日本は万世一系、中国は易姓革命の繰り返し...
どうしても辮髪の意図がよう分からん。
3 :
トルファン ◆egRh9IgQ :02/03/30 13:58
それをいうなら、ちょんまげ・つきさやの意図もわからんなあ。
中国は人口が増えると内戦で人減らしをする、非情に合理的な歴史をお持ちです。
古代に立派な帝国ができました。
国が乱れて争いました。
その過程で古代帝国を築いた優れた民族は絶滅しました。
αケンタウリから来た人型蟲が中原に繁殖。
蟲帝国と蛮夷による征服帝国の興亡が続く。
絶滅したと思われた古代民族の最後の末裔により帝国の歴史に幕。
蟲に阻まれ完全に蟲化した蟲化人民教派国成立。
漢族の王朝って、漢・宋・明・中華民国・中華人民共和国
あと何があります?(w
全支那を版図にしないと王朝とは呼べないの?
9 :
tsumire:02/03/30 22:58
10 :
名無的発言者:02/03/30 22:59
↑唐は鮮卑系でしょ?
・・・・・・という説もあるでしょ?
唐は厳密に言うと漢族ではないような。
意見が分かれるとこですけど。
12 :
tsumire:02/03/30 23:04
>>10 いいえ 李渊は やぱり 漢族人。
彼は 隋朝 の将。
隋朝も 漢族の王朝
13 :
tsumire:02/03/30 23:07
晋朝も 漢族の王朝( 漢朝 < 晋朝 < 隋朝)
>12
隋朝は鮮卑族の立てた北魏の冷狐氏。漢族ではありません。
唐の李姓も借りてきたもので本来の姓は鮮卑系でおます。
唐の李世民がどこの李氏かと尋ねられて李ゼン(老子)の末裔と苦し紛れ
に答えたと史書にあります。
中国は異民族の王朝が立つと発展し、そのあとDQNな分裂国家、漢族王朝と言うのが
常となっとるようです。
15 :
tsumire:02/03/30 23:19
>>14 そうですよ 君の歴史知識は たくさん あります
16 :
名無的発言者:02/03/30 23:25
父の後宮にいた女を自分の後宮に入れるという、
漢族の風習にはないでも鮮卑族の風習にはある事をしていますね>李世民
日本人に歴史を学べという前に、自国の歴史を学びましょう。
唐と中共が同じ国かどうかは、また別の話だけど(笑)。
17 :
tsumire:02/03/30 23:28
晋朝?
>>16
中国人は歴史を学ぶ能力無いよ。
無理なことを頼んじゃだめだよ
>18
日本人は中国人以上に歴史に学ぶことをしていないだろう。
右翼さんで『皇統譜』を空で言えるのが何人いるのかな?
『古事記』、『日本書紀』を通読した日本人てのも少ないだろうな。
中国人は少なくとも『三国志演義』位は通読しているものな。(ワラ
20 :
tsumire:02/03/30 23:48
私は 『三国志演義』位は通読している
21 :
名無的発言者:02/03/30 23:49
>中国人は少なくとも『三国志演義』位は通読しているものな。(ワラ
アンタの歴史ってそんなモン?(笑)
22 :
名無的発言者:02/03/30 23:51
三国志演義って日本で言ったら太閤記とか?(笑)
>21
あのな、おみゃーさん、日本人なら『万葉集』位はよんどるだろーな。
あちきのところは『風土記』にも残る土地だったから、小学校の時から
『風土記』や記紀万葉は読まされとるよ。
おみゃーさんの歴史認識が甘いちゅうて揶揄しとるのが分からんようなら
逝ってよし!このDQNが!
24 :
名無的発言者:02/03/31 00:06
『皇統譜』&『古事記』&『日本書紀』
と
『三国志演義』
を比較した事を笑われているんだと思われ・・・・・
>>23
>22,24
それをいうなら『忠臣蔵』かな?でも今の日本人で忠臣蔵を通読したのも
少ないだろうし、ましてや歌舞伎、浄瑠璃で見たような粋なのも少なくな
ってるんでないかい?
日本の歴史教育は明治と太平洋戦争で2回大きな断絶があるからなかなか
通じて見るという意識がないと思うんだがいかがかな?
中国は王朝が何度も交代しているが、未だに王朝みたいなもんで、社会体制
の断絶が少ない。だからいまでも『三国志演義』の世界が通じるんだと思う
けどどう?(ワラ
26 :
16=21=22=24:02/03/31 11:35
やっとオマエが読めてないことわかったんだね
>>25
27 :
名無的発言者:02/03/31 14:35
>>14 >隋朝は鮮卑族の立てた北魏の冷狐氏。漢族ではありません。
その鮮卑族自体が漢族化していたことをお忘れなく。
唐も五代諸王朝も、その開祖は騎馬民族の系譜を引いていたけど、実際には漢族と
の混血で、漢族王朝として君臨していたわけだし。
28 :
名無的発言者:02/03/31 14:39
>>5 日本の平安京は、公家の邸宅以外は非常に不潔で、人口が増えると疫病が蔓延し、
人口が減少していました。
いわゆる「穢れ」というのが、疫病のことです。
人口が増加する度にこの繰り返しですので、歴史家の間では「人口調節機能が付い
都市」と言われています。
29 :
名無的発言者:02/03/31 15:07
族族ってなんやねん。
ただの部族でしょ?血筋は同じ。
笑っちゃうのはこいつら→【漢族】
同じ漢族名乗ってても北と南じゃ人種自体違う。
北はモンゴロイド系北東アジア人。
南はオーストラロイド系東南アジア人。
モンゴロイドから見りゃコーカソイド(白人)より血縁薄い。
それが同じ漢族だとさ。(ププ
30 :
名無的発言者:02/03/31 15:12
>>29 「民族」の定義をわかってないね。
共通の文化を持った集団が「民族」だ。
血筋や生物学的な違いによる区分けをするのは「人種」。
まあ言ってしまえば、金髪で青い目の白人や、褐色の肌の黒人でも、日本で
生まれ育って日本の文化に染まっていれば、「日本民族」となるわけだ。
今のカザフやウズベクなどは、モンゴロイドと白人(ロシア系)が混在して
いるが、みんな共通の文化を持った「カザフ続」や「ウズベク族」だよ。
>>30 そうそう、その答えを待ってた訳ですよ。
孫権なんてイラン系で碧眼児て呼ばれてたし、
李白も確かトルコ人だったよね。
人種による区別はオモイッキリおおらかなのに、
何故氏素性にこだわるのですか?と聞きたいの。
矛盾してるでしょ?
32 :
名無的発言者:02/03/31 19:22
基本的には、北半分は粉食文化で南は米食文化でしょ?
文化的にも大違いだよね。
>>30
33 :
名無的発言者:02/04/02 14:57
>>32 日本も、濃い味の関東と、薄味の関西で、文化的にも大違いだしね。
34 :
sumire:02/04/02 15:26
35 :
名無的発言者:02/04/02 16:03
>>31 文化の共有性を重視しているのだと思われ。
その底辺には中華思想が根強く流れているものの、皮肉なことにそれが
一見合理的な形で外に出てるんだな。
36 :
トルファン ◆egRh9IgQ :02/04/02 18:41
>>4 ちょんまげすらわからないのに、モヒカンなどもっとわからないでーす。
>>35 結局の所、またしても中華思想というやつにぶつかるんですね。
いったい、中華思想という言葉、あるいは、中華思想などという概念は、
いつ頃生まれたんでしょうね。中華思想って、語る人によってその解釈が著しく違ったりするし。
37 :
超級王八蛋@今日黐綫D ◆UD9jRiwo :02/04/02 19:28
>>36 俺があくまで聞いた話だと、もともとは回族の概念だそうです<中華思想
「中華思想」って言葉の由来は知りません。
>>29>>31 ちなみに、三国志の呂布はモンゴル系って言われてるよ。
38 :
名無的発言者:02/04/02 19:35
(お、結構、読み応えのある話をやっていますね)
北京、東北あたりの人間と広東省の人間では、ずいぶん考え方が違いますよね
また、漢字の発音も南方の方が日本人に馴染みのあるものが多いですし。
だからと言って、南方が昔日の中国を受継いでいるわけではないという話を
聞いたことがありますが、本当でしょうか?
39 :
名無的発言者:02/04/02 23:48
>日本も、濃い味の関東と、薄味の関西で、文化的にも大違いだしね。
主食の違いは文化人類学的に意味がある比較ではあるが、
「料理における塩の多少も学術的に価値がある」という主張ですか?
>>33 頑張れ!(笑)
40 :
名無的発言者:02/04/03 01:12
中国の歴史を知ると、如何に中国人は残虐行為をしてきたか、
と言うことがわかる。ひとたび戦をすれば敗れた側の権力者の
一族をはじめ、家臣や家臣の一族までも皆殺しにするという。
そして、敗れた側は死んでからもなを、罪人扱いにするのです。
だが、日本では、戦で敗れた側の権力者の首をとるくらいです。
そして、慈悲深く丁重に寺や神社でで供養されるのです。
中国人が靖国神社参拝のことを理解しようとしないのは、
中国人の慈悲の心の無さからきているのです。
41 :
名無的発言者:02/04/03 01:14
一族郎党皆殺しは日本も同じ。
42 :
名無的発言者:02/04/03 01:15
文化人類学は無意味な分野。何の成果もない。潰してよし。
43 :
名無的発言者:02/04/03 01:27
>41
もう少し日本の歴史と、中獄の歴史の勉強したほうが良いですよ。
44 :
名無的発言者:02/04/03 01:28
45 :
名無的発言者:02/04/03 01:29
文化人類学=当該地域の文明・文化を、任意の文明に属した特定個人が自らの趣向通りに恣意的に解釈することを目的とした学問
46 :
名無的発言者:02/04/03 01:31
>>44 文化人類学は心理学と同じくらい世間様の役に立っていませんが,何か?
47 :
名無的発言者:02/04/03 01:31
文化人類学は糞。
48 :
名無的発言者:02/04/03 01:34
>42
お前は、文化人類学の何を知っていると言うのだ?
もの凄い閉鎖的な人ですね。
49 :
名無的発言者:02/04/03 01:38
>>48 取り敢えず無意味な学問だということは知ってる(w
50 :
名無的発言者:02/04/03 01:41
漏れの学生時代の彼女は文化人類学をやってたのだが
底の浅い議論に辟易した記憶がある。
51 :
名無的発言者:02/04/03 01:41
文化人類学は路上観察学のようなもの。
52 :
名無的発言者:02/04/03 01:42
文化人類学に良書ってありますか?
53 :
名無的発言者:02/04/03 01:42
文化人類学者はゲーム理論も知らんから話にならん。
54 :
名無的発言者:02/04/03 01:44
文化人類学者は社会生物学や動物行動学も勉強(・∀・)シル!!
55 :
名無的発言者:02/04/03 01:46
>文化人類学=当該地域の文明・文化を、任意の文明に属した特定個人が自らの趣向通りに恣意的に解釈することを目的とした学問
けだし名言。
心理学=観察対象の精神構造・傾向を,任意の価値観に汚染された特定個人が自らの偏見にとおりに恣意的解釈することを目的とした学問の体裁を装った宗教
56 :
名無的発言者:02/04/03 21:26
素朴な疑問なんですが
なぜ兵馬俑の像はそれ以前、以後の人物像に比べて何故あんなに実写的なのか?
次の漢代になるといきなり人物像がショボくなっていて、短期間に技術が断絶しているようですが。
57 :
名無的発言者:02/04/03 23:56
単位を取れなくて恨んでいるバカが約一名(笑)
58 :
名無的発言者:02/04/04 00:10
>56
陳舜臣でも知りません。わかったら彼にも教えてあげてください。
まあそのうち発展段階が発掘されるかもね。
59 :
開國記念幣 ◆6dwdDny6 :02/04/04 00:25
揚子江文明の玉とか、殷の青銅器もオーパーツって言われてますよね。
21世紀の技術を持ってしても再現不可能。
突然最高のものが現れそして消えている。
古代中国ってこんなの多い。
60 :
名無的発言者:02/04/05 10:22
age
開國記念幣 いね!
62 :
開國記念幣 ◆6dwdDny6 :02/04/06 01:14
ありゃま、固定してから初めての名指し。
何となく嬉しい。
ところで、上海博物館の1階(青銅器の部屋)に夏の鉞ってのが展示してあった。
夏墟ってまだハケーンされて無いと思ってたのに...
あと、夏王朝の時代の青銅器ってのも何か怪しい。
あれ詳しく知ってる人居ませんか?
63 :
名無的発言者:02/04/06 04:08
>>61,62
神戸人は「いね」なんて単語は使いませんよ。
64 :
名無的発言者:02/04/06 05:06
というか夏の時代に文字はあったのか?
文字がなかったらこれが夏墟って証明しようもない。
殷の時代であれ(甲骨文字)だからな・・・
65 :
名無的発言者:02/04/06 05:18
なぜ元を、漢民族は誇るんだろ?最下層に置かれたくせに。
66 :
名無的発言者:02/04/18 03:32
多分、文字がなかったということを考えると、文明の発達度は夏=インカ帝国。
インカ帝国以前にも国はあったみたいだから、夏以前にも国家は存在してなかったのかな?
67 :
開國記念幣 ◆6dwdDny6 :02/04/18 16:10
>夏の時代に文字はあったのか?
無かったと思います。
竜山文化の頃から絵文字?みたいな物は有ったらしいけど、甲骨文字が使われ始めたのは殷22代武丁からです。
この甲骨文字、例によって発展段階を経ずにいきなり完成型が現れ、時代を下るとショボくなってる。
青銅器といい、甲骨文字といい殷人正に恐るべし。
まぁ、文字が無かったとはいえ俺は夏王朝の存在は信じますね。
何故なら彼の司馬遷が夏本紀残してんだから。
殷の様にちょっとしたキッカケで実在が証明される事を祈りますよ。
>夏以前にも国家は存在してなかったのかな?
してたと思います。
夏、殷、周の様に村に毛が生えたのを国家と呼ぶのならですけど。
五帝(黄帝軒轅、帝せんぎょく高陽、帝こく高辛・帝堯放勲、帝舜重華)あたりは実在の人物かもしれませんねぇ。
何故なら彼の司馬遷が(略
>なぜ元を、漢民族は誇るんだろ?
誇ってること自体知りませんでした。
でもそうだとしたら非常に興味がありますね。
誰か御存知の方居ませんか?
>>65 それは俺も知りたいな。
俺の知る漢族は唐を誇っていたが…。
あの時代が一番良かったと。
>>66 そうですか。
私的には、漢民族の最盛期は前漢です。
後漢の歴史なんて、情けなくって、涙ちょちょぎれです。
『三国志演義』は、まあ私は日本人ですから
「おもしれー」とか言って読んでますが、
これが自国の歴史だったら、
「国辱ものだ。禁書にしろ」とか言いたくなるでしょう。
唐は、確かに前半は素晴らしいのですが、
即天武后(この呼び方も歴史歪曲の一例)の時代(国号は周)
を認めない儒者の態度のため、評価がワケワカメになってると思います。
>>59 >揚子江文明の玉とか、殷の青銅器もオーパーツって言われてますよね。
>20世紀の技術を持ってしても再現不可能。
>突然最高のものが現れそして消えている。
>古代中国ってこんなの多い。
以下私の妄想ですが、
中央アジアに非常に高い文明を持った民族がいた。
(その記憶が、コンロンの仙人とか、シャンバラ伝説に残っている)
で、私はこの民族(というよりその文明を支えたエリート層)をコンロンの仙人と呼びます。
殷は、コンロンの仙人の指導で高い文明を誇ったが、
「これは自分たちだけの功績だ」と思い上がることによって堕落していった。
王朝の耐用年数が過ぎたことを悟ったコンロンの仙人は、さらに東方の島国に移動した。
「すべて自分たちの功績だ」と思い上がった文明は堕落するしかない。
そう悟った仙人たちは、この島国の住民に、
「すべての文化はヨソからきた。感謝しなさい」
と、徹底的に精神指導した。
日本と中国の歴史を見比べて「ナゼ?」と考えると、これが真相にみえてきます。
連続カキコ、失礼しました。
72 :
名無的発言者:02/04/18 20:08
↑
諸星大二郎にマンガにしてもらって下さい。
買って読みます。
そうだ!
『孔子暗黒伝』があった。
あれ、だれか中国語訳しない?
と言いつつ退場します。
74 :
名無的発言者:02/04/18 21:56
>諸星大二郎にマンガにしてもらって下さい。
面白そうだが待ちくたびれる・・・・・・・・・
「西遊妖猿伝」でどれだけ待たされた事か(笑)
75 :
名無的発言者:02/04/20 10:37
てゆか、
はやく続き出せやゴルァ!
76 :
漏れ矢@デムパ:02/04/20 12:46
ん? リクエストがあるのか。
誰も「デムパ野郎め!」と突っ込んでくれないしー。
まっ続けますか。
即天武后は正式に即位しているから、「即天帝」とでも書くのが正しい。
腐れ儒者どもが、例の「春秋の筆法」で歴史を歪曲したのである。
この時の中国の国号は「周」である。
この周こそ、漢民族の最盛期かもしれない。
ただ、歴史歪曲(捏造もありそう)されているので、評価が困難になっている。
中国史上唯一の女帝である即天帝は、なぜ正規に即位できたのだ?
隣の日本を見よ。
卑弥呼のことは中国人も知っていたはず。
そして、推古天皇を始め、飛鳥時代は「女帝の時代」といえるくらい女帝が多い。
すでに述べて来たように、中国人にとって「夷」は対等の文明人だったのである。
その「夷」が女帝を立てる伝統を持っている。
としたら、女帝もありではないか。
唐の人々がそう考えた証拠はない。
しかし、歴史の流れをみれば、そう考えるのが自然であろう。
77 :
漏れ矢@デムパ:02/04/20 13:47
玄宗皇帝は、ほんとダメダメ野郎だ。
太宗と即天帝の治績を食いつぶしていただけだ。
こんなのを唐の全盛などというのは、
例によって儒者のプロパガンダにだまされているのだ。
王朝交代があれば、前王朝の支配者をボロクソに言うのが中華の伝統というものだ。
周→唐の王朝交代があったことを、儒者は誤魔化そうとする。
キタナイやり口である。
しかし、これが中華の伝統というものだ。
今の中共が、中華の伝統に縛られないことを祈る。
78 :
0.001ppm中国人:02/04/20 13:53
儒者の歴史は途切れてるようで、しっかり繋がってるよね・・
中国産の教えだからかな?
中国史の中で仏教ってどんな位置づけになるのかな・・?
カソリックと同じくらい?
80 :
名無的発言者:02/04/20 19:16
81 :
名無的発言者:02/04/20 19:46
>>76 唐の時代の支配階級は漢族じゃなくてモンゴル系の鮮卑なんだよ。
82 :
漏れ矢@デムパ:02/04/20 19:54
鎌倉幕府初期の歴史は、前漢の歴史に酷似している。
政権の確立→創始者の死→創始者の妻による権力壟断→功臣(血縁者を含む)の粛正。
日本史は中国史をなぞったのか? そうかもしれない。
しかし、決定的な違いがある。
日本では「歴史は繰り返さない」のである。
過去に学び、異文明に学ぶ日本人は、同じ過ちを繰り返さない。
一方中国では「歴史は繰り返す」のである。
王朝衰退の原因が、外戚と宦官の跳梁跋扈にあることを知っていながら
懲りもせずに、何度でも同じ崩壊パターンをくりかえす。
これが、歴史に学ばず、異文明に学ばない中華文明の精華である。
83 :
漏れ矢@デムパ:02/04/20 20:00
「歴史が繰り返す国」では、
「過去に起こったことは未来にも起こる」
とでも信じているのだろう。
「日本の中国侵略」「軍国主義の復活」
などというセリフは、こういう何度でも同じ失敗を繰り返す中華文明の愚かさが産むのであろう。
84 :
名無的発言者:02/04/20 20:01
中国っていうのが何を指すのか知ってるのかな??
みんなは。
>中国史の中で仏教ってどんな位置づけになるのかな・・?
キリスト教とは比較にならない大きな存在ですが。
だれか詳しい人お願いします。
虫獄っていうのが何を指すのか知ってるのかな??
王麗琴は。
88 :
名無的発言者:02/04/20 20:10
中国では仏教が栄えたのは南北朝時代から唐まで。
宋になってからは儒教が盛りかえしてあんまり栄えてない。
89 :
名無的発言者:02/04/20 20:26
中国ってあの土地に発達した皇帝システムを指す言葉です。
中国は早く分裂してくれよ!
チベットは言うに及ばず、福建国とか、広州国、とか
10個くらいの国に分裂してくれれば面白いと思うんだが・・・
>>76 いや、デムパ続けろってんじゃなくて、
最尤妖艶伝の続き出せって言ったんだが・・・
>92
そか?
板違いだろ。
謝罪と賠償を請求するぞ(藁
94 :
漏れ矢@デムパ:02/04/21 14:51
漢の武帝が「中国の太陽王」とか、片腹痛い。
武帝マンセーも、腐れ儒者の寝言である。
ヤツの功績は、儒教を帝国の「国教」にしたことと、凶奴に勝ったことしかない。
凶奴に勝てたのは、たまたま登用した衛青と、カク去病が優秀だったからに過ぎない。
その一方で、正論を言った司馬遷を宮刑にし、
我が子まで疑って殺しまくり、後継者がなくなるほどだった。
こんなクソ野郎を持ち上げるのは、儒者のプロバガンダ以外の何物でもない。
漢の全盛は、文帝の時代である。
文帝は儒者が嫌いで、実質を重んじた。
そして、平和と繁栄を実現した。
名前からも、文帝が武帝より上なのは明白である。このころはまだ、腐れ儒者が中国を支配しきっていなかったのだ。
漏れ矢って何を考えてるの? 何者?
分かってデムパ流してさ・・・。
まあ、オモロイから、いいけど。
漏れ矢の主張は全部遊びでしょ?
>漏れ矢の主張は全部遊びでしょ?
遊びには違いないが、
儒者のプロパガンダ(これが中華思想の核心である)
を排して見れば、自ずと見えてくる中国史を語っているに過ぎない。
中国の歴史を通観すると、疑問が湧いてくる。
「中国は前漢以来、進歩を止め、退化している。なぜだ?」
周などという、過去に理想を求める儒者をのさばらせたから、としか考えられない。
「中華思想が中国人を不幸にしている」とは、このことをいう。
だから、歴史を自慢することは、中国人を不幸にする。
また「正しい歴史認識」を求める限り、真実は見えないという仕掛けもある。
オレは中国好きな面もあるから、逆プロパガンダしてみた。
中国人よ『墨子』を読め。『荘子』を愛せ。と言ってやりたい。
オレは歴史学者ではないから、固有名詞や年代はおおざっぱだ。
だれも突っ込んでこないのは、正しさを認めているのか、あきれているのか、
寂しいから書き込みを止めた。
>>96 支那人は支那の古典を読まないよ。というよりも、読めないよ。
正直、普通の日本人は普通の中国人よりも中国の歴史に詳しいかもしれない。
99 :
世界史板から出張:02/05/01 20:17
とも食いの歴史だろ
>ヤツの功績は、儒教を帝国の「国教」にしたことと、凶奴に勝ったことしかない。
功績?
その結果中国人が幸福になったのかYO
洩れ屋もまだまだ腐れ儒者の洗脳から脱けきれてないね
101 :
名無的発言者:02/05/01 20:40
>>1 だれに向かって云っているのか?
この板の住人は理解してるよ。
理解してないのは、自分の国の歴史を知らないブタだろう。
102 :
名無的発言者:02/05/01 20:52
儒教ってのは、なんつーか、カルトだよね。
103 :
名無的発言者:02/05/01 21:20
宮崎市定しか読んでません
104 :
名無的発言者:02/05/01 21:24
>功績?
>その結果中国人が幸福になったのかYO
「国民が幸せになる=功績」なんてのは比較的最近の価値観ちゃう?
105 :
名無的発言者:02/05/02 10:37
>>67 村に毛がはえた程度???
宗周と成周はどっちも威容を誇った古代世界きっての大都市だが?
殷墟モナー
>誰も「デムパ野郎め!」と突っ込んでくれないしー。
つっこみどころ満載。アホすぎてどこからつっこんでいいか和歌蘭
ありゃ、いきなりこんなにレスが。
やっぱ、連休で暇してる人間も多いんだな。
>>100 儒者にとっての「功績」ってことね。
なぜ儒者が武帝をマンセーしたがるかの説明だよ。
>>104 ちゃうね。鼓腹撃壌(こふくげきじょう)つーのが老子の理想。
腹一杯食って「政治なんか、かんけーねーよ」って言って踊ってられるのがサイコーってこと。
それを目指したのが文帝。この時代が、漢の全盛時代。
>>105 とりあえず、やりやすいところからどうぞ。
108 :
名無的発言者:02/05/02 22:02
>それを目指したのが文帝。この時代が、漢の全盛時代。
人民の幸せを目指したの?
統治の容易さを目指したの?
どっちかなー(笑)
109 :
名無的発言者:02/05/03 10:59
夏王朝は推測としては漏れも存在したと思うが、証拠は見つかってない。当時、黄河に沿って
西の上流域(陝西省)には周の文化、中流域(河南省)には夏の文化、東の下流域(山東省)には商の文化
があって並立し、中央の夏が政治的なリーダー(=天子)だったのがいわゆる夏王朝の時代。
東の商が夏を滅ぼして中央に進出したのが殷王朝。
王朝は夏>殷>周と時間軸でならんでるが、夏文化は杞国に、殷文化は宋国に、
それぞれ孔子の時代までも周文化とは別々のものとして並列して伝わっていた。
今どき漢の武帝期に儒教が国教化したと思ってるやつがいるのかよ。
萎えるなあ。
夏王朝と二里頭との関係を論ぜよ!
>>110 かってに萎えてろよ。
もすこし、ネタを出すか。
「焚書坑需」というのも、儒者の歪曲プロパガンダだ。
さすが中華文明。この手の歪曲スローガン作りは芸術品だ。
始皇帝が、本気で弾圧したのは「墨家」つまり、墨子の徒だ。
それこそ、一人残らず殺し尽くし、書物も焼き尽くした。
だから、戦国時代には儒家以上の勢力を誇った墨子教団は、
蓁以降、二度と歴史の表面に出てこないし、『墨子』は断片的にしか伝わっていない。
つまり「焚書坑需」の実態は「焚墨坑墨」だ。
最大のライバルである墨家をつぶしてくれた始皇帝のおかげで、
儒教などという腐れ思想がのさばるようになった。
本当の意味では恩人である始皇帝をけなすのも、真相隠しの歪曲スローガンである。
これが中華思想の精髄である。
やつらが罵る人の実質を見れば、中華思想というものがみえてくるというものだ。
もっと言ってやる。
これほど弾圧されたら、何が何でも逃げ出した人がいたはずだ。
東の海にイカダを浮かべて逃げる。
その程度の知恵がなかったはずがない。孔子ですら、道が行われなければ、海にイカダを浮かべよう、と言っているのだ。墨子教団の人々(の一部)は、東の海に逃れたにちがいない。
そこで、違う理想を見つけたのではないか。
続きは又後日。(なんせ酔ってるので)
113 :
名無的発言者:02/05/04 02:42
チョイと通りすがったんだけど、面白いじゃないか、漏れ矢!
それはそうと今夜も酔っ払ってるのね(w
次はいよいよ徐福伝説ですね!? 期待age〜♪
あぼーん
115 :
名無的発言者:02/05/04 10:13
べつに萎えはしないが今時「国教化」という言い方は確かに問題あるだろ。
111は、書いてあることは悪くないのだが国教化云々に対する反論にはなってない。
それから徐福伝説は電波説が多いので期待してはいけない。
徐福伝説を依拠せずとも古代の文化事情はじゅうぶん説明可能だし。
ついでに焚書坑儒は多目的な政策なので細かくいったらいろいろあるだろうが
最重要なのは「文字の統一」だね。111ももちろん間違いではないが。
前にも言った通り、オレは歴史学者ではない。
徐福伝説なんか興味ない。
単純な話だ。日本に「墨子の徒」が来ていただろうと。
その前には、商(殷)の移民が来ていただろうと。
なんで、こんな単純なことを歴史学者は認めない?
弥生時代に文字があったと、当たり前ではないか。
商の移民が来ているのだ。(文字の必要性がなければ衰える)
「神代文字」などと、おどろおどろしい言葉に騙されてはいけない。
弥生時代に文字がなかったら、そっちのほうが不思議だ。
「おまえ、何考えてんだ?」と
追求すべきである。
117 :
名無的発言者:02/05/05 06:49
>なんで、こんな単純なことを歴史学者は認めない?
歴史ってのは文字に残っているのが第一義だからね。
それ以外は考古学の分野だな。
118 :
哈哈哈 ◆y4wcs9SI :02/05/05 06:56
>>116-117 歴史学者は認めてないのですか…。
うーん、歴史学にはそんな限界があるのか…。
119 :
名無的発言者:02/05/05 07:01
限界と言うより前提。
漏れ矢氏の見解は面白くて良いけど、
歴史学者に同様なモノを求めるのは筋違いかと。
120 :
哈哈哈 ◆y4wcs9SI :02/05/05 07:25
それはそうかも。
でも、網野だっけ、あの人の歴史学もユニークで面白いね。
121 :
名無的発言者:02/05/06 19:58
おいおい。
弥生時代にはすでに漢字が使われていたことを否定する学者はいませんが???
122 :
名無的発言者:02/05/06 20:02
>単純な話だ。日本に「墨子の徒」が来ていただろうと。
>その前には、商(殷)の移民が来ていただろうと。
>なんで、こんな単純なことを歴史学者は認めない?
絶対きてなかったはずだと言い張る学者もいないと思うぞ。
きたか、こないか、という話じゃなくて「今のところ来たという証拠がない」ってだけで、
情況判断だけでも、きたと考えた方がよいようなら
実証がなくても論証により推測するぐらいのことはやる。
で、墨子の徒がきているという具体的な根拠はあるの?
123 :
名無的発言者:02/05/06 20:47
>122
墨子は「非戦非攻」というが、実はプロの戦闘集団でもあるわけだ。
侵略はいけないが防衛戦ならいい、というより、侵略を防ぐためには
絶対に侵略できない防衛力を身につけるのが現実的だという考えだ。
侵略と防衛の違いはといえば、中国では城があるから、単純に
「城を攻める奴は侵略者。城を守る方は防衛戦」でいい訳だ。
墨子の徒は、防衛戦のプロってことになる。
もう一つ墨子の徒は生産、つまり物作りを重んじる、という特徴もある。
日本列島では紀元前2〜1世紀にかけて、高地性集落があらわれ、戦争があったことを推定できる。
時代がくだって、吉野ヶ里遺跡の様な環壕集落は、戦争があったことを証明する。
(後漢書から明かなんて言わないでくれ。
オレは中国の歴史書は必ず偏見やプロパガンダが入っていると考える奴だ。
ただし後漢書の記述は遺跡の出土状況と一致する)
前2世紀より以前に日本に戦争があったのかどうか? あった証拠はない。
一応なかったと考えて、なぜこの時代に戦争が始まったのか。
始皇帝の統一とその後の混乱期に、大量の難民が日本列島に流入したからだろう。
(墨子の徒はその一部だろう)
流入した六国の遺民は、中国の戦争文化を持ち込んだに違いない。
一方墨子の徒も、その思想と技術を持ち込んだろう。
原日本人に受け入れられたのは、どちらだろう?
明らかに墨子の徒であったろう。
この辺、推定ばかりで説得力に乏しいことは承知。
まあ、お話として楽しんでくれ。
名無しで書き込んでしまった。
>123はオレだ。
今夜はこれしか書けない。
125 :
名無的発言者:02/05/06 22:36
防衛戦のプロが作ったにしちゃ、紀元前2〜1世紀にかけての高地性集落はしょぼいな。
なんで城壁を作らなかったんだろ?
日本の気候じゃ日干し煉瓦が作れなかったのか?
>125
彼らは、異国の地で少数派なんだよ。
圧倒的に多数派の現地人と妥協しながら生きていく身だ。
占領軍じゃないし、仮に指導的立場を認められても、風土も資源も違う。
中国でのやり方がそのまま通用するはずがない。
そのなかで維持できるのは、基本的な心のあり方。
その内容は
>>123に書いた。
これは、弥生人にとって受け入れやすいものだった。
なぜなら弥生時代は、商(殷)の遺民の流入によって始まった。
そして、墨子は周を賛美する儒教に対して、殷の文化を擁護する面を持っていたのだ。
127 :
名無的発言者:02/05/07 22:24
>中国でのやり方がそのまま通用するはずがない。
受入れ側も商(殷)の遺民だったら通用するのでは?
128 :
トルファン ◆egRh9IgQ :02/05/08 18:18
漏れ矢氏、ちょっと質問したいのですが、
始皇帝の頃の混乱期にそんなに多数の大陸人が、日本に来たという記録というか証拠はあるのでしょうか。
いかんせん古い時代の日中交流史に疎いモノで。
私のイメージなのですが、当時の大陸の人々は、東の海に向かってイカダを浮かべるなんて行為はとても出来るような人々ではなかったように思うのです。
そういう人々は、極、少数だったのではと思っているのですが、どんなもんなんでしょう?
129 :
名無的発言者:02/05/08 21:17
>当時の大陸の人々は、東の海に向かってイカダを浮かべる
>なんて行為はとても出来るような人々ではなかったように思う
>のです。
コンテナでイギリスまで渡る人たちの祖先ですよ?(笑)。
130 :
開國記念幣 ◆6dwdDny6 :02/05/09 12:16
>>128 戦国〜秦の動乱期(前3〜4世紀)は日本ではちょうど縄文から弥生への移行期で、文字通り文化大革命が起こっています。
縄文中期(前20〜30世紀頃)に26万人に達した列島人口は、その後減少を続け縄文末期には7万5千人にまで落ち込んでいます。
しかも縄文期の人口分布は極端に東日本に偏っていて、つまり西日本は空き家みたいなものでした。
ところが、弥生時代には60万人、古墳時代には540万人と西日本を中心とした人口爆発が起きています。
縄文人の様な海洋性民族でない大陸人がどの様にして渡ってきたかは分かりませんが、来たのは間違いないでしょう。
私的には徐福伝説もあながち出鱈目とは言えないと思ってます。
現代日本人の(先住縄文人:渡来弥生人)混血比率は(3:7)または(2:8)らしいです。
131 :
漏れ矢めが:02/05/09 14:34
やい、漏れ矢!
てめえ、よくも徐福伝説を電波扱いしやがったな。
徐福伝説は各地にあるぞ。あれが伝説としても、なんらかの事実があったとみるべきじゃないか?
答えろ、漏れ矢!
>>128 トルファンさんに質問されるとは光栄です。
あたしゃ学者じゃなくって電波好きの煽り屋ですので……
根拠といわれると『我がモウソウ』(上、下)くらい書かなきゃなりそう。
今夜、もう少しネタを提供いたします。
ただ『論語』に「道が行われないなら、海にイカダを浮かべよう」
と、子路に言う場面があります。
前6世紀にはこういう感覚があった証拠になるのでは。
>131
電波だなんて言ってないよ。
ただ、あんまり興味がない。
131さんが語ってよ。
オレ、ここのスレ主じゃないんだよ。
(なんか乗っ取っちゃったみたいだけど)
弥生人の頭蓋骨の研究から、山東省からの渡来人が多かったとの説が出てきた。
縄文も弥生も、発掘が進むほど年代が古くなっていって、
縄文は18000年、弥生は3000年(BC1000年)という数字すら出てきている。(この数字の信憑性は、オレには判断できない)
また、縄文が一気に弥生に変わったのではなく、同一地域で縄文と弥生が両立していたことも分かってきた。
縄文→弥生の変化は、数百年かけて行われたことは間違いない。
このことから考えられることは、BC1000年頃以降に、大陸から渡来した人達が
現地人と融合しつつ弥生文化を築いていったのではないかということ。
殷王朝はひどく信心深い。王は神主のように占いばかりしてる。
この様子は、アマテラスやヒミコや、天皇家の性格と一致する。(天皇家が殷王朝の子孫であると主張するものではない)
とりあえず、ここまで。
開國記念幣 さん
情報を有り難うございます。
135 :
名無的発言者:02/05/09 20:36
本スレファンです。
まじで誰かマンガ化してくんないかなぁ。
子路が日本に来るってのも孔子暗黒伝にあったね。
それとも酒見賢一の小説だったかなぁ。
>135
墨家の徒が日本にやってきたと言うのは酒見賢一の『墨攻』のマンガ版にあります。
『史記』に春秋戦国の呉の王子が弟に王位継承権を譲るため自ら黥面し、東の海へ
蓬莱を目指し旅立ったと言うくだりがあったように覚えているが・・・。
徐福や墨子より古い話です。
それから古い辞書などを読むと山東人を"倭人"と呼ぶ記述が見られることがあります。
山東は孔子をはじめ孟子、墨子、孫子、曾子、顔氏などなど思想家が固まっているのも
不思議。
137 :
トルファン ◆egRh9IgQ :02/05/10 07:45
これは私が学生時代に話されていたことなのですが、
山東省の人々は少し中原の人々とは、違うのではというのです。
検証したわけでも何でもなんでもないのですが、山東人は、中原の人と比べて、
背が高く、色白で、目つきが鋭く、鼻筋が通っているというのです。
大学の先輩曰くあの地域だけは少し中原とは違う、独自の文化がかなり栄えていたに違いないと、
勝手なことを証拠もないのにのたまっていましたが、藁、
晏子などを読むと明らかに気質が違うと思ってしまいます。
まして、孔子は大男だったという説を知ると、いよいよ山東省別文化説に傾いてしまいました。
そして、何より、我が大学に来ていた留学生が、中国人にしては背がとても高くて眼光鋭かった!
地理的に見ても、朝鮮半島との交流は密であったことはまず間違い無いでしょう。
とすれば、山東人とくに煙台や青島あたりの人々とは、朝鮮半島経由で日本に来ていたことは想像出来ます。
しかし、中原の人々が、始皇帝の混乱期にあるいはそれ以前に東の海にイカダを浮かべたと言われると、
漁労民族を蔑視してきた中原の人々が、大量に海を渡ってくるとは考えにくいのです。
少々、私の固定観念が強すぎるのかもしれませんが。
138 :
名無的発言者:02/05/10 14:28
>弥生は3000年(BC1000年)という数字すら出てきている。
>(この数字の信憑性は、オレには判断できない)
え? 初耳だが?
ふつう弥生時代の開始は紀元前3世紀(中国では戦国時代)だよね?
BC1000年じゃ殷周革命の頃になっちゃう。ここは単なる間違いとしてきいとくYO
139 :
名無的発言者:02/05/10 14:33
>>137 >我が大学に来ていた留学生が、中国人にしては背がとても高くて眼光鋭かった!
おいおい。
晏子だの孔子だの始皇帝の時代の中国人の話してたんでしょうが。
現代の中国人とは民族的にほとんど無関係だろ。暴走しすぎ。
そう言えば見たことあるけど今中国では農村部の人がよその女の人を誘拐する?事件が多発してるそうな。。
原因は嫁不足とか。。さらった家族は何の悪びれる様子もなくインタビューに答えてた。
141 :
トルファン ◆egRh9IgQ :02/05/10 18:02
>>139 おっしゃるとおり、暴走し過ぎです。
でも、山東人というと、その留学生の印象が強烈で.....。
スンマヘンでした。
142 :
名無的発言者:02/05/10 18:23
>>140 2000年前の山東の中国人の人骨は180あったが?
それに中国では山東人は兵隊に向いてるということわざがあるの
知らないのか?
実際人民軍軍への入隊率歯かなり高いはず
ちょっとソース採ってくるわ
143 :
名無的発言者:02/05/10 18:26
問:前段時間有些報紙報道說你們的研究得出了“2500年前山東人
酷似現代歐洲人”的結論,這是真的嗎?
答:我們研究室分別對山東省臨淄地區的2000年前和2500年前的
古代人群進行了分子遺傳學研究,
結果發現不僅這兩個古代人群之間遺傳結构不同,
他們与現代當地的山東人也有很大差別。
從已有的數据看,這兩個墓葬群的群体遺傳結构与
現代中亞和西亞人較為接近,
而且与2000年前的相比2500年前的人群結构更加偏向西亞。
今后還需要對不同地區、不同年代的人群進行研究,
才能具体地确定這些人的來源和遷徙路徑。
問:目前你們是否還在進行別的古人群研究,今后有什么長遠打算?
答:我們与社會科學院考古研究所合作,
成功地分离和提取了距今4000年左右我國商代的古人群的DNA,
目前正在進行綜合計算和人群的遺傳關系比較分析,
我們也希望這一研究成果盡早問世。
今后在這方面我們愿意与更多的考古學界專家合作,對我國不同歷史時期、
不同地區的人群分布、混血以及遷移模式進行系統研究,
從而揭示中國人乃至黃种人的源流。
我們還特別希望能夠獲得遠古時期的包埋著蚊子或其他吸血昆虫的琥珀,對這類生物材料的研究一定很刺激。
144 :
名無的発言者:02/05/10 18:27
>>143 ここの住人なら翻訳は簡単だよな。各自で訳してくれ
145 :
名無的発言者:02/05/10 18:31
<<漏れ矢
学者じゃないのか?
中国語の原書読めるか?
147 :
名無的発言者:02/05/10 18:42
>>136 はあ?
お前の言ってるのは日本史のことだろう?
俺は中国史の研究者だ。
148 :
名無的発言者:02/05/10 18:44
新版中國南北各省人印象
4.山東 山東古為齊魯之地,齊人魯人有所不同,
魯人忠厚直爽,外粗內秀,講義氣,重教育,既出過孔子、孟子這樣的彬彬君子,
也出過黃巢、李逵這樣的殺人越貨之徒。
但魯人身處內陸,觀念相對保守,生活比較儉嗇;齊人處東夷之地,
不像魯人那樣多聖賢,卻因沐浴海風熏陶,對時髦很敏感,
易於接受新事物,也常常喜歡在媒體中製造聲勢和影響。
山東人不愧受儒家文化的熏陶,特別講究人際關係和尊卑等級,
愛走上層路線,齊人在這一點上似乎更是得了聖人真傳,
在山東的政界,齊人總是官運亨通。“
山東出響馬”,“山東人豪放”,這些說法只是《水滸》之類小說的誤導。
其實,山東人重等級秩序、講禮數,看重名節,很在乎別人的評價,
並不比其他地方的人更豪放,有時甚至常常使人覺得拘謹。
不過,對朋友,他們向來比較講義氣,也願意表現自己的豪氣。
有時“豪氣”往往會轉化為粗魯,例如,在大庭廣眾下大聲武氣地說話,
喜歡酗酒比酒量,一些好事之徒往往借酒動粗。
在一些城市中,男人內急的時候,不顧觀瞻,站在街邊背過身,
掏出來就敢撒尿。山東女孩雖不像南方女子那麼風情萬種,
卻也柔情似水,在青島煙臺等地,透著英武之氣的美女是經常可以見到的,
只是山東話忒土,女子用這種話撒嬌有點讓人頭皮發麻,故有“天不怕地不怕,
就怕山東小妞發嗲”之說,幸虧現在許多山東女孩都能說一口好聽的普通話,
所以,不管是倪阿姨還是蓋麗麗大姐也都早在中央臺打出了名氣。
山東人鄉土意識重,地域自豪感強,不僅在現實中到處認老鄉,
在網上“老鄉”也成為聚眾的招牌。
山西人唱“人說山西好風光”,山東人則唱“誰不說俺家鄉好”,
如果你說山東不好,山東人準給你急。
149 :
名無的発言者:02/05/10 18:53
私の山東人の友人は清華大の院生でしたが185以上
ありました。
ほかの北京大の院生たちも「山東人は背が高い」と言ってましたね。
だいたい古代から開けてる地方の中国人は背が高い。
湖南にも行きましたがあそこの人も背が高いんですね。
それと中国の最重点大の院生でも「徐福伝説」を史実だと
信じてる人が多いのには驚きます。
れっきとした学者でもそうですな。
まあ、山東の沿岸に古代の港跡が発掘されたり
してますから。
それと当時の航海術はそれほど発達したものではありませんが
季節によっては驚くほど短時間で日本近海に行きつけるといいます。
海流の関係のようですね。
詳しいことはもう少し調べましょう。
何しろ中国史といっても古代史は私の専門じゃないので。
150 :
トルファン ◆egRh9IgQ :02/05/10 20:16
>>149 海流の関係で言えば、山東半島から日本へは、直接行くのは難しいという話を聞いたことがあります。
もちろん、文献その他で確かめたわけではないですが。
たとえば遣唐使の初期のころは、朝鮮経由で中国へ行っていたはずですが、
その逆のパターンは、海流その他の関係ではどうだったんでしょうね。
>>148 なかなか面白い資料ありがとうございます。
私のイメージに意外に近いのでびっくりしています。
私のイメージの中では、山東半島の人々は、朝鮮や遼東半島の人々との交流が密だったと思うんです。
漢民族とか中原民族とは明らかに違う人々だったと思っています。
ほとんど私の妄想の世界なのですが、藁、
中原の人々より、これら山東の人々の影響は、弥生時代の日本人は受けたと思いますが、
それよりも、弥生時代はやはり古代越人の影響が強く、
人口の急増も、彼らの影響による組織的な稲作によって、
人口が増えたと言う説にどうしても傾いてしまいます。
今から漏れ矢さんに倣って電波を飛ばしますよー。
覚悟しといて下さい。
【電波其の壱】
2500年前から山東人は長身であったというのは分りました。
で、それ以前はどうかと言うと、「東夷」と言う言葉がありますね。
これは中原から見て東、つまり山東・江蘇辺りの小さい人と言う意味です。
これによく似た言葉に「倭」(これも小さい人の意)が有ります。
「倭」は現在「ワ」と発音してますが、旁からして本来の発音は「イ」または「ヰ」ですね。
何が言いたいかと言うと、夷=倭=縄文人。(縄文人の身長は150センチぐらいでした)
大陸在住の縄文人(夷)の影響を受けたのが殷人、これは青銅器表面の文様を見ると明らかですね。
つまり中国式理論によれば、山東省辺りは歴史的に見て我国固有の領土だった訳です。(藁
【電波其の弐】
>>136 >呉の王子が弟に王位継承権を譲るため自ら黥面...
間違ってたらすいません、『史記・呉太伯世家』のこの件ではないでしょうか?
呉太伯,太伯弟仲雍,皆周太王之子,而王季歴之兄也。季歴賢,而有聖子昌,太王欲立季歴以及昌,於是太佰、仲雍二人乃奔荊蠻,文身斷發,示不可用,以避季歴。
周太王(古公亶父)は孫の昌(文王)の才を愛し王位を継がせたかった。
それを察した長男太伯と次男仲雍は弟の季歴(文王の父)に王位を譲るため自ら分身断髪し荊蛮の地へ去り、呉を建国したと言う事です。
従って姫姓の正統は呉であり、司馬遷も三十世家のトップに呉を持ってきています。
で、呉に元々住んでた荊蛮と言うのが先程の夷=倭=縄文人。
呉人は黥面文身、ざんばら髪だったと言う記述からこれはほぼ間違いない。
つまり中国式理論によれば、江蘇省辺りは歴史的に見て(略
【電波其の参】
>>150 >弥生時代はやはり古代越人の影響が強く
江南の越を指しているのでしたら大賛成です。
江南の稲作文化が伝来したのは縄文晩期(BC4〜10世紀)です。
この頃江南で何があったかと言うと、ピンポーン!呉越戦争ですね。
おそらく呉越の難民が命からがら九州にたどり着いたのでしょう。
その後稲作文化(弥生文化)は列島を北上して行きますが、稲と言う奴寒さに弱い。
従って東北以北は従来の縄文文化が蝦夷として残ったのですね。
稲作文化は朝鮮半島経由で伝来したと言う電波を見かけますが、明らかに間違いです。
江南の稲作が麺文化の華北を素通りして半島に根付いたとでも言うのでしょうか?
半島の付け根辺りは当時の稲作の北限を越えていますよね。
従って、文化伝達の方向は「大陸→九州→半島を北上」が正解。
154 :
名無的発言者:02/05/11 07:32
>>153 呉越戦争の時、負けたほうが日本に亡命(っていうかボートピープル
みたいなもん?)はかなり信憑性がある説で、電波じゃないよ。
155 :
名無的発言者:02/05/11 09:59
縄文時代は平均労働時間は3時間くらいだったとか。
ところが稲を作るようになるとそーは行かない。
手がかかる上に上納分も作らなきゃあかん。
で必然的に平均労働時間はのびる。
共産支那は原日本人の労働環境悪化に対して謝罪しる!(笑)。
156 :
漏れ矢 ◆k4mPlw/s :02/05/11 10:34
楽しくなってきましたね。私は名無しに戻ります。
稲作については、今の常識は、トンデモないとこまでいってます。
縄文稲作は常識で、どこまで遡れるかの競争です。
(前期までいく気配です。これ、メソピタミヤの農業の起源と同じ時期です)
こういう楽しい学者が縄文の常識をひっくり返してくれてます。
ttp://www.athome.co.jp/academy/botany/bot06.html 佐藤 余談になりますが、私は卑弥呼も弥生人ではなく
縄文人だったのではないかと思っているんです。
というのも、まず入れ墨をしていた、そして海に潜って魚を獲っていたというのが弥生人らしくないですよね。
さらに、生姜やみょうがなどのハーブ類を食べなかったというのも気になります。
生姜やみょうがというのは、中国大陸から伝来したものですから、
渡来してきた弥生人が食べないはずがないんです。
―― そういわれてみると、卑弥呼がお酒を飲んでいたという記述も気になりますね。
157 :
名無的発言者:02/05/11 12:48
>>156 >というのも、まず入れ墨をしていた、そして海に潜って魚を獲っていたというのが弥生人らしくないですよね。
>さらに、生姜やみょうがなどのハーブ類を食べなかったというのも気になります。
それが弥生人なんだってば!
とんでもクンだな。(藁
158 :
トルファン ◆egRh9IgQ :02/05/11 14:03
>>157 同意しちゃいます。
弥生時代に生きていたのは、なにも稲作をおこなっていた人ばかりではないでしょう。
弥生時代に日本列島で生活していた人っていうのは、もっと多様性があったと思います。
なにしろ、海に囲まれ、稲作可能な平野があり、なおかつ、鬱蒼とした広葉樹林があつたわけですから。
>157
彼はDNA解析から稲作のルーツを探るという、理系の学者ですから。
東大や京大の歴史学教授なんか怖くないから、好き放題言います。
こういう人が発言して、古くさい歴史学を壊してもらいたいなと。
やっぱ、この発言だけみればトンデモ君ですね。
160 :
名無的発言者:02/05/11 19:49
古田武彦氏の「漢倭奴国」は、「倭奴国」だ、は正しいと思う。
「金」印ですよ。その上は「玉」しかないんだよ。
相当の大国か、文明国とみてた証拠でそ。
西の「凶奴」に対する東の「倭奴」というのも、漢からみればその通りでしょ。
ただし、実際に出土した金印では、倭は委に作っている。
委=倭?
さらに卑弥呼は親魏倭王。つまり国号は「倭」であると。
友好国の女王の名に「卑」なんて字を使う神経はどうかしてるけど、1字国号であることに注目。
伝統的に中国では、1字国号は中華の国。異人種の国号は2字以上で表す。
自称は「邪馬台国」だったはずで、「倭」は中国側の表記ということになるが、
1字国号は異例。(国号を「下賜」した?)
ともあれ「卑字」の使用と、国号がアンバランス。
この辺、なにか歪曲がありそう。
(本当は友好国ではなくて、対立してたとか)
倭の5王になると、「賛」とか「珍」とか、良い字を使う。
国号も「倭」だから、読んだ印象は中華文明内の国って印象になる。
倭の五王は、国号も名前も自称。
そして、中国側もそれを承認してる。
何が言いたいかというと、中国から見た「倭」はカナーリ評価が高い。
だから「日出る国の天子……」なんて国書がまかり通る。
この国書に文帝は、答礼の使者を出してるんですから。
ちゅう訳で、開國記念幣さんの電波は面白い。
>>154>>156 呉越戦争と大陸から直接稲作が伝来した話は既に電波では無かったか...
全然関係ない話ですけど、私学生のとき自動車の4輪操舵(4WS)が頭の中で閃きまして、「ひょっとしたらこれは世紀の大発明か?」と思ってたら、すぐにホンダが市販車出しちゃいました。
で、よく調べたらダイムラーがガソリン車発明した頃に既に4WSって有ったらしいです。
この時私悟りました「俺如きの考え付くようなことはとっくに誰かが考えてる」って。
しかーし、分っちゃいるけどやめられない♪
>>159 C14年代測定や、最近のDNA解析は強力な武器ですね。
歴史学者も自説に固執せずに、正しいものは正しいと言える勇気を持たないと後代の笑い者になってしまいます。
>>160 「倭」ってのは時代時代で使われ方が異なっていて難しいですね。
だからか志賀島の金印、邪馬台国、倭の五王は誰かってのは話題が尽きません。
私が気になって仕方ないのは、『後漢書・倭傳』の金印授与の記述、
「建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自称大夫。倭國之極南界也。光武賜以印綬。」
それと『魏志・倭人傳』の女王国の勢力範囲を表した記述、
「次有奴國,此女王境界所盡。其南有狗奴國,男子爲王,其官有狗古智卑狗,不屬女王。」
どちらも「倭連邦」の南の端は「奴国」であると読める。
これはかなり信憑性が高い。
で、その「奴国」の自称大夫が貰った金印が博多の志賀島で出た。
ってことは奴国=博多なんでしょうか?
だとすると1〜3世紀頃の倭国=朝鮮半島〜海峡の島々〜博多なんでしょうか?
じゃあ邪馬台国はソウル辺りかな?(韓国人がガイシュツしてそうだな...)
つまり中国式理論によれば、朝鮮半島は歴史的に見て我国固有の(略
中国の話題から離れてしまったので電波はこれにて打ち止め。
163 :
名無的発言者:02/05/13 04:42
素人が思いつきを書き垂れるスレか。無知ほど悲しく哀れなものはないな。
165 :
トルファン ◆egRh9IgQ :02/05/13 17:37
あげときます。
166 :
名無的発言者:02/05/13 21:14
>163
おっ、新人さんか。
あんたも何かネタふれよ。
おれ? こんなのはどうだ。
西王母の指導で周が発展し、
縄文人が海を渡って殷を作ったのだ!
167 :
王麗琴 ◆SHANGH36 :02/05/14 00:02
おお〜?
なんで人類学みたいになってんだ?このスレ。
>>164 漏れは素人のつもりはないが、学者だとも言ってない。
木村鷹太郎なら漏れの方がたぶん詳しいよ・・・
>>166 それ古田電波が入ってるね
>>166 ちなみに漏れは新人ではない。このスレは最初からロムしてた。
これまでの発言は、
>>87,
>>88,
>>89,
>>99,
>>100,
>>105,
>>106,
>>109,
>>115,
>>121,
>>122,
>>138,
>>139
>168>169
ほうほう。
古田デンパって、おみゃーさん、歴史学科の出身かい?
言っちゃなんだが、歴史学科は数学のできない学生の吹きだまりで、
クソ知識ばかりあって、自分の考えを言うなんぞ怖くて怖くて……
古田氏にマトモに反論する頭の持ち主なんぞ、滅多におらんでそ。
頭がついてんなら、元気を出して、自前のデンパを飛ばしてちょ。
古田氏の言葉に「唯一私が誇れるのは陳寿を信用し通したことだ」みたいなの(正確には憶えてない)が有ったけど、個人的には好きですねー、この態度。
2ch風に言えば「陳寿さん萌え〜(ハァハァ」ですか。
但し、同時に「何逝ってんの、お前?」位の冷めた目を持つ、これが大切。
難しいけどこれやらないと学問でなく宗教みたいな事になってしまう。
ただ頭ごなしの批判は嫌いですね、「証拠が無いから電波だ」みたいな。
殷架空説なんて言ってて、証拠がザクザク出てきて赤っ恥かいちゃった人居ましたよね。
人の批判は余程心してかからなアカンってことです。
ま、俺達素人にはそんな事はどーでもヨシ、今日も元気に電波を飛ばす〜♪
誰か新ネタキボーン!
163さんは詳しそうだからお尋ねします。
志賀島≠倭奴国ってのは魏志倭人伝の地名比定以外に何か根拠が有るのでしょうか?
>>162はネタで言った訳じゃなくてマジで知らんです。
なにぶん超級DQNなもんで...宜しくお願いします。
174 :
名無的発言者:02/05/15 13:31
>>171 漏れは歴史学科の出身ではない。
歴史学科が馬鹿のふきだまりだというのはわからんでもないが、
だからって法科や経済や文学により一層ましなのが多いかというとそれも疑問。
それらと比べて史学科が特別バカだとも思えんな。
少なくとも古田電波を真に受けるDQNは多くないだろう。
それだけでも在野民間電波信者よりかなりましだな。
175 :
名無的発言者:02/05/15 13:55
>>172,
>>173 >ただ頭ごなしの批判は嫌いですね、「証拠が無いから電波だ」みたいな。
>殷架空説なんて言ってて、証拠がザクザク出てきて赤っ恥かいちゃった人居ましたよね。
>人の批判は余程心してかからなアカンってことです。
どうしてそう単純化するのかな。
学者だって証拠がないことをいうし「証拠が無いから」まちがいだ、みたいな言い方はしないぞ。
「証拠が無いから」まちがいだ、というのはむしろトンデモ系が多用する論法。
情況証拠から論証を組み立ていろんなことを推測するのは学者もやってるさ。
殷架空説だって、そうやって、架空であろうと推測された“推測説”。
当時はまだ遺跡が判明してなかったんだから、別に恥ではない。
ていうか、清代のことだろ?「赤っ恥かいちゃった人」って誰のことだ???
>志賀島≠倭奴国ってのは魏志倭人伝の地名比定以外に何か根拠が有るのでしょうか?
???
志賀島が奴国の近所なんだから別になにも問題ないと思うが?
それとも「志賀島みたいな狭小な島だけで奴国全体だった」という説をいいたいの???
も少しネタを提供します。
宝来聡氏は、五つのグループ(日本の本州人、中国人、韓国人、沖縄人、アイヌ人)
の五つのグループのDNAの特徴を調べた結果、日本の本州人のDNAには
韓国人に多い特徴をもつ者が 24%
中国人に多い特徴をもつ者が 26%
アイヌ人に多い特徴をもつ者が 8%
沖縄人に多い特徴をもつ者が 16%
どれにも属さない特徴をもつ者が26%
という結果を報告されています。
さらに、東大の研究グループが「JCウィルス」について研究した結果として、
日本人に見られるウィルスタイプは、世界に12系統ある内の4タイプ。
1、「朝鮮半島に多いタイプ」
2、「朝鮮半島から、中国中部、北部に多いタイプ」
3、「東南アジアに多いタイプ」
4、「ヨーロッパの、白人やトルコ人に多いタイプ」(EU型)
の4系統があると述べています。
4のEU型は、他のアジア諸国では、ほとんど見られない型です。
日本人はどこからきたか?
長年の議論の決着が、見えつつあります。
>>175 >情況証拠から論証を組み立ていろんなことを推測する
仰る通りです、しかし...
>「赤っ恥かいちゃった人」って誰のことだ
白鳥庫吉「中国古代史は木星周期に伴う十二次二十八宿に関する天文知識を『経』とし、儒教思想を『緯』として、周・戦国時代に創造された。」
これは彼の大先生にしては電波入り過ぎ。(藁
もっとも白鳥教授は殷墟発見前に亡くなられたんでしたっけ?
>志賀島が奴国の近所なんだから別になにも問題ないと思うが
いや、それならいいのですが、
>>163は私が「奴国=博多」ってカキコしたことへのコメントかと思ってました。(苦笑
魏志倭人伝には2つの「奴国」が出てきます。
後漢書で金印貰ったの奴国が「倭国之極南界也」となっているのは、范曄が魏志倭人伝を読み間違えたってのが正解のようですね。
そうと思っててわざと「邪馬台国はソウル辺りかな」って電波飛ばしたんですが無茶苦茶過ぎました。
反省:自分がそう信じられる電波を飛ばすべし。
>>176 バクス人が日本人と関連あるって小説を読んだことがあります。
池波正太郎だったかな?
漏れは色白で何故か金髪が数本混じってるから間違いなくEU型ですね。(藁
179 :
ホラー小説:02/05/17 00:23
中国は異民族に征服されて大きくなる。
支配者も漢民族もみんな漢民族になってしまう。
支配者も漢民族の土地も漢民族の土地になってしまう。
彼等は誰かに征服されたいのだ。
彼等は嘘力(う〜そ〜ぢから)を磨いてその日を待っているのだ。
練りに練った嘘(うっそ)で来た奴をみな漢民族にしてしまうのだ。
彼等は日本を征服者として認定してしまったのだ。
彼等の日本に対する罵詈雑言はその布石なのだ。
恐いよ〜。
180 :
名無的発言者:02/05/17 12:44
征服者は「すべて」漢民族に同化されてしまう、という話自体ウソ。
漢族が悔しまぎれに捏造した話だ。
それを真に受けるドキュンは、まさに中国人の思うつぼ。
181 :
ひ@面白いが・・・:02/05/17 12:49
>>180 「漢族が捏造した」というより、「意図した」ってことだろ。
しかし、現実に漢族に同化されているし、それがさらに進んでいるといって間違いない。
重要なポイントは二つ。
「普通話」(中国標準語)と「漢字」だ。
中国を歩いていると、政府は「中華民族」なる壮大なるフィクションで
国をまとめようとしているのがよく分かる。
その核が「普通話」&「漢字」の普及だ。
182 :
すいません、:02/05/17 12:57
中国共産党の歴史とか政策の推移とかそういったことがメインで載ってる
サイト、いいところ知りませんか?
>>176 白人またはトルコ人が、かなり大量に日本まで来ていたことを前提に考えると
当然彼らは中国にも来ていたことを認めざるをえまい。(文献上の証拠もある)
それは、ユダヤか、シュメールか、アッシリアか、ヒッタイトか、ペルシアか
候補に事欠かないが、このスレで論ずるには不適切でもあり、今はどうでもいいともいえる。
要は、彼らは中国からさらに、朝鮮、ついには日本までやってきたのである。
中国が住みやすければ、それ以上移住する理由がない。
また、日本が住みにくければ、中国なり朝鮮に帰れば良い。
その程度の航海術はあったのだ。
言いたいことは、現代も古代も事情は同じだということ。
中国や朝鮮は住みにくい。日本は住みやすい。
大陸→日本の人の流れはあっても、その逆は(大がかりには)ない。
ただし、小さな流れは必ずあっただろう。(誰か故郷を思わざる)
父祖の地を忘れることができるだろうか。
いわゆる帰化人たちは、ふるさとのニュースに敏感だったし、
自分の目で見にも行ったに違いない。
そして、やはり日本を永住の地として選んだのだ。
中華文明などと威張らない方がいい。それは人が幸せに暮らせる文明ではないのだ。
三千年の間、そのことは変らなかったのだ。
中国人よ、幸せになりたかったら、中華思想を捨てなさい。
日本人は、堂々と主張するべきであろう。
184 :
ひ@「民族」というフィクションの知恵:02/05/17 13:27
>>183 「中華思想」とか「中華民族」って概念は、マイノリティーにこそ必要とされる
概念のような気もするんだよな。
フツーは少数者の文化を軽視・無視するものだ、けしからん!って見られがちだけど、
差異による対立激化を防ぐ知恵でもあると思う。
そういう大民族の概念っていわば、大「宗教」にも似てる。
例えば、もし日本が「日本人」という概念がなくて、薩摩やら長州やらが異民族として
いまだに対立しあってるとしたら・・・。
これはおそらく「日本」にとって不幸な歴史になっていたと思う。
在日や被差別部落出身者、貧乏人などのマイノリティーの一部が狂信的右翼に
なっちゃうのも分かる気がするな。
大いなるフィクションにすがって、疎外されている自分を守りたいんだ。
>しかし、現実に漢族に同化されているし、それがさらに進んでいるといって間違いない。
あほか。それがドキュンだっていってるのっ!
>中国を歩いていると、政府は「中華民族」なる壮大なるフィクションで
>国をまとめようとしているのがよく分かる。
そのとおり。
それって上で引用の「現実に漢族に同化されている」ってことと正反対に矛盾してるだろ。
わかんないのかなあ。
>>185 「いってるのっ!」て言うけど、全然説明できてないよ(w
もしかして、自分の頭の中でだけはカンペキな理論が構築されてるワケ?
「同化されてる」っていうのは「100%同化完了!」の意味じゃないゼ。
DQNにも分かるように数字でたとえて言えば、
今のところ70%まで同化してるんだけど、
まだ十分じゃないので90%同化を目指してま〜すってとこだ。
分かったかい? 分からなけりゃ、また聞いていいよん♪
187 :
名無的発言者:02/05/17 22:24
帰属意識ってのはパーセンテージの問題じゃないよ。
あなたはエスニシティの問題とごっちゃになってるんじゃないの?
では、あなたのいう“帰属意識”とは?
189 :
名無的発言者:02/05/18 15:12
その前に、あなたが問題にしてる「同化」の内実は
「人種・遺伝子」の問題なのか(血が混じる云々)、
「言語、風習を共有する文化集団・エスニシティ」の問題なのか(これは政治的な「同化」とは無関係)、
「歴史的な国家の連続=政権継承の系統」の問題なのか、
「共同体の上位にある政治的な帰属意識」の問題なのか(同化の問題とは本来これ)、
もう少し問題を整理すべきだろう。
190 :
ひ@なるほど:02/05/18 15:24
>>189 なるほど、言葉をもう少し細かく分けてほしかったのだね。
漏れが使った「同化」は、一般用語としての「同化」なのだが、
君の言う分類では、もちろん「共同体の上位にある政治的な帰属意識」だ。
また、エスニシティの問題は「同化」とは無関係というが、まったく無関係だ
とは思えない。ズレがあるのは分かるが、大いに関連あり。
「歴史的な国家の連続=政権継承の系統」、「人種・遺伝子」の問題もしかり。
すなわち、漏れとしてはこの4項目をひっくるめた上で、「帰属意識」に重きを置きたい。
帰属意識というのは一つしかないものだと?
191 :
名無的発言者:02/05/18 15:56
認識が曖昧だから何をみても「あ、これも関係あるだろう」と思うんだよ。
「無関係」と断言したのはちょっと煽ってみたのだが、思ったとおりの反応ありがとう。
それから帰属意識は、もちろん本来ならば複数ある。
ただし、近代特有の問題として、ひとつの帰属意識が他を圧するという事情がある。
つまり民族問題。民族紛争ってのは「他の帰属意識とは比較にならない至上の帰属意識」
があるという誤認(=病理としての近代)に振り回されるもの。
近代以前と以後では「同化」の意味がちがうんだよ。
192 :
名無的発言者:02/05/20 10:55
age
193 :
名無的発言者:02/05/21 16:43
age
194 :
ひ@ageてくれて多謝!>カマッテ君♪:02/05/21 16:49
>>191 国民国家なる概念に結びつく“ナショナリズム”は近代の産物。
そんなことは常識だ。
で、ナニが言いたいんだ? 「同化」のイミがどう違うと言いたい??
195 :
ろんぎぬす:02/05/21 22:26
>179 :ホラー小説 :02/05/17 00:23
>中国は異民族に征服されて大きくなる。
>支配者も漢民族もみんな漢民族になってしまう。
>支配者も漢民族の土地も漢民族の土地になってしまう。
私はソウは思わない。
満州族などソウで、北宋、南宋の時代のワンヤンアグダの建国した「金」国は、
南宋時代に華北を支配したが、モンゴルの南下で挟み撃ちの際、
満州族だけの華北の部落は、日本の敗戦でソ連に満州を乗っ取られた時と同じように、
皆殺しであり、村落は全滅させられた。基本的に異民族の血は絶えている。
時を経て辛亥革命の際も満州貴族の八旗兵の連中は、完全に中国人化していて、
満州やモンゴル人と混血の満州人で先祖を大切にする満州臭い貴族は、
女性は殆ど首吊り自殺しているし、自決している。
またモンゴル人は北帰して華北におらず、基本的に漢民族のみ残ったし、
北テキの鮮卑族の北魏・随・唐王朝の鮮卑族の貴族も中国人化して鮮卑語を失った。
五胡十六国や南北朝の鮮卑族の時代に、代の国とかいわれる、山西省は、
鮮卑族であれ、モンゴル族であれ、満州族であれ、中国人として生きてきた。
外国人を抱擁する五台山という中国の仏教界の一大聖地を抱えている省でもあり、
仏教の国際性故に外国人には寛大な土地柄で、
道教でも義理堅く正義の神、関羽様の生まれ故郷、関帝廟の本山のある地でもある。
日本の降伏後の国共内戦(1945〜48年)の山西省の日本軍であれ、
(日本軍の武装を解かず、援軍として起用した、山西省軍閥の閻錫山将軍のお陰で)、
中国語を生活語にしながら、日本人は生存していた。が、
自国語を話せながら、実質的に中国人として生きている。
中国の外国人・異民族で生き残るのは、基本的に、親の言語を知らない子供や、
血としては異民族だが、生活感覚と気安さから、漢民族の中国人と仲良く、
基本的に本国人より中国人と見られている人物が生き残るからだ。
中国人と日本の社会党の連中の啓蒙に。
>南京事件を「南京大虐殺」などと言い立て、
日本の皆さん、一方的に気に病む事有りません、
ロシア人や自国民同士にも非がありますから。
対抗記事。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1018696206/511-518
196 :
ろんぎぬす:02/05/21 23:16
結局やっぱり『中国の歴史』というから混乱するんだよね。
『大陸の歴史』として種々の民族と文化の興亡の歴史として
扱えば少しスッキリすると思うのです。
>197
その通りなんだが、「中華」人民共和国を名のり、
何かというと歴史話を持ち出す連中を相手にすると、
こちらも「中国」とか「中華」の話をせざるをえない。
肝心の1を叩いとかなきゃ。
もちろん日本は「万世一系」ではない。
オオクニヌシの「国譲り」って、何だと思ってるんだ?
天皇家の他に正当な政権があって、そこから政権を譲られた(奪った)
そう主張してるんだよ。
古事記ですら、「万世一系」だなんていってない。
出雲王朝の他にも、東海王朝や関東王朝や東北王朝があっただろう。
それらの王たちの「国譲り」もあっただろう。
『古事記』多くの「国譲り」を一回だけのことにして誤魔化したに違いない。
そして「和をもってたっとしとなす」と言って、まるく収めようとした。
日本人は、それでいいと思う。
しかし、中国人には通用しないようだ。
対抗して、少しデンパを飛ばさないと、釣り合いがとれないぞ。
200 :
名無的発言者:02/05/22 21:53
中国人と釣り合いが取れる?
イヤン♪な感じがするのは俺だけか(笑)
201 :
ろんぎぬす:02/05/22 22:43
>199 出雲王朝の他にも、東海王朝や関東王朝や東北王朝があっただろう。
ええっ?東海とか関東に王朝があるんで?
ヤマトタケルが周りの草をなぎ払い、火着けの返り討ちをした静岡の焼津の酋長?
ほかに大きな酋長の土地って考えつかない。
出雲の酋長が出てくるなら、吉備津彦?とか「岡山の酋長」が出てくる気がするが。
それにクマソの熊本や「隼人の酋長」の国の鹿児島。「王」という形で先祖代々ではない。
舞台は西国が中心。
北陸が無風で、東北と言っても、
古事記以降の奈良時代に岩手県南の「アテルイ・モレと言う名の酋長」で、
世襲の先祖代々的でない。
世襲であるとしたら、平安時代中期の阿部や清原の一族、
平安後期の奥州藤原氏だろう。時代が下りすぎる、若すぎる。
中国だと、燕の河北や楚の江南や福建省の話が、
黄河の王朝と別物というイメージだが。
福建省は明王朝時代すら外国的に扱われている。
秦漢時代の不老不死の薬探しの徐福は、桃源郷的に福建を探検したとか、
三国、魏晋南北朝の時に、新興宗教が反乱して、異郷の福建に逃れる際、
子供が足手まといで、水仙に生まれ変わるとお告げだとホラ吹いて、
若母に入水自殺させたトンでもない団体があった。
明王朝の時代だったろうか?福建省の田茂七?の乱だかあって、
大地主の所でも纏足は拒否するし、
何かと風俗が揚子江や黄河の方の漢民族的でなかった。
実在の漁師の娘の林某という処女の女性を天上聖母と祀る媽祖廟など、他の地方と違う。
何でも福建の処女の陰毛がお守りだという。福建の漁師の船が難破しないそうだ。
どう考えても、黄河方面の風習とは思えん。
202 :
名無的発言者:02/05/22 22:43
>>199
バカなこと云ってないで、勉強し直して出直しな。
203 :
ろんぎぬす:02/05/22 22:54
>実在の漁師の娘の林某という処女の女性を天上聖母と祀る媽祖廟など、他の地方と違う。
>何でも福建の処女の陰毛がお守りだという。福建の漁師の船が難破しないそうだ。
まるで風俗通いのスケベオヤジじゃあるまいし、
競馬や賭麻雀でツキがイイ。とかで、フードルから拝借するそうだ。
「ねぇ、ねぇ、ネーチャン。ちょっとクレ。最近、負けが込んでいる。
しかたないわね。ぴっ、ほら上げる。」とか、女買いのゲン担ぎだ。アフォか!?
「ソープ嬢の内緒話?」とか文庫本で、黒と金色にピンクや水色のフランス書院でなく、
実際、吉原のナンダカいう店であったようだ。挿絵というか写真が、
カウンターに後ろ姿の全裸で丸椅子に坐って、
潰れたデカ尻むき出しでいるのだった。大黒チャンの話と別の女性の事。
204 :
名無的発言者:02/05/22 23:00
>>中国の歴史は、略奪と殺戮あるのみ。
虚偽と不誠実の国。
今回の亡命事件にしても、ビデオがなかったら誰も知る由はなかった。
否、ビデオがあってもあの通り。嘘を堂々と主張して文書に残す。
これまで云われてきたことも全部嘘。中国の主張する反対がむしろ事実
である。戦争の被害にしても、日本人の被害の方が彼らの被害よりも遙かに
大きかった。個々に調べるとそれがよく分かる。嘘の教科書を作り、被害者
意識で自国民を騙し、日本から援助を引き出し、そのカネでミサイルをこち
らに向けて配備している。もう援助をやめろ。そんなカネは国内に使え。
>202
のような、名無しの無責任発言。
何でもいいから、自分の意見を言ってみろってっつーの!
フザケンナ!
ロンギヌスさんよ、あんた何か混乱してる印象があるよ。
何か一点にしぼって話をしてくれると有り難い。
207 :
ろんぎぬす:02/05/23 22:59
うむ、混乱している。が、どうも2,3織り交ぜてカキコする癖がある。すまぬ。
>>194 >で、ナニが言いたいんだ? 「同化」のイミがどう違うと言いたい??
あは。少し難しすぎたかな(w
御前がバカってだけのこと.
210 :
◆bUmO3kpI :02/05/24 02:10
バカか.
なんだい、「同化」の分類をしたかっただけかい(藁
亀レスになりますが、開國記念幣さんの、
オーパーツという言葉に刺激されて、色々考えてしまいました。
BC1500年頃の中国に、城壁を持った都市国家、文字、青銅器、
すべてが完成された形で、忽然と現われたように見えます。
(萌芽はあったといっても、萌芽が熟すには長い時間がかかるのが当然です。
なお今後の発掘で、状況は変るかもしれません。現時点での印象です)
実は、それはメソポタミヤでも起こったことです。
シュメール(スメル)文明です。
文字、城壁都市、神殿、農耕、航海術、政教一体の神聖政治、
すべてが完成された形で出現し、BC2000年ころ、王国の崩壊と共に、
民族としてのシュメール人は姿を消しました。
もちろん、文明としてのシュメール文化はメソポミヤの地に残りましたが、
民族としてのシュメール人は、消えたのです。
(このBC2000年ころ、三内丸山の縄文都市も消滅します。
地球規模で、何らかの天変地異があったとも思えます)
その500年後、中国の地でオーパーツと言いたくなる文明が出現します。
以前、私は「コンロンの仙人」という言葉を使いましたが、
「コンロンの仙人」の正体は何だろう? と考えてみました。
その結果は、このシュメール(スメル)人が最有力候補であろうと思います。
この辺の事情は、岩田明という人が、何冊も本を出しているので、興味のある方はどうぞ。
(岩田氏の主張は、シュメール文化が日本文化の源であるということです。)
なお、東海の仙人は、縄文人でしょう。
少なくとも、殷以前には、中国より縄文の方が先進文明だったのですから。
BC3500年ころ、中国の地で、縄文人とシュメール人が出会い、
殷王朝に協力して新しい文明を築いた。
そう考えるのが自然でしょう。
実は、中華文明は秦以降の2200年、独創的なモノを産みだしていません。
殷文明の様な画期的な独創を、中国人が自力でできるはずがないのです。
213 :
名無的発言者:02/05/27 14:50
かいんしゅうしんぜんかんしんごかんさんごくせいしんとうしん
なんぼくちょうずいとうごだいそうげんみんしんちゅうかみんこく
ちゅうかじんみんきょうわこく
212・・長い!読む気がせん。言いたい事を10行までにまとめろ。
せっかくネタを提供したのに。
聖書にある謎の言葉、
「心の貧しい者は幸いである。」
を思いだした。ほんと、どういう意味だろ?
ほんと、誰か、何とか言ってくれ。
これ以上のカキコミは、辛い。
217 :
名無的発言者:02/05/28 02:44
トンデモ説はいくら書き連ねても空しいだけ
218 :
開國記念幣 ◆6dwdDny6 :02/05/28 13:41
猫じゃさん=漏れ矢さんだったのですか。
>>212 >民族としてのシュメール人は姿を消しました。
BC24C〜25C頃アッカド人(アラブ人)に追われたのですね。
で、一部はあの辺うろうろしてヘブライ人(ユダヤ人)になったのでしょう。
聖書に書かれていることはかつてシュメール人であった頃の記憶に他なりません。
(エデンはシュメールに実在したし、ノアの箱船はギルガメッシュ叙事詩の朴李です。)
てことはアラブ対ユダヤってのは5000年の因縁って訳ですね、はぁ。
>縄文人とシュメール人が出会い、殷王朝に協力して新しい文明を築いた。
殷の青銅器はシュメール人の先進技術と縄文人の芸術の融合って事ですか。
しかし、符号がぴったり合ってますねー。
>>215 山上の説教でしたっけ?
心が空なれば(貧しければ)神の言葉を素直に受け入れることが出来るってことじゃなかったかな?
心が汚物で満たされているのは、「心が貧しい」ではなく「心が腐ってる」と言う。
>>217 色即是空。
220 :
◆k4mPlw/s :02/05/28 14:53
>218
エデンについては、シュメールにも「失われた楽園」の伝説があったということです。
ギルガメッシュは、長い冒険の末やっと手に入れた不老長寿の薬草を、蛇に奪われました。
もう一つ、ギルガメッシュと並ぶ英雄エンキドゥは、もとは野生の獣でした。
そして人間(文明人ということでしょう)になったことを繰り返し嘆きます。
エデンの禁断の木の実は「知恵の実」でもありました。
この辺が融合して「失楽園」の伝説になったのでしょう。
>219
なるほど、色即是空ですか。
これで何となく分かるのも凄い(汗
>>220 これ書いて気がつきましたが、蛇信仰の問題もあります。
三輪神社や大物神社を始め、古い神社の祭神は蛇が多いのです。
一方、シュメールもユダヤも、蛇を嫌っているようです。
で、中国は?
蛇=竜、と短絡するのは何だけど、殷王朝の時代は、
竜に対する信仰と嫌悪感が入り交じっていると。
(白川静氏の説)
大物神社はなかった。失礼。
私の推測ですが。。
中国に対して虐殺をしたのは日本人が悪魔だったのではなく反中感情で殺した。(アメリカが日本人を喜んで殺したように)
中国では聞きませんが、東南アジアやソロモン諸島の人々は日本人が助けてくれたと言ってる人もいます。
日本人が中国に攻めたのは自主的に(反中感情で)行った事で。その他の侵攻では日本人自身は望まなかったのでは?
>>224 何を言いたいのか良く分からないのですが、
日本で普通に暮らしている人に「反中感情」など生じようもないのです。
それなりの理由があって、初めて反中感情というものが生まれます。
(現在の両国関係がその例です)
世界史板からパクリました。(特効Aチームスレ)
義侠で鳴らした俺達革命戦士は、濡れ衣を着せられぶっ叩かれた。
そして牢屋を脱出し、地下にもぐった。
しかし、市井でくすぶっているような俺達じゃあない。
権力さえ握ればコネ次第でなんでもやってのける命知らず、
不可能を可能にし官僚どもを粉砕する、俺達、中国成り上がり皇帝野郎 Aチーム!
俺は毛沢東。通称 中国の赤い太陽。
ホラとプロガンダの名人。
俺のような天才策略家でなければ百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まらん。
俺は劉邦。通称漢の高祖。
自慢の卑野に、豪傑どもは、みんなイチコロさ。
ハッタリかまして、鴻門の会から法三章まで、何でもそろえてみせるぜ。
よおお待ちどう。俺様こそ朱元璋。通称明の高祖。
粛正者としての腕は天下一品!
奇人?変人?だから何。
李世民。通称 唐の太宗。
権謀術数の天才だ。兄貴の皇太子でもブン殴ってみせらぁ。
でも息子の嫁さんだけはかんべんな。
(劉邦、オレの嫁さんもかんべんな)
俺達は、道理の通らぬ世の中にあえて挑戦する。
頼りになる神出鬼没の、中国成り上がり皇帝野郎 Aチーム!
粛正したいヤツがあるときはときは、いつでも言ってくれ。
>>226 禿藁。
成り上がり皇帝ってのがイイ!
雑談自治スレにコテハン野郎Aチームで貼っときました。
特攻Aチームネタに嵌ってしまった。
権謀術数渦巻く宮廷で、目立つオレたちは嫉まれる。
まごまごしてたら、粛正されちまう。
しかし、おとなしく粛正される俺達じゃあない。
口実さえあれば、皇帝引き下ろしでもなんでもやってのける命知らず、
不可能を可能にし帝位を乗っ取る、俺達、帝位乗っ取り野郎 Aチーム!
わらわは金輪聖神皇帝。通称 即天武后。
政治と男たらしの名人。
わらわのような美貌でなければ、百戦錬磨のつわものどものリーダーは務まりません。
俺は楊堅。通称 隋の文帝。
自慢の偽善に、儒教徒は、みんなイチコロさ。
ハッタリかまして、中国の統一から律令制まで、何でもそろえてみせるぜ。
よおお待ちどう。俺様こそ王もう。通称 新の王もう(字が出ん)。
聖人のフリは天下一品!
無能?偽善者?だから何。
(ヲイ、ちゃんと「皇帝」と呼べ!)
世祖。通称 永楽大帝。
軍略の天才だ。甥の皇帝でもブン殴ってみせらぁ。
でも殉節の抵抗だけはかんべんな。
俺達は、道理の通らぬ世の中にあえて挑戦する。
頼りになる神出鬼没の、帝位乗っ取り野郎 Aチーム!
乗っ取りをかけたいときは、いつでも言ってくれ。
>227
サンクス。
230 :
開國記念幣 ◆6dwdDny6 :02/06/01 04:50
幼い頃から明眸皓歯で鳴らした私達美人隊は、
国許離れて、後宮にもぐったの。
でも、深窓でくすぶっているような私達じゃないわ。
筋なんか通んなくても男次第でなんでもやってのける命知らず、
不可能を可能にし城も国も傾ける、私達、四大美人Aチーム!
私は、リーダー西施。呉王夫差の女よ。
唆しと顰みの名人。
私のような天才的傾国でなければ百戦錬磨の美人たちのリーダーは務まらないわ。
私は王昭君。漢武の女よ。
自慢のルックスに、匈奴の単于もイチコロよ。
でもハッタリ嫌いだから、一度も御手付きにならなかったの、キー!
お待ちどうさまー。私こそ楊玉環。唐玄宗の女よ。
従兄を出世させる腕は天下一品!
デカパイ?陰毛長い?だから何。
貂蝉。呂布の女よ。
連環の計の天才なの。董卓でもブン殴らせてみせるわ。
でも私だけ創作ってことはかんべんね。
私達は、男中心の世の中にあえて挑戦する。
頼りになる神出鬼没の、四大美人 Aチーム!
骨抜きにしたい男がいたら、いつでも言ってね♪
このスレは、中国史笑劇場になりました。
つか、猫じゃと開國記念幣 がマターリ語り合うスレじゃなかったのか?
シュメールネタを語っておいて、中国史笑劇場にするとは、精神分裂か?
誰も突っ込んでこないので、自分で答えます。「そのとおり」
で、シュメールネタを続けます。
蛇を言った以上、牛を語らねばなりますまい。
まず粗雑な結論を言いますが、シュメールにおいて牡牛は、「神聖だが、人間に劣る」存在。
インダスでは、何げに神聖な存在。
中国では、神聖な「犠牲獣」
日本では、実は中国と同じ。神聖な「犠牲獣」であると。
(これで卒論が書けるかも知れないから、読んどく価値はあるかもよ。)
日本での牛は、鹿であると。
共通点は、2本の角であると。
(角のどこがいいんだ? その辺が争点か? んなきゃ訳ない。
日本史学者は、そんな議論はできない。ほんと、日本史学者はアフォだ。)
角が嬉しいシュメールと、蛇が好きな縄文が、中国の地で会って、龍を発明したと。
ひとつ電波を出して、当分消えます。
ワールドカップ中は、ほとんどカキコミできないと思う。
皆さん、楽しい電波を飛ばしあってください。
二度とくるな
電波説はバカが鬱理想
おこちゃまも読んでくれるのか。
なんか嬉しい。
でも、自分の考えも書けよ。
236 :
名無的発言者:02/06/06 01:57
>ほんと、日本史学者はアフォだ。
こんなこと言われても平気って、本当に日本史学者はアフォなんだ。
文化大革命からの、歴史
4000週間の
ふるい歴史、By、サントリー
238 :
愛新覚羅 傅儀:02/06/06 13:24
恐い・・・恐い・・・
西太后はエホナラと言う部族?西太后について教えてくで!!
シュメールネタだけど、ギルガメッシュ叙事伝を知らない人が多いみたい。
全部書き込むと長いし、要約で書いときます。
「天の牡牛殺し」の冒険でエンキドゥを失ったギルガメッシュは、
「人はなぜ死ななければならないのか?」の疑問に直面し、
伝説の「不老不死の人」を捜す冒険に出発する。
(「大洪水」前の賢人捜しであり、楽園捜しである。)
ウルの人々は皆反対したが、ギルガメッシュの決意は固い。
いくつもの海を乗り越え、女達(男もいるが)の支援を受けて、
伝説の島にたどり着く。
ここで伝説の賢者は、「大洪水」(ノアの箱船伝説そのもの)を語る。
しかし、不老不死については、初めはシラをきる。
やがてギルガメッシュに根負けし、その薬草の在りかを教える。
薬草を手に入れたギルガメッシュは、「ウルの人々にこれを与える事ができる」と喜ぶ。
(自分のための冒険でないことに注意。秦の始皇帝とは正反対の動機である)
しかし、泉で身を清めているすきに、蛇が薬草を食べてしまう。
こうして、「人は必ず死ななければならない」ことが確定した。
ギルガメッシュ叙事伝は、深い哲学書である。
これを真に理解できるのは、やはり日本人であろう。
240 :
名無的発言者:02/06/09 02:04
ついに、ギルガメッシュは、「伝説の楽園」にたどりついた。
天にも届くジッグラドが、目的の地に到着したこと語っていた。
そして、その地の長老に「不老不死」の秘訣を問うた。
ある長老は言った。
「昔、コノハナサクヤヒメ(かぐや姫)が、スメラミコトに、不老不死の薬草を残して身を隠した。
スメラミコトは、「姫と添い遂げられないのなら、不老不死が何になろう」とおっしゃって、富士の頂でこの薬草を焼いてしまわれた。
それ以来、人にして不老不死ということはなくなった。」
また別の長老は言う。
「昔、オオヤマツミの神は、スメラミコトにイワ姫とコノハナサクヤ姫の二人の姫を贈った。
妹のコノハナサクヤ姫は美しく、姉のイワ姫は醜かった。
そこでスメラミコトは、コノハナサクヤ姫を娶り、姉のイワ姫を父のもとに帰した。
オオヤマツミノ神は言った。
「イワ姫を娶れば、スメラミコトは岩のごとく長命であっただろう。
しかし今、コノハナサクヤ姫を娶ったので、その命は、美しくとも短いであろう」
すなわち、人の寿命が短いのは、自ら選び取った結果である。
そのかわり、美しい生き方を選び取る権利を得たのである。
ギルガメッシュは、この「蛇を祀る」奇妙な人たちの答を聞いて、
妙に納得しつつ、やはり「なんか違うな」とも思うのであった。
中国文明とシュメールを含む西方文明の交流については金関丈雄の『木馬と石牛』
とか南方熊楠の『十二支考』を読まれてはいかがでしょう。
電波もまるきりでたらめとは言えないところが分かると思うよ。
ま、ここの電波は半分ネタだと思うが…。
>>238 ヌルハチが海西女真族征服の過程で最後まで抵抗したのがエホナラ(葉赫那拉)氏だったんですね。
切り従えるためにけっこう酷いことやったんじゃなかったかな。
で、愛新覚羅氏を滅ぼすのは葉赫那拉氏って伝説みたいなもんが出来た。
清朝には「葉赫那拉氏とはケコーンするべからず」って不文律があったんじゃなかったかな(出典忘れた)。
西太皇后のエピソードとしては、西太皇后陵へ登る所が階段でなく斜面になってるってのがありますね。
お参りする人は思わず前屈みになっちゃう。
死んでも「わらわに頭を下げよ」ってことですね。
×西太皇后
○西太后
シンガポールで蚤の市覗いてたら「西太后写真集」売ってたよ。
ちっちゃい頃の宣統帝なんかも写ってたと思う。
古ーいアルバムにポジ貼り付けたやつだけど、ポジは黄ばんで無かったから最近焼き増したやつだろうな。
誰が買うのだろう?魔除け用かな?
私はね、明治憲法は、大切な条文が一番先にあったのをみて、
うれしかったんです。
「大日本帝国は、万世一系の天皇これを統治す」
これを、左脳で読むひとは、天皇の専制がはじまった(笑)だとか
支配者や被支配者がいたんだなーー(再笑)
と、読むらしいけど。
これは、当時の外国勢力になんとかせねばならぬ。という、状況を
おりこめば、・・・・・そして、これは、人間の有限の命に対して
最高の元気づけをもたせた条文で、
「安心せよ一世代であろうとも国民個々の努力は、かならす、報わ
れる。なぜなら、これまでどおり日本は永久につづくのだから。ど
の世代に生まれようとこの国の栄光の先端に今、君は立っていて、こ
の先も絶対永久不滅なのだから。
君は、その永遠の中の一瞬にいきているのだぞ、奮起せよ」
と、なるんですよ。
246 :
名無的発言者:02/06/12 19:35
子曰く、我いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや。
死を語ることもできない様では、「教え」の名に値しない。
人は何によって死の恐怖に対抗できるのか?
それに答えない儒教で、人が幸せになることは出来ない。
245=246?
日本人の心の拠り所が天皇陛下ってのはある意味同意できるが、中国人のそれ=儒教ってのは誤り。
儒教は宗教でもなければ、思想哲学と呼べる代物でもありません。
ま、出来の良くない帝王学ってとこですか?
中国人の生き様は現世利益、生まれて死んでそれでおしまい。
ってここは宗教スレでは無いですけど?
248 :
名無的発言者:02/06/13 02:00
>>245 思うのですが、明治時代は日本が無理をしなければならない時代だったのです。
WC予選最終戦のパラグアイと申しましょうか。
カナーリ無理してます。
それは仕方ないのですが、正当化するのは止めましょう。
今の日本には、それだけの余裕があるはずです。
中国を相対化できるのも、日本の実力が必要でしょう。
以上、中国人の幸せを願う発言であると理解してください。
249 :
ろんぎぬす:02/06/13 05:59
近代の日本は天皇抜きには語れないが、
江戸幕府が天皇の権威を対外に出さないで押さえていた初期には、
天皇に関係なく庶民も存在していた。寺請制度だから、仏教だったわけだ。
庶民にも金銭と学問に余裕ができて、お伊勢参りや京で遊ぶ機会ができると、
国学や勤王の考えが芽生えてきた。
開港に行き着く外国の侵略の危機から、
幕藩体制より国民国家にしないと民族の存亡の秋(とき)と、士族連中が思い、
倒幕へと発展した訳だ。
それが明治期の学校制度から始まって、
憲法発布の大正時代の直前の明治にできたと言う訳だ。
万世一系などの思想の成立は明治は明治だが、考える軸は大正時代が基点であろう。
明治45年の間、日清・日露の役など後半だからだ。
教育勅語など結構成立が遅い時期。
中国の思想や朝鮮人について。(断片資料)
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1022247274/259-261
250 :
ろんぎぬす:02/06/13 06:05
日本には、江戸の将軍のいた、幕藩の藩割拠の時期にも、
四柱推命(明代成立)があり、
現在は西日本だと岡山本拠の阿部泰山流が有力。
また道教の神として、藩主の趣味で、
水戸黄門の水戸と長崎に、関帝廟が在ったハズ。
江戸期に、全く現在の中国風が、なかった訳ではない。
251 :
ろんぎぬす:02/06/13 06:08
ちなみに、江戸期の蘭学は、
西の長崎、東の佐倉(千葉で巨人軍の長島監督の出身地)と言われた。
順天堂など有名だ。それが江戸に移った。
そういう意味で、千葉や茨城は結構、先進地域だった。
252 :
名無的発言者:02/06/13 06:28
佐倉ってすげえー田舎だよね。
253 :
ろんぎぬす:02/06/13 20:28
>252 今は確かに京成佐倉もJR佐倉も鄙(ひな)びて木造駅舎で、
風景も田圃の中など田舎だ。
が、江戸の昔は、老中・堀田氏の居城のsる町だった。
堀田氏の佐倉城下の支配は、前堀田と後堀田と支配期が分かれている。
前堀田は、印旛郡のとある名主で熊本出身の佐倉(木下)宗五郎?が、
飢饉中の年貢米強要に反発して、
郡(こおり)奉行(ぶぎょう)の代官への賄賂にも拘わらず、減税してくれず、
度重なる賄賂や強訴でも動いてくれず、思いあまって、
江戸に出て徳川将軍への直訴が禍して、
今の京成本線の宗吾参道あたりで、家族皆処刑される事件を起こした。
前堀田は、宗吾と妻が磔(はりつけ)で、その目の前で子供全員を打ち首にした。
いわゆる「佐倉の義民」佐倉宗五郎の祟りで、
堀田の殿様は報いでか、江戸の殿中で気が狂い、他藩預かりで直系が切腹自殺など、
一時改易になった。
ソレを反省して、傍系の後堀田の殿は、儒学・蘭学を手広く城下の者に勉学させ、
藩内の治世に善政を敷いたという。
254 :
ろんぎぬす:02/06/13 20:29
× が、江戸の昔は、老中・堀田氏の居城のsる町だった。
○ が、江戸の昔は、老中・堀田氏の居城の「あ」る町だった。
255 :
名無的発言者:02/06/13 20:35
佐倉は因習深い。千葉とはかなり違う。
256 :
ろんぎぬす:02/06/13 20:38
仁義礼忠孝と南総里見八犬伝の怨霊や、
佐倉宗吾や平将門の怨霊など、怨霊が得意な千葉だ。が、
安房や上総の里見一族は、戦国時代以前に群馬県から来ており、
上総の武田一族は、甲斐の国の山梨県から、
下総の菊地一族は、肥後の国の熊本県の菊池から来たと言われている。
元来の千葉は、
千葉・馬加(バカでなく、マクワリと読む:今の幕張)が一族の土地。
257 :
名無的発言者:02/06/13 20:43
千葉は平家の一門なんでしょ?
258 :
名無的発言者:02/06/13 20:48
佐倉は東北から江戸に攻め込まれたときの前線にあたる要地なんだよね。
たしか家康の息子の松平忠輝も一時居城としたんじゃないかな。
歴史博物館もあるし古い街なんだよね。あまり縁がないけど。
259 :
ろんぎぬす:02/06/13 20:54
>257 中国の話題から逸れて申し訳ない。
そう平家。神奈川県の藤沢市の村岡に居城のあった、平(村岡)良文の子孫。
この方の兄が、平将門の父である三番目のお兄さんで、征夷大将軍だった。
その後の征夷大将軍が、平国香(一番上野お兄さん)だったはず。
国香の子が貞盛?だったか、栃木・佐野の藤原秀郷と一緒に将門を攻め討ち、
関東に覇を唱えた。関東の佐藤氏は、佐野の藤原氏の傍系という。
かれら良文・国香の兄弟のおじいさんが、高持王?で、
王(王子)のお父さんが桓武天皇な訳だ。だから桓武平家というね。
俗説だが、桓武天皇の后は、高野皇后?とかいい?
先祖が百済だか唐の帰化人だとか?それで朱塗りの平安京を造ったとか?
260 :
名無的発言者:02/06/13 21:01
>>259
そうですか。それにしても千葉城も佐倉城も跡地が非常に小さいですよね。
261 :
ろんぎぬす:02/06/13 21:02
>258
佐倉は東すぎるだろう。関東管領・上杉謙信が南下のおりに、
臼井城(うすい・じょう:現在の佐倉市)を攻めた事があったが、
国府台(こうのだい:現在の江戸川隣接の市川市・京成線の駅アリ)の、
東側面を突かれるのを恐れての出張遠征だった。
東北からの防御戦は、過去に戦(いくさ)のあった試しはないが、
古河(こが)ー館林(たてばやし)間の利根川の北岸ラインだろう。
あと、太田道灌の建てた、埼玉の岩槻城(大宮と春日部(かすかべ)の間)。
この岩槻城は、
豊臣秀吉の小田原攻めの際に、浅野長政の軍勢に攻め落とされたハズ。
北条にとって関東・武蔵の国の最重要の城だった。
あと、上州への街道沿いの川越城。
262 :
ろんぎぬす:02/06/13 21:08
>260 たしかに。掘り割りは、小さい。
千葉城は、亥鼻城(いのはなじょう)で、今は裁判所の向こうの高台にあるが、
実は、千葉一族の内紛で、本家・宗家は室町中期に滅亡して、以降廃城になった。
室町の初期の城だから、館に毛の生えた物で、規模は建てた時代がら小さい。
佐倉城は、あれでも大きい方の城になる。
徳川の家臣の土居氏?が、入城の際に、再縄張りして、
規模を戦国の頃より拡大したはず。
現在の跡地より当時は大きかった様な気がする。
263 :
名無的発言者:02/06/13 21:10
>>261 川越のほうが要害でしょうね。でも千葉には大きな城がないことと、
千葉の北部は平野ばかりだから佐倉を拠点に大軍勢を展開するのが
万が一の伊達侵攻の際の戦略だったって聞きましたよ。
264 :
ろんぎぬす:02/06/13 21:43
>263 ううむ。
徳川家の文書とか関東の俗説を詳しく知らないのだが。
平野というより、印旛沼や手賀沼などの湿地帯なので、攻めても意味ナイ。
要害としては、たしかに川越ではある。が、
奥州街道上では、粕壁(春日部:桐ダンスで有名)なので、
粕壁の東を流れる古利根川の中川から江戸川に抜ける要路としては、
粕壁の西側面の岩槻(日本人形で有名)城だろう。
その先が、江戸川に続く市川の国府台城(こうのだい:現在の里見公園)だ。
そこから、西へ荒川や隅田川を越え、江戸城を包囲する事になる。
岩槻城から軍勢を分岐して、鎌倉街道に向かい、多摩の府中の分倍河原に抜け、
鎌倉末期の新田義貞の分倍河原合戦と同じ事になる。
そのまま、武蔵野を東に直進すれば、江戸城に至る。
265 :
ろんぎぬす:02/06/13 21:51
岩槻城(埼玉)・国府台城(千葉)・江戸城(東京)が、
太田道灌の築城であった理由が、以上のカキコから納得がいくかと思う。
266 :
ろんぎぬす:02/06/13 21:55
実際には、川越−朝霞−府中の鎌倉街道までは、岩槻から大宮・浦和を越え、
現在の武蔵野線を物差しにして見ても、相当な距離があるが。
267 :
名無的発言者:02/06/13 22:02
>>264-265 そうですね。岩槻や分倍河原の西部戦線はさておき、国府台では
江戸城にあまりにも近すぎるでしょう。佐倉の西側習志野方面は
湿地地帯ではないですよ。明治天皇が陸軍の練習地に適している
からそう命名されたことからもわかるように。
佐倉から西北の古河方面に向かう長い戦線を引こうとしたんじゃ
ないですかね。
268 :
ろんぎぬす:02/06/13 22:07
北条の合戦と言えば、
小田原の北条勢(1千騎?)の古河公方?(関東の室町将軍の4万騎)への、
川越の夜襲が有名なので、武蔵では川越城が重要に思うが?
東関東では、里見氏と北条氏が江戸川を挟んで戦った三会戦あったらしい?
国府台合戦が有名で、
北条の軍勢は、小田原の本陣の他に江戸勢と岩槻勢の3軍勢であった。
新書版くらいのが出ている、関東古戦録だかいう本にあった話だったと思う。
戦国時代の合戦に関しては、孫子の兵法がのる場合がある。
風林火山の武田信玄の軍勢の話は有名。
特に徳川と武田の三方が原合戦で、武田勢の魚鱗の陣 対 徳川勢の鶴翼の陣。
269 :
名無的発言者:02/06/13 22:10
これは新手の荒らし?
>>269 そうでしたね。これは中国の歴史についてのスレッドでした。
スミマセン。
271 :
ろんぎぬす:02/06/13 22:22
>267
確かに、習志野丘陵は湿地帯でなく、
源頼朝に従う関東御家人が、巻き返しで、
安房から下総から武蔵・相模と向かう途上、
休息をとったのは幕張や習志野です。
陸軍演習というより、あそこは騎兵隊の駐屯地です。
演習といっても、鉄道連隊の鉄道線の保線区訓練と機関車の訓練です。
騎兵や戦車の演習は、東金や八街方面で行っています。
昭和頃には、騎兵隊に変わって戦車隊の駐屯地にかわり、
今では千葉工大(鉄道連隊)・日大・東邦大(戦車隊)の敷地に変わりました。
古河−佐倉間では、兵站が伸びきっているし、習志野に大軍を置いても、
背後の佐倉も押さえないと安全でなく駐留に困ります。
川が4つも5つも江戸城と国府台城に跨っていると、
国府台が江戸に近くても、江戸から見て川が相当な障壁なのです。
渡河戦は消耗が激しく、敵と近距離でも、退却の利かない一種の死地です。
そのため葛西一族が、江戸や葛飾一帯が本貫地(本領)であるにも拘わらず、
守るに補給ができずに難しく、攻めるに渡河が面倒で利のない土地で、
米の大収穫のない貧地で、奥州の平泉の分領の葛西領に引っ込んだ訳です。
272 :
ろんぎぬす:02/06/13 22:25
273 :
名無的発言者:02/06/13 22:34
>>271 なるほど、ひとつ勉強になりもうした。いつかそっちにも遊びに行きます。
274 :
名無的発言者:02/06/13 23:43
質問!隋代以降皇帝の尊号が何々帝から、何々宗皇帝と大きく
変化していると思うのですが、なぜでせう?教えて下され
何宗は皇帝号とは違うのではないでしょうか?(例、洪武帝)
276 :
名無的発言者:02/06/14 00:03
すいません、文が足りなかったです。
たとえば漢代や晋代では高祖武帝だと桓帝だとか質帝だとかいうじゃない
ですか?それが唐代や清代だと玄宗皇帝とか微宗皇帝とかに表記が変化し
ている。それはなぜでしょうか?という質問でした
>>276 〜帝を諡号(しごう)、〜祖、〜宗を廟号(びょうごう)って言います。
【諡号】ってのは生前の行いによって死後に贈られる称号、所謂「おくりな」ですね。
例えば「あの皇帝はええ人じゃった」だと「文帝」になったり、「あーあ、御家潰しやがったよ」だと「廃帝」になったりする訳です。
【廟号】ってのは天子の霊を宗廟に祀る際につける尊号です。
宗廟を守るのは家長の勤めであり、新皇帝は宗廟に御参りすることで正統性を示す訳です。
だもんで廃帝には廟号無いですね、祀ってくれる次の天子が居ねぇんだから。
王朝を打ち建てた人つまり「高祖」以外の皇帝は諡号で呼ぶ訳ですが、李世民からは「太宗」って具合に廟号で呼んでますね。
(因みに李世民の諡号は文皇です。)
これは何故かと言う御質問ですが、実は漏れも知らんです。ガハハハハ〜、スマソ。
はて何でじゃろ?李世民の事だから仏教(三蔵法師)と関連有りかな?
ついでに、唐以前は諡号、唐〜元は廟号で呼んでますが、明と清は元号で呼んでますね。
例えば元号が康煕ならば康煕帝って具合に。
278 :
名無的発言者:02/06/14 10:08
276です。ありがとうございました。
大変よくわかりました。そっか廟号だったんですな。ごっちゃになっておりました。
しかーし!そこでもうひとつ質問!!
元号って何?
無学ですんましぇん。教えてくだされい!
>>278 すんません、どーも表現悪くて混乱させた見たいですね。
元号って例の年に付ける名前です。
中国だと漢武帝の「建元」〜ラストエンペラーの「宣統」、日本だと「大化」〜「平成」(こちらはまだ続きます)ってあれですね。
通常皇帝の即位で元号を改める訳ですが、悪い事有ったり善い事有ったりしても改元する訳で、中には在位中に10回も20回も改元した変な皇帝も居ました。
ところが明太宗はこれを一世一元に改めた。
ついでに生前の業績によって決められていた諡号に元号を用いるようになりました。
明太宗の元号は「洪武」だから諡号は「洪武帝」って具合ですね。
ま、一種の簡素化ってか標準化ってことかな?
日本も明治以降これに倣っています。
2点修正します。
>>277 >李世民の事だから仏教(三蔵法師)と関連有りかな?
仏教とは関連有りませんでした。
武則天の時に「上尊号」という制度ができ、それまで1〜2文字だった謚号が非常に長くなったので唐代からは短い廟号で呼ぶようになったらしいです。
つまり長ったらしい謚号で呼ぶのがめんどくせーから。
詳しくはこちらをどうぞ。
↓
http://www.toride.com/~fengchu/sigou/sigou00.html >>279 >明太宗の元号は「洪武」だから諡号は「洪武帝」って具合ですね。
明、清は「元号+帝」が諡号と思ってましたが、それは単なる呼称で諡号は別でした。
では謚号→廟号ときて何故明代からは元号で呼ぶようになったのか?
一世一元になって「元号+帝」で呼ぶのが分かり易くて都合がいいからでしょう。
何か深い意味があるのかと思いましたが「めんどくせー」とか「都合がいい」ってことだったんですね。
281 :
名無的発言者:02/06/14 20:53
278っす度々ありがとうございました
マジでサンキュウでした。
ロンギヌスさんよ、スレ違いのカキコはチョト迷惑だ。
宗教板は、今日見た。
面白いかもしれない。
ここまでのカキコで分かってくれるかと思うが、
オレは宗教を重視している。
ちなみにオレは浄土真宗(親鸞上人)こそ最高と信じる。
菩提寺は浄土宗(法然上人系)だ。別に不満はない。
283 :
名無的発言者:02/06/20 01:05
ワールドカップ、負けて、初めてその意味が分かるのかもしれない。
あの虚脱感は何なんだろう?
フランス、ポルトガル、イタリア、アルゼンチン、皆その感情を味わっている。
今必要なのは凱旋行進曲ではなく、「癒しの歌」であろう。
勝者を称える中華文明は、癒しの歌を歌えない。
敗者を慰める「癒しの歌」を歌えるのは、日本人であろう。
やはり、21世紀を支えるのは日本文明である。
中国人は、日本のじゃまをしないでくれ!
勝負事の世界では、「癒し」は時として有害。日本隊に必要なのは「悔しさ」だ!
285 :
ろんぎぬす:02/06/20 05:56
286 :
名無的発言者:02/06/22 01:13
>284
違うね。「悔しさ」が力になるのは、20台前半まで。
それ以降は、「癒し」の力の大きさが分かってくる。
「負けてもいいよ」
この一言が言えるかどうか。
日本は、遙か昔に言える段階に達していた。
中国、韓国がそのレベルに達するのは、いつの日?
287 :
ろんぎぬす:02/06/22 10:37
>238 :愛新覚羅 傅儀 :02/06/06 13:24
>西太后はエホナラと言う部族?西太后について教えてくで!!
西太后のHPなど検索して見てチョ。
葉「赤赤」那拉(エホナラ)氏族は、満州に満州族が居た頃に、
後の皇帝家から火刑され恨んで死んだ者の居た満州族の一氏族。「」は一文字。
自分の妹の子を取り上げて自分の亡き子供の皇帝の後釜にした光緒帝という子に、
「お父様(オトーサマ)とお呼び」と躾(しつ)けた変なオバサンでした。
288 :
ろんぎぬす:02/06/22 10:39
>286 :名無的発言者 :02/06/22 01:13
勝負事の世界は、阿修羅の心境。
「悔しさ」は創価学会が得意だ。いくらでも嫌がらせをしてくるし、
日本の団体で見栄の獲得なら彼らが一番だ。
自分の生活で「癒し」なら日本茶・ウーロン茶・アメリカンコーヒー。
キムチを食うと「悔しさ」から復讐心が強くなるし、
高麗人参茶などジンセンアップ100など意味の違う夜の元気だ。
中国の上流階級は特に「悔しく」は無いだろう。
文化大革命の頃と違って、共産党の幹部と地元有力者さえ怒らせなければ、
海外に出れる、外国語は話しても安全、パソコンもテレビも買える。
今は豊かになったし、互いに旅行も留学も出来るし。
個人間とか家の間での内紛で外に目を逸らすのに使われるだけだと思うが。
中国人だけと思わないが、漢字文化圏的発想なら、
「負けてもいいよ」というのは一種の、
肉を切らせて骨を断つ。とか、実を取り名を捨てる。事だと思うし、
反対に、名を取り実を捨てる。のは良くある事だ。
先に肩書きを貰って(名を取って)から一儲けっていうので過渡的処置だが。
つまり地獄の沙汰も金次第。
でも、見栄でアメリカのビルを買って名を得て、
実は資金繰りに詰まって手放して損してみる。とか、
カトリックに寄付するが、ノーベル平和賞が貰えない。とか無駄骨もあるが。
なんでも、紅包(ホンパオ)?でしたか?
派手な金色文字や金色絵柄に赤い大きい封筒(または、
周囲に見えないようポケットにすぐ入る小さい場合もある。)に、
何か有意義な物を入れて、相手のお世話になる「挨拶」の一種ですよ。
あちらの生活で威力を発揮するのって。中華風熨斗(のし)ですよね。
中身の多少や内容によって、威力や用途範囲が決まってくるとか。
相手が思ったより多いと感じればタカラレルし、少ないと無礼なので身が危ない。
それに実弾ではなくチケットとか手形や株券など用途による。
相手がドーユー風に今何が欲しいかによって、許可を与える気分が違ってくるからな。
時と場合により(今時分は当局の取締りが厳しいとか、
当局のお偉さんが異動で我先に挨拶が始まったとか)、
重用か死刑かに生死が分かれるので、実に怖いのだが。
貧乏な庶民生活の大勢に影響ない挨拶です。
兵隊が何人死のうが西部戦線異状なし。
289 :
ろんぎぬす:02/06/22 12:32
>282 :猫じゃ :02/06/19 02:17
>ロンギヌスさんよ、スレ違いのカキコはチョト迷惑だ。
了解。ただ中国文化に関する脱線については赦して欲しい。
290 :
ろんぎぬす:02/06/22 13:09
>238 :愛新覚羅 傅儀 :02/06/06 13:24
>西太后はエホナラと言う部族?西太后について教えてくで!!
287にも書いたが、
>>242 すでに解説がある。
291 :
ろんぎぬす:02/06/22 13:15
>284対286サンで、
中国というか蛇頭と麻雀以外は、朝鮮・韓国なのだが。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1022247274/399 >383
ヨーロッパ・ラテンアメリカ・アジアで、カトリック圏なら、
ピエタ(十字架からイエスを降ろして遺体を抱いて嘆く聖母マリヤ)のテーマで、
「癒し」に通じるものがあるかも?
日本には敗者の源義経への判官贔屓といった例がある。
当局や有力者に負けた庶民の憂さ晴らしは「落語」と、
「ボクシング観戦」で笑って仕返しする。
「勝負事」「癒し」「負けてもいいよ」と外れるが「神懸かり」について。
中国で神懸かりはタンキーですよね。ムンマイは女性霊媒が多いようですけど?
タンキーは関帝廟の霊媒だそうで、廟が出来始める宋代以降のようですね。
ムンマイは何時頃からだろうか?占ボクは戦国の昔からのようですが?
判官贔屓の古来の日本は、
牛若丸や天草四郎などの男の子が、神懸かりになり威力を発揮した。
ジャンヌ・ダルクとか、一地方のオルレアンから、
おフランスな女の子が神懸かりで土地の者の為に戦ったのではない。
>>286 >「負けてもいいよ」
>この一言が言えるかどうか。
むろん、それこそが「成熟」の証であり円熟した「大人」の態度であろう。
だから、W杯などのスポーツを一種の文化的イベント、
つまり「お祭り」と見るのであれば、それでいい。
現在の日本国民はそういうふうに楽しめる精神風土をもっており、
いまや成熟した文化をもつ国民になったともいえよう。
五輪の「参加することに意義がある」にも通じる精神である。
だが、国際的に見た場合、このような「大人」文化は極めて稀だ。
韓国に負けた途端、アジア蔑視を露わにしたイタリアを見よ。
サッカーを反米と結びつけるメキシコを見よ。
快進撃を続ける韓国国民のサッカー熱はウザイが、実はアレこそが世界標準。
「勝つ」ことに一番の意義を見出すのであれば、「癒し」は有害だ。
実際、日本は負け、韓国は勝った。
その事実を直視できなければ、次のW杯は日本に栄光はない。
※ちなみに、漏れは「勝つ」ことに一番の意義を見出す者ではない。蛇足だが。
おす。質問っす古来、皇帝の呼称は「陛下」。
皇太子や皇弟の皇族は殿下。
じゃあ、帝に仕えながら、王に封じられた人の呼称は?
なんかの小説で「千歳」とか言ってたけど、なんかうさんくさいので
どなたか教えてくだされい!!
>>293 敬称と祝詞がごっちゃになってますね。
この場合の王の敬称は「殿下」で良いのでは?
陛下:皇帝、皇后、太皇太后、皇太后
殿下:皇室、王室一族
閣下:爵位保持者
(間違ってたら誰か直してちょ)
「万歳」は皇帝専用の祝詞で、「千歳」は皇室、王室一族用、一般庶民は「百歳」と寿ぐ。
明代に魏忠賢って言う最高にのぼせ上がった宦官がいて、自分の事を「九千歳」と称えさせた。
あと、「毛主席万歳!」って言うとこみると彼も皇帝ってことでしょう???
295 :
名無的発言者:02/06/25 00:42
んーと、呼称は律令の研究者に任せるのが吉かと。
こういう事は、何となく処理するのが日本。
どこまでも理屈をつけるのが中国。
どっちが本当に知恵のある態度なのか?
現実主義やプラグマティズムが必ずしも“賢い”とは限るまい。
いろいろ理屈つけたりこねたりするほうが文化的ともいえる。
293っす。ありがとう御座いました。
う〜んでもいまいちピントこないっす(すんません(汗
皇族で王に封じられればわかるンですが・・
臣下の身から王に封じられても「殿下」なのでしょうか?
299 :
名無的発言者:02/06/27 02:22
えと、ネットで歴史を知ろうというのはチト横着です。
internetでは、異見(電波)を出したり読んだりが正道。
(そんなことに賛成するのはオレだけかも)ageついでに一言。
300 :
名無的発言者:02/06/27 02:27
m
301 :
名無的発言者:02/06/28 23:42
甲骨文字はシュメール文字(楔形文字ではなく、象形文字の方)の伝播ということですね。
反論がないようですが?
302 :
名無的発言者:02/07/02 00:31
↑誤爆?
303 :
名無的発言者:02/07/03 00:25
龍間古城ってどうよ。
メソポミヤからの伝播って?
304 :
名無的発言者:02/07/03 00:45
子曰く
我いまだ生を知らず。
いずくんぞ死を死らんや。
死を語ることのできない思想家は、二流以下である。
そんな奴を尊敬する連中のレベルを論ずること自体恥ずかしい。
結局中華文明とは、日本に対する劣等感を誤魔化す以上の意味を持っているのか?
ヲイ、誇りある中国人がいるなら、何か書けよ。
死を語って何かを語った気になってる思想家は三流以下だな(藁
いん しゅう しゅんじゅうせんごく・・・って順番に覚え
させられたっけ。
307 :
名無的発言者:02/07/03 01:11
>305
お前のレベルが、中国人のレベルと考えて良いのか?
恥ずかしくないか?
308 :
名無的発言者:02/07/03 01:20
中国人って、誇りがないのか?
歴史に関する書き込みに対して、マトモな反論をした例がない。
「こいつら歴史を知らないぞ」と、大声で叫びたくなる。
309 :
名無的発言者:02/07/03 02:20
age
310 :
名無的発言者:02/07/04 02:23
甲骨文字を作ったのは、殷の高宗といわれる。
事実、彼の時代に完成された形で出現する。
これ、普通「どこから伝わったんだろう?」と考えない?
311 :
名無的発言者:02/07/05 02:42
とりあえずageとく。
おす。質問っす。今宋代について、調べているのですが、宋代の正史って、日本語訳ででている本てありますでしょうか?おしえてくださいませ。(十八史略は持ってます。
313 :
名無的発言者:02/07/21 21:15
age
314 :
池 大舜(池田瞬作):02/07/26 20:51
Q. 進駐軍には、着物で日本舞踊を踊って見せて慰安する。
という事だったが・・・。
終戦直後の日本女性の性的被害が5万とも何万とも、
東京のGHQに伝えられた。
A. 当時の「慰安」とは、日本女性が、
慰問袋から手織りの布飾りなど兵士一人一人に渡して、
日本舞踊や学校唱歌や漫才で、
前線の日本兵士を、楽しませ笑わせる事を、意味した。
「従軍」記者や、
前線の「慰安」訪問の略語で、慰問という言葉があり、
慰安所の売春婦から、「従軍+慰安+婦」という「造語」を、
戦後のサヨクが作ったので、次の世代に誤解が広まった。
当時の敵方では、
支那の国府軍(蒋介石の軍)や、
市民や農民に成りすました逃亡兵(便衣隊)、
共匪(きょうひ・共産主義の盗賊)と呼ばれた、
八路軍(毛沢東の軍)の中に、
女性兵士(胡弓や太鼓やドラの音楽で前線の兵士を励ます
女性演奏家)が居た。
女性兵士と歴史書にあっても、
必ずしも「武器を持った女性」とは限らない。
朝鮮では、借金のカタに娘を売り、その身売りで売春婦になっていた。
それを、韓国側は拉致連行で「従軍慰安婦」とカタって、
日本に賠償金を求めた。
慰安所の売春婦には、
中国人(比率1円)も日本人(比率1.5円)もいたが、
賠償や謝罪を求めたのは韓国(比率0・5円)だけであった。
台湾の場合も「従軍慰安婦」の起訴はあったが、
兵士による直接の拉致強姦によるもので、
朝鮮人の借金が原因なのを、中国人の拉致に摩り替えて、
謝罪を求めた例はない。
策士は策に破れ、老子は無為にして、平安を得る。
316 :
名無的発言者:02/07/26 23:31
3 :トルファン ◆egRh9IgQ :02/03/30 13:58
それをいうなら、ちょんまげ・つきさやの意図もわからんなあ。
それを言うなら月代(さかやき)だろ?
馬鹿!
>>314 常識というものがある。
男ばかりの「軍隊」というものがあれば、
女の反応はどうなったのか?
フェミニストは嘘ばっか、そういう常識もあるのでは?
何といっても、宋代の徽宗皇帝だとね、中国最高の青磁、白磁を完成させ、水墨画もすごい物が出てる、徽宗の書のすごい物を残してる。
中国の歴史で面白いのは、南宋、北宋まで。
唐の則天武后と玄宗皇帝と高力士の宦官、そして楊貴妃、詩仙と言われた、李白
そして友人の杜甫、阿倍仲麻呂、白楽天、この辺りから唐が崩壊して行く次期は
とてもエキサイトな時代だね。
多ん之からの半世紀は、
アメリカと言うよりユダヤと華僑とEUの三国志の様相を見せると思われ。印僑は徹底した個人主義だから、
集団の力は行使出来ないが、そのハザマで、
今でも架橋から怖がられてる存在に成ってるが、之からも余り目立たなく、途轍もない金儲けをしるとおもわれ。
320 :
クマのプー太郎:02/07/27 05:19
>317
いや、満州や朝鮮でのソ連軍の強姦の凄さは、
ドイツの悲惨さほどでないと言われている。
ソ連軍がきた夏だか言う本が言うには、
エルベ側から東の(つまりソ連軍侵攻地域の全ての)ドイツ人女性は、
皆、強姦されたと言われている。
本の表現は、エルベ川から東でソ連兵の暴行を受けなかった女性は一人も居なかった。
年齢は4歳から70歳まですべてと言う。
つまりドイツ人だけでなく、ドイツ人に協力したカドで、
ソ連兵は女と見れば狂ったように襲い掛かり、
ポーランド人もルーマニア人もハンガリー人も暴行を受けたともいわれている。
ロシア語を生活言語にしなかった女性全てが、ソ連兵の餌食になったという表現。
戦後のドイツや東欧の難民が、おおよそ50万から100万というのだから、
女性が男性の半数とすれば、被害者の数は25万から50万。
そのソ連軍のロシア語兵士がドイツからアジアに転戦してきて、
満州や朝鮮に遣って来て、強姦虐殺しまくった。
ソ連兵の東欧の町全ての50万人の強姦にくらべれば、
南京事件の南京の町全ての3万人と言う数字も出鱈目っぽく(そんなに居ないと思う、
被害は3千人もいないだろう)
ユダヤ人の絶滅収容所が多数あった東欧の死んだ霊魂が、生きている奴に乗り移り、
東欧の女性すべてにロシア人のチンポコによって災いが降りかかったって感じだ。
ぜんぜん日本や韓国の世間様には、東欧の女性の被害は、
知られていないし話題になってない。
オランダ女性やインドネシア女性の被害の非難が、
日本に対して上がっているのにだ。へんなの。
自分等の被害は述べないで、反省する民族と言うのも。
あぼーん
322 :
デンパダス:02/07/27 06:51
323 :
ろんぎぬす:02/07/27 08:13
325 :
名無的発言者:02/07/30 00:33
>へんなの。
>自分等の被害は述べないで、反省する民族と言うのも。
変じゃないよ。彼らは彼ら。
もし、同じ行為があったなら、それはそれで糾弾しなきゃ。
で、本当にあったの? という話でしょう。
(人は、他人の行為を、自分の心を元に、判断するのです)
★★★ 韓国製PCソーテックSOTECでの漢字変換の異状 ★★★
ソーテックはMS−DOSプロンプトありで、日本電気系らしいが、
プリ・インストールの Microsoft IME 2000は、
「聖教」を「しょうぎょう」から、変換させない。
「関羽」を「かんう:KANNU」から、変換させない。
「せいきょう」「換羽」といった、
一般の「日本人には、意味をなさない」漢字変換を持たせている。
日本のマイクロソフト社の日本語辞書機能の担当者は、日本向けなのに、
「朝鮮」の行政単位「面」から組織長名に「万”面”長」を命名や、
「仏教」の読みをマトモに出来ない、
「マカはんにゃ」でなく「バカばんじゃく」読みの漢字変換機能を持たせて、
††† 創価学会 ††† 関係と見られる嫌がらせに屈しており、
韓国・朝鮮の人名、
ちょんどふぁん→全斗煥、のてう→盧泰愚、きむでじゅん→金大中、
きむじょんいる→金正日、きむいるそん→金日成、
きむ→金、ら→羅、ぱく→朴、などは、変換できるように仕向け、
「韓国・朝鮮」の読みは出来るが、
「日本」の信仰の日蓮宗・法華宗や
「中国」の信仰の関帝廟など道教に恨みを持っているかのように、
「日本の漢字文化」「三国志の人物の読み」「日本の仏教の読み」を、
あきらかに破壊している。
328 :
名無的発言者:02/08/01 03:28
古事記と聞くと乞食を思い出す。
329 :
名無的発言者:02/08/01 13:51
チョン芯で!
330 :
名無的発言者:02/08/04 01:06
age
331 :
名無的発言者:02/08/04 23:17
>>326 そうだな。
しょうぎょう→聖教ができないことを怒っているようだが、
あんじん→安心
じんぐう皇后→神功皇后
の変換もできない。
かなり、フザケタ状況にあるな。
332 :
名無的発言者:02/08/04 23:23
ATOKも似たようなモンだよ。
333 :
名無的発言者:02/08/11 00:36
【荒らし】中国の歴史をマターリ語ることは不可能なのか?【捏造】
中国の歴史を語ろうとすると、必ずといっていいほど荒らしが入るのはなぜ?
中国人は、自らの歴史を見つめたくないのか?
たぶん、そうなんだろう。
「あまりに、惨めだ」
334 :
名無的発言者:02/08/11 00:39
↑フィーバーしてた?
335 :
名無的発言者:02/08/12 01:46
ここは、学問板だろ?
歴史を語ってはまずいのか?
何を語ろう? とりあえず、
万国のオタクよ、結集せよ!
337 :
名無しさん@1周年:02/08/12 23:09
338 :
国士無双の韓信:02/08/12 23:35
平家にあらずんば人にあらず
↑
「劉氏にあらずんば王たるを得ず」
これが元ネタ。
339 :
名無的発言者:02/08/12 23:40
意味、違うじゃん。
アタマ悪いとまた殺されるぞ>韓信
340 :
国士無双の韓信:02/08/12 23:47
意味同じですが・・・・
中国人は自分の都合のよいように歴史を書き、
都合の悪いことは無視したり歪曲して、
都合のよいことであれば積極的に捏造もしてきた。
彼らにも自分の国の「歴史」は分からなくなっているのでは
あの国には「歴史を書く」文化と伝統はあっても
歴史を「研究する」ことには慣れていないからな。
意味っつーか、、、、、
平家にあらずんば人にあらず ←これは平家批判だが
劉氏にあらずんば王たるを得ず ←これは劉邦の遺訓であり批判的意味はない
と思ったんだが、まぁ、どうでもイイや。
343 :
国士無双の韓信:02/08/13 07:06
>>342 勉強になりましたよ。そこまでの意味は、正直、知らなかったものでねえ・・
劉邦の遺訓と言うと、呂氏に対抗するためなのかな?
344 :
名無的発言者:02/08/22 01:57
>劉邦の遺訓と言うと、呂氏に対抗するためなのかな?
単純に後世の捏造でそ。
こんなの信じてどうすんの?
345 :
名無的発言者:02/08/30 02:32
ageてみる
>>342-344 「劉氏にあらずんば王たるを得ず」の出典は知らないけど、『史記・呂太后本記』
にそれにほぼ近い意味の記述が有ります。
王陵曰:高帝刑白馬盟曰‘非劉氏而王,天下共撃之’。今王呂氏,非約也。
高祖の死後「呂氏の王を立てたいのん」とのたまう呂后に対し、右丞相王陵は「旦
那は白馬の誓いで『劉氏でねぇのに王なんて奴ぁはみんなでやっちまおうぜ!』っ
つったんだよ、ゴルァ!」って反発します。
自分で立てた劉氏以外の王を次々と粛清していった劉邦も、まさか自分のカミさん
が簒奪やらかすとは読めてなかったんじゃないかなぁ...
347 :
開國記念幣 ◆6dwdDny6 :02/09/25 21:51
>>346 自分でレス付けるのも何だけど、流石の元祖(?)ダルマ職人・呂后も王陵に
だけは頭が上がらなかったんじゃないかなぁ?
なんせ高祖は彼の舎弟だった訳だから。
しかしまぁ、ヤクザ者やら蛮族の酋長やらが天下盗っちゃうってのが中国の
歴史の醍醐味、ワクワクしますなぁ。
腐れ儒者はそれを態々正当化し(易姓革命)、皇帝は天子であるなどとのたま
う訳だけど、んな事本気にする香具師は一人も居ねぇてぇの。
一番「儒」から程遠い存在が各王朝の創設者なんだから。
兎も角、豊臣秀吉の落胤説みたいな戯けた事を、系統学問的にやってんの
が中国の「儒」って事だね。
348 :
名無的発言者:02/10/13 15:30
>>342 >平家にあらずんば人にあらず ←これは平家批判だが
ほんまけ?
漏れは平家の人間がそーゆっておごってるのを漫画日本史で見たが。
349 :
名無しさん@1周年:02/10/20 15:25
>347 嫌な事思い出したのだが。。。
思うのだが、前漢(西漢)の呂后の騒ぎ 第一夫人(妾の第一番)と正夫人(本妻)の確執は、
清王朝のカンポウ帝の西太后(ジキ夫人)・東太后(正室?)なみなのか?
ダルマ殺しブタ人間(ジンテイ)呼ばわりって、日本兵が戦時中や終戦直後に残忍な殺され方で、
別件の1、中国、稜遅刑(画像は出回っている)と同じわけか?
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1029856057/5 確か清王朝末期の写真集だかで、青龍刀だかで切り落としていく写真があった。
ぱっと見で印象に残ったのは、女性が上半身裸で柱に後ろ手に縛られて、
周囲に辮髪の野次馬が数人映っていて、
処刑される女性は おっぱいを切り落とされ胸が血まみれで膨らみがなく、
口が大きく開いて絶叫の状態で、
処刑人の青龍刀は肩や腕の肉を削ごうとした瞬間の図であった。
たぶん、肩、足、女性の場合胸、腹、腕・足切り落とし、
最後に打ち首だとか手順があるんだそうだ。
中国酷吏史だか似た名前の本にも同名の刑罰名があったが殺し方が違っていた。
南北朝時代から隋唐時代の処刑についての記述らしいが、
網でキツク縛った囚人の剥き出た肉を切り落として、
一次剥き出しの肉を斬り終わると、更にキツク縛って肉を剥き出させ、
更に斬ると言った風に、出血多量か絶命の急所の殺ぎ落としまで、
斬り殺し続けるという最悪のもの。
この刑を執行する囚人の家族に処刑執行人が最後の面会で、
賄賂によっては、長いこと苦しまず心臓を一刺しの後で、処刑したように見せかけるのでもよいぞ。
という取引があったという。まさに地獄の沙汰も金次第。挨拶も銭付きですな。
お金がないと大変な事になる、とにかく気違いじみた処刑狂いの歴史ある国だ。
350
351 :
名無的発言者:02/11/01 02:02
352 :
名無的発言者:02/11/02 01:32
353 :
名無的発言者:02/11/02 03:26
日本軍が赤ん坊を銃剣で串刺ししたなんて言われるけど、
むしろ中華的残虐さだ。
354 :
名無的発言者:02/11/02 21:45
355 :
偽善自虐者たちの実態:02/11/02 23:20
356 :
偽善自虐者たちの実態:02/11/02 23:23
357 :
名無的発言者:02/11/05 02:57
sa-ge
sage
(^^)
361 :
名無的発言者:03/02/04 15:59
最近はここまともな議論してないのか?さびしいね
363 :
開國紀念幣 ◆qV6dwdDny6 :03/02/05 23:23
先日『清史』の編纂が始まるとのニュースが有りました。
(『清史稿』が有るから正確には再編纂かな?)
是非とも「崔杼弑君」の故事の精神で立派な史書を編纂して欲しいですね。
http://j.people.ne.jp/2003/01/29/jp20030129_25655.html えと、「崔杼弑君」についてちょこっと解説しときますと、斉の大夫・崔杼は主であ
る荘公に嫁さん寝取られちゃったんですね。
これ中国では「王八蛋」とか「戴緑帽子」とか言って死ぬほどカコワルーなんすよ。
んで怒り狂った崔杼はBC548年荘公を殺しちゃう訳ですが、ここまではどこに
でも転がってる只の痴話ですね。
で、斉の太史(歴史記録官)はこの事件をどう記録したかってぇと、「荘公の六年
夏五月、崔杼が其の君を弑す」ってまんま書いちゃった!
ホントの事書かれて怒った崔杼はその太史を殺すんですな、ところがその太史
の弟が太史になってまた同じ事書いた。
で、また殺す、そのまた弟が太史になってまた同じ事書く...永久ループでん
がな!!
一方それを伝え聞いた各地方の太史達は、都の太史がホントの事書こうとして
兄弟皆殺しになったってんで、「よし、次は漏れが書く番だ!」って皆竹簡背負っ
て続々と都を目指すんですよ。
ところが都に着くと、末の弟が生き残っててちゃんと記録した(崔杼もついに諦め
たんすね)って話を聞いて、安心して引き上げてったとのことです。
歴史に名が残ることもなかったけど、文字通り命がけでその歴史っちゅうもんを
記録し続けてきた素晴らしき野郎どもが居たってことですね。
歴史読むときは編纂者に目が行き勝ちですが、彼ら記録官達の存在を頭の隅
に置いて読みたいと思っとります。 (つづく)
364 :
開國紀念幣 ◆qV6dwdDny6 :03/02/05 23:27
引き換え、自分の都合で歴史の歪曲、捏造、抹消を試みるクズどもは後を絶ち
ません。
それでなくても人間の書く物だから多少の感情移入は避けられないでしょう。
ホントはそんな努力したかないんだけど、歴史読むときは何が真で何が偽か醒
めた目で見ろってことですね。
ま、偽を正すってのが史学の存在理由の一つでもあるんだろうけど、漏れの様
に純朴な香具師にはとても出来ることではおまへんなぁ...
ヒロユキじゃないけど「嘘は嘘と見抜ける人でないと(歴史を読むのは)難しい」っ
てか?
そもそも中国の史書ってのは変な感情が入らないように前時代の熱が冷めてか
ら書かれるってのが慣わしだそうで。
んで、元朝から明朝に代わってすぐに書かれた『元史』は悪い史書の見本だそう
です(by 陳舜臣)。
ま、それからいくと『清史』はそろそろ、『中華民国史』はまだまだ(隣の島国との)
熱冷め遣らぬからダメって感じでしょうか?
しかし死ぬ迄に読んで見てぇな、『中華民国史・献帝(蒋介石)本紀・丁丑年十二
月』辺り。(藁
「正史」はいかに書かれてきたか
は、あじあブックスのスマッシュヒット
366 :
まずはコレで勉強しろ:03/02/06 05:49
367 :
名無的発言者:03/03/02 03:47
>>364 蒋介石は禅譲したわけじゃないんだから「献帝」はないだろ。
(^^)
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
∧_∧
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=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
山崎対策、保全sage
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
?水の戦い
?水の戦い
帝<RUBY><RB>??</RB><RP>(</RP><RT>せんぎょく</RT><RP>)</RP></RUBY>高陽者黄帝之孫而昌意之子也。
中国史に詳しい方々に質問なのですが
初心者が読んで中国史の流れが判る本ってありませんか?
日本史の山川みたいな教科書でもいいです。
「三国志演義」を読んだり、香港・中国映画を観ていても歴史背景が判らないので
面白さが半減している気がするのです。スレ違いならゴメンナサイ
>>378 陳舜臣「中国の歴史1〜7」(講談社文庫)
これだけで「諸葛孔明が尊敬する樂毅や管仲とはどんな香具師だ?」とかってレベルなら大体分っちゃいます。
でも楽屋落ちみたいなレベルまで分って楽しめるとなると史書に首突っ込むしかないかも。
例えば「悪来の生まれ変わり典韋」って言われても「じゃあ悪来って誰?」となると「史記」の「五帝本紀」、「殷本紀」、「秦本紀」読んでやっと「ああナルホド!」となります。
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
>>379 さっそくセット買いしてしまいました。
巻数が少ないと思ったら一冊が分厚いんですね(wでも、文章が読みやすいので
どーにかなりそうです。これでミャオ族と漢民族の確執(スオーズマン)や明時代の文人文化(井波律子)
や宣帝と許皇后(「お嬢様と私」)のリアルな姿を思い浮かべる事ができそうです。
余力があったら「史記」いってみます。 ありがと〜
382 :
開國紀念幣 ◆qV6dwdDny6 :03/09/05 22:35
これから中国の歴史を勉強する方々へ一言:
「中国4000年の歴史」とかって言葉を良く耳にします。
あたかも「中国人」による「中国」なる国が脈々と続いている印象を受ける言葉ですが、実際には彼の地では数多の民族による数多の国が興っては滅びてったんすね。
例えるならば「中国史」ってのは「ヨーロッパ史」とか「人類史」とかと同系のニュアンスで、決して「合衆国史」とか「日本国史」とかってニュアンスじゃないってこと。
悪いことに中国の史書ってのは(理由は端折りますが)この「脈々と続いている」って誤った印象を与えるのが第一の目的で書かれた物だから「ふんふん、なるほど」って読むんじゃなくて、「ホンマかいな?」とか「んなアホな!」とか言いながら読まないとダメ。
あっ、ついでに『漢字』は現在彼の地にお住まいの方々(所謂中国人)とは縁もゆかりもない殷人が創った物ね。
例えるならばラテン文字創ったファニキア人はEC諸国人じゃないってこと。
「アルファベーは我々フランス人が創った」なんて言うフランス人は一人も居ないだろうし、居たら即刻基地外認定されるだけでしょう。
ところが彼の地では「中国」の一言で味噌も糞もゴッチャにするもんだから勘違いした馬鹿が「漢字は我々中国人が創った」なんて寝言をほざくし、それが罷り通っちゃってたりするのね。(トホホ
ここんとこ良く弁えた上で漢も唐も清もひっくるめて便宜的に「中国」ってんならOK。
実は「支那」って便利なタームが有って、英語では中国学のことはシノロジー、中国チベット語族のことはシノチベタンってんだけど、日本人だけはこの用語使っちゃダメだかんね、ガハハハハ。
俺のおかげでスイカ食えてんだぞ! インゲン豆もレンコンも。
明朝体も俺が普及させたようなもんだ。
384 :
名無的発言者:03/09/06 01:06
>>382 そうそう、漢民族なんて二世紀には全滅してるわけだし。
今の中凶塵はなんの文明も生み出していない単なる犯罪民族。
「中国4000年の歴史」なんて全くの嘘。
385 :
名無史さん:03/10/07 19:34
1)漢字3〜4文字くらいである
2)男性で、確か将軍のような役職だったと思います。実在したか、逸話かははっきり
覚えていませんが、端正な顔を隠すために被りものを使用した、とか
補足もうろ覚えに近いため、これじゃないか、と思いましたら是非書き込んでみて下さい。宜しくお願いします。
386 :
名無的発言者:03/10/07 19:56
本気で岡田の影響を受けてるあほがいるようだな。
漢族が絶滅したときにどれくらいの異民族が移住してきたか数字で示してみな。
これで漢族絶滅説が正しいかどうかわかる。
387 :
中華民族の民族性:03/11/14 22:05
どうもここのスレ
『 ”中華”民族の大虐殺の歴史 』 には
ほとんど触れられていないような・・・。
取り敢えず
『”中華” 民族が ”中華”民族を今までどれ位虐殺してきたのか?』
という点で、参考になりそうなHPを教えてください。
例)
・
・
・
・
・
・太平天国の乱 推定虐殺者数 ? 〜 約1億6528万人前後?
・
・
・
・文化大革命 〃 約1000万人?〜約2000万人?
・天安門事件
388 :
中華民族の民族性:03/11/14 22:08
後、中華人民共和国 成立以降、何回外国を侵略して、
どの位 外国人を虐殺しているのか?
例)
チベット 128万人?虐殺
あぼーん
あぼーん
中国歴史好きだけどなぁ。
禿
393 :
名無的発言者:
明日試験なんですけど、もうさっぱり…。
留年&就職パーになりそうです…。
概要だけ掴めればあとは自分で調べますので、
どなたか概要だけでも教えて頂けないでしょうか…。
1か2どちらかで構いません。
よろしくおながいします。
1.アジア大陸文明の市場構造は、現代資本主義が立脚する市場制度といかなる点で異なるか。
特に中国・朝鮮半島と西ヨーロッパ社会を念頭に置き、貨幣機能・国家財政・財産権の保証という三側面から論ぜよ。」
2.日本や欧米資本主義諸国による「アジアの植民地化(半植民地化)」は
モンスーンアジアの市場をどこまで再編成させたか。その限界はどこにあったか。
1880年代から大恐慌前のモンスーンアジアの労働力、資金、商品流通を対象に。