ちょっと!芳恵がアメリカで逮捕ですって!

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96陽気な名無しさん
ババアって自分のレス読み返して死にたくならないの?

本気で面白いと思っているわけ??
97陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 17:15:27 ID:YwuILGYOO
またモソ恵さん…ミジメね
98陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 18:11:15 ID:c7iIUKvfO
モソ恵なんて知らねえよ。興味もない。
気違いの反応っていつもワンパターンで頑なだな。
ババアはこんなところで老醜晒してないでサッサと死んで下さいねw
99陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 18:16:40 ID:816BRFtz0
興味ないならしゃしゃり出てこなきゃいいのに。。。カボヂ・・・あわれね
100陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 18:31:26 ID:c7iIUKvfO
40(しじゅう)面下げたババア釜がバイブとか下らない書き込みしてる姿って
笑えるの通り越して心底哀れだと思う。。。
101陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 19:03:19 ID:gstypHuo0
sageでモソモソ激鬼キモキッショ!!!!
102陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 19:16:27 ID:c7iIUKvfO
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ババア釜が精一杯若ぶった渾身のレスに着目!!w
103陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 19:44:03 ID:gstypHuo0
モソ恵がトュモロー管理人だってホントなのかしら?
104陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 19:47:09 ID:D+vu8Gy50
>>ID:c7iIUKvfO
ネタスレにマジレス…必死ね、みっともないw 芳恵鯛かしら?
105陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 20:00:32 ID:c7iIUKvfO
ババア釜の唯一の生き甲斐がこの老害スレwww
あと10年くらいしたらババアも死に絶えるかな〜・・・
106陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 20:08:01 ID:gstypHuo0
モソモソの鼻息が荒いのはどうしてなの?
107陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 20:20:06 ID:c7iIUKvfO
ババア釜ってセックスにも縁遠いんだろうな〜
地方の実家で年金暮らしの年老いた両親に寄生するように
細々と生きてるんだろうな〜
で、暇だけは持て余しているからこんな下らないことに一日の大半を費やしているわけだ・・・
クソみたいな人生ですね(笑)
108陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 21:26:56 ID:gstypHuo0
ご自分のコトを仰ってるのね。
お可哀相なモソ恵さん。。。
109陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 21:31:28 ID:nOQM/DeCO
モソエじゃないなら何でここまで必死なのかわからないわね。
気に入らないなら覗かなきゃいいだけよ
110陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 22:18:22 ID:YwuILGYOO
「ひ」 独り寂しい粘着釜が芳恵に共感 だってワタシも友達がいないんですもの〜 朝までバイブる
111陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 22:20:54 ID:c7iIUKvfO
モソ恵ってなんだよ?
ババア釜に都合の悪いレスは全部モソ恵のせい
ババアだからパターンでしか会話できないの?真性の基地害だからそう信じ込んでるワケ?ww
112陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 22:24:25 ID:c7iIUKvfO
>>110
相変わらずセンスゼロw
113陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 22:54:35 ID:HMznDxNS0
トュモロー掲示板の中のキチガイが湧いたのかしら?
いつもいつも自演お疲れねwwwww
114陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 23:08:04 ID:bmus08kI0
>>112
自分が「粘着釜」だって自覚してんじゃないw
これだから自演が「なんでバレるのかな〜(^^)v」なのよ、バカね( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \/  \/   \
115陽気な名無しさん:2008/03/30(日) 23:52:37 ID:c7iIUKvfO
>>114
レスのセンスの無さを指摘したことがなぜ自覚していることに繋がるのかまるで意味不明
また、ワケ分からないこといってるし、キチガイの観念連合って恐いw


…今日、オレが書き込みしたのは全てババアの妄言通りだよwそうそう全部そうww
116陽気な名無しさん:2008/03/31(月) 11:45:53 ID:7ei6XrS20
芳恵さんの保釈金 ID:c7iIUKvfO がお支払いなさればよろしいのに
117陽気な名無しさん:2008/03/31(月) 23:34:08 ID:fJlyDEem0
引きこもり粘着の「ID:c7iIUKvfO」は払えるお金なんて持ってないわ…
118陽気な名無しさん:2008/04/01(火) 20:24:35 ID:bVH+j+GK0
日本の未来のために芳恵さんには無罪になって欲しいわ!!

119陽気な名無しさん:2008/04/02(水) 14:29:24 ID:7a3XmEPkO
キチガイモソ恵
120陽気な名無しさん:2008/04/04(金) 12:58:38 ID:WkHuGPBn0
三浦和義スレは落っこちて、こっちが残ったのね!
さすがだわ、芳恵さん!!!
121陽気な名無しさん:2008/04/04(金) 14:37:32 ID:KXdJ5EcH0
ttp://ziza.ru/2007/07/06/devushki_topless_na_pljazhe_20_foto.html

もし男子自衛官がいない時にサマワで、
暑さに耐え切れなくなった女性自衛官が
この写真のような格好で仮設の風呂に入浴しているところを、
アメリカ軍がみたら、どうなったかな。
122陽気な名無しさん:2008/04/05(土) 16:26:08 ID:8QN6e3aWO
MNJ モソ恵惨敗記念

  あげ
123陽気な名無しさん:2008/04/06(日) 00:20:13 ID:vRt5XIqL0
モソ恵が逮捕されちゃえば良いのに!!
124陽気な名無しさん:2008/04/07(月) 13:29:29 ID:byQk/VElO
失敗に終わったので、再びチャレンジのモソ恵

臭そうな顔
http://www.mensnet.jp/cgi-bin/i-pm/tokyo/list.cgi?n=157937
125陽気な名無しさん:2008/04/07(月) 19:25:15 ID:7zGw50klO
中田翔そのものだわ
126陽気な名無しさん:2008/04/07(月) 20:21:12 ID:1wsSXOfMO
さすがのアメリカだって「モソ恵だけは勘弁!」よ!!
127陽気な名無しさん:2008/04/07(月) 20:40:07 ID:iQCFhHoy0
アメリカ???
128陽気な名無しさん:2008/04/08(火) 15:12:03 ID:gkYCzu40O
やらずぶったくりで逮捕、芳恵容疑者(43)
129陽気な名無しさん:2008/04/08(火) 15:15:02 ID:5cMno6+W0
くだらないことばっか言ってないで、
高田!とっとと死んじまいな!!
130陽気な名無しさん:2008/04/08(火) 15:36:55 ID:wSDxyVvU0
FREE TIBET と書かれたバイブを股から
出し入れしているそうよ
131陽気な名無しさん:2008/04/09(水) 13:50:01 ID:w514Joce0
芳恵さん、ヴァギナに極太マジックを挟んで、
文字だってスイスイ書けるんですからねッ!
やらずぶったくりもいい加減にッ!!
132陽気な名無しさん:2008/04/10(木) 02:01:52 ID:Y31ClS1F0
>>130
芳恵さん、バイブにマジックで「Free Tibet」と書くところを
中学生以下の英語力しかないものだから、
平然とローマ字で「Furee Chibetto」と書いちゃって、
暴動が爆笑の渦に巻き込まれたらしいわ・・・
芳恵さん、これでノーベル平和賞間違いなしね。
133陽気な名無しさん:2008/04/10(木) 02:37:24 ID:XjjzjDniO
彼がモソ恵たる所以はなんなのかしら。
…イケるのよね…
134陽気な名無しさん:2008/04/11(金) 17:38:08 ID:odVya2uqO
返事がゼロだからでしょ・・・ミジメね。
135陽気な名無しさん:2008/04/11(金) 17:57:24 ID:CteXCFw1O
>>132
英検のイメキャラに抜擢された早見優さんとは大違いね!!!!
やっぱり、優さん>>>>>>芳恵ね!!!
136陽気な名無しさん:2008/04/12(土) 19:17:37 ID:Xgb3Sz8R0
優さんならhk fansさんにも流暢な英語で
きちんと対応されていたでしょうね!
それに引き換え芳恵ファンったら・・・

to jp yoshie fans
you are cool blood fans
nobody reply for me
i never to join yoshie (japan) fanclub
bye!!!

( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \/  \/   \
137陽気な名無しさん:2008/04/13(日) 00:52:03 ID:zk53+6mw0
チュモロー掲示板って、hk fansさんの書き込み、
削除しないでそのまま残してんのよね・・・
やっぱり意味が分かってないのかしら??
138陽気な名無しさん:2008/04/13(日) 00:57:26 ID:hLjXwPDsO
マジ、ポジティブな文章と思ってるのかも…
ミジメね
139陽気な名無しさん:2008/04/13(日) 22:56:04 ID:+/44masx0
自分のHPさえ運営できないんですもの、ダメよこのオバサン・・・時代遅れ
140陽気な名無しさん:2008/04/15(火) 00:38:03 ID:KxcXKZEm0
やっぱり「ぽこあぽこ」がお似合いなのよ、芳恵さん。
141陽気な名無しさん:2008/04/15(火) 19:34:34 ID:I3UoqCZ+0
お手製のタヌキのアップリケに免じて恩赦されるそうね、芳恵さん!!
142陽気な名無しさん:2008/04/16(水) 02:53:26 ID:8LLUDKKwO
失神泡吹き芳恵
143陽気な名無しさん:2008/04/16(水) 03:23:47 ID:8LLUDKKwO
まぁー逮捕?ミジメね
144陽気な名無しさん:2008/04/17(木) 12:55:43 ID:yta4+EfsO
芸よりアップリケが身を助くネ、芳恵さん!!
145陽気な名無しさん:2008/04/18(金) 17:40:32 ID:THs48Nw60
今年逮捕されたミュージシャンの男
よくMNJとか使っていたけど会った人いる?

http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gay/1208407933/l50
146陽気な名無しさん:2008/04/18(金) 20:22:43 ID:/0hldIWyO
こけしバラ肉モソ恵さんもMNJに載せて、中傷メールしか来なかったみたいだわね
147陽気な名無しさん:2008/04/18(金) 20:57:19 ID:/0hldIWyO
バラ肉MNJ惨敗、哀れだったわねー
148陽気な名無しさん:2008/04/19(土) 22:15:36 ID:X7yqog+K0
中傷メールだって来るだけまだマシ
芳恵さんのトコにはダイレクトメールさえ届かないんですから!!
バカにすんのもいい加減に!

149陽気な名無しさん:2008/04/19(土) 22:27:28 ID:7uPuDijr0
住所不定なんですものね!!
150陽気な名無しさん:2008/04/20(日) 23:27:41 ID:+6t9BL050
あら、左下にモソ恵さんが・・・
ttp://www-2ch.net:8080/up/download/1208669913909318.hf1N8q
151陽気な名無しさん:2008/04/21(月) 16:26:07 ID:i48NKrY80
お返事ゼロで独り寂しく会場入り・・・モソ恵さんミジメね
152陽気な名無しさん:2008/04/21(月) 16:34:38 ID:tPMcHGpE0
あら、ユッキーさんていいオトコじゃない??
モテ筋よね。
ソレに比べてジュゴンやなすび似の高田雅弘ってどうしたってミジメだわ。
哀れね。
死んじまえばいいのよ、ごみ同然の汚釜だから。
153陽気な名無しさん:2008/04/21(月) 18:57:39 ID:m+ZApSzJO
モソ恵って臭そうね

すげーブス
惨めな方ね
67:陽気な名無しさん :2008/04/20(日) 15:24:34 ID:HLEFDj630
祝☆モソ恵さんNHK出演(笑)
ttp://www-2ch.net:8080/up/download/1208669913909318.hf1N8q
154陽気な名無しさん:2008/04/22(火) 01:48:50 ID:TyfYv9Oq0
>>152
あら、モソ恵さん=ゆっきーさんだったの?
ていうか、モソ恵さんがいいオトコだなんて、あなたゲテモノ喰いネ?
それともお返事ゼロの自作自演かしら???
どっちにしても、じゅごんやら高田やらの
最下層と比べられたモソ恵さんミジメ、オカワイソウ・・・


155陽気な名無しさん:2008/04/23(水) 03:11:50 ID:qvuziOAtO
ナンノさんを脅迫して逮捕されたってのは、
やっぱりトレモロ派一味なのかしら?
156陽気な名無しさん:2008/04/23(水) 03:34:58 ID:DVQyIFirO
>>153
右下の銀髪の方かしら?
157陽気な名無しさん:2008/04/23(水) 21:53:10 ID:Pyf0ZeYR0
>>155
「謝罪会見要求」って芳恵さんの差し金だったの?!
「アリエスの乙女たち」に主演できなかったことを
いまだに根に持ってるのね?芳恵あわれね・・・
158陽気な名無しさん:2008/04/23(水) 22:02:07 ID:aKjBlLIcO
ほんと、気違いストーカーばかりで気味悪いわ〜。
あんたらビンボーニンと違ってアイドル時代の蓄えと著作権収入で芳恵はセレブで優雅ななライフ送ってんのに…
159陽気な名無しさん:2008/04/24(木) 01:55:16 ID:en4y8qZZ0
そうよそうよ!!
芳恵は芳恵鯛にせっせと貢いで貰って
優雅なバイブ生活を送ってんですからね!
見くびんのもいい加減に!!

160陽気な名無しさん:2008/04/24(木) 11:32:39 ID:Z52tTR8HO
途中うんこさせて下さい
161陽気な名無しさん:2008/04/26(土) 05:32:46 ID:/DREMjJZ0
ちょっと!!芳恵さんの糞は超高級珈琲に焙煎されるんですからね!
見くびんのもいい加減に!!

162陽気な名無しさん:2008/04/27(日) 20:39:31 ID:w+nfTDbR0
そうよそうよ!
アメリカの刑務所でも自家製珈琲をせっせとこしらえて
女囚たちからは昼夜を問わず引っ張りだこの人気者だったんですから!!
バカにするのもいい加減に!

163陽気な名無しさん:2008/04/29(火) 11:02:36 ID:bv8T2KGx0
でも、糞を捻り出す際に漏れた芳恵さんのオナラで
刑務所内に硫化水素中毒患者が続出したそうじゃないの?!



164陽気な名無しさん:2008/04/30(水) 12:31:54 ID:qhvhKwQMO
人間テロ兵器なのね?芳恵さん!?
165陽気な名無しさん:2008/04/30(水) 13:15:11 ID:fi5lK01t0
>>1>>164

キチガイ
166陽気な名無しさん:2008/05/01(木) 09:44:07 ID:1ukMmoLR0
芳恵さんのオナラは平和利用すべきよ!!
167陽気な名無しさん:2008/05/02(金) 01:38:34 ID:YwXR/VPV0
芳恵さん、腋毛だって伸ばし放題ですものね!!
168陽気な名無しさん:2008/05/04(日) 05:58:45 ID:gNUal/mX0
何度、不法バイブ所持で逮捕されても懲りない女、芳恵!
「だって、ガマンできないんだモ〜ン!!」
169陽気な名無しさん:2008/05/05(月) 06:40:38 ID:JcR7WnFh0
歩く硫化水素なんですものね!!

170陽気な名無しさん:2008/05/05(月) 19:08:27 ID:KzrMSakqO
ビラビラが肥大しちゃってただれちゃって
芳恵 日本に帰りたい
171陽気な名無しさん:2008/05/06(火) 19:40:04 ID:SfUGM9qN0
いっそ芳恵さんもアポロシアターでバイブパフォーマンスなさればよろしいのに
172柏原芳恵:2008/05/06(火) 19:42:38 ID:EE488L5p0
いい加減にしないと怒りますよ
173陽気な名無しさん:2008/05/06(火) 19:43:10 ID:kXdXcPNA0
ご本人登場?
174陽気な名無しさん:2008/05/07(水) 03:25:22 ID:xk+BYNUx0
>>171
そうよそうよ!
腰カクカクのポールダンスご披露して、
黒乳首見せつけつつ、黒ビラビラご開帳で拍手喝采!!
芳恵さん、起死回生に如何かしら?
175陽気な名無しさん:2008/05/08(木) 00:21:49 ID:LEd6QHUg0
アメリカの巨大ストリップバーでは
黒乳首と黒ビラビラが肥大化した芳恵さんが大人気だそうよ・・・
176陽気な名無しさん:2008/05/09(金) 00:35:06 ID:p1NWMAL4O
だったらもう日本に帰ってこなくていいわ!
177陽気な名無しさん:2008/05/10(土) 10:50:19 ID:HHtbdpD60
どっちにしろ入国禁止なんですからね!!
178陽気な名無しさん:2008/05/11(日) 14:03:39 ID:vHPuI9tJ0
芳恵さん、アメリカの大草原の小さな牧場で牛と歌おうコンサート開催!
179陽気な名無しさん:2008/05/11(日) 20:20:44 ID:uqbFIDw40
芳恵さんも亀田ファミリーと一緒にメキシコ進出なさればよろしいのに
180陽気な名無しさん:2008/05/12(月) 18:52:20 ID:h+ubz8oq0
芳恵鯛はオフィスKOKEHIの亀田ファミリー受け入れ案に賛同しているのかしら?
181陽気な名無しさん:2008/05/13(火) 23:18:12 ID:pR1Is/xJ0
賛同も何も芳恵さんが私設応援団長なんだから
芳恵鯛だって亀田ファミリーを受け挿れるしか法がないわね・・・
182陽気な名無しさん:2008/05/14(水) 10:24:20 ID:f30KQ1MD0
183陽気な名無しさん:2008/05/14(水) 18:12:49 ID:01LSGxb2O
西成の恥さらし
184陽気な名無しさん:2008/05/16(金) 00:56:16 ID:nfPPLdg/0
「恥さらし」だなんて冗談じゃないわ!!
自称ロイヤルアイドルの芳恵さんなんですからね、
「恥しらず」とか「脱ぐ脱ぐ詐欺犯」とか「バイブ中毒者」とか
もっと言葉を選んで欲しいモンだわね!ふざけんじゃないわよ!!
185陽気な名無しさん:2008/05/16(金) 21:00:30 ID:23wN2Akp0
大阪のスラム街、西成の英雄なんですからね!
芳恵さんと亀田ファミリーは!!
186陽気な名無しさん:2008/05/16(金) 21:07:02 ID:5rqU84H4O
新曲のタイトルはManMan?
187陽気な名無しさん:2008/05/17(土) 17:07:29 ID:SqQsTptTO
残念だけど、新曲出すお金なんてないわ…
188陽気な名無しさん:2008/05/18(日) 16:39:23 ID:w5dwxDD+0
亀田ファミリーのファイトマネーが
オフィスKOKESHIに横流しされたこと、誰もご存知ないのかしら?
189陽気な名無しさん:2008/05/19(月) 17:54:41 ID:wlJqIdjOO
そのための私設応援団なんですからね!
ふざけんのもいい加減に!!
190陽気な名無しさん:2008/05/21(水) 10:40:49 ID:2pwvJOJF0
ヴィ〜ン!と飛んでっちゃえばイイのよ!!

191陽気な名無しさん:2008/05/21(水) 16:55:09 ID:n39YzQS3O
島田モソ恵
「ぶざけんなよ〜〜ウウウウ」
192陽気な名無しさん:2008/05/23(金) 00:34:38 ID:ZOuB2A2sO
ついでにwモソ恵と高田もまとめて逮捕されちゃえばいいのに!
193陽気な名無しさん:2008/05/24(土) 23:30:29 ID:OPnuBSovO
高田とモソ恵は相思相愛なんですものね!
194陽気な名無しさん:2008/05/27(火) 12:52:08 ID:OnaENpCAO
やっぱり、島田=モソ恵=高田=カポヂだったのね・・・相思相愛ですものね!
ご愁傷様。゜(☆ ゜^∀^゜)゜。アーッハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \
195陽気な名無しさん:2008/05/27(火) 14:33:17 ID:+XVTEs2w0
本家・芳恵さんをコケシにするのもいい加減に!!
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1211369121/l50
【最後の】柏原芳恵さんvs堀サンダルちえみ【斗い】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1209167670/l50
ちょっと!芳恵がアメリカで逮捕ですって!
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1204209379/l50
【電動派】コケシ大好き芳恵さん【手動派】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1210878545/l50
【賞レースを】芳恵さんレコ大7回連続出場【語る】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1209785813/l50
【生放送で】芳恵さん打ち上げ不参加【飛び出した】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1207047497/l50
芳恵漬け2008
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1199475745/l50
【ドヤ顔】芳恵さん画像コレクション 【黒乳首】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1210863806/l50
【電動の】芳恵ベストバイビストV23【殿堂入り】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1210588117/l50
【バイブ】芳恵ミジメね・・・【黒乳首】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1199551480/l50
西成のガバガバばあちゃん芳恵さんの仰天事件簿
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1211261896/l50
★ 芳恵さんバイブ中毒から、丸22年 ★
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1207835257/l50
43歳芳恵バイブ伝説・魑魅魍魎篇
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1211524750/l50
【宗教】芳恵アロマ真理教【法人】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1206732758/l50
【43歳女盛り】 柏 原 芳 恵 【冗談じゃないわよ】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1203780675/l50
芳恵さん夜ヒットのずっこけ疑惑発覚!!!!!!!!
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1210492928/l50
芳恵はアナルバイブがお好き
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1201305478/l50
クリトリスジェミーは芳恵でできている
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1202551202/l50
芳恵さんいろは歌留多・平成21年度版
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1211206550/l50
【Wikipedia】柏原芳恵と都市伝説 【削除】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1202571447/l50
毎度有り難う御座います。芳恵漬け本舗です。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1211632311/l50
40過ぎて聖子芳恵から卒業できない無職の子持ち高田
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1209785916/l50
芳恵さんを偲んで
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1203964066/l50
<夏季限定スレ>芳恵さん夏模様の夕涼み
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1211021356/l50
43歳芳恵バイブ伝説・跳梁跋扈篇
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1199890297/l50
芳恵さんをコケシにするのもいい加減に!!
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1202544004/l50
西成のガバガバばあちゃん芳恵さんの愉快な事件簿
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1196291944/l50
196陽気な名無しさん:2008/05/29(木) 19:28:11 ID:kj2xPXhlO
芳恵は国外追放がお似合い
197陽気な名無しさん:2008/05/31(土) 23:36:50 ID:mrYC+tXQO
でも、芳恵の引き取り手が何処にもないわよ?!
198陽気な名無しさん:2008/06/03(火) 01:46:57 ID:zTg8Bg3bO
オーストラリアかハワイで芳恵さんを引き取ってくれないかしら・・・
199陽気な名無しさん:2008/06/04(水) 15:46:37 ID:gzyuBR4GO
2人とも「友だちじゃないから引き取る理由がない」と仰って断られたわ
200陽気な名無しさん:2008/06/04(水) 15:49:01 ID:UtK/XsM4O
うんこ芳恵
201陽気な名無しさん:2008/06/04(水) 23:34:41 ID:3T1Ypge30
>>199
芳恵は子供の教育に宜しくないんですって( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \/  \/   \
202陽気な名無しさん:2008/06/06(金) 22:12:50 ID:eWeUbUg00
んまぁ!!芳恵のオナラは硫化水素なんだから
しっかりと隔離監禁しておかないと人類の危機よ!!
203陽気な名無しさん:2008/06/07(土) 22:35:05 ID:vGJtfCIq0
だったら、いっそ日本に戻ってこない方が安全ね!
204陽気な名無しさん:2008/06/08(日) 22:32:19 ID:3vMUmXy9O
それならもうこのまま連絡取らなくていいわ・・・
205陽気な名無しさん:2008/06/09(月) 22:02:31 ID:FEaiQ41j0
日本政府も引き取り拒否してるらしいわ。
「臭いのは勘弁!!」

206陽気な名無しさん:2008/06/10(火) 13:33:44 ID:cqxkNsNIO
ちょっと!モソ恵さんが無職ですってよ!

302:陽気な名無しさん :2008/06/09(月) 11:51:11 ID:w5rCqORA0 [sage]
今日はipod用のケース買ったわ


304:陽気な名無しさん :2008/06/09(月) 15:03:05 ID:Ej2lJZJe0
>>302
あんたあと貯金はいくらあんのよw


305:陽気な名無しさん :2008/06/09(月) 20:30:56 ID:w5rCqORA0 [sage]
あたしは
いろいろネット利用して
働かないで収入得てるから
貯金は崩してないわよ


266:陽気な名無しさん :2008/06/09(月) 23:58:12 ID:w5rCqORA0 [sage]
新曲はまた
5千枚?
207陽気な名無しさん:2008/06/11(水) 11:44:36 ID:GP2Cm1aL0
>>205
日本人じゃないんですものね!芳恵さん
「バ、バ、バ、バイブ、バイブの国から来た芳恵」

208陽気な名無しさん:2008/06/11(水) 12:01:27 ID:my2Mc9VsO
バイブ星人よね…芳恵さん
正体見破られたら、突然カクカク踊りだすのよ
209陽気な名無しさん:2008/06/11(水) 21:18:57 ID:R9mUv7DUO
モソ恵ミジメ

302:陽気な名無しさん :2008/06/09(月) 11:51:11 ID:w5rCqORA0 [sage]
今日はipod用のケース買ったわ


304:陽気な名無しさん :2008/06/09(月) 15:03:05 ID:Ej2lJZJe0
>>302
あんたあと貯金はいくらあんのよw


305:陽気な名無しさん :2008/06/09(月) 20:30:56 ID:w5rCqORA0 [sage]
あたしは
いろいろネット利用して
働かないで収入得てるから
貯金は崩してないわよ


266:陽気な名無しさん :2008/06/09(月) 23:58:12 ID:w5rCqORA0 [sage]
新曲はまた
5千枚?
210陽気な名無しさん:2008/06/12(木) 21:21:45 ID:jig6Lz4IO
≪速報≫
YOSHIE容疑者(43)の保釈保留に!(ロイター=共同)
211陽気な名無しさん:2008/06/13(金) 08:42:30 ID:Sv8Z5pkd0
独房でコケシ作りに勤しみながら社会復帰の機会を窺っているそうよ、芳恵さん・・・
212陽気な名無しさん:2008/06/14(土) 15:26:59 ID:h2NiABH+O
無職のモソ恵さん、ご利用スレ
213松坂〜ハンカチ世代:2008/06/14(土) 15:28:04 ID:ykLL9D/x0
1980.4.2〜81.4.1生まれ
松坂大輔、キングコング、小島よしお、藤川球児、朝青龍
広末涼子、優香、眞鍋かをり、田中麗奈、小池栄子、夏川純、鳥居みゆき

1981.4.2〜82.4.1生まれ
荒川静香、滝沢秀明、柴咲コウ、安倍なつみ、佐藤江梨子、MEGUMI
ブリトニー・スピアーズ、鈴木あみ、安達祐実

1982.4.2〜83.4.1生まれ
宇多田ヒカル、倉木麻衣、加藤あい、深田恭子、上原多香子、中島美香
倖田來未、オリエンタルラジオ、近藤春菜、矢口真里、北島康介
酒鬼薔薇聖斗(少年A)

1984.4.2〜85.4.1生まれ
えなりかずき、赤西仁、速水もこみち、石川梨華、藤本美貴、hiro、白鵬
若槻千夏、綾瀬はるか、栗山千明、木村カエラ、アヴリル・ラヴィーン

1985.4.2〜86.4.1生まれ
上戸彩、後藤真希、山下智久、亀梨和也、ウエンツ瑛士、小池徹平
中川翔子、宮崎あおい、相武紗季、まなかな、大沢あかね、ギャル曽根、宮里藍

1986.4.2〜87.4.1生まれ
亀田興毅、ダルビッシュ、松浦亜弥、井上真央、石原さとみ、上野樹里
沢尻エリカ、リア・ディゾン、上田桃子、BoA、スザンヌ、あびる優、YUI

1987.4.2〜88.4.1生まれ
長澤まさみ、安藤美姫、辻希美、加護亜衣、木下優樹菜、平野綾

1988.4.2〜89.4.1生まれ
斎藤佑樹、田中将大、亀田大毅、坂本勇人、福原愛
堀北真希、新垣結衣、戸田恵梨香
214陽気な名無しさん:2008/06/15(日) 14:51:02 ID:ClxbJZET0
>>213
ちょっと!!
芳恵さんは1965年10月1日生まれなんですからね!
ハンカチ世代だなんて、20歳以上もサバ読みじゃないの!!
誤爆すんのもいい加減に!!

215陽気な名無しさん:2008/06/16(月) 16:30:53 ID:q6zCV1m70
芳恵さんのことを下品なババァだと言いたいのね!!
冗談じゃないわ?おっしゃる通りよ!!
216陽気な名無しさん:2008/06/16(月) 17:01:14 ID:OH2QqztNO
モソ恵うぜー
無職のデブス
74キロのおちょぼ口W
217陽気な名無しさん:2008/06/17(火) 20:44:10 ID:Rit28Hnu0
そもそも芳恵さんは何しにアメリカに行ったの?
電車の乗り方も分からないのに、飛行機の乗り方は知っているの?

218陽気な名無しさん:2008/06/17(火) 23:57:08 ID:e6Tk9wVF0
>>217
飛行機の乗り方を知らないから、税関で捕まっちゃったんじゃないの!バカね!!
それ以来、海外に行くときは筏だと聞いたわ・・・
219陽気な名無しさん:2008/06/18(水) 00:00:06 ID:1POfBiKEO
モソ恵さん臭そうね
220陽気な名無しさん:2008/06/18(水) 22:54:37 ID:Hx4raHpB0
>>217
私が聞いたのは、渋谷のボブの型を取りにイクのが目的だったって・・・
221陽気な名無しさん:2008/06/19(木) 16:49:41 ID:I+ROC5WD0
型を取るため逮捕覚悟で渡米・・・さすがバイビスト芳恵さんネ!!
222陽気な名無しさん:2008/06/19(木) 17:38:52 ID:lE5+UmgkO
モソ恵って臭そう
223陽気な名無しさん:2008/06/19(木) 23:01:47 ID:lE5+UmgkO
モソ恵って臭そう
224陽気な名無しさん:2008/06/20(金) 13:55:52 ID:/s7EuKcS0
誰も引受人になってもらえない・・・ミジメね
225陽気な名無しさん:2008/06/20(金) 14:29:16 ID:MKw6Fwp60
やだ、また芳恵さんコケシにしてるの?
いい加減にしたらどうなのよ
226陽気な名無しさん:2008/06/20(金) 20:26:12 ID:In8JbJT+O
モソ恵って臭そう
227陽気な名無しさん:2008/06/21(土) 20:42:54 ID:3T2Jx9HiO
無職モソ恵って臭そう
228陽気な名無しさん:2008/06/21(土) 22:37:28 ID:Ndy58oYa0
>>225
芳恵さんはドMだからコケシにしないとエクスタシーを感じられないんだと
オフィスKOKESHIの社長さんがおっしゃってました。
229陽気な名無しさん:2008/06/22(日) 20:09:24 ID:IBB/OWp20
オフィスKOKESHIの社長さんって、
芳恵さんの黒チクビをコリコリして、コケシ突っ込んで、ドM女に調教したのと同じ方?
230陽気な名無しさん:2008/06/23(月) 23:34:56 ID:ekSwi3eaO
オフィスKOKESHIの社長は芳恵さんじゃないの!?
231陽気な名無しさん:2008/06/25(水) 19:17:21 ID:cjn0znCBO
芳恵に社長を務められる程の才覚はないわ・・・
232陽気な名無しさん:2008/06/25(水) 23:30:54 ID:NW+oRwnBO
すぐ商品で遊んじゃうんですもの〜
233陽気な名無しさん:2008/06/26(木) 14:26:55 ID:YfZr6WAqO
だってガマンできないんですものね!!
234陽気な名無しさん:2008/06/27(金) 12:04:23 ID:YD+rXNNuO

新スレ
【逮捕間近】モソ恵w【ニート】
235陽気な名無しさん:2008/06/27(金) 23:13:58 ID:iUj8D6d+O
恥を知れ!!!
236陽気な名無しさん:2008/06/28(土) 19:23:20 ID:7QqOtrdMO
モソ恵って臭そう
237陽気な名無しさん:2008/06/29(日) 22:57:23 ID:alQX95leO
懲りない奴!!ミジメね…
238陽気な名無しさん:2008/07/02(水) 11:45:07 ID:hY6ENikYO
ミス異臭騒ぎ
239陽気な名無しさん:2008/07/03(木) 22:27:03 ID:KNjkUKelO
異臭騒ぎってwww
240陽気な名無しさん:2008/07/03(木) 22:40:14 ID:FlmcN4ZEO
今の若い子なんてろーたーやバイブ所持率
6割りよ
241陽気な名無しさん:2008/07/03(木) 22:46:55 ID:Ss2vLeFL0
ほんとにバイブって空港の検査に引っかかるの?
242陽気な名無しさん:2008/07/03(木) 23:16:15 ID:IxsCvV/i0
芳恵の特製バイヴは一般人には凶器にしか見えない代物なのよ。
243陽気な名無しさん:2008/07/04(金) 17:56:46 ID:Zw88LAkw0
>>240
ちょっと!芳恵さんは“今の若い子”からは程遠いババアなんですからね!!
これ以上、コケシにすんのもいい加減に!
244陽気な名無しさん:2008/07/04(金) 19:10:10 ID:h9b0doHSO
アンタ、ババアですって!?口を慎みなさい!!
艶女(アデージョ)とお呼び!!
245陽気な名無しさん:2008/07/05(土) 21:51:12 ID:5cj64utrO
今の芳恵は「艶」のかけらもない
カスカスデブ婆ァよ…
246陽気な名無しさん:2008/07/06(日) 21:43:23 ID:yb3xXzbv0
>>239
異臭騒ぎといえば・・・テレビ局のスタジオに
ドリアンが搬入されたのかと振り返ったら芳恵さんがいたのよね?

247陽気な名無しさん:2008/07/07(月) 13:01:49 ID:qj35oo24O

2ちゃんねる粘着人生モソエ

24時間2ちゃんねる監視

哀れだわ

571:陽気な名無しさん :2008/07/05(土) 13:25:15 ID:NvGEhP0B0
24時間いつでも素早く対応のモソ恵さん

さすが無職ね 

さすがだわ〜w
248陽気な名無しさん:2008/07/07(月) 20:48:41 ID:K0PeZNyYO
気合いが違うわね
249陽気な名無しさん:2008/07/08(火) 22:29:57 ID:SIeZ8wSD0
部屋を真っ暗にして「最愛」聴きながら号泣するのよw
250陽気な名無しさん:2008/07/10(木) 14:03:59 ID:5syJZC/sO
芳恵さんも不倫バイブで逮捕されないかしら?
251陽気な名無しさん:2008/07/11(金) 22:45:26 ID:4nOgT4c4O
不法バイブで逮捕されるんだから、不倫バイブで逮捕されても可笑しくないわよネ
252陽気な名無しさん:2008/07/12(土) 23:36:26 ID:oSNBEKEcO
ハーラームーン!ハーラームーン!!
253陽気な名無しさん:2008/07/12(土) 23:42:02 ID:lXcglg5R0
「柏原芳恵さんはいつまで経っても清純派」

これが国民の総意なんですから!!
異論反論は一切受け付けません!!

か し こ
254陽気な名無しさん:2008/07/13(日) 18:33:27 ID:QCKhaV9g0
ふざけんじゃないわ!
「永遠の右手の恋人」「私の体でスッキリして!」なんて
コピーで商売してたメス牛が清純派?
笑わせないでよ! この黒乳首コケシがッ!

255陽気な名無しさん:2008/07/14(月) 19:41:40 ID:piRfbonvO
そうよそうよ!
村西とおる監督とも昵懇の仲なんですから!!
コケシにすんのもいい加減に!
256陽気な名無しさん:2008/07/15(火) 20:48:46 ID:OC1Vur3AO
村西監督は臭いのがお好きだったのね・・・
257陽気な名無しさん:2008/07/17(木) 01:34:27 ID:sc++bPAR0
芳恵さんったら、あのねのねの原田さん、吉幾三さんに、村西監督まで、
来るもの拒まずの何でもござれだったのね・・・
下品よ!淫乱よ!!見損なったわ、私ももう芳恵さんのファン辞めます!!
今度こそ、本当に辞めるんですからね!!!
258陽気な名無しさん:2008/07/18(金) 03:48:27 ID:0Xs6X9sO0
芳恵さんもベティのママと一緒に逮捕されれば良かったのよ・・・
259陽気な名無しさん:2008/07/19(土) 02:17:52 ID:hdQtIjaqO
淫乱ナマコの芳恵がどうなろうと、今更知ったことじゃないわ!
260陽気な名無しさん:2008/07/19(土) 17:40:09 ID:dSCa8ldtO
ベティのママはプロテーゼの入れ過ぎで、
芳恵さんはバイブの挿れ過ぎでタイホされたのよね?
261陽気な名無しさん:2008/07/19(土) 17:49:07 ID:SRLj2wP80
芳恵さん…
清純派ゆえ国民を魅了しすぎた罪で囚われの身らしいわ…?

罪深き女、芳恵。世間の醜い嫉妬に翻弄される運命…
262陽気な名無しさん:2008/07/20(日) 19:45:52 ID:7If9Jy6F0
>>260
しかも芳恵の場合、不法バイブの所持だから悪質なのよね・・・
263陽気な名無しさん:2008/07/21(月) 18:54:31 ID:IuWOSNLM0
芳恵さん「脱ぐ脱ぐ詐欺」の前科

Dカップ淫乳、笠倉出版、60分
女神の乳房、明文社、40分
柏原芳恵 in ギリシャ ヴィーナスの衝撃、FIVE STAR、50分(再発物)
乳白の街、SEXA VISION、45分
ROYAL SCANDAL、ネオ・イマージュ、44分
引き裂かれたDカップ、笠倉出版、45分
お宝ガールズ、笠倉出版社、60分
あぶないボディ、笠倉出版、60分(葉山レイコ共演)
FINE BODY、オーケー出版、60分
ロンリーカナリア、日本フォノグラム、30分

264陽気な名無しさん:2008/07/22(火) 23:27:38 ID:9wNxy5Ua0
これじゃ、宮内庁出入り禁止になるのも無理ないわネ!!
265陽気な名無しさん:2008/07/22(火) 23:56:17 ID:/NcCVnIoO
下のお口の出入りが止むことはないのにね…
266陽気な名無しさん:2008/07/23(水) 01:00:46 ID:UbH5B7zZ0
デビュー時のキャッチコピーが「ちょっと大物/スキモノ少女」なのよ。
267陽気な名無しさん:2008/07/24(木) 00:49:18 ID:8K+ECp3CO
よしえちゃんにピッタリのキャッチフレーズですネ!!
268陽気な名無しさん:2008/07/24(木) 23:22:59 ID:1MNaSblQ0
>>263
村西とおる監督とコラボレートした脱ぐ脱ぐ詐欺の最高峰、
「スキャンダルは美しい」が挿ってないわヨ!!

269陽気な名無しさん:2008/07/25(金) 20:19:19 ID:pHj2QExH0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
270陽気な名無しさん:2008/07/25(金) 20:19:58 ID:pHj2QExH0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
271陽気な名無しさん:2008/07/25(金) 20:20:40 ID:pHj2QExH0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
272陽気な名無しさん:2008/07/25(金) 20:44:15 ID:pHj2QExH0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
273陽気な名無しさん:2008/07/25(金) 20:44:45 ID:pHj2QExH0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
274陽気な名無しさん:2008/07/25(金) 20:45:09 ID:pHj2QExH0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
275陽気な名無しさん:2008/07/25(金) 21:26:24 ID:pHj2QExH0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."

276陽気な名無しさん:2008/07/25(金) 21:26:51 ID:pHj2QExH0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."

277陽気な名無しさん:2008/07/25(金) 21:27:22 ID:pHj2QExH0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."

278陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 02:00:09 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
279陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 02:00:43 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
280陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 02:01:16 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
281陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 02:32:15 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
282陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 02:33:36 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
283陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 02:34:08 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
284陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 10:42:12 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
285陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 10:43:14 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
286陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 10:44:08 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
287陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 18:19:42 ID:xGxEYUnLO
牛恵ヲタ 死ねばいいのに 今すぐに
288陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 19:53:53 ID:xGxEYUnLO
牛恵ヲタ 豚の餌にも なりゃしない
289陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 19:56:57 ID:xGxEYUnLO
トラックに 撥ねられて死ね 牛恵ヲタ
290陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 20:40:55 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
291陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 20:41:34 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
292陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 20:42:01 ID:AMDMwvMG0
"When Fumie asked me, I asked Miki, and she said it's okay because when [Miki] was in Japan,
she used to skate at the same rink as Fumie, [2006 Olympic champion] Shizuka Arakawa,
everybody," he said.
On this day in mid-July, Ando -- who withdrew from the 2008 ISU World Figure Skating
Championships during the free skate after placing eighth in the
short program -- declined questions, but Morozov said she is training well.
"She had shoulder and leg injuries at worlds, but she is better now.
She is even doing quad Salchows," he said.
Suguri's new short is choreographed to the soundtrack of Fanfan,
a 1992 French comedy romance. Suguri called it "little-known music."
As for the long, she said, "We don't know yet. Nikolai has lots of ideas.
We're thinking about different music."
Technically, she is working to perfect a triple-triple combination as well
as the triple loop, a jump she has not landed in recent competitions.
"Nikolai has fixed [the loop] a lot," Suguri said. "I wish to have the
loop this season and also maybe a triple Axel."
"She landed loop a couple of times [in practice] already," Morozov confirmed.
"I like to work with Fumie; she is a very nice skater."
Suguri, who is scheduled to compete at Skate Canada and Cup of Russia this fall,
especially enjoys sharing the ice with another of Morozov's pupils, world junior
champion Adam Rippon.
"I need someone to push me; I'm so glad I'm skating with Adam," she said. "Boys jump
harder than girls. It keeps up your motivation. It's so much different from the way girls practice."
Suguri is also able to test her mettle against her countryman Oda, who began training at Ice House this spring.
"This is a very nice place to train. The coach is great, and the other skaters are also great,
so I am very happy here," the 21-year-old said. Both he and Suguri have settled in to apartments
just 10 minutes from the rink.
The 2008-09 season is a comeback for the diminutive Japanese athlete. In July 2007, while in
his hometown of Osaka, he was cited by police for driving his moped under the influence of
alcohol. The Japan Skating Federation suspended him from international competition until
December 2007. Oda apologized for the incident, paid a fine and accepted the suspension.
Although he could have competed at Japanese nationals for a spot on the world team,
he elected to skip the season.
"I was not glad to take off last year," he said. "But I think it was a very good time
to think, 'Who am I? What should I do for the future?'"
In his down time, Oda turned to Lori Nichol to choreograph two new programs. His short,
set to Khachaturian's "Masquerade Waltz," was created in November 2007; his free to
"Warsaw Concerto," a virtuoso piano piece, was done in February. Like Morozov's
other pupils, Oda is planning to compete at the Moran Memorial Championships,
held at Ice House in August.
Because Oda did not compete last season, he is entered in just one fall Grand
Prix event, Japan's NHK Trophy, in November.
"I don't have two Grand Prix, only one, but I am also doing the Nebelhorn Trophy
in Germany in September. I need the points," he explained.
"My goal is, first of all, the podium at [Japanese] nationals.
I want to make the world team. [Japan qualified three men for 2009 worlds.]
After that, my goal is to do as many international competitions as possible
and skate as well as I can. I would like to put the quad toe loop in both
the short and long programs, if it goes well in practice."
293陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 22:15:21 ID:AMDMwvMG0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
294陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 22:16:01 ID:AMDMwvMG0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
295陽気な名無しさん:2008/07/26(土) 22:16:35 ID:AMDMwvMG0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
296陽気な名無しさん:2008/07/27(日) 01:38:34 ID:bgOqoJEf0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
297陽気な名無しさん:2008/07/27(日) 01:39:56 ID:bgOqoJEf0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
298陽気な名無しさん:2008/07/27(日) 01:40:46 ID:bgOqoJEf0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
299陽気な名無しさん:2008/07/27(日) 01:49:51 ID:bgOqoJEf0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
300陽気な名無しさん:2008/07/27(日) 15:53:16 ID:VlaJvT57O
今すぐに 死ねばいいのに 牛恵ヲタ
301陽気な名無しさん:2008/07/27(日) 15:53:55 ID:VlaJvT57O
牛恵ヲタ 惨めな最期 遂げてくれ
302陽気な名無しさん:2008/07/27(日) 15:54:38 ID:VlaJvT57O
牛恵ヲタ 呪われ祟られ 無惨な死
303陽気な名無しさん:2008/07/27(日) 22:31:26 ID:bgOqoJEf0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
304陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 14:06:40 ID:TgMCcUt90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
305陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 14:07:28 ID:TgMCcUt90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
306陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 14:08:18 ID:TgMCcUt90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
307陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 14:57:36 ID:TgMCcUt90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
308陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 15:03:21 ID:TgMCcUt90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
309陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 15:25:00 ID:TgMCcUt90
11 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 13:27:45 ID:AzBAXxdW0
おい、性悪ジャニヲタババアよ
相手の女なんか実在しない、でっちあげスキャンダルの被害者の
藤木に対して、2ちゃんで、そのでたらめをわざと広めて嫌がらせを続ける
お前たちは、人間として最低のキチガイだ!
そのくせ、ジャニタレの大野智の大麻スキャンダル記事には必死で火消しをしやがって!
お前たちみたいな 卑劣なアイドル好きの非常識キチガイババアは
善人でまじめな藤木の社会的信用をなくさせた大罪に対して
文春に続き、お前たち個人に対して、名誉毀損で訴えるから、待ってろよ!
12 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 13:57:27 ID:G7RQYlQvO
ずっと同じ流れ飽きた
13 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 15:22:25 ID:AzBAXxdW0
おい、性悪ジャニヲタババアよ
相手の女なんか実在しない、でっちあげスキャンダルの被害者の
藤木に対して、2ちゃんで、そのでたらめをわざと広めて嫌がらせを続ける
お前たちは、人間として最低のキチガイだ!
そのくせ、ジャニタレの大野智の大麻スキャンダル記事には必死で火消しをしやがって!
お前たちみたいな 卑劣なアイドル好きの非常識キチガイババアは
善人でまじめな藤木の社会的信用をなくさせた大罪に対して
文春に続き、お前たち個人に対して、名誉毀損で訴えるから、待ってろよ!
14 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 19:07:21 ID:iLhDoj4J0
奥さん可哀そうだね。
15 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 23:13:34 ID:9+xKG1mf0
もうこのスレいらないんだけど
16 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 23:20:08 ID:IzM0yhbi0
藤木キモイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
17 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 23:46:46 ID:eWjqqHmKO
>>15 藤木ヲタ(笑)乙
18 :可愛い奥様:2008/07/28(月) 11:17:12 ID:HZD6l2CS0
相手の女なんて初めから実在しない まったくの事実無根のでっち上げ最悪スキャンダルを
圧力かけて文春に書かせた 悪徳芸能事務所よ
それを広く世間に広めるため 事務所社員が1日中張り付いて
藤木のでっちあげスキャンダルを
本当のことのようにコピペとレスしつづけ
その上、各テレビ局とスポンサーにまで 一般人を装って藤木降板のメール電話をして
デタラメだとばれても、居直って、まだ 藤木つぶしを続ける オマエラを
絶対に許さない!!!
真面目に地道に生きてきた 善良な一人の人間とその家族に
生きていられないほどの屈辱を味あわせ殺すつもりの エラを
絶対に許さない!!!
そいつらに加担して、藤木の誹謗中傷つづけるジャニヲタババアも、同罪だからな!!!
19 :可愛い奥様:2008/07/28(月) 11:17:43 ID:HZD6l2CS0
おい、性悪ジャニヲタババアよ
相手の女なんか実在しない、でっちあげスキャンダルの被害者の
藤木に対して、2ちゃんで、そのでたらめをわざと広めて 悪質な嫌がらせを続ける
お前たちは、人間として最低のキチガイだ!
そのくせ、ジャニタレの大野智の大麻スキャンダル記事には必死で火消しをしやがって!
お前たちみたいな 卑劣なアイドル好きの非常識キチガイババアは
善人でまじめな藤木の社会的信用をなくさせた大罪に対して
文春に続き、お前たち個人に対して、名誉毀損で訴えるから、待ってろよ!
20 :可愛い奥様:2008/07/28(月) 14:39:33 ID:dUecvKt00
538 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 17:30:07 ID:di5kNAYS0
 最初藤木を見た時、目元、口元からものすごく冷酷な印象を受けた。
こういう直感って意外と当たるのかな?今回はたまたまだと思うけど。
 ちなみに他でとても冷酷な印象を持ったのは大野智。嵐は5人とも
心優しい人には見えないが、時折見せる目つきの恐ろしさという点では
この人が抜けている。
 あとは小雪。微笑の表情は般若を髣髴とさせる。
↑ややスレチだが、神だと思うので前スレより抜粋。
310陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 15:25:30 ID:TgMCcUt90
11 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 13:27:45 ID:AzBAXxdW0
おい、性悪ジャニヲタババアよ
相手の女なんか実在しない、でっちあげスキャンダルの被害者の
藤木に対して、2ちゃんで、そのでたらめをわざと広めて嫌がらせを続ける
お前たちは、人間として最低のキチガイだ!
そのくせ、ジャニタレの大野智の大麻スキャンダル記事には必死で火消しをしやがって!
お前たちみたいな 卑劣なアイドル好きの非常識キチガイババアは
善人でまじめな藤木の社会的信用をなくさせた大罪に対して
文春に続き、お前たち個人に対して、名誉毀損で訴えるから、待ってろよ!
12 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 13:57:27 ID:G7RQYlQvO
ずっと同じ流れ飽きた
13 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 15:22:25 ID:AzBAXxdW0
おい、性悪ジャニヲタババアよ
相手の女なんか実在しない、でっちあげスキャンダルの被害者の
藤木に対して、2ちゃんで、そのでたらめをわざと広めて嫌がらせを続ける
お前たちは、人間として最低のキチガイだ!
そのくせ、ジャニタレの大野智の大麻スキャンダル記事には必死で火消しをしやがって!
お前たちみたいな 卑劣なアイドル好きの非常識キチガイババアは
善人でまじめな藤木の社会的信用をなくさせた大罪に対して
文春に続き、お前たち個人に対して、名誉毀損で訴えるから、待ってろよ!
14 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 19:07:21 ID:iLhDoj4J0
奥さん可哀そうだね。
15 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 23:13:34 ID:9+xKG1mf0
もうこのスレいらないんだけど
16 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 23:20:08 ID:IzM0yhbi0
藤木キモイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
17 :可愛い奥様:2008/07/27(日) 23:46:46 ID:eWjqqHmKO
>>15 藤木ヲタ(笑)乙
18 :可愛い奥様:2008/07/28(月) 11:17:12 ID:HZD6l2CS0
相手の女なんて初めから実在しない まったくの事実無根のでっち上げ最悪スキャンダルを
圧力かけて文春に書かせた 悪徳芸能事務所よ
それを広く世間に広めるため 事務所社員が1日中張り付いて
藤木のでっちあげスキャンダルを
本当のことのようにコピペとレスしつづけ
その上、各テレビ局とスポンサーにまで 一般人を装って藤木降板のメール電話をして
デタラメだとばれても、居直って、まだ 藤木つぶしを続ける オマエラを
絶対に許さない!!!
真面目に地道に生きてきた 善良な一人の人間とその家族に
生きていられないほどの屈辱を味あわせ殺すつもりの エラを
絶対に許さない!!!
そいつらに加担して、藤木の誹謗中傷つづけるジャニヲタババアも、同罪だからな!!!
19 :可愛い奥様:2008/07/28(月) 11:17:43 ID:HZD6l2CS0
おい、性悪ジャニヲタババアよ
相手の女なんか実在しない、でっちあげスキャンダルの被害者の
藤木に対して、2ちゃんで、そのでたらめをわざと広めて 悪質な嫌がらせを続ける
お前たちは、人間として最低のキチガイだ!
そのくせ、ジャニタレの大野智の大麻スキャンダル記事には必死で火消しをしやがって!
お前たちみたいな 卑劣なアイドル好きの非常識キチガイババアは
善人でまじめな藤木の社会的信用をなくさせた大罪に対して
文春に続き、お前たち個人に対して、名誉毀損で訴えるから、待ってろよ!
20 :可愛い奥様:2008/07/28(月) 14:39:33 ID:dUecvKt00
538 :可愛い奥様:2008/07/16(水) 17:30:07 ID:di5kNAYS0
 最初藤木を見た時、目元、口元からものすごく冷酷な印象を受けた。
こういう直感って意外と当たるのかな?今回はたまたまだと思うけど。
 ちなみに他でとても冷酷な印象を持ったのは大野智。嵐は5人とも
心優しい人には見えないが、時折見せる目つきの恐ろしさという点では
この人が抜けている。
 あとは小雪。微笑の表情は般若を髣髴とさせる。
↑ややスレチだが、神だと思うので前スレより抜粋。
311陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 15:26:01 ID:TgMCcUt90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
312陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 20:10:32 ID:TgMCcUt90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
313陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 20:11:23 ID:TgMCcUt90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
314陽気な名無しさん:2008/07/28(月) 20:11:56 ID:TgMCcUt90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
315陽気な名無しさん:2008/07/29(火) 12:46:28 ID:p6c1XREu0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
316陽気な名無しさん:2008/07/29(火) 12:56:52 ID:p6c1XREu0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
317陽気な名無しさん:2008/07/29(火) 12:58:58 ID:p6c1XREu0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
318陽気な名無しさん:2008/07/29(火) 13:00:33 ID:p6c1XREu0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
319陽気な名無しさん:2008/07/29(火) 18:38:33 ID:p6c1XREu0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
320陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 00:43:00 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
321陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 00:43:36 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
322陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 00:44:33 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
323陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 12:04:34 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
324陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 12:05:19 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
325陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 12:05:49 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
326陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 19:40:25 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。

327陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 19:40:45 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。

328陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 19:42:33 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。

329陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 23:08:03 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
330陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 23:08:25 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
331陽気な名無しさん:2008/07/30(水) 23:09:09 ID:qLZko7x90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
332陽気な名無しさん:2008/07/31(木) 02:00:23 ID:m/TmFTZA0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
333陽気な名無しさん:2008/07/31(木) 02:00:50 ID:m/TmFTZA0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
334陽気な名無しさん:2008/07/31(木) 02:01:21 ID:m/TmFTZA0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
335陽気な名無しさん:2008/07/31(木) 19:15:59 ID:m/TmFTZA0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。
336陽気な名無しさん:2008/08/01(金) 17:53:59 ID:QDH/lKYTO
今すぐに 死ねばいいのに 牛恵ヲタ
337陽気な名無しさん:2008/08/01(金) 17:54:34 ID:QDH/lKYTO
死をもって 罪を償え 牛恵ヲタ
338陽気な名無しさん:2008/08/01(金) 17:57:40 ID:QDH/lKYTO
気違いに 惨殺されろ 牛恵ヲタ
339陽気な名無しさん:2008/08/01(金) 18:29:51 ID:QDH/lKYTO
牛恵ヲタ 車に撥ねられ 死んじまえ
340陽気な名無しさん:2008/08/01(金) 18:31:09 ID:QDH/lKYTO
牛恵ヲタ 食中毒で 死んじまえ
341陽気な名無しさん:2008/08/01(金) 18:31:46 ID:QDH/lKYTO
牛恵ヲタ ヤクザに刺されて 死んじまえ
342陽気な名無しさん:2008/08/02(土) 12:37:48 ID:Yex+02W+0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。



343陽気な名無しさん:2008/08/02(土) 12:38:43 ID:Yex+02W+0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。



344陽気な名無しさん:2008/08/02(土) 12:40:17 ID:Yex+02W+0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。



345陽気な名無しさん:2008/08/02(土) 22:33:50 ID:Yex+02W+0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






346陽気な名無しさん:2008/08/02(土) 22:34:52 ID:Yex+02W+0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






347陽気な名無しさん:2008/08/02(土) 22:35:30 ID:Yex+02W+0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






348陽気な名無しさん:2008/08/03(日) 08:55:21 ID:NAPxXYZ90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。







349陽気な名無しさん:2008/08/03(日) 08:56:27 ID:NAPxXYZ90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。







350陽気な名無しさん:2008/08/03(日) 08:57:24 ID:NAPxXYZ90
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。







351陽気な名無しさん:2008/08/03(日) 09:49:22 ID:BfQArYNPO
おもちゃ屋で バイブ万引き 牛恵ヲタ
352陽気な名無しさん:2008/08/03(日) 09:49:54 ID:BfQArYNPO
飯よりも バイブ大好き 牛恵ヲタ
353陽気な名無しさん:2008/08/03(日) 09:51:23 ID:3zNDgcDt0
ニュース速報板

はてなの住人が「正論」8月号に意見広告 「男性専用車両を!」
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1217657081/

痴漢でっちあげって怖いよね
354陽気な名無しさん:2008/08/03(日) 17:49:57 ID:BfQArYNPO
牛恵ヲタ 呪われ祟られ 無惨な最期
355陽気な名無しさん:2008/08/03(日) 17:51:46 ID:BfQArYNPO
牛恵ヲタ 末はコジキか ホームレス
356陽気な名無しさん:2008/08/03(日) 17:52:48 ID:BfQArYNPO
牛恵ヲタ 脳が狂って 強制入院
357陽気な名無しさん:2008/08/04(月) 16:36:11 ID:wlWGHBnr0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








358陽気な名無しさん:2008/08/04(月) 16:36:52 ID:wlWGHBnr0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








359陽気な名無しさん:2008/08/04(月) 16:37:25 ID:wlWGHBnr0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








360陽気な名無しさん:2008/08/04(月) 19:18:52 ID:wlWGHBnr0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。









361陽気な名無しさん:2008/08/04(月) 19:19:31 ID:wlWGHBnr0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。









362陽気な名無しさん:2008/08/04(月) 19:21:44 ID:wlWGHBnr0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。









363陽気な名無しさん:2008/08/04(月) 21:12:11 ID:wlWGHBnr0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








364陽気な名無しさん:2008/08/04(月) 21:12:37 ID:wlWGHBnr0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








365陽気な名無しさん:2008/08/04(月) 21:14:07 ID:wlWGHBnr0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








366陽気な名無しさん:2008/08/05(火) 19:55:57 ID:Wi+2LeFM0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








367陽気な名無しさん:2008/08/05(火) 19:56:25 ID:Wi+2LeFM0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








368陽気な名無しさん:2008/08/05(火) 19:57:57 ID:Wi+2LeFM0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








369陽気な名無しさん:2008/08/07(木) 13:02:29 ID:hNBhfFGp0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






370陽気な名無しさん:2008/08/07(木) 13:04:00 ID:hNBhfFGp0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






371陽気な名無しさん:2008/08/07(木) 13:06:25 ID:hNBhfFGp0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。





372陽気な名無しさん:2008/08/07(木) 19:45:00 ID:hNBhfFGp0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。





373陽気な名無しさん:2008/08/07(木) 19:46:29 ID:hNBhfFGp0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。





374陽気な名無しさん:2008/08/07(木) 19:46:59 ID:hNBhfFGp0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。





375陽気な名無しさん:2008/08/08(金) 15:48:09 ID:bdoaswwQO
牛恵ヲタ 死ねばいいのに 今すぐに
376陽気な名無しさん:2008/08/08(金) 15:49:27 ID:bdoaswwQO
脳味噌に 蛆が湧き出す 牛恵ヲタ
377陽気な名無しさん:2008/08/08(金) 15:54:30 ID:bdoaswwQO
牛恵ヲタ 三度の飯よりバイブ好き
378陽気な名無しさん:2008/08/09(土) 13:36:47 ID:SLlfUQZg0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。





379陽気な名無しさん:2008/08/09(土) 13:41:51 ID:SLlfUQZg0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。





380陽気な名無しさん:2008/08/09(土) 13:45:13 ID:SLlfUQZg0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。





381陽気な名無しさん:2008/08/09(土) 16:25:37 ID:SLlfUQZg0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








382陽気な名無しさん:2008/08/09(土) 16:28:14 ID:SLlfUQZg0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








383陽気な名無しさん:2008/08/09(土) 16:29:03 ID:SLlfUQZg0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。








384陽気な名無しさん:2008/08/11(月) 00:37:06 ID:iAOUo+lR0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。







385陽気な名無しさん:2008/08/11(月) 00:37:39 ID:iAOUo+lR0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。







386陽気な名無しさん:2008/08/11(月) 00:38:03 ID:iAOUo+lR0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。







387陽気な名無しさん:2008/08/13(水) 11:34:03 ID:q73ZqgdX0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。







388陽気な名無しさん:2008/08/13(水) 11:38:22 ID:q73ZqgdX0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。







389陽気な名無しさん:2008/08/13(水) 11:39:04 ID:q73ZqgdX0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。







390陽気な名無しさん:2008/08/13(水) 19:44:26 ID:q73ZqgdX0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。





391陽気な名無しさん:2008/08/13(水) 20:13:02 ID:q73ZqgdX0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。





392陽気な名無しさん:2008/08/14(木) 10:48:56 ID:vZezh9GV0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






393陽気な名無しさん:2008/08/14(木) 10:54:11 ID:vZezh9GV0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






394陽気な名無しさん:2008/08/14(木) 11:31:51 ID:vZezh9GV0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






395陽気な名無しさん:2008/08/14(木) 11:37:12 ID:vZezh9GV0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






396陽気な名無しさん:2008/08/14(木) 11:53:27 ID:vZezh9GV0
1975年3月 マッハ文朱が「花を咲かそう」でレコードデビュー。ジャンボ宮本に勝利し16歳でWWWA世界王者となる。
1976年2月 マッハ文朱が引退。ジャッキー佐藤とマキ上田がビューティーペアを結成しWWWA世界タッグ王者となる。
1976年11月 ビューティーペアが「かけめぐる青春」で歌手デビュー。
ビューティ・ペアが女子高生を中心に大人気となりブームが起こる。プロレス版宝塚とも言うべきイメージが作られ、
客層も一変する。1977年8月 ナンシー久美が「夢見るナンシー」で歌手デビュー。
1978年4月 ナンシー久美とビクトリア富士美のゴールデンペアが「ソーダ水の向こうに」で歌手デビュー。
1979年3月 トミー青山とルーシー加山のクイーンエンジェルスが「ローリング・ラブ」で歌手デビュー。
1981年2月 ジャガー横田がジャッキー佐藤に勝利しWWWA世界王者となる。ミミ萩原は池下ユミに勝利しオールパシフィック王座に就く。
1981年12月 ミミ萩原の「セクシー IN THE NIGHT」、デビル雅美の「燃えつきるまで」が同時リリースされる。
1983年5月7日 ジャガー横田がWWWA世界戦、髪切りデスマッチでラ・ギャラクティカに敗れ王座から転落。
1983年8月 長与千種とライオネス飛鳥がタッグチーム「クラッシュギャルズ」を結成。 1984年8月 クラッシュギャルズが「炎の聖書」で歌手デビュー。
1985年8月 長与対ダンプの敗者髪切りマッチが行われ敗れた長与はリング上で丸坊主となる。 1986年3月 山崎五紀と立野記代のJ.B.エンジェルスが
「CHANCE」で歌手デビュー。
1986年 女子プロレス人気に着目してジャパン女子プロレスが設立される。
1986年11月 長与がダンプに敗者髪切りマッチの雪辱戦で勝利する。
1987年4月 試合中の事故で宇野久子(後の北斗晶)が首を骨折。
1988年5月 堀田祐美子と西脇充子のファイヤージェッツが
「闘え!ファイヤージェッツ」で歌手デビュー。
1988年3月 北斗晶とみなみ鈴香の海狼組(マリン・ウルフ)が
「颱風前夜(The Eve of Fight)」で歌手デビュー。
1989年 クラッシュギャルズ引退後は冬の時代が訪れるもブル中野、
アジャ・コングらヒールレスラーが激しい抗争を繰り広げる。
1990年 ユニバーサル・プロレスリングの旗揚げ興行にアジャ・コング、
バイソン木村、前田薫、高橋美華が出場、女性ならではの俊敏な動きが
男子プロレスのファンに注目される。
1990年11月14日 ブル中野とアジャ・コングが金網デスマッチに挑む。
中野が金網の最上部からのギロチンドロップを放って勝利。
1991年1月 アジャ・コングとバイソン木村がジャングル・ジャックを結成し
ブル中野・井上京子組との髪切りタッグマッチで敗れ丸坊主になる。
1991年11月 井上貴子が「奇跡の扉」で歌手デビュー。カップリングには
豊田真奈美と三田英津子のミント・シャワーズの「TIME TO GO」が収録されている。
1992年7月 FMWのシャーク土屋とクラッシャー前泊が全女の興行に乗り込み挑戦状を叩きつけ、
団体対抗戦の機運が高まる。
1992年8月 山田敏代と豊田真奈美が敗者髪切りマッチを行う。敗れた山田は丸坊主に。
1992年9月 ブル中野と北斗晶がFMW横浜スタジアム大会に出場。かっての後輩である工藤めぐみ、
コンバット豊田組に勝利。これを機に、各団体に交流を呼びかける。
1993年4月2日 横浜アリーナで「全日本女子プロレス創立25周年記念 夢のオールスター戦」が開催される。
北斗晶対神取忍(この日から北斗は「デンジャラスクイーン」と呼ばれるようになった)の壮絶なファイトや、
セミファイナル中に夜中12時を超え、終電をなくして帰れなくなったファンが新横浜駅で夜明かしするなど、
伝説的な興行となった。
1994年11月 女子プロレス団体では初めて、東京ドームで興行を行う。
空席が半分以上あった。段取りが悪く、またも長時間興行となり、終電に間に合わない人が続出、
これを機に女子プロレスブームも終焉。
リレハンメル冬季オリンピックのアメリカ代表、トーニャ・ハーディング(英語)を
獲得すると宣言したことから話題を呼んだが実現はしなかった。
女子アマレス協会もこの興行に協力し、山本美憂、浜口京子らが出場した。
1995年7月 ダイナマイト・関西がアジャ・コングとのWWWA戦に勝利。赤いベルトが初めて他団体に流出する。
1997年7月 山田敏代がGAEA JAPANに移籍。アジャ・コングが8月の日本武道館での興行を最後に退団すると発表。
1997年8月20日 日本武道館での興行中に井上京子、玉田りえ、府川由美がフリー宣言。
これを端緒として経営不安が表面化する。






397陽気な名無しさん:2008/08/14(木) 13:09:09 ID:WOoERTFUO
他に面白コピペないのかしら・・・
398陽気な名無しさん:2008/08/17(日) 22:08:32 ID:y8Rt28NkO
夏休みなのねw
399陽気な名無しさん:2008/08/22(金) 18:04:04 ID:mfBxycmMO
牛恵ヲタ 死ねばいいのに 今すぐに
400陽気な名無しさん:2008/08/22(金) 18:09:16 ID:mfBxycmMO
牛恵ヲタ 夏の暑さで 死んじまえ
401陽気な名無しさん
牛恵ヲタ 末はコジキか ホームレス