現代美術

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127月読
>>114
>ダイジェストな知識って無い方がましですよ<美術を論じる時は。

ダイジェストな知識ならずしてどのように自分の言葉とすればよいのでしょうか。
著書を読破したとしましょう。
そのあとに残るのは「共感→実感」を得られた部分の
言葉や論述内容のダイジェストじゃないんでしょうか?
そもそも引用・参照するのには提唱者の著書や全意図を汲まなければならない
のでしょうか?それを強制する行為は創造行為を閉塞させるもので
あると言って良いでしょう。>>>(注)

また、ダイジェストな理解のほかに何があり得ますか?
全文暗記でしょうか。
「レインマン」の暗記能力亢進の自閉症患者など様の能力を持って
いなければ無理ですよね。
というかいるすさんも御指摘の通り「現象学的還元」が
あなたの「自分の言葉」で語られていません。
それなくしては話が進まない、ということですよ?

大事なのは「実感を伴った理解」ではないですか?
その「実感」の部分であるといえる言語記号のシニフィエ(意味内容)の理解
が重要であるのは当然のことだと思います。
説明できないのならばあなたは「現象学的還元」の言語記号(シニフィアン)と
周辺をただ「知っている」だけ、とみなされますが。どうでしょうか。
「実感を伴った理解」あってこそ「自分の言葉」として語ることが
できるようになる、ということはお分かりでしょうか?
(↑すごく当たり前のことだよね、、、)

手前勝手で恣意的なシニフィエで語ろうとするならそれこそ分裂病ですよ。
真性の分裂病なのでしょうか?まあ程度にもよるでしょうが。
(差別的な意識はありません。むしろ興味あるし、自分の中にも多少
 そのようなきらいはありますので)
どうなのですか?>cattさん
128月読:2001/05/13(日) 02:06
>膨大な積み重ねから生じ、文脈読みが必要な「索引的な」解釈法と
>過去の蓄積を一切必要としないある種突発的・突然変異的な「徴候的な」解釈法
> これが「二つの方法」だと解釈した論拠をお願いしたいです。

そちらに質問してる以上フェアになるようにお答えしましょう。

これはあくまでも学問的な区分け(二元論)なので
言ってしまえば端っこの軸同士がこの2つで、、
実際はその極のグレーゾーンからあまたの創作物、創作メディア
ができているわけですね。

*材料は美術作品に限らず創作全般としましょうか。

最近の文化論などで盛んに言われてるのが、
「漫画・アニメ」は文脈読みで楽しむメディアである、(=ハイコンテクスト性)
ということです。これなどが「索引的な」読み方をするものなのだそうです。
「漫画・アニメ」を読むには様々なお約束(文脈)があります。
例えば擬声語・擬音語などのオノマトペの類い
(服を脱ぐ時の『ぬぎっ』とかがかなり高度との指摘がありますね。)
や溜め息の表現、やり切れなさの表現のぐちゃぐちゃの糸の絡まったような図像の類い、
また他の様々な「お約束」を理解した上でないと作品が成り立たないということですね。
こちらの創作を理解しようとするならば様々な索引がなければならないということですね。
(この2chにも(藁やマターリ、ドキュソ厨房などの「文脈」が存在しますね。)
また、多くのイデオロギー、パラダイム表現としての現代美術はこちらの分類に
入るということです。それこそ別スレの「ウォーホル」ですね。
概念芸術、反芸術、芸術原理主義系、
カリカチュア系や最近のシミュレーショニズム(リミックス、サンプリング)
もこちらですね。理知的・意図的な表現です。
129月読:2001/05/13(日) 02:07
一方「徴候的な」なものはというと、
上でも述べたいわゆる「不条理」「ナンセンス」「シュール」
などの文脈を極力必要としないものなどが挙げられます。
なにか根源的な理解、普遍的なシニフィエとでも言いましょうか、
分裂病的な表現などがこれに当るそうです。
現在本などで挙げられてる例としては「リンチ(映画監督)作品」
「吉田戦車(不条理漫画)」などです。
自分的にはキリコ、ダリ、ムンクだと思います。
(厳密に言うとシュールも「心理分析」という大きな文脈が存在するのですが)
そうそう、当然アウトサイダーアートはこちらの分類です。
言語機能が崩壊しても一向に構わないわけです。
そういう意味でも「表現」というのは偉大です。
言葉なしに物事をそして個人的神話を伝えることができる。

説明と用語を用いて「自分の言葉で」語りました。
間違っていたらどなたか訂正ください
130月読:2001/05/13(日) 02:07
さてさてこれらを自分的に採用した経緯については、
もちろん創作サイドとしていかに表現をすべきかということを
模索中だからということですね。
概念の言語化に昨今努めておるわけです。
あと言葉遊びが好きなので悪戯にボキャブラリーを
増やそうとの試みもあります。
よって「批評家」の立場ではありません。

>>>(注)批評家は言語機能の保持者です。批評家であるならば
間違った言葉の使い方は許されません。
ですが創作の立場であれば一向に構わないということです。
共有されるべきルールなんてありません。あっては困ります。
それでもこの「言語掲示板」に書く媒体は「言葉」であるので、
甘んじて従っているということです。

なもので学術知識に関しては厨房を自認していますし、
もともと感性重視派で、「徴候的な」ものをいままで追ってきたし。
否定的なレスが少ないのもそういうことです。
あなたの立場はなんですか?といるすさんも質問してるのに。
現代美術の近くで「創作」してるのか「批評」してるのか
はたまたただの取り巻きか、ただのネタ厨房かどれなのですか?