなかっただ」
し、「べぇ」だの「さぁ」だの「じゃきに」だの、
全国の終助詞的表現のバリエーションを見たら、日本語の文末は無法地帯、
とさえ言えるかも。
標準語の「〜の」の意味機能だって、結局はっきりわかってないんだから…

よくわからないsage
415400:01/09/04 11:17 ID:X1HMUmIQ
「そうですか。やっぱりガンですか…」
をみると、結局疑問文はイントネーションに大きく依存しているな。
自然に考えると、英語も含めて疑問文の的確な意義は、
イントネーションとのコオペレイティヴな作業によって表されるようにみえるけど、
生成側はそうは考えんだろうなあ。
統語的に規定された疑問文が、構造的解釈を派生させるにとどまるだろう。

音声現象は客観的記述が可能だし、意味解釈の有力な候補になると思うんだけど。
強弁やめ。さげ。どんどん沈んでいくな。
416国語の先生:01/09/04 20:40 ID:qjAhBmcA
>407 >…を無理があると思わない人さえ実際にはいるのだね。

「〜せざるを得ない」もかなりの人が「〜せざる・おえない」と思っているようだし
(その人達が「おえない」をどんな意味と考えているかなんて野暮は言いっこなし)、
言語知識が個人レベルではどういう形で形成されているかなんて、ほんとうは
わかったものではないかも知れません。
417国語の先生:01/09/04 21:33 ID:qjAhBmcA
>410 御教示有難うございます。(407以降スレがのびているのが最初わかりませんでした)
>「これなむ都鳥」のような文は、用例を見ると会話文のようなラフな言い方がされやすい
>ものにしか出ない。
そのとおりだと思います承知しています。が、そこから
>「春はあけぼの」と「これなむ」を同型とするのは「チョムスキー初級者スレ」冒頭にある
>「空飛ぶ夢」「空飛ぶブタ」を同型というようなもの。
これは、国語学(←これ自体がここでは終わったモノ扱いなのでしょうが)で扱っていた
係助詞文の成立原理の話と生成文法畑の話がそもそも同じステージ上にないので「という
ようなもの」という言い方には???(なんたって「あゆひ抄」の頃から続いている文脈
の上に成り立っている世界ですから)ともあれ私が毎度首をつっこむたびにスレが本流から
離れてゆく感じで申し訳ない。
418B.O.B:01/09/04 23:21 ID:PGGtpHYs
下がり過ぎage

Dynamic Theory は 梶田優(マサル)という人がやっているのよ。
すごそうなんだけど、論文をほとんど書かないから、「なんかすごそう」どまりなの、
一般的な反応は。意外と応用・習得畑の人が詳しかったりする。
誰か知ってる人いませんかー

>音声現象は客観的記述が可能だし、意味解釈の有力な候補になると思うんだけど。

生成の人だってintonationとかそういうのをないがしろにしていいとは
思ってないでしょう。
難しい(!)から後回し、他人(音韻論者)任せ、あるいは過小評価しがちなだけで。
英語のイントネーションを音韻的に記述する、ある程度コンセンサスを得た方式
が確立したのも実はここ7-8年なのだ。
419名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/05 00:15 ID:YekZk.xo
こんな考えはどうでしょう。考えをまとめるためにお知恵を拝借します。
 ある文が文法的に正しいとは、その文を無理なく使えるコンテクスト
を(原理的にはいくらでも)想定できるということである。あるいは、
同じことだが、その文をパラフレーズできることである(「敷衍可能性」)。

 たとえば「ビールを食べる」はどうみても文法的にまったく問題がない。
たとえば「ビール、凍った?」「ああ凍った」「じゃ、食べよう」というや
りとりは成立する。また「ビールを食べるとは、ビールを凍らせて食するこ
とである」と言える。
 日本語を習いたての人が液体のビールの入ったコップを手に持って「さあ、
ビールを食べましょう」という場合ですら、それをただちに文法的にまちが
いだとはいえない。「さあ、ビールを食べましょう。つまり飲み且つ歯でか
みかみしましょう」という場合を考えればよい。
420名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/05 00:20 ID:YekZk.xo
「液体を食べる」も非文ではありえない。「おや、あいつは水を口に
含んで、咀嚼しているよ。液体を食べているのかね」という用例を考
えればよい。それを文法的に誤りということはできまい。「食べる」
の目的語が「+固体」という素性を要求するといった考えは間違いで
ある。

「これはメロンパンだ」「私はメロンパンが好きだ」が文法的に正し
い文だというなら、「ビールを食べる」「液体を食べる」「この帽子
はジョンをメロンパン100個で買った」「その緑の観念はたけりく
るって眠った」はみな文法的に正しい。そして有意味に使い得る。

 たとえば「これはメロンパンだ」は文法的に正しい文だが、大方の
予想に反して、その意味はひとつに決まるどころではない。実際その
文を無理なく使えるコンテクストは原理的に無数にある。
1 「これは何?」「これはメロンパンだ」「あれは?」「プロミス
ですよ」/この物体はメロンパンと呼ばれる。
2 (審査員の会話)「三等賞はメロンパンだったね」「ああ」「こ
の歌いっぷりでは三等賞だ」「ああ。これはメロンパンだ」/この歌

方では三等のメロンパンがいいところだ。
3 (パン職人の会話)「こっちのメロンパンはだめだ。そっちはど
うだい」「これはメロンパンだ。これこそその名に値するメロンパン
だ」
4 (芸術家の会話)「君は粘土で東京ドームを作ったのかね」「お
いおい。これはメロンパンだ」/メロンパンを模して作ったものだ。

「この帽子はジョンをメロンパン100個で買った。」は想定できる
コンテクストはたとえば「この帽子をかぶった男は、犬のジョンをメ
ロンパン100個、つまり100万円で買収した」という意味かもし
れないし、「この帽子? この帽子はね、人形のジョンをメロンパン
100個と交換した時にね、くれるってんでもらった」などである。
 文法的には正しい文でも、その意味を文脈なしに確定することは不
可能である。

「私はメロンパンに選ぶ」のような文は一見文法的でないように見える。
しかしたとえばメロンパンが登場する芝居があったとする。「鈴木君には
何の役をやってもらおうか。クリームパンはどうかね。君が決めてよ」
「私はメロンパンに選ぶ」
というやりとりは可能なのだから、「私はメロンパンに選ぶ」は文法的に正しい。


 文法的に正しい文を誤用することはいくらでもできる。文法的な文を
無意味に使うことはいくらでも可能である。むろん非文法的な文はもと
もと無意味にしか使えない。
 たとえば「このきのこを食べられるかどうか知っていますか」(岩波
「言語の科学5・文法」58ページ)はそこの文脈では可能態の文とし
て非文となっているが(可能態としてはたしかに「このきのこが」でなく
てはならない)、「(あるえらい人が)このきのこを召し上がるかどうか
知っているか」という意味では問題ない(「召し上がる」という意味での
「食べられる」は文法的誤りとは言えない)。
「このきのこを食べられるかどうか知っていますか」は文法的には正しい
のであって、ただそれを可能態として使うのが間違いなのである。
421B.O.B:01/09/05 03:07 ID:HnqgI5DE
>「食べる」の目的語が「+固体」という素性を要求するといった考えは間違いで
> ある。

それでは聞くが、「食べる」と「飲む」の違いは何かね。
液体を食べ、固体を飲むことができても、食べると飲むが同じ行為を指す
というわけではない。
[+咀嚼]かね? それでは[+固体]とあまり変わらないではないか。
(しかも「かまずに食べた」という反例がすぐでる)

でもプロトタイプの方向に話をもっていけばいいね。
[+固体][+栄養のある物][+咀嚼]…のように、典型的な「食べる」が
満たす属性の束のようなものがあって、そのうちのいくつかを満たしていれば
「食べる」を使える、みたいな。

「カスミを食う(食って生きる)」なんて言い方があるが、あれも食事としてカスミを
吸い込んでるのをいうからで、そうでなければ「カスミ([+気体]?)を吸う」では。
422B.O.B:01/09/05 03:12 ID:HnqgI5DE
>「このきのこを食べられるかどうか知っていますか」
普通に可能の意味で使えるんですが。
423かかり助詞:01/09/05 07:52 ID:75mAr9qs
「牛乳は噛んで飲め」とよくガキの頃に言われましたが、
「牛乳を噛む」のは?比喩的には「難しい条件を飲んで
猪木はアリと戦った」みたいにも、言うけど。どこから
比喩になるか解らないから、419みたいな規準はムズカシ
くないかね。
424400:01/09/05 12:48 ID:Hd.tYLwg
BOBくん、なんだか親切なレスありがとう。
わたしの発言は、以下の発言をうけたもの。>>368
>それから音声解釈、特に実際の発声に関しては現在の生成では言語のコアから相当に乖離した外的世界と見られているので

こういうふうに言われると、音声の意味解釈は付加的なものですらありえないような
気がするんだけど、このあたりどうなってんのかな。
上の主張は進化論にちなんで central dogma とよぼう。

梶田先生の「特論」は、じつはネット上で時々読んでた。初学者向けだけど。
far from の話なんかは、面白かった。
また来る。他の板つまんねえんだもん。
425(´∀`):01/09/05 14:16 ID:p89DUyBI
ちょっと戻るが、疑問の「か」と「の」について前から気になっていたことがあるので、判断求む。
1) きみは[ 誰がショーに来たかどうか ]知ってるか?
2) きみは[ 誰がショーに来たかどうか ]知ってるの?
   cf. *Who do you know whether came to the show?
俺には(2)は(1)よりかなりimproveされているように聞こえるが、どお?
だとすれば、(1)がwh-islandにひっかかるとして、(2)ではそれがない。ということは……
(後は言わなくても分かる、かな)。

>>415
>疑問文の的確な意義は、イントネーションとのコオペレイティヴな作業によって表されるように
>みえるけど、生成側はそうは考えんだろうなあ。
一つの考え方として、形式素性の照合の反映として、wh移動もしくはイントネーションの変化が
起きる、というのがある。移動がシンタクス内部、イントネーションがPFだとするとorderingが
あるみたいだが、移動自体がPFの現象であって(つまりある要素をどこで発音するのか、の問題)
シンタクス内部には移動はそもそも存在しない、と見ることもできる。

>>419
>ある文が文法的に正しいとは、その文を無理なく使えるコンテクストを(原理的にはいくらでも)
>想定できるということである。
その「無理なく」ってのを理論化するのが無理ありそう。

>>420
>むろん非文法的な文はもともと無意味にしか使えない。
んなこたぁ、ない。(「非文法的」の定義次第だけど)形式と意味は別物であって、どちらか一方が
おかしくても他方はオッケーであり得る、というのが自律統語論の見方。

>>424
>進化論にちなんで
分子生物学だろ。
426かかり助詞:01/09/05 14:17 ID:jd5mj3t6
うん、言語学板、最近面白いのないね。
批判でも何でも、もう少し面白いネタはないかね。

梶田先生のdinamic theory懐かしい。私も大昔、テックに
行って話し聞いたよ。帰りに仲間とドトールによって、ホットドック
食べるのが楽しみだった。
427(´∀`):01/09/05 14:20 ID:p89DUyBI
>>388
>たとえば、原子が単体で存在するより、共有結合やイオン結合の安定した状態を選ぶように、
>文法的な文が、ある数値が保存されるとか、それが最小になるように誘引されるとかで
>必然的に変成されるのならば、画期的なことだ。
熱力学第二法則とのアナロジーを追っかけている人、約一名。(派生エントロピー増大則)
428(´∀`):01/09/05 14:27 ID:p89DUyBI
お、かかり氏、同時書き込みとは奇遇だねぇ(w
429400:01/09/05 15:13 ID:Hd.tYLwg

ちなみに368の顔文字氏の文章は、わたしの「生成音声学」をうけたものであり、
こいつを試みたのは、直接的な帰謬法のためではない。>BOBくん
しかし、明かに生得的資料を持たない音声言語の知識が
@)internalize された competence である。
(すなわち、単純な内省では、話者本人が正しい認識に到達できるとはかぎらない。)
(のに、こいつギリシャ訛りだな、とかの直感が働く)
A) mental computation を行う
B)派生関係のある構造概念(D構造とS構造みたいな)を想定できる。
C)幼児期に、驚くべき習得が観察される(ここには言及してなかったな…)
ことなどを示すことにより、生成側の言語固有領域をまさしく相対化できるのでは?と思ったんだよ。

あんまり理解されなかったけど、このような構造が(後天的)認知領域の至るところに発見されれば、
言語能力が一般の認知能力と比較して、さして特徴のないものとなり、
生成ナンダカナーということになる。
かもしれないし、逆に認知の一般原理を発見したとして、
さらなる知の巨人となるかも…
ならないほうにコーラ飴10コ!またくる…
430>427:01/09/05 15:27 ID:Hd.tYLwg
あらら…
すっかりゴミ扱い。エントロピー増大させてスマソ。
わたしとしては、語の位置に何らかのvalueがあり、
疑問文のばあい、ある負荷をみたすために語が移動して、
数値的条件を満たすみたいなモデルを考えたんだけどねえ。
まあ、匿名掲示板の恥はかき捨てですよ。
431>425:01/09/05 15:44 ID:Hd.tYLwg
前後しちゃった。
>wh移動もしくはイントネーションの変化が
alternativeな問題とは…
いままでの話の流れから言って、統語論上の要件がPFに反映されるとは
とうてい思えなかったし、
統語部門と音声部門の関係は一方的なものかと思ってましたが。
またベンキョしま。
432>425:01/09/05 15:55 ID:Hd.tYLwg
もう一個あったのか。
>分子生物学だろ。
おおせの通り。
この語は獲得形質遺伝を否定するためにやたらでてきたからつい…

433>431:01/09/05 16:29 ID:Hd.tYLwg
これは論理的crash!
時間なくなっちゃったので、またコメントする。
434名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/05 21:39 ID:sovIdx3o
>>425
判定だけど、俺的にはどっちもかわらん。
語用論的な差だろ。
435(´∀`) :01/09/05 21:50 ID:ulynC8Ig
あれ、誤解してる?
>>430
「約一名」ってのはあなたのことではないよ。
436名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/05 22:30 ID:r6.nwV9w
 たとえば「眼鏡を着る」は次のように使えますよね。
1 「お客さまの服装の着こなしはたいへん見事でございます。しかしお客さま、
失礼ですがお眼鏡に問題がございます。眼鏡を着ることを忘れていらっしゃいます。
お客さまはお眼鏡もお召しになるべきです」という発言は文法的にまったく問題ない。
2 「きのう、町で眼鏡を掛けた人を見た。実をいうと、私には、その人はむしろ
眼鏡を着た人に見えた。なぜか、その方がしっくりすると思った」
3 眼鏡を掛けているので眼鏡と呼ばれているマンガのキャラクターのきぐるみを
着るという場合に「おい、はやく眼鏡を着ろ」と言える。
 「眼鏡を着る」をある文脈ではまったく正当に使える以上、これは非文ではない
と思うのですが、これは誤解ですか?
437B.O.B:01/09/05 22:38 ID:EnfgjnDM
>ちなみに368の顔文字氏の文章は、わたしの「生成音声学」をうけたものであり、

>生成側の言語固有領域をまさしく相対化できるのでは?と思ったんだよ。

ああ、なるほどね。
生成音韻論の人たちは、音韻に関してもUGのようなものを考えていたのではないか。
[+voice]とかそういった素性はuniversalなものだと。
だが実際に様々な言語を観察すれば、「有声音」と一口にいっても有声化の度合いは言語
によって様々だし、イントネーション構造に関するUGを見つけようなんてとてもできる仕事
じゃないということはすぐにわかる。

どの言語のイントネーション構造も基底系は同じで変形がかかってるとか、
スペルアウトのタイミングが違うだけだなんて馬鹿げた意見を誰も言い出さなかった
のは幸いだ。同じことを多くの文法家が信じている、これは不幸だ。

今の生成では、PF(音声)に関するユニバーサルみたいなものは、捨ててるのかな?
考えてみると定かでない。
438かかり助詞:01/09/06 00:13 ID:Mj62KX5Y
425の判断、微妙だね。拙者は判断に自信がもてないけど、
上の顔文字氏の例文では詳述しないけど、判断に他の要因
が反映されているとも考えられる。以下の例はどうだろ。

(3)良夫が [ 花子が 誰を 好きかどうか ] 知りたいか/知りたいですか?
(4)良夫が [ 花子が 誰を 好きかどうか ] 知りたいの?

(4)が(3)に比べてimproveしているかな。拙者には左様に思われないけど。
顔文字氏はunselective bindingかなんかで「の」を扱いたいの?

拙者はwhのlocalityとか好きで御座る。
439名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/06 00:40 ID:vaH4YnIs

                 ______
             ,.-'" ̄           "''‐- 、
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    /    ,l          /   / .|   /l ヽ    l
   l    .|    l |    / |  ,/  | ,  | |  .!ヘ 、  |
   l     |     //i.l.|ム--レ/_    |l  _|L--、 | l/
  ./     |  L   V |l  _,,.-.、 `     "_.、-、  | |
 / /    ト./ 'l   |  "i、,j ,)       (_,,j ) .l |
 レ/     |::| `|   |   " '"         '"  |. |
  /   l  /::::l.  |   |:   (二)     _ 、   "゛゛ |. |    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
. /   /レ'| /::::::::ヽ┤  |::                |. |  < 千と千尋の神隠し…
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V | |:::::::|:::::::::::::::::::::::::|. ||::il`'┐._     "   _.-''゛ |. |
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440名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/06 00:41 ID:vaH4YnIs

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                 /  /   <  また見てねっ!!
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441>437:01/09/06 00:50 ID:okFuA3i2
だめだ…
わたしの散漫な脳力では
wh移動がPH内部の現象で、シンタクス内部ではそもそも移動が起こっていないという話は
???だ……
numerationが破棄されたあと、LFへの写像という枠組みももう無用なのかな?

wh移動とイントネーションの共起については、まえに争点になっていたから、
このさい続きはBOBくんにお願いするよ。わたしはダメダメ。
The Brain Of Brains ということで、よろしく。スマソ…
442>441:01/09/06 01:15 ID:okFuA3i2
PH→PF
疲れ…
443>438:01/09/06 01:28 ID:rKwvcDYA
「花子が 誰を 好きかどうか」なんて、そもそも言えるんかいな?
444衝動派:01/09/06 01:58 ID:hdVmsnRI
動的文法理論は、6〜70年代から生成文法理論の根幹部分の仮定(瞬時的習得モデル)に
対して反論を唱えた我が国の梶田優、超天才学者が考え抜いて発表した思考法・研究モデル。
これをおろそかにするようなら有無を言わさず逝ってよし。チョムスキー生成理論に異議を
唱えるなら「このくらいしてみれ!」と言えるモデルを提供してるようなもの(巷に溢れる
うわっつらばかりの『チョム批判』が小学生のたわごとにしか聞こえなくなるのもこのため)。
大修館、英語学体系「文法論U」は必読(文句あっか?)。「英語青年」誌連載の
「生成文法の思考法」も超必読(これも文句あるなら言え!)。その上で動的文法理論を
言い出した梶田氏を理解すべし。あの人はヤッパすげえよ。動的文法観を唱えつつ、
梶田を引用せずして、Culicoverを引用するものあらば、俺は叩き殺す!(以上、アジ演説)
445衝動派:01/09/06 02:03 ID:hdVmsnRI
てゆうか、なんで認知の連中、梶田先生を無視するんだよ〜(泣)
446(´∀`):01/09/06 02:31 ID:gmJKAFrY
シンタクス内部に移動はないかも知れない、というのはこのスレッドの>>49(multiple occurrencesに言及した)
に遡及して考えてもらいたいとこだけど、とりあえず純概念的ポイントとして、移動というのはいわゆるdisplacement
property、同一要素の音声解釈を受ける位置と意味解釈を受ける位置が異なるという観察を捉えるためのディヴァイスに
過ぎず、もっとエレガントな捉え方があるのなら破棄されて当然だという点に留意。
そして生成の文法観としては、コア領域であるシンタクス(含LF)においては言語間で変異がなく、多様性は
直接観察できる表面的領域、語彙のほか特に形態・音声解釈部門に属する、という期待値があるという点も。
で、同じwh疑問文としての意味解釈に到る派生の途中で、言語によってwh移動が起こったり起こらなかったりする、
というのはこの期待値にそぐわず、もしそのような変異があるなら、それは音声解釈上のことに違いない、と考えて
みてはどうか、というのが俺なりの問題提起。まあhead parameterなりLCAをPFに放逐(?)したりするのと発想
は同じようなもの。もちろん、より個別のケースについて移動分析を疑問視する立場はたくさんあって、確かチョムも
head movementの存在を疑うような発言をどこかでしてなかったっけ?
少し前のミニマリストでは顕在的移動を引き起こす強素性と非顕在的移動で間に合う弱素性、という区別が設けられて
いたが、これはそのまま音声解釈上の指令を出す素性に読み替えても同じだな。
EPPの例でいうと統語構造としては [ T [VP John came ]]でおしまい、あとはPFでTの素性と相談してJohnやcameの
発音位置を決める、ってな感じ。逆にきくけど、シンタクスで既に[ John T [VP t came ]]になっていなければ
ならない理由って?
447名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/06 03:23 ID:rKwvcDYA
Dynamic Theoryって誰か、ロジックだけでも解説してもらえんで
しょうか?えらく衝動派さんは傾倒しているようだけど。
448B.O.B:01/09/06 05:43 ID:WrjRRAA.
>我が国の梶田優、超天才学者が考え抜いて発表した思考法・研究モデル。
>これをおろそかにするようなら有無を言わさず逝ってよし。
なんだ、みんな(ということもないか)カジタ先生大好きなんだね。
Brain of Brainsの名はあの御仁にこそふさわしい。
(ちなみに私はBubble of Bubblesです)
惜しむらくは追従者というか正当な(理論に関する)後継者がいないこと。

>Dynamic Theoryって誰か、ロジックだけでも解説してもらえんで
>しょうか?えらく衝動派さんは傾倒しているようだけど。
衝動派さん、勢いに任せてちょっとだけ布教してみてくれませんか?
私も聞きたい。

>PFでTの素性と相談して

PFはシンタクスではない、としながらなぜそんなことができるかギモソ。
PFはシンタクスの一部だけどそこで行なわれる操作は「表面上の違い」に過ぎない
から(UGにとって)気にせんでいい、という感じで、なんか都合のいいとこどりのような。
449衝動派:01/09/06 08:15 ID:hdVmsnRI
今夜はちょっと某所にお泊まりに出かけるので布教活動は明日の夜あたりまでお預けにしゃせて♪
450(´∀`):01/09/06 10:02 ID:EhR3NzEE
>>448
>PFはシンタクスではない、としながらなぜそんなことができるかギモソ
形式素性は解釈できないから消去する、のではなく、LF/PFで解釈できるようにするのが、
シンタクスにおける素性照合の仕事、というのが俺の見方なんだよ。

梶田センセは俺も習ったことがある。確かに一番(てか唯一)感銘を受けた授業だったな。
正直、コワかった(w
構文の拡張っぽいとことか、>>445の言い分も分かるな。
451かかり助詞:01/09/06 10:11 ID:a/FEM6hk
449 面白いことになってきたね。私も動的文法論楽しみだ。

昔、私が院生だった頃、梶田先生に「1日に何時間くらい勉強に
割いてますか」と聞かれたことがあった。私は正直に、「日によりますが
授業以外には5時間くらい、予習とか何かで机に向かっていると思います」
と答えた。私はそれでも勉強時間が多い方だと思っていた。というより、
飯くったり、風呂に入ったり、寝たり、電車乗って学校行ったり、
ドトールでホットドック食ったり、ビール飲んだり
しないといけないので、それ以上は無理だと思っていた。梶田先生は
「少ないですね。24時間やって下さい。寝ているときでも、
考えるように。勉強につかれたら、勉強して休んで下さい」
と、今考えると、おソマツ君の「しぇー」のポーズでも
とりたくなるような、ご返事をいただいた。それを座右の銘に
頑張ろうと思った私だが、結局、座右の銘にしているだけで、
自分のペースは頑なに守ってしまって今日の私がある。

最近お目にかかっていないけど、梶田先生お元気なの?喉の調子は?
452名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/06 18:10 ID:l4Bk32mQ
みなさん楽しそうでいいなあ。

「ビールを食べる」を「冷凍ビールを食べる」
や「ビールを飲んでカミカミする」の意味で使
う時、意味素性は少しも犠牲にされていません。
むしろ、
ビールを食べる→「食べる」は[+固形物]だ
からビールが凍っているのでは?
ビールを食べる→「食べる」は[+咀嚼]だか
らビールをかむのでは?
というように、それらの言い方は「食べる」の
意味素性に依拠してはじめて意味をなします。
 ある意味で「ビールを食べる」は選択制限違
反であり非文法的だとも言える。「文法的」の
定義にこだわるつもりはありません。確実なの
は、上の「ビールは食べなきゃ」のような言い
方は人間どもの営む言語生活の中でゆるぎない
位置を占めているということです。

 「食べる」の文法(意味素性)を肯定しそれ
に依存すらしつつ、なおかつ「食べる」の文法
を越えてしまうような「自然な」「無理のない」
「言語生活を豊かにする」文が無数にある。言
語とはそういうものはないでしょうか。そして
そのような文の持つ含み(implica−
tion? implicature?)の算
出方法を、子供は言語を習得する過程で学ぶは
ずです。カジタ先生の本は私も二十年ほど前に
読みました。面白かった。そう、当時はまだ
「変形」がついていたっけ。       
                     /      |/ノ ノ ,,,--~         ヽ
                    ./          -~             |.
                    |                          |
          ,,,,-~フ      |  /                        .i,
        ,,-/~  /"       |,,/                \        |
     ,,,/ " ./      ,,,-~^                  ヽ       .|
    /  ./  /     ,/        /             ヽ       .i
  ,,/   / ./      iノ        .|  (c)          ヽ       .|
,,,,ノ    ./ /       .l         i                ヽ       |
     / ./        ヽ        ヽ        /     ./ヽ       |
     .,  /          .\ ノ     `   _,,,--~    /  ヽ      |
    / /___        `i                 /    ヽ     i
    i  |     \       |                /      ヽ     .l      //^ヽ  \
    、 |      )      i                /       ヽ     i、    |/  ヽ
\   、 i     /       .ヽ              /         |     ヽ   ./    ヾ
454もと400:01/09/06 22:18
とりあえず今晩は梶田先生の『特論』読んで過ごしまふ…
(わたしのブラウザでは一部の行の上半分がスライドして読みづらい…)

http://www02.so-net.ne.jp/~jinn/tk99.html
455 :01/09/08 00:51
age
456かかり助詞:01/09/08 14:01
衝動派氏はどこにいっちゃったんだろ。動的文法論信者としての
講釈をお願いしたい。

さては衝動派氏はソピア大学の出かな。ソピア大学の人で、
jackendoff好きな人には前にあったことあるような気がするし。

まあ、ハヤイトコひとつ頼みますよ。
457(´∀`):01/09/08 17:20
>衝動派氏はソピア大学の出かな
俺は学芸大にメロンパン3コ(w
ちなみにかかり氏はUConn出にもメロンパン1コ
458衝動派:01/09/08 22:55
うぎゃぎゃ〜〜っ!僕は上智でもないし学芸大でもないし、ましてや
東京教育大でもないですよ(笑)。さらにテックにも通ったことがない
人間です。二晩あけてたら、動的文法理論信者に祭り上げられてて
こりゃあちょっと、奥さん、困るぅ〜、困りますぅ〜っ。書いた論文も
枠組みはGB・ミニマリストだし。ただ集中講義の形で梶田先生には
教わったし、僕の話も聞いてもらったことがあって梶田先生のスゴサに
圧倒された経験あり。それに「生成文法の思考法」の濃密さには感動
すら覚えた。信者というよりファンと言った方が正確。

であるので僕が「講釈」するなんて不適任だとは思うけど、理解の範囲で
アウトラインだけ説明すれば、次のような感じ。

***

その「思考法」で延々と行っていたのは生成文法の基幹部分をなす仮説、
理想化などの再検討。生成理論を構成する仮説等には序列があって、より
根幹部に属するものから、より末梢的なものまである。その根幹部に属するもの
の1つに言語習得に関する理想化である「瞬時的習得モデル」がある。
よく知られた次のモデル。

言語資料→UG→個別文法

このモデルの背後には、各種言語資料に接する順序の相違によって
出力としての個別文法に相違が出ることはないという事実がある。
実際には言語習得は4年弱の期間を要するのであろうが、瞬時的に
行われるとみなしてよく、習得の中間段階は無視しても構わないという
考え方。習得の時間軸は無視しても構わないとする。
459衝動派:01/09/08 22:56
(つづき)

これに対して、言語習得には一定の順序がある(例えば構文Aが習得された後に
構文Bが習得されるといった)事実があり、それを考慮に入れ、習得の
時間軸をも取り込んだ文法理論にすべきとしたのが動的文法理論。それによれば
習得モデルは次のような形になる。

言語資料→UG→G1
G1+言語資料→UG→G2
・・・
Gn-1+言語資料→UG→Gn(個別文法)

これによると例えばG2の中にはUGの反映ばかりでなくG1という中間段階の
文法の性質も反映されることになる。つもり重なって、成人の言語知識であるGnには
それまでの習得の歴史の性質が反映されていることになる。

チョムスキーの生成文法では、習得の前の段階の文法が出力の文法に影響を与える
ことはない。一方、動的モデルでは、前の段階の文法(例えばG1)が後の段階の
文法(G2)に影響を与えることになる。チョムスキーの生成文法では、UGはいわば
予め選択肢を用意したものであり、習得はそのメニューの中から該当文法を選択すると
いう形を取るのに対し、動的文法理論では、UGは、言語資料と(前段階の)文法を材料に
次の段階の文法を作るレシピーを記したものと言え、習得は、そのレシピーにしたがって
次の段階の文法を作るという形になる。

動的文法理論を仮定すると、習得は、より基本的なものから複雑なものへ、より中核的
文法事象からより周辺的な事象へと進むものと思われるので、そのような中核→周辺が
結果として出てくるGnに反映された形で出てくる。チョムスキー的生成文法では、UGの
原理が中核部しか扱わず、周辺部を例外的として説明の射程から除外して考える
傾向が見られるが、動的文法理論ではそもそも中核・周辺の二分法自体が意味をなさず
より細かく段階的なものとして捉えることができる。
460衝動派:01/09/08 22:57
(つづき)
例えば、仮に類似した構文Aと構文Bがあり、AがBより、より中核的であるとする
(例えば、習得が早い、例外が少ない、歴史的にも安定しているなどなど)。そのような場合
構文Bは構文Aに「基づいて」派生された構文であり、それゆえ、構文Bの周辺性・特殊性が
説明されるといった主張がなされる。そのような言い方はチョムスキー的生成文法では
不可能であるが、動的文法理論では可能である。

新構文の派生には、意味的類似性、形式的類似性などの「動機付け」に基づいた
類推的拡張がそのメカニズムとして提案されている。

***

アウトラインしか述べていませんが、大体のところはこんなところだと思います。
きめ細かな分析を可能にしてくれる枠組みだと思う。ラネカーのFoundationのまえがき
とかを見ると彼の認知文法を作る動機付けも梶田先生と共通する部分がある印象が
僕にはあります。それに顔文字さんも言っている通り、構文の拡張など、仕組み的にも
似た部分も多い。それだけに、これだけ認知が隆盛している現在、25年ほども
前に発表され、その後、一時期、非常に英語学を中心に話題を集めた動的文法理論が
あまり注目を浴びていないのかと、ちょっと不満に感じたりしています。
(おわり)

http://2ch.server.ne.jp/2ch/test/read.cgi?bbs=21oversea&key=980157294
幼女一人ほしいのですが、
■▲▼
1 名前: 異常幼児性愛者 投稿日: 2001/01/22(月) 18:54
「戸籍のない幼女」を一人ほしいのですが、
どうしたらいいでしょう?
違法でもかまいませんが、
100%すぐさま捕まるような方法は困ります。

お金は2000万ほどあり、英語もそこそこ話せます。
人種はどれでもかまいません。
462名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/09 00:43
うーん、面白い。衝動派さん、ありがとう。

一言でいうと、梶田さんの言語観は、習得の事実をもっと理論に
反映させようということでいいんでしょうかね。知り合いに、
子供の「自分」の用法の習得に順序がある、というのを
実験で確認した人がいるけど、それを思い出した。

習得の問題と言語構造の議論はいったん切り離して
考えるべきではないのか、とこのスレの上の方で書いたンだけど、
どうなんだろう?自分でますます分からなくなってきた。(w
463名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/09 00:52
うーん、面白い。衝動派さん、ありがとう。

一言でいうと、梶田さんの言語観というのは、言語習得の事実を
もっと理論に反映させるべきだ、ということでいいんでしょうか。
知り合いに、子供の「自分」の用法の習得に順序があることを
実験で確認した人がいるけど、それを思い出した。

 このスレの上の方で、習得の問題と構造の問題はいったん
切り離して考えるべきではないのか、と書いたンだけど、
なんだか、自分でも、また分からなくなってきた(w
UGの思想は言語習得の問題に大いに依存してるわけだし。。。
二重カキコ、スマソ
465かかり助詞:01/09/09 01:31
衝動派さん、どうもありがとう。例えばJohn is easy to pleaseみたいな
tough構文とMary is pretty to look atみたいな構文の関係を、ある意味で
直感的に捉えようという訳ね。私も理屈くらいは知っていたけど、
それを具体的にどのように構文分析に当てはめていくかは詳しくないな。
最近の梶田先生は動的文法理論を前面に押し出してないのかな。
もう少しいろいろ書いて下さると、私のような僻地に住んでい
る人にも「梶田派」の動向が解るのだけどね。

ところで顔文字氏はいつか会う機会があったら、メロンパン
ごちそうしてくれぃ。私はUConn出ではないよ。私は斎藤先生には
直接習ったことないし。それに、UConn出の人だったら、もっと
「ミニマリストというのは正しいんだけどぅ、この事実は
ミニマリストに合わないからこの事実はおかしいぃ」って
感じの論法じゃないカネ。MITの衛星大学としてはMarylandの
ほうがより盲目的かもしれないけど。

まあ、私は覆面レスラーでいたいよ。初代タイガーマスクが
好きだったし。
このスレがこんなに育つとは思いませんでしたが(笑、1のプロセスの観点
からの生成文法批判と梶田理論って重なるのんでしょうかね?

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   |ミ;;;;,-;;;;)  >:/              |  ';.\|li,:..     ;...
  ┌V;;::::;/  (,;/     ヽ     _,--'    ヽヽ;;;:..
  |;;〆;:;;;i   ,,/      \   .ゝ::::;;:ヽ;.,    ヾ丶;;::..    \
  i;:;/::::ノ /~~       |,~^-"::::i;:::::;i;::::\:.    \ >;::...    \   
  >;i~;;;)/          ヽ  ヽ:|:;;;:;:|::|;:::::ヽ:.、   `-" ヽ::...        
 j;;;Y;/          ノ  \ミ `ヽ;;;lヽ>=-,,ー-,-^--=, >-、    
 >;;;/       =-n        ヽ、  ヽ"~二ヽ  ~i;;::::::::;ヽ二"k,.,     
 (;;;;|彡       ~=-,,       ゝ、  | iヽ`    i;;i:;;::::/  ヽ,,.mn,,,,,/     
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 | i|,jjj          ヾソ       ヽ、ヽ、             ,,,ノ:::::::::.ノ          
 /;;;;ヾ彡          ヾソ        ゝ、i、           `i;;::''''''''|               
ノ;;;;;;;ゝ\ミ          ヾソ       ( Э`)       ,ii,,     /           
ノノソ/ii  ヽ彡          )彡      ノ"  ~ヽ、 ,,,,-=~ ~^i--,,/         
 ""    ヽ           ゞ彡   ノ      `~~      >"    /                
468アホ=400:01/09/09 10:21
衝動派さん、どうもありがとうございます。
わたしのようなアホにも、概略がわかった気がします。

さて446で、顔文字さんがおっしゃったことについて。
いまだ何らかの譲歩?が引き出せたのか、それとも愚問を軽くあしらわれたのか、
アホにはわかりません。
わたしは、意味解釈が二者のcooperativeな作業であることを示唆したわけだから、
シンタクスとPFがinteractiveである可能性があるのならば、
それに異議はありません。
ただし意味が最終的にどのように表示されるのか、spell-outいがいのPFへの出力があるのか、
LFの立場?は、といった、生成のパラダイム全体にかかわる問題がアホにはわかりません。
(PFに放棄できるような素性は、さっさと生成文法用語リストから抹消すればスッキリするのですが。)

もし音声解釈が、客観的に記述可能だとしてみる。
これは、一語文「マジ?」がいろいろな意味で使われることなんかを念頭においている。
(伝統的に生成文法がperipheralだとしてきた要件である。)
ところで幼児の言語獲得の現場はもっぱら語用論的であり、
というか、語彙や文法が乏しいためほぼ語用論モデルとさえいえるのであるが、
幼児が一語文で、肯定・否定・疑問・時制などの基礎的な文法的要件を習得することは
十分考えられる。
go? によって疑問を。
*goed.によって過去を。
gone.によって、結果的現在完了を。
done.によって、完了の現在完了を、というぐあいに。
これらの統語から離れた音声=意味に、未分化であれ文法的差異を反映させることを
いったん習得すれば、統語的段階に進むことは思ったより容易に思われる。
ここで、「疑問文を発したいから、疑問文を習得する」という、
一見テオロジカルな言い方も、無意義とはいえない。
機能主義者といえども、個体が疑問文の構造をひねりだすとは言っていないわけだから、
なんだかBOBくんの弁護になってきっちゃったけど、
それを志向性があれば翼が生えるのか?という問題と比較するのはどうかと思う。
時間がないので、これまで。
469門外漢:01/09/09 11:33
言語習得に段階があるなんて当り前すぎると感じるんですけど。>梶田理論
そんなことすら理論的検討をしなかった(できなかった)としたら生成文法って一体……?
470名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/09 13:16
言語学において言語習得が研究対象になったのはそんなに
昔の話ではないし、empiricalなデータが固まる前に、
ある問題(プラトン)を前提とした思想に元ずく文法が
組み上げられたわけで、そのことに関しては当然つきあげも
くってるよ。
471(´∀`):01/09/09 16:34
DT雑感。
UGの関与しないとされる周辺部までをUG理論の中に取り込もうとする辺り、DTはある意味、チョム本人よりUGを信奉してい
るような印象。

「習得に順序がある」というのは、子供の自発的産出(つまり運用)に順序があるというだけなのか、知識自体の発生なり獲
得に順序があるということなのか……。>>462の「自分の用法の習得の順序」ってのも、もうちょっと補足してくれるとあり
がたいね。たとえばRadfordは最初期の文法には機能範疇はないとしたけど、それも子供の発話の中に機能範疇がないように
聞こえるというだけで、それは言語知識自体の問題ではないかも知れない、実はかなりはやい時期から機能範疇の知識はある
もののそれが子供の発話の中に顕在化していないだけ、という見方のほうがよいように思う。これもある意味、系統発生と個
体発生を混同しているのではないのか、という疑問なんだけどさ。

上のリンクにもあったけど、現在はより中核領域についてもダイナミックな見方を持ち込もうということになってるらしい
が、たとえば仮に能動文→受動文というorderingがあったとして、どのような意味で前者より後者をより派生的で拡張された
ものと認定するんだろうか。両者の派生を直接比較することは今風の派生理論ではできないわけで、どこかにかつての変換文
法を引きずっている(たとえば受動化変形が適用される分、受動文のほうがより派生的で、この受動化変形規則の獲得に時間
がかかる、とか)ような印象もあるのだが……。

DTによれば G1 - G2 - ... - Gn-1 - Gn  の推移のすべての段階がいわばUGの監視下に起こり、結局はG1→Gnへのプロセス全
体がUGに支配されるもので、それを簡潔に理想化したのが瞬時モデルってことでいいのかな。実際の中間的段階の存在を否定
するというよりそれを無視して研究を効率化するのが狙いだったわけで、理論が成熟するにつれてよりダイナミックな分析が
可能になるというのはありそう。俺のアナロジーとしては、このこととかつての生成では派生の実際のコストを無視して、各
表示レベル間の関係付けが瞬時に行われるとされていたのが、現在では(よくは分からないが)実際の時間軸に沿った派生を
たて、その計算コストを議論するようになっていることがちょうど平行的に思えるよ。
ところで折衷案的に、G1はUGのおかげだが、それ以降の拡張はより一般的認知能力の発達と密接に関わる、とかいい出す奴
はいないのかねえ?

>てゆうか、なんで認知の連中、梶田先生を無視するんだよ〜(泣)
結局はチョム理論内部での修正案だから、チョム色を一掃したい連中から見れば目糞鼻糞とか思われてんじゃないの?
472(´∀`):01/09/09 16:40
>>468
どこでひっかっかってるのかがよく分からないんだけども、446で言ったことの背景としては、統語構造の特性によって自動
的に決定される意味解釈・音声解釈の領域があって、その部分については意味と音声を直接インタラクトさせる必要がないか
らこそ、Spell-Outって考え方が可能になっていたということ。しかし、実際の全体的な意味解釈や音声解釈は当然、それだけ
で決まるはずもなく、いわゆる運用システムにおいて両者のインタラクションがあるということを否定するつもりは全然な
い。468さんのいってるのもこの領域のことなんでは?

>PFに放棄できるような素性
俺の以前からの立場は、音声素性はPFで初めて導入されればよいのであって、lexiconにおいて既に形式・意味・音声の三点
セットとしてlexical itemが用意されてる必要はないんじゃないか、ってことで、これが詳しくはないけどDMの枠組みに近い
んだろうな、と。

>「疑問文を発したいから、疑問文を習得する」という、
>一見テオロジカルな言い方も、無意義とはいえない。
>それを志向性があれば翼が生えるのか?という問題と比較するのはどうかと思う
いや、本質的には同じ暴論だと思う。「○×を望むから○×を習得する」の前提として、○×の潜在的能力やそれを習得する
能力がそもそもその種や個体に備わっていなければならず(そうでないものはいくら望んでも習得できない)、その前提部分
にこそ生得性が大きく関わっていると思う。
473(´∀`):01/09/09 16:43
ぐへ! 「このスレッド大きすぎます。」って出るぞ!
474名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/09 16:51
パート2スレを作る?
475ソフィアソフィアソフィア:01/09/09 21:12
梶田先生懐かしいな。
授業内容全然理解できなくて単位落としたけど。
476名無し象は鼻がウナギだ!:01/09/09 22:03
過去レスが読めない!
だれかここ数日のレスだけでも、保存してる人がいたら新しいスレに貼り付けてくれませんか。
新しいスレはどのみち必要なようですね。
>>476
新スレにも書いたけどここに置きましたよ。あげレスとAAは消してあります。
そのうち消えるのでローカル保存はお早めに。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=1000027749&ls=100
478あ ◆.t4dJfuU :02/01/27 21:15
テスト
479名無し象は鼻がウナギだ!:02/02/24 12:24
480名無し象は鼻がウナギだ!:02/03/04 15:09
     ,. -‐ 、 、       / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ./     } }\     | 魔法のハンマーで連続投稿だよ、えへへ〜♪
  ,'      / ,'  ヽ   \__  __________
  ',   _ //    }       ヽ(
   ヽ二 - '     ノ- 、       `
     \     / ` .ヽヽ二ニヽ、   /ヽへ/ヽ,ヘ、,、    _,. -‐,‐┐
      ` ‐-‐_'   ノ } } \ \\「´,.-┴〜‐┴-<. `┐/´,.-‐/ /
      ,. - 、( c)‐_',.ノ ノ  ヽ / ̄`  i l.    ヽ   ̄ヽ. /  / /ニ.丶、
      ( ( `丶、ヽ -‐'      } / ,.'  ,' il i.  . . 、',.   ヽ⌒/_ /、.   `> >
       ``/ /_ ,) )、     ノ/ / ,.'〃.l| |l  l i. ! l ヽ ヽ ヽ.|  |. ヽ//
      ┌-、' ー ' ヽ`iー-‐ ´ ,' ,' /',lィ''T! !i.  iTi' トl、 ! i. i|  |   } /
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      ./ /       .| `i‐,‐ Vl | Nゝ''{i:;j|  }ノ .|l::;iljゝ l|  l iノー┘ | | |
   ,..、/ /       └_| i l.//ゝ!{ lゝ '' " 、   ` ''_ノノ} ,ル'、ヽ ! |.{‐┘
  /.へヽニ'ヽ   ,.‐_二ン!,lノ/! l |  l i.、  ヽ.フ   _/∠ノ | lヽヽl |.ト、_
  ,'/\.〉}- }/ / ,. ',二.イ l l |  | |. 丶、   ,. イ./ , '   .| l !ヽ\!`ー-`、ヽ
 { '.^ヽ,〉´  l _ノ / ,.' .li !┌- 、_ } }  l`ー`´- ‐'/./    | ! l. !\\   \\
  `/~レ' ヽ. !. / /  !l┌┘、  `>‐- 、_V_,..-//ヽ、__,. -‐ ' ´  ̄/ヽ\  ヽ. \
  / /ヽ_,.__ノ /    l|.i.{   `ヽ 〈_ ‐-、{ }‐-.{ { 、 〉 _ .. -‐ /} |  }.ヽ.\  !/ヽ!
. / / f´ ̄ ̄ ヽ    _」Ll-|      〈__,. ‐彡`ミヽ.l { {'´-−   / | ! /ヽ `、 \
/ /  !      `、 ,./   .」_  _/  /ノ 人 ` ゝ`´、      { / 人/\ \.Vヽ!
.'/   .|       ', '   .「    ̄`ヽ/ ./o/  ヽ/i\\―-,ッ,!' ´  `、ヽ\ ヽ
'    L, _ ...  ,┘ヽ_ ヽ, / ヽ、  / /  ,. ⌒ヽ,}ミ\ヽ ,/ }    .}\ヽ\\、
       l    !∠ ̄` く.〈     ヽ {.o{/     ',ヽ、 ヽヽ/     l.  } .}. ', ヾ
      //!     !,└i__   ',ゝ、   ヽ'´       /\.〃} }   /  ,' ノ l }  }.}
      {.{. .!     |   └,'V  } ` ー '´ `丶、 _ ../ l./  | ノ =┌' (_.ノ ' ノノ ノ ノノ
      ゝ |    l   ,.'    !/'      `\   /L_ ノ´  ' ヽ     ∠ ' ー ´
        '、   ' /_, ... -―|、O     O >> ,.' _...└、ノヽ/`´
        ` 〜 '  ヽ     !ヽ      /  /'´  ├--‐┤`丶,
               ヽ   .|〃      `ヽ 〈 -―  |    ! /
                   ,.ゝ‐‐ '\()    O >> ' `丶 、 {    l'´
              //\、   \_ .. -‐ ´´   , /ヾ l    }
              _,. -‐ ' ´ ̄ \、  ,))((        / ` ー !._   !
         _,. '´ ,. '    , ' .ヽ/' i l\、_ .. '   ` 、   ``丶、
     /  /      /      !  !   ̄   ヽ   \      \
481名無し象は鼻がウナギだ!:02/03/30 23:47
チョムスキーの生成文法って
の板が、書きこみ不能になっています!
482名無し象は鼻がウナギだ!





   Λ_Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´◇`) < あっげヘ〜 〜
  (  ΛΛ  \__________
  | (   ))) ムグムグ チュボチュボ
  (__) ⌒ 〜
     ∪∪∪∪