1 :
相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ :
2005/10/25(火) 22:12:11 ID:Uept0IUX0 ちょっとオタクな雑談スレです。話題は何でも。流れも何も読む必要無し。 一見さん大歓迎です。面白いネタ振ってくれれば尚歓迎。
2 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/10/25(火) 22:13:16 ID:ULCoXjJE0
俺2か?
3 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/10/25(火) 22:15:46 ID:ULCoXjJE0
下り坂でニュートラにしてる奴多いけど実際燃費にドンだけ貢献するもんかね
5 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/10/25(火) 22:22:11 ID:eUj+o0kT0
そんなアホいるの?
黒巡航つな何ですか?w
>>7 あぁ、夜風のログインネームの話ですね。
シトローエンがアフリカ大陸を自動車で縦断(1925年)した時の記録映画のタイトルです。
ナンか、他に思い付かなかったので適当にそうしました。
放題は「黒い巡洋艦隊」
ちなみにアジア・ユーラシア大陸横断旅行の時には「黄色い巡洋艦隊」
北極圏探検の時は「白い巡洋艦隊」と呼ばれたそうです。
始めまして、難しそうなとこですね、やっぱりスレタイは、「トップを〜」 からですか?
>>9 いらっしゃいませ〜。
「トップを〜」??
そりゃそうと・・8の“放題”は言うまでも無く“邦題”の間違い・・。
ナンだか先が思いやられるなぁ・・。
成る程、肌の色ですか、 んでは新大陸縦断横断の場合は「赤ひ巡洋艦隊」でせうか?w
あぁ、そうだ。 先程“イタリア行ったら〜”スレに4(5)ドアクーペナンタラと書いた時に 「マツダだけではなく、60年代あたりの英国車にも(他からそう呼ばれるのではなく) メーカー自ら4ドアクーペを名乗った車が有ったような・・」と思ったのですが あれ、ナンでしたっけね?(本当に大人しくする気が有るのか?私・・)
4ポルテ・ベルリネッタは尻ませんが、その昔(ってもアテクシにとってはつひこなひだw) ピラード・ハードトップなる得体の知れ無ひ物件がしばしばありましたが。w ハードトップつう物件も本来ソフト・トップのオープソだからこそ硬屋根被せる訳で ハナから屋根一体のボディーでハードトップで御座ひ、っつはれても、なぁ。w 英語のドロップヘッドに対しお腐卵臭語のデカポタブル、頭取れ可、 ならばフィクスト・ヘッドは何て言ふのでせうか?
>>13 ドロップヘッド&フィクスドヘッドクーペっていう分類の仕方自体がイギリス独特な物だと思いますので、
他の国では単にカブリオレとクーペで良いのではないでしょうか。
昔のフランス車のボディー表記を調べるのは中々大変な事で、時代によっても全く異なる呼称が
現れたり、同じ呼称がまるで異なる形式に使われていたり。
昨日「イタリア行ったら〜」スレに書き込んだ事と一部重複しますが1930年頃を境に
それまでは英米でならば“パネル・ブロウアム”とか“タウンカー”と呼ぶような
“前席オープン客室は箱型”の形式を指す言葉だった“クーペ”が
英米等と同じく二座で硬い屋根を持つ形式に変わってしまっていたり。
それに輪をかけて面倒な事にはメーカー毎にボディー形式の呼び名が違っていて、
例えばセダン型を“ベルリン”とプジョーでは呼ぶのに、シトローエンは“コンデュイ・タンテリエール”
(室内で運転する車位の意。運転席は吹きさらしの車と対になる呼び方)と呼んだり。
ルノーはシャシーの大小でその両者を使い分けたり・・。結局のところは“どうでもいい”??
ハードトップという呼称は恐らく60年代のGMあたりが使い始めたと思います。
それまでの“Faux Cabrioret(みせかけのカブリオレ)”という形式に付き物だったレザールーフ貼りや
偽のランドー・ジョイントを付けるという約束事に縛られずに、ちょっと開放的な形を求めた時に
一風変わった呼称を求めたのでしょう。
だったら、ロードスター等に後付けする硬い屋根はナンと呼ぶのか?
まぁ、オープンの比率も低くなった頃の事。そこは大目に見て下さい・・てな感じだったのでしょうか。
そして後は野となれ山となれ・・拡大解釈の繰り返し・・で、今日に至る・・みたいな(w
ブガッティもT57の4窓4扉4座でRギャリビエで 「エンクローズド・ドライヴ」Conduite interieureと称しておりました。 レザートップね、アテクシご幼少の砌には結構見かけたものですが 子供心にもアレはいささか見苦しく感ぢたものであります。 偽雷(偽ランドージョイント)、今は死んでからご厄介になるクルマに残っておりますな、 っつな話は以前しましたな。 フューネラル・ワゴソと言へば日本の宮型霊柩車の中古、 中近東の大金持ちに売り膜って大儲けした御仁の話聞ひたことあります。 何に使ふのか、だうするんだそんな物件、と思ったら 冷房完備でおミヤの中取っ払うと広くて1日5回のお祈りするのに非常にEらすぃ、のです。w 全くインシ・アッラーなお話であるます。w
16 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/10/27(木) 00:15:59 ID:Ga5B9zaIO
おこす
>>15 霊柩車を礼拝所にねぇ・・。
本来の使われ方を実際に見たら、生きている間には入りたくなくなるかも(w
それはそうと、ブガッティT57のギャリビエ。
“クーペ・アトランティーク”“アトランタ”等の流麗なクーペや“コルシカ・ロードスター”といった
スポーティーなボディーの架装された事で知られるT57ですが、ご存知かもしれませんが、
実はW・Bは二種類有って標準のLWB仕様とSWBの“S”が存在します(エンジンも過給付きの“C”
とノーマルの二種有り。つまり“T57SC”と言えばSWBのコンプレッサー付き)
”室内で運転する”っていう言い方。いかにもフォーマルなボディー用の標準LWBシャシーの為に
デザインされた4扉箱型のギャリビエならではの注釈と思われます。
現代でもメルセデスのSとかマイバッハやジャガー等にはLWBボディーが存在しますが。
昔の車では、多様なボディーを架装する為に長短二種類のシャシーを用意する事は
珍しく無かったようです。その多くはスポーティーなボディー用のショートシャシーと
フォーマル向きにロングシャシーという具合なのですが、ちょっとそれとは意味合いが異なるのが
アルファロメオ8C2300の場合。
これもアルフェスタにはご存知の方も多いでしょうが、8C2300に用意されたロング・シャシー。
これは本来当時のルマンの規則が2リッター以上の車には4座を要求した事から生まれた物
のようです。ですから2座用ショートシャシーは勿論、4座用ロングシャシーもそれはそれで
やはり元はと言えばレース用。
如何にもレースをする為に存在するメーカーだったかつてのアルファらしい話。
今回は連日の長文は控える方針(何時まで続く?) 8C2300。ショートシャシー(Corto)はホイールベースが2.75mロング(Lungo)で3.1m 他に純ワークスレーサーのMonzaが有り、これは2.65m。 W・B2.65mって言えば現代なら2リッター級セダン並み。 でもラジエーターが前車軸直後に有り、その後に長い直列8気筒を積むので、Monzaでは ドライバーシートは後車軸にめり込まんばかり。
さて
>>15 では「見苦しく感じた」と言われたレザートップですけれど、
本来は見るからに重厚で野暮ったくなりがちなフォーマルボディーに、
幌型のような軽快な感じを与える為にそうする物で、粋な物だった筈。
私等の世代が子供だった時分には、そういう本来の意図を知らぬような人が
それ自体を格好の良い物と思って幌型に見せるも何も無しに
適当に遣っ付けたような物も多かった為にそう感じられたのでしょう。
山中湖近くに有った高村美術館(残念ながら一年程前から休館中だそうです)に有った
アメリカ製ロールスロイス・ファンタムT
http://osamu-rose.com/0304takamura07.jpg これ等“Faux Cabrioret"とは名乗ってはいないものの、どう考えても屋根は開かない筈。
ですが、羽布張りの屋根とダミーのランドージョイントが単なるリムジンボディーには無い
軽快な感覚を与えている好例だと思います。
戦後は本来の意味合いを失い、独り歩きしてしまった感のあるレザートップですが
唯一子供時代の私が実際に見て見事と思ったのが、意外な事に拡大解釈転用大好きな印象のある
トヨタ車の、コロナハードトップに施されたそれ。
畳んだ幌に掛けるカバーを止めるホック(勿論ダミー)までキチンと付けられていた物でした。
あれは、メーカー純正のオプションだったのか?何方かご存知ないでしょうか?
書き忘れ。 http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/で始まるアドレスは私がフォトケース・ヤフーに上げたファイルです。 IEなどで直接見られない場合は、アドレスバーにC&Pで直接アクセスするようにして見て下さい。
23 :
オサーン :2005/11/01(火) 01:10:41 ID:Zkc34sTn0
どの世代のコロナHTかワカランのですが、アローラインの中頃から純正レザートップが出てきた記憶があります。 でも一般的ないわゆる縮小アメ車調で、趣味性に走ったものじゃなかったです。 おっしゃるのは社外品じゃないでしょうか? 全盛期には、レザートップを貼る用品店の広告が自動車雑誌にイパーイ出てましたから。 まあ、露天駐車で縮んで無様になったり、端っこが浮いたりして醜態を晒したままの車が、後年になって ワラワラと増えてきましたけどwww “Faux”は元々が、偽、もどきの意味だし、アメリカでもそのまま移入されて、軽いいたずらや悪ふざけの 意味で使われたりしたので、あまり使いたくはなかったかもしれませんね。
24 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/01(火) 07:52:36 ID:rwfmcMla0
レザートップって、幌のように見せるのが本来の目的だったのですね。 Aピラーにまで貼ってしまったようなのしか見た事が無いような気がします。 あれじゃあ、見せ掛けにもなってませんねw
>>23 そのアローライン・コロナであったと記憶しております。やはりアレは社外品でしょうね。
時代的にも、レザートップが本来の意味を忘れて独り歩きしていた時期でしたし。
で、
>>24 で言われるような可笑しな物が一杯巷に溢れていたと・・。
今ではもう、ツードア(昔のフォード流表記。決して2doorとは書かないw)ハードトップなんて
流行らないのでしょうね。まぁ結局の所はナンと言う事も無い、単なる4座ピラーレスクーペですが。
現代の日本で最も多いボディーバリエーションを持つのは恐らくカローラ系統でしょうが、
それでも30年代の“ERLEY FORD V8”には全く敵わないでしょう。年式でも多少変わりますが
セダンと名乗る物だけでもトランクの張り出しの有無、それぞれにツードアとフォードアが有って
計4種類。他にクーペとかカブリオレとかフェートンとかコンバーチブルとかウッドワゴンとか
ロードスターとか・・。それを全て毎年モデルチェンジしていたのですから大した物。
あの時代の二座ボディーによく有った、トランクみたいに見える部分を開くと現れるランブルシート。
乗り心地最低で安全性も何も有った物では無いでしょうけど、一度乗ってみたいです。
あんな代物、現代では絶対に許可されないでしょうね。
26 :
香ばしい :2005/11/03(木) 00:08:02 ID:d7WklrXo0
あ、探してしまいました。いつの間にか落ちていたのですね。 相当逝ってる氏乙です。 こないだアキバでボルボ1800Sがどろどろとオイルの血を流していて 思わず携帯で撮ってしまいました(アップするような悪趣味なことは 金輪際やりませんよ)。すぐにJAFが来たのでばっくれました。 ランブル‐シート【rumble seat】 昔の二人乗り乗用車で、後部にある一〜二名分の畳み込み式の補助席。 <大辞泉> ←マジの引用ですこれ そういやフェアレデーの3座目はJEEPみたく横向きでしたね。
香ばしいさん、こんばんは。 落ちたと言うよりは、私が調子に乗りすぎて512kb埋め尽くしてしまい 書き込めなくなったという・・(苦笑 ちょっと前までのワゴンにもランブルシート付きって有りましたね。 横向き(向かい合わせ)二人分。アレが有ると定員7名になるので無理に人数積み込む時に 便利だったのだとか。安全にうるさい昨今ではそういう事は許されないでしょうけど。 ボディー形式の呼称と同様こういうのも俗語みたいな物でしょうから あんまり拘り真面目に考える事に意味は無いかも知れませんが、 普段は畳んでおいて使う時だけ引き出すのが“ランブルシート”で、フェアレディ1500 (60年代前半、仰るようなシートが装備された型の出た頃には既に“レディ”だったようです) とかオースティン・ヒーレー100に有ったような3人目用横向きシートは“オケージョナル・シート” と呼んだ方が私個人的にはしっくり来ます。 逆にしっくり来ない話。 “Faux Cabrioret”って呼称を戦前のドイツ、オペル辺りでは トップを開いてもサイドビューの変わらない (早い話が今で言うキャンバス・トップ)ボディーに使っている事。 まぁ、上にも書いたように真面目に考える事でも無いのですが。 ・・どうも一旦書き出すと長文になるなぁ。体質化しつつあるかな?(w
28 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/03(木) 07:36:17 ID:BfeLwlrv0
この車は何でトランクがタイヤ積むような形になってるんですか? 意味なくて飾り?
29 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/03(木) 07:41:04 ID:BfeLwlrv0
>>28-29 最初に結論を言ってしまうとこのリアエンドは昔そこにスペアタイアを背負っていた事を示す
デザイン上の遊びです。
その車リンカーン・コンチネンタルMarkXですが、コンチネンタルシリーズについては
五十嵐平達氏他のマニアさん達が多くの文献を残しておられる為、
何を書こうと引用の羅列になるので訳知り顔であれこれと書くのも心苦しいものです。
それでもあえて書き加えるなら。
・この車の初代、コンチネンタルMarkTは1940年に当時のリンカーンモータース社長で
フォードの二代目だった稀代の趣味人エドセル・フォードの発案から作られました。
1940or1941 Lincoln Continentalでイメージ検索すると、リアエンドにスペアタイアを背負った
この初代コンチネンタルの美しい姿が沢山見られます。
・コンチネンタルとはヨーロッパ大陸の事で、今で言うGTと同義語コンチネンタル・クーペを
連想させる目的が命名の理由と思われます。
・リアエンドに背負ったスペアタイア。その頂点がトランク上辺よりも僅かに出ている事。
これは当時のヨーロッパ製高級パーソナルカーを思い浮かばせる為にエドセルが拘った
ディティールの一つで、スペアの格納位置が変わって形だけになっても
歴代のコンチネンタルに受け継がれた言わば由緒正しい家紋のような物なのです。
と、こんな物でお判り頂けますでしょうか?
31 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/04(金) 00:25:25 ID:WNlaEOOk0
つまりもともとはスペアタイヤつけてたんだけど それがつけなくなったけどデザインだけは残ってたら それを見た人がなんだこれはスペアタイヤつけるのちょうどいいじゃないか といってまたスペアタイヤをつける人が増えた ということですか?
29のリンク先にある >80年になってキャデラやプリムスのようなセダンに「コンチキット」というのを着けるの流行ますが >元はこの車種から出た物です。 >タイヤハウスのように見えるのでコンチキットは そのままタイヤを着けたと と、言うのはそういう事でしょうね。しかし初代コンチネンタルでは、トランクは上部の“フタ”部分しか 開かないので問題無いでしょうけれど、バンパーレベルからトランクが開く車種では、 この位置にスペアタイア吊ってはトランク扉の開閉が重くなって仕方ないのでは? なんて想像してしまいます。
>かなりドライバーズシートはかなりの前進位置にあります ・・・・長文に文章力がついて行けてない・・orz
35 :
オサーン :2005/11/05(土) 03:53:42 ID:GNVwW8kx0
えらくピンスポットで濃い所を突付いてますねwww フローティングマウントと、それに続くオーバーハングを利した乗り心地向上策の結果、 視覚上のバランスが、特にクーペボディで惨たらしい結果を招いたのは確かですよね。 失われた均整を取り戻すため、ガマン汁が滲むように年々、ボンネットとリヤオーバーハングが 伸びてゆくのが微笑ましい。 とはいえ均整を取り戻すには、ステップアップではなくジャンプアップが必要だったわけで、 その第一段階がポンツーン(スラブサイド)の3BOXかと思います。 これで、後方に伸びたフェンダーとトランクとが視覚上の均整をある程度補った。 (過渡デザインを選んだGMは、リヤフェンダーにフレアを残すことでボリュームを補った) これで足りない分は、ショルダーラインの直線化、リヤフェンダーのフィン化に進む。 その一方で、リヤウインドウの傾斜を増し、天地方向の狭いカーブドグラスで軽快さを残しつつ 重心を後ろへ引きずってゆく。 このときに出た発明がラップアラウンドウインドウ。 Aピラーの付け根が後退することで、一気に見かけ重心が後ろに補正される便利さ。 その後、60年式を境に揺り戻しが来てクリーンなラインになると、また後ろが気になる ジレンマがやってくる。 リヤオーバーハングを上下薄くしたり、リヤを額縁デザインにして抑えにしたりと模索が 続いたところで、コークボトルという救世主が現われる。
36 :
オサーン :2005/11/05(土) 03:58:55 ID:GNVwW8kx0
ディティールは新しくなっても、大掴みのバランス感覚で人間は譲れない ポイントがあるんでしょう。 たとえば大売れしたフィットだって、仮にリヤフェンダーをペタンとしてみれば 前のめりの詰まらんデザインの不人気車になってたかもね。 今はキャブフォワードの最終解がまだ出ていないような気がするなあ。
>>35-36 おかしな話にお付き合い頂き有難う御座います(w
スレタイのサブタイトルの意味が御理解頂けたかと(ww
ラップアラウンドのそうした効用は考えてみた事もありませんでした。
正に目から鱗(って、こういう使い方で良いのかな?)。
さて、あんまり話を広げるとキリがなくなるので一応二座やクーペに限って進めると。
エンジンが前進位置に行く事でクーペのプロポーションが一般受けしないようになった訳ですが、
物は考え様。それまでは二座でないと成立しなかった“クーペスタイル”がこのレイアウトでならば
四座でも成立するようになった訳でもあります。長大なホイールベースも必要とせずに。
と、言う訳で戦後は60年代のマスタングやカマロに代表される四座クーペが沢山生まれた事も
この30年代のエンジン位置前進が深く関わっていると思うのです。
では二座クーペはどうなったか?と、言うと。戦後アメリカビッグスリーから生まれた二座の車は
エンジンが後退位置にあるコルベットを除くとフォードの初代サンダーバード・・他に有りましたっけ?
・・つまり“二座は作らない事”こそアメリカデザインからの回答であったかと・・(w
ところが二座を作らずにいられないメーカーも欧州には有って、そうした中には後輪を前進させて
ホイールベースを詰め、視覚のバランスを取ると共に運動性も向上させて一挙両得としたところも・・。
・・これについては私よりも語るに相応しい方が他にいらっしゃるかと・・。
しかしこれで万事解決、話は終わり・・とはならないのです。どうしてもキャブフォワードで
二座になってしまう“ミッドシップレイアウト”なんて厄介な物が生まれてしまったから(つづく・・かな?)
↑ピックアップとだう違ふのでせうか?w
40 :
オサーン :2005/11/07(月) 00:51:00 ID:EWsiIKQ40
>>37 ソレ、メーカーが大まじめに生産したのが笑えるwww
↑ 38の写真、クーペの為のピックアップ・ボックスの事ですよね? ピックアップとどう違う?一応基本は飽くまでクーペなんです(多分)だから荷物を積む事は あんまり考えていなくって、荷台の広さも現代の日本の軽トラックよりもふたまわり程小さく 団地サイズの畳一畳程。 カタログの謳い文句は「乗用車と同じスタイル、乗り心地」だったそうですが、だったらパネルバン (セダンデリバリー)の方がまだ使い道も有る。と、言う事で37年型だけで無くなりました(w Beach-Boysの曲に“Little Deuce Coupe”って32年フォードクーペそのものがタイトルになったのが 有ります。アメリカ人の目から見ても、クーペはこの年式に限るようです。 でも、34年型でエンジン位置が前進する以前からフォードは欧州製スポーティーカーと 比べると運転席は前進位置に有ったのですよね。フォードに限らず、アメリカ車全般の傾向ですが。 まぁ、大体運転手の着座位置がホイールベースの中央か、ちょっと後ろよりくらい。 戦後の車でこの辺に運転席が有る二座の車っていうと、ポルシェの356スピードスターとか アルファのスパイダーとか。大体この辺が普通の人々が古典的な美観を感じられる境界線 なのではないでしょうか?これよりも前に行ってしまうと、ちょっと不恰好に見えると思うのです。 が、五十嵐平達氏等は上の方に貼ったぜファークーペを「美しいスタイルであった」等と 本の中で書いていらっしゃるようですし、結局の所は見る人それぞれなのでしょうが。
勝手に変な話を延々として、あげくに勝手に横道に逸れるようで申し訳ないのですが。 昨日ちょっと名前を出したスズキのマイティーボーイ。 あれ、一時期本気で欲しかったのですよね。 あの車って、見るからに実用性など有る筈も無い。結局はクーペの一種だったと思うのです。 ところがスズキは真面目に最大200kg積載可なんて事にして、それに合わせたサスペンションを 設定したものですから二人乗ったくらいでは乗り心地最低。 よくそうした硬い乗り心地を“空荷のトラックのよう”なんて言いますけど正にそのもの。 一回乗って懲りました。 クーペに徹していたのだったら本当に買ったのになぁ。それともリアだけでもハイドロニューマチック だったらなぁ・・無理だけど・・。
例へば同じ2座オープソでも一連のBMWは座席がヌパあたりより遥かに後退してゐます。 あのバランスは非常にクラシックなスタヰルに見へ、それはそれで宜しひと感ぢます。 ヌパの、それはうちのでも現行FFでもさうですが、前後の長さの比率が同ぢく HB&全長の中心付近に着座するバランスは或る意味モダンに感ぢるものです。 しかしこれが更に前進して通常のセダンのFシート位置になったら・・・、 そんな妙なパッケージングは運動性能の点からも存在しますまひ。w 但し、”本気の”ミッドエソジソの場合はかうなる筈です。
荒唐無稽なパッケージングの話。 かの櫻井眞一郎氏は車を馬に例えて前輪で方向を決め後輪で蹴るのが自然、 とおっしゃっていましたが、馬の頭部位置が語られてない。 動物と同じなら目を含む司令塔は最前部の高い位置にあるべき、これが 敵や路面変化に対して最も発見・追従しやすい有効な位置のはず。 これからすると馬に近いパッケージとはスポーツカーではなく ハイエースやトラックのような後輪駆動の車となります。 実際ワンボックスワゴンを運転すると(慣れも必要ですが)世田谷の 裏道のような狭い路地の連続では、5ナンバーフルサイズ同士では 最速。路地から出やすいし、猫が頭とひげが通れば全身通れると同じく キャビンが通れば全体が通るので楽なんですよ。 初代エスティマのパッケージに現行エスティマハイブリッドの四輪制御 を加えてスポーティーな味付けにすれば理想の車だったかも?(妄想)
う〜ん。幾らエンジンを傾けて置いて重心下げても人の座る位置が高くては
スポーツカーとは成り得ないかも。馬だって頭の高い走法の競走馬には
シャドーロールって矯正具を用いますし。
でも、着座位置が前にあるのは案外良いのかも?
戦前のアウトユニオン、スポーツレーシングのポルシェ917、F-1のロータス79と、
ドライバーが極端に前の方に座るレースカーには歴史的名作が有りますしね。
>>43 >しかしこれが更に前進して通常のセダンのFシート位置になったら・・・、
>そんな妙なパッケージングは運動性能の点からも存在しますまひ
前スレで“何故ファストツァラーとして作られたスパイダーが2.38mの標準シャシーではなく
2.25mショートシャシーを用いたのか?”って話が有りましたが、これがその回答の一つなのでは?
サルーンカーとコンポーネンツを共有する為に前輪とドライバーの位置関係は固定。
標準の2.38mシャシーのままでは、正にその“妙なパッケージング”になってしまう筈。
だったら後輪位置を前進させて視覚のバランスを取り、後輪荷重も確保すると。
・・戦前のアメリカ車ではそれもせず“妙なパッケージング”そのままで売ってましたけどね・・。
ついでに。アルファスパイダー同様、後輪軸を前進させてホイールベースを詰め、
キャブフォワードで二座を成立させたもう一つの例を
http://www.autobytel-japan.com/kcar/p_img/SZ028_1L.jpg
リンカーンの“初代”コンチネンタルって、エンジンは高くしかも前進位置に有るしフレームの丈も高い
ゼファーがベースであるにも拘らずあれ程美しくまとまったのはお見事と言うしかない。
腰高に見えない一番の理由はナンと言っても125インチもあるホイールベースをフルに使っている為と
思います。だから、アルファスパイダー式に後輪軸を前進させて二座にしたらあのバランスは崩れてしまう。
こうも思うのです。コンチネンタルは美しいですが、案外と結果オーライな部分ってのも有って
最初にエドセルが夢に描いたコンチネンタル・ルックはアレとは別な形だったのではないか?って。
“コンチネンタル”と名乗ってはいても、実は本場ヨーロッパにはああいう形の車は存在しなかった。
それ故に新鮮でもあり、先進的でもありましたが、エドセルは最初に考えていたのは、もっと古典的な
自動車ではなかったのではなかったのでは?
ゼファーベースの試作車が最初に出来た1940年当時、本場ヨーロッパで作られていた
ホンモノのコンチネンタルクーペと言えばメルセデスの540Kの“アウトバーンクリエール”とか
ブガッティのT57SC“クーペ・アトランティーク”とか。
これはブガッティ。ホイールベースの前半分を直列8気筒エンジンを収めるボンネットが占める流麗な姿。
http://www.bugattipage.com/voitures/bugatti/t57scat4.jpg エドセルはもしかしたらこういったものを最初は思い描いたのではないか?という可能性も
否定は出来ないと考えます。
今となっては誰にも判らない事ですが、エドセル・フォードは同時代に生きたジャン・ブガッティを
どんな風に意識していたのでしょうか?またその逆は?これは私にとっては大変興味深い事です。
>戦前のアウトユニオン、スポーツレーシングのポルシェ917、F-1のロータス79と、 >ドライバーが極端に前の方に座るレースカーには歴史的名作が有りますしね。 さう、これが”本気の”ミッドシップマウントの結果なのです。 本気で重量物をHBの中心に置くとドライヴァーは押し出されて dでも無ひところに座ることになるのです、足はFアクスルの前まで押し出されます。 今はフォーミュラカーでもCカーでもこのレイアウトは危険でRとして禁止されてゐますが。 市販ミッドエンジン車でこの手、最低限完全にエソジソとミッションをHB内に収め切ったものは少なく 大半がRRに近ひ重量配分になってゐます。 だからミッドマウントのくせに余計曲がらんクルマばかりになるのです。
>>46 クーペ・プロフィレ、何時見てもぢつに美しひ姿であります。
しかし、これが股意外や真正面から見るとぢつに幅が狭ひ、不自然な程狭ひ。
それを抜きにしてもやはりかうやって見るとぢつに素晴らしひ造形であります。
ヴォリュームあるフェンダー、躍動感溢れる強ひアクセントを持つ側面、
クーペ・プロフィレ、プロファイルに強ひアクセント意識を持たせたデザイン。
ジャノベルト・ブガッティの美意識はボロクソ・ヴァーゲンには所詮理解出来無ひのでせうか?
>お前の嗜好には一貫性は無いのか? ぬぅ、アテクシ思ふに師はスパッツフェチなのではありますまひか? 師の愛車ツトローエソ、これもアテクシスパッツの無ひツトローエソはツトローエソに非づと思ってますし。 アトランティークのスパッツ、確かにこれが有ると無ひとでは随分違って見へます。 スパッツ穿くとぢつにエレガント、リアの造形はまるでトレーンを引いたロングドレスのやうで 御ドレスフェチのアテクシとしてはぢつにハァハァであります。w この手のスパッツ付きT57クーペではアタラントもありますな。
>ブガッティ自らが作ったクーペ・アトランティーク このボディーはお腐卵臭、モールスハイムに程近ひコルマールのカロスリ、 ガングロフによって生産された筈、です。 ブガッティ自社製造分が3台なの鴨知れません。
では逝ってる師に踏み絵として国産のコルディア(スパッツ付)と ホンダインサイトを差し出してみましょう!w
私、巨乳好きではありませんので細川嬢は(ry
スパッツ好きは認めますが、オープンホイールのフォーミュラカーや、サイクルフェンダー等にも
好きな車は有ります。まぁ、嗜好なんつうものには矛盾は付き物なのでしょう。
又そうでなければ、何処から見ても褒めようが無い車でも好きで堪らないなんて代物の存在は
説明のしようが有りませんしね。
喪裾をひくように流れるフェンダーやボディーのラインってのは30年代には広く用いられた手法で
それを用いなかった事も、初代コンチネンタルの斬新さに一役買っているのでしょう。
その分、理知的ではあれども情緒性には欠けると言えなくも無いと思うのですが。
裾をひくような。と言えばこの時代(30年代〜)には英国流のKnife-Edge(Razor-Edge)なんて物も有ります。
これは戦後型ですがディムラー・ストレートエイト・リムジン(フーパー製)
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_Knife-Edge.jpg?bcNlK7DBnygSaLW. しかしこれ、ドレスフェチさんがハァハァ出来るような代物ではなさそうですね。
どっちかと言えば忠臣蔵・江戸城本丸松の廊下(?)・・電柱でござるぞ。
純粋なレーシングカーにとってはラップタイムを少しでも削る事、それが正義であって
そこに情緒性だの美的感覚だのが介入する隙間は無いのかもしれません。
ブガッティにしても、ルマンに買ったT57に載せられていたボディーは“タンク”と呼ばれるような
単純な形体の物でしたし。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/fr/d/d9/Tank57-001.jpg >>49 のポルシェ917LHにしても、当時シケインなど設けられていなかったユノディエールのストレートに
焦点を合わせて空気抵抗低減を目的としたボディーカウルを既製の917シャシーに載せた結果が
ああなっただけであり、そこに見る者の目を意識する余地などは無かったと考えるのが自然でしょう。
しかしそう考えてもこの車(917LH)には他のレーシング・スポーツ(同じようにルマン専用に作られた
ロングテールボディーを持つ一群を含む)とは一線を画す美しさが有ると思うのです。
それはクーペ・アトランティークと同様に、見る人全てに万遍無く受け入れられる種類の物ではない
ある種の“過剰さ”をその根源としている物と思います。
無理やりなこじつけですが、このように私の頭の中ではクーペ・アトランティークと917LHには
共通する部分があるのです。
それはまぁ私自身が、こうして書き込むのは散文でも普段の思考は決して散文調ではない為でしょうが。
この917LHをデザインし、まとめ上げた当時のポルシェの研究開発部門の美意識が、もしもこの車に
反映されているとするならば。私は彼等に深く共感します。
そしてこの部門を指揮していたのが他ならぬブガッティ・ブランドを吸収した時にVW会長職にあった
フェルディナント・ピエヒであった事も又、興味深い事と思うのです。
ところで。
>>53 のホンダインサイトはともかく、コルディナっつうのがどんな車なのか・・?
さっぱり判りません。
こういうのってマズイかなぁ。変な車や古い車は少し知っていても、知人の乗っている普通の車が
まるで判らないで、莫迦にしているように疑われた事も一度ではないですし・・。
まぁ、今更仕方ない(あっさりw)
ブガッティの新型、ヴェイロン16.4。これ、形に限っては案外私は嫌いではありません。
今年発売になった新型車の中ではシトローエンC4の次くらい、スバルR1と同じくらいに好きかも。
まぁ、私に好かれてどうなるという物でもないのでしょうけれど・・。
ブガッティと言えば馬蹄型のラジエーター。実際には初期のブレシアでは洋梨型ですし、
T57もコンプレッサー付きモデルでは卵型という具合に、必ずしも馬蹄形だけという事は無いのですが
エットーレ・ブガッティが有名な馬好きであった事もあってか“馬蹄型=ブガッティのシンボル”
であるかのように思われているようで、EB110や今回のヴェイロン16.4もフロントエンドにその形の
エア・インテークが設けられています。
この形があまりに広く知られ過ぎた為か、他の会社が馬蹄型をモチーフに用いる事は
避けられているような気がします。単純で、しかも車には用い易い形状に思えるのですけど。
例外は前スレで一旦話題になりかけたフォードの大失敗として知られる、
その名も“エドセル”くらいの物でしょうか?
デザインが出来たのが先か、車名が決まったのが先かは知りませんけれど、当時のフォード社は
欧州物好きの趣味人として知られたエドセルの名を冠した車に馬蹄型のラジエーターグリルを付ける時
ブガッティを意識する事は全く無かったでしょうか?
>臀虫でござるぞ ビザールでござーるビザールでござーる、亀甲縛りに縛るでござーる、 あとはエネマをカマすでござ・・・ブリブリッ、ァアー! ♪ビザ〜ルでござ〜るぅ 今ならウンコが付ひてくる!w 閑話休題w、三菱のある時期のデザインはトレディア、コルディアに限らづ Σもデボネアも皆リアホイールアーチをウエストラインで切ってヌパッツ風味にしておりました。 アテクシあれ嫌ひでは無かったのですが世間的には嫌ふ人が多かったやうに記憶しております。 マゼラーティのクアトロポルテ、”本物の”wでっかひはうでは無く ビトゥルボベースのちっこひはうの最終期のあれ、 あのガンディーニデザインの鈎型のRホイールアーチもヌパッツ風味で好きでありました。 で、このヌパッツ廃れた理由としてはやっぱりリアホイールの動き代の確保なんでせうな。 セミトレやツトローエソのやうなフルトレならほとんど真上(それに近く)タイヤが上がるので Eのでせうが、今のダブルウイッシュボーンベースのマルチリンク等では 車の内側方向の支点を中心にタイヤの軌跡が円弧になりヌパッツと干渉するのでせう。 昔、タクシー仕様の安物グレードの後ろ足リジッド版とかは タイヤの動き代分だけトレッドが狭くなって(勿論、細ひ安タイヤのせひもありませうが) ボディーとの間に隙間が大きく取ってあったのも干渉を避ける為であったのでせう。
58 :
オサーン :2005/11/16(水) 00:47:51 ID:FIViyFEt0
>エドセル 農耕馬エドセルの場合、ブガッティではなくショーモデルのパッカード・プレディクター との連関が当時から囁かれてますな。 エドセルや、後年のリンカーン等につながる盾型グリル、オペラウインドウの扱い、 コンチネンタルmk.3やマーキュリーのターンパイククルーザーにつながるクリフカット。 でも不思議なのが、プレディクターをデザインしたリチャード・ティーグの経歴が フォードと繋がらない。 販売でも駄馬に終わったエドセル。 その頃に「見かけはただの馬、でも人間としゃべれる」変な馬が主人公の『ミスター・エド』 というアメリカのTVドラマがありますた。 エドという名前もいわく有り気ですが、ドラマに出てくる車はパッカードと合併したスチュードベーカーの提供。 なんだかちょっと底意地の悪い揶揄があったりして。
>>57 スパッツの流行らない理由・・。そうなんでしょうかねぇ・・?
昔はスウィングアームの車でも結構有りましたし。単に流行なのでは?
勿論、隙間がある程度必要なのは言うまでもありませんけど。
それよりも私思うに、スパッツが有る車って見た目のマスが当然ながら下の方に集中してしまう。
ヒップアップさせる事でウェッジを強調する現代の流行とは相容れないのではないでしょうか?
トヨタ博物館に有るドラージュD8-120・フィゴニ・エ・ファラシの架装したカブリオレ。
http://www.toyota.co.jp/Museum/data/images/a03_03_4_2_2.jpg ステアする前輪に合わせてフロントのスパッツは複雑な曲面に成型されていますが
この写真からはちょっと判り辛いかも。
エドセルが初代コンチネンタルを作った頃、本当のヨーロッパではこんな風な
フラムボワイアン様式なんつうものが流行中。これはとても量産が出来る代物では無かったでしょう。
上の方で話に出たブガッティT57は、ブガッティとしては異例のヒット作と言われ、1934〜39年の間に
生産された数は670台程。その内ショートホイールベース・アンダースラングのT57Sは30台程とか。
一方リンカーンコンチネンタル(初代)はゼファーをベースにしたセミカスタムとは言いつつ、
月に100台の“限定生産車”1939〜42年と46〜48年に5324台が作られたとか。
しかし戦後のコンチネンタル。クロームの量三倍増。
http://www.seriouswheels.com/pics-1940-1949/1947-Lincoln-2dr-maroon-c-fa-sy.jpg 例えアメリカ人の間で人気が高くとも、五十嵐平達氏がどう言おうとも、スパッツを履いていようとも、
私にはこれは許せない物です。
エドセルの馬蹄型グリル。確かにブガッティとは上下逆ですし、あまり繋がりは感じないかも。 パッカード・プリディクター。裏返るヘッドライトなんかも後のリンカーンに通じる物が有りそうですね。 これ等の車って、初代コンチネンタルも含めて“アメリカ人の想像する欧州調”なのではないか? って思うのです。当然、こんな欧州車は無い事はデザイナーさんは承知の上。 それでも普通のちょっとスノッブな中〜上流アメリカ人に欧州を想像させるのはこんな形だったのでは? 一般的なアメリカ人に“ジャポニズム”感じさせようとしたら、それが間違いであると知ってはいても フジヤマ・ゲイシャを持って来るように。 言わば豚肉入りの印度カレー(ちょっと違うか?)
63 :
オサーン :2005/11/17(木) 02:19:51 ID:B6CPXPsz0
>こんなショーカー作れるのなら生産車の方をナンとかしよう そりゃ金が無かったからですわ。無い袖は振れないw 長年パッカードにボディを供給していたブリッグスが、1953年にコケそうになって、 その時に金を出して乗り込んできたのがクライスラー。 パッカードはボディ供給を断たれる危機を恐れて、ブリッグスとクライスラーに交渉、 現行ボディの生産ライン(ボロ)を高額で買って、別の場所にラインを移設する羽目に。 古い設備+移設+新しい工員で、ボディの精度やチリは一気に大衆車レベルにガタ落ち。 この出費で、新しいボディシェルに投資する予算があっさり消えちゃいました。 55年の新型パッカード、よーく見ると実はボディは旧型のままなんです。懐、寒過ぎ。
・・淋しい話ですねぇ・・ 前スレで55年パッカードの話になった時に 「なんであんな微妙なタイミング(吸収直前)で変ったメカニズム(セルフレベリング)を開発したのか?」 と、ちょっと思ったのですが、そのような不測の事態が有ったのですか。 もっとも私の好きなパッカードは34年型あたりのラジエーターグリルが前進する以前の形。 それ以後はちょっとバランスが悪いと思いますし、40年代以降の形には興味も抱けません。 それにしても例の車高調整機構付きってモデル。 セルフレベリング大好き、前後関連もちょっと好きな私ですから、ちょっと興味は有りますけれど、 後輪が固定軸で左右は前後関連懸架ってのはどんな物か?って考えます。 仮に乗り心地に貢献していたとしても、 シトローエンDSを見たある自動車会社の首脳が 「こんな凝った足回りを奢るよりも、クロームの量を増やした方が売り上げは伸びるだろう」 と言ったというエピソードの有る土地柄の事。市場に支持者はいたのやら? ところで、例によって話は前後しますけど。クリフカットのルーフって言うのも、 見た目の重心を後ろ寄りにするという意図が有って考え出された物でしょうか? あれはさすがにもう流行る事は無いのかも・・。 しかし、初代メルセデスのAクラスとかトヨタのナントカ(ナンだっけ?)のリアウィンドウの処理なんかは ちょっとクリフカットをモチーフにしているようにも見えませんか?
65 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/17(木) 23:58:18 ID:O/Je2Gg+O
夏
66 :
オサーン :2005/11/18(金) 23:26:07 ID:2pgeMR2z0
さあ、乗ったことはないんでどういう乗り味だったやら。 重くてオーバーハングが活かせるからこそ、シンプルな脚で事足りたというのに 不思議なものです。 この機構自体はパッカードの開発じゃなくて、ハドソンでボツになった案。 それを売り込みに来たんでパッカードは喰いついたそうな。 トヨタのWiLL Viが『かぼちゃの馬車』とモチーフを語っていたように、 クリフカットは馬車時代へのオマージュなんでしょうかね? アングリアやアミのような小型車では、ヘッドルームと外見を微妙なバランスで 成立させて成功したと思いますが、大型車に実用上の意義は見当たらないですし。 それにしてもアミは絶妙なもんだね。安車なのに豊かだなんて。
へぇ・・。ハドソンが発案元だったのですか。 あの型のパッカード、日本には入っていたのでしょうか?ミツワのHPとかを見てもさっぱりです。 クリフカット。トヨタのWiLL Viってのも有ったのですね。すっかり忘れてました。 私が昨日思ったのは先代のイプサムでした。本来の意味でのクリフカットとは言えませんが。 例のパッカード・プレディクターのようにオペラウィンドウを設けるってのは馬車へのオマージュっぽい 気がしますが、クリフカット自体はどうなのでしょう?確かに小型車の場合、後席のヘッドルームにも 貢献しますしトランクの開口部も広く取れるのはメリットでしょうけど。 それでもアミの場合、後から追加されたブレークの方が生産台数でセダンを上回る人気になったり 更に69年にはクリフカットを捨てファストバックスタイルのアミ8にチェンジしたり・・。 “どうせなら、ルーフ後端とリアエンドを一直線に結んだ方が更に使い易いじゃないの?”って思うのが 特に合理性重視のフランス人達には自然だったのでしょうか? 私はオリジナルの方が好きです。この車なんかはスパッツ付きというよりも、リアのホイールアーチを 切り欠いていないだけって感じですが、この車(アミ6)に普通のホイールアーチが有ったら変な物 だったでしょうね・・。 今日、ちょっと思った事。最近の車は、リアをヒップアップさせてウェッジを強調している分、 トレッドはボディー幅の許す限り広くとって腰高に見えるのを防いでいるような気がします。 これでは確かにエロスパ氏が言われているように、スパッツは付けたくても付けられないのかも。
シトローエン・AMI6。
かのDSと同じ人(フラミニオ・ベルトーニさん)のデザインだそうですが、この車とかDSとかを見ると
「前衛ってのは時代を経た後、何時になっても前衛で在り続ける物だなぁ」
って思います。
AMIは乗った事はありませんが、あの前衛デザインに相応しい洗練された乗り味だったのでしょうか?
あの車が生産終了された後にも作られ続けたベース車、2CVの最終型よりも洗練されていたのか?
って考えるとどうもそうは思えない。
こう言うと誤解を招くかもしれませんが、恐らくフラットツイン系シトローエンとしては
最も洗練されていた筈の最終型2CVにしても“自動車の運転をしている”って感じは
あまりなかったですから。
古い型と比較して洗練されていなかったという事ではありませんが、
元々が自動車と思うよりも農機具の一種と思った方が理解しやすいのが2CV。
その最終型は言わば“洗練された農機具”という印象が残っています。
それをベースにしたAMIが都会的な乗り物になっていたのか?今になって乗っていない事が悔やまれます。
話は変わって
>>54 でちょっと触れたKnife-Edge(Razor-Edge)。何時ごろの何だったか忘れていたのを
ふと思い出したのですが、80年頃のキャディラック・セヴィルが「フーパー調」とか言って復活させて
いました。
http://www.libertysoftware.be/cml/trivia/sevillehist/81sevil.jpg AMIが前衛なら、これは守旧派、復古調?
なんだか私には冗談でやっているようにしか見えないのですが。
69 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/20(日) 01:09:25 ID:QX0lxol5O
車を買うとしたらどれが良い?トヨタは〇〇。ホンダは〇〇。みたいな感じでお願いします。
↑ そういきなり言われても、予算とか用途とかいろいろありますしね。 一応、今乗っている車を買い換えるならという話として、メーカー毎に選ぶのも無理なので適当に。 家人名義の車の代わりに国産で選ぶなら日産のキューブ(キュービックは嫌)かノート。 本当はお金があったらシトローエンC3プルリエルが欲しいですが。 自分名義の車の代わり。・・む・・。一応名前を挙げるならレガシィの3リッターセダンもちょっと気になるけれど やはりシトローエンC5。荏原の“JAVEL”で扱っている2リッター4気筒のLhd・MT版。 いっそこの店で扱っているレストアされたDSって選択肢もアリかも。 ・・しかし、そんなお金が有ったら、今乗っている車に使ってやりますけどね。 もう一台持てるなら。予算も無制限として・・。 上で書いた事とは矛盾するようですけど、アカディーヌが欲しいです。それか、小さくて古典的なスポーツカー。 フィアット508S“バリッラ・スポルト”か同時期のMGミジェットとか。
71 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/20(日) 21:23:56 ID:QX0lxol5O
相当逝ってるサン ありがとう!ってか車買うの始めてっつーか今免許とり中で何に乗ろうかなぁって思ってるんだよね!
↑お金があるならDSG付きのどれでも…オートマ限定でも楽しめるから。 ないならシトロエンAXを一桁万円で買って整備や運転を練習したり…
↑ユーノス(マツダ)・ロードスター。新車でも中古でもどれでもE。 多分若ひ独身だらうと思ふ。大学生かな? ミヌバンだのをやぢセダンだのはあと15年もすれば嫌でも選択しなければなくなるだらう。 今しか乗れなひクルマにしなさひ、思いっきり実用性の無ひクルマとか。 ロードスター、2人しか乗れなくとも彼女さへ一緒に乗れれば文句無ひだらう。 逆に「俺も乗せろ」といふ邪魔も排除出来る。w 2人分の1〜2泊の荷物なら充分載る。 FRの原理原則に則った正しひ運動性、これで正しひ運転技量の勉強を、 正しひスポーツドライヴィングの操作を覚へなさひ。 その辺のセド・グロ・クラウン、マークU(現フガ・クラ・セル塩・マーク×)をやぢのやうな 直線だけベタ踏み、カーブ・コーナーで追突するやうな減速でヨタヨタ曲がる、 あぁ言ったダサひ運転を覚へてはいけません。 その教材にロードスターは打って付け、中古ならお値段安くパーツも潤沢、 マツダでちゃあんと面倒見てくれる、諸経費も安ひ。 そしてハマるか懲りるかw、一度はオープンエアモータリングを経験しておきなさひ。 最低1年通して乗ってみること。ぢつはオープンエアの本当の絶好日は関東では おそらく年に5日程しか無ひけど、初夏の夜のオープンやGWの頃の晴れた日のオープンを 1度体験してみなさひ。 一生のうち2シーターオープンに乗れるのはほんの一時。 ま、アテクシのやうにぢん性捨ててかかれば40過ぎても乗れるけど。w そんなアテクシでさへヌパ1台では足らづ75まで持つハメになってゐるのだ。w
74 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/20(日) 23:29:00 ID:QX0lxol5O
みんな親切にありがとう。ちなみに進路が決定した高校生。 うちの家族は誰も免許持ってない。だからオレが足になることが100%。自分的にはレガシィB4にしようと考えてるんだけど…やっぱみんなの意見取り入れた方がいーかね?
75 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/20(日) 23:32:33 ID:eDH7K9DN0
みんなの意見を取り入れてカローラw
>>74 最初にそう書いてくれれば、別な事書いたのに・・。
74を先に読んでから70の私の書き込み見たら無茶苦茶だなぁ(w
十年前ならば迷わず2CV薦めたのですけどね。
アレで交通の流れに乗れるようになれば、何に乗っても大丈夫。
キャンバスのルーフ開けば荷物は幾らでも積めるし気持ちもいい。
故障するとしても部品の数自体が普通の車の半分しか無い。多少の擦り傷も全く気にならない。
何よりも楽しい。車そのものに笑っちゃうくらいに楽しい(w
でも今時は2CVも高いのですよね・・。
↑2CVで運転をおぼえたら、ほかはルノーキャトルしか運転できなくなり まんがな!w 家族をのっけなきゃいけないとすると…でも最初から四駆は止めた方が… とはいえ国産のまともなFRセダンとなるとR32以降のスカイラインしか ないしなぁ。
78 :
さすらいのヒーロー :2005/11/21(月) 11:18:32 ID:P6uHySk8O
そっかぁ。じゃあ最初に買うのはレガシィB4はやめといた方がいーのかなぁ?
80 :
さすらいのヒーロー :2005/11/22(火) 19:53:45 ID:Np008SSpO
相当逝ってるサン あざす。中古の情報で、レガシィB4 RS TypeーB H11年・色ブルー・走行7.9万`・車検18.12・排気2.0・5速MT・フル装備が79万なんだけど、どぅかね?
>>80 基本的に私は戦後の国産車は良く判らん人間ですので、それがどんな物やら?言いかねますね。
そういう事はクルマ購入相談スレか中古車板で訊いた方が私よりも適任な方が答えて下さるかと。
・・と、それだけで終わらせるのも失礼みたいな気がするので・・。
十年乗るつもりで選んで下さい。私のこの先十年と違って、貴方の今からの十年は長いでしょうけど。
どんな車でも、愛着とお金さえ掛ければ十年はもちます。
いろんな車に乗る事で判る事も有るでしょうけど、一台を長く乗る事で判る事も有るでしょう。
他に欲しい車が出来たら、頑張ってもう一台持てば良いのですし。
ふと今になって思ったのですけど
>>77 2CVで運転覚えたら・・。そういう人だって、フランス行けば一杯いるでしょうが(w
でも、確かにあの車に慣れてしまったら、フラットアウトとパニックブレーキを繰り返すアチラ式の運転が
身につくのは避けられないのかも。
私は2CVに過大な評価をしているつもりは無いです。基本は1930年代に開発された農機具ですから。
乗り心地にしても、そんなに良い訳ではないです。四つのタイヤに対して、サスペンションスプリングは
半分の二つしか無いのですから。まぁ、同じく二つしかスプリングを持たないT型フォードよりは良いのかも?
でもT型と基本的には同じ形式の足回りを持ってはいても、車重のあるリンカーン・ゼファーとか
コンチネンタル(初代)のような車とは比較にもならないでしょう。つまりは
“二つしかスプリングを持たず、車重も軽い事を考慮すればかなりマシ”という評価が適当なのかと思います。
・・あぁ・・また2CVが欲しくなって来た・・。
82 :
オサーン :2005/11/23(水) 03:02:32 ID:GzILRDFt0
>>80 マイルドというか、とんがった感触がないので面白いと感じるかどうかが微妙。
逆にいえば、気づいたら制御不能な速度であぼーんしやすい車なので、
若い人がオモロイと思う走り方をすると、自然にDQN運転っぽくなりそう。
軽くてパワーのない車は精神的高揚感が簡単に得られるが、ハイパワー重量級は
使い切れない分をセーブして運転しなきゃいけないから、逆に冷静さが必要で、
下手すると鬱っぽい抑圧感ばっかりになるかもよ。
車としては、リヤがちょっとおっちょこちょいな動きをするのが気になる。
わずか舵角を多く当ててやるとヌルヌルリヤを出せる。ちょっと危ない系。
>>80 中古車は1台づつコンディションが違うから、これがお買い得かどうかは誰も
判断できないよ。中古車屋に聞いた話ではスバルの水平対向エンジンは耐久性
に難があるとされているため、新車ではヨタ、日産より評価が高いのに、5万km
超の中古車価格は逆転すると聞いた。(具体的にはレガとカルディナ)
だからこそ安いとも言えるから中古車は難しいし楽しい。
オサーン氏のおっしゃってることは免許取得中氏には難しいと思うけど、速いクルマ
はアクセル全開であっという間に100kmを超えるから、免許が何枚あっても
足りないし、順法運転では欲求不満になる。
逝ってる師、2CVで運転をおぼえたらキャトルしか…つーのはあのプッシュプル式
シフトを言っただけです。上記レガシィと逆に、どこでも全開しないとタクシー
にすらついていけないから一般路ではスカッとしますな。
>>83 オサーンも書かれているように、軽くてパワーのない車は精神的高揚感が簡単に得られるのは認めますが
それも程度問題で、2CVで市街地等の一般路を走ってスカッとするか?否かはどんな物でしょうか?
流れに乗って走るのに苦労するのがストレスになる方もいるでしょうし。
2CVが一番楽しいのは、田舎道をのんびりと走る時かも。
前スレでも少し触れましたが、プッシュ&プルのシフトは意外に扱い易く感触も確実(グリース切れ除く)
だと思います。AT(セミATを含む)は勿論、コラムシフトよりもそれに慣れてから普通のMTに乗り換えた時に
感じる違和感は少ないと思います。
あの形式は縦置き前輪駆動でギアボックスを前端に置くレイアウトでないと取る意味が無いですから
今では絶滅してしまった事も有り、見た目に感じる違和感が大きいのは無理も無い事ですけど。
それにしても、2CVのサスペンションは前後関連という特殊な仕掛けを度外視して見れば、
前はリーディングアームで後ろはトレーリングアーム。
つまりどっちもロールすればしただけ対地キャンバーは変化する筈。
しかもロールセンターは低くてスプリングレートも低いから驚く程に激しくロールする。
それでも極端に細くキャンバー変化には強いタイヤ故に滅多な事では破綻しないし
無茶しようとして急に大舵角を与えてみたところで、増加したスクラブ抵抗にあっさり負けて速度は落ちる。
あれはあれで、低い次元とは言えど見事にバランスが取れている物・・ですよね・・。
85 :
さすらいのヒーロー :2005/11/24(木) 19:36:18 ID:ujbblUHhO
いや〜MT車って大変ですねぇ。教習所で始めて乗ったのですが、エンスト3回も起こってしまったよ…。 出発するとき、アクセルを1300前後にして、半クラッチにしますよね?その時アクセルは離すんですか?
86 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/24(木) 19:55:32 ID:riniu54W0
>>85 まぁ、車にもよる事ですが、アクセルを離すってのはまず無いんじゃないか?と思いますよ。
私の場合、滅多に意識的には半クラッチは使いませんね。発進の時には普通の変速後よりも少しゆっくりと
クラッチペダルをリリースするだけ。その動きに併せて必要なだけアクセルペダルを踏む。
これでエンジンの回転はアイドリング時以下には落ちませんし、不要に高まる事も無いです。
>>86 その状態で公開する度胸は凄いですね(w
日本の自動車史を要領良くまとめるってのは結構大変だと思います。前スレの最初の方で
日産の成り立ちといすゞの成り立ちには意外と関わりが深いって話も出ましたけど
そのように企業同士の合弁、吸収、解体といった事が物凄く複雑ですし、それに加えて米企業の日本法人の事も
調べないといけませんし。
横浜製フォードと大阪製シボレーについては、そのままずばりのタイトルの本も有ります。
でも、こういう本って経済学的な側面に話が行き過ぎていて、私のような車そのものの方に興味のある者が
知りたいと思う事。例えば生産されたモデルのディティール等については殆ど記されていなかったりします。
こういう事から、例えばT型フォードの名前や、その歴史的な意義については自動車にあまり興味の無い人にも
結構知られてはいても、T型がどんなシャシーにどんなエンジンを積んだ車だったのか等は
車好きを自認する人の中でもあまり知られていないっていう現代の状況が出来てしまったと思います。
だから、そういうHPを作る人は応援したいのですけど、資料の整理ってのは根気が要る作業ですからねぇ・・。
88 :
さすらいのヒーロー :2005/11/25(金) 20:49:40 ID:zArFyF/IO
クラッチを切ったり、半クラにしたり、クラッチを切ったり、半クラにしたり、クラッチを切ったり、半クラにしたり、クラッチを切ったり、半クラにしたり…あ゙〜またエンストした(-.-;) またもぅ1回やり直し!教官が教えかた早過ぎてついてけねー!
'92年頃、転勤による引越ししたこともあって、うっかりと免許を完全失効 したことがありました。んで、試験場で1から取り直し(筆記と実技の仮免 と本免、都合4回試験がある)となったが、路上での実技本免で試験車が R32スカイライン。RB20が軽快に回るのが気に入ってつい曲がり角 ごとにヒール&トウをかましてしまって、危険運転のレッテルを貼られて 敢え無く再試験の憂き目に。 その後無事取得したけど、初心者マーク貼らなきゃいかん。当時乗ってたのは ランチア・フェラーリで名高い?テーマ8.32! 格納式リアスポイラーの裏に貼って、K察関係が見えたら慌ててスポイラー スイッチオンしてました。(現地仕様は速度感応で自動、日本向けは手動だった)
↑ オイオイ(w 他スレ(イアリア行ったらアルファロメオが〜)にも先日書きましたが、日本のように箱庭式の教習コースを持つ 自動車教習所のある国ってのは結構珍しいのかも?他所の国にはいきなり一般路ってのも珍しくない様子。 まぁ、頑張れ(どうせ他人事w) 先日モデルチェンジされたマツダロードスターのインプレッションを雑誌で読みましたが、 フラットトルクのエンジン特性に対しクロスレシオの6段MTでギアチェンジの意味が薄く感じるとか。 「多段=燃費が良い」って言うのなら一番上は高速クルーズ専用にするでしょうがそういう意図も無い様子。 昔ロールスロイスが低速回転時にも粘り強いエンジン特性を得た時にギアボックスを3段にしたら 顧客の多くに「例え使わなくともギアは4段無くてはならぬ」と言われたという話を思い出しました。 若い人達の間で、MTに乗れる事が一種のステイタス(wになりつつある現在、そう考えるオーナーの 満足度だけの為に、ナンだか意味の無い多段MTが増えて行くのかも。
ありゃ、リロードしてなかった。「頑張れ」は
>>88 に言ったつもり。
でも「オイオイ」は
>>89 に言ったと思って読んでも意味が通じるか?(w
92 :
オサーン :2005/11/26(土) 04:18:03 ID:Q8AhLPv20
別板で「ポンコツ」の語源の話題が出ていたので、ちょっと書いてたけれど、どうも 空気嫁と言われそうなので、こっちに脈絡もなく無責任に投下。 平々凡々とした取り柄のない人のことを指す『凡骨(ぼんこつ)』という語があって、 まず、それが転じてぽんこつという口語になったと思われ(例:このぽんこつじじぃw) 明治から昭和期の有名な彫刻家にも、凡骨さんってのがいます。 で、車における「ぽんこつ」は終戦後のタクシー運転手あたりから拡がって来たようです。 国産乗用車は生産禁止、輸入もできない状況で、戦前からの使い古しや、空襲で焼けた 車の再生車、金のある会社はハワイに中古車を買い付けに行ったり、進駐軍の中古を 買い入れたりする状態。 そういうボロは、デフのバックラッシュが増えてきたり、プロペラシャフトのジョイント が磨耗して、クラッチを「ポン」とつないだときに「コン」と音が鳴る。 その状態がポンコツ。 昭和28年発行の岩波写真文庫の、タクシーの項目には 「中型(タクシー)には1940年以前の外車もあり、名をポンコツという。 クラッチなどにガタが来て、ポン・コツときしむからである」 この文章の時点で、戦災を乗り越えて13年酷使されてるんだから、そりゃボロですな。
93 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/11/26(土) 20:40:50 ID:71w5Jizx0
>>93 前スレでもちょっと話に出ましたが、車に限らず外国語をカタカナ表記するのは困難ですね。
一つの雑誌の中ですら“DELAHAYE"を“ドライエ”と言う人がいたり“デラヘイ”と呼ぶ人がいたり。
此処では各人の脳内慣例による事で良い事にしております(?)が、雑誌媒体などでは
特に現存する車に関してはそうも行かんのでしょう。
広告頁と本文とで車名表記が異なってしまったりしますしね。
>>92 それは初耳。そんなに古い言葉ではなかったという事ですか。
1940年というと、既に戦時統制下に置かれて外貨規制も厳しくなり自動車の輸入は途絶えた後の事。
実際には1937年型あたりを最後に戦前の日本での民間の自動車史は中断されている筈。
ですから、アメリカで1939年頃から顕著になったフロントのFull-width化とか、定型のグリルの否定等の
デザインの変化を当時の日本のカーマニアさんたちは全く知らぬまま、情報すらも制限されて
殆ど見られぬままに戦後型に接した事でしょう。
彼等は、進駐軍等の乗る戦後型アメリカ車のいきなりの変わりようにひどく驚いたのでしょうね。
>>93 作家の高齋正氏は「ホンダがF1に復帰(カムバック)する時」などで有名な
SF作家ですが、氏の徳●寺嫌いは間違いだらけ創刊時から顕著で、
短編小説の中でも「間違いだらけの車海老」とか茶化してみたりしてました。
氏の主張は「批評する立場のジャーナリストが匿名・覆面なのはアンフェア」
ということだったと記憶します。
上記サイトを見ると、車名の表記で未だ嫌っているみたいですね。
私の愛するランチアも90年に正規ディーラーだったガレーヂ伊太利屋から
「ランチア」で統一するよう、マスコミや系列ディーラーに通達があった
のですが、イタリア人の発音だとランチャとランシャの中間のような気がして
ビミョーなところです。
96 :
オサーン :2005/11/27(日) 23:07:19 ID:rNaNw8Qp0
>>94 >そんなに古い言葉ではなかった
いや、今のところ遡ることができたのがそこまで、ってことです。
>>92 の昭和28年以前の文献等ではまだお目に掛かっていない。
戦前はタクシーでも二〜三年ほど働いて新車にポンポン換えていたわけですし、
富裕層と職業運転手以外がボロ車を手に入れて買うという時代でもなかったので、
私見では戦後の臭いのする言葉です。
戦前、日本で公式に出た最後の年式は1938年式ですが、輸入ルートが断たれるのは
1940年7月の日米通商航海条約解除以降ではないかと。
他に38年式以降といえば、在日の大使館や公館関係、在日外国人、戦利品などなど。
他に闇としては、横浜のフォード工場が1939年〜40年の1年間稼動しているとか、
満州国の国策会社、同和自動車工業に日本フォードや日本GMから部品が船便で
送られているなどの謎生産があります。
この辺は、表向きの国産愛用とは別に、軍が「性能に優れた米国車」を欲しがって
いたってことでしょう。
>>96 >今のところ遡ることができたのがそこまで
成る程、そういうことですか。
準戦時体制になり、外貨規制が厳しくなったのが正確に何時であったのかが判らないのですが、
前スレで話に出たMG-K3マグネット(現・河口湖自動車博物館在住)を日本での最初のオーナー
小早川さんが個人輸入された1936年には既に規制は厳しかったようで、
外貨への両替には大変苦労されたと言う話を読んだ事が有ります。
一応輸入ルートは閉ざされていなくても、38年頃には幾らお金持ちであろうと既に一般人には
買いたくとも買えなかったという事だったのでしょうか。
>この辺は、表向きの国産愛用とは別に〜
当時の国産メーカーの生産規模では軍の需要を満たせなかったという事も有ったのでしょうか?
日本フォードは一応38年も一般向けに広告も出し営業は続けていたようですが、38年型は実際に
日本でも組み立てられたのでしょうか?日本で撮られた38年型の写真は見た事が有りません。
その広告を実際に見た訳では無いのが残念ですが、英フォードの“テン”等も宣伝されていたそうです。
ところがこれを何故か日本フォードではドイツ製とわざわざ事実と異なる表記をしていたのだとか。
既に英米製品をおおっぴらに扱う事には遠慮するような雰囲気でも有ったのでしょうか?
この頃の事は、もう当時を知る人の記憶の中でもかなり曖昧にされてしまっている様子。
まぁ、特に車に興味が有ったならともかく、それ程でもない普通の人なら無理も無い事ですが。
98 :
オサーン :2005/11/28(月) 03:16:10 ID:jHvSSBV80
>日本で撮られた38年型の写真 「えーと、どの本だっけ」と記憶をほじくりつつ本棚を引っ繰り返してみますた。 ちょっと一般的じゃない、数が出てなさそうな本なんですが オールドカーのある風景 師岡宏次写真集(二玄社 1984.1.10発行) これのP.134と135に、それぞれシボレーマスターがはっきり写ってます。 写真の撮影年はどちらも1940年とあり、P134は撮影場所が馬場先門付近、135は丸の内。 ボンネットフードのサイドルーバーがはっきり38年と判別でき、リヤのナンバー上には 本国仕様にない尾灯が付いています。 残念ながら前車軸が見えないので、独立懸架のHAか固定軸のHBかは判別できません。
うむ・・ずっとフォードの話が続いていた為も有りシボレーの方はすっかり忘れておりました。 その本、手許には有りませんが近所の図書館で借りた事も有ります。 独立懸架と固定軸の二本立てだったのは35年から、その38年迄でしたっけ? その前1934年に採用されたものの、悪路で酷使されると耐久性に難有りとされたというデュポネ式の独立懸架 スクーデリア・フェラーリに移ってからの1935年アルファロメオティーポBで使われた事でも知られていますが 実は私、どんな仕組みの物なのかよく判っていません。 Dubonnet-typeとかKnee-actionとか検索しても、どうもいい図が出て来ないのです。 それにしても30年代のシボレーって、日本では商人の町大阪を本拠としていた事も有ってか 最初はトラックが中心で、タクシー等でもフォードと競合し始めた頃には戦時体制に入ってしまったそうなので 日本では乗用車の影が薄いのも無理も無い事かもしれませんが、 どうもアメリカでも現代での人気面では同時代のフォードに大差をつけられている様子。 出版物や模型等、30年代のフォードは沢山出ているというのに新車当時にはそれを上回る売れ行きだった シボレーはその数分の一といった感じでしかない。現存する車両の数とかは判りませんが、これも恐らく 大差をつけられているのではないでしょうか。 これ、私は以前から不思議に思っているのですが、どうしてこうなったのでしょうね? ついでに言えば私が好きなThe Beach Boysも “Little-Deuce Coupe"とか“Ballad Of Ole’Betsy"とかって曲で32年フォードを歌っていますが、 シボレーとなると“409"といった具合に戦後型になってしまう(あまり関係無い?失礼w)
100 :
オサーン :2005/11/29(火) 02:28:13 ID:AVV/IYmx0
三菱はフロントの方ですか? うーん。プッシュロッドでレバー比を変えているのか。 確かにコンパクトにはなりますね。
う〜む・・。どうも今ひとつ・・今度構造辞典でも買うかな・・? ・・は、ともかく。 34年式シボレーのフロントサスペンションは失敗作の烙印を押されて、特に日本のタクシー業界では コイルばねへの偏見すら生まれたとか。余程懲りたのでしょうね・・。 ところが、同年欧州GMのオペルが発表したオリンピアでは問題無かったのか、戦後も基本的にそのままで 作られた辺りデュポネ式それ自体に罪は無かったという事なのでしょうか。 その割にはこの形式って採用例が少ないのですよね。GM系以外では上記のアルファロメオP2/1935とかが 有名どころですけど、シボレーも39年型ではウィッシュボーン式に宗旨替えしてしまったようですし。 余談ですが、私は手許の本から“デュポネ式”と記憶してしまいましたが“Dubonnet-type”なのですから “デュボネ”の方が本来の読み方に近いのでしょう。 もっとも、PCで表示させると濁点なのか半濁点なのかそれ自体が判り辛いので、どっちを書かれても 読み過してしまい勝ちなのですけれど。
103 :
オサーン :2005/11/30(水) 02:01:08 ID:HXE2lxyg0
>>101 コンパクトにはなるんですが、どうみても金の掛かりそうな鍛造のアーム類、それと点数の
増えるブッシュやベアリングは、費用対効果の点でいかがなものかと。
コスト命で開発された初代ミラージュが出るまで、三菱車って変なところに金掛けてました。
オペルのデュボネは2年ほどで消えてウイッシュボーンになりますた。
よっぽど懲りてたんでしょうな、GM。
ぱっと見ただけでも、部品点数大杉、キングピンのベアリングに過大な負荷が掛かる、
メインアーム支持のカッパーブッシュがいかにも減りそう、とか。
錘を付けてるわけだから、ステアリング操作に変なイナーシャ付いたでしょうし。
日本じゃ、油漏れやアライメント狂い、タイヤの偏磨耗が嫌われたそうです。
成る程、オペルのデュボネも2年ほどで消えていたのですか。 実は102を書いた後二玄社の「世界の自動車・オペル」にて、 “オリンピアのフロントはデュボネ式の独立” “戦後もオリンピアは戦前と変わらないまま作られた” という記述の後に “戦後型カピテーンのフロントはアーム形状などの細部を除けばオリンピアと共通” という注釈付きでロワーウィッシュボーンとコイルのフロントサスの写真が有るという 腑に落ちない点が有ったのを思い出して気になっておりましたが、これでさっぱりしました。 GMもどうせならば最初から31年登場のプジョー201式のウィッシュボーンを採用しておけば 良かったと思うのですが。 既存のフレームが使えると言ってもオリンピア等オペルの各車は新設計ですし、 シボレーにしても翌35年にはXメンバーの無い新型フレームを登場させているのですから。 この30年代。国毎、メーカー毎にいろいろと趣向を凝らした機構を使用している時代が私には最も面白い頃。 前後共に横置きリーフのリジッドのフォードとモノコックに前輪駆動のシトローエン等、とても同じ時期に 作られた車とは思えないようなのが有ったりという具合に。 そんな中にあってオペルはかなり先進的な方にあったと思うのですが、残念な事にあまりこの時期の オペル車が日本の雑誌等で取り上げられる事は多くは無いようです。どうも先日書いたシボレー同様 GM系の車は地味で記憶に残り難いようです。GM自身が狙った“計画された陳腐化”とは別な意味で。
105 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/12/01(木) 13:23:30 ID:zHJi5vWWO
三菱のランサーエボリューションと、スバルのレガシィB4。 買うとしたらどっち?その理由も
106 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/12/01(木) 13:58:11 ID:YhV4ePDh0
dottimo dame kusodayo!kuso!
好きな方を買えばよかろう。 ただし、免許取り立てならどちらも薦めない。 運転をはじめ、クルマとの付き合い方が下手になること間違いなしだ。
>>105 ランサーエボリューションorインプレッサWRCじゃないの?またはレガシィorギャランとかでは。
ランサーorレガシィならばレガシィ。理由は乗り心地重視。だからできれば6気筒。
無理なら4気筒でもいいけどターボは嫌。まぁどちらにせよ、あんまり積極的には考えたくないかもね・・。
昨日104書いてから思ったのですが。オペルってよくよく考えてみればヤナセが扱い始めた一時期を除けば
日本ではずっと地味な存在のままなのかも。
これがもしドイツでならばそのアメリカ風味が新鮮な味を感じさせるのかも知れませんが
日本で“ドイツモノを買いたい”って人には“ドイツモノ”のイメージが希薄に感じるような気がします。
この事は欧州フォードにしても同様な事は言えるのでしょうけれど、オペル車のデザインには
フォード以上にアメリカ風なセンスが感じられるように私には見えます。
この為にオペルの車と言うとドイツ車好きにもアメリカ車好きな人にとっても半端な存在になってしまい
興味を惹きづらく、車の出来とは関係の無い所で損をしていると思うのです。
そうした強烈な個性を感じさせない万人向けである事がオペルを彼の地で成功させたと言う一面はあるでしょう。
しかし、オペル自身は決して無個性な車を好んで作ろうとしている訳ではなく
オペルなりに個性的であろうとしているのではないでしょうか。・・但し万人向けである事から逸脱しない範囲で。
人間にも言える事かも知れませんが、飽くまで目立ち過ぎない範囲の中で個性的であろうとする事って
誰でも考える事であって、それこそが最も無個性で地味な事だと思います。
恐らく私はランサーやレガシィの個性というのもそうした範囲内にある気がする為に興味が持てないのでしょう。
元ランエボオーナーで現行レガシィで仕事している私メが。 用途が違う。例えれば片や競技用ストップウォッチ、片や国産電波時計。 舶来品の中には実用性では劣るけど、もっと趣味性の高いものもある。
110 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/12/02(金) 09:49:47 ID:fvmDAX8GO
>>107 じゃあ初心者は何を乗った方が良いと思う?
>>110 その人の能力と、その人の性格や用途(走り屋志望とかイパーン人等)によって違う。
日本人は「〇〇だからコレ」、なんて安直な事を求める馬鹿が多いが、実際そんな簡単な図式じゃ無い。
「初心者は〜」って、随分大雑把な括り方だなぁ・・w 考えてみれば最初の車選びってのは何かを手離す辛さとは無縁ですし、大体の場合は必要に迫られて選ぶ という訳でもないのですから、ゆっくりと楽しめば(悩めば)良いと思うのですけどね。 でも実際には、まだ自分が車に何を求めたいのかも判っていない場合がほとんどですし、 一日でも早く自分の車が欲しくてそれどころではないのでしょう。若い時には皆性急なものですから。 私は車に乗りたくて免許を取ったのではなく、シトローエンに乗りたい為に免許取りました。 だから何にも悩む事なんて有りませんでした。こういうのが幸福なのか不幸なのかは判りません。 でも、他の車にも乗る機会は有りましたし、後悔は全く無いです。 別段舶来品(この言い方も今時珍しいですよね・・w)が好きって訳ではないと自分では思っています。 パリに行った時ですら、靴下買いに入ったのは“無印良品”ルーブル地下店だった程です。 (ワカラン例えだなぁ・・) でもねぇ・・。アルファロメオのミラノ市の紋章入りのエンブレムとか50年代頃の古いオースティンに “AUSTIN OF ENGLAND”なんて書かれているのは格好良く見えますが、 もしもトヨタに愛知県のマークが付いていたり“ニホンのトヨタ”なんてカタカナで書かれていたりしたら 嫌だなぁ・・なんて思ってしまうのは、やはり少々舶来かぶれしているからなんでしょうかねぇ??
113 :
オサーン :2005/12/03(土) 04:09:25 ID:6vbPw7p80
面白い所見つけましたね。でも正直なところ、これが日本語のHPなら・・。
英語読むのも面倒ですが、昔の日本語邦題で記憶している映画だと(特にアメリカ以外で作られた映画だと)
どうにも検索しようが無いですし。
以前からちょっと気になっている事。映画「俺達に明日はない」
現実のボニーとクライドが死を迎えた時に乗っていたフォードは34年型フォードア・セダンの筈なのですが
フランクリン・ミントと言う有名な所からは32年型コンバーチブル・セダンをベースにしたミニカーが出ています。
http://www.moviecarmania.com/proddetail.asp?prod=MCM-0039&cat=19 映画が間違っているのか、確認してみようとしましたけれど上記のサイトでは
「BONNIE AND CLYDE」で検索しても引っ掛からない・・。
やはり自分でビデオ借りてきて見るしかない?VHSデッキ故障したままなのでその修理が先。
面倒臭いなぁ・・。
115 :
オサーン :2005/12/04(日) 02:47:23 ID:RNts5+Dc0
>>114 32年のコンバーチブルセダンで華々しく強盗したので、ボニー&クライド='32 Fordが定番イメージ。
なので、商品も'32で作られるんでしょう。
彼らの最後は'34Ford fordorで間違いないです。
捜査網が狭まり、終わりが近づいた頃にカップルから強奪した車です。
映画の力なのかボニクラの方が有名ですが、個人的にはジョン・デリンジャーの方が好きだなあ。
映画でもちゃんと最初は32年コンバーチブルセダン使ってましたっけ?
随分昔にたった一回見たっきりなので忘れました。
警察と密通した仲間の父親が慌てて下に潜った車はナンだったのか・・?そんなに地上高の有る車って??
とにかくもう一度見直しておかないと。
アメリカ人は元誰某の車ってのが好きだって話を聞いた事が有ります。
実車でも元有名人の所有であった物は付加価値が大きいとか。
まぁ程度の差はあれ、他所の国でもそれは有るでしょう。
模型の世界にもそれは及んでいるようですが、アル・カポネが使ったという重装甲キャディラックなんかまで
模型化するっつうのは如何なものか?と私は思うのですが。
http://www.moviecarmania.com/proddetail.asp?prod=MCM-0040&cat=19 日本で言うなら「仁義無き戦い」に登場したナントカ組の組長さん仕様車みたいなモンでしょ?
これ、別に機関銃のミニチュア等のオマケ付きという事でも無さそうですし、
只の黒いキャディラックV16ではダメなんでしょうかね?
余計なお世話ですけど、この車(実車)総重量7dとかって聞いた憶えが有りますが本当かなぁ?
もしもそうなら、単純なパワーウェイトレシオはオースティンセヴン(アメリカだからバンタムか)以下
警察等に追い掛けられたら逃げられないのでは?常に逃げも隠れもせず、堂々としていたから
それでも良かったのでしょうか?
ついでに。ジョン・デリンジャーの33年フォードなんかも出ているようです。
http://www.moviecarmania.com/proddetail.asp?prod=MCM-0041&cat=19 元の車種が先に有るなら、模型メーカーにすればいい商売なのでしょうね(w
以前ブリストルスレで16気筒ネタ振った事が有りましたけど、キャディラックのV-16って 当時のお値段はどのくらいだったのでしょう?ってふと思って調べてみたら・・。 フォードやシボレーが平均500$で買えた頃(1930年)、8000$〜という事は、 お値段の方も欧州製の高級車並みかそれ以上。やっぱり大した物。 ちなみに、もうちょっと時代は後になりますがイギリスでアセンブリーされたフォードの小型V8(2.2リッター) フォードアサルーンが240£で買えた時(1938年)ロールスロイスのファンタムVの出来合いデザインモデルは 2700£程度だったそうです。 しかし上には上が有って、1931年のデューセンバーグSJには「トウェンティ・グランド」と呼ばれるモノ有り (グランドとは1000$紙幣。つまり20000$近い値段) 更にはブガッティ・ロワイヤルはシャシーのみでロールスロイス三台分。 現代のブガッティ・ヴェイロン16.4も値段は当時のロワイヤル並みという事? しかし、こういう事を調べていてもつい横道に逸れてしまう(根が貧乏な?)私は英フォード製の安車、 当時の英国で最も安かった“エイト”SV993ccは115£で買えたなんて事の方に興味が行ってしまう。 この時代、アメリカと他の先進国との間にはかなりの経済格差が(一般庶民には)有った事を 改めて感じてしまいます。
保守。 ・・ついでに。かつての欧米間では燃料の質にも格差があったのでしょうか?という話。 欧州車にはアメリカ仕様のみ良質の燃料期待して圧縮比を高めた例が有りましたし。 30年前後、メルセデスのSSKL(7リッター過給機付き)が過給時にのみ一時的に300psを発揮出来たそうですが これは純ワークス・レースカー。アルコール混合燃料を用いないとノッキングが酷くまともに走れなかったとか。 しかし同時期、これに近い排気量に常時過給していたアメリカ車デューセンバーグSJは320psを豪語し、 ごく普通の用途にちゃんと応じていたとか。 この数値に掛け値が無いとするならば、それはデューセンバーグのDOHC4バルブをはじめとする 高度な設計の賜物か、そこに燃料の質の違いがどの程度貢献していたものなのか? 今となっては容易に知る事は出来ない事ですけれど、昔からこれ、ちょっと気になっているのです。
上の続き。 リッター当たりの出力(比出力)のみを見てあれこれと言う事自体には大した意味は有りませんが その車の性格付けや参考程度に近い排気量のロードバージョンものを幾つか上げてみると。 1928年メルセデスSSK(直6・7069cc)は無過給時170HP過給時225HP 1929年ベントレー・スピードシックス(直6・6597cc)は180HP 1930年キャディラックV16(V16・7413cc)は165HP 1936年パッカード・トゥエルブ(V12・7762cc)は175HP 1938年ロールスロイス・ファンタムV(V12・7338cc)は180HP 大体このクラスではトップギアカーとか称して変速をさぼった運転が出来るようにすると(SSKは例外ですが) 似たような数値になるようで、デューセンバーグのJ(無過給)の265HP、SJ(過給機付き)の320HPは 図抜けた数字に見えます。 もっとも、実用的低回転型エンジンでリッター当たり20〜30ps、スポーツ用高回転型でリッター当たり40ps程度 というのは30年代に於ける無過給エンジンの大体の相場であったようで、上記の一群も大体その線に 収まっているようですが。 本来1ps=0.987HPだそうですけど、どうせ目安の話、元の資料に「〜馬力」と漢字で書かれている場合 どっちなのかも判りませんのでかなり乱暴ですけどここではその差は無視してHPに統一しました。
最近は米国の燃料は粗悪だと、欧州各社は米国向けには圧縮比を落としてると聞きました。 まあ、マスキー法以降アメリカは天国はなくなってしまったかと。
そう言えば、先日何かで“輸入車にハイオク指定が多いのは、ハイオクと称して売られている物なら 大体世界中均質に近い物が入手可能だからだ”みたいな話を聞きました。 逆に言うなら、レギュラーガソリンと言うのは規定が無く、その土地毎にばらつきが有るという事なのでしょうか。 欧州では95,98,100RONと三種のガソリンが売られているところも多いようですが、アメリカはどうなのでしょうね。 戦前の日本では宮内庁の御用車がパッカードのエイト(直8)に統一されていた事もあり、上流階級の間では パッカードの人気は抜群であったそうですが、最も高級であったV12トゥエルブはなんとなく宮内庁に 遠慮する気配もあってか、輸入されなかったらしいとか。 お値段の方もアメリカ本国でスーパーエイト2750$に対しトゥエルブは3660$也。 大卒(今とは重みが全く違う)の初任給が60円程の頃の日本では ダットサン750ccが2100円、シボレー(大阪製でしょう)が4000円。 おそらくパッカードはエイトでも3万円は下らなかったのでは?実際にはそれに完成車輸入関税が 100%掛かった(つまり倍額になった)そうです。 貧乏臭い話ですけど、この計算でいくならば、アメリカではシボレー30台分以上の値段だった デューセンバーグJなどは関税も含めると・・計算する気も起きないし、比較対象が無い事にはしても無駄・・。 しかし戦前に一台、福沢駒吉氏なる人物がこのモデルJを日本で所有されていたのだそうですと・・。
今日も保守・・ついでに・・。
幾ら豊かだったアメリカと言えども浮世離れした高価格車デューセンバーグですが、
浮世離れしているように見られたいハリウッドスター達の間では人気が有ったようです。
有名なのはクラーク・ゲーブルとゲーリー・クーパーですが、他にも好きな方は沢山いらしたようです。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_Duesenberg.jpg?bcMmEEEBiQ_qEcQe これはターザン映画のヒロイン役で有名になったモーリン・オサリバンさんとその愛車の写真。
残念ながらこの角度では過給機付きのSJか無しのJかは判りません。
反対側を見られれば、SJはボンネット外に出された排気管で一目で判るのですけど。
この車体外に出された排気管というと、他にも有名なのはメルセデスのSシリーズとか500&540Kとかですが
GPカー等幅狭い車体を架装した車には意外と多いですし、デューセンバーグと同じグループ企業の
コードやオーバーン等でも過給機付きモデルでは、そうされているのが見られます。
これ大変格好が良いのですけど、単に過給機付きである事を誇示しているのではなく、
追加された過給機と排気管が干渉するのを避ける為にやむなくそうしているのだとか。
・・みたいなことは、本を見れば大体書いてあるのですが。これ、よく考えるとちょっと変な話。
デューセンバーグの場合、ツインカムヘッドを持っているのですから当然クロスフロー。
吸・排気はエンジンブロックを挟みそれぞれ反対側に配置されている筈。気化器に空気を送る過給機も
吸気側に置くのが普通。わざわざ排気側に置いて排気管と干渉してしまうようにするのは不自然だと思います。
事実モデルSJの気化器は排気管の反対、車体左側。なのに過給機は排気管の有る右側の高い位置に置かれ、
ヘッドを跨いでブロック反対側の気化器に空気を圧送するようにされています。
なんでそんな面倒な配置なのでしょう?・・・・まさか排気管を外に出す為の口実なんて事は・・無いよなぁ・・。
30年代ネタでの暴走っつうのはさすがにレス付かんな・・(w ・・などと言いつつ・・。 デューセンバーグのドライブ・インプレッションはそう多くを読んだ事は無いですが、それも無理は無い話で 高価でパワフルでありながら相対的にプアなタイヤを履き、重心も高そうな車では思い切って振り回して どうのこうのと言う事に意味を見い出し難いのでしょう。それでもステアリングギアレシオがスローである事は 何度か読んだ記憶が有りますし、やはり純粋なアメリカ車なのでしょうか。 デューセンバーグ兄弟は第一次大戦中にブガッティ航空エンジンの生産を受け持った事から 多くを学んだそうですが、シャシーやボディーデザインには当然ブガッティの影響は見られません。 それでも30年代にはイスパノ・スイザのパトロンとして知られるアルフォンソXV世など欧州の王侯貴族にも デューセンバーグ好きはいらしたようですが、第二次大戦後にはアメリカ人達が外に出さなくなった事も有ってか 欧州での人気はその名声から考えると左程でも無いように見えます。 ブガッティならば“蝶のように集めた”事で知られるアルザスのシュルンプ兄弟という有名なコレクターも デューセンバーグには興味は無かったのか、そのコレクションを受け継いだフランス国立自動車博物館にも デューセンバーグは一台も有りません。・・しかしこの博物館、アメリカ車自体殆ど無いのですけどね・・。
デューセンバーグJには二種のホイールベースが有って、長い方は3899mm短い方でも3620mm
同時代のロールスロイスファンタムUよりもそれぞれちょっとずつ長く、
ブガッティ・ロワイヤルを例外とすれば最大級の乗用車でしょう。
他にゲーリー・クーパーとクラーク・ゲーブルの二人だけが手に入れた事で有名なショートシャシー
SSJが有りますが、これは(写真でしか見た事は有りませんが)ボンネットの丈とかは他と変わりは無い為に
寸詰まりで格好は良くないと思います。・・とは言え、WB3175mmも有ったのですけど。
http://www.stefanopasini.it/images/03-Duesenberg%20SSJ.jpg 3175mmっつうと1インチ=25.4mmとして換算すると丁度リンカーン・ゼファーと同じ125インチ。
それでも寸詰まりに見えるという事は、如何にシャシーその他が腰高であったかという事でしょう。
幸い、ゼファーと違って長さの有る直8を前車軸後方に積む為に、キャブフォワードな2シーターのように
リアのボリュームを持て余している事は無いのですが。
それにしてもこの写真で開いて見せているランブルシート。0-100mph/h(km/hではない)17秒を豪語した
この車の本気の加速をこの座席で味あわされたらさぞ怖い思いをした事でしょう。
こうした後ヒンジ前開きのドアは安全性にうるさい現代ではすっかり見なくなりました。 実際、こちらが慣れていない為もあるでしょうけど乗り降りがし易いとも特に感じませんし。 知人から聞いた話ですけど、彼がまだ子供だった頃にその手のドアの車に乗せられていて 走行中半ドアだったのに気付き、何の気無しに閉め直そうとちょっと開けてみたところ 走行風を受けていきなり全開になり、酷く怖い思いをしたとか。 ・・そういうことも有ってか、最近のRX-8とかロールスロイスファントムとかの後扉などでは かなり神経質にも思える安全装置が付いていたり、前を開いてからでないと開かないようになっていたり。 RX-8流の観音開き4ドア(一見2ドアに見え、後ろは極端に小さい補助ドア的な代物)は 一時期話題になったものの尻すぼみに終わった(?)GM・サターンのクーペにも有りましたが そのアイディアは結構昔から存在するようで、30年代にフランスのカロシェ、ケルネルが そうしたドアを装備したコーチボディーをイスパノ・スイザJ12に架装しています。もっと古いモノもあるのかも。 最近プジョー1007が採用したスライドドアも、ミニバンとかの後部では既に御馴染みですが 1945年にフランスのアンドレ・デュポネ(デュポネ式独立懸架の考案者)が試作した車で見られますし 更には39年頃のイギリスで、ジェイムス・ヤングというコーチビルダーがロールスロイスのシャシーを用いて 試みているようです。 他には変わったドアって有りませんかね?
ガルウィングはどうですかw
128 :
オサーン :2005/12/14(水) 23:48:07 ID:k7SwPCwd0
変態ドアといえば、メッサーやアンテルの横開き航空機キャノピーとか。 あと、冷蔵庫みたいなイセッタ。 冷蔵庫といえば、どちらからでも開く両ヒンジドアも何かの車にあった。 凝った変態ならカイザー・ダーリン。 前方にスライドしてフェンダー内部に隠れるドアなんてアイツくらいでしょ。
↑ 美味しいところ独り占め(w 試作で終わったのも含めて良いならば、 航空機キャノピー式には後方スライドのピニンファリーナ“モデューロ”とか あと、イセッタ式に前から乗り降りする“ストラトス(生産型とは別物)”とかっつうのも有ったような・・。 >どちらからでも開く両ヒンジドア ナンでしたっけ、有りましたねぇ。う〜む・・思い出せない・・。 あれこれ画像捜してみますけど、今日はもう眠いのでまた明日以降に・・
アバルト美術館の奥のほう、レコードブレーカーの隣に置いてあったのはなんでしたっけ? あれも確かキャノピー式でしたね。どこがどう開くのか、実車を見てもわかりませんでした。 あ、思い出した。アバルト2000PFでした。
>>131 (良い番号ですねw)
その車は知りませんでした。アバルト美術館はオープン間もない頃に一度行ったのですけど・・。
PFという名前の通りピニン・ファリーナデザインなのでしょうか。“モデューロ”とどっちが先なのでしょう?
横開き、スライド問わず航空機キャノピー式っつうのは50年代のGM系ショーカーとかをあたれば
結構出て来そうに思えます。
ナンと言っても自動車辞めて飛行機になりたがっているようなのが一杯有りましたから。
変態扉のチャンピオンはやはりカイザー・ダーリンで決まりでしょうか?乗るのに苦労する方面での変態ならば
メルセデス300SLプロトタイプってのが有りますが(ドア無し。窓から乗り降りするしかないw)
カイザー・ダーリン。130に上げた写真の説明文によると、生産車としてはボディー素材にプラスティック(FRP)を
使用した最も初期の例なのだとか。(初代コルベット登場もこの年)
あれほどの豪華車にFRPボディーってのは現代では違和感を感じますが
まだプラスティックそのものが目新しかった頃、未知なる新素材を大胆に取り入れたってのは
結構良いセールスポイントになるって会社側は考えたのかも知れません。
・・しかし維持は大変でしょうねぇ。
合成樹脂の無かった頃にはなんでもかんでも金物とか自然に存在する素材で作らねばならなかった。 ・・当然の事ですが、大変だった事でしょうね。室内だってホンモノの皮や木材を使用するしかなかった訳ですし。 合成樹脂素材が最初に自動車に使用された例ってのは結構古いようで、1928年頃にはフォードA型の 庇(サンバイザー。ウィンドシールド上室外側に付いているモノ)とかに使用されているようです。 その後も木製ボディーのワゴンの後部窓とかにセルロイドの使用例が有るようですが、セルロイドは あまりにも燃え易く、耐久性も今ひとつだったとか(怖・・)。 塗料関係にも目を向ければもっと古い例も有るのかも知れません。
ドアそのものは別に変わった物ではありませんでしたが、T型フォードに有ったセンタードアセダンなんてのも ヘンリー・フォードさんには失礼ながら今見るとちょっと変態ボディーっぽい。 文字通り、ボディー側面中央に一枚ドアを設けただけの箱型5座。 コスト削減がその主な狙いだったそうですが、箱型の便利さが一般にも認められ始めた頃と言う事もあり、 結構普及したとか。しかし結局の所、年々量産効果でT型の値段が下がり続けた事もあってか 20年代前半で消えてしまった様子。“しかし、セダン”という呼び名が自動車に使用されたのは、 このセンタードア形式が最初だったそうです。 T型は沢山作られた事も有って時代を思えば結構な数が残っていますけど、箱型は案外少ないようです。 ツーリング型などのオープンの方が時代性をよく表している事もあるでしょうが、ボディーそのものの耐久性も 箱型は少々劣っていたのかも知れません。 一般的な日本人は4ドアが好きなように思います。しかしこれ、利便性を求めてそうなったのか?っつうのは 少し前の4ドアハードトップなんて形式の流行から考えると、どうもそうではないように思えて来ます。 恐らくかつてのアメリカ人が2ドアスタイルそのものを好きだったように、 理屈抜きで4ドアスタイルそのものが好きだったのではないでしょうか?
↑ “しかし、セダン”という呼び名が〜 ・・「“」印入れる所が変でした・・。 保守。・・・・例によってついでにちょっと。 以前はハッチバックの場合、3ドアとか5ドアとかって、後部も扉の数の内に入れるに違和感が有りました まぁ扉と言えば扉ですが、一応は荷物用なのですから“蓋と考える方が自然だろう”って思って。 でも、前スレにも書きましたが、両側の扉が開けられなくなった時に一度 非常用の入り口になる事を知ってからはそう感じなくなりましたが。 内側からは開けられない私の車の場合、脱出口には使えません。 多分その場合にはサンルーフしかないでしょう。
思えば少し前にはシトローエン2CVの話をしていたのにすぐ後にデューセンバーグの事など書き込む 性格破綻気味な私・・。 巨大な車つながりで「イタリア行ったら〜」スレでちょっと話に出ていたグローサーメルセデスの事。 ・・しかしこの車、有名な割には“乗ってどうの”って記述は殆ど見た事も無いです。 よく770グローサーと一括りにされますが38年迄の前後共固定懸架のW07KはW/B3750mm それ以後の前ウィッシュボーン後スウィングアクスルのW150は更に大きく3880mm。 ちなみに日本で昭和天皇が使用したのは前者の35年型。 これに近い寸法の車を捜すとロールスロイス・ファンタムUのロングシャシーが3810mm (ショートシャシーで3658mm 1インチ=25.4mmで計算) しかしロールスロイスの場合、前がウィッシュボーンの独立になったファンタムVでは 左右を結ぶアクスルビームとの干渉を避ける必要が無くなった為にエンジン位置は前進し (エンジンそのものもコンパクトになった事もあり)車室の広さは変わらずにW/Bは短くなって 3607mm。 ロールスロイス・ファンタムUが「巨大な車」と言う視点から語られる事はあまり無いようですが グローサーメルセデスという車は、まず何よりもその巨大なサイズで語られるのは何故でしょう。 “前輪に独立懸架を採用し、寸法を縮小する事が可能になったにも拘らず、ロールスロイスとは逆に 更に巨大化させた”・・この事から思うに、とにかく立派に大きく見られる事がこの車の最大の目的で あったからなのではないかと私は考えます。早い話が、大きい他にはあまり特徴が無かったのでは ないか?と。
グロッサーGrosserは名前自体が「大きい」でしょ。そのまま名は体を表す。 英語のgreat、イタリア語のgrossoとほぼ同じ。 美しさよりも荘重さや威圧感、メルセデスの伝統的得意技ですな。 発表当時、新聞か何かで「醜い」という評すらあったかと。 そういやgrossoには「ごつい」という意味もあったっけ。
成る程。・・しかし、 >名は体を表す 元々がその大きさからGrosserという呼び名がついた訳でしょうから、 この場合その言い回しは妥当なのでしょうか・・? それはともかく・・。 後期型770のエンジンは前期型の物と基本は同じようで7655ccの直8。カウンターフローのOHV。 この時代(30年代半ば)としては特に進歩的という事も無ければ保守的というような物でもないようです。 唯一特徴的なのは過給機付きという事でしょうか。メルセデスの過給機は良く知られるように アクセルペダルを目一杯に踏んだ時にだけ利くようになっていて、 連続して60秒以上使用してはいけないと注意書きがハンドブックに記されているのだとか。 そう聞くとメルセデスの過給機は耐久性に問題有りなのか?と思い勝ちですけど、 特にそういう注意の無い他のメーカー製でも当時の過給機っつうのはその程度の物だったそうで、 日本に来たMG-K3マグネットがその過給エンジンに興味を持った軍部の元で性能試験に晒された時に 一分間程の全開を終えた直後過給機の一部を破損したという話を読んだ事も有ります。 純レース用のMG-K3マグネットでも(全開加速出来る区間が数十秒も連続する事の無い クローズド・サーキットを念頭に作られる純レース用ゆえという事も考えられますが) 過給機の耐久性とはその程度の物だったようです。 普通に考えれば、普通は一分もの間全力で加速を続ける事ってのは有り得ないでしょう。 速度記録挑戦車でもルマン出場車でもないのですから。 ついでに。昭和天皇の使用した前期型770は過給機無し。ですから社内呼称は単にW07となるのでしょう。 この仕様は119台作られたW07系の内僅かに13台のみと、むしろ希少だったのかも知れません。
http://www.autogallery.org.ru/k/mb/mbotkrHitler1_Baydeww2.jpg この写真は前期型W07K。メルセデス770Kっつうと、やはりこういうイメージでしょうか。
以前書いた事にも関連しますが、メルセデス540Kや770K等カウンターフローのエンジンに過給機を
付けた場合、エンジンの片側に吸・排気系全てが集中しますから排気管の行き場が無くなり
ボンネット外に出されるのも無理は無いところ。この写真でもボンネットサイドに二本の排気管が
出されているのが見えますが、沿道の観衆にはこれが力の象徴に見えたのでしょうか。
戦前の日本ではメルセデスは珍車だったそうで一般にはあまり馴染みが無かったこともあり、
770がナチスと直結するイメージで語られるようになったのは結構後の時代になってからのようです。
現代の私の目からは、敗戦直後昭和天皇が日本全国を回った時に旧同盟国ドイツの独裁者ヒトラーが
愛用した事で有名な車W07を用いたっつうのは少々無神経・顰蹙モノと見えるのですが、
恐らく当時の国民やらGHQの中には770を見てすぐにナチス=ヒトラーの戦勝パレードを
連想するというような人はそうはいなかったのでしょう。
それにしても。皇室の770はナチスがパレードに使用したようなオープンボディーではなく、
また排気管が外出しにはなっていない無過給モデルだったのも良かったのかも。
多分はそのおかげで私のようなひねくれた者以外からは、
現代に於いてもこうした見方をされていないのでしょうから。
140 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/12/23(金) 14:07:55 ID:lWRBh8Bl0
>愛用した事で有名な車W07を用いたっつうのは少々無神経・顰蹙モノと見えるのですが、 歴史的必然だとおもふ。まさか今上をジープでお運びするわけにもいかないし。 でも基本的に、GHQの中の人におおらかでリベラルな人が多かった(この辺、度忘れすまそ)。 その人たちの理想主義的な考えが占領政策に反映させていた辺りが真相じゃないですか? 「ご所有のメルセデスにお乗りになる?ええ構いませんよ、何か問題でも?」 グローサー(グロッサー?)の成り立ちを調べたくてもそっけなくほんの数行で片付けてる のが多いですよね。コバショーの東名&箱根のインプレもねーしw やっぱりナチスつながりでベンツ本の著者も気が乗らないのかな?? で、 天長節あげ
GHQのお偉いさんには、欧州戦線にいた人が少なかったんじゃないの。 ヒトラー他ナチス高官の愛用者と同型とは思わなかったとか。 そんなに嫌うならダイムラー自体潰されてるんじゃない。 (ポルシェ博士は戦争犯罪者になってたっけ?) それ以上に、他の車がなかったってのが大きかったと思うwww GHQがわざわざアメ車運んできてあげるほど太っ腹なことするとも思えないし。
まぁ139に書いた通り、私自身でもひねくれた見方とは思っております。
それに私、基本的にアナキストなのです。
この時代にアメリカでルーズベルト大統領が使用したという車の内の一台、パッカード・トゥエルブは
現在日本のトヨタ博物館に収蔵されています
http://www.toyota.co.jp/Museum/data/images/a03_04_3_6_2.jpg W/B3537mmとメルセデス770KやデューセンバーグJロングシャシーよりもちょっと小柄。
ルーズベルト専用車としては、他にも有名な“サンシャイン・スペシャル”と呼ばれた車等も有って
こちらは39年型リンカーンKAのシャシーをベースにW/B4114mmまでストレッチされた特別製。
さすがに大統領専用車がハリウッドスターの愛車よりも質素な物だけってのは示しがつかなかった?
此処でふと思ったのですが、ドイツ・ヒトラーがメルセデス770Kならば、大型車の少ないイタリアで
ムッソリーニは何を使用していたのでしょう?イソッタ・フラスキーニは35年に既に消滅していましたし。
ランチアも37年迄に3リッター級のアストゥラを作った程度。フィアットもローマ法王庁等を対象に
大型車の製作をしていますが28〜29年頃とちょっと時代が違う筈。
更にもう一つ生ずる疑問。
一体、エットーレ・ブガッティはメルセデス770Kなど全く問題にもならない超巨人車
W/B4300mm、排気量12.7リッター(最初の一台は更に大きく4450mm・14.7リッター)にも達する
T41ロワイヤルを誰に売るつもりで作ったのでしょう?
アメリカはラスベガス、インペリアルパレスホテルの自動車博物館にはムッソリーニが愛用したという
1939年式ランチア・アストゥーラのコンバーチブルが置いてあるみたいでっせ。
ttp://www.las-vegas-news-reviews.com/00-03-01.htm この取材当時は売り物のようですが、売れたんかいな?
後期型のグロッサー770Kは、ヒトラーがムッソリーニやスターリンなど当時の同盟国の有力者に贈ったらしいよ。
車好きのヒトラーがあれこれ注文を付けて完成した代物となので「独逸の科学力は〜〜〜世界一〜〜〜!!」と
自慢したかったんでしょうな。
なお、ダイムラー社の中でこの「ヒトラーのグロッサー」はタブー扱いのようで、公式には認めてないらしいが。
144 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2005/12/24(土) 15:16:27 ID:NGBpOzlw0
>なお、ダイムラー社の中でこの「ヒトラーのグロッサー」はタブー扱いのようで、公式には認めてないらしいが。 戦前/中の朝日新聞みたいなものかw。そういうのを自己欺瞞と言う。
>>144 IDが、NGKとMG-BとBPの複合体みたいでカッコいいぞwww
ちなみに朝日新聞の中では、五大紙宣言前に過激派左翼擁護の論陣を張っていたことも黒歴史に属するものらしいよ。
都合の悪いことは水に流して封印する。ある意味たいへんに日本的な体質である。
146 :
オサーン :2005/12/24(土) 19:13:43 ID:pTMvGOsj0
昭和52年、久米豊さん拉致事件が発生したときのこと。 『日本人初の密出国』と自由意志で北朝鮮に行ったように記事を書き、 海岸まで被害者を連れ出し、逮捕された工作員(建設会社社長:在日)を 『A』という匿名で擁護したのは 朝 日 新 聞 。 あ、車と関係ねーかw
>>146 いちいち挙げていったらきりないよーwwwww
誤報が多いと本当のコト言われて、棄損されるような名誉を持ちあわせていたことが驚きだ。
捏造と言われなかっただけマシと思っておけばいいのに。
捏造といえば、往年のスーパーカーのスペックw
(頑張って車に戻したよ)
最近は新聞に何が書いてあろうと「こういうモノの見方をする人もいるのか」って思うだけ。
我が家の新聞は私の全く知らぬところで朝日と読売を行ったり来たり。
私はマンガが面白いので朝日が好きで、家人は土曜の3D写真クイズが好きなので読売。
(
>>147 努力を無にしてスマヌ・・w)
まぁナンだ・・此処で一句。
“新聞は 一日経てば 新聞紙”(駄作w)
>>143 有難う御座います。確かに39年となっていますね。
私の手許に有る資料ではアストゥラは31〜37年となっていますが売れ残りのシャシーだったのでしょうか?
いずれにせよ3リッター級のこの車ではヒトラーの770K程のインパクトは無かったかも。
ヒトラーは車好きには違いなかったのでしょうけど、他の国の車の事までは知らなかったのでしょうか?
アメリカでは自分が愛用した770Kよりも大きくパワフルなデューセンバーグを映画俳優が乗り回し
フランスにもブガッティT41ロワイヤルやイスパノ・スイザJ12なんて車が有って、
770Kは確かにヘビー級ではあってもその中では決して抜きん出た存在ではなかったと知っていたら
あれ程までには自慢しなかったのではないか?という気もします。
アストゥラはまあ、Webで拾った情報なんで参考程度に。 でも、手作りで車を作っていた時代なので、時の権力者が「欲しいから作って」と言えば作ってもらえたかも。 >ヒトラーは車好きには違いなかったのでしょうけど、他の国の車の事までは知らなかったのでしょうか? ゲルマン民族の優秀さを信じて疑わなかった御仁ですから、 「独逸の科学力は〜〜〜世界いち〜〜〜!!」 という信念のまま突っ走ったとしてもおかしくはないでしょう。 独逸車好きのほうが適切かな。ナチス党首のころからメルセデスだそうで。
>>149 ヒトラーはドイツ車好きと言うよりもメルセデス好きであったのかも?
当時のドイツには他にもマイバッハとかホルヒ等の大型、高価格車も有りましたが、
そっちには殆ど目もくれなかったようですから。
ところがナチスや軍高官の中でもバイエルン等の北部の連中は、もっぱらホルヒを愛用していたそうです。
ドイツにもイタリアに見られるような都市毎の対抗意識が有ったのでしょうか?
その辺の感覚は現代の日本に生きる我等には理解し難いところ。
マイバッハの名前が出たついでに。
この名前、有名な話ではありますがゴットリープ・ダイムラーさんの片腕格かそれ以上であった
ウィルヘルム・マイバッハさんが設立したベンツとは別会社の名前。
物の本によると、ダイムラーさんが1900年に亡くなった後のダイムラー社の経営陣と上手く行かなかった
マイバッハさん、追い出されるようにして辞めていったのだとか。
そうして作られたマイバッハ社は基本的にはエンジンメーカーで、設立の目的も
最初はツェッペリン飛行船会社にエンジンを供給する事だったのだそうです(1909年)
自動車の生産をするようになったのは結構後の事で(1921年〜)自動車会社としては
小規模なメーカーの常として、高価な(利益率の高い)大型モデルのみを
第二次大戦が始まるまでの20年程の間に僅か2000台程生産しただけ。
・・と、言うような事だそうですけれど、これが全て本当だとするならば現代のマイバッハという車名。
当然その名籍を買い取った上で使用してはいるのでしょうけれど、
そんな経緯の有る(追い出されるように辞めて行った人の設立した)
別会社の名前を付ける事にメルセデス社は抵抗が無かったのでしょうか?
マイバッハエンジンは、実は鉄オタの間では有名だったりする。
>>150 好意的推測:
ダイムラー・ベンツという会社にとって、会社黎明期の偉人として敬意を表した部分も大きいんじゃないでしょうか。
当時の処遇を省みて、名誉回復する意味も多分にあったのかも知れません。
底意地悪い推測:
偏執狂的な造り込みをやめ、普通の高級乗用車メーカーとなり、あまつさえクライスラーなんかと合併しちゃうような会社に
節操などを求めるのは無理でしょう。たぶん、そんなに深いこと考えちゃいません。
それはそうと、かなりのお得意様が見込まれるアメリカでは「マイバック」なんでしょうねぇ。
メルセデスも「マースィディッツ」のようですし。
>メルセデスも「マースィディッツ」のようですし。 ミルスィーディースって人もいた。これってアメリカン徳大寺? この前入った居酒屋で「アメリカンフレンチポテト 480円」 つーのがあったヨ。
>>153 そう言えば以前にファーストキッチン(だったかな?)でイタリアンポテト(だったかなぁ・・?)
なるメニューが有って、どんな物だか試しに頼んだら袋に普通のフライドポテト入れた後に
細かく刻まれたバジル加えて、紙袋ごと何度か振ってオシマイつう代物だったなぁ・・。
まぁ、それなりに美味かったケド・・。
>>152 そこまで言う気は無い・・(かな?)・・ですけれど、私の思うのも後者に近いですね・・。
>>151 鉄道に関しては全く私は門外漢ですが、ブガッティT41ロワイヤル用直8は、殆どそのまま
レールカー用にも使われたそうですし、148で少し触れたイスパノ・スイザJ12用のV12エンジンも
ストロークを少し伸ばした物がレールカーに使用されたという記事を読んだ事も有ります。
(その拡大版エンジン〜10リッター超、普通のは9.4リッター〜をそのまま積んだ車も存在したとか)
マイバッハの鉄道用エンジンっつうのも、自動車用と基本設計を共有する物なんでしょうか?
マイバッハという車の中には、自社開発された非常に凝った構成の多段ギアボックスを装備した物
(負圧利用のセミAT・・という事はコード810に装備された物と基本は同じ?)も含まれているそうですが、
一体どのくらいその必要性が有った事でしょうか?
その時代の(今から考えれば圧縮比も低い、)巨大なエンジンは殆ど変速無用の域に達していた
ようですから。
155 :
オサーン :2005/12/27(火) 02:30:07 ID:ES7s+Max0
ウエストファリア条約つーのが昔ありましたおかげで、今ドイツと呼ばれるあたりには300以上の『おらが領主』が 群れなしておったわけです。 ヒトラーの頃でも、一応国として形が整ってからまだ百数十年。 都市毎の対抗意識もむべなるかな。 とはいえ、クソ狭い城塞都市でのお隣筒抜け生活がプライバシー意識の成熟に寄与したという説もございます。 ブガッティエンジンの鉄道は、試運転の時に風圧で通過駅の窓ガラスをぶち割ったとか。 でも、そんなことより素敵なのは機関車が完成したときのエピソード。 完成の喜びもつかのま、ふと気づくと門が狭すぎて工場から外の道路に出すことができない。 で、エット−レ御大が 「……街のみんなに今晩集まってもらいたいんだが……あの塀を壊してくれないか?」
“まだ”百数十年・・ですか・・。忘れるのは大得意な日本人にはワカラン感覚ですねぇ・・。 つーか、日本って周りが海に囲まれていて、いつの間にか何となく国になっちゃったみたいな 成り立ちそのものにいい加減な所が有ると思うので、領土意識ってのがかなり曖昧みたいな・・。 地元贔屓っつうのとはかなり違うのですかね?? “風圧で窓ガラスを〜”のエピソードは私も読んだ記憶が有ります。 ジャン・ブガッティが運転していたと書いてあった記憶も有ります。 ・・が、何の必要が有ってジャンが運転したのでしょ?大体、ジャン・ブガッティは列車も運転出来たの・・? この辺の話は、ちょっと上手く出来すぎていてかえって眉唾な物も多いように思います。 が・・、どうも複数の資料からジャンが運転していたのは確かなようです。・・訳ワカラン(w 鉄道ネタと言えば忘れてはならない(?)のがオペルのロケット推進レールカー。 まぁ、鉄路を使用したのは成り行きだったみたいで、鉄道に進出するつもりではなかったのでしょうが、 では一体オペルはアレで何を目指していたのやら・・?これもかなり訳ワカラン話(w
メルセデス770Kの話、途中で脱線(最近この単語使うの躊躇いを感じます)したままだったので ちょっと続き。 このような大型シャシーの場合、様々なボディーが架装される事に対応する必要からか 小型車のようにモノコック化はなかなか進まなかったようで、770Kもその例外ではないのですが それでも38年登場の後期型(W150)フレームは楕円断面鋼管をメインにしていたそうですし 四輪共に独立懸架というのはこの時代の車としては結構先進的な構造であったと思います。 770Kはそれよりは小柄で知名度では大きく上回る540Kの拡大版のように思っている人は多いようですが 540Kがありふれたラダーフレームを1933年登場の380Kから引き継いでいるのに対して 上記したような代物ですので、メインフレームの設計にはほぼ共通点は無かったものと考えられます。 この時代の他のメルセデス車の中では最も小型のフロントエンジン車である170Vが、 やはり楕円断面鋼管を主構造材としたフレームに四輪独立懸架を備えていますが、 この車で興味深いのは左右を走る構造材ではなくXメンバーの方が主構造となっている事で その為にこの車のフレームはラダー式というよりもバックボーンと表記される事の方が多く、 またそうする事の方が適当でもあるでしょう。 770Kの場合はこの時代のGPカー流にサイドメンバーの方に楕円鋼管を使用したラダーフレームであると 書かれた資料が有りますが、実際にそうであったのか?自分の目では確認出来ていません。 大体、例のナチスに繋がるイメージからか、現在770Kの実物は日本には無いようです。 海外の博物館で見た事は有りますが、メルセデスの多くは自社製のあまり気の利かないボディーを 架装されている事もあって、その時には左程に興味を持てないでその場の床に這いつくばる事はせず その為にフレーム形式も確認し忘れるという、惜しい事をしてしまいました。
あけおめです。 毎日読んでますよ〜。レベル高すぎてついていけないけど。 何気に逝ってるさんのファンです。
あけましてオメデトウございます ゲーリィー・クーパーの写真が見たかった(車と写ってるやつね 昔見た
逝ってるさん明けおめです。 私も見てますけど高度過ぎて書き込めない。 勉強させて貰ってます。
+ ヘ⌒⊂ヽ ヘ⌒⊂ヽ ヘ⌒⊂ヽ + (・ω・ )ノ (・ω・ )ノ (・ω・ )ノ ( ⊃ ノ ( ⊃ ノ ( ⊃ ノ + + ⊂__ノ ⊂__ノ ⊂__ノ ∪ ∪ ∪ | || | || | ||
上の話の続き。 私は前にも書いたように、皇室ブランドを有り難いと思う気持ちは無い人間ではありますが、 そういった事はこの際抜きにして・・。 例えばクラーク・ゲーブルさんとかゲーリー・クーパーさんなどのように 世界的に知られた人が所有していた車であれば、世界中何処でも、誰にでもその価値が判るでしょう。 しかし、元・石原裕次郎所有であったメルセデス300SL等は日本以外の国に展示しても 付加価値を認めては貰えない筈。元・皇室使用車だった770にしても同じ事は言えると思います。 こうした一部の車には文化財的な価値が有るという認識を持つ人が、日本には少ないのでしょうか。 あの770が特別な装甲を施されていたのか否かは知りませんが、過給機の備えの無い770では 最高出力は150hp。念入りに作られた箱型ボディーは、重量も空気抵抗もエンジンにとっては かなりの重荷であった事と思われます。 様々な形のボディーが載せられた頃の高価格車の場合、当然完成時の車重にはかなりのばらつきが 生じる訳ですからロールスロイス等は車種によっては完成時の車重に制限を付け、それを上回る重さの ボディーを載せた場合は保証の対象外とすると警告を与えたり、更にはヴォアザンのように 殆どのボディーを自製するようにしてみたり・・と、それぞれ重さ対策には苦労があったようです。 メルセデスがボディーの多くを自製するようにした理由については、それに言及した資料を知りませんが 恐らくはこうした事も有っての事なのでしょう。
ヒトラーが天皇に送った車だから、ドイツ人にとっては歴史的価値があるという ことではないでしょうか。
ふむ・・それは当然有るでしょうね。しかしそれを考えても・・と、私個人的には思うのですが。 いろいろと面倒な事も有るのかも知れませんけど。 お役御免となったプリンス・ロイヤルはどうなるのでしょうね?交通博物館が新装なったら、 一台くらいはそこに残しても良いのではないでしょうか?鉄道の方には昔の皇室用車両なんてのが 展示されていた記憶も有りますし。 さて。グロッサーかグローサーか、日本ではどちらが一般的なのかは拮抗しているようですが、 この呼び名が実際に当時のメルセデス自身も使ったのかはカタログ等を作った様子自体が 見つからないので、ちょっとはっきりとしたことが判らないのですが、恐らくはメーカー自身の 命名ではないように思えます。このスレでこの車の事を書く為にあれこれと資料あたるまでは 前期型のW07にのみ付けられた呼び名かと思っていましたが、そういう事では無かったようです。 以前にも書きましたが。こういう具合にモデルチェンジしても同じ名前を踏襲するのは 良く有るパターンではありますが、後になってから話をする時には面倒なので、 個人的にはあまり好きではありません。 頭の中で最も整理し易いのは、ちょっと味気なくてもプジョー式でしょう。 三桁の数字を見るだけで、その大きさとか作られた時代が大体判るので。 最近よく聞く“ナントカセグメント”っていう言い方もプジョー流の数字で示してくれた方が 理解し易いのですが。
他のコテさん、皆年末年始は忙しい?暮れも正月もこのスレに関しては無い私・・。まぁいいか・・。 もう数年前の事ですがブリストルスレにて 「プジョーは真ん中に0が付く三桁数字を商標として全て登録したという事らしいけれど、 ブリストルにはかつて400番台シリーズが有ったのは何故?」って話が出ました。 なんでも、ポルシェが901というモデルを発売しようとした時に、この理由から911に代えさせられたとか。 しかし他にもフェラーリには308、208なんてモデルも有りましたし、昔のフィアットには508他 こうした名前のモデルが幾つも有りましたので 「実はプジョーがポルシェに抗議したという定説は誤りなのではないか?」と書いたところ 確実な証拠は外的には出されていないものの、やはり定説は正しいらしいという書き込みを 複数の方からされた記憶が有ります。 幾つかの矛盾(フェラーリ308等の存在する事)が有るのは今でもちょっと納得がいかないのですが、 それが本当であるならば、車名に関してはプジョーくらいに判り易く、また厳格であって 良いと思います。 何代目のナントカだのXX(形式名)ナントカだのって、そのメーカーに思い入れの無い人には 訳が判らない話になりがちでしょうから。 本当は競走馬名のように、活躍した度合いによって(同じ生産者でも)一定期間は同じ名前を使えない ようにするなどの規則でも有れば良いと思うのですが。“ボーラ”と聞いてVWよりもマセラーティを 連想する人は多いでしょうし“ストラトス”でクライスラーを連想する人等は、こっちの方が時代的には 最近であっても少数派ではないか?って思うので。
メーカー名が人間の名字で車名が名前と考えれば寛容になってもいいような。 でも×国や×国メーカーに際限なくやられたら困りますね。 それを阻止・保護するために国際商標を取得できるんですが、どの国でも 顕著性がない言葉って今やそんなにないですからね。 ホンダなんてJAZZ、CITY、ACCORDみたいな商標取得できない車名ばっかり…。
レースカーまで905なんてわかりやすい名前ですからね。 とは言ってもプジョーにも309という鬼っ子がおります。 あと5年の辛抱で最新式、というのが苦労しながら維持している309オーナーの合い言葉だそうです。
>>171 >メーカー名が人間の名字で車名が名前と考えれば
そう考えると、更に同じ名前の使い回しはややこしいと思いませんか?
人間の名前でも、親子・兄弟といった近親間では同じ名前は使えないように、モデルチェンジしたら
別の名前にしてくれた方が後になって整理し易いと思うのです。
そうすると「累計生産台数史上最多」などと言っているカローラあたりには困ったことになるでしょうが
どうせ皆、初代カローラと現代のカローラの間には殆ど技術的な繋がりはないことくらいは
既に判っているでしょうし。
これは雑誌等のマスコミにも問題が有ると思うのです。VWゴルフの場合はモデルチェンジの度に
ゴルフU・V・WとなるのにBMW3シリーズ等はE30型3シリーズとかE46型とかって具合に
メーカー毎に一貫性が無い呼び方が通例となってしまっているようです。
こういうのってナンとかならんのですかね?
>>172 そう言えばプジョーは今年のルマンに出場させるディーゼルエンジンのレースカーの名前を
どうする気なのでしょう。907って名前はショーカーで使ってしまった後ですので908?
車名にまつわるスレって、幾つか立っては消えといった感じで長続きする物は少ない様子。 まぁ、それだけで「語れ」って言われても、そうネタは多くは無いのでしょう。 先日ニッサン・プリンス・ロイヤルに代わり新たに皇室専用車となったトヨタ車。 皆あれを“センチュリー・ロイヤル”と呼んでいるようですが、メーカー側から正式に そう発表されたのでしょうか?ナンだか60年頃のビュイックかクライスラーにしか思われないような 名前だと思うのですが。 50〜60年代のアメリカ車の名前って、この手の大仰な単語の羅列がやたらに多いようです。 手許に有ったその当時のアメリカ車を集めた本等をちょっと見ただけでも、 例えば“スチュードベーカー・チャンピオン・リーガル・スターライナー”だの “ウィリス・エアロ・ウィングスーパーデラックス” “ハドソン・カスタムハリウッド4ドアハードトップ” “ナッシュ・ランブラー・カスタムカントリークラブ” “デソート・ディプロマット・カスタム・スペシャル・クラブクーペ” “マーキュリー・モンクレアー・フェートン・ターンパイククルーザー” 判り易いようでいて、実に訳ワカラン・・(w 車名も売れる為には重要な要素なのかも知れませんけど、今見るとこういうのって 買い手の気を引こうとして“どつぼ”にハマってしまっていたように私には見えます。
トヨタはずっと、オッサン仕様車に「ロイヤル」を安売りしすぎてきたので、ぜんぜん有難みがないなwww 「インペリアル」とか「エンペラー」では差し障りがあるのかな? 菊の御紋にちなんだ名前でも良さそうだけど。(英語だとクリサンシマム?・・・冴えないなw) で、満を持してスタートした高級ブランド「レクサス」ではないのでしょうか?www そういやアメ車はともかく、日本の車ってラテン語系の名前が妙に多いよね。 最近は特に。
>>175 “インペリアル”でもやはりクライスラーに思われそうな・・。“ロイヤル”よりは格上ですけど。
売る車でもなし、レクサスにする意味も無いのでしょうか。あんまり宣伝臭をつけると
結構面倒な事も有るのかも知れません。つか、売る訳ではないなら名前自体不要?
以前「日本メーカーなら日本語の名前つけろ」みたいなスレも有りましたけど、日本語名だと
安っぽいか駄洒落っぽくなるか軍用機めいてくるか、どうも上手くないようです。
ラテン系の言語っつうのは日本人には適度にワカランところが良いのでしょうね。
・・しかしラテン系メーカーは意外にラテン系言語を車名に使用していなかったりして・・。
私が「モデルチェンジしても同じ名前使うのは後になって整理しづらい」と言ったら
それに対して「名前変えられる方が判りづらい」と言った人がいました。
「プレミオ?コロナでいいじゃん。レクサスGS?アリストじゃ、なんかマズイの?
今乗っている車の名前を言っても、誰にも判って貰えない方が面倒だよ」との事。
そりゃ命名以前の問題で、販売店の都合やら何やらで同じような車ばかり幾つも作ってたら、
何をどうしたって外部の人間には判らなくなりますって。
軍用機や軍艦めいた名前になるかも知れないけど、日本語車名・・・いいと思うけどなぁ。 トヨタ ユキカゼ ニッサン ヒュウガ(あれ?) ホンダ テンリュウ マツダ ライデン スバル ハヤブサ スズキ サムライ・・・は輸出車にあったか。 ダイハツ サイデッカー・・・は(C)矢作俊彦だwww ラテン系メーカーでは、車名を付けずに英数字だけってところが多いですね。 フランスは英数字ばっかりですね。ルノーは車名付けてますが、メガーヌあたりからでは? イタリアはというと、ランチア、マセラティはかなり早くから車名をつけてましたね。 フィアットはリトモが最初かな。アメリカでは「ストラーダ」だったりしますが。 フェラーリは突発的にペットネーム付ける感じかな。 もっとも、「エンツォ」は抜いてはいけなかった伝家の宝刀という感がします。 「スカリエッティ」ももっと大切にして欲しかったと思うが、美しいのでちょっと納得してあげよう。
長い歴史の有るメーカーの場合、何処もある程度の変節は名命法にも有るようですが、 中でもルノーはちょっと極端なようで“ナントカCV"だけで済ませていた時代から 「モナシス」「モナステラ」等の時代を経て戦後も「4CV」から始まり「ドフィン」「フレガト」の時代が有って、 また「4」「5」の時代が来てその後に今が有る。 それにしても4とか5とかって、やる気の無いような名前ですな・・。 そんなに税金が気になるのか?とも思いますけど、その当時のルノーは公団。殆ど親方三色旗(w そりゃそうと。日本語名だと「タント」「ekワゴン」なんかはどうも風邪薬なんかにも共通する駄洒落センスの ネーミングみたいですし、一歩間違えると戦闘機と言うよりも相撲取りの四股名めいてくるような・・(偏見?) 軍用機の名前を拝借するってのもスピットファイアならば英国人にとっては「救国の戦闘機」って イメージらしいですし、「マスタング」だったら「戦争を終結させて平和をもたらせた」 っつうイメージをアメリカ人は持っていたそうです。如何にも戦勝国の驕った見方と言えばそれまでですが。 その一方、日本の場合だと「最後には特攻機に使用され多くの若者が命を落とした」 みたいなネガティブなイメージが先立つような気がします(これも偏見?) まぁ「零式」とか「九七式」とかでは拝借のしようも無いでしょうけど。 ・・と、書きつつ思った事。スピットファイアは如何にも戦闘機の名前拝借のようですが マスタングは別にそういうつもりは無かったのかも。 トライアンフがロールスロイスエンジン付きの飛行機の名前を拝借するのと、 大フォードがロールスロイス&パッカードのそれを拝借するのとでは訳が違うように思えるので。
ドイツも、現在の車名派はVW・オペル・フォード、英数字派はダイムラー・BMW・アウディときれいに分かれてますな。 米国系のオペル・フォードが車名派は納得ですが、VWが車名陣営に加わったのは何故でしょうね。 >一歩間違えると戦闘機と言うよりも相撲取りの四股名めいてくるような・・(偏見?) 四股名というと、気象・地名関係ですかね。 戦艦や空母は昔の国名、巡洋艦は山、駆逐艦は風ってルールでいいのかな? カッコいいと思うんですけど、旧軍を彷彿とさせる車名が増えてくると、お隣から「右傾化」って言われちゃう。 >まぁ「零式」とか「九七式」とかでは拝借のしようも無いでしょうけど。 ええっと・・・ゼロクラウンwww ほんとは「れいしきかんじょうせんとうき」なんですってね。 それはそうと、アメリカ人が「エノラ・ゲイ」とか「リトルボーイ」なんて名前を自動車に付けるほど デリカシーに欠けていないのは幸いです。
ぱんだ。 いいよね、平和で。
↑ 確かに(w
軍用機由来とか、それを想起させる名前ってのは、右傾化云々とか格好の善し悪しはともかくとしても
如何にもガサツで騒々しいってイメージが先にたってしまい、どうしても静かで乗り心地の良さそうな車には
到底なりそうに無いところにも問題有りかも(w
>>179 VWの車では、メーカー自らがマスコットネーム(ペットネーム)を付けたのは、
70年代に登場した初代ゴルフが最初でしょうか?
それ以前のビートルっつうのは、メーカー側の命名ではないと思われますから。
「ビートル」「シン・リジィ」「デュース」「ブル・ノーズ」「フロッグ・アイ」等々。
メーカー側が用意した名前とは別の愛称を持つ車はそう多くは無いようですけれど、
それを持つ車ってのはそれぞれ皆に愛された証拠と思います。
日本車では“ヨタ8”とか“エス8”それに“ハチロク”なんかがそうでしょうか。
他の車との混乱を避ける為に略して呼んでいるだけっていう気もするのでとちょっと違うかも。
私が好きなフランス車にはそういった愛称を持つ車ってのは案外と無いようです。
が、元々が「4」だの「5」だの「二馬力」だの「DS」なんて名前では、
わざわざ略しようと言う気も起きないですし愛称を付けて呼ぶ必要すら無いのかも知れません。
VWの水冷時代は、タイプIとかタイプIIIとかですね。 フランス車と違って世界中で大ヒットしたのと、あまりにも無愛想な車名ゆえにそれだけ多様な愛称で愛されたんでしょう。 それにしてもカブトムシを「シン・リジィ」と呼ぶのは初耳でした。 個人的にはどうしてもフィル・ライノットとかゲイリー・ムーアのほうを想像してしまいます。 静かで乗り心地の良さそうなペットネーム・・・ 「まほろば」 「みずほ」 「たらちね」 「ゆうなぎ」 「きりさめ」 「かげろう」・・・は弱々しすぎますね。 「ねはん」・・・は、ちょっと安全性に問題を持たれそうです。 「しずかごぜん」・・・って洗濯機になってしまいました。 難しいですね。 ヲタクどころか雑談になってきてしまいました。反省w
>>182 > それにしてもカブトムシを「シン・リジィ」と呼ぶのは初耳でした。
> 個人的にはどうしてもフィル・ライノットとかゲイリー・ムーアのほうを想像してしまいます。
はげどう。
> 「ねはん」・・・は、ちょっと安全性に問題を持たれそうです。
人生最後に乗るクルマには、ふさわしい。
でも英語にすると、ニルバーナ(w
涅槃に咲く花は、メーカーにありますね。
たしかに安全性に問題ありそうな車種が多いかも。
>>182 海上自衛隊の艦名がまざってますが。
やはり日本古来という事で
スサノオ 強そう
アマテラス アマデウスみたい
イザナギ
イザナミ
じゅりあとじゅりえったみたい
>>184 イザナギとイザナミは夫婦だけど、ジュリアとジュリエッタは姉妹だね。
姉妹なら、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメでどうだろう?
サクヤは流麗なクーペ、でも壊れやすい。
イワナガは武骨なクロカン4駆、でも頑丈で長持ち。
車名で言えば、一時期のホンダの音楽用語シリーズはなかなかセンスいいなと思った。
プレリュード:前奏曲
クイント:四重奏
バラード:譚詩曲
ビート:拍子
ネーミングセンスの凄さならロールスロイスかな。
シルバーゴースト(銀の幽霊)とかファントム(亡霊)とか・・・。
「たらちね」ってどんな車でしょう・・?(w
>>182-183 ちょっと181は書き急いだようです。失礼。
>「ビートル」「シン・リジィ」「デュース」「ブル・ノーズ」「フロッグ・アイ」等々。
この一行、
「ビートル」と呼ばれたフォルクス・ワーゲンタイプT。「シン・リジィ」と呼ばれたT型フォード。
「デュース」と呼ばれた32年フォードV8。「ブル・ノーズ」ことモーリス・オックスフォード。
「フロッグ・アイ(日本ではカニ目)」と親しまれたオースティン・ヒーレー等々。
・・と、置き換えて下さい。
もう一つ。ちょっと確認出来てないのですが、もしかしたら水冷FWDのVWはゴルフよりもシロッコの方が
微妙に先だったかも。
それにしてもフォルクスワーゲン社ってのは、戦前に既に生産される車の設計は(kdfの名前で)
完成していて、それを作る為に後から会社が駐独英国人将校によって作られたという
かなり特異な成り立ちを持っていますね。自動車そのものの黎明期にはこういう成り立ちの会社は
幾つか有ったでしょうけど、201世紀も半ば近くには、会社よりも先に車の設計が出来ていたというのは
他には無いかも知れません。その為に、1950年にタイプUが登場するまでは
“社名も車名もフォルクスワーゲン”だったのでしょう。Uが無いならTと名乗る必要も無いですから。
そんな事有ってか、割合最近までは日本の、車にあまり興味の無い年配の方などの中には
ビートル=フォルクスワーゲンと思っていた人も少なくなかったようです。
↑ >201世紀も半ば近くには ・・私は一体どんな時代を生きてきたんだろう・・?
>>181 戦前のプジョーにベベってのがあったと思いますが、メーカーがつけたわけではなさそうですね。
ルノーは現在愛称をつけていますが、クリオが最初でいいのでしょうか。
>>188 私も恐らくは「ベベ」はメーカー自らの命名ではないと思います。
しかしこの手の話って、シトローエンが30年代半ばまで生産していた「ロザリー」の例
(元々は外部の人間がシトローエンベースのレコードブレーカーに付けた愛称を、
後にメーカー自らがモデルチェンジ後の新型に使用した)みたいなのも有るようですので
一つずつ丹念に調べていこうとすると、案外に複雑な事になるのかも知れません。
現状のルノーのモデル名の先駆けになったのは、多分クリオではないかと思うのですが、
丁度ルノーの輸入代理店がめまぐるしく代わった時期でもあり、また、商用車などの話は
日本にはあまり入って来ないのでちょっと断定する事は出来かねます。
それに、ルノー自身もシュペール・サンクの頃安価バージョンに「Five」なんて名前を付けてみたり
もっと前にも4の高級モデルに「パリジェンヌ」なんて名前を付けたり、また4のオフロード版みたいな車で
「ロデオ」と名付けられた車があったり。あんまり一貫性は無いようですし。
・・ついでに。私が直接見聞きした範囲での話ですのであまり信憑性は無いかも知れませんが・・。
クリオU(ルーテシア)がデビューしたての頃にフランスを旅行して、当地でその車をレンタルしたのですが
レンタカー屋Hert's(向こう流ではエルツ)の店員さんを始めとして、アチラの人は皆あの車を
「ヌーベル・サンク」と呼んでいました。フランス人はモデル名等には無頓着なのか、
ルノーのあのくらいのサイズの車は、何度モデルチェンジをしてもメーカーがどんな名前を付けても、
結局は「サンク」でしかなく、そう呼んで済ましてしまうみたいです。
X=Hert's
○=Hertz
>>186 の
「カニ目・オースティン・ヒーレー」も「オースティン・ヒーレー・スプライトMkT」でないといけないし、
下から二行目、「そんな事(も)有ってか」・・
・・「早く寝ないと」なんて思いながらやる事じゃないなぁ・・(w
ペットネームがついたルノーなら、ドーフィン(DAUPHINEだからフランス語読みだとドーフィーヌ?)がありますがな。 そういや、シトロエンにもメアリがありますな。 この2つがそれぞれ最初かどうかはちょいと分かりませんが。
をいをい、あるぴーぬをお忘れではないかい? 最初の4つ目ライトは、なんとなくセリカに似ている。ような希ガス。 ワーゲソは、やっぱタイプVが一番かっちょいいと思う。のっちばっくとか痺れまする。 MOONとかのきゃるるっくが似合う、パイクのはしりですな。
アルピーヌって車名じゃなくてメーカー〜チューナーでしょ。 イタリアで言ったらアバルトみたいな。 四ツ目でRRのクーペならA110ですがな。(カブリオレもあるけど) 現車を見てその小ささに驚いた。しかも第一印象は「スリッパ!?」だったりするw でもカッコいい。欲しい。
>>181 ドフィン等については
>>178 でちょっと触れています。また、シトローエンのモデルでは30年代に
「ロザリー」っつうモデル名を持った車が有った事も
>>189 で書いております。・・が、このスレくらい
過去レス遡って読むのが面倒なスレもそう有る物でも無いので仕方無い・・?(ちょい反省w)
・・今度から長文書き散らす時には見出しでも付けるか(w
アルピーヌはルノー車のコンポーネンツを多く流用してはいますが
>>193 さんの御指摘どおり、
小さいながらもれっきとしたメーカーでした。
アバルトとは似たようなものだったかも知れませんが、よりレーシングカー・コンストラクター色が
強かったように思われます。
それにエンジンのチューニングは他所(ゴルディーニ)任せだったようですので
「チューナー」という言い方はこの場合は適当ではないかも知れません。
193さんは、カブリオレの存在をご存知ということは、かなりお好きな方と思われます。
「最初の四つ目」というのがちょっとどのモデルの事なのか判らないのですが、
A110だとしたら中央側二個のドライビング・ライトも勘定に入れての事でしょうか?
あれはA110の初期型(66年以前の1リッターモデル)には無く、67年モデルからの特徴だそうです。
カブリオレは66年頃までで生産を終了していますので、恐らく四つ目のカブリオレは存在しないのでは
ないでしょうか?(自信無し)
・・しかし「ALPINE」でイメージ検索すると、当然ですが山の写真ばかり。車の写真も出ては来ますが
中には英国製スポーツカーのサンビーム・アルパインも混じって引っ掛かる・・。
>>181 そかそか。あくまで「現状の」ね。こりゃ失礼。
相当逝ってるさんが知らないとは??という疑問はありましたが、斜め読みのまま過去レスも飛ばして突っ走っちめぇやした。
ドーフィンって現車を見たら意外に大きいのに驚いたねえ。この図体で800ccのエンジン・・・ちゃんと走んのかよ? と。
ま、ゴルディーニチューンでもなけりゃ、マターリ走るのが似合うとのオーナーの弁。
でも曲線主体のカブリオレはボディは、やれてても美しゅうごさんした。
A110のカブリオレについては、そりゃ私も2灯の写真しか見たことありませんわw
ただ、クーペと書いた後で「待てよ、カブリオレもあったじゃねえかい」と追記してしまいやした。
あと、また話を戻すようですが、アメリカ車のぺットネーム化は1950年代以降のようですな。
それまでは「デラックス」「スーパー」とかのグレードや「コンバーティブル」やら「クーペ」などの車体形状を
付ける程度ってのが主流のようで。
その後、外形に飛行機をイメージさせるモチーフ(尾翼→テールフィン、ロケット噴射口みたいなテールランプ)を
がんがん取り入れて、そのうち空でも飛んでくんじゃないかってな勢いのデザインになったことを考えると、
「飛行機=速い」のイメージを販促に使いたくてペットネームを取り入れ始めたんではないでしょうかね。
前にどっかで書かれたP-51マスタング→フォード・マスタング説はかなり当たってるんじゃないでしょうかね?
少年の頃P-51の勇姿に憧れた少年が、長じて同じ名前を持つ車にそのイメージを重ねて思わずお買い上げ、と。
恐るべしアイアコッカw
>>194 > ・・しかし「ALPINE」でイメージ検索すると、当然ですが山の写真ばかり。車の写真も出ては来ますが
アルパインは?
ぼそ アルピーヌA610最終モデルなら4つ目でRRでターボでクーペです(w スレ汚し失礼。
ふさ先生、お久し振りです。
A610の外見はなんだか無個性なGTカーの見本みたいであまり興味も持てないなぁ・・。
・・なんて言うとそれが好きな人には叱られそうですけど・・。
>>196 そう書かれても、何を訊ねられているのかちょっと判りかねますが。
一応サンビーム・アルパインの画像、最終型のシリーズ5のようです。
http://classicsunbeam.free.fr/Pub/catalogue_sunbeam_alpine_5.jpg ACエースがキャロル・シェルビーの手によりコブラになったように、このアルパインにも
シェルビーによってフォードV8が積まれたタイガーってモデルが有りましたが、
サンビームが属していたルーツ・グループがクライスラーに吸収された事も有って短期間で消滅。
コブラ程の知名度は無いようです。
飛行機と車と言えば、50年代アメリカ車の象徴とも言えるテールフィンの始まりはP-38戦闘機
(双胴の悪魔)の垂直尾翼をモチーフとして考案されたという有名な逸話が有ります(多分本当でしょう)
案外私はああいうの好きです。しかし、超音速ジェット機や果ては宇宙ロケットのイメージを
追及するに至っては(ジェット機やロケットが好きではない事も有り)さすがについていけません。
車名にも「スターライナー」「エアロ・ウィング」「ファイアーフライト」更には「ギャラクシー」とか。
日本でも「コスモ」なんてのが有りましたが、あれらは自動車である事を隠そうとしていたのでしょうか?
時は移り、現代のトヨタあたりにとっては、精神的なアイドルは飛行機等では無く
全てが自動化されたエレベーターなのではないか?・・などと、ちょっと意地の悪い事を考える私(w
199 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/01/15(日) 07:39:25 ID:VP9u98W+0
ナンバーはどうやってかえるんですか? また、横浜に住んでいないのに横浜ナンバーってつけられますか?
さぁ?質問スレで訊いた方が・・。 先日の日本語車名の話の時にちょっと思い出した事。フランスではラジオ局に、かける曲の内 一定の割合(60%って言ってたかなぁ・・?)はフランス語の歌詞の曲でなければならないって 法律が有るそうです。何処の国でも若者を中心に国語の乱れやら(崩れた)外国語の流行が 問題視されているようです。 何処の国だったかは忘れてしまいましたけれど、商品名全てその国の言葉でないといけないなんて 聞くからに無茶な法律の定められた国も有るのだとか。 そんな可笑しな法が日本に無くって良かったと思うのですけど、まぁ「外来語だって今や立派な日本語」 だなんて屁理屈こねればどうにでもなるのでしょう(多分) 某自動車評論家氏他が外国車の車名表記に可笑しな拘りを持っている事が、時々この車板で 話題になるようですが、そういう事って他所の国でも話題になるのでしょうか? 以前書いたフランス旅行の時、丁度パリ滞在中に競馬の凱旋門賞が有るというので言ってみたのですが 世界有数の大レースに相応しく他国からも一杯来たお客の中で英国人らしき一団は 「Long-champ」(ロンシャン競馬場)を平気で「ロングチャンプ」って読んでいました。 「だってそう読めるんだからそれでいいじゃん」ってところなんでしょうか? 同様に「ホルヒ」って車名をフランス人達は「オーシュ」って読むらしいです。あとホンダ・ダイハツ・ヒノ・・・・。 私思いますに・・。あんまり神経質になっても仕方の無い話ですし、他人がどう拘ろうとそれに対して いちいち突っ込み入れる程の事でも無いのではないでしょうか?・・・・だって面倒臭いですから。
フランス人はフランス語(フランスそのもの)に誇りを持ってますからね。 だからこそフランス人の価値観は美しいと思うのですが。 逝ってるさんはフランスそのものにはこだわりとか憧れとかありませんか? 私はシトロエンに憧れている一人ですが もともとフランス好きで、フランス人の愛国心のようなもの(というよりプライドやこだわり) に惹かれてシトロエンにも惹かれるようになりました。 だから、フランス人の細かいこだわりを「あほやなぁ」(私は大阪人)と思いつつ 素敵だと思うのです。
ポルシェは「ポーシュ」ですよね。
>>200 アメリカではフランスはポイントが高いらしく、フランスのものをフランス風に発音すると教養が高く見えるようですぜ。
それはそれとして、アルファベットな国同士なら、自国の発音ルールに沿って読むのが普通と考えていいでしょう。
「〜ション」という英単語を、フランス語で「〜シォーン」「〜チォーン」にしたり、イタリア語で「〜ツィオーネ」にして
そのまま取り入れてることも多いようで。・・・サフィックスの語源としては共通だから抵抗ないのかな?
ただ、フランスで以前、英単語をそのまま取り入れてしまうことに対して議論が発生したような記憶が。
日本語では、表音文字のカタカナを利用して言語の発音に近い表記が可能ですが、過去の表記ルールや実際の発音によって
多少揺れるのはしょうがないかな。
Renault
ルノー:○ 代理店もそう表記してるし、まあ標準と考えていいでしょ
ルノォ:△ ちょっとお洒落、もしくは通好み。時には鼻につくかな?
グノォ:× 確かに発音が近いっていやぁ近いけど・・・
レナウルト:× それはあんまり
Jaguar
ジャガー:○ ま、定番だあね
ジャグァー:○ さりげなく通な感じで密かに好み 口ではちょっと意識しながら発音したりw
ジャグワー:△ ちょっとやり過ぎの感もあるかな?
ジャギュア:× そのまま読んだら、英国人にも通じないような気がする
Abarth
アバルト:○ ガチで定番
エイバース:△ 英語読みでは正解だろうけどちょっと鼻につく
アバース:× え?
例として個人的にはこんな印象、×がツッコミを入れたくなるレベルです。
ヨーロッパ製の戦闘機でJaguarってのがありまして、なぜかそちらはジャギュアと読むのが一般的。 アメリカ人は、バッハはバックだしピカソはパイキャッソーだし自国語によほどの自信があるのか はたまた無知なのか。
定番で、カウンタック。
201
>>200 つまんないレスしてすみませんorz
スルーしてください。
>>206 いや、そんな事は無いです。私もフランスには憧憬の気持ちは持っています。が、私が見た範囲での
フランス人達は細かい事には全く拘らないようでした。(言語に関してはどうでしょ?判りませんが)
そんな訳ですので、日頃から「まぁ固い事言うな」みたいなことばかり言って暮らしている私には
フランスはこの世の理想郷に見えました(w
>>204 >アメリカ人は、バッハはバックだしピカソはパイキャッソーだし〜
日本人が毛沢東を「もーたくとー」って呼ぶようなものでしょうか(ちょっと意地の悪い突っ込みw)
・・金大中は「きむ・でじょん」なのに、何でそうなるのでしょ??
アメリカ人って言ってもいろんな人種がいる訳ですけど、自動車産業の中心デトロイトって所は
フランスから来た開拓者達によって開けた土地で、元々そっち系の人が多く住んでいたという
話を何処かで読んだ記憶が有ります。
(Detroitって地名自体が仏語で「海峡」って意味らしいです)
そんな事も遠くの方にかすかに有るのか、確かにアメリカ車の世界では、フランス語っぽい言葉は
ポイント高そうな感じは有ります。
特にGM系でその傾向が強いようで、高級・高価格な車の名前にはフランス語やフランス系の人名が
よく使われるように思います。フォードにはあまりそうした傾向が無いようなのは、元々フォード家が
アングロサクソン系の血筋だった(と思った・・)事とも無縁ではないのかも知れません。
それにしても。仏車“ALPINE-Renault”は「アルピーヌ・ルノー」と読み、英車“Sunbeam-ALPINE”は
「サンビーム・アルパイン」と読む。そんな律儀な事をしているのって、もしかしたら世界中でも
私等日本人だけだったりして(w
>金大中は「きむ・でじょん」なのに、何でそうなるのでしょ?? マジレスすると、在日韓国人だか朝鮮人だかがイチャモン付けたから。 それまでは、拉致事件のときの報道も「きんだいちゅう」氏でしたよ。 韓国でも北朝鮮でも未だに、日本語の人名は漢字をハングル語読みしてるんだがねえ。 >フォードにはあまりそうした傾向が無いようなのは、元々フォード家が アングロサクソン系の血筋だった(と思った・・)事とも無縁ではないのかも知れません。 希少な例としてはリンカーン・ヴェルサイユというのがありましたね。 でもまあ最高級車に「コンチネンタル」って付けるくらいの旧大陸コンプレックスはありそうですね。 >そんな律儀な事をしているのって、もしかしたら世界中でも 私等日本人だけだったりして(w アルファベットの使用ルールを持つ国と表音文字を使っている国の違いと思いますが。 表音文字を使っている国自体希少なので、それをもって揶揄するのはどうか、と。
いや、揶揄するつもりは無いですよ。 あえて言うならば「日本人って変な所で生真面目だなぁ」くらいの感覚です。 それにしても。確かにこの手の話を純粋な表音文字を持たない言語でするのは少し面倒でしょうね。 「“無花果”って何て読むの?」 「“いちじく”です」 ・・みたいな会話を外国語に訳し難いような物・・(かな??) ところで御存知の方も多いかも知れませんが“コンティネンタル”という言葉が車名に使われたのは リンカーンが最初では有りません。それ以前にロールスロイス・ファンタムUのショートシャシーに 圧縮比を上げ、キャブレターも大径化したモデルが“コンティネンタル”と呼ばれていました。 もっともこの場合、飽くまで“ファンタムU・コンティネンタル”なので車名と言うよりも サブネームと言った方が適当かも知れませんが。 この時代(1930年代)には、後の時代の“GT”とかなり近いニュアンスでオーナー・ドライバー向けの パーソナルクーペ等にこの“コンティネンタル”という言葉がよく使用されたようで、一種の自動車用語と 広く知られていたそうです。 1939年に登場した初代リンカーン・コンティネンタルについては以前にも触れましたが、これを企画した エドセル・フォードのアイディアの元が、こうした欧州製のクーペであった事は確かでしょうが、 完成した車は完全にアメリカ調であった事も有り、“コンティネンタル”という名前が付けられたのは 欧州車へのコンプレックス等と言うよりも、広く知られた用語をごく自然に与えた結果と考えても 良いのではないでしょうか。
210 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/01/17(火) 23:22:03 ID:BV5ttEbn0
さて。またもや話はちょっと戻ってVWの事。 先日も書きましたが、かつてはフォルクスワーゲンと言えばタイプT、ビートルの事でした。 少なくとも私の子供時代にはそうだったように思います。 今ではそう思っているのは、車には興味の無い年配の方くらいかも知れませんが。 しかし今も、ゴルフその他のモデルを見て何処の会社が作った車か判らないような人でも ビートルだけはフォルクスワーゲン製と大体が知っているでしょうし、ワーゲンという言葉が何語で 何を指す言葉なのか知らず、ビートルそのものの事と思っている人も恐らくいる事でしょう。 それだけビートルという車の認知度は大した物なのだと思います。 ところで。このスレでは何度かビーチボーイズのカーソングに触れましたが、 日本語の曲で車が登場するものにはパッとした物は少ないような気がします。 しかしそんな中、有名どころですがちょっと好きなのが1981年に発売された 大瀧詠一の「雨のウェンズデイ」という曲。 この冒頭に「壊れかけたワーゲンのボンネットに腰掛けて」という歌詞が有りますが、 ここで「ビートルのボンネットは丸くて腰掛けにくい、これはタイプVかゴルフ以降のモデルだろう」 と考える人はあまりいない筈。 例えフォルクスワーゲンという名前を単なる会社名としか思わない(今ではそれが普通かも?) 人がこの曲を聞いたとしても、やはりこの歌詞の世界の中では“ワーゲン=ビートル”と思うでしょう。 これはやはりビートルという車の存在感や認知度の広さがそうさせるのだと思います。 この他にも車の名前が歌われる事で風景を喚起させるような曲って有りますかね?
車が出てくる日本語の歌となると、小林旭の自動車唱歌(あの娘をペットにしたくって〜)かなw 山口百恵の「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ」は印象的ですね。ぬらぬらとした光沢の911を操る 強気でクールな女性の絵が浮かぶ秀逸な歌世界だと思います。 風景と限りませんが、印象的な歌をいくつか挙げると 友部正人「あいてるドアから失礼しますよ」 歌詞の中では「通りの向こうにフォルクスワーゲン」「夜風の向こうにフォルクスワーゲン」という フレーズだけではあるんですが、叙情性を匂わせる風景描写の中で光ります。 発表当時ゴルフIもデビューしてましたが、車に詳しくない彼のことなのでビートルが順当でしょう。 浜田省吾「MONEY」 主人公が憧れるゴージャスな暮らしの象徴として「純白のメルセデス プール付きのマンション」と 歌われています。アメリカンロックが好きな浜省ですが、1980年代当時、成功の象徴はすでに キャディラックではなくメルセデスだったんですね。もちろん190Eじゃなくて560SELあたりでしょうが。 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT「シトロエンの孤独」 前衛詩のような鮮烈なイメージの言葉の羅列の終わりに「シトロエンの孤独は続く」と吐き捨てる。 メルセデスでもプジョーでもベントレーでもなくシトロエン。王道でも豪華でもなく、独自の個性を放つ ひねくれた知性の象徴という感じ。暗黒街でも愛用されたDSかなんかのイメージかな。 クレイジー・ケン・バンド「べレット1600GT」 こてこてのカーソング、全編べレットです。日本のミュージシャンで車趣味人というのはPANTA、所ジョージ (もはやミュージシャンじゃないか?)ぐらいしか浮かびませんが、横山剣はその数少ない一人ですね。 アルバムジャケットに三角窓を開いた姿をでかでか載せてるだけあって、愛が溢れています。 ・・・ま、セリカ1600GTやコーティナ1600GTに替えてもあまり違和感がありませんがw 今のところはこのくらいしか思い当たらないなぁ。
213 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/01/19(木) 19:34:06 ID:jjtY3mZx0
トヨタスポーツ800の
クオーターピラーのところ…エアの吸出し口は
関東自動車のマーク(右)をモチーフにしたエアアウトレット
詳細ソース(登録必要)
http://www.motorfan.jp/modules/xf6section/article-36.html 関東自動車オフィシャルサイト
http://www.kanto-aw.co.jp/ 関東自動車のマークをモチーフにしたエアアウトレット
長谷川:カローラ初代主査 長谷川龍雄氏
長谷川:クオーターピラーのところ…あれはエアの吸出し口、であるんですが、もうひとつ意味があるんです。
あれは関東自動車のマークなんです。商品になると関東自動車の作品だとは思ってもらえない、
トヨタ自動車の作品だと思われる。ところがこのスタイルはとてもいいスタイル。
担当者がとてもよかったんです。佐藤じゃなくて、実務者がとてもよかったんで、
そのお褒めのためには何かしら、これは関東自動車の作品ですよと、目に見えることを表わしたいと思って、ベンチレーションの吸出しであると同時に、
関東自動車のマークをシンボライズしろ、とわたしの命令によってやったんです。
橋幸宏の歌にも「ボクのルノー見つけたら」という歌詞がありますね(題名失念)。 氏は当時キャトルに乗ってらしたそうです。
あと、杏里の初期の曲にも 「赤い靴はいてた男の子、ライトブルーのフィアットで」というのがありました。
216 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/01/19(木) 20:04:56 ID:jjtY3mZx0
長谷川龍雄(はせがわたつお)氏のプロフィール 1916年2月8日 鳥取県鳥取市に生まれる 1939年3月 東京帝国大学工学部航空学科卒 4月 立川飛行機株式会社入社 1943〜1945年.立川飛行機の主任設計技師として、B29迎撃機「キー94」を設計 1946年6月 トヨタ自動車工業株式会社入社 1950年9月 車体工場技術課長兼技術部設計課構造係長 1953年5月 技術部ボディ設計主担当員 1957年2月 主査室主査 1961年6月 パプリカの主査として開発を担当 1965年2月 製品企画室主査 1966年10月 カローラの主査として開発を担当 1967年7月 取締役 1968年2月 製品企画室副室長 1970年10月 セリカ、カリーナを製品企画室副室長として開発し発売 1972年7月 常務 1978年9月 専務 1982年9月 技監 9月 米国デュポン社上席顧問
う〜む・・。知っているのは山口百恵と友部正人だけですね・・。
この話、完全に人それぞれの感覚だけが判断基準の全てなので「そりゃ違うだろ」とか
「そういう見方は無いでしょ」とかいろいろ思う事は有るでしょうが、
私個人の感覚でどうでも良いような事を勝手に言わせて貰うと。
「この歌詞世界にはこの車が一番」って思わせるのが上手い作詞家だと思うのです。
その点、山口百恵「プレイバック・パートU」はどうでしょう?あの人に911は似合うでしょうか?
赤い911ってのも、曲の中での語呂は良いのですがあんまり見掛けないように思いますし
それに911に乗るような人がステアリングホイールを「ハンドル」って言うでしょうか?
(あくまで、全ては私の中でのイメージの話)
どうもこの歌詞をl書いた人は車には興味が薄いような気がします。
もしもこの曲を映像化するならば。私なら車はシボレー・カマロとかにします。ポルシェに拘るなら
944カブリオレか、いっそ928か。
小沢健二の「カローラUに乗って」なんて曲も有りましたが、この曲に歌われているような
「財布忘れて買い物に出て、気が付いたのでそのままドライブ」するような女性なら
カローラUよりもプジョー205かルノー4、フィアットパンダの方が似合うのではないか?なんて思います。
この曲、カローラUのCMソングでもあったのに(w
トヨタスポーツの話は
>>1 にあんな事書いた事も有り無碍にする気は無いですがその内にまた。
>>215 スカイブルーのフィアットだと、恐らくヌォーヴァ・チンクエチェントですかね。
フィアット系の車ではスカイブルーのレース車両も多いですが、そんなに硬派じゃないでしょうね。
>>217 まあ、音楽なんて主観的なもので、ブライアン・ウィルソンマンセーな俺的にはビーチボーイズのホットロッドソングは
あまり好きではなかったりします。
で、プレイバック・パートIIですが。
作詞は阿木燿子ですからね。宇崎竜童はともかく、彼女に車知識求めるのは酷というもので。
しかも歌謡曲ですから一般人によく分かるよう、ステアリングではなくハンドル、分かりやすいアイコンを持つ車を出さなきゃ
ならない。しかもまだ当時は「女だてらにスポーツカー」な時代ですから、(当時は)硬派なイメージの漂うポルシェ911の
選択は正解だと思いますね。928や944だと時代が合わなくなってしまいます。
アメ車では、「馬鹿にしないでよ」とクールに吐き捨てるよりも「あたいを舐めんじゃないよ」とカミソリだかチェーンだかを
取りだしてしまうような、少々品に欠けるイメージになってしまうのです。
フェラーリは高級さと官能性が先にたってしまい、お金持ちのお嬢様がお高く止まって「そっちのせいよ」ではなく、
「あら、そちらのせいではありませんこと? おほほ」と見下す姿が目に浮かんでしまいます。
MGやロータスなら・・・ありかもw
いずれにせよ、MTシフトを軽々と操り、そこらのぬるい男が乗るスポーツカーをカモってしまうイメージですね。
CMソングの話になると、ワゴンだかSUVだかのCMでクラッシュの「I Faught the Low」が流れたときはちょっと
怒りが湧いたことを思い出してしまいました。
「誰のためでもなく俺は法律と戦ったぜ」というパンクアンセムをなんつうぬるいCMに使うんだと。
まあ、スポーツカーだったら洒落にならん歌ですけどw
>>218 > しかも歌謡曲ですから一般人によく分かるよう、ステアリングではなくハンドル、分かりやすいアイコンを持つ車を出さなきゃ
> ならない。しかもまだ当時は「女だてらにスポーツカー」な時代ですから、(当時は)硬派なイメージの漂うポルシェ911の
早瀬左近の愛車ですね(w
> CMソングの話になると、ワゴンだかSUVだかのCMでクラッシュの「I Faught the Low」が流れたときはちょっと
> 怒りが湧いたことを思い出してしまいました。
> 「誰のためでもなく俺は法律と戦ったぜ」というパンクアンセムをなんつうぬるいCMに使うんだと。
日産は、クラッシュ、ボストン、ジャーニーと狙ってる世代が明確かも。
一個追加。伊藤銀次「Shade of summer」
“♪最後のシャッター切る指 震えていたよ シトロエンで微笑む 君がブレてる”
・・うむ・・シトローエンには詩情が有るなぁ・・(w
>>218 実は私も、ブライアン・ウィルソンのソロから本格的に聞き始めたクチですので、
ビーチボーイズファンと言うよりは、ブライアン・ウィルソンマニアなのです。
が、それでも。例えば「Fun-Fun-Fun」のサビ
「And She'll have Fun,Fun,Fun Till her daddy takes the T-Bird away」
なんて部分の格好良さは認めざるを得ないって思うのです(ワカラン人には全くワカラン話だな・・w)
60年代前半、ビーチボーイズがサーフィンを題材にヒット曲を連発した頃には
全米規模でサーフボードが売れたそうです。・・中西部でも・・(何に使う気だったのでしょ?w)
その後、カーソングを立て続けにヒットさせた時には車の売れ行きが倍増・・
なんて話は有りませんでしたけど、あちこちで車を題材にして若者向けの曲が作られました。
しかしどれもビーチボーイズのように格好良くは出来なかったようです。
あのビートルズにも「Drive my car」なんて曲が有りますが、この分野では全くビーチボーイズには
太刀打ち出来なかったと思います。
日本でも当時、橋幸夫が「ゼッケンNo1スタートだ」って曲を出しています。
ビーチボーイズの「409」(イントロ代わりに爆音が轟く)を意識したのか、田舎道を走るかのような
一本調子のエンジン音がバックにず〜っと流れている曲(w
機会が有ったら一度聞いてみて下さい。「二度と聞きたくない」って思うでしょうから(ww
バカバカしい話ですけど、これ、その国毎の当時の若者と自動車との距離って物を
端的に表しているって思うのです。
221 :
オサーン :2006/01/21(土) 01:23:09 ID:H2+50D2V0
西郷輝彦の『恋のGT』もお薦め。 下手に聞くと夜、うなされます。
60年代から活動しているイギリスのミュージシャンで車好きってのは少なそうですね。 例外としては、自分で車いじりをしちゃうジェフ・ベック。 ギターの才能の塊みたいな人間のくせに、音楽活動休業中にまじで修理屋開くかどうか悩んでた・・・ってあーたw ただ、ギター一本槍の人なので車関係の歌詞など望むべくもありません。 ただヤン・ハマーと組んだ「Freeway Jam」(自由な様式のジャムセッションとフリーウェイでの渋滞を 掛けていると思うんだが)で、クラクションの音をギターで再現したりするお茶目さんだったりしますね。 あと知ってるところでは元ローリング・ストーンズのビル・ワイマン。 ビートルズの後を追ってスターダムにのし上がった後、ロールズだかジャガーだかの高級サルーンと一緒に MGミジェットを買って、ミジェットの前でにんまり満足そうな笑みを浮かべている写真があります。 彼も作詞作曲には縁がないため、ストーンズの曲になかなか車は登場しませんな。 紳士のスポーツとしてのカーレースは盛んだったものの、紳士未満の階層出身となると、なかなか車趣味には 縁のないものだったんでしょうかね。
>>221 変な方向の「お薦め」ですか(w
>>222 ピンクフロイドのック・メイスン辺りも有名なカーマニアで、ヒストリックカーのイベント等には
よく姿を見せるそうですが、当然楽曲には反映される筈も無さそうです。
前にもちょっと書いた話ですが、58年に発表されたアラン・シリトーの処女作「土曜の夜と日曜の朝」
という小説には主人公(21才・労働者階級)が稼ぐ賃金が週に14ポンドと書かれています。
その当時、英国で最も安い車だった英フォードのポピュラー(戦前型のような古めかしいスタイルの
金型を再利用したボディーにサイドバルブの1.2リッターエンジン)が600ポンド弱。
殆ど若者の年収近く。
MGやトライアンフTR等に代表されるスポーツカーが「ポケットの軽い若者」に愛されたと言っても
あくまでそれは中流以上の階級、その中でも富裕層に属する中での話で、ギターやら何やらに
お金掛けていた学生達に手が届くような代物ではなかった事でしょう。
そんな訳ではイギリスにカーソングの名作が生まれないのも無理は無い話だったのでしょうね。
日本では・・これはもうそんな次元ですらなかった様子。
1962年に植木等が「これが男の生きる道」って歌の中で「嫌な課長に頭を下げて 貰う月給は一万ナンボ」
って歌っています。で、車の値段と言えば360ccの軽自動車が30万から・・・。
「Fun-Fun-Fun」「409」等で歌われた世界は遥かに遠い彼方・・。
↑ ピンクフロイドの“ニック・メイスン”でした
植木等主演「日本一のゴマスリ男」の冒頭近く。 ヒロインの乗るフォルクスワーゲン・タイプTカブリオレを見た、大卒新人サラリーマン (植木等・当時37才 w)が 「お、凄いスポーツカー!」と驚くシーンが有りました。 スポーツカーの厳密な定義とかはこの際は別にして。ポルシェ356とかだったらまだしも 只のビートルのカブリオレが何故「凄いスポーツカー」なのだか、不思議に思いました。 どうやらこの時代には 「屋根が無いのはスポーツカーである」って言う変な思い込みを持っている人が少なく無かったようです。 日本でも、戦争以前には幌型がそう珍しくは無かった筈ですが、 その時代をよく知らない昭和一桁世代の、左程車に興味の無い人にとっては 「オープン=タクシーや公用車には向かない趣味性の強い車=スポーツカー」だったのでしょう(多分・・) 植木等には(歌手としての)出世作「スーダラ節」のカップリング曲「こりゃシャクだった」って歌も有って、 社長の娘をドライブに誘い「自慢の腕でぶっとばしゃ、彼女はすっかり御機嫌サン」なんて歌ってます。 こういう歌詞、言っちゃ悪いのでしょうが今なら誰も書けないでしょうし「どんな運転だよ」って 突っ込みの一つも入れられるのがオチでしょう(多分・・) 「スーダラ節」の「わかっちゃいるけど やめられない」なんつう歌詞に比べると、如何にも時代を感じる つか、いい加減に作られているように思うのですが、最初はこっちがA面(アナログ盤用語 w)の筈 だったのだとか。
226 :
香ばしい :2006/01/23(月) 02:14:50 ID:qBuJW4jC0
しっつもーん! ロニーとデイトナス(バンド名もイケテいる)の「G.T.O.でぶっとばせ」 は何のオモロゲートでしょう? まさか250GTO?
時代的に考えれば、64'ポンティアック G.T.Oのことでしょう(w 250GTOのことではないと思います(w これにスリーファンキーズの長沢氏が日本語歌詞をつけたのを 発表していた気がしますが記憶が定かではありませぬ。 同年は ヘイ・リトル・コブラ/リップ・コーズ(ホットロッド)なんてのがあったり リトル・ホンダ/ホンデルスなんてのがあったり。 いい時代でした。 恋のドライヴイン/マーメイズなんてのがあったりして原題はぜんぜん こういうのではないのですが(w なにか当時の世相を反映していて明るいイメージがありますね。 横槍ごめんちゃいm( __ __ )m
228 :
香ばしい :2006/01/23(月) 22:12:38 ID:qBuJW4jC0
ありがとごぜえます。 ポンティアックは69はなんとなく形が思い浮かびますが 64はどんなモデルでしたっけ? リトルホンダはビーチボーイズもありですね。
http://www.ridetherod.com/images/gto64.jpg 64年はこんな感じですね。私は縦四つ目の67年頃を最初に連想しました。
「G.T.Oでぶっ飛ばせ」昔数回だけラジオで聞いた記憶が有る程度ですが、
私も恐らくはポンティアックGTOの事だろうとは思うのですが、ちょっと自信は無いです。
と、言うのもポンティアックGTOの登場した年と、その歌の出た年が同じ。CMソングでもなければ
その年に出たばかりの車を歌うかなぁ?って思うです。
原題は単に「G.T.O」らしいのですが、もしかしたら車の名前とかではなく全く別な意味なのかも?
とにかくフェラーリの250GTOではないでしょう。あれは基本的に市販レーサーですから。
スリーファンキーズのバージョンは知りませんでしたが、
いっその事「アクセル踏むと走り出す」って例のコピペ改変して、新たな日本語詞を作ったらどうですか?
そうすれば「日本語バージョンはミツビシだ」って堂々と言えますし、上手く行けば
CD化されて、100枚くらいは売れるかも(私は買いませんけど w)
60年代の無邪気なホットロッドサウンドってのは、実はあまり車には興味も無く、自閉症気味で
レコーディングオタクなたった一人の天才によって殆どが作られていました。
ビーチボーイズのリーダーだったブライアン・ウィルソン。
時代が変わり、それと共に彼が自我に目覚めて創作意欲の方向も変わった時にホットロッドは終焉を迎え
70年代以降に登場するカーソングはキッスの「デトロイト・ロック・シティー」等にしても
最後にクラッシュするというオチが付いてしまったり、なんとも冴えない代物になっていったようです。
保守。 ここ数日書き込んでいて思った事。 「かつてアメリカはスポーツカー不毛の地であった。必要に追われ、純粋に道具として 自動車が普及したこの国では、それに対して趣味性を求めようという発想は無く、 戦後イギリスから輸入されたスポーツカーによって初めて遊びの要素がもたらされたのだ」 と、言う通説は物事の一面しか捉えていないのではないか?という事。 スポーツカーを「操縦性を味わう車」と極めて狭く定義すればその見方もあながち間違いでは 無いかも知れません。しかしアメリカにはアメリカなりのスポーツカーが有りましたし、 量産メーカーから売られた車にも趣味性の高い車は幾らでも有りました。 少なくとも人口の中に多くを占める労働者階級やそれに準ずる所得層の間に関して言えば 自動車を趣味の対象と感じ楽しむ人の割合は圧倒的にアメリカ人に多かったものと思われます。 では、主要な自動車生産国の中で最もスポーツカーと縁遠かったのは何処か?と考えると、 実はスポーツカー天国の一角を占めると思われ勝ちなフランスなのではないでしょうか。 古くは第一次大戦後のサイクルカーブームの時にアミルカーやサルムソンなどが、 また第二次大戦後にはアルピーヌなどのスポーツカーメーカーの生まれたこの国ですが、 量産メーカーからは、イタリアにおけるフィアットの小型スポーツカーのような車は出ませんでしたし、 こうした小規模なスポーツカースペシャリストの中から、ドイツにおけるポルシェのような存在に 育つメーカーはついに出現できなかった事から、そう考えるのです。
先日アルピーヌをアバルトに近い存在と書きましたが、他にもイギリスに於けるロータス等にも よく譬えられるようです。しかし、量産セダンのコンポーネンツを最大限に利用しつつ、オリジナルデザインの スポーツカーを生産する。この始まり方に最も近いのは実はポルシェでしょう。 ポルシェがVW・タイプT(ビートル)の部品を多く流用した356からスタートしたように、 アルピーヌの始まりはルノー4CVのエンジンや足回り部品を流用したA106からでした。 その後A110に代表されるモデルで主にラリーで活躍したものの、結局はルノーの一部として 吸収されていった(この終わり方はアバルトに近い?)のには様々な要因が有るとは思いますが 最も大きかったのは、フランスにはこの種の車には買い手がいなかった事ではないでしょうか。 第二次大戦後、かつては数多く存在した高級・高価格車メーカーの殆どが消滅したフランスでは クーペやカブリオレスタイルを持つ車としてはルノー・フロリドやプジョー204/304カブリオレ等が 有りましたが、これらはいずれも高性能なスポーツカーを目指した物ではなく、飽くまで洒脱な パーソナルカーであり、箱型と大差ない値段でエンジン等のスペックもほぼ共通であったようです。 この国では、高性能なエンジンを奢った車ならば、それに見合った量の人や荷物を積み込んで 遥か彼方までの高速巡航が出来なければ、なかなか買う人はいないのかも知れません。 ルノードフィンや8といった何の変哲も無いセダンにこそゴルディーニチューンの過激なエンジンが積まれたり 近年は小型ハッチバック車に強力なエンジンを積む車が流行したり・・ そうした国柄では、人間は二人だけしか乗れず、荷物も大して積めない割に高価なアルピーヌ車は 憧れの対象にこそなっても、実際にお金を払って購入する対象には成り得なかったように思うのです。
明日無き暴走 第二次大戦後のフランスでスポーツカーを生産しようと試みたのはアルピーヌだけではなく ルネ・ボネやゴルディーニ(チューナーだけでは無かった)等も有りましたがそれらは結局の所 現代にまで存続する事は成し得ずに姿を消して行きましたが、そうした事はその更に以前にも 有ったようです。 第一次大戦終結後間もない1920年代にも、フランスにはサイクルカーと呼ばれる小型車の一大ブームが 有りました。それらの多くは大小様々な町工場から生まれ、当時存在した税制により優遇措置を得る為に 徹底した軽量、管略化が図られていました。木材を主要な構造材に用いたり、デフが無かったり、 中には前輪のステアがセンターピポットになっていたりといった具合。 そうした当時やはり多く存在した汎用エンジンメーカー製のエンジンやら第一次大戦中の連合軍 余剰物資のハーレーエンジン等を搭載した車達は、これも第一次大戦中の砲弾の生産工場から 転身し大メーカーとなったシトローエンの5CVや、プジョー、ルノーといった大手から出された 小型車によって市場から駆逐され、殆どが姿を消しました。 しかし、そんな中にはアミルカー、サルムソン、GN等のようにスポーツカーに特化する事によって 付加価値を付けて生き延びる者も有ったのですが、結局は徐々に大型の重く平凡な車を作るようになり 大メーカーとの競合に敗れて姿を消したようです。 フランス人に限らず、この手の小型スポーツカーには車好きな人の琴線に触れる物が有るようで 人気はそれなりに得られるのですが、人気と売れ行きは必ずしも一致しないようで、中々生き残る事は 出来ないようです。近年の日本に於けるホンダ・ビートなんかもそのクチだったのかも。
・・更に暴走は続く。 “人気と売れ行きは必ずしも一致しない”こんな単純な事に気付く迄は、何故1920年代のフランスから 小型スポーツカーが消滅したのかは私にとっては謎でした。大メーカーから安価にそうしたモデルが 提供されて、その結果アミルカー等のサイクルカーメーカーから始まった小さなメーカーが市場から 締め出されたという訳でもないのに。 こうした小型スポーツカーは「もう少し余裕が出来たら一台欲しい」って思う人は多いのでしょうけれど 実際に買う段になると「やはり買い物にも使えないとなぁ」なんて貧乏臭い事を考えてしまい、 中々実際に買う事は出来なかったりします(・・私がそうですw) 車が一家に一台有れば上々だった時代なら尚更の事だったのはごく当然な話。 これはフランスに限った事では無かった様子。 もう少し時代は後の事になりますが30年代のイタリアでもフィアットから大ヒット作508“バリッラ”の スポーツカーバージョンとして508S“バリッラ・スポルト”という車が出ました。 アバルト美術館で見た人も多いかと思います。この車、かつてのフランスでのアミルカー等と同様に 当時から現代に至るまで大変人気が有るようなのですが、それではどのくらい売れたのか?というと 僅か1000台程度に終わっているらしいのです。 値段にしても、MGミジェットが222ポンドで売られていた時代の英国で238ポンドで買えたそうですから 決して高価という訳ではなかった筈。(但し当時の英国でもっとも安価なフォード“エイト”は120ポンド) しかしまだ車そのものの普及率が高くなかったイタリアに於いては、値段云々を言う以前の問題として 二人しか乗れない車には市場が存在しなかったのも無理は無く、惜しまれつつ生産を終えたようです。
フィアット508S“バリッラ・スポルト”は、ベースになったバリッラがSVながらややショートストロークの 高回転型エンジンを積み、軽量と相まって機敏な操縦性を備えていたのを、OHVに改造し 更なる軽量化によって当時の安価な1リッター級の中では出色の性能を誇ったのだとか。 手許の資料によれば総重量790kg。多分乾燥重量では700kg弱。 ・・確かに軽いことは軽いのでしょうけど、その本に書かれているように「驚異的に軽い」って程の物か? 1929年代初頭、フランスに存在したサイクルカーの定義(税制により優遇措置が得られる。現代日本の 軽自動車枠のようなもの?)は「3ないし4つの車輪と二つの座席を持ち、排気量は1100cc以下、 乾燥重量は350kg以下」であったそうです。さすがにこの規定を守ろうとするならば、作る側にも かなりな無理が有ったようで皮ベルトに動力の伝達を頼ったり、フロントのアクスルビームに木材を 使用して軽量化を図ったりといった具合。 ラダーフレームに木骨入りボディーを架装していた頃の車ではサイクルカー規定の倍近い重量が 必要であったということなのでしょうか。これらのサイクルカーを市場から駆逐したとされる シトローエン“5CV”は、850ccの排気量こそサイクルカー規定の範疇に有りましたが、充分な寸法と 強度を奢られたボディーは最初期の2座型で500kg強と、優遇税制の恩恵に頼るつもりは最初から 無かった様子。それでも当時のフランス大衆はこちらを選び、結果として小さな町工場製品は この国の路上から姿を消していったようです。 しかしサイクルカーのブームが残した物は少なくないようで、シトローエン5CV自体がサイクルカー “ル・ゼブル”を生んだジュール・サロモンの手によって設計された物でしたし、自動車レースの F1〜F3というクラス分けも、当時のフランスでの普通車、小型車(ボアチュレット)サイクルカーという 組み分けで競技を行った名残りなのだとか。
ギョエテとは、俺のことかとゲーテ言い。 アルファベット共通圏の人たちが自国語の発音で他国のものを言うのは、別にとがめだて すrほどのものではない。同様に漢字を共通する日本と中国も「もうたくとう」で「とんきん」だ。 あいだにはさまれた丸文字の人たちが何ゆえ自国の発音を他国に人に押し付けるのか? けつの穴が小さいとはこのこと。「大人になれ、金君」 クリス・レアはどうよ。けっこう車好きらしい。
↑ 「どうよ」と言われてもナンと言えば宜しいのか・・?(w 「明日無き暴走」ってのもブルース・スプリングスティーンの曲名ですが、これとかディープ・パープルの 「ハイウェイ・スター」等は車の歌というよりも疾走感がテーマという感じですね。 ・・そう言えば直訳ロックと称して「高速道路の星」って歌っていた王様って歌手は今どうしているのでしょ? しつこいでしょうけど、もうちょっとフィアット508S“バリッラ・スポルト”の事等。 この車で大陸的だと思うのが、OHV化等により元の508エンジンの24HPを36HPに高めたと同時に ファイナルギアレシオを高めている事(5.1→4.3タイアサイズは同一の4.00-17) 同時代のイギリスで売られていた同じ1リッター級のスポーツカー、MG-PBミジェットが 如何にもヒルクライムを意識したかのように5.875という低いファイナルを持っていたのとは対照的に見えます。 恐らく瞬発力ではSOHCの43HPエンジンとも相俟ってMGに軍配が上がるでしょうが、 長距離走に於いてはバリッラ・スポルトに分が有ったのではないでしょうか? (更に付け加えるなら、MGのタイアは4.50-19) 20世紀初頭にルノーによって現代のギアボックスの原型が作られて以来、トップギアはまず直結で ギアレシオは1.00というのが普通でしたから、高速道路が一般化してオーバートップを備える以前の車では ファイナルレシオの数値=巡航時のオーバーオールレシオと思って良いと思うのですが、 そう考えると凄い事が有って、MG-PBミジェットやフィアット508の十倍もの排気量のエンジンを備えた イスパノ・スイザJ12のギアレシオは1速が僅かに2.00でしかなく、様々なレシオの選べたファイナルで 最も一般的だったのは2.72(!)・・と、言う事は1速のオーバーオールレシオは5.44。 つまりイスパノのローギアはMG-PBのトップギアよりも高いレシオを持っていたという事??
・・あんまり20〜30年代の車の話ばかり書き込んでいると、その内本当に誰からも相手にされなくなりそうな 気がしてくるな・・w それにしても戦前にはフランスにもイタリアにも殆ど皆無だった小型スポーツカーの市場がイギリスには有り そのおかげでMGのようなメーカーが存在出来たのはちょっと不思議な気がするのですが、 これ(英国国内のスポーツカー市場)もそんなに大きなモノではなかった様子。 1936〜39年に生産されたMG-Tシリーズミジェットの最初の型TA-TBは、3年間に約3400台が生産された ・・という事は月に100台弱。イギリスで最もポピュラーだったスポーツカーでも、この程度の生産規模。 それが戦後、対米輸出が本格化した後に発表されたTDとなると、50〜53年の間に約3万台と一気に 十倍近い数が売られているようです。勿論、その殆どがアメリカで売れた事は言うまでも無く、 こうなると作る方の側はともかく、アメリカが「スポーツカー不毛の地」なんてことは言えないでしょう。 しかも売れたのはMGだけではなく、他にも様々な欧州製スポーツカーが彼の地で貴重なドルを稼いだの ですから。 例えばトライアンフTR-3Aなどを今見ると、そのスタイルなどからは如何にも英国的に感じるのですが 当時英国国内で売れたTR-3Aは生産された内の僅か3%(3割の間違いではありません)でしかなく 残りの殆どはアメリカへ輸出されたのだとか。結局の所、欧州にはスポーツカー等のパーソナルカーの 市場は殆ど無かったと思って良いのかも知れません。 そこで思う事。もしかしたらアルピーヌも、もっと早くからアメリカに目を向けていれば 今日にまで存続出来ていたのかも。
さて、先日ついにどうにも立ち行かなくなった様子のMGですが、 この会社、元々モーリスとは別会社ながら、Morris Garagesのイニシャルを取ったその名前からも 判るように共に同じ人物が立ち上げた会社でした。 “量産車メーカーのモーリス社がまず有り、その部品を流用してスポーツカーを作るMGが有る” というような関係は最初からのものと思われ勝ちですが、実はMG社の方が2年程先に出来ています。 ウィリアム・モーリスさんはまず自動車販売や修理の会社MGで自動車の世界に入り、その後に 自らが生産を行うモーリス社を立ち上げたと言うのが事実だそうです。 その後、MGはモーリス車の販売を主にしていき、そうする内に当時のベストセラーだった モーリス・オックスフォード等をベースにしたスポーツカーを開発、レース活動等も行い 独自の発展をするのですが、飽くまでもエンジンは量産車モーリスの物がベース (純レースカーに関してはその限りではなかったようです)だった事も有り、モーリスが低調になった 近代以降に於いては新型車の開発に遅れを取ったようなのは仕方の無いところでしょうか。 そんな訳ですから 「モーリスブランドが先に消滅してモーリス・ガレージ=MGの名前が残ったのは変な感じだ」 って思う人もいたかも知れませんが(いないか?)その始まりを思えば決して変な話という事では 無いようです。特に輸出市場に於いてはイギリス国内が主な市場だった大衆車モーリスよりも スポーツカーメーカーとして多くの車を輸出したMGの方が知名度は高かった事も有り 利用価値の高いブランドネームであったことでしょう。
保守・・ 日本には英国モノ好きな方は多いようで旧ミニの最後期には日本市場が最も多くのミニを買っていた という話も聞いた事が有ります。 MG等の新車が入手不可能な現代は英国車の好きな人にとっては受難の時代でしょう。 良いか悪いかは別にして、現行ミニには英国臭は希薄ですし、会社がフォード傘下にある事には 目をつぶるとしても、ジャガーで結構なお値段になってしまいますし。 私は以前何度か“フィアット508Sが欲しい”なんて無茶を書いた事が有りますが、同じ頃のMGミジェットも 別な意味で好きです。英国には左程の思い入れは無い方ではありますが、その無骨なスタイルも それはそれで中々格好の良いものだと思います。初めに書いた事と重複しますが、日本人には こうした英国製スポーツカーの味わいは結構受けが良いようで、河口湖の自動車博物館でも 入り口近くの特等席に最初のMGミジェットが鎮座しています。 アメリカ人も、戦後大量にMG等を輸入した程ですからあのスタイルは理解し易い物なのでしょう。 ところがスポーツカーには流麗さが不可欠と考える(らしい)ラテン系民族にとってはどうなのでしょう。 私が見た限りでは、フランスにある自動車博物館にはMGはおろかヴィンテッジ期の スポーツ・ベントレーも置いていなかったように記憶しています。 かのエットーレ・ブガッティさんの目には、ルマンで無敵を誇り、Sシリーズメルセデスの 挑戦を幾度となく退けたベントレー車も「世界一速いトラック」としか見えなかったという具合に、 その無骨で“ちょっと野暮ったいのも味の内”という独特な格好の良さは理解し難い物なのでしょうか。
240 :
オサーン :2006/02/02(木) 00:23:06 ID:P17QX05p0
「世界最速のトラック」という揶揄、フランス人のフレンチウリナラマンセーな部分が引っかかっちゃうんでしょう。 だから素直になれないw それを受け入れて、ゴツい輸出用ポンティアックにわざわざパリジャンなんて名前を付けたGMはわかってらっしゃる。 その一方、アメリカンウェイで突撃したクライスラーなどは、大統領まで敵に回すお馬鹿さんなのでした。 さてMGですが、ある世代の日本人には「スポーツカー=オープン=MG」の図式が出来ちゃっているような気がします。 その背景にはやはり、他を圧する占領軍軍人・軍属のMGの数、そして全盛期の邦画での露出度があるのでしょう。 もう森永ガムの景品だってMG、トラTR-3が表紙を飾っても、ケロッグが広告にヒーレー3000を使っても、オープンは なんだってMG呼ばわり。 一時代のアイコンであるという意味で、わが国でMGは価値を持っているのだと思います。
241 :
おっちゃん :2006/02/02(木) 13:15:48 ID:zdkN6f3/0
とりあえず欧州フォードは生産国こそ英国でなくとも英国の英知が息づいておる とおもっていいぢゃろう。 セッティングをシャッキー・スチュワートにやらせておったりするあたりも含め、 量産車のアシの調律をやらせたら、いまだに他の追随を許さんと思うよ。 というより、もうソレしか残ってないとも言えるがねェ。 他人が作りかけたシャシーからベンツのごときローバー75とBMWのごときMG-ZTを 作り分けていたあたりもまさに手品としか言いようがないぢゃろう。
↑ トリップ、どうしたのですか?
ま、それはともかく。様々な形で英国には有形無形の技術が有るとは思うのですけれど、
英国らしさと聞いてすぐに思い浮かぶ明確なイメージがあまり無いような気がします。
“ベンツの如き”とか“BMWの如き”と聞くとなんとなく思い浮かぶ物が有るのですけどね。
“味が有る”なんて言いかたをされても、一般にはそれがどのような物なのかが思い浮かばない。
つまり、何度も見ている内に段々と気に入って来る、あの“ダサカッコイイ”スタイルも含めて、
興味の少ない人に簡単にアピールする物が無い。それが良い所であり、弱い所でもあると思います。
>>240 “オープン=スポーツカーと言う思い込みはMG由来”説ですか。
・・森永ガムは知らないなぁ・・(w
終戦直後〜ゴジラ襲来(1945〜54)の頃はよく判らない事ばかりですが、実際にそんなに多くの数の
MGが持ち込まれたのでしょうか?さすがにジープよりも目立つ数って事も無いでしょうから、
映画等の方にその由来を求めるのはともかく、占領軍軍人・軍属が乗るMGのイメージが
“オープン=スポーツカー”の思い込みを生んだと考えるのには多少無理が有るような・・。
MGと映画と言えば、オードリー・ヘップバーンの主演作「いつもふたりで」が思い浮かびます。
確かこれに使われたのはMG-TDだったと思うのですが、倦怠期を迎えた夫婦の新婚旅行の時の
思い出の映像に頻繁に出て来た筈。
スポーツカーと呼ばれながら、スクリーンの中で激しい走りを見せるよりもノスタルジックな場面の
表現に使われるのが、あの頃のMGには似合っていたように思います。
おや、おっちゃんお久しぶり。 Kaの脚回りをジャッキー・スチュワートがセッティングしたって話は俺が教えたヤツだと 思うけど、ソースはフォードディーラーの営業トークなので裏取りは自己責任でよろしく。 1970年代前半のかすかな記憶だと、確かにオープンスポーツはMGが多かったように思います。 他の英国車やイタリア製オープンと比較して国内の販売体制がよかったのではないでしょうか。
244 :
おっちゃん :2006/02/04(土) 00:09:11 ID:MHGEzgEw0
大丈夫ぢゃよ。もっとちゃんとしたソースがあるから。
>>243 1970年代前半と言うとMG-Bの時代ですね。手許に73年9月号のCGが有ります
(ポルシェ911の73カレラRSとかディーノ246GTの試乗記の載っている号です)が
巻末の価格表を見るとMG-Bは188万円也ですと。
フェアレディZが103万で買えた当時、その値段だとクラウンの一番高いのが買えたのですから
その頃の輸入車は高かったと改めて感じます。それでもアルファ・ロメオ・スパイダーヴェローチェの
281万円やトライアンフTR-6の255万円、ポルシェ914/1.7の228万円に比べればお買い得感が
有ったのでしょう。
今やアチラでもこんな考え方をする人は滅多にいないそうですが、
私は十代の頃にシリトーの「長距離走者の孤独」を読み多大な影響を受けたせいか
自らを労働者階級に属す者と規定している気配があるので、
各マスコミ媒体を通して日本に入って来る英国文化とかその情報にはスノッブ臭を感じてしまい、
どうも気に入らない事が多いのです。
しかしこういうひねくれ者以外には、伝えられる英国調は受けが良いのでしょうか、英国車というと
本皮と木を使った上質な内装のイメージで売られた時代が長く続いたようです。
向こうの、ごく普通な人はそうした物には乗ってはいないと思うのですが。
英国文化そのものがひねくれ者の文化だと思うんだがwww イギリス・フランス・ドイツに比べて、イタリアは文化・技術的に劣った国というイメージが 長く続いていたから、比較的裕福なインテリ層にはイギリス車のほうが受けたのだと思います。 ミニあたりはともかく、英車系のオーナーズクラブはなんだか気取った閉鎖的な面を強く感じるのは そのせいでしょうか?
247 :
おっちゃん :2006/02/04(土) 05:22:43 ID:MHGEzgEw0
それが英国だけのこととは思えんがねぇ。 フレンチの連中だってイタリアンの連中だって、 そもそもクラブというものの性質からして、無限に開放的にしてしまったら 存在できんものぢゃからねぇ。閉鎖性はクラブの根源的属性のひとつぢゃろう。 クルマ趣味そのものがある種スノビッシュであり、ナルシスティックなもの という一面も少なからず有るわけであって(わざわざスジの悪いものや カッコ悪いものを積極的に選んで買うことはないのぢゃから)、 スノビズムやナルシズムは、有る意味クルマ好き全般の基本的属性と 考えたほうがいいのではないかねぇ。 イタリアが文化・技術的に劣った国という認識もどうかねぇ。 ヨーロッパの中でのヒエラルキーは乱暴に言ってローマにどのタイミングで 組み入れられた、もしくは征服されたかだといっていいくらいぢゃ。 技術にしたって、幕末にお台場に据え付けられた砲台はたしかイタリア製だった はずで、少なくとも明治維新からこっちイタリアの工業力を舐めるよな考えを 持ったとすれば '79年、エズラ・ヴォーゲルが『Japan as No1』を書いて 日本が工業力に自信をつけていった'80年代中盤以降の話ぢゃろう。
248 :
おっちゃん :2006/02/04(土) 05:24:31 ID:MHGEzgEw0
ワシはね。もし英国車が他の欧州車に比べポピュラーであったという過去に 理由をつけるなら、二つの理由が有ると思う。 ひとつめは言語の問題。戦後米国占領下の日本から高度経済成長までの時代、 事実上外国とはアメリカのことぢゃったわけで、商社などの輸入を生業と する連中が不自由せずに取引できたのは事実上英国だけぢゃったろうと思う。 さらにいえば商習慣がおおむね米国に準ずる点でも拡張しやすかったと思うしねぇ。 21世紀の今でも、イタリアとビジネスしようとするとめまいがするほど大変ぢゃから。 そして、もうひとつが戦後日本におけるガイシャとは米国の文化ぢゃった。 今では考え難いのぢゃろうけど、'70年代にはBMWなんて珍車の類であって、 ましてや仏伊のクルマなんてものはないも同然。 ぢゃから街で見かけるガイシャといえば、事実上米国車の文脈で捉えられて いたビートルとゴルフ、それから直球の米車、キャデラック、リンカーンMkIV、 マーキュリー・クーガ、カマロ、トランザムであって、そういう米国人の趣味 の一環として英国車が存在したと言うのがワシの基本的な考えぢゃ。
>>247 そう言えば今でもゴルフ場等で人種差別や男女差別と誤解されかねない規則を持つクラブルールを
持つ所があるようですね。閉鎖性も時に有って良いとは思いますが、特定の何かを差別する意思とは
別物という事を理解して貰えるような上手い言い回しってのが無くては、中々一般の理解は得られず
そうしたクラブの独自性を保てなくなっていくってのが今後の主な流れになるのでしょうか。
それにしてもナンだな。普段はカウンターカルチャー側に身を置く私としては、車趣味に於いても
スノビッシュに見えてしまう行き方へのアンチテーゼとしてホットロッドや暴走趣味が生まれた事も
判らんでもないですけど、そうした趣味そのものへの理解は持てない。・・アンビバレンツ・・。
閑話休題・・。
昔からCG誌の巻末自動車価格表の国別の並びはアメリカ・イギリス・ドイツ・フランス・イタリアという
順番ですね。英国車の比重が高かった事の名残り?
昔は対英貿易そのものの比率が今と比べると高かったようです。
やはりこれは輸入元がやり易い環境が有ったという事なのでしょうけれど、
消費者側にもそれを好んで受け入れる下地が有ったというのが大きかった筈。
特に車に関しては、かつて自家用車の所有者に多くの割合をしめた上流な人々の指導者的存在だった
日本の皇室が明治大正期から親英的であったことも有り(最初の皇室専用車はロールスロイスだった筈)
宮内省で用いられたパッカード同様、英国車の人気も高かったのでしょう。
まぁ、そこまで遡らなくとも、ある時期までの英国車の大人しく変に目立つ事の無い上品なデザインは
かつての日本人的な美意識に上手く合致したのだと思います。一時期流行したレトロルックな軽自動車の
デザインなんかがその最後の名残りだったのかも。
>>247 日本の文化史・産業史において、イタリア物が評価されてこなかったことは厳然たる事実じゃないかな。
かなり過小評価されてきたと思うけどね。
イギリスは言うまでもなく、ドイツは医学や哲学、フランスは文学、スペインは商取引などで確たる地位を
占めていたけど、イタリアは何もなかった。
工業面でも、飛行機や兵器を一時的に輸入したことはあったものの、整備性の問題もあって主流になったことはない。
せいぜいがオリベッティのタイプライターぐらいじゃないのかな。
最近もてはやされている食文化でさえ、バブル期以前はアメリカ経由で入ってきた、ふにゃふにゃの「スパゲッティ」とゴテゴテ盛ったピザぐらい。
日本でイタリアが盛り上がってきたのはほんとに最近のことだよ。
なお、ヨーロッパではローマとイタリアはイコールじゃない。ローマ帝国の継承者としては認識していないんじゃないかな。
EUの中でもイタリアの発言力が低いし、仏独英からは対抗相手とも見なされていないよ。
251 :
オサーン :2006/02/05(日) 20:34:05 ID:GE1v2w0t0
アメリカ経由のヨーロッパというのは面白いなあ。 輸入制限時代の外車供給元はぶっちゃければ駐留米軍だから、彼らの選択眼を通したヨーロッパ車が市場に流れる。 とはいえ、その時代に新車を買えた報道機関あたりは好んでフォード・コンサルやゾディアックの英国物を 選んでいたあたり、何らかの嗜好は伺えます。(あと、奴らはオペル・カピタンも好きだった) おっちゃんの云う70年代の前、自由化からマスキー法までの期間は欧州車が結構いたよ。 BMWなら角目の1800や02、CS、メルセデスやオペルは各種とりどり。西独勢が強く、あとはトントン。 この多様性をぬっ殺したのが排ガス対策。
伊太利亜は中近東、東欧との歴史的な関係が深く その辺の代弁者的ポジションで欧州内では発言力もある。 一方ヌペイソはフランコ軍事独裁政権が戦後長く続きそれこそ立ち遅れが目立った。 フランコ死後の民主化で急激に普通の欧州化して追ひつひてきたけど。 更に困ったことには、今でこそプチバブルで一部好景気で盛り返しつつある日本経済だが 数年前には国債信用度の格付けが伊太利亜の下になった惨事も。 意外と馬鹿にならんのだよイタリアの底力は。 朕思ふwに伊太利亜=ラテン=ちゃらんぽらん、でなければならぬと言ふ 日本における誤った浅薄なラテン観が厳然として般ピーの意識にあるんだらうねぇ。 10年かそこら前のダイム誌が「」世界で最も馬鹿な国」アンケートとったら 伊太利亜がぶっちぎり1位で伊太利亜から講義を受けたことがあったが これが、かうでなければならぬと言ふのが我が国の般ピーの信念なのでせう。 そんな人々が信頼してやまなひドイッチュのボッシュなんか今や粗悪品そのものだ。 電気モノだけは断固日本製でR。しかしその日本製も製造国は東南アジアだったり。w 家電その他見ても車でも日本asNo.1の時代は終はらうとしてゐるやうに思へる・・・。
最近の日本の電気製品製品は「まぁ、使えない訳でもないけど何となく調子良くないなぁ」
みたいなことが多い気がしてどうも信用する気が起きない私。
まぁ、元々電気モノなんてそんな物なのかも。
電気モノと言えばドイツ辺りでは一時期「イギリス人は生温いビールを飲んでいる。ルーカスの冷蔵庫を
つかっているからだ」なんてジョークが流行ったとか。(実際にはルーカスは冷蔵庫は作っていないです)
>>251 昨日書いた事とは矛盾しますけど、戦後の英フォードやオペルは、縮小したアメリカ車的なデザインが多く
戦前から続いた「車と言えばやっぱりアメリカ車が格好良いねぇ」って風潮の中では得したクチでしょうね。
その割にはヴォクスホールの知名度・人気が常に低いのはちょっと不思議なのですが。
結局の所は販売体制の問題が大きかった?
戦前の一時期、ヤナセがフィアットの輸入を試みたそうですが、品質にバラつきが大きくて
商売にならなかったそうです。ところがアチラに話を戻すと、フィアットの当時のベストセラー
508バリッラ等はドイツのオペルやフランスのシトローエン等がモノコック化に走る中でも
あえて手堅くラダーフレームにSVのエンジンを積み、お金が掛からない車として知られていたとか。
ガソリンの値段やら、使う側の認識次第で車の評判なんか幾らでも変わるって事なのでしょうか。
254 :
おっちゃん :2006/02/06(月) 02:03:27 ID:azqZo8bJ0
>>250 まじめなレスをありがとう。
急にみんなの発言が増えてちょいと発言が錯綜しておるので、
論点をまずはひとつに絞らせてもらおうかねぇ。
日本人の認識として、欧州各国の中でイタリアのみが特別
低く見られていたか否かという点を争う議論だと勝手に
決めさせてもらうよ。
で、チミが問題とする年代がどのあたりかわからないが、チミの
>>日本でイタリアが盛り上がってきたのはほんとに最近
という発言を語義どおりに捕らえると、やはり矛盾が
生じるように思う。例えば'70年代末のスーパーカー・ブーム
など、その主役のほとんどが、イタリア車であったわけで、
少なくともイタリアが低く見られていたことの逆証明のひとつ
にはなると思うんぢゃ。
つまりね。欧州の工業製品を購入する層が変わり始めるまでは、
信頼性が低かろうがなんだろうが、そんなことに頓着するような
客ではなかったのぢゃと思うのよ。
例えばヤナセあたりでは、修理時に代車を出さないのが
基本なのぢゃね。なぜかと言えば、その間使う車など客の方が
他に持っていて当然だからぢゃよ。
255 :
おっちゃん :2006/02/06(月) 02:05:42 ID:azqZo8bJ0
ぢゃから、イタリア車は信頼性が酷いなどと言う話が メディアを通じて流布される様になったのは、 本当に実用車として車を使う連中が輸入車をターゲットに し始めてからのことぢゃとワシは思っているわけぢゃ。 振りかえれば、大衆が車に付加価値の夢を膨らませたのは バブルの時代のこと、つまりそれまでは大衆が外車を買う などという発想そのものが無かったゆえ、イタリア車の 信頼性がことさら低いなどと議論される必要が無かった と言えるのではないぢゃろうかねェ。
終戦後から高度経済成長期までの日本人のイタリア観は「芸術とファッションの国」 であって、工業製品には目が向いていなかったんだろうね。 50-60年代、イタリア映画は今では考えられないくらい人気があったし、イタリア映画じゃ ないが「ローマの休日」が53年。イタリアの文化やヴェスパの存在はそれなりに知られていただろう。 それでも所詮は高嶺の花、庶民は所有しようなんて考えたこともなかったはずだ。 私は64年生まれで、ガイシャとの初遭遇は近所のおにいさん(東大入試が中止になって一橋に通ってた) のおんぼろマルニと、やはり近所の駐車場に置いてあったミジェットだった。 当時街で見かけるガイシャと言えば、ビートルと日野ルノーは別格としてアメ車と巨大なベンツがほとんど、 たまにアルファロメオやシトロエンを見かけると次の日には学校で自慢ができた。 メーカーが大々的に輸入するんじゃなくて、商社やデパートが顧客のために数台ずつ持ってくる時代 だったんじゃないだろうか。 それが小学校高学年になると、いつも小綺麗にしてる同級生の家には赤いアウディやクリーム色の ボルボがある時代になった。 で、自分が免許を取るころにはホットハッチブームが到来して「ひょっとして買えるかも」と期待 できるようになった。 結局実際に買えるようになるにはそれから十年かかったけどね。
横槍失礼ですが、近年まで日本に於けるイタリアは芸術とファッションの国であり、その工業製品には
あまり目を向けられていなかったっつうのは成る程、確かにそんな気がします。
それでも乗り物関係に限れば、一般レベルはともかくある程度のマニアには(つまりはかなり限られた話)
イタリア物は結構存在感を持っていたのではないでしょうか?ランチアやアルファは有名だったようですし、
70年代始め頃にはシトローエンと共にフィアットも西武自動車が輸入代理店をしていた事も有り、
CG誌のバックナンバー等を見ると、表紙裏の目立つ場所に広告が出ていたりしますし。
(・・とは言え、69.5万円って値段はコロナの上級グレード並み。軽自動車なら二台買えるなぁ・・)
60〜70年代初頭。イタリアからは小型のフィアットが輸入されていましたし、ドイツからはオペルやビートル。
フランスからはシトローエンやルノーの小型車という具合にそれぞれその国のベストセラーだった
車が輸入されていて、ある程度はその国の大衆車のイメージが沸いた事でしょうが、
ごく普通な庶民が乗る車がどんな物だったのかが判り難かった国と言えば、案外英国だったのでは?
そう書くと、また昨日一昨日書いた事と矛盾するようですが、大人しく目立たないスタイルの高級車も
この国ならではですし、アメリカ車を縮小したような英フォードの中級以上の車も実際に有って
輸入もされてはいたのでしょうが、そうした車は本国ではむしろ少数派だったようですし、
ミニを例外として、ごく普通な一般庶民が乗る車の情報となると意外に乏しかったと思うのです。
例えばある程度以上の年齢の英国人が最も懐かしく感じる車と言えば、ミニではなくって
モーリスマイナーだという話を聞いた事が有ります
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=881 ・・この車、日本で見た事有りますか?私も小松の日本自動車博物館で一台見たっきりです。
おー、やっと俺が知ってる時代になったw 俺は68'生まれ ザ、スーパーカージェネレーションだ 俺が小5の時に近所のデパートでスーパーカーショーがあって、いろんな車が集まった。 ポルシェ、ベンベー(ビーエムではなく)超7など集まった中で、500円で券を買うと好きな車に乗せてもらい デパートの周りを1周してくれた。 そこで人気が集中したのは何といってもカウンタックLP400とフェラーリ512BBだった あとは漫画の影響でロータスヨーロッパとかw 俺はカウンタックに乗ったよ。時間の都合でマセラッティになった友達は泣いてたなあ。 思うんだけど、イタリアの工業製品は革モノとかスーツとか凄く品質が良かったんだけど関税やらでとても割高になってたと思うんだな まだ日本も俺が小さい頃はかなり全体的に貧乏だったし。 国力が上がりバブルあたりで注目されて、消費税導入で関税がユルくなったから、イタリアを含む欧州物がちゃんと入ってくるようになったんだと思う。 アメリカ製品が入ってたのは国策があるのと欧州にはない大量生産、大量消費による低コストだったからなんじゃないだろうか? イタリアの地位云々でなく、日本がイタリアを評価出来るほどの国力が当時無かったと思う。 実際イタリア行ったけど丘の上に集落を作るほど頻繁に戦争してたみたいだからバカは淘汰されちゃうだろうし、閉鎖的なコミューンで職人は芸術家レベルになっちゃうしと、いやぁ異文化ってホントに凄いですねって感じだった それではサイナラ、サイナラ、サイナラ
スーパーカーブームですか・・。
それって先日おっちゃんが書かれていたように私も70年代末期に有ったと思っていたのですが
先日、ふとした事からきっかけになった漫画「サーキットの狼」の連載が始まったのが75年だったと知り
ちょっと思っていたのとはずれがあって78〜79年頃にはもう終焉していたと考えていたのですが、
68年生まれの
>>258 さんが小5の時と言うと79年。まだその頃にもそうしたイベントが有ったという事は
再度認識変えるっつうか、元に戻さないといかんなぁ・・。
まぁ、それはさておき。あの漫画の連載がもう5〜6年早く始まっていたならば、
出てくる車達の顔ぶれも結構変わっていた事でしょうね。
フェラーリのディトナ、ランボルギーニのミウラとフラッグシップモデルは違ってはいても
大勢には影響無く登場していた事でしょうが、60年代末ならばカタログ上それらを上回る馬力を謳った
アメリカ車が一杯有った筈。数字を何よりも信奉する子供達のヒーローはどっちになったのやら。
もしかしたら、日本の子供達の間にアメリカン・マッスルカーのブームが起きていたのかも。
何よりも主人公は一体何に乗って登場した事でしょうか?ルノーOHVを積んだロータスヨーロッパでは
無理が有りますし(まぁ、ロータス・フォードツインカムでもかなり無理は有るのですが・・)
ゴルディーニ・チューンのエンジンでも積んだ事にしてなんとかするしかない?
いずれにせよ、主な読者層を形成した子供達はイタリアが何処にある国かも気にせずに
そこに行けばミウラやディトナが300km/h近い速度で幾らでも走っているって無邪気に信じた事でしょう。
(無理矢理イタリアに絡めて話をまとめる私 w)
>>254 遅れがちでスマソ
個人的にイタリアは、車も飯も国柄(北部限定。南部はちょっと・・・w)も大好きなので、低く見てないよ。
日本で欧州各国の中でイタリアのみが特別低く見られていた、ってよりは、英・独・仏に比べるとは認識が薄く、
過小評価されてきたってこと。
「イタリア? ピザとスパゲテーと、ピサの斜塔とローマと・・・あと何あったっけ? あ、フェラーリか」
ってな感じでしょ。産業とか歴史とかの認識が低かったと思うよ。(今も高くないか)
「スーパーカー」のほとんどはイタリア製だったけど、「ブーム」の通り徒花であって、国としてのイタリアや
産業が注目されたわけではない。
>ヨーロッパの中でのヒエラルキーは乱暴に言ってローマにどのタイミングで
>組み入れられた、もしくは征服されたかだといっていいくらいぢゃ。
これは初耳だけど、ないね。
だとしたら、真っ先に勢力下に入ったはずのギリシャの立場がないじゃないw
毎度横槍失礼なのですが。
>>260 さんはイタリア好き故に、この国の文化や産業が他の欧州先進国のそれと比べて
認知度が低いと感じておられるようですが、実際にそうでしょうか?・・そう言われるとそうかなぁ・・?
でも、先日から何度か書いているように庶民レベルの英国の事とか、工業製品以外のドイツの事とかが
どれだけ知られているか?って考えたらイタリアの認知度がそれらと比べて左程に低いとも思えんのです。
仮に低いとしたところで“我々日本人の趣味嗜好が生み出す人気の多寡”のような
あやふやな理由でしかないと思います。
それに、琴欧州とヨーグルトしか知られていないブルガリアやら、ショコラとフラダンスの犬しか
知られていないベルギー、砂丘と二十世紀梨しか知られていない鳥取、
琵琶湖しかないと思われがちな滋賀など不当に低い認知度しか得ていない国は幾らでもある事ですし
そう深く考える事でもないのでは?
少しは車の事に話を戻すと。
かつては高級車メーカー、ミネルヴァが存在したベルギーや“自動車の宝石”ぺガソが生まれたスペイン
こうした国も今では日本にいる自動車好きな人々の間では全く自動車絡みでの話題に出る事は
無くなってしまったようです。その点、イタリアはまぁこの先も大丈夫でしょうが、英国の将来は如何に?
「かつてはこの国にも民族資本でオリジナル設計の量産車を作るメーカーが有ったのだが」
なんて語られる日がやって来てしまうのでしょうか?
英国贔屓ではない私ですけど、そうなるのは淋しいかな?
ベルヂァンと言へばビヰルを忘れて貰っては困ります。w アテクシ国外追放、欧州逃避行の際には退勤後やることが無ひとホテルの向かいの飲み屋で ベルヂァン・ビヰルばかり呑んでおりました、尿酸値を気にしながら。w 日本では高価なベルギービールですがさすが欧州では安かったですから。 更には灰色の脳細胞の名探偵エルキュール・ポワロ氏は英国のホームズ氏、 米国の(それこそ伊太利亜系ですが)コロンボ警部、 本邦日ノ本の国の金田一耕介氏と並ぶ大変な御仁。w 股、ブローニング(元は米国のジョン・M・ブローニング氏に由来)の商標を持つのは FN(ファブリック・ナシオナル)社、自動小銃FALやCALで御馴染みと思ひます。 鳥取と滋賀は他に何がありましたっけ?w
>>259 俺が小2の終わりに友達が兄ちゃんの本を持ってきたのが始まりでしたね。
当時近所にはトヨペットだのサニーだのしか無かったんでカナリ衝撃を受けたなぁ
ええ、サーキットの娘はみんな読みましたとも
逝ってる氏ご指摘の通り、ユアラップではカウンタックやポルシェが気でも触れたかの様にカッ飛んでいると信じてました。
あれ程までに活躍したロータスヨーロッパが1600ccで4速までしかないのがデフォと知ったのは大分後になってから。
またカウンタックよりシロッコの方が速いタイムが出たなんて事も後で知りました。当時はCGなんて見てないっす
でも池澤はアメ車を持ってくるような野暮なシトでは無いと信じたいw
国産でもS30Zとかチェリーとか117とか「おぅ?」と振り返っちゃう車が当時走ってました
2000GTは走っているのを2回見た。最近展示車を見たけど小さい!あれ?って感じ。
>ユアラップではカウンタックやポルシェが気でも触れたかの様にカッ飛んでいると 現実の欧州高速で気が振れたやうにかっdで来る代表はBMWとアルファです。w ポルシェは確かに強烈に速ひ、けれど数は少なくあまり目立たなひ、 地域によるとも思ひますが。大体頭のおかしひのはBMWとアルファ、 負けぢと張り合ひたがるのがゴルフ(なかんづくGTIと思はれ)。w
>>262 ベルギーってチョコでないの?
ビールと言えばヲッサンのお供でイタリアに逝った時、ビールの不味い事!
ナストロアズーロ!
ビールは不味かったけどビーノはんまかった!なぜエロスパ氏はビールを飲んだのでしょう?
フェラーリなんて期待してたのに一度も見なかった。アルファロメオのパトカーやフィアットのタクシーとかそんなのばっか。
あと南に逝くほど運転が荒い!タクシーこわいよ!
>小さい!あれ? 昔のクルマは皆小さひ、ことに幅が狭ひですよ。 うちの75も横から見るとそれなりにかつてのDセグサイズですが 前から見たら某おねぃタマのぷぢょさん206よか狭かった。w ここ10年程の間に世界的にクルマの横幅が広がったのは やはり側突対策でせう、だう考へても。 他にこれは卵が先か鶏が先か鴨知れませんが、キャンバーのポヂ化、 タイヤの性能アップの絡みでコーナリング時に余裕を持たせる関係での トレッド拡大もあるの鴨。<それとこれは別か? 一方で衝突安全、それはそれで大ひに結構なんですが、 その為にDセグのクルマで車重が1.8dとかは考へてヒスィ。 大体衝突時のエネルギーは重量に比例、速度の2乗に比例ですから 如何にそのクルマは安全でもぶつけられたはうはクソ重ひものぶつけられる訳ですから 堪ったものではありません。更にぶつかったはうも自重が重ければそれだけ衝突のエネルギーは 大きくなる訳で、闇雲に重く作って大馬力のエソジソ載せる風潮は如何なものかと思ふ昨今であります。 だからと言って全てのクルマをヌーペル7にしろ、とは言ひませんが。w
エロスパ氏 車板では言い難いけど移動は電車だったんで高速は見てないゴメソ。。 でも友達の兄ちゃんがユアラップの高速はアウトバーンといって制限速度無しなんだぜ!と言われて育ちましたんで。 でもローマの市街地で最速はフィアットだた。 狭い路地なのにWRCのターマックステージと勘違いしているのかと思うくらいカッ飛んで来た しかもドライバーは俺のおかんと変わんないくらいのオバハン。 スーパーカージェネレーションのイタリア幻想が一気に崩れた瞬間w
>ドライバーは俺のおかんと変わんないくらいのオバハン。 欧州ぢんは概して日本ぢん米国ぢんより圧倒的に運転が上手ひです。 根本的に速度自体欧州は日米より遥かに速ひ、町と町繋ぐ郊外の一般道で100`当たり前。w 例へ街中のおねぃタンヲヴァさまでも平然とダブルクラッチ踏みヒール&トゥでコーナー抜けてきます。 尤もさういふことを平然と出来るのは基本的に器用で運転の上手ひラテンの国の連中、 伊太利亜、お腐卵臭、ヌペイソあたりは本当に上手ひ、一方欧州一ヘタクソは意外やドイッチュ。 ぢつはこの辺がそれぞれの国のクルマ作りに現れてるやうに思ふのです。
>>261 横槍まじかったですか? おいらはいつも横槍なものでw
イタリアだけじゃなくて、サッカーの発祥地でありR&Rを育てたイギリスも大好きなのですが。
イタ車のパーツはドイツ人にもお世話になってるなあ。
意外に多くて驚くのが、イタ車好きのドイツ人とドイツ車好きのイタリア人www
かつての日本におけるイタリアは、いまだブームの来ていないブルガリア・ベルギーくらいの評価
だったように思います。
そういや、イタ公・露助という蔑称はあっても他の国にはないのはなぜだろう。
(「鬼畜米英」はちょっと違うw)
>その点、イタリアはまぁこの先も大丈夫でしょうが、英国の将来は如何に?
金融ビッグバンを経て保険・金融関係の多くが外資に身売りし、今や自動車産業も・・・。
グローバル・スタンダードと言われる米国流自由化に晒されるとこうなる、ということなのかな。
かつてのしたたかな英国はどうなっちゃったのでしょうかねぇ。
>>265 >ビールと言えばヲッサンのお供でイタリアに逝った時、ビールの不味い事!
ええ、不味いですねぇ。
郷に入りては郷に従え、英語で言えば「When in Rome, do as the Romans do.」ということで、
ワインかグラッパのが正解でしょう。自家醸造の本物のハウスワインもほとんどハズレなしですぜ。
さて、では自動車ショー歌、これはここに集ふ以上は覚へて貰はない訳には参りません。w ♪あの娘をペットにしたくって 日産するのはパッカード 骨の髄までシヴォレーで あとで肘鉄クラウンさ ジャガジャガのむのも フォドフォドに ここらで止めても いいコロナ ♪ビュイックりするほどタウナスで おまけに心臓がデボネアで おやマーキュリーな人だこと てなてなおだてにすぐルノー オペルオペルはもうお止し あんまりコルトじゃ身がもたぬ ♪あなたは私のブルーバード ミンクス買うのよ約束を キャロルと忘れてダットサン こんど逢ったらコンテッサ とっちめちゃおうとマツダけど 逢えばやっぱりオースチン ♪ベンツにグロリア寝ころんで ベレットするなよヒルマンから それでは試験にクライスラー 鐘が鳴る鳴るリンカーンと ワーゲンうちだよ色恋を 忘れて勉強セドリック 見事に現存しなひクルマばかりでR。w しかもメイクス名車種名グレード名ごちゃ混ぜ何でも有り。w
>>269 ビールは違う国だたんですね。
そうだ思い出した!向こうはマヌアル車ばっかし!ベンシのマヌアル初めて見た
と思ったら、この間借りた先輩のアルファ156はセレスピードでなんだオートマかとシフトダウンすると
フイョオォォォンと、もンの凄い音で回転を合わせてくる。とてもヤル気でますよ、街中でも。
なんちゃってマヌアルと思いきや、おっしゃる通り設計思想が違いますなぁ。
日本みたいになんちゃってパドルシフト(凄い事にワンボックスにも付いてる!)とは大違い。
オートマのホールドモードが選べるのとマヌアルの派生とじゃ、全然ちがいます罠。
ところで小さい車と言えばブリティッシュw
ミニや超7、バンプラ、TVR(?)など、コンパクトカーのハシリのイメージがありやす。
逝った事無いですが、ブリティッシュはちっこいのばかりでしょうか?
ローヴァーとかジャギュアーとか(発音ギリギリ?)ちゃんと走ってるんでしょうか?
と書いてふと自分のカキコ見上げると、ブリティッシュ大丈夫かぁーっ!?自国生産ヤバスwww
英国の場合は元来D.I.Y精神横溢することと完成車に対する税金が高かったことから キットカー文化があるのです。その発展形かバックヤードビルダーも多く TVRなんぞまさにそのクチ、リライアントとか本気の工業製品とは一線を画す (E意味でも悪ひ意味でもw)さういふ連中が多ひのも小さひのが多ひ理由でせうかね? 他ADO15系の派生のクルマが掃ひて捨てる程あったから、とか?w アテクシも毎日ヴァンヴァンと盛大にブリッピングくれつつ通勤しておりますが 先日もヴァンッと2速に落として角曲がったらネズミ捕り、ぇえ捕まりましたとも。w
>>273 おー、即レスありがとうござますた
よく見たら上にも逝ってる氏が書いてありましたが、ブリティッシュから車が無くなっちゃう可能性もアリエルアトムかな、なんてw
エンブレのフイョオォォォンはブリッピングというんですね。刷れたいに沿って来ました。俺だけ。
>先日もヴァンッと2速に落として角曲がったらネズミ捕り、ぇえ捕まりましたとも。w
ご愁傷様でございます。ゴールド免許教の教祖様にお布施を積まねばなりませんね。
俺も先日一時不停止で捕まりましたが止まったの一点張りで逃げ切りました。
しかーし駐禁累積で残点かるくヤバいっす。
>>271 見事にイタリア車が無視されてますなwww
アルファなんぞ語呂合わせにはもってこいだろうに。
ドイツ車はワーゲンとオペル・・・オペル!?
ベンツ・BMWでも通好みの車で、ヤクザも成功者も「キャデラック」だった当時が伺えますな。
276 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/02/09(木) 20:14:44 ID:dqifDHsm0
古いけど トヨペット(トョペット)ってコロナ以降のトヨタ製小型車には付いてないよな。 なぜだろう
イタリアやらスペインやら、南欧のビールはあれはあれでうまいと思うんだけどなあ。 あの臭さがたまらん!←褒めてるんですか、それ?
お、急にスレ伸びているって思ったら・・一体何処から突っ込めばいいのやら・・・・(w それはそうと昨日の私の書き込みに対し「鳥取や滋賀は国じゃない」っていう突っ込みは誰もしない。 皆、意外に地理は苦手なんだなぁ。・・ふむ・・。 ラテン系のドライバーがとにかく速いってのはよく言われる事ですけど、単に飛ばしたがるだけなら 今はお隣中国のタクシードライバーなんかの方が凄いかもしれない。 でも、中国のタクシー達は少しでも売り上げを伸ばしたくって気が急いているようになのに対し ラテンの人々はスピードそのものが純粋に好きなだけで、急ぐ気は無いのでは?って思うのです。 何故なら、本来彼等って意外にのんびり屋な一面が有るようなので。 個人的な体験 パリの街中、とあるチケット売り場の行列に並んだ時の事。つり銭の小銭を切らした窓口の女の子。 これが日本なら、すぐにカウンターを一時閉めて小銭を持ってくるか、つり銭不要の客を先にするかと するところでしょうが 「自分の役目はチケット売る事。多くの客を処理する努力は別の者が考える事」 と言わんばかりに何もせずにその場で固着。 列の先頭の客も「ふ〜ん。困ったねぇ」みたいな感じで急かす様子も無し。 二番目、三番目の客も同様「あぁ、小銭切れたの。そりゃ仕方ないなぁ」・・。 ・・私はと言えば“向こうの人達は他人を待たすのも待たされるのも意外に平気だ”みたいな話を 何処かで読んだ事が有って「あぁ、こういう事か。ふ〜ん、いい物が見られたなぁ・・」と一緒に固着。 暫し流れる空白な時間・・。後の方で独り、日本人のオバちゃんが関西弁で苛立っていました(w
>♪ジャガジャガのむのも フォドフォドに そのジャギャジャギャもフォドフォドに呑まれてしまったのは如何なものか。w
ラテン系のドライバーがとにかく速い、ってのはちょっと納得しかねる部分もあるなぁ。 現在、帝王と言われるドライバーはゲルマン人だし。 F1でもWRCでも、ブチ切れると神懸かり的な走りを見せるのはイギリス人。さすがパンクロックを生んだ国。 フライング・フィンの伝統を持つフィンランド人もいるし。(キミ・ライコネンも一派か?) でもF1でなら確かに多いな・・・ラテンアメリカを含めれば、だけど。
フォードのシャシーでジャガー造るの止めてくんないかな。 それは偽装だろ。子供の教育に良くないよ。
282 :
おっちゃん :2006/02/10(金) 12:35:32 ID:3RBHFnKO0
まあ、エロ先生のは理屈じゃなくて信仰ぢゃからねぇ。 ダブルスタンダードこそ趣味人の証と言ってはばからないので、 理屈を持ってきて議論しても意味は無いよ。 基本的にはネタのひとなので、エンターテイナーとして受取って あげて欲しいねぇ。 でも先生さすがにその歌のネタは十数回目なので短めにお願いしますよ。W さてフォードのシャーシのジャガーについて、お乗りになったことは あるぢゃろうか? ワシはフォードのシャシーエンジニアの技量に感服したよ。 何故かといえば、乗ってみるとちゃんとジャガーの味がするから。 妙な例えぢゃが栗田貫一のルパン三世みたいなもので、そりゃ オリジナルの方がありがたいに違いないが、良いとか悪いとか よりもちゃんと継続できる面では評価しても良いと思うんぢゃ。 ブランニューのアルミシャシーでロール・オーバーステアが 気持ち良いジャガーらしいハンドリングを実現しているというのは 見事としかいいようがない。 つまりフォードはやれと言われたらアルファのハンドリングだろうが、 ベンツのハンドリングだろうがBMWのハンドリングだろうが再現できる ということで、これは驚嘆に値すると思うのよ。 それをやってみせたのはリチャード・パリジョーンズなわけぢゃけどね。
283 :
オサーン :2006/02/10(金) 18:30:58 ID:BchQ0Cvs0
>>276 輸出には致命的な名前だったからだと思われ>トヨペット
北米だと「おもちゃのペット」と笑いものにされる。
おフランスだと"pet"の発音が「屁」とか「ケツの穴」だそうで。
>>276 販社の名前で残ってるね。
日産のプリンスも同様の生き残り方・・・こちらはちょっと可哀想に思えるが。
>>277 麒麟党の俺には全く合わない。クセがあるので好きな人には良い鴨
>>280 確かに運転はラテンと括るよりは南が凄いという印象だった
おミラノは気取っていて走りも穏か、車もランチャYとかおされなのが多かった。
ブリティッシュといえばマンセルマンセーだった俺。セナ、プロのいやらしさがなくて気持ち(・∀・)イイッ!
個人的な体験 イタリアには自販機が無い!
夜暇だったので宿で酒でも飲もうかと町に出たら店しかやってない。
一人で入るのもなんだなぁと思って自販機探したけどない。
フラフラと広場まで歩いたらリヤカーにワインを満載したお爺がいた。
やっと酒が見つかって嬉しかったので小さいの2本買ってお爺とチンチンしたなぁ
>エロ先生のは理屈じゃなくて信仰ぢゃからねぇ。 原理主義といふのはさういふものであります。w >先生さすがにその歌のネタは十数回目なので短めにお願いしますよ。W ぃあ、まうアテクシのネタは何度も実際お話してゐる通り数十回も使ひ古したネタばかり、 書ひてゐるはうも正直飽きております。つか2chそのものが無限ループで さすがに長くゐ杉たかと。 さて、これ股既に書き古したネタ、「ぁあもしあの時FIATでなくフォードに買はれてゐたなら まう少し違った鴨知れなひ」、既に逝ってる師より「さうなればさうなったで モンデオベースやフォーカスベースの15Xや14Xにさんざ文句垂れたらう」と言ふ お言葉も頂ひております。その通りなのですだうせ。 しかし、ですな。アテクシまだフォード・ジャギュアに乗ったことはありません、 輪姦ベースの何Typeでしたっけ?あれとかもつひ所詮輪姦と思ってしまふのですが あれも専用アルミシャシのXJ同様ジャガーの理念を受け継ぐものになっておるのでせうか? もしさうだとしたならそれこそモンデオ15Xやフォーカス14Xも、今の惨状よりは (商業的にはともかく、そしてあの155の後であることから そしてFIATの現状世界のクルマ作りの向かふ方向からすれば致し方無ひ、 と言ふ文脈上からはアテクシ156シャシは賞讃致します、表向き。 でもね原理主義の腹の底では・・・) それこそ「あの時買はれてゐれば」は洒落にならなく重ひのです。
>>285 酒を自販機で売るやうな蛮行を平気でやらかしてゐるのは日本だけでせう。
ぃあ自販機自体日本韓国台湾ぐらひ鴨。
欧米では一般にハードリカーとそれ以外の酒類を区別します。
股、飲酒は屋根の有る所でしか許されなひ法律があったりします。
例へばプール内のバーカウンタ、あれにはまづ屋根があるでせう、
あれは単なる日除けではありません。あの「屋根」が無ひと酒類を給することがイリーガルなのです。
ちょこっとスカしたリストランテ、良く見ると必づバーカウンタがあります。
単なるウエイティングではありません。ビールだのワインだのはホール係のギャルソン、
カメリエーレが供することが出来ますが、一定度数以上のハードリカーの販売は
バーカウンタでしかしてはいけなひのです。尤もお客がそこで受け取って自分の席まで持ってくるのは
合法的な行為なのですが。
>>284 今の日産の販売店って、赤舞台青舞台って具合に整理されていませんでしたっけ??
>>280 まぁ、一般路上の平均値と専門化された競技とはまた別な話ですから。
競技成績を尺度にするならば、カート人口の多い国とかの方が有利でしょう。
こう言うといきなりミもフタも無い話になっちゃうのですが、
“ドコソコの国の人は〜”とか“ドコの国の車は〜”なんて話には実は大して意味は無いのでしょう。
例えば有名な話ですが、戦前のフランスを代表する車、メーカーであるように言われる事の多い
ブガッティなんてエットーレ・ブガッティさんはイタリア人ですし、その本拠地モールスハイムは
第一次大戦後にフランス領になっただけで創業の時点ではドイツ領だった。・・みたいな事も有りますし・・。
ですから、まぁオタク同士の茶飲み話くらいに割り切ってお気楽に語るのが良いかと。
>>282 おっちゃんの書き込み読んでいて思ったのですが。
変な話にはなりますが。私、ジャガーにはたった一回、しかもXタイプの前輪駆動モデル
(早い話が一番安いの)にちょっと乗った事が有るだけ。従って比較の対象も何も無く、
ほんのちょっとでは味わいも何もよく判らず、また前輪駆動のジャガーっつうのも前例が無いので
ベース車(モンデオでしたっけ?)との関係なんて(例えは悪いですが)
昔の日産サニーとローレルスピリットみたいな物かと思っていました。・・が、
アレはアレで(かつてのメルセデスに於ける190のように)あのメーカーの車を何台も乗り継いだ人が
セカンドカーに選んでもそれなりに納得出来るような味付けがあったのでしょうか??
(括弧だらけで読み難い文章 w)
パリのメトロのホームには必ずコカコーラの自販機が有りました。 まぁ、それと駅には必ず切符の自販機が・・誰も使わずに自動改札を飛び越えるのですが・・。 アメリカの何処かの州では、禁酒法の名残りなのか“人前で飲酒はNG”って法律があるとか。 壜を紙等で包み、酒である事が判らないようにすればOKなのだとか。 またもや個人的な体験。 メトロの切符自販機の前で路線図見ながら (此処からアッチ方面行きに乗り、アソコでアッチ行きに乗り換えて・・)等と考えていた私の前で 財布の中の小銭を数えていた高校生くらいの少年。 暫くして窓口に行き、お札出しながら駅員さんとなにやら話した後、出したお札を財布にそのまま仕舞って 自動改札を飛び越えて行ってしまった・・。 駅員さんとどんな会話があったのだろうか?? 推測・ 少年「おじさん、両替してよ」 駅員「ん〜。面倒臭いなぁ。いいよ、飛び越えて行っちゃえよ」 ・・これしか無いよなぁ・・。
ぁあ言はれてみれば一昨年の欧州逃避行の際、列車の窓から見たホームや それこそ改札近くにはお菓子の自販機があったっけ・・・。 そこは山の中の田舎町、コンビニなんぞあらう訳も無く(法律で店の営業時間が 決まってゐて、日曜は完全に休み、土曜の午前中と平日夕方までしか 大半の店がやってなひ)、致し方無く夜の買ひ物は駅に付属したコンビニ状の店へ。 あれこれ買ひ物しつつ見ると、ありますなぁ”グリコ・ミカド”。w
>>287 おをっさすがエロスパ氏詳しいですね。
日除けの屋根は、何故か宿のロビー脇を入ったバールにもある所があり、
建物の中なのにナンデ?おされでやってんの?と不思議だったらそんな訳だったんですね
>>289 確かノンアルコールならイタリアにも自販機あったような気がします。
でもメトロでもトラムでも切符はタバコ屋でも売っているのが凄い。
アルコールとかじゃなく自販機自体嫌いなのかも知れんですね
日本でも時たまワンンカップやビールを紙袋に入れて飲んでる人がいて、
ナンデ隠すのかこれまた不思議だったのですが逝ってる氏のおかげで分かりました!
彼らはアメリカかぶれなんですね!
>>290 日曜は法律でって、いかにもバテレンの総本山らしいとうか、マジで困りました。
マックが行列、テイクアウトのピザ屋も行列。
グリコも日本を感じますが、テレビでもドラゴンボールとかやってて悟空や御飯がイタリア語バリバリ(アッローラとか連発)なんは同行した人と笑い転げました!
292 :
おっちゃん :2006/02/11(土) 04:04:49 ID:YmWM4kub0
エロ先生 リンカーンLTをベースにしたのはジャガーのSタイプぢゃな。 デビュー当時のSはそりゃもうヒドかった。 スロットルとステアリングにフィールというものが存在しない。 操作系がガバガバでユルユルな軽さなのに、一方でクルマの 身のこなし、つまり加速やヨーの立ち上がりはクイックという クルマで、ワシの印象としては、 「近年のアメ車を中途半端に欧州かぶれにしたクルマ」 としか思えんかった。しかし、速さだけは滅法速かったのぢゃ。 ところがそのSタイプ。去年乗ったら別のクルマになって おったよ。パリジョーンズかヨーストのチームが仕上げた んぢゃろう。時期的にはパリジョーンズじゃろうな。 ステアリングは軽くはあったが艶やかさが演出され、 スロットルも駆動力の状況が伝わるものに変わっていた。 つまりこういうフィールの類はどうも構造ではなくて、 セッティングするヤツが「行き先」と「行き方」をちゃんと わかっているかどうかがキーなのぢゃよ。
293 :
おっちゃん :2006/02/11(土) 04:22:00 ID:YmWM4kub0
逝ってる先生 Xタイプは残念ながら、いまだにダメぢゃ。 あれなぞ、元のモンデオにはパリジョーンズのチームが 公然と関与しておって、Dセグでナンバーワンのハンドリングを 誇っていると言うのに、それをベースにしたジャガー版が なぜあんな体たらくになるのか理解に苦しむよ。 1.右ハンのオフセットがなぜかモンデオより増えている 2.ペダルのオフセットも同様 3.シートの機能が全席ともダウン 4.内装のクオリティは方向性こそ違え、モンデオを凌いでいるとは言いがたい。 で、当然乗ってもダメ。アシに関して言えば、柔らかいのに 腰が砕けず、むしろロールオーバーで鋭くスポーツカー的な ハンドリングに変わっていくところが本来のジャガー流ぢゃ。 しかしXはねぇ。モンデオのアシでは硬すぎてジャガーにならない と思った担当が何のバランスもとらずにただダンピングレートを 落としてしまったように思えるねェ。つまりただだらしない。 なので、あんなものをXとして売るなら、お願いだから中身を 完全にモンデオのままバッジの張替えだけで済まして欲しいねェ。 それとW201(190E)はベンツ史上でも特別な車ぢゃ。 20年の基礎研究期間を経てマルチリンクを完成させたという 意味においては本当に変わるものがない。 小さい高級車という言葉があるが、本当の意味でその言葉が ふさわしかったのはあれをおいて他にないとわしは思う。 バンプラにせよ、イプシロンにせよ、機構的には何一つ 高級ではなくて、逝ってみればメーカー謹製のスタークラフト みたいなモノぢゃったわけぢゃしねェ。
294 :
おっちゃん :2006/02/11(土) 05:03:36 ID:YmWM4kub0
色々車を見てきて思うのは、結局のところ人じゃないのかと思うんぢゃよ。 BMWにはかつてウォルフガング・ライツレがいた。 フォードにはリチャード・パリジョーンズとヨースト・カピト、さらに言えば 御大ジャッキー・スチュワートまで擁しておる。 MGローバーにも名の知れぬ凄腕がいたのは明らかぢゃし、度忘れで名前が 出てこんけれど、ロータスにもスゴイやつがおる。 結局のところこういう車の目利きがいるかどうかが、ちゃんとしたセッティング ができるかどうかの境目になってくるわけで、どうもその芸は英国で継承されて おるらしい。ぢゃから、フォードはドイツで設計した車のセッティングを英国 フォードに任せるわけぢゃよ。 ま、英国には事実上メーカーらしいメーカーは残っておらんけれど、とりあえず 英国ここにありという芸だけはいまだに継承されておるわけぢゃ。
>>291 そう言えば数年前にポケモンが世界的なブームになった時の事。
英・米等でも頭の弱い(?)少年達が
「Pokkemon・Getto・da・zeee!」とわざわざヘタクソに叫んで喜んでいたとか。
・・お前等、何処の人間だ?(既に車とは無関係だな w)
>>293 やはりXタイプはダメですか。
エントリーモデルこそ、大事にして欲しい物ですが、ちょっと残念ですね。
まぁ、四輪駆動や前輪駆動のジャガーのハンドリングってのも基準となる物が無いので
難しい所は有るのでしょうが。
「小さな高級車」って言葉が出ましたが、そう聞いて私が思い浮かべるのはフィアット傘下入りする前までの
ランチアが作っていた狭角V型エンジン搭載の小型車ですね。アプリリアとかの。
そこまで行くってのはちょっと古過ぎならば・・。何かなぁ?案外思いつかない。
190はメルセデスのブレッド&バターカーって感じが強いのですが、それ以前に私の感覚では
絶対的にあのサイズは既に小さくは無いですし。
もう一つ。「小さな高級車」と聞いてXタイプの遥か以前にも一度ジャガー体験が有った事を思い出しました。
光岡がビュートで格好を真似たMkUサルーンの車庫入れ(だけ w)を何故か一度やった事が有ります。
飛ばせば大層面白い車だそうですが、極低速では無闇にステアリングが重く、その癖幾らも切れない。
「こりゃ、トラクション・アヴァンといい勝負か?」って感想しか残っていません(w
つMkUサルーン→Mk2ですぜ。 ヴァンプラは実は大好きで、あのファミリーは意外にスポーティーなんです。 FFでトランク付き3BOXって2BOXよりコントロール性がよかったり 高級感があったりしますよね? ゴルフとジェッタとか205と309とか。 309はトランクとは言い難いけどね。
あぁ、そうか。MkUでは別の車になってしまうのでしたっけ? 高級車の定義ってのも、それを論ずるスレが何度も立った事がある筈。結構面倒な問題なのでしょう。 ソコへ持って来て“小さな高級車”の定義をどう考えるか?・・・・うむ・・・・。 まぁ私としては、乗って洗練されていると感じる事とか余計な我慢を強いられない事とかが条件でしょうか。 でもねぇ。高い値札がつけ易い高級車を名乗るのは、メーカー側にすればいい商売かも知れませんけど 気軽さこそ小型車の最も大きな魅力と思う私には、そうした意図で作られた車にあまり興味は持てない のです。本皮シートや木目パネルを奢った二馬力なんて・・(ちょっと見てみたい・・?) あと、以前このスレで「なんでセダンが高級車の形なの?」って話が有りましたが、 今では“高級車は3BOX"って固定観念が世間一般の間に出来上がってしまったようで、 2BOX等では高級は名乗れないのでしょうか。まぁ、荷物積み下ろしする度に後席の人が外気に晒される ってのはちょっと問題有りなんでしょうけど。 ナンでジャガーの話になったんだっけ?と、ちょっと読み返して思ったのですが。 フォードのシャシーを使って作られるジャガーなんて偽装のようなものと思う人の言う事も判りますけど、 元々がコーチビルダーから始まったこのメーカー。初心に帰ったと考えられなくも無いかも。 現在、イギリス本国でのジャガーの位置付けってのはどの辺りになるのでしょうね? 英国王室御用達のメーカーだったディムラーを吸収する事で高級車メーカーの仲間入りしたようですが、 何処か歴代のジャガーには、かつて創業当時「見た目だけの車」と揶揄された事を根に持っているような所が 残っているように思います。
アテクシしばしば思ふのですが、高級車とは内外装の高級もありませうが 本質的に「高級な走り」の筈ではなかったか、と。 まぁ内外装に金が掛かりまくってゐれば上代も上がって、 それはそれで高級の一種に間違ひは無ひのだらう、 しかし走る機械としてのクルマの本質から言へば高級な走り、 それを実現する為の高級で高価なメカニズムや入念なセッティングだと思ふのです。 単なる内外装の高額化は走る機械としてのクルマの高級さでは無く、 かう言ふと語弊はありませうが一種ヌテッカーチューンと同等な気もしなひでもありません。
アテクシ個人的な嗜好としては嫌ひなおベンシさまですが、W124やW201までのおベンシには ベンシのベンシたる所以が厳然としてありました。それは好き嫌ひは別にクルマ、 走る機械はだうあるべきかを100年の時間と膨大なコスト労力を掛けて積み上げてきた そのベンシの哲学が全ての製品にあった筈なのです。それが一番安く一番小さひW201にさへ 厳然として、そして或る意味最も核心のエキスだけを抽出したやうに存在したことに 正直衝撃を受けました。思いっきり悪く言へばアテクシの嫌ひな要素だけカキ集めたやうな。w まぁこれは言ひ杉ですが、要するにベンシの走りの根幹に有る(ぃあ有った) 「人が運転して走る機械、それが絶対確実に目的地に着くにはだうあるべきか」が それがドライヴァーに「確実で正しひ運転操作」を「教育」することへの執念が、 それは目的地に到達する前に事故ったりしなひ為の「教育」であり、 一方ヒトのやることですからミスは必づある、その時には全力で全身全霊を傾け 自分を犠牲にしても乗員を守らうとする執念が明確にあったのです。 それはアテクシには経験も実績もある偉ひ大先生が口煩くご尤もなことばかり言って 叱ってくれるやうでウザくてせうが無ひのですが、 しかし一方それはそれでそこまでやるメイクは無ひ、その毅然たる態度と哲学、 使命感は好き嫌ひは別に高く評価すべきものです。 逆にそれが分からづにベンシに乗っても意味が無ひ。 クラッシーな意味でベンシが高級かだうかの議論は股別にして、 ベンシは「走って移動する為の機械・道具」としては第一級、 ぃあそれ以上の規範となるべきものでした。(過去形w) その高級さは内外装や装備やスリーポインテッドスターのバッジwにあったのでは無く ベンシの哲学の高級、ぃあ高尚さにあったのだと思ふのです。
300 :
おっちゃん :2006/02/13(月) 07:00:07 ID:2OOLGY6R0
エロ先生 おっしゃる通りです。 そしてそういうメイクを殺したのが挙母町のだぎゃー会社であることを ワシは未来永劫忘れないでしょうな。
安物でも設計や熟成に手間が掛かっている物は、そのココロザシに於いて高級であるかも知れませんが そうやって出来上がった物を高級車とは言わないでしょう。 このように高級ってのは実態の無い物であって、高価格車も安物の大衆車と比較して その存在価値やココロザシに於いても高級であるとは私は考えません。 実際、このスレに書き込む時には“高価格車”という言い回しは使用しても“高級車”という書き方は 避けてきました。 そんな私にとっては高価格車ってのは見る物であって、所有する物だとは思えません。 まぁ、それはそうと・・。 子供がグレてしまった時、親はまず「悪影響を与えた仲間がいるに違いない」って考えるでしょう。 けれども悪友がいるか否かに関わらず、グレる時には人はグレるのです。(私がそうでした) あまり友人関係を疑っても意味は無いです。時には親が悪影響を与えてグレる事だって有る程です。 ベンツはねぇ・・。私もエロスパ氏に劣らぬベンツ嫌いと思われている事でしょうが、 実は部屋の中に4台置いてあって(w これはブガッティ、シトローエン、フォード(リンカーンを除く) と並び最多なのです。内訳はSSK、SSKL、540K、170Vです。車として一番好きなのは170Vですね。 格好はSSKLも捨て難いですが・・。私の中では、メルセデスは第二次大戦で終わったメーカーです。 いや、戦後もまぁ、300SLとかが有るか・・。 ・・後はいいや。眠くなるし(結局嫌いなのかな?w)
302 :
おっちゃん :2006/02/13(月) 23:34:21 ID:F+9FhTV90
高級の定義は難しいかもしれませんが、かといって高級に 実態が無いとはワシは思わんよ。 誰もが主観的に「ああ、これは高級だ」と感じるものが あるはずで、しかも恐らくそれはある程度個人差を越えて 共通する部分があるはずぢゃ。 主観に確かに確認できるものが、定義が難しいことを もって実体が無いというのは不正確ぢゃろう。 定義し難いとか、明確な線引きが難しいというなら判るがねェ。 ワシはね。高価格車だからとか、低価格車だからという ことに所有したい気持ちを左右されたくはない。 ‘高価格車だから欲しくない’ってのは‘高価格車だから欲しい’ ってのと等価に感じるのでねェ。 まあ、そうは言っても、自分の経済力で買えないものは買えない。 しかしなんとなれば中古になってから買うという方法だってある んぢゃしねぇ。ま、それもワシの主観。他人の消費活動に とやかく言う気はないので、あくまでもワシの場合と言っておくよ。
303 :
おっちゃん :2006/02/13(月) 23:46:56 ID:F+9FhTV90
子供がグレた話は論旨が見えんけど、とりあえずワシの話に反論が したかったというお話ですかね? なぜそれが書きたかったのかは 良く判らんけれども。 ベンツが先の大戦で終わったという見解は判らんではないが、戦前のベンツの 水準が合否基準になるとしたら、ほとんどの自動車メーカーは 終わる以前に始まってすらいないことになるんではなかろうかねぇ。 そして果たしてこの世のメーカーに終わってないメーカーがいくつあるか という部分ではかなり絶望的なことになるぢゃろうねぇ。 まあ、われわれが乗ったことある車というものは須らく車の形骸であった ということならまあ、そうぢゃろうねェ。 現に戦前のアルファから見れば、戦後のアルファはおもちゃか大八車の ようなもんぢゃしねぇ。
逝ってる師の弁護ではないですが、ヨタがなくてもベンツは方向性が変わってた ということではないでしょうか?セル塩が与えた影響は大きくても、本当に骨太で 傲慢なかつてのベンツなら歯牙にもかけなかったのでは?迷っていたからこそ、 ヨタの方向性に惑わされたような気がします。
↑ 付け加えると「親が悪影響を与える」って例えの「親」とはユーザーです。 (毎度書き散らし、書き急ぎの文で失礼) 高級に実態が無いってのは“ココロザシの部分等での高級とかを言い出すと実態が無くなる。” “定義が出来なくなる”程度の意味です。 高価格と高級とは違うってのはまぁ、皆思っている事でしょう。 中古になってプレミアついたら高級車に変化するって物でもないように。 ついでに。戦後のアルファには“買える”って立派な価値が有ると思いますよ。 第二次大戦まででベンツが終わったと思う私、元々が模型マニアですし、 車の評価基準に愛嬌だの詩情だのを持ち出すような、かなり情緒に流される傾向の持ち主です。 更に言うなら、安い事は一つの立派な価値であると考えるサヨクなのです(w
306 :
おっちゃん :2006/02/14(火) 01:02:27 ID:xIbYMQZL0
ワシはねェ。2ちゃんを見るようになってから、どうもイタ車好きの人を 見る目が変わってきた。 あまりにダブルスタンダードが激しいというかなんというか。 どうにもこうにもドイツ車と日本車を眼の敵にしているように聞こえるんぢゃよ。 戦後のベンツがダメという軸なら明らかに戦後のアルファもダメぢゃと思う。 ベンツだって戦後にあほらしいほど値下がりしておるぢゃろう? 買えると言う基準だったら、156とCクラスはほとんど変わらない価値があると ワシは思うし、もっと言えばAクラスなんてさらに価値が高いことになってしまう。 以前エロ先生もアウディのTTを糞であるとおっしゃっておった。 走ることよりもスタイルを優先し、いわゆるデートカーに堕したことを批判する 論旨は理解できるが、その文脈で言うとスパイダーも全く同罪ということになる。 何が言いたいかと言うと、つまりねぇ、基準が個人個人違うことは全く構わんが、 個人の基準が対象によって千変万化するのはいかがかということなのぢゃよ。 だから、戦後のベンツがダメなら戦後のアルファもダメ。 逆に戦後のアルファを良しとするなら、戦後のベンツも良しとせねば理屈に合わない。 アウディTTとスパイダーも同様よ。 ワシの言ってる事はおかしいかねェ?
まぁ、人それぞれ相容れぬ部分は当然有る訳ですが、 詩情や愛嬌を評価軸にする私に対しては、おっちゃんの仰る事は残念ながら的外れです。 評価軸そのものが違うのであり、私自身は一貫して堂々と情緒に流されているのです。 ドイツ車でも、情緒性に優れる(こんな言葉有るか?)ビートルは評価するのです。 (つか、私の方が変人である事は自覚していますから、あまり気にされぬ方が宜しいかと・・) 戦後のベンツは値下がりしていないと思います。 まぁ、一般市民の所得額を基準にして考えるな値下がりしていますし、 戦前の540Kなんかを基準としてもそうでしょうが、170Vあたりを基準とするならば、 こうした安価なモデルは切り捨てられて、収益率重視の高価格車専業になったと考える事も出来ます。
308 :
おっちゃん :2006/02/14(火) 01:24:40 ID:xIbYMQZL0
なるほどねぇ。まあ事実認識からして異なるので永遠にかみ合う気配はないねぇ。 良く判ったよ。
イタ車好きとかドイツ車党とか言っているうちが華で、問題はヨーロッパ車がみんな ヨタ車(特にセル塩=レクサスLS)をある程度目標のひとつに置いているとしか 思えないところです。 セル塩以前の各国の車、W124は言うに及ばずプジョー505、ボルボ740、 ランチアテーマなんかはそれぞれのお国柄が色濃く感じられ、価値観の違いを 楽しめました。が、最近はどのメーカーのも操作感軽快で運転フィール希薄、 確かにマイナートラブルは劇的に減ったけどいいんだか悪いんだか? 私は欲しくないなあ。
>>306 イタ車好きとアルファ好きはイクォールでないので、そこのところをお忘れなきよう。
少なくとも、俺の知ってるランチア・フィアット・ビアンキ乗りは、日本車やドイツ車を目の敵にはしてないけどねえ。
否定する言葉も「まあいいけど・・・欲しくない」程度。
良く言えば客観的、悪く言えば醒めてる感じだね。
そうか。おっちゃんの発言に感じる違和感の原因がわかった。 おっちゃんは「いいものにしか好きになる価値がない」と思ってるんだな。 しかも「いいもの」を客観的に定義できないから話がかみ合わないんだ。 「好きなものは好き」とか「量じゃなくて質の話」とかがぜんぜん通じないから困るんだ。
>>310 イタ車好きでアルファ好きだけど、日本車やドイツ車を目の敵にはしてないよ。
空冷VWやイスズの車は大好きだし。
ベンツやBMW、トヨタの車は興味ないけど。
>>309 そう言えば、セルシオが新たにもたらした価値観とは実際の所ナンなのでしょうか?
セルシオ自身、初代から大筋で変わる事が出来ずに同じ所にとどまっているように思うのですが。
・・等と考えつつ、家に居辛いのでジム行って来ます(理由は年バレスレにでも)
>>312 トヨタも2T-G搭載車は好きだな。
アルファを参考にして開発したって話だが、本家を凌駕するほどの名機だと思う。
・・・トヨタって言ってもヤマハエンジンだけどwww
一部のアルファ至高主義者がアルファ好きのイメージ悪くしてると思うよ。
キレやすく客観と主観を混同してしまう人達。
>>313 東洋の自動車新興国からの「機械的信頼性の高い高級車」というサジェスチョンじゃ?
でもその後のセルシオは目標を見失って、「ブランド」という青い鳥を探すことに邁進してるように見える。
TTに関してアテクシが問題としたのは、そのデザイン・形状によるリフト、 それによる僅か120〜30km/h程での転倒事故の筈です。 決してデートカーであることを云々はしておりません。 強ひてさう取るやうに言っても本来デートカーとしての資質のものを あたかも超高速高性能ヌポォツカァであるかのやうに売ることは如何か、 さういふ論調は如何か、ぐらひなもの。 TTの転倒事故多発に関してアテクシが特に問題視したのはそのリア形状に起因する リフトの問題、更にアテクシ問題視したのはこれは単なる空力の問題だけでは無ひのではなひか、 かういふ転倒の仕方はシャシそのものに何らかの欠陥があるのでは無ひか、 といふ事だった筈です。 それに関して既におっちゃんから元ネタゴルフ4の失敗した悪巧みの解説も頂き アテクシの考へが傍証されたかとも理解しました。更に問題はそれら予見可能な実態を知りながら 販売に踏み切ったVWアウデーの判断そのものであった筈で、 これらに対する批判は正当なものと思ふのですが。
・・帰って来ました・・。(静〜〜かに書き込む私・・w)
>>314 やはり私も初代セルシオは、このクラスは初めて手掛けるトヨタだけに冒険は避けて無難なセンを狙い、
細部の洗練に徹したと思います。その洗練具合が衝撃を与えるに充分だったが為に
「とりあえず無難」がコンセプト足りえるかのようになってしまい、そのまんま今に至っているような。
最近出た車でも、クライスラー300CやシトローエンC6なんかは独自の道を行ってるように見えます。
まぁ、どっちも乗った訳では有りませんが。
それぞれ、各自の過去をモチーフにしているようで一見目新しさは無いようにも見えますが、
指名買いする顧客を得るには、独自色を打ち出す必要が有る事に気付いての事と思えば
部分的に各自の過去を持ち出すのは当然アリでしょう。
しかしその手が使い難いのは過去に持ち出すモチーフを持たない日本車。
それと、過去のデザインの多くを外部デザインに委ねて来た会社。
アルファなんかは案外持ち出すモチーフが無い。盾の形の周囲にスリットを入れて
8C2300モンツァあたりを連想して貰おうとしているようですが、その程度ではちょっと無理が有るような・・。
それにしても。
空力的に見える外見を持ったクーペが、実は案外とそうでもないってのは良く聞く話。
走る事に本気で徹するならば、現代のクーペはレーシングスポーツカーの如く空力付加物の塊のように
なってしまうのでしょう。そんなのは一般の美的感覚からも受け入れられないでしょうし、実用も何も無い。
エンツォ・フェラーリなんかはそのセンで押しているようですが、ああいう形でなければ堕落であるとは
誰も思わないでしょう。と、言う訳で315には納得。
アルファに関しては、アテクシぢつは結構期待した8Cコンペ、 あれはアテクシにはブレッラより遥かに安心感のあるデザインでした。 それは過去のモチーフの寄せ集めゆえであることもすぐに感ぢました。 Tipo33/2やらTZやら。はっきり言ってブレッラのやうなこれまで無かったものを 新たに生み出す、ではありません。(尤もアテクシの目にはブレッラは単なるハッチバック、 特に際立った印象は外装にはありませんでした、中は・・・。w) しかし、アテクシには8Cコンペに過去の姿を見出すことが「ぁあ、アルファらしひ姿だ」 と感ぢられるのです。アテクシにさへそれは単なる過去のモチーフの寄せ集めにしか見へなひ、 それはさうなのですが、これをまう少しまともに整理して市販出来無ひものだらうか、 さう思ったものです。 一方、次期ヌパイダが発表されましたが・・・、ぅーみゅ。★
318 :
おっちゃん :2006/02/15(水) 06:15:19 ID:QhlfHJcl0
>>310 それはおっしゃる通り。ワシは個人の多様性を否定する気は毛頭無いので、
「欲しくない」というのは極めてまっとうな嗜好の表れだと思うねぇ。
当然、熱くなれない種類の車に対して醒めているのはごく普通のことぢゃと
認識しておるよ。
>>311 どこをどう読むとそうなるのかねぇ。
ワシが言っておるのは、
「人によってさまざまな基準があるのは結構。しかし、
基準を時と場合によって任意に変えるのは変だ」
ということ。
例えばぢゃね。「好きなものは好き」でハマーが良いと言う人が、ひとたび
ランクルの話になると、途端に好悪ではなく「デカイ車はダメ」と言うのは
変ではないかということ。そういうことを言うならハマーもデカイぢゃろうが?
「ランクルは嫌い」で良いではないか?それなら何の問題も無く首尾一貫しておると思うよ。
>「いいものにしか好きになる価値がない」
という価値観をワシが持っていたとしてもそれはワシの勝手。
そうだとしても、その価値観を人に押し付ける気はさらさらない。
ワシは特定の国の車、あるいはメーカーの車を理由も無くこき下ろしたことは
無いと思うがねェ。少なくとも、批判する場合は論拠を明示してわけ隔てなく
平等な単一基準で書いているはずぢゃ。
>エロ先生
そう言う話はしたことがあった。その件についてはおっしゃる通り。
つい失念して失礼しました。お詫び申し上げる。
>>314 2T-Gってアルファエンジンを参考にして開発したって話はよく聞く。
でも2T-Gって鋳鉄ブロックでしょ。
アルミブロックにスリーブ式のアルファエンジンには似ていない気がするんだが。
どこを参考にしたのかよくわからんな。
>>318 >人によってさまざまな基準があるのは結構
では、詩情や愛嬌、情緒を評価軸の中心とする、変わった基準が有る事も御理解頂けますね(w
>>317 ブレラは私も何だかピンと来ないのですが、それ以上に出たばかりのアルファGTとの兼ね合いは
どうなるのでしょう?ああいう車ばかり何種類も出しても食い合いになるだけって思うのですが。
クーペ絡みで再びジャガーに付いて思い出した事。
最後のジャガー純血スポーツカーとなったEタイプのクーペ。ウィンドスクリーンが立ち過ぎている感じは
有りますが、真上から見ればかなり絞り込まれていますし如何にも空力的に効率高そうに見えます。
でも、最新の風洞で調べてみると意外にそうでもないのだとか。
レース用に開発されたCタイプやDタイプとは異なり、ロードカーとして計画されたEタイプの場合は
実際の空力効率よりも見た目の流麗さを優先したと言う事なのでしょうか。
そしてもう一つ考えられるのは、当時英国に有った風洞があんまり使い勝手が良くないモノばかりで
しかも誤差が多かった為にそうなってしまったという事。事実アストン辺りのレースカー等も、
現代の風洞に入れて見ると、あまり空力的には良くは無いのだそうです。
風洞自体は19世紀から有るようですが、風洞の設計法が確立したのは意外に最近の事らしいのです。
その点フランスで19世紀から使われていた風洞は偶々良い出来だったそうで、その為かフランス車は
結構空力的効率に優れる車が多いそうです。まぁ、かなりマグレっぽいのですけど・・(w
この話を知ったきっかけになった本を書いた人によると、そんな事もあってEタイプジャガーの空気抵抗値は
まるでマッチ箱のようなルノー4にも劣るのだそうです。
・・しかしねぇ・・ルノー4とジャガーEタイプを比べてどうするの・・?とも思いますが・・。
空力やデザインの専門家の感覚では、そんな比較も別段不自然ではないのでしょうか・・?
空気抵抗を語る場合、空気抵抗係数=Cdなのか純然たる空気抵抗値なのかを 明確にしないと、話がかみ合わなくなってしまいます。 Cd値の場合は前面投影面積の大きい車の方が有利ですし、空気抵抗ならその逆。 前出のアウディTTあるいは911、ビートルなどはサイドビューが翼断面に近い から揚力が発生して当然。また設計の古い車の場合、ボディ下面の整流がまったく 考慮されていないのと、ボディ後半部で空気の剥離を考慮していないため、 カルマン渦が発生たりして結局空力悪化になっている場合が多いようです。 FF車でリアスポイラーが着いている場合は、ほとんどがカッコだけか、剥離のため、 スポイラーに角度をつけて後輪のダウンフォースを稼いでしまうと、肝心な前輪の トラクションが得られないため、危険な車になってしまいます。
アウディTTが転倒事故続出のあとリアスポイラーが標準装備になったものの 911に較べると中途半端に小さいのは、FFベースだから後ろを押さえつけ 過ぎて前が浮いてしまうのを嫌ったからでしょう。 元々の設計が悪い車体は、後からなにをやってもダメの見本ですね。
323 :
おっちゃん :2006/02/16(木) 06:06:30 ID:Qa2DOARV0
逝ってる先生 これ以上書くまいと思っておりましたが、どうもご理解いただけないようですなW >では、詩情や愛嬌、情緒を評価軸の中心とする、変わった基準が有る事も御理解頂けますね(w 何度も申しておりますが、ワシは個人の多様性は100%認めております。 貴殿が世界中、あるいは歴史上のどの車を愛好しようが批判する気は一切ありませんし、 過去にもワシ自身が主体になってそのような批判をしたことは無いはずです。 「あなたの理屈で言うならば…」という前提のものを除外してね。 もしこのスレにワシが他人の嗜好に容喙した発言があればぜひレス番をご指摘いただきたい。
324 :
おっちゃん :2006/02/16(木) 06:07:14 ID:Qa2DOARV0
多様性を認めてないのは貴殿であるとワシは認識しておるのですが、違いますかね?
一例を挙げましょう。ワシは貴殿の質問に答えて、
>>293 でW201は素晴らしい車ぢゃったと
申し上げた。それに対し、エロ先生が
>>299 で肯定方向の説を述べられた。必ずしも
ベンツに対する全肯定ではないが、そんなことは聊かも問題ではありません。
非常にまじめな回答をいただき、次の
>>300 でワシはそれに深く同意を示しております。
という流れの中で貴殿はわざわざ、
>>301 で>メルセデスは第二次大戦で終わったメーカーです。
と発言されておるわけですが、このご真意やいかに?
ワシとエロ先生がかなりの文字数を割いて、「ベンツ史上で特別」とまで
評価している車に対し、意見を求められたでもなくわざわざ自発的にご発言なされた以上、
迂闊とか、言葉足らずとはよもや申されまい。格段のご真意があってのご批判と愚考いたしますが、
いかがですかな? ぜひとも発言意図を明快にご説明いただけますようお願い申し上げます。
また、少々レスを読み返していただければ、貴殿の類似の発言は幾度かに亙って見つけられるはずです。
それについては敢えて問いはしませんが、よくよくご考慮いただければ幸いです。
ワシは、世界中、あるいは歴史上のどの車を愛好する者も無意味に気分を害さずに済むことを
祈っておるのみです。
一応は仕事もしているモノで、この時刻に長文は書けませんがちょっとだけ。 私は模型マニアであるとは何度も書いている訳で。 模型マニアが「メルセデスは第二次大戦で終わったメーカー」と言う事は =「戦後は模型にして部屋に飾りたい車が無い」という意味です。 それに対して「戦後のベンツがダメならアルファもダメ」って言われるのは 「ベンツの模型作らない人はアルファも作っちゃダメ」って言われている様なもの。 「乗ってこその車」って価値観を押し付けられていると思います。 「そんな意味ではない」でしょう?
>>324 横レス失礼。別に逝ってるサンの味方するわけじゃないけど、、
300でおっしゃってることはいささか言葉足らずと思います。
て横レスの人に言われたくないだろうけどね。すいません。
あのご発言では、
「そうゆうメイクの中だけの多様性」には寛容な人、と周りには理解されるよ>おっちゃんサン
そういうメイク=そういうメイクと仮定して(うーん、と)
自動車って、結構下積みが長くてW、そういうメイクが発生発明される以前から
あーゆーメイクやほにゃほにゃメイク
とかいろいろあったじゃないですか?
また愛知の会社が今やってることも未知なるメイクだし。
突然変なのが現れて失礼しました。さっくりと無視してください
190、新車で買えるご身分だった当時の人たちが羨ましいっす。
オレは経済的な理由で田宮かハセガワでしかオーナーになれないじょ。
>>326 190にタミヤやハセガワのキットって有りましたっけ?DTMカーとかなら有ったと思いますが、
ノーマルには組めないような代物しか無かったような記憶が有るのですが。
・・つか、何を書かれていらっしゃるのか判りません(失礼w
そりゃそうと。何の根拠も無しに毀誉褒貶の類をしているのならそりゃマズイでしょうけど
公平を旨とするジャーナリストでもない単なるバカの私が「私の中では」「私にとっては」と
自らの趣味嗜好から出た思いである事を明らかにした上で書いている事ですから、
それは趣味の多様性の一例を示しただけで別に構わないと思うのですが。
もしも「私としては」という注釈無しに好き勝手を書いていると思われたならば、
「個人的な感想である事の断りが欠けている」というお叱りを受ける事は仕方なしと考えますから
そう言って頂ける事はむしろ望むところです。
って、そう言ってオシマイにするのもつまらんのでもうちょっと引っ張ろう・・(w
(つか「ベンツは既に誰某に殺された」なんて発言の方が余程マズイと思いますよ。
最新モデルを高いお金払って買った人だっているのですから、
それこそ「自分の考えるベンツは」とかって但し書きを入れた方が良いと思います。
それに第一メーカーが公式に「何処其処の誰某に殺されました」ってコメントしている訳でもないのですし)
情緒や詩情を基準にするとベンツの評価は高く出来ないとい話(しつこい?まぁ、固い事言わんで下さい)
純レースカーや、実車発表と同時発売=話題性で勝負ってパターンを除くと
戦後のベンツのプラモデルってその知名度から考えると意外に少ないのですよね。
300SLガルウィングだけは別ですが、それを含めたところでビートル一車種にも及ばないかも知れません。
前スレで映画に出た車の話が出た時「メルセデスは悪役の乗る車というポジションが多く振り分けられる」
って話が出ました(私が言ったんじゃないですよ。一応)
少し前、車名の出て来る歌詞の話になったときもメルセデスはお金持ちの象徴として出るだけでしたし
>>220 の冒頭に挙げた歌でも、同じ5文字車名として「メルセデス」でも構わないと思われる所ですが
作詞家は「シトロエン」を選びました。
そして今日昼間、メルセデスの事を考えていて一つ思い出しました。
はっぴぃえんどのデビューアルバムの中の一曲。アルバムタイトルも曲名も「はっぴぃえんど」の中で
「二号さんでも乗り回し、ベンツでも囲えば」それで幸せなのか?みたいな歌詞が有ります
(「また、ベンツを目の敵にしてそんなマイナーなもの思い出す」って言われそうですけど
本当に有る歌ですし、私が作った訳でもないです)このように歌の中でのベンツは肯定的なイメージで
扱われる事は無いようです。
と、これらを根拠に、私は「ベンツは詩情に欠ける」と考えるのです(明快な論理w)
・・こういう観点から自動車を論じた人って多分過去にはいないだろうなぁ・・。
さて、勝手に話を戻すのも失礼ですが
>>320-321 辺りの空気抵抗の話の続き。
ジャガーEタイプとルノー4の比較の話は、空力の専門家の書かれた話の中で知った事ですので
恐らくはCd値の事と思って良いでしょう。前面投影面積も含めたトータルで小型車に劣ったとしても
話としての面白味は有りませんから。
別のカーデザイナー氏の書かれた本の中ではEタイプの空力に対する配慮を高く評価している文も
有りますが、そこでもやはり実際に最新の風洞で実験した結果が芳しいものではなかった事は
認められています。この方はこの結果を「風洞実験を重ねて最適化を行っていなかったのでは?」と
推理されているようですが、私は恐らくジャガーの設計陣はそれらを判っていながら見た目を優先したと
考えます。何故ならば、ルマン等に出場した純レース仕様車ライトウェイトEタイプはあえてクーペではなく
ロードスターボディーにデタッチャブルトップを付けた状態のボディーを使用していたように、
クーペの空力効率が実際には左程高い物ではなかった事を自覚していた節が見える為です。
更に言うならEタイプは元ブリストルの空力専門家マルコム・セイヤーのデザインと言われていますが、
それが本当であるならば、こうした事(クーペの空力抵抗)にジャガー自身が気付かずにいたとは
考え難いのです。
ついでに、EタイプのモノコックはDタイプ譲りのツインDチューブだそうで(材質はアルミ→スチール)
この構造であるならば屋根が無くとも充分な剛性が得られていた筈。
とは言っても実際に計測をしてみれば、恐らく固定された屋根を持つクーペの方が剛性は有利であった
事でしょう。車重は両者ともほぼ同一であった事から、特にロードスターボディーに補強がされていたという
事は無いようですし。
Eタイプジャガーのスタイルは、ブリッグス・カニングハムが作らせ59〜60年のルマンに走らせた E2Aと呼ばれる車を元にしているそうですが。写真で見るとこの車、DタイプにEのフロントエンドを くっつけたように見えます。 アメリカ人のカニングハムがEタイプの成り立ちに関与しているように、ジャガーはアメリカ市場では かなり人気のあるメーカーだったようで、よく同レベルの性能を持つフェラーリ250GTベルリネッタ・ルッソの 半分以下であったというEタイプの値段を表す時にも殆どは“フェラーリが$13375の時にジャガーは $6000以下で買えた”という書き方をされるようです。 ジャガー側もアメリカ市場の目はたっぷりと意識していたようで、61年登場のシリーズ1の広報写真では ホワイトリボンのタイアが履かされている車両が目につきます。でも飽くまでその背景は 如何にもイギリスを思わせる自然や街並みを使用して欧州製である事を強調しているのは アメリカ人の心理を巧みに利用した、ジャガーの商売上手さを窺わせて興味深いところ。 実際に生産された車両の内、対米輸出された割合はどの程度に上った事でしょうか? それにしてもEタイプ程、アメリカと日本で見方の違う車って無いのではないか?って思うのです。 $6000弱という値段自体が、その内容を思えば安価であるように書かれますけど、 それはフェラーリ等と比較した時の話であって、キャディラックやリンカーンの最高級とは ほぼ等しかったのですから、当時の日本でのEタイプのイメージは正に夢の車であった事でしょう。 60年代初頭という丁度プラモデルが爆発的に流行した時代の車という事もあって、 Eタイプのキットはあちこちから様々なスケールで出ていたのですが、 ある模型雑誌の編集者に至っては 「大人になったら(実車ではなく)イマイの1/8Eタイプのキットを買うのが少年当時の夢だった」 なんて事を書いている程ですから。
外来語の日本語表記には寛容なつもりだけど、さすがに「カニングハム」は・・・カニンガムでよくね?
↑ 私もちょっとそれ悩んだのです。私はずっと「カニングハム」派だったのですが、「カニンガム」派の方が
多数派なのかなぁ?って思い検索してみたら、やはりそれはそうだったのですが「カニングハム」派も
決して圧倒的に少数派というほどでも無さそうでしたので「まぁ、いいか」と。
さて
>>297 で書いた、歴代のジャガーには、かつて創業当時「見た目だけの車」と揶揄された事を
根に持っているような所が残っているように思えるという話からちょっと繋がる話。
そうした事は例えばSS90〜100に始まりXK120〜150を経て最近(?)のXJ220に連なる
最高速由来の車名とかにも表れているように思います。そこまで高性能である事を誇示する必要が
有るのか?みたいな意味で。
それはスタイルにも少し見えるようで、例えばSS100の大きく波打つフェンダーラインや
大径のヘッドライトを中心近くに配置したフロント等。これを美しいと評価すまる方も多いようですが、
私にはやや過剰な演出に思えます。
そしてEタイプクーペの長いボンネット。そこにやや唐突とも思える角度で立つウィンドスクリーン。
この時代の車の基準で見るならば左程に立ち過ぎという事も無いのかも知れませんが
ステアリングホイールを持つ手がその内側に触れそうな程に両者が接近しているように見えます。
ちなみにプロトタイプで純レースカーだったE2Aやロードスターではそのような事は無いようです。
私には6気筒(後期モデルでは12気筒)エンジンを前車軸後に積む為に長くなったボンネットを
一層長く見せる為にこうした演出が加えられたように思えます。
この事もEタイプクーペが空力効率よりも見た目を優先したと私が考える理由の一つです。
もっとも、これも以前に書いたようにレースカーではないEタイプが見た目を優先したとしても
それは決して悪い事ではなく、その手法が成功だったのは今に至る人気が証明しているのでしょう。
>>332 >そしてEタイプクーペの長いボンネット。そこにやや唐突とも思える角度で立つウィンドスクリーン。
これこれ。
俺がEタイプのスタイリングをどうにも手放しで褒められない理由はこれなのですよ。
横から見たとき、薄いボディからにょっきり突き出ている感が強いのであります。
同じ見解を持っている人が身近にいなくて「お前の感覚は変だ」みたいにこき下ろされていたので
嬉しくなりました。
とは言え、スタイリングのまとまりで、Eタイプよりもスピットファイヤに迷わず軍配を上げてしまう
私は、やはり変かもしれませんがwww
もしやXKEは元々オープソ(ドロップ・ヘッド)を基本に開発され、 それをフィクスト・ヘッドにしたのではありますまひか? オープソなら、それも「正しひ」wオープソならウインドシールドは低く 直立してゐるべきものであります。
ジャガーの話題だって言うから見に来たんだけど、やっぱわかんやw
随分上のほう
>>292 におっちゃんがSタイプのベースはリンカーンLTっ
て書いてるけどリンカーンLSだから。リーズナブルでいい車でしたよ。
Sタイプはワカンネ。
>>335 オレとしては、ベストのスピットファイアはMk3かな。
バンパー位置が上がった姿と、初期の面影を残したリア周りのコンビネーションがよろしい。
でも、年代を問わず、英国車らしからぬ流麗さは、さすがイタリアンデザインだと思います。
しかし、Eタイプにしてもスピットにしても、横から見たときのタイヤ面積の広さがクラシカルですな。
ツライチ、大径ホイール、浅薄な流行などモノともしない味であります。
ジャギュアにせよ火吹きダルマwにせよこの丸みを帯びた形状は まさに60年代のものであります、比較的薄く(浅く)低ひボディーは 断面が楕円を成す、その例へばドアシル下の丸くフロアパンに流れて行く形状など ぢつに好ましひものであります。以前SCG誌上で浜基紀先生がブガッティT35のデザイン解析、 解説をなさっておりましたが、その側面からアンダーパネルに到る形状を 馬の腹のやうだと評されておりました、これを想ひ出すものであります。 思へばアテクシのヌパイダもまさにこの一連の形状そのもので 上記XKEやヌピットファイアにも採用されてゐるアクリルのライトカヴァーも 初期のヌパイダ、つまりデュエットやセリエ2にはあったもの、 当時の240Zなどにも見られたものであります。 尤もアテクシのセリエ4ではドアシル下面には空力付加物が取り付けられ 馬の腹的優雅なラウンドは隠され、 195-60-15といふ太く扁平なショルダーの張ったタイヤと大径ホイールは 肥大した重量増に対する実用一点張りで、 更にはこれは純正ではなく個人的に必要に迫られw換装したマルチリフレクタとHIDのライトで 表情は一変し、まるで狂気で瞳孔の開き切ったやうな寧猛な顔つきになってしまっておりますが。 しかし、それでもかつて友人のバーの常連であった某イラストレィターの方 (東芝ダイナブックのCMの鈴木亜久里や当時のF1、某ヌポーツマガジンのNBLで御馴染み)が アテクシのヌパイダを評して 「今の車はどれを見ても箱に見へる、どんなに丸くても箱だ、 しかし君のクルマはだう見ても箱では無ひなぁ、まるで昔の葉巻型F1を髣髴とさせるねぇ」 と仰っておりました。これが60年代の一つのデザインの典型でありますでせう。 アルファで言へばクローズドボディではありますが TZ一派などもまさにこれに該当するものであります。 XKEにしろ火吹きにしろヌパイダ、TZ、或ひは240Zにしろ60年代デザインのこの手の一派は、 その流麗な姿は未だ空力研究のの発展途上の姿であると同時に空力と美の調和がまだ取れた、 まだ調和が失はれてゐなかった頃の、言はば幸福な時代だったの鴨知れません。
>>336 いい車なのかも知れませんが、リンカーンLSって中古だと無茶苦茶に安いんですよね。
ジャガーSタイプと比べると値落ち幅は天と地程の差が有るのはナンだかなぁ・・。
>>337 昔の車に大径ホイールなんて履かせてみたら変なモノでしょうね。でも、前スレでも書きましたが
横から見たら“只の黒いわっか”出しかないタイヤをなんとかしたいって欲望は昔から有ったようで、
その表れがかつてのホワイトリボンやホワイトレターであり、現代の大径ホイールなのでは?って
考えてみたり。
さて、昨日、今日のエロスパ氏の書き込み見て思った事。
ドロップヘッドクーペという呼び名は英国独特のものだと思います。他の国ではカブリオレと呼ぶ形でしょう。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_54fe.jpg?bcaSccEBWu4Q4TI2 上がジャガーXK120のロードスター。下はドロップヘッドクーペ。後者の方がウィンドシールドの枠が立派で
室外側にもドアハンドルが付き、幌も厚い物を装備している等の違いが有ります。
前者は「基本はオープンである事」後者は「オープンにも出来る」といったニュアンスでしょうか。
イタリア車ではこうした区別は無く、どちらもスパイダーと一括りにしてしまうようです。
で(やっと)此処からが本題。スパイダーの語源を調べると「上から見ると蜘蛛のように見えるから」と
必ず書かれていますが、戦後型のフェンダー一体化ボディーではそう言われてもピンと来ない。
しかし戦前のGPカーのようなタイヤ剥き出しの車とか、簡素なサイクルフェンダーの車だったら
確かに蜘蛛が踏ん張った姿に似ているように見えるかも知れません。
つまり、スパイダーとは元々独立したフェンダーの車の事で、本来屋根の有無とは無関係だった筈なのに
こうした車には屋根が無いのが当然だったので「オープン=スパイダー」というカン違いがいつの間にか
定着して現代に至っているのではないでしょうか?・・と、また珍説(w
・・しかしナンだね・・こんな事ばかり考えていていいのかねぇ・・(w エロスパ氏のスパイダーは、英国流に言うならロードスターなのか、ドロップヘッドなのか? 丁度悩む辺りに有ると思います。 やたらと厳格に定義するのが大好きな人ならば、ロードスターとは ・ボディー同色のウィンドシールド枠を持たない ・ドアハンドルを室外側には装備しない ・幌に内張りを持たない ・三角窓を装備しない ・・・・等と言う事になるそうです。 この見方から行くならば、歴代アルファスパイダーは皆ドロップヘッドとなるのでしょう。 マツダ・ロードスターも実はドロップヘッドクーペという事になります。 ・・でも“マツダ・ドロップヘッドクーペ”って名前ではインパクトの点でどうだったでしょう? DHCと略すれば化粧品と間違えて買う人を期待出来・・
ヌパイダの本家本元もぢつはアルファ・ロメオと言はれております。 その語源としてはタイヤが張り出した、の他にまうひとつ非常に低く構へた車体、 これに件の張り出したタイヤでまるで蜘蛛のやうに見へたといふものであります。 低さを強調する屋根の無ひボディー、それに四方に張り出したタイヤ、これでありませう。 以前も話題となりましたドロップ・ヘッド、カブリオレ、ロードスター、ヌパイダ、 カンヴァータブル(w、コンヴァーチブル)、デカポタブル、 アテクシの個人的な感覚としてはカブリオ、カンヴァータブル、デカポタブルが一括り、 これらはドイッチュのカブリオレを典型とする厚く中綿の入った幌で 幌を上げればクーペと遜色無ひ耐候性を持ち遮音性にも優れるもの、 まぁ寒ひドイッチュラントの冬に薄皮1枚の幌では凍死もネタではありますまひ。 厚く中に詰め物のある幌の下ろせばトランク上にどっかと山盛りになる不恰好は 凍死に比べれば何程でもありますまひ、といふものでせう。 コンヴァーチブルとはオープソにもクーペにも変換可能を、デ・カポ・タブルは その通り「頭がとれる」でありませう。デカポタブル(仏)とドロップ・ヘッド(英)は 奇しくも同意、同表現であります。 これらは2座でも4〜5座でもあり、と思ふのです。 一方ロードスター、ヌパイダは薄皮1枚かそれに準づる比較的簡易な幌で2座、 といふのがアテクシのイメージであります。まぁ4座のコンパーノ・ヌパイダつう物件も 太古の昔wありましたが。w ロードスターはRoadsterでありまして 決して「道の星」ではありません、王様の「高速道路の星」では無ひのであります。w このsterなる語、だうもアテクシ思ふに「〜するもの」的な意味合ひではなからうかと思はれるのです、 例へば「ギャングスター」は元々「連動する者」ではなかったか?と。 で、ロードスターは「道を行くもの」的な意味合ひ、それが運転そのものを楽しむもの、 よりダイレクトでスパルタンな道行きの楽しみを供するオープソに与へられたのではナカロウカ?と つらつら妄想するものであります。
あ、なをカブリオレは元々お腐卵臭語、 ドイッチュ語では外来語としてCablioret、 乃至はドイッチュ語的にKablioretと表記するやうであります。
スパイダーの由来は諸説紛々ですね。 逝ってる氏の張りだした4輪説、エロスパ氏の低く構えた車体説のほかにも、幌骨の形状を蜘蛛の巣に見立てた説もあります。 また、馬車の車体形状で「蜘蛛型」なるものがあるという話もあり、こうなるとアルファが最初というのはどうなんでしょうね。 アルファ・スパイダー(旧)のボディデザインの起源として、個人的にはどうしてもディスコヴォランテを思い浮かべてしまいます。 上から見たときに弧を描く前後面のライン、同じく弧を描いたサイド断面、奥まったホイール、まさに大元の形は楕円の円盤。 ・・・これにイタリアンデザインの得意技である切削の大鉈を振るうと初代ボートテールのスパイダーになるのではないかと。 そうするとコーダトロンカ以降、脱円盤=近代化だったのではないでしょうかね。 でもまぁ、四方に張り出した車輪がスパイダーの由来とすると、ジュリアスパイダーは、前後のオーバーハングが長く、 車輪も奥まったのが本来の形ゆえ、脚を縮み込ませた脅えた、または死にかけの蜘蛛になってしまいますな。 あ、ジュリアスパイダーの形は、それはそれで好きなんですよ。 でも幌を上げるとキャビン部分のにょっきりさ加減が空飛ぶ円盤じみてちょっと・・・あ、やっぱり円盤だwww
ご明察の通り、ぢつはデュエットのデザインは空飛ぶ円盤の熟れの果てなのです。 ピニンが56年に6C3000CMディスコ・ヴォランテを元に試作したヌーペル・フロウT及びU、 そしてその延長上に59年の3500ヌパイダ・ヌーペル・ヌポルト、 更に61年にジュリエッタシャシ上に同系デザインを展開したズリエッタSSヌパイダ・ヌペチャーレ・アエロディナーミカが やがて来る105シャシのデュエットのプロトなのです。 一見さうは見へなひ旧ヌパですが上から見ると、ことにデュエットはさうですが ボディー前後に強ひ絞りが入り、中間部が丸く膨らむ形状は まごう事無きディスコ・ヴォランテの血統を示すものであります。
あと、スパイダーのアルファベット表記としてはspiderのほかにspyderがありますね。 個人的には、後者の気障ったらしさが大好きですwww イタリアの代表的なスパイダーには、アルファの他にフィアットもありますね。 850スパイダーはベルトーネですが、124スパイダーはアルファと同じくピニンファリーナ。 同クラスの車を同じカロッツェリアが手掛けるというのも凄いですが、124スパイダーでは全然別のデザインアプローチを しているのが面白いです。ジュリアスパイダーはコストの問題が少なかったせいかあくまで曲線主体ですが、124はやがて 来る70年代を見据えてか、曲線と直線(直線っぽい曲線ですが)の融合。 前から見ると丸型ライト、自己主張するグリル、丸いフェンダーラインが60年代、後ろから見ると70年代的な長方形の シルエット、その:境界はドアの後部で跳ね上がった直線で、そのラインは独立したリアフェンダーをモチーフとしてるような。 そしてボディ後端はアメリカ車のテールフィンを思わせる複雑な造型・・・これじゃコーダトロンカのスパイダー以上のコスト高では? ・・・それで良かったのかフィアットよwww
オープン専用モデル(セダン共用みたいなのを除く)は歴史的に見て、イギリス、 イタリア、アメリカの特産物でしょうか? ドイツ、スウェーデンみたいに緯度が高くで寒い国だと、どうしても開発に熱心に なれないとか(仕向け地が南方とか工場が南アとかでも) 日本最北端メーカーのスバルもオープンには熱心じゃないし。 持論ですが南の国は食物も豊富で容易に入手できるから、どうしても享楽的、刹那的 になる。と同時に同じ条件で外敵も多いから、繁殖活動に注力せざるを得ない。 だからヨーロッパの中でもイタリア人は…(ry オープンボディは乗ってる人が気持ちいい以外のメリットは何もない。 実用性、走行性能、耐候性、耐久性、全てクローズドボディに劣る。 (F-1もオープンだぞ!っていう突っ込みはなしよw) だからこそディープな趣味として成立するんでしょうねぇ。
>>339 中古?いやいや、なにをおっしゃるやらw 新車でも出鱈目に安かったですよ。
大体、新車価格が498万なんですけど、50万引きは当たり前、100万引きも現実
にありましたから。V8、3.9gのいわゆるフル装備ですから国産車と比べても
安かったんですよね。
>>346 イギリスは下手するとドイツ以上に寒いし、モータウンのデトロイトも相当寒い地域なんだが・・・。
イタリア北部もアルプスの麓だから十分寒い。スキー大国で冬季オリンピックが開催できるくらい。傾斜地や痩せた土地も多くて、
農業国としてもそんなに恵まれてないと思うけど。地域によっては、小麦が作れなくて蕎麦を作ってたりするし。
ドイツ・フランスもオープン専用モデルこそ少ないものの、各メーカーともオープンのラインナップはずっと持ってる。
ポルシェのスピードスターは低いウィンドシールドが実にカッコいいね。
フランスではDSのカブリオレとかA110のカブリオレとか、スリッパみたいで可愛い。タルボ・サンバ・カブリオレも乗ってて
なかなか楽しゅうございました。
2座の高性能クーペなんかも一般人から見たら、オープンと五十歩百歩のメリット・道楽アイテムだと思うがね。
いくら速くても一般道ではすぐ前が詰まるし、高速でも法的には100km/hまでだし。
そういやランチアはオープンは不得意っぽいね。
フラミニア・スパイダーとベータ・クーペ・スパイダーくらいか。
そもそもランチャといふクルマはをっさんの乗るモノなのです。 アテクシこれまでも何度か書きましたが、伊太利亜に於けるランチャ乗りのイメージとしては まぁ、大店の商店主とかそれなりの地位の坊主とか議員さんとか 要するに地元の名士のをっさん、旦那衆、そんな印象なのです。 そんな旦那方が真っ赤なヌパイダに乗りませうか? やっぱりさういふヲサーンどもは紺色のセダンでせう。但し安ピカではダメ、 高性能もさることながら「仕立ての良ひ」上品な高級が見へるものでなくてはならん、 それがランチャなのです。つまり、 をっさんの、をっさんによる、をっさんの為のクルマ、 それがランチャなのです本来。 なぁんて書くとムクれるシトがゐるでせうがw、まぁアテクシネタの人ですので。w
さて、更にネタは続き脱線転覆大暴走致します、 ランチャのをっさんはをっさんでも伊太利亜のをっさんであります、 しかし間違ってもレオンなんざ読むやうなちょい悪ヲヤヂぶりっこではありません。w やはり「 旦 那 」でせうイメージとしては。 一方「をぢさま」つう物件も存在しますが 本邦では「をぢさま」はランチャだのアルファだのに乗ってはいけません、 日ノ本の国でそんなのに乗ってゐるのは単なる馬鹿ヲヤヂ変態ヲヤヂであります。w 「をぢさま」が乗るに相応しひのはやはりジャギュアとおベンシさまでせうイメージとして。w キャデでも輪姦でもやはり違ひますなぁ。 して、妙齢のをとっつぁんに「をぢさま」と呼び掛けるに相応しひ女性は 6輪のピンクのロールズに乗ってゐるもの、とまでは申しますまひ。w
さてランチアのおっさんはむくれるどころかニヤニヤが止まらないのですが、 サルーンに関してはエロ師の仰るとおり、しかしランチアにはスポーツがあるのです! 世界選手権がかかっているモータースポーツで4世代にわたって大活躍したメーカー なんてほかに有りましょうか?(フルヴィア、ストラトス、037〜S4、デルタ) 悔しかったらクラウンでWRCに勝ってみろ!(支離滅裂w) 寒い暑いの件ではまあ個人差も大きいですなあ。トーホグ出身の享楽的性格破綻者 が約一名いるらしいですし(笑) ちなみにワタクシ最近はずる賢いよりエロ賢いおやぢをめざしております。
↑ネタ系の二人ですな(w
>>347 100万とは凄いですねぇ・・。オマケでKa一台付いて来そうな勢いですね(w
・・ってGMが去年あたりに本当にそういう手を使ったそうですが。
>>348 ポルシェのスピードスターというと356Aでしょうか?50〜60年代は英国製スポーツカーの他にも
結構いろんなメーカーから小型オープンが出ていて楽しかった時代ですねぇ。
スポーツカー的でなくても良いから、このくらいのサイズのオープンをひなたぼっこするように
のんびりと使いたい・・。最近では短命に終わったマーチカブリオレくらいか・・。
近所の中古車屋に出物が有ったな・・。
・・そんな事はともかく・・
>>343 蜘蛛型と呼ばれる形の馬車が有った(かも知れない)説は初めて知りました。
もっとも馬車時代には当然地域間の行き来も少なかった事でしょうから、極端な話が車体屋毎に
異なる用語を用いていたとしても不思議は無いのかも知れません。
実はねぇ・・オープン作りに熱心なメーカーかどうか?ってのは最大のオープン消費国アメリカ市場に
熱心か否かが別れ道って考えていたのですよ。でも、そうするとフランスでもっともオープンカー好きなのが
プジョーだという事の説明が付かない・・。
>>352 ポルシェのスピードスターは356でも911でもありますね。
いずれも低いウィンドスクリーンが決まっております。
それだけに幌を掛けると・・・何も言うまいw
蜘蛛型馬車ですが、自動車の車体形状を指す用語のほとんどが馬車から来ていることを考えると
まあ妥当なところではありますまいか。
ググってみたらこんなサイトもありました。なかなか面白うございます。
↓
ttp://www.basha-ya.com/spyder01.html spiderとspyderの表記の違いも興味をそそります。
“sspyder"とメーカー自らが表記した車も有ったのでしょうか?
・・それよりも客はいるのか?馬車屋・込む・・。う〜む・・・・(w
実は911のスピードスターのスタイルって、私はあまり高く評価していないのですよ。
で、
>>352 で「356Aでしょうか?」って書いてみたのです。
無骨なバンパーとか、高い位置のヘッドライト等がどうも目に付いて356Aのような低い姿勢に
感じさせないのがその理由です。ポルシェのせいと言うよりもアメリカの法規の方に
責任の多くが有るとは思いますが、ポルシェ自身も何故356時代にスピードスターの生産を止めたかを
忘れてしまったように感じます。
356Aスピードスター。当時のアメリカでは“バスタブ”というニックネームが付けられたそうですが、
同じ頃の日本ではピンと来なかった事でしょう。昔の浴槽って、サイズに関わらず深かったですから。
最近は欧米化の影響からか、かなり寝そべった姿勢で入浴するのが普通になった気がしますけど。
そこで例によって役に立たぬ事を思ったのですが、上下に薄い車体を作ろうとするならば低床化は不可欠
で、当然ですが低い位置に寝そべったような姿勢で座らせる必要が有ります。
それをちょっとだけやり過ぎるとステアリングが遠くてストレートアームの姿勢を強いられる車になる。
これがよく言われる“ラテン車の手長猿ポジション”の由来で、50年代半ば〜60年代にかけて一般的に
なったように思えます。
戦前〜50年代初頭のGPカー等ではイタリア車も英国車も運転姿勢に大きな差は無く、共に胸の前に
大径のステアリングホイールを抱くようにしていたようです。
↑いきなり最初から書き間違えてた(w “Spyder"って綴りは何語かに有るのでしょうか?
うちの75は非常にアップライトなドライヴィングポジションであります。 一方ヌパイダはその薄ひ(浅ひ)ボディー形状からも分かる通り 75に比べると寝そべった姿勢に近ひのです。 が、ハンドル遠くペダルが上向ひてそっくり返って極度に近ひのは75なのです。 アテクシの運転姿勢は通常普通の人より遥かに前傾しております、 シートは目一杯前に出しシートバックは目一杯起こしハンドルを腹の前で抱へ クラッチを目一杯踏み込んでも膝は深く曲がったままです。 以前「ファイティングポーズのままシートに座った姿勢」とも言はれましたが 要するに例へコーナリングで強ひ横Gが掛かって体が振られてもハンドルの最遠点が操作出来、 クラッチは完全に踏み込み切り離せ、ABペダルは同時に精密に踏める姿勢はこれしか無ひ為です。 ヌパイダの場合ハンドルもペダルも固定ですがシートとシートバックを目一杯出すだけで事足ります。 しかし75ではペダルに合はせるとハンドル&シフトが遠く届かづ、 逆にハンドルに合はせるとクラッチを放した時膝がハンドルに当たりさうになります。 結局ステアリングコラムのテレスコピックを目一杯手前に出して対応するしか無ひのです。 話は変りますがアテクシ、衣料品に占めるイタリア産品の比率が結構、ぃあ相当高ひ、 そこで例へばジーンズ、アテクシイタリアのジーンズで裾上げしたためしがありません。 リヴァイスならL32で丁度良ひのですがもっとレングスが長ひと上げなくてはなりません。 一方ジャケットなど袖丈は必づ長杉る、指先しか出なかったりします。 ラテン体型、なかんづく伊太利亜体型は手が長く足が短ひのです。 (更に言へば猪首であり肩が張って肩から胸が厚ひ) これがイタリアン・モンキースタイルの理由と思ふのです。
>>354 メーカー自ら「spider」と表した例は知りませんが、海外の個人やクラブ、パーツショップ等のサイトで
「spyder」と表記しているのはよく見掛けますね。
英米の「theater」「theatre」のように、表記法のバリエーションなんでしょうかねぇ。
911はそもそも、それほど低く構えたスタイリングじゃない(スポーツカーっぽくない)ところへ、
敢えて低いウィンドシールドを与えた精悍なスタイリングは、カブリオレよりも好きなんです。
そう言えば、ビートルのチョップドトップと似たような手法・・・・ドイツ車の定番なのでしょうか。
でもこの辺は個人の趣味嗜好の範囲でしょう。
もっとも、一番好きなのはスモールバンパー&ナローボディだったりしますがw
>ラテン車の手長猿ポジション
これは良く言われるんですけど、アルファ以外の量産イタ車ではあまり感じたことがないんですよ。
もともとシートを立て気味にするせいかな?
言われてみれば、手元にあるタッツィオ・ヌヴォラーリの写真も、かなりステアリングが近いですね。
>>357 まぁ、個人の趣味嗜好と言って片付けてしまえば、デザインの話って大半はそこで終わってしまうのですが(w
>911はそもそも〜
これは以前、私が英国車のデザインについて「多少の野暮ったさも味の内」とか「ダサカッコイイ」とかって
書いたのにもちょっと通じる感覚でしょうか?
さて。実はシトローエンってのも結構ステアリングホイールが遠い車で、CXやBX、エクザンティア辺りまでは
その傾向が有ったように思います。が、最新のC4やC5はそうでもないようです。
他に私が触れた事のあるラテン車の記憶を手繰ると、DSや2CV、ルノー4、アルファ1900等の頃は
ステアリングが遠いという事は無かったようです。もっともこれらの車、皆普通のフロアシフトではないので
“寝そべったような姿勢&ストレートアーム”では運転しづらいのですけど・・。
反対にステアリングが遠かった記憶の有るのは、シトローエン以外では初代ウーノがそうだったような・・。
イタリア人については良く判りませんが、日本の「無印良品」が人気を得るくらいですから、
現代のフランス人に関しては体形が日本人とそう違うという事は無いでしょう。
これらから考えるに、50年代半ば〜90年代初頭までの間、ラテン系国民は手が長かったのでしょう・・・・
・・と、莫迦はともかく・・。
寝そべったような姿勢&ストレートアームの流行って、実際にはいろんな要素が複合的に絡んでの事
なのでしょうが、レースカーの世界でそういう姿勢を強いられるような技術革新が進み、こういう姿勢が
スポーティーだというイメージが高まったのもその要素の一つだと思います。。
しかしこれ、力の入れ難い姿勢なのに対し、パワステなんてものはこの流行が始まった頃には
その(流行の)外にいたアメリカ車やシトローエンDS位にしか無かった筈。
スローな割には重いステアリングで車庫入れ等に苦労する車が多かったのも無理は無い話?
このスレの前の方でも少し触れましたけど、昔のレースカーは嵩張るエンジンを前車軸後方に 積んでいた為に、ドライバーズシートを後車軸直前にまで後退させてもコクピットに多くの寸法を 振り分ける事が出来なかった事も、ヌヴォラーリの頃迄のドライビングポジションに多くの影響を 与えていたと思います。 エンジンそのもののコンパクト化が進み、それをリアミッドシップに置くのが主流となった60年代、 トラクション確保の為か、ギアボックスはリアオーバーハングに置くようにした事も有って 前後長の余裕の出来たコクピットの中にジム・クラーク等は寝そべるように潜り込み、 ストレートアームで小径のステアリングホイールを握っていました。 これには当時「ステアリング捌きが見えない」という不満の声も聞かれたそうです。 その後F-1は安全性の見地から燃料タンクをボディーサイドに置く事が禁止されたり、ペダルボックスが 前車軸よりも前に有る事も禁止される等のルール変更によりコクピット寸法は最小限となり ドライバーの姿勢も少し立ち気味に戻ったようです。 それでも現代のF-1、ホイールベース3mを超えるのは当り前になった様子。これも安全性の見地から 高速コーナーの少なくなったGPコースに於いては有利であろうショートホイールベースを実現するような アイディアが出る事を期待したくなります。そろそろ見た目に代わり映えのしないここ数年の車には 見飽きてきたところですので。
保守。
以前私は英国車のデザインに「ダサカッコイイ」という表現を用いましたが、スポーツカーに関する限り
そう感じるのは第二次大戦直後〜50年代初頭にデビューした車迄だと思っています。
60年前後に次々と現れた世代、アストンマーティンDB4とかトライアンフTR4やスピットファイア、
ジャガーEタイプ等には、近代化の流れに乗り遅れまいとする意思が見えるようですので。
ところが、カロッツェリア・トゥリングの特許スーパーレッジェラボディーを採用したアストンには
デザイン面にもトゥリングの手が入っているのでは?という説が有って。そう考えると英国オリジナルの
格好良いデザインってのは意外に少ないような気がします。
そんな中では、好き嫌いは多少は分かれるかもしれませんが、ジャガーEタイプはMG-Bとかと並び
オリジナルデザインで結構頑張ったと言えるのかも?
この他には、この頃の英国量産スポーツカーデザインというと、例えばオースティン・ヒーレースプライト
http://www.mgcars.org.uk/mgcc/midgetreg/pics/sprite.jpg ディムラーSP250(量産車とは言い難いか?)
http://www.canadiandriver.com/articles/bv/images/60daimler_sp250.jpg ・・・・これらにも独特の味わいが有るようで、愛する人も少なくない事は認めますけど・・。
かな〜り控えめに言っても、“一般受けする”とか“素人受けが良い”とかって物では・・・・
ところでジャガーEタイプの出る映画というとA・ヘップバーンの「おしゃれ泥棒」が思い浮かぶのですが
この映画の中では最初は正体不明だった気障な二枚目の愛車としてロードスターが登場しています。
ストーリーが進むと共に善玉である事が明らかになるのですが。これは良いイメージなのでしょうか?
ディムラーSP250。このフロントマスク、以前クリフカット・ルーフでちょっと話に出た
60年登場の英フォード・アングリアによく似ている・・つか、こっちの方が先(54年発表)か・・。
もしかしたら、英国人の目には“格好良いデザイン”に見えたのでしょうか?
・・時々思うのですが、英国人程理解の難しい人種って他にはいないのではないでしょうか?
・・等と言いつつ、実はアングリアもSP250も嫌いか?と、訊かれたら決して嫌いではない私。
むしろ好きかも・・。何だか段々SP250が格好良く見えて来た・・
しかしこのSP250。当時の価格は不明ながらも英国王室御用達メーカー、ディムラー社の製品ですから
2.5リッターの排気量の割には高価格であったろうと思われます。
そのデザインがどうか?という事は別にしても、高性能でありつつ価格はややリーズナブルという
ジャガー社の方針にはそぐわなかったと見えて、60年にディムラー社がジャガーに吸収された後
間もなく消滅したようです。3.8リッターのエンジンを積み150mph/h超の最高速を誇ったE-typeよりも
高価な値札を付ける訳にはいかなかったのでしょうか?
ところで。ジャガー社は第二次大戦終結直後の45年にそれまでのSS社(スワロー・コーチビルディング社を
34年にそう改名)から改名して出来たと手許の資料に有りますが、同じ本の中でもちょっと矛盾が有り
この時(45年)スワロー社は別の経営に移ったとされています。で、このスワロー社から54年に有名(?)な
スワロー・ドレッティ
http://www.oldclassiccar.co.uk/classic_cars_archive/60_swallowdoretti.jpg が生まれたという事なのだそうですが、この辺の正しい経緯って、どうなっているのでしょう?
また暴走モードか(w ジャガーEタイプの出た60年前後は英国車に限らずイタリアのカロッツェリアがデザインに関わった車が 大変多かった頃で、イタリアデザインの一つの絶頂期だったように思います。 そんな中でジャガーが自社デザインを貫いたのは、元々がコーチビルダーでデザインに自信を持っていた ジャガー社の意地か、それともイタリア調の流行に気付かなかったか? フランスでもプジョーはピニン・ファリーナのデザインでしたし、シトローエンは自社デザインとは言え デザイナーはイタリア人のフラミニオ・ベルトーニ。といった具合にスポーツカーの分野に限らず セダン型にもイタリアデザインが溢れていたのもこの頃。30年代頃から人気が有った英国調の ナイフエッジはフェンダー一体型ボディーに対応出来ずに衰退し、飛行機になりたがるばかりの アメリカ車にもそろそろ皆が飽きてきた頃でしょう。この時代にはキャディラックですら、 ピニン・ファリーナデザインの高級シリーズを試みているようです。 ところが私には少々不思議に思えるのですが、60年前後のイタリア製のセダンと言うと、 ランチアのフルヴィア、フラヴィアにしてもアルファロメオの2000やジュリア・ベルリーナにしても デザインには案外無関心で、まるで四角い弁当箱のような車体を載せていたように見えるのです。 フィアットの中級以上はやはりピニン・ファリーナの手が入っていたそうですが 同時代のフィアット1800とプジョーの404を見比べると、どうも前者はアメリカ調を意識したような けばけばしい細部の処理で損をしているように見えます。 この頃、イタリア人には身近過ぎて、ピニンファリーナを始めとする自国デザインの良さに気付かなかった ・・なんて事はないでしょうか。
単純にコストの問題じゃないかと思いますけどねぇ。 デザイン料もけっこうなお値段になるだろうし、60年代ごろまでにデザインされたピニンファリーナの車って、 かなり複雑な鉄板割りになっているし、そのせいかボディの製造もピニンファリーナが受託したりすることが 多いし。(プジョー404はどうだったんだろ?) 70年代頃から、ピニンファリーナもモダン(っつーか簡素な外板構成)なデザインも多くなってきていますね。 でも、一見弁当箱のような車でも、実車を見てみるとこれでなかなか馬鹿にできないラインを持っていたり するものですよ。グラスエリアを広く取っているせいか、下手な現行車なんぞ敵わないルーミーな心地よさも あったりします。ジゥジアーロの旧パンダにはいまだに関心しきりですな。 弁当箱もまた、実用性に重きを置くイタリア人気質の結果が現れているように思います。 イタリアンデザインマンセーな私ですが、MGミジェットの簡素なラインも大好きだったりします。 悪評高い5マイルバンパーも、MG-Bのそれよりずっとカッコ良いと思いますし。
>>363 コストの問題は勿論大きいと思います。が、60年前後のフィアット中級(及びそれ以上)車のように
わざわざ余計な(?)手間を掛けてけばけばしいフィニッシュを施して全体の印象に悪影響を与えている
なんて例も有りますので、362の最後に書いたような事を考えたのです。
第二次大戦後。英・独のフォードやオペル&ヴォクスホールといったアメリカ資本を除くと、欧州車の中では
イタリア車が最も同時期のアメリカ車の影響を強く受けたのではないか?という話は前スレで書きましたが、
この60年前後に至ってもフィアットは(対米輸出に熱心だった事も有ってか)アメリカ的な細部の処理を
多く用いていたようで、ファリーナスタイルとそれらを一緒くたにしたような車を多く出していたようです。
当然これらの車の評判が高かった訳は無く、同時代のリアエンジンの小型車などには今も人気が有っても
1800/2100等の中・大型フィアット車は殆ど忘れられた存在になっているように思います。
四角い弁当箱のような60年前後のイタリア製ベルリーナ。これも一種の流行だったのでしょうか。
どうもこの時代に限ってはあまり“デザインする意思”を表面に出さない車が多かったように思います。
・・まぁ、こうした「弁当箱」デザインの全てが嫌いという訳でもなく、確かに一つ一つ見比べれば、
それぞれに個性が感じられるのですが。
MGミジェットは私も結構好きです。とは言っても同時代似たようなサイズのスピットファイアと
どっちがいいか?となったら、私なら後者を選ぶかも知れませんが。
この最後のミジェット。言うまでも無い事ですが元は360でちょっと触れたオースティンヒーレー・スプライト
だった訳ですけど、車の印象ってフロントを変えるだけでこれ程大きく変わるものか?って時々思います。
ランチアのフルヴィア・ベルリーナ
http://www.delest.nl/media/img/DCP_4608.JPG 同じくフラヴィア・ベルリーナ
http://www.trattoridepoca.com/images/FLAVIA.jpg こうして見るとやはりどことなくイタリア調を感じます。第二次大戦後、フェンダー一体化をはじめとする
ボディー全体のシンプル化を進めたイタリアデザインの、これもある意味一つの到達点だったのかも。
その割には現代の時点で検索かけたりすると、引っ掛かるのはクーペばかり・・。
新車当時にはセダン型の方が遥かに多く売れた筈なのに。
実際、手許の資料を見るとフラヴィアを例にとればセダンが74,000台強売れたのに対し、クーペはその
1/3以下の22,000台強に過ぎないのだそうですが。
(共にフィアット傘下入り後、2000という名前で売られた物を含めた数字)
そして更に付け加えれば、ザガートデザインの“フラヴィア・スポルト”は
たった640台しか作られなかったそうですが、検索掛けるとセダン以上の数の画像が引っ掛かります。
まぁ、希少価値が有るからこそ現代でも人気が高いとも言えるのでしょうが。
そこでふと思ったのですが、一般に人気の高い車であろうと、そうでなかろうと、
こだわりなく(?)収蔵している小松の日本自動車博物館みたいな存在というのも結構貴重なのかも。
普遍的な実用車程、寿命が尽きれば捨てられて形を残さないものですから後からは捜し辛いでしょう。
それにしても確かにこの時代のイタリア製ベルリーナは窓が大きく、各ピラーが細いのが特徴的に見えます。
万が一の転倒時の事もさることながら、モノコックの剛性がこれでどうだったのか?
ってのもちょっと気になるところ。
保守。 時々思うのですが、イタリア車をイタリアっぽく見せ、英国車を英国らしく感じさせるモノって 一体何なのでしょう。 勿論英国車らしからぬ英国車も有ればイタリアの手が入った事を感じさせない車も有り、 そうした中にも目に心地良いデザインの車は有るのですが。 逆にイタリアの手が入っていないのに、イタリアっぽく見える車ってのもあまり無いように思います。 感覚的な話が続きますが、そうした各国毎の個性って此処最近は薄れていたようです。 無個性化が進んだ事も一因でしょうが、どのメーカーもイタリアデザインに頼り過ぎていた事や 空力に対する考え方に進歩が無かった事も大きかったように思います。 例えば、どうせ私が買う訳でもないので無関係なメーカーの話ではありますがアストン・マーティン。 此処最近(DB7以降)は何かかつての自社製品DB4GTザガートをアイドルにしたデザインから 踏み出せないでいるように見えます。 昔から様々な意味でイタリアとの縁が深いメーカーでありますし、その事を現代の生産車のデザインにも 滲ませる事はメーカーの血筋を表わすこととして当然認められるモノではあるでしょう。が、 世界的にイタリアデザインが氾濫し英国的なるモノが希少な現代、大量生産する訳でもないメーカーの 行き方としては、果たして今の路線が得策なのか?って思う事も有ります。 過去にはオリジナルDB4のように、英国調で、しかも中々格好の良いデザインの製品も有ったのですから そっちをアイドルの座に据えた方が、より個性を主張出来るのではないか?と(余計な御世話w)
イタリアンデザインってそんなに大勢を占めているとは思えないんだけど・・・。 各メーカーのほとんどが自社デザインだし、カロッツェリアへの委託もほんの一部だけでしょ。 オープントップとか内装とか。 イタリアンデザインを意識した、というかディテールをパクったというか、そんなものなら多いと思うけど、 なんかちぐはぐだったり、ラインが過剰に見えたりする。 とは言え、最近のフェラーリもイタリアンデザインのバッタもんに見えてしまうんですわ。造型の美しさよりも カッコ良さ重視って感じで・・・・チーフが日本人だからかな? 過去のピニンファリーナにも外国人は少なからずいたんだが、やはりピニンファリーナだとうならせる造型の妙が あったと思うんだけどなあ。力がなくなってきたのかな? イタリアお得意のはずの切削造型の冴えは、むしろバンゲルデザインのBMWに顕著だったりする。 大胆すぎて賛否両論ではあるけどw 英国風デザインは、コンサバティブな基本デザインにディテールを付け加えてまとめる、というイメージですな。 アメリカほど過剰にならぬような抑制しつつも、ドイツのような無難さは避けようとするのが基本。 しかし、少量生産のFRPボディともなると、パネルプレスによるコストの呪縛から解き放たれるせいか、 パンキッシュな暴走もする二面性もあったりw
確かに。言われてみれば、世界中に溢れているのは“イタリアデザイン”ではなく“イタリア調デザイン” なのでしょうね。366に書いたアストンの例も 「イタリア調が氾濫するスーパースポーツの中では、英国調を前面に出す方が個性を主張出来るでしょう」 と言った具合に取って下さい。 >少量生産のFRPボディともなると〜暴走もする二面性もあったり ディムラーSP250が正にそうですね(w この車も初代コルベットや“変態ドア”で話題になったカイザー・ダーリンと同時期デビューの筈。 造形の自由度が高い新素材を与えられて欲張りすぎ、何が何やらってなってしまった例なのかも・・。 さて。英国車を英国車らしく見せ、ドイツ車をドイツ車らしく見せる源のような物。 これが簡単かつ具体的に説明出来るモノであるならば、例えばかつてのUKプリメーラや、最近では トヨタのアベンシス辺りもそれを取り入れようとした事でしょう。 アベンシスって、60年代のアメリカでフォードが英フォード製のコーティナ、GMがオペル車を それぞれ輸入車対策として“欧州製”を強調し、米国内で売ろうとした事を思い浮かばせます。 しかし欧州的と言うよりもフォード的あるいはGM的デザインだったこれらの車が 当時期待ほどには売れなかったように、アベンシスも「トヨタの作った欧州車」として売ろうとしても 結局は「欧州製トヨタ車」と見られて半端なポジションに終わってしまうのではないか?という気がします。 だからと言って過去の英国車にあったモチーフを拝借して光岡みたいな車を作る訳にもいかず、 結構難しい所なんでしょうね。
ジャックシャフトは当時もわりと使われていたであるよ。
↑ 恥ずかしながらその用語は存じませんでしたので調べてみました。シトローエンSMのエンジンの Vバンクに有る中継シャフトのような物を指すのですか。ロータス・フォードツインカムの場合は 元のカムシャフトにそうした役目も負わせているのですか。 初代コーティナのエンジンって、ベースグレードは60年登場のクリフカット・ルーフのアングリアの 997ccエンジンのストロークを僅かに伸ばした1198ccだったそうです。 で、そのストロークを更に伸ばした1498cc版が後に追加され、これをウェバーキャブ等で強化したのを コーティナGTと呼ぶのだとか。 そんなにストロークだけ伸ばして大丈夫なのか?って思いたくなるところですが、元になったアングリア用 1リッターエンジンは80.96X48.41という超オーバースクエアだったので、1.5リッター版でもストロークは 72.55mmと、まだオーバースクエアだったのだそうです。(ロータス・フォードツインカムはボアも拡げて 82.55X72.55の1558cc) この英フォードの60年代小型車のベースになったアングリア用1リッターエンジンはかなり特殊な例ですが 総じて第二次大戦後、乗用車用エンジンはショートストローク化になる傾向が有ったようです。 戦前のエンジンにはロングストロークの物が多かった理由は、素人である私にはよく判りませんが、 恐らくは燃料の質の問題等から圧縮比も高く出来なかった時代、容量に対してコンパクトな燃焼室を 得る為なのでしょうか。 それと何故かその頃、英国ではエンジンのボア径と気筒数から税率を決めていたそうで、こっちの影響も かなり大きかった事でしょう。
1921年から始められたという、このRAC課税馬力という税制。 なんでボア径と気筒数だけで税率を定めるなんて事にしたのか?ちょっと腑に落ちないのです。 恐らくはLhd車の保険料率と同様、自国産業保護みたいな狙いでも有ったのではないか?とは 思うのですが。 こんな変な法律作ればストロークだけ長い妙なエンジンの車が生まれるのは当然の話。 事実英フォードではアメリカでは98.4X108の直4で3.3リッターだったA型のエンジンのボアを77.8oにして 2リッターに縮小したモデルをAF型として売り出したそうです。 メーカー側がこうした対応を取る事は当然予測出来たと思います。何故ならばその税制の施行された 僅か10年程前のフランスでは“クプ・デ・ロト”と言う、ボア径と気筒数だけがレギュレーションで定められた レースが有って、80X280なんていうdでもないボア・ストロークを持つVツインのリオン・プジョー等、 さながら珍妙なエンジンの見本市の様相を呈していたのを知る人が全くいなかったとは考えられないのです。 それにしても280mmストローク・・。ストロークが長ければ当然クランクも大径になりますし、コンロッドも かなり長くしないとスムーズな動きは得られない筈。 で、このリオン・プジョー車、あまりにエンジンの丈が高いので排気管をドライバーの頭上に通している 形式の写真も残されています。このエンジン自体は約2.8リッターですが、排気量の大小に関わらず これ以上のストロークを持つ自動車用エンジンって有ったのでしょうか? これに近い数値を持つのは1910年のフィアットの速度記録挑戦車ですが、28リッター(w で、 4気筒(ww のそのエンジンのボア・ストロークは190X250だったそうで、惜しくもリオン・プジョーには 僅かに及ばないようです。
私の手許の、そのリオン・プジョー車について書かれた本によれば。 この車のピストン・スピードはこの時代を考慮すれば驚異的であるのだそうです。 40HP/2200rpmとだけ聞けばかなりの低回転型に思えるのですが、この回転数でのピストンスピードは 1232m/分となります。 仮に1気筒あたり500ccのエンジンをボア・ストローク比1:1のスクエアに作ると。 この場合ストロークは86mmとなり、7000rpmで回した時のピストンスピードは1204m/分となる ・・そう考えると確かに例のプジョー車のエンジンは凄い。 つか、それを支えた油脂類やら潤滑系を設計した人は大した物。 普通のロードカー程の耐久性が求められない純レースカーだからこそ出来たと言えば確かにそうでしょう。 しかしテレビ中継なんて無かった頃のレース、今の基準で考えるとかなりの長距離で争われる事が 多かったようです。インディー500マイル等はごく普通の中距離レースだった模様。 それに(このプジョー車がそうしたかは不明ですが)サーキットまで自走していく事も珍しくは無かった時代 でしたし、現代のF-1マシンのように数百kmの寿命しか考慮されていないという事は無かったでしょう。 昔のGPカーをはじめとする純レースカーって、ブガッティT35だのアルファの8C2300モンツァだのといった 2座ボディーを持つ物であれば、ロードトリムを与えられて文字通りの動態保存されている例も 少なくないようです。それもそれなりの耐久性を考慮した設計あればこそでしょう。 しかし、このリオン・プジョーや上でちょっと触れたフィアットの速度記録挑戦車のような代物では、 さすがに凄まじい振動には耐えられなくて、誰も公道で乗りたいとは考えないことでしょう。
保守。・・ついでに・・
1910年フィアットの速度記録挑戦車S.76の画像
http://fiat.modeles.free.fr/Web_albums/Fiat_Corsa/FIAT_300HP-S76-RECORDA-1911.jpg ・・エンジンが大きすぎて前方視界が悪いっつうのも・・
フィアットの記録挑戦車と言えば1920年代に有名な“メフィストフェレス”と呼ばれる物が有りますが、
こっちのエンジンは航空機用を流用した6気筒の22リッター。
S.76のエンジンについてはあまり細かな事は判りませんが、何でも作る企業フィアットの事ですから
定置用や船舶用の流用であった可能性も考えられます。
後の時代のブガッティ・ロワイヤル用直8や、イスパノ・スイザのV12等は自動車用であると同時に
レールカーにも使用された事は前にも話しに出ましたが、20年代頃ともなるとこうした巨大なエンジンは
自動車用としてだけ作るにはコストの問題も大きく、他の用途も視野に入れて開発せざるを得なかった
という事なのでしょうか。
ところで。航空機エンジンを積んだ自動車っつう物は戦前には結構有って、有名どころを挙げるだけでも
マイバッハエンジンの“チティ・チティ・バン・バン”にネイピア・レイルトン。日本でも前スレで話に出た
アート商会の“カーティス号”等。大きいエンジン積みたけりゃ、とりあえず他の乗り物用から見繕うのが
早道なのでしょう。
他では一応は自動車用の転用ですが、トラックのエンジンを乗用車用に転用するという手も有ります。
古いところではドライエ135の直6がそうでしたし、最近では(純粋な転用では有りませんが)
クライスラー・ヴァイパーのV10はトラック用エンジンのブロックを流用して開発されたなんて話も
聞いた記憶が有ります。
流用エンジンとしてあまりにも有名なコベントリー・クライマックスは置いといて、 二輪でもトライアンフのGPマシンのヘッドは発電機から流用した、という話が ありますね。しかも航空機用の発電機だったそうで、おそらく信頼性と軽量なこと から選ばれたのではないでしょうか。
↑ そうそう。コベントリー・クライマックスを忘れてはいけませんでした。 しかし最新のSCGなどを見ると、最初から消防ポンプ用として作られた物は レースのレギュレーションに当てはめると当然半端な排気量で都合が悪く、 実際にレースに転用されたのは案外と数は少ないのだそうです。 自動車レースの世界で猛威を奮ったのは、これを元にして設計し直したエンジンだったのだとか。 まぁ、確かに言われてみればそうなんでしょうね。 トライアンフ二輪GP用というのは初耳です。以前に話題に出たクロスレーと似たパターンですね。 エアレースの盛んなアメリカでならば、現代でもロールスロイス(又はパッカード)のマーリンとかが 入手できるのでしょうか。27リッターのV12。 近年のエアレースで使用されている物は、高々度用に設計された過給機を低高度用にセッティングして かなりの出力向上を見ているそうです。 これを使えば直線で最新のブガッティ・ヴェイロンを置き去りにする車作りも夢じゃない(?) ・・曲がる事や止まる事は置いとくとしても問題はタイヤだろうな・・。 逆に車用のエンジンを航空機に流用した例としては空冷時代のポルシェのフラット6を使用した 小型飛行機の記憶が有るのですが、あまり発展は無かった様子です。 ひたすらに突っ走る記録挑戦車以外には飛行機からエンジンを流用した例というのもあまり聞きません。 やはり自動車用にはある程度素早い回転落ちも必要いう事が他用途のエンジンとの大きな違いであり、 互いに流用する事を難しくしているのでしょうか。
>>376 飛行機のエンジンというと星型とかありますがあれはどうにか車のエンジンルームに入らないんでしょうかねぇ…
ミッションの位置を変えないとなると斜めにエンジンを入れてしまう事になりそうですけど…w
#ロールスロイスのマリーンエンジンってV12だったんですね。…どんな車なら入るんだろうそんな大排気量なエンジン…調べたけどエンジン単体の大きさとかわかりませんでした…。
#大排気量でパワーが有る飛行機のエンジンを積んだ車とか欲しい…税金幾らになるか考えたくも無いが…w
>>377 > #ロールスロイスのマリーンエンジンってV12だったんですね。…どんな車なら入るんだろうそんな大排気量なエンジン…調べたけどエンジン単体の大きさとかわかりませんでした…。
博物館で見たアリソンは、長さ1.5mくらいの感じでしたが。
> #大排気量でパワーが有る飛行機のエンジンを積んだ車とか欲しい…税金幾らになるか考えたくも無いが…w
大型トラックのヂーゼルは、500PSで信頼性、耐久性もありますです。(w
>>378 >博物館で見たアリソンは、長さ1.5mくらいの感じでしたが。
元々大きなエンジンが入る車ならスポ車ならどうにか入りそうですねぇ…タービンや配管を含め補器関係がどれだけ大きいか…ですけど
>大型トラックのヂーゼルは、500PSで信頼性、耐久性もありますです。(w
結局願いをかなえるなら近道はバイパーですかねw
>>379 海軍=マリーンだと思ってました…マーリンなんですね。そういう命名法なんですか。まあ、一応グリフィンも”鳥”ですけどねw
リンク先を見ましたが、確かに星型の意味がないというか…せっかく星型なんだし戦闘機みたいなぎちぎちのシリンダーヘット?がエンジンルームに篭ってるのを見たいとも思いました。
個人的には旧規格のトゥディみたいな安そうな車のボンネットにかまぼこ状の膨らみがあったら笑えない車になったんだろうなぁw、とか思ったりしますね。(ゼロ戦のエンジンですら900馬力だもんなぁ…)
マーリンの後継のエンジングリフォンエンジンも探してみましたが、代わりにイギリス空軍のスピットファイヤの計器盤が輸入可能とか出てきました。
エンジンも良いけどスピットのタコメータとか追加メーター代わりに付けたら雰囲気いいですねぇ…。
金があるなら350Z辺りにしてみたいチューニングだ…(まず、エンジンが入るかわからないけどw)
教えていただきありがとうございました。
>>380 >スピットのタコメーター
・・多分レブリミット低いですよ。下手するとディーゼル以下かも(w
航空機がお好きでしたら、50年代のテールフィンが付いたアメリカ車とか変態ドアの話の時に
ちょっと出たスライドキャノピーのメッサーシュミットとかはどうでしょう?
それともいっそ名前(だけ?)で選んでトライアンフのスピットファイアとか。
後は三菱車にスバルのエンジンを積んで・・(ry
航空機に憧れた人が作った物なのかどうかは知りませんけれど、1920年代のフランスには
“トラクシォン・アエリエンヌ”とか“フレンチ・マーセル・レイアット”等という、車体先端に付けた
プロペラで推進力を得る車が有ったそうです。
これの画像、何処かに復元車の物が有ったように思うのですが見つからない・・。さすがに危険なので
プロペラは金網でカバーされていたようです。が、車庫入れ等の微低速の使い勝手は最悪だったでしょう。
逆にメリットは・・えぇと・・・・、ま、まぁ雪道とかには強かった事でしょう・・。
もっとも操舵は車輪でするようでしたので、曲がれるかどうかは又別の話ですが(w
最近ではホンダのNS-XがF-15戦闘機のイメージをデザイン上のアイドルにしていたなんて話も
聞いた記憶が有りますが、今では第二次大戦頃のレシプロ機のイメージ等は既に古臭いのでしょうか?
宇宙ロケットをアイドルにする手もナンだしなぁ・・。
ロケット好きとは違うかも知れませんが、極度の方向音痴の兄はカーナビのカスタマーサービスの案内を
「これ程良いモノはない」なんて言い、かなり頻繁に利用しているようです。
皆はそんな彼を“アポロ13"と呼んでいます(w
>>380 マリーン(Marine)は海兵隊、海軍はNavyだよ。
星形エンジンをそのまま積んだ車があるとは知りませんでした。 また二輪、しかもワンオフで恐縮ですが、爆撃機の星形空冷エンジンから二気筒を 切り取った超狭角V2を積んだバイクが昔雑誌で紹介されていました。 確か排気量が5Lくらいあって、シリンダーがライダーの胸の前あたりまでそそり 立っていました。見たのはもう20年くらい前ですが、あんまり呆れたので覚えています。 ところで星形エンジンのメカニズムってどうなってるんでしょう? 各気筒にクランクが出力軸のまわりに遊星ギアみたいに配置してあって、出力軸を 駆動してるんでしょうか。 OHVの場合、各気筒と出力軸の回転比を工夫すればカムの共通化(出力軸と同軸に 共通カムを配置する)も可能かな、と思ってみたり。
384 :
オサーン :2006/03/13(月) 19:23:44 ID:7m5Q7Cea0
385 :
383 :2006/03/13(月) 19:33:03 ID:15Q72u1E0
星形エンジンの件、自己解決しました。なるほど、厚みがないのはそういうことか。
>>381 >・・多分レブリミット低いですよ。下手するとディーゼル以下かも(w
飛行機のエンジンってあんまり回転数は変わらないんですか…はるか昔にゲームで見たことしかないから覚えてませんでした…。
せっかく車に積むんだから、上まで伸びるように錯覚させるメーター(or本当に上まで伸びるエンジン)が良いですね。
>航空機がお好きでしたら…
飛行機というよりパワーがある物を載せたいって言う願望の結果飛行機エンジンの大排気量に惚れたという感じでしょうか。
計器類の流用は戦闘機の雰囲気が欲しいだけですw
しかしラッセルみたいな車(andその他もろもろ)はカンベンですねw
>>382 そういわれればその通りですな…orz
>>387 まぁ、大きなエンジンではどうしてもストロークもそれなりですので、ピストンスピードの都合から
レブリミットはどうしても低く抑えざるを得ないでしょう。
ちなみにマーリンのボア・ストロークは137X152mmだそうですので、
>>373 に書き込んだ値との比較で
大体のレブリミットは想像出来ますが、実際に現代のエアレースで使用されている物でも
せいぜい4000rpm弱といったところだそうです。
こうした大きなエンジンでは、バルブサージングの恐れ等からレブリミットが決まるって事は
まぁ無いのでしょうか。そうした事も、航空機用には星型エンジンが使用された理由の一つでしょう。
どう考えてもOHCは採用し辛いでしょうけれど、その必要も少ないと思われますので。
逆にスリーブバルブとの相性は良いのでしょう。現代のエアレースでも多く使用されている
ブリストル・セントール等のように、自動車の世界では廃れた後もこの吸・排気システムを採用する
エンジンが有ったのはそうした理由からではないでしょうか。
脱線ついでですが、最近エアレースの世界では空冷星型エンジンが見直される風潮に有るのだとか
V12で27リッターの「マーリン」のチューニングにも限界が来て(それでもオリジナルの3倍近い出力を
得ているそうですが)それに対して複列18気筒で40リッター等といった大排気量エンジンも少なくない
空冷星型エンジンにはまだ改良の余地が残されている事から再注目されているそうです。
しかし自動車用に星型エンジンを載せようとする会社はこの先現れるでしょうか??
どんな振動が有り、回転フィールが有るのか一度味わってみたいものではありますが・・(w
389 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/03/15(水) 01:04:20 ID:7w+GeyoF0
390 :
383 :2006/03/15(水) 09:41:43 ID:nODEJ3Am0
>>386 ありがとうございます。ご紹介のサイトにはカムシャフトの解説もあって、やはり出力軸と同軸の
共通カムが使われてるようですね。
しかし星形エンジンのカムシャフト、剛性とかビッグエンドの潤滑やらはたして大丈夫なのか?と
心配になってしまう構造です。
星型の排気音って今までのエンジンに比べずいぶん変わるんでしょうね。 そういえば星型って車みたいにまともな消音機や排気管の付いた奴ありましたっけ? 「バラバラバラ」って言う音は星型特有なのか、それとも空冷だからとか?そういう所にも興味ありますけどね。 最大の弱点は街中のなんちゃって走り屋みたいな「太いだけ偉い(と勘違いしている)」マフラーと同じくらいじゃないと排気詰まりしそうな事と、エンジン+排気音が大きいだろうという事…。超7の上を目指すしかないですねw
>>387 > 計器類の流用は戦闘機の雰囲気が欲しいだけですw
クルマにも照準機を搭載して、スピードや回転数、ナビの情報を
表示したら面白いと思うんですけどね。
計器を確認するために視線を落とさなくてもいいのは、
安全性の向上にも貢献しそうなきがするんですけど。
そう言えば末期のロータスF-1チームで「ヘッドアップディスプレイ」とか称してヘルメットのバイザーに
直接いろんな情報を写すって試みをしていたような記憶が有ります。が、ジョニー・ハーバートだかが
「煩わしいからやめてくれ!」って言ったとか(そりゃそうだ・・w)
自動車の計器板に飛行機のそれのイメージを引用するというのは、昔から結構多く有るようです。
アメリカのコード810や、フランスのヴォアザン(航空家としても有名)車等はその顕著な例でしょう。
日本でも昔トヨタがコロナに「OKモニター」とかいう名前で、各種警告装置を運転席頭上に配置した事が
有りましたが、あれなんかも飛行機から借用したイメージだったのではないでしょうか?(自信無しw)
逆に自動車に古風な馬車のイメージを持ち込むのが好きだったブガッティ等は、特に高級なモデル程
メーターの数を減らそうとしていた節が見えるのも面白い所ではあります。
>>391 星型でまともな排気管の付いたの・・。そう言われてみれば、そう言うのって見た記憶が無いですねぇ。
しかし、第二次大戦時の米軍機には星型エンジンに排気タービンを装備したのが有る訳ですから、
それらには排気管がちゃんと付いている筈(ですよね・・?)どんな風な物であったのやら、
そういうのって、実物の写真を見るよりも模型で作って見るのが一番判り易いので、今度暇見つけて
1/48くらいの戦闘機模型でも作ってみたい所。
>>389 のリンク先見て思いましたが、英国の三輪車優遇税制って今でも有るのでしょうか?
世界中、各国それぞれにそうした面白い法律やら税制が有る内はああいう珍車が存在し続ける事でしょう。
・・それにしてもプロペラ推進程、見た目にインパクトの有る車はさすがにもう現れないでしょうねぇ・・。
394 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/03/16(木) 10:46:30 ID:dWEdIN9q0
上に書いたコードやヴォアザンの計器版に航空機のムードを感じるのは、主に数多くのメーターを
びっしりと配置している事からでしょう。
ヴォアザンが作ったレースカーで、“ラボラトワール”という名前で知られた物が有りますが、
これのフロントエンド上部にも小さなプロペラが付いている写真が有ります
http://www.brooklands.org.uk/Goodwood/3.JPG (この車自体は復元車と思われます)
元航空機メーカーのヴォアザンらしく洒落で付けたマスコットのようにしか見えませんが、
走行風でこれを回してウォーターポンプを駆動しているという説明を読んだ記憶が有ります。
・・本当か?
航空機、馬車と並んで自動車がアイドルにした乗り物と言えば船でしょう。
“ボートテール”なんて言葉すら有る程ですし、格好だけでなく量産車としては世界初のモノコック構造を
採用したランチア・ラムダの設計も、その多くをボートに学んでいるといった縁も有るようです。
実際にラムダの初期プロトタイプはボートの底を思わせるようなラウンドした床を持っていたそうです。
船への憧憬(?)を突き詰める・・つか、行き過ぎると水陸両用車になってしまうのでしょうが、
その点長く広い翼を必要とする航空機の場合、いくら憧れようと空陸両用車を作ろうとする程の
酔狂な人はいなかったのでしょうか?ワンオフ程度以上の物はさすがに見たことは無いです。
(覚えていないだけかも・・)
ところで。Yahoo!フォトとYahoo!ブリーフケースが分離したとかで、過去に私がアップした画像のアドレスが
変わってしまい、此処に貼ったリンクから見られなくなっています。
説明と一緒でないと何が何やらの画像も多いですが、もしも興味が有ったらこちらから御覧下さい。
http://photos.yahoo.co.jp/la_croisiere_noire
Corvette57 カッコイイね。 顔はマンタみたいだけど
大型トラックをカスタムなさっている方々には、 船が好きそうですよ。 ○丸とか、○○船団とかよくペイントしてありますね。
>>397 あれって船そのものが好きなのでしょうかね?何だか演歌のノリで船乗りさん(つか漁師さん?)に
憧れているのかと思っていましたが。
ああいった大型貨物車の光り物もイカ釣り船への憧れから付けているのかと・・(多分違うな w)
>>396 一瞬何の事だか考えてしまいました。フォトケースの画像の話ですね。
あれ、模型板用にアップした画像でノートPCの画面をバックに撮ったお手軽な撮影だったのですが、
その割には上手く撮れたと思っているのです(これぞ自画自賛)
初代コルベットのお面を「マンタみたい」と言うのは初めて聞きましたが、確かにそう言われると・・。
二代目以降のコルベットが“スティングレイ”と名乗る事の萌芽は既にこの頃に有ったという事ですかね?
50年代のアメリカ車としては例外的にテールフィンとは無縁で通した初代コルベットですが、
内装には結構、航空機への憧憬のような物が見て取れます。
画像を用意出来ないのが残念ですが、助手席をちょっと独立させた感じにして、その上で
ダッシュボードを左右対称な形状に仕立てメーターパネルが両側に有るかのように見せた辺り、
“助手席”と言うよりも軽飛行機の副操縦席のような雰囲気を上手く表現していると思います。
399 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/03/18(土) 15:55:00 ID:FHpS8MCo0
って言うかトラックの実態が陸を行く船に近いらしい 自分の会社から出発したら数日間は車内で寝泊りして 地元にはもどってこれない だから荷物つんで出発するときは「航海に出る」とかもいうとか なのでトラック用の給油所のトラックステーションにはお風呂 とかもついてたりするみたい あとアイドリングしないでも電気の供給を受けれて 冷暖房が使えるようなシステムとかもできてるらしい トラック自体がここまで増えてるのは電車より小回りが効くからだとか
>>399 長距離トラックは発動機と言う名目でもう一つエンジン積んでたりするからね。
(つい最近までパブリカのエンジンが乗っていた物も有った様で…)
二三日でも耐えられるように作ってあるという事はそれが求められている事だろね。
トラックがそこまで進化したために列車は反応の遅さがネックになって困ってるんだけど、それをどう巻き返すやら。
(貨物専用駅を作る際の帰りの荷物を探してるとかニュースに出てたな。ゲームなら行きだけでも採算が取れるんだろうけど現実は厳しいんだね…)
電車は環境関係でまた見直されるかも
鉄道会社(国鉄含む)が花形だった時代に、インフラを背景に踏ん反り返った営業姿勢だったしな。 過密な路線だと昼間は輸送できないし、住宅地が近いと夜間でも苦情が出る。 で、空いた路線だと需要が少ない。 なかなか難しいと思う。
404 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/03/19(日) 00:09:59 ID:aaMnm1HeO
むしろ国家はモーダルシフトという陸運→海運へという動きを進めているからなぁ…。 一度に大量輸送できる船舶は燃料の消費量やCO2の排出などが結果的にトラックなどの自動車よりも経済面そして環境面からも優しいということでのことらしい。 しかし現在海運の若年世代の枯渇が問題視されていて2007年問題というものがあり2007年から戦後〜団塊世代の船乗りが大量に定年を迎える。 島国である日本では海運を支える『船乗り』自体が国益とされているため少なくなることは大きなダメージに繋がるんだ。 だからこそ陸運のドライバー達はまだまだ必要というわけ。
確かに車は長距離の乗り心地や 事故のときを考えれば大きいほうがいいけど 性能がちゃんとしてるなら小型のほうが有利だと思う あと確かに海運より陸運のほうがコストがかかるけど 自動車や電車でしかいけないとこも多いと思う 中国は国は大きいけど海に面してる部分は一部なので 国の中のほとんどは発展途上なんだよね 普通は中国が市場として普通自動車がうれるってみてるけど それより発展の過程で絶対トラックとかの商用車が必要になるはずだから そういうとこの株のほうが先に上がるかも 中国で自動車かえる層はそこまで多くないと思う 何の根拠もなしにパレートの法則(2:8)で中国の富裕層が 上位2割でこれらの人に車の購買力があるとしたら 2億人なのでこれらの人が買うかもしれないが この人たちのある程度はもうすでに車は持ってるはず 労働力として低賃金も限界に来てるし 企業に不利な条件も出し始めてる 北京オリンピックが中国フィーバーの終着点みたいに言う人もいるけど このまま伸び続けるかそれとも共産主義の軋轢により 伸びは止まるのかいったいどうなんだろう
現代の中国の平均的な都市型労働者の所得水準は高度成長以前の日本くらいなんでしょうか? 植木等が♪嫌な課長に頭を下げて 貰う月給は一万ナンボ ・・って歌った頃。 しかし自動車(には限りませんけど)の値段はあの頃の日本よりもかなり上がっていますし、 今から高度成長の時の勢いで収入が伸びるって保証も無いですし。この先あの国の自動車需要は どうなって行くのでしょう。更には日本製品排斥の流れは?そっちも結構問題になったりして。 ところで、ちょっと思ったのですが飛行機用のエンジンを積んだ自動車の性能はどの程度になるのか? と言う話。 1972〜73年にアメリカのCAN-AMシリーズを席捲したポルシェ917。これの73年仕様は5.4リッター フラット12にターボを装備して1,100psと、第二次大戦時の零戦に搭載されていた中島“栄”型 星型空冷複列14気筒にほぼ匹敵する出力を得ていたそうです。 この車、75年にはインタークーラー付で例の“マーリン”にほぼ近い1400psまでチューンした仕様で 速度記録挑戦を行っています。 最高速度413.6km/h 0-100km/h=2.2秒 0-200km/h=5.3秒 0-300km/h=11.2秒・・・・。 まぁ、レースカーですから徹底的な軽量化を施され車重は750kg程度でしかなかったそうですので その点は頭に入れておく必要は有るでしょう。 ・・それにしても、あのマクラーレンF1でもC/G誌のテストでは0-100km/h=3.5秒 (この次元での1秒は大きいでしょうねぇ・・)インプレッサ辺りでは5秒切れるかどうか?くらい・・。 ・・うむ・・。
>>406 >植木等が♪嫌な課長に頭を下げて 貰う月給は一万ナンボ
相対的にみれば、車ってものすごく安くなった。
「月給は一万ナンボ」この人の年収は1.5万円/月としてボーナスは
当時は景気がいいから5ヶ月くらい。1.5×(12+5)=25.5万円。
カローラが42万。
現代風に置き換えると年収350万円の人が583万円の車を買うようなもんだろ。
>>407 俺は月給10万円の時に20万円のビデオデッキを買った。
月給35万円の今、ビデオデッキは2万円でもおつりがくる。
>>407 まぁ、日本ではそんな物かも。
しかし今600万弱で当時のカローラ並みの装備の車が売られていたら誰も買わないかも・・。
ふと思ったのですが、406に書いたターボ917の性能で最高速が413.6km/hって言うのは
最近話題になったブガッティと比べて大差無いようです。
馬力だけで見るならば4割程強力であるのに。
これが結局の所は最高速狙いで空気抵抗を少なくしたロードカーと30年以上前の空力理論から
ラップタイム第一にセットされたレースカーとの違いという事でしょう。が、それにしても1500psの
マーリンを積んだマスタング(航空機)が700km/hをマークしたという事との差は大きい。
エンジン出力が同じであるならば、自動車よりも飛行機の方がより速度が得られるのでしょうか。
空気密度に関わる高度の差も大きいですし、あんまりマジメに考える事でも無いかも知れませんが
この位の速度になるとタイヤで駆動力を路面に伝えるよりもプロペラで推進力を得る方が
効率に優れるのかも?そう考えればプロペラ推進自動車の意味も少しは・・
・・やっぱり無いか?
いっそ、燃料は粗悪でも構わないジェットエンジン積んで・・。ハイブリッドにして微低速時は電気で・・。
排気管付ける訳にはいかないってのが問題か・・。
>>409 > この位の速度になるとタイヤで駆動力を路面に伝えるよりもプロペラで推進力を得る方が
> 効率に優れるのかも?そう考えればプロペラ推進自動車の意味も少しは・・
> ・・やっぱり無いか?
速度の二乗で増加する空気抵抗に打ち勝つ摩擦力を、タイヤから得る必要があるわけで。
鉄道でも400km/h超は、リニアの世界ですね。
>>410 成る程、そう言われてみると・・。
あのプロペラ推進車の速度ってどの程度だったのでしょう?普通の車輪駆動型よりも効率には
優れていたのでしょうか?
>>408 さんがそうであったのかは知りませんけど、ビデオデッキもPC(ネット環境を含む)も
エロって目的が普及に果たした功績は大きいでしょうねぇ・・。
本当に便利で必要性の高い物。例えば洗濯機だの冷蔵庫等は、或る意味では黙っていても
普及するでしょうが、買った後であれこれと論じてみたくなったりしげしげと眺めてみたりはしないようです。
ビデオデッキとかPC等は、その機械そのものについてはあまり語る人もいないでしょうが、
そこで再生するソフトウェアについてなら、幾らでも夢中になれるようです。
車はどうなのでしょう?よく“かつてはアメリカ人にとっての車とは便利な道具以上の物では無かった”
等と言われるようですが、日本や欧州では“有れば便利ではあっても必要ではない”って環境にいる人、
結構多いのではないでしょうか?
それでも此処まで自動車が広く普及したのは、自動車そのものが一種の官能的存在であったり
運転行為を通じて官能的な体験を供給してくれる事が大きかったからと思います。
その為、理性で判断すれば便利な形体である筈のミニバンだとか、楽である事に違いは無い筈のAT等には
官能を感じ取れない事から、「便利で何が悪い」と考えてそれを選ぶ人から見れば不当とも感じる批判を
繰り返す方も此処車板には多いようです。でも噛み合う筈が無いのですよね。そんな話。
そういうのって「車に掛けるお金が有るなら、その前に冷蔵庫買い換えたい」とかって言われると
中々反対し辛いのにちょっと似ていませんか?(w
>>412 >日本や欧州では“有れば便利ではあっても必要ではない”って環境にいる人、
>結構多いのではないでしょうか?
欧州の交通機関は割高で時間も路線も当てにならないことが多いので、自家用車の必要性は
日本以上ではないかと。
ましてや、徒歩3分以内にコンビニが5・6軒というわけにもいきませんし。
また、バカンスという習慣は国民の義務wであり、イコール自家用車での大移動なので、
自家用車がないとにっちもさっちもいかないことが多いようですぜ。
>「便利で何が悪い」と考えてそれを選ぶ人から見れば不当とも感じる批判を
>繰り返す方も此処車板には多いようです。
そりゃまあ「趣味」カテゴリの板ですから。趣味性が薄い車に冷たいのも道理でしょう。
・・・とは言え、趣味性とは無縁の位置づけにある商用車の評価が高かったりします。
趣味というものは深いですなw
VHSがβに勝ったのは、ナ○ョナルの販売店がオマケに裏ビデオをつけたからだ、 なんて噂もありましたな。
>>412 > あのプロペラ推進車の速度ってどの程度だったのでしょう?普通の車輪駆動型よりも効率には
> 優れていたのでしょうか?
レコードブレーカー版は、相当に凄いですよ。
http://www.helica.info/emodele.htm 「Speed record Helica on Montlhe'ry racetrack 1927, 8HP engine, speed 170km/h, and 6 liters for 100km」.
417 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう :2006/03/23(木) 00:38:49 ID:gkyrwsHAO
>ちょっとオタクな雑談スレです。 『かなり』の間違いじゃないか?w 話題が豊かだから読んでいてタメになるし面白いけどな( ̄3 ̄)
・・さぁ?タメにはならんと思いますけどね(w 戦前の車の話になると、よくレコードブレーカーが出て来ます。それだけ当時は様々な記録挑戦の試みが 多く行われたと言う事の証なのでしょう。 速度記録挑戦と言うと一定の区間を往復して最高速を競うモノが良く知られていますが、 このスレで過去に話に出た中では、オペルがロケットエンジンを用いて行ったモノ等はそっちのクチで フィアットが28リッターの巨大な4気筒エンジン車を用いた時の物とか、プロペラ推進車が行ったのは 長時間を走行して平均速度を競う物であったようで、日本では戦後に日産がR380、トヨタが2000GTを それぞれ用いて谷田部の高速周回路で行ったのもこっちの方。 中々事故と無縁では済まないレースとは異なり、人命を落す等のマイナスなイメージを負うリスクは 少なくて済み、具体的な数値を宣伝材料として得られるこの手の挑戦は当時のメーカーにとっては 結構魅力的な物だったのでしょう。英仏あたりのメーカーの多くがかなり熱心に行っていた様子ですが その取り組み方は様々で、市販車の宣伝に利用するのが目的の所ならば市販車に近い代物を 用いていますし、純粋に記録に挑戦したいメーカーは市販車とは全く無縁な専用の代物を製作して これに臨んでいたようです。 したがって、記録の変遷を見て行くにも、どんな車で挑戦したのかを頭に入れないと変な事になります。 例えばヴォアザンはほぼ市販車とは無縁なスペシャルを製作して臨んでいるようですが、 それに対してルノーやシトローエンは市販型に近い車で記録挑戦を行ったようです。 特にシトローエンの場合はエンジン出力すら市販型のままボディーのみ軽量化しただけの車で、 耐久性に的を絞って挑戦を行っていました。
1933年。シトローエンのレコードブレーカー“プティ・ロザリー”
http://www.allsportauto.com/photoautre/citroen/petite_rosalie/1933_citroen_petite_rosalie_04_sb.jpg まるでミッレ・ミリアかルマンにでも出るかのような純粋なスポーツカーのように見えますが、
その手の車であるならば当然センターロックを採用している筈のスポークホイールが、
只のボルトオンワイアである事から素性が判ります。
実際、中身はごくありふれた小型車そのもので、そのエンジンはSVの4気筒、1452ccの32HPでしか
なかったそうです。
・・と言って莫迦にしたものではなく、この車はモンレリーの高速周回路をドライバー交代や給油、
タイヤ等の消耗部品の交換に要した時間を含めて133日間で30万kmを走り、その間に
(停止時間も計算に入れての)平均速度93.4km/hの記録を残しています。
これがどの程度に価値が有る記録か?と言うと、その前の最高記録はシトローエン自身が作った
13万kmで、その前となるとヴォアザンの5万kmでしかなかったと聞けば大体の想像が出来るでしょう。
当時のシトローエン社社長、創設者でもあったアンドレ・シトローエンは宣伝上手で知られていた人
ですから当然この記録を大々的に広告に使用しました。が、同時にdでもない商売下手でもあって
せっかくの大記録を作ったその僅か一年後には、モノコック一体構造、前輪駆動の驚愕の新型
“トラクション・アヴァン”に社運を賭けてしまうのでした(w
この“プティ・ロザリー”の記録挑戦当時に作られたこの車のミニチュアを、私は二度見た事が有ります。
現代の日本で何処でも売られている“トミカ”程度の小スケールの物でしたが、
恐ろしく高価で売られていたのでとても手が出ませんでした。
なんでも原材料は小麦粉(w)だったので、現在は殆ど残っていないのだそうです。
>前輪駆動の驚愕の新型 >“トラクション・アヴァン”に社運を賭けてしまうのでした その後このクルマへの絶賛の中、しかしながら極端な膨張主義的経営が破綻し ツトローエソはタイヤ屋ミケリンに買収され創業者アンドレは社を追はれ失意のうちに死すのですが、 その遺したトラクシオン・アヴァンはレコードに吹き込まれ大量に流布し (これも創業者の発案の広告)、エッフェル塔にはCITROENのネオンが輝き それを大西洋を越へて飛来したシコーキ乗りが見て「翼よ、あれがパリの灯だ」と言ったのでR。
・・・と書ひてから時系列的に前後がごちゃ混ぜになってゐることに気が付ひた、 失礼、クルマ本のリンドバーグwの大西洋横断は27年、ほぼツトローエソ氏の死去の10年前でR。
有名な話ですがアンドレ・シトローエンはアメリカで大成功したヘンリー・フォードを尊敬し、
自ら「フランスに於けるヘンリー・フォードになりたい」とまで言っていたそうです。
高級車の世界には殆ど見向きもせず、またレースにも興味を示さなかったのもその現れだったのかも。
シトローエン車の耐久記録挑戦も最初はオイルメーカーが独自に始めた物であり、アンドレさんは
こうした試みに対してはむしろ苦々しく思っていたそうです。
もっともこの耐久記録が思わぬ反響を呼び、シトローエン車にとっても耐久性の証明に成り得ると気付くと
一転して記録挑戦支持に回り、会社自らが記録挑戦車を仕立ての再挑戦を指示したそうですが。
多分初めのうちは、競技性の有る事が与えるイメージといった物は、一般大衆の為の便利な移動道具
シトローエン車にとっては決して有益ではないと考えたのでしょう。
しかしアンドレさんが師匠と仰いだヘンリー・フォードさんは、意外な事にスピード好きで、
競技や速度記録がもたらす宣伝効果にも早くから気付いていたようで、独立して自らの会社を起す前年
1902年には独自のレーシングカー999号を作り上げて147km/hの記録を出し、創業当時のカタログに
「有名な999号を作ったメーカーである」と記述していたそうです。
アンドレさんもこの事は知っていたと思うのですが、忘れていたのでしょうか?
そのフォード999号(その名前は当時最速だった特急機関車に由来するそうです)
http://www.hfha.org/fileslegacy/999.jpg 1902年という時代を感じさせる、垂直のステアリングコラム(したがって当然水平のステアリングホイール)
高い着座位置とも相まって、この形式を見ると私はフォークリフトを連想してしまいます。
(ホイールベース長はかなり違いますけど)
・・150km/h近い速度で疾走するフォークリフトに乗るってのはかなり恐ろしい経験でしょうね(w
シトローエンの前のレコードホルダーだったヴォアザンですが、この車の場合は同時に いろんな単位での平均速度等にも挑戦していたようなので、連続走行距離のみを見て シトローエンそれと比較するのは公平とは言えないかも知れません。 (4000マイルの平均速度148km/h弱とか、3日の平均速度142.5km/hとか・・) ヴォアザンと言えば、シリンダーとピストンの間に穴の開けられたスリーブを上下させ、シリンダー側と スリーブ側の穴の一致により給排気を行うスリーブバルブを採用していた事でも知られています。 このシステム、通常のポペットバルブとは異なり打弁音が全く無い事から昔は他にもパナールや ディムラーと言った高級車によく使用されていました。反面、欠点としては潤滑油の多大な消費、 2サイクルのように排気に煙が混じる事等が上げられています。 また、摺動面の大きさから摩擦による機械的なロスも大きかったようですが、基本的にはクロスフローで 燃焼室デザインも自由であるというメリットも有り、現代の目でみれば低速回転であった頃のエンジンでは そうした事は左程のデメリットとはならなかったようです。 ところが、ヴォアザン他の使用していたナイト式ダブルスリーブバルブでは内外二枚のスリーブが ピストンとシリンダー壁の間を上下する訳ですから、いくら潤滑を万全にしていても、このスリーブの 磨耗も結構問題になるのではなかろうか?って思われるのですが(余計な御世話 w) ヴォアザンの耐久記録挑戦に於いても、2万km毎にスリーブの分解と再組み立てを行っていたそうです。 ・・と、言う事は・・。この一連の作業は速度記録挑戦に於ける規則の中で認められていた、 車載工具のみで行う軽作業・点検の範囲内であったという事なのでしょう。 ・・シリンダーブロックを持ち上げ、外す必要が有る筈なのに・・??
保守・・ まぁ上に書いた分(2万km毎のスリーブ分解)は、恐らくはメーカー指定の整備という事で 日常的な点検・整備とは別格の事として許されていたのでしょうか。 今の感覚から見ると奇妙な気もしますが、このヴォアザン車が記録挑戦を行った当時には 安物大衆車よりも高価格・高級車の方がより念入りな整備を求める傾向にあったようです。 グリスアップを指定された箇所も高級車の方が多いようですし、清掃すべき箇所等にも 同じ事が言えるようです。 高級車の方が部品点数そのものも多い、凝った設計を採用していた事もその原因でしょうし 大衆車の場合にはグリス受けの備えその他、手間を掛けてやれる設備そのものが省略されていて 磨耗した部品は交換するしかないと割り切った結果なのでしょうか。 さすがに30年代・ポストヴィンテッジ期ともなると集中自動給油装置なんて物も珍しくは無くなり こうした傾向は少なくなったようですが、それでも大衆車では殆ど整備士任せにするしかないような事も 高級車では備え付けられた分厚いハンドブックに細々と記されているというような事は多かった様子。 要は常雇いの整備士兼運転手の一人くらいも置けないような人の買うような代物では無かった って事なのでしょうか。 スリーブバルブ車もそうですが、イタリア辺りに多かったシリンダーブロックとヘッドの一体鋳造構造 (テスタ・フィッサ。ガスケットを吹き抜く恐れの無い事から特に高性能を狙ったエンジンによく見られます) 等、当時の燃料の質では無視出来ない堆積したカーボンの清掃一つするにもシリンダーブロックから 取り外さないと行えない構造のエンジン等は、整備にお金を掛けられない人ではとても維持出来なかった 代物であったのでしょう。
スリーブバルブエンジンの実物って、自動車用ならば幾つか見た事も有りますが シリンダーヘッドに何にも無いのでサイドバルブと同様の非常にシンプルな外見でした。 そんな事から以前他スレで 「エンジンを見せたがる(外見に凝る)イタリア車にスリーブバルブ車が無いのは見た目に 面白くないからではないか?」なんて珍説を唱えてみた事も有ります。 それはともかく、ちょっと前に星型空冷エンジンの話が出た時にも触れましたが、 星型とスリーブバルブとは相性に優れるのではないか?って思うのです。 星型エンジンのカム機構の図を見ると、これを用いてスリーブの上下を行うようにする事は 容易に思われますし、何よりもシリンダーヘッド上に何の機構も無いという事からその部分が小さくなり そうならばエンジン全体の直径が節約出来る筈ですから、 星型空冷エンジンの宿命である大きな前面投影面積も減らせると思います。 ところが、ちょっと今その資料を見つけられないのが残念なのですが、最後期の空冷スリーブバルブ 星型エンジンブリストルのセントーラス。これ、同じレベルの出力のアメリカ製OHVエンジン等と比較しても 決してコンパクトではないのですよね。 勿論、エンジンの外形は容積とかヘッドの形状だけで決まる訳では無く、この場合は恐らく コンロッドレシオ等に余裕を持った設計がなされているのでしょう。 折角何にもないシリンダーヘッドを持ったエンジンなのに勿体無い気がしますが、 この辺りが所詮は素人の考えとプロの設計の違いって事なのでしょうか?
スリーブバルブの星型エンジン、冷却の面で不利なのではないでしょうか。 上と矛盾するようですが、航空機の場合低温(=高々度)環境での潤滑もネックになりそうです。
↑ それは如何にもありそうですね。特に後者、潤滑油に現代のような幅広い温度環境に対応した物が 望めなかった頃の事でも有りますし。 ちょっと車の話から脱線し過ぎましたが、425で触れたブリストルの航空エンジン・セントーラスは 一つのスリーブが回転しながら上下するシングルスリーブバルブって奴だった筈でした。 したがってヴォアザンやパナール、ディムラー等の著名な製造元から生まれた 多くのナイト式ダブルスリーブバルブとは厳密に言うならば別形式と言えるのでしょう。 このシングルスリーブバルブ形式を自動車で採用していた例は極めて少なく、 第一次大戦の後のイギリスで、アスターと言うマイナーな会社が使用していたそうですが、 大して売れずに倒産、それを受け継いだアロール・ジョンストン社も間もなく消滅・・。 他ではGM傘下入りする前の一時期にヴォクスホールが製品化したようですが、 極めて高価だった事もあってかすぐに引っ込められたようです。 この車については「良い車であった」と書かれている資料も有りますが、 「著名な設計家リカルト(アルファ出身の設計者で第二次大戦後のスペインで ぺガソを設計したリカルドとは当然別人)の技術的興味から生まれた性能的には凡庸な車であった」 と書かれた資料も有り。 そんな程度でしかないので実際の所ナイト式ダブルスリーブバルブとどちらが優れていたのか?は 何とも判りません。 いずれにしても2サイクル同様に燃焼室内への潤滑油の侵入が避けられない事から 排気に煙が混じるってのは、環境問題への配慮が避けては通れない現代では許されず、 この先復活は考え難い形式なのかも知れません。
今日は本当に保守だけ・・と、言いつつ一言。 当然の事ですが、星型エンジンではオイルパンのつけようがないのでドライサンプ必須なんでしょうね。 あと、空冷で成功したエンジンってのは結構有りますが、レース用でという前提を付け加えたならば 80年代初頭までのポルシェくらいのものでしょうか? さすがにグループCの956辺りでは、4バルブ化されたヘッドだけでも水冷化されたようですが。
ホンダの空冷F1エンジンは「果敢に挑戦して砕け散った」というところでしょうか。
>>429 とてもレースを走れるレベルではなかったそうですが、ソーイチローのごり押しで出走。
その結果、死亡事故が発生し第一期F1撤退のきっかけになりました。
「撤退のきっかけ」になったかどうかは判りませんけど、RA302、試験走行でもまともに走れなかったとか。 それでも死亡事故なんかが起きなければ、お笑いで済まされたのでしょうけどね。 試作一号車はクランクケース内強制通風とか言う形式だった(どんなのだ?) そうですが、それに失敗したのか、実戦用は複数のオイルクーラーを用いた半油冷。 ポルシェのエンジンは冷却ファンを備えた強制冷却型ですが、このホンダRA302はそれすらも無い 走行風頼りの自然冷却。 しかし結局は全く冷えずにウォームアップ終えたらいきなりオーバーヒート。 デビュー戦で突如の車両火災・・。本田宗一郎氏は空冷の信奉者だったそうですが そりゃ幾らなんでもちょっと・・。どういう計算だったのやら? 焼死したジョー・シュレッサー(後にコンストラクターになったギ・リジェの親友でリジェのレースカーの コード番号がJSで始まるのは彼への追悼の意から来ているのだとか)の遺族とかに告訴されたりしたら 結構マズイ事になっていたのではないでしょうか? ところで空冷のレーシングエンジン。他ではちょっと純レース用って訳でも無いですし どっちかと言えば先日少し話に出た流用エンジンの類になるのかもしれませんが、 50年代の500ccフォーミュラ3(クーパーがリアミッドシップを最初に成功させた)では ノートン・マンクス等のモーターサイクル用エンジンが活躍していた筈。 こちらは既に二輪で実績の有るエンジン。単気筒というl事も有ってか全く問題無く使用出来たようです。 他では昔の360cc軽自動車のエンジンを使用した日本独自のフォーミュラカー、 FL360に350ccクラスの二輪用エンジンを持ち込んだ人がいた筈ですが・・。 ・・そこまで追うとなると、最早クルマオタクっつうよりもクルマ変態の領域かも(w
同時代のポルシェのスポーツカー・レース用エンジンはヘッド回りの冷却に難がある事から 気筒あたり4バルブを諦めてDOHC2バルブの構成(ツインプラグ)だったそうですが、 冷却ファンすら持たぬRA302を4バルブにした当時のホンダの技術陣は 少々楽天的に過ぎたと思われても仕方の無いところかも。 所謂第一期ホンダF-1のエンジンって、それぞれに見た目は面白いと思います。 カムシャフト間吸気でVバンク側に排気するV12等、この形式自体は他にも例が有るようですが バルブ挟み角はかなり広くなる筈ですし、プラグが燃焼室中心に置けない等のデメリットも 考えられますが、左右バンクの排気管が複雑に絡み合った様子など、見ている分には面白い。 ・・つーか、走らせてはあんまり大した結果は残せなかったのですが・・。 常識的な4気筒エンジンをブラバムのシャシーに供給したF-2では無敵だった辺りは、 後のマクラーレンの常勝時代に貢献した事を連想させますけど、見た目の面白味は全く無いです。 今のF-1レギュレーションでは、排気量のみならずシリンダーの数、バルブ数等まで定めていて 面白いエンジンの出る可能性は殆ど無いようです。だったらいっそ、かつてのブガッティのように シリンダーブロックやヘッドにもきさげ模様でも入れるくらいの遊びが欲しい(勝手な要望w) もっとも、エンジンまでフルカバーされている現代のF-1。エンジンの見た目に凝ったところで 一般の好事家がそれを目にする機会など殆ど無いのでしょうが。
>>432 > カムシャフト間吸気でVバンク側に排気するV12等、この形式自体は他にも例が有るようですが
> バルブ挟み角はかなり広くなる筈ですし、プラグが燃焼室中心に置けない等のデメリットも
> 考えられますが、左右バンクの排気管が複雑に絡み合った様子など、見ている分には面白い。
エンジニアリングの世界にも流行はあるようで、トップフィードは、当時の流行だったようです。
吸気ポートをストレートにレイアウトできますし、バルブ挟み角の増大も、
給排気バルブを大きくできるメリットと考えていたようです。
いまとなっては、藁ですが。
そう言われて考えてみれば、確かに吸入抵抗だけは少ないレイアウトに思えますね。 難しい事はよく判りませんけれど、要は吸・排気抵抗等と燃焼室形状との兼ね合いをどうするか? って部分で、時代毎に流行の形状が変化して行くのでしょうか。 ・・そこで。スリーブバルブエンジンの吸・排気抵抗ってのはどうだったのでしょう? 2サイクル同様にシリンダー壁に設けられたポートから吸・排気を行うというのは高回転時には不利 とも思える一方で、混合気の流れの中にそれを阻害するもの(開いた状態のバルブ)が無いのは 有利とも思えますが。 ヴォアザンが徹底して拘ったスリーブバルブ。 前にも触れましたが、シリンダーヘッドに何も持たぬので見た目はSVや2サイクル同様に 面白味は無いって思えます。しかし同時代に四角い外見のエンジンを作る事に徹底して拘り、 出来る事ならばピストンまでも四角に作りたいとすら思った(らしい)エットーレ・ブガッティさんには それこそお誂え向けの素材だったのではないか?って気もするのですが、そっち方面には あんまり興味は示さなかった様子。 オリジナル・ブガッティのエンジン音。そう何度も聞いた訳でも有りませんが、 大人しいツーリングモデルとされる車であっても結構騒々しいようでした。 エットーレさん自身が騒音に無頓着つか、むしろ 「折角のエンジンなんだから存在を主張させないのは勿体無い」 とすら思っていたような節が有るようです。 打弁音の一切無いスリーブバルブの使用なんてdでもない事だったのかも(w
あぼーん
↑ 何があったのでしょ?w 高いお金払って買うからには高級感のあるモノを買いたいって思うのは当然な考え方でしょう。 そこで、静かでスムーズな方が高級であるってのが普通。つか一般的な考え方で、 ガブリエル・ヴォアザンはそう考えたのでしょうけれど、 エットーレ・ブガッティさんはそうは思わなかったのだと思います。 恐らくエットーレさん、高級車ならば高級な音を撒き散らすべきって思ったのでしょう。 普通ならばどうでも良い事のような細部に至るまで、全てをデザインし尽したブガッティ車ですが 走っている最中に限って言えば、乗っている本人にはその凝りに凝った外見も殆どが目に出来ない。 それがブガッティさん自身にはどうにも面白くなかったのだろうって思います。 ですからせめて音や振動で、あのキサゲ模様の施された素晴らしいエンジンの存在を 常に感じていたいって考えたのではないでしょうか。 丁度今月のCG誌中、レクサスISとVWジェッタとの比較試乗記の中で、樹脂カバーしか見えない レクサスのエンジンルームの写真に「遮音効果狙いだろうけれど、車好きの心理が判ってない」 といったような文章が有りますが、確かに綺麗にカバー掛けるくらいならばエンジンそのものを 綺麗に見せた方が買った人は愛着を感じるでしょうし、多少の音や振動だって、車好きな人の多くは 少しくらいは有った方が良いって思うのではないかと考えます。まぁ常にうるさいのも問題ですが。 ですからいっそレクサスには、スイッチ一つで作動し、サンプリングされた爆音をアクセルペダル の動きに連動して室内のみに流すような機構でも装備してみたらどうでしょうか?
そりゃいくらレクサスでもムダ過ぎる。 スイッチ一つでEgのカバーをスライドさせ(ry
.
>>437 下らない与太にお付き合い頂き有難う御座います(w
でもねぇ、そんなに大した無駄手間は掛からんと思いますよ。
テレビゲームなんかでは既に常識化している技術ですし。
結構レクサスユーザー層にはウケるのではないか?って思うのですけどねぇ。
フェ○ーリV12とか、ポ○シェフラット6とか60'sフォー○V8とか(当然一部伏字 w)等の中から、
音色はその日の気分で選べるってオマケつき。
・・シト○エン2CVの空冷フラットツインだの、トラ○ントの2サイクル音なんかも有ったら大笑い・・。
(また悪意だの偏見だのって言われそう w)
まぁ、最近の車ではエンジンルーム開けてもシリンダーヘッドしか見えないのが多くて
面白味は少ないです。プラモデルの世界でエンジンレスのプロポーションモデルの比率が増え
じっくりと作り込みたいタイプのマニアからは「もっとエンジン付きのフルディティールモデルを」
って声が出ているようですが、出来上がった後で見る気が起きないエンジンばかりでは
それも仕方の無いところ。実際、カムカバーに刻印されたメーカー名を隠して見せれば
余程の好き者でもない限りはどれがどこのエンジンだかなんて判りはしないでしょうから。
・・等と書いているこの私。エンジンルームまで綺麗に整理された車に乗っているか?っつうと
全くそんな事は無く、他国仕様でしか使われない配線類もそのまま途中まで付けっ放し、
断熱材もめくれたままなんて車に平気で乗っていたり。
つか「これもフランス製実用車っぽい味で良い」なんて言ってみたり・・。
要は綺麗でなくっても面白ければそれで良いのです(w
>>439 本気でレクサスが良いと思うコアなユーザーは(居るかどうか判らないけど)そういうのは嫌悪すると思うんですけどねぇ…
昔は気筒数の多いほど高級なんて本当にいわれてましたから。
(一応俺はレクサス=トヨタ+ブランド料としか見てません)
エンジンルームが面白いといえば我が家のアルト…
スロットルワイヤがない。
AE110カローラGTと同じバッテリー
ため他にあるカローラGTとレガシィに比べべらぼうに変態扱いです。
…バッテリーの容量が一般車並と言う事はバッテリー上がりの一般車助けられるのかねぇ?
まぁ、恐らく“フェ○ーリV12とシト○エン2CVの空冷フラットツインの音が聞き分けられる人ならば レクサスは買わないであろう”っつう思いが有っての皮肉ですので(w ・・というのは(多分)冗談ですけれど、本気でレクサスが良いと思うコアなユーザーは “居るかどうか判らない”って所に問題は有ると思うのですよ。 車そのものは結構これまでのトヨタ車とは違うらしいですけどね。でも、それを感じ取れるユーザーを トヨタ自身がこれまでに育てていないと思います。他所が育てた市場を横取りする為には “トヨタの高級車とか言っても、結局は高級なトヨタ車でしょ?”と言われるのでは弱いと思います。 ・・まぁ、私の知ったコッチャ無いですけどね(w 等と言いつつも、実は家にも一台トヨタ車が有ってそれ程嫌いって訳ではないのです。 よく言われる程壊れない訳でも無いってのと、セールスマン氏がしきりに 「買い換えませんか?」って言って来るのはちょっと問題ですが。 安物ですので当然エンジンルームに樹脂カバーなんて無いですが、バッテリーはかなり小さくって ディーゼル車用かと見紛う程のモノが載っているシトローエンと見比べるとなんだか頼りないです。 が、こっちから電気貰ってバッテリーの上がったシトローエンのエンジン掛けた事も有ります(w あと、シトローエンのスターターが回らなくなった(モーター周りの配線が接触不良起こしていた)時に 牽引ロープを使って押し掛けならぬ引き掛けをした事も有ります。 逆は出来ません。トヨタの方はATですので。 ・・そう思うと、本当にATって便利なのか?って気もします。
442 :
440 :2006/04/06(木) 19:08:39 ID:cgLvlTTI0
>>441 なるほどそういう皮肉も含めての提案ですかw
それは受けたら車オタクの罵声が飛び交う事は間違い無しですね。
まあフレームが新設計は悪くないと思うんですが日本車でラグジュアリー(と言うとBIPカーみたいですが…)を目指すとなると「カローラだって本皮シートでラグジュアリー!!」と来る日本人には到底無理じゃね?とか皮肉りたくなりますね。
まあ、これはレクサスだけじゃなくて日本人の感性の問題だと思うんですけどね。ポルシェ等の高性能高額車と同じような車すら作れないのに「だったら俺にも作れそうな雰囲気で勝負の高級車を目指そう」なんてチャンチャラおかしいにも程が(ry
だからレクサス=単なる高級ブランド=所詮日本車なんて言われるんだよ…
いかんいかん…これじゃ単なる愚痴だ。
そういえば昔から「ATは踏み切りで止まるとどうしようもない」などと言われていますが、当方のアルトもMTにも関わらず踏切から出る事は出来ません。
原因は最近流行のクラッチを踏まないとエンジンが回らないシステムが入っている為ですが、さらにクラッチがシビア+アイドリングストップ機能で知らない人が乗るとエンスト多発とエンジンストップで慌てると言ったコンボが見れますw
う〜む・・眠い・・(だったら寝ろよ莫迦w)
>>443 他スレに「近所にいつも停まっている車、スカイラインだとずっと思っていたらティアナだった」
なんて書いているような私には無理もいいところです(w
何度か書いている事ですが、私は少し偏っているだけで、知識の絶対量としては
恐らく車板住民の平均程度だと思っています。(それでも多少の自惚れ込みかもw)
そう言えば。レクサスってのも上に書いたスカイラインの例に近いかも。
一目見てトヨタ車である事は判るのですが、レクサスなのかってのはバッヂ見ないと判らない・・。
(つか、そんな風に思うのは私だけ?)
>>442 >クラッチを踏まないとエンジンが回らないシステム
それも良し悪しですねぇ。AT車慣れした人が運転席に座りもしない内に始動させようとする危険に
対処しているのでしょうけど、非常用に2速に入っている時のみでも解除されるようにするとか
考えてくれれば良いのに。
・・まぁ、踏み切りの中でストップしてしまったら、頭の中パニックになってそれどころではないかも
知れませんけど。
オタクだからこそ発動機にも美しさを求めるのデス。
空冷の精緻な冷却フィンというのも、趣がありますよ。 どこかにRA302のエンジン単体の画像はありませんかね。
RA302E、それこそ鋳造の極限に挑んだ技術の結晶だったそうですけれど、 成績を残せなかった車であった故か、ホンダ自身でもあまり多くの物を残していないようです。 オリジナル・ブガッティのエンジンの美しい事は間違いは無いのですけど、その他の戦前の車等では、 現存する個体だけを見て造りの良し悪しを判断するのは早計な場合が有ります。 例えば防錆の為に鋳鉄ブロックに耐熱ペイントが施されていたり、また軽量化狙いで薄肉に 作られた大型エンジンの場合は冷却水が染み出るのを防ぐ為に加圧エナメル塗装とかいうものが 施されていたりしますが、後の時代にこうした塗膜のひび割れを修復する際に 「どうせやるなら・・」と思って、オリジナルよりも綺麗な色にしたり艶の良い塗色にしたりした物が 結構多いようですので。 例えばグローサー・メルセデスなど、現存して博物館などに収まっている物の多くは 色鮮やかなエナメル塗装がシリンダーブロックに施されていて、如何にも高級車然と見えるのですが、 この部分は本来は冴えない艶消しの緑色に塗られていたのが本来の姿だったらしいのです。 (ちょっと自信無し。何せそうされている方が少数派ですので) 発動機にも美しさを求めるようなオタクでなくとも、レストア作業の過程の中で 「どうせやるなら、もうちょっと綺麗にやろう」って思うのは当然と言えば当然でしょうから ある程度は仕方の無い事なのでしょう。 しかし個人オーナーの所有する車はともかく、せめて企業や公的な運営体の所有する博物館の 収蔵車などは出来るだけ新車当時の姿に忠実であって欲しいと個人的には考えるのであります。
↑ 「この部分は本来〜が本来の姿」・・毎度クドイ文章で失礼。 それと、考えてみたら“公的な運営体の所有する博物館”なんて日本には有りませんでした(w ついでにちょっと脱線。 個人オーナーの所有する個体の場合、いろいろと難しい事は有るのでしょうけど、 それでもあんまりオーバーなレストアが為された車は当然批判的に見られるようです。 まして企業等の運営する博物館で、自動車の歴史を学んで貰う事も目的の一つに掲げる場合などは 出来る限りはその車の作られた時代背景にも留意して貰いたいと思います。 そうした博物館の収蔵車っつうのは歴史的資料として見られる事はある程度当然と思いますので レストアのやり方に限らず、新車当時の姿と異なる部分が有る場合にはその旨をちゃんと 知らせるべきだと考えるのです。 例えば前スレでもちょっと書きましたが、トヨタ博物館所蔵1934年のシトローエン・トラクション・アヴァン 輸入された時に付いていたらしきミシュランX(ラジアル)をそのまま履いているのですけど、 知らない人が見たら34年当時、既にラジアルが有ったとカン違いしかねないのではないでしょうか? 他の博物館に行った時に説明文の立て札が入れ違って置いてあった時などは係員の方に 一応その旨を伝えた事が有りましたが、このトヨタの例程度くらいの事だと 「タイヤの銘柄まで見る人なら、その程度の事は既知であろう」 って言われてしまえばそんなものかも知れませんし・・。 あんまりうるさい事は言いたくも無い事も有り(気弱な私 w)ちょっと考えてしまうのですよね。
エンジンの外観の話に戻りますが、オリジナルブガッティには直4と直8しか有りません。 何故6気筒を作らなかったのか?って辺りはよく判りませんが、エットーレさんはツインカムの採用にも 最初はあまり乗り気ではなかったように、彫刻のようなエンジンの外観にこだわる人でしたので シリンダーブロックが斜めになるV型などは作る気が起きなかったのであろうと思われます。 唯一例外(と言えるかどうか?)なのはタイプ45(3.8リッター)とその3リッター版T47ですが、 直8エンジンを並列に2基並べて共通のクランクケースを与えた物で(したがってクランクも2組)あり 当然シリンダーブロックは直立したままです。 こうしたエンジン他のディティールをつぶさに見る度に思うのですが、エットーレさんって方には 高級車を作ろうという思いはが無かったのではないでしょうか? 恐らくエットーレ・ブガッティさん、自らの信じる理想の自動車をひたすらに追求しただけであり それが高級車となろうとスポーツカーになろうと、それは単なる結果でしかなかったのでは? ロールス・ロイスが広告に「世界最良の自動車」を謳っていた頃。ブガッティの宣伝文句は 「自動車に於ける純血種」でした。自らの信念そのものを形にしたようなブガッティ車は それに共感する人にだけ判って貰えればそれで良いのであって、他の車と比較される事等は 不愉快でしかなかったのだろうという事が伺われる言葉だと思います。 そんな調子でしたから、当然の如くやり過ぎも多かったようです(まぁ、あのエンジンの仕上げ自体が やりすぎの見本みたいなものですが w)第二次大戦後のモノ不足の頃、会社そのものの復活の為に 耐乏型小型車を計画したのは良いのですが370ccという後の日本の軽自動車規格にほぼ等しい 小さなエンジンに4気筒・ツインカム4バルブ・ルーツ型過給機を与えるという、無茶と言うか 最初の目的を忘れていると言うか・・みたいな代物を設計して当然計画倒れで終わってしまったとか。
暴走モード(w 何度か触れた事ですが、第一次世界大戦後の英仏ではモーターサイクル用の単気筒やら フラットツインやらを粗末なフレームに括り付けたサイクルカーと呼ばれる車が流行しました。 これらを市場から駆逐したのが、シトローエンのタイプC(5CV)だったのですが、 その四半世紀後に似たような役割を果たしたのが同じくシトローエンから発売された2CVでした。 しかしこの両者(タイプCと2CV)この手の小型車としては例外的に長くとられたホイールベース等 外寸に充分な余裕を持たせた以外には全くと言って良い程、共通点を持たないのが面白いところ。 タイプCが小さい(850cc)ながらも立派な直4のエンジンを持つのに対し、2CVはかつてタイプCが 市場から駆逐したサイクルカーのような空冷フラットツインで前輪を駆動するといった具合に。 現代ではよく知られている事ですが2CVは30年代の後半(つまり大戦勃発以前)には既に開発が 始まっていた事からも判るように戦後耐乏型を意図して設計されたモノではなく、言わば新種の 農機具のような物として生み出された車だった事がこうした変化に深く関わっていると思います。 実際にそのフラットツインエンジンは、ブガッティの“戦後耐乏型”T68のような無茶な代物 でこそ有りませんが、総軽合金製でロッカーを介してV型バルブ配置をとったOHVといった具合に 意外と贅沢な物ですし、その小ささ故に限られた力を使い切る為、組み合わされた変速機は 当時は高級車ですら滅多に採用していなかった4段フルシンクロを持つ物でした。 こうして生み出された2CV、戦後耐乏型ではないが故に広く、そして長く受け入れられたのだと 思うのですが、この車の設計の中心となり、ヴォアザン“ビスキュテール”のような車の命脈を 断ったのが、他ならぬ元ヴォアザンのエンジニアで高級車市場崩壊を契機にシトローエン入りした アンドレ・ルフェーヴルだった事には何か因縁めいた物を感じます。
フランスといえば。 イギリスにはアレック・イシゴニス、イタリアにはダンテ・ジアコーザ、ドイツにはフェルディナンド・ポルシェと、 それぞれ第二次大戦前後に各国の大衆車を設計した「天才技術者」がいますが、フランスにはいませんね。 アンドレ・ルフェーヴルは上の三人ほどには有名でないし、ちょっと天才とも言い難い。 2CVにしても、設計にはポルシェが関与したという話まで聞いたことがあります。 自動車産業黎明期にはド・ディオン伯爵をはじめ多くの才能を輩出したフランスに何があったのでしょう?
いや、アンドレ・ルフェーブルこそはダンテ・ジアコーザ等と並ぶ自動車技術史上の巨人だと思いますよ。 何と言っても1934年の時点でモノコック一体構造、前輪駆動の“トラクション・アヴァン”を生み出し 戦後には2CVを、そして1950年年代には“あの”DSの設計の中心になったのですから。 ついでに言うと、2CVとポルシェさんとは無関係だと記憶しております。恐らくはルノー4CV (リア・エンジン、スウィングアクスルの後車軸等、ポルシェ式設計に近い)の設計時に 当時フランスに軟禁されていたポルシェ博士が幾つかのアドバイスを行ったという話と 混同されているのではないでしょうか? アンドレ・ルフェーブルとシトローエン社との関係は、丁度先日入手した二玄車の新刊 「シトロエン・革新への挑戦」に興味深い事が書かれていました。 アンドレさん自身が地位や名誉には欲の無い人であり、更には自らの才能を高く評価し、 自由に働かせてくれるシトローエン社の居心地に満足していたようです。 この事が一般に於ける彼の知名度をあまり高いものにしていない最大の原因でしょう。 同じ事はシトローエン社のチーフ・デザイナーを長く勤めたフラミニオ・ベルトーニにも言えると思います。 もしも彼等が天才の器でなかったら、一企業人として無名のまま終わっていた事でしょう。 ところで、アンドレ・ルフェーブルさんは若い頃にはドライバーとしての腕も一流であったそうですが こちらの方はちょっとそれを立証する根拠に乏しいところ。1923年のACFグランプリで自ら設計に 関与したヴォアザン車に乗り5位に入っているそうですが。 ちなみにこの時のヴォアザンGPカー、史上初のアルミモノコックを持つレースカーとされています。 シトローエンの“トラクション・アヴァン”はその生産に関してはアメリカのバッド社と提携を結び その技術を借りたそうですが、モノコック一体構造のアイディア自体はアンドレ・ルフェーブルさんが 持ち込んだ物である事は此処からも伺えます。
馬力計ってロールスロイスについてなかったな。 さすがに実車に乗ったことないんで本で読んだだけだけど。
>>455 そのページ、以前
>>386 にもリンク張っていますが、確かにあの動画って
見ていて気持ち悪くなる気がしますねぇ。
馬力計って、最新のブガッティに付いている事で話題になりましたが、
あれって何の意味があるのでしょう?今何馬力使っているのか知って何になるのやら??(w
さて。2000年の終わりに“カー・オブ・ザ・センチュリー”って催しが有った時、同時に
“20世紀を代表するカー・エンジニア”とかデザイナー、起業家等も選ばれました。
これ、本田宗一郎氏が何故かデザイナー部門で最終候補の5人の中に選ばれているなど、
なんだか変な所も有ったのですが、とりあえずエンジニア部門ではフェルディナンド・ポルシェさんが
一位に選ばれています。他はカール・ベンツ、ヘンリー・フォード1世、アレックス・イシゴニス
バティスタ・ピニンファリーナが最終候補者でした。
もしも私が個人的に20世紀を代表するカー・エンジニアを5人選ぶなら、フェルディナンド・ポルシェ、
アレックス・イシゴニス、ダンテ・ジアコーザ、アンドレ・ルフェーブル、ヴィンツェンツォ・ランチア
といった所になるでしょうか。狡いようですが、この5人の中での順序は不同です。
もっともあんまりマジメに考えると、“ポルシェのKdf(VW)に多大な影響を与えた筈の
タトラのエンジニア、ハンス・レドヴィンカもポルシェと同列に扱われる権利が有るあろう”とかって
なってキリがなくなるのですけど。
と、言うわけで次点はハンス・レドヴィンカ、マルク・ビルキヒト(イスパノ・スイザ)ヘンリー・ロイス
W・O・ベントレー、ヴィットリノ・ヤーノ(アルファ→ランチア)辺り。こうして名前を挙げていくと
保守的設計で信頼性と生産性重視のアメリカ車エンジニアには不利になりますね。
アメリカ車の多くが保守的な設計であったからと言って、アメリカの自動車メーカーには 技術力が無かったと考える人も今ではいないでしょう。 アメリカ車メーカーと言ってもアメリカでのみ研究活動をしている訳ではなく、常に他のメーカーの 動きは見ていた筈ですし、BIG3と呼ばれるメーカーはそれぞれ欧州にも子会社が有り 時にはそれらから先端の技術が生まれているのですから。 例えばモノコック構造の導入一つを見ても、アメリカ車は欧州メーカーからは2〜30年は遅れた訳ですが シトローエン“トラクション・アヴァン”とほぼ同時、欧州でも最も早い段階でモノコック構造を 採用したのはアメリカに本拠を置くGMの100%子会社であるオペルだったという具合に。 とは言え、技術面から俯瞰して見た時アメリカ車があまり面白く無いってのもまた事実。 広く一般に自動車を普及させる為の新技術とかならば意外にアメリカ生まれの物も有るのですが。 これは結局の所、アメリカ車メーカー以上にアメリカ人そのものが機械に対して保守的だった事に 原因を求められるのではないでしょうか? リンカーン・ゼファーのスタイルに多くの影響を与えたとされる試作車“スターケンバーグ”一つを 例に取っても、その流線形ボディー&リアエンジンと言った成り立ちは既に1931年に出来上がって いたそうですが、これは世界初の流線形量産車とされるリアエンジン車タトラ77の生産化に3年も 先駆けています。しかしアメリカ大衆はこの車のスタイルには多くの関心を抱きながらも リアエンジンには懐疑的な反応しか見せず、結果としてこの車は一般的なフロントエンジンに改められ 技術的には平凡なアメリカ車そのものとなって行く事になったという具合に。
アメリカ車の中でも、以前には有ったBIG3以外の中小メーカーに目を向ければ かなり早い段階で前輪駆動を採用した物もあれば(コードL29)、欧州でのリアエンジンの流行と ほぼ同時にそのレイアウトを採った車(タッカー・トゥピード)も有ります。 中には以前にも触れたパッカードのトーション・レベリングのように他に例を見ない物も有りますが 結局の所は広く一般に受け入れられる事無く終焉を迎えたようです。 例外は軍用車から始まり、ウィリス→AMC→クライスラーに残るジープブランドから広まった 四輪駆動くらいのものでしょうか?もっともこれもアメリカ・ウィリス車がオリジナルと言うわけでは 無いのでしょうが。 この様な“消えた技術”の多くに言える事ですが、その技術を採用したメリットが完成車に 生かしきれていないように見えます。 例えばコードの前輪駆動にしても、シトローエンの“トラクション・アヴァン”のようなモノコック構造では ありませんので見た目に低い姿勢を実現してはいても、恐らく重心高は当時の他のアメリカ車と 大差は無かったでしょう。 またタッカーにしても、大柄なボディーサイズの車にリアエンジンを持ち込んだ意味が見い出し難いと 思うのです。 恐らくはこれらの新機軸は、中小メーカーが大手(BIG3)の商品にはない特徴を打ち出そうという 思いが先にあって採用された物ではないかと見え、本来が保守的なアメリカ人ユーザーに対する 説得力を持つには至らなかったのも無理は無いように思えます。
アメリカの話が続きますが、457で触れた“カー・オブ・ザ・センチュリー”の催しの中、 20世紀を代表するカー・エンジニアの5人の中で唯一アメリカ人で選ばれたヘンリー・フォード一世ですが、 私はこの人を評価していないという訳では決してありません。 しかし、設計家としてのみ、この人を考えるとちょっと評価しきれないところもあります。 その一番の理由を大雑把に言ってしまえば、自動車の可能性を見誤ったところでしょうか。 彼の代表作は間違いなく“カー・オブ・ザ・センチュリー”に選ばれたT型でしょう。 この車が20世紀を代表する一台に選ばれた事には全く異論は有りません。 20世紀が貴族等の特権階級から一般大衆へと権勢の移り変わった時代である事を考える時、 自動車とは一般大衆が手にした自由の象徴とも言えるでしょう。 そう思えば20世紀を代表する車として大衆車の象徴的存在でもあるT型を選ぶ事は 1900年代という時代そのものを考えさせる事にも繋がると思うからです。 ところがこのT型フォードという車、発売後に加えられた改良と言えば電気ライトの採用や より安楽な運転の為の操作系の変化等に留まり、あとはボディー・バリエーションの追加や 生産性の向上の為の改良が幾つか見られるのみ。20HP/1500rpmのエンジンやシャシー構成には 殆ど何の変化も無いままに1908〜27年、実に20年近くの長きに渡って生産されました。 どうやらヘンリー一世にはこのT型を自動車(大衆車)の完成形と考えていた節が有り 60km/h程度の最高速にしても、これ以上は必要無しと思っていたようです。 実際に、その考え方も彼の国の特性を思えば理解出来なくもないのですが、 そこでそれ以上の進歩を望まなかった事、更にはその後も続いた頑固なまでのフォード流設計への 拘りが20年代後半〜30年代にかけてのフォード車の異常なまでの保守性と 40年代の業績低迷にも繋がっていると思うのです。
昔の日本には、自動車はヘンリー・フォードの発明した物であると漠然と思っていた人が 本当にいたようです。それ程にかつては(特に東日本では)自動車と言えばフォードだったのでしょう。 さすがに現代ではそういう人もいないでしょうが、フォードが世界で初めてコンベアシステムによる 流れ作業を実用化した人であり、企業であると思っている人なら結構いるのではないでしょうか。 実際に“缶詰工場からそのヒントを得てヘンリーが考案した”といった逸話も有るようですが これは後に伝記作家が創作したものらしいです。また、モデルT以前に工場の管理者が 注文に間に合わない状況の中、苦し紛れに部品は動かさずに組み立て車のほうを動かす システムを考案したという話も有りますが、これもちょっ眉唾モノのようです。 本当にそうならば、それもちょっと面白い話ではあるのですが。 コンベアシステムによる流れ作業は、自動車業界では20世紀初頭に既にオールズモビルにより 実用化されていたそうです。ヘンリー・フォードがこれを知らなかったという事は有り得ないでしょう。 では、ヘンリー・フォードと彼のモデルTには全く斬新さは無いのか?と言えば決してそんな事は無く 流れ作業で大量に生産する事を前提として全てを設計した点にこそT型の意義が有ると思うのです。 T型が、本格的なコンベアシステムの完備したハイランドパーク工場で量産され始めたのは 1913年の事だったそうですが、T型が発売後に受けた改良の殆どはそれ以前に集中しているようです。 恐らくは最初の内はまず増加試作として市場の反応を確かめ、手ごたえを得た上で最終仕様を 決定し、本格的に流れ作業に乗せるというのがヘンリーの初めからの目論だったと 私は考えます。
オイルですか。 昔の車では、クランク掛けの前に一度軽く一回転くらいさせて “Oil-sealをbleakさせろ”なんて記述がハンドブックにあったりしたそうですが、 そんなに低温で硬くなるオイルでは全てが落ちてしまう危険も少なかったのでしょうか。 また、そんなオイルを使う事を前提に設計されたエンジンに現代のサラサラなオイル使うと ピストンリングとシリンダー壁との過大なクリアランスを塞ぎきれずに圧縮漏れ起こすとか。 そんな組み合わせだったらオイルの落ちも早そうですねぇ。 そんな事も全て考えた上で平均をとっても意味も無いような気もしますが。 ・・って、極端過ぎるか(w
うちの2台の古アルファ4発は、何せ半世紀前の設計の当時としては超高回転エンジン。 その時代の設計ではこの手の高回転エンジンはクリアランスを大きく取って ぢゃんぢゃんオイルを食はす設計になっております。 よってヌパイダではあらうことかリッター1,500km〜2,000kmものオイル食ひ量、 如何な7リッター近ひオイルパンをぶら下げても交換より減った分の追加に明け暮れる体たらく。w しかし工場に聞くとこれで全く正常なのださうでリッター500km切るやうなら考えろ、とのこと。w 20年程前のホンダ車もこのクチでした。3ヶ月放置プレイかぁ、 アテクシの場合なんぼ放置しても1ヶ月ぐらひか。ドライヌタートの経験はありませんが 75の場合2週間でバッテリーが上がります。w ヌパは1ヶ月放置でも一発で掛かりますケド。 なを、2台とも指定オイルは基本10W-50ですが、 アジップ・シント2000 10W-40、 Shell・SuperPlusOil 15W-50、 iP・Sinfiax 10W-40が指定されております。
さて、もうちょっとヘンリー・フォード一世と彼のT型。そしてそれ以降のこと。 生産性を最大限考慮したうえで車全体を設計する。こうした事が出来たのも、ヘンリーさんが 設計家であると同時にフォード社の社主でもあったからでしょう。 フォードのような、技術者の設立した自動車会社っつうのは他にも一杯有りますけれど、 ブガッティ社のように技術者の独善のような無茶な車作りに走る例も多い中で、ヘンリーさんは 大衆の為の便利な道具作りに専念してT型を大成功させた所に価値が有ると思います。 しかし、こうした技術者の設立した会社って、一度成功すると自らの確立した流儀へのこだわりが 捨てられなくなり、徐々に時流から取り残されて行く傾向にあるように思えます。 それはフォードとは対極にあったブガッティもそうでしたし、他にもルイ・ルノーにも同じ事は言えます。 更に言うならば、空冷へのこだわりを捨てられずに悲惨な焼死事故まで起こした空冷F-1 RA302を半ば無理矢理に走らせようとした本田宗一郎氏も似たような例だと思うのです。 フォードの場合で言うならば、前後共に横置きリーフのリジッドアクスルで第二次大戦迄 通してしまったシャシー・フレーム等がその代表例でしょう。息子エドセルはデザインセンスには 大変秀でた方だったようですが、設計にはあまり興味は示さなかったようで、彼がフォード社社長に なった後にも、フォード車の機構面にはヘンリーさんの頑固さがそれまでと変わりなく貫かれていました。 現代の我々の眼で見れば、そうした事も面白いで済まされますし、事実私にはそう見えるのですが 当時その車に乗った人にすれば、乗り心地にもロードホールディングにも不満を感じた事でしょう。
おっと、リロードしてなかった。エロスパ氏失礼。 そう言われると、私も一ヶ月放置ってのが最長ですね。別に何とも無かったようですが。 2週間でバッテリー上がってしまうようなら、バッテリーそのものを大型化する気は起きませんか?? そんな所でオリジナルにこだわる意味も無いと思いますが(w
少々軌道修正。 すごく大雑把な言い方ですけど、四輪車なら普通はサスペンションスプリングも四つ有って、 それを通して路面の凸凹を受け止める箇所も四つかそれ以上の筈。 ところが戦前のフォードのように前後共に横置き半楕円リーフによる固定懸架だと タイヤは四つなのにサスペンションスプリングは二つ。 フォードはこれを「真ん中はフレームに固定してあるのだから1/2÷2でダブルカンチレバー (2X1/4楕円)バネである」と言っていたようですけれど、左右独立サスペンションであるならば そういう呼び方も出来るでしょうが、やはり無理が有ると思います。 で、当然サスペンションの支点も前後各一箇所で合計二箇所。バネを硬く締めても不安定なのは 仕方の無いところ。 ですから当時のフォード車は新車の時からなんとなくガタガタとした乗り心地だったそうです。 更にT型やその後のA型では、バランスのあまり良くない四気筒エンジンの振動も有り 六気筒のシボレーや、エンジンのフローティングマウントでは先駆的だったクライスラー (プリムス)に、その点でも一歩譲る事は明らかだったのだとか。 しかし頑丈さではライバルであったシボレー等の上を行き、それは時に過剰ですらあったようです。 T型が既に完成型であると思ったヘンリーさんは、それ故に 「フォード車は一回買ったら二度と買い換える必要は無い」と考えていたらしいので、 その為に各部の寿命にはかなりの余裕を見込んでいた様子。 そしてその事はA型以後のモデルにも受け継がれていたようです。 思うに。現代でも当時のフォード車が多数残っているのはその頑丈さ故もさることながら、 ヘンリーさんのこうした良心的な頑固さが皆に愛されているという事でもあるのではないでしょうか。
>>464 2週間でアガルってあんたw
トランクとかボンネット裏のライトが、閉めても点いてるのんちゃう?
↑ 如何にも有りそうですね。でも、トランクの場合など、トランクスルー機能が無い車の場合は どうやって確認すればいいのでしょう?やはり一度自ら誰かに閉じ込めて貰うしか・・(w ・・そういう事する(される)の、好きそうだなぁ・・(w さて、タイヤが四つあるのにサスペンションスプリングは二つしかない車と言えば2CV。 但しこちらは戦前のフォードとは全く異なり、リーフスプリングにサスペンションアームの役割は 持たせてはいません。 ここでまたかなり大雑把な言い方をすれば、この2CVの足回り、例えば右前輪が凹凸に乗ると コイルスプリングで吸収し切れなかったショックは右後輪に伝えられるという仕組み。 シャシー・フレームには直接は伝えられません。 私がアンドレ・ルフェーヴルさんを天才だと考えるのは、単にこうした機構を実用化しただけでなく、 この前後関連懸架を備えた2CVとか、ハイドロ・ニューマティックシステムを含むDSそのもの等、 全く我々のような凡人には着想の源が想像出来ないところがある事も一つの理由です。 もっともこれらがルフェーヴルさん直接の発想であるという証拠も無いのですが 当時のシトローエン社社長ピエール・ブーランジェさんは事有る毎に 「シトローエン社はムッシュ・ルフェーヴルの創造した物を生産する会社なのだ」 とまで言っていたそうですので、恐らくは間違い無いでしょう。 多分、ルフェーヴルさんという方、散文で思考されるような人ではなかったのでしょう。 天才と呼ばれる人の中には絵画に於けるピカソとか、音楽ではストラヴィンスキーのように その生涯の中で何度か作風を変えた人がいます。 アンドレ・ルフェーヴルがそうした領域に在った方とまでは言い切れませんけど、その生涯に残した 数々の代表作を見ていくとき、アチラ側に生きた方であった事は確実と思うのです。
上の2CVの足回りについての記述中 >リーフスプリングにサスペンションアームの役割は 持たせてはいません。 これでは2CVにリーフスプリングが使用されているかのような書き方でした。 此処は “戦前のフォードのようにリーフスプリングを使用し、サスペンションアームの役割も兼ねさせる事は していません”と書かなければいけないところだったでしょう。
アンドレ・ルフェーヴルさんの写真は何枚か見た事が有りますが、痩身で無造作な髪型、 コート姿も少々着崩した感じがなんともサマになる、中々の男前だったようです。 DSも2CVも、エンジン自体は彼が直接設計した物ではありませんが、かのDSの 「エンジニアの夢、メカニックの悪夢」と言われたエンジンルームなど、彼の性格が現れているようで ちょっと可笑しいところ。この点、どの写真でも必ずきっちりとカメラに向けてポーズをとっていた エットーレ・ブガッティの設計した車のボンネットの中とは全く正反対なのもまた可笑しい。 意外にこんな所に設計家の性格みたいなものが現れるのかも? デザイナーという職種が早くから確立されていたアメリカの車や、その市場を意識した車、 また外部でボディーを架装するのが当然だった高級車ではあまり無い事ですが、 メーカーが自らボディーまで製作する小型大衆車では、昔は結構設計家がその車の外見まで デザインする事も多かったようです。有名な所では、ダンテ・ジアコーザさんが設計主任だった頃の フィアットで500や600などの他にもかなりの多くの車に、基本となるデザインを与えていたようです。 シトローエンには、デザイナーにも天才フラミニオ・ベルトーニさんがいらしたので、 デザイン面にはアンドレ・ルフェーブルさんは直接関わりは無い筈ですが、 あのDSの姿一つを取ってみてもその基本的な成り立ちには、後退したリアアクスル、 狭いリアトレッド、更には細い各ピラーの形状等、様々な形で彼の考えが与えた影響が見て取れます。 その点、デザイナーが自由に腕を揮う為の素材と化していた同時期のアメリカ車とは、 全く対称的だったような気がします。
DS以後のハイドロ・シトローエンに共通する特徴ですが、リアアクスルが普通の車よりも かなり後方に位置しています。 普通のリアサスの場合には直立したスプリング&ダンパーユニットがキャビンやトランクのスペースに 大きく張り出すのを嫌い、その丁度中間あたりにリアアクスルを配置するのが一般的ですが ハイドロ・ニューマティックの場合には、タイヤの上下動をスプリングに伝えるモノが 金属製のアーム類ではなく液体なので、スプリング&ダンパーユニットが何処に有ってもスムーズな 力の伝達が可能なので、邪魔にならないような自由な位置にそれを置く事が出来ます。 その為に直進安定性や乗り心地に有利なようにリアタイヤを通常の位置よりも後方に置いても トランクスペースへの影響は最小限で済む為に、このような一風変わった形を採っています。 このように、車全体の設計の自由度が大きくなる事がハイドロ・ニューマティックの最大の メリットであると私は考えます。勿論セルフレヴェリング機構を備える為に空車時と積載時との 車重の変化に備えてバネレートを高く設定する必要が無い。また気体スプリングの性質として プログレッシブレートを備え、圧縮されても体積がゼロには絶対ならない=バンプしない 等からソフトなスプリング設定が可能である事もメリットでしょうが、元々空車時と積載時との 荷重変化が相対的には少ない大型車ではそうしたメリットは小さくなると考えられます。 メルセデスはかつてSクラスにハイドロ・ニューマティックをオプションで設定していましたし、 他にもそうした例は日産やトヨタでも見られたようですが、これらは全てハイドロ・ニューマティックを 前提として車全体を設計した物では無かった為に、単に変わった足回りを持つ車として 左程の評価は得られずに終わったようです。
・・今更ながら無茶なスレだな・・(w ハイドロ・ニューマティックを前提にして設計した為リアアクスルは異常に後方。更に空力面での 要求や小回りの為に狭いリアトレッド。スケルトン構造の為に細い各ピラー。 そうした内容を先に知っている為もありますが、DS程その構造が外見に表れている車は他に無いかも。 そんなに極端でなくとも、殆どの車は何処にエンジンが有り何人が乗れるか?程度には その基本構造が外見に現れるでしょう。もっともコンパクトに収めたエンジンをリアに積んだ車や 最近の三菱 i や少し前の初代トヨタエスティマ等、外見からは何処にエンジンが有るのか 判らないなど、例外を捜せばこれも幾らでも有るでしょうけど。 で、余談ですが(・・元々皆余談みたいなものですけど)その例外の中でも極端なモノの話。 少し昔にVWビートルのシャシーをベースにクラシックカーのレプリカを作るって事が、 ちょっとしたブームになった事が有りましたが、ポルシェ356辺りをモデルにした物とかはともかく、 中にはメルセデスのSSK(漫画ルパン三世で主人公が乗っていたらしい)のレプリカなんていう 無茶な代物も有り、まだビュート等で知られる前の光岡が輸入販売していました。 物好きにもショールームまで冷やかしに見に行ったのですが、生憎その時には実車は無く 実物を見る事は残念ながら出来ませんでした。 ビートルがベースなのだから当然リアエンジンの筈。本物のSSKならば船舶用かと見紛うような 巨大な6気筒が有る筈のボンネットの中が丸ごと荷物スペースだったなら、それはそれで ちょっと変わった荷物車として使えたのではないか?って思うのですが。 更についで 「今はこんな事に潰され使われているけど、ビートルもその内にレプリカが作られるかも?」 なんてその時一緒に行った友人と話しましたが、当時はまさかVW社自らが FFのゴルフをベースに本当に作るとまでは思っても見ませんでした。
アメ車の構造が面白くない件について アメリカは都市部以外は日本でいう鳥取や佐賀みたいに集落と集落が離れていて、且つ距離がある。 また車検制度なども無いので全般に整備士がかなりテキトーで、経験値も低い だもんで壊れた時にすぐ最寄の工場で修理が、場合によっては自力で直せるくらいのエンヂンでないと大変だ んだからOHVやOHCという簡単な構造のエソジソが主流になり、簡単な構造ゆえ馬力うpは排気量を上げていくしか方法がない ゆえに甲羅みたいなヘッドとトラックみたいな大排気量という独自の進化を遂げた と以前整備士のおっちゃんから聞いた事がありんす。
>>474 > アメリカは都市部以外は日本でいう鳥取や佐賀みたいに集落と集落が離れていて、且つ距離がある。
鳥取と佐賀にどんなイメージを持っているんだ。
鳥取は行ったことはないが佐賀は集落と集落が離れているようなことはないぞ。
>>475 “はなわ”の悪影響ですかね?(w
以前に私も「二十世紀梨と砂丘しか知られていない鳥取」なんて書いた事が有りますが
その内に鳥取県民に荒らされるな、このスレ(w
ガソリンが安く買えたアメリカでは、かつては燃費がどうのこうのは大して問題ではなく、
また舗装もあまりされていない直線ばかりの道路で“曲がる”とは高速コーナリング等の事ではなく
交差点を徐行して右左折する事だったなんて話も有るようですので、求められる性能それ自体が
欧州車とは全く異なっていたという事なのでしょう。
また、そうでなければ欧州ではモノコック化や前輪独立懸架化が一気に進んだ30年代になっても
前後共に1900年代から続く横置き固定リーフリジッドのフォードなど、誰も見向きもしなくなっていても
おかしくなかった筈。(だからあれはあれで良かった。と迄は言い切れませんけど・・)
時々思うのですが、車にとって最も大事な性能とは、メーカーはよく「走る・曲がる・止まる」
等と言いますが、それ以前に「人が乗れて、物が積めて(道が有る所なら)何処でも行ける」
なのではないでしょうか?加速が悪ければ気を長く持てばいいし、止まらないなら(こりゃ困るけど)
ゆっくり行けば良いですが、“乗れない(物が)積めない”では話になりませんから。
そう思えばT型フォードやシトローエンの2CVなどは、とにかく丈夫で“何でも積めて何処にでも行ける”
そして何より“皆が買える”(此処重要w 其処に無い事にはそれこそ話は始まらないのです)
これこそこれらの車が名車であると私が思う最も重要な理由なのです。
あ、一応断っておきますが 上は“沢山乗れる事、一杯積める事”が高性能だという事ではないです。 とにかくまず“そこに存在する事”以上に大事な事は無いといった程度の意味です。 車が有る事が当然のようになってしまった現代では理解され難い事なのかも・・
そう思うとアルトって名車の条件に片足突っ込んでそうだなww
日本の軽自動車の理念は正しいと思うが、 レギュレーションは、賛同しかねる。
>>479 軽の規格うpはこの辺でやめとかないと、最大のメリットの
税制他の優遇を失う。なんでもほどほどやね。
↑ 今更“国民車構想”でもあるまいし、優遇税制のある軽なんて無くても良いと思いますけどね。 それを含めた現状の自動車税制全般を見直して欲しいところだと考えているのですが。 さて。“皆が買える”事に徹したことが2CVやT型フォードが名車と成り得た理由とは考えますけど、 名車ってのもいろんな意味合いのものが有るでしょうから、“皆が買える事が名車の条件”と 一言には言えないと思います。 それでもとにかく“存在する事”はその車を語る上で最低限の条件でしょう。 例え試作一台でも形になっていなくって、図面や妄想で終わった車では語りようも無いですから ・・って、物凄く当たり前の事を大袈裟に書いている気がする・・(w その上で車オタクの雑談ネタに成り得る条件としては“何処か傑出したところが有る”事でしょうか。 “何処と言って傑出した部分が有る訳では無いが全体にバランスが良い”みたいな車も良いでしょうが 話のネタにはなり難いですし、“お値段の割りには装備が良い”みたいな話は所帯染みてて面白く無い と思いますので。 更にその上で“名車の条件”ですが、それは単なる一個人の好き嫌いと混同して語るべき事柄では 無いと考えますので、当然個人の嗜好とかではない公正・客観的な判断も必要と思うのです。 が、私は自分がどれ程公正・客観的判断の出来る人間であるのか?という事が 自分自身では測りかねるのでナンとも言えません。ただ、傑出したところが沢山有る車とか、 傑出のしかたそのものが傑出している(ややこしい言い方 w)車には名車と呼ばれる資格が充分に 有るだろうとは思います。
ちょっと理屈っぽい内容が続いたので少々軌道修正(根がマジメなので・・) 年バレスレにてエロスパ氏が“アルファに乗る為の正しい服装”について語られておられますが、 ・・・・あの人、その内にアルファ・ディーラーから訴えられても私は知りませんよ・・(w 車を選ぶという事には、有る程度洋服を選ぶ事に共通した部分が有ると思います。 車選びに外見ってのは結構大きなファクターだと思います。それを選ぶのには、服装と同様に 各人のセンスが表れるところ。逆に車の側から見れば、似たようなセンスの持ち主が同じ車に 集まるのは当然と言えるでしょう。 ですからもしもアルファのオーナーに変態さんの占める割合が異様に多いなんて事が 本当に有ったとしたならば(本当にそうだって言っている訳では無いですからね・・ w) 変態さん好みの車ばかり作っているアルファ側にも問題が有ると言えるのでしょう・・。 ま・まぁそんな訳ですので「あの車、格好は良いのだけど乗っている人にはダサいのが多いなぁ」 なんて思う事が有ったとしたならば、そんな自分の美的センスもその“ダサい”方々と 大差無い可能性が有る訳で、反省の余地が有りなのかもしれません。 ただし「格好の良い車だと思うけれど、何故かあまり欲しいとは感じないなぁ」なんて事も時には有って、 そんな車にパッとしない服装センスのオーナーが多いようならば・・。 もしかしたらそれはその車の格好の良さが底の浅い物でしかない事に無意識の内に 気付いていると言う事なのかも知れませんが。
アテクシを訴へる前にも少しマシなクルマをこさへて売って頂きたひ、と。 新車で欲しくなるやうなクルマが何ひとつ無ひ惨状、ブレッラ・ヌパイダ見たときには 泣きたくなりました、これが何時の時代もアルファ・ロメオの華である筈のヌパイダか?と。 乗れば乗ったでそこそこ速ひは速ひが味気無ひ、と言ふ論調を多く目にしますし。 ま、アルファの場合新しければ新しひ程薄味になって面白味も無くなり それ故パンピー向けの盗用多的手の出し易さで売れてきてゐるやうですが 我々筋金入りのお変態さまはこんな物件では納得しません。w で、気が付けば北部同盟原理主義エロリストへの道を歩む訳でせう。
さて、お変態率は尻ませんが155以降はともかくそれ以前はボーソーと変態ばかりが 目立つオーナー像であったのは確か。 アルファ愛好者で著名なところでは ・伊太利亜が誇る変態映画監督・故パゾリーニ氏 (愛車の紺色のアルファでおホモだちの青年に轢き殺された) ・宅八郎 (キンモーの元祖ながらミニスカ時代の森高絶賛は深く賛同) ・カルパッチョ先生 (温泉シッコ、放射性物質タレ流し等深く共感w) ・一昨日丸ビルで捕まった大麻リストランテオーナー某ヒロ氏 (かつて164で大事故) ・成田離婚芸能人第一号某噺家 (自害) まぁ錚錚たるロクデナシばかりであります。 変態とかアルファ乗り、と言ふ言葉は今や片輪とか目暗とかチンバとかビッコとか 気違ひとかツンボとかオシとかと同様言ってはいけなひ言葉なの鴨知れません。 で、ポリティカル・コレクトな言ひ方として ・理性の不自由な方 ・自制心の不自由な方 ・快楽・欲望に転び易ひ方 と呼ばねばならんやうです。 ↑ホントに怒られるってw まぁアテクシの主義主張として上っ面の言葉狩りで現実を韜晦したひ人々に嫌がらせをしたひのです。w 且つ、非常に不本意で面白く無ひことに、今のアルファは上記の如く薄味で ことに156以降のオーナー各氏はぢつに残念なことに破天荒なお変態さまは激減、 古ひタイプのアルファ乗りは絶滅危惧種となっておるやうです、 アテクシも繁殖能力の無ひ珍獣ですし。w
言葉に関しては、私の場合は自分の耳に心地良くない言葉は使わない事にしています。 ・・と、言うと明解な基準のようですが、結構曖昧でもあります。例えば盲目の方を「メクラ」とは 決して言いません。しかし、大衆車のベースグレードの計器板によくある、上級グレードならば 回転計の有る所を隠すフタを「メクラ蓋」と呼ぶのは平気だったりするので。 まぁ、ナンにしても行き過ぎは考え物かも。以前何処かの放送局のアナウンサーが原稿の中に 「禿げ」という言葉を見つけ、咄嗟に機転を利かせたつもりで「毛の不自由な人」と言ったら 抗議の電話が一杯掛かって来たなんて話も聞いた事が有ります(本当かよ w) それにしてもねぇ・・。“本来の味わいが濃いアルファを好むのは変態さんばかり”みたいなことを あんまり広めると・・。 「だったらもっと薄味にしないとイカンかな?」なんてことにもなりかねませんよ(w
ところで。メーカーが本来ターゲットに考えていたのとは全く異なる層から支持を得る。 ・・なんて事も時にはあるようです。(まぁ、元々変態さんをターゲットに考えるメーカーも無いでしょうが) 例えば2CV。元々が農家の便利な足、言わば新種の農機具のように考えて作られた筈であり 実際に初期にはそうした需要が多かったようですが、そうした需要が一応満たされると今度は何故か 都市部に住む若いインテリやら女性の間で人気が出た。ブリキの缶詰のようだと評されたあの形が 実は美しいのだという事に気付いたか、それとも何にでも使える便利さが受けたのか? そこで2CVを徹底的に研究し、そのライバルになる事を目論んだ後発車であるルノーの4は、 最初から若い女性ユーザーもある程度ターゲットに考えて作られたそうです。 それこそバケツをひっくり返したような形の4ですが、確かに女性の間では人気になったようです。 此処はルノーのデザインチームの勝利だったのでしょう。 ブランド物のバッグにも、結構素っ気無い形の物が有るようですが、その素っ気無さがかえって 洒脱であると言われるのと似たようなモノなんでしょうか? 発展型の5やシュペール5が退いた後も、4は長生きしましたし。 しかし4がついに生産中止となった時、既に農家の業務用にはもっと大型のバンが行き渡っていた事もあり その後継車種トゥインゴは4よりも更に若者向きに作った筈が、いかにも・・なその形に都会の女性層は 食い付かず、ルノーの思惑とは全く異なり高齢者層の間で人気が出ると言う事態になったのだとか。 ファッションにうるさい若者層にとっては、あんまり車が主張して欲しくなかったという事だったのでしょうか? こっちはルノーがターゲットと考えたユーザー層の嗜好を読み間違えた例のようです。
ま、アルファに限らず欧州車全部が薄味のトヨタ・フォード風味になって ますねぇ。 ちょっと前ならランチアテーマ、サーブ9000、アルファ164なんて 共通部分が多くてもちゃんと際立った個性がありました。 悪評高いPRVエンジン搭載車群も然り。 大衆車、実用車は誰でも乗れて使いこなせる冷蔵庫・白物的存在でいいの でしょうが、スポーツカーなんかはスキルの低いものは拒むような、孤高 の存在であってほしい気がしますが。 とはいえTVRなんかは孤高になりすぎて、さしものロシアの大富豪ですら 支えきれなくなっているようです。 私が一時期所有したグリフィス500(マツダロードスターに5リッター、 最大トルク50kgのエンジンを積んだと思ってください)は、本当に難しい 雨の日には乗りたくないクルマでした。
トヨタってそんなに薄味でしょうか?操作する感覚の薄さもアレ程になれば立派な芸だと思いますが。
ステアリング操作にしても「こっちに切ると、本当に車はこっちへ曲がるのだろうか?」と、
何時でもそう不安に感じながら運転する感覚というのは他のメーカーの製品では中々味わえない
トヨタ独自の味付けだと常々感じております。
・・昨日
>>487 を書いた後で思った事。
以前、60年代頃のイタリアン・ベルリーナのデザインに関して「クーペの流麗さと比べると素っ気無い
弁当箱デザインが多い」と言いましたが、フィアットのようなけばけばしい細部のフィニッシュで損を
しているような物は別ですが、アレ等も“デザインし過ぎないように気を配った”結果だったのでしょうか?
特に車好きと言う訳でもない人も乗る実用セダンの場合には、車があまり饒舌に過ぎないように
気を配ると言う考え方もアリなのかも。また実用型は“ハコ”に徹する事で、ベルリネッタの流麗さを
更に引き立てるって戦略だったとも考えられなくも無いですし。
ああいう素っ気無い形ってのはベルリネッタとの比較とかでないと語られる事も中々無いと思います。
少し前に書いたように、特に傑出した部分が無く“良く見ると中々味わい深い”とか
“一見平凡なようだがバランスには優れている”ってのは残念ながら話のネタにはなり難いのです。
しかし。仮に流麗なクーペ型を、より一層引き立てるという狙いが有ったのならば(想像に過ぎませんが)
それもそれで良かったのでしょう。
現代のアルファ・ロメオのように皆似たような顔立ちを与えられ、セダン型も充分にに格好が良い
・・というのも売れ筋を考えれば確かにそれはそれで結構なのでしょうけれど、
それだったら空間的には狭い事を覚悟の上でクーペ型を選択する意味も薄いように思いますので。
ついでにイタリア以外の国にも目を向けてみると。 60年前後はアメリカの影響が最も大きかった頃でもあり、様々な国で縮小されたアメリカデザインが 作られていたようです。とは言え、英・独のフォードやオペル・ヴォクスホールがそうだったのは 半ば当然とも思えるのですが。 イタリアは戦後間もない頃にはアメリカ風の悪しき影響を最も受けた国だったように思うのですが この時代になると対米輸出に熱心だったフィアットを除きそれらから脱し、ツートーンの塗装や テールフィン等は見られなくなっているようです。 もっとも、数の上では圧倒的だったフィアットがアメリカ寄りにいた以上は、実際に街中で見る 車の印象はまだアメリカ風が大多数と感じた事でしょうが。 アメリカの影響が最も少なかったのはフランス車でしょうか。メルセデスですら小さいながらも テールフィンを生やしていたこの頃、プジョー404に僅かにそれが見られる以外には 殆ど直接的なアメリカ調の影響は見られません。そのプジョーにしてもポンツーン型のフロントフェンダー から連なる直線的処理としてのテールフィンといった感覚であり、アメリカ車のそれとはあまり 似ていない気がします。 この時代辺りまでは、メーカー毎の個性の他に各国毎の個性というものも確かに存在したように 思えるのですが、デザイナーさん達が他国メーカーに渡り歩く事が、今よりも少なかったのでしょうか。 それだけに各国それぞれの全体的傾向とか一般の嗜好を考える事に面白味が有るのですが、 そんな中、単純には理解しかねるのが英国。ブランドの数もまだ一杯残っていた事も有って “こういうのがこの時代の英国調である”とは簡単には言い切れないのです。
>>488 FIATクローマの立場は・・・。w
>>489 本来156のあの嫌がらせのやうな後ろドアのノブは4ドア、ベルリナでありながら
ベルリネッタ、クーペに見せるその為のデザインワークだった訳です。
いかにも前の2枚しかドアが無ひやうにそこだけドアノブを見せる。
だからGTが追加された時、屋上屋を重ねるやうだなぁ、お尻にハッチが欲しければ
それこそシューティング・ブレーク風味にも見へるSWがあるぢゃなひか、と。
このベルリナのベルリネッタ化、本邦の上っ面第一主義デザインでは相当前からやらかしてますが
欧州車は相当の高級品まで実用の部分に激しく配慮されてゐた筈です。
例へばかのおベンシさまも、そしてうちの75もかなり直立したウインドシールドと
前進したアップライトな着座姿勢、更にはリアシートの座面はフロントシートより高ひ、
どのシートでも上体を自然に且つ疲れなひ角度でしっかりホールドする、
そのパッケージングありきで全てが出来上がってゐた筈なのです。
逆にかういふシートレイアウトはかつては高級車の文法であったのです。
500kmを超へる無休憩・無給油のグラン・ツァー、このところ何度も行っておりますが
かういふ行為を行ふと真価が分かります。ま、尤もアテクシ、ヌパイダでもやらかすんですが。w
ヌパは105系の2座のファスト・ツァラーとして生まれたものだから、一応。w
ヌパはともかくかつての本物のおベンシ、75、百歩譲って155までの(155はアルファではありませんがw)
これらのベルリナどもは上記の真面目なシートレイアウトを持ってゐた訳です。
翻って現今のアルファ、ぷぢょさんは言ふに及ばづおベンシ様さへも
CLSのやうな実用二の次のベルリナこさへるご時世となった訳です。
デザインの為に居住空間を犠牲にする事には賛否両論有るでしょうが、 その結果として外見が美しくなっていないのでは空間を犠牲にして得られた物は 何一つ無いという事になり、そうした車には存在価値そのものが無いと考えます。 此処で個別にそうした例を上げる事は控えますが、見ていて不愉快になるような代物も有ります。 私は基本的には誰がどんな車に乗ろうと勝手であるとは考えていますが、車の外見とは その所有者個人だけの物ではなく街の景観の一部を成す重要な要素であるとも考えますので くるまオタク以外の方も目にするメディアでも、もっと車の外見について厳しい批評を行っても 良いのではないか?と感じる事が有ります。 ところで。元々長距離旅行用である事を示す“GT”だとか、またその素(もと)となった“コンチネンタル” とはリアシートを持たない分荷物スペースを広くとり、空力的なボディーを纏った二座クーペに 与えられていた名称である事を思えば、リアシートに座る乗員にも適切なスペースが与えられた車は 本来長距離用ではないという事になるのでしょうか? ・・まさかそんな事も無いでしょうが、この“コンチネンタル”という言葉、英語である事からも判るように 元はと言えばロールスロイスのファンタムUの高性能版が使用したのが自動車用語としての最初の ようです。つまりはヨーロッパ大陸以外の所で生まれた言い方。そしてそれを引き継いだのも アメリカ・フォードのリンカーン。こちらもクーペとカブリオレしかボディーバリエーションが無かったように 長距離旅行に対するイメージがかなり個人的で豪奢な方向に振られていた事が伺えます。 しかし実際に欧州大陸に住む上流階層は自動車での長距離移動を好んで行ったのか? ・・という事はこの際は別の話。彼等が好んだ当時の高級クーペやカブリオレには リアシートも無ければ荷物スペースも無い物も少なくなかったようですから。
うちのヌパの場合、2人分の1発、ぃあ1泊分の荷物を積める、といふのが基本です。 つまり基本はデート・カーだ、と言ふことなのです。 尤も3泊分の荷物、その大半はアテクシ持参の着せ替へプレイ用衣類だったりするのですがw さういふことも実際可能でした。 デート・カーとは言へ105系で最も高ひ最高速を誇るのも事実でありますし。 それも股ピニン・ファリナの空力ボディーのお陰でもあります。 一方で昨晩某氏たちと久々に自由ヶ丘で毒ドーナツつう物件食らったのですが その時店の前を通りかかった黒ひ同型ヌパはリアデッキにキャリアを付けてゐました。 「あれも股Eなぁ、あれにLVのモノグラムのトランク括りつけて山の上ホテルとかに 乗り付けるプレイしてみたひなぁ、金谷ホテルでもE、富士屋ホテルもE」、 この頃御用達(お茶だけ、しかも禁煙なのですぐに退散w)の万平ホテルもEのです、 さういふプレイも心引かれるものがあります。w まぁ実際今手元に有るのはLVのトランクどころか精々ゼローラーごろごろ引っ張って トランクに放り込むだけなのですが。w さて、欧州行くとぢつに小型の安物の実用車さへも街の景観に溶け込んでゐるものでした、 欧州ぢんはケチなのでwLセグのでっかひクルマはまづ見掛けなひのですが。 なるほどデザインといふものはかういふものか、と思ふものでありました。 翻って我が国、都市計画のかけらも無ひ無秩序、それは乱雑なエネルギーに満ちて 一方では常に変化し続ける日本ならではのパワーでもあり良ひとも言へるのですが 他方見苦しひ街並みであったりする訳です。ところがその見苦しひ街並みに溶け込む これ股見苦しひクルマ。w かういふのも如何なものでせうか?w
>>492 ナニを仰る。その2座GTで長距離を走る伝統から生まれたのがラリーでありル・マンではないですか。
実際、ル・マンの出場車両は助手席とトランク(60年代以降はどちらも形だけでしたが)の装備が
レギュレーションで義務づけられていたりもいたします。
CLSを見かけるようになったこの頃、ひそかに「ゴキブリ」にそっくりと思ってますが ヘンでしょうか?形といい、その運転といいまさにゴキブリ。 いまのオデッセイも「ゴキ系」な格好だと思いますし・・。
1940年前後のアメリカ車(特にフォード系)を“甲虫型”なんて良く言いますが、 (元々はVWビートルもその影響をかなり受けたスタイルです)その他はどうでしょう? 見る人次第でしょうね。CLS等は黒塗りだったらそんな気もしそうですが・・。 ビートルも初期のスプリット・リアウィンドウ型の後姿は確かに甲虫っぽい気がしますが、 それが一つに繋がったオーバルウィンドウ型以降には、私はそれ程甲虫の面影を感じません。 昨日496を書き込んだ後で思ったのですが、最近は乗用車ベースのライトバンって少なくなりましたね。 軽トラックベースの1BOXや、バン専用に作られたらしきトヨタのプロボックスなんかは 結構見掛けますが。ちょっと前にはニッサンのS-Cargoとかダイハツ・ミラ・ウォークスルーバン等 面白い形の小型商用車が結構有ったのに。 スタジオの中、ショールームの中で良く見えた所で終わっているデザインの車というのは 幾ら単独では綺麗に見えても、良いデザインとは言えないと思います。 もしもデザイナーの感覚が、毎日の生活の中で見る街並みに左右されるならば(ある程度は 当然そうなると思うのです)スタジオの有る場所やデザイナーの住む街の情景が、手掛けた 車に反映される事も当然有り得るでしょう。 以前他スレに“車はその生まれた土地で見るのが最も美しく見えると言う説が有る”って話を 書き込んだ事が有りますが、私がその説を記憶してある程度正しいかも?と思うのも以上のような 事が有る為なのですが、そう考えると貧相な街並みの中では貧相な車しか生まれないという事にも なってしまうのでしょうか。 ・・ちなみに、我が家の小型トヨタ車は、郊外型スーパーの屋上駐車場がとても良く似合います(w そういう用途にはシトローエンは使いません。特に理由も無いですが気が乗らないのです。
・・どうも根がマジメなので、つい理屈っぽくなる傾向が有るような・・。 まぁ、とにかく自動車の外見は街の景観の重要な一部分であり、持ち主個人だけの物ではない。 っつうのが私の持論な訳です。 そうした“車も街の景観の一部”という観点から撮られた写真も数多いようですが、 メーカーがカタログ等に使用したものから捜していくと、どうもフランス車とイタリア車に そうした絵柄は多いようです。 英国車やアメリカ車の広報写真やイラストのバックには、都市の景観等よりも 持ち主らしき人の(かなり立派な)邸宅や自然の風景を用いている物が多いようです。 ドイツ車の場合にもそのパターンが多い気がしますが、他に目立つのは“古城の建つ丘”のような 名勝地を背景にした写真。これ等もお国柄が出ていてそれはそれで見て楽しいのですが。 もっとも私はフランス車好きなので、手許に有る資料なども自然とそっちが多くなっていますから、 正確な統計を取ってみたらまた違う結果が出る可能性も有ります。 まぁ、売り手側とすれば当然広報写真は車の見栄えが良くなる場所を捜して撮るでしょうから、 名勝地やスタジオで写すのが普通なのかも知れません。 ・・それにしても・・。別に文句を言うつもりも無いのですけれど・・。 輸出する訳でもない国内専用車種でも平気で欧州の都市をイメージした背景の中に置き、 外人のモデルを乗せる日本のメーカーのやり方はちょっとあざといのではないでしょうか? 実際には走る事も無い筈の場所で撮った写真を見せ「取り回しも楽です」とか言われてもなぁ・・(w
リアルで「街の遊撃手」をやろうとしたんですかねえ。
>>502 丈夫な車ですね(w
>>501 ローライダーねぇ・・。放っとくと勝手に車高が下がる車に乗っていると、何が良いのかさっぱり(w
500に貼った英フォードのポピュラーと言う車、1930年代中頃にそのオリジナルが登場しているので
生産終了の時点ではおおよそ四半世紀前のデザインだったという訳ですが、登場の時点でも
けっして斬新だったという訳では無く、むしろ時代からは少し遅れ気味だったようです。
それにしても、そんな外見の車を生産し続け、またそれを受け入れ続けたイギリス人とは
一体どんな感覚だったのでしょうか?
しかし欧州の都市へ行くと築数百年もの建造物がごく当然のように使用され続けている例が
それこそ幾らでも有る訳ですから、その点では周囲の新式デザインの車に目を向けない分には
大して気にならなかったのかも。
第二次大戦後の自動車デザインの大変化を経ていなければ、四半世紀前のデザインというのも
大した違和感を感じさせなかったとは思うのですが、他が大きく変化した時代であるだけに
この車の古臭さは異常とも思えるのです。逆に大きな変化の無い時代であったならば、
大した感慨も覚えなかった事でしょうが。
現代では安全や環境への配慮からそうした基準が目まぐるしく変化していますので
極端なロングセラーは生まれ難くなっているようですが、デザインに話を限れば此処暫くは
大きな変化は生まれていないと思います。こうした時代にあれば、四半世紀前のデザインでも
大した違和感は感じないのではないでしょうか。
都市景観と車、といえば。現行フィエスタの正規輸入がやっとアナウンスされた頃、 フォードジャパン本社のそば、神谷町駅前でテスト車両を見かけたのですが、これがもう 見事に街の風景となじんでおり、感心した覚えがあります。 それまでの輸入車はヴィータであれプントであれ視界の隅をかすめただけで国産車でないと わかるような、なにがしかの雰囲気をたたえていたものですが、フィエスタだけは違いました。 かと言ってフィエスタのデザインが凡庸かと言えばそんなこともなく、ライバルたちと並べても ちょっと地味かな、と思わせる程度の自己主張はあると思います。 フィエスタ直前のフォード車がKaやフォーカスなどのデザインがとんがっていながらも端正とも 言えたことと考え合わせると、ヨーロッパフォードは都市景観の中ににおいたときの車デザインに かなり自覚的であり、独自の方法論にたどりついているのではないでしょうか。
>>505 普段は地下鉄に乗って通り過ぎるだけの事が多いですが、神谷町駅の辺りは結構わざとらしくもなく、
自然な趣の有る建物も幾つか有るようですね。
最近結構評判の高い欧州フォードですが、そう言われてみるとKaや先代フォーカスなど
意外に端正とも言えるのかも。(新型フォーカスはまだ実物が走っている所を見掛けないので保留)
保守的と言うよりもアナクロに近いような形の車を平気で売っていたかと思うと、変に尖った形の車を
世に問うてみたり。時代によって両極端に振れていく欧州フォードですけど、英独統合後は
意外に落ち着いた中道路線を歩んでいるように見えます。
ただ、以前にも書いた話ですけど、フォードと言う名前からは車に興味の薄い方はやはり
アメリカを連想するでしょうし、ドイツ的なものやイギリス的なものを求める顧客の気を引くだけの
強いイメージが無いのが日本では弱い所なのかも知れません。
・・・ところが。最近ちょっと思ったのですが、このところ他のドイツ車達が、アメリカ市場を意識しているのか
古い落ち着いた街の中よりも無機質でモダンな街並みや、荒涼とした砂漠のような背景に置いた方が
引き立ちそうなデザインに走る中で。アメリカ市場はアメリカフォード、又はイギリス的なるものを
強調して見せているジャガーといった同じグループ内の別会社に或る程度は任せられる分、
欧州フォードには自らの信じる物を追求できる自由が有るような気がします。
そうした事が今の欧州フォードでは、デザインその他にも好影響を与えているのではないでしょうか。
・・ただねぇ・・
「これ、広島製?って訊かれると凹む」みたいなことを仰るオーナーがいる事も事実・・
私なら別に誰に何処製と思われても構わないと思いますが、そういう方の気持ちもワカランでもないところ(w
↑それは多分に理解出来なくも無ひところで、我々真のアルファ党はwやはりアレーゼ製、 ポミリャーノ製のスッドなFFなんざぁ、と言ふところはありますし、 股SAAB党の一部(随分小さひ一部のその股一部で日本に数人鴨知れませんがw)は やはりトロールハッテン場製へのこだわりがあるやうです。 それは、それぞれのメイクの味の濃かった時期、それぞれの独自色や個性を主張し形作った時期 それぞれの”らしさ”を形成したそれがアレーゼやトロールハッタンであったことに因るのでせう。 どちらも有り物シャシ有り物エソジソの寄せ集めカーになってしまった、 だからこそかつての製造地へのこだわりがあるの鴨知れません。 さて、一方フォード、これも股ナンっつたらEか、 アテクシ思ふに世界中が盗用多化に因る荒稼ぎ収益のみ重視経営に走る中、 それに乗り遅れたのがフォードでもある訳です。これが禍福は糾へる亀甲縛り縄の如し、 周回遅れでトップ走るやうに、コストダウンの塊に安タイヤ4つ付けたクルマ群の中では きちんとした造りを今に伝へる的に光って見へるのだと思ふのです。 それはかつて70年代末〜80年代初頭、クオーツショックと過度の成熟商品化で ひたすらコストダウンと目先の新機構競争に明け暮れ有力メーカーが次々没落したスイス時計、 その中で独特のジャストチェンジ(日付瞬間切り替へ)機構をもつが故 新機構とコストダウンに乗り遅れたローレックス、 それが逆にそれまで中級実用品だった同社製品がオメガやインター、 ロンジンなどの安物化とそれによる没落の中取り残され、それが安物の中では逆に高級となり 今の高級(と思はれてゐるだけなんだけど)品としての地位を築ひたのと似てるやうに思へるのです。 つまり、周りのレヴェルが下がったことで、前と同じ場所にゐても上になってしまった、 さういふこともあるのでは無ひか、と思ふのです。
国籍無視で言うなら私の個人的イメージは以下の通り。 ベンツ=ロレックス、フォードグループ=LVMH、ヨタ=セイコー 歴史的には30年の差があるハイブリッドとクォーツ。 自動巻きクォーツっつーのもTISSOTあたりから出てるけどね。 (ぢつは持ってる)
そういえば、オペルが日本から撤退だそうですね
ほう。そんなに売れないんですかねえ。80年頃のパチモン臭さから脱却した、良くも悪くも
小綺麗な車作りには好感が持てたのに残念です。最近街で見かけてあれっと思うデザインは
オペルとアウディでした。どちらも中身は褒められたもんじゃないあたりも同じ。
もしかして、いわゆる「ドイツの田舎もん」もそれなりに都市住民としてデザインのある生活に
目覚めたのかもしれません。
まあ私の場合オペルというと伊藤忠、という悪印象(ないしは偏見)からはなかなか自由になれません。
>>508 差詰めVWグループはスウォッチでしょうか。いつの間にかブガッティまで傘下に…というあたり。
オペル日本撤退、今朝の新聞に出ていましたね。 「フォードはやはりハイランド・パーク工場製に限るねぇ」みたいなオタクがいない(と思う)ところが フォードやオペルの強みでもあり、弱みにもなる点だと私には思えるのです。 その昔「マサチューセッツ製・左ハンドルのロールスロイスなんてホンモノとは言えないね」 と言って、わざわざ同じ出来の英国製ロールスを個人輸入して乗ったというスノッブな アメリカ人達によりロールスロイスアメリカ工場が閉鎖の憂き目にあった。なんて話がありましたが そういう事もフォード等には有りそうに無いのですけど、その代わりに(新車で買う事に限れば) オタク的な興味の対象にもあまり成り得ないような気がします。 ・・そう言えば以前他スレにも書いた疑問ですが、アルファのエンブレムからミラノの文字が消えたのは やはりスッド誕生の時からなのでしょうか?私は歴代のアルファベルリーナの中では最もスッドが 好きです。意外にそういう人も多いと思うのですが、そういう人ってのはナンなのでしょうね?? 私の場合に限れば、最もアルファらしいアルファとはヴィットリオ・ヤーノ設計の頃で(w 戦後モデルは皆特にどれがアルファらしいとも思っていない節が有りますので、 そうした中ではスッドが最も好みの形であるといったような事になるのでしょうか。 こんな調子に元々が1920〜30年代の自動車が最も好きな、今時ちょっと珍しいらしいタイプの 自動車好きですから、その時代には未だ存在しなかったメーカーについての知識等には ちょっと弱い傾向が有る私。 ですからサーブってのもなんとなくこれまでは真剣に見る機会が無かったのですが、最近ちょっと 初期の製品を中心に興味が沸いてきたところ。 一度くらいはちゃんと乗ってみないといけないでしょうか。昔からよく言いますからねぇ “スウェーデン食わぬは男の恥”ナンチテ・・(スマヌ・・)
アダム・オッペルはヴォロクソ・ヴァーゲンに逃げられたヤナセが後釜として育成しやうとしたやうですが、 何せこのドイツ車さま、我々アルファ乗りでさへ腰抜かすやうなdでも無ひぶっ壊れ方するさうで しかも本国ではそんなヤナセから上がってくる不具合情報にまともに取り合わなひらすぃのです。 何せ”ドイツ車”様ですから蒙昧な日本市場の皆さまとしては断ぢて壊れてはならなひ訳です。 ”ドイツ車”が欧州車標準レヴェルで壊れてはアルファ乗りを馬鹿に出来無くなるからです。w で、おベンシさまとかは日本に荷揚げするとデポで徹底的な検品と修正(ぃあ修理)を 販売前にして、且つ不具合情報を本国に送る、本国本社ではそれに対してキチンと対応して 修正をしてくる、ヴォロクソ・ヴァーゲン一派もさう、しかしオッペルはそれが無く 遂にさすがのヤナセも匙投げた、といふことがあったらすぃです。
で、ミラーノ表記の件ですが、既にこれも股幾つかのヌレに過去書ひてますが、 逝ってる師の仰る通り、ポミリャーノ・ダ・ルッコのヌッド工場設立が契機です。 73年のことです。時奇しくもオイルショックのその時。 アテクシ、表向きは「ヌッドなFFなんざぁ」と言ひます、 事実長年の慣れでやはりFRのはうが安心して乗れる、それはさうなのですが ヌッドや164は非常に評価してゐます。まぁ164の強烈なトルクステアはいささか恐れ入りますが。 ヌッドはヌッド・ヌプリントまで考へれば確か90年頃まであったのですが やはり純なヌッドがEともアテクシも思ひます、しかしこれの多くが70年代〜80年代初頭製で 悪名高き腐るアルファの時期そのものなのです。 80年代も後半に入ると一変して全アルファが全く錆びなくなるのですが、 如何せんその時期のヌッドは1.7ti等僅かしか無ひ。33になると意外やアレコレコストダウンされて ヌッドの持ち味が結構ヌポイルされてしまってゐる。尤も33ならジャルディネッタ(ワゴン)も パートタイム式とは言へ4駆も、そしてその合はせ技もある、といふメリットはありますが。 何にせよ、ヌッドの素晴らしひハンドリングとロードホールディングは FF嫌ひのアテクシも一目もニ目も置くものであります。 まぁそこはそれ、何せルドルフ・ルスカの開発、 そしてハンドリングbyルスカの古巣ポルシェですから。 ぅーみゅ、”親子丼食はぬは男の恥”ですか、さうですか。 しかし何でかつてアテクシご幼少の砌の頃、 ヌェーデンと言へばスーパーフリー和田セクーヌの枕詞だったんでせうかね? アテクシもその昔はヌェーデンと言へばVOLVO、SAABとABBAとヴァイキング・ビッケと スモーガス・ボードとフリーセクーヌしか思ひ付きませんでした。w ぃあこれは日本に限った話ではなく、欧州だったか米国物ポルノで ”ヌェディッシュ・エロチカ”つうシリーズもその昔ありましたし。 北欧の長ひ冬、家に閉じ込められての性活では楽しみはソレだけだったのでせうか?w
私がスウェーデンと聞いて思い出すのもやはりその辺。 あとはサウナ風呂に故・ロニー・ペテルソンくらいですかねぇ(w あの辺の方って、長い冬は家に閉じ込められて他にする事もなく(凄い偏見 w) 白夜の時期も有りますから、明るい内からするのが普通にもなり結果として(ry・・ 日本にも白夜書房っつう、今はパチンコ情報誌で有名な出版社が有りますがその昔は・・ 実は私もその頃、其処から出ていた雑誌で(以下、延々と脱線になるのでこの話はその内他スレにて) ・・そんな事はともかく・・。オペルの話の続き。 最近は何処のメーカーも独自の日本法人を持ち、一昔前までのように商社が総代理店となっている ケースは稀のようです。ヤナセとかミツワなどのような、老舗の輸入車販売会社にとっては 商売の旨みは少なくなっているのでしょうか? あの辺の会社には、輸入車を特別な物として扱い、念入りなサービス込みで価格設定をするという 体質が有るように感じるのですが、パッカードからポルシェといった高価格車で商売をしてきた ミツワなどはともかく、普通の人が普段使いに乗るようなVWやオペルには、ヤナセのそうしたやり方は 時流にそぐわなくなったような気がしてなりません。 ところで。以前年バレスレにて“これは1.3or1.6?”と伺った、時々近所に停まっているジュニアZを 今日も見掛けたのでちょっとエンブレム見てみたら、やはりミラノの文字が入っていました。 恐らくあの辺がエンブレムにミラノという文字の入っている最後の世代という事になるのでしょう。 あの多色のエンブレムって、七宝かと思っていたのですが、古いアルファのそれを見ると 結構退色しているのですよね。・・ってことは焼付塗装物なのでしょうか?
白夜書房、今日もそのそばを通って通勤退勤、ぃあ大学もアッチ方面でしたので 思へば4半世紀も。w この白夜の出版物でおフェチなアテクシ最もお世話になったのは何と言っても ”ダ ン ス フ ァ ン”。www ぃあー10年ちょっと前にはどれほど汁絞ったか。w ヌモーガヌ・ボード、いはゆるヴァイキング料理ですが以前(それこそ10年も前)、 まだ確か横浜にもあったロツア料理のロゴスキーに行ったのですが、 そこで出た前菜がコレ式の冷製モノばかり。 寒ひところなのだから暖かひモノ食へばEのに何で股冷製ばかりなのかと思ったものであります。 ヌモーガヌ・ボードと言ひ露助料理と言ひ、まづ第一に思ひ浮かべるのはヌモークサーモン。w ま、あとは露ならピロシキとボルシチとパンで蓋した壺スープ。ボルシチはやっぱり新宿中村屋。w 先日はこれ股々10数年ブリにつばめグリルなんつうとこ行きましたが、 ぅーみゅやっぱりドイッチュだのロツアだのにはロクな食ひ物は無ひことを痛感しました。w ドイッチュなんざ豚と芋とキャベツ以外に食ふものがあるのでせうか?w さて、脱線転覆はこれぐらひで勘弁してやって閑話休題、股閑話。 蛇印はその時期は焼付け塗装です、もっと昔は七宝もあった筈ですが これが戦前物とかになるとあの多色使いでは無く赤と金色だけとかだったりするのです。 勿論、今は(そしてうちの2台も)単なるプラスチックの練り物。w まぁ今時クロワゾンネ(金線七宝)なんぞでこさへた日にゃバッジだけでウン万〜10数マソ、 それをクルマに貼っ付けて放置なぞとても出来ますまひ。 このクロワゾンネ、いっとき超高級腕時計の文字盤として復活した時期もありましたが それも今や下火となった様子、何せ手間で歩留まり悪ひですから。 しかし道楽の一つとしてハンズの彫金売り場で七宝焼きの炉と金の針金、 七宝の粉と研磨剤(炭の粉とか使ったりします)、 そんな程度の物件買ってきて小物作りも中々に面白さうでもあります。 模型もEでせうがこの手の遊び芸、老後の楽しみの準備としても 暇な奥様と夫婦共通の楽しみとしても宜しひのでは無ひかと思ふところもあるのであるます。 ぃあ、ぢつにぢぢ臭ひ〆だな。w
さて、懸案の75のバッテリ上がり、つひに1週間で上がる体たらくに落ちぶれ、 単なるバッテリの問題かそれ以外かまづは確認に入場させてきました。 既にバッテリはクルマ仕入れてから(4年か5年の間に)3回か4回替へてますし オルタネータなんざも同じく3回も4回も交換しておりますし、 あまつさへ夜間戦闘用にぢつに110Aまで拡大しておるのですが・・・。 過去の検査では発電量も充分、OFFポヂションでの電流も0と言ふ状況。 本当に完全に電流0だったら逆におかしひのですが。何せ旧態化したクルマに ナビにデッキにETCと後付け電装品だらけ、待機電流が0な訳は無ひ。 いっそキルスイッチ付けるか?w さう言へばオッペル・ヤナセっつやあ以前おっちゃんから伺った話で 昔のヤナセではクルマが修理に来ても代車は出さなかったものなのださうです。 断ぢて、決して出さなかった訳でもありますまひが通常は出さなかった。 つか、出す必要がなかったのださうです。何故ならヤナセで輸入車買ふやうなお大尽には、 後にも先にもクルマ1台しかありません、なんつうビンボ臭ひヤシはまづゐなかったから、 ださうなのです。 まぁアテクシの場合も自前で相互に代車のやうな状態、 酷ひ時には午前と午後で入れ替へなんつうこともあった訳で逆にこれ股ビンボ臭ひと言ふか 馬鹿馬鹿しく情け無ひ話であるます。
>>517 OFFポジションで電流0??確かにそれも変な話ですね・・。
さて七宝。結構私はそういう事するの好きなので、その内に機会が有ったら本当にやってみたいところ。
以前模型雑誌でVWビートルの特集が有った時。アレに付いているウォルフスブルグ市の紋章が
七宝であるといったような事が書いてあって、そのまま鵜呑みにしていましたが。
考えてみればエロスパ氏の言われる通り、ホンモノの七宝を車につけて放置なんて怖くて出来ない。
アレも恐らくは“七宝風”だったのでしょうね。
しかし、ホンモノの金線七宝となれば確かに高価なものにつくでしょうが、量産品ならば
ダイキャストで境界線まで作った下地に釉薬乗っけて焼き、機械研磨で仕上げれば数万もの値段には
ならないような気もしますが。素人考えでしょうかね??
と、言う訳でいつもとちょっと趣を変えて誰でも簡単に出来るアクセサリーの作り方。
・・まぁ、要は
http://www.alfaromeorestorations.com/alfaromeo-logo.gif みたいなエンブレムの図柄等を先に見つけておいて、これをマクセルから出ている
インクジェットプラシートなる代物にプリントし、オーブントースターで焼くだけ。
“インクジェットプラシート”で検索掛けると、結構いろいろとやっている人がいて参考になります。
後は艶出しと保護を兼ねてクリアコートすると良いのですが、此処で粘度の高い2液反応型の
エポキシで厚くコートすると見栄えがします。商品名“リキッドグラス”とかが使い易いでしょう。
上手く行けば(そう難しい事は無い)七宝風は無理でも陶板風くらいの出来栄えにはなり
キーホルダーくらいには充分に使えるでしょう。
>ダイキャストで境界線まで作った下地に釉薬乗っけて焼き、機械研磨で仕上げれば
なんっつったけかなぁ、その手のはクロワゾンネと呼ばづナンとかって言ふんですが
ソレが出てこなひ。ナンにしてもこの手は焼ひたときにヒケが出て仕切りとの間に隙ができたり
ニュー(ヒビのことをこの手の世界の用語&時計用語でニューと言ふ)が入ったりして
非常に難しく歩留まりが悪ひのです。
で、ちょこっと調べてみましたらこんな物件が。
http://www.cadillac.co.jp/club/centennial/emblem6.html http://www.cadillac.co.jp/club/centennial/emblem7.html 戦前のキャデは本当にクロワゾンネ使ってたらすぃのですが
よもや全てのキャデにこれだった訳ではありますまひな?
特注だけでせうか? ぃあ天下の高級車キャデならではですなぁ。
アテクシさすがに逝ってる師の如く”赤いテヱルのパッカード コロンコロン ヘチマコロン”w
は乗ったことがありませんのでw何とも言ひ難ひのですが
個人的には昨今のおベンシさまよか一時期のセヴィルを圧倒的に高く評価しております。
コンコースも後ろでふんぞり返る用にはぢつに宜しひ、と思ひました、
まぁアテクシ何時でも断固ハンドルを握りたひクチですのでコンコースはさて置き
一時期の(つうと師の場合戦前の一時期と思はれさうですのでw)
つまり10年かそこらぐらひ前からこなひだまであったアレ、Eと思ひますよアテクシは欲しくは無ひけど。
嗜好が違ふので自分では所有はしたく無ひが身内とかに買はせて玉に借りて乗りたひ。w
まぁうちのをやぢは320E買ってエラひ目にあってゐるらすぃですが。w
>>518 運転手付きで使う車ならば、停めて置く間も無人にはならないので構わんのでしょうかね??
まぁ、腕の良い職人さんが安く使えた時代には、七宝のような物の値段も現代に比べると
相対的には安かったのかも。
1971年発行二玄社刊「世界の自動車 アルファ・ロメオ」の冒頭に
「わが国でもよくエンブレムを盗られる事がオーナーに共通の悩みと聞く」
なんて事が書かれていますが、実際の所どうなのでしょう?幾ら良いデザインのエンブレムでも
実車オーナー以外の人にはあんまり意味は無いって気がするのですけどね。
まさか、伝説のDSのリアフェンダー(ボルト一本で脱着可能)みたいに、オーナー同士の間で
ぐるぐると回っていたりして(w
さて。エンブレムの話ってのは結構オタク話のネタになりそうな気がしますけれど、案外と誰でもが
知っているような事ばかりで、今更新たに並べられるゴタクってのも無い物ですね。
皆、自分の乗っている車のエンブレムの由来くらいは知っているでしょうし。
以前他スレでフェラーリの撥ね馬とポルシェのそれとは同じ由来であるなんて話も出ましたが、
こうした、同じデザイン、同じ由来のエンブレムってのは他にも有って、アストンマーチンと
(今は無いメイクですが)ヴォアザンのエンブレムは共に“羽を拡げた黄金虫”(スカラブ)
このモチーフは欧米人には人気が有るようで、50年代の終わり頃には短命で終わりましたが
アメリカでもレーシングカー・コンストラクターの名前に使用されました。
・・なんで人気が有ったのか?っつう話はあんまり書きたくないのですけどね・・
(私もそっち方面は苦手なのです w)
ぬぅ、要するにフンコロガシ、うんこ玉をころころと、ですかな? ヌカットロ爽やか苔コーラでせうか?w
今日、自分の車(シトローエン)のエンブレムを見て思った。二つの部品から成るエンブレムって
案外珍しいかも。これだったらば盗まれる心配もないでしょうね。バラバラでは意味を成さない。
ずっと前にちょっと話に出たラジエーター上のマスコット。
どうせ盗むならこっちの方がいいなぁ。(真剣に考えている訳では無い w)
自分には縁の無い車のエンブレムでは飾りにも使えませんけれど、アレならば本棚の隅にでも
置いておきたいですから。
・・と、考えると・・。昔のキャディラックのエンブレムが本当の金線七宝を使用していても、
それが盗まれる心配など、ロールスロイスの“Spilit of Ecstasy”に比べれば・・。
あの女神像、1911年モデルから使われているそうですが、最初はニッケル合金に銀メッキ。
1915年頃からはニッケル合金そのものの鏡面仕上げなのだとか。
そう考えれば材料費は大した事はなさそうですが、さすがに手間の方はかなりのものが
かけられているそうですから、買うとすれば結構なお値段なんでしょうね。(我ながら俗物だなぁ・・)
かつてはデザインを担当した彫刻家の工房で作られたそうですけど、戦後はロールス社の自製。
ガスタービンエンジンのブレードを作る精密鋳造部門で作られたそうですが、
現在はどうなったのでしょう?
模型もいいけれど、そういうのも実物大で作ってみたいもの。しかし既製のフィギュアと言えば漫画系
(決してアニメとは言わない w)ばかりですから自分で最初から作るしかない。
簡単そうなのはヴォアザンの“ココット”でしょうか。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/651e.jpg?bc3pK3EBIjAuIuc7 これの真ん中。これなら鉄工所やっている知人に頼んでアルミ板でも切り抜いて貰えば
すぐに出来そう。
出先、四つ葉茶屋に溜まってそこからですが・・・、 プレスで打ち抜きも宜しひものの、それこそハンズの彫金コーナー行けば シルヴァーの小物作り道具が多数あります。 一時期よくおねぃタンたちが自作の指輪やアクセ作り」とかやってましたよねぇ、 さう言へばうちの妹もジュエリーデザイナーになりたひとか昔言ってましたが。 それはさて置き、この手は要するにインヴェスティメント・キャスティング いはゆるロストワックスなのです。それこそ精密鋳造。 で、まづワックス(蝋)で元の型を作りそれに鋳型の元を被せて鋳型を作り その後、蝋を溶かして抜ひて、その空洞に溶かした銀流し込むのです。 で、あとは冷めて固まったら鋳型壊して取り出す。 まぁクルマのオーナメント・マスコットを純銀だのスターリング・シルヴァーだので こさへた日にゃそれこそ七宝同様放置出来ませんが書斎の飾りなら。 且つ、中までギッチリ銀では高ひわ重ひわですから中抜きに鋳型こさへるとEでせう。 と書ひてそれでも地金代でナンボになるか恐ろしひ、と気が付きました。w やっぱ指輪が精々でせうかな。
工程までホンモノと同じの1/1作りってのは模型作りとは言わないでしょうしね・・。 ロストワックス工法は鉄道模型部門では昔から行われているようですが、自動車模型の世界では 天賞堂(銀座四丁目の時計屋)模型部門から真鍮製のスーパーセヴンが出ていたくらいかも。 鋳造は、砂型を用いたアルミ鋳造を、昔いたずら程度にやらせて貰った事が有る程度ですが、 怖いしw 第一難しい。湯を注ぐというごく単純に見える工程一つとっても、気泡を生じさせない為には それなりの経験が必要なのだと言う事を思い知らされました。 素材や工法が違えばまた別な話なのでしょうけど、いずれにせよ素人が気軽に出来るような物では ないでしょうねぇ。他の趣味全てを諦めてそれだけに専念する気も有りませんし。 宝飾品の世界にはデザインから全てを一人で行う人もいるでしょうが、 七宝も彫金もロストワックス鋳造もやるって人はいるのでしょうか? もしいたとしても、それぞれ専門に行う人のような訳にはいかないでしょう。 エロスパ氏も以前他スレに書かれていた事があったと思いますが、どんな世界であっても 長年の経験を積んだ職人さんというのは大したもの。 もっとも最近はそうした方もめっきり少なくなったようです。昔は何処の町工場に行っても 一人くらいは驚くような技量でこちらが目を疑うような仕事を見せてくれる方がいたのですが。 全く惜しい事には、その頃には私もそうした事の真価が理解出来なくて、ただ驚いただけで 終わりにしてしまってました。もっといろんな話をそうした方から聞いておけば良かったと、今になって 思う事が有ります。車の話にしても、昔の軍隊で海外接収したアメリカ車の話とか、結構面白い事が 一杯聞けた筈だったのに。
最近のSpilit of Ecstasy、盗難防止のため電動で格納できる仕組みになっているようです。 マスコットの台座が、ラジエーターキャップとして本来の働きをしていたら不可能なあたりがちょっとおかしい。
ぅーみゅ、くるまヲタ養成と言ふよか趣味の工芸講座の様相を呈してきましたがw、 後にも先にもクルマしか無ひそれこそヲタより、広くそこそこ深く道楽を楽しむ そんなのがぢん性を豊かにすると思ふのです。 さりとてアテクシ、多忙を極める今では自炊なぞする暇もありませんが 一時期暇な頃にはたびたびアレコレやってみたものです。が、そこはそれアテクシのこと 料理となれば股例によって道具に凝る。包丁なんぞに凝った日にゃ しまひにはきっと自分で打ち出して作るまでに嵌まり兼ねなひ、 そしてさうなった暁には料理すっかり忘れて刀鍛冶道楽に嵌まって 本末転倒するに相違無ひのです。w さう思ふとアアレコレあまり道楽も手広くなると アテクシの場合妙な凝り性ブリを発揮しかねづ二の足踏む部分もあるのです。w で、この刃物道楽、個人的には”ダマスク鋼”といふ物件が・・・、ぃあやめませう。w さて、懸案の75戻ってきましたが、だうもやはりバッテリが疑わしひ、と。 まぁ1年で5回も6回も上げてゐては如何に優秀な国産バッテリでも堪りますまひ。 以前ボッシュのバッテリしか無く、仕方無しにこれつかったことがありますが これは酷かった。昔からアルファの電装はボッシュだのイエガーだのが多ひのですが 遥か太古の時代はともかく現代のボッシュは粗悪品の代名詞鴨知れません。 つな、オルタもボッシュなのですが何とかNDに換へられなひものかと。w あ、一時期のボッシュはミクニ製インジェクションをOEMされてました。w 電気関係は最低限クルマに関しては今や、そして今だ日本製ですよ、 家電、電子装置はそろそろ日本危なひけど。
>>525 確かに。思わずちょっと笑っちゃいました。
Spilit of Ecstasyはご存知の方も多いでしょうが二種類有って、かつてはスポーティーなモデルには
跪いた姿勢の物が使用されていたそうです。
そう言われると確かにスポーティーモデルには背の高いマスコットは似合わないかも。
戦前のアルファ等のスポーツカーにもラジエーター上にマスコットが立てられた物は有るようですが、
水温計を兼ねた小型の物などが多いようですし、ブガッティも例の“ロワイヤル”以外には
メーカー自らはマスコットは用意しなかったようです。
>>526 私の車の電装も多くはボッシュですけど、全く問題無いですけどねぇ。バッテリーだけは
高価ですので安い国産モノになっていますが。
さて。趣味ってのは利益を追求して行うのではないので、例え完成品が中々出来上がらなくとも
懲りたいだけ凝れば良いみたいな所は有ると思うのです。だから趣味でやっている人でも
プロも顔負けの技量の持ち主ってのは何処の世界にでもいるようです。
しかし、そうした人の作った作品ってのはなんとなく神経質で、下手に手にとって見られないような
言い換えれば生半可な理解を拒絶するような気難しさが感じられるような気がします。
模型の世界では有名な一品ものの作家にウィングローブさんという英国人がいますが、
図面引きから鋳造、板金、機械加工と全てを一人でこなすので、細部一つ一つを見ていくと
もっと上手く出来る方もいるようなのですが、何処まで作りこみ何処を省略するかといった
全体のバランスの取り方はやはり大家の名に恥じない見事な物です。
基本設計も良く、部品も良い。それなら素晴らしい完成品が出来るのか?って言えばそうでもなくって
最後にモノを言うのは全体のバランスを取る人の力。言わばコンプリートする能力みたいなもの。
やはりこればかりは本当のプロにしか求められない物なのだと思うのです。
こうして毎日のように下手な長文書き散らしていると、以前書いた事との整合性など気にする事も無く
ちょっと矛盾に感じられても仕方の無いところも多少は(?)出て来てしまいます。
例えば
>>524 と
>>526 を続けて読んだら(まぁ、そんなにまともに読んでいる人もいないかw)
一人で何でもこなす事をどう考えているのか?って突っ込まれても無理は無いのかも。
まぁ、細部に拘るなら個々の専門家を起用する方が良いでしょうけど、最後のバランス取りが
難しくなると思っている訳で、矛盾してはいないと考えていますが。
バランスと言えば、以前に「バランスは良いけれど、突出した所が無い車は、話のネタにはなりにくい」
みたいなことも書いた事が有りますが、これも下手をすれば「バランスが良いだけの車は面白くない」
という意味にとられても仕方の無いところかも。
でも“話のネタになる車”が常に良い車だったり名車だったりする訳でも無いですし、
バランスの良い事がいけないことであるとは当然考えていません。
まぁ、それはともかく。突出した部分も有るけれど何処か欠落した所も有って、それ故に
名車に成り損ねたみたいな車。こういうのが話のネタとしては案外面白いと思います。
自分で所有するには困る事も多いですから。
調子の良い日には最高だけれど、細かいトラブルの絶えない車等はこのクチでしょうか。
私には、凝った機構を持ちつつも乗るのが恥ずかしい程格好の良くない“アレ”とか“アノクルマ”等も
その範疇にあると思います。が、これはおおっぴらには書き難い(w
戦歴が全てを語ってくれるレースカーならば“失敗作”と言い切ってしまっても角は立たないので
結構気楽に話せるのですけどねぇ。ティレルの六輪F-1とか、シャパラルのCAN-AMカーとか。
いかにも“突出した所も有るけれど、欠落した部分も有り、結果として名車にはなれなかった”
車でしょう。
かつてBMWにはそのバランス取りの名人、ライツレがゐました。 BMWといふところは各部門がヲタの寄り集まりのやうなところださうで 発動機部門では「うちのエソジソはどんなシャシでもねじ伏せて見せる」 シャシ部門では「うちのシャシにはどんなエソジソでもこなす能力がある」と さういふところなのださうです。それのバランスをとって全体としての整合性を付け より高いレヴェルでバランスさせるコンダクターとして優れてゐたのがライツレだったさうです。 その彼もローヴァー一派買収の失敗で詰め腹切らされた、 やうするに社内派閥抗争に負けたらすぃのです。
私は前にも書きましたがBMW的なオタク世界観っつうモノにはどうも懐疑的なのです。 例の50:50の前後重量バランスってのも、2シータースポーツでならともかくセダンではどんな物か?と。 人も荷物も一杯に積み、重心が上がってロールセンターが下がった状態の時にはリアヘビーになる筈で 果たしてそれで良いモノなのか?と思うのです。 様々な媒体で操縦性テストなどやっていますが、こうしたフル荷重の時にどうなるのか? って事まで試みているのは見た事が有りませんし。 と、言う訳ですのでライツレさんの評価というのも、そうした部分がはっきりしない事には私の中では どうにもしようが有りません。もっとも私如きがどう評価しようと何がどうなるというものでもありませんが。 BMWというメーカーも、サーブ程では有りませんが余り私の興味を惹かない会社ではあります。 私が主に興味の対象としている時代にはオースティンセヴンのドイツ版を生産した“Dixy”を傘下に収めて それなりの利益を上げた頃。 オリジナル設計で目を引くモデルと言うと今に繋がる“直6のBMW”のイメージを作った328 (今とは命名法は異なり2リッター)等がある程度なので。 中型以上だけでは中々経営も難しいのか、小型大衆車にも何度か手を出しているようですが 戦前は前出のオースティンセヴンのライセンス生産、戦後はバブルカー・イセッタのライセンス生産。 最近はミニブランドを買い上げての新設計車投入・・と、この分野に於いては どうも他人頼みみたいなところから抜け切れていないよう気がします。 かつて日本でもGCだのF-2を席捲したようにエンジン屋さんとしては大した物なんでしょうけどね。 でも“直6のBMW”のイメージとは異なり、レースで成功したのは直4だったりするのですが。 あのエンジンも、主にF-2で使われた為にフォードDFV等と比べると印象は地味ですが、 レース用エンジンとしてはかなりの長寿を誇った筈。
記憶に頼らず、ちゃんと調べてみると。 BMWが四輪の世界に進出したのは、オースティンセヴンのドイツ版を生産していたDixy社を 傘下に収めた1929年。途中、その改良版を作ったりもした後、初のオリジナル設計車を発表したのが 1932年。戦前の代表作328の誕生は1938年。 この328、エレール1/24を作って持っていますが、フレームは大径鋼管を主構造とするラダー式 リアアクスル部のキックアップを大きく取り、かなり立体的な構成にして剛性を高めているようです。 サスペンションはフロントが、横置きリーフがアッパーアームを兼ねるダブルウィッシュボーン。 リアはアンダースラングのパラレルリーフ・リジッド。これに積まれるエンジンはシリンダーヘッド上に クロスロッドを置き、クロスフローにしたOHV6気筒。 一つ一つ見て行くと結構面白い設計なのですが、この時代の車としては特に先進的と言うほどでもなく かと言って時代遅れという事もなし。 それこそ“特に突出した所も無いけれど全体のバランスには優れている”といった車の見本みたいに 私には見えて、これも戦前のBMWの印象を希薄にしている原因かも知れません。 現代のBMWに関して言えば、追求するオタクな世界が私の思うところと異なっているとしか言い様が無い。 あまりにも自らが作った型に嵌り過ぎていると言うか、生真面目に過ぎると言うか・・。 私、人は時にはもっとノータリンであるべきだと思いますので(w “良いモノ”には違いないのでしょうけどね・・。 よく“使い捨てライターしか知らない人にはデュポンの良さは判らない”なんて言いますが、 デュポンしか知らないで、BICのライターと煙草屋でカートン買いするとオマケで貰える半透明のそれとの 違いが判らないままに生きて行くのもちょっとツマラン。つか味気ない。 多分私はBICに拘るようなオタク世界に生きていたいのです。
アテクシ長年(ぢつに20年来)愛用はダンヒル・ローラガスのシルヴァーのバーレイであります、 これ股ぢつに3ヶも同じ物を持っており壊れるたびに修理、その間の代ライターとして 使ひ回しております。つまり100円ライターは皆同ぢ、東海精器だらうがBICだらうが 所詮同じ、と言ふ価値観でありましてそれはそれで偏ってゐるのでせう。 ダンヒルは有るのだからS.T.デュポンとかカルチェとかはたまたジッポとか (オイルライターは喫煙用には宜しく無ひのですが)さういふものには、 更にはローラガスは有るのだからユニークとか他のタイプに手を出してみるのも 本来ヴァリエーションとしてEのでせうがそれもしなひ。 (ミニサイズのユニークを昔付き合ってたおねぃタンに献上したことはあったけどw) それはアテクシの断固たる頑固さと自ら決めて信ぢる世界観が余りにも強固に過ぎる為鴨知れません。 それは自分の価値観・世界観に合ったものだけ使いたひ、 どんなに良くても、良いことは分かってゐても自分の価値観に合はなひものは 自分の生活の中にはあって欲しく無ひ、さういふことなのです。 さういふアテクシはヲタクとは若干異なった部分で自らを雁字搦めに縛ってしまってゐるのでせう。
まぁ、ライターってのは例え話ですが。 モノの中には“この安っぽさが泣かせる”みたいなに思わせる物もありますけど、 その事は今の話とはまた別。 自らの生活の中でそれを使うか使わぬかも大したことでも無いと思います。 高価な物の中に良いモノが多いのは当然。 一見どれも同じに見えたとしても、安物の中にもココロザシ高く作られた物と安易に作られた物があり そうした物の見分けに私は凝りたい。ただそれだけの話。 それにねぇ、天邪鬼な話ですが皆が良いモノと認める物ならば、今更私が褒めなくっても他の誰かが 幾らでも褒めるでしょう。私は誰も褒めないような物の中から、良いモノを捜したいという思いも有ります。 ・・とは言え、車の世界では今更誰も褒めないけど実は良いモノなんてそう有る物でもない。 外見も性能の内なんつう珍説展開して、最新のBMWやらレクサス等よりも古臭い2CVの方が 高性能な所も有るなどと主張し、誰か戸惑ってくれる人はいないか?などと考えるくらいが精一杯。
2馬力、 そりゃあレ臭酢もBMWのサルーンもアプライトとは言へピアノが載る2馬力には敵ひますまひ。w しかしアプライトとは言へピアノ乗っけて動けるのでせうか? ハイドロでは無ひツトローエソの2馬力、ゴムひもがサスを吊る2馬力、 サスが底打ちして動けなくなりはしますまひか?w つか、リヤカー付きトラクタの発展形にピアノ載せて運ぶ必要があらうとは。 さすがお腐卵臭の田舎っぺぃ、文化的ですなぁ。w と言ひつつコレ、さぅさぅ冗談やからかひで済まなひところでもあって、 欧州っつうところは時々dでも無ひド田舎のドカッペでも 「これが文化ってものか・・・」とガァーンと思ひ知らされる、 そんな強烈に奥深ひことがママ有るので油断も隙もありません。w
さてさて、ところで今日(ぃあ明けて昨日) ヌパイダのオイル継ぎ足しwに近所のカー洋品屋に行ったところ 先日GW前に車検に出してその時オイルもエレメントも換へた、筈、しかし 今回何と3gも入ってしまひました、元々6.5g〜7リッターぐらひ入るので まぁ半分は残ってゐる訳ですが。 そこで先日の車検の明細とトリップメータ見比べたところ ほぼちゃうど2,000km程走ってゐる。(僅か1ヶ月弱で2,000km走る自分に呆れるがw) といふことは凡そ660km/g、これはなんぼ高速使ってグラン・ツァーしてるにせよ いささか多くひか、と工場に聞ひたところ、 メーカーの規定ではリッター500〜1,000kmは正常値なのださうだ。w 2stかよ。w まぁ500km切ったらヴァルヴシール交換か、 ぃあことに因ったら伊代伊代エソジソOHも覚悟しやう。
>>535 リアカー付きトラクタと言えば、昔フィアット500(二代目)が、それ専用か?と思うような超小型の
一輪のトレーラーを引っ張っているのを見た事が有ります。
写真だけならば2CVでもその手の物を引いているのを見ました。
ああいうの、欲しいなぁ・・。作るのは簡単そうだけど、問題はそれを引く意味が無い。
つか、入れる物が無い事かな?
・・それはともかく・・。
都会には都会の、田舎には田舎の文化という物が有ると思いますよ。まぁ、鳥取、滋賀、町田
とか迄行くとまた話は別なのでしょうが。
・・此処だけの話ですが、町田では日本語が通じない。つか言語という物が未だに存在しない
って噂は本当なのでしょうか・・?
・・再びそれはともかく・・(取り留めの無い書き込みだなぁ w)
アップライトピアノって、せいぜい200〜250kg程度の物ですから、乗りさえすれば(それが大問題 w)
動けなくなるような事は無いでしょう。(ゴムひもがサスを吊るっつうのは、何かの記憶違いでは?)
そうでなければ人二人で持ち運ぶなんて到底出来ませんって(あの運搬業者さんてのは凄いですよね)
まぁ、物が一杯乗るなら乗るに越した事は無いでしょうが、荷物車の話限定では無いので、そう単純な
事でも無い。
私は、以前にも書いた事ですが、外観と容量とのバランスが取れているならそれで良いと考えています。
つまり、格好の良さとか空力の要求の為に容量を犠牲にするのも、それ自体は悪くない。
でも、犠牲にした容量に見合うだけの外観が得られていない車には、存在する理由も無いと。
昨今はクーペスタイルが全く流行らないようですが、大容量のミニバン型に対して説得力を持つだけの
格好良さが感じられないデザインしか出ないのではそれも仕方の無い事なのかも。
>>537 >
>>535 > リアカー付きトラクタと言えば、昔フィアット500(二代目)が、それ専用か?と思うような超小型の
> 一輪のトレーラーを引っ張っているのを見た事が有ります。
「グラン・ブルー」でエンゾ兄弟の愛車がダイビング機材を載せたトレーラを引いてます。
>>537 ゴムひも(?)がサスを吊ってるのは・・・アルファ?
旧スパイダーが欲しかったウン年前、行きつけの工場のリフトに乗っているのを下から覗き込んでがく然としたものです。
いつも遠くから見て憧れていた先輩が、ケバケバに使い古したラクダのパンツを履いてるのを見てしまったような、
そんな感じでした。
ミラノのモストラ・スカンビオ(車系蚤の市)に行ったことがありますが、かなり古いAPE(ピアッジォの3輪オート)が
その荷台より大きいくらいのコンテナ引っ張って来てるのを見ましたぜ。
物凄く欲しくなった・・・死ぬほど遅いだろうけどw
>>539 イセッタは後ろの方が大きいw
玩具感覚で一セット欲しい…。