1 :
名無し象は鼻がウナギだ! :
02/05/20 21:06 金谷武洋『日本語に主語はいらない』(講談社選書メチエ) はどうですか? 自分は目から鱗が音を立てて落ちる思いでした。 ネット上の書評を読むと、同じような感想もあり、なぜいま さら? というのもあるようです。 本書に書かれていることは、遅くとも1980年代から日本語学 会では常識だったと。 専門ではないのでよくわかりません。識者の方、是非。
2 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/20 21:16
3 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/20 22:01
ありがとうございます(__) オリジナリティがない、というのは反論ではないですね。 ということは、日本語文法は刷新されているのでしょう。あるいは 他に、類似の書物は出版されているのでしょうか。 基本線の「日本語に主語(人称代名詞)はいらない」及び「自動詞/他動詞の問題」 は、定説ということ? 「太郎が次郎を殴る」が「*次郎に殴る」とは言わず、「犬が人に噛みつく」が 「*人を噛みつく」と言わない点。「殴る」「噛む」を連用形にすると可能です ね。「噛みつく」については「人を噛む」であれば可能。 根幹にかかわる問題か、末節なのか、私には判断つきませんが。
月刊言語に書評が出てたような。
5 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/20 22:37
ああ、でも、終止形で「名詞+ニ+他動詞(終止形)」は、もしかすると ほぼ全滅かな? これに言及してないのは不自然かも。
むしろ全滅なら、「名詞+ニ+他動詞(終止形)」の用法はありません、 ですむ話だけど。
7 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/21 23:29
〜を殴る 〜に殴りかかる んーなんだかなー
8 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/22 00:54
殴りかかる=殴り(連用形)+かかる(終止形?) 〜を殴り殺す *〜に殴り殺す なんだかなー
9 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/22 02:27
〜に(殴り)かかる 〜を(殴り)かける です。複合動詞の分析を怠ってはいけません。
10 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/22 04:19
そいえば 医者にかかる。 医者をかかる。* だね。 「殴る」と「かかる」の違いやいかに? forとtoみたいな紛らわしさ。
実用文法を標榜するなら、寺村秀夫『日本語のシンタクスと意味』(I 〜III) (くろしお出版) を参考文献にも挙げないのはどういうわけか。韓国や中国でも翻訳されている、現代日本語学・日本語教育のバイブル的著作だ。
12 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/22 19:57
日本語教育のバイブルというが、何が書いてあるか知ってる日本語教師に ほとんどあったことない。
13 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/22 23:12
日本語教師ほど本能のままに自己流日本語教える奴はいない。 まるで、英会話学校の英語教師のようだ。 それに奴らは下半身も本能のままだね。 どちらとも言語学的、教育学的素養はゼロ。
>>12 そのうち、日本語の効率的な教え方を、韓国人や中国人から習わなければならなくなるよ。
金谷氏は、三上章の後継者を自認しているようだが、例えば三上が唱えた係助詞ハによる格助詞の代行は、生成理論に近い考え方だ。
見えないものは存在しない、「省略」などはムダな概念というやり方では、結局何も説明できなくなる。どこかで「生成的なもの」を受け入れる必要が出て来る。
やはり、三上の後継者は寺村をおいてほかにないだろう。
「見えぬものでもあるんだよ」 (金子みすゞ)
「本当に大切なものは目に見えない」 (サン・テグジュペリ)
15 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/23 01:23
月刊言語の書評。詳しいことは忘れましたが、野田尚史などとの対決が必要、 とのこと。そういえば日本語学系の雑誌最新刊で、この人の主題と主語の論文 を見たような気が。 金谷が依って立つ、マルチネの「主語の条件」 ・基本文に不可欠の要素である は有効?
>>14 そのうち、日本語の効率的な教え方を、韓国人や中国人から
じつは、もうならてるヨ。といっても、習ったひとの反応をみて、
だけど。日本語教育をうけたひとは、それをうけずに、日本ではたらきながら
覚えたひとなら持っていない問題点を多く抱えているとは、これ如何に?
17 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/23 10:00
>>17 わたし、ならたヒトだヨ。あなた、ならてないノ?
19 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/23 11:19
イタリア語にもいらない(主語なしで書いてみました。 この場合はコンテクストでわかるが……)。
20 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/23 11:20
弐拾
助動詞を使わずに 話す輩がもりだくさん
言語は時代と共に変わって行く物なのだよ。 例えば君達は「〜候」なんぞ使うかね?
23 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/23 20:53
先達而者先ニ逝申候而御免仕早漏
申候段
又如斯以人為馬鹿之儀、不届千万而候
只之冗談ニ不過候故御構無被下様御願奉申候。 敬具。
27 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/23 23:20
いま方言吉野家見てたけど、主語全然ないね。六つくらいかな。 あ、流れ無視してスマソ。
28 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/23 23:56
要するに「主語ってナニ?」という話になるわけですよ。
29 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/24 00:21
金谷は、構文論(統語論)的に必要不可欠なものしか認めてないと。 Remarkableな語じゃなきゃだめだと。 頭いいじゃん!
30 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/24 00:21
(それは)行為者の明示でしょが。 イタ語とかでは(主語は)語尾で明示されてるからいらんわけで。 日本語では(我々は)他要素によって暗に示してるし (主語が)必要なときは付けるでしょ。 結局(この話題は)それだけのことじゃないのかなと。 あ、あとそういうのを一々明示すると角が立つ社会だからかな。日本は。
31 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/24 00:23
(レスが)かぶった。
32 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/24 00:49
泉鏡花とか、落語の台本読むと、主語も目的語も代名詞もあったもんじゃないよな。 さらにいうと、俳句や短歌なんてのは、文化的・文章的コンテクストで なんとなくそういうのを「想像する」のが良しとされてるように思う。 動作主や対象を恣意的に読み込んでする解釈のなんと多いことか。特に近代詩。 まぁ、現代に生きる者としては、動作主を意識的に挟み込まないと、話がなり たたないことも多々ありますわな。 英語的な考え方も役に立つって事で。
「あっセンセイ、くれぐれも例の件よろしく」 「わかっとるよキミぃ。山崎をつっついて何とかする」 であらゆる実務の最高レベルは動いていますが…。
34 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/24 01:53
不過只之冗談候故無御構被下様奉御願申候。
35 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/24 09:24
格補語〜ヲや〜ニは、相手の動詞を選ぶ結びつきですから、補充であ り、現れていなければ省略されているのだと考えられます。 問題は、〜ガが補充なのか、それとも〜デなどと同じように相手を選ば ない修飾で、必要なときだけ付加されるのかという点でしょう。 さて、もし〜ガが修飾なら、どんな動詞にも付けようとすれば付けられ るはずです。しかし実際には、〜ガを付けることができない用法の動詞 が認められます。 太郎は[テレビを見ながら]ごはんを食べた。 *[太郎がテレビを見ながら]、次郎がごはんを食べた。 [太郎がテレビを見ても]、次郎は文句を言わなかった。 太郎は[{φ/*太郎が}テレビを見ても]楽しくなかった。 上のように、例えばナガラ節の動詞には〜ガが付けられませんが、テモ 節の動詞には付けられます。ただし日本語では、主節の〜ガと従属節の 〜ガとが同じ対象を指している場合、従属節の〜ガは「ほかでもないそ の〜が」という意味でないかぎり、省略しなければなりません。 従属節の種類によって、〜ガを付けることができたりできなかったりす るという事実は、〜ガを要求しているのが動詞自身ではなく、叙法であ るということを示しています。〜ガはある種の (〜ナガラや〜ツツを除 く大多数の) 叙法にとっての補充なのです。
太郎は[{*太郎/*彼/自分}が[テレビを見]ても]楽しくなかった。 主節の〜ガと従属節の〜ガとが同一対象を指していて、なおかつ従属節の〜ガを残す場合は、たいてい再帰的な「自分」を使うようです。
>>35 「従属節の種類によって」→「節の種類によって」
(主節も視野に入れたい)
38 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/24 10:18
>>35 そんな回りくどい説明をしなくても、補充とか、格補語ヲとか
の用語を使っている時点で、ガ格は主語だっていう結論がでるのは
分かるので、「生成文法では主語は必須」の一文だけでよろしい。
39 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/24 20:05
>>38 それは甚だしい誤解です。結論は立場によってではなく、事実によって出されるのです。
私は、日本語のガ格が他の格とは異なる種類の統語論的要素であると解釈すべき根拠となる事実を挙げただけで、ガ格を「主語」と呼ぼうと呼ぶまいと、問題ではありません。
ちなみに、動詞によっては、〜ヲも〜ニも (ときには両方とも) 「必須」となるでしょうし、他方、ナガラ節やツツ節の動詞、あるいは「壁に絵が[[斜めに掛け]て]ある」の「掛け (る)」などは、〜ガとは無縁です。
40 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/24 21:28
私が変なおじさんです:I am THE weird old man. 私は変なおじさんです:I am A weird old man.
41 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/25 02:04
月の十二日は本郷の薬師様の縁日で、電車が通るように成っても相かわら ず賑やかな。書肆文求堂(ほんやのぶんきゅうどう)をもう些と富坂寄のの 大道へ出した露店(ほしみせ)の、如何わしい道具に交ぜて、ばらばら古本 がある中の、表紙の除(と)れた、けばの立った、端摺(はしずれ)の甚い、 三世相を開けて、燻(くす)ぼったカンテラの燈(あかり)で見て居る男は、 これは、早瀬主税である。 泉鏡花『婦系図』 ま、単に修飾が多いだけ、とも言えるが(w >36 ってそれは、再帰代名詞を訳すときに「自分」て入れるようにしただけ ではないですか? いわゆる翻訳調。 主節、従属節は、基本となる主語・述語という前提概念なしに定義でき るのですか??
>>41 うん、修飾語多い。
>>35 に劣らず。
あと翻訳調は現代文の必要悪。「私は英語に弱い」等。
43 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/25 02:56
>42 まぁ、でも、英語に訳したら主語的な要素をたくさん入れないとアカンかと。 分詞構文と、関係節だけでやるのは辛いだろうて…。
44 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/25 03:28
>>42 それがねお兄さん、
分詞構文やら関係節の多さはあまり西洋人の苦にはならんようなんですよ。
日本コミックスの英訳版とか見ると分かると思うけど。けっこう主語の位置を
保存して訳してあったり。
主語は必要でしょ。主語「が」必要って言っても同じ。
46 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/25 05:35
>>44 まったくそのとおり。
いや、日本語でいえば、連用形やテ形が分詞、連体形が
関係詞なんですね。だから、日本人が、
「昨日、本屋にいって、たまたま友達にあって、そこで長話して、
そしてようやく見つけた本で、ベストセラーなやつを、
結局そいつに貸しちゃったんです。」
と、つらつら続けるのは論文では良い点もらえないけど、
日常会話ではよく使われる表現なんですね。
接続関係をわざと曖昧にして、相手に都合のいいように解釈させ、
会話のスパイスに使うのは英語も日本語もいっしょ。
上記の例文の話し手は、結局友達と出会って、幸運だったのか
不運だったのか、その解釈は、分詞構文では聞き手にゆだねられる。
47 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/25 06:21
>>41 > 主節、従属節は、基本となる主語・述語という前提概念なしに定義でき
> るのですか??
それは少なくとも日本語の場合、関係ないでしょう。省略をすべて復元したとき、文を終わらせている節が主節、それ以外が従節ですから。
48 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/25 10:56
「主語はいらない」の意味が分かってない人が結構いるみたいね、、、。
49 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/25 12:09
金谷氏は「いらない」の意味がわかっていません。 「言わなくてもよい」=「元来はない」と短絡しています。 元来はないということは、裏返せば、言いたいときに自由に〜ガを付けてよいということですから、 *妻が働きながら、夫が勉強しました。 *私は日本語が読めないので、日本人の友だちが新聞を読んで、そのニュースを知りました。 などが言えていいはずですが、実際は間違いです。 金谷氏の考え方は、短絡によって問題を単純化するというものですから、わかりやすく見えますが、日本語の授業で外国人が上のような文を作ったときに、それがどうして間違いなのかが説明できなくて、立往生してしまうでしょう。
50 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/25 15:37
>*妻が働きながら、夫が勉強しました。 >*私は日本語が読めないので、日本人の友だちが新聞を読んで、そのニュースを知りました。 で?どこが、どう非文なの?
51 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/25 15:48
>>51 モレも日本語生成規範文法の人が、よく非文の例としてあげるけど、
なんで間違いなのか理解しがたい。
ガ格は時制を要求するとかいう説明はなしよ。
『日本語生成規範文法』にある『規範』は、 通常、空範疇に所属して発話されません。 したがって、一般的に『日本語生成文法』と発話されますが、 彼等の深層心理のなかには常に『規範』は存在しています。 よって、『日本語生成文法』に『規範』は存在します。
すまん、断片的なレスで、 >よって、『日本語生成文法』に『規範』は存在します。 要するに、日本語生成文法は、勝手な非文判定が結構あるということ。 逆に、非文っぽいのに、理論を一般化するために多用される文もある。 理論の正当化のためには、研究者だけで、勝手に、文法文、非文法文を 定義している点で、規範文法の一派と見られてもしかたない。 少なくとも記述文法の精神を忘れた人は確実にいるね。 もちろん、本家の『英語生成文法』がそうだとは私は言わないよ。 英語の文法文、非文法文の違いなんて、私には判定できないんで、 何もコメントできない。
>>50 >>51 日本語ネイティヴですよね? よろしくお願いしますよ...
では、もっと極端にしてみましょうか。
*妻が風呂に入りながら、私がビールを飲んだ。
*私は、犯人らがずっと私を見張って、ここへ来た。
まだおかしいと感じられませんか。極めつけはこれでしょうか。
*壁に絵がだれかが掛けてある。
言っておきますが、こんなものは生成でも何でもありません。単なる記述の問題です。
>>51 > ガ格は時制を要求するとかいう説明はなしよ。
これは日本語にはあてはまりません。日本語には、テモ節、レバ節、タラ節、ト節など、時の対立がなくてもガ格を要求する節がいろいろあります。
>>54 >*妻が風呂に入りながら、私がビールを飲んだ。
きみ、逆接の「ながら」って知っている?
一応、国文法(しかも教科書に載っているレベル)を押さえてから
コメントしたほうがいいよ。
というか、みんな、もうきみの相手をしていないか。
>*私は、犯人らがずっと私を見張って、ここへ来た。
不自然だけど、小説とかでは、読み手の興味を引くために
こういう表現を使うことはある。
>>*壁に絵がだれかが掛けてある。
あの、これは「テ節」にポイントがあるのですが、
突っ込みどころが多すぎて、問題を一点に絞れません。
>言っておきますが、こんなものは生成でも何でもありません。単なる記述の問題です。
というか、上記の3例だけでも人によって解釈が違うのに
非文と決め付けているキミは規範文法家の一派だと気付きませんか?
56 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/26 03:30
逆接の「ながら」、関係あるの?
>>55 > >*妻が風呂に入りながら、私がビールを飲んだ。
>
> きみ、逆接の「ながら」って知っている?
> 一応、国文法(しかも教科書に載っているレベル)を押さえてから
> コメントしたほうがいいよ。
その言葉はそっくりあなたにお返しします。
国文法の教科書の例文を見て、逆接ナガラの前に来られる述語詞がどのような種類のものか、確認してください。
> というか、みんな、もうきみの相手をしていないか。
感づいてはいましたが、上の例文を逆接と解釈するとは、お話にならない語感の持ち主ですね。
> >*私は、犯人らがずっと私を見張って、ここへ来た。
>
> 不自然だけど、小説とかでは、読み手の興味を引くために
> こういう表現を使うことはある。
強弁ですね。今はいいコーパスもありますから、実例を拾ってから言ってくださいな。
> >*壁に絵がだれかが掛けてある。
>
> あの、これは「テ節」にポイントがあるのですが、
> 突っ込みどころが多すぎて、問題を一点に絞れません。
それはおかしいですね。〜ガは動詞に任意に付けられるはずじゃなかったんですか。
> というか、上記の3例だけでも人によって解釈が違うのに
> 非文と決め付けているキミは規範文法家の一派だと気付きませんか?
というか、あなたにとって非文ってあるんですか?
人にレッテルを貼ることで事実を隠蔽しようとする、学問とは無縁な卑劣漢ですね。
(卑劣女だったらスマソ)
58 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/26 09:27
*妻が風呂に入りながら、私がビールを飲んだ
について
>>55 きみ、逆接の「ながら」って知っている?
逆接のノニ節の場合と比べてみやう!
妻が風呂に入るのに/入っているのに、私がビールを飲んだ
これと同じような解釈でなら、冒頭の例はよいだらうか?
...いや、だめじゃん!
>>57 逆接ナガラの前に来られる述語詞がどのような種類のものか
述語を固定してみやう!
私は、風呂に入りながらも、ビールを飲んだ
これは述語が逆接の節を構成する条件にあわないから逆接の読みは
でないだらうか...でるじゃん!
ああ、なに? 主語はいるかいらないかから、ガ格の話になったわけ? 省略可能ってことは、主語は*必要不可欠*ではない。 >主語はいらない。 これ決定。
60 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/26 11:24
> *妻が風呂に入りながら、私がビールを飲んだ
>
> について
>
>>55 きみ、逆接の「ながら」って知っている?
> 逆接のノニ節の場合と比べてみやう!
>
> 妻が風呂に入るのに/入っているのに、私がビールを飲んだ
>
> これと同じような解釈でなら、冒頭の例はよいだらうか?
> ...いや、だめじゃん!
それは当然です。逆接ナガラは静的述語にしか付きませんから、「妻が風呂に入っていながら……」としなければだめなのです。
>
>>57 逆接ナガラの前に来られる述語詞がどのような種類のものか
> 述語を固定してみやう!
>
> 私は、風呂に入りながらも、ビールを飲んだ
>
> これは述語が逆接の節を構成する条件にあわないから逆接の読みは
> でないだらうか...でるじゃん!
ナガラモはナガラとは別の形式で、常に逆接を表し、前に来る述語詞の種類に制約はありません。
動きの並存を表すことはできません。
風呂に {入りながら/*入りながらも} {話そう/話さないか/話を聞いてくれ}。
「みやう」は旧仮名違いですよ。
>>59 > 省略可能ってことは、主語は*必要不可欠*ではない。
> >主語はいらない。
> これ決定。
省略可能ってことは、「基本文」には存在するということですよね。元来ないものを省略はできませんから。
ところが、金谷氏はそうは言っていません。「元来はゼロ」だと言っているのです。
この点に、彼の著書の最も大きな誤りがあるわけです。
>>60 ナガラモはナガラとは別の形式で、常に逆接を表し
いい会社に入りながら、親に仕送りもできないとは!
では、ナガラで、「入る」でも逆接ですよ。モは別にいらない。
だから
私は、風呂に入りながら、ビールを飲んだ
でも逆接でとれるはず。次のように副詞をつけるととりやすくなる。
風呂に入りながら、信じられないことにビールを飲んだ
>>「みやう」は旧仮名違いですよ
ご深切にだうも。
63 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/26 21:21
>>62 今問題になっているのは、ナガラ節が (主節と異なる) ガ格を
とりうるかどうかという点なので、逆接かどうかにこだわるのは確
かに得策ではありませんでしたね。
整理してみましょう。
1) ナガラの前が静的述語
→常に逆接の意味になる。
花子は優しいながらしっかりしている。
妻が待っていながら、私は遅く帰った。
2) ナガラの前が動的述語
a. ナガラの前が動作動詞
→ア) 逆接の意味になる場合。
太郎はあれだけ勉強しながら、試験に受からなかった。
→イ) 逆接の意味にならない場合。
太郎はテレビを見ながらごはんを食べた。
b. ナガラの前が変化動詞
→常に逆接の意味になる。
太郎は念願だった医者になりながら、間もなく辞めている。
こうして見ると、ナガラ節が逆接にならないのは、並存する動作が
過程のうちにあることを表す 2aイ の場合だけなのですが、現
代日本語の口語におけるナガラの主な用法はこれであり、他は文章
語的です。
さて、ナガラ節がガ格を安定してとりうるのは、ナガラの前がテイ
ルの場合だけではないかと、私には思われます。これにはテのはた
らきがかかわっているのでしょう。
> いい会社に入りながら、親に仕送りもできないとは!
これは 2b の用法ですね。
??太郎がいい会社に入りながら、彼の親は貧しい。
太郎がいい会社に入っていながら、彼の親は貧しい。
> 私は、風呂に入りながら、ビールを飲んだ
> でも逆接でとれるはず。次のように副詞をつけるととりやすくなる。
> 風呂に入りながら、信じられないことにビールを飲んだ
「会社に入る」は変化動詞ですが、「風呂に入る」は動作動詞です
から、同じには扱えないでしょう。上の例を逆接に解釈すること
は、私には無理です。私なら次のような例で反論します。
(温泉旅館で) 太郎は、朝からもう 3 度も風呂に入りながら、まだ入るつもりらしい。
これは 2aア の用法です。
>>63 >>私なら次のような例で反論します。
>>(温泉旅館で) 太郎は、朝からもう 3 度も風呂に入りながら、まだ入るつもりらしい。
稔程!これはうまい。58はちょっと、もとの文にこだわりすぎましたね。
きれいに整理してもいただいたことだし、いざ主語の問題へ!
私は、ナガラ節に対応する単文が二重ガ格構文で、その初頭ガ格要素が
主節ガ格要素と同一であることを条件として、(主節かナガラ節のガ格要素が
一つ消えて)ナガラ節内にガ格要素がでるとおもふ。テイルはその
サブケイスとおもふ。南氏の挙げる「意識もかすみながら」などがあるから。
62=60=57さん? この板でいい加減なこといってるやつらあ、
けちらしてやってくらはい。
>>64 > 私は、ナガラ節に対応する単文が二重ガ格構文で、その初頭ガ格要素が
> 主節ガ格要素と同一であることを条件として、(主節かナガラ節のガ格要素が
> 一つ消えて)ナガラ節内にガ格要素がでるとおもふ。テイルはその
> サブケイスとおもふ。南氏の挙げる「意識もかすみながら」などがあるから。
これは絶対に当たっていますね。直観的にそう思います。
66 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/27 01:27
すみません。その調子で、 ナガラ節に限らず、デモ節、・・・とすべての節について説明して いただけませんか?それは、もはや文法とはいえず、 文章作法の学問となることが分かりますから。
> >*妻が風呂に入りながら、私がビールを飲んだ。 しばらく静観していたけど、結局、この文章は 不自然(人により主観の違いはあるが)だけど、 文法適合文であることには誰も異論はないですよね。 私は、最初これが間違い(非文法文)であると、誰かが言ったので 反論したまでで、不自然の度合いを論じるなら適当にやってください。 ただ、不自然の判定や文語的の判定をするなら、それ相応の フィールドトリップをしてから結論を出してくださいということです。 個人の頭のなかで理論を膨らましても意味はありません。
68 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/27 01:59
>>61 は?
何を論点をすりかえてるんだか。
「必要/不要」の話だろうが。「ある/ない」とはぜんぜん違う。
まさか「いらない」=「ない」、「必要不可欠ではない」=「ない」なんて
本気で思ってるんじゃなかろうな。
もちっと論理的にもの考えろや。
「春の岬 旅のをはりの鴎どり 浮きつつ遠くなりにけるかも」
これに主語・述語、動作主・対象、が、どう省略されてるのか答えられる
人、おる?
生成文法=プトレマイオスの周天円sage
>>66 「文章作法の学問」になった場合に何か問題が?
「文章作法」として使える下位領域をまったく
含まない文法というものが可能だとでも?
>>67 反応しないとそれでいいもんだと思われるのやなので、
いっとくと、その文は「不自然」以上に悪く、これは
どんな文法でも「不適合」としなければ、その文法は
観察の水準でだめな文法です。
67さん、どうぞフィールドワークして、この文が
どのようなステータスか確かめて報告してくださいな?。
clicheはやめてくりしぇー、なんてね。
>>68 > 何を論点をすりかえてるんだか。
> 「必要/不要」の話だろうが。「ある/ない」とはぜんぜん違う。
> まさか「いらない」=「ない」、「必要不可欠ではない」=「ない」なんて
> 本気で思ってるんじゃなかろうな。
> もちっと論理的にもの考えろや。
それは金谷氏に言ってください。あなた原著を読まずに話をしてますね。
> 「春の岬 旅のをはりの鴎どり 浮きつつ遠くなりにけるかも」
> これに主語・述語、動作主・対象、が、どう省略されてるのか答えられる
> 人、おる?
何も省略されてません。全部出てますよ (失笑
> >*妻が風呂に入りながら、私がビールを飲んだ。 >反応しないとそれでいいもんだと思われるのやなので、 >いっとくと、その文は「不自然」以上に悪く、これは >どんな文法でも「不適合」としなければ、その文法は >観察の水準でだめな文法です。 もちろん、キミの上げるすべての例が適合文だというつもりは ないけど、上記の例を不適合にするにはあまりにも 言語の多様性の無視しているのではないでしょうか。 > 67さん、どうぞフィールドワークして、この文が >どのようなステータスか確かめて報告してくださいな・ 最近はウェブ検索エンジンという便利なものがあります。 そんなにお金使わなくても簡単に例文が見つかります。 もちろん、一昔前の新聞や小説という模範文ではなく、 駄文、悪文がたくさんあるのはたしかです。 でも、それだからこそ、真の言語活動が見えてくるというものです。 Google 「入りながら」で検索。 32位 www.minaminippon.co.jp/2000kikaku/tihou/ >... な都市間競争の時代に入りながら、鹿児島県内の多くの自治体は、 >一段と過疎高齢化が進むなど厳しい現実に直面している。「 34位 www.din.or.jp/~nekoya/henteko/ data/hentekonikki-2000-7.html >... 7月25日 「豆腐屋さん」 豆腐屋さんにはいっぱい風呂がある。 > 風呂に入りながら、湯豆腐だってできるじゃん。 とりあえず2例で十分でしょう。上記の例には「が」がないですが、 「が」を補完しても十分適合文です。
これなんかいい例ですね。 Google 「入りながら」51位 mmi.mmi.co.jp/hana/ >全身サウナに入りながら、美顔エステをしてくれるので、 >とてもリラックスできますよ。. ... 私が全身サウナに入りながら、エステシャンが美顔エステをしてくれる・・・
>>72 著書、ざっと読み直したが、「必要/不要」の話をしてるようにしか見えないけど?
どこらへんに「ある/ない」の議論をしてるところがありますか?
「(私は)春の岬(にいる) 旅のをはりの鴎どり(が見える) (鴎は)浮き
つつ遠くなりにけるかも」
という解釈が可能なのだが?
>>73 とりあえず2例で十分でしょう。上記の例には「が」がないですが、
>>「が」を補完しても十分適合文です。
いや、だーかーらー、自分で補完したら、おぬしのいふ問題がおきるの
でしょう?
>>74 私が全身サウナに入りながら、エステシャンが美顔エステをしてくれる・・・
自分でおぎなうな、っつーの!ちなみに、58にはこの文は絶望的。
そもそも、コーパスには、途中で気が変わって、前との繋がりを無視した
接続をしたものも含まれるし、これはそのような例だと思う。だから、
その中から例を選択するのは最終的にはCorpus Linguistの直観だし、
そうでなければ「誤用」という研究対象はうまれねえべ。
エステってよくわからないけど、サウナに入りながら美顔エステを
受けるものなの?(サウナ室の中?)
そんで、それってリラックスできるものなの?こんど試してみやう...
77 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/27 11:57
なんか混沌としてきてるような。
「主語」というのは生成文法の立場だとそれじたいが原始概念だとかではなく
IPのSpecだとかそういう「位置」に対してつけられた名前では?
問題はこの言葉でもって一般化できる現象が存在するかどうか。
「お〜なる」の敬意の対象が主語になるというのはありそうだけど、
「自分」は視点の問題って誰か言ってなかったっけ?
このあたりは参考スレ参照ということで。
でもって、日本語の例を出すにしても日本語だと一致があるとはいい難い
(否定対極表現はどうかなぁ?)のでいきなり「適合」だとかいわれても
という感は否めない。例文を出すなら本当は「どういう解釈が成り立つ」
もしくは「成り立たない」のか明示的にしてほしいかな?
↓参考スレ
http://mentai.2ch.net/gengo/kako/986/986548454.html
日本語では、主語は選択的(Optional)というのが、妥当なところではないかと。
>>75 > 著書、ざっと読み直したが、「必要/不要」の話をしてるようにしか見えないけど?
> どこらへんに「ある/ない」の議論をしてるところがありますか?
44頁。
> 「(私は)春の岬(にいる) 旅のをはりの鴎どり(が見える) (鴎は)浮き
> つつ遠くなりにけるかも」
> という解釈が可能なのだが?
古典語では単文の主格はゼロ表示が普通ですから、
旅のをはりの鴎どりガ 浮きつつ遠くなりにけるかも
と解釈するのが自然です。問題は「春の岬」ですね。
この詩 (実際は歌) に関しては、おもしろい話があります。
山本健吉は、作者の三好達治に、「鴎どり」が「浮きつつ」という
のはおかしい、古典語の〜ツツは反復を表すから、これではカモメ
が浮いたり沈んだりしてしまう、「浮きゐて」とすべきだと言いま
した。三好はその時には回答せず、何年も後になって、あれは自分
が船に乗って作ったものだと答えました。問題の詩を冒頭に置く詩
集の題名は、『測量船』です。三好は若かった山本が、十分にその
意味を理解できる年齢になるまで待ったのです。作者自身が船に
乗って上下に揺れながら、水平線の上下に現れたり消えたりするカ
モメたちを見ていたのでした。
「春の岬」は、
(情景は) 春の岬 (だ)
とでも解釈するしかなさそうです。ガ格が言えない構文です。
黒板に「明日は休み」と書いてあった。
いい陽気になりましたね。
あっ、雨だ。
ここまで話がこじれるところを見ると、 私が全身サウナに入りながら、エステティシャンが美顔エステをしてくれる。 (体を箱のようなサウナ機に閉じ込められながら、首から上だけ外 に出し、美顔をしてもらうという無様なもの。百年の恋も一気にさ める) という文を、非文とまでは感じない文法の持ち主が、ある程度いる のかもしれませんね。 現代日本語の文法といっても、所詮共通語の文法であって、みなふ だんはそれぞれの方言を話しているわけですから、判定に食い違い が生じることは十分にありえます。 そこで、上の例文を許容するという人が行うべきことは、 僕が伴奏しながら、君が歌え。 君が伴奏しながら、僕が歌おう。 などはどうなのか (私はもちろんダメ)、ダメだとすればダメと OK の境界はどこにあるのか、ダメにしても OK にしても、 ナガラの意味はどのようにとらえられるのか、といった点について 調べ、自分のもっている文法体系のなかで記述することでしょう。 それは最大公約数としての共通語の文法論を、大いに豊かにするは ずです。 私の言いたい点は、日本語のガ格が他の格とは異なる種類の統語的 要素だということです。ナガラ節もガ格をとりうるという文法の持 ち主がもしも多いのなら、この証拠はひとまず取り下げ、別の証拠 に頼るしかありません。
ひとつ補足しておくけど、 Google「入りながら」のヒット数は 19800 件。 そのうち、ナガラ節の前後でガ格主が違う例が50件のうち 2件。 ということは、全体で、4%の使用率と、約800件の使用例が考えられます。 もちろん、4%以下の使用率は不自然と判断でき、 また、800件の使用者はすべて誤用だということで、 自分達の理論体系を守ることも可能です。 私にはそんなに例外が多い理論は再検討が必要だと思えるだけです。 せめて、0.5% 以下の精度、0.1%以下の精度で不自然など、 基準を設けるべきです。
82 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/27 22:45
>>81 御説には基本的に賛成ですが、インターネット検索をコーパスとして使うことには、現時点では大きな問題があると思います。
1) 文責が不明で、のちに論拠にしようとしたときには消滅していて確認できないなど、資料としての安定性、信頼性に乏しい。
2) 研究者の仮説にとって有利になる事項を、研究者自身が掲示板等に書き込んだものが検索された場合、学問的に無価値であり、それを識別する方途がない。
基準を設けることは、CD-ROM 等から始めるべきではないでしょうか。
>>79 > 44頁。
はあ、成程。それをもって、金谷氏が日本語には主語が*ない*と主張していると
したいわけだ。ふうん。
いかにも三好達治『測量船』から引用したし、梶井基次郎を見舞った帰りの船でつくった
詩だということも知っている。
しかし、構文上それが明示的にわかりますか。
省略ということなら、
「(そこは)春の岬(で) (私は)旅のをはりの鴎どり(だ) (私は)浮きつつ(岬は)遠くなりにけるかも」
も可能。
解釈が自然かどうか、というのは意味論、語用論の問題です。すりかえないように。
>>83 > > 44頁。
> はあ、成程。それをもって、金谷氏が日本語には主語が*ない*と主張していると
> したいわけだ。ふうん。
何か疑問でも?
だいたい、金谷氏の説が「省略不可能なものだけを『主語』と呼ぶ。省略可能なものは文に不可欠な要素ではないから『主語』とは呼ばない」というだけのことなら、
日本語の文に「主語」が「ある」と主張している人たちも、「主語」は省略されることもある、むしろ省略されることが多いとしているわけですから、両者の間には要素の呼び方以外に何の対立もないことになってしまいます。
金谷氏は、「省略」ではない、「初めからゼロ」だと、はっきり述べています。
> しかし、構文上それが明示的にわかりますか。
〜ツツの一語でわかってほしいというのが、三好の気持ちだったのでしょう。
まあそれは無理としても、曖昧なのは最初の「春の岬」だけで、「旅のをはりの」以降は、さきに示した解釈のほかに、「構文上」ありえません。
> (私は)旅のをはりの鴎どり(だ) (私は)浮きつつ(岬は)遠くなりにけるかも
こんなのは、古典語の単文主格表示がゼロであることを利用した悪ふざけにすぎません。
>>60 >「みやう」は旧仮名違いですよ。
間違ひを教へてはいけません。
助動詞「よう」は歴史的假名遣ひでも「よう」。
「やう」になるのは「樣」の意味の場合だけです。
また「どうも」も「だうも」とはせず「どうもありがたう」でよいのです。
>>62
だから、旧仮名『違い』でしゃお?
一本!
88 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/28 23:29
>>73 > Google 「入りながら」で検索。
>
> 32位
> www.minaminippon.co.jp/2000kikaku/tihou/
>
> >... な都市間競争の時代に入りながら、鹿児島県内の多くの自治体は、
> >一段と過疎高齢化が進むなど厳しい現実に直面している。「
「入り (ながら)」の動作主は「鹿児島県内の多くの自治体」だから、ナガラ節がガ格をとった例ではない。
> 34位
> www.din.or.jp/~nekoya/henteko/ data/hentekonikki-2000-7.html
> >... 7月25日 「豆腐屋さん」 豆腐屋さんにはいっぱい風呂がある。
> > 風呂に入りながら、湯豆腐だってできるじゃん。
主節のガ格主は、「湯豆腐」および「豆腐屋さん」であり (「豆腐屋さんガ湯豆腐ガできる」)、「入り (ながら)」の動作主は「豆腐屋さん」だから、やはりナガラ節がガ格をとった例ではない。
89 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/28 23:55
switch reference
>>88 さんお疲れ様です。私も十分そういう反論はあると思っていましたよ。
えーと、32位については、私もそういう解釈のほうが自然だと思います。
ただ、「○○が厳しい時代に入る」という表現がきたときは、
「○○」は時間にかかわる句もとりうるので、
「現代が厳しい時代に入る」もガ格の候補になりうるという例です。
もちろん、32の例しか見つからなければ、
私もこういうこじつけはしません。
34位については、このスレのタイトルにある金谷氏も著作でいっていますよね。
ガ格主の第一候補はあくまでも「湯豆腐」であり、「豆腐屋」さんではありません。
もちろん、「豆腐屋が湯豆腐ができる」という生成文法調例文や
「豆腐屋が湯豆腐をできる」という翻訳調例文で、ガ格主を「豆腐屋」に
することは可能ですが、やはり第一候補の「湯豆腐」を押しのけてまで
「豆腐屋」さんを無理にガ格主に立てる必要があるのか?
私が期待するのは、この調子で残り 800 例も再検討してほしいだけです。
51位の「全身サウナに入りながら、顔面エステをしてくれる」と
いう例もあります。教科書には載っていない、生の日本人の
言語表現を堪能してください。
91 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/29 01:44
>>90 > ガ格主の第一候補はあくまでも「湯豆腐」であり、「豆腐屋」さんではありません。
動詞がデキルの場合は、そんなこと言いきれないよ。だれがデキルのかも重要な情報だ。
> 「豆腐屋が湯豆腐ができる」という生成文法調例文や
だから、これは場合によっては必要な文なんだって。
「だれが湯豆腐ができるって?」--「豆腐屋だよ。豆腐屋が湯豆腐ができるんだ」
> 「豆腐屋が湯豆腐をできる」という翻訳調例文で
これは誤用だと思う。デキルはヲ格はとれないよ。
> やはり第一候補の「湯豆腐」を押しのけてまで
> 「豆腐屋」さんを無理にガ格主に立てる必要があるのか?
別に押しのけやしないさ。ガ格が二つあるというだけのこと。
> 私が期待するのは、この調子で残り 800 例も再検討してほしいだけです。
800 例もあるとは予想できない。もっとずっと少ないだろう。
それに、そこまでやるならウェブ検索なんて頼りない資料は使いたくないな。
> 51位の「全身サウナに入りながら、顔面エステをしてくれる」と
> いう例もあります。教科書には載っていない、生の日本人の
> 言語表現を堪能してください。
いや、絶対おかしいとは言わないよ。ぼく自身も聞いたことあるしね。
ただ、やっぱり大事なのは、上の方でも言われてたように、言えるという人はどんな条件で言えるのかを明らかにして、自分の文法ではこうこうだと記述することじゃないかと思うんだ。
あなたの場合はどう?
>>84 > 初めからゼロ
これを主張したいのなら、そんな指示対象の曖昧な文脈から引いてこないで、せめて59頁
中段あたりから引いてくるのがよいと思われます。自分も、もう少し丹念に読んで、偶々
見つけたのですけどね。
話がまた横に逸れているようなので、付け加えておくと、本書は「主語が必要/不要」につ
いて議論しているのであって「ある/ない」の議論をしているのではない。「主語が省略可
能ということは、必要不可欠ではない(=いらない)」ということです。
マルチネの定義を加味すると、「僕」とか「私」というのは、「主語」ではなくて「補語」
であると主張したいのでしょうね。
「初めからゼロ」「省略」のことについては、「日本語には主語(という概念)は、初めは
なかった。しかし、それが作り出され、単に省略されていると考えられるようになった」と
いうところじゃないでしょうかね。「初めは無し」でも「今は有り」です。しかしそれは
「不要」なものだから、無くしてしまえ、と。議論は、その「不要」であることを証明する
ためにされている。それが*間接的*に「初めは無かった」ことを証明することになっている
のじゃないでしょうかね。
>春の岬
悪ふざけ、ではないよ。明示されていない以上、どんな解釈もありうるでしょう。
実際、「鴎」に、作者が心理的に同化して、(船に乗って)去り行く「私」を思っ
ているのだ、という解釈があります。
さしずめ
「(そこは)春の岬(で) (私は)旅のをはりの鴎どり(だ) (私は)浮きつつ
(船は)遠くなりにけるかも」
といったところ。
大雑把に言って、意味が成立しているなら、文法的には適合でしょう。解釈によって
はいかようにも復号できるわけだし、その文が文法的に間違っていないのなら、構文
論上何の問題もないのではないですか。
まぁ、詩の解釈に、主語や対象の「復号」というのもナンセンスな話で、それは解釈
の補助手段にしかすぎないものですが。それから、発話が文法的に適合かどうかとい
うのと、発話者の真意とはまったく別の問題です。混同しないように。
>>92 > 「初めからゼロ」「省略」のことについては、「日本語には主語(という概念)は、初めは
> なかった。しかし、それが作り出され、単に省略されていると考えられるようになった」と
> いうところじゃないでしょうかね。「初めは無し」でも「今は有り」です。しかしそれは
> 「不要」なものだから、無くしてしまえ、と。議論は、その「不要」であることを証明する
> ためにされている。それが*間接的*に「初めは無かった」ことを証明することになっている
> のじゃないでしょうかね。
論になってませんね。
省略できるとかできないとかいうのは、言語実体の問題でしょう?
概念を省略する、というのは意味不明です。
金谷氏の議論は、どだい破綻しているのです。しかるべき出版社がこのような内容の本を刊行するのは、実に無責任だと思います。
> 明示されていない以上、どんな解釈もありうるでしょう。
「旅のをはりの」以降は明示されています。
古典語で、言い切りの文に無助詞の名詞句があれば、「昔」などの副詞的用法のものを除いて、それは主格か対格です。
「浮きつつ」以降に対格を要求する述語詞はありませんから、「旅のをはりの鴎どり」は主格です。
ちなみに、主格と主題の区別は、古典語でははっきりしません。係助詞ハはありますが、現代語のハとはかなり意味が違うようです。
> 大雑把に言って、意味が成立しているなら、文法的には適合でしょう。解釈によって
> はいかようにも復号できるわけだし、その文が文法的に間違っていないのなら、構文
> 論上何の問題もないのではないですか。
ここも論旨不明。要するに、何でもアリでやりたいから、それを認めてくれということですね?
詩は伝達を主な目的とする表現ではないから、それでも実害が出ないかもしれませんが、普通の文章でそんなことをやったら、どういうことになると思いますか?
> まぁ、詩の解釈に、主語や対象の「復号」というのもナンセンスな話で、それは解釈
> の補助手段にしかすぎないものですが。それから、発話が文法的に適合かどうかとい
> うのと、発話者の真意とはまったく別の問題です。混同しないように。
...あなた、学校の先生じゃないでしょうね?
おかしな解釈で国語嫌いを増やさないでくださいよ。
駄目押ししておきましょうか。 構文的に必要なものを、あえて言わないとしたらそれは「省略」と言えよう。(金谷氏著書44頁) もしも、「構文的に必要=省略不可能」であるとすれば、上の文は、 省略不可能なものを、あえて言わないとしたらそれは「省略」と言えよう。 ということになって、明らかな自己矛盾です。
deus ex machina に来てほしくなってきた。 概念を省略する、確かに意味不明。わざわざ括弧書きにしたのだから、句点を超え てまで適用してくれなくてもいいのに。「それ」=「主語」と読んでもらうか、 「単に」の後に「主語が」と補ってもらってもいいだろうに… > 要するに、何でもアリでやりたいから、それを認めてくれということですね? ぶっちゃけそうかもしれませんね。 実害は出るでしょうよ。最低でも、太郎が「尻を押さえろ!」といって、次郎が 自分(再帰的用法(w))の尻を押さえるくらいには。 日本語は英語や仏語やなんかにくらべて、文化的・状況的なコンテクストに大き く依存しますからね。 「春の岬(で) 旅のをはりの鴎どり(は) 浮きつつ遠くなりにけるかも」 だと満足なのかな? >駄目押し そりゃそうだ。必要不可欠と省略不可能がイコールで結ばれるとは思わないけど。
>>95 > 「それ」=「主語」と読んでもらうか、
> 「単に」の後に「主語が」と補ってもらってもいいだろうに…
そう読んだつもりですが。「それ」=「主語 (という概念)」、「単に主語 (という概念) が省略されていると……」。
句点を超えたって注釈は外れませんよ。
> 「春の岬(で) 旅のをはりの鴎どり(は) 浮きつつ遠くなりにけるかも」
> だと満足なのかな?
この「春の岬」に似た表現は、新聞のテレビ欄にある映画やドラマのあらすじ、あるいは脚本のト書きなどに見られる、
19世紀のロンドン。
戦国時代の京都。
太郎の家の中。
学校からの帰り道。
のような、場面を設定するものではないでしょうか。
> 必要不可欠と省略不可能がイコールで結ばれるとは思わないけど。
私も思いません。要素が構文上必要か否かと、省略可能か否かとは全く別の問題です。
その点が混同されているから金谷氏の議論はダメなのです。
97 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/06/04 04:06
金谷氏は2chを知ってるのかな? 誰かこのスレ教えてあげてよ。
99 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/06/04 08:55
>>96 >私も思いません。要素が構文上必要か否かと、省略可能か否かとは全く別の問題です。
>その点が混同されているから金谷氏の議論はダメなのです。
いえ、混同しているのではなく、金谷氏は、ハッキリと著書で
「省略可能=構文上不要」と定義しています。
さらに、省略可能という用語さえ否定しています。
むしろ「省略可能=構文上不要=非存在=主語はない」という結論です。
もちろん、この定義が正しいかどうかが議論の別れめです。
(1)この定義が正しければ、主語はないし、
(2)この定義が間違っていれば、主語はあるのです。
だから、金谷氏の主張は(1)の結論になれば非常に論理的であり、
(2)の結論になれば、総崩れになるだけです。非常にシンプルです。
100ふんだらあ、おらおら
>>99 > いえ、混同しているのではなく、金谷氏は、ハッキリと著書で
> 「省略可能=構文上不要」と定義しています。
> さらに、省略可能という用語さえ否定しています。
> むしろ「省略可能=構文上不要=非存在=主語はない」という結論です。
私にもそのように読めるのですが、そうすると、
>>94 で引用した 1 文は、ナンセンスということになってしまいますね。
しかし、それはもはや著者の責任ですから、無視することにしましょう。
> もちろん、この定義が正しいかどうかが議論の別れめです。
> (1)この定義が正しければ、主語はないし、
> (2)この定義が間違っていれば、主語はあるのです。
> だから、金谷氏の主張は(1)の結論になれば非常に論理的であり、
> (2)の結論になれば、総崩れになるだけです。非常にシンプルです。
「省略可能=構文上不要=非存在」とすると、英語でも、
FASTEN (YOUR) SEAT BELT WHILE (YOU) (ARE) SEATED
(YOUR) LIFE VEST (IS) UNDER YOUR SEAT
のような表現が可能ですから、英語には主語も動詞も人称代名詞も「構文上不要=非存在」ということになってしまいます。
102 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/06/04 22:35
>>101 うーむ、よい議論だ。論敵はグウの音も出まい。
出たとしてもあほくさい滅茶滅茶の話でしょ。
103 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/06/05 00:40
主語の定義が曖昧である以上、賛成派も反対派も結局同じことを 言っているということがいちばんありそうな結論。論争は じつは補完的つるみあいにすぎない。
だから、自分は 「構文上不要=非存在」 というふうには読めないんだけれどね。そこを明確にいっているところが、 いまのところ本文中に一箇所しか見つけられない。(59頁) 話が循環してしまいますが。 別に金谷氏の主張を金科玉条にする必要もないでしょうから、「構文上不要=非存在」 と言っているのなら、それはそれでいいんですが。 でも、このスレのタイトルは「日本語に主語はいらない」なのだから、「必要/不要」 の議論をもっとしてもいいのでは? と思うのですがね。 マルチネの主語の定義も、吟味されてないし。
>>104 >「構文上不要=非存在」
>というふうには読めないんだけれどね。そこを明確にいっているところが、
>いまのところ本文中に一箇所しか見つけられない。(59頁)
そうかもしれません。今、その本が手元にないので確かな
ことはいえませんが、
>>95 さんのいうとおりでしょう。
ただ、「構文上不要=非存在」と仮定して、あの本を読み進めると
よく理解できたので、そう感じただけだったのかもしれません。
英語の基本五文型には必ず S が登場しますね。
そして、金谷氏の日本語基本三文型には S が登場しない。
基本文型に必須でないものは存在しないのでしょう。
>でも、このスレのタイトルは「日本語に主語はいらない」なのだから、「必要/不要」
>の議論をもっとしてもいいのでは? と思うのですがね。
>マルチネの主語の定義も、吟味されてないし。
そうですね。主語の定義からはじめるのが大切だと思います。
>>104 「不要」というのは、次の二つのうちのどちらですか?
・「主語」という概念が、日本語の文法論にとって不要である。名詞の「性」や「数」が不要であるように。
・「主語」と呼ばれてきた言語実体が、日本語において構文上、不要である。すなわち、「主語」に相当する要素は、日本語の基本文に存在しない。
マルティネの意見については調べてみましょう。
>>105 > 英語の基本五文型には必ず S が登場しますね。
> そして、金谷氏の日本語基本三文型には S が登場しない。
> 基本文型に必須でないものは存在しないのでしょう。
そう読まれるのが当然だと思います。
「構文上必要」=「基本文に存在する」、すなわち、構文上必要最低限の要素を備えている文が「基本文」ということになります。
次に問題になるのは、ある要素が基本文に必要なものか不要なものかを、どのようにして見分けるかということでしょう。
それが省略可能か否かによっては見分けられないことは、
>>101 に示したとおりです。
英語の五文型というのも曲者です。例えば、
I gave a book to the boy.
I read a book in the train.
は、いずれも第三文型に属し、"to the boy", "in the train" は等しく modifier ということになるのですが、"to the boy" が基本文に不要なものだとは、私には思われません。
マルティネの著作で、日本語か英語で読めるものは少ないですね。 不本意ながら、金谷氏の訳を引用します。 主語は、他のあらゆる言語学的事実と同じで、その (具体的) 振る舞いにおいてのみ定義づけられるものだ。もし命令文、省略文以外で、ある要素が述語と不可分に現れるなら、 それは主語である。この不可分性を持たないものは主語ではない。それは形 (例えば語幹) や文中の位置がどうあれ、他の補語と同じく一つの補語にすぎない。(58頁) これによれば、「省略文以外で」という但し書きが付いていますから、主語は省略される場合もあるわけで、ある要素が省略可能か否かと、その要素が述語と不可分か否かとは別個の問題であると、マルティネが考えていることがわかります。当然だと思います。 そこで次に、ある要素が現れていない場合には、下の二つの解釈がありうることになります。 @当該の要素は述語と不可分、すなわち主語であるが、省略されている。 A当該の要素は述語と不可分ではなく、主語ではない。 この@とAとを見分ける方法がなければなりません。しかし金谷氏はそれを示さず、@の場合を無視してしまっています。 講談社の編集人は、著者の学歴・経歴に幻惑されたのか、本が売れさえすればいいと考えたのか、内容の吟味を怠っていると言わざるを得ません。それが最大の問題だと思います。
>>106 自分は
>・「主語」という概念が、日本語の文法論にとって不要である。名詞の「性」や「数」が不要であるように。
と読みました。最も、名詞の「性」や「数」は日本語には「非存在」と言えるでしょうが。
主語の概念は、いわばプトレマイオスの周天縁、力学のエーテルみたいなものと思われます。
その意味で「元来はない」とは言えるかもしれません。
>>107 の見解については同意します。
そうなると、「基本文」の定義の問題になってくるでしょうけれどね。
金谷氏は
・日本語の基本文に主語は要らない。(日本語は述語だけで文として成立する)
>述語と不可分に現れるわけではないから、日本語で「主語」とよばれている
ものは「主語」ではない。(補語である)
>日本語に主語はいらない。
という主張のように思われます。
私は、金谷氏の主張は面白いと思いますが、その主張を裏付けるために、 他研究者の論理を引用しすぎたきらいもありますね。 引用された研究者を良く知る人には、いささか曲解された 印象をもつのかもしれません。 単純に、日本語は、欧米語と比較して、 「主語の格・性・数の一致が動詞に不要」かつ「常に省略可能」 なので、したがって、 「文法上の主語はいらない」というレベルでよかったのかもしれません。
>>108 > 名詞の「性」や「数」は日本語には「非存在」と言えるでしょうが。
「性」も「数」も、文法範疇としては日本語にありませんが、名詞という言語実体は存在しますよ。
つまり、すべての名詞が生物的性に従い、無生物を表すものは中性、かつすべての名詞が単数・複数同形なのです。そして、他の語との形態的な呼応現象も見られません。
――これをすなわち「性」「数」の概念がないと言うのです。
> 主語の概念は、いわばプトレマイオスの周天縁、力学のエーテルみたいなものと思われます。
> その意味で「元来はない」とは言えるかもしれません。
周天縁もエーテルも概念ではありません。実体としてその存在が信じられていました。
実際には存在しないことがわかったわけですが、だからといって実体が概念に化けたりはしません。架空の実体だっただけです。
> そうなると、「基本文」の定義の問題になってくるでしょうけれどね。
> 金谷氏は
> ・日本語の基本文に主語は要らない。(日本語は述語だけで文として成立する)
何度も言っているように、ここがダメなのです。
金谷氏は、ある要素が「基本文」に必要なものか否かを、結局、「場合によって言わなくても済むか否か」で決めていますね。
これは、
>>107 の@とAとを区別しないということです。
>>109 > 単純に、日本語は、欧米語と比較して、
> 「主語の格・性・数の一致が動詞に不要」かつ「常に省略可能」
> なので、したがって、
> 「文法上の主語はいらない」というレベルでよかったのかもしれません。
「人称 (・性) ・数の一致」でしょう。それはともかくとして、「文法上の主語 (という概念) はいらない」というだけのことなら、現代日本語学では、どちらかと言えば主流をなしている考え方だと思います。
日本語の文法論にとって、「主語」という概念は不要である。〜ガも、〜ヲや〜二と同様に、補語の一つである。 とする考え方は、現代日本語学において、決して珍しいものではありません。しかし、補語を「基本文」に不要なものと考える人はいないでしょう。補語は「基本文」をいくつかの型に分類する際の、最も重要な手掛かりだからです。 金谷氏の方法は、言語学といえないばかりでなく、日本語教育の現場でも、役に立たないと思われます。例えば、 *彼はその案を反対している。 *駅の前に兄を別れました。 のような言い方が間違っていることの理由を、何も説明してくれません。
>>111 で落着するなら、もう言うこともありません。勉強になりました。
>>110 、
>>112 については、
・日本語の基本文に主語は要らない。(日本語は述語だけで文として成立する)
・日本語の「基本文」は、人称代名詞から一切自由であり、それらが不要である(と)(44頁)
に反対、ということですね。格助詞の問題を無視している、と。
そちらはもう、手に余ります。他の方の登場を願いましょう。
115 :
主語 その場で使い分けろ :02/06/19 13:42
時と場合によって、必要ならば、つければいいじゃねーか
このコーナー 終了
この人がいってる「基本文」の定義を教えて下さい。 彼は「それだけで自立している文を意味する」と書いてますけど、 文法的、構文的な定義が分かりません。 「自立している」の意味も同様に分かりません。
単純な質問ですが… 妻が風呂に入るのと、私がビールを飲むのと なんで逆説につながるんですか? 気になって気になって あとのセックスにはビールが悪いから?(まさか) アメリカでは、非礼にあたる行為なの?(まさか) まさか、が起こるトンデモの板だから?(まさか) 内容に無関係な、内容関係の例だから?(まさか)
訂正:逆説→逆接 おわびもうしあげます
120 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/10/08 08:10
主語論もう終わりなの?
>>117 >妻が風呂に入っていながら、彼はビールを飲んでいる。
十分逆接になりますよ。風呂=ロマン
122 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/10/08 22:20
火事だ!/雨だ! 寒い!/痛い! 主語はないよ。
それと、西欧語で「一般の人」を表す語が主語に置かれる以下のような文は 日本語では何を補うの? ------------------ 「透明」って各言語でどういうの? なんで敬語でケンカができるの? 自分の国の名前を音読みしてる時点でやばくないか? ----------------- 以下のようなものは、どうなるの? ---------------- 「フルチン」?それとも「フリチン」?
>>112 >*彼はその案を反対している。
>*駅の前に兄を別れました。
>
>のような言い方が間違っていることの理由を、何も説明してくれません。
あんたは説明できるのかね。かなり難しい問題だよ。
126 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/10/12 10:24
age
127 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/10/12 15:22
>>118 最初の方のレスを読んでいないから、今まで、誤レスとばかり思っていた。
121を読んでやっと118の意味がわかった。けど、今度はこれがわからん。
>十分逆接になりますよ。風呂=ロマン
妻を「お風呂」で働かせながら、自分はビール飲んでくつろいでいる最低のヒモ野
郎ってこと?
129 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/04 12:25
生成文法では主語の問題はどう扱われるんでしょう? 生成文法では123、124あたりの文はどういう分析をうけるんですか? マジレス求む。
130 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/04 13:47
生成ブンポにゃ無理にゃ。
131 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/05 06:52
>129生成ブンポにゃ無理にゃ。
生成文法ではどうなるか、ということの前に、
扱う必要のある事項を挙げてみます。
「『透明』って各言語でどういうの?」
>>124 「一般の人」が主語に
のところから確認していきましょう。例としてフランス語を考えると、
Comment dit-on "TOOMEI" en chaque langue?
この場合、主語が"on"として形に表れている。「各言語で」というのを
「自分の国の言葉で」とすると
Comment dit-on "TOONEI" en la langue de soi-meme?
になるかと思います。多分、この文は大丈夫なはずです。
そもそも「一般の人」というものを表さない日本語では、
主語があるかないか、という話は、「音に現れないけどある」となるか、
「音に現れないからない」となって、これだけでは水掛け論になります。
そこで、上で挙げたような照応関係を議論に加えることを試みます。
必ず先行詞を必要とするような照応形を使って、もし照応関係が成立するならば
主語があると考えた方がよく、成立しないならばないと考えた方がよい。
で、データ
「透明」って自分の言語でどういうの?
ですが、私はほとんど問題ないと思います。この判断が正しければ、
主語はあると考えた方がよく、ないとするならば、特別な説明を新たに
考えなければならない、と思います。
では生成文法ではどうなるか、ということはちょっと私にはわかりません。
>>131 >「透明」って自分の言語でどういうの?
これはOKだと思うが、
>『透明』って各言語でどういうの?
が説明できてない。「各言語」が「自分の言語」に変換される
規則でも立てれば別だけど。
>>124 の挙げた文を西欧語の偏見にとらわれずに、あえて「文」にすると、
「透明」って各言語でどういうの?->「透明」って各言語でその言語を使って
る人たちはどういうの
なんで敬語でケンカができるの?->なんで私たちは/ある種の人たちは敬語で
ケンカができるの?
自分の国の名前を音読みしてる時点でやばくないか?->誰かが自分の国の名前を
音読みしてる時点でその人はやばくないか?
「フルチン」?それとも「フリチン」?->君は/お前は/あなたは「フルチン」
と言う?それとも「フリチン」て言う?(または、「フルチン」が正しいの?
それとも「フリチン」が正しいの?)
ここで分かることは、
無理に主語を補うと不自然な日本語になる場合が多い。
日本語は主語を言うときに述語との待遇表現レベルでのマッチが必要。
発話者の発言意図が分からなければ、省略は補えない。
発話者は、わざと主語を言わないことによって解釈の含みを持たせている場合
もある。
従って、日本語は語用論的に主語を扱うべきであって、統語論レベルでは
主語はいらない。
133 めちゃくちゃ言ってるね。それだと統語論的には常にあるが、音形化の必要性は 語用論的に決められると言われても反論できないだろ。フリダシに戻ってしまう。 統語論的に主語があっては困るという理由が欲しい。
135 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/05 10:24
>>133 >従って、日本語は語用論的に主語を扱うべきであって、統語論レベルでは
>主語はいらない。
統語論レベルで主語がなければ、語用論において主語を扱うこともできないでしょう
ね。だって、どう考えても、「主語」って“統語論的概念”だし。
136 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/06 01:04
>>134 付帯状況を表すナガラ節や、様態を表すテ節は、本来統語論的に主語のない節だと思う。
(1)a. 太郎が [ギターを弾きながら] 歌った。
b.*[太郎がギターを弾きながら]、花子が歌った。
(2)a. 私は [ずっと誘拐犯らに見張られて] そこまで行った。
b.*私は [誘拐犯らがずっと私を見張って] そこまで行った。
ところがこれを言うと、「日本語には主語がない」と主張している人たちに限って、逆に(1)b.、(2)b.は言えると反論して来るから不思議だ。今度もおそらくそうなるだろう。
137 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/06 01:11
あの・・・・無知なんですが 「日本語に主語はいらない」とう文では、主語はどうなってるの?
138 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/06 08:16
>「日本語に主語はいらない」とう文では 「日本語に」が主語ですね。問題の本では主語はいらないとのことですから、 『主語はいらない』という書名に変えて欲しいですね。ひょっとすると 「主語は」も主語かもしれないのでその場合は『いらない』という書名に 変えてほしい、是非。俺はそんな本、買わんけど。
従属節に書き換えて主語を見ようとすると、 「日本語に主語がいらないことは当然だ。」 「日本語が主語がいらないことは当然だ。」 両方できちゃう。 「彼は彼女がいない。」と同じ。 「彼に彼女がいないなんて信じられん。」 「彼が彼女がいないなんて信じられん。」 やっぱ、英語を基準にした生成ブンポではダメだね。
>>136 >付帯状況を表すナガラ節や、様態を表すテ節は、本来統語論的に主語のない節
基底で主語を立てないと意味解釈とやらができないんじゃないの?
139は主格と主語の区別もできない白痴
>>134 >統語論的には常にあるが、音形化の必要性は
>語用論的に決められると言われても反論できないだろ。
英語を基準にした生成ブンポのような理論ではそうなるだろうね。
「統語論レベルでは主語はいらない。」と言ったのは、別の理論を
想定しての話。語用論レベルの規則性から統語が決まるという、
まったく逆の方向をもった理論。生成語用論かな。
>>135 >統語論レベルで主語がなければ、語用論において主語を扱うこともできないでしょう
>ね。だって、どう考えても、「主語」って“統語論的概念”だし。
これも同じ陥穽に陥ってるね。統語論→語用論という順番を
疑ってみることも必要。
>>141 二重主語構文といった普通の用語に従ったまでだが、何か?
>>142 それだと生成ブンポと別の見方もできるといってるだけで、
生成ブンポへの反論にはならないな。
>語用論レベルの規則性から統語が決まる
例えば?
>>143 二重主格(/主語)構文も与格主語構文も生成ブンポでも説明
されてますな。139の例がどうして「生成ブンポではダメ」と
いう根拠になるのか解説希望。
>>144 >>語用論レベルの規則性から統語が決まる
>例えば?
生成ブンポが意味解釈規則だの語用論だのに追い出してきた現象。
>139の例がどうして「生成ブンポではダメ」という根拠になるのか解説希望。
では、生成ブンポで句構造を書いてみなしゃい。
>>145 > >>語用論レベルの規則性から統語が決まる
> >例えば?
> 生成ブンポが意味解釈規則だの語用論だのに追い出してきた現象。
これ、答えになってませんよ。興味深い発想なんだから、詳細解説きぼん。
>生成ブンポが意味解釈規則だの語用論だのに追い出してきた現象 現象自体とその現象の説明は別物だから問いへの答えになっていない。 どういう現象を「語用論レベルの規則性から統語が決まる」として説明するのかを述べること。 >生成ブンポで句構造を書いてみなしゃい 詳細は諸説あるだろうが一例として [TP 日本語に/が [NegP [vP t日本語 [VP 主語が いら=V ] v ] な=Neg ] い=T ] - 状態述語の外項に対しては与格が生起可能(日本語限定ではない) - 同内項に対しては主格が生起可能(同上) 「Aニ/ガ Bガ」でAのみが主語でありBは主語でないというのは、再帰代名詞の束縛と 敬語化によって支持される。(もちろんAが非対格動詞のlocativeの場合は別)
>>147 Aは主語でBは主語でないってことは、「日本語に」で
表示された場合、「に格」が主語になるってことですか。
>146
>これ、答えになってませんよ。興味深い発想なんだから、詳細解説きぼん。
>147
>現象自体とその現象の説明は別物だから問いへの答えになっていない。
>どういう現象を「語用論レベルの規則性から統語が決まる」として説明するのかを述べること。
とりあえず、1点について述べます。
1.英語のように語順がほぼ固定してる言語ではあまり関係ないけど、格変化が
豊富に残っていて語順がかなり自由に変わる言語では、新・旧情報に基づいて
統語を考えた方がいいと思う。スクランブリングではちと困る。
普通、不定表現を前において定表現を後ろに置くとまずい文になる。
2.英語でも代名詞類など、文脈によって解釈が変わり、その解釈によって非文に
なったりならなかったりするから、最初から先行文脈(情報の新旧)を考慮して
規則を立てた方がいいと思う。
>>147 は、与格主語を認めるということなのでしょうから、それでいいと
して、
>>133 で挙げてある文については、どうなるのでしょうか。
>>150 まるで統語には語順しかないような言い方にゃが、情報の新旧だけで日本語の階層構造にゃら、
移動の局所性にゃら、照応語の束縛条件にゃら、格標示パタンにゃらが全部でてくるのかにゃ?
統語構造と情報構造には対応関係があるからこそ、言語に実用可能な部分もあるということだと
思うにゃ。それを統語構造が情報構造に基づくとか言い出すと本末転倒の感が否めないにゃ。
>普通、不定表現を前において定表現を後ろに置くとまずい文になる。
あまりに漠然としすぎていて予測能力ゼロですにゃ。
There is a book/*the book in our room.
there構文における定性制約は情報の新旧で語られることが多いけれども、この例では定表現が
不定表現に後続してますにゃ。
とある人が私の叔父を訪ねてきた。
不定主語が定名詞句に先行してるにゃが、まずくはないですにゃ。
>2.英語でも代名詞類など
指示的代名詞の指示対象決定と束縛代名詞の束縛子決定はことなる現象であり、前者はinter-
sententialな語用論的問題、後者はintrasententialな統語論的問題、と棲み分けされてるのにゃ。
133の例はそこで書かれてあるようなのでいいんでないかにゃ。
>「フルチン」?それとも「フリチン」?
はもともと文ではないと思うにゃ。Beef or chicken?とか For here or to go? とかに似てるかも
にゃ。言語表現は完全な文とは限らんにゃ。Me, too とかにゃ。むりやり省略されていると
感じられるものを全部統語的に補おうとすると昔の遂行文分析みたいになってしまうにゃ。
>>151 >>「フルチン」?それとも「フリチン」?
>はもともと文ではないと思うにゃ。
そんな無茶な。ならば一語文はどうなる?
153 :
(´∀`) :02/11/07 09:03
語にゃが? 一語でも文と同じ機能を持つ(発語内力を持つ)ということと 構造として文レベルまで投射しているということは区別するにゃ
>>153 ああ、生成文法の定義での「文」ね。
そんな勝手な定義持ち出されても困るなあ。
>>153 一般に「語」でもあれば「文」でもあると認められる一語文などの言表を、
ことさらに「文」とは見做さないことにするのは如何なる利点があってのことなのですか。
とりわけ、それが今みたいに語用論的検討をなすにあたって適切な方法なのかどうか……。
その辺り、生成と前提を共有しない者にも得心のゆく仕方で説明してくれないと、独善的に見えます。
156 :
(´∀`) :02/11/07 10:25
>>154 、155
ではまずそっちの語用論的(?)「文」の定義を明確にしてもらおうかにゃ。
生成批判しようというのに「生成の勝手な定義は知らん」ではお話しにならんですにゃ。
このスレの議論が虚しいのは「主語」とか「文」とかの概念について共通理解ができて
ないのも一因にゃ。
157 :
(´∀`) :02/11/07 10:32
>>155 >一般に「語」でもあれば「文」でもあると認められる
やはり機能と構造を混同しているようですがにゃ。
「主語」もそうにゃが、生成では「文」はプリミティブな概念ではないにゃ。例えば
日本語の使役文が補「文」構造を持っているかどうかの議論は、実際には使役補部の
範疇を問うているわけにゃ。IPまで投射しているのかVPどまりか、とかにゃ。
そこでもし語用論的には「君、本を読んでくれ」も「本!」も同じ発語内行為を果たすから
どちらも「文」だというのだとして、「本を読ませる」と「*本せる」(w)の違いは
どこにあるかと言えば、それは構造的な違いに求めるしかないだろにゃ。使役補部には
文的機能を持つ表現がくる、のではなく、文構造を持つ表現がくる、というのが
正しい記述のはずにゃ。構造的に意味のある記述を「文」という概念を用いてしようと
思えば「文」自体にも構造的な意味づけを与えるしかないのにゃ。
俺自身は語彙主義には反対にゃが、いちおう、語は脳内辞書に貯蔵されている単位、
文はそれを組み合わせてできるより大きな言語表現と言うことができるにゃ。
文の生成には辞書から単語を引っぱり出す以外の手間(統語計算)が要求されると
して、もし統語部門にだけ選択的に障害が生じた場合(ブローカ失語症など)、
「一語文」の発話も困難になるのかどうかで「一語文」を生成的な意味で「文」と
見なすべきかどうかが判断できるかもにゃ。
さらに別の議論としては、一語文しか発せない幼児の脳内には実は文構造に関する
知識がすでにあるということがあるにゃ。このことと実際の一語文が文構造を内包
しているのかどうかも、ちゃんと区別する必要があると思うにゃ。
また複合語やpolysynthesisまで含めて語と文の間の境界のあやふやさを問題にしたい
のにゃら、こっちはこっちで面白いテーマにゃから生成スレでお相手するにゃ。
>>156 立場が逆でしょ。
「生成批判」しようってのはこのスレッドの本来の趣旨ではない。
こちらが生成スレッドに乗り込んだってのなら説明責任はこちらにあるが、
むしろわざわざ語用論スレッドに乗り込んできた以上そちらから生成の定義を明らかにすべき。
あと、別に語用論でなくても、「一語文」て述語があることからもわかる通り、
常識として、語であり且つ文でもある言語事実が存在することは認められてます。
それに反する主張をするならば、説明が要るのは当然のことですよ。
>>157 肝腎の説明がありませんね。
結局、構造としての「文」に執着して機能としての文を無視することで
どんな利益があるのですか?
殊に、補「文」構造を議論してるわけでもない場合においては。
一語文を文として処理できないこと、つまり理論の適用範囲の狭さは、
決して生成文法の優位を意味しないはずですが。
主語と関係ないのでsage。
160 :
(´∀`) :02/11/07 11:07
>>158 スレッドの趣旨とは別に、154にレスしたのにゃ。
ところでスレッドの本来の趣旨といえば、
>>1 の金谷武洋『日本語に主語はいらない』は
生成批判を気取っており、それを巡るスレなのだからまんざら生成批判に無縁のスレでも
ないんだろーがにゃ?
>わざわざ語用論スレッドに乗り込んできた以上
なんにゃ、このヘタレな島国根性丸出しの縄張り意識は?(w
一語文に主語はいらない!
162 :
(´∀`) :02/11/07 11:10
>>159 構造の議論と機能の議論は別物、と言ってるのにゃが?
構造分析をする上では「文」の構造に言及する必要があり、機能論は無益だということにゃ。
逆にきくにゃが機能を論じる上で「文」という用語を引っぱり出す利益は何なのにゃ?
それこそ発語内力に言及したほうが包括的で機能論的にも有益だと思うにゃが? もともと
語や文は構造分析・統語論の用語だということも失念なきようににゃ。
で、語用論の勝手な「文」の定義はまだかにゃ?
これはかなり普及した学説だが,唯一の具体的単位は文であると主張し,われわれは 文によってのみ語り,語はあとでそれから引き出したものだという.だがまず,文は どのていど言語 langue にぞくするのであるか? もしそれが言 parole のなわばりの ものであるならば,言語単位として通用するわけにはゆくまい. (ソシュール『一般言語学講義』)
164 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/07 12:32
>>163 Chom的に言い換えると、統語論はパフォーマンスの問題、ということ
なわけだけど、語用論はパフォーマンスの問題でいいけど、現在の
言語学で論じられているのは、可能性としての統語論、という観点。
パフォーマンスは、その可能な中から選択した、にすぎないのであって、
可能性それ自体をパフォーマンスのレベルで論じることはできないよね。
問題は語用論がコンピタンスの問題にどれくらい関係するのか、という
ことがあって、極端な人はコンピタンスそれ自体を否定するわけだが。
パフォーマンスのみ、というのは言語モデルとしてありえるのかな。
昔(かなり昔ねw)、顔文字氏が「単語は残りかすみたいなもん」と
発言してたが、コンピタンスを示すとされる我々のジャッジメント(直感)
みたいなものもなんらかの残りかす、みたいなもんということになるん
だろうかね、パフォーマンスオンリーのモデルでは。
>>151 >2.英語でも代名詞類など
>指示的代名詞の指示対象決定と束縛代名詞の束縛子決定はことなる現象であり、前者はinter-
>sententialな語用論的問題、後者はintrasententialな統語論的問題、と棲み分けされてるのにゃ。
だからそんな棲み分けなんてねぇぞってのが、認知の立場からの主張だろ。
誰かvan Hoek理論に詳しいやつ説明してやれ。
俺は忙しい。w
>>165 その認知の立場からの主張とやらは最も単純な事実によっても
支持しがたい、と言われてるんだぞアホw
168 :
かかりちゃん :02/11/07 13:47
一応、発話と文とは別々の概念であるってことは了解しているの? 猪木の、「1、2、3、だ〜」は発話だけど文でない。語用論は 発話に関する理論よね?
ところでこのすれの>1の話題にしている金谷さんの書いたものは とあるinformalな場に出ているものを見たことがあるにょろ。 結構、腰をぬかしたにょろ。
>>169 それでしたら、ぜひ詳細をきぼんぬですね。
171 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/08 00:46
>>150 です。
>>151 >まるで統語には語順しかないような言い方にゃが、情報の新旧だけで日本語の階層構造にゃら、
>移動の局所性にゃら、照応語の束縛条件にゃら、格標示パタンにゃらが全部でてくるのかにゃ?
もちろん、統語論固有の規則性は認めますが、実用にならない文まで
生成しておいて、意味解釈や語用論でフィルタリングするより、様々な
語用論的・意味論的条件下で可能なものを絞っておいてから統語規則を
適用した方がよいのではないかという発想です。
つまり、どういう事態をどういう文脈でどういう構文で表わすかという
方向で発想したい。人間が言語を使う自然な過程は、そちらの方向でしょ
う。
>統語構造と情報構造には対応関係があるからこそ、言語に実用可能な部分もあるということだと
>思うにゃ。それを統語構造が情報構造に基づくとか言い出すと本末転倒の感が否めないにゃ。
この部分が私の言っていることと関わりがあるのかどうか分かりませんが、
「言語に実用可能な部分もある」というのは、実用にならない文まで生成
文法が生成してしまうから出てくる言葉ではないのでしょうか。
(続く)
>>171 の続き
>>普通、不定表現を前において定表現を後ろに置くとまずい文になる。
>あまりに漠然としすぎていて予測能力ゼロですにゃ。
> There is a book/*the book in our room.
>there構文における定性制約は情報の新旧で語られることが多いけれども、この例では定表現が
>不定表現に後続してますにゃ。
だから、「語順の固定した英語にはあまり関係がないけれど」と書いて
おいたのです。例えば、ドイツ語では、
*Er gibt ein Buch dem Mann.
(He gives a book the man.)
は、非文です。ロシア語などでも同じことが言えるようです。
> とある人が私の叔父を訪ねてきた。
>不定主語が定名詞句に先行してるにゃが、まずくはないですにゃ。
基本語順(すべてが新情報の文で最もnormalな語順)に従った文は、
情報構造の規則(旧→新)に違反できます。上の文は、基本語順です。
また、日本語では、
叔父が僕にChomskyの本をくれた。
叔父がChomskyの本を僕にくれた。
も言えてしまうので、この辺は個別言語的な面もあるようですが。
(続く)
>>172 の続き
>>2 .英語でも代名詞類など
>指示的代名詞の指示対象決定と束縛代名詞の束縛子決定はことなる現象であり、前者はinter-
>sententialな語用論的問題、後者はintrasententialな統語論的問題、と棲み分けされてるのにゃ。
このintersententialな問題は、決して瑣末な問題ではなく、
intrasententialな問題と同等かそれ以上に大きく扱われるべきでは
ないでしょうか。生成文法の扱える問題は、現実の文脈に置かれた文
ではなく、いわば、all new sentenceのような極めてまれな文に限ら
れていて、その文の中の規則性だけが人間の言語能力に関わっていて
言語学の扱う部分であるという考えの人が多すぎる気がします。
>133の例はそこで書かれてあるようなのでいいんでないかにゃ。
しかし、
>>133 で補われている主語は、複数の可能性があって、文脈に
よって適切な語が選ばれなければなりませんが、それは、1文だけで
は解決の付かない問題です。2chのスレ題だからこそ、ああいう
補完が考えられたのだと思います。
174 :
(´∀`) :02/11/08 05:18
手短にいくにゃ
>>171 能力と使用の区別に賛同するか否かに帰結するにゃ。実際に起きてしまった
現象だけ見てるのか、その背景にある潜在的可能性を見てるのか、の違いにゃ。
例えば「実用にならない文でも生成できる」ということ自体を人間言語について
無視していい事実だと思うかどうか、にゃ。
>>172 個別言語ごとに情報構造の組立がコロコロ変わるというのも妙な話しにゃが、
こちらは表面的多様性を見てるのか、深層普遍性を見てるのか、の違いだにゃ。
>語順の固定した英語
と、そうでない言語の違いがどこからでてくるのか、をまず調べた上で、
語順の比較的自由な言語でどのような条件下で語順の変化が起きるのかを議論
すべきだと思うにゃ。
175 :
(´∀`) :02/11/08 05:23
>>173 >このintersententialな問題は、決して瑣末な問題ではなく、
誰もそんなことは言ってないにゃが? どうも甚だしい誤解がいまだにまかり
通っているようにゃが、生成が万能であるとか、生成の扱う側面だけが言語学に
とって重要だとか、生成側の誰も思ってないのにゃ。すべての個別理論は相補的
分業である、と俺自身も何度ここで書いたか分からんにゃ。
逆に語用論や機能主義だけで言語のすべてが説明できる、生成のような形式論は
不用である、と主張するアフォがいれば徹底的に叩かせてもらうにゃ。
>複数の可能性があって、文脈によって適切な語が選ばれなければなりませんが、
>それは、1文だけでは解決の付かない問題
PROの随意解釈と同じようなもんだと書いたはずにゃが?
it is illegal to kill people
誰が殺すのかの具体的な解釈は文脈によって決まりこれは語用論の問題、しかし
英語の不定詞主語として音形化を伴わない名詞句が生起可能であるという事実は
統語論ないし狭義言語知識の問題にゃ。
重要なのは理論の棲み分け、今西進化論なのにゃ(w
176 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/08 12:39
>>168 不意に襲ってきた痛みに声にならない声を上げたら、それは発話であって文ではない。
強引に文字で記せば「ギャアア」とか「ヒイイ」とかになるかもしれんが。
しかし「イテッ」「イタっ」「痛い!」だったら、立派に意味のある「文」ですよね。
「痛い」「悲しい」「嬉しい」……みな一語文たり得る。
それともいちいち「私は痛い」「私は悲しい」と主語「私は」を附けないと「文」ではないのか?
>>168 人の尻馬に乗ってつっこみをいれよう!
「いくぞ〜、1、2、3、だぁ〜」は、「いくぞ〜」だけが文?
「い〜の〜き、い〜の〜き、い〜の〜き」のような猪木コールは、文?
「いっの〜き、がんば〜れ、いっの〜き、がんば〜れ」のような声援は?
ちなみに、私は、イノキ・ボンバイエが上記のように聞こえてますた…
(これが書きたかった)
168のどこを見ても >主語「私は」を附けないと「文」ではない とは言ってないようですが? 「ギャアア」は文ではないが「イテッ」は文ですか? その判断基準は何ですか?
>>178 生成文法によれば、一語文は文ではないってさ。
「声にならない声」とは即ち「言葉にならない叫び」なのだから、
「文」どころか「言語」ですらないはず。
それが“ouch!”みたいに各言語によって定まった反応だったら別だけど。
>179 178への答えにはなってないような。。。 一語文が文か否かを、文の定義を明記しないで 言い合ってても意味ないし。。。
181 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/08 21:38
感歎文(感動文)も一語から成る場合が多いが、 あれはやはり文ではないわけですか。 文でないとしたら、生成文法では何と呼んでるの? 感歎詞とはまた異なるし。
「文」の話でごたごた言い出したのは
>>152 の書き込みが契機になっていると思うけど、
生成以外では「文」はどう定義されてんのよ?
時代と共に定義も変わってきているし、扱う領域も変わってきているけど
例えば60年代だったらS節点に支配された記号列を「文」と定義してただろうね、生成では。
で、生成以外ではどう定義されてんのよ?で、一応、定義が明示化されていた
生成では一語文もその上にS節点設けていたわけだ。文句あっかよ?で、生成以外では
どう定義されてたんよ?だが、そんな構造を仮定しても、辻褄あわせに過ぎないと
生成内部で修正していって、結局、今は「文」とやらにはまともな定義不可となってる
と思うぜ。もちinformalには使いまくっているけどね。キチンと言う時にはTPとか
CPとか言うと思うし、例えばOuchのような一語「文」はそのままレイベルがOuchの記号列だ。
総称して言う時には言語表現(linguistic expression)だな。その言語表現Eの
音声と意味の関係をつけることに関心を向けてるのが生成なんだよ。ともかく生成
以外では「文」をどう定義してるんよ?
でもって、その「文」ってものが定義可能だとして、その概念を設定する ことによってどんな経験的利点があるかもついでに教えてくれよな。 それがないとしたら、んなもん、捨てちまえ。
184 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/08 23:40
国語学では山田孝雄以来の陳述論争の中で句成立論・文成立論があって、 渡辺実『国語構文論』が一つの達成と見られる。
>>182 ,
>>183 文の定義は、橋本文法になるが、句点で区切れる単位でいいだろう。
それは、通常、文末イントネーションタイプとポーズが置ける位置
によって区切られる。
たぶん、この定義の曖昧さを非難するだろうが、言語というのは、
そもそも連続的なもの(indiscrete)であって、数学的なものじゃな
い。共時的にも通時的にもね。
文を共時的に見た場合も、アクセント・イントネーション・声色まで
総合的に見なければ、真の理解は得られないことからもこれは明らか
なこと。
それを否定することは、言語を全体的に見ていないことになる。立場
の相違だろうが・・・
>>183 A 桜の花が咲く
a [桜の花が咲く]季節だ
Aは文だが、文aの[ ]内は句だ。
この(経験的にも認められる)差異を説明できる方がよくないかね?
「文」の定義が必要な所以だ。
>>186 それ、返答になってないと思うけど。
>>185 言語は連続的だろうと思うが、理解する上で分節するのは
無意味とは言えないしむしろ当然だろう。
>>187 >>185 は、分節しないなんていってないつもり。
分節しきれない部分も残るってこと。一語文しかり。
いろいろどうもありがとう。えーっと生成にもルートって概念はあってこれは
最上位の構成素の意味です。大昔にエモンズという人がこのルートでしかかからない
変形規則があるといっていろいろすったもんだした揚げ句、今はほったらかしになってる
ところがあると思います。それに類比的な概念としてLexical Arrayと言うのがあって
大雑把に言ってこれを使い切って作られた構造がルート、つまり最上位の構成素です。
これを「文」と定義するならそれで構いません。最上位構成素が特殊なイントネーションを
持つこともあると思うし、エモンズじゃないけど、何か特殊なことが起こることもある
と思います。でも
>>185 さんも
>>186 さんも生成で言うルート構造のことを問題に
なさっているような気がするのでした。
なんだか変な文章だたー。これはいつもだー(笑) 言いたかったのは、185,6さんの「文」と言うのと僕が「ルート構造」というのは 同じじゃないかとそこだけです。
191 :
(´∀`) :02/11/09 05:13
にゃんだか空虚なやりとりが続いてるにゃー
文の一義的定義が困難なのは事実だし、人によって理論によって見方が変わるだろう
ことも当然なのにゃが、自分の立場ではとりあえずこう定義するってのを言ってから
発言してもらいたいもんですにゃー。
>>185 >句点で区切れる単位
句読法や文字を持たない言語もイパーイあるにゃが?
>>186 >Aは文だが、文aの[ ]内は句だ
[ ]内はいわゆる埋め込み「文」で、逃走派しゃんのいうルート文と対比されるべき
ものであって句と対比されるものではないにゃ。
>(経験的にも認められる)差異
どんな差異か不明にゃ。たとえば
太郎は [ 花子が美人である ] と主張した。
太郎は [ 花子が美人である ]との主張を覆した。
の[ ] 内はそちらではどういう扱いになるのにゃ。
機能論・語用論の話しをするときに文とか語とかいう統語概念でくくろうとするのが
混乱の始まりだと思うにゃ。
「水をくれ!」「水!」
前者は文(命令文)、後者は語、範疇はべつにゃが、どちらも使われる場面次第で
命令とか依頼とかいう同じillocutionary forceを持つ、という言い方で、機能的・
発話行為理論にくくればいいのにゃ。後者も文だと言い張る必要はないですにゃ。
一語文というのは、一語でも文と同じような機能や解釈が可能という意味で、構造的に
文であるということではないと思うにゃ。反語彙論の俺がいうのもヘンだけどにゃー
ぶっちゃけ、日本語の、主語が見えない文を「文」と認めるかどうかの戦いなわけね。
>>192 そゆこと。だから山田孝雄以来、争点になってきたんです。
生成文法と雖も、日本語を考察する場合は国文法の研究史を辿っておくのは当然のことだよね。
主語が見えない文、といってしまったらすでに文と認めていることになるが? 193さん、せっかくだから国文法における代表的な文の定義をまとめてもらえませんか?
>>194 googleでを検索! キイワード「渡辺実 陳述」
http://nihongo-online.org/tree01/treebbs.cgi?kako=1&log=197 「陳述」の概念は、山田孝雄に はじまると きいていますが、その解釈
をめぐっては さまざまな論争が くりひろげられたようです。それを無理
やりに まとめて、簡単に定義すれば「文を文として成立させる能力」の
ようなもので、その能力をもった成分が文末に あらわれないと、文が成立
せず、その「陳述」の能力が発揮されると文が終結しなければならないと
おもわれるものだと いえるでしょう。
ほかの言語との比較の観点をつよく意識せざるをえない日本語学では、
国語学の伝統に かわって日本語の「モダリティ」論による研究が さかん
になったのは、至極当然だったと いえます。いつしか「陳述」という
ことばが あまり つかわれなくなり、「モダリティ」が さかんに いわれる
ようになったのも、すべての言語に関係のある一般性のたかい概念として
「言表態度」の あらわれかたを研究しようという態度表明だったと うけ
とめられると わたしは おもいます。
このような「モダリティ」の研究が隆盛であるなかで、もともと「陳述」論
が もっていた「文をなりたたせる能力」という議論が うすらいでしまって
いると感じると いったら、いいすぎでしょうか。
工藤浩「現代日本語の文の叙法性 序章」もある。
http://www7.plala.or.jp/dokuro/modality.html
196 :
(´∀`) :02/11/10 06:58
195の
>
http://www7.plala.or.jp/dokuro/modality.html の冒頭に書いてあるのが、語用論的な文の定義と見てよさそうですにゃ。
> <文>は、伝え合い communicationの機能を果たす、言語活動の最小単位である。
>極端な例をあげれば「絵!」と叫んだ場合、あるいは「これは何?」に対して「絵。」
>と答えた場合、それは1音=1語=1文である。言語場の中で、それは立派に言語活動
>の単位として機能している。
これはこれでconsistentにゃから大いに結構だと思うにゃが、言語活動から抽象され
communicationの機能を果たさなければ、たとえ「太郎は学生である。」でも文ではない
ということになってしまい、統語分析上は有意義ではなく採用し難い定義、ということですにゃ。
立場により違う定義が選ばれる、これは致し方ないですにゃ。
さてかりに「文」である「絵。」には主語がないのだから、文には必ず主語があるとはいえない、
と誰かが主張したとするにゃ。これは一語文を文と認定しない立場にとってirrelevantである
のみならず、英語でも(そしてたぶんどの言語でも)同様に一語文はあるのだから、とりわけ
(英語と違って)日本語には主語はない、という金谷氏の主張にとってもirrelevantということに
なるにゃ。
197 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/11 00:28
199 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/13 09:48
あげ
200ゲット。←主語なし文。
201 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/13 16:53
>>201 と、考へるのはSAE文法に毒されてゐるからだ。
むしろ主語無し文が基本で、主語のある文は動作主が附加されただけだとしたら?
203 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/14 02:46
>>202 「附加」は原則として任意に行われなければならない。「(時)に」 「(場所)で」などのように。
日本語には、三上章が指摘したように、ガ格のない文や節が確かに存在する。ということは逆に、ガ格を伴う述語にとってガ格は必須の要素なのであり、「附加」ではない。
俺が204ゲット!←ガ格のある文
206 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/14 05:59
>>205 三上がガ格のない文 (節) と言ったのは、例えば、
おお、寒い。
黒板に「明日は休み」と書いてあった。
(私は) テレビを見ながら (ごはんを食べる)
のようなもの。これらはガ格をとることがない。したがって省略されているのではない。
他方、
>>204 のガ格は必須の要素。しかし
>>200 のようにも言えるのは、それが省略されているから。
ある要素が文面に表れていないとき、その理由としては、
@その要素は元来存在せず、表れ得ない。例: 「Aさん宅から φ-ガ 出火した」 「俺が φ-ヲ 働くよ」
Aその要素は必須のものであるが、文脈上明らかなので、省略されている。例: 「(俺が) 200ゲット!」 「俺が (このレスを) 書き込んだんだ」
Bその要素は任意のものであり、付加されていない。例: 「私は (8時ごろ) (居間で) テレビを見ていた」
の三つが考えられる。ガ格について言えば、@の場合があるから、それが表れている場合は、BではなくAであることがわかる。
>>206 Aに疑問。
既に省略されてる以上、省略し得るのだから、「必須」ではないのでは。
(生存を保つ呼吸活動には酸素が「必須」のものである。この場合省略はあり得ない。)
なぜ非省略形の方を原形と見做すのか、やはり理由が明確でない。
208 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/14 21:18
ここにも生成文法派が進出してきたか? まあ、金谷先生も生成文法を著作で批判しているので、 スレが生成文法派で汚されるのも、願っていたのかも。 おかげで盛り上がっているね。 しかし、生成文法閥はあいかわらず、存在しない物に、存在を求めているね。
>>195 日本語の文成立に対して山田孝雄の陳述と、時枝誠記の陳述(それ以降の渡辺の論、仁田益岡のモダリティ論)は違うので、そこんところよろしくな。
ようするに日本語学においても文の定義は定まってないってコト。
210 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/14 22:20
>>207 そこが主語論のポイントのような気がするな。Aの「必須のもの」が「省略」され
ていることと、Bの「任意のもの」が「付加」されていないことの区別は、それほ
ど明確ではないように思うね。例えば、「私は居間でテレビを見ていた。」と
いう場合、「テレビを見る」ことは、必ずどこかの場所でなされることだから、「居
間で」は必須の要素であるという主張もできそうだし。さりとて、英語などの他の言
語における省略可能性の基準をそのまま適用するというのも、どうかと思うし(ま
あ傍証にはなると思うけど)。
非常に単純な日本語の用語法の問題だけれど。 「必須」って省略不可能なもののことを言うのでない? <「必須」のものが「省略」されている>という場合、 そこになんらかの非文的な要素を見出しているのであれば、 そういう言い方もいいだろうけれど。
212 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/15 15:47
I love you. の I と you は省略できない。もし気に入らなければ、 He loves her. と別の要素の変えなければ文として成立しない。 ところが、 「愛している」というのは、文として成立してる。 それだけの話なんですが。 もちろん、「英語の命令文に主語はいらない」も正しいですね。 それなのに、誰かが自分の学派を守るために、屁理屈をこねていますね。
213 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/15 15:55
>>212 あなた、これまでの議論を壱ミリも理解できてませんね。
214 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/15 17:05
>>211 気に入らなければより適切な名称を提案すればいいんじゃない?
自分は別に問題だと思わない。
「省略可能な必須の要素」と「任意の要素」の違いは明確ではないけど、
区別を最初から放棄することが生産的とは思えない。
215 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/15 18:06
>>214 だーかーらー、「省略可能」だったらそれは「必須」ではないって。
単に「名称」の問題ではないよ。
結局、省略できるかできないか以外に何を以て「必須」とするかが
説明されてないからワケワカンナイんだぞ。
>>215 省略されていないか、されていても文脈から明らかであることが必須、
と言えばよろしいか? 文脈なしに
「彼は買った。」
と言われたら不自然だと思うだろ? それが「買う」には目的語が必須ってことだよ。
>>216 それでは必須と必須でないものを区別できない。説明になってませんよ。
文脈無しに「彼はテレビを見た」と聞かされたらそれだって不自然だろ?
テレビを見た場所(家で)は省略されてるけど、文脈があればそれは明らか。
で、「家で」が必須なのかい?
>>217 区別できますけど。
「彼は昨日何をしていましたか?」
A) テレビを見ていました。
B) 家で見ていました。
Aの回答には何の不自然さもない。
見ていた場所が不明のまま話が進んだとしてもいっこうにおかしくない。
Bは誰が聞いたって「は? 何を?」になるでしょう?
219 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/15 19:19
>>215 > 「省略可能」だったらそれは「必須」ではないって。
そう考えるのが金谷流。文脈次第で文面に表れなくていい要素は、すべて任意のものと見なす。
その結果、日本語の「基本文」は、「愛らしい。」「赤ん坊だ。」「泣いた。」の3パタンだけということになる。
これだと、
(1)a,*私に愛らしい。(○私にとって)
b. 環境にやさしい。
(2)a.*それは実家から電話だった。(○実家からの)
b. おーい、ご実家から電話だよ。
(3)a.*赤ん坊を泣いた。(○赤ん坊が)
b. 赤ん坊を抱いた。
の、(1)a.、(2)a.、(3)a,が間違っていることの理由を説明する余地はなくなる。
まさに日本語ネイティヴの、ネイティヴによる、ネイティヴのための文法論だ。だからこそ信奉者がそこそこいるんだろうが。
> 省略できるかできないか以外に何を以て「必須」とするかが
> 説明されてない
それを明らかにしていくのが言語学なの。
学会の糞偽善者どもは、さり気なく情報を訊き出しては、 行く先々にあらゆる人材を送り込み、偶然を装っては チンケな猿芝居やコザカしい罠、悪質な嫌がらせを次々と仕掛けてくる。 その、あまりにも回りくどく分かりにくい嫌がらせの手法で、 実際、気付くのに五年以上かかった。普通はまさか?と思うものだ。 だが偶然ではなかった。全て計画的に仕組まれたものだった。 あくまでも偶然を装ってである。何とも白々しく腹黒く悪質で陰険なことか! こっちが気付かない、或いは知らん振りしてると、しつこく睨み続けてくる。 こっちが気付き不快感をあらわにすると、知らん振り。 頭にきて攻撃すると、散々自分から仕掛けて来ておきながら、 いかにも自分が被害者ぶるのである。 たとえ地元から遠く離れていても、である。 前以って嫌がらせを組織や会場にに潜り込ませたり、 あらかじめ通過地点に嫌がらせを配置・待機させる事もある。 一体奴らは何がしたいのか?気に入らないならダイレクトに来い! 被害妄想と思うかもしれないが、そうする事で 今までの不可解な出来事の全てにおいて、つじつまが合うのである。 偽善者という言葉は奴等の為にある。 学会のあるクソ信者と一緒にいると、 必ず初対面の人間からも頭ごなしに白い目で睨まれる。 明らかに年下の人間も俺を見下した目で見ている。 「あいつはロクでもないガキだ!」とでも吹いて回ってるんだろう。 表面上は親切ぶっていても、裏で糸を引いているのは奴等である。 正に偽善者と呼ぶに相応しい。 いつでも助けてやるよ!と言いながら、足を引っ張っているのは奴らだ! 偽善スマイルの裏では、腐ったはらわたがドス黒く渦巻いている。 学会の人間に心を開いてはいけない。 自分の知らない同一人物が目の前に度々現れたら要注意である。
221 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/15 20:32
>>218 そんなの文脈次第で自然にも不自然にもなるやん。
質問が「昨日どこでテレビを見ていましたか」だった場合とかね。
別に金谷氏の支持者ではなく、214の説明に釈然としないから訊ねてるだけだよ。
>>219 >> 省略できるかできないか以外に何を以て「必須」とするかが
>> 説明されてない
>それを明らかにしていくのが言語学なの。
だから言語学者らしくそれを明らかにしてくれ、って言ってるンですよ。
どなたかの説の紹介でもいいから、
その「省略できるけど必須」なる概念を定義づけてみてください。
>>221 ……。
アフォですか? とは言わないが、…いや、やっぱアフォだろ。
「昨日どこでテレビを見ていましたか」「家で見ていました」
の場合は、文脈上何を見ていたのか明らかなので省略できる。
文脈から判断できない場合は、省略すると不自然になる。
つまり必須。
一方、「誰と見ているのか」「なぜ見ているのか」「画面から何cm離れて見ているのか」
などは文脈から全く判断できないが、省略しても不自然ではない。
つまり任意。
簡単なことだと思うが…。
225 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/15 22:34
>>224 基本的なポイントには同意するが、「アフォ」は余計だな。
ある述語に対する「必須的」な補語と「任意的」な修飾語の区別が、
日本語では、それほど「簡単なこと」ではないからこそ、様々な議論が
生じてくるんじゃないだろうか。
実際、専門家ではない限り、218を読んだだけで、224まで考えろというのは
無理な話。221は、218を読んで生じる当然の疑問なわけで、それを「アフォ」
呼ばわりするのは、どうかと思う。
>>225 ごめん。アフォ発言については反省します。
227 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 00:12
>>224 >一方、「誰と見ているのか」「なぜ見ているのか」「画面から何cm離れて見ているのか」
>などは文脈から全く判断できないが、省略しても不自然ではない。
それだって文脈次第でしょ。
「なぜ見ましたか」と訊いたのに「家で見ました」と返答したら不自然だし。
要は、方法的懐疑を試みるならば、
あなたが自明視してるほど「必須」とやらの条件は明確でないはずだってことです。
少なくともあなたの説明では明確化に成功してない。
>>222 にもある通り、誰か他の人の説明でもいいから、「必須」とやらの条件を
キッチリ示してみてくれませんか。
228 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 00:57
>>222 > その「省略できるけど必須」なる概念を定義づけてみてください。
日本人:あなた、早く入りなさいよ。
外国人:エッ、*ドコヲ? (○どこに/どこへ)
日本人:おれ、結婚するんだ。
外国人:ヘー、*ダレヲ? (○だれと)
外国人:ココデナニシテルノ?
日本人:ちょっと待ち合わせなんだ。
外国人:*ダレニマッテルノ? (○だれを)
動詞「入ル」には「(場所) ニ」または「(場所) ヘ」が必須 (だけど省略できる)。
動詞「結婚スル」には「(人) ト」が必須 (だけど省略できる)。
動詞「待ツ」には「〜ヲ」が必須 (だけど省略できる)。
……
こうやって (厳密には一々) 貼り付けておかないと、記述にはならない。金谷流には無理だろう。
任意の要素 (「(時) ニ」や「(場所) デ」) は、基本的に相手の動詞を選ばない。大部分の動詞に対して付加できる。
しかし、付加しにくい動詞もある。「恋スル」や「愛スル」に対して「(時) ニ」や「(場所) デ」はしっくり来ない。そこが難しいところだね。
>>227 >「なぜ見ましたか」と訊いたのに「家で見ました」と返答したら不自然だし。
これが不自然なのは、言うまでもなく、質問に答えていないから。
「見る」の必須の要素でなくても、聞かれれば答えにゃならん。一方、
「あなたは昨日何をしていましたか?」
「昨日は、行っていました。」
これは不自然。「どこへやねん」とつっこまざるを得ない。
が、質問者は決して「あなたは<どこへ>行っていたのですか?」と聞いたのではない。
聞かれていないのに、「〜へ」が明示されているか、または文脈から判断可能でなければ、
「行っていました」は不自然になる。つまり「行く」には「〜へ(に)」が必須ということ。
必須の定義は
「それが省略されている場合は常に文脈から明らかでなければならない」
で良いと思う、とりあえず。
唐須先生の『文化の言語学』に、日本語は英語に比較して、文脈依存の度合いが高い、 って説があったね。その辺、どうなんだろう。
231 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 05:04
ちょっと視点を変えてみる。 金谷流の面白いところは、「ウンコがしたい」時に、人称代名詞 や助詞の選択に気を煩わせることなく、「ウンコがしたい」とい えば十分に文として認識され、通じるというあたりにあるのでは ないかと。 まぁ確かに、助詞の使い分けをどう教えてるのかは気になるとこ ろではあるが。
232 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 05:06
>>213 あなたこそ金谷氏の著作を読んでいますか?
金谷氏の著作に書いてある内容こそ
>>212 ですよ。
そして、金谷氏は自分の著作に対して、生成文法家が
学派の生き残りをかけて、
>>1-230 の反論をしてくることを予想して
すべて、
>>212 で論破しているんですが。
233 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 05:14
>>218 は生成文法の初級教科書にでてくる最初の例文のたぐいですね。
そして、それを盲目的に信じることで生成文法家が産まれる。
で、なぜそれを信じたかというと、
I watched TV in my home yesterday.
で、英語で in my home, yesterday 省略できるけど、
TV は省略できないという理由だけ。
ちなみに、金谷氏は、動作の主体や対象という概念は否定してません。
ただ、文法的に必修の主語や目的語を否定しているだけ。
234 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 05:20
>>231 ちなみに金谷氏の論理だと、
「ウンコがしたい」の主語は、「ウンコ」ですね。
人間がしたいわけではありません。
「ウンコ」が自分で、お尻から出たいのです。
「先生は、英語がおわかりになる」も、
「おわかりになる」の主語は「英語」であって、先生ではありません。
主語と述語が呼応することと、尊敬表現は関係ないといっていますね。
>>232 もし「金谷氏の著作に書いてある内容こそが
>>212 」であるなら、特に
一冊の本にする程のこともないでしょう。さすがに、金谷氏の著作には
もうちょっと内容があるのではないかと思うのですが。
>そして、金谷氏は自分の著作に対して、生成文法家が
>学派の生き残りをかけて、
>>1-230 の反論をしてくることを予想して
>すべて、
>>212 で論破しているんですが。
だいたい、1-230のレスがすべて「生成文法家」の反論であるとする時点で、
これまでのレスが理解できていないということが丸わかりなのですが。
236 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 05:37
>>234 すると、「私は新聞が読みたい」という場合も、「私」が新聞を読みたい
のではなく、「新聞」が自分で読まれたいということになるのでしょうか。
>「先生は、英語がおわかりになる」も、
>「おわかりになる」の主語は「英語」であって、先生ではありません。
では、「先生」はこの文の何なのですか?
237 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 07:39
>>234 自分の理屈とごっちゃになってないか?
「ウンコがしたい」は、単に主語がない文だろ?
238 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 07:47
A「したいんです!!」
B「何が!?」
A「ウンコが!!」
…これは、Bは主語を求めてることになるのかな?
んなわきゃないよな。
ん? でも、実は
>>234 のいうように、ウンコが出たがってる、
と意識してるのかもしれんな。
239 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 07:59
主語が見えない文を「文」として認めるかどうかだけの立場の違いなら、 理論としてシンプルなほうがいいですなぁ。と門外漢。
240 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 08:28
>>239 おそらく、どの立場も「主語が見えない文」でも「文」として認めること
には違いがないと思われ。むしろ、立場の違いは、そのような文をどう分析
するかということにあると思われ。例えば、「ウンコがしたい。」という文に
主語はあるのかないのか、あるとしたら、「ウンコ」が主語なのかそれとも
省略された「私」が主語なのか、そもそも、日本語の文の構造を記述するの
に主語という概念は必要なのか、などなど。
241 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 08:30
主語という概念がなんかそぐわない気がする。
英語の命令文では主語youが明記されたりされなかったりするし、 平叙文や疑問文でも文脈次第では省略可能だから、金谷に言わせ れば「英語にも主語はない」ということになる。また名詞一語文 では動詞も「省略」されているので、動詞すらいらないというこ とになる。いかなる文脈でも絶対に省略できないものだけが実在 している、と言うのなら結論は「なにも実在しない」。また命令 文ではどうだとか個別の例ごとに見るのなら日本語でも主語省略 不可能な文脈は存在するから「日本語に主語はいらない」という 一般化は成立しない。どちらにこけても金谷の言い分は最初から 破綻していると思うが、いかが?
243 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 12:58
>>242 いや、別に「英語の命令文には主語がない」は成立すると思うよ。
ただ、「英語(すべての文)には主語がない」は成立ないので
英語には主語がある、そして、「日本語(のすべての文)には主語がいらない」は
成立するので「日本語には主語がいらない」ということだろう。
>>236 >>「先生は、英語がおわかりになる」も、
>>「おわかりになる」の主語は「英語」であって、先生ではありません。
>では、「先生」はこの文の何なのですか?
通説でいえば、主題です。
Saying the teacher, English is comprehensible (for him).
というのが、日本語から、英語への直訳です。
244 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 13:04
あんたたち主語っていう文法関係を意味する物と、動作主っていう意味的なものを 混同してるよ。
245 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 13:12
246 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 13:16
>>236-238 うーん、なかなか面白くなってきましたね。
実は、「が」と「を」が相互変換可能な表現が日本語にはいくつか
あるんですね。(もちろん、単語が違うのでニュアンス的には微妙に
違います。)
1、新聞を読みたい、vs 新聞が読みたい
2、新聞を読める vs 新聞が読める
前者は単に、「新聞を読む」という行為がしたかったり、できたり、
することですね。まあ、分かりやすい。ところが後者はちょっと違う。
新聞が(読むほど)したい。
新聞が(読むほど)できる。
あくまでも、新聞が、その事象の主導権を取っているという考えがあります。
もともと、「ガ」は動詞の第一項につき、「ヲ」は動詞の第二項につく
という考えがあって、主格、目的格とはまったく無関係のものなんですが、
唯一言えるのが「ガ」がついたガ格補語が、その文の主導権を
握っていることですね。項というのは生成文法の用語ですね
(二重ガ格については、また別の説明が必要。)
それと、もし動詞の必要項を認めるのなら、日本語では、助詞が
省略できるものが、それに該当するでしょうね。会話文や
2ちゃんねるでは助詞の省略は頻繁に行なわれます。
僕、部屋でテレビ見たよ。「僕」「テレビ」が項で、「部屋」が付加語。
248 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 14:54
>>246 補足。
えーと、まず、「主語はいらない」の主語を定義しなければならない。
英語の場合は、SV という語順があって、V は人称変化の対象として
S が定義できる、文法的に。
ところが、日本語で文法的に定義するなら、形態的決め手がなければ
ならない、となると、「ガ」がついた単語が主語と決めるしかない。
もし、それに異論があれば、それは、日本語には、「ガ格補語」や
「ヲ格補語」は存在しても、英語に匹敵する確固たる主格が
存在しないことを認めたことになる。
主語を「ガ後置単語」として定義すれば、それは省略可能の要素であり、
それに不服があれば、主語さえも定義できなくなり、
結局、「日本語に主語はいらない」という結論に導かれて
しまうんですね。
>>246 >唯一言えるのが「ガ」がついたガ格補語が、その文の主導権を握っていること
「文の主導権」ってのがよく分からん。たとえば「〜に〜が」パターンで「に」が主語の
場合と「が」が主語の場合の両方があるが、主導権とは?
>日本語で文法的に定義するなら...「ガ」がついた単語が主語と決めるしかない
動詞屈折相当のものとして敬語化が日本語における主語の診断法とされてきたが、その問題点は?
>日本語には ... 英語に匹敵する確固たる主格が 存在しないことを認めたことになる。
主語と主格はまったく違うのに、上記のように主語の認定に主格を使っているからこんなおかしな
議論になってしまう。
250 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/16 15:15
>>249 すまん。
>日本語には ... 英語に匹敵する確固たる主格が 存在しないことを認めたことになる。
主
これは、誤植だ。確固たる主語と読み替えてくれ。
というは俺は文法的主語なんて認めない人間なんで、
主語と書くことになれていない。
>「文の主導権」ってのがよく分からん。たとえば「〜に〜が」パターンで「に」が主語の
具体的には?「〜に」がついた時点で、意味上の主体ではあっても、
主語とはいえんよ。
>動詞屈折相当のものとして敬語化が日本語における主語の診断法とされてきたが、その問題点は?
要するに、50回以上論破されたあとに、ようやく見つけた
動詞と擬似的な主語との呼応がこれなんでしょ。
素直に、主題と動詞の呼応と定義すればいいだけしょ。
本当に主語があれば、素人でも簡単に例が見つけられるということだ。
>素直に、主題と動詞の呼応と定義すればいいだけしょ 違うね。 「このケーキは、山田先生がお好きだ」 「山田先生は、太郎が尊敬している(*尊敬なさっている)」 主題ではなく主語との呼応。すると >「先生は、英語がおわかりになる」 では「先生」が主題かつ主語、「英語」は主格目的語ということになる。そしてこの呼応の 基準からすれば「山田先生に言語学がお分かりだ」では「山田先生」が主語。 まあ無理強いはせんけどな。
252 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/17 01:28
>>240 そうにしたところで、やっぱりシンプルなほうがいいなぁ。
「無理強いはせん」と書いたら流れが止まってしまったから煽っておいてやるか。
上の敬語化の問題については金谷氏が同書166-168頁でちょうど
>>234 、
>>248 みたいなことを言ってる。「山田先生は、英語がよくお出来になる。」では主語は構文的、
形態的理由から「英語」であると生成側も認めざるを得ないはずで、だから敬語化は
主語に一致するとは言えない、とね。
ところが事実は
>>251 のとおりで、氏の言い分はまったく初歩的な誤解に基づいたもの。
主格と主語は別物、というのはむしろ生成が重視しているにも関わらず(quirky subject)、
それも知らずに噴飯モノの屁理屈を重ね、自らの思慮の浅さを露呈しているのだ。
そもそもこの人物は自分が日本語を教える上で「主語」を使わなくてもやっていけると
いうことと、生成のような理論研究が問題を設定する上である特性を示す成分を便宜上
「主語」と呼ぶことはまったく別の話しだということを理解していない。
(おそらく主語自体は生成文法の原始概念ではないということすら知らんのだろう。)
書く気になった?(笑)
254 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/18 06:59
255 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/12/18 13:39
>>251 > 山田先生に言語学がお分かりだ
これは私は言わない。「山田先生が」となる。
個人の好みの差はあるだろうが、たとえば「山田先生に言語学をお分かりだ」が 明らかにおかしいのに比べて「山田先生に言語学がお分かりだ」はどうか。 貴方にこの違いがお分かりか(笑)
>>256 > 山田先生に言語学をお分かりだ
これは、「??言語学をわかる」がすでにおかしいので、当然NGだろう。
ニ格の人物に対する尊敬を表すのは、
山田先生に (は) 指導力がおありだ。
のような、存在動詞の場合がいちばん自然ではないか。
ん?255は「〜に〜が」パターン一般ではなく敬語化との相性を言っていたのかな? 257にも「山田先生に言語学がお分かりだ」は一番自然ではないにしても「当然NG」 というほど悪くはないのだろう?「可能か不可能か」と聞かれれば「〜に〜を」は 不可能、「〜に〜が」は「可能だが自分は使いたくない」程度のこと。違う?
「ぼんち」見ました。 標準語よりも台詞が生き生きしてました。 女優陣が素晴らしかったです。とくにお風呂での場面。
誤爆ですた。スマソ
264 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/01/20 19:52
心理板からきた人に参考あげ
265 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/01/20 20:05
あれがあそこにあるから、こっちに持ってきて これで通じる日本語って、スゴイ。
>>265 日本語だけだと思ってるあなたがすごい(w
例の心理板住人です。参考になります。
268 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/01/24 21:37
新刊記念age 1/22 ちくま新書383 『日本語文法の謎を解く ―「ある」日本語と「する」英語』 金谷武洋
文意に埋め込まれるノンバーバル主語って言い方したら変?
270 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/02/12 10:52
三上章が日本語の特徴として強調している「題述関係」というのは、 日本語以外の言語にも見られるようだけど、日本語独自の傾向という ものは具体的にどういうものなんだろうか。 「は」というマーカーがつくということだけなんだろうか。 他の言語には主題を表すマーカーや文法的形態というのは、無いんだろうか…。 このスレの方々には、きっと詳しい方がいらっしゃるだろうと思って書き込んで みました。一言語の事象でもかまいません。教えていただけたら幸いです。
271 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/02/12 11:01
とりあえずスレタイの本と、北原保雄(『日本語の文法』中央公論社)、 野口直史(『「は」と「が」』くろしお出版)には、目を通しました…。
273 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/02/12 14:05
>>271 では、次に著者の名前を覚えるくらいまできちんと読みなさい。
>野口直史(『「は」と「が」』くろしお出版)には、目を通しました…。
「田」から「十」が抜けてるし、あと「直」は「尚」だし。
ようするに金谷さんは三上を誤解し、生成文法を誤解し、 任意的、というのと「存在しない」ってのをごっちゃにして どういうわけか本を書いたってことでいいの?
いや、申し訳ない。たしかに「野田尚史」が正しいです。
ポテスト友達って何だろう
277 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/02/12 14:51
>>274 たぶん、次の三つぐらいが金谷氏の問題なんだと思う・・・
@三上章の仕事を最良の形で引き継いでいる「日本語学」という研究領域
について、知ってか知らずか殆ど触れずに、あたかも自分が三上の研究
を再発見したみたいな書き方をしていること。
A言語教育のための手段として作られたのではない生成文法に対して、「生
成文法は外国人に日本語を教えるときに役立たないから駄目」のような批判
にならない批判をしていること。
Bある言語の“一般的な”文法記述において、そもそも主語という概念が必要
かという問題と、その言語の“基本的な構文”の文法記述に関して、主語と
いう概念が必要であるかという問題の区別さえできていないように見えること。
>>277 そんなものを出版しようとする金谷氏も問題だけど、
それを出版する出版社も問題だね。出版に際して専門家の
審査を通すべきではないのかな。
>>279 言論・出版の自由は憲法で保障されてるから、どんな本を出そう
と自由。まぁ、その出版社が世間からどう思われるかはまた別の
話ではあるけどね。出版社にその気がなさそうなら、期待するほう
が無理じゃないかな。
海外では審査は当たり前だけど。出版社としては利益になれば なんでもありなのかな。それではワイドショーと同じで低俗路線に なってしまう。出版社の人って2chみてないかな。特に 講談社の人。
(^^)
(^^)
・象は鼻が長い。 ・池田大作は息が臭い。 この二つの文の文法的な違いを述べよ。
285 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/04/17 23:43
『〜選書』でしょ、審査なんてあるわけない。 学術書ではなく、かといって新書にするには部数が望めないような本でしょ。 担当編集者の企画や人脈がすべてだと思う。 講談社は確かに歴史的にアカデミズムとは縁が薄い出版社だから、 編集者も穴狙いというか、冒険的に企画する傾向があるのかも。 現代新書のマチケンさんとか、古くは学術文庫で三浦つーさんとか(古すぎ)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
289 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/05/23 13:33
日本語に主語入らない
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
291 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/04 17:59
三上章 生誕100年記念age
292 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/05 11:38
エスパニョールだったら活用が違うからまざらないけど、 ハポネスは人称による活用がないのに主語を省くんだもんね。 なんか最近日本語が怖くなってきた。
293 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/05 12:49
やらないか
294 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/05 13:50
フィンランド語にも主語は要りませんよ?
295 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/05 14:07
いつも思うんだけど、副島といい、金谷といい、 「理論的な言語学=生成文法」ってきめつけてるように思える。 金谷はラネカーでもレイコフで読んだことがあるのかな? 認知言語学の「に」の字も言及してないけど、 金谷の言ってることはかなり認知言語学的だよ。
296 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/05 14:08
実際、あの本は池上嘉彦の「する」と「なる」の言語学の延長線で かなり理解できる。
297 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/05 14:10
ついでに、「意味はシンタックス上で現れた要素のみ考慮に入れる」って いうなら、ボリンジャーの「一つの意味に一つの形式」も言えばいい。 言ってることは色々面白いんだけど、英語学・言語学にそういう流れが 存在することを押さえてないのは致命的だよ。
298 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/05 17:15
まあ、素人に対してインパクトを与える主張を、さも画期的なことのように 書けるというのは、素人学者の特権ですな。で、自分が批判されたら「学会 の閉鎖性」という言葉で片付けられるわけだし。
299 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/05 19:08
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300 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/06 14:23
301 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/06 14:42
あの内容はむしろ、「日本語に補語はいらない」だな。
303 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/10 05:14
象は(鼻が長い)生き物である。
304 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/07/10 10:19
盆栽クリスマス文法マンセー!!
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
保守
308 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/10/28 20:49
「主語とは何か」って考えるとどうしてもフィルモアの格文法になるんだよ。 それが何に動機付けられてるか考えると、認知文法になるんだけど。
309 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/10/28 22:10
「象は鼻が長い」 「長い」の主語が「鼻」 「鼻が長い」の主語が「象」
>>309 「象は」は主題
「鼻が」は主格
日本語に主語は無い
とか言ってみるテスト
そもそも「主語」の定義は?
構文上の主語がない以上 わざわざ定義したければ個別に定義する必要がある
314 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/10/29 08:09
ちなみに、格文法が日本語の影響(主語にも助詞がつく)で 生まれたのは有名。フィルモア自身、三上文法に影響されたことを打ち明けてるし。
●●●マスコミの盗聴、盗撮は許されるのか?その1●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/974/974478132.html 580 名前: 556 投稿日: 2001/04/15(日) 18:43
>>559 入ってきてますよねえ。
だいたいやり方がワンパターンだから、時期もたいがい察しがつきます。
いやがらせする理由と同じ、黙らせるため。いやがらせするのは、嫉妬が入っているせいもあるようです。
あと相手に抗議されて逆ギレするとか(これかなり多いですよ)。でも一番大きい目的は、自分たちの犯
罪が、気付いている相手によって世間にバラされるのを防ぐこと。運と勢いで業界に入った人もたくさん
いて、その地位を保つためだったら、彼らは本当に何だってやる。盗聴も「何だってやる」の一つ。
黙らせるための方法は、「相手の主張を無意味化する」なんかがあります。ここで書いておけばここでは
やらないかもしれない(って書いてもこの書き込み流れた頃にやるだろうなあ…)ので、今までのケース
を参考に書いておきますね。
・盗聴される相手を「ネタを盗まれる程度の人間ではない」と故意に低くみなす。
・電波(あるいは妄想)と周り(あるいは本人)に思い込ませようとする。
・しつこく「そんな犯罪まがい(犯罪と書かないのがミソ)のことをやって何に
なる」と言いつづける。(説明してもわざと理解しない)
・同じようなケースをステレオタイプに書いてみて、そんなことは珍しくないとい
うことにする。(この場合具体例がない)
・たいしたことじゃない、気にするな、とか、もうどうしようもないことだ、と、
諦めるようにといってみる。
・徹底的に相手の論拠を崩す。(これはちょっと学がないとできない)
盗聴されている初期の頃、これをやられると、「確かに盗まれている、でももしかしたら自分
の方がおかしいのかもしれない」と、かなり迷ってノイローゼ状態になります。初期の人は気を
つけましょう。
これで全て解決した。やはり「は」も「が」も主語として問題ない。
質問があるならどうぞ
>>311 面倒くさいから却下
単なる連用修飾語だろ?
とんでもない。 「は」「が」などが付いているものを主語とみなす、という 単純明快で画期的な考えだ。そしてそれは 309の様に入れ子構文によって主語が二つなどという事態を 避けられる事から支持できる。どうだ
じゃ、マジレスするがね 半分ぐらいは納得できるよ 「大主語」なんて用語もあるしね でも、どのような名詞句が主語となりうるのか、を説明しないと お話にならないよね 「は」「が」以外に主語になるものはある? ないとしたら、なぜ、「は」「が」だけが主語になるの? そして「は」と「が」では、どのような違いがあるの?
主語を取れる助詞は係助詞、副助詞、格助詞まで幅広いが、 A+助詞+Bの形でAを限定・叙述できるもの。 大まかに言えば助詞のないもっとも単純なAが主語のA+Bの構文に 助詞をはさんでニュアンスを付け加えられるようなもの。
ああだから一つ目の質問の答えとしては主語になっている句(語)は その様に書けるものだな。 「は」と「が」のニュアンスの違いは これまでの文法書の説明と特に変わる事はない。と思う。
>>321 実例を出さないと、どの辺までを主語と考えているのかはっきりしないな
そして、そのAが主語であることを確認するためのテストは、何か考えてあるのか?
324 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/10/30 06:14
が に を (が)は には (を)は (が)も にも (を)も
325 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/10/30 18:55
sage
326 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/10/30 19:17
何が主語であるかを一般的に構文から決めるのは難しいね 助詞ごとに個別に定義していく必要がある。
三上は日本語に主語は無いといった 柴谷は主語はあるが、格や構文から決定される二次的範疇ではないといった にもかかわらず、今更、構文的な主述対立から主語を規定しようとする根拠は何?
329 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/10/30 22:26
>>327 助詞ごとに個別に定義するんだったら、それらに「主語」という単一の範疇を想定する意味はあるのか?
というか、格や構文から一般的に規定できないから、「主語」はいらない、って話になったんじゃないのか?
>>328-329 もちろんその通り。私も日本語で主語という概念は弱いと思う。
しかし主語を規定する事は翻訳や日本語学習者には役立つかも知れない。
そんな事はどうでもいいのだが、ちょっとやってみているだけ。
さて、とりあえず例文を考えると 「日本は外国人でも無所得者にメシが食える」 少しおかしいかな
その前に指摘しておかなくてはならないことがあった。 ウナギ文についてだ。「僕はウナギだ」 おっとその前に省略云々について述べておくと、 私は念頭に何かあるなしは別として(自然な)文に 省略されているものは何もないという立場である。 例えば反語で省略されているなどと主張して余計なものを つけるのは愚の骨頂、「そんなものいるか」と 「そんなものいるか、いやいらない」は印象も見た目も 全く別の文。書かれていないという事においては無い事それ自体が 適切な表現に必要なのだ。と思う。ただし心中に何かあるは別問題 さてウナギ文だが、とりあえずここまでで書き込み
ウナギ文も完全な文で省略などはない。 そして「僕はウナギだ」は、 その前にひとつ言っておくと「僕もウナギ」でも「僕ウナギ」でも 文として完全なのであってこの文の面白さは「は」という助詞の 問題ではないという事だ。この文が特に取り上げられたのは 僕をウナギで叙述するという事の単文での一見の不条理からだが ここで普通には不条理と思われない叙述を取り上げて 違いを考えてみる。「僕日本人」「僕色白」「僕天才」など どれも後に来る性質、属性がそのまま自然に 受け入れられるものなのであってそこで不条理とは思われないのである。 しかし「僕トイレ」「僕ユニクロ」「僕ウナギ」などとなって行くと より詳細な文脈が無くては主語に対する叙述とみなせなくなるのであって、 ウナギ文であるかどうかは単にそれだけの違いである。 そこで状況の連想により詳細な状況が必要であるかに関わらず これらは正しく主語述語として主語を説明していると思われる。
であるから、英語でこの様なウナギ文があるのかどうかは 知らないが無いとすれば単に述語の適用範囲の広さの違いであろうが そもそも英語には名詞構文はなかったはずだが、 日本語の名詞構文を英語のbe動詞構文に勝手に対応させたのが この問題をこじれさせた原因だろう。 ここでこのウナギ文を調べるととりあえず名詞構文の主語述語で 日本語が叙述できる内容を考える事ができ それは状況によって大変幅広いことが分かる。 ちょっと分類する気が起きないが。 「僕〜」では「は」を使わなくとも、まさに「僕」を“主題”として 何でも述べられそうだ。そこで日本語の主語(と述語)の性質が まさにここにあると考える。ここまで書き込み
書く事は沢山あるのだけど、とりあえず今日は最後にひとつ
主語述語とこれまで書いてきたが主部述部としたい。
というのも日本人の自然な感覚としては
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」などでも
「祇園精舎の鐘の声」が主部、「諸行無常の響きあり」を述部としたいからだ。
「声」や「あり」を取り出すのはちゃんちゃらおかしい。
最後にいま
http://www3.yomogi.or.jp/nakap/toiro/syugo0-kaisetu.htm こんなページを見つけたのだが、ここで
「昨日は妹も海に行った」の主語は「妹」、述語「行った」となっているが
私はこの分の主部は「昨日は」、述部は「妹も海に行った」としたい。
この文は主部「昨日」について「妹も海に行った」と述べているのである。
この様な事が可能なのは上のウナギで述べた日本語の主語述語の
適用の広さゆえである。もちろん「妹も海に行った」については
また別の話だ。
おっと上の祇園精舎の主語述語はちょっと間違っていた まあ言いたい事は分かると思う。
ああ? やっぱり主語はいらないって話なんだな?
まあそういうことだ。
ま、伝統的ちゃあ伝統的な考え方だな
ガ格は他の格とは異なる構文的特徴をいろいろもっている。 −ガを「主語」と呼ぶかどうかは別として、他の格と同列の「補語」とするやり方はまずい。
>>341 ・ガノ可変。
・主節と従節の−ガが一致する場合、後者は義務的に省略される。
・論理関係不明に見える−ガがある (「象ガ鼻が長い」 「太郎ガいちばん腕力がある」等)。
さてはじめるか。しかしどうしてどうして主題という言葉は大変適切だ。 やはり国語学者にはかなわんな。そんなこんなで日本語は 主題+述部で構成されていると云う主張に用語を切り替える。 どちらも単語でも句でもよい。そして主語として無理に日本語に 導入していた概念は今後、動作主とでも呼ぶ。動作主は 主題と一致している事もあるし文面に現れない事も多い。 例えば「絵が好きだ」は辞を含めるかは後で考えるとして 主題「絵」と述部「好き」だが、動作主はどこにもない。 これも助詞の選択の問題ではない事を容易に確かめられる。 動作主の不在にもかかわらず大層自然に 「絵」について記述なされている。主述の適用の広さゆえである。 これに付いては後で別の観点から述べる。かも知れない。 とりあえずここまで書き込み
題述構造については、過去に散々研究されてきたわけで 今更、藻前の講義なぞ聞いても仕方ないのだが 結局、日本語に主題、主格はあるが、主語は無い、というのが、藻前の結論なのか?
>>344 その通りなのだが、欧米人に対抗して逆に主語という言葉を
主題の意に置き換えてしまおうという趣旨だ。
>題述構造については、過去に散々研究されてきたわけで
>今更、藻前の講義なぞ聞いても仕方ないのだが
大目に見てくれ
それから主格も必要ない(あるいは動作主と主題が一致する場合をさす)。 と思う。少しこれまでの事を例示すると 最初の方でも述べたが「象は鼻が長い」は 「象」が主題。「鼻が長い」が述部(題述の方がよかろうか) 「鼻が長い」の句は「鼻」が主題。 「私は英語が分かる」も「私」が主題。 「英語が分かる」の句は「英語」が主題。
「昨日は妹も海に行った」は「昨日」が主題 「妹も昨日は海に行った」にすると「妹」が主題 「明日は水泳」は「明日」が主題 「明日は水泳がある」「明日水泳がある」としても「明日」が主題。
主題、主語、主格というときは 主格というのは、「が」格のことですよ これをいらないというのは、ちょっと...
じゃ、「俺は昨日駅で可愛い女の子をなんぱした」だったら 「俺は」が「昨日駅で可愛い女の子をなんぱした」の主題で 「昨日」が「駅で可愛い女の子をなんぱした」の主題で 「駅で」が「可愛い女の子をなんぱした」の主題で 「可愛い女の子を」が「なんぱした」の主題なわけだな
そういう事だ。だから動作自体を主題にしたい時には (倒置にしなければ)主部を書く事が出来ない。 いわゆる「省略した」状態になる。とりあえず書き込み
>>348 そうは言っても素朴な感覚として私には
特別に感じられない。
格自体が日本語では主題を基礎として周りに
柔らかく分化している程度の印象しか受けないがどうだろう。
だからぁ 「が」「を」「に」とかいう表層格(形態格)を 主格、対格、与格(位格)と呼んでるんだよ 意味役割とか、文法機能とかとは無関係に。 必要だとか、必要じゃないとかいう問題ではない。 つーか、もう少し勉強しないと、恥ずかしいぞ
>>352 全然関係ない話をしているぞ
文字通りの主格としてガをとらえる事の是非を話したのだ
ガ格として表層格をとらえる事に反対などしていない。
しかし言いたい事は日本語の話者に格という意識はないという事だ。 何かこうもっと単純な考え方が頭の右耳の後ろ斜め上あたりに 引っかかっているんだがなかなかおでこまでやって来てくれない。
あーもうめんどくせぇな > 文字通りの主格 ってなんだよ(苦笑 主格と、主語と、主題と、それから動作主なんかの混同を反省する視点から 主題、主語、主格の区別が導入されてきたんじゃねーか もう何十年前の話だと思ってんだよ 学部生は適当な定義で専門用語振り回さないで もうちっと勉強してから書き込んでくれよな
>>355 そうは言っても研究者によって違うからな
どの定義のことかも書いてくれるとありがたい
あるいは定説が確立しているなら教えてほしい。
しかしここでの私の立場は主題に統一する事であるから
たいした問題ではない。というのもその様な既存のものは
どれも日本語話者に備わっている感覚ではないからだ。
アメリカ人に主語がどれかをいうのは極めて簡単な事なのに
日本人には簡単でないというように。
とりあえず
>>328 あたりでも参考にしてくれ
定番だし、現在の研究者で、この辺を押さえてないのはいないと思うぞ
> 私の立場は主題に統一する事であるから
この辺がねェ、ちょっとアレなんだよ
基本的な事項を押さえてないっていうか
仮にもし君がそのテーマで卒論を執筆したとしたら、指導教官は嘆き悲しむと思うぞ
> どれも日本語話者に備わっている感覚ではないからだ。
主題、主語、主格の区別は
英語の主語=主格に対して、日本語はどうもそうではない
という洞察から生じたものだぞ
つっても、漏れもそれが専門というわけではないからな 「は」「が」に興味があるなら、最近の研究として 野田尚史『「は」と「が」』も挙げておく ただし漏れは(伝統的な)国語学と(生成とか認知とか含む)日本語学で言えば後者よりだからな 国語学の方でもいろいろ言われてるとは思うが、そっちの事情には疎いので許せ
>>357 そのあたりは大体見たはずだが…
まあ格はテーマではないからサル追いしないでくれ
>> 私の立場は主題に統一する事であるから
>この辺がねェ、ちょっとアレなんだよ
主題で統一するというのは、日本語話者としては
自然な感覚のはずだ。というのも、日本語話者ならば
どの文でも何について言いたいのかそれをどう言っているのかの
区別を一目で見取る事が出来るように思う。
>英語の主語=主格に対して、日本語はどうもそうではない
>という洞察から生じたものだぞ
であるから一度、主語や主格からは離れるのだ
まあ素人仕事である事はもちろん認めるが
まぁ、一つだけ言わせて貰うとすれば 「主題で統一」というのは、突っ走りすぎな気がするよ 主題と主格とかは、文法的に別の次元の概念だ、と捉えて その上で主題の問題を考える、という方が、穏当な気がするがね 主語や主格から離れて、主題を考える、というのは、妥当だと思うよ ということで、寝るので、おやすみ
さて今日はまだきちんとはアイデアが煮詰まってはいないけれども 格はいらないとは一体は何を言いたいのかの概要を書きたいと思う。 まあ時枝文法からそう離れることはないし、どうも私の言っていることは 既に三宅武郎という人がやっているような話が検索していたら 出てきてしまったのだが気落ちせず続けてみる。著書が見つからないし。 論文探せる環境にないし。さてその前にここまでの主張ことをまとめると、 日本語は「主題+題述」(述部は題術に変更)の構造である。 そして主題は文頭に来る語句が担う。そしてこれは助詞の種類によらない。 ここまで助詞を含むか含まないか決めていなかったがここからは主題には 助詞を含むとしたい。そして助詞を除いた部分をとりあえず主体とでも呼ぶ。 つまり「話をそらす」ならば主題は「話を」、題述は「そらす」となる。 (非難轟々だろうが与太話位に聞いてくれるとありがたい。) というのも「話がそれる」と「話をそらす」、「皿が落ちた」と 「皿を落とした」、のようなものはどちらも日本語話者にとって 対になっていて動作主の違いを争うものの皿について記述しようという 心理にはかわりがないと思うからだ。ここまで書き込み
そして題述可能な事は多種多様であるということは上で述べたと思う。 さてそうすると題述もさることながら主題における助詞の違いとは何か ということになる。これが今日のテーマということになる。 構文から把握できる科学的な方法では それはもちろん表層格と考え分類し、実例を集め 法則を見出し、それを文法とするということになるだろう。 しかしそんな事をする気力も体力も時間もないから これまでと同様日本語話者である自分をよく観察することで 自分が構文するときのその方法を見出したいと思う。 とりあえずここまで書き込み。
ところで私は先ほどうつらうつらしていた。 うつらうつらしている状態とはいいもので わけの分からない考えが現れては消え、 形を成したかと思えばぐにゃりと変形したりと なかなか完全に目が覚めていると体験できない事が起こる。 一種のおかしな覚醒状態なのかもしれないが、この時は 思考も大変滑らかかつすばやくただしあらぬ方向に進む。 いや実の所その間どの位の時間が経っているかは 全く分からないから素早くというのは感覚の問題だが。 瞑想というのはそういう事を意味するのかは知らないが このまどろみは大変役に立つ事がある。例えば 言葉にならない感覚を実体化するときなどにだ。 とこんなことを書くとおかしな人と思われるかもしれないが 馬鹿っ話程度に聞いてくれ。書き込み
さてそのうつらうつらしている時、私は「花」という言葉を 想像してみた。すると赤と真紅と黄色のチューリップが ベージュの花瓶にささり、夕暮れで赤く染まった部屋に 並べてある机の上の一つに静かにおかれている場面が現れた。 そして続く助詞を想像するたびに場面が変わっていった。 「は」を想像すると私は花瓶を机からひったくって花瓶の側面を 紙のように破り、中の茎を引きずり出し始めた。しかし 「花」を想像しなおすとまた静かな部屋に戻った。 「も」を想像すると花瓶の周りに沢山の赤いチューリップが どこからともなく花びらを散らし螺旋を描きながら集まってきて 私はそれらを一生懸命腕いっぱい広げて囲いこもうとした。 読み返してみてかなりいかれている文章だ。きりが無いから やめる。ここまで書き込み
さてその時得られた助詞の適当な感想を次に列挙する。 助詞無し 落ち着いて何気なく見ている感覚 は 主体をもぎ取ってかっさばいて中身を引き出そうとする感覚 が 主体をじっとよく見ている感覚 を 主体を手に取って両手に包んで握り締める感覚 をば 一度握り締めた主体を勢いよく握りつぶす感覚 に 主体に近づいていってやんわりあれこれいじってみる感覚 へ 少し遠くから主体に手を伸ばそうとする感覚 も 主体を芯にすえて色んな物を両腕一杯に一緒くたに集める感覚 こそ 主体を取り上げて高く掲げる感覚 と 主体と向き合って一方向にずっと蟹歩きする感覚 だに 暗い鉄格子つきの地下牢から手を一生懸命伸ばすけれども主体には届かない感覚 あくまでも適当なものだから、書かれているいかれた内容は 気にしないように。しかし私は先人と同じく助詞というのは この様に主体に印象を添えるものだと考えている。この印象は (予想を違えた)文脈によっては逆行して変化するが基本的には 助詞をつけた時点で固定され題述を加えても変わらないように思える。 また変わらないように題述を加えるように思える。ここまで書き込み
上の印象の変化は後でまた考えるかもしれないが、とりあえず 主体として「ケーキ」、題術として「切る」を考えてみると この間にはさめる助詞を私のいかれた印象から説明すると 明らかな「を」「をば」はいいとして、実際に主体に作用する印象の 「は」「も」「こそ」なども許容されそうだ。 (否定形で「だに」はまた考えることにしよう。) とりあえずここまで書き込み。
...まぁ、とりあえず、だ 「能格言語」「とりたて詞」あたりを調べてみることを勧める
さてその様にして助詞というのはどの助詞をとっても 構文的にというよりは心象表現として決まっているので あるから、題述の意味する心理的動作によって選択可能な 助詞の種類・組は変化し、結果構文としての助詞格というのは 複雑にならざるを得ないとこれを予測するのである。 また「は」や「が」は非常に広い適用を持つものの それはその意味する心象からであって、どの助詞も印象を 記述するということにおいて構文上特別ではなく よって主題は助詞によらないことを提案するのである。 ただし助詞には構文上後続語との結合の強さ(算数の演算子の 優先順位のようなもの)があるから主題だけで 全てが決まるわけではない。今日はこのあたりで。
371 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/11/04 17:42
>369で自己言及している通り、これではせっかく 単純にしてきた助詞の記述が複雑になってしまう。 形態よりも意味を優位に置こうというのだから、 きっと哲学だな。言語学ではない。
まさにその通りらしい。この分類では接続詞や感動詞、 副詞その他まで単独で主題になってしまって 構文に寄与するところがほとんどない。 どうやらこの試み全くの無意味。 また何かくだらない事思いついたら書きこむよ。
「日本語に」が「主語はいらない」の主語で 「主語は」が「いらない」の主語だな。
さびれているなあ。
>>373 そういう事だ。ただし主語でなくて主題だ。
用言(述語)に対する行為者(主語)、そしてそれを文に
表すという意識は古語になるほど希薄であると言われている、らしい。
その点からも述語を中心として考える格の考え方は
日本語に適合しないと考えられる。
主題題述の観点から品詞の分類でも試みてみるか。
日本語に主語は要らない 日本語は主語が要らない
376 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/11/28 06:24
日本語は主語を要さない
日本語に主語入らない
378 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/10 20:18
がは、がは、がは
379 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/12 22:36
「日本語に主語はない」という言い方が悪い煽りだよな。 いわゆる「主語不要論者」のポイントは、日本語には 印欧語のように動詞を定形にして支配するような「主語」が存在しないということで 反対からいえば「日本語には動詞の定形がない」というのと同じ。 日本語にも動作主や論述の主体を表す表現は当然存在する。 そして「主題」という概念は「主語」とは無関係の位置にある概念。 (ただし英語や仏語などでは主語に無徴で含まれているので 独自に概念を抽出することが必要だった)
380 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/13 02:54
「日本語に主語はいらない」という題名自体が、「主語」という 主語を用いているでないか。
金谷が言っているのは、結局、「言わなくても済む要素はもともと存在しない」というだけのことだから、日本語には「主語」だけでなく、「補語」もすべて「要らない」ということになってしまう。そんなのは文法ではない。三上章の「主語不要論」とは全く無関係。 トンデモ本の一つだね。
オッカムの剃刀
金谷は頚動脈まで切っちまったのさ。 「結婚するんだ」 「{だれと/*だれを} ?」 「太郎は?」 「いるよ」 「{どこに/*どこで} ?」 こんなことがなんにも説明できないだろ。 まだあるぞ。 *停車駅は、次の電車が各駅に停まる。 「停車駅」と、「次の電車が各駅に停まる」こととは、明らかに密接な関係がある。それなのに上の文はおかしい。なぜだ?
>>383 > *停車駅は、次の電車が各駅に停まる。
繰り返して言ってたら,おかしくないような気がしてきたが……
385 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/18 02:05
>>384 そういう状態を想像できたからだろう
それは君の個性だ
ようするに、イメージしやすいかどうかが、文のおかしさを決めているので
文法的にはなんら問題ないのだ
386 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/18 02:26
>>111 >*彼はその案を反対している。
>*駅の前に兄を別れました。
>のような言い方が間違っていることの理由を、何も説明してくれません。
これは、「を」というのが、話者の「要求」「欲望」「願望」の対象に付けられる
補語だから、続く動詞が、「反対する」「別れる」とは心理的矛盾を引き起こして
しまうからだ。そのような矛盾した状況を語るためだったら使ったとしてもなんら
問題ないはずだ。
>駅の前に兄を別れました。 死体遺棄か何かに聞こえる
*駅の前を兄で別れました。 *彼をその案の反対している。
>>384-385 「停車駅は、次の電車が各駅に停まる」
この文が言えるという文脈の具体例を挙げてみてほしい (だいたい想像はつくが)。
>>386 > 「を」というのが、話者の「要求」「欲望」「願望」の対象に付けられる
> 補語だから、続く動詞が、「反対する」「別れる」とは心理的矛盾を引き起こして
> しまうからだ。
結局、動詞が補語を選択すると考えざるを得なくなる。必須補語は「基本文」の中に取り込まなければならない。
金谷の言う、補語を含まない動詞だけの「基本文」では役に立たない。
> そのような矛盾した状況を語るためだったら使ったとしてもなんら
> 問題ないはずだ。
「彼はその案を反対している」 「駅の前に兄を別れました」
これらの文が問題なく使えるという文脈の具体例を挙げてみてほしい。
そんなもの「おととい出直せ」を使う文脈を考えるようなものだ
>>390 全然違う。「おととい出直せ」を使う文脈は、「二度と来るなバカヤロー!」といった文脈であって、いたって明快だ。
「*彼はその案を反対している」や「*駅の前に兄を別れました」は、日本語の文として故障している。どんな文脈においても使うことはできない。
これらを、「彼はその案に反対している」 「駅の前で兄と別れました」へと正せないような「文法」は、文法ではない。
それは「おととい出直せ」が慣用化しているから
>>391 にはおかしな文である事に気付けないだけ。
「駅の前に兄を別れました」 も慣用化すれば同じ事。
「の駅前にを兄れまし別た」など構文上の非文とはわけが違う。
393 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/18 23:36
>「停車駅は、次の電車が各駅に停まる」 これに類する例は日常的にはよくある。 この例では、「各駅」ということが強調されていると考えれば、 「停車駅は・・・」に対する答えになりうる 動詞と後置詞の密接な関係はあるが、基本的には、どう使おうが勝手だ
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>>392 > それは「おととい出直せ」が慣用化しているから
>
>>391 にはおかしな文である事に気付けないだけ。
おかしな文であることはわかりきっている。おかしいからこそ慣用化したのだ。
「おととい」と「出直す」とは、語彙的意味が衝突している。「おととい」という日に出直して来ることは絶対にできない。
あえてそれをやれと言うことによって、二度と来るなと言っているのだ。「おととい出直せ」は、語彙的にはおかしいが、文法的にはおかしくない。
> 「駅の前に兄を別れました」 も慣用化すれば同じ事。
外国人がこういう文を作っても、直さないと?
今はまだ「慣用化」していない以上、間違いであることは動かせない。
この文は、「おととい出直せ」と違って、構文上の誤りを犯しているから、どんなふうに「慣用化」しうるのか想像もつかないが。
>>393 > この例では、「各駅」ということが強調されていると考えれば、
> 「停車駅は・・・」に対する答えになりうる
意味不明。文脈を具体的に示してくれと言ったはずだが。
横レス。 A「この私鉄に乗るの初めてなんだ。」 B「そうなのか。次の駅まで乗ればいいよ。」 A「この私鉄って特急とか通勤特急とか、いろいろあってややこしいね。 どれに乗ったら次の駅に降りられるか分からないなあ。停車駅ってどうなってるの?」 B「停車駅? 停車駅は、次の電車が各駅に停まるよ。」 A「ああそう、ありがとう。じゃあ次の電車に乗るね。」 ってどうだ?
日本語に主語などないよ むしろ、主語の位置にある話者が、助詞等の後置詞をもって物事を構成し、 話者が、その構成を第三者に渡すことで、コミュニケーションが成り立って いるのだから。
「構成を渡す」と言ったが、「話者の位置を明け渡す」としたほうが良いかな? 話者位置の共有というのが、日本語のコミュニケーションの本質だよ
>>395 >「駅の前に兄を別れました」
まず「駅の前に」は問題ないな。ちょっと古い語法だが、
「駅の前に兄」で「兄」を修飾し兄がそこにいるなどの意を表す。
次に「兄を別れました」。「と」ならばお互い別れた事になるが、
さてこれもちょっと古い語法になるが「を」ならば一方的な別れになる。
「地球を別れる」で分かるかな。すると「駅の前に兄を別れました」は
「駅の前にいる兄に(気付かれないように)別れを告げる」
というような意味である事が分かる。全く非文法ではない。
後はよく使われるかどうかで、つまりどの程度慣用化しているかどうかで
これに違和感を覚える人の割合が決まる。それだけの事だ。
すげえこじつけだな。釣りか? 「駅の前に兄」「兄を別れました」「地球を別れる」 いずれも厳しいだろ まず「に」をこういう連体用法で使うというのは古い語法でもちょっと聞いたことが無い もしあるなら例を示してくれ。予め言っとくが、「白地に赤丸」みたいな連体用法は違うからな 「兄を別れました」「地球を別れる」も普通は言わない 「地球を発つ」「地球を離れる」みたいな起点の「を」というのは確かにあるが 「別れる」に起点ヲ格を用いる例と言うのはみたことがない たとえ言えたとしても、起点ヲ格の項は場所であって、有生物が生起することは普通は無い *兄を離れる 兄のところを離れる
おいおい自分が聞いた事がなければないのかい。
まさに「すげぇこじつけだな」。
「を別れる(て)」の現代用例はわんさか出てくるな。
そういえばテレビの旅行番組などで「(場所)を別れて」はよく聞くな。
「普通は言わない」というのは
>>400 個人的感覚の話かな?
402 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/19 20:00
「おととい出直す」の例と「兄を別れる」の例との違いを混同しているヤシ大杉。 400だけかよ、はっきり認識しているのを文面から読み取れるのは。 この例は語学的な格文法でかたがつく罠。 「おととい出直せ」は文法上は完璧に正しい。 事実上現実世界で文の示す意味の実現がありえないだけ。 「出直す」のテンス(あるいはアスペクト。ここでもめないで暮れ)を変えて 「おととい出直した」とするだけで誰の目にも疑問を生じさせない文が出来上がる。 (「出直す」のボイスを変えていないので格を巡る状況は変えられていない) 「おととい」には格助詞「に」が隠れていて、 「出直す」の要求する「時間をあらわす語・句・節」につく格助詞「に」(与格)と 正しく符合しているというわけだな。 他方、「兄を別れる」で、この文を挙げたヤシが言いたかったのは、 「別れる」は別れる相手をあらわす表現に「と格」を要求するはずで「を格」は要求しない。 ということ。だから、401が言うように「別れる」が「を格」を要求する場合がありえるなら (漏れは399に同意。「別れる」が別れる相手の人に「を格」を要求する場合は 現代日本語の共通語においては存在しないと思うがな) ただ単に「挙げた例文が悪かった」という話になる。
403 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/19 20:01
しまった。399に同意ではなくて400に同意ですた。 意味が反対になってしまう。
「と別れる」50,800件 「を別れる」361件 実際には「〜を別れる理由にする」みたいのも多いのでもっと少ない
405 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/19 20:24
>>397-398 似非比較文化学まがいの話はやめれ。
そんなことを言うなら、
「印欧語の多くでは複数形において主格と対格が同形である。
これは印欧語族が集団を形成すると麗しい共同体的一体性を形成することを示している。
とりわけ主格対格同形の多いドイツ語国民はとりわけ麗しい共同体精神を持ち・・・」
などというアフォ論文がいくらでもできる罠
日本語も他の多くの言語と同様に、
主体、客体、行為などをクリアに現わすことのできるごく普通の言語だよ。
406 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/19 20:42
繰り返すけど、 「主語廃止論者」の攻撃対象は、 日本語において「主語(主部)」−「述語(述部)」の二項対立を持ち込もうとする古い文法理論と、 (漏れが消防の時勉強した国語文法の教科書にはこけしの絵が書いてあった。頭=主語、体=述語。) 主語が動詞を支配するという、印欧系諸語などの「動詞の定形」の観念の日本語へのそのままの持ち込み。 でも、このどちらもクリアに当てはまるのは 非人称構文を廃し、複雑な格語尾を無くして硬いSVO型の語順を確立し、 且つ依然として主格の定動詞支配の残滓(定動詞の人称語尾)をわずかに残している現代英語くらい。 印欧語族でも、ラテン語やギリシア語はもちろん、イタリア語あたりですでに上記原則は怪しくなる。 だから「日本語の文法規則を述べるのに現代英語特有の文法規則をそのまま持ち込むな」 とは当たり前の話。 でもだからといって、現代日本語には格文法そのものがあてはまらないと言うのはおかしい。 むしろ日本語の格文法は明晰判明で用法が厳密だ。
頭の悪い
>>401 はもういなくなったのか?
もっと楽しませてくれよ
408 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/19 20:52
「停車駅は、次の電車が各駅に停まる」 一応これも格文法から分析しておくよ。 助詞「は」は本来つくべき格助詞を隠す作用があるが 「停車駅」は「停まる」から見てどの格なのか類推が効かない、 宙ぶらりんな語句になってしまっている。 「停まる」から見て要らない語句だからなのだけれど。 漏れはこの文は日本語の文法として間違いだと思う。 それにこんな文を現実にいわれたら「ハァ?」と聞き返すだろう。
>>396 完璧に予想どおりだ。ありがとう。
「停車駅は、次の電車が各駅に停まる」が言えるとすれば、
「それぞれの電車の停車駅は、次の電車が各駅に停まり、通勤特急が途中三つの駅に停まり、特急が途中一つの駅に停まる」のような文の一部だけを発話した場合だろう。
このとき、「それぞれの電車の停車駅ニツイテ、次の電車が各駅に停まり、通勤特急が途中三つの駅に停まり、特急が途中一つの駅に停まること」と言うことができる。
つまり、命題の中に補語として存在しない要素を、主題 (−ハ) として取り立てることはできないのだ。
>>410 正直スマンカッタ。402で395の引用は最低でもすべきですた。
どのレスとどのレスが同一人物のカキコなのか
特にこの板はID無しだからよくわからないので
つい手抜きをしてしまいますた。
ただ、このスレで伝統的な格文法的考えを否定したがるヤシがいて
その否定こそが現実の分析に悲惨な結果をもたらしている状況を見て取れるから
そのヤシらに対して馬鹿丁寧に書いたんですけどね。
>>409 補語しか主題になれないというのは少々言いすぎだな
例えば野田の『「は」と「が」』では
「このにおいはガスが漏れてるよ」構文というのに、一章割かれている
あと、副詞もわりと自由に主題化することを忘れてはいけない
「明日は卒業式がある」とか
>>400 色々あるが古文では格と解釈できないものもよくある。
「は」と同様、意味は異なるが単なる主題提示として機能する。
これはよく知られた事で俺が言っている事ではない。
その中*に*、王とおぼしき人、家に、「みやつこまろ、
まうで来。」と言ふに、猛く思ひつるみやつこまろも、
物に酔ひたる心地して、うつぶしに伏せり。
よくもあらぬかたち*を*、ふかき心ざしをしらず、あだ心つきなば、
のちくやしき事もあるべきを、とおもふばかりなり。
たらちねの はは*を*わかれて まことわれ
たびのかりほに やすくねむかも
人間の頭の中が、ここの言語学の玄人のいうような理屈で動いているとは とても思えないね 文法はもっと単純で柔軟で、ゆえに、もっと出鱈目なものだと思うね 今に、「地球に別れを告げる」というところを、面倒くさくなって、「地球を別れる」と 言い出すかもしれないしね
京*に*、その人の御もとにとて、文書きてつく。
月を見し 去年の今宵の 友のみや 都*に*我を 思ひいづらん
古文は古文、現代語は現代語ってことでいいですか?
>>412 > 例えば野田の『「は」と「が」』では
> 「このにおいはガスが漏れてるよ」構文というのに、一章割かれている
これが言えるのなら、例えば、何種類かのにおいを嗅がせたあとで、「どのにおいガ、ガスが漏れてるでしょうか?」のようにきくこともできるだろう。
だから、やはりガ格補語からの主題化だと考えたい。
> あと、副詞もわりと自由に主題化することを忘れてはいけない
> 「明日は卒業式がある」とか
命題の中に収まる副詞は、主題化については、補語と同様に考えてよい。
命題の中に収まらない副詞は主題化しない。「*たぶんは」 「*きっとは」 「*もしかしては」 「*どうやらは」……
>>413 > 色々あるが古文では格と解釈できないものもよくある。
多くの場合、格助詞の機能または動詞の格のとり方が、現代語と違っていただけだろう。
> その中*に*、王とおぼしき人、家に、「みやつこまろ、
> まうで来。」と言ふに
> 月を見し 去年の今宵の 友のみや 都*に*我を 思ひいづらん
−ニが存在の場所だけでなく、運動の場所をも表しえた。
> たらちねの はは*を*わかれて まことわれ
> たびのかりほに やすくねむかも
動詞ワカルが−ヲをとっていた。
> 京*に*、その人の御もとにとて、文書きてつく。
現代語の−ニとどこか違うか?
>>414 金谷式は必然的にこういう態度に至る。すなわち文法の否定だ。
>>419 ああ、そうか
補語には必須補語と副次補語があるからな
それなら、まあ、主題化するのは補語と言えるかも知れん
ただ、「どのにおいガ、ガスが漏れてるでしょうか?」の「が」は総記の「が」で、とりたてみたいなところがあるから
単純にガ格補語というのは問題があるかも知れんな
ただ、俺は主題の条件と言うのは、「文の補語である」みたいな形式的なものではなくて
もう少し意味的な要因(主語と文の残りの部分との関係)も考えるべきだと思うがな。
訂正 (主語と文の残りの部分との関係) →(主題と文の残りの部分との関係)
>>421 > ただ、俺は主題の条件と言うのは、「文の補語である」みたいな形式的なものではなくて
> もう少し意味的な要因(主題と文の残りの部分との関係)も考えるべきだと思うがな。
主題が命題内の要素でない場合、概ね「ねじれた文」が出来る。どの程度まで許容されるか、客観的な基準が立てられるならそれに従いたいが、そうでないなら、やはり非文法的と考える。
「このにおいはガスが漏れてるよ」についても、おれは問題があると思う。外国人には教えない。
>>420 なるほど、君はむしろ逆に国文学者の
伝統的解釈のほうが間違っているという説を
唱えているわけだ。
>「このにおいはガスが漏れてるよ」についても、おれは問題があると思う。外国人には教えない。 これが生きた日本語なのに、教えないというなら、何を教えるのですか?
>>424 国文学者がそんなバカなわけないじゃないの w
例えば、「ヴェニスに死す」という題名がある。現代語で「*ヴェニスに死ぬ」と言うことはできない。やはり「ヴェニスで死ぬ」だろう。
つまり、−ニは古典語では「死す」という運動 (変化) の場所を表しえたが、現代語の−ニは「死ぬ」という運動の場所を表しえず、その表現のためには−デを使わなければならない、ということだ。
この事実をもって、「ヴェニスに死す」の「に」は格で解釈できないなどと言う「国文学者」は、一人もおるまい。
>>425 > これが生きた日本語なのに、教えないというなら、何を教えるのですか?
「このにおいは、ガスが漏れてるんだよ」と言えればそれでいい。ノダが落ちる場合もあるということは、自然にわかるだろう。
その構文を非ネイティヴが自ら使わなければならない場面は全くない。
>>426 君の解釈だと
> その中*に*、王とおぼしき人、家に、「みやつこまろ、
> まうで来。」と言ふに
その中から、王と思われる人が…と言うと
> 月を見し 去年の今宵の 友のみや 都*に*我を 思ひいづらん
…(その友が)都で私を思い出している事だろう
> 京*に*、その人の御もとにとて、文書きてつく。
京に宛てて、私の思い人にと、手紙を書く。
というような訳にならないか?
議論がかみあっていないように見える というか、双方何が言いたいのかいまいちわからん ちょっと論点を整理してくれ
文法好きな連中は、現代文に固執しがち、古文も考えに入れれば もっと柔軟に考えられるだろう
>>427 > > その中*に*、王とおぼしき人、家に、「みやつこまろ、
> > まうで来。」と言ふに
> その中から、王と思われる人が…と言うと
「その中デ」でいいんじゃないの?
> > 月を見し 去年の今宵の 友のみや 都*に*我を 思ひいづらん
> …(その友が)都で私を思い出している事だろう
国文学者の解釈がまさにそれなんだが。
> > 京*に*、その人の御もとにとて、文書きてつく。
> 京に宛てて、私の思い人にと、手紙を書く。
この例には、おそらく語順の錯綜がある。「『その人の御もとに』とて、京に文書きて、〔ソノ文ヲ修行者ニ〕つく」とあってほしいところ。
京が恋しくて頭に出ちゃったんだろうね。
>>429 現代語と古典語の文構造は基本的に変わらない。比較対照したって「柔軟」=ナンデモアリにはならないよ。
>>428 ・格補語 (特に必須補語) は、動詞が選択するものであって、現れていなくても潜在するのか、それとも金谷が言うように、動詞は「基本文」においては裸であって、格補語は必要なときだけ足されるものにすぎないのか。
・主題 (「○○は」の「○○」) は命題内の要素でなければならないのか、それとも金谷が言うように、主題は主題以外の部分と構文上のかかわりをもたなくてもよいのか。
横レススマソ。格補語なんて文法用語あったっけ
>>429 せめて近世あたりからでも視野に入れないと、独断に陥ってしまうな。
>>430 >「その中デ」でいいんじゃないの?
「その中で」はどこにかかるんだ?
>国文学者の解釈がまさにそれなんだが。
そんな解釈ははじめて聞いたぞ。確かにありそうな解釈ではあるが
全体の意味から言えば「都にいたころの我」という伝統的解釈の
方が妥当だろう。
>この例には、おそらく語順の錯綜がある。
これもそんな説ははじめて聞いたぞ。
やはり伝統的解釈のほうが間違っているという説を
唱えているわけだ。
なんか人の意見に屁理屈つけて伝統文法と差異化して 自分の意見を正当化しようと必死になってる権威厨がいるな 自分の意見がないやつとか、本質的な議論で対抗できない奴がよくやる手だよな
436 :
名無し象は鼻がウナギだ! :03/12/21 16:29
,;i|||||||||||||||||||||||||||||||ii;、 _/ /||||||||||||||||||||||||||||||||||||||ii;、 \ / ̄ ̄\||||||||||||||||||||||||||||||||||||ii;゙ヽ, / '" ̄ヽ ヽ!!|||||||||||||||| ||||||||||!!"ヘ < ロマンティックageるよ ヽ ゙!!!|||||||||||| |||||||!! iヽ── / |||l ゙゙ヽ、ll,,‐''''"" | ヽ|||||||||ロマンティックageるよ |||l ____ ゙l __ \||||||||| ||!' /ヽ、 o゙>┴<"o /\ |'" ̄| ホントの勇気 見せてくれたら \ / |ミミヽ──‐'"ノ≡- ゙'──''彡| |、 | |  ̄| |ミミミ/" ̄ 、,,/|l ̄"'''ヽ彡|| |、/ / ロマンティックageるよ ヽ、l| |ミミミ| |、────フヽ |彡l| |/ /_ \/|l |ミミミ| \_/ ̄ ̄フ_/ |彡|l/  ̄/ ロマンティックageるよ \ ノ l|ミミミ| \二二、_/ |彡| フ  ̄\ l|ミミミ|  ̄ ̄ ̄ |メ/ \トキメク胸にキラキラ光った | \ ヽ\ミヽ  ̄ ̄"' |/ / / \ヽ、ヾ''''ヽ、_____// /_夢をageるよ / ヽ ゙ヽ─、──────'/|  ̄/ . / ゙\ \ / / \__ ───'''" ̄ ̄ ゙゙̄ヽ、__,,/,-'''" ̄ ゙''─
どれも高校古文頻出の部分ばかりじゃん まともに授業を受けなかったのがバレバレの奴がいるな
糞スレになってきたな 誰か方向修正しれ
>>434 > 「その中で」はどこにかかるんだ?
そりゃ「おぼしき」だろう。確かに、「おぼし」は動詞でなく形容詞だが、現代語でも、「そのなかデ主役にふさわしい人」 「太郎が学校デいちばん背が高い」のように、形容詞が−デをとることがあるから、並行的に考えればよい。
だいたい、この箇所は注釈の対象にすらなっていない (竹取)。
> そんな解釈ははじめて聞いたぞ。
岩波旧大系、小学館日本古典文学全集、いずれもこの解釈 (平家 8・緒環)。
> これもそんな説ははじめて聞いたぞ。
岩波旧大系注釈によれば、「京に」は「『文書きてつく』にかかる」 (伊勢 9)。
少々あいまいだが、要するに前記のようなことだろう。
>>439 > そりゃ「おぼしき」、、、
するとこれは動作の起点ではないな。
> 岩波旧大系、、、
なるほど各説あることは分かった。残念ながら古典文学全集は
売ってしまってすぐには確かめられない。
これの最大の論点は「に」は後続の動詞を期待したのかという事だが
この用例では解決できないという事は分かった、しかし
「で」(「にて」が変化したといわれる)が、その用法を
留めているとすれば、「に」もそうであったと類推できるのではないか。
(「日本で首相の小泉」)。またそうであるから「で」も
(昔の)「に」も格とするのは妥当ではない。
>>440 の論点がいまいちよく分からんので見当違いかも知れんが
> するとこれは動作の起点ではないな。
デ(ニ)が動作の起点ではないことは、ここでは何か関係あるの?
> 「で」(「にて」が変化したといわれる)が、その用法を
> 留めているとすれば、「に」もそうであったと類推できるのではないか。
これは、現代語で「で」というところが、古典語では「に」と言われる場合もあるので
古典語の「に」は、現代語の「で」と同じ性質を持っているということ?
そして、現代語の「で」は格ではないから、古典語の「に」も格ではない、と?
確かに「で」が必須補語であることは稀で、大概は副次補語であるのだが
この「で」を格と呼ぶべきかどうかは定義次第でしょう
格を、述語が必ず名詞句に付与するもの、と考えるのであれば
「で」は述語の付与する格とは言えないかも知れない
しかし、副次補語であっても、述語にかかる補語であることは変わらないわけで
論点は「駅の前に兄を別れました」を何としてでも適法にする事
>>440 「その中に王とおぼしき人」が「その中で王と思われる人」と訳されるからって、
>>420 でこの古典語の−ニについて、運動の場所を表すと言ってしまったのは不適切だった。
しかし、現代語において、運動の場所を表すためには−ニが使えず、−デを使わなければならないという事実は動かない。
もちろん、現代語の−デは運動の場所 だけ を表すわけではない。
> またそうであるから「で」も
> (昔の)「に」も格とするのは妥当ではない。
かりにこれを認めたとしても、場所を表す現代語の−ニは、述語の種類を問わず使えるわけではないから、格だといえる。
副次補語って何?誰の説?
寺村
昨日、俺が言語学に興味のあることを知って、うちの親父が 買ってきた金谷武洋の「日本語に主語はいらない」を、 感動のあまり徹夜で読んでしまった厨房です(大学生だけど)。 このスレを1から読んでみます。
447 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/06 09:31
新しい年になりましたが、ここは数年続いた議論が終息しちまったか、 進んでないですな。実際、主な議論は出尽くしちゃってますね。 446さん、よーく読んで、何が問題なのか勉強してください。 私も暮れに初めて読みましたが、タイトルから80年代に書かれた ものとばかり。2002年でびっくり。何でいまさら? この人、 類型論やってて個別言語学まるで無視。以前のスレにもあったが、 三上を継承した今の「日本語学」を見よ。(是非は別) 講談社には、初耳でおもしろかったのか。にしても勉強不足。 三上の牙城くろしお出版に持ち込まなかったのは賢明だった。
>>381 にもあるように、この本の内容は、実は三上章の学説とほとんど関係がない。
>>449 にしても、三上章を知ってるなら金谷武洋の本を推薦するのは解せない。
ぶっちゃけ読んでないんだけどさ。
>>431 の説明とか見る限り、一つの説として理解できないこともないんだよね。
大体、動詞が項なり補語なりを取るっていう考え方自体が一種のドグマみたいなもんだからさ
他の考え方があったって不思議じゃない。
ただ、動詞価(valency)を用いないとすると、どうやって構文論を組み立てるかだよな。
名詞句の必須性は、認知論と語用論をベースに決定され、
構文はレキシコンで指定されるのではなくて、
意味と統語との関係を決定する、一種の自律的、一般的なシステムとして立てるって感じかな。
452 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/09 21:46
>>451 > ただ、動詞価(valency)を用いないとすると、どうやって構文論を組み立てるかだよな。
> 名詞句の必須性は、認知論と語用論をベースに決定され、
> 構文はレキシコンで指定されるのではなくて、
> 意味と統語との関係を決定する、一種の自律的、一般的なシステムとして立てるって感じかな。
そこまで考えてやってくれるなら大いに結構。寺村の必須補語と副次補語の分類には、実は大きな問題があると思われる。
もっとも、金谷はナンニモ考えてないけどね。
453 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/12 19:24
日本語では代名詞を使用すると差別が明確になる特徴があります。 現代では、男女差別の縮小や人権の向上などで 人と人の差別を明確化しにくくなってきているので主語の使用が減少してきているのだと思います。
月刊『言語』2004年2月号(定価920円)
http://thistle.est.co.jp/tsk/detail.asp?sku=50402&page=1 【特集】日本語の主語を捉える
──6つのトピックから見るその姿−−−−−−−−−−−−−−−
日本語の主語をめぐっては、その概念の要/不要という二元論にはじまり、
「は」と「が」の問題など、今日まで様々な議論がなされてきた。文の表面に
主語そのものが現れないことは多くあるが、それを探る手がかりは無数にある。
「意志性」や「敬意表現」「機械翻訳」「国語教育」など、日本語の主語に関
連するトピックを論じることによって、その姿を浮き彫りにすることを試みる。
○見えない主語を捉える(野田尚史)
○談話分析から見た主語(野村眞木夫)
○意志性から見た主語(仁田義雄)
○類型論から見た主語現象(松本克己)
○敬意表現から見た「主語」(三宅知宏)
○国語教育から見た主語(島田康行)
○機械翻訳から見た主語(成山重子)
○「名文」でたどる日本語主語論の歴史(加藤重広)
1 「象は鼻が長い」
2 「僕はウナギだ」
3 「カキ料理は広島が本場だ」
456 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/14 23:42
アメリカでは広い庭にプール付きの大きな家に住んでいる人が
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458 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/14 23:49
>>456 ワラタ。
一体どんな主張をしているんだろう?
そもそも、前著では、主語のあるヨーロッパ語と主語のない日本語の
基本的な構造の違いを強調していたはずなのに。。。
>>456 おもわずワラタ
ひょっとして彼はねらってるのではないかと小一時間(ry
460 :
超はずかピー ◆t5HzkpVE/g :04/01/14 23:56
>>458 金谷の「日本語文法の謎を解く」(ちくま新書)を読んだんだけど、確かそこで
「英語も昔は主語がなかったらしいことがわかったので、そのうち『英語にも主語
はなかった』という本を書こうと思っている」てなことを言ってた。
だから、その話でしょう。
2002 日本語に主語はいらない―百年の誤謬を正す 2003 日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語 2004 英語にも主語はなかった 言語千年史から日本語文法へ 池上の『「する」と「なる」の言語学』も微妙にぱくってますな
464 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/24 21:25
月刊言語読んだよ。 こちらは、初手から堂々の「主語」肯定。 これもある意味画期的ではなかろうか。 金谷と野田との対決が必要っての、これで意味がわかった。
画期的というか 三上の主語不要論の頃から 多くの研究者による賛否両論の議論があったわけだが
466 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/24 23:38
うん。だけどね、今の「日本語学」派で「主語」なんて語を 注釈なしに使う人がいるなんて、知らなかった。というか、 野田、仁田がそちらに与していることを知らなかった(これ、 完全に認識不足ね)し、あれだけ大論争になった「主語」って トピックをその前提なしに扱ってる『言語』の姿勢に驚いたのよ。 以前、主語・主格・主題については特集してたように記憶してるんだが…。 趨勢が変わったのかね。その流れがあるとしたら、おもしろいね。 あるいは、大修館の事情があったりしてね。
467 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/24 23:48
日本語には主語はあるよ、ただ、主語を省略しても非文にならないだけで。
>>467 ええと、藻前の言う「主語」とはなんであるかと小一時間(ry
ひょっとして主格のことかとまた小一時間(ry
シュゴって書くとカッコいい
>>466 1975年に「日本語の主語」という特集があった
だいたい三上と柴谷の間ぐらいの時代かな
1977年に「「象は鼻が長い」―日本語の分析」という特集がある
それ以外では、特集名から主語特集と分かるようなのはない
国文法は、西洋文法からの敷き写しで、日本語の文には主語と述語があるとした。 三上章はこれに反対し、西洋語の主語と同じような機能をもつ主語は、日本語の文にはないと主張した。 ところが、日本語をよく観察すると、西洋語の主語と同じではないけれども、やはり「主語」と呼んだほうがいい機能をもつ要素が、日本語の文にもあるということがわかってきた。 最初の国文法の「主語」は、単なるまぐれ当たりというべきか、それとも、何らかの正しい直観を反映していたのだというべきか。 コロンブスの新大陸発見みたいなものだな。
473 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/25 10:56
>>470 情報、どうも。しかし、75、77年とはずいぶん昔ですね。
しかし、一応三上を検討しようという姿勢は、当時言語学界に
あったってことかな(それでも、10年遅れだが)。
私が見たのは97年2月号?(大修館HPのバックナンバー一覧より)
これか 1997:2 〔特集〕例解日本語文法―「魚は鯛がいい」〜「愛だろっ、愛っ。」 「魚は鯛がいい」―主題をもつ文の構造 野田/尚史 「伊達さん、結婚するだろうか」―<問いかけ>と<疑いの表明> 仁田/義雄 「富士山は昨日太郎に登られた」―受身文の適格性条件 高見/健一 「あの人は奥さんが三回変わりました」―回数表現と述語の関係 定延/利之 「魚の焼ける匂い」―因果関係を表す連体修飾表現 益岡/隆志 「患者が注射をする」―動詞の意味的焦点と事態の結果のコントロール 佐藤/琢三 「うどんにマヨネーズかけたりして」―並立の意味 森山/卓郎 「もしもし、切符を落とされましたよ」―終助詞「よ」を使うことの意味 井上/優 「愛だろ、愛っ。」―推量と確認要求 三宅/知宏 別に主語特集というわけではないが 然るべき人々が何人か執筆しているな
>>473 それと、10年遅れというのはまったく認識不足で
既に少なくとも70年前後から
久野、北原、佐伯といった人々が三上にreferしているぞ
たしか奥田か誰かの書評かなんかもあった気がするのだが(忘れた)
『言語』の特集も、柴谷の主語論も、その流れの中で見るべきだろう
ついで(おせっかい?) 1975:3 〔特集〕日本語の主語 日本語の主語 北原/保雄 主語とは何か 奥津/敬一郎 主語論の問題点 鈴木/重幸 『主語』の周辺 南/不二男 タガログ語と日本語の主語 森口/恒一 英語の主語と日本語の主語 毛利/可信 1977:6 〔特集〕「象は鼻が長い」―日本語の分析 「象は鼻が長い」―三上文法におけるハ・ガ構文 山口/光 日本語の主語の特殊性 久野/ワ 提題論の遺産 尾上/圭介 「ハ」と「ガ」の研究文献 尾上/圭介[編] 「車は急に止まれない」をめぐって―文法的に考えるということ 北原/保雄 「車は急に止まれない」の文法性―否定の磁場再訪 原口/庄輔
477 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/26 18:43
益岡隆志著『三上文法から寺村文法へ』(くろしお出版、2003) くろしおの逆襲?
2003年は三上の生誕100周年で、くろしおは三上の著作の再版や 三上フェスタの開催など、一連のイベントを行った。 くろしおの三上フェスタページでは、三上のピアノ演奏(「亜麻色の髪の乙女」)が mp3で落とせる。 同じページの下のほうに金谷の『日本語に主語はいらない』が微妙に紹介されてる。
479 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/26 22:35
>>475 「10年遅れ」っていうのは、『象は鼻が長い』(1960)から『言語』で
特集が組まれるまでの時間のことを言ったつもり。(実際は、10年以上
でした。スマソ)
477『三上文法から…』によると、確かに久野、北原、佐伯などは三上を
評価してるが、「七十年代の最後に出版された『日本の言語学』大修館書店)
には、それまでの代表的な日本語研究の成果が数多く収録されており、
文法研究にも二つの巻があてられているが、そこには三上の研究はまったく
掲載されていない。このことは三上文法に対する学界の評価を象徴的に表すもの
だったと思う」(p.152)
480 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/26 22:39
>>475 「10年遅れ」っていうのは、『象は鼻が長い』(1960)から『言語』で
特集が組まれるまでの時間のことを言ったつもり。(実際は、10年以上
でした。スマソ)
477『三上文法から…』によると、確かに久野、北原、佐伯などは三上を
評価してるが、「七十年代の最後に出版された『日本の言語学』大修館書店)
には、それまでの代表的な日本語研究の成果が数多く収録されており、
文法研究にも二つの巻があてられているが、そこには三上の研究はまったく
掲載されていない。このことは三上文法に対する学界の評価を象徴的に表すもの
だったと思う」(p.152)
481 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/26 22:42
しまったっ、二重カキコ! 再びスンマセン
益岡本は漏れも買った。
確かに三上の学説は前衛的過ぎて当初は十分に理解されなかったと聞くが
それなりに名だたる研究者たちが評価していたのだから
70年代中盤の学界の状況を
「一応三上を検討しようという姿勢は、当時言語学界にあったってことかな」
と表現するのは妥当ではないと思っただけ。
今、読み返すと
>>475 は何か偉そうな書き方だな。スマソ。
ところで、以前どこかで、
「三上は頭が良すぎる。誰か他の者が噛み砕いて紹介してやらないと云々」
みたいなことを金田一が言ってたって記述を見たような気がするんだが
誰か知らんかな?記憶違いかも知れん
483 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/01/29 15:08
>>472 このスレでこの板の名物顔文字が登場したんだねー。なつかすい。
143 名前: (´∀`) 投稿日: 2001/04/20(金) 03:28
(ハンドルフェース(?)また変えたよ)
だれか
>>456 の本読んだ人いる?もし1500円払って読んでしまったのなら
お気の毒としか言いようがないが、感想なんか書いてみたら?
485 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/02/04 21:02
100以下に落ちてたのでage
487 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/02/04 22:46
お、久しぶりー。で、なに話すぅ?
488 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/02/14 03:07
「は」と「が」の違いを解明したぞ!!
あっそ 一応、聞いとこうか?
>>461 日本語に主語はいらない、読む前から(ほぼ)同じ意見だったんだが
とはいえ、大層な理由があったわけじゃないが御蔭で気に入っている
で、上の読んでみたけど最初題名見たときは
>>458 に近いこと思ったがそんなわきゃぁないと思って
半信半疑買ってみたらそのとおり
題名はかつてはなかったの意味
個人的にはかなり面白かった
主語使わないで話す訓練しねぇ 最近、暖かくなったよな。 温度計ではそれほど上がってないって? 肌に感じる体感温度でだよ。 寝床では布団一枚要らなくなったし、 風呂入るときも寒く感じない。
>>492 減点1。「「布団」は」は「「要る」の主語」の主語。
>>492 主語になりません
「布団は」に動詞「要る」ではない
>>494 やっぱ主語なしだと訳分からになってこねぇ?
ゴミン。「訳分から」じゃなくって「わけわか」ね。
なこたーぁない。これまででも十分通じてる。
天皇は木を植えられた。 → 天皇におかれては、木を植えられた。 日本語では、西欧語の主語を場所格に変えることができる。 よって主語は、便利だが不要。
>>494 >「布団は」に動詞「要る」ではない
どういう意味?
>>499 主語じゃないってことだろ?
「要る」のは「誰か」で、布団は主語に取らない
>>500 「要る」のは「誰かに」とって「布団が」じゃないの?
メタ言語は、主語使ってもいいてことで…
えーと、
>>500 の疑問は、
僕は花子が好きだ、という文でどっちが主語かというのに対応:
(僕は)布団一枚(が)要らない
もう分かったと思うが、
>>491 は、僕を主語と考えてるが、
省略してるからOKと判断してる。
>>492 は、布団を主語と
考えてるため、「減点1」などと言っておる。原点に戻っ
て考えるべきだな。
主語入れてみました。 最近、(気候、気温、時候が)暖かくなったよな。 温度計では(気温は)それほど上がってないって? (私が)肌に感じる体感温度でだよ。 寝床では(私は)布団一枚要らなくなったし、 風呂入るときも(私は)寒く感じない。
うーん、ない方が自然だね。 >(私が)肌に感じる体感温度でだよ。 >寝床では(私は)布団一枚要らなくなったし、 >風呂入るときも(私は)寒く感じない。 これらの(私)は(人)のつもりで書いたんだけどね。 そういう一般的な状況の文を作れば、さらにない方が 自然だってことがはっきりする。
>>501 布団が要る
の文で布団が主語だとおかしいだろ?
要るの意味的に布団は主語に取れないってことでは? 私は布団が要る で、「が」だからといって布団が主語なわけでもないし 私はと布団がの両方が主語になるわけもないし 私はが主語であるのが一番自然だけど よほど特殊な条件下以外では私はなんていれないし やっぱ主語の概念は日本語に使わないほうがやりやすいんじゃないの?
布団を必要とする
>>506 仮にこのスレ元の趣旨と外れて学校文法で言ってもおかしい
小学校からやり直せ
510 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/09 02:07
まずさぁ、主語を定義しないと話がはじまらないだろ。
>>509 説明できないなら、そう言えばいいのにね。
>>510 だな
主語と動作主と格の区別もついてない香具師がいるようだ
もれにはどっちが正しいかわからんから 誰も説明してない布団が主語になるって言ってる方も説明してくれ
要る(布団) 「布団」が「必要だ」という属性(property)を持っているってことじゃねーの?
>>513 「布団 {が/の} 要る人」のように、「○○が」は多くの場合、名詞修飾節の中で「○○の」に置き換えることができる。
「○○が」が名詞修飾節に入るかどうかは、動詞「要る」自体によって決まるのではなく、「要る」のあとに名詞が続くかどうかで決まる。
したがって、「○○が」を支配しているのは、「要る」の語彙的意味ではない。
「○○が」を「主語」と呼ぶべきかどうかは別として、「−が」は述語詞の語彙的意味に支配されない、特殊な格である。
ところで意味上の主語って何? 文法よく覚えてないけど聞いた覚えがあるんだが
>>515 話題とはそれるんだがちょっと気になるから聞いてみる
ほかの格って述語詞の語彙的意味に支配されるの?
素人だが ちょっと観察してみたんだが日常の発話ではそもそも 「が」だの「は」だのなんだのそこいらのってほとんど使わないな てことは何らかの理由があって出てきただけで そもそものはじめは多分なかったんだろ? 単に語のつながりだけだったんだと思われ なんか面白いな
このど素人め まあ、最初は二語の単純な連続だった という可能性はなきにしもあらずだが
まあ、普通そういわれているよね。
523 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/10 14:18
ちゃうちゃう、無助詞の問題じゃないって。軌道修正しる! つっても、ここももう出る議論は出つくして、ブラックホール化 しつつあるからのう。 だれか、早く「英語にも主語はなかった」のレビュー書いてくれ。 あとはもう、それで超新星爆発するしかないぞ。(オレは読まん!)
>>523 タイトルの意味は
古英語には必須主語がなかったという単純な話だから
スルーするような題でもないよ
525 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/11 01:18
>>520 > 素人だが
> ちょっと観察してみたんだが日常の発話で[は]そもそも
> 「が」だの「は」だのなんだのそこいらのってほとんど使わないな
> てことは何らかの理由[が]あって出てきただけで
> そもそものはじめ[は]多分なかったんだろ?
> 単に語のつながりだけだったんだと思われ
> なんか面白いな
そう言ってる割に少なくとも三回使ってるなー、と思った。
煽りでもなんでもなく、ただそれだけだが。
日常の発話ではって言ってるだろ? 馬鹿か?
>>520 は、「日常の発話」では
------------------------
ちょっと観察してみたんだが日常の発話でそもそも
「が」だの「は」だのなんだのそこいらのってほとんど使わないな
てことは何らかの理由あって出てきただけで
そもそものはじめ多分なかったんだろ?
------------------------
と話すのだろうか?
528 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/11 07:41
「日本語にいらない」 って本出せばいい。
>>527 声に出してみると話しても何も問題ない気がする
というか、割とそんなもんな気がする
530 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/11 14:49
「日本語に主語なんかいらない」 「日本語に主語いらん」 「日本語に主語っていらないんじゃない」 「主語だけどさぁ、日本語にはいらないよね」 話し言葉では「が」も主格の「は」も出ないのが普通。
>>530 > 「日本語に主語なんかいらない」
> 「日本語に主語っていらないんじゃない」
代りに「なんか」 「って」が出ている。
> 「主語だけどさぁ、日本語にはいらないよね」
「主語についてであるが、日本語には要らないと考えられる」とすれば、書き言葉でも、「が」も主格の「は」も出ない。
> 「日本語に主語いらん」
> 話し言葉では「が」も主格の「は」も出ないのが普通。
「は」が省略されていると解釈するか、話し言葉と書き言葉とは異なる言語体系と解釈するか。
どちらの解釈が、より多くの言語現象をうまく説明するかの問題だろう。
このすれ、下手をすると金谷のトンでも本みたいな議論になりがちだけど、 「日本語で主語という概念が定義できるか/そのことによって言語学上 有意義な一般化が得られるか」 という三上の呈した疑問と 「日本語の文では主語が省略できる、よっていらない」 という金谷の根拠のない推論を分けて話さないと堂々巡りになるよ。
日本語の文では主語が省略できる、よっていらないじゃないとおもうが
534 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/11 21:21
>>532 既に分けている。過去スレ読め。
金谷本が「トンデモ」と言われるのは、彼自身がこの2つをごっちゃ
にしているため。
>>524 だから、「英語も〜」の方も同じ理論混濁のトンデモかと思って
レビューを希望した。
>>534 そこら辺詳しくはしらんから自分で読んで見れ
536 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/11 23:36
【うんこが勝手に出た(´・д・`)】 このレスを見た人は、三日以内にうんこが勝手に出ます。 これをコピペでどこかに1回貼れば回避できます。 これは本当です。やらないと文字通り鼻つまみ者にされます。 テスト中にうんこが勝手に出てきてびっくりしました。 「あっ」と思った瞬間にはもう手遅れで。 テストの結果は散々だし、「うんこマン」とか渾名されるし、もう最悪です。 (高校二年生 h.sくん) 主人とセッ○スしている最中に、うんこが勝手に出てきたんです。 バックでしていたので、主人を全身うんこまみれにしてしまいました。 すぐに謝ったのですが、主人は怒るどころかスカトロに目覚めて恍惚の表情。 この先の夫婦生活が不安で仕方ないです。 (主婦 r.kさん) 大事なブリーフィングの途中でうんこが勝手に出てきたんですよ! もう、何の前触れもなくいきなりだったんです。しかもでっかいオナラまで。 「おいおい、それもブリーフィングの一環かい」なんて笑われちゃって・・・ ああ、コピペの手間を惜しんだばかりに・・・(泣) (イベント会社勤務 n.aさん) 信じられますか?この威力。
「英語にも主語はなかった」を読んだ人が居なさそうなので、 一応、感想を書いてみる。尚、オレは日本語学の専門家じゃないので、 この人の考えが間違っているかどうかの判断は出来ない。 今までの著書と同じ様に、英語と日本語の視点の違いを述べた1章、 古代の英語には主語がなかったと論じる3章、印欧語の中動相について 述べた4章、これの内容の是非についてはオレの能力を超えるので、 誰か専攻している人に批判してもらいたい。 今までの彼の著作を読んだ人なら大体察しが付くと思うが、 諸説を徹底的に攻撃した後に自説を展開するという、同じパターンを 繰り返している。 オレが読んでいて非常に不快だったのが、言語学的にまるで関係の無い 政治信条を無理矢理言語学に結びつけて、アメリカを批判する2章、 (三上文法も研究している)日本語学研究者を罵倒する5章。 批判するに値する確たる根拠も無しに、ひたすら感情に任せて筆を 走らせたとしか思えない文章には吐き気を覚える。 彼が日本語学の学界で相手にされていないのは思想がラジカル過ぎたとか、 海外在住者だからとか、そういう別の要因があっての事かと思ったが、 この本を読み、更にこのスレを見てみてわかったのは、彼の理論、人格が 極めて幼稚であったという事だ。彼には副島隆彦と同様のオカルト臭を 感じる。
>>538 > 彼が日本語学の学界で相手にされていないのは思想がラジカル過ぎたとか、
> 海外在住者だからとか、そういう別の要因があっての事かと思ったが
そういうことはまずないよ。みんな行き詰まって、何でもいいから新しいものをと必死に探してるんだ。
>>538 レポートさんくす。すげえ読みたくなった。でも、絶対に買いたくはない。
ジレンマですなあ。。。
>>538 >政治信条を無理矢理言語学に結びつけて、アメリカを批判する2章
についてだけど、確かに言語学(本題)とはなんら関係のない内容ではあったが
言語と心理の関係は十分にありうるよ
無理矢理ではない・・どっちかというと認知心理学の領域になるし
理論的裏づけは書かれてないからわざわざこの本の中で
章を割いてまでやるものじゃないってのはわかるけど
ちょっと待て認知言語学ってのはそんなことまでやるのか?
ああ、認知心理学ね。 でも、やっぱりうそ臭いぞ。
猫も杓子も認知、認知だな。 隠し子じゃないっつーの。
>>543 関係なくはないと思う
影響がどれだけ大きいかとかその本に書かれている形でか
とかそういったことを別にすれば少なくともなんらかの影響はあると思う
>>545 君がどう思うかが問題じゃない。
認知心理学でそれが実証されているか、もしくはそれを支持する知見が得られているか、が問題なんだと思うぞ。
その部分に関しては問題にするような内容じゃないと思われ 本のほうでも余談的な大筋と関係ない取り扱いではあったし うそ臭いって主観的な意見に対し思うと主観的な意見で返す普通のやり取りかと
548 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/03/17 20:35
不毛な議論はやめれ。それより本論部分はどうだ。
個人的には、
>>538 (三上文法も研究している)日本語学研究者を罵倒する5章。
というのが非常に気になる。
「日本語に〜」で日本語学を黙殺したのは、意図的か。
詳細希望だが、もう出入りしてないか?
>>548 「日本語に主語はいらない」の頃の彼は日本語学を知らなかったと思う。
「英語にも主語はなかった」に於いても、日本語学がどういう学問なのか
を把握しているようには思えない。
批判の対象となっているのは庵功雄、仁田義雄、寺村秀夫といった面々。
どうも批判の矛先は三上章の影響を受けた研究者、学者でありながら、
「主語廃止論」を絶対視しない態度にあるようで、「学界の三上文法離れ
を深く憂慮する」と嘆いている。
なんか、彼は「日本語学≠三上文法」である事がいたくお気に召さない
ように見える。
三上を誤解して三上批判者を批判か。箸にも棒にもかからない、てのはこのことだな。
誤解かどうかは三上本人にしか判断できないのではと言ってみる いや、もしかしたら本当に決定的に読み取りが間違ってるのかもしれないが そうでなければ(そのような読み取り方も可能なら) どちらの読み取りが正しいのかなんてワカラン
>誤解かどうかは三上本人にしか判断できないのではと言ってみる そんなことを言ったら文献的な研究がすべて無意味になる。 実際、三上の真価は、「主語を廃止すべし」という結論というよりも むしろその主張を支えている議論にあるのではないかと思ってみる。
>>552 > 三上の真価は、「主語を廃止すべし」という結論というよりも
> むしろその主張を支えている議論にあるのではないか
禿同。これはすべての優れた研究にあてはまること。
「絶対視か、批判=全否定か」という二者択一的な態度をとるのは、権威を批判しているようでも、実はものすごい権威厨だ。
>>552 いや、その意見あるなら無意味にならないんじゃ・・・
本人の考えよりその思考過程を読者が見て
そこから何かを引き出すところに価値があるなら
文献的な研究は>551の一行目にかかわらず有意義かと
555 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/04/28 20:58
むぐ
556 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 13:47
主語がはっきりしない文でも文法的とみなす日本語は 日本人の主体の未発達ぶり即ち心性の前近代性を如実に示すものである。 日本語を用いる日本人によって成り立つ日本国を欧米列強に並び立つべく、 真に近代化するためには、日本語文法の根本的な書き換えが必要なのである!! なんちって。
557 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 23:46
久しぶりにこのスレが目に付いた。 ↑は ツリ だな。そのような意見は外出か。
558 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/07/06 22:35
日本語に主語はない の主語は「日本語」
559 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/07/06 22:52
なんで1ヶ月以上もあいていたの? これはもう終わったと思った。
560 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/07/06 22:57
君が好きだ。 の主語は「私」
561 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/07/06 23:24
問題: 以下の文章の主語はなにか? また、意味の違いを述べなさい。 ・東京には空がない。 ・東京に空はない。
>>561 「東京には空がない」: 「東京に」が主題で「空がない」が解説。
「東京に」何なのかというと、「空がない」というべきだ。
「東京に空はない」: 「東京に」が大主題で「空は」が小主題、「ない」が解説。
「東京に」何なのか、そこの「空」が何なのかというと、「ない」というべきだ。
「東京には空はない」と言うのとほとんど変わらない。
三上が「日本語に (は) 主語はない」と言ったのは、あくまで、「英語の主語と一対一で照応するような主語はない」の意。
だから、日本語にふさわしい「主語」を設定すれば、「日本語にも主語はある」ことになる。
その「主語」の定義が示されていないので、「主語はなにか?」という問は無意味。
三上の文章にはアクがあり、ハマった人は性格が悪くなる。 この人はその典型。
色んなAAがあるもんだね
(゚Д゚)ゴルァ!!
566 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/10 23:46:08
567 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 00:01:18
せっかく沈めたと思ったのに、なんでこの駄スレをわざわざあげるの。 「主部」と「主語」は違うでしょ。新スレ立てなさい。
まあせっかく上がったから書いとくか・・・ こないだの文法学会で、シンポジウム(パネルセッション?)のテーマが 「題目と主語の関係」だかなんだかだったらしいけど 誰か聞きに行った人いる?
569 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 09:27:36
まだ、そんなほこりかぶった議論をしてるのか、文法学会は。 まあ、あそこは三上教(におかされた人が有力者)だからしかたないとはいえ、 いまだ「主語」の規定なんぞをうんぬんしてるんだとしたら、日本語統語論?も たいした進歩はみこめまい。
Tokyo doesn't have sky (though others have). Tokyo doesn't have sky.
572 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 14:41:24
>>571 ちなみに、パネラーはだれ?(イニシャルトーク可)
[主語と題目語の関係] 司会 O・K(T大学) 発表 1. O・K 主語と題目との相違と近接性 2. H・T(O外国語大学) 典型的な題目語の要件 3. S・T(T大学大学院). 動詞・存在詞を述語とする二重主語文 4. O・K H・T ・ S・T発表の意味するもの それじゃ、イニシャルトークどぞー
574 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 15:41:27
あ? このメンツは、日本語文法学会じゃなくて、文法学研究会じゃないか? 学会名間違えてるよ。司会、○上先生だろ? だったら、後退どころか最先端(つーのも変だが)じゃないか。 三上なんて毛ほども出なかったろ。 O外語のH・Tてだれだっけなあ。T大院のS・Tもわからん。も少し詳しくきぼーん。
いや文法学会のHPから書き写したから文法学会であってるよ
>>574 > だったら、後退どころか最先端(つーのも変だが)じゃないか。
> 三上なんて毛ほども出なかったろ。
だから、内容で三上よりずっと遅れてるんだよ w
577 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 18:46:13
>>575 そうなの? 日本語文法学会か?
でも、T大・O先生は、彼学会の主力・某先生とは仇敵のはずだが。
それとも別人かな。
578 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 18:51:24
>>578 例えば、係助詞ハが格助詞の代行機能をもつことを無視している。
580 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 19:04:41
だからさ、それだけじゃわからないだろう。 何を持って「無視」したと言ってるんだ。
582 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 21:40:58
売ってんの?
HPで売ってるね
584 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 23:25:55
>>579 いまどきハによる格助詞の代行機能を踏まえない論があるのか。
無視じゃなくて、触れてないだけだろう。
ちなみに代行機能というよりは、「主題化」という方が実情に即しているが。
予稿集は買う気ないので(どこで売ってるかも知らんし)、それを読めなどとは
言わないようにな。
585 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 23:34:31
>>579 想像がつかなくもない。
おそらく認知論的に題目と主語を論じたんだろう。O氏の「主語」論は、
三上とは一線を画していて、西欧語の統語論がうんぬんなどという議論は
頭にない。まったく次元の違う捉え方だ。
それを、後退などというのは適切な表現ではない。(ただし、Oというのが、
オレの想像とはまったくの別人の可能性もあるが。)
586 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/11 23:40:14
587 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/12 00:10:37
日本語ってば能格言語だっけ?
>>584 > 無視じゃなくて、触れてないだけだろう。
> ちなみに代行機能というよりは、「主題化」という方が実情に即しているが。
いずれにしても、無視している。
>>585 > おそらく認知論的に題目と主語を論じたんだろう。
かどうかはよくわからないが、
> まったく次元の違う捉え方だ。
まったく次元の低い捉え方で、ひどく不経済な文法になることが予想される。
ちなみに、「どういう意義があるのか全然わからない」とは、K大学T・Y氏の評。
予稿集あるからちょっと見てみたけど O上先生ちゃんと三上とか引用してるみたいよ [a] 題目語は文の中心成分(格成分、修飾成分、述語など)の外 松下、佐久間、三尾、三上、佐治、北原 [b] 題目語は格+α 渡辺 [c] 題目語は主語の典型的なあり方 山田、森重、川端 て感じに研究史を整理してるね 三上より遅れてる云々て言ってる人は、ちゃんと内容知ってるの?
590 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/12 07:46:08
>>588 >>おそらく認知論的に題目と主語を論じたんだろう。
>かどうかはよくわからないが、
君はひょっとしてシロウトさんか。シンポがどういう立場に立脚して
行われてるかも知らずに聞いていたのか?
言ってることも非論理的で、まったくよくわからない。
「「いずれにしても」無視してる」とは? 「不経済な文法」とは何が?
例えば「主題化」というのは「代行機能」(古い)を踏まえたうえで
なおかつ、より経済的な考え方だが、知ってるか。
>>589 > 題目語概念を要請する動機 (主語との緊張関係) を重視して、「説明対象」
> であることを〔「典型的な題目語」の〕要件に入れる。(「○○ニハ」「○○カラハ」などはその点で不
> 可。状況語の「きのうは」なども不可。)
一応引用し、「典型的な」という言葉でごまかしているが、結局 [a] 三上も、[b] 渡辺も無視されている。大事にされているのは [c] だけ。
>>590 > シンポがどういう立場に立脚して
> 行われてるかも知らずに聞いていたのか?
君は聞いていないし、予稿集も持っていないのに、どういう立場に立脚していたかが、どうしてわかるのか。
パネラー当人たちがどういうつもりだったのかはわからないが、いわゆる「認知論的」なところは見えない。
> 「不経済な文法」とは何が?
「ガ格項、ヲ格項、特別な場合 (処置対象) のニ格項」だけが、他の格補語とは全く違った性質をもっていることになる。
> 例えば「主題化」というのは「代行機能」(古い)を踏まえたうえで
「主題化」した結果「代行機能」を果たすようになるのだ。古いも新しいもない。
593 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/12 23:32:00
>>591 おかしなことを言ってるな。
それは「無視」じゃなくて、三上じゃない別の立場を支持するということだろう。
先行研究を網羅して、そのうち三上だけを黙殺しているというのなら、
不備といわれてもしかたないが。
まあ、あいかわらず君の説明は断片的で、何を言っているのかよくわからんので、
もう少し言葉がほしいことろだが。
594 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/12 23:46:41
>>592 >君は聞いていないし、予稿集も持っていないのに、どういう立場に立脚していたかが、どうしてわかるのか。
話をねじ曲げてもらっては困る。
>>おそらく認知論的に題目と主語を論じたんだろう。
>かどうかはよくわからないが、
「どういう立場に…」云々は、上の「よくわからない」という部分に対して発した問いだ。
認知論的なところが見えなかったなら、初めからきちんとそう言えばいい。
>> 「不経済な文法」とは何が?
>「ガ格項、ヲ格項、特別な場合 (処置対象) のニ格項」だけが、他の格補語とは全く違った性質をもっていることになる。
これは、O氏の論だと、ということか。また、どういう論かもわからない。説明不足だ。
>「主題化」した結果「代行機能」を果たすようになるのだ。
「主題化」は格の代行機能だけではない。つまり、代行機能は主題化の
サブ・カテゴリーだ。なお、これはO氏の論ともまた異なるだろうから、
注意されたい。
だいたい主題化と代行機能って全然違うんじゃないのか? 主題化ってのは格成分が文の主題になるってことで O上の分類で言えば[b]の格+αの見方だろ 代行ってのはそもそも文はtopic+commentみたいな構造を持っていて そのtopicにあたるのが題目であり、それが同時にcomment中の項の 代わりも果たすってことで、[a]の考え方だろう 「主題化することによって代行機能を果たす」ってわけがわからん
>>593 > それは「無視」じゃなくて、三上じゃない別の立場を支持するということだろう。
それなら、「主語、題目語に関する研究史を正面から受け止める」
「この三者の感覚をそれぞれに肯定し、すべてを正当に保証するような『題目語』の規定を求めたい」
というのは、ハッタリにすぎない。
経済的な記述をあえて捨てる場合には、しかるべき理由の説明が必要だが、それもない。
> まあ、あいかわらず君の説明は断片的で、何を言っているのかよくわからんので
>>594 > これは、O氏の論だと、ということか。また、どういう論かもわからない。説明不足だ。
予稿集買え。金を出さない者が、出した者と同じ立場に立とうとするな。
> >「主題化」した結果「代行機能」を果たすようになるのだ。
> 「主題化」は格の代行機能だけではない。
矛盾してない。
>>595 > だいたい主題化と代行機能って全然違うんじゃないのか?
では、ガ格またはヲ格成分が主題化していて、かつ commment 中の項の代行が起こっていない例、
および、comment 中の項の代行が起こっていて、かつ格成分が主題化していない例を挙げよ。
> 主題化ってのは格成分が文の主題になるってことで
> O上の分類で言えば[b]の格+αの見方だろ
> 代行ってのはそもそも文はtopic+commentみたいな構造を持っていて
> そのtopicにあたるのが題目であり、それが同時にcomment中の項の
> 代わりも果たすってことで、[a]の考え方だろう
同じ現象に対する異なる見方だ。
三上は [b] の「主題化」もきちんと認めている。
> 予稿集買え。金を出さない者が、出した者と同じ立場に立とうとするな。 おもろい
> では、ガ格またはヲ格成分が主題化していて、かつ commment 中の項の代行が起こっていない例、 > および、comment 中の項の代行が起こっていて、かつ格成分が主題化していない例を挙げよ。 そもそも、「主題化」という言い方自体が主題と格成分の混同なんだな 主題ははなから主題であって、何かが主題になるわけではない、というのが[a]の見方だろう。 前者の、主題が格の代行になってない例としては、野田が挙げてる「このにおいはガスが漏れてるよ」 構文なんてのがあるわな。もっとも野田も言ってるように、従来、誤用、例外扱いされる場合が多かった そうで、まあ例外って言われちゃったらそれまでだけどね。 後者の、主題が項の代行を行っていて、かつ格成分が主題化していない例っていうのは そもそも主題は何かが「主題化」してるわけではなくて、最初から主題なんだって人にとっては ナンセンスだし、示しようのないものだろうね。 まあ、でも > 同じ現象に対する異なる見方だ。 てのは、その通りかも知れないね。こんなことごたごた言ってても、禅問答にしかならない感はある。
>>599 > 主題ははなから主題であって、何かが主題になるわけではない、というのが[a]の見方だろう。
そう主張しただけで、正しいということにはならない。
それに、三上は必ずしも上のような見方をしていない。
> 主題が格の代行になってない例としては、野田が挙げてる「このにおいはガスが漏れてるよ」
> 構文なんてのがあるわな。
[a] の見方は、この種の例を拠り所にするしかない。
> 主題が項の代行を行っていて、かつ格成分が主題化していない例っていうのは
> そもそも主題は何かが「主題化」してるわけではなくて、最初から主題なんだって人にとっては
> ナンセンスだし、示しようのないものだろうね。
その人たちには理がないことを示している。
だからさ、「太郎は2ちゃんねらーだ」っていう文があるとき 大雑把に言って [topic 太郎は] [comment (太郎が) 2ちゃんねらーだ] なんだろうけど、「太郎が」が「太郎は」になったのか(主題化) 最初から「太郎は」があるから「太郎が」がいらないのか(代行)なんて おそらく確かめようがないでしょう だったらさしあたり、「主題化」かどうか、ということには触れないで 『「太郎は」は文の主題である。そしてしばしば格成分を代行する』 というぐらいしか言えないんじゃないの? 格成分が主題化しているってことを証明する目に見える証拠って 何かあるの?
>>601 Topic は常に comment 中の成分 (格成分を含む) を代行している。
Comment 中の成分を代行しない topic は通常、非文法的であり、特殊な発話状況で許されるにすぎない。
[topic 太郎は] [comment きのう (太郎が) 花子に 用件を 伝えた]
[topic 用件は] [comment きのう 太郎が 花子に (用件を) 伝えた]
[topic 花子には] [comment きのう 太郎が (花子に) 用件を 伝えた]
[topic きのうは] [comment (きのう) 太郎が 花子に 用件を 伝えた]
*[topic 次郎は] [comment きのう 太郎が 花子に 用件を 伝えた]
Topic が comment 中のガ格またはヲ格成分を代行するときは、topic に格助詞ガ、ヲは表れないが、
comment 中のニ格成分を代行するときは、普通、topic に格助詞ニが表れる。
Topic に立ちうるものは comment 中の成分であるということは、comment 中の成分が topic に立つということ、すなわち「主題化」である。
そのように記述したほうがはるかに経済性が高い。
> 格成分が主題化しているってことを証明する目に見える証拠って
> 何かあるの?
「本当に大切なものは目に見えない」(サン−テグジュペリ)
「見えぬものでも あるんだよ」(金子みすゞ)
「太郎と次郎に例の件伝えてくれた?」 「太郎は俺が直接伝えたし、次郎は、太郎が花子に伝えたって言ってた。 (だから花子から伝わってるだろ。)」 とか、まあいくらでも言えるには言えるんだよね。 勿論、主題はcomment部と何らかの関係を持たなければならないし その関係っていうのは典型的には格成分とかぶるだろうから、 主題はデフォルトでは格を代行するように見えるけど 実際にはいくらでもある格を代行していない例を、 全部特殊な状況とか例外とか言って無視してしまうと 経済性以前に妥当性の面でつっこまれるんでないかい? それに、どういう意味で経済性が高いのかについても、 もうちょっと具体的に説明してもらいたいね 「主題化の方が経済性が高い」だけじゃ何をいいたいのか分からないしね
>>603 > 「太郎は俺が直接伝えたし、次郎は、太郎が花子に伝えたって言ってた。
> (だから花子から伝わってるだろ。)」
従節について、ニは、ガやヲと同様に、topic で振り落とされることもある (だから
>>602 に「普通」と書いた) が、そうなるための条件はまだよくわかっていない。付けておいたほうが無難。
格助詞カラなどは、必ず topic に表れるといっていい。
主節は全く非文法的。
> とか、まあいくらでも言えるには言えるんだよね。
> 実際にはいくらでもある格を代行していない例を
これはウソ。
> 「主題化の方が経済性が高い」だけじゃ何をいいたいのか分からないしね
少なくとも、上のような無理なウソをつかなくてすむ。
それはともかく、「太郎は」の「は」と「太郎には」の「は」とは同じなのか違うのか、
前者を「典型的な題目語」とするなら、後者はどのような点で「典型的」でないのかといった
不毛な問題に、一切かかわらなくてすむ。
> 従節について、ニは、ガやヲと同様に、topic で振り落とされることもある ニの話じゃないよ 「伝える」の項でも「言う」の項でもない「次郎は」の話だよ それに実例を提示しても「ウソ」とか言われちゃったら、 それはもう反証のしようがなくなっちゃうよ > 少なくとも、上のような無理なウソをつかなくてすむ。 これも、「主題化」という考え方の優位性にはならないね 「主題化」の考え方だと、これが「ウソ」でないと困るわけだけど 「主題化」でない考え方だと、これが「ウソ」でなくても困らないわけだからね もちろん、これが「ウソ」であった場合には、どちらの考え方でも困りはしない それに「典型的な題目」とは何かという問題が「不毛だ」というのもよく分からないし (何が題目になりえて、何がなりえないのかというのは、どういう立場の人でも問題にするよね) 今回のレスは、全体的に見当違いなところが多いね
606 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/13 22:13:11
>>599 空気の読めないレスですまんが
野田「この臭いはガスが漏れてるよ。」は
そのままでは誤文にしか思えないんだが。
無理に解釈すれば
「この臭いは(何の臭いだ?)・・・・・ガスが漏れてるよ!」
という2つの文の省略か
または「この臭いは、ガスが漏れている臭いだよ。」
となるか。
三上以来、主題文の例文は沢山挙がっているが、
三上が最初に挙げた最も有名な「象は鼻が長い」以外は
どれもこれも多かれ少なかれ不自然だ。
「象は鼻が長い」構文の日本語学的知見を無理矢理演繹して作った
ただの間違い文なんじゃないのか?>「この臭いはガスが漏れてるよ」
もし演繹して誤文が出てくるようなら、
その理論が全くの間違いか不十分かであるということなんだが。
確かに野田も「異常」とか「破格」とか「特殊例」とかいう言い方をしてるな つっても、俺は「このにおいはガスが漏れている」そんなにいやじゃないんだが 主題文の例と言えば、『言語』(2004.2)が主語特集で 加藤重広が「名文でたどる日本語主語論の歴史」と称して 「象は鼻が長い」「ぼくはウナギだ」「カキ料理は広島が本場だ」というのを挙げてるな (内容は読んでないから聞くな) 野田が挙げてるのは6通りか 1) 格成分「父はこの本を買ってくれた」 2) 格成分の連体修飾部「象は鼻が長い」 3) 述語名詞の連体修飾部「かき料理は広島が本場だ」 4) 被修飾名詞「辞書は新しいのがいい」 5) 節「花が咲くのは7月頃だ」 6) 破格「このにおいはガスが漏れてるよ」
>>605 > ニの話じゃないよ
では、わざわざ「太郎には」でなく「太郎は」とした理由は?
> 「伝える」の項でも「言う」の項でもない「次郎は」の話だよ
それもわかっている。
> それに実例を提示しても「ウソ」とか言われちゃったら、
> それはもう反証のしようがなくなっちゃうよ
どんなに好意的に考えても、
「次郎は、太郎が花子に伝えたって言ってた。(だから花子から伝わってるだろ。)」
を適格と判定する文法を、私はもち合わせていない。
> もちろん、これが「ウソ」であった場合には、どちらの考え方でも困りはしない
そうはいかない。Topic に立ちうるものは comment 中の成分であるということが認められれば、
comment 中の成分が topic に立つと考えることを拒否する理由はなくなる。
「いくらでも」あるというのは明らかにウソ。
> 何が題目になりえて、何がなりえないのかというのは、どういう立場の人でも問題にするよね
それは、題目に名詞が含まれる場合の「定/不定」「特定/非特定」といった、統語論の問題だろう。
形態論的には、「太郎は」「太郎には」「ありは (しない)」「あっては (ならない)」「くわしくは」「犯人では (ない)」「知っているらしくは (あるが)」
のように、いろいろなものにハが付きうる。「太郎には」以下では文成分の形に付いている。
それなのに、主題は最初から主題であって、comment 中の成分が「主題化」するのではないと考えることは、不合理である。
O・K氏によれば、 ○典型的な「題目−解説」関係「X ハ Y」を、X と Y の論理的関係という観点から見 れば、次のような場合がある。 (A) 格項目―[文マイナスその格項目] ガ格項、ヲ格項、特別な場合 (処置対象) のニ格項 (B) 格項目以外の名詞項―その名詞項に関連する事態、または その名詞項と対応関係を持つ項目ないし事態 (B 1) "先行" 題目タイプ (20) 犯行の場所は屋内説が有力だった。 (21) 奥さんの家出は君が悪い。 (B 2) 「線で結ぶような対応関係」を語る「題目−解説」 (22) 太郎さんは廊下。次郎さんは便所。(掃除の場所の割り当て) (23) ぼくは紅茶。(人と注文食品の対応関係) (B 3) 「男は度胸だ」タイプ (24) 男は度胸。女は愛嬌。 (25) 春はあけぼの。 (B 4) 「状況の直接的提示−その解釈」タイプ (26) これは寝すぎた。しくじった。 (27) このにおいはガスがもれているにちがいない。
> では、わざわざ「太郎には」でなく「太郎は」とした理由は?
後ろの文の「次郎は」と合わせただけだよ
> > 「伝える」の項でも「言う」の項でもない「次郎は」の話だよ
> それもわかっている。
わかってたら、なんで
>>604 のレスでそのことに触れなかったの?
> 「次郎は、太郎が花子に伝えたって言ってた。(だから花子から伝わってるだろ。)」
> を適格と判定する文法を、私はもち合わせていない。
これは内省の齟齬だからどうしようもないね。あと蛇足だけど、分脈の与えられていない文はしばしば
デフォルトの解釈を持ってて分脈が与えられないと可能な解釈が出てこない場合があるってのはちゃ
んと抑えてる?
>>603 で、わざわざ分脈をつけたのもそのためだし「次郎は、太郎が花子に伝えたって
言ってた。」だけで判定してもあんまり意味無いよ。
> > もちろん、これが「ウソ」であった場合には、どちらの考え方でも困りはしない
> そうはいかない。Topic に立ちうるものは comment 中の成分であるということが認められれば、
> comment 中の成分が topic に立つと考えることを拒否する理由はなくなる。
でも、topicがはじめからtopicだと考えることを拒否する理由にもならないよね。「どちらの考え方でも困
りはしない」って意味、ちゃんと捉えてる?
> それは、題目に名詞が含まれる場合の「定/不定」「特定/非特定」といった、統語論の問題だろう。
> 形態論的には、「太郎は」「太郎には」「ありは (しない)」「あっては (ならない)」「くわしくは」
> 「犯人では (ない)」「知っているらしくは (あるが)」のように、いろいろなものにハが付きうる。
「定/不定」「特定/非特定」なんてのは指示の問題だから、どっちかというと意味論だと思うけどね。
いずれにせよ、ここで言ってるのはそういうことじゃないよ。意味的、談話論的にcommentに対してtopic
になるものは何か、何がtopicに選ばれやすいかという話だよ。まして形態論的な話なんて一言もして
ないし、形態的にいろんなものが主題になるなんて当たり前のことだよ。形態の話がしたいんだったら
「典型的な主語とは何かを考えなくていい」なんて論点自体、あんまり意味無いんじゃない?
>>609 > (20) 犯行の場所は屋内説が有力だった。
> (21) 奥さんの家出は君が悪い。
「犯行の場所ニツイテ屋内説が有力であること」→ 犯行の場所 (について) は
「奥さんの家出ニツイテ君が悪いこと」→ 奥さんの家出 (について) は
ニツイテ格。この格表示も主題化にともなってしばしば振り落とされる。
> (22) 太郎さんは廊下。次郎さんは便所。(掃除の場所の割り当て)
> (23) ぼくは紅茶。(人と注文食品の対応関係)
> (24) 男は度胸。女は愛嬌。
> (25) 春はあけぼの。
「掃除の場所について、太郎さん (の掃除の場所) ガ廊下で、次郎さん (〃) ガ便所であること」→ 太郎さんは 次郎さんは
「注文食品について、ぼく (の注文食品) ガ紅茶であること」→ ぼくは
「人の属性のうち最も大切なものについて、男 (の属性のうち最も大切なもの) ガ度胸で、女 (〃) ガ愛嬌であること」→ 男は 女は
「四季それぞれの最も趣深い時間帯について、春 (の最も趣深い時間帯) ガあけぼのであること」→ 春は
ガ格。
> (26) これは寝すぎた。しくじった。
> (27) このにおいはガスがもれているにちがいない。
「格項目以外の名詞項」といえるのはこれらのみ。
> ニツイテ格。この格表示も主題化にともなってしばしば振り落とされる。 もはや何でもありだな。どんな格が振り落とされるかなんてのは説明困難だろうな > 「掃除の場所について、太郎さん (の掃除の場所) ガ廊下で、次郎さん (〃) ガ便所であること」 > → 太郎さんは 次郎さんは > 「注文食品について、ぼく (の注文食品) ガ紅茶であること」→ ぼくは > 「人の属性のうち最も大切なものについて、男 (の属性のうち最も大切なもの) ガ度胸で、女 (〃) > ガ愛嬌であること」→ 男は 女は > 「四季それぞれの最も趣深い時間帯について、春 (の最も趣深い時間帯) ガあけぼのであること」 > → 春は それは「について」なんかつけなくても、単に「分裂文説」でいいんじゃないの? 確か「ぼくは紅茶が飲みたい」→「ぼくは紅茶だ」と 「ぼくののみたいのは紅茶だ」→「ぼくは紅茶だ」で論争があったような気がするけど 誰と誰だっけ
613 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/14 02:29:31
>>611 ほぼ同意。ただ、俺は「うなぎ文」のタイプは省略大杉の非文だと思う。
主語と定動詞が必須の英語における"A cup of coffee, please"と同じ。
>>612 「ニツイテ格」なるものの本質は「二」つまり与格だろ。
与格という言い方を日本語学界のヤシは嫌うだろうが。
与格の守備範囲は日本語では非常に広い。
ラテン語の奪格の用法などを考えれば、
格文法の枠内で扱っても、そんなに不思議なことではない。
>>610 > わかってたら、なんで
>>604 のレスでそのことに触れなかったの?
「主節は全く非文法的」と書いてあるのを君が見落としたのだ。
> これは内省の齟齬だからどうしようもないね。あと蛇足だけど
「どんなに好意的に考えても」というのは、どのような文脈を想定しても、という意味。
>>603 の文の主節が適格だと君が言い張るなら、君と私とは異なる文法をもっているということだから、これ以上議論しても無駄だろう。
> でも、topicがはじめからtopicだと考えることを拒否する理由にもならないよね。
これだけではならない。Topic に立ちうるものは comment 中の成分だというだけだ。
> 「どちらの考え方でも困りはしない」って意味、ちゃんと捉えてる?
君は「主題化」の考え方を拒否した。上の文の意味を捉えていない。
> 意味的、談話論的にcommentに対してtopic
> になるものは何か、何がtopicに選ばれやすいかという話だよ。
例えば、何が選ばれやすいの? あるいは、決して選ばれないものは何?
「定/不定」や「特定/非特定」と関係なく話ができるのか? ハの前には来ないというものがあれば、それは統語的特徴ではないのか?
> まして形態論的な話なんて一言もしてないし
してるじゃないか。「○○ニハ」「○○カラハ」などは「典型的な題目語」とはしないと言ってるじゃないか。
>>591 。
あのねえ、的を射た反論なら俺も納得するけど、何でも取りあえず言い返せばいいってもんじゃないよ > 従節について、ニは、ガやヲと同様に、topic で振り落とされることもある > 主節は全く非文法的。 って、ニが落ちるかどうかの話で、「次郎は」の話なんて全然言ってないじゃない 論旨を取り違えたなら取り違えたで、「お前の書き方が紛らわしいのが悪い」とか いろいろ言い方があるじゃないの。そういうことなら納得するけど、 ごまかして詭弁で返すのはよくないよ > > 「どちらの考え方でも困りはしない」って意味、ちゃんと捉えてる? > 君は「主題化」の考え方を拒否した。上の文の意味を捉えていない。 『「主題化」の考えを採用しても拒否しても困らない、どちらの考え方に対しても 否定的証拠を提示するものではない、』っていう意味なんだから 「主題化の考え方を拒否した。上の文の意味を捉えていない」はないんじゃない? こういうのも、用語上の誤解とか認識の齟齬っていうのは議論にはつきものなんだから、 相手の言ってることでわからないことがあったら、勝手に解釈して否定するんじゃなくて ちゃんと齟齬を解消するようにしていかないと、議論自体なりたたなくなっちゃうよ
> 例えば、何が選ばれやすいの? あるいは、決して選ばれないものは何? これは、立場のいかんを問わず、長い研究史の中で考えられてきて、結局よくわかってない 問題だと思うけど、単に何が選ばれるのかというだけなら、既知のものが選ばれやすいとか 総称的なものは選ばれやすいっていうのはよく言われるよね。まあその辺は「定/不定」や 「特定/非特定」とも関係するとこだけど。もう一つは、commentとどういう関係にあるものが topicになるか(あるいはなりやすいか)っていうことだけど、これはよくわかんないね。やっぱり 典型的には、格成分なんかと重なることが多いわけだけど、「このにおいは」なんてのもあるに はあって、それもおそらく何でもいいっていうわけじゃなくて、何か条件があるんだろうから、そ の辺に関してはよくわかんないとこだね。 > 「定/不定」や「特定/非特定」と関係なく話ができるのか? ハの前には来ない > というものがあれば、それは統語的特徴ではないのか? まあ直接的には、指示の問題は意味論の問題と言われると思うけどね。勿論、意味論と統語論 に接点がないなんてことはないわけで、ある箇所にどんな要素が現われうるかなんていうのは、 その箇所に課せられた意味と、そこに現われる要素の意味とを度外視して述べることはできない ってのはあるね。そういう意味で「統語論的」と言いたいなら、まあ別に反対はしないけどね。
> > まして形態論的な話なんて一言もしてないし
> してるじゃないか。「○○ニハ」「○○カラハ」などは「典型的な題目語」とはしないと言ってるじゃないか。
>>591 。
まあこれは、君がO上の言う意味で典型的ということを言っているのを読みきれなくて
別の話をしてしまった俺の責任かな。
というか、そうならそうってちゃんと言えよ。お前の書き方が悪い
>>612 > どんな格が振り落とされるかなんてのは説明困難だろうな
それはもう how ではなく why の領域だから、科学ではない。
> それは「について」なんかつけなくても、単に「分裂文説」でいいんじゃないの?
> 確か「ぼくは紅茶が飲みたい」→「ぼくは紅茶だ」と
> 「ぼくののみたいのは紅茶だ」→「ぼくは紅茶だ」で論争があったような気がするけど
> 誰と誰だっけ
O津K一郎 VS K原Y雄。どちらかといえば後者を支持するが、「のみたい」が省略されたといったことではなくて、
「ぼく」の意味が文脈上、臨時的に拡大されていると見たい。
>>615 > > 従節について、ニは、ガやヲと同様に、topic で振り落とされることもある
> > 主節は全く非文法的。
> って、ニが落ちるかどうかの話で、「次郎は」の話なんて全然言ってないじゃない
>>603 の文の主節は「*次郎は、太郎が花子に伝えたって言ってた」だから、「次郎は」についての話であり、
「太郎が花子に〔例の件を〕伝えた」の中に「次郎に」は出て来ないから、ニが落ちるかどうかとはかかわりようがない。
> ごまかして詭弁で返すのはよくないよ
そんなことは全くしていない。
> 『「主題化」の考えを採用しても拒否しても困らない、どちらの考え方に対しても
> 否定的証拠を提示するものではない、』っていう意味なんだから
>>599 > そもそも、「主題化」という言い方自体が主題と格成分の混同なんだな
>>601 > 格成分が主題化しているってことを証明する目に見える証拠って何かあるの?
納得しがたいな。
>
>>603 の文の主節は「*次郎は、太郎が花子に伝えたって言ってた」だから、「次郎は」についての話であり、
> 「太郎が花子に〔例の件を〕伝えた」の中に「次郎に」は出て来ないから、ニが落ちるかどうかとはかかわりようがない。
ああ、それでわかった。そういうことか。紛らわしい書き方すんなよ。
> > 従節について、ニは、ガやヲと同様に、topic で振り落とされることもある
> > 主節は全く非文法的。
この書き方じゃ「太郎には」が従属節では「に」が落ちるけど、主節で「に」が落ちたら非文法的って言ってるみたいだろ
何のことか理解に苦しんだよ。
> > 『「主題化」の考えを採用しても拒否しても困らない、どちらの考え方に対しても
> > 否定的証拠を提示するものではない、』っていう意味なんだから
>
>>599 > そもそも、「主題化」という言い方自体が主題と格成分の混同なんだな
>
>>601 > 格成分が主題化しているってことを証明する目に見える証拠って何かあるの?
> 納得しがたいな。
こっちは何が言いたいのかよく分からないな
もうちょっと伝える努力をしてくれ
>>620 > > > 従節について、ニは、ガやヲと同様に、topic で振り落とされることもある
> > > 主節は全く非文法的。
> この書き方じゃ「太郎には」が従属節では「に」が落ちるけど、主節で「に」が落ちたら非文法的って言ってるみたいだろ
もしその意味なら、「従節 {で/において}」「主節 {で/において} は」と書くだろう。上のような書き方は絶対にしない。
> こっちは何が言いたいのかよく分からないな
君が『「主題化」の考えを採用しても (拒否しても) 困らない』という立場だったようには思えない。
「○○ニハ」「○○カラハ」などでは、ハの前に文成分の形が来ている。
これは、comment 中の成分が主題化するという考え方にとって、十分に肯定的な証拠である。
>>607 > 1) 格成分「父はこの本を買ってくれた」
> 2) 格成分の連体修飾部「象は鼻が長い」
> 3) 述語名詞の連体修飾部「かき料理は広島が本場だ」
> 4) 被修飾名詞「辞書は新しいのがいい」
> 5) 節「花が咲くのは7月頃だ」
「父ガこの本ヲ買ってくれること」→ 父は この本は
「象ガ鼻ガ長いこと」→ 象は 鼻は
「かき料理ニツイテ広島が本場であること」→ かき料理 (について) は 広島は
「辞書ニツイテ新しいの (=辞書) がいいこと」→ 辞書 (について) は *新しいの (=辞書) は
「花が咲くのガ 7 月ごろであること」→ 花が咲くのは
> 君が『「主題化」の考えを採用しても (拒否しても) 困らない』という立場だったようには思えない。
ちょっと話が長くなりすぎて、どういう話だったか忘れてるみたいだけど
それは格を代行しない主題がいくらでもある、というのが間違いだとしても(結局、内省の違いってことになっちゃったけど)
"そのことが”、「主題化」を肯定する立場に対しても、否定する立場に対しても、決定的な反証にはなり得ないって話でしょう
"私が"、「主題化」の考えを採用しても拒否しても困らない、なんてことは一言も言ってないよ
まあ、実際のところ、"私が"と置き換えても、特に困ることはないんだけどね
私の基本的な立場は
>>601 に書いたとおり、
「主題化か否かなんて分からないんだから、それに触れないで単に主題だって言えばいいじゃん」
というもので、仮に「主題化である」という仮説を受け入れたとしても、特に困ることがあるわけじゃない
ただ、何でわざわざ「主題化」なんてものを仮定するのか分からないし、目に見える証拠があるのか分からないし
それを仮定することが何の役に立つのかもわからない。いらないんじゃないの?ってことを言ってるだけだからね
実際、「主題化」なんてものを仮定しなければ、「このにおいは」みたいのを例外扱いする必要もなくなるわけだしね
勿論、どんなものが主題になるのか、という問題は、引き続き考えなければいけないわけだけど
だから、"私が"に置き換えても
>
>>601 > 格成分が主題化しているってことを証明する目に見える証拠って何かあるの?
っていうのは、『「主題化」の考えを採用しても 拒否しても 困らない』ような立場を取る理由のひとつなわけだし
それを持ってきて
> 君が『「主題化」の考えを採用しても (拒否しても) 困らない』という立場だったようには思えない。
というのは、よくわからないんだけどね。
>
>>599 > そもそも、「主題化」という言い方自体が主題と格成分の混同なんだな
というのも、ここでどう関係するのかよく分からないな
>>623 > それは格を代行しない主題がいくらでもある、というのが間違いだとしても(結局、内省の違いってことになっち
> ゃったけど)
> "そのことが”、「主題化」を肯定する立場に対しても、否定する立場に対しても、決定的な反証にはなり得な
> い
Comment 中の成分を代行しない主題がいくらでもある、というのが間違いなら、
「主題化」を否定する立場にとって、根拠はなくなる。
> 何でわざわざ「主題化」なんてものを仮定するのか分からないし
> それを仮定することが何の役に立つのかもわからない。
>
>>621 > > 「○○ニハ」「○○カラハ」などでは、ハの前に文成分の形が来ている。
> > これは、comment 中の成分が主題化するという考え方にとって、十分に肯定的な証拠である。
> 目に見える証拠があるのか分からないし
言語学上の仮説に目に見える証拠を求めるほうが、根本的に誤り。
> 実際、「主題化」なんてものを仮定しなければ、「このにおいは」みたいのを例外扱いする必要もなくなるわけ> だしね
実際に例外的であることの理由は、「主題化」を仮定することによって、うまく説明される。
> 勿論、どんなものが主題になるのか、という問題は、引き続き考えなければいけないわけだけど
Comment 中の成分であることは、主題になるための必要条件である。
> > それは格を代行しない主題がいくらでもある、というのが間違いだとしても(結 > > 局、内省の違いってことになっちゃったけど) > > "そのことが”、「主題化」を肯定する立場に対しても、否定する立場に対しても > > 、決定的な反証にはなり得ない > Comment 中の成分を代行しない主題がいくらでもある、というのが間違いなら、 > 「主題化」を否定する立場にとって、根拠はなくなくなる。 そこは『「主題化」の考えを採用しても (拒否しても) 困らない』というのが何の話だ ったか君が忘れてて、何が「「主題化」でも困らない」のか混乱してるみたいだから 引っ張ってきただけで、別にまたそこに戻って話をしようってところじゃないよね。こ の種の引用に、いちいち反論を繰り返しても仕方ないと思うんだけど、話の流れ、 自分でわかってる? > > 「○○ニハ」「○○カラハ」などでは、ハの前に文成分の形が来ている。 > > これは、comment 中の成分が主題化するという考え方にとって、十分に肯定的 > > な証拠である。 それは「主題化」を仮定した場合のひとつの利点だね。 だが相変わらず「このにおいは」みたいのを考えたときには「主題化」は都合が悪い から、どっちとも言い切れないし、やっぱり「主題化」か「主題化」じゃないか、なんて ことにはコミットせずに考えればいいと思うけどね
> 実際に例外的であることの理由は、「主題化」を仮定することによって、うまく説明 > される。 はじめから「例外」というものが存在しているわけじゃないよね。仮説なり規則なりが あるから、それに対する「例外」が存在するわけだよね。そうすると、「このにおいは」 は、「主題化」説における例外なわけだけど、「主題化」説が、それが例外であること を説明するというのは、ナンセンスだよね。むしろ例外が多ければ多いほど、その仮 説の妥当性は弱められてしまうわけで。ちょっと、このレスは今までの中で一番馬鹿 げているように見えるんだけど、大丈夫かな。 > > 勿論、どんなものが主題になるのか、という問題は、引き続き考えなければいけ > > ないわけだけど > Comment 中の成分であることは、主題になるための必要条件である。 それはひとつの仮説として考えるべき価値のあるものだけど、やっぱり「このにおい は」のような例外を生み出してしまうわけだよね。
だからさ、「主題化」か「主題化」じゃないかなんて、どっちでもいいじゃない。 ある場合には、格助詞付きの名詞句が主題になるし、別の場合には、文中の名詞句 中の修飾語句が主題になるかも知れないし、別の場合には、節が主題になって分裂 文みたいになるかも知れないし、別の場合には、文中の要素に還元できないようなも のが主題になるかも知れない。勿論、どの場合にも、何でも自由に主題になれるって わけじゃなくて、談話論的な条件だとか、いろいろ条件はあるんでしょう。どの立場で もコンパチブルなように、topicはcommentに対してどのような役割を果たすか(どのよ うな役割を果たすものが主題になるか)ってことを説明しとけば、十分なんじゃないの? それ以上、「主題化」だとか「主題化」じゃないとか論ずる意義が相変わらずよくわから ないんだけど。まあそれ以上に、どっちでもいいって言ってるのに、何でそんなにしつ こく「主題化はあるんだ」と食い下がるのかっていうのも、よくわかんないんだけどね。
>>626 > そこは『「主題化」の考えを採用しても (拒否しても) 困らない』というのが何の話だ
> ったか君が忘れてて、何が「「主題化」でも困らない」のか混乱してるみたいだから
> 引っ張ってきただけで
君自身の考え、立場だけが重要なのであって、それ以外のことを引用してくる必要は、はじめからない。
> だが相変わらず「このにおいは」みたいのを考えたときには「主題化」は都合が悪い
> から、どっちとも言い切れないし、やっぱり「主題化」か「主題化」じゃないか、なんて
> ことにはコミットせずに考えればいいと思うけどね
「主題化」を否定するほどの力があるとは考えられない。その種の例をすべて不適格と判定する話者すらいる。
>>627 > はじめから「例外」というものが存在しているわけじゃないよね。
もちろん存在している。だからこそ、それが正当に「例外」と位置づけられるような仮説を立てなければならないのだ。
> 仮説なり規則なりがあるから、それに対する「例外」が存在するわけだよね。
どんな仮説でも勝手に立ててよいかのような考え方は根本的に誤り。
> 「このにおいは」は、「主題化」説における例外なわけだけど
違う。Comment 中 の成分を代行しない主題は、代行する主題に比べて、現れる文の variety も、用いられる機会も、格段に少ない。
そのことをもって「例外」と呼ぶのだ。Comment 中の成分が「主題化」するという説明より前に、「例外」は存在する。
> むしろ例外が多ければ多いほど、その仮説の妥当性は弱められてしまうわけで。
実際に例外はごく少なく、作例に苦労する。
> それはひとつの仮説として考えるべき価値のあるものだけど、やっぱり「このにおい
> は」のような例外を生み出してしまうわけだよね。
「主題化」説が例外を生み出すのではない。
>>628 > だからさ、「主題化」か「主題化」じゃないかなんて、どっちでもいいじゃない。
それなら「主題化」でよい。
> ある場合には、格助詞付きの名詞句が主題になるし
格助詞付きの名詞句は、文成分の形をしている。それを、comment 中の成分から主題化したのでなく、最初から主題だったとする説明は、不合理である。
> 勿論、どの場合にも、何でも自由に主題になれるってわけじゃなくて、談話論的な条件だとか、いろいろ条件はあるんでしょう。
その条件のうち最も重要なものが、comment 中の成分であるということだ。
> どっちでもいいって言ってるのに、何でそんなにしつ
> こく「主題化はあるんだ」と食い下がるのかっていうのも、よくわかんないんだけどね。
どっちでもいいと言いながら、「このにおいは」のような例にしつこく拘る理由がわからない。
文法記述はバランスの勝負、囲碁のようなものだから、1 目取るために10目捨てたら負けだ。君がやっていることはそれなんだよ。
「疲れた顔」→ その顔は、だいぶ疲れてるな。/?彼の顔はだいぶ疲れていた。 「掃除機をかけている音」→ あの音は、掃除機をかけてるな。/?その音は掃除機をかけていた。 「ウールが入っている感触」→ この感触は、ウールが入ってるな。/?その感触はウールが入っていた。 「ガスがもれているにおい」→ このにおいは、ガスがもれてるぞ。/?そのにおいはガスがもれていた。 「豆板醤を使った味」→ この味は、豆板醤が使ってあるな。/?その味は豆板醤が使ってあった。 破格のハは、五感でとらえた発話現場の状況について判断したことをそのまま述べる場合に現れる。 「寝すぎた状況」→ これ (=この状況) は寝すぎた。
連体修飾構造との類似性を述べるんだったら 「は」にも内の関係と外の関係があってもよさそうじゃない 「ガスが漏れているにおい」なんて明らかに外の関係でしょ それに「彼の顔はだいぶ疲れていた。」なんて極めて自然な文な気がするが
>>632 > 「は」にも内の関係と外の関係があってもよさそうじゃない
ところが、
>>631 のタイプ以外で作ろうとすると、うまくいかない。
> それに「彼の顔はだいぶ疲れていた。」なんて極めて自然な文な気がするが
そう判定する人もいるだろう。
「彼の顔ガ疲れていること (には前から気づいていた)」は言えそうだ。
内の関係 「疲れた顔」→ その顔は、だいぶ疲れてるな。/彼の顔はだいぶ疲れていた。 「豆板醤を使った味」→ この味は、豆板醤が使ってあるな。/その味は豆板醤が使ってあった。 (「その味に豆板醤を使った」と考えて) 外の関係 「掃除機をかけている音」→ あの音は、掃除機をかけてるな。/?その音は掃除機をかけていた。 「ウールが入っている感触」→ この感触は、ウールが入ってるな。/?その感触はウールが入っていた。 「ガスがもれているにおい」→ このにおいは、ガスがもれてるぞ。/?そのにおいはガスがもれていた。 内の関係では比較的自由に主題化できるけど 外の関係では眼前描写じゃないと主題化できない、でいいんじゃないの?
>>634 > 「豆板醤を使った味」→ この味は、豆板醤が使ってあるな。/その味は豆板醤が使ってあった。
> (「その味に豆板醤を使った」と考えて)
これは可能だと思う。ニを残した「その味には豆板醤が使ってあった」も、私にはやや不自然に感じられるが、無理ではなかろう。
> 外の関係では眼前描写じゃないと主題化できない、でいいんじゃないの?
眼前描写に使える外の関係というのが、非常に狭く限られているということだ。
636 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/15 20:46:01
>>631 >「疲れた顔」→ その顔は、だいぶ疲れてるな。/?彼の顔はだいぶ疲れていた。
>「掃除機をかけている音」→ あの音は、掃除機をかけてるな。/?その音は掃除機をかけていた。
>「ウールが入っている感触」→ この感触は、ウールが入ってるな。/?その感触はウールが入っていた。
>「ガスがもれているにおい」→ このにおいは、ガスがもれてるぞ。/?そのにおいはガスがもれていた。
>「豆板醤を使った味」→ この味は、豆板醤が使ってあるな。/?その味は豆板醤が使ってあった。
そもそも俺には真ん中の例でも全部極めて不自然な例文にしか見えないんだが。
むしろ、
「その顔、だいぶ疲れているよ。」
「あの音、掃除機をかけてるな。」
「この感触、ウールが入っているな。」
「この臭い、ガスが漏れてる。」
「この味、豆板醤が使ってあるようだね。」
のように、「は」を抜いたほうがマシに聞こえる。少なくとも同程度の不自然さだ。
こんな例を持ち出しても「は」の用法を語っていることには全くならない希ガス。
「は」など、あってもなくても何の影響もないのだからw
>>636 は、comment 中の成分からの「主題化」に例外がない文法をもっている話者だということになる。
文成分の主題化と、それにともなう格成分の代行、一部の格表示の振り落としは、三上章と渡辺実が疾うの昔に明らかにしている。
今更O上のような遅れた議論がどうして出て来るのか、全く理解できない。
638 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/18 09:23:25
ゼロ代名詞
639 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/18 11:37:45
その顔は((その顔の持ち主が)だいぶ疲れていることを)示唆している。
ttp://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=72 実験3の目的は、視覚系が反射率地図を変化させている可能性を検討
することである。実験3では、5種類の柱面を刺激形状として定義し、
それらの画像から被験者が知覚した形状を測定した。そして、刺激画
像が持つ画像強度と知覚形状の傾斜角の関係から、視覚系が用いてい
る反射率地図を求めた。刺激形状が5種類あるので、5つの反射率地
図が得られ、それらが二つのグループにはっきりと分離するという結
果が得られた。このことは、視覚系が反射率地図を変化させているこ
とを示唆している。
*このことは、視覚系が反射率地図を変化させている。
彼の顔は大仏狩れている。
642 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/18 21:17:53
象は((鼻が長い)という特徴を持つ)生き物だ。
643 :
◆PAMMWVwUUw :04/12/20 08:29:09
こんちはー。 伝えたい意味とその表現手段(文法)をいったん分離してから統合しなおすって考え方はどうですか。 伝えたい意味→細かなニュアンスを伴うので正確に言おうとすれば長くなるんだけど。 表現手段→表現するときは短いほうがいいので(会話では特に)できるだけはしょりたい。 そこでどういう省略が(意味を損なわないということで)許容されるかということが問題になるわけだけど。 日本語は((主語がない)という風に見えるように表現できる)言語だ。
?日本語は主語がないという風に見えるように表現できる。
645 :
◆PAMMWVwUUw :04/12/20 12:35:13
>>644 そこかよっ!ま、確かにブサイクな文章だけどね。(w
現代の表現では、モノが他動詞の主格に来ることが可能だから、 「日本語が主語がないという風に見えるように表現できること」 も無理ではないよ。
647 :
◆PAMMWVwUUw :04/12/20 22:56:19
言語も進化してるからね。 省略が許容されるって書いたけど、言語進化的に見れば細かな表現方法はあとから生まれたんだよね。 最初は「日本語は主語がない」、としか言えなかったのが、必要性が出てきたので 「日本語は((主語がない)という風に見えるように表現できる)言語だ。」ということを 言い表せるように文法が進化した。っていうか進化させたひとがいる。 気持ちの表現から客観的事実の表現へ言語に対するニーズが拡大してきたんだな。 で上記文章がブサイクに思えるのはまだそれが進化途中だからっつーことでしょう。
648 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/25 22:27:11
649 :
◆PAMMWVwUUw :04/12/26 22:16:42
>>648 英語はSVCでSとVが近いけれど、日本語はSCVでSとVの間があいているので、長い文章が
Cとして現れると、脳の記憶能力の限界のせいでSとVの整合性がとれなくなる、っていうのは
あるでしょうね。
それと、Cの中のVと文章全体のVが文の最後に重ねて出てくるので、そのあたりもミスを
誘発する原因かもしれないですね。Vを一つ言ってそれで安心してしまう。
日本語と同じSCVの語順を持つほかの言語でも同じようなミスが多いのでしょうか。
あるいはそれを回避するような文法を新たに生み出していたりするんでしょうかね。
>>649 「作った当初は、よく使った文書も、日がたつにつれ、だんだん使われなくなっていくのが普通である」
の「作った当初は、よく使った文書」は、S であるとは限らない。C かもしれない。
後者の場合、S は「われわれ、人一般」となる。
>>649 「作った当初は、よく使った文書も、日がたつにつれ、だんだん使われなくなっていくのが普通である」
の「作った当初は、よく使った文書」は、S であるとは限らない。C かもしれない。
後者の場合、S は「われわれ、人一般」となる。
652 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 06:12:18
>>649 >>651 は更新したら重複してしまった。
Topic と V とは統語的に整合していなければならない (「主題化」) とする文法規則をもっている話者と、もっていない話者とがいるということだろう。
topicに関して整合が問題となるとすれば、それはcomment全体との整合性であって Vとの直接的な整合性を問題とすることに、どのような意義があるのか @私がこの通信教育を受講した動機は、幅広い知識を身につけることによって自己啓発しようと考えたのです。 A初めてマラソンに参加しての感想は、もっと体力づくりの基礎練習を怠ってはいけないと再認識しました。 まあどっちの整合性を問題にするとしても、これらの文は不整合だろう 主題化だのTopicとVの直接的整合性だのといった文法規則を持っていない話者も これらの文を許容することはあまりないだろう
>>653 > topicに関して整合が問題となるとすれば、それはcomment全体との整合性であって
どのような整合性なのか、客観的な記述はできまい。
> 主題化だのTopicとVの直接的整合性だのといった文法規則を持っていない話者も
> これらの文を許容することはあまりないだろう
どのような規則によって不適格と判定しているのか、説明できまい。
:::::::::::::::::::/ ;;;;;;;;;;;;;; ,,,,,,, | ::::::::::::::::::) ''''/ ̄ ̄ヽ_/ ̄丶 ::/ ̄ ̄::;;; ̄ ̄| ⌒ | | ⌒ | ::( ( ⌒| ::;; ヽ__/ ヽ / :::ヽヾ :;; ::: (_,, ::)一ヽ :::::ー’ :: /  ̄ ヽ 丿 | ゝ ----─- / シュシュシュシュシュシュシュ | ::ヽ ヽ±±/ / ノ ::: γ /ヽ ::\ ⌒ / / \ ヽ___ノ /` ´\ / , \ 〈 〈 | ̄ ̄ | | ̄ ̄| \ \ (⌒,|.女体.| | llll.| \ \||l ||__m__| |ヽ(ヨl| | l| |ヽ_ノ | |l| l|.| |l | / ,(__人__)、 \ シュシュシュシュシュシュシュ / / ヽ ヽ
>>647 言語が「進化する」だの「言語進化的には」だの、およそ言語学やってる者とは思えない言い草w
657 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 11:41:27
突然ですが・・・ 『夜もふけてまいりました』 の『も』ってなぜこのような使い方が出来るようになったか説明してください。
658 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 13:06:17
僕もこれ知りたい。 筑波大の北原先生がずっと前にテレビかラジオで 話していたなぁ。
659 :
認知MAN :04/12/27 17:14:34
「夜も」の「も」をとりあえず英語に置き換えてみぃ〜。 すると、"also"や"too"として表現できるじゃろ。 つまり、「も」には第一者と第二者ないしは、第三者を付加/比較する機能がそなわってんべ。 Aもふけてまいりました。 って事は、そこに何らかの隠喩が働いてるんだYO! つまり、(Bと比べて)Aもふけてまいりました。もしくは、(Bと共に)Aもふけてまいりました。 ってことだYO。この隠れている部分にどういう概念があるかを探ればいいのよん。 一般に「夜もふけて参りました」の場合は、「夜がふける」って事実を使って、「遅い時間帯」を表現しようとしてるんだYO! さらに、「夜がふけて参る」ってのは「ふけてくる」という進行形の事象に、「時が流れる」という隠喩を使ってるわけYO。 んで、「夜が」って言葉を用いる事で、人間の中にある「朝、昼、夜」の感覚と「ふけてくる」という時間の流れを同時に投影し、 「時間が流れて日没後に移り行く」と表現してるわけYO。 まァ〜、ここまで細かく分析しなくても、「夜もふけてまいりました」ってのの正式表記は、 「(時間と共に)夜もふけてまいりました」だと考えれば、「も」の存在意義がわかるよな! つまり、これは比喩表現の一種で、元来日本人が、正確な時刻を告げて、「只今午後9:00なので、夜がふけてまいりました」 といちいち言わなくて済む方法として生み出した技だろうな。他の言語にも比喩表現なんて腐る程あるけど。
>>659 ちょっと違うな。
> (Bと比べて)Aもふけてまいりました。もしくは、(Bと共に)Aもふけてまいりました。
ここがおかしい。この場合、「ふける」ものは A =「夜」だけで、B に当たるものがないことが問題なんだ。
661 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 18:41:38
そこが隠喩の部分じゃないの?
>>661 隠喩だったら、特に「も」は要らない。
「明けない夜はない」こういうのを隠喩と言う。
誰に聞いてもわからないみたいなんですけど 青にあって赤にない 秋にあって夏にない 神にあって仏にない これって何でしょうか? お願いします
664 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 18:59:13
じゃあそれをふまえたうえで、 認知MANの説明をまとめるとどうなるの?
665 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 19:02:27
>>1 死ね。アホすぎ。
荒らしは無視しろ。荒らしの相手をしたら、あなたも荒らし。
終了
666 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 19:21:51
>>665 誤爆?
>>659 認知マン、ついにこんなところまでお出ましかあ?
でも、相変わらず言ってることがよくわからんのよね。隠喩の把握が
めちゃくちゃだ。「も」の文法的機能も押さえられてないようだし。
そのままでやりたきゃ、認知スレへ持って帰ってくれ。たたかれること必至だが。
だからといって、ここを荒らすな。
667 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 19:37:12
認知MAN間違ってるの?じゃあ666さん教えてくらさい♪
668 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 19:45:09
669 :
◆PAMMWVwUUw :04/12/27 20:05:55
>>650 > 作った当初は、よく使った文書も、日がたつにつれ、だんだん使われなくなっていくのが普通である
正直、これのどこが間違っているかよくわからないっす。誰か教えて。
この文章の主題は「文書が使われなくなること」だよね。
あとでも書くけど、日本語と言うのは会話のコンテキスト込みの言語だなって思います。
英語がかなり文章のコンテキスト独立性があるのに対して。
SとVの非整合の許容に関しては
>>653 の
> 主題化だのTopicとVの直接的整合性だのといった文法規則を持っていない話者も
> これらの文を許容することはあまりないだろう
に同意なんだけど。
でも現実的には、書かれた文章としては許容しない人も会話の中では整合性を保てないケースが多々あると思われ。
>>654 SとVの整合性ですよ。
>>656 気にすんな。
670 :
◆PAMMWVwUUw :04/12/27 20:19:12
>>657 日本語がコンテキスト込みだってのはここにも現れているんではないかなあって思う。
ここでいうコンテキストとは会話の相手の心情とか共有する情報、気持ちなどね。
「も」とはなにか。夜が更けてきた、とどう違うのか。
そこには話者の心情が込められているんだろう。
それが相手の心に共有されていることを期待して、その部分はとりあえず省略するんだ。
「も」とはもう一つ言いたいことがあるということだ。
そのもう一つがなにかということを相手が察することを期待すると「も」になるんではないかなあ。
>>669 > でも現実的には、書かれた文章としては許容しない人も会話の中では整合性を保てないケースが多々あると思われ。
言い間違えたことに自分で気づくが、いちいち言い直すのも面倒なので、許してもらっている。
> SとVの整合性ですよ。
S とは何か定義できまい。
「作った当初は、よく使った文書も、日がたつにつれ、だんだん使わなくなっていくのが普通である」
こうしても、「作った当初は、よく使った文書」は S かね?
>>670 > それが相手の心に共有されていることを期待して、その部分はとりあえず省略するんだ。
省略なら復元できるはずだ。復元してみてほしい。
>>657 「夜もふけてまいりました」のあとに、どう続けたいか考えてごらん。そうすれば答が見えてくる。
673 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 21:55:34
「も」の本務は「並列」。「AもBも」と並べるのが通常だが、Aがない場合は Aが文脈からわかるので非明示(復元可能) ↓ Aが含意(復元恣意的) ↓ Aが希薄化(復元不可能)「夜も…」はその例。 という段階性が考えられるのでは、と思っている。まだ直感的な思いつき なので、きちんと理論化できてないんだが。 ところで、これって「主語はいらない」のスレで扱うようなもの?
日本語を英語に直すと理解しやすいの? 文法的に違うものを並べても比較の対象にならないようなきがするんだけど。
675 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 22:03:42
>>671 「作った当初は、よく使った文書も、日が経つにつれ、だんだん使われなくなっていくの」が、普通である。
Sは「」の中。「普通である」が(広義の)V。
厳密な構造は
入れ子関係の記号を「 [ { ( ) } ] 」 と定義すると
「[{(作った当初は)よく使った}文書も] (日が経つにつれ)、(だんだん)使われなくなっていく」→の(名詞化する助詞)
これが「が」により主語とはっきり明示
となっているはずだが。
何か問題があるか?
>>675 >>671 に「こうしても」と書いてあるだろ。元の文から変わってるんだよ。よく見ろよ。
それに、そんな長ったらしい S「 」の中に、S' も V' もないのか?
677 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 22:38:13
>>676 「使われなくなってゆく」の態が受動であることは明らかなのに
ヘンなところで悩んでいる
>>650 の真意が不明なんだよ。
「人一般」が「使われなくなっていく」というのはおかしいだろ。
>>677 どうして相手を「ヘンなところで悩んでいる」と決めつけて、受動態の方がおかしいのかもしれないと思ってみないのかなあ。頭固いなあ。
「?作った当初は、よく使った文書も、日がたつにつれ、だんだん使われなくなっていく (のが普通である)」
「使われ (なくなっていく)」のガ格項は、「作った当初は、よく使った文書ガ」だよね?
従節の述語「作っ (た当初は)」「使っ (た文書も)」のガ格項は、どっちのも「人一般ガ」だよね?
従節の述語のガ格項が省略されている場合、それは主節の述語のガ格項と一致しなければならない。
I.「作られた当初は、よく使われた文書も、日がたつにつれ、だんだん使われなくなっていく (のが普通である)」
II.「作った当初は、よく使った文書も、日がたつにつれ、だんだん使わなくなっていく (のが普通である)」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1102070606/656 の出題者が求めたのは、上の I, II のどちらかだろう。
II の場合、「人一般が、作った当初は、よく使った文書も、日がたつにつれ、だんだん使わなくなっていくのが普通である」という、二重ガ格の文になる。
・あるオヤジが、職場の口うるさい独身女性に対して、「早く子供でも産め」と悪態をついたところ (セクハラだよ。例文なので許してね)、言われた女性は「子供以外に何が産めるというんですか」と切り返した。 ・「寒いし、腹は減るし、そのうえ雨まで降ってきた」 上のような「でも」「まで」の用法は、「夜もふけてまいりました」の「も」に似ている。 本来その位置にあるべきでない副助詞が、名詞の直後という最も安定する位置に、構文を破って移動している。
680 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/27 23:59:08
>>678 >従節の述語のガ格項が省略されている場合、それは主節の述語のガ格項と一致しなければならない。
こんな文法法則は日本語には存在しないんだよ。
一致していたほうが文意が明確になることは確実だが、
欧州の言語などと違って、日本語では違っていても文法違反ではない。
厳密に言えば、従説内の主語が違っていても文意が分かれば省略は可能ということだ。
だから日本語母語の香具師は頻繁に英語などでネクサス構文の文法違反を犯す。
しかも中級レベルになってもしばしば間違える。
もちろん厳密には
>>678 のTが最も文意明確な文となることは言うまでもない。
日本語の場合は、受動態が能動態に比べて従属文中でもはっきり有徴なので
「られ・・・られ・・・られ・・・」のような煩雑さを防ぐため
従節の中だけ受動態を能動態に変えることはあるだろう。
日本語は徹頭徹尾、文の焦点が後ろに来る入れ子構造なので、
Uはそもそも極めて不自然だ。
>>680 > こんな文法法則は日本語には存在しないんだよ。
存在する。長くてややこしい文ほど守らなければならない。
「切っても切れない」「殺しても死なない」「触ったら落ちるよ」のように、守られない文型があることも確かだが。
> だから日本語母語の香具師は頻繁に英語などでネクサス構文の文法違反を犯す。
例えば?
元ネタを見ると、↓と書いてある。 >次の文の文法上おかしいところにアンダーラインを引いて指摘し、訂正しなさい。(文の趣旨は変えないこと) @〜(B)を見れば分かるとおり、このセミナーが日本語文法講習会でないのは一目瞭然。 「これこれ〜という理由でこの文はおかしくありません」と言う事が最初から許されていない。 おそらく、「主語述語をはっきりさせましょう」という講習会であるコトは容易に推測される。 それが当該講習会における「文法」なんじゃないのかな? たぶん、求められている答えは「・・・られ・・・られ」構文ではなく、単純明快な「・・・し・・・する」 構文だろう。言語学者が不自然に感じようがどうしようが、あまり関与を求められてない。 すなわち、善悪の基準が違うんだからしょうがない。そういうセミナーもあるのかー、ふーん、 と思うしかなかろう。(あくまで憶測にすぎないけどね)
日本語では、主節の述語のガ格項と従節の述語のガ格項とが一致するとき、後者は義務的に省略される。 私は 6 歳の時、もう泳げました。 *私は私が 6 歳の時、もう泳げました。 太郎が 6 歳の時もう泳げたことは、私が知っている。 *太郎が彼が 6 歳の時もう泳げたことは、私が知っている。 英語では、代名詞の省略は許されない。 I was already able to swim when I was six. *I was already able to swim when was six. I know that Taro was already able to swim when he was six. *I know that Taro was already able to swim when was six.
684 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/28 01:12:15
>>683 「日本語では主節と従属節の主語が一致する時、後者が義務的に省略される」ことは、
「従節の述語のガ格項が省略されている場合、それは主節の述語のガ格項と一致しなければならない」
ことの証明には全く資しないんだけどw
ちなみに
When six years old, I was already able to swim.
は許されるんだが。
特に口語では不自然だが、 分詞構文にしても主語は省ける。
>>684 > 「日本語では主節と従属節の主語が一致する時、後者が義務的に省略される」ことは、
> 「従節の述語のガ格項が省略されている場合、それは主節の述語のガ格項と一致しなければならない」
> ことの証明には全く資しないんだけどw
資させるつもりはない。同じ現象の表裏。
第二命題は、それに違反する文を作ると、特定の型のものを除いて不自然になるから、容易に証明される。
> When six years old, I was already able to swim.
> は許されるんだが。
文語のみ。しかも一部の副詞節に限られる。
> 特に口語では不自然だが、 分詞構文にしても主語は省ける。
分詞は定動詞と異なり、意味上の主語が文の主語か目的語と一致して、省かれるのを原則とする。
定動詞が現れる節の主語は原則的に省けない。
>>681 への答がないな。
686 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/28 04:26:45
>>685 日英で単純な比較は出来ないが、無理に比較すれば
「作った当初は」の「作った」、「良く使った文書」の「使った」は
英語なら分詞のほうが機能的に近いだろ。
日本語には関係代名詞が存在しないから、
連体修飾する動詞の文法機能は
定動詞の機能というより分詞や不定詞の機能に極めて近い。
(もちろん厳密には日本語には印欧語のような定動詞はそもそも存在しない。
スレタイともかかわる問題だが)
論理学的に無関係なのに「同じ現象の表裏」と言い切るその非論理性に呆れる罠
きちんと論理的に説明汁。
「第二命題」の「不自然さ」は、既に日本語話者の一人であるはずの
>>669 が
「どこが間違っているのかよくわからないっす」と言って反例を挙げて破っているわけだがw
俺も一応付き合ってやったが、さらに本来無関係な英語の例まで持ち出して、
非論理の極みだな。
*Composed of coloured glass and grooved stripes of lead, wood, or cement,
many cultures use stained glass work as an art form for decolation.
(もちろん間違い)。易しい問題集の非文例だ。こうしてみるとバカバカしいが、
この手の間違いをする香具師は結構多い。
>>685 はロジック全然できないみたいだから相手するだけ無駄
∀x[P(x)→Q(x)]と∀x[Q(x)→P(x)]を同じ現象の表裏なんて、高校生でも恥ずかしくて言わない
>>686 > 日英で単純な比較は出来ないが、
> 日本語には関係代名詞が存在しないから、
> 連体修飾する動詞の文法機能は
> 定動詞の機能というより分詞や不定詞の機能に極めて近い。
英語には、関係代名詞を使う構文と、分詞や不定詞を使う構文とがある。
日本語には、関係代名詞に当たるものがなく、連体修飾の構文だけがある。
ここから予測されるのは、連体修飾する動詞の文法機能は、定動詞の機能と分詞や不定詞の機能とを兼ねているだろうということだ。
> 論理学的に無関係なのに「同じ現象の表裏」と言い切るその非論理性に呆れる罠
論理学とは関係ないよ w
「[S' … V'] S … V」において、「S' が非特定、かつ V' が非現実の事態を表している」のでないなら、S = S' の場合に限り、S' は義務的にゼロとなる。
> 「第二命題」の「不自然さ」は、既に日本語話者の一人であるはずの
>>669 が
> 「どこが間違っているのかよくわからないっす」と言って反例を挙げて破っているわけだがw
例の問題の出題者や私と
>>669 とは、違う文法規則をもっていると考えればよい。
この場合、S' が非特定なので、いくらか救われていることは認める。
> さらに本来無関係な英語の例まで持ち出して
対照して異なることを示しただけ。
> *Composed of coloured glass and grooved stripes of lead, wood, or cement,
> many cultures use stained glass work as an art form for decolation.
日本語に直訳してもやはり非文が出来るから、例として不適当。
>>687 そんなややこしいロジックとは関係がない。事実を観察すればわかること。
>>686-687 君らは
>>685 で「表裏」と書いたから、それにからんでるんだな。
「同じ現象の異なる表れ方」ならいいだろう。
論理学に「裏」はあるけど、「表」「表裏」なんて言うのか?
どうでもいいが、生成的な思考法に毒されて、機能主義的なものの見方がわからないようだな〜
692 :
◆PAMMWVwUUw :04/12/30 07:48:46
>>689 「君らは私が
>>685 で「表裏」と書いたから」に訂正。
レスアンカーは人扱いすべきか場所扱いすべきか迷うが、一貫させたい。
>>690 >>692 機能主義とはアドホックな説明のことか w
694 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/30 16:32:30
>>678 > 従節の述語のガ格項が省略されている場合、それは主節の述語のガ格項と一致しなければならない。
これは文法規則じゃなくて,談話法規則じゃないかな。
・私は半年前まで総務課にいた。少なくとも,{私が/φ} 今年作った書類は,まだそこにあるはずだ。
上の第二文の場合,従属節の述語のガ格項「私が」は省略可能だけど,主節の述語のガ格項「(私が) 今年作った書類ガ」とは一致しないよ。
>>680 > 欧州の言語などと違って、日本語では違っていても文法違反ではない。
例えば英語では,定動詞を持つ従属節の主語は,主節の主語と一致しようとしまいと,原則として省略できないから,関係がない。
>>694 > 上の第二文の場合,従属節の述語のガ格項「私が」は省略可能だけど,主節の述語のガ格項「(私が) 今年作った書類ガ」とは一致しないよ。
確かにそうだが、では、「作った当初は、よく使った文書も、日がたつにつれ、だんだん使われなくなっていくのが普通である」も不自然ではない?
696 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/30 20:47:52
>>695 > 「作った当初は、よく使った文書も、日がたつにつれ、だんだん使われなくなっていくのが普通である」も不自然ではない?
それはやっぱりちょっと変。
>>694 の例文を,
・私は半年前まで総務課にいた。{私が/*φ} 作った文書は,まだそこにあるはずだ。
に変えると,文脈上「私が」であることは明らかでも省略不可になるから,規則そのものはたぶん生きている。
ただ,適用されない条件が,
>>688 の「『S' が非特定、かつ V' が非現実の事態を表している』のでない」のほかにもありそうだということ。
>>696 間違えた。適用されない条件が,
>>688 の「S' が非特定、かつ V' が非現実の事態を表している」のほかにもありそうだということ。
698 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/12/30 21:13:43
雨が降る。 火が消える。 人が死ぬ。 客観的な情景描写? (何々すれば)私が死ぬ。
699 :
◆PAMMWVwUUw :04/12/30 23:23:57
>>693 人間の脳自体がアドホックにできてるからね。Aのケースはこう、Bのケースはこう反応するとかいう
単独ケースへの対応機能(ルール)はあっても、AとBが同時に起きたらどうするかと言うところまでは
脳は責任を持てなかったりする。恋と友情どちらをとるか、みたいに。そこは悩むしかない。
動詞の整合性も似たようなところがあるよね。
文章が長くなると不整合を(脳が)許容してしまう場合もある。
>>699 > Aのケースはこう、Bのケースはこう反応するとかいう
> 単独ケースへの対応機能(ルール)はあっても、AとBが同時に起きたらどうするかと言うところまでは
> 脳は責任を持てなかったりする。
同時に起きた場合の対応機能も決められている。
確かに言い間違いは多くなるが、話者・聞き手ともに間違いとわかったうえで許容している。
> 動詞の整合性も似たようなところがあるよね。
> 文章が長くなると不整合を(脳が)許容してしまう場合もある。
整合性が比較的単純なコードとしてまとめられていることには変わりがない。
という仮説が可能です。
日本語、フィンランド語、スペイン語に主語はあるの? 統語論のはなしじゃないとおもう。もし動詞の人称語尾が主語にあたる人称代名詞を一意的に示すとするなら、そうじゃないし、人称代名詞を省略したとすれば、省略した文と省略しなかった文とは イコールでなくてはならないとおもう。
703 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/06/28(火) 21:48:27
704 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/07/15(金) 23:29:51
私の知人の韓国人の家族の意見ですけど、日本語は知恵足らずの人が 話しているように聞こえるそうです。 そう聞こえるのかもしれませんね。
705 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/07/15(金) 23:32:11
まあ、韓国人はみんな知恵足らずですから。
自演乙
708 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/08/16(火) 18:08:57
あげ
709 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/07(月) 00:30:46
710 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/07(月) 11:55:19
このスレ「主語がないなんて大発見ではない」 という結論で終わったと思ったが。
まあ『日本語に主語はいらない』はそんなに悪い本でもなさそうだったよ ちゃんと研究史はおさえてるみたいだし。今から勉強する人は読んでみるのもいいかも
712 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/24(月) 02:27:05
主語と呼ばずになんと呼んだらいいのか教えてくれ。
>>712 AFKS (= the argument formerly known as subject)
714 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/18(金) 08:21:03
715 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/18(金) 09:45:31
716 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/19(土) 23:36:02
なんで最近の言語学者らは「られ」っていうの?「れる・られる」って 習っただろ?「る」が語尾だとか、いうのやめてくれ。生成文法やって る人は、なんでも一つにまとめりゃいいみたいに考えてるんだろか?
717 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/20(日) 00:41:06
主語はいるけど、修飾詞・形容詞・目的詞はいらないなあ。S+Vのみですべて 説明できるはず。日本語だけS+O/C+V、多言語はS+V+O/C。動詞先にしないと、機能不全に 陥るしかない。
718 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/20(日) 01:11:09
>>717 あなた言語学しらないし、語学もしらないでしょ。
719 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/20(日) 02:44:50
720 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/20(日) 03:04:34
SOVは世界の言語の約半分、SVOは約40%、VSO約10% ということを知らないの?
ほしたらVOS(まれにあり)とか OVS、OSV(極まれにあり)とかが無くなっちまうやん。
おおよその数だろ VOSとかOVSとかOSVとか、あわせても1%ぐらいしかないんじゃなかったっけ
それはどう言語を数えるかにもよる。ただしVOSはOVS/OSVより多い。
724 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/10/04(水) 04:29:17
age
エイジ
726 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/10/05(木) 16:46:43
日本語は述語だけで文になる。主語も目的語も補語も要らない。
で?
SVOとかどうでもいいから、みんなでPSOやろうぜ。
729 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/10/09(月) 07:51:41
主語をぼかすことで、人間関係も円滑になるんだな
スペイン語も主語は言わなくてよい場合が多いが、スペイン人や中南米の人が日本人のように穏やかとは、とても見えない。
731 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/10/27(金) 15:58:04
「読む」 文脈がなければ誰が何を読んでるかわからんだろがこのチンカス>726
He reads it. も文脈がなけりゃ、誰が何読んでいるかわからんぞ。
・日本語では、文脈があれば、「だれが」「何を」を言わなくて済む。 ・英語では、文脈があってもなくても、'He' 'it' そのものを言わずに済ませることはできない。 この両者を、同じ原理に基づくととらえるか、異なる原理に基づくととらえるかの問題。 同じ原理に基づく、すなわち、「文脈に拘わらず、必ず現れる文要素だけが必須要素である」とすると、日本語の基本構文は「読む」、英語の基本構文は "He reads it." となる。 異なる原理に基づく、すなわち、「文脈がないと仮定したときに現れる文要素が必須要素である」とすると、日本語の基本構文は「X が Y を読む」、英語の基本構文は "He reads it." となる。
735 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/11/02(木) 05:07:05
uzee
>>733 「異なる原理に基づく」というのは、日本語にはゼロ代名詞があるが、英語にはゼロ代名詞がない、ということだろう。
金谷は、「同じ原理に基づく」ととらえて、ゼロ代名詞という概念を否定し去ったわけだ。
しかし、そうすると、「*彼女を結婚する」「*あなたに待つ」が誤りで、「彼女と結婚する」「あなたを待つ」が正しいことの理由は、動詞の「文型」にではなく、動詞と「を」「に」等の格助詞との相性に求めなければならなくなる。
そういった説明が全くなされていないから、金谷説はトンデモの域を出ないのだ。
>>730 スペイン語は述語動詞に人称変化があるじゃんよ。
そりゃ、もう、述語として使える形で動詞を用いれば、そこに、主語が必ずひっついてきているのと同じだ。
738 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/01/25(木) 23:26:28
739 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/02/07(水) 09:09:41
あれとって!(どれやねん) あそこに行って!(どこやねん) 食べた?(何をじゃ!) 主語を省くと言いたいことが伝わりにくい↓ 誤解を招く↓ 結果離婚
740 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/02/07(水) 11:11:48
あれとって!(どれやねん) ○○やん(あああれか) あそこに行って!(どこやねん)○○やん(あああそこか) 食べた?(何をじゃ!)○○を(食べた食べた) 繰り返すうちにちゃんと言わなくてもわかる↓ 夫婦にだけわかる言葉の誕生↓ それは他の人には通じない↓ この相手じゃなきゃ嫌!↓ 夫婦円満
741 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/02/07(水) 11:24:28
以心伝心感覚で人に接するやつは ヤバい 気付かなかったことに対して怒っても仕方がないのに、「気付けよ(怒)」と言い出す 結果職場の人間関係悪化↓ 嫁にアタる↓ 夫婦の間に溝ができる
743 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/02/07(水) 20:46:24
スキューバするときに海の中で いうじゃんシュゴーシュゴーって あれが主語
>>1 スレタイはまごうことなき事実かと思うのですが、
これは私が系統だった言語学を修めてないからでしょうか。
2人連れで喫茶店に行って
「お飲み物は何にしますか」
「私はコーヒーですね」
「お飲み物は」は主語じゃないわな。
「あなたは」が本当の?主語だ。
しかし「あなたは飲み物は何にしますか」とはなかなか言わない。
「あなたは」で始めるなら、「あなたは何を飲みますか」だ。
つまり文の構成そのものが変わってしまう。日本語として自然なのは前者だ。
「私はコーヒーですね」
これもおかしい。
「私」はコーヒーという名前でもなければ異様に色が黒い訳でもないのに「私はコーヒーです」と宣る。
「お飲み物は〜」と訊ねられて「私は〜」と答えるのも妙だ。
ちゃんと文脈に沿って答えるなら
「私が飲みたい飲み物はコーヒーです」
「私はコーヒーが飲みたいです」。
このような場合の「飲み物は」「私は」は、ウィキによれば「話題」というそうなのだが、
しかしなんでこんな妙なものなのかね。
まあ「話題」の後、繋ぎ言葉を2、3つなげて肝心の結論を最後にサラリと言う、
っていう喋り方は客商売には向いてるわな。
受け取り方も増えるし勝手に婉曲表現になるし。
このやり方で何人かの客を言いなりにして来た。
営業マンってやな奴だね。
>>744 営業マンにしてはいいセンスだ。転向するかい w
> 「お飲み物は何にしますか」
「お飲み物ヲ」の主題化。
> 「私はコーヒーですね」
「-ガ」でも同じことが起こりうる。
「お客様がコーヒーで、お連れ様が紅茶でございますね?」「違う、こちら(連れ)がコーヒーで、私が紅茶」
「お客様」「お連れ様」「こちら」「私」の意味が、辞書にあるものから変質しているのだ。
746 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/02/11(日) 02:19:43
>>1 パソコンのほうの2chからきました。
あっちでは必要以上に主語や目的語を強要され、
全然考えてくれません。
747 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/02/11(日) 12:48:01
頭悪いワタクシ、英語の構文覚えるように日本語の構文たくさん暗記するのっていい?
749 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 18:49:18 O
さげんなぼけ
>>749 おいおいちょっと誰に言ってるんだよ!?さげんな!?
さげんなってちょ・・・何これさげんなっても、ええ!?どういうことなの!?
それでわけわかんねえのにぼけて言われても、ええ!?どういうこと!?
ちょそれって、ええ!?さげんなってもこれってよー、はあ!?ちょっと待ってくれよ!?
751 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 20:32:33 0
>>1 何がいらないの?
主語をいってもらわないとわからないなあ
752 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/27(水) 03:06:28 0
age
753 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/27(水) 03:11:32 0
> 「私はコーヒーですね」 脳内省略を復元すると以下の例を挙げることばできる。 1.私の注文について言うならば、それはコーヒーでありまするね 2.私に付いて言うならば、注文したい品はコーヒーでありまするね
754 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/27(水) 05:40:04 0
奥はコーヒーです。 3番はレモンティーです。
755 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/27(水) 06:57:16 0
一般的なヨーロッパ語文法でいう主語は その性、数によって呼応する動詞の形が異なるが 日本語や中国語ではそういうことがない。 ヨーロッパ語文法の意味する主語というものは 日本語にはない。 主語という紛らわしい語は日本語文法で使うべきではない。
日本語のガ格は、他の格 (ヲ、ニ等) と比べて特異な振る舞いが多い。 ガ格を特別扱いして「主語」と呼ぶことは、日本語話者の直観に適っている。 もちろん、日本語には「主語」のない文や、「主語」を 2 つ持つ文があるということも、認めなければならないが。
今、読了。 ハァーおもしろかった。
758 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 00:08:58 0
ガ格の特別な振る舞いとはいかに
>>758 ・ガ格はいかなる副助詞 (係助詞、とりたて詞) の前にも現れない。
・ガ格は名詞修飾節において、他の格助詞すなわち‐ノと交替することがある。(ガノ可変)
・複文において、主節のガ格の指示対象と、従属節のガ格の指示対象とが同一事物である場合、従属節のガ格は義務的に省略される。
760 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 23:22:23 0
>>759 ガ格が他の格に対して優位だから一応別枠にして「主語」ってことにしよう
っていう意見自体は分からなくもないんだが,すると,
先生には子供が三人おありになる。
とかの「先生に」をも主語とする柴谷らの考えとは異なるんだね?
761 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 00:23:47 0
春はあけぼの。
>>760 「〜に〜がある/いる」という存在の構文では、ニ格がガ格より優位にある。だから存在の場所を表すニ格も「主語」と見なされる。
「太郎は、{×太郎に/×彼に/○φ} 子供がいるので、新しいゲームをよく知っている」
「太郎は、子供が {△太郎に/○彼に/○φ} なつかないので、困っている」
存在のニ格は他のニ格と違い、従属節にあって、指示対象が主節のガ格の指示対象と同一であるとき、義務的に省略される。
763 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 04:31:27 0
日本語に主語は無い、「は」は話題の提示であるとの説に賛成する。 が、しかし、英訳すると「話題」はsubject(主語)なんやな。 この矛盾を論じた本があったら紹介して欲しい。
764 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 06:15:52 0
>先生には子供が三人おありになる。 この手の表現は忘れ去られようとしている。 英訳すると主語だから日本語でも主語だというわけにはいかない。 Here you are. Here it is. Here's a cup of tea.
765 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 07:16:57 0
>>762 「太郎は子供がいる」「太郎は子供がなつかない」という文も可能だから、
二格の省略とは決めつけられない。
766 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 09:38:16 0
>>764 英訳すると主語だから日本語でも主語だというわけにはいかない。
その通り。ただ、この場合
ここに 「は」、君がいる
ここに 「は」、それがある
ここに 「は」、一杯の お茶がある
こじつけと思う前に 「には」の語源的構造を考察しましょ
>>765 「太郎には子供がいる」「太郎には子供がなつかない」の「に」が削除されたものと見られる。
格助詞ニは、とりたて詞ハやモの前で、削除される場合と削除されない場合がある。
768 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 10:13:57 0
>>766 Here you are.
は
>ここに 「は」、君がいる
という意味ではないよ。
誤解しないように。
インターネットや本ばっかり読んでないで
街へ出て外人としゃべってみよう。
769 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 11:06:33 0
>>767 「太郎は子供がいる」と「太郎は子持ちだ」で「太郎は」の格を区別しなければ
ならない根拠は見当たらない。
770 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 11:09:29 0
「太郎が子供がいることはわかっている」 こんな文も可能じゃないかな。不可能と感じる人も いるようだが、どうかな。
>>769 「太郎は 子供が ?いること/*いると/*いれば」「太郎は ?子持ちであること/*子持ちだと/*子持ちなら」のように、とりたて詞ハを含むことのできない従属節が存在する。
非主題化すると、「太郎に子供がいること/いると/いれば」「太郎が子持ちであること/子持ちだと/子持ちなら」となって、格の違いが表れる。
>>770 その言い方が許されるなら (私は不可)、「太郎」も「子供」もガ格でともに「主語」ということになり、むしろ問題はない。
「太郎は」を「太郎には」の「に」が落ちたものじゃなくて 「に」→「が」→「は」という変形を仮定する説もなかったっけ 古い生成の時代の説で、今はあまり使われないのかも知れんけど
>>772 それによれば、1 度「主語化」を経ていることになるので、ニ格を「主語」と認めるべきかどうかに悩まなくて済み、簡単だ。
私は無理があると思うが。
774 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 12:20:41 0
>>771 「太郎が子供がいること」はなぜ不可なんですか。
極普通に幾らでも使われてますが。変と感じるほうが却って変ですよ。
>>774 そんな細かいところまで、全ネイティヴの文法が一致するわけではないよ w
やっぱり「太郎に」と言ってしまうものは仕方がない。「変と感じるな」というのはむちゃくちゃだ。
776 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 12:41:36 0
>>775 「変と感じるな」はむちゃくで「不可」と断定するのは理にかなってるのか。
そのほうが変じゃないか。
777 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 12:54:42 0
「不可」は言語学的に言ってるんだからいい。 「変」は言語学の素人の感覚だから言語学的に無価値。 言語学を知らないヤツは去れ。
>>777 「感覚」というものに、素人のものとかプロのものとか
いった区分は有効なの?
779 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 14:18:40 0
言語学者の直感は変にねじれてたり鍛えられてたりするから むしろ素人の直感の方があてになる場合も多いと思う なんにせよ人によって変だったり変じゃなかったりするものを 「言語学的に不可」というのはまずい
>>776 あくまで「私 は 使わない」、したがって「不可」だと言っている。「変か?」ときかれたら、自分は使わないのだから「変だと思う」と答えざるをえない。
私は「可」と判定する人を否定するつもりは全くない。一定の判定を強要するのは間違っている。
781 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 14:47:38 0
「私は不可」なら問題ない 誰だ「不可」は「言語学的」だからいいとか言い出した奴は
782 :
760 :2007/06/29(金) 17:23:33 0
>>762 レスさんきゅ。
また教えてもらえるとありがたいんだが,
>複文において、主節のガ格の指示対象と、従属節のガ格の指示対象とが同一事物である場合、
>従属節のガ格は義務的に省略される。
>存在のニ格は他のニ格と違い、従属節にあって、指示対象が主節のガ格の指示対象と同一
>であるとき、義務的に省略される。
「義務的には省略されない格」ってたとえばどんなもの?
783 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 18:55:05 0
784 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 20:04:24 0
結局、文法学は実証科学じゃないってことだね。
785 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 21:22:48 0
三上章はガ格が他の格より相対的に優位であることは認めていたが
主語というものをたてる必要は無いと考えていた
柴谷方良は所有者ニ格なんかも含めて、主語をたてる意味はあると
考えていた
>>762 氏はニ格が主語になることも認めているので
どっちかというと柴谷の立場に近い
これであってる?
>>763 専門用語的には話題(というか「主題」の方が使われると思うが)
の英訳はSubjectじゃなくてTopicにするんじゃないかな
786 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 23:34:57 0
>>759 >・ガ格はいかなる副助詞 (係助詞、とりたて詞) の前にも現れない。
>・ガ格は名詞修飾節において、他の格助詞すなわち‐ノと交替することがある。(ガノ可変)
>・複文において、主節のガ格の指示対象と、従属節のガ格の指示対象とが同一事物である場合、従属節のガ格は義務的に省略される。
以上の(少なくとも)三点をもってガ格を他の格より優位として「主語」とするならば、
>>760 >先生には子供が三人おありになる。
の「先生に」を「主語」とする論拠は弱くないか?
・先生にだけは子供が三人おありになる。→副助詞に先立つ。
・先生の子供が三人おありになること →必ずしも「先生に子供が三人おありになること」
と同意にならない。すなわちニノ可変(?)が必ずしも成り立たない。
最後に、
>>762 >太郎は、{×太郎に/×彼に/○φ} 子供がいるので、新しいゲームをよく知っている
で、「従属節」内に「太郎に」や「彼に」を繰り返せないのは確かだが、
>太郎は、子供が {△太郎に/○彼に/○φ} なつかないので、困っている
の場合もかなり厳しいのではないか?
少なくとも「彼に」に「○」をつける自信は俺にはない
(これは内省の相違と言えばそれまでだが、ここで「彼に」
と入れてしまえばその「彼」は通常「太郎」以外の誰かだろう)。
だとすれば「先生には子供が三人おありになる」のようなニ格ばかりを
(他のニ格に対して)特別視する理由は、控えめに言っても、かなり希薄ではないか?
787 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 23:41:56 0
連投スマソ
>>763 三上章の著作のあちこちに書いてあるよ。とりあえず
つ『続・現代語法序説』
>>782 > 「義務的には省略されない格」ってたとえばどんなもの?
>>762 の第 2 例。「太郎に」のまま残すのは不自然だと思うが、「彼に」を残すのは問題ない。省略ももちろん可能。
「太郎は、{×太郎を/○彼を/○φ} 訪ねて来た人を、すべて追い返した」
>>785 > どっちかというと柴谷の立場に近い
> これであってる?
だいたいそういうことになる。私は生成派じゃないけどね。
>>786 > (これは内省の相違と言えばそれまでだが、ここで「彼に」
> と入れてしまえばその「彼」は通常「太郎」以外の誰かだろう)。
確かに微妙なところだが、
「太郎は、私が彼に言ったことをよく覚えていた」
これなら、「彼」=「太郎」と解釈されるだろう。
> だとすれば「先生には子供が三人おありになる」のようなニ格ばかりを
> (他のニ格に対して)特別視する理由は、控えめに言っても、かなり希薄ではないか?
そう考える場合、通常の語順でニ格がガ格より左に出る現象は、ノイズとして処理することになる。
私はとことん拘るつもりはないので、それでもいいかなと思う。しかし、尊敬語による「高め」を受けることができ、「主語」より上位に立つニ格があると考えるのも、構わないのではないか。
三上章は、日本語には「西洋語と同じような主語」はない、西洋語の文法を下敷きにして「主語と述語」を考える伝統的国文法の方法はおかしい、と主張した。
西洋語とは違うということを強調するあまり、ガ格の特異性に気づきながら、目をつぶった観がある。
三上以後は、いつのまにか「西洋語と同じような」が脱落して、「日本語には主語がない」だけが、お題目のように 1 人歩きしている。
三上は自説が世に広まる前に死んだ。もし今の状況を見たら、彼は何と言うだろうね。
790 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 02:25:06 0
>>789 >「太郎は、私が彼に言ったことをよく覚えていた」
なるほど。これは冗長ではあるかもしれないが不自然ではないように
思えるね。「太郎は、子供が彼になつかないので、〜」との
(俺の内部での)判定の違いはどこから来るんだろう(これは自問自答)
>そう考える場合、通常の語順でニ格がガ格より左に出る現象は、ノイズとして処理することになる。
ふむ。
>>759 にある主語認定ポイントの三点には、実は「通常語順で文頭に立つ」
ってのも加わるのかな?だとすれば俺が
>>786 に書いたことは少しトーンダウン
しなければならないね。たしかに、その点を含めれば、この種のニ格は、
他のニ格に対して特殊だと思う。
しかしその場合、
・公園には子供が三人いる。
のような「公園に」はどう考える?「先生には子供が三人おありになる」と
平行的な構文になっていると思うが。
たぶんここでいわゆる尊敬語との影響関係のことが関係してくるのかな、
とは思うが。どうもいわゆる尊敬語を持ち出してある格を特別な
グループとして括るのはアンバランスな感がある。なぜなら、いわゆる謙譲語の
影響を受ける格に対しては「○○語」という括り出しが
なされることがないから。
>三上は自説が世に広まる前に死んだ。もし今の状況を見たら、彼は何と言うだろうね。
これは俺もいろいろ想像しているところ。しかし長くなったのでまた次回。
>>790 > ・公園には子供が三人いる。
> のような「公園に」はどう考える?
やはり「主語」の一種、もしくは「スーパー主語」と考える。
> なぜなら、いわゆる謙譲語の
> 影響を受ける格に対しては「○○語」という括り出しが
> なされることがないから。
謙譲語は「主語」を低めると考えればよい。結果的に高められるのは「主語」以外のものだが、格は特定しない。
>謙譲語は「主語」を低める この「主語」は行為者と置き換えることが出来る。
>>792 > この「主語」は行為者と置き換えることが出来る。
謙譲語の場合はそれでよいが、ガ格は行為者 (動作主) だけでなく、存在や状態の主をも表す。
794 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 10:01:00 0
言語学とは言語学者がでっちあげた文章をこねくりまわしてるんだね。 科学じゃないね。カルトだね。
795 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 10:59:26 0
>謙譲語は「主語」を低めると考えればよい。 これは敬語論の成果に逆行するだろう。
>>795 どうして? 相対的にだれかを高めればよいわけだから、いろいろな方法がありうる。
797 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 19:36:36 0
>>790-791 場所のニと所有者のニは一見平行的であるように見えるし
そういう説は昔から大勢の人が言っているし
少なくとも最初は同じものだったのかも知れないけど
現代語としてはかなり違うものになっているかも知れないよ
「先生には京都に肉親がある」とか
「先生にはスイス銀行に隠し口座がある」とか
言えなくもないからね
798 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 23:36:22 0
>「先生には京都に肉親がある」とか >「先生にはスイス銀行に隠し口座がある」とか こういうのは上で出てた用語で構文解析すると [[スーパー主語][[スーパー主語][[主語][述語]]]] とかなるんかね。それとも最初のはスーパースーパー主語か。 いずれにせよ主語役に立ってねーんじゃねーかw
>>798 「スーパー主語」の現れない文では、「主語」が最上位の格となる。
「役に立ってない」と言うためには、実はすべての文に「スーパー主語」が存在するとでも考えなければならないだろう。
800 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 01:53:56 0
敬語とは対人関係での距離を著すのであることをしっかり記憶して話を背よ。 敬うとかへりくだるという説明はもはや通用せず。
802 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 07:59:42 0
>>799 おいおい。「主語」がない文も認めた上で
「主語」の存在を指摘してるんじゃなかったのかい。
803 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 09:19:32 0
主語は必ずあるんだよ。省略されてるだけ。
804 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 09:46:44 0
>>768 Here you areは確かに訳せば どうぞって意味合いの言葉だが 実際のところ
さぁ あなたはここに…(場所、状況、境遇すべてのパターンを包括して)ってとこじゃないか?
ここには あなたがいる(べき、或いは、ことを私は望む 或いは許す) って意味を明らかに底に潜ませてる
主語云々についての766の意見は どうかと思うが 外人と話してみるべきなのは むしろ君の方では?
805 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 09:56:12 0
806 :
804 :2007/07/01(日) 09:58:21 0
も少し言うと Here you areに ここには あなたがいる ってニュアンスを感じないなら あなたは英語で会話してるんじゃなくて 英語を聞いて翻訳して理解して 日本語で答えを考えて翻訳して 話す次元にいるようです
>>802 「主語」のない文とは、ガ格のない文のこと。
808 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 10:44:51 0
ないんじゃなくて省略されてるんだね
809 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 11:00:12 0
省略されてるのとないのではどう違うんだ どんな格でも付けようと思えば適当にでっち上げられるんじゃないか
811 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 13:39:55 0
いいですね。
>>811 命令文は、「君が行け」のようにガ格が出ることがあるから、もともとないとはいいきれない。
「暑いですね」
「○月○日○時ころ、○○市の○○さん方から出火した」
「黒板に『あしたは休み』と書いてあった」 (三上章)
上のような文には、もともとガ格がない。「主語」のない文だ。
814 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 01:56:57 0
(1)日本語の文を観察すると、
>>813 の指摘にあるようなガ格のない(補い得ない)文が
ある。そして、これらは特に珍しい文でもない。
付け加えれば、三上の言う料理型・操作型の文にも
ガ格はない(補えば意味が変わる=補い得ない)。
これも日本語の文としては珍しいものではない。
(2)文型によってはガ格の上位に立つ格があり(このスレでは
スーパー主語とか言う名称で呼ばれているもの)、さらに
その上位に立つ格まである(スーパースーパー主語?)
そんなガ格を「主語」と呼ぶことに固執するのはなんでだ?
815 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 02:04:36 0
> 「暑いですね」 >「○月○日○時ころ、○○市の○○さん方から出火した」 >「黒板に『あしたは休み』と書いてあった」 (三上章) >上のような文には、もともとガ格がない。「主語」のない文だ。 補って進ぜよう。 陽気が「暑いですね」 火事が「出火した」(冗語であるが、形式としては可能なり) 通知文が「書いてあった」
>>809 >>736 。
>>814 > そして、これらは特に珍しい文でもない。
珍しい文だと思う。
> これも日本語の文としては珍しいものではない。
珍しいからこそ「料理型」「操作型」といった名前がついている。
> そんなガ格を「主語」と呼ぶことに固執するのはなんでだ?
>>759 。
>>815 > 陽気が「暑いですね」
こんなふうに声をかける日本語ネイティヴはいない。
> 火事が「出火した」(冗語であるが、形式としては可能なり)
典型的な誤用。
> 通知文が「書いてあった」
黒板にチョークで書いたものは文書ではない。不適。
818 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 03:53:31 0
↑完璧なアホさに感じ入ったわい
819 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 06:17:51 0
ネイティヴだから文法を語れると思ってはいけない。特に日本人は 論理的思考に慣れていないから文法がわかっていない。省略が多いのも 日本人の非論理性と文法オンチの証明だ。
そんな釣りに(ry ところでガ格を主語と考える根拠の話だが 単純にほとんどの述語はガ格を取ることができるというのでは駄目なのか ヲ格は取らない述語(自動詞、形容詞、名詞述語)も多いが ガ格は普通どんな述語の格体制にも含まれるだろ 例外はあるけど ただ「必須」と言い切れないところが難しいんだよな 実運用上は確かに出ないことが多々としてある
>>820 それは
>>759 の現象と表裏一体だろう。ガ格以外の格は動詞や形容詞といった単語ごとに求められるが、ガ格はそれらの単語が節の述語になったときに求められる。
822 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 03:15:44 0
>>816 >珍しいからこそ「料理型」「操作型」といった名前がついている。
これはちょっと誤解じゃないか。三上の料理型・操作型とは「対格型」とも
呼ばれ、「主格型」「位格型」と並列されるものだ。
>> そして、これらは特に珍しい文でもない。
>珍しい文だと思う。
これは水掛け論になるかもしれないが、
僕はやはり珍しい文だとは思えない。
作例主義を離れて、実際の文を虚心に観察したとき、
果たして同じことが主張できるか?
823 :
814 :2007/07/03(火) 03:47:21 0
>>816 >>759 にあるように、ガ格には他の格にない性質があることは分かる。
問題は、それをもって「主語」とすることが有意義かどうかだ。
ガ格は、日本語の主語です。それは次のような理由です。
・副助詞が前接しない。・連体句でノと交替し得る。
・主節と従属節のガ格が同一である場合、従属節のガ格は削除される。
ただし、主語のない文もあります。
また、ニ格が主語の上位に来る場合もあります。
そのようなニ格は上の三点をすべて満たすわけではありませんが
やはり「主語」の一種です。
さらに、そのニ格のさらに上位に別のニ格が来る場合もあります。
そのようなニ格も、上の三点をすべて満たすわけではありませんが(以下略)
ただし書きが多いなおい!って突っ込みたくなるのは俺だけじゃないはずだ。
こんな但し書きの多い概念に「主語」なる用語を被せるなら、
それがどれくらい有意義かを示すことが必要だ。しかも「主語」なる用語が
ない場合にどういった説明があり得、それよりも「主語」という用語が
ある場合の方がこれだけ便利なのだ!ということを示さなければならない。
念の為付け加えると一般に「○○が存在すること」の立証責任は、
「存在する」と主張する側が重い。
>>822 > 三上の料理型・操作型とは「対格型」とも
> 呼ばれ
それは三上の誤り。「まず横になります」のように、対格を持たない操作型の文もある。
三上はドグマから自由であるべきことを説いたパイオニアだった。三上自身をドグマにしてはいけない。そんなことを彼は望まないはずだ。
> 作例主義を離れて、実際の文を虚心に観察したとき、
> 果たして同じことが主張できるか?
確信をもって主張できる。ほとんどの場合ガ格は省略されているだけで、もともとないわけではない。
>>823 > しかも「主語」なる用語が
> ない場合にどういった説明があり得、それよりも「主語」という用語が
> ある場合の方がこれだけ便利なのだ!ということを示さなければならない。
そういったメリットは特にない。ガ格が特異な格であり、いろいろな文法現象がガ格を軸に起こっていると説明される、そのことさえ理解されればよい。
しかし、「主語」を認めない立場は、ガ格を他の格と同列に扱うというものではなかったのか?
それとも、「主語」という用語を抹殺するのが目的で、ガ格と他の格との間に一線が画されることは認めるのか?
826 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 05:30:51 0
最近は「ガ格」を目的格として用いるばあいが目立つ。
827 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 06:23:38 0
群盲が鼻の長い象を撫でてるって感じだな
>>826 例えば「ニ」は、何種類かに分けざるをえないだろう。だから、ガ格のなかを分類するのもおかしくはない。
しかしながら、
>>759 のような特徴は、すべてのガ格に認められるものだ。
829 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 12:09:28 0
”は”は 主格を 表す 格助詞 だ と 考える。ハ格 を 認めたい。
830 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 12:44:39 0
「私はあいつが憎い」のような二重主語構文はどう扱うのでしょうか?
831 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 17:11:31 0
わたしは あいつを にくむ。これが ただしい ぶんしょう です。あいつが の ”が”は たいかく でしょう。ゆえに 二重主語構文と かんがえる のが ただしくない のです。
832 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 17:18:45 0
>>830 >わたしは あいつを にくむ。これが ただしい ぶんしょう です。
では、「私はあいつが憎い」は、間違った日本語なのですか???
何か、正しいものと間違ったものが逆だと思うのですが。
「わたしは あいつを にくむ」なんて、
中学生のへたくそな英文和訳文を見ているような。
>>832 正しい中学生のへたくそな英文和訳文は、
「わたしが あいつを にくむ」です。
835 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 19:54:02 0
>「わたしが あいつを にくむ」 これは埋め込み文のカタチだね。 「わたしが あいつを にくむことは(←ここまでが主題)ない。」 というような使い方。
836 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 19:58:29 0
わたしが あいつを にくむ ことは たしかな ことである。というように ”が”は 副文章の 主格に 過ぎない。あくまで ”は”は 主文の 格助詞 である。
いまどき「は」を格助詞なんて言う奴はいねーよ
838 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 20:54:15 0
839 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 21:04:41 0
名詞の 格変化に ついて 述べて みてよ。
840 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 21:25:33 0
"Ha"-ha syugowo ukeru node kakuzyosi no utide syukaku dayo,
841 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 22:10:49 O
842 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 22:58:12 0
「私はあいつが憎い」は英語では"I hate him."だから「わたしはあいつを憎む」が 正しいんだよ。日本人は文法的に正しく喋らないことが多いから、英語に訳してみてから 文法を考えるのがよい。
843 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 23:04:15 0
そんな餌に
>>829 ・「暑く は ない」「不思議で は ある」のようなハも「格」と考えるのか。
・「○○には/とは/では」等はどのように処理するのか。
>>830 「主語」が 2 つある文と考える。
845 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 23:53:26 0
は を なんと いう のか?
>>845 「主題」とでも「話題」とでも、好きに呼んでくれたらよいが、ハを「格」とするのはまずいだろう。
何助詞かって言われたら、副助詞か係助詞あたりだろうけど 格助詞はねーよ
848 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/04(水) 01:37:52 0
Tokieda Motoki sensei ha "ha"wo kaku to sarete imasu.
849 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/04(水) 17:46:42 0
日本語に主語がないのは必要がないからなんだってさ
850 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/04(水) 19:26:40 0
日本人は個人の主体性が確立されず集団に埋没しているから 主語をあいまいにしたがる。日本人同士ではそれでも済んできたが、 世界を相手にそれでは通用しない。国際化時代にふさわしい日本語に 変わらなければならない。そのために必要なのは日本人の意識の グローバル化だろう。いつまでも精神的鎖国を続けていては世界の 大勢から遅れて孤立するだけだ。
851 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/04(水) 23:59:54 0
有象無象が湧いてきたなw
852 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 00:17:51 0
風通しが良くなってきたんだよw
853 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 00:26:59 0
鼻がウナギの名無し象がイパーイ
854 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 00:52:04 0
主客融合してるから主語はいらないんだとさ
855 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 08:58:34 0
自他を峻別する西洋文明が植民地支配や人種差別や環境破壊を 生んだ。21世紀の人類を救うのは自他の融合調和を最高の境地とする 東洋文明かもしれない。
856 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 11:29:52 0
「英語にも主語はなかった」そうだが それは、英語話者も昔は主客融合していたからだと思う。 金谷武洋『英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ』 (講談社選書メチエ)
857 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 11:33:19 0
>>855 ムラを守るために戦争に突き進んだ日本の歴史を知らないのか。
858 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 11:43:32 0
>>855 原爆落とされるまでやめようとしなかったし。
859 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 11:50:31 0
「明治(生まれ)の人は偉かった。」なんて言う人がいますが、 あの戦争を始めたのは、明治生まれの人たちですから。
主客融合厨はすくつに帰りなさい
861 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 12:22:08 0
ちなみに… バブル経済や受験競争も同じ構造だね。
862 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 12:29:10 0
863 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 13:36:41 0
誰も責任をとらないってことは 全員(その当時、大人だった人たち)に責任があるってことにもなるわな。 戦争は天災とは違うのだから。
864 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 15:45:09 0
主語がある言語は近代語ってことになるんでしょうか。
865 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 16:01:44 0
敬語は封建制の遺物だし
866 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 18:47:41 0
日本語にも英語と同様な「主語」があるというヤシに
再度、質問。
「私はあいつが憎い。」
の類の構文について説明してほしい。
まさか、
>>842 が答えでは、ないよな??
既出でしたら、参照箇所の指定、よろしく。
867 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 21:33:58 0
868 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 22:07:35 0
>>867 そういうのって何文法って言うの?(生成とか認知とか)
869 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 22:47:20 0
>>866 「わたしはあいつを憎む」を間違えたんだよ。日本人は論理や規則に無頓着だから
そんな間違いを平気でやる。
870 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 22:59:42 0
流派によっていろんな解釈があるんだね
871 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/05(木) 23:27:49 0
>>863 日本人って当事者意識が希薄だよな。
戦争なんかも被害者意識が強いし。
主語がないと独善に陥りやすいのかもしれんなぁ。
>>866 日本語文に「英語と同様の」主語はない。「私が彼が憎い(こと)」は「主語」を 2 つ持つ節だ。
873 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 02:24:02 0
名無し象は鼻がウナギだ!
874 :
あああああああああ :2007/07/06(金) 02:46:35 0
>869 > 「わたしはあいつを憎む」を間違えたんだよ。日本人は論理や規則に無頓着だから そんな間違いを平気でやる。 間違えたのとは違う。 君が示す正しい構造の文は英文法から来るのであって 日本人の発送にあらっず。 なぜかというに、 一般動詞を使って金谷?が言う「する文」にしたくないから 「ある文」にするのであるからなり。 つまり一般化した説明では、 一般動詞を使う「動作文」では行為の責任者が明らかになるので、 これを嫌い、 be動詞を使って誰が行為をしたのかわからぬ「状態文」を作るのである。 個別例である 「私はあいつが憎い。」 は 「あいつが憎い」状態にあることを著しているのであって、 「私は」が記述してはあるけれども、 憎んでいる人間が「私」であることを直接に示す構造の文にはなっておらぬゆえ 上記の日本人が無責任好きである説明が出来る。
875 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 05:45:56 0
丸山真男が日本文法にまで手を伸ばしていたらすばらしい成果を挙げただろうね。
876 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 09:17:24 0
私が彼が憎い 彼が私が憎い このふたつの文の意味は語順で決まるのですか。
>>876 語順で決まる。左方の「主語」が感情の持主を示し、右方の「主語」が感情を引き起こす原因の主を示す。
878 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 11:03:18 O
I,Youなど主語の無い古典中國語の多大なる影響大なるかな。
879 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 11:52:46 0
>>877 「彼が私は憎い」で「彼を私は憎む」の意味になることがあるけど、
これはどう?
880 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 12:13:24 0
>>875 つか、あんなに有名にはならなかったろう。
世間を批判してもスルーされる。
国家権力を批判したからうけたんじゃないかなあ。
881 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 12:24:32 0
>>879 「私は」の位置は比較的自由だが、非主題化すると「私が彼が憎い (こと)」の語順に戻る。
883 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 12:59:36 0
884 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 13:05:24 0
ガ格が主語だなんて言っちゃうから そんな無理な(ry
885 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 13:16:29 0
どれが主語かわからないときは英語に訳してみればいい。
886 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 13:22:13 0
英訳しないと分からないような日本語の文法論はおかしい。 ま、そういう考えもあるが。
887 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 14:30:06 0
>>885 じゃあ、英語に訳せない要素は、どう説明されるのだ??
>>885 のような考え方は、
結局、日本語については何も考えていないに等しいのでは。
888 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 14:34:54 0
日本語において、 何を「主語」と呼ぶかは、混乱の極みにあると言っても 言い過ぎではないような気がする。 欧米語の「主語」との、この違いは何なのだ!?
動詞と助動詞の組み合わせで動作主がわかるようにできてるじゃんね
890 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 15:03:02 0
>>889 何を「動作主」とするかは、混乱の極み、などとは言っていない。
話者の「立場」に関わるもろもろの表現により、動作・状態の主体
が明示されていなくても分かるということは、確かに多々ある。
しかし、
「動作主・状態主」=「主語」で済むほど、問題は簡単ではない。
そもそも日本語は「動作主がわかればいい」という 使われ方をしていて、主語を必要としてないよ 文頭に「私は」とか「それは」を付けてるのは 翻訳用主語とでもいうべきもので、 日常的な文章から見ると明らかに不自然でしょ
>>883 「主語」であって主題化している。日本語文の「主語」とはガ格のことだから、主題化を解かないとどれが「主語」かわからないし、元の語順も現れない。
893 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 16:50:36 0
>>892 英語文の「主語」は「主格」のことだよね。
何で日本語と英語は「主語」の意味が違うの?
894 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 17:15:22 0
主語になる形が主格だ。主語がなければ主格もない。
895 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 17:26:34 0
日本語には主格がない。つまり、日本語には主語がない。
896 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 18:00:24 0
我ガ国 「我ガ」が主語で「国」が述語。 「おらが春」 「おらが」が主語で「春」が述語。
897 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 19:54:12 0
>>892 では、
>>892 は、
日本語には「主語」が二つある文がいぱ〜いあると言うわけね?
「私はあいつが憎い。」
「青山さんは胸が大きい。」
「私は秋が嫌いだ。」
その≪主語≫とは英語の「主語」とは、
内容的にも似ても似つかぬもの、ということでオケ?
英語の主語は、「A is B」の「A」にあたると言えるが、
日本語の主語は、そういうものとは別種のものと言わなく
てはいけなくなるな。
ちなみに、「ガ格」=「主語」とは、
もちろん定説ではないし、通説でもないよね。
日本語において「主語」とは何かはやはり混乱の極みにあると思う。
>>893 ガ格の別称が「主格」。次は「なんで日本語では『ガ』って言うの?」とでもきくか w
>>896 現代共通日本語に「わ」という語はないから、「わが」で 1 語。「おらが春」なんて古語を持ち出しても駄目。
899 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 20:13:13 0
七里が濱vs九十九里濱 「七里が」が主語で「濱」が述語。 洞が峠 「洞が」が主語で「峠」が述語。 関が原 「関が」が主語で「原」が述語。 鹿が谷 「鹿が」が主語で「谷」が述語。
900 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 20:30:16 0
>>899 世田ヶ谷は、世田が主語で「谷」が述語。
901 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 20:36:14 0
902 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 20:49:05 0
>>898 だったらなんで英語みたいに「主格」と言わないのか。
→例外があり過ぎて都合が悪いから。
903 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 21:04:30 0
904 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 21:19:19 0
>>897 「混乱の極み」っちゅーか…
「融合」っちゅーか……
905 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 21:43:33 0
906 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 22:11:34 0
名詞の 格変化は”私は 私が 私の 私に 私を ・・・私まで”と 変化し、格助詞と 定義され、主語につく”は が”を主格と 称す。
907 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 22:58:53 0
だからなんで日本語には主語が二個もあるんだよ。
908 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 23:14:53 0
”は”は助詞にも形容詞にも副詞にも付くが格助詞か
909 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 23:39:10 0
しかし形態と意味と文法の区別がついていないやつが多いな。
もちろんそこに相関はあるだろうが、いったん区別した上で
考えるほうがよい。
まあそれはともかく
>>897 >日本語には「主語」が二つある文がいぱ〜いあると言うわけね?
ここでガ格=主語論を展開してる彼(彼女?)の考えからすれば、
そういうことになる罠。俺としては「しょっちゅう二つあったりする○○」や
「ないことも大いに?ある○○」や、「○○の上位に位置する格もある」
なんていう「○○」に「主語」なんていう用語を使うべきではないと思うが。
ガ格の優位は確かだが別の用語で言うことは考えられないか
(なんてことはO堀さんあたりも言ってたっけ?)
主語って言葉使うのやめようぜー 自動車の解説するのに鉄道用語使ってるようなことするから混乱するんだ
911 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/06(金) 23:48:51 0
”は””が”が 名詞(名詞相当文)に くっついて そのたの ことばに 対して 主語(subject)と なる とき 主格と 称す。
912 :
909 :2007/07/06(金) 23:49:21 0
ちと言葉足らずか。
>ガ格の優位は確かだが
は次のように訂正しておく。
「巨視的にみたときのガ格の優位は確かだが」
>>910 おまいの比喩好きだ
英語でいうところの「主語」は日本語にはないんだよ 英語では必須の「冠詞」が日本語にないのと同様に
914 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 00:22:20 0
>>909 長文のヤツは話がわかりにくい。
なぜ主語が二つある文があるのか教えてくれ。
915 :
909 :2007/07/07(土) 00:24:59 0
長くてスマンね。 っていうか、俺は主語が二つあるなんて言ってないよw
916 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 00:29:46 0
>>915 じゃあなんて言ってんの?(命題の形でお願いしますね。)
917 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 00:42:41 0
日本語に「主語」と呼ぶべきものはない。 これで「命題」の形になってるかい?
918 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 00:46:32 0
>>917 わかりやすくていいね。
では、なぜ「主語」がないの?
919 :
あああああああああ :2007/07/07(土) 00:49:28 0
イランから⇒仮名 要ったら自然発生する罠 言語に理由付けは無意味
920 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 00:53:02 0
おいおい。 逆に「日本語に「主語がない」と言えるのは何故か?」という 疑問がどうして湧くのかを言ってくれないと 有効な答えはできんぞ。「主語」は普遍的な概念じゃないんだから。
921 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:00:32 0
922 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:02:15 0
923 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:04:44 0
言語学なんぞ学問にあらずという意見があるけどな。 その理由によってチョムがNSFの科研比をもらえず、 それ以降ひねくれたという話がアロワナ。
924 :
920 :2007/07/07(土) 01:06:39 0
>>922 オケ。ひとまず日本語のガ格が「主語」であって、したがって
日本語には主語が二つある場合がたくさんあると認める(はず)の
彼or彼女の話を聞こう。君の興味はむしろそちらのはずだ。
925 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:07:30 0
>920 おれもわからんよ。 とくに2と4行目の論理関係が切れておるでのう。
926 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:09:22 0
>>919 日本語には「主語」はない
というのは、「現象」ではなく、ひとつの「主張」なのだから、
そう主張する「根拠」を示すのは当然。
>>897 いぱ〜いあるね。英語と似ている必要はない。
> ちなみに、「ガ格」=「主語」とは、
> もちろん定説ではないし、通説でもないよね。
定説だし通説だ。小学校で習っただろ、「なにがどうする」「なにがどんなだ」「なにがなんだ」の「なにが」にあたるものが「主語」だと。
あとは、「1 文が『主語』を 2 つ持つこともよくある」「まれに『主語』を持たない文もある」「『どこになにがある (いる)』の「どこに」も『主語』である」と注をつければ、ほぼ完璧だ。
928 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:15:39 0
>>924 ますますわからん…。
個人的には「主客融合説」を支持してるんでね。
929 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:21:37 0
>>925 ありゃ、そうか。すまんすまん。
また長くなると叱られるかもしれんが、
「「主語」は普遍的な概念ではない」。したがって
「主語」と呼ぶべきものがあるという主張には
その十分な理由を求めなければならない。しかし、
「なぜ「主語」がないの?」と問うならば、
「「主語」があるんじゃないの?」と思うだけの
理由を挙げて問わなければいけないってことさ。
やっぱり長くなるなー。ごめんよ。
930 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:27:17 0
>>929 主語という言葉をとりあえず定義しないと議論にならんだろ。
931 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:33:06 0
>>927 日本語研究の通説でもないし、定説でもないと言う意味だよ。
通説や定説と言う以上、研究者のおおよそが認め、たいていの辞・事典類にも
同じような説明が出ているはずだが、全くそうはなっていないでしょうが。
それ(確か橋本新吉が戦前に言い始めた説明)を持ち出すなら、
「なにが、なにがどんなだ」
「なにが、なにがなんだ」
の「なにが、なにが」の「なにが」もそれぞれ「主語」です、と言えよな。
932 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:33:45 0
それを試みると堂堂巡りになるはず
933 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:34:59 0
↑ 930へ
>>902 > だったらなんで英語みたいに「主格」と言わないのか。
英語の「主格」は、名詞の「主格」・「属格 (所有格)」・「対格 (目的格)」 (cf. I, my, me) という、3 格体系の中の用語だ。
「主語」になる格が「主格」だろうから、日本語ではガ格が「主格」ということになる。
しかしながら、日本語にはガ、ヲ、ニ、ト、ノ、カラ、マデ、ヨリ……と、たくさんの格助詞がある。
それらにいちいち「主格」「対格」「与格」……と名前をつけるのは面倒臭い。
単純に「ガ格」「ヲ格」「ニ格」……と呼ぶほうがわかりやすい。
「主格」「対格」「与格」「ト格」「カラ格」「マデ格」……といったちぐはぐを気にしないのなら、「主格」と呼べばよい。
> 例外があり過ぎて都合が悪いから。
例外は 1 つもない。定義するのは言語自体ではなく文法家なのだから、あるわけがない。
935 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:45:04 0
>>930 ”主語”は普遍的な概念じゃないんだってば。
各言語ごとに”主語”の定義は変わる。
”主語”と呼ぶべきものがあるかどうかも違う。
>>909 > ガ格の優位は確かだが別の用語で言うことは考えられないか
結局「主語」という用語を抹殺したいだけなのか。つまらん議論だな。
>>931 通説や定説であることにどれほどの意味があるのか。筋が通っていれば十分だろう。
「ガ格は『主語』だ」で説明は終わっている。
938 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:52:38 0
>>898 連体の「が」はどう説明するのか。
古語や方言を除外して、現代共通日本語に限定するとは、便宜的に過ぎるのでは。
「おらが嫁っ子に何するずらか。こぬやろめ。」
「おら」は「ガ格」だから主語で、「嫁っ子」は述語?
だいたい古語や方言に通用しない「文法」など、基本的には怪しいだろ。
(その変化のメカニズムがきちんと説明できれば別だろうが。)
939 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 01:58:29 0
>>936 そう非生産的な方向に決め付けるなよ。
「優位」は、文法的な特別扱いを受ける十分な
理由にはならない。「優位」ということで言えば、
ヲ格はデ格やらマデ格やらより優位だ。
疲れてきたので(つーか眠いから)しばらく沈黙する。
少しおとなしく主語存在論者の話を聞くよ。
940 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 02:07:49 0
>>898 >ガ格の別称が「主格」。
その場合の「主格」とはどういう意味で使っているのか?
「私はあいつが憎い。」
「ぼくはビールが飲みたい。」
これらの例の、「あいつが」、「ビールが」も「主格」ということだよね。
そして、「私は」「ぼくは」も、もち「主格」であると。
これらふたつのものを一つにくくる意味的根拠はある?
それとも君は、「主格」というのは単なるラペルであって、
「意味」? そんなもの知らないし、興味もありませんという立場なのか?
942 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 03:10:59 O
私(特に、限定的に)が担当者です。 私は(私以外も)担当者です。 主語、私に別のニュアンスが加わる。そもそも副助詞とは?
>>907 どうして 2 つあってはいけないのだ?
>>938 > だいたい古語や方言に通用しない「文法」など、基本的には怪しいだろ。
全く逆。通用したらかえって怪しい。
現代共通語と、古語や方言とは、別個の言語体系なのだから。
ついでに言っておくと、地名・人名等の固有名詞はすべて 1 語扱いだから、
>>899-900 のような例をいくら挙げても無駄。
>>939 > 「優位」は、文法的な特別扱いを受ける十分な
> 理由にはならない。
特別扱いを意図しなくても、文法記述は、ガ格とそれ以外の格とを区別したものにならざるをえない。
「太郎がコートを脱ぐと、ハンガーに掛けた」
「コートを」ハンガーに掛けたと解釈されるのに、「太郎が」ハンガーに掛けたと解釈されないのは、なぜなのか。
それでもガ格に「主語」の名称だけは与えたくないと言うなら、私は別に構わない。用語レベルの争いに興味はない。
> 「優位」ということで言えば、
> ヲ格はデ格やらマデ格やらより優位だ。
そうだとして、文解釈とどのようにかかわるのか。
> 少しおとなしく主語存在論者の話を聞くよ。
三上章は、「主語」を認めないほうが、日本語文の構造の分析が進むと考えた。彼自身が、国文法のドグマとは無縁な立場から、さまざまな事実を明らかにした。
三上以後の主語否定論者の多くは、「主語」という用語を目の敵にしているだけで、日本語文法論に貢献していない。
>>940 > それとも君は、「主格」というのは単なるラペルであって、
> 「意味」? そんなもの知らないし、興味もありませんという立場なのか?
極論すればそういう立場になるね。
英語の主格にはどういう「意味」があるのかときかれても、文法論には役立たない、観念的な答しかできないだろう。
946 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 03:50:27 0
>>943 共通語と方言、現代語と古語が違っているのは当たり前。
しかし、現代の、しかも共通語にしか通用しない「考え方(ロジック)」
というのは、イタイ気がするがな。
948 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 04:30:16 0
>935 主語は英語ではsubject 他のインド欧州語でも同じと仮定する ならば、その意味は「主題」であって文法的役割は同じである。 よって、「は」と「が」が同じ働きをしていることになる。 そして、 動作文の例文「私が行きます」と「私は行きます」および 状態文の例文「私が鈴木です」「私は鈴木です」との との微妙な意味を論ずるべしという子tになる。 その違いとは、前者は「他のだれとも違う私ですよ」と宣言しており、 後者は2件とも単純な英文法式のそのまんま主語。 この説明は自分としては過不足なき完全なものであると思う。
949 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 04:34:13 0
追加:金谷への反論になっておるな。 「日本語にも主語は有った」との。 同ですか、この論法は
950 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 12:29:49 0
>>944 >「太郎がコートを脱ぐと、ハンガーに掛けた」
>「コートを」ハンガーに掛けたと解釈されるのに、「太郎が」ハンガーに掛けたと
>解釈されないのは、なぜなのか。
↑これは、「ガ格」の特別性を説明しているんだよね?
質問1
事実そうだとして、これがどういう意味で「ガ格」の特別性の証拠になるのか?
質問2
その「が」を「は」に代えたら、「太郎が」ハンガーに掛けたと解釈されるように
なるが、「ガ格」であることには変わらないのに、これは変では??
951 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 12:33:39 0
主体(主格)と客体(目的格)が融合しているので 主語がないように見えたり 主語が二つあるように見えたりするんだと思う。
952 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 12:37:26 0
日本語の通説や定説はムラを守るために作られたものなので 論理的な説得力はあまりない。結論だけを押し付けてくる感じ。
953 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 13:05:20 0
>>945 >極論すればそういう立場になるね。
>英語の主格にはどういう「意味」があるのかときかれても、
>文法論には役立たない、観念的な答しかできないだろう。
君の主張する日本語の「主格」は、単純に対応物を英語に求めれば、
「主格」と「対格」となり、意味的に一貫するものを認めることは難しい。
(だから、君は「意味」は関知しないという立場をとる…。)
それに対して、英語で言う「主格」は、
「(動作・作用・状態・属性の)主体」といった意味に対応しているのではないか。
つまり、英語の「主格」は、君の言う「ガ格」のうちの、左側に来る「ガ格」に
対応するのでは。
英語の「主格」も、よく見りゃ、ぐちゃぐちゃで、意味的に一貫したものを
抽出することなどできないと言うなら、そういう例を示してほしい。
954 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 14:21:39 O
源氏物語に代表される平安文学以来の伝統で、立場の相違による主語の隠蔽化が公的に認知されてしまった、明治の文明開化までは。
>>954 平安以前に漢文を除いて文学はなかったんだから
日本の文学ができた時点で主語は存在していなかったわけで
別に元々あったものを隠したわけじゃないだろ
日本語に動詞の格変化はいらない 日本語に名詞に性別はいらない 日本語に冠詞はいらない 日本語に分かち書きはいらない 日本語に主語はいらない まずはいらないモノのうち、主語にこだわる理由から
957 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 17:50:14 0
主語は 必要、分かち書きをすべし、名詞は 格変化と 心得えて、動詞は 敬語の ときに 人称に より 変化する。
958 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 18:36:05 0
>>951 にゃる。な〜る。
いわゆる「対格」が、日本語では<主格(ガ格)>になることがある。
(「あいつが憎い。」)
そして、いわゆる「主格」は、
日本語では、おうおうに<目的格(二格)>になるのであった。
(「私には〜と思われる。」)
まさに、日本語においては、「主格」と「目的格(与格)」が画然と区別
されず、「融合」していると言えるのだ。
二つの「格」は、「主格」でもあり、「目的格(与格)」でもあるような
ものなのだ。
だから、論者が、その「主格」的側面を見たければ、「主語」が二つだ!
文句あるのか、ごらっとなるし、
その非「主格」面に注目すれば、日本語に「主語」はなし!となるわけだ。
959 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 18:42:02 0
不冠詞は が主格で 定冠詞は は主格の 名詞の 場合に 用いられる という 説があるよ。
960 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 19:41:48 0
961 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/07(土) 20:52:52 0
>>950 > 事実そうだとして、これがどういう意味で「ガ格」の特別性の証拠になるのか?
特別な振る舞いを見せているのに特別性の証拠にならないと言うのか。
> その「が」を「は」に代えたら、「太郎が」ハンガーに掛けたと解釈されるように
> なるが、「ガ格」であることには変わらないのに、これは変では??
その「太郎は」は、主節「〔太郎が〕ハンガーに掛けた」のガ格が主題化したものと解釈される。
「太郎は」は、「コートを脱ぐと」というト節の中には収まらない。Cf. 「*太郎はコートを脱ぐと、花子がハンガーに掛けた」
>>953 > 君の主張する日本語の「主格」は、単純に対応物を英語に求めれば
単純に対応物を英語に求めるな。三上章より後退するな。
> それに対して、英語で言う「主格」は、
> 「(動作・作用・状態・属性の)主体」といった意味に対応しているのではないか。
その程度の「意味」でよいなら、日本語のガ格も同じような「意味」を表しているといえよう。
> つまり、英語の「主格」は、君の言う「ガ格」のうちの、左側に来る「ガ格」に
> 対応するのでは。
日本語では、右方のガ格も「状態の主体」だよ。
感情・感覚形容詞が表す状態には、感情・感覚を保有する「主体」と、感情・感覚を引き起こす「主体」の 2 つがあるのだ。
> 英語の「主格」も、よく見りゃ、ぐちゃぐちゃで、意味的に一貫したものを
> 抽出することなどできないと言うなら、そういう例を示してほしい。
「動作・作用・状態・属性」に一貫した意味はない。
964 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/08(日) 03:06:43 O
動詞だけ単独に存在する文は有り得ない。必ず意味上の人称主語が存在しないと、世界中のあらゆる言語で、文は成立しない。源氏物語であれ古事記であれ同然。
965 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/08(日) 07:12:55 0
>>956 主語を目の敵にするのは変だよね。主語なんかちっとも重要じゃないのに。
>964 実際にないんだから存在してないんだよ。補うことは出来るがね。 それとも「主語」のない文は文じゃないと?
>>964 文脈によって意味上の動作主が分かっていれば、動詞だけ単独に存在する文は有り得る。
968 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/08(日) 11:44:13 0
一見して主語がない文は 1、主語のマークがないが主語はちゃんとある。 2、省略されている。 3、非文である。 これですべて説明しきれるから主語否定論は成り立たない。
だからその「ちゃんとある」とか「省略されている」ってのを立証してくれ
この場合、 文脈如何になってしまうものは、省略と言ってしまうのは乱暴なのではないか 省略というからには、一意に決まらないと。
971 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/08(日) 13:53:24 0
>>962 >特別な振る舞いを見せているのに特別性の証拠にならないと言うのか。
だから、「どういう意味で特別なのか」と聞いている。
主題化されればキャンセルされるような現象が
「ガ格」の優位性を示す証拠になるのか?
(君の理解は)主題化されても「ガ格」(=主語)は「ガ格」(=主語)だよね。
972 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/08(日) 14:23:06 0
>>963 >その程度の「意味」でよいなら、日本語のガ格も同じような「意味」を表している
>といえよう。
それは、「主体」の意味の「無茶な」拡大でしか成り立たないよ。
>感情・感覚形容詞が表す状態には、感情・感覚を保有する「主体」と、
>感情・感覚を引き起こす「主体」の 2 つがあるのだ。
一方は、感情・感覚を引き起こすもの。もう一方は、それを引き起こされるもの。
このような対立的なものを、同じく「主体」だと言い張るのはどうなのでしょう?
そんなこと言い出せば、「対格」も「与格」も、「主体」だよ。
欧米語では、「主客」対立的に理解する、このような二者を
同じ≪主体≫とする(扱う)ところが、まさに日本語の「主客融合的」なところだねw。
(主客融合スレもよろしく。)
>>英語の「主格」も、意味的に一貫したものを抽出することなどできないと
>>言うなら、そういう例を示してほしい。
>「動作・作用・状態・属性」に一貫した意味はない。
いずれも「述語」として表現される。
そして、「主語」とは、それらと唯一的・絶対的に結びつくもの。
973 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/08(日) 14:29:52 0
>>969 英語に訳したら一目瞭然だ。訳せないものは非文。
>973 意訳したらダメですよね、この場合。 「勿体ない話だ。」の英訳をくれ。
975 :
名無し象は鼻がウナギだ! :
2007/07/08(日) 14:50:13 0 >>973 だから〜、それは英語の分析をしているだけだって。