思い出に残る食事 2

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201もぐもぐ名無しさん
高校の時、ちょっとした病気で入院して手術した。命に関わるような
大病じゃなかったけど、腹をかなり大きく切ったので、当然、術後は
しばらく点滴だけ。ようやく固形物が食べられるようになったころ、
クラスメイトがお見舞いに来てくれた。「何か食べたいもんある?」と
聞かれて真っ先に脳裏に浮かんだのが「甘いもの」。
売店で買ってきてくれた板チョコ一枚を一度に全部食べてしまった。
あのときの甘さは忘れられない。

#包み紙からばれて看護婦さんに叱られたのも、今となってはいい思い出。
202もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 18:33
親父の作るシーフードカレー。
材料を全部細かく切って、中華鍋で炒めて作るカレーは
どんなに記憶を絞っても再現できない。

毎朝毎晩仕事の合間においしいご飯作ってくれていた。
進学して家を出たら、そのまま永久に親父のご飯が
食べられなくなった。
5年以上たった今でも、時々弟と「あのカレー食べたいね」と
話すことがある。

あの頃は分からなかったけど、祖母と分裂症の母と子供を抱えて
勤めと家業を果たしながら食事作るのは大変だったんだな。
同じ立場になってやっと少し分かった気がする。
親父の作ったカレーも食べたいけど、自分の料理をもっと
食べさせてあげたかった。カレー以外は親父に匹敵するくらい
料理上手くなったんだよ、私。

203もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 22:46
父方のおばあちゃんが作る白和え。
ぜんまいとこんにゃくとごまの白和えだった。
美味しくて大好きだった。でも、おばあちゃんが突然倒れ、
半身不随で今は治療も兼ねた老人ホームに入っている。
もう一年くらいお見舞いに行っていなかった。
白和えはもう作ってもらえないけど、来週お見舞いに行くよ、
おばあちゃん・・・。

母方のおばあちゃんはいわしの梅煮と梅酒が最高だった。
梅酒なんて5年漬けなきゃ飲ませてくれなかったから、
とろりとしていて綺麗な金色で、甘いお酒が苦手な私にもいくらでも飲めた。
そんな祖母も今年、アルツハイマーで施設に入ってしまった。
こっちも、再来週会いに行くよ。私の事覚えてないけど・・。

このスレ読んで、なんだか凄く会いたくなったよ・・。
204もぐもぐ名無しさん:2000/11/13(月) 23:30
数年前、20歳を目前にして両親が離婚しました。
今は父と暮らしていて、母とも結構会っています。
でも・・・時折兄が帰ってきた時、
一緒にご飯を食べながら、もう一度でいい、
家族全員揃ってご飯が食べたい、と思います・・。
父と、母と、兄と、私と、それから最近兄と一緒に帰ってくる
兄の恋人。5人でご飯が食べたいよ・・。
ここ見てて余計そう思って・・涙が止まりません・・。
205もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 01:03
他板で紹介されて来ました。昨日から泣きっぱなしです。
今年の年末はたくさんあるイベント全てうっちゃって実家に帰ろうと思います。

では私の小話など。
私は中2の頃、とても好きな人がいました。初恋の人でした。
同じ町内に住んでいて同じクラスでもあったその人は、明るくて気さくで誰にでも好かれる人でした。
内向的でクラスでも部活でもどこか浮いた所のある私にも普通に接してくれました。

当時私は運動部に所属していたので、放課後、部活が終わったらお腹はペコペコです。
お気に入りのパン屋があったので、そこでよくパンを2個とか買っていました。
いつもは鞄とか手提げ袋などに入れて持ち帰っているのですが、
ある日、自転車の前かごに放り込んだまま帰ったことがありました。
電話をする用事を思い出した私は、自転車を止め、公衆電話を使用しました。
用件も終わり、さぁ帰ろうかと思った瞬間、後ろからその彼が自転車で近寄ってきたのです。
同じ町内だから帰る方向も当然同じなワケで。
「よぉ」と声をかけてくれた彼の目が、前かごに行きました。
そこには明らかに2つ以上のパンが入っていると解るパン屋の包み紙。
驚いたように私を見る彼の目が、いまでも忘れられませんね。

そのパン屋、実家の近所に移転してきてしまって複雑な気分です。
その頃すごく気に入っていたパンを見る度に、あの居たたまれない切ない気分を思い出します。
長々とすみませんでした。
206もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 01:18
>>205
ごめん、あんま意味がわからない。
なんで、「2つ以上のパンが入っていると解るパン屋の包み紙」を
持ってると彼が驚くの?
説明きぼーん。
207205:2000/11/14(火) 01:30
>>206
ああ、言葉が足りませんでしたね。すみません。
私にはその時の彼の表情が「女のくせにそんなに食うのか」と
言っているように見えたもので。
それだけなんですけど…。
208もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 01:39
>>202 を読んでおじいちゃんのカレーを思い出した。
明治生まれなのに、台所に立つのが好きでほとんどのおかずを
仕事の合間に作っていた。(自営業)
その中でもカレーとチャーハンはおいしかった。
特にカレーは中華なべでササッと作るだけなのに、すごーくおいしかった。
ただ市販のカレー粉をそのまま使ったカレーではないので
味を再現できない・・・・・・・・・
だからおじいちゃんがなくなった今では、もう幻の味。
遊びに行くと「ちょっと待ってろ」と言っていろいろ作ってくれた。
従兄弟たちとお葬式のとき、カレーをはじめ作ってくれたものの話をずっとしていた。
もう一度食べたいな。

ところで202さんのお父さんはお亡くなりになったのでしょうか。
209もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 02:13
父も母もなくなって弟と私とおばあちゃんとで暮らしてた。
おばあちゃんがNHKの「きょうの料理」を見て一生懸命洋食作ってくれた。
田舎の農家育ちで洋食なんか作ったことないのに・・・
ダマになったホワイトソースでも、グラタン美味しかったよ。
私ずっと忘れないよ。
210もぐもぐ名無し:2000/11/14(火) 02:42
つ、疲れた。昨日の夜ここ見つけて、泣きながらやっとのことで全部読み終わりました。
まさか2ちゃんねるでこんなに大泣きするとは思わなかったよ。

なんとなく思い出した話ですが、今年の1月、私は年明け早々風邪を引き、会社を休んで
寝込んでいました。我が家は両親・姉は働いているし、弟は学生なんで皆夜にならないと
帰ってきません。熱で食欲も起き上がる気力も無く、私はその日一日中寝ていました。
 夕方くらいになり、流石に眠れなくなり空腹を感じてきましたが、まだ体がだるくて
起き上がるのも辛い状態。そこに弟が学校から帰ってきました。そして寝てる私に「おい、
お前メシ食ったのか?」と聞いてきたのです。「食べてねーよ、腹へった!」と私が言うと、
彼は無言で雑炊を作って持ってきてくれました。普段からは想像もつかないような彼の
行動に驚きつつも感動し「・・・お前、いい奴だな」とその雑炊を食べてみると、
  ・・・・・・・・・・不味い!ってゆーかなんで雑炊がこんな変な味になるんだ!?
しかし何も気づかない弟はぶっきらぼうな態度をとりながらも「う、うまいか?」と
少し不安そうに聞いてくる。流石にここで残しては申し訳ないと思って「うん、
おいしいよ」と答えながら全部食べました。
 今でも弟は時々「見た目は美味しそうに見えるのになぜか変な味」という料理を
作ってくれます。う〜ん、もっと頑張れよ、でも姉ちゃんはお前のそういう不器用な
ところ好きだからな。
211もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 03:11
初めて、今の旦那に手料理食わせたのは、高校の調理実習だった。
あの時は、すごく喜んでくれたのに、10年たった今では、ただ流し込んでるだけ。
おいしいともまずいとも言わず、私の作った料理を食べてる。
今は身体に気をつかって、野菜とか多く取るようにメニューにも気を使ってるけど。
このままずっと、ただ食事を作る機械になりたくないよ。
数年後、料理の塩加減が以上に増えても、多分彼は気づかない。
ここのスレ読んでて、料理って良い事ばかりじゃないなと思った。
んで、別の意味で少し泣けた。
212若葉名無しさん:2000/11/14(火) 04:21
今日(もう昨日ですが)父の命日でした。
昔にありがちな大家族を下半身付随の祖父に代わり、自分の働きで食べさせていた父。
一家の文字通りの大黒柱を15歳から務めていた父は、万事に厳しく、
また家事が一切できない人でした。

そんな父が、母が癌で入院した日、初めておにぎりと卵焼きを作ってくれました。
きっとこれからの母がいない生活を自分なりに考えていたのだと思います。
いつでも一家の柱であろうとしたのかもしれません。

長くないかもしれない、といわれつつ助かった母とは逆に、
父は心筋梗塞であっさりと亡くなってしまいました。
そんな父の命日にこのスレを知り、今はただ泣けます。
焦げた卵焼きと、いびつなおにぎり。
私にとっての一番の思いでです。
213もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 04:31
食事じゃないので関係なさげなんですが
ジュースを見る度に思い出すことを。

高校生の時に友人を亡くしました。
保育園から小中と同じところに通い、毎日一緒に登校し下校し、
残念ながら高校は別々になってしまいましたが、家は近所のため
よく会っていました。遊びから悪さまでずっと一緒にして来た仲です。
彼は実家の農業を継ぐために農業高校へ行き、休日には
農機具を駆り家の畑仕事を喜んでやるという、同姓の私からみても
たくましく魅力的で、誇れる友人でした。

それがある日、彼の母親から電話が。

彼が死んだという一報でした。

そんな馬鹿なと思い慌ててバイクで彼の家へ行こうと思ったところが、
相当私の状態が異常だったらしく祖母に制止させられ、家人と一緒に
車で彼の家へ。自分で確かめるまでは嘘だと信じつつ。そして。

病院から帰ってきた彼は白い布団の上でもう動かないのにまだ暖かくて
それから自分がいつまで泣きつづけたか覚えていません。
人前で声を出して泣いたのは最初で最後です。

死因は、彼が農作業後に乾いた喉を潤すために大量に飲んだ
ジュースが原因の「ペットボトル症候群」(血糖値が急激に
上がるために起きる急性の糖尿病)でした。

その日から私はジュースの類を見るたびに彼のことを思い出します。
甘いはずのジュースは、今でも私には苦いです。
214213:2000/11/14(火) 04:36
食事でもない上に支離滅裂で失礼いたしました。
215もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 05:31
 わたしも食事ではないんですが……。

 私の弟は小さい頃よく体が弱くて熱を出していました。
 食も細く、丈夫でよく食べる私とは対照的でした。

 食欲なく寝たままの弟にすこしでも何かを食べさせようと
共働きで忙しかった母は、よくすりおろした林檎に蜂蜜を一
たらしして弟に出してやっていました。
 わたしはそれがうらやましくてしょうがなく、でも熱のある
弟のものを欲しがるなんていけないことだと思い、ずっと言い
出せずにいました。
 めずらしく風邪を引き込んで熱をだした時、辛かったけど
少しだけ嬉しくて、母に何を食べたいものがあるかと聞かれ、
私は迷わずに「すった林檎!」と答えました。
 朝のあわただしい時間、ばたばたと仕事に出て行く母の気
配を耳にしたあと、用意された台所の食事の皿にかけてあった
布巾を、どきどきしながらとると……。
 すった林檎ではなく、普通に4分の1に切って皮を剥いた
林檎がでんと置いてありました。
 何だか悔しくて、母に見捨てられたような気がして、弟が
うらやましくて、つまんないことなのに誰もいない家で声を
あげて泣きました。

 それから20年近く経ってますが、まだ母のすり林檎は食べ
たことがなく、自分では林檎を買うことはめったにありません。
 今でも林檎を口にすると、そのときの気持ちがほんのりと
浮かびます。
 つまんないトラウマだなあとは思うんですが。

 ……今度実家に帰ったら、すり林檎をねだってみようかな。
216慶商君:2000/11/14(火) 08:10
ロシアのシベリア鉄道の田舎駅にて食べたピロシキが良かったな〜。
ハエ集ってて少々不衛生だけど1個10円くらいだった。
217名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/11/14(火) 11:57
ちと、体を壊して入院していた頃。
妹が家からの差し入れを持って見舞いに来た。
ちょうど昼時、早速おかゆに差し入れの「大人ふりかけ」
をかけて食おうとする俺。
昼飯がまだの妹は、ふりかけを食いたそうだったので、
近くの牛丼屋でライス(あと味噌汁と漬物)をテイク
アウトしてこいと小遣いを渡した。
そのあと病室で一緒に昼飯。
ふりかけを美味そうに食う妹。

ほのぼのした思い出。
218もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 12:15
私も食事じゃないんですが…。
小学校1年の時に生まれて初めて母と長距離フェリーに乗りました。
団体で3等船室。
すっかり船酔いした私はもう胃液しか出ない状態なのに吐き気が治まらず、
(それでもトイレの方が船の中心部分にあって揺れが少なかったのもあって)
トイレで吐きながら一夜を過ごしました。
翌朝、見も知らぬご夫婦が、私と母を自分達の部屋で休むよう声をかけてくれました。
自分たちは船内でゆっくり過ごすからといって、一等の個室を使わせてくださるというのです。
母は申し訳ないと思いつつも、優しい言葉に甘えることにしました。
揺れのないベッドに横になると、やっと吐き気も治まって、楽になりました。

その時、母が飲ませてくれたみかんの絞り汁が忘れられないです。
どなたかが水分補給にとくださったみかんだそうです。
ガーゼなんか無いから、手で絞ったなま暖かいみかんの汁ですけど、
その時は本当に、美味しかったんです。
219よくない話…です:2000/11/14(火) 13:59
小学校低学年のクリスマス。
母が知り合いにケーキの配達の人がいるから、といってケーキを注文しました。
そしてケーキが届いて、私はうれしくて中を見ようとして…
手が滑って箱を床に落としてしまいました。
もちろんケーキはつぶれてしまってます。
母が帰ってきて、つぶれたケーキを見て「どうしたの?」と質問。
私はパニックになっていて、「落としたなんて言ったら怒られる…」と思い…
「来たときからこうなってたの」
と嘘をついてしまった。
母が業者に連絡し、しばらくして、新しいケーキが来た。
そして家族でパーティを開いて…
私は嘘の罪悪感と、配達のおばさんが怒られてることを考えると
ケーキが美味しくなくて…
嘘をついたことがばれるのが怖くて、結局正直に話せなかった。
いまでもクリスマスになるとそのことを思い出して、楽しめません…
タイムマシンがあったらなぁ…
220もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 16:41
中学生の時、こっそり友人と大きな高級喫茶店に入った。
普通のコーヒーなんて注文しなかった。
難しい横文字で書いたメニューをみて「あ、これね。これにしてください」。
出てきたコーヒーには、なにやら葉っぱを巻いたような棒が乗ってた。
しばらく考えてから棒をかじるとやたらとすっぱい。とても食えたモンじゃない。
同じモノを注文した友人は、それに一生懸命ライターで火をつけていた。
これって葉巻だったのか?
ふと横をみると別の客がその棒をカップに突っ込んでかき回していた・・・
俺は歯型のついた短いヤツ、友人は片方コゲコゲになったヤツで同じようにコーヒーをかき混ぜた。
後でその棒は「シナモンスティック」と呼ばれていることが判明した。
221もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 17:15
新潟で食べたトキのカラアゲは美味しかった
222202:2000/11/14(火) 18:45
>>208
遅レスすいません。
そうです。親父は5年程前に亡くなりました。
今は私が代わりに家族の面倒を見ています。

昨日、書き込んだ後「今夜はカレーだ!」と言ったら
弟は黙って手伝って、「やっぱりちょっと違う」
といいながら食べていました。
…冷蔵庫にカニ買っておいたのなら、言えよ…。
223もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 21:03
思い出に残る食事…自分じゃないですが。
父が入院したとき、普段贅沢なものばかり食べる父が
まずい病院食を文句いいながら食べてた。ほんとはいけない
けれど私に命令して色々スーパーで買ってこさせてた。
…もうそのときにはどうしようもないのがわかってたので
看護婦さんの了承のもと色々リクエストに応えてたけれど
もう少しで季節になるある海草だけは届けられなかった。
父が死んだ後その海草をみる度に一人で食べている。
おいしくともなんともないけれど。
224もぐもぐ名無しさん:2000/11/14(火) 22:15
祖母が入院して、祖父は毎日世話をしに行ってた。
だから、祖父と一緒に食事する事は少なかった。

ある日めずらしく家族そろって夕食を食べた。
食べながら父が「明日は検査があるから病院行かなくてもいいよ」
と祖父に言ったその夜、祖父は亡くなった。
老衰だった。

その日の夕食がトンカツだったことは今でも忘れられない。
225もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:39
これから先の文を読む人間は覚悟を決めるように!
警告だ、心臓の弱い奴は読んではいけない!
226もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:39
大学時代、サークルに入って間もない頃、T先輩に連れられて一軒の居酒屋に行った。
一見して判る怪しげな雰囲気、壁に貼りだしてあるメニューの数々、
な、何だこの店は・・・
テーブルに座って、まず初っ鼻に出されてきたのがヘビの生き血!
先輩はそれを飲めと言う。
カウンターでは、マスターが新しいヘビの首を撥ね、生き血を絞り出して
皮をはいでいる・・・
ま、まさかアレを喰うのか?
と、思ってい俺達の前に、突き出しとして何かポッキーのようなモノが・・・
ムカデのカラアゲだ!
ヘビのタレ焼きが出来るまで、それを食って待てという。
T先輩はニヤニヤ笑いながら俺達を見ている、先輩には逆らえない、
一緒に行った俺とSとKは半泣きになった。
227もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:40
覚悟を決め、生き血を飲むことにする。
飲みやすいようにジュースで割ってあるそうだが・・・
息を止め、臭いを嗅がないようにすすり込む!

・・・・・・・・・・生臭い・・・・・・・・・・

そうとしか表現できない味だ、一口目で鳥肌が立つ。
先輩は既に生き血を飲み干し、ムカデのカラアゲをボリボリ食いながら
ビールを飲んでいる。
笑っている先輩の目が半分鋭くなる。泣きたい気持ちで二口目・・・
全身の血が逆流するような悪寒が走る。
Sもグラスを口にしたまま固まっていて、Kはただただ俯いている。
次のツマミが来た、サソリのカラアゲだ・・・
228もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:40
生き血を飲むのはギブアップし、ムカデに手を伸ばす、
サソリを食わされるよりはまだマシだ。
店の人は、棒状のムカデは見た目通りポッキーのような味だという。
一口・・・ 囓る・・・・
香ばしいような、苦いような甘いような、それでいて何とも
形容できないような、そんな味がした。ただ一言いえるのは・・・

・・・・・・・・・・不味い・・・・・・・・・・

砕けたムカデが口の中に、喉の奥に張り付く。

       み、水が飲みたい!

しかし俺達の手の中にあるのはヘビの生き血だ・・・
229もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:43
勘弁してくれと、マジ泣き寸前で先輩に懇願した。
しょうがないと口直しにビールにありつけた。
水も貰った。
こんなに、一杯の水がありがたかったことは無かった。
結局ムカデもサソリも先輩が一人で食べた。メインのヘビもだ。
最初からこうなるのを見越して一人分しか頼んでなかったらしい。
俺とSは自分の飲んだビールの代金を、結局何も食べられなかった
KはT先輩の食ったヘビやサソリの代金まで払わされた。
Kは財布が傷んだだろうが、俺とSは腹が、胸が、喉が痛んだ。
飲んだ生き血と、食ったムカデの味が口の中で反芻され、
まるで今食ったそいつらが、喉の奥から、胃袋の奥から、ザワザワと、
今にも口元まで這い上がって来るような恐怖と錯覚に捕らわれた。
二日寝込んだ。
一〜二週間、マジで胃の調子が悪かった・・・
230もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 00:45
その後T先輩にやはり何人か犠牲になった。
俺達の話を聞いて、面白がってついてった奴もいたらしいが
やっぱり撃退されたらしい。
翌年も新入生が犠牲となった。卒業してOBになってもやっていた。
うちのサークルではT先輩以降、ゲテモノに免疫のある部員がいなくなったため
廃れたようだが、他のサークルでもこの店を利用してる奴らもいた。
俺も何度かカモが引っかかるのを見物にしにいった。
思い返してみると、随分馬鹿なことをやってた学生時代・・・
楽しいこともあり、苦しいこともあり・・・
今となっては、みんな楽しい思い出・・・・・


にゃならねーよ!!

おいT!俺はあの後マジで気分悪くなって半分寝込んでたんだ!
それなのに人が苦しがってるの見てゲラゲラ笑いやがって・・・
このことは俺が生きてる限り絶対忘れん!
忘れたくても忘れられない、嫌でも生涯思い出に残る食事、
一生心の奥に、恨みに残る食事だ!!!!!
231もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 03:00
>225-230 やたら長すぎるよ。面白かったのはキミだけだね。よってsage

はい、次のかたどうぞ!
232名無しさん@1周年:2000/11/15(水) 09:56
>>231
そんなこといちいち言うなや。
233もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 12:21
うちの父親は料理が上手な人でした。
学生時代の弁当も、母が作るとご飯の上にめざしが3匹などという、非常に
大胆なものだったのに対して、たまに彼が作ってくれるそれは、ご丁寧に
ご飯の上にのりで顔が書いてあるような手の込みようでした。

大学からは私が家を出てこともあり、たまに帰ると私の好物だからと鍋に
沢山の肉じゃがを作って待っていてくれました。

自分が幼いころに食べるものがなくて苦労した彼は、自分の子供に食べ物
のことで苦労させるのがいやだったようで、家にある米袋が減ってくると
悲しそうな表情をしていたそうです。

仕事が忙しく、なかなか家に帰れない状態が続いていたら、昨年急に
逝ってしまいました。
こんなことなら、無理にでも時間を作って帰っておけばよかったと悔やみます。
234もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:22
もう20年以上前だが、修学旅行は往復フェリーだった。
結構いい食事が出たが、帰りの時は台風が近づいていてかなり揺れた。
気分が悪くなる人や吐く人が続出。私も吐いてぐったりしてた。
その時出てきた食事がカレー。どうせみんな食事ができないこと見越してるんだな〜、と思っていたら、
実はコックさんが酔って食事が作れなかったらしい。
いつもフェリーに乗ってるのにそういう事も有るのかと、妙に感心した。
235もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:29
以下の文を読んだ人間の、
食い物を粗末にすんじゃねえ
という苦情は一切受け付けない。
236もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:29
このカキコのネタに、今日カレー勝負をやってきた。
今のところ俺は4勝6敗、今日こそ勝って次はタイに持ち込んでやる。
カレー勝負、方法は簡単だ。
まずジャンケンで二人一組になり、その二人で勝ち負けを決める。
で、カレーや二敗って注文をする。
この店はココイチ方式のカレーの辛さやトッピングを自由に選べるスタイルを
取っている。ココイチよりは値段も安く、この勝負には売ってつけだ。
で、勝った方が自分の好きな組み合わせのトッピングを食わせられるということだ。
トッピングの組み合わせは無数だ、その気になればとんでもないものができる。
しかしあんまり凝ると完食されたときにこっちの懐が痛む。間食されれば負けだ、
相手のカレー代まで払わされる。
幾つかのトッピングを選べばすぐに千円は超える。頃合いが勝負だ。
ココイチでやってもいいが、勝とうと思えばかなり気合いが入る。
237もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:30
部署をまたいでこういうイカれた遊びが好きな連中を3人集める、いつもの顔ぶれだ。ジャンケンで俺はAと当たった。こいつには以前の

キムチ+餃子+チーズ+ハヤシライス

という韓国+中華+洋+和を食らった借りがある。
あのキムチの唐辛子の刺激とハヤシの甘ったるさ、それにプラスしてチーズの乳臭さと
餃子のニンニク臭さ、それにキムチとチーズの発酵した臭いと餃子のニラとゴマ油の
強烈な突き上げという凄まじいパンチを食らった恨みは忘れない。
あのときは俺が完食して勝った。今日は俺がお前に食らわせてやる!
ジャンケンには勝った。
さあ覚悟しろ・・・
238もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:30
店の前のジャンケン勝負の後、店内に入る。満席だ、しばらく待って席に案内される。
オーダーを取りに来た。勝った方は気楽だ、自分の好きな物を頼める。
俺はジャーマンソーセージカレーを、勝ち組のBはチキンカツカレーを頼んだ。
お楽しみはこれからだ・・・
俺はBに食わせるメニューを考える。
こいつには和洋中華、それに韓国まで加えたミックス攻撃を食らった。
甘い物と辛い物、臭いの強い発酵食品の組み合わせというオマケ付きだ。
俺もそれで攻めてやる。これは意趣返しだ!
メニューを見る隣のBの目も笑っている・・・
239もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:31
今日、俺が選んだメニューはこうだ。

餃子+バナナ+チーズの二色カレー、
お子さま向けミルクカレーとハヤシライスの組み合わせ

チーズと餃子の組み合わせ攻撃の強烈さは前に俺が身を持って教えられた。
バナナとチーズはピザで食ったときゲロ不味かった。
それにバナナは甘い。ミルクカレーとハヤシも甘い。この組み合わせプラス餃子だ、
敢えてキムチを加えるまでもないだろう。味のバランスは完璧だ。
Aの顔が引きつる。でも一つ残念なのは、ここがココイチじゃないことだ。
究極の最終兵器、納豆が使えない。
240もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:31
カレーが運ばれてきた。
思った通りだ、餃子とチーズの臭いが温まった甘ったるいバナナの臭いと渾然となり、
カレースパイスとハヤシルーの臭いを加えて形容しがたい臭気を放つ。
その物体を前に逡巡するAへの俺からの手向けだ、この特別メニューをかき混ぜてやる。
ミルクカレーとハヤシのルーとチーズが混ざる、トッピングのバナナと餃子も。
もはやこれは・・・
まさにカオスだ!
臭気はますますその混沌の度合いを深め、見た目のそれももはや食物というより
手を付けるのも憚られる廃棄物だ・・・
241もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:32
俺は自分のカレーを食い始める。
Aの隣ではやはりジャンケンに負けたCが

キムチ+バナナ+生卵の大辛カレー

を前に固まっている。こいつのカレーもかき混ぜてやる。
玉子がいい具合に混ざった。なかなかグロテスクだ。
意を決したAが食い始める。顔が引きつっている。水を飲む、ソースをかける。
トッピングを全部脇に寄せ、カレー+ハヤシの本体から片付けていく。
うぇ〜、なんだ〜と唸っている。店の中だ、さすがに不味いとは言えない。
俺とBが自分のカレーを食い終わる頃、それでも半分以上は片づけていた。
そしてすぐに意に反してCがそれほど苦労もなく完食した。
大辛ルー+キムチだったので、辛ぇ〜、辛ぇ〜を連発していたが・・・
242もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:33
やべぇよおい、食えねぇよ・・・
Aの皿の上はソースの大量投入でなんとかルーとライスは無くなっていた。
しかしそれが災いして、そこにはカレールー+ハヤシルー、それにチーズとソースで
汚れた餃子とバナナが転がっていた。
なんとも不気味だ、食い物というより異様なオブジェだ。

勝った・・・

俺は勝利を確信した。しかし・・・
どんな覚悟を決めたのか、Aはバナナをまとめて口に運ぶ!
そして、残った餃子に醤油をかけた!!
カレールー+ハヤシルー+チーズ+ソース+醤油で味付けされた餃子・・・
想像すら付かない。
一口食べるごとにAの顔が歪む。水で流し込む。お前はもう何杯水を飲んでるんだ?
そうまでして勝ちたいのか・・・
引きつった笑い顔で、Aは4つある餃子を食べ進む。
243もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:33
結果は・・・
AとCは完食した。俺とBの負けだ。奴らのカレー代はこっち持ちだ。
代金2310円を払いながら、俺は敗北感に包まれた。
4勝7敗、また負けが嵩んでしまった。
帰り道、食えたもんじゃねーよなー、人間の食いもんじゃねーよと連発するBに、
俺は本当にお前は人間じゃねーと思った。
相手が悪かった。しかし・・・
今日は負けたが、またいつか絶対にリベンジしてやる!
今日の負けを心に刻んで、次こそは絶対に勝ってやる!!
244もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 14:36
新婚ほやほやの頃、大学生活(自炊生活)7年の夫が俺はカレーなら一週間続いても大丈夫だ
と言いだし、実際に一週間カレーにしろと命令された。
ホントに一週間カレーでいいのね!絶対いいのね!と何度も念押しをし、大勢が来ても大丈夫用の
大鍋でS&Bゴールデンカレーの大箱を3箱ぐらい使って大量のカレーを作った。

が、ヤツはそれから3回目の食事で「またカレー?」とのたまった。ちょっとキレた。
結局朝晩カレーを食べて無くなるまで5日かかった。

それからまる1年は我が家でカレーはしなかった。
いつも何種類かのルーを混ぜてカレーを作るのだが、S&Bゴールデンカレーのルーを
買う気になるまでに、さらに5年必要だった。
245ロリコン:2000/11/15(水) 15:08
長えよ。
246もぐもぐ名無しさん:2000/11/15(水) 18:18
食べ物に関する思い出といえば、モロゾフのチーズケーキを食ったとき、
世の中にこんなうまいものがあるのかと目から鱗だった。
もちろん母親はそんなものを一気に食べさせたりしないし、妹と分けなければ
ならなかったので、いつかホール丸ごと食べるのが私の夢となっていた。

大学に入って親元を離れ、バイトをしたお金でホール丸ごと買って食べてみた。
妹と奪いあって食っていたときほどには美味しくなかった。
そういう話を妹にこないだしたら、妹も親元を離れたときに同じことを
試したらしい。
ホールケーキは分け合ってこそうまいのだな、と思いつつ。同じことをやるとは
さすが兄弟であると思ったり。
そんな妹も一時の母になっている。私もモロゾフのチーズケーキよりもおいしい
ケーキが世の中に沢山あることを知ったが、今でもかのチーズケーキを見ると
ちょっと頭をかきつつ、初めて食べたときの感動を思い出す。
247Mrs.名無しさん:2000/11/16(木) 01:33
揚げ
248スリムななし(仮)さん:2000/11/16(木) 03:11
叔父の骨董品屋が、コンビニになっていた。
母は叔父が嫌いだった。顔を見るのも嫌だったらしい。理由もなんとなくだけど分かった。
当時小学生だったので、こっそり通っていた。オレは叔父が好きだった。
そこへ行くと必ずシェークを作ってくれた。
ヤマ●キデイリーストアだったのだが、むかいに7ができたおかげで
あっという間につぶれた。

1年後くらいに、たまたま父がいた時に叔父が来て、話がある、と家の中に入っていった。
買い物から帰ってきた母が叔父の顔を見ると、いままで見たこともないような怖い顔をして
今すぐ出てけ、とだけ言った。叔父は何も言わずに出て行った。父も何も言わなかった。

葬式の帰りに思い出し。シェークなんてもう飲まないトシになっちゃったんだけどね。
249芋粥:2000/11/16(木) 15:53
皆さんも一度は経験があるとは思いますが、
ちょっとあほくさいお話を。

社会人になってから、大学時代の鍋仲間で集まり、
鍋を食べることになりました。せっかく社会人になったのだからと
がんばって、肉:野菜=8:2という肉だらけの豪勢なすき焼きを
大量に作りました。

いつもなら取り合いになるはずの肉で埋め尽くされた
その鍋が美味しく感じたのは、最初の2,3口だけでした。

鍋の季節になり、仲間同士で鍋をつつく時には、
しょっちゅう話題に上がります。
250もぐもぐ名無しさん:2000/11/16(木) 18:31
思い出に残っていない食事の話を。

数年前、地元の祭りがあるので親戚がやってきました。
その中に、私になついていた女の子がいました。
まだ小学生で、家では全然手伝わないらしいんですが
私の作るハンバーグが好きで、私が料理する時は
いつもくっついて来ます。それで、手伝ってもらいました。
その日のメニューもハンバーグだったんですが、
一緒にサラダを作りました。
そのサラダのレシピは、その日見た雑誌のやつでした。
彼女は、それがいたく気に入ったようで
家に帰ってからもよくお母さんに
「お姉ちゃんの作ったサラダが食べたい」とねだったそうです。
「でも、作り方が分からないのよね〜教えてくれる?」
とそのお母さんに後日、聞かれました。

…しかし、私にはその時作ったサラダも、
何の雑誌のレシピだったかも、一切記憶がないのです…。

あの子には思い出に残ったんだろうなあと思いますが
再現する手段がないのが、ちょっと申し訳ないです。
何だっけ…。
251もぐもぐ名無しさん:2000/11/17(金) 21:34
スレ違いな感もあるけども
うちの母親は睡眠時間を削って毎日仕事をしている。土日も関係なし。
でも、食卓に並ぶおかずはどれもこれもおいしかった。
あまりに忙しくスーパーのお惣菜が食卓に並ぶことも月に2〜3回はあったけど
作ってくれる時には今思い起こせば手のかかるものが妙に多かった。
仕事が忙しく、母親は自分の身を削って仕事をしているので
子育てに手が回らなかったことも多々あったと母は後悔もしてる。
それでもあの食事メニューを思い起こせば、愛情を感じずにはいられない。

私が中学に上がった頃からか、食事はすべて私が作るようになったのと
更に今は実家を離れて1人暮しをしているのとで
ここ何年も母の作った晩御飯を食べてはいないけど、
酢豚やグラタン、おでんやロール白菜など、
どれもこれも味は忘れちゃってるけど忘れ難いものがきちんと心に刻まれてるな。
252もぐもぐ名無しさん:2000/11/17(金) 21:39
お母さんが昔よく、手作りのお菓子作ってくれた。
パンプリン、ミルクプリン(ト、ユウナノゼリ−)、カップケーキ、、
家、貧乏だったし(今より)よく、手作りしてもらった。
パンも作ってくれた。ハイジの白パン系の形で歯ごたえは有り。
塩とマーガリンがきいてたなぁ〜
253もぐもぐ名無しさん:2000/11/17(金) 22:08
大学時代、料理好きの俺は、よく友人に
ご飯を作ってあげていました。

その日も、知人から電話が有り、
夕ご飯を作って欲しいとのこと。
19時くらいに遊びに来るということで、
食材を揃え、丁度来た時にご飯が出来る
ように準備してました。

彼は、時間通りには現れず、
その後いつまで経っても、来る気配が無い。
おかしいと思い、彼の部屋を訪ねてみると
(共に、寮住まいだった)、在宅中の上
コンビニ弁当をほおばっている最中。
彼は、夕飯を頼んでいたのを忘れてたんです。

俺の顔を見て、「あっ!」って気付いて
すぐ謝ってきたんだけど、やっぱりどうしても
我慢ならなくって、言いたい事言って帰ってきた。

一人、部屋で冷めた二人分のご飯を
やけになってかっ込みながら、情けないような
悔しいような、なんとも言えぬ気持ちになったものです。

平気で夕食をすっぽかす旦那を持った
奥様方の気持ちが、少し理解できた気がしました(^^;
254もぐもぐ名無しさん:2000/11/17(金) 22:16
私が小学6年のとき母が過労で入院しました。
父は食事なんて作れず、家族5人が困惑しました。
長女だった私が家族を喜ばせようと夕食作りにチャレンジ。
「味噌汁とご飯と焼き魚」というシンプルなメニューでしたが・・・
しかし私は味噌汁のだしを忘れてしまい、ただの「みそ湯」になっていました・・・。
弟と妹は無言で残していましたが、父だけはうれしそうに「うまいうまい」といって残らず食べてました。
翌日、病院の母にもおいしい夕食のことを話していたそうです。

最近、外国のホテルの朝食バイキングで「みそ湯」を飲んでたら、
その当時の恥ずかしかった事や父の事思い出してすごくなつかしーくなってしまいました。

255もぐもぐ名無しさん:2000/11/18(土) 06:37
小学校1年の担任の先生(女)は厳しい人で、給食を残すことを絶対許さな
かった。食べれるまで帰らせてくれなかった。一年生だと午後の授業が無い
日が多いので、それこそ2時でも3時でも、食べれるまで給食と向かい合い。
自分だけが残されるならまだしも、自分と席が同じ列の人は連帯責任で全員
残されるため、みんなに「早く食べてよー」と見つめられながら、食べれなくて
泣く毎日。みんなもいい迷惑だったでしょうに・・・。
申し訳ない気持ちで一杯なんだけど、どうしても食べられなくて・・・特にやきそ
ばに入ってるキャベツの芯が天敵だった。

他にも縄跳びを20回飛べるまで教室に入れてくれなかったこととか、宿題を
忘れたら廊下で正座してやらされたことも忘れられないけど、好き嫌いの多い
私にとって一番辛かったのは給食だった。
「切干大根」の日は、大泣きして学校を休んだこととか、今思い出すと笑える
けど、あの時は生きるか死ぬかの瀬戸際って感じでした。

そのクラスには登校拒否の子が2人いたんだけど、理由は「給食が食べられ
ないから」。結局一人は転校していったけど、「一年生にそこまで厳しくするのは
どうか」っていうのが問題になって、翌年その先生は6年生の担任に変わった。

大人になった今、最高の贅沢は「高級なものを食べる」じゃなくて「自分の好き
なものだけを食べる」ことだとしみじみ思います。
256もぐもぐ名無しさん:2000/11/18(土) 21:07
俺にはかけがえのない人がいる。
借りのある人に頼まれて知り合った子だけど、付き合う内に俺にとって本当にかけ
がえのない人間になった。俺にとってはまだ子供だけれど、時間がその子を大人
にしてくれるはずだから。
でも大人になったら、大人になれたらが口癖のその子はもうそれだけの時間がな
かった。
忘れられないのは、まだ少しは食べられた時のこと。
本当は食欲なんかなかっただろうに、誕生日になにが食べたい?と聞くと、今まで
雑誌で見るしかできなかったからと色々な飯をリクエストしてきた。わいわい言い
ながら作って、テーブルにならんだ料理を眺めて、それからその子は行儀よくいた
だきますを言って、一口づつ食べた。それからぽろぽろ涙を落として笑って言って
くれた言葉は、たった一言「おいしい」だった。
今その子は点滴だけで生きている。あれがあの子にとっての最後の食事になるの
かな。せめてあと一度だけでいいから、お腹いっぱいに好きなものを食べさせて
やりたい。
257もぐもぐ名無しさん:2000/11/18(土) 23:11
私の父親は、亭主関白と言えば聞こえもそれなりだが、単なる我儘乱暴親父だった。
とにかく機嫌が悪くなると家族に当る当る。家族が集まる食事時は、親父の鬱憤晴らしの
恰好の場だった。怒鳴り散らし、物を投げ、場合によっては張り倒される恐怖と戦いながら
食う飯の、なんと不味かったことか。文字通り砂を噛むような思いだった。

ある年のクリスマスシーズン。2〜3日前から親父の機嫌が悪かった。
母は父の機嫌を取るために、一生懸命クリスマスディナーを作った。
テーブルの中央にケーキを飾って、鶏の腿肉を焼いて…。
我々子供たちも手伝って、テーブルセッティングを終え、父の帰宅を待った。
いつもなら7時には帰ってくる父が、その日に限って帰って来ない。
8時になっても、9時を過ぎても帰って来ない。
先に食ったりすれば、それでなくともこの数日機嫌の悪い父のこと。どれほど暴れるか
想像もつかない。母は子供らをなだめながら、黙々と待った。

父が帰ってきたのは、午前零時。酒が入っていたのだろう、妙にご機嫌だった。
食堂で家族全員がじっと待っているのを見た父は、バカにしたような顔つきで
「おや、皆さん、どうかしたんですか?」と日頃は家族に絶対使わない丁寧語で
言い放ち、振り返りもせず寝室へ直行した。

母は黙って食卓を片付けた。食欲など皆失せはてていた。
258もぐもぐ名無しさん:2000/11/19(日) 16:30
あのー横レスすみません。
思い出に残る食事1を最後のもの食う人さんのレスまで保存した人いませんか?
ううぅ最後まで読みたかった。履歴にも残ってないし、、、ショック
259名無し1:2000/11/19(日) 21:46
ついこないだ2CHのどっかで読んだけど?
どこだったかな。
260もぐもぐ名無しさん:2000/11/20(月) 01:35
>>258
見つけたけど、大きすぎて表示されないってさ。
一応貼っておくね。多分ここ。

http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=951552846
261258:2000/11/20(月) 12:49
>259
>260
レスありがとうございます。>260さんのやはり見れなかったんですけど、
気持ちがすごくうれしかったです。いいスレにはいい人がいますね。(^_^)
262名前無し:2000/11/20(月) 18:23
小さい頃、私はとても食欲旺盛で、肉が大好きでした。
お肉の類いはいつも2人分食してました。
母親は、家族一人に付き1人前を用意してるだけなのですが、
「これも食べなさい」って、いつも母親は、
自分の分を私にくれるんです。
母親は魚好きで、肉はそれほど食べないというのもあると思うのですが、
お肉のおかずが無くなると、
ご飯とお味噌汁と付け合わせ位になってしまう。

ある日、聞いてみたんです。
「なんで、いつもお姉ちゃん(私です(^^;)にくれるの?」と。

「自分で食べるよりも、子供が食べて
喜んでいるのをみるほうが嬉しいんだよ。」

その時は、そんなもんかなって思っただけですが、
今思い出すと母の愛情が嬉しく心温まります。
263もぐもぐ名無しさん:2000/11/20(月) 20:13
よし、もうちょっとで仕事おしまい。
さあ今夜の晩ご飯が楽しみだぁ。
妻と子供がおいらを待ってるのさ。
こんな毎日の晩御飯がたまらなく幸せです。
264名無しは無慈悲な夜の女王:2000/11/20(月) 20:46
すさむ話ですが。
家が貧乏だなんて気付かなかった頃のこと(つーか、下には下がいるのを見ていたから)。
私は弟と一緒に具だくさんのラーメンを食べていました。
母は父の晩酌のつまみをこしらえていました。
そこにいきなり父の弟が乗り込んできて「ぶっ殺してやる!」と叫び、
母に「包丁出せ!」と怒鳴ったり、父に殴りかかったり。
私と弟は母に促され、ラーメンを放って子供部屋に避難しました。
事情はお金絡みのこととしか言えないけれど、父に落ち度などないのは確かでした。
父の下の弟が止めに入ってくれて大事には至らなかったけれど、
それからずっと、家で食べるラーメンには悲しみが付きまといます。
265Mrs.名無しさん:2000/11/20(月) 20:53


266Mrs.名無しさん:2000/11/20(月) 20:57
>>257
すみません、泣けてしまいました。
267ニュース板より:2000/11/22(水) 03:12
35 名前: 林 投稿日: 2000/11/22(水) 03:04

俺はそんなに言われなかったが当時小学生の妹が本当に可哀想だった。

給食でカレーのある日に学校に行きたくないと泣きながら訴えていた。
休んだらなおさら言われるよと諭されて行ったものの、その日の給食
ではイジメ小僧どもに危険だからと、当番を外され、掃除用具入れに
閉じ込められた。と家に帰ってくるなり母に話して泣き崩れた。夜に母から
この話を聞いたときは俺も親父も悲しくて涙が止まらなかった。
親父はその晩のうちに担任の家に行って担任を引っ張り出して、妹を
閉じ込めたガキの家に乗り込んだ。親父が荒いことをしないようにと
俺もついていったけど、「子供の喧嘩でこんな夜中に来るのは非常識
じゃないですか?」と言った相手の親に、俺の方が掴みかかってしま
った。親父はそんな俺をビンタして先に帰らせた。
その後、妹を苛めていた他の子供の親たちも呼んで話し合ったらしい。
親父が家に帰ってきたのは朝の7時過ぎだった。それ以来、妹は学校で
苛められることはなくなったそうだけど、中学生となった今でもカレー
だけは食べることができない。うちの食卓にカレーが出なくなってから
もう2年以上が経つ。俺自身は外で食べればいいだけの話だから構わない。
(母の作ったものを食べたい時もあるが)ただ、いつか妹が自分の
子供をもつまでには、なんとかこのトラウマがなくなって欲しいと思う。
268もぐもぐ名無しさん:2000/11/22(水) 19:00
5年近く付き合った、大好きな人がいました。
彼は一人暮しだったので、家に来た時には少しでも
美味しくて栄養のある物を食べて欲しくて、よくご飯を作ってあげてました。
ある時彼が『この間実家でおふくろのカレー食ったけど、
お前の作るカレーの方が美味いと思った』
と、言ってくれた事がありました。
『俺、洗脳されてる?』って、笑ってたけど、私はすごく嬉しかった。
ずいぶんひどい振られ方で別れてしまったけど、
私の作った食事が、彼の中の『思い出に残る食事』に
なってるといいなあ、と思います。
269もぐもぐ名無しさん:2000/11/22(水) 22:14
5年前、渋谷のマックで退学届を書いた。
様々な事情が絡んでいるので背景説明は省くが、
俺は絵で飯を食っていくんだと自分に言い聞かせながら
おそらく一生に一度しか書かないだろう書面を汚い字で綴った。
書いた後に口にした冷めたポテトの舌触りだけは忘れられず、
そのときから食べたくない食い物の一つになった。

今は駆け出しながら、なんとか絵で食えるようになった事が
せめてもの救いかもしれない。
誇れるような職に就きたかった訳じゃない。
世の中の端を歩く事になっても、自由になりたかった。
あの時の自分をわずかながら肯定できるようになった、
今の自分がありがたい。

・・・青臭いな。オザキ風味でお恥ずかしい事です。
270名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 02:23
うちの野球部では先輩の痰の入ったコーラを新入生が飲む儀式があった。
拒否するとボコボコニ殴られるか、退部のどちらかになる。
俺は普通に飲み干した。すると、先輩達の要求はだんだんエスカレート
していった。今、俺が人のウンコを食うことに夢中なのはあのころの
思い出の食事がきっかけみたいだ。今度はいぬのにも挑戦する。
271もぐもぐ名無しさん:2000/11/23(木) 07:24
俺がまだ小学一年ぐらいのこと。
スパゲティを食べようと箸で一生懸命自分の茶碗に移そうとしてたとき、
妹が皿ごと横取りしようとした。
「待てよ!」って言ったら、突然隣にいた父に殴られた。
拍子に茶碗も床に落ちて、何故殴られたのかも分からず、俺は涙ぐんで床にこぼれ落ちた飯を手で拾ってた。
家族の中で俺に慰めの言葉とか、俺に味方する人はいなかった。

・・・ひょっとしたら、これって本当に俺が悪いのか?
今までの人生、嫌な想い出しかないよ・・・sage。
272もぐもぐ名無しさん:2000/11/23(木) 10:42
暴力お父さんが怖くて誰も言い出せなかったのでは。
273名無しさん@1周年:2000/11/23(木) 10:53
>>270
私もそうですよ〜!もしかして、そういうのって自分だけで
変態じゃないのかと思って不安だったのですが、ちょっと
安心しました。
274名無しさん@1周年:2000/11/24(金) 06:40
うんこってとんこつの味だから、おいしい人とそうでない人との差が激しいよね
275電猫:2000/11/26(日) 04:32
生前弟はガム中毒っていえるくらいチューインガムが大好きでした。
その消費量たるや、歯が解けるんじゃないかと思えたくらい(笑。
母も虫歯を気遣って、ほどほどに買ってくるよう調節してました。
弟はまだ高校入りたてでお金も無かったから自分で買ってくるような
こともしてなかったし。

ある朝、突然、弟は冷たくなってました。前日の夜「早く寝なよー」って
喋ったばっかりだったのに。若い人でも、時々、なんの原因も無くても
いきなり心臓が止まってる、ということがあるんだそうです。

スーパーにいって、置いてあるだけの種類のガムを買ってきてお棺に
入れました。山盛りになってました。どうせ燃やしてしまうんですけどね。

僕はあまりガムを食べないほうですがコンビニで弟が好きだったガム
とか見るとあの山盛り思い出します。もうあんな一気にガム買うこと
なんてないだろうなあ。


このスレのことは知ってたんですけど、昨日が命日だったんで、
ちょっと書き込んでみました。
276もぐもぐ名無しさん:2000/11/26(日) 14:53
趣旨がずれそうですが・・・
幼稚園のころのある朝起こしにきたのが母ではなく
父だった、母はお産のため入院した為だ。
そのときの朝ごはんのじゃがいもとたまねぎの味噌汁
が忘れられないなー
後、食が細かった自分に作ってくれた、ごはんですよをのっけた
冷奴も忘れられないなー
実家からちゃんとご飯たべてる?電話があったので
こんなことを思い出した。
277もぐもぐ名無しさん:2000/11/28(火) 15:11
ずっとファンだった人がいます。
某プロスポーツ選手で最近結構有名になっている人。
学生の頃から好きだったのですが彼はプロ入りと同時に地元を離れて
彼の試合を見に行けるのは年に数回。
当時は顔見知りくらいにはなれていたと思いますがもう数年前の話。
私なんてすっかり忘れられていると思っていました。

ところが先日地元のお寿司屋で彼の試合や調子について話しているときに
知らない中年の女性の方に声を掛けられました。
「もしかして、@@さんよね?(私の名前)」
なんとその方は彼のお母様。
彼は私のことを覚えてくれていてたまに試合見に行ったのも気づいてくれていたそうです。
そしてお母様に名前や昔から見ていたことを話していたらしいのです。
「@@さんは俺が最初にサインあげた人だよって何度も言うのよ、あの子」
・・・感涙。

そのあとお母様は「この店で一番おいしいのはこれよ」と鯛の握りを奢って下さいました。
握り、サビ抜きじゃなかったのに(わさびダメなんです)世界で一番おいしいと思いました。
278偽グルメ:2000/11/28(火) 15:23
このスレ、どれが真実で、どれがネタかって考えると面白い。
279もぐもぐ名無しさん:2000/11/28(火) 16:02
自分が感じて信じたままに・・全部ネタとは思わないし。
280偽グルメ:2000/11/28(火) 16:20
それが一番やね >>279さん
281もぐもぐ名無しさん:2000/11/30(木) 13:03
あげさせていただきます
282やの字:2000/11/30(木) 13:31
やっぱり恋愛がらみになってしまう(笑)。
去年の6月によいな、と思っていた女の子に告って見事にふられた。
ちょうど転勤が決まって、多分二度とあえないだろうということが
分かっていたから勇気を振り絞った。場所は家の近くの喫茶店。
話の内容は覚えていない。が「ごめんなさい」と彼女が小さくなって言った
のだけは覚えている。
引越しの準備も終わって家には食い物なかったから、彼女が帰った後、一人で
その喫茶店で飯を食った。ボソボソのハンバーグ切りながら「なにやってる
んだろう」とぼんやりしていた。
別にその日はどうということもなかったのだが、大阪に転勤して一週間ぐらい
して彼女から手紙が来た。もう一度考えましたが、やっぱり恋愛の対象とは
おもえない…という内容。それから3回も手紙が来た。季節のあいさつと
健康を気遣っている内容。
別に放っておいてくれてもいいのに。優しいこだったな、いいこだったな
…振られたけど(笑)。
いい女を好きになったことは一生の宝かもしれんね。ハンバーグとセット
になった思い出です。振られたけど(あー、ひつこい)。
283まぐまぐ:2000/12/01(金) 14:46
このスレいいですね。
じゃ、僕もひとつ
実家にいるときは好き嫌いばかりで母が作る料理に文句ばかり言ってました。
それで、母がおこって「あんただけ明日から自分で弁当買ってきな!」
といいました。で、おれもむかついたから「じゃあ、晩飯代500円」
みたいな話をしました。
次の日、部活帰りにセブンイレブンでびっくりチキンカツ弁当
[たしか500円のはず]をかって家に帰ったら、母がすぐドアをあけて
「今日すきやきだよー」っていいました。俺は無意識に弁当を見せて
自分の部屋で温めてもいない弁当を一人で食べました。
ごめんなさい。
大学から一人暮しして、好き嫌いはほとんど無くなりいまでは実家に帰るの楽しみです。
284名無しチェケラッチョ♪:2000/12/03(日) 01:34
すばらしいage
285もぐもぐ名無しさん:2000/12/04(月) 13:32
いつも楽しみにこちらを読ませていただいてます。食べ物って記憶に結び付きやす
いんでしょうか。
自分の事ではないのですが、母がアイスを見ると思い出して語る小話なんぞを一つ。

中国地方の山奥に住んでいた母が子どもの頃は、家はちっちゃな農家で、家族総出
で朝から晩まで働いてたという状態。
そんなある夏の日、村にアイスキャンディー屋さんがやってきました。山奥の田舎、
ということで例えそれが戦後であってもまだアイスは珍しく、滅多に食べられるも
のではなかったとのこと。周囲に店もほとんどなく、月に1度くらいの割合でこん
な物売りさんがやってくるのがとても楽しみだったそうです。
折りしもカンカン照りの真夏日。昼の支度をしていた母の母(つまり私から見てば
ーちゃん)は、「たまには冷たいものも食べさせてあげたい」と思い、思い切って
家族分のアイスを買いました。ちょうど母を含めた子どもたちがお昼御飯を食べに
学校から帰ってきて、初めて手にするアイスキャンディーに大歓声。
あとは、畑に出たままのじぃちゃんの分が一本……
しかし、アイスはどんどん溶けていきます。(当然冷蔵庫などはありません)。

そこで、ばーちゃんの考えたこと。
「冷たいところで冷やしておけば大丈夫」。

子どもたちに畑にいるじぃちゃんを呼びにやらせている間、ばーちゃんは野菜を冷
やしたりする井戸の中に入れてしまいました。井戸水の中に。
「アイスがある」ということで浮き浮きしながら帰ってきたじぃちゃんが手にした
ものは、棒一本になってしまったアイスキャンディーのなれの果て……。
今でも、親戚一同が暑い日に集まったりすると話題に上がるそうです。

泣ける話ではありませんが、母の楽しかった子供時代の思い出ということで。長文
失礼致しました。
286もぐもぐ名無しさん:2000/12/04(月) 18:56
ほのぼのage
287もぐもぐ名無しさん:2000/12/06(水) 12:08
このスレ好きなのでage
288もぐもぐ名無しさん:2000/12/10(日) 03:56
数年前の今日、当時片想いで好きだった人の子供を中絶した。
手術後、つきそってくれた友人と、友人の知り合いの家に行き、
友人と夕食を作った。
手術当日は絶対安静なんて百も承知だったけど、
何かをしておかなければ、壊れていく自分がいて、必死で作った。
友人が私を心配しすぎて泣くのではないかと、そちらの方が心配で、
努めて何も考えないようにした。
つわり続きで、そのころほとんど食べられていなかったのに、
お腹の赤ちゃんがいなくなった途端に戻ってきた食欲に、
自分が一番驚いた。ひどく嫌悪した。
美味しいと思うたびに、死にたくなった。
「なんで?なんで美味しい?」
泣けるほどの余裕もなかった。ただ、ずっとその疑問符だけが
ぐるぐると廻っていた。
美味しいことが哀しかったお話。

暗い話でごめんなさい。面白く無いので、sage.
289もぐもぐ名無しさん:2000/12/12(火) 01:56
このスレ読んでたら、記憶がよみがえってきました。

小学校低学年だった頃、父親が外に愛人を作って
何ヶ月も帰らない時があった。
残されたのは母と2つ上の姉とわたし。父親は真面目に会社に
行ってはいたようなだけど、お給料は一切家には入れず。
最初は貯金を食いつぶしながら親子三人暮らしてたけど、
さすがに何ヶ月後かにはお金もなくなってきてだんだんと食事情が貧しくなってた。
母はお米にはこだわる人で、いつも一番高いお米を買っていたようだけど、
一番安いお米になったり。おかずの数も減ったり。
そんな日々が続き、さすがに幼い私も「なんかうちはへんだ」と
感づいてきたんだけど、「どうしてお父さんは帰って来ないの?」と
母親に聞いても「お父さんは遠くにお仕事なのよ」と言われ、「そーなんだー」と納得してた。
するとある日、学校から帰ったら、父親がひょっこり戻ってきている!
母親が説得したのか親戚に諭されたのか。しかしその時私はすっかり父親がいない
環境にも慣れた頃で、父親の姿を見ても格段喜ぶわけでもなかった。
そんな娘の態度が気に食わない父親は(勝手だ…)夕食前までにはすっかり不機嫌に。
そしてそんな不機嫌な父親が怖く、ますます寄り付かない私。
そんな状況をわかっているのかわかっていないのか、母親は何事もなかったかのように、
夕飯の仕度をしてたなぁ。
そして、親子4人久しぶりに食卓を囲んだ。
すると、テーブルに運ばれてきた食事はここ何ヶ月か姿を見せて
いなかった豪華な食事。多分、メインはトンカツか何かだったと思うんだけど、
その他色々なおかずがあった。
何ヶ月かご飯+おかず一品続きだったので、その食事を見て開口一番、
「わぁ!今日は豪華だね!なんでなんで!?」とはしゃぐ私。
久しぶりの父親の姿には喜ばず、今日の晩ご飯に喜ぶ娘の姿を見て父親はますます不機嫌に。(顔が怖かった…)
すると、今まで黙って座っていた姉が「○○(私の名)、黙って食べり。」(一部方言)とぴしゃり。
まだその場の雰囲気が読めない私は「??」と思いながらも黙って食べることに…。
父親はどんどん不機嫌になっていき、久しぶりの食卓は沈黙ばかり落ちて行く。
幼いながらもなんとなく「はしゃいじゃいけないんだ…。しゃべっちゃいけないんだ…。ちゃんと食べないといけない…。」
と考え、緊張しながらお箸を進めてた。
その緊張のせいか、私はトンカツソースをスカートにこぼしてしまい、「あっ!またお父さんが怖くなる!」
とすごくあせった。そしたら、黙ってふきんでスカートを拭いてくれたのは姉。
そんな娘達を見て何も言わず、黙って箸を進める両親。
「ごめんなさい…。」と姉に謝るわたし。

その後、結局父親は再び家を出ていき両親は離婚したのだけれど。
もう、15年以上前の記憶だけど、あれ以上重苦しい雰囲気だった食事にはまだ出会っていない。
今思えば、あの時姉はあれ以上父親が不機嫌にならないよう必死だったのだろうか。
それとも父親がいなくても親子三人でちゃんと食べていけるんだ!あんたがいないからって
今まで貧しい食事じゃなかったんだ!と父親にアピールしていたんだろうか。
姉はあの時のことを憶えているだろうか。今度年末に実家に帰った時にでも聞いてみようかな。

けど、「思い出に残る食事」じゃなくて、「思い出したくない食事」だなー。
記憶って触発されてよみがえるものなんですね。
長い話でスミマセン。
290名無しさん@1周年:2000/12/14(木) 17:44
ageage
291もぐもぐ名無しさん:2000/12/15(金) 17:35
test
292もぐもぐ名無しさん:2000/12/15(金) 17:42
父はすごくせっかちで、ご飯を食べるのもとても
早く、お店に食べに行っても私たちをせかすので
食事に行くのがとてもいやでした。有名なうなぎ屋
でもせかされて、そのあと胃の調子が悪くなった
ほどで、家族から責められてもせっかちは直りません。
そして、人生もせっかちに駆け抜けて64で亡くなり
私は、何故か早食いの人と結婚してしまいました。


293もぐもぐ名無しさん:2000/12/16(土) 23:25
唐揚げ。
294もぐもぐ名無しさん:2000/12/17(日) 01:31
ageage
295もぐもぐ名無しさん:2000/12/17(日) 13:01
私が小学生の頃、突然田舎の祖母がうちに遊びに来ました。
その人は父方の祖母なので、母にとっては姑です。
しかし、「遊びに来た」と言いつつも、1週間経っても、2週間経っても
帰る気配がなく、挙げ句の果てには「長男の嫁とうまくいかないから、
帰りたくない」と言い出しました。
うちの父は、若い頃親に苦労をかけたんだけど、兄弟の中でひとりだけ
遠くに住んでいるので、親孝行できない自分が辛かったと言い、
ひとりで祖母の同居を決めてしまいました。
もちろん母はおもしろくありません。急に母は祖母に対して意地悪に
なりました。ある日、祖母が父の大好物の「きびなご」という小さな
魚を遠くの卸売市場まで行って買ってきました。父はきびなごのお刺し身
が、子供の頃の一番の大好物だったそうです。しかし、私が住んでいる
地域ではあまり見る魚ではないし、母は魚をさばくのが苦手だったので
「きびなごの刺し身」など父に食べさせたことがありませんでした。

祖母がそのきびなごを持って台所に入ろうとしたら、母は、
「うちの台所は狭いので、一緒に流し台に立たれると困ります」と言って、
祖母が台所を使うのを拒否しました。すると祖母は、2月の寒い中
庭の水道に行って、凍えるほどの水を使いながらきびなごのお腹を指で
さいてみごとにお刺し身を作ったんです。
仕事から帰ってきた父が、そのお刺し身を
「母さん俺これ食べたかったんだ!」とおいしそうに食べているのを見て
母の怒りは爆発したようです。食後、祖母が自分の部屋に入った後、
今まで見たことのない夫婦喧嘩が始まりました。
父をののしる母の声は、隣の部屋でTVを見ていた私たちにも聞こえていて、
「このままじゃ、大変なことになる」と思い、私と弟があわてて居間に
駆けつけようとした途端、父が何ともいえない切ない声で
「あの人は、俺にとってたった一人のおふくろで、君とは別れられても
俺を産んでくれたあの人とは別れられない」と言いました。
その途端、私と弟は廊下で泣きました。そしてふと近くを見ると、
祖母がその場に泣き崩れていました。
母はその父の言葉に、自分の母親を重ねあわせたらしく、父に何度も
「ごめんなさい」を言って、祖母を受け入れるようになりました。
しかし、見ず知らずの土地で暮らすのは体に合わなかったのか、
祖母は父の一番下の弟が住む、住み慣れた土地に3年で帰ってしまいました。

そしてその10年後、祖母は痴呆症の為、老人施設に入りました。
叔父や叔母が尋ねていっても、「あんた誰だったかね」と言って
自分の子供が誰か全く分からなかったようですが、父が行くと、
5割の確立で「遠くから良く来たね」と、父だとはっきり分かって
いたようです。
しかし一番の驚きが、何度行ってもうちの母のことははっきり覚えて
いたこと。いつ行っても「あんたにはつらい思いをさせて悪かったね」
「あの時はごめんね、本当にごめんね」と声をかけてくれたそうな。

その祖母が先月亡くなりました。
祖母のお通やの席で、父の姉がきびなごの刺し身を持ってきてくれたとき、
それを見た私たち家族は、号泣しました。叔母は
「おばあさんはきびなごをさばく時、いつもxxx(父の名前)にも
食べさせてやりたいね、あの子が近くにいたら、いつでもさばいて
やったのに。ってうるさいほど言ってたんだよ。」と言いました。
そして昨日、初めてうちの食卓に、母がさばいたきびなごが登場しました。
見てくれは悪かったけど、父が無言で食べて、すぐトイレに駆け込んだ
姿は一生忘れないと思う。トイレで泣いてた父のために、今度は私が
さばいてみよう。
296もぐもぐ名無しさん:2000/12/17(日) 17:01
>>295
どうしよう…涙が止まらない、この話…。

途中までしか読んでない方、最後まで読んであげたってや。
297もぐもぐ名無しさん:2000/12/17(日) 22:24
5歳くらいだったかな。祖父母が私を遊園地に連れていってくれました。
当時ひよわだった私は楽しいよりも、暑いことやひとごみで
すっかりばててしまい、ぐずってばかり。
祖父は私をおんぶして、ソフトクリームを買ってくれました。
けれど、私はいらないいらないと言い張って一口も食べなかった。
ほんとは好きだったのに・・・つまんない意地をはってばかだったなぁ。
今でも、暑かったのになんでかぺったりくっついていたかったおじいちゃんの
背中と、困った顔で私をのぞきこむおばあちゃんの優しい手を覚えています。
ときどきソフトクリームを口にすると思い出してせつないです。
おじいちゃんが生きてるあいだに、1回謝りたかった。

食事じゃなくてごめんなさい。さげておきます。
298もぐもぐ名無しさん:2000/12/18(月) 08:55
会社員のみなさんのためにage
299もぐもぐ名無しさん:2000/12/18(月) 09:59
ま、いろいろあるよね。
300名無しさん@1周年:2000/12/18(月) 17:14
仕事中なのに、涙でディスプレイが見えないよぅ。