1 :
1 :
04/09/03 01:38 ID:5cxnvOX6 これほどまでにピアノでバッハを表現した
ピアニストがかつて居ただろうか?
ややスタッカート気味のアーティキュレーションと
ディナーミクを殺したバッハ演奏は他の追従を許さない。
>>2-10 過去スレ
重複してるよ
3 :
1 :04/09/03 01:43 ID:5cxnvOX6
4 :
1 :04/09/03 01:44 ID:5cxnvOX6
削除依頼よろ。
7 :
名無しの笛の踊り :04/09/03 12:53 ID:3/yFjTZZ
パルティータ1番のMenuet IとIIのつなぎが絶妙。 Menuet IIの前半はリピートの後に1オクターヴ上げて演奏されているが これも実に素晴らしい。楽譜にそんな指示は無いのだが。
8 :
名無しの笛の踊り :04/09/03 13:29 ID:aKQLAonb
>>7 グールドのパルティータってあらためて聴くと面白いですね。
1番のメヌエットIIは後半も楽譜と違う箇所があるし、
2番のアルマンドも1小節丸ごと抜けている箇所がありますね。
9 :
名無しの笛の踊り :04/09/04 20:08 ID:gJZ+PQk7
グールドが楽譜と違う演奏をする事は生前から指摘されていたが あれが意図したものなのか暗譜した上で生理的に起きてしまった 現象なのか? 答えは両者有りだと思う。 パルティータ2番のアルマンドの1小節欠落は後者であろうが トルコ行進曲のコーダの左手の連続アルペジオは前者だと思う。
あれっ? こっちは重複?
グールドとって楽譜は自分をインスパイアするツールでしかない
>>10 あっちはリスナー初級編、こっちはグールド演奏解釈編でいいよ。
>>11 ううん、それ程にグールドが作曲者の意向を無視していたとは
思えないんですよねえ。
それが証拠にバッハはバッハと、そしてシェーンベルクはシェーンベルクと
判る訳で、グールドが楽譜を自分をインスパイアするツールとして
扱っていた部分があるとするならば過去の先人に対する現代人としての
主張を主旨としてものでは無いでしょうか?
主張を主旨としてものでは=× 主張を主旨としてのものでは=○
>>12 > あっちはリスナー初級編、こっちはグールド演奏解釈編でいいよ。
そんなややこしいことをせずに、向こうに移動すればいいじゃん。
タイトル同じだから区別できないよ
>>15 あっちのタイトル「グレングールドは神!! Part5」は
「・」で区切ってないから素人丸出しくさい。と覚えるべし。
こっちの方が遅いし、削除依頼出しておくかね。
と思ったら、出てるじゃん
>12 キュビズムや印象派のアプローチと根源的なところで繋がってる んだよグールドの表現は ピカソは目に見えたものをうつしとったのではない グールドも楽譜にかかれたものを表現したのではない
21 :
名無しの笛の踊り :04/09/07 21:30 ID:jQUBJ3dh
昔、都会的で、洗練されたように感じられたものが、いまは、時代遅れのように 感じられることがある。 サイモンとガーファンクル、バンスタ。 グールドも微妙なところだ。
SACDがちらほら出始めているので試しにI.ConとPartita1,2の入ったのを 聴いてみた。 昔発売当時に聴いたLPの雰囲気もあるかなと思って。 無論広域2万Hrz制限も無いんだろうし、DSDで間引きも少ないんだろうが 残念ながらSt録音のPartitaではLPでの音場感が無い。 こういう部分はデジタル処理ではそぎ落とされるのか。 笑ってしまったのは、 Originally released 1960 Sony Music Entertainment Inc.の表記 SONYがレコード業にも進出したというので面白いから就職でもしてみるかと 友人と掲示板を見ながら冗談言ったのを覚えているが、 ソニンがレコード商売始めたのは68年だ。 無論発売は米CBS Columbia 日本コロンビアではこの初版スタイルでは 出して居なかった記憶