戦国史上もっとも失敗し、挽回した男、その名は仙石権兵衛秀久。
織田家による比叡山焼き討ちの際、愛する女を救うため 木下隊を脱走した彼は、
その罰として佐久間隊への出向を命ぜられる。秀吉のことを主君として心底慕う
センゴクにとって、そして部下思いの秀吉にとって、この処断は厳しいものだった。
そして、佐久間隊へと移ったセンゴクは、徳川家康の援軍として
甲斐の虎・武田信玄とその軍団と戦うことになる。「退きの佐久間」として知られる
佐久間信盛だが良く言えば堅実、悪く言えば融通の利かない振る舞いに
センゴクはどことなく不安を隠せない。
そんなセンゴク、そして徳川家康の前に立ちはだかる武田信玄とその軍団。
戦国最強とうたわれるその陣容と戦略目的は、佐久間信盛のあさはかな計算など
一蹴してしまうものだった。底知れぬ将としての器と闇を持つ総大将・信玄。
いずれも織田・徳川家の諸将以上につわものである配下たち。
敵国での殺り放題、奪い放題、犯し放題を許され、血に飢えた羅刹と化した兵士たち。
それらが東海道から美濃にかけて、巧みに侵攻してきているのである。
さらに重臣中の重臣、馬場美濃守信春が家康の前に参上。
血が上りやすい家康をこれ見よがしに挑発する。
このあと繰り広げられる三方原の戦い、いかなる戦いになるだろうか……。
これまでの通俗小説や漫画、映画やドラマやゲームでは見られなかった
新解釈かつリアルな合戦絵巻、とくとご照覧あれ!
前スレ
【仙石】センゴク 五番槍【秀久】
http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/comic/1137407723/ 過去ログとか関連スレは
>>2-10あたりに
刀なんて合戦じゃ役にたたねえ 仙石権兵衛秀久 戦国史上最も失敗し、挽回した男
合戦とはなにか問い続けぃ 最強・織田信長軍団 史上最も苛烈にして、最も繊細な男
死を超えるのが生きるってことだ 木下籐吉郎秀吉 史上最も淫蕩にして、最も難解な男
“殺し間”に足を踏み入れたが最後に候 明智十兵衛光秀 史上最大の反逆者にて、最も哀しき男
平静なる心で張った賭けは必ず勝つ 徳川次郎三郎家康 日本史上最も執念深く、勝負強い男
後詰めとは互いの才を信じることにござります 竹中半兵衛重治 史上最も端麗にして、最も薄命な男
尾張のうつけの噂はホンマやったんか 本願寺顕如光佐 戦国史上最も怜悧にして、もっとも熱き男
>>1「ワシが2ちゃんの新スレを立ててきますっ 五日もあれば・・・」
信盛「ここは佐久間隊じゃ。ここでも命令が聞けんのなら解雇するほかないぞ・・・」
5 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/09(木) 01:41:13 ID:4APdupiL0
6 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/09(木) 05:05:12 ID:wy+WfInw0
>>1 乙
既出だが高坂弾正の顔に違和感を感じることについて
俺のイメージ的には高坂←→秋山なんだけどなー
あえて秋山をあの面にしたってのはやっぱり信長オバとのヌルヌルシーン書く気満々なんだろーな
保守
週刊漫画連載でここまで書き込みがないって人気ねぇな。
センゴクの出たがりバカ・空気読めないところがちゃんと書けてるな
まるで実際にあったことがあるような言い方でつね
11 :
_:2006/02/10(金) 00:19:18 ID:G3OZWRYW0
まあ、いちおうフィクションですって断りをいれてるからいいじゃん・・・
新スレ記念カキコ
甲斐から遠江へ進軍する際に
本隊が利用した青崩峠は登山道になっている(注:自動車道が作れないため)
分隊が通った兵超峠(ひょうごえとうげ)は自動車で通行可
南信濃村(現飯田市)と水窪町(現浜松市)の「峠の国盗り綱引き合戦」で一部で有名
平成の大合併で今はどうなっているかは知らん
ここの峠は中央構造体(列島規模の大活断層)があるため崩落が激しい
三遠南信道路(国道152号線)のために青崩峠にトンネルを掘ろうとしたが
コレが原因で日本のトンネル技術が敗退
13 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/10(金) 05:14:28 ID:zCrOfhFEO
この漫画竹中半兵衛も徳川家康も堀久太郎も信長お市兄妹も山崎新平も下間頼廉も鳥居兵庫助も皆格好良いから女性読者もおりそうやね。
龍興はやってばっかりだから人気低いかもしんないけど。
12
漏れも高遠〜秋葉街道〜青崩峠(通れないが)〜浜松をドライブしたことがある。
秋葉街道はなかなか絶景だったが道が悪かった。
青崩から浜松がクソ遠かったな。
地図で行軍路みると壮観だけど、実際歩かされる方はたまらんと思った。
素直に駿河口から入ったほうが良かった気がする。
>>14 ほぼ領内とはいえ、大井川も大変じゃないの?
武田の軍団を乗せてやってくる大井川鉄道……
大井川鉄道では信州まで行けないから。
歩くにしても南アルプスの峠を越えなければならない。
甲府から国道52号ルートで駿河に抜けるのが一番楽だと思う。
浜松側に抜ける道兵越峠とかすごい道だよ。
国道が途中でちぎれてるし。
駿河から遠江三河と行くと東から順に相手をしなくてはならないから?兵站も不安定になるし
北から下りてくると遠江と三河を分断できるからとかその辺では?
この時武田は海路も使っていたっけ?
19 :
14:2006/02/10(金) 23:11:55 ID:Q29wFDat0
>>18 兵站は甲斐からの距離も短いし道も楽だから安定するだろ。
確かに遠江と三河分断できたら美味しいが、実際は失敗してるし。
長篠城とか、せっかく取ったのに取り返されてるのは策源地から遠すぎるから。
主力が去ってしまえば城は敵の猛攻に晒される。
あんな道通ってそうそう簡単には援軍送れないから、大汗かいて取った城が次々奪い返されてしまう。
しかもみんな山沿いの小城で、経済的な利益はほとんどない。
結局、信玄は長期的なビジョンを持たずに目先取りやすそうな土地に見境なく食いついていたダボハゼだと思う。
信濃攻略もそれで必要以上に手間取ってるし。
信長の美濃攻略に比べても数段落ちるよ。
周囲を同盟国で固め、力攻めと調略を駆使して徐々に勢力バランスを傾け、最後は一気に攻略。
見事というしかない。
そういえば、岐阜城から名古屋方面を望見したことがあるが、一望千里丸見えだね。
あれじゃ尾張側はそうとう不利だったと思うよ。
20 :
_:2006/02/10(金) 23:23:30 ID:G3OZWRYW0
つか、武田がなんで戦国最強っていわれるのかがわからん
信玄だって、結構負けてるからね。村上なんかにもてこずってたし
家康に勝った男だからかなあ
じゃあ武田の他に誰が戦国最強に相応しいと思うよ?
仙石権兵衛秀久
>>21 結果こそ一番大事なのだから
徳川家康が戦国最強だと俺は思う。
荒れそうな流れだが、いろいろな最強があってもいんじゃね?
結果最強賞=徳川家康
イメージ最強賞=織田信長
ご当地最強賞=武田信玄
局地最強賞=上杉謙信
朝鮮最強賞=島津義弘
漫画最強賞=前田慶次
遅かったで賞=伊達政宗
25 :
14:2006/02/11(土) 00:01:46 ID:Q29wFDat0
>>23 結果はそうだけど、実質はやっぱ信長だろ。
家康は運が良かった面がある。都合のいいときに成長の邪魔をする連中がくたばってくれた。
義元、信玄、信長、秀吉。こいつらのうち誰かがあと10年長生きしてたら、家康の天下はなかったろう。
本能寺の変さえなかったら....
でも、信長って部下や身内に裏切られっぱなしだよね。
若いころは弟の信行や庶兄の信広や柴田・林、
上洛後も浅井・松永・荒木・波多野・別所、
最後は明智に殺され、死後は秀吉に子供たちを殺され乗っ取られた。
天才だから、人の心をつかめなかったのかな。
>>25 そういうのも含めて(裏切りやなんか)徳川軍団最強と思うわけよ。
家康のために死ぬのも平気ってやつが500人はいると
豪語したそうだし
27 :
20:2006/02/11(土) 00:54:00 ID:1f8BC5p/0
言っとくけど、荒らす意図は全くないんで、ご容赦ください。
オレ、山梨の人間だから、信玄の地元だけど、子供の頃から戦国最強最強
って宣伝文句が身の回りでうるさかったから、反感もつのよ。
>>25 信長は確かに天才だと思う。考え方はひと時代を超えていたんだと思うよ。
だから、周りの人間の理解を得られなかったんだと考えられる。
戦国を終わらせたのは秀吉だろ
家康は政権乗っ取りで「戦国」最強ではない気がする
なら戦国最強が秀吉、江戸最強が家康
秀吉死後、戦国時代 再 開 の流れを止めたのが家康、とも言える。
そもそも最強ってなんだ?
戦の強さか?
32 :
細川忠興:2006/02/11(土) 01:58:56 ID:nGHkvBEJ0
最愛に比べたら最強なんて
忠興の顔がバキだったらワロス
最強とは…厨の自己満足
多分この後5回くらい最強が出てくるよ。
前に織田最強あったし、今回で武田が最強、
手取川で上杉で九州征伐で島津、朝鮮の役で李舜臣、最後に真田
お前ら本当に強さ議論好きだな・・
オレも好きだが
>>20が信玄最強伝説に反発するように俺も
>>20の信長天才説に反発
・桶狭間は情報戦の末の奇襲による勝利 × 正面激突が主流
・比叡山で容赦のない焼き討ち敢行 × 威嚇で放火しただけらしい
・長篠は鉄砲三段撃 × 今更それを力説されても
・兵農分離 × 信長以外も普通に年中出征しています
・楽市楽座 × ふうむ
信長を神聖視するのはもう飽きたな。
神のような智の持ち主というのはさすがにどうかと思う。
時代にマッチした才能の持ち主だったというのが正しい。
戦国時代の人間は信玄も謙信も百年内戦している中から生まれた人材だからそりゃ凄いけれどさ、
どれも必要以上に「完璧な戦略をもっていた」と妄信するのはちょっと見飽きた。
信長も信玄も謙信も本当はよくよく見れば戦略にも人格にも穴があるよっと。
>>37 楽市楽座は近江の六角氏が最初だったような気がする。
>>27みたいなのもいれば、ドラマで武田信玄を演じた役者が山梨に行った際、その役者に向かって両手を合わせて拝む婆さまもいる
行った→来た
秀吉の「最強」は天下人になるまでの期間限定の様に感じたり。
多くの作家も言っているが、秀吉の魅力は天下を取るまでで、
天下人になってからは暴君要素が多くなり杉で
同じ天下人の家康とは比較対照になり得ないくらいダメダメではないかと。
冬姫(*´д`*)ハァハァ
出世の度合いという点では秀吉が日本一じゃね?
あ、時代は違うけど、伊藤博文なんかも足軽の出だっけか?
43 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/11(土) 15:14:55 ID:FAR0IPzn0
秀吉の暴君要素て何?
>>19 途中で病死しているから。
徳川をあの段階で潰すなら信濃から南下した方が有利なんだよ。
今回の遠征で徳川を潰すのは無理だけど、安定的に支配できる地域を、
少しでも増やそうという目的なら駿河から攻めたほうが良いが。
つまり、逆に言うと信濃から南下したということから、
当時の信玄の戦略では、少なくとも一気に徳川を潰すことは、
目的になっていたと思われる。
しかし、途中で病死してしまったと。
46 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/11(土) 15:30:07 ID:2voCmepGO
秀次虐殺
それから、信玄が信州で手間食ったのは、
戦略というよりも主に謙信のせいだわな。
秀吉は暴君としては中途半端すぎる故の一代天下
自身が元気なうちに有力大名大粛清に踏み出せなかった
支那の成り上がり皇帝達を見習え
>>41 暴君度合いってさ安定してないからこそ高いと思わない?
信長>秀吉>ほぼ安定期>家康ってな感じでさ
改易だしまくりの家康はある意味暴君
>>49 大名には厳しいが庶民には(比較的)優しかったと言うな。
支那の成り上がり皇帝といえば、家康は明の洪武帝に似てる。
これで出自が(トンデモだが)史疑の言うように賤職だったらますますそっくりだ。
>>20 謝れ!義清公に謝れヽ(`Д´)ノ ウワァァン!!
戦乱の世よりはマシだと思うぞ
>>52 よく「徳川の農民圧政」の引き合いに出される落穂集の
「郷村百姓共をば、死なぬ様に生きぬ様にと合点致し収納申付る様」
の件のことだな。教科書にも載ってたっけ?
だが同時に家康は吝嗇と言われるほどの節制家で、
家来の武士や商人の奢侈を常々「百姓は何を食っていると思うぞ」と諌めたと言う。
百姓をだしにして、それ以外の者の奢りや贅沢をも戒めたわけだ。
この思想は幕府の度重なる奢侈禁止令に受け継がれている。
最近は明治の御用史家が言い立てていたほど、
江戸期の農民の状態は酷くなかったんじゃないか?と、
徳川圧政説が見直されている流れにあるようだ。
件の一文を以て家康を「強欲な百姓苛めの悪代官」のようなイメージで語るのは、
ミスリードに乗りすぎなんじゃないかな。
>>14 今出てる「戦国群雄伝」というムックに信玄上洛ルートの検証があるね。
・青崩ルート(史実)
・駿河南下ルート(現在のR52から駿河へ、そののち西進)
・北美濃ルート(飯田から岩村へのルート)
の3つで対比していた。
>>12 ついでにいうと南アルプスは地質が脆く崩壊が早い。
南アルプスを水源とするダム湖(大井川水系が典型)は土砂の堆積が早くて
中には浚渫をしないといけないものもある。
千頭ダムなんて建設してから70年しか経ってないのにほぼ土砂で埋まってる。
>>54 坂口安吾がエッセイで島原近辺の隠れキリシタン改宗について触れていたんだが
地元の奉行にとっつかまったキリシタン(農民)、どんな拷問にも根をあげなかったので
雲仙にある牢屋送りになったらわずか三日で降参したとか。
理由:朝昼晩の食事が白飯三合→麦100%半合に減ったから。
※この百姓の例は極端ですが
西日本(日本海側除く)の自作農は大概、たらふく白飯食っていた模様
>>56 よく江戸期の農民は米を作っても自分の口に入らず、
稗や粟しか食べられなかった、みたいな話を聞くけど、
もしそうなら、農民でない人口の二割程度の人達が米を全て食ってたのか?
と子供心に疑問だった。貿易やODAもない時代だしw
農民でも白米食ってたところもあったとすれば合点がいきますな。
藩なりなんなりでかなり格差があったらしいしな
>>56 農民が米を食えなかった場合、誰が消費したのか謎になってしまうという計算もあるな(武家、僧侶、商人等では食いきれない)
外国の留学生から「江戸時代、米は外国に輸出していたんですか」と聞かれた教授もいるとか、いないとか
米は貨幣と違って保存に限度があるからな〜
どこかで全部消費しないといかんし
そう考えると農民にも結構いきわたってると見た方がいいね
>>57 >子供心に疑問だった
藻前、鋭いな。
漏れは20歳過ぎてから、なんかの本で読んでようやくその矛盾に気がついた。
戦国時代末期で日本の人口千数百万人、同時期のヨーロッパ諸国より格段に多い。
これは単位面積あたりの収量が多く、連作障害もなく、必要な栄養素のほとんどを含む米のおかげだ。
とすれば当然、千数百万人の摂取カロリーの大半は米だったと考えるしかない。
稗やら粟で、いったいどれだけの人口が養えると思ってやがるんだマル歴どもは。
百姓ってのは重労働なんだぞ。大飯食わなけりゃ農作業なんてできやせん。
大体からして、戦後の肉体労働系のヤクザも銀シャリくってたんだから
銀シャリくってないとおかしい罠
このスレで気が付いた愚か者の俺がいうのもなんだがw
63 :
20:2006/02/11(土) 20:38:24 ID:1f8BC5p/0
おお、もりあがってんな!
オレが書いた信長天才説とか、信玄最強説とか
みんな熱い!!
つーか全然漫画の話しないのな
65 :
20:2006/02/11(土) 22:00:40 ID:1f8BC5p/0
>>64 センゴク=戦国でもあるから、いいんじゃね?
結構脱線しまくってるのに大して荒れてないんだから良スレだなあ。
前スレ終盤荒れ気味だっただろw
格闘技の話またしようか?
家康はさしで戦っても相当強いと思うぜ。
信玄信長秀吉は多分まるっきり歯が立たないだろう。
うんこ攻撃?
家康は義理許しの可能性大だが、奥山流皆伝だか目録だかの腕前だしな
でも一番の脅威はうんこだろ
そりゃあプロレスラーでも警察官でも勝てないな
黒沢さんなら。
元禄時代の仙石伯耆守って秀久の子孫?
75 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/12(日) 00:59:07 ID:JsbpCAeM0
76 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/12(日) 01:12:11 ID:AJEZst+sO
>>24 亀レスながら意見はなかなかのものですね
不覚にも>遅かったで賞=伊達政宗にわろたw
このスレの日本史まめ知識は面白いから好きだ
俺みたいに知識が半端で薄っぺらい奴ほど楽しめるんじゃないかな
>>79 センゴク巡りとなると、上田、小諸方面だろうが、東京から行くには
2方向考えられる。東京から新幹線でまっすぐ上田へ行くか、
新宿から甲府方面に出て武田関連も攻めつつ小淵沢から小諸に行くかだ。
小諸から上田は目と鼻の先。どっちにしても今は寒い。3月末ぐらいからが
行くにはいいのでは。
地図で見るとたいしたことないけど
歩いたらきついよな。
戦国時代に生まれたかったけど足軽はいやだ。
歩くっつても手ぶらじゃないし寒いし
坂本城が既に形跡すらほとんど無いと知って
妥協して明智長山城に行って銘菓光秀を( ゚Д゚)ウマーしてきますた
熊本城には一度行ったほうがいいぞ。
でか過ぎる・・・
姫路城のほうがいいなぁ。
松本城もかなりイイが。
熊本・姫路・松本と見てきたが
姫路嬢が一番イカス
松本嬢のアルプス望む展望も捨てがたいけどな
87 :
20:2006/02/12(日) 19:34:43 ID:ww6+9pR+0
>>86 オレも、姫路・松本いずれも行ったよ。
姫路城のときは、白鷺祭りやってて、結構楽しかった(4年ほど前)
武田関連の名勝・古跡は、あんまりないけどね。強いて言えば、武田神社くらい。
今年もそうだけど、初詣はラッシュしまくりでした。
ちなみに、諏訪大社も捨てがたい!一見の価値がありますよ、皆様♪
>>87 新府城はすげえ場所に立っている。一方は、断崖絶壁じゃん・・・
あと、躑躅ヶ崎館跡の入り口看板が『髑髏』ヶ崎館になっていて、上からシールで修正してある・・・
89 :
20:2006/02/12(日) 19:47:31 ID:ww6+9pR+0
>>88 ああ、新府はど田舎だから、仕方がないよ。一応、風水に則った地形に築城されてるけどね。
躑躅ケ崎=武田神社なんだけど、あの辺りに住んでる奴らは、山梨では山の手にあたるから、
くだらんプライドが高いヤツらばっかだよ。
生き残るのが戦国最強なら天下一の逃げ足を誇る家康が戦国最強でしょう
桶狭間で逃げ、金ヶ崎で逃げ、三方ヶ原で逃げ、本能寺で逃げ、長久手で逃げ
小山で逃げ、最後に大坂でも逃げ延びた逃げ足の天才ですから
>>90 その最強ぶりは、世界を見ても劉邦ぐらいしか比肩しうる人物はいないな・・・
家康って長寿だったのも運がいいみたいに言われるけど、
自分で薬園を作るほど健康マニアだったんだよな。
(鯛の天ぷらで死んだのはご愛嬌。全部仕事終わった後だし)
ちなみに司馬遼には無趣味の退屈な男扱いされてるけど、
鷹狩(鉄砲)、剣術、学問、写経、製薬と、当時にしては結構な多趣味人だったようだ。
知ってか知らずか、ストレス溜めないのも長寿につながったのかも知れない。
最後まで生き延びて結果を出す、非常に帝王学に忠実な人生だったと言える。
93 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/12(日) 22:42:36 ID:ZSL+8NEC0
260年間も戦争らしい戦争がほとんどなかったって
徳川の大手柄じゃないか。
江戸時代を暗黒時代だといった社会科の教師は酢ねと言いたい。
>>92 ドケチだったということでも有名で
贅沢に理解を示さなかったらしいが
それでも古典収集に血道をあげてたらしく
そこらじゅうから古書を集めてたそうだ
>>90 桶狭間 桶狭間に家康はいない
金ヶ崎 逃げたのは信長だろ
本能寺 本能寺に家康はいない
大阪 真田の講談の誇張を真に受けるな
本能寺に家康はいなかったけど伊賀越えは有名だよね
>>96 桶狭間 近くの大高城にいた
金ヶ崎 家康もいた
本能寺 堺から命からがら逃げた
大阪 やばかったとは「駿府記」にも載ってる
長久手は逃げてないよな
金ヶ崎は信長が真っ先に逃げて家康は殿として戦ったんだろ
90の基準だと戦国武将はみんな逃げてばっかりになってしまう
>>96 この漫画じゃ描かれてなかったけど
あの撤退戦、家康も加わってたんだよ
桶狭間は主家が倒れたんでその混乱に乗じて松平家を旗揚げした
>>99 長久手の戦闘後、秀吉の追撃を見事にかわした
>>100 殿=撤退=逃げる
逃げるにも色々な例がありますな
秀吉でも
金ヶ崎で逃げる、手取川で逃げる、高松城で逃げる、小牧で逃げる
信長でも
金ヶ崎で逃げる、伊勢長島で撃たれて逃げる
本能寺で逃げるまもなく死亡(ライトノベルだと大抵逃げている)
言い方しだいで誰でも同じようになるな
別に逃げて生き延びることは恥じゃないしな。
「逃げ弾正」や「逃げ佐久間」は殿戦が上手い名誉の称号だし。
訂正:「逃げ佐久間」→「退き佐久間」
逃げ=負けじゃないしな。
まぁ、桶狭間に関しては、家康は今川家から逃げてるな。
この流れから見て「逃げるが勝ち」と言う言葉をふと思い出した。
あっ、今日月曜日か!
三十六計
110 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/13(月) 02:44:09 ID:lBD4on5h0
>>110 ずいぶん徳川に都合よく解釈するな
主家の混乱に乗じて乗っ取っただけだろ
ジョセフが言っていたな
作戦上逃げる事はあっても戦いそのものを放棄した事はないと
113 :
110:2006/02/13(月) 04:06:48 ID:lBD4on5h0
>>111 今川軍が岡崎城を放棄したのは事実。「主家の混乱」のせいでもう今川には
三河にかまっている余力がなくなった。もともと岡崎は松平家のものだし、
取り替えしたきゃ攻め落とせばいいのに出来なかったんだから。
まあ乗っ取りでもいいけど、よそのものを火事場泥棒したわけではないぞ。
>>87 新府駅は今でも無人駅なのかね?新府城行った後に駅に行ったら
切符の販売機もなくて、乗車証明書だけ発行して電車に乗った。
待っている間も反対側のホームも含めて乗客漏れだけ……サビシス。
武田神社はバス通りに面してるけど、境内に一歩入ると空気がきれいだ。
裏手に回ると遺構がよく残っている。
>>113 岡崎城下まで行って入城はしなかったからね。
そして今川家臣が城捨てて駿府に帰った所を
「捨て城なら頂くよ」って入城したんだから
後日今川家は城取り返す大義が無くなったと
それより大河見てて思ったんだが
楽市楽座って安土に入ってからじゃなかったか?
岐阜でもやってたっけ?
新人物往来社・歴史読本シリーズ・「天下取り戦国武将データファイル」の
センゴクの項。過去スレなどでガイシュツの話もあるがほぼ原文のまま載せる。
美濃国加茂郡黒岩の仙石治兵衛久盛の子で通称は権兵衛。信長に仕えて
秀吉の麾下に属す。姉川合戦、中国経略、小牧長久手の戦い、紀州征伐と
転戦。天正13年(1585)、四国征伐の功により淡路洲本五万石の城主から
讃岐高松十八万石の城主に移った。翌年の九州征伐に長曽我部の兵も併せて
四国勢六千余を率いて出陣、豊後戸次川で島津勢に敗北、その責によって
所領を失い、高野山に謹慎した。
天正18年。小田原合戦が起こるや、秀久は名誉を回復せんものと企て、
ひそかに家康を頼り小笠原貞慶に従って参陣すると、甲冑に二、三十もの
鈴をつけ、その上に蓑をまとい、黒駒にまたがって戦陣を駆け回り注目の的になった。
早川口の奮戦が秀吉の目に止まり「あの鈴鳴り武者は何者か」と聞かれて
「仙石権兵衛にて候」と近習が答えたところ、秀吉は感じ入り、帰陣の後
信州小諸城五万石を与えられた。
この漫画でそのシーンが描かれると「また権兵衛か!」と闊達に笑うんだろうな、秀吉
118 :
116の続き:2006/02/13(月) 11:06:45 ID:qt5Jzqgz0
関ヶ原合戦には徳川秀忠の麾下に従った。秀忠軍は信州上田辺で真田昌幸、
幸村親子の奇襲に遭って苦戦した。昌幸は使者を立てて次の事を伝えた。
「伊豆守信幸は自分の長子であるが、将軍は懸念を抱かず近侍せしめている。
恩義を感じないではないが、西軍に属したからにはやむを得ず道を遮らざるを得ない」
さらに書状を寄せて「西国諸将に疑われないために、麾下の武将を人質に
差し出せば、秀忠公をお通し申すべし」と告げた。
秀忠は怒って上田城を攻めようとしたので、老臣に諫止された。
秀久が進みでて、「小諸城主でありながら信州方面の情況に暗かったため、
味方はこの苦戦である。一命をもって秀忠公に報いたい。自分を人質に送り、
先へ進軍されるよう。自分は死んでも、東軍が勝利すれば満足である。」
秀忠は喜んだが、仙石秀久は徳川譜代の将ではないから昌幸は納得しないであろう
というので、これは実行されなかった。
……との事。今後の連載で使われる話も出てくるのでは。
秀忠との関係をどう描くか
この時の家康の3人の子の描き方とか興味深いな
謙信と同格って信玄も見る目ないな。
家康の方がはるかに器がでかいだろうに。
戦争しか能のないやつと戦争で互角ということかな。
その他の能力じゃ比べるべくもないが。
>>120 今から見るとそうなんだろうけど、
当時の人からすれば謙信は神がかってる存在だったんじゃね?
当時としては最高っぽい賞賛とも思われる。
家康って信長、秀吉のおこぼれに預かっただけの人間じゃん。
正に、運が良かっただけの人間の代名詞
家康の器は信長や秀吉よりでかいがな。
運が良かっただけで天下人になれるわけがない
124 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/13(月) 12:23:39 ID:rjQq7j6p0
山県、馬場、秋山、高坂の軍装にしびれたのは俺だけ?
失敬な。静岡では家康公はやれ脱糞しただの、敗走中に小豆餅を
食い逃げして茶店の婆さんに追いかけられただの、、腫れ物治療に
灸治療を嫌がって本多重次叱られただの、立派なヘタレ萌えキャラ
として、400年を経ても地域に愛されておる。これだけで十分偉大だ。
>>124 むしろ信玄のあの甲冑姿(後姿)で軽くイッタ
家康の、信長を信じるのではなく信長に賭けた自分を信じるってのカコイイ!
いつになったら秀吉とねね様のセックルが見れますか?
やっぱ器なら豊太閤だろ
131 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/13(月) 14:49:17 ID:nA3TmXHwO
>>120 最強を自他ともに認めていた信玄がゆいつ認めていた謙信だぞ(戦術のみだが)
謙信は、世間一般では義を重んじる武将ってイメージがあるので、おもいっきり正義感丸だしのドキュソとして大河でドラマ化してくれたらいいのにな
今のNHKのヘタレな風潮にもあってんべ
謙信主役なら今の大河みたいに反戦言い出す糞大河にはならんかもな。
大河やるなら加藤清正がいいな。
朝鮮征伐に虎退治
秀頼公の傍らで家康を睨みつける清正
絵になるかっこよさだよ。
>>135 >>90>>91>>129の会話はそういう論点じゃないだろ。
戦で負け続けて負け続けても戦以外の手段で味方を増やして最後は勝利者、
っていうパターン(しかもそれが後世の人間にも人気者になる)は東洋特有だと思うのだがどうか?
その点ではやはり最強は劉邦だろ。
>>129さん反論アンド実例キボンヌ
137 :
136:2006/02/13(月) 16:45:59 ID:lBD4on5h0
あ、ローマ教会とかそういうの無しね。武人限定で。
また不毛な最強議論か
心の底からどうでもいいな
今週はそんなに話すことが無い話だったか?
確かに最強云々は不毛だわな。置かれてる環境が全然違うし、
優劣をつけられるようなもんではない。
それはそうだな。
たとえば孔明が史上最高の軍師とか信じてる奴は
もっと不利な状況で軽く北伐なしとげた奴のこととか知らないで言ってるのだろうし
世界最大の帝国を築いたチンギスハーンが最強の指導者
数十万の大軍を統括するなら韓信が最強
数万の兵を率いる将軍なら項羽が最強
はいはい埼京埼京
145 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/13(月) 18:36:19 ID:xfHwFWXQ0
しかし仙石はエピソードに恵まれてるよなー。
漫画でどう描くか楽しみだ…20巻位行くかもなー。
半端なとこで打ち切りにならん事を望む!!
146 :
136:2006/02/13(月) 19:27:11 ID:lBD4on5h0
>>138 ふむ。調べてみる。サンクス!
......しかしスケールは劉邦のほうが上と思われ(ry
>>146 スケールって東洋のほうが人口多いから仕方ない
>>145 三方原に迫ってから、全然仙石は関わってないだろw
仙石のエピソードじゃないよ。
しかしこいつの絵はどんどん気持ち悪くなってきたな。
150 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/13(月) 20:53:58 ID:xfHwFWXQ0
>>148 いや、例えばゴエモン捕まえた話とか生涯での話しなんだが…
>>150 捕まえたのも他者説のが有力だしなぁ・・・仙石説だって、一緒にもう1人いるし。
152 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/13(月) 21:47:50 ID:xfHwFWXQ0
いや、そういうことじゃなくて漫画にするうえでのエピのこと
153 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/13(月) 21:56:21 ID:dXIaOWGnO
ソウテン航路ぐらいの名作になってほしい
江戸時代の生産力は時代によって変わるが
だいたい一人当たり年間に1石〜1.5石となる。
一石は成人一人が年間に食う量といわれるが、
年間一石だと一日三合しか食べれない。
これは副食が乏しい当時のことを考えるとかなり少ない。
一石は生活上の最低ラインといえる。
一日労働して腹を空かせれば軽く一人で二石は食べれる。
米を酒にしたりぜいたくな食べ方すれば三石も消費できる。
支配階級が2割だとしても4〜6割の米は消費できるわけだ。
それとこれはうろ覚えで真偽のほどは不確かな話だが
当時の石高は純粋な米の生産量ではなく
稗・粟等雑穀を含めた穀物の総生産量、らしい。
だとすれば実際に米の大部分が2割に吸収されていてもおかしくはない。
地域格差も激しいし農民といってもいろいろだし、一概には言えないが
地域や身分によってはほとんど口にできない人もいたということだろうな。
ただ、人口の2割では消費できないというような安易な話には乗りたくない。
>>115 楽市は実は六角定頼が観音寺城下町で実施したのが始まり。
安土以前にも六角領をはじめ数箇所で実践されているから時代考証は間違っていない。
ただ「信長が立案した〜」みたいな言い方になると語弊があるかも。
「桶狭間=迂回奇襲」「長篠=鉄砲三段撃ち」と現在学会では否定的な事を両説とも使っていたけど。
息子の義賢に父親の半分の器量でもあれば、浅井独立も信長に蹂躙もなかったのかも。
>>145 多少の脚色つきでいいから、戸次川前後での長曽我部親子との絡みを見たいなあ。
今年の大河が大河だからあんまり扱いには期待できないけど。
>>154 非農民層が一日二合、三合食って総生産の4〜6割の米(を中心とした穀類)を消費するとして、
その約四倍の人口の農民が残りの4〜6割の稗粟(等の穀類)で賄えるだろうか?
残り6割としても一人平均年間0.6石(それも稗粟混じり)、
非農民層と比べて口に入るのは1/3以下という状況になる。
残り4割なら年間0.4石、非農民層の1/7以下だ。
上でも言ってるように、重労働の農作業者がそのような状況で、
飢饉以外で人口を減少せずに(むしろ増やして)開墾が進んだというのならば驚くべきことだ。
やっぱり人口の二割で消費ってのは眉唾だと思うね。
高坂弾正はやっぱりあのマスクなんだな…。
161 :
20:2006/02/14(火) 00:47:11 ID:u2KfvrOg0
おお、やっぱ発売日は一味違うな!!一気にレスが倍になってる!!
最強云々を蒸し返すわけじゃないけど、言いだしっぺはオレだわな、皆様、すんませんでした。
オレ、武田アレルギーなのでw
>>114 山梨は車社会だから、電車使わんのです。あのあたりの駅は、無人くんですw
しっかし、センゴクの馬場、気持ちわりいぞ!今年も4月に信玄公祭りってのやるけど、
この作品見たら、馬場役やる人、引くな・・・
そういや、戦国時代って、「弾正」のつく人物って多いね。なんでだろ?高坂弾正しかり
松永弾正しかり、織田弾正忠しかり・・・
遅レスだが俺も
>>124に同意だ
先々週位の1Pに武田まとめて描いたときは安っぽい絵と思ったが
今週はわくわくするではないか
>>161 >そういや、戦国時代って、「弾正」のつく人物って多いね。
れっきとした官職だからね。自称してるだけの人も多いと思うけど。
ちなみに弾正は略称で、『弾正台』と言う役所に、以下の官職があった。
弾正尹・弾正大弼・弾正少弼・弾正大忠・弾正少忠・弾正大疏・弾正少疏
戦国武将で弾正名乗るのは大抵弾正弼か弾正忠。
弾正台は太政官制中で他の配下にない独立の官で、
古代には非違の糾弾・弾劾を担当したという由来が、
以上の武将たちに好まれたのかもしれない。
164 :
20:2006/02/14(火) 01:02:40 ID:u2KfvrOg0
>>163 おお、ありがと!勉強になりました。センゴクの信長も、コミックス3巻あたりから急に「弾正忠」がつくようになったから、わけわからんかったよ。
ナゾが解けました、マジありがと♪
165 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/14(火) 02:06:27 ID:IoR+X1R8O
忠勝、「我王の乱」の呂布が入ってる……
あと信春が美形じゃないorz
馬場は60手前(1515年生)だから好々爺と狸が混じったような感じでいいんじゃない?
高坂・秋山(1527)、山形(1530)だから四人の中ではまあそんな感じ、で。
ねえ内藤修理は?
なんか山県さんと高坂さんは信長の野望覇王伝そのまんまになっとりますな
169 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/14(火) 07:27:40 ID:HKZJ2kInO
余談ではあるが、
山梨と言えば車が直進よりも右折優先だったのには驚いたな
俺が山梨にいたのはオウム騒動の時だけど、きっと町並みもあまり変わらないんだろうね
こないだのセンゴクに出てた古府中の町並みの方が今より賑やかそうだ
ずっと後に上田城攻めでセンゴクと合い見える事になる武藤喜兵衛が、
山県赤備え隊か馬場隊の一員として、三方ヶ原で佐久間隊所属の
センゴクと刃を交わすのをきぼんぬ。
171 :
114:2006/02/14(火) 07:35:25 ID:KOi98pXR0
>>161 まあ住むには車がないと大変だ罠、山梨。甲府、韮崎、塩山(現甲州市)、
どこでも。アップダウンが激しいから。その上狭い道が多いから
運転下手だとこれも大変だ。漏れは旅人だから電車とバスでマターリ移動するが。
>>169 山梨ルールなるものがあるそうな。上記の通り山梨に行くと車運転しないので
詳しくはワカランが。
何となく甲府は駅前も活気がない感じなんだな。行くたびに感じるんだが。
今年はヴァンフォーレ昇格という明るい話題もあるし、多少違う鴨しれんが。
172 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/14(火) 08:14:35 ID:94EOYYkVO
>>170 俺も思う!真田昌幸は後々仙石と絡むんだから二十代の若き天才の武藤(昌幸)を出せよ
小姓の中で才能を一番評価され、可愛がられ武田の名門武藤の姓を信玄から貰ったんだから
173 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/14(火) 10:21:03 ID:STAbRuGE0
>>167 内藤修理は上野担当だから出てこないでしょ。
織田軍と接触しに来た家久と会ったりしたら面白いなあ
ないだろうけど。
この信玄が信濃の駒場で死ぬところを見てみたいが
やっぱり三方が原の大決戦も見てみたいな。
後詰の穴山一万騎が参戦せずとも楽勝の戦だったという武田軍の貫禄に期待。
そしてその後、なぜ家康を徹底追撃しなかったのかの謎にも迫って欲しい。
その要因であろう朝倉軍撤兵の描写(雪と飢えのせいかな)もあわせて。
もちろん作者が真実と思う形でいい。
家康が脱糞したのは人質時代に義元に掘られて肛門括約筋が
ユルユルになってしまったからという説を見たんですが本当ですか?
177 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/14(火) 13:58:57 ID:IoR+X1R8O
アッーアッーアッーアッー
____ ________ ________
|書き込む| 名前: | | E-mail(省略可): |sage |
 ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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⊂ つ | 入れるとスレがあがらない。
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| \_____________
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| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
今更だが前スレログ読んだ。信玄の侵攻ルートについて以下チラシの裏。
信玄は田中城→諏訪原城を足掛かりに大軍の運用には有利な東海道西進を
模索した形跡も見受けられる。しかし、その為には掛川城、高天神城など
東西のベクトルに対応して整備された城郭郡を潰していかなければならない。
信濃からの南下を選んだのは、秋葉街道を扼する有力豪族天野景貫や、
三河北東部に勢力を置く山家三方衆へ調略が首尾よく進んだことが大きいと思う。
彼らを調略された家康は、掛川に押さえの軍勢を残した状態で数年に渡り
必要な兵力が足りず四苦八苦することになる。だからこそ武田侵攻以来、
家康が最優先で取り組んだのは遠州北部のイニチアシブを取り戻すことだった。
甲府は何時から寂れたのだろう?
武田が滅んでから?
金山を掘り尽くしてから?
幕末の新撰組が甲州に出陣するときはもう活気がないところに見えるんだけど
>>180 元々国力が低い土地だからなあ。信玄みたいに傑出した指導者がいないと
厳しい。江戸中期は柳沢吉保がいたからその頃までは活気があったのでは。
話は変わるが。今、山梨県立博物館のHPを覗いたら、
3月28日〜5月14日まで開館記念特別展・よみがえる武田信玄の世界 なる
企画があるそうな。楯無も塩山から運んでくる模様。武田ファソは信玄公祭りと
併せて行くのも手だ。
182 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/14(火) 18:22:09 ID:94EOYYkVO
三方ケ原の合戦
西上進攻を開始した甲州軍はついに浜松城周辺まで迫る。
織田の援軍を合わせても数で劣る家康は野戦を仕掛けるか、籠城するか決めかねていた
しかし武田軍は浜松城を素通り、三方ケ原の坂をおりはじめた
家康は領地を素通りされるは末代までの恥、坂にいるいまこそ勝機と三河勢は追撃にうってでる!
が、しかしこれは信玄の策略であった
甲州軍はすぐさま全軍、坂を駆け上がると三河勢が
三方ケ原に到着した時には武田軍が平地の三方ケ原に布陣していたのである
大軍相手に野戦決戦を余儀なくされた家康は
数で劣るにも関わらず兵の替えのできない横一線の角翼の陣をひく
すなわち勝利か切り死のみである。
対して信玄はどの一隊が破れても断じて本陣には近づかせない縦列魚鱗の陣!
ついに両軍の激突!一進一退の戦いが続いたが数で勝る武田勢が次第に優勢になる
ついには山県率いる赤備え二千が猛攻を仕掛け三河勢は敗走をはじめる
家康の周りにも武田菱の旗がひしめき死を覚悟するが
味方の死をかけた働きによりどうにか浜松城まで逃げ帰る。
この時どのように帰ったかわからぬほどの大敗であった!(この敗走時、脱糞?)
家康人生最大の敗北にして恐怖であった
三方ケ原には三河勢のおびただしい数の死体の山だけがきづかれていた
しかし死体すべてが前を向いて倒れていたと言う
誰も逃げず戦って死んだ三河勢はまさに武士であった
183 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/14(火) 18:31:52 ID:JhUXTeqhO
山縣が信玄をおやじと言ってたのがカッコイいよ
>>180 農業技術が未熟な時代は、甲府のような盆地の方が平野部より水田が
作りやすく、栄える傾向にある。
近世以降、灌漑技術が発達して関東平野のような土地にもばんばん田畑が
作れるようになってくると盆地の有利さがなくなってしまい、相対的に
寂れていったんだと思う。
まあ、たしかに織田弾正忠を信用できるかと問われれば
胸をはって信じるとは言い辛いよな。
>>184 へぇ〜。あの時代は肥後の国が相対的に豊かだったのもそれでツか。
どれだけ湿地と川が多かろうがそれに見合う治水技術と
それを施行できるだけのでかい組織がなきゃただの荒地
少なくとも連載時点での肥後はろくな土地じゃないだろ
188 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/14(火) 21:11:48 ID:94EOYYkVO
>>175 なぜ家康の首を取らずさらに軍を進めたかは別に謎でもないぞ。
三方ケ原で大勝はしたが、さすがに家康の本拠地浜松城を落とすには日数がかかる。
死に物狂いで、守るだろうし。もたもたしていては織田方の救援部隊が到着するだろうし挟撃される恐れがある。補給路の確保もこんなんになる
だから完膚なきまでに叩きのめし追撃できる余禄のない三河勢はほっておいて
大勝し士気の高い今、全軍で織田領に攻め込み
八方塞がりな織田勢と短期決戦しようとしたというのが定説
まぁ朝倉撤退の報は冷静な信玄が激怒したらしいが
共に戦うに値しないと
あといちお伝説的な話として大敗し浜松城に逃げ帰った家康が
わざと門を開城したまま火を炊きまくったという
これにうたがり深い信玄が策略があるのでは?と疑い攻めなかったという
ただこの説はいくらなんでも作り話だろ
あと地元では浜松城近くの峡谷に家康が布で橋をかけ
夜襲の武田勢がそれにだまされて多数落ちて死んだという伝説?が残されてるな。
じっさい、その場に布橋という地名が残されてるし
死んだ武田兵の霊を慰める祭事「遠州大念仏」は今もさかんに行われている。
>>188 参. 著 徳 \ ,f二ユ_ /. 趙 ま ご お
り 作 川 〉 ,イ-、__, -ヽ 〈. 子 す ざ は
ま 権 .さ く. r‐- 、 l⌒l r|ノ >i r<l| ,ゝ 龍 ! い よ
.し 料 ん │ ノ ' ,`¬、l ヒl'"´ '_| `lレ / で う
た 徴 の ,!〈 i  ̄`)〈,ゝ|、弋二ブノk、 │ す
! .収 丿 { ノ  ̄`ソ ハl i l`ーrrrィ|ノ} リヽ、 ゝ、 !
に _ノ ヽ 二フ´ノ { l 〉ー'卅イ ノイ ト、 \_____ノ´ ̄
___ノ´ {T‐rr‐'ノ jV´ |l| L.__」 、| k、
>>188 更に言えば、信玄が自分の体は(今で言う胃癌の末期症状で)もう持たないのを
自覚していたから、その焦りもあったのでは。
原作見てると、信玄に末期癌患者の雰囲気も何気に感じられたので。
>原作見てると、信玄に末期癌患者の雰囲気も何気に感じられたので。
どこでだよ。
>>192 表情に陰のある所が。
ただ、あくまでも見る人にもよりますが。
甲斐は稲作地帯ではあるまいWやつらの主食はホウトウ アミノ酸
↑下らねぇやつ。
196 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/15(水) 00:20:32 ID:DaT9wPJM0
信玄タソと高坂タソのウホッなシーンはマダー?
197 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/15(水) 00:36:54 ID:A8jGRXkh0
>>188 癌ってものすごく痛いんだろ。それで今はモルヒネで鎮痛したりする。
そんなんで長い山道の行軍には耐えられんだろ。
少なくとも、三方ヶ原まではそんなに重症じゃなかったんじゃね。
あとよく知らんけど、信玄の死因って癌が定説なの?
199 :
20:2006/02/15(水) 00:51:12 ID:Us1Coett0
なんだか、山梨がネタになっとるな・・・まあ、皆さんの気持ちはわからんでもないがw
>>169 山梨ルール、確かによく見るよ。タクシーの運ちゃんもそうだwマネして事故らんようにしてください。
近年の市町村合併によって影が薄くなっちゃう春日居という地名があるんだけど、高坂の実家春日家とどうやら密接な関係があるらしい。
ちなみにオレの知り合いで山本さんという方がいるが、馬場美濃の子孫だそうだw何故に山本かは知らんが・・・
>>198 肺結核説、日本住血吸血病説(「御宿監物書状」)、
胃潰瘍説、胃癌ないし食堂癌説(『甲陽軍鑑』)、
野田城包囲中における鉄砲での狙撃疵説(「浜松御在城記」ほか)など。
小学生の頃に読んだ児童向けの歴史漫画では、三方ケ原で敗れた徳川勢の死体ことごとく敵に背を向ける事なく仰向けに倒れていた、てな風に描かれていたな
まあ当然ネタだけどな
165>馬場の子孫だが美形でなくてよかたよ。でも「戦場に40年いて無傷」は直してホシイ。刀傷20ヶ所以上あったラシイのだが…
204 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/15(水) 21:00:30 ID:A8jGRXkh0
本多平八郎も生涯無傷だったというが
戦場の後ろの方でビビってたんじゃないの>忠勝
自分のこと臆病だとか言った逸話もあるし。
まあ徳川の世で美化されただけな気もするが。
松平家旗揚げから家康に付き従い、先駆けとして戦い抜いた猛将だぞ?
武田方から
「家康に過ぎたるものは二つあり、唐のかしらに本多平八」
なんていわれたくらいだし
あの信長をして「日の本の張飛」なんていう評価のされ方をされてる
207 :
198:2006/02/15(水) 22:23:12 ID:56V4P+FX0
>>200 トンクス
甲陽軍鑑が根拠では眉唾だな。
甲陽軍鑑って勘介さんを軍師として祭り上げてるやつだっけ?
・・・まあ、甲州志演戯って感じだよね。
しかし、この漫画って秀吉の指の数がどうのこうのって事に拘るくせに
なんで信長の顔はあんなに濃い顔なんだ?
そんなに史実(?)に拘りたいなら信長はもっとあっさりした顔にしろよ。
>>209 描き込みで誤魔化してるから。
この漫画って異常なほど線が多いでしょ、アップの顔でもなんでも。
そういえば、考証に気を使ってるのになんで太刀は腰にさしてるんだろ?
太刀は腰帯に通す、佩く方式はなずなんだが…
この当時はそういうの関係なかったってはずはないしな
人物はかっこいいに越したことないじゃない。
それくらいいいだろう、漫画なんだから。
214 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/16(木) 00:31:56 ID:0h/eUjDv0
>>205 生涯傷を負わない=鬼神の如き猛将でも臆病でもなく
彼の為に命を賭す側近に恵まれ引き際を心得ていた智将である故という伝承もあるな
215 :
20:2006/02/16(木) 01:49:31 ID:eIY1G+do0
時代考証の話だけどさ
秀吉は煙管をよく吸ってるけど、もうこの当時、煙管ってあったんですか?
ガイシュツの可能性高いっすが、ご存知の方、いらっしゃいます?
石川五右衛門も煙管もってるイメージあるけど・・
>>215 あった。
晩年の伊達政宗は一日に何本も吸いまくっていたので有名。
>>217 中身は何なのだろう
いまのタバコ?阿片などの麻薬じゃないよね?
忠勝も馬場も自分が最前線で戦うんではなく、
自分が傷を一切負わない戦いに指揮官として優秀だったって見方でいいと思うが。
故人の武力は二の次、位置的に指揮能力の方が必要な立場のわけだし。
>>218 お前、何でそんなに頭悪いの?
阿片の効能知らんのか。
戦を目前に陣中で阿片吸引したらただごとでは済まんと思わんか。
>>215 煙草の日本への伝来は諸説あるが1570年代というのが有力っぽい。
ただし、鉄砲が種子島に伝来した時に一緒に入ってきたという説もある。
一般的に広まったのは慶長年間に入ってから。
いずれにせよ、作中に描かれてる時代では、伝来してたしても恐ろしく高価なもの
だったはずで、初登場時の籐吉郎の身分で気軽に吸えるような代物ではなかった
と思われる。まあどうでもいいことだが。
222 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/16(木) 12:19:59 ID:MINWcJdY0
>>209 迫力出そうとしてんだからそれ位いいじゃねーか。
史実の信長の顔っていかにも冷酷そうな顔してるよな。
冷酷というか、伴天連の似顔絵からは神経質な学者という印象を受けた
>>215 時代劇に「時代劇時代」があるように(つーか「時代劇時代」しかない)
戦国時代漫画にも「戦国漫画時代」というのがあるんだよ
宣教師が描いたとか言う肖像画の信長は全然冷酷そうでも恐そうでも無かったな。
>>223 信長の声をコンピュターで再現したのを聞いたことがあるがかなり甲高かった
石橋凌が演じた信長の声に似ているか。 西村雅彦に演じさせても面白そう
この時代の武器じゃ大砲くらい出さないと忠勝の装甲には傷一つつけられないよ
流石は忠勝じゃぁ!
229 :
20:2006/02/16(木) 23:26:43 ID:eIY1G+do0
信長の肖像だけど
以前、某テレビ局で織田家秘蔵の、南蛮人が描いた写実的信長像を公開してましたな。
ホンモノかどうかはわかんなかったが、結構優男に見えた記憶があります。
本多忠勝の無傷伝説ですが
それと好対照の言い伝えとして、武田家の原虎胤の、全身50数箇所もの傷跡。
どっちが勇猛だったのか、区別つきまへん!
煙草といえば晩年の柳生宗矩も煙草が好物で
悪癖として友人の沢庵に窘められた書状が残っていたねぇ
トーン・・トーン・・
本多忠勝の鹿角の兜の甲冑は頑丈そうだ。でも重そう……。長時間着用するのは
大変だっただろう。
あの甲冑を着用した画像はあまりにも有名だが、本人が8回NGを出して
9回目でやっとOKが出たのがあれだそうな。いかつい顔の絵だが、
ある程度ああいう顔だったんだろうか。
234 :
20:2006/02/17(金) 07:58:27 ID:ODc8SDeC0
>>232 そうそう、まさにその肖像です。サンクス(お気に入りに登録しちゃったw)
優男に見えるし、ウマ面にも見えるなあ〜
>>221 煙草の伝来って、やっぱそのあたりですよな。稀なものだから、確かにそうだったかも。
信長って当時イケメンって言われてたのに肖像画とか見るとほとんど普通で下膨れピザじゃないよな。
236 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/17(金) 10:46:53 ID:J68V987uO
忠勝だっけ?戦最強だが弱点があったのは
酷い痔主
237 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/17(金) 11:55:50 ID:bONuGiJi0
岡崎城行ったときに買いましたよ。「本多家とその家臣団」
忠勝本人は傷負ってないだろうけど、こういった無名の家臣達が瀕死の重傷を
負いながら忠勝最強伝説をつくってきたかと思うと苗字しか載せられない
のはかわいそうですよね。
譜代だから15万石しか所領もないし、ホント損得勘定抜きで支えてきたって感じ。
馬に乗るのって痔に悪そうだなあ……
>>238 たしか家康か武田の家臣だった気がする
馬上もさることながら陣中でも相当痛んだらしい
原因は戦場におけるウンコの我慢のしすぎらしいからみんなウンコは我慢しないように
ちなみに高坂系の痔では無いのであしからず
騎馬武者はほぼ全員痔に悩まされていたんじゃないか?
鎧を着た上に長時間ケツが圧迫されたら簡単になると思うよ
我慢しすぎは良くないのか。だから健康ヲタの家康は(ry
>>240 ウンコーする時に踏ん張りすぎるのもよくないそうだ。
ちなみに清正の痔はあの国に行った時になったそうな。
三成に対する憎しみも、案外痔から来てたりしてなw
ヒサヤ大黒堂(慶長16年創業)の開業があと11年早かったら、
関ヶ原の戦いは起こらなかったかもしれない。
>>189 逃げる途中で餅食い逃げしたなんて伝説もあるそうだが…
>>212 いちおー、太刀を打刀のように帯に直接差すってのはあったらしい。
>>219 武力も評価していいと思うよ。
戦国時代の戦は人間と人間がぶつかり合うガチンコ勝負。
ちょっとした戦況のうねりで大将が敵襲に飲み込まれるなんてこともしばしば。
本田忠勝くらい何度も戦してれば、毎度毎度うまいこと安全地帯から指揮できたわけじゃないはず。
徳川の家臣団で今の所センゴクに出ているのは平八郎ただ一人と言うのは何か寂しいですね。
後々の事を考えれば、小平太や万千代、彦右衛門や半蔵とかの猛将が今の内に出てもおかしくないと思うんですが。
痔ぐらいならまだいいが
ウンコ我慢して便秘が続くと果ては大腸癌になったりするからな
本多忠勝は軽装でも無傷だったが
井伊直政は鎖帷子とか重装備なのにいつも怪我してた
と聞いたことがある。
井伊直政は歴代の譜代じゃない焦燥感から、無茶な戦い振りを
続けていたらしいからな。事実、そのせいで関が原の合戦では
深追いして娘婿の松平忠吉ともども負傷し、二人して死期を早めた。
当世具足以前の大鎧は、馬の鞍に重量を預けられる工夫があったから、
馬上では鎧の重さをあまり感じずに済んだらしい。
下馬したときは、肩に全重量が掛かるから、徒での戦闘には不利に働いたとか。
>>250 普段も奉公が激烈になり過ぎて、家臣を酷使したり手討ちにしたりもしたそうで。
おかげで家臣を集めようとしても本多忠勝や榊原康政にもっていかれたり、
死んだ時は殉死者が0だったりと、アレな逸話もあるな。
>>252 アレは元々馬に乗って弓を引いて戦うために特化した鎧だからねぇ。
伝令!!
ツタヤ佐久小諸店でセンゴクのコミックが平積み
さらに、小諸藩初代城主ってPOP付
>>253 関係ないが、井伊家は江戸時代末期まで
ずっと彦根藩のみだったから、長い目で見れば勝ち組?
>>256 大老も輩出してるし、どう見ても勝ち組。
二代目直孝も優秀だったしな、
井伊と言えば桜田門外、もっと獰猛な供回りつけてれば
>>253 主君への奉公が激烈と言う点では、子孫の直弼もそうでしたね。
ただ直政と違って、藩士や領民に優しい名君でしたが。
>>256 実は井伊直政は、家康の関東移封から関が原までの間、上杉への押さえとして高崎を領してました。
ただ、井伊家が彦根に封ぜられてから領地替えが一度も無かったので、井伊家=彦根藩のイメージが固定されたのですが。
260 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/18(土) 21:38:51 ID:8Zp5B52i0
>>256 その分、新政府では徹底的に冷や飯を食わされたけどな
261 :
20:2006/02/18(土) 23:18:46 ID:nrVAjP6n0
井伊家はイイ!
と、ここらで寒くなってもらいました。(批判は甘んじて受けましょう)
センゴクネタで、ガイシュツでしょうが
お蝶をさらった鳥居ですが、結構キーパーソンになるようですね。
そういや、以前のカキコミで、「何で作者は、仙石秀久を主人公にしたのか」というのがありましたが
おそらく、多くの戦国大名と接してて、今まで脚色を浴びなかった(マイナス要素としてはあびましたが)
からだと、オレは思います。
ま、あくまで推測ですので、あしからず。
ほんと名前欄書く奴って・・・
正直一兵卒から見た戦国英雄物語みたいになってるから
主人公のセンゴクが死のうがヒロインが犯されようがどうでもよくなってるw
ただ主人公だからって余計な活躍だけして欲しくない
単騎で信玄本陣に突っ込むとかの萎える捏造とか
まあ掲載順位が下がってきた時のエロ要員としてセンゴクとお蝶はいればいい位だな
四国九州上田の失態をどうやってカッコよく書くか見物
265 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/19(日) 12:41:07 ID:nrOv1qPO0
まあ捏造と史実の境が曖昧だから色々解釈できて面白くなるんだけどな
>>264 変にかっこよく描かれたら萎える。あくまでも写実的に
現実的とか写実的って言うけど、
現代人の、それも冴えない一般ピープルの常識をあてはめてもらっても困る。
一代の英雄達の現実は、我々の想像を絶するはずだよ。
268 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/19(日) 15:10:15 ID:P5oOndK90
写実的な歴史モノ作品なんて存在しないだろ。
269 :
20:2006/02/19(日) 16:53:28 ID:DMt41rUz0
>>268 煎じ詰めれば、確かにその通り。
一応、センゴクはフィクションって断ってるしね・・・
身長150cmでロバに乗って戦う姿が実態なわけで…
>>270 そりゃ源平期でしょ。
戦国期の武将はでかい人が多いよ。
272 :
20:2006/02/19(日) 18:24:55 ID:DMt41rUz0
>>271 武田信玄が170くらいで、大男って言われてたらしいから、平均的に150が妥当だと思われます。
馬がちっこいのは確実
戦国の平均って155cmくらいじゃなかったっけ
また身長論議をはじめにゃならんか・・・・
甲冑装束などから160前後が平均。155から165の間が大半
150以下の成人男性は当時でも小人扱い。平均が150ってのはありえない
>>264 「秀吉の密命で長宗我部らを最初から見殺しにする作戦だった」
「史実は改竄されているが、実は総大将は仙石ではなく豊臣家の親族で、仙石はその人物の逃亡を護衛せねばならず、
しかも汚名までかぶらなければならなかった」
とかなら出来るかな。
もうこの漫画は、仙石を有能な指揮官にするより兵卒ライフで貫いた方が面白いと思うな。
史実を曲解しまくればそれも無理ではないと思うが。
しかしそれで4年もの間放置ってのはどうだろう
278 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/19(日) 21:01:29 ID:NQwrGY+X0
長宗我部と十河ね・・・。買いかぶりすぎだろ。
二人とも逆境の場面での生き残る力が欠けてたんだろ。
加藤清正の身長は190
物凄い大男だったんだな
そりゃ強いわ
千利休も190だっけ?
281 :
20:2006/02/19(日) 22:29:50 ID:DMt41rUz0
>>276 そりゃ、いくらなんでも都合よすぎでしょ!まあでも、今まで「?」な部分も多々あるけどね・・・
>>275 その「甲冑装束」って誰の?
現存してる鎧から判断すると、ビッグサイズなのがけっこうあるはずだけどな〜
井伊直政の胴具足など、どう考えても180cm前後の人間が着てたものだし。
出所のはっきりしない鎧では判断材料にならないよ。
やっぱ骨だよね。当時の人骨が発掘されればすぐに判る。
遺族の許可取らなきゃならないから確実だけど一番手間かかるな
政宗は遺骨調査しただろ。
確か身長150代だったと思った。
逃亡までやらないってのはねーよな
上で甲府はどうと書かれてるが駿府は家康亡くなるまで栄えてたのかな?
家康が大々的に駿府を改造して栄えたんだよ
289 :
20:2006/02/20(月) 07:56:44 ID:IANefoHz0
甲府は、センゴクでは「京都を模した」と言ってるが、規模はせせこましいの一語に尽きる。
武田神社(躑躅ケ崎)の周辺の道は、車が一台入れるかどうかの道(しかも、一方通行がおおい)
ばかりで、狭いことこの上ない。
栄えるわけねえっつーの・・・
>>289 なんかいろんなことをごっちゃにしてるな
応仁の乱の後、山口や一乗谷など各地に小京都が出来たが、どこも寂れてるな
>>285 前スレでも漏れが書いたぞ。政宗に関しては身長、大体の顔、血液型(B)など
大方の事は判明している。身長は158〜159p。彫りの深いなかなかのイケメン。
骨格は逞しく、よく鍛えられていたと思われる……そうな。
>>289 地元民じゃないが、よく甲府に旅に出るよ。甲府駅から武田神社までの
大通りは普通に広いが。歩道も整ってるし。武田神社から積翠寺・要害山へ
行く道は狭い。あれが一方通行じゃないのは車の運転が面倒だ。
>>291 滅亡したからだ罠。大名として存続してればまた違ってたと思われ。
で、今週は特に動きなしだな。普通に武田軍強そう……で終了。
293 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/20(月) 10:27:11 ID:4dHiY1ZsO
いいから内藤と真田昌幸、出してください
最強武田軍を描きたいならさ
山県が目立って俺はうれしい
どうせ撤退戦でも山崎の亡霊出てくるよ
295 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/20(月) 13:56:21 ID:IMtuoll3O
生ぎるっ!
巻頭カラーの武田法性院信玄テラカッコヨス!!
最新単行本も三月六日に発売ですか!早く早く欲しいー
甲州騎馬軍団の悪寒…
>>289 「京都を模した」、「狭いことこの上ない」とか言ってるが、京都知ってんのか?
京都ほど一方通行が多くてせせこましい都市はない。
現代の拡幅された烏丸堀川四条五条とかの通りだけ見て言ってるのなら見当違いだ。
上京区とか中京区の奥まったところ歩いてみろ。
つーか当時車なんてないしな。
>>297 さすがにここまで来てソレはないだろう・・
逆にあえてやる(当然なんらかの根拠があるとして)のもありだと思うけど。
やっぱセンゴクが出てこない回は面白いねぇ
まあ当時の遠征は越冬するぐらいは普通だけどな。
春になったら農作業があるから帰国するわけで
303 :
20:2006/02/20(月) 21:26:28 ID:IANefoHz0
今週は、秀吉が男をあげましたな・・・
>>292 >甲府駅から武田神社までの大通りは普通に広いが。歩道も整ってるし。
武田通りのことですな。その通りから枝分かれしてる小道は、やたらと狭いです。その小道のことを言ってます。
武田通りが狭かったら、初詣はどうしようもない状態になります。
>>298 京都の人口なんかと比較すると、確かに狭いかもしれませんな。でも、都市の規模、つまり大きさです。
「京都を模した」って、ミニチュア化ですか?ってな感じですよ。
信玄、やっぱヒール顔だよなあ。勝頼がどういうキャラか、早く見てみたいですな。
304 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/20(月) 21:49:04 ID:b56gMzVT0
今回は全ページを使って戦国最強武田軍団の戦慄的な凄みがよく表現されていた
一騎当千のツワモノたちを率いる智将、猛将の面々
そして全軍に君臨する神将信玄
織田家の諸将のみならず、読者をも震撼させるに十分な陣容だ
武田ヲタは溜飲を下げたのではないか
てゆーか今週号の迫力だとどう見ても家康は死ぬしかありません。
本当にありがとうございました。
307 :
20:2006/02/20(月) 21:59:20 ID:IANefoHz0
>>304 信玄ヲタにはワロタ。
オレは、センゴクの山縣は好きだなあ、なんか、荒くれ者って臭いがプンプンしてて。
ひょっとしたら、ゴンベエvs山縣の一騎打ちなんかがでてきたりして・・・
>>304 うん、俺は戦国武将では武田信玄が一番好きなんだが、最近のセンゴクの展開は本当に素晴らしいの一言に尽きる。
これからも楽しみだ。
でも、こんなネ申がかった信玄も家康潰した後死んじゃうだよね(´:ω;`)ウゥ
まぁ信長もそうだけど…。
この漫画といいモーニングのへうげといい、信長をどっしりと描いてる作品は、
本能寺の事を思うと読むのがツライ俺がイル。。。(感情移入しすぎだな)
309 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/20(月) 22:11:01 ID:JgWVDumI0
うおー今週は超面白すぎる!
なんなんだ武田軍団すごすぎるぞちきしょーめ!
おまえら中途半端で不確かなヲタ知識を披露しあうのやめろコラきもいんじゃ
>>309 わかった。今週山県が口に采配咥えてるのは設楽ヶ原への伏線?
311 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/20(月) 22:25:48 ID:DBRWDL5e0
>>310 そういうことになるかもな〜どっちかっていうと馬場が殿でやってそうだけど。
>>308 なにネタバレしてんだよ。
常識わきまえろやオタ
せっかくこの先どうなるか楽しみにしてたのに
またまたご冗談を
いちおうこの作品はフィクションであり実在の人物とは関係ありません、って断り入れてあるのな。
9割方実在さんだけど。
いまさら関係ないって言われても困るよ
316 :
20:2006/02/20(月) 22:58:41 ID:IANefoHz0
>>312 この先って言っても、相当先になるだろうなあ、このペースだと・・・
三方が原で夏くらいまで引っ張りそうだ・・・
巻頭カラーなんだったら山県の赤揃え強調して欲しかったなー
次号では、山県から略奪・暴行・凌辱OKのGOサインを受けて、
リミッターが外れた赤備え隊が文字通り「赤鬼」に変貌して、
三河や遠江の小豪族を震撼させそうな気が。
319 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/21(火) 01:04:45 ID:Glvz7dWuO
三方ケ原で圧勝後、信玄ついに織田領へ
織田家絶体絶命で信玄ポックリ病死で神掛かり的、運のよさに
この漫画の秀吉は発狂しそうだなW
しかし、作り話の射撃命中で信玄重傷、そのせいで死亡だけは止めてね 萎えるから
それに仙石からませたら、この漫画二度と見ねぇ
321 :
20:2006/02/21(火) 01:27:28 ID:XxNiJwZX0
>>319 現段階で、信玄が病に冒されている気配がほとんど(強いて言えば、顔色くらいかな?)
無いから、ひょっとしたら、狙撃死亡かもw
なんか最近このスレ香ばしくない?
歴史ヲタがいかに先読みできるかを競うスレですから
>302
ろくな防寒具もない時代に冬の野営はまじ死人出るぞ
下間頼廉やら磯野かずまさやら
山県やら
信長の野望にモロ影響受けてるなこの漫画。
今週のトップカラーの「侵攻作戦発動記念」というフレーズに笑った
>>306 世良田殿が徳川に仕官するのは小田原攻めの直前。この頃は一向一揆に
荷担して織田と戦ってます。さあ家康ピンチ。
>>325 これが噂のゲーム脳ってやつですね
同じような歴史資料で全くオリジナルキャラ以外はゲームの影響…
じゃあ甲府駅前の信玄の銅像も信長の野望に影響受けてるね、ありゃ
ゲームがきっかけで歴史好きになる人は多いだろ
普通は逆な気もするが
光栄のゲームが俺にとっては原点なんだよな
329 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/21(火) 10:37:53 ID:rfeHYRxf0
ここで牛頭天王の呪術ですよ
まあ肖像はノブヤボの影響受けてるかも知れんよ。
つか先行して広く受け入れらているモノに逆らわずって感じだろうが。
というか、「信長の野望」というゲームが
たかがゲームと横着せずに、丹念に歴史資料を漁って、
20年にわたって、ゲーム作りに反映させてきたことは評価すべきだろう。
かといって、漫画や小説を信長の野望のパクリ、と平気で
レッテル貼りしてる奴は馬鹿だけど。
正宗の遺骨が調査されて詳しいことがわかっているのは大変よい
ことと思うが、家康の遺骨の調査はなされなかったのだろうか。
東照宮に墓があるから、そこに遺骨があるのでは…。
でも一番知りたいのは、信玄の遺骨のある場所かなあ。
ねぇ、この漫画とかだいたいの信長漫画は
信長はマゲのみで月代つくってないけど、
肖像画やへうげの信長は月代ちょんまげ頭だよね。
一体どっちが正しいんだろう。
ってか武将によって月代をつくる、
つくらないの基準はなんなんですかね?
一応主人公だし、権兵衛が信玄の目に止まる位の活躍はするんじゃないの?
最強と煽ってる信玄に評価され、家康に対して恩を売れれば佐久間隊へ出向させた
意味が出てくる。
逆に何にもせず、退き佐久間に従って逃げてたら、態々出向させた意味がない。
336 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/21(火) 14:12:53 ID:+w7smNCMO
たしかに…。
小田原での布石をここで打っておくのかな。
武田法性院信玄なんて呼ばれ方した漫画をはじめてみたきがするな
>>333 大権現の遺骨ってのは確かどこに埋葬してあるか判らなかったと思う。
日光東照宮そのものが大権現の陵墓になるように、あえてわからないように
してあるという話。
>>335 もう、そこまでの展開はデフォでしょ?ここで大活躍してるのを次郎三郎が
見初める、ということから後々の延命とか、仙石が原の活躍に繋がるというのは。
>>334 禿は月代作れないって嘆いてる、
だれか忘れたけどこの時代の戦国武将の手紙が残ってるそうですよ。
>>334 肖像画が正しいと考えるのが普通じゃね?
現代人の感覚だと月代剃ってない方がかっこいいと思う人も多いだろうし、
そういう人が月代のない信長を描いてるってだけの話だろう。
341 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/21(火) 14:38:55 ID:bOXtp6CH0
>>332 センゴク好きな俺は、信長の野望より太閤立志伝が好き。マジオススメ。
>>335 佐久間に撤退術を学ぶんだろ。九州でそれを生かすわけだ。
久能山に埋葬したあと、日光に改葬ってのが社伝とかじゃないの?
日光東照宮の裏には墓所があって、銅の多宝塔が建ってるけど。
歴代将軍は東京タワーの下あたりじゃなかったっけ?空襲で焼けて
発掘調査がされてるはず。
月代は兜かぶると蒸れるからつー話。
血まみれにしつつ毛抜きで抜いてたんだけど、信長が「アホらし、剃ったって同じだろ」
つーて以降剃るようになった…なんて伝説もあるとか。
今週号の巻頭の奴は何巻の表紙かなぁ
勝ち目のない戦に出陣せざるをえない家康と話す機会があって、
お互いの状況にどこか共感しあう所を見つける。
戦後に家康が後詰のお礼に信長に謁見した時に一言二言進言して
羽柴隊に復帰するって感じかなあ。
>>337 俺は映画影武者での信長の『信玄坊主』という呼び方が好きだな
>>333 信玄の遺骨については謎だ罠。恵林寺とも言うし、岩窪墓所(武田神社に近い)
とも言うし、センゴクゆかりの佐久市の龍雲寺とも言うし……。諏訪湖に
沈めたなんて伝説もある。
詳しい事が判ってる戦国武将は政宗の他だと石田三成が有名だ。
>>337 武田大膳大夫晴信入道信玄とかが一般的かね。徳栄軒信玄とか。
>>338 日光東照宮によると奥社の宝塔の下に間違いなく埋葬してるって
言ってるぞ。久能山から改葬以来、一度も開けてないそうだが。
神として祭ってる訳だから軽々しく開けられないって事か。
>>343 徳川将軍の半数ほどは東京タワー側の増上寺。空襲で消失→発掘調査→改葬って
伊達政宗と同じパターンだ。かなり保存状態に差があったようで……。
秀忠はちょっと痛ましい状態だったとか。
信長、秀吉の肖像画っていつも御馴染みなあの絵だけど
彼らほどの超大物でさえ他のはロクに残ってないんかな
信長は西洋人が描いたとか伝わる写実的なのがあるけど
秀吉はいつもいつもネズミ顔のアレばかり・・・
やっぱ本人も醜悪な容貌にコンプレックスあって描かれるのを嫌がったのか
>>347 普通は官職名だったりするけどまさか法号とはね
>>349 現在の豊国廟の下。大坂の陣の後、徳川の手で破壊されて、江戸期はずっと
野晒し状態。明治に入って再建された。で、お約束の発掘調査もされたそうな。
伊達政宗、石田三成のように全身の骨格がそのままは残っていなかったようだ。
骨片のようになっていたって資料には書いてあったかな。で、絹の布で一つ一つ
包んだ上で丈夫な石棺に入れ、その上にあの巨大な五輪塔を乗せたとの事。
関ケ原までやるかな〜。
西軍についた秀範とのやりとりとか見てみたいな。
豊国廟阿弥陀ヶ峰か…
お盆明けに京都に行った際に登ったが、あまりの暑さに汗でシャツがビッショリになったんで、廟の傍らで上半身裸になってシャツを乾かしついでに眠りこけていたのは内緒だ
>>333 仮にも家康は神様だからね
古代の天皇稜も調査させない今の日本では無理なんじゃない?
356 :
20:2006/02/21(火) 18:51:49 ID:XxNiJwZX0
盛り上がってますなあ〜
信玄の遺骨の話は、全くもってナゾ。恵林寺説が最有力らしいが、決定打ナシ。
甲府城といい、ホント山梨は見るトコ少ないよなあ・・・地元だからそう思うだけかもしらんが・・・
>>356 埼玉県民の俺からすると、山梨県の自然の美しさが第一の羨望の
的だね。川の水がびっくりするほどきれいだし、山々や峠、とに
かく気持ちが落ち着くし、電車で行くと、絶景が目に飛び込んでくる…。
ワインの名産というのもおしゃれでいいし、何よりも信玄に統治
された歴史があるのがよい。
埼玉県はいったい誰に統治されていのたのか、ワシは知らんのじゃあ。
358 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/21(火) 19:13:47 ID:FoUJkfAB0
>>356 山梨に行くといつも時間足りなくて困るんだが……。
甲府はもちろんの事、塩山、大和、勝沼(3ヶ所とも現甲州市)……。
武田の史跡を見て、温泉につかり……とやってると
あっという間に時間が過ぎてしまう。
さいたま勢が活躍したのは源平期だろ。
あ、でも秩父あたりは武田勢力圏?
>>361 小手指古戦場とか、地名として残ってるよ。
その近所には、今でも平氏の落ち武者の(以下略)。
新田義貞の記念碑とかあるけど、ホントかいあれは。
ちなみに地元の人間は信用してないみたいでみなスルーしてます。
>>328 >ゲームがきっかけで歴史好きになる人は多いだろ
>普通は逆な気もするが
>光栄のゲームが俺にとっては原点なんだよな
逆ってこともないんじゃないの。
若いPCユーザーやファミコン世代に
三国時代や戦国時代の認識を広めたコーエーの影響は絶大だと思うよ。
武田の史蹟は山梨より長野の方がいぱーいな気がする。
365 :
362:2006/02/21(火) 20:31:01 ID:LTl8zcJV0
失礼しました。間違えました。
新田義貞ではなく、楠木正成でした。
前言を撤回し、お詫びして訂正いたします。
さらに、センゴクに関係ない書き込みをしていることも
お詫びいたします。
>>363 しかし真・三国無双や戦国無双から入ってきたヲタの知識は惨憺たるもの。
ただ歴史上の人物をキャラクターとして萌えの対象にしてるだけだから。
歴史的背景はどうでもよくて、お気に入りのキャラ同士がくっついたり別れたりにしか興味が無いという。
ま〜センゴクなんか読んで喜んでる俺も似たようなもんかw
今週号を読んでつくづく秀吉を主人公で書いて欲しいと思った。
>>357 河越夜戦は有名じゃない?
関東上杉氏と後北条氏の激戦地
まあ、あの段階でかなり織田のが勢力あるんだから、信長があそこまでビビってたとも思えないな
370 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/21(火) 21:09:15 ID:+w7smNCMO
歴オタも無双オタもあんま変わらんと思うが…。どちらも結局自分のお気に入りが活躍すればOKなんだろ?
山梨は好きだし近いからよく行くのだが
食い物はまずいね。
海のない県だとやっぱあんなものかもしれないが。
>>369 そうか?
織田が完全に抑えてたの尾張美濃南近江位じゃないの?
>>371 肉はけっこう美味いと思うが。海鮮が好きな人には駄目ぽな県だな。
>>372 この時点では、伊勢もほぼ完全に抑えてる。あと京(山城)の主要部も。
あと河内、摂津、大和の一部……てな感じだろうか。
牛刺し馬刺し忘れてた。
山梨人ごめん
山梨人に裏富士と言ったらキレられるぞ
>>373 伊勢忘れてたね
センゴクは武田に重点が置かれてる分義昭はあっさり片付けそうだね。実際にもあっさりだが
>>374 小さいスーパーでも普通に馬肉が売られてるあたりあなどれない。
>>375 大河ドラマの武田信玄でも善徳寺の会盟の時、今川義元が「甲斐からみる裏富士……」
って言って信玄が「甲斐では裏富士などと言いませぬ」って反論してた。
>>375 この件については山梨人はガチ(ただし静岡人はあまり相手にしていない)。
>>368 忍城や鉢形城もあるな。
神流川の戦いもギリギリ埼玉か?
>>373 武田は・・連載時で甲斐信濃駿河飛騨、上野及び遠江(一部)
正面から一対一ならともかく浅井朝倉と対峙している状況下で
一番敵に回したくはないだろうよ。
エロい人教えて、この間上杉謙信は何してたの?一向一揆の相手?
それはやっぱ顕如がウラで手引いてるの?
>>380 三河、遠江も織田の領土みたいなもんだし。
>>380 山県隊が先発したのとほぼ同時期に謙信が越中の一向一揆と対戦してる。
当然武田と本願寺はつながっていたのでは。
あと、旧暦の10月ともなると冬な訳で。雪の壁もあるから
そう簡単には武田領まで攻め込んでこれないと思われ。
第二次世界大戦のイタリア=信長包囲網の朝倉
>370
それはまぁ否定しないが、他ジャンルの人間と会話ができるか否かは大きな違いだと
385 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/21(火) 22:59:18 ID:EEHjWfwK0
>>383 「今度はイタリア抜きでやろうぜ」とは、ドイツに来た日本人に
ドイツ人が言うお決まりのジョーク
という話があるが現実のネオナチ問題絡みで
実際のに言うと場がシラケルとか
むしろ日本にきたドイツ人が言いそう
武田ってあんなに余裕かますほど強かったの?
織田に喧嘩売るのって結構ドキドキだと思うけど。
余裕を装うのも戦法だろう
傍目からの最強武田軍団イメージを利用する意味でも
あんな感じで余裕かましたほうがいいんじゃね?
信長包囲網で囲んでる最中だし、徳川勢はまだ相手にならないレベルだったしねぇ。
実際、兵員の忠誠心が低いあの時代だと、二正面作戦は辛いだろうしな。
現代から見た場合、武田や上杉は実力の割にイメージで得をしてるとおもう。
天下を取った豊臣≦小牧長久手で勝った&次に天下を取った徳川<三方原で圧勝した武田≦川中島で勝った上杉
来週用事で三方原行くのだがなにか見所とかあるのかな。
浜松城もついでに行こうかと思うが。
実際、織田は武田にビビってたんだろうか?
>>388 だから、現代のイメージほど武田は強大じゃないんだって。
甲斐も信濃も面積ほどの国力はないし、本当に強ければほかと組んで倒す必要なんかない。
長篠が良いイメージでしょ。馬が鉄砲にとかいってるけど、実際は兵力すらお話しにならない大差。
395 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/22(水) 01:09:11 ID:7GjngTRI0
できるだけ勝てる戦をするように注意を払い
負けたときも粛々と戦後処理を行い
勝ったときは乱派を放って大げさに喧伝する
ってことをしていれば鬼神のような軍勢ってイメージだけで敵を萎縮させられるかもね。
396 :
紋野郎 ◆VYJqzu6hsI :2006/02/22(水) 01:10:09 ID:hRSr4OqQO
いやいや。武田、上杉は別格。上杉のある老将は、織田軍と戦った時こう言った、『川中島に比べれば石合戦みたいなもんじゃ』。いかに激戦だったか、うかがいしれる台詞です。
その川中島も脚色まみれと言われていますが・・・
ついでに手取川の合戦も松川の合戦も信憑性が疑われています。
詳しいところは板違いなので割愛ね。(該当する板は3戦板かな)
398 :
紋野郎 ◆VYJqzu6hsI :2006/02/22(水) 01:30:37 ID:hRSr4OqQO
信憑性ですか。ならば何を信じるかですよね。すべて信じられなければ全て嘘になるし。
私は信じる。あの時代の狂気を。あの時代の恐怖を。そして、あの時代の勇気を。
>>385 と見せかけてドイツに行けば本気で言われたりする。
このころ、の伊勢志摩付近で
信玄に国を追い出されて、今川に居候していた親父の信虎が、
氏実と喧嘩別れした後、軍事顧問としてどこぞの豪族についてたと思ったが
>>385 酒の席でならジョークになるけど・・・・
>>399 ドイツジョークだよ
>>398 巣へお戻り
史実としての武田軍団よりも、漫画的イメージを優先したのでしょう
この作者はそこらへんの取捨選択はばっさりやる人ですし
ドイツは自分のしてきたことはともかく、
南洋諸島の植民地や、支那の山東半島の利権を軒並み日本に奪われているから、
恨み骨髄のハズ(支那利権は日本から支那に返還)。二度とあんな奴らと組んではいけません。
>>403 ドイツの職人気質は日本人と近いものを感じるが
>>382 一方武田の駿河侵攻を機に敵対していた北条氏とはどうなってたんだろう
氏康の死期にあわせて和睦・同盟してるだろ。
>>408 ちなみ北条から千単位規模の援軍が出てる。
北条と交戦状態のままだったら上洛戦出来ない罠。
氏康の遺言だったとの事だが。
再同盟の条件が
・武田の西上野の領有を認める事。
・北条から上杉への断交状の写しを見せる事。
・上杉に関する情報を交換する事。
・北条から武田へ人質を送る事。
・北条は駿河から手を引き、今川氏真を追放する事。
こんな感じだったかな。北条の全面降伏に近い内容だが、
氏政じゃ信玄と四つに組んで対決っていうのはやはり厳しかったんだろうか。
あと、北条と上杉の同盟が全然機能してなかったのもあるんだろうな。
北条から勝頼に嫁いだ娘は評判も良く、若い身空で最後も勝頼に殉じた素晴らしい娘。
北条から送られ謙信の養子になった景虎は同盟破棄後も上杉に残り、その後は周知の通り景勝と跡目争い。
>>377 甲斐の富士は前方に他の山々を従えているが、駿河の富士は尻丸出しとか言ってたな
で、それが義元にはバカウケ
20・30代のキャリアの浅い若造と40・50代の老練な将じゃ違うだろー。
若かった家康が百戦錬磨の武田軍に軽くあしらわれるのも頷ける話だと思う。
能力ってもんは時間と共に積み上げて行くもんだと思うよ、ボケたり思考が凝り固まったりしない限り。
特に人間の使い方や部隊運用のノウハウとかは経験が一番モノを言うと思うんで。
その意味じゃ川中島を筆頭に数々の大きな戦闘を繰り返してきた武田軍が、"あの時点で"最強だったとしても俺は文句ないです。
戦国時代を通して見たら最強は島津軍団
家康討ち取られなかったんだから完敗でもないし。
義元みたいに死んだらおしまいよ。
>>414 天下の大勢にまったく影響を与えない辺境で最強って言っても
しょうがないでしょ。
>>392 台地上に畑が広がる何も無いところです(笑)
浜松城は市役所の裏庭のような感じ。
主要な郭は市街化で飲み込まれて、本丸の一部が残るのみ。天守は資料がなにも無いので
推定復元。元々の天守台はかなり大きいんだけど、そこの一部に小さな天守を建ててる。
歴史的な戦場もそんなふうになっちゃんだよね。
小手指古戦場も畑が広がる中に、住宅がどんどん建っちゃって、
どこに戦場があったんだ? てな感じ。
戦場をいちいち保存しておくわけにもいかないのはわかるが。
>>412 裾野より まくりあげたる 富士の山
かいでみるより するが一番
実際山梨の人と富士山の話になると険悪な雰囲気になるので気を使う。
と言ってもこちら(静岡人)がむきになるのではない。
富士五湖から見る富士山ってきれいだよねとか
甲斐駒ケ岳は名山中の名山だよとか取り繕う。
日本平や三保の松原から見る富士山が一番整ってて美しいとは思っていても
絶対に言えない。
>>411 政略結婚ながらも仲睦まじい夫婦だったようで。武田八幡神社に奉納された
願文は涙なしには読めん。武田滅亡の年に書かれたから当時数え年で19歳。
今なら高校2年生の終わりの年齢だ。昔の人は大変だったんだなあと改めてオモタ。
>>413 家康にとっても、今度の大惨敗は20年、30年後に貯金というか財産というかで
活きてくるんだ罠。関ヶ原前後の頃にはもう伝説の存在だったであろう信玄に
真っ向勝負を挑んだっていうだけでも大変な事だ。
>>420 静岡には富士市、富士宮市があり、山梨には富士吉田市がある。両県に
関係ない第三者の目から見ると、矢張り山梨県の方が強く意識してる感じは
するな。静岡県は何となく鷹揚に構えてる感じ。最近でも河口湖が
富士河口湖町に改名したり、観光用のパンフレットでもやたらと
富士の国・山梨……と、強調してる。
富士は何処にあると言われて
静岡以外の答えは確かに聞かないな
うん、静岡から見る富士山は穴(※宝永火口のこと)が開いてるとか
山梨の人に言われても適当にそうだね、って感じで。
本当は宝永火口を正面に見据えた富士こそ最も整った姿だと、
内心では思ってる。
ね、
>>420さんと自分とで静岡県内でも見解に相違がある。
それぞれ自分のとこから見る富士が一番!、と自己完結するのが
嗜みというものだろう。
山頂の取り合いしてなかったっけ?
富士は遠くより眺めるのも悪くない
そんな俺は千葉県民
冬の早朝、東京湾を挟んで房総より望む富士も乙なもんだぜ
見えるもんなんだ?
冬の早朝
天気がよければだけどね
>>427 登ると判るけど、岩やガレ場でゴツゴツした感じだからね、富士山。
近い距離から見ればいいってもんでもない。10年以上前に一度登った。
ちなみに登山口は吉田口というか、静岡的に言うところの裏富士w。
房総って言えば、「まあまあ次郎三郎の兄貴」のあの人の城があるね。
これも一度だけ行ったけどのどかないい所だった。城を模した駅舎がオサレ。
>>426 天気がいい日はつくば市からも見えるな。距離は相当離れてるけど。
晴れてると所沢市からも見えるよ。
>>425 条件がいいと伊勢からも見られるらしいね
伊勢湾挟んで
中央道を東京へ向かうと小淵沢ICから甲府南あたりまでずっと見えるね >富士
ちなみに確認されてる最遠は大台ケ原だそうな。
ちなみにこう書くと「宇宙から」とか言う奴が出るが、スペースシャトルは
地上160kmぐらいなので大して遠くない。
>>396 それは大阪冬の陣のエピソードジャマイカ
436 :
20:2006/02/22(水) 20:58:47 ID:a/TAssTj0
なんだか、富士山が話題にのぼってますが
オレ、生まれも育ちも山梨ですが、富士山は山梨のものだとか、「裏富士言うな!(裏富士って、初めて知ったw)」って話、
あまり聞かないっす・・・(そもそも登った事すらない)。んで、武田家関係の史跡なら、やっぱ山梨より長野のほうが断然
多いでしょう。まあでも、山梨の市町村団体は、富士山を全面的にアピールしているのは、確かです。
合併によって生まれた新しい市(甲斐市、甲州市)なんかは、甲斐の国ってイメージがいまだに残ってるから、そういう名称
になるんでしょうね。「武田家ゆかりの地」やら「武田家終焉の地」とか、駅でうたってもいるし。
郷土愛とかイデオロギー的な要素は別にいいかもしれんが、言い伝えや伝承を鵜呑みに信じるってのは、どうも納得いかんの
も確かです。信長の野望なんかやってると、武田家でプレイしたくなる時もあるしね・・・w
晴信が源助に宛てた謝罪の手紙はいつ出ますか
ウチの母方の実家が静岡だが静岡の地の年寄りの人は山梨を軽蔑してるよ。
甲斐の山猿 という蔑称も静岡人がつけたんだから。
差別意識は根強いものがある。
静岡人てなんなの?
でも甲斐と駿河、戦国期に限れば、武田と今川のイメージで甲斐のほうが上だよね。
義元討ち死に後の駿河、武田に支配されてるし。
その後も次々領主が変わって、ぱっとしない希ガス。そりゃ甲斐も一緒か。
>>439 静岡は都会じゃ無いけど田舎とも思いたくない。
そんな感じ。
このレス読んでると、上杉武田今川北条は互いに手を結んだり切ったりしながら
少しでもどれかが出る杭になりそうになると潰しにかかってない?これでは天下取れないよ
静岡の人間は大御所の時代から
天下普請で町も道も整備してくれたし
天領なので年貢も安いし
その後も東海道の要所ということで国が面倒見てくれるので
のんびりした人間が多いというのは本当です。
山梨の人は良く言えばバイタリティがあると思います。
金丸や中尾といった強力な土建政治家を生み出してきたため
静岡と山梨をつなぐ道では山梨側ばかり整備されてるし。
444 :
20:2006/02/23(木) 00:08:48 ID:2QyafepP0
>>443 バイタリティというか、なんというか・・・
静岡と山梨、どっちかというと、静岡のほうがイメージがいい気がします。
山梨は閉鎖的だな、特に富士山に近いほうは(変人も多いし)。
だから、影でコソコソやる有名人が多いのかもw
富士山で静岡が有利なのは新幹線とか東名高速とかその他でも
東京から西に行く際にほとんど静岡を通過しなきゃならない所だね
ぱっと思いつく山梨人というと中田ヒデに堀内か。
能力(実績)至上主義で個人の能力も高いが人心の掌握術にやや難があり
上手くいってる場合は強いが逆境にまわると打たれ弱い。なるほど
447 :
紋野郎 ◆VYJqzu6hsI :2006/02/23(木) 02:11:26 ID:yNK9c9rOO
巣からでてきたよ。(^3^)/武田軍は強い。今川軍も強かった〔信じられないかもですが〕。織田は奇跡的に勝てたのです。でも彼も戦上手だった。今川は油断し、織田は
死に物狂い。ただ、その差です。上杉は戦上手。武田は謀略家。私の祖先は武田に滅ぼされました。
448 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/23(木) 03:15:31 ID:VqGmJNob0
当方骨の髄から静岡人ですが、静岡も結構広いから色々意識に差はある。
元々遠州や伊豆は国が違うしね。
駿府近辺の人は、家康にはかなり愛着があっても今川はあんま無い・・・・。
富士山頂ってどっかの寺の持ち物じゃなかったっけ?
戦国最強は毛利元就
信玄なんかじゃない
>>449 正直最強なんてどうでもいい。
信長入京以前に将軍を従えて入京した大内義興と織田信長はどこが決定的に違っていたのだろう?
451 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/23(木) 05:37:04 ID:R09cRlwV0
信長は信玄を恐れ
信玄は信長を恐れていた。
で、よい??
ここにも島津厨が沸いているのか
>>436 山梨って武田関係の史跡あんなに多いのに長野は更に多いのか。
まあ色々あるようだが。ただ長野って武田的には出先のイメージだよね。
攻め取った土地だし。山梨は先祖代々の本拠地な訳で。
>「武田家終焉の地」とか駅でうたって 甲斐大和駅の事かー!
何気に山梨の中でもお気に入りw。駅から甲州街道に出て東京方面に戻る道は
歩道がなくてちょっとアレだが、村道に入って景徳院に行く道は空気も良くて最高。
車もほとんど通らないし。古戦場跡の碑が涙を誘う。激戦地と伝わってるそうだが、
一方的な虐殺状態だったんだろうな。
>>437 連載よりだいぶ前の話だろうから出てこない。源助は見ての通りオサーンだし。
>>446 ジャンボ鶴田と武藤敬司も。中田や堀内も含めてマイペースな天才型が多いね。
456 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/23(木) 08:16:36 ID:Z1+9BZnwO
ここなんのスレだっけ?
>>450 堺や琵琶湖の水運を握っていた織田と中国との貿易を持ってた大内、経済基盤はどちらも安定していただろうから
織田が統一された家臣団だったのに対し、大内は連合軍の盟主的立場だったのが大きいのでは?(関東征伐の上杉謙信のようなものか)
大内家は応仁の乱以前からの有力大名だったから主従関係を織田のようなものにできなかったのかも
それと織田が岐阜に対し、大内は山口と京から本拠地が遠かったのも中国の諸大名を完全に統制できなかったのではないか
あとは織田の徳川のような存在がいなかったのも大きいかもしれない
その後、大内は尼子と大友と前後に敵を持つことになるから
信玄の弟はまだかいな?
>>458 信繁はもう死んでるはずだから影武者を務めた信廉か?
460 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/23(木) 14:53:35 ID:Hk4Uq3v8O
おいおいっ弟って誰、期待してんだよ!武田家は信玄以外じゃ信繁以外優秀なのいねーぞ
信繁は第四次川中島で戦死してる
ちなみに真田昌幸が自分の子に信繁(幸村)って付けるくらいすばらしい武将
↑ガイシュツネタを偉そうに言うな
山本勘介はまだかいな?
とっくに死んでおるわい
>>460 勝頼の弟、仁科盛信はまぁ割とマシなほうかね。信廉は「ムカデ戦旗」じゃ
なかなかの好人物だったけど、実際はどうだろ(末路見るにつけ…)
つーかまぁ、勝頼も有能なんだか無能なんだかわからんよなぁ。
465 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/23(木) 18:29:34 ID:dAWZTrpSO
こっちの信長さまは
センゴクに(つД`)
信廉はゲージツ家としてだけでも存在価値あり。両親の画像はともに
重要文化財の指定を受けている。実の子が描いたっていう点でも
ああいう顔だったんだろうという信憑性が高いし。
あとは影武者としての役割もある罠。新田次郎風に言えば影法師。
>>460 勝頼だって、無能じゃなかったと思うが・・・
信虎、勝頼、盛信は少なくとも無能じゃないだろ。
信友だって、かなり戦功残してるし。
ついでに真田昌幸と並んで信玄が目と称した葛山信貞とかは?
あんま史実的に話は残ってないが。
あと家康との敵味方を超えたいい逸話を残した信実も。
さらに盲目ではあるが温厚な人柄で家中の精神的な支柱だった
信親(龍宝、龍芳)も。子孫が現存してて、武田関係の祭りで
来賓としてよく来る。現在でも第○代武田家当主って名乗っているそうだ。
武田に限らず名家の子孫は大変だ。
信廉は信玄死後がふるわない。
長篠では真っ先に逃げ帰ってるし、
天正十年の織田侵攻でも勝頼より早く逃げようとして殺されてる。
将校としてどころか政治家としても何ら功績がない。
そろそろ漫画の話をしようじゃないか
まさか秀吉がそんなあんな
秋山に1ヶ月で落とせと命じてある、だから磐石の体勢みたいなこと言ってた?
落とせなかったらどうすんのさ?
そこが武田クオリティだろ
>>473 実際の戦は事後処理に過ぎないそうですから。おそらくもう一ヶ月で
落とせる(調略?)算段はしっかりついてたんでしょう。地図みると思うが
確かに岩村城は落としておかないと武田の進軍路を側面から衝かれる
恐れがあるよなあ。津久井城もそうだがそーいった要衝をきっちり抑え切れる
所が素直に凄いよなあ。
穴山の名前は誰も出してないなw
勝頼もなあ、遠江侵攻などで武田家最大の範図を築いたはいいが
勝頼側近と旧来の家臣をまとめられなかったのはなあ
そして長篠の後もいろいろ頑張ってたみたいだが御館の乱で友好関係にあった北条氏を敵に回したのが一番痛い
478 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/23(木) 23:17:05 ID:htpSPSdW0
>>477 穴山梅雪は横山光輝の漫画のイメージが悪すぎる
北条は氏康が死んでからは殻に閉じ篭ってただけじゃないの
昔、池上遼一が「信長」で、
黒澤映画の「影武者」の構図をパクって、
問題になったことがあった。
(「信長」は、たしか、ほかにも、安土城の
想像図を研究者に無断で使ったりしたこともあって、
著作権問題で絶版となり、かなりの間、
「まぼろしの作品」となってた気がする・・・)
何が言いたいかというと、今週号の出陣風景とか
かなりカッコイイので、つまらないところで
足をすくわれないで、面白い話を描いて欲しい!
杞憂だと思うけど・・・
482 :
20:2006/02/23(木) 23:48:45 ID:2QyafepP0
>>476 一ヶ月で女城主を口説け!って言ってるんだと思われ。
秋山はその間、精力剤を飲みまくり・・・
「甲斐の猛牛」は、夜も猛牛なんですよ・・・
あーおもしろい
北条氏政の時が、一番版図広がってたんだよね
485 :
20:2006/02/24(金) 00:06:39 ID:IlXqmDxB0
>>483 え、そりゃウソでしょw
ヒマつぶしに書いただけだからさあ
>>484 汁の量も計算できない愚鈍がぁぁあ!!!
氏政といえば、味噌汁の話の他に、米は精米しないと食えないってのを知らなかったと
どっかの本で読んだ覚えがあるが、これはさすがにどうだろう・・・
まあ、北条で優秀なのは3代と氏規、氏照くらいなもんだろ。氏繁は血族じゃないし。
>>465 >>472 今週のモーニングに衝撃を受けているのがいるな
つかこっちの光秀はどんな理由で謀反するんかいな?
氏政が駄目な理由を挙げなされ。
北条家最大の版図を築いた実績ぐらいは認めてください。
>>477 御館の乱で事実上武田の滅亡ケテイだったな。取り返しのつかない選択ミスだった。
長篠以後挽回しつつあっただけに……。
>>488 氏規は家康との強力なコネがある点も見逃せない。おかげで小さいながらも
大名として残ったし。
>>492 家康にダイダイを送りつけちゃうところ。
終わり良ければすべて良し
ならばよし
>>486 その話読んだとき、たまたまいつもより飯が固い日だってあるんだし
汁の二度かけぐらいいいじゃないかと思った。
串カツにソースを二度つけしたら怒られても仕方ないけど。
だからなんで、センゴクスレとシグルイスレと
ナポレオンスレと喰いしん坊スレは
魂を共有しているんだー
>>497 最後まで同じ調子で食べきるより、途中で汁の量を変えた方が二度おいしいよね。
北条氏康=ハンター錠二説
「氏政、邪道喰いはよせー!!」
大事な嫡男の権威を父親が奪ってどうするんだろう。
氏康こそバカ当主。
真面目な話、汁のエピソードでは氏政よりも氏康の方が悪いと思う。
ああいうことで叱られても内心腹を立てるか、「俺は駄目な人間だ」と
萎縮するだけで、何もいいことはない。
汁の二度かけ
世にも奇妙な物語「夜汽車の男」を見せてあげたい
「え?なんすか?」と言いながら三度かけてこそ大物。
次の日からはみそ汁に米を入れる氏政
二度かけて食べ残せばさらに評価アップ
影響受けまくりだしな
で、本能寺までやるの?
その頃には権兵衛もお蝶もいい歳なんじゃね
>>509 そこで光秀の単独犯説ですよ。
本能寺の年はセンゴクは数え年で31歳になってる。
もっとも失敗し、挽回した男って謳っている以上、最低でも挽回した小田原までは
当然やるのでは。打ち切りがなければという前提で。
おいおい。数奇者大食い
おいおい。
数奇者の他に大食いに命をかける者まで紛れてるなw
つぅか、途中で書き込みしちまった。
ちょっと討ち取られてくる。
自害して士気上げてよ
>>510 31歳か、若いな
「獅子の時代」のこの前までの主人公は36歳、今の主人公も初登場時36歳、読み切り時は42歳だった
まあ、「影武者徳川家康」に至っては・・・
氏政は結構先見性があったんだよね。
織田の分国として生き延びようと動いてる
>>514 まぁ、前田慶次だって親父が死んだ頃は既に40ぐらいだったはずだが
花の慶次ではあれだし(笑)
打ち切るにしても島津はちゃんとやってもらわないとなぁ
途中省いてもいいからさ
信玄「我が両目の如し」
>>518 ゴンベがどうのこうのよりも、島津の用兵はみたいよな。
無双2に出てきてるじゃん仙石
鳥居さんって脳にバイキンはいったからヘタレたの?
既出ならただでは済まない
オヤジさまや上杉、島津といった戦上手とされるお家の用兵をどう表現するか考えただけでぬふぅだな。
今更だが勝家だけ官職名なのは理由でもあるのか
>>524 先に勝家だけ官位を貰っていたとか……はないか。
権六じゃ駄目なのかね。佐久間信盛は何て書いてあったっけ?右衛門尉?
あと何で藤吉郎じゃ駄目なんだろう。籐の字に何らかのこだわりがあるんだろうが。
勝手に悲観しただけだもんな。
味噌の売り場で「国産大豆100%」と書いてあっただけで
中国様への配慮を欠いていると嘆き軍靴の音が聞こえてきちゃう
そんな人もいる
529 :
徳川家康:2006/02/25(土) 23:35:46 ID:+vhwKX110
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃三 人 三 ┃|
|┃ (_ ) ┃|
|┃ ≡ (__) ≡ ┃|
____.|ミ\__( ・∀・)__/ミ.|____
|┃=__ __=┃|
|┃ ≡ ) ( ≡ ┃|
|┃ / /\ \ ┃| ガラッ
532 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/26(日) 18:10:59 ID:WKCir4QMO
続きが早くよみたいな
533 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/26(日) 18:58:21 ID:0tfN09Fe0
この漫画って打ち切りになる不安要素ってあるの??
大丈夫でしょ
時代小説の帯に使われるくらいプッシュしているんだから
人気が出だすまでは、エロシーンとかもあって、
人気取りに編集サイドも必死だったような。
人気が出だして以降?エロシーンがなくなったねぇ。
エロシーンは正直へたくそだったけどw
536 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/26(日) 21:35:54 ID:3kWMRsHR0
>>535 ついこの間、1話まるまるセクロスだったような
>>533 妹は思春期やみなみけのような糞漫画でさえ打ち切りにならないんだから大丈夫。
そういえば島左近が三方が原の時に山県の隊にいたって話聞いた事あるけどどうなの?
>>537 原哲夫の創作かと思ったら、実際そういう逸話も伝わってるらしいね。
その時のことを引き合いに出して、家康は大した奴じゃないと言ったとか。
でも同時期には織田家従属下の筒井家重臣筆頭格を勤めていたと思われるので、
一時でも敵方の武田に加勢していたというのはかなり怪しいと思う。
他の漫画を貶めるなど丈夫の言葉とは思えませぬ
秀吉だって今川傘下の松下某のとこに一時就職してたしなあ。
根無し草の秀吉と違って、左近の島氏は代々大和に地縁の深い国人領主だからなぁ
対馬から来たとか言う異説でも引っ張ってくりゃ別だが
>>537 俺のカナミとハルカに対する侮辱は許さん。
>>538 確か関ヶ原前夜に三方が原の時に家康が敗走する姿を見た話をしたら
島津に「あの時の内府と同じだと思ってはダメだ」って言われたやつだっけ?
とはいえ一瞬「わはははは、戦は面白いのう」ってポン刀と仕込みマント振り回しながら
センゴクに襲いかかる左近を想像してしまったw
女城主攻略か
お艶さまとヤりてぇ
また濃厚セクースでてこ入れ?
昌景デラかっこいい!
身長130cmで三ツ口を再現して欲しかったけど最早言うまい。
シグルイ原作者が書いた「織田信長」にも出てたな、この叔母さん。
あのね、すっごい死に方するよ。
女城主の話は面白いエピソードなのに漫画でちゃんと描いたやつは
少ないので結構期待してる。
逆磔って結構なアレだよな
>>542 俺はアキオ派。
鳥居強右衛門は普通の磔だったっけ?
女城主は円形の板に張り付けられてくるくる回されるよ
そして秋山の投げた小刀が脳天突き刺さって死亡
女城主はげしくモエス
汁の二度かけしたい。
氏政きた
竹中半兵衛が完全にフェードアウトしてる件について。
45万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
駄作か傑作かは、買って自分で確かめよう
美味美味
山県昌景隊が赤備えってことになってるけど、
小幡じゃなかったの?
山県 昌景(やまがた まさかげ、享禄2年(1529年)−天正3年5月21日(1575年6月29日))
戦国時代の武将。武田信玄の家臣。源四郎、三郎兵衛尉。
初め飯富姓で飯富虎昌の実弟。
信玄の小姓や使番として仕えた後、天文21年(1552年)に侍大将に抜擢される。
実兄・虎昌に勝るとも劣らない武者振りを発揮し、『源四郎の赴くところ敵なし』と言われた。
以後武田軍団の大将として活躍し、永禄8年(1565年)の信玄の子・武田義信の謀反未遂の折も、
兄が関与している事を承知の上で信玄に訴えて事を未然に防いだ。
この功績により虎昌の赤備え部隊を引き継ぐとともに、信玄の父・武田信虎の代に断絶していた
山県の名跡を与えられて山県昌景と名を改めた。
つか、一言坂の戦いを端折るなよ。
武田勢をして、忠勝を賞賛せしめた戦いだろ?
資料がロクに無いのは解るけどよ。
身長130cm対アマゾネスの熱い戦いが見たかったが、これはこれでいいか。
お艶の方
織田信定の娘で信長の叔母にあたる。
一般におつやとも呼ばれているが正確な事は不明。
おふくとも伝えられてる。
絶世の美女であったという。
初め美濃岩村城(現・岐阜県岩村町)の城主遠山内匠助景任に嫁いだ。
元亀二年(1571)、遠山景任が病没してしまったため織田信長の五男坊丸を養子に迎え入れる。
だが坊丸は未だ幼少のためおつやの方が後見となり、事実上女城主として采配を振るった。
翌年11月、武田信玄の将・秋山信友が東濃に侵入、岩村城に迫った。
堅固に守りを固める岩村城に対し秋山信友が和議を申し入れるが、同時におつやの方に対し婚姻を求めたのである。
おつやの方はこれに応じ開城。
今度は武田の将・秋山信友の妻として岩村城主の妻の座に着いた。
この時、坊丸は人質として甲斐に送られた。
(坊丸は甲斐で信玄の養子となり、のち武田滅亡の直前、織田方へ送り返された。 信長の末裔・織田勝長 参照 )
長篠の戦いで武田勢に圧勝した信長は岩村城奪回を謀る。
信長の嫡男・信忠を大将として岩村城を攻めたてるがなかなか落ちない。
力攻めでは落ちないと判断した信忠は持久戦に持ち込む。
城を巻き、間道を塞ぎ、抜け道をも見付け兵糧攻めを開始した。
武田勢は大敗を帰したばかりで援軍を出すのは不可能と読んだのであろう。
だが、城はなかなか落ちない。
逆に「援軍来る。」と虚報を流し信忠を困惑させる。
なかなか落ちない城に業をにやした信長は直接出陣し陣頭指揮をとることとなった。
信長は謀り事で城を落とすこととした。
和議を申し入れたのである。
籠城側は知らなかったが実際、武田の援軍は迫っていたのだ。
ただ雪に阻まれ手間取っていたのであった。
援軍は無く、兵糧も乏しく飢えと寒さに城兵は苦しんでいる。
「叔母の城の城兵にて兵火にさらすのは忍びない。」
そう開城を持ちかけた信長に秋山信友・おつやの方は応じた。
しかし信長は甥である自分を裏切り、さらに我が子までも人質に差し出したおつやの方を、赦そうとは思っていなかったようだ。
和議を結び城を開けた秋山信友以下の城将を皆殺しにし、おつやの方も捕らえ逆磔刑に処した。
過酷な仕打ちに おつやの方は
「敵方であった秋山信友は開城に際し約束を守ったのに、
身内である信長は和議の約束を反故にするのか。」
と嘆き、恨んだという。
逆磔刑に際し「かかる非道のふるまい、わらわがその罪を赦すとも天が赦すまじ。
追っつけ因果はめぐりて、苦しき死に遭うべきよ。」と、
怨嗟の声をあげながら泣き果てた。
>>562 おつやの方、自分の裏切りをまるで計算に入れてないな
いつの時代も女は勝手なんだよ
てか、武田に対する信長はある意味、異常だと思う。
勝頼の首への仕打ちといい、何かやっぱトラウマあったんかなと思ってしまう。
遠山景任・・遠山の金さんってこの遠山一族の末裔だよね。直系じゃないけど。
今までの屈辱外交にかなりピクピクきてたんじゃないか
信長って、子供の頃から興奮 すると、 「眼輪筋」がピグピグいって、ちょっと暴力的になるのよね〜。
漆塗り骸骨もあるし…。
かなりネに持つタイプだったんかね(笑)
にしては、勝家が謀反側についても許したし、
あの松永久秀さえ、最後まで許そうとしてたらしいんだよね。
571 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/27(月) 22:45:19 ID:pGpJvvHS0
まじで死にそうになった時に敵になってたら殺す。
朝倉と浅井は裏切られたおかげで死にかけた。武田が
支援している。
殺す
岩村城が武田になったおかげで滅亡しかけた。
殺す。
家康の嫡男が武田に通じている
殺す
>>571 最後のはただの言いがかりじゃなかった?
>>565 こんなガセネタ信じているやつまだいたんだ
秋山がむさくるしすぎる
あれじゃ阪神の下柳
「武田一の色男」なんて紹介されて度肝を抜かれたよ>秋山
色男のつもりで描いてたんだ……
つーか、信長なりの価値観や好みによって待遇変えてたんじゃね?
柴田の場合、最初は自分を理解できてなかったけど、理解してからは信服して絶対服従してる。しかも有能。
松永や荒木も能力を認めてて、謀反の時点ではまだ利用価値があると思っていた。
武田は滅亡まで抵抗したし、もうこいつらの助け借りなくても天下統一視野に入ってたので、譜代の家臣の恩賞のため冷静に皆殺しにしたと。
確かに苦労させられたヤシには恨みを忘れないとこがあるけど、早いタイミングで降伏したり、一度裏切ってもその後心底服従して働けば許されてるよ。
ある程度有能なのが条件だけど。
有能の条件がまた厳しくて、それがたびたび家臣や同盟国に裏切られた理由なんだろうな。
信康については、酒井忠次が弁護どころかむしろ誣告したのが大きいんじゃね。
とりあえずセンゴクに鼻クソ付けられると死ぬんだよね?
>>578 逆さかどうかは知らんが、秋山と伯母を磔にして処刑した
ってのは「信長公記」にも載ってるから史実と思って間違い無い。
ネタバレ厨ウザス
歴史物の漫画は「史実をどう描写するか」を楽しむものなんだから
ネタバレも糞もない。
だいたい、信長関連なんて、今まで無数の漫画&小説&コラムで
書かれまくってるから情報は溢れかえってるし。
ここだけの話、
信長って死ぬらしいぜ
ここだけの話、
部下に殺されるらしいよ、内部告発者からメールきたから信憑性高いよ
詳細を知らずに、
漫画「センゴク」を楽しんでいるやつもいるのだから
開き直るのもどうかと思う
たしか坂井久蔵のときも揉めたけどな。
>>574-575 良いモノを持っているのではなかろうか。
2chに来ておいてネタバレとか言われても…
山梨県人だが「甲州一の色男」ってアオリは正直凄いのかどーなのよって思った。
何だかんだいっても田舎だし・・
>>565 山梨に旅にでて買ってきた武田神社や恵林寺が発行してる本には
信玄、勝頼が信長にとって強敵だった分、憎悪が強烈だった……と
書いてある。
>>570 茶釜が欲しかっただけとかw。あとは性根の据わった悪同士で気があったとか。
勝頼の首の件も誇張って話もあれば実際って説もあるしな
なんつーか、信長公記と信長記が混ざったりしていろいろな逸話が出回ってるんで
ややこしいんだよなぁ。
センゴクが面白いからついつい久々に信長の野望の新作(革新)買ってやってるんだが
あのデータを見る限りでは、松永久秀の反乱を許してでも欲しくなるのが解る。
築城の適正がSで、信長・秀吉と3人組めば最高ランクまでの築城が可能になるから
俺が信長でも欲しくなる。
まあ、実際はゲームみたいなあからさまなもんじゃないとは思うが
ある程度の反乱を許してでも欲しくなる『理由』が何かあったんだろうな。
>築城S
安土城のパクリ元になった信貴城っての作ったんだよな、確か。
>>592 信長の野望より太閤立志伝がおすすめですよ。
より人物個人に焦点を当ててるので、のめりこめます。
なにしろ仙石権兵衛秀久本人になってプレイできるのがいい。
595 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/28(火) 13:41:51 ID:6gHHkKbc0
596 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/28(火) 13:55:00 ID:zXLSH/A+O
何度も言われてると思うがこの作者馬鹿か?
四名臣に秋山入ってるし、なぜ西上進攻作戦に参加してない、対謙信の守りに残った高坂がいるんだ?
内藤や真田ださんかい!
自己解釈も歴史漫画には必要だが、まるっきりの嘘はだめだろ!
>>596 四名臣の件…あんたの言う通り。
高坂の件…内藤昌豊が領土の守りで、高坂が信玄本隊に
付き添って西上のはずだが。
三方が原完勝の後、浜松城を攻めるか否かで、
信玄の病状が悪化してた事もあって、城攻めしない
事を進言してたはず。
598 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/28(火) 14:55:14 ID:gXyEwPKxO
かたいこと言うなよ。漫画読んで勉強しようなんていうガキじゃないんなら興味もったら自分でしらべるだろうし。
こんだけ真剣に怒る人が出る程面白い漫画なんだな
>>593 信貴山城でなくて多聞山城な、今で言う所の天守(原型らしきものはそれ以前にもあった)、
そして多聞櫓(多聞山城が語源)等、この城が始めて採用し後にスタンダードになった構造も多い
宣教師アルメイダは「こんな壮麗な城世界に類を見ない」みたいな事を言ったとか
ゲームなんかだと信貴山の方色々と扱いやすいからか多聞山の方はあんまり出ないし
謀反の後没収されたりとか灸据えて自害したのが信貴山だったりで印象薄いのかもしれないが
現在の多聞山城は見る影もないですけどね。
気に入った→悪くて追放
なんかムカツク→よくて坊主
内藤、真田が出ないのは信長の野望から入った俺も納得いかないが
武田軍団がかっこよすぎるので許す。
3日で一城ペースにワラタ
>>596 ・・てか「4名臣」と作中で言われてたっけ?
>>594 仙石出てたのかよ!?
剣豪プレイばっかしてたから気がつかなかった orz
やっぱ仙石が出てこない回は面白いなこの漫画。
一番不要なキャラだし >仙石
>>606 斉藤家の面子で
「俺この戦争が終わったら故郷に帰るんだ…」って一番いいそうな(貧相な)鎧武者
610 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/02/28(火) 21:48:15 ID:FPku0tiJ0
>>609 死亡フラグキタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !!!!
>>609 「故郷に帰ったら刀も槍も捨てて静かに暮らすんだ・・・」とかな。
姉川が奇襲ってのはこのスレ的にどうなん?
>>612 スレ全体の総意なんて決めれるわけないだろ
秋山が女城主の目前で刀をシュババッと振ると、
鎧と着物だけがバラバラになって乳ポロリってのはこのスレ的にどうなん?
桶狭間をはじめ、奇襲は信長のお家芸です。そんな信長が奇襲攻撃されるなんて、りありてぃに欠けると思います
それはそうと、『三段撃ち』と『殺しの間』は、どっちが実用性が高いんだろうか。インパクトは互角かな
>>614 むろん、アリだ。
恐らくスレ全体の総意だ。
>>617 その後お市化した女情趣のお仕置きタイムが始まるんだな
十字砲火はメジャーな戦法だけどね。
でも、「殺し間」は死亡率高過ぎ。
あんな連中長篠でどうやって倒すのよ
>>620 勝頼の側近がむりやり墓穴へと引っ張り込んでくれます。
そのとき真田の兄弟出てくるかもしれん
山県昌景は、天正3年(1575年)の長篠の戦いでは撤退を進言したが容れられず、
逆に「いくつになっても命は惜しいものらしい」と勝頼に皮肉られ(但しこれは風説であり、
実際あったかどうかは不明)、討ち死にを覚悟で憤然と突撃し、馬防柵と銃弾におびえる事
無く奮戦したが、体に銃弾を浴びて戦死する。
昌景の最期は采配を口に入れたままの壮絶なものだったと言う。
山県の采配はほうとう味。
勝頼も氏政も親父より勢力大きくしたのに評価低い
何故だ
戦線を拡大させてもそれを維持できなきゃ話にならんでしょ
長篠では織田方も6000人位被害出してるんだよなあ。
兵の比率から考えれば勝ち戦でもおかしくないけど、武田は兵数で劣るのにもっと死んでる。
騎馬突撃も三段打ちも疑問視されてる現在では長篠の実像が掴めないねえ。
織田には前田慶次が、武田には島SAKONが参加していたんだよ
SAKONさえいれば大抵の戦には勝てそうなもんだが
一機のモビールスーツだけで、戦況をひっくり返せるなんて、
思い上がりだと、ウッディ大尉も言っておられる。
正確には「ガンダム一機の働きでマチルダが助けられたり戦争が
勝てるなどというほどあまいものではないんだぞ」だな。
武田の部将良い味出してるから長篠以降が楽しみだな
今調子こいててその時どんな死に方してくれるか
見せ場もなくフェードアウトしてく奴が何人も出てくる悪寒。
>>629 それは初代の時代で種のMSを見たらそんなことは言えなくなる。
「やめてよね、雑魚がいくら群がったって僕に勝てるわけないだろ」と吉良様もおっしゃっておられる。
この後千石は羽柴隊に戻るんだろうけど羽柴隊はどこ転戦するんだっけ?
>>622 有名な長篠合戦屏風では家臣の志村某が主人の首と形見の采配を持って
戦場から去る場面が描かれている。思わず涙を誘われる。
>>627 慶次はいた鴨しれん。前田利家も滝川一益も参戦してるから
どちらかの陣にいたんだろう。
左近は……。不明。
左近が武田家へ軍略留学に行ってたのか?
>>626 NHKは、織田が大規模な陣地構築して籠もったところに武田が攻め係って
被害を出したという説を採ってた。
甲州騎馬軍団があろうがなかろうが、攻城戦じゃあんまり意味無いわなぁ。
まぁ、そもそも兵力が倍以上違う段階で負けフラグ立ってるけどね。
638 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/01(水) 13:28:30 ID:q8brpd4QO
>>597 高坂が海津城で守りじゃなかったっけ?俺の勘違い??
>>621 さすがに長篠では真田幸隆は死んでるが兄弟はででくるね!兄、討ち死にするし、昌幸も出てきそうだね
>>631 馬場や山県など、長篠では撤退を進言したが受け入れられず、
織田方の資料に絶賛されるくらい勇猛果敢に戦い討ち死にしてる
馬場なんてシンガリ務め勝頼逃がしたあと織田に突っ込んだし。それなりに格好よく死ぬんじゃね?
勝頼はすげぇ猪武者に描かれそうW
まぁ武田家は信玄の圧倒的カリスマと人心掌握術あっての鉄の結束と最強軍団だからな
勝頼の代になって馬場ら信玄以来の勇将らと、うまくいってなかったらしいから
「踏まれて強くなる」雑草パワーがまるで無い勝頼。
エリートだが能力はオール4(5段階評価)って感じがする。
>>638 高坂が留守番だったのは長篠。そのお陰で死なずに済んだ。
三方ヶ原は四名臣全員参戦だった気がス。
641 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/01(水) 14:24:23 ID:q8brpd4QO
>>639 オール2で体育だけ5って感じじゃねーか?
その勇猛さでは信長、家康も恐れたらしいから
ただ勝頼が疲弊を考えず攻めに撤したのは信玄のせいでもある
信玄の嫡男の跡取りが失脚して急遽、武田を継いだし
諏訪の血筋って事で真の武田の跡取りは勝頼の息子だしな
で、信玄がうまく継承しなかったせいで譜代の家来には舐められてる
武田家は家来の力が強く、主従というより武田家を頭領とする各家の連合隊みたいだから
信玄だったから皆、そのカリスマとついていけば領土安泰で命をかけ忠誠を尽くしたけど
勝頼は舐められ最後は親族にまで裏切りの嵐で滅亡した
だから勝頼は自分の器量を家来に認めさせるため攻めるしかなかった
武田家の滅亡は偉大すぎる先代と勝頼の国土の疲弊を考えぬ無謀な戦略のせい
それと上杉の跡目争いに金で北条の養子を見捨てた事 これで同盟国の北条を敵にまわしたのは痛すぎる
逆を選択すれば、上杉家は北条の傘下になるようなもので、たしかに避けたい所だが
後方の北条、上杉の二大強国と同盟し後ろの憂いなく織田に当たれたのに
大河ドラマで「武田信玄」が放送されていた頃、自分は塾教師を
していたが、そこの社会の先生が「信玄があと5年長生きしてい
たら天下を取れた」と受験前の生徒に力説していたが、その説は
無理があるだろう、少なくとも、受験を控えた生徒にそんな断定的な
言い方で力説すべきではない…と思った。
国語担当だった自分には社会への発言権はなく、何も言わなかった。
しかし、後にある生徒が「信玄があと5年長生きしても天下は取れなかった
と思う」と自分に耳打ちしてきた時は、「しっかりしているなあ」と感心
した。
その子に「長篠の戦いを信玄が指揮したらどうなったと思う?」ときいた
ら「ああいう戦いになる前に信玄は手を打っていたと思う。だから、ああ
いう戦い自体が起きなかったと思うけど、もしああいう戦いになったとして
も、信玄なら様子見で少し戦ってみて、状況不利と見て場所を変えるとか、
戦法を変えるとかしたと思う」という答えが返ってきた。
うーん、たいしたものだと感心した思い出。
チラシの裏でゴメン。
文章長いぞお前ら
文章長いぞお前ら
644 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/01(水) 17:07:02 ID:s9A5+NLb0
別に受験とそれは全く関係ないし、生徒に何の影響も及ぼさないと思う…
史実じゃ仙石先任伍長は、誰と結婚したの?
>>642 に出てきた生徒が、後に有名になる○○だった!
っていうオチがついたら面白かったかもしれない。
648 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/01(水) 18:37:52 ID:vd7cvdjl0
真田厨の俺はそろそろ昌幸がでるんじゃないかと楽しみにしてるんだが。
今更無いだろ
>>641 上杉家を景虎が継いでたら、北条と上杉に喰われてた気もする。
>>646 美濃の野々村伊予守幸成の娘・本陽院殿槃室妙栄大禅定尼(?―1596)
>>650 だろうな。結局敵にも味方にも舐められたら終わり。
それが武田家の限界だったんだろう。
>>637 佐久間内通の偽情報を流して、勝頼に攻撃させたって話を
聞いたことあるけどホントかな。
あと、鳶の巣砦への攻撃って啄木鳥戦法と言っていいような
気がするがどうなんだろ。
>>651 じゃあ、家康が三方ヶ原で負けたとき、譜代以外の三河遠江の領主は、みんな武田についたの?
それとも「武田家に立ち向かった家康ってスゲー」だったのか?
真田を見たい奴はマガジンの戦国漫画でも読め。
カコイイ昌幸が大活躍してるぞ。
655 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/01(水) 21:10:06 ID:vd7cvdjl0
真田は複線としてもこの辺で出しとくべきなんじゃね?
>>654 見てみよう
伏線て言っても仙石とは現時点じゃ全く絡まないだろ。
657 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/01(水) 21:26:33 ID:vd7cvdjl0
違うよー。後々のためにキャラを印象付けとくんだよ。
言われてみれば確かに絡みまでは遠すぎるかw
>>653 打って出ないと、傘下の領主に見捨てられておしまい。
打って出たら、最強武田軍・・・
最後の最後で真田にやられるキャラなんだよなぁ・・・
関が原までは遠いなぁw
このまま順調に連載しても五年以上かかるんじゃないか?
ほんの数年、2、3巻の予定が20年続いちゃった歴史マンガもあるから問題ない
>>652 鳶ヶ巣砦に本隊がいた訳ではないし、奇襲というよりは後詰決戦の前哨戦だし、
啄木鳥とはちょっと違うかなぁ。
>>655 昌幸はマジ美形に描かれてるぞ!!
その代わり元来の印象を覆す、謙信バカキャラだ!!
>>663 あそこまでブっとんでるとあるイミ面白いよナw
謙信のバカっぷりもいいイミで面白いし。あの漫画もこれからの
料理の仕方次第では化けるかも・・
先週号で山県さんが采配を口にくわえてたのは
彼自身の最後の死に様を現しているんだなぁと思った。
今後の展開だが個人的には岩村城を落として信長に後詰の覚悟を決めさせ、
二股城をわざと時間をかけて追い詰めて家康が浜松から打って出ざるを得ない状況を作るとみたが如何?
>>668 ある意味ではかなり期待して良いけど、
ある意味ではマジで謝罪したいw
なんだ少年誌の方でも戦国漫画やってんのか
大河といい今は戦国ブームか
武将は出てるが戦国漫画ではないな
>>641 その立場と似ているのが中国の尼子家じゃないんだろうか?
こちらは、カリスマ当主経久が死んでから跡を継いだ孫の晴久は増長していた大叔父が率いる新宮党を粛清している
カリスマ当主の後、家をまとめるには対外戦争か粛清してまとめるかのどちらかしかないんじゃ?どちらも厳しいが・・・
尼後家はこの粛清で毛利家と力関係が逆転し滅んでる
>>676 センゴクや秀吉達が今後対戦する毛利氏もある意味それに近いのでは。
あちらの当主輝元は、能力値は勝頼や晴久よりもずっと低いのに、
家を保ってこれたのは、吉川元春・小早川隆景といった超優秀な叔父達が
元就の遺訓を忠実に守って、輝元の補佐役としてついていたからですものね。
それを思うと、第4次川中島合戦にて、信繁が戦死したのは本当に痛いですね。
つまり川中島で信玄が死んでいればよかったんだな
681 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/02(木) 15:36:57 ID:L5pQd//oO
真田昌幸、待望論があるから山県の赤備え隊でだせばいんじゃない?
実際、山県と昌幸は親族だし(山県の兄の娘と真田隆幸が結婚して昌幸が生まれた)
義信謀反の時には二人からすれば兄とおじいちゃんがかかわったにも係わらず
二人とも即、信玄につきお互いの信頼も高いし
だいたい三方ケ原の戦い描いた歴史漫画で昌幸でてこないってなくね?
のちのち仙石とも絡む天才昌幸をだした方が燃える!
バリバリに戦国漫画だろうが。
コレだからゲーヲタは。登場した武将の能力値が気に入らないのか?
仙石氏と真田氏が絡んだ事ってあるのかな?
>>681 真田衆が実際に三方ヶ原に参陣してますので、兄の信綱か昌輝の与力として是非とも大暴れしてほしいものです。
その時の昌幸の年齢は26歳と、センゴクとも割と近いですので、それこそ白刃を振るっての一騎打ちで、
後々の為に互いを印象付ければ、なお良しですね。
ただ、作者にそこまで知恵が回るかどうか……。
姫路に住んでる者ですが我等が黒田官兵衛公が登場するのはいつですか?
>>684 三方が原〜小谷落城〜長浜拝領〜加賀攻め・秀吉謹慎の後だからだいぶ先じゃね?
686 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/02(木) 17:31:57 ID:L5pQd//oO
あっ名前逆になってた 隆幸→幸隆
>>683 ぜひ見たいね
甲州武田軍団で信玄にもっとも戦略、謀略が評価された幸隆に若き天才と期待された昌幸だから
そういや昔読んだ昌幸の小説はひどかったなぁ 小姓時代の昌幸の師が山本勘助で
少年時代を共に過ごした勝頼は親友で、その母で信玄の側室の諏訪夫人が初恋の相手だって
子供が生まれた時は赤ん坊(幸村)を信玄が武田の名将になると予言したとか
いくらなんでも主要人物全部つなげすぎW
仙石と真田が一騎打ちとかふざけてるの?
あんまり知られてない武将と一騎打ちするんだろ
正直、山崎新平ってそんなに有名な人だったのか?
この漫画を読んで初めて知ったわけで…
どちらにしても真田はまだ早いんじゃないか?
歴史の教科書に載ってる絵と全然違うやんけ!この漫画!
もっと線が細くて、どれもショボクレた落ち武者みたいな顔してんのやぞ!!
マガジンの戦国モノ読んできた。
純粋な真田厨を騙しやがったなッ!
きさまらっ…それでも…人間かっ…!?
>>689 俺もそう思ってきた
俺の真田は真田太平記がベース
./ \
/ ヽ オレがあの
>>691に「昌幸はマジ美形に描かれてるぞ!!」って
. / 八 \ 言ってやったとき……。
. | /V八/| || |ヽ |‐-‐))'´|,|ヽ ヘ
| |`‐- ノ_|/ ヽl |/`‐-/‐'´ | /〃ヘ\ あいつらはたぶん俺のこと
| |::`‐-、_ `‐-、_ /::/ |/ 「最高の真田仲間」だと思ったと思うんだよ
| |, | ノ `‐-、_||| ||:::/ |
| /⌒l ━┳━━━━━━━━━━━━┓ ククク…
| |:i⌒|::|:::::| :::illlllllllllllllll|━━| ::illllllllll| ああいうバカがいるから
| |:l⌒| |::::: | :::iillllllllllllllll/ :::::: ..\ :::iillllllllllノ 厨房は食いっぱぐれねえんだ
| |::「]| |::::: \::iillllllllllllllノ ::::::::::::::; |:iillllllllノ
|. \_.l |::::  ̄ ̄ ̄ :::::::::::::::::; | ̄ | 2chの厨房が、モノホンのとっとき情報を出すわけ
. ./| N:::::::::: __,ノ (::::_::::::::::::; | | ねえじゃねえか……!
./::: | /: :|:::::::::/ ‐┘ヽ |
/ :::::: |. ./:: ::|::::/: (二二二二二二二二) ,| ……ククク…
/:::::::::::::| ./:::: ::|::::: __ | 話にならねえ甘ったれ…
: : :::::::::::::|.../::: ::\:::: :::::::: |
::::::::::::::::::|\ ::\ l l l l l l l l |:::::::::\ こスレじゃそういうウスノロは
:::::::::::::::::| \ :::::\_______|::::::::::::::::: いのいちの食い物…
::::::::::::::::| \ ::::::::::::/ |:::::::::::::::::::: ………餌食・・・・・・
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ちょ、ちょーとまって!
>>691、実際に昌幸は有能で格好良く描かれたでしょ!?
, ,-;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:,. ヽ─y────────────── ,-v-、  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/;:;:;:;:;:;:ミミ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;`、 / _ノ_ノ:^)
/;:;:;:;:彡―ー-、_;:;:;:;:;:;:;:;| / _ノ_ノ_ノ /)
|;:;:;:ノ、 `、;;:;:;:;:;:i / ノ ノノ//
|;:/_ヽ ,,,,,,,,,, |;:;:;:;:;:;! ____/ ______ ノ
| ' ゚ ''/ ┌。-、 |;:;:;:;:/ _.. r(" `ー" 、 ノ
|` ノ( ヽ ソ |ノ|/ _. -‐ '"´ l l-、 ゙ ノ
_,-ー| /_` ”' \ ノ __ . -‐ ' "´ l ヽ`ー''"ー'"
| : | )ヾ三ニヽ /ヽ ' "´/`゙ ーァ' "´ ‐'"´ ヽ、`ー /ノ
ヽ `、___,.-ー' | / / __.. -'-'"
| | \ / | l / . -‐ '"´
\ |___>< / ヽ
俺の中では真田昌幸は長淵強みたいな顔をしている。
>>695 それ信繁。まぁ親子だから似てると言われればそれまでだw
>>683 そんな厨臭い話で作者より知恵をまわしたつもりにならないでくれよ。
だってしょうがないじゃんリア厨なんだから。
>>699 戦国時代を描いた漫画だし、昌幸は格好いい。
川中島の合戦の最中で、上杉謙信は従来の見方を覆すうつけキャラ!
お市の方から飛び加藤まで出てくる、奥の深い戦国漫画だというのに……
どこかこのスレに嘘は書いてあったか?w
昌幸の名が全国に売れたのは北条と徳川を追い返してからだよね?
まあ、昌幸の顔って大体
_____
./""""""丶゛、
/__ ___ li::;;;i
.´ヽ。ハ、。-"` リ::;;;i
/ ム,、ヽく゛ソ う(
ヽ:策;≫> ,/ノ゛ミミ
/ヾo,,"イ イ 人  ̄`ヽ
/ ||゛""( ソノ ノ `\
こんな感じの肖像画だよな
日本にもっと早く西洋画のデッサンとかスケッチの技法が
伝わっていれば、歴史的な人物の容貌が正確にわかったのに
…。信玄とか信長とか秀吉の顔はどんなふうだったのだろう。
>>691 マガジンの戦国漫画の良さがわからぬとは……
いい加減に騙しやがったなどと言われては困りますな。
いやぁ、鎌倉あたりからだいぶ写実的にはなってきてるでそ。
最大の問題は…描かれてるのが誰だかわからん…ってことで(笑)
合わせて、誰が描いたかとか、いつ描かれたかとか、裏付け資料が無いと
本当に本人を見て描いたかどうだか判らなくなってくるので、いくら写実的
でも意味無かったりするし。
707 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/03(金) 11:42:54 ID:jVTGar11O
今日はまだ新刊でてないよね?
たかだか100年前の西郷の顔すら一般イメエジとは違うらしいしな。
>>111 「デジカメ持ってません」か、「パソコンおんちなので画像が貼れません」のどっちか。
それか「いつまでもネタに騙されてんじゃねーよ」とギブアップするかも。
>708
一番人口に膾炙してる上野の銅像がアレだからな
なんだかんだで武田と今川の関係から山梨と静岡の今の関係まで話が伸びるのがいいな。
歴史を感じる。
ちなみに、私事ではあるが、最近俺の母方の父系が武田氏の
末裔だったらしいという事を聞いた。
明治維新のころ、福井の庄屋で池田って苗字だったんだけど、これ有名なの?
だれかご存知の方教えてくださいです・・・。
>>684 播磨攻めは長篠より更に後だからこのペースだとあと3年は先なんじゃない?
もしくはある日
半兵衛「こちらは私の古くからの友人です」
官兵衛「まいど!播州小寺家家臣の黒田言います!よろしゅうたのんます。」
てな感じで唐突に出てきたりしてw
>>706 源頼朝が実は足利直義だったり足利尊氏が実は高師直だったり・・・
武田信玄のあの有名な肖像画も実は違う人っていう説があるんだよね?
平重盛が足利尊氏だったっけ?
信玄のは孫だった気がした。
アレでもう定着しちゃってるからなぁ。無意味にイケ面だったりしてもしょうがないし。
まぁ、「不気味」な信玄像ってのも新たに描き起こされたイメージではあるのかも。
細面の大河中井でもイメージ覆せなかったしな。
俺的には山科のおかまでぶ信玄がお気にではあるが。
官兵衛はやーさんみたいな口調とか
山口組の故・竹中組長がドスのきいた播州なまりだったそうで。
>>704 西洋人が描いた信長と、日本人が描いた信長を両方見てわかること。
「鼻がでかかったんだなあ」
>>712 そして官兵衛のセンゴクへの第一声は「アホやろ自分」
>>711 武田の家来って徳川に組み込まれたりしてるし。
板垣退助も遡ると板垣家に連なるってんで乾から改名したとかなんとか。
>>716 有名なヤクの毛の引き回しがついた兜も、信玄の物じゃ無いって話があったような。
>>720 むしろ仙石が何かしでかした後にワレ何しとんじゃダボってな感じで
顕如には驚かされた
だけど個性的でいいね
>>708 >>710 西郷さんのあの絵は弟の西郷従道と従兄弟の大山巌をモデルにしたと
言われているそうだ。スレ違いスマソ。
>>723 現在の西本願寺の門主様みたく髪伸ばしてても面白かった鴨しれん。
真宗は坊主じゃない坊主が多いw。
真宗は戒律ないからな
坊主にする必要性が全く無い
現に作中の頼廉も毛坊主だしな
>>726 下間家は本来武士だからその辺どうなんだろう。髷を結っていても
良さそうなもんだが。下間家について詳しくは「武家家伝 下間氏」でググろう。
どうも髪がある僧侶って生臭とか売僧ってイメージが(偏見)。
>>724 モデル、なんてもんじゃなく西郷従道と大山巌の顔を上下で合成したもの。
西郷自身の写真は1枚も残っていないからそうしたという話。
上野の銅像の除幕式で夫人が「こんなの西郷じゃない。ちっとも似ていない。」
と言った話は有名だね。
>>706 神護寺にはちゃんと「当寺に源頼朝他2人の肖像が伝承されている」という
裏付資料というか文書が伝わっててアレだからな。
そういや最近はあの肖像も「伝源頼朝像」と少し表現が変わった。
山梨の寺にある木像のほうは源頼朝で間違いないのだが。
ついでに言っとくと西南戦争の「西南」とは「西郷南洲(=隆盛)」の略で
「日本の西南地方で起こったから」ではない。
おまえら日本史に詳しいんだね。
週マガ読んできた
やっぱ騙されてたorz
西郷と言えば、その主家で、後にセンゴクをどん底に突き落とす事になる
島津四兄弟の方言って、やっぱり「ごわす」の薩摩弁で表記されるのでしょうか。
>>732 普通に標準語でしゃべって、語尾だけ「ごわす」
>>733 「島津奔る」の薩摩弁はどうだろう。この作品はアレな部分も多いが、
島津関係の箇所は作者独自の描写が出ている気がス。
司馬関ヶ原と両方読み比べてみたが。
だれでも喋れる漫画の九州方言。
一人称:おいどん。
語尾:ごわす、ですたい。
三河弁も尾張弁もしゃべってないんだから
全員、基本標準語でいいんじゃね?
水戸黄門みたいにさ。
だぎゃあ とか みゃーみゃー言ってる信長か…w
>>738 まぁ、あとは突撃するときの「チェスト〜」くらいだろうなw
>>740 そういう作品は多い
つかセンゴクでも微妙に名古屋弁使ってなかった?
>>731 だから人聞きの悪いことを言うな!
戦国時代を描いてる漫画同士、仲良くしろよ
いい加減他漫画の布教がウザイ
晩年の秀吉の気分だ
他の漫画の話なんかしないで、太閤立志伝で仙石プレイしようぜ〜
>>742 微妙につかわれると、俺はまあ雰囲気出るからいいじゃんと好意的なんだが
ご当地の人間はやっぱり不快に思うもんなのかね?
顕如の大阪弁は特になにも感じなかったな
>>742 姉川で勝った後使ってたな。
どうやらこの信長は興奮すると使うみたいだ。
>>746 取りあえずそれらしいから、という理由で使われる方言は大抵酷い
>>747 顕如の大阪弁は使い方的には合ってたの?
>>749 やっぱそういうもんか。
まあ、ご当地以外の人間が読んでもおかしいと思うのは
さすがに俺も酷いと思うがな…うーん
>>751 現代が舞台なのに方言を意識しすぎてコテコテだったり
そもそも用法、使い時が間違ってたりするからね
逆に方言の使い方が上手いとおおっ、と思う
>>750 ここでは顕如は方言より方便(教義の解釈)に疑問符つけられてたからな
それに比べれば瑣末な問題
>>752 どの程度の訛りが自然か、ってのはネイティブじゃなきゃわかんないからねえ。
酷くするくらいなら使うな、って気持ちはよくわかる。
まあ俺はぶっちゃけ
「おいは〜でごわす」程度で許しちゃうほどOKラインは低いんだがw
それでも、無理して使わなくてもいいんじゃね?とは思うんだよな。
毛利との海戦は描かれるかな?
どえりゃー楽しみだぎゃあ。
756 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/04(土) 14:06:01 ID:KjbpiCFC0
大河ドラマには出てこないの?
>>756 秀吉が軍議してるとき隅っこの方にいつもいるけど
普段は名無し扱いの人がそう
名無しの権兵衛かよw
誰が上手いことをいえと言った
刀なんて合戦じゃ役にたたねえ 仙石権兵衛秀久 戦国史上最も失敗し、挽回した男
合戦とはなにか問い続けぃ 最強・織田信長軍団 史上最も苛烈にして、最も繊細な男
死を超えるのが生きるってことだ 木下籐吉郎秀吉 史上最も淫蕩にして、最も難解な男
“殺し間”に足を踏み入れたが最後に候 明智十兵衛光秀 史上最大の反逆者にて、最も哀しき男
平静なる心で張った賭けは必ず勝つ 徳川次郎三郎家康 日本史上最も執念深く、勝負強い男
後詰めとは互いの才を信じることにござります 竹中半兵衛重治 史上最も端麗にして、最も薄命な男
尾張のうつけの噂はホンマやったんか 本願寺顕如光佐 戦国史上最も怜悧にして、もっとも熱き男
8巻の表紙は確か信玄だよね?どんな言葉になるんだろ?
風紀が乱れてるなんてもんじゃないわ 氏家ト全 史上最も卑猥にして最もグダグダな男
>>762 漫画家ですか。武将の方はもう三方ヶ原の段階では死んでたとオモタ。
浮気したわしが悪かった 武田法性院信玄 戦国史上最も浮気をし、謝罪した男
>>738 まあマジに薩摩弁コテコテにされても解読できんからな。
大河ドラマの「翔ぶが如く」レベルですら字幕ついてたくらいだし。
じゃっどん、おいもはん、ほたえなー
>>760 amazonでセンゴク8で検索したら出た。
何かかっこいいな。
合戦の前に勝利を決めよ 武田法性院信玄 史上最強にして最も業深き男
立たねぇマラはただのマラだ 上杉弾正少弼謙信 戦国史上最もインポにして最もウホッな男
戦国史上最も清廉にして性別が確定しない男?
何週間か前に秀吉と磯野員昌の会話で、
秀「山崎殿は良い武将であった」
磯「新たに先駆けを入れたところでその穴は埋まらぬ」
なんてかんじのことを言ってたけど、磯野が雇った「[新たな先駆け」ってもしかして藤堂高虎?
ひきこもりと我を蔑んできたことを悔いるが良い 朝倉左衛門督義景 戦国史上最も引き籠った男
んで8巻表紙が信玄なんですが9巻表紙誰なんでしょうね(~_~;)
出てきた人物だと 柴田勝家か浅井長政くらいしかいないような・・・
お前ら、本多忠勝(1548年生まれ)と同い年で家康より6つも年下で、
13年後にはイカす宣戦布告文による挑発で秀吉を激怒させるナイスガイ
なのに、全然そんな風には見えない地味なヒゲ親父に描かれている
榊原康政のことも少しで良いから話題にしてあげてください。
まあ島津も伊達も普通に考えれば方言ばりばりだろうから
今のイメージとは違ってカッコ悪いんだろうな
特に政宗はズーズー弁だべさ
775 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/05(日) 00:09:09 ID:DCoowDVBO
しかし、武田の荒武者も自分の主君で徹頭徹尾突撃推進委員会会長の勝頼のせい
で討ち死にする事になるのは哀れだ。
776 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/05(日) 00:18:56 ID:2jgjy8D70
寝取られキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!
>>773 徳川四天王のうちでは一番好きなんだけどな、日ペンの小平太。
文武両道で戦歴は平八に比肩するのに、どうも出番食われてて泣ける。
特技のお習字も、司馬に無視されて「自分の名前しか書けない田舎者」とか書かれててマジ泣ける。
司馬センセひどいよね、俺、静岡育ちで家康と愉快な家臣たちが割と
好きだからそう思うのかも知れないけどさ。
>>775 俺の主観では連中より勝頼の方が戦国武将カワイソス指数高いよ・・・。
信長の野望とかやると勝頼とか跡部とか労わる。
>>778 司馬遼は大阪出身だからね。
あと関ヶ原、大阪の陣を書くときは家康を悪にしないと、
敗者の無念が引き立たないという小説的な要請もあるだろうし。
自分は関東在住でばっちゃの家が浜松だから、
どちらかと言えば家康贔屓かのう。(真田厨でもあるけど)
榊原と言えば「無」の旗印が仙石秀久のそれと共通してるな、と強引に結び付けてみる。
そろそろサソリの弾正出て来ねぇかなぁ。
漫画喫茶で画に惹かれて読みましたが内容も濃くて面白いですね。
ところで7巻まで読めました。
刊行ペースを計算すると8巻出てる気がするんですが未だだったんでしょうか?
>>781 なんで自分で調べない?
なんで過去ログ読まない?
784 :
20:2006/03/05(日) 01:53:31 ID:5R0hQtZ80
久々にスレ読みました・・・
方言云々のネタがありましたが、山梨も当然のごとく、方言はあるづら。
武田家は、センゴクでは使っちゃあいねえなあ・・・
まあ、山県が「お屋形も無茶な注文するづら」とか言って欲しくねえなあ・・・
>>778 一度家臣に格下げしたくせに親父が自分で殺した兄貴の穴埋めという
物凄い自己中な理由で後継ぎにさせられるものの
他の家臣たちは自分たちと同列の奴を主君にできるかと言うことを聞かず
親父は親父でさっさと死んでしょうがないから舐められないように実績積んでったら
経済が底をついて最後は戦に大敗した挙句同盟切られて家臣に裏切られて自刃だっけ?
確かにあまりいい人生じゃないよな。
>>785 跡継ぎは勝頼の子だろ?
勝頼はその後見人
ヤマトから大差なくへたくそ期→お蝶がどぶす、みんな馬面期→
今の劇画チック期。今のまま絵柄が安定するといいね。
最近本屋で、戦国武将数十人のエピソードを紹介した本を読んだ。
それまで仙石秀久の鈴なりよろいのエピソードについて、
「既に十重二十重に包囲されて戦意を失った小田原城へ行き、適当に気炎を上げるパフォーマンスをした」
ぐらいにしか思っていなかった。
いくら挑発されても北条方としては城門をあけるわけには行かないし。
仙石は既に勝負あった戦場に赴いて、がんばったような演技をして注目を盗んだ卑怯者だと思っていた。
だけど実際には、どこかの支城攻めの際に十数人の家臣(仙石が改易されてもついていてくれた忠義者たち)を引き連れ、
矢玉が降り注ぐ中城門に突貫するような勇敢な武者働きをしていたということを知った。
かなりのイメージアップだった。
>>786 甲陽軍艦の記述ではな
継ぐだけ継いだという説もあるから一概に間違いとも言えない
>>788 北条からすれば、城門開く必要ないしな。中から鉄砲で狙い撃ちすれば済む。
普通に勇気ある行動だと思うがな。三国一の臆病者の汚名を払拭したかったんだろう。
>790
確かに普通に勇気あるよね。今まで偏見にとらわれていた。史実の仙石さん、誤解しててすみません。
センゴクはこの先も、各地の有力武将に与力してその地方の戦国大名と戦うっていうパターンになるのかな。
北陸柴田軍団に与力して手取り川の合戦で上杉謙信と戦ったり、
バカ息子信雄に与力して天正伊賀の乱で百地丹波と戦ったり、
明智光秀に与力して丹波攻めでと戦ったり(藤堂高虎と共闘するかも)、
信忠に与力して荒木攻めを行うけど、茶碗を貰って見逃したり。
武辺者というよりリストラにおびえるサラリーマンの必死さを感じてしまった。ORZ
本編がもうちょっと進んだら虎之助や市松も再登場するかな?
その頃には佐吉や紀之助も出てくるかも。
>信忠に与力して荒木攻めを行うけど、茶碗を貰って見逃したり。
ちょwwwwwおまwwwwwそれ違う漫画wwwwww
>>793 紀之助って誰でしたっけ?
佐吉と並ぶくらいだから、かなり有名な武将の幼名には違いないのですが。
佐吉といえば、三国戦国板の「佐吉の日記スレ」が面白い。
ゴンベエも脇役で出てくる。
覆面男ですよ
>>796 増田長盛にハァハァされてる三成タンカワユスw
今日の大河は金ヶ崎か。
と、思ったらエロネタがメインになってしまいました
803 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/05(日) 23:05:52 ID:5R0hQtZ80
あと1時間で、8巻発売と今週号発売age
祝!発売記念あげ!!仙石VS鳥居一騎討ちに期待^^
805 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/06(月) 01:30:51 ID:5UYGqjAN0
女城主、手篭めにされて自分も城も落城。
なんかエロイ展開だな。
寝取られってあったけど意味がわかった。
道三のほうがスゲェって
あのオッサン、国ねとったようなモンだし
でも信長「怒っちゃった」ね。
おつやどうなってしまうんだ!?と思った歴史に疎い俺。
このスレを読んで泣いた。哀れ・・・。
家康→見方を繋ぎとめるための後詰
信長→家康を繋ぎとめるための後詰
811 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/06(月) 11:51:48 ID:NSN3XCqL0
秋山信友と信長の伯母はいい夫婦仲らしかったが、今回はどうなるか?
艶が愛する君とか言い出したんで
近親相姦キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。.:*・゜゚・* !!!!!
とか期待したのに赤の他人でガッカリですよ!
813 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/06(月) 13:03:48 ID:fVSOhwaZ0
逆磔刑なんて見ても面白くもなんともないから、懲罰は媚薬をたっぷり塗ったハケ水車にしてくれ。
そしたらそのコミック3冊買う!
814 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/06(月) 14:43:49 ID:/e+YdtIfO
まぁだいたい史実だからなぁ
秋山が落とした城は実は織田領内で孤立しているような物で
結果、秋山だけで奮戦して守ることになるが
秋山と遠山婦人はマジべた惚れだったらしく
織田勢怒り倍増で信忠本隊が二年も囲んじゃいます
その間に武田も壊滅してしまい
降伏した秋山と婦人は「さかさはりつけ」という
一番ディープな処刑にされてしまいます
>813
まだまだ若いな。
俺、今から楽しみだぜ。
逆さ磔と城兵皆殺し。
>>814 撤退しなかったの?
戦略的価値あったの?
信玄死後、勝頼がさらに明智城などを落として美濃への食い込みを
深める。岩村城が本格的に孤立するのは長篠の戦いを経てのことで、
それまでは信長にとって目障りな棘になっていた。
まるでオーディーンはおまんこしてくれなかったわといいながら魔族の
チンポしゃぶってるフレイヤ様みたいだな
おつやって本当に信長の愛人だったの?教えてエロい人
>>819 創作だと思われ。でも物語作りとしてはおもしろくなった希ガス
最初の顕如の伏線通り信長は怒って釣り上げられちゃったし。
そもそも自分の愛人というだけで城主(の後見)として送り込むには無理がある。
ましてやよっぽどの貴種の娘でない限りあの年で未通女なんてありえない。
実際にヤってないわけないしな。
病弱つったって、ずっとなわけねーし。
んまー、話を面白くするためのフィクションだからいいっしょ。
史実では信長と血縁で、遠山某とヤってるってFA出てるんだから。
>>813 お艶は無罪放免、秋山だけハケ水車責めですが3冊買え。
825 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/06(月) 20:42:13 ID:R6mElpbU0
>>824 なんでオッサンがハケ水車責めなんだよw
つーか艶、乳揉まれる前に入れられたみたいだなwそっから揉まれたと。
逆さ磔の刑ってそんなにすごいの?
お艶と秋山の濡れ場、みんな期待してたんですな・・・
そういうオレもだが
828 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/06(月) 21:04:30 ID:xaPV9IFGO
俺も髪を一晩中撫でるから、誰か彼女見つけてきてくれ
>>826 もちろん、逆さにすることでより残虐な刑罰となるから逆さ磔が存在した。
逆さに吊るされて放って置かれると、下半身に血が行かず徐々に上半身が
充血してきて、目玉は飛び出し、遂には血管が破れるらしいよ。
そんな状態で槍で刺すんだな。出血も凄いことになると思うよ。
ハ_ハ
('(゚∀゚∩ すごいよ!
ヽ 〈
ヽヽ_)
…書いててげんなりしてきた。
>遠山某
ちょwwwwww景任カワイソスwwwwwwwwww
遠山三人衆とかやはりマイナーか
>>831 金さんは明知遠山家の子孫だから、親族だけど祖先じゃないyo
そもそも景任に子供いないし。
+(0゚・∀・) + ワクワクツヤツヤ +
834 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/06(月) 23:23:07 ID:9Qp0+gmb0
お艶さん…天正3年に【逆さはりつけ】…コレ以上はイタ違いになるか。
凄惨だが。
センゴク八巻買ったんだけど、初めの十ページ位上のほうが破れてた…
まあテコ入れ成功って感じだな
逆さはりつけの直前に打ち切りになったり、
作者が、長篠の後、いきなり本能寺を描き始めちゃったら
ワクテカなれン中は悲惨だなw
武田は、先代の信虎に還ってきて貰えば良かったのに?
などと、信長の野望で遊ぶ度に思う。
>818
いぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!!!
>>829 >>837 主君の因果が家臣に巡り、河尻は逆さに生き埋めの刑……。
>>838 無理。死ぬまで甲斐に入れなかったぐらいだから。漏れもせめてゲームの中では
帰参させてやるようにしてるが。
山梨に旅行して、大泉寺(信虎墓所)に行くとしみじみする。死んでから
やっと甲斐に帰ってこれたんだなあと……。
三郎兵衛・信春・高坂って最期は首を吹っ飛ばされるっけ?
>>841 山県については
>>635。首を飛ばされたというより、敵に取られないように
介錯をさせたんだろう。馬場は不明。高坂は長篠に参戦しないので
当然討ち死にもしない。最後は畳の上で。
>>842 ありがとう。
真田幸隆も長篠時は鬼籍だったな……
寂しい……
馬場信春は還暦を過ぎてなお「合戦において一度も負傷せず」と言われた
武将だったが、長篠から敗走する勝頼を逃がすため殿軍を買って出て討ち死に。
享年61(数え)。
ちなみに松本城代だった馬場信春は勝頼と持ち場が重なり、勝頼の西進策は
信春の利益と一致する。
個人的には、勝頼と対立していたとの風評に疑問を持っている。実のところ
親勝頼派だったのではないか。
そういやこの漫画まだ勝頼出てきてないね。どんな顔で描くのか楽しみ
長篠の後、武田は織田と合戦らしい合戦していないね
ていうか長篠が終わったら本願寺や播磨・丹波攻めに本腰入れてるからね。
>>846 合戦つーか、城攻戦ばかりになった。
信忠と一益が、武田の城を片っ端から落としていった。
センゴク8巻買ったんだがお蝶とセンゴクが激しかったことが一番の印象
お蝶あんなにやられて痛くなかったのかな?
戦力落ちて後詰めできない。
後詰めが無いのが明らかなので、城はどんどん開城しちゃう。
それで更に戦力が落ちるという悪循環だわな…
そういえば、太閤立志伝Xの合戦って
攻略本だと野戦→攻城戦の流れだったけど
いざゲームすると、イベント合戦以外は
城攻め→敵の後詰め到着→野戦だったね
信長の野望烈風伝でも、織田で始めると東の外れにぽつんと岩村城が。
すっかり存在を忘れた頃に、木曽から武田に攻められて慌てたのも古い思い出。
天下統一とかやると、岩村城みたいな国境沿いの城は外敵から自国を護る重要拠点なんだけどな
信長の野望は天翔記を中心にやってるが、城はあまり豊かでないし、
この城自体はそう大した価値はない。防御側有利で攻めにくいし。
ただし、ここを抜かれると岐阜城は丸裸状態になるので、信濃方面から
攻める場合はここを落としてから兵を集めておくと非常に有利。
実際の岩村城も天然の要害という感じで、攻めにくく守りやすい城だ。
力攻めだと非常に困難なので、史実通り調略は不可欠だっただろう。
萌えねぇ・・・
デザインもさることながら、ネーミングセンス最悪だな・・・まんまかよ
センゴク無双をやってみたくなった。
戦国無双2の秀久が頭真っ白の老将でちょっと哀れ。
868 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/07(火) 21:15:07 ID:z7StbMPQ0
仙石って、これほどの秀吉の側近なら50万石の大名位には・・・と思ったらたった5万石かよorz
と今日ググって知ったw
因みに50万石ってのは加藤清正を参考にねw
>>856 駄菓子のパッケージキャラにしか見えない。
清正と比較したらかわいそうだろ。
七本槍でありながら、片桐且元(4万2千石)や脇坂安治(5万石)、平野長泰(旗本・・・)みたいのもいるし
と思ったら、糟屋武則(500石)って・・・
872 :
868:2006/03/07(火) 21:47:33 ID:z7StbMPQ0
>>870 熊本人だけん、つい清正公と比較してしまうったい
>>871 一発屋だし、賤ヶ岳自体、それほどの活躍したようにも見えないんだが。。。
>>873 一発屋っていったら、毛利新介というのもいた事を思いだした
>>868 仙石は大ポカやらかして讃岐10万石没収された後に5万石まで盛り返した
清正が初期に貰ったのは肥後の半国で
石高も一国もらった後地道に河川改修等した結果。
当初は肥後は30万石程度にみられてた
ってことは仙石失脚後ぐらいだと清正は15万石程度かな
逆にいえばせいしょこさんが上手い事やっただけで
仙石にもミスしなければ清正より早くその位置までたどり着いた可能性はあったよ
876 :
868:2006/03/07(火) 21:52:49 ID:z7StbMPQ0
>>875 なるほど。その河川改修だの何だのの公共事業の業績が顕著だから
熊本では名君として評価されてたのか。地元なのにしらんかったw
ただ、難癖付けられてお取りつぶしに遭う可能性もうpするからなぁ。
>>862 微妙にあのゲーム、この漫画の影響があるように感じるのは気のせいだろうか。
長槍部隊とかさあ。前作ではいなかったのに金ヶ崎に明智出てきたりさあ。
>>877 そりゃ、50万石もあれば2〜3万の兵力は動員できるからなぁ。
南の島津と連携すればあっという間にとんでもない事になるし・・・。
>>862 禿同。槍ぶすま部隊みてたらセンゴク思い出した。
語感もピッタリだしw
あの歌舞伎光秀使いたくてたまらん。殺し間やりてえ。
まああの木偶長政じゃ戦国2の金髪長政に萌えている腐女子共は憤死するだろうがw
しかし何で遥々淡路まで逃げたのかが未だに謎だ
お蝶が病気だったんだよ!!!11
>>878 やっぱり槍ぶすまは左(右だっけ?)側面攻撃に弱いの?
>>679 50万石なら12000から15000強だろ
1万石250〜300人計算で
>>880 もう木偶じゃないよw
>>883 言いたいことは分かるが、どれだけ逃げてるんだよって事じゃないか
300kmは逃げてるぞ
もっと手前で立ち止まる機会は無かったのだろうか?
アレだろ
心は既に自宅謹慎気分
テンパったからって後処理もせんと帰りやがって今時の若者は…ってやつ
>>878 センゴクの影響だけじゃなく、ありとあらゆるマンガ・小説・ドラマ・映画などの影響が散見される。
>>884 島原の乱で肥後細川藩が2万ちょっと動員してる。そこから計算して。
一万石300人てのは総力動員数じゃないからね。
守備人数抑えれば500人くらいいくんじゃない?
当時の統計数なんて誇張がだいぶ入ってるんじゃまいか。
>>885 秀吉も柴田と喧嘩して北陸から勝手に帰ったことがあったな。あれは謹慎だけですんだんだっけ?
ところでこれから人質に行く御坊丸はどうなるの?
ぐぐってもここまでしか分からなかった
織田信長といえば、武田信玄・勝頼の宿敵であり、武田氏を滅亡させた人物です。
しかし、信長の実子の1人が信玄の養子になっていた事実はほとんど知られていません。
その人物は御坊丸と呼ばれ、後に元服して織田源三郎と名乗り、武田勝頼によって信長のもとに送り返されています。
これまで、源三郎の実名や生涯、そして織田家復帰後の役割については謎に包まれていました。
県史編さん事業で明らかになった事実をもとに、彼の生涯を検証します。
tp://www.museum.pref.yamanashi.jp/3nd_event_kenshi01.htm
正確には二条城だな
>>893 いや本能寺の際にというか、そういう意味よ。
本能寺で死んだなら、信忠じゃなくて信長とって書く。
ひでえ言い分けw
本能寺の変で死んだ、と言いたかったんだろうが
>>892の書き様だといわれても仕方ないやね
センゴクのフィギュア欲しいなあ
食玩くらいの大きさでいいから
さっする
日本人の美徳
>>886 会社で失敗した後輩が無断欠勤で広島の実家に帰っちゃったことが
あったのを思い出した(会社は東京)。
槍一本で戦場へ出向き、武功を立て、何れは一国一城の主に・・・
って時代だぁなぁ。正に戦国ドリームw
>>879 だから加藤のあとには細川が入り、島津への抑えとして御郡筒が(ry
>>890 確か朝鮮の役の際、各領主の兵員の供出負担規定が100石あたり2〜3人。
つまりこれが上で言ってる1万石あたり250〜300人という数字。
実際に、各戦に何人引き連れているかには誇張があるだろうけど、
石高から各大名が何人くらい動員できるかは推測できる。
>>900 槍働きよりも人間関係作りが最重要だと思う。
じゃあ東京ドームでバット一本もって殴り殺しあい。
2割が死んだところでゲームセット
サバイバル者には働きに応じて賞金10億円〜1000万っつたら行くかね。
10万石ちょっとの立花さんは朝鮮にも関ヶ原にも6000人位送り込んでたが。
>>904 伊達政宗は乾煎りで動因義務1500、見栄はって3000人か。
黒田官兵衛が隠居のみで関が原IN9州で1万人弱をどういんしている。
ギャグを言えば『夢幻の如く』でのブナガが1万石で5,600人どういんしてたなw
>>902 そりゃまぁね。
加藤清正だって、秀吉の嫁さんの親戚だったから出世できたわけだし。
908 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/08(水) 23:51:31 ID:/+PuriX10
父親を追放する若き日の信玄(デ・二ーロ似)と
アル・パチーノ似の勝頼が見たいです
909 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/09(木) 00:35:22 ID:ZUCA/XI2O
ていうかそこまでわざわざ字を変えるのはどうもな、
と思う
どうでもいいけどまだ松永弾正様は出てきてないなこの漫画。
真田はちゃんと信繁で出るのかな
幸村は幸村でいいんじゃないの?
どんなうるさ型の人でも、なぜか幸村だけは幸村で文句言わないし。
俺の見たところでは。
>>911 最初の頃はその名前で出て来るのでは?
何せこのマンガは、法性院とか次郎三郎とか、普段お目にかけないような名称を表記しますから。
裏をかいて伝心月叟
>>911 幸村の手紙は数多く残っているが、幸村と署名したものは0。
全部信繁又は左衛門佐。略して真左衛って書いたものもあり。
今後幸村名義の手紙が出てきたら一大発見になるが。
>>913 家康はとっくに三河守になってる筈なんだが……。島津義弘も義珍で
出てくるんだろうか。
武田信繁が好きだから、真田信繁って名前が好きだな。
センゴクが九州征伐の失敗で改易されて高野山に追放されてから、
4年後の小田原征伐で復活するまでの間が謎なんですが、
オリジナル展開として、かつて三方ヶ原で刃を交わした上田の昌幸の世話になって、
その後小田原征伐のきっかけとなった名胡桃城戦に立ち会うなんて事になったら、
結構面白いと思うのですが。
裏をかいて、猪っちと一緒になって名胡桃を攻めるセンゴク
更にそのセンゴクの裏で糸を引く昌幸。
真田太平記では、昌幸は北条方の名胡桃城攻めの情報を掴んでいながら、敢えて見殺しにしたって展開がありますし。
真田側がちょっかいかけて手を出させたって説は長らくあるね。
後年、ハゲネズミ殿から『表裏卑怯者』と誉れ高い評価貰う父子だしね
それくらいはやってるだろう
んなこといわれてねーだろw
表裏比興の者だったかな?
教えて君でスマンのだが【表裏比興の者】ってどぉゆう意味?
>>924 ぐぐれ。
ぶっちゃけ、良い意味、悪い意味と諸説ある。
太閤立志伝ではその札を取るのに苦労した
太閤立志伝と信長の野望はどこが違うの?
>>927 信長の野望は信長メインだから戦略シミュレーション
太閤立志伝は秀吉メインだから成り上がるゲーム
929 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/10(金) 19:07:25 ID:D90+6VnE0
わかりやすいage
信長の野望も一国の城主から天下人にまで成り上がるゲームと違うんかい?
つかセンゴクをゲーム化しろっつーの
>>930 堀江貴文を主人公にして例えるなら
信長の野望はライブドアの会社経営ゲーム。
堀江が退場しても別の人間が社長職継いでライブドア独占or倒産までプレイ続行。
太閤立志伝は堀江貴文の人生追体験ゲーム。
ホリエモンになりきっていろんな事に手を出して楽しめるがつかまっちゃうと一代で終了。
集めた名刺の人物を同じようにプレイ可能
932 :
名無しんぼ@お腹いっぱい:2006/03/10(金) 20:23:48 ID:hJryCcuT0
わかりにくいage
ノブヤボは大名プレイ。
太閤は大名から足軽迄の武士以外にも忍者、茶人、海賊、鍛冶、医師等でプレイ。
無職も可。
太閤は管理職以上になると命令出すのめんどくさくなるから、
大抵出世無縁ルートで好き勝手放浪してるなぁ。
佐久間隊出動で、ようやくセンゴクの出番か。
何らかの形で家康と再会し「おお、姉川のときの」とコネ作るんだろな。
で、小田原で徳川に陣借りする伏線にする、と。
史実じゃ間に合わずに何も出来ずに引き返し、佐久間が信長にパンチ貰ってる
ようだけど、そこんところとの整合性はどうなるんかな?
>>935 そこで猪突猛進なセンゴクの性格が生きてくる……
って、軍規違反の左遷先で更に単独行動起こしたらさすがにフォローきつそうだが。
次は五月か
すぐって感じるな
意地でもコミック派を貫く
>>936 家康の取り成しで秀吉隊に戻されるんじゃ?
てか、堀・樋口のときみたく普通に許されそうな気もするが。
>>607 亀レスだけど
「主役が出てこないほうが面白い」って、後期の蒼天航路もよく言われてたw
俺の中では今の所
姉川編≧三方ヶ原編>>>金ヶ崎撤退編>最初の頃>>>>(越えられない壁)>>>>>>>叡山編
叡山編はセンゴクとお蝶と汚鹿がマジでうざかったw
聞いてねーよ
俺の中では今の所
顕如(まいどっ)≧光秀>>>お市>信長・秀吉>>>>(越えられない壁)>>>>>>>主人公
顕如はん、人気でんなあ
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