1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2007/05/20(日) 18:15:54 ID:IgSP5eW2 「資本家はケシカラン! 革命だ!」 じゃなくて、 「やっぱ世の中金だよな。俺も資本家になりたい。」 って思っちゃうね。 「金持ち父さん」シリーズなんてクソと思えるほどの蓄財哲学本だねw
資本論じゃないけどそれはあるな。共産系の新聞とか見るとおれもこうなりてえと思う。でも廃人。
3 :
Jimmy :2007/05/20(日) 21:54:44 ID:RB+3ihZz
>>2 くろしーさんもJimmyさんもアナマルさんではないの?
マルクスはしょせん、貧乏人のルサンチマン(姉さんまちまちルサンチマン)
ねたみと嫉妬のかたまりだった。
>>4 かつて鉄のおんなマーガレット・サッチャーさんは言った。
「金持ちを根絶やしにしても、貧乏人が金持ちになることはできません。」
けだし、名言。
>>4
イギリスでは、保守党だろうが、労働党だろうが王室のなくなることはない それこそが伝統みたいなことを田中清玄という人が本に書いてますた 階級制が国民の考えや行動を支配してるんでつね よきにつけ、悪きにつけ、、
>>4 ニーチェのルサンチマンの概念とは
「嫉み、恨みを現実上の復讐で果たすことができないことによる苦痛を
空想上の復讐を果たすことで和らげようとする人間の本能的心理」
のことでありますので、共産主義がルサンチマンというのは違うと思います。
空想上の復讐(金持ちは神様の裁きであの世で地獄に落ちるのさ〜)を
現実の復讐(金持ちの財産を今すぐ奪い取れ〜)に転化するので、むしろ
ルサンチマン克服の哲学といえるのではないでしょうか。
マルクスは「世界を解釈(知る、慰める)するよりも世界を変えることが必要だ」という
名言を残していますが、これにおける「世界」とは個人個人の心の持ち方のこと
を指しているのだと私は考えます。同様に共産党宣言における「失うべき己の鎖」
というのもまた「他人の支配からの脱出」というより「私達自身を束縛する自身の心の鎖」
と私は解釈しています。
・・・・・・以上最近初めてマルクス読んだ哲学初心者の見地です^^;
マルクスはブルジョワ革命マンセーな唯物論的進歩主義者なんで、ブルジョワ-市民革命に よる資本家的生産様式の発展は、共産主義へと労働者を必然的に導く原動力とみていますよ。
マルクスにとって資本主義(資本家的生産様式)は、共産主義と対立する概念ではなく、 共産革命を可能にするマクロ経済条件を必然的に導くような下部構造(自然過程)なんです。 そういう意味でマルクスにとって共産革命は資本主義の帰結であり、資本主義の未来です。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/21(月) 22:10:47 ID:gH05k4lT
「女は金にもれなくついてくる」 「人の心は金で買えます」 「カネがあれば何でもできる」 「サラリーマンは現代の奴隷階級」 「起業家は現代の貴族階級」 「世の中、金だ、愛情だって金で買える」 「年寄りは合法的に社会的に抹殺するしかない」 「人間はお金を見ると豹変します。豹変する瞬間が面白いのです」 「経済的に貧しくなると人間は狂気に走ります」 「人間を動かすのはお金です」 「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけないじゃないですか」 以上はホリエモンの言葉だが、資本家・資本主義の本質を鋭く突いている。 マルクスが指摘した資本主義の世界観そのものだ。 搾取の存在は肯定しても、それがもとで資本主義が倒れることなど無いと考えれば、 マルクスの著書は階級上昇を目論むブルジョア志願者のバイブルとなりうる。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/21(月) 22:23:19 ID:/Pw6Qbmh
金で買えないものの方が多いだろ。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/21(月) 22:42:01 ID:gH05k4lT
世の人々が搾取者と被搾取者の二種類に分類できるのなら、 「搾取者になりたい」と考えるのが素直な態度だろう。 最低限の金があれば死ぬことはない。 しかし、労働者の賃金よりもはるかに多額の金が働かなくても手に入るならば、 人生は数千倍、数万倍も楽しい。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/23(水) 11:36:00 ID:FCU5mISa
マルクス主義はキリスト教の世俗版
>>13 それはマルクス主義ではなくサン=シモン主義
なんでこんなスレばっかり伸びるんだ・・・
>>15 >>1 のように、
「やっぱ世の中金だよな。俺も資本家になりたい」
って椰子が多いからだろ。
>>15 居酒屋で愚痴垂れ流す感覚で書き込めるからだろ
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/16(月) 15:29:17 ID:vZMQjuOj
>>15 たかだかレス15で「伸びるスレ」w
救いようもない過疎板だorz
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/16(月) 21:51:49 ID:2y9ZGoiN
竹中平蔵 公式ウェブサイト竹チルのコーナー
2005年10月30日(日)◆政局マニア系◆フリーターと新しい自民党との革命的可能性(2)
フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
これこそ、一般常識を180度ひっくりかえす革命的発想といえるでしょう。これなら確かに、
フリーターが自民党を支持してもおかしくない。
マルクス・エンゲルス「共産党宣言」の「ルンペン・プロレタリアート階級」観的偏見の遺伝子を
引継いだ「フリーター=負け組」論で思考停止に陥りつつ、自らは規制やみえざる障壁で身分を
守られ実力以上の生活水準を謳歌している「労働貴族」は、「雇用概念の消滅」という表現におののくことでしょう!
近い将来、新しい自民党は以下のような「宣言」(DAS MANIFEST)を出す日が来るかもしれません。
「フリーターは、『夢』以外に失うものを持たない。彼らが獲得するものは『成功』である。
全国のフリーターよ、自由民主党のもとに結集しよう!」
http://takenakaheizo.cocolog-nifty.com/mania/2005/10/post_c9e1.html >フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
>フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
>フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
>フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
>フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
>フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
>フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
>フリーターこそ終身雇用!!雇用概念の消滅!!
by 竹中平蔵
マルクス・エンゲルス「共産党宣言」の「ルンペン・プロレタリアート階級」に関する記述は、 ルンペン・プロレタリアート階級が反革命陣営に肩入れした歴史的な事実を単に踏まえて語って いるだけで、マルクス=エンゲルスの思想や偏見とは無関係ですよ。念のため。
271 :法の下の名無し:05/01/02 02:07:10 ID:ZfouOhef
隠れマルクシズムはアソシエーションのリベラル。柄谷とか田畑なんじゃないの。
青木らの日本型コミュニタリアニズムは、マルクスを使っても、むしろ保守。
どっちかといえば、佐伯や西部に近いでしょう。
そういえば、以前聴いた青木の講演は、亡くなった長尾克子さん(長尾龍一夫人)と
一緒にやっていた。マルクスを使うっていっても、宇野理論がベースだから、
サヨクとは訳が違うんだよね。公文俊平・村上泰亮・佐藤誠三郎も宇野派だし、
青木孝平は長尾龍一を継承してるんじゃないの?
もっともマルクスといえば民科しか知らない法哲スレの住人には、宇野理論が
日本の保守哲学の原点だというネジレ現象は分かんねーだろうな。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/jurisp/1093143090/271
>>21 柄谷とかはマルクスを前面に出しているから「隠れ」では全然ないだろ。
むしろ売名行為としておおっぴらに使っている人物だ。
24 :
MARKU :2007/09/25(火) 20:17:34 ID:DbE7BC3g
資本論的な思考を、次のテーマで、現代の日本において展開せよ ニートの現状と彼らの未来の姿 フリーターが日本社会の発展に及ぼす影響 年金制度は経済学的に存在しうるシステムと言えるか
ニートもフリーターも相対的過剰人口だろうーね
最初に自由主義経済が滅び、次に社会主義経済が滅んだ。 生き残ったのは福祉国家を含んだ混合経済であったが、今やそれらも危機に瀕している。 資本主義という用語をなぜ使わなかったかといえば、これらすべての経済をひっくるめて 資本主義社会(資本主義的生産様式が支配的な社会)と呼ぶのがマルクスの定義だからだ。
[355] 過激派の革マル派の最高幹部(教祖)だった黒田寛一(くろだかんいち)が死んでいた件について。
投稿者:副島隆彦 投稿日:2006/09/16(Sat) 20:37:31
http://snsi-j.jp/boards/sample1/90.html 私、副島隆彦は、自分よりも5歳ぐらい上に人間たちで、今は60歳前後になっている、人々で、学生時代に、
社会正義、政治議論に興味があって、学生活動家のはしくれになったような人間たち、全員と、今でも、手を
取り合って、泣きたくなる。
みんな、みんな、あの過激派各派の活動家歴のある人たちの、その後のひどい人生の報いの中で、一人ひとりは、
ひどい人生を送ったことだろうと推測する。私の知っているだけでも、何十人も死んだ。あるいは、病死し、
そして、原因不明の病気で死んだ。・・・大半は生きているだろう。そして、日本社会の全ての部分にその
人々は、所属して、今も何食わぬ顔をして、定年退職を前にして、自分の共済年金(きょうさいねんきん、
公務員の場合)や、厚生年金(こうせいねんきん、民間企業の場合)の計算をして慎ましやかに暮らしている
ことだろう。
ただし、過激派ほどではないが、それなりにクラス活動家程度だった(それでも、プラスチック製のヘルメット
をかぶって、機動隊ともみ合ったりぐらいはした人々)人たちは、今では、大新聞社や出版社やテレビ局の役員
になっているような人が、山ほど居る。それこそ山ほど居る。大学教授で、文科系で、今の60歳ぐらいは、
ほとんどが大学内の温和な活動家だったような人たちだ。・・・・・誰もこの大きな過去の真実を語ろうと
しない。書こうとしない。みんなに本当のことを伝えようとしない。 みんな、みんな、偽善者だ。
マルクスは、経済的な平等なんぞを主張してはいないんだが… マルクスが構想したのは「各人はその能力に応じて労働し、各人 にはその必要に応じて分配される」社会だ。 マルクスとしては、自分は「平等」などという理念は乗り越えたつ もりだったのだろう。 「共産党宣言」では、「平等(Gleichheit)」という単語は、ただの一 箇所だけ出現する。それも「ブルジョア的な自由と平等(b?rgerliche Freiheit und Gleichheit)」という、批判の対象としての論及があるだ けだ。 「資本論」はさすがに調べきれないが、第2編第4章第3節末尾で は、「自由」「平等」「財産」の諸概念が、ベンサムにことよせて、コテ ンパンにからかわれている。 イエスが「律法を守れば神の祝福が与えられる」と主張した、などと 言えば、あまりのトンチンカンに誰だってあきれるだろう。 しかし「マルクスが平等を主張した」という初歩的な誤解が、右翼に も左翼にも中道派にも広まっているのは、何とも困ったものだ。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/04(日) 13:22:24 ID:RrOUYfBn
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/07(水) 18:56:03 ID:62PVPRRu
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/10(土) 00:22:20 ID:9++gVLqd
難しい。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/10(土) 02:25:36 ID:SZ2VpWwd
なんかいいスレ見つけー
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/11(日) 15:22:53 ID:iG7E8JQD
マルクスに未来を科学的に書いた本など一冊もないよ。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/11(日) 20:51:19 ID:W9XL4Wjz
>>34 ああ、科学的に書いたやつは無いな。
過去と現状分析に関しては『資本論』をはじめ面白い本を残したが。
「家族・私有財産・国家の起源」ってエンゲルスだけど もう古いの?
>>34 科学的ってどのへんまでの厳密性を言うんだろうか?
ある意味では、マルクスにかぎらずそんな本はいまだに一冊もないんじゃないか?
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/13(火) 17:48:23 ID:+4VOraHw
こんなん見っけ。
474 名前:OFW :02/06/06 01:11
>>365 (346さん)
レスが遅れましたが・・・(仕事が忙しいのでスマソ)。
>マルクスの資本論は経済学の書と言うより、哲学書だということでしょ
>うか?
そうですね。『資本論』の副題は「経済学批判」となっており、当時の
国民経済学とそれが対象にしている資本主義経済の批判的解明です。
経済学という科学は、対象である資本主義経済を合理的なものとして説
明する使命があるが、対象自体が非合理的である場合は科学の限界だと。
>近経は『価格』を分析する学問だが、資本論は『価値』を分析した書で
>あるということですね?
価格と価値との対比という面で言えばそうですが、要点は価格とは貨幣
なしでは意味を持たない存在だが、貨幣ー価格とは価値形態の一種だと
いう点です。この辺については、もう少し分かりやすく説明したほうが
良いのでしょうね。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/13(火) 18:27:34 ID:2HrvhHPI
>>38 てことは、○経は、価格よりもはるかに広い範囲を分析の対象にしてるわけでつね
で、労働の価値と使用価値が等しい階級のない世界、貨幣を必要としない世界、
価格であらわすことのできないすべての自然が再生産される世界といった
謹啓から抜け落ちた世界が広がってるわけですなー
ミルの定常状態の意味も読んでみたくなったでつ、南無南無
親切なスレ住民たちのおかげで、言葉がなんかつながってきますた
ありがとうございます
ところで、OFWって誰なんでつか?
糞淋病先生の師匠って?
本当に、○スレはおもしろいや
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/14(水) 07:19:42 ID:QdfnVmS3
>>39 共産党板の現代マルクス主義経済学スレにもOFWとかのコピペ載ってる。
このOFWって人、何かのセクトの幹部かな?
なんかスッゲー良く知ってる感じがいっぱいだよ。
もしかしてJimmyさんの旧コテハンかな?
41 :
Jimmy :2007/11/14(水) 09:34:43 ID:6p0/XHo9
>>40 シッカリ塩。私はマルクスはともかく、ヘーゲルはでぇっきれぇだよ。
OFWが2ちゃんで活躍していた時代は、私は全く関与していなかった。
それはあのスカトロメンヘラがよく知っている。OFWも香具師との
議論(?)に馬鹿馬鹿しくなって、ここを去っていったそうだ。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/14(水) 16:44:44 ID:jfnFncs+
>>40-41 ありがd
セクトの幹部ってなかなか詩的なんでつね
もういない人なのか、、
残念
OFW=ジミー先生説もありそうだなー
ウン
>OFWも香具師との議論(?)に馬鹿馬鹿しくなって、
なんかイワンの馬鹿の話を思い出しますた
漏れが見込んだとおり、塾長はやっぱり無敵の人だお、プッ
>>41 ばかばかしいも何もそれだけの器しかなかっただけのこと。
脳みそがぶっ飛んでから、こっちが疲れたワイ。
OFWも地獄逝き決定だ。
それとも死んだのかも知れぬな。今までその可能性を考えたことがなかった が。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/14(水) 18:35:04 ID:aT8SnKLP
>>43 脳淋病、いやさ、脳梅毒よ。
おめーも相当いいタマだな。
あんだけOFWに脳タリンな質問たれて、
脳タリンにでも間違えようのねー懇切丁寧な回答をOFWより
貰っといて、OFWは地獄行きってか。
おえ、脳タリンよ、今度は脳梅毒に再度改名しろや。
脳淋病じゃやっぱ淋しいだろ?
>>40 理解してるさ。だからたたく。読書があるので
これにて失礼するが。魔王の俺と雑魚の前じゃ
志や恨みが違うんだ。
それよりお前、脳梅毒とか悪口ばっかりだが
マルクスについては何も語らないな。
自分の立場を語ってみろよ。
出来ねえのか。
悪役スレに引っ付く寄生虫か?
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/15(木) 14:15:00 ID:eTusRrCO
OFWさんの労働価値説のカキコを続けて欲しい・ いっぱい閃きが見つけられる。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/15(木) 16:16:33 ID:MSDErKgS
2ちゃん○スレでは、労働価値説が虐げられてますでつ 伝説のまれびとOFWさんに迷える子羊たちを導いて欲しいでつ、でつ
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/15(木) 20:21:09 ID:iuNWp/tl
共産党板でOFW氏のコピペが再開したよ。 『資本論』の労働価値説の導入部がカキコされてる。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/16(金) 02:06:34 ID:9aOZ/B30
では、共産党板へゴォーでつ
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/16(金) 19:17:37 ID:9aOZ/B30
OFWさんって伝説のカリスマだお 塾長にもがんばって保水でつ
OFWって昔苺でスレ立てたけど、住民にコテンパンにやられて、その結果を党派性の違いで総括していたコテだっけ?
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/17(土) 01:40:25 ID:ifYlGe27
>>52 >住民にコテンパンに
笑い杉で、お腹痛いでつ、でつ
○経って本当に無力なんでつね
力不足ながら、漏れがOFWさんを応援するお
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/17(土) 03:21:55 ID:wSPki9fr
マルクスはフォン・ノイマンとならぶ最高の数理数学者(by某ノーベル賞候補)。マルクスの提示したピタゴラス教団(共産体)の赤い星は象徴する。マルクスはバベッジなどコンピュータを予見していた。マルクスの言う普遍的な世界交通、それはインターネット。
55 :
Jimmy :2007/11/17(土) 10:55:36 ID:wT0MBxsw
>>54 それを発見したあんたのほうがマルクスより凄い件
幻視者としてのマルクス
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/18(日) 03:33:33 ID:3sZFoBwk
山形浩生もネットワーク共産主義なんて言ってるだろ。ジョン・ローマーみたいなハーバード大学始まって以来の天才の一人(ユナボマーも入る?)もマルクス主義は数学的にも優れていると言っている。
まぁ、当面は○経のいいところと悪いところを入門レベルで学習したいでつ 山形浩生さんのお名前をメモ、メモ ジョン・ローマーさんは、糞淋病塾長と○の使い道からちょこっと聞きかじったでつ ところで、ここ数日あの糞淋病塾長の姿がないでつなー まっ、まさか、ユナボマーみたく爆●製造で忙しいのでつか、プッ
>>60 > 山形浩生もネットワーク共産主義なんて言ってるだろ。
ほんとかよ。山形氏は根っからのリバタリアンじゃなかったの?
>>21 ドクターストップ! それ以上でもそれ以下でもない。
精神科医にやめろっていわれたの。
これがコテハン最後のレス。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/19(月) 15:43:44 ID:/iCDorHB
>>62 山形さんはリバタリアン以前にコピーレフト。リバタリアンだろうが自由主義的保守主義者(佐藤優)だろうがファシストだろうが実はどうでもいい。マルクスから誰ひとり逃れられる者は今のところいない。
>>63 塾長、やり杉だからー
1日3回程度のカキコがいいよ
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/19(月) 15:55:21 ID:0erU0eRN
亡霊だから殺すこともできない。土掘って棺に入れて釘打って埋めても意味がない。田舎で回線もひかず電気も水道も停めて悪霊払いの符を沢山貼って細々と暮らさない限り無理。唯物論者じゃないから服を着たりご飯食べたりしたら駄目。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/19(月) 15:58:26 ID:14X89Y86
要するにミイラになればいいってこと
塾長、カムバックでつ!
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/21(水) 19:58:36 ID:CbCCN70M
ほんじゃ始まるからね。 いそぐことないから、目だけでも通してね。 7 名前:OFW :02/08/29 21:58 >(前スレ)982-983(高ぞう→将軍さん) >よく、わかりゃ〜せん 実体なるものが静的で過去的な存在であり、資本主義とは資本(過去の死んだ労働)が現在の生きた労働を支配する 逆立ちしたシステムだということです。「予め閉ざされた未来」(無に帰る運動)とも言える。 >労働価値説とは資本主義世界の本質をあらわしたもの そのとおり。それは資本の世界支配の秘密を解明するための要諦です。 >「欲求を欠いている状態」 というよりむしろ<欠如における(否定性としての)欲求>です。価値は欲求の対象的側面であり、欲求の否定性を 対象的に表現したものです。 「対象Aに価値がある」とは希少性、つまり有用物Aに対する欲求が十分には満たされないこと、をAに即して表現して いるわけです。 それは余剰において初めて直接的価値の否定、つまり「欲求を欠いている状態」に転化し、交換価値(量としての、 他者にとっての価値)として社会性を獲得する。 >物的欲求と社会的欲求を分離して考えるのはとても難しい。 近代になって、私的所有に基づく排他的・抽象的個人が析出されてきて、ようやく社会的なものが外的に(対象的に) なったと言えるが、個人間の人格的関係はむしろ物的欲求(所有欲)によって覆い隠されている。 >賛成できない自分があるので、これが自分の存在証明になる。 それは<観念としての自己>に過ぎず、その表象は証明不可能。 >何の疎外でしょうか。 「私は人間であり、モノではない」との言明に含まれているものです。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/21(水) 19:59:16 ID:CbCCN70M
8 名前:OFW :02/08/29 21:59 >(前スレ)984 >仮に国家と呼んでいるだけ それを「国家」と呼ぶ以上、論理的に言って、すべての国家に無くてはならない本質(階級対立)を共有する筈ですが、 それは矛盾ですね。 >自己決定のみで、・・・できるのかな? 自己とは個人ではなく、共同的な意志をもつ諸主体の統一を言います。 >わざわざゲームをやめてまでシビル・ミニマムの生産に関わろうとはしないでしょう。 <ゲーム好き>な人は、それが創造的であるなら、積極的に生産に関わろうとするでしょう。最も創造的なゲームは 現実自体の創造でしょう。 >本の名前じゃないよね。 学習態度ですね。真理の探求は粘り強さが肝要とて。 >> いちいちちゃんと覚えてるの? 記憶力ではなく、如何に本質(エッセンス)を押えるかがポイント。 >> それともノートか何かあるの? 昔はあったが。タネ本はそれなりに。 >> それとも全文検索とかできるようになってんの? キー検索でも必要な知識はかなりの程度拾える。便利な時代になった。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/21(水) 20:01:22 ID:CbCCN70M
17 名前:OFW :02/08/31 21:17
>>10-14 (高ぞう→将軍さん)
>労働価値説は資本が形成されるまでの道程の中の論理だったわけですか。
道程自体の論理は『資本論』第1巻第1章第3節「価値形態または交換価値」において展開されており、
通常「価値形態論」と呼ばれています。
価値形態論と労働価値説との関係は価値の現象形態とその実体的本質との関係であり、価値形態の矛盾と発展は、
経済(Economy、労働の節約)において、現在の資本主義システムが歴史的に特殊な一段階に過ぎないことを示す
ものです。
>「私」という漢字を使う者は知的レベルの高い人々であり、官僚など
公と私の対立から言えば、官僚とは「公儀の僕」であり、国家に寄生する身分ですから、「無私、不偏不党、無責任
(没主体)」が原則。(マルクス『ヘーゲル法哲学序説ーヘーゲル国法論批判』参照)
>世界的に「個人」という言葉の生まれ自体が私的所有を根拠にしている
所有とは本来生産手段(土地、道具、原材料)について言われ、付随的に生活手段について言われる権利関係です。
私的所有(市民的所有)が国家所有と対になって出現しているのは西欧的(ローマ的)な特徴であり、アジア的には
個人の無所有が普遍的でしたから、「自立した個人」は今だに脆弱。特に日本では近代化が国家(官僚、軍閥)・
財閥によって主導され、中産階級が極端に未成熟ですね。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/21(水) 20:04:05 ID:CbCCN70M
18 名前:OFW :02/08/31 21:19
>>10-14 (高ぞう→将軍さん)(つづき)
>説明して欲しい。
上でのべたことは、経済的価値の概念とその矛盾について縮約して書い
たから、確かに分かりにくかったな。図式的に整理すれば
1.価値の実在
a.有用性(使用価値)
b.希少性(限界効用)
c.価値標準
2.価値の本質
a.価値の根拠(社会的分業と生産手段の所有)
b.価値の現象形態(交換価値)
c.価値の実体(社会的必要労働と価値形成)
3.価値の概念
a.社会的生産と価値(資源と労働力の適正配分)
b.社会的分配と価値(富の再分配)
c.価値の消滅(生産力と生産関係、脱物象化)
くらいのテーマを展開する必要があります。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/21(水) 20:04:48 ID:CbCCN70M
19 名前:OFW :02/08/31 21:20
>>10-14 (高ぞう→将軍さん)(つづき2)
>その欲求のネガティブな面は対象化されるとすなわち「労働」になり、
正:労働生産物がもつ価値として対象化された過去の労働は、他者の所有物とされるとすなわち「疎外された労働」になり、
>労働価値説におけるマルクスの証明法
前スレでも触れたが、科学的説明と論理的証明との混同がありますね。
「労働は価値の実体である」とは本質の洞察(発見)であり、演繹的な証明で導かれるものではない。科学的に言えば、
それはさし当り仮説という性格をもち、マルクスは『資本論』全体においてその検証を行った。
>勝手なレトリック
説明の仕方が悪かったかな。
ただ『資本論』の訓詁学的議論に終始して本質を見失っている「マルクス読みのマルクス知らず」とは異なり、資本形態
にまで発展した<価値>の概念的認識が必要だということです。
概念規定(カテゴリー)に関して言えば、質→量→限度という実在論から、本質→現象→現実性(運動的自己相関)
という本質論に高まることにより、対象は概念的に把握される。
『資本論』(特に第1巻第1章)は価値の本質論ですから、<財の効用>という価値の実在規定ではなく、<商品>
というその反照(本質)規定から始まるわけです。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/21(水) 20:07:52 ID:CbCCN70M
20 名前:OFW :02/08/31 21:22
>>10-14 (高ぞう→将軍さん)(つづき3)
>価値をなきものにしたら、あんたしゃべってる意味(←価値?)ない
1.テーマは“経済的”価値であり価値一般にあらず
他の諸価値(例:<真>(学問的価値)、<善>(倫理的価値)、
<美>(芸術的価値))とは区別される経済的価値の質的な種差は
<効用、使用価値(Utility)>です。
2.意味と価値はまったく異なる概念
「意味とは記号による指示の象徴である」(オグデン&リチャーズ)
価値一般の形式的定義は
「価値(Value)とは何らかの十全性(無限性)に対する有限的な
現存在の位置を表示する指標(index)である」かな。
>「べき」ということで、その主張にもつ価値の存在を否定できません。「べき」という事で、結局、必然性を生んでいる
倫理的価値に向かう主体の当為(為すべし)について言えば、それが何らかの必要(必然)に基いた要請という性格
がありますね。
「Aを存在させるべし。」という要請は
「もしAが存在すれば、殆ど必然的にBが生起するだろう。」つまり
「Bが存在するためには、Aの存在が必要(必要条件)である。」
という理念的存在Bの被媒介性(BにとってのAの価値)の認識からくるわけで、単なる「Bが望ましい」という可能的欲求
以上のものです。
そうなると、理念と現実との関係はより実在的になり、現実諸関係の必然性(因果関連)も互いに相互作用する諸活動
の全体として、(単なる主観的当為ではなく)社会的諸実践の客観性(理性)が見えてくると。
「人間は歴史を作るが、それを知らない。」(マルクス)
謎のコピペマンさん、ありがとうございますでつ お手数だと思いますが、コピペ・抜粋よろしくお願いしますでつ しかし、OFWさんも謎だお その整然とした記述と深いお言葉 もう謎だらけ、、、
>>71 ちなみに、ストールマンさんも謎が多いでつね
よく覚えておきまつでつ
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/22(木) 19:39:57 ID:Eyl0gRnE
21 名前:OFW :02/08/31 21:24
>>10-14 (高ぞう→将軍さん)(つづき4)
>自分の中で構築した概念をただ羅列させていくようにしか見えません。
概念は体系をなし、羅列には向かないから、説明方式の工夫要かな。
>上から渋柿でもぶつけてくるような応答姿勢
渋柿とはシブイ表現。
限られた掲示板スペース上の議論ではとかく縮約(節約)したモノ言いになる。経済的価値(労力と資源の節約)と
認識的価値(真理の共有による減価・冗長化)とのトレードオフ関係とて。
>バックトゥーザフューチャー考
タイムマシンの夢より還帰する資本(永遠の繰り返し)の現実が問題。
>>15 >国家は階級対立を持ってはじめて国家と呼べるのですか?
日本古代の大和朝廷、西欧古代国家(エジプト、ギリシャ、特にローマ帝国)、中国古代国家(殷、周)、
南米インカ帝国等々、<国家>という構築物はそれまでの血縁共同体の解体(他種族の侵略、併合)と共に、地縁的な
結合体として、成員の共同性を僭称してきた。
唯物論的な観点からは、社会の生産関係(階級関係でもある)が国家を必要としてきたということです。
長文失礼。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/22(木) 19:41:58 ID:Eyl0gRnE
27 名前:OFW :02/09/06 05:26
>>24 >常にマルクス的国家間を持て、というのはいささか傲慢。
「現在世界には約191の国家がある。」と言われますが、
1.国家と世界はどこが異なるのか?
2.191という数自体に意味はない→何故複数なのか?
3.「約」といういい加減さはどこからくるのだろう?
4.「世界は一つである」と言われる根拠は何だろう?
といった疑問が浮かべば、「国家とは何か」と考える端緒になる。
唯物論的な国家観は唯物論的な世界観・歴史観・社会観に基いており、
社会の物質的な土台(経済的な下部構造) vs 政治制度的な上部構造という区別をもとに国家を考えます。
(学校では教えないが。)
>決定するのは誰なのかな?
当事者である諸個人でしょう。
>なぜゲーム作りに”積極的に関わる”といえるのかな?
「一人ゲームの不可能性」があるから。つまりすべての主体的活動は社会的であり、社会への参加だから。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/22(木) 19:45:33 ID:Eyl0gRnE
28 名前:OFW :02/09/06 05:28
>>25 (高ぞう→将軍さん)
>「環境問題」
環境問題に関しては「人間は自然の一部である。」という唯物論的視点こそが重要であり、資本の価値増殖欲による
自然と人間の浪費は、エンゲルスーマルクスが早くから見出していた。
資本主義経済において、経済の意味が本来とは正反対になっており、ブルジョア経済学では環境問題を「経済外的」
要因などと言うが、その言説こそ経済の外にあるもの。
>「実在」「本質」「概念」の関係性をわかりやすく、示してください。
ヘーゲル『小論理学』(岩波文庫)の内容を“わかりやすく”説明するのはなかなか大変(この板でも何回か試みたが、
うまくいかなかった)。
しかし、要点を理解すればとてもわかりやすいものですから、高校あたりで弁証法的思考を教えれば、どれほど役に立つ
かと思うが。
実在(Real being)・・・個別的、直接的な対象の存在形式。
(その運動様式は<移行>)
主カテゴリーとして、質、量、限度(質量)
本質(Essence)・・・・ 実在を媒介する全体的存在の存在形式。
(その運動様式は<反照>)
主カテゴリーとして、本質、現象、現実性
概念(Concept)・・・・ 実在の本質(媒介された直接性としての事柄)を捉える認識の存在形式。
(その運動様式は<発展>)
主カテゴリーとして、概念、判断、推理
>>82 >自然と人間の浪費は、エンゲルスーマルクスが早くから見出していた。
地球が何万年もかかって作り出した資源を再生産するなんてそう簡単にできるわけない
謹啓では、そういった観点が欠落してると思います
>ヘーゲル
難しいですね
昔、西田哲学を少しかじってみたのですが、もうきれいさっぱり忘れました
弁証法というカテゴリーで、ヘーゲル哲学と西田哲学を対比した啓蒙書があればうれしいですねー
日本はたまたま国家と民族がほぼ一致してきた幸せな民族 国家と民族が入り組んだ欧州とは違うところ
>疎外なき状態でサボりは如何にして可能かな? OFWさんってやっぱり凄えーでつ もう寝よう
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 09:28:10 ID:HZpOdOQf
29 名前:OFW :02/09/06 05:29
>>26 (ふにゃぽんさん)
>マルクス主義は「三権分立」をどう捉えているのか?
統一したマルクス主義もその見解も存在しないでしょうから、個人的見解ですが・・・。
「何故、三権分立が必要なのか?」
という質問に対して、通常は「権力が一つの機関、主体に集中することは、権力の絶対化を招きがちであり、
それを防ぐため。」という教科書的な答が用意されています。
しかし「権力(主権)はもともと絶対的(独裁的)なものである。」という事情がある以上、三権分立という
法制度的な相対化は形式的なものに過ぎない。
「すべての権力をソヴィエトに集中せよ」(レーニン)とはブルジョアに対するプロレタリア独裁を立てよという
<三権統一>の主張でしたが、それは二重権力(ブルジョアvsプロレタリア)を立てよという主張でもあった。
主体は複数であり、主権は単数です。専制的(独裁的)な権力(一者の他者に対する無条件的な強制)
が生じる場合、既に社会の中に分裂が存在しているわけで、その解決の方が先決問題だということです。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 09:30:52 ID:HZpOdOQf
36 名前:OFW :02/09/08 21:57
>>30 (ふにゃぽんさん)
>ずいぶん表現が易しくなりました。
そですか。まぁマターリとマルクス宣伝と言うことで・・・。
>>31 (フィロゾファッカーさん)
お久しぶりです。
>>32 (ねこさん)
どもです。他スレでもお見かけ。
>>33 >個人の決定に任せてシビルミニマムの生産を保証できるのか?
近代資本主義社会において奨励されているような<利己的な個人>としては無理でしょうね。
たとえば児童の教育は「シビルミニマム」の一つですが、それは「人間にとって教育は必要不可欠」という理由
からであり、教育労働は<社会的個人>に任せて、連帯保証するもの。
>社会的でなければ生きて逝けなかったから、社会的であった
もちろんそうです。自然の中では人間個体(個人)ほど弱い存在はない。
それは人類誕生以来の外的な必然性ですが、同時に人類存続の条件(条件とは実在的な可能性のこと)
でもあった。
人間はその共同性において自然に対する働きかけを行い、その自然的な条件(被規定性)自身を変える
ことによって、歴史を切り開いてきた存在です。
近代になり個人主義が登場して、個人が絶対的主体であると喧伝されたが、そこには高度な社会的生産力
が物質的基礎としてあり、個人の社会性(相互依存性)は遥かに強まっていることが忘れられている。
社会とは、個人の内部にあるその類的な本質を指しており、個人の能力、知識教養、人格等、すべて社会
の産物であり、社会を離れては、人間はたちまち「狼少年」になってしまうほどの無規定(無内容)な存在です。
>解答が非唯物論的(=観念的、空想的)である気がします。
確かに未来社会の表象についてあれこれとお喋りすることは、現実の止揚にとっては無用のものですが、
理念は必要ということかな。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 09:33:05 ID:HZpOdOQf
37 名前:OFW :02/09/08 21:59
>>28 >「直接」とは?「媒介」とは?
存在(being)の直接性とは感性的な対象のあり方(実在性)を指し、主体が対象に触れている、ということ。
<対象自体>が与えられている、とも言えます。
それに対して、その媒介性とは他の存在との関係のうちにある対象のあり方を指し、何らかの知的な働き
(記憶、表象、概念)によって捉えられ得るものです。
媒介とは<他になること>です。
すべて実在するものは生成変化し、存在するものは<成ったもの>(生成の結果)である、という認識が
弁証法の始まりです。
「すべて具体的なものはそれ自身とその否定との統一である。」というヘーゲルの逆説的な言明も、ある存在
が生成(運動)の結果としてそのものに成ったという<歴史性>をその規定性のうちに含んでいることを、
直接的に表現したものです。
>>35 (くろしろさん)
>労働社会が消えない以上
繰り返しになるが、労働とその疎外形態(賃労働)とを混同しないよう。
「近代国家のいけてない日常」はまさに労働(人間の社会的活動力の発現)が否定され、他者の私有にされる
ことからくる、人間関係の物象化(例:強制労働の永遠化、生の無意味化)ということでしょう。
自然の中で現実的な活動(働き)を行うことは、人間が真に自立するということですから、労働=働き自体は
否定できない。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 09:37:40 ID:HZpOdOQf
42 名前:OFW :02/09/09 23:54
>>38 (くろしろさん)
>生産手段も「他人のもの」から「共有」に変わって自分自身の生産手段を完全にはもてず、よって自己疎外
もまた継続される
それは誤解ですが、この辺については、マルクス派の中でも議論があるようです(前スレ>941参照)。
問題の箇所を引用すると、
「資本主義生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、自分の労働
にもとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし、資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、
それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。
この否定は、私有を再建しないが、しかし、資本主義の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。
すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有とを基礎とする
個人的所有をつくりだすのである。」(『資本論』第1巻第24章いわゆる本源的蓄積)
上記のように、マルクスは、共有(共同所有)ではなく、<共同占有に基づく個人的所有>が作り出されると
(予想的に)述べています。
ポイントは占有(possession)と所有(property)との区別、そして私有(private property)と個人的所有
(individual property)との区別です。
協働的な使用しかできない機械等を除き、個人が自分自身の耕作地、道具機械および生活手段等を完全に
所有し、意のままに扱い得ることは、自由な生産(それは計画的生産でもある)のための前提条件です。
ただし、現在の自営業や自営農民のように、それらを排他的な私有物とすること、そしてその生産物を私的に売買
することはできない、ということが「共同的な占有」という言葉の内容です。(以上OFWの見解)
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 09:39:39 ID:HZpOdOQf
43 名前:OFW :02/09/09 23:54
>>39 (高ぞう→将軍さん)
>そこら辺の参考書を紹介してくださるとうれしいです。
マルクス(に限らないが)を理解するためには、本人の書いたものを読むのが基本です。ヘーゲルとの関連では
良い参考書も知りませんし。
>>40 (横レスながら)
>資本論の商品論(とくに価値形態論)をヘーゲル本質論に解消するのは間違い。
解消ではなく、価値カテゴリー(形式内容)展開上での参照枠としての利用ですね。
マルクス自身が「資本論を書くにあたってヘーゲルを読み直し、とても役にたった。」と言っているように、
それを読む上でも役にたつ、ということを示唆したまで。
特に、価値形態論は価値の反照規定(交換価値、商品と貨幣)の展開であり、ヘーゲル論理学からの寄与大と
思える部分です。無論その発展を跡付けることは、固有な内実(形式と内容の統一)に即して、具体的に行う
必要があり、『資本論』がそれを示しているわけですが。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 09:44:10 ID:HZpOdOQf
94 名前:OFW :02/09/14 10:26
>>44 (くろしろさん)
>自分の土地を持つことは出来るのですね?
「土地は誰のものか?」という質問について言えば、
「土地自体は誰のものでもないが、一定の土地を耕作する場合は耕作者のものである。」ということです。
>では共同占有する協働的道具とは具体的に何を指すのでしょうか?
マルクスは
>>42 の引用の直前の段落でこう書いています。
「・・・この集中、すなわち少数の資本家による多数の資本家の収奪と手を携えて、ますます大きくなる規模での
労働過程の協業的形態、科学の意識的な技術的応用、土地の計画的利用、共同的にしか使えない労働
手段への労働手段の転化、結合的社会的労働の生産労働の生産手段としての使用によるすべての生産
手段の節約、世界市場の網のなかへの世界各国民の組入れが発展し、したがってまた資本主義体制の国
際的性格が発展する。」(『資本論』第1巻第24章)
たとえば、農業規模の拡大は土地利用の協業化と農業機械の共同利用を推し進めるでしょう。また工場の施設
設備は共同占有・利用するしかないものですね。
もしかして、質問者のくろしろ氏って脳淋病氏のExnameかしら?
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 09:47:26 ID:HZpOdOQf
95 名前:OFW :02/09/14 10:27
>>45 (ふにゃぽんさん)
>エンゲルスの一連の啓蒙書や、マルクスの「法哲学批判序論」など
マルクス(主義)とヘーゲルとの一般的関連としてならそうですね。
>「ヨーゼフ・ディーツゲン」
なつかしい名前が出てきたので、断片的記憶ではマズイと思い、だいぶに読んだ『人間の頭脳活動の本質』
(岩波文庫)を読み直してみました。
記憶していた以上に根本的な内容かつ格調高い文章で、再発見です。
確かに、幾分回りくどい表現やミスリーディングな表現もあって、よく咀嚼する必要があるが、扱われているテーマからも、
弁証法的唯物論の哲学的内容を学ぶ上で最良の概説書(レーニン『哲学ノート』は断片的覚書き)と言えます。
・・・いくつか引用をば。
「我々は思惟によって能力に応じて世界を二重に捉える。一は現実において外的に、他は思想、表象において
内的に捉える。」
「我々は事物を実践的並に理論的に、感覚及び頭脳をもって、肉体及び精神をもって捉えなければならない。
・・・それ故事物もまた精神を持っている。精神は物質的であり、事物は精神的である。精神と事物とは相互に
関連してのみ現実的である。」
「科学は労働であり、後天的にたたかいとられた認識である。信仰を放棄することは、怠け者を放棄することである。
科学を後天的認識に制限することは、近代の特徴を示す記念物すなわち労働をもって科学を飾ることを意味する。」
実際、カントを読んで、カントをフォイエルバッハ&マルクス的に止揚(悪い面の除去と良い面の保存)している!
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 09:51:20 ID:HZpOdOQf
98 名前:OFW :02/09/15 11:31
>>97 (ふにゃぽんさん)
>エンゲルス評
専門的研究者でも評論家でもないので、勝手な印象ですが・・・。
一言で言えば、エンゲルスは高潔・無私・広大な思想家であり、透徹した理論家であったが、その科学主義的な
偏りが革命運動にはマイナスに働いてきた、ということかな。
「マルクス主義」の哲学的・理論的内容に対する一般の理解は、エンゲルスの一連の普及書(『フォイエルバッハ論』
『空想から科学へ』等)に基づくのでしょうが、その<科学的社会主義>という客観主義的な立場は、一方で労働者
運動の社会民主主義的な怠慢を招き、他方で旧ソ連等において党官僚支配の隠れ蓑として利用されたのもまた事
実。
「歴史は客観的法則にしたがって発展する。」とは、歴史認識に関する自然史的な立場の表明であり、科学的言明
ではない。具体的な法則も条件づきの仮説であり、人間が“自己を知らない”自然物のように運動する限りでしか成立
しないもの(人間の前史)。
「社会の物質的基礎が成員の行動および思想を究極的に規定する。」というテーゼについても同様。
社会の本質認識とその主体との関連は極めて弁証法的なものであり、科学を超えた実践論および組織論が必要です。
「弁証法は最高の科学である。」とはまったくミスリーディングな言明であり、概念的認識と科学研究、論理と法則との
混同がある。未だに、「弁証法」と聞けばエンゲルスの3大法則を持ち出す無思考が大勢なのには、「科学法則」
という言葉を使ったエンゲルスの責が大きい。
とは言い条、『反デューリング論』『自然の弁証法』には独自のひらめきも散見されますが・・
謎のコピペマンさん、貴重なコピペありがとうございます 若かりし頃の塾長がぁぁ、、 詳しくはメシ食べてきてから、読みます
>人間はその共同性において自然に対する働きかけを行い、その自然的な条件(被規定性)自身を変える >ことによって、歴史を切り開いてきた存在です。 >繰り返しになるが、労働とその疎外形態(賃労働)とを混同しないよう。 と、弁証法の参考書が分かりました >質問者のくろしろ氏って脳淋病氏のExname ついでながら、塾長は当時から病気を患ってらっしゃっていたのですね 塾長の亡霊が出てきますように、南無、南無
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 16:41:03 ID:HZpOdOQf
101 名前:OFW :02/09/15 21:59
>>99 (ふにゃぽんさん)
>真の「科学」たらしめることに失敗
真の科学(客観的真理の体系?)などはないでしょう。
「弁証法は科学であり、その内容は科学法則である。」という言明は、弁証法と科学の両者を誤解している、
ということです。
科学とは出来上がった知識の体系ではなく、世界の諸現象を本質的な存在から説明しようとする実践を指しています。
諸現象を観察(観測)し、法則性を見出し、本質的要素から仮説を形成し、それを実験的に検証すること、これらが
経験科学の研究が踏むべき諸ステップです。
一方、弁証法とはむしろ認識批判(限界設定)であり、上記の科学的実践の限界をも明らかにするものです。
それは認識と認識対象との一致(真理)をめぐって、客観的世界と認識主体との関連を跡付けようとする。
世界のそとにある超主体の認識(科学)を、世界のうちにある主体の認識に解消して行く実践的なものです。
実際、たとえば「1足す1は2ではある。」を科学法則とは呼ばない様に、「質は量に転化する。」を(最高の)
自然法則とは呼ばない。それらは<質><量><法則>といった存在範疇(カテゴリー)に関わる判断
(概念の分割)であり、自然科学ではなく論理学で扱うべき対象です。
「弁証法、認識論、論理学とは余分な名前であり、それらは一つのものである。」(レーニン『哲学ノート』)
>>100 (くろしろさん)
何か誤解があるような。孤島に漂着したロビンソンクルーソーは自給自足するために、既に文明的な道具を
持っており、奴隷(フライデー)までいた。すべての衣食住を一人でまかなうのは不可能でしょうね。
塾長、むかしの名前で出てますよ。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 16:45:33 ID:HZpOdOQf
104 名前:OFW :02/09/21 05:13 (承前)第2節は前スレ>299で少し触れたので、スキップして・・・。 さていよいよ、「『資本論』を読み出すと、最初の数ページで前歯を折る」(降旗節雄『貨幣の謎を解く』)と 言われる価値形態論の登場です。 確かに<価値形態>は「価値の弁証法」とでも名付けられる錯綜した展開を示すため、十全的な理解の ためにはヘーゲルの助けが必要でしょう。 (ついでながら、上記の本ではマルクスを批判し、相対的に宇野弘蔵を持ち上げながら、結局<貨幣の謎> は解かれずじまい。看板に偽りあり!) (第3節 価値形態または交換価値) 「商品は、使用価値または商品体の形態で、鉄、リンネル、小麦などとして、この世に生まれてくる。 これが商品のありふれた現物形態である。 けれども、商品が商品であるのは、それが二重のものであり、使用対象であると同時に価値の担い手 であるからにほかならない。だから、商品は、現物形態と価値形態という二重形態をもつ限りでのみ、 商品として現れ、言いかえれば、商品という形態をとるのである。」 <商品>と<商品体>つまりその現物形態(現存在)とが区別されており、商品の形相的本質が<価値>であり、 商品体(個別の商品)はその素材であると言われている。 商品とは(モノではなく)価値の現象形態つまり関係的存在(*3)であり、<価値形態>とはマルクスが初めて 対象化したものである。まさに価値の本質論の開始と言える。 (*3)「本質は現象しなければならない。・・・本質が現存在することによって、現存在は現象なのである。」 (ヘーゲル『小論理学』 第2部本質論B現象第131節)
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 17:34:20 ID:HZpOdOQf
105 名前:OFW :02/09/21 05:15 「商品体の感性的にがさがさした対象性とは正反対に、諸商品の価値対象性には、一原子の自然素材も 入りこまない。だから、一つ一つの商品を好きなだけひねくりまわしても、それは、価値物としては、依然とし てつかまえようがないものである。」 つい読み過ごしてしまいがちだが、上記の指摘は重要な認識である。通常の人が個々の商品を指して 「この商品には価値がある」という場合、それは使用価値(効用)を指しており、商品価値はそこにはない。 経済学者が「この商品には価格がついている」という場合、確かに一歩前進だが、価格が何を表示してい るのかは、つかまえようがない。 それに対して、 「いや、それは簡単な事柄であり、価格分の貨幣と引き換えに商品を引き渡す用意がある という、売り手の意思表示(慣習的な記号)に過ぎない」 といった“名目論的”解答や、「それは、商品に含ま れている<貨幣と同等のもの>である」 といった“実在論的”解答は共に一面的である。 何故なら、前者に対しては 「問題になっているのは量であり、大きさは記号ではない。その値(Value、価値)は 何を表示しているのか?」 という質問が続き、後者に対しては「問題になっているのは質であり、同等のもの (価値)とは何なのか?」という質問が続くから。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 17:37:37 ID:HZpOdOQf
106 名前:OFW :02/09/21 05:16 「けれども、諸商品が価値対象性をもつのは、ただ、価値対象性が人間労働という同じ社会的単位の表現で ある限りにほかならないこと、したがって、商品の価値対象性は純粋に社会的なものであること、を思い出せ ば、それがただ商品と商品との社会的関係においてのみ現れうるということも、おのずから明らかである。」 諸商品の価値が(近代経済学の言うように) 「ある主観的なもの」 であるなら、客観的な対象性をもたない 幻でしかないことになる。しかし、商品と商品との関係において現れている価値関係が一つの社会的な客観 性を示すということは、経済学自体の成立要件である。それ故、その関係がしめす自己同一的なもの(価値 そのもの)は主観的なものではあり得ない。 「実際、われわれは、諸商品の交換価値または交換関係から出発して、そこに隠されている諸商品の価値の 足跡を探りあてた。今や、われわれは、価値のこの現象形態に立ちかえらなければならない。」 前に書いた「マルクスの蒸留法批判」論者は、マルクスが商品価値の現存在の根拠(本質)として抽象的人間 労働を捏造し、翻ってそれを現象の説明において実体的根拠として恣意的に使用したと言って、労働価値説 がドグマだと批判したわけだが、抽象的人間労働とは<人類>と同じく一つの発見とみなすべきであり、それが 経済諸現象を貫く赤い糸(実体的なもの)であるかどうかは、現象を跡付けることで再確認(検証)しなければ ならないということを、マルクス自らが語っている。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/23(金) 17:42:32 ID:HZpOdOQf
107 名前:OFW :02/09/21 05:18 「今ここでなしとげなければならないことは、ブルジョア経済学によって決して試みられることもなかった こと、すなわち貨幣形態の発生を立証すること、すなわち、諸商品の価値関係に含まれている価値表現の 発展を、そのもっとも単純なもっとも目立たない姿態から目をくらませる貨幣形態にいたるまで追跡する ことである。それによって、同時に、貨幣の謎も消えうせる。」 誰にとってもありふれた存在である貨幣に対して<貨幣の謎>を指摘すること自体、尋常な反省ではない。 しかし、貨幣を<(特殊な)価値形態>として捉えることが、それを謎めいた存在として問題化し、その謎に 迫る端緒となる。 つまり「貨幣は一つの現象(表現)形態である」とは、貨幣に対するプロブレマティック(蓋然的、問題論的)な 認識であり、価値の何たるか(内容)はその<形>(*4)に現れているということである。まさに<形を読む> ことが求められているのである。 (*4) 「現象の世界を作っている個々別々の現象は、全体として一つの統体をなしていて、現象の世界の自己 関係のうちに全く包含されている。かくして現象の自己関係は完全に規定されており、それは自己の うちに形式をもっている。・・・かくして形式は内容であり、その発展した規定性は現象の法則である。」 (ヘーゲル『小論理学』第2部Bb133節)
なんだか、OFW経のように思えてきますた コピペマンさんの足跡を辿りながら、今はただナムナム唱えています だめだ、読み直そう
102 :
Jimmy :2007/11/23(金) 20:25:06 ID:qJE8Pi8i
>>101 マルクスを読んでビョーキになった人のサンプルデツよ!
>>102 あっ、ジミー先生だ
漏れはこれ以上、病気にならないでつよ
さて、寝る前に南無南無でつ
うーむ、うーむ?? 松阪牛(使用価値)→実在 松阪牛(交換価値)を作るノウハウと生産手段の所有→本質 松坂牛として識別されるブランドないしのれん→概念 ブランド構築のための費用、のれん代は交換価値に含まれる?? 今日はここまで もう寝よう
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/24(土) 19:20:42 ID:/b3xW+ZR
109 名前:OFW :02/09/22 12:42 「(A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態) x量の商品A = y量の商品B または、x 量の商品はy量の商品Bに値する。 (20エレのリンネル=1着の上着または、二〇エレのリンネルは一着の上着に値する)」 「すべての価値形態の秘密は、この単純な価値形態のうちに潜んでいる。だから、この価値形態の分析には 真の困難がある。」 この文章は極めて重い。カネが人間を支配し、カネがカネを生むという転倒した資本主義世界の発祥の地は ここであり、後の完成し閉じたシステムに対して風穴をあける場所もここにしかないと、マルクスは言っているの だ。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/24(土) 19:29:36 ID:/b3xW+ZR
110 名前:OFW :02/09/22 12:43 「ここでは、種類を異にする二つの商品AとB、われわれの例ではリンネルと上着とは、明らかに、 二つの異なった役割を演じている。リンネルはその価値を上着で表現し、上着はこの価値表現 の材料として役だっている。 第一の商品は能動的役割を演じ、第二の商品は受動的役割を演じている。 第一の商品の価値は相対的価値として表されている。 すなわち、この商品は相対的価値形態にある。第二の商品は等価として機能する。 すなわち、等価形態にある。」 注意すべきは、「第一の商品の価値」と「第二の商品」(その価値ではない)とが対照されていることである。 つまり<等価形態>とは、その現物形態がそのまま他の商品の価値表現の材料として機能する商品の形 態をいう。その事情をよりはっきり表現するとしたら、上記は二〇エレのリンネルに含まれる価値は一着の上 着という値をもつとなり、通常考えられているような両辺間の等価関係の表現(そこでは価値質料は第3 のものとして前提されている)ではないことが分かるだろう。 上着はリンネルの価値を計る尺度として機能しており、その値(価値)が<上着一着>なのである。 そのことは、リンネルー上着関係の中で、上着が実在する<価値物>として立てられている(後のマルクス の言葉で言えば、価値が上着という姿態で現れている)ということである。そこには、価値の関係的・社会的 本質が個別的・自然的な物の属性として現れるという、<物象化>の転倒が存在している。(*5) そのことはまた、カントが「我々に与えられるものは現象であって、物自体は不可知である」と言ったように、 価値物としての上着の現存在(現われ)の背後にあるもの(価値自体)は不可知的になっているということ でもある。 (*5) 「したがって、現存在するものは、相関性、すなわち諸他の現存在と自分とのさまざまな連関を、自分のうちに 含み、根拠として自己のうちに反省している。かくして、現存在するものは、物(Ding)である。」 (ヘーゲル『小論理学』第2部Ab第124節)
>カネが人間を支配し、カネがカネを生むという転倒した資本主義世界 人間がカネを支配し、人間が人間を生むという転倒した共産主義世界?? うーむ、、
指は月のありかを指し示すが、月そのものではない 経典は真実のありかを指し示すが、真実そのものではない 価値は使用価値の在り方を指し示すが、使用価値そのものではない チーン、もしかして大悟できますたでつか??
ところで、○は価値と使用価値が等しい世界を求めたわけで、、、 使用価値が価値に等しくあるべきと考えたんだろうな、やっぱり???
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/25(日) 16:14:05 ID:af3jYbaU
111 名前:OFW :02/09/22 12:45
上記に関して、日本の「マルクス経済学」業界ではいまだに見当違いをし続けているようだ。
たとえば、
>>104 でも引用した宇野経済学派に属する降旗節雄は、こう述べている。
「これ(=定式に表現された事態:引用者)は、二十エレのリンネルをもっている人間の観念の中にしかない。
・・・だから、この等式に出てきている両辺の意味はまったく違う。
二十エレのリンネルのほうは現実にここにあるが、上衣のほうはリンネル所有者の観念の中にしかない。
こういう関係を、この式は表しているのです。このことがはっきりしていないと、これから以後の論理が混乱して
くる。事実、マルクス自身が混乱してしまったのです。」(『貨幣の謎を解く』p63,64)
「論理の混乱」はむしろ批判者にある。何故なら、この“不”等式に出てきている両辺の意味は、
二十エレのリンネルの“価値”のほうはリンネル所有者の観念の中にしかない(即自的なもの)であるが、
上衣(上着)のほうは<現存在する根拠>(価値物)として彼(女)の目の前に現前している(対自的
なもの)ということであり、まさにマルクスが正しく洞察した通りであるから。
「科学」の名の下に、マルクスを換骨奪胎する試みは尽きない、かな。
(例:「マルクスの定理」と呼ばれる“置塩の定理”)
俺もOfW見たく頭わ柄うくなたいよ。
確かに置塩のマルクスの基本定理には○経では意味がない。 正の労働があるとき、正の利潤があるのではなく、 正の労働があるとき、正の労働がなければ労働価値説ではない。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/25(日) 19:16:21 ID:af3jYbaU
112 名前:OFW :02/09/22 12:48 商品においては、質的な使用価値(有用性)の直接性は否定されて、<他者にとっての有用性> になっていると同時に、有用性の限界としての必要(稀少性)を超えて余剰な有用性(これは共同体 内の余剰生産物が商品としてその外へ超出することの根拠であり、資本主義世界において剰余価値 として現実化されている)となっている。 つまりそれ自体は有用性の止揚として、有用ー無用という質的区別に無関心(indifference、無差別) なものとなっている。その結果、価値は質(使用価値)一般の止揚、つまり量(単一的価値)に移行した 使用価値として現れている(質から量への転化)。 量とは外的な規定性(質)であり、商品価値の限定としての定量(量の計測およびその結果)は商品間 の量的関係(尺度と尺度されるもの)として表現される。 量の向自有つまり数は集合数と単位の統一であるから、たとえば<三着の上着>とは一着の上着を要素 とした上着の集合であり、<上着存在>を単位とした<三>(つまり三着)がその値である。 定量の尺度としての上着は質的・特殊な使用価値ではなく、相手(リンネル)と同等の普遍的な価値を表現 するための実在的な尺度として使用されているのである。 質的諸存在(使用価値)が直接に比較不可能であることは「交換の不可能性」と呼ばれ、フーコーや ポストモダニズム論者の間でその<無根拠性>が喧伝された(例:価値などは幻想で、すべては差異 あるいは記号の戯れに過ぎない。)が、量とは諸存在の普遍性を対象化する場合、最初に登場する概念 であり、尺度によって測られるものは質的な量、つまり限度(ここでは社会全体の総価値量)であることが 見逃されている。 結局、質および量とは共に実在の規定であるから、「Bに値する(Bの値打ちがある)」とは、実在物Bを 使った(つまり実在するものとして直接的に表された)価値表現の形式であり、社会的・普遍的な価値関係 が実在的・個別的に(モノがもつ性質として)現れている、という矛盾を表現した形式である。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/25(日) 19:25:54 ID:af3jYbaU
116 名前:OFW :02/10/04 05:08 「相対的価値形態と等価形態とは、たがいに依存しあい、たがいに制約しあう、不可分の契機であるが、 同時に、たがいに排除しあう、あるいは対立しあう、両極端、すなわち同一価値表現の両極である。 この両極は、つねに、この価値表現によってたがいに関係させられる別々の商品に配分される。」 両者は一つの内的関係(区別されたものの同一性と自己同一なものの区別)の両契機が外化し、 定有(Dasein(独))に反射したものだということ。(*6) (*6) 「相等性とは、同じでないもの、互いに同一でないものの同一性であり、不等性とは、等しくないものの関係 である。したがってこの二つのものは、無関係で別々の側面あるいは見地ではなく、互いに反照しあうもので ある。」(ヘーゲル『小論理学』第2部Aaロ第118節) 実在の領域で<量>として立てられた諸効用の無差別性は、効用の限度(限界効用、希少性と余剰)において、 価値自体(価値標準、総価値)に還元された。それは価値の存在からの本質への還帰である。 一般に本質とはまず<現存在の根拠>であり、根拠への問いは存在の始原への遡及である。今の場合それは 「諸商品はどこから来たのか?」という歴史性への問いであるが、それに対しては「それは生産されたのだ」という 簡単な答が用意されている。 つまり、生産労働こそがモノとしての商品をこの世に誕生させた生成因であることは誰にでもわかる。 しかし<価値の現象>としては、生成の結果(現在性)としての商品の現前において、つまり<諸商品間の出会い> における価値の現れから分析は始まる。 原因である労働が消えた地点において、その成果としての生産物が価値の社会的運動を始める。 それ故、労働が価値の実体(隠れた主体)となるのである。 過去が現在を決定するのか、未来(需要)が現存(供給)を呼び出すのか。それが問題だ。
>>113 正の労働のあるとき、等しい正の利潤があるの間違いですな。
>>141 商品にとって必ずしも、他人の使用価値になる必要はない。
例えばラーメン屋で商品が出されたものをとって食べても
食欲が満たされる。怒られるでしょうが。
後半ですが質と量をもっと簡潔にかけないのは日本語が下手なんですね。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/25(日) 19:35:55 ID:af3jYbaU
117 名前:OFW :02/10/04 05:11 「私は、たとえば、リンネルの価値をリンネルで表現することはできない。20エレのリンネル=20エレのリンネル というのは、決して価値表現ではない。」 何故、商品はその価値を自己の現物形態で表現できないのか? (より発展した形態においては、何故商品に値札がついているのか? あるいは言語論風に言えば、 何故<私的言語>は不可能なのか? いやむしろ、何故私的(人間)言語が不可能な時に私的 (商品)言語が可能なのか?) それは確かに不思議なことだが、価値が商品の個別的・私的な使用価値とは異なる社会的な存在を 指していることからくるのは明らかである。 何故なら、およそ<社会的>とは複数主体間の関係性を指し、社会から孤立した個体(個人)が 自己の社会性を単独で表現することは不可能であるから。 マルクスの価値形態論に関する叙述を批判して、「商品交換における人間の欲求(Demand)が度外視 されている」といった議論がある。そこには 1.表現する主体は人間であってモノではない。 2.人間の主観的欲求が価値を規定するので、客観的価値などはない。 3.価値はモノに内在してはいない。 という3種類の含意が見られる。 しかしまず、<物象化>された資本主義社会においては、むしろ商品(そしてその発展形態である貨幣) こそが主体であり、人間的欲望はブルジョア的な「モノ、カネに憑かれた欲望」に疎外されている。 また、人間の欲求(需要)は単に主観的なものではなく、対象的(客観的)本質をもち、交換価値とは <自己の所有物に対する他者の欲求>が現れた姿であり、欲求の社会性を表現している。 それ故、単に主観的(内在的)ではない客観的(公開的)な価値を追うマルクスが、対象的な叙述を行う のは妥当である。
まあ狂った老人の道楽にはつきあいません。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/25(日) 19:39:53 ID:af3jYbaU
118 名前:OFW :02/10/04 05:13 「したがって、リンネルの価値は、ただ相対的に、すなわち他の商品でしか、表現されえない。 それゆえ、リンネルの相対的価値形態は、何かある他の商品がリンネルに相対して等価形態にあることを 前提する。 他面、等価の役をつとめるこの他の商品は、同時に相対的価値形態にあることはできない。 この商品は自分の価値を表現するのではない。この商品は、他の商品の価値表現に材料を提供するだけである。」 「貨幣は価値の鏡である」とはよく耳にする言葉だが、それは商品固有の価値を絶対的に映し出さず、 貨幣と相対的にのみ映すという事情(いわゆる名目価格と実質価格)の起源がここにある。 実際、 「実質GNP」 「実体経済」 などと言う経済学者は、それらの言葉が何を指しているのか自分でも 分からないのだ。 財(使用価値物)の豊かさつまり<富>はその不在つまり<価値>(それは貨幣量で測られる)とは正反対 のものであるのだから。
価値の体系とは、認識者の観念の中にしかないのだろうか?? ぼくが消えれば、月もまた消えるのだろうか?? ひぃぃ、難しいぃぃ 寝る
費用対効果、余剰分析かー 寝るでつ
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/27(火) 19:10:48 ID:SdtL6I+U
OFWコピペ担当者君、続きは如何? そいとも中途停止かな? 結構マジに読んでたのにな。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/27(火) 19:25:22 ID:rmI+0tbm
謎のコピペマンさんは忙しいんじゃないかなー といいつつ、漏れも続行をお願いします
ねえねえ労働価値説っていうならどうして道具を使うの? 素手で釘うってほすい。そもそも釘も作れないか。wwww
亜sるところに抽象人間労働資本と道具資本がいました。 抽象人間労働資本は素っ裸で木の実を取って暮らします。 道具資本は機械資本に出世です。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/27(火) 23:16:22 ID:SdtL6I+U
>>127 Jimmyたんはヘーゲルはでーきらい、って言ってたけど、
それもJimmyたんのウソ?
昔の唄だけど、It's a sin to tell a lie. ってのがあったね。
でも、哲学板とか共産党板でもOFWコピペが進行中だけど
あれもJimmyたんのいたずら?
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 01:55:12 ID:V+f4m94F
>>127 謎のコピペマンさんということにして、ソースどうもありがとうでつ
当分、喰わせていただきますでつ
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 17:21:46 ID:tT46bQGu
>>130 他のスレはしらんけどこのスレで材料あげたから人格障害者らしくやってるのかなと。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 17:28:48 ID:tT46bQGu
あの野郎。でかけのころは俺がメンヘルうんたら言われてるとこれはむずかしい問題だとか悩むふりしてたけどメンヘル病院に帰れだから参るよ。
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 17:40:22 ID:tT46bQGu
まあ価格だけだと現象論で価値と言う本質があるのがマルクスの奥深さだとか。 君はばかだったんだね、と罵倒してあげたい。単なる供給のみで需要も関係なし。マルクスのモデルってみんなそうじゃん
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 17:48:20 ID:tT46bQGu
だから、資本は元手の白痴、主流派にまける。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 17:57:05 ID:tT46bQGu
俺はかつまる氏はかっていたものの搾取も資本も血縁も関係なしの主流派はブルジョア経済学って言ったら逃げた。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 18:36:45 ID:DbR1LpTg
おい、糞シロ、いやさ、脳梅毒よ、相変わらず禁治産者か?
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 19:28:29 ID:tT46bQGu
地道たん独身だろあと15いないに孤独死か?
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 19:32:54 ID:tT46bQGu
ボケ防止に謹啓破壊でもやれよ。みぐるしい。ジミたんよ。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/28(水) 19:35:19 ID:tT46bQGu
15年に修正。
その原則は、中国語で為無為(ウェイ・ウ・ウェイ:為さずして為す)といってね、 為無為から自然(ツー・ジャン:自分のまま)が出てくる。 それは、ものごとがひとりでに起こるべくして起こる、ってことだ。 「あ、そうか」と、プーがいった。 「クマのプーさんののんびりタオ」ベンジャミン・ホフ著(講談社)
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/29(木) 06:09:00 ID:rsZsg8K6
マルクスは機械は特別剰余価値を生み出してるように見えるとの記述を残している。そこから解釈も出ないとは、全く、マルクス訓古学くずれもいい加減にしろだ。
特許もなしにすぐに消えてしまうので。w しかもそれも供給だけじゃん。 まるを神聖化するのもいい加減にしたら?
>蓄財哲学本だねw まじめにこういう理由で売れた時期もあったらしい。 何かの伝記に書いてあった。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/02(日) 18:24:38 ID:HeHsFWzG
脳梅毒よ、まだ禁治産者か? 脳淋病よ、まだ馬鹿か? 糞シロよ、まだ自家発電専門か? はやく脳天病院に戻れや。
ジミーボケテストはほかでやれよ
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 08:33:30 ID:TCuZSsHF
>>146 逝っちまってもいいが、オレ抜きでこのいスレもつのかね?
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 13:54:37 ID:/XjRAuk0
いないほうがむしろいい。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 18:20:23 ID:5XYDuKMj
11 名前: OFW 投稿日: 2000/12/22(金) 20:25 というか、「経済的」って言うのは、要するに同じ事をするのにも、人手をかけないでできること。 つまり、労働力の節約(Economy)でしょうね。おカネが絡むと、正反対の意味になるが。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 18:21:02 ID:5XYDuKMj
13 名前: OFW 投稿日: 2000/12/22(金) 22:12
>>12 なるほどね。でも、下のサイトで「貨幣とは何か」を語っている先生よりはマシかなと思うな。
http://www.nttdata.co.jp/profile/organ/riss/h9/theme1/guest1_1.html >「貨幣」とは一般的な交換手段です。つまり、それによってすべての商品が買えるもの、というのが
貨幣の定義であるわけです。
購買手段は交換手段とは概念として区別すべきでしょう。
物々交換では自己の所有物が交換手段ですが、それは購買手段ではない。
「一般的な交換」ということをまず説明すべきです。そうなるとマルクスを借りるしかない。
>「貨幣商品説」とは、アダム・スミスやマルクス、さらにはメンガー等によって唱えられたものですが、
それは貨幣それ自体が人々の欲望の対象になる商品であり、その商品が交換プロセスのなかで
自然に貨幣に転化していく、とする考え方です。
マルクスは「貨幣それ自体が人々の欲望の対象になる商品」であるなどとは言ってはいません。
貨幣は元来他の有用物と並ぶ有用物であり、それが交換の発展の中で、一般的等価物としての貨幣になり、
同時に他のすべての有用物が商品となった、と言っているのです。
歴史の始めから商品が存在していたかのような錯覚があるのかな?
>貨幣商品説が正しくないことはすぐわかりいただけると思います。
それは驚きだ。かのアダム・スミスやマルクスが苦労して考えたことがほんの一言二言の説明で誤りであると
片づけられるとは!
>1万円札は1万円の価値がある貨幣です。
なぬ?どこからそんな話が出てくるのか?前には貨幣には、欲望の対象としての価値はない言っていた筈だ。
如何なる価値か?
>つまり、商品としての価値はないわけです。
使用価値(有用性)と交換価値とを(意識的に)混同している。
使用価値ゼロでも交換価値が絶大だからこそ、誰もがお金を欲しがるのです。そして、すべての商品は他者
(非所有者)にとって有用だからこそ、交換価値が生まれるのです。
その限り、「すべての商品は貨幣である」が正しい。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 18:22:28 ID:5XYDuKMj
14 名前: OFW 投稿日: 2000/12/22(金) 22:14
>>12 (つづき)
>ほかの人が1万円札を1万円の価値があるものとして喜んで受け取ってくれるからです。
そうではなく、それで「1万円の交換価値がある商品」が買えるという、国家への信用があるからです。
概念の混乱。
>貨幣と他の商品が区別できなくなります。
なぬ?貨幣商品説は誤りだが、欲望を考えると区別ができなくなる。
だから、欲望を考えなければ良い、という論理?
>貨幣の場合は、他者の欲望ではなく、他者はさらに別な他者の欲望を予想しているわけで、
このプロセスが永久に続く
混乱は無意味に転化する。商品所有者Aは、他者Bの欲望を予想するが、貨幣によりその商品を買った
自己Bの欲望は満たされる。また、商品を売り貨幣を手に入れた自己Aの欲望は別の商品を買うことで
満たされる。つまり、自己から見れば欲望はその都度満たされる。「貨幣の場合」の欲望とは貨幣欲のこと
であり、貨幣は欲望の対象ではない、という先の主張と矛盾する。
言葉のすり替え(これは無意識だが)がある。
>貨幣には他者(=人間)の欲望が入っておらず、
貨幣に欲望が「入る」とは、日本語ではない。人間の欲望以外の欲望とは何か?
まさにマルクスの言う、疎外され(他者となり)、物象化(モノにされた)人間の欲望でしょう。
貨幣にはそれが一杯入っている。
>これは無限の循環論法です。
単に、論者の思考の混乱でしょう。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 18:26:32 ID:5XYDuKMj
15 名前: OFW 投稿日: 2000/12/23(土) 11:09
>>12 (つづきのつづき)
>「貨幣は貨幣であるから貨幣である」という自己循環論法が意味することは、
貨幣とは「貨幣論的差異」を本質的に備えているということです。貨幣論的差異とは、
貨幣は貨幣であるかぎりそれ自体のモノとしての価値を超える価値を本来的にもって
いるということです。
「貨幣論的差異」???価値を超える価値を本来的に(=誰が決めたのでもなくそれ自体で)
もっている??
「貨幣論的」とは「貨幣論によって規定された」と同義でしょうが、「本来的にもっている」かどうかは、
仮説として、検証されなくてはならない。勝手に「意味している」と決め付けてはいけない。
これを聞いた学生や大企業のサラリーマンが質問しないのは、相手が有名な東大の経済学教授
だからかな?
八百屋のおやじが同じ事を言ったら、間違いなく「電波」扱いでしょう。
>ところが、自己循環論法の立場からいうと、…恐慌とは、人々が本来は一般的媒介手段
でしかない貨幣をより欲しがっている状況です。
失業者は仕事や食料を欲しがっている訳ですが、「人々」には含まれていない?
また、貨幣には人間の欲望は入っていなかったのでは?
貨幣には価値を超える価値があり、「一般的媒介手段でしかない」だけではなかった筈では?
>そして、貨幣が貨幣として価値があるのは無限の欲望の連鎖があるから
「貨幣としての価値」=「無限の欲望の連鎖」とは、昔バブル期の日本で流行った「ポストモダニズム」、
つまり無意味な言葉を意味ありげに言う風潮のなごりでしょうが、未だに続いているとは。
>それは人々が貨幣を貨幣として使っている社会の存続に対して信頼していることを意味します。
恐慌のときほど人々が資本主義社会の存続を信頼しているときはないのです。
どういう論理をつかえば、そのような事実に合わない逆説が出てくるの?
恐慌は、「恐慌を引き起こすもの」の存続を信頼していることを「意味する」とは??
むしろ、議論の無意味を意味する、が正しいのでは。
八百屋のおやじを含めて、普通の日本人に分かる説明ができないのかな?
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 18:33:56 ID:5XYDuKMj
18 名前: OFW 投稿日: 2000/12/23(土) 17:26
>>16 >よければ、岩井先生の『貨幣論』を本格的に議論して欲しいな。
いつも思うのですが、インターネット時代だから、本人が2chに来て論戦に参加することが、
経済的にも文化的にも、最も望ましいのですが。
真理は公共的かつ真摯な討論から生まれる、なんちゃって。
>>17 >だけど、貨幣を信用して貯め込んで商品を買わなくなるから恐慌となるすなわち、
人々は、貨幣制度が保証される資本主義社会の存続を信じているからだと言っ
てるんだろ。
つまり、貨幣制度の存続を信じるとそれに裏切られるよ、ということを講義している訳?
ならば資本主義批判になるが。
まず貨幣を貯め込むのではなく、資本といった形態での価値を貯め込むというのが正しい。
それから貨幣と信用は区別すべきでしょう。そして消費者が商品を買わなくなるのは、
恐慌によって失業して買いたくても買えなくなるからであって、貨幣を貯め込んだからではない。
つまり、上記の人々とは資本家、すなわち資本というモノの人格的表現を指しているだけであり、
本来の人間が資本主義社会の存続を信じている訳ではないでしょう。
(論理のすりかえ?)件のサイトにもあるが、
>人々がほんとうは商品を欲しているのに、商品の媒介にすぎない一般的交換手段である貨幣を
商品以上に欲しがってしまう。
経済学はこの顛倒の理由こそを明らかにしなくてはならないでしょう。
それは生産手段と生産者の分離に基づく階級対立が資本主義世界の根底にあり、その物象的な表現が
商品、貨幣、資本であるということです。
何故疎外された人間が商品(正しくは財)より貨幣を欲しがってしまうのか、資本の価値増殖欲は人間の
生活欲求と如何に矛盾するか、その理由を説明しなければ、「貨幣とは何か」に答えたことにはならない。
「ほんとうは」といった曖昧な言葉や「貨幣論的差異」という意味不明な術語を持ち出して、真の原因を
殊更はぐらかしているとしか見えないのは、八百屋のおやじ的な誤読かな?
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 18:37:09 ID:5XYDuKMj
名前:OFW :2000/12/25(月) 00:00 >「俺頭悪いんだけど経済って」スレのレス20岩井克人は手放しの資本主義礼賛者ではないよ。 手放しの礼賛者などは他の経済学者の中にも少ないのでは? ケインズさえ、資本主義は病んでいると考えていた。 >それに、マルクスをそんなに誤読しているだろうか。 決定的な点での誤読としては、ひどいものでしょうね。それも、マルクスに依拠していながら、 「マルクスは誤っていた。正しいのは私」と言う所は、かの宇野弘蔵並みでしょう。 「マルクス主義経済学ではなく、マルクス経済学すなわち宇野経済学こそが真理だ」!!! マルクスは経済学(当時の国民経済学)批判をしたのであり、独自の経済学体系を立てたのではない。 資本主義の経済学は不可能だと言った訳です。 >あのサイトは、ああいう設定下での講義だから 「電子マネーの可能性を強調して、資本主義の否定的側面は強調しないようにする」という設定? >随分と誤解を招く表現になっているのだろうけど。 別に誤解を招きそうな表現とも思えない。自説に正直だと思います。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 18:37:57 ID:5XYDuKMj
5 名前:OFW :2000/12/25(月) 22:05
>>3 >岩井は教条主義的なマルクス読解に興味ないんじゃないの。
私も興味がないが、少なくとも「無限の循環論法」「無から有が生じる」「ここに『神秘』がある」といった、
貨幣物神をそのまま披瀝する貨幣論では、『貨幣の謎を解く』と題した著書で「結局、貨幣は謎である」
との答えを披瀝している非―学問的な「マルクス経済学」者と同然でしょう。
>貨幣商品説と貨幣法制説はともに貨幣流通の実体的根拠を与えない。
実体的根拠とは何のことかな?「労働価値説」のこと?少なくともマルクスは単なる貨幣商品説および
貨幣法制説を主張しているのではなく、価値形態の歴史的な発展を跡付けているのです。
そして、物々交換から貨幣の発生を説く以上、「すべての商品は潜在的に貨幣である」と考えていたことは
当然であり、また、国家を前提せずに信用を説く以上、信用と法制度を区別していたことも自明でしょう。
どうも、「価値形態」という言葉が分かっていないようだなぁ…。
そして、現象形態は実体的本質を前提するとは、論理的に当たり前の事柄であり、本質なき現象など
という現象主義や、「記号が記号を表わす」などというポストモダニズム的な汎記号主義は観念論的な
ナンセンスです。
価値の源泉を人間の社会的な必要労働におくという、唯物論的に根拠ある議論こそが、経済学を
合理的な社会科学に高める唯一の道でしょう。
>少なくともここまでは『貨幣論』で説得力のあるところだと思う。
まったく説得力に欠けているところ、でしょうね。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 18:41:32 ID:5XYDuKMj
9 名前:OFW :2000/12/26(火) 23:59
>>6 >もしかして、いまだに本気で労働価値説とか信じてるの?
本気ですね。
逆に本当にその内容を知っているの?と聞きたいな。
単に他人の話を信じているだけのような…。
大体、学問や思想は「信じる」などという信仰とは異なる。「根拠ある確信」とでも言った方が良い。
>>8 (3さん)
>あんまり人の揚げ足取らないでほしいな〜。
ども失礼しました。どうしても論争調になってしまうのは、貨幣というテーマが重要だと思うためですので、ご容赦。
しかし、私が指摘したいのは、岩井氏の(ポストモダニズム的な)論法こそが揚げ足取りだ、ということで、
それが反射して私の方が揚げ足取りに見えるのは半分誤解です。
>で、OFW氏によると、そのへんはどう説明されるわけ?
順番に対置すると、
>ある人が1万円札を1万円の価値のある貨幣であるのを信じているのは、他の人が1万円札を1万円の価値が
あるものとして喜んで受け取ってくれるからであり、
貨幣自体には<実体的>根拠はないのだから、人々がそれを「1万円札は1万円の<実体的>
価値がある貨幣」と信じていることが無限の循環論法を招き、それこそが貨幣を支えている<非実体的な>
根拠である、という論法でしょうが、これはおかしな論理だと思いません?
思い込みという「実体的でないもの」が現実の貨幣流通を「支えている」とは、哲学的に言えば、
「現実は幻想である」と言う主観的観念論の主張です。
ポストモダニズム的と言うのはそういうことです。
ですから、
まず「1万円の<実体的>価値」という概念を問うべきでしょう。
つまり、「価値とは何か」という価値論がまずあって、初めて貨幣論が展開できるということです。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 18:49:28 ID:5XYDuKMj
10 名前:OFW :2000/12/27(水) 00:07
>>8 (3さん)(つづき)
岩井氏の議論の中でも
1.モノとしての価値
2.他者にとっての(商品としての)価値
3.貨幣としての価値
4.信用としての価値
5.記号としての価値
という言葉がでてくるが、すべてを貫く自己同一的な存在こそが「価値の実体的本質」と呼ばれるものであり、
上記の1〜5はその現象形態であるという見方が学問的な探求の開始点です。
つまり、価値の本質から、貨幣を含めた価値現象を「説明」することが、科学的な認識態度というものなの
です。(数学的モデルとて、価値を数量的な本質とする立場からの仮説です)
>貨幣法制説も…貨幣商品説もこの循環論法を満足に説明しない。
ですから、「無限の循環論法」は説明されるべきものであり、それを説明原理にしている『貨幣論』はおかしい、
と言っているのです。
これは決して揚げ足取りではなく、本質論という「はしごを外した」のは岩井氏の方なのです。
>これが貨幣流通に<実体的>根拠がないという意味だろね。
もし、貨幣流通に何の客観的根拠(根拠とは、それが単に主観的でなければ、すべて実体的なものを前提します)
もないとすれば、単に無根拠と言うべきであり、それを前提している経済学自体が崩壊するでしょう。
これも揚げ足取りではなく、そこにあるのは概念の混乱だと言っているのです。
貨幣流通には明確に根拠がある。それは、「私的生産者による社会的生産」という矛盾でしょう。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:16:32 ID:5XYDuKMj
13 名前:OFW :2000/12/27(水) 22:24
>>11 >こりゃ、まじめに論議したらOFWさんの負けだな。
そう見えますか。でも、勝ち負けよりは「正しい理解」が重要です。
>OFWさんが言っているのは、貨幣(価値)のあるべき姿であって、実際の姿(の全て)じゃない。
どうも理解して貰ってないようで、説明が必要。
私が言っているのは、貨幣および価値などという存在は無くなるべきであり、いずれそうならざるを
得ないということです。
それは価値とは何なのかを突き詰めて行けば出てくるでしょう。
そして、およそ事物の客観的認識のためには、実際の姿(現象)を超えて、その本質に遡及しなくては
ならない、ということです。
20世紀の学問全体が現象論になってしまった。それは、「本質」「概念」という言葉の意味すら理解
できない程にまで進んでいる。
>>12 (“3さん”さん)
>柄谷氏と岩井氏との違いにも言及欲しいです。NAMも経済板では誰も知らないので。
1980年代以降、いわゆるニューアカデミズムからポストモダニズムという思潮が日本で流行ったが、
私は商業主義ジャーナリズムが煽った「知的なファッション」に過ぎないと思っていたので、殆ど興味
なかったし、今でも積極的な意義など少しも感じていない。だから違いは分からないです。
しかし、両者(そして浅田彰氏等)が「否定かつ肯定」の両義的な態度で、
「マルクスは終わった」
「マルクスは偉大だったが、間違っていた」
などと繰り返し言及することは、マルクス(主義)について誤った理解を広めることになり、これは世の
若者および労働者を誤まらせる結果になる。
このことは、やはり見過ごせないでしょうね。
(NAMの宣言などを読むと、資本や国家に対抗しようと倫理的になっても、小ブル知識人としての自己
の階級的立場は、絶対に手放せないようですなぁ…。しかしまたなんで「不買運動」なの?思弁的かつ
現実的実践?)
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:21:59 ID:5XYDuKMj
23 名前:OFW :2000/12/29(金) 22:50
>>15 (トリックスターさん)、
>>21 労働価値説とは給与(正確には賃金)が労働時間に比例していることではありません。
それは、価値の本質に関する次のような認識です。
「あるモノの経済的価値とは、そのモノの必要量を再生産するために、社会全体の労働量を
どれだけそれに振り向けたら良いかを表示している指標であり、社会的な必要労働こそが
価値の本体をなすものである。」
上記の認識は、次の考察を前提にしています。
1.モノの有用性(価値の直接的・質的な側面)
あるモノが有用か無用かは人により異なるし、代替物の存在によっても異なる相対的な
(主観的ではない)性格をもつ。いわゆる「限界効用説」は有用−無用が相互転化する限度
を価値としている。
2.モノの稀少性
それは価値の量的な側面であり、有用物の現存量と必要量との割合に応じて変化する。
いわゆる「需要と供給の均衡」という事態です。
しかし、上記1&2は価値が実在するという前提に立っているために、現象論でしかない。
それらの現象の底にある価値本体に関する本質論として、
3.モノの社会的生産
人間は生活に必要なモノを生産することで、必要物の稀少性を減じることができるが、
そのためには労働力を支出しなくてはならない。モノの価値とは稀少な労働力を、生
産物のうちに対象的に見たものである。
結局、経済とは、人間にとって必要なモノ(財)をどれだけ生産、分配、消費するかに関する事柄であり、
限られた資源と限られた労働力を如何に社会的に配分するか、という事柄を巡る諸現象、諸本質のことです。
しかし、資本主義経済では、経済とは要するに「金儲け」のことでしかない。
何故そうなるのか。そこにお金(貨幣)の秘密(顛倒)があるが、結局、労働しない「私的生産者」つまり資本家と、
労働力を私物として売るしかない賃労働者との間の対立関係に原因があるということです。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:23:52 ID:5XYDuKMj
24 名前:OFW :2000/12/29(金) 22:51
>>22 >ビルゲーじゃ時給が違うじゃろ
ビルゲイツの収入は給料(賃金)ではなく、資本家(経営者)利得ですから、労働者とは本質的に収入の
源泉が異なる。
また、彼の途轍もない収入の高さは、基本ソフト技術の独占状態による「特別利潤」に基づくものです。
それは特許や「営業上の秘密」によって保護されているから、消費者は自由主義経済に反して、不当に
高いものを買わされている訳でしょう。
「競争と言っても、あくまで独占を目指したものであり、競争と独占とは同じ事柄の両面に過ぎない」(レーニン)。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:29:58 ID:5XYDuKMj
27 名前:OFW :2000/12/30(土) 15:39
>>25 (トリックスターさん)
>○経の究極奥義をそう簡単に理解できるともおもってませんが
いわゆる「マルクス経済学」には理解すべき奥義といったものはないでしょう。
それはマルクスの主張を換骨奪胎して、「マルクスは、共産主義イデオロギーに毒されたために、肝心の点で
科学的・学問的認識を踏み外した。これが正しい『マルクス的』経済学体系だ」と言う。
しかし、それは大げさな見かけとは異なり、内容のない訓詁学あるいは抽象的なドグマのように見える。
繰り返しですが、マルクスは経済学を批判したのです。
>経済的価値って言うのは価格のこと?
市場経済(商品経済)の下では、価値は価格(価値の貨幣表現)として現象するが、それはあくまで現象形態
であり、その下にある価値の本質はそれを超える存在です。
岩井氏をもじって言えば、「貨幣はモノとしての価値(使用価値)を超える価値(本質的・実体的価値)を示す」
のです。(岩井氏はそれを単なる量的な超過のように説いているが)
およそ科学者は現象を本質から説明しなくてはならず、現象を追うだけでは駄目です。価格の理論ではなく、
価値の理論が必要でしょう。
>それは需給の均衡で決まる
市場経済の下では、商品の”自然的”価値からの偏差として価格が変動する。それは特定の商品の需要
(支払い可能な欲望と呼ばれる社会的必要)とその現存量との不均衡を表示するバロメータでしょう。
つまり、価格は需給の均衡ではなく、不均衡(偏り)しか示さない。
比喩的に言えば、バネの均衡点からの偏り(力)は均衡点でのバネの内部エネルギーの絶対値を示さない
のと同様です。
実際、需給関係からは、貨幣価値自体が変動する現象(例:一般的な物価騰貴)は説明できないでしょう。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:32:27 ID:5XYDuKMj
27 名前:OFW :2000/12/30(土) 15:39
>>25 (トリックスターさん)
>○経の究極奥義をそう簡単に理解できるともおもってませんが
いわゆる「マルクス経済学」には理解すべき奥義といったものはないでしょう。
それはマルクスの主張を換骨奪胎して、「マルクスは、共産主義イデオロギーに毒されたために、肝心の点で
科学的・学問的認識を踏み外した。これが正しい『マルクス的』経済学体系だ」と言う。
しかし、それは大げさな見かけとは異なり、内容のない訓詁学あるいは抽象的なドグマのように見える。
繰り返しですが、マルクスは経済学を批判したのです。
>経済的価値って言うのは価格のこと?
市場経済(商品経済)の下では、価値は価格(価値の貨幣表現)として現象するが、それはあくまで現象形態
であり、その下にある価値の本質はそれを超える存在です。
岩井氏をもじって言えば、「貨幣はモノとしての価値(使用価値)を超える価値(本質的・実体的価値)を示す」
のです。(岩井氏はそれを単なる量的な超過のように説いているが)
およそ科学者は現象を本質から説明しなくてはならず、現象を追うだけでは駄目です。価格の理論ではなく、
価値の理論が必要でしょう。
>それは需給の均衡で決まる
市場経済の下では、商品の”自然的”価値からの偏差として価格が変動する。それは特定の商品の需要
(支払い可能な欲望と呼ばれる社会的必要)とその現存量との不均衡を表示するバロメータでしょう。
つまり、価格は需給の均衡ではなく、不均衡(偏り)しか示さない。
比喩的に言えば、バネの均衡点からの偏り(力)は均衡点でのバネの内部エネルギーの絶対値を示さない
のと同様です。
実際、需給関係からは、貨幣価値自体が変動する現象(例:一般的な物価騰貴)は説明できないでしょう。
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:41:43 ID:5XYDuKMj
29 名前:OFW :2000/12/30(土) 15:42
>>25 (トリックスターさん)(つづき)
>それを指標に労働力の支出が行われる。
何故生産物を商品という形態で市場に送り出すのか?
それは「売る」ためであり、売れて貨幣に変換しなければ、価値は実現しない。
それは、生産が個々の私的な生産者によって勝手に行われているためです。
社会全体が一工場のようになり、全体の需要を直接生産に反映させ、経済を計画的に運営すれば、
商品や貨幣は不要ということになるでしょう。(社会的需要の測定、生産物の分配方法、といった細
かい点は省きます。)
そして現在、「労働力の支出」を行っているのは、利潤を追求する資本家(経営者)であり、
「労働せよ」と命令されている労働者自身ではない。
>その投入された労働量がモノの価値である。
これはアダムスミスを始めとして、多くの経済学者が躓いた(今でも躓いている)点ですね。
「モノの(実体的)価値」とは、自然物が色素を含むように、モノに内在したあるものではない。
それは社会的な存在であり、あくまでそのモノの再生産に必要な労働量です。
つまり、実際に投下された過去の労働量ではなく、現在の社会的な必要量と現存量とから出てくる、
「投下すべき」労働量です。
社会的実体とは、具体的な諸個人間の諸関係の総体を言います。社会が個人にとって外在的であれば、
社会は実体として不可測な自然のように振舞う。(いわゆる「見えざる手」、「必然的運命」)
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:44:28 ID:5XYDuKMj
30 名前:OFW :2000/12/30(土) 20:54
>>28 (ななしるふぃさん)
>交換価値は社会的なもんだから、価値の源泉を労働に求めるのはおかしいのでは。
労働は社会的なものではないの?
自給自足なら別でしょうが、近代以降は社会的分業が確立しており、そのような歴史的背景から、
社会学という「社会の発見」も誕生した訳です。
コントやウェーバーも労働の社会性がなければ、職業人として学者にはなれなかったでしょう。
また、繰り返しになるが、交換価値とは価値の現象形態であり、その本質(実体)とは異なるという認識が、
経済学を合理的な社会科学とする。
そして、交換価値(商品価値)は社会的なものとは正しいが、それは「裏返された」社会性(正確には物象化
された社会性)だという認識こそが、市場経済そして資本主義経済の本質に迫るための出発点でしょう。
私的所有がそれを支えている。
マルクスは商品、貨幣および資本の本質を「価値形態」の発展として、歴史上初めて明らかにしたのです。
>バブルはどーなるの?
バブル経済とはまさに「実体経済」から遊離した、幻想のマネーゲームであり、実質的な価値を何ら産み出
さない、貨幣物神とそれに基づく信用の自己増殖現象でしょう。苦労して働かなくても、誰もが一攫千金の
機会を得られるとは!
利子生み資本(金融資本)とは「ブルジョア社会の狂った花嫁」(マルクス)と呼ばれました。
(今世紀になり、国家が金融・財政を通して、経済に直接的に関与するようになり、経済はますます政治化
されてきているが、それはそれで、階級社会の現実を覆い隠す「国家幻想」に裏打ちされている。)
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:48:56 ID:5XYDuKMj
31 名前:OFW :2001/01/03(水) 18:35
>>12 (”3さん”さん)(補足)
>NAMも経済板では誰も知らないので。
NAMの理論を支える一人らしい先生の「貨幣の本質と貨幣の未来」
http://www.econ.hokudai.ac.jp/~nishibe/essensemoney.html には、貨幣は廃棄すべきではないと主張されている。
>貨幣が体現すべき「価値」とは,自分ではなく他の人々の評価と是認に依存する社会的なコトである。
1970年代後半の日本思想界で流行った、「物から事へ」の強調は、たとえば広松渉『事的世界観への前哨』
等を生んだが、実際には現象主義に終ってしまった。
本来、モノ性(物性)とは自然の本体的在り方を言うのであり、「自然的な必然性」についての理解がなければ、
貨幣の本質は理解できない。確かに「貨幣とは社会的な事柄」とは正しいが、それは単にお約束といったもので
はなく、「自然的人類の物質生産の必然性」から来ており、社会の生産関係が客観的・歴史的な根拠なのです。
>人々は貨幣の発行者の約束や権威や権力を信じているのでも,貨幣のモノの価値を信じているのでもなく,
ただ,貨幣のコトとしての社会的価値の「同一性」を信じている。
「価値の同一性」こそが価値を「自己同一的な実体」と呼ぶ所以であり、それは社会的労働による再生産活動を
実体化したものです。
>もう一つの貨幣の未来は,貨幣の本質をすべての人々が自覚するところから始まる。
全くその通り。そして、貨幣に未来はないのです。
>地域通貨は…近代社会が実現した個人主義と自由主義を基本としながらも,新たな互恵的なコミュニティを
再生し,信頼と自己責任にもとづいて,経済と言語におけるコミュニケーションを活性化することを目的としている。
ここでは、経済が政治と混同されている。そして表明されているのは、近代的個人主義・自由主義という、
市民(ブルジョア)イデオロギーに過ぎない。
実際、社会の唯物論的な認識はどこを探しても見当たらないにも拘らず、彼らは何故、繰り返しマルクス
に言及するのだろう?
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:54:58 ID:5XYDuKMj
33 名前:OFW :2001/01/04(木) 11:34
>>32 >貨幣には未来しかない。
それを貨幣物神と呼ぶのです。
「貨幣は何でも買える」が故に(マナのように)絶対的な魔力を持つと思い、そして拝金教徒は皆それに従う。
価値の実体力とは過去の対象化された労働が未来の労働を支配しようとする、まさに「過去の支配」でしょう。
それは時間の流れを逆転させ、流動性を固定化させ、自由を必然性に変えるものです。
「実体とは偶有性の総体として、事象を貫く自己同一的な本質力である。人はそれを必然的な運命と呼ぶが、
それは外的な必然性であり、自由(偶然)な人を突然襲う。すべての現象は実体から出て実体に帰って行く。
それは全き闇であり、『無』自体である。」(ヘーゲル)
自由主義経済とは、物象化された社会的実体力である、貨幣および資本がその絶対的な必然性(等価交換、
支払期限の厳守等々)をもって自己に帰るという矛盾を、個人の自由と呼ぶ。しかし、それは人間の自由ではなく、
貨幣および資本の顛倒した自由でしかない。
「貨幣には過去しかない」、これが正しい。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/03(月) 19:57:41 ID:5XYDuKMj
34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/01/05(金) 08:52
哲学?
35 名前:OFW :2001/01/05(金) 23:42
>>34 >哲学?
そうですね。実際、今の経済学は経済の本質を忘れた、非哲学的、非思想的な学問になっている。
哲学的反省なき貨幣物神・資本物神をそのまま受け入れているため、「おカネって何?」「価値って何?」
という小学生の素朴な質問にすら、満足に答えることができない。
もし、経済学を人間の物質的生存にとって必要な財の生産・分配に関する、希少な資源と希少な労働力の
最適な配分の研究、と定義するならば、そこには本来「価値」などという仮象的存在は現れることはなく、
現存する生産手段の下で、多様な財の社会的な必要量を再生産するのに必要な、社会的な労働量を
計算するという、計画的生産と生産物の分配の問題に帰着する。
しかし、生産手段の所有者と実際の生産者が分離・対立している社会では、すべては無秩序であり、市場という
無計画な偶然性が支配する「疎外された社会」を通してしか、社会の再生産と生産物の分配は達成され得ない。
何よりも「労働力以外に売るべきものを持たない階級」が出現して以来、資本というその影が世界を完全に
転倒してしまった。工場内の厳格な計画的生産と工場外の無計画な販売競争との対照は、社会の分裂を
そのまま表現しており、金勘定だけが唯一の「合理的」法則になっている。
その点で、現代の経済学はちょうど、中世の天動説が惑星の軌道を計算するために、複雑な周天円モデルを
作り再現しようと苦労したが、結局「コペルニクス的転回」(Copernican Revolution)に至らざるを得なくなった、
神学的天文学の歴史を思わせる。
若き研究者とすべての労働者にとって、そこには良く考えてみる「価値」(但し経済的価値ではなく、学問的
あるいは実践的な価値)があるのではないでしょうか。
OFWももう飽きた。ジミージーさんの中では半生を丸に費やしてしまってどこかで収まりのつかないことだろうけど 不変資本から文系でもマルクスの体系はくずれる。もはややくたたずのまる。 隙とかそういうことではなくて実際に苦しんでいる人のことを考えればもはやあたらしい、経済学を 考えるべきだろう。具体的には労働による健康障害を搾取とすルこと。資本を主流派で差ウイ形成すること 血縁を学会に寝ず貸せることくらいだろう。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 12:15:23 ID:FomSR4fj
>>168 まぁ、そげんおひとは他のスレでお楽しみを。
このままOFWとやらのカキコ読んでたら
なんやら分かったような気がしてきたが、
そこが要注意なんじゃろな。
まぁ、鷲のオツムの程度に合わせてユクリと
冬休みのお楽しみだよね。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 19:04:13 ID:sjVyMBXs
38 名前:OFW :2001/01/07(日) 00:07
>>36 >50年ぐらい前のランゲとハイエクの論争を思い出すな
ランゲ市場社会主義における経済計算に関するレビュー
http://www.bekkoame.ne.jp/~hyoko/langeindex.html 実際、スターリン主義型の「社会主義」(実は国家資本主義)経済に価格メカニズムを最大限取り入れようと
することは、一つの矛盾を導入することになった。
問題は、「誰が生産を握っていたのか」であり、共産党官僚・独占資本家・軍部からなる「ノメンクラツーラ」か、
労働者階級か、が要点でしょう。
貨幣・資本(すなわち賃労働)そして国家の存在は、社会主義とは相容れないし、少なくとも「労働力の商品化」
は第一に廃棄すべきものです。
いずれにせよ、資本主義経済では、投資・金融・信用といった市場の事柄が経済の表舞台であり、その地下に
ある生産自体は「私的な事柄」とされている以上、経済学者の関心を余り引かない。実際、産業連関分析や
労働経済学などは、証券アナリストや主流経済学者にとっては魅力のないテーマでしょう。
労働者が資本家・経営者の単なる使用人に過ぎない体制下では、旧ソ連と同様、システム(体制)の維持(均衡)
のために、総資本の代表としての国家が、どうしても乗り出さざるを得ない。経済は既に政治化されている。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 19:05:22 ID:sjVyMBXs
42 名前:OFW :2001/01/07(日) 20:19
>>39 >じき恐慌が来た暁には、誰もがマルクスに縋りつくことを夢見て
恐慌待望論?それはマルクスとは無縁でしょうね。サラリーマンが自己の社会的地位を自覚するのは現実認識
から出てくるのであり、その必然性の認識とは恐慌の必然性といった外的なものではなく、労働こそが経済社会
の存立性の物質的根拠なのだ、という内的な必然性の自覚です。
その点では、「夢見る」とは逆に、幻想から現実への転回でしょう。
>>40 >マルクスは恐慌からの脱出方法を提案できないからダメ
とても不思議な意見ですが、要は恐慌からの資本主義的脱出なのか、社会主義的脱出なのか、という事でしょうね。
「マルクスの提案」とは、労働者階級の組織的団結による社会の転回(Revolution)であり、「主人を交替せよ」
というものでしょう。
また、「恐慌論」については、日本の(マルクス主義ではない)「マルクス経済学」においても、「恐慌は必然的な
ものではない」と主張されているようですが、たとえば『資本論』を換骨奪胎した宇野弘蔵氏は、自然科学的な
必然性と歴史的・弁証法的な必然性とを混同しているようです。
「必然的なものは実在的条件に媒介されてのみ現実化する。
しかし、それは条件によらず現実化せざるを得ない。つまり、それは必然的だから必然的なのである」(ヘーゲル)。
必然性の概念とは「他であることの不可能性」であり、単なる可能性および蓋然性を超えるものです。
それは内的な本質存在の現象ということであり、「総体的なもの」の顕現です。
一方、外的な必然性は運命とも呼ばれる偶然的な必然性です。よくある恐慌待望論(例:一般的危機論)などは
没主体的な宿命論の裏返しに過ぎないでしょう。
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 19:09:29 ID:sjVyMBXs
43 名前:OFW :2001/01/07(日) 20:21
>>41 >精神現象学なしの論理学って言うところかね。天から降ってきたエチカかな。
『精神現象学』には有名な「主人と奴隷」の自己意識の相克の話が出ており、主人のうちにしか自己を持たない
奴隷は、大地に働きかける労働によって自立的自己を獲得すると書かれています。
近代的な自由・平等思想の起源と主体意識の誕生を勤勉な市民(自営農民?)の登場に見ているとも言えます。
(無論それは観念論に止まるが)
現代の社会においてはどうでしょう。誰が主人で、誰が奴隷なのか?
(広告宣伝部長)「消費者は王様です」
(営業部長)「しかし、売れない。何故だ?」
(経営コンサルタント)「過剰供給、いや過少消費です」
(経済学者)「賃金の『下方硬直性』がスタグフレーションを招いているのです」
(労務部長)「それは労働組合がうるさいためで…」
(社長)「ええい、『不良在庫』はリストラ処分だ」
(広告宣伝部長)「しかしそれでは、王様が乞食になってしまいます
…等々。
エチカ(倫理)というより商品と労働の弁証法でしょう。
いずれにせよ、経済学者には「真実を見る勇気」という倫理が欲しいものですね。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 19:15:32 ID:sjVyMBXs
62 名前:OFW :2001/01/10(水) 23:44
>>60 (”(名前)まだない”さん)
>その「労働量」はどうやって測るんだろう?
>ソフトウェアのプログラミングに頭をひねるのと肉体労働するのとの違い
逆に質問ですが、実際に労働量は違うか同じか、どちらだと思いますか?
頭脳労働の方が肉体労働より楽だから、少ない?(現代では、肉体労働の「賃金」は相対的に安いですよね?)
>貨幣価値で測るしかないんじゃないの。
「何」を貨幣価値で測る、と言われるのかな?
>岩井さんが言ってるのは、労働量とかそういう風に単一の根拠を求めても埒があかなくて、…循環として理解する
よい他ない、ということ
岩井氏の『貨幣論』(ちくま学芸文庫)から少し引用すると、
「…「俗流経済学者」の誤謬とは、かれらが価値の形態を分析しながらその実体がなんであるかを明らかに
しえなかったこと、あるいは「価値のうちにただ社会的形態だけを、またはむしろ社会的形態の実体のない
仮象だけを」…見たということにあると、マルクスはいっている」(P24)
「たしかに、古典派経済学は価値の「実体」を発見した」(p25)
「古典派経済学は、…商品の交換価値が資本主義社会に固有な価値の「形態」にすぎないという認識を
もつことができなかったというわけである」(p26)
岩井氏は要するに、「価値の現象形態とは実体のない仮象に過ぎない」という主張は正しい、と言いたいのでしょうか。
もしそうなら、価値の科学などはあり得ない筈で、確かに貨幣物神(貨幣の神秘)は妥当なものとなる。
しかし、他方で次の文からも分かるが、価値の科学を主張している。
「…ワルラスの一般均衡理論…は、資本主義社会をおたがいに依存関係にある数おおくの市場のネットワーク
としてとらえ、すべての市場の需要と供給を同時に均衡させる価値体系(一般均衡体系)の存在を数学的に
証明したのである」(p32)
一般均衡理論で存在している体系とは「価値」体系ではなく、価値の現象形態である「価格」体系でしょう。
上記は、まさにマルクスが俗流経済学に投げつけた「価値形態と価値との混同」そのものではないでしょうか
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 19:25:02 ID:sjVyMBXs
66 名前:OFW :2001/01/11(木) 22:31
>>63 >またヒックスの副題は主観的価値の理論だったのではないか?
近代経済学で客観的価値の理論があるのでしょうか?
主観的価値とは価値の表象であり、その実体(表象の対象)に関する客観的議論がない以上それは
「価値とその現れ(表象)との混同」でしょう。
>>64 (”(名前)まだない”さん)
>労働を直接計量化することは不可能で、市場価値つまり価格で間接的に計るくらいしか思い当たりません。
労働とは対象的活動であり、およそ活動の量とは広くエネルギーと呼べるでしょう。そして活動は時間的なものであり、
「活動力」の一定時間の発現が現実的活動の量です。無論それを直接計量することはできず、その働きを受けた
対象の量で計るしかない。
たとえば、地震活動のエネルギーはそれが作用する震度計の振れを元に、それがどの位の範囲の地域に作用を
及ぼすかという規模(マグニチュード)として測定する訳です。
労働の計量は、労働対象に及ぼす労働の効果、すなわち生産物の量によって可能でしょう。
具体的な労働は、労働手段や労働組識に媒介された技術的なものであると同時に、多くの個別労働が結合した
社会的なものです。
そして、それは潜在的な「労働力」の一定時間の発現として見られ得る。
あなたが言っているのは、(労働自体ではなく)個別的「労働力」の交換価値である賃金の事ですね。
>労働「量」です。
同上。労働量とは実在的なものであり、価値とは非実在的なものですから、後者で前者を計ることは論理的に
不可能です。現代の多くの労働組合でも労働力と労働が混同されているようです。
繰り返しですが、「賃金」とは労働に対する対価ではなく、労働力の売価です。この混同は資本の秘密であり、
労働が価値の実体だという本質を覆い隠すものです。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 19:26:12 ID:sjVyMBXs
>>174 (つづき)
>>65 >労働量=労働の質*労働時間
多分、具体的な有用労働と抽象的人間労働の区別を示したいのかな?
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 19:29:49 ID:sjVyMBXs
78 名前:OFW :2001/01/13(土) 15:13
>>69 (63さん)
>計れないから客観的でない。だから価値とは言えない
そうは言っていません。価値の計量の問題と主観的価値の位置付けの問題とは別の議論です。
>ということでしたら、労働価値だって計れません。
労働価値とは何でしょう?私は「価値」と呼ばれるものは、「労働」の隠された別名であると言っているのです。
そして、与えられた生産計画のもとで、どれだけの労働を投入すべきかの計算は、現在のすべての産業で
行われているものでしょう。それを企業内だけでなく、社会全体に押し広げることが、社会主義的な生産と
呼ばれ、そこでは「価値」という用語は不要なものとなるでしょう。
>直接間接に用いられている労働量なんて、産業連関表から推察するしかないではありませんか?
推察というより、測定でしょう。
産業連関表とはケネーの経済表並みに重要な経済法則の表現でしょう。
貨幣に基づく市場原理を追求する経済学が実体経済(社会の再生産構造)を軽視するのは、
ブルジョアジーの視点で経済を考えるからでしょう。
>労働が投下されているからといって価値を持っているものではありません。たとえば作られても使われていない
ダムを考えてみてください
ですから、価値の本質とは「社会的な必要労働」が対象的に表現されたもの、と言っているのです。
それは投下労働ではないし、単なる使用価値のことでもない。
社会とは一つの統一体であり、その再生産は抽象的な社会的労働の配分によって維持されている。
何をどれだけ生産すればよいかは、社会的な必要に応じて決まるでしょう。
使われないダムは社会的に不要なダムであり、「無価値なもの」と呼ばれるが、本来「モノが価値をもつ」
という表現自体が、仮象的(かりそめ、みかけ)なのです。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 19:33:20 ID:sjVyMBXs
90 名前:OFW :2001/01/14(日) 07:16
>>79 >(だから投下された労働には価値が無い)
労働価値論とは、労働が価値を生み出す(正確には形成する)以上、労働自体は価値をもたない、
ということです。
>投下された労働量が意味を持つのではなく、
投下すべき労働が意味を持つのです。
>したがってコストを価格と考えるのは間違いだということになる
まったくその通りであり、実際に支払われたコスト(原材料費、設備減耗費および労賃)(製造原価)が価格を
形成するなどというのは誤まりです。
古くからある生産価格の議論は、平均利潤率を前提にした転倒した説明でしょう。
>>80 >OFWさんが、客観的価値を追求しなければ社会科学じゃないと、思っているなら
およそ科学は客観性の追求であり、世界は合理的な根拠(本質)があるということから出発する。現象には客観的本質はない、と言うなら、結局勝手な思弁に陥るだけで、事実「貨幣論」はそうなっている。
>近経に人は、客観的価値なんて考え出したら宗教になると思ってるかもしれないけど
何故なのかな?私には客観的なものは存在しないという方が宗教じみて見えるが。価値の主観主義は資本(家)
の無制限かつ無秩序な自由を正当化する「ブルジョアジーの夢」でしかない。
確かに使用価値とは個人によって異なるが、それは相対的なだけで、「必要(必然)」という人間の客観的な有り様を
反映している点で、決して主観の恣意に依らない本質をもつ。
>まともな議論をしたいんなら15chでスレでもたててみたら?
以前15chを少し騒がせました。
http://www22.big.or.jp/~15ch/readres.cgi?bo=economy&vi=0009&rm=30 (30は私です)
90 名前:OFW :2001/01/14(日) 07:16
>>79 >(だから投下された労働には価値が無い)
労働価値論とは、労働が価値を生み出す(正確には形成する)以上、労働自体は価値をもたない、
ということです。
>投下された労働量が意味を持つのではなく、
投下すべき労働が意味を持つのです。
>したがってコストを価格と考えるのは間違いだということになる
まったくその通りであり、実際に支払われたコスト(原材料費、設備減耗費および労賃)(製造原価)が価格を
形成するなどというのは誤まりです。
古くからある生産価格の議論は、平均利潤率を前提にした転倒した説明でしょう。
>>80 >OFWさんが、客観的価値を追求しなければ社会科学じゃないと、思っているなら
およそ科学は客観性の追求であり、世界は合理的な根拠(本質)があるということから出発する。現象には客観的本質はない、と言うなら、結局勝手な思弁に陥るだけで、事実「貨幣論」はそうなっている。
>近経に人は、客観的価値なんて考え出したら宗教になると思ってるかもしれないけど
何故なのかな?私には客観的なものは存在しないという方が宗教じみて見えるが。価値の主観主義は資本(家)
の無制限かつ無秩序な自由を正当化する「ブルジョアジーの夢」でしかない。
確かに使用価値とは個人によって異なるが、それは相対的なだけで、「必要(必然)」という人間の客観的な有り様を
反映している点で、決して主観の恣意に依らない本質をもつ。
>まともな議論をしたいんなら15chでスレでもたててみたら?
以前15chを少し騒がせました。
http://www22.big.or.jp/~15ch/readres.cgi?bo=economy&vi=0009&rm=30 (30は私です)
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/04(火) 19:37:27 ID:sjVyMBXs
91 名前:OFW :2001/01/14(日) 07:31
>>88 >で、「貨幣論」はどうなったのよ?
価値の客観的形態を追跡したマルクスが、貨幣形態においてその完成を見たが、その論法を「踏襲」して
価値形態Zなるものを案出した岩井氏は、マルクスの価値形態論を借りてマルクスの労働価値論を否定
したと言っています。
「すべての商品は貨幣である」ことが多様な通貨の併存や電子マネーにおいて実現されている、と仄めかして
いるが、実際には信用と貨幣とを混同しているに過ぎない。
「無制限かつ無期限の信用」などあり得ず、精々国家(幻想の共同体)に対する国民の信用が幅を利かせている位。
そして、それも国債がこれだけ肥大化しているため、国民は信用より不安が先立つといった現状でしょう。
岩井氏の言うように「経済に本質的に新しいものなどない」以上、貨幣形態Zという循環論法とは労働が価値の
実体であることを隠すための、新種の貨幣形而上学にしか見えない。
確かに、貨幣とは一つの幻想に支えられている。しかし、それはまったくの無根拠ということではなく、社会の階級対立
に根をもつ、必然的な存在(必要不可欠なもの)であり、また貨幣を現れるがままに受け取る経済学の表象は概念
なき現象論と言えます。
結局、逆立ちした経済学は社会自体の転回によってしか、合理的・客観的 なものになり得ない、かな。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/05(水) 17:09:11 ID:QeTIxK31
96 名前:OFW :2001/01/15(月) 00:34
>>93 >「マルクスの価値論は労働価値説であって、投下労働に基づいたもの。使用価値というのは近代経済学の交換に
より実現される価格と同じ。」というのを…ならった
それはマルクスの労働価値説の内容ではない、と言えます。
1.マルクスの価値概念は、使用価値、交換価値、価値本体(実体)という、相互に対立する3契機の統一として
出されており、アダムスミスがまさに価値本体を労働として突き止めたことを、評価しているのですが、にも拘らず
価格(交換価値の貨幣形態)と価値自体とを十分明確に区別できず動揺している、と評しています。
2.投下労働が価値の実体だというのは、表面的には分かりやすいが、それが誤りなのは、他の生産物の現存に
応じて、(価格のみならず)価値が変化することを説明できないことからも明らかです。それは価値が自然的
属性として生産物に含まれているかのように見る転倒(物象化と言います)を、労働価値説において踏襲する
誤りでしょう。価値の実体とは、自然的実体ではなく、社会的実体を指すのです。それは結局社会の物質的
再生産のために必要とされる労働に関する概念です。
>マルクス経済学では学派ごとに価値の捕らえ方が違うのでしょうか?
私は専門家ではないので、学派の詳細は良く知りません。それに、前レス(
>>5 ,
>>27 )でも少し触れていますが、
現代の「マルクス経済学」は全般にマルクス労働価値説の核心を誤解しており、事実上放棄しているように思え
ます。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/05(水) 17:12:50 ID:QeTIxK31
97 名前:OFW :2001/01/15(月) 21:22
>>94 >マルクスの価格と価値の乖離(労働価値説が成立しないこと)はマルクスの基本定理(という置塩の定理)
で説明できること
とてもミスリーディングな表現で、内容を誤解しているかも知れませんが、まず、「価格と価値の乖離」とは
「労働価値説が成立しないこと」ではない。
それは、価値という本質が価格という現象において必然的に転倒せざるを得ず、その根拠は抽象的人間労働
という価値の実体が物象化され、物の属性であるかのように貨幣において実現されるという、労働価値説の帰結
だということです。価値法則は市場において貫徹される。
但し、それは価格という屈折を通して、自らの実体を隠蔽しつつ顕わにする、ということです。
この辺は弁証法的な抽象力・総合力が必要であり、「定理」という形式論理では捉え切れないのでは?
>もし使用価値として、価格を意味しているとすれば、価値と価格が乖離するのは、利潤率がゼロでないからだ
ということになるでしょうね
まず使用価値は価格(自然価格?)を意味しません。使用価値は価値の質料(実在)であり価格は交換価値の
貨幣表現です。
ただ、おっしゃりたいことは何となく分かります。要は「利潤はどこから発生するのか?」という根本問題でしょう。
古典派以前の俗流経済学では、「等価交換の原則(価値通りの交換)が成り立つ市場において、商業利潤が
発生する合理的な根拠は何か?」という点が難問だったようですね。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/05(水) 17:14:14 ID:QeTIxK31
>>180 (つづき)
>>95 >貨幣についての説明もお願いしたいのですが・・
日本の「マルクス経済学」が何を言っているのかは、良く知りませんが、余り期待できないようですね。
マルクスが言っていることの表面的な概要は、岩井氏が述べている通りで、価値形態の最終段階として
貨幣が登場します。
その後、貨幣の具体的な機能として、価値尺度、価値基準、購買手段、支払い手段等が展開され、
また、その形態として、鋳造貨幣、信用(代理)貨幣、価値章標等が唯物論的に議論されている。
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/05(水) 17:18:51 ID:QeTIxK31
99 名前:OFW :2001/01/17(水) 21:46
>>98 >これは、労働が本来持つ価値は労働者に支払われる賃金バスケットのなかに含まれている価値よりも
少ないということ(搾取の存在)のことですか?
違います。
昔から社民主義者や労働組合が「搾取」という言葉を口にする場合、常に「我々の『本来の』取り分を返せ」と
言ってきたが、それはむしろブルジョア的私有原理を前提にした議論であることを、知る必要があります。
搾取は確かに存在するが、それは事柄の一面に過ぎない。
私は「物象化」すなわち「人と人との関係がモノとモノとの関係として現れるという顛倒」が価値という仮象を生み
出していると言っているのです。
>つまり価格とは賃金バスケットに含まれる労働量で価値というのは労働が生み出す生産物に含まれている
労働量ということです。
賃金とは労働力商品の売価であり、そこに「労働量が含まれている」ことはない。
価値あるいは労働量が生産物に「含まれている」というのはみかけ(仮象)の表現です。ちょうど需要と供給を
混同するようなものです。
供給(十分な現存量)がないから需要(不足分の必要量)がある訳です。
>それは産業全体の投入係数行列により決定するということではないですか?
与えられた最終生産物(消費財)の量(需要量)から始めて、すべての消費財、生産財の生産および再生産に
必要な社会的な労働量を算定するという、産業連関の考え方でしょうね。
>マルクス経済学の説明がかなりむずかしいですね。
自然科学のような意味で「資本主義社会の経済学」などは成立し得ないでしょう。
それは歴史的に発展し、深化する矛盾としてのみ解明され得る。
>マルクスの基本定理は搾取率がゼロなら、利潤率もゼロでこのとき直接間接に入っている労働量と生産価格
は等しいというものでした。
利潤とは剰余価値の別名ですから、当然数学的にゼロはゼロでしょうが、重要な点は数式に表現された、
事柄の本質内容です。
数理的マルクス経済学者は、「マルクスの基本定理」などと言うが、「数学的」あるいは「形式論理的」な
「定理の導出」などは、マルクスの思考法とは無縁です。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/05(水) 17:22:54 ID:QeTIxK31
100 名前:OFW :2001/01/18(木) 23:15
>>98 (補足)
>それはある財を生産するのに、直接用いる労働量のほかに原材料のなかに含まれる労働量も
必要
「原材料のなかに含まれる労働量」とは誤った言い方であり、労働量が生産物に含まれるという表現は、
過去の死んだ労働がモノとして実在するという錯誤を示しています。
それは通常の表現で「原材料の価値」と同義でしょうが、資本家は「労働(量)」という言葉を使わないから、
上記の表現はいわば「ブルジョア的労働者」(自営生産者)の立場を表わしている。
確かに原材料も労働生産物であることは事実ですが、それは労働量が原材料の中に「実在的に」含まれている
ということではなく、対象としての原材料において、人が知識(観念)として持っているだけの事柄です。
価値の概念とは「その生産物を再生産する場合に、社会的に必要とされる労働量」であり、
「既にその生産物に投下された労働量」ではない。
両者は生産に関する条件が全く同一なら等しいと言えるかも知れないが、生産物が既に存在する以上、
必要度合いは変化しており、歴史的条件は変わっていると言うしかない。
さらに、労働を知らず、その生産物のみを扱う商人や資本家が生産物において「価値」を本体的な存在とみなし、
それを形成する労働自体すら廃棄する。そうなると労働は価値として実体化され、価値にもとづく商品、貨幣、
資本といった仮象的で過去的な存在が「真なる存在」とされてしまう。
それは「直接用いる労働量」、すなわち活きた現在の労働と対立する。
過去の労働が現在の労働、さらに信用において、未来の労働をも支配する。それが「実体」(過去の必然)という
概念です。資本主義経済の全運動はその矛盾にもとづいています。
単に搾取が問題なのではなく、人間の非人間化(モノ化、疎外、奴隷化)が問題だということ、そしてその根拠の
唯物論的な解明とその止揚(実体の主体化)の条件の探求こそが、マルクスの経済学批判の根底にあるのです。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/08(土) 16:31:27 ID:fgBMjQ9r
103 名前:OFW :2001/01/20(土) 00:35
>>101 >流動資本に体化された労働を過去の労働だから労働じゃないというのはどうでしょうか?
まず「流動資本」と「固定資本」の区分は、「可変資本」と「不変資本」の区分にすべきでしょう。(原材料は
「不変資本」の一部)
また「過去の労働だから労働ではない」とは誤解です。「資本とは過去の労働の対象化であり、現在の活きた
労働(賃労働)と対立する」という事。
自然の一部である人間は自然に働きかけることによって、その物質的生存を維持する。それを生産と呼びます。
そして、生産は生産手段(労働対象と労働手段)と生産力(労働力)との結合として分析できる。
この場合、労働手段自体が生産されたものであり、原材料も本源的自然を除いては、労働により加工された
結果として現存する。
資本家制的生産様式では、生産手段(原材料、機械設備等)の所有者(資本家)が労働力商品をその
担い手(賃労働者)から購入して、私的な商品生産を営む訳です。
過去の労働の成果である生産手段をモノとして私有した資本家が、それに資本価値(価値を生む価値)が
含まれていると見ることは、一つの逆立ちした表象です。それは、不変資本を労働力と結合して生産した
生産物には「付加価値が含まれている」という表象をもつことであり、「資本は利潤を生む自己同一的な
価値実体である」という物象的な表象が完成する。まさにゾンビが活きた人間を支配するかのような世界が
そこに現出する。
その転倒、その弁証法的な対立が見えないと、価値・貨幣・資本の概念把握は不可能でしょう。
経済学者のように平面的な価値理解では、価格と価値の質的区別すらつかず、あるいは労働価値(!)
から生産価格への「転形問題」などという偽問題も発生することになる。
それでは岩井氏と同様「貨幣物神は正しい!」と言うはめになる。
>リカードは流動資本しかない場合で、労働価値説を用いようとしたからうまくいかなかったんでしたっけ?
(不変の価値尺度の話ですがね。)
リカードは形式的には「投下労働量」を価値尺度とみたが、実質的には「賃金」(労働力の貨幣価値)を
価値尺度にしようとしたのでは?
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/08(土) 16:34:15 ID:fgBMjQ9r
104 名前:OFW :2001/01/20(土) 00:38
>>102 >マルクス経済学を社会学の基礎のようなものと考えておられませんか?
「マルクス経済学」とは何でしょう?マルクスは決して資本主義経済に関して、合理的・科学的な理論体系
を立てようとした訳ではなく、むしろ資本主義自体が矛盾した、不合理な経済システムであることの必然性を
弁証法的に論証しようとしたのです。
およそ科学とは整合的な理論による現象の演繹的・客観的な説明でしょうが、資本主義社会の理論は整合
的になり得ない。そこでは科学的理論は限界に達するのです。その限界点を明らかにすることが(優れた意味での)
「科学批判」(Criticism)であり、「客観的な世界は主体自身の客体化に媒介されている」という、理論と実践
の弁証法が社会状況を開示することになる。「自由とはまさに必然性の真理である」(ヘーゲル)という言明は、
観念論ではなく、唯物論によって具体的な内容をもつことができるでしょう。
また、何故「経済」なのかと言えば、「自然と人間との間の永遠の物質代謝過程」こそが社会の歴史的かつ
自然的な物質的基礎をなすもの、だからです。無論、「経済学」が「社会学」の基礎をなす訳ではありません。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 11:59:47 ID:7ZR6CPXJ
106 名前:OFW :2001/01/20(土) 07:29
>>105 >流動資本(原材料としての商品)と労働を用いて商品を作りますね。
固定資本(土地、設備機械等)を忘れないように。また、労働を用いるのではなく、労働力を用いるのです。
労働は現実の活動であり、労働力はその潜在的な在り方。それは労働者自身でしょう。
>その流動資本として使ったものを補填してもあまりあるだけの商品が生産されるから経済は存立可能なわけですね。
資本主義としての商品生産はそうです。そして、「あまりある」どころか「あり余る」ほどの商品が生産可能なのが、
工場制機械工業による大量生産。
>じゃあ流動資本と賃金分を超える部分はどこへ行くかというと、資本の価値額に応じて資本家に分配されるはずなのです。
その前に、「商品形態」は「貨幣形態」に転化され、価値を実現しなければなりません。平たく言えば、市場において
すべて売れなければならない。
それが問題の点です。生産物が売れるか売れないか、それはまったく分からない。
価値形態の転化のために、商品およびその担い手である資本家は「命懸けの飛躍」(マルクス)を遂げる
必要があります。それは需要を知らない無秩序な生産のためであり、市場における「見えざる手」によって
事後的に生産の調整が行われる。それが資本主義的市場経済です。
>(すべての産業で利潤が等しくなるのは、資本は産業間を自由に移動かのうだからです。)
まったくその通り。資本が自由なので、労働者は不自由な拘束を受け、また利潤が等しくなるから、剰余価値が
不等になり、合理的な再生産が不調になるのが現実であり、それは現在でも「不況」として現実化していない?
「価値通りの交換」(等価交換、一物一価の原則)という規範が、現実には「生産価格での交換」になっているのが
「転形問題」であり、にも拘らず経済学者が「現実は価値通りの交換が支配する合理的市場経済社会である」
と言うことは、イデオロギー(現実に合わない観念)でしょう。
経済学批判とは道徳的批判ではなく、現実とは違う、というイデオロギー批判(空想的理論の検証)なのです。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 12:00:29 ID:7ZR6CPXJ
107 名前:OFW :2001/01/20(土) 07:32
>>105 (つづき)
>こういう現実があるわけで、それがけしかんというのは規範的な考えであって、実証的な考えではないわけですね。
現実をみて、その矛盾した姿が見えないのは、「無概念的」認識と呼ばれる。
唯一の規範は「真理を探究せよ」という、すべての認識者に向けた規範であり、現実ではなく表象に捕われることを
戒めるものです。
また、実証は重要ですが、「何が実証されたのか」ということに関しては、反省的・本質的な理論(仮説)が必要だ
ということです。そうでないと、実証主義は「木を見て森を見ず」という現象論になる。
>価値とか価格というのは本来どうあるべきかというべきろんではなく、
どうあるべきか、ではなく、真理はどうなのか、です。「本来の価格」「自然価格」「正常な利潤」「正しい経済政策」
等々はすべて世の経済学者が使う規範的な言葉であり、現実を正しく反映していないのでは?
>現実にどうなのかという現実認識であるわけでしょう?
まさにその通りです。マルクスは歴史上始めて「空想的観念ではなく、現実を見よ」と言ったわけです。
>どうもお話が理解できないですね。
では具体的に「貨幣が何故必要か」という点にしましょうか?
先ほどの話で、生産された商品には価値が「含まれている」としても、それは売れなくてはならない。
それは何故でしょう?
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 12:05:15 ID:7ZR6CPXJ
109 名前:OFW :2001/01/20(土) 21:16
>>108 >産業を通じて等しくなるのはなぜか?
まず現象面で言えば、資本家にとっては、彼が投下する貨幣がどれだけ太って戻ってくるか、にのみ関心が
ある訳ですから、投下すべき産業が何であっても構わない、という事情は別に不思議なことではないでしょう。
そして、すべての資本家がより高い利潤率を求めて競争する結果として、むしろすべての利潤率が全産業を
通して均等化され、「一般利潤率」という平衡点に達する、ということも自由競争の直観としては分かるでしょ
う。その過程は、市場というものが持つ逆説(見えざる手)の一つであり、市場心理について、たとえば、
哲学者J.P.サルトルが『弁証法的理性批判』において、「他者性の次元」の例として分析したものでもあり、
岩井氏も「他者の欲望」「未来への先送り」等の用語で分析していますが、要するに、物象化した人間
(他者なる自己)の弁証法として説かれるべきものです。そして、その過程の結果として実現される事態は、
まさに社会全体の総資本による総労働の歪んだ再配分(誤った割り算)ですね。
その場合、価値法則は全体として貫徹していると言える。実際現在は、IT産業に向けて「全ての個別資本」
が誰よりも早くと、移動競争をしているような有り様であり、早く独占して「他者の自由」を排除しないと、独占
を排除した完全自由競争の負け組になる、と言われている。
>(労働も自由に動いても、資本は自由に動けるよ)
マルクスは近代プロレタリアの誕生について、彼らが二重の意味で自由である、と言っていますね。
第一に前近代的な隷従関係、古い役務からの自由、第二に生産手段から切り離され、裸の労働力として
所有からの自由。
それは「職業選択の自由」といったごまかしの観念とは違い、リアルに社会を見る視点、そして弁証法的な視点
(自由は必然である)を示している。
私が「労働者は不自由」と言ったのは、職業をいくら自由に選択しても賃労働者であることから自由にはなれない、
といった意味です。失業の自由?
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 12:07:05 ID:7ZR6CPXJ
110 名前:OFW :2001/01/20(土) 21:18
>>108 (つづき)
>ここのところは、労働価値説を用いて価値を求めても意味がないという転形問題のことの気がするけど。
「価値」という言葉をどう定義するか、に掛かっているでしょう。
1.「価値とはモノがもつ効用である」?
2.「価値とは現存する有用物がもつ稀少性である」?
3.「価値とは貨幣で尺度される、経済学の基本量である」?
明らかに3は形式的な定義であり、実際には価値ではなく価格しか扱っていない。
「名目価格」「実質価格」という用語がそれを補っています。
尺度は存在するが、それによって尺度される実体は存在しない???
また、岩井氏も含め、経済学者は「労働価値説」という用語を「投下労働量で尺度された価値に基づく交換が
実際に成立しているという、科学的な法則」と考えているようですが、私は「価値という存在の実体は社会的
必要労働であるという、価値の本質認識」と考えます。それがマルクスの主張としての労働価値説でしょう。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 12:27:18 ID:7ZR6CPXJ
112 名前:OFW :2001/01/21(日) 09:36
>>111 >社会的必要労働というのを、投入係数を考えて一単位その生産物を社会全体として生産するのに必要な労働量と
>解釈するのが一般的ではないでしょうか?
概念としてはそうでしょう。ですから「社会が必要としている生産物」に関して、いかなる社会において?という
社会の本質に問題が移るでしょう。
>たしかに投入係数は変わるし失業もあるのでうれないものを作る労働というのは社会的には不必要と考えることが
>できるのかもしれませんが、そのようには経済学では考えないのでは?
資本主義社会を前提にした経済学ではそうでしょうが、売買自体を廃止する社会主義経済では
そうではないでしょう。念のために言っておけば、旧ソ連を始め、自称「社会主義国家」とは社会経済体制
としては、国家資本主義と考えるのが正しい。
>むしろマルクスは古典派をひきずっているから完全雇用を考えていたのではないですか?
「古典派をひきずる」という意味が良く分からないが、マルクスは雇用(正確には賃労働)の廃止を考えて
いたのです。
彼は、資本主義経済の整合的な理論体系をうち立てようとした科学者、ではない。
『資本論』とはブルジョア経済学の批判の書であり、「マルクス経済学」なるものの教科書ではないのです。
歴史的社会の唯物論という視点が必要。
>失業予備軍は賃金率が労働の再生産に必要な水準に決まると言っているだけで。ちがいますか?
まず「労働の再生産」ではなく「労働力の再生産」です。労働を再生産するとは、「運動を運転する」並みの
論理的エラーです。労働の価格とか、賃金とは労働の報酬とか、同じ誤りです。
(どうして皆、本質的な区別が分からないのかな…)
また、「失業予備軍」という言葉は「産業予備軍」が正しい。資本主義経済下では賃金率を最低限に
押さえるために、産業予備軍という失業者が必要、ということです。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 12:30:04 ID:7ZR6CPXJ
119 名前:OFW :2001/01/22(月) 02:26
>>116 >しばらく僕はここのスレッドお休みにします。
それは残念。インターネットは続けるべきでしょう。
>資本主義はきっと滅びるという論理を展開して
資本主義が自動的に滅びるという論理は、誤解ですね。
資本家というものは、自らの階級的利害のためには、世界を消滅させてもよいくらいの考えをもち得ますから。
現に20世紀には2度の世界大戦と数多くの戦争があり、原爆・水爆(実験)まで使用された。
環境は修復不可能なまでに破壊されつつある。
>革命という新しい経済関係を作り出すときの軋轢をなるべく少なくしたい
革命は新しい経済関係のための転回(Revolution)であり、暴力的か非暴力的かは措くとして、不可避なもの
でしょう。それは「必然性の王国」から「自由の王国」に向けた人類の主体的な事業です。
マルクスはそれを労働者階級の自己解放に向けた理性と情熱に託したということです。
>>117 >2ちゃんねるにはくだらない馬鹿書き込みが多すぎて
確かにくだらないものが多いのは確かですが、それは今まで余りにも「表現の自由」が押さえられていたため
でもあると思う。また、一見してつまらない一行レスにも、カキコする人の表現したい本心が見える場合もある。
インターネットにより、確実に世界は変わるでしょう。それは、人類という一つの歴史的かつ自然的な共同体が
現実のものになる過程の一つだと考えれば、多くの無名の人同志のコミュニケーションが如何に重要かというこ
とです。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 12:32:43 ID:7ZR6CPXJ
130 名前:OFW :2001/01/28(日) 23:40
>>122 >それは貨幣が自分にしか根拠をもたない脆弱なものに過ぎないということを逆に暴き出してしまったとも言える。
それは少し誉め過ぎではないかな?
まず岩井氏は「貨幣が自分にしか根拠をもたない」とは言っていない。
彼は「貨幣は他者がそれを受け取るから、貨幣として流通する」と言っているので、要するに「人間同志の約束」
が貨幣の根拠だと言っているに過ぎない。つまり、「貨幣の真の(客観的な)根拠は何か」という点には結局答えて
いない訳です。それは彼が予め「労働価値説」を否定した上で、「さて、貨幣とは…」と語り出す以上、始めから
答えを遮断しているということです。
>岩井氏の貨幣論は貨幣からその存立根拠を理論的に奪うために 書かれたとも考えられる
私には労働価値説を葬ろうとするために書かれたと見えますね。
前にも書いたが、循環論法は貨幣にではなく、岩井氏および近代経済学の論法の方にあるのであり、貨幣という
現実的な仮象は厳然として存在するのです。
>こう見ると案外、岩井氏の貨幣論は貨幣否定論と近接しているように思う。
まあ、一般の貨幣論よりは踏み込んでいると言えるでしょうが、価値の実体に迫っていない以上、結局は無根拠な
議論でしょう。
>貨幣の本源的無根拠性を暴露することで、貨幣の否定可能性への道を開いたという具合に。
「貨幣の本源的無根拠性」という言葉で何を言おうとしているのでしょう?
一般に根拠とは現存在の存立性ということですから、貨幣が存立するための根拠はそれが「一般的等価物」である
ことですね。そして、その詳細は、マルクスの価値形態論が解明している。むろん、貨幣が貨幣自身の根拠である、
というのはナンセンスでしかないが。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 12:53:15 ID:7ZR6CPXJ
131 名前:OFW :2001/01/28(日) 23:45
>>124 (横レス失礼)
>貨幣の無根拠性と貨幣の否定可能性の間の距離はあまりに遠い
貨幣は無根拠なものではない。それは「現実的な仮象」であり、その根拠は生産者が互いに孤立しており、
社会的な生産物が商品として交換されなくてはならないからです。そのためには等価交換が必要でしょう?
>世界の実在を証明することが難しいということが、世界の消滅へ道を開くと思いますか?
世界の実在が証明できないのは、それが実在ではなく現象の総体だからです。また、世界自体は消滅しません。
それは主体の必然(必要)です。
>>125 >貨幣が崩壊しないのは実際的には「貨幣法制説」が「貨幣の無根拠性」を隠蔽するのに現に成功しているからに
>すぎない。
それは信用と貨幣とを混同する議論です。代理貨幣と本源貨幣との区別が必要でしょう。
確かに信用とは資本主義世界に対する信頼であり、その崩壊は資本家にとっては「世界自体の崩壊」と感じられる
でしょうが、労働者にとっては、まさに「世界の夜明け」でしょう。
>コミュニストのマルクスの目論見(貨幣の否定)は恐ろしいが案外そこにあるともいえる
コミュニストの目論見?は資本家にとってのみ恐ろしいのであり、現在既に日々恐ろしい目に合っている労働者
にとってはそうではないでしょう。あなたは労働者それとも非労働者?
>だから、岩井氏は国家の力を軽視していると思う。
国家とは政治的な暴力装置であり、階級対立を隠蔽する幻想の共同体です。
それは、労働者が現実を把握すれば、自分が作り出した幻であるということに気が付くでしょう。
むろんその現実の廃棄は政治的な実践を必要とするが。
「主人が奴隷に対して主人であるのは、奴隷が主人に対して奴隷として振舞うからである。」(マルクス)
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 12:54:12 ID:7ZR6CPXJ
139 名前:OFW :2001/02/02(金) 21:36
>>136 >貨幣に否定しがたい根拠があったらしたら、それだけ逆に貨幣を廃止するのが困難だと思う。
「貨幣の根拠」とは、貨幣が無くてはならない理由ということですが、それは社会の分裂状態にある訳です。
その廃止は社会革命なしには成し得ないのであり、現状の生産関係をそのままにして貨幣だけ廃止できる
筈もないでしょう。
>>137 >貨幣法制説が貨幣に根拠をなんとか与えているのに成功している
何らかの学説が現実の貨幣を支える根拠ではなく、実際の経済がその根拠なのです。
無論、通貨は国家と一体ですが、世界貨幣としての金が相変わらずその底に隠れているでしょうね。
140 名前:OFW :2001/02/02(金) 21:55
>>132 >「可能なるコミュニズム」批判して下さい
最近の柄谷氏が何を主張しているのか詳しく知りませんが、労働者に依拠せずに、コミュニズムが可能だとは
考えられない。
>>133 (124)
>「労働者」が何をさしているのかということです。
現在の資本主義体制の下では、何よりもまず賃労働者を指します。
そして、自ら生産手段を所有して同時に労働する自営業者も労働者です。
自ら働かずして、他者の労働(その成果)を収奪する者以外は、すべて労働者です。
とりわけ、「自らの労働力以外に売るべき何物をも持たない」賃労働者は資本の価値増殖の根拠ですから、
その疎外された実存を止揚することは本質的に社会の解放と結びついているのです。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 13:00:17 ID:7ZR6CPXJ
139 名前:OFW :2001/02/02(金) 21:36
>>136 >貨幣に否定しがたい根拠があったらしたら、それだけ逆に貨幣を廃止するのが困難だと思う。
「貨幣の根拠」とは、貨幣が無くてはならない理由ということですが、それは社会の分裂状態にある訳です。
その廃止は社会革命なしには成し得ないのであり、現状の生産関係をそのままにして貨幣だけ廃止できる
筈もないでしょう。
>>137 >貨幣法制説が貨幣に根拠をなんとか与えているのに成功している
何らかの学説が現実の貨幣を支える根拠ではなく、実際の経済がその根拠なのです。
無論、通貨は国家と一体ですが、世界貨幣としての金が相変わらずその底に隠れているでしょうね。
140 名前:OFW :2001/02/02(金) 21:55
>>132 >「可能なるコミュニズム」批判して下さい
最近の柄谷氏が何を主張しているのか詳しく知りませんが、労働者に依拠せずに、コミュニズムが可能だとは
考えられない。
>>133 (124)
>「労働者」が何をさしているのかということです。
現在の資本主義体制の下では、何よりもまず賃労働者を指します。
そして、自ら生産手段を所有して同時に労働する自営業者も労働者です。
自ら働かずして、他者の労働(その成果)を収奪する者以外は、すべて労働者です。
とりわけ、「自らの労働力以外に売るべき何物をも持たない」賃労働者は資本の価値増殖の根拠ですから、
その疎外された実存を止揚することは本質的に社会の解放と結びついているのです。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 13:03:34 ID:7ZR6CPXJ
140 名前:OFW :2001/02/02(金) 21:55
>>132 >「可能なるコミュニズム」批判して下さい
最近の柄谷氏が何を主張しているのか詳しく知りませんが、労働者に依拠せずに、コミュニズムが可能だとは
考えられない。
>>133 (124)
>「労働者」が何をさしているのかということです。
現在の資本主義体制の下では、何よりもまず賃労働者を指します。
そして、自ら生産手段を所有して同時に労働する自営業者も労働者です。
自ら働かずして、他者の労働(その成果)を収奪する者以外は、すべて労働者です。
とりわけ、「自らの労働力以外に売るべき何物をも持たない」賃労働者は資本の価値増殖の根拠ですから、
その疎外された実存を止揚することは本質的に社会の解放と結びついているのです。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 13:04:32 ID:7ZR6CPXJ
142 名前:OFW :2001/02/03(土) 20:14
>>141 >本当ですか?
本当です。「本当」という言葉が真実を指すならば。
>それは高々形而上的言説の中に回収されているだけの気がしますけど?
現象と本質は異なりますから、現象面だけに捕われていれば、私の言説は形而上学的に思えるのでしょう。
しかし、本質を理解すれば、世の人がいわゆる「貨幣の形而上学」(貨幣物神)に陥っていることが見えてく
るでしょう。
実際、岩井氏は自ら貨幣論を書いている過程で、一つの神学を扱っているかのような錯覚に陥ったと言って
います。それは錯覚ではなく、貨幣自体を考えていけば、文字どおり形而上学にしかならないでしょう。
143 名前:OFW :2001/02/05(月) 23:49
>>135 >現実を把握すれば奴隷は何らかのアクションを起こすんでしょうか?
現実は動かし得ないと予想すれば、起こさないでしょう。
それは「予想の自己実現」と呼ばれるもので、自らが作る現実、という点に対する無理解でしょう。
そのためにむしろ、「カネこそが唯一の現実」という社会を現実化してしまうわけです。
>奴隷が奴隷の身分に甘んじているのは現実を理解していないからなんでしょうか?
直接的な現実については、最もよく理解しているでしょう。それは毎日経験する狭い現実です。
そこではカネがすべてを支配しているが、貨幣とは何か、などと考える余裕など無いから、それが無くてもよい存在、
むしろ無いほうが世の中はシンプルで合理的になることまで理解できない。
まして、「カネは絶対的だ」という教義が蔓延している以上は…。
>なぜ弱者は現実を知ることを恐れるのでしょうか?
それは「現実を知ってもどうにもならない」という諦めが先に立つからでしょう。
精々の所、「金持ち父さん」を夢見る位が関の山で、自らが現実総体を変える力と方策を握っていることに
気づかない、ということかな。
ウォルフレンも言うように「仕方がない」とは日本人の口癖ですが、それは「仕方を知らない」ためであり、
権力志向の知識人の責任でもある。
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/09(日) 13:05:16 ID:7ZR6CPXJ
145 名前:OFW :2001/02/07(水) 22:27
>>144 >ソ連って結局なんだったんでしょう?
旧ソ連は社会経済体制としては、国家資本主義と言うべきでしょうね。
ノメンクラトゥーラと呼ばれた共産党官僚、軍部および大企業のボス達が生産手段を実質的に所有し、
社会の政治・経済を支配していた。
彼らは自らを共産主義者と呼び、その国家をソヴィエト社会主義連邦と称していたが、相変わらず賃労働、
貨幣、国家を廃棄することなく、上からの強制的な生産計画(ノルマ)をもって計画経済と呼び、生産者の
有機的・自発的な連帯と協働を阻止していた訳です。
最近では、「日本は社会主義だ」という半ば冗談とも思えない意見も出ているが、歴史的に存在した旧ソ連の
「あの体制」を社会主義と定義するなら、独占・寡占状態の大資本が国家官僚と一体となって、一国の経済を
政治経済的にコントロールしている姿は確かに社会主義的でしょうね。
20世紀以降、国家が経済に介入せざるを得ない時代(帝国主義時代)には、純粋な自由主義経済など存在
すべくもないし、階級対立が続く限り、国家(幻想の共同体)が必然的に登場することになる。
いずれにせよ、極度に政治化された経済の下では、経済学者は中立的な科学者という自らの本分を守ることは
できないのは確かでしょう。
階級対立が存在する社会においては、社会科学の中立性とは貨幣の中立性と同様、幻想に過ぎないのです。
150 名前:OFW :2001/02/14(水) 22:46
>>149 >貨幣物神が幻想だというような書き方をされてますが
貨幣物神とは「人間の社会的な本質力が貨幣において体現され、人間的な関係性、豊かさ、主体的な自由等
はすべて貨幣がもたらしてくれる。」という観念です。
それは一つの幻想ですが、この疎外された社会においては必然的な(不可避的な)幻想です。
>貨幣物神も本質であるといえます。
むろん転倒した形ではあるが、現実に無限の力をもつ本質です。それは非本質的な本質です。
>時代の要請によって個々人の考える本質になったりならなかったりでしょう。
確かに何が本質的で何が非本質的かは、観点や時代によって異なるわけですが、決して個人的な主観には
依らないものです。それは全体的な存在であり、むしろ主観的な現象の底にある事物の客観的本質こそが、
個々人の考えを規定していると言えるでしょう。
>僕は本質論より手続きのほうが重要だと考えます。
手続きとはどのようなことを言われているのでしょう?
誰もが豊かになるチャンスを増やすための、制度的な改良とかのこと?
>人が社会やそのしくみについて考えるのは、それを知ることによってこの惨めな自分が豊かに生きうるという可能性を
>そこに感じるからです。
そうですね。その可能性がないと思えば、現状に甘んじる方を選ぶ。
>結局多くの日本人はいまのままがいいんでしょう。
確かに、多くの日本人は物質的には恵まれており、かってない程、豊かな時代を過ごしているとも言える。
しかし、それはまったく根拠のない状態であり、偶然的で、見通しのきかない、徐々に崩壊しているという不安を
感じながらのことでしょうね。現実から目をそむけ、ますます刹那的になっていくのは、危機に対する弱者の防衛
本能だと思う。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/10(月) 19:26:26 ID:LLX0NKTb
OFWさんのカキコもいいけど、 たまにはスレタイの通り、マルクスの著作を読んだ人のカキコも 読みたい。 もちろん、OFWさんはマルクスの著作を当然読んでるんでしょうから OFWサンのカキコはスレタイの趣旨そのままなんですけどね。
ぴーなっつが4がつにくるから買っとけ
謎のコピペマンさん、乙です
>>180 まで眺めますた
価値は価格を含みますが、価格は価値そのものでないと思いますた
>供給(十分な現存量)がないから需要(不足分の必要量)がある うーむ、、 うむ、うむ、、
サミュエルソンが言うとおり、価値を消しゴムで消して…は転形問題で成立しても、 逆転形ではありえないと思います 理由 すべての価格は価値で表せても、すべての価値は価格で表せないから
資本主義のプログラムはどこかで破綻する そして、その破綻こそが次の経済体制を生み出す種になると、マルクスは考えたでつ 外皮の爆破、、 でも、共産主義のほうが先に逝っちまったでつ なぜなんだろ 入門レベルで理解したこと おしまい 謎のコピペマンさん続きをよろしくお願いしますでつ
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/13(木) 20:20:26 ID:xUhCeVCL
生憎、その"謎のコピペマン"じゃないが OFW氏の貨幣を巡ってのカキコでもどうかな。 おっと、79がOFW氏です。 79 名前: 考える名無しさん 投稿日: 2000/09/09(土) 15:41 随分古いスレだが、おもしろいテーマで経済学板より哲学板での議論が有益だ。 私の主張@ 貨幣には価値が無い。(これ当たり前) 私の主張A まともな貨幣論は見たことがない。(浅学?) 私の主張B マルクスの価値形態論をちゃんと理解している人も見たことがない。 私の主張C ただお金が欲しいと思っているだけの人はこの手の議論には向かない
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/13(木) 20:21:52 ID:xUhCeVCL
88 名前: 79 投稿日: 2000/09/15(金) 10:20 >16 「過去に起こった出来事」は知識として @ 未来の予測のために例えば気象観測データとして商売できる。 (三宅島の噴火を予測できないためにどれだけの経済的損害があるか?) A 歴史学者の給料に反映される。 >20 「資本主義徹底推進運動」を是非展開して欲しい、どうした美雪! >30 既に「知的所有権」が存在しており、例えばヒトゲノムのDNA配列の法則は桁はずれの貨幣価値を持っている。 >38 馬鹿な事を言わないように。 交換価値は交換によって初めて発生するのではなく、社会的労働によって形成され、交換によって実現するのです。 >39 当然マルクスの価値形態論、労働価値説です。 >66 その通り。経済学はまったく非科学的です。 >68 あんたは偉い。それから本当の議論が始まるのです。 >80 ジンメルの貨幣論は余りに鈍くさい(流し読みですが)。 あまりシャープな思考ができていないと感じた。 (自戒:古いレスにコメントをつけてどうするのか!!)
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/13(木) 20:22:42 ID:xUhCeVCL
92 名前: 79 投稿日: 2000/09/15(金) 17:10
>>89 どもです。(まだ2chに馴れていないので)
>>90 私が答えるより美雪氏の方がセンス良く答えてくれると思うのですが、要はどんなものにも可能的に価値はあり、
それはまず相対的・主観的であるという事です。
(近代)経済学は価値を主観的なものとして研究対象から外していますので、批判は経済学に向けて欲しい。
私は客観的価値(主観的価値を通して現れる本質)についてマルクスを援用します。
>>91 >労働が交換価値の根底をなすことは事実ですが、・・・
これは驚きです。100万人に1人位の希少価値をもつ意見ですね。そのような事を(近代)経済学者に言えば、
「おまえアホやな。」と一笑に付されるでしょう。(私も15chで総攻撃に会いました)
>僕が悩むのは、ワインの新酒と古酒の価値の違いです。
この辺はきちんと説明しないと誤解を生むし、日本のいわゆるマルクス(主義)経済学者は皆全く誤解しています。
「価値とは何か」
@使用価値(有用性) A希少価値 B交換価値 C価値自体 D価値の実体
マルクスはすべてを統一的に説明しています。
ワインの価値の違いはむしろAの稀少性の違いでしょう。
>時間も貨幣価値に転換できますか?
むしろ逆です。労働時間が貨幣価値に化けるのです。これを物象化と呼びます。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/13(木) 20:23:21 ID:xUhCeVCL
93 名前: 79 投稿日: 2000/09/16(土) 15:01
>時間も貨幣価値に転換できますか?(続き)
マルクスの価値形態論は商品の分析から始まります。それは価値の本質論であり、現在に至るまで誰も敢えて
触れようとしなかった資本主義経済システムの根幹です。
実際毎日の経済およびその学問的研究はすべて貨幣を「前提」にしているが、「そもそも貨幣とは何だろう?」
という事には誰も真面目に触れようともしない。
「お金が欲しい、お金が欲しい」とは誰もが言い、そのために毎日命を懸けているが、貨幣の形而上学存在(笑)は
絶対不可侵の神と言う訳です。さしずめ経済学者はマンモーに仕える神学者と言える。
労働者は自らが神を作り出しているのは実は自分なのだと気づく事が、神に仕える奴隷としての自己を解放する
ために何より必要な事でしょう。
商品・貨幣・資本の言葉でなく、労働そして人間の言葉で経済を捉える事がマルクスの経済学批判の趣旨です。
94 名前: 79 投稿日: 2000/09/16(土) 15:09
>>93 誤: 形而上学存在 正: 形而上学的存在
誤: 自らが神を作り出して 正: 神を作り出して
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/13(木) 20:24:08 ID:xUhCeVCL
102 名前: 79 投稿日: 2000/09/17(日) 00:53 貨幣は確かに偉大な力を持っている。現代社会においては生活に必要な物資は殆どすべて商品として存在して おり、昔の農村におけるような自給自足は不可能になっている。 「貨幣は便利なもの」と言った牧歌的な状況はとうの昔の話であり、人間が生きるためにはまず貨幣を得ることから 始めなくてはならない。しかし誰でも「それは何か変だ。」と感じている筈です。 たとえば 「直接必要なものは衣食住の用をなす物資(財)であり、貨幣はその媒介手段(交換用具)に過ぎない。」 あるいは 「生産・分配・消費を調整し市場において物資の需給を均衡あるものにするためには貨幣に換算する必要がある。」 と言った表象が貨幣を単なる手段と見做すために持ち出されるかも知れない。 しかし、問題は「何が貨幣に換算されているのか?」という事です。それは貨幣の力の源であるようなものであり、 たとえば「購買力」と呼ばれたりする。 しかし商品には殆ど購買力はないとされている以上、「商品の購買力を貨幣に換算している」とは実態に合わない。 それはどうしても「(経済的)価値」と呼ぶしかないような存在です。 しかし「貨幣自体に価値はない」とは誰もが言い、貨幣の力はやはりその購買力にあると言います。 前者は貨幣の使用価値、後者は貨幣の購買力(交換価値)の面を言っている訳です。そして更に「お金持ち」 (例:ロックフェラー?)とは貨幣を物質として所有することで世の中で実質的な力を持つ人のことです。 では貨幣の力はどこから発生するのか?その質問に対して経済学は無力です。「それは貨幣に元々備わっている のであり、それ以上の余計な詮索は無用だ。」と経済学者は言うでしょう。より「洗練された」言い方は「それは貨幣の 一機能(要するに主観的な約束事)である。」という訳の分からないものです。彼らの数理計算において価値は 価格という姿でしか現れないから、表面上価値は見事に消え去っている。 しかし貨幣が存在しなくてはならない。それは価値の物質的な存在です。そのような根底を(ヘーゲル)論理学では 「実体」と呼びます。つまり貨幣は価値の現存在(現れ)なのです。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/13(木) 20:25:02 ID:xUhCeVCL
114 名前: 79 投稿日: 2000/09/17(日) 08:23 >101 何にせよ買う事ができるのはモノとしての存在性格を持つ対象です。事柄、関係、活動といった本来モノではない 存在は対象化され更にモノとして扱われる事で売買の対象にできる。実際、過去の出来事自体は観念的な存在 であり、媒介された知識としてしか存在しないが、それはモノとして(例:家系図、証言記録)売買の対象にされて いる。物象化とは対象化の一種(疎外形態)で、人と人との関係がモノとモノとの関係として、物質的な実在に 体現されていると言う事です。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/13(木) 20:25:52 ID:xUhCeVCL
116 名前: 79 投稿日: 2000/09/17(日) 14:48 >115 >商品の持つ価値は普遍的とはいえず、 商品の個別的価値はまず使用価値として主観的・相対的・偶然的であり普遍的ではないというのは 私も同意見です。 普遍性とは特殊性および個別性に対立する集合的な概念です。個別的価値は多くの交換を通して 市場平均として普遍的・客観的になるのです。 (質および量的価値は実在に属し、交換価値および価値自体は本質に属します。) >貨幣価値自体を論じることにあまり意義を感じません。 貨幣は今の世の中で最も普遍的な価値と見なされており、その本質(貨幣の本性)を論じる事は理論的 のみならず、実践的にも大変重要だと思いますが? あと、1(美雪さん)の意見に対しての違和感こそが大事であり、「このおかしさはどこから来るのか?」と考える ことが哲学的に生産的だと言いたかったのです。ナンセンスと割り切るのは簡単です。
今日は丸経争議の日ですよ。お線香でも。。。
死してまだ闘いますか 争議ー>葬儀
貨幣論を理解せず、価値形態論もまだ怪しい漏れには難し杉 ていうか、○のビジョンである牧歌的な農村社会?に貨幣がそもそも必要ないものなんじゃ??
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/14(金) 07:44:39 ID:pRdz38Hd
>>214 『資本論』を諦めたひとたちの多くは
価値形態論での躓きとか停滞が理由と
いうのが多いらしいですね。
過去ログを読むと、価値形態論を除外
したら『資本論』の魅力は壊滅する
ってなことを書いてるひとって
結構多かったです。
それと、哲学板だったか共産党板だったかでも
OFW氏のコピペが進行中なんですが、
それを読むと、『資本論』の理解だったか
価値形態論の理解にはヘーゲル弁証法が
必須らしいです。
そこまで行くと、わたしなどはもう完全に
降参です。
でも、214さんは頑張ってね!
>>214 それで人口を養えるか? 養えれば良し。
それに価値形態論は貨幣の発生史で、考古学的推断
我待つだけだと思うぞ。
お前らは夢と方法を間違えている。
我ー>を
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/15(土) 11:32:03 ID:JmeFr/7m
120 名前: 79 投稿日: 2000/09/17(日) 17:35
(また、相手のいなくなった旧レスにコメントをつけてしまおう。)
>>20 「現在の高度資本主義経済社会にすべてのことがらは流通できる」
高度情報化社会はインターネットと共に!!、ですね。
でも資本主義が流通させるのは事柄ではなくモノとなった事柄、結局商品だけですが。(私のこのメッセージは
著作権フリーで無償コピーOKという共産主義的原則に従っていますので、より流通性が高い、いやむしろ
検閲対象かな?。)
>>32 「美しいこともドキュンなのも先生も生徒も,親も子供も,,反体制運動もカウンターカルチャーも市場によって
制御されていることで自発的なものではありません。」
昔小林秀雄が「今の左翼思想も商品として流通しているだけだ。」という趣旨の批評をしていた。
>>35 「要するにあらゆる現象を数値化して、方程式を作って、将来のお金の動きを把握できます、お金をあずけて
みてはどうですか、と。」
あらゆる現象を数値化するのは近代の原理であり、そこから方程式(一般法則)を立てるのも近代科学の
原理です。しかし、将来のお金の動きを把握する事は近代経済学が未だに成功していない。
躓きの石でしょう。それは何故か。
>>53 (Hei!美雪)
「お金がなきゃどういう世の中になっちまうんだ。。。 」
お金のない社会を共産主義社会と呼びます。
>>52 (What?美雪)
「『価値』っていうのは『円』にまでもっていく『労力』っていうこと。」
これだけが違和感のある考えです。何でそうなるの?
>>53 (Nice to Say!美雪)
「いやあ お金って便利でいいなあ 」
いやあ お金って議論すればする程おもしろいなあ。
でも明日からまたお金のためにあくせく働かされるんだあ。早く寝なくっちゃ。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/15(土) 11:32:38 ID:JmeFr/7m
122 名前: 79 投稿日: 2000/09/17(日) 20:13 アリストテレス『ニコマコス倫理学』と言えば、マルクス『資本論』の中で「交換の不可能性」を論じている 部分が引用されていた。 確かモノの(使用価値という意味での)価値の大きさはそれを必要とする人によって異なり不等なもの であるにも拘らず、等価交換がなされるのは理にかなっておらず、何かの間違いでしかない、と言う内容 だった。 さすが大哲学者(アリストテレス&マルクス)の見る所は違うなと感じる。(現代の経済学者に聞かせたい話。) 実際、所有者にとっては価値がないから相手に手渡す訳で、どうして等価交換が可能なのかを疑問にも 思わない経済学者の非哲学性。 因みに原著は読みかけて止めた。(『自然学』『形而上学』はとても面白い) また、数量概念についてはやはりヘーゲル論理学を参照したい。 「量とは自己に無関心になった(他者にとっての)質である。その規定(定め)は無限の自己超出である。」 商品の外在性と資本の無限増殖運動を連想させる。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/15(土) 11:34:04 ID:JmeFr/7m
123 名前: 79 投稿日: 2000/09/18(月) 23:55 (今はもう秋、美雪氏は来ない。で、続けて勝手に質問。) 「貨幣価値に換算する」ってどういう事? 貨幣は @価値の尺度(物差し) A価値の基準(標準的な価値) B価値の計測器(交換によって値が定まる) のどれ?どの場合でも「価値」は貨幣そのものではないよ。にも拘らず C価値を蓄蔵する媒体(貨幣資産) と言われ、また D価値の鏡(比喩的ですが鋭い!「鏡は自己を消すことで世界を映す」) とも言われる。一体貨幣、価値とは何?便利どころか「摩訶不思議」だと思わない?(そうか、思わないんだね。)
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/15(土) 11:39:15 ID:JmeFr/7m
124 名前: 通りすがりの人 投稿日: 2000/09/19(火) 02:19
>>123 3じゃないですか?
貨幣価値は交換によってのみ決定すると思いますが。
交換とは量子力学の「観測」みたいなものじゃないでしょうか。
125 名前: 79 投稿日: 2000/09/19(火) 20:44
>>124 確かに交換によって初めて価値が「決定」するのは確かでしょう。
しかし、物理学的な位置および運動量は観測器と対象の両者に共通した属性ですが、貨幣自体の価値は
ゼロと見なせる場合(例:紙幣、電子マネー)があるのは何故?
さらに、Cの貨幣資産の場合「価値を貯えている」のであって、もし観測器だとするならそれをいくら貯えても
価値を貯える事にはならないでしょう?
「貨幣、価値とは何?」という質問には上記@からD(さらにまだある機能)を統一的に説明できないと答えに
ならないのです。
さあ、どうぞ。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/15(土) 11:39:51 ID:JmeFr/7m
126 名前: 124 投稿日: 2000/09/19(火) 22:38
>>125 すいません。(3)というのは、「貨幣価値」はどこにあるか?の答えでした。つまり交換価値ということですね。
交換価値ですから、媒体(紙、ビット列)自体の価値は貨幣価値に無関係ですよね。
で「貨幣」とは何か? と問われれば、答えは(3)(4)だと思います。
「交換」とは貨幣による価値の測定と同時に貨幣の消費でもありますからね。
貨幣の交換価値を貨幣量で積分したものが、蓄蔵された貨幣全体の価値の量と言うことになると思いますが、
その価値も「交換」があってはじめて決定されるものです。
つまり、貨幣の価値は、交換された「もの」の実体としての価値に等しいと言えると思います。
が、ここで、交換された「もの」の価値を決めるのは、他でもない、当事者自身であると言えます。
だから、(1)(2)は、それぞれの人間の心や身体の中にあるものだと思います。(5)はちょっとよく分かりません。
127 名前: >79 投稿日: 2000/09/20(水) 00:06
?とかの機種依存文字を使うのはやめようね。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/15(土) 11:44:26 ID:JmeFr/7m
129 名前: 76 投稿日: 2000/09/20(水) 21:08 >127 うっかりしていた。失礼。丸付き1〜5は(1)〜(5)に変更します。 >126 つまり整理すると、 ア.貨幣自体には(使用)価値はない。 イ.貨幣の(交換)価値はそれと交換されるモノの(使用)価値(実体としての価値)に等しい。 ウ.単位当たりの貨幣の交換価値を貨幣量で積分したものが、蓄蔵された貨幣全体の(交換価値)の量である。 エ.モノの(使用)価値自体は主観的なものである。 となりますが、宜しいですか?多分経済学者も上記とそれ程違う答えを用意してはいないでしょう。 しかし、 「貨幣との交換によってモノの(使用)価値の大きさが決まるが、それは主観的なものである。」(a) という言明は非常におかしな内容を含んでいます。そのおかしさに気づくことから貨幣および商品、そして資本の 謎に迫ることができるし、マルクスは実際にそれを辿って結局『資本論』にまで達したのです。 論理的には、マルクスと世の経済学者とのどちらかがバカだという事になります。 どちらだと思いますか?言明(a)は正しいと思われますか?
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/15(土) 11:45:03 ID:JmeFr/7m
133 名前: 79 投稿日: 2000/09/21(木) 21:43
>>130 >「お湯の温度は測定できるけれども、そのお湯が熱いかぬるいかはそれぞれの人の主観による。」
ある人がお湯を熱いと感じる。これは確かに主観的ですが、その「原因」としての「お湯の熱」は客観的なものであり、
それを客観的な尺度(温度計)によって測定する訳です。無論、原因−結果という概念も相対的なものであり、
「何が原因か」は状況によって異なりますが、主観的なものでない事は明らかです。
ところが、近代経済学を含め、いわゆるマッハ流の主観主義的・現象主義的な科学観ではすべてを主観的なもの
としてしまい、「客観的価値」などないと言います。それは例えば、「『熱い』という感覚には原因などない。
それは主観的な思い込みあるいは昔からの習慣に過ぎない。」と主張する様なものであり、それを聞いたら誰でも
驚くでしょう。ところが経済学者は価値についてそう主張するのです。
>>131 >価値の一元化というイデオロギーが、現在のいじめ問題なども生みだしているという側面・・・
少し飛躍し過ぎ。「経済的価値」にだけ的を絞って下さい。
>>132 >同じ大きさの主観的価値でも場所や時が異なれば価格(数値)が異なります。このズレを経済学はどのように
解決しているのだろうか
経済学者ならすぐさま以下のように答えるでしょう。
「素人はこれだから困る。君の言っている変動するものとは商品価格の事であり、それは商品の需要量と供給量の
不均衡によって 変動するのは当たりまえの話だ。そして価値は主観的なものだから『同じ価値』など存在しない。
価値について云々するのは形而上学である。」と。
しかし、私はあなたの方が正しいと考えます。まさに貨幣が「同じ価値自体」と言う幻想を完成させているのです。
134 名前: 129 投稿日: 2000/09/21(木) 21:48
誤: 名前:76 正: 名前:79
225 :
1111111111111 :2007/12/15(土) 22:43:32 ID:nGApY2mG
みんな頭がええのう… 惚れ惚れするわ… こういうの見てるとまだまだ世界は救いようがあるんだなと 安心すんな(他のバカ白痴経済板とか見てるとワラエルw)
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/15(土) 23:06:22 ID:f4vJofg5
貨幣には使用価値がないんか? 交換を媒介するっつうのは使用価値じゃないの?
○kが滅びた理由がよく理解できるスレですね。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/16(日) 09:21:56 ID:NbODWsgR
先のカキコが読みたくって過去ログで見つけましたんで、
以下ハリます。今までのコピペマンさん悪しからず。
137 名前: 79 投稿日: 2000/09/21(木) 23:41
>>135 (横レス失礼)
>また、交換価値と主観的価値の関係も人それぞれ違っているからこそ、交換が発生し
まさにここが問題点。物々交換で言うと例えば、
「私の持っている上着とあなたの持っている靴とを交換しよう。何故なら今の私にとっては靴より上着の方が
必要物(効用が高く、価値が高い)であるのに対して、あなたにとっては事情はまさに逆だろうから。」
という事です。
これでは決して「等価交換」など起きる筈がないでしょう。この問題をまともに捉えたのはマルクスだけです。
この問題を解くには弁証法が必要なのです。不等なものの相等性は如何にして可能か。貨幣が実に便利でありながら、
その逆説が如何に解き難いものかと言う事です。
上の例をじっくり考えてみれば事態は計りしれない程重大事を含んでいるのだという事が分かってくるでしょう。
「貨幣って便利で良いな。」どころではない。
138 名前: 79 投稿日: 2000/09/21(木) 23:54
>>137 誤:靴より上着の方が必要物
正:上着より靴の方が必要物
(こういう単純ミスが議論を錯綜させる事がある、失礼。)
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/16(日) 09:23:43 ID:NbODWsgR
139 名前: 79 投稿日: 2000/09/22(金) 21:11
>>136 >それを「価値」たらしめる源泉は、やはり使用者が主観的に感じる効用にあるのではないでしょうか。
まず言葉(概念)を明確にする事です。
「主観的価値」とは
ア.対象物に備わっている属性(性質、機能、性能)である。
イ.各人が対象物に認める効用(用途)である。
のどちらでしょう?
例えば、食物は食用に適した性質を持つが故に効用がある訳ですが、価値が主観的とは「食肉の蛋白質成分に
価値があるのではない。」という事でしょうか?
食用にするのは元々それが食用に適したモノだからでしょう?
確かに同じ肉でも、病人や腹一杯の人には価値が無い。しかし、それは主観的なのではなく、生理学的に食用に
できないあるいは必要としないからであり、客観的な根拠を持っています。主観的ではなく相対的と言うべきでは?
そして、効用という点での価値とは使用価値であり、その否定としての稀少性という面を持っています。
さらに使用価値は交換価値ではないのです。
他者にとっての効用が交換を生む。しかしその量は効用からは絶対に出てこない。これが価値の秘密です。
マルクスはそれを弁証法の助けを借りて明らかにしました。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/16(日) 09:30:18 ID:NbODWsgR
145 名前: 79 投稿日: 2000/09/24(日) 08:20
>>144 >例えば同じ深さだけ井戸を掘ったとしても、そこから水がでてくるのか石油がでてくるのかで労働の結果生じる
価値は違ってくるように思います。
「価値」が重層的な存在であり単純な表象では捉え難いものである事を忘れないで下さい。
それはいくつもの面(相)を持ち、相互に矛盾すら起こす厄介な存在です。
もし日本なら「空気と水はタダ」(最近はミネラルウォーターばやりでそうでもないが)ですから、生き物にとってどれだけ
水が必需品(使用価値が高い)であっても、交換価値(商品価値)は殆どゼロという事になります。
逆に石油は貴重品でしょう。
つまり日本では水を掘る(「生産」と呼びましょう)事は「社会的に必要」とされていない。しかし砂漠に囲まれたアラブ
の国では、事情はまさに逆でしょう。そこでは水は高価です。水掘りに大きな労働力を充当する事が社会的な必要
となります。
日本人にとってタダ同然の水もアラブ人には高価だと言う事情が商品経済を発生させ、水商品自体が交換価値を
持つあるいは持たないかの様に思われる事になる。(交換価値とは非所有者にとっての使用価値です)
まして、本来は一商品に過ぎなかった貨幣が交換の基準になり、何でも買うことが出来るという購買力を持つように
なると、自らを価値自体だとして労働というその真実を隠してしまう。
価値とは社会的・普遍的な労働の性格がモノとして転倒されて現れた姿です。それは財の「再」生産に必要な
社会的労働の程度が財というモノ自身が持っている自然的・物理的性質であるかの様に立てられた必然的な
錯覚(物神崇拝)の根拠です。
未来に必要とされる主体的活動が過去の活動の成果として現存在している客体(対象物)に内在していると
見られる事を「実体化」と呼び、特に人間の社会的関係が商品・貨幣・資本関係として転倒した姿で現れている
事を「物象化」と呼びます。
労働に価値はない。労働が価値を生み出す源泉(価値自体である)からです。
ところが経済学は「賃労働の価値」を云々します。賃金は実際には「労働力の価値」つまり労働力の再生産
(要するに労働者の生活を維持する事)に要する労働の事であるのに、労働自体の価値だと言い張る
(いやむしろ価値などについて何も言わない)自らも商品・貨幣の言葉でしか語らない以上、資本主義社会全体の
転倒した姿をそのまま受け入れているだけで、本来の主人公である労働者は経済学からは奇麗に消去されて
しまっているのです。(長文失礼)
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/16(日) 09:55:02 ID:NbODWsgR
146 名前: 79 投稿日: 2000/09/29(金) 23:15 (誰もレスをつけないのでしつこく美雪氏にレス) >貨幣価値に換算する対象さえ特定できたらすべて貨幣価値に換算することできるし、換算することは非常に 有益です。 誰にとって有益かと言えば、無論お金持ち(世界のすべてを貨幣に換算する事で利益を得る人)です。 労働者は自らの労働によって資本家のために商品(他者にとっての効用物)を作り出し、貨幣価値を作り出すしかない。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/16(日) 09:55:39 ID:NbODWsgR
149 名前: 79 投稿日: 2000/09/30(土) 10:04
>>147 「親に育ててもらった」負い目(負債)は養育費・教育費として換算される。資本主義ではそれは労働力生産の
投資として経済学的に計算され労賃の中に含まれている(実際には労賃からの控除としてマイナスされ公共的税
という見かけを取っている)。
介護保険では立派に計算式が出ている。つまり資本主義では労働力は商品ですから、その生産(人口)計画と
品質(労働という効用性)計画は貨幣価値に従って<数値化>(試験点数化、要介護度)され、世界標準
(<貨幣>経済の国際競争力)に基づいて<測定評価>(選抜試験、介護認定)される。
「負い目」(負債感)自体が貨幣貸借のアナロジーでしょう。本来人間を育てるのは社会全体の義務ですから、
負い目という個人的な貸借の問題ではない。
子供は親の所有物でも、子供(個人あるいは世代)自身の所有物でもない。そう思わせるのが「親への恩返し」
という封建的「家」思想であり、それに便乗した「世代間負担計算」という経済主義的な似非社会保障イデオロギー
です。
「義務教育」とは社会の義務であり、子供の権利です。社会主義的な共同性こそが貨幣を止揚して、貨幣の
真理としての「協働による社会と個人の解放」を現実のものとする。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/16(日) 09:58:07 ID:NbODWsgR
151 名前: 79 投稿日: 2000/10/01(日) 10:58
>>150 >あらゆるものが貨幣価値に換算できたらそっちの方がどんなに楽かということです。
おっしゃりたい事は理解しているつもりです。私はそれを踏まえ、
「現代の資本主義社会はすべて(殺人すら)を貨幣価値に換算する非情な制度なのだ。事柄の本質を逸らす
貨幣の物象化の力は心理的なものにまで及んでいる。」
と言う点を指摘したかったのです。
「何故、親の頭をあたかもボールのように金属バットでヒットする事が可能か?」、そこには人と人との人格的関係が
壊れた物象的な世界が広がっている事を哲学的に洞察して欲しい。貨幣がその元凶にある。
元祖金属バット殺人を犯した○○少年の父親は一流企業のエリート・サラリーマンでした。企業の中で利潤追求を
何よりも大事な事と考え、おカネ(金属)を集める事を命より大事に思えと教えられ自らも実行した事でしょう。
転倒された社会の本質力は○○少年の姿をとって、「金属」バットと人の命とどちらが大事かと言う事を父親に教えた
のではないでしょうか?
人間が社会的な存在であるというのは、かくまで深い真理なのです。
>負い目と負債感は違います。
アナロジー(類推)的な思考は文学的比喩としてしか捉えられていませんが、個別的な事象からその本質に高まる
ための原初的な認識方法として、もっと研究されてしかるべきと思っています。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/16(日) 10:00:47 ID:NbODWsgR
153 名前: 79 投稿日: 2000/10/10(火) 21:09 (久しぶりにレス) 「価値は主観的なものだ。」という事が現代を貫く「価値相対主義」の主張だが、もしお金などに見向きもしなければ それも首尾一貫している。 しかし、(人間的価値すら計るという点で)価値の絶対的規準としての貨幣が厳然と存在しており、価値が客観的に 実在している以上、単に主観的と言ってお茶を濁しているのは、現実とは合わない主張を振りまいているだけでしょう。 確かに「猫に小判」という諺は、お金を有り難がる人間よりは猫の方がはるかに物事を客観的に見ているという皮肉 を教えているが。 価値は厳然とした客観的な実在です。哲学者はお金を卑しむが、「価値とは何か」を理解できないために現実の貨幣 の力の前になす術を持たない。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/16(日) 10:05:26 ID:NbODWsgR
154 名前: 代理いぬ 投稿日: 2000/10/12(木) 08:34 >153 >価値の絶対的規準としての貨幣が厳然と存在しており、価値が客観的に実在している以上、単に主観的と言って お茶を濁しているのは、現実とは合わない主張を振りまいているだけでしょう。 そんなことはないでしょう。 貨幣価値の"レート"を決めているのは人間社会の方なのですから。 貨幣が、 >価値の絶対的規準として 存在することはないし、 >価値が客観的に実在している こともないです。 「価値相対主義」とは言いますが、どのような価値も相対的でしかありえないので仕方のないことです。 しかし、あなたの言う通りに、相対主義に乗っかったままでは何事も前進しませんから、そこはよく考えてみるしかない のでしょう。(?)
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/16(日) 10:06:12 ID:NbODWsgR
155 名前: 79 投稿日: 2000/10/13(金) 21:13 >154 >貨幣価値の"レート"を決めているのは人間社会の方なのですから 為替レートの話なら確かに貨幣の「相対的価値形態」に当たるでしょうが、それは貨幣が商品として存在するという 事です。 貨幣(価値基準)としての貨幣と商品としての貨幣は存在形態が異なります。また人間社会自体も客観的な実在 ですから、決して主観的・相対的ではない。 >どのような価値も相対的でしかありえないので仕方のないことです。 現象としてはそうですが、本質はそうではない。そして貨幣は「現存在する価値物」として相対的な価値を尺度する 万人共通の規準です。そしてその実体は人間の労働にある。(取りあえず経済的価値に限定します。) 価値には「得難いもの」(稀少性)という側面があることを考えてみれば決して相対的な性格だけで成立していない 事に気づくでしょう。
237 :
1111111111111 :2007/12/16(日) 14:05:31 ID:H8Y2ikg+
やべえ 97の人はともかくOFWさんは頭いいわ… とりあえず二コマコス倫理学読まんと… 一応俺も資本論,軽鉄走行, 空想〜科学は読んだけどそれよりアリストテレスの物の交換に関する 矛盾ムッチャ読みたいべ… 頭悪いなりに
OFWの言うことは現状の悪口であり確かにそれが正しいあるけども それを改革する案がない。俺と直接対戦してもいまや丸経を一般語 で敗退できる。でもそれでどうすればよいのかということがない。 妄想者や破壊者が創造者になれぬゆえんだ。
まあマルスレにかかわりだして数年たっての結論だ。新しいことも数学や謹啓に見つかることが何年か後 にあるかも知れん。
一応ここにマル系破壊のシナリオを書いておこう。 それは不変資本の話になる。道具や機械は明らかに価値というものがあればそれを倍加する。 例えば石油にしようか。過去の労働〔掘削)で何カロリー使ったとして今度は生産〔燃焼)で同量のカロリー をあらわすだろうか? あらわしはしない。可変的に価値増殖の資本、可変資本になってしまう。 価値を倍加することこそ、道具や機会の意義だ。 そして材料も今度は生まれ変わって新しい価値になる。ここで価値の矛盾が出る。一般的抽象労働 ではあらわせず稀少な財やサービスになる。謹啓の追求すべきところだ。
機会ー>機械
丸系ー>丸経
243 :
1111111111111 :2007/12/16(日) 19:16:50 ID:H8Y2ikg+
オマエの話は読まんから書くな スペースの無駄だろ 邪魔だから日記帳に書いておくれ
俺を破れるか?
OFWのコピーこそ邪魔だよジミー
敗北者は今でもマルクスか。
宗教みたいなもんか
はっきり逝って異常だ。みじめの韓国ねたみたいだな。
ホレえさをやるから、ここに書きたいんならもはや一派案後にも負ける マルの今後でも書くんだな
一派案後ー>一般語
ジミーお前最悪だな。進歩がない。
まあいい、弱者のコミュニティイで群れてろ。ルサンチマン。
254 :
1111111111111 :2007/12/16(日) 20:33:42 ID:H8Y2ikg+
精神病院逝ってこい 話はそれからだ
アアちゃんといってるから大丈夫。論破してみろよ。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 13:09:52 ID:4PEZWk6s
>>255 論破しても重度の脳天患者の糞シロ!にゃ理解できねーだろが。
それとな、コテハンは禁治産者に絞ったらどうよ?
糞しろ!よりは余程実態に近いぜ。
だって禁治産者じゃねーもん。論破してみろ
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 19:19:30 ID:7K7Wo5q3
>>257 可哀想にな。
自分が禁治産者ってことさえも今ではもう理解できなくなってるんだ。
オイジミー、謝罪しろ、晩節を汚すなよ。醜いから。
罵詈雑言にもほどがあるぞ
玉なしが。ではこちらもおしっこ漏れちゃうおじいさんに誹謗中傷開始だな。
ジミーのねぐそでよいよいになって、より確実な獲物に嫌がらせ。
「マル経難民」の床屋談義
金子勝 『反グローバリズム』岩波書店
著者は、経済理論学会(マルクス経済学の学会)に所属する経済学者では随一のマスコミの人気者である。「ブッシュはバカだ」とか「小泉改革はニセモノだ」というような床屋政談が受けるらしい。
この本も、最初から最後まで学問とは無縁の「ぼやき漫才」のようなもので、まあそういう読み物としてはいいが、まじめに受け取るべきではない。
マル経は、今でも一部の大学には講座の枠が残っているので、無能な学者でも職にありつける「穴場」である。しかし、よりどころとする理論が崩壊してしまったので、「きわもの」的なテーマを探すしかない。
こういう「マル経難民」が好んで選ぶテーマが「国際」「情報」である。このフレーズさえつければ文部省から科研費が引っ張れるし、状況の変化が激しくて「近経」の理論がついていけないので、「床屋理論」でも何かいえそうだからである。
そもそも著者のいう「グローバリズム」とは何なのか、ちゃんとした定義も書かれていない。国際会計基準と年金改革の話がごちゃごちゃに並んで、「グローバル・スタンダード」への非難が繰り返されているだけだ。
改革を批判するときの根拠は、いつも「リストラしたら景気が悪くなる」というだけで終わりだ。「市場の失敗」を非難するが、「政府の失敗」については何もいわない。
こういう介入主義もマル経の悪しき遺産である。著者は「主流派経済学」を批判するが、それを理解していないことは明白である。「情報の非対称」や「ゲーム論」についての孫引きをもとにした一知半解の「批判」はなかなか笑える。
この程度の学者でも慶応大学に職を得られるぐらい、日本のマル経業界は「売り手市場」になっているわけだ。先進国で最低レベルといわれる日本の大学の恩恵を受けている著者が「グローバリズム」に反対する理由はよくわかる
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/Kaneko0.html
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/10(木) 11:41:47 ID:HzSHZh2k
>>263 その書評そのものもなんだか「批判するための批判」(単なる誹謗中傷)みたいな、
中身のない「ぼやき漫才」にしかなっていないように見えるが。皮肉だなw
どこがどう主流派経済学を理解していないといえるのか、その理由が全く書かれていない。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/10(木) 18:20:17 ID:UogOiWW7
マルクスは思想史的、歴史的には重要だとは思う。 資本論でも読んでみるかな
別に読んでもいいけど ちゃんとミクロ・マクロ経済学を勉強してからにしろよ
むしろ原書で読もう。 翻訳よんで、思想史的、歴史的に重要なんていえるわけない。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/01(土) 17:06:49 ID:o+rrUnqT
『資本論』って効果てきめんの睡眠薬じゃないかって思ったこともあったな。
270 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 18:37:55 ID:Oz94GI2e
OFWのコピペさんが留守の間に。
4 名前: OFW 投稿日: 2000/12/03(日) 11:36
>>3 (ぱん"どら"さん)
>OFWさまをふくめ一般に論理学の考え方は記号の割当とは実在の対象eに対していかなる概念が
>適応できるか否かということだ。
少なくとも私(OFW)の考え方は違います。
概念と表象とは区別されます。
概念は具体的なものとして、常に実在的契機とその否定(観念的契機)との統一であり、
概念そののものの区分としては個概念、種概念、類概念に分かれます。
また実在と本質存在とは区別すべきであり、具体的な実在は個別者であり、
それは質的・量的ですが、その本質存在において全体的なものとの関係を持っている。
例えば、日本で生まれた殆どの個人は日本国籍を持つが、
それは日本国家という政治的・現実的な本質存在が実体として存在するからです。
概念・判断・推論の形式はそれらの領域区分を反映します。
したがって、判断(通常は命題として言明される)形式は、判断の対象の存在領域に応じて、
実在判断、反省の判断、必然性の判断、概念の判断という段階的な区分に分けられます。
それは形式と内容との矛盾を通してより高次の(具体的な)段階に発展するのです。
形式主義論理学はそれらを無思想的(無内容的)に混同するから、
「分からん」(無分別的だ)と言うのです。正しい分別が必要です。
271 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 18:38:41 ID:Oz94GI2e
9 名前: OFW 投稿日: 2000/12/03(日) 21:54
>>7 (ぱん"どら"さん)
>ももも、はじめから曼荼羅でも見るような感覚になります。
そうですか…。
時々「弁証法の宣伝」(証明ではありません)を混ぜますが、
当面のテーマと無関係ではないつもりなのですが。
>わたしたちってこうしたこと考えるとあらたな概念設定をするでしょう。
>そしてそのなかで事実世界と照らし合わせて其の適応を図ってますよね。
それが人類の思考の歴史であり、その成果として様々な概念が作られてきた。
事実世界が決して偶然的でめちゃくちゃなものではなく、
摂理あるものであるということを認識した成果が、
最も抽象的・普遍的な論理という形の遺産として継承されてきた訳でしょう。
>ただし、オッカムのかみそりを使って最低限まで殺ぎ落とす作業って必要なんじゃないかっておもいます。
そこで注意すべきは、それをいわゆる「思惟経済説」等と混同しないようにすることでしょう。
思考を計算機に任せることは極く限られた範囲でのみ妥当的です。
確かに「概念」とは最も縮約された世界の梗概(見取り図)と言えるでしょうが。
>OFWさまの表象って事実世界の感覚っておもっていいですか?
それは心理学的にも違います。
別スレ(心身問題)にも書いたが、
「表象」とは感覚(感知・識別)された対象を措定する(存在者として立てる)ことです。
感覚自体は運動(活動)であり、生命とは対象的活動ですから、つねに目標物を対象にもっています。
それは抽象的な「光」から始まり、具体的な「獲物」まで幅広いが、
「なんらかの対象を感知(検知、予知)する」点では一様でしょう。
人間以外では「表象」は意識されず、行動として直接外化してしまうから、
彼らの表象世界は観察者にとってのみそれと認識
できる(弁証法では「即自的」(潜在的、可能的)と呼びます)。
また論理的には、「表象」とは「私の内にある対象」と同義です。
それは不在の対象の代わりに立てられた主観的な存在(記号的存在)です。
272 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 18:39:56 ID:Oz94GI2e
10 名前: OFW 投稿日: 2000/12/03(日) 21:56
>>7 (ぱん"どら"さん)(つづき)
>正しく判断する基準ってOFWさまだってわからないわけでしょう。
個別的な場面での判断は実践的なものであり、「状況認識」「決断」と一体的でしょう。
しかし、一般的な規準は対象の存在形式がその内容と合っているかを吟味することです。
また正当性(妥当性)と真理性とは区別すべき概念です。
(妥当な判断でも誤った対象の場合があり得ます)。
>なにかどうしても、弁証法に持っていこうとする衝動は在りますか?
衝動ではなく精神(スピリット)の方。
ただし、無理やりではなく、
「真実は何か」を「爬虫類的」執拗さで追求する上で弁証法ということになった、という所でしょうか。
西研氏?ではないが、『ヘーゲルは美味しい』です。
273 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 18:42:16 ID:Oz94GI2e
11 名前: OFW 投稿日: 2000/12/04(月) 00:52
本題に戻りますが、
>>3 (ぱん"どら"さん)
>こう考えると,二つの概念のかかわりとは全称と特称がある。
単称を追加すれば正しい「反省の判断」の区分です。
大体において、何故伝統的論理学の判断区分が形式主義論理学では消去されたのか?
それは学問から「本質論」を消去しようとする試みでしょう。
>記号を割り当てるにはこの区分が厳密に設定されなければならないのではないかということだ。
ヘーゲルは「反省の判断」について、こう言っている。
(1) 単称判断:主語、単一なものとしての個は一つの普遍的なものである。
(2) 特称判断:上記のために、主語はその単一性を越えて、外延的になる。
それは無規定の特殊性である。
(3) 全称判断:いくつかのものは普遍的である。したがって特殊は普遍へ拡大されるが、
この普遍性は主語の個別性に規定されているため、「すべて」(すなわち共通性)である。
>ゆえにこの命題は∃(Gx⊃Fx)と記載されねばならない。
類概念と種概念の包摂関係ですね。
しかし、それを繋ぐものは個別者(具体的普遍)として実在するものであり、記号xではない。
274 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 18:44:29 ID:Oz94GI2e
13 名前: OFW 投稿日: 2000/12/07(木) 22:09
最近仕事が忙しくなってきた。20世紀もあとわずか…。
>>12 (伍長さん)
>その「宣伝」のおかげで、ヘーゲルもまんざらトンデモではないんだなと思ったワタクシではありますが、
それは良かった。少しは2chに来た甲斐があったかな。
>そう思ったのは、ヘーゲル用語の洪水のせいではないです。
確かに、ヘーゲルの書いたもの(特に論理学)は難解この上ないというのは衆目の一致する所ですが、
殆どの言葉(単語)自体はドイツの普通の日常語そして当時の科学から拾っている。
ですから、何が難しいかというと、やはりものごとの捉え方が普通とは違い、
日常的・自然的な認識態度をひっくり返すような所があるからでしょう。
その点では、悪いのはヘーゲルの方とばかりは言えず、
自然的な態度に捕われている我々の方にもある、と言えるのです。
(勿論、ヘーゲル一流の「絶対的観念論」というトンデモ神学が叙述を神秘的にしており、
大いに邪魔をしているのも確かですが。)
前のスレで、「弁証法とは事物を生成・変化・発展の相で見る見方」と書きましたが、実は弁証法の力である「反照的(反省
的)(Reflective)」認識という事を(敢えて)抜かしました。そこで、少し解説したいと思います。(レスを更えます)
275 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 18:47:41 ID:Oz94GI2e
14 名前: OFW 投稿日: 2000/12/07(木) 22:12
>>12 (伍長さん)(つづき)
「存在と生成」という対立は古来からあり、
「何が存在するのか」という問いはギリシャ哲学の最初の難問だったようです。
(哲学者とは変なことを疑問に思う人種です)
しかし同時に、誰でも、すべて存在するものは発生、変化、消滅を免れないということも知っている。
両者はどう折り合いがつくのか?
哲学者はその折り合いを「概念」として定着させた訳です。
つまり「事物は変化するが、事物の認識は概念として表現されれば概念は変化しない」ということです。
そのことは、概念とは事物の運動を反映したもの、つまり事物の運動形式が表現されているということです。
たとえば、「在るとは在らぬこと」という矛盾した言い方はまさに「実在」の概念を展開した表現です。
それは実在の本質を「他在」として表現している。
実在とはむしろ「本質をもたない」「本質の外にある」ものだということです。
こう言うと、「何をバカげたことを言う詭弁家め!」と言われるでしょう。
「『在るもの』は在るに決まっている。」というのが、通常の理解ですから。
しかし、「何が『或るもの』なのか?」と問い、「これが『在るもの』だ」と答えた場合、
「これ」とは目の前にある何らかの実在者でしょうが、
それは変化してしまうから、「これって何?」と問い直した途端に、それは別物でしょう。
正確には「在った」と過去形で言うべきだが、それは「もはや無い」と同義ですから、
「在る」と確定的には言えなくなる。
ここで言い表されている事態は、
観念(表象)は変化する実在者を「変化しないもの」として立てる(措定と呼びます)のであり、
実在を否定しなければ、それを言い表すこともできない、ということです。
「変化のうちに変化しないものを見る(表象する)」、このことは、
動物を含めて、誰もが毎日行っていることでしょう。
何故、そのことをヘーゲルのように真面目に考えないのでしょう?
そのことは、「変化は自らの否定の内にそれ自体を現す(反映させる)」という単純な事実を言っている
のだから、少しも分かりにくいとは思えないのですが…。
276 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 19:28:17 ID:Oz94GI2e
18 名前: OFW 投稿日: 2000/12/09(土) 10:57
>>15 (伍長さん)
>このスレの一番下の方で専門家の方(2人?)が最近の研究を解説してくれています。
ども紹介ありがとう。
なかなか興味深いですね。
ただ私は、動物の概念的認識に関する例として、以前読んだG.ベイトソンのイルカ研究の話がおもしろかった。
「演技Aでもなく、Bでもなく、Cでもなく…」、(そら、ジャンプ!)
そう、「決まった演技をしないこと」をすれば、ごほうびが貰える!
イルカが「否定」概念を理解した瞬間でしょうか?単なるパニックか?
>>16 名前:考える名無しさん投稿日:2000/12/08(金) 03:28
>『精神現象学』を持っていて、読もうかとどうしようか、二の足を踏んじゃってるんですけど。
『精神現象学』はヘーゲルの出世作であり、「精神の経験の学」というサブタイトルからしても、
人類の精神的な成長(幼児期の精神が経験を積み、
大人(世界精神)として自立する歴史)を跡付けようとした
壮大な叙事詩あるいは教養小説(ビルディング・ロマン)とも言える傑作です。
まずそのスケールの大きさを感じ取ることをお勧めします。
また、マルクスも「精神現象学は弁証法の宝庫だ」と言っていますね。
因みに私は樫山欽四郎(文恵さんの親父(無関係!)訳で親しみました。
>>17 >直観主義論理では排中律は成立しないってのは本当なの?
「直観主義論理」は良く知りません。専門家が答えてくれれば良いが。
ただ、現在の演繹的推論を中心にした論理学では、
総合的命題における「先験的統覚」(カント)の役割が消えているようですね。
>排中律はトートロジーなのに。
形式主義ではトートロジーと区別がつかないが、
実際には選言判断と同様に、「総体性」「十全性」の展開(類の分割)でしょう。
またヘーゲルは「すべてのものは過渡的であり、『中間』にある」と言っています。
277 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 19:31:40 ID:Oz94GI2e
27 名前: OFW 投稿日: 2000/12/12(火) 00:13
>>20 (logician's redさん)
ども、お久しぶりです。
>>OWF氏
前スレの最後のレスに書いたのですが、飛ばされて読んで貰えなかったようで、
私のHNはOFW(OldFashionedWell)なので、宜しく。
>ものごとを仮定することはできるようになりましたか?
全然だめですね。
「「『⊃』が『仮定する』を表わす」と仮定する」これは、弁証法以上に理解不能です。
「仮定する」を多義的(自己言及的)に使っているのはlogician'sさんの方ではないの?
>「仮定すること」の意味は知らなくても仮定することはできます。
いきなり意味論ですか。
無論、用法による定義は可能ですが、
それが日常語「仮定する」とはさしあたり無関係であることを明確にしておくことが肝要でしょう。
そして、論理学とて日常語をまったく使わずに他人に伝達することはできない以上、
記号「仮定する」が日常語「仮定する」と如何に関連しているかの翻訳は欠かせない。
>うまを“うま”と表すことと“ならば”を“⊃”で表すことは本質的に同じ表徴機能が働いているのはわかりますか?
うまと“ならば”は全く存在論的なレベルが異なる。
混同することは、思考を停止せよ、と言うに等しい。
記号Aとは対象<A>への指示を象徴「A」によって代理したものです。
対象<A>の存在論的地位(カテゴリー)に応じてその象徴の仕方(用法)は異なるのです。
「”ならば”を“⊃”で表すと仮定する」は次のいずれかでしかない。
1.”ならば”を“⊃”と略記する。ただし、“⊃”に真理表に持たせた内容は一切含ませない。
2.”ならば”とは形式論理的には真理表の“⊃”に対応付けることが妥当であると主張する。
ただし、それには(日常的な意味での)証明が必要です。自分を証明するための仮定はNGです。
でなければ、「記号が他の記号を『表す』」という、ポスト・モダニスム的無意味に陥る。
それは、CM「新型カーは愛を表現しています」の世界。
278 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 19:35:32 ID:Oz94GI2e
28 名前: OFW 投稿日: 2000/12/12(火) 00:15
>>20 (logician's redさん)(つづき)
>OWF氏も自分で言っているようにヘーゲルの著作は詩であり、学術論文ではない。
>(もちろん現代的な意味において)
私は「比喩的に」叙事詩と言ったのですから、間違えないように。
>>22 >弁証法って、上位メタレベルの理論をもってすれば下位範疇の対立概念を同時に説明できる、
>という当たり前といえば当たり前のことを言ってるんじゃないんですか?
多くの人はそう考えますね。(一人だけ例にあげれば、広松渉氏もそう。)
「メタ論理としての弁証法」という訳です。
しかし、総合とはヘーゲルも言うように思弁的(推論的)契機であり、
対立するものの運動こそが本来の(狭義の)弁証法的契機なのです。
>本当はヘーゲルスレに書きたかったけど
ヘーゲルスレでは私はウザがられたようです。(6は私です)
>>24 (伍長さん)
>OFW氏の分が悪いということは理解できます。
そうかなぁ…。まあ、論争するつもりはないのでして、形式主義論理学の限界点を、
相手の迷惑省みずに探っている、ということでご容赦下さい。
>氏の過ちは、(1)のみを根拠に形式論理批判を展開しようとしているような気配なるほど。
>観察は良く分かりますが、ちょっと違います。
形式的な論理を“純化”する上で内容は無視して良い、と言うことを批判しているのです。
すなわち、「形式は内容から切り離されると、それ自体無形式な質料になる」という
「対立物の無媒介的な相互転化」です。
279 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 19:37:00 ID:Oz94GI2e
34 名前: OFW 投稿日: 2000/12/14(木) 00:18
>>32 (伍長さん)
>うまも“ならば”も、共に、“うま”、“⊃”という語を生じさせる言語行動(「タクト」と呼ばれる)を制御する変数である。
後者は「イントラバーバル」ではないのでしょうか?(覚えたてですが)
私が「『おでん屋のおでんはうまい』ならば『女子大生が集まる』とは?」と問うのに対して、
ぱんどらさんが「それは『P⊃Q』と翻訳されるのよ」と答える。
まさに、二つの言語間(内(intra)ではないが)の照応では?
あるいはオートクリティック反応?
280 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 19:40:44 ID:Oz94GI2e
41 名前: OFW 投稿日: 2000/12/16(土) 18:50
いよいよ世紀末。20世紀の負の遺産は持ち越しかな…。
>>36 (微熱症患者さん)
>よい分析、よい記号化のためには内容の吟味が不可欠であるというは、
>言ってみれば当然のことであり
微熱さんの穏健な立場は理解できます。
過激な形式主義が横行しているようなので敢えてこだわっているのです。
>>37 (logician's redさん)
>どこが多義的なのか具体的に指摘してください。
前スレのレス377において
>「⊃」で「ならば」、「よって」、「仮定すると」などを表すと“仮定する”
とあり、
最初の「仮定する」は真理表に基づいて変換された<仮定する>であり、
2番目の“仮定する”は日常語としての<仮定する>だから、本来別の言葉でしょう。
それを同じ記号<仮定する>で表現することは多義的です。
また、本来「⊃」は日常語としては無内容であった筈なのに、仮定するという意味を持たせるから、
「自己の正しさ」を「仮定」して、「よって」その命題は正しいと主張することになり、自己言及的です。
>OFW氏は仮定することができないと表明してます
私は 上記の場合に“仮定する”ことができないと言っているのであり、
仮定一般ができないと言っているのではありません。
>本名=本人=ハンドルネームというコードが成立しています。=は結合関係)
本人はコードではなく指示対象であり、この場合思考主体としてコードを操る者です。
「記号は記号でないものを表わす」ことしかできないのです。
それを混同することが記号主義というイデオロギーです。
また、「結合」という曖昧な表現は避けるべきです。
たとえば、「天皇は日本国の象徴」とは論理的に誤りでしょう。
天皇は人格を持ち、単なる記号ではない。
(確かに、「天皇と日本国民を<結合>しようとする」政治的意図は感じられるが)
281 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 19:43:55 ID:Oz94GI2e
42 名前: OFW 投稿日
: 2000/12/16(土) 18:55
>>38 (logician's redさん)
>我々は0や=などについての内容的理解やイメージを持っている。
しかし、その内容やイメージをカッコに入れて使用しないのである。
>この現象学的還元によって我々はもともとの(内容をもった)0や=のといった記号間に成立する関係を
>顕在化するのである。
少なくとも、「現象学的還元」のオリジナルな用法からは一歩踏み込んでおり、
フッサールの「ヨーロッパ諸学の危機」を逆手にとって居直っているように見えるのは、私の思い過ごしかな?
無論、0や=は単独では無意味であり、数学体系の中で他の記号との関係によって、その用法が定められ、
有意味なものとなるのは当然でしょう。
>これは「これから使用する記号は無内容であると仮定する」と述べていると解釈していいと思います。
そのことに異論はないが、
少なくとも「それは記号である」という内容(形式内容)を持っていることを忘れないことが肝要です。
記号概念に関する誤った理解は記号主義をもたらす。
>ものごとを仮定することの万能性は仮定できないと仮定することもできるという事実が象徴的だ。
もちろんこのように仮定すると矛盾するが、その結果否定されるのは仮定することではなく、
仮定できないことなのだ。
「仮定一般」と限定された「特定の仮定」とを混同していますね。
特定の仮定は仮定一般の否定です。前にも書きましたが、仮定一般ということなら、
「矛盾」すら仮定できるのです。
たとえば「爬虫類に属する人間」を仮定することができないのは、
特定の仮定(生物学的仮定)としてできないのであり、
爬虫類人間を仮定すると生物学全体が覆ってしまうからです。
しかし「爬虫類にされた人間」を空想することは十分可能です。
まさに、形式主義は上記の矛盾すら仮定できるとして許容範囲に入れているから、
空想的なものになるのでは?
282 :
ぼくにもコピペやらして。 :2008/03/16(日) 19:46:25 ID:Oz94GI2e
48 名前: OFW 投稿日: 2000/12/31(日) 20:41
>>44 (ポパイさん)
>こういう可能世界を持ち出してくると、クリプキの哲学みたいに、かなりいかがわしくなってくるのでは?
私は「空想世界」と言ったので、いわゆる「可能的意味世界」などといういかがわしいものとは無縁です。
(余談ですが、アインシュタインの相対性理論で「双子のパラドックス」というのがあり、
そこでは、光速度に近い速度で宇宙旅行した兄と地球に残った弟の場合、
「兄の世界」と「弟の世界」は共に相手の時間の方がゆっくり進むことになる。
これは物理学的な空想あるいは可能的真理か?)
誰も前の質問に答えてくれないので、経済板で遊んでいましたが、そこでも
「ある人が1万円札を1万円の価値のある貨幣であるのを信じているのは、
他の人が1万円札を1万円の価値があるものとして喜んで受け取ってくれるからであり、
さらに誰か別の人がそれを受け取ってくれるからであり、このプロセスは永久に続いて、
要するに、すべての人が貨幣を貨幣だとしているから貨幣は貨幣だという自己循環論法に陥る。
岩井によれば、この循環論法こそが貨幣を支えている。」
という形式主義論理が出てきた。「貨幣は絶対的真理である」とは貨幣物神の披瀝であり、
それを論理的な真(神秘)とする経済学教授は論理物神者かな。
やはり、ポストモダニズム的無意味の根は深い…。
283 :
獨協大学経済学課卒業生 (男) ◆8VZWmnlL1o :2008/03/19(水) 16:48:01 ID:58v92lmj
>>273 ⇒ ”命題 ∃(Gx⊃Fx)の類概念と種概念の包摂関係 ”
記述上の誤りについて申し上げます。
∃(Gx⊃Fx)は包摂関係の記述志向ならば、数学上の記述ルールとして、1) 集合
空間{S}でなければならない。 2)GxがFxを包摂する関係記述ならば、それは被覆∩で
なければならない。 3)代数学上、G表記は群概念であり、F表記はファンクション(関数)
なので類概念⇒A 種概念⇒B の記述の方が妥当に思われます。
総合して貴方の誤記述を書き改めれば
∃G²∩∋{A∩∋⊃B}
となります。
(Gの右肩小添数字2はG位数)
代数集合論の認識不足から生じたズボラなデタラメ記述は良識的知識人からの
顰蹙を迎合しますよ。
それに、弁証法の認識も旧態依然なるものと言うか、読者側は ⇒? です。
もっとスマートな数学論理形式で思考表明できませんか?
、
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 13:07:45 ID:/NvDfjR9
>>273 ヘーゲルってカントパクりすぎじゃんワロタWWWWWWWWWWWWWWWW
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 15:29:12 ID:BCy0KWBx
5 名前: OFW 投稿日: 2001/03/23(金) 21:23 労働(Work)はまず、人間の必然(必要)として存在する。 それは個体の物質的な生存を維持するために、生活手段を生産しなければならないという点において、 人間に課せられた単純な自然的条件である。 そして古来より、人間は協働という形態で生産を営んできたが、それは圧倒的な自然力の前では、 明らかに個体の生産能力のみで個体を維持することは不十分であることから来ている。 自然との交渉、それとの物質代謝過程において、個体は他の個体との関係に入る。 共同体とは、まずもって生産共同体として歴史に登場したのである。 そして、共同体の掟とは、互いに協力関係を結ばなければ、 成員の生存が維持できないという、自然的な厳然性として共同体の必然であったろう。 「自由な個人」などという虚構は、歴史のずっと後において誕生するのであり、 産業革命と交易によって、社会的な生産力が飛躍的に増大した近代以降のものである。 それは、むしろ圧倒的な迄に緊密化した社会的分業の存在を前提しており、 商品と貨幣(一般的等価物)によって覆い隠された人間社会の共同性を、 否定的(他者化された)形態で主張する。実際、その内実は所有としての所有(私有)によって保証された、 排他的自己を称揚する利己主義に過ぎず、アダム・スミスが説いた「自愛心」も、階級対立の中では、 他者の労働を私有化する(労働力商品の購買と使用)という、搾取関係の正当化でしかない。 労働とは、それにより人間が類として自由になるための媒介であり、個人が他者との協働の中で、 具体的・現実的に自己になり、その成果のうちに具体的普遍としての自己を対象化させる行為である。 市場における商品の売買によって利益を得ること、 それは実際には他者の労働の成果を我が物にするということであり、 その根拠である類的・共同的労働の蔑視であり、畢竟、労働者階級への敵対行為である。 現代の疎外された社会における勤労道徳の主張は、 まずもって「働かざる資本家は食うべからず」という点から始め、 賃労働(労働力商品)の廃止へと進むべきであろう。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 15:31:59 ID:BCy0KWBx
13 名前: OFW 投稿日: 2001/03/24(土) 10:54
>>7 >もう少し詳しく、商品としての労働/労働力と言う事ですか?
賃労働は通常、労働力市場における使用者と労働者との間での
自由な雇用契約による等価交換とされていますが、
何と何を交換するのかを考えて見れば、
それは“裸の労働力”の一定量を貨幣と交換するという点にあることが分かるでしょう。
賃労働者は“自由な”商品です。
>有産階級/無産階級、不変資本/可変資本、外在化・物象化・疎外
まず、階級とは“生産手段の所有/非所有に基づく社会成員の区分”です。
資本主義社会では、資本家階級と労働者階級が基底的・本質的な階級であり、
両者は弁証法的な対立関係に置かれています。
そして、その他の階級、自営農民、自営業者、自由業等は中産階級と呼ばれ、
不安定な動揺のうちにあるメンバーでしょう。
財産の有無は結果であり、原因ではない。
次に、「外在化」「物象化」「疎外」は相互に関連する概念ですが、
外在化(外化)とは、可能的・潜在的な存在が現実的・顕在的になること。
物象化とは、人と人との関係が物と物との関係として現象するという、
近代特有の疎外の一種であり、資本主義社会の全体に及んでいる
(例:貨幣物神、俗物性(スノッブ)、官僚主義、システム主義、業績主義)です。
疎外とは、自己の本質の外化がその喪失として現象する、ということです。
畢竟、それは労働(対象的な生産活動)の疎外に根拠を持っている。
>>8 >労働は自由への道と言うわけですか?
そうですね。
国会図書館のカウンターの上には、
「真理は我らを自由にする」という標語が掲げられていますが、
精神論としては正しい言葉も唯物論としては、「労働は我らを自由にする」が正しい。
もっとも、これはヒットラー・ナチが強制収容所の門の上に掲げたものと同じですが…。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 15:35:03 ID:BCy0KWBx
14 名前: OFW 投稿日: 2001/03/24(土) 10:54
>>9 >共産党の方ですか?
じぇんじぇん違います。
日本共産党は共産主義政党ではありません(これホント)。
精々社会民主主義の党でしょう。
>>10 >共産党の人々って労働者なのかのう…?
一般党員はそうでしょうが、指導部は「職業政治家」でしょう。
>マルクス=大英博物館の紙魚=働かないオタク
最近の風潮の受け売りではなく、自分で調べ、考えましょう。
あなたが労働者(サラリーマン)あるいは将来の労働者である学生さんなら、
自分がなにものであるかを正しく理解することは、実践的な課題です。
>>12 >もっと建設的な話をしようよ。
そうですね。
近代的な労働倫理については、何と言っても、西欧の国民精神の基調ともなっている、
フランクリン、ジョン・ロック、アダム・スミス等のものが代表でしょう。
フランクリンの13徳は、節制・勤勉・質素を精神的支柱とした、
近代的市民(ブルジョア)の普遍的倫理であり、
また国王や教会という不労所得者ではなく、
労働と私有に基づく理性的で勤勉な市民が社会の主人公だと説くロックの哲学は、まさに近代精神そのものです。
そこでは、私有の権限(根拠)が排他的な労働に置かれているが、
おもしろいのは、交換(譲渡と取得)による富の蓄積を「黙契」(暗黙の契約)として正当化している点。
それは資本主義的「私的所有」が決して正当な等価交換に基づくものではなく、
暗黙で間接的な強奪あるいは奴隷売買によるものだということを、恥ずかしながら、認めたわけ。
言語一元主義ならば「私的言語の不可能性」と呼ぶ同じ事柄が、
非言語的な労働における「所有の私秘性交換の不可能性」であることが、ロックにおいて読み取れます。
哲学者と違い、労働者はおしゃべりをせず、黙々と働く。
それは殆ど語られることがないが、社会の唯物論的な基礎として、働くもの(現実的なもの)です。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 15:36:57 ID:BCy0KWBx
26 名前: OFW 投稿日: 2001/03/24(土) 20:58
>>16 >風俗嬢は人間のクズ。
それは言い過ぎだ!
確かに、カネでは売買できないもの、してはならないものがある、とは倫理的な言明ですが、
貨幣、資本という物象的な力の前では、すべての人間はモノでしかない。
「資本家とは資本の人格化に過ぎない」(マルクス)
サラリーマンと風俗嬢の違いは、見かけ程大きくはないでしょう。
>>20 (7)
いわゆるマルクス経済学的な議論については、下記サイト(石塚良次氏)を参照下さい。
とても良くまとまった講義要綱です。
http://www.senshu-u.ac.jp/~the0393/99/lec/met1_14.htm 但し、労働の“哲学的な”意義といった点に関しては、
労働者自身が自らの存在の根拠を反省し、
自分達こそが歴史と世界の主人であることの自覚が重要でしょうね。
「哲学は労働者階級を止揚せずには自己を止揚できない」(マルクス)。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 15:39:12 ID:BCy0KWBx
34 名前: OFW 投稿日: 2001/03/24(土) 23:10
>>24 >人間は必ずしも共同体を必要とするのでしょうか?
必要でしょうね。
個体としての人間とは類としての人間の現存在であり、
それは、人類全体の内容・成果が個人において“実現” しているということです。
>個人が必要とする諸条件と共同体が営まれる諸条件は必ずしも一致しません。
それはその通りであり、永遠に“一致”はしないでしょう。
しかし、諸個人は共同体において生まれ、主体として共同体を発展させ、
そして次代にそれを伝える。
個人と共に共同体も発展するのです。
具体的普遍とはそのことを言い、諸個人間のコミュニケーションが弁証法的な統一の条件です。
>共同体がシステムとして機能しなければならないのは個人が必要とするからで、それ以上でも
>それ以下でも無い
それは個人と共同体との関係を外的なものとみる、近代特有の考え方です。
近代的個人が自由な主体として振舞えるのも、
実際には生きるために必要な商品が市場に存在するからであり、
一般的等価物としての貨幣を所有しているおかげ。
そのため、個人は社会から自立して生きているという錯覚が生じ、
社会は単なる必要物を提供する便宜的なもの、と表象される。
それは“give and take”という利己主義的な社会観です。
その結果、逆に社会の方はシステムという全体的・物象的な存在として、
個人に対して超越的なものとして迫り、全体主義的な非合理主義となって復讐を遂げた。
また人間社会の機能主義は、いわゆる社会システム論といった物象的・官僚主義的な発想を生み、
個人をますますアトム化した手段にしてしまう。
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 15:41:40 ID:BCy0KWBx
35 名前: OFW 投稿日: 2001/03/24(土) 23:10
>>24 (つづき)
>労働者の共同体とはどの様なものですか?
「個人の解放は社会の解放なしにあり得ない」という言葉があります。
現在でも労働者は(分業という形態での)共同体を形成している。
ただしそれは、市場という転倒した現実により隠され、無秩序な自然状態に置かれているわけですが。
それを自覚的なものにすることは、社会のすべての物質的・精神的な豊かさを、
諸個人の協働的・創造的な働きの成果として享受することになるでしょう。
そのためには、労働者間の連帯が不可欠であり、
そこから「我々は一つである」との類的な自覚が生まれるでしょう。
たとえば、国家主義者はそれを言うが、国家とは幻想的実体として種的な存在でしかない。
「全体は存在しない」のです。
>個体が生存する為に共同体があるのか、共同体が運命付けられた (必然の)ものとして
>個体があるのか?
「必然とは盲目である。それは自己を知らず、外的な運命として個人を突然襲う」(ヘーゲル)。
必然性と言っても、外的な必然性と内的な必然性があります。
内的な必然とは、類的な本質を自己のものとして生きる個人の魂、とでも言えるが、
それは別名「客観的精神」と呼ばれます。
(近代人の偶然的自由にはこの手の“大いなる精神”は理解不可能?)
>緩やかな個人主義は氏の結論からブルジョワの 欺瞞であるとされてしまうのでしょうか?
山崎正和流ですか?「緩やかな」という感性的な表現には、
「現実的な」との表現を対置すべきかな。
繰り返しますが、全体主義は共産主義とは無縁の観念論ですが、
近代的な個人主義も抽象的な観念論です。
>科学技術が可能とする高度情報化社会でも同様 の理論展開が可能でしょうか?
たとえば、“嫌な”労働はすべてロボットがこなし、
人間は個人として自由(暇時間)を満喫できる理想社会が到来したとして、
人間は何をするのでしょう?
労働の必要とは、労働以外の余暇に向かうのではなく、
労働(仕事)を内的な生命欲求の自由な発現にすることでしょう。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 15:43:28 ID:BCy0KWBx
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 16:18:00 ID:/NvDfjR9
OFWの遺稿集成作業が始まってんの?
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/20(木) 19:51:03 ID:BCy0KWBx
つか、"ぼくにもコピペやらしてよ"サン、 早くコピペの続き読ましてよ。 形式論理学vsヘーゲル論理学(OFW氏流論理学?)、面白く読ましてもらったよ。 マルクスは後回しでいいからさ。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/21(金) 02:48:13 ID:Op/uwGpm
>>293 いやその前にカントの超越論的論理学やれよw
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/21(金) 07:06:16 ID:yN6ZbJ0k
哲学を論ずるなら、他の哲学掲示板へ移動する様に。 ここは経済学を多様な考えで語り合う、お友達の場。 ゴメンよ・・・誰かが言わねえと・・・
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/22(土) 10:37:29 ID:ilgeEaUd
>>294 OFW氏のコピペは強酸党板か鉄板で継投します。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/22(土) 15:17:39 ID:IJ1cHj5U
強酸党と狂3頭(キングギドラ)は兄弟だ????????????
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/23(日) 11:07:05 ID:roDW2mkq
>>296 OFW氏のコピペ継続のスレタイって何?
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/24(月) 07:58:47 ID:9Mxtg1yZ
>>298 哲学板でも共産党板でも続きのカキコは未だみたいですよ。
もっとも、OFWコピペ自体は盛んのようだけどね。
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/24(月) 15:01:11 ID:dDwiB7Js
結論 約百年の間に一億人の犠牲者を出したイデオロギーは、共産主義だけ。 共産主義は、階級闘争を社会発展の原動力とします。社会を対立・抗争という 面からのみ見るため、物事には調和・融合という方向もあることを忘れています。 平成9年(1997)にフランスで刊行された「共産主義黒書」 は、共産主義の犯罪を厳しく検証しています。編者ステファン・ク ルトワによると、共産主義による犠牲者は、8,000万人から 1億人にのぼるとされます。この数字は、ヒトラー・ナチズムによ る犠牲者数とされる2,500万人を軽く上回ります。 個人的な犯罪や局部的あるいは場当たり的な虐殺を越えて、共産主義 体制は自分たちの権力を確立するために、大量殺人を真の統治システ ムにまで高めた。 ―――ソ連 死者2000万 ―――中国 死者6500万 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/25(火) 08:03:24 ID:agEyihg5
>>300 馬鹿だなぁ、そのおかげで人類総飢餓の時期が伸びたじゃんか。
そいと、帝国主義戦争による死者数・被害者数にも視点を置かないとね。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/18(金) 13:18:14 ID:QWDveSFx
お〜い、OFWのコピペは如何なってるんよ?
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/23(水) 14:13:34 ID:u099WfWT
ここのマル経・マル主義スレに他板と間違えてコピペしたあわて者がいたんよ。 つ〜ことは、どっかの板でofwのコピペあるんとちゃう? 鉄板か強酸盗板ってとこかいな?
>>1 でも北朝鮮という社会システム内でゲームの理論を適用すれば
けっきょく個人は「将軍様マンセー」するのがいちばん得だと
いう結果に行き着くんじゃないか。
北朝鮮は単なる比喩でそれを社会全体に拡張しても同じこと。
ゲーム理論のパラダイムって結局それだけのもんなんだよなあ。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/24(木) 00:17:15 ID:i8nMV3lN
【医療崩壊】道路と命、どっちが大切?…公共事業費は減っても日本はまだ世界一 社会補償費はOECD平均以下 医療費は先進国で最低
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1208937887/ 講演のタイトルは「医療体制の現実を見つめて、道路と命どっちが大切ですか」
という刺激的なもの。本田医師は
「道路をつくっても、その先に病院がなかったら何にもならない。
(ガソリン税の暫定税率を維持し、道路建設を声高に主張する)
九州の有名な知事も、どげんかせんと」と笑わせながら、
半端ではない人員不足や過酷な業務内容など、医療現場の深刻な実態を訴えました。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/06(火) 00:16:32 ID:ro9h7Cyy
OFWはあれで唯物論研究会の所属だという噂があるね。 タームを並べているキチにしかみえないのに。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/27(火) 09:51:37 ID:jx6GbXSC
たしかに
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/28(水) 07:10:08 ID:H4YGiGRp
マルクスの『資本論』はあくまでも資本主義社会の分析を行っているに 過ぎず、共産主義社会の分析を行っているわけではない。 共産主義が資本主義よりも優れているという考察や証明は行われていない 共産主義は資本主義の止揚された姿なので、マルクスは先進国で共 産主義革命が起こると主張したが、実際に起こったのは発展途上国の ロシアであった。 また、未開社会やサルのような動物の社会でも、 順位制という身分制度があり、原始共産制は見られない。 原始共産制から階級分化が起こり、やがて共産主義社会の到来で 階級対立がなくなるという考えは、キリスト教的な 千年王国待望論で、それは科学というよりも宗教的信仰である
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/28(水) 10:39:15 ID:K4f/LtfZ
中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね 中年だと思ってない中年じじー死ね その老いたすがた気持ち悪すぎ その老いたすがた気持ち悪すぎ その老いたすがた気持ち悪すぎ その老いたすがた気持ち悪すぎ 死ぬとき このレスの事思い出してくれよ ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・) ニヤニヤ(・∀・)
>>5 > 「金持ちを根絶やしにしても、貧乏人が金持ちになることはできません。」
サッチャーも馬鹿なことを言ったものだね。金持ちを殺しても国は成り立つ。
だが貧乏人を殺すと国は滅びる。なぜなら、生産者(労働者)
がいなくなるから。
社長が全社(支社・支店)のコピー取りを出来るのであれば可能だが。
貧乏人がいなくなればロボットすら作れなくなる。なぜなら、ロボットで
生産したネクタイ、缶詰、自転車、メモリースティックはほとんど売れなくなるから。
つまり、金持ちは貧乏人がいなければ成立しない。貧乏人は金持ちがなくても
成立する。全員が貧乏になることは出来ても全員が金持ちにはなり得ない。
ただ、全員が普通に生きるレベルにすることは可能だ。これが社会福祉の
原点。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/31(土) 01:20:20 ID:PBqthzEZ
だから、金持ちを無くしたって貧乏人が金持ちになるわけではないんだろ。合ってるじゃん。
前世紀末のイギリスの成功は、サッチャーの新自由主義的政策が成功したのではなく、ロンドンが金融の一大拠点たりえたためであり、 金融が成功しただけだ。結局英語というスタンダードが功を奏したのだ。 今現在で言えばもの作りは失敗したから、やはり新自由主義は失敗に終わりつつある。(英語講師は輸出しているが、、、) 先のサッチャーの言葉は、階級社会であることを反映したもので、資本については何も語っていない。 階級闘争を強調するマルクスにも問題があるが、資本主義システムにおいては、正確には中間層が二極に引き裂かれているのだ。 そして、ここがポイントだが、そのシステムはやはり内部矛盾を抱えているということだ。 最後の鐘が鳴るとは言わないが、その危機は複利を基本にした金融システムが数値で指し示している。 複利は国家の借金として国家自身にものしかかるわけだから、強権国家を前提とした新自由主義をも蝕みつつあるのだ。 追記: ただし、複利に関して『資本論』でちゃんと扱われていないのが残念だ。この点はゲゼルを参照する必要がある。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/02(月) 02:07:32 ID:KdHBQEq7
エンゲルスの自然弁証法序説の古本を百円でゲット 読みたいのだが、しばらく我慢 ハァハァ
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 09:51:38 ID:TjOc+Lad
>>313 唯物論の権化本だね。
マルクス思想からますます遠ざかるんだ。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 13:18:27 ID:I50tS4mh
>>310 >つまり、金持ちは貧乏人がいなければ成立しない。
そんなことはない。
全てロボット化すれば、ボタン一つで生産・販売、営業。
ボタン一つで、命令と実行が出来れば、労働者は要らん。
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 16:59:39 ID:GM5rnPOb
マルクスとやらを初めて読んでみたいと思い、「超訳『資本論』」(的場 昭弘著、祥伝社新書、2008年5月1日発行、¥840)を読み始め たが、最初から、マルクスの論理の矛盾ばかりが目に付く。 使用価値と交換価値とに分けているが、後者は前者を前提とする。使用価値 のない商品を、交換によって得る馬鹿はいない。 美術品や骨董でも、見て楽しめるし、売れば金になり、使用価値のある 物を購入できるようになる。 また、使用価値は、特定使用者の状況によって変わる。すべての人間にとって 同一の使用価値などありえない。 労働が、すべての商品の価値であると言っているが、いくら労働しても、 商品は無価値である場合がある。 搾取を語るが、資本家の精神的労働と危険負担は、どう考えているのか。 貨幣は、商品流通のための手段と考えれば、「貨幣信仰」などありえない。 物資がなければ、貨幣は無価値である。 労働者に限らず、すべての人間の労働によって、社会が維持され、各人の 生存が可能になっていることに、彼は気付いていないのではないか。 また、労働が労働者に齎す精神的充足感についてはどうか。彼はよほど 労働が嫌だったものと思われる。 誰かマルクス信者の人、教えてくれ。
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 17:35:19 ID:rvOcUk4Q
蟻世界を眺めると、常にまともに働いているのは二割程度なのだとか で、その働き者の蟻だけを取り出して新しい社会を作ってみても、まともに働く蟻はやはり二割 だから、金持ちと貧乏人の比率も常に決まってるんじゃまいか ロシアのマショリカ人形みたいな入れ子構造が だから、貧乏は恥じることないし、金持ちは威張ることない 我々は史的唯物論の法則に貫かれた世界で、ただその役割をこなしているだけ まさに、自己犠牲の精神だなw 蟻世界の観察結果からの勝手な類推 ついでながら、新古典派では貨幣を取引手段と見るが、貨幣愛って言葉もある 目的と手段の倒錯
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 17:51:23 ID:XgIr2THm
働く者の実感として、搾取はあると思う。 全く同じ内容の労働をして、全く同じ価値を生み出したとしても、 勤めている会社、地位、職分、雇用区分、学歴等によって賃金が異なるのだから。 また、資本家は管理という労働をし、リスクも負っているというが、 経営に無知で、ろくな議決権の使い方をしない株主や、会社の金で贅沢している経営者は 彼の精神的労苦や危険負担を考慮しても許容し得ないほどの利益を得ている。 だからマルクスが正しいとは言わないが、搾取の存在を安易に否定し、捨て去ろうとするのはいかがなものか。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 17:59:38 ID:j4m198G0
>>316 とりあえず資本論をじかに読めない馬鹿は批判する資格ないだろw
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 18:01:37 ID:j4m198G0
>>316 馬鹿だなお前。いちおうぜんぶ読んだが、それくらいマルクスがあらかじめ答えているぞ。
資本論をじかに読むことだな。
哲学書にしろなんにしろ、入門書から入るのがいちばん悪いやり方だ。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 20:51:08 ID:cT1p8X+Y
>>219 あんなくそ難しい本を読むのは、人生の貴重な時間の無駄。「基本思想」だけ
知れば、批判には十分。
マルクスは、この世に「平等」などありうると思っていたのだろうか。人は、
生まれながらに「不平等」。その不平等を克服する意欲から、全体の向上が
可能になる。
資本も、資本家の過去の「労働」の集積である。
資本家(経営者)の精神的労働と財産的リスク負担は、労働者とは比べ物に
ならない程大きい。
労働により社会の維持が可能になり、労働者自身も生存できる。それ故に、
労働者は、労働に本能的な充足感を感じる。
マルクスは、働くことがそれほど嫌だったのかw。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 21:10:53 ID:6a0NuHE3
説明会までに仕込みをしておくべきか? 5月16日 プレステージ(4290ヘラ) 169000(+20000 ストップ高) 5月19日 プレステージ(4290ヘラ) 195000(+26000 場中ストップ高あり) 5月28日 レカム(3323 ヘラ) 29500(+3000 ストップ高) 5月29日 レカム(3323 ヘラ) 32500(+3000 ストップ高) 6月2日 クリーク&リバー(4763 ヘラ) 23150(+2050 場中ストップ高あり) この3社は共通点あり。6月10日に共催で個人投資家説明会をする。 「レカム プレステージ クリーク」で検索してみ。 説明会で材料を匂わせて直後にIR出すパターンか? 3打数1安打、あるいは3打数2安打の予感。
>>321 >「基本思想」だけ
>知れば、批判には十分。
その肝心の基本思想の理解がなってないから困るんだが。
マルクスがいつ、「交換価値は使用価値を前提としていない」とか
「使用価値が全ての人間にとって同一」とか言ったんだ?
むしろその逆だと思うのだが。
能力差や労働密度を無視した平等なんてのも主張してないし。
324 :
323 :2008/06/03(火) 22:26:20 ID:XgIr2THm
資本家や地主も努力していると言いたいようだねぇ。 確かに全く努力してないとは言わんよ。 しかし、ある程度優秀な労働者とあまり賢くない資本家や地主だったらどちらが高所得なのか? 一度資本家や地主といった勝ち組になったら、さほど優秀でなくても勤勉でなくても、 優秀な労働者が過労死するほど働いても追いつかないほどの所得を得られるわけで。 もっとも、別にそれが悪いこととも思わん。 自分はマルクスの著作を読んだことがきっかけで株や不動産への投資に目覚めたのだし。 だって、どうせ資本主義社会で生きるなら搾取する側に回ったほうが得だろ。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 22:57:36 ID:WYmrO2oy
>>324 マルクスのいう資本家とは、一体誰のことかね。仮定の主婦でも、労働者でも、
株を持ってる者は無数にいる。労働者が相当数の株を持った途端に「悪の資本家」
になるのかねw。
>>325 そんなことは言っておらんよ。
わずかばかり株を持っただけでは資本家とは呼べん。
最低限、働かんでも食える程度はないと話にならん。
さて、話を本題に戻そう。
資本家になるのは努力によるとか、
資本家になった後も努力してるんだからとか、
そういう言い訳は虚しい。
資本家になるきっかけなんてのは、相続でもいいし、宝くじに当たったとかでもいい。
努力していると言っても、労働者のほうが過労死は多いと思うのだが。
リスクを取っているといっても、リスクも取れないほど貧しい労働者から見れば贅沢な悩みにすぎん。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 23:04:49 ID:WYmrO2oy
別の本で、マルクスは、人間が自然から採取し、加工し始めたから、「疎外」 が生じた、などと言っているが、冗談じゃない。それこそまさに、人間が自然 と一体になって生きていることではないか。 マルクスの論理は、矛盾しまくりである。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 23:09:06 ID:WYmrO2oy
>>326 労働者のリスクは、せいぜい月給を失うだけ。有限責任である。資本家のリスク
は、全財産を失うばかりでなく、孫子の代まで責任を負う無限責任である。
リスクの程度が桁違い。
「俺は精神労働してるし、リスク負ってるから大変なんだよねー」とか言いながら
労働者を低賃金でコキ使い、時には過労死へ追いやりつつ、
会社の経費でうまい物を飲み食いし、運転手付きの高級車に乗り、豪華な邸宅に住んでいたら欺瞞だろう。
君が労働者精神を大切にし、必死で働き、資本家の存在および行動に疑問を持たないのは自由だ。
しかし、我々を富ませるために働いているのだということは意識しておくべきだ。
>>328 資本家が転落したら何になるか?
労働者に転落するだけさ。
だから言っている。
もともと裸一貫の労働者から見れば、「労働者になってしまうかも」などという悩みは贅沢なのだ。
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 23:17:52 ID:WYmrO2oy
>>329 労働者は、資本家がいるから生活が成り立つ、という事実はどう見る?皆が
労働者なら、間違いなく共倒れだ。
マルクスの資本家に対する憎悪は、実は「羨望と嫉妬」という卑しい心情から
発している。これは、イエスの思想に起源する。「弱者のルサンチマン」である。
>>330 資本家をなくしたとしても、資本家とは別の形の経営管理者は必要になるだろうし、
そういった役職の人物にもその労働にふさわしい賃金は支払われるべきであろう。
拡大再生産のための内部留保も必要になろう。
だから、労働者の労働によって生み出された価値が、
全て賃金として労働者に支払われるということはない。
資本家という、所有者もしくはその利益を代表する者であるがゆえに
横暴をふるいうる経営管理者よりも、
そのような形の経営管理者のほうが好ましいかどうかは知らん。
そもそも、資本主義が悪いとか、資本家が悪であるとか思ったこともないのでよくわからん。
私は、善し悪しの判断は抜きにして、ただ資本主義に適応して生きることだけを考えている。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/03(火) 23:31:58 ID:WYmrO2oy
マルクス主義国は、どこも壊滅状態。中国も、実質上資本主義になったから 立ち直った。マルクスがいかに間違っていたかが、現実社会でのテストに よって証明された。それに、マルクス主義によって、一体何千万人、何億人 の生命が奪われたか。 キリスト教と、それに起源するマルクス主義とが、最愛の誤りと悪であると 結論できる。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 02:56:30 ID:iTLnjPU/
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 03:56:41 ID:q6/HYeYR
>>332 馬鹿だな。誤解している典型的なやつw
マルクスは未来についてほとんど語っていない。したがってそれはマルクスの間違いではない。
教祖を守ろうとしている信者ですね。わかります。
社会主義国すなわちマルクス主義とは限らないぞい?
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 07:03:10 ID:q6/HYeYR
>>335 いや実際マルクスは国家社会主義なんて言ってないしw
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 07:15:07 ID:OkENjPue
マルクスの最大の誤りは、人間の働き(労働)だけを労働量としたこと。(人間の真似をする機械などには目を瞑った。)
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 11:56:54 ID:yQAkaZPr
というか、等価価値説はともかくw 余剰価値説って利潤を搾取している事は証明したけど、それで終わってるから エネルギー保存の法則という自然法則に反してると思うw
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 12:39:46 ID:OkENjPue
>>339 >余剰価値説って利潤を搾取している事は証明したけど、
利潤は余剰価値の一部であり、残りの余剰価値は、商品の購入時におまけとしてタダで購入者に渡る。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 14:48:36 ID:jcOH9BG3
「労働=商品の価値」というマルクスの公式は、そもそも成立しない。 労働の提供は、素手で出来るものではなく、労働の場所、道具、設備などの さまざま「補助具」が必要であり、これらは本来、労働の提供者が提供すべき ものである。自ら「大工道具」を準備しないで仕事をする大工はいない。これら の「補助具」は、すべて資本家が負担している。また、資本家も、「労働」を 提供し、労働者とは比較にならないほど大きな財産的リスクを負っている。 また、労働者は、労働を通じて、他者と係り合い、社会に貢献することから 生じる、精神的充足感という大きな「対価」を得ている。 従って、マルクスの公式は、次のように書き改めなければならない。 「(労働者の労働+補助具+資本家の労働+資本家のリスク)−労働者の充足 感=商品の価値」。 又、「搾取」という言葉もおかしい。資本家が、上記のとおり、その正当な利 益を得ることは、「労働者の搾取」などではない。 さらに「疎外」という言葉も誤り。「他者との係わり合いの中で、自分を含む 共同体の維持のための労働」は、「疎外」などではなく、むしろその対極である。 また、「労働『時間』」は、万能の基準にはなり得ない。天才の一瞬のひらめきは、 1万時間の労働を上回る価値を生み出す。 マルクスは、根本的に過っている。
342 :
111111111111 :2008/06/04(水) 14:57:26 ID:0Ckx3fLy
そうかなーーー そうと思わんけどなーーー
>>341 オレは基本的には株式会社という私的生産形式を人間が採用せざるを
得ないのは人間が自然に大して働きかけてなんらかの生産物を生み出す
場合に人間一般に対する普遍的な財物というものを生み出しえない限界
から来てるような気がする
人類全体が普遍的なことばかり考える『哲学者』になって哲学に
従事するようになったらどんな世界が想像出来るだろうか?
みんな餓死してしまうような世界が想像出来るなw
そこに好むと好まざるとに関係なく農業の従事する人が出てきて
ある程度の規模を達成するのに一部の労働者を囲う生産形態
(私的生産形態)が生まれるのは必然のようが気がする
その場合に全員が労働者だと意味不明だから指揮するものと指揮される
ものに解れる.なぜならば人間は自ら労働しながら同時に全体への
指揮を施すのは不可能だからだ
そこに私的生産形態の原典があると思う
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 15:15:40 ID:jcOH9BG3
>>342 労働者たちを指揮・監督して、「商品の価値を高める」のは、最大の精神的・
肉体的労働だよ。また、責任やリスクも、労働者とは桁違いに大きい。
この「労働者」としての社長の給料が高いのは、これが理由。
マルクスは、労働者とは、専ら肉体労働に従事する「奴隷」だと思い込んで
いたフシがある。それなら、労働者に対する侮辱であろう。
それに、家庭の主婦や労働者が、会社の株を何パーセント取得したら、「打倒
すべき資本家」になるのかねw。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 15:20:21 ID:OkENjPue
>>341 >天才の一瞬のひらめきは、1万時間の労働を上回る価値を生み出す。
同意。
マルクスの言う「商品の価値」とは、その商品の「値段」、つまり、金貨の量なんだ。
だから、「天才の一瞬のひらめき」でできた「1万時間の労働を上回る」商品が、もし、100円なら、たったの100円の価値しかないのだ。
つまり、マルクスの「資本論」は、出だしから間違っている。
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 15:37:44 ID:OkENjPue
344 つづき では、「1万時間の労働を上回る」商品の値段が100円だとすれば、「1万時間の労働を上回る」労働の価値はどこえ行ったのか?、それは、商品を100円で買った購入者がタダで貰ったのである。 つまり、100円で買うと同時に、品物に付いている残りの剰余価値を“タダで貰う”わけだ。【新・経済学理論】
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 17:12:11 ID:q6/HYeYR
>>344 はあ? お前こそ理解できてないだろw
抽象的社会的一般労働の意味が分かってない。価値形態論を精読しろw!
天才の一瞬の閃き=何時間分の抽象的一般労働=価値
これで何か問題でも?
間違っているんじゃなくて、マルクスの理論的抽象度の高さについていけてないだけだろw
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 17:13:32 ID:q6/HYeYR
てかお前ら資本論読んでるのか? マルクス経済学の教科書なんか読んでも意味ないぞWWW
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 19:49:59 ID:OuuzhMA9
>>346 >抽象的一般労働
「抽象的労働」などない。労働とは、常に特定の状況における、特定の行動
である。「商品が、特定の物体又はサービス」であることも同じ。
現実界を抽象化すれば、それは学問ではなく、空想又は宗教になってしまう。
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 19:55:16 ID:as+KBqot
>>348 謹啓も抽象化しまくりだろ
市場とか効用とかな
学問は抽象から始まる
マルクスは抽象的労働があると考えてかまわないとしている
いわば見なしだな
350 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 20:33:17 ID:OuuzhMA9
>>349 抽象は、実体に十分に裏付けられていない限り、実体とは似て非なるものに
なる。抽象を扱う学問は、抽象から実体を作り上げるという危険に、常に
晒されている。
マルクスは、果たして、労働者たちと直接、十分な意見の交換をしたのであろ
うか。大英図書館で、「労働に関する本」をいくら読んでも、実体としての労
働は何も判らない。
マルクスは、ギリシャ哲学から出発したのだから、ギリシャ哲学の「抽象性」
という欠点から免れてはいない。
彼は「上部構造」と「下部構造」を語るが、彼の「下部構造」は、上部構造で
あるはずの「観念性」に満ちている。
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 20:40:13 ID:yQAkaZPr
そらまあ、子供の適当な落書きがオークションで100億で落札されたら これを、労働価値で考える事は不可能だろうw (100奥はないかもしれないが、実際あった話w)
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 21:05:27 ID:as+KBqot
>>350 資本論読んでないのバレバレ
マルクスは資本制経済の本質をとらえてるよ
ギリシア哲学もよく知らない人間が適当なこと言うなw
嫁嫁詐欺ですね、よくわかります。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 22:35:21 ID:yQAkaZPr
まあ、読んだらそれなりなんだろうが、まあ、優先順位は低いわなw
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 22:56:51 ID:as+KBqot
>>354 それなりどころじゃない
人は資本論を読んだ人間と読んでない人間にきっぱり二分される
あらゆる書物の中で最高峰クラスのもの
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/04(水) 23:05:12 ID:yQAkaZPr
ニッチな物好きな人間はみんなそういうんだよw
本一冊読んだか読んでいないかで、人間を分類するんだから、そりゃ運動の途中で人殺すわけだ。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/05(木) 01:51:40 ID:JGMGZZij
マルクスは、「唯物論者」と自称するが、実は、ギリシャ哲学やヘーゲル直系 の「観念論者」であった。「資本論」は、唯物論の外皮を纏った観念論そのも の。だから、「生身の人間」からは、遊離しまくりなのである。
もちっと具体的にお願い
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/05(木) 09:16:20 ID:XGHRaZlq
がっちがっちの唯物論者のエンゲルスとは 一味も二味も違うわな、マルクスは。
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/05(木) 22:11:54 ID:KrV6/diY
>>358 マルクスは、唯物論を標榜しながら、実は、ユダヤ哲学に由来するドイツ観念
論哲学直系の観念論。現実には存在し得ない「共産主義ユートピア(神の国)」
という観念信仰の、「学問」にはあらざる、「宗教」である。「擬似宗教」と
も呼ばれている。宗教とは、信じる神が違うだけ。「宗教は阿片」という言葉
も、お決まりの宗教内抗争に過ぎない。
だから、多くの「狂信者」が発生し、狂気のように布教に努め、「異教徒」は
殺しまくった。
この点で、キリスト教に通じる。バートランド・ラッセルは、キリスト教と
マルクス主義との相似性を、見事に分析している。
マルクスの、富に対する理由のない憎悪(実は羨望と嫉妬)は、イエスの思想
そのままである。マルクスは、ユダヤ教から改宗したクリスチャンであった。
同じユダヤ人でも、フロイトにはこのような狂信者や大殺戮が発生しなかった
のは、彼が、ユダヤ教徒であり、抽象的思考ではなく、事実を重視する、優れ
た臨床精神医学者であったからである。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 01:31:55 ID:IVFaexPB
>>361 宗教を馬鹿にしすぎだろ。
科学と宗教も似たようなもんだしな。
唯物論的な考え方にしても、単純なものではないし、スピノザの影響もある。
マルクスの思想の根幹は、倫理的なものだ。
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 01:48:10 ID:Lk0QJK/u
>>362 >マルクスの思想の根幹は、倫理的なものだ。
1億人もの人間を殺す原因を造っておいて、何が「倫理」かね。
マルクスの「倫理観」が、とんでもない誤りだったということだ。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 05:48:06 ID:8dNitltY
>>363 コミュニズムは倫理的なものだ
そしてそれ自体は倫理として正しい
マルクス自身の政治的国家的な面での誤りも無視できない
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 06:00:24 ID:3codAhZU
マルクスの誤りをマルクスの視点で見ようとしても対して意味は無い まず、資本論を否定する事から始めないとw
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 07:25:54 ID:b66FBEBl
>>365 >資本論を否定する事から始めないと
同感。
『資本論』によって日本共産党などの政党ができている。
その方針は、“一党独裁”、経済的には“国有化・計画経済”、国際的には“軍事優先”を掲げていからだ。
これらの方針は、どれ一つとっても誤っている。それは、『資本論』が間違っているからだ。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 09:12:14 ID:IVFaexPB
アホかw 資本論は資本制経済を分析したもの。 >その方針は、“一党独裁”、経済的には“国有化・計画経済”、国際的には“軍事優先”を掲げていからだ。 こんなものは一行も書いていない。 無 知 蒙 昧 の 無 教 養 は 去 れ !!!!!!!!!!!!!!!!!!
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 09:42:09 ID:b66FBEBl
>こんなものは一行も書いていない。 『資本論』と言う「経典」をより所として、共産党の方針は作られたのではないのか? じゃ〜、共産党は『資本論』とは、関係ないとでも云うのか?。
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 11:02:46 ID:3codAhZU
>>367 分析が間違ってるでねw
あと、唯物史観の解釈とかw
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 12:17:06 ID:JGldwiCa
マルクスは、「人間の本質は生存本能であり、労働とは、『労働者を含む』共 同体維持(共生)のために不可欠な営み」ということが理解できなかったので はないか。 人間の文化は、富なくしては成立しない。富が剰余価値(搾取の結果)なら、 それは文化の成立に立派に貢献している。従って「搾取」などという下品な言葉 は止めるべきである。 マルクスは、読めば読むほど「論理矛盾」だらけ。人間性や人間社会は、大英 図書館の本には納まりきれない、複雑かつ豊かなものであることを、マルクス な認識できていない。彼の論理は「子供(幼児)の論理」である。 マルクス自身は、「労働」をしたのか。労働者の「生の声」に耳を傾けたのか。 単に彼の「頭の中」だけで捏ね上げた、「独善的正義感」ではなかったのか。 多くの流血を伴った壮大な実験が大失敗に終わった現在では(聡明な人々には、 失敗することは初めから分かっていた、無駄な実験であった)、「神の見えざ る手」にまかせたアダム・スミスのほうがいかに正しかったかは、あまりに も自明である。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 12:37:11 ID:JGldwiCa
物事を、「正」と「反」とに二分する弁証法には、初歩的な論理の誤りがある。 「正」「反」自体が、無数の「正・反」によって成立していることを見落として いる。
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 17:07:45 ID:IVFaexPB
>>370 >マルクスは、「人間の本質は生存本能であり、労働とは、『労働者を含む』共
>同体維持(共生)のために不可欠な営み」ということが理解できなかったので
>はないか。
だから資本論嫁って言ってるだろWWW
資本論にそのとおりのことが書いてある。読んだとしたら、よほど馬鹿だ。読んで読めてないんだからなWWW
先入見なしで、真剣に読んでみろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 17:09:31 ID:IVFaexPB
>人間の文化は、富なくしては成立しない。富が剰余価値(搾取の結果)なら、 >それは文化の成立に立派に貢献している。従って「搾取」などという下品な言葉 >は止めるべきである。 これこそ幼稚な子供の論理じゃないか。 なぜ文化が剰余価値なしに成り立たないのだ? 論証してみろ。 馬鹿馬鹿しいw
ビル・ゲイツがあるハイスクールでスピーチをした、 「学校では教えてくれない人生に役立つ11のルール」というものが インターネットで出回っています。 1、人生は公平ではない。それに慣れよ。 2、世界は君の自尊心を気にかけてはくれない。 君の気分に関係なく世界は君が仕事を終わらせることを期待している。 3、高校を出てすぐ6万ドルの年収を稼ぎはしない。携帯電話(当時は高かった) を持った副社長にもならない。自分で両方を稼ぎ出すまでは。 4、先生が厳しすぎると思うなら、上司を持ってみろ。 5、ハンバーガーを引っくり返すということは沽券にかかわることではない。 君たちの祖父母はハンバーガーを引っくり返すことを別の表現を使った。 それはチャンスと呼ばれた。 6、君が失敗したらそれは両親のせいではない。文句を言わずに学べ。 7、君らが生まれる前は、君らの両親は今のように退屈な人たちではなかった。 そんな風になったのは、君らのために支払いをし、服を洗い、君らがどんなに イケてるか、という自慢を聞いているうちにそうなったのだ。親の時代から生存 する寄生虫から森を守る前に、自分の洋服ダンスのダニ駆除から始めよう。 8、学校は勝者・敗者を決めなくなったかもしれないが、人生は違う。 学校によっては君が落ちこぼれないようにしてくれたり、正しい答えが導き 出せるまで、何度でも機会をくれる。実際の人生とは全く似ても似つかない。 9、人生は学期ごとに分けられていない。夏休みは無いし、ほとんどの雇用主は 君が自分を見出すことに興味を持たない。それは自分の時間にやれ。 10、テレビは本当の人生ではない。現実では、人は喫茶店にいつまでも 居られるわけはなく、仕事に行かなくてはいけないのだ。 11、オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/06(金) 23:03:55 ID:3codAhZU
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 01:47:34 ID:jqVCe4xO
>>375 俺は作家だが紙とペンがあれば充分。
金はかからない。
QED
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 02:15:37 ID:dqTg4FwM
>>376 あなたや家族の生活費、紙やペンを買う費用、多くの書物を購入する費用は?
すべて「剰余価値(搾取)」を含んでいるのだよw。
労働者自身も含め、すべての人間は「剰余価値(搾取)」の恩恵によってのみ、
生存できるのです。それが「社会」というものです。
多くの芸術家も、「金持ちのパトロン(搾取の親玉)」がいてこそ、優れた
作品を生み出すことが出来たのです。
マルクス自身も、金持ちのパトロンがいたからこそ、資本論を書くことができた
のですよw。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 02:52:03 ID:dqTg4FwM
>>364 >コミュニズムは倫理的なものだ
>そしてそれ自体は倫理として正しい
「他人の懐を気にする」という、「卑しい心情」以外の何物でもない。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 04:48:48 ID:jqVCe4xO
>>377 アホかw
労働に対する正当な対価で充分まかなえるだろカスw
剰余価値なんかなくても文化は可能だよw
資本論読めよ池沼WWWWWWWWWWWWWWWW
>>378 お前こそ自分の懐を正当化したいだけだろw
コミュニストは、貧しい人間を救いたい気持ちから来るもんだよ。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 04:49:37 ID:jqVCe4xO
労働に対する対価と剰余価値を混同するレベルの池沼WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW 相手にならんわWWWWWWWWWWWWWWW 去れといっているだろうがゴミクズWWWWWWWWWWWWWWWW
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 08:12:34 ID:R3JKC5Yc
○必死ですw
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 08:21:13 ID:R3JKC5Yc
>>380 身一つで文化が出来ると言うなら、世の王侯貴族たちも、身一つで政治やってるわけだから。
かれらも、労働の対価を得ただけで余剰価値は受け取ってないと言えるw
つまり、そもそも資本論自体がもともといらなかったとw
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 08:42:37 ID:9WDi3Qx9
マルクスは、資本家は悪だから、生産手段を国有にして「国家」という巨大資本 家を造れという訳だが、その「巨大資本家」は、一体、誰がどうやってコント ロールするのかね。その巨大資本家による「搾取」には、だれも抵抗できあい ではないか。 階級の廃止を言いながら、社会主義国に生まれた巨大な階級制度はどう見る のかね。 公務員制度のさまざまな問題点や弊害は、厳しく指摘されているが、マルクス は、この「全国民公務員化」の齎す巨大な弊害については、どう考えたのかね。 労働者が、その労働により得た賃金を蓄積して、自営業を始めた途端に、「打倒 すべき資本家」になるのかね。資本の多くは、「労働者の過去の労働からの 賃金の蓄積」ではないのかね。相続財産であっても、被相続人の過去の労働の対価 ではないか。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 10:08:40 ID:T4xiUanO
>>379 >コミュニストは、貧しい人間を救いたい気持ちから来るもんだよ。
では聞くが、60万人は下らないニート、これは、ルンペン・プロレタリアで怠け者なのか?
失業・半失業あわせると膨大な「貧しい人間」がいるが、それをマル経で説明してみい。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 12:11:48 ID:uCRrsC2k
>>379 >コミュニストは、貧しい人間を救いたい気持ちから来るもんだよ。
果たしてそうかな。自分自身の、富に対する誤解かる来る憎悪(実は羨望と嫉
妬)が、根源的な理由ではないかな。
貧しい人間であっても、大多数は、他者との係わり合いにおいて「働けること」
「創造すること」に生きがいを感じ、資本家の過去・現在における労苦を理解
して、感謝し、自分も社会に貢献しているという自覚に、充足感を感じている
のではないか。
過去の奴隷でさえ、雇い主との間に、暖かい交流があった。
「搾取」されていると絶えず考えながら働いている者は、恐らく一人もいない
だろう。賃金の多少の不公平に目くじらを立てる労働者など、マルキスト以外
にはいないはずだ。「世の中には、完全な平等などあり得ず、そのような平等
は、実は不平等を齎す」ことを知っているからだ。
マルクスは、勤労欲は人間性の本質であることをすっかり見落としている。
労働者は、勤労なくしては、「自分自身も含む」社会の維持、即ち共生が不可
能なことを、本能的に知っているからだ。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 12:23:05 ID:uCRrsC2k
マルクスは、すくなくとも、資本家の過去・現在における「労働」の対価、 労働者を組織し、指揮・監督し、商品を価値を高める労苦、生産に「不可欠」 な設備や機会の提供の価額、無制限なリスク負担を、商品の価値に加える べきであった。そうすれば、「剰余利益=搾取」などという、馬鹿げた概念 は消滅する。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 12:27:05 ID:uCRrsC2k
「完全な平等」とは、実は「完全な不平等」である。生来的な不平等を解消する 機会は、永遠に奪われるからである。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 14:18:38 ID:Xthc7bJE
>>386 資本家は労働してない
株で食ってるおまえとかなw
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 15:10:28 ID:jqVCe4xO
>>382 「できる」と「現にやっている」は別だろ。
本当に経済学徒っておつむが弱いんですねWWW
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 15:20:28 ID:jqVCe4xO
>>383 >マルクスは、資本家は悪だから、生産手段を国有にして「国家」という巨大資本家を造れという訳だが
そんなことは言ってないって言ってるだろwwwwwwwwwwwww
低脳ゴミカスが、さっさと資本論読めよ。読む頭がないなら、馬鹿は黙っていろといっているんだよこのゴミがWWWWWWWWWWWWWWWW
391 :
111111111111 :2008/06/07(土) 16:04:12 ID:yqRVEuU6
そうかなー 共産主義志向って結局自分達が苦しいからだれだれのせいにしたい ってのが大きいんじゃないかなーー 資本論読んだけどね それ以前に人間は『平等』でありながら 自分自身の社会をコントロールする社会の構築はまず不可能だと思う 人間は自分自身と同じ地平線にたつものはコントロール出来ないのです.
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 18:09:20 ID:dmo9H4l0
>>391 ID:yqRVEuU6 ←
時代錯誤の知的障害者
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 18:30:18 ID:b6Z0oxVu
↑アルツハイマー死ねや
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 18:35:13 ID:R3JKC5Yc
>>389 なるほど、まあ、王様がまだ現に残ってる国もあるわけだから
現にやってるわけですねw
しかも、
>>389 よりまともな社会評価されてそうだw
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 22:15:02 ID:ocKazCKp
141社に分散投資してるんですが、全部の経営を監視するのが面倒で仕方ありません。 株主総会の案内が来ても全然読まずに全議案に賛成してます。 何も考えずにアホな顔して配当受け取ってます。 そんな私も精神的労働して、多くの労苦を負ってるんですかね。 元手のほとんどは相続と投機のまぐれ当たりで手に入れたものですが、 これも資本家の過去・現在における「労働」の対価なんですかねぇ。 理屈なんて抜きに、資本家の方が労働者よりも楽で得だと思いますよ。 資本の蓄積は、ひとたび投資や事業が軌道に乗れば全自動状態で、労力なんていりませんし、 リスクも無制限じゃないですよ。 資本家なりの労働をして資本を増やしているなんてことはないです。 仮にいくらか労働してるとしても、労働者の苦労と報酬のバランスと比較すると、 あきらかに「もらいすぎ」でしょうね。 というか、無茶な命令にも従わざるをえず、ノルマに追われて、人間関係に悩み、 疲労が蓄積しても休暇がとりにくく、その割には報酬が少ない勤労者のみなさんには素直に感服しますよ。 「資本家も大変な面があるんだよ」なんていう自己弁護は必要ありません。 素直に「楽して得してる」と考えれば良いと思ってます。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 22:47:14 ID:jqVCe4xO
>>395 >141社に分散投資してるんですが、全部の経営を監視するのが面倒で仕方ありません。
ほらな。結局自分の利己心・価値観を壊されるのがいやでマルクスに反対しているに過ぎないだろ。
マルクス嫌いは全員そうなんだよ。
自分を否定されるから、先に否定するだけWWW
貴様なんぞはカスだよ。
労働価値説からすれば、搾取している人間だからなきさまは。
とっとと首くくって死ぬか、まともに働けやwww
397 :
111111111111 :2008/06/07(土) 22:54:19 ID:yqRVEuU6
知的障害者なのはオマエやろうがw 散々『自由』とか求めておいてもうソ連はいらないとか 言っておいて自分達が貧乏になると共産主義に走るのか?w いい加減にしろやw
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 22:56:39 ID:jqVCe4xO
資本論も読めない池沼=無能が株で食っているのが現状だろ。明らかにおかしい。 劣等のほうが楽しているんだからな。
399 :
111111111111 :2008/06/07(土) 22:57:44 ID:yqRVEuU6
まあ必ず組織というものが出来る時指導する側と指導される側 に別れるから それよりもマルクスが言ってた資本主義が最高度に発達した時 初めて自然発生的に共産主義社会がやってくるという意味解るか? 永久にこないということだよw マルクスは一種のメシア主義者 きっと資本主義の競争のはてに単一の資本家なる(ビルゲイツの 超大型,キリスト版)ものが現れて残りの全ての労働者が反乱を 起こすと考えていたのさw 一種のメシア二ズム まず在りえない
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 23:00:59 ID:jqVCe4xO
>>391 そうではない。君は哲学に疎いだろ。
本気でマルクスを理解したかったら哲学をやれ。
アナーキズム思想も学べ。
401 :
111111111111 :2008/06/07(土) 23:14:35 ID:yqRVEuU6
あのなーーーーー オレは一応フォイエルバッハのキリスト教の 本質くらいまでは読んでるつもり でもなー今数百人の雇用を確保しなければならない経営者サイドに 立ってみていかに『共産主義者』(それ系含む)のたわごとが 現実のリスク及び行動可能性及び実現可能性を無視した小学生の オナニーに近いものとか思うともういいわという感じなんだわ 正直解る? 頭で考えてる学者とかは自己の言説が及ぶ範囲が オマエ一人だからいいかもしれないけど真面目ば経営者サイド の言説はその範囲が及ぶ何百人に対する人生も考えないといけない 時があるの ワカランからいいよ お前等『学者』は
402 :
111111111111 :2008/06/07(土) 23:16:41 ID:yqRVEuU6
で 具体的にオマエラはどういう社会を築こうと思ってるの? バカの夢想はもう沢山ですけど 行動可能,かつ実現可能な 指針を与えてくれ
403 :
111111111111 :2008/06/07(土) 23:23:58 ID:yqRVEuU6
早く言えよ オマエラが目標とする社会の全ての人が行動可能かつ幸せになるような 指針があってモノ言うんだろ 違うのか 所詮頭でオナニーしてるだけかw 頭で考えることと現実の行動可能性が違うことまだ認識しないのかw いくつだよ オマエラw
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/07(土) 23:31:49 ID:jqVCe4xO
>>401 フォイエルバッハ?
そんなマイナー思想家じゃなくて
プラトンデカルトスピノザルソーカントヘーゲルプルードンニーチェキルケゴール…
あたりを読め。
405 :
各人は・・・ :2008/06/08(日) 02:27:49 ID:HQl44V5v
>>402-403 とりあえず「ゴータ・・・」読みなさい ('A`)
マルクスの未来社会論についてここの住人様方にお伺いを立てるのはその後だ ('A`)
ゴータ読まずに共産主義社会論に論及するのはムチャだぞ ('A`)
福音書読まずにいきなりキリスト教について神父様にものを尋ねるようなものだ ('A`)
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 03:03:00 ID:Be+3BgVb
>>404 「有名な西洋の学者思想家からの『借り物』」の知識や見解は、無意味で無価値。
現実立脚して、日本人としての自分の頭で考えてこそ、価値がある。
マルクス主義者の思想は、典型的な西洋カブレの「借り物思想」。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 06:47:48 ID:FR30FwHC
>>406 そんなこと言ったら、
日本人の思想(あるとしたらだがな)のほとんどが
その基型はチャンコロからの輸入じゃんかよ。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 11:04:30 ID:lM7haQut
>>407 東洋思想と、ギリシャ哲学、キリスト教、ドイツ観念論と続く西欧思想とは、
本質的な相違があると思うよ。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 12:39:04 ID:hEX6kLpu
ノ } ゙l、 」′ .,/′ .,ノ _,,y .,v─ーv_ 〕 〕 .| .il゙ 《 ._ .,,l(ノ^ノ ,i(厂 _,,,从vy .,i「 .》;ト-v,|l′ _,ノ゙|.ミ,.゙'=,/┴y/ l ,zll^゙″ ゙ミ .ノ .il|′アll! .>‐〕 \ _>< 《 il|′ フーv,_ .,i″ ||}ーvrリ、 ¨'‐.` { \《 ヽ .゙li ._¨''ーv,,_ .》′ ゙゙ミ| ,r′ } \ ,゙r_ lア' .゙⌒>-vzト .ミノ′ 〕 .゙'=ミ:┐ .「 ./ .^〃 :、_ リ .} ゙\ア' .-- ,,ノ| 、 ゙ミ} :ト ゙^ー、,,,¨ - ''¨.─ :!., リ ノ 〔^ー-v、,,,_,: i゙「 } .,l゙ l! .´゙フ'ーv .,y ] '゙ミ | ,/゙ .ミ;.´.‐ .] ミ, | ノ′ ヽ 〔 ミ } } ′ } { .| .ミ .< 〔 〕 .{ \,_ _》、 .{ .} { ¨^^¨′¨'ー-v-r《 〔
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 16:08:07 ID:SeeV9qrO
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 16:18:30 ID:2ZoWKA9S
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 16:35:18 ID:xDtmw8Ba
「超訳『資本論』」を読み終えたが、まさに初歩的な「論理矛盾」だらけ。 「(労働+搾取)=商品の価値」という公式は、初めから成り立たない。 要するに、マルクスには、最も肝心なことがすっぽりと抜けている。 引用された資本論の原文も、抽象観念だらけで、理解不能な悪文の典型。 結局、マルクスとは、人間やその社会の多様な要素に思い至らず、その一部 のみを、自己のルサンチマンに基づいて取り上げただけの、現実の裏づけを 欠く観念論。 その意味で、「学問」ではなく、「宗教」。だから多数の「狂信者」が生まれた。 だから、現実社会に適用して揺さぶられてみると、いとも簡単に崩壊したので ある。賢い人間にとっては、崩壊は初めから判っていたこと。 しかし「マルクス教信者」は、未だに、植えつけられたその「信仰」を捨てき れず、足掻いているのである。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 17:08:21 ID:SeeV9qrO
>>412 入門書なんか読むなよ知的障害者WWW
資本論をじかに読めよWww
頭が悪いやつはこれだからWWW
>引用された資本論の原文も、抽象観念だらけで、理解不能な悪文の典型。
そりゃマルクスは哲学者だからな。
『ルサンチマン』って言葉遣うならニーチェ読んでるよな。ま、お前みたいなヴァカにはニーチェも読めないか(禿藁WWWWWWWWWWWWWWWWW
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 17:46:11 ID:GKzSkNUe
○は入門書すら満足に作れないのかw
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 17:51:25 ID:SeeV9qrO
馬鹿は資本論すら読めないのかw
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 18:24:39 ID:xvU/3fVd
>>414 もともとやってる本人達がよくわかっていないから入門書なんかかけないのだ。
資本論を読め、ね、いつもの台詞だ。
馬鹿は簡単なことを難しくしか語れないからな。
内容がお粗末だから、それを隠すためにわざと難解な言葉で飾り立てるのだ。
こういう似非知識人が群がっていたのがかつての○。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 19:43:41 ID:ml8Dglmj
マルクスは、学問ではなく、「宗教」だから、判るほうがおかしいのだよ。 判ったと思った時は、洗脳されているということ。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/08(日) 20:06:47 ID:GKzSkNUe
考えてみれば、労働者の為とか騒いでるくせに、ニーチェとか労働者階級とはまるで無縁の話に持っていくのが ○らしいw まず、そっから間違ってるなw
チャンコロはインドからの輸入じゃんよ
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/09(月) 01:44:06 ID:UfphMJga
ルサンチマンがニーチェの言葉だということも知らない無教養WWW こんな馬鹿には何も理解できまいWWW
>>412 こっそりおしえるが、超訳をよむよりも、ヨハン・モストの資本論抜粋『資本と労働』をよむといい。
あの本はマルクスじしんが校訂して、すっかりかきなおしているから、自作自演の資本論入門書になっている。
もう絶版だが、大谷禎之介さんが翻訳して『資本論入門』という題名で、岩波書店から邦訳も出た。図書館でかりるか古書店でてにいれて、ぜひよみなさい。
資本論のあたまのぶぶんの入門には、あれをよめばわかりやすいし、マルクスの楽屋うらをのぞきみることができる。
とくに価値形態論の「シベリアの毛皮」がおもしろいというか、うならされる。
むずかしいものばかりかいてきたマルクスが、資本論のなかみを、なんとかまずしい労働者にもわからせようとして、むりやり数式をことばにかきかえている。
わかりやすいうえに、マルクスの苦労がよみとれて、わらえる本だ。たぶん超訳よりもわかりやすいし、わらえるだろう。
マルクス主義の平等思想は、気持ち悪い。 人が、平等なんてことはありえない。 恋愛で考えると気持ち悪さがよくわかる。 すべての人を、平等に愛することを強要することになる。 だれかとやったらその他の大勢と同様にやらなければ平等とはいえない。 または、平等に人を愛さないことになる。 愛のない世界が、とても素晴らしとは思えない。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/09(月) 06:51:13 ID:UfphMJga
マルクスは平等とか言ってねえんじゃね? ただ人としての尊厳を失うような生活があるのはおかしいと言ってるだけ。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/09(月) 07:43:39 ID:fAl3HHoa
>>423 労働者を、単に「搾取される奴隷」としか考えないマルクスこそ、労働者の
人としての尊厳を認めていない。労働者自身は、そんなことは考えていない。
あくまで、労働経験のないマルクスの勝手な考え。「余計なお世話」である。
マルクス主義による大虐殺が、「人としての尊厳を認めた」結果なのか?
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/09(月) 07:50:53 ID:UfphMJga
>>424 アホか。
当時の労働者は過酷な労働条件でたいへんだったんだよ。
取材もしているし、友人もそれで失っているんじゃないかな。
>労働者自身は、そんなことは考えていない。
まったく分かっていない。マルクス以前から、労働者たち自身が運動をしていたんだよ。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/09(月) 14:17:08 ID:7m/zVaov
ブルーカラーの新自由主義者の自分からすると、ビルゲイツは車庫の中から会社を興し、サクセス街道を走ったヒーロだが ブルジョアの共産主義者は像悪には憎悪の対象になるらしいw
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/09(月) 14:37:23 ID:72wkJJUH
>>427 マルクスの多くの矛盾のうちの一つだな。
彼は労働者に対し、「創意工夫や努力はするな」と言っているのと同じ。
「労働時間が増えるから」。しかし、それは、労働者を含む共同体全体が
駄目になることに思い至っていない。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/09(月) 22:16:28 ID:Xie0azgU
>>420 無教養な人を嗤う人も同じく無教養である。
>>429 >マルクスの多くの矛盾のうちの一つだな。
どこから見ても日本語でおkな
>>427 (「ブルジョアの共産主義者は像悪には憎悪の対象になるらしいw」)をよく解読してレス付けられるな。驚いた。
バカボンパパの「反対の賛成なのだ!」の方がまだ理解可能だぞ。(年がバレるが。)
>彼は労働者に対し、「創意工夫や努力はするな」と言っているのと同じ。
>「労働時間が増えるから」。
労働者が創意工夫や努力をして資本の生産力が増大すると、生産される消費財の供給も増えるが、需要は自動的には増えないから、価格は下落する。(あくまで単純計算での話だが。)
物価が下落すれば、今のどこかの国のように、賃金相場も下落し、労賃が下がる。
そうなったら、従来どおりの労働で従来どおりの額の労賃を確保したければ、労働者は労働時間を延長せざるを得ない。
これが資本主義の持つ必然的な傾向性。(あくまで「傾向」。実際の労賃の額は、階級闘争等、様々な要因が絡んで決まる。)
何もマルクスに言われるまでもない。
>それは、労働者を含む共同体全体が駄目になることに思い至っていない。
そういうのを「ブルジョア・イデオロギー」という。「問うに落ちずに語るに落ちる」の類である。
「労働者を含む共同体全体」とは、一体何だ? 現存のブルジョア国家のことか?? その基盤である、資本主義の法則が貫徹する現在の市民社会のことか??
それなら労働者にとっては、駄目になって大いに結構だが。
それ以外の「共同体」が、現実的に(資本家が自分の利害関係からつむぎ出した架空の観念の中に、ではなく)どこかに実在するのか?
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/10(火) 09:43:54 ID:AjNWyusA
>>431 まず「資本家」とは誰かを定義すること。労働者が、賃金を貯金して株を買っ
たり、自営業を始めたら、「打倒すべき資本家」になるのか。労働者である
夫が働いて稼いだ金をヘソくって、しこたま株を買っているオバハンたちは
「資本家」か。
良質で安価な商品が多数出回れば、労働者もその恩恵を受け、「生活が豊かに
なる」のではないのかね。
マルクスによれば、労働者とは、常に搾取の対象としての「奴隷」なのかね。
これでは、労働者に対する侮辱であろう。
マルクスには、「社会とは、持ちつ、持たれつ」の存在であるという「真理」
が、判っていない。
労働者は、マルクス程の「愚か者」ではないぞ。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 00:22:04 ID:l1BEYxwF
「マルクス教信者」の方々は、
>>432 に対する反論は出来ないのかねw。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 01:52:01 ID:re63RcYt
資本家は「生産手段の所有者」というキチンとした規定がある。『資本論』 の世界は、資本家、労働者、地主の三大階級からなるいわば理論的に仮定された 社会だから、オバハンや自営業は省略されている。 「社会」についてはドイデをよめばいい。 また、たしかに「賃金奴隷制」という規定はあるが、これはまあアナロギーの範囲を出ないものであり あまり重要性はない。賃労働者は基本的に「自由な商品所有者」であり、「奴隷」ではない。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 03:27:26 ID:l1BEYxwF
>>434 >資本家は「生産手段の所有者」というキチンとした規定がある。
生産手段がなければ、生産は不可能で、労働者も生活ができなくなる。
生産手段の所有者こそ、労働者にとって「メシア」であるはず。
資本家はメシアでもなんでもないと思うが・・・ 基本的に労働者自主管理が実現されれば資本家は用済みだし。 オーケストラは指揮者がいなければ演奏がなりたたないが、 資本家は指揮者ではない。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 05:02:28 ID:B4cC9lCZ
資本家は「生産手段の所有者」 つまり、労働者が株買える資本主義は労働者が資本家なわけだw まして、マイクロソフトは自社株持ってる労働者がぞろぞろいる会社だからw 労働者が生産手段を所有してるわけで、ビルゲイツはマルクスの理論どおりの社会を作ったことになる
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 07:12:05 ID:dQSH1jRL
>>432 同感。
大体、マルクスの『資本論』は文章が長すぎる。長話にろくなものはない。
マルクスの誤りは下記の通り。
@ 「商品の価値」論の誤り
A 「剰余価値」論の誤り
B 「相対的失業」論の誤り
C 「貨幣論」のあやまり
以上。
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 08:10:58 ID:9+/Et54+
>>437 株式会社は資本主義内での資本主義の止揚と考えることは出来る。
実際『資本論』でも言ってる。まあ、そこは長くなるので勉強してくれ。説明するのは
大変。一つ言うと従業員の株式所有は「生産手段の私的所有」ではない。賃金の後払い
だよ。その証拠に生産手段の生産手段の自由処分権なんて認められてないだろう。
438殿はとりあえずもうマルクスとはあまり関係ない企業論とかやれば。 財務会計
について勉強もせずに企業論語る元マル経学者もいることだし。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 08:17:49 ID:9+/Et54+
失礼。。。439は一部、退職給付債務とかんちがいした。労働者の株式所有 は、賃金の後払いではない。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 11:34:17 ID:B4cC9lCZ
>生産手段の所有者 つまり法人だったわけですね、解かりますw
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 13:02:50 ID:1ENqM9PJ
>>438 >大体、マルクスの『資本論』は文章が長すぎる。長話にろくなものはない。
文章が長いのは、マルクスが、自分が言ってることを、自分でも本当には理解
してなかったからです。人間とその社会の「時には矛盾する、無数の要素」を
十分に把握・理解していれば、簡潔な文章にまとめることが出来たはずです。
要するに、マルクスは「頭が悪かった」のです。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 16:27:59 ID:FsY/co3X
>>431 >物価が下落すれば、今のどこかの国のように、賃金相場も下落し、労賃が
>下がる。
当たり前の話。さもなければ、労働者の「不当利得」となり、労働者による
資本家の「搾取」となる。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 16:55:18 ID:B4cC9lCZ
>>443 >大資本家がいかに(将来の)労働者を「搾取される≪べき≫奴隷」としか
>見ていないかが分かる。
この部分w
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 18:47:18 ID:16rrWcti
>>442 よく整理されてないことは確か。
書きながら、考えていたのだろう。
で、途中で間違いに気づき、理論を修正していく。
前と後で言っていることが食い違うわけだが、これを弁証法的解決と称しているのだなw.
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 20:09:12 ID:nIKh7i3y
質問。 効用価値説と労働価値説って相容れないものなのですか? 効用価値説によると、「欲しい」と思うから価値があるってことになるわけですが、 欲しいと思っても希少性が低ければ値段は安くなるわけですよね? で、希少性が低いってことは「苦労しなくても手に入る」ってことですよね? 反対に、希少性が高いってことは「苦労しなければ手に入らない」ってことですよね? ということは、商品の価値ってのはそれを入手もしくは生産するのに必要な「苦労の量」と 密接に結びついているわけでですよね? それならば、その苦労の量に見合った賃金を支払わなければ「搾取している」ということになるはずですが。 そう考えると、両者はともに正しく感じられてしまうのですが。いかがなものでしょうか?
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 21:37:49 ID:dQSH1jRL
>>447 労働価値説は、マルクス以前からあったもので、マルクスがこの説を展開して『剰余価値論』を確立しています。
しかし、マルクスの理論は、「現実に有る現象に理論を合せる」というトリックを使っていますね。
つまり、もともと、商品を売れば、利潤がある訳で、これを『剰余価値』とした訳です。後はそれに理屈をつけたのです。
マルクスのこのようなやり方は、他にもあります。『相対的過剰人口論』、これは当時の失業の実態が先にあり、それに辻褄を合せたとか、『貨幣論』も金貨などが実際に流通しているのに辻褄をあわせているようです。
効用価値説は、マルクスの言う『使用価値』に似ていますね。「効用」も「使用」も、それを利用する人によって価値は違う訳で、所謂、価値観です。
マルクスは仰々しく『使用価値』といっているけど、「誰かが必要とするもの」でいいんですよ。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/11(水) 22:52:16 ID:cXnpHy2G
労働時間と商品の価格とは関係ない。価格は、買主の需要と売主の譲歩によっ て決定される。売主が、「作るのに100時間もかかりました」と言ってみて も、買主の需要がなければ、二束三文である。
マルクスは糞
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 01:24:14 ID:QRsv+U5+
>>448 You taught me a lot. Thanks!
452 :
111111111111 :2008/06/12(木) 02:33:19 ID:NeTbwJwE
>>つまり、もともと、商品を売れば、利潤がある訳で、 これを『剰余価値』とした訳です。後はそれに理屈をつけたのです。 何コレ? 池沼か?w
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 02:44:56 ID:R6gQdRKs
>>452 利潤がなければ売らないということだろ。換言すれば、叩き売りは別として、
売る以上、必ず利潤があるということ。この利潤は「労働」とは無関係。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 03:53:37 ID:O5iQUh3x
価格の晴雨計的変動を通じて、事後的に、交換をとして社会的労働の均衡的編成 がなされていくってのが、価格と価値との関係の主要問題でしょう。価格と価値は 関係ある。 剰余労働はいつの時代にも存在する。またそうでなければそもそも進歩が存在し得ない。 この剰余労働の帰属を、政治的な権力によってではなく、純経済的に交換をとおして 利潤・労賃・地代という形で処理するのが、資本主義の特徴でしょう。 剰余価値は後付の論点ではないよ。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 08:17:36 ID:XkNmj9ST
労働価値説を支持する立場から説明すると、商品は「労働の固まり」だが、AとBが同じ労働量の商品でも交換価値は違う場合も有る。 交換価値は、「原価部分の労働量」となる。「剰余労働量」がどんなに沢山あっても交換価値にはならない。 >剰余価値は後付の論点ではないよ。< マルクスが、利潤を「剰余価値」と表現したことは評価できますが、その後の論理の展開は“訳の分からない”ものとなっていますね。 >剰余労働はいつの時代にも存在する<・・・、と言われるように商品の中には『剰余価値』は必ずある筈ですね。だから、利潤がないから「剰余価値」は無い、とは言えないは当然のことです。 つまり、その剰余価値の値段(利潤)は、需要と供給の関係では決り、利潤は「剰余労働量」の一部であって、残りはそれを購入した人に渡るわけでしょ。マルクスは剰余価値は全て資本家に渡る、としていますね。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 09:37:17 ID:r2H+8y44
結局政治的な力っていつも働くわけではなく、個人判断の取引はどんな場合にも行われるから 資本主義はある意味普遍的で共産主義が何時までたっても架空の存在と言える。 これを、資本主義があたかもある主義の特徴などと言いつづけるのもマルキストの欺瞞のような気がする
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 11:42:35 ID:TkeNIr8J
>>455 「労働価値説を支持する立場から説明すると、商品は「労働の固まり」だが、
AとBが同じ労働量の商品でも交換価値は違う場合も有る。交換価値は、「原価
部分の労働量」となる。「剰余労働量」がどんなに沢山あっても交換価値には
ならない」。
誰か、この命題の論理的矛盾を、徹底的に指摘してくれ。
そもそも、買主は、「原価部分の労働量」など知らない。従って、買主の需要と
いう価格決定の要素ではない。原価は、企業のトップシークレットであるw。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 13:40:35 ID:Je5T6inH
>>457 理論は理論でしかないんだぜ。
宇野はそこん処を解ってて、
つか、解り過ぎてて、
極端に理論と分析を分けちまったがな。
459 :
454 :2008/06/12(木) 14:42:47 ID:qphBT3Uz
>>455 剰余労働の帰属は、正しくは、利子・利潤・地代でした。スマソ
商品に対象化された労働量は、商品が売れなければ、剰余労働も実現されず、
社会的必要労働としても位置づけられないという特徴を持ってる。
455氏の主張だと、商品交換が等労働量交換になってしまうでしょう?457氏もいうように
等しい労働量と「事前に」判ればそもそも「商品交換」という形式をとる必要はない。
「交換価値は、「原価部分の労働量」となる。」・・・これはさすがに違うでしょう。
460 :
111111111111 :2008/06/12(木) 14:53:19 ID:NeTbwJwE
>>453 はぁ てか何か利潤があることがアプリオリの事象みたいに考えてる
ようだけどそうじゃないと思って言ったのだが
>>つまり、もともと、商品を売れば、利潤がある訳で、これを
『剰余価値』とした訳です。後はそれに理屈をつけたのです。
マルクスは資本論でそんな論法使ってないと思うが…
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 16:22:53 ID:4/Q9u0iT
>>460 >マルクスは資本論でそんな論法使ってないと思うが…
マルクスが何を言ったって構わんだろw。自分自身の理論を語れ。
学問とは、既成の見解を「批判」して、一歩前進させることである。その意味で、
マルクスを批判できない「マルクス信者」は、「学問」をやっているのではな
く、「宗教」をやっているのであるw。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 20:35:48 ID:Kz+QwAmU
労働価値説が正しかろうが正しくなかろうが、搾取ってのは存在しうる。 雇用契約は労使が対等の関係で、自由な契約に基づいて締結しているとされている。 あくまで建前上はそういうことにされている。 だが、裸一貫の労働者が生産手段を独占している資本家と対等であるはずがない。 労働者には働かなければ生きてゆけないという弱みがあり、 なおかつ労働に必要な資本を持たない。 その弱みにつけ込んで労働力の価格をディスカウントさせられやすいのは当然だろう。 資本家も管理的労働や企画的労働はしているし、リスクも負っている。 だが、一部の資本家はそれを考慮しても許容し得ないほどの所得を得ている。 酷い例になると、気が向いた時だけ会議に出席して「けしからん!」と文句を言い、 ほとんどの時間を自由に過ごして、 それでいて労働者の数十倍〜数千倍の所得を得ているものもいる。 それに比べ、労働者の大多数は健康を害したり、 場合によっては命を落とすほどに働いたとしても 所得において資本家の足元にも及ばない。 これを搾取と呼ばずして何と呼ぶのか。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 20:45:47 ID:r2H+8y44
>酷い例になると、気が向いた時だけ会議に出席して「けしからん!」と文句を言い >それでいて労働者の数十倍〜数千倍の所得を得ているものもいる。 そら、自給800円の自分が「けしからん!」なんて言っても、「お前に何がわかる」って言われるだけw その人が「けしからん!」って言ったら組織が方針かえるざる得ないから、それに見合った所得得てるだけじゃないですかw
464 :
454 :2008/06/12(木) 21:02:25 ID:1CsYaZbg
>>462 いや、搾取の根源をどこに見るかによって大きく戦略が異なる。
リカード派社会主義のように「全労働収益権」を主張し、労働の成果の正当な
評価・報酬の実現を打ち出すか、
あるいは社会的労働のあり方そのもの変革をマルクスのように打ち出すか?
搾取が存在するとはいえ、これは社会制度の構想においてかなり異なると思うが・・・
465 :
111111111111 :2008/06/12(木) 21:19:06 ID:NeTbwJwE
>>だが、一部の資本家はそれを考慮しても許容し得ないほどの 所得を得ている。 これだな問題は 自己の良心に照らして自らの労働,リスクに見合う価値だけを 本当にもらっているのかどうか反省しない経営者とかいるしな. 堀江みたく金金いう豚になるとあきれるな.
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/12(木) 21:23:54 ID:CsLVlhil
>>462 それは単なる「妬み」という、卑しい心情。マルクスは労働しないで貧乏だった
から、金持ちを妬んだだけである。
それに、「搾取」とは下品な言葉。現代であれば、さしずめ「差別用語」で
ある。使うべきではない。他にもっとまともな言葉はないのか。
資本家が生産手段を購入できたのは、彼の過去の労働の対価からであることを、
忘れてはならない。
資本家が正当な利潤を得られなければ、労働者による資本家の「搾取」という
ことになる。
>>462 >>466 6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/11(日) 19:09:51 ID:iYuDtVZ5
どうも>>○さん以外には、基本的な誤解がまかり通っているようなのだが・・・
マルクスは資本論(の少なくとも純理論的な部分)では、「資本家は『搾取』するから悪い!
労働者よ、諸君は『搾取』されているのだぞ!立ち上がれ!」などというアジテーションは、断
じてやっていない。
マルクスは剰余価値率に相応する部分の利潤を、確かに「搾取」と呼んでいることは呼んで
いる。しかし、それ以上でもそれ以下でもない。ただ淡々と「これこれの部分は搾取ですよ」と
言っているだけだ。
「搾取」という言葉は、たしかに響きが悪い。しかし資本論においては、さしあたり中立的、没
価値的な概念であって、そのかぎり牛飼いの娘が牝牛の乳を搾る「搾取」と何ら変わらない。
その観点からは、>>○さんの指摘にヒントを得て、あるいは訳語を変更した方がいいのかもし
れない。
マルクスは「ゴータ綱領批判」で
「『公正な』分配とは何のことだ?ブルジョアは今の分配が『公正』だと主張しているじゃないか?
確かに、今の生産様式の基礎の上でなら、唯一の『公正な』分配じゃないのか?」とも言ってい
る。
「搾取が悪いから資本主義を打倒すべし!」などと考えてはいなかった。
マルクスが資本主義を批判した要点は、「賃労働制」だ。
労働者は、いずれかの資本家に雇用されざるを得ないこと、そのときに労働力を売らざるを得
ないこと、労働力を売れば労働時間中は資本家の命令どおりに働かされること、資本が増殖す
るための剰余価値を作る手段としてのみ生かされる生き物になってしまうこと、だ。
上記「ゴータ綱領批判」でも、「賃労働制は一つの奴隷制であり、労働者の受け取り分の良し悪
しにかかわらず、労働の社会的生産力が発展すればするだけ苛酷になるという奴隷制度であるこ
と」を俺が明らかにしたのだ、とマルクスは言っている。
もちろん、マルクスは「搾取」されている労働者を見て義憤を感じなかった訳ではないだろう。感じ
なかったら、「資本論」など書かなかっただろう。
しかしマルクスによれば、共産主義社会でも、減価償却費、生産拡大充当分、保険用積立、一般
管理費、共同設備費、労働不能者扶養費は社会的総生産から控除された上で、残りが消費用に
配分される。
特に「生産拡大充当分」の控除は、資本主義社会での「搾取」にかなり近く、きわどい所だ。
だが労働者は共産主義社会では、もはや資本家に雇用されず、労働力を売らず、資本家の命令
でなく生産管理担当の当番労働者の指示に従って労働し、もろもろの拠出はするが価値増殖の手
段にすぎない生き物であることを辞める。各人は能力に応じて労働し、各人には必要に応じて配分
される。
これがマルクスの労働者解放の眼目だ。
教育水準の低い労務者向けにマルクスの思想を通俗化したアジテーションを共産党員がガナリ立
てて、特高警察の監視下でメーデーの歌を歌いながら赤い旗を押し立てて市電が通るのを横目にデ
モをやってた時代じゃないんだから、「労働者諸君、諸君を搾取する資本家共を打倒せよ!」式のマ
ルクス誤解は、もういい加減にしてくれ。ウンザリだ。('A`)
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 01:38:17 ID:eVjIn7T/
>>460 > マルクスは資本論でそんな論法使ってないと思うが…
勿論、そんなことマルクスは意識して使ってるわけではない。
しかし、結果的にそういう論法になっているということだよ。
そうしないとマルクスの価値論は理解不能になる。
全ては労働のみが価値を生む、とした最初の一歩が間違っているのだ。
そのため労働価値説が価格決定をうまく説明できないことになった。
素直に労働価値説の誤りを認め、再出発すればよかったのに、
価値と価格の乖離などという主題を持ち出して、迷宮入りしてしまったのだよ、マルは。
ここでいくらあがいても思考の無駄なんだが。
気づいた時には新古典派に大きく水を開けられてたと言う訳さ。
ご愁傷様。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 02:34:01 ID:2rk1NazI
>>468 どうもアンタが労働価値説を理解しているとは到底思えないんですが・・・
念仏のように「労働価値論は価格決定論であり、価値と価格の乖離が
説明できていない・・・」と言われても、「いや、価格は需給で決まりますけど
、何か?」としか言いようがない。。
第一巻では需給関係が捨象されて、労働価値論が展開されている。
もう少しこの意味を考えられた方がよろしいかと・・・
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 04:16:07 ID:4PULy1xH
〉463〉466 資本家に対する批判は単なる妬みとは違う。 資本家は本質的に「独裁者」なので、ワガママが何でも通ってしまう。 要するに、暴君として振る舞い得るから困るわけで。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 07:35:59 ID:Im4Nq6d0
>いや、搾取の根源・・・ お金持ちは、預金したり、投資したりして、その見返りとして利息とか配当を受け取る。 経営者は、預託の金で事業を興して利益を上げ、お金を預けた人たちに“お礼”の利息や配当を渡す。 そして、経営者は“派遣”の手配師よろしく自分の懐にも法外な報酬を入れるのもいる。 さあぁ〜、マルクスはどれを“資本家”の確信犯として逮捕するだろうか? あなたならどうする?
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 08:34:01 ID:JXQc4OA/
とりあえず、物の本質は道端に落ちてる石と同じでタダだから それに労働価値とか言って、無駄に費用つけて、資本家と消費者を搾取してる労働者を逮捕w
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 11:00:02 ID:guiUzovC
>>471 桁外れに「暴君」なのは、共産主義国家における国家という「資本家」及び
官僚という「階級」。マルクスは、この矛盾をどう見ているのですか。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 11:04:21 ID:eVjIn7T/
>>470 労働価値説では価格決定を説明できない
これは認めるわけですね?
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 13:36:47 ID:lRhXYng4
昨今の石油価格高騰を見ても、価格は需給で決まる というのも如何わしいわけだが・・
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 15:43:17 ID:+fhTFGyU
>>476 需要があるから、高くても買う訳で、買わないでよければ買わないだけの話。
やはり、需給の関係である。
この価格の高騰には、労働は一切関係ないねw。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 18:07:54 ID:JXQc4OA/
>>475 人間が携わる場合の最低の賃金要素はこれで決定できるから、価格決定の一つの要因だとは思う
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 18:34:42 ID:hEmsNqZ/
もう退職したマル経の先生は とにかくマルクスの本を読んでほしい、 読んでみて嫌ならば別のことやればいい 読む前から否定することはやめてほしい なんかそんな感じだった。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 19:12:51 ID:eVjIn7T/
>>478 それはその通り。コストは価格形成の重要な要因ではある。
しかしコストだけで価格が決定するわけではない。
ましてやコストの一つでしかない労働のみで決まるはずがない。
>>476 議論のすり替え。
仮に需給関係で価格が決まらないとしても(そんなことはありえないが)、それで労働価値説が正しいといえるわけがない。
労働価値説は価格決定の供給側しか見ていない不完全学説だよ。
需要側も見ないと正しい価格決定論はできない。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 21:03:04 ID:/IWImk0N
マルクスは、頭悪っ。白痴に近い。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 21:38:10 ID:Im4Nq6d0
>>468 >全ては労働のみが価値を生む、とした最初の一歩が間違っているのだ。
同感。
つまり、「労働力(現役労働者+機械設備+原材料+インフラ税など)による商品の完成」がその商品の労働量です。
しかし、原価部分(現役労働者+機械設備+原材料+インフラ税など)の労働量はその半分だとしたら、残りの労働量は「剰余価値」です。
例えで説明すると、
ホームセンターから、5寸釘20本入り一箱を100円で買ったとします。
この釘の原価は50円(労働量10ポイント)で、利益(剰余価値の一部)は50円(労働量10ポイント)。
ですから、原価50円(労働量10ポイント)で20ポイントの商品を造ったことになります。
この一箱(20本入り)の5寸釘は、10本は原価部分の労働量、あとの10本は剰余価値部分の労働量と見なす事が出来ます。
さらに、この釘が一箱(20本入り)50円になった場合、原価は20円(労働量4ポイント)、利益(剰余価値の一部)は30円(労働量6ポイント)。現物(剰余価値の一部)はタダで労働量10ポイントとなります)。
現物(剰余価値の一部)の労働量10ポイントは、購入した人の“お得”となります。(20本入りとしたのは、釘一本は労働量1ポイントとなるので計算しやすいから。)
これは、スーパーのチラシを見て分かりました。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 22:47:14 ID:/IWImk0N
>>483 >つまり、「労働力(現役労働者+機械設備+原材料+インフラ税など)による
>商品の完成」がその商品の労働量です
特定の資本家(作業場)につぃて考える場合に、機械設備や原材料まで労働力
に含めるのはおかしいのではないの。勿論、機械設備や原材料も労働力を要して
いるが、その労働力は、当該機械設備や原材料を作った作業場の資本家が、
労働力に加えるべきもの。さもなければ、労働力(搾取)がダブってしまう。
また、それらの機械設備や原材料は、資本家が提供するもの。原材料は、自然
物で無料かも知れない。資本家が支払った税金も、労働者の「労働力」になる
の?
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/13(金) 23:59:32 ID:JXQc4OA/
一般的に言えば、税金って、相場はその企業の利益×40%だから 搾取ですw
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 00:17:51 ID:SCWIPqlE
>>485 マルクスさん。社会主義国家による、税金という「搾取」はどうしますか。
社会主義国では、国家という資本家、生産手段の所有者が、労働者をいくら
搾取しても構わないのですか。
資本主義国では、資本家のほうが、はるかに搾取されていますね。
「能力に応じて働き、必要に応じて取る」ことは可能ですか。生産が向上
しない限り。「必要に応じて取る物」が足りなくなりますよ。マルクスは、
生産性の向上のために、どのような提案をしているのですか。「国民総公
務員化」で、生産性は向上しますか。
国家から受ける、さまざまな反対給付は、どう扱いますか。
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 02:41:24 ID:lIUeq1Tq
価値論といえばいつも価値量の話ばかり・・・ あれほどDKでマルクスが質的規定の話 をして、かつて価値論の関係主義的解釈も喧伝されたというのにね。 価値と価値量の区別くらいしてくれ。 もうゴータチーズの話はいいよ。『ゴータ』は将来社会の分配についてはたしかに雄弁に 語っているが、それは社会的労働の編成様式の変革の結果としてのものでしょう。 また「賃労働制の廃棄」とは所有関係の話であって、これまた社会的労働の編成様式の変革の結果 の話。
488 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 03:50:05 ID:2AjdSVZs
>>487 マルクスのいう「搾取」とは、常に「価値量」のこと。
「価値」とは「上部構造」だから、マルクスが語るのは矛盾している。
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 08:02:21 ID:1xH46MKs
>>488 ああ、だから"カクメイ"をでっち上げて、
貨幣の否定により「価値」なるものの存在を
無化すること=矛盾を"止揚"すると、つーのが夢想された定式だよね。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 09:07:10 ID:qWqUu/kX
>>484 >資本家が支払った税金も、労働者の「労働力」になるの?
<労働者の「労働力」>では無く、税金も労働力と見なせる、と言うこと。何故なら、もし税金のない社会だったら、インフラが出来ないし、治安などが確立しないし、商品を造っても後の管理が出来ませんね。
マルクスは、労働者(いまそこに働く)の労働力だけを“労働力”とする誤りをしているわけです。実際には、商品造りに参加した「者・物」はすべて労働力となっている筈です。それが『原価』であり、それらの労働力で『商品の労働量』が出来上がる。
この考え方は、労働価値説を展開させたものですが、マルクスの展開は間違いだったと言う事です。
491 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 09:43:02 ID:L02mKdox
>>あれほどDKでマルクスが質的規定の話 をして、かつて価値論の関係主義的解釈も喧伝されたというのにね。 それはまた別の話です。 価値量で一杯のスレの流れを価値論の関係主義的解釈に持っていけるかどうか? それはひとえにあなたの書き込みの説得力にかかっている。 もっと雄弁に語りなさい、マルクスのように。 そんな書き方じゃ、誰も注目してくれんよ。
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 12:27:00 ID:tddrqt2R
>>491 雄弁に語れば語るほど、マルクス同様、矛盾と、無知と、恥をさらすことに
なるからだろう。
匿名でも、ほとんど無邪気な様子でマルクスに対して 矛盾、無知、恥とかいえる人って凄い。
>>488 > 「価値」とは「上部構造」だから、マルクスが語るのは矛盾している。
上部構造だとなぜマルクスが語るのは矛盾しているの?
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 21:07:02 ID:qWqUu/kX
マルクス経済学は、みんなが、いろいろなレスを書いているように、「統一した見解」が無いんですよ。 だから、デタラメな理論とか、屁理屈とか、トリックだとか言われるんです。学者先生もギブアップじゃないのですか?。 なにしろ、貨幣がなくなると、商品の価値は無くなると言う「理論」でしょ。その時は、美味しいものでも食べますか。???
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 21:49:13 ID:Wh5VLj9T
>>495 >上部構造だとなぜマルクスが語るのは矛盾しているの?
マルクスは、「下部構造は上部構造を決定する」という。ならば、両者は、
論理上、峻別されなければならない。価値は、明らかに上部構造に属する。
マルクスが、下部構造である生産関係を語りながら、そこに上部構造である
価値を持ち込むのは、論理の破綻である。
事実、彼の語る下部構造なるものは、上部構造であるはずの観念論や価値感で
満たされている。
498 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/14(土) 21:50:43 ID:L02mKdox
>>496 正確にはきちんとした理論に組み立てることができなかった、ということ。
きちんとした理論とは
@体系として無矛盾であること;
A無意味ではないこと(現実経済の説明ができる)
ことをいう。
唯一、宇野派だけがこの基準に合格する。
が、しかしそうやってできた宇野理論は新古典派に極めて似たものになってしまったw
○系も進化させれば新古典派に至るw
これに潔しとしない連中が今もいて、進化経済学だの複雑系だのレギュラシオンだのと喚いているが。
自分の頭でもの考えることのできない連中だ。研究内容は紹介ばかりというお粗末さw
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 03:07:57 ID:vwBJdwDh
>>498 大の学者先生が紹介ばかりというのは、惨めですなあ。。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 03:11:11 ID:0NeQ5Uvn
>>497 >マルクスは、「下部構造は上部構造を決定する」という。
マルクスがそんなこと言ったんですか? 出典はどこですか??
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 08:44:40 ID:hY9N++YQ
>>500 マルクスは下記のように言っていますが、「価値」との関係は? わからん。
<上部構造の土台に経済的諸関係があって、それによって上部構造が規定されている>
「織物」モデルで「労働力」の概念を展開すれば、次のようになります。
@そこに働く労働者の 「投下労働力」
A織物の原料の麻の 「原材料労働力」
B織物を織る機械設備等の「機械労働力」
以上の「労働力」が合体して「織物」と言う形をした「労働量」が完成する。だが、「織物」の形をした「労働量」の、絶対的な「労働量」は不明。
しかし、同じ種類の商品の比較で、相対的な「労働量」は算出できる(5寸釘モデル参照されたし)。
マルクスって貧乏なのによくあんなに精力もって生きていけたよね。 それが不思議だ。早くにいい女と結婚したからってのもあるのかも しれんが、元気すぎ。 そのエネルギーの源がどこにあるのか知りたいね。 前にも出てたスピノザの影響もあるかもしれんけど、 そこまで変われるものかね。
いいたいのはつまりマルクス読むということは そういう倫理的意味でもおもしろいってことね。 ワープアこそマルクスを読んで、活力(笑)を取り戻すべき。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 16:18:26 ID:ukS30LlE
>>503 >ワープアこそマルクスを読んで、活力(笑)を取り戻すべき。
それよりも、結局は、自分で自分の首を絞める結果になることに、気付くべき。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 16:49:18 ID:bL/cWoIA
>>503 ワープアになった理由を考える。
○の発想:悪いのは社会の体制にある。自分には責任はない。
→社会を変えよう!
と政治運動あたりと連動することになるが。
これで果たして活力がとり戻せるかどうか?疑問だね。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 16:55:51 ID:D2Fr6UT5
>>505 それは言いすぎでしょう。派遣労働に問題が山積みなのは当然なわけで。
ハゲの降り口知ってますか?
あなたはどうも社会から隔絶されているようですねw
「搾取は存在しない」というのは大嘘。 仮に労働価値説が誤りであったとしても。 「資本を持たないが故に、雇用されなければ失ったら生活が成り立たない」 という弱みがあるので、雇用契約は労働者側に不利になりやすい。 早い話、資本家は相手より強い立場であることを利用して、 労働力を不当にディスカウントすることができる。 また、「資本は資本家の過去の労働の賜物なのだから」という資本家弁護にも落とし穴がある。 資本の種銭は確かにそうかもしれないが、それを根拠に無期限で、複利で、 延々と利潤を得つづけることが正しいかどうかは別の話。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:11:15 ID:bL/cWoIA
>>派遣労働に問題が山積みなのは当然なわけで。 もっと大きな問題が背後にあるよ。市場のグローバル化だ。 国際間の競争が激しくなり、企業は人件費を切り詰めるしかなくなった。 派遣労働はその手段に過ぎない。 いわばグローバリゼーションにより競争が起こり、国際的に見て高すぎた日本の賃金が下方修正されているにだけに過ぎない。 派遣労働をやめ、高賃金水準を守るにはどうすればよいか? グローバリゼイションに背を向け、鎖国するのが方法。 しかしこれでは交易から得られる利益が手に入らず、かえって貧しくなるだろうね。 自由競争で賃金水準が平準化されているだけ。 こんなのミクロの初級教科書に書いていること。
>>508 競争力強化のために人件費を削減すると称しつつ、
使用者側の取り分は増えてるのは変だがな。
競争力強化のためにコスト削減するにせよ、
その結果、弱いところにばかり痛みを求めるのはいかがなものか。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 17:24:41 ID:D2Fr6UT5
>>508 やはり理解できとらんな。w そんなこと言ってないよ。違法派遣がまかりとって
いることを問題としてるんだよ。賃金は各国の慣習的要因、労使関係も
反映されるから、単純な国際競争からのみ説明なんてできないの。
ミクロマンは居るだけ邪魔だからROMMってろよ
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 18:31:08 ID:+72qGVQp
マルクスは、金持ちの懐が何故そんなに気になったのだろうねw。富める者も 貧しい者も、それぞれに「能力に応じて」社会に貢献していることも理解できな かったのか。 何故、他人が金持ちになることを、素直に喜べなかったのか。金持ちが金を使う からこそ、貧乏人も潤うのではないか。金持ちがいなければ、労働者も共倒れ である。
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 18:49:29 ID:bL/cWoIA
>>使用者側の取り分は増えてるのは変だがな。 国際的に見て今まで使用者側の取り分が少なかった。それが修正されているだけ。 変でもなんでもないよ。 >>競争力強化のためにコスト削減するにせよ、 その結果、弱いところにばかり痛みを求めるのはいかがなものか。 弱い所って? それでも世界の水準から見れば恵まれているということだよ。 だから調整が起きている。 高賃金を維持しつつなおかつ経済成長できればいいが、残念ながらそういう環境に日本はないな。 >>違法派遣がまかりとって いることを問題としてるんだよ。賃金は各国の慣習的要因、労使関係も 反映されるから、単純な国際競争からのみ説明なんてできないの。 違法派遣はまた別の問題。後半はコメントするべくもないな。 それならば 「派遣労働だって各国の慣習的要因、労使関係も 反映されるから、単純に悪いなんていえないの。」 って同じ論法で切り返せるw
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 18:55:04 ID:bL/cWoIA
ああそれといい忘れたが、雇用者を責めるのはいかがか、と思う。 敵は正規雇用者だよ。彼らの賃金が高すぎるのだ。 しかも企業によっては終身雇用・福利厚生も充実しているからね。 パイを正規雇用者から非正規へ再分配する余地は大いにあるな。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/15(日) 19:21:15 ID:hY9N++YQ
>>508 >国際間の競争が激しくなり、企業は人件費を切り詰めるしかなくなった。
人件費は、労働力の需要と供給によって決まるので、失業者が多いと人件費は低下します。
今日の社会は、生活物資は充分に生産されているので、需要は常にほぼ横ばい。しかし、失業者は右肩上がりという、「絶対的過剰人口」の状態です。
マルクスは、失業者は「相対的過剰人口」としていますが、現下の失業の性格とはかけ離れた理論です。
しかし、企業が人件費を切り詰めるのは当然のことで、競争が有ろうが無かろうか、それをしないなら放漫経営です。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/16(月) 08:01:17 ID:HQVzDFGh
あぺ よしひろ(08,05,04講演会)ですか。 結構いい話しですね。ただ、中央銀行の、市中銀行に対する預金利息や貸し出し利息をどう支配しているのか、に触れていないとか、日銀の公定歩合が世界的に見て超低金利なのはの何故か、など、触れていないのは物足りません。 『未来への提案』では、一人ひとりの労働力を減らすなどの、労働制度の改革がないは物足りない感じ。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/16(月) 17:32:43 ID:HQVzDFGh
>516 つづき 利子の話は、眉つば物のようですね。ああ言ったり、こう言ったり、訳がわからん。 利息は、「膨らし粉」のように作用して、お金の値打ちを落とす筈ですよ。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 01:24:09 ID:HEw3QN4L
マルクスのいう「疎外」とは、甘ったれた感情論。疎外だと感じない者には、 疎外はない。唯物論なら、「生存するだけの物資があれば、疎外などない」と 言うべきであった。マルクスは、唯物論者どころか、ギリシャ哲学、へ^ゲル 直系の、べたべたの観念論者であった。事実、彼のいう「下部構造」には、 上部構造であるはずの「感情論」に満ちている。 彼の理論は、「科学」どころか、「宗教」以外の何物でもない。キリスト教の 鬼子に過ぎない。
519 :
111111111111 :2008/06/17(火) 01:34:59 ID:GuHhrceo
疎外の意味分かって使ってんのかよw 自分の生産物が自分に帰しない,外化したものが自分に対立 するものとなって現れてくる状態を言うんだろ 感情なんか関係ないと思うがw
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 02:05:31 ID:zOdsjGXO
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 02:40:21 ID:HEw3QN4L
>>519 自分に帰しなくても、「『自分を含む』共同体」に帰していると考えれば、
ちっとも「疎外」ではない。
人間は、独りでは、決して生きられないということを、マルクスは忘却してい
る。生命は、その発生時から、共同体である。
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 03:17:52 ID:D0Ezomvh
>>521 >自分に帰しなくても、「『自分を含む』共同体」に帰していると考えれば、
>ちっとも「疎外」ではない。
>
>人間は、独りでは、決して生きられないということを、マルクスは忘却してい
>る。生命は、その発生時から、共同体である。
すまんがそれ、「マルクス批判」というよりは「マルクス引用」にしか見えんのだが・・・
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 10:23:01 ID:TgfOVkjR
>516 つづき >2050年には1.2人につき1人となると試算されています。> >これ、支えきれますか?支えられるはずありませんよね。> そんなことはない。支えきれますよ。失業者を出さない政治をすれば支えられます。 >日銀がお札をどんどん印刷することでハイパーインフレを起こすことができます。> これは全くのデタラメ。生活物資の行き届いた社会では起こらない。 >FRBが資金供給や利下げをするほどインフレとドル安がひどくなり、ますます状況は悪化していく> これは逆。ただ、利下げをすれば税収が減るので財政が悪化する筈。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 13:27:15 ID:bH3q8fND
>>522 >すまんがそれ、「マルクス批判」というよりは「マルクス引用」にしか見
>えんのだが・・・
ならば、マルクスは、「疎外」などという言葉は使うべきでなかった。
彼は、自然物を加工することも、自然界からの「疎外」と言っているが、
冗談じゃない。人間が、自然と一体になって生存していることの証拠では
ないか。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 13:56:24 ID:duF9YYJ5
>>524 『経哲』読んで多分言ってると思うんだがそれは読みを間違ってると思う。
・・・・が解釈が異なるのは仕方ないのだから首尾一貫した説明があなた
のなかで成立してればそれはそれでおkだん、ダン。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 21:02:40 ID:1Cra2Ae5
マルクスには、精神医学的要素はなかったのだろうか。彼の人柄、家庭生活 及び社会生活について、誰か教えてくれ。
マルクスの伝記みたいな本はたくさんあるから読んでみたらどう? あだ名はモール、好きな仕事は本の虫とか。若いころはナイフを持って決闘しかけたこともある、とか。 詩人になろうと思ってたけどやめたとか。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/17(火) 23:04:02 ID:1Cra2Ae5
>>527 本の虫では、社会に貢献する労働をしていないから、金にはならんだろう。
つまり彼は、労働した(搾取された)経験がないということ?そんな人間が
「搾取」を語っても、所詮は人事に過ぎないね。
彼の家庭生活はどうだったの?彼が唱える「生き生きとした人間」だったのか。
学者は著述活動のことを「仕事」というじゃない。著作集のことをWorksとか言うのと同じで。実際、著述って大した「仕事」だと 思うけどなぁ。 マルクスは酷い悪筆で若いころに就いた仕事をすぐにクビになったらしい。 お金は苦しかったみたいよ。エンゲルスがたしか貿易商の息子で、マルクスに惚れ込んで金銭面の援助をずっとしてたの。 今、手元に岩波新書の「マルクス遺稿物語」という伝記的な本を持ってるけど、7人の子供のうち、名前も決まっていない 赤ん坊のまま亡くなった子が一人いて、結局大人になるまで育った子はジェニー、ローラ、エリナの三人の娘だけだったそうな。 あとはヘレナというお手伝いさんがずっとマルクス家に仕えていたんだけど、実はマルクスとの間に隠し子がいてエンゲルスが 自分の子として育てた、とか。必ずしも幸せに溢れた家庭ではなかったかもね。人間だから良い時期も悪い時期もあったと。 家庭生活については妻のイェニーに焦点をあてた「イェニー・マルクス-悪魔を愛した女」というのがあるから読んでみて。 やっつけ勉強の鬼みたいな迫力ある在野の学者だったということはたしか。英雄的なマルクス像は向坂逸郎、大内兵衛とか 不破哲三の本を読むとよくわかる。ハナシ半分に受け取るとしても、読むと面白いよ。
あ。あとマルクスは哲学博士をとってからどこかの大学の教授に就任することが決まっていたけど、政府に圧力を かけられて大学人としての道を閉ざされてしまったんだ。これはとんでもない苦渋を舐めた経験といってもいいんじゃない? ちょっと同情してあげれば?ww 新聞も長くやってたし、マルクスだってちゃんと働いたことはあるよ。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/18(水) 01:04:20 ID:9J35hqDL
最近の研究では、マルクス主義の犠牲者は、約1億人と言われています。 これに対し、ナチスの犠牲者は、約2500万人(共産主義黒書より)。マル クス主義の犠牲者のほうが圧倒的に多い。 マルクスの思想のどのあたりが、この大虐殺の原因だと思いますか。 人を殺すような思想は、「人間の思想」として、初めから間違いだと思いますが。 キリスト教のように、「イエス(マルクス)は間違っていない。すべて信者が 悪い」などと言わないでねw。
>>531 マルクス主義の犠牲者も、ナチスの犠牲者も、「西洋近代思想」の犠牲者、という枠内での違いであり、両者に本質的な相違はない。
原因は、「汝の敵は殺せ!」という、西洋近代に共通する政治思想にある。
日本では、戦国時代の戦死者(戦争の犠牲者)は数知れないが、「日本思想の犠牲者」というのは、簡単には思いつかないほど少ない。
日本思想では、「敵が汝を殺さんとせざる限り、汝より積極的に敵を殺すべからず」という、暗黙の前提が無意識のうちに働いているように見える。
あえて「思想の犠牲者」を挙げると、「加賀国一向一揆(浄土真宗が守護の富樫氏と家臣を滅ぼす)」「天文法華の乱(延暦寺が日蓮宗を焼き討ち)」の犠牲者あたりか・・・・
「島原の乱」の本質は百姓一揆であり、仏教徒によるキリスト教徒虐殺が本質だとは言えないだろう。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/18(水) 07:22:31 ID:W18EKpL+
>「島原の乱」> 島原の乱の後釜で恐縮ですが、 当時は、やっと徳川が天下を握った時期で、まだまだ、天下を夢見た者がいたようす。 この連中がキリスト教を通じて、ポルトガルをあてにして天下とりに走ったようですね。(NHKその時歴史が動いた) 島原半島の南半分は、女子供も含めたほぼ全員、やく3万人が殺され、現在の住人は後釜として四国や九州一円から入植してきた人たちです。 ちなみに、私の先祖は近くの大村から来たとの事。
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/18(水) 10:33:43 ID:8R7kVTKy
>>532 >「西洋近代思想」の犠牲者、という枠内での違いであり、
すべての人間に共通する唯一の普遍の事実は、「生存本能(生命)を中核
とする動物の一種に過ぎない」ということを忘れて、生存には関係ない、
精神的な「善悪の観念」を脳内で作り上げ、「自分は善である」という
思い込みを前提としたことが原因でしょう。ゾロアスター教→ギリシャ哲学
→キリスト教→ドイツ観念論→マルクスと続く、思考の生じる基盤としての肉
体を忘却した、観念のみの「善悪二分法」が原因でしょう。
その意味で、旧約聖書が、「善悪の観念こそが原罪である」と喝破しているのは、
物凄い真理を語っていることになります。
「善悪とは、共同体としての人間の共生のための技術概念に過ぎず、他の成員
の生存を助ける『行為』が善、脅かす『行為』が悪」であることに、誰も気付
かなかったからです。
共生のための技術じゃ単なる処世術じゃないか。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/18(水) 13:27:34 ID:tyWEI4xa
>>535 人間界は、徹頭徹尾、共同体なのだから、人生とは、まさに処世術だよ。
「共生のための、状況依存的な『具体的行動』」という単なる「技術概念」に
過ぎない「善(の行為)」に、抽象的・観念的な「価値感」などを付け加える
から、「善のために人を殺す」という倒錯が生じてしまうのである。
「愛」についても、全く同じである。
>>497 貨幣が上部構造的側面と下部構造的側面をもつことをマルクスは否定していたの?
そんなはずはないんじゃない?
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/18(水) 19:45:22 ID:+yPfF+3s
>>537 下部構造が上部構造を「規定する」という以上、両者は概念的に峻別されなけ
ればならない。両者が同一、又は重なり合うことがあれば、「規定する」こと
にはならない。
マルクスのいう「下部構造」には、実は上部構造であるはずのべたべたの観念
論や価値感が混じっているのではないか。例えば、「搾取」という概念は、労
働者の感情や価値感次第で、どちらにもなりうる。
貨幣は、商品交換の媒介手段としての「価値」を表すものだから、下部構造
(生産関係)とは言えない。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/19(木) 23:42:59 ID:FXH3NXyL
資本家の「労働」、彼の過去の労働の成果としての「生産手段」、彼の無制限 のリスク負担、労働者が自らの労働から得る充足感、などを「正当に」評価す れば、マルクスの「搾取概念」は、一発で吹っ飛ぶ。 仮に、資本家の利潤が「過大」であったとしても、それが社会に還流されれば、 より多くの人々が潤う。 生産手段がなければ、大量生産は不可能であり、労働者を含む社会全体の経済 的レベル(物質的充足)の向上はない。 古代人は、日々の生存のための物資獲得の苦しみの中で、どれほど「疎外」され ていたことか、想像は容易に可能である。
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/20(金) 03:04:15 ID:+ywNkwgk
>>539 なあ、もうすこし社会ってもんをキチンと把握してからレスしなよ。
キミのママに聞いてみ?「
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/20(金) 03:20:06 ID:gcrKMmlF
>>539 言っていることがあまりにもムチャクチャすぎる。ギャグにもならん。
せめて資本論を読め。
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/21(土) 05:57:58 ID:KEcWDxo8
>>542 読めて理解できる能力がありゃ、2chなんぞにゃ来ないぜ。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/21(土) 08:28:13 ID:e5Zo7kpN
>>543 理解でないのが正常なアタマ。しかし、ここんところ読書はサッパリだなぁ〜
マルクススレは社会哲学板でやれよ
宗教板だろ
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/22(日) 16:01:10 ID:FqiXSq99
>>546 >宗教板だろ
まさに同意w。宗教とは、現実界に換言し得ない単なる「観念」に最大の
価値を認めること。神概念が典型だが、物質や労働に対し、その「本来の効用」
を超越した「抽象的観念」を認めることも、それらの「神格化」となる。
鰯の頭を、食用、肥料用、飼料用として有難がるのは、宗教ではないが、それ
を超える{価値」を認めると、宗教になる。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/22(日) 16:38:44 ID:rZ81XYVU
>>547 いや西洋の社会科学はおしなべてバックボーンとしてキリスト教や人間主義を
もってるけど?自然科学でさえ「世界観」から逃れることはできない。
ちなみに「非宗教的」科学とアンタの考えるもの言ってみ?
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/22(日) 16:59:48 ID:IK4xTc7r
うざいな。はやく経済学部から出ていけ。
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/22(日) 17:33:05 ID:rZ81XYVU
>>549 気長にまってやるからさw 科学論一からやれw
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/22(日) 19:00:30 ID:XO1ruALP
>>548 科学とは、専ら対象である現実界に沈潜すること。「世界観」などない。
現実界を離れた、主観的な「観念」など持ったら、現実界の客観的な観察が
妨げられ、そもそも「科学」が成立しない。マルクスが、その好例である。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/22(日) 20:53:22 ID:R57MgO9p
「科学的社会主義」ごとき名称は あのタダモノ論の権化たるエンゲルスと それを真に受けた代々木しか使ってないシロモノ。 また、如何な科学者でも、 ブサヨどもの使う意味での「世界観」なるものは 自ずと身につけておるし、出てしまうものよ。 ただ、それを意識化できないだけのこと。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 00:04:31 ID:2lG+KkNz
>>552 科学者にも人間としての「世界観」があるのは当然だが、科学に立ち向かう
時は、世界観は排除する。仕事にならないからである。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 00:23:27 ID:2lG+KkNz
マルクスは、「科学」であるべき経済学に「世界観」などを持ち込んだが故に、 それはもはや「社会『科学』」とは言えない。単なる「観念」に最大の価値を 認めた点で、「宗教」である。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 00:24:51 ID:c74Os1Ef
>>538 > 下部構造が上部構造を「規定する」という以上、両者は概念的に峻別されなけ
> ればならない。両者が同一、又は重なり合うことがあれば、「規定する」こと
> にはならない。
あくまで構造だから、そうやって実体として峻別されているかどうかは別じゃね?
> マルクスのいう「下部構造」には、実は上部構造であるはずのべたべたの観念
> 論や価値感が混じっているのではないか。例えば、「搾取」という概念は、労
> 働者の感情や価値感次第で、どちらにもなりうる。
そうすると「働いた時間」、つまり「働いているかどうか」も労働者の主観で
決めて賃金をもらってもいいことになるのかい?
> 貨幣は、商品交換の媒介手段としての「価値」を表すものだから、下部構造
> (生産関係)とは言えない。
価値という上部構造をそれを証明する貨幣として成り立てせているものは貨幣を
製造する材料である物質的技術的下部構造でしょう。現代でいえば電子マネーだって、
パソコンという物質的技術的土台があってはじめて成り立つ。
そういう物質的に証明する手段を一切なしで、言葉のやりとりだけど「はい信じて」じゃ。
そういう物質的に証明する手段一切なしに言葉のやりとりだけで「はい信じて」じゃ。
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 00:36:19 ID:2lG+KkNz
>>555 >そうすると「働いた時間」、つまり「働いているかどうか」も労働者の主観
>で決めて賃金をもらってもいいことになるのかい?
労働者が主観でどう考えるかは勝手だが、資本家は払わんぞw。資本家も、
労働者と同様、「利潤」を求めているのだから、労働時間が「商品の価値」に
反映されない限り、払える訳がなかろう。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 01:45:38 ID:2lG+KkNz
マルクスの「搾取理論」に従えば、労働者が自分の生活費(生存原価)を越える 賃金を受け取った場合は、その剰余部分は、「労働者による資本家の搾取」と いうことになってしまうね。 そして、自らの労働、過去の労働の対価の蓄積としての生産手段の償却、及び リスクの対価を受け取れない資本家は、労働者によって「疎外」されている ことになる。
>>558 >自らの労働、過去の労働の対価の蓄積としての生産手段の償却、及び
>リスクの対価を受け取れない資本家は、労働者によって「疎外」されている
>ことになる。
すいません、教えてください。
そのくだり、根拠になる出典は資本論のどこでしょうか??
(資本論では「労働者が資本家に疎外されている」とか書いてあるんでしょうが、該当
部分がどうしても見つかりません。)
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 11:13:47 ID:f46SF0tC
>>559 資本論に書いてある、書いてないには関係なく、条理として述べています。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 12:52:48 ID:zwHKv29S
>>553 要は科学者連中は"仕事"をするときには
意識的に唯物論者に堕ちざるを得ないって
言ってるようなもんじゃんかよ。
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 14:28:27 ID:R7DPmXWQ
>>561 当たり前。科学とは、徹頭徹尾、「現実界」という実在を対象とするものだから、
完全に唯物論でなければならない。
現実を超えた「Somethng Great]などを考えたら、現実界の厳密な観察と把握を
誤る。
マルクスが、唯物論を標榜しながら、科学とは言えないのは、彼が、ギリシャ
哲学、キリスト教、ドイツ寛延論に連なる「観念論者」であったのが理由。
>>557 > 労働者が主観でどう考えるかは勝手だが、資本家は払わんぞw。資本家も、
> 労働者と同様、「利潤」を求めているのだから、労働時間が「商品の価値」に
> 反映されない限り、払える訳がなかろう。
じゃあ主観(上部構造?)で労働「価値」が決まっているわけじゃないじゃんwww
>>560 > 資本論に書いてある、書いてないには関係なく、条理として述べています。
それはあなたの脳内条理としてなら分かりますw
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 14:57:21 ID:R7DPmXWQ
>>563 労働者と資本家双方の立場を考慮してこそ、はじめて客観となる。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 16:05:33 ID:Dt+TLAqx
>>562 現実を対象とするから科学というのは、トートロジーです。あなたの言い分では
社会科学はすべてエセ科学であり、自然科学ももちろんエセ科学ですといってるような
もんです。
なんせ理論を組み立てるときには「理論的に想定」しますから。w
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 16:37:42 ID:Dt+TLAqx
>>562 それとね、「現実界」というのは、あなたの嫌いなエセ科学である
精神分析の領域において、一部の学派の用いる重要ターム
だから、それを使ってる時点で他人からはアウトてっ思われてる
ことを知っておいた方がいいねw
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/23(月) 18:11:23 ID:uZvzbqt1
>>566 >>567 現実界とは、(必要な場合には観測装置を使用して)五感で知覚できる世界を
いう。知覚された身体から発生する、本能や自然の感情を含む。
マルクスは当たり前の唯物論、自動車を運転するにはガソリンがいるとか、 交通手段がいるとかいったことを当たり前に強調したに過ぎないと思われ。 下部構造が上部構造を100パーセント支配するなどとは言っていない。
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/24(火) 16:06:46 ID:f9zXSl8d
>>569 「下部構造が上部構造を規定する」というのが、マルクスの基本思想のはず
ではないのか。ならば、両者は、概念的に峻別されるべき。そんな曖昧なこと
では困る。
マルクスは、下部構造に、上部構造であるはずの「価値感」をたっぷりと持ち
込んでいる。その意味で、彼は唯物論者などではなく、観念論者であった。
「身体が精神を規定する」と言う命題は、絶対の真理なのだから、彼は、唯物論
に徹するべきだったのである。「万国の労働者よ、団結せよ」などと叫ぶべき
ではなかった。それでは、特定の価値感を唱える、単なるアジテーターである。
>>570 > 「下部構造が上部構造を規定する」というのが、マルクスの基本思想のはず
> ではないのか。
それはマルクス主義者の間でもさんざん議論になって現在では否定されているのでは?
構造という概念も実体論では考えられていないし。
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/24(火) 23:27:42 ID:Vf8JS6v0
>>571 マルクスの「基本思想」が否定されたのだねw。
>>571 ちなみに、マルクス主義者の間で唯物史観はどのような議論となってます?
私は、レヴィ=ストロースに粉砕されたと考えているのですが。
>>572 勝手にあなたが曲解したり矮小化したマルクス像や共産主義像をわざとつくって
それを批判しているだけの茶番劇じゃんw
>>572 スレの流れが読めない奴だな。マルクスの「基本思想でないもの」を、上の方のレスが否定しているんだ。
マルクスが「下部構造」「上部構造」という言葉を、何の本のどこで使った??
「経済学批判」の序文には「バージス」「ユーバーバウ」という単語は出てくるが、これは「(建物の)基礎」「(建物の)上層部」という意味(ものの喩え)だ。
なにやら構造主義的者が考えるような構造が上部と下部にあって、一方が他方を一方的に規定する、というようなことはマルクスは言っていない。
百歩を譲って、「ある主導的構造が他の従属的構造を規定する」と仮定してみる。
それでもやはり、構造主義者の知恵を借りるまでもなく、主導的構造が自己変革するにあたってまず従属的構造を変革し、次に従属的構造が逆作用を及ぼして主導的構造を変革する、という変革過程の存在が否定されるわけではない。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 08:47:44 ID:8FUagjJQ
>>575 >「経済学批判」の序文には「バージス」「ユーバーバウ」という単語は出て
>くるが、これは「(建物の)基礎」「(建物の)上層部」という意味(もの
>の喩え)だ。
「ものの喩え」だからこそ、「下部構造」「上部構造」という言葉に言い換える
ことが出来るのでしょ。
ならば、マルクスの「基本思想」とは、一言で言えば何?教えてくれ。
>>576 マルクス基本思想 ⇒ 唯物弁証法思想
上・下部構造論は史的唯物論の構成アイテムにすぎない。
全世界の運動・発展法則を唯物論に1次基底化し、それを基礎にした上で
弁証法的に世界が止揚する総行程の究極に科学的共産主義世界観を人類史上
最初に確立した偉大な先駆者。
ところで、その様なスレ内容と、ここの経済学掲示板の主旨と、どの様にして
リンクするのか?
哲学掲示板で論スレすべき内容ではないのか?
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 09:55:54 ID:8FUagjJQ
>>577 「科学的」とは、対象である現実を、主観を交えず客観的に分析することだよ。
マルクスのどかが「科学的」?
マルクスは、唯物論などではなく、主観にまみれた、ギリシャ哲学→キリスト教
→ドイツ観念論直系の「観念論者」。
物事を「正」と「反」に二分する「弁証法」には、初歩的な論理の誤りがある。
その「正」と「反」自体が、無数の「正」と「反」によって構成されていること
に、思い至っていない。、
へ
>>575 正解です。
唯物史観における社会体制構造の上・下部構造空間には相対相互作用関係
なる一般作用関係が存在します。
下部構造 ⇒ 経済様式(経済体制)
上部構造 ⇒ 政治・法・科学・芸術・文化・・・etc
資本主義社会が搾取を経済様式の基礎にすえて成立するから、政治形態や司法制度
も下部構造の射影特性効果の写像として反映されることになり、且つ上部群の政治
司法制度が下部のshield補強作用体としての役目を持つ。
資本制経済様式の変革は、搾取全廃経済体制であるから必然上、下部変革は上部構造
の位相形態を激変させることになる。プロレタリア民主革命時点では上・下部同時変革
となる。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 10:06:55 ID:8FUagjJQ
>>579 やっぱり、「下部構造は上部構造を規定する」ではないかw。
>>578 マルクス理論の学習質量が非常に貧困すぎます。
もっと深い学識と広範なる学習を希望する。
それにより、科学定義が明確に把握されること
になるでしょう。
それと、論議次元が違うよ。
ここは経済学の理論や、それに関係する論議だけを許認する場なのよ?
582 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 10:14:27 ID:8FUagjJQ
>>581 経済学は「社会『科学』」ですよ。マルクスは「科学」ですかw。
>>580 スレ579の全体内容への認識に至れば、下部から上部への一方通行論
ではないだろう?
その後に上部が下部を規定する話になるのだが、それへの説明は前記述
で書き込まれてるので文体上しつこくなるだけの理由。
もっと部分だけを見ずに、全体を見ないとダメダメ。
それが弁証論の正当性を導く。
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 10:23:02 ID:8FUagjJQ
>>583 「下部構造と上部構造とは、お互いに規定し合う」って言うこと?
当たり前じゃんw。
>>582 そうです。
マルクス文献には間違いがありますが、科学と言わなくても
科学性質は存在しますのよよよ?
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 11:15:13 ID:ykHzM30r
「下部、上部」論も、労働価値説を「完成」させるための、マルクス特有の作り話では?。 「疎外論」も、仏教系の“因果応報”をヒントにマルクス流にアレンジしたのでは?。
587 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ :2008/06/26(木) 11:22:04 ID:JHxoP7ds
>>578 純粋に客観だけで万物諸現象を捉えられるでしょうか?
そんなオバケがいたとしたら・・・
という話になります。
自己という主観存在のフィルターを通して第3者的立場からの観望を
客観と定義すれば主体なき客観などありえる訳がない。論理矛盾である。
科学とは、考察事象の相互連関を通じて各相対相互事象間に法則・定理
の存在を導く性質なる空間が普遍客観性を伴いながら位置ずけられる学
を科学と呼ぶ。
この論理検証をアインシュタインの相対性理論と照合させよ。自ずと正
しい科学定義であることが判明する。
それと同義的にマルクス資本論をよむこと。
それにより、因果性が解り、マルクス文献が科学情報集合体である証明
を得る。
588 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ :2008/06/26(木) 11:28:37 ID:JHxoP7ds
>>586 オモロイ発想でちゅね♪
むふふふふふふなのよ?・・・・・
>>582 スレ587の科学定義を読むチョよ
マルクス理論は、完全科学ではないけれど不完全ながらも
科学性質が主・客観上、可測される事実は否めない。
それでなければ、無価値なる駄論として時空の彼方へ葬りさられた
過去の遺物なるものであったはず。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 17:46:46 ID:ctSY4w2o
>>589 いや、その科学の規定はかなり怪しいなw それなら手相学や四柱推命でも
科学になる。因果関係は科学の根本要因ではないんだよ。お前はあおる前にまず
その法則定立の学という規定をよくかんがえてみるこったな。
上部構造=ソフトウェア 下部構造=ハードウェア だと思っていた俺は....
>>590 科学の根本要因が因果関係であるなどと記述した覚えが無い。
なにゆえにデタラメな判断基準を設定するのか?
文章化された論理内容を的確に把握し、そこから正確な判断
を導く理解能力が完璧に欠落しているというしかない。
残念です。
おわり。
>>590 >それなら手相学や四柱推命でも科学になる。
↑どうしてその様な断言論が出るの?
当方の科学定義(sure587∋6行以下)を引用し具体的証明をせよ!
未来永劫にわたる普遍客観法則の存在を明確な論理で証明せよ!
>>590 手相学や四柱推命が現実に100%の科学的実証を成立しているであろうか?
この疑問形で答えがでただろ。
実証なきもの科学ではない!
>>594 > 実証なきもの科学ではない!
つまり、マルキシズムは科学ではないという事だね。
>>595 資本家が労働者の労働価値(労働力)を搾取した収奪現象を経済論理
を介在させながら暴いた客観的業績は現実に証明されている。
マルクス没後。(故)置塩信雄教授の数理マルクス理論に厳密なる証明
が展開されているので、マルキシズムは明確なまでに科学である。
当方、根拠なき断言には聞く耳を持ち合わせてません!
よろしく!
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 20:56:37 ID:A04O4rIq
>>当方、根拠なき断言には聞く耳を持ち合わせてません! よろしく! 根拠なき断言? それはあんたの方だよ。 ポスモダ風に数学をファッションとして使い、内容空っぽな作文. あんたのはw
>>596 仮にマルクスの分析の一部が数理的に検証されたとしても、
マルキシズムが検証されたことにはならないな。
たとえば、唯物史観なんて検証可能なの?
>>597 その論が当方への批判論でしょうか?
各自、主観の相違なるものがありますので
良識的弁明をするスレ閲覧者に判断が委ねられる
と思いますが。
非論理的批判は正当な批判論ではない。
単なる次元性の低い個人的中傷・誹謗にすぎない。
その様な論客相手に得るべき高次止揚は存在しない
ので対論お断りです。(笑)
>>598 マルキシズム全体の理論および論理内容が厳密に正しく
検証した文献に今だ御目にかかった記憶がありません。(笑)
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/26(木) 23:28:34 ID:lp9AgzXo
マルクスはこう言ってる。 いやいや、こういう風に解釈すべきだ。 それは違う。理解がたりない。というのは、、、、 一生やってろ。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 00:22:27 ID:7keqW+nE
>>599 置塩を持ち出すのはちょっと読みがたりないなあ。置塩は価値関係については
徹頭徹尾無理解だったと思うよ。彼の本の「価値」はすべて物量タームで理解可能
なんだよ。つーことは裏を返せば価値関係についてなーんも理解できてない
ということなの。w
とりあえずマルクスを読むことから始めよう!
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 01:00:45 ID:r8tEMmJZ
>>596 >資本家が労働者の労働価値(労働力)を搾取した収奪現象を経済論理
資本家の「労働」、「過去の労働の対価の蓄積」としての生産手段、無制限の
リスク負担、労働者が労働から得る充足感と生きがい、及び労働が「労働者を
含む」共同体維持と向上のための貢献であることをを少しでも考慮すれば、そ
のような「経済理論」は、初めから成立しない。「資本家に対するルサンチマ
ン」という「感情論の塊」に過ぎない。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 01:38:37 ID:NfMjGPqR
>とりあえずマルクスを読むことから始めよう! 進歩が無いなw
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 05:39:56 ID:NDIo4rFx
>>601 それ以前にLogyなる者は数学も何もわかっていない。
ただファッションとして使っているだけ。
でLogyの言い分は
>その論が当方への批判論でしょうか?
各自、主観の相違なるものがありますので
良識的弁明をするスレ閲覧者に判断が委ねられる
と思いますが。
非論理的批判は正当な批判論ではない。
単なる次元性の低い個人的中傷・誹謗にすぎない。
その様な論客相手に得るべき高次止揚は存在しない
ので対論お断りです。(笑)
つまらんなあ。もう少し面白いこと書けよ。
要するにお前はニセモノなんだよ.
そのくらいのこと簡単にわかるわw
皆さんおはよう!
きょうは暑いそうですよ?
>>600 はげましの言葉ありがとうございます。(笑)
>>601 マルクス関連の諸文献は、全部読破しました。
確かに置塩さんの諸文献には詳細に価値論を記述したものが
あったか?なかったか?あとで検索したいと思います(笑)
>>602 感情論だけで、当方の数理マルクス一般定理を導くことは不可能。
この掲示板のどこかに位相代数集合ベクトル群形式で論述された
当方の置塩ニュー・バージョンマルクス定理があるはず。
それと、新数学形式⇒態遷論を読めば「感情論の塊」表現は不可解。
>>603 そうですね。(笑)
>>604 そうですか。
この経済学掲示板のどこかに数学フィールズ賞に関係する内容の独創
数学理論が適当な表現形式で書き書きしてあります。
熟読すれば要約概論記述だが、専門家は振るえが止まらないはず。
貴方にその側面が理解出来ないのは
1〜2行 ⇒ ”数学も何もわかっていない。ただファッションとして
使っているだけ。・・・”
以上の様な感覚的判断に陥こんでるがゆえのこと。
12行 ⇒ ”つまらんなあ。もう少し面白いこと書けよ。”
そうですか。命令調言葉なので、絶対にイヤでご J ます。(笑)
13行 ⇒ ”要するにお前はニセモノなんだよ”
本物であろうとニセモノであろうが、そんなことは当方には無関係。
挑発的言論で稠密で高精度な論文投稿を期待しているようですが、それは
お断りです。(笑)
魂胆が見え見え、丸見えです。(笑)
朝から わっはははははだあ。 かといって笑ってばかりもいられない。 本日の予定は〜とっ?
>>601 そんなくだらない価値論争よりも先行主導して確立しなければならない
経済モデルの構築が有意味であっただけのこと。
要するに、先見の心眼がお有りであられた偉大な経済学者であれば低次
論争を回避するのは道理。
あと(故)森嶋通夫教授の著作文献も必読書だよ。フォンノイマンに経済
モデル空間を求めた選眼は優れ者だけに解る選択肢だと思う。
置塩先生といえば森嶋先生なんですよ。この2人のオヤジを経済学の師と
して捉えておりますのです?
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 14:13:06 ID:mvvrT327
>>601 数学と経済との区別も分からないのか。経済は「生身の人間」が対象。「生身
の人間」には、考慮すべき、はるかに多数の、しかも変幻自在な要素がある。
「公式」で表すことなど不可能であることを、まず自覚する必要がある。
マルクスには、その肝心な自覚がなかった。
>>598 > たとえば、唯物史観なんて検証可能なの?
歴史理論を検証するのはどの理論でも難しいと思うけど、
検証不可能ではないと思うよ。
マルクスがロシア革命のような形態の共産革命が絶対に実現不可能
と考えたことは歴史的に実証されたんじゃない?
>>608 経済空間に数学手法を導入する目的は、壁の向こうにある遮断されて
確認不可能な事象・現象の実態を克明に暴露すること。
例えば、線形・非線形・一元・多元・連立型の微積分方程式を考えた
としよう。未知数を求めるために公式・定理・定義に準拠した解法経路
を経て正体不明の見えない目的対象解を明確に導く数学特有の性質は、
経済分析をするうえで道具としての使用価値は絶大と言わなければなら
ないだろう。
言葉表現の限界を突き破った高次論理表現法は、経済空間を数学的に合理的
表現で記述することの学術的選好観において、経済と数学の被覆空間の美特性
を否定する連中には、無理と苦痛だけの現象界なのかもしれない。
さあ反駁論者ども どおちゅるんだ? かかってくるか? そしたら、オラさ逃げる! 論破ルームはダルイのよ。
>>598 【唯物史観の基本文献】
経済学批判 (岩波マルクス)
ドイツイデオロギー (岩波・大月書店)
人類社会の発展過程が物質を基礎にして世界が構成され、その運動・発展
が唯物論により規定された歴史観。
ゆえに、社会の生産関係が原始⇒奴隷制⇒封建⇒資本主義⇒(プロレタリア革命)社会・共産主義
の歴史変遷過程で支配と被支配の階級闘争の連続過程上にプロレタリア独裁無階級社会の到来を読
み取れる内容が論述されている。
生産力の時代的成長が旧生産力に照応出来なくなると、新生産力への形態脱皮が始まり、新たな生産
関係が形成されることになる。その歴史的証明から唯物史観がうまれたのだから、唯物史観の検証法
を求めることそのものに意味が無い。
というか、質問自体に問題がある。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 18:14:32 ID:ocJ8XsnI
>>609 「歴史的必然」という言葉はおかしい。歴史とは、「必然」など信じない
人々の、ひたすら生存への意思によって作られたものだからである。
614 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/27(金) 18:16:21 ID:WgEEsJC8
お〜い♪ ↑書き書きしといたどお〜
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 18:33:51 ID:ocJ8XsnI
>>612 「下部構造と上部構造との相互影響関係」はどこに出てくる?
人間の基本が、その生存を維持するための物質であることは正しいが、それなら
「万国の労働者よ、団結せよ」などという「精神論」を唱える必要はなかった
はず。
いずれにせよ、マルクス主義は、現実というテストにさらされて完全に崩壊した。
いかなる「理論(観念論)」も、現実(物質界)のテストに耐えなければ、
誤りということになる。これが「唯物論」のはず。
その意味で、マルクスは、唯物論者ではなく、ヘーゲル直系の観念論者に
過ぎなかった。
彼の「富に対する理由のない憎悪」は、イエスの思想そのままだと思うが、
誰かマルクスとキリスト教との関係について論じてくれ。ユダヤ人であり
ながら、マルクスのユダヤ人嫌いは有名。これもキリスト教と関係がある
と思われる。
ちなみに、宗教板から来ました。
616 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/27(金) 18:38:17 ID:WgEEsJC8
>>612 続文
ただ、マルクス存命中には社会・共産主義社会は存在していなかった事実
において、社会・共産型国家の実現は、未来社会形態への予言に留まるもの
であることを忘れてはならない。
しかし、そのプロレタリア革命が先進国勃発論であり、実際には後進国ロシア
に起きた事実により、その予言は見事にはずれた。
人々の経済的冨裕生活願望が革命行動を否定し、自由主義選好に走らせたと言えよう。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 18:42:13 ID:ocJ8XsnI
>>616 >人々の経済的冨裕生活願望
その人間心理(人間性の本質)を読みきれなかったマルクスの理論は、全面的
に誤りということになる。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 18:46:50 ID:NDIo4rFx
基地外logyの暴走が始まったかw 意味不明もしくは意味が取れても自明な命題のカキコ連発だなw お前みたいな馬鹿は結構この世界にいるものだ。 難しい言葉を連発して悦に入っているという連中だよ。 本当に頭のいい人は難しいことを簡単に誰にでもわかるように説明できる。 馬鹿は簡単なことを難しくしか説明できない。 いや、内容空っぽだからこそ、そこを突かれたくないばかりに難しい用語を連発して武装する。 まさにお前がその典型だ。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 19:01:10 ID:ocJ8XsnI
>>618 まあ、そう言うな。
馬鹿な人間(例えばマルクス)の見解を観察するのも、人生の楽しみの一つ。
馬鹿がいなければ、利口も存在し得ないのだからw。
>>615 それとよおー
他スレでも書き書きした事だけど
【マルクス命題】
マルクスの最大の人類史上の学術偉業は、資本家による労働者の労働価値の
搾取を暴露した側面である。
この真理は未来永劫にわたり不滅の普遍客観真理だから、マルクス主義は完全
に崩壊したことにはならない。
どうして、この掲示板は短絡独断論を軽々しく言い放つgenom配列問題者が多いのだろう?
マルクスを観念論者と断定することは、唯物史観を観念史観と考えていることか?
文章理解能力を懐疑すると同時に、マルクスの諸文献を読破していないでしょう?
マルクスが観念論者なら、なぜ? ”観念は物質の有機的高度化の最高段階で結実
した脳髄の所産。・・・”
なる唯物思考を表明するのだろうか?
根拠のないデマはスレ荒らしだよ。
>>618 あーんな単純で簡単な論理(諸数理形式)が難しかーってか?
頭が空っぽなんて言われたら、ホメすぎですよ。
うれしいだろ・・・(笑)
バカといわれることの気分の良さは最高だどお〜〜〜〜〜〜♪
頭も身も心も天に昇る感じだどお〜〜〜〜〜〜〜???
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 19:46:47 ID:NDIo4rFx
>>619 まあ、確かに。しばらく泳がせておくのもいいか。
というより、こんなこと言ってもLogyのアホは意に介さぬようだし。
しかし、Logyは実在する人間なのかな?
自動書き込みソフトのような気もするが…。
ポスモダ風の無意味な数式ファッションの無差別爆撃?
だとしたら、相手するのも馬鹿馬鹿しくなってくるな。
お〜い 反駁論して かかってこい。 オらは逃げるだあ。 チョろりんこ。
>>622 オらの正体か?
バイオ外来種だ。
JLG(JAPAN Little Gray)
うそでねえー
極秘関係者はみんな知ってるだあ。んが。あう。???
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 22:21:58 ID:6em5aW1i
こんなんありましたやけど
99 名前:OFW :2001/01/17(水) 21:46
>>98 >これは、労働が本来持つ価値は労働者に支払われる賃金バスケットのなかに含まれている価値よりも
少ないということ(搾取の存在)のことですか?
違います。
昔から社民主義者や労働組合が「搾取」という言葉を口にする場合、常に「我々の『本来の』取り分を返せ」と
言ってきたが、それはむしろブルジョア的私有原理を前提にした議論であることを、知る必要があります。
搾取は確かに存在するが、それは事柄の一面に過ぎない。
私は「物象化」すなわち「人と人との関係がモノとモノとの関係として現れるという顛倒」が価値という仮象を生み
出していると言っているのです。
>つまり価格とは賃金バスケットに含まれる労働量で価値というのは労働が生み出す生産物に含まれている
労働量ということです。
賃金とは労働力商品の売価であり、そこに「労働量が含まれている」ことはない。
価値あるいは労働量が生産物に「含まれている」というのはみかけ(仮象)の表現です。ちょうど需要と供給を
混同するようなものです。
供給(十分な現存量)がないから需要(不足分の必要量)がある訳です。
>それは産業全体の投入係数行列により決定するということではないですか?
与えられた最終生産物(消費財)の量(需要量)から始めて、すべての消費財、生産財の生産および再生産に
必要な社会的な労働量を算定するという、産業連関の考え方でしょうね。
>マルクス経済学の説明がかなりむずかしいですね。
自然科学のような意味で「資本主義社会の経済学」などは成立し得ないでしょう。
それは歴史的に発展し、深化する矛盾としてのみ解明され得る。
>マルクスの基本定理は搾取率がゼロなら、利潤率もゼロでこのとき直接間接に入っている労働量と生産価格
は等しいというものでした。
利潤とは剰余価値の別名ですから、当然数学的にゼロはゼロでしょうが、重要な点は数式に表現された、
事柄の本質内容です。
数理的マルクス経済学者は、「マルクスの基本定理」などと言うが、「数学的」あるいは「形式論理的」な
「定理の導出」などは、マルクスの思考法とは無縁です。
>>616 プロレタリア革命ってマルクスの用語?
唯物史観にならえばロシア革命をプロレタリア革命というのはおかしくない?
どっちかいうとプレプロレタリア革命なんじゃないの?
>>617 > >人々の経済的冨裕生活願望
>
> その人間心理(人間性の本質)を読みきれなかったマルクスの理論は、全面的
> に誤りということになる。
いや、それを読んだんだよ。だからブルジョア革命なしのプロレタリア革命は
言葉の定義上ありえないというふうにマルクスは考えていたんでしょ?
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/27(金) 23:13:30 ID:ocJ8XsnI
>>627 >ブルジョア革命なしのプロレタリア革命は言葉の定義上ありえないという
>ふうにマルクスは考えていたんでしょ?
豊かな生活をしているブルジョワが革命などする訳がないのだから、プロレタリア
革命もありえないことになる。
>>620 労働価値説自体が間違ってると思うが。
そもそも、等価交換なら交換は発生しないでしょ。
お互いに、相手の財が自分の財より効用が大きい場合に交換が発生するんでしょ。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 00:39:40 ID:csraPKZl
おいLogy出番だぞ。 お前のイカサマポスモダ数学記号羅列論法で、労働価値説を擁護せよ。
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 01:37:47 ID:fVITo6L1
>>629 全く同意。自分の持ち物と相手の持ち物とが「同じ価値」だと考えれば、わざわざ
交換する馬鹿はいない。1万円札と1万円札とを交換する馬鹿はいない。
交換は、相互にとって「剰余価値」があるからこそ、行うのである。従って、一方
当事者について言えば、「搾取」は常に存在する。しかし、「当事者双方」という
「共同体」の見地からは、「搾取」など存在しない。これが、人間の共生の営み、
即ち、「経済」と言うものである。
政治や経済などの体制の歴史的変化も、「自発的交換の機会の増加」としてみるべきだと思う。 政治的に見れば「私有財産権の確立」、経済的に見れば「分業体制の確立」。 これらによって、交換全体に占める自発的交換の割合が増加している。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 02:12:48 ID:5KHReOUY
>>631 >自分の持ち物と相手の持ち物とが「同じ価値」だと考えれば、わざわざ
>交換する馬鹿はいない。1万円札と1万円札とを交換する馬鹿はいない。
>交換は、相互にとって「剰余価値」があるからこそ、行うのである。
価値と使用価値は違うぞゴルァ!!
鍛冶屋が持つ1万円のクワと、百姓が持つ1万円の米を交換しなかったら、いつかは両方とも飢え死にするぞゴルァ!!
何でもいいから と に っ か く 資 本 論 読 め や ゴルァ!!
そもそも、交換価値と使用価値を分けて考えるのが間違い。 まぁ、これはマルクスのせいというより、古典派経済学の誤りでしょう。 でも、限界革命後にこんなの信じてる連中は、ID論を笑えないよな。
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 03:37:57 ID:fVITo6L1
>>633 >何でもいいから と に っ か く 資 本 論 読 め や ゴルァ!!
クリスチャンが、「兎に角聖書読めやゴルァ」と言っているのと全く同じ。
両書共、正常な精神が狂わされる恐れが極めて大きいから、「読んではならな
い、読ませてはならない、悪書No.1」であることには、違いはない。
資本論によって狂わされた共産主義諸国における、残虐無類の大虐殺の事実を、
目を逸らさないで直視しろ。
>>629 >>631 スレ633さんが言うように価値と使用価値は違うどお〜
原始時代の山側と海側の異質環境で生活する共同狩猟民族の獲得生産物の相対
価値を考えてみよう。
X・・・山側獲得生産物(米・麦・イモ・木の実・野菜・いのしし等の肉類)
Y・・・海側獲得生産物(魚類・かい類・海草類・・・etc)
*v・・・価値(価格等価)
v( a )・・使用価値
v( b )・・交換価値
の代数記号条件を導き、原点0を左下角にとるガルテシアン座標系に45度ライン
上の右下がり無差別曲線Rを配置する。
無差別曲線Rは
1)・・・{*v}∩~~{R}dim 1
であり、
2)・・・{*v}∩∋{v( a∧b )}
価値群は2)の被覆集合共接空間関係にある。
しかし、異質生産物群 {X}{Y} は集合(合併和)
3)・・・{X~~∪Y}∈∩{R∋~~*v}
の等価関係であるが
使用・交換価値 v(a∧b)においては偏微効用不等価値関係
4)・・・∂{X} < or >∂{Y} : ∂∋|{X}≠{Y}
であるから、1万円札と1万円札は価値が同等だから交換現象は発生しない
というスレ631の見解は無差別曲線効用論理の前に完璧に崩壊することになる。
>>630 お〜い
とりあえず、言うといだど〜〜?
(^^)♪
638 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/28(土) 06:33:32 ID:rY594x2b
論破ルームへのお客様方、ようこそなのだ。 合理的経済論理の前では、いかに正論感覚で論じても、論理がデタラメ 観念内容論なので、”あしたのジョー”の最終場面で逆砕カウンターを 受けて崩落したホセ・メンドーサと同じ運命を辿らざるを得ない。 この意味を よ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜く理解することよよよよよ????
639 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/28(土) 07:45:13 ID:rY594x2b
>>636 補注
エッジワース無差別曲線 R 上の不等効用価値集合体は集約群(G)なる
2財群 ⇒ {X}(G) , {Y}(G')とし、農耕民からの目線で漁民の海産物
{X}(G)はR曲線上、位相が左肩あがり上方に位置する効用感覚で捉えられ
{Y}(G')位相は、R曲線右下方上に、小さい効用度数感覚で捉えられる事に
なる。
他方、漁民の目線はどうかと言えば、{Y}(G')はR空間上方に最大効用値の
位相で捉えられ、{X}(G)は効用度が小さい右下R上に位相する感覚で捉えら
れることになる。
このことは、現代経済の価格に価値*vを置換し、使用・交換価値v( a∧b )
が、価値*v空間上で等価価値均衡を絶対条件で成立しうる根拠を持たない
客観的妥当論理を導く。
ゆえに、価値*vと使用・交換価値v( a∧b )は一意に等価空間 ⇒ dim 1( R )
に配置されるが、交換価値が効用基準により異なるので不等関係にならざ
るを得ない。
前スレの皆様方、経済学論理をなめてはナメネコなのよ。?
640 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/28(土) 07:55:01 ID:rY594x2b
>>639 訂正
漁民の海産物{X}(G)(誤) ⇒ {Y}(G')(正)
農耕民の生産物{Y}(G')(誤) ⇒ {X}(G)(正)
お笑い劇場で申し訳ない!
sorry !
641 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/28(土) 08:01:09 ID:rY594x2b
>>640 でも互いの感覚で交換時における物品交換を主張する場合の主張論点
は自己生産物優位の目線で相手側に評価するだろうから、その状態の
論理内容に変換すればスレ639となるので、間違いではない。
>>641 とは言っても
いつから海産物に、いのしし?や米?麦?木の実?
が収穫される不思議な環境になったのよ?
と問われれば、田や畑に魚介類が生息し米の替わりにコンブが
収穫されることになりました。・・・・・
と言うしかないだろう。
ゆえに、その箇所はオイラの決定的記述ミスを認めなければならない
が、想像すると楽しくありませんか?
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 11:56:41 ID:2NnKRgx8
>>635 あれだ
普通の学問→現実から人間のわかる法則を見つけ出し、それを元に社会を発展させる
○ →マルクスという、ニートののたまった意味不明の本を元にその意味を探ろうとする
最終的には社会をそのニートの妄言にあわせようと努力するw
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 11:59:35 ID:PRRtK69r
>>639 単に「価値」といえば、「使用価値」「交換価値」、そのたすべての「価値」
を含む。それらを「並列」に並べるのは、既に「論理矛盾」。
それに、「価値」とは、百人百様の「観念」、即ち「上部構造」。誰が、どんな
基準で決定する?「観念論」ではなく、「唯物論」でやってくれw。
>>644 価値とは、社会的公認基準に合致した効用率。
例えば、通貨の価値は通貨市場に存在する絶対量と相対的貨幣需給量
で決まる。
そしたら
sure644 >「価値とは、百人百様の観念」
にならない。
共通一般協定で公的価値集合体は価値率が決定されるということ。
しかし、微分ベクトル場で公的価値を求めれば一点に不動点収斂してゆく
数理モデルを見たことがあると思うが、そうした形態の価値以外の価値
においては価値決定指向性の分散化(主観の相違現象)は否定できない。
その意味なら百人百様だス。
2行 > 「並列」に並べるのは、・・・「論理矛盾」。
無差別曲線上の比較選好集合価値体が「並列」に並ぶわけがない。(笑)
並列では微分効用接線の傾きが存在しないので、明らかに批判論点が滅裂
である。
まず、経済学辞典で無差別曲線のモデルと内容の学習から始めよう。
それからだどおー? 反駁論は・・・・・
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 15:45:18 ID:znL65SRC
>>645 言いたいことは、「価値」という言葉は、「使用価値」「交換価値」その他
もろもろの価値を含む「上位概念」だから、「価値」「使用価値」「交換価値」
と「直線上に」(並列がおかしければ、「直線上に」に変える)並べるのは、
論理的におかしいということ。その「価値」とは、「何価値」ですか。
要するに、概念の次元の問題。
647 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/28(土) 15:47:43 ID:PvkWx2C+
>>626 プロレタリア ⇒ 労働者階級
この意味からブルジョア革命とプロレタリア革命は革命の質と内容が、経済学的
政治学的・哲学的に異質である。
ブルジョア革命は、階級構造社会が存立しないと搾取経済が営めないので、無階級
社会形態は不可能。
しかし、プロレタリア独裁国家段階では、搾取が消滅しているので社会が階級構造
を維持する必要がなくなる。ここに無階級社会体制の根源的形態因が隠蔽されている。
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 16:02:17 ID:znL65SRC
>>647 ブルジョワとプロレタリアとを明確に区分する基準は何?労働者である旦那の
給料をへそくりして、株をたくさん買い込んでいるおばさんはどっち?賃金
をこつこつと貯めて、生産機械を買い、独立した労働者はどっち?
自由業の俺は、ブルジョワなのかプロレタリアなのかw。可愛い女の子の秘書
を一人雇った途端に、「打倒さるべきブルジョワ」になるのかw。
プロレタリア独裁国家における巨大な「階級制度」はどう見る?
649 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/28(土) 16:11:38 ID:PvkWx2C+
>>631 sure631 ∋ 2行 > 1万円札と1万円札を交換するバカはいない。・・・
本当にそう考えているのでしょうか?
以前、破れそうな古い1万円札を、同価値価格の同じ新1万円札に交換した記憶
があります。
これを、どの様に説明するのでしゅか?
同じ交換行為をした方が必ずいるはずです。
それでもバカでしょうか?
別にバカといわれても良いのですが、実際そうだからよお?
同じ価値集合体であっても代替財としての効用は同じであるわけがないと思いますが。
それなんですよ。
その側面に代替財効用変化率定理が隠されているのよ。
無差別曲線空間は、この代替財効用変化率定理なるものの普遍客観性ゆえに公認される
ものだということ。
この認識に至れば、1万円 vs 1万円代替財は位相同相自己同型の価値率を持たない!
という決定的命題が成立する。
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 16:20:02 ID:znL65SRC
>>649 >以前、破れそうな古い1万円札を、同価値価格の同じ新1万円札に交換した
>記憶があります。
別に交換する必要はなかった。セロテープで補強して、使ってしまえば、それ
で終わり。また、銀行に預金してもよかった。
やっぱり馬鹿だw。
651 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/28(土) 16:33:16 ID:PvkWx2C+
>>648 末尾文 > プロレタリア独裁国家における巨大な「階級制度」はどう見る?
プロ革が成功したから即、理想の共産主義国家になり、階級階層制度が全廃
になるわけがない。
プロ革 ⇒ 社会主義段階 ⇒ 共産主義段階
の暫時的発展段階を経て理想社会へ進行する。
その前段階なる社会主義国家形態では、旧体制(資本主義)の母斑現象が残存
せざるを得ない。それが官僚 vs プロレタリアの階級構造。
また、官僚は国営指導者であり、資本家存在ではない。この側面が重要なのである。
genom配列に問題がある悪徳官僚が選任されると旧ロシアが経験した近代専制国家体制
の道を辿ることになる。
従って、国家中央管理審査部門の体制監視組織が重要な役割を持つ事は否めない。
>>650 >末尾文
そんなにホメるなよ。
うれしいだろお〜
>>650 セロテープもお金を出さないと買えない。
万引き常習犯ならともかく、無駄銭だ。
それより、現金キャッシュ・コーナーで新1万円札は確率にもよるが
使用に耐えられる1万円札に換金するよ。普通の人間なら・・・
みなさん。どう考えますですか?????
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 17:22:21 ID:3XqwGcgf
>>653 もういいよ。無理すんな。我流もいいけど、程度をわきまえな。w
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/28(土) 17:29:02 ID:znL65SRC
>>658 >無駄銭だ。
そんなことはない。「紙幣」という「物質」を維持するための必要経費だ。
物質は、使用により消耗するから、維持が必要である。維持に費用がかかっても、
我々は、使用という対価を享受している。そして、セロテープを買えば、その
製造者、ひいてはその労働者が潤う。
人間の生存の営みには、無駄も不条理もない。
>>646 末尾文 > 概念の次元の問題。
それを言うなら、価値概念の集合分類論問題。
価値概念次元は価値集合族空間に被覆位相同相であるから、概念の次元の
問題にはならない。
つまり、価値集合族空間{*v}とすれば、使用価値集合体は{v( a )}であり
交換価値集合体は{v( b )}と代数論理変換すれば、一般価値集合空間は
集合族ξ 集合体ζより
1)・・・ξ{*v}~~∩∋ζ{v( a ∧ b )}
である。
この価値の被覆同相定理より、価値概念が上位概念でもクソでもない、異次元位相無関係であることを
言わなくてはならない。
>価値という言葉は・・・もろもろの価値を含む「上位概念」
を弁明するが1)論理が見事にその誤りを論破する。
だから、このスレはロンパールーム?なの。
わかんねえだろかあ?この意味?
価値とは物の属性ではなく、物と人との関係においてのみ生じるもの。
>>655 その考えが無駄であり、不条理。
なにゆえ金融機関なるサービスがあるのだろう?
無料交換サービスがあるなら、人間合理的行動は金銭出してまで修理
するのか?
常識的範疇外の世界だな。
あ〜〜〜こりゃこりゃだn。
>>657 そりゃあそーだよぉ〜?
だけど価値を物の属性だなんて書き書きした覚えはないじょお〜〜だ。
(別に深い意味はないでしゅ。・・・)
古典経済学の基本にすら無知な輩がそのレベルでマルクスに難癖をつけていて痛い。 もっと高度な議論を期待する。
>>660 なあ・・?
みんな保育園児童でねえが。
高度な議論を期待すんでねえでがんす?
古典経済学間違いだらけだどぉ〜?
読むだけ時間の浪費。
主要内容のみ記憶し、あとは合理的情報処理。
有限時間内で経済理論の有機的高度化を図る
多忙な経済学者の合理的手順でがんす。
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 02:00:29 ID:yk6QJfkB
>>658 >なにゆえ金融機関なるサービスがあるのだろう?
>無料交換サービスがあるなら、人間合理的行動は金銭出してまで修理
>するのか?
>常識的範疇外の世界だな。
アホですか。新札を作るのにも、交換するのにもコストがかかっており、日銀
も銀行も、そのコストは、貸付金に対する利子や送金手数料等の名目で、ちゃ
っかり回収していますよ。
それから、「言葉」とは、「相手に自分の意思を理解させるための手段」。
言葉を使う時は、「相手が理解できる平明な言葉」で語ること。さもなければ、
「言葉の冒涜」であり、「相手に余計な時間と努力を費やさせる不法行為」です。
そのためには、まず、自分が言っていることを、自分で完全に理解しているこ
とが必要です。
マルクスは、自分の言っていることを、自分で完全に理解していたとは思えない。
だから、資本論がやたらと難解で、百人百様の解釈が必要となり、誤解が生じる
のです。
向坂さんは、資本論の一字一句を「直訳」したそうだが、異なった系統の言語間
では、直訳は意味をなさないという、言語の本質さえ分かっていなかった。
>>662 コストがかからなくて効用が最大化する要因のなかに位置つ"けて考え
られるのはナニ?
個人の効用の最大化を目的にするのは家計の本態でしょう?
それならば、
>アホですか。新札を作るのにも、交換するのにもコストがかかっており・・・
の文章内容が投稿されるわけがない。
当方の弁明主旨への理解能力の欠如以外の何ものでも無い。
>「言葉の冒涜」
>自分が言っていることを、自分で完全に理解していることが必要です。
↑全部そっちに返すよ。これと同じ主張を。自分のことをこっちに責任転嫁するな!
>「言葉」とは、「相手に自分の意志を理解させるための手段」。
>「相手が理解できる平明な言葉」で語ること。
何様?バカじゃないの?
こうした掲示板の投稿者を一様性の人間群で捕らえるな。多様性が常識。
学習能力が足りなさ杉(笑)
おたくの学習能力の貧困性に対し、厳しく自分自身を自己批判しなよ?
要するに甘えの構造から出された思考弁明と判断した。
>>662 >それから、「言葉」とは、「相手に自分の意思を理解させるための手段」。
>言葉を使う時は、「相手が理解できる平明な言葉」で語ること。さもなければ、
>「言葉の冒涜」であり、「相手に余計な時間と努力を費やさせる不法行為」です。
それは自分の言いたいことが「通常科学」として成り立っている場合に初めて可能である。特殊ケースの話にすぎない。(事例の数としてはこちらの方が多いのだろうが。)
クーンの言う「科学革命」、パラダイムチェンジに属するような自己の思想を「相手が理解できる平明な言葉」で語るのは極めて困難になる。
カントの三大批判書のうち、「純粋理性批判」は飛び抜けて難解であり、「純粋理性批判」の中でも演繹論の部分がとりわけ難解だ。
カントが「純粋理性批判」を書き直したり、「プロレゴメナ」を書いたりしたのも、このパラダイムチェンジに属する思想を何とか平明に人に理解させようとしたためだ。
にもかかわらず、「純粋理性批判」の初版も再版も「プロレゴメナ」も、やはり難しい。
読書に当たって余計な時間と努力を費やす必要はないが、パラダイムチェンジ的な思想を理解しようとしたら、相当な時間と努力を費やさないと書いてあることは理解できない。
>そのためには、まず、自分が言っていることを、自分で完全に理解しているこ
>とが必要です。
自分の言っていることを理解することと、それを他人に理解させることは別問題である。
通常科学の内部では、自分で理解してさえいれば、通常の言葉で理解させるのにさほどの苦労はないだろうが、「知の枠組」(パラダイム)を異にする人間に自分で理解していることを理解させるのは極めて困難である。
カトリック神学者同士の論争でなく、宣教師が16世紀の仏教徒に「三位一体の教義」を完全に理解させるような場合、それがどれだけ困難であることか!
>マルクスは、自分の言っていることを、自分で完全に理解していたとは思えない。
>だから、資本論がやたらと難解で、百人百様の解釈が必要となり、誤解が生じる
>のです。
パラダイム・チェンジャーの困難は、新たなパラダイムの自己了解でなく、それを「今までの通常科学で使われてきた言葉で他人に理解させる」ことである。
三位一体の教義や純粋理性批判やマルクス経済学に百人百様の解釈があるのは、むしろ当然のこと。
「通常科学の地平内で語られる言説の理解が、余りにも簡単すぎる」に過ぎない。所詮は特殊ケースの話。(件数はこちらの方が多いだろうが。)
>向坂さんは、資本論の一字一句を「直訳」したそうだが、異なった系統の言語間
>では、直訳は意味をなさないという、言語の本質さえ分かっていなかった。
「向坂」はどう考えても、ミスター直訳こと「長谷部」の誤記だろ?
それに向坂訳は、弟子(??)の岡崎次郎の下訳に目を通してチョコチョコ直しただけだぞ。
>>664 あ〜だ?
こ〜だ?
と論議する以前の弁明内容だ。
哲学を語りたければ哲学版へでも移行。
うぬぼれた表現内容が眼につく。
情報量が多いそうですが、この掲示板の空気が読めませんか?
別にそれでも良いのですが、どうも反駁論者の条件を考えたとき・・・・・
ということの問題になります。
当方、無名の経済研究者であり、大学も超一流国立系大の出身
ではないけど、経済研究への参加は努力のみ。
従って秀才でも天才でもない。
バカだろうと頭が空っぽだろうと、好きな経済学・数学を学べる喜び
だけだよ。
それだけで生きている・・・・・
おわり。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 07:27:04 ID:horeOgPy
>>662 同感。
@『労働価値説』は実態がある。が、マルクスの理論は誤り。
A『産業予備軍』は今日では通用しない。
>>666 これもブルジョア悪魔体制の手先か・・・
証明なき結論など読む気がしない・・・
誰でも言える。思いつきは・・・
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 07:42:23 ID:obKvHzdc
>>667 >これもブルジョア悪魔体制の手先か・・・
「経済『学』」で使うべき言葉ではないw。
>>668 マル経学徒だけに解る集約概念。
たこまよ〜〜〜認識すんだどお?〜〜〜
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 09:58:26 ID:sDvsChrm
そんなに言うんならさぁ、玉こすり金玉って誰よ?
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 10:33:35 ID:horeOgPy
>>667 マルクスは、しょっぱなの『価値形態論』から間違っているよ、不破さん。
>>672 価値形態論だけではなく、利潤率傾向低下の法則もそう。
(故)置塩先生が、利潤率均等の法則に修正したことは
世界的に有名。
むしろ、マル基定の定式よりも知られている。
だからと言って
だからと言って
だからと言って
マルキシズムは崩壊したという断言は成立しない!
おしまいに
不破じゃないもん。
変なの?
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 11:41:24 ID:mqtMC3vB
そして、最後は誰かが資本論を読めと宣言して理論がリセットされるわけですねw
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 17:09:39 ID:bVgjzBat
>>664 いいたいことはわかるが、
>>662 が言ってることはもっと常識レベル・基本レベルの話だと思う。
自分でもよくわかっていないのに、語ろうとするとどうしても難解かつ混乱した語りになると。
要するにそれだけのこと。
このスレにも1人logyとかいう基地外がこれに当たるな。
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 19:19:49 ID:bVgjzBat
>>677 お前をテストしてやろう。
マルクスのオリジナルな利潤率傾向的低下の法則に関してだ。
(1)マルクスが定義した利潤率と会計計算上の利潤率(我々が普通一般に言う利潤率でもよい)の違いを述べよ。
(2)利潤率傾向的低下の法則と労働価値説の関係を論じよ。
>>678 マルクスの労働価値説も利潤率傾向低下法則も、ワルラス・ジェボンズ・メンガー
(限界革命3羽トリオ)の出現以後、次々に理論上の誤謬が発見されているのに
廃棄理論?を一生懸命に頭脳の記憶細胞に学習化するとは!
狂気のさただっちゅうの!
その廃棄情報をダイアモンドの様に考え、こっちに向けてテストするって?
おいおい?
オイラは、正常なgenom 配列条件者と対話したいんだよお〜〜〜
だから、後退的没落・合理的進化の放棄(人類稼業の終焉)だというののの?
ちみも
変なの?
>>678 それよりも
前スレのエッジワース無差別曲線モデル(限界代替財不均等効用定理)
及び位相集合G論による価値空間同相一般定理は理解したりんこ?
現代社会への適応性の高い学習。その比較選好観を問いただすオイラ
であった。ちょろりんこ?
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 20:31:22 ID:horeOgPy
>>650 香典はヨレヨレ札でもよいが、お祝いには新札を入れるので・・・。
あながち馬鹿とは決め付けてはいかん。
682 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/29(日) 21:06:52 ID:WKbYgxdO
>>681 やっと
まともな大人の常識思考者が出てきたドおー ♪
んだあ。
やはり、限界代替財効用不均等定理が、同相価値集合族空間で異なる客観証明
を認めた方が現れたど〜 (笑)
もう時代は、近経とマル経の思考技術融合時代だぁ。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 21:20:47 ID:bVgjzBat
>>679 その時代遅れの理論に関する質問のもまともに答えれられないお前はどうなのだw
>エッジワース無差別曲線モデル(限界代替財不均等効用定理)
及び位相集合G論による価値空間同相一般定理
価値空間同相一般定理ではなくて、価値空間多様体一般定理の間違いだと思うが?
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 21:22:48 ID:bVgjzBat
ところでlogyよお前、同相の意味わかっているのか?
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 21:28:09 ID:bVgjzBat
logyよ、もう一つテストしてやろう。 三点a,b,cからなる集合をXとする。XからXへの写像fとして f(a)=a,f(b)=b,f(c)=c とする。この写像は同相であるかどうか、調べよ。 どうだ?お前にできるかな?
686 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/29(日) 21:30:45 ID:WKbYgxdO
ところで、限界代替財効用不均等定理(無差別曲線定理)と価値集合族同相空間定理 が弁証空間に被覆統合(二律背反関係)されることに気ずきましたでしょうか? 弁証法はマルクス一家の伝家の宝刀のはず。
687 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/29(日) 21:46:37 ID:WKbYgxdO
>>683 多様体を引き合いに出す必要があるだろうか?
集合空間を出したら、多様体を付加しなければならないのだろうか?
多様体先行論ではなく、集合空間先行定理なの。
なにを最重要視点にした価値空間集合定理なのかが、まったく理解されていない。
位相集合空間論の数学本を読むこと。
多様体はリーマンが最初に世に出した概念であり、多様体系位相論を展開するための
手段としてのアイテム・モデル。
そうした基礎知識を習得した上で反駁すること。
解りましたか?
わかんねえだろなあ〜〜〜? たぶん。
688 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/29(日) 21:57:03 ID:WKbYgxdO
>>684 多様体上に dim 1点を2個配置し、正則 n 階連続写像条件で、点 A から 点 B
へ射影したときに Hom 条件可測が得られた場合。位相同相と呼ぶ。
また、同相空間には自己同型と(共役)準同型が存在する。
こんなもんでいいだろう。
>>685 くだらない算数だ。・・・
689 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/29(日) 22:25:59 ID:dUQVOOZD
>>688 sure684 同相簡略定義に、凸局所コンパクト空間を用意するか。
そうしないと、不要な大域系空間になっちまうので。
それとよおー
数学したけりゃ数学板でのうがきタレろ。
うっかり乗せられて投稿しちまったでねえが。
あ?
>>662 > マルクスは、自分の言っていることを、自分で完全に理解していたとは思えない。
それはあんたの思い込みであるとしか思えないww
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/29(日) 23:33:34 ID:1V9/Rv7W
>>689 どうもだいぶ疎外されているようだね。いくら便所の落書きとはいえ
ここは経済学板だけどw?
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 03:08:20 ID:yIQyOIFY
なんかよく分からんが凄いぬ ●スレ ところで、弁証空間って何よ?? 数学的に定義できたら、凸コンパクト経済学ひっくり返りそうな予感
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 03:30:51 ID:yIQyOIFY
694 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/30(月) 06:20:31 ID:OYGONlr2
弁証空間とは定律(肯定)Y と 反定律(否定)N が考究事象の存在空間∃(S) に被覆共存する弁証構成群元空間の意。 暫定止揚空間場を ↑{Z}(S) とすれば、二律背反{N∪Y}統合場は 1)・・・∩{N∩∪Y}~~∩↑{Z}(S) で記述される。 肯定と否定は集合空間上で合併和形態で配置されるが、相対相互浸透関係 2)・・・∩|∋{N}⇔{Y} ゆえに 3)・・・1)∋⊃{N∩Y} の被覆共接集合関係にある。 そこで前スレの限界代替財効用不均等定理(無差別曲線定理)∃[≠∂(G)] と価値集合空間同相定理∃[~~∩*v] において、効用を (λ)無差別曲線 dim1 Rとすれば 4)・・・N 〜 ∃dim1 R[≠∂(λ)(G)] ; Y 〜 ∃[~~∩*v] であるから 5)・・・∃{dim 1 R[≠∂(λ)(G)] ∩∪ [~~∩*v]}:{N∩∪Y} である。 ゆえに、限界代替財効用不均等定理と価値集合空間同相定理は弁証空間 に被覆される被覆弁証定理を得る。 証明終わり。
スレ694の証明より、前スレ論理が論理次元上、止揚した客観性を 認めざるを得ない。
>>694 独大ネオロジー総合学派の知的所有権定理。
( 無許可による引用お断り 【独大】)
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 07:14:46 ID:7dFOXMKy
>>685 くだらない算数だ。・・・
logyよ、これが
>>685 に対するお前の回答か?
こんな簡単な問題も解けないとはな。
この一件でお前がニセモノであることが判明した。
この設問は理数科の1年次の基礎解析程度のもの。
それもできないとは、お前の数学力は学部生程度だよ。
正解は、この写像はX上で定義可能なあらゆる位相に関して同相写像となる。
ontoかつone-to-oneであることは明らか。
両連続であることを言わねばならないが、設問では位相が定義されていない。
実は「あらゆる位相に関してfは連続である」ことが言える。
問題は「・・・」内だが、お前に証明できるかな?
まあ、ここまでヒント与えてやってもむりかw
>>696 ちなみに独大ネオロジー総合学派による応用一般均衡論の部分構成論理
⇒ 凸集合空間一般定理も被覆弁証空間定理集合族に組み込まれる定理
である。
>>697 劣悪genom構造動物よ、このスレから消えろ!
KYの意味を熟慮しろよ
最低の人間性(動物性)だなあ。
>>697 場の空気も読めねえで、自分が何を試みてるのか?悪質な違法弁論を
仕掛けていることを謝罪しろ!
何度も言わせるなよ!
数学掲示板じゃあネエんだぞ!
しかも既存の誰もが知る初等レベル問題を振りかざし得意満面の気分で
バカにするのもいい加減にしろ!!!!!!!
それなら、新数学理論を提示しな!
その方が世のため人のためだ!
ネコのほうが、まだましだ!
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 08:18:23 ID:7dFOXMKy
>>700 ハハハ。遂に本性むき出しだね。
議論は感情的になった方が負け。
というより無意識のレベルで敗北を認めた証拠だよ。
>数学掲示板じゃあネエんだぞ!
最初に数学書きたらしていたのはお前のほうだよ。
自分の事棚に上げてよく言うわw。
それより、あれだけヒントあげたんだから
>>685 の解答よろしくね。
これが解けないなら、アンタの数学力は学部1年生程度と変わらんことになるのだが・・・。
>>701 おまえ論理への理解能力が無いだろう?
経済空間の数学論理が被覆されても
それが純然たる数学にみえるのか?
おまえ中学生だろう?
いや、最近の中学生でも慶大付属あたりだと
オレの論理を容易に理解するのがゴロゴロ
いるぞ?
>>701 知能・人格障害者よ
勝ち負けなど、どうでもよい。
オレに前スレで論破されて悔しいかあ?
だから、あんな投稿内容かあ?
情けネエなあ・・・・
ネコのほうが、まだましだ!
おまえのような悪魔は 神の審判が下る事だろう。 私がそう判断した場合は 必ずそうなる。 ネコのほうが、まだましだ。・・・
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 09:11:56 ID:7dFOXMKy
logyちゃんへ。
能書きはもういいって。それより
>>685 の解答よろしくねw
>>705 ルッセー!!よ!
答えるか!
バーロー!
試験に必要か?
なら、自分で努力して解け!
ネコのほうが、まだましだ!
>>705 このスレから消える前に言っておく。
前スレの数理経済論理は、独大ネオロジー総合学派によるオリジナル。
従って、既存の経済読本の、どの箇所を検索しても存在しない。
(無差別曲線論などの論理道具は該当しない。)
おまえの提示した初等算数問題は、本からの抜粋ではないのか?
そこが違うんだよ!
ネコの方が、まだましだ・・・さらばだ!
慶大付属なんてないよ。 基地外こわいなあ
709 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/30(月) 18:02:20 ID:2CY5Aat0
>>708 頭狂大学付属 中学の間違いだよおー!!
バーロー!!
ネコのほうが、まだましだ!
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 19:07:44 ID:yIQyOIFY
独大ネオロジー総合学派のlogyさま、すっ、凄い 論文化してちょ でも、背理法を否定したとなると、、 現代数学の枠組みそのものがぶっ飛んじゃいますでつ その理論を完成させて、経済現象の何に応用するのでつか? 消え去る前に、ぜひ今後の方向性など聞かせて保水 漏れは、オーマン教授に否定された聖書の暗号解読に使える数学ツールを探してますでつ 勉強する気になってきたでつ、ふふふ
711 :
logyちゃん ♪(‘0‘@)~ ◆x0AFNEuElQ :2008/06/30(月) 20:52:18 ID:2CY5Aat0
>>710 やっと
ただならぬ情報内容であることが
理解される高等生物の意識範疇に入ったか
という感覚ですかな?
非形式論理(弁証法)の数学空間への射影処理
は数理哲学者の夢の研究対象作業であったはず。
それを経済空間へ新数学形式(態・遷論)ともども
導入して、経済分析をすることも独大ネオロジー
総合学派のプロジェクト・アイテムである。
認めてくれて、ありがとう!
君のような理解協力者なら、対話も可能だよ。
異常性格者との応対で、少し疲れました。
機会があれば、他スレに新スレを立ち上げますか。
>>710 末尾の
ふふふ
なる不気味な笑い?
おいおい。ちょっと
待て待てかあ〜〜?
気になるなあ?
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 21:25:02 ID:7dFOXMKy
フフフ、舌の根も乾かぬうちに戻ってきたか。
>>685 を早く解け。
>おまえの提示した初等算数問題は、本からの抜粋ではないのか?
図書館に行って解答探して来いw
>>712 >>710 は、お前の正体を見切っての諧謔・皮肉だと気づかんとは・・・。
鈍い奴だ。
>>713 スレ705のIDナンバーか。
バカ野郎!
てめえの要求、全部お断りだ!!
悪魔よ
早く逝け!
雷王に、ぶちのめされろ!!
ネコのほうが、まだましだ。
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 21:52:15 ID:7dFOXMKy
>>714 要するにお前はニセモノだよ。
>>685 の連続性に関する簡単な設問も解けないようではね。
多分、もっと基本的な数学、集合も順序も基数も、全て怪しいんだろうな。
数学のレベルは良くて高校生どまりか。
それで
>非形式論理(弁証法)の数学空間への射影処理
は数理哲学者の夢の研究対象作業であったはず。
それを経済空間へ新数学形式(態・遷論)ともども
導入して、経済分析をすることも独大ネオロジー
総合学派のプロジェクト・アイテムである。
笑わせるよなあwww
>>713 おまえなんか
ぷ〜〜〜〜〜〜〜〜プププっ
だよ!
これで、終わりだ!!
2度と出ネエ!
ネコのほうが、まだましだ!
>>713 悪魔よ!
この呼びかけの意味を理解せよ!
何を?一匹でこの俺への妄想を弁明してるんだよ?
地獄で永遠にボヤキ続けろ!
早く逝けよ!
ネコのほうが、まだましだ!
>>715 ニセモノ評論よりもよお
俺の前スレの数理経済論理や
他スレに投稿した応用一般均衡論
の真意を具体的な数学形式で反駁
しなよ。
それが、出来ないなら
単なるスレ荒らしの不良の輩だ。
ポツリぽつりと数学概念を並べているけど
当方と同等以上の経済数学論理の展開投稿文
が見られないのは何故だ?
その実力が無い論争条件を満たさないバカ
という結論しかでてこない。
そんなのに質疑応答する必要がある訳ねえだろう?
小学生でも解る状況判断。
ネコのほうが、まだましだ。
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/30(月) 22:50:54 ID:7dFOXMKy
logyちゃんへ:
>>685 の解答まだあ?
もう一つもっと簡単な問題だそうか?
x+y=1の制約化で目的関数xyを最大にするxとyを求めよ。
ただし解法として微分は使ってはならない。
代入消去して2次関数にして平方完成(高校数学のテク)も使ってはならない。
それ以外の解法で解け。
どうだ?
>>719 俺の数理経済論理への等価的数理反駁論のみ受け付ける。
それが、理解不能なバカは、早く逝け!
ネコのほうが、まだましだ!
バカ野郎!!!!!!!!
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/01(火) 00:59:40 ID:N0tyRyf2
,-―ヾヽヽ/vへ/⌒ー , ⌒ヽ ヽ ヽ / / ノ ⌒ヽ、 / /ヾ,ゞ -ゞゞゞゞ、_ ⌒ ノ ヽ / / `ヾ ー ミヽ ,/ / ヾ \ ヽミ / / ゞ ヽ i / / \ / -=ニヽ、,,_ ,,,,,,;r;==- ヾ ヾ ミ ヽ l ;: `ゞツヽ:〉^`ヾ,だ''=-、_ i 彡 ヽ i 、 /;;:;;;:::/ `'''''""" ノ ゞ ヾ ヽ } :;: | 人、,,;:-,.. '^ / くヾ ) / 彡ノノノノノノ((((( / ヘミ / / /ノノノノノ,.-―ミヽヾヾヾヾヾヾヾ _ノ`ーー'" ,i -ー‐- `ゞ ヽ ヽ / 諸君、どうでもいいが、ここは私の 彡彡 ミ ヽ < 著作に関するスレではなかったか? 彡 / / / / ミ ツ \ 私の著作の話はどうなったのかね? < / / / / ヾ ヾ ノノノ '―彡 rー'" ヾノ人,,.r--、ノノノノノり'"
↑おまえなどどうでもいい
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/02(水) 00:50:51 ID:ng5EwJZm
>>720 丸1日待っても解答ができんとは・・・。では模範解答をしめそう。
>>685 の解答:
fの連続性を示せばよい。X上の開集合Vを任意に取る。このときX上の開集合Uがとれて、
Uに属する任意のxに関して、f(x)がVに属す、
ことを言えば証明完了である。
UとしてV自身を採ればいい。なぜならfは全ての点をその点へ写像させるからだ。
これで証明終わり。なお以上の証明は位相の構造に依存しないからfはX上で定義される全ての位相に関して連続となる。
fの逆写像はf自身なのでfは両連続となる。
>>719 の解答
まず目的関数xyは狭義凹関数である。つまり無差別曲線が原点に関して厳密に凸となっている。
従って
@もし最大値を与える(x,y)が存在するならば、それは一意である。
ことがわかる。
次に
A最大値を与える(x,y)は存在する
ことを確認しよう。xまたはyが負であればxyの値は0以下となるので、最大値をとる(x,y)があるとすれば、その範囲を
x+y=1かつxとyは0以上
としてよい。そしてこの集合はコンパクトなので、確かにAは成り立つ。
さて、@とAより(x,y)が簡単に求まる。仮に最大値を与える(x,y)に関してxとyの値が違っていたとしよう(かようなxとyの存在はAで保障されている)。するとxとyをひっくり返して
(x',y') with x'=y and y'=xとしても、これも最大値を与えることになる。これは@に矛盾する。
故にx=yつまり、x=y=1/2が正解となる。
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/02(水) 02:55:49 ID:+C/RYUao
726 :
考える名無しさん :2008/07/08(火) 09:43:36 ID:OWAImbAp
>>721 『経哲草稿』だけでOK。
『資本論』よりラディカルな問題が提出されてるし。
あれはスミス、リカード、マルサスらの理説の逆さ読みみたいな感じだよなww
a
729 :
石垣眞人 :2008/10/18(土) 14:46:35 ID:A/Mw93uR
>>724 ?
それがなに?
経済理論と無関係じゃん?
なんらかの経済諸事象に関連性を持たせレ。
数学の能書きのみを垂れたければ、数学板へいけ。
なに?考えてんの?
、
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/18(木) 01:32:51 ID:c5kZ1FDp
age
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/04/21(火) 10:02:41 ID:ZrNshLbF
ttp://www.asahi.com/obituaries/update/0421/TKY200904210044.html マルクス経済学者、東大名誉教授の大内力さん死去
2009年4月21日9時51分
日本の代表的なマルクス経済学者で東大名誉教授の大内力(おおうち・つとむ)さんが、
18日午後5時32分、肺炎のため死去した。90歳だった。葬儀は済ませた。
戦後日本の革新勢力の理論的指導者となった大内兵衛氏の長男。
47年に東大社会科学研究所助教授になり、60年、同経済学部教授。
マルクス経済学の立場から、農業問題をはじめ経済原論、社会主義経済論など幅広い分野で研究活動をした。
とくに、宇野弘蔵氏の理論をもとに、日本農業の特質を世界史的な観点から分析した業績は高い評価を受けた。
東大退官後は信州大、大東文化大の各教授を務めたほか、
農政審議会、中央職業安定審議会、雇用審議会などの政府審議会委員も歴任した。82年に日本学士院会員。
89年の「ベルリンの壁」崩壊に端を発した社会主義国家の崩壊に際しても
「マルクス経済学は資本主義分析の学問。社会主義国崩壊とは直接の関係はない」と発言し、
ライフワークの「日本経済論」の執筆を続けた。
また、旧社会党系のシンクタンクである平和経済計画会議の理事長として
政策提言をまとめるなど、現実の政治に対する関心も揺るがなかった。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/04/24(金) 22:36:33 ID:9JRFhnTQ
クルーグマン氏(『格差はつくられた』)によれば、 格差拡大の原因はズバリ、 中間層に根づく人種差別意識と、共産主義に対する被害妄想とを、 保守派がうまく利用して煽ったことにある!
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/04/26(日) 01:20:44 ID:rUCaVsPV
アメリカ社会に至ってはそうだ 中間層の人種差別意識は機会不平等を隠蔽する 自助努力や自己責任論肯定の思想に結びつくし 共産主義への被害妄想は 国家サービスの質と量の低下に結びついた ところで、ベーシックインカム導入とか言ってるけど そういう言論が他国からの経済格差を利用した搾取の上に成り立ってる というのはいかがなものか
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/04/26(日) 01:48:27 ID:Ol7A8+VE
リンゲスタ問う
>>735 そういう言論にかぎらないだろ。資本主義自体がそうなのだから。
それとも、資本主義をそのままにしたBI論は虚言であると言いたいのかい?
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/04/27(月) 21:35:53 ID:gEnYt1Jo
マル経の人ってなんで教条的なの? 資本論は聖典ですか? 改善無き理論体系は改善し続ける理論に負けるに決まってるだろ
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/04/27(月) 23:57:30 ID:/+W4v7+C
これはまたひどく教条的な御批判で
まあ、マルクスの教条を裏切ってその史観を大胆に改変してしまったボリシェヴィキズムが ああいった結果になったことを思うと、むしろ反教条主義こそ諸悪の根源だったと思えてくるがね。
マルクスの教条って何なおだろお?
正統派マルクス=エンゲルス主義の教条
ロシアならプレハーノフじゃね?
おまいら剰余価値学説史は読んだか? 流石に全部読む気はしないが、サービス労働をマルクスが認めていたって 部分があるらしいが、どこだかわかるか?
>>745 よくわからないけど、家事労働のことじゃね?
俺、一人暮らしだから家事一切を自分でやらなきゃいけないんだよ。
週末二日間の休みのうち、半日は掃除やら洗濯やら食事の支度やらで
時間がつぶされちゃうんだよ。すごく時間がもったいないし、俺はこの労働
の対価をもらってないんだよ。
だから国はこういった労働に対しても賃金を支払うべきだよね。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/06/05(金) 02:23:31 ID:GSqyK/7g
おそかりし ああ都々逸革命!
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/11(金) 04:16:49 ID:Ged9RcPq
age
>>738 アカが資本論なんか読んでる訳ないだろ
ちゃんと資本論呼んだ奴なら、多少現代経済学と経済に対しての解釈は異なっても、革命だの裁量だのは出さない
>>750 >ちゃんと資本論呼んだ奴なら、革命だの裁量だのは出さない
ここ展開して?
>>751 だって、マルクスは自然に資本家と労働者の階級が破壊され、完成された共産主義になると言った訳だろ
非効率である搾取が無くなる仮定で、資本家と労働者の垣根は無くなるのだって
それは市場の自然な均衡によって起こる事だ
暴力的、強制的な革命や裁量ではなくね
>>750 その「裁量」ってどういう意味だ???
>>752 第1巻24章(の周知の個所)より
「この転形過程のあらゆる利益を横領し独占する大資本家の数の不断の減少とともに、窮乏、抑圧、隷従、
堕落、搾取の度が増大するのであるが、また、たえず膨張しつつ資本主義的生産過程そのものの機構に
よって訓練され結集され組織される労働者階級の反抗も、増大する。資本独占は、それとともに、かつそれ
のもとで開花した生産様式の桎梏となる。生産手段の集中と労働の社会化とは、それらの資本主義的外被
とは調和しえなくなる一点に到達する。外被は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収
奪者が収奪される。」
ドッカーン!
しかしマルクスだってゴチゴチの石頭ではなく、実践上では柔軟性ある人物だったから、彼が例外を認めていたことも紹介しておかないと不公平になるだろう。
『ハーグ大会についての演説』(大月版全集18巻)より(p158)
「 しかし、われわれは、この目標に到達するための手段はどこでも同一だ、と主張したことはない。
われわれは、それぞれの国の制度や風習や伝統を考慮しなければならないことを知っており、アメリカやイ
ギリスのように、そしてもし私があなたがたの国の制度をもっとよく知っていたならば、おそらくオランダをもそ
れにつけくわえるであろうが、労働者が平和的な手段によってその目標に到達できる国々があることを、われ
われは否定しない。だが・・・」
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/29(火) 15:57:23 ID:pFUnBKck
そこにはちょっと注釈が必要だと思うんだなあ。 資本論が執筆されていたのは1863年から1865年ごろ。初版が刊行されたのは1867年。 そのころはまだ西欧を含め欧米のほとんどの諸国で男子普通選挙すらも実現して居らず、 プロレタリアートの大多数に事実上参政権がなかったことを、その時代の政治的制約として 無視できない。ドイツにおいても、ヴァイマールまで普通選挙は名ばかりのものだったと しばしば批判にさらされている。 当時の革命論者が平和革命を唱えようものなら、同僚を含め政権交代を支持する人たちから、 現在の左翼論者にも浴びせられる、おめでたいお花畑論者だと揶揄されていたかもしれない。 ハーグ大会では、他に手段がない場合にかぎって暴力に訴える革命を自分は擁護するのだ とマルクスは言っている。その必要がなければ、プロレタリアートは選挙によって勝利できると、 選挙によるプロレタリア革命が可能であることをマルクスははっきりと言っているわけです。 しかし、マルクスは、言論の自由があるイギリスやアメリカやおそらくオランダ等僅かな諸国を 例外として、当時の多数の国々で投票による平和革命が実現できそうもないことを認めている。 当時の大多数の国では、プロレタリアートは、暴力的手段に訴えることなしに自らの権利を 実現できない政治支配状況におかれていたことを、マルクスはそこで強調しているわけです。 マルクスの娘婿でフランスの社会主義者、『空想から科学へ』を仏訳し、エンゲルスの友人 として同書でエンゲルスによって紹介されているポール・ラファルグもまた、 「可能な限り平和に、然らずば力で」が共産主義者の立場であると自らの著作に書き遺している。 現在の日本の、憲法9条堅守を掲げる左翼平和派の人たちにしてみれば、「然らずば力で」 というところに大きな引っかかりを覚えるのは当然でしょうけどもね。でも、その左翼平和派を 「お花畑だ」と嘲笑する人たちが、「然らずば力で」を頭っから全否定できるのか疑問ですよね。
ちょっと修正(二箇所): 1872年のハーグ大会では、他に手段が 当時の多数の国々で投票や言論の自由による平和革命が実現できそうもないことを
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/09/29(火) 17:34:28 ID:pFUnBKck
さて、道草をするのはここまでにして本題に。
>>753 そこで「収奪」とか「利益の横領」とか言われているのは、暴力的な革命とか戦争とかそういうことを
指さしているというよりはむしろ、資本主義的蓄積システムの歴史的性格そのもののをそう言い表
しているだけであると読み取れるのですよ。
つまり、ブルジョア経済学者が言う意味での「市場」以上の「市場」をマルクスが想定していたとも言え、
しかも前者の市場と後者の市場とを論理的に結びつける考え方がマルクスの『資本論』なんですよね。
でもって、
>>752 そこは微妙ですけど、ある意味ではそうだと言えて、またある意味ではそうでないと言えるでしょうか。
あなたが「市場の均衡」とおっしゃる場合の「市場」がどの範囲を指しているかですね。
その市場に歴史の大きな変動まで組み込もうというのがマルクスの資本論の意図であると思うので。
ブルジョア経済学のいう市場の均衡法則は、「彼らが言う以上の均衡」を内在させているというわけです。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/01(木) 00:19:14 ID:moFvDvKG
>>752 >それは市場の自然な均衡によって起こることだ
少なくともマルクスは均衡価格論をとっていない。貨幣に先立つ生産物の交換は
恣意的に成立し、その後、慣習によって交換比率が定着する。その後の貨幣による価格体系
も均衡によってできるのではなく、慣習によってできる。ただ取引している人々は
そのことに気ずかず、生産にかかる労働時間が同じものが同じ価格なのだと思い
込むのである。資本論で展開されている価値形態は、「売り」と「買い」の非対称性が
「命がけの飛躍」の成功により克服される、すなわちG−W−G’が成立することで、
出来上がる。その後、命をかけて跳んだことが忘れ去られるということを説明しているのが
価値形態論である。
759 :
758 :2009/10/01(木) 00:31:10 ID:moFvDvKG
>>752 共産主義の可能性があるとすれば、確かに暴力や革命ではなく「命をかけて跳ぶのを
やめた」という資本家の資本蓄積意欲の減退が原因になると思う。今日、民主党政権
は成長戦略を全く示していないと自民党から批判されているが、これは「跳ぶのが疲れた」
という日本全体の空気をあらわしていると思う
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/28(土) 01:28:23 ID:ZJ8mHPt0
資本家の資本蓄積意欲は、民営化にたかり利益を得ることに見られるよね。 楽をして政財が癒着して私利を得る。だが、これでは持たない労働者と持っている資本家の 間にある高い塀はなくならないよ。小泉のように成長戦略を示すことは、国民に犠牲を強いながら 企業に投資の負担を減らし、投資の余力を与えることだから、成長戦略を示し実行することで 塀はなくならない。共産主義なんてくるわけがないんだよ。第二次世界大戦の後30年くらいは 平等な時代がつづいたそうだが、一度戦争でもおこらないかぎり格差はなくならないよ
戦争によって貧民を足切りするんですね、わかります。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/29(日) 17:29:00 ID:vwCFxJc0
>>761 ちがう。戦争になると、物価を安定させることが必要になる。物がないから高騰するから。
賃金、ものの値段に上限をもうける。この規制が企業家の利潤の可能性を制限するから
平等になるんだよ
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/29(日) 18:33:50 ID:zR7jWjMQ
>>762 >この規制が企業家の利潤の可能性を制限するから平等になるんだよ
デフレ→戦争→インフレ(デフレ脱却)→物価統制→格差是正
ってことかな?
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/29(日) 20:14:21 ID:vwCFxJc0
戦争で物が戦争向けのものがたくさん使われて日常品が減るから物価が高くなる。 配給制になったら、闇市場で高値がつく。だから物価と賃金統制。 金持ちの多くは、金融業で働いている人たちだよ。その人たちにとって戦争になると お金の投資先が限られるから利益もでなくなって、賃金も低くなる、(もちろん 賃金統制だから低くなる)
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/29(日) 23:06:55 ID:zR7jWjMQ
>>764 >賃金も低くなる
それは実質賃金のことだね。物価統制と賃金統制とどちらに重点を置くかによって
企業の利潤率も変わる。賃金統制が物価統制以上なら、実質賃金が低下すること
になり、一般企業の利潤率は上がる。しかしその分雇用が増えるので一家族あたりの
所得は増え、結果的に格差は減る。
でも戦争でまず死ぬのは貧しい人だから結果としては足切りになるよね? 全員行き残ることを前提にしてたらおかしいぜ?
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/30(月) 21:01:38 ID:0hGsWDN1
>>766 アメリカは第2次大戦参戦で完全雇用を実現したから、勝てる戦争は景気回復
につながる。
>>767 それは関係なくね?
ここで今話してるのは戦争で景気が回復するかどうかじゃなくて
戦争で格差がなくなるのか、なくなるとしたら何故なのかでしょ?
勝つ戦争でも人は死ぬよね? その時に貧しい人から死ぬよね?
それはつまり「戦争で格差がなくなる」としてもその時に足切りも
行なわれてるってことだよね?
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/30(月) 23:17:04 ID:0hGsWDN1
>>768 貧しい人から死ぬっていうのはどうして?貧しくて傭兵にでもなるなら、わかるけど。
むしろ戦争は雇用を生み出すので、貧しい人は職につくことができ、収入も増え、
格差がなくなる。
貧しい人が死ぬから格差がなくなるのではなく、貧しい人も職につくことができる
から格差がなくなるんじゃない。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/04(金) 00:52:45 ID:9sXfImx7
貧しい人が死んでいなくなるから平等になるとか書いた奴はバカじゃないのか 金儲けをできる機会が限定されるから、才能のある人がお金を儲けられずに 人々は平等に というものだろ
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/10(日) 13:56:26 ID:33Np8zzE
>>767 アメリカは特別。
アメリカの場合、経済が生み出すデフレギャップ(過剰生産力、過剰労働力、過剰資金の総称)が巨大すぎて、
戦争か、戦争並みのビックプロジェクトを常時行ってデフレギャップを解消しないと、そもそも景気がよくならない、
というバケモノみたいな国なんです。
日本の場合は、戦争開始で景気がよくなったものの、
すぐに完全雇用、完全操業状態になって、そこから先は物価高、物不足、人手不足になってしまったのに対して、
アメリカは四年間戦争を続けて、ようやく、ちょっと物価が上がったくらい。
アメリカこそが、資本主義経済の最終形態であり、
それは、マルクスの予想とは大きく違ったものです。
日本も資本主義経済の最終形態に近づきつつある、そう思います。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/14(木) 21:13:54 ID:J1Zp+Hfa
>>771 アメリカには定住民社会の掟みたいなのが欠如してる
新興の移民国家という前提を忘れてるんじゃないの?
化け物でも何でもなく野蛮人の国だよ
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/30(土) 20:59:56 ID:xChAGT0P
アメリカとかいいながら経済を動かしているのは一部の財閥でしょう
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/30(土) 21:32:08 ID:jnMAfn7M
今の時代誰しもが、資本家であり、労働者であり、消費者でもある。 規模の差があるが。。。
>>774 それはマルクスの著作でも想定の範囲内だと思うけど。
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/03(水) 15:59:27 ID:eVZn0zwr
<鳥取市の大手企業リコーマイクロエレクトロニクスは馬鹿だ> -----「休みが多い!」という週刊誌報道が関係があるのか?------ 鳥取市のリコーマイクロエレクトロニクスは「週休4日制」つまり「休みが多い!」 ことで週刊誌で騒がれた会社だ。 僕はリコーマイクロエレクトロニクスにアルバイトに行っていた。 サボっていたら「休みが多い!」と激怒されリコーのアルバイトをクビ同然で辞めた。 週刊誌が「休みが多い!」と話題にした会社から「休みが多い!」と激怒されたのである。 その後、鳥取三洋の構内にあるテスコという工場に勤め一年半休まずに働いていた。 「休まずに働いているのはリコーに対する報復」という噂でテスコをクビになった。 この非現実的な噂は精神医学用語の「幻覚妄想」だろう。 世の中には馬鹿馬鹿しい噂を流し、信じる人もいるものだ。 リコーマイクロエレクトロニクスはこの馬鹿馬鹿しい人権侵害に弁護士までつけて揉み消し。 地元の人は関わりを恐れて事情を教えてくれず気分が悪い 現在の「リコーマイクロエレクトロニクス」検索結果は 企業検索では最悪のはず。
777 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/03/03(水) 16:09:28 ID:wuDHtpmo
復活
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/03/04(木) 12:28:32 ID:CTjaljdu
若い女って言うのは,触ってもいいし,舐めてもいいし, また,髪の毛の匂いを嗅ぐのもいいよね。 寒い時は,湯たんぽ代わりになるし,暇な時は撫でくってると 甘えてくる。 それこそ,チンポを1時間くらいしゃぶらせるのも良し, 精液を顔に掛けるのも良し, ただ柔らかい感触を味わうだけでも良い。 ケツの穴のシワを丹念に舐めさせるのもいい。 やっぱり,女は最高だね・・・
あああ
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/03/07(日) 16:48:19 ID:6FbnZ20x
あまりの巨大さゆえに「獣」とよばれている巨大コンピューターがある。 EECの主任経済分析学者のエンリック・エンデマン博士は、 次のような発表を行った。 「すでに世界中のひとりひとりにコンピューターによる 番号の割り当てを開始する準備ができており、 その番号には6ケタの数を3つ組み合わせたもの、 すなわち18個の数字を使う予定です」 カナダのコンピューター科学者パトリック・フィッシャー博士の、 そのブリュッセルのコンピューターについてのショッキングな報告である。 「来たるべきカードがもう一枚ある。 そのカードはもうできあがっている。 あなた方と私は、一つまたは複数のキーでこのコンピューターに つながれる。 そのキーのなかには私たちの社会保障ナンバー、 車の運転免許番号、出生証明番号、パスポート・ナンバー、 クレジットカード番号などが打ち込まれる。 すでに職業、年収、毎年の税金、住所などの変更のすべてが 記録されているからです」 一枚の世界共通カードによって、世界の人々はそのブリュッセルの コンピューターで管理される。 そして、すでにその情報は入力されているのだというのだ。
資本主義国の学校教育が決して教えたがらない歴史的事実。 1 レーニンはロシア革命を社会主義革命とは見なさなかった。 2 社会主義の導入は、ソ連の経済が西欧並に発展したずっと先のことで、 孫の代に実現できればよいというヴィジョンをレーニンはもっていた。 3 予定どおり社会主義の導入を行わずにレーニンはけっきょくこの世を去った。 4 レーニンの唯物史観とその展望によれば、ソ連は社会主義以前の国だった。 5 レーニンの史観では、共産主義の前に社会主義が位置付けられていた。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/03(土) 23:11:56 ID:mdVGoQPF
マルクスとかエンゲルスの挑発に乗った人ってかわいそうだよ。 全世界にたくさんいるんだろう?そんな人たちって。 大ホラというか、大言壮語がこれだけの衝撃を人類の進歩し続けていく経路に 影響を与えるというのはこれまでの歴史でたまに見かけるよね。 ナチスの台頭とかもそうだし。
>>783 マルクスよりもレーニンでしょ。
でスターリンがさらに悪用したんでない?
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/04(日) 11:30:05 ID:vufCE5ZT
>>784 え? レーニンはマルクルの大ボラを真に受けた被害者の筆頭だろ。
スターリンが悪用したのはその通りだと思うけど。
>>785 >え? レーニンはマルクルの大ボラを真に受けた被害者の筆頭だろ。
だって当時のロシアってマルクスの想定レベルになっていなかったと思うけど。
>>783 >>785 具体的にマルクスのどの著作の何章のどこがどう大ボラで大言壮語だ?一丁揉んでやっか??
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/05(月) 22:20:22 ID:yHF+/UHf
別にロシアを考えなくてもいいんじゃないのか?たくさん被害者はドイツあたりに いるでしょ。ローザルクセンブルクとかヒルファーディングとかリープクネヒトとか。 イギリスにずっといたくせに、ほんと迷惑かけまくりだよね。自分は安全な外国にいて、 自分の元々いた場所での争乱を煽るための本を書いて出すなんてたちが悪すぎ。
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/05(月) 22:45:24 ID:yHF+/UHf
wikiに ケネディ大統領が、アメリカのジャーナリズムがマルクスの原稿料を値切らなかったら マルクスは貧乏をしなかったろうし、あんな革命論など書かなかったろう とジョークを言っていたと書いていた。 マルクスは自分の稼ぎが悪いと言って私怨からあんなたくさんの人を不幸にする 本を世の中に出したのか。とんでもない話だな。 マルクスのおかげで潤った人ってどんな人がいる?スターリン? どれだけいるんだろう?
>>788 もう少し具体的にどの著作のどの部分の主張が読者をどのように煽ったのか説明してもらえませんか。
>>789 >wikiに
wikiをネタ元にするな。自分で自分の顔に泥を塗るだけだ。
>ケネディ大統領が、アメリカのジャーナリズムがマルクスの原稿料を値切らなかったら
>マルクスは貧乏をしなかったろうし、あんな革命論など書かなかったろう
マルクスが革命論を書いたのは1848年、アメリカのジャーナリズムに寄稿したのは1850〜60年代だ。
基本的事実を踏まえろ。
>とジョークを言っていたと書いていた。
ジョークをネタ元にするな。ネタ元にするならせめて気の利いたジョークを書け。
>マルクスは自分の稼ぎが悪いと言って私怨からあんなたくさんの人を不幸にする
>本を世の中に出したのか。とんでもない話だな。
>マルクスのおかげで潤った人ってどんな人がいる?スターリン?
>どれだけいるんだろう?
お前のアジテーターとしての腕前は三流未満だ。はい落第。
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/07(水) 05:48:42 ID:URXkXeqk
>>790 共産党宣言なんてあおりそのものだとおもうけどな。
でもひどいものだね。罪もないロマノフ王朝の人たちをレーニンたちが
殺してしまってソビエト時代はこういう情報も隠されてしまって
いたわけだしね。
ロシアに革命がおこったのもマルクスの資本論があったからでしょ。
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/07(水) 05:53:18 ID:URXkXeqk
一生懸命マルクスを勉強した人も結局不幸になってしまったんだとおもうよ。 時間を使って理解しようとしたものが、だめでした、とか後になって言われるとね。 辛いし、あの時代はなんだったんだという気持ちにもなる。 世の中がもうすぐ終わる、信者になれば助かるとかで集まったなんとか島セミナーが あったが、資本主義はもうじき崩壊するといって煽るのも困ったものだ。 マルクスの理由では資本主義は崩壊しないことは歴史を経てわかったわけだ。 なぜ、一介の経済学者の著作にすぎないのに、あれだけ信者を生んだのだろう? マルクスには文才があったのだろうか?
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/07(水) 05:54:58 ID:URXkXeqk
>>792 >共産党宣言なんてあおりそのものだとおもうけどな。
どのあたりがあおりかを説明してください。
>>792 >ロシアに革命がおこったのもマルクスの資本論があったからでしょ。
マルクスやレーニンの唯物史観に思いっきり反する観念史観なのはまあともかく、書物の存在と革命勃発との関連の必然性はどこから証明されているのですか??
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/08(木) 20:50:34 ID:1vYkLSGz
>>796 レーニンなどの革命の指導者がマルクスの資本論や共産党宣言などから影響を
受けていたということを示せば十分なんじゃないの?書簡とか言行録とか残っているでしょ。
>>795 全国の労働者よ団結せよ
と煽っていたような。
それから、なんでマルクスの人たちなんて、社会の上層にいる人たちによって
艱難辛苦を強いられているなんていいかたをするんだろう。(忘れたから
ごめんね。もっときつい言い方だった。)社会自体が貧しい訳で、だれも貧しい暮らしを
しなければいけなくて、貧しいのは搾取されたからではなくもとからのパイが小さかった
からです。それを社会の上層の人たちが搾取しているだなんて、ねじまがった意地の悪い
考えなんてできるもんですね。国民がたくさんいて、その人たちがNHKの受信料分だけ
寄付をしたとしたら、合計金額は恐ろしく多いでしょう。それを一部の人でわければ
一人当たりの分け前はすごく大きい金額になる。それと同じでしょ。
たしかに裕福な人はいる。だがその人たちがいるために他の多数の人たちは貧しさを
強いられているわけではない。(NHKによって搾取され、苦しいぎりぎりの生活を強いられて
いるなんて誰もいわないでしょう)
だから、貧しいのは搾取されているからだ、と書いた本を出す事自体、あおりだよ。
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/08(木) 20:59:30 ID:1vYkLSGz
全国じゃなくて万国だったか。世界中にむけて、あおりのシュプレヒコールを あげているんだったね。国内だけでやるほどちゃちじゃない。そこまでの小物 だったらこんな不幸は作り出していないだろう。 さて、大企業の経営者が高給をもらっているとしても、大株主がたくさんの配当 やキャピタルゲインを得ていたとしても、彼らはこの世の中に必要な存在だよ。 経営者がいなかったら、資本や労働はどうやって適正に組織され、物をつくり だせるんだろう?労働者のトップがやる?ソビエトみたいに?だめだめ。 ソビエトのやりかたは効率が悪すぎて、資源が無駄遣いされてしまっていた。 もし一人の経営者がいたなら、もっと効率的に資源をつかってたくさんの生産物 を作り出せただろう。その経営者が「搾取して得た金額」よりもはるかに多くの 価値額を生み出せただろう。 資本をもっている大株主も同じだ。資本を提供することで新産業が創出される。 イノヴェーションもそうして生まれるし、より大きなパイを作り出せる力が社会に 生まれる。大株主を悪者と決めつけ、革命によって抹殺すれば金の卵を生む鶏を 絞め殺してしまうのと同じことだ。そんなこともわからずに、一円でも搾取は搾取だ とか字ずらにこだわる人は、愚かな人たちだな。 マルクスに煽られた人たちは被害者でもあるんだけど、被害を広めていったという 意味で加害者でもある。もっと柔軟な考え方ができなかったのは歴史にとって 残念なことだ
>>797 「ロシアに革命がおこったのもマルクスの資本論があったからでしょ」から、いきなり
「レーニンなどの革命の指導者がマルクスの資本論や共産党宣言などから影響を受けていたということを示せば十分なんじゃないの?」
まで一気に戦線後退されても困りますが・・・
ロシア革命(全過程を包括するにせよ10月革命に絞るにせよ)に反対した人々もマルクスの資本論や共産党宣言から多大の影響を受けているという事実を忘れている。無理な理屈です。
>>797-798 私は
>>795 さんではありませんが、
>全国の労働者よ団結せよ 煽っていたような。
>全国じゃなくて万国だったか。
「万国のプロレタリア団結せよ」のどこが何を煽っているんですか?団結を促していますが、それが何か??
>それから、なんでマルクスの人たちなんて、社会の上層にいる人たちによって
>艱難辛苦を強いられているなんていいかたをするんだろう。(忘れたから
>ごめんね。もっときつい言い方だった。)
マルクスの資本主義批判はそこが要点ではないですからいずれにせよ無駄ですが、ゆっくり思い出してください。
>社会自体が貧しい訳で、だれも貧しい暮らしを
>しなければいけなくて、貧しいのは搾取されたからではなくもとからのパイが小さかった
>からです。それを社会の上層の人たちが搾取しているだなんて、ねじまがった意地の悪い
>考えなんてできるもんですね。
極めて初歩的なマルクス誤解にしか見えませんが、典拠は何ですか?
>だから、貧しいのは搾取されているからだ、と書いた本を出す事自体、あおりだよ。
マルクスでなくプルードンあたりがそういう本を出していたわけで、そこを批判したのがまさにマルクスなんですが・・・
資本論でいう「搾取」はあくまで労働力という商品の等価交換を通じた資本家による剰余価値の取得であり、別に資本家が悪事を働いていると言っているわけではありません。
>さて、大企業の経営者が高給をもらっているとしても、大株主がたくさんの配当
>(ry
>とか字ずらにこだわる人は、愚かな人たちだな。
マルクスの考えた共産主義はソ連型社会主義とも違うし、価値をガッポガッポ産み出せばいいという生産第一主義とも違います。
『ゴータ綱領批判』を参照して下さい。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/11(日) 13:18:35 ID:sHZvnrgt
てか仮にマルクスあるいはエンゲルスが革命まで生きていたとしたら レーニンを痛烈に批判していたと思われ。 読めば解るが資本論その他は結局資本主義賛歌に過ぎないんだよな。 *** そしてその後全ての富を持つビルゲイツみたいな奴と何も持たない プロレタリアート(ルンペン)が存在するまでに発展した時初めて革命が 起きる *** 有る種の救済物語 ただし現状は再びよりひどい形で格差が広がってる気がするが… 以前のタイムズに書いてあったが不平等が大きい程その国の労働者の 生活満足度しいては人生そのものに対する満足度は低いそうなw
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/11(日) 19:38:42 ID:PJMXd4Ug
>てか仮にマルクスあるいはエンゲルスが革命まで生きていたとしたら >レーニンを痛烈に批判していたと思われ。 そうやって死人に自分の意見を擁護させるのはやめたまえ。
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/12(月) 22:07:52 ID:ocBTY982
age
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/13(火) 00:29:32 ID:0z/0QKOA
無料化効果は 孫正・義の推定資産59億ドルだって。 無料化とは関係ない 2006年フォーブス誌の公開情報によると 孫正推定資産70億ドル=8050億円だって。 sankyo毒島6210億円(54億ドル) サントリー佐治5750億円 三木谷(楽天)5175億円 イトーヨーカドー伊藤3795億円 福田(アイフル)3320億円 神内(プロミス)2012億円 韓昌祐(マルハン)1322億円 増田(CCC=TSUTAYA)782億円 しこたま。。。 ソフトバンク 日本の赤字借金を払え!完納できるだろ! 国民がかたがわりする問題じゃない。
>>801 > てか仮にマルクスあるいはエンゲルスが革命まで生きていたとしたら
> レーニンを痛烈に批判していたと思われ。
実際、メンシェヴィキや、ロシアマルクス主義の父といわれたプレハーノフは
レーニンを批判していたしね。ソ連が専制国家になることを予言してさえいた。
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/19(月) 04:32:44 ID:gTImRCF4
労働者が剰余労働を搾取されているなんてものもおかしいよね。 消費者が低い価格で買えて、消費者余剰を得れて得をするみたいに、 生産者は低い価格で労働を買えて、生産要素の消費者としての消費者余剰を手に入れられる わけだけど、 生産者が生産者余剰をえるように、 労働者は高い価格で労働をうれて、生産要素の生産者としての生産者余剰をてにいれられるんでは ないの? しかもなんで、労働の再生産にひつようなだけの賃金しかもらえないみたいな低賃金しか 労働者がもらえないなんて過程されているんだろう?現実には私立の中高一貫に子供をなんにんも 通わせている親もいるだろう。ハワイやイタリアに海外旅行に休みごとに家族でいくのも、 労働の再生産の費用にはいっているのかな
一般的商品搾取定理でググれ
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/20(火) 23:09:32 ID:75jKt2XJ
金持ち父さんよりも貧乏マルちゃんだよね
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/21(水) 19:37:40 ID:JEAswwC8
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/21(水) 19:45:07 ID:pVU5W9OU
資本論を読んでこう思ったとしよう。 「資本家って労働者から搾取してるのか・・・ 俺も労働者だから搾取されてるんだろうな。 実際、賃金は出し惜しみするくせに、働け働けとうるさいし、 ろくに昇給・昇格もさせないくせに責任押し付けてくるし。 石油や石炭は燃やせば終わりだし、原材料も消費すれば終わりだけど、 労働力は使えば使うほど搾れるからなぁ・・・ そうだ、株でも買って他の労働者から搾取するか。 その不労所得だけで飯食うのは無理でも、 搾取されてる分を取り戻すくらいできるだろう」 そうなれば、あなたも立派なマルクス主義投資家の仲間入り。
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/21(水) 20:02:26 ID:JEAswwC8
経営者が夜遅くまで電卓叩きながら、ああ、赤字だよ。こりゃあ来月は電気代を けちらなければいけないな。銀行さんも容赦ないから、次の借り換えなんとか ならないかもしれないな。でも従業員のことを考えると店を畳む訳にはいかない よ。ああ、会社なんてやらなければよかった、 そんな経営者に雇われていながら、資本は労働を搾取している。自分はサービス 残業すらも強いられている。給料はこんなに低くてやっていけない。これも 資本に搾取されているからだ。経営者は鬼だ、そんなふうに思っている労働者の みなさん。誤解です。経営者は苦労していますよ。従業員のために。
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/21(水) 20:17:55 ID:JEAswwC8
>>807 一般的商品搾取定理とかでググって、グリーンの松本?さんのホームページ
読んだ。ぜんぜん無関係なんでなにもわからないけど、あれじゃないの?
純生産可能だけだと労働を再生産するために必要な財が考えられていないので、
それも考えないといけないよ。ということは労働者の賃金は再生産できる程度には
高くないといけないよ。その上で利潤は生じるかな?生じれば搾取があると
いうことで。ということでしょ。
労働は唯一の本源的生産要素なんでバナナとはちがうだろ。それなのに一般的商品
搾取だなんてJAROじゃない?
>>811 搾取の定義が曖昧だな。
搾取とは剰余価値の搾取のことだよ。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/24(土) 10:13:53 ID:7JhuS8oB
例えば だ。 仮に『搾取』なるものを廃止しようとして 1 支払いはその個々人の能力,働きに応じて →この命題は60億もの人口の内『誰が,どのように,どうやって』 決め得るのか? 2 搾取が無くなる事は必然的に損益計算書の廃棄を意味する。何故ならば 純利益という概念すら無くなるから 当然貸借対照表の純資産の部も無くなる。簿記も不要となる。こんな, 『株式会社』等々,あるいは『国』等々にカネを貸す人々はいるだろうか? 俺なら怖くて貸さない。唯一の解決は『地球株式会社』というしかも全員 労働者でありかつお互いの上記能力を測定する(互いが互いを)モノしか 有り得ない。まず不可能。 マルクスの最大の間違い→資本の有機的構成部分,すなわち不変資本,すなわち 機械,すなわち2001年宇宙の旅で出てくるような人口知能を持ったハルのような 機械が人間の替わりに労働をしてくれる時代が来ない限り,永久に無理だと 気付かなかった事。そしてそれはエネルギー保存の原則に反する。生あるもの は必ず滅する。アンドロメダでも行くか?w
そのとおり 搾取がなければ利潤は生まれず商品の再生産はできない つまり社会は存続しえない
816 :
814 :2010/04/24(土) 10:42:07 ID:7JhuS8oB
だが,俺は労働価値説信者だけどな。w 労働,流動資本,固定資本これらを総合しなけりゃ価値なんぞ生まれようが 無い(『真に』測定可能かどうかは別として) それと価格との差は依然として未解決。塩置さん読んでないでスマンけど。 でも近代経済学は何も示さない。それはマルクスの功績。又『外化,疎外』 ,『貨幣の物神的性格』を示したのも彼の功績。問題はここからどう発展 させるかだな。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/24(土) 14:18:25 ID:woTNwZae
>>815 利潤とかいうのは、社会が生産的(つまり再生産に必要な財以上を生産できること)
であることから生じるんだろう?純生産物は価値として資本家と労働者にそれぞれ
利潤、と、賃金に分けて与えられる。
社会が生む純生産物が多ければ大きいほどパイ全体が大きい。
労働価値説は利潤がゼロの場合に限られるんだよ。
成立しないことは転形問題で示されている。きみはまともに伊藤の本すらも読んでいないのか?
きみはローマーの本すら読んでないのか?
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/25(日) 20:28:15 ID:Ab3xkjDQ
読んでねえよ
じゃあ話にならんな
本源的 本源的 ってキーワードのようだけど おいらドイツ語わかんないんで、英語だと何? fundamentalとか?
本源的蓄積 英 primitive accumulation of capital, 独 ursprungliche Akkumulation des Kapitals 本源的生産要素 Primary factor of production 置き換えても何も変わらんしw
任意の商品の売値がその生産・流通・販売においてかかった費用より高ければ利潤は生まれる 労働搾取がなくても、つまり剰余労働がなくても、 労賃以外の部分で費用の超過分が存在すれば利潤は生まれる つまり労働搾取は利潤の唯一の源泉ではないということ
825 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/26(月) 14:02:35 ID:s3pZCN7g
それじゃただの運まかせじゃんw 企業は運営側に回ってみれば解るけれども売れない場合,原価回収の 為上記の費用よりも安く売る事さえある。だから君の言う事の 反対だって有り得る。そこにおける経済学の使命は何だね君。 基本,企業はその費用とやらにマークアップ付けて売るのが 当たり前。それが資本主義社会における大前提。
>>825 >企業は運営側に回ってみれば解るけれども売れない場合,原価回収の為上記の費用よりも安く売る事さえある。
それは利益は出ないが売れないよりはマシというだけの話
労働搾取が利益の唯一の源泉ではないことに対しての何の反証にもなっていない
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/26(月) 19:12:54 ID:GZsum84e
はあ? 何言ってんのオマエ。お前の言いたい事は単に費用より『高い価格で 売れる時があれば』利潤は出ますよ,そう言ってるだけじゃん。 何の理論的根拠も無い。 たまたま天候不順で価格とかあがったりしたらそりゃ利潤出るの 当たり前じゃん。同じ理由で売れないなら下がる。それ経済学? パチンコ?(爆)
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/27(火) 17:47:57 ID:ts/vHHe4
>>824 それはもう共産主義の段階だわ。マルクスにおいては、共産社会には労働価値は止揚されると見なされている。
>>827 >たまたま天候不順で価格とかあがったりしたらそりゃ利潤出るの当たり前じゃん。
だから「当たり前」なんだよ
剰余労働分の賃金を労働者にちゃんと払おうと払うまいと
その賃金を含めた費用より高く売れれば利潤は出る
つまり搾取は利潤を得るための必要条件じゃないんだよ
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/29(木) 02:56:26 ID:1sU0UmUL
>>825 >>827 >>828 >>829 君たちみんなわかってないんだな。価格が費用より高ければ利潤が云々と書いているけど
この価格っていうのは、生産価格のことだよ。マーシャルのいうところのセンターオブ
グラヴィテイションというやつ。長期正常価格というやつね。価格っていうのは
生産費に等しくなるように決まる。利潤の取り分もコストだから、それも含めて
費用なわけ。
利潤と労働の賃金の分配は社会慣習的に決まるから、体系が生産的であれば労働も
資本も利益をいくらかずつえられるわけ。
だから?
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/29(木) 14:28:41 ID:M/9cTAwY
コンピュータどころかテレビもなく、ホワイトカラー(サラリーマン)も ほとんどいなかった時代に書かれた古典を、今議論しても意味ないだろう。 そのころの数学だって、いまよりずっとレベル低くて、集合論すらなかったんだから。 マルクスが今「資本論」を書いてりゃ、もう少しまともな数理経済学書になっていただろう。 さもなくば、数学理解できなくて、経済学者を失業していたか。
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/02(日) 03:35:06 ID:x72hW2nX
結局、一古典にすぎないマルクスの資本論をあたかも真理が書かれてあるかのように 原理主義的に信仰するという姿勢はまちがいだとおもうなあ。そんなことして 思想的に偏って、政府相手に闘われたりしたなら、正直言って機動隊だって怖い とおもうぞ。
G−W−G' の図式って、現実に苛烈なまでに貫徹してるって思うが。 そう思うのは信仰か?
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/02(日) 18:40:22 ID:1/6jZKoF
説明が必要だよ このスレ見ている人がみなマルクスやったひととは限らない訳だから
「G-W は、資本(G)を投入して、生産手段・労働力・原料などの商品(W)を購入し、
付加価値を持つ新たな商品を生産すること。
W-G は、商品(W)を販売して資本(G)を回収すること。
G' と表記されるのは、もとの資本+利潤(損益)を意味します。 」
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1103939.html 無断引用御免なさい↑
Gは必ず増殖してG'になって戻ってこないといけない、という"強迫的"定式。
ぐるぐる回り続けていないとコケてしまう独楽のようなもの。
この定式は強力に貫徹している、信仰じゃなく現実だ、と。
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/03(月) 01:25:50 ID:WP64/Oh1
説明ありがとう。最初の Geldを投下してもそれが Welkの生産を通じて、 資本を回収し、おまけに利潤を回収できるかどうかわからないんだよね。 強迫観念をもって投資しても、景気の悪いときは無理でしょう。 ある産業に投資をしてそこでの収益率よりも、そのお金を投資せずに 銀行預金をした場合の金利のほうが高ければ、だれだって、 G-W-G'なんてことやらないでしょ。あるいは他の産業で収益率が 高ければそちらで事業をやるだろうし。 GWG'というのはそういう理由で なにも言っていないとおもうよ。従業員いるし、産業転換で一時的にで あれ、失業したり、従業員を失業させるのは嫌だから中小企業のおっさんは 事業をつづけようとがんばるわけでしょ。それは資本の論理とかそんなこと じゃなく、中小企業のおっさんの責任感だとおもうよ
だから価格は需要と供給の関係だけで決まるんだから 労働価値説は間違っているんです
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/03(月) 23:08:36 ID:yJlyEt6d
生産費用で価格がきまるというのは普通にマーシャルが考えていることじゃない。
その生産費用がかかった労働費用というだけでしょ。需要と供給とかいっても
長期じゃ需要が決めていないし。
>>838 は何にもしらないんだな。
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/03(月) 23:32:53 ID:yJlyEt6d
話し変わるけど、産業革命で、すぐれた紡績の技術が開発されて、糸や織物を輸出 したイギリスだったけど、すぐに他の国が真似をして、紡績工場をつくって 輸出するようになったから、イギリスの紡績工場はつぎつぎと廃止になって いったんだよね。産業革命であとはバラ色というふうにはなっていないんだよな。 先鋭的な労働者が革命起こそうにも、仕事がなくなってしょぼんだよな。
>>837 >利潤を回収できるかどうかわからないんだよね。
そのとおり。だから W−G’を「商品から貨幣への命がけの飛躍」と表現したんだよね。
>>839 >生産費用で価格がきまる
そんなことはないw
じゃあ倒産会社の設備がタダ同然で売られることを生産費用説で説明してごらんよw
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/04(火) 15:10:09 ID:Z9Ew8icK
経済学をわかっていないみたいだね。倒産会社の売っている設備は、製造者に
よって新規に作られた商品とはちがうでしょ。同じ商品の場合もある。(コンビニ
の倒産とか)そういう場合も卸値に近い値段で取引されるよ。賞味期限とかも
考慮してのことなんだけど。商品っていうのは場所と時と状況が違うと別の商品に
なるんだ。雨の日には傘が高い値札をつけてコンビニでうられているということって
あるでしょ。晴れの日には傘すら置いていないのに。今日の百万円と明日の百万円は今日
借金を返さなければいけない人にとって違うでしょ
>>842 の書き込みをみているとほんとうに素人さんなんだなあっておもってしまうよ。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/04(火) 15:13:56 ID:Z9Ew8icK
>>841 学説史でならったことだけど、その命がけの飛躍のリスクをあらかじめ負おうと
いうことの対価として、企業家には利潤が与えられるんだよね。だから搾取
ばかりではないんだよ。負の側面だけをみて企業家を攻撃だけしていれば、
イノベーションが起こらない停滞し続けるソビエト経済みたいになってしまう。
そうなると終わりなんだね。
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/04(火) 15:17:11 ID:Z9Ew8icK
産業革命の教訓は、どんなにひらめきが相次いで一時的にすばらしい経済が実現された としても、ずっと長くはつづきはしない。ひとえに風の前の塵に同じだよ、と いうことなんだよね。経済は循環し続ける。だからもうけれるときにもうけよう、 不景気になったら殻にとじこもってじっとやりすごそう、そういうことで、懸命な人たち は今の不景気で財布をしめて、倹約をしているんだ。これがリーマンショック以降の 世界の流れなんだよね。
>>845 >経済は循環し続ける
G−W−G' が G'−W'−G'’に、更に G''−W''−G''へ・・・・'
この連鎖は終わりがない。Gは単なる貨幣ではなく、資本。「経済」ではなく「資本」が循環している。
>>844 >イノベーション
イノベーションで目新しいWを創り、マーケティングでW−G'を実現している。
>対価として、企業家には利潤が与えられる
いいんじゃない。
>停滞し続けるソビエト経済
「社会主義経済計算論争」なるものが、ベルリンの壁ホーカイよりはるか昔にあって・・・
「資本主義は最悪の制度。ただしこれに代わるシステムは無い」
(みたいなことを、偉い人が)
かくて G−W−G' は貫徹し続ける。
>>843 それ
>>842 への反論になってないどころか
「商品価格が生産費用で決まる」ことを否定しちゃってるじゃんw
>>848 >>843 じゃないけど。
http://blogs.yahoo.co.jp/olympass/49403373.html マーシャルはかくして、価値の問題に関して、次の重要な結論に到達している。
一般的に、われわれが考察している期間が短いほど、価値におよぼす需要の
影響に与えられるわれわれの注意の度合いは大きくならねばならない。そして
期間が長くなるほど、生産費の価値への影響は重要になるであろう(PE, p. 291)。
モノの価値は、長期にはその生産費に一致する傾向がある(PE, pp. 289-290)。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
http://www.asahi-net.or.jp/~pv3n-situ/mshal-3.html マーシャルは、調整時間が短いほど需要側の要因が市場価格を左右しやすく、
長期になるほど供給側の要因の影響が強まるとして限界革命を率い価格決定を
めぐる需要側の要因を強調したジュヴォンズらの主張(限界効用価値説)と、供給
側の要因を重視する古典派の考え(生産費説)を統合した。
キーワードは「短期」、「長期」。
↑2つ目の引用に定義がある。
「主に設備量まで可変とみなされるのが長期、設備量は不変として、もっぱら他の
生産要素の調整で財の供給量を変化させることができる期間が短期である。」
>>848 は短期にしか眼がいっていない。
>>849-850 いまどきマーシャルに立脚して商品価格を説明する人も珍しいねw
で、その諸引用のどこが「商品価格が生産費用で決まる」ことの説明になってるわけ?
マーシャルにしたって「長期になるほど供給側の要因の影響が強まる」としているだけで、商品価格が生産費用で「決まる」などと一言も言ってないわけで。
だいたい、長期になればなるほど需要のない商品が淘汰されて生産費用と利潤を回収できる商品が残るのは当たり前ですよw
じゃあもう一度聞くね。
「「商品価格が生産費用で決まる」というなら、
需要がないため生産費用以下でタダ同然で売れなかった商品の価格
を生産費説で説明してください。
>需要がないため生産費用以下でタダ同然で売れなかった商品の価格 需要がないものと見込まれるものであれば、短期・長期を区分するまでもなく設備投資 して生産する企業は存在しないでしょう。 市場参入した直後に、需要がほとんどゼロという事態(需要側の要因)に直面したならば、捨て値 で売り切るだけでしょう。 その価格は生産費用とはリンクしない。短期的には需要側の要因で決まる、でいいのでは。
需要も生産もどっちも商品価格に反映するけどね どっちか一方だけってことはないだろ 商品の種類によって影響度合いもちがってくるし
「倒産会社の設備がタダ同然で売られること」 この問題は、需要サイドによっても説明できない気がするけどねえ。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/06(木) 21:50:54 ID:rds8fOeJ
てか、その主の例外を持ち出してきたら、主流派経済学のモデルが通用しないケースだって けっこうあるんじゃないの? だからって主流派経済学のモデルが破棄されるわけじゃないでしょ?
>>854 なんで?
需要がないから価格が下がる
これだけの話でしょ
倒産したから処分するためにそうするのだから営利が目的じゃないでしょ。 つまり経済とか市場の論理の外にある。
売り手は、正常な営業循環からコケてしまってはいるが、処分品の買手は通常の事業者。 バッタ屋とか、対象物によってはハゲタカファンドとか。 ポイントはいくらで売れるかという、将来収益の予想値。売り手の歴史的原価はほとんど出る幕が ない。ただ正常に出回っている商品との価格落差にビジネスチャンスを見出しているわけだから、 正常な市場価格との関係はゼロではない。
補足: ポイントは 「買手にとって」 いくらで売れるか、「いくらで転売できるか」という、将来収益の予想値
>>857 できるだけ高く売って利益を出したかったが
需要がないから結果として「タダ同然」でしか売れなかっただけの話。
だからそのレスは的外れ。
で、そのレスのどこが「倒産会社の設備がタダ同然で売られること」を生産費用説で説明してるの?
連休中、読ませてもらったけど、いろんな人がいますね。
労働が唯一の価値の源泉という人は置塩くらいはフォローしてもいいのでは。スレもある。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/economics/1154569902/ 擁護するつもりが、結局、皮肉にもマルクス価値論の墓掘人になってしまったと理解している。
「労働=本源的生産要素説」=「労働はバナナとは違う説」は議論の土俵をずらすものと感じる。
とはいえ、標準的なミクロ理論も、コアの部分は何十年も変わってないよね。
例えば、競争市場における企業の主体均衡で、限界費用逓増、平均費用逓増のところで限界費用=価格
で均衡が達成されるというお約束。こんなの見てきたようなウソにしか思えない。そんなところから出発して
最終的に有効な体系になっている保証があるのか。他に代替できる有効な理論がないだけじゃないのか。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/10(月) 11:28:58 ID:uUfZHgL/
>>860 会社が倒産しているんだから収益とは関係ないはずでしょう。
それにその設備はその会社が商品として開発したものじゃないし。
倒産したから設備がいらなくなって、処分するのにまた金が出ちゃうから
リサイクルにでもただで売ったほうが損じゃないというだけの話で。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/10(月) 11:30:07 ID:uUfZHgL/
ところで、タバコ税が上がるとタバコ代は安くなるんでしょうかね?
>>862 清算会社も知らないの? 債権者等に債務返済しないでどうすんの?
>>862 >それにその設備はその会社が商品として開発したものじゃないし。
それは関係ないよ
転売ではなく最初の販売の局面で見切り販売することだってありうるわけだから。
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/11(火) 04:22:47 ID:psJGK/Cq
いいんだよ。見切り販売をしても。ただ一時的に供給が過剰になって価格が 下がっただけの話。みきり販売するほどの低価格でしかうれないと、企業が退出 し、供給がへり価格があがる。結局、正常価格で売れるよという話だ。その正常価格こそ が平均費用、つまりマルクスでは労働価値が示すところの物だ
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/11(火) 14:31:04 ID:iQtkNbJ3
>>865 そりゃ、例えば、客引き、客集めのために特定の商品を原価より安く売り出すこともあるでしょうよ。
それはミクロの販売戦略であって、マクロ的つまり総体としては労働価値説がなりたたないと
資本主義経営は成り立たないし、資本主義経済も崩壊しちゃうでしょう?
>>866 >ただ一時的に供給が過剰になって価格が下がっただけの話。みきり販売するほどの低価格でしかうれないと、企業が退出し、供給がへり価格があがる。
見切り販売後の価格変化は現実の需給関係によるので、ここでの仮定だけでそんな断定をしてもしょうがない。そのまま需要が戻らないまま商品が市場から駆逐されることもあるし、需要が高まって価格が上がることもある。
>結局、正常価格で売れるよという話だ。その正常価格こそ
が平均費用、つまりマルクスでは労働価値が示すところの物だ
だから「正常価格」って何よw 任意の価格が「正常」であるための必要十分条件は? 「正常価格は労働価値が示す」ということの意味がわからない。
なぜ需給による価格形成にいきなり労働価値が登場し、それがどうかかわるのかを説明しないとだめだよ。
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/11(火) 23:10:55 ID:/h7/bXFV
だから、長期だと平均費用に価格はきまるんだよ。
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/11(火) 23:13:08 ID:/h7/bXFV
もうちょっと説明すると、価格が平均費用よりたかかったら利潤があるから企業は 参入するし、低かったら商売上がったりだから企業が退出して供給がさがるから価格が あがる。マルクスの場合労働だけが生産要素だから、平均費用というのは直接的 間接的にかかった労働コストなわけ
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/11(火) 23:15:19 ID:/h7/bXFV
それで価格は長期平均費用になるわけなんだけど、それを正常価格というのはなぜかというと、 けっきょく落ち着くところがその価格だから、ってことでしょ
それって、アダム・スミスの「自然価格」っぽいね。
>>869 それを労働価値説で説明するとどうなるの?
>>870 >マルクスの場合労働だけが生産要素
だからマルクスの前提がおかしいのよ
土地、設備、材料等がなくてどうするの
>>870 それって商品価格は需要供給の関係で均衡価格が決まるという当たり前のことを言ってるだけでしょ
その説明のどこが「商品価格は労働時間で決まる」という命題を証明してるの?
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/12(水) 21:27:54 ID:5LxXE81O
その需要供給の関係を決めるのはけっきょく労働でしょう? 労働力なしで資本主義がなりたつなら、労働市場はいらなくなるし。
演習問題 以下の事例を労働価値説により説明せよ。 @「すき家」「松屋」が大幅増益=吉野家赤字、値下げで明暗?09年度決算 2010年05月12日19時20分 / 提供:時事通信社 牛丼大手3社の2009年度連結決算が12日出そろった。「すき家」を展開するゼンショーと「松屋」の松屋フーズは値下げで 客を取り込み、10年3月期決算で大幅増益となった。一方、値下げを見送った吉野家ホールディングス(HD)は10年2月期の 純損失が約89億円と過去最悪の赤字を計上、価格戦略が明暗を分けた。 期中に牛丼並盛りを計70円値下げしたゼンショー は、既存店来客数が3.6%増加。 A亀田製菓(本社・新潟市)は2010年3月期の連結決算を発表し、売上高は前期比2.3%増の793億5300万円、経常利益は同21.3% 増の40億2100万円、純利益も9.1%増の21億円で、いずれも過去最高となった。また通期の配当を2円増配し22円とした。 同社 は主力商品「ハッピーターン」「柿の種」などを「トップ8ブランド」と位置付け、価格競争に参加するのではなく総量の調整で乗り切 ったり、またTVCMなどで積極的に販売促進を行っていったことが実った。
ある企業が、ある商品を作って儲けようと考えると まず類似品の市場価格を調べて、自分のところで作った場合、生産コストや流通コストを引いて利潤が出るかを検討する コスト以下で生産できれば市場に参入するが、できなければ参入しない 参入してから価格が下がったら、コストダウンをはかるが、無理の場合は生産から撤退する よって商品の価格は生産コスト(自社の労働価値、材料などの価格に転化された他社の労働価値の合計)で決まる
>>878 >よって商品の価格は生産コスト(自社の労働価値、材料などの価格に転化された他社の労働価値の合計)で決まる
そこの「商品の価格」は誤りで「商品の売り手が売りたい価格」だよ。
「商品の価格」はあくまで需給曲線の交点である均衡価格でしかない。
均衡価格は売り手の生産コストを下回ることもありうる。
>>876 >労働力なしで資本主義がなりたつなら、労働市場はいらなくなるし。
そんなの当たり前でしょ。
いま問題になってるのは「労働時間だけで商品価格が決まる」という労働価値説の妥当性。
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/13(木) 12:30:31 ID:wmSpj2fn
てか○シンパの俺でさえ簿記1級持ってるのに『正常価格』 も知らないんだな… そりゃ様々な要因で短期では価格は上下するだろう。 逆に聞きたいが『正常価格』の元で利潤はどう出るんだ? 又意味不明な何も示さない需給の一致か?
日本語でおk
すべてのお酒には水が入っている、だから、酔わせる主成分は、水!! みたいな話は勘弁w