1 :
ふさ:
糞の役にも立たない車のオタク養成講座。
誰かに語るもよし
誰かの語りを聞くもよし
ダメ人間による ダメ人間のための ダメ人間講座
★薀蓄はありがたく拝聴しましょう。
★煽りはだめだめさんですよ。
★議論はよそでやってね。
じゃあ、エロスパ先生とふっさ〜るの御大と大福餅の御三家を召喚だ!?
ζ
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/\ \ / |かつお!!
||||||| (・) (・) |
(6-------◯⌒つ | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| _||||||||| | < 何見てんだ!ばか者
\ / \_/ / \______________
|\/ ̄ ̄ ̄|____/⌒\
\.| 淫乱 | .\ / ̄ ̄ヽ
\熟女の| /⌒⌒ヽ / \
\悶え.|・ | \ ( 人 ) / ヽ
\_| / ゝ ヽ \ / |
\. |;; | \/ | |
\ _l |;; ;;; |\__/ | |
\ ―|;; ;;; |-/ | |
\ |;; ;;; |/ | |
\ |;; | |/ | |
| |; ;; ;;| /| |
\ ;; / |
\ / ;; /
4 :
香ばしい:2005/04/29(金) 01:47:46 ID:GKnd5Jse0
早速質問。
リマやカリスタで記憶に未だ新しいパンサー・ウェストウィンズ社ですが、
韓国資本となりパンサー・カー・カンパニーとしての活動はソロ以降トンと
聞きません。今は完全消滅してしまったんでしょうか?どなたかご存知の方
いらっしゃいませんか。
何とか見つけた英国のファンサイト
ttp://www.panthercarclub.com/
某業務用ガラスクリーナーにはマセラティメラクがプリントされている(w
( ´∀`)/<質問!AMCという会社とGMCは関係あるんでしょうか?
7 :
香ばしい:2005/04/29(金) 02:14:18 ID:nlbO+La20
>>7 そうでしたか。名前似ているからね、気になってました。
レスd
>>4 ジャガーSS100のレプリカ“ブルックランズ”もお忘れなく。
香ばしい君。
あっちではありがとうというかお疲れ様でした。
AMCはナッシュとハドソンが合併して出来、後にウィリス・オーバーランドとカイザー
が合併して出来たカイザー・ウィリスを併合した後にクライスラーに吸収された。
クライスラーのジープ部門がその名残り。
GM系のGMCとは関係無し。MCってモーターのMとカンパニーのCだろうから、
そういう名前の会社って他にも多分あるんじゃないかなぁ?
DMC(w
BMC(w
MMC
16 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/04/29(金) 17:47:44 ID:OpnttypFO
UCLA(w
GW
蘭DMC
遅くなりましたが
>>1さん有難う御座います(平身低頭)
>>4 さて?どうもPantherとかって聞くと、高速のSAとかファミレスのレジ横で売られている
中国製のミニカーのような物を思い出してしまって(偏見??)
>>9 パンサーの作ったジャガー(ややこしいな・・)SS100のレプリカって言うと
J72ではありませんでしたっけ?
パンサーってのも、ブガッティ・ロワイヤルのレプリカ(何でまた・・)の
パンサー・ド・ヴィルなど、結構dでもないもの作ってますね。6輪車とかもあったし。
ついで。Panther J72とかをキーワードにぐぐって[ このページを訳す BETA ]を使うと
当然の事か?「ヒョウJ72」にされてしまう。微妙に可笑しい。
21 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/04/30(土) 01:21:06 ID:936A5eh+O
>>19 懐かしい!
18年くらい前に流行ったラッパー3人組〜
22 :
香ばしい:2005/04/30(土) 01:42:41 ID:f2w7HN//0
おいおい、じゃーエアロスミスは〜?
23 :
香ばしい:2005/04/30(土) 01:49:46 ID:f2w7HN//0
ググって見ましたがどうもブルックランズという名のパンサー車は見つかりませんでした。
近年のベントレーには存在しますが関係ないでしょう。
SS100のレプリカとしてプロダクトされ販売されていたのはJ72で間違いないようですね。
ところでパンサーは会社として似非クラシックカーは儲かるという方向でやっていたので
相当逝ってる氏の言は全然偏見ではないと思います(@^^)/~~~
ただ何となく自分が実際の車に興味を持ち始めた80年代初頭にちょっと変わった毛色の車として
パンサーが実際に存在していたということで姫始め(wとしてお聞きしてみたのですが…
それにしても6すごいですよね、まるでペネロープ号…、脈絡のない経営が外資導入に結びついたと
言えばそれまでですがこんな車を作って市場に出すという気風がいかにも英国w
>>23 実家の倉庫をひっくり返してみないとわからんけれど、パンサー・ブルックランズは
三栄からでていた世界の自動車に出ていた記憶があるのぢゃけれどなぁ。
あれは確か初代ミラージュが出た年ぢゃから、77年位の号ぢゃったと思うのよ。
ワシがはじめてパンサーを知ったのはあの時。
25 :
香ばしい:2005/04/30(土) 18:54:22 ID:f2w7HN//0
>>おっちゃん氏
うーん、そうですか。それでは私も実家に帰って調べてみます。
というわけでこのスレに一つ命題(大げさw)が出来ました。
パンサー・ブルックランズの正体を探れ!ご存知の方はレスよろしこ。
うーむ。英国のパンサークラブのサイトに行ってみたけど、
やはりブルックランズというモデルはないねぇ。
しかしいわゆるブリティッシュグリーンをパンサーではブルックランズ・グリーン
と呼ぶようなので、もしかしたら当事の三栄書房の編集担当が英文を
誤訳したのかも試練ねぇ。
PANTHER J72 BROOKLANDS GREEN
と書いてある原文の切り所を間違えたという可能性はある。
するとワシは三栄の誤訳に30年近くだまされていたことになるではないか。
困ったもんぢゃ。
そりゃそうとクラブのサイトはこちら
http://www.pantherclub.co.uk/
パンサーと言う会社自体にどの程度古い車への畏敬の念があるものなのか?
それがちょっと推測しかねますので確かな事は言えないのでありますが。
我々日本人でも、普通(?)「ブルックランズ」と聞けばライレー・ナインを思い浮かべるでしょう。
イギリス人であれば尚更の事と。ジャガーSS100のレプリカにその名前を付けるというのは
単に混乱を招きセールス的にもやりにくくなるだけではないでしょうか?
ですから、やはり此処はおっちゃんの思われた通り、三栄書房の誤訳ではないか?と、私は考えます。
そりゃそうと6輪車。軍用車両以外でこのレイアウトというと「たいれる」P-34式に
フロントに4輪を持って来るのが何故か多いようですね。
(こんなのとか・・
http://www.autocentre.ua/ac/04/46/images/03/CovinLeagueofxGentlemen.jpg これは何かの映画?)
やはりイメージの元はペネロープ号でしょうか?アレの場合、もの凄く強力な(=重く、大きな)
エンジンの存在を暗示しているように見えるのですけど、パンサーの場合はその必然性は何処に??
ブレーキはよく利きそうですけど、乗り心地は悪そうですね。
単純に考えても、普通なら二度で済む路面不整への乗り上げが三度になってしまう訳ですから。
せっかく香ばしい君が用意してくれた話題ぢゃけど、パンサーてのは
ちっと穴の掘り甲斐がない。さて何で逝きますかな。
>>28 あの手のノスタルジックカー・メーカーってのもいろいろあるでしょうけど、
本当に車に愛情があるのか?って疑問を感じさせる所も多いですよね。光岡しかり・・。
手許に知人から頂いた置物で木製のクラシックカー(らしきもの)が有るのですが、
垂直に立ったラジエーターグリルが独立した両ウィング(フェンダー)の中央にある。
・・のはいいにしても、それが車体の先端に配置されている。つまりああした時代の車の
前輪の懸架方式等に無知な人が作ったのが判ってしまう。当然プロポーションも変。
古い車への愛情とかで作ったのではなく、単にお洒落な置物として作っただけなのが
よく判ってしまうので飾る気になれません。
私が上の方でパンサーと聞くと粗悪なミニカーを思い浮かべると書いたのも
そうした基本的成り立ちを理解していない人が一山狙いで作ったノスタルジックカー
の一群が脳裏にあったからです。
こういう事ばかり書いていると只の保守的老人のようでしょうから、先日左ハンスレで
ちょっと話に出たスカラブはどうですか?まぁ、これもそんなに長く続く話題でもないでしょうけど
あの失敗作に終わったF-1のエンジン(元ミラーの技師、オッフィーで有名なレオ・グーセン設計)は
何を狙ってデスモドローミックにしたのか?とか、スポーツカーには積まれないで終わったのか?とか
調べて行くと結構疑問は出て来ます。
いやスカラブについては興味津々何ぢゃけどいくらなんでもそれでは
ワシと逝ってる先生の交換日記になってしまうのではないかと思うのよ。
もうちっとハードルを下げたく思うのぢゃけどどうぢゃろう?
そういえばオッフィーで思い出したが今日はインディの放送日ではないの。
>>30 元はと言えば自分で言い出した話題の癖に(w
左ハンスレで「スカラブでおっちゃんに一席聞かせて欲しい」って人もいましたから
あっちで少々やってみては?
すまん。それよりインディ・ジャパンにA.J.フォイトが走っておるよ。
それとアンドレッティはついに三代目ぢゃ。シェクターってのは
やっぱりジョディーの息子かね?
ちょっと調べてみました。マリオ・アンドレッティーって1940年生まれ・・
ジャッキー・スチュワート(1939年)あたりと同世代なのにスチュワートが最初に
チャンピオンになった(1969年)10年近く後にF-1のチャンピオンになって、その後も
まだまだ現役でい続けた・・。凄いお方ですね。
デスモって言ってもいろんな形式があるようで、開閉両方のロッカーアームを
備えるやり方ならばカムシャフトの位置を低めに設定出来るのでしょうか?
メルセデスのW196等はかなりエンジン高があったようで、水平近くまで倒した結果
ドライブシャフトはドライバーの横へ完全にオフセットされていたほどなのに
フロントタイアを外さないとプラグも交換出来ない程だった。と、いう話は
以前ブリストルスレにも書きました(w
考えてみればスリーブバルブも一種のデスモですよね。でも、高回転時のバルブサージング
が避けられる筈なのが実際にはその複雑さ故に高回転に向かないって皮肉な話ですけどね。
たいがいのデスモって(w
いかん。本当に交換日記化しかかっている(w
( ´∀`)/<質問!ダットサンは今の日産の筈なのが、石川島の自動車部門と合併した後に
いすゞになったとかって聞いた事もありますが、どっちが正しいのですか?
おやおや。エロ先生。2ヶ月近く行方不明ぢゃったでないの。
南君も心配しとったよ。
(゚д゚)<あらやだ! エロスパさん発見したので私も久しぶりに車板にお邪魔しますわ。
内容がみーはーですが質問。
えんつぉは今日本国内を走っているのでしょうか?
むるしえらごもいますか?
がやるどは時々みかけるんですけど。
先日FISCOのスポーツ走行を眺めてたら、F40が走ってて、展示車両じゃなくて見たのは初めてで感動しましたの。
モーターショーじやないむるしえらごが見たい〜
43 :
エロ先生ファソ:2005/05/02(月) 06:15:03 ID:tt7mHc930
>>39 久々にみる御大の言い回し。 何処へ逝っておられたのれすか?w
>>42 ワシが答えていいものやら。
どっちも日本にあるよ。
ワシはどちらも目撃した。ムルシエラゴに関しては高速で抜いた。
無論先方は本気ではないけどねぇ。
ヽ(´▽`)ノありがとうございます
やっぱりどこかにいるんですね〜
いつの日かちゃんと走ってるとこを見られますように。
46 :
香ばしい:2005/05/02(月) 19:02:22 ID:xgXHJ/HH0
47 :
香ばしい:2005/05/02(月) 19:44:00 ID:xgXHJ/HH0
む・・。先を越された(w
いすゞの前身自動車工業(株)が作った「スミダ キー93型6輪乗用車」「スミダK型6輪乗用車」
はミリタリーマニアの間では結構有名らしいです。が、写真は見つかりませんでした
(一枚だけ
http://www1.ocn.ne.jp/~gijoe/sumida.gif)
日産といすゞ、日野はかなり近い血縁関係にあったのですね。こうした日本車メーカーの系譜図
誰か作ってくれないでしょうか(他力本願)
そりゃそうと。
>>39天皇賞って、あんな訳の判らんレース。手を出しちゃいけませんよ。
TOHC。私もふと考えました。でもねぇ、プラグは何処に刺すのでしょ(w
デスモってのも結構いろんなのがあるようで、弁頭部をコの字形に成型して
その中でカムを回す形の図も見た記憶があります。しかしこれだと、かなり背の高いエンジンに
なりそうですね。
エンツォ・フェラーリ、あまり美しくないなぁ。ま、その辺は好みでしょうが。
アレが売れる(?)なら、ホンダも「宗一郎」とか出さないか?・・売れないだろうなぁ。
>>41の日産の歴史から、昔のダットサンを見ていたら
「無試験運転免許、車庫不要」って書いてあった。戦前にも軽自動車みたいな
小型優遇措置があったという事ですか?
>>49 エンツォねぇ。奥山清行氏のデザインは確かにスカリエッティも
クアトロポルテもいまひとつパッとせんからねぇ。
まあフェラーリのフラッグシップを日本人デザイナーが手がけたことは
画期的なんぢゃろうけど。
エンツォが売れたのはデザインによるものではなく、エンツォという
名前の正でもなく、フェラーリが限定車販売のノウハウを完成させてた
からぢゃと思うよ。
グループB規定のいたずらで偶発的に出来た288のエボリューションである
F40が、御大の急逝でこれまた偶発的に大ヒットをした時、フェラーリは
「限定車ビジネスはいける」という感触を掴んだわけぢゃ。
そこで後を継いだモンテゼモロはさらにこのビジネスを高度に洗練させていく。
F50の発売に際しては、F40を買った顧客で、なおかつ現在も持っている
オーナー以外には売らないという作戦を実行する。
狙いは「内容に対しての価格を吟味する」という買い手の当たり前の
感覚をストップさせることにある。買い手は「今回は見送り」という
手が使えなくなり、今後一切買わないか、全部を買うかしかない。
F40のブーム的なヒットでパンパンに膨らんだマーケットを出来るだけ
萎ませずに維持しようと言う作戦はこうして成功する。
創業以来一度も赤字転落していないフェラーリ。車作りの上手さよりも
もしろ商売の上手さが際立つ会社ぢゃと思うねぇ。
>>50 どうやら自家用乗用車には免許証の必要がなかったらしい。
たまたま見つけた個人のHPぢゃが参照
http://www9.plala.or.jp/hiyotrio/newpage024.htm >戦前の運転免許
>明治36年8月、愛知県の「乗合自動車営業取締規則」が日本で最初に
>制定された自動車に関する法規となった。運転手の鑑札(免許証)の
>取得に関しては、「満20歳以上で、試験の結果運転技能ありと認めた者」
>と規定されているように、試験が存在していた。
>ただ、運転免許というより乗合自動車を対象とした営業許可証としても
>意味合いが強かった。さらに当時は「乗合自動車」といっても「乗合馬車」
>が中心であった。自家用の自動車に関しては届出制であり、試験は必要なかった。
>
>明治40年、自家用車の運転免許について最初に定めたのは警視庁(東京府)
>の自動車取締規則であった。当時は乗合自動車の乗務員を対象としていたため、
>運転手免許と車掌免許の2種類があり、木製であった。
ワシも以前、浅岡 重輝(あさおか・しげあき)氏が何かの著書に免許を取得された
時の話を書いておられたが、御歳60代も半ばの氏が免許を取得された当時は
交付前の注意で「合格した君たちは明日からお客さんを乗せて走るのだから…」
と言われたそうで、当事は免許を取るイコール運転手になるという意味ぢゃったらしい。
その証拠に自家用車を運転していても誰からも羨ましがられることが
なかったという。なぜなら、当事は運転する人イコール運転手ぢゃから。
そういう時代に中古のヒルマンを乗り回しておった氏は本物のボンボンぢゃった
ということよ。
第一期の自動車評論家諸氏はほとんどがこういう良家の子息というケース。
第一期のレーサーも同じ。それ以外の人は運転なんてしたこともない
時代ぢゃからねぇ。
54 :
50:2005/05/04(水) 12:32:21 ID:HXEKSFJf0
>>53 こういう事をちゃんと調べて年表にまとめてくれている人っているものですね。
少し読んでみましたが、日産のHPにあったダットサンは免許不要という記述はどうやら
上から三分の一くらいのところ「自動車取締令の全面改正」にあるように
>小型自動車の定義は、長さ2.8m、幅1.2m、高さ1.8mで排気量750cc以下(4サイクル)、
>500cc以下(2サイクル)であり、この運転免許は無試験であった。
>よって、4サイクルで排気量750cc以下であれば、二輪、三輪、四輪を問わず小型自動車となり、
>免許は不要であった
という所に根拠があるようで、自家用、営業用とは、また別な話のようです。
浅岡氏は60代半ばという事は昭和二桁世代。と、いう事は免許を取得されたのは
昭和30年代前半〜半ば頃でしょうか?その頃はこの年表でも最も制度の変更が激しかった頃
のようですね。
昔の小型規格ですか。これってダットサンとオースティン・ディーラーが
綱引きで決めたらしいです。
それまで500cc以下だったのを750にしろってオースティン側が要望出したのに対し
ダットサン側(それまでは500ccだった)がそれを飲む代わりに外寸はセヴンが
ギリギリで入らない寸法にさせたのだとか。
で、仕方が無いのでセヴンはバンパーを取り外し式にしたり(ダットサンもそれで
通していた)フェンダーの幅詰めたりして間に合わせた。
それも本国でセヴンがマイナーチェンジしてWBを延長するまで。その後は
旧型シャシーを輸入してボディーは手作り品を載せるしかなくなったので
価格的には全く競争にはならなくなったそうです。
それでも、当時トラックと共有シャシーのダットサンの乗り心地を嫌い
セヴンを選ぶ富裕層も少なからずいたそうですが、横浜組み立てのフォードと
殆ど変わりない価格であったので、普通の(英国製に拘りの無い)人は
案外ガソリンが安かったその頃、大きくて人も物も一杯載せられるフォードを
選んだそうです。
それにしても、一度動き出してしまえばトップに入れっぱなしで殆ど用が足りてしまう
であろうフォードよりも、小さなエンジンをフルに使わないといけないセヴンの方が
運転は大変であったでしょう。そっちが無免許で乗れたのは矛盾していると思います。
この辺りが、今のAT多数派って状況に繋がっているのだ。と、私は思うのでありますが
「何故MTは廃れたか?」を論ずるスレではそんな説は全く出ませんね(w
ポルシェの915MTがうまく操れません・・・・orz
ヘタクソの一言でかたづけないで・・・
57 :
香ばしい:2005/05/07(土) 02:37:35 ID:fo9M2pAd0
>56 氏
何年式ですか?私が昔乗っていた82年式の米国仕様中古並行SCはそれはそれは
ヘタリまくっていてしずーかに2速入れ気味にしながらご機嫌を伺って1速に
入れないと梃子でも動きださん性悪女で御座いました。
他の変速域も同様で、ダブクラといっても「クラッチ踏む→シフトぬるっと抜く→
クラッチ放す→回転あげる(さがる)→クラッチ踏む→シフトぬるっと入れる→
クラッチ放す」とそれはま〜スローモーションのようにゆっくりとしか。
(さもないと確実にガリる)
しかし逆に考えるとポルシェシンクロの一番香ばしい部分を味わえたと今では
勝手に思い込むようにしています。
これからも56氏が乗り続けられるのなら「溶けたバターにナイフ」や「蜂蜜
をスプーンでかき回す」感覚を取り戻すため思い切ってオーバーホールしてみる
ことをお勧めしますが、今の乗りにくいままでとにかく操作を続けるのも旧車
の一つの楽しみ方かなかもとは思います。
>>57 うーん。香ばしい君親切。
でも時間かかったねぇ。
59 :
香ばしい:2005/05/07(土) 02:52:06 ID:fo9M2pAd0
実は…書いたレスを誤って一回消しちゃいました(>_<)
ポルシェシンクロのトラブルシューティングはこちらに
http://myc911.com/maintenance/mission/porsche-sync.htm 変速機ネタで便乗質問。キャディラックは1940年にオートマチックミッションを
採用したそうですけど、これが流体継ぎ手を実用車に使った最初の例なのでしょうか?
レーシングカー(レース専用の意)では流体継ぎ手使用して成功した事例というと
60年代のシャパラルくらいの物でしょうか?秘密主義で有名だったシャパラルの事、
その詳細は未だに明らかにされていないようですが、ギアボックスが嵩張る為か、
使い始めた当初は一速(後に二速)ATだったとか。凄いね、一速AT。これも
“変速機”って呼んでもいい物やら(w
逝ってる先生。
このスレを盛り上げるなら先生は答える側に回ってください。たのんます。
っつーかこの勢いだと
くるまオタク養成講座 ではなくて くるまオタク頂上決戦
になってしまいます。ポルシェシンクロの質問とかに丁寧に答えてあげないと
人が寄り付きませんよ。
一応そう思って、ワシはポルシェ専門家の香ばしい君を
呼びに行ったりはしていますけどねぇ。
>>61 私、何の先生でもありませんって・・。
雑誌巻末の自動車価格表見ても国産は1/3くらいしか形が思い浮かばない車音痴です。
ポルシェシンクロはねぇ「そう言えばボルグ・ワーナーとはどう違うんだっけ?」
と思って検索していたら見つけました。ナンといっても私、これまでに身銭切って入手したのって
シトローエンだけですから、ポルシェは1/24しか手許に無いですし、56さんが仰るのが
車側の問題なのか?あの文章だけでは判らないので一応参考になるかな?と、思いまして。
で、ついでに最近の車板ではギアボックス関連のスレがやたらと多いのでこの話題なら
食いつく人もいるかな?と思って、ネタ振りも兼ねてちょっと質問と。
他にも知りたい事は一杯あるんですけどね。戦後間もない頃に行われていたという
四輪のギャンブルレースなんて、どんな物だったのか誰か知りませんかね?
・・と、昨日書いた後で思った。
戦後間もない頃に盛んだったらしい四輪のギャンブルレース。今の二輪のオートレース
などとは違い、非公認だったらしい。とは言え隠れてこっそりと行える物でも無し、
多分クラブマンイベントのような形態をとって、影で金銭が動いていたのでしょう。
出場車の多くはトラックやセダンボディーを下ろした戦前からの生き残りの
フォードやシボレーだったそうですが、中にはMG-K3マグネットだのベントレーだの
といったとんでもない物も混じって走っていたとか。戦争のドサクサで皆失った
かつての殿様が偽名で出場して幾許かの金をそこで稼いだのだそうな。
どんな様子の物だったのか知りたい気持ちもあるけれど、いくら皆貧しかった時とは言え、
戦禍を逃れた希少な車で非公認なギャンブルレースに出場した人達の当時の気持ちを思うと
下手にあれこれと調べたりしない方が良いのかもしれない。
東横線に乗って多摩川渡る時に、かつてダットサンとオオタの“ワークス・レーサー”が競った
河川敷レース場跡を見ると思う。その後に繋がる事無く途絶えてしまったが為に
今や語られることも無くなった歴史の一部ではあるけれど、おっちゃんが言うように
浅岡重輝氏や、生沢徹氏、故浮谷東次郎氏等が“第一期レーサー”と言う認識が
一般的になってしまっているのは、ちょいとばかり寂しい事ではないでしょうか?と。
64 :
香ばしい:2005/05/09(月) 00:29:57 ID:SP3VUADk0
…へ、変な方向に行ってる(−−〆)
すいません56氏の質問を操作技術論ではない方向(トラブルシューティング?)
に誘導してしまいました。
ところでおっちゃん氏
「先生」とか「専門家」って、なーんとなく嫌味っぽいのでは(w
わたしゃ勿論只の下手の横好きです。
ところで四輪のギャンブルレース。果たしてGHQはどのよう捉えてたんで
しょうね?
戦後戦勝国でさえMGがTCから始めたようにK3マグネットなど戦前は
レーサーは皇族・華族か一部の富裕層しか入手できない状況でしたから
確かに余り深く追求しないほうが良いのかも(>_<)
変な方向でしょうか?
では、変速機→MG・K3マグネットと来たので当然ウィルソンプリセレクト・・。
・・は、暴走の謗りを免れないので置いといて。
(つか、乗った事が有る筈も無しそんなに語れる事でもない)
>>56さんは結局、機械側の問題だったのでしょうか?
それとも単にコツが掴めていなかったのか?もしも前者ならば
やはり一応は良い状態という物を知って置く為にも手を入れて置いた方が良いのでは?
911も既に最初のモデルから40年。「最新こそ最善」という言葉がある事、
それ自体がどの年代が一番なのかマニアでも悩む事の証拠なのでしょうか。
私のように貧乏人でパワーもそこそこであれば良いならば、どの辺がお奨めでしょ?
あと“何を今更”なのですが、おっちゃんに質問。
英国車はボディー寸法などは皆インチであらわすのに
アメリカ流にエンジンの容量を立方インチであらわす事はしないのでしょうか?
>>65 おそらくは初期のエンジンは大陸から買ってきていたことの名残ではないか
と思いますねぇ。
それに英国はものによって単位を変えるのに寛容というかなんというか。
たとえば人間の体重なんていうのは少し前まで「シトーン」という石を語源とする単位を
用いておったそうぢゃし、セビルローあたりではスーツのお値段にポンドでない
別の単位を用いておったりしたはずです。
まあ、何と言うか非合理的であっても習慣を優先する文化がかの国らしいかと。
そりゃそうとかつてのブリストルスレが倉庫にありました。今読みかえしても
濃いですなぁ。
http://hobby2.2ch.net/auto/kako/1036/10361/1036121597.html
>>66 成る程。そう言われてみるとウィスキーの壜のサイズなんかもメートル法基準っぽいですね。
輸出に配慮したのでしょうか?
私も先日スカラブ絡みで“ランス・リヴェントロウ→ランス・リヴェントロー”と検索してみた所
60年のF-1のリザルト程度ばかり見つかる中、その人に触れている物が見つかったと思ったら、ブリストルスレ(w
あのスレ、私は途中からの参加だったのですよね。あの時の常連さんたちを見つけたら此処に誘ってみようと思います。
まぁ、先は長い事ですし。落ちないようにゆっくりとやっていれば、その内にまた
濃い人が来て下さるでしょう。
68 :
香ばしい:2005/05/10(火) 22:47:24 ID:i8G0TW5n0
>>69 これはなんですか?かなーり古い車みたいですが。
1909年頃から暫く明治屋で配達に使用されていたトラック。
シャシーは英国、アーガイル社製でボディーは当然日本製でしょう。
このアーガイルというメーカー、全く知りませんでしたが調べてみたら
1899〜1932年にスコットランドで操業していた会社でスリーブバルブエンジンは
此処の発明だとか。
もしかしたらこの車、ナンバープレートは単に一文字 “1”と記されているだけかも。
CG別冊「昭和の東京カーウォッチング」に記述有ります。写真はそこからの引用ではなく
以前科学博物館に黎明期の国産車展を見に行った時に展示品の写真を写し撮った物です。
さて、どうも話が続かない。単発質問スレも面白く無い。
丁度発売中のSCGでも取り上げられている事でもあり、お題“ロータス”なんて
どうでしょう?
語られ尽した感もあるメイクですけど、詳しい方ならばまだまだ語りたい事はあるかと。
それに、定説化しつつあることでも疑問に思う事もあるのです。
例えばSCGの記事中でも49(F-1)が世界で初めてエンジンをストレスメンバーに
使用したかのように書かれていますが。これ、第一次大戦後の英仏で流行った
サイクルカーでも前例はある筈ですし、GPカーにしたって64年のフェラーリ158が
既にこの構造を実践していた筈。・・等と。
74 :
蓮之家円数:2005/05/15(日) 09:11:26 ID:+tXLWyxI0
書籍に書かれている「事実」は「真実」とは
限りませぬ。特に日本の車雑誌の記述は
本国の記事→本国の記事の抜粋→そのまた概略
→日本語への訳(意訳)→そのコピー→そのまた受け売り
と、なってかなりでたらめが横行しておりますから。
特に車に詳しくもない記者が実車も見ずに僅かな参考文献を
片手に憶測で記事を書いているのもざらでございますね。
手許にD.B.Wise著「Veteran&Vintage Cars」という本で
「シトローエン5CVはオペルラウプフロッシュのカーボンコピーであった」
(実際はその逆)等と書かれていたり。と、書籍にも間違いは付き物。
日本の雑誌を殊更責めるのもちょっと可哀そうでしょう。
また、好きであるが故に特定のメーカーに都合の良い勘違いをしている例も多いようです。
特にロータスってメーカー。マニアさんが多い事もあって、贔屓の引き倒し的に
なんだか片っ端からいろんな事のパイオニアにされている気がするのですよね。
76 :
蓮之家円数:2005/05/15(日) 17:08:26 ID:N7D+xMXy0
かなり以前からの小生の自論でございますが
ロータスセブンは所詮貧乏人用サンデーレース
ベース車に過ぎず、「そのカテゴリの中で」の
傑作であることは確かでございますが他車種と
比較してとくに完成度が高い製品である、と
いうわけではございません。伝説の一人歩き
でございますね。さまざまな車種にさまざまな
新技術手法を導入したのも、単に商業的にそうしないと
他メーカーに劣るからでせう。
まあそれらが楽しい玩具である、という各誌の記述は
間違いないでせうけれど。
ふーむ。微妙な話題ぢゃなぁ。
結局のところ、セブンは現存する最長寿車になったわけぢゃろ。
それだけ普遍的に受け入れられる魅力があったと言うことから
帰納すれば、セブンが特別であることは、むしろ議論以前に証明されて
いるようなものぢゃと思うんぢゃがねぇ。
まあもちろん市場に支持されることがクルマとしての価値足りえんという
考え方もあろうが、ロングセラーというものは一過性のブームと違って
ある種の証明になるとワシは思うのよ。
円数君がいう完成度ということが何を指すかはちとわからん点もあるが、
あのクルマには伝説的に語られるに足る部分はあると思うがねぇ。
もちろん巷間伝えられる伝説の全てが本当とは思わんけどね。
それはさておき、書籍に書かれていることに真実はないよ。
なぜなら真実などと言うものは再現する人間の能力や見方に
必ず左右されるものぢゃから、そういう意味で言えば、当人が
現場に立って一時情報として見る物以外は、全て
「編集された真実の断片」に過ぎない。
書籍であろうと電波媒体であろうと口コミであろうとネットであろうと
再現されたものに真実はないのぢゃからねぇ。
>>77 あの・・モーガン4/4は・・?
円数さんはロードカーと言うよりもサーキットまで自走可能なレースカーと
セヴンを捉えられていらっしゃるようね。確かに多鋼管スペースフレームと言う
基本的成り立ち自体、量産向きとはとても言えず、大資本が量産する車と比較出来る
完成度は望むべき物ではないと言われるならその通りかと思います。
が、セヴン誕生の時点に於ける他のバックヤードスペシャルがどのような物であったのか?
今となっては知る術も無く、比較してどうなのか?は、全く判りません。
さて、セヴンに関しては門外漢の私。ハードについては他に詳しい方が
大勢いらっしゃるでしょうから、ちょっと脱線して。
先日発行されたSCGによると、デビュー当時のベーシックモデルはフォード100E、
1172ccSV 40bhpエンジンとこれもフォード製3段ギアボックス付きで£587で売られたとか
(キットフォームでの価格でしょうか?)これの値段を他の車種と比較してみると、
比較対象として相応しいかはともかく、当時MGA1600が£963、61年登場のMGミジェットが
£689。それ以前からあったスプライトMKTは僅かに安かった程度でしょう。
これ等の値段がどんなモンだったのか?58年発行のアラン・シリトー著、新潮文庫
「土曜の夜と日曜の朝」に登場する「貯金すればオートバイは勿論、中古の自動車だって買える」
と語る主人公(20代前半の労働者階級の若者)が工場勤務で受け取る賃金が週給£14
(多分手取り)単純に52倍して、年収は£728。
さて、これ等を踏まえて当時のセヴンの価格をどう思います?
金銭感覚についてはあまり良くな話が多く残るコリン・チャップマンですけど、(当時のバックヤード
スペシャルの相場に従っただけかも知れませんが)案外良心価格で売っていたと私は思うのですが。
それはそうと・・。わが国では62年発売のクレージーキャッツのシングル
「これが男の生きる道」の中で、、植木等は「♪貰う月給は一万ナンボ」と、歌っている。
当時スバル360が\36万からした事を思えばイギリスの労働者階級は、こと車に関しては
日本のサラリーマンより数倍も裕福だったって事なんでしょうかね?
80 :
蓮之家円数:2005/05/16(月) 21:11:29 ID:1V8mssmK0
ここで勘違いしてはいけないのはあくまでも
「乗用車」の価格ではないこと。
もともと草レースとはいえ、プラモやラジコンより
費用がのすのはとうぜん。本当に金がなくても
レースに参加したいならばアングリアかなにかを
軽量化するのが安上がり。
セブンでレースに出るのは日本で言うなら
ザウルスカップに参加するやうなもの。
金がないならビッツのワンメイクあたりで
済ますはず。ということでセブンが安い
というのはポルシェやジャガーといった本格的
レーサー車を買うよりも、というレベルの話。
あくまでもある程度裕福な人間の道楽。こんなものが
存在しうること自体が日本人と比較にならないほど
英国人が裕福である(というか道楽者である)証明。
確かに。勿論私も“比較対象として相応しいかはともかく〜”と書いているように
その辺は承知しているつもりです。が、当時あったであろう他のサンデーレーサー
の価格など、今となっては調べようも無いので一応の参考までに。
それにしてもキットで入手して自分で組める人は羨ましいですよね。
もしも私がそう出来るなら、おっちゃんには叱られそうですけど
入手して組み立てる前に改造してしまうかも。
知り合いに鉄工所を自営している人がいるので鋼管溶接等は頼めるのですが
エンジン乗せてから持って行ったら面倒臭いって嫌な顔されるのが見え見えなので。
82 :
蓮之家円数:2005/05/16(月) 22:34:22 ID:1V8mssmK0
セブンは溶接でなくロウ付けなのでその気になれば
棒とフラックスとガストーチあれば無問題。(消火器も)
とはいえ小生も冶具なしでの工作は自信ございませんが。
小生の場合全分解に約一週間、組み立てに約一ヶ月を
要しました。新品から組んだとして、精度に問題なく
組み立てられたとしたら3週間もあれば出来上がる
ことでせう。それ以上かかるやうなキットカーであれば
売れなかったかもしれませぬが。
そういった面ではさすがはちゃっぷまんということでせう。
チャプマンは大学生の頃アルバイトで車のブローカーをやっておった。
だいぶ小金を作ったらしいが、この商売最大の敵は不良在庫ぢゃ。
案の定1台のオースティン・セブンが不良在庫になった。
チャプマンの最初の車作りは、この不良在庫解消のために
無理繰り作ったオースティン・セブンのサンデーレーサーぢゃ。
このマイロードみたいな車がレースで戦果を挙げ、安くて
勝てる車という評判を得る。
チャプマンは交際中のヘイゼルの家の裏庭でこのマイロードを
作って自分の会社、ロータスを起こすのぢゃ。
さて、このサンデーレーサーという商品はエランのヒットで会社が
軌道に乗るまで、長く会社の屋台骨を支えることになる。
以後、ロータスはチャプマンが本当に作りたい車と、
口を糊するためにやむなく作る車の2本立てで回ることになる。
その最初にして象徴的なシーンこそ1957年のロンドンショーぢゃ。
ロータスが用意した華々しい舞台には技術の粋を凝らした
FRPモノコックのロータス14、つまり初代エリート。
そして旧態然とした鋼管スペースフレームのロータス7。
そしてMk-1から順を追ってデビューしてきたロータスのネーミング
のルールに則ればMk-7と呼ばれるべき車はデビューしたのぢゃ。
しかしその名前自体が大ヒットしたサンデーレーサー、Mk-6の
後釜のためにわざわざ欠番にしてあった番号をあてがい、
むしろロータス10以降“Mk”を省略されるという新たなルールに
則り、ロータス7と呼ばれることになる。
それこそが7番目が14番目と同時デビューした不可解の答えぢゃ。
つまりセブンはチャプマンの理想主義の部分から生まれた車では
なく。むしろ最初から食い扶持のために作られた車である。
決して最新鋭のレーシングカーとして作られたものではない。
そして皮肉なことにその食い扶持のための車こそが、
以後ロータスのどんな意欲的なモデルよりも長寿を
保ち、45年にもわたって人気を持ち続けることになる。
85 :
香ばしい:2005/05/16(月) 23:49:51 ID:Qv/JD6H90
おお、良スレ化(^.^)
残念ながらセブンについて何も書き込める知識は無いので
ROMらせていただきます。見てますよカキコ。
86 :
蓮之家円数:2005/05/17(火) 10:38:39 ID:AtmmiaB90
そう、革新の技術とマテリアルで製作された
次世代を担うべきエリートはとんでもない
コストと生産性で名車とはいってもコレクターに
とっての名車となったやうでございます。
トヨタ式にいへば「いい車が売れるのではなく
売れた車がいい車だ」
芸術家でなく商売人としてみればエリートは大失敗。
その失敗を取り返すためのエランがでるまでは
貧乏レーサーあいての小銭稼ぎを余儀なくされるわけ
でございますね。幸いレースシーンでブランドを確立
していたのでサーキットにおいてのセブンの評価は
実力の1.5倍(当社比)!!
実際にレースに参加しなくとも欲しい人は多かったと。
そう、インプレッサなどRCマシンレプリカのやうに。
>>82 ロウ付けなのですか。なんだか怖いなぁ・・。と、思ったけれど、件の友人曰く
「結構丈夫だよ。下手な溶接で穴だらけになったら元も子もないし、ロウ付けの方が低温作業なので
熱変形(冷める時の収縮で歪む事らしい)も少ないだろうから、歪んだ代物が出来上がるよりは
ずっと良いんじゃないの?」ですと・・。(あまりアテにならない口調でしたが・・)
円数さんはキットフォームに近い所までバラしたのですか。・・なんでまた??
>>84 1958年の時点ではあの形が“旧態然とした”と言うほどの事もないでしょう。
少なくともスタンダード状態で付属したフォード“100E”エンジンに比べれば・・。
そんな時期まで西欧でサイドバルブエンジン搭載車があったとは知らなかった。
で、ついでに手許のドイツフォード史を見た所、ドイツでも61年までタウナス12MはSV、しかも3段ギア。
・・むむ・・。もしやチャップマン、ベース価格を安く抑えると共にオプションの近代的なエンジンを売る為に
わざとそんな代物を標準で付けたのか?
(昨日の良心的価格の印象はかくして一日で瓦解するのでありました)
88 :
蓮之家円数:2005/05/17(火) 22:50:24 ID:AtmmiaB90
なんでまたといわれましても・・・・
1972年製の車を、それもセブンを
ばらしもせずにそのままサーキット全開で
乗れたならそれこそ奇跡でせう。
ロウ付けに関していえば
溶接より設備投資が少なく
事故ったら曲げた分のパイプだけ外せて
やり直し、取替えが容易
などのメリットがあるため。
価格に関しては部品供給が容易でかつ安価な
エンジン、ミッションでなければ貧乏レーサー
相手の商売は困難だからでせう。
最新鋭の強力なエンジンはメーカーが供給する
わけもございませんし。
金があるなら(入れ込むなら)コベントリー
もっと金があるならハナからジャガーを買えと。
↑ 普通でしたら、そういうエンジンが標準になった理由はそのように考えるのでしょうが、
いろいろと書物をあたるにつれ、チャップマン氏の金銭感覚が信用できなくなってきているので
変に勘ぐりたくなってくるのです。
ベース価格は人目を引くようなインパクトのあるものを設定。しかし実用性
(セヴンの場合は競争力)を考慮しててあれこれと追加していくと、大して安くない。と、いう
スズキあたりの軽自動車みたいな価格戦略を考えていたとか(w
まぁ、それはともかく。最初のセヴンのエンジンラインナップは標準が前出のフォード100E
オプションにコヴェントリー・クライマックスFWA。前者を積んだのをセヴンF,後者を
セヴンCと呼んだそうな。発売翌年にはお馴染みBMC・Aタイプを積むセヴンAが登場。
これ、さすがにFではなんともしようが無いけどCは高過ぎるって不満が多かった為も
あったのではないでしょうか?
円数さんのセヴンは72年製ですか。ケーターハムに生産が委譲された直後あたりに
なるのですか?
セブンの場合、もともとレース用なので、頼めば何のエンジンでも
積んでくれたと言うのが本当。
フォード100Eが40馬力だといってもシリーズIのセブンの場合、
車重の方もわずか330kgぢゃったので、パワーウェートレシオで考えると
8..2kg/psくらいのもの。ケータハムになってからのGTが80馬力で実質
560kgの車重。つまり7.0kg/psだったことを見てもそう強烈に性能が
低かったとは言えないと思うのぢゃけど。
なんつっても発売直後のセブンなどサーキットで戦闘力がある以外の
価値は無に等しい代物ぢゃったはずで、自分の出るレースでは
どのエンジンを積めば勝てるかと言うことが唯一の選択理由ぢゃったはず。
少なくとも雀の罠みたいなオプション戦略は効果なかったのでは
ないかとおもうけどねぇ。
エンジンの方も基本的にはそこらの解体屋からいくらでも部品取りして
来られる方が優先されただけのことではないかねぇ。
91 :
蓮之家円数:2005/05/19(木) 10:36:44 ID:X9HE2rTd0
ニアーンが正式にチャップマンから
権限委譲を受けたのは1973年の事とされております。
その親書の書面が書籍にありましたがあまり事細かになにを
どうするとはかかれておらず普通のお手紙一枚に
「あとはよろしく」くらいのものでございました。
まさしくセブン、買ったらあとは自分でバンバンしなさい
(旧い)ということでせうかね。
小生のは製造番号からみると1972年末くらいになる
でせうかね。800台(といわれる)のうちでは
後ろから数えたほうが早いくらいの新しい(?)もの。
ケーターハムが製造販売したのは37台といわれており、
そちらのほうが希少やもしれませんね。
ケータがなぜシリーズ4をやめたかについてはさまざまな
説がございますが、不人気で、というのはどうやら間違いで、
ほかにいろいろあったと思われます。詳細はいずれまた。
>>90 雀の罠・・って、そんな事して遊んでいたのですか(w
まぁ、本気でチャップマン氏を疑っている訳でもないです(念の為)
複数の資料のつきあわせですが、このフォード100Eというエンジン、
基を辿ればフォードが最初に開発した欧州専用モデル(1032年登場)まで遡れるとか。
レースに出るとなると元々そういう使い方される事も考慮されていなかった(当然)
1300cc以下クラスに入れられてしまう(1172cc)し、チューニングパーツも無かったので、
入手し易い事では甲乙つけ難く、排気量も80cc近く大きいモーリスのXAPG(1250cc)
には敵わなかったようです。しかもあちらはMG−TB〜Fミジェットにも積まれた為に
チューニングパーツも豊富だったようですし。
では100Eには何も価値が無かったかというと決してそうでは無く、低回転での粘りは無類にある
(そりゃそうだ・・)ので、当時未だ英国では盛んに行われていたトライアル競技では
この組み合わせが最適だったとか。(四輪のトライアルってどんなのだったのでしょ?)
・・と、言う訳でチャップマン氏の選択にも理由はあったようです(括弧だらけで読みにくい文章)
しかし330kgとは凄いですね・・。これに匹敵するのは初期型のオースティンセヴン、1922年の
350kgくらいですか。第一次大戦直後にフランス政府が税制上定めたサイクルカーの定義が
“1100cc以下で350kg以内”ですから、その辺りが四輪車として成立するギリギリのところなのでしょうね。
>>91 実は珍説作るのが大好きな私、シリーズ4のセヴンに関しては、ふとした
思いつきから出来た珍説があるのですが、いきなり突飛な事言い出して呆れられるのも
ナンですので、詳しい方の書き込みを待ってからという事に(w
さて、円数さんの取り込みには成功したようですが、もう数人いないと寂しいところ。
次はエロスパ氏釣りでも狙って「コーティナvsジュリアのGr.2」ネタにでも行きますか?
・・でも「ワシは〜〜ぢゃよ」とか「小生〜〜でせう」「アテクシ〜〜でR」
・・なんて書き込みに埋もれるのはちと怖い(w
アテクシセヴンに関しては門外漢につき放置プレイしておりました。
”セヴン”と言ふと「オースチン・セヴン」「ロータス・セヴン」「RX-7」の
どれであるかを明示しなひと混乱致しますので。w←ぃあオースチンは何ぼなんでも嘘。
いかなアテクシでもオースチン・セヴンはフロントにしかブレーキが無くその効きたるや
あるか無ひかだった、などといふことは全く存じておりませぬ。w
ヌーペル・7、だうも昨今ではオリヂナルの意味合いを忘れ暴走の限りを尽くし
しまひにゃ空力付加物サイドポンツーンだのと言ひだす始末ださうですが
この手はニァ7に倣ひヌーペルを超へた”ウルトラ・セヴン”で如何でせうか?w
オリヂナル尊重も原理主義も結構、一方「原理主義」の一つの異端の解釈鴨知れませんが
元っこレース用車両だったのならレースに勝つためになら何でも有りも
レース車両といふ原理にはある意味忠実なの鴨知れません、
それは既に”セヴン”では無くなってゐるかも知れませんが。
セヴン、買って抱へてまで乗りたひとは思ひませんが、貸しチャリンコ屋のやうな
貸し7屋があったらたまに暴走オモチャにしてみたひとしばしば思ひます。
コルチナ、と言へばやはり何と言っても「ダンペッツォ」でせう。w
トニー・ザイラー、猪谷千春。w
いきなりワケワカラン(w
失礼ですが一個だけ訂正を。オースティンセヴンは一応四輪ブレーキ付きです。
前後別系統でフットペダルは前だけに利く構造の為に、そう誤解されているのでしょう。
利きが悪いと言うのは本当のようです。ペダルが前にだけ利くってのは
パニックブレーキ踏んだ時にとんでもない方向を向く危険があると思うのですが
物の本によると「その状態でも後輪にはエンジンブレーキが利いているので
それなりに合理性がある設計」なんだとか。つまり、力一杯に踏んでもエンブレ程度の
利きしか得られないという事らしいです。
更には「オースティンセヴンでパニックブレーキの必要を感じたならば、先ずは主に
祈りを捧げなさい」(意訳)とか・・。つまりは「オースティンセヴンででブレーキに期待する位なら
念仏でも唱えた方がましだ」(超訳)という事でしょうか?
何とかしようとは思わなかったんですかねぇ・・。
ふむ。ではワシも一個だけ訂正を。w
後輪と言うのは基本的に垂直尾翼と同じ安定板の役割をするのぢゃ。
そんなわけでフロントだけに制動をかけた場合、車はとんでもない方向に
向くのではなく、ただひたすら真っ直ぐ行こうとする。
通常の車で強い制動をかけた時拡散方向に向かう、つまりスピンモードに
入る理由は、制動によって後輪の荷重が抜け、結果的に本来の後輪の
グリップが期待できないため相対的にリアブレーキが強くなりすぎて
ロックするためぢゃ。
このときは後輪のロックによって垂直尾翼を失ったのと同じことに
なっておるわけぢゃね。
成る程。明日にでもFWDの我が車のパーキングブレーキで試して(バカ・・)
ところで最近のセヴンの暴走(?)ぶりですが。それに関連してちょっと思う事。
元々、セヴンの魅力とはスピードに対する憧憬をそのまま形にした所。むき出しの本能。
と、私は思うのですが。空力に対しては全くと言って良い位に無頓着。58年発表という事を
考慮すればダウンフォース以前なのは当然にしても、抵抗を減らす事もまるで考えていない
ように思えます。セヴン以前に登場した11等の空力的な姿を見てもそれは明らか。
これ、チャップマン氏が本来セヴンには空力が問題になる速度領域で使用される事など想定して
いなかったからではないでしょうか?
クラブマンイベントで使用される多くのサーキットの形態が、カートコースに毛の生えた位の物
であったり。それ以上にサーキットでのレースよりも、上流階級の持ち物である狭く曲がりくねった
私道を使ってのヒルクライムとか適当な広い場所にパイロン立ててのジムカーナなどが誕生時点での
セヴンの主戦場であったのならば空力などは考慮する必要は無かったのでしょう。
セヴンに限らず、英国製スポーツカーの多くは後車軸にめりこまんばかりにドライバーズシートが
後退しています。エンジンを前車軸よりも後方に置くのはスポーツカーの文法であるにしても、
直8とかを積む訳でもないのだからあそこまでしなくとも充分エンジンのスペースはある筈。
実際にイタリア辺りのスポーツカーはそこまで極端ではないようです。
これもやはり、ヒルクライムとかジムカーナで使用される事を重視し、駆動力伝達の効率を求め
後輪荷重を大きく取る事に拘った設計なのではないでしょうか。(これも珍説かな?)
時は流れ。現代では公道を使用してのヒルクライムなどは出来なくなりつつありますし、ジムカーナも
流行らない。やはり直接競い合うレースの刺激には勝てない。かくしてチャップマンの想定した範囲を
逸脱した領域で皆セヴンを使用し、その矛盾がセブンの形態も変化させようとしている。
しかし部外者の一人である私などには、そんな事するならば最初から全く別な車を用意した方が
効率的って思えるのでありますがね。
98 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/05/21(土) 11:57:04 ID:MjPKLWgb0
>>96 おっちゃん氏に質問。リアをロックさせるとスピンするというのは
自分の経験からも分るのですが、昔の車にはリアにしかブレーキが付いてなかった
そうですが、どうしてそれで良かったのでしょう?
こりゃまた難しい質問を。
自動車が最初に発明されたのは1886年の
ベンツ・パテンテッド・モートル・ヴァーゲンということになっておる。
だいたいこの時代は世の中の交通は馬と馬車。要するに現在の車のようにな
制動距離で停止するなど不可能な時代ぢゃ。
実際、英国などは時速制限が25km/hくらいのもので、有名な赤旗令というのが
あり、車が走るときにはその前を赤い旗を持った人間を走らせて危険を
告知しなければならなかったくらいぢゃ。
要するに速度レンジも減速や制動の自由度も今日の水準からは想像できん様な
水準ぢゃったわけね。
実際1894年のパリ-ルアーンでパナールを駆って優勝したド・ディオン・ブートン伯爵の
平均時速は18.7km/hであったそうぢゃ。そりゃ瞬間速度は馬車の方が速いぢゃろう。
で、あるからしてまあ、たいしたブレーキは無くとも問題が無かった。
しかしこのレースは年々エスカレートしていき、1903年に大事故が起きる。
速度は毎年向上し、ついに瞬間では100km/hを超えるまでになっていたが、
ブレーキはたいした進歩をしなかったからぢゃ。
1920年ごろにはもう液圧式のブレーキが開発されておったというから、
おそらくこの事故辺りでブレーキの重要性が認識されたのぢゃろう。
で、あるからして昔の車のフロントにブレーキがなかったのは、
まだ重要性が認知されておらず、速度も低かったので問題なかったと。
そういうことぢゃと思う
言ふまでも無く、このド・ディオン・ブートン伯爵こそ
我々アルファ党員や蓮之家一門には御馴染みのド・ディオン軸の産みの親であり
その起源はカルルおベンシさま同様トライクにまで遡るものでR。
http://www.st.rim.or.jp/~iwat/meiji-5/meiji-5.html 但し、実際の発明者はこの機構の発明者は同社の設計者だったシャルル・トレパルドゥである、と言はれる。
既に19世紀にしてその後のレースシーンで永らく採用され続けた優れたサスペンションは開発されてゐたのでR。
一方、後輪に荷重を掛けるならRRこそ最も優れ、レース用としてもアバルト一派や
356、911が成績を残してゐる。後輪駆動でトラクションを最重視するならRRであらう。
或ひはエソジソとミッションを切り離したトランスアクスル式なら重量配分の適正化と
後輪の荷重を高い次元で両立出来る。敢へてFミッドを採用する英国ヌポーツが
わざわざ更にドライヴァーの体重をも後輪に掛けねばならなかったとは
いささか考へ難ひやうにも思へるのですが?
しかしその一方、ヒルクライム競技では後輪(駆動輪)のトラクションは重要な問題であったやうで
例へば手元の雑誌に紹介されてゐるプレスコットの山登りでは名手レイモンド・メイズの駆るアルタや
ERA、ブガッティT59などはこぞってリアをダブルタイヤにしてゐる。
まだタイヤが細く今のやうな幅広のタイヤの無かった頃には接地面積を増やし
トラクションを上げるには有効な方法であったと思はれるのでR。
101 :
蓮之家円数:2005/05/21(土) 17:47:56 ID:ZBLpUdSb0
セブンの場合は後軸に荷重をかけるための着座位置などではございませんで、
前軸ー後軸間にすべての重量物を収容しかつ最小限の投影面積にて製作
しようとした場合の必然でございますね。やうするに
前タイヤーエンジンーミッションー乗員ー後タイヤとなるわけでございます。
相対的に乗員が後方に着座しておりますね。
詳細にいへば
ラックアンドピニオンの後にラジエター、エンジン、ミッション、
乗員のつま先がベルハウジングの横、シフトレバーは太ももの辺り。
ぺラシャのUNジョイントが腰骨のやや後、デフがヘッドレストのやや
後あたりの下部。右手を後方に差し出せば後タイヤに触れます。
これでイパーイイパーイの大きさなので重量配分より重量位置はじめに
ありき、というのが正解でせう。加速時にドライならばホイルスピンは
少々しか起きません。もちろんタイヤにもよりますが。あるいはフレーム
に負担をかけるよりはホイールスピンに逃げたほうが賢明という考え方も。
さらにいへば加速安定より(対して出力ないので)回頭性を重視したなら
リヤのトラクションはドリフトコントロールの範囲にあればよく、俗にいう
「ケツふり」で向きを変えるFRドライブにおいてはそのほうが好都合で
ありませう。どうせサイドブレーキターンはセブンにおいては困難で
ございますから(レバー位置と効き具合から)お勧めできませんし。
実際にハンドルを握ればお分かりになりますが軸上に発動機の乗っかる
車体とは大きく異なる回頭性を呈示いたします。やんぬるかな
永らくアテクシの痔論であります「我々程度の技量の者が行ふヌポォツドライヴィング、
乃至は暴走行為には操向輪に荷重の掛かるフロントエソジソが宜すぃ」といふのがござひます。
さういふ観点からFミッドは理に適った方式であり、それでまだリアの荷重がと言ふなら
システム・パナールからミッションを切り離し後ろに持って逝けば宜すぃのであって
Cカーの如く何もドライヴァーを押し出してまでエソジソさまをご大層に車軸の中間に
持ってくることは無ひと思ふのです。重量配分と言ふ観点からはこれで充分かと。
103 :
オサーン:2005/05/21(土) 21:33:11 ID:nQD59d4e0
>>98 スポット参戦で、おっちゃんとちょっと違った視点から。
リヤのみのブレーキ時代には、2系統式ブレーキを採用する車が多くを占めてました。
1つの系統はリヤのドラムに効くハンドブレーキ、もう1系統は、トランスミッションのケツに付いたドラムを
バンドで締めるフットブレーキ(トラックのパーキングブレーキみたいなもの)
通常、ハンドブレーキは減速や姿勢変化用、フットはエマージェンシー用。
速度が低く、路面が滑りやすいという時代の条件から、ブレーキは速度調節と姿勢調節で事足れり
と考えていたのかもしれません。
逆にいえば、すぐに滑る路面では速度も制動も、思い切ってできる環境ではなかったと。
それでも車が進化するに従い、四輪ブレーキが求められるようになりますたが、壁になったのが
人々の保守性。
それゆえ、前述のセブンのように前輪オマケブレーキの時代が緩衝材として挟まったのかもしれません。
アメリカでは、第一次大戦の撃墜王エドワード・リッケンバッカーが戦後1922年に世に送り出した
新型車が四輪ブレーキを採用したのですが、『前にブレーキがあるとコントロールが失われる』と
デマが飛び、車そのものが5年で消えてしまいます。
滑るとステアリングが利かなくなるのは、確かに未体験の人には恐ろしいものだったかも。
(ちなみにこの人の親戚が、あのエレキギターのリッケンバッカー)
個性的な文章が続くなぁ(w
>>103 お久し振り。スポット参戦なんて言わないで下さいよ。
やはり>97は珍説でしょうか?英国製のスポーツカーの多くはエンジンとスカットルの間に
結構な隙間があるのに対し、イタリア製は同様にホイールベース間に全ての重量物を
収容しつつもここに隙間は少なく、着座位置は幾分前進しているようなのでそう思うのです。
本来、後輪荷重を重視するならばリアエンジン、若しくはミドシップが良いのでしょうけれど
当時イギリスにはそうした量産車が無かったのでその部品を使用したスポーツカーも自然と
フロントエンジンにせざるを得なかったのでしょう。ミニが生まれて以降はマーコスとかも出ましたが。
セヴンに限れば、このレイアウト故に後年更に大きなエンジンを積むことが出来た訳ですけどね。
さて。前輪にもブレーキを装備したのは1904年のイソッタ・フラスキーニが最初で、
前述のオースティンセヴンとは逆にペダルは後ろ、レバーは前に利く構造だったそうです。
面白いのはもう一個ペダルがあって、これはオサーン氏も仰るようなトランスミッションに利く物だったとか。
その当時のブレーキなんぞ、自転車用に毛の生えた位の代物。それでも馬車よりはマシだったので
大して気にする人もいなかったのでしょう。馬車に車輪がロックする程の強力なブレーキ付いていたら
馬はたまらなかったでしょうから。
オースティンセヴンにしても誕生の時点(22年)では決してブレーキが弱点って訳では無かったのでしょう。
けれど、39年まで生産が続き、周りが進歩したのに改良されなかった為に悪評高くなってしまった様子。
さて、今年も最中グランプリ(スマヌ・・)“最中マイスター(しつこい?)”G・ヒルの活躍、“タイガー”J・リントの
ポールタイムすら凌駕するハイペースでの猛追、大逆転。型遅れの72を振り回してのR・ペテルソンの
快走。ロータスファンには語り草の多いこの舞台に今年もチーム・ロータスはいない・・。
あぁ、そうそう。私が運転したことのある車の中にもエンジンが前車軸よりも後方に
レイアウトされたのはありました。でも、あまり回頭性とかは良いとは思えませんでした。
ステアリングも重くて、何よりも小回りが利かないのに閉口しました。
・・・・トラクション・アヴァンだもんなぁ・・・・
・・と、バカを言っているだけで終わっちゃいかん。
>>99にちょっと訂正を。
1894年のパリ〜ルーアンで、ド・ディオン・ブートン伯が乗ったのは自製の蒸気車です。
平均18.7km/hでトップでフィニッシュしたのは確かですが
“釜炊き”を助手として同乗させねばならないのが「簡便ではない」という理由で2着に降着させられ、
2〜3位でゴールしたプジョーとパナールが繰り上げの一位になったのだとか。
(このイベントは単純なスピードレースでは無かった為こんな事になったのだそうです)
クローズドでないコースを素人が走るのならFミドがベストと言う説には
ワシも一票。
サーキットでの話に限れば、FミドのあとRミドへと進化していく歴史には
十分な蓋然性があって、つまり人と重量物を低重心に配置しようとすれば、
それは必ず人間が前へ足を放り出す形にならざるを得ないのぢゃ。
出来うることなら車体中心へ重量物を固めたいと言う理想下で邪魔になるのは
人間の足。これがどうしてもエンジンと胴体の間を広げさせる。
セブンの場合ペダルボックスをうんと小さくしてミッションの横に入り込ませて
おるけれど、それでも向こう脛から股座までの間は足専用の空き地にせねばならん。
それならいっそ人間とエンジンを背中あわせにしてしまえば、重たい胴体と
エンジンが一箇所へ抱き合わせになるわけで都合がよろしいのよ。
と、考えるとミドの車で、シートの後ろに荷物置き場を設けようなんてのは
唾棄すべき堕落以外の何物でもないということになるのぢゃね。
そこんとこパツンパツンに設計しないで何がミドシップぢゃってね。
108 :
蓮之家円数:2005/05/21(土) 23:19:29 ID:ZBLpUdSb0
今気づきましたが
車オタ養成のスレでなく
車オタ大集合のスレでございますね。
これで養成されるオタって・・・
ギプス嵌めるよりつらいかも
前世紀のヴォワチュレットのご時世にはエソジソをH社Fitの燃料タンクのやうに
シート下に配したものがしばしば見受けられる。尻の下のエソジソからチェーン等で
駆動力を後輪に伝達するのでR。重心の高さを別にすればこれは最も前後の重量配分は
宜すぃと思はれるのだが、それこそパナール以降エソジソを前方に積むのが一般化する。
一説には馬無し馬車の馬としてのエソジソが前方にあることが当時の人々にとって
感覚的な安心感があったとも言はれるが真偽は不明。
アテクシ、かつて一瞬のみ存在したとあるヌレで小型軽量ヌポォツを考へよといふ御題に
小型軽量の直列エンジンを横倒し、股は小型の水平対向でこれをシート下に押し込み
後輪を駆動する、といふレイアウトを提案したことがあった。実際に具体化するには
やはりシート高ひいては全高の、つまりは重心高の問題や熱分布の問題など
さまざまに問題があるであらうことは提案者のアテクシも覚悟の上のパッケージングではR。
この発想の根底にぢつは創生期のヴォワチュレットがあったのは事実でもR。
111 :
蓮之家円数:2005/05/22(日) 19:30:49 ID:vwUCQ8Pu0
どちらかといふと
スバルサンバー
を連想させるレイアウトでございますね。
怪奇大作戦のトータス号がサンバーをベースに製作
されていたことをおもへばあながち非現実的とも
謗られぬ発案ではございませぬか。
>>110 エロスパ氏、前世紀って・・。もう今は21世紀、システムパナール以前と言ったら
前々世紀ですよ。
馬無し馬車にういては「昔の車は乗る人の下にエンジンがあって、ステアリングは棒状だった」
とあまり車に興味が無い人に言ったら「それってオートバイでしょ?」と・・(w
さて、重量物を一まとめにする為にも、駆動力伝達を重視する為にもミドエンジンは有効
なのでしょうけど、何でも格好から評価する私とすると、ミドシップのロードカーはどうにも
美しく無いのが多い思えるのであります。レーシングカーならばポルシェの910とか
フェラーリの330P3/P4とか、フォードGTとか。結構良いのがあるのですけどね。
フォードGTもロードカー仕様のMKVはどうも宜しくないし。
今発売中のSCG(私、二玄社の回し者ではありませんが)を見ていて思ったのですがエリーゼと
別項に取り上げられているポルシェ910ってWB2300mmで丁度同じ。なのに910の伸びやかな
サイドヴューに対してエリーゼはなんだか窮屈に見える。何処でこの違いが生じるのでしょうね?
それにねぇ、車は人間が移動する為の道具である事を第一義に考える私にすれば、
一番良い場所を機械に与えるのはどうか?って思うのです。それこそヴォアザンの
直列12気筒車とかガスタービンインディーカーのようにコクピットまでエンジンルームが
侵食するような物など、いくら重量配分が良くともロードカーにはあるまじき形態だと。
>>108-109 まぁ、基本的には車関連の雑談スレで宜しいのでは?お気楽に行きましょ。
円数さんにはセヴンシリーズ4のお話を期待。
参加してみる。
今さらだが、ブレーキの話。(カート編)
現在主流のスプリントカートはリヤブレーキしかないわけですが、初めて乗ったときあまりの効かなささにビックラこいた。
あのブレーキシステムは(たぶん)減速するためのものではなく曲がるためのものとされているんですよね。
サスもなければデフも直結なわけですからブレーキで積極的に(バイクで言うところの)リヤステアを活用していくということらしい。
で、もしFブレーキアリのスプリントカートとタイムを比較することができるとしたら
みなさんは、どっちが総合的に速いと思いますか?
前述のような構造上、リヤを意図的にブレイクさせて曲がらざるを得ないにしても
それはブレーキバランスの調整次第で可能かと思うし、なんといってもフル制動のおかげで
タイムアップができる気がするんです。
あのシンプルさがスプリントカートの魅力なのかもしれないですけど
ブレーキまでシンプルにしちゃったらどうなのかなぁ?なんて思うのですが。
114 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/05/23(月) 00:58:53 ID:n6tAZbFa0
>>113 ここには不釣合い。
早く左に戻った方が良いぞw
ワシはデフなし状態との組み合わせなら、リアのみの方が速いと思うねぇ。
デフロック状態のコーナリングでは、自然なホイール回転に対して内輪差分
だけ内側が余分に回っている。つまりコーナーリングに抗っている状況なんぢゃよ。
それはつまりアンダーというかスタビリティを上げる方向に効いているということ。
インリフトしてイン側がスリップに入ったときには外輪を回すことになり
デフは一気にOS方向に向かう。
つまりデフ無しの車は、イン側がグリップしていると、どアンダー、リフトすると、どオーバーと
激しいリバースを行き来する特性にならざるを得ないわけぢゃ。
これを大してトルクのあるわけではないカートのエンジンだけでオーバーに
維持し続けるのは不可能。というか確実性に欠ける。
そこでブレーキを使ってリアをブレークさせ、後ろに慣性が付くところまで
持っていってやるわけぢゃ。
例えば仮にホンダのSH-AWDのような仕掛けがあったとしたら、曲がることは
デフに任せられるので、ブレーキは減速スペシャルでいい。
ワシの答えとしてはデフ無しリジッドならリアブレーキが速い。
と言うことで如何かな?
↑ぃあそんなことは無ひ。
まづ問題と思ふのは極度に軽量なカートの場合、4輪にブレーキをつけることで、
そしてその作動装置を付けることでの重量増のマイナスが4輪ブレーキのメリットを
上回るかだうかであらう。例へフル制動しても次の瞬間立ち上がらねばならん訳で
若しヘアピン直後の長ひストレートをフル加速でといふとき、重ひ車の加速で
軽ひ車とのアドバンテージを保てるか否か、といった場合だ。
全ての車が同一レギュレーションであるなら、全ての車が4輪ブレーキを装備するなら
事情は違わうが、さうなってはヌプリントカートでは無ひ別物になる訳であらう。
ありゃ、失敬、>↑ぃあそんなことは無ひ。は
>>114。
118 :
がんそ(PC ◆.PJTVGHjVQ :2005/05/23(月) 01:32:35 ID:/DPjHP1C0
今、再度、ざっと読んでみたけど、なかなか面白いですね。
運動性能や美しさはさておき、移動する乗り物としての
ベストパッケージングはRRじゃないかな。
エンジンと駆動輪も近いし室内は何にも邪魔されない。
足を伸ばすために犠牲にするものもない。
と考えるとスバル360やチンクエチェントはミニよりも偉い。
ポルシェ911やモンディアル(4シーターミッドシップ)となると
中途半端感が否めないけど。
911の名前を出すと「あれの意味はブレーキング時に重心が車体中心に移るから云々」と
また別の話に展開しそうなので、それはそれで期待しておきます。
ま、なんだかんだでパッケージングの話だと実は軽トラ無敵なのかも。
>>118 軽トラのエンジンってどこについてるかわかって言ってんの?
>911の名前を出すと「あれの意味はブレーキング時に重心が車体中心に移るから云々」
早々に脱線・転覆、死傷者多数にさせて頂くが、
それは後からさういふメリットが付ひてきたものと思ふ。
当初フェリー・ポルシェ博士が考へてゐたのはより快適で余裕有る356であったと思ふ。
まづ356ありきでその発展形、ヌポォツカァであることより高速ツアラーであることに
開発時には主題があったとも聞く。当時既に、ぃあ戦前からレース車両に関しては
おっちゃん先生既述のやうにミッドマウントが試行されRRは少なからず主流から
外れてゐたと思はれる。もっともアバルトのやうな例はあれども、あれも元が
FIAT600やそのヴァリエーションのシムカであり何でありに起因する訳で。
少なくとも356時代に荷重移動によるブレーキング時の重心移動のメリットに
ポルシェは気付ひてゐただらうか?これに関しては専門家の香先生の講義を待つ。
>>119 んで?チミはどの軽トラのエンジンがどこについているか判って言っているの?
サンバーやアクティ/バモスなんかは少なくとも話からズレちゃいないと思うがねぇ。
122 :
がんそ(PC ◆.PJTVGHjVQ :2005/05/23(月) 02:05:37 ID:/DPjHP1C0
>おっちゃん
デフロック状態が直進命なのはわかるけど、
なにもリヤブレーキオンリーにする必要はないんじゃないかと思うわけですよ。
前後のブレーキバランスでなんとでもなる気がする。
制動力アップというメリットと天秤にかけてみる価値はあるんじゃないかな?
カートは乗りやすさやフィーリングよりも「タイム」がすべてなわけだから。
(まぁもちろん過去に試した人がいて結論が出てるんだろけど)
もちろん「言われたレギュレーション内で戦うだけじゃわい!」と言われたら終了だけど。
>エロ氏
重量もよく出てくる話ですが、その観点で言うならばおっしゃるとおりです。
「制動力アップ&加速力ダウンか、その逆。どちらが結果的にタイムが出るか」というところですね。
私はレースはブレーキングが結構重要かと思うのですが、カートはそれを学べないモータースポーツだと思ってます。
レギュレーション問題はさておき、コース次第ではフロントブレーキを試してみる価値はあるかと思うのです。
ってなわけで、あまり面白くないネタだったらスルーしてくださいまし。
ではオヤスミ。(このスレはみんなやたら長文だなw)
ひさしぶりにぼそっとな(w
カートのブレーキは、右手にも在りますぞ(w
それにカートではデフは無いが、犬のションベン走りです。
カートでは意図的な外側荷重を自分の体の移動で作らないとだめなので。
んーと、だからカートでどオーバーとかドアンダーとかはフロントタイヤに
どれだけ仕事させればいいかのバランスがわかってないということに。
タイヤの限界を超えた仕事は出来ないので、それを考えて舵角を与えます。
だから、単純に切りすぎてもアンダーになります・・・。
それにカートではブレーキと体重移動は同時にやるので・・・。
だから、フロント側にブレーキがあろうが「サス」がないのでそれだけでは
速く走れないとおもいます。
むしろ、加速、トルクバンドに響くことを考えて無駄の無い最低限の減速で
かまわない、となります。
必要なグリップは体重移動で得るカートに比べて、サスの付いた車はたしかに
減速のブレーキングで荷重を掛けるですけど、カートは外側荷重が基本、と
いうことを考えると・・・・。
俺はあれで十分、むしろ、あれ以上必要ないと思いますです。
シートにどすんと座ってるだけのレーサーはカートにはいないと思いまする。
まるで下げてなかった。スマソ
>エロ氏
911の「ブレーキングの重心移動云々」や「アクセルだけで曲がれるように云々」は
俺も後付け理由だと思ってます。
過去にもあちこちで語り尽くされたでしょうけど、ではなぜ911はRRレイアウトを選び
今なお、その古臭いレイアウトを踏襲しているのでしょー?
(と、ネタフリだけしておく)
>おっちゃん
俺のファンの相手してくれてありがとう。
でももうほっといていいよ。
その方、どうやらチャチャイレ専門家みたいだから。
では、寝む。
125 :
蓮之家円数:2005/05/23(月) 14:42:25 ID:jWuPSWr+0
あのフォルクスワーゲンをみればわかるとおり
ボディを量産のため簡便な形状で頑強に
車内容積、形状を乗員に圧迫感なく
メンテを容易に
駆動効率を余すところなく
ということになればRRを選択せざるを
得ないでせう。
たとえば911があのままの寸法形状で
FRであれば巨大なセンタートンネルと
小さなバルクヘッドでキャビンが矮小に
なるでせう。当然後席はなし。
(ないも同然といえばそうなのですが)
ノーズに収まるエンジンも大きさが限られ
かつ放熱面積もかなり制約をうけるでせう。
RRゆえのデザインか、デザインのためのRRか
で決まるお話でございますね。コンテッサもあの
DMC12もRRでございますからねぇ。
でもスポーツカーを目指すなら別に大衆車のビートルを見習わなくてもいいわけですよ。
4人乗りコンパクトスポーツカーを目指したとき
結局偶然にもビートル同様のRRしか思いつかなかったってことですかね。
でわ現在もまだRRをひきづってるのはなぜでしょう?
やはり「それが911だから」ってことなんでしょうかねー
あ、なんか面白い流れだ
128 :
蓮之家円数:2005/05/23(月) 18:32:57 ID:eoBVbjFG0
ポルシェは「スポーツカー」を作っているわけでは
ございません。少なくともプレスの広報においては。
もちろん911はファミリーカーでもありませんので
4人乗りコンパクトカーもめざしておりません。
あくまでもポルシェの思想は大衆GTでございますね。
911はサイズ的には日本で言う5ナンバー。912は
たしか5ナンバー登録だったやうに記憶しております。
小さくまとめていざとなればアウトバーンをかっとぶ、
それゆえに現在も同じやうな形状でエンジンが巨大化
しているのでせう。914をそのまま大きくすれば
ミッドシップリアルスポーツを作成するのもやぶさかでは
ないのでせうが、X1-9のレベルにて終了させているのは
そういった姿勢のあらわれとも受け取れるかと。
>蓮氏
928がデビューしたとき確かあれは「911の進化版」という位置付けだったハズです。
とするならば確かに911が目指していたところはGTだったのかも知れませんね。
そして大衆=小さなボディでたくさん乗れる(積める)と定義するならばRRレイアウトは大衆車の証とも言い換えられますね。
928が高級車レイアウトであるFRを採用し、それがゆえにそっぽ向かれてしまったというのも因果な話です。
願わくば911はプライスも大衆向けにして欲しかったですねえ。
130 :
蓮之家円数:2005/05/23(月) 20:35:31 ID:eoBVbjFG0
フェラなどと比較すれば初期の911Tなどはかなり安価な
GTといえなくもございません。(無論本国のお話)
912はさらに安い、見た目だけ同じなバージョンでございます。
そういう中で前述の914を出したわけで(ワーゲンブランドですが)
大衆寄りであったのは間違いないでせう。ただ商売としてはやはり
1100ccで始まったカローラが1800ccにまでなっていくごとく
スープアップ(性能も価格も)していくのは必然でせう。
>>がんそさん(ナンか変だなw) 気に入って使っているならば無理にとは言いませんが。あのスレ以外では
名前変えた方が良いのでは?どうせ他スレでは意味が無いのだし行く先々にチャチャ入れさんが
付いてくるのも鬱陶しいのではないでしょうか?
さて。小型車に効率的なレイアウトですか。それはもう、ダンテ・ジアコーザさんに訊くのが宜しいかと
(イタコでも呼ぶ気か?w)
1950年代に、かの600、500を作りながらも10年後には128に始まるFF車を設計した彼ですが
かねてからの理想はFFであり、リアエンジンは納得のいくドライブジョイントが出来るまでの
つなぎ程度に考えていたのだとか。
でもねぇ、出来栄えつか、完成度に於いてはそりゃ彼の名前がレイアウトの定番に残る程の
傑作だったFF車の方が上だったでしょうけど、車自体の魅力となると、また話は別かと。
ここで一つ、また珍説ですが。スタビリティだのハンドリングだの、衝突安全性だの。
一般の顧客はそんな事は案外気にしない物。リアエンジンが廃れた理由は、そんな事よりも
トランクスルーとかハッチバックなどの便利な仕掛けが出来ないからでは?
・・そんな事書くと「ムルティプラ、VWタイプU、サンバーは?」と言われそうですが、どれも無理やりっぽいでしょ?
それに「生鮮食料品を熱いエンジンの上に置くのって抵抗あるのよねぇ」って言う人、いるのですよね。
(凄い身近な話で締めてしまう私 w)
>>逝ってる氏
コテハンの件、今度変なのが湧いてきたら考えます。スマソ
それにしてもココは穏やかなインターネッツですね。
で、ムルティプラってFFだとオモテたけど違うんすか?
どちらにせよ、俺も「ラゲッジルームが熱くなる」のは嫌だなぁ
ミドシップについてるおまけリヤトランクも似たようなもんですね。
まーワンボックスやトラックなんて熱いエンジンの上に座ってるわけですから
本気で断熱すればなんとでもなるんでしょうけど??
(ワンボックスやマイクロバスはなにげに熱いけど)
ポルシェは356を作っとき基本的にVWタイプIのコンポーネントを流用したのよ。
そういう意味ではタイプIの高速実験車輌のような位置付けで、
新規起こしで別レイアウトをしようという気はなかったはずぢゃ。
そんでもってまあローコストで国民車を作るプロジェクトが下敷きに
あったからこそ356や911が生まれたのよ。
なぜかといえば卵形に近い造形はスバル360でも知られるように
自然とボディ剛性が上がるんぢゃよ。そこへ持ってきて、リアのバルクヘッドが
自然とリアサス付近に来るのでサスの取り付け剛性も良くなる。
そういう特性のボディにエンジンが自然とリア荷重かけるから、
高いトラクションと、撓みが少なくドリフトコントロールのしやすい
リアセクションが出来上がるわけぢゃ。
もしリアの剛性が足りなければ、ファイナルブレークアウェイを起こしやすい
じゃじゃ馬になってしまう。
ある種の結果オーライぢゃが、そこからポルシェはそのスタイルを改善すべく
努力を重ねる。実は944と928で一度リアエンジンをほっぽり出そうとしたんぢゃが、
客は911の代用品とは認めてくれなかった。もう会社が存続する限りRRを
作るより他に手がないのよ。
蛇足ぢゃが、逝ってる氏の言ってるムルティプラはフィアット600ベースの初代の
方ぢゃよ。
911が高くなったのは73年から、72年のオイルショックのあおりで潰れさうになったときです。
それまで比較的廉価な高速ツアラー(欧州にはこの手が多ひ、バイクまでさう)であったものを
豪華な内装と飛びぬけた動力性能、特にターボが目玉として登場しましたが、このあたりからです。
いはゆるヌーパーカーブームもありそれまでイタリアンエキゾティックスやアストンやらの牙城であった
高級ヌポォツ、高級GTの分野にシフトして利幅を大きく取る作戦に出たのです。
この時期ポルシェは本気で大衆量産車メーカーへの転進すら模索しており
まぁその後も何度も訪れるポルシェの危機ではありますが、この時はこの高級路線が功を奏したのです。
まぁ10数年程前にも危ない時期があっておベンシさまに食はせてもらったり、
中小メーカはいつも大変なのです。
>もしリアの剛性が足りなければ、ファイナルブレークアウェイを起こしやすい
じゃじゃ馬になってしまう。
ファイナルブレークアウェイが今いちわからんが、
初期の911はアンダー→オーヴァーへとドゥアっとかわるリバースステア?とかゆー
キョロキョロ変わるおっかないハンドリングというのが定説だった気がするのですが。
>逝ってる氏の言ってるムルティプラはフィアット600ベースの初代の
方ぢゃよ。
うう。おはずかし。
チンクエチェントは好きだがその派生系はキモ顔が多くてあまり意識してなかった。
まぁこないだまであったムルティプラもキモ顔ですが、あれは好きだなー
欲しい。
そうか・・今ムルティプラって言ったら幅広で短いアレの事ですよね・・
(年バレスレか?w)
多分オッちゃん仰るように、928や924の出た時点でポルシェはリアエンジンを
止めようとしていたのでしょうね。
でも(それらが不評って事も無かったのでしょうけれど)リアエンジンならば
他と比較なんかしないで皆、指名買いしてくれたのでしょうが、フロントエンジンならば
いくらでも比較対象があって、何割かの客は他に流れる。ポルシェのような規模の
メーカーにすると死活問題だったのでしょう。
ところで、ポルシェだったと思うのですけど、デフを持たないレースカーだか
ヒルクライム車だかが存在したような記憶がうっすらとあるのですけど・・
いくらなんでも記憶が変なのかなぁ?試乗記読んで「豚のようにアンダーステアだ」
って記述に「豚ってアンダーなのか?」って思ったような覚えがあるのですが。
デフの無いロードカーならベベプジョー。殆ど3.5輪車(w
ところで車変態(褒め言葉)のみなさんに新しいネタフリ。ボディコーティングの話。
ぜひ御意見を聞きたい。(空気読めてなかったらスマソ)
今、親水性のコーティングが流行ってますが、おいらもやってみたが
あれって、よごれがどろーんっと流れながら固まるんだけど
みなさんはあれっていいと思います?
レンズ効果によるウォータースポットなんてできた試しないし、
どうせ雨あがりは洗車しなくちゃならないし、それなら撥水系でいいんじゃないかなと。
ワックスが汚れを溜め込むというのはよく聞きますが、泥水垂れ流しだってあまりボディにいいとは思えない。
特に俺みたいなサビやすい車乗ってる人間は水分がボディにベタっと停滞するのが凄い不安なのですよ。
さすがにシュアラスターの時代でもないかなと思い
最近はフクピカ(w)にしたんですが、これが手軽で弾くし結構具合いい。
なんせ時間があれば塗り塗り出来るメリットはすごいですよ。
どんなもんしょ?コーティングもみなさん詳しいんでしょか?
あぁ、そうだ。エロスパ氏の文を読んでいて思い出した(デフの無い〜ではないですが)
リアエンジンは昔からありましたが、一般に広まったのはVWが大売れしての事。
と、思うのですが、それが廃れたのもVWの初代ゴルフが売れてからという気がするのです。
このVW初代ゴルフの設計時にポルシェ社もちょっと加わりミドシップ車を提案したけれど
既に一般的になりつつあった横置きFFが採用されてポルシェ社の案は日の目を見なかったとか。
どんな物だったのでしょうね?エロスパ氏が先日書いていらしたような、いわば先代エスティマ
のような感じの物だったのでしょうか?
>>137 フランス車乗りに洗車の話はしても無駄(w
さて、おったん先生の仰る
>リアの剛性が足りなければ、ファイナルブレークアウェイを起こしやすい
この例が、まぁ流石にアテクシはこんな物件乗ったことはありませんが
かのアメリカが誇る新機軸の小型車であり
且つGM最大の恥部をも後に巻き起こしたかのシヴォレィ・コーヴェアでせう。
よく当時輸入が急増し危機感を持ったGMがパクったなどと言はれる同車ですが
ぢつは全く違ふスタートの物件でして決してぱくりでは無く、GMが、ひいてはアメリカが
まだ自動車の分野で挑戦が出来た、その後のひたすら守りに入る時代の転機になった頃の車です。
この当時のアメ車としては非常に小さな、しかし大きなRR車はリアにコンペンセイタを持たづ
その為にリアのブレークが起き非常に運動性能に癖があったと言はれております。
しかし当初からこれを見抜いた当時のVWディーラ等がコンペンセイタ、
ヌタビライザを発売しており、後にGMも標準装備しております。
しかしこのコーヴェアの特殊な癖は緩慢なアメリカンFRに慣れたユーザにとっては
事故の頻発を招き「危険な車」といふレッテルを貼られ
この危険性を説ひた弁護士はGMの雇った探偵に調査されネガティヴキャンペーンを張られるなど
股今度はそれが議会内で発覚するなど非常に見苦すぃ展開となり遂にはコーヴェアは
一時期の大ヒット作から一転、全ての生産が停止され
その後二度とGMは挑戦的冒険をすることを封印してしまひました。
このコンペンセイタを何故最初から付けなかったかは今の今でもGMの最高機密とされ
一切公表されてゐません。
ありゃ、自己添削。
>当時輸入が急増し危機感を持った ×
>当時VWビートルの輸入が急増し危機感を持った ○
さて、デフ無しレーサーの例→ヴォワザン・ラボラトワール。w
>>121 軽トラっていってもいっぱいある。
その中でも挙げてた2車種は明らかに違う位置についてる。
アクティは真ん中。
営農三バーはさらに後。
>>140 う〜む・・。もっと最近のだったと思うのですけどねぇ・・。
結局3.5輪車でないとデフ無しは無理なのでしょうか?
・・軽トラって、スピットファイアの事ですか?
(幾らなんでも無理のあるボケ w)
>>141 あんただれ?
エンジンがシートの下や荷台の下。
とにかく「なにかの下に重ねてる」ことが軽トラのパッケージングの妙だと言ってるわけですよ。
微妙な位置など、軽トラの用途を照らし合わせて考える時、大して意味を持たないような気がス。
どないなもんですか?
逝ってる先生ご愛用のツトローエンにもサハラとかなんとかってセンターデフを持たなひ
ヨンクがあった筈ではありませんか?w
まぁ月の砂漠をはるばると砂丘を越えて逝くのならデフなぞ無ひはうが宜すぃでせうが。
>>143 おれは左見てここきました。
エンジン位置は冬道で影響してくる。
>>145 軽トラのエンジン搭載位置にも各社の哲学が反映されているかと思います。
そのあたりを御存じなら聞かせてくださいな。
雪道重視なのかたんぼの泥濘地優先なのかコスト重視なのか
騒音なのか操安性なのか熱なのか。
2CVサハラはねぇ・・どうやってセンターデフを付けろと(w
前後に2CVエンジン積んでいるからといって4CVとは呼ばないのですね。
あれこそ、FFにも4WDにもRRにもなる万能車(なんの?)
>>146 そうやって乗らないで下さい。私、思うのですけど、軽トラとかを
あれこれと深く考えて比べて買う人ってどれくらいいるのでしょう?
それこそ各社共通規格で統一して同じ部品使えばコストダウンになるのではないか?
ってね(駄目?
・・つか、「逝ってる先生」っつう呼び方は止めてってば・・。
あー、ぃあ、ではサハラではなくBXだったかZX、
確かBXでセンターデフ無しのヨンクが在った筈、と。
出たばかりのBX見に行った時は、ぃあ本当に欲しかったものでR。
ぬぅ、これでこそ新世代のツトローエン、GS後釜はこーでねーと、と思ったものです。
前戯、もとひ前後にエソジソ積む式ではゴルフに2ヶエソジソ積んだ物件が
パイクス・ピークの山登りに参戦しておりましたなぁ。
リアに大穴開けてでっかひファン2つ付けてましたっけ。
そう言えば有りましたね。BXの4WD。日本には入って来なかった筈ですけど。
ZXにはどうだったのでしょ?
しかし、後輪に動力伝達する部品は何処から調達したのやら?
大体、システムパナールの考案元パナール社といい、プロペラシャフトの考案元
ルノーといい、第二次大戦終結後は自らが考案した物には一顧だにせず
(爺臭い文だなぁ・・)リアエンジンだのFFだのしか作らなかった。
フランス人、床がフラットでないと嫌なのでしょうかね?
そうそう、インディーレーサーにポルシェ911のエンジン二個を前後に積んだ
ってのが有った筈。画像、何処かにないかなぁ?
(どんどんとりとめが無くなっていく話である w)
153 :
香ばしい:2005/05/24(火) 00:07:37 ID:oVVLZ7Vz0
斜め読みスマソ
前後エンジンで最近といえば先代Aクラス(確か試作車ハッキネンが乗ってた?)。
もとより燃料電池を積む為に後ろに空間が有り余ってたましたから。
その昔、デイトナビーチでの速度記録用レコードブレィカーに
航空用エソジソ3基のっけたトリプレックスつう物件もあった筈。
双発だの3発だのってシコーキのやうな物件がクルマには少なひのは如何なものか?w
アルファ・ロメオ“ビモトーレ”(1935)
1931年のティーポAもギアボックスまで二組。
クランクケース共有でも良ければ38年のティーポ316
さすがはアルファ、こういうの一杯(w
その内に第一次大戦頃まで航空機にあった“昔風”ロータリーエンジン
(クランク固定でエンジン本体が回るってアレ)を各ホイールに仕込んで4発(ww
さて、脱線(暴走?)が過ぎたか?
セヴンにちょっと戻って、シリーズ4誕生の経緯やら生産中止に至った経緯とか
その辺のお話が聞きたい所(更に暴走もまた良しですけどね w)
156 :
香ばしい:2005/05/24(火) 01:05:50 ID:oVVLZ7Vz0
ポルシェは純然たるスポーツカーとして356(グミュントのMR試作を除き)
を作ったワケじゃなくそのRRレイアウトは「それしか4人乗せてそれなりに
はしらせる方法を思いつかなかったから」だと僕も思います。トラクション
特性自体は以前タトラの話題が出てたスレでも語られていたように、ある
程度当時の技術者の基礎的素養として有ったのではないかと考えますが、
901に至っては997に変わった時と全く同じで顧客の要望にそっただけでは
ないでしょうか。
さらに斜め読み
ラルフ・ネーダーは逆説的にアメリカならではのヒーロー像を提示していると
重いまふ。
カージャーナリズムの世界にどっぷりつかってるとファイナルオーバーも
「個人的にはお勧めしない」と言った逃げの言葉の世界に逝っちゃって
自己責任とろうとはしませんからね。
「工業製品として欠陥よ」って論旨で「正義」をごり押しして行ける国民性、
それはそれでうらやましい。
>>155 >第一次大戦頃まで航空機にあった“昔風”ロータリーエンジン
ぁあ、ソッピース・キャメルなんかですな。w 最初見たときは何が何だか分からなかった。
>各ホイールに仕込んで4発
ブガッティは家具屋から動力乗り物屋になる時期にリアのホイール内に
星型5気筒エソジソ押し込んだ物件こさへてますが。
>さすがはアルファ、こういうの一杯
なに、つひこなひだまで扇風機付きF1とか平気でやらかしてましたから。
エソジソの2つや3つのっけてもだうせだうせどれか止まった時のヌペアですから。w
アテクシのやうに糞アルファ2台抱へて交互に直すのも手でせうが
1台に2台分押し込めばどっちかダメでも片っぽで何とか動ける。
JAFの積車の無かった時代の知恵ですな。w<大嘘
股、この2in1の発想はフォードのDFV(ありゃこれはDブル・Fォー・Vァルヴかw)とか
デイムラー・ダブルシックスとかみんなこのクチでせう。
4発や6発をクランク共用で8気筒12気筒のV型ってな。
他に4発2つ繋ひで8C、4発二重連で8C式はそれこそCZ・モーロダーのアレもそのクチ、
V8二重連で16気筒。
アバルトも6発2つ継ぎはぎ12気筒開発してましたが、
継ぎ目が割れてモノにならなかったさうな。
>>157-159 夜中までハイテンションですね・・(w
読んでいて気付いた。つか、判った。書き込んだ御本人も気付いたでしょうけれど
>双発だの3発だのってシコーキのやうな物件がクルマには少なひのは如何なものか?
それは、自動車の場合はエンジンが止まっても、あまり墜落する恐れがないから。
(珍説以前だっつうの w)
もう一つ判った事。
車で速く走りたいと思った時に、イギリス人は余計な物を外そうとする。
アメリカ人はとにかく大きなエンジンを乗っけようとする。
ドイツ人はエンジンにビタミン剤無理やり飲ませようとする。
イタリア人はなんとかエンジン二つ積もうと無茶する。
日本人は皆がどうするかをまず見てから考える。
フランス人は考える前に手近な車のアクセル踏みつける。
(また珍説以前 w)
さて、今日は他に誰も来ないようなのでセヴンシリーズ4誕生の経緯について
私見っつうか、また珍説を。
何故セヴンシリーズ4は生まれたのか?それは1967年から新しく始まった
フォーミュラ・フォードの為ではないか?
このフォーミュラ・フォード用にロータスが発売した“51”は翌年用の51Aも含めると
200台以上が売れたそうな。これ、レースカーとしては異例の台数。そこでチャプマン氏
この51をシリーズ3セヴンの後釜に考えた。サーキットまで自走できるようにとフェンダーと
ライトを付けたロードバージョンをロンドン・レーシングカーショーにて発表。(68年タイプ51R)
寝そべった姿勢を強いられるフォーミュラカーでは斜め後方は振り向けないけれど、
ヨーロッパを見れば判るとおり、チャプマン氏は最初から斜め後方の視界には無頓着。
セヴンからの変化なぞ、バイクのタンデムシート取っ払う程度にしか思っていなかった。
で、その頃出走出来るカテゴリーが狭まりつつあったセヴンには51ともヨーロッパとも
被る事がないような、新たなキャラクターを与えて商売拡大を図る。
で、アメリカからドルを引き出そうと彼の地で流行しつつあったバギー的な味付けにする。
かくしてセヴンシリーズ4の誕生(69年)
だけど51のロードバージョン計画は一台が売れたのみで破綻。後は皆様御存知の通り。
・・なんてのはどうでしょ?
162 :
蓮之家円数:2005/05/25(水) 07:34:17 ID:t4hT5SVa0
非常に面白いとは思いますが一点、ロータスのレーシングカーは
広告塔、ロードカーを売るためのデモンストレーターに過ぎません。
シリーズ3の後釜というのは実は 存在しない のでございますね。
なぜならシリーズ3そのものがシリーズ2でやめたいものを
無理やり延命させたものでございますから。当時すでに
キットカーで貧乏人相手の商売する世界からアシを洗いたい
ちゃっぷまんはセブン終了をアナウンス。するとマニアは
こぞってワンモアプリーズ。ラッキー、とばかりに改良版シリーズ3
ssを僅かながら製造販売。これには次世代セブンたるシリーズ4
(タイプ60)を予感させる構成(足回りなど)がすでに採用
されており、キットカーからの脱却を図ろうとする方策の片鱗
が見え隠れ。これまでのセブンはすでに過去もの。
さてエラン・ユーロパが好評なのを受けてついにセブンは
終了。全然別の世界、別の購入層、別の販売対象を持った
シリーズ4投入。ほとんどコンプリートで販売されるこの新型は
「これまでのファン」からは不評であった、と各誌に書かれて
おりますがロータスにとってはそんなやつら(貧乏人)はどうでもよく、
これからはフェラーリのごとく金持ち相手に商売を。ひとまずセブンの
名声を受け継いでかつアーバンレーサーたるS4を売らなくては。
というところでちょうど時間となりました〜〜ぁぁん
・・やっぱ、無理っすか?(w
さすがに私もフォーミュラフォードのタイプ51がセヴンの後釜ってのは無茶かな?
とは思いましたが。
でもねぇ、ヴィンテッジ期のGPレーサーで公道走る人だっているのだし、ナンといっても
こっちは混合燃料なんかいらない、ガソリンで走れるのだし・・。
それに第一、セヴン自体が既に結構無茶な領域に足突っ込んでいるのだし・・・・。
・・・・無理か(w
一つ疑問なんですけどね。ロータスは60年代終わり頃の時点で、既に高価格車メーカーへの
脱皮を考えていたのでしょうか?それ以前にもそういう動きはあったにせよ、
以前エロスパ氏がポルシェの価格の事で指摘されたようにオイルショック以後の
中小メーカーには厳しい環境になった時期があって、その時に初めて方向転換を
図ったのではないかって気がします。
具体的にモデルで言うなら二代目エリートあたりからがその路線ではないでしょうか?
不景気時に利幅の大きな高価格車を作って台数減の影響を最小限に食い止めようというのは
自動車会社の常套手段。世界大恐慌の1929年以降しかり。
・・・・しかし大体は失敗に終わるのですけれどね・・。
それで成功したのは多分、第二次大戦で工場の大半を失った時、小型の170Vとかを切り捨てて
中、大型車に絞ったダイムラー・ベンツくらいの物でしょう。
164 :
蓮之家円数:2005/05/26(木) 07:59:40 ID:1fO+SDsC0
エランの+2をみてもわかるとおりすでに移行はジョジョの奇妙な冒険
でなくて徐々に進行していたやうでございますね。いきなり180度ちかく
の方向転換はむりでせうから。ただ、原油衝撃や米国の輸入規制
(衝突安全と排気ガス)が大きく影響しているのは間違いございませんね。
S4も4年間で800台を売るほどの商品でしたがいかんせん、対米輸出が船賃
の高騰などで結局収益を上げられずついにケータに払い下げとなって
しまいましたから。案の定ケータは40台前後を売っただけで頓挫。
で、エスプリをみればわかるとおり新型907エンジンを積んで高級志向。
すでにヨーロッパの面影はかけらもございません。(価格も)
初代エリートで犯した失敗を踏まえて当初から原油衝撃を生き残った
金持ちが喜びそうなGTカーに。(マニア=金持ちではないから)
このころレースシーンで好成績を残していたため知名度は抜群、さらには
ボンドカーとしても銀幕デビュー、夢よ再びというところでせうか。
いずれにせよセブン類を作るほかの車屋(ケータ含む)がセブン以外に
自社ものを作る力がないのをみてもわかるとおりいつまでもセブンなんかで
食っていけるわけがなく(大会社として)収益増を図らんとするならば
どんどん新機軸を打ち出す必要がございます。かくしてロータスはバックヤード
スペシャルからスーパーカーメーカーに。ただその行く末は・・・・・
股も脱線転覆でせうが、漏れ伺ふところによると
エランのエソジソの負圧でagesageするライト、
あの負圧はフレームの中を通ってライトまで達するさうですな。
そのフレーム内に負圧が残ってゐる間2〜3回は上げ下げ出来るとか。
フレームにクラックが入るとそこからエアが漏れてライトが動かなくなるので
ライトの動かなひエランは宜ピク無ひ、とも伺ひましたが。
>>164ふむ・・。成る程、言われてみれば・・。
オイルショックが無かったとしても、遅かれ早かれ高価格車路線への転向は
既にチャプマンの脳裏には描かれていた事なのでしょうね。
ところで。円数さんは本気でそう思っておられるのか定かではありませんが
キットカー買うのは貧乏人って事はないでしょう。特に英国人の場合。
へインズのサービスマニュアルとか見ても判るように、ともかく彼等は機械いじり好き
DIY大好きな人種の様子。趣味性強い車なら尚の事、自分でなんでもやりたいってのが
彼らの流儀に思えるのです。
さて>91で円数さんが仰っていらした事。
>ケータがなぜシリーズ4をやめたかについてはさまざまな 説がございますが、
>不人気で、というのはどうやら間違いで、 ほかにいろいろあったと思われます
これが大変気になるのですが・・。
ついで“キット”という言葉で思い出した。プラモデルでロータスのキットというと
何故か大小問わず日本製ばかり。イギリスのメーカー製はというとMGとか
トライアンフのキットはあるのにロータスは出ていない。アメリカのメーカーもそう。
(よりマニアックなメタルキットはありますけど)
日本では普遍的に(?)人気のあるロータスですけれども、彼の地での人気はどうなのでしょう?
・・と、書いている間に。
そういえばエランはシリーズ3(でしたっけ?)からロードスターがDHC
(栄養学の話ではない)になって、その時にサイドウィンドウ上下が
パワー化されたけれど、此処にも負圧が利用されていたような・・。
チャプマンはこれを
「通常のレギュレータ付けるよりも軽量」と言っていたって話があったような・・
(曖昧な記憶 w)
なんでも利用できる物は利用するのがチャプマン流ならありそうな気がしますが
記憶違いかなぁ・・
セリエ3でしたか、アテクシセリエ2かと思ってました。<PW
確かにエンヤコラ式レギュレータよかPWのはうが軽量だから、
と仰っておったと聞きました。
DHCは栄養学ではなく美容方面ですな。
サプリメントのことを指してるのでないならそれはDHA(ドコサヘキサエン酸)かと。
ついでに言うならばDHCは「同時翻訳センター」の略で元々は翻訳屋。
サプリやコスメ事業に手を出したのは・・・えっと何のきっかけだったかな?翻訳がらみだった気がしますが失念。
英国人は日本人ほどレーシングカーとスポーツカーを一緒くたにしないのよ。
ぢゃから、ロータスは戦後のぽっと出のキットカーメーカーであり、どっちかって言うと
レーシングカー作るトコってイメージなのぢゃよ。
特にマニアックな人でもないかぎり、ロータスは支持しない。
英国で The sports car と言えばMG。トライアンフはさらにバンカラ度が高く、
男のスポーツカーということになる。
>>168 う〜む・・。サイドウィンドウの件、あれこれと資料漁ってみましたが何処で見た話だったか・・。
ただ >あの負圧はフレームの中を通って〜
エランは鋼板バックボーンですから、フレームではなくボディー内の管って事でしょう。
どっちにしろライトが上下出来ないのは宜しくない。昔、914に乗っていた知人がライトの不具合で
困っていた事があったなぁ・・。
>>169 まぁ、固い事言わないで下さい(自分には滅茶苦茶に甘い私 w
>>170 そういうものなのですか。ロータスのレーシングカーもプラモデルは皆日本製ばかり。
タミヤが一時期ロータスF-1チームのスポンサーしていた事も影響しているのでしょうが。
私の事ではありませんが、エランにはちょっと思い出が有ります。
前述の914に乗っていた知人が、何処まで本気だったか?中古の911エンジンを捜していた時。
シリーズ3FHCのエランを買わないかという誘いを受け、暫し悩んだ末に購入を決意。
しかし嫁さんの妊娠が判り、全ては無理な事に。その子が生まれる寸前まで残念がっていた彼に
一人の悪友が「だったら子供に『えらん』という名前でも付けたら?」と、dでもないことを勧めた所
本気でそうしようとした彼。しかしそれも周囲の圧力で駄目という事に・・・・。
かくしてその(女の)子は救われ、私は彼女の名付け親に寸でのところでなり損ねたのでありました。
(結局私か w)
172 :
蓮之家円数:2005/05/27(金) 22:37:32 ID:i2xOhnFj0
PWつきなのはユーロパでございますね。
レギュレーターハンドルと中のギアを収納するだけの余裕が
ドア内にないためにモーターをつけたとのこと。
オイロパでしたか。ギリシャ語風だとエウロペ。
このタイトルの写真集を知っている人は(ry
今でも持っているなんて人に至っては〜・・・(w
チャプマン氏って、サイドウィンドウには無頓着なのか、変に凝るのか?
初代エリートのそれは三次曲面なので上下させられない。仕方ないので取り外し式とか。
有料道路等に出入りする時はどうする気なのでしょうね?
174 :
蓮之家円数:2005/05/27(金) 23:11:33 ID:i2xOhnFj0
イギリスの道路は確かすべて無料では・・・
ただパーキングは有料でございますが
輸出する事などはハナから考えていなかったという事でしょうか?
今ちょっとエリートの資料を見ていたら、57年に発表された後も2年程は
生産はされず、本格的に販売されたのはロータスが新工場に引っ越してからとか。
当時のプライスは£1949だったそうな・・。・・うむ・・。
ところでエリート(初代)のボディー。初期はボートのメーカー、後にはブリストルに
外注に出されていたそうな。・・なんでまた、ブリストル??
ブリストル車のボディーはアルミ製の筈。有機素材成型のノウハウが何処かにあったのでしょうか?
戦後のパナールがアルミに造詣が深いファセル・メタロンにボディー関係を外注に出していたように
その素材に経験を多く持つ所をパートナーにするのは良くある話。しかしブリストルと合成樹脂は
私の中では結びつかないのですが。
下げは携帯でも使えるのだろうか?
あれ、DHCって大学翻訳センターの略だとばかり思ってましたが違ってたっけ。出先につき確かめる術ナシ
今日はミニミニ大作戦(新版)とグレートレースを立て続けに見てグロッキー、明日はセブンデイだー!
下げは携帯でも使えるのだろうか?
あれ、DHCって大学翻訳センターの略だとばかり思ってましたが違ってたっけ。出先につき確かめる術ナシ
今日はミニミニ大作戦(新版)とグレートレースを立て続けに見てグロッキー、明日はセブンデイだー!
>>177 「グレートレース」トニー・カーチスとナタリー・ウッド、ジャック・レモンでしたっけ?
あの映画、最後のオチが見ていて先に判ってしまいませんでしたか?
以前「車の映画」スレに書いたのですが「素晴らしきヒコーキ野郎」のパートUみたいな映画で
「モンテカルロ・ラリー」ってクラシック・カーの一杯出る映画があったのですが、
半分はレプリカだったとか。ところが見た当時は今の半分も知識が無くってさっぱり
判りませんでした。もう一度見たいけれど、DVD化されないかなぁ。
劇場公開された映画ではないのかも知れませんが、ある自動車博物館で見た
「黒い巡洋艦隊」もちゃんと見たいなぁ。
・・日本映画で車の映画といったら山田洋次の「男はつらいよ」シリーズ(w
180 :
蓮之家円数:2005/05/30(月) 07:00:16 ID:2jH7+8310
日本映画で車物といったら
サーキットの狼
若きころの高橋選手とか
グレートレースとグレーストークをごっちゃにして
は?トニー・カーチスがターザン?と混乱してしまった
182 :
香ばしい:2005/05/30(月) 18:41:33 ID:c47lmJRJ0
今ようやっと帰りました、携帯での二重カキコごめんなさい。
私は小学生の時に見た人形アニメ映画「ピンチクリフ・グランプリ」が忘れ
られません。マイナーでスマソ(^^ゞ
逝ってる氏と円数氏ののレスを見て田宮二郎の「黒い試作車」を思い出しま
した(変な誤解を招かぬように…現役で見たわけじゃ有りません)。
気になったのはグレートレースの主要車種が右ハンだったこと。なんか以前
もこの話題出たようなおぼろげな記憶がありますが、左ハンスレはアレなの
で歴史的米国自動車事情の経緯を語れる方出場願います。
P.S.CSRやっぱりニアセヴンにみえちゃうなあ。
>>182 「グレートレース」随分昔に見た映画ですので登場車種が思い出せません。
どんなのが出ていましたっけ?
184 :
香ばしい:2005/05/30(月) 19:56:19 ID:c47lmJRJ0
オリジナルカーという設定でした、只トニーカーチスの方は自動車会社
に行って専用モデルを作らせるという話なので映画に詳しい方はシャシーの
出所や、もしくはモデルをご存知かなと思いまして。
ええと、自分でも映画の画像捜してみたのですが見つからなかったので
シャシーの事とかはちょっと今は判りません。
とりあえずはRhdの件だけですが、設定年代が1900年年代つまりフォードT登場以前か
その前後のようなので出てくる車の多くはRhdで正解でしょう。
T以前はフォードもRhdでしたが、Tではサイドブレーキレバーが邪魔で
運転席側からの乗り降りがしにくく、Rhdでは助手席側から乗降するのに
車の反対側まで行かざるを得ないのでLhdにしたとか。
フォードはこれを苦し紛れに
“フォード車ならぬかるんだ道端を歩かずに済む”と広告したそうです。
それ以前の車がRhdだったのは、馬車の影響が多分に残っていたからのようです。
御者が右手で鞭を振るう時、左側に座っていては助手席の人間が邪魔になるので。
しかし、その馬車の時代の左側通行が残った伝統を重んぢる英国はともかく、
他の欧州各国は何で戦後右側通行の左ハンになったんでせうかね?
クルマの構造的なものを言っても、左ハンありきで全て設計するなら
それを右ハンに直せば無理は出ませうが、白紙から全て右ハンで設計すれば
左ハンを仕立て直した右ハンのネガは無ひ筈。
といふことはクルマの構造以前に右ハンor左ハン、
更には左通行or右通行ありきで逆にクルマの構造は決定してゐる筈。
戦前の右ハン・左通行が何故戦後左ハン・右通行になったんでせうか?
さて(この書き出し多いな)ロータスだけでは煮詰りそうなので、他の英国車にも
話を広げますか?
煙と共に消えたTR-Xから始まるトライアンフTRシリーズ、スピットファイア。
MG-A/B、オースティン・ヒーレー、スプリジェット。
サンビーム・アルパイン/タイガー等々。
しかし、これ等の多くは対米輸出の方がメインと言っても良く、
例えば57年から61年まで生産されたトライアンフTR-3Aの場合、6万台近く生産された内
英国内で販売されたのは僅かに2千台弱とか。今、我等が英国的と見るあのスタイルも
実はアメリカ人の目を意識して演出された英国らしさであったと言う事でしょうか。
日本で言うならフジヤマ・ゲイシャ・・。
芸者ワルツby神楽坂まん子。
♪アナルのリードで島田も揺れる
チンコマンコのなやましさ
乱れる裾も恥ずかしうれし
ゲイ者ワルツはホモゐでワルツ
スレ
間違えてるぞ、酔っ払い
・・と、書いている間にエロスパ氏、失礼しました。
さて、他の欧州諸国。戦前は高級車がRhdなのは御存知の通り。
大衆車目を向けると例えばフィアットは20年代までRhdで以降Lhd
ルノーは第一次大戦後、小型車から徐々にLhd化。プジョーも同時期。
オペルはGM資本に入ってから。右通行がLhd化を促したのか?は疑問。
これは私の珍説かもしれませんけどね、第一次大戦後に欧州を席巻した
アンドレ・シトローエンがフォード&アメリカ被れだった事が大衆車の
Lhd化を呼んだのではないか?って思うのです。
ツトローエソに限らず前世紀、もとひ19cあたりから第一次大戦後第二次大戦前あたりの
ある種の第2時産業革命的なものとアテクシは捉へておりますが、
米国の規格部品の大量生産に因る一定品質の量産技術は
それまでの経験と訓練による人間の手の技を基本とした欧州の技術観に衝撃を与へ
あらゆる産業がこの、まぁクルマで言へばフォード式ですかな、
規格部品の量産をベースとした大量生産に熱狂した時期なんですな。
この辺に米国オリジンの左ハンが浸透した根があるのやもしれません。
元々この同一規格の部品の量産による生産効率の向上は
サミュエル・コルトのレヴォルヴァーから始まったものとされてゐます。
それまで手作りだったレヴォルヴァーは連発拳銃として軍や民間から非常に需要のあったもの、
大量に安価で一定の品質を保ちつつの量産の背景が米国にはあった訳です。
それも生命に関わる武器と言ふ切羽詰った背景が。
シトローエンも元は砲弾生産で・・は、関係無いか(w
190では言葉が足りなかったですけど、結局の所はアメリカ式の浸透ですね。
コンベアに乗って生産された大衆車の多くはアメリカ資本やそれに範を取った物で
それらが市場を独占していくに従い、右通行Lhdが多数派となったのでしょうか?
ともかく、右通行国のLhd主流化は大衆車から始まった事は確かなので
これはまんざら珍説とも言い切れないのではないか?って思うのです。
193 :
蓮之家円数:2005/06/01(水) 08:23:04 ID:olxGF0cU0
英国では御者が右に座り馬車は左側通行
大陸では御者が左に座り馬車は右側通行
車もそれに習う。
馬車がろくにない日本がなぜ左側通行か・
実家に昔、「ベンツと大八車」といふ本があった。面白さうなタイトルであったが
アテクシご幼少の砌ゆえそれよかハァハァ度の高くザー汁の出るお袋のファッション誌ばかり漁っておった。w
今となっては買ってまで読まうとは思は無ひが実家行ってガメてこられたら読んでみたひと思ふ。
西洋の科学技術発想、日本の発想、つなネタらすぃ。
195 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/06/01(水) 21:28:27 ID:oKCyLxc70
日本の左通行の起源に関しては、いろいろと言われているようですけど。
実際の所、開国以前にはまともな交通ルールがあったのか?
仮にあっても、庶民がそれを知っていたのか?これはかなり疑問。
だって、ねぇ。徒歩より速い物が幾らも無かった時代、牛車や籠など何時でも真ん中進んで行って、
向こうから何か来たらどっちかに寄れば、それで充分間に合った筈なので。
・・てな訳で、それ以前がどうであったにせよ、実際は英国流に従っただけなのでは?
って思うのであります。
まぁ、そこいら辺の事は左ハンスレに常駐されているオッちゃんが詳しいかも??
いや、あのスレにいると余計に訳ワカランってなっちゃうかも(w
刀の鞘がぶつからないよう武士同士は左側通行だったらしいけど、大八車がどちら側
通行だったかは知らないなあ。暗黙のルールはあったんだろうが。
無用のトラブルを避けるためには町人も武士の左側を通過するのは避けただろうね。
車両が殆ど無い。今で言う軽車両がほんの少し。言わば全国どこも歩行者天国(?)
馬や大八車がどの程度いたのかは知りませんけどね・・。
歩行者専用道路で、右側を歩かないといけない等と言う人も滅多にいまいし、
大したルールも何も無かったのではないでしょうかねぇ・・?
先ず法規があったのではなく車が増えてから徐々に法が整備された訳ですから
今の我々からは不思議に思える事も昔は結構有った様子。
実際にクルマが少なかった戦前の日本なんか、逆側駐車もお咎め無しだったようで
右側に停められた車の写真など、結構ざらに見られます。停める瞬間数秒前くらいは
右側走っていても大して問題にもされなかったという事なのでしょう。
しかしねぇ、私は思うのでありますが。
車両(馬車でも)がある程度増えて、どちら側を通行するか決めないとまずいってなった時、
他所の国がどうなのか?なんて何処も知らないままに勝手に決めてしまったばかりに
英国連邦だけ(他にも無い訳でもないですが)は左通行にしてしまった。
これ、世界の自動車メーカー首脳にすれば永遠の頭痛の種でしょうね。面倒臭い。
日本もそう。交通ルールを明文化した時点で、どっちが多数派なのかを勘案してから
決めようって人はいなかったのか?まぁ島国なんで大した問題にはならんって思ったのか?
電気みたいに東日本と西日本で違ったりしていないだけでもマシか?
199 :
香ばしい:2005/06/03(金) 04:01:17 ID:v96H6GmE0
こないだ渋谷の坂の下でトラ海苔が背広姿で平然とトランクを開けて荷物を
取り出してる姿は「うわかっちょえー」と久々に思いました。
「てっちゃん」みたくなりますが狭軌と標準軌(広軌)の争いがあったのでは
ないかと邪推するしだいで。
トラって、トランクが付いているって事はトラックではなく
トライアンフですよね?(先日、自分で変な事書いてから混乱している)
やはりTR(トライアンフ・ロードスター)でしたか?
おっちゃんは「バンカラな感じ、『男のスポーツカー』と思われている」と言っておられた
トライアンフですけど、スピットファイアなんかは結構女性にも似合うと思います。
実際に当時の広報写真には女性モデルを配した物が多いようですし。
今の日本も、女性向きにはコンパクトなハッチバックと決め付けないで
軽やかなオープン二座を薦めてみてもいいのではないか?って思うのですが。
紫外線とかに敏感な現代女性はそんな手には踊らされないでしょうか?
英国製スポーツカーの多くがクーペではなくロードスターボディーだったのは
やはり対米輸出を見込んでだったのでしょうか?
雨が多いからじゃないの?
雨が多いと屋根無くすのか??
モノコック以前のボディー時代は剛性は影響が無い
ルーフは無くした方が軽く出来て、重心も低くなったから
スポーツカーは皆そうしたのが習慣になってたんじゃないのか?
英国のヌポォツはラグビーにせよ何にせよ全天候ヌポォツでR。
何せ1日のうちに四季のある気候風土でRから
雨が降ったらやらなひとは言ってゐられんのであらう。
さういふ気候風土で育まれ女王様を頂くことに象徴されるMっ気が
雨が降らうが槍が降らうがオープソで走り、
寒ければトノゥカヴァーを張ってでも頭は出して走る、
ヌポォツとはマゾ趣味でRといふ英国趣味を形成してゐるのだ、といふのがアテクシの痔論でR。w
さて、与太はさて置き正解は
>>205であらう、
きちんとしたフレーム構造を持つ古ひ構造の場合まさにその通りでR。
英国車の場合この言はば旧式の非モノコック構造が長く使用され
早ひ時期からモノコックの採用に踏み切り結果屋根切り飛ばしたヌパイダでは
ゆるゆるのガタピシになってしまふイタリア車とは異なってゐるのでR。
モノコック前提では主要応力部材がフロアパン1枚になりとても持ちきれ無ひのだ。
自画自賛ですね
午前中から酔っ払っていたと見る。
理屈ならば>203、>205なのでしょうが、昨日(土曜日)夕方の通り雨の最中、
Jリーグ川崎フロンターレのホーム等々力競技場のそばを通った時
試合中らしき喚声聞いて
「この雨の中でもやるかねぇ。通り雨と判っているような物なんだから
少し時刻ずらせばいいのに」と、思ったばかりなので、エロスパ氏の言われる
>204もまんざら与太とも思えない(w
まぁ、マゾっ気なのかバンカラなのかは知りませんが。
イギリスのロードスターがモノコック化されたのは58年登場の
オースチン・ヒーレー・スプライトが最初だそうで、戦後はモノコック構造の
量産車シャシーをオープン化させる手法を取ったアルファのスパイダーに比べると
確かにモノコック化はかなり遅かったようです。MGもBからはモノコックですけど
トライアンフなどはTR6、スピットファイアまで結局フレーム付きのまま。
ロータスも、大規模な生産設備の必要な鋼板応力外皮構造とは、ロードカーでは
縁は薄かった模様。
と、つらつらと書いていて思った(爺臭い文だなぁ・・)初代エランの鋼板バックボーン
フレームを参考に作られたと言うトヨタ2000GT。剛性的にはオープンのボンドカー仕様も
問題無かったと思われるのに、なんでアレは市販化には至らなかったのでしょう?
アメリカ輸出を本気でするならばあっちの方が売れそうにおもうのですけどね。
ラグビーの場合雨天決行なのは
「紳士たるもの何があろうと約束を違えてはならぬ」という英国精神の発露である
と英国人は胸を張るが、彼らの言うことを真に受けてはならない。むしろ泥の中を
かけずり回るのが楽しくてたまらないのだ。
斯様に野蛮な行為を愛し、それらに「紳士たるもの…」と屁理屈をまぶして韜晦する
のが英国流なのである。即ち彼らの本質は悪ガキに極まる、と言い切ってよかろう。
でも、実際に英国製スポーツカーを買ったのはほとんどがアメリカ人なんでしょ?
っつう事は、アメリカ人が悪ガキだったって事??
212 :
オサーン:2005/06/06(月) 22:35:19 ID:nYHxzrbl0
>>211 第二次大戦終結&東西冷戦で、欧州に駐留した米軍人が
「これ面白いやん」とポンポン買ったから。
戦時中は金を使うことがなくて、その金の吐き出し口が
住宅と新車ブームに向かった。
あと、別のものも溜まって、子作りが流行った(w
213 :
香ばしい:2005/06/07(火) 22:09:34 ID:bPNFjLtG0
この国の団塊の世代っちゅうのもまさにそれでがすな。
負けて金がない分余計にそっちの方にエナジーがw
改めて考えてみれば、ベビーブームって言葉もナンですね・・・・w
それはさておき。当時のアメリカ人、オープンの主要な市場だった西海岸あたりでは
「マゾだかバンカラだか知らないけど、イギリス人はこういうのが好きだねぇ」
などと言いながらMGやトライアンフを乗り回していたのでしょうかね?
で、その為に作られたブリティッシュネス。日本でいうならフジヤマ・ゲイシャ(w
50〜60年代のアメリカと言えばビッグ3はベーシックカーでも直6を乗せていた頃。
直4なんて、ニッチマーケット狙い、セカンドカー狙いで中小メーカーが細々と作っていただけ
そんな凄い時代、ジャガーやビッグヒーレー等一握りを除けば1.5〜2リッターの直4積んだ
ブリティッシュスポーツの一群は、確かにアメリカ人の目で見れば面白い玩具程度に
見えていたのかも。
しかし、車の中で子づくりするには向いてないですね(つまらんオチ)
かの国ではボンネットがベット代わりだと聞きましたが
道理で60年代には長く幅広くするのが流行した訳ですね。
アメ車と蓮で思ひ出したが、リトラクタブル式ライト、
あれ元々はエランが対米輸出の際、前照灯の最低地上高が確保できづ
ポップアップさせてしのひだことに由来する筈。
ところがこれがアメ車の、何だっけ輪姦コンチか何かだっけ?クライスラーだっけ?
垂直に切り立ったグリルと同様の切り立ったフロントエンド部に裏っ返るライト付けた物件があった。
元来空力を重んぢ、必要時のみ仕方無く飛び出させるロータスの発想が
空力でも何でも無ひアメ車のギミックに使はれるところが股何とも。w
一方ランチャのベータなんざ対米仕様のスコーピオンでは
ライトの位置を上げてボンネットまではみ出させて
地上高を上げ出目金と称される始末。これも股いやはや。
戦前にコードとかってアメ車でありませんでした?>リトラクタブル式ライト
もっともアメちゃん達もそんなの忘れてたっぽいから、直接の御先祖とは言えないのかも。
あー、さう言へばありましたっけ、巨大なFF車。<コード881とかったっけ?
あれもさうでしたな格納式ライト。
220 :
オサーン:2005/06/08(水) 23:47:30 ID:UbtOu+m10
あの時代の車でやると、フードマスコットが痛そうだな。
ポンティアックなんかは光る大酋長の顔が刺さるし、オールズはロケットがケツに。
コード以降、リトラへの志向は流線型を洗練させていく過程で、ショーモデルの"ビュイック・Yジョブ"や
"クライスラー・サンダーボルト"、そして各社げ戦時中に手がけた戦後モデル用デザインスタディの中に見られます。
そいつを、戦後のフラッシュサイド、特に'49フォードの3BOXがぶっ飛ばしてしまうわけで。
流線型の中にヘッドライトを収斂させようとした戦前の痕跡は、同じフォードのなまず型'49リンカーンに残ってますな。
それからは、ジェットやロケットをアイドルにする時代が続き、エアインテークの一形態としてのヘッドライトが追求され、
リトラは過去の人となります。
ところが、輪姦コンチやオールズトロナードあたりでリトラが大復活。
1960年のエアカー志向以降、デザインはプレーンな方向に向かい、動感を失ったところでGMがリヤをポップアップさせる
コークボトルを再発見。(リヤウインドウ下降時に、窓の一部が残る悩みを解消する一挙両得デザイン)
コークボトルの量感と、そこに至るショルダーラインの速度感を、SAE規格の単純な丸ライトが殺いでしまう。
そこから逃げようと、リトラや、囲み方に変化をつけたライト枠に凝ったのかな
と思われ。
>>220 初めの二行、一瞬何の話か判りませんでした(w
アメリカではあるのですよね、リトラ。63年登場の二代目コルベット(初代スティングレイ)とか。
ヘッドライトの高さに制限が有った為もあるでしょうし、それと速度制限が厳しい所なので
ハイウェイでの追い抜きの機会が少ない=パッシングを使わないから
(思いつきでテキトーな事書いてますw)
エランのリトラクタブルは以前エロスパ氏が言われたように負圧利用。
モーター分の重量増を嫌ったチャプマン式でしょう。あれ、実際に動く所を
見た事がありますけれど、かな〜〜り遅いのです。パッシングには使えない。
トライアンフTRシリーズの元になったショーモデルのTRXがモーター式のリトラだったそうです。
しかし、いい加減つか、ショーの日程に合わせて作ったやっつけ仕事だった為に、
会場を訪れたマーガレット王女の前で試しに動かそうとした所、いきなり配線がショートして
燃えてしまったのだとか(w
ところで、格納式の元祖はやはりゴードン・ビューリグデザインのコード810でしょうか?
人間がネジで取り付け、外しをするのとか、プジョー402のようにグリル内に格納したのは
一応別にするとして。
222 :
オサーン:2005/06/09(木) 01:32:03 ID:V7eSjOAm0
>>221 (弱い声で)コードが最初だと思うんだけど……、恐慌前は金持ちが変態ボディ載せるのが流行ったから油断ならん。
特にフランス人あたりは何やるかわからんからねえ(w
そういやあのコードのリトラ、ダッシュボード左右に各一個、手回しウインドウみたいなハンドルがついてて、それを
くるくるして開けるんすよ。
>>222 そう言えば、どこかの博物館で片方だけ開いた状態にして展示してあるのを見た記憶が・・。
そんな構造ならば、そうするのも簡単な筈ですね。
リトラの始祖は確かに難しいでしょうね。
一品物ボディー片っ端からしらみつぶしに調べるのは無理ですし、
前輪ブレーキとかモノコックのように車の根本に関わる問題ではないので
メーカーの制式ボディーとかに限定する意味が無いし。
もしもコード810以前にもリトラクタブルライトが有ったという話を御存知の方
いらっしゃいましたら御教授下さい。
そりゃそうと、オサーンはフランス人が変態ボディー好きのように思われているようですが
変態形式の旗手だったフィゴニはイタリア人ですよ。
とは言え彼が活躍したのはパリでしたし、注文主の多くはフランス人だったのか・・。
・・うむ・・
コード810(過給気付きは812)、FWDだけれどモノコックではないので
トラクション・アヴァンのように床は低くない。何の為のFWDだったのか
ちと不明な車。
フランス製変態ボディー、いろいろと見ましたけれど、
ヘッドライトにグリル付けたのは有ってもリトラクタブル式は見当たらず。
やはりせわしなくパッシング使う彼らには向かないのでしょうか?
ついでに、フランス車つながりでアミルカーの記事など読んでいたら
「デフを持たないのにステア特性はニュートラルである」との興味深い記述が。
本当ならば、これも少々不思議。
225 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/06/11(土) 12:10:30 ID:fZFP8XVT0
モノコックとかバックボーンとかくらいまでは分るけど、昔のアストンとかの
スーパーレッジェラとかってのもフレームの形式なんですか?どんなの?
sage入れてなかった。スマソ。あと、モノコックってロータスがF-1で始めたのではないのですか?
アミルカー、その昔アテクシは”アルミ・カー”と一瞬読み違へますた。w
つか、アミルカー、
アテクシ写真で存ぢてゐるのは子供のペダルカーかと思ふやうなちっこひヤシですが
それでもデフ無しで事足るとは思ひ難ひトレッド幅ですぞ。
なをこのアミルカとはカルタゴの名将ハンニバルの親父の名であります。
ヌーペルレッジェレは元々トゥーリングといふカロッツェリーアの
超軽量スペースフレームボディに付けた名称で女性二人で持ち上がる程の軽量フレームでR。
シャシでは無くボディそのもののフレーム構造のことで
当時はモノコック構造では無く独立した自走可能フレームに独立したボディが架装されたので
今のやうに衝突安全を云々する以前は軽量なボディのメリットが生かされたのでR。
ふむ。付け加えておくとスーパーレッジェラてのはトゥーリングの
登録商標ぢゃ。形式や工法の呼び名ではないんぢゃよ。
それとモノコックシャシーをF1に持ち込んだのはロータスぢゃが、
市販車第一号はランチア・ラムダぢゃったはず。
私も微妙に勘違いしていました。スーパーレッジェラ。
トゥリング特許は知っていましたけど、その工法の呼び名だとばかり・・。
単なる商標ならば英伊混成語でも不思議は無い訳ですね。
要はボディーの骨格の木骨の代わりに小径軽量のスチールパイプを使用した
組み方ですよね。ですから時代や元になるフレームの形状によっていろんなのが有り
「これがスーパーレッジェラ」っつう風には簡単に言えない物。
単にラダーフレーム上に載せられただけの場合も有れば、一時期のアストン・マーチン
のようにプラットフォームに直接パイプを溶接してある程度の応力を受け持たせた例も有り。
この場合はプラットフォームシャシーと鋼管スペースフレームの中間のような物なので
フレームの一種類と言う言い方もあながち間違いでもないのかも。
このやり方だとモノコックのように開口部をケチる必要が無いので各ピラーは思いっきり
細く出来て結果として視界に優れるとか。けれども生産性は低い。
蛇足ですが、そこで構造材を曲げパイプから鋼板をプレス成型した骨組みに置き換えて
プラットフォーム上に溶接したのがシトローエンDSのスケルトン構造。
今でもバスなどで使用されている筈です。
>>227 ところでアミルカー(Amilcar)は創業者Emil-AkarとJoseph-Lamyの二人の名前を
組み合わせたと言われています。(しかしまぁ、いろんな事を御存知ですね・・)
コスワースとかマーチ(レーシングカー・コンストラクターの方)とも通じる由来のようです。
なんでデフも無いのにちゃんとニュートラルを保てるのか?
当時の“サイクルカー”には重量制限とかコストの都合でデフを持たぬ物は珍しくなかった
ようですが、私が読んだ記事の著者(コバショー先生)も「意外な事に」と書いているように
アンダーが出ないってのは不思議に思えます。前後の重量配分やらタイアの細さやら、
重心高やらといったいろんな要素の、もの凄く微妙なバランス上に成り立っているのでしょうか
(恐らくは計算ではなく偶然ではないかと・・)
恐らく極低速ではそうは上手くはいかないのでは?と、思うのですけれどね。
231 :
オサーン:2005/06/11(土) 22:33:19 ID:u/FDwVkd0
>>224 1920〜30年代に、前輪駆動レーサーでインディに挑戦し続けていたHarry Miller
という人がおるんですが、コードがそのパテントを買った結果が810/812です。
でも、単に地を這う車を作りたかっただけとしか思えん(w
アミルカーの設計はEdmond MoyetとAndre Morelの二人で、名前の由来となった
Emil-AkarとJoseph-Lamyの二人は出資者だったと思われ。
戦前アミルカーのディメンションがワカランのですが、デフなし車の基本で、
リヤトレッドがフロントより狭そうですね。
あと内に向いたキャンバー。こいつがゼロやハの字だとステアしたとたんに
ズサーとフロントがプッシュされて流れていきます。
232 :
香ばしい:2005/06/12(日) 01:51:34 ID:KuQOKboc0
スーパーレッジェラというと当然第一にアルファなんでしょうがなぜだか
私にはアスdの方が馴染み深い。
キャンバーと言へば、ちょひと前のクルマは一般的にポヂでありましたが
昨今の車の大半が以前なら族車かと思ふやうなネガティヴキャンバーになっておりますな。
恐らくタイヤとサスペンションの進化性能向上に由来するものでせう。
以前のタイヤである程度の太さがあってこれやったらオサーン氏の仰るやうに流れるどころか
クルマが横につんのめってひっくり返ってしまふでせう。
>>231 その前にL29が有りますよね。
L29(1929〜32)で一度販売面では痛い目にあったにも関わらず36年に又も
810をコードは登場させた訳ですけれど、この間34年に生産開始された
シトローエン・トラクション・アヴァンをあまり研究したようには思えない。
結局はやはり、あの格好を実現させたい為だけのFWDだったのでしょう。
スーパーレッジェラ。今や商標として登録された期限は終わり、一般に使用されるように
なったのでしょうか?検索してみたら椅子だのナンだのが一杯一緒に引っ掛かる。
何語だって思わず突っ込み入れたくなります(w
私もそう聞くと最初に連想するのは何故かアストンですね。実際にそうしたボディーを
架装したのはDB4〜5あたりの短い期間だったようですし、しかも同時代には
ザガートのDB4GTもあったのに。
で、ダブルバブルルーフ(RX-7がパクってましたね)とネタ振ってみる(w
236 :
香ばしい:2005/06/13(月) 14:59:27 ID:88X7uGBg0
DB6まではカロッツエリア・トゥーリングではなかったかと?何も調べずの
カキコなので詳細不明です。
マズダは驚くほど真面目なメーカーなのでそのまま(パクリ)やっちゃうんで
すよね(いい意味でも悪い意味でも。)なんか一時期のルーチェとかRX-7
(FC)とか初代ロードスターとか、まんまじゃんと言われればその通り、
でもそれに対する熱狂者(私)もいる。面白い。
237 :
オサーン:2005/06/13(月) 16:14:17 ID:Bj2ehaw+0
アウアウ L29のことはコロッと忘れてました。
スーパーレッジェラ。我が家がスーパーレッジェラな上、アメ車でいうラットなので
地震でも起こったら怖いもんがあります(w
昔から疑問なんですが、ダブルバブルの機能的な必然性ってなんなんでしょ?
投影面積からすればショボいもんだし、わざわざ真中が凹んでる意味も今ひとつ。
と他人に物事を尋ねておきながら、夕方から出張逝ってきます。
>>236 え〜と、手許の資料(SCG No.4&「世界の自動車 12」共に二玄社)
ですとDB4〜6は基本設計には変化は無いような事が書いてあるのですが
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=286 http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=1034 これを見るとDB6はスーパーレッジェラでは無い?
ついでにC/G70年も引っ張り出しましたが当然同じ二玄社。書いてある事は同じ。
いずれにせよ、DB4〜5はトゥリング特許の許にアストン自身が生産は行った様子ですが
DB6の構造についてはちょっと不明なので何時かちゃんと調べてみたいところです。
それと
>>235に自ら訂正。
>ザガートのDB4GT
これ、DB4GT=ザガートボディーと勘違い(記憶違いと言うべき?)しておりました。
95台生産されたDB4GTの内、ザガート製は19台のみだそうです。
と、調べていく内に初めて知った事。エロスパ氏やおっちゃんも好きらしい、DB5の
シューティング・ブレーク。あれってアストン・マーチンの制式モデルではなく、
専門メーカーで改造された物だったのですね。にも関わらず、また僅か12台のみという
数でしかないのにあれ程有名なのは大した物。
>>237 ダブルバブルの必然性。・・・・むむ・・ちょっと屋根が丈夫に・・いや、むしろ弱くなりそう・・
・・・・(w
アテクシ思ふに木村屋のアソパソのヘソのやうなものかと。<ダブルバブルの窪みw
240 :
香ばしい:2005/06/14(火) 19:27:49 ID:91J5uYeI0
>>エロスパ氏
80年代はプラモでもネガキャン・シャコタンのY430セド・グロとか有りました。
ところでメロンパンと言ふモノを生まれてこのかた食ったことがないのですが
石坂浩二氏他何故にあんなに好きな人が多いのでしょうか。
>>相当逝ってる氏
ふーむ。ググってもガズー以外のネタが全くでてこない
この辺は独壇場なんですねえ。恐るべし大二玄社+大トヨタ(w
ここまではっきり書いている以上DB6のボディはアスd内製で
まちがいないのでしょう。ありがとう御座いました。
241 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/06/14(火) 22:42:49 ID:sb4EAyFI0
トヨタ2000GTのルーフも真ん中に溝状の窪みありますよね。
>>240 石坂浩二氏が好きなのはカレーパンだったような。
242 :
香ばしい:2005/06/14(火) 22:48:46 ID:91J5uYeI0
>>241氏 あ、そうか。ご指摘ありがとう御座います。なんか昔
石坂浩二氏のラジオ番組を聴いてたなあ。そんときカレーパン
コーナーがあったんですよね。
ザガートのふたコブはアテクシ思ふに元々は車高を下げ全面投影面積を小さくし
且つ頭のクリアランス確保だったのでせうが、実際の効果よりデザイン面が一人歩きし
ザガートの象徴になってゐったのでせう、さう言ふ意味で元々は若干の機能的意味もあれど
いつしか見た目の美味しさの象徴となったアソパソのヘソと同じだと思ってゐるのであるます。
ツューティング・ブレーク、DB5で12台、DB6で6台と言はれております。
製造はロンドンのハロルド・ラドフォード。
最近ではヴィラージュを元ネタにAML、つまりアヌトソ自社で製造されますた。
カレーパソは冷へた前夜の残りカレーを食パンに乗っけて食ふのが宜すぃ。w
更につひでに、アテクシぢつはラゴソダといふクルマは非常に馴染みがあったクルマでR。
つな、或る友人がかつて東麻布に巣食ってゐた頃、泥酔した彼を頻繁に投棄しに行ったのだったが
その彼のすぐ近所にラゴソダが駐車場にゐる家があったのだった。
最初見たときは腰が抜けさうになったが余り頻繁に見るのですっかり麻痺してしまった。w
前後関係が微妙ぢゃが、あの大男ダン・ガーニーを乗せるべく、
FORD GT40の屋根を膨らませたヤツがあったぢゃろう。
ガーニー・バンプというヤツぢゃな。
アレからインスパイアされたとしたら想定外にでっかい男を乗せるための
手法ということになる。
無理や理っぽいが、ルーフはともかく前後左右のウインドーとピラーを
短く出来れば剛性も上がって部材を抜くことが出来る。
しかも重心高に悪影響を及ぼすルーフ近辺ぢゃから、仮にガーニー・バンプ
をみたデザイナーが、「普通の背丈のヤツもアレ式で乗せてやろう」と
考えるのは必ずしも無理では無い気がする。
でもなぁ。ガーニーのデビューは'60年なんぢゃよなぁ。
最初のダブル・バブルっていつのことぢゃろう?
>>245 20年近く前に箱根のどこかで、ブラインドコーナーの向うから
ぬらりと姿を現した白いラゴンダを見たときはブレーキ踏みそこないそうになった。
イベント以外で道路を走っているラゴンダを見たのは後にも先にも
あの時だけぢゃなぁ。
ランチャのフラミニア・ザガートは60年代ですが
例のアバルトの一派は50年代には既にダブルバブルだった筈。
ザガートは戦前からある由緒正しきカロッツェリーアですから
うっかりすると戦前にまで遡る可能性も。
さて、珍車と言へば日曜に某所で晩飯のあと一の橋で
アバルト・シムカ2000が目前を通ってゐきました。
とんでもなひクルマなんだけど誰も気付か無ひのだなぁ。
更に珍と言へば、休日の港区、渋谷区、目黒区あたりでは
フェラーリは掃いて捨てる程見かけます、うちのと同系同型の古ヌパもちょくちょくゐる。
しかし遂に75はよっぽどで無ひと見かけなくなりましたなぁ、
アテクシさっきもぢんギスカン臭ひ75を見かけ、ぃあヌパと入れ替へで乗りましたが。w
更に見なひ、伊代伊代以って見なひ75、ローヴァー75つう物件もありますが。w
更に、ラゴソダはアテクシ御馴染みですが
ブルドッグはシティ以外はw見たことが有りません。
>>248 家の近所の中古車屋には75は何台も並んでおりますよ。
ラゴンダですか。個人的にはあまり興味が沸かない車種ではありますが
どのような方がお持ちだったのか?には、野次馬的興味がありますね。
ロールスロイス買うお金をお持ちでありながら、あれを選んだ理由というのにも。
ましてや、そのシューティング・ブレークとは・・。
しかしこれ(
>>244のリンク先)4ドアサルーンベースでは、シューティング・ブレーク
と言う意味があるのでしょうか?2/3ドアのクーペベースであってのその呼び名だと
思うのですけど。
大体、なんで“Shooting”なんでしょ?“Hunting”ブレークって言った方がしっくり来ると
思うのですが。
ところで。ラゴンダってどんな車だっけ?と、家内検索かけたところ。こんな写真発見
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_Aston+Martin+Volante.jpg?bcWRuJDByBSs1qHz CGのバックナンバーからのスキャンですが。
以前年バレスレでおっちゃんが「初代カマロはアストン似」と言っていたような記憶があるのですが
(違ったかな?)その時にはピンと来なかったけれど、この写真見てちょっと納得。
しかし年代順で言うならばカマロが先。アストンがカマロ似と言わないとカマロに失礼??
あ、そうだ。
最近見ない野球のグローブみたいな形の菓子パン。
四つに分かれているのがクリームパンで六つに分かれているのが
チョコパンだったって記憶が有るのですけど、皆さんの家の方ではどうでした?
(ナンの話だw)
>どのような方がお持ちだったのか
故・大穴妃ダンナがお持ちだった筈。
やうするにロールズ買へるけどもっとヌポォティーなクルマが好きで実際ヌポォツ好きなお方ですな。
欧米では生き物を撃つこと、それは広義の狩猟ですが純粋に動ひて逃げ隠れし
探し出して撃つのに難しひ的を撃つこと自体が楽しみといふこと、
別に捕って食ふ為でも何でも無くゲーム、スポーツとしての狩猟があるのです。
これは捕らへて食ったりすることが目的では無く、撃つことそのものが目的、
はっきり言へば殺すことが目的のゲームですのでシューティングなのです。
対象となる動物そのものをGameと言ふ呼び方をします。
熊だの鹿のでっかひヤシとかをビッグ・ゲームと称したりします。
かふいふ殺戮も立派なヌポォツなのです。
欧米では、特に米国ではヌポォツ用品店で鉄砲売ってますし。コンビニで弾売ってるし。w
さう考へると猫だの鳩だの踏み潰して走るのも立派なヌポォツドライヴでせうか?w
>>252 成る程、殿様の鷹狩りにも通じる話。
食べる為に狩りをするような貧乏人には無縁な車らしいけれど、
仏教的殺生観とは相容れぬ由来ですね。
スーパーレッジェラ構造を持つボディーの改造ってどんな物なのでしょう?
ボディー剛性への影響は少ないでしょうから、その点ではモノコックよりも
やり易いような気もする一方、アルミスキンを切り欠き別のパネルを溶接するのは
鋼板製ボディーの数倍の手間が掛かりそうな感じもします。
さて、もしも鷹狩り専用のブレークを作るならば、ベースに使うのは当然マセラーティのアレ。
理由は此処ならば言わずもがな(w
シューティングブレークでもうちょっと引っ張りますが、
この車の説明記事には必ずと言って良いほど
「この種の高性能な高級エステートカーは彼の地では最高のステイタス」
という説明が付くのですが。・・“この種”のって、他にどんなのがあるのでしょう?
DB5〜6の時代に限るとベントレーS3とか、もうちょっと安いのではジャガーEタイプとか。
・・Eタイプのエステート・・?有り得ないでしょうねぇ・・。
あれこれと検索してみても“その種の”車は他には見つからず。
ついでに。DB5のシューティングブレークの写真
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_DB5.jpg?bcRbZKDBKjbduum4 この手の2/3ドアクーペベースのブレークってのもちょっと格好良いですね。
最近日本にも入って来たシトローエンC4なんかも、クーペの方をベースにした
ブレークとかが万が一にも出たら欲しくなりそうな気がするのが怖い。
255 :
オサーン:2005/06/18(土) 02:08:26 ID:RiUwGkAU0
ラゴンダを初めて見たときは、謎の円盤UFOとかを思い出したな。
あ、ステッカー剥がすスクレーパーも連想した。便利そうな形だし(w
シューティングブレークというと、初めての車は知らんけど20世紀に入ってすぐにはもう存在してます。
昔から狩猟の歴史があって、そこに自動車というものが発明されて狩猟道具に仲間入りしたものだから、
王室関係とか貴族がロールスやら何やらにコーチビルド物を載せてました。
ジャガーEはしらないけど、XJSならビルダーが結構な数を架装してたはず。
アストンは定番で、バンキッシュやらV8やら各種よりどりみどりのようで。
256 :
オサーン:2005/06/18(土) 02:13:45 ID:RiUwGkAU0
誤 バンキッシュ
正 ヴァンティッジ
耄碌しトル orz
257 :
オサーン:2005/06/18(土) 03:04:49 ID:4pf/PLBm0
>>239 >木村屋のアソパソのヘソ
ワロス
「ああ……あんぱんだなぁ」と独りごちるための様式。
「ああ……スポーツだなぁ」と独りごちるための様式。
確かにそのためにあるような気がしてきた(w
英国での高級エヌテートカーはワンコを乗っける大前提ですので犬網が必づ装備されてゐるものなのです。
シューティングのお供にワンコは不可欠、
蛮族でRイングレーゼの場合しばしばマンコも参加する場合もあるらすぃ。w
一方アルファの場合ワンコが使役犬としてハンドル握り荷車、
ショファー犬として酷使される悲惨な例が一部で散見されるやうであるます。w誰とは言ひませんが。w
ところで2ドアのブレーク、ぢつに便利なんだか不便なんだか分からん物件でありますが
そのクチで言へばルノーのアヴァソタイムなんつう巨大な2ドアハッチバック、
あれの有難味は何なんでせうか?
さう言へばヴォルヴォのP1900かなんかにもそのクチありませんでしたっけ?
>>255 有ったであろう事は確かと思えるのですが、それらしき画像等が全く見つからないのです。
特に古い車に架装されたシューティング・ブレークの例、どのようなモノがあったのでしょう。
高級車のカタログのコピーなどには載っていても良さそうに思うのですが。
或いは現代の我々が思うような形とは全く異なるモノであったのかも?
>>259 アヴァンタイムは・・予想通り?にすぐに生産終了。あれを受け入れる市場は
何処にも無かったという事でしょうか?
エスパスとの差別化が主な目的でデザインされたって気がします。つまり実用上の有難味は
無いかと。ヴォルヴォはP1800ESですね。
ワゴンボディー。アメリカでフォードT型に社外で架装された木製の物が最初で、故に金属製でも
モールに木をあしらうのが慣わし。と、言うのが定説のようですが、現代のワゴンの直接の祖先は
フランスでコメルシァルとかファミリアールと呼ばれていた物ではないか?と私は思うのです。
しかし、狩猟用ブレークがどのような物であったのか?それによってはまた考え直さねばならんか?
と現在思っているところ。
ところでボルボのアマゾンって
どの辺りがアマゾンなの?
背鰭があるとか?
263 :
オサーン:2005/06/19(日) 00:37:05 ID:UiKQvzmd0
264 :
オサーン:2005/06/19(日) 01:04:26 ID:UiKQvzmd0
何といいますか、そういう階級の方々の狩猟用に、高級車にX-TRAILな木のボディを
乗っけたという気もします。
初期のレンジローバーも「汚れたって気にしない」内装だったから、そういう血筋でしょね。
あちらはクラスによって車のブランドが固定されてきますから、御用達ブランド+狩猟用
という高いステイタスの証左になったのかと。
アメリカでは、市内外の移動の足としての馬車を代替する商用のコマーシャルボディとして
市場を開拓したので、見た目は似てても出自が違うのでしょう。
>>262 雰囲気(w
>>263-264 brakeだった・・(バカ・・)
結局の所、アメリカのワゴンとは似て非なる物なのでしょうが、どちらかが
影響を受けたとかってのはないのでしょうかね。
アメリカでのセダン・デリバリー、フランスでのコメルシァルとは違って
田園風景への憧憬みたいな物が木製ボディーの使用に表れているのが
面白い所。
>>261 500“ジャルディニエラ”って記憶してました。Giardinieraだとどう意味が違うのでしょう?
フィアット自身はどっちを使っていたのでしょうか?
あれ、わざわざエンジンを水平にまで傾けていたんですよね。セダンのドアが前ヒンジになってからも
最後まで後ろヒンジのまんまだったのだとか。
giardinieraだとgiardiniere庭師、園芸愛好家の女性形、女庭師(なんかワイセツw)つうことですな。
発音はジャルディニエーラ、です。w つか念のため辞書引いたら
giardinetta ステーションワゴン、小型有蓋トラック
giardiniera 1:女性園芸家、女性庭園師〜中略〜
5:オープンカー、小型ステーションワゴン、;幌無し四輪馬車
ださうです。紹介したチンケのページでも両方混用しておりますな。
>>266 成る程、道理でgiardinettaで検索するといろんなエステートが引っ掛かるのに
giardinieraでは500ばかりが引っ掛かる訳ですね。
つか、500が売れた為にそういう意味が付け加えられたっぽいような気がします。
前にも書いた事ですけど、あの手のリア・エンジンのエステート。
エンジンを傾けたりして上手く作っている事は確かなのですけど、同時期に既に
存在したミニのバンとか2CVとかルノー4等のFWD勢と比較してしまうと、
どうしても無理に感じる。
生産終了して既に四半世紀も過ぎた今、アレはああいう物だって思って見るならば
その無理矢理感も愛嬌、一つの魅力に思えるのですけどね。
>>263のロールスの出ているサイト、面白いですね。
英国車が多いのはサイトの所在地のせいもあるのでしょうが、やはり狩猟趣味が
盛んだった所、そうでもなかった所を反映しているのでしょうか?
268 :
オサーン:2005/06/20(月) 01:05:54 ID:neFPcRac0
giardinettaは、フロントエンジンのトポリーノ時代から使ってたようです>FIAT
ちっさいワゴンタンという意味で車名にしたんでしょうか。
そういや旧500は日本やアジア圏にもゴロゴロ輸入されてましたが、華僑圏に行くと
"FIAT 500 Giardiniera"が「飛霞500旅行車」になるというオリエントミステリー(w
269 :
オサーン:2005/06/20(月) 01:08:22 ID:neFPcRac0
誤 giardinetta
正 giardiniera
耄碌しまくっトル or--z
270 :
オサーン:2005/06/20(月) 01:14:10 ID:neFPcRac0
そういや、お役御免になった戦後型トポリーノが、どこだったかの遊園地で子供の遊び道具に
開放されてて、ちょっと微笑ましくて、車にとっても幸せな余生を過ごしてますた。
(だいぶ昔のことなんで、今探してもないと思われ)
↑ぃあー、かういふ比較広告があったのですなぁ恐らく明治期と思はれますが。
電気自動車vs自動車vs自転車vs人力車!ときましたか。w
しかしこれ「電気自転車」となっておりますが?その後の軽免許に繋がるクチでせうか?
え〜と・・1920年〜24年頃。っつうと、大正の末期ですね。
って事はもしやランチア・ラムダより先に量産されたモノコック車と言っても良いのでしょうか?
このスレの最初の方で昔の免許の話が出ましたけど500cc以下は免許不要だった頃
電気自動車の扱いはどうなっていたのでしょう?広告には
「各官庁に於いても自転車同様の扱いを受け、運転手免許の必要無し」
と書かれているようですが。
しかしナンだね・・。歩行に掛かる年間費用九拾八銭って、どういう計算だ?(w
274 :
香ばしい:2005/06/21(火) 01:40:14 ID:qZRBtJpK0
歩行5里、自転車10里ってのも…。
当時の人は移動可能距離が自転車40`って普通?丁稚どんとかの平均?
江戸末期東海道中膝栗毛では徒歩で最初の宿は日本橋から40キロの戸塚宿
らしいので、大正期なら幹線道路の整備もある程度は進んでるだろうし
まあそんなもんかとも思いますが彼ら遊びながらだからなあ、
よくわかりません。
大型船舶用のエンジンはボア×ストロークが85×150(ただし単位はcm)の2スト
ディーゼルで5〜10気筒。4ストみたいにカムもバルブもある。
常用回転数は100-120rpm(!)。今はターボ過給があたりまえ(!!)なんだってね。
始動時は圧縮空気送り込んでクランキングするんだと。
同じ内燃機関とはいえ、車との差に唖然としました。
以前そっち方面詳しひ人に聞ひた話では舶用エソジソのターボっつなdでも無ひ物件ださうでR。
元のエソジソの大きさは聞かなかったがターボチャージャの直系が1b程もあるんださうな。
それでスロトッルをがばぁーと開けてもターボラグが3〜4分程wもあり
延々ボンボン言った挙句忘れた頃にブォーっと回転が上がるらすぃ。w
>常用回転数は100-120rpm
恐らくもっとでっかひ、ピストンに何人も乗れるやうな舶用エソジソだと思ふのですが
レブリミット50rpmつうもの凄ひ話も聞ひたことがあります。
つか、本来エソジソつう物はほとんど回転を上げ下げせづに使ふもので
工業用にしろ舶用、航空用どれもさうでR、
自動車バイクのやうにアイドリングとレブリミットの回転差が10倍もあるのは
エソジソとしては非常に特異で極度に厳しひ条件なのでR。
>>274 里じゃなくって哩(マイル)ですよ(w
昔の広告には他にも哩表記の物があったような・・。この辺も、もしや車両左側通行が
英国から持ち込まれた事の証明につながらないでしょうか??
船舶で思いついた。そこいら辺の公園にあるような貸しボート。あれも木製モノコックと
言っていいものか?昨日書いたS・B電気自動車がもしもランチア・ラムダに先駆けていようが
その中身はせいぜい貸しボート。下手すりゃ只の木箱(w
モノコックの先駆者とはとても言い難く、(大体、木製フレームなど19世紀末には既に過去の物)
ラムダの名誉に関わる事では無いのでしょう。
(・・でもなぁ、ラムダのモノコックも“ボートのような一体構造”なんて言われているしなぁ・・)
・・まぁいいか・・。初期のガソリンエンジンの常用回転数ってどの位だったのか?
1890年のプジョー(エンジンはダイムラー製)の1リッターV2は2HP/550rpmだったそうで、
その約20年後に登場したT型フォードで20HP/1400rpm。
現代のガソリンエンジンはその数倍も広い常用回転域を得ている訳ですが、
T型は2段しか持たなかった変速ギアを5〜6、下手すると7段も持っているのは不思議(?)
常用速度は数倍になんてなっていないのに。
278 :
オサーン:2005/06/22(水) 01:13:00 ID:6972OD2W0
>“Slaby Beringer”
歴史的にはその後のDKWやAUDIに行く車だけど、これ単体でみると現在の姿が想像できない(w
サイクルカーは廉価と貧乏が紙一重のところに位置する微妙な車ですが、これを作ったのは
第一次大戦後のドイツ。
戦後賠償を要求するニダ!とやられて鬼のインフレ、鬼の物資難。
……でも戦時中の航空技術と森があるじゃん!(複葉機時代の木製モノコック胴体ね)
こいつのボディは、第二次大戦後の二輪レース界で有名な東独のMZ工場が作ってたはず。
同じボディの供給を受けた、"DEW"ブランドの電気自動車もありますた。
279 :
香ばしい:2005/06/22(水) 06:06:49 ID:VfiHTFna0
はああ。ほんとだア。こりゃ失敬(>_<)
>DKW、アウデェ
アウトウニオンを成すDKW、ヴァンダラー、アウデー、ホルヒですが
高級車と言へば断然ホルヒ、廉価とビンボはつひ最近までアウデぇに受け継がれて
アテクシこれほど偉くなった今のアウデー見てもかつての安物セダンそのものの印象が抜けません。
一方2度目の敗戦後のバブルカー、ゴッゴモビルだのツェンダップ・アーヌス、ぃあヤーヌスとか
イタリアオリジンではありますがイセッタだのも廉価とビンボの結晶なのですが
その後これ股何の発展も無かった、本邦ではスズライトやFFフライング・フェザーとか
キャビンスクータですがフジキャビンとかはその後の軽に繋がるものと思ひますが
欧州バブルカーは結局それっきりだった気がします。
まぁFIATのビンボグルマ一派、チンケだ126だ(中身は一緒w)つうのも有る訳ですが。
それとアテクシ、だうも第1次大戦中のドイツ機と言へばだうもドイツ製が思ひ浮かば無ひ。
レッド・バロン(ロボットでもバイク買取りにも非づw)、リヒトホーフェンの愛機も
確かオランダのフォッカー三葉機だった記憶があるのですが。
>>280 その手のバブルカー類は、その後の2輪の性能、信頼性の向上によってそっちに流れたんじゃねえか?
50年代以降の欧州では、2輪はしっかりと交通手段としての地位を確立したし、近距離はスクーター類、
長距離はビッグバイクが普及したしな。
ぃあ、欧州でもアメリカでも戦前からバイクはきちんとポジショニングがあり
交通手段としてもレースでも盛んに使はれてゐたのでバイクに流れた分は少なひかと。
かのカルロ・アバルトも最初世にその名を知らしめたのはバイクのレースであったし
それは戦前のことであった。その後サイドカーレースに転向し更に4輪へ進んだのであった。
>>278 さすがはオサーン、何でも知ってますね(w
アウディっつうブランドはホルヒさんが自らの名を冠した会社を
追われるように辞めた後に起こした会社。Horch(聴く)のラテン語形
Audioと語源は一緒。本来は高価格車メーカーなのです。が、
アウトユニオンは第二次大戦後には2スト大衆車のDKWブランドで復活
しかしVW傘下入りして後は親会社の意向で、VWとは被るDKWは引っ込めて
Audiブランドを出した模様。エロスパ氏が廉価ビンボな印象を抱くのは
DKWのイメージを引きずっている為と思われます。
DKW、戦前に既に横置き前輪駆動やっていたのですよね。でも現代の
横置きFFの直接の祖先とはあまり考えられていない。2ストのオートバイも
作っていた会社だけに、そのレイアウトをそのまんま4輪にも持って来ただけと
思われているのでしょうか。実際そうみたいなんですけど。
戦後イタリアは「自転車泥棒」なんつう映画がリアリティーの塊みたいに
語られる位でしたからねぇ。なんでもエンジン付いてるモノが買えるのは
かなりマシな層だったかと。
更に酷かったのは日本で、戦後10年近く経ってからも「ゴジラ」なんつう映画が
リアルの極致のように・・
ぅむ、アテクシデーカーヴェーと言へばやはり4輪より先にバイクを連想します。
確か4ッ輪ならぬ3ッ輪にD・K・Wのマークだったやうな気が。
なるほど神の末裔にしてしかし傍流であるが故の・・・
といふかのフィルデナント・ピエヒの担当した100以前のアウデーの安物感は
デーカーヴェー由来なのでしたか、なるなる。
>>285 脱線転覆しますが、ゴジラの壊した頃の銀座は画面上では中々立派でしたが。
あの地球儀のやうなのが載ったビル、あれがアテクシの知らぬ時代の銀座の象徴のやうに思へるのです。
つか、これ以降は歳バレヌレに持ってきますが、歳バレでアテクシ以前書ひた
「東京は明治以降4回破壊されてゐる、震災、戦災、オリムピック、バブル」のときに
よほど5回にしてゴジラ入れやうかと思ったのでした。w
更に脱線転覆して映画と言へば「大脱走」でスティーヴ・マクィーンの乗るバイク、
あれは確かヴァーチカルツインのまるで英車のやうに見へますが本来ドイツ軍のを奪ふ設定なので
それこそDKWとかBMWで無ければおかすぃのであるます。w
戦時中のBMWバイクと言へば中東戦線で使用された側車付き、
こひつにはデフが付ひてて側車の車輪も駆動する、
しかもレバーでデフロックが出来る、砂漠での使用のための構造、
さういふ説明の写真を見たことがあります。
289 :
オサーン:2005/06/23(木) 03:11:00 ID:b4fMWLVa0
>>281 >レッド・バロン(ロボットでもバイク買取りにも非づ
赤男爵ワロス。そのリヒトホーフェンが乗ってた機体の中にアルバトロスがありまして、
こいつが木製モノコックでござります。
個人的にアウディといえば、安っぽい白かポリバケツブルーで、メッキが曇って
派手に錆びるという、昔の安物イメージが抜けないです(w
少々話は戻りますが、先日の“エス・ビー電気自転車”日本では結構な数
(と言っても数十台)がタクシーで使われたそうです。とは言え、写真の2シーターでは
タクシーは無理。日本で作ったボディーが使用された模様。
多分この輸入商社さん「フレーム無しの木造一体構造」と聞いて
「それなら日本には腕のいい大工や指物師が一杯いるから好都合」と安易に考えたのでは
ないでしょうか?(テキトーな想像)
しかしそんな商社さんでなくとも、木製ボディーなら日本人に作らせれば欧米以上のモノが
出来るかも?と考えても不思議は無い。日本の大工さんが作った木製ボディーなんて
話だけでも何処かに転がっていませんかねぇ?
292 :
オサーン:2005/06/23(木) 22:50:14 ID:WQ9W6GAJ0
つ円太郎バス
つ霊柩車 w
294 :
オサーン:2005/06/24(金) 02:39:55 ID:soKICusm0
>>291 >木製ボディーなら日本人に作らせれば
ちょいと調べてみましたが、草創期はボディまで自作というのが大多数のようで。
ただ吉田真太郎(タクリー号の人)がやっちゃってます。
タクリー号以前、バスの注文を受けて電車のボディメーカーに架装を注文したところ
重すぎてロクに走れなかったそうで(w
ただ、このボディ架装も日本車輌(旧田中車輌:現存)がやってるので、大工ではないか。
このことは、自動車草創期にはすでに電車の車体製造メーカーに注文できる状況だった
ということを示しているわけで、「大工さんしかいなかった」という状況は、地方各地
での改装や修理という方向だと思います。
木骨を組んだり、そこに桜板をガスであぶりながら鉄板を整形するような作業には
大工さんも噛んでいたでしょうね。
295 :
オサーン :2005/06/24(金) 02:46:04 ID:soKICusm0
IDが「即逝くSM王」だ(w
器用な日本人といえば、興味をそそられるのが、終戦後の空襲被災車の再生や
電気自動車コンバート。
こういうのは全然資料がないんで途方に暮れるんです。
>>244-255 いつもこのスレを読ませていただいてます。
けれどさっぱり単語一つ一つがわからなかったのですが、
ついに昨日ラゴンダをみかけました。
最初来たとき見たことない平べったい大きな車だなあと思い、エンブレムをみてラゴンダとわかりました。
このスレを読んでて本当によかったと感じた次第でございました。
ちなみに乗ってらした方はやはりここで書かれてるような雰囲気の若手実業家の方のようでした。
同僚は「空飛ぶね、これきっと。」と申しておりました。
297 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/06/24(金) 19:31:15 ID:POozCx3z0
ラゴンダって長さに対して異様に幅が狭いんだよね。見た事無いけど w
機会があったら真上から見てみたい車。
>>292-293 両極端ですね・・(w
そういうんじゃなくって・・ですね・・。
「棟梁。ウチのパッカードのボディーも草臥れてきた事だし、一丁腕の良いところで
変わったモノでも作ってみる気は無いかね?」
みたいな・・。(無いか ・・w)
戦後のゴタゴタ期ってのは、ホントに資料も何もあったモンじゃないですね。以前私が知りたい
と書いた、四輪のギャンブルレースの実態とかもそうですし。
「それどころではなかった」場合もあれば「残したくない」場合も有りでしょうけど。
ラゴンダっつうのも実は古い歴史のあるメーカーですが、此処で話題になっているのはこれ。
http://www.jhcp.cps.k12.il.us/Aston%20Martin%20Lagonda.jpg 第二次大戦後、この会社のオーナーになったデヴィッド・ブラウン(DB)が此処にいた
W・O・ベントレーさん設計のツインカム・エンジンを同じく自らがオーナーだったアストン・マーティン車に
積むべく両社を合併させて、それ以来アストンの影にされてしまい車名は途絶えていたのが
80年代に復活して出たのがこの車。確かに資料見ると全長は5.3m以上で幅は1.8m未満。
かなり細長い車のようです。
299 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/06/26(日) 01:42:14 ID:imL9tKVz0
その昔、爺様がDKWの三輪車に仕事で乗っていたって話を聞いた事があります。
ジュラルミン一体物のフロントフォークが付いていたらしい。これに亀裂が入るのが
悩みの種だったとか。
300 :
オサーン:2005/06/26(日) 22:44:34 ID:cKxaHXAo0
>>299 へぇ、DKWの三輪が日本に来てたとは知りませんですた。
戦後、ゴリアテ(三輪も作ってたドイツのメーカー)をDKWバッチで供給していた時期が
あったようですが、日本に入荷したとすれば、その頃の奴でしょうか。
戦後、ゴリアテを一杯使ってた運送会社がありましたが、そこに入った可能性もありますね。
もしかして○に通の字の会社で働いておられましたか?
DKWの三輪車は何かで写真を見た記憶があるような・・。
確か2ストのツインがフロントフォーク上に乗っかっていてチェーンで前輪を駆動する形
だったので「これ、まるで子供用三輪車と同じ駆動形式じゃん。ステアリング重いだろうな」
と、思った事があったような・・。
ちょっと手許の資料漁ってみたら戦前にも幾らか入っていたらしいです。
っつう事はドイツや日本には戦前からバブルカー流行の萌芽があったって事でしょうか?
今日、JAFメイトなどパラパラと見ていたら、「車が印象に残った映画」アンケートで
第一位は「007シリーズ」だったとか。やはりボンドカーと言えばアストン。ですが、原作では
007はベントレーに乗っていたとか。時代(最初に書かれたのは53年)からすると、
タイプR辺り?アストンならDB2系の頃。3リッターの直6積んだ中堅クラスだったDB2では、
イアン・フレミングさんには物足りなかったのでしょうかね?単純な加速やら最高速では
むしろアストンの方に分があるようなのですけれど。
302 :
オサーン:2005/06/27(月) 01:16:55 ID:IAoXdNpp0
>>301 ∀・)つヘェヘェヘェ 戦前にもう来てたんだ。
戦前のちっこい車は、許可免許制目当てかガソリン配給制初期の
経済車売り込み狙いのどちらかが輸入の定番パターンでしょうか。
アドラートルンフなんかも、戦前に経済性で売りまくったクチです。
007といえば印象に残るにはメルセデス。
なぜか悪役メルセデス。徹頭徹尾メルセデス。悪の帝国メルセデス(w
303 :
蓮之家円数:2005/06/27(月) 08:56:11 ID:XFy4C7fa0
007の原作ではDB3が登場いたしますね。
CIAのレイターはスチュードベーカーにキャデラックのエンジン載せた
スチュデラック。
>>302 私の持っている本の中に
“DKWは第二次大戦前に我が国に輸入されたろうと想像するが、筆者はその事実を
思い出す事は出来ない。(中略)当時確かに輸入店があって我が国でやや用いられた
三輪配達車の記憶はまだ新しい”とあります。(本は昭和50年発行の物)
三輪車の詳細は書かれていませんが、当時免許不要だった750cc以下に
納まっていた事は確実と思われます。
>>303 DB3はレース用だった筈。と、思いつつ調べてみたらゴールドフィンガーの原作で
登場しているのですね。スポーツカーとレースカーの境目が未だ曖昧だった当事
ならではの選択ですね。
「タクシー」第一作でも悪玉が乗るのはメルセデス。
映画の中では善玉が乗っているのを思い出せないメルセデス(w
BMWはボンドカーになったのに。
アテクシ思ふにハリウッド始め映画人、活動屋wにはジューが多ひ、
ジューどもにとってスリーポインテッドスターはハーケンクロイツと同等に
嫌悪の対象なのださうです。ちゃうどチョンやチャンコロどもにとって日の丸と
スリーダイヤモンドが嫌悪の対象でRのと同じ。
どちらもそれぞれのマークのものとでの強制労働の象徴として意識されたからです。
それがおベンシ悪役を決定付けてゐるのではなからうか、と。
アテクシ以前常軌を逸した三菱叩き、あれはチョンの陰謀ではなからうか、と書ひて
某先生に根拠無き陰謀説をやたら吹聴するものでは無ひ、とたしなめられましたが
確かに仰る通り。その一方でチョソのスリーダイヤモンド嫌悪、戦勝国を口実に
我が国にたかり続ける根性、三菱はどれほどチョンダイに無償供与させられてきたか、
そこに降って涌ひた三菱バッシング、これを機に三菱潰して安く乗っ取って
ウリが物にして日本の技術や資本を乗っ取り恨み骨髄のスリーダイヤモンドを跪かせてやらう、
そんなことがあったのでは無ひかと朝セン日ポウ新聞一派の三菱叩きを見てゐると
そんな妄想も涌ひたのでした。まぁ色々聞くと三菱も相当相当だったやうですが。
306 :
香ばしい:2005/06/29(水) 02:05:19 ID:kSh2x3p30
え、メルセデスが善役の映画?…モンテ・クリスト伯(w
三菱が何故ひょんでーに技術供与をしたのか(またはせざるを得なく
なったのか)は別に陰謀説云々は抜きにしても訊いてみたいですねえ。
三菱側にコレと言ったメリットがあったようには思えないのですが(^^♪
307 :
オサーン:2005/06/29(水) 03:13:00 ID:4RXHqGMR0
GDIのエンジン供給を受けておきながら「ヒュンダイが独自開発した世界初」と堂々と嘘をつく民族ですからなあ。
「植民地支配時代、日帝はわが国の産業発展を好まず、部品工場しか進出させなかった」と、今も逆恨み。
310ブルーバードは、韓国政府が在日にノックダウン生産を許可して、ちょっと作ったところでごっそり丸ごと
パクられたんでしたっけ(w
まあ、あまり語りたくもない民族ですな。
GDIってのも「世界初の気筒内直接燃料噴射」なんて三菱が堂々と嘘ついて
メルセデスを怒らせたのでは?
309 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/06/29(水) 13:11:56 ID:HpR6gvBH0
GDIなんてエンジン自体終わってるじゃん・・・。
三菱なんて組織自体終わってるじゃん・・・。
311 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/06/29(水) 20:48:22 ID:sixxxN+JO
朝鮮人が必死ですね
モンテ・クリスト伯は見てません(w
息子に「ルパン三世は?」と指摘されましたが、あれは善玉と言っていいのか??
要は時代劇で言うならば、白馬で登場するのは善玉であるっつうのと同じ(つか正反対な?)
記号性をメルセデスが持っている理由ですが、ナチスの記憶まで持ち出すのはちと大仰かと
拙は思うのでありやすが、どうでしょ。
だって、同じくナチスに結びつく車でもkdf/ビートルはディズニーの映画(ラブ・バッグ)
に主役で登場しているでしょ?
結局の所、メルセデスにはああいう丸み(つか愛嬌)が無いから悪玉用って役割が
回ってきやすいだけではないか?と。
そこでちょっと思った。最近のアウディのマスク、往年のアウトユニオンGPカーを連想させるのも
狙いの一つだと仰るけれど、それこそそんなもの連想させていいのでしょうか?
さて、アウトユニオンGPカーからの連想。
小説に出てくる車の話がらみで、レイモンド・チャンドラーの「The Long Goodbye」の中で
「ギムレットには早すぎる」と言ったテリー・レノックスがジャウィット・ジュピターで
登場するシーンがあります。
この車(アウトユニオンのPワーゲンの開発に従事したナントカって長い名前のドイツ人が
設計)がどのような代物であったのか?今ならばGoogleで“Jowett jupiter”って入力すれば
大体の事はすぐに判るのですが、最初に読んだ頃(もう20年以上前)には何がなにやら・・
表記自体も“ジョエット”って書かれる事の方が一般的だった事もあって、
資料らしき物も中々見つからずに苦労した物でした。
そんな車を登場させるくらいですからチャンドラーさん自身はかなりな車好きとお見受けする
のですが、一人称で語る主人公(当然フィリップ・マーロウ)には
「私は車にはあまり興味は無い」と言わせている。あんまり変に突っ込むなと暗に予防線を
張っているのではないでしょうか?
チャンドラーは、どの小説だったかでキャデラックが右ハンドルでどうのこうの、
という蘊蓄を垂れていたように覚えている。
他にも、特に高級車について細かい描写が多いような。
315 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/07/01(金) 00:44:28 ID:cO2+C1XX0
映画版の「The Long Goodbye」ではレノックスはフェラーリのディトナに乗ってた。
マーロウの愛車はなぜかリンカーンコンティネンタル(初代、フェイスリフトされて
クロームギトギトになった戦後型)だった。
公開年(73年)頃にはかなりのプレミアがついてて、探偵なんかに買える代物じゃあ
なかったろうと思った。第一、敵に逃げられたり追いかけられたりした時に30年落ちの太古車じゃあ
どうにもならんだろう(w
G.M.フォード、という冗談みたいな名前のミステリ作家がいるんだが、この人の
作品に登場する探偵はフィアットに乗っている。
品質や整備性の悪さ(アメリカ人のでかい手じゃ届かないところが多い)を愚痴る
のが作品のスパイスにもなっている。ただ、この車、作品内の描写からでは車種が
わからない。漠然と850かと思っていたらフロントエンジンと書いてあるし。
ところで、アメリカのミステリと言えば、「ローター(おそらくデスビの)をはずして
走行出来ないようにする」というシーンがよく出てくるが、昔のアメ車はそんなに簡単に
フード(と、翻訳調に書いてみる)が開いたのだろうか。
チャンドラーさんはアイルランド系の両親を持ち、自身も若き頃をイギリスで過ごしたそうで
そのせいもあってか、英国車には結構うるさい方だったようです。
また、意外にスノッブな一面もあったようで、その為もあってか、アメリカでは余り馴染みの無い車を
持ち出す傾向もある様子。高級車に細かい描写が多いってのもそんな彼の一面の発露かも。
「The Long Goodbye」映画版は昔深夜映画で見たような記憶がありますが、
原作とは全く別物に仕立てられていたような。
今、現代を舞台にリメイクするならば車はどの辺になるのでしょうね。
ジョエット・ジュピターはBMWのZ4あたり。マーロウの愛車はまぁテキトーなアメ車でいいでしょうけど。
「夢のような美女」が乗っていたジャガー(多分XK120)はそのままXK-Rコンバーティブル?
なんだか英国車とGM車が好きで何故かフォード嫌いだったチャンドラーさんの好みからは
微妙に外れてしまいますね。
>>316 最近はミステリは読んでいないのでその作家は存じませんでした。調べてみたら、本名らしいですね。
作品はどの辺の時代が舞台なのでしょう?
318 :
オサーン:2005/07/02(土) 00:57:53 ID:V327TFa20
>>316 現在のようなボンネットの開き方(アリゲーター式とか言ってたもんだw)になる前、
左右をM字開脚みたいに開くフードは車外から簡単に開きますた。
ついでに、デスビも金具のツメを取れば、キャップもローターもすぐイケます。
戦後の車でも、身近なところで日野ルノーは、マスコットを引っ張れば前後のフードは
鍵もなしでパカッと開いたよ。
>G.M.フォード、という冗談みたいな名前
第1回日本GPに「マイケル・ナイト」という、しゃべるトランザムに乗ってそうな人物が(w
M字開脚・・ってねぇ・・(w ガルウィング状とか、他に言い方が有りそうな・・。
まぁ、ミもフタも無い言い方してしまうと、屋根無しの車なら現代でも殆どは
簡単にフード開けられるのですが。
以前、リトラクタブルヘッドライトの話でちょっと出たコード810-812は
こっちは初めてって事は無いでしょうけどアリゲーター式のエンジンフード採用でも
かなり早い方に属する筈。あれが「棺桶ノーズ」なんて言われるのは、形もさる事ながら
あの開き方も当時の人には棺桶のように見えたからではないでしょうか?
私が小説の中に出てくる車と聞いて思い出すのは、チャンドラー作品以外だと
「深夜プラス1」のシトロエンDS。しかしこれ(私の好みのせいもあるでしょうけど)
映画に出すと、その存在感の大きさゆえに登場人物を食ってしまう。
その点、アストンを選んだ映画版007のスタッフは上手いと思います。
高価なので買える人は限られるけれど、アクの少ない控えめな車。
誰が乗ってもそれなりに格好がつき、善人っぽく見える。
映画ジャッカルの日でド・ゴールの乗る車が当然と言へば当然ですがデー・エスでしたぞ。
昨夜は帰途世田道三茶付近で10数年ぶりにSM発見。w
ハヤカワミステリ関連、当時の翻訳はまぁ致し方の無ひことですが
カルチェ(この表記発音も旧式化してますがw今は”カルティエ)をカーティアとかですから。w
それでもほとんど全ての名詞wを漠然とジャンル表記では無く
例えば「時計」では無く「ボンドは腕のローレックス防水時計を見た」とか
具体的な固有名詞wで表記され緻密なリアリティーに感ぢさせてゐるやうに思へます。
当時、日本ではかういったブランド物wは一般的ではなく
かういった翻訳物でその存在を知ったり勉強したりした人もゐたとも聞きます。
さて、脈絡無ひ話でRが先日アテクシより一回り程上の知人から聞ひた話。
彼は某芸能人のご子息でお父上の某師匠がクルマ好きであったこともあり
当時から毎年のやうに買い換へる各種クルマを知ってゐた。
ツトローエソ2馬力あり日野ルノーありヒルマンありタウナスあり。
そんなある日ご子息がヌバル360を買ってきた。本当はマツダR360が欲しかったさうなのだが。
そしてお父上がヌバル試乗してそのパワーに驚ひたさうな、4人乗って箱根が上れる、と。w
当時の2馬力なんぞは箱根が上れなかったさうな。
そのヌバル360、ご子息は当時プロボウラーにならうかプロゴルファーにならうかと言ってゐた頃、
このヌバルのトランク(当然フロント)に常時ボウリング球を4ヶぐらひ載っけてたのだが
ある日70km程でコーナリング中トランク内でボウルが箱から転がり出て
ドンとトランク側壁に当たった感触がはっきりと分かったさうな。
その瞬間ヌバル360はごろんと横転、「あーぁ」と思ひながら横になったまま滑っていったさうな。
ひっくり返ったヌバルは自力でよっこらしょっと起こしたさうでR。
アテクシも小学生の頃、うちにあったこれオモチャにしてゐたが、消防のアテクシでも
持ち上がるほど軽ひクルマであったのは事実。しかし如何にRRとは言へ、如何に軽ひとは言へ
それでもボウリングのタマごときで横転する程であったのだらうか?w
↑ 恐らく、土俵際一杯で踏み止まっていたのが、髷が崩れた程度のショックで
堪えきれなくなったのかと(w
現代でもターンパイクでは40〜50km/h程度しか出せない軽もある程ですから
自動車と言うよりも農機具の一種と思った方が理解しやすい所期の2CVで
箱根に行くってのは無茶と言うもの(w
坂道に強い車が欲しければ、それこそ2CVサハラ。40%の砂地勾配も登れると
豪語しておりました。凄いね、40%。ターンパイクでも最大10%でしかないのに。
上り坂って言えばT型フォードは(年式やボディー形式で一概には言えませんが)
現代のホンダ・フィット同様にフロントシート下にガソリンタンクを置いていたのですが
ポンプを持たない重力式で、しかもタンク形状が丸断面なので急坂では燃料切れを
起こすらしい。しかしローよりも低いギア比にリバースが設定してある為に
ローギアでも登れない坂はバックで登れば良く、こうすると燃料切れも起きない。
実に合理的な設計・・って、そんな事していいのか??(w
323 :
オサーン:2005/07/03(日) 23:42:17 ID:NhMwIdTz0
ヌバル横転ワロス。あいつコケても笑い顔だし。
昔の車がゴロゴロコケたのは、リヤがスイングアクスルだったりとか、バンプラバーがお飾りだったりとか。
強めにフルバンプしたら、そのまま一本背負い。
130セドリックの頃までは、舗装路でフルバンプが来ると、前がズサーと断続的に流れて動きが良くわかった。
スバルが360ccで箱根を登れるというのは、軽さの力ですな。
スバルと同じ時代、箱根登山のタクシーに310ブルが納められたものの、そいつが坂を登れずにあわてて1200stdを
代わりに納めて、1000を引き取ったなんて実話があります。
324 :
オサーン:2005/07/04(月) 00:00:31 ID:HvUQvLZf0
そうそう思い出した。
RRのフロンテで山道をバック中に路肩が柔らかくて脱輪したとき、リヤを一人で持ち上げた。
やっぱ軽かったんだな。
かつて、文庫本サイズのカラーブックスというのがあって、「クラシックカー」の巻でのこと。
peugeotを堂々「クェクェット」と解説してますた。外車のブランドも遠かった(w
>>317 舞台はシアトルです。彼の作家は原書でもG.M.とイニシャル表記なのですが、これは
ファーストネームがジェラルドで、影の薄かった大統領と同じになってしまうから、と
これも冗談のような事情があります。
>>319 「深夜プラス1」にはもっとすさまじい車も出てきますな。しかもそれまで嫌みな脇役
だったお嬢さんが颯爽と転がしてしまう…
同じ作家の「最も危険なゲーム」だったか、こちらは飛行機ですが、「カービュレーター」
という言葉が何度か出てきて、わからずに往生したことがあります。
これに限らず翻訳ミステリには独特の訳語があって、わからない癖になんだかかっこいい。
今にして思えば、訳者もなんだか知らずに訳してたんでしょうな。
>>324 >文庫本サイズの〜
それって、保育社のカラーブックスNo.202ですか?私の手許にも有りますが、どの辺でしょう?
しかしまぁ、その間違いはプジョー側にも問題有りかと。と、言ってもワカラン人には
「ナンノコッチャ・・」でしょうから昔の広告
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_10070676.jpg?bcnr.PDBT7xusPFv 字体に懲りすぎ(w
>>325 >もっとすさまじい車
ロールス・ロイスのファンタムUでしたっけ?しかし私にはファンタムUよりDSです(w
「クェクェット」は完全に間違いですけど、外国語名をどう片仮名で表記するか?ってのは案外難しい。
元が馴染みの無い言語だったりすれば尚更。オサーンが「デラヘイ」と表記するDelahayeを私は
「ドライエ」と読むし、普通「ホルヒ」と読むのが一般的なHorchは「オーシュ」って読んでしまう。
(フランス車からこの道に迷い込んだ為)
現代でも存在しているメーカーならば素直にインポーターの読む通りに読んでいれば良いのでしょうけどね。
某有名評論家氏のようにメルセデスをわざわざ「メルツェデス」なんて呼ぶ必要など無いと思います。
ドイツ風の車名を避けるのが狙いで、フランス娘の名前を借りたって由来もあるようですし。
>DS
外苑西通り天現寺交差点から白金三光町の交差点に向かふ途中、
mimiだったか何だったかつう深夜までやってるヲヴァお水服屋の手前に
何故か何年も前からいっつもDS19がゐます。時には2台もゐる。
その先白金台プラチナ通り入り口付近にはいっつもアルフェッタGT右ハンがゐる。
更に先の杉の木屋だかもみの木屋だかスーパーの前に
一時期いっつも白古ヌパがゐたもんでした。w
328 :
オサーン:2005/07/05(火) 02:11:39 ID:4JKZxgqp0
>>326 そうです、その本。P.43の左上がそれです。
ご賢察のとおりであの字体で騙されたんでしょう。
329 :
オサーン:2005/07/05(火) 02:23:23 ID:4JKZxgqp0
>プジョーの広告
なんか時代性が出ていていいなあ。
前輪独立懸架と油圧ダンパーで、どこでもビリヤード台の乗り心地。いい時代だなあ。
ぅーむ、ぢつに素晴らしひ作品揃ひですなぁ、
ブガッティはエットーレが馬好きであったことからか、
かのT35も横っ腹あたりの曲面は馬の腹を連想させます。
FIATの1枚目はリンゴットの旧工場のイメージでせうか。
パナール、絵はベルリーヌのやうですしBERLINEと書ひてありますが
その下にデカポタブルとも、ドロップヘッドには見へませんが
ヴァリエーションにあったのでせうか。
バーカー、以前CG誌でコバショー御大が若かりし頃、終戦後ですが
戦前の銘車が処分されていくのを惜しみ買ひ漁っていた時
確か麹町署かどっかがロールズ・バーカー・トゥアラーを持ってゐて
(そのクルマ自体も戦後持ち主が持ちきれなくなりから寄贈されたんだかなんか)
それをスクラップにすると聞ひて払ひ下げて貰わうとして叶はなかった、
とか書ひておられました。
戦前バーカーボディのロールズを抱へてゐた御仁といふのも大変なものであるます。
デカポタブルではありませぬがその昔、お腐卵臭には
クーペ・ナポレオンとかと称するグラスルーフがあった筈。
今のミニバンに良くあるやうな、しかし十字に桟の入ったやつです。
さて、映画ネタ、さう言へばジャッカルの日の狙撃手の乗る車がジュリエッタ・ヌパイダでしたっけ。
地下室のメロディーでもこひつが登場します。アラン・デロンwのドライヴするクルマです。
かのお変態(アテクシ同様本物w)映画監督・故パゾリーニ氏も確か紺色のアルファが愛車で
おホモだちの青年にこのクルマで轢き殺された筈です。
しかし映画の中のアルファと言へば誰しもイル・ラウレアート、卒業でせう。
ヌパイダは何時の時代もアルファの華、今でこそ腑抜けた小BMW小ベンシVWとか
腑抜け日本車乗りあがりの皆様がおサレぐるまと勘違ひして乗っておりますが
本来ポリティカルコレクトな言ひ方をすると自制心の不自由な方、
欲望のコントロールの不自由な方の乗るモノ、有体に言ふと暴走スレスレとか
お変態さまの乗るモノだったのであります。w
そのアルファのしかも華に乗るといふこと自体が出すティンコ・ホフマンwの役どころを
端的に表現してゐるのです。
336 :
オサーン:2005/07/07(木) 01:18:34 ID:Dq3sJhSe0
>>331 ディナミクのボディは、4ドアのベルリン、2ドアでドア後ろに窓のあるコーチ(米車でいう5窓クーペ風)
2ドアで窓なしのクペ、あとデカポタブルがあったそうで。
デカポタブルだけは、画像を一度も拝んだことがござんせん。
あの変態側窓はデカポタブルではどんな処理になってたのやら。
「気狂いピエロ」(最近は誰に遠慮してか「ピエロ・ル・フ」と呼ぶようですが)の、
すれ違いざまキスするシーンもジュリエッタ・スパイダーじゃなかったでしょうか。
車ヲタクとマッドカーマニアの違い
車ヲタクは、オプションなりカーボーイなどの多数の雑誌を毎月購読してりゃ簡単になれる
マッドカーマニアの場合は、隅から隅まで車を分解組み立て出来てはじめてなれる
似てるようで異なるものである
オプション、カーボーイ程度ではなぁ、ヲタにもなれまひなぁ。w
つかヤングオートとかは入らんのだらうか?w まう廃刊だらうか。
つか、アテクシはぢつはヲタでもマニアでもありませんぞ。w
まぁ若干なりともクルマ道楽者、クルマが好きったらアテクシ程度は当然だと思っております。
なを、アテクシ商売が機械屋ですんで機械ゐぢりはちゃんとした本職がやるべき、
素人の見様見真似はおのずと限界の有る事は熟知しております。
例へばネジ締めひとつでも素人と熟知したプロは全く違ふ。
熟知したと思ってゐる素人とプロにの間にも越へられ無ひ壁がある。
まぁ切羽詰れば(アルファ乗りである以上はねw)アテクシもゐろゐろやりますが。w
ホントにねぇ・・。分解なんてやらないで済むならやりたかないのよね・・(泣
そりゃそうと、ナンだか本や雑誌から知識を得る事を軽視するような風潮って有りますが
いざ知りたい事を知る為にそれに必要な本なり雑誌なりを見つける事の大変さを
身を持って知っている私としては、それが何処から得られた知識なのかは全く問題にせず、
苦労して得た知識を気軽に披露して下さる、その事自体に尊敬の念を抱くのです。
さて、映画ネタついでに。ブガッティT41“ロワイヤル”クーペ・ナポレオン(334の模型は酷いね・・)
これが出ている映画ってのがあるのですが、劇場未公開。その名も「ブガッティ・ロワイアルの女」
一度TVで放映されたのを見た事がありますが、感想は「こりゃ、公開しても誰も見ないだろうな・・」でした(w
ストーリーは難解なだけで盛り上がりに欠け、製作者は多分クーペ・ナポレオンをフランス国立
博物館から借り出したかったのと、あとシャーロット・ランプリングを脱がしたかっただけだった
だけなのではないか?程度の映画。クーペ・ナポレオンが長い間行方不明であったなんて、
史実と異なる筋が展開される時点で気持ちは醒めてしまう。
>>336 変態側窓(w
あの手のウィンドシールド形状は、多少形は異なりますけどタトラもT77Aあたりでやってますね。
http://www.tatraworld.nl/T77aKeesjan2005.jpg 斜め前方の視界を広げる手段として、三次曲面ガラスが一般的になる以前としてはかなり有効
だったのでしょうが(平面ガラスのウィンドシールドの車に乗った事が無い、今の人には
判り辛い話でしょうね・・)パナールの場合はそれ以前にウェストライン下げて
窓面積そのものを広げる事を先に考えた方が良いのではあるまいか?と、思うのでありますが・・。
結局の所ああいう形にした一番の理由は、これも「やりたかったから」なのではないでしょうか?(w
334は模型では無くミニカーでせう、しかし改めて見ると
この時代はまだショファーは要するに御者であったことが
ぢつに良く分かる姿だとは思ひませんでせうか?
その後のそれこそブガッティのT57”ギャリビエ”は
carrosserie Conduite Interieure(英語でエンクローズド・ドライヴらすぃ)と
カタログに書ひてあり同じく57のコーチのヴァントーや
有名なクーペ・アトランティーク、アタラント同様運転手も客室と一緒になっております。
時代が下って運ちゃんがご主人と同じ室内にゐることが許されるやうになったのでせう。
なを、このギャリビエにもナポレオン式グラスルーフがありますな。
それと、シームを入れて曲げた窓、上記タトラを見ると
昔のゴーグル、曲面ガラスが難しかった時代平面ガラスを組み合わせ、
乃至は折り曲げたあれを連想します、
さう、ダンヒルのモータリング小道具とかの頃の。
>>341 そう言えば、フランスではその昔セダンの事を
「コンデュイ・タンティエール」等と呼んだそうです。直訳すると「室内で運転する」
くらいの意味。
それだけで聞くと「ナンのコッチャ・・」なのですが、あの手の運転席だけオープンっつう形式を見ると
そういう見方もあるかと納得できるような気がしませんか?
話が噛み合ってない(w
ロワイヤルに関しては確かに軽くは無ささうですがT35などではスポーク式で
これなら決して闇雲に重くは無かったかと。<アルミホイール
つか、うちのヌパにしろ75にしろヌピードラインとかのアルミが純正ですが
見るからに、そして実際重ひ重ひ。w それ考へるとロワイヤルの決して重さうには
アテクシには見へません。w
股、このT35の8本スポーク鋳造アルミホイールが世界初のアルミホイールな筈、です。
これはブレーキドラムと一体成型され、センターロックの解除でホイール、ブレーキドラムが
一式外せる優れものであります。
75もミッションとブレーキwはシャシにくっ付ひてゐますがその先は全部バネ下。w
>75も〜
あれはリアはどんな構造でしたっけ?
しかしナンだね(オッサン口調 w)
平面ガラスのウィンドスクリーンではAピラーが如何に目障りか?なんて、
今の車しか知らぬ人には理解されないでしょうねぇ。
リーフ・リジッドの車ってのも今やトラックとか一部のオフローダーくらいの物。
下手すると“1/4楕円リーフ”なんて言葉もナンの事やらワカランって人もいるんだろうなぁ・・。
>今の車しか知らぬ人
FIATおパンダがあるぢゃあなひですか。w<平面ガラス
75はリアにクラッチもろともミッション持ってゐき、
そのミッションの前縁付近を支点とする三角形のド・ディオン軸、
それでバネ下重くなるものでミッションと一体のデフ左右にインボードのディスク、
そこからドライヴシャフト、といふ構成です。これによりリアの上下動の支点が
リアシートの前縁付近となり周期の長ひ上下動をするのでぢつに乗り心地も宜すぃ。
これに類する感触は昔の505とかのFRプジョー、システム・パナールですが
ミッション直後からトルクチューブがリアと一体で上下しこれ股ぢつに宜すぃ乗り味。
成る程、凝った構成ですね。
今やド・ディオン軸の車ってのも普通車にはあるのでしょうか?
あれって、独立と固定との両方のメリットを上手く組み合わせた
賢い方式だと思うのですけどね。
と、書いていて思い出した。コード810は前がド。ディオン軸って
構成もミラーFWDから受け継いだ変わった車だった筈
コードはL29もそうだった筈。それと同時代のアルヴィスFWDも・・
・・この手の話って私は面白いのですけど、ちょっと暴走しすぎ?
もうちょっと現代の車にも目を向けないと2〜3人だけの交換日記になりかねないのでしょうか?
誰かネタ振ってくれませんかね?
351 :
オサーン:2005/07/09(土) 02:28:21 ID:mERIgvUF0
蒸し暑い雨の日の夜、窓の曇った冷房のない車内にぽつぽつとまばらな乗客。
室内燈に反射した運転手の顔が、薄暗くフロントガラスの内側に歪んで映る。
窓の外は闇。低く一定で回り続けるジーゼル音、このまま停まらずにどこかへ
消えていくんじゃないかという漠然とした不安。
昔の平面ガラスの路線バスはちょっとした怪奇体験。
ド・ディオンといえば2シーターミッドシップ、走りの5速のアクティ(w
352 :
オサーン:2005/07/09(土) 03:06:03 ID:mERIgvUF0
>>330 アール・デコ炸裂ですね。いいもの見せてもらいますた。
欧州はこの時代、アメリカと日本は50〜60年代が個人的に旬の面白い時代だなと思います。
ブガッティにカッサンドルのサインが入っトル!
直裁だが詳細ではないカッサンドルは、今の時代には許されないか。もう回顧するものになったのかも。
>>352 >欧州はこの時代、アメリカと日本は50〜60年代が個人的に旬の面白い時代
私もそう思います。これらの画像は私がここ数年に収集した絵葉書のスキャンなのですが
こうして絵葉書化される広告の数(つまりは人気のあるデザインの傾向)もそれを裏づけているように感じます。
これは両大戦間って時代(おおまかな言い方ですが)大量生産された小型大衆車のデザインでは欧州が
アメリカを追っているのに対し、高級、高価格車ではそれが逆転している事と無縁ではないかと思うのです。
第二次大戦前のアメリカ車にもそれ独特な良さは有りますが、デザイナーが意識して作った物と言うよりも
欧州物を独自の価値観に拠って翻訳した事で表れた物かと。
アールデコの流行にしても、欧州からもたらされた物であって、アメリカ独自の文化が
こうした広告とかに表現されるのは、やはり戦後の50年代を待たなければならなかったのでは
ないのでしょうか。車のデザインそのものとしては名前こそ欧州大陸を意識してはいても
アメリカ独自の物と言って良いリンカーンコンティネンタルとかコード810とかが有るのですが。
↑なんだか支離滅裂な書き込みで失礼。
30年代中頃あたりから、アメリカ車のデザインは欧州物の影響から脱し独自の良さを主張し始めたと
思うのですが、広告デザインなどがそうなっていくには未だその後暫くを待たねばならなかったように
見える。程度の意味と思って下さい。
先程、近所で綺麗な古いアルファ・ロメオを見ました。正直に言ってモデルははっきりとは断定出来ない
(恐らく1900スプリントだと思うのですけど、1900スプリントは、カスタムボディー用のシャシーなので)
三分割のグリルにクーペボディー、コラムシフト、Lhd。写真機持っていれば良かったなぁ・・。
アルファは戦後の1900から既に国内向仕様もLhd化されていたそうですが、同時代のランチアは未だRhdのままだった筈。
イタリア国内仕様のランチアがLhdになったのってどのモデルからなのでしょうね?
↑1900ヌーペル・ヌプリントあたりではなひでせうか?
つか、この時期からジュリエッタの頃までのベルリネッタは
SS(同じSSでもヌプリント・ヌペチャーレ)とかSZ以外は同系統の顔ですので
一瞬での判別は結構難しひのです。
なを三分割グリルですが、本来アルファの顔といふ物は
御馴染み三角の盾だけでは無くその両側に”バルベ”(Barbe:ひげ-複数形)
と言ふグリル等が付くのが正統なのです、と言ってEのかな、といふところ。
ぢつはこのヒゲモチーフはマイチェン前のFF・GTV/ヌパにまで引き継がれてゐます。
http://gazoo.com/shop/hobbygarage/meisha/shousai.asp?R_ID=8227#
ところで”写真機”っつな歳バレ発言ですぞ。w
アテクシもしばしば口走って恥かきますが。
更にヌプーンを”匙”とか言って笑はれておりますが、
会社の同僚はハンガーを”衣文掛け”と言って笑はれておりました。
358 :
オサーン:2005/07/10(日) 21:45:59 ID:Wd42S1zr0
>>354 広告を主にみれば、大戦間の欧州の画家とポスター画家が群れなした時代。
アメリカの5〜60年代は、エアブラシと精密画、そしてシフトレンズや縦横比変換レンズを
駆使したコマーシャルフォトグラファーの台頭。
日本の5〜60年は、貪欲な吸収と時間軸を詰めたような進歩。
実が詰まった面白い時期だと思います。
>>357 悠揚とピース紺を語るから、期待して開けてみたらテラワロス
ローウィと日本人といえば、名作ピースともうひとつ、ヒルマン・ミンクスが。
>>357 その手の趣味は無い筈ではありませんでしたっけ?(w
ピースのデザイン、昨今の法令改正とかで崩れてしまった。1mgタバコなど吸っているならともかく
ピース吸っている人に今更「体に良くないですよ」も無い物だ・・。
三分割、ヒゲ付きグリルは同時代にはランチア・アウレリアとかアストン・マーティンDB2シリーズ等も
やってますが、アストンは現在の凸字グリルにその名残が残ってますね。もっともかなり低く(薄く?)
デフォルメされてしまって由来を理解し辛くなっていますが。まぁ、それでもメルセデス、ましてやBMW
のグリルデザインに比べればかなりマシなのか?
戦後のアメリカンスタイルが世界に影響を与えた物と言えば、地味ながらラジエーターの
グリルを否定し、単に空気取り入れ口にしてしまった事とかもそうなのかも。それと3BOXノッチバックも。
ところで脱線ついでに。
家人曰く「洋服を掛けるのがハンガー、和服や浴衣を掛けるのは衣紋掛け。物自体が違うの」
ですと・・。
ピース紺という言葉が通用するってのも大した物ですな。車の世界ではランチア・ブルーなんてのが
有名ですけど、模型用塗料を捜すと「フェラーリレッド」だの「マールボロ・レッド」だの
果ては「コブラ・ブルー」なども有るようです。
>>359 ぇえ、これは逝ってる氏に捧ぐもの、アテクシはブルマーよか断固ふりふりアンスコです。
テニスをぢゃうのプリーツスコートにふりふりアンスコ、これ最強。w
つかこれ股絶滅危惧種ですが。
閑話休題、>ランチャ・ブルー、ロッソ・アルファ、アルファレッドつう物件も一部で有名ですが。w
昔のフェラーリもこの色、深く濃く彩度は高ひが明度のやや低ひ脈打つ血の色。
今のフェラーリの赤はロッソ・コルサ、レーシングレッドと称します。
ロッソ・アルファより朱色がかった明るひ、けれど少し薄ひ赤。
一昨年か、江戸東京博物館でやったフェラーリ展で、壁一面に歴代フェラーリレッドを
並べた展示がありました。確かに昔の赤はかなり黒っぽい、静脈血の色。
アルファの、ほとんどえび茶色とはかなり異なりますな。
フェラーリの赤が一番鮮やかだったのは、80年代半ば、テスタロッサ全盛の頃でしょうか。
最近は、メインスポンサーのマルボロに引きずられたF1の影響でしょうか、市販車も
オレンジ色に近くなってますね。
フェラーリの赤は元々がアルファロメオのレーシングチームだったという経緯から
最初の内はアルファの赤に近く、徐々に明るくなって来ている様子。
イタリアのナショナル・レーシングカラーが赤であると言っても、どんな赤なのか?
そこまでは定義は無いようで(第一、どうして赤になったのか?結構謎)
時代によってかなり変わってきているようです。要は赤けりゃいい?
ブリティッシュレーシンググリーンもBRMのそれとロータスのそれとは全く違うようですし、
模型好きには結構悩みどころです。
アメリカの影響の話のついで。
戦後間も無い頃のアルファの1900やランチアなどがコラムシフトを採用しているのは
それがアメリカから発せられた新たなスタイルと思っての事か、それともアメリカに輸出して
ドルを稼ぐ事を意識しての物でしょうか?
しかし最もアメリカの影響を受けたのは、自動車産業が確立するより先にアメリカ車によって自動車の便利さを
教えられた日本なのではないでしょうか?
例えばパッカードに似せた観音開きクラウンだの、あのサイズでクーペを無理矢理作ったマツダR360。
そういう個々の車もさることながら、市場の特性そのものに今でもアメリカ車によってモータリゼーションが
もたらされた影響が色濃く残っているのではあるまいか?と、私は思っているのです。
>>349 遅レスですが、ホンダエアウェイブのカタログによると、4WD車のリアはド・ディオンとのことです。
スマートもド・ディオンですな。
>>364-365 有難うございます。
それにしても何故またホンダは他にも沢山4WD車があるのに、部品共有しようとしなかったのでしょう?
まぁ、なんにせよド・ディオン軸は絶滅危惧種への指定は免れている様子ですね。
(スライディング・ピラーのフロントや、スウィングリア軸は指定済み。前者はモーガンくらい?
後者に至っては・・)
ド・ディオン軸と一口に言っても左右両輪を結ぶパイプ(ド・ディオンチューブ)を吊るばねの形状
その配置、更にはチューブの形状などで結構バリエーションは有るようです。オリジナル
(当然ド・ディオン・ブートン)のそれは単純な直線のチューブをセンターがシャシーに固定された
横置きリーフで吊るという、簡単な成り立ちでした。以前自分の目でそれが見たくて
異国の博物館の床に這いつくばった変な日本人がいました(w
形式こそ同じド・ディオンでも百年もの間には別物のように進歩しているのでしょうね。
しかしナンだね。ド・ディオン・ブートンはすぐ頭に浮かぶのに、エアウェイブなんて車は
検索してみないと判らん私・・一体何者だよ(w
ついでに。ディオンって車、有りませんでしたっけ?あれはまさかド・ディオン軸なんて事は・・
調べてみました、ディオン。三菱車なのですね(こんな調子でいいのか?)
http://www.mitsubishi-motors.co.jp/DION/performance03.html にサスペンションについて書かれている・・って、オイ・・。これでは何も書いていないのと同じだろう。
三菱はいろんな意味で自動車の白物家電化を推し進めている会社ではないか?という疑惑は
以前から持ってはいたものの、メーカー自らが車に興味を持たせない方向に人の目を向けていないか?
別に自分の乗っている車のサスペンションがどんな形式であるかなど知らなくとも
運転に差し支える事も無いでしょうけど、なんだか車に愛着を持ちたいって人を遠ざけているが如く
見えてくるのですが。
閑話休題。そして更に閑話。
絶滅危惧種と言えば、横置き半楕円リーフなんて物自体がそうですね。昔はそれをアッパーアームにした
ダブルウィッシュボーンなんて形式も多く見られたようですが。
49年に大掛かりなモデルチェンジするまでのフォードや、オースティンセヴン等はこれとも違い、
横置きリーフで左右を連結したフロント軸を吊る単なるリジッドですけど。
フォードの用語はかなり特殊でこれを「ダブルカンチレバー・リーフ」と称していたそうです。
1/4×2=1/2っつう論理ですが、それをそう言うならシトロエン5CV流のフロントはどう呼ぶ?
他にもエンジンとギアボックスを一括りにして「パワープラント」と言ってみたり。これらの言葉を
私は以前「フォード語」と言って、オサーンに笑われましたっけ。
ありゃ失礼、良く良く見ればSD1、
アテクシこれもド・ディオン+リーディングアーム+ワッツリンクと思っておりましたが・・・。
さて、ド・ディオン・ブートン自体はフランスのメーカーでしたが、
ド・ディオン軸が他のフランスメーカーに採用された例はちょっと思い出せない。
それこそ戦前には数多くのメーカーがあったので、調べてみれば無くは無いのかも知れませんが。
個人的にはド・ディオン軸と聞いて最初に思い浮かぶのは
(以前書いたように、FWDアルヴィスやコードのフロントとかも有りますが)
50年代のランチア・アウレリアです。最初はセミトレーリングの独立で始まったアウレリアでしたが、
54年からド・ディオンに改造。
(この事からもド・ディオン軸の優秀さが容易に想像出来るかと思います)
このアウレリア、変速機をリアアクスル直前に置き重量配分を改善すると共に
ばね下を軽くする為にリアにインボードブレーキを採用した点においても
エロスパ氏の75へと連なるアルファ・ロメオ・アルフェッタ(ティーポ158ではない)
のコンセプトを先取りしているかのよう。
もっともアルファの名誉の為(?)に付け加えるならばド・ディオンチューブを吊るのは単なる
リーフ・スプリングに過ぎず、インボードのブレーキも未だドラムでしかない。それなりに時代を
感じさせる設計に止まっているのですが。
常勝、出れば勝ちの158、初めて分家フェラーリに勝利を与へた159のアルフェッタも
158の戦後仕様からはド・ディオンです。まぁ現行156の後釜が159になったやうですので
今の雑種のアルファ以降しか知らなひ人はこの数字の意味も分かりますまひが。
純血時代のアルファがキャンバー、トレッド変化を極度に嫌ひ厳然と固定軸
(ド・ディオンは半固定軸とも言はれる)に拘泥したのはフロントのダブル・ウィッシュボーンと合はせ
常にタイヤを路面に対して立てて使ふこと、前後の揃った、かつてのCG流に言ふ
「水平に描かれるロール軸」による世界最高と評価されたロールとそれによる
コーナリングスピードの高さを要求し続けた為です。
このコンセプトはそれこそ雑種の155では維持出来ませんでしたが
同じFIAT・Tipoシャシを使ひ回すFF・GTV/ヌパではトランク&キャビン容量度外視のリアサスで
股、久々の専用シャシの156ではランチャ・ストラットの極度に長ひトランスバースアームで
安価な4独でありながらかつての贅沢極まり無ひ、さうアッパーミドルクラスの乗用車にあるまぢき
贅沢なド・ディオンやそれ以前のリジッドでありながら凝った足の味はひを
相当なところまで再現して見せてゐるのです。
FFのこひつらでありますが、その目指すところはヌッドとでっかひヌッドの乗り味の164でせう。
この164つう物件が股、マークU〜クラウソサイズのでっかひFFのクルマのくせに
ぢつにぐるんぐるんと良く曲がり回るクルマで恐れ入りました。
但し、高ひところから盛大にぶっ壊れるので素人にはお勧め出来ません。w
例へば無理しまくったF足回りのせひでやたら消耗するステアリングラックアッセンブリ、
大々的に狂ってタイヤの激しひ偏磨耗をもたらすジオメトリ、
ダッシュ一式外しての大工事になる、そのくせ元々さっぱり効かなひ空調関連。
しばしば発生する強烈なトルクステア。
その点うちの75といひ後付け吊り下げクーラのヌパといひ空調は強力ですぞ、
夏場なんか冷へ杉て腹壊す程。w
その75の直接の前モデル、ヌォーヴァ・ジュリエッタ、ワッツリンクは見へませんが。
http://www.fantasista.net/116giulietta/spec.htm アテクシ20年前の大学時代、ヌパイダ共々本当に欲しくてせうが無かったクルマでした。
当時はアルファと言へばジュリアGT一派ばかりが取り沙汰され、伊藤忠の後の日英も撤退し
日本に代理店の無ひ時代で日々だうしたものかと思ひ悩んでおりました。
87年にコスモ石油と合弁で出来たアルファ・ジャパンは何もせづ1年で崩壊、
89年に大沢が股よせばEのに手出したと聞きすっ飛んで行きました。w
そしてその後アテクシと糞アルファと代理店は運命に導かれるやうにひとつに絡まり
アテクシの人生を現状のこの体たらくにしてしまったのです。w
事実は小説よりも生成りw、ま、ここでは余り詳しくは書きますまひ。
>>372 そうか、159アルフェッタはド・ディオンでしたっけ。しかしまぁ、元々のこの159って名前も意味不明な・・
以前年バレスレにも書いた事がありましたが、1.5リッター8気筒だったから158って名前だった筈で159では
9気筒に誤解されるのではないか?と(しないか・・)
その時は確かトヨタのマークUって名前(まだマークXになる前だった)が意味を失っているって話からで
他にもジャガーDタイプ(その前のCタイプはコンペティションの頭文字だったという由来無視)とか
トライアンフTR7(TRはトライアンフ・ロードスターの略なのにクーペも有り)も変だと書いた記憶有り。
まぁ、そんな事は関係無くアルフェっタはもしも“レーシングカー・オブ・センチュリー”でもやったら
20世紀を代表するレーシングカーの有力候補に挙げられるであろう一台ですが、その名前を簡単に使っちゃう
というのも・・。思うにあちらのメーカーって案外名前に拘りは薄いのかも?シトローエンなんぞ、その点は
本当にテキトーですけど(w
ド・ディオン軸の車は一度運転させて頂いた事がありますが、他人の車、市街地での試乗では
キャンパー変化云々までは試せませんでした。しかしトレーリングアームなんつう、車体側面に沿って上下する
(ロールしただけキャンパー変化する)車に普段乗っていると、そういうのもちょっといいかも?
と思う時も有り。スキール音聞こえたらそこから先はあっという間(w
まぁ、タイアチョイスの問題も有りますし、それこそ車体側面に沿うようにレイアウトされ、
バネ&ダンパーはリアシート下。タイアの動きは液体が伝えるなんて凝ったつくりのお陰で
広々とした荷室の恩恵にあずかる事も多いのですが。
ついでに。エアコンについてはそれこそ泣き笑いの日々があるのですが、それは年バレすれにて(w
9気筒、シコーキにはありましたぞ星型。w
名前に関しては日産が如何にレーシングエンジンであらうとも4発にGTの名は与へられんと
銘機FJ20のヌカイライソにRSと名付け(RSを名乗って許されるのはポルシェとこのヌカRのみと
個人的には思ひます、シビックだのビッツwだのが名乗るのは許さん)GT-Rの名を許さなかったのは
個人的には全く正しひと。どっかの一番重ひグレードに平然とAの名を与へるGTAなんぞ
勘弁ならんものであります。(トルコンのラリーカーもどきにGTAと付けるところは論外、
しかしここ昔っからGS-RとかGTOとか盗用パチもの大得意だからなぁw)
しかしアルフェッタ(小さひアルファの意)は、過去の偉大なレーシングカーの名を受け継ぐに
相応しひ野心的な意欲作でさまざまな理由によりセールス的には辛かったものの
その出来栄へと(ボディーの腐るのとヌピカ・インジェクションの問題は別にしてw)
少なくとも新車時のキャブ仕様の能力はBMWの出来損なひ初代3シリーズなど問題にしなひ
凄まぢひもの、当時911さへ敵はなかったと言はれるコーナリングスピードを持つ
只の四角ひフォーマルセダンの包皮を被ったとんでも無ひクルマではあったのです。
あのコバショー御大をも虜にした魔性のクルマ。そのシャシは90年代のES30にまで使ひ回され
それでもその90年代初頭に於ひても世界最高のハンドリングマシンの座を占める能力があったのです。
一方ヌッドの熟れの果ての(ヌッドはそれはそれでぢつに評価出来る、国産FFがそれこそ
チェリーだなんだと腑抜け果てた連中ばかりの中これ股凄まぢひハンドリングFF)
エントリグレードの安グルマにこれ股歴史に残るレーシングマシン&ロードゴーイングレーサー
Tipo33の名を与へるのもいささかではあります。
それぞれのメーカーが過去に残した栄光に由来する車名っつうのは、その会社の財産であり
どうr
>トルコンのラリーカーもどきにGTAと
まぁ、その辺はまだ理屈が通っていなくもないのでしょうが。
あれ?変な所で書き込み押してしまった・・。上は無視して下さい。
それぞれのメーカーが過去に残した栄光に由来する車名っつうのは、その会社の財産であり
どう利用しようと、外野が口出しする事ではないのでしょう。
>トルコンのラリーカーもどきにGTAと
まぁ、その辺はまだ理屈が通っていなくもないのでしょうが。 あそこはGTOだのラムダだのって
無茶苦茶やり過ぎかも。
それとは別ないい加減さが見て取れるのがシトローエンの車名。
第一次大戦後にモデルAで始め、次がB2その改良版はBの次の数字が増える。
そして850ccの小型車をモデルCという名で発売。その改良版はC3。この場合3は三人乗りの意味。
で、Bより早くCが生産終了し、BがモデルチェンジしたらまたモデルC。C4とC6
この場合数字はシリンダーの数。
時は流れ、21世紀。またもC1からC6までの名前が復活。今度は数字は車のサイズを示す。
既に以前自らが使ったモデル名をすっかり忘れているとしか思えない(w
(アルファの次モデル名159ってのも、このパターン臭いように思うのですが)
もっともフランス人、車の名前には無頓着なようで過去にも単に4だの5だのって名前の車がありましたし
事実ルノーのクリオ(日本名ルーテシア)なんぞ、何度モデルチェンジしようと現地ではサンクと
呼ばれている模様。会社側がどんな名前をつけようが、彼等にとってルノーのあのサイズの車は
5(サンク)なのらしいです
ルノー・シュペール・サンクはアテクシ、ターボとは言はづとも1.5TSかバカラは
欲しひクルマのひとつでありました、しかし後年乗ってみる機会があり
思ってゐたより大して面白くは無ひなぁ、といふのが感想。
生活雑貨のひとつとしてはおサレで便利で良からうと思ひましたが。
でもあのデザインとその旧モデルからの整合性には衝撃を受けました。
今でもあれはガンディーニの傑作の一つ、ディアブロを超へカンタックと並ぶ
銘デザインと思ひますし超絶モデルチェンジとも思っております。
その後釜のクリオには何も申しますまひ。w
ツトローエソと言へばアテクシ大好きなのは空力関連の係数Cx
(しかしアテクシ別に流体力学習ってはゐなひのですがCxつう係数は???)
からのCXとかGS、SM、BX、そしてXMあたりまでなのですが
このBXもCXの下グレードで”B"Xでせう。
更にその下にはアイドロwぢゃ無ひ、金属バネのツトローエソと原理主義者にはシノゴノ言はれるAXもある。
SMは以前ネコ本で見ましたがプロジェクトS(Xに非づ、Sが何を意味するかまでは見なかった)で
Mは言はづとマゼラーティのS。なを英語圏では通常日本式のSMはS&Mとか
緊縛とセットでBDSM(ボンデージSM)と表記します。w
ところでGSつな何の意味でせうか?
失礼、>マゼラーティのS × マゼラーティのM ○
さて、アルファの場合往々にして開発コードがそのまま車名になる場合
あまつさへ型式名にまでなる場合まであり、164は開発コードTipo164、
型式も164であります。なを75は型式162。開発コードは不明ですが
デザイン開発コードは当初K-1と呼ばれ最終的にKB-91となり決定します。
その後釜として開発されていたのがコードネームTipo154、
そして75の上のクラスとして設定されてゐた旧アルフェッタのビッグマイナーチェンジ版の
90の後釜は156、奇しくも現行ミドルクラスと同じです。
154計画は言ふまでもなく金の無ひ潰れる寸前の国営ALFAですからアルフェッタシャシの使ひ回し、
FRとトランスアクスル、ド・ディオン軸だったと言はれます、Tipo156も同じ。
しかしこの時期ちゃうどフォードとの取り合ひに政治力に物を言はせたFIATが
アルファを背負い込み(ランチャだのアウトビアンキだのフェラーリだのお荷物てんこ盛りの上に
国が垂れ流した赤字の始末を何でうちがせにゃならん、といふ声も相当FIAT内にはあったやうですが)
この赤字垂れ流しモデルチェンジに待ったを掛けます。そりゃさうでミドルクラスの
高々3〜400万(日本円換算)のクルマに凝り放題したい放題の贅沢杉るシャシでは
民間企業では元が取れんと却下になる訳です。一方既存のアルファ内でもだうせ金が無ひんだから、と
156開発を止めTipo4(クアトロ)計画相乗りでコードTipo164と呼ばれる大型車の開発が始まってゐました。
しかしこれ股他の3車がSAAB9000、ランチャ・テーマ、FIATクロマ全てFFなのに対し
この元々FFシャシ、フロアパンを何としてもFRにするつもりだったやうで
金が無ひのもあって開発は困難を極め他の3車に出遅れること甚だしひ状況でした。
そこに88年のアルファ合意により遂にFIATの傘下となったことでFIATサイドから
無理なFR開発はヤメレと言ふお達しが出たのです。結果やっとこ出てきた164はFFでした。
しかしよっぽど悔しかったのかwのちに4駆版Q4を限定版で日本円800マソ以上で出してます。
アルファ164、格好良い車だとは思うけれども同時代のプジョーに似過ぎ。
ピニンファリーナももうちょっと何とかする気は無かったのか?と。
そこが股大問題で164が早ひか405/605が早ひかおそらく164のはうが早ひのですが
それにしてもピニンの使ひ回しは、まぁ当時以前も同じデザインの使ひ回しは
日産マーチ&FIATウノとかその後もジャガー・ケンジントンと盗用多アリストとか
いくらでもあるのですが164と405/605はいささか露骨杉ます。
ひとつには日本車の場合社内でゐぢり回して元デザインを台無しにするのが義務wですので
バッティングを免れてゐるのですが。欧州車の場合そのまんまですから。
ましてやこれはあんまりだとアテクシも思ったのは605ではダッシュ周りの基本造形まで
164と同じなのです。さしものプジョーもこれはイカンと思ったやうで
607では長年のピニンとの関係を切り社内デザインに切り替へてゐます。
>>378 Cx=空気抵抗係数(Cd)×前面投影面積だそうです。しかしこの車名(CX)、本当に空気抵抗を
意識してつけたのか?シトローエンの車名は意図不明なの多し・・。
それにしてもアルファの歴史は経営難の連続ですね。第二次大戦後それまでの方針をやや改め
レース資金の為に超がつくような高価格な車を少量作るのを止め、量産車の世界に足を踏み入れたのも
大戦中に多くの労働者を雇い入れて会社自体が大きくなった為にそうせざるを得なかったからだとか。
そんな中でもGPには出る。例え国営企業になろうとレースはする・・。
ルノーもそうでしたけど、そんな調子で問題は起きなかったのでしょうか(w
さて。カロッツェリア、カロシェ、コーチビルダーetc・・。いろいろ呼び方はあるようですが、
カルマンなどの数少ない例外を除けば何故イタリアでのみ、その手の会社が生き残れたのか?
勿論、彼等のデザインには先見の明があった事。これが一番大きいのでしょうけれど、
木骨を廃して軽量かつ加工容易なスチールパイプを用いるスーパーレッジェラに見られるように
近代工業へ脱皮する事が出来た事。つまりは古風な感覚をいち早く切り捨てて商売に徹する事が出来た事。
これも大きいと思われます。
まぁ、だからと言って同じデザインを使い回すのは如何な物か?とは思いますけど・・。
同時期に同じ人が考えた物が似通うのはある程度当然でしょうけど、「気がつかなかった」なんて言って
通用する問題ではあるまいし。
それ以上に、メーカー側にしたって出す前に気付くでしょうに。何とかする気は起きなかったのでしょうか?
元々アルファが国営になったのは親会社のニコラ・ロメオ社が航空エンジンやら
その他機械類で軍需産業でもあったからで、国策会社として接収されたのが始まりです。
そこへファシスト政権の国威発揚政策でナチス・ドイツとともにレースに力を入れる、
元々レース好きのアルファは国策としての国家代表としてレースやってた訳です。
ムソリーニが股大のアルファ党でしたし。尤もそのレース要員として拾ったエンゾも
やがて戦時体制強化でレースどころでは無くなり退社する訳ですが。
戦後もどんなに苦しひ時でも、あの80年代半ばの潰れるまさにその時でもレースやってたのは
まぁ根っから好きな会社だったんでせうね。つかFIATに全てのレース活動を止められ
ワークス(アウトデルタ、アルファコルセ)も無くなったからあんなクルマしか作れなくなったんでせう。
大体最後の時期のアルファコルセの実体はアバルト残党のスクツwですから。
ルノーは股ルノーで、ルノー家は戦時中対独協力でさんざ儲けたまでは良かったのですが
ドイッチュ敗戦、ルノー家は国家反逆扱ひで財産没収、会社は国に接収される、
といふ経緯で国営公団になった訳です。アルファもルノーもぢつは世間で思はれてゐるやうに
左前で国に救済されたのでは無ひんですな。国に召し上げられてポヤカタ三色旗になって
挙句赤出しまくりになった訳です。
まず自らの書き込みに突っ込み入れるようですが・・。
>>383ではスーパーレッジェラが加工容易であるように読めるかも知れず、以前私がこの工法を
“生産性は低い”と書いたのと矛盾しているように思われるかもしれませんが、少量生産の方法としては
木骨を張るよりはマシなやり方ではあっても大量生産向きではないという意味に取ってください。
まぁ、そう言うまでもないか。
さて
>>384 一つ疑問なんですけど、1934年に始まった750kgフォーミュラの時代にアルファ・ロメオは
この規定に沿った新型車の開発が遅れ、独立懸架のティーポCのシャシーが完成したのは翌年の秋、
これ専用の12気筒エンジンに至ってはさらに次の年の春だったそうです。
それまでの間には例の34年ドイツGPでのヌヴォラーリの快走(32年デビューのティーポB強化型による)
などはあっても、それ以前の黄金期から比較すると苦戦を強いられたのですが、この辺の事情は
“資金難からI.R.I入りせざるを得なくなったアルファの経済事情”と説明する書物が多いようです。
しかし
>>384を読むと、ムッソリーニが後ろ盾に付いていたなら、ヒトラーのドイツ勢に比較しても
そう資金に差があったとも思えなくなってくる所。
もしや、この時期スペック上は立派ではあっても未だ未熟なドイツのモンスターマシン相手には、
やや旧式にはなりつつあってもその分熟成され、バランスに優れた名車ティーポBの強化型で
充分に勝負になるという(やや楽天的な)考えがアルファ側に有ったという事なのでしょうか?
・・って、70年も前のヨーロッパの自動車会社の経営状態に興味を持つ日本人なんて
他に何人いるんだろう(苦笑
暴走ついでに750kgフォーミュラの事。
これらの車が恐ろしく運転の困難だった事はあちこちで語られていますが、まぁ簡単に言うなら
エンツォ・フェラーリのエンジンをスバル転倒虫やらVWビートルの如き単純なスウィングアームのシャシーに積み
軽自動車用スタッドレス程度のグリップのタイアを履かせたようなGPカー・・。
見るだけに留めておくのが一番でしょうけど、その見た目も、中途半端な流線型化が進んだ分だけ
私の好みからは少し外れる。
やはり私は全輪固定軸でラジエーターグリルがフロントアクスル上に直立していた時代のGPカーの方が
美しいと思うのです。
思うにこの時代(34年から戦前一杯)のGPカーって、いろんな意味で過渡期の設計だったのではないでしょうか?
サスペンションのみならず、肝心のフレームもそう。
この時代に主流だったのはそれ以前から続く梯子型、ラダーフレームであった訳ですが、
主構造材はそれまでのコの字チャンネル材や角断面材ではなく薄肉大径楕円断面鋼管へと変わっていて、
もうここまで来れば60年代以降の主流になったツインDチューブモノコックまであと僅か。
(そう簡単な話ではないのでしょうけど、発想としてはの話)
で、ここからはまた例によって私が勝手に考えた珍説ですけど、50年代にジャガーがDタイプで
ツインDチューブのモノコック構造を試みた後も数年は主流となり得ず、ロータスが25でF-1にこの構造を
持ち込むまではあまりジャガーの革新性は省みられなかった(らしい)のは、
このDタイプの構造が30年代の薄肉大径楕円鋼管を主構造材にする形式の単なる発展形程度にしか
見られていなかったからではないか?と、思うのです。
>>385 当時も今もラテンぐるまはだうもどっかの国のやうに「世界初」とか流行最先端手法に
消極的に思へるのです。大戦前夜の独伊GPカーと同様のことがジュリア時代にもあり
ジュリア105系に通常分類されるTZ。(アテクシこれは105では無ひと思っておりますが。
なぜならコンポーネンツ流用とは言へサスペンションの形式もシャシそのものも
全く別物であります当然。だって「トュボラーレ(チューブラー)ザガートですから)
このTZはチューブラースペースフレームでこそあれ
フロントエンジンリアドライブの旧態依然としたレイアウトで
同時期のポルシェ904のミッドエンジンに比べたらまるで旧式。
当時ジュリエッタ、ジュリアと大儲けしてゐた筈の会社が金が無ひとは思へません。
アテクシ思ふにイタリア人は世界一運転が上手ひ、機械ゐぢりも非常に上手ひ。
翻ってドイッチャーは運転はヘタクソ、元々基本的に不器用。
だからどんなヘタクソでも速度無制限のアウトバーンを飛ばせるやうに
非常に高度なシステムを例へ複雑で重くなっても作る。
一方ある程度の機械があれば突出した技量で目一杯能力を引き出せるラテンドライヴァー。
さういふ事情もあるのでは無ひか?と思ふのです。
アーチェリーの弓はヘタクソの非力でも正確に強い矢が撃てる仕掛けになってゐます。
弓道の弓は見ての通り。しかしド下手のアーチェリーと那須与一とか弓の為朝とか
俵藤太とかが勝負したら?みたひなもんでせうか。
フェラーリ&M・シューマッハが聞いたら怒りそうなお言葉でしねw
名人に委ねて初めて威力を発揮する工芸品的精密さが得意、という意味ではイタリア人と
日本人には共通点がありますな。
>ラテンぐるまはだうも「世界初」とか流行最先端手法に消極的
それはどうでしょう?かのトラクション・アヴァンやらDSを作ったシトローエンは例外?
アルファにしても、以前話に出たトンでもない車の数々もありますし。
ただ、70年代にもロータスが大成功を収めたF-1の72や79の後に後継車作りに苦労したように
あまりにも完成された名車ティーポBから全く異なるコンセプトの後継車を作るのは、
かの天才ヴィットリオ・ヤーノにしても中々難しかったのではないか?とは思いますが。
ジュリア時代、つか60-70年代のアルファのレース活動ってのは今になって思うと少々不可解で
レギュレーション的には中途半端な排気量のレーシングカー作ってみたり、F-1でも殆ど同時に
いろんなレイアウトのエンジンに手を出して開発力を分散させてみたり、またブラバムと手を組んで
表面冷却だのナンだのってラジエーターの要らないシステムを作ろうとしてモノにならなかったり。
恐らくはロータスにおけるチャプマンや、かつてのヤーノのように開発部門に軍隊的な規律を敷いて
引っ張っていく人物が不足していた為に、まずレースやレギュレーションがあって
それに合わせて開発を進めるという基本がおかしくなっていて、アイディア優先開発優先で
事が進められた弊害が有ったように見えるのです。それらもまた今になって見ると
それはそれで結構面白いのですけど。
どうもラテン系のメーカーというのは、自分が良いと思った物を取り入れるのには全く躊躇ないのに
一度これで良いと決めたらとことん頑固に続けるようなところがあるように思います。
一番それが顕著だったのは、最後までフロントにリーフリジッドを使い続けたブガッティでしょう。
殆ど最後までスリーヴバルブに固執したヴォアザン、戦前一杯それを使い続けたパナール
自ら考案したスライディングピラーサスを50年代まで使い続けたランチア・・。
個人的には最もラテン的には見えないプジョーにしても、小型量産車としてはかなり早くから
フロントに独立縣架を取り入れたような進取性と504までウォームのトルクチューブドライブを
使い続けたような保守性を併せ持っているあたりにラテンの特徴が出ているといった所でしょうか。
あぁ、アルファの話を少し続けたら一台欲しくなった(無理
私が欲しいと思うのは例によってかなり昔のモデルで6C1750GSあたりですが。
これはトヨタ博物館の所蔵車。多分ザガートのボディー
http://www.toyota.co.jp/Museum/data/images/a03_03_2_1_2.jpg しかしねぇ、スパンの短いリーフスプリング。乗り心地なんてあったものじゃないでしょうね。
実際にこの時代のスポーティな車にはステアリングのスポークにばね鋼使用して
振動を逃がすようにしていたのが多いようですし、それでもアルファの場合は
しっかりと握り締めてはいけないのだとか。
それにしては横方向に全く支持のないヘッドライト。これで大丈夫なの??
ぃあ、たしか505もミッション以後一式動くトルクチューブ式だったかと。
周期の長ひぢつに宜すぃ乗り味と「ロールのアルファ、ヨーのBMW」の中間的な
両車のEとこ取りのやうなハンドリングは中々に宜しひものでしたぞ。
如何せん当時の、と言ふかEにつけ悪しきにつけお腐卵臭らしさに満ちた
比較的非力なエンジン+ハイギアードでどことなしのモッサリ感が好みではありませんでしたが。
しかしモサひモサひと踏んづけてゐると何時の間にか結構な速度になってゐるのも
股お腐卵臭車らすぃところでした。
今日はだう言ふ訳かRZを何度か見かけアテクシもまう1台、RZが欲しひところです。w
うちのヌパもヘタクソな人初めて乗る人は直進させるさへ困難なクルマでして
慣れ切ったアテクシはともかく普通は相当しっかりとハンドル握って相当注意深く
精密に且つ大胆に操作しなひとまともに走れません、暴走なんか以ての外。w
基本的にアルファロメオの場合、或る程度以下の技量の運転者は
クルマの側に足切りされて面倒見て貰へ無ひのです。そんなヤシは乗るな、と。
その辺がどんなヘタクソでも完璧に救済してやらう、といふ志のおベンシさまあたりとは
決定的に違ふところでせう。
あぁ、失礼。ちょっとF-1中継見ながら他に気になる事があって調べてみたら
プジョー504のリアはセミトレーリングの独立でデフが固定されてウォームは廃止されていました。
しかし、この504。日本では当時は珍車でしたが法規上例の特徴的なピニン・ファリーナデザインの
吊り目の変形ヘッドライトが丸目四灯にされていて、そうされると当時の箱型スカイラインのフロントに
そっくりに見えました。登場時期的にはどちらかが真似という事も無かったでしょうけど。
つか、あの型式のスカイラインのデザインにピニン・ファリーナが関与したという話は
戦後の国産には全く無知な私でもあり、聞いた事はありませんがちょっと何か関係があったのか?
と、勘繰りたくなる所。何と言っても、日産とピニンとは関係あったし
ピニンには例の使い回し癖がありますし・・。
私のシトローエン、真っ直ぐ走るのは誰にでも出来ますが慣れない人は思った所に止まれません(w
なんで504はウォームのトルクチューブドライブだって記憶違いしていたのだろう?
気になってあれこれと過去に見た504関連の資料など見ていたら、「504は404の改良型」
と言う記述が有る物を見つけました。これと、504の独特の構造が頭の中で一緒くたになって
そう記憶違いする元になった模様。
即ち、デフはシャシーに固定されているけれどトルクチューブが付いている。
つまりトルクチューブ本来の機能は持たず、単にギアボックスとファイナルを連結しているだけ。
これにも、振動を吸収する役割があるとか無いとか、よくワカラン説明付き・・。
昔は今程に安全基準や排気規制が頻繁に変わる事が無かった為もあって、長寿モデルが多く存在出来ましたが
それらの多くは、晩年を一種のファニーカーとして扱われる事で長寿を保った物が多かったように思います。
しかしプジョーの各モデルは地味な実用車という最初からのスタンスを守った上で長寿を保った点では
他の長寿車とは一線を画しているようです。
何と言っても現在に繋がる命名法を確立した201のデビューが1929年。そして今現在206が作られている。
と、言う事は76年の間にモデルチェンジは僅かに5回。そうしたモデルたちは最初から特に新奇な物でもなく
どちらかと言えば保守的な設計でしかないのに、発売後何年経っても特に時代遅れにも見えないという
考えてみれば不思議なメーカー。
プジョーに限らづ欧州車はモデルライフが長ひものでした。
まぁ911だのミニだの2馬力だのうちの古ヌパだのといった特殊な事情の有る物は股別にしても
米国やそれに倣った日本車のやうに4年に1回陳腐化させる手法は採ってゐなかったのです。
それはやはり米国とは違った手堅ひ(まぁ言へばケチなw)欧州流の実用と
米国ではやや希薄、日本には皆無の自動車文化の歴史に因るものがあったのでは無ひでせうか?
504、アテクシの良く存ぢてゐるのは西武自販のディーゼルであります。w
当時は既に欧州式の御馴染み吊り目変形角型になっておりました。
つか、お腐卵臭車と言へばドイツの白目に対抗する黄色ひ目玉なもんでしたが
あれもdと見なくなりましたな。ツトローエソCXの一見ぼんやりと薄暮のやうな優雅な、
それでゐて配光の良ひライトはあんまりこの配光の芳しく無く感ぢるおベンシとは
これ股対照的でありました。
397 :
オサーン:2005/07/26(火) 01:26:05 ID:U0FBWYM80
>>394 C10系の箱型スカイライン、すでに合併後ですがプリンスのデザインのようです。
欧州よりは、アメリカの傾向を追った節が強いですね。
大づかみには、エルウッド・エンゲル(ヴァージル・エクスナーの次、クライスラーの
チーフデザイナー)の影響が強く感じられるような。
特に65年〜67年あたりのダッジあたりに、その辺り感じていただけるかと。
あのサーフィンラインも、テールフィン消失〜コークボトル発見までの期間、フルサイズ
ダッジに与えられたプレスラインと共通するものが。
アテクシ的にはあの反り返ったサイドパネルにコーヴェアの影響を感ぢます。<ヌカ自慰
まぁもっと顕著なBMW程ではありませんが。
まったくスレ違いですが、オメガのコアキシャル脱進機の評判ってどうですか、エロ先生。
ぅーむだうなんでせうかねえ?アテクシそれは持ってゐなひので何とも。
図で見る限りアンクル式とデテント式のEとこ取りのやうに見へますが。
アンクル式のやうな摺動が無ひので注油不用とのことですが本当かなぁ。
原理は原理として実際はさうは行か無ひことがしばしばなのが機械の世界だから。
アンクル式では摺動の際の摩擦抵抗の軽減の為注油が必要になり
これが劣化、或ひは高振動(ハイビート、8、10振動)では油の飛散が起き
良くて5年ぐらひで精度に影響が出たりしますがこの点はEんでせう多分。
一方増速輪列の末端、つまり最もトルクの弱ひところでRガンギのところに仲介車が
そして更にその先にガンギになってゐる訳で
ここの油の劣化が進むと相当のトルク伝達効率の悪化が起きますまひか?
それとアンクル式の場合停止の解除のロスと衝動によるゲインがあり
このロスが比較的大きひ、昨今の物では特にロスが大きひ入り爪側の停止量を極度に浅くして
ロスを減少させてゐたりしますがコアキシャルの場合この停止解除のロスがどのぐらひなんでせうかね?
まぁ本当に良ければいづれ各メーカこぞって採用するでせうが今は特許が効ひてゐるので
特許が切れた時に本当の評価が定まるのではなひでせうか?
と、脱線転覆失礼。
それと振動系の世界には何たっけ?エアリ(だったよね確か)の定理つうのがあり
簡単に言ふと振動系は振動の中心(0ポイント、ゼロ点と言ふ)に出来るだけ近く
出来るだけ短ひ時間に力のやり取りをしたはうが精度的にEのです。
アンクル式で言へばリフト・アングル(拘束角)が小さければ小さひ程この点ではE、
尤も際限無く小さくすればそれ以外の問題が今度は出てくるのですが。
この辺がデテント、もとひコアキシャルではだうなのでせうかね?
スプリングドライブの方が萌えるなぁ
つか、ヌレ違ひどころか板違ひもEところなんですが。w
閑話休題、プリンヌと言へばまだプリンヌ自工だったころ、
フランコ・ヌカリオーネのデザインのショーカーがありました。
ベルトーネから飛び出した後の作な筈です。ヌカリオーネの後釜がかのジュジャーロ御大。
先日テレビでトリーノオリムピックがらみでトリーノの番組やってましたが
オリムピック用の建物をデザインしたのがなんと御大の倅ファブリツィオ君。
親父さんと競作でコンペに出して倅が勝ったらすぃのですが、
ぃあ、偉大な親父に比べて馬鹿だの土窮鼠だのと言ふ風評をちらほら聞きましたが
ぃあなにアテクシがテレビで見る限り中々立派なもんでしたぞ。
個人的にはおとっつぁん・ジュジャーロの最高傑作は117だと思っております。
Cピラー周りからトランクの造形が絶品、当時のジュジャーロに共通する
軽やかな躍動感も(ジュリアGTもさうですが117はそれ以上)ぢつに素晴らすぃ。
一方ピニン、ここの当時の特徴はセダン(2ドアセダンタイプのクーペ含む)では
凛とした緊張感にあると思ふのです。C10ヌカにはそれは感ぢられません。
子供の頃のヌカGの印象は鈍重そうなお尻の重さうな、でした。
今朝も出掛けKPGC10見ましたが今となっては非常に小型で軽さうに見へるGT-R、
それでも若干煩瑣なデザインはピニンのものとは違ひます。
ふむ・・。確かにオリジナルデザイン同士での比較ならまだしも、
特殊な仕様での形が偶々似ていると言うだけで変に詮索されるのはピニン・ファリーナに失礼ですね。
日産はブルーバードでピニンのオリジナルデザインを台無しにした前科もあって、
ちょっと疑ってみたくなったのです。
日本車が4年毎にモデルチェンジするのは、それこそアメリカ型経営の影響ではないでしょうか?
戦後日産オースチンとか日野ルノーなどの生産で欧州車の作りを学んだ日本メーカーですが
元々がアメリカ車によってモータリゼーションがもたらされた国、そしてその国民。目新しい物、
新奇な物を追い求める気質もあって、毎年スタイルを変化させるアメリカ車メーカーのやり方が
ぴったりとはまったのではないかと思います。
しかしねぇ・・。毎年モデルチェンジされたり名前だけの新型を次々と出されたり・・。
このやり方、飽きられた時にはどれが何ていう車でも構わないという人大量に出る危険も有りなのでは?
それに車の話をするときに「何年型のアレ」とか「C10系」とかって言わないとどのモデルか話が通じない。
これ、面倒臭くないですか?
一見素っ気ないプジョーのモデル名ですが、その点では上手いと思うのです。何代目のアレだなんて
全く言う必要が有りませんから。
前述したやうに日本には自動車文化がありません。ハナから白物家電化する下地があり
米国式のヘタクソ至上主義(アメリカ人は世界で最も運転のヘタな連中です、
それに続くのが残念ながら本邦、及びドイッチャー)を取り入れてしまったのでは
クルマなんざ使ひ捨て、上っ面とカタログの数字が全てになってしまったのでせう。
この悪しき害毒が欧州車も変へつつあります、悪貨は良貨を駆逐する、
水は低きに流れるのです。
406 :
399:2005/07/26(火) 23:21:01 ID:d5P3F5R10
板違いのところどうもすんません。
デ・ヴィルなんぞ普段使いにいいかなあなどと思ってるもので、中立な意見が聞きたかったのです。
拘束角が小さいこともコアキシャルの売りだそうです。
なるほど、デ・ヴィル宜しひのではなひでせうか。端正なデザインは中々に宜しひ。
元ネタは所詮ETA2892ではありますが、量産機械式としては優秀な部類でせう。
なにより量産により非常に安定した品質が宜しひ。
但し2892には泣き所があり(全ての機械には、それが例へパテックでもジャガー<クルマに非づwでも
必ず泣き所があるのです)、それはETAに共通する自動巻きクラッチ車のトラブルと
手巻きの時に力の掛かる隔絶装置の、具体的に言ふと第2丸穴車のピボットの極端な磨耗です。
ですから如何にコアキシャルとは言へ少なくとも3〜5年に一度はOH(オーヴァーホール)すべきです。
使用状況によっては、特に3気圧日常生活防水のデ・ヴィルではケースの密閉性が
例へばローレックス・オイスターのやうな高度防水の高気密に比べ落ちますからOHのサイクルは
短くなると思はれます。手間暇(つまりコストw)を掛けて愛用するものと思って下さひ。
408 :
399:2005/07/26(火) 23:36:27 ID:d5P3F5R10
重ね重ねどうもありがとう。
私も車、時計それぞれに古いものを愛用していますので、手間暇の重要性は痛感しております。
メンテナンスフリーと言われても眉につばを付けてしまうあたりは、くるまオタクの業病でしょうか。
それとまうちょひ脱線、ぢつはヌイヌでは脱進機メーカは1社しか無ひのです。
コアキシャルの特殊な脱進機はその生産量も非常に少なひので
製品の量産精度が問題鴨知れません。
ヌイヌには条例と言ふかメーカの相互協定があって、脱進機は自社で作ってはならなひことに
昔はなってゐました。しかしそれにも関はらづ自社で脱進機を作って業界のの異端扱ひされてゐたのが
何を隠さうオメガなのです。まぁ昔っからさういふところでしたので
今の唯一のコアキシャルもオメガらしいなぁ、伝統だなぁ、と思ふところなのです。
>>404 >どれが何ていう車でも構わない人が大量に
既に日本においてはそうなってしまっていると思いますヨ。
横入り失礼。以前プジョー505に乗ってた時、駐車場にKPGCスカが
あったので、(かねがねフロントの釣り目の印象が似てるかな?とも思って
たしで)並べて停めてみてじっくり見比べました。
KPGCは国産の中ではいいと思ってたけど、これはピニンの仕事ではない
と確信しましたね。すべてのラインに整合性がある505とエロ氏おっしゃる
通り煩雑なKPGCでは彼我のデザイン力の差を痛感させられました。
うちのデ・ヴィルはローターと竜頭が外れてそのまま放置。
ローターといえば、オリスの最近のモデルのは赤く塗装されていて、
レッドローターと称していますが、ピンクでなくてよかった!w(失礼)
>>410 実際に私がそうですしね。次々に名前だけの新型出して、話題性で出してから一年で勝負するような商売されても
ついていけません。
>>411 釣れないか?と、思って何度かランチアにネタ振りましたが、プジョーで釣れるとは思っていませんでした(w
箱スカがピニン・ファリーナの仕事ではない事は私も納得しましたけど、車の出来栄えでそう判断するのは
どんな物でしょ?事実日本メーカーはエロスパ氏の仰るように元デザインがワカランようになるまで手を加えてしまうようですし、
そのつもりは無くとも、生産型になるまでにおかしくなってしまう事もあるようですし。
60年代のBMCの一連の車など、生産設備とかの問題もあるのでしょうけど、同時代のプジョーと比較すると
同じピニン・ファリーナの作品が元になっているにも関わらずどうもパッとしないのが多いようです。
その点、いすゞ117は後のアッソ・デ・フィオーリ→ピアッツァの時もそうでしたが、元デザインを出来るだけ崩さずに
生産型にしようとしたのでしょう。が、この車最近になってプラモデルになった事も有り、写真を見る機会がまた増えたのですが
なんだか記憶の中の姿とは違和感があるのですよね。見る角度のせいもあるのでしょうけど、こんなに腰高だったか?と。
やはり田舎のタクシー専用車(失礼。でもそういうイメージがあるのです)フローリアンとコンポーネンツを共有しなければ
ならなかった弊害は小さく無かったのか?と。
それに、あの車がまだよく走っていた当時。実物の多くは側窓になんだか余計な庇つけたりしてオリジナルの良さを
大きくスポイルしているようなのが多かった気がします。
日本車が元デザインを壊したくてせうが無ひのはまづ第一に、
特にかつての生産技術が欧州より遅れて低かった頃はデザイン画そのまま鉄板に置き換へる、
さういふ加工、それも量産をする技術が無かったのです。
それと今でもさうなのですがお客が乗ったとき見切りが、とか取り回しが、とか
キャビンの広さが、とかさう言ふことで各部署から難癖付けられて
それを総合すると訳分からん物になってしまふ、そんな事情もあるやうです。
まぁさうしてシノゴノゐぢる割りには見切りも取り回しも居住性もイマイチな物件が
出来上がってたりする訳ですが。w
117、昨今何度か実車間近に(追ひ抜いたり信号で隣りに停まってたりとか)見る機会が
ありましたが、決して腰高ではありません、尤もこっちがヌパだったりすると
何でも腰高に見へたりするんですが。w 腰高どころかルーミーな窓の取り方もあって
股、当時の高級車の文法に倣って薄ひルーフもありバランス的には悪くは無ひと思ひます。
何より117は当時の国産には若干有った気概があって、
何でしたっけ?「ツトローエソより乗り心地良く、アルファロメオより速く、おベンシよりナントカ・・・」
と当時の名だたる銘車を超へやうといふテーマがあったさうで、実現できたかだうかは別にして
その意気や良し、と思ふのです。
側窓の庇、うちの75にも純正で付ひてますがあれEもんですよ、
ヌパの三角窓と並んで個人的には非常に気に入っております。
庇は雨の日の喫煙運転には素晴らすぃ威力を発揮しますから
喫煙運転者にはマストアイテムかと。w
117の庇サイドバイザ、あれは117にはデザイン上ルーフガータが無く、
雨の日ドアを開けると滝のやうなw水が屋根とドアサッシから降ってきて
づぶ濡れになるんですな。その対策なんです。まぁ117に庇はアテクシも感心しませんが。
粋っつなその辺のやせ我慢にあるもんでせう?w
>>412 実はこれまで所有した車はランチア6、プジョー5、シトロエン5と拮抗
しているのですよ。
さて私と近しい自動車設計部門の人がぼやくには、フラッシュサーフィス
徹底のためミリ単位でピラーなどとの落差をなくしているのに、サイド
バイザーをつけられると台無しになってしまう。でもディーラーの利益源
なので廃止できない、と言ってました。
まあ私は20歳で煙草をやめた、順法精神あふれる人間なので必要ない
ですけどね。
>>414 歌舞伎町にはフェラーリという店があって、入らなくても何の専門店か
わかります。客のことをティフォシーと呼ぶかは不明です。
↑「フェラッチョ・ランボルギーニ」といふ人もゐた訳ですが。w
更に、
訳分からんのは75の取説に経済的運転のヒントつう項目があって
「窓は開けづにエアコン使って室温調整しろ」と。
アテクシ仕入れた取説は日本向けでは無かったのでだういふ使用状況を想定してか分かりませんが
窓開けた空気抵抗とコンプレッサの抵抗とどっちが大きひと思ってゐるやら。w
そりゃきっと「変な位置のパワーウインドウスイッチを頻繁に触ると壊れる」
→「修理費かかる」→「不経済」という三段論法かと。
117は以前知人が所有していたので何度か乗った事があるのですが、あまり良い印象がないのですよね。
まぁ、排ガス規制直後の最も駄目な時期のシングルカムモデルで判断するのは公平ではないのでしょう。
最初期のハンドメイド型でも試していればまた違うのかも知れませんが。それでもどうかなぁ・・?
スタイルに関しては、模型関連の雑誌が用意した写真があまり良くなかったのかも知れず、実物をもう一度
よく見たい所です。
しかし、いすゞも最初こそココロザシがあったのかも知れませんけど、無理矢理長寿モデルにした最後の頃には
当時全く洗練されていないディーゼルは積む、流行を追って角型ライトにする・・。
一体アレがどういう車なのか判らなくなっていた節も有り。
こういう風に長く続ける内に最初の方向性を失う事を、亡くなった私の爺様は
「大仏次郎の大菩薩峠様式」と呼んでました。(ナンのコッチャ・・)
そりゃそうと・・車メーカー名の風俗店で、在籍嬢がそこゆかりの車名を源氏名にしていたら。
一番嫌なのは「ロールス・ロイス」でしょう。指名してみたいですか?ファントムちゃんにレイスちゃん。
更にはシルバーゴーストちゃん(一歩間違えればお岩さんだよ・・)
まぁ、これはこれでコアなマニアさんがいるかも知れませんけど、私は行きたくない(w
ついで。私の車には後端がチルトアップするサンルーフがあるので、側窓に庇は要りません。
フィアットもいいかも。プントちゃんにパンダちゃんにオッタヴィねえさん。
クオリティには期待出来ないが、楽しい思いはできそうだ。
ムルティプラちゃんは大幅整形の疑いあり。可愛かったおばあちゃんが
草葉の陰で泣いてるぞ!
(ただしそのムルティプラばーちゃんはどっちが前だかよくわからん)
親娘三代チンクさん在籍中!
ディーノちゃんがいるって言うから行ってみたら、
似てもにつかないパチモンだったよ
>>421 パンダはああ見えて実は猛獣だそうですが、大丈夫なんですか??
>>423 ディーノさんは男性ですってば・・。親娘三代ってのも嫌だな・・。
実は一回親娘丼ってのは・・(ry
つか、こんな話題だと盛り上がるっつうのは皆さんエロスパ氏のファン?(w
さて、ちょっと訂正の訂正。プジョー504のリアサスについて。
ベルリーナ(セダン)のリアは以前書いたようにセミトレーリングの独立で正しいのですが
ブレーク(ワゴン)では荷室への出っ張りを最小限に抑える為か、前後二本(左右で四本)の
コイルスプリングを使用したリジッドにされていました。つまり、ブレークに限っては
トルクチューブドライブだったようです。左右の位置決めは、左右前コイル付け根辺りと
トルクチューブ根元を結び三角形を形成するパナールロッドで行っていたそうです。
48年までのフォードのフロントを前後逆にしたような形ですね。
日本には入荷しなかった(らしい)505のブレークはこの点どうだったのでしょう?
何故か本国でも見た事は無いのですけれども、以前中国(西安か北京)で何度か見ました。
さすがに下回りは見られませんでした。
504、505といい、DSやその後のシトロエンといい、あの分厚くて
夢心地でそれでいてちゃんとホールドしてくれるシートはどこへ行ったので
しょうね?私の主観では1993年前後、モデルで言えば306、EXANTIA、
AX-GTiあたりからドイツ流のつまらないシートになったような。
>大仏次郎の大菩薩峠様式
アルファが大体さういふパターンが多ひのです。75あたりはともかくジュリア然り
アルフェッタ然りヌパイダその極み、155(こんなのはアルファぢゃありませんがw)ヌタートから方向若干不明、
そしていまだに156シャシ一派が相変らづやらかしてます。w
まぁ迷走しながら最後に何とか辻褄合はせて終はる、っつうのがお決まりパターン。w
だからアルファに関しては最初期かドンケツ買ふのが或る意味宜しかったりするのです。
ディーノ、これで一つの人名と勘違ひしてゐる人が大多数かと思ひますが
正しくは「アルフレード」。エンゾの夭折した息子の名です。
皆さん「ディーノ・フェラーリ」だと思ってますが大間違ひ、
正しくは「アルフレード・フェラーリ」で愛称としてのアルフレディーノ、
小さひアルフレードの意味ですが、その省略形として通称ディーノなのです。
さて、プジョーの足話放置プレイで申し訳無ひですが件のディスコヴォランテ。
この6C3000CMベースの空飛ぶ円盤を元にピニンで製作した実験車両ヌーペルフロウその1その2、
その3年後に3500ヌパイダ・ヌーペル・ヌポルトと習作が続き、
61年トリノ・ショーに出品されたのはジュリエッタシャシの上にこの一連のデザインを載せた
ジュリエッタSS(ヌパイダ・ヌペチャーレ)アエロディナーミカでした。
これが本来ジュリア・ヌパイダとなるべき105系ヌパイダのデュエットとして具現化されるのです。
ジュリア・ヌパイダは本来のジュリアを待たづしてジュリエッタの排気量拡大版に使はれた為、
105ヌパではこの名は使はれなかったのです。
つまり、うちの古ヌパは空飛ぶ円盤のナレの果て、なのです。w
>>425 フランス車のシート、確かに以前とは違うかもしれませんが悪くなったという訳でも無し。
最近C4を試乗しましたが、姿勢もシートの感じもまるで違うのにやはり「あぁ、シトローエンだなぁ・・」
と思いました。最近チェコで作られているというPSAとトヨタの三つ子車のシートはどんな具合なのでしょう?
下手すると日本では売られない最小最安のモデルのシートがプレミアムを謳うレクサスよりも良いなんて事に
なってはいないでしょうか?
アルファ、155も156も私は嫌いではありませんがねぇ。156などは好ましくすら思います(オリジナルデザイン限定)
思い入れの深さがエロスパ氏とは違うって事なのでしょうか。もっとも8C2900の後が空白で、いきなり155だったら
怒るかも?なのですが。
ディスコ・ヴォランテは最近日本に来た事もあってC/Gとかでは何度か取り上げられていましたが、
その系統のデザインである事を色濃く残すのは60年発表のジュリエッタSS(クーペ)と、そのジュリア版まで
という気がします。スパイダーデュエットは最初期のテール形状にこそその名残りを感じますが、
コーダ・トロンカに改められた形状の方が記憶に強い事もあり、あまりディスコ・ヴォランテの末裔である事は
感じません。
まぁ、運動性能よりも巡航に重きを置いて前後オーバーハングが極端に長いディスコ・ヴォランテスタイル。
アレがそのまんま持ち込まれていたとしたならば恐らくスパイダーの軽快さをかなりスポイルした事でしょうね。
さうですな、SSは直系のデザインと言えませう。
ヌパに関しては円盤から何段階も置ひてですから円盤感は相当薄れてゐます。
間にヌーペルフロウとか挟まってますし。しかしぢつは上から見ると
側面はアルファ一般にさうですが相当大きなRを描き(だからまっすぐ停め難ひw)
コーダトロンカのリアはともかくフロントの絞り込みは相当なものです。
そして>運動性能よりも巡航に重きを置いて前後オーバーハングが極端に長い
これがヌパの性格を端的に象徴するあのデザインに受け継がれてゐるのです。
デュエットの頃から既に105系(ジュリア系)最長の全長と最短のホイールベースのヌパイダは
つまり極端に長ひ前後オーヴァーハングを持ち、そのディスコヴォランテから受け継ひだスタイルと同様
最初からリアルヌポォツではなく高速クルーザー、2座のファストツアラーとして企画されたのです。
これは運転の非常な難しさを招き、ましてや最後のセリエ4では重量増の対策として着けられた
太く幅広のタイヤにより直進させるも困難、旋回性能も105系の中では最悪で
これを暴走させるには正直相当の技量が要求されます、簡単に言って最も運転の難しひ105。
それを体の延長のやうに自在に振り回せるやうになる快感。ぢつはこれなんですな。w
それはかつての911にも共通する「能力をフルに引き出せば凄ひが
それが出来る技量を要求するクルマ、それを自在に操れるやうになる楽しみ」、
これはまさに今のクルマの進化の中で誰でも同じやうに走れることを追求した結果
潰された愉悦だと思ふのです。乗ってなひのでなんとも言へませんが
おそらくそれを今に残すのはTVRの一派とかぐらひなんでせう。
さういふ困難さを克服する楽しみは誰でも同じやう走れるやうクルマが助けてくれなひ、
つまり出来の悪ひクルマとされ己がヘタクソは棚に上げる「民主的」な現代では
とても売り物には出来んのでせうなぁ。
429 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/07/31(日) 03:18:23 ID:bxK1BarAO
やっぱヲタの基本は、まずホビー集めやろ!
ミニカーだのプラモだのと、その手のを・・・
>>429 その点、私はヲタの王道を行ってますね(w
しかし最近は自分で模型を組み立てようって人も少なくなって完成品を集める人ばかり。
それではBMW328のフレームが形式こそ同じラダーフレームとは言え、同時期のフォードと比較すると
如何に立体的で捩れに気を配っているか?なんて判らないままに過ぎていってしまうのですけどねぇ。
(如何にもヲタの繰言w)
さて。アルファロメオスパイダーって、調べてみたらジュリエッタSSと同じWBで、全長はむしろ長いのですね。
そんな風には見えないのですが。
サルーンとコンポーネンツの多くを共有する為に、以前セヴンの話題の時に蓮之家さんやおっちゃんが
仰ったようなWB内に全ての重量物を収めるレイアウトはとれないあの車が、回頭性よりも巡航性重視の
方向に振るのはむしろ当然。・・と思いつつ、よくよく考えてみると・・そういう方向に行くのなら普通は
わざわざWB2.25mのショートシャシーを使うよりも標準の2.38mシャシー使えばいいのでは?って考えるのが
自然な気がしてくる・・。そういう一見不思議なバランスがあの車の面白さなのでしょうか。
基本的には強いアンダーに躾けられていながら、クイックなステアリングでそれを普段は感じさせない私の車。
これをタイトなコーナーが続く山道で如何にギクシャクさせずにスムーズに走らせるか?運転の上手い下手とは
ちょっと違うかもしれませんけど、そういう独特な癖のある車に特化した運転を身につけるのも結構面白い物。
但し、他の車に乗ると途端につまらなく思えてしまうようになる危険も有り(w
しかしねぇ、本当の意味での出来の悪い車ってのは意外に多い。そんなのばかり乗り継いでいると
「車なんてこんなもの」ってなってしまい、癖が強いのか本当に出来が悪いのか?なんて全く判んないように
なってしまうのでしょうね。
さう、アテクシも今もって何故敢へて2250oシャシを使ったのか理解出来無ひのです。
如何に2座ありきでもSWBシャシのメリットは見当たらなひ、ツアラーなら余計LWBが有利な筈です。
同じ2250mmシャシでもフロント方向にこそ長ひオーヴァーハングを持つものの
あのJr.Zではあれほど卓越した運動能力を持つのでシャシの能力を過信した、とも思へませんし。
(つかJr.ZのSWB版は後期型、その時初めてヌパシャシを流用)
今もそのヌパでぶっ飛んで帰ってきましたが、とある自動車ライター氏がヌパを評して
「ヤジロベエの様な乗り味」と書ひてゐました、まさにさうなのです。
常に前後に揺れながら常にバランスをとり続けるやうな感触。
初期ロールが若干大きひもののスムースに沈み込むやうなロールでぬめるやうに回り込む感触。
綱渡りのやうでゐて安定、安定してるやうで綱渡り感。w
それは完成され尽くし逆に底知れぬ旋回力を持つ75から乗り換へると痛感します。
完成といふ点では最後の105シャシの生き残りなのですが、それは既に完成を超へ
腐り始めの肉の旨味に近ひものを感じます。w
まぁアテクシバナナは青バナナよか斑点の出たヌルヌルバナナが好きですし
ケツの青ひコムスメよか香水の臭ひプソプソのケバひ熟女にハァハァですので。w
E36BMW3シリーズがそれまでのLWB=直進安定性がいいけど曲がりが苦手、
SWBはその真逆という法則を否定したのですが、みなさんの見解は?
LWBの方がオーバーハングのマスが少ないので回頭性がいいという理屈
だったと記憶しますけど。
当時のDセグメントサイズの中で、FRレイアウトをとりながら、パッケージを
成立させるにはフロントホイールを前に押しやるしかなかったんぢゃよ。
それというのも、サスペンションが進化を続け、どうしてもある程度一定の
容積を与えんとクラス内で充分な競争力を与えられなくなったからぢゃ。
もともとはW201(190E)がリアサスにマルチリンクを採用し、それと充分
バランスするだけのフロントのキャパシティを求められたため、
前輪を前に押しやってエンジン周りの補機や排気管との干渉を避けて
アーム長などを確保したことに起因する。
BMWはそれを見て、「なるほどその手があったか」とパッケージの基礎
からそれを盛り込み、Fオーバーハングを大胆に切り詰めた形で出して
きたわけぢゃ。それは同時にDセグのFRという不利なパッケージを
ひっくり返しホイルベースを伸ばすことでリアのレッグルームを稼ぎ出す
ことにもつながっている。
だからむしろクルマの旋回性を決める物理法則のうちで、WBのショート化
よりも、Fサスの機械的設計自由度を増すところに重きを置き直したことを
スタートラインに、オーバーハングの切り詰めを合わせ技として使ったと
言った方が正確ぢゃと思う。
>>433おや、お久しぶり。
私は素人ですので素人なりの考えしか出来ませんが、WB内に全ての重量物を収納するというのは
それらをコンパクトなスペースに集中させる事で実現しなければ意味は薄いのではないでしょうか。
容器の方を拡大して結果的に重量物がその中に収まったとしてもそれなりに効果はあるかもしれませんが
本道を貫いて得られる程の意味は無いかと。BMWの場合も仰るように、結果としてWBが長くなったのであって
単純に回頭性向上の為にLWB化したとは考えにくいです。
以前から思っていた事なのですけれど、BMWの理想主義的な設計ってのはそれはそれで大した物なのかも
しれませんが、最初に掲げる理想そのものに異議有りなのです。例えば4〜5座のサルーンカーに空車時で
50:50の前後重量バランスとか。こういう車が本当に限界を迎えやすいのって人も荷物も目一杯に積んだ時
なのではないでしょうか。それならばカラッポ状態ではややフロントヘビーな方が自然なのではないか?って
思うのですよ。アルファじゃないのだから(アルファならいいのです。だってアルファですから w)
それにねぇ、これは全く個人的な感想でしかありませんが。BMWって、普通にゆったりと走らせている限り
大して面白く無いのですよね。飛ばせば面白いのかもしれませんが、飛ばさないとツマランってのは
何かが違うのでは?って思うのですよね。
ぃあ、BMWとかアルファってな気違ひのやうにぶっ飛ばす特殊な人の為の車なのです本来は。
欧州の高速でまさに気が振れたやうにぶっ飛んでくるバカタレは大概鼻の穴か三角の盾。w
まぁ普通に(アテクシの普通w)都内ぶっ飛ばすぐらひではBMW確かに面白くもなんともありませんが。
しかしそれ言へばヌパはともかく75だって真っ直ぐ走って角徐行して曲がってると
面白くも何とも無ひ。最低2速3速行ったり来たりで4000〜6000行ったり来たりの運転しなひと
何にもなら無ひ。この辺はさういふ物件なのです。
それとぢつはトランスアクスル・アルファ、重量配分は50:50ではありません。
75の車検証さう言へば良く見て無ひのでうろ覚へですが若干フロントヘヴィー。
あのSZ(ES30)でもほぼ6:4で前が重ひ。
ちなみにうちの古ヌパ、意外やこれが股ほぼ5.5:4.5ぐらひのFヘヴィーなのです。
しかし、ところでFアクスルをエソジソの前にもってくる、
これって昔々のそれこそ戦前のクルマのレイアウトそのものではありませぬか?
ラジエータさへFアクスルの後ろでっせあの時代は?(7とかは股別w)
歴史は回帰するものなのでせうか、なぁ。
ぃあ(w BMWのつまらなさっつうのは本当につまらんのですよ。なんだかクラッカーをそのまんまモソモソと
食べているみたいなつまらなさ(実はクラッカー嫌い)
まぁ、最新の3シリーズとか先代以降の5は乗った事有りませんし、6,7,8は全く乗った事も無い(貧乏臭いなw)
ですけど。
さて。年バレスレであんまりくどく車の話すると嫌がられる(w 模様ですので、こちらにレス。
二代目のRX-7カブリオレはちょっと乗った事がありましたけど、幌のポジションまでは試していませんでした。
私は普段MTばかり乗っている為もあってエンジンブレーキが利かない車って好きではないのですが
ロータリー、ターボ、ATとエンジンブレーキ利かなくするのが狙いみたいな仕様であるにも関わらず面白かったです。
つか、あそこまで酷いと笑うしかないみたいに思えてきて。
あれこそ、慣れてしまったら他の車には乗れなくなってしまう変な癖一杯な車だって思ったのですが、
AT限定免許の人とかだったら「ナンテコトもない。普通じゃん」ってなっちゃうのかなぁ?
ぃあアテクシもBMWのつまらなさは感ぢました、おそらくおベンシ程では無ひにせよ
本当に高速移動用の道具そのものとして研ぎ澄まされたもので
アルファのやうな極端なケレン味が無ひので薄味でエンターテイメントを感ぢ無ひのでせう。
恐らくクルマとしての出来から言ったら話は別のなでせうが
こちとらぶっ飛ばし用のオモチャで且つ実用に供せるモノが欲すぃ訳ですから。w
アルファロメオ自体もその辺は良く分かってゐるやうで、まぁあの会社今の実態は
イタリア本国とEU圏で9割を売ってゐる、残り1割のその他の諸国(含む日本)なんざ
知ったこっちゃ無ひ、北米再上陸なんて言ってますがだうもそんな気毛頭無ひ、
頭の中にあるのは「欧州域内で」アウデぇとBMWから客を分捕りたひ、それだけのやうです。
その方策としてアウデぇにもBMWにも無ひ強烈なエンターテイメント性を打ち出す方向のやうです。
それは人によっては「低級エンターテイメント」とも言ひますが
単なる移動の道具感しか感ぢなひ、その道具としての出来の良さ感は大した物ですが、
さういふアウデぇ、BMWとは違ふ価値観の提示として
エモーショナルなケレン味もぢつは結構馬鹿にならんのです。
道具のしてのクルマを追求する人にとってはぢつに下らんものでせうが
これは立派な商品価値としての訴求力があるのです。
しかし、純血種のアルファの時代にはちゃあんとそのケレン味の裏にしっかりした実体がありました。
今の雑種にはその裏打ちが無ひ、それが我々には見へ透ひてしまふのです。
156シャシ、アテクシもこれはこれで立派と思ひます、しかしそれは今のアルファの置かれた状況からすれば、
といふ文脈の中で語られるもので、且つ今の自動車全体の、あのおベンシさまでさへ
化学調味料の味でベンシ感を演出して胡瓜に蜂蜜メロンの味的なことをやらざるを得なひ事を思へば
合成香料で松茸のお吸ひ物こさへる方向に突っ走らうといふアレーゼの判断は
今の自動車産業の中では正すぃ方向の先端近くにゐるの鴨知れません。つまんなひけど。w
>>433 おっちゃんお元気でしたか?的確な回答ありがとうございます。
ランチア党を標榜しながら実はデルタのコレッツィオーネを売ってE36M3
に乗ってた私ですが、目から鱗でした。
(BMWはあまりに良過ぎて体質に合わず、1年で手放しましたが。)
エロスパ氏がおっしゃるようにイタフラの左MT及びBMWは、全開に次ぐ全開
で狂走した時が全ての足回りのセッティングや操作系が「なるほど!」と思う
ようにしっくりと機能します。
ワシねぇ。クルマ好きのひとりとしてイタ車にも敬意を持っておるよ。
ドイツ車にもフランス車にも英国車にも、アメ車にも、日本車にも敬意はもっておる。
ただねぇ。イタ車好きの人というのはどうして他国のクルマをこっ貶さないと
イタ車のことが語れないのだろうかと思うと悲しいねぇ。
全部とは言わないがレスを読み返してそうは思われませんか?
お気を悪くされたら失礼。
おっちゃんがどこを指して言ってるのかわからんぽ。
イタ車ファンは阪神ファンと通じるところがあるから故障自慢とか自虐ネタ
はよく見るけど…。
まぁ、阪神ファンが何かにつけ“巨人とは違って〜”と言う程度の軽口は、ままあるでしょうね。
貶めると言うほどの事ではないかと。
私の事を言うならば、まぁ一個人として当然の範囲での好き嫌いはありますし、
雑談スレと思ってその程度の好き嫌いは隠さずに書き散らしてもいますが
その場合でも、出来るだけ“私としては〜”“個人的には〜”と逃げ口上としてではなく
(自戒の意味も込めて)一般論足りえない事は承知の上であると断るようには考えています。
それでも目に余るような言い方が有るようでしたら、その都度ご指摘下さい。
好き嫌いで言うならば、正直に言って最近のBMWってのは好きではない私。
その理由は一つは下らない事ですけど、モデルチェンジしても名前は使い回し。こういうメーカーは多いですが
“何代目ナントカ”ではどうも話が噛み合わない事多く、結果として各モデルの印象が希薄になりがちだから。
もう一つの理由は、BMW自身の手によるものか否かは知りませんけど、Mスポーツなんぞとか言う見た目重視で
全くのオーバーサイズなタイアを履いたグレードを作ってみたり、かと思うとスポーツセダンを標榜する割には
ナンだか腑に落ちないおかしなタイアが標準装着されていたり。と、いった具合に“首尾一貫していない事を
する会社”っていう印象が強いからなのです。これは誤解&偏見でしょうか?
どうもそんな先入観を持って見てしまうせいか、例の50:50の前後バランスなんてのも
実際に使用される状況の事をどう考えているのか?って疑ってしまうのです。
まあ、イタ車乗りとしては、ドイツ車さんやフラ車さんに同じ土俵まで降りてきて
いただかないと話が続かないわけで…
>>444その言い方もそれはそれで・・(w
さて。その昔はエンジンの位置は完全に前車軸後にあったのが、何故前進したのか?
前輪が固定懸架だった頃には左右を結ぶアクスルビームが邪魔で、その上にエンジン置くにはある程度
搭載位置を高めねばならず、それでは高重心化を招くので上手くない。
で、前輪が左右独立になった頃からエンジンは前進した。・・のではないのですね。欧州車の場合は
そう言っても間違ってはいないのかも知れませんが。
30年代中期のアメリカで流線型が流行したのと前後して前輪は固定のままエンジンは前進している。
フォード語で言う“センターポイズレイアウト”当然重心は高いけれど、アメリカ車はそんな事には無頓着。
エンジン位置が前進する事で乗り心地の向上を見た。この辺の理屈がどうもよく判らないので
昨日は即レス避けたのですが、あれこれと見てもやはり判らない。単にそれにつれて客室全体が前進した結果
後席が後車軸上から完全にWB内に収まった為なのか?とも考えましたが、そこここに見られる
“振動系を見直し重量再配分をしたその結果、前車端をより柔らかく出来た”とかいう記述。これが私を悩ませる・・。
重量物を前車軸の真上に配置する事がフロントサスペンションへの負担軽減につながり、
更には、よりソフトなスプリングを採用出来る事へとつながっていくのでしょうか?
かと言って、エンジンをWB内に収めた結果BMWの乗り心地が悪化したなんて話も聞かないですし。
どうもこの辺の理屈がさっぱり判らない。大体、後席もWB内にすっぽりと収めたいだけならば後輪側で
WBを伸ばせばいいだけの話。小回り利かなくとも大して困らないアメリカ車。
何故エンジンを前進させたのか?今それを再びWB内に収める事で不利は生じないのか?
どなたかこの辺に詳しい方っていらっしゃいませんか?
難癖つけたようなレスの後にフランクに語らせてくれもないもんぢゃろうけど、
ワシはダブルスタンダードかどうかってのが問題だと思うのよ。
例えばぢゃね。アルファの現行ツインスパークがどういうものか、このスレに
来られる方々は良くご存知のものぢゃろう。営業政策的な意味以外になにか
TSにする理由はあるぢゃろうか?
33やGTAなんて名前を安易に持ち出すのも同じ伝で行けばどうぢゃろう?
ましてや156GTAの出来はとてものことMスポーツを馬鹿に出来ない仕上がり
ぢゃ。
それでもね。アルファはやっぱりそういう先達に対して不肖の部分も合わせて
乗り手の気持ちを駆り立てる商品にはなっているのよ。
それでいいと思うんぢゃ。実効性のないTSエンジンだって、乗り手に
「TSだ!」とワクワクさせられれば役目を果たしていると思うのよ。
ただそれなら全く同じメソッドでBMWだってアレでいいではないか?
本気で踏んだときにインフォメーションが欠落するMスポーツのアシ
だって、乗り心地も何もBMWのいいところをまるで投げ出してしまったような
ものになっていたって、乗り手のスポーツな気分はちゃんと盛り上げている
のぢゃから。
たまたま逝ってる氏からレスをいただいたのでまるで逝ってる氏に
レスしているだけで、なんら含むところはないのだけれど、
ワシはね。Mスポーツを一刀両断する手は156GTAも両断しなくては
おかしいと思う。逆に156GTAを認めるのならMスポーツも認めないと
ヘンぢゃと思う。
その辺にダブルスタンダードを置かれると贔屓の引き倒し
にしか見えなくなる危険をはらんでおると思うのよ。
もちろん個人として好みの領域はあるぢゃろうけど、批評のスタンダードは
ひとつにして欲しいと思うねぇ。
おっちゃん、ホントどの部分のことをおっしゃっているのですか?
私の発言で言えばE36M3は出来が良過ぎて手放したという箇所
ですが、これはオール5の優等生よりハチャメチャな劣等生の方が
私とは相性がいいという程度のもの。
私も基本的にどのメーカーも私の大好きな車を作ってくれるありがた
ーい存在です。ホンダのモビリオなんかフランスの地下鉄をイメージ
した脱クルマでどんどん白物化が進んでいますが、そんなクルマでも
電車やエスカレーターに乗るよりははるかに楽しく接することができ
ますからね。
おっと。危うく電源切っちゃう所でした。
156GTAねぇ。少し前に“156はオリジナルデザイン限定で好ましく思う”と書いているように、
“なんじゃ?ありゃあ・・”です。こういうと別な角度から叱られるかもしれませんが
ダブル・スタンダードではないかと思います。
もっとも、こうやって誰かに指摘されないと自分の中で整理しきれていない部分ってのは必ず有る物で
私の中でも何処かにダブル・スタンダードを抱えているところってのは多分有る事でしょう。
それを洗い出す為にはこうして誰かと話すしかないと考えます。
昨日“アルファならいいの。アルファだから”と書きましたが、
それはダブル・スタンダードが言わせたのではなく買う人の層が違うであろう事を思っての事です。
BMWって、今は流行で売れてしまっている所ってあると思うのですよ。
どんなに良く出来たシャシーも乗る人の技量を超えた動きは出来ない事を理解できていない人が
うっかりと手を出して、おかしなタイアで本来の性能をスポイルされた車に乗っては危険だって思うのです。
アルファ買う人なら、タイアにはまるで無頓着とかって事は考えにくいかと。(勝手な思い込みですかね?)
ありゃ、クロスしてしまった。
ただ156GTAとMスポーツは別物ではないですか?
能力ではまったく及ばないにしてもアルファはM3同様特別な人のための
特別な高性能車を目指している。MスポーツはなんちゃってMでしょ?
ま、我々は評論家ではないのであれが好きだ、これは気に食わないでよい
のではないですか?
E36M3と比較してなにひとつ優位性のないランチアデドラ2.0iに
私が飽きもせず3年近く乗っているというのも他人には説明しづらい相性
という奴でしょう。
>>448 現在のにわかアルファ乗りの連中なんて、クルマ買ってキーを差し込むより
前に、スポーツサス入れてマフラー変えてと言う連中で、とてものこと
>>アルファ買う人なら〜
って状況ではないと思うよ。でもまあ、それは個人としては忌々しく思いながらも
アルファはまだそういう夢を見させてくれるという意味においてワシは
良しとしているわけよ。白物家電になっておらんと言う意味でね。
で、それはMスポも同じように白物家電になっていない車であると
ワシは見ておるわけ。
>>449 アルファが特別な人のための特別な高性能車であったのは戦前まで
でぢゃろう。戦後はもうそれほど特別ではないし、商品力と言う魔法を
解いて冷静に判断してしまったら、156はやはりダメ車ぢゃよ。
実際のところ、追い込んだら危ないもの。危険な挙動をもつというのは
さすがに工業製品としてアウトぢゃと思う。
だから、オーバーサイズのタイヤ履いて、グリップをとにかく上げておいて
その範囲でスポーツごっこをする分にはドキドキのある車ということで
いいんではないかねぇ。本当に運転上手い人はアレ乗って喜ばんとは
思うけれどねぇ。
で、個人として好き嫌いはあっていいとワシも思う。
車には計測できる性能の領域の価値があり、計測できない感性領域の
価値がある。どちらも必要なものぢゃと思う。
その感性に訴える方向性がデドラが好みに合うという気持ちは良く
わかるが、かといってBMWには感性領域の魅力がまるで無いかのような
書き方はあまりスマートといえないし、事実と違うと思う。
断っておくけれど037氏がそう書いたとは露ほども思っておらんよ。
あくまでも話の流れに沿ったたとえ話として聞いて欲しい。
ワシが言いたかったのはそういう話ぢゃよ。
では、話の流れに沿って前言訂正を。
BMWがつまらんっつうのは“普通の速度では私はその感性領域の魅力を感じ取れなかった”と言い換えます。
まぁ、此処で言い訳させて貰うと、最近に乗ったBMWってのは昨年暮れ、先日のモデルチェンジで旧型になった
3シリーズセダンの初期ロットに近い320、走行約5万kmって物でした。
標準の205位のタイアを225ってサイズに換えてあったのですが、これがまさにオーバーサイズで
全体の印象を悪くしていたように思います。
オーナー氏は
「標準で付いていたのがオールシーズンタイアみたいな変なので、これに換えてからだいぶ良くなった」
等と仰ってましたけど・・。まぁ、タウンスピードでもジェットコースター並みに楽しい車ってのもそれはそれで
問題大有りなのでしょうが。
BMW好きな方は私の書き込み読んで不愉快に思われたかもしれませんけど、それにしても最新の3シリーズ
BMWジャパンのHP見ると320のオプションで標準の205/55/16が225/50/16や225/45/17にも出来、更には
望むならばリアは255/40/17にも出来るっつうのは“ナンだ?これ”って思いません?全てラン・フラットタイア。
メーカー自らの設定ではなく、BMWジャパンが330とオプションリストを共通にしている為なのでしょうけど、
その辺のチンピラ上がりが経営するスピードショップの仕事じゃあるまいし・・。
・・と、尚もBMWに冷たい(かな?)書き込みをしてしまった訳ですけど、それとは別に最近のランフラットタイアって
結構良くなったそうですけど乗り心地などはどうなのでしょう?サイドウォール硬いのは応答性には有利に思える
のですけど、重量面での不利も大きそうですし。
扁平幅広タイヤシンドロームは本当に何とかして欲しいものぢゃ。
しかし、悲しむべきことに、もはやそれに感染していないメーカーは
ないんぢゃよ。
メーカーがそういう状況であるのに増して、インポーター各社のインチキ
スピードショップ仕事も酷い。
156なんぞ本国のノーマルアシはついぞ選べなかったし、プントだって
本国オプションをかき集めてアバルトなるグレードを日本でだけラインナップ
する始末。まともな車に乗せてくれようと言うインポーターはついぞ無いらしい。
そういう意味ではこのスレでは不評のベンツの方がまだ本国ラインナップと
国内ラインナップの差が少ないと言う面では優秀ぢゃよ。
E39のオーナー氏のことは存じ上げんが、典型的な日本のユーザーと
お見受けする。タイヤの評価が初期応答と絶対グリップの
二面しかないからそういうことになるのぢゃろう。
実際BSのタイヤが長らくそういうガチガチにして初期応答を
無意味に高めたものであったのも、日本でもリプレーイス・マーケット
の好みを如実に反映していたわけぢゃ。
最近はそのBSさえもミシュラン方向へシフトしつつある。
で、ランフラット・タイヤは、第二世代に入り、第一世代からすると
恐ろしい進歩を遂げているものの、通常タイヤと比べるにはまだまだ
ぢゃねぇ。まあ、発展途上の技術なのであまりやかましく言うのも
何かとは思うが、BMWの例でいえば、Mディビジョンの選択はいつも
堅実で、首をかしげるようなBMW本体の選択と違う道を選んでくる。
今回もMだけはランフラットなんぞ採用しておらんしね。
BMWは米国仕様と同じオールシーズンタイヤを長らく履いていましたし、
タイヤの選択については疑問が残ります。
ただスペアタイヤは私のは標準サイズのものが標準アルミホイールに装着
されていましたので、ひょっとしたらテンパータイヤなど緊急用タイヤを
嫌ったのか、重量配分50:50を守るためにわざと重い標準タイヤをリアに
積んだのか?とも思ってました。
>>452 >このスレでは不評のベンツ
>>302-312あたりを読んで頂ければ理解されるかと思いますが
“ベンツには自動車に必須の基本性能である「愛嬌」が不足している”
という認識がこのスレでは一般的なようで(w
・・まぁ、冗談はともかく。鮮やかな色、可愛らしい色が似合わないというのはメルセデスの弱点かと。
ランフラットタイア、やはり未だ問題多しですか。
またもや素人考えではありますが、私が思う問題点。
まずは当然重量や構造から来る、乗り心地の事。
それともう一つ。これが標準装備された車買ってしまうと次のタイアの選択肢が狭まる事。
パンク察知の為の空気圧センサーが宝の持ち腐れになるだけで、
普通の構造のタイアに替える事自体は問題無いような気もしますけど、
そうすると今度はパンクの時の備えが皆無になってしまうのでスペアも手配しないといけない。
だからと言って、車にはもうスペアを要領良く仕舞うスペースが無い。で、結局は現実的ではない。
修理剤だけ積んで不安な思いするのも嫌ですし。
現状では未だ(滅多に起きない)パンクの為の保険としてはちょっと効率的ではないと思われるランフラットタイア
それこそオプション設定ならまだしも、標準装備にされてしまうのは問題有りって考えます。
これを装備する為の空気圧センサーとかってアリの車両とナシの車両とを作り分けるのは大変なんでしょうか?
だとしたら、この手のタイアの普及の為には、タイアそれ自体の改良もさる事ながら空気圧感知システムの簡易化
が一番の課題になりそうですね。
・・等と言いつつ・・。自分の車のスペアタイア、
標準の195/50/14に対して175/70/14が床下に吊られているのですが一度も使った事無し。
ヒビ入っているんじゃないかなぁ?しかしこれ、それこそたった2cmの厚みをケチっても大して意味無いのに
何で微妙に外径が違うのが付いているんだろう??
BMWは日本向け標準タイヤはM+Sのオールシーズン。
理由は、有り体に言えば「日本のような平均速度が低い環境でスポーツタイヤ
を装着する理由がない」(本国側)と「トヨタに慣れた日本のカスタマー相手には
本国標準のスポーツタイヤでは乗り心地が硬すぎる」(BMW-J)
ただし、契約発注時に言えば本国から標準スポーツタイヤが装着されて来る。
またBMWは高速走行できないからという理由で、長らくスペアタイヤも標準サイズ
を採用し、テンパータイヤの採用を見送ってきた。
そのため、新車購入時のオプションホイールは必ず5本組ってのがお約束だった。
ただしそれもE39までで、E46-3erからはテンパータイヤが装備されている。
ただし、一部のMモデルでは触媒&デフの出っ張りによりスペアタイヤが入れられず、
苦肉の策でエアコンプレッサーとパンク修理材のセットが装備されている。
>455
BMWのそういった考え方に共感する人が多いが為の現在のBMW人気なのでしょうか?
こう言ってはナンですが、標準装着のタイアまではあまり気にしないで買ってしまう人が
多いような気がしますし、その理屈自体もナンだかなぁ・・って思います。
スポーティーイメージを前面に出したいのか?出したくないのか・・。
まぁ、それはそうと。BMWは今や珍しい、直4で後輪を駆動するモデルをラインアップしているメーカーですが
現在、そういう車って他に幾つあるのでしょう?思いつくのはマツダのロードスター、ホンダのS2000、
トヨタはアルテッツァがモデルチェンジしてしまうと、東南アジアとかで作っている車にそういうのが
残っているだけ?商用のバンや小型トラックには有るのかもしれませんが。
以前年バレスレにてちょっと触れたMG-TDのレプリカなんかもこの手のパワーユニット使用しているようですが。
先日のMG・ローバーの破綻でKシリーズエンジンが調達出来なくなったケイターハムとかは
この先どうするのでしょうね?この手の小規模なメーカーにとっては、この先エンジンの調達は
どんどん難題化していくような・・。
モーガンあたりも英フォードから、いつまでエンジンが調達できるやら。BMWがエンジンだけ売ってくれるなら
一気に(そこだけ w)モダナイズされるのでしょうけど、ナンか無理っぽいような気がする。
そう言えば、以前にも“今、モーガンに積まれているエンジンって、英フォードは何の為に作っている物だろ?”と
何処かに書き込んで誰かに教えて貰ったような気がするのですが・・なんだったっけなぁ・・耄碌したかな?
ふと気付いた。454で自分の車のタイアサイズ書き間違えていた。
正しくは195/60/14
まぁ、訂正する意味すら有りませんが・・。
昔の車について書かれた本などを読んでいて時々困るのがタイアサイズの表記。
例えば7.00-21(1929 R/RファンタムU)とかならば太さと内径を示しているのだろうと
大体見当はつくのですけど、手許にあるシトローエンの本など見ていると
1925年のB12は730X130 29年のC4は13X45 32年のロザリー8は140X40と言った具合。
フランスらしくメートル法に拘っているのはまだ判るにしてもこの時代には表記方法が
結構めまぐるしく変わっている様子。で、大戦後にミシュランが最初に出したラジアルタイア
“ミシュランX”で現代の表記方法にかなり近づくのですが、内径(ホイール径)もミリ単位だったのが
ちょっと違う所。165/400とか135/400とか。
もっとも、現代の205/55/R16等と言う具合にミリとインチが混在している呼び方の方が
実は不自然なのでしょうけれど。
最初のラジアルタイア、ミシュランX これ、上に書いたように径もミリ単位なのでインチ単位で作られた
ホイールには使えなかったのでしょうかね?400ならば25.4で割って15.75くらい。一番近い16インチでも
6.4ミリくらい違う(筈)そのせいか、戦前型のフランス車にラジアルが履かされている例は
博物館でも見る事がありますが(トヨタ博物館にあるトラクション・アヴァンがそうです)
イギリス車やアメリカ車では見た事がありません。
今日、父と亡くなった爺様の話をしていたら「大仏次郎、大菩薩峠様式」の件で
「大菩薩峠は中里介山。大仏次郎は鞍馬天狗書いた人だ」と叱られた・・。
今日も訂正。うろ覚え、曖昧な記憶でテキトーに書き散らす物じゃないなぁ・・。
ラジアルタイアの話の続き。
最初のラジアルタイア、ミシュランXは優れた性能を持つ反面限界域でのトリッキーな挙動、
低速走行時の乗り心地の硬さと言った欠点も持っていた訳ですが、前者は翌年ピレリが
主にベルト部材の改良を行い改良(それでもそうした傾向はかなり後までラジアルの特性として
残った様子)後者は1960年プジョー404がラジアル装着を前提として、サスペンションに
コンプライアンスを設定(ラバーブッシュの採用)するという、車側からの改良もあって
ラジアルは一般化して行きました。
ところで・・。世界初ってのはいろんな所で書かれているのですけど、二番目になると
中々調べがつきにくい。ピレリが作ったラジアルはインチサイズのホイールに対応していたのか?
ちょっとその辺は判らないのです。
で、例えば1954年に登場したメルセデスの300SLが、あれ程の高性能を誇りながらもタイアは
バイアスを履いていたのはどのような理由からだったのでしょうか?もしかしたらメートル法基準の
ホイールを使用しないと履けないラジアルを標準装着してしまうと、交換時に困る(入手難)とかの
理由でもあったのでしょうか?
限界そのものは高いけれども、それを迎えた時のトリッキーな挙動をメルセデスの設計陣が嫌った
・・とは考え難いのですよね。何と言っても初期のガルウィングモデルはトリッキーな挙動で悪名高い
単純なスウィングアームをリアに採用していたくらいですから。
459 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/08/08(月) 00:28:25 ID:n3fVv85B0
ロール剛性は、なんでKθ=1/2・K・T^2なんですか。(k:ばね定数、T:トレッド)
1/2って、何が半分なの?
自動車の理論派イケメン、回答おねがい。
最近でもフランス車の競技用タイヤはメートル規格だったようですね。
たとえばプジョー205T16、数値は忘れましたが、表示が全部メートル法で、
現行の市販タイヤでは合うものがないそうです。
(なんとか)^2に係数1/2が係っているときは、たいてい(なんとか)が先にあって
それを積分した数値である。s=1/2・gt^2とか。
ロール剛性の求め方は知りませんし、イケメンにも(あまり)自信はありませんが。
462 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/08/08(月) 21:05:10 ID:P9H6oG5X0
ポルシェシンクロ、ってよく言うじゃない?
イマイチ採用してた利点がわからないのです。
やれ、ミートがわかりにくいだの、セコに当ててからローに入れるだの
ダブルクラッチ必須(それってシンクロの意味ないじゃん!)だの
ネガティブな事ばかり…
どういう機構で、何が他に対して秀でてるのか?
パンピーにも判り易い言葉で説明してくれる方、募集中です
463 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/08/08(月) 21:42:39 ID:YZYSTuED0
>>276 >>それでスロトッルをがばぁーと開けてもターボラグが3〜4分程wもあり
延々ボンボン言った挙句忘れた頃にブォーっと回転が上がるらすぃ。w
おそ突っ込みだけどあらかじめターボチャージャーを回すためにブロワーで空気送り込んだりするから
ターボラグなんて無い
今時の舶用エンジンはすべてそうだと思う
あとクラッチと減速機が無いからエンジン掛かったらいきなりプロペラ回転し始めるし
>>459 そういう数式が有る事も知りませんでした(テキトーw
が、それだけでロール剛性って決まるのですか?
素人考えでは、ロールセンターと重心高の距離とかも関係するように思うのですけど、
それは又別の話なのでしょうか?面白そうな話ですけど、物理板の方が答えてくれる方がいそうな。
・・数式で説明されたら嫌だなぁ(w
>>462 ポルシェシンクロはこのスレの最初の方でちょっと話が出ましたけど、ちゃんとした状態ならば
そんなに悪くは無い筈。
セカンドのシンクロを利用するのは、昔よく有ったローがノンシンクロの車では常套手段で、
80年頃の日本の軽自動車でもありました。(貧乏臭い車の体験だけ豊富w)
「ターボ付けるより先にする事があるだろう!」って同乗した友人と笑った事があります。
機構、構造は実際に所有された香ばしいさんのご登場をお待ちするとしても
結局の所、ポルシェ自身も使うの諦めたって事は耐久性か何かに問題有ったのでしょうかね?
>>460 それは知りませんでしたので、ちょっと手許の資料漁って見ましたら
確かに205T16のタイアサイズは標準では210/55VR390となっていますね。
御教授有難う御座いました。
ラリーベース車両らしく、ノーマルのままで使われた個体は少ないようで、結局はインチサイズの
ホイールに変えてしまわれた例が多いのか、他の本では「この車には205/60R15が使われていた」
とか、結構まちまちだった様子でもあります。
もうちょっとタイアの話。
発売された40年代後半〜50年代
「ラジアルは乗り心地が硬くなる」という悪評は根強く有った様子で、バイアスもラジアル用の
新技術を取り入れて改良された事も有り、そう簡単には一気に世のタイアはラジアルには
ならなかったそうです。
55年に登場したシトローエンDSが、当時の他の車とは全く隔絶した新機構の塊になったのは
当時シトローエンの筆頭株主であったミシュランのラジアルタイアの広告塔という思惑も込められて
いたのだそうです。
セルフレベリング機構無しでは成り立たない程にソフトなスプリング、市販車としては世界初
(レーシングカーでは前年のジャガーCタイプが最初)のディスクブレーキ等。
そこで又疑問。奇怪な新技術をやりたいだけ全て注ぎ込んだようなDS。これ程に車が目立っては
ミシュランの意図(ラジアルの良さをアピール)なんて、何処かに吹っ飛んでしまったのでは?
ラジアル自体はもう数年前から市販されていた事も有り、その点に触れている資料なんて
殆ど有りませんから(w
シトロエンの場合、どのみちリアタイヤは半分しか見えませんね。
あれは何か機能的意味のあるデザインだったのでしょうか。
リアホイールのスパッツですね。そりゃ、空気抵抗の低減。
の筈なのですが、実効はどの程度の物なのか??
300kmを遥かに超える最高速を記録するルマンなどでも記憶に新しい(?)ところでは
グループC末期のジャガーなどがこれを装着していましたが、ブレーキの放熱に問題有る時には
外していましたし。
あれ、よく人から「タイア交換はどうやるの?」って訊かれますけど、車高上げた状態では
ちゃんとホイールほぼ全体が見える程度の深さになっているので(当然)問題は有りません。
ところで。465書いた後で気付いたのですけど205T16のタイア。
幅を示す210と言う数字、末尾が0という特徴的なサイズは恐らくミシュランTRXでしょうね。
1975年頃に発売された「画期的な高性能」が売り文句だったタイア。
低圧で使用する為か、特殊な構造でホイールと同時開発され、
故にホイールもタイアも汎用品とは組み合わせて使えないので、
そうされる事を防止する理由から特殊なサイズに設定されたらしいです。
80年代にもダンロップのデンロックとかって、パンクしてもビードが外れ難い、専用ホイールを
使用するタイアが有ったように記憶してますが、中々こういうのって一般的にはならないようですね。
年バレスレには、よく「ソニーのLカセット持ってた」とか「ベータのビデオ使っていた」って書き込みが
有りますが、この手のタイアも下手するとそのクチ?
・・等という事も有り、ランフラットタイア標準装備のBMW購入検討中の方などはどう考えますでしょう?
現在ランフラットタイヤ(RFT)は大きく分けて二つの流れがあるんぢゃ。
サイドウォールを強化してプレッシャーゼロでも荷重を支えられる
タイプ。もうひとつは中子式。これはリムに輪っかを巻いて、パンクしたら
その輪っかがトレッドの真ん中を支えて荷重を受ける仕組み。
サイドウォール型がBS、YH、PIなど、中子式はBS、MIと勢力図が
分かれておった。さすが金持ちのBSは両方やっとった訳ぢゃけど、
ここへ来て情勢が変わった。MIが勝ち目無しとしてサイド型に偏向
したのぢゃよ。これで、趨勢は誰が見てもサイド型に確定した。
ちなみにそんな訳でサイド型RFTはミシュランが一番遅れているので
出来が最も悪いのぢゃ。
さて、昨今の車の高性能化とアクティブボディコントロール(ABC)が
パンクという悠長な状況を許さなくなった。400馬力だ500馬力だ
というパワーを万が一パンクしたタイヤにかけたらどうなるか?
そりゃそんな馬力をかけても大丈夫なように影で制御しまくって
おったABCがどう誤作動するかわからんし、うっかりすると想定以上の
負荷がかかって壊れてしまうかもしれん。
そういう状況が各社のRFTの採用の背景なので、かつてのTRXなどの
ように簡単に消えうせることは考えにくい。
ただしかし、今この時点での性能は先日書いたようにノーマル・タイヤの
方がずっと優れているので、RFTなんていらんとする人の趣旨は良くわかる。
しかし、時代の流れそのものはもうどうしようもなくRFTに向かっていく
ものと思われるねぇ。ま、初期のパワステやリモコンミラーのようなもの
ぢゃと思うよ。熟成されれば誰も文句言わなくなる。
もっとも熟成されるまでのそんな発展途上商品など真っ平ごめん。
モルモットは他のヤツに頼んでくれという意見には一理あると思う。
ミシュランTRXって、まだカタログに載ってるのね。
「頼まれれば作らないこともない」という状況らしいけど。
>>468 私の思う所は正にその一番下一行(セコイですかねw)
現時点ではオプションで装着も可というなら試乗もしてみたいし、その感じ次第では考えなくも無い
ですけど、有無を言わさず標準で付いてくるとなるとちょっと・・ねぇ。
RFT自体が今凄い勢いで変わりつつあるだけに、数年後にもっといいのが出て
「あー、でも。お客さんのホイールでは前の型でないと駄目なんですよ」とかになるのは悔しいかな?
とか、考えてしまいます。有り得ない事でもないでしょう。
>>469 最近のカタログが手許に無く、Webカタログにはあまり種類が無いですが、少し前のカタログでは
限定生産という注意書き付きながら数種類のサイズが載っていますね。また、カタログになくても
「一応問い合わせろ」とも(TRXに限らず)
ミシュランに限らず、海外のタイアメーカーには、よくサイズ見ただけで履く車が判るって製品が
あります。例えば125/15Rとか145/SR10とかって具合に。(2CV,旧ミニ)
こういう変わったサイズでも作り続けない訳にはいかない。タイアメーカーさんも大変だなぁ。
もっともミシュランには通常の製品ラインとは別に、クラシックラインとかって言う
昔の車用専門の供給口があるようです。値段もそれなりなのでしょうけど、
まぁ常識の範囲でやってる限りは儲けは出ないでしょうね。
かなり古い資料&雑誌からの転載で失礼ですが
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_Michelin.jpg?bc18LcDBo2JE2UtD
自国のミシュランが最初に実用化に成功しただけの事はあって、
戦後のフランスは一躍ラジアルの先進国になったようで各メーカーは競うようにミシュランXを
標準で装着するようになって行ったようです。
ルノーが戦後発売した4CVもその例に漏れず、46年秋のパリ・サロンで発表された時点では
(当然ラジアルタイア発売前でもあり)5.00-15でしたが、生産が軌道に乗った50年頃には
135/400を標準装備。
・・gazoo.comでルノー4CVのスペックを見ると、こんなサイズ表記は何かの間違いと勘違いしたのか?
135/4.00となっていますが、その方が余程訳が判らないと思うのですけどね・・。
ルノー4CVと言えば当然出てくるのが日野ルノー。54年からノックダウン生産された日本製では
既にフランス製はラジアルが標準となっていたのも関わらず5.00-15のままだった模様。
もっともその頃の日本では、ロールス・ロイスですらオリジナルの19インチセンターロックを
ジープやトラックで一般的であった16インチホイールに改造せざるを得ない程のタイア入手難こそ
なんとか収まってはいたものの、山掛けと呼ばれた再生タイアがまだ幅を利かせていたような状況で
ラジアルだのミシュランXだのは、ごく一部のマニアだけがその名前だけはなんとか知っている程度の
存在でしかなかったのだとか。
当然メートル法基準の径を持つホイールなんぞ使った日には、
標準でついていたタイアを磨り減らしたら、それに代わる再生タイアなどはある筈も無い。
そんな調子では日野としても、ラジアルタイアまでは輸入する訳には行かなかったのでしょうね。
往年の大藪春彦作品にはラディアルタイヤ(原文まま)のメリット・デメリットが
よく解説されてましたね。
氏はかなり運転が下手だったようですけど。
大藪春彦と言えば「野獣死すべし」・・主演の松田優作はどうでもいい。
ヒロインの小林麻美が〜(ry
私は「哀しみのスパイ」よりも「シフォンの囁き」が〜(ry
・・は、ともかく(苦笑)確かクラブマンレースか何かの場面で高性能タイアのつもりで最新のラジアルを
持ってきた人を主人公が鼻で笑う描写があったような。
「限界域でトリッキーなラジアルはレース向きではない」とかって。
昔の話ですので、他の作者の作品と記憶が一緒くたになっているかも?なのですが、
それを読んで「それ以前に、レース用タイアが何故出ない?」と思った記憶がうっすらとあります。
ラジアルをミリ単位のホイール径に合わせたサイズで展開したミシュランも、結局はインチ径に
一歩妥協して現在の状況に至る訳ですが、世界の自動車生産量の過半数をアメリカ車が占めていた
時代と言う事でもあり、仕方が無かったのでしょうかね。とは言ってもラジアルの長所とされる物を
それ程必要としないのがアメリカの市場。ここにラジアルが根付くにはかなりの時間を必要としたようで、
手許に65年のアメリカ車の主なデータ一覧ってのが有るのですが、この時点でもラジアルを
標準で装備している車は皆無。結局アメリカ車にラジアルが普及するのは更に10年程後の事。
ミシュランが最初のラジアル“ミシュランX”を発売してから30年近く経ってからだったようです。
ホイール径がインチサイズである事は、運転席を中央線寄りに配置するのが多数派なのと並び、
かつてアメリカ車(含・アメリカ資本の他国車)が世界中を席巻していた事の
数少ない名残りなのではないでしょうか?日本に於いてはイージードライブ可能なAT主流の
現代の状況もその一つではないか?って私は思っているのですが。
しかしナンだね・・。幾らこうナンダカンダと言ってみたところで、タイアって横から見たら
単なる黒いマルにしか見えないのですよね・・。
ラジアルであろうと、チューブレスであろうと大差無し。その事に我慢ならないデザイナーさんは
30年代の流線型流行時には後ろのみならずフロントまでスパッツで覆ってみたりしましたし、
30〜60年代にかけてアメリカ車には標準装備の如くなっていたホワイトウォール
(ホワイトリボンとかレターとか、呼び方はいろいろあるようですが)タイアなんぞも
少しでもそのデザインされていない部分をナンとかしたいっつう気持ちの現れだったのでしょう。
昨今の超扁平タイアの流行ってのも、いろいろと理屈は有るようですけれど個々のユーザーの
レベルに於いてはそうした気持ちの一環ではないでしょうか?かくして戦前には19インチなんてのが
結構有ったホイール径は戦後縮小し、60年代には13〜14インチがいい所だったのが
最近では19インチ径などが復活しつつあるようで。
此処まで大径化が進むと気になるのが重量増加。かつてフロントがリーフリジッドだった頃には
フロントにもブレーキが付くなどしてバネ下重量増加した皺寄せでシミー(そんな言葉、死語?)が
出易くなった事から左右を結ぶビームアクスルの不要な独立懸架が一気に一般的になった
という事だそうですが、最近の大径ホイールは幅も有るだけに独立式であってもバネ下の重量は
莫迦に出来ないのではないでしょうか?
バランス取りなんかの技術も飛躍的に向上した現代ではバネ下重量の増加に伴い、ジャイロが
ジャイロを呼んだ結果シミーが起きるなんて話は聞きませんけど、パニックブレーキとかで
フラットスポットでも作ったタイアならばそういう事も有り得なくも無いかと思うのですが。
ABSなんかも進歩しているから、フラットスポットが出来るなんて事態も起き難いのでしょうかね?
475 :
オサーン:2005/08/14(日) 00:58:14 ID:XfbMo4/A0
イージーとコンフォートを志向する向きにはラジアルは抵抗があったようで、アメリカじゃ
中庸を狙ったベルテッドバイアス志向が長年続きましたね。
細っそいラジアルは、体感では滑ったようで、実はその先まだまだいけるので、
バイアスの感覚に慣れていると不自然で不安がある。
それゆえ過渡期には、純正指定が前:ラジアル、後:ベルテッドバイアスなんて
変な車もありますた。
デザインの要請で、60年式を境に拡がった13インチ化は、日本でも観音クラウンが
早速後追いしてましたが、ドラムの放熱不良が深刻でコソコソとまた大径化してし
てました。
最近街で古いアメリカ車を見ると、妙にタイアが小径に見えます。確かに低く長く見せるには有効でも
最近の車を見慣れた目には、なんだかダックスフンドめいて見えるような・・。
アメリカ車マニアさん達は一般にオリジナルへの拘りは薄いようですが、彼等には彼等なりの
ルールが有るのか?大径ホイールに改装している人は少ない様子。
まぁ、そうは言っても昔とは取付けネジのピッチ(PCD)等も今のホイールはかなり違うので
アダプター使うか、大掛かりな改造を施すかしないと無理もあるのでしょうが。
ホイールが小径化した背景には当然悪路走行の機会が減った事もあるのでしょうね。
それにしても3mを超えるホイールベースに対して140mm程度しか最低地上高が無いような
60年代のアメリカ車、段差を超える時などに腹を擦らないか?と余計な心配をしてしまいます。
日本でもかつて皇室専用車ニッサン・プリンス・ロイヤルの開発時、あまりの長大さに
皇居その他に多い太鼓橋で腹を擦らないか?と心配になった開発陣が実際にあちこちに
実物を持ち込んで走行テストしてみたという実話があるそうです。当然負荷も速度もいろいろ変えて。
そんな“走行テスト”も前代未聞・・。
しかしナンだね・・。トラック等は通る事も無い神社の太鼓橋・・。橋の方が耐えられるか?って
ちゃんと調べてから行ったのか?
超重量級(自重3.2t総重量4t近く)のロイヤルの重みで落っこちたらそれこそ大笑い(不謹慎?)
だったでしょうね(w
アテクシのヌパイダ、これが股極度に低ひ車高(どノーマル)で京王線の踏み切りwだの
北鎌倉の踏み切りwだので腹擦ること擦ること。
通常の道路でも僅かに盛り上がった中央線にキャッツアイなぞあった日にゃあ
乗り越へられません。w
あまつさへ長大なフロントオーヴァーハングでちょっとした坂でも歩道から出る際も
アゴ打つこと打つこと。更に暴走の挙句オイルパン割ったこと2回。w 勘弁してヒスィ。w
デュエットは結構車高高く見へ、且つ前上がりですのでこれ程酷くは無かったと思ふのです。
>>477 あ〜、そりゃ大変ですねー。
(どうせ他人事他人事・・何せコッチは車高は自在 w)
・・等と言いつつ・・。最近のハイドロシトローエンには暫く止めて置いても車高が下がらない仕組みが
組み込まれているのですけど、私のにはその備えが無い。これが時に問題起こすのです。
以前地方に行った時、ホテルのゴンドラ式タワーパーキングに一晩置いたら、そのゴンドラのトレーが
変に深い形になっていて、車高が下がった状態では両脇がつかえてドアが開かなくなったなんて事も。
GSA以後のハイドロシトローエンが何故皆ハッチバックなのか?こうした不測の事態に備えての
非常口の意味合いも有ったのかと納得した次第(w
具体的な数値は調べられませんが20〜30年代の車の写真を見ていると、
イタリア製やフランス製のスポーツカーはイギリス製のそれに比べると全般に地上高が多めに
とってあるように見えます。もっともGPカーのシャシー殆どそのまんまのブガッティT46とか
アルファの8C2900等は別ですけど。フィアット508S“バリッラ・スポルト”とかアミルカーとか
MGミジェットのような主に低価格車で特にその傾向が見られるように思います。
これは他にも何かしらの理由が有るのかもしれませんが、往時のその国の路面状況も
深く関わっているのではないでしょうか。
ハイドロニューマチックは元から車高制御を機械的に行っていたので、昨今流行の電子制御化も
移行は簡単(?)だったと見えて、最新のC5なんかではあれこれと凝った機構沢山。
110km/h超えると前が15mm後ろが11mm下がるなんてのも有り。
・・・・シトロエンジャポンの人、誰か日本には合法的に110km/h出せる道路は無いって本社側に
言わなかったのか・・?そんな設定変えるのくらい、簡単だろうに・・。
スポーツグレードに多いローダウンしたサスペンション、先日TVで見た新型ゴルフのGTIなどでは
ノーマル比25mm下げてあるとか。ベースになったノーマルグレードの足にしたって、安定性の為には
そんなに高い車高に設定してあった筈も無し、それだけ下げて腹擦る心配は無いのでしょうか?
まぁ、買う側もそんな事くらいは百も承知か・・?
それと例によって素人考えですけれど、車高が下がって重心が下がった所で、
ロールセンターがそれ以上に下がってしまっては結局の所はロール剛性は低くなるのでは?
と、思うのですが。
さすがにメーカー自らがセッティングしたスポーツグレードならばそこいら辺もちゃんと設定してあると
信用したいですけど、上記のC5のように単純な下げ方の場合(C5はその辺もちゃんと計算した上で
何mm下げるかを設定しているでしょうが)適当にバウンド側ストロークを詰めただけの車では
ロールセンター高の適正化まで行っていないって事になるのでしょうね。
その辺の街中で良く見掛けるショップの仕事でスプリングとかショックアブソーバー等を換えても
結局は乗り心地が硬くなっただけでロール剛性は却って低くなったなんて事も無きにしも有らず?
って思うのですけど、どんなモンでしょ?(それ以前に先日の数式が理解出来ていないまま
書き散らす私w)
480 :
マッ羽429:2005/08/17(水) 21:14:55 ID:s2mCcBTLO
476のひとちがうよ〜アメ車ン糊はハイドロ派とかのDQN様とオリジ派(私も)がいてどっちも大径好きが少ないだけ。漏れのマ〇タング(70頃ヤツ)のPCDは114.3だから国産のセドかクラのタイヤがはける.Nケイジの60セカンド(GT500)は大径タイヤはいてんでしょ
さて、社交と言へばShall we dansu(周防監督のオリヂナルは米国向けではかう表記されてゐる)
はともかく、うちの古ヌパではしばしば駐車場お出入り禁止の措置を食らひますが
今はだうだか、麻布十番つか鳥居坂下の公共駐車場、あそこできたばっかの頃は
入り口の注意書きに「ツトローエソお断り」と書ひてありました。w
>>480 それは失礼。ルールや仕来りって訳ではないのですね。今度何かアメ車ネタ振って下さい。
>>481 以前、横浜市相洋台あたりのスーパーでもそういうの有ったような・・。
実はそう書かれて無くても、止められない駐車場とか、止められなくは無くとも手間が掛かる
駐車場ってのは結構有るのです。
代表的なのが車止めが車体中央付近に立ち上がる100円パーキング。あれでマフラー潰したって
話は良く聞きます。あれを使うには・・止める→一旦車高をレバーで最低に落とす→エンジンを止める
→レバーをノーマル位置に戻す
これだけやってやっと降りられる(あぁ、面倒臭い w)
他に変わった所ではゴンドラ式タワーパークで“ポルシェお断り”ってのも見た事有ります。
係員さんに理由を伺った所
「あぁ、あれはオイル漏れするので下の車に迷惑掛かる」
って、そりゃ偏見だってば(w
「ソアラお断り」とか「マークUお断り」(表記はそんなに露骨では無かったものの)なんてのも
見た事が有りました。思わず噴き出して、理由は聞き忘れた(w
今日も暴走。ロールセンター高についての素人(つか、バカな?)考えの続き。
重い物乗っけた時は当然カーブでグラっと来るのが速い。
重心が高くなっている為もあるでしょう。
車高調整の無い車の場合、荷物によって車高は低くなっているので、幾らかでもマシか?
いや、だったら車高調整の意味は薄い筈。
私のハイドロシトローエンの場合、荷物積んでも車高は変化無し。カーブでグラっと来るのも
普通の車と比べると普段との差は明らかに少ない。
ただしこれがロールセンター高が変化していない事の恩恵なのか?気体スプリング
(プログレッシブレートである)を採用している事による物なのか?これは乗っていても判りません。
判らないから、今度一杯人を乗せた時に適当なカーブ見つけたら・・(本当のバカ)
勝手に始めて勝手に閑話休題。
1955年、奇しくもシトローエンがDSを発表したのと同じ年、かのパッカードが小型モーターで
サスペンションに付属したレべリング用のトーションバースプリングを捻る事により
車高を一定に保つって車を出している筈。これはメインの縦置きトーションバースプリングを
前後で共有している事もシトローエン的(ただしこっちは2CV的)
しかしその前年にパッカード自体がスチュードベーカーに吸収されていた事もあり、そこでお終い。
毎年のモデルチェンジが慣例になっていたようなこの時代。自動車会社同士の激しい競争は
そうした実験的な試みを許す余裕を失わせていたのでしょうか?まぁ、パッカードはそれ以前から
かなり経営苦しかったようですが。この仕組みは後にメルセデスも手を出して結局投げちゃったとか。
メルセデスは60年代後半にも450SEL6.9でシトローエン流ハイドロニューマチックに手を出して
それっきり。案外気の多い所も有るのでしょうかね?
上で書いたパッカードの仕掛けの概念図とか実車の写真とか、あれこれと捜してみましたが
どうもいいのが見つからない。
それにしても、50年代のアメリカ車と思えば当然なのかもしれませんが、この頃のパッカードの
写真を捜すと俗悪なダブルトーンに塗られた車ばかりで失望する事しきり。
50年代に流行った塗り分け境界線に説得力つか、必然性の無いダブルトーン
(
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_%a5%c0%a5%d6%a5%eb%a5%c8%a1%bc %a5%f3.jpg?bcLDKfDBA0MwvqAC みたいな)と言うのも、
これがもしもGM系のビュイックとかオールズモビルならば「いかす」と思うのですけど、
それがパッカードだと威厳ある容姿を期待して見てしまう為か俗悪に思えてしまう。
これ、おっちゃんの嫌うダブル・スタンダードですかね?もっとも模型好きから車好きになった私。
機械好きや乗り物好き、スピード好きといった別経路から車好きになった人とは元から
異なったスタンダードを持っていても無理は無い所なのでしょうけど。
この手のアメリカでのダブルトーンの流行に最も(うっかり?)反応してしまったのはイタリア車。
フィアットしかり、なんとあるまじき事にアルファ・ロメオもしかり。
明らかに同時代のアメ車に影響を受けたらしき俗悪なダブルトーンに塗り分けられた1900など、
アルファ自身にとっても恥ずかしい過去なのか、数年前にムゼオ・アルファ・ロメオと称して
過去の名車の数々を横浜で展示した時などにも、その手の車は実物はおろか写真すらも
展示はされませんでした。アルファだと思わずに見れば、アレはアレで結構好きかも?
なんですけれどね。
塗り分けの境界線に説得力とか必然性の無いダブルトーン。・・書いた自分でも訳判らん言い回し・・。
戦前の車ならばフェンダーが張り出しているのでそれだけを黒に塗ってみたり、
同系色で濃淡つけてみたりという遊びもやり易かったのでしょうけど、戦後49年フォードから一気に
フラッシュ・サーフェスボディー(早い話が側面が平らな形)が一般的になると、室内広くて
見た目にもモダーンなのはいいけどナンだか寂しい。
今の車でも、何にもない側面ってのは味気無いからサイドモール入れたりプレスライン入れたり
面に変化持たせたりとデザイナーさんは苦労されている様子ですけど、
それまで有ったフェンダーラインが無くなってしまった当初は寂しさも一入だったと見えて
幅広いクロームのサイドモールを付けてみる。それでも寂しいからそれを境に別色に塗り分ける。
50年代にこうして奔放なダブルトーン(ツートーン)がアメリカで流行したのは、勿論アメリカ人が
そういうのが好きだったから。と、いうのが一番の理由でしょうけれど、車のサイズそのものが
大きい分だけ間延び感もそれ相応に大きかったって事もあるのでしょう。
そうした中には、一見面白いけれども自分では乗れないなぁ・・。と、思う物も多いですけれど、
初代コルベットのフロントホイールアーチの後をえぐってそこだけ白く塗り分けたのなんかは
結構好きだったり。
アレはピニン・ファリーナがフェラーリのシャシーで作ったショーカーに学んだって最近知りました。
そのピニン・ファリーナは何処からそれを思いついたのでしょうね?
戦前にブガッティとかが好んだコーチラインの塗り分けあたりがヒントになっているのでしょうか。
486 :
オサーン:2005/08/20(土) 23:54:02 ID:neD8La7+0
おや、さすがはオサーン!目の付け所が鋭い。
しかし1956packardpanther.comとは、アチラの趣味人っつうのも何でもアリですね。
50年代のパッカードのデザインは確かにアレですね・・。
もうちょっと早くスチュードベーカーとの合併がまとまっていたらどうだったかなぁ・・。
レイモンド・ロウイなら、あの例のグリルももうちょっと上手く全体形に取り入れる事が
出来たのでは?なんて思うのですが。
むむ、ハイアッパー式ダブルウイッシュボーンだの
リアにミッション、インボードブレーキ、
更にはドライブシャフトと車軸が別の固定軸、つーことはド・ディオン、
ぅーむどこぞでさんざ見慣れた仕掛けにぢつに似ておりますなぁ。w
この手の前後関連懸架って、慣れないと凄く奇妙な感じがするんですよね。
メーカーの説明では、前輪が突起に乗り上げるとリアが下がるので結果として車体は水平を保つ
って言うのですが。
有効なアンチノーズダイブジオメトリー(これの理屈がどうも判らんのですが)が組み込まれていないと
ブレーキング時にフロントが沈むのに呼応してリアがヒョコっと上がる。又、トランクに重い物乗せると
前が上がる。これは大抵の車でそうなりますが、単純に後車軸を支点に持ち上がるのではなく
積極的に上がっちゃう。だからフロントの接地性は失われない。良く考えられている・・のか??
関連懸架で最も有名(多分)なシトローエンの2CVの場合、左右は完全に独立しているので
例えば右フロントが突起を拾った時には右後輪が下がる。ここで話は一応終わるのですが
この1955年以後のパッカードの場合には後ろはリジッドアクスルなので右後輪が下がると
それに左後輪も反応し、更には左前輪にもそれが伝わる筈。・・どんな乗り味だったやら??
もしやそれを防ぐ為のリアのレべリングトーションバー追加だったのか?
そんな凝った事する意味は何処に有ったやら?不思議な車・・。
かなり以前に書いた事の訂正。
戦後あちこちで行われていた四輪のギャンブルレース、
違法であったのはごく初期の終戦直後の事だけで、1949〜50年頃には
船橋、川口等で公営で行われていた様子。現在河口湖の自動車博物館に収蔵されている
MG-K3マグネット等は公営となってからの参戦であった模様。
本当にこの辺の事、ちゃんとまとめた記述って何処かに無い物でしょうかね?
>>490 川口オートや船橋オートでにあった四輪オートレースは1973年まで行われてたよ。
黎明期は外国車も多かった。
1967年まではダートコースで国産エンジン(トヨタ、ニッサン、イスズ)が主力だった。
舗装走路になってスピードが二輪レースを上回ったため、事故が続出。
最終的に不正レースで選手が激減。
ちなみに当時二輪レースではメグロやトライアンフT120が走ってた。
>>491 書いてみるものですねぇ。有難う御座います。73年迄有ったのですか。
もし記憶されておりましたら、何処でその事をお知りになられたか教えていただけませんでしょうか?
私が知りたいのは前史(非公認時代)〜黎明期、未だ国産の自動車が数少なかった頃に、
どんな車がどのような規則下で競っていたのか?という辺りが中心なのです。
一周400mのダートコース8周というのが基本で現代の二輪オートレースと同じく
過去の成績に応じて距離ハンデが与えられていたって事くらいは判ったのですけれどね。
これも含め、多摩川レース場で数回は行われた筈の自動車競走など、
鈴鹿サーキット建設以前の日本の自動車レース。
当然今見れば現代のクラブマンイベント並みかそれ以下の草レースではあったのかもしれませんが
やっていた当人達はそれなりに真剣であったでしょうし、まるで無かった事のようになってしまうのは
失礼にあたるのではあるまいか?って思うのですよ。
鈴鹿以前と言へばそれこそ浮谷東次郎とかの船橋へルスセンター、
もとひ、それは跡地だ、船橋サーキットとかではありますまひか?
ホンダS8与太8の頃でせう?
494 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/08/22(月) 23:15:39 ID:4nPy4XvkO
鈴鹿より船橋のが後なんでは?
495 :
オサーン:2005/08/22(月) 23:16:31 ID:sJ4r1NXO0
長生きしたけりゃチョイトおいで チョチョンノパ ア チョチョンノパッ!
↑ 何を浮かれているですか?(w
>>493 鈴鹿、船橋よりも遥かに昔、大正〜昭和10年代、あるいは戦後間もない頃の話なのです。
例えば・・以前書いた事と少し重複しますが、東急東横線で多摩川を渡る時、渋谷に向かって左の
川崎市側の河川敷。土手が階段状になっている所が有るのですが、
そこにかつて1周約1200mのオーバルコース「多摩川スピードウェー」が有り、
昭和11年〜13年頃にかけて十数回の自動車レースが行われていたのだそうです。
その中には、日本高速機関オオタ号とダットサンのワークスレーサー同士の激突有り、
三井家所蔵のGPブガッティやベントレーが真夏の暑さで溶け出した簡易舗装に足を取られ
サイドバルブ大排気量のフォード改造レーサーに敗れる波乱有り・・
と言った様々な出来事が有ったらしいのです。が、そうした事を今に伝える物が殆ど無い。
私が知りたいと思うのはこういった、今は殆ど語られる事の無い昔のレースの事。
若き日の本田宗一郎氏が丁稚奉公していたアート商会なる修理屋が、1916年製ミッチェルという
古いアメリカ車のシャシーにカーチスV8航空エンジンを乗せた、今はホンダ・コレクションホール
に有る車も多摩川河川敷でブガッティT35等と同じレースを走ったのだとか。
(どういうクラス分けだ?w)
この車、今の場所に収まる前は確か河口湖に有って、そこで見た筈ですが(不確かな記憶)
スカットルに何の仕切り(ファイアーウォール)も無いのですよね・・。乗っている人は熱かったろうに。
参考・
http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/03/11/2750311/43.jpg 後にホンダは現場の意向を無視して無理矢理走らせた空冷F-1(RA302)で
ジョー・シュレッサーを焼死させていますが、その予兆は既に此処に有ったのか?
・・なんて書くと、ホンダマニアさんには怒られるのかな?(w
>>496 その頃の話は以前オールド大麻に掲載されていたような気がします。
>>497 有難う御座います。何時ごろのどんな記事だったか思い出した時にでも教えて下さい。
とりあえず、バックナンバー売っている店を漁ってみます。
多摩川スピードウェー。此処が日本で最初に自動車レースが行われた場所っていう訳では無く
それ以前、大正時代から東京湾の埋立地などで何度かレースは行われていたのだとか。
何故そんな場所で?って気もしますが、交通が現代ほど発達していなかった当時、
都市からそう離れた所では誰も見になんて来てくれないからなのでしょう。
・・と、それだけではミもフタも無い話ですが、埋立地だの河川敷だのといった平坦な場所に作った
オーバルコースでの競走というアメリカ風スタイルで日本の自動車競走が始まったといのは
ちょっと興味深い話ではないでしょうか?
そうした流れを受けて、戦後間もない頃には各地で非公認ながら賭博要素を含んだ競走が行われ
それらに関わった人や車が秩序の回復と共に公営化された四輪オートレースを始めた
と、考えて大きな間違いは無いかと思うのですが、此処で賭博の側面が強調された事により
競技としては傍流のような扱いを受ける事にはなってしまいましたがけれど、実はこの手の
アメリカ流ミジェットレースみたいなのが本来の日本の自動車レースの本流だったのでは?
それは富士スピードウェイが計画された当初には、オーバルコースとしても使用できるように
考えられていた(初期に使われた30度バンク、スピードウェイという名称そのものに、その名残りが
あります)ように、後の時代までも結構根強く残っていたと思うのです。
多摩川スピードウェー、今でも有ったら面白かったと思うのですが。・・まぁ、レースが有る度に
花火大会の日のような交通規制、渋滞ではそれも困るのですけどね。
>>498 オールドタイマー誌の連載記事に「轍をたどる」というのがあり、
手持ちの2003年6月号(No.70)に載っているがちょうど
「戦前自動車競走史−2 多田健蔵の足跡」です。
内容は主に2輪(ヴェロセットでのマン島参戦)関係ですが、第一回多摩川スピードウェイ自動車競走会で
三井家のベントレー3リットルに乗った写真や決勝で三井家のブガッティーに
先行する写真も掲載されています。
んん、もしやその多摩川競艇、もとひ多摩川サーキット、
跡地が自動車教習所になってるんではありますまひな?
玉堤通りニコタマ付近ガストの前。玉にあそこで飲酒やってますぞ。w
つか、花火もさることながら土日の玉堤通りニコタマ高島屋渋滞は何とかしてヒスィ。
>>499-500 有難う御座います。かなり希望が湧いてきました。幾らなんでも非公認時代のちゃんとした
資料までは望むべくもありませんが、戦前の多摩川や黎明期の公営レースの姿を知る事が
出来れば大体の事は想像出来ると思われます。
・・しかし、スレをこうした個人の趣味に使っていいのか?っていう良心の呵責も少々・・(w
少々失礼だったかも知れませんが、アドレスの後半を削り、500の写真のあるHPを拝見させて
頂きましたが「何も無い所からオートレースは始まった」なんて書いてありました。
が、そんなおかしな話なんて有る筈も無い事。必ず前史は存在する物。
(ちなみに、492に『一周400m』と書いたのは私の記憶違いでした。失礼致しました)
鈴鹿サーキット開業と前後して、世の人気はアメリカ車から欧州物に移って行ったように思います。
これはまぁ、いろんな要素があれこれと絡み合っての事で、簡単に何が原因とは言い切れる物では
無いのでしょう。
が、両方の良さを知ってしまった上、元々が主体性の無いのが私等日本人(w
更に始末に悪い事に高スペック大好き、どうせ買うなら無理して買うのが大好きと来ている。
本来イージーな旦那仕様のAT装備車に固く締め上げられた足回りを求めてみたりするのはこうした
歴史的背景に基づく明白な理由が有るのではないか?って思うのですが(大袈裟?)
その辺が理解出来る筈も無い欧州メーカーさんは先日話に出たBMWのように乗り心地のソフトな
オールシーズンタイアを標準にして、皆の不満を買ってしまったりもする。
(無理矢理な誤解?)
あっと、リロードしていなかった。エロスパ氏失礼。
もっと丸子橋寄り。東横線のすぐ傍の河川敷内の事ですよ
(ローカルな話だなぁ・・)
東横線をよく利用される方ならばすぐに気付くと思うのですが、
渋谷行きに乗ったとして、新丸子を出てすぐ左側の所です。
新丸子って、その昔は三業地(死語)だったとかで、この手の歓楽施設
(自動車レースって物への理解が昔はその程度でしかなかった)とは
結構縁が深かったのかも?
今とは違って車と言えばアメリカ車だった頃の日本ではベンツも知る人ぞ知る程度だったとか。
手許に有る本の中でも、五十嵐平達さんが
「ベンツが今のように人気になったのはヤナセが売るようになってからで、
それ以前に黒崎内燃機が売っていた頃は珍車の部類だった」と書いておられます。
昔の日本で落ち着いた、華美に過ぎないデザインで最も好まれた高級車と言えば
間違いなくパッカードだったでしょう。
恐らくはパッカードが消滅した時、普通ならキャディラックあたりに流れる筈だった顧客層が
当時派手になり過ぎていたキャディラックを敬遠して、その隣に並べてあったベンツを選んだ。
・・みたいな流れが有ったのではないかと想像します。
パッカードを好んだのはかつての日米の富裕層やらスターリンやら時のハリウッドスターだけではなく
有名な話かも知れませんけど、エンツォ・フェラーリさんもその一人。
一時期のフェラーリが12気筒に拘ったのも、エンツォさんがパッカードのトゥエルブ
(二代目ツインシックス)を大変気に入っていた事に遡れるとか。
そして、かのエット−レ・ブガッティさんもパッカード大好きだったらしいです。
寒冷期の始動性が良くないと文句言う顧客にはガレージの暖房を薦めるような事を平気でしながら、
自らはセル一発で目覚め、スムーズに走るパッカードが大のお気に入りで
長距離のドライブには好んで乗っていたそうです。・・が、それはそれでナンだかなぁ・・。
実は私もパッカードは大好き(20〜30年代限定)、山中湖の高村美術館にスーパーエイトと
トゥエルブを何度も見に行きました。
ところで。パッカードのプロポーションについて以前から持っている疑問。
スーパーエイトよりもトゥエルブの方がロングノーズに見える(実際そうらしい)のって、
矛盾していると思うのですが。なんでそうなっているのでしょう?単にデザイン的な物?
20年程昔、JJwとかの縦4広告とかで竹久夢二の絵と詩で
ヘチマコロンつう物件のCMが出ておりました。
夢二ですから絵も詩も叙情的なのですが、今でも記憶に残るのが
「赤ひテヱルのパッカード コロンコロン ヘチマコロン」といふ一節。
509 :
オサーン:2005/08/27(土) 23:18:37 ID:5wElUJLz0
>>495 で浮かれてたのは船橋ヘルスセンターのCMソングです(w
三木鶏郎と楠トシエのゴールデンコンビ。
>>504 単に直8とV12だったりして。
>>509 船橋ヘルスセンター・・それはCM画像まで知ってます(w
・・後の時代に懐かしのCMみたいな番組で見たのかも知れませんが(微妙だなぁ)
・・は、ともかくパッカードのボンネット。直8の方が長いのが自然な筈なのに、不思議ですよね。
>>507 そのHPだと二子橋〜丸子橋の両岸を一括りに考えているようですね。
今では二子橋の東京側が世田谷区、川崎側は高津区。丸子橋の両岸は大田区と中原区。
最も三業地の面影が残っているのは丸子橋川崎側の新丸子だと思います。
ちなみに、五反田から中原街道を下り、丸子橋を渡って左に曲がるのが今は本線のように
なっていますが、それは支流の綱島街道。中原街道本流は右側の、以前は時間帯によっては
直進出来なかった細い道の方だと案外知らぬ方も多し。(無茶苦茶ローカルな話w)
多摩川スピードウェーの1周1200mとか、初期の四輪オートレースの1周800mって
オーバルコースの大きさがちょっとピンと来ないのです。陸上トラックの1周400mとか中山競馬の
内回り1周1600mなら見た事も有り、判りやすいのですが。
この程度(1周800〜1200)では、本格的なレースカーだとギア比が合わず、本来のパワーが
発揮出来ないので、MG-K3マグネットなどは戦前の多摩川の経験から、戦後の公営レースでは
リアをホイールもろともレシオの大きなトヨペットトラック用に変えてしまったとか。
現代の高度に専門化されたレースではなく、そこいら辺の好き者の鉄工所の親爺が手作りの
スペシャルで参戦出来たってのが羨ましい。もしも道楽でそれが出来るなら、それこそ最高。
・・なのですが、今はもうそんな事も無理。せめてFL360なんかが有った頃に生きたかった・・かな?
とてもイットが悩ましい・・(違うか?w)
>>510 その中原街道のクランクの先の某中古屋で拾ったのがうちの75であります。w
初期整備一切要ら無ひ、そのまま呉れと値切り倒しナンバーだけ付け替へて
受け取ったその足で玉堤通り遡上して世田道から姦7へ、
いつもの工場に放り込んだのが始まり。w しかしこちらの気が済む整備で
クルマ本体買った金額とほぼ同じ初期整備費用が掛かりました。w
さて、三業地考、ここではなく歳バレヌレにて引き継ごうかと存ぢます。w
「ヘチマコロンの唄」竹下夢二が書いたのは昭和5年(1930年)だそうで、
パッカードのラジエーターグリルは未だフラットなのが直立していた頃。
本当はこの形が私は最も好きなのですが、日本の博物館には無い様子。
かつて宮内省が供奉車をパッカードで統一した事も、日本人のパッカード好きに拍車を掛けたとか。
肝心の天皇御陵車はベンツだったのですが、エンブレムの位置に菊の紋章入れた事もあり、
あまり車種には気を配られなかったのだとか。それよりも黒崎内燃機(この会社の事は不明)の
商売も上手く無かったのでは?パッカードの方は後にポルシェを手掛けた事で誰もが知る
三和自動車が代理店であったそうです。
しかし、宮内省の車がスーパーエイトであった為か、それよりも高価だったトゥエルブは
何となく遠慮されるような所があって、戦前には輸入されなかった様子。
今では前出の山中湖とトヨタ博物館(ルーズベルト使用車だとか)でも見られますが。
それはともかく、最もプロポーションに優れ、パッカードらしかったのはエイトの方だと思います。
もっとも、見た印象で言うなら「小山のように大きい・・」あのサイズを乗り回すのは憂鬱ですが。
スーパーエイト(6.3リットル)とは別に、小型パッカードと呼ばれた120(多分WB寸法でしょう
エンジンは約4.5リットル程)が欲しいなぁ・・。小松の日本自動車博物館に緑の120が有る筈。
但し、ホイールがワイアでは無く鉄板ディスクなのは普及版の悲しさか?ナントカしたい所
(どっちにしても無理だってw)
ところで昨夜、エロ先生とニアミスしていたらしい。
カウンターの反対の端から女王様がどうの、という話が聞こえてきてもしや、と思い
帰られた後で確認したら案の定でした。私、以前アッカーマン角の件で語り明かした者です。
ぉお、さうでしたか、ぢつは我々昨晩は2軒行きましたので
どちらあたりの店でせうか?
あー。金玉だけ黒々した犬ころのいる店です。
>>502 >「何も無い所からオートレースは始まった」なんて書いてありました。
>が、そんなおかしな話なんて有る筈も無い事。
オートレース場が出来る以前は、船橋競馬場のコースを使っていたそうです。
競争車も手探りで英国のJAPエキセルシャーが現在のオートの原型になっています。
その後メグロ、キョクトー、トライアンフ、トーヨーなどが台頭してきます。
オートレースの歴史=日本小型自動車振興会の歴史ですから、戦前の非公認レースは
掲載されていなくて当然だと思いますよ。
>>517 戦後間もない頃の非公認レースてのは結局のところは闇賭博でしょうから
証拠になるような物は残しはしないでしょうし、さすがにそこまでは望みません。
二輪の方はそこかしこに記述が見られるのですが、
私が知りたいのは今は無い四輪のレーサーでして、黎明期(1950年前後)には
アメリカのクロスレー750cc(イタリアでSIATAという豆スポーツにも積まれた事で知られる)とか
はかなりマシな方で(大体、何で有ったの??)多かったのはそこいらの解体屋から拾ってきたような
戦前の欧州車のエンジンを町工場の親爺が組んだフレームに乗っけたような代物だったとか。
そう書くと小莫迦にしているかのようですが、自分の思うようにフレーム組んで、
フリーハンドで絵を描くように思うような形のボディーを着せて走らせる機会があった彼等が
少し羨ましいのです。
>>516 レオン師匠ですな、彼はアテクシ同様下品道の使い手です。<黒金玉犬
以前理友にお乗りの方でしたか? 一声お声お掛け頂ければ。
ほぉ、シアタのエソジソはクロスレーですか。
その手のイタリア産豆ヌポォツはFIATのエソジソを積むのが当然と言へば当然多かったのですが
今ステアリングホイールに名を残すナルディなどはBMWのバイクエソジソ使ったりしてました。
さう言へば戦前戦後の豆ヌポォツ、豆レーサーにはJAPエソジソも良くありますな。
520 :
オサーン:2005/08/31(水) 01:43:58 ID:JcIZ7VZ70
クロスレーは占領期、日本に輸入代理店があった気が。
あの車、あれでもルマンに出たから名が通ったのかも。
Siataの奴は、トポリーノの500が標準でエクストラが750のクロスレーという
扱いでしたか。
よく「B29の発電機を」と紹介されるけど本当?
戦時にクロスレーが作っていた銅エンジンは気頭数が違うし。
クロスレー(クロスリーと表記する本も有ります)
これ、自分で名前出しておいて失礼なのですが、よく知りません。日本にも入っていたのですか・・。
手許には「戦後は海軍が補機駆動用に使用していた721ccエンジンを採用」と、書かれた資料が
有る程度です。これでは、何処にどう使われたエンジンやらさっぱりですね。
私がこの車の名前を記憶しているのはSIATA(その多くはFiatエンジンでした)に使われたって事と
そのスポーツタイプ「ホットショット」がタミヤのミニ四駆みたいな名前だと思った程度(w
SIATA・スタンゲリーニ・スタンガ・ナルディ・モレッティ・・この辺のイタリア豆スポーツに興味を
持ったら泥沼どころか底無し沼でしょうね(w
しかし、ナンですね・・。日本の町工場の親爺達がダートのオーバルトラックに撃って出ようって
やっていた頃、同じ敗戦国なのにイタリアの町工場の親爺達はミッレミリア(!)ですもんねぇ。
アルファ・ロメオと一緒にエントリーリストに載ってしまうっつうのも凄いなぁ。
今ならさしずめ「XXマラソンで高橋尚子と一緒に走った」なんて言う市民ランナーみたいな物?
(かなり違うか w)
どんな時代でも何処の国でも、二台以上の車と暇さえ有れば自動車競走は成り立つ物らしく、
ドイツでもこの頃にはバブルカー(メッサーシュミットとかハインケルみたいな)のレースが
盛んに行われていたとか・・。これも写真が有ったら見てみたいモノ。
ヌタンゲリーニはですな、町工場と言ふより正確にはFIATのディーラなのです。
つか、ぢつは現存しており一大チェーンのFIATディーラになっております。
ナルディはND印でも分かるやうに、元々は「ナルディ・ダネーゼ」であります。
後にダネーゼが離れてエンリコ・ナルディだけになってもNDのマークはそのまま
今に伝へられております。アテクシここの60年代モノ復刻版のヌポークにギョーシェ彫りの入ったヤシ、
あれが欲すぃのですが素手でポリッシュのウッドリムは滑るのがイマイチ、
さりとて通勤にもグローヴ嵌めてっつうのもいささか、やだ。w
もっと言へば暴走には手の突っ込み易ひディープコーンが宜しひのですが
これ股小径の350Φとかしかなく困る。380Φを出してヒスィ。そんな需要なんぼも無ひか。w
ドイッチュラントのバブルスター原ヘルス工業wと言へば
ツェンダップ・アーヌスでせうやっぱり。w ♪後ろから前からだうぞw
523 :
オサーン:2005/09/01(木) 00:23:25 ID:yRDhys/u0
524 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/01(木) 03:08:32 ID:sKosy/oU0
>>522 >♪後ろから前から〜・・・・ヤダ(きっぱり!)
・・は、ともかく・・「町工場」ってのはまぁモノの例えですが、
戦前から60年代初頭までに数百台のレースカーを作り、ナショナルチャンピオンも何度か獲得した
スタンゲリーニ(そう言えば、もう何年も前ですがカーグラTVで特集組まれて、現代のご当主さんも
出演なさってました)まで雨後の筍と一緒にするのは失礼でしょうね。
>ステアリング
いっそ自分で作られては?鉄工所とかでスプリング鋼板を切り抜いて貰って、
木材で挟みリベット止めして。滑り止めに木綿コードをきつく巻いたのなんか格好良いなぁ。
・・って、それはベントレーあたりの英国車の方が似合うか?
>>523-524 なんだかアメリカ版バブルカーの趣ですね。しかし排気量は現代の日本の軽自動車よりも大きい・・。
ドイツあたりのバブルカーよりは実物は大分立派だったのでしょうね。
モノの本には「50年発売のナッシュ・ランブラーによって市場から駆逐された」
なんて書いて有りましたが、このサイズだとむしろ戦後復興なった欧州からの輸入車攻勢の方が
脅威だったのでは無いでしょうか?
50年代のアメリカで、最も輸入量が多かった車種は予想通りVWビートルだったそうですが、
二位はちょっと意外な気もしますがルノーだったそうです。当時の広告では
「全て込みでどのアメリカ製セダンよりも安い!」と謳っています(・・そりゃそうだってば・・)
さう言へばコロンボ警部はぼろプヂョーに乗ってましたっけ。
コロンボ、これはイターリャ系の苗字、クリストファー・コロンブスもイターリャぢんで
伊語式にはクリストフォ・コロンボ、Fの字のエソジソに名を残す名エンジニアもコロンボ。
コロムビアはコロムボwの女性形。コロムビア・ローズ♪私は東京のBathガール 発射ヲーラィ〜w
閑話休題、ヌテアリング、ぢつはうちの75のは純正がダメになってゐて、買ったその時とっ換へまして
ナルディのクラシック380Φやっとこ探し出して付けました。
今、今度はヌパのヌテアリングの包皮がひん剥けて見苦しひので何とかせねば、と。
ヘレボーレとかは今やお宝になって暴利を貪る連中のネタにwなっておりますし
(ウッドだかエボナイトだかの割れたヘレボーレが9マソだと?! 馬ー鹿w)
やっぱりここはナルディかと。個人的には腿よかアナルディが好きであります。
こちらのヌペチャーレコーナーの50年代復刻版は何となく英車の香りを感ぢます。
60年代モノだなぁイターリャの香り高ひのは。
http://www.fet-japan.co.jp/nardi/st-w_special.html
♪黒スレーをペットにしたくって 日参買うのはパッカードw
骨の髄までry、w。
ステアリングホイールねぇ・・。換えようとか考えた事も無かったけれど、結構いい値段ですね。
黒一色、プラスチックな私の車のメーターパネルにはウッドスポークは似合わないなぁ
(あぁ、良かったw)
>50年代復刻版は何となく英車の香り
まぁ、見る人次第ですけど、50年代のコンペティション・フェラーリなんかは、ああいうのを
使っているようですし、その辺のイメージなのでは?
この時代のアルファ(50年代・1900系)は前にも少し触れましたが、
ダブルトーンに塗り分けられていたり、コラムシフトだったりと案外アメリカナイズされている様子で
ステアリングホイールも標準ボディーにはクロームのホーンリング付き(w)みたいなのが
付いていたようです。
現存する車両の多くは「らしくない」と言ってナルディあたりに代えられている物が多いようですが
オリジナルを保っていると「らしくない」って言われてしまう車っつうのもナンだかなぁ・・。
クロスレー(Crosley)、イギリスで30年代に奇怪なリアエンジンの流線型車バーニー・クロスレー
を作ったクロスレー(Crossley)との混乱を避ける為にクロスリーと表記する事も多いようです。
実際にはどっちにも聞こえるような発音なんでしょうけど。
529 :
オサーン:2005/09/03(土) 00:03:11 ID:08rUlCLg0
♪ビュイッくりするほど黒擦れで おまけにxxxはデボネアでw
>>525 >このサイズだとむしろ戦後復興なった欧州からの輸入車攻勢の方が脅威
どっちかといえば、車そのものの造りとサイズ、あとエンジンの信頼性が。
"COBRA"エンジンのブロックは鋳物じゃなくて、スチール板+銅板(表面に真鍮加工)で
軽量化を果たしていたので、定期メンテナンスが期待できる軍用では良かったものの、
民生用になると、冷却水不足でシリンダーを焼いたり、電食で穴が開いたりで、エンジン
交換が続出したそうです。
その後、あきらめて鋳鉄の"CIBA"エンジンを使うようになるが手遅れ。
あとは、戦後の慢性的な車不足による売り手市場の終焉と、ビッグスリーの純戦後型投入。
本格的な欧州車攻勢はもう少し後、アメリカ車がV8だらけで巨大化した50年代半ば。
この時期、VW、ルノー、ヒルマンあたりが強いですが、この辺はTVCMを作って流すほど
力を入れてましたから。
♪オヤ魔羅胡瓜な人だこと♥ てなてなおだてにすぐRENAUT
おフェラおフェラはもうおよし そんなにトルコぢゃ身が持たぬ〜w
1900時代のアルファ、内装がこれ股2トーンだったり、
白エボナイト(そんな物件あるか?w)のリムにクロームのホーンレバー、
インパネもクロームびがびが、さうでした。
これのイメージに近ひなぁ、歴史は繰り返すのか、と思ったのが
ジュジャーロ御大のブレッラのオリヂナル。あのクロームぎらぎらの時代が
股まうすぐ其処まで来てゐるのでせうか?
531 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/03(土) 22:39:35 ID:b4ljKQsz0
ほしゅ
・・妙な浮かれ方をしているスレですね(w
>>529 ルノーの対米輸出は1949年には既に始まっていたそうですが、本格化となるともう暫く後。
やはり微妙に時代がずれますか。
>COBRAエンジン
鉄板溶接のウォータージャケットなのですか?また随分と面倒な・・。メルセデスの航空エンジン
(後にロールスがコピーした)にもそういうの有りましたけど、鋳造の技術が未熟な頃には
薄肉物は湯が回りきらなかったりする危険でも有ったのでしょうかね??
表面の真鍮加工ってのは鍍金ではないのですか?アルミの電食ってのは良く聞きますけど
鉄でも起きるのですね。クロームメッキの下地の銅メッキなんかでは電食等は聞かないけど、
その辺の理屈ってのも良く判らない話ですねぇ・・。(あぁ、世の中難しい事ばかり・・)
室内まで光り物ピカピカっつうのも、ちゃんとデザインされていれば良いのでしょうけどねぇ・・。
一時期のマセラーティなんか、凄かったですね。
「確かに厚化粧ではあるけれども魅惑的な熟女女優のよう」
なんて例えていた雑誌も有ったような・・。
走るローマ風呂(w じゃああるまいし。私は乗りたくないなぁ・・。やはりシンプル・すっきり系好き。
私が古い車に惹かれるのって、多分構造が見た目に判り易いからってのも有るのでしょうね。
>一時期のマセラーティなんか、凄かったですね
ぢつはアテクシあれが大好きでありまして。何せアテクシケヴァゐ熟女&ケヴァケヴァブリブリ婦人服ハァハァですので。w
うちのヌパの内装も何せ中と外の区別の無ひオープソカー、相当にねろねろに草臥れておりまして
そろそろ貼り換へだなぁ、いっそ「マゼラーティにしてくれ」と言ってみたひ、金が有れば。と。w
尤も今の黒とタンハァハァの2トーンも如何にもイターリャのヌポォツ臭く安心感はあるのですが。
これが股不思議なもので、フェラーリの内装が元が一緒の分家のせひか
アルファ・ロメオと同じ臭ひといふか雰囲気で座って違和感が全く無ひ。
単に大きくなったアルファのやうに感ぢ
何となく雰囲気のデジャ・ヴを感ぢると言ふか、何か特別な凄ひものに座ってる感が薄ひ、
妙に慣れた安心感と特別さを感ぢ無ひガッカリ感がない交ぜになった気持ちになるのです。
逆に75の如何にもモダン、若干ドイツ車ブームに乗っかってみたが成り切れて無ひやうな
あの中途半端なデザインのはうがちょっと異質に感ぢます。
誰も開けられなひドアノブとか誰も開けられなひフロント側窓とかはイタリアンですし。w
さて「イタリア行ったら〜」スレでタトラの後輪スウィングアクスルの話がちょっと出た所で・・。
以前エロスパ氏が「シボレー・コーヴェアは何故最初からコンベンセンタスプリングを付けなかった?」
と書いておられたのが私もちょっと気になって少しずつ調べていたのですが、未だ途中なので
想像半分ですが・・。
スウィングアクスルの歴史は結構古く、荷重やロールでのキャンバー変化が操縦性に
影響する事も早くから知られていた様子。1934年登場のメルセデス500K(後に540Kに発展)では
固定されたデフの下側前後に短いコイルスプリングを前後一本ずつ計二本、左右のハーフシャフトを
結ぶように付け、引っ張り合う事で荷重によりハーフシャフトがバンザイするのを防いでいました。
初歩的ながらコンベンセイタースプリングに近い物であったようです。
アルファの8C2900やタトラではリーフスプリングを使用していますが、恐らくホイール側にも
ドライブジョイントを付け、リーフスプリングの支点をドライブジョイントよりもやや高い位置に設けて
リーフスプリング自体にキャンバーコントロールをさせているのではないでしょうか?
で、更に想像ですがアルファの場合は完全に横置きのリーフなので、中央の支点に少々の自由を
持たせて、右が持ち上がった時には左を押し下げるような働きを持たせて対地キャンバーの変化を
迎えているのではないか?と、考えます。
で、此処からは不思議な所。500Kから20年後に登場したメルセデス300SLや、
純レースカーであるそのプロトタイプには、500Kに有ったような横置きスプリングの備えが全く無く
VWビートル並みの単純なスウィングアームに逆戻りしているようなのです。
そこで不評を買ったのか、後のロードスターでは、デフを固定せず、前後からトラニオンで吊って
ある程度ホイールと共に上下する形に改めると共に、コンベンセイタースプリングを追加しています。
どうしてガルウィングにはコンベンセイターの備えが無かったのか?メルセデスにはその必要性が
判っていなかったとか、その技術が無かったとは上記のような理由から考え難いのです。
>>534 しかしナンですな・・。熟女好きはイタリア車を好み、すっきり系を好むのはロリ(ry
・・みたいな話になってきたような(w
シトローエンのメーターと言うと一時期のボビン型を連想する方は多いようですが
あれはちょっと、どんな物だか?
私は時計に関しては語る資格の無い人間ですが、腕時計って普通に生きていれば当然(?)のように
幾つか集まってしまう物。その中の一つに大小三枚の文字盤が回転して、針の方は固定されている
っつう代物があるのですが、これが全く見難い事この上無し。
正にボビン式メーターそのものなのですけど、あれも針の角度から簡単に読み取る事が出来ず
レッドゾーン近くなっても、いざそれが近づかないと気が付かない。雰囲気はどうだか知りませんが
実用を考えるならばやはり普通のメーターの方が良い事は言うまでもないでしょう。
まぁ、実を言うならば、元々が時間にはルーズな私。
件の時計、見辛くっても気に入っているのですけどね(w
>535で「VWビートルのような」と書きましたが、実際にはビートルはトーションバーを用い、
300SLはコイルなのでちょっと違います。
「不思議な所」と大袈裟に書きましたけれど、当時の設計者にすれば「デッドアクスルよりはマシだろ」
くらいに考えていた可能性も否定できません。
何しろ上記500Kにしてもその前の380K時代には535に書いた備えは無く、
エンジンを大きくして500Kになったときに例の横置きコイルばねが追加された様子。
他ではポルシェにしても初期の356はVW譲りの単純なスウィングアーム
(プラス・トーションバー)のリアサスで、コンぺんセイター・リーフスプリングが備えられるのは
マイナー・チェンジされた356Aの上級グレードからと言った具合。
(Bからと書かれた資料も有り、どっちが本当なのかは不明)
つまり、最初からキャンバー変化対策にコンペンセイターを備えたスウィングアクスル車ってのは
どうも無いらしいのです。
それにしても・・。手許の模型を裏返して見ると(模型って便利だなぁ)356等は
「もう一個ドライブジョイント追加してトレーリング・アームにしてしまえばいいのに」とか
横置きリーフなら「ジョイントとロワーAアーム追加してウィッシュボーンにしちゃえばいいのに」
と思えて来ます。コンペンセイターなど追加するくらいならその方が余程良いだろう・・
等と考えつつ古雑誌めくっていたら、素人が思う事くらい設計のプロが気付かぬ筈も無く、
トライアンフ・スピットファイア(リアは横置きリーフのスウィング軸)に2リッター六気筒を押し込んだ
クーペ版GT6が初期にはスピットファイアと同じ形だったのがマイナーチェンジ後のマークUでは
プレスのロワーアーム追加されて完全なダブル・ウィッシュボーンに変更されていました。
ぁあ頭の中を恋のマイアヒがループする、
♪ピカソ 三段ビーフ キスも肉 更に肉 米酒か米酒か飲ま呑ま遺影w<脂肪肝
>>537 何、そのクチの一つがアバルトOT一派で、FIAT600つかシムカっつか(同じか)の
あの足にアーム追加してダブルウィッシュボーンに化けさせてゐます。
FIAT600の件は、そんな話を何処かで読んだような、別の車の事だったような・・。
なので、ちょっと調べてみましたら、オリジナルの600のリアサスペンションは
「セミトレーリングアームとコイルで吊ったダイアゴナル・リンクのスウィングアクスル」
・・ナンのコッチャ・・?
手許の本の中の図を見る限りでは前後方向の位置決めをセミトレーリングアーム
左右方向をハーフシャフトに担わせた構造のようです。
その為に、資料によってはセミトレーリングアームと表記していたり、スウィングアクスルに
なっていたりするみたいです。
いずれにせよ、これをダブルウィッシュボーンに改造するのは大変だと思うのですけど、
私もそう改造した車が有ったという事を何かで読んだような気がしているので、
またその内に他の資料が見つかったら・・。
・・大体、サスペンションの話とかってのは模型とか構造図が無いと訳が判らんです。
(自分で始めた?まぁ、そうかも・・)
まぁ、それはそれとして・・。
フロントはリーフ(600の前輪は横置きリーフがロワーアームを兼ねるダブルウィッシュボーン)
でリアがコイルスプリングの車ってのも珍しいですね(多分)。
アバルトの場合、行き着くところまで行くとリアがデュアルショックになったりします。
もはや原形をとどめておりません。
アバルトの話題懐かしいですねえ。もう2年以上になりますか?
都近郊のモータースポーツといえば、
江東区の豊洲にジムカーナ場があったというのは本当?
最近、その近辺に引っ越してきたんだが、そんな噂を聞いてびっくり。
ほんの数年前の話らしいんだけど。
>543
それは初耳ですが、常設だったのでしょうかね?最近まで有ったのならば「まちBBS」等でも
訊いてみてはどうでしょうか?
>541
そうすると、私の記憶していたのはナンなのでしょう?全くの勘違いなのか?
それともフロントサスの話と混同して記憶していたのか?何となくコッチっぽいなぁ・・。
ロワーアームを兼ねる(セッティングが変え難い)横置きリーフを取っ払って、
常識的なダブルウィっシュボーンに変えるってのは誰かしらがやりそうな気がするので。
アバルトのような車の場合「○○年のXXレース仕様」とかの話になってしまうと540さんの
仰るような物まで出て来てキリが無いですね。
更にややこしい事にはアバルトは単なるチューナーではなく
その名を冠したコンプリートカーが幾つも有るれっきとしたメーカーですから、
それを更にプライベーターがいじった車でも、後の記録では「アバルトナントカ」と記述してあるのみ。
・・それも当然、だって車名ですから・・。
・・てな訳で、アバルト自身の手による改造なのか?エントラントが独自に施した改造なのか?
素人には判らない話も多数。私の記憶に有るのもこの類の話なのかも?
以前のアバルトヌレでは193氏といふ本職の、
それも明らかにアバルトと深ひ関はりのあった方がいらして
ぢつに色々な事を教へて下すったものです。
いつか再びおこし頂ける日を待っておるものであるます。
では。もう少しはお気楽なインテリア、メーターパネルの話にちょっと戻って。
私は木目パネルとかを好む趣味は無い者ですが・・。
最近の車の室内に使用される木目調パネル、その名の通り、木目の印刷された樹脂パネル。
高価格な車では「本銘木」等と表示してあるようですが、衝突安全性等の見地から、
薄くスライスされた板が樹脂にサンドイッチされているだけなのだとか・・は、良く聞く話。
この手のフェイク木目板の、元祖ではないかもしれないけれども先駆けの一人であったのが
“あの”ファセル・ベガ。
1954年、フランスの大手金属加工業者ファセル・メタローン(パナール・ディナのアルミボディーを
請け負っていたのもこの会社)がアメリカのクライスラーV8を用いて作った高価格車。
その室内を豪奢に飾る木目パネル。これがなんと、オフィス用家具などで経験が深い
ファセル・メタローン特許の木目印刷スチール板だったのだとか。
例えはかなりショボイですけど、木目印刷されたスチール板っつうと思い出すのは
小学校なんかで使ったあの机・・。こんな事を言ってしまうと、ファセル・ベガの有り難味も無くなる?
それとも、今度何かの機会にあの手の机見かけたら、ジャン・ダニノス(ファセルの創立者)や
ファセル・ベガに乗って事故死したアルベール・カミュに思いを馳せますか?
(バカだと見られても知らんよ)
ホンダの初代レジェンドの本木目パネルは天童木工製が売りでありました。
なら、「天童木工」と焼印でも押せ、と思ったアテクシ。w
なを今度のキャデラックXLRのメータの縁にはBVLGARIと書ひてあります。
あれも、なぁ・・・。
このXLR、ぢつは結構良さ毛に思ふのですアテクシ、今の欧州車風味になったアメ車、
アテクシ結構評価しておるのです。ヘタな欧州高級買ふならこれかな、まぁ1,000マソですが。w
で、このXLR、近頃巷で流行りの折り畳み屋根なのですが、その出し入れが
元祖プヂョーや洗練されたおベンシとはいささか違ひ、ぢつに仰々しひ大騒ぎで
馬鹿馬鹿しくてこれ股結構お気に入り。w
ぁあさうだ、鉄板木目印刷と言へばグレゴワール、トラクタにもそのクチありましたっけ。
お腐卵臭ぢんは安ピカがお好き?w
さぁ?普通なら“プラスティックそのものが好きだ!”って人もいないと思うのですが、
一時期のシトローエン等見ていると「もしや・・」って気がしてくるように
“木目を印刷した鉄板が本物の銘木よりも好きなんだぁ!”って人がいたのでは?(w
本当の事を言うと、木目をふんだんに使用したインテリアは大嫌い。
模型を作る時に面倒臭いから(w
コスモの木目は高いんだよねぇ
コスモですか。最後のは三つロータリーのエンジン積んだ奴でしたっけ?
>>548 まぁ、印刷鉄板の方が銘木よりも好きっつうのは冗談(・・でもないか・・?)にしても。
恐らく安ピカと思ってしまうのは現代の感覚で、まだ印刷鉄板なんつう代物に新鮮味が有った頃には
左程安っぽくは見られなかったと思いますよ。
特にファセル・ベガの場合など、コロンボ警部のプジョー403なら4台。あのDS19ですら3台も買える程の
高価格車でしたから、日本の家具調テレビの天板に使用されていた程度の銘木板一枚程度を
ケチったとは到底思えないところ。
だったら何故印刷鉄板など使ったのか?なのですが、このファセル・ベガって車、普通ならば
クロームメッキで済ますフロントグリル周りに、耐久性は高くても、高価で加工も面倒なステンレスを
使用してみたりと、各種様々な金属加工に深い経験を持つ自社技術をアピールしたかったのか
通常とはちょっと異なった素材の使い方をしているようなのです。
そんな車ですから、精密な寸法に加工出来て、しかも経年変化での割れや反りの心配も無い
ご自慢の印刷鉄板を天然木代わりに使用するのはむしろ当然の判断だったのでしょう。
ところでキャディラックXLR。最近流行の「クーペ・カブリオレ」の中ではグリーンハウスが大きい。
この形ではおかしなしまい方しないとリアに収納出来ないのも無理は無いでしょうね。
これ、開いた時と閉じている時では重心高やら前後の重量配分やらがかなり変わるのでは?
こういうのを考えさせられる設計屋さんも大変でしょうねぇ。
木目つーても色々ありますが、ファセルベガのはなんだったんでしょう?
やっぱりウォルナット?それともメープル?
そういえばDB9の内装にはバンブーてのがあるんですが
これも一種の木目かなぁ・・・どっか桐とか出さんかな
個人的にはエンジンターンドのアルミパネルに
トグルスイッチとスミスのメーターが似合う車が宜しいなぁ。
最近の流行りはカーボンパネルにバーグラフタコとデジタルのスピードかな?ってこりゃバイクか。
その昔、ズリアの頃のアルファはバンパーがヌテンレヌつうのが自慢の一つでありました。
悪名高ひ70年代アルファ、ご本尊は腐ってもバンパーだけ残るってか?w
しかも今となってはバンパー外したクルマが多ひのが股一興。w
アルファってバンパーはずしても似合うからいいじゃないですか
ナナイチはバンパー外すとMotorcycle.jpgみたいになって恥ずかしいから止めましたよ
あの5マイルバンパー10kg近くあったのにな・・・
ソヴェートのラーダ・ニーヴァ(ボディはフィアット)のバンパーはジュラルミン製で、
あの車もバンパーだけは残ると専らの噂。でも押し出しのアルミサッシにしか見えんのだよなぁ・・・
おお、そういえば我がC2SSもフェンダーがステンだった・・・
120ccのスクランブラーにナニ考えてこんなW1と同レベルの奢ったんだカワサ(略
ジュラルミンちゃあ、その昔東西冷戦華やかなりし頃、
アエロフロートのツポレフの機内で使ふハンガーがミグの機体の余剰材で出来てゐるとかで
それを西側ヌパイがガメに行った、とかまことしやかに伝へられたものでした。w
ズリアは確かにバンパー無くても、ぃあGTAなんざバンパー無ひはうが本来の姿にも見へますな。
まぁGTAの場合は当然ですが。w
でも実際飛んできたミグは鉄製だったってオチですか(w
「真空管なんか使ってやがる」って馬鹿にされたベレンコさんのミグも
実際核爆発下ではその方が電磁波による障害を受けにくい・・・
なんかウソクサイなぁ
白のT.I.スーパーの内側ライト外しーのバンパー外しーの車高落としーの
みたいなのに昔あこがれましたとも。
似たような四角いセダンつーことでプログレの内側ライト(以下自主規制
さて、アテクシもぢつはエンジンターンのペルラージュ(←時計用語、一般的にはキサゲ模様)、
トグルスイッチ、ヴェリアかイエガーのメータ、メータは0が時計の5時付近で1時付近までのスケール
さういふのぢつに宜しひ。
つかそれTipo33/2そのものなんですが。w
えろすぱさん森高の画像ありがとうございます
お陰で眠れません(w
金属加工のキサゲってあんなふうに見えてすんごい平滑度なんでしょ?
職人技だなぁ・・・
ちなみにわたしは7時が0のメーターを、6時に0が来るように回して
かつ赤テープでレブリミットを示してある・・・なんてのに惹かれますな
きさげ模様、模型で再現する方法知りませんか?
>>552 手許にあるファセル・ベガの写真では木目はウォールナットですが、頼めばどんなモンにでも
代えて貰えたのではないかって気がします。それこそメープルだろうと、豹柄だろうと牛柄でも(w
ステンレスって一言で言っても実はいろいろと有るらしく、細かい事は良く知りませんが
台所の流し台とかに使われるSUS430(磁石が付く)は食器に使われるSUS304(磁石が付かない)
程には腐食に強くないのだとか(その分安価)。
他にSUS316とかって医療機器に使われるようなのも有るらしいですが、お値段桁違いらしいです。
で、例のアルファのバンパーですけど自動車のバンパーに流し台以上の耐候性持たせる意味も
無いと思うので430ではないかなぁ?とすれば他が全て無くなっても残る程の物かなぁ・・?
誰か磁石持って確かめに行って下さい。若しくはご本尊が腐っても残ったバンパーの画像とか(w
さて。また例によって勝手に始め、勝手に閑話休題・・。
きさげ模様のアルミ。メーター板。と、言えば真っ先に思い浮かぶのはGPブガッティ(でしょ?)
メーターの構成は当然様々ではありますが、一応標準的なのは回転計が二つ
(まぁ、一個は予備でしょうね)他に水温とか燃料とか。面白いのはGPカーにも時計が付いている事。
それも今で言うクロノグラフみたいなのではなく、八日巻きとかのごく普通の代物。
時々機能よりも自分の趣味性を優先させる事で有名(だった?)
エットーレさんならでは?の設計のようです。
じゃあ御影石でお願いします。シートはい草で(w
SUS316=サージカルステンレスで宜しい?
いや友人がボディピアス工房やっとるもんで。高価だけど金属アレルギーの人はこれしか駄目だって。
「シルバーのピアスなんざする奴の気が知れん。K24かPt。最低Tiコート。銭がないならアクリル」
という彼の陰茎には、0ゲージのバーベルが尿道からコンニチハ(アイタタタ
キサゲは実物の画像をカルトグラフあたりの透明スライドマークに印刷するくらいしか思いつきませんが。
ブガッティはエンジンまで無意味にあの模様だもんなぁ・・・
EB110やヴェイロンにはそこまでの伊達や粋は表現されてないのが残念です。
(EB112は良さげだったんだけどな)
561 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/10(土) 01:18:47 ID:DllrqxCt0
ペルラージュ(お腐卵臭語で”真珠のやうにする”)はルータ(PC分配器に非ずw)に
何か妥当な先っちょ付けて押し当てれば出来るか、と。w
本来は専用の機械で直線的、或ひは回転させながら1ヶ1ヶつけてゐくもので
手持ちでルータ当ててもうまくいくかだうかは尻ません。w
いっそどっかの時計のロータでペルラージュ仕上げのがあればむしってちょん切って
(所詮BS・ベリリュームカッパー、つまり真鍮)なのでちょん切るのは簡単。w
しかし「ロータが」ペルラージュ仕上げのヤシはイマイチ思ひ当たりません。w
>エンジンまで無意味にあの模様
無意味と無駄に金を掛けるのが高級なのです、実用一点張りの高品質だけでえばってゐたら
多分ミズ・ミナコ・サイトウがご存命だったら「ロウワー」の一言で片付けられたでせうか?w
森高追加。w
あ、さうだいっそ鉄板印刷のインパネ、渦巻きならバカボンのほっぺた式、
乃至は唐草模様で東京ぼん太仕様。w
そして「うずまき」と言へば美保純、ホーホホホ!<白鳥麗子でググれ
ぁあ最早クルマでも何でも無ひ只のバカヲタ養成。w
タミヤのミニ四駆用シールとかならば有るのですけどね。きさげ模様。
ただ、虹色に光ってしまうのが難点。
そりゃそうと、渦巻きと言ったら由美かおるでしょう?
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/hn/Misc/earth-uzumaki.jpeg 1955年生まれ、66年、日本テレビ系「11PM」のカバーガールに中3で抜てき ・・・・むむ・・。
熟女趣味はあまりないけど、まだイケルかも・・
・・はともかく・・。
ブガッティと一言に言っても結構いろんなモデルが有る訳でして、GPカーとか豪華な高級車
スーパースポーツ等の影に隠れてT40のような実用車も有り、そんな中には
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_Bugatti+T40.jpg?bcjxUmDB9wtU0Ns. みたいな使われ方をした車すらあります。まぁ、この手の車なのにセンターロックの
ワイアーホイール備えているように、これが本来の使われ方という訳でもないでしょうけど。
新たに再生されたブガッティ。W16から1001馬力を生み出すエンジンだの、トンでもない価格とか
そんな代物には無縁な労働者階級の私如き外野が口出しする権利も何も無いとは思いますが
かつてのブガッティの本質とは凄まじい性能とか、メーターの中心のダイヤモンドとか、そんな
高級感ではないと思うのです。このT40のような実用車にあっても、きさげ模様の施された
彫刻的外観のエンジンを積むように、ネジ一本に至るまで全ての部品に気配りの行き届いた
正に「純血種の自動車」である事がブガッティの価値だと思います。
VWグループ内から部品を調達して物凄い性能を与えられても、
私にはそれが純血種のブガッティには到底思えないのです。
↑由美かおるさんの生まれた年は間違い。1950年でした。
って事は、昔ならそろそろ「アガリ」の年齢って事か・・。本当かよ・・。
♪ハエおとこ〜は〜えおとこ〜
・・・森高のスレ何処でしたっけorz
万博のついでに行ったトヨタ博物館には、T35Bと6C1750が並べておいてありましたが、
フロントアクスルやらサスペンションやらホイールやら同時代の車とは思えませんでした。
無意味と無駄・・・というよりは伊達と粋に金と神経を使う所が江戸っ子にも通じて鯔脊ですな。
エットーレは気動車(T41=ロワイヤルのエンジン積んだ奴)とか飛行機(二重反転ペラ)まで設計してますが
その全てに共通しているのが、過剰なまでの美意識・・・といった所でしょうか。
(あ、でも最期のアレ=T101はなかったことにしといてね)
ダイヤ入りのメーターには私も驚きましたが(しかも回転計の代わりに出力計?何だそれ)
やっぱりドイツ人にはそこら辺りを理解するのは無理なんでしょうかねぇ・・・
どっちかつーと、エットーレさんの遺志はゴードンマーレイさんが受け継いだような気がします
商売としては失敗だったでしょうが。
と、粋を解さない浪速の商人が呟いてみますた。
>>568 T35Bと6C1750。今、私の部屋の中でも並んで置かれていますが(w
どうして同じ時代の車に思えないのでしょう?
ブガッティの気動車。あのエンジンすらもきさげ模様入り。誰が見る訳でも無いのに。
本当にロワイヤルのエンジンそのもの。そのお陰でシュルンプ・コレクションには
7台目のロワイヤルが有るのですが。
ブガッティと言えば、数年前東京都博物館で「アール・ヌーボー展」があった時に
エットーレさんの父君(家具職人)だったか?が作ったという箪笥が展示されていました。
見事な象嵌細工の施された品物でどことなくブガッティのエンジンの面影を感じさせるのが
妙に可笑しかったです。
画像どこかに無いかなぁ?椅子の写真は二つ程見つかりましたが。
http://galeon.hispavista.com/arts/img/sec-chr.jpg http://www.ems-o.net/zxzfig/chairs/artn/bug2.jpg なんか笑っちゃうでしょ?
ゴードン・マーレイさんねぇ・・。ナンかその辺は判りませんが・・。
・・・・スコフ〜さんくらいの年齢だと、由美かおるさんは母親くらいの年代ですか・・?
アルファがまだまだ機能のみを追求していた頃の車に見えるのに比べ、
ブガッティはすでにこの頃からデザインとディティールに拘っているように見えたって事です。
エンジン始動用クランクのサポートまで「デザイン」されているところとかね。
7代目のレプリカは気動車のエンジンで作ったレプリカですか?
生産型は12リッターでしたっけ。プロフィアかグレートじゃないんだから・・・
ブガッティ一家は芸術家の血筋で、親父カルロは家具に限らず
建築やグラフィック、彫刻などマルチな天才でした。
彼がパリに開いたスタジオには、親交のあったトルストイなんかもよく訪れていたようで
若き日のエットーレ君も「戦争と平和」について色々聞いていたりしたのかも。
しかし親戚に侯爵がいたり、荘園付の邸宅で暮らしていたり
ル・パトロン(親方=エットーレ)の生き様を見てるとアンシャンレジームって言葉が頭をよぎりますなぁ
(共和制になって何年経つんだよ)
ゴードン・マーレィを引き合いに出したのは、マクラーレンF1のパッケージングその他への過剰なまでの拘りに
エットーレの美(己自身の美意識といった方がいいのか)に対するそれと同じものを感じたからです。
マクF1、アレこそ「純金のコハゼ」とか「豪華絢爛な羽織の裏」の塊ですぜ
ところで、うちのオカンはジャッキー・チェンと誕生日一緒の同い年です(わかんねーよ)
ブガッティに関しては、以前もどっかのヌレで書ひたやうな記憶もありますが
例へばT35はボディ各部と全長、ホイールベースとの関係が黄金矩形になってゐたりする訳です。
エンジンベイ内も、流石にエソジソは黄金矩形とは行きませんが機能を犠牲にしてゐる程にも見へる
矩形への拘泥、オイルタンクは完全に黄金矩形で出来上がっております。
一方、外装デザインはこれ股馬を好んだ、そして芸術的美意識に貫かれた
エットーレ氏の面目躍如、当時のアルファやサンビームやベントレーなどの
どれをとっても精緻で高性能な機械であることを強調するやうな、
機械としての形とは異質な、言はば有機的で生物的な姿に感ぢられるのです。
それは機械を強調してみせる排気管や各種配管、加給機、サスペンションやバネ類の
かなりの部分がカヴァーの中に仕舞ひ込まれて表に見へなひ、
今のクルマはほとんどさうですので逆に当たり前に感ぢるのですが
当時としては非常に特異で現代から見ると非常に先進的・現代的に見へるのです。
股、ブガッティはブガッティにしては廉価な実用車と言はれる、
時には「エットーレのモーリス・カウレイ」「ブガッティ・モデルT」などとさへ言はれる
T40さへ、そのスポーツ性を高く評価されてゐたものであるます。
>穴空き革パンティー
プジョーはチャリンコでも有名でありますが、プジョーの大元は婦人下着屋。
ウエストを絞りスカートをパニエ・クリノリン・バッスルで広げた
昔のぢつにハァハァな御ドレスの時代、コルセットにせよパニエその他にせよ
金属のボーンは必づ必要なもので、プジョーは下着屋としてこのボーンの加工、
金属・針金加工の技術からスタートしたのです。その針金加工がチャリンコのスポークとなり、
金属加工技術の一端は胡椒挽きとなり、そしてクルマへと繋がるのでR。
なを、森高ヌレはこちら。w
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/car/1123890458/l50
573 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 21:20:11 ID:BbWeQ7Oz0
プジョーって自転車も本業だったのか
それで自転車屋に並んでたのか
↑これはどっちかてえと腐ったつうよか萌へたクチではありますまひか?
それと上記「ロワイヤル」、2座のオープンボディですがこれもロワイヤルなのですか?
アテクシてっきり運ちゃんのみ露天で運転(御者ですから)、オーナー等はクローズドボディ内、
それがロワイヤルだと思っておりました。
2座オープソでショファードリヴンつうのも考へ難ひのですが?
>>576 ロワイヤルは6台作られ、内運転席がオープンの「クーペ・ド・ヴィル」は2台だけです
(現在の姿で)
つか、ロワイヤルってのはType41シャシーの別名ですので、ボディー形式の名前という
訳では無いのです。
ESDERS ROYALEは6台作られたT41シャシーの一つに最初架装されたボディーなのですが
現在、そのシャシーにはクーペ・ド・ヴィル形式のボディーが乗っている筈。
7台目のロワイヤルを作ろうって計画が持ち上がった時、今は失われた
ロードスターボディーを昔の写真を元にして作られたのがこの車。
ショファードリブン云々ってのは説明不足でした(失礼)が、
元々エットーレさんはショファードリブン用にこのT41シャシーを設計したものの、
シャシー状態で買った人は、この巨大な車(W・B4300mm)を二人しか乗れないように
使う事を贅沢と考えたのか、こうしたロードスターボディーを架装したようなのです。
>575の車はねぇ・・私も火災起こしたか?って思うのですけど、それにしては
タイヤは残っているし、写真には写っていませんが室内の布地とかエンジンルームの
ゴム配管も幾らか残っていたし・・。一体ナンなのでしょうね?
(見た本人がワカラン物が他人に判るかっつうの w)
578 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/12(月) 09:20:44 ID:vXriceSC0
それでプジョーの自転車があっちこっちにあったのか
適当な自転車にマークだけくっつけて売ってるんだと思ってた
プジョーの自転車の下にシボレーって書いた自転車もあったけど
これはただのブランドで作ったやつなのかな?
それともシボレーもなにか自転車と関係ありますか?
70年代までプジョーの自転車はレースでも常連の一流品でしたが、その後自転車専業の
振興メーカーに押されたのか、その地位はぐっと下がり、中級アマチュア向けから
スポーツ色の強い実用車メーカーとして命脈を保っていました。
90年代にはいるとプジョーの自転車はほとんど台湾の某メーカーのOEMになります。
実は、台湾はアルミ溶接では世界屈指の技術を持っていますので、これは低品質を
意味するわけではありません。
現在プジョーは自転車生産からは完全に撤退しており、その台湾メーカーが日本向けに
プジョーブランドの自転車を作っています。
自動車ブランドの自転車は数ありますが、ある程度まじめに作っているのはアウディと
ポルシェくらいでしょうか。ジャガーなど、ブランドに傷を付けかねない内容の
自転車にエンブレムを与えています。
シボレーブランドは実用車としては悪くないものですが、シボレーとの関係はよく
わかりません。
580 :
がんそ(PC ◆.PJTVGHjVQ :2005/09/12(月) 09:47:37 ID:yUk/lHwL0
>>573 し・・下着屋?
プジョーは元々、歯車屋で、そこから、ペッパーミルや自転車のスプロケ屋を始めたんだと思ってた。
スプロケやってるうちに本体もやり出した・・・という風に。
まぁよく読むとずっと繋がってくるんだけど、下着屋の技術が車になったというなら
ガスコンロ屋はロケット屋にでもなれそうですね。
ちなみに、シボレーやらジープやらハマーやらのチャリは
そこらのチャリにステッカー貼っただけのはず。
ジャガースポーツは、多少は関連あるっぽいけど、ジャガーが作ってるわけではない。
ポルシェ、BMW、プジョーあたりは、自社制作。
BMWの場合はモーターサイクルの技術を応用しています。
フェラーリは、コルナゴとかゆーチャリ界のビッグネームとのコラボだったと思う。
581 :
がんそ(PC ◆.PJTVGHjVQ :2005/09/12(月) 09:49:15 ID:yUk/lHwL0
>>579 あら、プジョーはオリジナルじゃなかったのですね。。
シッタカすまそ。
582 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/12(月) 11:13:58 ID:vXriceSC0
同じ乗り物ということでいろんな自動車が
自転車出してるみたいですね
この前このランボルギーニの小径折り畳み見たときは
イメージがまったく合わないのでちょっと笑ってしまいましたが
583 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/12(月) 11:15:31 ID:vXriceSC0
プジョーは元々はノコギリ屋、っつーか鉄工所で、ライオンマークは「ライオンの
歯のように丈夫なノコギリを作る」ことに由来しています。
自転車に進出したきっかけは下着で合ってます。ちょっと違うのは、下着の骨に使う
鉄の輪を自転車のリムに応用したことです。
プジョーの自転車、ある程度の値段のものは、性能はたいしたことなくても非常に美しい。
おやじ世代が想像する「高級自転車」の姿をしています。
しかも値段の割に高級な部品を使ってるので、中高年がのんびり乗るのには適しています。
まあ、プジョーがと言うより、作ってるパシフィックが良心的なのですが。
あと、本気で自転車を作っていた自動車メーカーはロータス。チームの方ですが。
トラック用のカーボンバイクをF1用のオートクレーブで焼いてました。
いつぞやのオリンピックで、イギリス代表の自転車に見覚えのある黄色い三角、
あれは萌えました。
>相当逝ってるさん
全ての画像にアクセスデナイorz
下着のって鯨のヒゲじゃなかったっけ?
「鯨が取れないなら鉄で作ればいいじゃない?」
P.S.
「非実力派宣言」美味しく頂きました
↑一旦クリックして別窓が開きやほおのページに飛んだところで
アドレスコピペ&再読み込みで出てきます。
クラシックランジェリー、鯨骨もありますし金属もあります。
今では多くが当然のやうにプラスチックとかナイロンだかデルリンだか
さういふ物件になっておりますな、形状記憶ブラとか言ふまでもなく金属ですが。w
アテクシ的にはやはり↓かういったスカァト広げ系膨らまし系のクラシカルものハァハァであります、
http://www.petticoatdreams.co.uk/34865/52202.html この時代には既に金属ボーンは廃れて硬ひチュールなどの織物が主流になっております。
一応この板ですのでイセッタだのBSAのバイクをご愛嬌といふことで。w
森高のはおそらくチュールを重ねたもので間違ひ無ひでせう。w
先生、またなんというURLを。
森高のデビューアルバムを持ってるのは内緒の話。LPなので写真もでかい。
…ただしジーンズはいてて脚が見える写真は1枚もない…
↑黙ってページスクロールダウンして一番下まで見なさひ。w
中に50's車リンクがあったって、ペチコートドリームですぜ
何か問題でも? アテクシのおフェチ嗜好の本道ですので何の不思議も。
クルマはおマケ、アテクシの本筋はおフェチ、ぢん性はちんこまんこですぞ!w
あ、いけね。
591の一番下の行「シュルンプ・コレクション」の間違い。
海老集めてどうする(w
さう言へばアテクシ10数年前北青山を主戦場に遊んでゐた頃、
Tナカ・インターナショナルつうTIサーキットでお馴染みの、
あの御仁何屋なんでせうかね、バブル爛熟の頃TIの出店が北青山キラー通りにありまして
その裏手でロワイヤル、ぇえ確かにロワイヤル、ベベでは無かった筈、
何度か見かけましたがあれは何だったのでせうかね?
アテクシてっきりロワイヤルつうのはアトランティークやアタラントのやうに
ボディー架装したコンプリートモデルの名称と思っておりました。
このTナカ氏といふ御仁、日本人で唯一エルメスのバッグのモデル名にその名を刻んだ方で
「マレット・タナカ」といふモデルが存在するのです。
>>593 エビカニご接待のお好きなお方もおりますぞ。w
>>594 ベベとロワイヤルでは違いすぎます(w
その車は知りませんが、もしやこのスレの最初の方でちょっと話題になった
パンサーデ・ヴィルとかでは?
↑パンサー・ド・ヴィルって書かなければいけませんでしたかね?
「早く寝ないと・・」なんて考えながら書き込んでいるとロクな事は無い(苦笑
それにしても、このスレで一日にこんなに書き込みが有ったのって久し振りだなぁ・・
>>583のリンク先、今やっと見たのですが、ランボルギーニの折りたたみ自転車
「車のトランクにも収納出来ます」なんて書いて有りますが
ランボルギーニ車のカーゴスペースには絶対に無理でしょうね(w
ぃあ、記憶が相当曖昧模糊としておりますので何とも言へませんが
異様に巨大で長く特徴的な青と黒の2トーン、
形はそれこそクーペ・ドゥ・ヴィルだったやうな・・・。
ごく一時期多くて数回しか見かけませんでしたが・・・。
近寄って確認することが出来ませんで今でもあれは何だったのか、
レプリカだったのか本物借りたのか、ブガッティである(模したモノにせよ)ことだけは
そのグリルと赤い紋章で見て取れたのですが・・・。
チャリヲタは裾野広さうですからすぐ湧ひてくるんでせう。w
そのクルマとチャリで有名なのはミニ(本物w)の足の便所バコバコカップ式サスwの設計者、
サー・アレックス・モールトンでせうか。あのバコバコカップには「ダンロップ」の刻印がありますが
チャリのモールトンのバコバコカップにもあるのでせうか?w
やっぱ見れねっすorz
H"やっぱダメかなぁ・・・
>>597 いやいやエスパーダ(ディアマンテじゃないっすよ)やLM002なら余裕っス
って揚げ足取るのは止めといて。
多分ウラッコとかイスレロでも乗ると思うんだよな・・・
400GTもフェアレディSPみたく3人がけのがあったから無理すれば・・・
こんなこと書いてたらまたハラマがほしくなるので(そして誰かさんに売りつけられそうになるので)
もう寝よう・・・
>>599 「湧いて出る」とは失礼な(w
そんな調子だから要らぬ敵を作るのではないですか?
まぁ、それはそれとして、よくよく考えれば・・。
タナカさんはブガッティ好きで有名な方で、T55グランスポーツなど数台をお持ちのようですから
件の車もレプリカとは考え難いですね。
T41よりは小さい「プティ・ロワイヤル」と呼ばれた(それでもR・RファンタムU並みにW/B144インチ)
モデルT46とかそのツインカム版T50Tあたりでもクーペ・ド・ヴィルボディーを架装するには
充分なサイズですので、そういったクチではないか?と、考えますが。実際の所は謎ですね。
本物のロワイヤルは案外バランスに優れ、運転しては実際よりも小さく感じるそうですが
そうは言っても4tトラック並みのサイズ、
回転半径は(その方面では悪名高い)アルファ156など問題にならぬ大きさ(w
殆どジェット旅客機並みと考えた方が良いとか。
都内を這いずる事はまず無理なのではないか?って気がします。
・・と、書いている間に・・
>>600 今度見たい画像を指定して下さい。他の場所を使います。
アップローダーだとすぐに流れてしまうので、リアルタイムで読まないと無意味になるのが嫌で
やふー使っているだけの事ですから。
あれ?繋ぎ直したら見れました失礼。
>591
この黄/黒のロワイヤル有名なんですか?妙に記憶に残ってる。
成る程確かに言い様の度が過ぎましたか。
まぁ好きな(ヲタな、と言ふと股揉めるでせうかw)人々は
ぢつに目敏く見つけては本当に湧ひて出るが如く一瞬にして集まって来るには
恐れ入るものがあります。w ぃあ本当に良く見つけるよねぇ。
それとクルマ好きチャリ好きカメラ好き時計好き鉄砲好きっつな
不思議と重複するものであるやうです。
後にも先にもどれか一つだけ、っつう人は珍すぃ鴨。車ヲタにして鉄ヲタつうのも多ひですな。w
やうするに機械なら大概好きつうことでせうか。
ぁあ、ぃあ記憶が既述のやうに曖昧ですのでクーペ・ドゥ・ヴィルだったかさへも怪しひ、
記憶の中で混乱も考へられます、T氏お手持ちのどれかだったの鴨知れません。
とにかくデカかった”やうな”強烈な青と黒のイメージだけが残ってゐるのです。
アルファの旋回半径のデカひこと、これも股悪しき伝統でぢつに困ります。
理由は様々ですが一貫して昔っから回転半径はデカひ。
ましてや156一派の横置きFFで6速ミッションホイールアーチにまではみ出しでは。
同じFFでも縦置きのツトローエソはあの長ひCXでさへもFRの旧アルファよか小回り効くのでは
無ひでせうかね? つか、昨今の車の幅は広杉る。
それとこまわり君と言へばおベンシさま、あれがSクラスでさへもぢつに小回りが効く。
かつての正しひおベンシの頃は見切りもぢつに良く、且つ今でもさうですし
昨今は国産でも採用されてゐますが、ハンドル目一杯切ったときに
Fタイヤが逆キャンバーになってそっくり返って曲がる、あれは立派です良く出来てます。
>>603 まぁ、個性的つか珍しいボディーですので記憶には残り易いかと。
イタレリから模型化されてもいますので、模型屋さんで見た事があるのかも?
>>604 CXからは横置きですが、案外と小回りが利くと言う話は良く聞きますね。
シトローエンも最初に作ったFWDのトラクション・アヴァンではジョイントがまだ良くなくって
ステアリングそのものがあまり切れず、無茶苦茶に回転半径が大きかった(7m超!)のですが、
それが余程不評だったのかDS以降はかなり改善された模様。
とは言え、回転半径のデータ値そのものはWBなりなのですが、後輪のトレッドが狭いので
内輪差が小さい。その為に頭さえ入れば後はナントカなるみたいな感覚です。
ちょっとメーターの話に戻りますが。
大体昔から安い車程何も付いて来ない物。メーターも例外では無く、安い車では計器の類も数少ない。
そんな場合でも速度計は欠かせないようで、これだけは必ずと言っても良いほど付いている。
私もどちらかと言えば(言うまでもなく、か?)速度計はあまり見ない方かもしれませんが
それでも速度計と回転計とどっちか片方だけ選ぶならば速度計選びます。回転計は速度計の中に
各ギアのリミットが目盛ってあれば一応の用は足りますし。
そんな訳で、昔の小型車も多くは速度計だけで済ます車が多かった様子。
・・なのですが、面白いのがT型フォードやシトローエン5CVで、一個だけのメーターは何故か電流計。
昔はそれだけ電気系統の信頼性が低かった事も有るのでしょうけど、それならば電流計そのものも
あんまりアテにならなかったのでは?って思うのですが。
噂をすればトラクション・アヴァンですか。
実はその車、現代の日本では当然珍車なのでしょうけれど、どうも私にはそう感じないのです。
私の中でのレア度で言うとGS以下かも・・。まぁちょっと事情が有るのですけど。
そのリンク先ちょっと見ましたが、1939年式ってのは微妙な年式ですね。
世の中は準戦時体制に入っていて、外貨は厳重な為替管理下に置かれていて
車の輸入は事実上禁止されていた頃の筈。
その年式に間違いが無いとすれば、いつどんな経路で輸入された車なのか?
エロスパ氏が何故突然既女板など見に行かれたのか?と、同じくらいに気になる所(w
トラクション・アヴァン式の前輪駆動車(訳ワカラン表現w 要は前後逆転縦置きエンジン配置)に
良く有った、ダッシュボードから生えたシフトレバー。あれ、私は結構好きでした。
複雑なリンケージを使う事を避ける為にあのよう位置になっただけの事はあって、
ちょっと慣れは必要かもしれませんけれど、意外に確実で扱い易いのです。
しかしその形を採用していたルノー4の発展改良型“5”ではかなり無理をしてでも
普通のフロアシフトに変えられてしまっていました。トラクション・アヴァンは三速、
2CVやルノー4でも四速どまりだったギアが“5”では五速仕様もあったので、
さすがに何処に入れるのか混乱しかねないと設計者が考えたのでしょうか?
ちょっと蒸し返しますが、クルマ好きが自転車やカメラや時計や鉄砲が好きなのは
「精度よく加工された金属の摺動感」が好きなのかもしれません。いや、私は好きです。
(衆道じゃないですよ、エロ先生。為念)
古いライツの顕微鏡が手許にあるのですが、あの焦点調節の、金属がヌメヌメと滑る
感じがたまりません。いくら精度が上がっていても、ニコンにゃアレはありません。
高村薫の「我が手に拳銃を」だったかに、銃身のライフルとリーマーがぴたりと合う
描写がありますが、「さすがわかってらっしゃる」と膝を打ったものです。
一言で言うと、メカフェチ。
なるほど、アテクシにとってSZ・RZ(ES30)やJr.Z、本物GTAやらは全く珍しく無ひ、
SZ(旧)やらSS、モントリオールあたりでやっとこ玉にしか見なひな、
90実車は見たこと無ひ、みたひなもんでせうか。<11馬力
アテクシ既女板のみならづフェチ板へるす板風俗総合板あたりかねてより徘徊しております。w
既女板ではかつてあった某スレにネタ提供してゐました関係で。ぢん性はちんこまんこ。
ダイレクト式、うちの古ヌパ等105系アルファもさうですし
昔のジェミニ(カデット右ハン版)もさうでした。カデット(ジェミニ)のは
ストロークもやや短くカチカチと決まって宜しかった記憶がうっすらと。
同じやうに斜めに生へた古ヌパのシフトはこれ股アルファの悪しき伝統で
ストロークが長く、流石に75のやうに長ひリンケージを介してはゐませんので
あれ程のグラグラ感は無ひものの英国ヌポォツのやうなカチッカチッ感は欠片もありません。
>精度よく加工された金属の摺動感
これがお好きならおベンシ様しかありますまひ、あの全ての手触りにおベンシ感といふか
如何にも精度高く加工された金属の衆道感ヌルヌル感があり、
あの感触はおベンシ以外には存在しなひものであります。例へばBMWのエソジソフィールにも
高度な精度感と優れた衆道感はあります、が、決して「手に感触が感ぢられる」ものでは無く、
股排気量にも因ると思ひますが少なくともビッグ・シックス直6は巷間云はれる程
シルキースムースでもグラススムースにも思へませんでした。
直に体にその感触を感ぢるのは、あとはポルシェのブレーキのカチカチ感でせうか?
アルファあたりの場合、手に触れる、体に感じる精度感は無ひに等しひ、
その一方で例へば75のコーナリング、ステアリングを回す感触は只重く
プラスティック感しかありませんが、切った量とアクセルの動きに正確に旋回する、
さういふところ、暴走時の異様な高揚感、かういったところに重きが置かれてゐるやうに感ぢます。
手触りは安物そのもの、おベンシポルシェの感触は無ひ。
ところが困ったことに国産高級も感触手触りはアルファ並みペナペナ、
国産安物に至っては古アルファにすら追い付かなひっつなだうしたことでせう。
メルセデスという機械の感触は、ステアリングがリサーキュレイティングボール
からラック&ピニオンに切り替わった時に変わりましたね。
全体的に(エンジンからスイッチに至るまで)イナーシャが減ってライトタッチに。
言い換えればセル塩に少々歩み寄ってしまった。
イタリア車はぶっ飛ばした時に全てのベクトルがぴったり合う。ATであっても
高回転までぶん回さない人は、その良さが一生わからない。
軽く回る、と言ふ点では一時期の(何せ時期によっていろいろらすぃから)盗用多の
1Gなどはスカスカとふけ切る、しかし全くパワー感の無ひ6発でした。
一方アテクシにはぢつは馴染み深い日産L20、コレが股眠くなるやうな重ひエソジソ。
さう思へばBMW6発はヌルヌル回る感もそれなりに有りパワー感も有り、
さう言ふバランスでは良かったのでせう、こちらの期待が大き杉たか。
一方イタ車と言ってもアルファとFIATではエソジソの回り方は全く違ひ
アルファの場合2000回転超へれば尻上がりにグイグイと伸びてゐく感ですが
FIATのはもっとギシギシと回る感触ですな。
高回転時、アルファは4発でも6発でも感触は同ぢ、マシンガンを乱射するやうなダダダダダッといふ
強烈なビートは好きな人は好きでせうが意外と万人受けのものでは無ひ鴨知れません。
セーラー服と一晩中、か・い・か・ん、つう人なら。w
>金属がヌメヌメと滑る感じ
むむ・・。私には解らぬ世界・・。
摺動部品とかスクリューっつうのは、あんまり“しっくり・ヌメヌメ”を追求すると
傷や埃に極端には当然弱くなるので適度な遊びを持たせると言うのも
コスト云々を抜きにしてのそれぞれの製造者の考え方が出る所かも。
まぁ、609さんのようなメカフェチさんに使われるのならば心配も少ないでしょうから
“しっくり・ヌメヌメ”路線も良いのでしょうね。
>>612 あまりメルセデス体験は無い私ですが、以前とは感触が違うってのはよく聞く話ですし
なんとなくそれは感じます。セルシオ体験は全く無いので、そっちに寄ったのかどうかは
判りませんが、そう言われてみるとトヨタ臭がするのかも。
そういう先入観がある為なのか?なんだかステアリングインフォメーションまで
以前よりも希薄になったような感じを受けたのですが、直接新旧モデルを乗り比べたって
訳でもないので断言できません。つか、考えてみると、これは矛盾なんですよね。
ボール循環式からラック&ピニオンになったら手応えが曖昧になったってのは。
でもなぁ、実際にそんな気がしたし・・。今度おっちゃんがいらしたら感想をお聞きしたい所。
シフトレバーがらみで思い出した事。
随分前の事ですが。朝、車を走らせていてある交差点を曲がり、2→3→4とシフトアップしようとした時
3→4の所でシフトリンケージのボールジョイントが抜けたって事がありました。
当然ニュートラルのまま。何処にも入れようも無し・・。
なんと偶然にもその数十メートル先にはいつも面倒見て貰っていた工場があったので
ナンとか惰性でそこまで行こうとしたのですが、最後の最後に左折して歩道を横切ろうとした時
自転車が来て一旦停止せざるを得ず、ついにそこで立ち往生(w
工場の人が出勤して来るまでの間が酷く長く感じました(w
ATのように判り易い進歩は無いでしょうけれど、MTだって進歩はしている・・筈なのでしょうが、
ATばかり作らざるを得ない日本車はどうなんでしょう?ちょっとしたスポーティーグレードには
一時期、よく海外のギアボックス専門メーカーみたいなところとの共同開発による6段ギアなんて
売り文句が広告に有ったような気がします。それって「レカロシート採用!」とかと一緒で
「ウチのオリジナルのギアBOXやシートはダメな代物です」って言っているような物では?
上で書いた故障の時に、改めてシフトリンケージの取り回しを見ましたけれど
これが結構複雑で、よくこれでスムーズに動く物だと妙に感心してしまいました。
それくらいにシトロエンのMTのシフトは軽い。(前後のストロークは少々長いですが)
その為に丁度PCのマウスを扱うように指先で軽くつまむようにシフトレバーを
持つ癖が出来てしまった私。
最後に乗った国産のMT車はコロナ・エクシヴの1800(これのMT仕様は珍車でしょうね。
まぁ、中身はセリカだそうですが)やたらに軽いステアリングやクラッチペダルとは裏腹に
曖昧な感触でなおかつ重いシフトフィールに閉口した記憶が有ります。
当然いつもの右手シフトではなく、左手で扱う違和感込みなので(Rhd、MTの経験は少ないのです)
個体差も含めてダメな代物と決め付けるのは不公平でしょうけど。
それ以来、どうも冒頭に書いたような疑惑が私の頭からは離れないのです。
「トヨタはまだいいよ。三菱のマニュアルはもっと酷いよ」なんて事も、家業で三菱の商用車を
使っている知人に聞いた事も有りますが、スポーティーカー以外では主に商用車で使われているような
普通の国産MTって昔っから進歩していないのでしょうか?
確かに三菱は感触悪いですね。特にワイヤー式。
トヨタはT50の感触は好きでしたが、いかんせんストローク長すぎのシンクロ弱すぎ。
カローラバンのミッションはそれとは似ても似つかぬグニャグニャシフトですた。
スズキはMT結構いい印象があります・・・
つってもしっかり乗ったのはスイスポとSJ30だけですが
↑ スイスポとかSJ30とかって言われても全くナンなのか判りません(w
615みたいな事を書くと、また「ラテン車好きはすぐに他の車を腐す」なんて言われそうですけれども
つい最近までのフランス車のATの評判があまり芳しい物でなかった事も知らぬ訳ではないですし、
要はATばかり作っているメーカーのMTはあんまり良くない物が多いかも?って
ただそれだけの雑談です。
先日シトローエンのディーラーにC4を見に行った時「今度のATはギクシャクしませんよ」
なんて言われました。今になってやっとその程度ってのもナンだな・・。
只、昨今はあの価格帯の車で四速ATってのはちょっと気にする人には気になるのかも・・。
私はATに乗っている時には何処のギアに入っているのか?なんて殆ど気にしないので
ATが何段であろうと、燃費さえ悪くなければ構わないって思いますが。
・・そんな調子では一生メカフェチとは縁は無いのでしょうか・・?
今時の日本ではMT、特に横置きエンジンのMTに乗っている人はごく少数派でしょうから
あまり気にする人はいないでしょうけれど、この組み合わせだと気になるのがスナッチ。
大雑把な性格の私ですが、何故かこれが気になって仕方ない時が有ります。
スロットル操作する毎だけではなく、特にぺタっとくっつく感じのクラッチの車では変速する毎にも
エンジンが前後方向にグラグラと動き、不快なショックが伝わって来ます。
もっともこれって気にする人とそうでもない人と、結構極端なようで
“スナッチの酷い車+気にしない人の運転”の組み合わせの助手席になど乗せられると
気にする方の私は腹が立って来ます。
実際に一度、某国産車の助手席に座っていて、あまりに酷いので運転している人の頭を
ブン殴ってやりたくなった事も有り(w ・・変人ですかね?(w
スイスポもSJ30も知る必要なし!
まぁスズキらしいといえばスズキらしい車です(どっちも絶版)
スナッチは非線形スロットル(踏み始めだけガバッと開く)と
オーヴァーサーボなブレーキ(カックンブレーキ)との相乗効果で更に破壊力を増します
会社のカロバンがまさにそれなんだよねorz
後、FRだと駆動系のバックラッシュも加わってきたりしてそれはもう
初代レンジローバーに乗っけてもらった時、デフがあまりにガシャコンガシャコン言うので
「さすがアルミボディ・・・リベット緩んでんのか?」と思ったことがあります
ビトゥルボ時代のマセラティのレンジャーデフもバックラッシュ大きいらしいんですが
乗ってる方おられます?
619 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/18(日) 08:31:44 ID:WBwDugBa0
車の形にセダンというのがありますが
この後にトランクの部分がでっぱってる形が
これが高級車とかに用いられるようになったのはなぜでしょうか?
昔の馬車に似た車とかが後がそのまますとんと落ちててワゴンっぽくもあるし
実際今のワゴンとかのブームを見ても分かるように
車の形としてはステーションワゴンとかの方が
普段乗りの理想の車の形に近く
もっとはやくワゴンのブームが来てもよかったように思うのですが
コンパクトカーも荷室とつながってる感じですよね?
トランクの部分の上が無くてトランクだけの構造だと
なにも積めないし不便だと思うのですが
実際自分はステーションワゴンに乗ってますけど
もっと荷物が積めるステップワゴンみたいなやつがうらやましく感じます
速く走るクーペやオープンカーのカブリオレならば
あの形にはなっとく行くのですがセダンの高級車の形だけは必然性が見えません
>>619 高級車っていうのはやんごとなきお方を後席に乗せたりする車ですよね?
その際に荷台とつながってる座席に案内するのは失礼というものでしょう。
騒音に関してもワゴンは不利ですし(でっかい共鳴室に座ってるようなもんです)
振動といった面でも仕切りのあるセダンの方が剛性的に有利でしょう。
以上、歴史とか関係なく見たまま感じたままの意見ですた
そうそう、昔の馬車に似た車がどの辺りを指すのかわかりませんが、大抵トランク別体ですよ。
ミニとかシティカブリオレとかみたいに、あの猫背の下の方に荷室があります。
そうですね。ドライバーズカーとしてはセダンよりもエステートの方が高級という考え方も有るってのは
このスレの前半のシューティングブレーク談義でも有りましたけど、ショファードリブン
(早い話が運転手に運転任せる車)としても使うには、荷室との境い目が曖昧なのはマズイのでしょう。
昔の高級車には荷室は皆無なのも珍しくありません。荷物を積む為の車ではありませんから。
その必要が有る場合には、お付の車を別に用意して、大名行列の如く何台もを連ね、最後の一台には
犬しか乗っていないなんて莫迦げた事も平気で行われたようでしたが、戦後はそこまでする人は
いなくなったのも荷室付きが一般化した原因の一つでしょう。
また、スコフ〜さんも言われているように、本来荷物など積む気は無くとも、見た目のバランスの為に
小さなトランク(言葉通りに革張りの物等)をリアに括り付けた物もあります。
>>691のブガッティ・ロワイヤルの写真、左中段の黄色と黒の車などその典型でしょう。
戦前のフォードでデザインに絶対的な権限をもっていた(欧州製の良い物好きで有名だった)
エドセル・フォードがこのプロポーションを巧みに取り入れ、彼のセンスでまとめたのが
当時フォードが“ツーリング・セダン”と呼んでいた形
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_Sedan1.jpg?bcpx9oDBPuGh1KHm 普通のセダン(トランクの張り出し無し)は↓
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_Sedan2.jpg?bcpx9oDBrd63eZPI この、トランクが張り出した形が戦後3BOXの原点と考えます。
つまり、セダン(この用語を車に使用したのもフォードのようです)が高級と言うよりも
高級車の形状を模倣したのが現代的な3BOXセダンの始まりと考えても良いのではないでしょうか?
・・簡単に説明するつもりだったのが、毎度の長文で読み辛かったら失礼(苦笑
あ、レス番間違い。
↑で691と書いたのは
>>591の間違いでした。毎度失礼。
ここ数日軽井沢に非処にw逝っておりました。
以前から不思議に思っておりました旧軽ロータリーのフェラ屋見物して参りました。
さて、シフトショック、スナッチングですがアテクシ皆様ご存知のやうに乱暴者ですので
全く意に介さづクラッチは基本的にはドスンドスンです。
ブンッと回してドンッと繋ぐ。
本来のクラッチの原理原則としては半クラは必要悪、ドンッと繋ぐのが本来正しひ、
ポルシェなどは断固これやら無ひと蹴られたりするのですが・・・、
現実問題として特に人乗せた場合これやると具合悪くされるのでまぁ遠慮する訳ですが。w
だうもアルファのドライブトレインのバックラッシュも結構大きひやうです。
それと聞く所に因ると昔の(本物の)ブガッティ、これが股ギアの音・振動は凄まぢひものらすぃ。
凶暴なヌポォツを売り物にするクルマは概してさうなのでせうかねえ。
一方昔のジャギュアの駆動系の剛性はぢつに高く感ぢられ、動き出す瞬間ヌルリと動くあたりは
ぢつに立派でありました。今のフォード・ジャギュアは如何なもんになってませうか?
オタクの皆様、ヨーロッパフォードについて語ってください。
実力にくらべて評価が以上に低いように思えてなりません。
↑それはそうかも知れませんけど、いきなり語れと言われても・・w
もうちょっと話のきっかけになるようなネタ振りをお願いします。
昔のブガッティは、シャシー/フレーム剛性を高める為にエンジンをリジッドマウントしていましたから
振動に関してはかなりの物であったでしょう。
なんと、これはGPモデルはおろか、あのロワイヤルでも同じ。つか、ロワイヤルって、ギアボックスが
バネ下重量になる特異な駆動系等を除けば他のモデルの拡大版でしかないようです。
前後サスペンションなどのディティールは全くGPモデル等と同じ。
あの12〜14リッターも有る巨大な直8にしても、それだけの大きさならばV12とかキャディラック並みの
V16にする手も有ったでしょうけど、シリンダーブロックに角度がついて、例の外観が失われるのは
絶対に避けたかったのでしょう。
AT主流の昨今はスナッチなんて問題視する事も無くなったようですし、シフトショックの方も
断続時の出力制御やらなにやらで以前のようにうるさく言う人はいなくなった様子。
ジャガーも現在輸入されているモデルは皆ATのようですし、昔のモデルと直接比較するのは
難しいでしょうね。
その反面、ATが多数派になったせいなのか、スコフ〜さんの言われるようなオーヴァーサーボな
ブレーキが増えているような・・。その為に低速での荒っぽいスロットル操作でギクシャクとするよりも
ブレーキ操作でギクシャクとする車が増えているような気がするのですが。
ttp://www.meitec.co.jp/japanese/news/32kessan.htm (資産の状況参照)
確か30億で買ったはずのロワイヤル、今じゃ1/3ですか・・・
ヨーロッパフォードと言えばコーティナロータスが浮かんだんですが、
フォードとロータスのコラボっていつのまに解消されたんでしょう?
トヨタと組んだ辺り?
90年代にはボグスホール(=オペル=GMヨーロッパ)と組んで
ロータス・オメガ/カールトンなんてのを作ってましたが。
欲しかったけど日本には無いんだろうなorz
・・ロワイヤルの価値は不変なのにねぇ・・。まぁだからこそのクラシックなのですけど。
ロータスはGM傘下に加わるまでは、他のメーカーとはモデル毎の関係だけだったのでは?
コーティナしかり、ルノーエンジンのヨーロッパしかり、英クライスラーのサンビーム・タルボが
ベースのサンビーム・ロータスなんてのも有った筈。
ブレーキサーボ話の続き。
フランス車は昔から(他の国では高級車でもサーボ付きが一般化する前から)安物大衆車にも
ブレーキサーボを付けていました。
フル・スロットルとパニック・ブレーキの繰り返しが当然っつうフランス人型の運転パターンが
それを要求したのだとか。ところがブガッティは総重量4tにもなろうというロワイヤルにすら
ブレーキサーボを付けませんでした(もう訳ワカランw)
ちなみに、エクザンティア以前のハイドロ・シトローエンの場合。普通の車とは異なり
ブレーキペダルは車高保持に使用される油圧経路とブレーキ系統を結ぶバルブを調節する
役割が与えられていました。この為にペダルの感触は他のどんな車にも似ていません。
この形が初めて使われたDSでは、ブレーキはペダルの形すらしていなかったのは有名な話。
また、フランス人型の運転パターンに合わせてセッティングされていたのか
「靴の重みを預けるだけでパニック・ブレーキが利く」と言われたそうです。
今乗ると、他の車も全体にオーバーサーボ気味な為かそんなには感じませんが。
DSはまた、殆ど世界初(正確には火災で生産計画を断念したジャガーXKSSに次ぐ?)
ディスク・ブレーキ採用車でもあり、当時の普通の人々はこの過敏なブレーキが
ハイドロニューマティックによる物か?それともディスク・ブレーキの特性なのか?
判断しかねた事でしょう。
さて、欧州フォードねぇ・・。一応はドイツフォードの話ですけど、
戦前はアメリカ製と全く同じボディーの車とか、単純に縮尺しただけのデザインの車を
作っていたようですが、戦後は少しずつですが独自色を強めて言った結果、
本国よりはかなり早く、1952年のタウヌス12Mでモノコック化を果たしましたが
ライバルであるオペルのオリンピアと比較すると20年近く遅れての事で、エンジンに至っては
このスレの最初の方でもちょっと触れましたが、なんと60年代初頭までサイドバルブを
使ってたのはいかにも保守的なフォードらしいと思います。
・・・・なんて話は期待されてないだろうな、多分(w
個人的にはドイツフォードの製品中で好きな物って言うと62年登場のタウヌス12Mですね。
縦置きV4エンジンで前輪を駆動するというのは同時代のランチア的でもありますが、
その頃のランチア・フルヴィアベルリーナよりもクリーンなスタイルはちょっとプジョーの404
的ですらあります。
V4エンジンは振動にかなり問題があるのでしょう。このタウヌスの60°V4ではバランスシャフトが
与えられていましたが、ランチアの伝統であった狭角V4(フルヴィアでは約13°)の場合は
振動面では左程直4と変わりないのか、そうした備えについての記述は手許の資料には
見当たりません。その代わりに弁駆動は凝っていて、一体のシリンダーヘッド上には
二本のカムシャフトを備え、それぞれが吸気と排気を担当。つまり各バンクSOHCではなく
両バンクまとめてのツインカム
・・・・なんて話も絶対に期待されてないんだろうなぁ・・(w
なんか、ひとりでぶつぶつ言ってる人みたい
話しぶった切りますが今日アストンのヴァンテージ(ヴィラージュベースの)と
同じくラゴンダの後期型を30秒以内に2台見てしまいまして
これはもう何か妙なことが起こる前触れで無ければ・・・と(w
しかしどっちもでかかったなぁ
ヴァンテージはCLより、ラゴンダもセンチュリーよりでかく見えた
しかし2台ともアルミの手バタキパネルが明らかに面が出てなかったのが悲しい
特にラゴンダなんか平面が広大だからなんかもうベコベコ(w
633 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/23(金) 01:13:05 ID:KiDfReYh0
>>632 同じブランドの珍車ならば、続けて見る事も不思議は無いでしょう。
俺は以前にマツダシャンテとダイハツアプローズが続いて走っているのを見ましたw
別に妙な事は起きませんでしたがw
しかししかしと日本語が不自由な人みたいだな>漏れ
>>633 アプローズはあまり希少車のイメージが無いな・・・
シャンテは渋いけど。
でも見たのがイベントでもなんでもなくて
大阪は松屋町(まっちゃまち)筋のバイク屋の前ですぜ(うーんローカル)。
2台とも路駐で、10軒以上離れた所に止めてあったんで無関係な人かと。
そう言えばベントレーのコンチネンタルGTや612スカリエッティ、
マセの現行クアトロポルテをはじめて見たのもこの通りだったな・・・
ホームレスとぼったくりバイク屋しかいない通りだと思っていたが、謎が深まる・・・
>>634 まーっちゃまちのぉふくいたや にんぎょとゆいの♪
636 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/23(金) 12:02:53 ID:klZwqOcG0
637 :
636:2005/09/23(金) 20:11:04 ID:jXdMgswZ0
皆様、書き込みありがとうございました。m(_ _)m
638 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/24(土) 01:54:05 ID:8V4cV6ao0
>>634 ぼったくりバイク屋さんってのが案外と儲かる商売だという事なんでしょうかねw
612スカリエッティのサイドのプレスラインは、初代コルヴェットの真似か?
って思ったら、フェラーリのショーモデルが先だったんですね。
>>634 >アプローズはあまり希少車のイメージが無いな・・・
それも関東と関西の微妙な違いなのかもしれませんね。
国産はよく判らない私ですが、アプローズは珍車として記憶しています(w
ラゴンダも、珍車の筈なのに、このスレでは何故かよく目撃談が出ますねぇ。
前の方でも話に出ましたが、全長に対して幅は少ない特徴的なプロポーションの車。
横から見れば大きいのですが・・。
以前他でも書いた事のある話ですが、手バタキの腕前に関してはもしかしたら戦前の日本の
板金職人さん達に勝るものは無いのかも?
他所の国では木骨に合わせてアルミ板を叩き出し、電気溶接で接合する事が可能になってから
急激に複雑な形状のボディーが増えていったようですが、
その時代に日本ではアルミ板が入手困難な事から1mm程度の鉄板を叩き出し
(これ、現代の鉄工所の職人さんに話しても信じて貰えません。それ程凄い事なのだとか)
しかもアルゴン溶接の機械も無かったので、ガス溶接で接合していたのだそうです。
そんな事が出来たのも、当時の板金職人さんの多くは銅壷屋さん経験者で、
銅板一枚から急須でも薬缶でも自在に作れるような名人揃いだったからだそうです。
しかし「彼等にしてみれば、自動車に必要な曲面など雑作も無い事だったのでしょう」
なんて昔を知る方が言っておられましたが、
鉄板叩き出すのには物凄い体力を使ったのではないでしょうか?
641 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/24(土) 23:15:32 ID:Jzj55KuU0
何で日本人て手先が器用なんでしょうね?
欧米人と東洋人だと目の仕組みが違って
違う景色が見えるという話を聞いたことがありますが
感覚にもなにか違いがあるのでしょうか
642 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/24(土) 23:16:21 ID:Jzj55KuU0
あと西洋人は匂いにも少し鈍感で
少し臭くても大丈夫だとか
最近の日本人は最早器用では無いかもしれませんけどね。
西洋人が匂いにやや鈍感なのかも知れないと言うのは思い当たる節多いですね。
向こうの都市に行くとあちこちで女性(に限らない?)の香水の甘ったるい香りの充満している事に
閉口します。
昔は、特に日本では熟練の職人さんの仕事が正当に評価されていなかったようで、
彼等が安い賃金で使えたという事が、産業の近代化にはかえって逆効果だったのかも。
本来ならば安価な大衆車である筈のダットサンやらオオタまで、西洋ならば高級車しか
乗せないような手作りボディーを乗せていては、量産は無理という物。
最近はプラスティックの進歩で、アルミをテバタキして成型したボディーなどはすっかり
贅沢品となりましたが、そんな事もあってかフェンダー裏などの目立たない所には
わざと叩き出し物である事を強調する為に、ハンマー跡を残しておくような事も
行われているのだとか聞いた事もあります。
・・本当かどうかは知りませんけどね。そう言えば以前見た少し古いランボルギーニでは
正にフェンダー裏に凸凹が残っていましたが・・。
モノコック全盛の現代では、テバタキボディーの需要も無くなり、そうした技術は
博物館等に出入りする一部の業者さんだけの物となって行くのでしょう。
云わば博物館アイテムの技術。
644 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/26(月) 11:52:56 ID:7WZAC8hy0
軍事板で戦時中の話聞いたりすると
飛行機とか船も職人がヤスリで削って誤差を調整したりしてるのが面白い
戦艦大和も戦後こんなデカイ船どうやって作ったんだとアメリカ人が聞いたら
日本人が「日本国中からそろばんの名人集めて計算させた」
とか言う話を聞きました。
ゼロ戦にも空気抵抗減らすために枕頭鋲というフラットな鋲を
使っていたり面白いです。
>飛行機とか船も職人がヤスリで削って誤差を調整
そんなことしてるから、同型機でも互換性が無いのよ
ニコイチなんて夢のまた夢だぜorz
>>644 「枕頭鋲」私は「沈頭鋲」だとずっと思っていましたので試しにぐぐってみると、両方出て来ますね。
手許の国語辞典を見たら「枕頭=枕元の事」とあるだけで、リベット云々の事は出ていませんでした。
どっちが正しいのか?両方有るのか?今度例の鉄工所経営している知人に訊いてみないと。
でも知っているかなぁ・・?
昔の日本の工業が、職人さんの腕に頼る余りに近代化に遅れたというのは昨日も書きましたけど、
それに輪をかけるのが、その職人さん達への評価が不当に低かった事だったのではないでしょうか?
賃金の安さもそうですし(それ故に更に職人さん頼みの傾向が強まる)そういう腕の持ち主を
徴集して戦地に送ってしまって、肝心の兵器を作る人がいなくなるなんて、彼等を正当に評価して
いたならば考えられない事でしょう。
>>645 >同型機でも互換性が無い
似たような話で、
昔、オオタのボディーをテバタキした職人さんが実際に使用したボディー三面図ってのが
SCGに掲載された事がありましたが、これがまた大雑把な代物で曲線はどこから始まり
半径どの程度のRなのかも書いて無い・・。
それを職人さん達は各々の感覚を頼りに立体に翻訳していたのですから、職人Aさんの叩き出した
ボディーにはBさんの作ったドアは付けられないなんて事も幾らでも起きたでしょうね(w
沈頭鋲であってると思いますけど。flush rivetでしたっけ。
そんなことで抵抗減らすよりオクタン価上げて+100psした方が速ぇよ。
てのがアメちゃんの考えなんでしょうなぁ
職人さんに限らず変に平等でしたから>日本の徴兵制
職人も学者も百姓も皆戦場行き。
てか、オオタ!後のたま電気自動車ですな
朝鮮特需でバッテリーの原料の鉛が統制物資になってプリンスに吸収・・・でしたか
それがなけりゃ今頃ティーノハイブリッドは日産ではなくたまが・・・って脱線しすぎ。
図に数値が入ってない=職人の腕の見せ所って感じなんでしょうかね。
そう言えばデイトナコブラも一台明らかに寸法を間違えた奴があったような。
たま電気自動車(如何にも高性能っぽくない名前で好きw)の前身は立川飛行機だそうで
このスレの
>>41でおっちゃんが少し触れられてもいます。
戦時中にオオタ号を作っていた(株)高速機関工業が立川飛行機に工場設備一式を
軍の命令により、売却させられたというつながりは有るそうですが、
オオタが“たま”の直接の前身という事では無いようです。
で、戦後立川飛行機は多摩電気自動車となった後、
鉛の高騰でガソリン自動車への転身を図り、プリンスへと発展したそうです。
オオタに関してはSCG07に詳しい話が有ります。
オオタ(日本高速機関)は57年頃まで細々と乗用車の生産をしていたそうですが、
創業者一族は前述の工場設備売却を機に会社を離れ、
戦後はニッサンとの関係を深めてその試作車工場「アルファモータース」(なんつう名前だw)を
立ち上げましたが、結局は請われてニッサン入りしたのだとか。
・・しかしまぁ・・戦中、戦後の日本企業の流れを辿るのは面倒臭いですね・・。
互換性と言えば、三八式歩兵銃も有名ですね。各個体の精度はよいが部品の組み替えはほぼ不可能だったとか。
日本の場合、いまだに大切なところは職人さんに頼っているのは困ったもので、最新鋭の国産ロケットさえ
チタン相手にやれ箆絞りだ、やれ0.1ミクロンを感じる指先だとやっていますね。
(このあたりなんだかイタリアと通じるものがあるように思います)
大量生産の権化のように言われ、我々もそう思っている日本がなぜ、と不思議です。
650 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/26(月) 23:56:42 ID:Xgg2Md7AO
車オタクになると、どうやったら走るのかとかタイヤ一つの事を長く話すのか?
651 :
オサーン:2005/09/27(火) 01:20:22 ID:imotFCbB0
両社の関係といえば、敗戦後、立川はオオタのボディを下請け製作してました。
なので、たまとオオタにディティール違いの共通ボディがあったりします。
戦前のオオタは、創業者の長男、祐一による凝った味わいのあるデザインがとてもよろしいのですが
戦後になると茫洋とした豚饅を作ったり、門外漢である彫刻家のデザインに社運を賭したりと、
没落への道を歩みます。
その無残なデザインの理由は、アルファモータースの前身、ワイドフィールドモータース設立
の際、息子たちがオオタを離れたから。
技術屋ヘンリー・フォードと美学屋エドセル・フォードの関係に似た成り立ちのオオタには、
息子の穴を埋めるゴードン・ビューリグが来なかった。それがオオタの運の尽き。
652 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/09/27(火) 09:54:26 ID:jC0TTvUm0
653 :
スコフ〜:2005/09/27(火) 10:13:47 ID:GUIig06W0
>651
末期のオオタはアメ車を縮小コピーしたようなライトバンを作ったかと思えば
イギリスのハンバーみたいなセダンを作ったりして意味不明でしたな
最終モデルは借金のカタに京都の某タクシー会社に引取られ・・・
って会社がなくなってるのにメンテできたんだろうか
>>652 ホンダはジェット機作ってどうする気なんでしょうね?売るつもりが有るのか無いのか・・?
さて、オオタ。戦後も立川飛行機とのつながりが有ったのですね。
大田祐一氏は日産退職後は仏像彫刻で名を成したとか。
戦前のオオタは河口湖の博物館に見事にレストアされた物が何台か有ります。
確かに同時代のダットサンとは一味も二味も違うのは見て判るのですが、
当時の小型車規格(全長2800mm)に合わせる為に寸詰まりなのは否めません。
祐一氏が当時(戦前)最も少ない制約下にデザイン出来たのは例の多摩川スピードウェイで
自らが走らせたレーサーだったのではないでしょうか?諸外国の情報が乏しかった頃の事
時流からは遅れていた事は確かですが、プロポーション、ディティール共に見事な物だと思います。
それは別にして。
エドセル・フォードとジャン・ブガッティには長生きして貰いたかったと思う事が時々有ります。
この二人にフェラーリ家のディーノさんを加えて「薄幸の二代目御三家」
ディーノさんは車の名前として皆に愛されましたが、エドセルさんはその名前を頂いた車まで
薄幸に終わりましたし。
今のように車のデザインの意義が広く認められていなかった頃、特に日本ではエドセルさんは
様々なメディアで放蕩な二代目、ボンボンのように扱われる事も多かったとか。そんな事も今や昔・・。
657 :
オサーン:2005/09/28(水) 23:41:57 ID:vFqJP4gI0
>>653 >会社がなくなってるのにメンテできたんだろうか
関東自工がカタに取ったPK-2型ボディはご指摘の所へ流れたわけですが、オオタのE-9型ではなく
トヨタのS型エンジンを載せていたという話も。ボディも細かな差異はそのままの混成部隊ですし。
フォードの中級車エドセルは車名決定が難航したうえ、最後まで車名に亡きフォード一族の名を
冠することに抵抗する勢力があったとか。
「一族の名がホイールキャップに刻まれて、全米の路上でくるくる回るのは耐えられない」www
オオタの画像に関しては、カーマガジン別冊・ジャパニーズヒストリック2に載ってますんで
実家帰った時に読み返してみます
>657
トヨタエンジンですか?それは知らなかった
て言うかそんな簡単に載せ換えできるんだろうか
>>656 それは企画展の記事のようですが、常設展示に乗用があったのか?
何か資料が有ると良いのですが。
昨日「国産に興味が無い」なんて書きましたので、
舶来信仰者みたいに思われているかも知れませんが(まぁ、そう言われても肯定も否定もしませんが)
本来模型好きから車好きになったクチですので、この先キット化される見込みの無い車には
以前は冷淡でした。二度の大戦間の車を幅広く集めたいと思っていますが、このクラスの車なら
オースティンセヴンとシトローエン5CVが有れば充分でしたし。
>>657 >一族の名がホイールキャップに刻まれて〜
そのような話は私も読んだ事が有りますが、
「それを言うなら、フォードって車名だって・・」って思いませんか?(w
ワークスレーサーの下の写真を見ると、ヨーロッパのGPカーをよく研究しているのがわかりますね。
作った人がクルマが大好きなのがうかがえて、好感が持てます。
大田祐一さんは、当時の日本では当然ながら自動車デザインを何処かで学んだ訳では無いようですが
インタビュー記事の中で御自身も言われているように欧州車への憧れが強かったようです。
同じ頃にダットサンのデザインを手掛けておられた富谷龍一さんのインタビュー記事というのも
手許に有るのですが、こちらはアメリカ。特にフォードあたりの影響を強く受けられていたようで
それはそれで良いのですけれど、趣味性の少なさや、新鮮味にやや乏しい事で
(フォードは横浜に組み立て工場が有り、当時大量に走っていましたから)
オオタと見比べると損をしているような気がします。
オオタはと言うと、660の一番上の写真にも見られるように
ロードスターのドアにカット・アウトを入れてみたりするのは同時代のアメリカ車には見られないセンスで
その頃巷に溢れていたフォードやシボレーなどの中では、かなり新鮮に見えたであろうと思います。
>>661 自らが憧れ、お手本にしたヨーロッパのGPカーもさながらの自製のスペシャルに乗り込んで
多摩川スピードウェイに(恐らく)颯爽と現れた大田祐一さんのその時の気分は如何な物だった
でしょうね。639に貼った写真にも写っている石段に腰掛けた当時の群衆(皆、車の運転など
した事も無かった)の目にはどんな風に写ったでしょうか?
663 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/10/02(日) 00:34:04 ID:adWNvQUB0
エドセルって、フォードの大失敗として知られていますが、あのデザインは私は結構好きです。
あのデザインもゴードン・ビューリグの手による物なのでしょうか?
664 :
オサーン:2005/10/02(日) 21:01:46 ID:+mvV/w8e0
ビューリグは65年までフォードに居ますが、属するセクションの
性格はどちらかというと、試作や新素材研究の方です。
エドセルのチーフデザイナーはロイ・ブラウン.Jr。
ショーモデルの Lincoln Futura のデザイナーとして知られてます。
Futuraといえば、デデデデデゲデゲデゲバットマンですな。
ジャパニーズヒストリック2取って来ました
戦後のオオタの写真30枚ほど載ってますがスキャナが無いのよね
・・・てもうオオタの話終わっとるやんorz
>>660 オオタのワークスレーサー、多摩川レースでダットサンを破って堂々優勝!ですな
ワークスカーは22号車と23号車の2台でなぜかボディが全然違います
惨敗したダッツンが切れてツインカムスーパーチャージャー付きエンジンを開発してリベンジを図ったとか。
>>665 そう言わないで、いつか都合の良い時にでもお願いします。
どうせ話題は行きつ戻りつの雑談スレですから。
ついでに、正確な雑誌名教えて貰えませんか?
「古本屋入ったら捜してみるリスト」に加えておきますので。
では今日はエドセルの話は置いといてもうちょっとオオタレーサーがらみの話。
1936年6月の第一回多摩川レースに出場した二台のオオタレーサーは小さな写真ですけど
655に両方写っています。この日に惨敗を喫したダットサンは10月の第二回までの
僅か4ヶ月の間にツインカム・スーパーチャージャー付きレーサーを作って来たそうですが
オオタの方はこの第二回には祐一氏が怪我をしていた事もあり欠席。
ここで勝利を収めたダットサンはこの後二度と現れなかったそうです。
ダットサンが僅か4ヶ月の間にツインカム・スーパーチャージドエンジンを開発出来たのは
フランス製小型スーパースポーツ・サルムソンのエンジンを参考にしたおかげもあったそうですが、
あまりにも機密主義を徹底させた為に(研究用に購入した事は知られていた)サルムソンのエンジンを
そのまま乗せていると思われたのだとか(実際には排気量も全く違うし、過給機はゼロからの設計)
なんだかこの辺り、後の富士スピードウェイでトヨタ相手に戦った日産ワークスチームとは
手口こそ全く逆ですけど、何処と無く共通する部分が有るような気がしませんか?
ジェイズ・ティーポ2月号増刊
ジャパニーズ・ヒストリック2
(平成6年2月発行)です
これによると祐雄氏(祐一氏の父・オオタ創業者)が件のダットサンのテストをしているのを見て
「ありゃ舶来の猿無村じゃ〜こりゃかなわん」と言って出場を取り止めたとなっています。
祐一氏が後にワイドフィールドモータースでダットキング・ダットクィーンと言うレーサーを
東京日産のスポンサードで作ることを考えると
なにやら因縁めいてますな。
昭和42年まで日産にいたということは
ケツ下がりピニン410のマイナーチェンジなどもやったのだろうか・・・と思ってみたり。
それと、関東自動車差し押さえ→タクシーなPK−2型ですがエンジンはE−9型の改良型で
ストロンバーグ型ダブルベンチュリキャブにより26psを発生しておったとなっております。
この後はほぼ商用車だけになった挙句に日産工機としてかつての敵の傘下になるんですよね・・・
くろがねとの合併も焼け石に水orz
取りとめも無い文章で失礼
会社でスキャンしてたら・・・怒られるだろうなぁ
サルムソンついでに。ここは元々ポンプ屋なんですが、WWTの頃に軍用機の生産でのし上がり
(わが国でもライセンス生産してます・・・川崎造船飛行機部で)
1919年から車を作ります。と言ってもサイクルカーですが、
90度空冷Vツイン1100cc(ドゥカティみたいだな)をフレイザーナッシュのシャシに積んで
第1回ルマンでもクラス優勝したりしています。
30年代にはデラヘイのだいぶ下くらいの微妙なポジションで比較的大きな車も作りますが、
WWUでルノーの工場に対する連合軍の空襲の巻き添えで工場が破壊されてしまうと言う悲劇。
戦後も時代の流れについていけないまま、1953年に2.3リッターのスポーツカー、サルムソン2300Sを発表しますが
1957年(オオタと1年違いだ)までに237台を生産し、その歴史を閉じます。
ところで、この車実車残ってるのかな・・・
>>668 サルムソン
>この車実車残ってるのかな・・・
salmsonで検索すると結構引っ掛かるようですよ。それに、サルムソンはポンプ屋に戻って
未だに存続しているようなので、会社に行けば一台や二台は有るのかも?
ダットサンが研究用に入手したサルムソンエンジンは、自製のエンジンを持たない小型車
(やはりサイクルカーメーカー上がりの)ラリーという車ごと当時のダットサンに買われた物のようです。
これを信じるならば、1.3リッター程度の4気筒DOHCのS4型エンジン筈。
それにしても。1936年6月の第一回多摩川レースでオオタに敗れたダットサン、いくら手本が有った
にせよ、第二回までの僅か四ヶ月でDOHC過給エンジンを作り上げたと言う定説はちょっと信じ難い。
それに、オオタに勝つだけの為にそこまでやるか?とも思うのです。オオタのエンジンが多少は
強力だったと言っても、市販型のSVはそのまま、センターベアリングを加えて圧縮比を上げ
ツインキャブにした程度の物だったようですから。
しかし・・。何か他にも目的が有って製作中だったけれど、第一回には間に合わなかった
DOHC過給機付きエンジンが有ったという考え方も肝心の「他の目的」が全く思いつかないので
やはりこれはこれで不自然なのですが。
ところで、ダットサンはこのラリーというフランス車を、日本自動車競走倶楽部の役員であり
戦前の自動車史には度々顔を出す様々な顔の持ち主、関根宗次氏を通して三井高公氏から
買ったのだとか。三井と言えばオオタ=高速機関工業の最大の株主。
おおらかな時代ではあったものですねぇ・・(w
>>667でちょっと話に出たダットキング&ダットクイーンですが、
ダットサンの改造エンジンを鋼管製ラダーフレームに積んだ公営ギャンブル用のレーサーなのだとか。、
太田祐一氏のデザインらしく、当時のGPカー(ちょっとマセラーティ風?)
を思わせる大変格好の良い小型レーサーのようです。
恐らくは黎明期の公営四輪ギャンブルレーサーの中ではかなり上の方なのでしょう。
エンジンはダットサンの860ccをOHV化したものだとか。「吸気のみ」と書かれた資料も有るので
多分Fヘッドって奴だと思われます。
余談ですけど、今の車は多くがDOHC4バルブのようですけど、昔はSV有りOHV有りと
いろんなのが有って、いろいろと調べるだけでも結構楽しいのですが、ややこしくもあり。
先日までは戦前のダットサンレーサーのエンジンを「ツインカム」と表記していましたが
昨日は「DOHC」に表記を改めたのは単に気分の問題だけではなく、
「ツインカムだけど、DOHCではない」なんてエンジンが昔は存在していたので
それがちょっと頭に引っ掛かったからなのです。
具体的に言うと戦前のライレーっつう車には(今月のCGでもちょっと触れられていますが)
シリンダーの両側にカムシャフトを持ち、それぞれが短いプッシュロッドを介して
吸・排気弁を動かすというエンジンが積まれてました。
つまり、ダブル・アンダーヘッド・カムシャフトによるOHV。
当然昨今は「ツインカム=DOHC」なのでしょうけど。
サルムソン2300S、ググッたら結構引っかかりました
・・・なんだか茫洋としてつかみ所の無い・・・コリャダメだわ。
>670
SVはポンプやら耕運機やらのロビンエンジンでよくばらしましたけど
ヘッド下ろすのが2スト並に楽ですな。燃焼効率全く考えてなさそうな燃焼室形状ですけど。
変なヴァルヴ(by徳)配置というと、バイクだとAJS7R3AのTOHC(トリプルオーバーヘッドカム)なんかもありますな。
マセラティビトゥルボ系のSOHC(だけどツインカム)3ヴァルヴ配置と同じような効果を狙ったんでしょうか?
そしてFヘッドと言うとハリケーンが思い浮かぶ漏れはクロカンヲタ。
(ハリケーンよりゴーデヴィル積んだローフードっしょ!)
OHVはエンジンの重心高下がるんで結構好きですな。
変なエソジソならアルファ・ロメオも負けてはおりませんぞ。
なに、つひこなひだまで(S)OHCと称しながら吸気側はカムがヴァルヴ直打式、
排気側はカムがヘッド上を横切る短ひプッシュロッド押し、更にロッカーアームを介して
ヴァルヴを駆動する半分DOHC、半分OHVでありました。
ハナから御得意DOHCにしなかったのはやはりヘッドの大型化&重量増を嫌ったのでせう。
如何にフルウォータージャケットのがっちりしたブロックとは言へ
頭の上に重ひ物乗っけて筒の中でこれまたそれなりの重さの物を毎分6000回も出し入れしては
そりゃあ振動も大きからうと言ふもの。
ぢつは今のDOHC・V6より個人的にはかつてのOHCのはうが力感に溢れ好きであります。
>>671 二輪のエンジンにはあまり知識を持たないのでトリプルカムが存在するのは
知りませんでした。プラグ位置に苦労しそうですね。
>>672 その変わったSOHC型、私も長い間アルファのオリジナルと思っていましたが、
トライアンフ(四輪)が先に試みているようです。もっとも多少の違いはあって、こちらは
プッシュロッドは使わずにロッカーアームがヘッド上を横切る方式だったようです。
吸・排気弁を共通のカムで駆動する為に、自動的にバルブタイミングはシンメトリーに
なった(なってしまった)のが特徴なのだとか。この点はアルファはどうなのでしょう?
20世紀初頭の自動車黎明期に目を向ければ、更におかしなエンジンは有る物で
アメリカで作られたコンパウンドという車、何が「コンパウンド(複合)」かというと
そのエンジン。なんと4サイクルツインに2サイクルシングルを組み合わせた3気筒。
2サイクルの方がボアが少々大きいのがミソ(ストロークは当然共通)で、
4サイクルの方の排気を此処で燃やす事で排気の流れを加速し、効率を向上させ
更には燃焼効率も多少は高めてやる事が目的だったのだとか。
しかし、いくらこちら(2サイクル側)の容積が多少大きくとも
燃焼後のガスの体積はそれ以上に膨張している筈。
本当に排気の流れを加速させられたのか?少々疑問が残るところではあります。
高温の排気をそのまま送り込むんですか?効率悪そう。
2気筒分の4ストの排気を送り込むとなると、4ストの方は360度クランクでしょうが、
3気筒同時にピストンが上下する、振動の凄まじいエンジンになるんじゃないでしょうか。
だいたい2ストの方でクランクケース圧縮をしたら、そこで流速は落ちるんじゃないか?
うーん。アタマの混乱するエンジンです。
>672
その方式だと燃焼室がウェッジ型にならずに済むってのも利点ですかね。
カウンターフローOHVのトヨタT型とかアメ車のセミ・へミも
構造は違いますがそうやってバルブ位置をずらしてます
>673
トリプルカムですが、AJSの場合は吸気側カムをタイミングチェーンで駆動、
カウンターシャフトを介して直角に配された排気カムを駆動します。
コの字型配置とでも言いましょうか、コレによってプラグは燃焼室中央におかれ
またバルブ配置も放射状となり、当時の空冷エンジンの問題であった冷却効率が大幅に改善されています。
ドゥカティにもトリプルノッカーと呼ばれるTOHCヘッドを持つエンジンがあります。
こちらの場合は広角に配された通常のカムシャフトの間にデスモドロミック用のバルブ閉じ用カムが挟まっていると言うもので、
このデスモカムは給排気カムのカウンターシャフトとなっており(つまりハイメカツインカムっぽい)
タイミングチェーンの代わりにべベルギアを用いている事とも相まって
当時としてはかなりコンパクトなエンジンにまとまっております。
コンパウンドエンジンですが、「エンジンのロマン」に乗ってましたっけ。
絶対まともに走らないと思うんですが・・・
>>674-675 コンパウンドエンジン、夕べは遅い時刻の書き込みでしたので記憶に頼って書きましたけど
1904年〜08年の短い間に作られただけで終わったという事が全てを物語っているかと・・(w
674さんご指摘のように、4サイクルツインは等間隔燃焼の為もあってか360°クランクだった
ようですが、2サイクルの方は位相が異なるのか、4サイクル側のインターバルを
埋めるタイミングでの燃焼であったようで、それによって幾らかスムーズさを増していたとか。
・・まぁ当時のエンジンの事、さいぜい1500rpm程度まで回ればいい方でしょうから、
今のエンジン程には振動を問題にはしなかったかも知れませんけど・・。
弁配置っつうのもいろんな形式が有るので、懸架形式同様に用語、呼び名が混乱、矛盾している
場合ってのも有ります。先日書いたライレーのエンジンが気筒あたり二本のカム軸を持っていても
「ツインカム」とは呼ばれないってのもそうですし、大昔のエンジンにタマに有った
SV、カウンターフローのいわゆるTヘッドの中にははツインカムと呼んでも良い物も有る筈ですが
そう書かれる事はまず無いですし。
昨日エロスパ氏が書かれていたアルファのエンジンは、気筒頭の上に一本のカム軸を持つので
プッシュロッドを使用していても普通は「SOHC」と表記されるようです。(これは当然納得)
で、先日「イタリア行ったら〜」スレでも話に出た1930年代チェコで作られたタトラ77の空冷V8。
構造図を見た事は有りませんけど「両バンクで一本のカム軸を共有する」と書かれた資料が
有ります。が、長いロッカーアームで弁を動かしていて、プッシュロッドを用いていない事を
根拠に、これも「SOHC」と表記されるようです。
前出のアルファの場合と矛盾していると思いますし、
大体どう考えても気筒頭よりも低い位置にカム軸がある筈ですから「OHC」ではないでしょう。
DHCつのは?w
さてご質問のV6OHCですが、当然今時(30年前w)のエソジソですから
半球燃焼室を持ちクロスフローで(当たり前杉w)吸気と排気は別のカムで行ひます。
吸気側のカムがタペットとシムを介して(これ股当たり前w)ヴァルヴを叩く、
排気側のカムがプッシュロッドを押しロッカーアームが動揺しヴァルヴを叩く。
当然吸気排気のタイミングは別々です。
つか、40年前設計のうちの2台のエソジソ、
どちらも油圧式吸気側可変バルタイ機構まで追加されてます。
当然ボッシュ・マルチポイント・モトロニックだし。w
当たり前ぢゃ無ひですか。w
678 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/10/08(土) 14:00:30 ID:cJdVZz8c0
吸気側は普通でいうDOHCと同じ仕組みで
排気側はOHV、カムシャフトは給排気別々で吸気側オーバーヘッド、
排気側アンダーヘッドってことですかい?
>>678 所謂、区分としてはSOHCのエンジンだが、構造はDOHCとOHVの両方の要素が組み合わされてるだけでしょ。
普通は吸気と排気のバランスを考えて、SOHC=吸排気、両方ロッカーアームとするのを 無茶したって事だな。
吸気側が重要なのは解るが、回転上がった状態で排気側のバルブ関連が暴れて、壊れそうだなw
流石はアルファだw(誉
680 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/10/08(土) 20:46:13 ID:L/VB7i9i0
直4のエンジンルームにも納められるように
エンジン幅をつ少しでも詰めたかったのでしょうな>アルファV6
>回転上がった状態で排気側のバルブ関連が暴れて、壊れそうだなw
ドキドキしながらぶん回しておりますw
>>678 こういう話って、文章だけでは判りづらいですね。
エロスパ氏他が書いておられるアルファのSOHCの構造図は見つかりませんでしたが、
673に書いたトライアンフのは有りましたのでスキャンしてヤフーフォトに上げてみました
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/__hr_Triumph.jpg?bcQVnvDBS4PPaMgQ カム軸とカムそのものとを混同されているように思いますので、上の構造図を見た上で
その点を注意して読み返せば、恐らくアルファの方も理解出来ると思います。
>>679-680 まぁ、レーシングエンジンのように一万回転以上を使うのならばともかく、
プッシュロッドも短い物でしょうし、左程気にされる事もないのでは?
普通のOHVでも七千回転位まで回る物も珍しくは有りませんし(どうせ他人事・・w)
上に貼ったトライアンフのエンジンは、外観の写真も一緒に有りましたが、
気筒あたり4バルブながら、確かにDOHCに比べるとかなりコンパクトに出来ているようです。
しかしコスト的にはどんなものだったのでしょう?
↑の寅、ぇ、4ヴァルヴだったんですか! ぃあ恐れ入りました。w
アルファV6の排気動弁系、壊れた話はあまり聞きませんねえ、
逝ってる師ご指摘の通り1マソ回転以上もブン回す訳で無しEとこ8000ですので
何ら問題は無ささう、だってVTECだって壊れ無ひ、らすぃのですから。w
初期型のVTECと今のでは原理そのものが別らすぃですが、初期のを見たとき
こりゃ絶対カムシャフトの中のコマが折れると思ひました。バイク乗りに聞ひたら
バイクではやっぱり壊れたと。実際初期型がアテクシの思ったやうな壊れ方したかは不明ですが
別物になってゐると言ふことは何かあったのでせうか。
アルファV6で問題なのは排気動弁系ではなくご存知タイベルです。
だうも歯の形状、ベルトの断面形状が非常に宜しく無ひらすぃ。
うちのは2台とも4発チェーン駆動なのでEのですが、大体アルファに乗る以上は
ダブルクラッチ踏みまくりのブリッピング盛大にくれっぱなしのな筈です。w
ぃあアテクシはさうです、断固。w
それでぁゃι毛なタイベルぢゃあ排気のミニOHVよか100倍心配です。w
何とかならんのだらうか。
683 :
香ばしい:2005/10/09(日) 02:36:03 ID:rS8HzBfR0
真面目にトライアンフを見直しました。
しかし、マイクロソフトよ、
一発目の変換でトラ慰安婦はないんじゃあ。
ところで逝ってる師の寅のバルタイ、吸排気シンメトリとのことですが
これ図を見るともしやロッカーアームのカムとの接触側の腕の長さで
タイミングは多少変へられたのでは無ひでせうか?
>>684 ロッカーアームの支点位置次第でリフト量は変えられるでしょうけれど、
共通のカムを使う以上、タイミングはシンメトリーにしかならないでしょう。
吸気弁とロッカーアームの接触面を180°対峙にしないようにする事で多少は
タイミングを変えられたのでしょうか。そうするメリットも無いように思いますが、
実際の所はどうなのでしょう?このエンジンでは180°対峙でシンメトリーな
タイミングにされていたようです。
上に貼った構造図、73年登場のトライアンフ・ドロマイト・スプリントの物なんですが、
この凝ったエンジン、後に登場するTR-7では何故か2バルブにされていたのですよね。
アメリカのマスキー法に対応する為だったのか?
エミッション・コントロールには4バルブが有利ってのも、このレイアウトを採用した理由だった
筈なのに。
SOHC/4バルブのエンジンってのも結構昔から有るようです。真っ先に思い出すのは
ヴィンテッジ期のルマンで無敵を誇った「ムシュー・ベントレーの世界一速いトラック」
エンジンの外見を気にする人ってのもそうはいないでしょうけれど、模型好きには結構気になる所。
エンジンフード開いても上側しか見えない現代の車と違って側面も何も丸見えになる昔の車の場合、
V型よりも直列。DOHCよりもSOHCの方が好みだったり。
この点ではエットーレ・ブガッティの気持ちもよく判るのですが、あそこまで凝るのもちょっとな・・。
まぁ、実際に自分で乗る分には別に弁が幾つであろうと気にもならないのですけど・・。
エンジンの外見と言えば(・・って、自分で言っているのですが)
以前、年バレスレで「イタリア人はエンジン見せるのが好き」って話が出た事が有りました。
最近のV8フェラーリがらみの話から出た事だったように記憶しています。
その逆に、エンジンなんて回ればいい(?)と、思っているのか、フランス人は
エンジンの見た目なんて気にもしないように思います。
ブガッティもフランス車に入れられるようですが、エットーレ・ブガッティはイタリア人ですし
気筒頭に何も無く、SVと見た目は大して変わらないようなスリーブ・バルブエンジンを積んだ
高級車がイタリアでは生まれなかったのもそのせいかも(珍説?)
現代に於いても、私のシトローエンなんぞ、エンジンルーム内の見た目なんて全く気にしている
様子は無く。断熱材は剥き出しですし、部品一つ一つも全くデザインされていないようです。
イタリア車の中でも安物の(これ、悪い意味ではないです)フィアットなどはその点
大差無いようですが。
「赤い(気筒の)頭」なんて車名にまでなってしまうのはイタリア車くらいのものなのでは
ないでしょうか?
まぁ、そんなフェラーリも、60〜70年代のエンジン剥き出し時代のF-1などでは
案外と見た目は気にしていないように見えます。
純レースカーなら無理もないのかもしれませんが、その前後の時代と比較してもそう見えるのです。
特に312Bエンジンの頃には下手にエンジン上面が広かった為か、まるで整理する気すら
無かったように雑然としたままだったようです。
>>681 そのトライアンフのエンジンにはプッシュロッドがどこにも使われていないので
エロスパ氏の言うエンジソと違うように思われるのですが・・・・・
オソレススマソ
689 :
オサーン:2005/10/11(火) 21:56:13 ID:BcRmVhse0
>>688 似たような発想のエンジンって話ですので。
ご面倒でしょうけれど
>>682-683から読み返してみて下さい。
つか、私が毎回調子に乗って矢鱈に長文書くので読み返すの面倒なのでしょうけど(w
>>689 コチラはスイング・アームも使っているのですね。しかし、PSAやアルファよりもホンダの方が身近
・・なのかなぁ?ホンダ製品ってスーパーカブしか乗った事無い・・かも・・・・。
最近のフィットの1.5リットルエンジンなんかもSOHCで4バルブのようですが、
こんな感じなのでしょうか?
この手の吸気弁直押し、排気弁はプッシュロッドとかロッカーアーム経由のレイアウトだと
点火プラグの位置は真ん中に出来るのはメリットの一つでしょう。
ところでフィットのスペックを見てみたら、1.3リッターの方はツインプラグなのですね。
但しこちらは2バルブ。さすがにシリンダーヘッドをそんなには穴だらけには出来ないという事
なのでしょうか?
そう言えば一時期流行した5バルブってのにはホンダは乗らなかったような記憶があります。
吸・排気効率は幾分向上しても、燃焼室形状の点であまり良くないのでしょうかね?
↑あー、これこれ。これはアルファOHC・V6と同方式です。
やはりヘッドを軽くしたかったのでせう。
5ヴァルヴは漏れ伺ふところによると燃焼室の熱分布に問題が生じることがあるらすぃです。
おベンシさまが敢へて3ヴァルヴに拘るのも熱効率の点で排気が一気に逃げると良く無ひとの判断であるさうな。
ヴァルヴ多きが故に尊し、とばかりも言へ無ひやうであるます。
>690
5ヴァルヴどころか8ヴァルヴなんてモノを(略
まだ新車が結構残ってるみたいだけど、ピストンリングとかメーカー欠品なんだよね>楕円のアレ
>>692 ベンツも最近ではDOHC4バルブに宗旨替えしたようですよ。
>693
あれは、4気筒迄っていうレースのレギュレーションを掻い潜る為の詭弁なのでは??
技術にも流行は有って、何が本当に有効なのか?なんて、そうすぐに結論が出る物では無し。
昨今はなんでも可変が流行り。まぁ、今更オートマティックバルブ(聞こえはいいけど、
只単に吸気弁の開くのをシリンダー内の負圧に頼っているだけ)とか
ホットチューブ点火とかをやったら皆怒るでしょうけど(w
>>694 それわクルマのエソジソでは無ひでせうが。w
>>695 >宗旨替えしたようですよ
それは既におベンシがベンシでは無くなったからです。
おベンシさまとはW124とかW201までを言ふのです。w
もともとR129に採用されたV8 5.0ユニットはDOHC 4Vぢゃったのよ。
それを97年からヘンテコなSOHC 3Vエンジンに変えたのは例によって
コストダウン。この頃のヘッドは全部この形式のモジュール設計で、
全社的な部品の統一を狙ったセコいエンジンぢゃ。
なので、結果的にEURO4を通すのに色々試行錯誤した結果、
結局のところ4Vにするのがもっとも手っ取り早く値段も安いとわかると
あっというま4Vに逆戻りよ。
それから5弁エンジンはエロ先生のおっしゃるとおり、熱負荷が均等
にできないので、クラックが入り易いのぢゃよ。
3本排気なら真ん中の弁だけが温度が上がるし、3本吸気ならその
逆。つまり5弁も6弁もダメと言うことぢゃ。
698 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/10/12(水) 17:28:33 ID:y+KDfi+30
スパイダーやらシトローエンやらのどこが高スペックだとゆーのだ
↑ 何処かにそんな書き込みが有ったのですか?(w
>>697 5バルブにはそういった問題が有るのですか・・。元々あれって、80年代にヤマハがF-2のエンジンで
試みて或る程度の成功を収めたくらいで、市販車ではトヨタのカローラレビンとかと三菱の軽が
有った程度でしょう。(690で『ホンダはこの流行に乗らなかった』と書いたのもF-1とかの話です)
現在でも、もしかしたら1000km程度の寿命で充分なF-1エンジンとかでなら
やっている所も有るのでしょうかね?最近はどこも秘密主義なので詳細は不明ですが。
以前にも書いた事が有るかと思いますが、メルセデスって頑固なようで案外移り気な所が有ると
私は思っていますので、現代のメルセデスがメルセデスらしさを失くしているとも思ってはいません。
それにしても、メルセデスの4バルブエンジン。一度SOHC3バルブにされて、又元に戻った訳ですが
シリンダーヘッドは元の基本設計をまた引っ張り出したのか、それともまた一から設計し直したのか?
大体、一度DOHCで世に出た後でSOHCにされたエンジンってのも滅多に無いのでは?
そう思ってあれこれと思い出してみても(ヒマな人・・)他に思いつくのは、
ジャガーが長い事使っていたあのV12くらいの物。
だけど、ツインカム&ターボのポルシェに勝ってGr・Cのチャンピオンになったのは
そのSOHC版であったりもする。低スペックもバカにしたものではないですね
・・まぁ、燃費レギュレーションだったからってのも大きいのでしょうが・・。
先述のダットサンレーサーみたいにSVからいきなりDOHCになったというのは極端な例でしょうけど
高スペックに改造されたの物なら結構有る筈。殆どはメーカー自らが改造した物でしょうが、
中にはロ−タス・エランとかヨーロッパ・ツインカム等に積まれたロータス・フォードツインカムエンジン
のようなのも有るようです。
このエンジン、ツインカムに改造された物であっても補機類駆動用に元々の(OHV)カムシャフトも
残されたままだったとか。
高スペックなんて言い方をしましたけれど、実際に何が高スペックなのか?なんて事も
後に歴史の中で見直してみないと判らない事。例えばSOHC3バルブとDOHC2バルブでは
どっちが高スペックと言うべきなのか?90年代末のメルセデスだったら前者はDOHC4バルブよりも
優れたスペックであると思っていたのかも知れませんが、30年代にジャン・ブガッティは
前者を捨て、後者を選んで高い効率を実現させた訳ですから恐らく後者の方を高スペックと
考えた事でしょう。燃焼室理論だの排気温度だのと、その時代毎に理解出来る事も変われば
エンジンに求められる要素も変わって行く。
その為に時代の流れの中で求められるスペックも変化すると言う事なのでしょうか?
1932年にフォードは、ライバルシボレーの直6OHVに対抗してSVのV8を出した訳ですが
フォードには「一般的なアメリカ人には、直6OHVよりもV8SVの方がアピールする」
と踏んだのでしょう。日本人の感覚ではどっちが高スペックに見えるか?は判りませんが。
アメリカ人。特に60年代までのアメリカ人にとって、何よりも重要だったのはエンジン容積で
有ったように思えます。次に馬力。単純と言えば単純ですが。
1962年に発表されたThe Beach Boysの全米デビューシングル「Surfin' Safari」のカップリング曲
「409」(Four−Oh-Nine)の録音エピソードなんかを読むとその当時のアメリカの若者の感覚が
良く判るように思います。
曰く「僕(作詞のG.Usher)らは夜中の2時頃、路上に30mの延長コードを引っ張り出し、
テープレコーダーを回してこの曲の冒頭の為にエンジン音を録音した。4回吹かしたところで
近所中の明かりが付き、あちこちでサイレンが鳴り響いたので僕等は一気に逃げ出した。
あの爆音は実は当時僕が乗っていたシボレー348の物。・・だから僕は409が欲しかったんだ」
あれこれと細かな事に拘るように長文書き散らすのは好きでも、実際には全く大雑把な私、
自分で乗るならば小排気量のエンジンを低いギア比で走らせる方に惹かれるのですが
こういう感覚ってのも結構好きなのです。
それにしても、リーダーだった天才Brian-Wilsonはまだ20代初め、G-Usherも同じ。
まだ全米デビュー前でお金もそう稼いだ訳では無かった筈の彼等が
「348は持っているけど、本当は409が欲しい」なんて考えられる事。それ自体が
当時のアメリカの豊かさを表しているのかも知れません。
703 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/10/16(日) 01:07:18 ID:4brxDVzo0
「何を今更」でしょうけど、
あんまり一人で長文書き散らしているとスレの私物化と顰蹙買いそうなので
今日は保守だけ。
・・等と言いつつちょっとだけ(w
蛇足ですが、702に書いた三桁の数字は排気量をキュービックインチで表した物。
1インチを2.54pとして計算すると348は約5.7リッター。409なら6.8リッター。
この類で最も有名と思われる66〜67年のルマンを制したフォードGTの427ユニットは
丁度7リッター。しかし、もしもBeach Boysデビュー時に427が有ったとしても、
恐らくBrian−Wilsonは「427」なんて曲は作らなかったでしょう。語呂が良くない。
705 :
蓮之家円数:2005/10/18(火) 10:54:55 ID:Az6miZ4k0
車メ板のセブンスレが終了いたしましたので出張でございます。
馬印だと一気筒の排気量を車名につけるわけですが
ヤンキーな皆様は総排気量なわけでございますね。
結局馬印も排気量、気筒数になったかとおもへば
総排気量になってみたり忙しいですね。
日本車ではZ432のやうに聞いて見なければ意味が
判らないものもあったりして。
>>705 このスレではお久し振りです。
そう言われてみればフェラーリのモデルネーミングっつうのも意外に一貫性が無いような・・。
まぁ、最近のF−1や限定モデル以外は「テスタロッサ」なんてのも含めてエンジン由来には
違い無いのでしょうけれど。
Z432っていうのは、噂通りに「4(4バルブ)3(トリプルキャブ)2(ツインカム)」なのでしょうか?
これ、日産自身もそう公式に認めているのですか?だとしたら気筒辺りの数字(4バルブ)と
エンジン全体の数字(3キャブレター)とかが混在しているおかしなネーミングだって思うのですが。
語呂の良さ優先って事でOKなんでしょうかねぇ??
>>706 まあそう言やそうぢゃけど、その辺は各ジャンルの標準にあわせたんでは
ないかねぇ。
24・3・2では都合が悪かろうし、1カムあたりのバルブ数とかいられたら
わけわからんしね。
708 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2005/10/19(水) 07:59:27 ID:F4LbZXv50
432は開発室の番号説とかもあったような記憶があります。
他にも4(タイヤ)3(ドア)2(フェンダーミラー)とか(嘘)w
709 :
オサーン:2005/10/19(水) 21:57:35 ID:8xjT61uL0
>Z432
意外と、オールズモビルの442に命名則が似てるような。
442=4バレルキャブ 4速MT デュアルエキゾースト
>>706 まぁ、そりゃそうですね(w
>>708 4輪、3ドアまではともかく、「2ミラー」なんつう車名は無い(w
>>709 そう言われれば、そんな車も有りましたっけ。あれはメーカー自らそう説明があったのでしょうか?
そりゃそうと、初代Zと聞いて思い浮かぶ他の車との比較(括弧内は登場年度)
初代Z (69年) 2.4リッター6気筒OHC 150HP W.B2305mm
MG-B GT(65年) 1.8リッター4気筒OHV 95HP W.B2311mm
トライアンフGT6(66年) 2リッターOHV95HP W.B2110mm
アメリカでの値段はどんな順序だったのでしょうね?
よく「Zはクーペボディの快適性を武器に英国製ロードスターをアメリカから駆逐した」
なんて言われますがその見方は間違っている事は登場年度から明らかだと思います。
まぁ、MG-B GTもトライアンフGT-6もロードスターの派生モデルで
新味に乏しかったって事はあるでしょうけど。
711 :
香ばしい:2005/10/19(水) 23:14:05 ID:BUd9qJ4X0
日産の社風がそういうのを好きっていう感じもしますねえ。
「901運動」:「90年代に日産のハンドリングを一番にする」とか
「日産180」:「3年間で出荷台数を"1"00万台増、"8"%の営業利益、
負債"0"」とかね。
数字3ケタってスローガンにしやすいんだろうなあ。
712 :
香ばしい:2005/10/19(水) 23:36:28 ID:BUd9qJ4X0
1973年当時の英国でのMGの価格はB GTが1547ポンド、Cが2294ポンド。
1969年当時の日本でのZの価格は標準車93万円、Z432が185万円。
70年代初めの英国ポンド=US$2.80〜2.30程度
ニクソンショック前の国内ドルレートは言わずもがなですが360円…。
米国内ではホントどうだったんだろう??
713 :
オサーン:2005/10/20(木) 01:52:59 ID:Z1UdzZpr0
>>710 登場時の広告にモロに謳ってますからメーカーお墨付きでよいかと。
442はオプショナルパッケージが始まりで、注文リストに載せられる前は
警察車両用パッケージでした。
宣伝の煽りが"Police needed it...Olds built it...Persuit proved it!"
ベタだけど自信満々。
>>713 成る程。その手の謳い文句は他にも幾つも有ったような記憶が有りますが、
アメリカ人は「警察御用達」みたいなキャッチフレーズが好きなのでしょうかね?
>>712 あんまり確かな事は言えないのですが、かなり乱暴な推測こみで。
トライアンフGT-6は当時の為替レートで円に換算すると英国内では100万円弱だったそうです。
この車、前年に登場したMG-B GTを狙い撃ちにしたようなので、恐らく両者は似たような価格
だったであろうと思われます。
だとすると、(生産)本国での値段はベースグレードではほぼ横並びくらい。
で、日本での240Zの値段は2リッターベースグレードの2割ちょい増しであった事から考えると
アメリカでの価格は多分MG-B GTやトライアンフGT-6よりもちょっと高く、
これらよりも50%程高価なMG-Cよりはかなり安価だったのではないでしょうか。
その価格で2.4リッター6気筒エンジン。しかもスピットファイアベースのGT-6よりは余裕のある
ボディー寸法が手に入るなら、結構お買い得感が有ったでしょう。
メカ好きな日本人にはハイスペックなエンジンを積み、10馬力余計なZ432の方が240Zよりも
人気が有るのかも知れませんが、当時のアメリカはパワー競争の末期症状。
上でちょっと触れているオールズモビル442など、ベースになったカトラスと同じ排気量から
いきなり100馬力増し(さすがアメリカ、パワー競争も大雑把w)なんて事が平気で行われていた頃。
ブン回しての10馬力くらいは差とも思われなかったでしょうし、
それよりも値段も安くて扱いも楽。メンテナンスも楽な2.4リッターを対米輸出用にした当時の日産は
上手い所を狙ったと思います。もっとも、車そのものに魅力が乏しければ幾ら狙いが良くとも
人気はついて来なかったでしょうが。
ところで50年代半ばから始まったアメリカ車のパワー競争の中から生まれた
“マッスルカー”という呼称はどの辺から使われるようになったのでしょう?
60年代初頭辺りには未だそのような言葉は見られないようなのですが。
フォードがコンパクトカーのファルコンをベースにパーソナルユースに的を絞った
マスタングをデビューさせたのが64年。それを追うようにシボレーからカマロが出て
それらの“ポニーカー”が若者向きにスポーティーイメージを強調した頃か、若しくは
それらがツーリングカー(ストックカー)レースを盛り上げた67〜68年頃か?
いずれにせよ、これらのコンパクトな“ポニーカー”の隆盛と時期が重なるので
マッスルカーと言えばハイパフォーマンスなポニーカーを連想する向きも多いようですが
実際にはもっと大きめの車、ポンティアックGTOやらオールズモビル442やら、
トリノGTなども含まれるようです。
パワー競争も最末期の69年、最も過激な例だったのがシボレーのコルヴェット。
オプションで用意されるエンジンは427だけで6種類、最も高価だったZL-1という
レーシングユニットの価格は3000ドル(車両本体価格が4000ドル台半ば)というから
まるでフェアレディZに於ける432のような物?
しかしパワーはこちらとは別次元の535ps!(これでも控えめな表示だったとか)
アメリカでは唯一の本格スポーツカーとされるシボレー・コルヴェットも
マッスルカーの一群に含めるのが妥当であるか?は判りませんが
こうしたパワー競争の中では常に一番でなくてはならなかったのは
この車にとっては宿命みたいな物だったのでしょう。
本来マッスルカーとはインターミディエイトにフルサイズ用の大排気量
エンジンを積んだものだったはず。と思って検索してみた。
http://www.amesha.net/club/pcj/colum.html 最初のマッスルカー?
という事になっているらしいです、ハイ。ちなみにマッスルカーという言葉は当時にはありませんでした
おそらく80年代に中頃、排ガス規制でパワーの有るクルマが無かった頃に郷愁の意味を含めて作った造語
だと思います(マッチョ+ハッスル)、尚コルベットは純粋なスポーツカーなので含まれないのが普通です
64年以前にも強烈なエンジンを積んだフルサイズの車は沢山ありました。ポンテのSD421とかシボレー409
や348の初期ビッグブロック、50'sのクライスラー300などなど、、、
NASCARをフルサイズでガンガン走っていました、、。しかしオプション設定でなく明確な車種として存在し
フルサイズより小さなボディーに大排気量となると'64GTOがマッスルカーの最初となるらしいです
コチラは'64のカタログ。しかし翌年にはシェベルのZ16(396のBB)などが発売され70年をピークとする
パワーウォーズにはちと寂しいものが有りました(爆)
ところで藪から勃起な脈絡無ひ話で申し訳無ひが、
ハッスルと言へば蓮之家一門には御馴染みであったらうガレージ・ハッスル、
1年程前かその辺からだうも無くなった気配であった、
だうなったかと思ひつつ前を通るたび見てゐたのだが看板はそのまま残ってゐる。
店内は完全に空であったが数ヶ月前ぐらひから何やら大量に部品類が搬入山積みになってゐる。
良く見ると英車パーツでは無い、馴染み深ひイタリア車パーツの箱の山でR。
或る時SZ(ES30)が隣の空き地に停まってゐたことがあったが???
と思ってゐた先週か先々週、入り口の看板に”FLMC”の文字が。
あれあれアテクシも何かと御用達FLMCこんなとこに移転か支店出したか?
>>705 Z432は4バルブ、3キャブ最後の2は縦2本出しのマフラーだったので
その2というのをだいぶ前に読んだキガス、うろ覚えスマソ。
↑仰る通りハッスルの跡地にFLMCが引っ越したさうでした。近くなってありがたひ。
ハッスルと言へば本日府中のサーキットレースコースに参戦したが
大枚¥200の入場料と¥1,600の駐車場代払ひ、挙句ぢつに¥15,000の大損害であった。
今回も1着3着3着といふお決まりパタン、競馬術と馬券術は違ふのだと再確認の日であった。
浮きが出ればマンチョでハッヌルの軍資金にも、と思ったが。w
閑話チツ礼!
さすがに幾ら毎日頻繁に乗るのが車の為と思っても、
競馬場だけは車で行く気にはなれないなぁ・・。
ま、電車で乗り換え無しで行けるからってのも有りますが。
>>716 口調が違うと思ったらC&Pでしたか。
マッスルカーなんかに限らず俗語なんて物は明確な定義は無いようですが、
どうやら60年代後半〜にNASCARやSCCAトランザムシリーズ等のレースで活躍した車種を
そう呼ぶのが一般的であるような感じですね。
SCCAってのはそれまではアマチュア向きのレースを地域毎に開催するのが中心だったのが
66年から全米規模のU-5リッターGr.2レースを始めたのが、丁度コンパクトなポニーカー群の
隆盛とタイミングが合ったのか、大変な人気が出て。特に68年にシボレー・カマロが圧勝したところ
売り上げが一気に伸びた事からメーカー同志の争いも加熱して行き、ダッジ・チャージャーとか
AMCジャベリン等も後を追ったのだそうです。
5リッターレギュレーションは70年まで続いたようですが、キュービックインチにすると305くらい。
396とか427と比較すれば小さなエンジンを積んではいても、フォード・マスタングのボス302とかも
マッスルカーの一群に加えられるのはこのSCCAトランザムシリーズの為のホモロゲ・モデルだった
からなのだとか。初めて知った・・。
古本屋で丁度いいタイミングでTRANS-AMシリーズに関する記述のある本見つけたので
(実は模型雑誌のバックナンバー)昨日から読み耽ってますが、今迄聞いた事はあっても
理由とかまでは考えた事も無かったような事をいろいろと考えさせられて面白いです。
以前おっちゃんが「カマロは日本では69年型が人気だけど、アチラでは68年型が人気らしい」
と年バレスレ(だったかな?)で言っておられたのも、TRANS-AMシリーズでカマロが快進撃を
したのが丁度この年であった事からか?と、考えたり。
又、他にもっと大きなエンジンを積んだグレードが有っても、Z-28こそカマロのスポーティイメージの
象徴であるのも、これがマスタング・ボス302同様にレース用ホモロゲモデルであった事かららしいと
思ってみたり。
もしかしたらアメ車マニアさんには常識なのかも知れませんけど。
50年代から始まったアメリカ車のパワー競争。これに関してもちょっと面白い見方が記されていて
要は戦後の売り手市場が落ち着いた時に、車に興味を失いつつあった一般顧客層に対して、
ドリームカーと称する一連のショーカーを作ると共に、生産車のカタログには
刺激的な数字を並べる事で人々の興味を繋ぎ止めようとした為パワー競争は始まった。
と、いう風にこの本の著者は考えているようです。
実現する気が有るのか疑わしいモーターショーの展示車両の数々。
そして280馬力自主規制撤廃、競技用ベース車両ばかりが売れる車種の存在。
恐らく現代の日本もこの時期のアメリカに似てきているのでしょう。
今回の幕張モーターショーに出品されるヌカ自慰-R、
形やディティルの処理はなかなかに好みであります、
つか、国産車で好きなのはGT-Rと7(当然蓮でもオースチンでも無ひw)つう
乱暴趣味のなせるところなのではありますが。w
ただね、この競技用車両つうのが股問題で、競技の道具に徹すれば徹するほど
公道ボーソーでは面白くなかったりする訳です。さりとて昔のグループ5、
シルエットフォーミュラや、DTM&BTCC用155のやうに形だけ市販車で
中身は全く別、市販車は競技用の臭ひもしなひ、では売れもしますまひ。
さぁ、そこら辺でせうな匙加減は。
その辺はやはりヨーロッパ車に一日の長があるように思うのです。
GT−R、ランエボ、インプレッサの類はヘルメットかぶって
ストップウォッチ片手に走らないと楽しくない。
実際ランエボUは買ってから8時間で飽きた。
逆に私の愛するランチア一族はストラトス、Rally、S4、デルタ
それぞれ公道を安全のマージンをとって走っても楽しいし、極端な話、
渋滞で止まっていてもまた楽し。(ランエボより遅いけど)
また不思議と日本車はホモロゲのベース車両と競技車は全く異なる音
なのに、フェラーリは市販車もF−1も回転数が倍ほど違うのに同系統の
「ファーン」って音がする。
乱暴に言ってしまえばノーマルランサーとランエボ、WRカーの間には
共通点が少なく卵→ヤゴ→トンボみたいなもの。棲息域だって水中→水中
→いきなり陸上、しかも空中!
それに対し彼の地のホモロゲカーは不完全変態で市販車を見れば競技車が
想像できると思う。
最近のラリー用車両のレプリカの一群、
初期型のランサーエボリューションにちょっと触れた程度の私には語る資格は無いです。
しかしねぇ、ノーマルのランサーに比べて馬力は倍。でも値段も倍。
消費する燃料も倍(?)。タンク容量は(ほぼ)同じ。
だから遠出する時は日に何度も燃料補給しないといけない。
・・まぁ何も申しますまい・・。
ただね、一つ思うのですが自動車って物は常に進歩を続けている(筈)なので、
最新の物には最新の良さが有るだろう事は否定しないのですが、
その“最新”が次の“最新”にとって代わられるだけの為に存在する単なる刺激なのか?
それとも年月を経て尚、評価され続ける物なのか?それはちゃんと見極めたいと。
自動車を用いた競技が高度になり過ぎた現代では、ワンメイクレース用以外の競技用
ベース車両は単なるレプリカと思った方が良いのでは?その点、GPカーに保安部品付けただけで
公道を走れた時代がちょっと羨ましいかも?
でも、私はその時代に生きていたとしたら、
多分車なんて持てないような貧乏人だったんだろうなぁ(w