これからの美術どうなるのかい?b
2 :
age:2001/05/02(水) 16:58
ウォーホルいわく、「15秒はだれでもスターになれるのだよ」
3 :
jiji:2001/05/02(水) 18:02
誰もレスくれんのか
4 :
月読:2001/05/03(木) 04:02
絵画趣味人が多くてつまらんです。
伝統という名のもとに、安土、桃山時代の模倣から脱することの
出来ない日本の現状の中で、現代美術なんて、生まれ、定着する
要素は、あるのだろうか?
6 :
月読:2001/05/03(木) 08:18
お・レスがついた。
だからあれは模倣じゃなくて「サンプリング」「リミックス」
だって。どうしてそうマイナスに捉えるかな〜
7 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/03(木) 08:45
5じゃないけど。
単なる模倣ではなく肯定的に捉えられるべきものであるサンプリング・リミックス
とは異なる動向が生まれることを期待できるだろうか? という問いはどうかね。
8 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/03(木) 08:53
話しをすすめる前に、あなたの
あれ
模倣
サンプリング
リミックス とは、何かを教えてください。
わたしは、今も伝統と画壇ヒエラルキーのもとに、花鳥風月を描き
続ける、続けられる日本画と呼ばれる絵をさしています。
9 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/03(木) 09:11
私>8 は >6の月読さんに お尋ねしております。
10 :
7:2001/05/03(木) 10:11
ん?
>>7の問いは引っ込めておくよ。こんがらがるとイカンからね。
11 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/03(木) 10:31
>10 ありがとう。>7と、おそらく同じような問いかけになる
のではないかと思うけど、「サンプリング」と「リミックス」の認識の
ずれがあると、いけないと思い月読さんに聞いています。すみません。
みんなー、デジタルアート(主にパソコンでするもの)については
どうおもう?
13 :
lllll:2001/05/03(木) 12:44
>8さん
ゆるやかだけど画風は変わりつつありますよ。
誰でもいいが、浮世絵についてはどうおもう?
西洋にはウケがいいが。
浮世絵は日本人が考え出した独自の美であるとおもうが・・・・
16 :
太郎:2001/05/03(木) 17:43
>>6 あれはサンプリングというよりただのリサイクル。
ネガチブな作品をなんでポジチブに捉えなくてはいけないの?
何か言葉だけが一人歩きしてるね。馬鹿っぽい。
18 :
太郎:2001/05/04(金) 02:13
一人歩き?
適確な言葉で語ろうとすることがなんで一人歩き?
19 :
月読:2001/05/04(金) 02:18
>>7 それはもちろんそうと思いますね。
あり得るというかあって欲しいと言うか。
>>8 ああ、、なるほどね。
現代美術といったから現代美術作家たちのことを言ってるのかと思ったので。
基本的に現代美術とその日本画壇との世界では話が違うくなるとは
思いますが、8さんは後者のほうで言ってたのですか?
と逆に聞き返してみた。
あれ:とは村上隆、会田誠、大竹伸朗や奈良美智らの
主に平面を扱う現代作家さんの作品のことです。
サンプリング:とは今までのクリエイションの要素を抜き出す行為です。
リミックス:とは自分なりの解釈と配分で過去のクリエイションの
焼き直しなどを行うことです。
すいません。勝手な思い込みで話を進めてはいけないですね、、、
>>16 作品をネガティブとは言ってない。
「対する姿勢」をネガティブと言ったのです。
20 :
ナナシノ:2001/05/04(金) 02:25
日本現代美術に関して言えば
経済的に、外交的に、これから日本の状況がどうなるのか、
憲法のバージョンアップとかして、なんかぐっとタカ派的
になった日本を想像したりして。。
その中で、日本作家の作品はどうなっていくのかを考えます。
たとえば、自己の内面性や周囲の日常性を追い続けてる沢山の
人達とか、もちろんシミュレーショニズムな人も含めて、やっぱり
変わらないでいられるだろうか。とか。逆に余裕の他人事で
仕事を継続するのか。とか。
21 :
月読 :2001/05/04(金) 02:59
>作品をネガティブどうこうとは言ってない。
に訂正しよ。解るとはおもうけど、、。
>>20 タカ派ってやっぱコイズミナイカクのこと?
単純過ぎか。
一作家の「変容」は良くも悪くも観客は動揺しますよね。
売れない頃応援してたミュージシャンが売れてから変わって
ファンをやめたりとか。
22 :
太郎:2001/05/04(金) 03:31
>作品をネガティブどうこうとは言ってない。
作品をネガティブと解釈したのは俺だけど、
保守的な日本画がポジティブだと思うわけ?
23 :
月読 :2001/05/04(金) 03:34
だから直したんだって。
ちゃんとレス読んでよ。
日本画のことを最初いってたわけじゃないって。
24 :
太郎:2001/05/04(金) 03:44
あ、本当だ。
あの文章を読み違えるとは、、、、月読さんは深読みしすぎるタイプだね。
25 :
月読:2001/05/04(金) 04:53
現代美術スレだったので、つい、、、、
26 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/04(金) 05:49
>5の記を、した者ですけど、>6は、「村上隆ーーーらは、模倣じゃなくて
「サンプリング」「リミックス」だって。どうしてそうマイナスに捉えるかな〜。
と、言うこと?、しつこい様だけど、もう一度。すみません。
27 :
月読:2001/05/04(金) 06:02
テレホっ子朝まで。
>>26 そうです。
僕が読み違いをしたために書かれたレスです
>>6は。
日本画のことを指してるとは思っていなかったので。
ぼつぼつ 夜明け?
目を細めたり、顔を洗ってみたり、して文章を読み返し
やっと迷路から出られた感じです。(笑)
では、現代美術って何?
30 :
太郎:2001/05/04(金) 17:15
>>20 現代の美術です。
鑑賞する側としてはこれからの美術に造形性を求めてるのかな?
31 :
ナナシノ:2001/05/05(土) 02:04
よくわかんない人が偽造パスポートで来ましたねー。
やっぱびびるよねー。実際どう接すればいいのよ。あんな奴と。
どういう態度とるべきなのか、多分、誰にも答えられない状況。
なんかリアルだ。この気持ち悪さは。美術もこれからはこの
気持ち悪さから逃げない意思が必要とされるのではないで
しょうか。(意味不明?)
32 :
月読:2001/05/05(土) 03:17
>>31 その例えだと、
敵か味方かもわからない、そんななんかわからんものの
産物みたいなのが私の価値観に侵入してきた!
しかも「ただ遊びに来ただけだよ〜」って顔してる!
それになんかちゃんと入ってきてないみたいだし怪しい!恐い!
(゚Д゚)<そんな風に現代美術を捉えてるの??
餓死者を出すようなものに捉えられては立つ瀬がないね。
現代美術作家も。
33 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/05(土) 06:18
a
次元が違いすぎる喩えだね。
↑ダメ絵描き
36 :
ナナシノ:2001/05/06(日) 00:20
>(゚Д゚)<そんな風に現代美術を捉えてるの??
そうじゃないんだけど、前述したような「気持ち悪さ」
のリアリティ、これからより切実な問題となりそうな
状況への悪い予感を(南北問題に限らずね)、これからの
日本美術が内包できるかってこと。
言うまでもないけど「内包する必要ないじゃん」ってな
ことなら、そういう意見はそれで良いのだけれど。
↑ダメエロえかき
たしかに奈良はいいぞー。
こどもの無邪気さがでている。
39 :
太郎:2001/05/06(日) 14:15
40 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/06(日) 14:32
>>31 <異物のようなもの>を現代美術自身に喩えているのか、
それとも現代美術が受け入れるべき何ものかとして捉えているのか。
どちらなんだろう。
私は今の現代美術の状況がルネサンスの退廃期である
マ二エリスムににていると思います。
マニエリスムはマンネリの語源にもなったものですが、
驚異的な文化が花ひらいた後の状況では、ひとは、先人たちの
偉業をただコピーとしてマネしているだけにしかすぎないのです。
>>41 もちょっとマニエリスムについて勉強してからカキコすれ。
44 :
ナナシノ:2001/05/06(日) 23:41
>>40 個人的に、<異物のようなもの>を
「現代美術が受け入れるべき何ものかとして」捉えたい
と思っています。
話かわるけどウォーホルに関する秀逸な
書込みが別スレに多いですね。ウォーホルが鮮やかに焼き付けた、
一断面としての資本主義システム下消費社会もまた、それ以前
には人々の想像力の外側にあった<異物>だったかもしれないと
思います。(ウォーホルが発見した。とかいう意味ではないですよ。
ただ、ウォーホルは、捉えたのです。)
話をややこしくしているのは重々承知ですが、<異物>を解かった
気になるような事態は最悪なので自ら戒めています。
あげないといけません
>44 「想像力の外側にあった異物」の表現はいいですね。
誰かが表現してしまえば、なんでもないことですが。
つまり「外側」「別の側」天才のなせる行為でしょうね。
みなさん、現代美術について考えているんですね(涙)
48 :
ナナシノ:2001/05/08(火) 02:04
>>47 現代美術について考えているというよりも
なんと言ったら良いか…腑に落としたい欲求
で、いつまでも書き込んでいるのです。
<異物>について考えることは可能か?ってことです。
確実なのは<異物>は絶えず僕の想像力を超えた場所
に→(?)ということです。
2chっていいすよね。スレが美しく進むこと
が少ないから。挿入される一行レスが、考え
を直線的に進め終了地点に向かうことを不断
に拒みます。これは皮肉ではないですよ。
49 :
goatsong:2001/05/08(火) 02:48
現代美術のジレンマは、需要と供給の悲劇的なまでの齟齬に
あると思う。今日、もし新たな創造行為に居場所があるのだと
だとしたら、公共芸術か、神なき時代の、宗教に代わる救済と
しての芸術以外にないやうな気はする。作家達が個的な表現
に未だこだわるならば、その意義を説明する義務があるとは
思う。
50 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/08(火) 02:55
>>49 全く同感です。さすがgoatsongさんですね。
また来たか。
52 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/08(火) 06:08
>>49 「今日、もし、、」以下の文には賛同できないものがあります。
視覚的な芸術において、そこまで理由を述べなければならないのでしょうか?
それこそ現代美術の陥っている問題点そのもののように思えます。
53 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/08(火) 07:24
>>52 君、バカ?もう一度goatsongさんの文章をよく読んでみなさい。
goatsongさんはそんな底の浅いことを仰られているのではあり
ません。
>53
私は>52ではありませんが、>53のお人、もう少し
解りやすく訳してくれんだろうか?
よう、わからん。
>>54 goatsongさんのお言葉を理解できなような低脳は、この板にいる資格がありません。
とっとと帰れ。
↑短気
>50>53>55、「ほめごろし」? 悪質だね!
59 :
太郎:2001/05/08(火) 13:00
>>49 宗教にかわる救済、、、、、326を思い出してしまう。
60 :
月読:2001/05/08(火) 14:53
「ウォーホルが捉えた」
>>44まさにこの表現の通り、
現代美術の中にこそ同時代性、つまり現代人の原風景の片鱗が
散らばっていて面白いと思うんだけど。懐古趣味な人たちがこの板には
多いみたいですね。(決してダメとは言ってませんよ)
哲学は言葉に、芸術は感覚に昇華して行く、、純粋な意味で言えば。
でも<異物>と感じられてしまうのは一つの自我=人というフィルタを
通ってしまうからなのでしょうか。僕的にはその個的な表現の中の
ひとつひとつに時代性が鏤められてると思うし。
「なにこれ」と思われるならどれだけ日常に埋没してるか自省することも
必要かも知れないよ。
サブイ
62 :
catt:2001/05/08(火) 23:04
>>61さん 分かりますそれ
このスレで語られてるのは現代美術を遠巻きに望遠鏡で眺めてる人たちの話法です。
>>60さんのレスとか特に何言いたいのか意味不明ですし。
とりあえず戦後のコンセプチュアルアートをずらっと眺めれば現代美術作家が
視覚表現に対してどれだけ生々しい現象学的還元を実験してきたかが理解できると思いますが・・
多分文献と写真だけで論戦張れるほどこのジャンルは生やさしくないって事の現れでしょうね・・
人 々
ミ@Д@彡
人 々
ミ@Д@彡
つーか板違いでした<自分
ここ美術鑑賞板でしたね・・鑑賞者にはどんな意見があっても良いですね
専門板に帰ります。じゃ。
人 々
ミ@Д@彡
>>62-63
あんたのほうがよっぽど意味不明だにゃ(藁
65 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/09(水) 00:18
>>64いやいや、久々にここで作家らしい意見を読んだよ
ありがたやありがたや
66 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/09(水) 00:50
貧乏で生活が苦しい
67 :
∵:2001/05/09(水) 01:11
そういえば現代美術のひとに180円のアイスコーヒーおごってもらったな。
このあいだ。飲みながらあつく語ってくれたものだよ。
ポロックがどうとか。
68 :
ナナシノ:2001/05/09(水) 01:47
多分、僕はこのスレで一貫して、美術と社会性との関係を考えていたように
思います。例えば、戦後の日本文学がどうにか継続的に思考してきた諸問題
(無頼派から大江まで)を美術は自己の問題として捉えないのか?ということです。
繰り返している<異物>云々も多分そこらを土台にしているっぽいです。ウォーホルを
そのレベルで「誤読」するのも好きなのです。(笑) だから、て言うか、で、そういう
作品をこれから作ろうとしているらしいのです。僕が。
だから
>>60 「懐古趣味」
という指摘はおそらく正しいでしょう。
また
>>49 「作家達が個的な表現に未だこだわるならば」
この仮定は自分の希望と自覚します。
しかし、再び
>>60 >哲学は言葉に、芸術は感覚に昇華して行く、、純粋な意味で言えば。
「純粋な意味」と「無意味」の境界線はほとんど判別し難いものでしょう。
芸術が芸術自体の強度で感覚に昇華されることはないと考えます。
芸術は端的に言って「化学変化」だと考えます。「一つの自我=人という
フィルタ」が介在しない表現(そんなものが本当にあるとしたら)に興味が
ないのです。
69 :
月読:2001/05/09(水) 04:54
>>62ー63
僕に関してもレスに関しても読解力なしですね。
作家と大衆との溝の部分のお話をしてるのよん。
あと現代美術はこの板であまり人気ないみたいだし、つうこと。
そういう意味では文脈が必要な「索引的な」レスですね。
ただの通りすがりには伝わらず・か
>>68 「純粋な意味」<・>「無意味」ね。
「無意味」にも「伝わらず」と「ナンセンスを意図した」が
2種類あると思うけど、
芸術に意味は必要なんだろか。
後者の「無意味」を受容するためにはある程度の自分自身の
「修羅性」、狂気やカオスを受容しなければ理解し得ないものと思う。
そういう意味で日常のフラットな感情の機微動作に慣れ過ぎてるかもよ?
と言ったのだし、こういう意味だけでもないかな。
>>60 >「化学変化」
電気信号+脳内物質でしょうか?
それとも作品が化学変化なんだろか。
森羅万象>>>化学変化>>>芸術ってことかな?
その「個的な」ところが化学変化のところなのね。
どんな物質を使うかはそれこそ自由なわけね。
70 :
月読:2001/05/09(水) 04:57
そうそう「ナンセンスを意図した」というのも
言語方式が特殊だっただけで結局一緒だと思うんだけどね。
71 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/09(水) 09:32
ニヒリズムってキショイ
cattここは俺の板だ。アンチがあらしてんじゃねえぞ!!
>>72アンチっってなによ・・w
荒らしたんじゃないんだけどな・・
人 々
ミ@Д@彡
どうでもいいけどそのマーク、臭いよ。プ〜ン。
↑相手にする価値なし厨房
↑上に同じ(藁
77 :
月読:2001/05/10(木) 04:06
虚無主義か〜。
>>71 遠からず近からず。
でもそれに従ってたらこんな真面目なレスしてないし、
嵐とかして楽しんでそう。まあ、それはスタート地点とも言えるし。闇から突き上げる力なー。
「ナンセンス」とかもっと考えてみたいね〜。
昨日のテレ東2時間ドラマ、演出とかしょぼかったけど
内容、桃井かおり、いかにも中央線ぽくてよかった。
誰か見た人いる?
↑相手にする価値なし厨房
あんまり現代美術、現代美術って定義づけて頭でっかちにならなくても
いいんじゃないかな。のちの世界で自然淘汰されたものが「21世紀の美術」
として紹介されるわけだし。
81 :
名無し:2001/05/10(木) 13:15
今の美術の状況はルネサンス退廃期のマニエリスムそのものなのです。
ある意味、アートが出し尽くされた世界にいきているのです。そうか
といって、悲観的に芸術を語るのも間違いでしょう。「僕ならこう感じ
るがこのひとはこんな風に感じて作品をつくってるんだ。」というよう
に排他的にならない態度も必要になってくるでしょう。
>>81だいたい鑑賞するのに排他的な意見出すのが頭悪いよね・・
83 :
名無し:2001/05/10(木) 17:08
その通り!意見があいますね。
84 :
太郎:2001/05/10(木) 22:54
>>81 >>82 >>83 批評意識ってのがないね。
ある程度排他的にならなくては、いい作品が目立たなくなったり
するんではないの。
85 :
太郎:2001/05/10(木) 23:03
芸術ってのは勝敗が在ると思う。
なぜなら静香のような誰が見ても
ダメなものがあるし、、、、。
86 :
太郎:2001/05/10(木) 23:08
>>81 スメリーとか見て俺ならこうする、なーんて考えるわけ?
馬鹿馬鹿しいね。
>>86あなたみたいな盲目的な美術狂信者も必要なんですよね。
現代美術家を支えるのは一握りの熱狂的ファンですから。
88 :
ナナシノ:2001/05/11(金) 00:52
なんとなく「アイロニー」を辞書で引いてみた。参考までに。
[irony]
(1)皮肉。あてこすり。また、皮肉を含んだ表現。風刺。
(2)反語。
(3)〔哲〕
(ア)知者を自認する相手を問いつめ、無知の自覚を促す、
ソクラテス的問答法の一性格。
(イ)完全な意志疎通が必要でありながら不可能なところ
から生ずるロマン主義的イロニーをいう。
大辞林第二版より
私見ではたいていの場合、アイロニカルに語る人って口ぶりとは裏腹に
対象への憧れや希望、欲望をひしゃげた形で抱えているだけで、実は
誰よりも語る対象を必要としているように思います。(ちょうど”煽る人達”
が、煽れそうなレスを誰よりも必要としているように。) 自分はアイロニー
の人ではないし、ニヒリストでもないと思いますが、自分の「懐古的」芸術
観を維持するために、改めて「現代美術」を、より深く知りたいと感じること
はあります。
>>69 「日常のフラットな感情の機微動作に慣れ過ぎてる」
これ結構自省してみたんだけど、いまいち自分に向けられた言葉として
ピンとこない。
こないけど多分、むしろ自分はその機微動作にこそ、価値を置いている
のかもしれないと、やや悪い予感めいた考えを持ったりします。
89 :
catt:2001/05/11(金) 01:06
>>88もう少し踏み込むと現代美術作家の衝動とその鑑賞者たちの心理構造に届くかもです。
「機微動作」を考える前にその動機について検証することこそ重要なんでしょう。
だからナナシノさんの
>むしろ自分はその機微動作にこそ、価値を置いている
のかもしれないと、やや悪い予感めいた考えを持ったりします。
の部分は正しいかもですね。
人 々
ミ@Д@彡
90 :
ナナシノ:2001/05/11(金) 01:25
調べもせず、昔何かを呼んだ記憶だけで書くけど、60年代の
無意味・無価値作品の氾濫状態のなかで、「美術はこのまま
滅亡するのか?」ってなハナシが出て、それを受けるかたちで
たしか宮川淳が「芸術が無くなることの不可能性」とかいうのを
発表したんじゃなかったかな。
>>69 で、「芸術の意味/無意味」ですが・・・。
作品自体のあまりのインテンシティに、本来含有しているべき
「意味」が図らずも脱臼・漂白されちゃってるような事態ってあり
ますよね。(ある意味ナンセンスと称して良い)
人によっては「失敗作」とも呼ぶ、そんな作品の在りようは、自分
のような鑑賞者にとっては、言うまでもなく歓迎すべき事態です。
「筆の誤り」が好きなんすよ懐古趣味者という人種は(笑)。
91 :
太郎:2001/05/11(金) 01:49
>>88 煽りか。そいつは失礼しました。
二度と来ません。飽きてきたし。
さようならーーー
>>91 あらら。まいったな。誤解です。
特に固有のレスを指しているわけではありません
のでご承知くださいませ。
93 :
月読:2001/05/11(金) 02:38
>>88 >アイロニーの人
そうそう。その人達は対象を言う時に「興味ない」「わからない」じゃなくて
容易く「糞」「屑」という。聞いてると当り構わず。
その態度が解せなくてね。
一面の瑕瑾から全面否定に入るのはどうかということを
別スレで言いました。
どうやら彼等は物事を判断する時は取り敢えず否定から入る様です。
故に篩に掛けられて残った末の判断材料<彼等の肯定物ですね>
には自信がある様です。
ものごとは多面体であって然るべきなのでそうやすやすと
否定されては、、、、という一私見でございます。
グレーゾーンからのクリエイションというのが「妙」というもの
ではないですか??
確かに熱弁家は多いですね。冷ややかでいて実は熱い。
ああ、ごめんなさい。
>>69 >「日常のフラットな感情の機微動作に慣れ過ぎてる」
はナナシノさんに向かったものじゃないです。
ここの現代美術を遠巻きにしてるだれかに放った言葉。
超現実・非現実に対する眼も当然のように必要かもねって言ったんです。
(↑単純にこう言えばよかったのかな?)
「フラットな」ていう言葉にポイントです。ブレ幅の問題ですね。
日常の機微動作に眼を向けることはもちろんのことです。
時に、どれだけ自分がobsessionに囚われているかハッとさせられる。
過去作られたその「思い込み」を保持したほうが強い物を提示出来得るのか、
それともあらゆる「思い込み」を除去して再構築していったほうが
新鮮でいいのか迷ったりします。
94 :
いるす:2001/05/11(金) 02:53
このスレッドを読み
>>62のcatt氏の文章で理解できないところがいくつ
かありました。
質問してよろしいでしょうか?答えていただけると幸甚です。
まず、
>>62に出てくる「現代美術作家」、「戦後のコンセプチュアル
アート」というのは具体名を挙げるとどのような人・作品でしょうか?
「現象学的還元」を経たことが判ったのはなぜですか?
また、全ての「戦後のコンセプチュアルアート」が「現象学的還元」を
経たのですか?
そうでないのなら「現象学的還元」を経ていない作品とはどのようなも
のでしょうか?
「現象学的還元」を経た作品と「現象学的還元」を経ていない作品を比
較すると「現象学的還元」がどのようなものかわかりやすくなると思い
ますし、「現象学的還元」を言葉では理解できなかった人が美術によっ
てわかるようになるかもしれません。
>多分文献と写真だけで論戦張れるほどこのジャンルは生やさしくないって事の現れでしょうね・・
写真は「戦後のコンセプチュアルアート」には入らないのですか?
「現代美術を遠巻きに望遠鏡で眺めてる人たち」はこのスレッド全ての
人でしょうか? そうでないなら、そうでない人はどなたでしょう?ま
た、catt氏の立場はどのようなものなのでしょうか。
95 :
月読:2001/05/11(金) 02:59
>>90 >「インテンシティ」
「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですか?
一要素ですね。
芸術言語の機能不全=discomunicationとしてそう捉えますか。
なんか退いちゃったな〜ってやつでしょうか。
本人相当本気なのに。ダイナミズムだけは伝わりそうですが。
でもやっぱ逆ベクトルもあると思うんですね。
それこそ虚無主義、無気力からの「無意味性」
芸術作品と言えるかわからないけど
つげ義春周辺とかはわりと虚無の所産のような。シュールな。
どうだろう?あまり詳しくない。
熱すぎて哀愁漂った?どなたか詳しい人は。>>
また、エログロはどうでしょう?
>「筆の誤り」
誤ってもやはり弘法大師なんでしょうか。
そこは芸術権威のなんとやらでしょうか。
まあ、そこはいいや。
96 :
月読:2001/05/11(金) 04:23
>>93 現代美術に無関心な人たちに、も付け加え。
無関心・懐古主義傾倒に対するレス
>>60です。
目的語を明らかにするべきでした。
意味不明
>>94いるすさん 言葉が足りなかったですかねぇ?
>まず、
>>62に出てくる「現代美術作家」、「戦後のコンセプチュアル
アート」というのは具体名を挙げるとどのような人・作品でしょうか?
そこで言う「現代美術家」って、実制作でデュシャン以降の「概念芸術」の
具現化を探していた人たちです。誰それというか全部。ポストもの派あたりまで。
>「現象学的還元」を経たことが判ったのはなぜですか?
また、全ての「戦後のコンセプチュアルアート」が「現象学的還元」を
経たのですか?
そうでないのなら「現象学的還元」を経ていない作品とはどのようなも
のでしょうか?
「現象学的還元」を経た作品と「現象学的還元」を経ていない作品を比
較すると「現象学的還元」がどのようなものかわかりやすくなると思い
ますし、「現象学的還元」を言葉では理解できなかった人が美術によっ
てわかるようになるかもしれません。
つーかそれ抜きの現代美術に対する理解は全て解釈論の範疇から出られないです。
既成概念への徹底的な検証行為が現代美術をそれ以外の現在の美術と
切り分けるベクトルだと考えます。
>写真は「戦後のコンセプチュアルアート」には入らないのですか?
記録参考写真はアートじゃないです。たとえば安斎重男さんは立派な
記録者であり鑑賞者ですが作家じゃないと思います。本人もそう言ってたような・・
>「現代美術を遠巻きに望遠鏡で眺めてる人たち」はこのスレッド全ての
人でしょうか? そうでないなら、そうでない人はどなたでしょう?ま
た、catt氏の立場はどのようなものなのでしょうか。
遠巻きに望遠鏡で眺めている人たちに現場の匂いは伝わらないです。
飛び散る血しぶきが届くところにいてこそ事件は自分の体験になりうるのです。
そして私は常に望遠鏡よりもナイフを掴む者でありたいと考えています。
ちょっとポエム調ですがこんなとこかな・・?
99 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/11(金) 13:36
うん。よくわからないがよくわかった。
100 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/11(金) 16:09
>>98 うーん。よくわからない。
まず「現象学的還元」を言い出したのはあなたなのだから、あなたの方から
それについてもっと具体的に説明できないのかな。そうでなければ「現象学
的還元」を経ていない作品を挙げてくれ、という問いはちょっとおかしいの
では?
そもそも「現象学的還元」って美術の文脈では説明抜きで通じるほど解釈が
共有されているとも思えないし(例えばセザンヌの絵だってその文脈で語ら
れたりするわけだし)。
それから、あなたが評価する作家を具体的に一人でも挙げれば話がレトリカ
ルな方向に偏らずに済むと思うんだけど。
そうでなければ、うまく逃げたな風にしか私には読めないです。
cattは自作自演でありアンチアートであり無職厨房。
よって相手にする価値なし。プププ
cattはオナスレであり絵文字がきたない。
よっていじめられっこ!!
103 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/11(金) 21:11
>遠巻きに望遠鏡で眺めている人たちに現場の匂いは伝わらないです。
>飛び散る血しぶきが届くところにいてこそ事件は自分の体験になりうるのです。
>そして私は常に望遠鏡よりもナイフを掴む者でありたいと考えています。
同時代に作られた、今まさに(時に、”ここ”という場所も付け加えられることもありますが)、
作られていることが、作品の鑑賞において、其の作品に特権を与えるものであるのか否かというか、
とりあえず、美=趣味の次元としては、建前として、鑑賞に関しては、私の目の前に現れる作品はすべて等価であると思いたいのです、其の作られた場所、時代に関係なくです。
もちろん、美=趣味という囲い以外の次元においては、私は自分の生まれた場所、時代に対しては、責任を持つべきではあると思います。
当然、それらは互いに干渉するものであるとは思いますし、其れを見極めるためには、学習が必要になることも当然あるのでしょうが、、、
そのような、前提に立った上で、アレはこれだからソレのほうがよろしい、、、とかなんとか、って考えていくことが価値判断になると、
そうすることによって、初めて、其の価値判断の責任を個人が持つことができるようになるのではないかと思うのです。
それゆえ、故意?にその前提を曖昧にしようとする人や作品に対して、警戒感をもつものであります。
104 :
catt:2001/05/11(金) 23:42
>>101-102さん だからアンチってなんだよ・・
>>100さん キリ番おめでとう
還元が分かりやすい作家を挙げるとするとセザンヌ、高山登、関口敦仁
つー流れでどうですか?フランスの印象派以降をきっちり見れば現象学的還元って
ごく当たり前の流れになるって簡単につながるだろ・・普通
>>103さん
美術を単なる「反映」として理解するとそういう物理的な「共感」が
問題になるんだと思います。
実は制作年度や制作場所には関係ないんですよ<現場の臭い
catt氏は質問にまともに答えていないのに、あたかも既に答えたかのよう
に振る舞って話を進める傾向があると思います。
>>写真は「戦後のコンセプチュアルアート」には入らないのですか?
の問いに対し
>記録参考写真はアートじゃないです。
妙な答え方ですが、記録参考写真ではない写真は「現象学的還元」を経た
「戦後のコンセプチュアルアート」、もしくは「現象学的還元」を経ていないア
ートということですよね?
>>「現象学的還元」を経たことが判ったのはなぜですか?
という問いに対し、
>それ抜きの現代美術に対する理解は全て解釈論の範疇から出られないです。
との答えですが、
"それ"とは「現象学的還元」のことですよね。
すると以下のように読めるのですがどちらが正しいのでしょうか?
”現象学的還元抜きの現代美術”に対する理解
”現象学的還元抜きの(現代美術に対する)理解”
それと、そもそもこの質問では解釈論の範疇から出るは問題ではありません。
聞いているのは”「現象学的還元」を経たことがわかった過程や理由”です。
>ごく当たり前の流れになるって簡単につながるだろ・・普通
というのもよくわかりません。無理に既成事実化しようとしてないでしょうか。
あなたのいう「現象学的還元」とはどのようなものでしょうか?
>>「現代美術を遠巻きに望遠鏡で眺めてる人たち」はこのスレッド全ての人
>>でしょうか?そうでないなら、そうでない人はどなたでしょう?
という問いに対し、
>遠巻きに望遠鏡で眺めている人たちに現場の匂いは伝わらないです。飛び散
>る血しぶきが届くところにいてこそ事件は自分の体験になりうるのです。
との答えですが、これが質問の答えになってないのは誰が見ても明らかですよね。
106 :
catt:2001/05/12(土) 01:48
>>105いるすさん
>妙な答えですが、記録写真は〜
あたりまえです。
>すると以下のように読めるのですが〜
印象派以降をもっかい勉強し直した方が良いとおもいますよ。
>あなたのいう「現象学的還元」〜
あなたの解釈はあるんでしょうか?
>との答えですが、これが質問〜
頭悪杉です。そのレスで示されてる層に当てはまらないと考えた人は
遠巻きに望遠鏡で眺めてる人たちです。言葉を足すならスレッド全てじゃなくて
一部の人でしょうね。
107 :
ナナシノ:2001/05/12(土) 02:13
>>95 それこそ虚無主義、無気力からの「無意味性」
つげ作品は僕も語る資格がないレベルでしか体験してないのですが。
とりあえず、「赤い花」「ねじ式」「ゲンセンカン」くらいは呼ん
だかなー。私見ではややナルシスティックかなと思いますが
やはり半端な否定を許さない高い質があります。
…そう。高品質なんですよ。つげ作品。投げやりな登場人
物が描かれていても、描かれ方はしっかりしていて、むしろ
前スレでも触れた、それなりに社会性・時代性をしょった「戦
後日本文学」の延長として捉えられるべきかも・・などと思い
もしました。なんか・・「敗戦、復興、高度成長時代の只中で
生の根拠を消失した現代人の見る退廃と幻想と…」云々で、
いくらでも感想文書けそうだし。
あ。「語る資格がない 」人間が語りすぎています。
お詫びします。
エログロ・ヤケクソ・シュール。で個人的に最高なのは
やはり丸尾末広ですね。
あと、たまたま本棚から引っ張り出してきたんですが
”パナマレンコ”これは僕好きですけど。絶対飛ばない人
力飛行機を作る作家ですが、完成品の繊細な美しさもさる
ことながら、特筆すべきは、美しいながらも馬鹿馬鹿しい
デッサン(設計図!) かなり感動的です。
108 :
月読:2001/05/12(土) 03:25
>>107 そうそう。凄く「虚無」というか戦後→高度成長期の
頽廃、ダークサイドですかね。これもクリシェでしょうけど。
僕も熱狂的ファンではないので何作か見ただけなんだけど、
サイケデリック/シュール調などを漫画で表現していたり
実験精神がすごく伝わるんですよ。
(余談:ちょっと前の映画の「アシッドハウス」は僕なりにも最悪でした。)
どこかうら寂し気な空気感のその先まで伝える
(具体的に言うとバックグラウンドやコンテクストの類いとか)というか、、
なんかいい作品ってなにか関連の視覚的なイメージまでに波及させてくれる、作品は感覚器官を通じて突き抜けて自分のイマジネーションに
飛び込んできて、想像世界まで誘導してくれると思うんですね。
「あ〜そのころの日本ってそんなことだったのね」みたいな。
視覚イメージ的に。
逆は過去の「自分の」失敗や悪い想い出へと誘う系。
個人的な要素が大きいけど、ゴダールとか個人的にこちら系
なんです。映画の途中でなんか日常に引き戻される。
(「アルファ・ヴィル」とかは見れたけど)
それはそれで「是」と言われれば、まあそれまでなのですが。
悪い体験も悪くない。椎名林檎とかも自分的にそう。
前夜道の山奥の国道で寄生虫妄想にまで僕を誘った。
ある意味凄いけど。
まあその「個人的要素」ってのは原体験的なものに因るところのものなんでしょうけどね。「個」という「フィルタ」ですね。
ゴダールや椎名林檎だって人によっては僕と同じように賛美傾向
を示すと思うし。
表現の動機づけとしてもそこはやっぱり重要と思う。
109 :
月読:2001/05/12(土) 03:28
>>106 著書は読んだことないんだけど中井久夫さんという精神科医が提唱したもの
で「徴候的/索引的」という現象全般(広く)の読み方があったんですよ。
(後に東浩樹氏が引用していました。<<対談で知った)
膨大な積み重ねから生じ、文脈読みが必要な「索引的な」解釈法と
過去の蓄積を一切必要としないある種突発的・突然変異的な「徴候的な」解釈法
で、美術作品においてもこのような2項対立が大まかにあるように思えるし、
そういう分別方法で会話を進める上で意味があると自分的には思っているのですが、
その二つに関して、あなたのいう「現象学的還元」
という概念を当てはめた時、それを経た作品は
そのどちらにあてはまりますか?
それとも両方ですか?わからないのですいません。
シニフィエの食い違いで会話が続かないのは悲しいので
翻訳、といったところです。
110 :
月読:2001/05/12(土) 03:30
×東浩樹
○東浩紀
サブイ
112 :
月読:2001/05/12(土) 04:19
丸尾末広ですね。
”パナマレンコ”ってなんだろう、、、あまり詳しくない、、。
>>107 >絶対飛ばない人力飛行機を作る作家
そう来ましたか。そういう意味だと「虚無的」とは
言い難いという捉え方でしょうか。そうでもないですか?
楽しんでやってそうな感じですもんね。
>設計図
頭の中にある幻想の具現化として
やはり完全にフェチ的な緻密さですね、本当に。
、唯一「少女椿」を見たことがあります。
実は本物の「見せ物小屋」を実際に見たことがあって、
(地元の祭りに巡回しに来てるんですけど、最近は
西洋ヒューマニズムの蔓延のせいか来ないんです、、、)
あそこまで虚構というか凄くもなかったですけど、
人間ポンプ男とか、まあ大人しめだったです。
アングラフェティッシュ空間だったです。かなりダーク。
「グロ」くてもどこかある種「耽美的」なので結構普通に見れます。(絵が綺麗めに描かれているから??)絵巣枝夢。
でなくてエログロナンセンスというと
もっとextremeなのもあるじゃないですか、もう血から精子から
性器誇張やら内臓やらもう、大変なやつ。あれはさすがに若干退く。こっちのが丸尾よりも「虚無的=やけくそ」ですね。
ん〜〜〜この手のは行き過ぎないと好きな感じだ。
どこまでも個人的神話ものなんでしょうかね。
政治的な内容とかありました??サヨ・ウヨみたいな。
関係ないけど、三島由紀夫って最期のほうで
私的な軍隊もってたんだね。「楯の会」だっけ。
「ますらお」だね。
戦争もそうだけど、戦後もまた攻撃的、、、、、
その攻撃的戦争遺伝子が受け継がれて
学園紛争・全共闘と逝った経緯が有るらしいですね。
、、ってまた余談でした。
ムキになって語ってないか?
114 :
catt:2001/05/12(土) 09:51
>>109月読さん
自分で読んでない著作を引用されてもなぁ・・ダイジェストな知識って
無い方がましですよ<美術を論じる時は。
中井久夫さんの著作「分裂病と人類」は読まれましたか?
>膨大な積み重ねから生じ、文脈読みが必要な「索引的な」解釈法と
過去の蓄積を一切必要としないある種突発的・突然変異的な「徴候的な」解釈法
これが「二つの方法」だと解釈した論拠をお願いしたいです。
115 :
catt:2001/05/12(土) 10:10
つーかさ
>還元が分かりやすい作家を挙げるとするとセザンヌ、高山登、関口敦仁
誰かここ突っ込んでよ・・
■
■■■
■■■■■
2ちゃんの恥さらし&アンチアート(アートについて知識0)
catt omae ni ziyuuu ha nai. pupupu
反cattはここにかきこください。適当にいたぶれます。
ーっーか反cattおおいんだけど(笑)
変なマーク。センス悪い。
119 :
catt:2001/05/12(土) 19:42
>>116-118
議論しろよ・・
人 々
ミ@Д@彡
catt氏は質問にまともに答えていないのに、あたかも既に答えたかのよう
に振る舞って話を進める傾向があると思います。 というのは先ほど書いた
ことですが、catt氏はまた同じ事を繰り返してしまっています。
さらに、いかにも質問に答えたかのように振舞って話を進めるだけでなく、
きちんとした説明もなしに不変の事実であるかのように扱う傾向があること
にも注意したほうがよいと思う。
>>すると以下のように読めるのですがどちらが正しいのでしょうか?
>印象派以降をもっかい勉強し直した方が良いとおもいますよ。
正直言ってcatt氏の説明は意味不明です。
catt氏の一意にとれない文章を一意に定めるよう要望したのであって、この答
えは不適切です。
>勉強し直した方が良い
という言い方は全ての人がわかる絶対不変な真理として「現象学的還元」なる
ものが存在するというように聞こえてしまいますよね。
そんな大発見をしたなら論文でも書いたほうががいいんじゃないですか?
それとも美術書などに「〜の〜という作品は現象学的還元を経た。」等の記述
があり、それを認知しろといっているのでしょうか?
それならわかりますが、実際にその作品が「現象学的還元」などというものを
経たかどうかは別問題なのはもちろんおわかりですよね?
>>あなたのいう「現象学的還元」とはなんでしょうか?
>あなたの解釈はあるんでしょうか?
今までの質問でcatt氏の使う「現象学的還元」の意味・用法などが理解できな
かったため質問していたのですが、その質問のなかで私が使用した「現象学的
還元」は常識的に考えてわかるように全てcatt氏の使う意味や用法に依存して
います。私自身は「現象学的還元」等の言葉には距離をおいているし、さした
る興味を持たないですが、独我論と酷似してしまう傾向や不当な使用による有
害性、差別性などには当然ですが注意しています。
それと、この質問はcatt氏に「現象学的還元」とは何か?と聞いたのであって
catt氏がまだこの質問に答えていないことにもお忘れなく。
あと、もう三度めになりますが(まだ誰もまともな答えを聞いていない。)重要
な質問なので聞いておくと、catt氏が全ての「戦後のコンセプチュアルアート」
が「現象学的還元」を経たことがわかった過程や理由はなんでしょう?
>そのレスで示されてる層に当てはまらないと考えた人は
>遠巻きに望遠鏡で眺めてる人たちです。
「遠巻きに望遠鏡で眺めてる人」は誰なのか、という趣旨の質問に対し上記の答
えは意味不明。「示されている層」??
>言葉を足すならスレッド全てじゃなくて一部の人でしょうね。
初めからこう答えればよいのに。
しかし「一部の人」などというこのスレッドの任意の人にあてはまってしまうよう
な言い方は「一部の人」以外に対して失礼なので「一部の人」の名前を挙げるとよ
いと思う。
>還元が分かりやすい作家を挙げるとするとセザンヌ、高山登、関口敦仁
あなたが「還元が分かりやすい作家を挙げるとするとセザンヌ、高山登、関口敦仁」
と考えていることは分りましたが、それらの作品を見ても「現象学的還元」が何なの
かかわかるひとはいないと思います。私も上記の作品を見てなかなかよいと思いました
が、それらの作品が「現象学的還元」を経たということは全く理解できません。
安易に、「現象学的還元」を経た、などと述べることによりに嫌な雰囲気が漂ってしま
う可能性は考えていないのだろうか。
catt氏の話を見ていて分った方もいるかもしれませんが、他人に理解されること目
的としたまともな説明もせず「〜の本を読め」「〜に書いてある」「〜によると」
「〜を勉強しろ」などと言う人は相手にされなくてもしょうがないですよね。更に、
まともにコンセンサスを得ていない{コンセンサスを得たからといってそれが正し
いわけではなく(あたりまえのことですよ!)、同意している人たちも常に疑わな
くてはならないし、批判に対し十分な説明をしなければならない。}事柄を何の説
明もなしに既成の事実として扱おうとするcatt氏の態度はかなり悪質ですよね。
124 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/13(日) 00:10
現象学的還元。実はネタ。
125 :
catt:2001/05/13(日) 00:50
>>124それを言っちゃぁ・・
人 々
ミ@Д@彡
126 :
ナナシノ:2001/05/13(日) 01:46
>>108 作品から受けたメッセージが単体で情報として腑に落ちる
に留まらず、多様な拡がりを持って、自分の忘れていた記憶
に直接アクセスしてくるような、呆然とさせられる瞬間って
ありますね。第一要因はやはり「個」という「フィルタ」で
すね。たしかに。あとは細部の処理かな。「神は細部に宿る」
は今だからこそ、馬鹿にできない言葉だと思うんです。
パナマレンコについては、ご指摘通り、「フェティッシュ」で解釈
OKかもしれない。ここでの話題にはもはやそぐわないです。ただし
魅力の一端はやはり「細部」です。臭いこと言いますが、あれは観
てると「飛べる」んだよなー。(照笑)
>>112 丸尾がどうというより、もはや「見世物小屋」が僕たちにとって全く
有効なイメージを供給してくれないってことでしょうね。今でも「ペ
ヨトル工房」へのノスタルジーを持つ人は少なくないでしょうが、(僕
もその一人かもしれないが)、やっぱり、もう終わったと思う。個人的
神話ですらない、完全に消費された代物ですね。
私見ですが丸尾末広が今でも新しいのは、すべてクリシェで作ると
ころ。「そんなの何が新しいの?」ってな感じですが、あれほど徹底
していて、しかも器用で繊細な細部を持っていると、やはり賛美する
他ないです。ナチス入隊青年の話とか、戦後「戦勝国」日本からア
メリカの飛行場に降り立つ東條英機の絵とか、良かったなー。
肝心なのは時代・歴史もまたクリシェだということですね。
その意味で、三島由紀夫こそ、今まで長々と記述してきた、ほぼすべ
ての要素を網羅していて、それでいて純粋無意味の一歩手前まで到
達した表現者だと思います。
さて、明日はリヒター観てきます。
127 :
月読:2001/05/13(日) 02:05
>>114 >ダイジェストな知識って無い方がましですよ<美術を論じる時は。
ダイジェストな知識ならずしてどのように自分の言葉とすればよいのでしょうか。
著書を読破したとしましょう。
そのあとに残るのは「共感→実感」を得られた部分の
言葉や論述内容のダイジェストじゃないんでしょうか?
そもそも引用・参照するのには提唱者の著書や全意図を汲まなければならない
のでしょうか?それを強制する行為は創造行為を閉塞させるもので
あると言って良いでしょう。>>>(注)
また、ダイジェストな理解のほかに何があり得ますか?
全文暗記でしょうか。
「レインマン」の暗記能力亢進の自閉症患者など様の能力を持って
いなければ無理ですよね。
というかいるすさんも御指摘の通り「現象学的還元」が
あなたの「自分の言葉」で語られていません。
それなくしては話が進まない、ということですよ?
大事なのは「実感を伴った理解」ではないですか?
その「実感」の部分であるといえる言語記号のシニフィエ(意味内容)の理解
が重要であるのは当然のことだと思います。
説明できないのならばあなたは「現象学的還元」の言語記号(シニフィアン)と
周辺をただ「知っている」だけ、とみなされますが。どうでしょうか。
「実感を伴った理解」あってこそ「自分の言葉」として語ることが
できるようになる、ということはお分かりでしょうか?
(↑すごく当たり前のことだよね、、、)
手前勝手で恣意的なシニフィエで語ろうとするならそれこそ分裂病ですよ。
真性の分裂病なのでしょうか?まあ程度にもよるでしょうが。
(差別的な意識はありません。むしろ興味あるし、自分の中にも多少
そのようなきらいはありますので)
どうなのですか?>cattさん
128 :
月読:2001/05/13(日) 02:06
>膨大な積み重ねから生じ、文脈読みが必要な「索引的な」解釈法と
>過去の蓄積を一切必要としないある種突発的・突然変異的な「徴候的な」解釈法
> これが「二つの方法」だと解釈した論拠をお願いしたいです。
そちらに質問してる以上フェアになるようにお答えしましょう。
これはあくまでも学問的な区分け(二元論)なので
言ってしまえば端っこの軸同士がこの2つで、、
実際はその極のグレーゾーンからあまたの創作物、創作メディア
ができているわけですね。
*材料は美術作品に限らず創作全般としましょうか。
最近の文化論などで盛んに言われてるのが、
「漫画・アニメ」は文脈読みで楽しむメディアである、(=ハイコンテクスト性)
ということです。これなどが「索引的な」読み方をするものなのだそうです。
「漫画・アニメ」を読むには様々なお約束(文脈)があります。
例えば擬声語・擬音語などのオノマトペの類い
(服を脱ぐ時の『ぬぎっ』とかがかなり高度との指摘がありますね。)
や溜め息の表現、やり切れなさの表現のぐちゃぐちゃの糸の絡まったような図像の類い、
また他の様々な「お約束」を理解した上でないと作品が成り立たないということですね。
こちらの創作を理解しようとするならば様々な索引がなければならないということですね。
(この2chにも(藁やマターリ、ドキュソ厨房などの「文脈」が存在しますね。)
また、多くのイデオロギー、パラダイム表現としての現代美術はこちらの分類に
入るということです。それこそ別スレの「ウォーホル」ですね。
概念芸術、反芸術、芸術原理主義系、
カリカチュア系や最近のシミュレーショニズム(リミックス、サンプリング)
もこちらですね。理知的・意図的な表現です。
129 :
月読:2001/05/13(日) 02:07
一方「徴候的な」なものはというと、
上でも述べたいわゆる「不条理」「ナンセンス」「シュール」
などの文脈を極力必要としないものなどが挙げられます。
なにか根源的な理解、普遍的なシニフィエとでも言いましょうか、
分裂病的な表現などがこれに当るそうです。
現在本などで挙げられてる例としては「リンチ(映画監督)作品」
「吉田戦車(不条理漫画)」などです。
自分的にはキリコ、ダリ、ムンクだと思います。
(厳密に言うとシュールも「心理分析」という大きな文脈が存在するのですが)
そうそう、当然アウトサイダーアートはこちらの分類です。
言語機能が崩壊しても一向に構わないわけです。
そういう意味でも「表現」というのは偉大です。
言葉なしに物事をそして個人的神話を伝えることができる。
説明と用語を用いて「自分の言葉で」語りました。
間違っていたらどなたか訂正ください
130 :
月読:2001/05/13(日) 02:07
さてさてこれらを自分的に採用した経緯については、
もちろん創作サイドとしていかに表現をすべきかということを
模索中だからということですね。
概念の言語化に昨今努めておるわけです。
あと言葉遊びが好きなので悪戯にボキャブラリーを
増やそうとの試みもあります。
よって「批評家」の立場ではありません。
>>>(注)批評家は言語機能の保持者です。批評家であるならば
間違った言葉の使い方は許されません。
ですが創作の立場であれば一向に構わないということです。
共有されるべきルールなんてありません。あっては困ります。
それでもこの「言語掲示板」に書く媒体は「言葉」であるので、
甘んじて従っているということです。
なもので学術知識に関しては厨房を自認していますし、
もともと感性重視派で、「徴候的な」ものをいままで追ってきたし。
否定的なレスが少ないのもそういうことです。
あなたの立場はなんですか?といるすさんも質問してるのに。
現代美術の近くで「創作」してるのか「批評」してるのか
はたまたただの取り巻きか、ただのネタ厨房かどれなのですか?
131 :
catt:2001/05/13(日) 10:02
>>127-130月読さん そうですね。
人 々
ミ@Д@彡
132 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/13(日) 11:44
>>127-130
>自分のことば
おがわたまきのぶんみゃくびょう
ツマラン言い合いだ。
みなさん、cattを相手にしてはいけません。
cattは自分だけが正しいとおもいこんでますから。
■ ■
■■■ ■■■
■■■■■ ■■■■■
■ ■ ■ ■
catt=バカ管理者
>135管理者てなんだよ・・
人 々
ミーДー彡
137 :
月読:2001/05/14(月) 00:21
>>126 >呆然とさせられる瞬間
なんなんでしょうね、あれは。
その感動(っていうのともなんとなく違うなあ)、忘我?
ある種の恍惚にも似た。なんかいい言葉ないかなー。
その瞬間って顔あげて脳に焼きつける感じします。
公共の場とかだと回り見渡しちゃうんだけど、なんでだろ(癖)?
そういう意味で時間性を強制される映画とかは厄介ですね。
その忘我の時間にも、物語や詩は続いていってますからね。
>「神は細部に宿る」
いいこと言いますね。フェチ関連ですね。
職人の技って緻密化の定着だと思うのだけど、
その研ぎすまされた細部の全体的な集約が「妙」なのですね。
>「飛べる」
え?そうですか?「これ、ヤバ!」ってやつですね。
これこそほんとの「トランス」?
ネタと違ってインスタントじゃない。
>完全に消費された代物
漫画やポップなものは消費、消費で、良く言われる処の「すぐ忘れられる」
ってやつだものね。
権威だハイカルチャーだっつっても(ボーダレスの時期ももう過ぎた?)
芸術だって商業ベースに乗った時点で消費されちゃうもんなのにね。
まあ、神話性・思考、思想の強度やその時代時代の「代表」みたいな
もんだから残って→次世代まで受け継がれる。
そういう意味じゃ本当に優れたものだったら漫画でもポップでも
変わらないと思うんだけどね。
ポップのためのポップとかはもう当然消費を前提としてる
けど、やっぱポップの壇上で引き継がれていくってのもまた面白い。
> すべてクリシェで作る
あー、、、そういう捉え方もあるんですね。
場面の一個一個がいちいち絵画やイラストタッチの漫画と感じるのは
そういう訳かな。莫迦っぽくもあり同時に知性的な感じはします。
目玉を舐めるシーンとか生生しいとこがあっても
幾分綺麗めにみえるのはそういうことか。
<そういう系では鳥肌はどうよ?5月末にライブ(演説?)有るって。
>時代・歴史もまたクリシェ
言い切っちゃう?
>純粋無意味の一歩手前
あー人々は「電波」と言いますね。
それこそ分裂病かな?でも軍隊をも巻き込めるのはそれなりに正気だった
のでしょうかね。熱狂的なファンの集まり?
原理主義→熱狂的な支持者。。
>明日はリヒター観てきます。
見てきましたか?
138 :
月読:2001/05/14(月) 00:24
ああ、他の板でも敬体と常体が混ざって文章おかしい
って言われるんだよな、、、
139 :
ナナシノ:2001/05/14(月) 02:45
>>137 >え?そうですか?「これ、ヤバ!」ってやつですね。
これこそほんとの「トランス」? ネタと違ってインスタントじゃない。
インスタントじゃないですね。絶対。少なくとも僕には。
でも、あくまでも「ナナシノ」という「フィルタ」通過後の「化学変化」ね。
万人に当てはまるとは思わない。
>そういう意味じゃ本当に優れたものだったら漫画でもポップでも
変わらないと思うんだけどね。
そうそう。消費は不可避的ですよね。「サンプリング・カットアップ・リミックス」
はそもそも、資本主義システムに自覚的な者のみが使うことを許されるキー
ワードのはず。ってのが僕の考え。その意味では、今、日本で美術制作するこ
とは、例外なくオールジャンルを見据えたものじゃなきゃいけないですね。
で、だから僕たちもうそろそろ、「資本主義」システム下で生きてるってこといい
かげん把握しなきゃいけないですよね。個人的神話で作品つくる人も、(僕のこ
とだけど)自分が流通し、貨幣価値と比較される事態を頭に入れないと。自分が
シミュレーショニストか否か、とか、作品が売れる売れないとかとは別のレベル
でね。
>目玉を舐めるシーンとか生生しいとこがあっても幾分綺麗めにみえるのはそういうことか。
そうです。もう露骨にネタばればれで。谷崎潤一郎から寺山。あとドイツジャーマン
プログレからノイバウテンに至る音の瓦礫。
<そういう系では鳥肌はどうよ?5月末にライブ(演説?)有るって。
僕、全くこの人の詳細知らなかったんだ。今検索でちょっと見てみた。
この人少なくとも三島よりは美男子ってのが嬉しいけど・・。てゆーか、月読さん。
そもそもこういう趣味の人じゃないでしょ?(勝手な思い込みかな?)僕の出してきた
サンプルに合わせて、ネタ振りしてくれてるんだろうね。優しい人だ。
>リヒター
見てきましたか?
寝過ごした。情けない。だって遠いんだもん。来週逝ってきまーす。
最近はこれだ!っての。なんかありました?
いつの時代にも美術は社会を反映する鏡でした。社会の変化は、絶えず
新しい美術のスタイルを生みだし、たくさんの芸術作品を創造したのです。
しかし、19世紀の人々が急激な社会の変化に不安やおそれをいだいた
ように、現代に生きるわたしたちも20世紀の急速に進歩した科学技術の
将来に楽観的でいることはできません。工業社会の発展の裏には、大気汚染、
海洋汚染、ゴミ問題、地球温暖化現象など自然破壊が進んでいる現実がある
のです。
都市の繁栄の裏側には貧しい人々のすさんだ生活があり、人種差別やエイズ
問題などが人と人との関係に深刻な影をなげかけています。
また経済効率を優先する企業は、マス・メディアの巨大なネットワークを
つかって、一日中商品のイメージを流し続けています。現在の資本主義社会では
美術もひとつの商品でしかないのです。
美術だけが現実と無縁でいるわけにはいきません。アトリエで無心に絵を
描くことができた時代がはるかに昔に思えるほど現代は美術にとって困難な面
ももっています。しかし、作品をつくることを通じて、現実に対して批判的な
目をなげかける美術家たちは社会にとって常に必要とされる存在といわなければ
なりません。
紛らわしいがそのHNならだいじょぶですね
>>140さん
142 :
catt:2001/05/14(月) 13:58
↑無職
143 :
catt:2001/05/15(火) 16:05
あげ
144 :
catt:2001/05/15(火) 18:14
唐揚げ
145 :
ナナシノ:2001/05/16(水) 01:04
椹木野衣が書いた「偽札天国」という面白い文章があるので、それを元に
ヨタ話をします。
資本主義社会とは、あらゆるものが貨幣価値に置換される社会で、当然なが
らその中で美術作品もまた独自の価値体系による交換運動の渦中にあります。
ここで、偽札を作っている人物を想定します。彼は、五千円のコストで一万
円の偽札を作り、両替機に投入することで1枚あたり五千円の利益を得ます。
資本主義システムが余剰価値を含んだ「商品」をもって、五千円(原価)のモノ
を一万円で消費者と交換する事態と、偽札製造者の上記の振舞いは、構造上
何の違いも無く、むしろ余剰価値+札で本物の札を買うという、極めて純粋で
直接的な資本主義的営みにほかならない。ということです。
その後、そのような資本主義システムの「犯罪性」を暴いた芸術としてのシミュ
レーショニズム概念が紹介されるのですが、とりあえず省きます。ちなみに「資本
主義の滝壷」の222頁からを乱暴にまとめました。
で、ここからは、僕の妄想ですが。
もし、その偽札製造くんが偽一万円札を作るのに、あえて一万5百円のコストを
かけていたとしたら…。彼は採算分岐点を越えるコストと引き換えにその偽一万
円札の精巧さを強化しているとしたら。
「利益」を得るべく、頑張って「労働」したんだけど、あらゆる意味で「回収」できな
かった。ってことなら、おそらく現実の偽札製造において比較的ありがちな事態
であろうと思われますが、上記のケースはそれとは違って、いわば単なる倒錯で
す。が、そこで追求される「精巧」の無意味さには、なぜか奇妙な魅力があります。
ある意味椹木野衣の存在自体が与太だから・・
147 :
catt:2001/05/17(木) 00:03
マニエリスムの美術
16世紀のイタリアは社会的にも宗教的にも不安定でした。ローマ
カトリックは宗教改革で揺れ動き、各地で戦争が相次ぎます。この時
代の人々は自然の美しさや人間の尊厳をたたえたかつての調和にあふ
れた美術では満足できず、むしろ不安感がただよう緊張したふんいき
の作品がつくられるようになりました。
マニエリスムという名称はイタリア語のマニエラ、すなわち様式や
手法を意味する言葉からきています。人体の自然な比率を無視した極
端な長身化や遠近法の誇張、つめたく鮮やかな色調といった特色が主
にあげられます。ポントルモの作品からは孤独な不安感が、パルミジ
ャニーノからは極度に洗練された美の世界が感じられます。ティント
レットの神秘的な雰囲気のただよう独創的な作品のなかにも、べネチ
ア派の伝統にくわえて、そうしたマニエリスムの特徴が明らかにみら
れます。
16世紀後半にはさらに明暗対比が強調され、とくに天井画にみら
れる大胆な上昇表現は、すでにバロックを予告しています。
148 :
はぐれメタル:2001/05/17(木) 00:35
>145
そうそう!1万円札を10万円のコストでつくっている
ような人生もある!(そんな人生があったっていいじゃないか!!カッコ俺!!!)
話の腰おってたらごめんね・・・・・
149 :
月読:2001/05/17(木) 00:52
>>139 >もう露骨にネタばればれで。谷崎潤一郎から寺山。
>あとドイツジャーマンプログレからノイバウテンに至る音の瓦礫。
いやいや、そこまででしたか、恐れ入りました。
寺山(エログロ・オドロオドロシ系の総本山ですね、恐山のような。。)
とか文学の影響は当然バレバレだとしてもドイツ風までも。
なるほど、知らなかった、、、語る資格ないのは僕のほう。
、でも丸尾って最近も執筆中?なんか新しげなのみたなー。
ホラー系は→伊藤潤二とかいいよね。富江!
ていうかこんな話題あったから中野ブロードウェイ(ヲタビル!)
逝ってきた。凄いね、流石中野だね。アングラ街。
ヲタク世界ってあんだけ世界観が確立されてたら
もうアリャ一種の快楽宗教だね。
>「資本主義」システム下で生きてる
どうなんだろう、今までは(バブルまで?)
(なにかこう世代的なものなんだろうけどね、こういう感覚は。)
「資本主義の恩恵浴びるだけ浴びたまっしぐら感」みたいなものを感じる、90年代前までは。
そのあとのバブルからのポストモダンと総てにおける疑念噴出による当惑・困惑が90年代、→ミレニアムと。
地球にも少々ガタが来てそこで日本って何よ、再確認−ってのが
椹木氏主催の「日本ゼロ年展」(観た?)だったんだろね。
150 :
月読:2001/05/17(木) 00:53
>>145こういうディテールに興趣を感じるのがいいんよね。
いっちゃえばそうなんだよねー。うんうん。
「ぼったくり」が出ないように必死。公正取引委員会。
頭脳明晰・先見性さが武器。そんな話しを書いてたんだ、、
誰かが「スタンス=どーでもよい」って言ってたもんね。
与太説ソースきぼん(2ch!)
>無意味さ
結局意味=重要性=需要性ってことで、社会・経済主体の
考え方をしがちだからね。多様性に権利を一つ一つ与えるって
ことはアニミズムへの回帰でしょうか?
(退行ととられるとミモフタモないが)
それとも「人類統べての神」の希求?
娯楽映画じゃないけど宇宙人襲来でもないと無理かい?
>そもそもこういう趣味の人じゃないでしょ?
そんなことないよー。
日本ダークサイド史もなんか抜き差しならぬ緊張感や
独特の闇があって嫌いではないよ。
なんだろう、この名前もそうだけど、「神隠し的闇」みたいな
畏敬系の。そんな風景も少なからず。
モチロヌ欧州風も好きだけど。
151 :
はぐれメタル:2001/05/17(木) 01:06
うわー、なんだか現代美術のスレッドで、つげ義春とか丸尾末広
の名前がでてるー!(結構得意分野)
みなさま、エビスさんのこともお忘れなく!
(スレ違いどころか板違いってか?)
153 :
catt:2001/05/17(木) 12:46
みなさんのなかには現代美術というと、何か難解でわけのわからない
ものとして敬遠してしまうひとがいるかもしれませんね。そんな作品
より評価の定まった過去の名作を見ている方が安心できると。たしか
に歴史の試練を経た古典は永遠の価値を持っています。今日の美術の
あるものは時間とともに消えていってしまうかもしれません。しかし
私たちが生きている同じ時間を共有している芸術家の仕事に興味をも
てないというのは悲しいことです。まず偏見をとりはらって作品をみ
てください。幸いなことに最近では、私たちの身近に現代美術を収集
している美術館ができています。そのギャラリーでみなさんは自分の
目で思いもかけぬすばらしい作品を発見できるかもしれません。
154 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/17(木) 13:20
>>153 てゆうか、他スレとか読んでみても、現代美術とかいってるやつほど
排他的な人間が多いと思うけど。
それにあんたさ、このスレでも、まともな会話してないじゃん。
偉そうなこと言う前に、自分の面倒をちゃんとみましょうね。
155 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/17(木) 14:44
あああ
2ch特有の煽りやコピペの方がまだおもしろいのう・・・
別に気に入らない書き方や半端な知識をけなしあおうが
反目しあおうが、お互いを嫌いだといいあおうが、内容は
なんでもOK。
良くないのは、カテゴリではなくその文が面白くない場合。
自作自演だろうがモナだろうが嘘だろうが正確な知識
だろうがその文を読む事がエンタテイメントになれば
カタルシスにつながればOK。
goatsongさんのスタイルと切り口と文体と改行の総合的な
面白さとは次元が違いすぎ
そういう意味での工夫と勉強はせよ。すれ。せろ。
156 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/17(木) 15:58
おまえもな。
157 :
catt:2001/05/17(木) 22:23
>>153さん
自分のHN騙るんならもっと気の利いたこと書いてくださいです
物理的な「生きている時間の共有」なんつーのは幻想です
画集で見ただけの作品に自分の全生活時間の総括を感じ取れる
瞬間もありますです 第一自分は美術館否定派ですから・・W
人 々
ミ@Д@彡
う〜ん・・・、現代美術っていうタイトルだったので
寄らせてもらいましたが・・・
>>1さんは”これからの美術(=芸術と解釈していいですか?)
はどうなるのかい?b”と書いてますが、今のところここで語られ
ることはこれまでの芸術に対する解釈に終始して、いっこうにこれ
からについて語られる様子がないようです。
僕はみなさんのこれからの現代美術(=コンテンポラリーアート、
でいいですか?)の定義、または概念について、伺いたいと思って
います。自己表現とするならば、自己表現のこれからの現代美術における
性質なり、重要なのであれば重要である理由を聞きたいです。新しい表現
の模索、ならばなぜそれが現代美術になりえるのか?っていう、根本的な
な部分で皆さんがどう考えているのか聞かせて下さい。表現がどうとかいう
のはその後でなされるべき議論であるように思います。
159 :
ナナシノ:2001/05/18(金) 01:48
>ホラー系は→伊藤潤二とかいいよね。富江!
「うずまき」を少々読んだ程度ですが、伊藤潤二の描く女性
のフォルムって好きですね。螺旋階段で座り込むポーズとか、
「きゃっ」とか言ってるときの口の丸さとか(笑)。
中野ブロードウェイ行ったこと無いです。中野には用事でしばしば
行くんだよね。今度ノゾいて見ますわ。
「快楽宗教」的磁場の魅力。やっぱり抗いがたいですね。もう、僕は
いっそのこと、全て知らない振りしてさ。常に新入りの気持ちで、新入り
が持ってる緊張感を絶対失わないような態度でいたいと。そうすることで
「快楽宗教」的磁場から遥か彼方へ遠ざかりたいと思ったことがあるなー。
今は、もうどうでもいいって考えているんですけど。そう考えたら、快楽も
何がなにやら無意味になって、退屈が楽しくなってきたりしました。
「日本ゼロ年展」やってた頃って、最も美術から離れてた頃だ。確か水戸
でやってたんでしたっけ?観てないんですよ。今となっては出品作家の顔
ぶれだけでキュレーション成功!ってな感じでしょうか。
思えば椹木氏は「シミュレーショニズム」発刊当時、僕たちの周りではそれな
りに話題になりました。僕も当時かなり感化されたと思う。「ヘルタースケル
ター」「資本主義の滝壷」あたりまでは、熱狂的に読んだ記憶があるです。
その後もフォローはしてます。(最近、岡崎京子論出たしね。) 緩やかに移り
変わり、なおかつ、なんとか形式化しようという努力も感じます。いずれにせよ
いまだに僕的には重要な書き手の一人です。2chでは叩かれること多いです
けどね。
>多様性に権利を一つ一つ与えるってことはアニミズムへの回帰でしょうか?
難しいですね。意味=重要性=需要性に限らずとも、所謂「文脈」的観点から
「お前など、この方面から見れば簡単に形式化できるよ。」と言われたとしたら、
何て答えよう?「そんなこと自分にとっては既知の問題さ。」が良いのか、「いや
、自分はそんなズサンで大雑把な形式に当てはまらないです。」が良いのか。
>それとも「人類統べての神」の希求?
>娯楽映画じゃないけど宇宙人襲来でもないと無理かい?
それ待ちましょうか?(笑) いや待ちくたびれ気味のひと多そう。<2ch
160 :
月読:2001/05/18(金) 03:06
>>158 原理主義がまた来た。
こういうのって答えにくいよね。。。
ていうか何回もそれをこの板で言ってるんだけど
単なる電波小僧としかとられてないのかな。
ユング的「個人的な神話」の表現にだって何らかの普遍性の痕跡
欠片はあるだろうし(普遍的無意識?)、
表層表現的な(左脳的?)ものだって
もちろん意図的な普遍性の表出を目指してるだろうし、
それはほんと読み手の裁量にかかっているだけで、
わからない、わからない言うから大衆性を帯びさせるのだし、
そしたら質が落ちただの、安いだのって
そんなイタチごっこには馬鹿らしくていちいち付き合ってられないと思う。
意図的にせよ、そうでないにせよ、本人が強固な意志、真摯な
態度で真理と向きあっていればどういう表現であれ普遍性を
帯びるものだと思います。
今観ている美術の大衆的記号に惑わされているだけでは?
161 :
月読:2001/05/18(金) 03:13
>>159 >「快楽宗教」的磁場から遥か彼方へ遠ざかりたいと思った
もちろんですよ〜〜〜。。
え、でもヲタク的一点集中磁場と思いきや中でも細かな分別が
あってヲタク同士の住み分けもあったりするんでしょうね。
ゲーム系、アニメ系、エロゲヲタ,,,etc
まあでもテレビ的綜合な白痴快楽は取り敢えずモチロンのリセットで、
他も遮断して思わず隠遁しました?
てかこの2chも相当隠遁生活っぽいけどね。
>キュレーション成功
誰もが気付いてて意識しなかったところの戦後の外国へのルサンチマン
なんだけど、バブルを経験して世界の先進国の仲間入りをして
ここでそういうのを改めて見直そうってのは有益だと思う。
日本のクリエイションの本随とは?という問いを20世紀末に
しようって作家陣、文化人たちの見解なんじゃないでしょーか。
非常に単純かつ明解ですよね。展覧会は面白かった。
> 2chでは叩かれる
いろんな考えあるからね。芸デ板のスレでしょ?
参加してないですが、、、
>所謂「文脈」的観点から・・・(以下省略)
スタンス次第、でしょうかね。。。わからない、、、
吉トデルカ凶トデルカ、、、(神秘主義)
社会の中で表現活動を行う以上「どういう立場」ってのも
やはり無視できないですからね、、、。。。うーむ
162 :
月読:2001/05/18(金) 03:22
>伊藤潤二
僕は友達のを読んだだけなんだけど、
い〜ンですよ。なにがいいってあの終わり方。あれは新鮮だった。
「結」ではないんですね。出口まで来きたかな、と思いきや
出口を消されるような。あの当惑感にはしてやられますね。
グロくない独特の乾いた感じもいいですよね。
映画ビデオで出てるから見てみようかな、、、。
>>160 そのさ、あなたのいうなんだかんだっていうのには
物=芸術っていう観念があるわけでしょ?で、その中で、
個人の神話がどうっていってるわけ。それはいま色々ある
中でも作家のための芸術。それはもう芸術の中のひとつの
観念であって、いまの芸術の定義ではない。過程や、存在
しているという事実が芸術として意味を持つこともある。
もう一つ。すこしあなたの話につきあうと(こちらの問いかけ
にはまったく触れてくれなかったが)表現が普遍的である
べきというのがあなたにとって芸術の前提であるようにみえる
のだが、あくまで主観的な作品も芸術であり得ると思う。
”普遍的であるべき”ってのを疑ってみたことはある?
そういえば村上隆も普遍的でない物が好きっていってたな。
ちなみにそれが”芸術”とか言っているのではないよ。
”美術の衰退?”の76,77にもレスしたから読んで。
164 :
catt:2001/05/18(金) 07:58
>>163さん
ドットコム男を現代美術家と呼ぶ派ですか?
人 々
ミ@Д@彡
165 :
反catt:2001/05/18(金) 15:02
↑ダメ美術評論家
166 :
cat:2001/05/18(金) 15:04
みなさん現代の美術についてcatt以外はかんがえているんですね・・・
167 :
cat:2001/05/18(金) 15:06
cattおまんのいうこと頓珍漢。逝っていい!!!
168 :
空耳:2001/05/18(金) 20:24
最近この人を知ったのですが、
皆さんはどう思われますか?
この人のインスタレーションみたいな空間表現の作品は
ぴんとこないものが多いのですが、
生け花の作品はとても良いと思います。
http://www.katachi.7777.net/nakagawa/ 中川幸夫
生け花作家
この人は赤が好きなようですが、
(その赤も腐った赤)
それは女性にとって身近な赤なんですよね。
ちょっと気持ち悪くなるくらいです。
スマソ。ドットコム男ってなに(誰)?
170 :
w:2001/05/18(金) 21:03
>中川幸夫
なんというか、昔のアバンギャルドさん、工藤哲巳とかアメリカに行く前の荒川みたいなのを、思い出しますね。
なんとも人間臭いオブジェです。
作品を取り巻く空間としては旧套的な人体彫刻と変わらないけど、
人体の変わりに、情感のこもった物体だの?がおかれていると、
でもってそれが擬人化されて見えて気持ち悪いとか、
そんな感じですね。
171 :
空耳:2001/05/18(金) 21:19
172 :
catt:2001/05/18(金) 22:19
生け花はいいですねぇ
高山流とか龍生派とか好きですね<自分
人 々
ミ@Д@彡
173 :
ナナシノ:2001/05/19(土) 01:15
>>163 さん。はじめまして。まあゆっくりやりましょう。
「既存」って言葉。僕が、前レスで言った「お前など、この方面から見れば
簡単に形式化できるよ。」ってな指摘に近いわけで、もはや、一個人とし
ての自分にはその言葉に対応する術がないです。
それでは今後の美術について、既存ではなく、なおかつ説得力のある
仮定条件を提示することを、誰も考えてないのか。…って言ったら、そんな
ことないわけです。このスレの(主に僕が発信した)極めて鈍重な理屈も
当初はそこを目指していたものと思われるわけです。
大体において、(美術に限らず)新しい定義付けにトライするのなら、気の遠く
なるような「反復」に耐えざるを得ないと思うし、一見ゴミにしか見えない言葉
の断片から、使えそうな要素を浮浪者の如く拾いながら、その後の対話を展
開させていくより他、効率的手段って無いと思うんです。
だから、想像以上に忍耐力いるし、はっきり言えばお気楽ばかな心意気でも
って、マターリやってくべきではないでしょうかね。やや極論ですけど。
「普遍的」の是非についても、もっと言葉本来の意味作用を周りとある程度
共有できる位に対話してから持ち出さないと、やたら結論を急いでるような印
象になっちゃって、展開しないで、なし崩しになっちゃうですよ。
だからゆっくり戦略を練りつつ、どんな単語が人のこころを打つのか探りつつ。
ほとんど前進に見えないスピードで、トラクションかけ続けるしかないです。僕的
には。
ここ2、3年、現代美術って全体的に元気無くなったと思う。
バブルと共に死んだのか?
175 :
月読:2001/05/19(土) 02:09
>>163 > あなたのいうなんだかんだっていうのには物=芸術っていう観念がある
??どの辺りからそのようなメッセージを受け取ったのだろう?
ソースお願いします。
>表現が普遍的であるべき
僕の発言したスレを見てきてっていうのはあまりに難なので、
説明しますが、上記のようには思っていません。
「普遍的=すべてのひとに通じる」という一義的なものでは
なくて、なにを表現しようが、「普遍=真理」というキーワードからは
逃れられない、とでも言いましょうか。
>>128-129
この説明でいくと表層表現的、と言ったのが文脈読みの「索引的」表現。
個人的神話、というのが「徴候的」表現。
極端な区分けなのでその中の曖昧なトワイライトからの作品
がほとんど、〜寄りぐらいの意味です。
さて、僕の考えでは、、、
索引的な表現は、過去のクリエイション、概念、言の葉、
社会現象などの表層物、智慧や知識を使い意識的に「普遍」を目指し、
徴候的な表現は、より現象など意識的な、頭脳的なものから遠ざかり
無意識であることにより「普遍」を表出させ得る。
と思っています。
(会田スレでこのことをお絵書き君さんとお話しました。)
そういう意味で繋がったキーワードの「普遍」です。
「誰もが共感を得られる、理解できる、利用できる」
という一義的な意味では使っていません。
御理解ください。
>”普遍的であるべき”ってのを疑ってみたことはある?
上のような一義的な意味でいうならば、もちろんありますです。
また「べき」とも思ったことはないし、128〜129をお読みであれば
読解できたことと思われますが?
総てを疑う処所からもう進みはじめている、と言った感じでしょうか。
局所的にまだまだ壊したりもしてますが。
176 :
月読:2001/05/19(土) 02:09
>>173 >一見ゴミにしか見えない言葉の断片から、使えそうな要素を浮浪者の如く拾>いながら、その後の対話を展開させていくより他、効率的手段って無いと思
>うんです。
諧謔調(僕的にはまだまだ修行不足ですが)で
お話に付き合ってくれてありがとうございますです。。
ほんとにそう思います。言葉→喚起です!ガムバリマセウ
ひたすら闇を手探りです。それこそ既存のものではダメです。
「実感」のほうを言葉によって探しているのですね。
>もっと言葉本来の意味作用を周りとある程度
>共有できる位に対話してから持ち出さない
フォローありがとうです。ほんとにそう思います。
>163
初対面での会話の齟齬ですね。
初対面のひとと抽象的な話ができるわけないので言葉の定義を聞き出しますね。
身近な相手の思考回路や言葉にたいしてそのひとがどんなシニフィエ
(言語記号の意味内容)を保持しているのか
を前提にして会話しているわけですからね。
月読さん、長レスどうもありがとうございます。
作家の活動すべてが”表現”っていう大前提がある
わけですね・・・やっとわかった。僕は芸術に対して
活動がどう”干渉”してるか、っていうところで・・・
じかんがないので、またれすします。ありがとう、
参考になりました。
178 :
私はダリ?名無しさん:2001/05/19(土) 15:26
くさまやよいの目はぎょろぎょろぎょろぎょろしている。
179 :
あいみつ:2001/05/19(土) 16:40
美術は、観念化した瞬間に終わってしまった。
現代美術という伝統工芸、あたらしくもあり、あたらしくもなし。
180 :
catt:2001/05/19(土) 17:32
>>179さん
そりゃあなたの知識が浅いだけでは?
人 々
ミ@Д@彡
181 :
あいみつ:2001/05/19(土) 17:46
現代美術という伝統工芸、あたらしくもあり、あたらしくもなし。
182 :
あいみつ:2001/05/19(土) 17:57
芸術は進化してない。
新しい形式が出てきただけ。
それももう終わった。
新しい形式を作る天才はもう現れない。
現代美術は虚しい。
形式のひとつに過ぎないのに、
最後に現れた形式のひとつに過ぎないのに。
でも、それも遠い昔に出尽くした。
すべては焼き直し。
何を見ても聞いても驚かない。
気取った現代美術よりも、
遊園地のアトラクションのほうがよほどまし。
ショーウィンドウのディスプレイのほうがまし。
どこが違う?
現代美術でございと、ごまかしてるだけ。
現代美術好きの観念遊びには、へどが出る。
知識だけの頭でっかちには、へどが出る。
現代美術は「伝統工芸」として生きている。
生み出すものでなく、パターンを引き継ぐものとして。
183 :
あいみつ:2001/05/19(土) 18:10
もし違うなら言ってみろ。
現代に描いた絵は、どんななものでも、現代絵画。
それを違うというのは、既に、現代絵画という
固定的な形式が確立している証拠。
現代美術は偉くない。
ちょっと前のファッションは恥ずかしい。
現代美術をえらそうに語るやつは、案外、いなかもんに多い。
いなかなら、これが最先端とごまかせるから。
現代美術をえらそうに語るやつは、いなかで、いまだにガン黒
をやっているねぇちゃんみたい。
184 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/19(土) 18:25
>>181-183それほど使い古された言い回しも珍しいよ
大正生まれ?
185 :
目くそ鼻くそを笑う:2001/05/19(土) 18:48
>>184 わたしはダリ?名無しさん?
おやじギャグ?
今時、還暦のじじいでも恥ずかしくて、使わない。
わたしはダリ?
しむらけんかおまえ・・
186 :
catt:2001/05/19(土) 18:51
187 :
catt:2001/05/19(土) 18:54
しかし、何ですなぁ。ダリ?さんも痛いところを突かれたもんで、
美術論争以外の手段で、言い回し問題を持ち出すしかなかったのでしょうな。
春まだ遠しですなあ・・・?
んー 訳分からなくなるので節穴使うかな・・
以降ホスト名が無いcattは全て偽です・・つーのも大人げないんだが・・
人 々
ミ@Д@彡
189 :
ミ:2001/05/19(土) 23:09
あいみつはここの板の名無しを知らないのね、、、、
1、新参者
2、精神病
3、ある期間における不慮の見落とし
190 :
ミ:2001/05/19(土) 23:09
どれでしょうか。
191 :
mi :2001/05/19(土) 23:37
間違った
>>185だった、、、鬱、、、、
あいみつって誰かわかちゃった、、、
192 :
あ:2001/05/20(日) 00:18
193 :
あいみつ:2001/05/20(日) 00:41
>189
2番がいいかなぁ。
でも、3番も捨てがたいなぁ
どっちが罪が軽いのかなぁ
2番にしとこっ!
194 :
X:2001/05/20(日) 00:43
195 :
で、結局:2001/05/20(日) 02:01
現象学的還元って何?
196 :
ナナシノ:2001/05/20(日) 06:52
処理の重いことマシンにさせて、表示がおかしくなったりするとき、F5で更新するでしょ。
とりあえず次の処理を前にして、正確な現状を確認する行為。
僕が、「対話」一般に求めることもそれに近いとか言ったら、相手の方に失礼だろうか。
事態はなにも変わらないけど、むしろ自分の考えの甘さを物理的に実感できちゃったり
して、それなりに気が重くなったりもするけど。
それでも対話を続けるにせよ、作品つくるにせよ、よりリアルな次の一手を考える土台には
なる。この板に限らず、多種多様な言葉。虚栄。自己顕示欲。あるいはナマで剥き出された
悪意なんかが散らばった場所って自分の甘い思慮を打ち砕くには充分なパワーがあるな。
個人的には2chの魅力はそこに尽きるね。
>>176 だから「言葉→喚起です」ですね。激しく同意。そこが共有できれば最高です。月読氏の言
葉通り、ここでは言葉しか無いんだから、語られる対象以前に語る語(シニフィエ)について
意識を向けざるを得ない。それこそが「他者」を想うということだと考えます。「現代美術」って
そこをすっ飛ばしたら意味ないよね?もし現代美術を定義化できるとするなら、最低それだけ
は可能でしょうか。
197 :
X:2001/05/20(日) 13:57
語(シニフィエ)
はぁ?
198 :
私はダリ名無しさん:2001/05/20(日) 14:46
catt相手にされてないぞ(藁
199 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 14:54
200 :
月読:2001/05/20(日) 15:10
>>196 「リアリティ」
大きなテーマですよね。
表現手段としてドキュメント⇔物語・詩
どちらもリアルに迫る様々なメディアを通し(前提ですね。これはまたあとで
そして表現=outputしたあとにはそこを基盤にして
「コミュニケーション」ってところにやはり辿り着く。
decodeしなけけりゃいけない。
森羅万象のオブジェクト同士の「関係性」で世界が
成り立ってる以上、永遠のテーマであると思うし。
バベルの塔崩壊以来(w 此の世には言葉をはじめ様々な
言語記号が存在し、理解するにはある程度その記号(媒体)
の方法論を知らないとだめだと思うんですね。
外の世界を知るためにもそうだし、発信元である自分のそのことを
意識していきたい。そのために日々修行です
201 :
月読:2001/05/20(日) 15:11
>2chの魅力
光と闇、表と裏、生と死、建て前と本音。
ぺルソナとエス、イド、リビドー。正気と狂気。
世界は相反した要素の集合体だと思います。
「意味」の在り処を探すには「無意味」の位置付けを
解かなければならないと思うし。
総体的に物事を捉えるには簡単に知覚できるものがあって、
その先の、その裏の反対をも含めて初めて一個だと思うんですよ。
今「生」が軽んじられてるのはやっぱ「死」が身近じゃない
のが一要素と普通に思うんですね。戦乱の世、戦時中
はみんな必死で生きたと思うんです。
日常生活では表の部分がを目の当たりにすることが多いし、
裏の部分なんてかなり小出しにしか垣間見えない、
ぐらい情報操作が有ると思うんですよ。(←電波みたいだけど、、、
それに加えてここはひっくるめて一個、
むしろ裏的側面が強い。その辺が先ず面白い。
あと発言=表現だと思うので、その辺の勉強にもなるし。
即時のリアクションを試すことができる。
いろんな話題、いろんな人、せかいってこんなに多様なんだー
っていう冒険心にも似たワクワク感もナイス。
鬱的な気持ちとあいまってかなりアディクションです(ヤバくて楽しい)。
202 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 16:26
>>200-201なんかあなた板違いでは?
文学板逝ってください
203 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 17:21
2CHってよっぽど、マゾじゃないと生きてけないな。
204 :
私はダリ名無しさん:2001/05/20(日) 18:23
catt相手にされてないよ(藁
205 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 22:20
あんまりこの板の人って、多様とは思いません。大体パターン化できます。
1.難解な言葉で屁理屈を説いて、煙に巻いて悦に入るタイプ
2.それを有りがたがっているタイプ
3.横レス命。突っ込みの為の突っ込みタイプ(一番多いかな)
4.素直でまじめなタイプ(一番少ない)
5.話に頭がついていけないので、愚痴をこぼすタイプ
207 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 22:32
>>206 簡単すぎます。むしろ簡単なことをむずかーしくいってるだけ。
もう少し、例えとか使ったらいいのにと思うだけ。
あなたは、2のタイプですね。
そういう反応が出ると思ってましたよ。
図星なんで、頭に来ましたか?
208 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 22:53
>>204 ヤフー行けば?君の好きそうな「素直でまじめなタイプ」がいっぱいいて、きっと楽しいよ!
209 :
空耳:2001/05/20(日) 22:59
じゃああなたは3?
さしずめ私は2?はーん・・・
つーか人少ないんだから、そんなパターン化されてもね。
きっとここ常連20人もいないね。
10人くらいだと私は思う。
ここの掲示板見やすいのと、書き込みやすいから好きだよ。
YAHOOとか登録制で、見難いし、いや。
あと、美術史学科のわりにみんなあんまり
美術の話しないから、美術のお話したい。
それだけ!
もし鑑賞版が実社会の裏的側面とかになったらいやだにゃー
それはちくり裏事情板などに託します。
ていうか実社会も結構重いね・・・
今日の飲み会もつらかった。。
ぼけーとしちゃった。
210 :
catt@g037239.ppp.asahi-net.or.jp:2001/05/20(日) 23:05
>>209固定HNでのカキコ少ないですよね・・
それは実社会でも同じか・・作家を取り巻く大勢の名無しさんという構図・・
人 々
ミ@Д@彡
211 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 23:07
>>皆さん
ちょっと分類少なすぎたけど、けっこう乗ってくれたんでうれしかった。
6.傍観者たまに仲介に入るタイプ
7.板のご意見番になったつもりタイプ
なんてのもどうでしょう。そろそろスレに関係なくて怒られるかな・・・
212 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/20(日) 23:10
>>210 あっCATTさんこんばんは!えーとCATTさんは、1と7の混合かな。でも、もうちょっと
わかりやすく話されるかな・・・
213 :
私はダリ名無しさん:2001/05/21(月) 13:20
じゃ、現代の美術って何?
214 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/21(月) 15:49
さぁ。なんでしょうね。
215 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/21(月) 21:31
あんまり屁理屈を付けなければ、見る分には好きなんですがね。
現代文明がどうの、生と死がどうのと作品の説明が必ずあって、
なんとなく、理屈抜きでむかつくこともありますね。
オブジェ(飾り)やアトラクションとしてみる分には面白いですが、
遊園地に負けてるのもたまにありますね。
216 :
ナナシノ:2001/05/22(火) 01:04
>>205 >>211 このようなリストもまた、「形式化」への欲望には違いないわけです。
それは、健全な欲望ではあると思います。
無関係な話を・・
久々に川村記念美術館に行ってきたんだけど、幸福なことに、ここに
「ロスコルーム」があることをすっかり忘れていた。おかげで、突然広
がるあの赤に不意打ちを食らう幸運をゲットしました。
陶酔から、何とか平常感覚を取り戻して、やや安心して、別の方角
に視線を向ければ、またもやなりふり構わぬ新規生成の陶酔に落ちる。
監視員のおばさんを視界に入れて、気分をデフォルトに戻す(笑)
あるいは、長谷川等伯の「烏鷺図」。奇跡としか呼びようがない「描かれ
た大気」にやっぱり陶酔。。
リヒター「ATLAS」の余韻を引き摺りながらロビーを挟んだ最後の展示室
へと向かえば、広大な空間の遥か向こうにバーネットニューマンが。
そもそもアメリカ抽象表現主義は所詮「安普請な崇高」だろうとたかを括っ
ていたし、今も大体そう思ってるフシがある私ですが、やはり立ち尽くしま
した。周りに2、3人しかいなくて「寂しい海岸みたい」とか思いましたね。
そのうち、誰かが一人、絵の前まで歩いて行きました。まるで、戯れに
波打ち際まで歩いていく人を見るようでした。
展覧会報告ですね。
218 :
月読:2001/05/23(水) 04:20
前も言ったけどやっぱ哲学、合理的思考ってのは
「西洋学・欧米学」であって
日本でそれだけをそのままどかーんと教義にしてもなんか
手落ち感が拭い去れないと思うんだよなー。宙に浮くというか。
いくら「現代文明」が西洋の合理主義思想中心で作られていようとも。
もっとアジア的な情緒や思考形態みたいなものを加味しないと。
また「ミニマリズム」が再来するだのってヒロポンさんのHPでいってたけど、
本気なんだろうか。ただの煽動にしか見えない。
敢えて否定はしないけど。
どうなんだろう。日本と言う国は明治・戦後に移植した「西洋」を
どのように消化しているのか。乗っ取られたというのとも違うし
月日が経過して融合した?でも完全にベースではないでしょう?
ベースには東洋があるわけだから。
意識が西洋で無意識が東洋か。どうだろう。
みなさんはどう解きますか?
219 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/23(水) 08:34
っつーか、ATLASのパネルが一部抜かれてるのに萎えた。
220 :
私はダリ?名無しさん:2001/05/23(水) 14:19
みなさん考えてるんですね
221 :
私はダリ?名無しさん:2001/05/23(水) 14:23
ひろMIXの写真もいいぞ
222 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/23(水) 15:27
「月読」さん:
和魂洋才か、はたまた洋才和魂か。こういう狭間で苦しんだのが日本近代美術。
これを超越したと勝手に思っている、思考停止の現代の我が国の芸術家たち。
コンセプト・理論武装に余念の無い、凡庸な作家の群れ。
ヒロポンとそのブレーン評論家に扇動/先導される奴ら。それが美術と思う奴ら。
うーん。「答え」はないぞ。考えるプロセスをどう「見せる」か。
223 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/23(水) 23:17
>>218 もともと哲学を持たないのが、日本流哲学じゃないでしょうか。
人間の恣意的な哲学じゃなくて、漠然とした自然観のようなものが、
日本人の哲学といえば哲学ではないでしょか。
224 :
69エリート街道69:2001/05/23(水) 23:41
まずはプラトンの美の概念から再構築しないとね。
225 :
223:2001/05/23(水) 23:53
ですから、日本は日本の哲学で行けばいいんで、無理して西洋の考え方を
付け焼刃してもしょうがないとも思いますが・・・
226 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/24(木) 00:30
でも、日本に哲学がないとすると、
それを基盤としようする美術も生まれにくいのではないでしょうか。
所詮懐古趣味的なものしか生産されないような・・・
近代以降の日本の美術家たちが西洋の哲学に依拠しようと
やっきになってきたのは、(もちろん一般的に西欧追従の機運があったからでしょうが)
明文化された哲学が存在し、しかもそれが時代を追うごとに変化するという、
西欧哲学独特の特徴があったからではないかと推測します。
つまり、美術家にとっては、この環境(西欧の哲学)はなによりも「新しい美術」を制作しようとするにあたって
非常に便利な乗り物であったということです。
みなさんどう思います?
227 :
ナナシノ:2001/05/24(木) 01:41
ドバーと、書きなぐります。いくらでも反論出来る文章ですので、レスどうぞ
よろしく。前後レスの繋がりを切るきらいがありますので予めお詫びします。
新大陸アメリカはとにかく自国文化を捏造する必要に迫られていたわけです。
アイデンティティとか民族性云々はともかく、とりあえずの文化的な歴史性、哲
学を必要としていたわけで、乱暴に言えばジャクソンポロックは、いわばアメリ
カ国策の犠牲者と言えるような側面を持っています。
細部をひたすら切り捨てる行為を恥と思わない「体系化」。僕がアメリカ抽象表
現主義に対して若干斜に構える理由です。
さて、日本において「西洋」の初輸入および外向きの自国文化捏造は言うまで
も無く明治の文明開化に遡ります。それこそ形式だけが止め処も無く流入して
きたわけで、今、夏目漱石がリアルな文学者として語られる理由の一端は、そ
の時代状況の同位相性でしょう。
そして敗戦。復興。経済成長。第二の異文化流入をやはり、無批判に無制限
に受け入れつつ、日本の文化状況は今に至るわけです。
それこそ「貞淑な妻」のように、あらゆる異物を(異物と明確に認識もせず)受
け入れてきた日本ですが(なかなかエロティックではあります。)天皇家の嫁取
りなら、割とキナ臭い行動も取るくせに、こと自国の美術となると、まるで考えなし。
浮世絵も屏風も外国に預けとけば良いし、財テク破綻で所謂「西洋名画」を差し
押さえて倉庫に何年も死蔵させても(諸外国から批判されない限り)OKなのです。
この「異文化・異物・他者」に対する鈍感さは、それが2回繰り返されている例から
みても僕達日本人が元来持っている特質なのでしょうし、それなりの生活水準を
維持できている理由でもあるでしょう。でも、やはり「鈍感」は絶望的にまずいと思う
のです。
>>226 「便利」は作家本人を除けば、誰にとって 「便利」なのか。いろいろ
言われてる「ヒロポン系」はそのあたりに極めて自覚的です。
228 :
226:2001/05/24(木) 02:57
>>227 レスありがとです。
とりあえず自レスについて応答&質問させていただきます。
>「便利」は作家本人を除けば、誰にとって 「便利」なのか。
「便利」なのは、日本の「作家」です。
>いろいろ言われてる「ヒロポン系」はそのあたりに極めて自覚的です。
このあたり、別スレありますけど、もう少し詳しく説明してください。
彼らのオタク文化へのこだわりは、
西欧哲学に対抗できるようなものを我国のオタク文化から汲み取っていこう
とする意図からきているんでしょうか?
229 :
月読:2001/05/24(木) 04:42
>>226、
>>227 アジアの思想・情緒は「陰」を基盤にしているようです。
そしてよく言う処の仏教的「無」、色即是空。
「陰」とは「右回り」「横の働き」「女性・母性的」「受動的」「物質的原理」
だそうで、ナナシノ氏の「貞淑な妻」説はこの辺かと。
西洋ヒューマニズムの偽善はよくある例ですね。
例えば捕鯨がいけないのか?自分らの気分でものを語るなよ。
カルチュらル・スタディースなんてのもね。極めて西洋学的。
西洋学は自然を「支配」「従属」しようとしてる。
相手をねじ伏せるためだけの「詭弁」なんてのもこれ。
陽の気が強過ぎです(藁
陰陽合致した「破」こそがすべての中心であり総ての突破口でしょう。
230 :
月読:2001/05/24(木) 04:43
東浩紀氏によれば、戦後高度成長の歪みがヲタクとサブカルを
生んだんだって。だからヲタク文化≠サブカルということみたいよ。
そんな厳密には区分できてるとは思えんけど。まあ学問ですから。
ヲタク=村上隆ー東 浩紀
サブカル=大竹伸朗、都築響一ー椹木野依
ということらしい。ポストもの派(だよね?)
の日比野克彦とかは後者の視野に入っていたよう。
でも大竹伸朗本人ははあまりぐちゃぐちゃ考えるの好きじゃない、
って言ってたよ(ギャラリートークより
どちらも西洋的なコンテクストから言えば
ポストモダン「的」な分野というのは確かだよね。
キッチュとかさ。
思うにサブカルは「西洋ルサンチマン」に真っ向から挑んだもの
というかまんま「西洋コンテクスト」の、、でしょう?
意識的に概念云々いわなくても既出分野だものね。
ただ日本的スタイルっていうだけで。
逆にヲタク=スーパーフラットは「西洋ルサンチマン」を
横目に見つつ、感じつつも日本的な無意識を表出した
徴候的なもの。と僕は考えるよ。
でも後者のほうが概念的と思われているけど、
美術の壇上に揚げると説明が必要になるからってコトだろうね。
美術は西洋学の一部だからね。
理論武装?ただの揚げ足取りの台詞か。
海外で受けてるのはそれが「アジア的」なものだからでしょう?
普通に新鮮なんだよ。西洋にとっては。
別に彼等の太鼓持ちではないけど、かなり時代の「リアリティ」的に
賛同する部分が多いので書き込みました。
231 :
catt:2001/05/24(木) 09:29
>>230んー 大竹さんも日比野さんも作ってるときはかなりハマりまくって
うきうき作ってるよ。「本人の好き嫌いを純粋に形にした結果」を
発表してるだけだよ<両方とも
その「うきうき感」がきっちり伝わってくるから面白いんじゃないの?
彼らの制作時の衝動をあんまり分析しても意味無いような気がしますが・・
人 々
ミ@Д@彡
232 :
223:2001/05/24(木) 10:36
>>230 >海外で受けてるのはそれが「アジア的」なものだからでしょう?
普通に新鮮なんだよ。西洋にとっては。
この部分は賛成です。今まで海外で成功した日本人は、ほとんどこのパターンです。
藤田つぐじ(漢字わかりませんでした。)にしても、たけしにしても、武満とおるにしても、
日本的だから、新鮮で受けたんだと思います。(もちろん独創性もありますが)
ファッション界もそうです。日本的なものを取り入れたデザイナーが成功しています。
西洋のものを西洋の本道そのままのスタイルで勝負して、受け入れられた例は
あまりありません。(スポーツは別ですが)
233 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/24(木) 11:22
230が言う、
「ヲタク=スーパーフラットは「西洋ルサンチマン」を
横目に見つつ、感じつつも日本的な無意識を表出した
徴候的なもの。」
その通りだ。が、
言葉の揚げ足を取るようだが、「徴候的」とは随分好意的
な言い方だ。強引な説法で、またまた「イズム」を捏ね上
げた主体とその現象に対するロマンチックな表現だ。
「日本的な無意識」を取り入れたスタイル。篠原有司男や
「茶道」アートで止めておいて欲しい。
懲りずに築き上げたスタイルは淘汰されるべき「モード」だ。
オタクもサブカルも、「守勢」だからね、もう。ありもしないもの
に「リアリティ」を付けてさ。「これが僕らのリアリティです!」
といい続けるのは厚顔だ。
「西洋ルサンチマン」を 横目に見つつ、感じつつ、ではだめ。
見るなら見ろ。どっぷり漬かってもがき苦しむべきだ。そういう
中から出てくる人でないと。。
さもないと、彼等は最後に言い訳するんだ。「おれは日本人
だから。。。」って。島国根性。
234 :
月読:2001/05/24(木) 23:51
>>233 ?
、いやいやスーパーフラットっていうのは村上氏の主張そのものを
指したのではなく、純粋に現象面のみを指したんだけど、、また言葉足らず、か。
漫画→ヲタクカルチャーと書いておけばよかったか。
僕だって「イズム=スーパーフラットという主張面」のほうが徴候的なんて思ってません。
「彼がやらずとも誰かがやった」というのがロマンチックつーことね。
別にそこをどういう言ってもしょうがないじゃん、
君が気分を害されてるなら、ああそうですか、としか言えないよ。
僕に向かっていわないでくれる?
>「守勢」
誰がこっちを「イズム」と言った?
>ありもしないものに「リアリティ」を付けてさ。
今生きている総ての日本人について言ってるのか
世代的なものを言ってるか、僕個人のことを言ってるのか。
あ、そうか「時代の」と総体的に言ったのを揶揄してるのか。
「ありもしないのに」
ってどういうことだろう?
そんなものはない、って言ってるのか、
あったところで君が感じてるとは思えないとでもいいたいのだろうか。
後者ならここの書き込みで勝手に妄想された僕の幻影か。つまらん。
前者だとしたら、それは捉え方は人それぞれだから、
あんたはそうだろうね、としか言えないね。
235 :
ナナシノ:2001/05/25(金) 02:08
>>228 誰に対して「便利」なのか。→日本の「作家」に 対して「便利」だった。
それでは、その「便利」さは受け手も共有できるものなのでしょうか。
作家が作品をでっち上げるのに「便利」だとしても、受け手に届かなければ無意味
なのは言うまでもありません。なんて言うと、226さんに絡んでるみたいで恐縮なの
ですが、村上隆を引き合いに、もう少し突っ込みたいので、どうかご勘弁を・・・・。
(前スレで「ヒロポン系」言いましたが、本文は村上隆についてだけ言及しています。)
村上隆は「西洋」対「自国文化」の意図は一般に思われている程、意識的ではないと
思います。村上隆に対しては「オタク文化を素材にして現代美術を活性化…」的解釈
が幅をきかせている印象を受けますが、村上氏のやりたいことは、もっと単純なことで
はないでしょうか。
上野。SCAI THE BATHHOUSEのオープン当初、村上隆は「DOB君」を初めて発表し
ました。当時、現地でたまたま作家本人と2、3言、話をしたのです。たわいの無い
自己紹介めいた話でしたが、その中で村上氏は「とにかく僕ら、これからもがんがん
現代美術広めていきたいと思ってるんです。どうか今後ともよろしく。」みたいなセリフ
を真顔で言ったんです。結構驚きました。確かに活動内容は明らかに「啓蒙的」な
要素を含んでいるにせよ、宣教師じゃあるまいし、恥じらいもなくそんなセリフを見ず知
らずの人間に吐くなんて…。
その後の活動を見ていても、上記のセリフを地で行く邁進だし、「今、美術をやるのに
必要とされる能力とは例えて言えば会社を経営する能力だ。」なんてセリフまで飛び出す。
でも、結論から言えば、僕は村上氏の活動とその作品には毎回舌を巻いたし、感動して
いました。
村上隆は、美術を会社経営=利益(需要)追求に還元して、自らの行為にレスポンスが
無いような事態を徹底的に排除しています。その良くも悪くも極めて現代的な態度を保
持する一方、別の側面では、従来の「美的愉悦」に無制限の信頼・憧れを持っていて、
自らの作品にも、当然のようにその「愉悦感覚」を取り入れる人だと思います。
例えば村上隆が昔からメディアでも公言している「飛沫」へのこだわりはどうでしょう。
結構昔の作品から、所々で液体が飛び散ってましたけど、極めつけは3年ほど前に発表
された立体(巨大フィギュア?)作品で、その股間から異様なまでに大量の精液が噴出、
放射しているのを見たときは本当にのけぞりました。同時に村上隆の極めて古典的な
「モチーフ追求」の視線を垣間見た気がしました。
そのような視線の延長にアニメーター「金田伊功」が浮上してくるのは、もう首を縦に
100回振っちゃうくらいの説得力を感じます。金田伊功を知っている/知らないに関わらず
それはリアルだと思います。作品を観てそう思う人は少なくないはずです。
これって、「懐古趣味的美的感覚」と「現代日本において需要のある美術活動」が
とりあえず幸福に結び付いている稀有な状況なのではないかと個人的には思えます。
236 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/25(金) 11:47
>>234 貴方の発言に因縁を付けていると思われたのならば、誤解だ。
それは解いていただきたい。
村上に関する言説、作家・作品を取り巻く現象は、村上の理論
プロパーな戦略の賜物であることは自明だ。
それを、手も無く受容し、席捲を許す一元的体制が問題なのだ。
これを助長するものを、「共感」という部分とは別に考える必要は
ないか。
故に、「日本的な無意識を表出した徴候的」などという表現の
「主体」をしっかり見据えておきたかった。で、「それ」が貴方で
あるわけないだろう。そういう反応を喚起するような内容を記し
たことは詫びる。
237 :
月読:2001/05/26(土) 03:19
>>236 了解しました。
>席捲
こういうこというとまたなんか言われそうだけど、
1勢力が台頭すれば、かならずやアンチが出現するらしいですね。
同じぐらいの勢いで。
時間の問題かも。
あなた一人ではないはずだし。
>手も無く受容し、席捲を許す一元的体制
これの原因は何だと仰るのですか?
心理的問題ならば言ふべきに足らず、というか板違いですね。
238 :
ナナシノ:2001/05/26(土) 03:46
金曜の夜はサブカル・オタク的に自分探し。うそ。
大文字の思想も文化も無いし国家レベルのアイデンティティありません。
輸出入国家で、文化もそれなりに取り入れましたが、いかんせん目に見え
ないから苦手です。「立派」に見える箱作ったけど、5年経つとなぜか恥か
しく見えます。中身替えても、観る人少ないから現状で良いと思います。
なんだかんだ言っても自分と家族の平穏無事が一番です。の日本人。
で、それらの息子である僕は漫画・アニメを食って成長しました。そのうち
映画観たり本読んだりし始めて、皆さんと同様、凡庸に成長します。
ハリウッド映画もすごかったけど、映画へのコンプレックスから映画シミュラクル
にまで到達しちゃった日本の漫画たちはもっとすごくて、何よりも切実でした。
あるいは、もはや文芸など誰も必要としないのは、かつて担われていた個的
内面の共有が、秀逸な漫画で充分に果たされる様になったからです。
物質が動くダイナミズムはアニメーションにおいて金田伊功が15年前にケリ
を付けており、小学生が当たり前のようにその画面を体験していた。戦場では、
あらゆるものが皆汚れていて、被弾すれば主人公が操る「ぼくらの憧れ」すら、
容赦なく部分的に壊れていくことを目の当たりにした際の衝撃と快感。
でも、そのうち、皆さんと同様、正に凡庸極まり無いことに、薄々憧れの
対象が自分の「実の親」ではないことに気づき始めます。
だって、そうでしょ?他になにがあるのでしょう。ゴシックのアルファベット
ってかっこ良いですよね。横文字が多用されたレイアウトを「英語圏的」
とは思わないのに、徹底的にかな・漢字で作れば、誰でも「日本的・アジ
ア的」だと思う。本当は美味くないのに、国産より、クアーズやハイネケン
を冷蔵庫に入れて置く。ジョン&ヨーコの2ショット写真はナンダかやっぱ
り情けないものを見た様に感じる。平面的な顔のアジア人が考え込んで
る姿はちっとも深遠ではないのに、ブルーノートのレコードジャケでのジャ
ズミュージシャンは皆、恐ろしく思慮深げに見える(そんなことも無いか。笑)
「深遠な悩み」つながりのRADIO HEADは「レディオヘッド」と書くけど、音
読するのはやや照れくさい(だってRADIOは「ラジオ」じゃん。)。ウッドストッ
クを開催し得たアメリカを思わず羨望しちゃって、「いやまて日本にだって
学生運動はあったぜ全共闘はヒッピーよりナイーヴだぜ」と考え直すも、
彼らの大多数が米英ロックより演歌・フォークを好んでいたことを知ったと
きの幻滅。(笑)
YMOが、わざわざ「イエローマジック」と自称しなければならなかった理由。
70年代山下洋輔トリオのフリージャズが、頼まれもしないのにわざわざ
5・7・5を叩き、武満徹は琵琶を使い、秋吉敏子は原爆でなければいけな
かった理由。世界のサカモトが世界に与えた最初のインパクトは「戦メリ」
での音楽…以上にあの「顔」だったこと。初期ボアダムズ山塚EYEの歌が
やっぱり「日本人の言い訳」に聴こえてしまう理由。などなど。
そして素敵な「戦後民主主義的」美術教育による洗脳。
239 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/26(土) 05:18
長すぎ。
240 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/26(土) 07:15
ここは「現代美術」でしょう。
>>240勘違い長文固定って自己顕示欲が強いだけのガキだからさ
放置放置
↑catt
自己顕示欲が強い「だけ」なのはcattとかいう厨房だけと思う
244 :
236じゃないけど:2001/05/27(日) 03:21
>>237 手も無く受容し、席捲を許す一元的体制
これの原因は何だと仰るのですか?
心理的問題ならば言ふべきに足らず、というか板違いですね。
あなたも「スーパーフラットの現象面」云々と書いておられる
ではないですか。どこにそんな現象が?
少なくとも僕にはそんな現象が実在するとは思えない。
「スーパーフラット」こそ、日本・西洋という堂々めぐりに
はまりこんでしまった人たちにとっての「便利な乗り物」だと
思うわけです。月読さんのことを批判しているわけではないよ。
それが村上隆の戦略。日本で美術をやるときに誰もが通る問題、
ていうかコンプレックス、それを売り物に転じた彼の
あざとさに乗せられたくない、と思うのであって。
だってあれをおもしろい、だから自分は日本の「現代美術」のこと
ちゃんと考えてる、と思ってれば、楽だもんね。
僕は日本美術史なんで、特に村上の辻パクリの「日本美術」への
言説には我慢ならないという事情もあり。奴が海外でトンデモ
日本美術をしゃべっていると思うと夜も眠れん。
他スレにもありましたが、村上のメディアコントロール欲は
異常ですしね。 彼からは>235のいう幸福より
「無教養な自分には分からないハイアート」に対する怨念を感じる。
だからこそ無駄のない会社経営もできる、と。
245 :
月読:2001/05/27(日) 07:29
>>244 ?
>スーパーフラットの現象面
というのは漫画やオタクカルチャーの現存在継続中のことなんだけど。
発言ちゃんと読んでね。
浮世絵や平面に限らず立体物に関してももデフォルメ調イメージ
が強いアジア、日本の視覚的イメージの土壌とでも言うべきか。
画面に消失点を設け、陰影・階調・色相・色価を忠実に表現するメソッドは
アジア、日本には現在まで発生しなかった。そおいうこと。
あと普通に過去の日本の創作物の影響など、
また、
純国粋的、アジア的なフェティシズムがヲタク世界にはあることも興味深い。
(古典を題材にしたものや、アジア的なイメージシンボルを積極的に登用したもの、etc)
((これを徴候的を言わずして何と云おうか。))
それが現象面ということ。精細を欠いた大雑把な表現だが。
主張面が自然発生的、徴候的だなんて言ってない。<と言明したはず・
246 :
月読:2001/05/27(日) 07:31
そして、漫画を通り越したアニメ−アニメ鑑賞者=ヲタク、の悪印象。
*コミニュケーション下手で、褒めても反応が変。歪んでる。
それいっちゃあ、なんてこと平気で口走る。
ヲタク仲間の中では威張ってるのに、
ニュートラルなところにいる時は弱気。というか影が薄い。
これが外から見たヲタクの悪印象面(−
マスコミは都合上ヲタク叩きをしていたし、
そのような煽動もあったことでしょうね。
またイメージ遊びの快楽止まり(キショイ)で自分の身の回りは疎か(見た目ショボイ)
そういう悪印象ばかりが目立つところの漫画やアニメ
果てはそれに携わる人々の評価をもっと正当にしてもいいのではないか?
と単純に同意できたからです。
物事は何ごとにも良い面と悪い面がありますね?
評価してみたら実はやはり高度な想像世界の遊戯であった(+、というわけ。
精神科医や哲学者たちも注目した、と。
社会学にも登用が見られた。
結果的には意に反して反感を勝ってしまったようですがね(倭
誤算でしょう。
ただ面白いと思えたにはこういう後ろ楯があったのよん。
247 :
catt:2001/05/27(日) 07:31
村上さんには篠原有司男さんに似たパワーを感じます
まぁギューチャンのがキレ味いいですけどねw
人 々
ミ@Д@彡
248 :
月読:2001/05/27(日) 07:34
>怨念
、、、ちみアマッ子だぁ。
社会で成功したり、大きい活動が評価されている(+ 人たちは
並々ならぬトラウマやコンプレックス、精神疾患、異常なほどの色欲など
を保持している(− 場合が多い。
そういうマイナス要素の反動で得たパワーが彼、彼女らを
駆り立てる衝動として作用しているのでしょう。
物事には良い面と悪い面があるのですね。
この発言は悪い面を覆い隠そうというのではないです。
両方意識してこそ本当の評価ということではないでしょうか。
ということですね。
249 :
月読:2001/05/27(日) 08:01
実害無いから言えるのよ、とも言えるが(羽
250 :
244:2001/05/27(日) 12:03
>月読さん
なるほど。大意は納得しました。ちと早読みスマソ。
しかし、
>浮世絵や平面に限らず立体物に関してももデフォルメ調イメージ
が強いアジア、日本の視覚的イメージの土壌とでも言うべきか。
画面に消失点を設け、陰影・階調・色相・色価を忠実に表現する
メソッドは
アジア、日本には現在まで発生しなかった。そおいうこと。
これはどうかなあ。
例えば、漢画の流れや、伽藍建築、およびその内部の塑像、仏像彫刻などは
どう考えられますか?
あ、それから、怨念が彼の原動力なのは十分分かっているつもり。
でもそういうタイプのアーティスト、個人的に辟易してるので。
251 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/27(日) 22:29
2chにもはいって着てコントロールしようと
してるのが恐ろしいです。腐ってる。
おどしはいってるもんな。
252 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 09:52
月読さんの、ここまで村上隆を庇う理由がわかりません。
「怨念」うんぬんをアーティストの「モチベーション」として
肯定するなんて、、、
そんな当たり前のことまで熱く語るのは妙です。
浮世絵云々もこじつけにしか聞こえない。
又は村上のセオリーの受け売り。なんであなたがそれをここで力説したり、オタクの
弁護までするのかなぁ。。月読さんが村上隆を面白がるのは
わかりましたが。。それこそ「心的」な動機でもあるのでしょうか?
村上隆の思想には入り込めないのような頑なところがあるけれど、
それは思想の強度というより、強引さ。
ある種の悲哀はそこから発するみたい。。
僕は「メディアの操作」までどうのこうの言うつもりはないけれど、
彼を規範にする人はそういうところ、気を付けようよ。
253 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 10:33
>そういえば、批評不在で作品が類型でしか語られなくなっていった
>のも、衰退の原因の一つだね。多様な作品群が一つの意味でしか鑑
>賞されない。
>一つの類型に強引な収斂をさせることによって、弱い日本の現代美
>術の市場を守るしかなかった、という事情も理解できなくは無いけ
>ど、今後を考えると、何も知らないで参加している方々があまりに
>も気の毒。
まさしく、「スーパーフラット」とその周辺のことだな(藁
254 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 11:53
↑の引用はどこから来たのか知らないけど、同感。
だいたいどうして、現代美術を盛り上げる必要があるんだろう。。
美術は格闘技や政治とは違うんだよ。
そんな分かり易い図式に乗せて強引に理論を展開するのは勘弁してほしいよ。
255 :
K.T.:2001/05/28(月) 13:11
256 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 14:15
K.T.さん:
>本来的に「(大文字の)芸術は、他の手段を持ってする政治
>の継続に他ならない」から、美術も、格闘技や政治とある意味違わ
>ないのではないでしょうか。
むむむ。おっしゃる通りです。
血で血を洗う抗争というのはこういうことですかね。ふふ。
そしてドグマと実践みたいなのを正当化させる仕組みに
コネクション系のメディア・画廊・美術館がある、と考えていいですか?
他に美術が存在する環境・瞬間・場というのがありますかね?
みなさんどう思います?
「現代美術」ですよ。
257 :
月読:2001/05/28(月) 15:58
250、252は同一人物?
>漢画の流れや、伽藍建築、およびその内部の塑像、仏像彫刻などはどう考えられますか?
どうってなに?
これのどこがスーパフラットの否定材料になるの?
正気?むしろ肯定材料として機能しそうです。
いずれもデフォルメ調。
宗教観視覚化であるところの偶像表現だけど、よっぽどイメージ先行でしょう?
「表現したいところから描きはじめる」=スーパーフラットじゃん。
「どうですか?」ではなくて、「じゃあこっちのこの部分はこうだから、〜」
と何が言いたいのかはっきりして下さい。
委ねるのは卑怯だしそちらの意図も掴めないままでは会話になりません。
とりあえず北斎。
http://www.interq.or.jp/orange/mitumi/kinenkan/gallery04/room1.htm
258 :
月読:2001/05/28(月) 15:59
>庇う >弁護
別に僕は取り巻きじゃないし、スポークスマンでも何でも無い。
それに庇ってるわけじゃない。遣り口が多少強引なのはわかるし、
格闘技も個人的には「?」。煽動ぽいことをページでしてる。
噂話のようなこともあるかもしれない。
だからって活動全体まで否定するのはメディアの煽動に
一喜一憂するワードショー好きのババア等様と何ら相違無い。
そんな庶民感情と衝突する気はさらさら無い。
それに村上氏のことばかりを言ったわけではないからね。
ビルゲイツだって松下の社長だってノーベル賞受賞者〜
だって
>>248のようなこと。
「大人物は人格者である」
まさに庶民の幻想ですな。
笑っちゃうね。
僕からしたら躍起になって否定してるそちら側に
「怨念」を感じますが。+になんら活かされて無いしね。
スーパーフラットだってその活動から色々な方面に波及してるでしょう?
普通に同意してるひとが沢山居る証拠です。
それに外国に発信するには国粋的な処からでないと話にならないでしょう?
西洋のコンテクストをそのまま体現するのはつまんないし、
(日本的なリアリティから掛け離れる結果になってるということです。)
単純にそういう西洋ルサンチマンから脱出する時期なだけだと思うが。
かといって美術は西洋発の概念だから加味するところは加味していくのが
現代的な粋(すい)でしょう。
対等な扱いで世界に発信するということは、相手の主張や前提を汲んで上で
こちらの主張をする。ということ。
正当な・健康的な作用ではないですか。
<<衰退、崩壊寸前とか言ってるほうがよっぽど「怨念」だね!>>
259 :
tsukuyomi:2001/05/28(月) 16:05
×ワードショー
○ワイドショー
何番のレスから出てきたか忘れたけど
「大人物」というどうとも取れるような言い方は不味いだろ。
大人物=出世した人物?それとも人格者?
聞き取り手の解釈しだいだと思うが。
ま、出世した人物や有名人=人格者とは限らないというのは同意。
仕事内容を評価するにあたって、盲目的に人格まで持ち上げるのは間違っている。
261 :
月読:2001/05/28(月) 16:19
>盲目的に
?どこが?
人間って良い面も悪い面もあるね。
って言ってるだけだけど?
持ち上げてない、っつの。
「あんなことしてるからダメ」
ってい言ってるほうがよっぽど盲目的だと思うが?
悪い面が浮上しただけで活動全体まで否定に入る。
よっぽど盲目的でしょう。
>>261 ハ?あんたに言ってるように見えるか?バカが。
263 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 16:27
一体、月読さんはなにを言っているのでしょう?
意外。。
「こちら」とか「そちら」とか。。。「側」が問題なのですか?
なにをそう力むのか。。
258の発言などはどうも正常ではない。
落ち着きましょう。
>>263 意外か?俺は前からコイツはバカだと思ってたが。
(本音を言っただけで、煽ることはマジで意図していない)
265 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 16:38
>>264 まあ、まあ。。
「現代美術」≠村上隆
そうでないと、健全さがないよ。
266 :
月読:2001/05/28(月) 16:46
否定意見が目立ったから肯定意見を述べたまで。
やっかんでるようにしか見えなかったんで。
個人的感情言い捨てレスに反応するべきではなかった。
これからは固定で書かないともう反応しないようにしよう。
>>265 これは同意。
いろんな作家が発言すればいいとは思う。
267 :
265:2001/05/28(月) 16:51
月読さん:
>いろんな作家が発言すればいいとは思う。
いろんな作家、「を」、ね。
それでまず、月読さんに非・村上アートを語ってもらいたいです。
なにか興味ある作家はいますか。
268 :
月読:2001/05/28(月) 16:59
もう誰がどういうレスをつけてるのかわけわかんない。
だからそっち側って、否定派を一括りにしてしまったけど、
そんなわけないもんね。
>>267 疲れるから他のスレでちょこちょこ言ってるから
それを見て。見たく無きゃ見なくても別にいいよ。
疲れるだろうし。
どうせ取るに足らないレスですから。
自分に言い聞かせてるっていうのはかなり
当てはまってるかも。批評家ではないので。
無理に反応しなくていいよ。
いろんな作家、「が」
というのは誰かが「一元体制」って言ってたから。
269 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 20:49
↑どうした?疲れたか?
典型的な「語るに落ちる」じゃん・・
批評ごっこは最後に馬脚あらわしてしっちゃかめっちゃかになって
終わるものと相場が決まってる。
>>258の
>それに外国に発信するには国粋的な処からでないと話にならないでしょう?
西洋のコンテクストをそのまま体現するのはつまんないし、
(日本的なリアリティから掛け離れる結果になってるということです。)
単純にそういう西洋ルサンチマンから脱出する時期なだけだと思うが。
かといって美術は西洋発の概念だから加味するところは加味していくのが
現代的な粋(すい)でしょう。
これなんか永久保存にしたいくらいのアホだ
271 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 21:27
美術やってて好かれる人って本当に魅力的なんだよね。
だから、2CHにも描かれない。(悪口は)それだけのことさ。
272 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 22:26
273 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 23:21
>>270 ワタシ、2chは初心者の部類ですが、こういう結末は普通ですか?
なんだか笑っちゃうようでもあるし、まさに滅茶苦茶。
楽しみなスレだったんだけどなぁ。。。復活させようよ。
月読さんもがんばってよ。
274 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 23:23
↑結局ヒロポン系の連中が悪いんだよ。
275 :
現代ダヴィンチ:2001/05/28(月) 23:31
276 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/28(月) 23:39
>>275 「現代ダヴィンチ」さん、すでにあなたは、
「この現代美術を」といってますからね。。(藁
注)喧嘩は売ってないよ。
現代美術≠芸術 ?
どうよ。どうよ。
277 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/29(火) 00:04
えらい真性電波がやってきたもんだ。
278 :
ナナシノ:2001/05/29(火) 00:48
別に終わっているとも思わないし、「トドメの言葉」が出たとも思わないです。
そんな言葉を期待していないし、ぐしゃぐしゃにならない方が良いなどと思った
こともないです。ここで仄かに期待していることは、ささやかな「対話」の契機
に過ぎないし、流れがすっ飛んだり、滞ったり、あさっての方向へ行くのも全然
構わないのです。それが嫌だ、耐えられない。などと感じる人はそもそも、この
ような場所に訪れるべきではないのです。
僕の前レスも、まあ、いい加減ひどい代物揃いであることは認めますが、自分
なりに、少しずつでも形式化していけたら…との思いでやってるわけでして、結果
出てきたものがああいう体なのはお詫びしますが、いずれにせよ、もっと言葉その
ものへと、思考の矛先が向かうような状況が生まれてくると良いですよね。
「何が正しいかは解からないが、それが間違ってることだけは解かる」みたいな気持ち
で、それこそ鬼の首でも捕ったような文章を公の場に出すよりは、「未知への手探り」
としての「拙い言葉」を、少しでも多く出せたら。と。これは自分に言い聞かせます。
279 :
270:2001/05/29(火) 00:59
いろんな意見があって、いいじゃん。
書きたいやつは書くんだよ。世の中のしくみー
280 :
亜:2001/05/29(火) 03:15
いろんな意見じゃなくて、
罵倒してるのは横レスいれるだけの厨房だと思われ。
ただのヤジ。無視するのがいいと思われ。
281 :
276:2001/05/29(火) 09:27
「反省会」はおしまいにしましょう。
278の長文も、つっこみの材料を提供するだけ。
過剰に防御的というか、突っ込まれることに過敏な
人が多いんだよ。
もっと潔く語ってください。
すげー長い、自作自演。
いつまででも、独りでやってろ。
283 :
私はダリ?名無しさん:2001/05/29(火) 13:58
↑だからちがうってば
284 :
ナナシノ:2001/05/30(水) 01:16
>>281 潔く。語りたいとこですが逝けない。その理由は「突っ込まれるのが嫌」とか
ではなくてですね。「語る」ことが難しいからです。馬鹿みたいな話ですけど。今更の
ように痛感します。前の方で月読氏と言葉→「喚起」について話したことが思い出され
ますが、結局、語られていることは何か?から遠く離れて、いかに語るか?そもそも何
が「語り」なのか?というレベルまで不可逆的にシフトすることを避けられない感じです。
その理由は語る向こう側に他者がいるからです。そこでのテーマが「現代美術」だとか
そういうこと以前の部分です。
それこそ、何が描かれているか。→いかに描かれているか。→そもそも、描かれ
ていると定義できる根拠は何か?ってな自己言及パラドックスが、現代美術初歩
の初歩ではおなじみではありますけど。
「異物」「他者」を口にしながら、僕の立位置もまた、自分お手製の迷路でしょうかね。
285 :
添削君1号:2001/05/30(水) 02:28
おいおい、何だよここは。お馬鹿の巣窟か?
添削しちゃうぞ。
とりあえずはすぐ上の、
>>284 おまえ。
>「語る」ことが難しいからです。
シッタカしやがって。
自分の表現力が無いのを、言語の所為にするな。
作文へたくそすぎ。つーか、読まれるものであることを意識しろ。
→読みやすい文章にしましょう。
>それこそ、何が描かれているか。→いかに描かれているか。→そ
>もそも、描かれ ていると定義できる根拠は何か?ってな自己言及
>パラドックスが、
それって、全然「自己言及のパラドックス」とちがうじゃん。
基地外に刃物、厨房に専門用語だね、まったく。
→自己言及パラドックスの正しい例:
・これは文章ではない。・添削君1号はうそつきだ。
>現代美術初歩の初歩ではおなじみではありますけど。
まいったなあ、「初歩の初歩」って何だよ。そもそも、体系化され
た教育の無い「現代美術」に「初歩」なんてねーよ。どこで教えて
いるんだ?そんな間違ったことを。
とにかくおまえら、素直に等身大の修辞を使え。
「おまえら」って言葉使う発言は全部削除対象だけど?
287 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 03:24
嘘をつくな。
288 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 03:26
背のびしたい年ごろなんだよ。
>>256とかcattとか大人毛ないぞ。
289 :
288:2001/05/30(水) 03:27
大人げないのが自慢ですからw
人 々
ミ@Д@彡
291 :
276:2001/05/30(水) 10:14
ナナシノさん:
回答に感謝します。
しかし、ワタシも素直につっこましてもらうならば、285に全く同意。
この人、口は悪いが、いうことは分かる。
−それこそ、何が描かれているか。→いかに描かれているか。→そもそも、描かれ
−ていると定義できる根拠は何か?ってな自己言及パラドックスが、現代美術初歩
−の初歩ではおなじみではありますけど。
それは自己言及パラドックスではありません。
単なる自家中毒的言及です。
そこまで突き詰めると何も出てきません。
故に、「潔く」できなくなるのです。
「月読氏」にもその傾向が見受けられます。
お二人とも博学そうですが。
貴方に必要なのは「誰に向かって語っているのか?」ということ
を考えてみること。これは「現代美術」の問題でもあるよね。
「聴衆・観衆」は誰か、と。
残念ながら2ch上で与太者相手に「語り合う」のは無理。
匿名が身上の場で、貴方が望むような生産的な対話は
中々成立しない。無理とはいわないけれども、難しい。
出来れば貴方に付き合いたいが。。
「サロン(「近代」だね)」じゃないからね、ここは。
ここは、言葉で殴り合う所。。
バカをぶちのめす快感はたまらんでしょう。。
そしてワタシもバカのひとり。
ぼやぼやしていると、噛み付きますよ。
292 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 10:51
ここは、現代のサロンです。
293 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/30(水) 14:41
↑(藁
294 :
私はダリ?名無しさん:2001/05/30(水) 16:14
↑catt
>>294おしい。はずれです。
人 々
ミ@Д@彡
>>285 添削どうも。
無駄とは思いつつ結構考えましたが、反論の余地なしです。
それ位いい加減なひどい内容でした。確かに根本的問題は
表現力だと思いますし、それを隠蔽しようとする自分の卑小さも
認めます。「自己言及パラドックス」については僕がこれ以降数日、
羞恥に苦しむことになると思いますので、それで溜飲を下げていた
だければ幸いでございます。
…それにしても、前述したけど明確な間違いに対しては、ほんと
元気の良いレスがつくなー。。。。
276さんに対してもお詫びを。あと誠実な対応に感謝を。
さて、連日、自己反省とお詫びしかしてない僕ですが、まあ、今までの
ものが少なくとも喜ばれないということは理解しました。僕なりに「聴衆
・観衆」を考えた結果がこれだとは。
ネットでのこととはいえ、今日は結構、鬱な一日でしたよ。しかし、この
スレでの僕の振る舞いに対する、リアルな「反響」ですから、収穫といえ
ば収穫でした。
あ、くどいようだが別に、このスレが終わったとは思いません。(笑)
今日はこのへんで。(「反省会」ですので一応下げます。)
297 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/31(木) 08:03
2chのこの板の聴衆も観衆もかなり限定的と思われ。
気にすることないよ。
298 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/31(木) 08:30
>まいったなあ、「初歩の初歩」って何だよ。そもそも、体系化され
>た教育の無い「現代美術」に「初歩」なんてねーよ。どこで教えて
>いるんだ?そんな間違ったことを。
現代美術カルト・ヴィージェミ。 (ワラ
美術系学校板の深部から発掘!
-----------------------------------------------------------
Bゼミってどうよ?
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2001/05/14(月) 02:58 ID:r3tRbAYI
どこぞかでパンフをもらって興味深く読んだ記憶がある。
芸大先端とやってることたいして変わらんような気もするが。
色々意見が聴きたい。それとも芸デ板に立てるべきだったかな。
とりあえず↓があるようだ。
ttp://www.bsemi.co.jp/ 2 名前:nana 投稿日:2001/05/17(木) 17:43 ID:5N7aI67k
ちょーたのしいyo
作家と気軽に話せて
やりたいほうだい
かも
3 名前:Bゼミはスクーリングからラーニングにかわりました 投稿
日:2001/05/17(木) 18:10 ID:5N7aI67kまず一番の違いは設備面、
事実その差は余りにも大きい。でも、授業内容はBゼミのほうがレ
ベルが高いのが多いかも。川俣正氏、小山穂太郎氏は双方に携わっ
てる。(川俣氏はBゼミに関しては、ここ何年かは年に一度のみだ
が)で、Bゼミのほうがかなり現代美術寄り。でも、勘違い現代美
術には気を付けている。授業内容が5冊ほど本になっている。それ
を見てみ。詳しくはBゼミ ホームページを。
-----------------------------------------------------------
自作自演はともかく、「勘違い現代美術」ってなんだろう?
300 :
276:2001/05/31(木) 14:48
あの、質問があります。だれか教えてください。
インターネットを媒体とした活動をしている作家(芸術家)のサイト
をさがしています。推薦してください。
ただし、HP上でオブジェや絵を売っているタイプの方々ではなく、
あくまで「ネット上に存在する作品」みたいなものに、私は現在
興味があります。
例 : 定点観測カメラを導入したもの
: ストリーム再生の動画
など。。
よろしくおねがいします。
>>299 「勘違い現代美術」
おそらく、ヒロポン系のことと思われ。
それにしても、「〜に気をつけている」ってナンダ?(藁
302 :
276:2001/05/31(木) 15:12
ナナシノさんへ:
貴方は、良い意味でも、そうでなくても、「名物」です。
凹んでないで戻ってきなさい。(藁
ワタシも貴方の誠実さには感謝していますよ。
>>302 ヨノナカじゅうが、チミみたいに、
こんな時間からカキコできるようなヒキコモリばかりなら、
もっと美術鑑賞板もにぎやかなのにね。
304 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/31(木) 16:11
↑
そういうお前がヒキコモリだろうが。
なんとか言ってみろ。
305 :
303:2001/05/31(木) 16:51
>>304 そのとおり。
しかも病院からアクセスだ。なんか文句ある?
そんなことよりも、
「勘違い現代美術に気をつける」ゼミってなんだ?
306 :
本人は性格最低だよ:2001/05/31(木) 17:57
>305病院からアクセスするヒッキーなんて
あいこみたいだな(ピュア
307 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/05/31(木) 21:33
>>299 先代の所長が亡くなられてからは、ちょっとねえ。
それにしても、あからさまな提灯記事のような文章は、痛いなあ。
309 :
通りすがりの鑑賞者A:2001/06/01(金) 16:01
310 :
ナナシノ:2001/06/02(土) 01:56
数年前まで権威だった「安井賞」を実質的に支えていたのは
二紀、独立、新制作等の在野団体だったと思いますが、今日
これらの団体がある意味も全く無いのですかね?
個人的には団体展出身で好きな作家何人かいるのですが、確かに
良い作品の人ほど、早々に団体から足を洗う傾向がありますね。
311 :
つうか、:2001/06/02(土) 04:17
日展=現代美術 っつうのに、無理があると思われ。
2ch以上に、「現代美術」を恣意的に矮曲している。
312 :
私はダリ?名無しさん:2001/06/02(土) 14:34
じゃ、美術って何?
>>312 それぐらい辞書で引け。
//dictionary.goo.ne.jp/cgi-bin/dict_search.cgi?MT=%C8%FE%BD%D1&sw=2
314 :
uwa-:2001/06/03(日) 01:49
ヒロポン清くないからたたかれるんだよ。
しょうがないじゃん、あきらめなよ。いいじゃん
美術やってるんでしょ。やればいいじゃん
せいぜい稼げば。オレは1人でもみとめないけどね。
絵の外注はみとめられない
315 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/03(日) 02:01
TV でアートに説明づけをしたりするものは
どうしても評価がさがると某ンHKでもしっかりと語られていましたが。
316 :
ナナシノ:2001/06/03(日) 02:59
ぶっちゃけた話。美術やる日本人にとって、最も
理想的「昇進」って、要するに大学教授への道なの
でしょうか。だったら公募団体で、ある一定の地位
にまで昇って、それなりのポストを得る計画って、まあ
理解できますね。(共感はしないけど)
若いうちから、残ろうとするもんね。みんな。大学。
そういえば村上隆も5年後くらいには、ちゃっかり
芸大助教授とかになってそうじゃない?(まあ前レス通り
僕は村上作品を支持する立場ですが。)
317 :
泉:2001/06/03(日) 04:04
でも教授とか講師って実績ないと大学ではバカにされ放題だよね。
318 :
ナナシノ:2001/06/03(日) 14:06
>>317 飲みに行ったりすると、逆ギレされたりして(笑)
そんな先生も確かにいますね。一方、極めて強い
方向性、指導力を示すような人物もいて、教授会
とは別の支持によって、(学生からの人気など)の
し上がるような人物もいますが。
319 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/03(日) 14:33
↑エノちゃんみたいにね。氏んじゃったけど。
支持してくれた学生らを、後で助教授等に登用したりしたりもして種。
320 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/03(日) 14:47
321 :
ナナシノ:2001/06/03(日) 15:15
>>319 ありゃ図星。
まさにその人物を思い出して書いてました。
やはり「内輪」の誹りを避けられない様相では
ありますけどね。今後も延々「反復」なのかね。
大学という場は。
322 :
319:2001/06/03(日) 15:52
>>321 国からのパワーサプライがある限り、延々と「反復」だな〜。
それが、「大学」ちゅーもんだしね。
権威闘争や既得権争いが絶えないところだと批判されても仕方がないわな。
私立にしても、総予算の半分は助成たから、公立と変わらないみたいだし。
特別行政法人化進行中に、特別法人整理推進政策発動の兆しなんで、
泣き面に蜂とはまさにこれのことだな。
そのうち上野公園の施設を全部まとめられても全然不思議じゃないしな。
洒落にならんな〜。ホントに。
323 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/03(日) 16:11
まあ、少なくとも、
屋外彫刻の台座に免震装置組み込んでいる場合ではない、と思われ。
324 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/03(日) 20:41
なんの話をしてるのよ。まちっと元気のある奴
いないのかねえ。
325 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/04(月) 02:14
しかたないって、ヒロポン系ががんばって、村上たててんだから、
それって、ある意味あれだよねー。病気。
でも、そこにのっかりたいんならとりたい行動なんでほ。自分じゃ、できないもんで。
泣ける。
326 :
月読:2001/06/04(月) 03:40
反復。(→拡大解釈して、
うーんサブカル系にしてもヲタク系にしても、
表層表現的なものは社会学的な葛藤の中なのかも。
反復でしょ?用は。
(「一方的な搾取のみ」のような邪な見方は勘弁)
トートロジーからどういう風に逸脱、超越するかっていう。
社会学で〜という現象がどう、、、と論じられたところで
既に何らかの答えを誰にしても保持してるわけで、
反撥や共感という形がでてくるのは仕方のないことかも。
一個人の心性から発信したものはよくも悪くも反感や共感を
得てしまう。概念という共有前提のものの前では。
目的が「美の前では沈黙する」ではない。
(作品の解釈理解後に表れるものと思うが)
まあ何にしても「世界に対する肯定的な視点」というのは確かでしょう。
そもそも超越的ってなんなんだろう?
ただ鑑賞者の未知の領域なのか、それとも人類普遍物の
再解釈化、美術・感覚記号化なのか。
327 :
月読:2001/06/04(月) 03:42
>>291 言い訳なんだけど、
「言語活動」と「美術的表現活動」って本質的には同じなのかもしれないけど、
「スキル」に関しては全然違うものじゃん。
職人の叡智(技術)は言語化されないのだ。
328 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/05(火) 00:01
TOYOTAが、沈黙は芸術だ!ってでかでかと
看板たててた。その行為に沈黙してしまった。
329 :
meron:2001/06/05(火) 20:13
この板の製作者だ。現代美術はこだわりの美術だ。
330 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/05(火) 20:15
↑そんなの、ナンでも層ジャン。
331 :
じじ:2001/06/07(木) 12:50
age
332 :
-:2001/06/08(金) 01:17
ー
寂しい下がりかたしてるね。
334 :
じじ:2001/06/09(土) 13:58
菜絵
335 :
名無し:2001/06/10(日) 13:32
現代における美術の役割はおわった。
337 :
名無しダリ尾:2001/06/14(木) 09:45
そうじゃないでしょ
338 :
名無しダリ尾:2001/06/16(土) 15:50
cattでもだれでもいいからかけよ
339 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/16(土) 21:24
荒らしの果てに、廃墟となりました。
あなたの頭の中ほど
廃墟ではない、と思われ(藁
341 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/16(土) 23:22
そうか、やっぱ自分の好きな情景に持っていきたいんだね。
コテハンのキャラが出ておもしろいや。
339=廃墟趣味=ビッフェ=ベンゼン=ククク(?)、でしょ。
342 :
:2001/06/16(土) 23:35
341 =339=廃墟趣味=ビッフェ=ベンゼン=ククク
343 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/16(土) 23:41
>341
だから反応するなって!
(藁
344 :
341:2001/06/16(土) 23:44
ごめん。。342は違う。
345 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/16(土) 23:46
むやみに自作自演勘ぐる奴って、たぶんネカマにひっかかった経験
があって酷い目に遭って、それがトラウマになってるんだと思うん
だよ。それで、ネット上のことは全部必要以上に疑り深くなる。
346 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/16(土) 23:59
?
347 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/17(日) 00:03
図星だからわかんないふり(ワラ
348 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/17(日) 00:11
フン!
349 :
341:2001/06/17(日) 00:14
350 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/17(日) 02:10
>>314 同意同意。絵の外注だけが理由じゃないけどね。
清くないっす。
村上さん、僕に払うはずのお金ちゃんと払ってください。
>>316 あの方が大学(芸大)教授職のはちょっと無理かと思われ。
博士の論文金で買ったことみんな知ってると思われ。
351 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/18(月) 11:19
352 :
名無しダリ尾:2001/06/18(月) 12:51
現代美術=こだわりの美術
353 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/20(水) 09:05
354 :
名無しダリ尾:2001/06/20(水) 17:00
永久に続く現代美術談話・・・
355 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/21(木) 03:41
>>352 意味が解らないので解説くれないだろうか。
356 :
名無しダヨ:2001/06/21(木) 12:48
君もこだわっているねえ
357 :
名無し:2001/06/22(金) 18:28
こだわれ、こだわれ・・・
こだわるぞこだわるぞこだわるぞこだわるぞこだわるぞこだわるぞ
こだわるぞこだわるぞこだわるぞこだわるぞこだわるぞこどぁるぞこど
こdるぞ
359 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/24(日) 13:12
360 :
名無し:2001/06/26(火) 12:10
現代美術の役割はおわったとおもわれ
361 :
名無し:2001/06/27(水) 11:39
ウォーホルいわく「事柄の外側だけをみるといい」
362 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/06/27(水) 21:26
363 :
名無し:2001/07/02(月) 12:08
現代美術は永遠になくならない。
364 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 12:25
現代美術【げんだい-びじゅつ】
WW2後のCIAによる反共文化政策の一種。
占領国が敗戦国などで起こした傀儡文化。
ベルリンの壁が崩壊した後は衰退の一途をたどった。
(参考資料)
THE CULTURAL COLD WAR:
The CIA and the Worldof Arts and Letters.
Frances Stonor Saunders.
その時代にしか通用しない言説はやめてね。
366 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 16:35
>364
その本、私も持っています。ネットで買いました。
富豪ホイットニーが情報将校だったとか、知らない事実の連続で、目から鱗だった。
現代美術観が変わったオススメの一冊。
367 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 16:57
?意味不明? >365
368 :
名無しさんダーバード:2001/07/03(火) 17:58
369 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 19:01
冷戦終結以降、欧米では、コンテンポラリーアートの終焉に関する
書籍がいくつも発行されて、今はひと段落している時期だね。
それを知らない人が多いのはいうまでもないが、知っていてトボケる人も多いのよ。
そして、日本に於いては、美術における政治関与の話題はいまだにタブー。
370 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/03(火) 20:11
でも仮にコンテンポラリー・アートが無くなったらなにが
出てくるわけ?。また具象画が復活してくるってえの?。
371 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/04(水) 04:03
たとえ現代美術が衰退しようとも、現代美術というシニフィアンがなくならない限り
そのシニフィエは存続し続けるのだ。
by 丸山圭三郎
373 :
わたしはダリ?名無しさん?:2001/07/09(月) 12:35
ARTは無くならないが、冷戦文化は終焉したのだ。
せいぜい、先達の遺産を食い潰し、みじめに生きながらえたまへ。
374 :
:2001/07/13(金) 01:22
375 :
わたしはダリ?名無しさん?:
現代美術も終わった。絵画も終わった。美術ジャーナリズムも終わった。
あと、何がある?