1 :
83 :
2006/06/06(火) 16:12:12 ID:6T7+rQoA
2 :
禁断の名無しさん :2006/06/06(火) 16:59:20 ID:n4GaggMw
( ´∀`) _(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ /  ̄ ̄ ̄ ( ´∀` ) < 糞スレ大歓迎だお _(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ /
乙でーす☆>1
前スレ645の続き 「地域共同体」が十全に機能し、「大家族」で「農業」で 生計を立てていた時代には、「母親」という「役割」は、 「農業労働」と「家事労働」の「二重負担」を負う「子どもの 母親であるひとりの女性」に負わせるのは「無理」だから、 「共同体」のメンバーや必ずしも「女性」とは限らない「大家族」の メンバーが部分的に「委任代行」したり、あるいは「共同参画遂行」して、 「母親」という「役割」を「分担」、「家事労働」を「分業」していたわけです。 要するに、今の「企業労働」と「家事労働」の「二重負担」を 負わされているキャリア女性に対してより、サポート体制ははるかに 「マシ」なんです。 でも、これが「産業構造の転換、高度化」とそれによる「国内、国際双方の 労働市場における女性労働力の需要の高まり」で、「農村」においても 「都市」においても壊れた。「地域共同体」は「若年労働力」の 「都市」への流出で機能不全を起こし、「大家族」は「核家族」化する。 その結果が「少子高齢化」です。それへの対応は「国益」に関わる 「国策」でしかありません。 大沢真理にしても猪口邦子にしても「真っ当な保守」なんで、 「最低限」やるべきことをやっているだけです。それゆえ、 彼女たちの「近代」批判の不十分さ、を上野千鶴子が 新たな「問題」としている。そこに「セクシュアル・ マイノリティのフェミニズム」の問題も関わっているんです。 「『男』並みがフェミのゴールではない」というところで。
前スレ639と645も再掲しておきます。 639 :はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/07(水) 22:48:50 ID:emM8vayK こっちまだ書けるのかな?? 秋田の事件、母親失格をやたら強調する報道にうんざりだな。 母親とか母性とか神聖視するのって何なんだあれ。 処女を有難がるのと一緒??? 645 :quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/08(木) 13:38:03 ID:Zdss0guW >前スレ639 「母」という「親族呼称」と「母親」という「役割」を1対1対応させ、 「あるひとつのメスの身体」にその「役割」を「規範」として課す、 というのは、いつの時代でもどの場所でも行われていることじゃありません。 むしろ、そんなことしてることの方が少ない。「近代」に限定される現象ですね。 「役割」は「委任代行」できれば「共同参画遂行」もできます。 文化人類学研究、経済人類学研究にはそうした事例は多数ある。 日本の安定成長期までだって、「農業中心の産業構造」 「地域共同体」「大家族」が「母親」の「委任代行」「共同参画遂行」を 可能にしてきた。「地方」のみならず「大都市」でも「子ども会」の ような組織が、年少の女性の子育ての悩みを年長の女性が解消する、と いった機能を不十分ながらも果たしていた。 この社会がかつてもっていた、「農作業」という苛酷な「労働」と 「育児」「介護」や「調理」「洗濯」「掃除」といった「家事労働」の 「二重負担」を「ひとつの身体」に負わせる「無理」を避けるという 「知恵」を、戦後生まれの「団塊」からその直後あたりのとくに「男性」が、 自らはその「知恵」の「恩恵」を受けておきながら、「知恵」の 「継承」ができないままきたこと、そのため「知恵」の「継承」が 断ち切られ、それを「近代」批判というかたちで「フェミニズム」の 「輸入」、導入によって補わなければならなくなったこと、 そこにいわゆる「ジェンダーフリー」をめぐる「問題」の淵源があるんです。 「知恵」の「継承」を断ち切る「近代」に対する「批判」ができず、 「知恵」を「継承」して「懐かしい未来」をつくることができない、 「何もかもが新しい、だけどこれは見たことがある、知っている」という 光景をつくることが「団塊およびその直後の男たち」にはできない。 自分たちが「恩恵」を受け、そのおかげで「今、ここにある」、 そうした「知恵」の「懐かしさ」が「男女共同参画社会」にあることが、 理解できない。産業構造の転換、高度化によってその「知恵」を 必要とする「場所」が変わっただけのことなのに。 「母親」という「役割」を「委任代行可能」で「共同遂行可能」なものに 「再び」すること、それが「男女共同参画社会」の実現なんです。
今スレ
>>5 の続き
年長の子どもが年少の子どもの「子守り」をする、
これは「アンペイド・ワーク」「無償の家事労働」として
「分業」された「育児」です。
それを「有償化」し「ベビーシッター」という「労働」として
市場に乗せれば「育児」の「市場化」、「ボランティア」
「有償ボランティア」がその「役割」を担えば「育児」の
「社会化」です。
先進国が取った「少子化対策」は大きくわければ「市場化」と
「社会化」の2つで、少なくともそれで「歯止め」はかかった。
「育児」という「家事労働」を、「委任代行可能」「共同参画遂行
可能」なものに「再び」することで、なんとかもちこたえた。
しかし、それにより、「アメリカ国籍をもつ白人女性によって
ベビーシッターとしてロサンゼルスで雇われるフィリピン国籍の女性」を
めぐる問題が起きている。どこまでもいっても、「皺寄せ」は
「女性」に向かっている。そんななかで時折生じる「ベビーシッターによる
乳児虐待」を「2人の女性」間の関係に還元するのは間違いでしょう。
従来の意味に加え、デリダの言うような意味で「性的差異」の問題までを 含めた意味で economy 「経済」「節約」という言葉を用いるなら、 Personal is Political-Economical だということです。 従来の経済学 economics の不十分さの克服が evolutionary economics 「進化経済学」によって開始されていますが、それが economy を どう扱うのか、それはまだこれからですね。
9 :
禁断の名無しさん :2006/06/08(木) 18:54:51 ID:v6H4fp+U
>>前スレ645 前半の意識大きな間違い。 貴方の「近代」の期間に問題があるのかもしれませんが。 ま、同性愛板には関係ない話ね。
まるで「なんでもいいから今は嫌」と言ってるみたい。
11 :
禁断の名無しさん :2006/06/09(金) 09:59:27 ID:A9smTBhJ
同性愛の問題をフェミとかそういう下らない活動と一緒にしてほしくないわ。 同性愛者の中でも不遇をうけてるからってみんなまとめてブスにしないでちょうだい
>>10 前スレ583さんの
583 :禁断の名無しさん :2006/06/04(日) 04:35:38 ID:FoHwAagU
モノに名を与えるのが人間という生き物の必然ならもう話はおわりじゃない?
については前スレ584で、
584 :quarante-deux ◆42FM9sGQ4o :2006/06/04(日) 16:45:26 ID:b3MXTyrM
>583
>583が「問い」であるなら、「話はおわるかどうか」を「問う」ものであるなら、
とりあえずの「答え」をレスとしてここに記すことができるでしょう。
でも、それが>583さんの「信念の表明」であるなら、「『もう』話は
おわるはず、おわらなければならないはずなのに、『まだ』おわってないのは
ヘンだ、おかしい、愚かだ、等々」、あるいは、「話は『もう』おわるはずなのだから、
話を終わらせろ」という「要求」「命令」であるなら、どうして
「話はおわるはず」なのか、その「道筋」「プロセス」をもう少し丁寧に、
僕も含めたスレの参加者のみなさんに、説明なさる方がよろしいかと思います。
で、どちらなのでしょう?
とおうかがいしたわけですが、前スレ583を「問い」として受け取った場合の
僕のとりあえずの答えはこうなります。
「区別」は必ずしも「差別」ではないし、「差別」化された「区別」は新たな「区別」により
「区別」に戻すことも可能である、ということではないかと。そしてそれもまた
「モノに名を与える、与えてしまう」という「人間という生き物」の「必然」に由来する
「人間という生き物」の「必然」であると。
「人間という(他の生物より優れていると信じている)生き物」は「生物進化」の end
「目的」「終わり」ではなく、「人間を超えていくもの」が「人間」のなかにいる。「必然」として。
したがって「生物進化のプロセス」=「話」は続く、続いてしまう、そういうことではないでしょうか。
これがミシェル・フーコーが『言葉と物』の最後で「人間は波打ち際の砂の顔のように
自らを消していくだろう」と言い、ブランショ論である「外の思考」の最後の文章で、
「だが言語が起源と死の相互的な透明性として露呈されるならば、いかなる人間といえども、
『私は話す』 je parle というこのただひとつの明言のうちに、みずからの消滅の、
みずからの来たるべき出現の脅威的な約束を受け取らない者はいないのである」と述べる、理由です。
この「外」というのは「今、ここにある『なんでもいい』『いつでもいい』『どこでもいい』場所、時空」のことです。
anything ,anytime , anywhere 。「なんでもいいから今は嫌」というのは、「生物進化のプロセス」のなかにある、
途上にある「生物種としての人間」が、「話す」「書く」という「行為」において必然的に口にしている「言表」です。
つまり、
>>10 さんは
> まるで「なんでもいいから今は嫌」と言ってるみたい。
と「話す」「書く」ことによって「なんでもいいから今は嫌」と自分もまたおっしゃってると
僕は思うのですが、それに気付いていない、というか、気付いていて「否認」なさっている。
「なんでもいいから今は嫌」というのは、「生物進化のプロセス」のなか、途上にある
「人間という生き物」「生物種としての人間」が必然的に「話す」「書く」ことによって
「言表」してしまう「言表」であって、「話す」「書く」という「行為」が行われているなら、
そこに必ず響いている、ゆえに、聞こえる「言表」です。「人間」を「生物種」としてみた場合、
「なんでもいいから今は嫌」と言っていない「人間」はいない、ということです。したがって、
「まるで〜言ってるみたい」なのではなく、「確実にそう言っている」、「人間」であるはずの
>>10 さんも。
ちなみに、この「生物進化のプロセス」のなか、途上にある「生物種としての 人間」が必然的に「話す」「書く」ということで何を語ろうと、何を書こうと、 それと同時に「言表」してしまう「なんでもいいから今は嫌」という 「言表」それ自体を指して、このスレで使われ続けてきた言葉が「モニョリ」です。 現在、このスレには少なくとも2つの類型の「生物種としての人間」がいます。 「自らが『モニョリ』を口にしている」という事実を認める「生物種としての人間」と、 「自らが『モニョリ』を口にしている」という事実に気付きながら、その気付いている ということ自体を「否定」することで、「自らが『モニョリ』を口にしている」という 事実を「否認」しようとしつつ、結局、その「否認」を「話す」「書く」という 「行為」によって遂行することで、「モニョリ」を口にしてしまっている、 「言表」してしまっている「人間」。 ジャック・ラカンならここに「性的差異」を置き、前者を「女性」、 後者を「男性」とするところでしょうね。あるいは、前者を「言語」、 後者を「人間」として、「言語は人間に寄生する」なんていうかもしれない。 チャールズ・サンダース・パースによれば「言語」と「人間」は「共進化」の 関係、つまり、「共生」にあるのではないか、ということになるのだけれど、 それを「寄生」と言ってしまうところにラカンの「存在論化されたミソジニー」を みることはできるかもしれませんね。「言語=女性を『寄生者』として嫌う人間=男性」。 これは前スレで述べた、「インターセックス」をめぐる「身体」の「位相」と 関わる問題で、あそこではふれませんでしたが、「アクチュアリティ」「バーチャリティ」 「リアリティ」「ポッシビリティ」はそれぞれ無限のグラデーションをもつわけですが、 それゆえ、「アクチュアルな男性器」をもつ「リアルな身体」と「バーチャルなインターセックス」を もつ「ポッシブルな身体」と「バーチャルな翼」をもつ「ポッシブルな身体」という 自らの「身体」の「重層性」と、テクノロジーによる「徴発」 Gestell の可能性の 程度によって、その「強度」を考えることができるのですが、ラカンはこの 「重層性」の頂点に「アクチュアリティ」と「リアリティ」の無限の度合いとして 「人間=男性」の「身体」を置き、「それ以外」を平板に「死」、引用符つきの死、 として扱っているんじゃないか。その結果、「言語」は「シニフィアン」「シニフィエ」で 説明され尽くすことになる。「文学」は、この「死」の引用符をはずす営みで、 たとえば、カフカの「動物」を考えてみると、どうなるか、それがドゥルーズ=ガタリの 『カフカ マイナー文学のために』ですね。 なぜ、このスレが「ジェンダー論」なのかという理由のひとつ、 それはそこにラカンのこの「存在論化されたミソジニー」が 関わるからなんじゃないでしょうかね。で、僕はこの「ミソジニー」は 価値概念としての「近代」において「構築」されたものであると考える。 それが今から100万年前であろうと、この「存在論化されたミソジニー」の あるところ、それを「近代」と呼ぶことができる。あるひとつの歴史概念としての 時代のなか、たとえば「中世」のなかで価値概念としての別の時代は 「出現」しては「消滅」を繰り返し、別の時代への「入り口=出口」をつくる。 この「入り口=出口」としての「近代」は確かに「歴史を超えて」「いつの 時代にも」存在しうる。しかし、それは「生物種としての人間」の歴史のすべてが この価値概念としての「近代」に「平板に」覆われてきた、ということではない。 歴史概念としての「近代」のなかには価値概念としての別の時代が「入り口=出口」として 「出現」し「消滅」している。たとえば、その「入り口=出口」のひとつが このスレだったり、あるいは、ギンズ+荒川の「養老天命反転地」や 「三鷹天命反転住宅」だったりする、そういうことじゃないか。あるいは、 「ヘテロセクシュアル」の「身体」、「セクシュアル・マイノリティ」の 「身体」もまたそうした「入り口=出口」たりうるし、その「身体」において 「入り口=出口」は「出現」と「消滅」を繰り返している。 「なんでもいいから今は嫌」と言い続けることは、「今を愛する」こと、 「今の自分を肯定する」ことと決して矛盾せず、それが「創発」としての 「自由」につながる、ということでしょうか。「今を愛する」「今の自分を 肯定する」ことと「不自由を甘受する」ということが「同じ」なのは、 「近代」の「人間=男性」だけです。
14 :
禁断の名無しさん :2006/06/09(金) 20:49:48 ID:KE6pq78F
「なんでもいい」ってわけじゃないでしょ? 普通は。
>>14 ええ、このスレでも「ジェンダー」と「セクシュアリティ」に関して、
という限定はついてます。ただ、「変化」の「結果」がわかってから
「変化」する、ということはないわけです。なにもかもがわかってから
「書く」ということがなく、「知」と「非知」とのあいだで「書く」ように。
なぜ、「モニョ」るのかがよくわからなければ、「なんでもいい」となるでしょうし、
このスレではいろいろ話していますので、その「なんでもよさ」が少しばかり
減ってもいるわけです。サッセンが国連とともに、やっているグローバルな
プロジェクトとかね。あるいはインターセックスに関して、関連団体が
やろうとしていることとか。
そういうのを「見たくない」者にだけ、相変わらず「なんでもいい」と
見えるだけです。
前スレ624の「身体」の話はなにもおかしな話ではなく、 どうして「性別再判定手術」が可能であり、そんなものが 存在するとみんなが「了解」可能なのか、ということを 説明しているにすぎません。前スレ624は、誰もが「知っている」ことです。 「知っている」が「気付いてはおらず」、「言語化」もされていないこと、と いうのはいくらもありますし、それを「言語化」することで変わることも いくらもあります。 なぜ、「男性」は自らの「身体」に「性別再判定手術」が行われ、 「インターセックス」となることを恐れるのか、が問題ですね。
自演乙。
>>6 >産業構造の転換、高度化によってその「知恵」を
>必要とする「場所」が変わっただけのことなのに。
俺は自分ではけっこう保守派だと思っていたんだけど、
ここでフェミ系の話をしてるだけで、
「左派」とか「ラディカル」とか「リベラル」とか言われがちなことが
すごい不思議なんだよね。
突き詰めて考えると、すんげありきたりというか、古臭いことを言ってる気がして
自分的には照れくさいと思うことも多々あるのにw(「共生」とか)
「母親」という役割を、あるていど共同参画遂行できてる人だっているよね。
夫がいたり兄弟姉妹がいたり舅姑がいたり実家の両親がいたり、さ。
でもあの容疑者は育児を分かち持ってくれる人は誰もいなかったんでしょ。
なんかねえ……
モザイクでインタビューに答えてる中に、むかつくコメントが少なくなくて、
イラついちゃってー
>前スレ643(395さん) >マウスにも子育ての上手な家系と下手な >家系があって、下手な家系の子どもを上手な家に里子に出すと、 >その里子のマウスが成長して自分の子どもを生んだときには、 >自分がそうされたように面倒見よく上手に子どもを育てられるように >なっていたのだそうです。 へえ、「育児能力」なんて言い方を聞いたことがあるけれど、 学習できるんですねー?
>>10 「なんでもいいから今は嫌」ってどういう意味????
「なんでもいいけど今は嫌」なら分かるんだけど。
>>18 「知恵」の継承が断たれた原因のひとつは「戦争」ですね。
そして、その「知恵」の「断絶」が継承されている。たぶん、30年おきくらいに。
「従軍慰安婦」を「戦地」で「利用」した「父」の「息子」である
「団塊およびその前後の世代」は、「革命慰安婦」を「バリケード」の
なかで「利用」したわけですが、さらにその「息子」である「全共闘ジュニアと
その前後の世代」にも、「知恵」の「断絶」が継承されている。
「戦後」処理の問題なんです、これも。そして、「革命慰安婦」として
「利用」された「女性たち」からリブがはじまり、「知恵」の
「断絶」を「輸入」された「フェミニズム」で「回復」しようとした、
というのも、今ではわかりにくくなっているし。「フェミ」が「サヨ」批判として
始まったことが忘れられている。
「断絶」ってのはよく判る感覚だなー 単純に世代闘争へと置き換えられて 問題点が曖昧になりがちなんだよね
>>18 「懐かしい未来」を構築するための「過去」の「知恵」の「反復」ですから、
「古臭いこと」を言うのは、当然のことです。それを「新しいこと」だと
思っている方が妙です。
「性教育」にしたって、かつては「筆おろし」なんて言葉があったわけで、
「学校」ではない「地域共同体」のなかで、現在からみればもっと
「過激なかたち」で行われていたわけですよね。「若衆宿」だとかも。
年長の男性や同級生から自慰を教わるなんてそんなめずらしいことじゃ
なかったんで。森繁久彌なんかもエッセイでそんなこと書いてた。
「性」に関して「過敏」「ナーバス」になってるのも、上に挙げた
「知恵」の「断絶」を継承する世代の、これは「女性」も含めて、
特徴でしょうね。「ジェンダーフリー」をめぐる騒動を見てると
隔世の感がある。たぶん、「性」と「罪悪感」が他の世代よりも
結びつきやすいんでしょう。「従軍慰安婦」「革命慰安婦」を思い出すから。
その「トラウマ」を「非モテ」は継承してるのかもしれませんね。
いつのまにやら同性愛に限らずモニョル人のためのスレになっちゃったのね。 残念だわ。最初の方は有意義だったのに。
フロイトの理論と第1次世界大戦は密接に結びついていて、 たぶん、それをラカンの理論と第2次世界大戦が「反復」している。 日本も「戦争」を通じて「精神分析」を必要とする世代が現れた。 しかし、幸か不幸か、「精神分析」は他の先進国のように制度化されるには 至らなかった。香山リカや斎藤環はそのフォローをしている、という感じでしょうか。 『ぷちナショナリズム症候群』や『戦闘美少女の精神分析』で。 ラカンに関してはあの「論理」の「美しさ」が、労働規範としての「ジェンダー」や 「インターセックス」の「手術」を「必然」化し、「正当」化するのだとしたら、 その「論理」は「精神分析の倫理」以外の「倫理」たりうるのか、そこが問題ですね。
今スレでフーコーの「外の思考」にふれ「言語と死」について 書いたわけですが、タイミングよくちくま学芸文庫の 『フーコー・コレクション2』が出て、「外の思考」をはじめとする フーコーの「文芸批評」がまとまって読めるようになりました。 かつて朝日出版社のエピステーメー叢書でバタイユ論、クロソフスキー論と 合わせて『外の思考』として出版されたあとは、筑摩の言論集成でしか 読めなかったものが、とりあえず文庫化されたというのはよろこばしい。 コレクションのなかにはエピステーメーのフーコー追悼特集号「死の閾」に 翻訳、掲載された「J・P・リシャールのマラルメ」も入っています。 その文章でフーコーがとりあげているリシャールの『マラルメの想像的宇宙』も 一昨年、原書公刊から40年以上の時間を経て、邦訳されました。 「言語」と自らの「セクシュアリティ」との関係を考えるヒントが 多数鏤められた星雲のような書物。「読む」という「行為」と 「セクシュアリティ」との関係についてもまた、いろいろと 考えさせられます。両者を併せて読むのをおすすめします。
>>21 「性」いわゆるセックス、性行為、への男たちが感じる後ろめたさは、
「従軍慰安婦」の問題とかに関わる「ある世代」の存在、意識というのは
実はすごく大きいんですかね???
(性行為としての)セックスって、昔は、もっと大らかだったと思うんだけど
昨今の「倫理」の締め付けは一体どこから来るんだろう?と
ちょっと疑問なんだよね。
>>28 「戦争」から始まる「世代」の「反復」の問題はあるような気がしますね。
で、締め付けは社会の「学校化」の一側面でしょうね。背景にあるのは、
ケータイの普及と出会い系サイトの発明による社会の「ハッテン場」化の
急激な進行です。いつでもどこでも誰とでも。なので「不純異性交友」の
取り締まりが強化される、ってことなんじゃないでしょうか。
「校則」の「社会化」というか。だいたい、「学校」ってほうっておけば
「ハッテン場」になるわけで、だから少女マンガでもドラマでも物語の舞台にできる。
「学校化」の問題って、改めて考えてみるとデカイすね。
>>6 とか読んで、まっすぐに思い浮かんだのは「学校化」「エスカレーター式」
「トップダウン」で縦の形なんですよ。横の形じゃない。
そのね、「不純異性交遊」「発展場」の、上年代が下年代を性的に搾取すると考えた場合、
従来からあった「年功序列」と「学校化」が組み合わさって、
よけいに酷くなってるんじゃないか????って気がする。
>>29 だいたい、「学校」ってほうっておけば
「ハッテン場」になるわけで
そうかしら。ウサギみたいね。
>>28 にあるように
>(性行為としての)セックスって、昔は、もっと大らかだったと思うんだけど
であるならば昔はもっと乱れてたかといえばそうじゃないでしょ?
昔はだかが恋愛ごときに大騒ぎしなかったんじゃないかしら。
つまり考えることが個人の幸せというちっぽけなスケールじゃなかったような
気がするのね。だからある意味セックスするのに大義名分が必要なかった。
だけど今より乱れてなかったのは、そんなことで頭をいっぱいにしてる
ような人も多くなかったってことかしら。
保守
日本民間放送連盟の放送基準第77条 「性的少数者を取り上げる場合は、その人権に十分配慮する」 だとさ。 | \ |Å`ヽ ダレモイナイ・・・ オドル チャンス |⊂ | ♪ A 性的多数者を取り上げる場合は ♪ / \ その虚構性を充分配慮しる! ヽノ´Å`;ヽノ ( へ) 人間を取り上げる場合もだお! く | \ |Å・ヽノシ イソイデ ニゲヨウ | |
ホッシュ
>『犬がある日かわいい犬と出合った。・・・そのまま「やっちゃった」、・・・これは罪でしょうか』 この一文、つい、エロ広告として読んでしまう…。 興奮しちゃうじゃないのよ、もうっ。 エロ宣伝メールに引っかかるかたの気持ちが、ちょっとわかった気がしたw
「川崎市人権施策推進基本計画(骨子)」パブリックコメント募集
ttp://conservative.seesaa.net/article/19202634.html 性的マイノリティの人権尊重には反対する。
性同一性障害者の人権尊重といっても、現実にそのような人は僅かしかない。
そのような障害を持った人が出た場合にケースバイケースで対応すれば済む話である。
例外的な性的マイノリティに配慮して、「男らしさ、女らしさ」を否定する教育を行うことは断じて許されない。
同性愛も同様である。同性愛は社会的タブーであり、これは健全な規範意識である。
男女の愛を大事にするところから家庭が築かれ、親子の愛が育まれる。
同性愛を容認すれば、意図して同性愛を選択する者が出てくるだろう。そうなったら男女関係から成り立つ家庭は崩れてしまう。
同性愛の人権尊重は必要ない。日本国憲法は「両性」の合意による結婚を規定しており、同性愛を認めていない。
同性愛者の人権尊重施策を行いたければ、憲法を改正してからにすべきだ。性的指向の自由も断じて容認すべきでない。
教育に持ち込むことにも反対である。
>>37 その中で、もっとも不思議に思うのは、
>同性愛を容認すれば、意図して同性愛を選択する者が出てくるだろう。
の部分なんだよね。
同じ理屈で、
「「ジェンダーフリー」を認めれば、「オトコオンナ」「オンナオトコ」だらけになってしまう」
ってのもあるよね。何なんだろう??
ロンゲに化粧して可愛いもの好きな男でも、男は男じゃん??
坊主刈にパンツスーツきめた竹を割った性格の女も、女じゃん??
みんな、そんなに、普段から「オトコオンナ」「オンナオトコ」になりたい、
同性を愛したいと思ってんのかな??
たかだか、「性的マイノリティの人権を尊重」したり、
「ジェンダーフリー」が広まっただけで、
「男女関係から成り立つ家庭が崩れる」のを心配しなきゃならないほど???
「性的マイノリティの人権を尊重」したり「ジェンダーフリー」が広まるだけで、
男女の愛を大事にした家庭は崩壊し、親子の愛は育まれなくなるっての???
ちっとおかしくね??
>>37 はスルーしようと思ったけど…。
>>38 はくタン
実はあたし、それ、一理あると思ってるのよね。
>同性愛を容認すれば、意図して同性愛を選択する者が出てくるだろう。
現在容認されてないから、意図して同性愛を選択できない者がいる。
ってことでしょ? その通りだわ。
>「ジェンダーフリー」を認めれば、「オトコオンナ」「オンナオトコ」だらけになってしまう
これ、「オトコオトコ」や「オンナオンナ」が、強制されてなければ成り立たないものだって
白状してるんでしょ?
「男女の愛を大事にした家庭」とされたものが、支配被支配の構造のピースに過ぎないと
気付かれたら、崩壊してしまうこともあるんじゃない?
規範を擁護しようとして、自分から規範は虚構にすぎないと白状してるような。
>「男女の愛を大事にした家庭」 こんなもん伝統的な日本の家族観とは別物。
>>38 PACS が導入されたフランスでも、同性婚が認められたオランダでも
そんなことにはなってませんね。なので、日本でそうなるとしたら、
それは「異性愛者の異性愛嫌い」の問題です。みんなそんなに
「異性愛」を「選択せざるを得ない」がゆえに「いやいやながら、
意図的」に選んでいるんでしょうか?
だとしたら、まず「国家」により「人権侵害」を受けているのは
「異性愛者」だということになります。「同性愛者になる権利」が
「侵害」されている。
社会契約論と立憲主義のおさらいをするまでもなく、
「国家」が「個人」の「人権」を保障するのは当然で、
「人権」は「権利のゼロ度」「義務なき権利」です。
だから「基本的」なわけで。「人権」は「国家」に
「保障してもらう」ものではない。個人が別の個人に
対してふるいうる「暴力」を「委託」した結果、
「最大最強の暴力装置」と化した「国家」に対して、
「国民」は「人権」を「保障させる」べく「憲法」をつくる。
「憲法」は「禁止事項」ではなくて「権利章典」です。
そして、そこに書かれたものだけが「人権」として「保障」されればよい、と
いうことではない。それ以外にも「保障」されるべき「人権」は
存在します。「同性愛者の権利」というのはそうした「人権」です。
「人権」とは「暴力装置としての国家」から「保障を獲得するもの」で、
「与えてもらうもの」ではない。それは「与えてもらうもの」ではないが
ゆえに「剥奪可能でないもの」であり、可能なのは「国家」による「侵害」です。
女性の選挙権や黒人の公民権が「保障を獲得」してきた歴史を見てもわかるはずです。
そして、「マイノリティの人権」に関して「マジョリティ」は何も言うべきことを
持たない。「マジョリティ」は「マイノリティ」に「人権」を
「与えてやれる」存在でもないし、「剥奪できる」存在でもないですから。
「人権」は「国家」から「与えてもらうもの」ですらない。「国家」には
ただ「人権」を「保障」する「責任」があるだけです。「国民」は「国家」に
「人権」を「保障させる」ことはあっても「保障してもらう」ということはない。
「マジョリティ」というのは「自らが国家を代表できると思っている者」ですが、
「理念」としての「国家」をいかなる「個人」も「集団」も「代表」できませんし、
「日本」「アメリカ」といった「現実」の「国家」ですら、「理念」としての
「国家」の「代表」はできない。ゆえにある「現実」の「国家」において、
「人権侵害」が存在するのであれば、その「国家」は「理念」としての
「国家」として「失格」であり、「現実」の「国家」はその「理念」としての
「国家」に照らして、さらなる「人権保障」を行う必要がある。
そして、その「失格」をイエローカードとするかレッドカードにするかを決定できる、
というのが「国民主権」というものです。そうでなければ、「主権」は「国家」に
あることになります。なので、論理的には「国家」に対する「抵抗権」が
憲法に明記されていなければ「国民主権」というのは意味をなさない。
そのへんが現在の日本国憲法にしても曖昧なわけですね。植木枝盛のように
「抵抗権」はおろか「革命権」まで明記する、それでやっと論理的には矛盾がなくなる。
「国家」に「退場」を命ずることができる、それが「国民主権」で、
これは「国民」が「国民国家」の「領域」内におさまらない「市民」 citizen で
あるところに由来する。サッセンやバトラーが近年「グローバルな市民権」を
問題とするのはそのためですね。サッセンの最新著のタイトルは、
Territory・Authority・Rights ですが、この「テリトリー」「領域」は
もちろんドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』から取られている。
>>37 のリンク先の方が「国民主権」を否定すれば、行政の決定に対して
反対意見を述べようとしている自らを否定せざるを得なくなります。
それならば、唯々諾々と行政の決定に従えばよい。そして、自らが反対意見を述べることを
「国民主権」と考えるのであれば、論理的には「国家」に対する「抵抗権」を
認めているのと同じになります。行政の決定に「抵抗」している
わけですから。そして「国民主権」としての「抵抗権」はすべての者に
「ある」か、それとも「ない」かのどちらかです。俺にはあるが、
おまえにはない、というものではありません。
リンク先の方はたぶん「無意識の左翼」なんじゃないかと思いますね。
で、どういうわけか、それを「否認」している。行政の決定に直接
「抵抗」することのない僕なんかより、はるかに「左翼」です。
「国民主権」を「否定」する「非論理的な国民」というのが「右翼」の定義です。
それは自分が「国家」を「代表」でき、「自らの他者」に「人権」を「与えてやれる」
存在であるかのような「妄想」を抱くことでしか、「自己のアイデンティティ」を
「構築」できないほどまでに、「国家」により「人権侵害」されている「国民」であるわけですが、
実は現在では「左翼」もそう変わらない。「右翼」が「自らが代表可能なもの」であると
信じているのが「現実」の「国家」であるのに対して、「理念」としての
「国家」を「自らが代表可能なもの」であると信じているのが「左翼」で、
で、これはいずれもたいてい「男」なわけです。前者は「日本」を「代表」し、
後者は「世界共和国」を「代表」する。つまり、いわゆる「ウヨ」「サヨ」
対立は「にせの問題」で、双方が「現実」の「国家」に生きる「マイノリティの人権」の
「獲得」を妨害する「マジョリティ」である、ということになります。
マス・メディア、とりわけ出版メディアしかなく、「革命」に現在よりも
まだリアリティのあった時代には、「左翼」は「マイノリティの人権」の
「獲得」のサポーターたりえたけれど、「冷戦」崩壊、ネットの出現以降はそうはいかない。
「現実」にしろ、「理念」にしろ、「国家」を「代表することが可能」な「個人」や「集団」がある、と考え、
そうなることにしか「男」の「幸福」がないこと、それが問題なわけです。
「マイノリティの人権」をめぐって問題なのは、今回の例でもわかるように
実は、すでに行われている「マジョリティ」に対する「人権侵害」で、
前にこのスレで定義したように、「他者が自らの他者を歓待し、享受し、愛し、ともに
望む生き延びを生きる権利」を「人権」であるとすれば、「〜になる権利」と
いうのが「剥奪」されていること、「異性愛者が自らの他者としての同性愛者を
享受する権利」を「侵害」されていることが、なによりもまず問題なのであって、
はくタンの疑問はそこに由来する。「意図的に選択する」というのは「職業選択」などのように
「権利」のカテゴリーであって、それを「マジョリティとしての異性愛者」って
「侵害」されてるの? ってことになる。「同性愛者になる権利」を
「侵害」されてるの? ってことに。だったら、どうして「国家」による
その「権利」の「侵害」を問題にしないのか。それは、「侵害」の事実を
「否認」せざるをえないまでに「権利」を「侵害」されている、と
いうことを意味する。
したがって、「マジョリティ」の新たな定義は「自らの人権を侵害されていることに
無知かつ無関心な男、ウヨであれサヨであれ」となります。そして、そうした者が
「マイノリティの人権」に対してなすべきことは「沈黙」と「承認」の
「反復」以外にありません。「マジョリティ」はいかなる「マイノリティ」に対しても
「人権」を「与えてやれる」存在ではありませんし、また「日本」のような
「現実」の「国家」ですらそうした存在ではない。もちろん、「理念」としての
「国家」もそんな存在ではない。「自らの他者」に「人権」を「与えてやれる」
存在になりたがり、ということは、「剥奪することもできる」存在になりたがり、
それによってしか「自己のアイデンティティ」を「構築」できない「男」の「脆弱な健康さ」、
これは「オス」だけでなく「メス」にも「感染」する「脆弱な健康さ」ですが、
それをどうするか、それがドゥルーズ=ガタリが「マイノリティになる」という言葉で語った問題です。
>>40 明治以降の話ですね。キリスト教における「恋愛」が
「殖産興行」の推進と同時に普及する。
>>43 補足
最終行の「マイノリティになる」の前に、「女になる」を追加します。
>>37 および
>>38 のはくタンの問いからわかるのは、「男性のホモフォビア」が
「男性のヘテロフォビア」とそれに対する「否認」により
「構築」され続けている、ということですね。
「否認」の機制は、「男性のミソジニー」にもある。これは
「男性の自分嫌い」しての「男性のミサンドリー」とそれに対する
「否認」により「構築」され続けている。
で、これ、ぐるぐる回っている。「男性のヘテロフォビア」って
「男性の女嫌い」つまり「男性のミソジニー」でそれは、
「男性の男嫌い」つまり「男性のミサンドリー」と
それに対する「否認」によってできあがっていて、
でも、「男性の男嫌い」って要するにそれが「否認」されれば、
「自己嫌い」ではなく「投影」され「他者嫌い」に転化するので、
要するに「男性のホモフォビア」で、それは「男性のヘテロフォビア」と
それに対する「否認」でできがっていて、といった具合に「否認」を
オートポイエティックに「永久化」できる仕組みになっている。
それが「貨幣」を「資本」に変容させるのに不可欠の「労働力所持者」という
「種族」の「永続化」を可能にする。
その「ホモフォビア」と「ミソジニー」からなる「男性のホモソーシャリティ」が
「モノガミー」という規範を通して、女性、非ヘテロにも「感染」することで、
「カテゴリー」としての「セクシュアリティ」は成立するので、女性、非ヘテロは
それぞれに異なる「ホモフォビア」「ミソジニー」を「構築」し続け、
これまた、規範としての「ジェンダー」の再生産「労働」に従事することになる。
「男性」が自らが「去勢されうる存在」であるということを
「死に向かう存在」である、ということに短絡させず、
「自分嫌い」を「否認」するのではなく克服して、「自分好き」に
なってくれると、ずいぶんとコストを安く押さえた社会改革が
できるんですね。「女性」をはじめとする「子ども」「高齢者」
「動物」「植物」「無機物」etc.の「非理性的存在」を自らが
重層的に「潜在」させていることを「楽しむ」ことが、
「理性的存在」たれ、という命令が下されている「近代」の「オス」たる
「男性」にはできない。それらを「非理性」と「排除」し続け、「脆弱な自己」を
「維持」することでしか「生」を獲得できない、そこに「近代」における
あらゆる「差別」の「根源」がある。ミシェル・フーコーが生涯、「狂気」と
「排除」の主題を手放さなかったことを、思い出す必要があります。
このスレに「電波浴」に来る「脆弱な理性的存在」もいるわけですね。
で、それに関しては、たとえば、このスレとしては、
ttp://d.hatena.ne.jp/Backlash/ および『バックラッシュ!』なる新刊書籍を話題にしたり、
おすすめしたりするのが、一見ふさわしく思われもするんですが、
で、確かに、上野千鶴子のインタビューをはじめとして、
宮台真司、斎藤環、小谷真理ほか、によるインタビュー、文章は
このスレと関係するし、それはそれで悪くはないんですが、にもかかわらず、
あまり話題にする気にはなれず、むしろ最新刊では
郡司ペギオ-幸夫 『生きていることの科学』 講談社現代新書
エミール・ブレイエ 『初期ストア哲学における非物体的なものの理論』 月曜社
ロラン・バルト 『〈中性〉について』 みすず書房
を、新刊予告されているものでは、
アブラハム、トローク 『狼男の言語標本』 法政大学出版局
シャルル・フーリエ 『愛の新世界』 作品社
スタフォード 『ヴィジュアル・アナロジー』 産業図書
なんかを、新刊にこだわらなければ、
岡崎乾二郎 『経験の条件』 筑摩書房
岡崎乾二郎、松浦寿夫 『絵画の準備を!』 朝日出版社
ディディ=ユベルマン 『残存するイメージ』 人文書院
郡司ペギオ-幸夫 『生命理論』 哲学書房
マテ‐ブランコ 『無意識の思考』 新曜社
バルトルシャイティス 『バルトルシャイティス著作集』全4巻 国書刊行会
を、読んで、自分の「身体」について考える方がヘテロであれ非ヘテロであれ、
「楽しい」し、その「楽しさ」が何かにつながっていくのではあるまいか、と
思ったりします。その「楽しさ」を「楽しむ」ための条件もまた、「人権」として
「保障」されるべきもののはずですが、「国家」により幾重にも「侵害」されている。
ここでは、男女板や社会学板が『バックラッシュ!』をめぐって陥るであろう、
上記の書物リストを読み、考える「楽しみ」と「幸福」とは無縁な展開とは
別の展開があってもいいんじゃないか、という気がするわけです。
ゲイ・サイエンス、「悦ばしき知」の板として。
岡崎やディディ=ユベルマンの、そして何よりもバルトルシャイティスの、
書物にあふれる図版を眺め、その図版をめぐる文章を読み、
自らの「身体」について考えることを「楽しむ」。これは「複製技術時代」における
「大衆」の「楽しみ」です。それを「楽しむ」権利を「侵害」されている「男たち」がいる。
自分が「大衆」であると考えているか、宮台のように自分を「亜インテリではない真のインテリ」であると
考えているかに限らず、「人権侵害」を受けた「男たち」がいる。
>>37 のリンク先の文章なんてそうした「人権侵害」に対する「告発」文書だとしか
思えません。なぜ、私はバルトルシャイティスを「楽しむ」ことができないのか?
「バックラッシュ」言説はたいていそうした「告発」文書ですし、「バックラッシュ」批判言説は
その「人権侵害」に無感覚だったりする。宮台真司が上記の『バックラッシュ!』の
インタビューで述べていることはきわめて「正論」なんですが、これが「魅力」に欠ける。
「宮台真司」になりたい、と思う「文化官僚志望のパターナリスティックな男の子」にしか「魅力」がない。
僕は冗談抜きで、アイロニーなしで、ロラン・バルトの文章をフランス語で、
ヴァルター・ベンヤミンの文章をドイツ語で読んで「楽しむ」ことができるというのを
「保障」すべき「グローバルな人権」として、制度構築を考えれば、
現在の世界において、存在するあらかたの社会問題は解決する、と思っている。
『零度のエクリチュール』や『ドイツ悲劇の根源』『暴力批判論』
『複製技術時代の芸術作品』じゃなくて、『現代における神話』や
『パサージュ論』、あるいは、『彼自身によるロラン・バルト』や
『ベルリンの幼年時代』を、原書で読んで「楽しむ」。もしかすると、
僕が読めない言語で彼らのと同じような文章は存在するかもしれないけれど、
それならその文章でも別にいい。彼らの「大衆文化」「複製文化」をめぐる文章や
自伝的な文章を原書で「楽しむ」権利を「グローバルな人権」とし、
「保障」する。整備しなければならない制度は、経済、教育、社会保障を
はじめとして多岐に渡るけれど、現在の予算で十分なはずです。
そして、バルトを、ベンヤミンを原書で読み、「楽しむ」という「行為」の
「反復」がつくる「政治制度」において、 Undoing Gender が行われる。
そして、この「人権」はまだ僕にも十分に「保障」されてはいない。
「楽しむ」というのは jouir 、enjoy つまり「享受する」ということで、
バルトやベンヤミンを「他者」が「享受」する「他者の他者」=「彼」として
遇する。決して「他者の他者」は「私」に短絡しない。「歓待の掟」は
「私」が「私」に命じている。クロソフスキーが演じるオクターヴが
ドゥニーズが演じるロベルトを客人に「生きた貨幣」として贈与するように、
「私」がまだ十分に「楽しむ」ことができていないバルトをベンヤミンを、
「私」は「あなた」に贈与する。誰かがいつかどこかで
「私」に贈与してくれたのと同じように。
姐さんにはブログ書いて欲しいわ
50 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/06/27(火) 22:56:55 ID:oSyOrVHN
うーむ。政治とか「人権」とかの部分は分かんないw
でも
>「意図的に選択する」というのは「職業選択」などのように「権利」のカテゴリーであって、
>それを「マジョリティとしての異性愛者」って「侵害」されてるの?ってことになる。
>「同性愛者になる権利」を「侵害」されてるの?ってことに。
そーなの。そう言ってるようにしか思えないの。
本当は「同性愛者になりたい」と思っているんだけども、
「男女の愛を大事にした家庭が崩壊しないように&親子の愛を育む」為に、
自分たちは頑張っているんだ!!と言ってるようにしか。
そんな意に染まない「頑張り」で、はたしてどこまで、
「男女の愛を大事にした家庭」や「親子の愛」を維持できるんだろう。
>>37 によると、
本当の欲望(=同性を愛したい)を押し殺して無理やり異性を愛してるって事なんだから、
それだけでも、かなり大変だと思うんだけどね。
なんか、ノンケさんたちテラカワイソス(´・ω・`)……
>だったら、どうして「国家」によるその「権利」の「侵害」を問題にしないのか。
>それは、「侵害」の事実を「否認」せざるをえないまでに
>「権利」を「侵害」されている、ということを意味する。
俺は、「否認」てよりか、単に「何も気づいていないバカ」くらいにしか
思ってなかったw
「バカ」はあんまりかなw だったら「ニブチン」くらいでw
>>39 >自分から規範は虚構にすぎないと白状してるような。
だよね。
つか
>>37 を読んで怒らないノンケはどうかしてんじゃね?と思うよ。
異性のパートナーと心から愛し合い、家庭を作り、親子愛を育んでいるのに、
それは実は嘘っぱちですから、と言ってんだからさ
>>37 は。
51 :
禁断の名無しさん :2006/06/29(木) 18:46:47 ID:D8lKfbht
保守
革新
ttp://macska.org/article/140 >ゲイとフェミニズムが共闘できるかと問われれば、ミソジナスでないゲイとなら、と私は答えます。
>ミソジナスでないゲイという存在を、私は想像することができません。
>ミソジナスでないゲイとは、男性性を美化しないゲイということになりますが、お目にかかりたいものですね。
そのとぉーりっ。
たまには的を射たこと言うねぇ。
どこがさ?
『バックラッシュ!』398ページの「みっつめの論点は」から始まる文章を
全部引用すれば、リンク先も含め、このスレでも見られる
「単純な誤読」は避けられる。そうした「単純な誤読」は、
ド・マンのいう「誤読」、事後において「責任」の発生する
「誤読の自由」とは何の関係もない。
「ジェンダー」が近代における「規範」であり、それが「ミソジニー」を
「本質」としている。その「規範」と無関係に「構築」される「身体」はなく、
その「規範」と無関係に「構築」される「セクシュアリティ」もない。
したがって、すべての「セクシュアリティ」はそれぞれの「ミソジニー」を
解消する必要がある。
「ジェンダー」が「ミソジニー」を「本質」とするからといって、
「構築」されたある「セクシュアリティ」におけるある「ミソジニー」が、
「本質化」されるのは誤りである。これは「ホモフォビア」についても同様。
ゲイやトランスジェンダーが自らのカテゴリーに特有の「ミソジニー」の
解消を行うことが「原理的に不可能である」とは、398ページで上野千鶴子は言っていないので、
ゲイというカテゴリーにおける「ミソジニー」が解消されていない現状においては、
「男性性を美化しないゲイは存在しない」、と主張することの何が問題なのか、
僕にはまったくわからない。「共闘」が行われるということと、「ゲイが自らの
カテゴリーに特有のミソジニーを解消、克服する」ということは、論理的に同値である、と
いうだけのことだから。そして、その際に、「規範」としての「ジェンダー」の
解体が必要であり、それによる「本質」としての「ミソジニー」の解消と、
ゲイというある「セクシュアリティ」に特有の「構築」された
「ミソジニー」の解消とは、平行する。それだけのこと。
「ジェンダー」の「本質」である「ミソジニー」の解消無しに、
「セクシュアル・マイノリティ」のカテゴリーの多数性を
主張しても、それではそれぞれの「セクシュアリティ」の固定化を
通じてのあるカテゴリーに特有の「ミソジニー」の温存と
それによる「規範」としての「ジェンダー」の強化にしかならない。
「セクシュアル・カテゴリー」の多数性が「セクシュアリティ」の
多様性と混同されている。
その結果、「バックラッシュ」派は「フェミニズム」を「モテない女の
ひがみに由来するセクシュアリティの相対化」だと芸もなく繰り返す一方で、
「アンチ・バックラッシュ」派が「バックラッシュ」を「ダメ男の開き直りによる
ジェンダーの本質化」であると揶揄する展開となる。それはそれでやりたい者がやればよい。
しかし、僕は別のことをする、というのが、
>>48 です。
>>56 訂正
>それぞれの「セクシュアリティ」の固定化を通じての
は、
それぞれの「セクシュアリティ」の「本質化」と
それぞれの「セクシュアル・カテゴリー」の固定化を通じての
に訂正。
>ジェンダー秩序がなければ、同性愛も存在しないし、トランスセクシュアルも存在しない。 >だからこそ、ジェンダー秩序の解体が、共通の目標になりえます。 >それを日本語で「男女平等」と呼ぶのがどうしていけないのでしょうか。 上二行は認めるわ。ただ、それがどうして最後の行に繋がるのかが、解せないのよねえ。 ジェンダー秩序の解体は、ジェンダーの解体をなくしてはありえないでしょ? もともと、秩序づけて支配被支配の構造を固定化させるための装置がジェンダーだから。 ジェンダー秩序って言い方もおかしいわね。 ジェンダーは、性に付与された、秩序そのものよ。 男も女も、ジェンダー秩序の狂信的な信奉者であるから、男であり女なわけでしょ。 それで男女平等?どうしてそこに「男女」が付くわけ? 平等を否定した支配構造のために設定された概念が、男、そして女。 男女と平等、相反する言葉を重ねちゃって。変なのー。 ただの「平等」でいいじゃない。 …上野千鶴子は、ミサンドリーとミソジニーが足りないと思うの。 彼女には「男も嫌い。女も嫌い。あんたが好き」とは言えないと思うの。 せいぜい「男だけどあんたが好き」かしら。 リンク先で上野さんが今回言ってることと、その目的には、否定的じゃないのよ。 でも「男女平等」はどうかと思うの。
言いたいことがあるならリンク先のブログに書き込めばいいのにー
>>58 >「男も嫌い。女も嫌い。あんたが好き」
と言うには、「近代」のすべてのセクシュアリティが
「嫌っている」負性を帯びた「女」に「なる」、ということが必要なので、
いぬまわりさんの違和感はわからなくもないんですが、
「女」だからという理由で、稼得能力の育成および稼得機会が
さまざまに制限され、生き延びが制限される状況(『にごりえ』の
お力の置かれた状況です)において、「男も嫌い」と言うことを
「反復」するには、「男女平等」という「理念」が
まずは必要、ってことなんじゃないかと思いますけどね。
「男も嫌い、女も嫌い」って「男のミソジニーも嫌い、
女のミソジニーも嫌い」ってことで、これ、「あんたが好き」に
たどりつくには、当然のことながら「ゲイのミソジニーも嫌い、
ビアンのミソジニーも嫌い、トランスのミソジニーも嫌い……」と
続くわけでしょ? このスレの発端となった、タチとネコのあいだに
発生する「モニョリ」って「ゲイのミソジニー」と「ゲイのホモフォビア」の
問題なわけで。
問題は、「女のミソジニー」を嫌って「女も嫌い」というときの
「女」と、「近代」のセクシュアリティが無意識のうちにつねにすでに
さまざまに口にしている「女が嫌い」というときの「女」とは別なのに、
これがたいてい混同されてしまっている。
その混同を回避するには、「女が好き」と言える状況がとりあえず
必要だ、ってことなんじゃないかな。「女に生まれて喜んでくれたのは、
菓子屋とドレス屋と女衒と女たらし」とかじゃ、そうは言えないから。
「シングルの女」の「生き延びの可能性」を「シングルの男」程度までに
とりあえず上げる、そうした「生き延びを制限された者=マイノリティ」としての
「女」に対する「女のミソジニー」の解消を「男女平等」という、と。
で、これが「マイノリティ嫌い」の解消と「同時」に行われる必要があるんですが、
この「同時」って構造的に「同時」で、歴史的にはズレが出る。
それが「非モテ」問題でしょう、おそらく。そして、それに関しては
「メンズリブが必要」で、それは「あたしのやることではない」、と
上野千鶴子は言う。「男男格差」は「男同士の絆」をぶっちぎって
解決してね、と。
ごきげん伺いに保守りにきたら大丈夫だった☆
「生き延びさせられる」のと「生き延びる」のとは違うわけですね。 現在、過去、未来において「生き延びを制限された者」が 「男」に突きつけ続けるのは、「おまえは生き延びているのか?」という 問いで、「男」がその問いに対して、「生き延びさせられている」という 事実を「否認」するかたちでしか答えられないがゆえに、 さまざまな「差別」が「近代」において存在し、「男性」の「身体」も 含め、すべての「身体」に「生き延びの制限」が課され続ける。 その帰結が、年間数万人を数える中高年「男性」の自殺、です。 「構築」されるさまざまなセクシュアリティにおいては、 まず「ヘテロ」が優位に置かれ、「非ヘテロ」と対立しながら、 自らをメタレベル、「非ヘテロ」をオブジェクトレベルとする セクシュアリティのシステムを形成し、さらに「ヘテロ」は、 「男性」をメタレベル、「女性」をオブジェクトレベルとする ジェンダーのシステムを形成し、そこに「モテ」をメタレベル、 「非モテ」をオブジェクトレベルとするモノガミーの システムが加わり、この3つのシステムがカップリングされながら、 「近代」における規範としての「ジェンダー」を再生産、維持してきたけれど、 その3つのシステムすべてに破綻が生じている。 メタレベルに置かれ、「本質化」されたものの「自然さ」の「不自然さ」が 問われており、「ヘテロ」「男性」「モテ」がそれぞれにその「構築性」を 問われると「同時」に、「非ヘテロ」「女性」「非モテ」の「構築性」も 問われている。それがある「身体」の「生き延びの制限解除」につながるか、 viable になるか、そこが問題。
「バックラッシュ」派の男性および女性の「妄想」に対しては 「現実」を語ればそれでいいんじゃないでしょうか。 「男女共同参画社会基本法」の成立とそれによる gender-equality の実現、 女性の社会進出支援とエンパワーメントは、別に「日本」一国の問題ではなく、 「女性の人権」という「国民国家」の枠を超えた「グローバルな人権」を めぐる30年余りの国連の活動によるものである、ということを まず押さえておく必要があります。 1974年を「国際女性年」と定めて以来、3月8日の「国際女性デー」には 事務総長が「女性の社会進出とエンパワーメントの実現」を呼びかけることが 慣例化し、国連のサイトで gender-equal 、gender-equality で検索すれば わかるように、その方針に従ってさまざまな活動が行われてきたし、 現在も行われている。 つまり、「女性の社会進出とエンパワーメント」という「目的」を 実現しようとすること自体を「秩序破壊」であると主張し、 それを「ナチ」「ポル・ポト」等の「凡庸な政治的レトリック」で 語るのであれば、まずはそれを「国連」に向けて言うと同時に、 そこから脱退する覚悟が必要だということです。 脱退する覚悟なしに、「バックラッシュ」派の言説を「日本政府」が 公式見解として国連で主張すればどうなるか。「人権侵害国家」の レッテルを貼られて終わり、です。短期的なダメージはたいしたことは ないでしょうが、長期的には経済的なダメージも受ける。それは「国益」に 反する。そうした政策決定に関する国際的な「政治過程」を考えずに 「男女共同参画社会基本法」の「成立」における「男性官僚」によるサポートは ありえない。それは gender-equality が実現すると困る「国際競争力を欠いた ヘタれ負け組保守男」とは違う「国際競争力を有するデキる勝ち組保守男」の選択にすぎない。 まあ、後者の「デキる」も「妄想」ならぬ「幻想」である可能性はありますが。 このスレでも繰り返し言ったことですが、「基本法」はなんら「革新」でもないし、 「社会主義」「共産主義」とは何の関係もない。「真っ当な保守」による 「真っ当な保守主義」の産物です。なので、まず2つの「保守男」集団の 対決、「ヘタれ保守男」と「デキる保守男」の対決がなされるべきでしょう。 宮台は『バックラッシュ!』でああいうことを言うなら、「デキる保守男」代表で そこまでやってくれるとありがたいんですが。 「男女共同参画社会」を実現する「手段」をめぐってなら、 「議論」は「日本」国内で完結しますが、それを実現するという 「目的」を「否定」する「議論」を行うのであれば、 それは「国連」との対決を余儀なくされる。ユニラテラリズムに 走り、同様にバックラッシュが生じている現在の共和党政権下の アメリカでさえ、「国連」脱退の経済的デメリットの 計算を行い、その選択を留保している現状で、「日本」に「脱退覚悟」の 対決ができるのか。「バックラッシュ」派がそこまで覚悟しているなら、 それなりのものだとは思いますが、「バックラッシュ」批判側が 「バックラッシュ」の現状を各国に知らせ、さまざまなところから 「国連」に報告が届き、勧告のひとつでもなされれば、次に起こるのは 「日本政府」VS「バックラッシュ」ですかね。僕は「強い男」は嫌いではないので、 「バックラッシュ」が「ヘタれ保守男」によるものではないことを 証明するためにも、「バックラッシュ」言説の担い手である「男たち」および それを支持する「議員たち」が、「国連」と対決してくれることを期待します。
>>39 >>50 つまり、「崩壊」に最も手を貸しているのは、
>>37 のような「言説」を
流通させる者だということなんですね。ところが、それを「否認」し、
「フェミニズム」「ジェンダーフリー」のせいにする。
>>37 のような「言説」を流通させる者が、既存の規範のもとで
「抑圧」し、その「抑圧」の事実を「否認」し、「排除」している
「欲望」が、何よりもまず、規範の解体を押し進めるんです。
「排除」された「欲望」は「回帰」を「反復」し、規範にもはや
ふさぎようもなく取り返しもつかない「穴」を開ける。
にもかかわらず、
>>37 のような「言説」を流通させる者は
ふさぎようのない「穴」の開いた既存の規範を「表象=代表」しようとします。
するとどうなるか。その者の「主体」にふさぎようもなく取り返しもつかない「穴」が
開き続けることになります。自分で自分の「アイデンティティ」を
不安定にしながら、それを「自らの他者」のせいであると
しているわけです。これはメルロ=ポンティがとりあげた
「自らが相手をぶっていながら『ぶたれた』と泣く子ども」を
彷彿とさせますし、前にこのスレでも引用した、斎藤環が「ひきこもり」と
「ネット言説」に共通するものであると考えるメラニー・クラインの
「妄想-分裂態勢 paranoid-schizoid position 」と「抑鬱態勢 depressive
position 」を想起させる。
ttp://sapporo.cool.ne.jp/sigmundfreud/klein.html ちなみに先にレスで挙げたマテ・ブランコの本はこのメラニー・クラインの
「対象関係論」を論理的に再構成したもので、前にスレで挙げた中沢新一の
「カイエ・ソバージュ」シリーズにおいても、マテ・ブランコ(マッテ・
ブランコ)は重要な役割を果たしています。
これは当然のことですが、たとえば、同性愛者によってカミングアウトが
行われた場合でも、そのカムアウトを「聴解」し「承認」することと
なった「異性愛者」は、「異性愛」を「選択」し続けることは可能です。
そして、そのときに、別に「同性愛」を「選びたい」のに「我慢」して
「選択」する者ばかりではないでしょう。実際、僕は現在、カムアウトしている
知人が何人かいますが、彼らはみんな「家庭」をもち、子どもを育てている。
家族や友人にカムアウトして、そのひとびとがアクチュアルに「同性愛者」になる、
なんてことはないわけです。
これが僕がいわゆる「同性愛者のカミングアウト」に続いて行われる
「ノンケのカミングアウト」、「ノンケ」という「セクシュアリティ」を
「選択」し直す、ということで言っていることで、どうして自分は
「ノンケ」という「セクシュアリティ」を「選択」しているのか、
ということの答えが、「イヤだけど規範だから」ではないようにすることが、
「被差別者」に対する「差別」「排除」の解消につながる以前に、
ある者が自らが「ノンケ」であることを、
>>37 のように「ノンケである」=「同性愛ではない」と
「同性愛」の「否定」を通じてしか「肯定」できず、絶えず自らが「同性愛ではない」ことの
「確認」「証明」を「反復」しなければならない「不安」から解放し、たんに「ノンケである」ことを
ことを「肯定」できるようになる、ということがあるわけですね。
それが
>>37 のような「言説」を流通させる者にはできないんでしょうが、
そんな「不自由な身体」ばかりじゃないんです、たんなる確認可能な事実として。
「ケ」を「ノン」で「否定」し、「ノンケ」と言わなくてもよくなる。
そもそもこの「ノンケ」という言葉の成り立ちが、規範の存在を
指し示しているわけで、かつては「同性愛者」は「ケ」を「ノン」することの
「無理」を「身をもって」知っていたわけです。僕なんかはまったく
その「無理」を感じることなく、雑誌メディアやフーコーなんかのおかげで
悩まずにすみましたから、そこにも隔世の感はあるでしょうね。
というか、「ケ」のない「男性」というのは「理念」的存在で、
僕にはそんなものがいる、とは思えない。自分の経験からして。
それだったらまだ、「ペガサス」や「ユニコーン」の方が
存在する可能性が高いんじゃないかと思う。「クィア」というのは
「ノンケ」の「理念」性を照らし出す言葉でもあるわけですね。
queerness のない「身体」って規範によって「理念」化された「身体」な
わけです。idea 「理念」「理想」としての「身体」。
規範の解体の帰結は、おそらく現在「バイ」と呼ばれているものが
もはや「バイ」と呼ばれる必要がなくなり、フーリエのいう
「愛の新世界」を開く、といったところなんじゃないかと、
僕は自分の経験から思いますけどね。あえていえば、みんな
それぞれに「トランス」である、と。フーリエの『愛の新世界』がカリフィアの
『セックス・チェンジズ』を出した作品社から出る(本年8月予定)のは、
むべなるかな、って感じです。
66 :
禁断の名無しさん :2006/07/07(金) 22:56:22 ID:tLgQEOHH
90年代のはじめに「過去最低の出生率」という報道をはじめて聞いたとき、 「男」のための子造りの道具であることを拒絶する「女」が増えてきたことだと、 男社会の「社会性」に拠らずとも、「女」は「女」を肯定も否定もせずに 存在できるように、やっとなってきたのだと希望的観測をしてしまった。 そのとき… >その混同を回避するには、「女が好き」と言える状況がとりあえず >必要だ、ってことなんじゃないかな。 …こんな段階はもう過ぎたと思った。 平塚らいてうタンのいた時代で終了していても良かったはずよ。 国連の言ってることも、そんな段階はとうに過ぎてるでしょ? 過渡的な状況は、いつまで続くのだろう。
>過渡的な状況は、いつまで続くのだろう。 過渡的な状況が「終わる」と思ってるのね。 そらモニョる罠。
>>67 その「状況」は「過渡的な状況」じゃなくて、「あんたが好き」と
いうための「超越論的条件」です。言い換えれば、「人権」は
いつもつねにすでに「剥奪」されている。「反復」する
「パフォーマティヴ」でかろうじて「生き延び」を分捕る。
だから、サッセンの権利論には、「テリトリー」「領域」
「縄張り」という言葉が出てくる。
「終わる、終わらない」というのは「にせの問題」です。
「そのつど始めては終わらせる」そうした「行為」の連鎖としての
「自由」があるんじゃないでしょうか。
70 :
f u n w a k a :2006/07/08(土) 07:51:55 ID:cArIFpmV
戦後左翼に牛耳られてしまった教育界やマスコミのせいで日本の近代史は暗 黒に塗りつぶされ、男も女も誇りを持てる人生にはほど遠く、男の本質、気 概気力は完膚無きまでに貶められてしまった。女は己の能力の差と違いを認 めず性差別にその根本をすり替え、男を敵対視する。日本男児においては精 子の数さえ減少してしまい、この国には妻子を養う事ほど遠く、自分でさえ 養うことも危ういプータローや引き籠もり併せて一千万人近くもいる。戦後 の悪しき男の骨抜き教育の弊害をもろに受け、男の気概、男の力、男の強さ、 男の自信、を若者から消し取り去ってしまったのだ。若者よ!青年よ!男が そんな有様で、女を惚れさせる事が出来ると思うか!? 女を守り、女に安全と安心を与え、女を従え、女を娶り、女に子を産ませ、 死ぬほどの快感を与え、女を心底惚れさせ、男に尽くさせる!!それが出来 てこそ!男の甲斐性!と言えるんだぞ!!女に、真にモテル!というコトは、 女をとことん惚れさせる事が出来てこそ!なのである!!『 男が真に女に モテる 』、という事は、「男が幸せな女を作れる 」という事である。 女をとことん惚れさせるには、愛で包み安心と安全を与えた上に、死ぬほど の快感を与え何年もかけて性感のレベル、段階を引き上げ続け、頂上まで連 れて行く力量が男に有ってこそ!女は、その男に心底惚れてしまう。若い男 達よ!一度で良いから、一人の女をとことん女をオマエに惚れさせて見ろ! !惚れさせて、燃えさせて、オマエのハートに酔わせ、身体に狂わせて見ろ!! 「女とはかくもかわいいものよ・・・」そう実感出来てこそ、男の愛も力も 活力も相乗効果として倍加してくるんだぞ。とことん女を惚れさせることが できる男。 そんな男が増えることを望んでいるのは、恋愛(セックス)マ ニュアルの女性読者だけでは無い!全世界のオンナが望む事なのだ。 参考HP:恋愛マニュアル
>>68 >>69 補足。
>>67 での「過渡的な状況」というのは、
女性のエンパワーメントがとりあえず必要な状況だけを指しています。
>「そのつど始めては終わらせる」
始まってさえいない状況のまま延々と足踏みし続けてるでしょ?
いいかげんにしな、のろま。
あ、ほら。のろま発見→
>>70 表現の仕方は極端だけど、この主張の中心は極端な見解ではない。
ていうか。42さんが
>>63 で書いてることを、乱暴にまとめれば
「付き合い切れない。のろま。>>足踏み連中」では…?
73 :
禁断の名無しさん :2006/07/08(土) 12:24:38 ID:JBLixA2a
>>72 (いぬタン)
>付き合い切れない。のろま。
あたし、もう間もなく、すごく具体的な誰かに、こう思ってしまう気がするわ。
74 :
83 :2006/07/08(土) 12:25:21 ID:JBLixA2a
あ、忘れてた。あたしよあたし。
このスレの過去ログってどこかにうpされてないんでしょうか? 勉強になるので読んでみたいのですが
>>76 ありがとうございます!
少しづつ読みます
>>63 >僕は「強い男」は嫌いではないので、
>「バックラッシュ」が「ヘタれ保守男」によるものではないことを
>証明するためにも、「バックラッシュ」言説の担い手である「男たち」および
>それを支持する「議員たち」が、「国連」と対決してくれることを期待します。
俺も、それ見たいかも……w
>>64 うん分かります。
>>37 みたいな事を言う人に
>>50 を直接言ってみたい。激しく言いたい。
どんな反応が返ってくるだろう。。w
>>67 いぬまわりさんは、そこの間をひゅーって飛んでってるんだよw
世の中の人って思ったより遅いよ。俺が見積もって10倍遅い。
いぬまわりさんが見積もったら100倍かもよw
>>73 キャーーー それ俺にだったら「思う」んじゃなくて「言って」ほすい……
79 :
f u n w a k a :2006/07/09(日) 00:27:29 ID:amzC+mcc
>>71 のろまとは何事か!!!
私の恋愛体験に基づいての異性への愛情表現や性の本質、知識を多くの男女に参考
にしてもらう目的でHPを開設しました。 ところが、HPの運営を始め数々の相
談を受け続けているうちに、私に会って色々と教えてほしいという女性からメール
が届くようになりました。そしていつしかHPを作った当初には考えてもいなかっ
た事ですが、読者の女性と会って直接愛と性の指導をする事となりました、、、。
男性に対しての心のあり方、持ち方、表現の仕方、愛情表現が女性の幸せにとって
最も大事な事で、その事を色々な角度から何度も指導し続けます。多くの男が本質
的に好む女性の言葉遣い、気の使い方、身のこなし、、化粧、服装、髪型etc&
c.、、独り言22にも書いているように、異性に好かれ、男性にモテル女性に変
身させる。それがユートピアでの指導の基本です。
愛と性に傷ついたり、異性とのコミュニケーションの取り方が解らない女性、性的
に幼い女性、オーガズムを知らない女性、そのような女性に愛と性を理解させ、オ
ーガズムを教える、 そして恋愛や人生を刺激的に楽しく生きてゆけるように心と
身体の指導をしています。
もう17〜8年は前になるでしょうか。 大勢の若い女性がいい歳をしたオヤジの元で共同生活を送っ
ていて、心配した女性の親が「子供が拉致誘拐されている!」と警察に訴え出、中年男性が任意同行を
求められ、警察の取り調べを受けるという事件が有りました。この事件のあらましは、中年男性の元に
何故多くの若い女性ばかりが集まってしまったのか? なおかつ、集まった女性達全員と中年男性とが
性的関係を持っていたという事で、当時の新聞テレビや週刊誌に大きく取り上げられ世間の注目を浴び
ました。この事件で明るみになったのは、この団体は、『 千石イエス 』という中年男性を教祖とす
る、キリスト系らしきカタチを取った、『 イエスの方舟 』という宗教団体でした。
80 :
f u n w a k a :2006/07/09(日) 00:28:06 ID:amzC+mcc
古今東西、新興 宗教の起こりは必ず一般世間からは奇異な有様が見受けられます。 往々にしてその行動様式教義には 一般社会とは相容れないモノが随所に見られるし顕れるからです。【 鰯の頭も信心から 】 昔から 言われる、宗教に深入りする人達の理解不能な心理状態を表す言葉です。このイエスの方舟でも、信者 は若い女性のみ、しかも一人の中年男と全員が性関係を持ちながら宗教で言う出家状態で、あまりにも 普通の宗教の形態とは違っていたのでです。しかし、若い女性とはいえ未成年者ではなく、皆が成人し た女性で男に強制されていたわけでも無く自らの意思で性的関係を結び集団生活を送っていたのですか ら違法性は何もなく、程なく千石イエス氏は釈放されました。過剰な報道が続いたこともあり、その特 異性ゆえか、結局イエスの方舟は女性信者7人だけが残り千石イエス氏を教祖としての宗教団体として 固まったようで、九州のどこかでスナック形態をとっての生活を維持してたようですが、2〜3年前に 千石氏が亡くなり、その後残された女性達と団体はどうなったのか。 またも似たような事例が注目を浴びています。一人の中年男の元に若い女性ばかりが集まりハーレムの ような共同生活をしていた様子。今回の場合は宗教団体の様子は無いようですが一人の中年男の元に若 い女性が多く集まりしかもその全員と性的関係を結んでいるというカタチは、イエスの方舟、と同じで す。但し、今回の場合、千石氏と少し違うのは怪しげな催眠法(おそらく完成されたものではないでし ょう)を使ったりした事と、(まあ、宗教も有る意味では最も効果的な催眠法なのですが)脅迫も有っ たようで、そのへんでの逮捕拘留となったようですが、同じなのは、殆どの女性は自らの意思でこの団 体生活を送っているという事実です。女性自ら独りの男を集団で付き合っているという事実、何故こう した事が起こり得るのか。世のお母さん方、お父さん方に深く考えて欲しいと思います。
81 :
f u n w a k a :2006/07/09(日) 00:29:29 ID:amzC+mcc
世間一般の殆どの男達は彼女や奥方の執拗な嫉妬に悩まされ閉口し続けているというのに、何故にこん な正体不明のツルッパゲオヤジが10人以上の若き女とのハーレム生活が出来うるのか不思議に思われ るでしょう。おそらく、「あんなトコに集まる女なんだから余程変わったキ印に近い女達だろう」とい う事で結論づけるのがオチ、、人は自分の理解の範疇を越えた現象には、自分達とは違う世界、違う人 種だと結論づける事で、自らの、世間や人への狭い理解力を認めなくて済むからです。私には、千石氏 や今回の男が魔術や宗教を駆使したわけではなく、一般的な女性の心理を深く理解出来ているからこの ようなカタチになってしまったのだと解ります。何故多くの普通の若い女達が世間とは違ったカタチを 承知しながら一人の男を愛し共有しあえるのか。 その因子は【 父性 】です。 父の愛、です。 お そらく千石氏も今回の男も、大きな父性を持つか、その力を駆使していると思えます。 温かく、広く 、どのようなわがままも許してくれる父性。但し、時には手をあげる強さ厳しさを持つ強い愛の父性。 その絶対的な信頼を得られる強い父性を持つ男からの強い性愛を受ける。。。今の人生にとまどいと苦 しさと圧迫を感じている女性にとっては、それは他には考えられないほどの安息の場所、それを失う事 に比べれば嫉妬を我慢する方がたやすいほど、、、。一人二人なら嫉妬も先鋭的な対象となるが、五人 、六人、それ以上となると、嫉妬も分散霧のごとくなってしまう女の不思議な心理。 いずれにしても、宗教で有れ催眠法であれ、どのようなカタチであろうとも、例え女性が自ら望んだ結 果であろうとも、女性をコントロールできるほどの父性を備えた男が己の欲望追求のみで女性の人生の 一部を停滞させたり欠落させるのは、法律に犯せず罪と罰の対象とならなくとも犯罪行為に等しいと私 は認識している。年輩者が若き芽を育て、花開かせ、熟させ、若い者の未来を輝かすための捨て石とな っても、決して芽を摘む事は許されない!女性が強くなったしまった現代においても心身共に心優しく か弱く傷つきもがいている女性が少なからず存在する。
82 :
f u n w a k a :2006/07/09(日) 00:30:32 ID:amzC+mcc
そうした女性にとっては何もかも受け止め包ん でもらえる存在の(本来は親がこの位置で娘を包んでいなければならない)男が現れれば例え他にも大 勢の女の存在が有ろうとも、その温もりの中でこそ自分の価値と存在が実感できる温かい場所となる。 それが今の辛い生活、辛い生き方から解放され、救われる場所となり、他では得られない安らぎの場所 となる。そうして集まってくる女性達の将来のための指導、そのためにこそ普通の者とは違った生き方 で築き上げた人間理解術を駆使し、明日の明るさ幸の為の指導をしてほしいのだが、、、報道される限 り今回の男にはそれは望み薄のように思える。。。。様々な人生で色々な傷を負っている女性もあろう 、致し方ない場合も有るとは思うが、集う全ての女性の十年後、二十年後が幸多くなるための父性の愛 、指導であって欲しいと願う。また、その意思無くして、【 己が欲望のための人心掌握術 】 を使 い、若い女性の青春を食いつぶすなら、犯罪性が証明できなくとも一生塀の中から出してはいけないク ズ男だという事だ。 最後に、私funwakaも、千石イエス氏や今回の中年男と同じく、『 若い女を弄ぶアヤシキオヤジ 』に見られる面もあるようです。その辺の事については、独り言、のページ、 下部からのリンクで 、【独り言6】、の最下段の文章 【 更新 82 04.5.20.ユートピアやホームページでの アドバイスで私がしている事はカルト宗教やマインドコントロールとは正反対、その解説 】で、詳し く述べていますので読んで頂きたいと思います。 HP:恋愛マニュアル
ふ〜んバカ
フンバカ久しぶりだな。もう同板はあきらめてたと思ってたのにw
このバカ社会学板や哲学板のジェンダースレもバカコピペで廃墟にしたよね 気持ち悪すぎ
>>66 リンク先の彼の頭には、女には「主婦になる」か「ヒモを養う」かの
二者択一しかない、ってことでしょうか。
「女性の社会進出」というのは、「誰かが誰かを養うために過労死せずにすむ」
社会をつくりましょう、ということなんですがね。「誰かを養ってやらなければ
ならない」ってのがもう時代錯誤です。
「誰かが誰かを養う」システムの崩壊は年金システムの崩壊に見られます。
世代間での支え合いである「賦課方式」による国民年金も、企業福祉の
中心をなす厚生年金もともに保険料の未払いでシステムとしてはもう持たない。
「女性を自立させない」社会は「男も自立できてない」社会です。
だから「老いる」ことが「苦」にもなる。
千石イエスの「父性」は「シオンの娘」のひとりにこう言わせる。
>「主体性というのは、自分をどれだけ大事にできるかということ。親に言われたり、
>世間がそうだからと言って流されて結婚しちゃうのは、自分が希薄だからです。
>私たちは自分の幸せを真剣に考える。そうすると、自然に他人がなくなる。
>他人の壁をなくして相手のことをどれだけ親身に思えるか。大切なのは、
>他者の中に自己を見ることなんです」
彼が亡くなっても、「シオンの娘」は「自立」できる。それぞれに女たちは
「自立」している。「共同生活」をするからといって「自立」ができない
わけじゃない。「自立」というのは現在の生活における「人間関係」からの
「離脱可能性」に関わる問題です。それを千石氏は「シガラミは
断たなければならない」という言葉で語る。
ttp://home.att.ne.jp/sigma/satocantik/colum/200101.html で、これは別に一人物の類稀なる「父性」に頼らなくても
十分可能なことですし、「シガラミ」からの「離脱可能性」、
「自立」は「女性」にだけ与えられる「特権」ではない。
「経済的扶養」であれ「性的快楽」であれ、「男が女に与えてやり続ける」
ことでしか自らの「脆弱なアイデンティティ」を維持できない社会において、
そうした「女性への依存」からの「自立」が必要なのは「男性」です。
イエスの方舟の記事を書いた記者は、千石氏が「父」となることで新たに
「共依存」関係、「シガラミ」をつくってしまったのではないか、
ということを、「『父』の役割から逃れることはできなくなったのでは
ないだろうか――。」と千石氏にも問いかけているけれど、
これは疑問としては妥当でしょう。必要なのは、「共依存」の「切断」を
「反復」することですね。
現在の福祉NPOは「弱者救済」から「自立支援」へと転換しつつあるけれど、
それもまた「共依存」の「切断」の話で、これは上野さんが『当事者主権』、
「じぶんのことはじぶんで決める」ということで言ってますね。
「女性のエンパワーメント」により「女性の男性への依存」を断つと同時に、
「男性の女性への依存」を断つ。むしろ目的は後者です。だから
メンズリブが必要なわけで。「リブ」って「自立」を求める運動以外の
何物でもないはずです。「女性」が「男性」との「共依存」で生き延びる
必要のない社会は不十分ながらも構築されつつある。あとは「男性」が
「共依存」を「切断」できるかどうか、で、それは「私の問題ではありません」と
上野は言う。当然でしょうね。
このスレでときどきお目にかかる長文コピペを見て、僕が思い出すのは、 ドゥルーズのいう、la honte d'etre un homme 「男=人間であることの 情けなさ」ですね。 五十面さげて「俺は女に性的快楽を与えてやるのがうまい」ということを 「自慢」する、のが「近代」の「男=人間」のあるべき姿 だとしたら、これはやっぱり「情けない」。その程度なら「代わり」は いくらでもいるでしょう。なので、「共依存」で「代わり」がないかのような 「関係」を「強迫反復」して作りつづけなければならなくなる。 長文コピペの主は以前、「強情な娘には愛情を込めて暴力をふるう」こともある、 と素直に告白し、「自慢」してましたが、要するに「共依存」ってことですね。 双方が「負い目の負わせ合い」でしか生き延びられない、そんな関係しか つくれない「男=人間」は「情けない」。「男=人間であること」の「情けなさ」は 「共依存」に由来する「情けなさ」で、「母親」による「幼児、児童虐待」は 「同居男性」のその「情けなさ」が「感染」してると考えられる。「共依存」って 「感染」するわけですね。ある関係が「共依存」でない、というのは 簡単なことで、相手の側の「関係」を解消する権利を承認することが 可能かどうか、によります。その可能性の程度はさまざまでも、 そうした「権利要求」を「共依存」関係にある片方が拒むとき、 「依存」の度合いが強い側がもう一方の「依存からの離脱可能性」を もつ存在に「暴力」をふるい、「離脱」「切断」を阻止する。 団塊の世代が定年を迎えるわけですが、厚生年金制度の改革もありますし、 おそらく妻側からの申し立てによる「熟年離婚」件数が増加するんじゃないでしょうか。 で、団塊高齢者「男性」は「自立」を迫られる。「男=人間であることの情けなさ」を そのときはじめて「自覚」するんでしょうが、それではあまりにも遅すぎる。 「熟年離婚」の増加と熟年男性による「ドメスティック・バイオレンス」の増加は おそらく平行するんでしょう。で、さらに離婚理由をつくる、という スパイラルが生じる。「熟年離婚」が原因でホームレス急増なんてことに ならなければいいんですが、さて、どうなることやら。団塊ジュニアたちを はじめとして、他の世代の男たちが今後の展開から何を学び、 「男=人間であることの情けなさ」にどう対応するか、それも 「メンズリブ」の問題でしょうね。
89 :
禁断の名無しさん :2006/07/09(日) 12:05:08 ID:amzC+mcc
90 :
83 :2006/07/09(日) 13:02:10 ID:IrcvCnsS
>>78 え…? なんではくタンを…? 考えすぎよ。
しかも、あたしも考えすぎてた。そんなふうに思わなかったわ。ほっ。
女を「快感依存症」にすることが「愛」だ、と思っている 団塊の男の「男=人間であることの情けなさ」に対する ひとつの対応がAセクなんですかね。だったら、もう そんなとこからおりてやる、という。 「非モテ」は「男=人間であることの情けなさ」を「否認」している。 彼らは、二次元で女を「快感依存症」にする「エロゲー」にハマる。 「女に快感を与えてやれる存在=男」という「理念」「理想」は 風俗産業をみてもとっくに壊れている。そこは男が金を払って 「快感を与えてくれる存在=女」を買う場所で、テクは女の側にある。 女のテクのうちには、目の前の「あわれな男」が抱く「女に快感を 与えてやれる存在=男」という「幻想」を支えてやる、というのも含まれる。 「情けなさ」の過剰な男ほどだましやすい。 「近代」における規範としてのジェンダーが構築した「女性」という カテゴリーに「依存」する「男=人間」は、「女に笑われること」と 「女にだまされること」の不安にとりつかれている。その不安もまた 「男=人間であることの情けなさ」を構成する。そんな不安に怯えて 生きるばかりが「生」ではない、ということに気づき、別の「生」を 誰かとともに生きるのは「知性」の問題ですね。 団塊の世代はかろうじて「幻想」を維持できるかどうかの瀬戸際でしょうね。 2004年に熟年離婚の件数が始めて前年よりも減少に転じたことを、 厚生年金制度改革による妻側の手控えによるものではないか、と分析する シンクタンクなんかもありますが、たぶんそういうことでしょう。 僕の周りでも熟年離婚をめぐる話、結構ありますし。「快感依存症」の 女って、熟年離婚して「より若い男」を選択するんじゃないでしょうか。 で、「老いた男」は「男」でなくなっていく自分を抱えてパニックを起こす。 あとは旧態依然とした「ナショナリズム」を顕揚するくらいしかなく、 要するにそれって、自分が「女に使い捨てられる存在=男」である事実の 「否認」の産物です。 自ら望んで「女に使い捨てられる存在=男」になっているわけだから、 「自業自得」ですが。自分から、「女に快感を与えるだけの道具=男」と なっているわけで、「道具男」は取り替えがいくらもききます。 「女性のエンパワーメント」が可能としたのは、「取り替え」のしやすさであって、 別にそれが男たちを「道具男」にしてるわけじゃない。勝手に男たちが自らを 「道具化」してるわけですね。長文コピペに書いてあるのは「道具としての男」の 「機能」の「宣伝コピー」で、たいした「機能」ではないな、と僕なんかは 思うわけですが、「道具化」するならもっと徹底してサイボーグにでもなればいい。 「老い」を「否認」する必要がなくなるように。「ヘタれな団塊男」は 「道具化」の程度も「ヘタれ」です。この「ヘタれさ」は「非モテ」世代にも 「継承」されているように、僕には見えます。 このスレの発端にあった「モニョリ」のなかにはこの「身体」の 「道具化」をめぐる問題もある。それは20年以上前にダナ・ハラウェイが 「サイボーグ・フェミニズム」で提起し、現在では生命テクノロジーを めぐって起きている諸問題で、ハラウェイの本や小泉義之の一連の本が 参考になるでしょう。あとはジョルジョ・アガンベンの「ホモ・サケル」三部作での 「ビオス」と「ゾーエー」をめぐる議論。 以上は、いずれも「自らの他者」を「快感依存症」にすることで 自らの「存在証明」を得ようとする「男=人間であることの情けなさ」、 それは「差別と抑圧は蜜の味」と口にする西尾幹二が体現している 「情けなさ」ですが、そうした「情けなさ」からの脱却を可能とする 「知性」の条件をめぐる書物です。
おさらいさんはいろいろ貼ってくださって重宝するのですが、一連のリンクを 拝見するに、リンク先の方々は制度に「ハード」と「ソフト」があり、 それを混同してはまずい、という基本的なことがおわかりに なっていないんじゃないかとお見受けします。 「ソフト」における「運用」の局面でいくつか問題が生じている、 たとえば、NPOが暴力団の資金源になっている、ということと NPOという「ハード」がねば塾のように障害者の自立支援に貢献している、 ということとはまったく別の問題で、それを「同一視」し、「ハード」としての NPOを否定しようとするのは、俗語でいえばそれは「ミソもクソもいっしょに 語る」「たらいの水ごと赤子を流す」ということに等しい。 「ソフト」「運用」に問題があるなら、そのレベルで「ハード」をどう運用するか、 ということを考える必要があるわけで、国連人権委員会にしてもあれは「ハード」じゃ ありません、「ソフト」です。あれは「対アメリカ」に「人権」を持ち出して アメリカを黙らせようとしている「アメリカ=世界の敵」候補国の「互助組織」にすぎない。 そんなものは「解散」「プログラミングの変更」が可能なわけで。「ハード」としての 「国連」「人権保障」制度の必要性は、それによって別に変化は受けません。 2つのものに論理的なレベルの差があるとき、上位の論理レベルにあるものが 「ハード」、下位にあるものが「ソフト」になります。新しい「ソフト」に 古い「ハード」が対応できない、ということはあったとしても、その場合も 論理的上位にあるなら「ハード」であることに変わりはない。 「ジェンダーフリー」をめぐる一連の「悲喜劇」も、あれは要するに 「人材不足」という「ソフト」の問題で「ハード」の問題ではない。 「ソフト」の不備が「ハード」としてのコンピュータの不要に つながらないのと同じことです。「ジェンダー平等の実現」という 「ハード」はそのままです。 「国連」という「ハード」の上位に「日本」という「国民国家」が 論理的に位置できるのであれば、「ハード」を「ソフト」化し 変更することも可能です。でも「国際人権規約」という「ハード」を 変更するのは大変でしょうね。一部の留保を除けば、日本もすでに批准してますし。 また、前にも述べましたが「人間の安全保障委員会」の共同委員長は緒方貞子さんですし。 日本は「人間の安全保障」を率先して推進しなければならない責任を インドとともに負っているわけです。「人間の安全保障」の観点から 外国人労働者の受け入れをめぐって、国際人権規約のB規約選択議定書の 批准が求められることも十分にありうる。 「政治過程」というのは、こうした「ソフト」と「ハード」の連鎖の 問題です、「ソフト」の不備を問題にすることだけで「ハード」の否定は できない、というのは論理的に要請されることで、そこの混同が多いのも 義務教育、高等教育で「論理学」が軽視されていることに一因があり、 それが国際競争力にも影響を及ぼしていると考えられるがゆえに、 一部の大学入試では近年それを重視した出題がなされるとともに、 野矢茂樹や三浦俊彦の一連の著作が売れてシリーズ化され、 さまざまな資格試験の参考書として用いられたりもするわけですね。
>>47 で挙げたバーバラ・マライア・スタフォードの
『ヴィジュアル・アナロジー』が産業図書から
高山“天才”宏の訳で出ました。
高山氏の訳業によってスタフォード女史の『アートフル・サイエンス』、
『グッド・ルッキング』はすでに日本語でも読めるわけですが、それに
『ヴィジュアル・アナロジー』が加わったのは、喜ばしいことです。
訳者あとがきでは、いよいよロザリー・L・コリーの『パラドクシア・
エピデミカ』とアンガス・フレッチャーの『アレゴリー』の邦訳の
刊行準備が大詰めにさしかかっているような記述も見られますが、
さて、どうなのやら。
>>97 に関してはすでにこのスレではいろいろと語られていますので
過去スレを参照してください。
「役割」は市場化、社会化可能で、だから「保育士」もいれば、
「ベビーシッター」、「介護ヘルパー」もいて、もちろん
これらの「役割」は「男性」も負っているわけです。
で、「国連脱退」は大いに結構なので、「バックラッシュ」派は
アメリカもやらないそれをちゃんとやってみせてくれればいい、
というのが、
>>63 ですね。常任理事国入りなんて「あさましい夢」は
捨てて、とっとと脱退すればいい。『正論』なんて「オヤジ慰撫雑誌」
(by 斎藤美奈子)で吠えてるだけの「ヘタれ」ではなく、そこまで
やらないと。
>>97 のリンク先の方は元官僚のようですから、直接元同僚や
後輩官僚におっしゃった方がいいんじゃないでしょうか。
言われた方も困るでしょうが、しかも元郵政省では。
きゃはははは。42さん、面白いわ。すてき。 意図が不明だった「おさらい」が何なのか、 一貫した対応だけで自白させちゃってるw 楽しく見物させていただいております。
100げっと―――☆
>>90 たまに出てきたと思えば相変わらずの無神経だね。
102 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/10(月) 14:25:49 ID:kqeF5pLB
>>92 最新の読売ウィークリーで
「男40才 セックスレス」とかなんとかっていう特集があるみたいだね。
まだ読んでないけど。
恋愛放棄した「非モテ男」を俺は好ましく思うんだけど、
そのきっかけが「相手にしてくれる女がいないから、俺はこんなんなっちゃんだからな!」と
責任転嫁だとしたらちょっと違うんじゃ??と思っていた。
だってこれ、
「ほんとは同性を愛したいのに、お国の為に我慢して異性と恋愛してるんだからな!」と
同じ理屈じゃないか?と思うから。
ん??
>>101 90は俺宛のレスだから、そこで言ってる「無神経」てのは、
俺に対してってことになりますよね??
俺は「無神経」とか思わなかったよ??
後半の意味がよく分からないんだけど、俺には関係なさそうだからスルーしただけです。
>>101 ちょ…。出てくるの待ち構えてたの?
>>102 >「男40才 セックスレス」
つ
ttp://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/ 少子化と繋げてるね。アホくさ。読む気うせた。
その記事の表題のひとつ、「レス歴10年の妻」にはちょっとウケた。
パソ通の時代から現在まで、日毎夜毎パソコンに向かって狂ったように
掲示板にレスしまくってる妻の姿が思い浮かぶでしょ?
それから「PC・仕事・TVがレスを生む」
PC=ポリティカリー・コレクトネス、
TV=トランス・ヴェスタイト、と一瞬思った。
PCやTVがレスを生むって…このスレ的には確かにそうなるかも。
>>103 ごめんなさい。それ、あたしにか通じない話だったかもです。
83タンはこのスレの誰かのことをのろま呼ばわりしているわけでもないですよ。
お気になさらず。
あ、そうだわ。 のろまと言えば。
のろま
>>79 の「何事か」ってちょっとかわいいw
106 :
83 :2006/07/10(月) 21:40:36 ID:9sX3QGsJ
>>101 事情も分からずに他者を「無神経」と呼ぶご自身の「無神経」ぶりには
まったく思い至らないほどのお幸せぶりですね。
どうかそのままお幸せでいてね。心から願っております。
なんだか難しい話してるなかでこんなこと書いてもいいものかと思ったんですけど このスレ見てて思い出したことがあるのでつまらないことかもしれないですけど書いてみますね。一応♂好きの♂で心も♂です。 子供のとき、よく周りの子達が「ぼく」とか「俺」とか自分の事をいろんな一人称で表してて そういう中で自分は自分の事をぼくとか俺とか言うのに抵抗感じてたんですね。どういう一人称を使ったらいいのかと。 それで、いつも人と話すとき自分の事をなんと呼んだらいいのかと戸惑ってたんですよ。 考えてみたら日本語って不思議なことばですよね。 他の言語なら「I」や「Ich」ですむところを日本語だと私とかあたしとかぼくとか俺とか、 それ自体で性別を暗示してたり相手との力関係をどう捉えてるのかが現れちゃうんですもんね。 そういうわけで子供の頃は、私やあたしという女の子がつかう言い方のほうがもっと抵抗あったんで 結局仕方なしにですけど「ぼく」という一人称で自分の事を表してました。 はじめのうちはすこし抵抗あったんですけど、大きくなるうちにだんだん抵抗は少なくなってきたような気がします。 成人してからは、公式の場では私という呼び名も使うようになってます。 今現在はプライベートではぼく、公の場やかしこまった文章ではでは私を使い分けていて 別に抵抗を感じることもなくそういうことで昔戸惑ってたことすっかり忘れてたんですけどね。 ビアンの人なんかも自分の呼び方でこだわりをもってたり苦労したことがあるのかなぁと かねがね疑問に思ってたんですけど、どうなんでしょうね。
それで、もう一つ不思議に思うことがあるんですけど、この板のゲイの人って実際はオネエさんではない人でも 書き込むときはなぜか「あたし」のようなオネエさんの呼称で自分のこと呼んでる人が多いですよね。 前からなんでそういうんだろうなぁって思ってたんですよ。 実際に会うと俺って言ってる人もいるし。 私見ですけど、そういうオネエキャラのような世の中の酸いも甘いもかみ分けたような 達観したキャラクターというか仮面をかぶることで、普段はいえないようなことを 自由気ままにいって発散してるのかなぁとも思うんですけどどうなんですかね。 それにしても普段男性的な一人称を使ってる人が書き込みのときだけ全然違う一人称を使うのは不思議だなぁと思います。 もちろん生粋のオネエさんの人もいるんでしょうけど、板自体の雰囲気として 必要以上に女性らしく振舞う、さもなければオネエを毛嫌いしてとってつけたような男の身振りで発言するといった 空気が漂っているようでなんでなのかなぁと。 はじめてこの板見たときなんだか奇妙なところに迷い込んだなぁという気がしたんですけどね。 そういえば日本語は俺とかぼくとかわしとかオイラとか・・・男をイメージさせる一人称のほうが多いような気もしますね。 また、ネットではよくマニアックな趣味を持った女の人が漏れといった独特の一人称をつかってますけど、 あれも人と違ったものに価値を見出すことで自分の個性を見出そうともがいてるような人が多いような気もしますし そういう呼び名で一般の人ではない誰かを演じようとしてたりするのかなぁと感じることもあります。 流れとは全然関係ないかもしれないですけど普段不思議に思ってる事を長々と書いてみました。 ところで、所々に出てるもにょると言うことばはどういう意味なんでしょうか。 ガイドライン見たんですけど載ってなかったみたいなんで・・・ 文の流れからすると、ことばには言い表しにくいもどかしさを感じるというような意味なのかなと思ったんですけど そういうことであってますでしょうか???
「フェミナチ」という呼び名を得意げに使っている連中、 ナチが何をしてきた集団か知ってるの? 攻撃性の生ぬるいフェミなんかとナチを比較して扱うなんて、 ナチがしたことを軽く扱いすぎだわ。 ナチの被害者のかたにとってみたら、どうなのよ、それ。
「フェミナチ」という呼び名を得意げに使っている連中、 ナチが何をしてきた集団か知ってるの? 攻撃性の生ぬるいフェミなんかとナチを比較して扱うなんて、 ナチがしたことを軽く扱いすぎだわ。 ナチの被害者のかたにとってみたら、どうなのよ、それ。
あらやだ 二度書き
112 :
83 :2006/07/10(月) 22:01:01 ID:9sX3QGsJ
>>102 「男40歳 セックスフル」もどうかと思うわw
セックス以外にすることないんですかー? って感じ。
セックス“レス”というと、欠けている、欠陥人間という印象を持たされるけど、
セックスしているひとたちはなにも欠けていないとでも言うのかしら。
定期的にセックスしていることと、セクシュアリティが成熟していることは、
決してイコールではない。
むしろ「自分にセックスは必要ない」と見極めて、
セックスとは無縁のQuality of Lifeを向上させているなら、
それはひとつのセクシュアリティの成熟だといえる。
「定期的に出さなきゃたまるから」なんて俗説をいまだに真に受け続けて、
せっせとマンコに放出させてるバカ男って、相変わらずいるんでしょうね。
他人の身体を使わないと性欲処理できないヤツこそ欠陥人間だと思うわ。
113 :
83 :2006/07/10(月) 22:07:15 ID:9sX3QGsJ
>>107 あたし、小学校低学年のころ、「わし」って一人称使ってたわ。
いまは「あたし」とか「わたし」。
レズビアンでもFtMでも「ぼく・ボク・僕」「おれ・オレ・俺」って一人称使う人いるけど、
レズビアンの場合はある意味シャレで使ってるってのがわかる。
あるいは、セクシュアル・アイデンティティが揺らいだときに、
ふだん「わたし」という一人称を使っているひとが、
思わず「僕」と用いることもあるみたい。
「男言葉だから使わない」というひともいれば、
「男だけに占有させておくこともない」という理由で多用するひともいる。
>>108 >もにょる
違和感がある、なんだか分からないけれど居心地が悪い感じがする、
という意味で使ってます。
>>107-108 さん
あたしは普段からヘテロの前でもわざとオネエだけど。
男が男ぶること、それだけで良く扱われることが許せないから。
念のため。あたしは、オネエ代表じゃないわよ。
他のオネエさま方がオネエ言葉を使う理由は全く違うと思う。
(同じ場合もなくはないだろうけど)
>自分の事をぼくとか俺とか言うのに抵抗感じてたんですね。
だって男の「俺」ってズルいんだもん。
幼稚園児が遊んでいるところでも観察してごらんなさいよ。
男の子が一人称を「俺」と使った途端、友達に命令できる立場に立てるのよ。
見せ掛けでごまかして権力を手にするってことよね。卑怯者よ。
卑怯者のくせに、「男っぽい奴は卑怯じゃない」という無茶苦茶が
信じられてるのをいいことに、卑怯とは思わせない。なんて姑息な。
そういう卑劣さに抵抗を感じたというのはないかしら。
漏れ:2ちゃん語。「俺も俺も」とローマ字変換で打とうとして「俺漏れも」になったのがはじまりらしい。
はじめは801のかたが使う言葉というわけではなかったけれども、
2ちゃんの流行が過ぎて、あまり使われなくなった後も、
801さんたちは使い続けてることが多かったらしい。
もにょる:何と呼んでいいか、どう語ればいいか、うまく言葉が出てこないけれど、
何かがおかしい、何かが間違っている、矛盾点が隠されている、と感じること。
個人の関係性における性差別を問題としてきた第二派フェミニズムのはじまりの頃、
ベティ・フリーダンさんというかたが「女性たちは"名前のない問題"を抱えている」と語った。
男性と結婚して家庭を築いて、"女の幸せ"と呼ばれるものを実現したはずなのに、
どうしても幸せという実感を持てない。
与えられた、"女性"の狭い枠組みに押し込められていたら、その枠に合わない女性は、
幸せと思えないのは当然。
だけど、それすら認識する言葉はなかった。
社会的、文化的に構築された性差=ジェンダーという言葉はまず、
彼女たちの「もにょり」を見えるものにするために設定された言葉なのよね。
(間違ってたら訂正ヨロw)
>>107-108 たまたま読んでいた文章に引用されていた文献をアマゾンで検索したら、
こんな文章がありました。
《自己とは、自己と世界とのあいだ――現在の事物的世界とのあいだだけでなく、
当面の他者とのあいだ、所属集団とのあいだ、過去や未来の世界とのあいだなどを含む
――の、そしてなによりも自己と自己とのあいだの関係そのもののことである。》
『自己・あいだ・時間』などの著作で知られる精神科医の木村敏の
『関係としての自己』の一節です。
たぶん、一人称は、この「関係としての自己」の「関係」を表す言葉で、
日本語の一人称は「I」や「Ich」とはその「関係」の表し方が
異なるんじゃないでしょうか。
日本語と他の言語との一人称による「関係」の表し方の差異を作り出す回路を、
精神科医である中井久夫の「微分回路的認知」と「積分回路的認知」との差異と
その2つの回路のせめぎあいとして考えることができるかもしれません。
「微分回路的認知」は予感・徴候的で微細な差異を先取り的にとらえようとするもので、
それを無理矢理増幅すると回路はたちまち不安定化します。これは統合失調症親和者の
行動特性にあてはまります。絶えず変化と差異だけがあって一人称が使えない、
そういう状態です。
「積分回路的認知」は刺激の入力に対して過去の蓄積された全体験を参照するため、
回路としては安定していますが、「時遅れ」になりがちです。これは鬱病親和者に
あてはまる。一人称は使えるけれど、差異を同一性にまとめあげたことに対する違和が残る。
日本語の一人称における自己認知は「微分回路的認知」的で、「場」や「空気」を
「徴候」として読んで、一人称をモジュール化し使い分けることが要請される。
「I」や「Ich」による自己認知は「積分回路的認知」的で、「場」や「空気」を
「徴候」として読んで、一人称をモジュール化し使い分けることは要請されない。
逆にいえば、日本語の一人称は「積分回路」化しやすい。「ぼく」「あたし」
「俺」「おいら」「私」「あたい」etc.の集合が「われわれ」となったり。
それがさらに「あたしたち」とか再「微分」されることもあるけれど。
「I」や「Ich」は逆に「微分回路」化しやすい。それを「不安」と感じるか、
「自由」と感じるかは別にして。
で、これは「日本と西洋」の「文化の本質的な差異」ではなく、
両者の差異は、日本語の複数ある一人称と「I」や「Ich」等のあいだの
「翻訳」関係から生じていると考えられる。
ひとつの一人称は、それが何語の一人称であれ、その一人称を用いる者にとって
既知の言語の一人称だけでなく、いまだ未知の言語の一人称との重層的な
「翻訳」関係のなかにあり、使用された一人称のなかに使用されなかった
残りの一人称は折り畳まれている。ランボーだったら、そのありようを、
Je est un autre. と言うかもしれない。この言葉は「私とは一個の他者である」と
訳されるけれど、それでは「je」に対して「suis」ではなく「est」が
続く異様さはわからない。むしろ、「俺はあたしだ」あるいは「俺はあたしになる」
などとと訳せば、「un autre」が人間のセクシュアリティの観点に限定されはしちゃうんだけど、
ランボーのメッセージは伝わるんじゃないかと思います。
つまり、「微分回路」的な日本語の一人称のそれぞれには「I」や「Ich」の
「積分回路」的な一人称が潜在していて、「積分回路」的な「I」や「Ich」には
「微分回路」的な日本語の一人称が潜在している。両者の関係を幾何学化すれば、
メビウスの帯やクラインの壷のようになっている。それだけじゃなくて、
日本語の「ぼく」には「あたし」が折り畳まれているから、「ぼく」と「あたし」の関係も
メビウスの帯やクラインの壷のようなかたちをなす。
この「un autre」が人間以外の動物や植物、さらには生物だけでなく
非生物までを含む、だから「鉱物」について「詩」が書ける、
というのは、一人称の変容可能性、ある一人称に潜在する他の一人称の
顕在化可能性の問題で、人間が現在使用している一人称は無限に存在する
一人称の一部なんでしょう、きっと。
で、僕の場合はこの一人称の変容可能性が相対的にせばめられるような
出来事が起こった時に、「モニョってる」ような感じですかね。
「積分回路」化が進むと、ん?、って感じで「微分回路」化を試みる。
いきなり「石」になろうとは思わないけれど、「女」にはなれるんじゃないか、とか。
あと僕の場合は、中島みゆきの影響は大きいですね。彼女の歌の一人称の使われ方とか。
で、思ったんだけど、「バックラッシュ」派の男性たちは1年くらい
一人称を「あたし」「あたい」で、女性たちは一人称を「俺」「おいら」で通してみれば
いいんじゃないですかね。「あたい」が「のろまとは何事か!」と
言うかどうか試してみる。もっと「身体」を享受し、楽しめるのに、って、
思いますね。「精液放出」の「快感」だけが「快感」じゃないですから。
ちなみに、たまたま読んでいた文章は、雑誌現代思想2005年7月号(昨年の7月号です)
特集「イメージ発生の科学」所収の田中純の「神経系イメージへ」という
文章で、先日邦訳の出たスタフォードの『ヴィジュアル・アナロジー』の
訳者あとがきで高山宏が言及してたので、今日(月曜日)都内の書店で購入し、
読んでいたのでした。田中純の文章は、アビ・ヴァールブルクについてのもので、
前にレスで挙げた、ディディ=ユベルマンの『残存するイメージ』や、田中氏の
『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』などが引用されています。このレス中の
木村、中井両氏への言及は、その田中純の文章と注および注に触発され検索した
アマゾンのデータの引用で、
>>107-108 さんのレスとの遭遇による、スタフォードの本の副題
「つなぐ技術としての人間意識」にふさわしい出来事に、今、ちょっと驚いていたりします。
>>115 補足
「積分回路的認知」の
>一人称は使えるけれど、差異を同一性にまとめあげたことに対する違和が残る。
というのは、何かまとめあげきれなかったものがあるのではないか、という
「残余」の存在にかかわる違和です。
119 :
83 :2006/07/11(火) 03:13:53 ID:LQBCa/2b
>>116 (42タン)
なぜか萩尾望都の『X+Y』を思い出した。
一角獣種のタクトは自分のことを「彼は…」「タクトは…」という3人称で語るのよね。
そして2〜3ヶ月周期でXXになったりXYになったり。
120 :
f u n w a k a :2006/07/11(火) 11:03:28 ID:GP3RBKMz
funnwaka病。。。 感染経路 − HP、メール及び本人 潜伏期間 − その人、その人によるが、1ヵ月以内には、発症するものと考えられる。 症状 − 初期症状としては、メールを書かずにはいられなくなる。 第二段階の症状としては、寝ても醒めても考えている。 第三段階の症状としては、返信がないと落ち込む。 第四段階の症状としては、会いたくなる。 会ってしまう。 第五段階の症状としては、会ってしまったことにより、初期症状からをさらによりパワ ーアップした状態で、繰り返すようになる。 第六段階の症状としては、、、もう、ご勝手にというぐらい重症で手の施しようがありま せん。 治療方法 − ありません。ほぼ、不治の病でしょう。唯一の方法としては、”嫌い”に なる。それしかありません。 薬 − 本人 (しかし、さらに、悪化させる場合あり) どうです??笑えるでしょう〜! 今貴女は何段階の症状ですか?? HP:恋愛マニュアル → f u n w a k a論より。
121 :
禁断の名無しさん :2006/07/11(火) 11:12:42 ID:4WARuxXO
つまんな―い
>>119 萩尾さんが想起されるのには、歴史的必然がある、僕はそう思います。
ある一人称に折り畳まれた無限の一人称って、そのある一人称の呼びかけによって
さらに2つに分かれる。
「石よ!」と詩人が呼びかければ、それは二人称になる。でも、そのとき
呼ばれなかったものが必ず残る。それが三人称で三人称は自らの一人称を
用いながら、自らを呼ばなかったある一人称に呼びかける。「どうして
私を呼ばなかったの?」、「お父さん、ぼくが燃えているのがわからないの?」。
後者はフロイトが取り上げた子どもを亡くした父親が見た夢のなかでの
子どものセリフ。夢は上演される。夢のなかでは言葉はすべてセリフになる。
映像と音響はすべて特撮に。だからどんなことでも起こる。どんなことも言われる。
そしてそれは「喪」の問題でもある。「ともに生き延びることができなかった者」からの
呼び声だから。むしろ、この三人称からの呼び声に対する応答として一人称があり、
その呼びかけが二人称としてなされる、といえる。
僕らは映像を観るけれど、それはものが眼差しているからで、
僕らは音声を聴くけれど、それはものが語りかけているからで。
眼差されているから「目」があり、語りかけられているから「耳」があって。
これはフィクションの問題でもある。ド・マンは活喩法 prosopopeia について
述べているけれど、これは修辞学用語で「その場にいないものを呼び出して
語らせること」をいい、彼女/彼が語ったとしたらこう語っただろう、というかたちを
取るけれど、それはそのときに、なおも呼び出されることのなかったものの姿を見て、
語られることのなかった声を聴く、そういう技法でもある。
パフォーマティヴ 行為遂行的発話が「反復」されるには、
あるパフォーマティヴが「中断」される必要がある。
パウル・ツェランの詩に cesure 中間休止があるように。
むしろ、この「中断」が「先」にある。The Time is Out of Joint.
三人称からの呼び声が「先」に。
だから、フローベールはボヴァリー裁判で、「私がボヴァリー夫人だ」ではなく、
「ボヴァリー夫人は私だ」と言い、ニーチェは、「私が歴史上のすべての名である」ではなく、
「歴史上のすべての名は私である」と言い、カフカは、「私は」を「彼は」に置き換えたときに
自分は文学に入った、と喜びをもって語る。
これは離人症的といえばそういえる体験なんでしょうね。自分が自分でなくなる。
萩尾さんのマンガでのタクトの三人称はそれに近い。24年組は団塊の世代の
女性たちです。その世代の男性たちのダメさ、それはこのスレでも十分に
具体的にわかるわけですが、それへの対応を迫られ、「知性」を鍛えざるを
得なかった。僕はこのレスで書いたようなことを、ド・マンやデリダたちから
学ぶ以前に、24年組のマンガから教わっている。先頃閉店したジュンク堂書店での
期間限定企画、萩尾望都書店も好評だったと聞きますが、やはり萩尾さんと大島さんは
24年組のなかでも「病者の光学」において突出している、ということでしょうか。
原書刊行から30年の時を経て、ニコラ・アブラハム/マリア・トロークの 『狼男の言語標本』 Le Verbier de L'Homme aux loups が邦訳されました。 ニコラ・アブラハム/マリア・トローク 『狼男の言語標本 埋葬語法の精神分析/付・デリダ序文《Fors》』 法政大学出版局 叢書ウニベルシタス 850 バトラーの『ジェンダー・トラブル』におけるメランコリーの議論をはじめ、 メランコリーについて論じる際には、もはや欠かすことのできない参照文献と なっていながら、まず、デリダの序文が難解このうえないうえに、 アブラハムとトロークの本文は、フロイトの「狼男」の症例の分析なので、 フランス語だけでなく、英語、ドイツ語、ロシア語が入り混じるという ものすごさだったりするので、おそらくフランスでもそうは読まれず、 原書も長らく入手困難な状態にあり、1999年にやっとフラマリオンの シャン叢書に入る、といったような次第だったので、今回の邦訳刊行は、 とにかく喜ばしいの一言。 これまた「埋葬語法」というのは先にレスで書いた「ある一人称に 折り畳まれた無限の一人称」と関係がある話で、グッド・タイミングでもあります。 アブラハム/トロークの論文を集めた『表皮と核』 L'Ecorce et le Noyau も 長らく国文社より近刊予定となっていまして、鶴首待望。 アブラハムは1919年にハンガリーのケチュケメートで生まれ、ユダヤ人差別政策を逃れて 1938年にフランスに移住し、パリで1975年に亡くなる。トロークは1925年にブダペストで生まれ、 ユダヤ人差別法の下で学業を続け、ナチス占領下を生き延び、1947年にパリに移住、 1990年にアブラハムの甥ニコラス・ランドと結婚してアメリカに渡り、1998年に ニューヨークで亡くなる。パリで故郷に残した親族49人のうちのほとんどが ナチスによって殺されたことを知ることになったアブラハムと、フランス語が ほとんど話せないまま1947年にパリに移住したトロークの経歴については、 翻訳者のひとりである森茂起が解説で詳しく語っているのでそちらを 参照してください。 山藤章二によるデリダの似顔絵が表紙の雑誌現代思想臨時増刊「デリダ読本」に、 若森栄樹、豊崎光一訳で《Fors》が掲載されたのが1982年、それから およそ四半世紀が過ぎ、そのあいだに1989年には豊崎氏が、98年にはトロークが、 そして2004年にはデリダが亡くなり、「喪」について考えることが多くなるなかで、 新訳を読んで、それからまた「ジェンダー」について考える、といった感じですね。
>>104 、
>>112 >仕事も趣味もあり、生活に不満はない。
>わざわざ煩わしい思いまでして、セックスや結婚をしたいとは思わない。
>少子化ニッポンで、いまオトコたちの性欲に異変が起きているのか。
記事を読まないで言うのもナンだけどw、
「少子化」っていうまなざしから書かれたものらしいですね。
「子供を産まない女」+「性欲がなくなった男」=「嘆かわしい」って話のような。
キャッチ見た時は「セックスレスな生き方あれこれ」かと思ったので、
要約を読んで(なーんだ……)て感じ。
>セックス「レス」
セックスするのが当たり前だ、当然だ、普通だってことが前提になってるのかなあ。
男のヤラハタ(セックスやらずに二十歳)恐怖とか聞くと、
セックスやって一人前=子供作って一人前、という価値観が根強いんだろうなと思う。
知り合いには、30代童貞も30代処女も40代処女もいるけれど、
彼らはちゃんと「一人前」だけどね。
やりたい人・レスな人の組み合わせは揉めるかも知れないけど、
気があってるなら、そういうカップルなりの「幸せの形」を作ってもいいと思うんだよね。
ところで
>>103 はぜーんぜん気にしてなーいヽ(´ー`)ノ
>のろま
>>79 の「何事か」ってちょっとかわいいw
そーなの!! 時々、芝居がかった言葉遣いがでるんだよね、この人w
だからかな、この人のレスは、どーしてもネタとしか思えないんだよね……w
125 :
ポックル :2006/07/11(火) 22:25:06 ID:IS5IEHT5
107ですけど他の名無しさんとまぎらわしいので名前付けてみました。
>>113 なるほど。
やはりビアンの人も一人称の点ではいろいろ呼び名の葛藤があるんですね
そういえば「私」ということばは便利ですね。
特に公の場で話すときやあんまり親しくない人と話すときは。
ただ親しい人と話すときは私だと余りに無個性というか
相手との間に壁を作ってるような感じがして
そういう意味での抵抗なんかを感じたりします。
女性の場合は割合自然に「私」を使ってる人もいると思いますけど
私というには他人行儀すぎて、僕というには弱く俺というには強すぎる感じがするので
よくよくかんがえてみると親しい人と話す場合はあんまり一人称を使ってないような気が・・・
どうしても自分の事をいわなければ言わない場合は「自分」の考えとしては・・・
のような言い方をしてる気がしてきました・・・
>>114 普段オネエ言葉を使う人が掲示板でオネエことばを使うのはわかるんですけど
知人でも普段から明らかに男性的ふるまいをしていて、いっさいオネエ言葉を使わない人が
ブログやミクシーやこういう掲示板になるとオネエ言葉を頻発するのが前から不思議だったんですけど
あえて自分がゲイであるという事を際立たせたり、個性的であろうとしたり
他の板との差異を強調する目的でそういう一人称の変更が行われてるんですかねぇ・・・
>>113 >>114 もにょるの意味も大体わかりました。
この言葉も由来というかもともと使われていた所というのは
その801さんたちの間の隠語みたいなものなんでしょうか?
>>115-117 なるほど。
日本人は特に和をもって尊しとなすという言葉に表されるように
その場の空気や相手との関係性をとくに重視し無用な対立をさける傾向があるのに対し
特に西洋圏では、自分の権利や考えを主張し異なる意見を対立させることによって
相手との関係を作っていく傾向があると思いますがそういうのも一人称に関係しているんでしょうね。
風土や宗教の違いなんかも影響してるような気もしますが。
日本語の一人称というのは自分の位置に不安を感じているときは戸惑いを覚え、
自分の位置関係を相手に示したいときには便利な言葉なのかもしれませんね。
>>107-108 俺は、商人とか職人が多い環境で育ったせいか、うんと子供の頃は、
「あたし」が女の一人称だとは思ってなかった。
「あたし」てのは、大人が使うもんだと思ってたから、
幼稚園時代から「あたし」を普通に使う女の子たちはみんな大人びて見えたよw
でもまもなく「あたし」=女人称なんだと気づいたんで、
そういう劣等感や緊張感はなくなった。
うーん……でもね、白状すると時々違和感を覚える>「あたし」使いの女
「借り物」って感じがするんだよな。
やっぱり男の職人が使うのが「正当」って気持ちがどっかにあるんで、逆に、俺は、
おねえの男が「あたし」を使ってる方が実は馴染める。
って、かなりジェンダーバイアスかかってそうな発言、、、
「あたし」を奪われたら困るよね、女の人たち。スマソ。
そういや、俺の周りは圧倒的に「俺」が多かったので
「僕」の転校生がきた時は反感もったなあ……
「気取ってンじゃねーよ」「金持ちぶってんじゃねーよ」……ってジェンダー関係ないスね。
高校時代に「おいら」使う女がいたんだけど(へー……)と思ったなー
何らかの拘り、モニョリがあるんだろうなと思って、
その人の言動に釘付けになった時期があった。きもいねw>俺
>モニョる、モニョり 83さん、いぬまわりさんと同じなんだけど…… 何かに対して「うんうん同意!」と肯けない、なんだか引っかかる、 そういう時にも使います俺は。 もともと801の人たちが使ってたんだっけ?? このスレでは、パート1で名無しさんが使ってから、 こりゃ便利☆ってんで一気に広まったんだよねww
時代劇なんかでも「あたし」って言ってる町人の女を見ると、なんかモニョるんだよなあ。 「オレ」とか「わたい」とかじゃないかと思うんだよね。 てか、その前に、その時代の女が一人称を使って自分を語るってことはなかった?? 男の職人があたしを使うのを「正当」と感じちゃう俺は、 そういう「男社会」の名残りを引きずってるんだね多分。 (ああ……石ぶつけられそう……)
>>125 (ポックルさん)
「自分」って言葉もおもしろいですよね、「私は自分のことは
よくわからない」なんて言うときの「自分」は三人称化されているというか、
対象化された一人称で、軍隊なんかで「自分は〜であります」なんて言うときの
「自分」は一人称で。大阪弁では「自分」は二人称ですね。「自分、どっから来たん?」とか。
ドイツ語やフランス語には再帰代名詞 sich や se があるけれど、
あれが「自分」で、再帰動詞は能動態と受動態とのあいだの中動態を
表したりもする。
こうした代名詞の戸惑いは経済活動を通じて接続され、それぞれに
変容を被る。他者との遭遇によってお互いの人称代名詞の不安定さは増大する。
経済がグローバル化するなかで、不安定さがさらに増幅されていると
考えられますね。風土や宗教の違いが「本質」ではなかったことが
露呈しつつある。
中世のまだ文法が確立せず、話し言葉と書き言葉が一致してなかった、
言文一致が行われてなかったヨーロッパの農村や、江戸時代以前の日本の
農村で、どんな一人称が使われていたのか、そもそも一人称があったのか、
それはよくわからないんじゃないかと思うんですね。書かれたものは
残っていても、「声」の記録は無いから。
それこそ、萩尾さんのマンガのように「タクトは」と自分のことを
指していたかもしれない。一人称ってある個体が権力にさらされている
ところに発生するもので、「おまえは何者か?」という問いに
さらされ、「名乗る」時に現れる。うろおぼえですが文化人類学の
研究なんかでは一人称が存在しない社会もあったような。
>>128 電話しながらだらだらレス書いてたら、話がかぶっている(^-^;
一人称って奇妙で、たとえば、僕はよくレスで「僕はそう思います」と
書くけれど、そのとき、「僕」って誰だろう、とか、その「僕」を
対象化しているのは誰なんだろう、とか、「は」ってことは、
そう思ってない誰かを想定しているわけだけど、誰なんだそれは、とか、
考える、その考えてるのは誰なんだ、と……問いがループしはじめる。
前にも書いたけれど、僕は「ひとりで考えている」気があまりしない。
脳がネットワーク化されているというか。
>>107-108 から
>>115 へ
そしてさらに
>>119 から
>>122 へ。奇妙にシンクロしている。
そうしたシンクロしてる同時代の脳だけでなく、どっか別の時代の脳とも
非同期でつながっている。かといって、「われわれ」で考えている気もしない。
また、「ひとりで考えられること」などたかがしれている、という
蓮實重彦の言葉は正しいと思う。
にもかかわらず、「僕はそう思います」、と書かなければならないとき、
あることを書いたことにより発生する応答責任に応答するためにそう
書くときに、「僕」というのはとりあえずあるインターフェイスを指す、
そういう言葉になっている。人称性が希薄で非人称的なものと
いってよいような何かと一人称をはじめとする人称的なものとの
あいだを往還するというか。
あー そのシンクロとかインターフェイスってよく分かんないんだけど、 「僕は」の「は」。 書いたことと違う(だろう)意見の"持ち主"の存在は、ウン、感じるー 俺の場合は、書いたものが「押しつけだ」と非難されがちだから、 よけいに気を使うのね>「俺は〜〜と思う」 でも、その意見を書くこと="見えない誰か"への呼びかけであると、 なんとなく意識してる。 だから応答があると――それが違う意見であっても、同じ意見であっても―― "見えない誰か"の影を掴まえた気がして、つい夢中になってしまうw 逃すまじ!!とw その"見えない誰か"が無意識に呼びかけた、また別の"見えない誰か"が応答して……(エンドレス そうやって大きな「輪」みたいなもんができると とっても気持ちイイ(・∀・)!のだ☆
>>66 のリンク先の文章をめぐってまた何やら展開があったようですが、
僕がわからないのは、
>>66 の文章の結論なんですね。
どうして、あれで「だから、バックラッシュは必然なのだ」となるのか、
それがまったくわからない。あれとほぼ同じことを書いて、
「だから、メンズ・リブが必要だ」となるなら、これはよくわかる。
「生まれたことを喜んでくれるのが、菓子屋とドレス屋と女衒と女たらしだけの
女なんかよりはマシ」という社会構造を幾重にもつくることで、かろうじて激突を回避してきた
社会構造、「強者男性」化と「生き延び」とをセットにし、「弱者男性」のみならず
「弱者」としての「女性」にも「強者男性」化をせまる社会構造と「弱者男性」が対決する、
というならこれは大変よくわかる。
ところが、そうはなっていない。いぬまわりさんなら「のろま」というかも
しれないけれど、これはたんに「歴史」が忘れられている、ということだとしか
僕には思えない。その結果、「在日」「部落」と並列されて、「女性」は
もはや「弱者」ではない、「弱者」としての「女性」なんか存在しない、
という短絡が起こり、構造的に「弱者女性」は抹殺される。これは
「非モテ」問題における「非モテ女性」と「非モテ男性」との非対称にも見られる。
前にこのスレで挙げた、上野千鶴子の「メンズ・リブが必要だ」というインタビューは
1989年9月号の現代思想「特集 セックスの政治学 男のフェミニズム」に掲載されているけれど、
格差の話はすでにそこに出ている。で、検索してみたけれど、8件しかヒットしない。
おそらくまだどの本にも入れてないからでしょうね。今となっては大学図書館か、
国会図書館で読むか、古本屋で入手するしかないし。あのインタビュー程度のことは
デフォルトにして、話をしないと不毛だと思う。『バックラッシュ!』発売記念ブログの
運営者の方たちも、上野さんのインタビューはご存知ではないんだろうか。
何よりも「歴史」が忘れられているというのは、「リブ」が「男並み平等」を 求めるだけの運動ではなかった、ということですね。 women も men 男たちと同等に men 人間である、そして、必要なのは その men 男=人間の解放 liberation である、というのが運動としての 「リブ」で、これはいわゆる「リベラル・フェミニズム」とは重なるところは あっても、それに還元はできない。田中美津の本を読めばそれはわかる。 「メンズ・リブ」の必要を目に見えるものにするには、 「ウィメンズ・リブ」が必要だ、ということが、「メンズ・リブ」の 必要性が目に見えるものとなったとたん忘れられて、 「メンズ・リブ」の担い手であるはずの「ヘタれ男」による 「バックラッシュ」になる。あたかも「メンズ・リブ」が必要な 格差が発生する状況に「弱者男性」を追いこんだのが「フェミニズム」 「女性」であるかのように、「ヘタれ男」は言いつのり、「ルサンチマン」に 開き直る。攻撃の矛先が違っている、としか言いようがない。 一部の「非モテ男」も含めて、現在の社会構造を「(強者)女性」「フェミニズム」に 「代表=表象」させてそれを叩く、というふるまいに現れているのは、 彼らの「女嫌い」「ミソジニー」「女性蔑視」の根深さとその事実に対する 「否認」でしかないんじゃないか。何かあるいは誰かに社会構造を「代表=表象」させる 必要もないわけだけど、仮に「代表=表象」させるとしても、 それが「強者男性」にはならず、「メンズ・リブ」にはならない、 そこに問題があって、これは前に書いたループがある以上、 「ホモフォビア」とも無関係ではないと思う。
>>132 訂正
>かろうじて激突を回避してきた社会構造、
は、
>かろうじて「強者男性」と「弱者男性」との激突を回避してきた社会構造、
に訂正。
んー、あまり「強者女性」「フェミ」叩きには見えなかった。 「弱者女性」には「強者男性」との結婚という「うまみ」があるのに 「弱者男性」にはそれがない。だから「弱者女性」が妬ましい。 ただ、それだけって感じがするわ。 「強者男性」が「弱者男性」と結婚するってのはどうなのかしらねw
>これはたんに「歴史」が忘れられている、ということだとしか僕には思えない。 "womyn"も忘れられてるw
>これはたんに「歴史」が忘れられている、ということだとしか僕には思えない。 "womyn"も忘れられてるw
138 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/12(水) 21:42:56 ID:JpJYAwf3
そのリンク先は読んでいないんだけど、
「非モテ男」とのやり取りや関連ブログ+
>>132-133 で、何が起きたか予測w
>「弱者女性」には「強者男性」との結婚という「うまみ」があるのに
彼ら、そこを勘違いしてんじゃないのかな??
本当に「うまみ」なのかどうかって事を全く考えていないと思うよ?
つか「うまみ」と思ってる限り、社会構造との激突なんて無理でしょ。
きっと、こういう社会構造↓が分かってないんだね。
>「生まれたことを喜んでくれるのが、菓子屋とドレス屋と女衒と女たらしだけの
>女なんかよりはマシ」という社会構造を幾重にもつくることで、
>かろうじて「強者男性」と「弱者男性」との激突を回避してきた社会構造
>「強者男性」化と「生き延び」とをセットにし、
>「弱者男性」のみならず「弱者」としての「女性」にも「強者男性」化をせまる社会構造
分からない理由の一つには、歴史認識の欠如があると思うけれど、
俺は現状認識も出来ていない・欠如してると思うよ。
「「強者男性」とくっつくことで「強者男性化」するウハウハ女」しか見ようとしないんでしょ>非モテ男
もっと身近にいる、自分の母親とか祖母とか、仕事してる年配の女性とか、
専業主婦とか、そういう自分の周りに存在している女の人と話をしてみればいいんだよ。
結局「ウハウハ女」しか目に入らないってのは、
「ウハウハ女」をゲットできる「強者男性」になりたい、
もしくは、
「弱者女性」(非モテ女)をゲットして「ウハウハ女」化したいってことでしょ?
非モテ女のブログがけっこう賑わっているってのに、
うわっつらの共感だけで、彼女たちを中心にして、彼女たちを取り巻く社会を
まるで見ようとしていないんじゃないの。
彼ら非モテ男は前に「社会構造を問題にしてる」なんてカッコイイ事言ってたけどさ、
要は、目先の「うまみ」を取り合うゲームに参加したいってだけじゃん。
彼らに「メンズリブ」なんか出来るわけないよね、今のままじゃ。
>「強者男性」が「弱者男性」と結婚するってのはどうなのかしらねw
どうなるんだろうw
ミソジニーを抱えたまま「女はいらないよ」って関係だよね。
古代ギリシャ時代とかローマ時代の少年愛好、みたいなもん??
ミソジニーとホモソーシャルを強化するだけで終る気もするけど。
>138 隣の芝じゃないけど、同程度の労働条件と賃金で働いている女性達が 結婚して職場を去っていくのを見て、「弱者男性」は自分には逃げ場が ないと考えるのかもしれないわね。
訂正。 >うわっつらの共感だけで、 >彼女たちを中心に据えた、彼女たちを取り巻く社会を見てみるってことを >全くやっていないんじゃないの。 かな。 &さんのレスとか読んで思ったけど、 「まず「うまみ」をよこせ、話はそれからだ」的な考え方って俺にはあんま理解できない。 俺だったら、 「うまみ」をもらわずにチクショーチクショーチクショーとか思った次には、 その「うまみ」を疑う方へいくね。 (俺に回ってこない「うまみ」が本当の「うまみ」であるはずがない!)ってねww これ、「すっぱいブドウ」とかって嘲笑されるんだろうけど、 そのブドウが本当に狐が生きる為に必要な食物なら、 狐の手の届く場所にあるはずだよ。 それがその場所にないって事は、誰かが故意に吊り上げたか、 本当に必要な食物じゃないんだよ。 俺だったら、そう考える。
>>139 あー 成る程ねー……そうかもね。
働いても働いても楽にならず、結婚して昼ひなかからフェミレスでだべっていられる
専業主婦が羨ましいって感じ?w
ぶっちゃけ俺もたまにそう思うときもムニャムニャ……
でも、だべってる主婦が置かれたその場所も、
別の「苦」を産む場所であるかもしれず……
どっちを向いても(職場でも家庭でも)「苦」だらけの世の中って
何なんだろうな?とか考えたりするかなー@俺
>フェミレスでだべっていられる専業主婦 フェミレス専業主婦。意味深長な書き間違い。すてき。
あ……w フェラレスって間違えなかったからヨカタ
>>135 >>66 のリンク先の「男の子」は今日になってこんなことを書いている。
ttp://www.journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_139.html このなかに出てくる「団塊のバカ」「大人」って「強者女性」でも
「フェミニスト」でもない。この「男の子」の「アイデンティティ」の
「ねじれ」がよく出てるんじゃないでしょうか。彼の「フェミナチ」という
言葉の背景にあるのがこれだとすれば。
雇用の非正規化によって従来の貧困とは異なる「雇用中心型の貧困」が
生じていることをグローバル・シティにおける問題としてとりあげている、
サスキア・サッセンは、フェミニズム政治経済学を提唱していることでも
知られています。「フェミニズム」が「弱者男性」の問題を考えていない、
わけではないということです。ただ、「メンズ・リブ」を「弱者男性」が
やってくれなければ、「フェミ」は共闘しようがない。
>>137 たぶん、今では「綴り間違い」だと思われるんでしょうね、それ。
語源にまで遡って、woman が man 人間の「他者」であることを
刻印しようとした言葉なのだけれど。
「弱者男性」も理念としてのフェミニズムは理解しているのよ、多分。 でも、自分の周囲10メートルぐらいの現実では「弱者女性」がちゃっかりと 専業主婦に納まって、強者からの「うまみ」を得ている(ように見える)。 「まず「うまみ」をよこせ、話はそれからだ」もあるけど、 「まずお前らの持っている「うまみ」を俺の目の前で捨ててみせろ。 そんな二枚舌は、信用出来ない。話はそれからだ」というのもあるのかもね。
>138 >要は、目先の「うまみ」を取り合うゲームに参加したいってだけじゃん。 >彼らに「メンズリブ」なんか出来るわけないよね、今のままじゃ。 それで、これがきっとビンゴなのよ。 共闘しようにも「弱者女性」の持っている専業主婦という「うまみ」が 気になってしかたがなくて、「ツンデレ」しちゃうんだわw
>「まずお前らの持っている「うまみ」を俺の目の前で捨ててみせろ。 >そんな二枚舌は、信用出来ない。話はそれからだ」 びっくり。そっか。そのセンは考えなかったなあ。 ぅーん……w でも、そもそも、その「うまみ」を持たない女だっているじゃんね……w 同程度の労働条件と賃金というスタートを切り、 自分と同じように結婚という逃げ場もなく、自分と一緒にに働いてきた女。 彼女の労働条件や賃金は、自分より同じなんだろうか?? 女で定年まで勤め上げて、男とおんなじ退職金もらえる人ってどれだけいるんだろう??
僕には歴史認識の欠如ゆえに、
>>66 のリンク先の「男の子」と
『バックラッシュ!』出版記念ブログの運営者のおひとりとのあいだの
対立は、現在のシステムに「漁夫の利」を与えるだけになっているとしか
思えないんです。
で、たぶんどちらの方も年齢は同じくらいでだいたい「団塊ジュニア」と
言ってもよいような世代に属するんじゃないでしょうか。そんなとこで
「内ゲバ」の「再演」をされても、というのが正直な感想です。
その男の子の、 「お、と、こ、」を絶対に手放す気がないところと、 「お、ん、な、」としてしか女を見やしないところ。 あほくさい。 当事者性と発言権を結びつけること、了解事項なわけ? (論理展開の途中がすっぽり抜けてるけど、まあいいや)
>女の労働条件や賃金は、自分より同じなんだろうか??
てのは、数十年ともに働いてきた後の、って意味ね。
>>148 「団塊ジュニア」が「団塊のバカ」と罵るの?w 親子喧嘩だったりしてーーwww
たとえば、「日本人の男の子」たちは「プレカリアート(不安定階級)」なんて 「自称」する。この言葉自体は経済のグローバル化を背景としている、 グローバルな概念です。「階級」なんだから、「日本」という「国民国家」に 局限されるものではない。 「日本人の男の子」たちは自分の闘いが、「途上国の弱者女性」とどうつながっているか、 考えもしない。「生き延び」のために先進国のグローバル・シティに「外国人 労働者」として「国際移動」せざるをえず、そこでもまた「生き延び」が 困難な状況に置かれ、「弱者女性」として生きている、そうした「女たち」の 闘いと自分の闘いがどうつながるのか。 「男女平等」は「日本人男女の平等」ではないんで、もうちょっと ちゃんとどんなふうに「格差」が生じているのか、サッセンくらいは 読んで、それから「プレカリアート」って言葉を使って欲しい。 そこから、「途上国の弱者女性」を「排除」することがないように。
>>151 追加
最後の「途上国の弱者女性」は「途上国および先進国の弱者女性」です。
>>150 まず、親子喧嘩してくれればいいわけです。他の世代を巻き込まず。
ところがそれが「フェミナチ」叩きにすりかえられる。これでは、筋違いの
「やつあたり」による「弱い者いじめ」しかできない「ヘタれ」だとしか
思えませんね。
団塊の既得権益が妬ましい→既得権益が妬ましい→女性の既得権益(?)が妬ましい かしらね?
>>150 たとえばね、一生独身フリーターでも「自分の望む生き延び」が可能な
新たな社会システムをつくりましょう、という話をするならわかるんです。
それが女には、「強者男性」化するか「弱者」のままでいるか、の
二者択一しか与えられず、前者の場合は「弱者男性」を「養い」、
後者の場合は「強者男性」に「養われる」しか「生き延び」がない、
これではどうしようもない。どっちもゴメン、という選択肢は当然ある。
若い連中て、大事な人とか身近な人とは、大事な話はできないっぽいね。 喧嘩なんかもっての外かも。 上野氏に喧嘩の仕方を習えばいいのにねーーーーー☆ 団塊世代は女を「買う」世代だよね?? 援交とか買春ツアーとか。 賄賂や汚職も? 日銀の総裁は団塊世代の親になるんかな。 団塊世代も親と喧嘩しなかったんだろうか?
>>153 その通りだと思うんですが、
それを一般に「論理のすりかえ」と言うんじゃないでしょうか(^-^;?
で、
>>149 でいぬまわりさんが言うようなことになるんじゃ、
とてもLGBTの話になんかなりようがない。
157 :
ポックル :2006/07/12(水) 23:48:49 ID:mpGDMuNT
>>126 そういえばあたしというのは職人さんの一人称で使われたりしますね。
「僕」に対する反発ですが子供のころ「僕」という一人称に抵抗を覚えたのも
そこらへんの気取った感じがするところが原因でした。
>>129 言語の変容についてはグローバル化で、言葉が影響しあい変容しあうという事は現状としてあると思います。
この現象は異なる言語形態との遭遇する頻度とその変化の速度の増大の必然的結果として理解できます。
例えば、移動手段が徒歩や馬しかなかった時代では、情報の伝達速度も遅いですし
接触範囲も隣村や隣国、せいぜい船による他地域となり
文化や言語との接触頻度も手段も明らかに少ないので大きな変化は起こりにくかったものと考えられます。
それに比して、現在の情報伝達速度や手段の増大に伴う異文化、異言語との遭遇の結果、
言語の変容が起こっているのはそうだと思いますが
ただ、ここでの変容というのはどうも利便性や効率の追求による
便宜的な平均化というか中庸化であるように思えますし
この言語の変容をもって、それを母語として用いてる人についても
基本的な自己観の変容の現われがあるとすることについては若干の抵抗を覚えてしまいます。
つまり、自分をどの様な存在と捉えるか、他者との関係がどうあるべきかを考える上で
やはりその人が世界をどう見ているか、世界の中での自分の位置づけをどう見ているかは
依然として大きな役割を果たしているようにも思えるからです。
死生観にしても、英語では生命の誕生は「I was born. 」のように受動態として考えられ
そこには神から生命を譲り受けるという、生を受動的現象として捉えられるのに対し
日本語では「私は生まれた」となり、そこには生を自然の中での一つの状態としてみること、
死生を人間中心的、生物中心的な見方からではなく
その周辺の生物・無生物、全てを包含した大きなくくりの中での自然の中の一つの状態としてみること
死が静的であるのに対し、生とは因によって導かれ縁によって自然の断片が結びついた変化の起伏に富んだ状態
としてみるという死生観が言語の中にも現れているように思えます。
このような見方は、現代のような多様な価値に曝される現代人にとっては縁のうすい事かもしれませんが
やはりこういったことも、人が「私」を考える上で依然として大きな役割を果たしているように思えます。
さらにその背景として人間と自然の関係、自然を人間に理不尽に牙をむく対決すべき対象としてみるのか、
人々に恩恵をもたらしてくれる対象としてみるのかということも
現代では希薄になっているとはいえ、人が自分をどう見るかに少なからず影響を与えているように思えます。
>>130 なるほど。「僕」がインターフェースを指すというのはなかなか面白い見方だと思いますね。
ここでは思考の同時性や共有性に関連しておっしゃってるんだと思いますけど、少し違う視点からみると
「僕」という一人称を考えるとき、言語のルールの中からみたとき「僕」は一人称であるにもかかわらず、
その人にとっては三人称的視点であるというか、
日本語で自分を「僕」や「あたし」と呼ぼうとするとき、そこで自分をどう呼ぶか自分への客観視が働き
他者に接続する際、都合のいい自分を見せるための出力子となっているというか・・・
ゲームでいいますと、ちょうど初期ドラクエやFFのような典型的なRPGのフィールド画面のような視点といいますか
動かしているのは間違いなく自分自身ですし、目の前のイベントに対してどう振舞うかという
行動を決定しているにもかかわらず、自分はその主人公の行動をどこか客観視している、
本来の自分でないキャラクターの役割を演じ、「ロールプレイ」している・・・というような
ちなみにゲームにおける視点の人称ということでいうと、
ウィザードリーのようなRPGやFPSと呼ばれるシューティングゲームは一人称的視点
初期ドラクエの戦闘モードやポートピア殺人事件のようなコマンド入力形式の画面は
画面は一人称的であるけれどもそのやりとりにおいて二人称的視点、
ゼビウスのようなシューティングゲームやFFの戦闘画面は三人称的視点であるといえるかと思います。
話が脱線しましたけど、日本語で自分のことを「僕」や「あたし」と名乗るとき
どこか人の目を気にした役割を演じようとしてるのかもしれませんね。
>156 うん。 でも、男の子たちの自覚として「やつあたり」はありそうだけどw 「弱いものいじめ」はないと思うわ。 自分よりも何かを得ている(ように見える)人が信用できなくなってるのよ。きっと。
159 :
ポックル :2006/07/13(木) 00:00:44 ID:mpGDMuNT
それと、
>>108 に書いた事に関連してですけど
こういうネット上で自分をどう呼ぶか、というのは、
単純に普段と違う自分を演じて発散してると考えたほうが自然なのかもしれませんが・・・
しかし、やはりネットにおける一人称の変更についてもう少しこだわりたい気がします。
なぜ普段「俺」を演じている人が、自分の本音を書いてると称するブログでは
一人称が「あたし」に変わってしまうのか。
もちろん半分ネタで書いているのはわかりますよ。
強烈なキャラクターの方が読んでるほうも面白いということはあると思います。
でも、そこにはネットと日常生活との視線の差もあるのではないかとも思えます。
つまり、日常生活では「俺」を見ている相手は例えば、親しい人であるかもしれませんし、
もし、やや気をつかう人と接する時は、もう少し丁寧な「私」になるかもしれません。
そして、誰がその「俺」や「私」を見ているかということは話し手にはわかるわけです。
一方、ネットでは不特定多数の人に自分が見られるわけです。
それも、本人が言うところの本音、ゲイであるということも含めた本当の気持ちを。
よくよく観察するとブログ等で「俺」を一人称にするゲイの人は、
ゲイの読者が対象であることを念頭にして書かれていることが多いような気がします。
すなわち、「俺」という立ち位置の自分に興味を持つ人の気を引いてあわよくば・・・というような。
それに対し、ゲイである自分の日常を告白する際に、自分の立ち位置に不安を感じてしまうとき、
不特定の読者への受容が円滑に進むことを期待し、「多くの人がイメージするわかりやすい同性愛者像」を演じる事で
結果として(日常)「俺」→(ネット)「あたし」といった一人称の変更が行われるのではないかなぁと。
日本語の一人称というのは、自分がどういう人物で見られたいかという無意識の現われ、
どうありたいかという自称、或いは自分がどういう役を演じたいのかという役名のような気がします。
普段そんなに意識はしてないかもしれないですが自分をどう呼ぶかというところに
自分がどうありたいかってことが反映されてくるのではないかなぁと思うわけです。
そういう意味でこういった親しい人のネットでの一人称の変更については少し気になったりしてるんですよね。
160 :
ポックル :2006/07/13(木) 00:05:14 ID:plprVgG0
ネットの一人称の変更を引き合いに出しましたが、これがネットだけでのことならネタでいいんですけど 実生活の中でもこのような立ち位置の不安から、本来の自分でない自分を演じるという事はあるように思えます。 身近な例で言えば、ゲイバー等に足しげく通い、ゲイ以外の社会に触れる事をおっくうがり ゲイであるからという理由でそこにだけ埋もれているというか・・・ ゲイコミュニティーの中だけにゲイである自分をみつけ生きようとしてるように思える知人を見ておもう事なんですけど。 すでにできあがってしまっている紋切り型の「毒舌を吐くオネエ」のイメージをそのまま演じる事で 誰かの目に映りやすい像であろうとしているのではないかなぁと感じることがあります。 本当は優しい心を持っているのに、人のぬくもりを欲しているのに、無理に 「世の中の汚いものを全部見てきて人の悪口をいっても言われても平気な 一人でも生きていける何事にも動じない人」に見られようとする。 当然のことながら、それを本人が受け入れているのなら、本人の生き様は本人が決めることですから 端がとやかくいうことではないんですけど、しかしそれを受け入れているというにもかかわらず なぜ、陰で傷つき涙を流し、生きることに半ば緩やかな諦めを感じてしまっているのか。 「私」が「誰」であるのか他者から押し付けられることを避けるあまり 誰かに押し付けられるよりも先に、自分で自分が誰であるかを無理やり自分に押し付け、 結果的にかえって紋切り型のイメージの中に生きて苦しんでいるように見えたりします。 他者の縛りから逃れようとして、自分を外敵から守る鎖でがんじがらめにして動きが封じられてしまい そのことで結局、他者の目に映る自分の像の中に生きてしまって自分を見失ってしまうというか。 あなたが演じようとしている「俺」や「あたし」は本当にあなたが演じたいあなた自身なのかと 他者の目に映るための「俺」や「あたし」で苦しむくらいなら 本当に自然体でいられる自分・・・それが「俺」であれ「あたし」であれ・・・を生きたほうがいいのではないかと その人にそぐわないと思える役柄を無理に演じようとして苦しんでいる人を見るたびに感じます。 もちろんそぐわないと思うのはこちらの勝手な感想ですし、本人の生き方に関わる事なので口出しこそはしませんが。 でも、もう無理しなくてもいいんだよ。君の人生を生きていいんだからと声をかけたくなることもしばしばで・・・
>>155 「団塊の男たち」は結局「植民地の女たち」を「従軍慰安婦」として
「使用」した自分の「父親たち」と喧嘩できないまま、「革命慰安婦」として
「日本人の女たち」を「使用」した。「母性」を「神聖視」する一方で
それを「蹂躙」する「父親」のダブル・スタンダードを「団塊の男たち」が
「容認」したことを、「団塊ジュニアの男たち」は「反復」してるんです。
「従軍慰安婦問題」がひきがねになって、各世代の男たちのトラウマが
それぞれに発現してるんでしょう。時期的にぴったり合う。
>>157 初期ドラクエは、どんな感性を背景に成立したかといえば、
雑誌『OUT』の読者がもっていた、その「三人称的視点」だと僕は思うんですね。
僕はゲームをしませんが、『OUT』の読者でしたから、ほりいゆうじさんが
連載のためにアップルUeを購入し、そこにウィザードリィーがおまけで
くっついてきて、それにハマり、ポートピア殺人事件、オホーツクに消ゆ、に次いで、
ドラゴン・クエストを制作する過程をリアルタイムで知っている。
おっしゃるような「都合のいい出力子」には制御不能性が必ず伴うんです。
それを「楽しむ」感性といえばいいんでしょうか。経済のグローバル化が
進むなかで制御不能性が増大し、それを「楽しむ」ことがいよいよ困難になっている。
そんな気がします。
>>129 については「風景論」というのがあって、昨年サイモン・シェーマの
『風景と記憶』も邦訳されました。まあ、1万円近くするのでまだ買ってませんが(^-^;
プルーストの小説にも出てくるような「土地の精霊」ゲニウス・ロキと
言語の結びつきってのも、地上げが横行し、乱開発が進行するなかで、
失われてるんじゃないかと思います。「失われた時をもとめて」が
さらに困難となっているというか。また、これはヘタに言えば、
「大地と民族」の話に逆戻りしてしまいかねません。
>>159-160 中島みゆきの「風にならないか」という曲を思い出します。
ttp://www.miyuki-lab.jp/disco/lyric/ba291.shtml 「役割」「ステレオタイプ」の再生産も規範としてのジェンダーの
問題で、それはゲイにおいても同じである、ということなんじゃないでしょうか。
ジェンダーの解体がセクシュアリティがなんであれ「君の人生」を可能にする。
「親に売られたり、家族のために自ら買われたり」せずにすむ 「女性の人権」を保障する、というのは「ソフト」ではなく、 「ハード」です。「ソフト」において一部の「女性」が 自ら望んで「売買」されていることと、それを混同しないことが 必要です。当時のすべての「慰安婦」、現在のすべての「風俗嬢」が 「自ら望んでいる」というわけではない以上。 ある女性が「売春婦」を「職業」として「自ら望んで」選択することはあるでしょう。 問題は、「自ら望んで」選択するのではない女性たちが、その選択を「拒む すべをもたない」女性たちが存在することです。それは今も昔も変わらない。 すべてのフィリピーナが日本に風俗嬢として来ることを「自ら望んでいる」とは 誰にも言えない。そして、かつて日本から中国に渡った「からゆきさん」たちの すべてが「自ら望んで」そうしたとも、誰にも言えない。
>>163 のおかげで
>>138 のはくタンのレスがよくわかりますね。
>>66 のリンク先の「男の子」をはじめとして、
>>163 のおさらいさんも、
そしておそらくは「非モテ男」も、「すべての『弱者女性』は
『強者男性』に金で買われることを望んでいる」と考えているわけです。
そんなことあるわけがない。当然のことですが、そうではないから、
「強者男性」化を望んだ元「弱者女性」もいるわけです。
なかには、それを望みながら果たせず死んでいった女たちもいる。
「歴史」が忘れられている、というのはそういうことです。
167 :
f u n w a k a :2006/07/13(木) 02:22:38 ID:2VEwH+G6
男が何故結婚するのか?その理由を書きます。ついでに女性の理由も( 笑 )男が結婚をしたい理由ポイント 99ポイント 安定セックス確保 50ポイント 家事諸雑多からの解放 10ポイント 自分の子供 女が結婚したい理由ポイント 100ポイント 経済的安定 90ポイント 安定セックス(性感発育が完成された女性ならば100ポイント) 60ポイント 自分の子供 ナント!女性のほうが結婚に対する要求とそれを満たされた場合の得点が多いこと か!?( 笑 )要するに男にとっては、セックスの安定確保がどれほど大事で重要な ことかが解っていただけたでしょうか?(^。^;)我慢すればいつかはそれほどで も無くなる女性の性的欲求ですが、溜まれば、必ず射精しなければならない、でな いと自律神経が性的な夢まで見させて夢精をさせる男の性は、溜まる、セックス出 来ないという事態は、強姦殺人まで犯すほどにせっぱつまるほど深刻なのです。 ですから、性の安定確保は男の絶対的な要素であり、生きてゆく上で不可欠な事で す、ですから、その重大な要素を満たしてくれる事になる女性に対し、見返りに、 愛情とセックスの快感と何よりも仕事をしなくても良い生活の安定安全を与えます。 いかに男が女性に性的な面を重要視しているか解っていただけたでしょうか? HP:恋愛マニュアル → 恋愛 指導 アドバイスより
「強者女性」の定義は「男に金で買われる必要がなく、場合によっては 男を金で買うことも可能な女性」でしょう。問題は、「『弱者』としての 『女性』が金で買われることを拒む」手段が、「強者男性」化しかない ところにあります。他にオプションがない。 上野は1989年のインタビューで、マスキュリニティのもつ特権性を問わずに、 それのもつネガティブな側面だけを過大に問題化し、その反面、 たとえば「美」という、女性に与えられた規範の非抑圧性をまったく無視して、 その特権性だけを問題にしてきた「フェミニズムに参加する男たち」に対して、 自分のマスキュリニティの自己解放という問題意識がまったく欠如しており、 それは根本的な自己欺瞞だ、それは通俗的にいえば、ウィメンズ・リブがあるのに、 どうしてメンズ・リブがないのか、と言い、そうした「フェミ男」たちのふるまいを、 マスキュリニティの特権性を手放さずにフェミニニティの特権性だけを 自分のものにしようという、「いいとこどり」だ、と批判している。 これ、「フェミ男」を「バックラッシュ『自称』プレカリアート男」に 変えると、まんまあてはまる。 上野は、自分に与えられた社会的権力を手放さずに、そこでの疎外を、 もう一方に割振られた特権性で回復しようというのは、まったく虫のいい 甘えの構造でしかない、とも言っているけれど、「落ちこぼれ男」と 「落ちこぼれでない男」とが出会った時に発生するマスキュリニティの 規範性を、どうして男はだれ一人、マジに議論しないのか、という彼女の 問いに、誰もまだ答えてない。 「歴史」を思い出すのは難しいことでしょうか。樋口一葉の『にごりえ』を 読めばそれでいい。名家に生まれながら家の没落により酌婦になり、 自分が男であったなら、と、「天下を望む大伴の黒主とはわがこと」と言う、 お力のこと、そして、女でありながら小説を書き、家長として家族を支え 夭逝した一葉のことを思い出せば、それでいい。
169 :
83 :2006/07/13(木) 02:23:16 ID:6vQ9goXg
>>66 のリンク先の「男の子」って、「男ジェンダー」と「障碍」が結びついた厄介なタイプだわ。
ただの「駄々っ子」じゃないの。
自分の「障碍」がなにに由来しているのか分かってるのかしら。
「強者男性」とはホモソーシャル(「男」という同質性)でつながっているから、
なけなしの連帯感を抱けるんでしょうけど、
ジェンダーフリーによってその連帯感が失われるのを恐れているとしか思えない。
その連帯感自体がとっくに幻想なのにねぇ。
そんな幻想を「うまみ」としてたつもりなのかしら。
ジェンダーフリーは「強者男性」を「強者男性」たらしめている「うまみ」
(先例に従っているだけでまったく根拠がない)を解消しましょ、
ってことじゃないの?
バリアフリーな環境は「障碍者」や「高齢者」のみならず「健常者」にも暮らしやすいわけで、
社会的経済的なバリアとなっているジェンダーという壁を取り除くことは、
ジェンダーがディスアビリティとなっているひとたち(要するにすべてのひとたち)
にとって生き延びやすい社会をつくる契機のひとつだと思うけど。
なにより「男ジェンダー」というインペアメントから解放されるんだしw
とはいうものの、あたし自身はジェンダーフリーな世の中が実現されても、
自分の生き方が具体的にどうよくなるのかは分からないのよね。
これまでは孤独にジェンダー越境的な生き方を試行錯誤してきたけれど、
ようやく世の中が追いついてきたのかな、と思うくらいでしょう、たぶん。
それと、バックラッシュ派は、新たな「快楽の発明」を恐れているのだと思う。
「男」の「欲望」の押しつけにウンザリして、
「女」たちはそこから抜け出して新たな「快楽の発明」をしようとしているのに、
「男」たちは相変わらず古い「欲望」にしがみついている。
>>167 がシンクロして
>>168 のいい「まくら」になってくれていますねw
>>169 まあ、そういうことなんでしょうね。「経済格差」については
「男の子」たちの主張は理解できるけれど、それが「フェミナチ」叩きに
短絡するところで、結局「経済格差」それ自体に対しては「容認」しているのと
変わらず、「弱者女性の身売り」は問題化されないままに終わる。
「女女格差」を問題としているフェミニズムが「経済格差」を
問題にしてないわけがない。
上野は、上記インタビューでこんなことも言ってます。男のオチコボレに
対して女のオチアガリがあり、オチアガリ・フェミニズムのなかにある
隠れたエリート主義は、オチコボレの男を決して許そうとはしない、
それがオチアガリ女の側の問題である、もう一つは、オチコボレの男の
側にある一種の依存性と甘えが、女につけ込むかたちで現れてくると、
結局いちばんたちの悪いマザコン型構造が、オチコボレ男とオチアガリ女との
間に再生産されたりする、だからオチアガリ女とオチコボレ男の関係は、
そんなに簡単にはいかない、男の自己解放はかくもこれほど難しい、と
いうことだ、と。
姐さんが「駄々っ子」というのは、その意味で当たってます。
171 :
83 :2006/07/13(木) 03:45:05 ID:6vQ9goXg
>>170 フェミニズムがジェンダーフリーを推進しても、メンズ・リブを自分たちでやってくれないと、
「男らしさの病」は治らないのよね。
バックラッシュ“駄々っ子”は、「ボクたちは病気のままでいいんだ! 障碍者のままでいいんだ!」と言っているだけ。
「当事者性」に目覚めるのはいつのことやら。
172 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 03:50:53 ID:2VEwH+G6
戦後の日本の教育が【 競争を無くす 】という、男の本能そのものを歪め貶める システムに固執したせいで、子供の頃から男の性、オスの本能である覇気(攻撃性 も含む)まで歪められてしまって結果、日本の男の精力は日教組教育で著しく損なわれた! と、私は感じています。男の精力は、男らしさ!の原則が絶対に必要なのです! 男の強さ、逞しさ、気概、(有る意味攻撃的要素)無くして、強い精力の発情が起 こる訳が無いし、女性を包む大きな愛も、支える逞しさ、も、男の気概、強さの余 裕無くしては生まれないし、出来はしない!のです。余程変わったフェチ趣味でな い限り、男の性欲は、女らしい女!、だけに!強く反応します。 日教組教育の弊害でもたらされた、そこら中に氾濫する、『 クソ生意気な男のよ うな女! 』には、初めて目にする裸の物珍しさ、の時だけしか、男の性は反応し ません。 女のハダカとはいえ、10〜20回以上見続ければ、ハダカにおいても 何ら目新しさの刺激は無くなるのです。二〜三年以後、いつでもどこでも、その女 性に、男の性が、『 発情する!』のは、その女性の『女らしさ!』であり、『男 に尽くす姿の愛おしさ!』であり!『女らしいかわいらしさ!』に起こるのです。 古今東西、『 クソ生意気な男のような女! 』、の、カカア天下!の家庭の、 『 亭主のペニスは恐ろしく勢いが無い! 』のは、論を持たない!のが、証明です。 男は男らしく! 女は女らしく! それが男女共に相思相愛の幸せな一体感が起 こる基本です。 HP:恋愛マニュアル → カップル、夫婦、指導 より抜粋。
173 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 03:57:26 ID:2VEwH+G6
私の田舎にはこういう格言があります。「オンナと動物(家畜)は三日に一度どづ け!」もちろん比喩的な暴言に近い格言でありまして、現代の世に実際に女性を( 奥方を)どつこうものなら即刻離婚!は免れないでしょう。f(^-^;ただ、私はこの 格言の本当の意味!をカタチを変えて今でも半年に一回か、一年に一回は忠実にワ イフに履行しています。というのは何故か、女性という生き物は、直ぐに自分の立 つ位置を自らに都合の良い位置にどんどん移動してしまっていることに、全く!気 がつかないというか、それが当然だ!との思考に陥る生き物だからです。だからき ちんと初心に戻すためにも半年に一回もしくは1〜2年に一回は「ほっぺたはり倒 す!程のきっつ〜いお叱り(暴力の代わりにキツイ説教をする)」を行います。 理路整然と、順々に諭す私の言葉にヒステリーを起こして、「聞く耳持たない!」 という態度が出れば、私は躊躇無くワイフの頬を張ります。暴力的(言葉であろう とヒステリー(他に対する暴力以外の何モノでも有りません、)キチガイを大人し くさせるには、頬を張る、要するに、強制的拘束、か、弛緩注射をするしかないと、 医師でさえも認めているからです。 男のオチンチンを限りなく大人しくさせる方法各種を述べます。 一番目、攻撃的なオンナ 二番目、男に精神的、肉体的、及び対外的に損失を与える可能性の有るオンナ 三番目、ヒステリーオンナ 四番目、男を尊敬しないオンナ 五番目、汚いオンナ 六番目、公衆便所 HP:恋愛マニュアル → カップル、夫婦、指導 より。
>>171 上野さんのインタビュー、17年前ですからね。
ネットで無邪気に「バックラッシュ祭り」をやってる「日本人の男の子たち」は、
すでに「当事者性」に目覚めてるつもりなんでしょ、たぶん。
だから、目覚めない。「『弱者』を僭称している者がいる、それは許せない、
なぜなら、俺たちが『真の弱者』だから」と言うばかり。彼らが「弱者」でない、とは
言いませんが、彼らだけが「弱者」でない、のは確かでしょう。
>>173 ああ、なるほど、あなた実は「女性」だったんですね。納得。
>女性という生き物は、直ぐに自分の立つ位置を自らに都合の良い位置に
>どんどん移動してしまっていることに、全く!気がつかないというか、
>それが当然だ!との思考に陥る生き物
で、どんな「男」に「ほっぺた張られて」るんでしょう? で、あなたは
「一番目」と「三番目」のどちらでしょう?
>>171 事ほどさように、「男性の自己解放は困難である」。
再確認できましたね。自演してるかと自分でも思うほど、
いいタイミングです。
「オチコボレ男性」と「オチコボレでない男性」との関係における、 前者の「女性化」の不安を、後者との対決で問題化し、両者が 「自己解放」するしかないわけですね、結局。 ところが「男同士の絆」にしがみついている。自分で自分の首を締めて、 締められていると大騒ぎ。知ったことか、と思いますね。
177 :
f u n w a k a :2006/07/13(木) 05:05:27 ID:2VEwH+G6
数日前彼女のマンションで彼女と一緒にテレビを見ていました。 画面ではお笑い芸人と30才とはいえ若いバラドルの女性が話をしています。男女 の問題で、芸人が男の本音の説明をし、それに驚いたバラドルが女性らしく恋に恋 する理想を語ったのでしたが、そのバラドルの思いを聞いた彼女が感想を述べまし た。「私もf u n w a k aさんと知り合う前だったら、恋愛に、この女性と同じ事 を考え、想像していたし、言い、男性に対してもそいう意識で接していたと思う。 でも今は男性の気持ちとか言う意味が良く分かるようになったわ。f u n w a k a さんのおかげで。。」 実に意味の深いつぶやきです。 彼女は決して人の気分を害する言葉を発する娘では有りません。つくづく人には攻 撃型と受け身型が有るのだと感じさせられます。彼女と付き合うようになって2年 半、限りなく時間を共有しています(音声チャットも多くありますが、それも時間 を、心を共有している時間です)。それほど多くの時間を共有しているのに一度と して彼女の口から他人に対しての悪口を聞いた事が無いのです。人の良い所や、誉 め言葉、参考になった話や、自身の失敗話と、かわいい犬や猫やの動物の話が全て で、嫌みや悪口等攻撃性は皆無です。受け身は誠実性とセットで存在し、攻撃性と 相反するものなのか?とも感じさせられます。 他の彼女には(`o´)プン!(`o´)プン!攻撃が有りますが・・(笑))そ れ以外の彼女達にも受け身性が強くあるのと同じく攻撃性は皆無で、受け身性と同じ く誠実さも強く感じます。ですから彼女のつぶやきの中には、喜び、肯定の意味は 有れども批判や、皮肉は紙の薄さほども無いと解っています。彼女の真意を私は嬉しく耳に届かせました。
178 :
f u n w a k a :2006/07/13(木) 05:07:13 ID:2VEwH+G6
彼女は、男の心理と生理を持つ私を理解出来はじめたから、私との幸せな恋愛がで きるようになった、と、感謝の意味を口にしたのです。男は女性に対しての自らの 思いの殆どを自覚出来ていますし、思いを忠実に行動に表します。しかし、自らの 真意を知り得ている女性は極々少数です。思春期の女性の殆どはシンデレラの夢の 世界で漂い遊びます。それがいつしか夢と現実との境界線を無くします。しかし、 本人は現実の生身の身体と心を持っています。そこで現実と希望と夢の乖離が起こ ります。故に若い頃の恋愛においての女性の行動や言葉には本音は少なく、少ない 言葉の中から男は女性の本音を探すしか有りません。 女性自身に自らの意志が行動には表れないあやふやさが根付いているのに、全く性 の思考現れが違う男にその真意を理解出来るはずが有りません。なおさら自分自身 の意志さえもあやうい女性が、正反対の性を持つ男性を理解させるなど神様でも難 しい、と思えます。f(^-^; 男と女の性は、決定的な開き、むしろ正反対なのだ、との、性教育が必要だと私は 強く思います。その意味では、ジェンダーフリー運動に真っ向から私は反対します。 単にジェンダーが左翼の運動だからでは無く、女性の幸せを考えた時、なおさらに、 男の強さが必要だと解っているからです。 オスの本能、それはメスよりも強い体力であり、能動であり、想像力であり、攻撃 力であり、征服欲です。そのオスの本能を、メスと同じ行動、生き方、思考、能動 を同じくさせてしまう、、、それはもう『オスの去勢指導』 『去勢教育』以外の 何物でも無いからです。今、左翼の運動家は盛んにジェンダーフリー運動を推進しています。 私には、その運動が、どれほど男の性を貶め、それが結果的に女性の真の幸せを奪 い去ってしまう事かと、解っているだけに危惧します。
179 :
f u n w a k a :2006/07/13(木) 05:09:17 ID:2VEwH+G6
男は男らしく! 強く逞しく! 女は女らしく!柔らかに! 女性の人生を幸せなものにしたいなら、我が子(男子)の人生を幸せにした いなら、男子を去勢し続けて育てては、いけないのです! 男を逞しく、野生児に育てなくて、どうして、か弱き女性が、安全と安心と 愛情に守られ、心平穏に暮らせる事が出来るのでしょう!! 女性が、幸せと安全と安心を得る為には、男は男らしく!女とは全く違っ た、強く、逞ししい男!そのような男に育てる!でなければ、多くの女性 に真の幸せを得させる事は出来ないのです。 少し話がそれました、元に戻ります。 m( _ _ )m 女性に男性の性の真実、体質、仕組み、を全く理解させずに、思春期や、 成人に達する、育てる事が、どれほど女性の幸せを縁遠くさせる事か、不 幸の落とし穴を掘る事か、その意味を解るべきです。男女の身体と心の仕組 みが解らずして異性間のコミュニケーションを上手に保つなど、とうてい出 来るはずが無いのです。男女の根の違い、基本の違い、遺伝子の違い、体質 体格の違い、凸凹の違い、それを無視して、男女が真に解り合えるはずがな いのです。 私は当ホームページで多くの女性に、男の性の真実を!事実を!心理を!大 いなる違いを! 隠さずに、ありのままに教え、伝えています。 (男には、女性の真実を、本音を、身体を、仕組みを教えています) それが、一人でも多くの女性の(男性の)幸せを増やす事になると私は信じ ます。その基本姿勢を保ちながら、これからもホームページ、恋愛マニュ アル、の管理運営を生涯のライフワークとして維持し続けてゆこうと思います。 尚、男の強く逞しく!は、粗暴、とは全く違うという事を付け加えておきます。 HP:恋愛マニュアル
>思春期の女性の殆どはシンデレラの夢の世界で漂い遊びます。 「絶滅危惧種」の話でしょうか。こんなことを「現実」だと考えている 「50代のオヤジ」も「絶滅危惧種」でしょう。でなければ、 「援助交際」が社会問題化するわけない。
東京大学で博士号を取得し、パリ大学やケンブリッジ大学に留学、 Ph.D を取得して、大学で教鞭を取り、結婚して子どもを育てている 女性なんてのも決してめずらしくはありませんが、要するに、 「同年代の勝ち組男」から「女の喜び」を教わることができる「勝ち組女」と それを「勝ち組女の前ではインポになる50代オヤジの愛人」から教わるしかない 「負け組女」との「女女格差」がある、ってことですね。 「女の喜び」を男から教わる必要もないけれど、仮に教わるとしても、 「勝ち組女の前ではインポになる50代オヤジの愛人」から学ぶ必要はない。 まあ、「勝ち組女の前ではインポになる」のは「50代オヤジ」に限った ことではないんでしょうが。
「オチコボレでない勝ち組強者男性」に「去勢」されて「女性化」される不安に おののき、「オチアガリ勝ち組強者女性」の前では「自己去勢」して 「インポ」になる不安におののき、「50代オヤジ」も「30代『自称』 プレカリアート男」もなんともまあ、忙しいことだと思いますね。 で、「勝ち組女」に「扶養家族」として依存するか、「負け組女」を 「快感依存症」にさせてモノにするか、という二者択一が「30代男性」と 「50代男性」によって「おめでたく」できあがる。
183 :
83 :2006/07/13(木) 14:07:47 ID:6vQ9goXg
>>180 「絶滅危惧種」の「50代オヤジ」は、自らを白馬に乗った王子になぞらえて夢の世界を漂い遊びます。
そして、自分を王子さまとして扱ってくれる殊勝な女性だけにエレクトするのです。
ってつころじゃないでしょうかね。
184 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 14:37:18 ID:DnoWwMK6
はくの勃起したチンチンが見たいぃぃいぃぃいいいい〜
>>183 「ジェンダー平等」の新たな定義は、「そのオスが何歳であれインポになる
理由が『勝ち組女』ではなくなること」になりそうですね。
フェミはフェミで「女性」の「強者男性」化がフェミのゴールである、と考える
「リベラル・フェミニズム」を批判し「ウィメンズ・リブ」を継続しないと
ダメだし、メイル・フェミニズムはメイル・フェミニズムで、
「メンズ・リブ」を開始し「マスキュリニティ」からの「自己解放」を
やってくれないと、ってとこでしょうか。
LGBT はこの状況にさまざまに関わっていて、それが「錯綜」を生んでいる。
>>185 訂正
LGBT は LGBTA に訂正します。
どうしてリベフェミはいつも藁人形にされるのはなぜ?
188 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 16:25:44 ID:2VEwH+G6
また新たにユートピアの娘(9)が、旅立ちました。一年と少し前の彼女からのメ ールは独りの寂しさに怯えふるえているようでした。普通ならとっくに結婚し子供 もいる年齢なのに恋愛も結婚する事さえも彼女の思考には無かったようです。殆ど の若い男女は思春期の頃から異性に心を躍らせ、身体を熱くし、想いを相手に伝え 表します。しかし、それが苦手な女性もいます。 人の性格は産まれ育った環境の影響を多く受け取ります。特に男女関係においての 影響は遺伝子よりもはるかに強いのです。彼女の結婚への夢の無さは憎しみ合うほ どの家庭内別居の両親の影響を強く受けていたようです。彼女には男との逢瀬の喜 び楽しさを教えなければと痛切に思いました。それが結婚への夢に繋がるように。 ユートピアに来る時の彼女達は現実の寂しさと未来の不安に暗澹としています。 それが頂点に膨らんだ時に私への便りとなります。私はユートピアの娘達を1〜2 年の間にそれぞれの段階に分けて旅立ちまで指導します。寂しさと未来への展望が 見えず暗い淵に沈んでいる彼女達に、異性に愛される幸せと、生き方次第、考え方 次第、行動次第で未来は明るく輝くのだとの証を示します。 最初の段階では、心も身体も大きく包み込み、熱く強く愛する事で私への信頼と愛 情を育てます。 彼女達に異性に愛される幸せを満喫させ、求められる嬉しさを 味あわせ、男に逞しく強く抱かれての刺激に悶えさせ快感をたっぷりと教える事で、 依存するほどに私への愛情を大きく膨らませます。 そのために最初の3〜5ヶ月 は心と身体と時間をたっぷりと注ぎます。確実な愛情、想いを私に持たせなければ それ以降の指導が難しいからです。片時も私の事が意識から離れなくなるほど私に 夢中になった時期から第二段階に移ります。
189 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 16:27:25 ID:2VEwH+G6
男の性、そして本人の内なる本音の性、を、きちんと分析し解説し教えます。 男 の性についてはホームページに殆ど書いてあるのですが、さらに私から微に入り細 に渡り直接言葉で説明し続けます。彼女達本人の性欲や性思考(嗜好)にしても自 身が理解し得ていない部分まで掘り起こし表面立たせてその事実を教えます。 これはかなりの衝撃を与えます。 女性なら誰しも自身の内にある性欲、欲望(有 る意味イヤラシサ)を直視したがらないからです。性(セックス)は、生きとし生け る物全てが、強く欲する事だという普通の認識を諭します。異性に性欲を感じる事 は当然で、普通で正常だという事。 セックスは淫らでイヤラシク猥褻だからこそ刺 激的な快楽だという事。それは全ての性有る者が楽しむべき快感なのだという事を 教え諭し、理解させ、安心させます。 次の段階ではメールや私との逢瀬で女性が男性を愛するとはどういう事かを教えます。 これもホームページに書いていますが、男が女を愛する行為とは、女性に安定と安 心と信頼そして快楽を与える事です。女が男を愛する行為とは、世話をし、フォロ ーし、つくし、従い、そして快感を共有する事です。(ジェンダーフリーの方には 異論が有るでしょうが、これが一般的な男女間の最も良い結果を生むコミュニケー ションの取り方です。)異性に好ましく思われる装い行為行動が出来る。 恋愛の 課程において恋人の心をより捕らえるか、離れさせてしまうかは相対したときの言 動や行動でどちらかに振れてしまいます。 その基本を知る知らないでは付き合い 続けるうちに好かれる嫌われるに大きく左右するのです。
190 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 16:28:16 ID:2VEwH+G6
少し話は外れますが、良くモテル女性がいます。常にどこででも男性に注視され男 性からアタックを受ける女性です。もし私が女なら間違いなくモテマクル!と思い ます。 美人でなくとも!スタイルが良くなくとも!です! どうすれば男性に注 目されるか、好まれるか、そしてアタックされるか、を、分析し研究し知り尽くす だろうからです。モチロンセックスにおいても! そのコツを教えます。男性から 注視されるには一にも二にも装いを女性らしくする事です。女性を強調するといっ ても良いでしょう。化粧は当然の事、品が落ちない程度にボディラインを強調した コスチュームを身につけさせます。そして笑顔、自然な笑顔、いつでもどこでも誰 にでも!忘れずに!笑顔!微笑み!気の効いたセリフも楽しき話題づくりも全然必 要は無く、ブランドを身につける必要などさらさら無く身体もただただ身の回りも 清潔にし、相手の話をしっかりと聞き、注視し、時々は質問し、常に「私は貴男が 好きです、だから貴男の事はなんでも知りたい。」という気持ちを、心を、微笑み を、表し続ける事。そうして相手に注意をし続けているなら、男性のフォローや世 話、身の回りの心づくしの仕方が出来るようになります。気が付かなければ直接言葉で教えます。 私の語り、教えはわかりやすくストレートです。 例えば、「なぜ人は結婚するのか ?」と、問います。 色々な飾った回答が帰ってきます。 それらは全て間接的で取 るに足りない事だと断言します。 人は何故結婚するのか? 簡単明瞭な事です。 【人はセックスしたいから結婚する!】 のです。 だから100人が100人の男女共に結婚する資格を立派に有しているはずです。 どのような酷い性格でも!容姿でも!立派に結婚生活を続けている人達は大勢いま す。なのに、何故結婚したいと思わないのか?結婚出来ないのか?恋人が欲しいと いう事は【セックスしたい!】 という事と同意語です。 なのにどうして、性格も 容姿もカワイイユートピアの娘達に結婚の意志が生まれないのか? 恋愛に至らな いのか?本人がそうした世の真実、また自身の内なる真実を理解できていないから です。それを洗いざらいさらけ出させて教えます。 最後は...これが最も本人にとっても私にとってもキツイ作業になります。 私 を諦めさせ結婚に意識を向けさせる事です。 もちろん結婚するかどうかは本人次 第であり私がとやかく言う事では有りません。ですから一生独りでも生きて行けるキ ャリア(専門職)が有る女性には異性間のコミュニケーションの取り方全てを教え た後の身の振り方は本人に任せます。しかし、キャリアが無い女性は確実に1〜2 年以内もしくは30才までに私を諦めさせ結婚を目指させます。30才までなら普 通の恋愛での結婚も十分あり得ます。女性の魅力の出し方を徹底して教えたのです から、女性のかわいさの素質は十分に有るユートピアの娘達ですから、それほど日 を待たずに恋人が出来るでしょう。しかし、30代後半になるとそうもゆきません、 子作りの年齢に待ったなし!がかかってくるからです。 ですから30代半ばを過 ぎた娘には結果が直ぐ出る見合いでの結婚を目指させます。
191 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 16:29:07 ID:2VEwH+G6
生まれて始めて異性から強く深く激しく求められ愛された・・・・その男を諦め次
の男を捜さなければならない・・・・・有る意味では夢の花園から元の孤独の淵に
突き落とされるようなものです.....。 しかし、彼女達の一生のスパンで考
えればすでにそんな夢に漂っている余裕を与えるわけにはゆかないのです。元々3
0半ばで子供作りにも崖っぷちを転がり落ち始めているというのに、さらに夢の中
に漂い続ける事は一生の不幸の始まりの崖を転がり落ち続けるのですから。。。
そんな彼女達を長らく私に逢いに来させ続けるという事は....足蹴にしてさら
に不幸の崖に突き落とす行為となるのです。私にはそんな自己中心的な事は出来ま
せん。悲しもうと涙されようとも、新しい旅立ちを促さねばならないのです。その
ために私の心と身体と時間をフルに使って愛し、夢の時間を過ごさせたのですから。。
男に強く愛され求められ身体が壊れるほどの刺激を受け快感に彷徨う・・・私との
逢瀬が彼女達の青春の証、思い出になるように・・・いつも抱く度に私はそう愛し
て来ました。始めて味わう満足と幸福と刺激と快感から突き放される辛さ・・・そ
の辛さは十分に解ります。その幸せ度が高すぎただけに・・・。幸いにして二人と
も私に怒られたり、付き合う男性によっては無理矢理別れされられたりして多少の
紆余曲折は合ったものの、結果的に優しく生活力のある男性と出会い私も安堵でき
る交際が始まりました。 男性とのコミュニケーションの取り方を色々と教えて来
た娘達ですからこれからの結婚生活も仲良く過ごしてゆけると思います。
私が愛し、送り出した娘達に幸多かりし事を!!
オマエ達が幸せになってくれる事が私の一番の嬉しい事なんだよ。。。。。。。。。
http://hw001.gate01.com/funwaka/hitorigoto4.htm
ちゃんとふんわかって名前入れてくれよ あぼんできないじゃないか
>>191 独り言なのにコピペしてんじゃねーよwww
194 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 19:22:49 ID:nygsE7NR
いまさらだけどこの変態オヤジはどうしてこのスレにしつこくコピペするんだろな…
話を聴く価値があると評価されてる人はコピペなんかしなくても 相手から話を聴きに来てくれるけど、キモイ頭のおかしい親父の話は コピペして多くの人の目に無理やり触れさせる以外に誰も見てくれないから
>>66 のリンク先で、「ワークシェアリング」について書かれてるの読んだんだけどね……
???
一般的に「ワークシェアリング」はどう定義されてるの????
安い時間給でパートを使いまわす、つまり経済的な「弱者」だらけにして、
残りを正社員給料をもらう「強者」が握るって構図???
いや、派遣、パートが花盛りであることは知ってるし、
それらがほぼ女に割り当てられてることも知ってる。
派遣社員として応募した男が断られて「男性差別だ」と訴えたか何かした事例も聞いてる。
俺は、このスレで何回か「ワークシェア」と書いたことがあったんだけど、
それのイメージは、
パートでも派遣社員でも、働いた時間・能力に応じて賃金を得て、かつ、
正社員と同じような保障を約束される労働形態なんだよね。
有休日数や社会保険や労働組合への参加とかを、正社員と同じに扱うって意味。
こうすれば、多くの人がより働きやすくなると思うんだよ?
シングルマザーやファザー、再就職の中高年、働きながら勉強したい若者とか。
なんか、技術とかポジションとかの取り合いがあって、
「強者」である「団塊世代」にしか「うまみ」がいかないような書き方してたんで、
ちょっとアレ??と思った。
それとも、俺が言ってるのは「ワークシェア」じゃないのかな???
いつからここは吐くの学校になったんだ?
198 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 23:13:49 ID:2VEwH+G6
私は以前から過食拒食の女性がいるのに過食拒食を繰り返す男性が殆どいない事を 不思議に思っていたのですが、相談ホームページを運営して行く課程で、それが女 性だからこそ、女性として生まれたからこそ、そうした女性だけに特異に現れる症 状なのだと解りかけて来ました。親の愛を信じられない男がいても男の場合は、大 人になれば愛を自分で振りまいて女性を獲得するしかないのであって、誰かからタ ナボタで与えられるものでは無いことを本能的に、遺伝子的に理解しているから、 精神の不安定さは起こりにくいようです。 しかし、女性はそうでは有りません。何万年と続いてきた歴史、女性は家にいて家 事育児に専念する。食料も家も生活も男性の愛の確保によって賄われ、それを与え られる事で、精神も生活も快感も、安心も安定も安全も得られます。その連綿と続 いてきた女性の歴史が、女性にとって愛は与えられるモノであり、愛を得られてこ そ自分の生活と安全と安定が確保されるという、全ての保証が、愛を与えられる事 で得られる、という答えが遺伝子に組み込まれているからとしか私には思えません。 故に、女性の場合は自分を愛する者が存在しない事で、精神が不安定になります。 愛の確保、生活精神の安定の不安、それを得ようとする渇望と飢えが起こり、それ が高じ過ぎて、他のモノに方向が転嫁されます。他の同姓と比較して生活の不安定 が恐ろしくもあり、それを得られない精神の不安定さが自己に向かい、自己否定が 起こり、その事に強く悩まされるようになります。それが女性により拒食過食に向 かってしまう事となるようです。愛されない寂しさ、求められない明日の絶望が、 本人の精神を蝕み、絶望を否定するために過食や拒食をする事で自己の存在、主張 を表現するようになってしまう、過食拒食という手段で。。。
199 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 23:15:03 ID:2VEwH+G6
過食拒食の本質はダイエットでも無ければ、美しさを求める気持ちから来るもので は有りません。食欲の飢えから来るものではなくて、愛情の飢えから来る、圧迫感 や、無常感から逃げる、擬似的な逃避行動です。自分の精神の混乱を一転に集中さ せる事で無常感をごまかす為の行為でしか有りません。しかし、無常感や精神の混 乱は、過食拒食で、姿、形を変える事では解消できるものでは無いので、混乱はい つまでも収まらず心の安定が起こらない限りその行為は酷くなりがちです。過食拒 食が直るのは、ただただ、一点だけ。愛し愛される男との恋愛でしか治りません。 今更両親の愛を見せられても、親では20代中頃から後半にかけての健康に育った 女性の心や身体を満たさせるものではないからです。親では未来への安定を確保出 来ません。もう一つの問題は親の愛を知らずに育った女性には、何故か他人への不 信感が常に存在するようになります。絶対的にあり得るはずの親の愛の不在で育つ 事により、他へは心を開かない人間へと育ってしまうようです。異性との交流、恋 愛とは、心と身体を相手の男性に全て開け広げ、明け渡す行為です。親の愛無くし て(と本人が勘違いしているだけなのですが)育った女性にとって、自分を全て明 け渡すのは恐怖以外の何ものでも有りません。自己の心も固く閉ざし締め切り誰に も、友達にさえも自分の心を見せずに生きて来た習慣がこびり付いた女性にとって、 異性への愛は勇気有る冒険、未開のジャングルに突き進む程の勇気と決断を必要と し、とてもそれに立ち向かう勇気など自ら沸き出させる事など出来ません。
200 :
禁断の名無しさん :2006/07/13(木) 23:17:20 ID:2VEwH+G6
親であろうと、友達であろうと、恋人であろうと、他から自分が愛さている事、必 要とされている事を実感出来ている時、女性は幸せに満たされます。 心や、身体が幸せに満たされている女性なら過食拒食には殆ど走りません。 単にだらしない食い意地が張っているだけの女性は別ですが、、、そうした女性は 過食は有っても拒食には走りません。 精神の飢え。 愛されたい、求められたい、その強烈な飢えから来る乾きが精神を蝕み過食拒食と いう行為に走らせるのです。 HP:恋愛マニュアル → f u n w a k a論 → 教育 より。 1999.10.20.highway開設 ⇒MTCI⇒LIVEDOOR⇒ZAQ 2002.8月20まで1360000カウント 2002.8.21より現アドレスでのカウント数 2152618カウント
死ねよコピペ猿 こういうのってコピペ荒らしでアクセス規制できないの?
荒し通報→アク禁の可能性はあるよ。 しばし待ってね☆
〈f u n w a k a〉が、私たちのまさに目の前に、姿を現わしている。この数十年のあい だに、植民地体制が打倒され、資本主義的な2ch市場に対するアクセス規制の 障壁がついに崩壊を迎えたすぐのちに、私たちが目の当たりにしてきたのは、 妄想的・独善的な一方的レスの、抗しがたく不可逆的な日常化の動きだった。 2chとそのスレの複雑化に伴い、一方的なレス、無答責の新たな論理 と構造、ひと言でいえば新たな匿名の形態が出現しているのだ。〈f u n w a k a〉とは、 これらグローバルな一方通行を有効に活用する宗教的主体のことであり、この2ch を統治している匿名的変態のことである。 〜中略〜 〈f u n w a k a〉への移行は現代的主権が終わりにさしかかったころ、その黄昏のなか から姿を現わす。帝国主義とは対照的に、〈f u n w a k a〉は権力の領土上の中心を打 ち立てることもなければ、固定した境界や障壁にも依拠しない。〈f u n w a k a〉とは、 脱中心的で脱領土的な変態オヤジなのであり、これは、そのたえず拡大しつづけ る開かれた境界の内部に、グローバルな領域全体を一方的に組み込んでいくの である。〈f u n w a k a〉は、そのコピペの分散状況を調節しながら、異種混交的な アイデンティティと無責任なコピペ爆撃、そしてまた自らの正しさを孤独に咆哮するの だ。要するに、帝国主義的な世界地図の国別にきっちりと塗りわけられた色が、 一方的な〈f u n w a k a〉の虹色のなかに溶け込んでいったわけである。 私たちが直面している〈f u n w a k a〉は、コピペとそれによるスレの廃墟 化からなるけた外れの権力を揮うが、だからといって私たちは、この事実を盾 にとって、かつての支配形態へのノスタルジーに耽るべきでは毛頭ない。 〈f u n w a k a〉への移行とそのコピペの無責任化へのプロセスは、それに 対する規制をめざすさまざまな力に対して、いくつもの新たな可能性 を差し出してもいるのだ。むろん、グローバリゼーションは荒らしのみの事態のこ とではないし、グローバリゼーションとして認知される多種多様なプロセスが、 統合されたり、一義的なものに収斂することもないだろう。
マルチチュードと糞馬鹿変態親父に何の関係があるの? てか、面白くないし
ちょっとスレ違いなんだけど、お邪魔させてもらうわねー。 いや、今他スレに自らの主義主張押し付けてカタルシス覚えてる構ってチャンが来てるんだけど、 生暖かく彼なりの思考を手繰り寄せてみたら、その中身はさておき、意外と面白いのね。 何つーか、位相のズレが目から鱗っつーか、のーみそこねこねさせられるっつーか、 こういう動機と思考回路があったらアウトプットがこんな風になっちゃうのねーみたいな。 他者の主張もまずは取り込んでみる、その柔軟な姿勢と思考は失いたくないと思う今日この頃。 チラ裏の呟き、失礼をば致しましたわ♪
ノンケ用質問スレだねw>205 「性欲」を「生殖目的」と「快楽目的」に分けて優劣をつけてる。 この2つをキッチリと分けてセックスしてるノンケがどれだけいるんだろうねww また、何らかの事情で子供を持てない・持たないノンケは、彼の主張に沿えば、 「快楽目的のセックス」しかしていないって事になるんじゃないかな。 まあ、彼の場合おそらく、 最初に「ノンケ>ゲイ」という図式が出来上がっていて、 それを証明するために苦しまぎれに「性欲」2分割法を編み出したんだと思うけど。 ホモフォビアとバックラッシュって似てるね。
【ノンケサン用】ゲイビアンが質問にマターリ答えるスレ27【カモン】
>
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gay/1150809394/l50/255宛 >男と女のペアしか子孫繁栄できないだろw
それじゃ、あなたは「子孫繁栄」目的のセックスをする時は、
相手が卵子を持っているかどうか、当然、確認してからやってるんだよね?
一見「女」に見えても、卵子を持ってるかどうかは、外からは分からないでしょ?
どうやって確認してるんですか?
それとも、「子孫繁栄」目的のセックスをする時は、
子供を産んだことがある女を選ぶわけ?
で、「本能」というからにはノンケは全員そうしてるんだよね?
>207のアンカー先(ID:ONT3KKlC)へ追加
>セックスする行為自体が本能ならこの世はホモやレズだらけになる可能性がある。
>>38 、
>>50 をお読みください。
>なんせ同性とのオナニーの助け合いは病み付きになるらしいからw
あなた、やったことあるんでしょうか?
あれ??? >セックスする行為自体が本能ならこの世はホモやレズだらけになる可能性がある。 >なんせ同性とのオナニーの助け合いは病み付きになるらしいからw 「同性とのオナニーの助け合いは病み付きになるから、 この世はホモやレズだらけになる」???? それって、放っといたら快楽目的のセックスをしてしまうって事だよね。 生殖目的のセックスが「本能」であるなら、そんなふうに流されるはずはないよね? 「本能」なら、病み付きだろうが何だろうが、 同性とのオナニーの助け合いなんて快楽目的のセックスには見向きもしないで、 生殖目的のセックスに邁進するはずでしょ。 そうじゃなくて「ホモやレズだらけに」なりそうってことは、 まさに、快楽目的のセックスが「本能」ってことになりませんかね。
>>207 コンドームって存在しますよね、ペッサリーってありますよね、
ピルって知ってますか、で、FAですw
で。
ttp://www7.vis.ne.jp/~t-job/bbs4/light.cgi の、1298 を読むと脱力するわけです。
>> フェミニズムが弱者男性を救わないからと言って、それを批判するバックラッシュな人達が処方箋を持ってるわけではない。
>そうでもないですよ。
>「女性は仕事をするべきではない」という風潮が生まれて、女性が仕事を追われれば、その分弱者男性がそこに入る事ができるかもしれません。
>また、女性が結婚するのが当たり前であって、結婚しない女は人として認めないと言う風潮ができれば、弱者男性であっても結婚のチャンスは増えますし、結婚して「家族」という形態になってしまえば、国だって家族となった弱者男性を無下には扱えないわけです。
>そうして男性弱者が尊厳を得る可能性はあるのです。
「可能性」というなら、現在においては、海外でも生きていける「強者女性」が国外流失し、その結果生産性が下がり、
国内労働需要が減った結果、やっぱり「弱者男性」は不要、ということもあれば、「日本人弱者男性」と結婚する
くらいなら、「外国人強者男性」と結婚した方がマシ、というのは、「強者女性」には少なからずいるわけです。
僕の周囲には国際結婚してるひと結構いますし。「人として認めない」って、それじゃあ、
他の人権侵害国家のことなんて何も言えませんw だから「男の子」だ、って言うんです。
というか、「強者男性」って「日本人女性」なんて貧しい選択肢から女選んでませんw
世界中の女から相手を選べるのが「強者男性」で、リンク先の「男の子」のいう
「年収300万程度」が将来的に望めるのが「強者」である、というのは、
「女選び」からすれば、まったく意味がない、ということです。
グローバル化のなかでの「強者」ってのは世界のなかから相手が よりどりみどり、ってことです。 「日本人弱者女性」(仕事を剥奪され、結婚するしか生き延びる道がないんだから 定義的に弱者ですね)をあてがわれて、満足できる程度の「男の子の尊厳」の ために、現在働いている「強者女性」があげている生産性を捨てるのは、 「国益」に反し、さらに将来的に「強者女性」が「国外流失」し 国際結婚するのは「国益」に反します。 その程度の「尊厳」しか考えられないから、使いようがないんで、 別に「団塊のバカ」でなくても、そんな「男の子」今の世の中で 使う必要もありません。
端的に言って、もし、本当に、リンク先の 1298 のようなことを
すべての「弱者男性」が考えているんだとしたら、そんなものは
すべて死に絶えてしまえばいいわけです。
「弱者女性」が同じように言えるかどうか、それを考えてみればいい。
そんなこと言えません。「結婚しない男は人として認めないという
風潮ができれば、弱者女性であっても結婚のチャンスは増える」なら、
現在すでにそうだから、
>>102 みたいな特集が保守メディアで
組まれるわけで、だったら、すでに存在する「弱者女性」と
「弱者男性」はつがえばいいだけのことです。「強者女性」を
再「弱者」化する必要はどこにもない。
リンク先を見ると「俺は違う」と「男の子」は言いたいようですが、
そんなことを「可能性」としてでも言ってしまうから、
「弱者男性」は現在「人として認められない」ということです。
「他者」としての「女性」を「人として認めたくない」という欲望を
抱かされた者の「因果応報」です。
>>212 訂正
「他者」としての「女性」→「他者」としての「強者女性」
2行でFAですかw リンク先、そんな掲示板があったんだー >女性が結婚するのが当たり前であって、結婚しない女は人として認めないと言う風潮ができれば、 >弱者男性であっても結婚のチャンスは増えますし、 すげーなー 「弱者男性」を救済するために女は全員結婚しろって?w 自分が良ければ、どれだけ他人の足を踏んでもいい、そして 踏むのは女の足に限るってわけなんだね。 他人を利用するより他に脳がないんだ。 それにしても、、何が何でも結婚結婚結婚……家族家族家族家族…… そんなふうに、自分を「結婚」「家庭」にしがみつかせてるのは何かって ちょっと考えてみればいいのに。。
>>214 FAでしょw?
飲んでいい気分で帰ってきたのに台無しですw
>>214 前にこのスレでは書いたんですが、ゲイとビアンのあいだで
「挿入」無しに子どもつくることが現在可能なんですね。
それを前提とした倫理や社会構築が必要とされている。
「生殖」できないゲイなんてひとりもいませんし、
「生殖」できないビアンもひとりもいません。
コストはそれなりにかかりますが、「挿入」は
「生殖」の「必要十分条件」ではなくなったんです。
ありゃ、、、ゴメンなさい!! >< お詫びに迎え酒あげゆ(・∀・)つU
>>214 FAにするのに、もうひとつありましたね。
向井亜紀って知ってますか?、とか。
何らかの疾病が原因で不妊になった女性も子どもは持てる。
日本で認めなくても、他の国でね。
>>217 いや、はくタンのレスのせいではなく、「男の子」と、
いまだに「生殖」と「快楽」を分ける「旧人類」のせいですw
「男の子」も「旧人類」も実際のトシは若そうだってのがびつくり。 こんな、性欲と私怨にとりつかれた動脈硬化脳のチンコは見るのも触るのもイヤー 女女間の妊娠は論理上では可能になったんだっけ? そのうち男男間でも可能になるよね。 そしたら「生殖目的のセックスが人間の本能でR」も日の目を見るかも。 ヨカタねー>ID:ONT3KKlC ひー 眠すぎで目がシバシバー お休みン☆
何を本能と定義してようと、 そいつに都合の良いことは、本能だから人間もそれに従え、 そいつに都合の悪いことは、知性を持つ人間はその本能抑え込め、 そう言い張るだけでしょ? あほくさいのでその問い自体却下。
ほんのちょっと修正w 何を本能と定義しようと、 そいつに都合の良いことは、本能だから人間もそれに従え、 そいつに都合の悪いことは、本能を抑え込むことが人間の知性の証、 そう言い張るだけでしょ? 何が是で何が否かを決定する権力の問題なのに、 その権力を行使しながら、その中で問いを立てている。 本能かどうかなんて、にせの問いに過ぎないわ。 そのにせの問いが、問いとして成り立っていると思わせるところにこそ、 問題としている権力作用は援用されている。 要するに、あほちゃうの?
223 :禁断の名無しさん :2006/07/14(金) 00:34:06 ID:ONT3KKlC
だいたい俺らとお前らの性欲を一緒にするなよw
俺らの性欲は子孫を繁栄させたいという「本能」によってもたらされる物なのね。
ロリコンはどう?まだ妊娠できない女の子相手に普通の男の本能は働かない。
じゃあロリコン野郎は本能ではなく、ただの性欲が膨れ上がったために歪ん性癖を持ってしまった変態って事になるよね?
ロリコンの話の女の子を男に置き換えたのがお前らなのねw
248 :禁断の名無しさん :2006/07/14(金) 02:42:42 ID:ONT3KKlC
>>244 ゴムをつけようが女と男のセックスは確実に本能によるものなのねw
セックスの場合の本能とは子孫を繁栄させたいという物なんだよ。本能のみでそのままセックスするのはただの動物。
人間なんだから理性が加わってゴムを付けてもなんら不思議はない。
ところがお前らはどうだ?本能も関係なし、かと言って同性でセックスすると言う無意味な行為を我慢する理性もないw
””俺らの性欲は子孫を繁栄させたいという「本能」によってもたらされる物なのね。””
ここから、””同性でセックスすると言う無意味な行為””と言う結論が導き出されるわけか
乏精子症のヘテロ、不妊症のヘテロ、閉経したヘテロのセックスはNGなのか?
おつむの弱い子の相手して楽しい? 限られた人生を馬鹿の相手して浪費するなんて考えられないわ
理性が加わると子孫を繁栄させたいって気持ちを押し殺す訳か とんでもない自己矛盾ですねこりゃ
>>221 そのとおりですね。
>>222 「子孫を繁栄させたい」という「人間」以外の「下等生物」とも共通の
その「本能」としての「生殖行為」に「性行為」が還元されないところに、
「人間」の「進化」があり、それは「言語」によってもたらされている。
だから「性」をめぐる言説としての「精神分析」では「言語」が問題となる。
で、その「子孫を繁栄させたい」という「本能」を押さえ込む「理性」の
働きの結果のひとつが「避妊」で、それを多様なセクシュアリティの
「構築」として展開すればたとえば「ゲイ」になる。
「人間」の「理性」は「技術」を通じて、「子孫を繁栄させたい」という
「本能」と「生殖行為」を切り離すことに成功した。ノンケの「避妊」と
「ゲイのセックス」やってることはどっちも同じ。
「子孫を繁栄させたい」という「本能」を「理性」によって「生殖行為」から
切り離している。で、この「生殖目的以外のセックスをする」という「理性」を
働かせてしまうのが「人間」という種の「本能」で、翻ってこれを「理性」で
押さえ込んでいるのが「人間」が不当にも「下等生物」とみなしている
他の生物種たち。という具合に、話はループする。
「理性」を「本能を押さえ込むもの」とすると、「下等生物」の
「子孫を繁栄させたい」という「本能」を「押さえ込んでいる」のが、
必ずしも「生殖」に結びつかない多様な「性行為」を
生み出す「人間」の「理性」で、そのように「理性」を働かせるのが
「人間」という種の「本能」で、その「人間」の「本能」を「理性」で
「押さえ込み」、「子孫を繁栄させたい」という「本能」だけで「生殖」
しているのが「下等生物」。どっちが「理性」的か、なんて問いは
意味がなく、むしろ、「子孫を繁栄させたい」という「本能」だけの
「性欲」は、「下等生物」と同じ。この「下等」というのは、
僕の価値判断ではなく、世の中でいう紋切り型としての「下等」。
またこの「性欲」の「下等生物」化を「退化」と呼ぶのも紋切り型。
もっとわかりやすくいうと、ヘテロ以外の多様なセクシュアリティを
「構築」するのが「人間」という「進化」した生物種の「本能」。
それを「理性」で「押さえ込み」、「子孫を繁栄させたい」という
だけでセックスするのは「下等生物」への「退化」と同じ。
そのスレの「旧人類」は自分が「下等生物」である、と主張したいんでしょう、きっと。
>>222 > 乏精子症のヘテロ、不妊症のヘテロ、閉経したヘテロのセックスはNGなのか?
女性とアナルセックスするのが好きなヘテロ男性の「性欲」は「本能」じゃないんでしょうね。
あとペニバンで女性にアナルを掘られるのが好きなヘテロ男性の「性欲」も。もちろん、
「性感」をはじめ各種「生殖」につながらない「性風俗産業」に通うヘテロ男性の「性欲」も
「本能」ではない。しかも、それらを「理性」で「押さえ込む」こともできてないから、
産業として利益があがる。「変態」ヘテロ男性が世界に満ち溢れてしまうわけですが、
それは「クィア」を提唱する、「クィア・スタディーズ」の望むところです。
227 :
222 :2006/07/14(金) 13:01:07 ID:fN4PRiUw
>>女性とアナルセックスするのが好きなヘテロ男性 松本人志だ。 純粋なSMも無意味になるわけですね。 ”ノーマル”なセックスにおいても挿入行為以外は無意味か。。 フェラもクンニも手マンも手コキもパイズリも何もかも。 レイプで中出しも本能と言えかねん。 さすがに考えすぎか。 ここまで考えてレスしてなさそうだ。
>>227 ああ、松ちゃんはそうでしたね。今もそうなのかな?
「旧人類」が確実にやってるはずの「マスターベーション」も
「変態」の「性行為」ですね。「ロリコン」の場合の
「幼女」は「まだ妊娠できない女」ですが、「絶対に妊娠できない女」を
相手に「性欲」を起こし「快楽」を得ている。
「生殖」というのは「精子と卵子の結合」という「出来事」でこれは
「結果」なので、結局、「膣」に「挿入」して「摩擦」するという
「行為」それ自体は、「自分の手」に「挿入」し「摩擦」するのと変わらない。
何かに「挿入」し「摩擦」し「射精」するという「行為の連鎖」ということでは、
「旧人類ヘテロ男性のマスターベーション」も「男性同士の相互マスターベション」も
「ヘテロの膣セックス」も「ゲイのアナルセックス」も何も変わらず、
「行為の連鎖」が「変態」として「差別」することの「根拠」ならば、
「ヘテロのセックス」だけが除外される必要は何もない。「差別されない」のは
「ビアン同士のセックス」だけになります。「射精」がない、から。
「精子と卵子の結合を望まない」のが「差別」の「根拠」だとすれば、
その「根拠」はすでにとうに崩れ去っている。「精子と卵子の結合」は
「体外」でも可能ですのでね。
さらに「旧人類」の話は女性に「生理」がある、という基本的事実を
忘れている。「ロリコン」が対象とするような女の子でなくても、
「女性」には「妊娠できない時期」があるわけです。でも、「安全日」の
「女性」にも「性欲」はある。「生殖」「妊娠」とは無縁に「性欲」はあるわけです。
とすれば、むしろ「生殖目的」でしか「本能」としての「性欲」が存在しない
「旧人類ヘテロ男性」の方が「人間」という種の「セクシュアリティ」としては
「異常」です。残りはみんな「生殖」「妊娠」という「目的」と無関係に
「性欲」がありますから。
「パイプカットした男性」がセックスしなくなったって話は聞きませんから、
「男性」もまた「生殖」と無関係に「性欲」をもつこともあるわけですね。
「男性」のなかでも「旧人類ヘテロ男性」は「異常」です。
「旧人類ヘテロ男性」が「異常なものは差別してよい」と言うのであれば、
まず「差別」されるべきなのは「旧人類ヘテロ男性」でしょうね。
>>206 自らを「正常」とし、他者を「異常」とし、「異常なものは差別してよい」と
言った結果、実は一番「異常」であるのは自らである、ということが
次々と露呈し、パニックを起こしているのが「バックラッシュ」の担い手である
「ホモフォビア旧人類ヘテロ男性」です。だから「自業自得」「因果応報」
「自分で自分の首を締める自殺志願者」「自分で自分をぶってぶたれたと無く子ども」と
なるわけですね。
なんかまったく議論がかみ合ってないわね。
ID:ONT3KKlC の肩もつわけじゃないけど
>>222 で
こやつが言わんとしているのは行為云々じゃなくて非生産的なものに
欲情することが我々と違うんだって言ってるんでしょ。
非生産行為をノンケもするけど(
>>228 のように)欲望の対象が成熟女性で
あくまでも生殖という生産行為に外れていないから問題ないって事でしょ。
簡単に言えばマスターベーションという非生産行為を同じようにしても
誰をネタにしてるかが重要だって事なんでしょ。
んな後付の自己正当化はヘテロの漏れから見てもアホらしくて仕方が無い トートロジーだろ
>>230 >非生産的なものに欲情することが我々と違うんだ
まず、これは「こやつ」もそうなので誤りですね。なので、
>非生産行為をノンケもするけど(
>>228 のように)欲望の対象が成熟女性で
>あくまでも生殖という生産行為に外れていないから問題ない
と「論点ずらし」が行われるんですが、
>生殖という生産行為
は、「精子と卵子の技術的結合」ですので、ゲイにも可能で、
そうすると差別の「根拠」は、
>欲望の対象が成熟女性
いうことにしかならないんですが、それが「性欲」一般の「正常さ」の
「根拠」だとしますと、「欲望の対象が成熟男性」である「女性の性欲」もまた、
「成熟女性」を「性対象」としないので「異常」ということになるわけですね。
つまり「女性」は「性対象」を「成熟男性」にしているがゆえに「異常」で、
「正常」化するにはビアンにならなければならない、というおもしろい話になる。
つまり、「性欲」の「正常さ」って「生殖」と何の関係もなくなります。
、それが「性欲」一般の「正常さ」の 「根拠」だとしますと、「欲望の対象が成熟男性」である「女性の性欲」もまた、 「成熟女性」を「性対象」としないので「異常」ということになるわけですね あははこれ本気で言ってるの?参ったね。 話の流れから女性の場合は逆がなりたつので対象が成熟男性と 置き換えられるだろうってのは誰でもわかると思うんだけど。 やられたねこりゃ。これじゃ話は前には進まないわ。
>>230 それは
>>216 で解決できるんじゃない?
例えば、「子孫を残したい」という欲求を持っていない=ゲイビアンかっていうと、
そんなことはないよね?
そういう欲望を持ってるゲイビアンもいるし、
逆に「子供なんかいらない」ってノンケもいるんだからさ。
その欲求(子供を残したい)と性行動(誰とやるか)が一致しなくても、
問題はないじゃん?
一致しなければいけないんだったら、子供ほしくないノンケは、
「同性とやれ」もしくは「卵子・精子が結合する行為をやるな」って事になるよ。違う?
>>233 いいえ、そこからさらに話は進みます。
まず「欲望の対象が成熟男性」である「女性の性欲」を「異常」ではなく
「正常」とみなすと、結局、「欲望の対象が成熟男性」であるか、あるいは、
「欲望の対象が成熟女性」であれば、その「性欲」は「正常」である、となる。
そして、これは「選択対象」の問題ですから、「選択主体」は問われません。
そうなると、ゲイ、ビアンの「性欲」も「正常」となり、
ここでも「性欲」の「正常さ」は「生殖」とは無縁なんですが、
何よりもすべて「正常」なので、「異常」を差別する必要がなくなるわけです。
「生殖」と関係がないので、「成熟」という条件は「性欲」の「正常さ」を
考える際に有意ではありません。したがって、「性欲」の「正常さ」は、
「欲望の対象がオスの身体」か、あるいは、「欲望の対象がメスの身体」である、
ということになります。
あー そっか。俺は確かに「女を孕ませることができる男」に欲情するかなー
「女を孕ませられない男」(成熟してない男)は、まあ……対象外かなー
>>223 けっこう面白いでしょ。
続けて見たいけど出かけるのでーノシ
インターセックスの存在を前提にすれば、「性欲」の「正常さ」は 「欲望の対象が他者の身体」である、というところにあるといえるでしょう。 マスターベーションは「自己の身体」に対して「対他」的に 関わる行為ですから、この「行為」においても「性欲」は 「正常」となります。 「性欲」は原理的に「欲望の対象を他者としている」ので、 すべての「性欲」は「正常である」という、あたりまえのことを、 「旧人類ヘテロ男性」理屈は、確認してるだけです。 これは、「正常な自分の性欲」とは異なる「異常な性欲」の存在を 希求する「旧人類ヘテロ男性」の「異常さ」の問題ですね。
結局、「性欲」と「生殖」をどこまで(どこから)不可分なもの、とするかじゃないの?
42さんが言うように「技術的に」は既に完全に分ける事が可能になってるけど、
それを自らのセクシャリティでは分ける必要が無い者にとっては理解する事が出来ない
理解する必要が無いから自らを「正常」と僭称する
それはさて置き、
>>222 のおバカさんは不可分としておきながら
>人間なんだから理性が加わってゴムを付けてもなんら不思議はない。
なんて事いってるから哂われてるだけで
つまるところ、何がなんでもどこかに「異常な性欲」を見出し、
それを「否定」し「否認」し「排除」することでしか、
自らの「性欲」の「正常さ」を考えることも、説明することもできない、
他の「セクシュアリティ」には存在しない「旧人類ヘテロ男性」特有の
「異常な脆弱さ」が表れているだけのことで、めずらしくもなんともない。
「凡庸」きわまりない。
>>238 そういうことでしょうね。今、問題なのは「切り離せることを前提にして
切り離す権利をどうやって個人に設定するか」ということで、「不可分」を
前提にしているから「旧人類」なんです。
>>238 補足すれば、最初、「不可分」だ、と言っておきながら、
>人間なんだから理性が加わってゴムを付けてもなんら不思議はない
なんて矛盾したことを言ってしまったために、
>>230 さんのおっしゃるような
「性対象」に話がズレざるを得なくなったわけですね。ご苦労なことだと思います。
>>210 のリンク先の 1300 より。
>そして、強者男性が「結婚」という制度において、弱者女性を救済しているのに対し、
>強者女性が弱者男性を救済しないことは、女が弱者と強者をせこく使い分ける事を
>容認するフェミニズムの欺瞞ではないかと論じているのです
「結婚」が「救済」だ、というのがすでに間違いですし、「強者」は「弱者」を
「救済」するべきだ、というのも、たんに「強者」「弱者」をつくりだす構造の
温存にしかなりませんね。なんで「強者男性」との「養子縁組」じゃ
「弱者男性」の「尊厳」が回復されないのか、そこが抜けている。
ここでいう「救済」って「弱者女性」に対する「強者男性」の
「経済的扶養」でしょう? だったら「養子縁組」で十分でしょう。
「強者男性」に「寄生」すればいいんじゃないでしょうか。
で、「弱者女性」の「尊厳」はどうなってるんでしょう?
ttp://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20060711/p1 分析は正しいと思うんですが、やっぱり結論がわからない。
>これは女性が二軍の地位に置かれているという事情から生じるものではあるが、
>それが結果的に選択の幅を男性よりも広く女性に与えている。
>低学歴低収入の男性から、高学歴高収入の女性の結婚性向に対する批判が
>生じているのは、選択の幅が事実上女性のみに与えられているのは
>おかしいんじゃないかということだろうと思う。
「選択」しようとしても相手が「弱者男性」だから「結婚」を諦める、
というケースはまったく考えられていない。リンク先で分析されるような
ゥ理由で、「弱者男性」との「結婚」という選択肢を「強者女性」が
構造的に剥奪されている、となんで考えられないんだろう?
243 :
83 :2006/07/14(金) 17:40:04 ID:Zyb4rpx7
「強者女性」を再「弱者」化すれば、「弱者男性」にも結婚のチャンスが訪れる、
とマジで思ってるのかしら。
42タンが
>>211 で言うように、
「仕事を剥奪され、結婚するしか生き延びる道がない」のが「弱者女性」の定義なら、
そのような女性たちが「弱者男性」を配偶者として選ぶことはありえないわけで、
「日本人女性」すべてが「弱者」化したところで、
「弱者男性」に割り当てられるパイが増えるはずもなし。
自分の欲望がとっくに古びている、ということに気づいてないのかしらね。
自分の劣等感の所在を「ジェンダーフリー」や「強者女性」のせいにされてもねぇ。
>>241 >なんで「強者男性」との「養子縁組」じゃ
>「弱者男性」の「尊厳」が回復されないのか
こういう「弱者男性」こそDP法導入の必要性を訴えればいいのにねw
「男の子」はジェンダーフリーや「強者女性」に、「旧人類へテロ男性」は「ゲイ」に、
なぜそんなに脅威を抱いているのか、まったく分かりません。
自分たちが得ている、または得ようとしている「結婚」「恋愛」「セックス」が、
「ジェンダーフリー」や「強者女性」や「ゲイ」によって
侵害・剥奪されようとしていると感じるのかしら。別に関係ないし。
「オレは『強者女性』より、『ゲイ』より偉いんだ! 正しいんだ!」と訴えて、
「他者」を踏みつけにしないと得られない自己肯定感って、貧しすぎる。
そんなに「依存」されても困るのよね、「他者」に。
>セックスする行為自体が本能ならこの世はホモやレズだらけになる可能性がある。
「旧人類へテロ男性」の「性欲」の「異常」さを自ら予見している書き込みよねw
>>243 リンク先の「男の子」はそれは「バックラッシュ」派の意見であって、
自分はそれを支持しないから、「強者女性」の「私を養ってくれる
お嫁さん募集」をする、というんですがね。
たんに「無意識のバックラッシュ派」だってことなんじゃないでしょうか。
ttp://www7.vis.ne.jp/~t-job/bbs4/light.cgi の 1297 からの流れは「無意識のバックラッシュ派」であることを
「男の子」が「否認」していくプロセスですね。
まず、
>>フェミニズムが弱者男性を救わないからと言って、それを批判するバックラッシュな人達が処方箋を持ってるわけではない。
という意見に「男の子」はこう答える。
>そうでもないですよ。
>「女性は仕事をするべきではない」という風潮が生まれて、女性が仕事を追われれば、
>その分弱者男性がそこに入る事ができるかもしれません。
>また、女性が結婚するのが当たり前であって、結婚しない女は人として認めないと言う風潮ができれば、
>弱者男性であっても結婚のチャンスは増えますし、結婚して「家族」という形態になってしまえば、
>国だって家族となった弱者男性を無下には扱えないわけです。
>そうして男性弱者が尊厳を得る可能性はあるのです。
で、それに対して、
>>それはしかしあまりに正当性がなさすぎると思いませんか。
>>赤木さんは「正当性が問題にならない」おっしゃられていますが、
>>それはあくまでもバックラッシュ側の事情であって、女性にとってみては
>>「正当性なく」上記のような風潮を作り上げられてはたまったものではないでしょう。
と言われると「男の子」はこう返す。
>あなたは忘れてしまったのかも知れませんが、20年前ぐらいまでの日本は、
>まさにそれが正当な社会だったんですよ。
>そしてその時代は、日本人が「みんな幸せだった」と思われている時代です。
>日本社会が不幸になったのは、女性が増長し、家庭すなわち女性が担うべき役割を
>ないがしろにしたからであって、女性が己が本分を思い出し、家庭に入って男に尽くせば、
>かつての「男も女も」幸せな時代がよみがえると考えるのがバックラッシュの思想です。
>あと、勘違いしているかも知れませんが、私はバックラッシュ側の論理をまったく支持していません。
そして、
>>経済的な強者弱者の問題はその構造をこそ問題とすべきであって、女性を排除する事によって弱者男性を底上げする事は
>>「男女平等」でもなんでもない男権拡張主義であって、それを正当化する論理が「強者女性は弱者男性を選ばないから」
>>だけでは脆弱すぎではないでしょうか。
に対しての「男の子」のレスはこうなる。
>もう少し私の文章をちゃんと読んでください。
>私が言っているのは、バックラッシュ側も、反バックラッシュ側も、
>「仕事>家庭」という構造を支持してしまっているために、
>「強者弱者」という比較軸が生まれているということです。
>そして、強者男性が「結婚」という制度において、弱者女性を救済しているのに対し、強者女性が弱者男性を救済しないことは、
>女が弱者と強者をせこく使い分ける事を容認するフェミニズムの欺瞞ではないかと論じているのです
>女性が強者であることを正当化するというなら、同じ論理で男性が弱者であることも、正当化(社会に受け入れ)されるべきなのです。
>だから私は結婚相手を募集しているわけです。
>分かりましたか?
で、これが僕には全然わからない。
>バックラッシュ側も、反バックラッシュ側も、
>「仕事>家庭」という構造を支持してしまっているために、
>「強者弱者」という比較軸が生まれている
これはすでにフェミニズム内部でリベフェミ批判として展開されていることですね。
これは別に問題ない。しかし、そこから、
>強者男性が「結婚」という制度において、弱者女性を救済しているのに対し、
>強者女性が弱者男性を救済しないことは、女が弱者と強者をせこく使い分ける事を
>容認するフェミニズムの欺瞞ではないか
と主張するのと何の関係があるのかが、まったく分からない。
「強者女性が『弱者』と『強者』をせこく使い分ける」というのが、
「強者女性が弱者男性を結婚相手にすることができない」ということだとして、
それがどうして「強者女性」「フェミニズム」のせいになるのか?
>>242 のリンク先の方の分析を読めばわかるように、「選択しない」んじゃなくて、
「選択したくてもできない」というのがまずあるわけです。「構造」というのは
「する、しない」という「意図」の問題ではないんだから。「選択できない」のは
「強者女性」「フェミニズム」のせいではありません。
247 :
222 :2006/07/14(金) 19:00:53 ID:fN4PRiUw
>>230 ONT3KKlC へのアイロニーですよ。
>強者女性が弱者男性を救済しない なにそれ。 強者男性が「結婚」という制度において、弱者女性を見下して搾取しているように、 強者女性も「結婚」という制度において、弱者男性を見下して搾取していることはあるでしょ。 すべてにおいて、自分より劣っている相手と付き合うのって、 ある意味、とても楽よ。 相手をバカにしながら圧倒的な優位に立ってればいいだけだもん。 そんなに女と付き合いたいなら、理屈をこねずに、 仕方なくでも、わざとでもいいから、徹底して弱者になればいいのにね。 うまくいけばそれで相手にしてくれる相手は見つかるわ。 ずっとそれで続くかは、そのかた次第よ。 でも、「お、と、こ、」や「お、ん、な、」を自明視してるなら、 妙なプライドのために、呆れられることばかりしてしまうんでしょうね。
>>243 > 「仕事を剥奪され、結婚するしか生き延びる道がない」
は、「弱者男性」の現状でもあるというのは確かなんですが、
なんで、「強者女性が選びたくても選べない」という「構造」がある、という
話にはならずに「選べるのに選ばないのは不当だ」という話になるのか、と
いうことだと思うんですね。
「強者女性」ってシングル・マザーを選択するひとも少なくない。
それは「強者男性」を選択しようと「弱者男性」を選択しようと
「男の子」や「旧人類ヘテロ男性」、「強者女性の前では
インポになる50代オヤジ」と同じような料簡の「男たち」を相手にするのは、
コストが高いからです。子どもは欲しいがダンナはいらない。
「亭主元気で留守がいい」というのが、「種馬元気で『永遠に』留守がいい」に
なってるだけです。でも、そうなるのには、それこそ「正当な理由」が
あるのは、リンク先や掲示板、およびこのスレの長文コピペで十分わかる。
そこに書かれたようなことを考えてる「男ども」と「対等なパートナー」になれるとは、
まったく思えない。「養われる」か、「養う」か、の二者択一なんて冗談じゃない。
「男性」が「女性を養ってやる」ことを自らのアイデンティティの根幹に据えているからといって、
「女性」が「男性を養ってやる」ことをそうしなければならない理由は何もない。
250 :
83 :2006/07/14(金) 21:40:14 ID:Zyb4rpx7
ようやく『Notre musique(アワーミュージック)』を観た。 この映画についての過去スレをさかのぼって読み返すと、 いぬタンが『歌う女 歌わない女』→『パサジェルカ』の連想について書いてたよね。 んで、松浦タンの『優しい去勢のために』はすぐ手の届くところにあるのでw、 さっき当該箇所を読み返してみた。 (松浦タンは映画ではなく原作について書いてた) 「生きることに執着すると人は奴隷になる」とは、元囚人マルタの言。 これを今スレで語られている内容に援用すれば、 「現在の権力ゲームで生き残ることに執着すると、人は奴隷になる」といったところかしら。 例の「男の子」は、公的領域においては「弱者」でも、家庭という私的領域では「強者」でいられるはず、 という儚い夢を見ているのね。 「強者女性」に「依存」することを、「男ジェンダー」がかろうじて否認する。 閉じた幻想を維持するための「男ジェンダー」って、悲しいわね。 まるで「男ジェンダー」には経済的「強者」も「弱者」も関係ありません、と言ってるみたい。 そうよ、関係ないわ。ついでに「男ジェンダー」もね。 だからこそ、パートナーシップにおいても「強者/弱者」のルールを一元化して、 「主人」と「奴隷」の組み合わせしか思いつかない貧困な発想(欲望)の持ち主とは、 一切かかわり合いを持ちたくありません、と宣言する。 古い関係性の欲望を押しつけられるのはこりごり。新しい関係を発明するのよ。 「晴れた日だった。遠くまで見える。でも、Olgaのいるところまでは見えない」 Goalが見えないのは、わたしにとって幸いなこと。 「遠くまで見える」つもりには、なりたくなんかない。
売れ行き好調で増刷された例の本の執筆者のおひとりでもあり、
発売記念ブログの運営者のおひとりでもある方のサイトで、
「男の子」の記事の件でこんなことになっているようです。
ttp://macska.org/article/145#comments >いやさ、わたしも最初はギャグだと思い、そして「おもしろい」と思ったんですよ。
>でもブックマーク見たらマジで賛同している人多すぎ(笑) というわけで、
>わたしは赤木さんじゃなくてブックマークの人の方を対象にこれは書きました。
あるいは、こんなことを掲示板で言っている。
ttp://macska.org/forum/YaBB.cgi?board=gender;action=display;num=1152337839 >コメント欄、バカばかりで相手にしてられないです。
>知識がない人には教えられる。読解力が弱い人には別の説明ができる。
>でも、それではどうしようもないレベルのバカがたくさん湧いてきていて、困っています。
ロラン・バルトなら「はしたなさ」、arrogance というでしょうが、
「知」に必要な「羞らい」が欠けている。「自分がバカだからもはや
コメントに対応がしきれない」と、言えばいいだけのことなのに。
これも僕に言わせれば「無意識のバックラッシュ」ですね。
こうした姿勢が「バックラッシュ」に「リアリティ」をもたらしている。
それに無自覚では「バックラッシュ」批判なんてできるわけがない。
アドレス、rindou ですか。自分の名前から「義」だけ省いてる。 いかなる意味においても自分の言説に「義」がないことに 無意識のうちにお気づきなんでしょうね、きっと。 彼のウェーバー研究は知っているだけに、お労しいとしか言いようがない。 「つくる会」や「バックラッシュ」に名を連ねている方々のなかには、 昔は「新進気鋭の若手研究者」だった方も少なからずいますね。 何が彼らをそうさせたか、それは日本における「大学」という 制度の問題でしょうね。
>>252 のリンク先の書き出しはこうですね。
>この論争は何だったのか。結果だけを見れば、私が相手をするほどの人間ではなかった、
>という結論になる。
これを
>>251 と並べてみて、共通するのは arrogance で、双方の主張の差より、
この「同一性」の方が問題ですね。以って他山の石としましょう。
255 :
83 :2006/07/15(土) 00:44:16 ID:kpN/iO8x
>>251 >「知」に必要な「羞らい」が欠けている
macskaさんのブログは、「ほうほう、なるほど」と示唆されることもたくさんあるんだけど、
特にコメント欄で、「素人は引っ込んでろ」みたいな発言が多いでしょ、この人。
そういう言動にいちいち引っかかってはいたのよね。
「バカ」なコメントも確かに多いんだけどさ。
実際のご本人がどんなかたかはまったく知らないけれども、
彼女のコメントの端々に、「余裕のなさ」とか「小乗仏教的な狭量さ」を感じるのよね。
それを「専門家」とか「研究者」とか「大学で教えていた経験」などをちらつかせることで、
さらに浮き立たせているような。
「バカ」を「バカ」とストレートに断罪しない「芸」は持ち合わせていらっしゃらないようで。
その点、上野タンの秘蔵っ子である渋谷知美タンのほうが、まだ評価できるかな。
>>255 よく、「男を嘲笑する」廉で、各方面からいろいろ言われる上野千鶴子ですが、
彼女にこの arrogance はないんですね。
僕が知り合いの上野の教え子たちをみて思うのは、上野は「教育者」だな、と
いうことです。「知」には「羞らい」が必要だ、ということをちゃんと
教えようとしているんだな、ということがよくわかる。
マチカさんて直情型っぽくて非常に親しみがあるんだよねーww コメント欄をどうするかの選択肢の中に「バカコメントを削除する」てのがあって これはちょっと(えー?)と思った。それはマズイだろうと。 林氏の時もそうだったけど、「疲れる」とか愚痴言いながらも、 他にも様々な「バカ」と情熱的にやり取りしていたのに、なんでだろう。 ブログって、まあ、こういう匿名掲示板もそうだけど、 思考回路だのものの捉え方だのが違う人々が集まるところが「うまみ」なんだけど、 どういうわけか、似たような人々が集まってしまう。 で、似たような思考回路や捉え方を強化していっちゃう。 それでは勿体ないんで、「バカコメント」から拾えるものはあるかも知れないんで。 つか、今の「はく」や「マチカ」の思考回路や捉え方のスタートが 誰かにとっての「バカコメント」だったんだろうしね。
ねえ、ここで陰口叩いてるくらいなら直接ブログにコメントすればいいと思うんだけど? こういうのははしたなくないの?
>>255 「教え子」をはじめとして「ひと」というのは「じぶんで学ぶ」んだし、
「じぶんに教わる」んですよ。「教育者」「教えようとする者」に可能なのは、
それをサポートすることだけです。
「自転車に乗る」ことを習得する「身体」はそれを「教えようとする」者の「身体」ではない。
「教えようとする」者がその時「じぶんで学び」「じぶんに教わる」のは、「自転車に乗る」という
「行為」の「継承」であって、「教えようとする」意思が役に立たないことを
「教育者」は知りながら、それでも「教えようとする」ところに出来する「ささやかな奇跡」が
「教育」です。
>>258 あの方たちはあのまま、生きて死んでいけばいい。
そうでない生き方を望む誰かに、別のふるまいもありますよ、と
僕は言いたいだけですから。
あの方たちのふるまいに魅力を感じ、それを真似るのも誰かの自由なら、
それとは別のふるまいを演じるのも自由です。
>>258 >以って他山の石としましょう。
てことじゃないかな。
>>255 そして
>>257 を僕がロベルト・ロッセリーニの映画から教わったと
「学恩」を感じていることは、
>>257 と矛盾しない。「奇跡」というのは
そういうものです。「ありえないこと」「起こりえないこと」が
起こる。「じぶんで学び」「じぶんで教わる」にも関わらず、
「師」に感謝する。それはそこに「知」に不可欠の「羞らい」があり、
それが「継承」されつつ「分有」されるからなんじゃないでしょうか。
>>260 僕はあの方たちよりもはるかに「残酷」なだけです。
うん? まあ……42さんは自分にも厳しいし他人にも厳しいよ。 「自分で学び、自分から教わる」その通りなんだけど、 世間は「教える、教えられる」が 当 た り 前、(←お、と、こ、を真似てみたw) みたいになってるもんね。 マチカさんとこのコメント欄にも「教える人」がいるみたいだしw 微妙だな。ちょっと。。
もう一度訊きますけど、下らないと思うのなら単に無視するという選択肢もあるのにそれをしないで コメント欄も解放していて理を尽くせば考えも改めるであろう相手の陰口を叩く (他山の石とするでも何でもいいけど)のははしたない振る舞いではないの? 『バックラッシュ!』の人たちみたいな理屈の通じる人たちの考えさえ変えることができないとしたら 社会を変えることなんてできっこないんじゃないんですか?
あー ていうか、
>42さんは自分にも厳しいし他人にも厳しいよ
厳しさの範囲の中で最大限に優しいと思ってるよ?
その優しさが一部の人には理解されにくいって事が、
しかも、最もその優しさが必要ではないかと思われる人々に理解されないって事が、
とても残念に思ってる。
42さんの責任ではないんだけどね。
42さんは気分悪いかもしれないけどw、42さんのレスの仕方は
すごく「泥臭い」と俺は思ってるのね。
>>230 に対するレスとかすごく「泥臭い」と思うの。
だけど肝心の、たとえば
>>230 さんとかには、その「泥臭さ」がないんだよね。
どう言ったらいいのか……
地を這うような読み方、考え方っていうか……それがないように思う。
でも、そういうのを「教える」わけにもいかないし(教えて分かるもんじゃないから)、
やっぱり「自分で学び、自分から教わる」としか言い様がないんだよね。。
>>264 ゴメン。俺は、「俺が誰かの考えを変える、社会を変える」ってことは考えてないです。
「自分が変る」ことしか考えてない。
>>264 そういう使命感でやられると逆にちっと危険な気がするのはなぜでしょうか。
完成された思想を広めたい人の集まりじゃなく思考をして答えを探してる
集まりじゃないの。だから相手の考えを変えさせるのが目的ではない。
どうだろう?
268 :
83 :2006/07/15(土) 02:18:13 ID:kpN/iO8x
>>264 わたしは「下らない」とも思っていないし、「考えを改め」てほしいとも思ってませんよ。
何よりも学ぶところが多い、とリスペクトしてますし。
そういうふうに無批判に受け入れてしまうクセがわたしにはあるので、
42タンの「批評眼」というか「再編集」のしかたはひじょうに面白い。
で、42タンの「再編集」は、macskaさんご本人とはなんの関係もないわけです。
>>264 「社会が変わる」のに「考えが異なる者」の「考えを変えること」
「考えを改めさせること」が不可欠だとしたら、「社会」はまず「変わらない」でしょう。
多数決にもとづく議会制民主主義を通じてできあがる「法律」によって
「社会が変わる」わけではないです。そうだとすれば、男女共同参画社会基本法
成立以降に「バックラッシュ」は起こりません。
一度生まれた「考え」は「死なない」。ある「考え」は一時的に消えても
いつかどこかでまた誰かに抱かれる。というより、ある「考え」が
しかるべき条件のもとで誰かに「憑依する」。
僕はこれまで「誰かの考えを改めさせようとしたこと」などないです。
このスレでも、リアルでも。そんなの無意味です。それは、「ある社会が
変わること」とは何の関係もない。
別の「考え」を誰かとつくり「自分が変われば」、それでいいんです。
ジュディス・バトラーは、「ジェンダーによってセックスが
構築される」という「別の考え」を誰かといっしょにつくり「自分が
変わった」だけで、「異なる考えをもつ者を改めさせよう」とする「宗教者」
「異端審問者」のようなふるまいは、一切してません。エピゴーネンはどうだか知りませんが。
たんに、別の「考え」もある、と、バトラーは言ってるだけですね。
それがさまざまなパフォーマティヴとして繰り広げられ、反復される。
「社会が変わる」というのは結果です。
僕はいわゆる「社会運動」に参加したことがありませんが、
それは「社会」は「変える」のではなく「変わる」ものだと
どこかで考えているからです。もちろん「変えようとする」ことも
「変わる」ことにつながりますが、「社会運動」という
かたちを取り、「考えの異なる者の考えを改めさせる」ことだけが、
「変えようとする」という「行為」のすべてではなかろう、と思い、
別のことをやっているだけです。
>>265 僕の「残酷さ」ははくタンのいう「地を這うような読み方、考え方」、
「泥臭さ」、「愚鈍さ」「愚かさ」と無縁ではありません。
「異端審問者」程度の「残酷さ」ではない、ということです。
>>262 は
>>260 は違う、ということではなく、
>>260 を僕の表現に
変えただけです。言っているのは同じことですね。
270 :
83 :2006/07/15(土) 02:33:04 ID:kpN/iO8x
誰かの考えを「下らない」と断罪し、「考えを改め」させようとすること自体が、 「はしたない」ということですね。
「相手の考えを変える」という言葉を「完成された思想を広め」たり
「「異なる考えをもつ者を改めさせよう」とする「宗教者」「異端審問者」のようなふるまい」
というような意味で使ったのではありません
ただ、
>>251 や
>>254 のように相手の盲点が見えているのなら、
その盲点を指摘することによって相手が変わることもあるだろうということを言っているんです
私が一番答えて欲しいのは
>もう一度訊きますけど、下らないと思うのなら単に無視するという選択肢もあるのにそれをしないで
>コメント欄も解放していて理を尽くせば考えも改めるであろう相手の陰口を叩く
>(他山の石とするでも何でもいいけど)のははしたない振る舞いではないの?
ということです
>>271 あなたは、マチカさんに「変わって」もらいたいの??
変わる必要があると??
もしそうなら、あなたがコメントすればいいんでね??
>>268 僕のやってるのは、「(文芸)批評」なんでしょう、きっと。
「(文芸)批評」って「誰かのもつ異なる考えを自分のもつある考えに
改めさせる」こととは、まったく関係がない。バルトは「批評家」であり、
「教育者」ですね。「学者」じゃない。
僕が書いた「(文芸)批評」を誰かが読み、誰かがどこかで「じぶんで考えを変える」と
いうことは起きるかもしれませんが、それは僕の「変えようとする」意図とは
何の関係もない。
僕はすでに亡くなったひとびとの書物を読み、幾度となく「じぶんで考えを変え」ましたが、
別にそれはそのひとびとが「僕の考えを変えようという意図を抱いていた」からではなく、
おそらく、それを書きながら、読みつつ、そのひとびとが「じぶんが変わった」、
「じぶんでじぶんを変えた」からだと思います。そして、「読む」というのは
「書き直す」ということ、そのひとびとの「変容」を「反復」するということです。
「他者の考えを変えようとする言葉」によっては誰も変わらない。
宮台が「真理の言葉」と「機能の言葉」の区別という
拙い言い方で言っているのもそれでしょう。
「相手を変える」ってのは、 「教える・教えてもらう」ってのとすごく似てるねぃ……
275 :
83 :2006/07/15(土) 02:49:16 ID:kpN/iO8x
なんでそうなるの? 私が最初っから言ってるのは、上の流れが仲間内で陰口叩いてるみたいな感じがして 見ていて不快だと言うことだけですよ 相手に「はしたない」というあなたの振る舞いは「はしたな」くないのか、と
277 :
83 :2006/07/15(土) 02:54:48 ID:kpN/iO8x
>>276 >仲間内で陰口叩いてる
>見ていて不快
それはあなたの主観ですね。それが悪いとはいいませんし、そう読んでしまうことも否定はしません。
しかし、わたしはmacskaさんの「仲間」ではありません。
で、わたしが「はしたない」からどうだというのでしょう?
それを「改め」させようとしているのですか?
>>276 じゃあ最初から「陰口を叩くな」と言えばいいんだよ。
で、悪いんだけど、ここに書かれたことは「陰口」ではないと思うよ。
公開の場所で書かれた文章を、どう読むかは、その人の裁量の範囲だ。
ある決まった読まれ方しかされたくないというなら、
公開しなければいい話でしょ。
ヲチ板叩きみたいだなー
まあ、読み方は自由だからアレなんだけども、 「陰口を叩いてる。不快だ」で終る選択もあるが、 その「陰口」の内容を読んで学ぶという選択もあるんですよ。 このスレを楽しく利用するなら、そういうふうに考え方を「変えた」方が いいんじゃないかと思うけどね。
>>258 から「陰口を叩くな」というのは十分読み取れると思うけどね
私はコミュニーケションに開かれている相手に対する上のような流れを
仲間内での「陰口」だ、不快だと思う、あなた方は思わない、すれ違いですね
どうもスレ汚し失礼しました
>>271 僕はここで取り上げたリンク先の方々に「変わってもらいたい」とは
まったく思いません。それほどのお付き合いではありませんし。
リアルでの付き合いがあれば、少しはそう考えるかもしれませんが、
「文章」しか知らない相手に「変わってもらいたい」なんて思うような、
「はしたない」ことはしません。「相手」と「相手の文章」は別ですから。
>>264 では
>理を尽くせば考えも改めるであろう相手の陰口を叩く
と書いてるじゃないか。
この部分は、非常に傲慢くさく俺は感じたよ。
それで、一緒にされてはかなわないと思って、このスレのスタンスを書いたんだよ。
「他人や社会を変える」ってことを微塵もあなたが思っていないのであれば、
最初から最後まで、「陰口は不快だからやめろ」とだけ言えばいい話しでしょうが。
ぶっちゃけね、このスレには、
あなたのように「社会を変えようとしてる」と勝手に思い込んで
イチャモンつけてくる人がいるんで(つい先日もオフレコである人に同じ指摘を受けた)、
この機会を利用しようとはオモタw 俺は、だよ?w
283 :
83 :2006/07/15(土) 03:14:55 ID:kpN/iO8x
>>273 「批評」には「編集」能力が必要です。
情報の「地」と「図」を読む力。そしてそれらを配置換えするセンスですね。
わたしはどうも「図」を読むので精一杯なんですわ、いまのところ。
>>276 >相手に「はしたない」という
わたしは「相手」を「はしたない」と指摘してはいません。
どういう行為が「はしたない」かを指摘しました。
そして、「はしたない」から「してはいけない」と
禁止を呼びかけるつもりもありません。
たぶん、
>>276 さんとでは「対象」との関わり方が違うんでしょう。
わたし(や42タン、はくタンもそうだと思いますが)は、
「どうぞあなたはそのままでいてください。
そのままのあなたからわたしは勝手に学ばせていただきます」という
姿勢を持っている。
それを「はしたない」と言われてもねぇw
わたしの「はしたなさ」はそんなものじゃ済まないのにw
いままでも充分、「はしたなさ」と「ふしだらさ」を糧にして生きてきましたし、
これからも当然、それらを糧にして生きていきます。
284 :
83 :2006/07/15(土) 03:24:01 ID:kpN/iO8x
わたしは42タンの言う、 「知」には「含羞」が必要である ということが骨身に沁みるほど充分に「はしたない」のだと思いますわ。
ああ、わかった! 私があなた方が「「社会を変えようとしてる」と勝手に思い込んで」いたから 「そのままのあなたからわたしは勝手に学ばせていただきます」という姿勢」で 『バックラッシュ!』の人たちの過ちに対する批判が「陰口」に見えたのか このスレのスタンスを誤解してました 「陰口」と言ったのは取り消します すいませんでした
ああ、「過ちに対する批判」じゃなくて「過ちから学んでいたの」の間違いです
批評家がある「作品」を「批評」することで、その「作品」を書いた 「作家」が「変わる」ことはあるかもしれませんが、それと ある「作家」を「変える」ことを目的として、その「作品」を「批評」するのは、 まったく別の話ですね。「変わる」原因をつくろうとはするが、 「変える」手段にはしない。 それが、僕が「批評家」「教育者」バルトから教わったことです。 ID:nRx2ilGF さんの根本的な誤解は、僕が「相手の盲点」を指摘している、と 考えているところにあります。そうじゃない。僕が見つけ指摘しているのは 「おそらくどこかにいるであろうじぶんの盲点としてのはしたなさ」です。 だから「他山の石」なんです。 リンク先の方々の「盲点」は僕には見えません。それを見ることができるのは、 リンク先の方々ご本人たちだけです。「相手の盲点」が見えた、と自らの 「明察」を誇るのは「盲目」なのであって、それもまた「はしたない」。
288 :
83 :2006/07/15(土) 03:34:48 ID:kpN/iO8x
僕は自分が「はしたなくない」と言っているんじゃなくて、 自分がさまざまな「はしたなさ」にまみれてる気がするから、 その「じぶんのはしたなさ」を見つけ、「変わろう」としてるだけなんです。 たぶん、としか言いようがないですが、僕はこのスレで「相手の盲点」なんか どうでもいい、知らない、という姿勢でスレの Part1 から一貫してると 思います。それはかなり意識的にやっているから。「相手」ではなく、 「相手の文章」を通じて見えてしまった「じぶんの盲点」を僕は指摘し、 そこからどう「距離」をとるか、ということしかやってない。 そして、そうした「じぶんの盲点」との関わり方や「距離」の取り方が 誰かにいつかどこかで「反復」され、どれがそのひとの「幸福」に つながれば、と願ってるだけです。「書く」ということでできるのは、 それだけじゃないでしょうか。そして、それで十分なんじゃないでしょうか。
>>289 訂正
どれがそのひとの→それがそのひとの
なんかジェンスレらしくない結末ね。w 寝よ。
おー 作家の作品の例!! そうそう!!
>>287 俺は映画のいち作り手として、
見た映画について「この描写は変だ、あの台詞はよけいだ」と思っても、
その映画を製作者には、いちいち言わないよ。
だって観客でも評論家でもないんだもん。
俺と同じく、映画制作に携わっている人たちと感想を照らして、
新しい映画を作るの。
そういう感じー >一連のブログの「陰口」
「他山の石」とは「相手」のことではなく「自分の盲点」のことだったのかー 勉強になりました 寝ます、おやすみなさい
ああID変わってるorz
>>283 「作品」を批評することが、「作家」を批評することと同一視されると、
「陰口」ということになりますね、構造的に。だって、「作家」が
その「批評」を読むとは限りませんから。すでに亡くなった「作家」の
「作品」批評はすべて「陰口」になってしまう。
「行為のはしたなさ」を指摘することが、「行為主体のはしたなさ」の
指摘と同一視されてしまったり、「言表のはしたなさ」を指摘することが
「言表主体のはしたなさ」を指摘することと同一視されてしまう。
それが「はしたなさ」の「再生産」の条件ですよね。
>>292 そんなーーーー奥さーーん!!!!
ということで。
このスレが「社会を変えようとしている人々の集まり」だと誤解してた方、
293さんが
>>267 を書いてくれたように、通じてる人には通じてンのよ。
つまり、そういう誤解を与えている責任は、
固定たちにだけあるのではないってこと。
で、
>>264 さんにも通じたよね。
まあ、通りすがりの人には通じにくいかも知れんけど、
>>264 みたく聞いてくれれば、今みたく答えるんでさ。
んじゃ俺も寝るw お休みン☆
僕はただひたすら Giving an Account of Myself し続けただけだけれど、
それで
>>264 さんは「じぶんが変わった」んですね。そういうことだと思うんです。
「じぶん以外の誰かが変わる」とか「社会が変わる」とか。
あるいは「教育」という「ささやかな奇跡」が出来するとか。
responsibirity と accountability のふたつの「責任」を
果たそうとし続けること、それが「はしたなさ」から「距離」を取るには
必要なんだと思います。
もうひとつだけ。 僕は繰り返しこのスレでは、僕は「議論」はしていない、「議論」はしない、と 言ってきました。それは、「議論」は、その複数の参加者のめいめいが、 「議論するに値しない相手だった」という「一方的な宣言」によってであれ、 「コメント欄をなくす」という「決断」によってであれ、 「じぶんで終わらせることのできるじぶん語り」としての「モノローグ」なんですね。 でも、それと違う「対話」ってあるんじゃないでしょうか。 「じぶんで終わらせることのできないじぶん語り」としての「ダイアローグ」が。 その「ダイアローグ」のなかでそれぞれに「ひとは変わる」のだと思います。
昨夜から早朝にかけての展開は、これまでのこのスレでの言葉のありようの
ひとつのモデルケースと言えるかもしれません。
僕らの言葉は、「じぶんで終わらせることのできるじぶん語り」であり、
「誰かを何かを変えようとするのだけれど、誰も何も変えられない言葉」、
宮台なら「真理の言葉」と呼ぶであろう言葉になってしまう危険、
「モノローグ」化する危険をつねにすでにはらんでいる。
このスレでは言葉が「モノローグ」化しそうになると、参加者が
それぞれに「じぶんで終わらせることのできないじぶん語り」
Giving an Account of Myself を行って、responsibility 応答責任と
accountability 説明責任を果たし続け、宮台なら「機能の言葉」と
呼ぶであろう言葉にしようと、「ダイアローグ」化しようとする。
その結果、それぞれがそれぞれに「じぶんが変わる」。あるいは、
「じぶんでじぶんを変える」。
「構築」というのは、この「じぶんが変わる」、「じぶんでじぶんを
変える」ということで、これも誤解されている。「他者を変えるための
教育の言葉」のような、「他者を改宗させるための言葉」のような、
そうした言葉の使用という行為であると、そう思われている。
でも、それではパフォーマティヴにはならない。
>>274 そういうことなんですね、そして、そういう意図や計画は
必ず潰えるんです。ジャック・ランシエールに
『何も知らない先生』 Le Maitre Ignorant という本があるんですが、
「何も教えることをもっていないし、何も教えることができない」者が
誰かに何かを教え、その結果それぞれに「じぶんが変わる」、
そうした「ささやかな奇跡」が「教育」であり、敢えていえば、
「構築」なんです。
そしてその時には、何かの事故で運動能力を失ったり、出来事に
不意撃ちをくらい茫然自失したあと我に返る時のように、
「地を這うような読み方、考え方」が行われている。
「歩き方」を「学び直す」ように、「読み、書き、考える」。
僕は
>>230 さんの言葉をいっしょになって書き直そうとしている。
それが
>>232 であり、
>>235 であり、
>>237 です。それらのレスは
>>230 さんと僕の「署名」が「連署」されている。言葉は「分有」されている。
>>230 さんの言葉がなければ、僕は書けない。
305 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/15(土) 15:14:21 ID:lJPQH2hZ
>>303-304 いつも思うんだけど、どういう意図でやってんですか?
自分のコメントはないの?
客観的批評を加えてるつもり、なだけだから構わなくていいんじゃね 挙げられている内容を再批評するのは面白いけどね
はーん。お教えくださってるわけだね?w 件の「男の子」も、バックラッシュ派になりかわって、 バックラッシュ派の考えをお教えくださってるみたいだw その「男の子」なんだけども、彼が言いたいのは、 「フェミニズムのおかげで女は家庭を軽視するようになった」って事なんかなあ。。 だけどこれさあ……「弱者」「強者」の定義にもからんでくるんだけど、 正社員として職を得ている女は、けして「強者」ではないよねえ…… 働きながら結婚してる女性の場合だと、家庭運営の主をも担わされているケースが多いんで (=家庭を軽視することを許されていない) とても「強者」とは言えないと思うんですよ。 ある意味、フリーター独身男性の方が自由じゃないんだろうか。 もちろん、別の面では、さまざまに保障されてる既婚職あり女性は、 フリーターと比べたら「強者」ではあるだろうけどね。 なんつーか、職についてる・ついていないって点でのみ「弱者」「強者」とわけて語るのは 無理があるんじゃないのかなー?? フェミニズムだって、女性の権利拡大運動とは別の面から語ってる分野もあって、 それはそれで有効なのにさ、 一緒くたに批判してしまうのは乱暴だと思うんだよな。 職につければ全てOKでもないし、結婚できたら全てOK、 女は家庭を重視して家庭に入るべき、「強者」は「弱者」を養うべきって、 ちと単純すぎじゃねぇ??
まぁ「自分の出来ない事をしている奴」=強者だという認識なんだから 論旨に無理が出るのも当然じゃないかな 同じ意味で一部フェミニストも「女性の出来ない事をしている奴」=男性=強者 として全てに適用しようとするから無理が出て感情的反駁を招く、と (フェミ全体がそうだとは言って無いし思わない) 強者・と弱者は社会規範が異なれば容易に反転する 実際は規範が強固過ぎて反転しないわけだけれど、この「規範」に対して真摯に 向かい合って議論する事が、フェミ、バックラッシュ両方に必要だと思うな 規範そのものを自明とする事がバックラッシュ側とするなら、彼らには一生無理だけど
309 :
禁断の名無しさん :2006/07/15(土) 17:56:26 ID:kSqH+jbg
前に「ゲイの性欲」の話があったけど、「性欲が強い余りに」色々な性に関する事に興味を持って、それがロリコン、スカトロや、同性愛者みたいな特殊な考えを持つ人間になるきっかけになっている場合もあるんじゃないだろうか。 誰でも同性愛者の要素はあるらしいがそれが発動するきっかけが異常な性に対する好奇心なのでは? 勿論セックスだけが同性愛者の全てではないと理解しているが、異常な性欲から試した同性とのセックスにのめり込んでるだけのゲイも沢山いるんじゃないか?
>>308 反転してるところもあるんじゃないのかな。
でも、どの規範においても常に「弱者」な人はいるよね。
フリーターで未婚で外国からきた女性、とか。
>この「規範」に対して真摯に向かい合って議論する事が、
>フェミ、バックラッシュ両方に必要だと思うな
そーだねぃ……
ちなみに「男の子」は、職業格差とか賃金格差という経済面での不均衡を問題にするなら
むしろバックラッシュ派を批判すべきじゃないかと思う。
>>309 「沢山いる」かどうかは分かんないな。皆無とも思わないけどね。
何をもって「性欲が強い」と定義するかってのもあると思いますね。 ロリコンやスカトロ趣味の人ってのは、 ありふれた形のセックスにはあまり興味を示さないんじゃないだろうか。 むしろ禁欲的では?と思いますがね。 そうだとすると、「性欲が強い」とは言えないと俺は思いますよ。
313 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/15(土) 19:52:07 ID:lJPQH2hZ
311の続き。 要するに、性指向や性嗜好と性欲の強さは無関係だと思うってことです。
314 :
ポックル :2006/07/15(土) 21:58:46 ID:u8HwQt/3
なんか不思議な流れになってますけど・・・ せっかくなのでこの流れに乗りますけど 実は私ことポックルは、はじめこのスレに関わるつもりはなかったんですね。 今までも参加してよといわれてたんですけど、あそこは敷居が高いからと断ってました。 そんな私が、なぜこのスレに書き込むことになったかというと このスレの常連さんの一人から、 「ジェンスレは閉鎖的だ排他的だと批判する人がいるけど それは大きな間違いで、そうやって文句をいう人はろくに文章を読みもせずに 勝手に誤解してるだけであって、しかしそういう偏見のせいで常連さんばっかりになってしまって 結果的に閉鎖的に見えてしまうのはちょっと困る、 もう少し色んな人に来てほしいので書き込みを控えたりしたのだけれど、 そうすると過疎ってしまうのだ。 他の人の注意をひきつけるためにも長い文章でいろいろ書いて 問題提起をするのはやむをえない事だしどうしたものか」 ・・・という趣旨のことを相談されたんですね。 それに対して、実際に閉鎖的、排他的であるかどうかは別にして 閉鎖的、排他的であると思われてしまうのは仕方ないと思いますよ、と率直に感想を述べた次第です。 もちろん、常連さんからするとそう思うのはその人の勝手で こちらにはどうしようもないという言い分があるでしょうし、 実際、その人にもそのような事を言われましたけど。
315 :
ポックル :2006/07/15(土) 22:02:50 ID:u8HwQt/3
そこでなぜ閉鎖的に見られたり雰囲気が悪くなったりするかという背景について その人に以下の意見を率直に言わせていただきました。案の定反発されましたけど。 ・ 個人の体験から来る感情の衝突の問題 問題があまりに個人的な・・・時につらい体験に根ざしているので感情的になりやすく 自分の意見を否定されたとき自分の人格自体を傷つけられたように感じやすく荒れやすくなるのではないか。 ・ スレ占有率の問題。 スレ全体の比率で見たとき似通った人のレスがスレの中で大きな割合を占めてると 内容はともかくとして視覚的に排他的であると見られやすく他の人が参加する意欲がそがれる。 ・ 対応の問題 人間だから好き嫌いの感情があるのは当然だし 名無しさんの場合どういう人なのかわからないから仕方ないことだとは思いますけど 同じようなレスをしているのに、親しい人と名無しさんでは明らかに対応が違うと思えるようなことがある。 固定さんの場合、特にそういう行動が目立ちやすく記憶に残りやすいのではないか。 以上が排他的であると思われるような原因となっているのではないかと、聞かれたので答えたんですけど もちろん、これを改善しろといってるわけではないという点もあわせて伝えておきました。 そういうスレの流れでいいと思うんなら別に今のままでもいいんじゃないかと思いますよと。 その人は、色んな人に参加できるような空気にしたいとの事だったので もし、多くの人に参加してもらっていっしょにいろんな問題について 考えていこうとするのであれば、 これらの点はその意味において効果的ではないと思うと伝えました。 このやりとりで、まず、感情の衝突の問題については、これは向こうが勝手にそう思うのだからどうしようもないし 相手がなに考えてるかなんて理解しようがないとの反論を受けましたが 私は、相手が感情的な行動に出たときはこちらはより冷静であろうと努めたり レスの緩急をつけることで態度を軟化させることも、難しいけれど可能ではあると思いますよといいました。 スレ占有率の問題については、書かないと過疎るし書かなきゃ伝わらないのだとの反論を受けましたが 新しい人がきたときは特に自分の意見を言い切ってしまう前に相手の話を引き出すようにしてはどうかといいました。 対応の問題については、気をつけてはいるけどそういう対応を取らざるを得ないこともあるとの反論でしたが 自分と意見の近い人には批判的に、対立する人には好意的に接して共通点を模索するようにしてはどうかと伝えました。 具体的には常連さんどうしが似たような意見になって、他の人と対立するような状況になったとき 仮に常連さんの意見のほうが妥当であると思えるばあいでも、同調してると馴れ合ってると取られやすいので あえて違うスタンスから意見を言ってみるなどの工夫は可能ではないかというような事です。
316 :
ポックル :2006/07/15(土) 22:06:53 ID:u8HwQt/3
それで、そこまでごちゃごちゃいうんだったらあんたが書き込んでよといわれたので
少しお邪魔させてもらった次第なんですw
書き込んでみて思った正直な感想を聞かせてほしいということなんで・・・
で、思ったことを今正直に書いてるわけなんですけど、怒らないでくださいねw
先に言っておくと、一方的な思い込みもあるかもしれません。それでもいいということだったんで。
といっても、書き込んでみろといわれてもなにから書いていいものやらとおもったもんで
どうせなら他の人が共感できそうな問題提起をしてみようかなと思ったわけです。
上で一人称の問題を提起したのはそういう事もあったんですね。
一人称の問題はどういうセクシュアリティーをもっている名無しさんにも共通することだし
それを膨らませていけば、他の名無しさんも参加しやすいのではないかと
つまり、どれだけ多くの人にそのテーマを自分の問題として共有してもらえるかということですね。
多くの人が共感できる問題提起ならいろんな人が参加しやすいだろうし、
人が増えたところで、そこからでてきたいくつの意見をさらに掘りさげていくと
風通しがいいといいますか、対話しやすい空気になるのではないかなぁと思ったんですが。
しかし・・・まぁ別にいいんですけど・・・
対話をもっと盛んにしようとレスアンカーをつけて質問してみたんですけども、あまり反応がないというかw
それよりも、貼られたリンクの方に一生懸命で、ほったらかしというかw
いや、別にいいんですけどね。レスするしないは自由なわけですし一人称の問題が
あまりこのスレの人の関心を引かなかったということでテーマの提示の仕方も悪かったのかもしれないですし
スレの流れというのは流動的なものなので、たまたま今回はそうだっただけなのかもしれないわけですし。
ただ、件のこのスレの常連さんの「なんで来てくれた人がなかなかいついてくれないかわからない」
という点については、ここら辺に原因があるんではないかなぁとおもいました。
実は、もにょるがどういう意味かってことは、他の板で同人系の人が使ってるの見て知ってたんですけど
しかし、便利な言葉だというのはわかりますけど、
気軽に参加したい(これは
>>1 にもかいてあることですけど)と思ってみた人が
見慣れない言葉が飛び交ってるのをみたら、参加する気がそがれる一因になるだろうなぁと思ってあえて聞いてみました。
317 :
ポックル :2006/07/15(土) 22:12:03 ID:u8HwQt/3
そこで関わってみた感想ですけど、やはり近寄りがたいスレだなぁという印象は拭えませんでした。 具体的には以下の点が気になりました。 ・専門用語は仕方ないとして一般的でない用語を用いることで多くの人に近寄りがたいスレとなっていること ・対立する意見にはその意見の中の問題点を、自分に近い意見には共通点を探し、その逆がともすると不十分である事 ・書くほうはしっかりしている、しかし聞くほうは・・・ 対話というのは話す事も重要ですが相手の話を聞く事も重要なわけで 書き込むほうの正確さに気を取られるあまり、相手の話を広げるのが不十分なのではないかなぁと思いました。 加えて、スレの住人さんが関心を持っているトピック以外にも もう少し他の人が共感できるようなトピックも平行して進めていけたら 他の人も参加しやすい空気になるんではないかなぁとおもいます。 ・・・という感想に対してどういう反論がくるかもだいたい予想がつきますけど 文章に対する責任や言葉の正確さを追求する事は大切な事でしょうし、 みんな真剣にかきこんでいるのだから参加するんだったら書き込む側も中途半端な気持ちで参加してほしくない、 或いは、すでに出来上がった共通認識があるのでいまさらそれを一から説明していたのではきりがないというのも それはそれで一つの考えだと思います。 しかし、それはいろんな人が気軽に書き込めるような雰囲気とはなかなか相容れないと思いますよ、ということなので 別に変える必要がないと考えるのであれば無理に変える必要ないと思います。 こういう流れがすでに出来てるんだし住人の人がそれで不満がないのなら そういうスレがあっても別にいいと思いますしね。 ただ、常連さんに対して批判めいた事をいう人を早い段階で煽り認定して、 意識の高い人 VS 意識の低い煽り見たいな構図で、話を進めるのはまずいとは思いますけど。 そう思っていてもそれを暗ににおわすような書き込みすることは効果的ではないと思います。 ということで、長々書きましたけど、主観的な感想なので この印象があたってないと思われるならスルーしてもらって構いません。 全然関係ないとこから見た部外者の意見として参考程度にしてもらえたらありがたいなぁと思います。 お邪魔してしみませんでした。 それと、最後にやっぱりここって書くのにエネルギー使いますね。 エネルギー使った割りには得るものが少ないというかw・・・って気がしました。(ごめんなさい、石投げないでw)
318 :
ポックル :2006/07/15(土) 22:14:47 ID:u8HwQt/3
↑最後のしたから三行目しみませんでしたじゃなくて すみませんでしたですね・・・すみませんでした
>ボックルさん ありがとうございます。 >all ボックルさんが書いている「常連の人」というのは俺のことです。 で、ちょっと俺が言っていたのを違うように受けとられている点が いくつかあるので先に訂正させてください。 ○ボックルさんが書き込んだ経緯について たいした事じゃないし、結果的には同じ事かもしれませんが、 俺の方から「どうしたらいいかと相談した」という事実はないんですが…… むしろ、俺の「ものの言い方」や荒し・煽りとの関わり方について、 ボックルさんが俺に何か言いたい →ジェンスレの問題点へと話題が移行 →そんなに言うんだったらボックルさんが書いてみてよ ですよね。 ○>他の人の注意をひきつけるためにも長い文章でいろいろ書いて えーと。長文になる理由として「他の人の注意をひきつけるため」だとは 俺は言ってません。 専門用語(「見慣れない言葉」「一般的でない言葉」byボックルさん)をどう使っていくかとか、 共通認識を持っていない(新規の)人の事を考えたりしながら 自分の意見を書こうとすると、どうしても長文にならざるを得ない、てな事は言ったと思いますが。 ○>ジェンスレは閉鎖的だ排他的だと批判する人がいるけど >それは大きな間違いで、そうやって文句をいう人はろくに文章を読みもせずに >勝手に誤解してるだけであって こちらのレスを読まずにあさっての事ばかりを言ってくる人について、 そういう言い方をしましたが、 「閉鎖的」「排他的」のように見える責任は、常連(固定、名無し含む)たちには 一切無いとは言っておりません。 その上で、こちら側にも問題はあるだろうと言ったし、 あなたの指摘に「反発」だけで返した覚えはありません。 この3点、気になったので訂正しときます。
>>316 うーん……なんていうか……ボックルさんが「一人称」の話題について
掘り下げて話したいと思っていることはよく分かりました。
が、他の人のレスがなかったってのは、ちょっとどうしようもないですよね。
アンカーつけられた人以外がレスしてはいけないって事ではないのだから、
一人称の問題に興味を抱いた人が、たまたま居なかったというだけじゃないんでしょうか。
それとも、アンカーつけられた人々が、
他の人が興味を抱くような方向へ誘導すればいいのにって事ですか??
ボックルさんがアンカーつけてレスした固定は、それぞれ、自分の興味を持った部分に
反応してるわけですが、それでは不満だってこと???
もっと違う部分に違う反応が欲しかったということでしょうか???
※オネエ言葉については最初からいぬまわりさんが反応してて、
ボックルさんのラストレスに返しはまだありませんが、これからくる可能性は
あると思いますよ。勿論、こない可能性もありますよね。
或いは他の誰かがヒョイと反応するかも知れません。
そこらへんは誰もコントロールできないことなので、しょうがないと思うんですが。
>「なんで来てくれた人がなかなかいついてくれないかわからない」という点については、
>ここら辺に原因があるんではないかなぁとおもいました
その"ここら辺"というのは、
>>320 の質問内容のことでしょうね。
つまり、「もてなし」度が低い、みたいな。
ぅーん、、昨夜から今朝にかけてのやり取りにもあるように、
誰かが誰かに何かを「教える」って事はできないんだよね。
誰がどんな興味を抱いているのか、他人には分からないし、
どこを問題にしたいのかって事はその人が書いてくれなきゃ分からないし。
もちろん、「何を問題にしたいのか」自体を当人が分からないって事はあると思います。
だから、こちらとしては「触発」めいた言葉を書いてみる。
俺は何も思い浮かばなかったんで自分の体験を書いたし、
42さんは中島みゆきの歌を書いてますよね。
それらが、レス当事者のあなたやROM者を「触発」するに至らなかったという事だと思うんですが、
ちょっと……どうしようもないですよね……
そういう事は、レス当事者ROM者含めて協力しあうものだと思うし、
お互いなんの興味も持てないのに無理やり掘り下げを行うってのもアレだし……
まあ、、俺には無理です。そいう事が苦ではない人に任せようと思います。
ただし、あなたと話した時にも言いましたが、
ある日ひょいと「触発」が行われる時もあります。
過去に遡って、一人称話を蒸し返す可能性はゼロじゃないと思います。
あなたと話した時にも言いましたが、
これまでにも何度も、そういう蒸し返しを、俺も他の人も行ってきているのですから。
>>317 >対立する意見にはその意見の中の問題点を、自分に近い意見には共通点を探し、その逆がともすると不十分である事
>対話というのは話す事も重要ですが相手の話を聞く事も重要なわけで
>ただ、常連さんに対して批判めいた事をいう人を早い段階で煽り認定して、
>意識の高い人 VS 意識の低い煽り見たいな構図で、話を進めるのはまずいとは思いますけど。
昨夜から今朝にかけての、
>>264 さんとのやり取りでは、
そこはクリアしてると思うんですが……?
それと、それって主に「はく」の問題点ですよね?
(いや、いくら俺のことだとしても、
「意識の高い人vs意識の低い人」なんてことを俺は思ってないんですけどね。
そういうふうに見られる責任は、俺だけにあるって事なんでしょうかね)
俺を除いたこのスレの人たちは
「対立する意見」に対しても「聴く耳を持って」いるし、
「早い段階で煽り認定して対立」することは殆どないと思いますよ。
特に、いぬまわりさんが参加するようになってからは、
一度もないように記憶しています。認識の違いですかね。
>みんな真剣にかきこんでいるのだから参加するんだったら書き込む側も中途半端な気持ちで参加してほしくない、 >或いは、すでに出来上がった共通認識があるのでいまさらそれを一から説明していたのではきりがない 俺は、そういう事は全く思っていませんね。 気軽に書いてもらっていいし、 ていうか、あなたと話した時にも言いましたが、 ここは元々が体験に根ざしたスレですし。 何を問題にしたいのか分からなくても、そのモニョリを書いてくれれば、 一緒に考えていく、そういうスレなので。 (まあ、あなたの一人称話を掘り下げられなかったのは、申し訳なかったんですが) 昨日も書いたように、いわゆる「バカコメント」(失礼。昨夜からの文脈を察してね)から 学ぶことはたくさんあるんで、中途半端でも何でもいいんですよ別に。 ていうか、このスレ、書き捨てみたいな一行レスを割と大事にしているんですよね。 100%反応してるわけじゃないから、気づかれなかったかも知れませんけど。 それと共通認識を一から説明していくのはしんどいってのは、 確かにあなたと話した時に言いましたが、 俺自身は、さほどネックだとは思っていません。 その思いは、昨夜から今朝にかけての直前のやり取りで、いっそう強くしましたね。 長文に頼らずともできるという手応えがありましたので。 あと、「一般的でない用語」ってのは「モニョリ」ですか。 昨夜でいうと「はしたなさ」、「相手を変える/自分が変わる」ってあたりになるのかな。 モニョリは過去に何度か質問があってそのつど答えているし、 非モテ男の&さんとの間では、「ミソジニー」などの専門用語についての意見をもらった時に 俺が答えています。 つまり、あなたと話した時にも言いましたが、 必要な説明はしている、という事です。だから問題はないと思うのですが。 それとも、質問がくるような用語は使わない方がいいって話でしょうかね。 ま、それも一考の余地はあると思います。 でも、申し訳ないんですが、 質問がくるまで「一般的でない用語を使っている」と俺は分からないんですね。 他人の言語感覚とか環境とかを勘ぐる趣味はないし、エスパーでもないんで。 ですから、分からなかったらどんどん質問して欲しいです。 どうかご協力おねがいします>all
なんか、ボックルさんが望んだような流れにならなかったみたいで、 申し訳ありませんでした。 それと、このスレの問題点を2度にわたって丁寧に指摘してくれたことに 感謝します。 ぶっちゃけ、ここ数日の流れ、個人的には「イイ(・∀・)感じ」と思っていたので、 俺と話していたときの感想から全く変化がないってことに軽くショックです。 まあ、期待値が高いのだと思うようにして、今後に生かしますです。 どうもありがとうございました。
>>318 >>161 にレスがないので、お忙しいのかな、と思っておりました。
>>157 や
>>159-160 に対するレスである
>>161 が
>>317 のような点で問題があり、
その結果、「労多くして益少なし」となっているとおっしゃるのであれば、
それはもうこちらとしては、そうなんですか、としか言いようがありません。
それを事実として認めることはできますが、
>>161 にレスがなければ、
「労多くして益少なし」になっていることも、僕にはわかりませんから。
そのうえで、2つばかり。
僕は「敷居の高さ」の問題が実はよくわかんないんですね。というのは、
専門用語であれ一般的でない用語であれ、自分にとってなんか必要そうな
感じがするなら、「それ、どういうことですか、こういうことでいいですか?」と
相手に質問し、いっしょに「敷居」をつくりなおす、ということを
僕はこのスレに参加する前からリアルでもやってましたし、このスレでも
やっています。それでいいんじゃないか、というのがひとつ。
自分にとって越える必要のない「敷居」の「高さ」なんてどうでもいい、と
いうことで、どんなに「敷居」が高かろうと必要なら、まずはいっしょに
下げてみたり、越え方を工夫してみたり、ということですね。
それについては僕が一方的に下げるとか、工夫するということではないと
思うんです。それは僕にはできない。ちょっとその「敷居」は高くありませんか、と
具体的に指摘されて、じゃあ、いっしょに下げてみますか、としか
できない。また、自分でも「高い」と感じることはあっても、「敷居」の「高さ」は
僕の主観によるものではなく、とりあげている問題が必要としている
「高さ」である場合も少なからずあります。この「高さ」を越えてみませんか、と
いうのもあってよいかと思います。
もうひとつは、「書くのについやされるエネルギー」と「得るもの」を
短期においても長期においても、僕は「費用対効果」で比較することは
しないんです。ひとつは、「得るもの」って自分ですべてあらかじめ
わかっているわけではないし、ずっとあとになって、ああ、あれかあ、とか、
前に姐さんが「7年殺し」と表現した、じわじわと自分に変化を
及ぼすのが、言葉というものだったりしますから。「得るもの」を
ポックルさんは「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
さらに「短期的に」考量しすぎていらっしゃるんじゃないか、と
思いました。
>気軽に参加したい(これは
>>1 にもかいてあることですけど)と思ってみた人が
>見慣れない言葉が飛び交ってるのをみたら、参加する気がそがれる一因になるだろう
スレの Part 1 で常連コテ同士が、僕にとって「見慣れない言葉」である「モニョリ」と
いう言葉を飛び交わせるなかに、名無しとして「気軽に参加」した僕には
まったくこれは理解できません。
言葉というのは「恥をかき」ながら使うものだと、僕は思ってます。
すべての言葉が「見慣れない言葉」である幼児が言葉を習得するプロセスを、
「見慣れない言葉」を習得する場合には「大人」であれ繰り返す。
「知ったかぶり」をして「恥をかき」、「使い間違って」は「恥をかき」、
そうやって使い習得していくのが、言葉というものなんじゃないでしょうか。
なんでそんなに「恥をかく」のがいやなんでしょう?
「見慣れない言葉」に限らず、何かを習得するというプロセスには、
必然的に、「子どもになる」という次元、「恥をかく」という出来事が
ともないます。
>気軽に参加したい(これは
>>1 にもかいてあることですけど)と思ってみた人が
>見慣れない言葉が飛び交ってるのをみたら、参加する気がそがれる一因になるだろう
などと考える「恥をかくことを恐れる大人」は、さまざまなことをこれから
習得しうる「幼児の可能性」を失い、何かを習得する機会を逸しつづけ、
損をしているのだろうと、推察しますが、それは僕の知ったことではないです。
このスレに何らかの「排他性」がないとは言いませんが、 「恥をかくことを恐れる大人」がその「恐れ」のゆえに 自ら「気軽に参加」できなくなるのを、スレの「排他性」の せいにするのは、間違いかと存じます。それはスレに存在しうる 「排他性」とは何の関係もない、当人の「人生」の問題です。
>「なんで来てくれた人がなかなかいついてくれないかわからない」
わたしたちってこんなに必要とされてたの?w
>同じようなレスをしているのに、親しい人と名無しさんでは明らかに対応が違うと思えるようなことがある。
固定さんの場合、特にそういう行動が目立ちやすく記憶に残りやすいのではないか。
これって当たり前なのよね。逆にそんなところがない機械のような
理論マシーンとは絡みたくはないのよ。このスレの住人に少なからず魅力を感じない
限り参加はしないのよ。
じゃなぜコテで自分が定着しないかと言うと一つはこの遠慮が嫌だった
と言うのがあるの。前スレあたりで自分もナンバーつけてどうもー
って感じになったことがちょっとあったけどなんか遠慮しちゃったのよね。w
普段の日常のしがらみの人間関係と同じみたいになってつまらなくなったわ。
喧嘩できなくなるの。これは個人的な問題なんだけどね。
あとは一人称の話にもつながるんだけど、オネエ言葉で書き込む
時と、僕は〜だと思いますがって話し方になる時とごっちゃなのよわたし。w
話の内容や流れやスレで変わるの。リアルでは完全にノンケ言葉なんだけど。
それが気持ちいいから名無しのままでいるってのがあるかな。
排他的に感じたことはほとんどないわね。あるとしたら話が難しくて
勝手に自分で入っていけなくて疎外感を感じてるだけ。w
忙しいのにこんなに労力使って馬鹿みたいって思うこともあるけど
そういうときにも。
>「得るもの」をポックルさんは「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
さらに「短期的に」考量しすぎていらっしゃるんじゃないか、と思いました。
なんて引っかかること言ってくれるしね。
わたしが
>>230 >>267 とか書いてもちゃんと返してくれるわよね。
なかなか他ではこういうキャッチボールが出来ないのよね。
あまり本とか読まない自分でもちゃんとレスしてくれるんだから
排他的ではないんじゃないの。いや逆にしつこいほど相手してくれるような。w
アハハハ
>「なんで来てくれた人がなかなかいついてくれないかわからない」
これを言った時、まさに、あなた
>>329 さんのことが頭にあったんですよw
(居なくなっちゃったー……)とずっと思ってたもんで。
なんつーか継続してROMしてる人って思ったより多いと思うのね。
>>205 さんとかさ。特に書き込まなくてもね。
まー 俺としては同じ年代の若い人が来てくれればなーといつも思ってて
あちこちでコナかけてるんだけど、なかなか実を結ばないw
でも、ボックルさんと話した時にも言ったんですが、
別に「このスレでなきゃダメ」って話ではないんだよね。
俺はどこのスレでも固定つけてるんで、
質問や疑問や意見があったら掴まえて聞いてくれたり答えたりしながら
ゆるくやっていけばいいや、と思ってます。
2ちゃんをはじめて覗いた頃、どういう意味なんだろう?、と思った言葉の ひとつは、「コテ」でした。自分で検索して「固定ハンドルネーム」の 略であることを知り、またその時に「スレ住人」という表現を知った。 で、「住む」というのには、「定住」以外にも「遊牧」なんてのもある。 「固定」というのは「1箇所に留まっている」ことを意味するだけじゃなく、 「周期的にある場所にやってくる」ことも意味しうる。 「スレ住人」個人は「周期的にある場所にやってくる遊牧民のひとつの部族」で、 その「周期」に「規則性」はないこともある。いつ来るかわからないから、 何か書いて「目印」「記号」を残しておいたりするけれど、それは風に吹かれてどこかに 飛んでしまったり、消えてしまったりして、他の「遊牧民部族」には見つからずに 終わったりすることもある。待ち合わせをして「同期」に「同じ場所」に来るのではなく、 「非同期」に「遊牧民部族」はやってくるから、そんなことも起こる。 たまには「同期」に訪れ、「対話」が行われることもあるけれど、 それはいつも途中からはじまり途中で終わり、またいつか再開始される。 ときどき風に吹かれてとんでいった「目印」「記号」、あるいはその「痕跡」が ひょんなことから目に入り、「対話」のきっかけを生んだりもする。 「名無し」はまだその「部族」の名を明かしていない「遊牧民部族」で、 会うときにかぶっている「仮面」がそのつど違うから、話の内容とか話し方のくせ、 文章のくせとかで判断するしかない。いわゆる「コテ」は同じひとつの「仮面」を かぶってるから、ああ、あいつだ、と相対的に容易に判断できる。 僕はだいたいそんなイメージでやってます。
「ROM」は相対的に高地にやってくる「遊牧民部族」で、いわゆる「スレ住人」である 「遊牧民部族」の様子を眺めてたり、聴いてたりする、そんな存在で、 そのうち「降りてきて」「対話に参加」したり、「記号」を残していったり するかもしれない。そして、「スレ住人」も「ROMになる」こともある。 こんな感じでしょうか。
「ROM」はだから「スレ住人」である「遊牧民部族」以上に、 「スレ住人」に見つかりにくい場所に飛ばされたり、「痕跡」化して わからなくなったりしている「目印」「記号」を見つけちゃったり、 それがどんな「目印」「記号」であることを知っていたりもする。 高いところからみはるかすことで、そういうことが可能になる。
全然ジェンダー論語ってないね
>>307 経済のグローバル化で個別企業の経営不安定性が増大すると同時に、
なんらかの対応を取らない限り構造的に不可避のリスクとなるなかで、
「男性の正規雇用者」だってリストラのリスクが恒常化している。
そんななかでは、「強者男性が弱者女性を」であれ、「強者女性が
弱者男性を」であれ、そういうかたちで「誰かが誰かを養う」こと
それ自体を考え直さないとダメなとこまで事態が進んでいるから、
「ベーシック・インカム」「基本所得」「市民所得」なんて
言葉も出てくる。
日本の労働統計をみてもわかるように、まだまだ「女性の正規雇用者」は
少ない。「強者」がいつ「弱者」に転落するかわからない、そういう時代だという
認識が「男の子」にはない。「養い続けられる」とは限らないから、
最初から「養わない」ということもある。
セルリアンタワーに宿泊し、友人と最上階のバーでワインを飲みながら
花火を見ることができるのが、「強者」なのだとして、それをいつまで
続けていられるのか、その保障はない。そういう「不安」は構造的に
あって、それが社会の保守化につながってる、というのが
「ぷちナショ」の香山リカがいわんとすること。僕はその分析は正しいと思う。
>>329 >「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
>さらに「短期的に」考量しすぎていらっしゃる
これは、まだ大学に入る前、10代だった僕がそうだったんです。
ただね、自分にとって「見慣れない言葉」がちりばめられた
書物や言説空間は、そのときの自分にとってさほど必要のない
「生き死に」には関わらないものなのだろう、と思えばいい、と
いうこともあって、その判断が違ってて、それで「死ぬ」なら
ハイそれまでよ、とも思ってた。
今は、すべての言葉が自分の「生き死に」にどこかで関わってる気がするから、
「他者の言葉」を愛することにしてます。
337 :
ポックル :2006/07/16(日) 19:08:47 ID:pLZyVmGe
この話し続けていいもんなんでしょうか・・・
>>319 たぶんそこらへんのやりとりはうろおぼえのところもあるので
やり取りの中でそういう印象が強く残ってた、という点があるんだとおもいます。
それでですね、蒸し返していくことがあるので書いたのは無に帰さないというのもわかるんですけどね。
しかし、流れからすると、気軽に体験談書いてみましたよ!って書いてみて
しばらくしてみたらそれに対するレスは1,2レスw
にもかかわらず、リンク貼り付けにはものすごい長文で何十ものレスw
となると、どういう風に感じるか、ということでね。それがいかんというわけではないですけどね。
あとでまた戻ることがあるってのは理屈上そうですし
「気長に待ちましょうよ!あんたせっかちすぎだわ!」ってのもまさにおっしゃるとおりだと思います。
ここでなにを言ってるかというと
心理的に、コピペリンクにものすごくこだわって延々とそういう話してるような雰囲気では
この空気になれてない人には参加しにくいと思いますよ。心理的にね。とういうことなんですよ。
「あ、あの〜・・・200レス前の私のは・はな・・はなし・・・ですけど・・・い・・・いえもういいです。」
みたいな感じで。それは気軽にふらっと体験談書きにくいって感じるだろうなぁということで。
理屈の上からすると、他の話してようが
「さっきの200レス前の話ですけどねぇ」ってもっと堂々と参加すればいいじゃない!
ということは正論だと思いますよ。
今現在、そういう中で選別された人が残ってるんではないかなぁと。
しかしはくさんのいうようなふらっときた他の人が気軽に体験談はなすのは難しいと思うなぁということで。
煽りだとか荒らしだとかいわれてる人にも
そういう感情を引き起こす原因があるんだろうなぁと感じるし
その煽りだとか荒らしだとかいわれてた人のレス見ましたけど
個人的な感想をいうと、少なくとも当初は煽りでも荒らしでもなく
扱いの問題からそういう風に流れていったように見えました。
>>329 短期的に考えているのはそのとおりなんですけど
なぜ短期的な考えを視野に入れているかというと
はくさんから「XXさんなんかも参加してほしいんだけどきてくれるかどうか」というようなことがあって、
それはあの雰囲気じゃ無理でしょうということになって、じゃあどうすりゃいいのという話になったので
なぜそうなるかということについて話が進んでたという経緯があったのでして。ここら辺もうろ覚えですけど。
「短期的でなく長期的に見たら無駄ではない。」これは理屈の上では正しいと思います、
ただしこの種の掲示板の特性として、短期的な視野は重要な要素となるし
煽りや荒らしが発生するのは、往々にして短期的視野からみた行動の軽視からだと思いますよ。
というか、このスレで言われるところの煽りさんは(コピペさんではないほうの)
短期的対応のまずさが原因のように思えます。
ただでさえ長文が多いスレで、それをあらかた読んでそこにとどまるというのは
よっぽど強い興味や関心がないと見ようともしないわけで、
テンプレにあるとおり体験談かいてみて、身近な事から色んな人と問題を共有したいと考える人が
気軽に立ち寄れる雰囲気ではないなぁということです。
気軽というのは短期的な、あるいは場当たり的、即興的なことですから
気軽に立ち寄れるようにするには短期的な流れがうまくいってないと無理なんじゃないかなぁと言うことで
短期的対応を取り上げた次第でして。
ですから皆さんの言われるように、
「そんな風にいう人のほうが視野が狭くてそのような言い分は
腰をすえて考えるタイプの私には到底承服できない」というのもそのとおりだと思います。
それと個人的には排他的だとは思ってませんよ。
「排他的ではないのに排他的、閉鎖的だと思われるのが理解できない」というはくさんの疑問に対して
その理由はこういうことではないかなぁということですので。答えとしては短期的対応や心理的な所に原因があるんでしょうということです。
338 :
ポックル :2006/07/16(日) 19:13:20 ID:pLZyVmGe
で、念のためにいいますけど この流れが問題であるとか変えたほうがいいとかいう事をいってるわけじゃないですよw はくさんのいうような 気軽に誰でも参加して体験談書き込めるようになるのは 難しいと思うというだけの話で。
339 :
ポックル :2006/07/16(日) 19:28:43 ID:pLZyVmGe
それともにょるというのは皆さんご存知かどうか知りませんが この言葉が見慣れないからという以外に、それを使う人の層の問題があって たとえば、この板で漏れ等の一人称を使うと 速攻で腐女子認定されてスレがあれる傾向がありますよね。 もにょるという言葉も同様で、それを使う人は閉鎖的な集団に属している 独自の価値観の中にのみ生きるマニアックな女性、というイメージが強く みなさんご存知ではないかもしれませんが この言葉を使うだけで同人女として認定され叩かれ排斥される板もあったりします。 あ、これでジェンダー論の流れに戻りましたね。
>>335 「強者」がいつ「弱者」に転落するかわからない、そういう時代を察知してるからこそ
「強者」に拘り続けて、相対的に「弱者」を求めてるんじゃないですかね??
そうすることで自分の不安を先送りにしてるっていうか。
保守化ってよりも、なんだろう、ファッショに近いものを感じるんだけど……
>>337 ぅーん……まあ、その「蒸し返し」がさ、どういう形で出てくるのかは誰も分からないんだよね。
個人的には、他の固定さんにも話したんだけど、
一人称の問題はもうちょっと考えてみたいとは思ってるのね俺は。
だけど、それを問題提起とかの形にまとめて書くには、また至っていない。
やっぱ他の人のレス(直接関係あるレスかどうかは別にして)が必要なんですよ、俺には。
レスからレスへとストレートに話題を繋いでいくやり方は、コレ確かに一般的で
誰にも分かりやすい形ではあるんだけど、
このスレは別のやり方も行われていて、こう……縄を編んでいくみたいに
「蒸し返し」ていくことがあるんですよ。
そのやり方は、誰かが意図的にそうしたってわけじゃなく自然に発生したものです。
まあ、そういうのが「気軽に寄れる雰囲気ではないのだ」ってのは理解できますよ。
できますが、ちょっとどうしようもないのかな。
ただね。短期的な対応はやってますよ。最近では「非モテ」に関する流れかな。
昨年秋に、まさに、名無しさんがリンク貼ってくれたのをきっかけに、
一気に「非モテ」問題についてみんなでアレコレ話をしました。
俺も関連ブログにコメントつけたりしたし、このスレがリンクされた事もあって、
「非モテ」当事者も何人か来てくれました。
それが、現在の「「男」の問題」話に繋がっているわけです。
これはボックルさんが言ってる
>体験談かいてみて、身近な事から色んな人と問題を共有したいと
考える人たちで作った流れですよ。間違いなくそう言えます。
そして今度は、「「男」の問題」話に興味を持った人が来てるかもしれないんだよね。
その人たちにとっては、「「男」の問題」話への短期的な対応を取ってるという事に
なります。
そんなわけで、ボックルさんから見れば「コピペリンクにばっかり反応して」かも知れないけれど、
そのコピペリンクへの反応を見て参加してくるって人もいるんですよ。
常連としては、どちらを大事にしてるとかそういう話では全くないので。
昨日も書いたけれど、誰もコントロールなんかできないんです。
コントロールできない点がまずいのだとしたら、ま、諦めるしかないですね。俺はね。
>>339 「モニョる」という言葉が、どういうふうに見られがちかは知ってます。
が、このスレでは、この言葉を使っていることで叩かれたという事は
一度もなかったし、「腐女子です」と言って入ってきた名無しさんもいたけど
その方が叩かれたって事もありませんでした。
ま、叩きはしないが敬遠した人たちも居たかも知れないとは思いますよ。
逆に、何だろう?と立ち寄る801の人もいる・いたかもしれません。
このスレでは、801の人だろうと何だろうと、一緒にジェンダー問題について
考えることに興味がある方ならば誰でも歓迎してるので、
801用語を使ってることには俺は何ら問題があるとは思っていません。
で、そういう「言葉」があるカテゴリーの記号として機能している点。
それによってカテゴリー内での連帯感みたいなもんを確認しあうって点ね、
それは興味深いよね。
てなわけで、なんか、スレを仕切るようなことを色々と書いてきましたが、 ボックルさんと最初にコンタクト取った者として、 ボックルさんへの応答責任てことで、お許しくださいm(_ _)m>all
あ。801板の件で、俺が派手にレスしてる時に、 「801の話題をすると板に801が来るからやめてくれ」って苦情はきましたね。 だけど、全スレではないけど並行して注視してたスレが、 801の人に荒された形跡はなかったと思います。思う、ってだけだけど……
345 :
ポックル :2006/07/16(日) 23:51:23 ID:pLZyVmGe
じゃあ、あんまり長引かせてもまずいと思うんですけど、一応応答責任という事でw
リンク先のほうにいったのは、スレ流れ上仕方ないと思いますよ。
上でも言いましたけどスレの流れは流動的だし、今回のは仕方ない事だと思いますし
はくさんも42さんのことも昔から知っているので、今回の事も誠実に対応してもらったなぁと言うのが実感です
ただ、今回はそういうのを真っ白にしてみて、始めてきた人の視点で見たらどう見えるかについて考えました。
たとえば
>>327 でいわれてることも個人的にはもっともだと思うし
そういう中で学んで成長していく事が望ましいと思います。
しかし、はくさんと同年代の人でそういう身近な体験談について問題を共有しようとする際
それは障壁になっているのだと推察されるということで、
・見慣れない言葉があっても質問したり調べるなどして学び人は成長していくわけで
未知の事にでも積極的に取り組む事が望ましい
・見慣れない言葉が飛び交っているから参加しづらい
この二つの文のうち、上の文は全く正論だしそうあるべきなのだと思います。
しかし、下の文は正しいかどうかではなく、人が偏りそういう若い人が参加しづらいと感じる原因を示しているので、
上の文が正しいかときかれたら正しいと思うと答えますが、
原因はどこにあるかということになると、そこにあるのではないかと答える、という事です。
そして、真っ白な状態で見たとき、自分の身近な体験談を話した後、
そこにはあまり反応せず対話しようとしてきたわけではない人の事にあれこれいってると
(もちろんこれについては、個人的にそう感じてるわけじゃないですよ。
これは常連さんたちなりの来客者への誠実な対応だという事は
はくさんも42さんも前から知っているので重々承知しております。)
ふらっと立ち寄った人からすると、同じ円卓について話をしようとしたら
それにたいする話よりも携帯でメールのやり取りをしている人を連想するのでは
そういう人にもう一度声をかけるのは気が引けるだろうなぁ・・・と感じるのではということで
↑何度もいいますけど、そういう意図はないしよく読めばそうでないのはわかってますよw
そういうまっさらな人の目から見たときにどうなのかという事でして。
前スレをざっと目を通してたので以前からもう少し平易な用語を用いてみてはという声に対し
似たようなやり取りがあったので、今回もどういう反応がかえって来るかも想像できてたんですが
そういう意味で、「予想してた結果に反してそれに対する反応が少なく肩透かしを食らったから」というのではなく
むしろ、「予想通りの対応しかかえってこなかったので意外性がなくやっぱりこう来るのかな」というのが実感です。
346 :
ポックル :2006/07/17(月) 00:02:32 ID:pLZyVmGe
短期的なというのは構ってさんが来たら構ってあげなきゃいけないということをいってるのではなく 私はこう思うという意見に対して、そう思う相手への接し方の事をいってるんで 例えば上のことが、もし自分の切実な辛い体験に根ざし、本当にこのスレでの問題の共有を求めていた人であって、 そしてその反応があまりなかったのは仕方ないとして、それについて少し不満を言った人がいて それに対する反応が「あなたの物の見方は狭いからよ」と返ってきたとすればどう感じるか。 それが自己統制力のない人で精神的に余裕のない状況に置かれていている時であった場合、どう感じるか。 ところで、なぜ、このスレの人が言うところの煽りや荒らしと呼ばれる人がずっとこのスレにいるんでしょうか。 自己の問題については痛い点を疲れて防御反応に出ているから、人間的に未成熟であるから、単なる暇つぶし? それはそうかもしれません。全部あたっているところはあるんでしょう。 誤解のないように言っておきますけど、そういう人に妥協した方がいいとか 媚を売った方がいいといってるのではないですよ。 どうも対応が言葉は見ているけど、その言葉を発するにいたる背景が見えていないように感じます。 対立する相手の背景を見ようとしていると思われるときも、問題行動をする相手の人間的未熟さは見ようとしてますが そう考えてしまった経緯、流れはあまり見ていないような気がします。 スレの流れを誰もコントロールできないのはその通り。 しかし、「その対応すると明らかに荒らしさんや煽りさんに変身するきっかけを与えますよ」、 ・・・という対応を避けることは可能だと思います。 そういう意味で短期的対応は、見ていてあまり効果的でないと感じる所があったわけです 「言ってることは正しい。けれども効果的でない。」というような 煽りさんももともとこのような長文スレに目を通して関わろうとする人ですから、情熱はあるのでしょう。 余裕がないときに売り言葉に買い言葉で、あるいは煽るつもりではないのに煽りだといわれカチンとくる。 そして、いわゆる煽りや荒らしとされている行為をしてしまい、その結果スレの機能不全に陥る。 これは両者にとってどちらとも得になることではないと思います。 まとめますと このスレの固定さんの言ってる一連のことは筋が通っているかという質問に対しては 筋が通ってるし正論だと思います、と答えます。 煽り行為や荒らし行為が対話をする上で好ましい方法であるかどうかと聞かれれば 適切ではないし尊敬できる態度ではない、と答えます。 煽り行為にいたるきっかけがあり、それは回避可能であると思うかという点については 回避可能なところはあると思いますし、それにいたる心の流れを想像する事はできます、と答えます。 煽りや荒らし行為の肩を持つのかという点については 煽りや荒らし行為よりも誠実なレスで対応をするほうが当然いいと思います、と答えます。 このスレが排他的である、閉鎖的であると考えるかという質問に対しては 排他的でも閉鎖的でもないし、むしろその逆だと思うと答えます。 このスレが排他的である、閉鎖的であると感じるかという質問に対しては そう感じる点も多々あるしそう思われても仕方ない面もあると答えます このスレはこのままでいいと思うかという点に関しては 別に、このままでいいと思いますと答えます。 ・・・ということですwあんまり長引かせてもスレ違いになるのでこのくらいで・・・
347 :
ポックル :2006/07/17(月) 00:10:06 ID:QuPRzM5Q
>>342 このスレではたぶんそういうことないと思うんですけど
よそではモニョるという言葉をつかうと、ものすごい煽りを受ける傾向ありますね。
同人嫌いという土壌がある板では
「同人女を見つけ次第追い出してしまえ」という風潮があって
「同人女」を判定する指標として漏れだとかモニョるだとか、長文スマソのような文末のつけたしなどがあって
それが出てくるたびに煽りや叩きにあってるのを見かけたりします。
>・見慣れない言葉があっても質問したり調べるなどして学び人は成長していくわけで 未知の事にでも積極的に取り組む事が望ましい うーん。。「望ましい」っていうか…… 「切実」であればあるほど、自然にそうなると思うんだよね。 それと、望ましいから他の人もそうしろという事ではなく、 俺らはそうしているって事なんですよ。(だよね?>all) ていうか、俺はあんまり質問したり調べたりなんかしてないよ?w 俺がやってる事は、 他人のレスを咀嚼して自分の言葉に直してもういっぺん書いてみる、とか、 他人のレスを咀嚼して自分が引っかかった部分をもういっぺん書いてみる、とか。 そんなことなんだよね。 用語にしろ話題にしろ「難しい」と書いてくる人に対して俺は何度か、 「俺のレスを読んでみて」と提案してるんだよね。 俺のレスは、この上なく平易な言葉や馴染みやすい言葉遣いで書かれてると思うんだけどね。 他の固定のレスよりは、読みやすいだろうし分かりやすいと思うんだよ。 (違う意味で、日本語変すぎとかで何言ってるかわかんネってのは置いといてw) まあ、この提案も過去にしてきてるので、「意外性がない」っちゃないんだけどさ。
それからさあ >それに対する反応が「あなたの物の見方は狭いからよ」と返ってきたとすれば >問題行動をする相手の人間的未熟さは見ようとしてますが >そう考えてしまった経緯、流れはあまり見ていないような気がします。 こういうの、例えば、どういうやり取りを見て言ってるの?? その「問題行動をする」人ってのは、このスレに粘着してるジェンダーフリー反対派の人のこと?? であるならば、過去に俺は、 「ジェンダーフリーとか俺がジェンダーについて考えていることによって、 どういう災難があなたに降りかかるのか?」ってことは聞いてるんだよね、何度か。 このレスは、 >人間的な未成熟を見ようとしている ではないよ。 >そう考えてしまった経緯、流れ を見ようとしてるから出てくるレスでしょ? 違いますか? 俺も煽られやすいタチだから激情にかられてレスしたりしますが、 そういう中でも、あなたが言ってるような事はできる限り配慮してんですよ。 激しいやり取りの中で埋没しちゃって分かりにくいかもだけど。 結果的に埋没させちゃダメじゃんてのは、まあ、その通りだけどさ。 なんだかね、非常に恣意的な読み方をされてる気がするんだけど。 問題点を指摘するためにあえてそうしてるんだろうけど、 やるべき事を全くやっていないかのごとくに言われるのは、気ぃ悪いわ。 しかも、ここんとこ目に余る煽り荒らしは来ていないし、 来てても俺は反応してないよね。 何をもって今ここで >余裕がないときに売り言葉に買い言葉で、あるいは煽るつもりではないのに煽りだといわれカチンとくる。 >そして、いわゆる煽りや荒らしとされている行為をしてしまい、その結果スレの機能不全に陥る。 >これは両者にとってどちらとも得になることではないと思います。 なんてことを言われなきゃならないのか、さっぱり分かんないよ。
>>347 なんかさ……ゴメン、何が言いたいんでしょうか???
>「同人女」を判定する指標として漏れだとかモニョるだとか、長文スマソのような文末のつけたしなどがあって
>それが出てくるたびに煽りや叩きにあってるのを見かけたりします。
ええ、そうですね。
って返すしかないんだけど。
2ちゃんの「女性蔑視」問題とか、そういう話なのかな???
それと。 このスレにはいろんな人が来るけど、 その中には煽り目的の人・叩き目的の人もいるんだけど、 でも、たとえそういう人のことでも、 「問題行動をする人」なんて目で見たことはないよおれ。
352 :
ポックル :2006/07/17(月) 01:22:32 ID:QuPRzM5Q
>>349 あんまりこの話題で引っ張るのもどうかと思いますけど・・・
「物の見方が狭いという反応」は具体的には
>「得るもの」をポックルさんは「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
>さらに「短期的に」考量しすぎていらっしゃるんじゃないか、と思いました。
ということなんですけど、これについての意見は上でかいた通りです
まず粘着という言葉がでてきたでしょ?
そこにすでに現れているわけでして
粘着であるという事はしつこくてねちっこいというニュアンスを含んでると取られやすい。
相手の意見うんぬんのまえに、粘着している人とみなしている、それを明記している時点で
すでに粘着行為という「問題行動」をしている人であると、書いてしまってる。
仮にそういう意図や気持ちがないにしても、その言葉を使うことは
相手にそういう誤ったメッセージを与える効果がありますよ、ということです。
そしてその粘着という評価が客観的に見て妥当であるとしても
その言葉を使うのは長期的に考えるとスレの機能不全に陥らせる
危険因子となりますよという事です。
それは常連さんから見たら恣意的な読みだと思われるのはそうかもしれません。
しかし視点を変えるとそういう風に取る人もいるでしょうということです。
で、常連さんはそういう風に取るのはおかしい、恣意的に読む当人の人間性や読みの甘さの問題だと当然なるでしょう。
そうすると、その人は・・・ということで、そういう流れになるのは予測できるので
粘着という言葉やいつもの煽りの人でしょ?などという対応を避けるだけでも
そこのところを回避できる確率はあがり、そういう周辺的なことよりも本当に対話すべき点に集中しやすいと思うのですよということです。
>>350 よその板では漏れという一人称や語り口調だけで排斥しようとしてる人がいるんですよ
というだけでそれ以上の深い意味はないですよ
もう遅いので寝ますね・・・
というかあんまり上のを長引かせてもどうかと思うんですけどね。
ぼくの電波浴場を荒らさないでくださいです。。。
徹底的にやったらええがな
355 :
禁断の名無しさん :2006/07/17(月) 02:23:05 ID:AindGcxB
俺もいいだけ粘着気質だけど、粘着行為=問題行為だとは思わないね。
でも世間一般では、そういうことになってるんだろうし、
そういうことになってるんだから、そういうこととして取り扱わないと
反発されますよって話だよね。
ま、俺のFAは「そういうこととして取り扱う」ことはできません、だな。
世の中には世間一般とは違う言語感覚を持ってる人間も存在するんだよ。
ただ、俺がそれを通すことによって、相手は心をかき乱され、
ついに「反発」や「生理的嫌悪」や「拒絶」まで起きてしまって
レスを読むどころではなくなる、って事は理解した。
そういう人に向かって「レスを読め」と要求する俺が無茶だってことも理解したよ。
でも、譲れない部分てのは誰でもあるんでね。
それに、「自分とは違う人間も存在する」ってことを理解できなかった人でも、
理解できるというケースが、このスレでは何度も起きてる。
>>329 さんが言ってるように、何度もしつこく相手することで、
レスを読み直してもらったこと、こっちのスタンス・文意が通じたことはあるんだよ。
非モテのハザマさんや、一昨日の
>>264 さんがそうだよね。
もちろん通じなかったこともあるけれども(&さん)、
それでスレが機能不全に陥るなんてことはなかったじゃん。
ていうか、基本的に、
自分とは違う人間が存在するって事を受け入れられない人とは、
俺は話ができないのね。
できないがしかし、可能な限り相手をする。
「誤ったメッセージ」を修正するために諦めずに相手をするよ。
俺はそもそも「身体」を使って話をする人間なんで、しょうがないね。
どうも分からんなあ。 短期的対応のまずさが、名無しを荒しや煽りや叩きに変容させるってのは分かったが、 短期的対応がうまくいったケースはどうなんの。 まずくいった/うまくいった、その分岐点は何なんだろうね。 荒らしや煽りや叩きを変容させたスイッチが、仮に「粘着」という言葉だったとする。 では、その言葉はどうして出てくるんだろうね。 その言葉が出てこないケースと、出てくるケース、その違いは?
>「得るもの」をポックルさんは「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
>さらに「短期的に」考量しすぎていらっしゃるんじゃないか、と思いました。(
>>325 )
という「短期的対応のまずさ」が、どうして発生したかというと。
ボックルさんは、
>>161 の後、久しぶりに来てみたら、
話題が変わっていて、そっちばっかり数十もレスがついて
自分のレスは放ったらかしにされていた。
そうした「短期的対応のまずさ」に感情的に傷つけられたから、
>>161 を読む気にもなれず、
>エネルギー使った割りには得るものが少ない(
>>317 )
と書いたわけだよね。
はっきり言ってね。その一行といい、
>なんか不思議な流れになってますけど・・・
といい、俺はかなりカチンときましたよ。42さんはどう思ったか知らないけどさ。
俺は、
>「得るもの」をポックルさんは「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
>さらに「短期的に」考量しすぎていらっしゃるんじゃないか、と思いました。
というのが「短期的対応のまずさ」だと言うならば、
それはボックルさん、あなた自身が呼び水となったのだと思うよ。
>>316 であなた、
>あまりこのスレの人の関心を引かなかったということでテーマの提示の仕方も悪かったのかもしれないですし
>スレの流れというのは流動的なものなので、たまたま今回はそうだっただけなのかもしれないわけですし。
と分かったふうな事を書いてるけれども、要するにあなたの主張は、
「俺のレスを放ったらかしにして、俺が関心ないテーマにばっか反応すんなよ!」という
きわめて「身勝手」なものだと俺は思ったよ。
そして、そういう身勝手な態度を受けて出てきた、
>「得るもの」をポックルさんは「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
>さらに「短期的に」考量しすぎていらっしゃるんじゃないか、と思いました。
も、またもや「短期的対応のまずさ」と仰る。
自分で
>>161 を放ったらかしにしたことは棚にあげて、
「傷ついた」という感情ばかりを押しつけられても困ンだけどね。
俺が言ってる「煽りや荒し」も、だいたい似たようなことを行ってんだよ。
そもそもレスをちゃんと読んでいない、もしくは一部分に反応して揚げ足を取る、
ちゃんと読んでいないことによる誤解に基づいた思い込み、あるいは
恣意的に読んでしまったための思い込み、
勝手に自分で呼び起こした「短期的対応のまずさ」に勝手に傷ついて、
勝手に感情を高ぶらせて攻撃してくる、突っかかるものの言い方をしてくる、
そういう人々なんだよ。
あなたが感情的に傷つけられたのは分からんじゃないが、 (誰だって、自分が放ったらかしにされてるのを見ると凹む) あなたの「短期的対応のまずさ」に俺が傷つけられたっちゅーことは 不問なんでしょうかね。
いま気づいたんだけど、 ボックルさんじゃなくてポックルさんだったのね。 すいませんでした。
ポックルってゲイなの?ビアンなの?どっちでもないの? それすらわかんないんだけど。
363 :
ポックル :2006/07/17(月) 21:59:53 ID:+yKaHNdK
>>362 はじめは名無しでの登場だったのでわかりづらかったと思いますけど
>>107 にあるとおり♂好きの♂で心も♂です。
>>358 私自身ははくさんとか42さんとかどういうレスの仕方するか知ってるので
ん?と思う点も多分こういうことが言いたかったんだろうなぁ
っていうのは読み取れるからいいんですけどね。
いままでそれでカチンと来る事はなかったですし。
で、もう種明かししますけどね。
はくさんにはあらかじめ煽りにならない程度に挑発的に接してみて感じたこといってみるっていってたんですけど
ぶっちゃけ最初の問題提起、つまり一人称の問題ですけど
あれは実はその話が広がれば広がったでいいと思ってたんですけど、一種の布石として考えてたんですね。
もし、それが不発に終わったら今度はそれを元に
対応に対して不平を言う人の役を演じてどういう対応するかなぁと失礼ながら考えてたのです。
つまりはじめの一手はそこにいたる布石で本題はそのあとの不満をいうとこでして。
だからここら辺の行動の変化は自分でみても言いがかり臭いところもあるし
やや苦しいところがあるんですけどね、
あえてカチンとこさせるための一手なのでご容赦のほどをというとこなんです。
しかし人というのは厄介ごとに直面したとき
その性質をよく表しやすいのでちょっと無理してそっちに話を引っ張ってみました。
おそらくこういう動きに出ると42さんあたりは自分に矛先が向けられたとき
十中八九、矛先を向ける相手の人間性の問題をついてくるだろうし
はくさんあたりはカッカして感情を露出してくるだろうと見てて、
その誘いに乗ってきたときにそこから今までの煽りさんの対応の方へ
シフトしようという算段だったわけです。
はくさんは事前に言ってたのもあって思ったほど感情的にならなかったんですけど
42さんはだいたいこう来るだろうなぁというとこにきてくれた感じですが。
たぶんいぬまわりさんなんかは、穏便にあまり事を荒立てず空気を大事になさる方なので
見てても静観しているだろうなぁとおもってました。
>>363 僕は「相手」を問題にしたことはなく、「相手の文章」しか問題にしていないので、
「相手の人間性の問題をついた」ことは、一度もありません。
>「得るもの」をポックルさんは「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
>さらに「短期的に」考量しすぎていらっしゃるんじゃないか、と思いました。
は「相手の人間性」の問題ではないから、
>>328 のように一般化できるわけです。
要するに「相手の非人間性」としての「構造」を問題としているだけです。
ポックルさんでなくても、
>気軽に参加したい(これは
>>1 にもかいてあることですけど)と思ってみた人が
>見慣れない言葉が飛び交ってるのをみたら、参加する気がそがれる一因になるだろう
などと考え、言う者は、「得るもの」を「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
さらに「短期的に」考量しすぎているであろうし、それゆえに、
>>328 に書いたように
「損をしている」であろうが、それは僕の知ったことではない、ということで、
「ポックルさん」というのは「例」にすぎない。たまたま、
>>317 で
>エネルギー使った割りには得るものが少ない
書いたから「ポックルさんは」ということになっているだけです。
しかも、それはネットの外の「首を切られると死ぬ」生身の
「ポックルさん」とは関係のない、
>エネルギー使った割りには得るものが少ない
という文章に「署名」してしまったために、このスレのうえで
生まれた「ポックルさん」であって、「人間」ではない。
それは「人間性」を問題にしようのない存在です。
365 :
ポックル :2006/07/17(月) 22:35:45 ID:+yKaHNdK
それであんまりこの話を長引かせてもと思うんで軽く済ませますけど
>>359 ということで、実際は動いてもらうための誘い水として使ってたので
ほったらかしにされてること自体は別になんとも思ってないわけです。
手短に言うと、以前から自分と対立する人や矛先を向けてきた人、いわゆる煽りとされてる人に対しては
相手の人間性や人格や能力に関わる問題として切り返してることが多いと見てました。
例えば、「私が以前そうであったように物事を一面的にしか捉えず狭量で向上心のない哀れな人」というような捉え方です。
これは、以前にも同じように切り返しておられました。
そして、いったん相手が感情的になると具体的な煽りとされる行為の細部について、必要以上に(w)こと細かく解説し
相手の行為にたいする批評を下す・・・と、平たく言えばそういう言い方はしてないものの
いかにボンクラであるかを突きつける。言葉は丁寧ですがアホかバカかといわんばかりに。
もちろんこの批評自体は当たってると思います。
掲示板のやり取りでムキになって、暴走するのは未熟さゆえの事なのはそのとおりでしょうし。
しかし、その少し前あたりみると、そこにいたるきっかけ、
つまり、いくら正しくてもそれをいったら煽りや荒らしに変わるきっかけになるだろうというような
よけいな一言がその人に向かってあって、例えば粘着だの文盲だの
それによって誘発されていると見てとれるとこがいくつかありました。
それで、相手がいわゆる煽り行為、荒らし行為に出た後、その行為について詳細にとりあげ
相手の人間性についてさらに踏み込んでくる。
矛先を向ける相手が「文章を正確に読む努力をしない向上心のないかつての青二才だったころの私のような未熟な人」である。
それはそうかもしれません。そういうのだからそうなんでしょう。
しかし文章を正確に読む努力をしない向上心のないかつての青二才だったころの私のような未熟な人にむかって
文章を正確に読む努力をしない向上心のないかつての青二才だったころの私のような未熟な人なんていったところで
文章を正確に読む努力をしない向上心のないかつての青二才だったころの私のような未熟な人が思い改まるかというと
それはこのスレの現状見てもそうなってない事からも明らかなように、実際は態度を硬化させることが多いわけでして、
「私には反省もなく逆上してこのような行為を繰り返す彼らが理解できない」のはというのは正論ですけど
そこに至る前の段階で他の対応を考える事も可能だと思いますよ。
もちろん何も皆さん名無しさんの教育係じゃないのでそういう義務はないですよ。しろといっているわけではない。
ただ、「こういうことは煽り行為してる人の人格や人生の問題で私たちにコントロールできないし打つ手がないでしょ?」という質問に対し
「それ以上事態が悪化しないように萌芽の段階で回避する策はあると思います」、と答えたわけです。
で、上のほうのスルーされたどうこうのやり取りはこういう対応を改めて引き出すためのちょっとしたひっかけだったので
そういうちょっとずるい手を使ったのはすみませんというところです。
366 :
ポックル :2006/07/17(月) 22:46:51 ID:+yKaHNdK
>>364 そうですね。
そこは言葉足らずでした。
それでもうあんまり長引かないようにまとめますけれど
はくさんの若い人が来れるような気軽な雰囲気にならないものかというのが発端だったんですけど
そもそも、気軽に話できる雰囲気と、今みたいにコアな話しができる雰囲気というのは
両立する事が極めて困難なので
このスレはこのままでいいと思うと考えたわけです。
なぜならば他の方法でこれをクリアすることはいくらでも出来ますからね。
例えば他のもっと気軽に話せるスレで自由に話してもらった中から
このスレにもってくることだって出来るわけですし。
だから無理してここで気軽に話しできるように変える必要はないと思いますということです。
ただ、何度もいいますけど、相手が勝手に暴れてるだけで打つ手がないというのは
やや都合のいい見かただと思いますよ、ということで。
する必要はないけれどもやろうと思えば可能だと思います。
とはいえ、それしちゃうとこのスレ特有の緊張感というか息詰まった空気というのは変わっちゃうし
リンクコピペさんの貼った中から有意義なものを見つけ出そうとして相手の行動を有効利用していると考える人と
そう思わせといていじくって遊んでると思ってる人と、どちらが上手なのかは知りませんけど
そういう需要と供給で成り立ってるところもあると思いますし。
ということでこのままでいいように思いますけどね。
>>358 >なんか不思議な流れになってますけど・・・
「なんか不思議な流れ」なのは、「ポックルさんにとってだけ」、ですから、
きわめて「個人的なレス」だなあ、と思い、何やらこのスレに
「先入観」がおありになり、事態がそれに反していることが
「不快」なのであろう、くらいに思ってました。
そのあとのレスを読むと「首を切られても死なないポックルさん」は
「意図的にこのスレの話題をコントロールしようとした」
ということのようですが、
>なんか不思議な流れになってますけど・・・
はコントロールしきれてないと思いますね。「語るに落ちている」。
「首を切られても死なないポックルさん」は、「書くこと」において
「すべてをコントロールできる」と思っているようですが、
そんなことは無理ですね。で、「首を切られると死ぬポックルさん」は
何か文章を書くことを通じて、自分がそういう「首を切られても
死なないポックルさん」を生み出していることに、お気づきではない。
それは「首を切られても死ぬポックルさん」の「人間性」の
問題ではなく、「首を切られても死なないポックルさん」の
「非人間性」の問題ですね。
>>365 「行為」と「行為をするひと」とは別です。「行為」を批評することは、
「行為をするひと」の「人間性」「人格」とは何の関係もありません。
僕は、このスレで「成熟」と「未熟」を対立させ、自分に前者を
相手に後者を割り振ったことなど一度もありません。
>>336 に関しては、
>「得るもの」を「あらかじめある程度予想可能なもの」に限定し、
>さらに「短期的に」考量しすぎていらっしゃる
とは異なる「行為」が存在しますよ、ということ以外は言っていない。
そこに「未熟」「成熟」という「価値判断基準」を持ち込んでいるのは、
「首を切られても死なないポックルさん」であって、僕ではありません。
>「私が以前そうであったように物事を一面的にしか捉えず狭量で
>向上心のない哀れな人」というような捉え方
これは「首を切られても死なないポックルさん」がそういう「捉え方」を
しているだけで、僕はこんな「捉え方」はまったくしてません。
368 :
ポックル :2006/07/17(月) 22:59:06 ID:+yKaHNdK
>>367 それは導入部ですね
「なんか不思議な流れになってますけど」、と、前置きする事によって
今の流れに疑問を持っているという風に演じることが可能になります。
そこで、実際にはそういう風には思ってないですけれど
なんかこの流れはおかしいのではないかとこのスレに疑念を持っている人物像を描写したら
はくさんあたりはカチンと来るだろうし
他の人は、親切心の塊のような人なのでいろいろこれに食いついてくるであろうと考えたわけです。
もちろんスレをコントロールすることなんて無理ですよ。
はじめの一人称の問題もそっちで話が進んでたらそこから展開するつもりでしたし
これに違う反応がくればまた別の対応を相手の出方にあわせて臨機応変にしようと考えてました。
いずれにせよはくさんは事前に情報知ってましたし感情的になりやすいので
どういう形にせよ関わってくると思ってました。
そのあとの文のそういう考えをしていないということはわかりました。
>>368 「演じている」のはわかるんですが、「演技」を開始する
タイミングが、「コントロール」しきれておらず、それこそ、
>>314 以前から
>>314 への「流れ」の方が、「このスレの参加者
個々人の主観を超え」て、「不思議な流れ」になっちゃってるわけです。
「疑問をもつ必要のないところ」で「疑問をもっているように
見せかける演技」を始めてしまったから、そんなことになっている。
まるで「不条理劇」です。
誰も「首を切られても死なないポックルさん」を「煽り」だとも
「荒らし」だとも言ってませんし、ID:nRx2ilGF さんとのやりとりに
対する「疑問」はどこにも書かれていない。にもかかわらず、
「疑問をもっている者の演技」が開始されてしまったことが、
「主観を超えて不思議」なんです。
370 :
ポックル :2006/07/17(月) 23:25:27 ID:+yKaHNdK
>>369 まぁ、そこは本題じゃないんですよ。
どうでもいい即興劇というところで
そうしたらそうなるかなぁとおもって適当に書いてる部分だし
自分でもやや無理に引っ張ってきたという自覚はあるので
矛盾やおかしな点はあると思います。それは否定しません。
疑問云々はリンク先のことにえんえんと答えるのはおかしいなぁと感じてる人の役なので
その人とは関係ないんですけどね
伝わらないところがあるとしたら演技の技量不足があったのかな。
要はそうやっていちゃもんつけてくる人には
あなたがいかにおかしいか言ってくるだろうと考えてたので
それかはくさんの感情的なコメント引き出せればいいやとかんがえてたわけで。
というかもうごめんなさい。ごめんなさい。
謝りますからw
まだ続くのかなwこれ。
とりあえず12時になったら寝ますね。
それゆえに、「不思議な流れ」の「不思議な」については、
>>367 に書いたように、
>何やらこのスレに「先入観」がおありになり、
>事態がそれに反していることが「不快」な
者ならば、「首を切られても死なないポックルさん」でなくても、
用いるであろう形容詞としてしか受け取りようがなくなって
しまっています。「首を切られても死なないポックルさん」が
「例」となる「人間類型」「演劇の登場人物」以外には
「流れ」は「不思議」でもなんでもないからです。
でも、この「舞台」では、その「役」を演じているのは、
「首を切られても死なないポックルさん」おひとりなので、
「きわめて個人的」な「形容詞」になっているんです。
で、「先入観」というのが「成熟」と「未熟」という二項対立に
もとづく「価値判断」に関わるもので、
>>368 でおっしゃっているように、
>>367 の後半がご理解いただけた、ということであるなら、
「これまでご指摘になったこのスレの問題点はなんら問題点ではない」と
いうことになります。
>>359 へのレスとして「首を切られても死なない
ポックルさん」がお書きになったことが、「誤りである」ということを
>>367 の後半では言っているわけですから。
>>370 別に謝っていただく必要は何もありません。
要するに、「演技開始のタイミング」も「不思議」だし、
「このスレの問題点はなんら問題点ではない」ということに
なってしまう
>>368 に至る「シナリオの破綻」も「不思議」なんです。
「技量」と関わり無くたんに「不思議」なんです。
372 :
ポックル :2006/07/17(月) 23:36:09 ID:+yKaHNdK
でも不思議ですね←あ、これは演技じゃないっすよ! このやりとりしてる間ピタリとコピペがなくなってますよね。 ということはひょっとするとコピペ張ってる人も 案外話そうと思えば話せる人なんじゃないかなぁ。 と、ふと思いました。
373 :
ポックル :2006/07/17(月) 23:44:49 ID:+yKaHNdK
なぜかえらくそのレスにこだわられて・・・ もう一回まとめると はくさんが気軽に話せるような雰囲気にならないものかと考えたのがきっかけ そこでいろいろかいてみて気軽な話と腰をすえたする話は なかなか両立するのは難しいと思えるということ もし気軽に若い人が参加できるようにしようとするとなると このスレの腰をすえて話す特徴が障壁になるかもしれませんねということ 暴れてるとされる人もなにかのきっかけで暴れてるかもしれないし、そういう回避することも可能ではあると思うこと ここらあたりが要点なので、そこらへんの演技がどうとかタイミングがどうとかそういうとこは 不思議だなぁとおもってもらっていいです。 世の中には不思議がいっぱいです。
374 :
ポックル :2006/07/17(月) 23:56:01 ID:+yKaHNdK
もうそろそろ寝ますね。 あんまりこの話長引かせるのもどうかと思うんでほどほどにしておいたほうが・・・ それよりもこれがあたってるかどうかはともかく こういう違った視点から見た感想を土台に 前向きに色んな話題を進める方が有意義だと思いません? そうおもうんですけどねぇ。 他の人はどう思います? おやすみなさいです。
>>373 >>365 に「首を切られても死なないポックルさん」が
>>359 へのレスとして
お書きになったことが「誤り」であるときには、
>>373 って「無意味」です。
しかも「首を切られても死なないポックルさん」は
>>368 で
>>367 の後半に対して、
> そのあとの文のそういう考えをしていないということはわかりました。
とおっしゃっている。「世の中には不思議がいっぱい」といった
一般論を超えて、ひとつの「演劇」として「主観を超えて不思議」なんです。
>>374 おやすみなさい。
「目的」は理解でき、それを実現するにふさわしい「手段」も用意しているのに、
なぜか「目的」を実現することが不可能になるように、その適切な「手段」を
用いていることが、「主観を超えて不思議」な状況を生んでいる。
それは「演技」という「手段」を用いるのが「上手」「下手」といったこと、
「技量」の問題じゃなく、どうしてそれをそんなふうに用いるのか、がわからないわけです。
その演目の「台本」のページが飛んでおり、別の「台本」がまぎれ込んでいるのを、
知らずに「俳優」が演じている、ところがその「俳優」は「シナリオライター」でもあるので、
その「台本」のおかしさには気づくはずである、にもかかわらず、
その別の「台本」がまぎれ込んだ「台本」はそのまま演じられたために、
「不思議な」ことになってしまっている。これは「技量」の問題じゃありません。
42w
>>374 「違った視点」が何も提示されてないんです。
>「私が以前そうであったように物事を一面的にしか捉えず狭量で
>向上心のない哀れな人」というような捉え方
は、このスレにはありませんし。何か「土台」になるようなことが
何一つまだ言われてません。
そのような「捉え方」「先入観」は、「煽り」や「荒らし」行為に
およぶ者の「なか」にあるだけで、その者を「哀れんでいる」のは
その者自身で、他者ではありません。「未熟だ」「青二才だ」と
という言葉に、ある者が怒りを覚えるとき、その「未熟だ」「青二才だ」という
言葉をその者の怒りの触発という「出来事」に結びつけるべく「反復」し、
「残響」させているのは、その者自身です。そして、怒りが生じ、
「煽り」「荒らし」行為におよぶことで、その「未熟さ」は客観的に
その者の「なか」に存在するに至ります。「未熟さ」が事前にあって、
それによって「煽り」「荒らし」が行われるのではなく、
「煽り」「荒らし」行為がその者の「なか」に「未熟さ」を
事後において、あらしめるわけです。
「煽り」「荒らし」行為を「パフォーマティヴ」、「未熟さ」を
「規範としてのジェンダー」と置き換えれば、これはこのスレで
これまで語ってきたことと無縁ではないことがわかります。
それに関わる問題なので、
>えらくそのレスにこだわ
るわけです。
ポックル氏・・・ジェンダー論者 quarante-deux氏・・・バックラッシュ派 の構図かな。なぜ彼らは反発するのか? ヒントは足元にころがっている。
>>379 「ジェンダー論」「バックラッシュ」は「言説の内容」を基準にした
区別なので、そうした「比喩」として用いることはできません。
>>372 コピペ貼ってる人って誰のこと。ふんわか? おさらい?
両名ともスレの流れはきちっと読んでますよ。あなたと違って。
そして、俺たちはきちんと彼らと「話して」います。
あなたには分からないかもしれませんが。
出かけるので俺の意見は帰宅後に書くよ。
>「私が以前そうであったように物事を一面的にしか捉えず狭量で
>向上心のない哀れな人」というような捉え方
を「他の登場人物」にはせぬ方がよい、と「穏やかに命じながら」、
>>374 のように自らは「他の登場人物」をそうした「捉え方」で
捉える「自家撞着」を起こす「道化」を、「俳優」兼「シナリオ
ライター」兼「演出家」である「首を切られても死なないポックルさん」は
自ら演じていらっしゃる。
僕はその「シナリオ」のなかで、
>「私が以前そうであったように物事を一面的にしか捉えず狭量で
>向上心のない哀れな人」というような捉え方
で、「首を切られても死なないポックルさん」に捉えられながら、
「自分たちがそのような『捉え方』をしてはおらず、それゆえに、
そのような『捉え方』をせぬ方がよい、と『首を切られても死なない
ポックルさん』に『穏やかに命じられる』必要はない、ということを
説明するセリフである
>>367 と、それを認める『首を切られても死なない
ポックルさん』の
>>368 のセリフとのやりとりを通じて、『首を切られても
死なないポックルさん』の『自家撞着』ぶり、『道化』ぶりを引き出す」役を、
演じさせられている。
この「幕」で明らかになったのは、
>「私が以前そうであったように物事を一面的にしか捉えず狭量で
>向上心のない哀れな人」というような捉え方
をしているのは「首を切られても死なないポックルさん」だけ、
ということです。
僕は「未熟」から「成熟」へ、といった単線的な「成長モデル」で、
ひとを「評価」しません。そんな「傲慢な」ことはしない。
それははくタンをはじめとする他のコテ(長文コピペ50代オヤジを除く)も
同じです。
>「私が以前そうであったように物事を一面的にしか捉えず狭量で
>向上心のない哀れな人」というような捉え方
をしないがゆえに、
>>258 さんとのやりとりがあのように展開するわけです。
>>258 さんとのやりとりで明らかになったのは、僕や姐さんや
はくタン、いぬまわりさんは、「首を切られても死なないポックルさん」が
>>374 で「無邪気に」演じられた「道化」の「自家撞着」を、「はしたなさ」を
めぐっては起こしていない、ということです。
今回の「幕」のこの「場」で、
>「私が以前そうであったように物事を一面的にしか捉えず狭量で
>向上心のない哀れな人」というような捉え方
をせぬ方がよい、と命じられるべきなのは、「首を切られても死なない
ポックルさん」だけであり、そして、それは「首を切られても死なない
ポックルさん」が「じぶんでじぶんに命じる」ことである、と
いうことです。
ああ、この2日間の不快感をもてあましていたんだけど、
>>383-384 で少し癒されたw
「シナリオ」をスタートさせるタイミングをポックルさんは間違えた、その通りだと思う。
>>258 =
>>264 さんとのやり取りは、
ポックルさんが持っていた「先入観」に反するもので、
あのやり取りをちゃんと見ていれば
その「先入観」は消えるはずなんです。
あの中で、いったい誰が
>>258 =
>>264 さんの「人間性」を攻撃したんでしょうか。
俺はいつ感情的にキレたんでしょうか。
そんな事は起きなかったことは、読めば分かることだよ。
それをせずに、ポックルさんは頑固に自分の「先入観」に拘って
自分の「先入観」を披露しただけでしょ。
しかも、自分は「荒らし」の味方であるかのように僭称して。
ちょっと時間ないや。
このスレに若い人が来づらい件に、
ポックルさんのような「評論家ぶった人」の存在がどう関わっているかについてなどを、
2ちゃんの中でいろんなスレでいろんな人としゃべった経験をふまえて
書いておきたいことがあるんだけど、それはまた夜にでも。
386 :
ポックル :2006/07/18(火) 22:09:58 ID:PNfWgzZK
>>378 42さんは違った視点が提示しておらず全く土台にならないと考えると言うご意見ですね。
はい、そう考えているという事はよくわかりました。ご意見ありがとうございました。
同様の事はすでに上で書きましたが何かをいわれてカチンと来るのは
カチンと来る人の問題であるというのは正論だと思います。
しかし一つの方法として、そういうすぐカチンと来る未熟な人がいるんだったら
ここは一つこちらがオトナになってカチンと来るような事をいうのを避けてみることもできるかもよということです。
とはいえ、ここら辺は平行線になるでしょうからそれは42さんの意見として承りました。
いぬまわりさんや83さんやはくさんはどうお考えでしょうか。
やはりみなさんもこういった感想が全く土台にも何の参考にもならないとお考えでしょうか。
「カチンと来させる一言→ある人がカチンと来る→煽りさんに大変身」
みなさんも、カチンと来るようなよけいな事をいわれてカチンと来る方がおかしいので
すぐにカチンと来るような人にカチンとこさせない方法の一つとして
明らかにカチンと来るような事をいうのを控えること、
というのは役に立たないとお考えでしょうか。
皆さん方がするしないではなく、方法の一つとしてありえるかどうかという点について。
何度もいってるように皆さん名無しさんの教育係じゃないのでこうするべきといってるわけではないですよ。
こちらは手のうちようがないという意見に対してそういう回避策もあるとおもうというだけの話ですよ。
387 :
ポックル :2006/07/18(火) 22:26:40 ID:PNfWgzZK
>>385 そこも誤解があると思うんですけど
その人のことを言ってるんではなくて
今回もそうですけど以前からのやり取りで
相手が自分の意図を思ったようにくみ取らなかったとき
その人の能力や読む努力云々に言及してることが多々合って
それが遠因となって煽りを助長していると見て取れるところがあったということで
>>258 さんにそれをいっていない事をもって
別のケースで他の人の能力や人格云々に関わることをいってないことにはつながらないと思いますよ。
例えば、読み手が書いた文を誤解して文を受け取ったときに
それは読み手の不注意があったのかもしれないですよね。
しかしその相手の過ちを殊更とりあげて相手を批評することで
相手がより興奮して文を読みそこなう確率も上がりやすくなるわけで
ここで文を書くことがストレス発散を目的としているのなら
それはそれでいいのかもしれないですけど
相手に自分のいいたいことを伝えたいのであればなら
そう思っててもあえてそれを書かないことで
よりいいたいことが伝わりやすくなるということも
一つの方法としてあると思うということです。
相手が興奮するのは相手の未熟さゆえでしょうけど
その未熟な相手を興奮させるようなよけいな一言をさけることで読み違いを少なくなれば、
感情的になって恣意的な読みをしてしまう確率も下がるかもよという事で。
そうすれば恣意的な読みをされたどうこうのゴタゴタに巻き込まれることで
肝心な話がしにくくなることも減る可能性もあるということです。
388 :
ポックル :2006/07/18(火) 22:43:47 ID:PNfWgzZK
それから、はくさんには事前に挑発的な態度で接してみますという話だったんですけど 挑発することの中には相手を不愉快な言動をとるということも含まれてるわけで 不快感を覚えさせてしまう事もあったでしょうけど・・・ しかしここは気分を害させる事が本来の目的ではなかったので その非礼はお詫びしておきます。すみません。 42さんのご意見ではカチンと来る方の中の未熟さの問題だという事なのかもしれませんけど ここは素直に謝っておきます。 タイミング間違えたのはそうかもしれませんね。 上で自分でも強引なとこがあると認めてるように 場当たり的にやってたってとこはあるかもしれません。
389 :
ポックル :2006/07/18(火) 22:45:28 ID:PNfWgzZK
相手を不愉快にさせる言動、でした。 他の作業しながら書いてるんで それ以外のところにもありますけど てにをはのまちがい等は大目に見てくださいw
390 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/18(火) 23:00:37 ID:T6Xh7xEb
>>363 >対応に対して不平を言う人の役を演じてどういう対応するかなぁと失礼ながら考えてたのです。
>つまりはじめの一手はそこにいたる布石で本題はそのあとの不満をいうとこでして。
>あえてカチンとこさせるための一手なのでご容赦のほどをというとこなんです。
あなたはつまり「対応に対して不平を言う人」が、
>エネルギー使った割りには得るものが少ない
と発言することを、俺に容認しろ、容赦してくれろと、そう言うわけですね。
彼が不平を感じたその対応が、
>あまりこのスレの人の関心を引かなかったということでテーマの提示の仕方も悪かったのかもしれないですし
>スレの流れというのは流動的なものなので、たまたま今回はそうだっただけなのかもしれないわけですし。(
>>316 )
と、あなた自身が書かれているように、このスレの誰にも責任がなくても、
彼のその発言が、きわめて理不尽な「感情の押しつけ」であっても受け入れろ、と。
申し訳ないが、俺にはできませんね。
彼=「ふらっと気軽に立ち寄って体験談を書いた名無し」が、
「自分の切実な辛い体験に根ざし、本当にこのスレでの問題の共有を求めていた人」であるかも知れないのと同じように、
このスレの住人それぞれもまた「自分の切実な辛い体験に根ざし、本当にこのスレでの問題の共有を求めていた」一人なんですよ。
「もてなして欲しい」「自分の話を聞いて欲しい」「大切に扱ってほしい」のであれば、
他者に対しても「もてなす」「聞く」「大切に扱う」態度を示すべきでしょう。違いますか。
そうした、きわめて、きわめて、単純で当たり前で基本的なことができない人を、
どうして俺が容認しなきゃならないんですか。(続く)
391 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/18(火) 23:01:35 ID:T6Xh7xEb
俺はね、「俺にはできませんね」「どうして俺が容認しなきゃならないんですか」と
言いながら、それでも俺はね、
>>356 で
>俺は話ができないのね。
>できないがしかし、可能な限り相手をする。
>「誤ったメッセージ」を修正するために諦めずに相手をするよ。
と書いてるように、俺は相手をしてるんです。
煽り合いに流れがちな中でも、相手の
>(問題行動を起こす人が)そう考えてしまった経緯、流れ
を、このスレや住人に粘着しなければならない根源的な理由を、
あなたが想定しているよりも、もっと大きな、もっと広い意味で、見ようとしてるんです。
それは「長期的な対応」と言ってもいいでしょう。
(続く)
392 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/18(火) 23:04:09 ID:T6Xh7xEb
>あえてカチンとこさせるための一手なのでご容赦のほどをというとこなんです。 >しかし人というのは厄介ごとに直面したとき >その性質をよく表しやすいのでちょっと無理してそっちに話を引っ張ってみました。 あなたが「はくが手を焼いている名無しとして」意図的に行った、 「あえてカチンとこさせる発言」によって、 めでたく、あなたが思い描いた通りの「短期的反応のまずさ」が返ってきた。そういう事ですよね。 それね、42さんが上で「語るに落ちてる」と言った通り、語るに落ちてるんですよ。気づいてますか、そのこと。 気づいていないみたいだから詳しく書くけどね。 ――「気軽にふらっと体験談を書いた人」が、自分が望んだ反応が返ってこなかった。 ――そこで手前勝手な不満を言う。 ――さらに鬱憤晴らしに、ひとが聞いたら「カチンとくるような」捨てゼリフを残す。 ――俺が感情的にキレる。煽り合いになる。 粘着にスレが荒されるのは、俺をはじめとするスレ住人には責任ないのだと、 むしろ荒らしのレス態度の方に問題があるのだと、俺は、メッセで言いましたよね。 そうじゃないだろうと、あなたは言いました。 だから俺は「じゃあ自分の目で確かめてみれば? 名無しで書いてみれば?」と言ったんです。(続く)
393 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/18(火) 23:05:10 ID:T6Xh7xEb
そこで、――で書いた部分をもういっぺん読んでください。
俺が言ってた通りですよね。
俺が言った通りだってことを、
「はくが手を焼いている名無し」を演じたあなた自身が証明しちゃってるんですよ。
荒れるモトとなるであろう「短期的対応のまずさ」を引き起こすきっかけとなった「カチンとくる一言」を書いたのは誰なんですか。
あなたでしょう、ポックルさん。
あなたにしろ名無しの彼にしろ、その一言がなかったら俺はキレないし、
名無しの彼が「荒らし」に変容することもないんですよ。
俺をキレさせ、彼を「荒らし」に変容させてるのは、
俺でも42さんでもスレ住人でもない、あなたが演じた「名無しの彼」本人なんですよ。
そう指摘したのが
>>358 なの。
(続く)
394 :
ポックル :2006/07/18(火) 23:05:46 ID:PNfWgzZK
>>390 もちろん容認しろっていってないです。
むしろ容認するはずがないので
そういう事を書いたら反論してくるだろうなぁとおもって書いたわけですね。
そこらへんの非礼はお詫びいたします。
そして何度も言ってるように容認しろとかこうしなければいけないということではなく
打つ手がないという意見に対し回避する策がないわけではないといってるわけです。
>>346 で
>誤解のないように言っておきますけど、そういう人に妥協した方がいいとか
>媚を売った方がいいといってるのではないですよ。
といっているように容認する必要もありません。
395 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/18(火) 23:06:02 ID:T6Xh7xEb
ここで俺がカッコ書きしてる「短期的対応のまずさ」が、実は何も「まずく」なかったってことは、
>>367 と
>>368 の
>そのあとの文のそういう考えをしていないということはわかりました。
で、ハッキリしてますね。
ということは?
誰が悪いの?
「名無しを荒らしに変容させ」「スレを荒す」原因は何なの? 誰なの?
ポックルさんが演じた「はくが手を焼いている名無し」以外に誰もいないじゃないか。
そう指摘してるのが、
>>371 >「これまで(ポックルさんが)ご指摘になったこのスレの問題点はなんら問題点ではない」と
>いうことになります。
なんですよ。
従って
>>373 の
>暴れてるとされる人もなにかのきっかけで暴れてるかもしれないし、
>そういう回避することも可能ではあると思うこと
は、俺らスレ住人ではなく、その「暴れている人」が考えるべきことです。
>>365 の
>そこに至る前の段階で他の対応を考える事も可能だと思いますよ。
は、その「暴れている人」が考えるべきことなんです。
だから、
>>378 >「違った視点」が何も提示されてないんです。
ということになる。
396 :
ポックル :2006/07/18(火) 23:09:42 ID:PNfWgzZK
>>392 何度もいうように責任ではないです
荒らし、煽り行為はルールで禁じられているので
やる人のほうが明らかにおかしいですね。
煽りや荒らし行為の肩を持つのかという点については
煽りや荒らし行為よりも誠実なレスで対応をするほうが当然いいと思います、と答えます。
と上で書いているように。
相手がきれるような一言を言ったのはそれは当然相手の問題でしょうね。
しかしそれに対しこちらもよけいな一言で返してしまうというのは悪循環だと思うということです。
397 :
ポックル :2006/07/18(火) 23:12:47 ID:PNfWgzZK
>>395 誰が悪いかという事になれば主たる責任は煽りや荒らしをするほうでしょう。
その掲示板のやり取りで荒らし行為と受け取られるような行動を取るのは明らかに未熟ですからね。
だからなにも妥協する必要も媚を売る必要もありません。
回避する策がないのかといえば、あえて燃料を与えることを控える事もありうるというだけで
当然、妥協したり媚を売る必要はありませんよ。
398 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/18(火) 23:18:53 ID:T6Xh7xEb
>>386 に対しては、俺は
>>390 を返す。
その上で補足。
>ここは一つこちらがオトナになってカチンと来るような事をいうのを避けてみることもできるかもよということです。
このスレに参加して、いろんなことを俺は学んだけれども、その中に一つに、
「いわゆるオトナにならなくてもいいんだ」ってのがあります。
カチンと来るような事を言われたら怒る。それでいい。
俺は、あなたの
>>316 を読んだ瞬間の不快感・違和感を、いったんは飲み込んで、
冷静に(のつもり)あなたにレスをしていった。
だけど、途中でやめて、のっけに感じた不快感・違和感をじっくり追求してみた。
その結果が
>>358-359 なんだけれど、それをもっと早くに書いていれば、
話はぐんと早く進んだんだよ。
自分の「カチンときた感情」を大事にしなかったことを、少々悔やんでますね今。
もちろん、俺が「カチンとさせること」を言うこともあるよ、それは。
だけど「どのレスのどの言葉がカチンと来たのか」ゲームに終始する気はない。
「カチンときた感情」の押しつけあいを、俺はやる気はないってこと。
いつまでもいつまでもそれをやろうとする「荒らしに変容した名無し」には、
だから、毎回うんざりさせられる。
>>358 は、そういうゲームや押しつけではないですね。
>>359 は、そうなっているけど。
399 :
ポックル :2006/07/18(火) 23:22:07 ID:PNfWgzZK
>>398 ですからカチンと来る時にカチンときてはいけないのかといえば
当然カチンと来てもいいと思います。
回避する方法の一つとしてそれもあるのではないかと思うわけで
はくさんやこのスレの人がそれをする義務があるとは思いません。
打つ手がないのだという意見に対し回避策はありうるといってるだけで
そうしなければならない理由はありません。
400 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/18(火) 23:34:29 ID:T6Xh7xEb
>>387 >その人の能力や読む努力云々に言及してることが多々合って
>それが遠因となって煽りを助長していると見て取れるところがあったということで
先入観なしに読めば分かることを、「ちゃんと読め」と指摘してるだけであり、
その人の能力を過小にも過大にも「評価」していないからこそ、
俺らは、俺らの言葉で徹底的に相手しているんだけどね。
なんだか変なことになってるね。
あなたは、「名無し」が「煽り」に変容するのは、
彼自身の能力不足や読解力不足のせいである、と言ってるよね。
俺は、そうは全く思っていないから
彼らにむかって長文レスをいくつも連発するんだよ?
彼らに通じるはずだと、今は分からなくても通じるはずだと思って
レスしてるんだよ?
レスをやめたら、「あいつらには何言ったって分かんないよ。今は無理だよ」と
見做していると言ってるも同然じゃないか。
それと。ここからが大事なんだけど。
何らかの事情でそれができなそうな人を見かけたら、
あなたが、彼のサポートをしてやればいいんじゃないでしょうか?
過去に、そういう現場をいくつか見てきているというなら、
何故、あなたは彼らのサポートをしないの。
401 :
ポックル :2006/07/18(火) 23:42:43 ID:PNfWgzZK
>>400 たとえば「ちゃんと読め」の変わりに
それをいわずに「そういうつもりではなくて私の真意はこうだったん」だと思います
と返すことも可能だと思います
粘着している名無しの変わりにいつも来ている名無しさんとトーンを押さえて言い換えることも可能だと思います。
こう返さなければならない義務はありません。
「名無しさんが煽りに変容するのはその人の読解力不足が原因」だとは思ってませんよ
はじめから暇つぶしで煽りしにくる人だっているでしょうし。
火に油を注いだら炎になりやすいといってるだけで
読解力不足が原因だとは思いません。
サポートしたいと思ったらサポートしますけど
皆さんが名無しさんのご機嫌うかがいしなければいけない義務がないように
私にもサポートする義務はないですしね。
対応策が全くないかといえば回避する手立てがないわけではない。
しかし私もはくさんもそれをする義務はない・・・という事で
402 :
ポックル :2006/07/18(火) 23:43:24 ID:PNfWgzZK
二行目 それをいわずに「そういうつもりではなくて私の真意はこうだったんです」 でした
>ポックルさん あのさ。 ポックルさんがこのスレを試そうとしていたこと。 あたしは、興味がないからレスしなかっただけ。 荒らし化や、煽り行為はなぜ起こってしまうかとか。 そんなことの考察より、実践してみたらどうかしら。 体験談を気軽に書き込める空気が欲しいでしょ? 42さんが表現するところの「首を切られても死なないポックルさん」でない、 ポックルさんの個人的な体験談、 皮膚感覚が訴えるモニョリ(腐女子用語じゃない、このスレ的なモニョリ)、 流れを変えたいなら、もし良かったら、まずあなたが語ってくださらない? 勝手に話を進めるけどw 名無しレスも多く呼び込みやすいってことで、 お題:セックス関係のモニョリ で、どう? とりあえず。ポックルさんは、タチ、ネコ、リバ、ヴァニラ、A、どれ? または他の表現のほうがしっくりくる?
404 :
はく ◆3NcRyI2Bhk :2006/07/18(火) 23:45:39 ID:T6Xh7xEb
>ポックルさん あなたが俺に提示してくれている新しい視点とは、要するに、 「少々のことは我慢しろ」ってことになるね。 だけど俺は我慢しない・したくないって言ってるんです。 ひどい言葉を投げつけられても我慢しろってね、これ、極端な言い換えするけれども、 レイプされた人間に向かって、 「まず相手の欲望を受け止めてあげなさい。 その者は欲望をもてあまして我を忘れている可哀相な者なんだから。 そこを我慢できるようになれば、君は人間的に成熟するよ。成長できるんだよ」に ならないか。 自分を蹂躙されることでしか手に入れられない「人間的な成熟・成長」なんて 俺はいらない。 嫌なことをされたら俺は声をあげる。 そして、このスレにやってくる人には、 この悲鳴をちゃんと聞いてもらわなきゃいけないと俺は思う。
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ ________ /:.'`::::\/:::::\ /:: \ /::. /""" """\ ヽ |::〉 ●" ●" | (⌒ヽ |) ( __ ( ∩∩ ) | | 、_____ / ヽ \____/ / \ / \____/ 竹石 圭佑 (1986〜 愛知県名古屋市) 在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。 小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。 中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。 でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。 また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。 相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。 愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。 余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。 ※注 これは自分の知っている範囲の竹石圭佑の情報であり、全てではないと思われ。
ごめん、ageてんの気づかなかった。
>>401 >「そういうつもりではなくて私の真意はこうだったんです」
>と返すことも可能だと思います
たいていは、そう返しているんだってば……
408 :
ポックル :2006/07/18(火) 23:54:03 ID:PNfWgzZK
>>404 それはずいぶん「恣意的な読み」のようなw
そうはいってませんよw
煽りの人対スレの住人みたいな感じだと
そういうああいわれたこういわれたの話になりやすいと思うというだけの話で
それは
>>399 で当然カチンと来てもいいと思います。っていってるように
我慢しろということを言ってるわけではないですよw
>>403 すみません・・・
自分でこの流れにしといてなんですけど私もこの流れを変えたいと思って
ほどほどにしておいた方がと思ってるんですけど・・・
一応経験からするとリバということになるんでしょうね。
ただし、ここからが体験談ということなんですけど
しばらく男性と付き合うつもりは今のところないですし
行為をするつもりもあまりないです。
>はくタン 若い子呼び込みたいってなにw はくタン、同年代を呼び込みたいの? &さん、kusamisusaさん、kiyaさん、は若いわ。 それじゃ若くない? 高校生以下じゃなきゃだめ? むしろ、お歳を召したかたのほうが、新規では来てないわよね。 てか、はくタン、某隠しスレのK君を思い浮かべてない?
>>408 ポックルさん
>しばらく男性と付き合うつもりは今のところないですし
>行為をするつもりもあまりないです。
なんでー?kwsk
匿名掲示板なんだから逆に、包み隠さず話してほしいわ。
411 :
ポックル :2006/07/19(水) 00:00:00 ID:cMrbTvHJ
>>407 もう長引くのでこれくらいに・・・w
言いたいことは上の方のまとめにかいてるし
別にこのスレで何か実験しようとしてたわけじゃなくて
前から書き込みづらいと思ってたスレに一回書き込んで
体験してみる事が主な目的だったわけだし
ここの人といがみあうつもりはないんですよ
気分害したのなら本当にごめんなさいね。
ただ、そういう風に感じただけで
それは恣意的な読みかもしれないですし先入観かもしれないですけどね。
実際に体験するとそういう風に思ったということで
ほら、いぬまわりさんのまゆげもつりあがってるし・・・
本当にごめんなさい
これでもうあいつあのときあんなこといいやがってみたいな根にもちっこ無しね。
>>411 いぬまわりさんのまゆげとは何事か!!!
いぬにまゆげなどない!!!
413 :
ポックル :2006/07/19(水) 00:04:46 ID:cMrbTvHJ
>>410 でしょ?
ここらへんが自分でも本当に不思議なんですよ。
もちろん特定の人と付き合った事もありましたよ。
5年位かな・・・
その人とは一生いっしょにすごしたいと考えてました。
しかし、お互いがそう望んでいてもお互いの生活の周期や
人生のタイミング・・・
例えばある時期仕事をものすごくがんばらないといけないとか
どうしても引越ししなければならないとか
そこらへんが合わなかった事などから別れることになりました。
別れてすぐのころ、やっぱり恋人がほしいと感じることもありましたね。
しかし今はそう感じなくなった。
一人の方が満ち足りていると感じるようになったといいますか。
恋愛だけが生きる目的でないと思うようになってきたといいますか。
それはなにも恋することから逃げるという意味ではなくてですよ。
ちょっとごめん、流れ変えたいところをもう一つ。 >レスをやめたら、「あいつらには何言ったって分かんないよ。今は無理だよ」と >見做していると言ってるも同然じゃないか。 俺が常々、不思議だなと、イヤだなと思ってることは。 誰かに俺がレスした時に、 「優しさ」と「中立的な立場」を装った「オトナ」たちが、 「君が言ってることは正論だけど、彼にはまだ早い。まだ理解できない」と口を出してくること。 なんで「彼の可能性」を制限すんの? なんの権利があって「彼の能力」を勝手に「ここまで」と決めんの? さらに不思議なのは、そうやって真綿で縛りつけられるのを、本人が喜んでることだね。 ま、好き好きだし、そうやって「囲われていく」人生もありだろうから いいんだけどね。 それに、ポックルさんがやったように、 「無いことを、在ることにする人」や 「在ることを、無いことにする人」が多いね。 つまり、"何か"をコントロールしようとする人が。 若い人がこのスレに来づらいのは、たとえば「はく」や「42」の印象を 誰かがコントロールしようとしているせいもあると思うんだな。 若い人ってのは、怖がりなところもあるし、迷いも多いしね。 迷ってるさなかに、おかしな「先入観」を植えつけて、 遠ざけようとする「オトナ」を見るとほんっとに腹が立つよ。 それが「荒らしに変容した名無し」なら別に問題ないよ。 誰が見たって「荒らし」なんだから。 そうじゃなくて、 「善意の、モノの分かった、公明正大なオトナ」が、そういう事をやるんだから タチ悪いよ。 という事が、昼間に予告したことです。 すいません、体験談の続きをどうぞ↓ 俺は休みます。
>>413 ポックルさん
ポックルさんのかつての特定の人を一人で思い返すときの
穏やかさ切なさみたいなの、そのレスから思い浮かぶわ。
一人でいるのと変わらないくらい、負担にならない関係があるといいのかもね。
それをわざわざ探す気にもならないのも、わかるわ。
あたしもここ数年そうだったの。めんどくさいだけで…。
あたしは、一応彼氏がいたけど、いてもいなくても同じようなものだったのでw
好きなように使える暇つぶし相手に過ぎなかった。
一人とか一匹は、充足しやすいものね。
たっぷり一人を満喫してくださいね。
一人で充ち足りたと思った頃、また、関係性が欲しくなるかもね。
416 :
ポックル :2006/07/19(水) 00:28:02 ID:cMrbTvHJ
>>414 その話はね、
精神医学の症例からそれをすると病状が悪化することが多いと
すでに散々言われている事に関して知識を持ち合わせている人だと
この症状が現れてるときはどうしたらいいか知識と経験でわかったりする事もあるしね。
その人が専門的な見地から行動する事は咎められないと思うけど。
もう・・・言ってたらきりがないけど
「無いことを、在ることにする人」ははくさん自身にも当てはまらない?
悪意があるという前提でその人にレス返している事があるでしょう。しかもそれを明記して
本人にしたら悪意を持ってないのに悪意があることにされたと見えるでしょ?
それははくさんのいうとおり、自分は、相手の善意を装った悪意を感じ取れるんだという判断があたってるかもしれない
でも、その人にしたら、ないことをあることにして話を進められたと感じるかもしれない。
今はくさんがそう感じているように
たとえばさっきの>あなたがいいたいのは「少々のことは我慢しろ」ってことになるねとか
>あなたは、「名無し」が「煽り」に変容するのは、
>彼自身の能力不足や読解力不足のせいである、と言ってるよね。ってのも全然そんな事いってないし・・・
それはお互い様。これからお互い気をつけましょう。
はい、これで根にもちっこ無しでいい?
>>409 いや、特に誰をって想定してないです。
ていうか、「若い人を呼び込みたい」って、そんな切実に思ってるわけじゃないです。
ポックルさんとのメッセで、ちらっとしゃべっただけなんで。
ずっと上にも書いたけど、別にこのスレでなくたってしゃべれるんだしね。
もちろん、&さん、kusamisusaさん、kiyaに不満があるって事じゃないよw
(……なんでいつもkiyaだけ呼び捨てにするんだろう>俺)
>>414 の後段も、ややこじつけで。
だけど、特に「若い」名無し限定ってことではないけど、
そういう事も起きてる気がする。と、そんな程度です。
>>414 の前段は、念のためにもう一度書くけれども、
そういう人生もあると思うし、
途中から本人が変えたいと思って変えることもあるだろうし。
そうだから「おかしい」とか「間違ってる」って事ではありませんので。
>ポックルさん
>>411 そんな心配するほど、俺、怒ってないよw
ただ、言いたい事は言ってしまいたい人間なんで、
トコトンまで書いてるってだけ。
つきあってくれて感謝してますよ。他の人なら逃げてるでしょww
あなたが言いたいこと――煽りはスルー汁的なこと――は、
まあ分かってますんで。
気が向いた時は、ゆるく参加してみて下さい。
てか、ポックルさん。リバなのねい。 いきなりだけど。 性格がバリネコのネコって超ムカつかない? 従順そうな顔をして、明るく穏やかに振る舞ってひたすら「イイコ」を演じるネコ。 不平不満があっても決して直接に言うことはない。 「かわいそうなボクをいじめるのは悪いやつ〜」みたいな顔して、 優しそうな、弱そうな仮面をかぶって、いつでも被害者ヅラ。 いやらしすぎだっての。 女性性=ネコ、と完全一致してんならまだ可愛げがあるけど、 都合のいいときだけ男ぶって、とにかく常に自分を守って。 そうそう。クローゼットじゃないバリネコって見たことない。 バリネコ、嫌いだわっ! あたし、きわめて具体的な最近の体験が思い浮かぶので逆に、 詳しくは書きにくいんだけどw (書いてるうちにキレて実名まで書いてしまいそうw) リバのポックルさん、思い当たる経験ない? …って何書いてんだろうね。あたし今日は寝ます。
419 :
ポックル :2006/07/19(水) 00:38:43 ID:cMrbTvHJ
>>415 はい、また戻しちゃってすみません
それで思うんですけどね。
恋人やセックスのパートナーとしての人間関係以外に
年齢的なものもあるかもしれないんですけど
家族や地域といった人間関係の中で満たされる事もあると思うんですね。
生きていたら色んな出会いをします。
たとえば生まれながらにして歩行が困難である人に出会ったりします。
その人はあえて口にはしませんけど何もそのことについて恥など感じていない。
むしろ、そう生まれたことで多くのものについて見えるようになるきっかけになったと
誇りにすら思っている。
おそらくそのことで不当な扱いを受けてきたと思いますし
漏れ伝えてきくその人の過去の話を聞くと
歩行が困難であることで不当なそしりや嘲笑を受けてきたこともわかります。
それなのに、前向きに生きているし人を恨んだりしていない。
好きになる相手が異性であろうが同性であろうがそれは局面的なことに過ぎないわけで
人間としてどう生きようとするかの方が大事なんだと感じるようになったり。
恋愛でしか気付けない人間関係というのもあると思いますけど
そういう人の出会いのほうが自分の人生を豊かにしてくれるように感じているとこがあったりして
特段誰かと付き合いたいという感情はないんですよね。
>>416 前段)
ここは2ちゃんだからね。病院じゃない。
それを踏まえたうえで、本人がこの場所を選んだのであれば、
俺はそれを尊重して、同じ、対等のチャネラーとしてレスをしあう。
その際に、医学的な配慮を俺は常に念頭においてる。
「おいていないもの」と見做されるのは全くもって心外だよ。
中段)
だから、そこのズレを埋めるために、俺はトコトンまでレスするんだつの。
何の為にいまだにコテやってるかったら理由の殆どはそれだよ。
では。お休みン☆
>>419 恋愛と呼ぶか何と呼ぶか、関係を何と呼ぶかを第一に気にするかたもいるけど、
そんな名付けは、中身とは何も関係がないものよね。
何と呼ばれる関係であっても、豊かさを得られるなら、それでいいと思うわ。
42さんにはあのお方の『ひまわり"SUNWARD"』の歌詞を思い浮かべていただければ、
わかっていただけるかと思います。(なんていつものお返ししてみたりしてw)
422 :
ポックル :2006/07/19(水) 00:58:04 ID:cMrbTvHJ
>>417 もう、迷惑かけたんでしばらく自分の体験談に基づくジェンダーに関わる話で
なんとかながれもどしますねw
がんばってみます。
で、もうこれは本格的にこのスレに自分が参加するのはむいてないと感じたり
忙しくなって余裕がなったりしたときは適当に抜けますw
>>418 それでさっきの話とつながるんですけど
飲み屋さんとかいってタイプの人は?見たいに聞かれたりすると
顔よりも性格で・・・とか、或いは人間なら誰でもいいとか答えたりするんですけど
性格が・・・っていうときれいぶってっていわれるし
人間なら誰でもいいというと馬鹿にされるんですけどw
でも実際そうなんですよね。
今まで付き合った人って顔なんかは自分の好みだった人は一人もいないし
好みの顔は何かって聞かれても困ったり
飲み屋さんでいう人間なら誰でもいいといってるのは誰でもいいというよりは
自分が人間としてきちんとその人に向かい合える人ならいいっていう意味で
じゃああたしでもいいのかしら?って返されたら冗談で
「顔と性格が人間並みなら」と返したりするんですけどw
付き合うときに考える事はその人の辛いときに自分はその辛さを共有できるかとか
自分が辛いときにその人に自分が苦しんでいる姿を見せられるか、
つまり人間としてその人の汚い面を見たり自分の醜い面を見せられるかということだったりします。
これを言うときれいごとを言ってといつも冷やかされますが本気でそう考えてたりします。
なので、もし付き合ってる相手が被害者面をしたり自分勝手なことをいったりしたとき
それが許せない相手なら付き合わないと思うんですね。
だから今は付き合ってないのかもしれませんけどね
さっきいった5年付き合ってた人はそれが出来た。
普通の人から見て、非常識だといわれる事が多かったけれど、その面を見てもその人の人間までは嫌いにならなかったし
自分の弱っている姿を見せる事もできました。
そういう意味でネコであれどういう苦しみをしょっている人であれ
その人の弱さや過ちを見ても嫌いという感情よりもそれでも好きでいられる人、恋人としてではなく人間として
きれいごとだといつも言われますけども別にそれで構わないと思います。
423 :
ポックル :2006/07/19(水) 01:11:39 ID:cMrbTvHJ
>>420 うん、その点はわかりました。
でも2ちゃんねるにはその筋の専門家もいっぱいいるので
実際にそういう症例を何十例も見ている
その筋の人がみたらそういう風に大人ぶることもあるかもしれないってことね。
それについて不満があることはわかったw
やっぱりきちんと向かい合って取りしないと伝わらない事もあるね。
お互い気をつけましょう。こちらも十分気をつけます。おやすみなさい。
>>421 自分にとって恋愛ってのは性欲があってそこから人間関係ができるというよりは
豊かなものを共有できる関係の延長線に性行為があるという感じなのかなぁ。
もちろん対象は同性となるわけですけど。
だから他の人間関係でそこのところを満たされているときは
特に誰かと付き合いたいとも思わない。
それに、一人になって感じたことなんですけど
満たされない状況、この場合恋愛面においてですけど
自分の能力を高めるような気がするんですよね。
昔からお茶断ち、酒断ちなんてありますけど
そういう不安定さや制限というのが自分の力を押し上げるような実感があるといいますか
もちろん時間的に相手の生活周期にあわせなくていいから自由に自分の時間を使えるってのもあるかと思いますけど
それだけではなくて足りないからこそ求める事ができるというか、そんな感じがします。
424 :
ポックル :2006/07/19(水) 01:21:49 ID:cMrbTvHJ
・・・というか明日五時おきなの忘れてたw 話はつきませんけど今日はこのくらいで。
425 :
83 :2006/07/19(水) 06:53:48 ID:rgCKAGfv
>ポックルタン あたし、2ちゃんではほとんどこのスレしかROM&カキコしないんだけど、 書きたいことを書きたいときに書き込んでいるだけなの。 その書きたいことは誰かのレスに触発されて起こるわけで、 触発されなければそれまでのこと。 しかも、つい最近も『アワーミュージック』観たから前々スレあたりの内容蒸し返したりして、 必ずしも現スレの誰かのレスにだけ触発されるわけではないの。 で、それについては特にどなたもレスしてないけど、 それはそれでいいの。別に文句はないし、寂しいとも思わない。 ポックルタンが今回書いた内容も、いま現在のわたしを触発するものではないけれど、 もしかしたらこれから先触発されてなにか書くことになるかもしれない。 いまはまだ触発されていることにすら気づいていないだけなのかもしれないわ。 それから、わたしはコントロール・フリークではないので、 「煽り・荒らし禁止!(ルールを守れ)」とか「こういう場合はこうすべき」とか このスレの「住人」にもロムラーにも訴えるつもりはないの。 いま言えるのはこんなところかしら。
>>422 ポックル
>「タイプの人は?」
あたしの場合、即答するのは簡単。「フェミでぶリバ」でもなんだかな…w
>自分が人間としてきちんと 以下
あなた、あたしの逆鱗に触れてるわよ。
ボックルは、過去スレは読んでるようだから、
そこをわかってて書いてると判断。
あなた「人間」を連発しすぎ。そんなに「人間」が好き?
「人間」と「人間以下」を分けるのが好き?
あなたの言う「豊かさ」って、あなたが「人間」と設定した範疇のものしか
認めてないと思うわ。
エクスキューズを入れて自己正当化しながら、すごい限定的な容認。
「俺は同性愛者を差別しないよ。近くにいたら嫌だけど」みたいなのとそっくり。
とにかく、人間を受け入れるわけね。人間限定なのね。
それが、きれいごとですって?うっそー。
人間と定義されるものを無条件に肯定してることがきれい?
「人間」というカテゴリーには、社会的な権力が与えられているわ。
権力を振りかざして自分たちの所属する種の絶対的優位を信じることがきれい?
しかもそれホモバーでのホモ相手の話だから「男」限定よねえ?
命令。はい。こっからジェンダー論を展開して↓
↑標準以下の人間が人間扱いされてるだけまだマシだと思え
はい、ありがと〜ございま〜す!
429 :
禁断の名無しさん :2006/07/19(水) 13:39:48 ID:ZW0iXtZU
☆は、私の知識の栄養を補給して頂いた本や尊敬する良書、著者の方々です。 目にした本はかなりの量ですのでとりあえず印象に強い方を思い出すままに 書き記してゆこうと思います。★は読むと間違った知識を刷り込まれる本。読む べきでは無い本。読まない方がまし、もしくは真の知識を損なうと私が判断した本、悪書です。 ☆月刊誌 WiLL・正論・諸君!・Voice 嫌韓流2 山野車輪 歪められた朝鮮総督府 黄文雄 騙されやすい日本人 宮脇磊介 裁判官が日本を滅ぼす 角田隆将 日本の敵は日本人 前野徹 捏造された昭和史 黄文雄 近代中国は日本が作った 黄文雄 韓国は日本人が作った 黄文雄 同和利権の真相 T〜U 嫌韓流 山野車輪 驕れる白人と闘うための日本近代史 松原久子 反日で生き延びる中国−江沢民の戦争 鳥居民 「南京事件」の探求 北村稔 『新「南京大虐殺の」のまぼろし』 鈴木明 日本で唯一まともな新聞 サンケイ新聞 ☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆
430 :
禁断の名無しさん :2006/07/19(水) 13:41:51 ID:ZW0iXtZU
朝日新聞 ★★★★★ ★★★★★ これほど所在する国の国益を損なわせる事多き新聞社は世界にも例を見ないでしょう。 私は朝日新聞社には、★★★★★の倍!★★★★★★★★★★最悪黒星10個大賞を差し上げたいと思います。 日本人で有るなら、このような国益を損なう恐れが多分に有るような新聞の購読は拒否す るべきでしょうし、その上で日本から朝日新聞が無くなれば、これほど日本国や日本国民に 幸せな事は無い、と私は思っています。
431 :
禁断の名無しさん :2006/07/19(水) 14:18:05 ID:ZW0iXtZU
ユートピアは最初はカルト(新興宗教教団)のような感じで読者の方に見られるようです。 一人の中年の男に、、しかも10人以上の若い女が、、、、、初めて読まれた方はこれは新興宗教のた ぐいではないのだろうか!?そう思われても当然だと思います。私自身も最初はそう思われるだろうと 常々感じています。。新興宗教やオウムやパナウエーブなど怪しげなカルト組織の特徴は、幸せに成れ ると説いているのに出家させたり、そうでない場合も生活費や財産までも供出させるように仕組む組織 だという事です。生活や金銭の全てを組織に向けさせる事で組織の隆盛を計ろうとします。当然信者の 思想や生活までも一変させる事になります。 何故自らの人生や仕事をなげうってまで人はこうした宗 教に嵌ってしまうのでしょうか? それは、こうしたカルト教団の特徴は、多少の違いはあれど、人類や地球の滅亡等を標榜するからです 。人は未来に希望を持つからこそ今の生活を豊かにしようと努力します。 明日の幸せをより良くする ために生きる活力、継続努力する力が生まれます。しかし、未来が無いと思わせられれば、、、後は絶 望し自暴自棄に陥るか、神に頼り祈りすがるしか無くなります。その神の使いだという教祖の言葉を盲 信し教祖の言うがままの世界の住民になってしまいます。教祖の教えを守れば死後の世界でも幸せにな れると信じ込まされてゆくからです。だからどのような違法な行為でも教祖の言う事は自身にとっての 絶対の善だと思いこみます。教義に現世での(少なくとも20年〜30年後までの)人類の滅亡や地球 の滅亡が有る限りいつかは(20〜30年経てば)その嘘はばれてしまいます。その教義の教えの嘘の 収拾がつかなくなったとき、カルトの終焉が始まります。教祖が自分一人で死ねば良いものを信者を道 連れに集団自殺を図るからです。
「人間」という、世間一般に流通している定義や、
あるいは「男」でも「女」でもいいんだけれども、
あるいはまた「ひとに迷惑をかけてはいけません」や「自分勝手はよくない」でもいいんだけど、
そういう、社会のルール・常識・規範に不自由や息苦しさを感じているんだから、
それを壊してみるのが俺は一番手っ取り早いと思うんだよな。
なぜ、「苦しい苦しい」といいながら、そこの規範にしがみついているのか、
俺にはさっぱり分かんない。
>>414 に書いたように、互いに互いを監視しあう、
自分らを苦しめている規範を強化しあうってことも分からない。
単純に「それだけ規範を深く内面化しているからだ」だけなんだろうか。
ほんとに分からない。
433 :
禁断の名無しさん :2006/07/19(水) 14:19:44 ID:ZW0iXtZU
こうしてカルト集団は子供までも含めて出家して劣悪な環境での生活をさせられたあげくテロや集団自 殺で幕を閉じます。世界のあちこちで何百人何千人という集団自殺が時々起こるのは全てこうした人類 滅亡教義のカルト教団に導かれた人達です。これがカルトの現実と怖さです。こうしたカルトの怖さに 早くから気づいたフランスでは、カルト禁止法、というべく法律を作りカルト教団の監視を強めていま す。私はユートピアの娘達に今の幸せの生き方を指導しています。仕事も生活も変えることなく生き方 思考行動を前向きに変える事で幸せに成れるんだよ、と説明します。そのために最も必要な男性とのコ ミュニケーションの取り方と愛と性を教え指導しています。しかし、私の為の金銭は一切出させており ません。(ホテルで飲むビールや缶酎ハイや酒の肴は買ってくれていますが。身も心も一時期は私に向 けさせますが、指導の成果が上がれば1〜2年の短期間でそれら私への思いを新たな恋人なり伴侶とな る男性に向けさせ私への思いを変えさせます。それが指導する娘達の幸せに繋がる事だからです。 もちろん宗教では無いので、お布施も有りません。反対に私が負担する事も(少額ですが)多くありま す。三年ほど前に21才の女性が私に会いたいと申し出て来ました。その時から今も一貫して私がして いる事は、幸せに生きる為の男女間のコミュニケーションの取り方と愛と性の指導です。それらは全て 私の時間と身体と心を使ったユートピアの娘達への奉仕活動として行っています。他になんら意図は有 りません。ホームページを見て頂ければ一目瞭然です。
434 :
禁断の名無しさん :2006/07/19(水) 15:08:22 ID:NA4reaJK
>>386 「違った視点が提示されておらず新たな土台となるものが何もない」のは
「42さんのご意見」ではなく、たんなる「客観的事実」です。
僕は何も「意見」など言ってません。僕がやったのは「論理」の提示による
「証明」です。三角形の相似を証明するように、「首を切られても死なない
ポックルさん」のふるまいが、「これまでこのスレに現れこのスレの問題点を
指摘した者」たちとなんら変わらないふるまいであることを、
証明してみせたにすぎません。
このスレには「ひとの未熟さ」はありますが、
> 同様の事はすでに上で書きましたが何かをいわれてカチンと来るのは
>カチンと来る人の問題であるというのは正論だと思います。
>しかし一つの方法として、そういうすぐカチンと来る未熟な人がいるんだったら
>ここは一つこちらがオトナになってカチンと来るような事をいうのを避けてみることもできるかもよ
でいう「未熟なひと」はいません。そして「首を切られても死なないポックルさん」は
「未熟でないひと」ではない。「未熟なひと」と「ひとの未熟さ」は別です。
そして自らを「未熟でないひと」と思い込んでいる者に自らの「ひとの未熟さ」への
対応はできません。その点では「煽り」「荒らし」行為を行う者も、
「首を切られても死なないポックルさん」も「相似」している。
それは「意見」ではなく、「客観的事実」です。
>>426 >>432 「人間」というカテゴリーは「人間以外」「人間以下」の存在を前提とし、
その「否定」「排除」によって、「人間以外」「人間以下」の存在を
「包摂」しながら再生産される。
それの「相似」形が「成熟した人間」「オトナ」というやつで、
それは「オトナでない者」「オトナげない者」の存在を、
「否定」「排除」し、「包摂」しながら再生産される。
自分は「オトナ」であり、他者は「オトナげない」。
自らの「オトナげなさ」は、他者に「投影」され転嫁される。
自らのうちにある「人間以外の存在」「人間以下の存在」が
他者に「投影」され転嫁されるのと「相似」をなしながら。
adult men 「成熟した人間=男」だけが「人間」ではないはずなのだけど。
ヒトの顔に見える、、、、
それも、変な仮面かぶった、ヒトの・ようなもの……
>>437 投影され転嫁させられるこっちは、いい迷惑だょ。。
「いい迷惑だよ」では済まされない程に、迷惑。。
ここ2、3日の「首を切られても死なないポックルさん」と はくタンとのやりとり、および、いぬまわりさんとのやりとりは、 「スレ違いの話題」ではなく、このスレの「本題」だと思います。 規範としてのジェンダーの再生産に「ゲイ」がどう「利用」されているか、 という問題ですから。で、これは「42さんの意見」です。 「スレ違いの話題ではなく、本題である」という「違った視点」を「土台」にして、 「これまでスレ違いに見えた意見のやりとり」を読み直してみるのもいいんじゃないでしょうか。
ちなみに、
>>441 の「ゲイ」を「親切」に演じてくださっているのが、
「首を切られても死なないポックルさん」です。
はくタンといぬまわりさんは、「首を切られても死なないポックルさん」が
どう「利用」されているのかを、目に見えるものにしてくれている。
そんな感じでしょうか。
>>440 規範としての「ヒト=男」に完全に合致する「身体」はありません。
みんな「ヒト=男のようなもの」です。
それゆえに、自らの「身体」を規範としての「ヒト=男」と「比較対照」して、
「欠如」を見出しながら、それを「補填」する一方で、「よりマシな身体」である、
との「思い込み」に「客観性」を与えるために、自らよりも「劣った身体」を
他者にあてがうことが、必要となる。
「女」「子ども」「動物」「LGBTA」「高齢者」「外国人」「障害者」etc.
は、「ヒト=男」の「不完全性」を押しつけられた「他者」です。
>「俺は同性愛者を差別しないよ。近くにいたら嫌だけど」みたいなのとそっくり。 ココ、わかりにくいと思うから補足。 >普通の人から見て、非常識だといわれる事が多かったけれど、 >その面を見てもその人の人間までは嫌いにならなかったし 普通の人から見て、非常識だといわれる事をしたら嫌われて当然 っていうのを前提にしてるのよねえ。 「その人の人間までは嫌いにならなか」った。 で? 非常識だといわれる事は、嫌いなわけよね。 「普通の人」がそう言ってるから。 >自分の弱っている姿を見せる事もできました。 相手は恋人なのにねえ。何を言いたいのかしらねえ。 弱みを見せるのが奇跡的なことなのかしら。 >そういう意味でネコであれどういう苦しみをしょっている人であれ >その人の弱さや過ちを見ても嫌いという感情よりもそれでも好きでいられる人、 >恋人としてではなく人間として >きれいごとだといつも言われますけども別にそれで構わないと思います。 あたしが言ってるのはね。権力をカサに着た過ちのことなのに。 ネコ規範、タチ規範、ヒト規範。 多数の味方をつけることによって、自己責任を回避される卑怯な立場。 それを「好き」ですって? 「きれいごと」と書いてるからには、それを正しいことと信じているようね。 イジメが起こっているとき、 苛めてる人も、苛められてる人も、僕はどっちも好き、 って言ってるのよね、これ。 事実上、現状維持に貢献して、 その場で力を持ってる奴のカタを持ってるだけ。 って、これ、ポックル当てのレスじゃないから。 ポックルのレスをネタとして使ってるけど、半分以上は、 個人的な知り合いのある特定のバリネコに対して怒ってるw
>>427 >↑標準以下の人間が人間扱いされてるだけまだマシだと思え
人間を絶対的な標準と勝手に決めている、救いがたい傲慢さ。
その傲慢さを認識すら出来ない愚かさが、
「愚かさ」ではなく「人間性」と呼ばれ甘やかされ続けていること。
こういうのを突き詰めていくと「ニーチェのように破滅に繋がる」とか、
根拠も示さずに、理知的な雰囲気をアピールしようとした言い方をたまに見かけるけど、
ニーチェの破綻は、その思索自体じゃなく、その思索と相容れない、
「男性性」という虚像を手放さなかったから、自己矛盾が激しくなっただけじゃないの?
その問題点を修正したアップグレード版のフーコーたんは破綻しないじゃない。
男性性っていうより、父性って言ったほうがしっくりくるかも。
>>418 >従順そうな顔をして、明るく穏やかに振る舞ってひたすら「イイコ」を演じるネコ。
>不平不満があっても決して直接に言うことはない。
>「かわいそうなボクをいじめるのは悪いやつ〜」みたいな顔して、
>優しそうな、弱そうな仮面をかぶって、いつでも被害者ヅラ。
これ、すごい分かるんだけど、イライラするよねえ……w
そういえばパート1で、モエが
「規範にのっかってる人はモテるですよ(・∀・)」と書いてたねww
>性格がバリネコのネコって超ムカつかない? >従順そうな顔をして、明るく穏やかに振る舞ってひたすら「イイコ」を演じるネコ。 >不平不満があっても決して直接に言うことはない。 >「かわいそうなボクをいじめるのは悪いやつ〜」みたいな顔して、 >優しそうな、弱そうな仮面をかぶって、いつでも被害者ヅラ。 >いやらしすぎだっての。 >女性性=ネコ、と完全一致してんならまだ可愛げがあるけど、 >都合のいいときだけ男ぶって、とにかく常に自分を守って。 はくのことじゃんw
>>448 >はくのことじゃんw
>不平不満があっても決して直接に言うことはない。
↑
これは明らかに違うんじゃ…w
450 :
ポックル :2006/07/20(木) 00:08:08 ID:dxhcPm5C
もうはくさんにも犬周りさんにも蒸し返さないといった手前この件長引かせるのもどうかと思いますが、 事前にはくさんからこのスレに関する考えを伺って、 はくさんの立場から見れば確かにそういえるかもしれないけれども 違う立場から見たら違うように映るかもしれないという事をいったところ じゃあ書いてみて確かめてみればということで書いてみる事にしました。 書いてみた上で感想や考えを言うということで。 それは彼が私にとって関わるに値する人物だと判断したからであるし そうでなければ書いてみてよといわれたところで 一部の名無しさんに同板のシベリア抑留地と揶揄されるところまででむいてわざわざ書いたりはしませんし。 そして実際にその空気を体験し感じたことをいうというということで。 しかしはくさんの言い分だけを一方的に聞いた状態で判断を下すことは極めて危険なので、 対立する相手の立場も考慮に入れておく必要があるし それは事前の話のときも出来るだけはくさん側の言い分に肩入れしないように注意していたことです。 それをはくさんは先入観を持っていると受け取ったようですが。 しかしやっぱりただ雰囲気を味わうだけでなく その問題とされてる名無しさんの視点から見ておかなければなんとも言えないところがあるし かといって、直接当該の名無しさんにあなたはどう考えてるのか聞くのも難しい状況ですし そこでその名無しさんと同じ立場に身をおくこと すなわちはくさんたちに攻撃される場に身をおきそれを体験することが一番手っ取り早いと考えたわけです。 やや汚い手を使ったのは何度もいいますようにごめんなさいというところですが。 そこでとりあえず感じたことを書きつつ攻撃されるような事も書き その反応、殴られる感触を体験した上で事前のはくさん側の言い分と照らし合せて 考えをまとめたわけですけど、もちろんこれが彼の求めてる答えでない事はわかってました。 これを書いたら不満があることもわかってましたよ。 選択肢として彼のご機嫌をとるために顔色をうかがって彼の望む答えを書くことも出来たと思いますけど 事前に感じたことを書くといっていたわけで、それをしたらかえって彼を裏切る事になる。 その反応、やり取りのなかでそう感じなかったから、思えなかったから書かなかった。 もちろん恣意的な読みや先入観が絶対になかったとは言い切れないですけど その後の反応などいろいろ勘案した末、やっぱり上のまとめに書いた事が感じたこと、思ったことです。 具体的にはもう蒸返さないといったので書きませんけど どちらがより読み落しが多いか、うっかり誤った判断材料を元に非難してしまいそれを指摘されたとき それを認めて話を進めるか、違う攻撃材料を提示して話をかえるか、などなど その流れについての判断はその他の読み手の皆さんにゆだねます。 そういうわけでいろいろな材料から総合的に見てやはりこう思うと考えたわけです。 この流れで彼とぶつかる事ができ彼がどのようなことに怒りを感じなにに重きを置くか、が伝わってきたし 煽りだの荒らしだのいわれてる人にも何か伝わるところがあったんではないかと期待してますけどw 別に伝わってなくてもいいですけどね。そういう点でやる意義はあったし得るものはあったと考えますけどね。 誰かに好かれたいとか誰かの力になりたいとか 誰かを言い負かしたいとかそういう安っぽい感情で動いてるんじゃあない。 この行動が過ちであってもここで過ちを犯すことに十分な意義があると考えたから行動した。 ・・・ということがはくさんに伝わってるかどうかは知りませんし、別に伝わらなくてもいいですけど これで先入観の塊で頭の固いやつだと思われてももう口を利いてもらえなくても それでもいいと思います。感じた事を書くといったから感じたことを書いたわけですからね。 過ちによって切り開かれる道もあると思います。 これ長引かせるとまたああいったではないかこういったではないかを蒸返さないといけないんで もう蒸返さないといったわけだし、続けると彼との約束を破る事になりますから そういう意味も含めて、長引かせる事によって得られるものよりもそこなわれるものの方が大きいと判断します。 ですから、この件を長引かせることで得られるものがあると思う人は続けてくださっていいですし そこで導かれた結論はいかなる評価であれ受け入れます。
451 :
ポックル :2006/07/20(木) 00:18:38 ID:dxhcPm5C
>>425 もちろん私も、こうするべき、こうするべきでない。それはいっていないですしね。
何度もいってますように打つ手はないという意見に対し回避策はあるのではといっただけで
そうしろといってるわけではないですしね。
>>426 わかったw
なんでこのスレに人が偏ったり気軽にかけないかw
あのですね、あなたが人間どうこうの定義するしないについてこだわりのあるのわかってますけど
人間をどう捉えるか、捉えることの是非はどうかなんてきちんと答えるにはものすごいヒマないとかけないわw
時間くださいな。
なぜ若い人とか他の人とか参加しづらいかよくわかったw
よっぽど時間ある人じゃないと無理だわw
はくさんにも書き込めっていわれたとき
はじめは読むの大変だしそれに答えるの大変だから暇ないし参加するのやだって言ってたんだけどね。
今ちょっと忙しい時期なんで一、二週間後くらいになるけどいい?
それはあなたの誠実さから来る事だとはわかりますしそれに対して誠実に答えるべき事だとは思うけど
あなたも少しは時間なくてもやりとりできる、それでいてやる意義のあること考えて質問しなさいよw
明日もはやいんでもう寝ますねw
ノンケさん用〜のスレ見てて思ったんだけど 精神科の薬飲んで、性欲なくなっても性指向って変わらないんだよね。 性欲無いのに触れ合いたいみたいな感情は残ってるし、結構不思議。
>>452 いや。あたしは、はじめはセックスに関するモニョリはない?って質問してたんだけど?
それが、あなたの中でのセックスの位置づけの話に変換されて、
更にそこから恋愛と人間の話になるとは思わなかったし、あなたに時間があるかないかも知らないわ。
その話の流れに、気乗りしないくせに一旦乗ったのはあたしが悪かったわ。
「そんな話じゃない。セックスの話!」ってすぐに言うべきだったのね。
タチのタマしゃぶりながら、目の前に見える肛門にトイレットペーパーの切れ端がくっついているのを見つけて、
でも見て見ぬふりして「あー。タチオンリーだとセックス前でも肛門に気を使わないのねー」と思った。
でも思ったのは一瞬だけ。舌で陰嚢の襞をこねくりまわすのに夢中でそのときはすぐ忘れちゃった。
…とか、例えはそんなのをリクエストしたつもりだったのよね。
(なおこの例は、あくまでもただの例えです。あたしの体験談ではありません。
あたしだったらそこで「汚れてるから洗ってあげる」って言って、
肛門洗浄からアヌス開発してやるものw)
>なぜ若い人とか他の人とか参加しづらいかよくわかったw
あのう…。
いつもいつもコテが皆、「人間性の虚構」なんてことばかり書いていたら、
そりゃ取っ付き難いスレになるのはわかるけど、そこに拘ってるの、あたしだけだし。
それ系のレスしても、42さんがたまに一言二言触れてくれる以外は、
たいていスルーされるので、他のレスに埋もれて目立たないと思ってたんだけど…。
違うかしら?
第一、あたしがそれ系レスをはじめる前から、新規参入は少ないわよ。
なんかさー、綺麗ぶってない?
綺麗ぶってる=常識で物事を判断する"普通の人"が好感を持つ態度
=現実の泥臭さと遊離した、つまり「首を切られても死なないポックルさん」よ。
いかれたオカマのあたしにアンカー付けてレスしてんのになんで、
"常識人"の視点に意識した(媚びた)レスしてんのよ?と、苛々したのよ。
454 :
83 :2006/07/20(木) 03:28:25 ID:DIG3kHWC
>>451 「打つ手」の有無を考えたり「回避策」を提示するのもコントロール・フリークと同じでしょ。
>>452 >精神科の薬飲んで、性欲なくなっても性指向って変わらないんだよね。
そりゃー、ヘテロが向精神薬の影響で性欲が減退しても、
性指向そのものは変わらないんじゃない?
それと一緒だと思うけど。
>性欲無いのに触れ合いたいみたいな感情は残ってるし、結構不思議。
「性欲」と「触れ合いたい」欲望は別ってことでは?
重なってるひともいるだろうし、
「性欲」があっても「触れ合い」は不要なひともいるだろうし。
いぬまわりは普段から必死コいてまともな人間ぶってんだろ 世間に媚びておこぼれに与ってる乞食がなに吠えてんだか レイプされまくって笑顔で「イイコ」を演じるネコ役ご苦労様だね 2ちゃんでグチャグチャ見当違いな愚痴言ってないで 世間様に”直接”不平不満言えるようになったら認めてあげるよ♪
↑ あんまり可哀想なこと言うなよ
「世間」を構成する「公共性」のあるメディア上に存在し、
「世間」に「直接」不平不満を言い、あるテクノロジーにもとづき
「非同期的」にしかるべき相手に送り届けることが可能であるがゆえに、
>>455 のようなレスを残すことも可能なこのスレの「問題点」ならぬ「特徴」は、
「このスレの問題点を指摘しようとする者が、その問題点が自らの問題点であることを
言葉において露呈させてしまう」ところでしょう。そのような「装置」として、このスレは機能する。
「指摘者」の言葉は、はくタンを「モニョら」せる「規範」を再生産するような
「権力にまみれた言葉」であるがゆえに、いぬまわりさんの逆鱗にふれる。
結果的にその言葉が、「このスレの問題点はこのスレの問題点ではなく、
自らの問題点である」という「自家撞着」を「客観的事実」として起こすとすれば
それは、「権力にまみれた言葉」が「自壊」し自動詞としての「死」を迎える瞬間にほかならず、
バトラーの The Psychic Life of Power 「権力の心的生」のライフサイクル、
ある具体的な「権力」の「誕生」から「死」までが、このスレで「上演」されていることになる。
「権力にまみれた言葉」が「自壊」し、自動詞としての「死」を迎える
さまざまな姿を、忘れないでおきましょう。そしてその「死」を、
レスとレスの、文章と文章の、語と語の、そしてそれ以外の
「あいだ」に生まれ、息づく「自由」を、今、ここではない、
いつかどこかで、「反復」し「自らを楽しみ」ましょう。
>>421 僕は、あの歌を聴くと、ジル・ドゥルーズがホワイトヘッドについて
語りながら使った self-enjoyment という言葉を思い出します。
このスレの言葉たちが「煽り」「荒らし」の言葉も含めて、異口同音に
「黙すと同時に発している」のは、「自らを楽しめぬ者、われに触れるなかれ」
でしょう。そして「自らを楽しむ」者は、あの「ひまわり」と同じように、
どこにでもふりそそぐ愛を受けとめながら、香りつづける。
ttp://www.miyuki-lab.jp/disco/lyric/ba286.shtml >>454 「回避」というのは「運動」なので、自らやればいいだけのもので、
「回避策」はいくらあらかじめ準備されていても、それはなんら
「回避」の実現をそれだけでは保証しないんですね。シミュレーションは
いくらやってもシミュレーションです。
「回避策」を「提示する者」は、その意図に関わらず「回避」を
誰かに「教唆」している。スポーツのコーチのように。
ドゥルーズは、 Fais comme moi. 「私のようにしなさい」と言うだけの
「教師」からはひとは何も習得しない、と言う。
>>439 の図形のように
「自己相似」しながら、それを他者にも要求するそうした者は、
誰にも何も教えることができない。
ひとが何かを学ぶのは、Fais avec moi.「私といっしょにやりなさい」と言う
「教師」からで、ランシエールのいう「回避策」も「打つ手」ももたない
「何も知らない教師」が、誰かに何かを教えてしまう。これは「社会の学校化」が
忘れさせていることのひとつです。そうした「何も知らない教師」との出会い、
「何かをあらかじめ知っている者による啓蒙」ではない「教育」という
「出来事」は「学校」以外の「場」で生じる。たとえ、そこが「校内」であっても、
「教育」は「学校」以外の「場」で生じる。僕らはこれまでそうした
無数の「何も知らない教師」に出会い、何かを教わってきたはずなのです。
それにしても、「世間様」の「代表」「代理人」が「親切」にもこのスレにまで 「出張」してきてくれているので、その「代表」「代理人」にアンカーをつけて レスすれば、「世間様」に「直接」不平不満が言えるのは、はくタンにとってだけでなく、 大変ありがたいことです。 なんで、そこまでして「世間様」が「直接」不平不満を言われたいのかは、 まったく理解できませんが。
>>455 世間様、っていうか、世間と自己を同一化させてるアホには、
不平不満なんか言わないわねえ。
攻撃して追い詰めるだけよ。
あたし、リアルより2ちゃんのほうが優しいわよー。
マイノリティは攻撃すべき対象じゃないもん。
こんな程度で吠えてる言われてもねー。
「まともな人間」ぶるわけないでしょ。きもちわるい。
世間様には逆らえない、って田舎者のあんたが
思い込んでる、決め付けてる、信じようとしてる、
ということだけはそのレスからわかるわ。
(田舎者、にステレオタイプな家父長制の影を読み取ってね。
それで「田舎者」は蔑称のままで差別用語から外れるわ)
まあ、人間用の言語を使うのが人間ぶってると言われれば、
そうかもしれないけどねい。
それに、現行の法律で犯罪の範疇に入ることはやってない。
後が面倒臭そうだから。
まあ、455の言うことが当たってる側面もなくはないわ。
「人権擁護の主張」をあえて利用させてもらっちゃうことはあるの。
そのほうが効果的にやってしまえるから。
おかげでバリヘテ家庭をいくつか崩壊させていただいたわw
助かってます。>人権派さん
そういう部分では、ちょっとインチキなやりかたもしてるわね。
↑ そんなに強がらなくてもいいんだよ
461 :
禁断の名無しさん :2006/07/20(木) 16:23:27 ID:2VDa2sB5
オトコの社会性と欲望の関係について 触れてるblogってないんですかね? 著書でもいいよ
若い人がこのスレに来づらい理由として、ひとつ思いついたよ。
俺の
>>414 を、「はく」という個人の「不満」というレベルでしか読めない、
個人の感情の問題としてしか扱うことができない、扱おうとしない、
それじゃないかな。
>>414 は、俺の個人的なモニョリ体験をベースにして、
ジェンダー規範が関係している「構造」を見ようとしてるんだよね。
801の時もそうだけれど、
個人的な「傷ついた」感情の中にとどまっていたい人には、
どんな事にせよ、俺と"共に"考えることは無理かも知れない。
特にこのスレでは。
で、それって年齢的な「若さ」や「人間的な未熟」なんてものとは
何の関係もない話だね。
>>461 分かんないゴメン。他の人のレス待ってくれっち。
>>441 俺も「本題」と思ってるんだけど、ゲイが利用されている、というのが分かんない。
ジェンダー規範の権力性をもって、誰か・何かをコントロールしようとするって、
そういう単純な話??
>>461 クラウス・テーヴェライトの『男たちの妄想』T・U (法政大学出版局)は
いかがでしょう。
>>462 ひとが「生き延びる」ために「規範」があるのではなく、
「規範」が「生き延びる」ためにひとが「再生産」され、「利用」される。
「規範」はそれを「担う者」「担体」なしには「生き延びる」ことができず、
ひとは「規範」によって「生かされ」、「資源」として「蓄積」される。
それをフーコーなら「生‐政治」 bio-politique と呼ぶでしょう。
>>450 >もう蒸返さないといったわけだし、続けると彼との約束を破る事になりますから
「彼」って俺のことかしら???
もし俺なら、そういう約束をしたことはないので続けたって全く構わないよ??
というか、ポックルさんのレスは、もうね、
悉く「人間」=「男」のものに俺の目には映る。
上で42さんが、ジェンダー規範の再生産をあなたがさせられている、と言ってる(と思うんだけど)ように、
ホント"させられている"ことが丸分かりなんで、
このスレ的には非常に重要な「本題」だと思う。
とは言っても、何から「続けて」いけばいいのか、ちょっと分からないんだけどね。
あまりに……根深すぎて……
えーっとえーっと、ちゃんと読み込めてないからズレてるかもしれないんだけど、 ついでに書くタイミング失っちゃって今更で申し訳ないんだけど、 何故このスレが「閉鎖的」なのかアタシなりの見解を呟かせて頂くわね。 アタシは前に一度お邪魔したヲカマなんだけど、実はモエタソが居たような ごく初期はよくROMってたのよ。アタマの体操にもってこいだったしね。 ただ、ある時期を境に読むのを諦めたの。それは何故か。 アタシには会話の内容が難しすぎるのwwww だって長文ばっかで結局何が言いたいのか分かんないし バトラーだの家父長制だの用語も初めて聞くようなのばっかでその背景もよく分からないし 抽象的な言葉ばかり並べ立ててて、メタ的な思考に慣れてない人間には論旨がチンプンカンプンだし 何よりも抽象的過ぎて自分自身とどう繋がりがあるのかが全く理解できないしwwww 早い話が、スレを読むのにかかる労力が半端ないのよw だからどうって訳じゃないんだけど、こういう阿呆なヲカマもいるってことでww あ、ついでにもうそろそろスレタイも変更したらどうかしらね??
>>462 「なんであたしが〜しなきゃなんないのかしら?」というきわめて
個人的 personal な「愚痴」「不平不満」が政治的 political であるという感覚、
「私的領域」と「公的領域」とを分けること、それ自体が「政治」の問題であるという感覚、
それがないと、ってことでしょうね。
で、それは「ジェンダー」「セクシュアリティ」「年齢」「学歴」
「資格」「技能」「国籍」「民族」等々に何の関係もない。
>>464 「させられている」のは、僕やはくタンも同じで、だから「モニョる」わけですけどね。
なので、これまで通り続けて行けばいいんじゃないでしょうか。
「首を切られても死なないポックルさん」の言葉は、このスレに
「削除」されない限りは、存在しつづけるわけですし。
>>463 「規範」はある場所でひとを殺しているのに、
その「規範」は存在し続けていく。
ということは、
すでに殺されてしまってて、もはやひとではない「亡霊」が
その「規範」を支えているってことになる。
で、「亡霊」=「ヒト=男のようなもの」=「首を切られたポックルさん」。
死んじゃって身体性を失ってしまった彼らは、
「資源」となることで「生きている」と自分で自分を誤魔化して、
さらに規範を支え続けることに自分を利用していく。
ってこと??
>オトコの社会性と欲望の関係について >触れてるblog ふんわかタンのHPでいいんじゃないかしらと思った…。
>>465 あー ひょっとしてシャキンさんが居た時に、一緒にレスしてた人かな??
ぅーん、、「内容が難しい」とか「労力が半端じゃない」てのは分かるよw
俺も全くついていけない部分あるもんねw そういう時は流し読みしてたりするw
>何よりも抽象的過ぎて自分自身とどう繋がりがあるのかが全く理解できないしwwww
そうだねえ……
俺も分からなくてチョコチョコしかレスしてなかったんだ、801の話までは。
あの時を境に、自分自身との繋がりが、がーっと見えたんだよね。
でも実は、あれよりちょっと前に、名無しの女性のレスが続いてて、
あのレス群に俺はかなり共感を持ったり触発されたりしてたんで、
間接的には彼女たちのレス群のおかげだと思う。
それと、俺に粘着してる「弱者を代表したがる名無し」の存在も大きかったかな。
興味がある話(俺の場合は「男」とか「弱者」に関わる話なんだけど)のとき
自分のモニョリ体験を書けば、自分との繋がりが見えてくるかもしれません。
>>464 あ、そうそう。「させられてる」モニョリだよ。
俺はさせられたくないんだ、って話だよね。
>>465 はくタンや83姐さんが「話題の蒸し返し」について書いているように、
たとえば、今、Part 1 のレスをとりあげて考える、ってこともありうる。
「抽象的な言葉」については、僕も「理解」なしに使っている。
「分からないまま」とりあえず使う。で、はくタンに「んー、わかんない」と
言われて、いっしょに考える。
なので、ひとりで「抽象的な言葉」を「理解」する「労力」を費やすのを
やめて、その都度、「アンタ、これ、何言ってるのかさっぱりわかんないわよ!」と、
具体的な引用箇所とともに、言ってもらいたいんですね。いっしょに考えつづけ、
「理解」し続けようとすることはできるから。「ここでいう『家父長制』って
どういうこと?」とか、ツッコんでもらうために、僕はボケている。
「ダイアローグ」「対話」の典型は「漫才」なんです。
セクシュアル・マイノリティに限らず、マイノリティって「医学」や「哲学」の
「難しい言葉」で一方的に説明され、「差別」されてきた歴史がある。だから、
「難しい言葉」に慣れながら、それを自分たちの「生き延び」につなげていく、って
ことも必要なんじゃないか、と僕は思っている。
>>465 さんにとって「難しい言葉」は僕にとっても「難しい言葉」で、
その「難しさ」を分かち持つことができれば、それでいいんじゃないかって、
そう思ってます。
>>467 「資源」となるのは「首を切られたら死ぬポックルさん」ですね。
自らがそうした「資源」であることの「不快」を「快」に変換する
装置としての言葉、「規範」が、「首を切られたら死ぬポックルさん」に
与えるのが「首を切られても死なないポックルさん」です。
この2人の「ポックルさん」のあいだのどこかに「首を切られたポックルさん」がいて、
2人の「ポックルさん」に「亡霊」のようにつきまとう。
たぶん、「規範」を支えることに自分を「利用していく」ということはないでしょう。
「利用している」という意識はない。
>>469 シャキンタソの時…えーっと、多分違うと思うわ。ろくに書き込みしてなかったし。
>最後二行
結局はその「興味」の有無なんだろうけど、なんつーかね、
あの頃はモエタソとかが意識的に分かりやすく敷衍したりしてくれてたのよね。
それがいい意味で適度に下世話な感じだったから、あるある、って共感もしやすかったし。
そもそも、明確な「興味」を持ってスレ開く人なんてそうざらに居ない訳で、
ついでにスレでの議論のレベルも上がりすぎて専門化してるし、
であれば敷居が高い→人稲→固定メンバーってなるのも仕方がないと思うわ。
良い悪いは横に置いておくとして。
今は、とりあえず思い出した時にでもdat取得する程度だけど、
アタシが考える「閉鎖的」になってる理由はこんな感じかしらね。
>>471 その考え方、傲慢だと思うのはアタシだけ?
周りでアタシには崇高とも思えるレベルの言葉が飛び交ってるのに、
そこに喰らいつくなんてそうできるもんじゃないわ。それは「強者」の思考よ。
そもそも、言葉も、それに付随する背景も分からない状態じゃ
論旨の虫食い状態が酷すぎて「何が理解できないのか」が分からないんだから。
誰もが自分みたいな言動を取れる筈だと切り捨てないで欲しいのよ。
対話が必要、ってのはよく分かるわ。でも、ね。
ついでに42さんに「アンタ冗長なのよぉ!」って突っ込もうかと思って色々書いてたんだけど、
アタシも人のこと言えないから省略しとくわwww
対話ベースの人はついつい言葉を重ねすぎちゃうから難しいのよねぇ…。
>>472 モエタンは「ひとりボケツッコミ」の天才だと思います。
でも、それが自分の「問題」であることも、彼はわかってたんじゃないかとも
思います。それは他のひとたちの「対話」の機会を奪いかねないですから。
誰かに何かを「わかった気にさせる」ことの必要と危険を、モエタンは担ってくれてた。
ただ、いつまでもそうした、「わかった気にさせてくれる」誰かがいるとは
限らないところで、「考える」ということが必要となる時もある。
モエタンはいつまでも誰かのそばにいるわけじゃない。他者の「思考」における
「労力」を省くことは、「罪」でもある。
>個人的な「傷ついた」感情の中にとどまっていたい人には、 >どんな事にせよ、俺と"共に"考えることは無理かも知れない。 >特にこのスレでは。 別に君と共に考える必要はない。 そこに象徴されるように、どこか君は押し付け(恩着せ)がましいんだよね。 別にこのスレは「はくと共に考えていく」スレではないだろう?
>>444 >普通の人から見て、非常識だといわれる事をしたら嫌われて当然
>っていうのを前提にしてるのよねえ。
>>457 >「私のようにしなさい」と言うだけの「教師」からはひとは何も習得しない、と言う。
この2行にレスアンカーをつけるのは変かも知れないんだけど、書いてみる。
セックスつか恋愛におけるモニョリ体験だよ。
恋愛に「賞罰主義」を持ち込む人っているよね。
パートナーに対して、
「ああいう事をやったら別れる」(罰をくわえる)
「こういう事をやったらキスしてあげる」(ご褒美をあたえる)みたいなことをやる人。
まあ……年下好きに多いと思うんだけど。
この場合の、
罰の対象となる「ああいう事」は、普通の人から見たら非常識だといわれる事で、
ご褒美の対象となる「こういう事」は、普通の人から見たら好ましいといわれる事、
だと思うんだけど、
こういう事をやってると、罰せられたり褒美を与えられるパートナーの人は、
いずれ相手の顔色を窺うようになっちゃうんだよね。
普通の人が眉をひそめるような「ああいう事」をしてしまう自分や、
好ましいと褒められるような「こういう事」をしてしまう自分のことを考えるよりも前に、
まず、相手にどう評価されるかを気にしてしまう。
そうなっちゃうと、普通=世間にあわせることが第一で、
自分自身が何を欲しているのか、何にモニョっているのかを考えるチャンスを失ってしまう。
>「私のようにしなさい」
穏やかな笑顔と、優しいものの言い方で、
「「ああいう事」はやめなさい」「「こういう事」をしなさい」と命令するカレシ・カノジョ。
普通=世間にあわせることは学べても、
本当の自分を知るってことは学べないと思う。
>モエタンはいつまでも誰かのそばにいるわけじゃない。他者の「思考」における >「労力」を省くことは、「罪」でもある。 なんだろう、この他人事具合は。
>>475 え? 別に「はくと共に」じゃなくたっていいでしょ、そりゃ。
「42と共に」でも「名無しと共に」でもいいんじゃない?
モエは学術的なんだよねー
俺は、「地を這うような考え方」するタイプなんでw、
モエがいた頃はどっちか言うと話にはのれなかったなー
今の方がのりやすいんだよね。
>>472 違う人か、失礼しました。
「下世話」さが足りないってのは同意かもww
>478に補足。
でもこのスレの人は、名無しも固定も、
>>466 で42さんが書いてくれてるように
「客観性」は持ってるよ。
だから、そういうものを持っていない人は、
俺とでも誰とでも、「共に考える」のは難しいと思うよ。
>>474 >後段
思考の省略は怠惰ってことかしらねぇ・・・。
ジェンダー論を専門にしてるんならともかく、
所詮2chに何を求めてるのかが激しく気になるわ。
思考訓練の場にしたいのかしら?
であればそれは
>>1 やご新規さんの意図からズレてると思うのだけど。
>>481 >>476 は、まさにその「思考の省略」について書いてるんだけど(と思うんだけどw)、
どう思いますか??
>>482 思考の省略…ってことはここ?
ぶっちゃけ何が言いたいのかが全く理解できないんだけどwwww
>そうなっちゃうと、普通=世間にあわせることが第一で、
>自分自身が何を欲しているのか、何にモニョっているのかを考えるチャンスを失ってしまう。
で、どう思うか。
>>476 の引用元である
>>444 >>457 自体がさっぱりだから難しいわww
単純に
>>476 の言葉だけを読み解けば、
「自己完結してるけど、で、だから????」ってことになっちゃうし、
>>444 >>457 を受けてる訳だからそれらの言葉の背景が分かればまた違うのかもしれないけど、
そうなると延々と言葉をさかのぼる必要が出てくるしね。
>>473 >そもそも、言葉も、それに付随する背景も分からない状態じゃ
>論旨の虫食い状態が酷すぎて「何が理解できないのか」が分からないんだから。
それねー……それは俺も同じようなこと思ってる。
言葉くらいなら、質問されても何とか答えられるんだけど、
背景となると、一言で説明するのは難しい。
誠実に説明しようとするとまたもや長文レスを何発もすることになって、
「もうイヤ!!><」ってなる人もいるだろうしねーw
だから背景話には、名無しでも固定でも、具体的な「身体を伴った」レスを入れてくれれば、
両輪状態になるから分かりやすいだろうし、その形が一番いいように思う。
思うんだけど……そう都合よくいかないんだよねー……w
>>484 >だから背景話には、名無しでも固定でも、具体的な「身体を伴った」レスを入れてくれれば、
>両輪状態になるから分かりやすいだろうし、その形が一番いいように思う。
>思うんだけど……そう都合よくいかないんだよねー……w
ばっさり切り捨てちゃうと、はくタソはまだいいとしても他の方はそう思ってないでしょ。
自らの知識と言葉の上にあぐらをかいている。それだけのことよ。
>>483 そう、ソコ。
賞罰主義のパートナーの言うことが絶対になっちゃって、
「ああいう事」や「こういう事」が何なのか、とか、
なぜ「ああいう事」や「こういう事」をしてしまうのか、とかを
考えることがなくなってしまうだろう、ってこと。
「これこれこういう事なんですよー」と、
例えば、モエが教えてくれたとして、
「ふむふむ。そういう事なんですかー」で終る、
自分にどう繋がっているかを考えることなく終ってしまう、
机上の"スタディーズ"で終ってしまう、
「思考の省略」って、そういう事にあたるんじゃないかなと思うわけ。
社会には多くの普通が必要なんだから 本当の自分を探さなきゃ見つからない普通の人に考えるチャンスなんていらないんだと思うね。
>>485 他の人がどう思ってるのか知らないけれど、
身体を伴ったレスを、俺はするように心がけているよ。
てか、それしかできないんだけどさ。
だから、
>自らの知識と言葉の上にあぐらをかいている。それだけのことよ。
なんてヘソ曲げてないで、俺みたいなレスをしてくれる人が増えてくれれば
無事に解決するんだけどねwww
>>487 ????
社会には多くの『普通』が必要なんだから、
本当の自分を探さなきゃ見つからない「普通」の人には
考えるチャンスが必要なんでしょw
>>488 「抽象的な言葉」と具体的な「身体を伴ったレス」は共存することもある。
たとえば、
>>457 なんかもそうなんですけどね。
491 :
禁断の名無しさん :2006/07/21(金) 02:08:42 ID:KrIt1qK2
与えられるものをタダ信じればいいってこと。 普通の人はそれができるの。迷わないですむから。
「話題の蒸し返し」については、俺はしょっちゅうやってて、そのつど、 パートナンバーとか、 「〜〜の話にも出たけど」とか「○○さんが言ってたけど」とか できる限り書くようにしてる。それ、割とパート1とか2に集中してんだよね。 特に、今年に入ってから俺が夢中になってる「男の問題」は、 パート1で俺自身が触れてたんだよね、シャキンさんとの話の時に。(←このことは、前にも書いた) あの時は、その重要性を全く分かっていなくてさ。 なかなか感慨深いや。
モ娘(狼)板で固定をしていますペコ様 ◆Peko/HqMQ2ですんっごう!!。宮崎に住んでいますんっごう!!! AA荒らしが趣味ですので一緒に荒らしをしてくれる方メールしてくださいんっごう!!!! セックスのお誘いも歓迎ですんっごう!!!!!! ニートなので時間は十分にありますんっごう!!!!!!
>>491 それでいいって人もいるでしょうね。
俺は、それでは済まない人なんで考えるチャンスは必要なんだよ。
そう。言いたかったのはみんなに考えるチャンスは与えない方がいいってこと。 普通の人は道踏み外すから。
>>490 「普通」の人には分からないんだろうと思う>共存している
>>457 ていうか、ポックルさんがやったことが、どう「客観的事実にすぎないこと」なのか
理解してる人がどれだけいるのか疑問に思ってたりする。
だけど、彼にしたレス以上にどうやって「説明」したらいいのか分かんないの。
俺は最大限に努力したつもりなんだけどさ。。
>>486 そういうことが言いたかったのね。アタシには
>>486 の後段があって初めて繋がったわww
実際にモエタソがそういう提示の仕方をしたとしたら、そりゃ問題だわ(←実際は覚えてないんだけどw)。
必要なのは「こういうことなんですねぃ(´ー`)y─┛~~」と提示しつつもそこで完結せずに、
であれば何故そうなるのかとか、+αの問いかけよね。
# 余談だけど、モエタソのいいところは、平易な言葉で敷衍しつつ、
# 同時に自分の意見疑問も 平 易 な 言 葉 で 投げかけてたところ、だと思うのよ。
ただし。
「机上のスタディーズ」って、ここ半年のこのスレのことじゃなくって…?
アタシには身体との接点もないまま延々と言葉をこねくり回してるようにしか見えないのww
そんなのよりかはまだ理解した「つもり」の方がマシだと思うんだけどどうかしら?
>>488 >>490 >>457 に「身体を伴ったレス」が含まれてると仮定するならば、
「平易な言葉」とか適宜訂正が必要かもね。
いくら「身体を伴ったレス」であっても難解な言葉を積み上げたものは
「もういや!!><」ってなっちゃうから。
>>495 そう思う人には、このスレは用がないでしょうね。
>>497 いやー……俺にとっては、801話題が始まる直前の昨年夏までが
「机上のスタディーズ」だったな。
「理解した「つもり」の方がマシ」かどうかは、人によるんじゃないですかね。
で、
>>457 をめぐる「平易な言葉」への書き換えは、
俺もなるべく努力してますし、これからもすると思う。
あくまで"なるべく"なんで、俺におんぶに抱っこはやめてね☆
>あくまで"なるべく"なんで、俺におんぶに抱っこはやめてね☆ こういう余計な一言が不要な反発を招くんだよ、「誰もお前に頼んでねー!」って
>>499 じゃ、誰に頼んでるの?w
自分ではしない、だけど不平は言う。それに応答した者に「頼んでねー」。
誰に頼みたいの?
>>498 >おんぶにだっこ
いや、別にいいのよ。アタシは、ここの住人になるつもりはないし。
あと、いつまでが机上のスタディーズだったかってのは訂正ww
アタシにとっては一年半以上前からだわね。パート4辺りで力尽きちゃったからwwww
一年勘違いしちゃってたわwww
※実際その内実はさておき。dat取得だけして読み込んでないからね。
>「理解した「つもり」の方がマシ」かどうかは、人によるんじゃないですかね。
アタシは全く理解できないよりも「つもり」の方がまだマシ、って考えたんだけど、
確かに各人の理解度によっては「つもり」の必要性も異なるわね。
…で、だんだんとアタシ自身も言葉遊びをしちまってる罠wwwww
>>501 「理解した「つもり」」でいい人たちが、その人たちで、
それでいい話をするという手もあるよね。
「理解した「つもり」」話にツッコミが入って、本当に「理解した」ってことにも
なりかねないでしょ。
ついでだけど、「言葉遊び」じゃないと思うよ。
理解度が人それぞれに違うのは当たり前のことだしね。
「なりかねない」って変だったなw それじゃ「理解した」のが悪いふうな意味になってしまうw ↓に訂正。 「理解した「つもり」」話にツッコミが入って 本当に「理解した」ってことも起こり得るでしょ。 ていうか。既にそんなことは行われているんで、新たな「手」でも何でもなかったね。
>>503 あ、俺の言葉遣いを「教育」しに、このスレに来た人なのね??
乙です。
他人をいきなり「自分ではしない、だけど不平は言う」書き換えを頼む人認定しておいて それが違ったら「教育」しにきた人認定か お前喧嘩売ってんの?
>>502 ちょっとズレるかもしれないんだけど、このスレの当初は、
その「つもり」で良い人の集まりだったのよね。
んでその各人の「つもり」に他者からの突込みが入って、
考えて、前よりもちょっとだけ理解して、みたいな。そんな、ゆるーいスタンス。
アタシはジェンダー論を学ぼうなんてこれっぽっちも思っちゃいないし、
その「もにょり」を解消するためにそんな大仰な言葉が必要なのかしら???って思うんだけど。
(ジェンダー論はもにょり解消のツールではあってもそれを語ることが目的ではない、ってことね)
>あくまで"なるべく"なんで、俺におんぶに抱っこはやめてね☆ みたいな勝手に期待を背負いこんでるような言い草が鬱陶しいって感想言ってんの
辞書に向かって偉そうって怒ってもしょうがないんじゃない。 辞書がいらないんならご苦労なこったでいいんじゃ。
>>507 それはしょうがないんじゃん?
そんな昔を懐かしむようなこと言われてもねw
「つもり」の人がもっと頑張って、「つもり」スレにすればよかったのに。
ま、「つもり」で済まなかった俺が言うことじゃないかも知れないが。
俺は、モニョリを解消するために「ジェンダーを考える」っていうツールを使ってる。
そういうスタンスでこのスレにずっといて、
別に「ジェンダー論」を学んでるとは思ってないんだよね。
だから、「ジェンダー論」とか、その周辺に関わる言葉が、
大げさかどうかには、俺はまるで興味がないよ。
大げさだって言われたら「あ、そう」だし、
大げさじゃないって言われても「あ、そう」って感じだね。
>>509 今のところ、身体を使ったレスを担っているメインは俺でしょ?
>>488 他にもいるぞって話なら
>>488 にツッコミ入るはずなんで(今じゃないかもだけど。42さんは置いといてねw)
それがないって事は、とりあえず今現在は、
俺がその重責を担ってるってことになるじゃん。
だいたい、俺の他にそういう人がいれば、
こんな話になる理由がないんだから、
>自分ではしない、だけど不平は言う
と認定して何が悪いわけ。
それと、
>>507 スレ当初の俺は、自分が「理解した「つもり」」でいいのかどうかさえ
分からなかったよ。
だから、
>その「つもり」で良い人の集まりだったのよね。
ていうのは、ちょっと違うと思うよ。
はははh 今かいて愕然としたよ。 このスレ、純粋に、最初っから居る人は俺だけなのかww 名無しさんとかROM専とかでも、他にいないのー??
>>511 >前段
どっちかっつーと、本格指向の方々に語るべき言葉を奪われ、駆逐された、ってな印象かしらね。
それは終わったことでどーしょーもないのは当然だし、アタシはただの回顧厨なんだけど、
「つもり」の人向けに、新たにスレ立ててもいいのかも、なんてことを思ってるわ。
どこで2スレの境界線を引くのかが見えてこないんだけど。
>後段
いや、そうじゃないスタンスの方もいらっしゃるからさ。
言及してる事象(=もにょり)が既に他者のジェンダーに関する主張だったりするのよねww
つーかぶっちゃけ、はくタソが相手だからこんだけ対話できてるんだと思うわwww
>>513 そうね。何て言い換えたらいいのかよく分からないんだけど。
(この辺りのやりとりが言葉遊びだなーと思うのwww)
>>515 ちょうど先日、知り合いの固定からこういうメールをもらったよ。勝手に転載w
●馴れ合いスレ
Xの望む体験談のスレって
「こういうことがあって辛かったー」
「それってジェンダーだよねー」
「そうー」
「大変だったねー。頑張ってねー」
…こんなんじゃないの?
【議論】(*´・ω・)(・ω・`*)ネーで語るジェンダー論【厳禁】
【愚痴】。・゜・(ノД`)ヽ(゜Д゜ )ヨチヨチで語るジェンダー論【癒し】
とか立てれば?
ご参考までに。
>言及してる事象(=もにょり)が既に他者のジェンダーに関する主張だったりするのよね たとえば? 俺の「モニョリ」が、他者のジェンダーに関わっているという意味?? それは当然じゃないのかな。
俺が考えるに、 「つもり」の集まり→本気印の集まり、へと色が変わったのは (変わったんだとしたら、ね。俺はそんな感じはしないけどね)、 「自分の切実な辛い体験に根ざし、本当にこのスレでの問題の共有を求めていた人」が 増えたんだろうと思うよ。
>>512 俺がレスをしたのは「「身体を伴ったレス」であっても難解な言葉を積み上げたもの」の
「「平易な言葉」への書き換え」についてのお前の
>>498 の
>で、
>>457 をめぐる「平易な言葉」への書き換えは、
>俺もなるべく努力してますし、これからもすると思う。
>あくまで"なるべく"なんで、俺におんぶに抱っこはやめてね☆
に対してのものだから「身体を使ったレスを担っているメイン」がお前だけかどうかは関係ねーだろ
「「平易な言葉」への書き換え」だったら42やら83やら犬まわりもやってるだろうが
だから >だいたい、俺の他にそういう人がいれば、 >こんな話になる理由がないんだから、 >>自分ではしない、だけど不平は言う >と認定して何が悪いわけ。 悪いよな?
>>520 みんなやってるけど、やっていないと思われてるんじゃないの?
ID:0RnhZy/Cさんは、やっていないと思ってると俺は解釈して書いたんだけどね。
それに、そういう主旨だったら、
>>499 は、
>42やら83やら犬まわりもやってるだろうが
と、普通に言えばいいんじゃないのかしらね?
>>521 それが悪いというならば、
あなたが「42」か「83」か「いぬまわり」だって事になるよね?
それとも、実際にやっている名無しさんなのかな?
仮にそうだとしても同じだよ。
>>499 で普通に
>俺はやってる
と書けばいいんでね?
524 :
禁断の名無しさん :2006/07/21(金) 03:35:24 ID:tcO4rAvE
モエよりはくのほうが年下だよね? なんでモエにはさん付けじゃなく呼び捨てなの? 他に方にはさん付けなのに。 もにょるわ〜
>>516 それ、ちょっと棘があるわよwwwww
ま、参考にさせて頂くわww
>>517 「他者のジェンダーに関する主張」=「他者のジェンダー論」って言ったほうが分かりやすいわね。
それって単なるジェンダー論についての論争じゃない?
もっと言うと、言葉に言葉で返す。身体を伴う言葉が全く絡んでこない。
>>518 結局ルサンチマン?それって一番脱線が多くなるから個人的には勘弁なのよねぇ。。。
語ってカタルシスを覚えたいのはよく分かるんだけど。
>>519 いや、本当ってのは分かるのよ。
>>513 の内容にも同意。
ただ、乱暴な言い方をすると、それがどう
>>507 の論旨に関係するのかしら?
重箱の隅つつきあって前に進めないのは本末転倒だわ。
現実でも往々にして有りうることなんだけど、アタシはそんなの下らないと切り捨てるわね。
ああ、俺にレスの付け方を「教育」してくれるんだ 乙
御免なさい。アタシも十分棘入っちゃってるわww
特にルサンチマンについての下り、見事に
>>518 とズレちゃってるしね。
つー訳でもうそろそろ寝るわ!!!!おやすみ!!!!!
>>524 あわゎ……イタイとこ突かれた。。はるかに年下だよw
「はるかに」ってヤバイかなw
俺ってば、なぜかkiyaも呼び捨てなんだよねえ……
甘えかもしれないね。「この人には何を言っても許される」的な。
このスレ始まる前からさんざん馴れ合いやってたし。
馴れ合いスレの固定は、たしかみんな呼び捨てにしてるなあ……
>>526 ポックルさんがそういってたでしょ。お互いに気をつけましょうって。
>>525 ( ̄ー ̄)>棘
>「他者のジェンダー論」???
直近ではマチカさんのブログのことかな??? あれは違うでしょ。
このスレでは、既存の「ジェンダー論」(上野氏とか、フーコーとか?)について
取り上げて説明したり紹介したりはするけど、
論そのものの研究なんかはしてないよ???
って、俺がついていけないから読み飛ばしてンのかも知れないけどw
>脱線
そういう事が勘弁っていうんであれば、男女板とかに立てた方がいいと思うけどね。
個人の体験をベースにしないんだったら、この板に立てると板違いになるでしょ。
>>507 の論旨って……
「つもり」かどうか分からなかった俺という人間が、
現実に一人ここにいるのに、俺の存在を切り捨てるんでしょうか……?
「理解」って言葉で、それぞれがイメージしてるものがなんなのか、 その違いで、名無しさんやはくタン、僕、のそれぞれのレスの違いが出る、って ことなんじゃないですかね。 で、その「理解」のイメージってみんなで同じものにする必要はないし、 コンセンサスなしで、そこの「齟齬」はそのままにするから、 今夜のように「対話」が行われるんじゃないかと、思うんだけど。
>ポックルさん
ID:RLHVTGazみたいなレスには、こういう「短期的対応」でいいんですかね???
>>512 、
>>523-524 のような事をいちいち書かなきゃいけないのって疲れますね。
>>530 うんー
他の人はどうだか知らないけど、俺は別に100%「理解」しなきゃいけないとは
全く思ってないんだよねー
俺の場合、んだなあ……1/5くらいの「理解」でここまで来たと思うんだよね。
そもそも、自分が、プロの「ジェンダー論者」が発表してる「ジェンダー論」について
勉強したり批評したり研究したりしているなんて爪の先程も思ってないwww
ゆるーく「ジェンダーについて考える」ってことしかやってないしさw
余談だけど、俺、2年以上書き込みしてるけど、
いっぺんも「ジェンダー論」とか書いたことないと思う。
「ジェンダーについて考える」としか書いてないな。
まあ、このスレ全体がひとつの「ジェンダー論」になってるかも知れない、とは思うよ。
ID:0RnhZy/Cさんの
>>525 と、これまでにこのスレに出てきた「不満」を併せ考えると、
ID:0RnhZy/Cさんは、
「著名なジェンダー論者の名前や言質や書名などを出していること」
=「単なるジェンダー論についての論争」と言ってるのだと思われるんだけど、
ぜんぜん違うと思うよ。
ま、ID:0RnhZy/Cさんとしては、そういうものを廃したスレをやりたいって事なんだろうから、
俺が口だすのはよけいなお世話なんだけども、
そういうものを廃して、かつ、
「自分の切実な辛い体験に根ざし、本当にこのスレでの問題の共有を求めていた人」ってのも「勘弁」なんだったら、
やっぱ
>>516 みたいなスレになるんじゃないんでしょうかね。
このスレで切実な辛い体験を語る事が 何よりつらい体験になったらどうすんの。
>>534 意味わかんないんだけど。書かなきゃいい話では???
>>534 ここは、切実な辛い体験を「吐き捨てる」場所ではないんだよね。
あなたや他の人たちの切実な辛い体験を通して、何が見えるか、
どういう問題をはらんでいるのかを考えるスレなんだよ。
それを追求していく際に、本人にとっては辛い指摘もあるかも知れない。
その体験話に関わってくる本人の身内や知り合いなどへの
批判も出てくるかも知れない。
だけど、
>>462 や
>>466 、
>>480 にあるように、
個人の感情と、社会構造・規範の問題とは分けて考えなきゃいけない。
逆に言えば、客観性を持たなかったら、耐え切れない部分もあるだろうと思うよ。
そこを耐え切れない人たちが、「見下されてる」とか「偉そうにしてる」とか
そういう感想を吐き捨てて出て行くことになるんでしょう。
でも、そこを乗り越えたら、思考することはぐんと楽になります。
俺たちは、てか俺はそれを知ってるから、そこを乗り越える手助けは
いくらでもするよ?
「世間の普通」に合わせようとした時に辛さ=モニョリ、が生じてどうしようもない。 辛いんだ苦しいんだ、そういう人がこのスレに集まる。 そんで、 いま感じてるその「辛さ」の責任はどこにあるのか、どういう人たちにあるのかを 一緒に考えてるんだよ。 そのスタートは、自分を苦しめている「普通」って何?を考えること。 「普通」を盲信してたり、「普通であること」に固執したり依存してる人には 難しいんだよね。
普通になるために教育があり 教育には苦痛は伴うものだよね。 でも普通に成れればもう苦しまずに済む。
>>529 上から順番に。
>他者のジェンダー論
あら、そんな大御所じゃなくって、スレ住人の
「ジェンダー論(またはそれに類するもの)」に対してあれこれ言ってない???
結局は他者の主張に噛み付いてるってことなんだけど。
論破したくってっつーか、何か一言モノを言いたくってうずうずしてる感じ?
ま、アタシもじっくり読み解いてる訳じゃないからどっかズレてるとは思うんだけど。
#上を書いてて、「ジェンダー論」という言葉の指すものが非常に曖昧になってることに気づかされたわ。
#「他者のジェンダー規範」とでも言えばいいのかしら?上手く言えないわ。
#そりゃズレも生じちゃうわよね。…反省。
>脱線・ルサンチマン
個人の体験をベースにするのは当然問題ないわ。
アタシが勘弁って言ってるのはその体験談の中のルサンチマンなの。
「切実な辛い体験」に基づいて語れば、そりゃ自分語りも多くなるわよw
そこを上手く昇華できる人であればいいんだけど、ね。
>言葉遊び・切捨て
ちょっと言葉が過ぎたかしら。反省。正確には、まだ言葉遊びの前段階だわね。
ここで該当部分の表現について侃々諤々の議論(または水掛け論?)になっちゃったら、言葉遊び。
だって、重要なのは「つもり」かどうか云々じゃないから?
「『本格的に議論したい人』でない人」とでも何とでも適宜読み替えちゃって頂戴。
そこの文章表現に拘りすぎると本質が見えなくなっちゃうし。
>>533 アタシも人のこと言えたモンじゃないけど、そこでおっとり刀で切り捨てないでwwww
二段目が微妙に異なるのは上の通り。同時にそれが前提になってる三段目もNG。
最終段はまぁ、そういう見方もあるわよね、ってことで。
あ、そうそう。アタシも見方によっては言葉遊びをしちゃってるんだけど、 個人的には42さんの見解が気になってたりして。 ぶっちゃけ42さんの文章が一番難解で言葉をこねくり回してる感が強くって、 それがこのスレを離れた直接要因だからさ。 純粋に、自分が42さん相手にどれだけモノが言えるのか(←この辺りが言葉遊びw)、 もっと言うと平易な言葉を使う42さんを見てみたい、っていう 知的好奇心も往々にしてあるんだけどwww
>>539 俺も上から順番に。
>他の人の「ジェンダー論」
ってか、他の人の「モニョリ」だよね、それ。
一言いいたくてウズウズしてるって、ま、「ウズウズしてる」かどうかは分からんけど、
そこに書かれた「モニョリ」と、本人が何を問題にしているのかについては、
書いた以上は、俎上に乗せられるのは仕方がないよね?
例えば俺は、
ものの見方が甘い・追求が弱いとか、ダメダメなことがたくさんあるよね。
それでも自分の「モニョリ」と、
そこから推測した「問題」――あなたが言うところの「他者(俺)のジェンダー論」――を
書いてしまうわけだよ。
そういう時にちゃんと指摘してもらえると、次に何かを考える時の足しになるんで、
俺は有難いと感じますね。
あなたは、それを(ケチつけられた)と思うってことだよね。
ちょっと前に、いぬまわりさんの「男性が受ける性被害」に触れたレスがあって、
名無し(ミソジニーが強いと言っていたひと)さんがツッコミ入れたんだけど、
それに対して俺がちょっとずらした視点のレスを入れたことがあった。
あなたが読んでるかどうか知らないが。
で、その後他の人のレスも入ったりして、いぬまわりさん・名無しさん・俺も含めて
「男性が受ける性被害」について、いろんな視点から見た「問題」を
みんなで話し合うことができた。
あれは、名無しさんがいぬまわりさんに「噛みついた」わけでも、
俺が名無しさんを「論破」したわけでもないと思うよ。
とげとげしい言葉が多少飛び交った記憶はあるけれども、
それを受ける当のいぬまわりさんは、何も「傷ついた」わけじゃない。
「論破」されたとも「噛み付かれた」とも思っていないはず。
普通に「その視点があたしには欠けていたわ。ごめんなさい」ってことで
話は普通に進んだんだよね。
ということで、
あなたが言う「論破」とか「噛み付く」ってのは、俺は全然ぴんと来ないな。
「ツッコミして勝利宣言して終わり」ならともかく、そこからさらに、一緒に
考えていってるわけなんだからさ。
そういうツッコミもNGだったら、個人のモニョリ体験の垂れ流し、
つまりは
>>416 のようなスレになってしまうのではないかと俺は思うけど?
はくたんは他の所(ブログ)なんかにも出張してたじゃん? その時の口調と比べると、このスレでは口調が荒いから 「論破」しようとしてるように見えがちだとは思うよ 流れちゃんと読めばそうじゃないとは判るけど、 ちょっと見で噛み付かれがちなのはそんな理由じゃないかな
>個人の体験
「モニョリ」が何も提示されていないレスへの対応には困るね確かに。
よい例が、最新のポックルさんのレスがこれにあたると俺は思うんだけど。
読んでみて、ポックルさん当人がジェンダー規範バリバリに縛られてるくさいのは
分かるんだけども、どこをどう言っていけばいいのかって事が分からないんだよね。
まあ、別に何も言う必要も義務もないわけなんだけど、
そういうレスばっかりになっちゃうと、やっぱ、
>>416 みたいなスレになっちゃうだろうね。
>言葉遊び・切捨て
あなたは、
>このスレの当初は、その「つもり」で良い人の集まりだったのよね。
と書いているけれども、それは明らかに間違っているよ。
何故なら、このスレの当初から居た俺は、
「つもり」でよいのかどうかすらも自覚していなかったんだから(
>>513 )
それなのに、どうして、あなたが、
>このスレの当初は、「つもり」で良い人の集まりだったのよね。
などと勝手に決めつけの?
これは、脇筋の「言葉遊び」なんかじゃないよ。
このスレで話をしている「本題」と密接に関わっていることだ。
つまり、
このスレの当初は、「その「つもり」で良い人」が多数だったかも知れないが、
良くない人・よく分からない人も居たのにも関わらず、
あなたは、良くない人・よく分からない人の存在を無視して、
勝手に「このスレの当初にいた人たち」を代表してものを言ってるんだからね。
ついでに言うと、俺は「よく分からない人」の一人であり、
おそらく42さんやモエは「良くない人」の一人であったんだろうと思うけどね。
あなたは、「小難しい言葉を並べてスレを乗っ取った」と42さんを責めたいんだろうけれども、
それをやったのは42さんだけじゃない、モエだってそうだった。
俺は2人のやり取りが全く理解できなかったんだからね。
そこに、スレ当初からいた「良くない人」(いるかどうか知らないが)や「よく分からない俺」、
スレ当初はいなかったけれども「良くないと思っていた83さんやミソジニー女さんや、
いぬまわりさんや、他の名無しさんたち」が参加して、今の形になったんだよ。
(続く)
ところで、勝手に「スレ当初にいた人たち」を代表したあなたと、 全く同じことをやった人が、かつて801話の時に居たね。 弱者、マイノリティとしての801を好む人々を、勝手に代表して、 「我々は弱者でいるのが心地よいのだ」と言ってた人だよ。 非モテ男の時も居た。勝手に非モテ男を代表して、「俺たちはこのままでいいんだ」とか 「テロか自殺かしかないんだ」とか言った人。 そういうのは、代表を標榜する者による「思想統制」、 ゆるく言えば「意見の押し付け」にあたると俺は思いますね。 このスレは、 そういう、カテゴリーの枠からはみ出した人々・カテゴリーの枠が窮屈だと感じる人たちの、 それゆえに生じる「モニョリ」を扱っているんだから、 あなたがいくら「言葉遊び」と逃げを打っても、俺はちょっと見過ごせないんで、 ここまで引っ張って書きましたよ。
>>538 世間一般でいう「普通」になるために、「教育」や「啓蒙」や「賞罰」があるんだろうね。
しかし俺は、
そうされることへの苦痛と、
「世間一般でいう「普通」」とは何なのかを考えた結果、
世間一般でいう「普通」を目指す道は選ばない、ということ。
あなたがどっちを選ぶのかはあなたの自由だよ。
苦痛に耐えて世間一般でいう「普通」に無事になれるか、
その前に潰されるか
(ブロークバックマウンテンのイニスのように……ま、最終的には潰れないんだけどね。
しかし自分が潰されない代わりに大きなものを失った)
俺には分からないけれど。
>>542 2ちゃん仕様ってことでww
いや冗談だけどさw ていうか、このスレでは気を遣ってンだけどねー……
というかねえ……
昨日から今日にかけてのレス数を見てみて。
俺が言ってることを全部つたえる為には、これだけの文章量が必要なんだよね。
例えば。俺は
>>476 で充分に伝わると思っていたが、
>>497 には、
>>482 と
>>486 を書いてようやく伝わってる。
正直ここまでやらなきゃいけないのかー……とビックリする。
また、煽り口調でレスしてくる
>>499 には、
辛抱強く
>>512 、
>>523-524 を書かなきゃいけない。
その精神的な負担ったら、ちょっとないよ?w
そこまでやっても、
はたから見たら「長文ばっかり」「理屈ばっかり」なんて言われるんだよね。
それだけじゃなく、「関係ない脇筋だ」と思ってる人の為にも、
「本題なのだ」って説明までしなくちゃならない。
こういうこと、俺は適当にやってたけど、42さんは至極丁寧にやってきてるんだよね。
その42さんが叩かれるんだもの。どうしたらいいか分からないよw
…まずはじめに申し上げておくわ。ズレてたら御免なさい。
>>541 アタシが言ってるのは他の人の「もにょり」じゃないわよ。
その人の中では議論するまでもない、考え方やら言動やら、
もっと言うとそのベースになっているものね。
※それを規範、って言い方していいのか分からないんだけど。
早い話が考え方の違いに噛み付かれて、訳の分からぬ言葉を並べ立てられて
押し切られる、ってところかしら。言葉を封じられる、というか。
その差異を楽しめるかどうか、言い回しとかにもよるんだけどね。
男性の性被害云々については読んでないので割愛。
まぁ、何となくは伝わるわ。
>>544 あら、「つもり」で良い人の集まり〜のくだりは訂正するって言ってるわよね?
そこでおっしゃってることはよく分かるし、アタシが言葉足らずだったのはその通りだと思うわ。
それでおしまい。次にいきましょ、ってことよ。
…乱暴な言い方すると、そこまで何が引っかかってるのかが理解できないの。
ちょっと
>>548 補足しとくわね。
メインストリームから零れ落ちてしまう人を気にするのは分かるわ。大切なことですもの。
ただ、初期のスレ全体の流れとして、アタシは
>>507 のように受け取ってたの。
だからって全員が「つもり」の人たちなんだ!って押し付けるつもりもないし、
そこに「つもり」じゃない人もいる!!って言われたって、はいそうですねとしか言いようがないわよ。
あ、あとアタシは何かを「代表」してるつもりはないわ。
一人の阿呆なヲカマ個人として発言してるだけで。
当然いろんな考え方する人がいるってのは言うまでもないわよね???
>>545 の内容は、そのころはもう読んでなかったから何ともいえないんだけど。
>>539 に、俺がなぜ
>>507 に拘るのか真意を分かってもらうためには、
>>529 や
>>544-545 が必要みたいだよね。
>>544-545 のようなことは、このスレでの「共通認識」だと俺は思っていたんだけれども、
そうではないって事なんだろうね。
俺は、これだけ言葉を重ねていってズレをあぶりださないと、
>>539 と俺の間では、
>>544-545 の認識を共有できていないのだってことを察知できない。
(え、なんで? なんでそうなるの?)と、
>>539 と何を共有できているのか探りながらレスを重ねるしかないんだよね。
文章力のあるなしの問題じゃないよねコレ。
まあ、他の固定さんは、もっとうまくやってると思うけど。
「うまくやってる」の中には、共有できていないと分かったら手を出さない、って選択肢も含まれてるんだけどねw
ぅーん……つか……
こういう細かい作業を地道にやってるのは42さんと俺くらいなもんだと思う!!(キャーー怒らないでー>83さん、いぬまわりさん)
>>547 物分りが悪くって御免なさいねぇ。
で、アタシ相手にビックリされるのは構わないんだけど、アタシは
>>476 単体だと、
何度読み返してもその意図(
>>486 )はさっぱり読み取れないのよね。
それはアタシの会話スキルの低さに咥えて、
はくタソがこのスレでの会話に慣れすぎちゃってて(会話のレベルが上がってて)
抽象的な言葉で完結しちゃってるからだと思うんだけど。
冗長と丁寧が違うのは分かるわよね???
>>547 レスを書いた当人は「世の中」「世間」の「普通」に照らして、
あるいは自分のそれまでの経験にもとづいて、「平易な言葉」だと思っていても、
それがきわめて「難解な言葉」だったりする。「タチらしさ」「ネコらしさ」もそう。
昨夜のやりとりだと「理解」や「思考」がそう。
僕のレスの「難解な言葉」は言及しているレスやリンク先の文章の
「平易さ」のなかにある「難解さ」に対応していると思う。「あたりまえのこと」の
「あたりまえでなさ」や「あたりまえでないこと」の「あたりまえさ」って、
言葉で語ると「難解」になる。しかし、「難解」だけれど「明快」である、と
いうこともあって、
>>457 の「何も知らない教師」というのは、たとえば、
そうした「明快さ」はあると思う。
「抽象的な言葉」=「難解な言葉」とするんじゃなくて、
「抽象的な言葉」を自分の経験や他のひとの経験のなかにある
「あたりまえのこと」の「あたりまえでなさ」や「あたりまえでないこと」の
「あたりまえさ」を発見する手がかりやきっかけにする、ってことが
あるから「ジェンダー」なんて言葉も生まれれば、いつのまにか
「ジェンダー論」なんて言葉が「あたりまえのこと」のように
使われてしまったりもする。でも、その言葉が何を指しているのか、
それを考え始めれば、そこには「平易な言葉」の「難解さ」が
待ち受けている。そうなんじゃないかな。
>>548 >その人の中では議論するまでもない、考え方やら言動やら、
>もっと言うとそのベースになっているものね。
ベースになってるもの???って何???
最近のところに、
>(誰かの)ベースになっている、議論するまでもない、考え方や言動
が書いてあるレスがあったらアンカーつけてもらえます??
>「つもり」で良い人の集まり
ん?
だったら、「スレが乗っ取られた」みたく批判するのはおかしいよね?
「つもり」で良かったのに→本気印のスレになっちゃった、ことを批判するのは
おかしいでしょう?て意味ね。
>>550 あぁ、ちょっと納得。
アタシの文章力もさることながら、それ以上に暗黙知の部分でのズレが大きいのね。
各人の持つ背景の差異、だわね。ついでに「」付きの言葉も多いことだし。
まぁ郷に入りてはってことで、このスレの上では
アタシががんばって理解する必要があるのかもしれないんだけどサwww
>>547 私は
>>476 でしっくり来たのでその後殆ど読み飛ばしてますねw
ただ
>>547 で私に返してくれたレスの口調で全てに対応すれば、
変なカラミも減るんじゃないかな、とは思います
煽り煽られって疲れるばっかりだし
>>551 あなたが、最近のスレの流れを読んでなくて、いきなり昨夜きて、
>>476 を読んで「なんじゃこりゃ??」と思ったであろうことは分かったよw
俺はてっきり、ここんとこの流れを読んで来たものと思い込んでたんで。悪かったよ。
>冗長と丁寧が違うのは分かるわよね???
分かりますよ。
42さんのレスは「丁寧すぎる」と思うことはあるね。
だけど、
>>550 に書いた通り、
なるべく視点を取りこぼさないよう、かつ、
認識を共有していない人のことも念頭におき、かつ、
スレ全体の流れとの関連性も視野にいれてレスするんだから、
しょうがないだろうと思うけどね。
>>555 分かりました>口調
でも昨夜はおれ頑張ったんだよ?!?!w
疲れきってて
>>499 にブチ切れる元気がなかったってのもあるんだけどww
どもありがd☆
>>554 「暗黙知」って言葉もとっても「難解な言葉」だと思う(^-^;
その「ズレ」「齟齬」って、無くし始めようとするとキリがないし、
それが結局「私のようにしなさい」「『私』になりなさい」って
ことになるんじゃないかな。「暗黙知」って何かを「説明」するところには
必ず残る、「残余」だから。
自転車の乗り方をひとに教えるときに、「説明」しきれない何かが残る。
でも、「説明」しながら、「私といっしょにやりなさい」と、自転車を
押したり、手を離すタイミングに試行錯誤を重ねて、どういうわけか、
自転車の乗り方って、教えることができてしまう。
その「ズレ」「齟齬」を無くすんじゃなくて、「いっしょに明確にしていく」というのは
あるだろうし、それはたぶんすでにこのスレで行われているんじゃないかと思う。
>>552 レスした人が、何を「あたりまえ」と思っているか・何を「あたりまえじゃない」と思ってるか
書いてみないと分からないよね。
書いてみても、書いた本人が分かっていないことも多い。
で。ツッコミいれる俺としては、
書いた人に気を遣って(これを「あたりまえ」と思ってんのかしら……? まさか……?とかw)
遠まわしにレスする、
あるいは全く違うことを書いて違う所からアプローチしてみるって事をやったりする。
「それ全然、当たり前じゃないYO!」と直接に言うと、
たとえばポックルさん宛のいぬまわりさんのレスとかそうだと思うんだけど、
「カチンと来る言い回し」に近づいてしまったりするんだよね。
そういうのを回避する目的もある。
42さんの「難解な言葉による明快な言葉」は、
実は、非常に上手な回避策だと俺は思うんだよね。
直接いうと「反発」される、回避しながらもっと範囲をひろげて言うと
「難しい」と言われる。ホント、どうしたらいいのか分かんないww
あー そっか……
>>554 俺はね、なかなか
>>558 みたいな包容力がないもんで……
伝えることに躍起になりながら、それを面倒だと思ってしまう(=
>>547 、
>>550 )
ついでに、
>その「ズレ」「齟齬」って、無くし始めようとするとキリがないし、
>それが結局「私のようにしなさい」「『私』になりなさい」ってことになるんじゃないかな。
という視点も欠けている。
42さんのように、「ズレ」や「ズレを補正していくこと」に意義を見出す心の余裕がなくて、
ここらへんがダメダメなところ。
で、そこで
>>541 に戻って。
>そういう時にちゃんと指摘してもらえると、次に何かを考える時の足しになるんで、
>俺は有難いと感じますね。
と思うわけなのだ。
気を遣って遠まわしに言うと「回りくどい」「嫌みったらしい」 ストレートに言うと「これだからコテは」 立ち位置、認識の違い云々じゃなくて、元から対話する気があるかないか、もあるよ (42さんはその辺りさりげなく毒を混ぜて返したりしてて自己防御も怠り無いw) 定期的に湧くコピペや批評家気取りもとても良い燃料になってるから めいめい思った事を好きに書いていって良いよ 1名無しROMの意見です
>>559 「自転車の乗り方を教える」って「例」を出すと、
>>457 の「何も知らない教師」は
「平易な言葉」になるし、「わかりやすく」はなる。
でも、そのとき失われてしまう「難解な明快さ」がある。
それを失うことは、どこかで、たとえば、「暗黙知」という「抽象的な言葉」を
「説明」するために、僕に「自転車の乗り方」を教えてくれた誰かが生まれてきた
かのように、その誰かを「利用」することとつながっている気がする。そして、
その「暗黙知」という言葉を、このスレに置くのは必ずしも、僕じゃない。
>>457 を書くときには自分でも意識していなくて、読み返して気づくのは、
たとえばそれを書く数日前に友人と観た、『女王の教室』エピソード1、2が
「背景」「文脈」にある、ってことだったりするけれど、それは書いている
ときには、僕自身もよくわかってないし、それが「暗黙知」の次元になければ、
「何かを書く」ってこと自体ができないと思う。
言葉の「抽象性」はその言葉のみかけの「平易さ」「難解さ」とは別だと思う。
それは
>>554 さんが使った「暗黙知」って言葉のことを考えてみれば、
わかるんじゃないかと思います。
ぅーん……
>>544-545 とかって、ああいうふうに書いちゃうと、
それがもう決定的なことになっちゃうよね。
>>544-545 で言い切れないものが本当は含まれてるんだろうし、
俺の理解が何段階も不足している部分もあるだろうし、
ああいうふうに書くことは、とても危険だと思うんだわー
「共通認識」なんて言ってるけど、「はくの認識」に過ぎないし……
でもとりあえず、今ID:0RnhZy/Cとしゃべってる俺は、
>>507 に拘る理由を説明するために書かなくちゃいけないわけだ。
書かされてる、っていうのかなあ……
なんだかなあ……
>>562 俺は「何も知らない教師」の方が自転車の例よりも、すぐ分かるょ……
>>561 了解デス☆
>>562 それはたぶん「自転車」や『女王の教室』が「暗黙知」になってるってことは、
「ボケ」てるってことで、「ツッコミ」どころ満載ってことだから、
僕以外の他者にも「すぐわかる」ってことなんだと思うんです。
自分で何かを「暗黙知」としてカッコにくくってることはわかってる、
でもそれが何なのかはよくわからないし、カッコもいろんなレベルに存在する。
カッコにくくったところが、「ツッコミ」どころで、どっから「ツッコん」でもいい。
「対話」ってお互い「ボケ」て、「ツッコんで」で、
僕は「大ボケ」かもしれなくて、
>>232 を書いて、
>>233 のように
笑われることがある。でも、その「ボケ」ぶりは「コントロール」できないからこそ、
「暗黙知」という言葉が
>>554 さんのおっしゃるように出てくる。
僕が
>>457 で「自転車」や『女王の教室』を挙げるとそれは「例」を用いた
「説明」になる。でも、それが別のひとのレスに現れれば、それは
>>457 のレスの「反復」になる。そして、そこに生じる
>>554 さんのいう
「ズレ」が「対話」を生む。
567 :
ポックル :2006/07/21(金) 23:13:28 ID:7cRzmLww
うーん・・・大変だけどがんばってかいてみまっす
>>453 実際きれいぶってるとはよく言われますしね
きれいごとだっていわれることはあるってのはすでに書いたように。
それでいいと思うってのは自然に振舞おうとしたらそういわれるのだから仕方ないって事なんですが、
でもここで書いた事は普段からだいたいこんなかんじだから普段どおり泥臭いとこみせようとすると
きれいぶってるって言われるの仕方ないようなきもしますけどね。
というと、それは首を切られてもなんとかでないなんとかで、人間ってものはそんなものでないと思うとか
普段のあなたががすでに規範がどうこうで首を切られてもナントカカントカのということになるのかもしれませんが
それはいぬまわりさんの「人間」というものへの思い込みであったり人間観の押し付けなのでは・・・
それから、常識人の視点ってのもよくわからない・・・
いぬまわりさんがいう常識がなにを持って常識っていってるのかいまひとつつかめないし。
常識って言ってもその言葉が指し示す範囲があるでしょ。
たとえば、日本の首都は東京だ、なんていう知識も常識に含まれるし
トイレで大を済ませたあと流すとかいう生活行動も常識に含まれるし
青信号は進め、赤は止まれっていう交通ルールも常識に含まれるし
朝に人と会ったときはおはよう、昼にあったときはこんにちはなんていう対人行動や
電車の中で携帯で大声でしゃべらないというマナーや
会社なんかで多数の個人情報を含んだデータを私用のPCに保存しないなんてモラルや
広い意味では法律なんかも常識の中に入ってくるだろうし・・・
文脈からすると対人関係におけるマナーやモラルあたりのことを言っているのかと推察されるけど
マナーやモラル、対人行動に関わる常識的行動というにしてもそれが指し示す範囲は広いですし・・・
常識的であろうとするっていってもたとえば青信号が進めで赤信号が止まれっていう知識を持っていないと
実際上危険に遭遇する確率が高いのでそれは知っておくにこしたことはないし
横断歩道では人にどう思われたいとか関係なくそう振舞いますけど
必ずしもそうするかといえば、田舎で車が一時間に一本くらいしか来ない道では
赤でもわたる事はあるだろうし、厳密に言えばまずいですけどそうしますしね。
たとえば太陽が西から上って東に沈むとか、柳の上に猫がいる状態を猫柳だと思ってて
毎朝ご飯に猫の糞を振りかけてるいつもオネエ言葉の男性が
バスでお年寄りがめのまえにきた時、無言で席を譲るって場合、その人は常識人なんですかね
常識的であるかどうかはその場その場で相対的に決定される事だと思うけど・・・
綺麗ぶったとか常識人の視点がどうこうっていうって事は
いぬまわりさんがその常識に支配されてる人を見るとイライラ来るという事なのですかね。
でも、それを意識しイライラしてる時点でいぬまわりさんが常識というものをすでに知って
常識に負の意味で支配されてるようなきもしますし
あ、ひょっとすると私が常識と思うものを尊重してそれを意識して行動してるように見えるということなのかな?
それをみてイラつくのは常識にコントロールされるのが嫌いだからですかね?
でも常識から外れた位置であると自身のことを考える人が常識的な人をみてなぜイラつくのかもよくわからない。
そういう人を見ると自分も常識的に振舞えといわれてるように感じるからですかね。
でもこのスレの論理だとイラつくのはその当人の問題という事らしいですし
「あなたの実体験や思ってることを書け」といわれたからそうかいたのであって
それがイラつくのよっていわれてもどうしようもない。
いぬまわりさんはマナーやモラルに関わる常識という点で、私がそういう風に振舞う事が
すでに人の目を意識して、いい人に思われようとしているのだという風に考えるのかもしれないですが
それはいぬまわりさんのマナー観やモラル観を基にみたらそう見えるのかもしれませんが
私にとってモラルというのは、仮に無人島に移り住んで一生人の目に触れずにすごすとしても
同じ行動が出来る行動様式、・・・というと対人関係に関わるモラルの面について語弊があるかもしれませんが
人の目を意識しないでも振舞える自己の生き様と結びついた行動様式がモラルであって
ですから対人関係の中でそういう行動をとって尊敬されようがされまいがそれは結果でしかないわけで
それを求めて行動しているわけじゃない。
568 :
ポックル :2006/07/21(金) 23:16:49 ID:7cRzmLww
たとえば昨日の話ですけど、朝、道を歩いてると道端に小さな、おそらく野良猫の子猫がいました。 雨が降る中でミーミー鳴くその子猫が気になったものの、拾っていくわけにもいかないし 先を急いでいたのでそのままその場を立ち去ろうとして10メートルくらい進んだところ その猫が車道の真ん中までよちよち歩いていき、道の真ん中で座り込んでしまいました。 はやく道を渡りきらないものかと後ろを振り向きつつ歩いてたんですが、しばらくすると 後ろからそこに車がやってきて、道で座り込んで鳴いている子猫の前で止まりクラクションを鳴らしました。 それでも母親を捜し求めているのか辺りを見回し鳴き続けたままで子猫はどこうとしません。 そこで私は来た道を引き返し子猫の首根っこを捕まえて車道から遠ざけました。 その時、車にのってたおっさんからは「ありがとう」といわれましたけど 別にこれは運転手のおっさんに感謝されたいと思ったから取った行動じゃないわけです。 私自身がそうしたいと思ったからそうしただけの話で。 そのあとその子猫を雨にぬれないように近くのアパートの階段下に連れて行ってそこにおいてきましたが その際、子猫に手を引っかかれて傷を負いました。 そして子猫は興奮した様子で振り返りもせずそのままどこかに逃げていきました。 この行動の結果、怪我をするし予定の到着時刻には遅れることになりましたけど しかし、このことについては別に腹も立たなかったし後悔もしませんでしたよ。 放っておいても運転手のおっさんが車から出てきて子猫を追っ払ってたでしょうし そうすれば私自身が怪我をすることも時刻に遅れることもなかったかもしれませんけど 一連の流れは私が勝手にそうしたいと感じ、そういう行動をとり、そうなっただけの話で 子猫にしたらこちらが勝手に取った行動の理由など関係ないし、説明しても理解できないでしょう。 それにこの子猫の視点から見ると、母親とはぐれ雨に打たれて不安になって道をさまよい 見晴らしのいい広い車道で母親を見つけようとしてそこにうずくまってたところ いきなり大きな車が来てクラクションを鳴らし、さらに自分より大きな生物が来て 首根っこをつかんでわけのわからないところにつれてこられたのだから 不安に思い自分が首根っこをつかんだ大きな生き物に連れ去られようとしているように感じ 手を引っかいて逃げようとするのは正当防衛であるでしょう。 もしこの子猫の行為に怒りを感じたり、あるいはこういう行動を取った事に後悔の念を覚えたとするなら それはこの一連の行動に私自身が見返りを求めていたということになる。 私が勝手にそうしようとしたことなのに、助けを求めてもいないその子猫に対して 見返りを求めるのは筋違いでよけいなお世話という話だし、それこそ価値の押し付けでしかない。 自分がそうありたいと思って行動した事に見返りがなかったからといって憤慨するのはお門違いです。 いぬまわりさんの考え方だとここにこういうこと書くこと自体が いい人に思われたいという心の現われだとか、弱い猫を救うことで 自分の優位性を感じたかったからということになるのかもしれませんけども それはいぬまわりさんの目から見たことなので勝手にそう思っていただいて結構ですけど それが私自身の行動様式であって、生身のあなたの事を書けといわれれば 実際にあった事を書くわけですから、それが嘘だろうといわれてもどうしようもない。 人が誰も見ていない時に猫に車でなく石が転がってきたとしても同じ行動を取ったでしょうし 今ここに書いてるのは「(いぬまわりさんからみて)泥臭い事かいてない」どうこうと言うから 実際そうなのだという例を挙げるために昨日あったことを書いたまでのことで、 そうでなかったら別にこの出来事を人に言うつもりもありませんでしたしね。 きれいごとだと思うのはその人の自由。しかし実際そうなのだから仕方がない。 いぬまわりさんがそういう人が苦手なのはそうなのかもしれないしそれは自由ですけど そのきれいぶったといぬまわりさんが感じる人=媚て本音を出してない人なのだろうという推測も すでに犬まわりさんがいだいてる「人間というものはこうあるものだ」という 思い込みや偏見から来る「人間」への虚像がそう思わせてるんじゃないですか? それにきれいぶったといわれることは多々あるけど常識人だといわれることは少ないし・・・
569 :
ポックル :2006/07/21(金) 23:18:47 ID:7cRzmLww
それに人間という言葉を連発するから権力がどうでスカポンタンとかいう話ですけど 人間っていってもここでいうのは「恋人ではなく人間として」ってことで つまり恋愛という一局面だけではなく、その人の生活様相全体としてというか、 恋人という側面、つまり肉体的あるいは関係性という面において社会的にいい状態のときだけでなく 相手が死の淵に瀕しているときであっても、失意のどん底に陥り一時的に周囲に当り散らしたとしても 自分の人生に豊かさを与えてくれる対象として受け入れられるかどうかということで 恋人のような、肉体的あるいは関係性という意味において社会的な観点からだけ その相手をとらえるのではなく、肉体的、精神的、社会的、霊的な側面の全てからみた包括的な人間として それを受け入れられるような対象である、すなわち恋人としてではなく人間としてといってるんですけど まさかここの人が誤解することはないとは思いますけどここで言う霊的なって言うのはspiritualという意味で オバケとか幽霊とか死後の世界とかオカルト的なこといってるんじゃないですよ。 それを恋人なのになにを言ってるのかしら、人間と人間でないものを区別するなんてどうなのかしらというのは 「私はこの三毛猫のペロを単なる可愛いペットとしてではなく 私の人生に豊かさを与えてくれる一匹の猫としてすきなのだ」といったとき ペロはペットなのになにを言ってるのかしら、 猫と猫でないものを分けてどうするのかしら 猫でないものは豊かさを与えないとでもいうつもり?といわれてるようなもんで困るんですけどね。 かわいいという外見的特徴やえさを与える、その見返りとしてなついてくれるという「ペット」としてではなく その猫が衰えて醜い姿をし、仮に病気にかかってその痛みや苦しみから牙をむいたり姿を隠して消えたとしても、 それでもペロはすきだし自分の人生に豊かさを与えてくれる存在なのだという事をいってるわけで、 ですからここでは猫でないものが豊かさを与えないとはいってませんよ。 というわけで人間でないものが豊かさを与えないとは全く思わないし 実際、猫と遊んでる時間は豊かさを与えてくれるしむしろ人間といるよりも・・・ ということで、いぬまわりさんがいう、人間という言葉を使うと権力がどうこうとか 人間に限定したものに違いないなんて論理の飛躍が過ぎるような。 たしかに強引に読んだらそう読めないことはないけどw それからわかってるとは思うけど、飲み屋の人間並ってのは冗談だから ここをもって人間以下以上を分けてスカポンタンとか取らないでね ここが問題だとかいわれたら定食屋さんは、はいおつり百万円っていって100円だせなくなるし。 一応、簡単にというか表面的に答えるとこういうようなことですけど いぬまわりさんの上の質問に真の意味で向かい合うには、私とは何か、世界とは何か 私と世界をどの様に捉えるか、生とは何か、死とは何か、人間とは何か、人生とは何か、 幸福とは何か、他者とは何か、他者とどう向き合うべきか・・・ などなど・・・そういうことともきちんと向き合わないと ちょっとこれは本当の意味で答えられないしそれに答えなどあるのかすらわからない・・・ というかいぬまわりさん自身、ご自分が問うたことの大きさ、重さをわかっておられるのかという気もしますけどね。 しかしそれにしても、もうあなたたち言葉マニア種村有菜かとw
570 :
ポックル :2006/07/21(金) 23:21:06 ID:7cRzmLww
それにね、「人間」というカテゴリーは社会的権力が云々・・・ですけど 人間という言葉を見たときすぐ「人間」というカテゴリーうんぬんをいぬまわりさんが連想するのは自由だけど 人間って言葉だってさっきいったように色んな意味や側面があるわけでしょ。 恋愛の話の流れで人間が出てきたからそういうニュアンスを強く感じたのだろうけど 生態学的な意味での人間や生理学的な意味での人間や心理学的意味での人間じゃ かなり意味あいが違うと思うんですけど・・・ 範囲設定の問題でも生きている人間のみを含めるのかそうでないのか、脳死状態を人間と見るのか 成人といわれるようにこどもを人に成っていない生き物とみなすのかみたいな事だってあるでしょうし・・・ それにいぬまわりさんはヒトと人間って言葉を使い分けてるようだけど その言葉の違いはそれぞれどう定義してるのかだっていま一つ曖昧だし ヒトっていっても生物学でいうところのヒトと公衆衛生でいうところのヒトと生理学でいうところのヒトと 心理学でいうところのヒトは似てるようで若干違うニュアンスあるでしょ。 いぬまわりさんがそれぞれの場面で正確にはどういう意味あいで人間やヒトを使ってるのか超能力者じゃないからわからないし 人間という言葉を使うとすぐ社会的権力がどうとかいうのもね・・・こういうときモニョるっていうんですかw 社会的な側面から捉えたらそうなのかもしれないけど、人間といっても肉体的側面や、社会的側面や 精神的側面や、霊的側面があるわけですから 人間って言葉を使ったからすぐ権力がどうとかいわれても、かなり言葉の定義の押し付け臭い感じがしますけど。 他に方法がないしあるのなら言ってみてくださいといわれてこういう方法もあるのではと返答するのが コントロールフリークだという人がいる一方で・・・というかそれまでをコントロールフリークというのなら 私ならこうするけれどもそれをしない彼らの行動は理解できないという言い回しも暗にそうしろといってる事になるし もっと言えばコントロールフリークだと相手を評する事も あなたのとった言動は相手をコントロールしようとするものだから私はそういうことはしないし あなたもそうするべきでないと暗にほのめかしてるのだともいえるわけだし、こういうこといってたらきりがないけど、 その一方であなたが使った言葉は私はこう定義する、こういう定義がされうる、こういう定義であるべき、だから あなたの放った言葉はこういう意味合いになるのです、であるからあなたは・・・というのも・・・ねぇ・・・ このあたりの一貫性のなさが名無しさんがブーブーいうところなのかもと思ったけど そこのロムってる名無しさん、どう思います?
>>425 は、俺に対してのレスだと俺は思ったけれどね。
ああ、↓の部分ね>俺に対するレス >それから、わたしはコントロール・フリークではないので、 >「煽り・荒らし禁止!(ルールを守れ)」とか「こういう場合はこうすべき」とか >このスレの「住人」にもロムラーにも訴えるつもりはないの。 別に誰に対してはっきりさせろ、とかじゃないよ一応w>83さん
573 :
ポックル :
2006/07/21(金) 23:26:26 ID:7cRzmLww それからそれから、いぬまわりさんが「自分の逆鱗に触れる」のがどうこうというのもわからない。 「人間」という言葉を毛嫌いするのはいぬまわりさんの勝手で いぬまわりさんがそういう風に怒りの感情を表出したという結果はわかりますし 「人間」という言葉が使われることに嫌悪感があるという意思を伝えようとなさったという事もわかります。 しかしですね、だからといって私が「人間」という言葉の使用を制限する理由にはならないわけでしょ? 上記のように私といぬまわりさんの「人間」という言葉の定義や範囲設定が違うからこういう摩擦が起きただけの話で いぬまわりさんが「人間」という言葉を社会的な、権力関係の側面からのみ捉えるのは勝手ですけど それをもって私が「人間」という言葉を使うのをためらう理由にはならない。 借金で首が回らない枕からチラシ寿司のにおいがするナントカカントカのポックルさんのことをかけって言うから 私の事を私の言葉で書いたのであって、いぬまわりさんのことを書いたわけではないのだし そこにいぬまわりさんの考える「人間」の定義を持ち込んで、それを持って 「あなたはあたし(いぬまわりさん)のこと判ってると言う前提で言うけど」などと展開するのはどうかと思いますよ。 この点で怒るのは、このスレの論理でいうといぬまわりさん自身の問題だという事になるし 「人間という言葉を使うと私は怒るよ」ということは、さっきのコントロール云々への一貫性を適用すると それこそ相手への威圧行為でありコントロールフリークになりかねないんじゃないですかw 私自身はこれがそういうコントロール云々に該当するとは思いませんけどねw それに「いかれたオカマのあたしにアンカー付けてレスしてんのになんで」とかいうのもどうなんでしょ。 いぬまわりさんは私に関して「常識で物事を判断する"普通の人"が好感を持つ態度」で発言していて、 "普通の人"の視線を気にして媚びた態度を取ってるようにしか思えないというようなことをいっておきながら、 「あたし(いぬまわりさん)は常識で物事を判断する"普通の人"がいかれたオカマだと思える態度をとっている」のだから 「あなたが私をそう扱わなかった事に私は苛立ちを覚える」というのもどうかと。 「"普通の人"は私をいかれたオカマとして扱うのだからあなたもそう扱うのが"常識的"対応でしょう」ということなのかなぁ。 この言い分が成立するのにはまず、私がいぬまわりさんが言うところの"普通の人"であって 私がいぬまわりさんのことを「"普通の人"がいかれたオカマとしてみている」ように見ている ・・・という二つの前提が成立してなければならないんじゃないでしょうか。 私がいぬまわりさんが定義するところの"普通の人"かどうかは知りませんけど 別にいぬまわりさんのこと「いかれたオカマ」だというような見方はしてないし・・・ そう見てたとしてもさっきいったように自分の言葉を使うことをためらう理由にはならないし・・・ ここでこういうことをいうってことは、いぬまわりさん自身が"普通の人"の視線を意識して行動し "普通の人"ではない「いかれたオカマ」という立ち位置で人に見られたい、見られて当然、扱われて当然と 考えてるようにも思えるんですけど・・・ いぬまわりさんが自身のことを「いかれたオカマ」と捉える事も自由ですし 「私はいかれたオカマとして人に見られたい」と、他の人に伝えるのも勝手だと思いますけど その人にいぬまわりさんのことを「いかれたオカマ」としてみたり扱ったりするよう強要はできないでしょ。 「自分のことを人間ではなくいぬまわりと称しているし"普通の人"と違う言動をとってるんだから 他の人は私をいかれたオカマという見方で見て当然、見るべきだ、見なければ怒る」というのは かなり見方の押し付け臭く感じますけど。 ここでいぬまわりさんが苛立ちを覚えるのは自分がそのように振舞う事によって 相手にその行動に対する見返りを求めてるからなんじゃないのかなぁ。 もしそれがいぬまわりさん自身の自然な姿であって、 そうありたいと思って行動してるのならそのように振舞えばいいし そこで「常識」や「普通」などを逆手にとって振りかざして 自分の望むような扱い方を相手に強要するのはちょっと筋違いのような。 そこでそういう言葉が出てくること自体、すでにいぬまわりさんが 負の意味で常識にとらわれ、常識で物事を判断する人なんじゃないかと思いますけど。