思い出に残る食事 2

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295もぐもぐ名無しさん
私が小学生の頃、突然田舎の祖母がうちに遊びに来ました。
その人は父方の祖母なので、母にとっては姑です。
しかし、「遊びに来た」と言いつつも、1週間経っても、2週間経っても
帰る気配がなく、挙げ句の果てには「長男の嫁とうまくいかないから、
帰りたくない」と言い出しました。
うちの父は、若い頃親に苦労をかけたんだけど、兄弟の中でひとりだけ
遠くに住んでいるので、親孝行できない自分が辛かったと言い、
ひとりで祖母の同居を決めてしまいました。
もちろん母はおもしろくありません。急に母は祖母に対して意地悪に
なりました。ある日、祖母が父の大好物の「きびなご」という小さな
魚を遠くの卸売市場まで行って買ってきました。父はきびなごのお刺し身
が、子供の頃の一番の大好物だったそうです。しかし、私が住んでいる
地域ではあまり見る魚ではないし、母は魚をさばくのが苦手だったので
「きびなごの刺し身」など父に食べさせたことがありませんでした。

祖母がそのきびなごを持って台所に入ろうとしたら、母は、
「うちの台所は狭いので、一緒に流し台に立たれると困ります」と言って、
祖母が台所を使うのを拒否しました。すると祖母は、2月の寒い中
庭の水道に行って、凍えるほどの水を使いながらきびなごのお腹を指で
さいてみごとにお刺し身を作ったんです。
仕事から帰ってきた父が、そのお刺し身を
「母さん俺これ食べたかったんだ!」とおいしそうに食べているのを見て
母の怒りは爆発したようです。食後、祖母が自分の部屋に入った後、
今まで見たことのない夫婦喧嘩が始まりました。
父をののしる母の声は、隣の部屋でTVを見ていた私たちにも聞こえていて、
「このままじゃ、大変なことになる」と思い、私と弟があわてて居間に
駆けつけようとした途端、父が何ともいえない切ない声で
「あの人は、俺にとってたった一人のおふくろで、君とは別れられても
俺を産んでくれたあの人とは別れられない」と言いました。
その途端、私と弟は廊下で泣きました。そしてふと近くを見ると、
祖母がその場に泣き崩れていました。
母はその父の言葉に、自分の母親を重ねあわせたらしく、父に何度も
「ごめんなさい」を言って、祖母を受け入れるようになりました。
しかし、見ず知らずの土地で暮らすのは体に合わなかったのか、
祖母は父の一番下の弟が住む、住み慣れた土地に3年で帰ってしまいました。

そしてその10年後、祖母は痴呆症の為、老人施設に入りました。
叔父や叔母が尋ねていっても、「あんた誰だったかね」と言って
自分の子供が誰か全く分からなかったようですが、父が行くと、
5割の確立で「遠くから良く来たね」と、父だとはっきり分かって
いたようです。
しかし一番の驚きが、何度行ってもうちの母のことははっきり覚えて
いたこと。いつ行っても「あんたにはつらい思いをさせて悪かったね」
「あの時はごめんね、本当にごめんね」と声をかけてくれたそうな。

その祖母が先月亡くなりました。
祖母のお通やの席で、父の姉がきびなごの刺し身を持ってきてくれたとき、
それを見た私たち家族は、号泣しました。叔母は
「おばあさんはきびなごをさばく時、いつもxxx(父の名前)にも
食べさせてやりたいね、あの子が近くにいたら、いつでもさばいて
やったのに。ってうるさいほど言ってたんだよ。」と言いました。
そして昨日、初めてうちの食卓に、母がさばいたきびなごが登場しました。
見てくれは悪かったけど、父が無言で食べて、すぐトイレに駆け込んだ
姿は一生忘れないと思う。トイレで泣いてた父のために、今度は私が
さばいてみよう。