++ 生成文法総合スレ < 3 > ++

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>俺が言ってるのは、照応語としての「お互い」の振る舞いを構造的制約でまずできるだけ捉えておく
ことの重要性なのにゃ。そこからこぼれてしまうものに対して補助的に機能的ないし語用論的説明を
与えることに対してはなんの異存もないにゃが、最初から構造的説明を完全に放棄する方策には
断固反対なのにゃ。

どうせ機能的、語用論的説明の必要があるなら、最初からそれだけでも
いんじゃないの?ちなみに、van Hoekの認知的な説明とかはどう考えて
るの?確か、discourse anaphoraもintrasentential ahaphoraも基本的
には同じだぴょん、という主張だったと思うけど。
458(´∀`):02/10/20 12:37
また随分おおざっぱなネタ振りだにゃ(w
機能的・語用論的説明の背景には統語論的知識の前提があるという罠、ではないかにゃ。
統語論がまったく不要であると主張するのならともかく、それなしではとある基本的
構文がどのような構造をしているかを記述することもできない以上、統語論の存在は
自明であり、にゃらばどこまでがその統語論の領域なのかと問うことは自然なことにゃ。
いわゆる理論の棲み分けだにゃ。

まあ正直なところvan Hoekたらの認知的説明とやらはぜんぜん知らんのでそちらからの
情報提供を待って考えさせてもらうにゃが、取り敢えずはありふれたところで
1. John thinks Bill likes [ pictures of himself*J/B ]
2. [ Which pictures of himselfJ/B ] does John think Bill likes
のコントラストを、統語的知識なしに専ら認知的にどうやって説明しているのか、
あたりからお願いするにゃ(ぺこり

459(´∀`):02/10/20 12:38
>discourse anaphoraもintrasentential ahaphoraも基本的には同じだぴょん
たとえばreflexive bindingはintersententialには成立しない、というのはもはや
基本的なことではないというわけにゃ? あるいは
Someone1 said he1 was great
Someone1 came. He1 said Mary was great.
の2種類の照応も(意味の違いを無視して)同じだぴょん?
扱う現象の幅を思いっ切り狭くすれば何でも基本的には同じだぴょん、にゃが、
そんなものは考慮に値する理論とは呼べないぴょん、だろうにゃ