9/11から1年たったが…

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11
もちろん、自分の写真が特別変るわけもなく。

ただ、前よりも家族の写真が多くなったかな。
※以後、sage進行でよろしく。
2名無しさん脚:02/09/11 15:46 ID:uzleFD6l
31:02/09/11 15:46 ID:6zFxD3P/
距離計のないカメラを称して「街が戦場のように撮れるカメラ」と言った人がいて
(それはいいのだが)、
それをまた、さもありがたい言葉のように書き散らしている人がいるが、
実際に街が戦場になってしまう今の世の中では、
世迷いごととしか思えぬようになってしまった。
41:02/09/11 15:48 ID:6zFxD3P/
距離計のないカメラを称して「街が戦場のように撮れるカメラ」と言った人がいて
(それはいいのだが)、それをまた、さもありがたい言葉のように書き散らしている人がいるが、
実際に街が戦場になってしまう今の世の中では、世迷いごととしか思えぬようになってしまった。
51:02/09/11 15:54 ID:6zFxD3P/
二重書き込み申し訳ない。
6名無しさん脚:02/09/11 15:55 ID:5Vv5oKod
>※以後、sage進行でよろしく。
と書いときながら、>>3-4を書きこむ1はなんなんだ?
71:02/09/11 16:00 ID:6zFxD3P/
>6 sage忘れたんだよ。悪かったな。内容でつっこんでくれ。

べつにカメ板で話すべきことでもないだろうが、やはり、あの事件以来、
いろいろと考えることが多くなった。
自分の場合、考えることと写真を撮ることは割と密接な部分があるのだが、
そのことが自分の写真にそれとわかる形で反映しているともいえない。

ここは平均年齢も高そうだから、だれかの考えを聞いてみたい。

というわけで、スレは立てたが、先行きは五里霧中。
8名無しさん脚:02/09/11 16:12 ID:Yi2xRkVn
いろんな意味で日常というものに対して切実になった部分があるかも。
9名無しさん脚:02/09/11 16:14 ID:YUClazem
ますます仕事が減ったな
10名無しさん脚:02/09/11 16:18 ID:gUMhYNRF
>>1
>ただ、前よりも家族の写真が多くなったかな。

ちょっとキュンとなった。
111:02/09/11 16:19 ID:6zFxD3P/
>8 自分の場合は、家族(とくに子供)の写真を撮ることが多くなったな。
なんか、切実感がそういうかたちであらわれているのかも。

>9 あてずっぽうだが、旅行関係?
12名無しさん脚:02/09/11 16:23 ID:Xl6CemuM
昨今のアメリカがこうもジャイアン体質をあらわにしてくると、
どうしても「がんばれアル・カイーダ」「逃げおおせろビン・ラーディン」と
思ってしまう俺だ。何かおかしいか? 突っ込んでくれ。

まー、俺が広島出身ということもあってそう考えてしまうところもあるが。
先月祖母(被爆者)が亡くなったのだが、荼毘に付した遺骨は
案の定砂のようになっていた。
13ミノヲタ:02/09/11 16:26 ID:dMWIRDNk
テロリズムで死ぬ確率より交通事故で死ぬ確率の方が遥かに高い。
14犬神源太:02/09/11 16:28 ID:to6s/k2i
得意げに、阿呆でもチョンでも知ってることをレスする>>13に天誅
151:02/09/11 16:32 ID:6zFxD3P/
>12 養老孟司が以前「反米感情は潜在的だがすごく強い」と書いていた記憶がある。
保守本流の「文藝春秋」が嫌米特集をしているのを見て、思い出した。

>13 事故も多いが、自殺も多いな。
当たり前に見過ごしてきたことだが、よく考えると怖いな。

ちょっと写真よりの話に軌道修正したほうがいいかな。
16名無しさん脚:02/09/11 16:33 ID:Xl6CemuM
アメリカの空爆で死んだアフガニスタンの無辜の民の数は
アフガニスタン建国以来交通事故で死んだ数よりずっと多いと思うが、どうか。
イスラエルやパレスチナのあたりでは
交通事故よりはるかにテロの方が多いように思うが、どうか。
171:02/09/11 16:37 ID:6zFxD3P/
マグナムの9/11の写真展(「マグナムが撮ったNY 9.11」)をやっていたが、なぜか見に行かなかったな。
何故だか自分でもわからない。
マグナムがらみの写真展はたいてい行くのに。
見に行った人いる? どうだった? どう感じた?
18名無しさん脚:02/09/11 16:44 ID:4ytRhg5c
>>16
RTSユーザーと見たがどうか。
19名無しさん脚:02/09/11 16:49 ID:5cixS65C
長倉洋海(漢字合ってたっけ)のアフガン写真について語ってくれ。
209:02/09/11 16:52 ID:RN3u2x0H
>>11
雑誌関係てことでsageで。
自分はこの事件に関しては実感もなくコメント出来ない。

去年、そこそこ元気で1人でも外出していたウチのバアチャンが、
全身の筋肉が萎縮してゆく病気にかかって大変なことになっている。
去年、親戚が集まる機会があり撮った写真と見比べても驚くほど
衰弱しきっている。
小さい頃おばあちゃん子だった俺だが、そのときはじめてバアチャン撮ったんだよね。
日頃は被写体として目もくれなかったり、照れも手伝ってか、
あんま撮ることのない家族写真ってのは失ってみると染みてくるもんだな、
ってなことが分かったな・・・まだ死んだわけじゃないけどね。

駄文・長文・おまけに私事でスマソ







2116:02/09/11 16:52 ID:Xl6CemuM
>>18
うんにゃ、違うよ。

あの事件を契機にして、写真家はもちろん音楽家・作家・
評論家・画家などあらゆる芸術家が「価値観が再構築された」とか
「これまで見えていなかったものがハッキリした」とか
いってるけど、それは「私はバカでした」と告白しているに
等しいと思う。
事件が起こらなければ認識できないなんて、表現を生業とする者としては
致命的。・・・もちろん俺を含めてね。
自戒、自戒。
22名無しさん脚:02/09/11 17:33 ID:sdJ2n+/Q
>>19
写真についてじゃないけど。
長倉氏がマスード北部同盟司令官の写真集を出した頃、新宿コニカプラザで
写真展があって、そこの会場で本人を見たよ。来場者(関係者かも)と
談笑しているところだったんだけど、にこやかで物腰の柔らかいふうな人だったので
ちょっと意外に思った。勝手な思い込みで、気難しそうなイメージを持っていたから。
写真も、どちらかというと穏やかな風景や人々の様子を写したのが多かったような。
戦場にいる兵士や、そこに住む一般の人は常時殺気立っているのではなく
普段はごく平穏な表情をしているものなんだなあと思ったよ。
2322:02/09/11 17:35 ID:sdJ2n+/Q
ありゃ、1行目の前置きは不要だったね。
24名無しさん脚:02/09/11 17:41 ID:Wra12Gx/
>>16
事件直後にアメリカが報復攻撃を発表したとき、日本では単純な報復に反対の
論調もあったが、1年経ってみてどうなんだろう。

個人的には、ベトナムの繰り返しをするなと、ずーと思っているんだが
251:02/09/11 17:46 ID:6zFxD3P/
写真という切り口だけでも、貿易センタービルを撮影した立場と、故マスード氏を撮影した立場、
戦場写真家として今アフガニスタンにいってる人もいるだろうね。
また、>21のように表現を生業とする立場もあるね。
このスレッドは、どのようにすれば対話が可能か、ちょっと考え中。
26名無しさん脚:02/09/11 21:04 ID:EB3Hn1CD
あの事件以来、一攫千金を夢見て常にカメラを持ち歩くようになった。
27ウザイ奴:02/09/11 21:06 ID:GFoyxjZF
本当に変わったか?と煽ってみる。
28名無しさん脚:02/09/11 21:09 ID:pR6ZsbpL
日本時間で21:46だったっけ?
黙祷でもするか。
29アンパンマン ◆k.2TvaTY :02/09/11 21:14 ID:VutfQYda
>>12
広島原爆の被害って今回のテロの被害の何倍なんだろう!

今年に入って沖縄に何度か行ったせいか何故か今回のテロ、ピンと来ない。
それより第2次世界大戦を考えると・・・・。
広島、長崎の方が・・・・。
30ウザイ奴:02/09/11 21:18 ID:GFoyxjZF
死者で5〜6000人(テロ):10万人×2(原爆)レベルじゃないかな。
31名無しさん脚:02/09/11 21:54 ID:fndiPxQK
http://www.yahoo.com/
おまえらも追悼しとけ
32名無しさん脚:02/09/12 07:31 ID:g/SaEQLY
おい、グランドゼロでブッシュが遺族と話したり、握手してる所にいた
DQN日本人と思われる、黄色いストラップのついた1眼レフ持った奴誰だよ?
ブッシュの真横から、デカイ広角でおもいっきり撮ろうとして、
セキュリティーに最前列から後へつまみ出されてた奴。。
連れ去られる時、あいつはどう何だゴルァと言わんばかりに他の奴指差してたぞ。。
33名無しさん脚:02/09/12 07:36 ID:Mi9bwcuR
糞サヨ新聞だろ
34名無しさん脚:02/09/12 08:53 ID:kjChElan
でも、ブッシュの周りに(グランドゼロ)は、遺族もしくは、関係者しかは入れなかった
はずだけど。。 新聞社は他にいなかったぞ。
351:02/09/12 16:24 ID:+FbHJhXi
だいぶ時間が空いたが。
自分があの事件で改めて気付いたことがいくつかあるので、それを考えながら書いていきたい。
ひとつは、自分というものは、本来的に、明日をも知れぬ身の上であることを思い出した。
よく言うけれど、これから1時間後に自動車事故にあって死ぬかもしれないが、それは誰にも分からない。
誰でもそういう立場であると思うが、それは日常的には考えないことになっているし、
考えすぎるとつらい、日常生活を送れなくなってしまうかもしれない。
だから、>>8 はまさしくそのとおりだ。
自分が家族の写真を撮ることが多くなった、ということを考えると、
明日をも知れぬ身だからこそ、普段の生活がいとおしく感じるからかもしれない。
>>21 事件が起こらなければ認識できないなんて、
とは言うものの、改めて目がさめたと言えばいいのかな。
ここで21が言いたいのはそういうことではないだろうが。

その他についてはこれからまた書いていきます。
361:02/09/12 17:14 ID:+FbHJhXi
ところで、昨年、事故が起こったとき、おれはビルが崩壊する前にテレビを見ていられなくなって、消してしまった。
正確にいうと、崩壊するしばらく前から、人が窓からばらばらと落ちてきている映像を見ているときに、つらくなってテレビを消した。
だから、ビルが崩壊したのを知ったのは翌朝だった。
そのとき、なぜテレビを消したのか改めて思い出すと、あの落ちてくる人は「おれだ」と思ってしまったからだ。
正確に言うと、おれがあの場に居合わせても不思議ではないというべきか。
自分も旅行でNYに行けば、おそらく貿易センタービルに行くだろうからね。
たまたまそういうふうに居合わせた人もいただろう。

それと、目の前で惨劇が起こっているのに、何もしない(その場にいてもできないだろうが)でテレビを見ているのは、
なにか不謹慎・不道徳のような気がしたからだ。
少なくとも、人が死ぬところを茶の間でお茶飲みながら(?)見ているのは、道義的退廃のように感ずる。
もっとも自分が倫理的な人間ではないことは十分承知しているのだが。

そのことと、>>17「マグナムが撮ったNY 9.11」を見に行かなかったことは、
自分の中では、相通ずるところがあったのかな、と思っている。
ただ、このことを突き詰めて考えると,
グラフジャーナリズム的な写真を否定することにつながりかねないとも感じている。
おれ自身は、現代でもグラフジャーナリズムは無意味ではないと考えるほうなので、
それを自ら否定しかねないということに困惑気味でもある。
もうちょっと、このことは考えたい。
371:02/09/13 12:05 ID:oz5oPfDE
おれ一人で書くのは気がひけるのだが、他の意見も聞きたいので、
ちょぼちょぼ書いていこうと思う。
しかし下がりつづけるな。

グラフジャーナリズム(フォトジャーナリズムというべきか?)は、
写真は、事実を正確にわかりやすく伝えられる、という考え方が基本にあるように思う。
だからLIFEや他のグラフ誌は写真中心の紙面になったのだろう(この辺は名取洋之助を読んで)。
しかし、現代では、「事実「正確」「わかりやすく」というそのどれもが、
「誰にとっての?/誰から見た?」「スターリンがやったように写真の捏造もあるよ」
「キャプションひとつで写真の意味が変ってくるよ」というように疑われる。
同時に、今回はまだ見に行っていないが、サルガドの一連の仕事を見ると、
写真の力については一概に否定できないように思う。
というかおれは意味があると思っている。
続く
381:02/09/13 12:07 ID:oz5oPfDE
さて、「マグナムが撮ったNY 9.11」は一体誰に何を伝えたかったのだろうか。
それに対する釈然としない気持ちがあって、見に行かなかったのではないかと、
いまさらながら思っている。
単に「事実」を述べたいのであれば、リアルタイムで見た映像には敵わないのではないか。
「悲惨な事件である」「犠牲者は無実だ」「犯人は許せない」等、については、
アメリカ以外の国で起こっていることは、そうではないのか、という反論が来るだろう。
「他の人と共有すれば、傷が癒えるかもしれない」というのは分からなくもない。
「もうこの世には安全な場所はない」という嘆きであれば、
個人レベルで考えれば、そもそもそうだった、としか言いようがない。
それ以外には、ショッキングな映像を繰り返し見ることによって、
事件を消費しようとしているようにも思える。
つまり一種の娯楽だ。
それが、>>36で書いた「道義的退廃」という意味のつもりである。
また、ショッキングな映像を見ると冷静に考えられなくなるということもあって、
おれは見に行かなかったのかもしれない。
おれが一人で考えつづけても意味がないのは分かっているが。

しかし、見ないで云々するのは気がひけるので、見た人がいれば感想を聞きたいのだが。
391ですが:02/09/13 21:42 ID:oz5oPfDE
3連休中向けに、保全ageということで申し訳ない。
連休中にゆっくりと考えたいが、誰も読んでないならやめたほうがいいか。
40名無しさん脚:02/09/13 21:56 ID:6ON6FbSW
読んでるyo
写真について考えるのに有意義な切り口だと思うよ。
俺も何か書きたいけど
文章で総括するのは なかなか難しいや
41名無しさん脚:02/09/13 22:01 ID:wZBy3ZVE
レスはつけてないけど興味深く読んでいるので、考えがまとまったらまた書きこんでくれ。
42長いよ− ゴメンよー:02/09/13 22:15 ID:oard5RlT
一応ROMってたので、落ちない程度に続けてくださいな。

崩落するWTCの映像を見て自分は、意外に整然と落下していくので
その瞬間は人の命が失われていることを忘れていました。
コメンテーターの誰かが「映画のよう」と表したその印象のままに。
直後に映された、逃げまどう人達の様子を見て正気に戻りましたが。

もし崩落するビルの映像の直後に、テロのニュースに歓喜する
イスラム教徒の映像を見ていたら?実際テレビではさほど間を置かず
同様の映像が流れていましたが。

1枚の写真だけでは事件のごく一面しか伝えられず、それゆえ複数の
写真でもって事件を多角的に捉えようとする。しかし写真のセレクト次第で
1つの事件をいくつかの異なるストーリーで語ることができてしまう。
名取洋之助はその手法を用いてフォトジャーナリズムのスタイルを確立したと
云われていますが。

さて現場に居なかった私らができることは、事の悲惨さから目を逸らさず、
可能な限り多くの情報を得てその真相に近付くべく努めることではないかと
思います。もちろん、各人が辿り着く“真相”は、各人が得た情報とその解釈の
違いによって無限に存在することになるでしょうが。

そしてもし、自分の身の周りに大きな事件が起こったら、自分や家族や
周囲の人達の安全を守ることを第一としながらも、多くの情報を残すべく
写真やスケッチやビデオなどで記録していくことを心掛けようと
そんなことを思いました。
43名無しさん脚:02/09/13 22:49 ID:aBW2jNL7
あの特番の映像を撮った弟カメラマンすごすぎ。
場所、時間、アングル、何から何まで完璧。まさに神。
44名無しさん脚:02/09/14 10:22 ID:EH1lnTWD
神はすべてを知っている・・・・・。
45名無しさん脚:02/09/15 01:50 ID:BWK6YB8C
>34

それは亀爺です。と答えようかと思ったけどやはり

フライデーのような写真週刊誌のカメラマンじゃないの?

日航機墜落事故現場も同じく金になりそうな写真が撮れそ

うなので強引に写真を写そうとしたのでは
461ですが:02/09/17 09:19 ID:KU2czx2V
読んでくれる人がいるとはありがたいです。
月曜日にサルガドの写真展を見に行って、ちょっと考えることがありました。
また、ぼちぼち書いていきたいと思います。
471:02/09/17 18:00 ID:KU2czx2V
サルガド展を渋谷に見に行ったのだが、やむを得ず子連れで行ったので、じっくりは見られなかった。
とくに最後の子供のポートレートを見たかったのだが、うちの子が飽きてしまって、よく見ることができなかった。残念。
また、点数も多く、おれのちからでは咀嚼し切れなかった。
この写真展自体は、いろいろな人が語っているので、全体的な話はいらないだろう。
いくつか好きな写真を上げると、アマゾンのヤマノミ族の写真で(だったと思う)、蝶が乱れ飛ぶ川沿いのポートレートと、
やはり同じく、木漏れ日の川での写真。
それとサンパウロの俯瞰の写真はなんだか胸に残ったな。
何しろ駆け足で見たため、記憶も心もとない。また行こうかは思う。

 ところで、家に帰って改めて考えたのだが、ひとつは「EXODUS」というタイトルについて。
唐突だがスティーグリッツの「3等船室」もたしか移民の乗った船だったと思う(違ったかな)。
日本にいるから分からないのだろうが、自ら望んでか、他から強いられてかを問わず、移民・民族の移動というのは、
写真のなかでの大テーマなんだろうな。
そういえば、横浜で数年前にやったローバート・フランクの「Moving out」を辞書でひくと「立ち退く、家を出る」という意味だそうで、
なにか似通ったものを感じた。
クーデルカの「exile」もそうだな。
でも、自分の想像力では実際の様子は分からないというところがある。
続く。
481:02/09/17 18:03 ID:KU2czx2V
それと、ロバート・キャパの写真展を見たときに考えたことをなぜか思い出した。
キャパ展を見た人と話したことなのだが、キャパが他の戦争写真家と違う点についておれはそのときこう話した。
世の中には「大きい物語」と「小さい物語」があって、政治とか戦争とか、個人を超えて動いている部分が「大きな物語」、
それに否応無しに巻き込まれるのが、個人の「小さな物語」。個人の人生とかね。
キャパの写真で心に残っているのは、例えば、ベルリン陥落間近なのに戦死した兵士の写真や、
ドイツ兵の子供を産んだために追い出されるフランス人女性等、
小さな物語が大きな物語に巻き込まれた際に生じる軋轢について取り上げているように思う
(もちろんキャパの写真はこれだけではない)。
よくいる戦争写真家は「大きな物語」か「小さな物語」のどちらかだけの場合が多いように感じるが、
キャパの写真が生き残っているのはその両方への視点があるからではないかという話をした。

変なたとえ話で恐縮だが、自分の大学の恩師(と勝手に思っている)が、こんなことを言っていた。
戦場に500人の部隊が行き、499人生還し、大勝利をおさめたとする。しかしこのとき唯一の戦死者が自分であったとしたら、自分にとっては勝利ではなく敗北である。
おれにとってはこの話は忘れられない話なのだが、
さっきの話にあてはめると、「大きな物語」は部隊の大勝利、「小さな物語」は自分の戦死になるだろう。
ここまで考えて、自分がこのスレッドで考えてみたいことは、「大きな物語」「小さな物語」と写真についてなのだろうか、という気がしてきた。
まぁ、ぼちぼち考えていきます。
491:02/09/17 18:06 ID:KU2czx2V
>>40さん、41さん、読んでくださってありがとうございます。
>>42さん
> さて現場に居なかった私らができることは、事の悲惨さから目を逸らさず、
>可能な限り多くの情報を得てその真相に近付くべく努めることではないかと
>思います。もちろん、各人が辿り着く“真相”は、各人が得た情報とその解釈の
>違いによって無限に存在することになるでしょうが。
全くそのとおりでしょうね。

>そしてもし、自分の身の周りに大きな事件が起こったら、自分や家族や
>周囲の人達の安全を守ることを第一としながらも、多くの情報を残すべく
>写真やスケッチやビデオなどで記録していくことを心掛けようと
わたしもそうするかもしれません。
私の場合は、「写真を撮っても一体なんの役に立つんだ」、
などと自問自答しながら撮影するのではないかと思います。
501:02/09/17 19:56 ID:KU2czx2V
すまぬが、2、3日書き込めないので、ageさせてくれ。
申し訳ない。
51名無しさん脚:02/09/17 20:00 ID:LT9QNxYv
ヤノマミだと思う…
52名無しさん↑:02/09/17 20:04 ID:ow1FhYOM
うちぁ田舎で写真展なんかまず無いんだが、月末にマグナムの写真展あるって、、
ヤパーリ特別な日なんだな
531:02/09/20 09:48 ID:uU0YVuO+
>>51 訂正ありがとう。駆け足で見たから、名前を間違えたようです。
541:02/09/20 22:59 ID:uU0YVuO+
>>48 柄にもなく「物語」などと大きな言葉を使ってしまったので、自分でも書きにくくなってしまった。
ここで自分の写真を考えれば、まぎれもなく「小さな物語」に属する写真ではあるな。
あくまでも自分の生活の延長上にある写真だ。
でも気持ちとしては身辺雑記だけではなく「大きな物語」があるということは忘れないようにしたいと思っている。
だから、最初から「小さな物語」のみの写真(家)はあまり好きではない。
おれの好きなアラーキーは「小さな物語」に固執しているようにも見えるけれど、肉親の死をとりあげたりしているうちに、
図らずも、運命とか、生死のようないちばん大きな物語に通低してしまったように考えている。
もちろんどちらがいいかという話をしたいのではないので、そのへんはよろしく。
551:02/09/20 23:02 ID:uU0YVuO+
ところで、コンポラ写真というというとき、
その元になった"Contemporary Photographers: Toward a Social Landscape"展のタイトルの中に、「social」という言葉が入っている。
ゲーリー・ウィノグランドやリー・フリードランダー(日本では牛腸茂雄らか?)の写真は、
それまでの写真と比べるといかにもパーソナルで一見「小さい物語」のようだが、そこには「social」という視点があったということに、
ある意味があったのではないかと思っている。
が、こういう書き方・考え方は誰かがやっていそうなので、ちょっと時間をおいて考え直したくなってきた。
もし読んでくれている人がいたら、なにか意見をください。とくに反対意見。
よろしくお願いします。
561:02/09/26 17:25 ID:ArSJAw7b
というようなことを考えていたのだが、とくに反応もないようなので、
このへんで終わりにしようと思います。
自分と世の中の係わりについて、写真を切り口に考えようと思っていました。
見てしまった以上、やはり無関係とは思えない事件であり、
それ以上に記憶に突き刺さる映像であり、出来事でした。
でもどうもまだ力足らずのようです。
自分の頭と言葉では考えがまとまりませんでした。
ただ、現状の結論としては、「大きな物語」の図式に頼り切らず、
同時に「小さな物語」だけに固執することなく、ものを見ていこうと思います。

ということで、1=うなぎ犬でした。
571:02/09/27 10:58 ID:cxNMF3jV
以後、タイトルからはなれて勝手に進めます。

先週土曜日の朝日新聞土曜版の料理紹介のところに、名せりふがありました。
カメラ店を経営していたご主人(故人)のことばで、
「カメラが好きな人は幸せである」というものです。
家人とこのことが話題になりました。
写真も好きだがカメラ好きでもある私としては、そのとおりだな、
けっこう幸せかも、と思いました。
他にもこれを見た人いますかね?
581:02/09/28 17:32 ID:Tzx5IXFY
昔、実家で使っていたオリンパスオートアイ2をもらってきて、手入れしました。
レンズの汚れとファイダーを掃除したら、見違えるようにきれいになりました。
露出計も生きていて、カラーネガなら大丈夫そう。
赤ん坊のときの写真は、このカメラで撮ってもらったのかと思うと、不思議な気持ちです。
今度、うちの子を撮影してみようと思います。
>>57で「カメラが好きな人は幸せである」というのは、例えばこういうことかと思いました。
591:02/09/29 14:20 ID:3W/XwfqZ
なんだか、うなぎ犬の写真生活、という内容になってきました。
以前ジャンクで入手したPEN EES2をすこしづつ直してきて、
「赤ベロ」も出てくるようになりました。(ピントの無限遠が未調整)
最近は、それをフィルムを入れずに子どもに渡すと、大喜びでシャッターボタンを押しています。
ささやかながら英才?教育のつもり。
60うなぎ犬:02/10/01 11:33 ID:OQTomhqF
下がりつづけますな〜。

ところで、先日父が喜寿を迎えたので、ローライフレックス2.8Dで記念写真を撮影しました。
以前から逆光に弱いのは分かっていたのですが、
今回はそれほど強い逆光でもなかったので、そのまま撮影しました。
しかし上がりを見ると明らかに画像のクオリティが落ちていて、
まともに撮れていたのは、日がかげった瞬間に撮影したものだけでした。

もう1台、3.5Fがありますが、こちらはそれほどでもありません。
しかし現在1/500がNG。このままでも使えるのですが、修理代もバカにならないし、ちょっと悩んでいます。
61うなぎ犬:02/10/01 20:28 ID:VR8Xj2pX
台風がひどいようですが。
本日は残業で日野元彦の「流氷」を聴きながら仕事しております。
閑話休題sageですな。
帰ったら、センチュリーグラフィックの距離計を調整するつもりです。
62うなぎ犬:02/10/03 13:09 ID:800oupCv
61のセンチュリーグラフィックの距離計ですが、なかなか手ごわいです。再トライ。
それと、いまさらながら気づいたのですが、レールについている距離目盛の位置が狂っていました。
ねじを緩めて、とりあえず無限遠であわせ近距離で確認しました。
feet表示の距離計を持ってるので、しばらくは本体の距離計を使わないで撮影できそうです。
63うなぎ犬:02/10/04 19:01 ID:O9ZHcFub
昨日、ロシア製パノラマカメラHORIZON202が不調だったので、ちょっと調整してみました。
不具合は、露出ムラだったのですが、あるサイトを見ると、
カバーが簡単に外れるから、自分でクリーニングすれば直る
(原文英語)とあったので、さっそくやってみました。
ボディ前面のねじを2本はずし、水準器をカニ目?で外します。
あとはボディーカバーを引いて外すだけなのですが、固くて外れません。
2時間ほど押したり引いたりしてやっと外れました。
あとは、ベンジンでギアを洗いましたが、これで直ったでしょうか?
現在テスト撮影中です。

ところで、パノラマについてのスレッドがあってもいいと思う今日この頃。
FUJI TX-1のスレッドは落ちてしまったようです。

このところ機材ネタばかりなので、また写真について書いていきたいと思います。
64うなぎ犬:02/10/07 14:38 ID:z2n9cAtQ
先日、坪内祐三を読んで面白いな思った福田恒存論が、なんと大学の卒業論文だということでした。
若いときにこれだけのしっかりしたものを書けるとはすごいものです。
私の卒論はどんなだったかなと思って読み返したのですが、
あまりの稚拙さに頭痛がして、悲しくなりました。

しかし自分の卒論を見て、唐突ですが、9/11テロについてのシュットクハウゼンの発言を思い出しました。
彼は、あのテロについて「未曾有の芸術作品だ」と発言したとかで、物議をかもしました。
中沢新一の「緑の資本論」にある「シュトックハウゼン事件」を読むと、
シュットックハウゼン自体はテロを別に賛美しているわけではなく、
悪意あるマスコミに発言を抜粋されて、わざと発言を捻じ曲げられたということです。

しかし、世の中のある一定数の人はシュトックハウゼンと同じように考えたと私は思うので、
真相を知る前でも、彼はある意味で勇気のある発言をしたように思いこそすれ、
彼を非難する資格を持つ人は非常に少ないのではないかと思いました。

続く
65うなぎ犬:02/10/08 19:28 ID:DS7XBKax
地味に続いておりますが。

私の卒論はロシアフォルマリズムに関連したことを書いたものでした。
簡単にいうと、日常生活はどんどん「自動化」するから、
何かで生き返らせないといけない。たとえばそれは芸術である、という考え方です。
(乱暴すぎ、かつ自分流の曲解もあるかもしれん)
これは詩的言語についての考察で、「異化」などと言う言葉もあります。

そこから考えると、ビルに激突する飛行機の映像は、
まさしく日常生活にショックを与えたのは確かです。
そう考えれば、ショットックハウゼンの意見(誤報に近いのだが)は、
いかにも誰かが言いそうではあるな、と思ったのでした。

まだ続く。
66うなぎ犬:02/10/09 14:49 ID:nSof2hAf
まだまだ続いております。

>>65については、以下ののURLがまとまっています。
ttp://faculty.web.waseda.ac.jp/kawasaki/kougi114.htm
とはいえ、私はロシア文学専攻ではありません。

以上について、かいつまんでいうと、芸術の目的は日常生活を生き返らせることなのですが、
とはいえ、そのために、他の人を犠牲にしていいわけでない。

ここで写真の話にたちかえると、
私にとって写真とは日常生活を改めて認識しなおすこと、
日常生活にとりまぎれてしまった、ものそのものの姿を、
カメラという機械の目によって改めて見ることだろうと思います。
普段は先入観を持ってものを見ているが、カメラ自身にはそれはない。
ただ何に注目するかという意味では、撮影者の意思とものに対する先入観はあるが、
撮影された写真には撮影者の思惑以外のものが写りこんでいる。
撮影する自分と、出来た写真を見る自分には微妙なずれがあり、
そのずれから、自分の日常に対して新たな見方が出来る
=日常を認識しなおす、ことが日常を生き返らせることにつながる
と私は考えております。

読む人もいないようですが、行きがかり上、どんどん続けていきます。
67うなぎ犬:02/10/09 15:18 ID:nSof2hAf
つまり、そのずれが異化につながっているのではないかと考えております。
しかし異化だけを追及すると、日常にはないものを追求したくなる。
それを追いかけていくと戦場に行くことになるかもしれません。
また、日常にはないことを見たいという欲望・ニーズは世の中に確実にある。
それと同時多発テロの映像を何度も映すのは、似たようなものではないかと思います。

ところで、港千尋氏が、テロをテーマにした彫刻「落ちる女」の展示が撤去されるなら、
ビルに飛行機が激突する映像のほうがもっと問題ではないかと言っていたようです。
これには同意出来るところと出来ないところがあります。
ニュース自体は以下URL
ttp://www.japandesign.ne.jp/EXPRESS/020925/w03.php


ビルと飛行機の激突映像を繰り返し流すことは、私も>>36>>38で書いたとおり、
一種の道義的な退廃だと思います。
しかし、写真を見る限り、「落ちる女」は生々しすぎて、やはり許容しがたい人は多いと思います。
時間が経ち、テロ事件が歴史の一部にならない限り、ごく普通の人が見れば苦痛でしょう。
作者はその苦痛を狙ったのかもしれませんが、だれもがそれに耐えられるわけではないと思います。
苦痛が強すぎて作品を見てもらえないならば、作者が伝えたかったこと(があれば)も伝わらないわけで、
そのへんは、作者も考えようがあったようにも思うのです。
だから、展示を撤去したロックフェラーセンターを責めることは出来ないと思います。

「歴史の一部になる」「苦痛が薄れる」ということは、記憶が薄れ当事者ではなくなるということでもあり、
事件の風化に他ならないのは分かっているのですが。

この件については情報が少ないので、ここで止めます。
68うなぎ犬:02/10/10 14:21 ID:iEesGLzs
>>67については、閑話休題的な話でした。

ところで、>>66は、なかなかうまく言い表すことができないので、補足します。
> 自分の日常に対して新たな見方が出来る=日常を認識しなおすことが
> 日常を生き返らせることにつながる
これについては、撮影しようとするものを探すこと自体が、
日常を見直すことにもなっていることを付け加えるべきでした。
私の場合は、面白いな、美しいな、なんか分からないけど心が惹かれるな、
というものを撮影することが多いです。
(もちろん記録的な意味合いの写真を撮ることもあるのですが)

別の言い方をすると、写真を撮影することと、
幸せを追求することはつながっているのではないかと言いたいわけです。
ちょっと飛躍があるか?
幸福の定義は出来ませんが、自分が自分らしくあることや、
日々をいきいきと過ごしていけるということも
幸福のひとつではないかと思います。
大分前に「小さな物語」と書きましたが、
それが充実していることも幸福のひとつではないでしょうか。
となると、アラーキーの「幸福論」をどうしても思い出してきます。
(植田正治の「小さい伝記」もうかんできますが、詳しく見ていません。)
9/11のテロ事件が、なぜかアラーキーに辿り着いてしまいました。

が、私なりの結論は一応出たかな、と思います。

>>66をさらに補足すると、幼い子どもというものは日々変わっていきます。
すると日常も日々驚きがおこり、生き返ります。
(昨日と同じ今日がまたやって来たとは思わない)
子どもが生まれてから、しみじみそう感じるようになりました。
それが、66で書いたことの裏打ちになっています。

なんだか全体に飛躍が多いような気がしますが、ひとまずここで終わります。
69うなぎ犬:02/10/10 19:56 ID:iEesGLzs
なんだか賑々しいので、便乗してageるか。
いろいろ意見も言ってもらいたいし。
70うなぎ犬:02/10/13 13:43 ID:D/u9relY
先日、子どもの運動会に顔を出しました。

いつも標準から、広角24ミリのレンズしか使わないのですが、
はじめて、望遠レンズの必要を感じました。
遠くて、子どもの顔がよく分からない。

ズームも持っていないのですが、28-200くらいのがあると便利でしょうね。
なんでズームレンズが売れてるのか、やっと分かりました。
71うなぎ犬:02/10/16 13:12 ID:CBZeP/aN
作家の日野啓三氏が亡くなった。ショックだ。
最後の単行本「落葉 神の小さな庭で」のなかで9/11テロ事件について書いているのだが
それについていろいろ考えていたところだった。
日野氏の荒野を描写した文章が非常に写真的に感じたりしていた。
ご冥福をお祈りします。
なんだか今日は落ち着いてものが考えられない。
72うなぎ犬:02/10/22 16:57 ID:bftg59F6
そろそろ気を取り直してまた考えてみるか。
うなぎ犬って誰よ?節穴してよ!
■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■
■ カメラ板トップより公認ハリコ板としてリンクされている「アンデパンダン写真館」が
■ ある日突然、過去の投稿に遡ってIP(リモートホスト)を強制表示する可能性を表明。

■  *自らのサイトには注意書きをしていません。
■  *特に初心者の方は御注意ください。

■ 詳しくは以下のスレをごらんください。

■ ■緊急■トップリンクの貼り板がIP強制表示
■ http://caramel.2ch.net/test/read.cgi/camera/1035395726/
■ http://caramel.2ch.net/test/read.cgi/camera/1035728180/

■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■■重要■■

なお、この告知活動に協力してくださる方は以下のルールでお願いします。
1.http://caramel.2ch.net/camera/subback.htmlより任意のスレッドを開き
最終10レスに告知があるものはそのまま閉じる。
2.最終10レスに告知がないものはE-mail欄に「sage」と入れ、本文にこのレスのコピペをして投稿。
3.このレスのコピペそのままでは連続投稿規制にかかる場合、警告文周囲の■を削除・追加したり
先頭に注意喚起の一文を入れるなどして同一文と認識されないようにする。
4.同一スレッド内へのコピペは間に10レス以上間隔を開ける。
74うなぎ犬:02/10/30 09:45 ID:EK/VJ2NB
>73 なんだお前は。
お前に「誰よ?」といわれる筋合いはない。
俺の書き込みもくだらんだろうが、お前はそれ以上だ。
これまでは、積極的には係わりたくなく思っていたが、
どうやら、そうもいかないかもしれん。
しかし、こいつらは底抜けの馬鹿だな。
いつもはひっそりとsageだが、あげさせてもらう。
75名無しさん脚:02/10/30 11:43 ID:cSmiurfP
をいをい、それ以上じゃなくて、「以下」じゃないか?
それから、こんだけ亀板が荒れてるときに上げるのは自殺行為だぞ。
ひっそりとROMってるヤシもいるんだから。
76うなぎ犬:02/10/30 14:30 ID:EK/VJ2NB
>75 了解しました。頭を冷やします。
しかしROMってくれている人、ほんとにいるの?
そうだとしたら、ありがたいことです。
77うなぎ犬:02/10/30 15:02 ID:EK/VJ2NB
自分の時間が出来たので、東京駅大丸のメイプルソープ展に行ってきました。
私は、音楽が好きで、彼が撮影したパティ・スミスやテレビジョンを良く聴いていました。
彼のプラチナプリントなどについては、以前はものすごく興味があったのですが、
最近は自分の好きなものが変わってきたので、ちょっとご無沙汰していたわけです。

そのなかで心に残ったのは、ゲイ的なものや、著名人のポートレイトやリサ・ライオンではなく、
浜辺に打ち寄せる波の風景と、水に浮かんだボートの写真の2つでした。
もちろん、カラーの完璧な花の写真もいいのですけどね。

なんで、あんな地味な写真がいいのか(これは自分自身に対して)
また、彼がどうしてあのような風景の写真を撮っていたのか。
(そういえば、彼のスナップ的な写真はあまり見たことがない)
考えることがまた出てきました。

ほかの人の意見も聞いてみたいです。
78名無しさん脚:02/10/30 16:13 ID:cSmiurfP
ちょっと、話が戻りますが、どっかのスレで出た記憶があるんですが
マスコミに流されたWTCが崩れ落ちるときの映像(動画、スチル含めて)には
現実感が無い、映画を見てるようだと言ってる人がいたんですが、
この辺、どう思います?
79うなぎ犬:02/10/30 16:37 ID:EK/VJ2NB
>>78
このスレッドのまとめ的な意味合いとして、日野啓三について触れようと思っていたのですが、
とりあえず、私が共感した彼の言葉をうる覚えですが書いてみます。
たしか、
80年代の傑作と比べると90年代以降のアメリカ映画はやたらと自己の作り上げた文明の精華を壊すようなシーンのある映画を作っていた。
それは自己の作ったものが恥ずかしくて仕方がないから壊したいという衝動ではなかったか、云々。

だから、WTCが壊れるシーンに類するものは、フィクションのなかですでに何度も見ていたために、
かえって現実と思われなくなるのではないかと思います。
これがひとつ。

もうひとつは、あまりに非現実的な(とそれまでは思われていた)ことが起こったために、
いまだに現実と思うことが出来ない、ということかもしれません。

一度、その場所に行ってみないと分からないこともあると考えているので、
今書けるのはここまでです。
80うなぎ犬:02/10/30 17:08 ID:EK/VJ2NB
補足ですが。
> 一度、その場所に行ってみないと分からないこともあると考えているので、
> 今書けるのはここまでです。
こう考える理由は、東京・代々木のDOCOMOビルのことがあるからです。
ttp://www.kajima.co.jp/project/works/content/project/ntt-docomo-yoyogi-j.html
最初にあのビルが出来たとき、どうも違和感があって、見るとなんとなく目をそらしたくなる建物でした。
あるとき、長野重一さんの写真に、おそらく新宿御苑で撮影したと思われる写真がありました。
桜の花の下で家族連れなどさまざまな人が花見をしていて、その向こう、画面の中央にDOCOMOビルが見えるという写真ですが、
その写真を見てなんとなくあのビルが許せる(?)ような気になったのです。

存在しているものに対する受容についてもこうなのだから、
もし、いつも目にしているものが無くなった場合の喪失感についても、きっと何かがあると思うのですが、
それがあのビルについては想像できないわけです。

だからといって、その場に行けば分かるものではないとは思うのですが、
東京であれこれ考えるよりは、まだ、ましかなと思いました。
81名無しさん脚:02/10/31 10:43 ID:Ktm2PeB4
私にはあなたが感じてることがよくわかりません。
WTCの崩壊は何千人かの死が事件なのに、新宿のドコモビルと同列に語るのはどういうことですか。
ビルと言う人工物の出現や喪失と言う程度の意味でしか捕らえてないんですか?

人間が作ったビルが無くなったくらいのことは少し時間がたてば誰も忘れてしまいます。
それが、マスコミで繰り返し報道されることで(しかも極めて政治的な意図をもって)
別の意味を持ち始めるとは思いませんか?

ちょっと話がずれましたが、78でいいたかったことは、マスコミに報道される映像と言うのは
巧妙に人間の死という現実が隠蔽されているということなんですが...
体がバラバラになって内臓をぶちまけて死んでいくのが戦争やテロの現実ではないかと。
82うなぎ犬:02/10/31 13:34 ID:Onlrjgqk
>81 DOCOMOビルとWTCビルと同列に考えているわけではありません。
「そこに行かなければ分からないことがある(分からないかもしれない)」ということについて、
例として出しているわけで、それ以上のことを論じているのではありません。
>ビルと言う人工物の出現や喪失と言う程度の意味、と考えられないからこそ、
ここまで書いているわけで、それが分かってもらえないのは私の責任かもしれませんが、
>78の記述をもっと、ご自分の意図を分かりやすく書いてもらいたかった、とも思います。
具体的には、
> マスコミに流されたWTCが崩れ落ちるときの映像(動画、スチル含めて)には
> 現実感が無い、映画を見てるようだと言ってる人がいたんですが、
> この辺、どう思います?
「映像に現実感がないという人がいるがどう思う?」という問いかけのように読めます。
この質問の理解の仕方は、今思えば、複数あるように思います。
ひとつは、「映像に現実感がないのはどうしてだろうか」という疑問。
もうひとつは「映像に現実感がない、などという人はおかしいのではないか(何故なら、人が死んでいるから)」という発言者に対しての問いかけ。
私は前者として理解しましたので、>>79を書きました。
繰り返しますが>>80は、
> 一度、その場所に行ってみないと分からないこともあると考えているので、
79末尾の補足であって、本文は79です。

続く。
83うなぎ犬:02/10/31 13:36 ID:Onlrjgqk
> あまりに非現実的な(とそれまでは思われていた)ことが起こったために、
> いまだに現実と思うことが出来ない、ということかもしれません。
私が、ここまで書いてきたことは現実とは思えない(いまだに)ことを、
現実に引き寄せて考えるにはどうしたらいいのかということの試みです。
試みですから、まだ上手くいかないかもしれませんが。

でも、79,80と私が書いたことにより >81が言いたかったのだということが分かっただけでも、
ひとまず良かったなとも思います。

とりあえず、ここまで。
84うなぎ犬:02/10/31 14:44 ID:Onlrjgqk
ということで、>>78の真意は、
> ちょっと話がずれましたが、78でいいたかったことは、マスコミに報道される映像と言うのは
> 巧妙に人間の死という現実が隠蔽されているということなんですが...
> 体がバラバラになって内臓をぶちまけて死んでいくのが戦争やテロの現実ではないかと。
ということが分かりました。

私自身はマスコミに対して期待するところはあまりないので、
(というか、マスコミを批判的に見ることによって、はじめてそこから得るものがあるという立場)
当然ながら「巧妙に人間の死という現実が隠蔽されている」と思っています。
よって、まずマスコミの情報操作について書いてみます。
次に、「体がバラバラになって内臓をぶちまけて死んでいくのが戦争やテロの現実」という部分について考えてみます。

繰り返し崩壊するビルの映像を流していることには、
テロリストと呼ばれる者への敵愾心をあおる意図もあると思っています。
ただし、こういう動きもあるようです。ttp://DC.indymedia.org/
ワシントンの大規模な反戦デモ(10万人以上)のニュースですが、
マスコミではほとんど取り上げないそうです。
(作家の宮内勝典氏のサイトで知りました。「海亀通信」しか見ていないが)

インターネットは、現実の世界をそのまま反映していると思っていますが、
マスコミだけが情報ソースではなくなったという面での功績は大きいと思っています。
(しかし、真偽を判断する力が必要)

とは言いながら、内臓をはみ出させた死体の映像をマスコミで流したとしても、あまり状況は変わらないと思います。
単にショッキングであるということのみ注目されるのではないだろうか。
それはまた、ショッキングさを利用したマスコミに踊らされることになりはしないか、と考えます。
ではどうするのが良いのか、それはまだ私の答えはありません。

多分続く。
85うなぎ犬:02/10/31 16:36 ID:Onlrjgqk
続けるつもりだが、今日は無理っぽい。
書きすぎたか。
帰ったら、山本夏彦を読み返すつもり。
86名無しさん脚:02/11/01 14:28 ID:C5ShIOoS
このような場で自分のまとまった考え方を書き込んでいくと言うのは難しいですね。
81で書込みについて捕捉します。

1)自分はテレビ、新聞に流された映像にまったく現実感を感じなかった。
また、現実感を感じない視聴者が大半を占めているように思った。
2)その理由は
 (1)人間の死の即物的な側面がマスコミの情報、映像では排除されている。
 (2)アメリカから発信されるマスコミ情報は極めて政治的に選別されている。
 (3)ほとんどの日本人にとってはWTCを直接感じたことが無くマスコミの情報がすべて。
特に(3)については、例えば北朝鮮に拉致された日本人の問題をアメリカ人がどう感じるか想像すればわかると思います。

で、映像の持つ現実性について。
昭和40年代に広島原爆記念館を見たことがあるのですが、そのときの展示内容と最近の展示内容はまったく違います。
当時小学生だった私はそのときの写真や遺品を正視できず、気持ち悪くなって吐いたことを覚えています。
で、実際の展示内容は今ではほとんど覚えていないのですが、そのときの印象で、原爆だけはどんな理由があっても絶対使ってはいけないと
心に強く刻み込まれました。今でもそれは変わりません。
で、最近見た展示内容は、そういったどろどろしたものが一切排除されて、実にすっきりとしたものになっていたのです。
たぶん、こんな展示を見ても来場者は何も感じないだろうなという。
マスコミの性質として内臓をぶちまけた映像なんか使えないことはわかるんですが、せめて原爆記念館のようなところでは
被爆直後の犠牲者の痛みを追体験できるような展示を続けて欲しかったと思っています。
まあ、現代社会はそういったものをどんどん排除していくんでしょうが。
87名無しさん脚:02/11/01 14:36 ID:C5ShIOoS
このような自分が、マスコミに流れるWTC崩壊の映像を見て感じたことは、視覚的に視聴者に興味を持たせる映像だけを
巧みにピックアップしているな、と言うことでした。
これを書きながら気がついたんですが、それがマスコミの至上命題なんですね。
より多くの視聴者にアピールするために、ショッキングでありながら尚且つ不快でない映像だけをピックアップしてるんです。
で、その究極の映像は「映画のような」映像なんでしょう。
88名無しさん脚:02/11/01 14:42 ID:C5ShIOoS
多分、こんなに長い書込みを最後まで丁寧に読む人なんていないでしょうから、
一言でまとめてみます。亀板らしく。

マスコミに屈せず、不快な写真を発表する骨のある写真家はもういないのかゴルァ。
89うなぎ犬:02/11/01 15:55 ID:lV3RfE/E
さて>>84の続きで書こうとしていたことについて、かなり深く考えられているので、
私はあまり書くことがなくなってしましました。

ところで、私自身の性格としては,「不快」はまだ耐えられるが
「ショッキング」なものが大嫌いで、というのも、冷静に考えられなくなるからです。
(だからビルが崩壊する瞬間を見なくてよかったとも思っている)
思うに、あの事件については「白黒」が簡単につく問題ではないと思っています。
辺見庸ではありませんが、自分の側につかないものは自分の敵だといったブッシュには賛成できない。
もちろんそれ以前に、テロの実行犯の側につくことは自分にはありえない。
どちらにもつかないということは、両側から攻撃されることもあるわけで、
困難な道ではあるのですが、自分でその道を作りだすべきだろうと考えています。
ショッキングな映像を「過剰に」見せられると、私の脆弱な頭は、
現実に押しつぶされ、感情に押し流されて、ものが考えられなくなるでしょう。
私は白黒を付けにくい問題については、あーでもなくこーでもなくと散文的に考えるしかありません。

まだ続く。
90うなぎ犬:02/11/01 16:02 ID:lV3RfE/E
申し訳ないが、>>89の前の文章が抜けてました。
以下の文章を最初に入れて読んでください。

75=78=81=86 どうもありがとう。
>>88 昨年秋、「サムライ」氏らと、「匿名掲示板における写真論での可能性」
および「写真を撮るうえでのテーマとかを 」のスレッドで、
この場でも対話が可能だと思っていたので、
丁寧に読んでくれる人もいるのではないでしょうか。
少なくとも私は、86-88の書き込みを非常に大きな意味があるものと読みました。

※このあと、89の「さて」以下が続きます。
どうもすいません。
91うなぎ犬:02/11/01 16:03 ID:lV3RfE/E
>>89 しかし、これは私のスタンスで、では「現実」を伝えるにはどうしたらよいか。
そこで、>>86の広島の例があるのだと思います。
けれどもマスコミはマスコミである以上、
「より多くの視聴者にアピールするために、ショッキングでありながら
尚且つ不快でない映像だけをピックアップ」すること以上のことはあまり期待できないと考えます。

というところで、ちょっと頭が疲れました。

ところで、もしよかったら75=78=81=86も、なんぞハンドル名をつけてくれると
あとが続けやすく思うのだけど、いかがでしょうか。
「名無し」も味わい深いとは思いますが。
92名無しさん脚:02/11/01 16:43 ID:C5ShIOoS
いえいえ、私は単なる一名無しです。
自分の考えを理解していただいたようなので、続けます。
実際のところ、生理的に不快な写真なんて誰も見ないと思います。
単写真1枚だけぽんと出されたら、単なるグロ画像でしょう。

昔の原爆記念館の生々しい展示には、吐きながらも見学者を最後まで引き付ける力がありました。
それは、きっと被爆した被害者と遺族の「怒り」だったと思うんです。
その怒りは直接アメリカに対してではなく、戦争や核兵器に向けられていたと思うんです。
一方で、ブッシュ大統領がビンラディン憎しと、叫ぶほど自分は白けてしまうんです。
やられたら、やりかえす。これがアメリカ流なんですね。
事件直後の日本人の反応はどうだったんでしょう。少なくとも自分はテロに対して戦争で返しちゃいけないな
と思いました。煽りに煽りで反す、亀板モナー。これは、多分人間の根源的な自己保存本能からくる感情なんでしょう。
これを、抑制するにはかなり自覚的な理性が必要だと思います。

最初で最後の被爆国である日本人として、日本人でありつづけるために戦争と核兵器にだけは断固として
反対しつづけていきたいと思ってます。
93名無しさん脚:02/11/01 16:48 ID:C5ShIOoS
うなぎ犬さんが言う、どちらの側にもつかないという立場と同じですね。
94うなぎ犬:02/11/01 20:05 ID:lV3RfE/E
「一名無し」さんとの対話が出来て、このスレッドを立てた甲斐があったと思います。
ありがとうございます。
「一名無し」さんは、ご自分の立場がどうであるのか、私にも明確になりました。
私は、「その怒りは直接アメリカに対してではなく、戦争や核兵器に向けられていた」
という部分に関して、実は「寓話」というものを考えております。
現実(の惨状)を写した写真が、ある段階(時点?)で、
「個別の(paticular)」悲惨な現実から、「共有されるべき・generalな」段階の悲惨になりうるのだと思っています。
そんな寓話的レベルになった写真、たとえばユージン・スミスの水俣や「天国への歩み」のような写真が
私の理想とする写真のひとつです。
喜びにせよ悲しみにせよ、怒りにせよ憎しみにせよ、それを見た人が
人であれば共感する部分のある写真がそれだと思います。
かつては原爆記念館の展示には、generalなレベルの「怒り」があったのではないでしょうか(想像ですが)。

うまく3連休が取れそうなので、家族とゆっくり過ごしながら、
ぽつりぽつりと考えていきたいと思います。

天気がよければ撮影に行きたいが、またーりとカメラ(horizon202)を修理もしたいような。
「一名無し」さん、およびもしかしてこれを読んでくれている方、良い週末を送りたいですね。
95うなぎ犬:02/11/01 20:14 ID:lV3RfE/E
蛇足ですが、>昭和40年代に小学生 ということはいまおいくつくらいですか?
私は新幹線が走った年に生まれましたので、ひょっとして同世代でしょうか。
べつに深い意味はないのですが。
96一名無し:02/11/05 11:08 ID:dLt7TFLQ
週末は我が子のサカー試合を追いかけていますた。
今現像に出してきましたが、さて、出来はどうか?

36年生まれで、どピンポンですかね。
97一名無し:02/11/05 11:58 ID:dLt7TFLQ
あれ?自信が無いな。
新幹線は39年だったかな?
98こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/05 16:52 ID:tth7ptZN
興味深い内容で、じわりと沁みます。
ROMさせていただいておりますので、
また、またーりとお続け頂きたいと思います。
いちおう、ROMもいるよ。という御報告まで。
99うなぎ犬:02/11/05 17:20 ID:YDnhIHZn
>>97 新幹線は昭和39年です。
エー、私も年がばれてしましました。

>>98 ありがとうございます。
じわーっと続けていければいいなと考えています。
100うなぎ犬:02/11/05 17:21 ID:YDnhIHZn
ということで100は私がもらいます。
こーゆーのははじめてですが、やっぱり
ズサーとか言ったほうがいいんでしょうかね。
101一名無し:02/11/06 12:25 ID:7+A1iiJy
このスレならば、マターリがよろしいかと。
102一名無し:02/11/06 12:48 ID:7+A1iiJy
ROMさんもいるようですので、>>94について個人的な意見を。
うなぎ犬さんの言うparticularとgeneralの違いについての考察です。
ユージンスミスの水俣病患者の写真には被害者への共感と暖かい視線が感じられます。
うなぎ犬さんの意見に全面的に賛成です。
で、多分この辺が芸術やアートと呼ばれる写真の普遍性なのでしょう。
「筑豊の子供たち」を見ていても、批判的な視点よりは、子供たちに共感しながらもその中に同化せず
じっと見つめる土門拳の視線を強く感じます。

自分にとっては「筑豊の子供たち」により、共感を覚えるんですが。何故だろうと考えてみると
多分、自分が生まれ育った時代と環境に対する郷愁があるんじゃないかと。
一方、水俣病患者は自分の日常からは非常にかけ離れた世界なんですね。共感できる接点がほとんど無い。
にも、かかわらずユージンスミスの写真を見て共感できると言うことはそれが、確固たる芸術性を獲得している証なんでしょう。
103一名無し:02/11/06 13:02 ID:7+A1iiJy
鑑賞者にとっては、自分の経験に照らして共感できる部分が多いほどその作品を深く理解できると思うんです。
つまり、写真に限らず芸術作品の自立性は鑑賞者にゆだねられている部分がかなりあるんじゃないかと。

WTC崩壊の映像をTVで見てどれだけ現実感を感じるかは、視聴者の経験に委ねられているんでしょう。
で、そこに行ったことがあり自分の手で触れたことのある人と、このニュースで初めてWTCの映像を見た人では
現実感が違って当然だと思います。
逆にいうと、その映像は普遍性を獲得していない、あるいはせいぜい「映画のような」映像でしか、無いのではと思っています。
同じ、マスコミの映像であっても、タイムだったか、ニューズウイークだったかの写真、思わず涙が出てしまったものがありました。
104こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/06 13:20 ID:+gMk6NFe
>>102
ユージン・スミスの話が出てきたので、ちろっと脱線を。

かれこれ、5〜6年前になりますが(確か「水俣」が再発されたころでしょうか?)ユージン・スミスの「水俣」を扱ったドキュメンタリー番組を見たことがあります。

その中で非常に印象深かったのは、水俣の人々がユージン・スミスのことを語る場面で、そこに出てくる人々はそれぞれ自分の楽しい思い出を語るように、非常にいきいきとスミスのことを語るのです。
「写真のことはわからないけど。。」などと言いながら
「スミス先生はいい人だった。」と口々に語っていました。
中でもスミスにカメラをもらったという人は
「これ、先生にもらったカメラなんだけど、使わないときは神棚に置いてるんですよ。」
などと地方の人ならではの尊敬の念を表していた。

写真云々以前に、作品云々以前に考えなくてはならないことがあるような気がしています。それを明確に指し示すことはまだできないけれども。
105一名無し:02/11/06 13:36 ID:7+A1iiJy
それは、知りませんでした。良い話ですね。考えさせられます。
106一名無し:02/11/06 14:34 ID:7+A1iiJy
こおたにさんには、釈迦に説法でしょうが、
「シャッター以前」という使い古された言葉を体で覚えるには自分には果てしなく遠く感じられます。

107こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/06 16:14 ID:+gMk6NFe
>>106
いえいえ、私の場合どちらかといえば、馬耳東風というのが正解でしょう。

馬耳東風の「風」で思い出しましたので、またつれづれなるままに脱線いたしますが、
木村伊兵衛の写真にタイトルは忘れましたが、
黒塀の前に馬の尾が揺れているという写真があります。それについていたコメントに
「日本家屋の涼しさを表現するために、馬の尾が揺れているのを配置してみた。」とありました。

このコメントをはじめて読んだのが確か中学生のときでしょうか。
なにか違和感を感じたのです。つまり、これはスナップだと。
ならば、この馬は木村伊兵衛が意図的に配置したものではないはずだと。
なぜ「配置してみた。」というのだろう?
これは偶然ではないのだろうか?必然だというのだろうか?

この「配置してみた。」の謎は
数年後に木村伊兵衛のインタビューを何かで読んで、ようやく解けました。
そのインタビューにはこうありました。
「写真ってのはね、シャッターチャンスが来たっ、って思ってから用意したんでは遅いんですよ。先にわかって準備してなきゃ。
つまりですね、街の空気と一体化して空気になる。
そうするとシャッターチャンスが来るのが2〜3秒前にわかるんですよ。」

この言葉で僕の中での「配置してみた。」の謎は氷解しました。
つまり、木村伊兵衛はわかっていた。つまり、木村伊兵衛にとって馬の尾は必然的に配置すべきところへ「配置してみた。」ものだったのだと。

おそらく「シャッター以前」を体得すると、このような境地に到れるのではと想像しています。

ま、私には一生無理っぽいですが。。。。
108うなぎ犬:02/11/06 17:01 ID:baxzGHZJ
>>106「シャッター以前のこと」の受けとめ方は、
いくつかあるでしょうが、
この場合は、カメラマン・写真家である以前に、
人としてどうあるかという問題だと思いました。

写真・カメラのために世の中があるわけではなく、
世の中のごく一部に写真とカメラがあるに過ぎない。
それが逆転(してしまいがちだが)してはまずいだろう、
ということではないでしょうか。

天才ならば、もしくはある目的のためならば許される、
という考え方もありそうですが、
写真の天才であることが人としてNGであることの免罪符にはならないでしょう。
むしろ、作品は作者と切り離して考えてもいいと思います。
(理解するためには、作者のことを知っていることは、
悪いことでもないとは思いますが)

また、目的があるからいいのではないか、というのは、
目的と、その目的のためにダシに使われるになるものとの天秤が、
どちらに傾くかで決まることではないかと思います。

ちょっと書いてみました。
109一名無し:02/11/07 11:52 ID:xcqfv63z
うなぎ犬さん、前半のご意見はその通りだと思いますが、自分は、作者と作品は切り離せないものだと思っています。
こおたにさんが書いてくれたユージンスミスの逸話と木村伊兵衛の逸話は一見、質の違う話に見えますが、実はシャッター以前の作者のありようという意味でつながっていることなのではと感じました。
たぶん、作者がそのとき、その場でシャッターを切るまでの人間としての在り方がその一瞬に凝縮されていくのではないかと。
もちろん、自分にはとてもそんな境地はわかりませんが、言葉で考えてみるくらいのことはしてみます。
で、シャッターを切った瞬間にはそのとき作者が感じたもの、作者そのものが表現されている。表現されていなければ芸術作品としての力が生まれてこないんだろうなと。
とくに、スナップではその傾向が顕著になるようにも思えます。写真には間違いなく、木村伊兵衛とユージンスミスの違いが定着されていますよね?
ただ、作者の思想、感性と実生活での行動が必ずしも一致するものではありません。人間て、とても複雑な生き物だと思います。自分が心の中で思っていることと逆のことを話すのは、よくあることです。
ピカソが自分の耳を切り取ったら、ただの基地外ですかね?
なんか、机上の空論になっちゃいそうなので、この辺でやめときます。
こおたにさん、興味深いお話を有難うございます。
110一名無し:02/11/07 12:04 ID:xcqfv63z
自分は、まったくの初心者なんですが、よく我が子のサッカーの写真を撮っています。
で、ボールと子供の動きはとても速いんですが、ピッチ上のプレーヤーに自分の気持ちを合わせていかないと
とってもインパクトの瞬間なんて撮れないんです。その上で、構図を作るなんて神業のように思えます。
最近、ようやくわかってきたことなんですが、被写体に自分の気持ちを同期させていくって
こういうことなのかな?
111こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/07 17:46 ID:ezSreTFg
一名無しさん、補足ありがとうございます。
私の筆力不足から、多少伝わりにくかったようです。
一名無しさんの補足でほぼつながって伝わったのではないかと思います。

つまりですね、「シャッター以前」を体得し、
人の中にふっともぐりこんで違和感を与えないような所作を身につける
ことができれば、ユージン・スミスのような尊敬を得ることも可能かも
しれないし、木村伊兵衛のような風のような撮影スタイルを得ることも
可能になるのではなかろうかと、私は想像してみているのです。
その場合、きっとどちらも被写体に被害を与えるようなことはないだろう。
と想像しています。これは想像の産物であって体得した結論ではないの
で、いかんせん心もとないものではありますが。

歌舞伎、狂言などの伝統芸能の名人と呼ばれる人は、舞台の上以外の日常の一コマでも非常に美しい所作をするものです。おそらく、彼等は芸を磨きに磨いた末に、意識をしないレベルにおいても芸が所作に出るという次元に到達したのではないでしょうか。

推測ばかりで、申し訳ないのですが、私は写真においても、そのような所作があるのではないかと思っています。それには、ユージン・スミスや木村伊兵衛が何かの手本になるのではとも考えています。
112一名無し:02/11/08 11:43 ID:5MshMgQn
こおたにさんのお考え、よくわかりました。
我が子が幼稚園に通っているとき、ある、ベテランの営業カメラマンがいつも行事のスナップを撮っていたんですが、その方は撮影中まったく気配を消していて、子供たちもカメラを意識していなかった。
その写真を見てると、よくわからないながらもスナップとはこういう物なんだなと思ったことを覚えています。
まあ、自分はカメラの操作ひとつとっても、じたばたしてて、こんな偉そうなこと言えたもんじゃないんですけど。

写真の鑑賞者として自分の恥を晒しながらでも好き勝手なこと言ってます。
107で言われた、木村伊兵衛の写真ってアサ亀11月号に載ってた「板塀」(タイトル合ってたかな?)ですか?
こおたにさんのお話を聞いてもう一回見直してみると、確かに撮影者の風のような視点を感じますね。
最初に見たときはよくわからなかったんですが。 自分の写真鑑賞なんていいかげんなもんです。(汁
113一名無し:02/11/08 13:57 ID:5IX2M2hD
ちょいと話を戻して。>>1の書き出しに自分はすごく惹かれたんですけど、ここに書き込んでるうちに思い当たることがありました。
平和ボケしてて、テロや戦争を身近に感じることが無い今の日本なんですが、
WTC事件を通して平和な日常に突如として襲いかかってくる暴力を見せられたのかなって?
で、自分としては子供のとき体験した原爆記念館の記憶が甦ってきた。
今、楽しく元気にサッカーを楽しんでる子供たちの平和な時間を大切に守っていかなきゃいけないんだなってことに、思い当たったんです。
「ただ、前よりも家族の写真が多くなったかな。」って言葉は自分にとって、そういう意味だったんだと気付きました。
だから、アメリカの報復攻撃に対しても、感心はむしろアフガンの難民の方に向いてしまうんですね。
こうして、言葉にするとなんだか陳腐なものになっちゃいますけど。
114うなぎ犬:02/11/09 14:45 ID:D10OuSWa
ただいまいろいろと考え中。
115こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/10 22:14 ID:KrbXHCMG
一名無しさんへ
>107で言われた、木村伊兵衛の写真ってアサ亀11月号に載ってた「板塀」(タイトル合ってたかな?)ですか?
それです。名作ですよね。

うなぎ犬さんへ
>ただいまいろいろと考え中。
ゆっくり、お待ちしてます。
116一名無し:02/11/11 12:04 ID:VV82eoXq
>115
こおたにさんのお話で、また違う見方ができるようになりました。
dat落ちしないようにコソーリage
117うなぎ犬:02/11/11 16:45 ID:BU8xt2TF
ageていただいたようで、どーもすいませんです。
なんかkichi外じみた妄想があるのだが、書いていいのかどうか分からない。

ところで、家族、とくに子供の写真を撮っている人には、
島尾伸三「まほちゃん」を見てどう思うかな。
島尾伸三は写真はまぁ嫌いではないが、文章読むといやな感じ。
でも、この写真集だけは好きだな。
あの中に出てくる母親以外の女性は、島尾マヤ(故人)だろか。
ちょっと独特の存在感があるので、気になる。
ちょっと尻切れトンボですが。
118こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/15 17:26 ID:5bU75mte
このスレを読み返していて、ふと思ったのは、
自分の作品群の核をなすテーマとかみたいな大袈裟なことでもなくて、
何かの事象が、自分の持つ観念を変えるとかそういったことから、
写真が変わるということもやはりあるんだと。

そういうごく当たり前のことを、もうすこし考えていきたいなと。

なんで、唐突にこのようなことを書くかというと、
>1の文の柔らかな変化の兆しや
>117にある島尾伸三の名みて、
その父親の島尾敏雄の「死の棘」の硬質な空気を感じた時に、私のものの見方が変質していく肌触りを感じたことなどを思い出したり。
(島尾伸三の写真は島尾敏雄への強烈な嫌悪と尊敬の入り交じった感情が鑑賞を邪魔するので、見る機会があっても敢えて逃してしまっています。)

そういう積み重ねって自分の写真にじわじわと沁み入るように影響を与えるんではとか思う。

もっと、そういうことを考えることが必要な気がしています。
そういう繊細な、または微細な肌触りの積み重ねこそが写真を変えていくのではと。そこが本質なのかもと。

このスレで、写真以外のことで、自分が影響を受けたいろいろなことについて、語り合うというのはスレ違いですかね?

あながち、そうでもないように、思うんですが。
119うなぎ犬:02/11/18 11:53 ID:Tztb40Sp
こおたに様
> このスレで、写真以外のことで、自分が影響を受けたいろいろなことについて、
> 語り合うというのはスレ違いですかね?
この件、ちょっと考えていました。

>>118
> 何かの事象が、自分の持つ観念を変えるとかそういったことから、
> 写真が変わるということもやはりあるんだと。
について、私は
>>56 自分と世の中の係わりについて、写真を切り口に考えようと思っていました。
これと、微妙に関わっているように思います。
まだ迷っているのですが、すでに同時多発テロ事件以外のことも大分書いているので、
こおたに様の言うとおりでもいいかなと思う反面、
あまりに身近すぎることに話が終始する可能性もあって、それは避けたいです。
つまり、そればかりになるのがちょっといやというわけです。
というのも、今生きているということは、昔ならば「そんなことは俺には関係ない」というような、
遠いところの出来事もふだんの生活にリンクしているように思うわけで、
そのことを無視して日常生活を考えることもなんだか嘘っぽく思えるからです。
ややこしくなる一方の世の中を、(ある程度)そのややこしさも含めて引き受けることが必要にも思うのです。

続く
120うなぎ犬:02/11/18 11:56 ID:Tztb40Sp
とはいいながら、こおたに氏に基本的には賛成です。
しかし、これまでの流れから外れ「すぎる」のも避けたいところです。
「写真以外のことで、自分が影響を受けたいろいろなこと」が、あまりに個人的「すぎて」、
共有できないもの「ばかり」(←ここがポイント)にならなければいいと思います。
このことで、ここで扱うフィールド(?)が広くなり、
かえって最初のテーマが深まることもあるように思います。

それと、2chでは似つかわしくないようにも思いますが、
場合によっては、ある程度、私(うなぎ犬)が、
モデレータ(進行役)的に発言しようかな、とも考えております。
「不即不離」ならばOKでしょうが、「不即」ばかりのときには何か言うかもしれません。
(あまりそんな場面もなさそうですが)

ともあれ「繊細な、または微細な肌触り(の積み重ね)」については、
キツイ言葉ではなく、またーりと話すことがいいように思います。
(だから断言口調ではなく、ちょっと言い淀んだりしがちになるかも)

いかがでしょうか。
121こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/18 17:47 ID:91j2d37W
うなぎ犬様

テロ絡みのことばかりになると、ちょっと。。
という懸念もあります。

1年以上の時がたち、さまざまな社会的側面が報道され、テロが行われた背景などもある程度、あきらかにされてきたこの昨今ですけれども、
まぁ、そうは言っても、それらの波及を受けたものと思われる様々な過剰反応が世界には溢れています。
いろいろな背景、いろいろな動機も周知されるようになったとはいえ、やはり過剰反応の一種であったかと思えてなりません。
そもそも、人が殺しあうことに正当な理由などないのですから、どの種の戦争も過剰反応の積み重ねでなったとも言えるかもしれません。
また、どの時点での善悪を見るかによって、善悪の基準は大きく揺れ動くのだということも明らかになったような気もしています。

他方、>>42さんに言及されているように、あの映像は「映画のよう」という捉え方もある。
これは、技術の進歩により、数年前にはありえないと思っていたような映像が明日には実現してしまうような時代になってしまったこと、
高度に情報化された社会(2ちゃんだってその一部だ)により、人と人の接触が淡白に無感動に薄く広く広がっているせいかもしれない。
または自身がきっちり、足を踏み締めて生きているという感触を持ちにくくなったということかもしれません。
つまり、リアリティのとっかかりになるような現実感が確固たるものではなくなってきているということかもしれない。

いずれにしても、
>遠いところの出来事もふだんの生活にリンクしているように思うわけで、
>そのことを無視して日常生活を考えることもなんだか嘘っぽく思えるからです。
そうありたいと私も思いますので、また自分にとってのリアリティをとっかかりとして、
少しでもまともな写真を一枚でも多く撮れるようになるステップとして、
「リアル」を見つめ直すとこからはじめてはどうなのかな。とか思うわけです。 <勝手なつぶやき。

そんなわけで、脱線がすぎたように思いますが、今後ともナビゲートよろしくです。
122うなぎ犬:02/11/18 18:22 ID:Tztb40Sp
>>121
> 自分にとってのリアリティをとっかかりとして、
> 少しでもまともな写真を一枚でも多く撮れるようになるステップとして、
> 「リアル」を見つめ直すとこからはじめてはどうなのかな。とか思うわけです

賛成です。
人が少ないスレッドですが、こおたに氏の>>118,121のスタンスで、
行き着くとこまでいってみましょうか。

皆様、発言よろしくお願いします。
123一名無し:02/11/19 13:28 ID:9auHKr5V
「リアル」ということについて、自分の感じ方を思いつくままに書いてみたいと思います。
新聞やテレビが無かった時代の現実とは多分の自分の足で移動できる範囲で起きた事件であり、
自分の五感で直接感じることできる事象に限られていたのだろうと思います。自分の行動範囲の及ばない遠くで起きた出来事は伝聞で伝えられたおよそ事実とは程遠いものだったのではないかと思います。
その頃の人にとっての世界は自分自身で行くことの出来る行動範囲に限られていたのではないかと思います。
で、世の中に新聞が普及して国内外で起きた事件を、それを取材した記者の書いたものを直接読むことが出来るようになった。
中間に伝聞者の誤りや主観が入らず、現地で取材した記者のレポートを読者が直接読むようになって、情報の正確性は飛躍的に向上した。
さらに、写真で映像化された情報も配信されるようになり、TVで動画も配信されるようになった。
これによって、あたえられる情報の範囲は飛躍的に広がり世界中の事件を知ることが出来るようになった。
ところが、このことが視聴者にマスコミの情報が正確な事実を伝えていると言う錯覚を与えているのではないか?と思います。
実際は記者、編集デスク、マスコミを取り巻く様様な団体の主観や意図が入り込んでいるにもかかわらず。
いろいろな情報があふれかえっている現代で、そのことに気がついた人はマスコミから発信される情報に「リアル」を感じられなくなり始めているのかも知れません。

一方で、こおたにさんが121で書かれた「リアリティのとっかかりになるような現実感が確固たるものではなくなってきているということかもしれない」ということについて、
自分としては情報量の飽和と感受性の麻痺として感じている部分があります。
これだけ日常生活に情報があふれかえり、同じような映像が繰り返しテレビ画面に流されると、個人で感受できる限界を超えて麻痺してしまうんじゃないかと。
毎日、新聞やテレビのニュースを見ていると遠い世界の自分とは関係無い出来事に感じられてくるというのが、自分の実感です。

今日は時間が無いので中途半端ですが、この辺で。
124こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/19 14:06 ID:MLjnRkX/
「情報量の飽和と感受性の麻痺」というのを受けて思い出すのは、口裂け女のことです。
単なる怪談話が警察まで動かしてしまった、あれです。

当時まだ子供だった私は、あれが本当のものとして感じられ、「リアル」と感じられました。今考えるとまったくアホらしい話ですが、あれを本気で受け取っていた人は相当いたと思います。
友人などは「成田空港で見た。」「隣のスーパーで買い物してた。」などと言っていたものです。

時速60kmで走る口が耳まで裂けた女。

これのどこにそんな強靱なリアリティがあったのか?
まったくわからないのですが、子供であった私だけでなく、子供や警察まで巻き込んだ大騒ぎになったのはなにかの理由があってのことでしょう。

これと、「リアルの喪失」にぼんやりとした繋がりを感じています。
うまく説明できないのですが。
125うなぎ犬:02/11/20 11:16 ID:1dGoAWYN
口裂け女ですか。懐かしいですね。
お互い年齢がばれるというか。
今思えば、なんであれほど話題になったのか不思議です。

>>123 「情報量の飽和と感受性の麻痺」を私なりに考えると、
人が処理できる情報量には限りがあると思うので、飽和状態になった場合、
かえって何も感じることができなくなるように思います。
そうなった状態が感受性の麻痺かもしれません。
それは一種の判断停止状態でもあるように思います。
そのような場合には、普通であれば一笑に付すようなことも、
無批判に信じ込んだりするのかもしれません。
この判断停止状態が怖いように思うのですが、
でも考えつづけるというのもしんどいことではあります。

そのこととリアリティの欠如について、またちょっと考えてみたいと思います。

とりあえず、ここまで。
126うなぎ犬:02/11/21 01:15 ID:S02DS/Az
急な用事で、2,3日ネットに接続できなくなりました。
こおたに様、一名無し様、面白いところに差し掛かってきたように思いますので
続けてみてください。
127一名無し:02/11/21 13:57 ID:RQuSC9FE
口裂け女、懐かしいですね。
ちょっと検索してみましたが、ネット上にも口裂け女研究家はたくさんいるようです。
http://cthulhu.hp.infoseek.co.jp/kuthisakeonna.html
これによると、発生は1978年ということですが、自分が小学生高学年の時には
すでに、この都市伝説はあったので、発生はもっと古くて1970年代前半だったと思います。
実際には数年を賭けて全国に広まったものを1978年にマスコミが取り上げて(確かラジオ放送)爆発的に広まったものと
記憶しています。
この話の味噌は必ず「僕の友達が口裂け女に襲われた」という部分が最後に語られるところにあり、
聞き手は自分の友達である(多くは小学校の同級生)語り手の「友達」が口裂け女に襲われたんだという「リアリティ」を
感じたというところでしょう。
自分が小学生の頃の行動範囲は、徒歩かせいぜい自転車でいける範囲に限られていました。
で、友達の友達が体験したと言う話はすごく、身近に感じられたんじゃないかと思います。
今思えばほんとにばかばかしいんですけど、当時はテレビで放送されたアポロ宇宙船の月面着陸よりも
リアルに感じられたと言う記憶がかすかにあります。
ふと、思ったんですが、語り手=情報のソースに対する聞き手との親密度のような関係は情報の「リアリティ」にかなり影響があるんじゃないでしょうか?
こおたにさんが感じている「リアリティの喪失」と「リアリティの創出」は表裏一体の部分があるのかな?と
こおたにさんが感じているものと同じかどうかは、わかりませんが。

このことと、「情報量の飽和と感受性の麻痺」でうなぎ犬さんが125で言ったことは、
どうも別の現象のような気もします。
話がすごく、難しくなってきましたね。
128一名無し:02/11/21 14:07 ID:RQuSC9FE
後者の話はちょっと置いといて、前者について考えてみます。
口裂け女が一人で写っている写真と自分の友達が口裂け女に追いかけられている写真を
想像してみてください。どちらも合成写真の作り物ですが、「リアリティ」には違いがあるように思います。

テレビ画面の中で、知らない外国人が月面から手を振っても本当のこととは感じられない。
同じクラスの友達が出会った口裂け女のほうが「本当らしく」感じられたんでしょう。
129こおたに ◆27O3wDk0sI :02/11/21 17:08 ID:NOaIDLhH
お話を伺ううちに、僕の出した「口裂け女」の例は、
「情報量の飽和と感受性の麻痺」ということで言うと、
どうもポイントがずれているような気がしてきました。

口裂け女のことでは、ちょっと違うところで、私は
一名無しさんの言う
「で、友達の友達が体験したと言う話はすごく、身近に感じられたんじゃないかと思います。
今思えばほんとにばかばかしいんですけど、当時はテレビで放送されたアポロ宇宙船の月面着陸よりも
リアルに感じられたと言う記憶がかすかにあります。 」
というところを取り落としていたように思えます。
当時、子供であった私なぞがそのような理由で、
信じてしまったということは、容易く理解できるのですが、
大人や役人までそれに踊らされたというのは、
やはり合点がいかないところです。

わずかに説明として浮かぶところでは、そのような話を強力に信じた
子供に囲まれて、大人たちも信じざるを得なくなったというところなのでしょうか?
どうも、力不足の説明ですね。

脱線を承知で、さらに口裂け女の話を進めますが
あの当時、「友達が見たと言ってた」などといいつつ、
噂を広める側に回っていた人たちはなぜそういう行動をしたのか
ということが、今でも不思議でなりません。
中には聞いた話をそのまま流しているだけという人もいたのでしょうが、
その地方の固有の地名を含んだ噂などは、その地方の誰かのアレンジが加えられているわけですから、
その地方のどこかに2次加工者というのか、2次作者というのかがいるわけです。
さて、彼等は何の為に、噂に加担したのか?
きっとさほどの理由はないのでしょう。
しかし、この加担したくなるというのがリアリティを作っているのではないのだろうかとも思います。

脱線しっぱなしですね。。
130一名無し:02/11/21 18:14 ID:RQuSC9FE
こういう話は気楽に力を抜いていけるので、脱線として歓迎ですが。

心理学的に見ると、10歳くらいまでの子供の自我は充分に分化しておらず、
自分の空想と現実の境界があいまいだと言われています。空想で目に見えない友達が
あたかも、目の前に存在するかのように一人遊びをするというのがそれですね。
少女のままごとにはじまって、少年たちのチャンバラやヒーローごっこのように、
遊びの中に日常的に見られる現象です。それは、彼らにとってとっても「リアル」な世界だと思います。
「ウルトラマン」や「仮面ライダー」になりっきって遊んだ経験ありませんか?
子供の世界で「口裂け女」がとてもリアルに存在していたことは間違いないんですが、こおたにさんが言うように
大人たちも信じてしまったことは、不可解なことですね。

トイレットペーパー騒動にも似た、集団パニックのようなものだったんでしょうか。
(お店からトイレットペーパーが無くなり、主婦がパニックになったあれ、ばかばかしいですが。)
古くは、オーソン ウェルズの火星人襲来騒動などいくつかの例がありますね。

ちょっと、脱線しすぎましたかね?写真の話に戻すと、
土門拳でしたか、子供のチャンバラを撮った写真。たしか「鞍馬天狗と少年剣士」とかいうやつ。
(タイトル間違ってるかもしれません。) あれなんか、子供の空想の世界を見事に視覚化してると思うんです。
見てると、見えるはずの無い空想の鞍馬天狗が見えてきますよ。(自分にとっては、ですが。)
131うなぎ犬:02/11/26 11:40 ID:D6wYtEqQ
戻ってきました。

「土門拳でしたか、子供のチャンバラを撮った写真。たしか「鞍馬天狗と少年剣士」とかいうやつ。
(タイトル間違ってるかもしれません。) あれなんか、子供の空想の世界を見事に視覚化してると思うんです。
見てると、見えるはずの無い空想の鞍馬天狗が見えてきますよ。(自分にとっては、ですが。)」

私もこの写真が好きですが、そこまで深く見ていなかったので、一名無しさんの意見はなるほどなー、と思いました。
写真というのは、イメージ=心のなかの像に関わることだと思っているので、
子供がなりきっている鞍馬天狗の心象に土門拳が感応し、
それを見事にすくい上げて写真として定着させたということではないでしょうか。
それが一名無しさんのところまでダイレクトに届いたんでしょね。うらやましいです。
ここからちょっと考えると、
イメージが自分のなかにある場合、それを投影する対象が外界にあればそれを撮影するでしょう。
もしくは、ブレッソンのように、それが来るまで辛抱強く待つかもしれませんし、
なにか造形してそれを撮影するかもしれません。
口裂け女の場合、その時代の漠然とした不安感?居心地の悪さ?があって、
それに形を与えるものが必要だったのかもしれません。
その形の与え方が絶妙だったので、なんだかリアリティが感じられたのかもと思いました。
132一名無し:02/11/26 14:04 ID:pLcYulmT
お帰りなさい>131

>それが一名無しさんのところまでダイレクトに届いたんでしょね
自分にはまだまだ写真というものがよくわかっていなくて、
単純に自分が見て良いものとわからないものがあるだけです。
世間の評価が高い写真でも、自分にはさっぱりわからないものもたくさんあります。正直なところ。

口裂け女のリアリティについてはうなぎ犬さんのご意見、なるほどと思います。
高度経済成長の中で、社会が急激に変化していくことに対する不安とかもあったのでしょうか?
なにしろ、ろくな制御用コンピュータすらなかった時代に人間を月まで打ち上げちゃったんですからね。
今思えば、自殺行為に近いむちゃくちゃな計画だったと思います。人間不在で経済最優先の時代だったんでしょうね。
公害撒き散らして、コンクリートのダムいっぱい作って、人より自動車を優先させていた時代だったと思います。
アポロ計画はアメリカの強さを世界に誇示するためだけの無茶な冒険だったと思います。
今となっては、NASAだって、火星への有人飛行なんてやらないでしょう。

なんか、「口裂け女」だけでもリアリティをつくる要素っていっぱいありそうですね。
時速180km/hで走る夢の新幹線が開通して(確か開通当時は180kmか200km位だったような)、
時速80km/hで走る口裂け女にもリアリティがあったんでしょうかね?
133うなぎ犬:02/11/27 12:00 ID:hALk6x4h
私も脱線ですが、>>132
「自分にはまだまだ写真というものがよくわかっていなくて、
単純に自分が見て良いものとわからないものがあるだけです。
世間の評価が高い写真でも、自分にはさっぱりわからないものもたくさんあります」
じつは、私はこおたに氏の>>107秋田の板塀の前を通り過ぎる馬の尻尾の写真
ttp://www.kahitsukan.or.jp/kimura.htmlの「板塀」)
昔は、ぜんぜん良いとは思わなかったのです。
ところが、木村伊兵衛のほかの写真を見ているうちに、なんだか良い感じがしてきました。
なんというか、映画の1シーンというか、その前後の動きを感じさせる気がするのです。
これは良いと思うようになった例ですが、そうでないのもたくさんあります。

世間が良いというものよりも、まずは自分が良いというもののほうからはじめるのが大切に思います。
とりあえず、脱線でした。

134一名無し:02/11/27 13:58 ID:A0XKazTJ
ふむふむ、やっぱりその作家のいろいろな写真をたくさん見ると
自分が理解できなかったところが見えてくる、
その作家の主張や感性が見えてくると言うことでしょうかね。

ところで、話を戻してリアリティについてなんですが、
嘘のような本当=WTC崩壊
嘘のような嘘=口裂け女
こーゆーふうに比較してみると面白いと思います。
あまりにも突飛な非現実的な口裂け女が何故かリアリティを獲得し、
虚構の映画で見ていたような大惨事が現実に起こったのにリアリティが自分には感じられない。
何故なんでしょうか。

確か、東松照明の写真集に書いてあったことですが、長崎の原爆記念館を見たアメリカ人青年が
「ロシアはなんて酷いことをするんだ!」と言ったという。
実は自分がテレビでWTCのニュースを見ていたとき、このアメリカ人青年が見た日本と同じような
距離感を、WTC崩壊とその被害者に対して遠くの出来事として感じていました。
テレビのお涙頂戴的バラエティ放送にしらけてしまったとも、感じます。
で、犯行がテロリストによるのもだと発表されたとき、
正直なところ「そりゃ、アメリカが世界中から憎まれることしてるんだから、自業自得だろ」
と思ってしまったんです。
でも、よく考えてみると原爆落とされた日本もその当時は世界中から憎まれることしてたんですよね。
その、自覚があるからアメリカ憎しではなくて、戦争反対、核兵器反対と言う方向に向かっていくんだと思います。
もう、そろそろアメリカの「力ずくの正義」の危険性に、みんな気がついてきてるんでしょうか?

なんか、話がどんどん広がってまとまりがつかなくなってますね。ごめんなさい。
135うなぎ犬:02/11/28 16:59 ID:+WMrJwka
ちょっと、中休みということで。
ずれたらごめん。

 /|\
 | キ |        n/ ̄\n
 | キ |        /  (・(・|
 \|/        三    ∞ |三
  ||         /  / ̄ ̄)
 /──────   \ ̄ ̄) 
 |           | |/| | ̄ ̄
 |_| ̄|_| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_|  |_|
136うなぎ犬:02/12/02 14:48 ID:pXHCyn6q
どのように考えたもんかな、と思ってちょっと考えていました。
>>135 うなぎ犬のAAは知り合いが教えてくれたものです。
この場にはふさわしくなかったかな。

ところで、
> 嘘のような本当=WTC崩壊
> 嘘のような嘘=口裂け女 という部分にわたしは引っかかりました。
虚実皮膜論的に考えることも出来ますが、ここではそうすべきか否か。
わたしなりに考え直すと、
1.本当らしき本当
2.本当らしき嘘
3.嘘のような本当
4.嘘のような嘘  と分けて考えられるのではないでしょうか。
※便宜的に番号をふりました。
それと、リアリティをどこに感じるのかという点。
これをあわせて考えないといけないのかな、考えております。
それと写真はどう関わってくるのか。
考える時間が欲しいところです、というかあせる必要もないのですが。
137うなぎ犬:02/12/04 17:33 ID:2FB60Lir
全然関係ないのですが、昨日、酒見賢一「陋巷に在り」13巻を読んでいたら、
いきなり、という感じで、物語が完結してしまい。しばし呆然としました。
じつは、今年の夏前には完結していたらしいのですが、
これまで図書館で借りて読んでいたので知らなかったのでした。
>>13 6でいろいろ考えようとしましたが、
小説も「嘘のような嘘」ですが、そこにはやっぱりなんかのリアリティがありますね。
これってなんでしょうか。
138うなぎ犬:02/12/04 17:44 ID:2FB60Lir
ついでに書きますと、昨日、新宿で「スーラと新印象派」を見てきました。
企画展とは別ですが、セザンヌの「りんごとナプキン」という静物画がありました。
何とはなしに見たのですが、見ていると右から3番目のりんごがなんだか妙に生々しく見えてきました。
ttp://www.sompo-japan.co.jp/museum/ceza/index.html
「これは絵だ」と十分に分かっているのに、そのりんごはなぜか非常に立体的で、
画面からこぼれそうに見えるのです。
本当のりんごではないのに、なんだか本物らしくも見える。不思議だ。

好きな作品をもう一度見て帰ろう、というまえに、再度「りんごとナプキン」を見たら、
さっきのようには見えませんでした。
さてこれはどう考えればいいのかな、と思っています。
139一名無し:02/12/06 18:04 ID:dhzWc0ME
ふう、ここのところ仕事がめちゃめちゃ忙しくてご無沙汰してました。
今日は、思考力が停止しているのでまた、今度。
140うなぎ犬:02/12/06 19:34 ID:AWT5d0WR
一名無しさん、お疲れさま。やはり12月は忙しいですね。
時間が細切れになって、考えがまとまらないことが多いです。

今日は、うちの子の誕生パーティーでお仲間(母親付き)が集っていますので、帰るに帰れません。
(私が帰ると、気を使って皆さん帰ってしまわれるので)

では、これからもぼちぼちいきましょう。
141一名無し:02/12/10 13:16 ID:vVOgpXmL
誕生パーティ、いいですね。
そんな、日常の何気ない幸せ。
この次は、お仲間を強引に引き止めて自分も仲間に入ってはどうでしょうか。
自分は、写真係に徹して隅っこで参加してます。(藁
142名無しさん脚:02/12/11 16:04 ID:J0gEszh2
良スレ保守
143うなぎ犬:02/12/12 09:52 ID:Xct7SZXX
>>142 どうもありがとうございます。
ここのところ、まとまった時間が取れないためもあり、なかなか書き込みが出来ませんでした。
しかし、時間がとれないということよりも、このスレがだいぶ行き詰まってきた、
もしくは息苦しくなってきたからかな、とも感じました。
比べるのも烏滸がましいのですが、土門拳が、
リアリズム写真論を展開していたのを読み進んでいくと感じてくる、あの息苦しさを感じるのです。
つまり、彼はリアリズム写真について、微にいり細にいり、考えていくのですが、
やはりもともと実作の人であって、だんだんそれに疲れてくるように読めてしまったのです。
もちろん、このスレではそれほど徹底して考えられているかどうかは言うまでことでもないのですが。

というところで、このスレの原点に返って考えてみたいと思います。

今から考えると、いくつかの疑問からこのスレがうまれてきたのだな、と思います。
そのなかでも大きいのが、
1.昨年9/11の同時多発テロ、なんか現実感がないのは何故?
2.確かに悲惨な事件だが、どうも素直に共感できないところがある。何故だろう?
というところかと思います。

(続く、けど、時間がかかります)
144142:02/12/12 16:06 ID:IXTd1i4X
>>143の脇筋にレス

>つまり、彼はリアリズム写真について、微にいり細にいり、考えていくのですが、
>やはりもともと実作の人であって、だんだんそれに疲れてくるように読めてしまったのです。

似たようなことをあるミステリ作家(綾辻行人)が語っていたことを思い出した。

「僕は評論家じゃなくて実作者なので、どんなにうまく(本格ミステリに関する)
理論構築しようとしても必ずはみ出してくる部分があって、いろんな矛盾に
突き当たってしまう。」(カッコ内は俺が補足した)

自分で理論を構築してしまうと自縄自縛状態に陥るのは、写真でも文芸でも
同じなのでしょうね。

土門氏の論はおろか、写真論らしきものはカメラ雑誌でしか
読んだことがないのにこのスレに書いてしまい、申し訳ありません。

続きを楽しみにしております。>スレ住人の方々
145うなぎ犬:02/12/12 16:26 ID:Xct7SZXX
>142 スレ住人は、ごく少数だと思われますので、
遠慮されずに、考えるところがあったら、書き込みをお願いします。

関係ないですが、明日、オークションで落札したカメラが届くはず(ジャンク品)。
楽しみです。
146一名無し:02/12/13 12:25 ID:WINVPsty
まあ、アートってのは理論からはみ出した、言葉では説明できないような突き抜けたところに
名作が生まれてくるんでしょうね。
例えば、植田正治の写真を理論で説明できる人っているんでしょうか?

自分の書込みでも前後で矛盾するようなこと書いてるし、人間の感じ方なんて
そのときの状況や気分でどうにでもころころ変わるものなんでしょう。
(実は自分の中では矛盾じゃなくて、説明しきれないだけなんですが。)

ところで、自分としてはあまりスレタイにこだわるのはどうかと思っています。
うなぎ犬さんも気付いておられるようですが、それにこだわりすぎると煮詰まってくると思うんです。
大らかに、つれづれなるままに逝ったらどうでしょう。
写真を自分の生活や社会的事件との関わりで考えるという基本線は皆さん承知してるようですので。
147うなぎ犬:02/12/13 16:36 ID:MI9WAbiC
>>146 そうですね。徒然なるままに行きましょうか。
>>143 の続きを考えていたのですが、なんだか細かい話になってしまったので、それはまた気が向いたらにします。

ところで、私が最近好きなサイトは「泣ける 2ちゃんねる」です。
ttp://members.tripod.co.jp/hiroshu29/index.html
何気ない日常のことではあるのですが、けっこう泣けます。

ここに私の好きなスレッドが掲載されたのが、ちょっと自慢です。
ttp://members.tripod.co.jp/hiroshu29/pic_020910.html#2
そこでも、このハンドルネームというのは、私はけっこう自己顕示欲があるのかな。
148一名無し:02/12/16 13:09 ID:8H4Pawlw

写真屋のおじさん=うなぎ犬って事ですか?違いますよね?
その、おじさんにもここに来て、話を聞かせて欲しいですね。

>>143はどうぞ、続けてください。

149うなぎ犬:02/12/16 13:47 ID:bxaS60Ah
>>148 私は残念ながら、そこまでドラマチックな体験はありません。
それとニコマートも使ったことなしです。
紛らわしい書き方だったかもしれませんね。
でも、いい話だと思います。

じつは、うちの妻はバザーやフリーマーケット好きなのですが、
行くたびに(私は行かないので)
「2000円ぐらいの金属製のカメラが売っていたら、壊れていてもいいから買って来てくれ」
と頼んでいました。
そしたら、なんと昨日、ツアイスイコンフォクトレンダー製ビテッサ1000SR(テッサ―42/2.8付き)を
ゲットしてきました。7000円で予算オーバーでしたがほぼ完動品。
見た目で、なんとなくいい感じだから思い切って買ってみたとのこと。
しばらく、うちの妻には頭が上がりません。
150一名無し:02/12/16 16:26 ID:8H4Pawlw
うはー。なんという良妻!
うちの嫁はEOS Kissと1Nの区別もつきません。
おかげで、こっそり機材が増えても全然ばれませんが。(藁
151うなぎ犬:02/12/16 22:58 ID:bxaS60Ah
たまにはageるか。
152うなぎ犬:02/12/16 23:02 ID:bxaS60Ah
ageそこねた。sage外すの忘れた。
今日はもう寝よう。
> 一名無しさん。金のわらじをはいて探したというわけでして。
「きん」ではなくて「かね」というのがミソです。
実は、いつも頭が上がりません。
153名無しさん脚:02/12/17 12:56 ID:geQKc/Nq
あげときましょう。
こおたにさん、最近きませんね。
154うなぎ犬:02/12/18 11:43 ID:9mYcxang
あげていただいたようで、ど〜もすいません。
いつものところに見当たらないので、落ちたか、と思って焦りました。
ところで、こおたに氏は
「ホンマHIROMIX佐内ミカタン(;´Д`)そのた4」とか、
「おい小僧ども、風景写真をナメるな」あたりに書き込んでいるようです。 
155こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/19 01:53 ID:0rKP20zP
年末ということもあってここんとこ忙しくて、書き込めてません。。
仕事もさることながら、
来週は友人に誘われて、グループ展にも参加したりするもので。
ま、お遊びですが。
しかし、忙しさのせいと怠惰とで、まだ準備が完了してなかったり。

ともあれ、毎日覗いてはいますので、
時間ができましたら、またお邪魔することと思います。
156一名無し:02/12/19 12:44 ID:4/O4qk+p
こんなの、みつけますた。
http://human.2ch.net/test/read.cgi/honobono/1036503810/
マターリ、ホンワカ。良いです。AA職人もアートの領域に到達してる方がいますね。
157一名無し:02/12/19 12:47 ID:4/O4qk+p
>155
都内だったら、
見に行きたいような、顔合わせるのこわいような...
158うなぎ犬:02/12/19 13:26 ID:gjloM5ds
こおたに氏のグループ展に行きたいです。
個展の日時・場所が決まったら、教えてください。
でも、私も顔を合わせるのがこわいような、照れるような…。

>>156 いいですね。
お正月休みには、実家に帰りますが、雪が降ったらこんな感じで写真撮りたいな。
159こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/19 19:46 ID:yeo456mt
>157-158
あたたかいお返事ありがとうございます。
会場は都内某所です。
けども、2ちゃんで晒すのはちょっと。。。
というわけで、捨てメールゲットしましたので、メールいただければ、
詳細な情報をお送りしますので。
160うなぎ犬:02/12/20 18:35 ID:ygEM6Gzd
正月には帰省するので、そのへんの話題から。
しばらくまえに、親から、故郷の町の昔の様子の写真がないか聞かれたことがあった。
訳を聞くと、知人が重い病なのだが、昔のようすを懐かしがっているので見せたいのだという。
帰省するたびに故郷の町の写真を撮っているのだが、自分の興味のあるところだけを撮っているので
−つまり断片的で−いわゆる町の様子が分かる写真がなかったことに気付いた。
結局、写真は渡せなかったのだが、自分の写真には、いったいどんな意味があるのだろうと改めて考えてしまった。

続く。
161うなぎ犬:02/12/20 18:36 ID:ygEM6Gzd
かつて、「◆匿名掲示板における写真論の可能性◆」というスレッドに参加したとき、
自分は写真を撮ること自体がすでに目的であって、何かのために撮影することはない。
つまり、自分は自分のために(=自分を確認するために)撮影する、と書いたのだが、
それに対し、ピアノ演奏を例にして、ちがう考え方もあることを説明してくれた人がいた。
補足を入れつつ、コピペすると、
「海外のピアノコンクールを目にして、何かが解った気がしました。
やはり頂点は聴衆との一体感では無いかと・・・
それとは別に自身の奏法を 死ぬまで追求する(できる)事の2つが永遠にあるのだと感じました。
写真もこの2つの異なるだろう道程の先に、答えがあると思っています」。
自分流に言い換えると、自己の追求のほかに他者との共感もあるということだろう。
こう言われたとき、自分が思うような写真が撮れないので、 人に見せて共感を得たりすることに対して、
臆病になっていたことに気付かされた。
(だから、こうたに氏がグループ展に参加するのは、素直にすごいと思います。)
それと同時に写真と共感は深い関係があるのではないかと考え始めた。

また続く。
162うなぎ犬:02/12/20 18:39 ID:ygEM6Gzd
そこで、>>143からつながるのだが、9/11のテロ事件について、
その後のアメリカの対応を見ていると共感できないことが多い、
だから、その写真を見てもどうしても共感できないということだろうか、と考える。
これについては、ある種の政治的な立場に関わるようなところがあると思っていたので、
自分では少し避けていた。
具体的には、「悲惨な事件ではあるが(そして犠牲になった人は本当にかわいそうだとは思うが)、
アメリカのやってきたことのつけが巡りめぐって、自分に降りかかってきたのではないか」ということだ。
犠牲になった人には同情するが、だからといって、その復讐として、
あちこちに戦争を仕掛けていいわけではない。

続くよ。
163うなぎ犬:02/12/20 18:51 ID:ygEM6Gzd
一方、共感ということについて考えてみる。
最近考えていることは、撮影すること自体が、その対象に対してある種の共感をしたから撮ることが多いのではないか、ということだ。
そして、出来上がった写真を人に見せたいということも、共感を求めるからだろう(自分はごく身内のみだが)。
写真を撮ること自体は孤独な営みかもしれないが、常に共感ということが裏打ちされているように思うようになった。
だからといって、人の共感を得るため「だけ」に写真を撮るということはないのだが。
自分が何かを感じて、撮影し、それが他の人にとってどうであるか訊いてみたい、ということだろうか。
164うなぎ犬:02/12/20 18:54 ID:ygEM6Gzd
話を戻すと、故郷の町の写真について考えてみようとするのだが、いつも考えがまとまらない。
もう生活の場を移してから20年近くになる。
アッジェのようにそこに住みつづけているならば、町のかわりゆくさまを撮影できるだろうし、その資格もあるだろう。
今の自分には、その資格がないということかもしれない、と思っている。
だから、昔の名残をとどめる部分だけを見つけ出し撮影しても、
それは部分の集積でしかなく、結局断片的にしかならないのではないか。
といいながらも、帰省すれば、自問自答しながらまた撮影するだろう。

多分続く
165うなぎ犬:02/12/20 19:30 ID:ygEM6Gzd
そこで、また妄想をからめつつ考える。
写真=記録という考え方がある。
自分は一介の写真好きでしかないが、その自分にも記録ということに係わる資格?役目?はあるのだろうか。
個人的には、そんなことのために写真を撮っているわけではないと考えるが、
100年前の写真を見ると、個人の思惑を超えて、記録になっているように感じる。
自分の写真も100年後に残っているとすれば、そのように見てくれるのかもしれない。
そこで何故かはうまくいえないのだが、河原温という芸術家のことを思い出してしまう。
河原温は「Today」シリーズといって、ひたすら日付だけを書いた作品を作っている。
ttp://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/review/0315/exhibi0315.html
それ自体は、ただ日付が書いてあるだけで、ひとつだけ見ても面白くなさそうだ。
ただ、それを集合で見たとき、また、1日も休まず作者が書きつづけていることを考えると、なにかを感じる(ように思う)。
自分の写真も、ひとつだけでは面白くはないだろうが、ある程度まとまった数になり、
時代がたてば、何らかの記録になりえるのではないだろうか、と考える。

なんだか、小難しい話になってしまった。
子供が生まれて以来、自分に先祖がいて、自分のあとには子孫がいるはずだということを実感するようになった。
言い換えれば、自分も歴史のなかの存在であることに気付いたということか。
そして、故郷の町が変わっていくということにも、ある種の歴史の流れを感じているのだが、それをうまくとらえられないということなのかもしれない。

簡単な話をことさらに難しくしてしまったようで、ちと、はずかしい。

長文、申し訳ない。
166こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/21 12:40 ID:k9r/NEoU
作業がひと段落したので、ちょっと書き込みます。
ひと段落であって、完了ではないところがつらいとこですが。。

>自分が思うような写真が撮れないので、 人に見せて共感を得たりすることに対して、
臆病になっていたことに気付かされた。

私も実はそうでした。
で、実際リアルで展示を行うようになったのは、5〜6年前のことでしょうか。
きっかけは、今考えても妙にとんとん拍子で変な話なんですが、
あるとき、写真を撮るために原チャリで出かけて帰ってくる途中の話なんですが、
急にシフトペダルのワイヤーがスコンスコンになってギアチェンジができなくなったんですね。
で、私はさほどバイク好きとかでもないので、自分で修理とかできないもんですから、
バイクを押して、そのまま近所のバイク屋に行きました。初めて行く店です。
見てもらうと、ちょっとややこしい故障らしくて、すぐには直せないから預からせてほしいとのこと。
割と大荷物抱えてたので、「こまったなぁ」と思っていたら、見知らぬおじさんが、
「あなた、どこに住んでるの?俺、車で来てるから、送って行ってやろうか?」
とおっしゃる。御好意に甘えて(しかも超近所だったし)送ってもらいました。

続く。
167こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/21 12:48 ID:k9r/NEoU
それが縁でそのおじさんといろいろとおつき合いするようになったんですが、
よく聞くと、彼は抽象画を描いていて、よく個展やら、グループ展やらをやっているとのこと。
すごいなぁ、えらいなぁと思っていたら、あるとき、グループ展に参加する人が足りなくなったので、
「お前さんも展示するいい機会だから、どう?」と誘われたわけです。
正直乗り気じゃなかったんですが、いろいろと恩もあるので、無碍にもできないというわけで、
参加させて頂くことに決めました。

さらに続く。
168こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/21 12:51 ID:k9r/NEoU
そのときは、なにをどのようにして展示したらいいのかとかぜんぜんそういう知識がないもんですから、
けっこうめちゃくちゃな展示だったと思います。
それが、変なものだったからでしょうか、それとも回りが現代美術系の人だったからでしょうか、
どうやらインスタレーション的な評価をしてくれる人もいたようで、
初めての展示にしては、割と多くの反応を得たんです。
(いま、考えるとほとんど「おせじ」だった気もしますが。)
まぁ、そんなわけで、そういう友人がすこしづつ増えていきました。
で、何度か誘われるままに展示をくり返しているうちに、展示する快感に目覚めてしまったというわけです。

で、展示する快感ってなんだろうってことで続く。
169こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/21 13:11 ID:k9r/NEoU
展示する快感っていうのは、なんだろう。
思い付くままに箇条書きで書いてみます。

・不特定多数の人に見てもらえる可能性がある。
・また、その反応をつぶさに見ることができる。
・普段しないような大伸ばしのプリントを複数枚作る口実になる。
・またそれを、引きのある広い場所で見ることができる。
・その結果、自分の写真の美点、欠点をよく見つめ直すきっかけになる。
・また、組写真においての構成をいろいろな視点から見つめ直すことができる。
・結果、自分の写真がどの程度のしょうもないものかよく自覚できる。

こんなとこでしょうか。こうして書いてみると、
私が書いてることって、なんだかあまり肯定的な意見でも、外交的な意見でもないんですね。
むしろ、否定的で内省的ですね。まぁ、発展途上の人間なので仕方ないですが。
しかし、そういう視点であっても、快感は感じるわけです。
「俺の写真って凄いだろ?ほら、見ろ。」なんていうスタンスでは一生できないと、思うんです。
そういうスタンスをとれる人をうらやましく感じることもないわけではないんですが、
私の場合はまぁ、こんな風でもいいかなと思ってます。

てなわけで。作業にもどらなきゃ。
170こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/21 19:01 ID:k9r/NEoU
>>自分が思うような写真が撮れないので、 人に見せて共感を得たりすることに対して、
>>臆病になっていたことに気付かされた。

>私も実はそうでした。

と、時間をおいて考えてみるに、この表現はピタリとこないな。
「私も実はそうでした。」ではなく「私も実はそうです。」
というのが現状を示す正しい言い回しですね。

つまり、「臆病」でありながら見せるのでも、それなりの喜びはあると。
「臆病」であるからこそ、感想があれば真摯に聞けるのではないかとか。
誰にどんなことを言われるかわからないというプレッシャーはありますが、
楽しいです。展示するのって。


長文つかっての無駄話スマソです。
171名無しさん脚:02/12/24 11:54 ID:H16yNS+s
        サンタ サンタ!    Å
  ∩     ∩      + /**∧
  | つ   「,"| ゚ * Å  (・v・ )
   !,'っ_ ⊂_,! + /**∧ ミ"""""ミ
   /  ・ ヽつ (・x・*) /::::o:::::::ヽ
   ●,__  |   c_c ヽ::::::o:::::ヽ::ヽ
    (・x・ ) |  ノと ノと )へ_TTTTTTT
    (|===|)ヽ/_/_/::/: ノノ ̄ ̄ ̄ ̄|
     |     ̄  ヽ〜  | ̄       |
     ヽ._ ___ ノ__.|______ノ
      | | | |  | | | | ||    ||
     (__ (__) (__) (__) <二二二二二二二フ


メリークリスマス
172一名無し:02/12/24 13:08 ID:H16yNS+s
写真の記録性ということについて。
ちょうど今、桑原甲子雄の東京1934-1993と言う写真集を見始めたところなんですが、
一枚目の1936/2/26の写真を見て、大変なショックを受けました。
2/26前後の写真群なんですが、この人は10年後、50年後を予知してシャッターを切っていたんだろうかと。
シナ事変から太平洋戦争に突入していく前夜とでも言うべき時代にこんな写真を撮っていたんですね。
当時、挙国一致で反戦的なものが一切、統制されていたはずの時代に。
で、ちょっと考えてみたんですが、そこに写っているのは太平洋戦争から敗戦へと向かう10年単位の時代の空気の
「事件」としてはピークを迎える一瞬手前の時代を写し取っているように感じるのです。
「シャッターチャンスはある動作のピークの一瞬前」と言われることがありますが、1秒とか0.1秒手前のシャッターチャンスじゃなくて
10年手前のシャッターチャンスを写してる!?
記録として時代を写すという事は、かなり先を見越して10年、30年、50年後、に世の中がどうなっているのか
という問いを常に自分の中に持っていないと、後年になって価値を見出せる写真は撮れないのだろうなと思いました。
もちろん、時代的な価値観を超えた普遍的な「美」を表現した写真もあって、それとは別に時間が経つほどその価値が増してくるタイプの記録もあると思います。
それから、マスコミの求める記録写真というのはそれとはまったく違うものなんでしょう。
2/26を報道するのに、誰もいない皇居前の雪景色なんて間違いなくボツですよね。
173一名無し:02/12/24 13:26 ID:H16yNS+s
もうひとつのポイントは、桑原甲子雄自信が自分の撮った写真を60年後の1995年に選び直しているということかなと思います。
60年後の環境や価値観が変わっている自分が過去の自分を見つめなおし新たな価値観でコマを選びなおすことで、
当時、自分が感じていなかったこと、気付いていなかったことが浮かび上がってくる、ということがあるのでは?と思います。
それでも、60年後の自分が感じるコマを当時、撮っていたということは、逆に凄いことだと思います。

で、>>1に戻るんですが、自分にとっての家族写真は自分と家族が20年後、30年後に今を楽しく思い返せるようなのが撮れたらいいなと
願いながらシャッターを切ってます。その中に、2002年の今が写っていてくれれば最高ですね。
もちろん、人さまに見せられるようなものじゃないですけど。 (汁
174一名無し:02/12/24 13:38 ID:H16yNS+s
そういった事は、自分が写真を撮るようになるまで全く意識したことがありませんでした。
ところが、自分で我が子の写真を撮るようになって、
初めて自分のオヤジが撮った自分の子供のときの写真の価値に気がついたんですね。
記録性というのは、写真のかなり本質的な価値だろうと思いはじめました。
175うなぎ犬:02/12/24 15:55 ID:KJNmD+p5
こおたに様
なんとか、グループ展に行けそうな感じです。楽しみです。
実際に展示する人の考えを聞いたことがなかったので、新鮮でした。
お忙しいようですが、体をこわさない程度がよろしいかと。
そうしないと、楽しい楽しい写真撮影が出来なくなります。

一名無し様
私は、桑原先生(←勝手に先生と呼んでいる)のサイン本を持っているのがひそかな自慢です。
これは、今年の夏、麹町のボンカラーの個展の最終日に行って買いました。
ところで、2.26事件の皇居前の写真ですが、画面の右側に夕日のようなものが写っていたと思います。
あれのことを夕日だとずっと思っていましたが、よく考えるとあんなに大きな夕日があるわけもなく、
どうもなんだか分かりません?雪が降っていたので、水滴でしょうか?
それともやっぱり夕日?
ちなみに、ROMってる人がいるとすれば、桑原先生についてはこちらを見るとよく分かります。
写真はネット上にいくつも散らばっていると思います。
ttp://www.zpi.ne.jp/spl/kuwabara1.html

ここのところの書き込みの中身が濃ゆーくて、いろいろ書きたいのですが、
いいたいことが多すぎて、ちょっとまとまりがつきません。

とりいそぎ、ここまでです。
176一名無し:02/12/24 16:15 ID:Ma/I9G1r
>175
同じ写真をさしているかどうかわかりませんが、手元の写真集を見たら中央にゴーストと思われる
大き目の丸が写っています。画面左側から太陽光線が入ってゴーストになってるように自分には思われます。
このレンズの焦点距離では太陽はあんなに大きくは写らないと思いますです。
なんと、深みのあるゴーストでしょうか(w

こおたにさんのグループ展には私も今週のいつか、ひっそりと行くつもりです。楽しみです。

177一名無し:02/12/24 16:33 ID:Ma/I9G1r
ちと、説明不足かも。
左側に山高帽をかぶった男性のシルエット、その向こうに鉄条網が張られた皇居前の雪景色です。
ライカを使ってたとするとファインダーではゴーストは多分見えてなかったはずで、
現像が上がってから、あえて選んだコマのはずですね。間違ってたらごめんなさい。
178うなぎ犬:02/12/24 17:14 ID:KJNmD+p5
一名無し様
そうです、その写真です。
ゴーストですか。納得しますた。
何でも着物の隙間からレンズだけ出して撮影したとか。
179うなぎ犬:02/12/24 20:21 ID:KJNmD+p5
ちょっと時間が出来たので。

こおたに様
>>166 不思議な出会いがあったんですね。
私がシナリオ書きなら絶対採用しませんが、生きてると何があるか分からんですし。
それにしても、見てもらう快感というのはあるんでしょうね。
私も、昔バンドをやってましたが、人前で演奏するのは独特の快感がありました。
展示している作品を見てからでないと、何か言うのも失礼な気がするので、とにかく近日中に行きます。
実際に作品を見せているうえでのお話など、もっと聞きたいです。
でも、会場で会ったらどうしよ。
芳名録にはハンドルネームを書いたほうがいいですかね?
180うなぎ犬:02/12/24 20:45 ID:KJNmD+p5
一名無し様

桑原先生は、私の理想の人なので書きたいことがいろいろありますが、かえって考えまとまらん。
以下、一名無さんをダシに勝手なこと書いてみます。すいません。

東京写真美術館の写真展を見ても思ったのですが、桑原先生の写真は、なんだか時代を超越していますね。
その時々の流行に左右されないことが、古くならない理由だと思います。
同時に、ある種の距離感を持っていて、時代を冷静に見ることが出来ているのではないかと思います。
とにかく淡々としながら写真を撮りつづけていくところがいいです。
もちろん一方では土門拳のリアリズム写真論を展開していた写真誌の編集長もやっていたわけで、枯れた人ではなかったわけですが。
また、アラーキーが70年代後半に「再発見」するのも、なんだか伝説めいています。

>>175 ボンカラーでやっていた写真展はパリ旅行での撮影ですが(これはアラーキーのエッセイにちょっと出ていたはず)、やっぱりよかったです。
まだまとめられていないので、写真集きぼんぬ。

写真の記録性については、大事だということが分かるだけで、まだまだよく分かりません。
じつは私の父親は台湾生まれ(山岳地帯)ですが、その当時のアルバムが家に残っています。
記念写真ばかりですが、そのなかにある巨木を背景にした写真があって、しばらくまえ、家族旅行で父親の故郷を訪れたときに、その木がまだしっかりと立っていたのを見たときはなんだか感動しました。

ところで、桑原先生の家族アルバムが見てみたい今日この頃。

しかし支離滅裂だな。
記録性については、写真を撮りながら考えていきたいと思います。
いずれネタが無くなってきたら、桑原先生respectでも書いてみようかな。
181こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/24 23:08 ID:8jrVECUa
うなぎ犬さま
芳名帳にはできれば本名の方が。。いやならいいです。どっちでも(笑)
というか、また見たいと思ったら、本名と住所を書いておいてください。
そしたら、今度の機会には直接御案内もできますし。
それから、作品の下に、キャビネ判のプリントが大量にあって、
その横に感想ノートなど置いてますので、そちらに一筆書いて頂くというのでも
よいかなと思います。
お世辞抜きの率直な感想を頂ければ幸いです。
ではではお越しをお待ちしています。
とはいえ、平日は仕事なので画廊にはいませんけども。

一名無しさま
あまり期待をなさらないでごらんください。
ちょっと、プレッシャーを感じてしまいまつ(笑)
182一名無し:02/12/25 11:46 ID:tnq/TN8/
>>173
1995年に選びなおしたと言うのは間違いですた。これは、1993年までの写真だから、
当然、それ以前、1992年あたりのはずですね。

>180 うなぎ犬様
どんどん、ダシにしてください。自分は写真の専門家でもなんでもなくて、
好きな写真を見て一人で勝手な感想をつらつら、書いてるだけの名も無い一般人です。
写真論や写真史の本もほとんど読んだことありませんです。
うなぎ犬さんやこおたにさんの書込みに教えられること多いです。
>181 こおたにさんも、プレッシャー感じることなんて無いですよ。
作品を拝見したら、また勝手な感想でも書きます。
183うなぎ犬:02/12/26 10:02 ID:k7hXEwLV
えー、今日ふと気付きましたが、このスレ、年越しできるでしょう-かね。
私は早々に実家に帰ってしまうのですが、手元にPCがない状態になってしまいます。
カメラを持っていくので手一杯でPC持っていくのは、ちとつらい。
大晦日あたりでdat落ちかな、と思っております。
そうなった場合、年明けにpart2をたてようかとも思いますが、いかがでしょうか。
その際は、スレの名前をどうすべきか、ちょっと困っています。
なんか、アドバイスください。
184一名無し:02/12/26 10:36 ID:fEZmMBAL
むむむ。
自分も明日からはパソコソの無い生活に突入しまつ。
まあ、常駐してるコテハンに(こおたにさん繋がりで)おながいして、
あとは、運を天にまかせましょう。

あ、でも亀板のコテハンてひねくれ者が多いかな。といってみるテスト
185うなぎ犬:02/12/26 10:43 ID:k7hXEwLV
一名無し様、そうですね。雲を天にまかせましょうか。

ところで、帰省する際に持っていくカメラですが、いつも出発直前まで悩みます。
メインカメラは、ローライ2眼レフD型80/2.8です。
でも、実際に持ち歩いているのは、EOS-RT(50/1.8+24/28)だったりレチナ3cだったり。
今回も町の様子を撮りたいので、そういう場合はマミヤプレス(グレーの初期モデル)+90/3.5を持ち出したりしています。
カメラごとに役割を割り振っていまして、
・家族の日常スナップ:スリムT(カラーネガで)※日付を入れる
・子供の日々の記録:黒ヘキサー(モノクロで)※日付を入れる
・自分の写真:ローライ2眼レフ(カラーネガもしくはモノクロ)、EOS(ポジ)、
マミヤプレス(モノクロ)、その他、もろもろ(直したジャンクカメラとか)。
そうなると、とりあえず、役割ごとに各1台で、3台は持っていくことになります。
じつは、実家で昔使っていたカメラ(オリンパス オートアイ2)を整備したので、これで家族写真を撮りたい。となると+1台。
ただし、スリムTはデート機構があやしくなってきているので、日常スナップ用に黒ヘキサーを回すと、
子供写真用にEOSをまわし、自分の写真用にライカM3(50/2+90/4)をまわすか。
しかしたてずれ未調整なんでちょと迷う。それと広角がない。
レチナはシャッター粘り気味なんで、ポジは無理。
調整中のカメラも、いじりたいという考えもあり、そうなると、Horizon202、センチュリーグラフィック等も持ち出したくなります。
そのうえで、子供を抱っこして歩くわけので、なかなか骨が折れます。
(荷物が重いときにかぎって、ぐずって歩かなくなる)

というわけで、まだ考え中です。
というか、カメラの台数を減らせばよいだけなんですが、煩悩がなくならずに困っております。
こおたに様、一名無し様はいかがでしょうか。
186一名無し:02/12/26 11:07 ID:fEZmMBAL
マミヤプレスですか...
私は、全くの初心者で、135しか使っていません。
思い切って、コソタG2で一本勝負(あ、28mmと45mmの2本勝負というべきか)。
以前は1眼レフ2,3台とレソズも広角から望遠まで全部持って歩いたんですが、
子供を連れて歩くときは本末転倒のような気がして、最近は割り切ってます。
まあ、実家に帰省するならでかいカメラや三脚は宅急便で別送という手もありますね。
187こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/26 12:16 ID:GpHIGeHF
私は、田舎に帰る必要はないんですが。。
ちろちろとあちこちに行く予定なのでそれなりに多忙だったりしまつ。
中身がない独り言を書くのもなんなんで、一日一回くらい「保全」とかカキコしときましょうか。
ROMされてる方で帰省されない方いらっしゃったら、御協力いただけないかなぁ。。

それにしても、うなぎ犬様、機材持ちですね。
私は旅に出る時は、NIKON FE(Ais24/2+フレクトゴン35/2.4)か
CHINON CEII MEMOTORON(フレクトゴン20/2.8+フレクトゴン35/2.4)か
MINOLTA CLE(ヘキサノン28/2.8+ロッコール40/2)のどれかと、
とGR-1Vですね。

決める基準は他の荷物の重量と鞄の空きスペースにおさまるか否かという、
写真とは関係のない物指しです。
CHINON CEII MEMOTORON>NIKON FE>>>MINOLTA CLE>>GR-1V
なので、鞄に着替えとフィルムとGR-1Vを入れた残りのスペースに
納まるカメラとレンズを選ぶという横着な基準で(笑)

写真に理解が深くない人と一緒の場合もカメラ減りますね(笑)
ヤヴァイ人だと思われるかも。。とか思ってしまいますので。
しかし、2ちゃんに出入りするようになって以来、
ほんとに大したカメラ持ってないな。と思うことが増えました(笑)
みなさん、いろいろ持ってますね。ほんと。
188うなぎ犬:02/12/26 12:47 ID:k7hXEwLV
>機材持ちですね。
お恥ずかしいかぎりです。
じつは新品でそろえていけば、機材が絞れたはずですが、
中古で安いのがあると、つい買ってしまうという...。
どれも少しずつ不調で、常時どれかを修理したり調整したりの日々です。
 
>一名無し様
すべて割り切って、何度G2+45+28(+90)にしたいと思ったかしれません。
(そのまえにG2を買わないといけないが、だからといって他の機材を整理することはないでしょう)
絞り込めない自分が悲しい〜。

>こおたに様
CHINON CEII MEMOTORONてなんですか?
なんだか渋すぎて、かえって分からないという...(w
それとフレクトゴンですか、カールツアイスイエナといえば、
かなり重病のようにも思えますが。
もしよろしかったら、保全かきこ、よろしくお願いします。

お二人とも、撮影に専念できそうな機材ですね。
私は撮影以前のお約束事におぼれてしまっているという状態です。
来年はジャンクには(あまり)手を出さないようにしたいと思います。
189一名無し:02/12/26 12:58 ID:fEZmMBAL
>187 こおたにさん
なるほど、電車の中の写真はCLEか、GR1Vで撮ったんですか?
瞬間に対する反応はこんな私にも少しは、わかりますた。
あの状況だったら、GR1Vかな?

グループ展、ヒソーリ見てきますた。
190こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/26 13:01 ID:GpHIGeHF
CHINON CEII MEMOTORON
っていうのはM42のチノン製35mmカメラで、M42のくせに最高速1/2000が切れて、
しかも瞬間絞り込み測光なので絞り優先AEができるというすぐれもんです。
ファインダーが悪くてピンが掴みにくいのが鬱なんですけども。
191こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/26 13:47 ID:GpHIGeHF
>189
一名無しさん
だいたい当りです。でも、LOMOとかミュー2とかも混じってたりします。
御来場ありがとうございますた。
192一名無し:02/12/26 14:26 ID:fEZmMBAL
ここに感想を書くのはちと、憚られますのでこおたにさんのところにお邪魔します。
193一名無し:02/12/26 16:23 ID:fEZmMBAL
ここからは、勝手な独り言です。

蛍光灯光源の緑色ってなんだか、死を感じちゃいます。
コルトレーンは「ブルートレイン」が最高だと、思っています。
後期の演奏はひたすら内側に向かって自己破壊的です。
戦争を始めるのも、終わらせるのも人間がする行為です。
194一名無し:02/12/26 17:47 ID:fEZmMBAL
こおたにさん
グループ展にお誘いいただいて、有難うございました。
拝見したあと帰ってきてからなんだか、じわっと色々なことを考えさせられて、
HPで他の作品も拝見しました。

それでは、これからPCの無い生活に突入します。
皆様、良いお年を。
195うなぎ犬:02/12/26 18:03 ID:k7hXEwLV
私も、今日の午後こおたにさんのグループ展に行ってきました。
ひょっとして、一名無しさんも、今日行ってたのでしょうか?
私も、感想については直接送ります。

では、一名無しさん、良いお年をお迎えください。
196こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/26 21:29 ID:n2Q0ESyq
一名無し様
うなぎ犬様

非常に参考になる御意見ありがとうございました。
やはり、見た人が何を思ったかというのがわからないと展示って空しいもんですから。
いろいろと勉強になりました。
今後ともよろしくです。

では。一名無しさん、よいお年を。
197うなぎ犬:02/12/27 20:10 ID:yPueaFqB
>>193 コルトレーンの話が出ましたが、どのへんが好きですかね?
私は、黄金のカルテットと呼ばれたころで、フリーに入る一歩手前くらいが好きです。
ラシッド・アリとかはちょっとちがうかな、と。
でもファラオ・サンダースはちょっと好き。

ところで、私はローランド・カークが好きですが、いかがでしょうか。
「ボランティアード・スレイバリー」のB面にコルトレーンメドレーがあって、けっこういいです。
至上の愛のテーマなんかもちょろっと出たりして、いい感じです。
機会があれば、聞いてみてください。
198こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/27 22:48 ID:ka8nLpUF
コルトレーンはよいですね。
私もカルテットの時代が好きです。
「インプレッションズ」の古い版が特に好きですね。
(新しい版とは中身違うらしい。でも新しいのは聞いてない。)
エルビン・ジョーンズのドラムがとてつもなく破壊的でカッコイイです。
「至上の愛」も好きですが、やっぱり「インプレッションズ」です。
ジャズはあとはマイルスくらいしか聞かないのであまり詳しくないんですが。
(しかもエレクトリックになってからのマイルスばっかりなのであまり。。)
この二人のアルバムは冷静でありながら集中し、かつ燃えられるというプリント作業
にぴったりな精神状態を作ってくれます。
あとは、ジャーマン・サイケ系のバンドでCANってバンドがあるんですが、
こちらも同じような意味でプリント作業にぴったりです。
199こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/28 13:48 ID:y8gns/y0
さて。仕事納め前に一回ageとこう。
プリント作業には、グレイトフル・デッドとかピンクフロイドなども適。
なんて書いてみるテスト。
200こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/30 23:46 ID:m2ayQkNu
200!!
なんてこのスレに合わないことしてみたり。
201 ◆KALI.z3zZ. :02/12/31 00:01 ID:Z+0L+cuc
凝るトレーンは「マイフェバリットシングス」だな。
202こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/31 00:02 ID:D2xA6JBL
えと、せっかくだから、展示を終えての反省とかしてみますか。
なんだろう、現代美術系が14人、写真が2人の展示だったわけですが。
なかなかむずかしいですね、絵と写真を同じ会場に並べるってのは。
まず、スケールの問題。写真ってのはまぁ、普通の展示の場合大きくて4倍紙、
小さければコンタクトなこともあるわけですが、まぁ、一般的には半切〜2倍紙くらい
の間で構成してる場合が多いような気がしますが、絵の場合ってのはホントに、
てんでばらばらで、マッチ箱くらいの大きさから200号なんて作品まであったりするわけです。

絵ってのは、表面のマチエールをも鑑賞するっていうのが案外一般的な鑑賞の仕方として
受け入れられてるわけで、鑑賞者は寄ったり離れたりを繰り返しながら鑑賞するわけです。
だから、絵同士ならば大きさバラバラでもなんとかなっちゃうように思うわけです。
ところが写真にはマチエールなんつーものはないので、鑑賞する距離ってのは必然的に、
写真の大きさで決まるわけです。で、よほどの好きものでないかぎり寄ったり離れたりって、しない。
なんだったかな、絵柄の対角線の長さの2倍だったかな。
ちょっと自信ないですが、なんかそういう法則があったような。
もちろん絵だろうと写真であろうと共通の法則なわけですが、
マチエールがないのとあるのでは大違いで、マチエールがあれば寄る、なければそのままの距離で見ると。
そおいう固定した見方になりやすい。

まぁ、とにかく、鑑賞方法の習慣がすこし違うわけです。
そうしたなかで、やはり写真っていうのは絵と比較して展示で目立たなくなりがち。
かといって、あれです。現代美術っぽいインスタレーション的なことをやりすぎると、
写真として見てもらえなくなる。でも、目立つ。ジレンマですね。
まぁ、そもそも、立派な堂々たる完成度を誇るような作品ならば、そういう心配はいらないんだろうけども。
203こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/31 00:02 ID:D2xA6JBL
ま、あまり具体的なことはアレなんでこの辺にしとくとして、
要するに、まだまだ力不足だな、と感じたわけです。

来年はなんの予定も入ってないんだけれども、なにかの機会があれば、
またもちっと方策を練ってみたいなと。

ま、よりよい展示ができるよう、考える材料がまた増えました。
そのへんでヨシとしてじっくり考えていこうかと。

そんなわけで。
204名無しさん脚:02/12/31 01:20 ID:nPKrRTvI
関係ないが、「気分はもう戦争2」という漫画は9/11を予言している。その後の世界情勢もね。
205こおたに ◆27O3wDk0sI :02/12/31 10:19 ID:D2xA6JBL
>204
どもです。中継ぎのこおたにです(笑)
えと、「気分はもう戦争2」というと大友克洋ですか?
「気分はもう戦争」なら大分昔に読んだはずなんですが、
ちょっと筋が思い出せません。
できれば、どんな感じの内容なのかお話いただけませんか?

たしかに大友克洋ならそういう予見をしてしまいそうな感じはありますね。
206名無しさん脚:02/12/31 19:48 ID:ihTVKJz3
>204読めばいいじゃん。今売っているぞ。それと馴れ合いはやめろや。
207名無しさん脚 :03/01/02 01:27 ID:wrQWXCxQ
保全age
208こおたに ◆27O3wDk0sI :03/01/03 19:11 ID:9+vLklsT
保全age
209こおたに ◆27O3wDk0sI :03/01/06 02:24 ID:Gwka7aMy
明日は仕事始め。。
なぜか眠れずに、買ったばかりのF4Sを眺める。。
フィルム2本使ってみてわかったことは、あんまり自動化されてるカメラって、
カメラに使われてる気分になるということ。これって年寄りの寝言か。。
効率アップを計るための機能が、なにか奴隷にさせられた気分を味わうようなことになる。
このジレンマを飼いならすには時間がかかりそう。
これは、今までにない習慣を強要されているということの結果なわけですが、
西洋(もしくは欧米)←→中東(または東洋もしくは欧米以外)
の文化の衝突の中にも見られる構図だったりしないだろうか。
って無理がある論理展開だなぁ。

というわけで、age。
210一名無し:03/01/06 11:58 ID:GfYC6A5L
隊長、明けましておめでとうございます。
ただ今、帰還しますた。
211名無しさん脚:03/01/06 12:05 ID:GfYC6A5L
こおたにさま、カリさん、保守有難うございました。
何とか、無事にこのスレも年を越せたようですね。
>1も喜んでることと思いまつ。
212うなぎ犬:03/01/06 12:11 ID:4CagE18k
えー、私も帰ってまいりました。
こおたに様、保守ありがとうございました。
一名無し様、こおたに様、もしROMの方がいれば、その方も、今年もよろしくお願いします。
じんわりと続けていきたいですね。ということで、いつもどおり以下sageで参りますか。
>>198 インプレッションズもいいですね。CANは大好きなバンドで、
とくに初期のマルコム・ムーニーやダモ鈴木がいたころが好きです。
ごく一時発売されていた日本版のLPを持っているのがひそかな自慢(ひそかに自慢好きな俺)。
>>201 KALI様、はじめまして。さて「my favorite things」ですが、私は、「Selflessness」での演奏が好きです。
でも、ドラムがエルビンではなくロイ・ヘインズなんだよね。
>>206 このスレは単なる馴れ合いか、と自問自答しつつ、お前さんはどうなんだと小1時間(略
>>209 F4ご購入ですか、おめでとうございます。とりあえず写真撮りながら考えましょう。

なぜか、コルトレーン好きが多いようですね。
とりあえず、新年の書き込みでした。
213 ◆KALI.z3zZ. :03/01/06 12:23 ID:OpHjmfPT
コルトレーンといえば「至上の愛」はジャズ喫茶の追い出しソングだったな。
客が溜まってくると、あれをかける。
あれが流れている間は、誰も席を立てないし、トイレに行くことすら憚られる気分。
で、終わった瞬間、ホッとした空気が店に流れて次々に客が帰る…と。

ジャズ喫茶が求道者みてえな客ばかりだった時代の話だが。
214一名無し:03/01/06 12:56 ID:bJ50Yu4A
>213
あ、それよくわかる。ジャズヲタのバイブルみたいな...
あのころの、ジャズってなんだか変でしたね。
結局、コルトレーンが演った事をみんなが理解できるようにわかり易く
音楽にしたのがブレッカーだと言うのが自論ですます。
モードをどんどん変えてってもともとの、キーが判んなくなったら、
もう音楽と言うよりはパズルになっちゃうよね。

ロイヘインズが叩いたのは演奏が少しマイルドで、私も好きです。
215こおたに ◆27O3wDk0sI :03/01/06 17:08 ID:PYQnFv2R
あけおめです。
友達曰く「コルトレーンとかマイルスはロック好きが聞くジャズ。
     CANはサイケ好きが聞くプログレ。
     ツェッペリンはプログレ好きが聞くハードロック。
     本当のジャズ好きはモンクとかバードとかサッチモとか聞くんだよ。」
だそうな。わかるよおな、わからんよおな。

>「至上の愛」はジャズ喫茶の追い出しソング
だったのか。。しらなんだ。
あたしゃ「インプレッションズ」をかけてると暗室から出れませんが(笑)

で、音楽ネタつながりで、ジミヘンの「星条旗よ、永遠なれ。」について。
ジミの破壊的なアメリカ国歌は、アメリカの狂暴性を強烈に批判してるんだと、
勝手に思ってたんですが。どっかで、渋谷陽一かなんかが
「アメリカ人はあれを聞いて涙を流して感動する」とか書いてたのを読んで
驚いたことがあります。これって愛国心を燃え立たせて感動するんだろうか?
よくわからないんだけれども。
日本に置き換えてみたときに、対称的に思い浮かぶのは(国歌じゃないから比較にならないけども。)
パンクバンド、スターリンのヴォーカリスト遠藤ミチロウの「仰げば尊し」か。
あれ聞いて涙流すってことあるのかなと。
やはり、アメリカって日本人が考えているのより遥かに右翼の多い国なんじゃないかと思った。
余談ですた。
216名無しさん脚:03/01/06 17:33 ID:bJ50Yu4A
215が良いこと言った。
ジミヘンの金属的で破壊的なギター音の「星条旗」に涙するというのは、
アメリカの国民性を表してると思います。
あの、演奏は破壊兵器そのものを連想させる音なわけですが、
あくまでも暴力という力にこだわり、強さを手放しで賞賛する国民性を現しているのではないかと。
ウッドストックでの演奏というのが何とも皮肉。

スターリンやRCサクセションの仰げば尊しやら、君が代やらは、自分にとっては何とも面白くない。
ブルーハーツはいいね。大好きです。
モンク、バード、マンセー。 サッチモは歌謡曲かな。
なんか、支離滅裂になってスマソ。
217うなぎ犬:03/01/06 17:35 ID:4CagE18k
どうも音楽ネタが続きますが、ちょっと古めなのは、年相応でしょうか。
この板は平均年齢高そうだしね。
でも、私はまだまだ現役で、2月にはソニック・ユースを見に行きます。
って、じゅうぶん古いかも。

そろそろ写真の話に軌道修正しますか?
まだ音楽の話でひっぱっていけますが。
ちなみに年末年始はテレビジョンを聴いていました。
パティ・スミスは、かつてTVのリーダーのトム・バーラインの恋人だったそうで、
その前後に、>>77写真家のメイプルソープとも付き合ってたような記憶があるが、
定かではありません。
と、むりやり写真に話を持っていってみました。
218うなぎ犬:03/01/06 18:11 ID:4CagE18k
ところで、帰省の際、結局持っていったカメラは
・ローラーフレックス2.8D:自分の写真用
・ヘキサー(旧):子供の写真用。島尾伸三「まほちゃん」の影響を受けて、子供の写真をモノクロで撮るようになった。
・スリムT:家族スナップ
・オリンパスオートアイ:テスト撮影
・ビテッサ1000SR:テスト撮影 でした。

いつもは町の中に残っている、古いたたずまい(と痕跡)を中心に撮影しようと思っていたのですが、今回気付いたことが二つありました。
一つは、無くなってはじめて気付くものがあるということ。
掘割の近くに、2本の巨木(言い過ぎか)があったのですが、切り倒されていました。
お堀ごしに見えなかったはずの市役所の建物が見えたときは、一瞬なにがなくなったのか分かりませんでした。
すでに無くなったものを写すのはどうやっても無理。
しかし、無くなってはじめて、それがその町らしさを作っていたのに気付くというのは、間抜けでもあるが凡人の限界です。
でもどうしたものか。これについて、またちょっと妄想が沸いてきた。
もう一つ、うちはかなりの田舎町なのですが、それなりに開発されてきています。
子供のころに遊んでいた川岸や裏山には、真新しい家が建ち始めているので、そこをそのまま撮ってもなんだかよく分からない写真になってしまう。
たまたま思いついて1時間ほど、さらに田舎側に歩いてみたのですが、寂れ具合といい、砂利道といい、私の記憶に残っている風景とかなり近い様子が残っていたのでした。
これからは、少し足を伸ばして撮影しようかな、と思っています。
とりあえず、今回の現像の上がり待ちです。
219うなぎ犬:03/01/06 18:36 ID:4CagE18k
さて、>>218前述の妄想ですが。
私が意識的に写真を撮り始めたのは、ここ10年のことです。
実家にいたころは、バンドばかりでした。
私が中学のときに、校舎が老朽化して、新校舎を丘の上に建てました。
中学2年のときに学校の引越しをして、丘の上まで半日かけて自分の机を運んだのですが、
こういう経験のある人はあまりいないのではないかと思います。
そのころの校舎の写真は誰かが撮っているでしょうが、
通学路の変な塀や、その後出来た道路でなくなった庭木のきれいな家の写真を、
撮影しておけばよかったなー、と思うことが最近よくあるのです。
さら地になってしまったところを撮影しても、本人だけはなにかを感じるでしょうが、
他の人にとっては、単なる空き地です。というか、意図が伝わりにくいだろう。

それで、私の妄想は、インターネット上で昔の町を再現するということです。
昔の地図を貼り付けて、ある場所をクリックすると昔の写真が表示されるわけ。
古い写真自体は、募ればある程度は集まるように思います。甘いかな。
というか、これならば、妄想でなくてもできる罠。
でも、20年前の地図は田舎町の地図はどこで入手できるのか。

こう考えると、自分が思っていた以上にセンチメンタルな傾向があることに気付く。
でも写真自体がセンチメンタルなもの(byアラーキー)だからそれでいいのだ。
ttp://www.kanroshobo.com/KANROKANRO/ARAKI/ARAKI-BOOK/shashinjinsei.html
220山崎渉:03/01/07 02:14 ID:YE8gU6IB
(^^)
221うなぎ犬:03/01/07 09:47 ID:bqAZraEb
コニカとミノルタのニュース、ちょっとびっくらしました。
どちらも個性的なカメラを作っていたので、これからどうなるのか気になります。

それと、なんだかage嵐が吹き荒れたようですね。
222一名無し:03/01/07 11:43 ID:CT8BKW5O
前にもちょっと書きましたが、写真の記録性=ノスタルジーはかなり本質的な要素だと最近、思ってます。

近所に首都圏にしては珍しく、里山が奇跡のように残っているところがありました。そこには鶯やメジロの野鳥が住んでいたんですが、
2年ほど前から大規模マンション建設がはじまりました。付近の住民は反対運動を行い、新聞で取り上げられるほどの話題になったんですが、
その計画は15年ほど前から進んでおり地主間の調整も終わり、市の開発許可も下りていたんですね。
当事者にしてみれば正当な経済行為でありセンチメンタルな環境論で開発を中止できるようなもんじゃないんです。
いくら、反対を叫んでも300億強の地代をお前が負担するのかと。
で、その山は無くなりマンションが建ちました。

そのときに、自分がしたことは写真を撮ることだけだったんですね。
自分が生まれ育った懐かしい原風景のなかに自分の子供を連れてって、木登りさせたりして写真撮ったんです。
春には桜を撮り、冬に雪が降ったら撮り。そして、山も林も無くなりました。
人様に見せられるようなもんじゃないんですけど、その山がなくなってみると撮っといて良かったなと思います。
自分の子供たちが大きくなって、思い出の写真になってくれたらいいな。
223一名無し:03/01/07 11:53 ID:CT8BKW5O
まあ、人々の注目を集めるような事柄には誰でもカメラを向けるんでしょうが、
うなぎ犬さんのように何が無くなったのかわからないような街角の被写体と言うのは、
かなり、意識してないと撮れないんでしょうね。
自分も、2003年の今の自分の住んでる町を見直してみようと思います。
224うなぎ犬:03/01/07 17:00 ID:bqAZraEb
>>222 「写真の記録性=ノスタルジー」と言い切られると、俺はそんなにセンチじゃないやい、
といいたいところですが、心のどっかで、そのとおりだなと思っているところがあります。

一名無しさんは、ずっと郷里を離れずに暮らしてこられたのでしょうか。
ある意味うらやましいです。
自分の現風景に子供を連れて行って写真を撮ることができて、本当に良かったのではと思います。
私は、まだ子供が小さいので、故郷の変わっていくスピードと競争で写真を撮らなければならないと思っています。

結局、私の場合、写真を撮るためにどこか特別のところに行くということはあまりなくて、日々の生活を撮影していくだけです。
どこでもない、今ここにいる場所だけが自分の場所だということを思いながら撮影していこうと思っています(真面目に書いたら照れくさくなってしまった)。
225うなぎ犬:03/01/07 17:36 ID:bqAZraEb
「現」風景ではなくて「原」風景でした。
いつも誤字脱字が多くてはずかし。
226一名無し:03/01/07 17:44 ID:CT8BKW5O
>224
自分の書き方が悪かったですね。ノスタルジーを大きな要素として含む写真の記録性
と言う意味で「写真の記録性⊃ノスタルジー」に訂正します。
あと、自分は生まれも育ちも関東で、田舎らしい田舎を知りません。(両親は四国の出身ですが)
それでも、1960年代までは小川や里山のある田園風景が残ってたんですよ、都内にも。

前出の桑原甲子雄の写真集を一通り見て思ったんですが、2.26の写真はむしろ例外的で、
氏の基本的な姿勢は自分の足で行動できる範囲の身近な光景を丹念にスナップしてたんじゃないかなと思いました。
そのなかで、たまたま2.26という歴史的な事件に出会って撮ったのが例の写真かなと?
でもあの写真は自分にとって、60年経った現在の社会状況に対してもいまだに問題提起をしてくるように思えるんです。
ぼやっとしてると見逃してしまいそうな僅かな歴史の転換点というか、じわっと少しずつ変化していく社会と言うか。
227うなぎ犬:03/01/08 19:27 ID:yPqVsPB0
>>226 別に訂正することないです。
自分でもそう思っていたのですが、なかなか口に出せなかったわけで。

しばらく前に、たまたま「広告批評」を手にしたら、橋本治がスターウォーズについて書いていました。
そのなかで、女は感情で生きているのだが、男はそれが出来ない代わりに情景描写で感情を語る(映画の話です。かなり乱暴な要約)。
なるほどと思いました。
「和歌は感情を読み、漢詩は志を読む」などと聞いたことがあります。
なるほど和歌は女性が作るものであったし、漢詩は男性が作るもののようです。
どうも男は感情をストレートに表現するのが下手だということでしょうか。
(ちょっと乱暴な言い方か?)

また、小説のハードボイルドの定義は
「第一次大戦後アメリカ文学に現れた創作態度。現実の冷酷・非情な事柄を、
情緒表現をおさえた簡潔な文体で描写していこうとする」(大辞林より)
感情をこまかく書かない代わりに、情景描写により感情を表現するのですが、
これもたいてい男が書いています。

写真でもこのようなことがいえる場合があるのではないでしょうか。
私はアラーキーのヌードは興味がないのですが、
風景・(光景?)を撮影した写真には、なんだかぐっと来る写真があります。
だから、どうも、風景ってのはある種、センチなもんではないでしょうか。
ちょっと意味不明気味。

桑原先生については、また改めて書いてみます。
228名無しさん脚:03/01/09 17:29 ID:zJUh6YZF
保守
229うなぎ犬:03/01/10 16:09 ID:8xpCyrzD
今日、時間を作って、麹町のボンカラーでやっている土門拳「文楽」展を見てきました。
やっぱり見てよかった。
それと、桑原氏の写真の管理はボンカラーの渡辺氏(社長)で行なうようになったらしい。
ボンカラーから写真・評論・コンタクトプリント(特に戦前)を集めた全集きぼんぬ。
10万までだったら、内容次第でカメラを買わずにこっち買うかも。
230このスレのROM:03/01/12 21:44 ID:NVIECjkY
件のスレについては、削除依頼も出ているようですし徹底無視して、
またこちらのほうで興味深い話をお待ちしています。>こおたに様
スレ違い申し訳ない
231うなぎ犬:03/01/13 15:30 ID:m/n1gprH
>>230 ひどいもんですね。どこにでも吉外(=凶人)はいるということか。
などと、語呂合わせをしている場合ではないのでしょうが、
削除依頼がでているとのこと。ひと安心です。
232うなぎ犬:03/01/13 15:46 ID:m/n1gprH
ところで、ちょっと関係ない話ですが(自分の中では関係があるが)。

年末新宿に買い物に出ました。
夜になり、帰ろうとアルタの前を歩いていたら、
若い男が、車道の真中に寝転んでいました(ギョッとした)。
首からショルダーバッグを掛けるという、
ちょっと変な格好をしていたのですが、
見たところ、割と普通の人のようでした。
すぐに車がクラクションを鳴らしたので、
男は起き上がって歩道に来たのですが、
今度は、わざと車にぶつかろうとするかのように
また車道に歩いて入っていきました。
が、運転する人も驚いてすぐブレーキを踏むので
結局車には轢かれなかったようです。
というのも、早々にそこを立ち去ったので、あとのことはわからんのです。
私は家族をつれていたので、厄介事は避けたかったのが本心。
本当は何かすべきだったとも思うのですが、体が動きませんでした。
最近のように、訳のわからない人が多くなると、良かれと思ってしたことが、
かえってこちらに仇になってくるというかんじがして正直いって、こわいです。
自分ひとりなら何とかなるが家族を巻き込むのは、とにかく避けたい。

この人、死にたかったのか、当たり屋だったのか分かりませんが、
いまだに気になって、心の中で引きずっています。
233一名無し:03/01/14 11:43 ID:H8ttZ8c4
はて、連休中に何があったんでしょうか。>230
最近はこのスレ以外はほとんど見なくなってしまいますた。

>232
なんだか、気になりますね。気にはなるが、関わるのはこわいといううなぎ犬さんの気持ちも
良くわかります。
234うなぎ犬:03/01/14 17:07 ID:AYMfOftV
一名無し様
>230の件ですが、わけのわからん人がこおたにさんの名を騙って、
訳のわからんスレッドを立てたというわけです。

>>232は、ここに書くべきネタかどうか分からないのですが、
あの光景はこおたにさんの写真を見たときの感じに似ているように思えたのでした。
なんというか、目の前で起きているのだけれど、現実感がない
(この場合は唐突すぎて最初は何事か良く分からなかった)。
でも、たしかに見えているという、ある種の空虚さ、実感のなさが似ていると感じたのでした。
ちょっとこじつけか。
235名無しさん脚:03/01/15 17:59 ID:s79eI/Sc
なるほど、こおたにさんには迷惑でしたね。
しかし、まあ、亀板の過疎化も深刻で、コテハン叩きぐらいしか話題が無いんですかね。

閑話休題
今日、JR山手線で車輌内の中吊広告がすべて、立木義浩のモノクロ写真で埋め尽くされてる電車に乗りました。
なんか、新しい感じのインスタレーションですね。レーザー出力かインクジェット出力なのかはわかりませんが、
とってもいい感じのトーンが出てて、見入ってしまいますた。
駅で降りるの忘れて、そのまま2,3周しちまいそうになりますた。しばらくは電車に乗るのが楽しみです。
236うなぎ犬:03/01/15 23:24 ID:UQ0P2ZXH
>>235
カメ板はやっぱり過疎化なんですかね〜。
いわゆる話題が一巡した感じでしょうか。

ところで、最近はJRに乗る機会がないので見られません。
残念です、などと、とりあえず書いてみますた。
眠い。
237うなぎ犬:03/01/17 14:32 ID:55e8w+ca
東京地方は、ここのところ大変いい天気なんですが、
撮影にいけなくてストレスがたまっております。
いつも昼休みにはカメラを持って歩いてくるのですが、それもできません。
明日は、また、ちょっ仕事があるし。(鬱
238山崎渉:03/01/18 08:27 ID:qRcdohCm
(^^)
239こおたに ◆27O3wDk0sI :03/01/20 15:20 ID:nPGwKsUA
御心配おかけしました。件のスレ削除されましたので、ちと書いてみます。
えと、話を大分前に戻してしまいますが、「センチメンタル」云々ってことについて。

この件については、ものすごく単純に考えているんですが、
基本的に写真というのは常に「この瞬間を保存したい」という衝動に支配されているんじゃないかと。
「この瞬間を保存したい」というのは、ほとんどの場合「もう一度見たい」という希望をない方しています。
そして写真というのは「今しか撮れない」であると同時に「過去しか見れない」ものでもあります。
これは、少なくとも未来を切り開くものではないことを示しているようにも思います。
自分以外の人(特にハイレベルな写真を撮る人)の撮った写真からは、
自分が至ることのできなかった境地や、自分の気がつかなかった着眼点などに気づくことはあります。
しかし、それはさておいたときに、自分の撮ってきた写真の集積を思い返してみると、
自分のその都度その都度の感情の流れをあたかも触媒のように、それらの写真が触発していきます。
このような感覚を受け取らんが為に写真をやっているんでは?
とも思わなくはないわけです。

つまり、「今しか撮れない」であると同時に「過去しか見れない」ものであるからには、
当然のごとく「センチメンタル」という属性がついてくると思うわけです。

とまぁ、そんなわけで。
240うなぎ犬:03/01/20 20:02 ID:M469xd/4
こおたにさん、お帰りなさい。

> つまり、「今しか撮れない」であると同時に「過去しか見れない」ものであるからには、
> 当然のごとく「センチメンタル」という属性がついてくると思うわけです。
そのとおりなのですが、結果としてセンチメンタルというよりは、
もう最初から私は「おセンチ」なわけで、このことは人前では言えません(赤恥。

なんというか、私にとって写真は「夢」に似たもので、
撮影した時点から、その対象が、現実と非現実のはざまに溶け込んでいくような気がするのです。
これはとくに東京の町の写真を撮るようになってから感じ始めたことです。
朝撮影した建物が、夕にはなかったり、
いつもと歩く時間が違ったら、道行く人の雰囲気がまったく違ったり。

写真と夢の似ているところは、「それはたしかにそうだった(そのときは、たしかに現実だと感じた)」けれど、
いまは振り返るとほんとにそうだったのか?と思ってしまうところです。
違うのは写真の場合、フィルムかプリントだけは残っているというところです。
それと、ノスタルジーやセンチメンタルの関係を書こうとしたけど
このへん、上手くまとめられないので、ここでやめます。

関係ないけど、筒井康隆の「夢の検察官」という作品、傑作です。
「夢の木坂分岐点」、再読していないがあれも良かったな。
241うなぎ犬:03/01/20 20:36 ID:M469xd/4
昨日、深夜のNHK総合を見ていたら、
ジョン・レノンの「imagine」を巡る番組をやっていて、
嫁と、つい最後まで見てしまいました。
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200211/gt2002110512.html
の再放送でした。
そこで思ったことがいくつかあるのですが、思いつくまま書いてみます。

私の尊敬する先生がいるのですが、
その方が「歌魂(うただま)」という言葉を使っていました。
言葉には魂がある(=言霊)という考えがありますが、
歌にも魂(霊力)があるという考え方です。
あの曲は、その歌魂を強く持っているのではないかと思いました。
だからこそ、地味ながらも長く生き続けているのだと思います。

ふりかえって、写真について考えると、似たようなことがいえるかもしれません。
例えば、桑原甲子雄先生の2.26事件の写真は、
やっぱり生き残っていく何かを持っているように思います。
土門拳の下町の子供の写真(鞍馬天狗とか)も同様に思います。
ただ、これをなんと呼ぶべきか?
「写魂」というのも土門拳の著作名のようだし、
第一「しゃだま」と読んですぐ分かるもんでもなさそう。
「photo魂(ふぉとだま)」だと、なんか馬鹿みたいだし。
要するに、「古典」ということを別の言い方で、
言っているような面もあるのですが。

続くかも。
242うなぎ犬:03/01/20 20:43 ID:M469xd/4
ところで、imagineの歌詞のどこが好きか、という話題が出ていたのですが、
私は「you may say I’m a dreamer, but I’m not only one」の部分です。
「それは夢だと君はいうだろう」という部分は、けっこう苦いなあ、とも思うのです。
自分でも、それが絵空事に近いということは、じゅうぶん分かっている、
でも、それでも言いたい、そしてそう思うのは自分ひとりではない(はずだ)、
という認識は、現実を見たうえの発言であって、
単なる美辞麗句を並べただけでは、この言葉は出なかったと思います。

ちなみに妻は「Imagine there's no heaven, It's easy if you try, No hell below us,
(天国も地獄もないと想像してごらん)」の部分が好きだ、と言っていました。

この話、写真に全然関係ないね。ごめんなさい。

でも、まだ続きそうだな。
243うなぎ犬:03/01/20 21:09 ID:M469xd/4
まだ続く。
しかも写真とあんまり関係ないかも。
スレタイの「9/11」にもからんで。

テロ事件の後、「imagine」はアメリカでは好ましからざる曲に指定されたようです。
このこと自体、ばかばかしいと思うのだけれど、
その直後に、ニール・ヤングがピアノの弾き語りで演奏したシーンがありました。
また、オノ・ヨ−コは、新聞の1面広告で「imagine」の歌詞を1行載せたということです
(こっちはなんか、フルクサスのようなかんじだった)。
考えてみると、これ、下手すると狂信的な「愛国者」に殺されてもおかしくないわけで、
ずいぶん勇気が必要なはずです。

以前読んだプラトンの「ゴルギアス」という本では、
カリクレスとソクラテスが論争するのですが、
最初は「力こそが善である」と主張していたカリクレスが、
ソクラテスと話をするうちに考えが変わってくる部分があります。
ソクラテスは、自分の信ずることを行なうためには命も惜しくない、というのですが、
最初は威勢の良かったカリクレスは、むしろ、いまのままでは殺されるから、
奴隷のようにおべっかを使って生きたほうがよいと忠告するわけです。
(カリクレスは、薄っぺらな人物ではないし、むしろ社会の有力者なのですが)

発言と行動を一致させることは難しいのですが、
ニール・ヤングとオノ・ヨーコを見て、この本のことを思い出しました。

で、ここまで書いておいていうのも、あれなんですが、
「自分は、あの曲がすきなんだ」と広言する人は、たぶん嫌いです。
本当に自分に意味があるものであれば、かえってなかなか口に出せないだろうと思うからです。

なんか、青臭いこと書いてしまったかな。
でもまぁいいや。
244一名無し:03/01/21 13:27 ID:8O4ojTdn
>>239 こおたにさん、おかえりなさい。
じぶんも、その通りだと思います。
ただ、>>241の言霊、写霊というお話について考えてみると、音楽、写真、絵画といった芸術作品の中には
時として、作者の意図を越えて作品そのものが自立して一人歩きを始めるものがあるんじゃないかと言うことです。
どんなに才能に溢れた素晴らしいアーティストの作品であっても、その大半は作者の意図を忠実に再現している限り
芸術としての鑑賞に堪えるわけですが、時として作者の意図を越えて色々な鑑賞の仕方をすべて飲み込んでしまうような
大きなものが出来てしまうことがある。自分はそれを作品の普遍性と考えているんですが、それは、作品そのものが魂を獲得して
「言霊」を持ち始めるんではないでしょうか。
そういったものは時代や社会背景を越えて、人間感情の原点に訴えかけてくる力があるんじゃないかと。
imagineの例でいえば、誰もが納得し理想だと思いながら、何故か実現し難い人間社会の永遠のテーマを歌い上げてる訳です。
1971年の時点では馬鹿げた夢物語のような内容だったものが、時代を越えて歌い継がれていく中でじわりじわりと人々の心の中に影響を落としてるんじゃないでしょうか。
30年経った2003年の今、東西の対立はほぼ解消し、少なくともユーロ統合の方向性が見え始めている。そして、人々がそれを望みさえすれば可能性はゼロではない。
実現不可能な空想ではないんだと言う認識が生まれ初めてるんじゃないかと思うんです。
で、冷静に考えてみると世界的な、紛争の火種になってるのは実は当のアメリカそのものなんですね。
もちろん、各地の内戦や局地的な紛争は絶えませんが、そもそも戦争をするための武器の一番大きな供給源がアメリカなんです。
武器がなけりゃ、戦闘は拡大しません。
実は石油利権や武器輸出という経済的な理由が裏にあって、戦争を仕掛けてるのは「正義」を標榜しているアメリカであるということに、
一部のアメリカ市民は気がついている。先日からのイラク攻撃反対のデモを見ていると、そんな気がします。
245名無しさん脚:03/01/23 14:22 ID:wRlBJMf8
「写心」なんてのはどうかな。
別に心霊写真って訳じゃないけど。
246こおたに ◆27O3wDk0sI :03/01/24 00:04 ID:3eNkzand
荒木は「写神」って写真集だしてたなぁ。見てないけども。
247こおたに ◆27O3wDk0sI :03/01/25 12:46 ID:lm3u8Hfp
とりあえず、こんな本です。
http://www.book-oga.com/aimages/shasinaraki.html
248こおたに ◆27O3wDk0sI :03/01/28 14:07 ID:f6KVLTg3
真心ブラザーズに「拝啓、ジョン・レノン」っていう曲がありました。
ジョン・レノンを認めつつ、罵倒する歌詞だったと思います。
まぁ、これを俺としては素直な尊敬の念の表明だと思ったわけですが。
世間的にはそうは思われなかったらしく、スポーツ新聞なんかで叩かれてましたね。
ジョン・レノンの歌詞っていうのは、まぁなんというか青いとこがあって(それがいいのですが)
そおいう部分が、うなぎ犬さんについつい
>「自分は、あの曲がすきなんだ」と広言する人は、たぶん嫌いです。
などと言わせてしまうのでしょう。
ああいう気恥ずかしいような青さが、ジョン・レノンの魅力なんですが、
これ例えば、初対面の人に言うの恥ずかしいです。青臭い感じで。
しかし、今となってみれば、ああいう気恥ずかしくなるような青臭い理想論を
声高に叫べる人がいなくなってしまったことと、この混沌とした現代の閉塞感や
疲弊した感じが繋がっているのかもしれないような気がしています。

などと、書きながら、自分が青いことの言い訳している気分になってしまった。。鬱。
249一名無し:03/01/28 15:54 ID:V7fmM0LI
真心ブラは知りませんが、
例えば明治、大正時代の小説なんかもそんな感じの青臭さがあるんだけど(例えば、初期の鴎外とか北村透谷とか)
それは若さの裏返しで、純粋な志があればこそだと思う。年をとって来ると社会の裏表がそれなりに見えてきて、斜に構えてしまう。
亀板でもこのスレなんかは青臭くて異質だと思いまつ。
理想を叫ぶことが恥ずかしい時代なんですね。

でもね、例えば大ヒットした「千と千尋」なんか見てると恥ずかしくて赤面するほどの理想論がモチーフになってるんですね。
「汚したら掃除しろ」「助けてもらったら、ありがとうを言え」「働かざるもの食うべからず」「約束は守れ」
等々、実はあたりまえの事を言ってるんじゃないかと思うんです。そういう当たり前のはずの社会常識がストーリーの中に巧妙に埋め込まれている。
当たり前の事が、当たり前に出来ない時代になってきてるんですね。

子供に対して躾について叱っていると、自分自身がいかに当たり前のことが出来ていないか、痛感するんです。
まあ、こんな事言ってるとオヤジ!と罵倒されそうですが。
250一名無し:03/01/28 16:09 ID:V7fmM0LI
ジョン.レノンの話からはちょとズレますが。

最近、足を捻挫して松葉杖をついて電車に乗る経験をしましたが、実に驚きました。
「優先席」の前で松葉杖を突いていても、誰も立ち上がらないんです。それが、若いニーチャン、ネーチャンじゃなくて
40-60才の普通のサラリーマンなんです。多分みんな子供がいて、子供に躾をしてるはずだろうなという世代なんです。
1週間ほど松葉杖の通勤で、席を譲ってもらったのは一度だけでした。
さすがに、その光景をスナップするのは憚られましたが、思わず「日本もお終いだな」と。

こんなこと書くと、「お前が座りたかっただけなんだろ」って言われるんでしょうね。
オヤジの小言が「ウゼー」時代なんですかね。
251一名無し:03/01/29 15:29 ID:xJKRJQf6
だってさあ、「意識」が写真に関係無いなんて、写真撮ってるヤシのいうことじゃないでしょ。
252こおたに ◆27O3wDk0sI :03/01/29 23:03 ID:cMNnGboi
っていうかおまいは「意識」のあるものを被写体にするなと。
「意識」のないものでも一生撮ってろと。
魂のない写真撮ってろと。
言い放ちたい。面と向かって言い放ちたい。
30cmくらいの距離で言い放ちたい。
253一名無し:03/01/30 10:02 ID:WkdY7JWv
まあ、まあ、もちつけ。
先日からの騒動の一端がわかりますた。あーゆうのに絡まれると災難ですね。
254名無しさん脚:03/01/30 21:29 ID:rBY6bz+s
uzeee
255名無しさん脚:03/02/01 17:39 ID:pqSWElAO
test
256うなぎ犬:03/02/01 17:43 ID:pqSWElAO
ちょっといろいろあって、書き込みできなくなっていました。
しばらくは、前みたいにここに来れなさそう。
だから、以下ちょっと長いです。

ところで、「ストリート・スナップ啓蒙スレ」は、
「ある意味」だいぶヒットしましたね。
皆さん関心あるんでしょうね。
参加したかったのですが、ちょっとできなくて残念でした。

私なりにスナップを考えると、
人間の最大の関心事項は人間(また、その営み)だから、
やっぱり一番写真を撮りたい被写体は、人でしょう。
それを自然体で撮るとスナップというかんじですが。

人の真実の姿(というと大げさですが)をとらえるには、
いろいろなありかたがあります。
土門拳のように「凝視」の延長で撮影するというのもありそうです。
(といっても、スナップはそう凝視もしていないか)
また、自然な姿=真実の姿という考えもあるように思います。
この「自然=真実(に近いだろう)」説が、
スナップの背景にあるように思っています。
(単に私の考え方というだけです)

続く
257うなぎ犬:03/02/01 17:44 ID:pqSWElAO
私は、路上の人を撮影することはあまりないですが、
もしやるとして、自分のふだんの延長上で撮影しようとすると、
たぶん、三脚は立てず、相手を威圧しないようなカメラで
(35ミリカメラに単焦点レンズ35か40、50ミリレンズくらい、
中判なら2眼レフかな)
目が合えば、会釈しながら撮影という感じになるでしょうか。
でも、これは知人を何気に撮影するのとあまり変わらないかも。

話がずれますが、
例えば、アベドンのように、8×10と背景を屋外に持ち出して、
びしっと撮ることにより、その人をとらえようとする考え方。
("IN THE AMERICAN WEST")
これはスナップとはいえないだろうけど、
でも、スタジオ写真とも違う味わいがあるように思います。
鬼海弘雄の「王たちの肖像」のように、
浅草寺境内で出会った人に声をかけて、
寺の壁をバックに撮影するというのもあります。
このへんはいわゆるスナップではないかもしれないけれど、
個人的に気になるところです。

で、人の営みについて考えていくと、
なんだか長くなるのでやめます。
町の様子というのは、つまり人とその営みの集積だと思います。
結局は最初に書いたように「人の最大関心事は人」ということで、
私の場合は、町も人も、被写体も自分も自然体で撮影できるようなスタイルが
スナップになるように思いました。

続く
258うなぎ犬:03/02/01 17:46 ID:pqSWElAO
>一名無しさん 捻挫ですか。お大事にしてください。

電車(に限らず)で椅子をゆずる話ですが、
私は極力坐らないようにして、坐った場合はすぐゆずっております。
なんか偽善ぽいのですが、自分が年をとったときに、
年寄りに椅子をゆずるのが当たり前の世の中になっていてほしいので、
いまからその準備?をしているわけです。
つまり、年とってから自分が困りたくないという
一種の利己主義でもあるのですが。

>こおたにさん
一生、魂のない写真を撮影する人もいるわけで、
それは撮影者に魂がないから必然的にそうなる。
コステロの「watching the detectives」という曲の歌詞に
he can't be wounded cos he's got no heart
(心がないから傷つかない-怪我しない、の意でいいかな)というのを思い出しました。

荒木「写神」持ってます。あまり見てないです。
それほど神(気配)は感じませんでした。
罰当たりだからか?
259うなぎ犬:03/02/01 17:48 ID:pqSWElAO
古谷三敏の漫画で、ある発明家が究極の複製装置を発明する、
というのがありました。
あるカプセルに入ると、もう一方のカプセルにまったく同じものができる。
片方に人が入って、複製の人を作ったが、
それは動かなかった(命がなかった)というのがありまして、
妙に心に残っています。
つまり、その複製は単なる肉の塊でしかなかったわけで、
では、命はどこから来るのだろうか、と子供心に思いました。
そういえば、フランケンシュタイン博士の怪物も、
雷が落ちないと命が吹き込まれなかったな。
やっぱりなんかしないと命はないのかもしれない。

命=魂とまではいいませんが、
肉の塊に、OSとしての単なる知識だけが詰まっているの人は、
案外多いのではないかと思います。
つまり動いているが、魂のない人はいるわけで、
でもそういう人でも、なにかの欠落感があるからこそ
写真を撮りたくなるのでしょう。
そして、この板に来てしまうのですが、
自由に書けるがゆえに、かえって
自分の言いたいことがないのに気付いて愕然とし、
でも何かいいたいので、
人の発言に対する揚げ足とりくらいしかできんのでしょう。

次で最後
260うなぎ犬:03/02/01 17:50 ID:pqSWElAO
>> 254 だからお前は馬鹿なんだ。

最初から言い捨てて逃げるつもりだから、
ひと言しか言えないのだろう。
まとまったことを書くと、ぼろが出るのだろうが
間投詞に近い言葉を言い捨てて去ってくのも、
想像するとさびしいものだ。
それと、お前の言葉くらいでは俺の考えは、なんとも変わらん。
お前はお前で自分のことをやっていれば良い。
やることがないのならば、素直に自分が空っぽだということを認めて、
そこからやるしかないように思うのだが。
俺は牧水の次の歌は自分のことだと思っている
「さういふこともあらう、さうであらう、何しろ自分は自分で忙しい」

はやく自分のやるべきことを見つけろ。

とり急ぎ、このへんで。
261こおたに ◆27O3wDk0sI :03/02/01 23:39 ID:Q+13Dh/y
とはいえ、「魂」とは難しい。
「魂」を込めようと「感情」を込めようとするほどに、
写真は即物的な物に過ぎないと思い知らされる。
自分の無力さにうちひしがれる。
しかし、それは「魂」を込めようとする無駄なあがきが産むもので、
写真に「魂」が絶無であることを示すものではない。

そのように夢想するんですが、現実問題、写真に「魂」があることを示すのは難しい。
また、誰にでもわかるように写真に「魂」を吹き込めた人もいないのではないか。
しかし、「魂」「魂」と念じて写真を撮れば、不要な演劇臭が写真にまとわりついたりする。
それは泥臭さなのかもしれない。
生きていることが発する泥臭さが写真に腐臭となってまとわりつくのかもしれない。
セバスチャン・サルガド曰く
「しかし、私は間違っているのかもしれない。
 しかし、私はどうすればいいのかわからないのです。
 写真は答えを出すものではないのではないでしょうか?
 写真は疑問符を投げかけるものではないのでしょうか?
 私もその答えを知りたいのです。」
 

はてさて、サルガドにわからないものが俺にわかるものだろうか。
あり得ないなぁ。


>うなぎ犬さん
考えさせられる文章ありがとうございました。
読み返しつつ、お帰りをお待ちしています。
262一名無し:03/02/03 12:27 ID:Iw6OkGBK
>>257
>町の様子というのは、つまり人とその営みの集積だと思います。
うーん、なるほど。目から鱗が落ちました。

>>258
優先席の件で自分が感じたのは、席を譲るとか譲らないということではなくて、
働き盛りのごく平均的な日本人男性、父親であり会社の中間管理職層として、社会の中核をなしている世代が優先席を譲らないということについて、
そのような上司を持つ部下、そのような親を持つ子供たちが次の世代を担っていくことに対する不安なんです。
他者に対する無関心、殺伐とした社会心理、そういったものに不安を感じている、というつもりでした。
言葉足らずだったかも知れませんね。
もうちょっと、考えを進めてみますと、実社会で人とのふれあいが持てない孤独な人が増えているのではないかと。
ちょうどうなぎ犬さんがエルビス・コステロの「he can't be wounded cos he's got no heart」という歌詞を引用してくれました。
(なかなか、渋い趣味ですね。)
他者とのつながりや、ふれあいを持てない人、そういった心を持ってない人は2CHでも、自分の感情を一方的に吐き捨てていくだけなんでしょう。
で、自分は何も傷つかない、考えない。
本当に怖いのは、そういった傾向が青年期の精神的に不安定な人たちだけでなく、全部の世代に広がっているのではないかということなんです。

うなぎ犬さん、早く帰ってきて下さいね。
263一名無し:03/02/03 12:45 ID:Iw6OkGBK
>>261
こおたにさんの葛藤の深さは正直なところ自分にはわかりませんが、自分の思うところを書いてみます。
自分では、魂のこもった写真なんてとても撮れるようなもんじゃないですが、名作と言われる写真を見て
「物の形を越えたその先にあるもの」を感じることはあります。ただ、それを感じられることは稀で、世界的に高名な写真家の
作品の中でも、ほんの僅かです。自分に感じる心が無いだけなのかも知れませんが。
写真に限らず、芸術全般にいえることだと思いますが、結局、作品の魂や心って鑑賞者が感じるものではないかと。
感じる心がなければ、それ自体はただの紙屑なんだろうなと。
264こおたに ◆27O3wDk0sI :03/02/03 13:32 ID:6jkgepO6
「人の心を動かせなければ、ギターなんてただの壁飾りだからね」

なんかのテレビ番組でギブソン(ギターメーカー)の工場長が言っていたセリフです。
音楽で、心が動くという体験というのはさほど珍しくもなくあるわけです。
で、視覚にまつわる表現ではどうかというと、映画で心動かされるという体験は誰しもあるかと思います。
しかし、これは物語りに感動しているわけで、単純に視覚で感動しているというわけではなさそうです。
(稀に視覚で感動することもありますけれど。まぁ、稀ですね、やっぱり。)
で、純粋に視覚的感動としての体験というのは、多くの人に共有できるものとしては、
美しい風景を目の前にしたときなんかでしょうか。風光明美な景勝地に行った話をしていて、
同じ場所に行ったことのある人がその場所の風景の話で盛り上がるなんてことがあります。
これはきっと、そういうことでしょう。
しかし、まぁ、人の手に寄って視覚的楽しみを与えられるべくして作られたモノでは、
そう簡単にはいかないわけです。割と誰でも知っている有名なモノとして、ピカソの
「ゲルニカ」という大作がありますが、これ別に印刷物で見てもモノスゴイもんだと思うわけです。
(もちろん、個人的な意見ですが。)しかし、まぁ、わざわざ、現物を目の前にする機会があったにも
関わらず、「なにコレ?」ってな感想しかもたない人もいるわけです。
これは、見る人間の素養の上下って話だけでなく、好みってのもあります。
想像力っていうのもあるでしょう。
視覚表現っていうのは、見る側にいろいろな要求を突き付けて成立しているのかもしれません。

と、考えていくうちに、「魂」ってなぁ……表現できんのかしらねぇ、と。
これだけ、いろいろな弾く要因を持っている表現の中で
「誰にでも」感じさせるというのはハードル高いな、と。
難しいなと思うわけです。

大家の作品であれ、素人の作品であれ、鑑賞者が「感じない」作品は屑なわけですが。
独自性などを求めて、マニアックになると余計に屑になりやすくなるのかもしれないなと。
はぁ。むずかしいことです。
265一名無し:03/02/03 15:02 ID:wP/jOH8U
自分自身に問う、一人言です。

音楽(器楽曲)の場合純粋に聴覚だけで感じるもので、かなり抽象性が高いのですが、一方で感じる側は単純にその音が快か不快かという非常に原始的な感情で良し悪しが判断される。
歌曲になると言語メッセージがかなり重要になってきます。言語的な情報が増えるほど、受けての感受性の比重が大きくなる。受け手に考えることを要求するとも言えます。
ポピュラーソング(歌曲)のヒット曲というのは実は1-6-2-5の循環コ−ド(あるいはその代替コード)という最も単純で原始的なコード進行である場合が多い。
「大きな古時計」なんかが好例です。
言語に頼った音楽の場合、メロディーを複雑にすると成功しない。出来るだけ単純で誰もが歌いやすいメロディーのほうが言語メッセージが強くなる。
ところがそれから歌詞をとってしまうと、途端に退屈極まりない、イージーなものになってしまう。これをイージーリスニングと称するものか。
従って、現代の器楽曲はジャズや現代音楽のような、より複雑な和音や旋律を追求することになる。

で、視覚芸術の場合人間が視覚から得る情報というのは言語や記号からの情報をも含んでいて、内容によっては文章表現よりも情報量が豊富になると思います。
悪いほうに転ぶと饒舌すぎて、説明的になってしまう。
成功すると、シャッターの瞬間だけでなくその前後の時間の流れや、画面外の広がりすらも感じさせることが出来る。
いわば、選び抜かれ、磨き込まれた一辺の歌詞のように。

ああ、なんか訳判んなくなってきた。もうちょっと整理して出直します。
スレ汚しスマソ。
266一名無し:03/02/03 15:40 ID:wP/jOH8U
記憶で定かではないのですが、確かピカソは「ゲルニカ」についてこの作品のテーマは反戦という自分個人の具体的な主張を込めたものではない。
鑑賞する人の自分の考えを映す鏡のようなものだと、言っていたと思います。
だけど、私はそのコメントはピカソが自分の作品を言葉で説明することを避けただけで、本心ではないと感じています。
ピカソほどの作者がテーマを投げ出すような作品を作るわけが無くて、これを見れば作品自体の中にテーマは明白だろうと、質問者を突き放しているように感じられるのです。
そんなことを聞くヤシにこれが解るのかと小一時間...  といったつもりだったのではないでしょうか。
鑑賞する側の美意識や問題意識によって、世紀の大作でも子供の落書きでもありうると。
267一名無し:03/02/03 16:09 ID:wP/jOH8U
で、話を音楽に戻すと、抽象性の高い器楽曲がより専門的に細分化、複雑化していくのに対して、歌曲はシンプルでストレートな表現のほうが成功しやすい。
抽象派と写実派の比較に似てくるような感じがしました。
どちらが優れているということじゃありません。好みの問題でしょう。

ただ、音楽や絵画の芸術の歴史を見てると理解され難い、先鋭的で専門的な表現が時間が経つにつれてポップな表現の中に取り入れられて一般化していくということはあると思います。
例えば、1960-1970年代のモダンジャズの理論は現在のポップ音楽の中で日常的に使われ聞く側もそれに慣れて、テンションの複雑な響きのコードが一般的になっています。
ピカソの子供の落書きのようなタッチが時として実にポップな感覚でファッションの中に溶け込んでいるということもあります。
コルトレーンやピカソのような天才たちは新しい表現方法を切り拓いた開拓者なんでしょうね。
(いまさら言う事でも無いか (~_~;)
268こおたに ◆27O3wDk0sI :03/02/05 13:52 ID:WZ/fSWDQ
一名無しさんの書き込みでふと前から考えていたことが像を結んできました。
ちと、トンデモかもしれませんがW

昔から、写真の表現上の特長というのを考えているのですが、そのひとつに、
観念的な話でアレなんですが、こういうことを考えています。

「単体の写真には時間がない。」

要するに、写真単体を見たときに、たとえば、桑原氏の2.26の写真なんかがそうですが、
なんのキャプションもなければ、どこを見ても2..26のその日に撮られたということは、
わかりようがありません。(これは写真の善し悪しとは関係ない話です。念のため)
アレと同様の、もしくは似たような写真ならば、別に2.26のあの日にしか撮れないわけではないわけです。
(当然、これは桑原氏の精神的なものをさっぴいて、至極、即物的に考えたときの話です。)
つまり、見る側にとっては単なる風景でしかないかもしれないわけです。
エピソードの部分と写真的評価の部分は切り離されていなければならないはずです。

また、静止画であるということから、即物的な意味合いでは写真は時間を内包できません。
長露光や高速シャッター、ストロボなどを使って画面に時間的流れを加えたり、減じたり、
というようなことは可能ですが、見る側にとってはそのように「止めた時間(瞬間)」が
存在するに過ぎず、それはいずれにしても流れのなかの一断面であり、映画や音楽などのように
時間の流れそのものを表現の中に含むものではありません。
しかし、1/60秒で区切った時間を定着するなどということは、写真にしかできないことであり、
肉眼では見ることができないことでもあります。
その意味において、写真は肉眼での視覚の再現では有り得ないわけです。

つづく。
269こおたに ◆27O3wDk0sI :03/02/05 13:53 ID:WZ/fSWDQ
そして、また絵画のように、制作者がその作品にかけた時間の蓄積をマチュエールとして鑑賞する
こともほぼ不可能でしょう。

つまり、写真は様々な表現手法の中で、もっとも時間という概念から自由ともいえます。
他方では、時間という概念を切り裂くものだとか、
だからこそ時間という概念に関わらなければいけないのだとか、
時間という概念をあらかじめ、欠損しているのだとも言えます。
いずれにしても、写真にはかなり特殊な方法で時間という概念が関わってくると言えそうです。

さらにつづく。
270こおたに ◆27O3wDk0sI :03/02/05 13:54 ID:WZ/fSWDQ
視覚ということに触れたので、視覚についてさらに。
よく、人と一緒に歩いたりなんかすると思うのですが、
同じ方向を見て同じ方向に歩いているのに、人それぞれ、注目する箇所っていうのは、
かなりバラツキがあるようです。
たとえばAさんが「あそこの焼肉屋に入ってみようよ。」などといいつつ、遠くの店を指差す。
Bさんは指差した方角のどこにその店があるかわからずに「え?どこどこ?」などと言う。
これは視野に同じ情報が入っていても、そこでいる情報といらない情報の取捨選択が脳内で
行われていることを示すのではないかと思います。
つまり、画像として入ってくる情報に脳内補正もしくはトリミングが行われていて、
同じものを見ているようでいて、見ていないということが言えるのかもしれません。
しかし、まぁ、写真は違うわけです。画面内の情報は均一に写るわけです。
そこに取捨選択の余地を入れ込むとしたら、ピントや被写界深度で、目立たなくしてあげる
くらいのことしかないでしょう。(スタジオ撮影やポートレートでは主要被写体以外を画面から
可能な限り物理的に排除することも可能。)
「写真は引き算」と言われるのはこのあたりの事情からでしょう。
つまり、それが機械的に全て均一に写してしまいたがる特性をもつ、カメラという機械を人間の視覚に
近付ける、または個人の視点を反映させるということになるのでしょう。
しかし、実際に写真を撮る時には、ある程度の年数、写真撮影を経験している者なら、主要被写体以外と
主要被写体のバランスを考えて構図を決めますが、初心者はこのようなことに気を配れない。
これは、写真が視覚の再現を行うものという先入観からくるものではないかと思います。
しかし、「引き算」にばかり捕われると、これまたつまらない写真しか撮れないような気がしています。
少なくとも木村伊兵衛の「那覇の市場」みたいなのは「引き算」からは生まれないのではないかとか。

一名無しさんの、音楽についてのお話から、思いついた駄文ですた。
271また来てしまいました:03/02/05 18:41 ID:E5cg6Duk
えー、書き方が悪かったのですが、
前みたいなペースでは書けないかも、という意味です。
でも、ネットカフェから書き込んでもいいわけで、
もうちっと書けるかな。
というわけで、うなぎ犬です。

ところで、>>256-260 魂の話をしたのは不用意だったかな、と。
でも、いずれは出てくる話題でもあるかと思います。
なんか、唐突に大きすぎるテーマが出てしまった感じでしょうか。
このスレ用のテキストを作るときは、
いつも一種のインプロ・即興で書いておりますが、
たまたま、瓢箪から駒、出鱈目からまこと、
が出てしまったのかもしれません。

以下、けっこう長いよ。
272unagi:03/02/05 18:42 ID:E5cg6Duk
>>261 263 こおたにさんの話でギターの例がありましたが、
モズライトのギターで「built in soul(魂込めてます、くらいの意味か?)」
と書いてあるのがありまして、ちょっと笑いました。
「魂、魂」と念じすぎると頭でっかちになって、
かえって魂から遠くなるのではないかと思います。
写真の良さは、撮りながら考え、
考えながら撮るということの繰り返しにあると思うので−
つまり観念的になりすぎずに、
最終的には必ずフィルムとカメラという機械に帰ってくるところ−
が写真のよさでもあると思うので、
予備のフィルムをポケットにつめて
いつものようにカメラを持って外に出るのが一番いいように思います。
BGMはAztec Cameraの「Walk out to winter」でどうでしょう。
ところで、この曲の歌詞には「ジョー・ストラマ−のピンナップがはがれて」
というフレーズがあったはずです。
彼もクラッシュ聴いてたんだな。黙祷。
273うなぎ犬:03/02/05 18:45 ID:E5cg6Duk
うまく名前が書き込めていませんが。

>>262 一名無し様
> 社会の中核をなしている世代が優先席を譲らないということについて。
3年くらい前でしょうか、
新宿のヨドバシ本店の前、
つまり長距離バスのステーションがあるところですが、
そこに、1台の高価そうな外車を駐車した中年男性がいました。
すかさず、バス会社のナビゲーター?が
「そこに駐車しないでください」といったのですが、
どうしたわけか、その男は、逆切れして、
ナビゲーターに食って掛かったのです。
(5分ぐらい言い争っていたな)。
恰幅の良い、社会的にはちょっと偉そうなタイプの人だったのですが、
なかみはチンピラでした。
案外良くある話かも。
こう考えると景気が良くなるわけもなく。

誰が言ったか忘れましたが、
現代医学の恩恵で、昔ならば、病気で死んだはずの人が、
いまは平気で歩いている。
つまり、街中にはゾンビがあふれているようなもんだ、
という話がありまして、なるほどな、と思いました。
そういった方々ではないでしょうか。
(ちょっと強引ですが)
274うなぎ犬:03/02/05 18:45 ID:E5cg6Duk
それと、
音楽と詩(歌詞)の関係については、しばらく考えたことがあります。
以下、ご参考になれば幸いです。
飛躍が多いけど勘弁してね。

音楽はコミュニケーションの一種だとして、
詩は音楽にとって必要か?
言葉と音楽を分けて考えた場合、
言葉はどちらかといえば論理に寄り添い、
音楽はどちらかといえば感情・情念に寄り添うのではないか。
もちろん、言葉の中でも、
ある種の哲学のように論理そのものというものもあれば、
詩のように、情念により近いものもある。
音楽でも、感情・情念寄りと論理寄りのものがあるだろう。

続く
275うなぎ犬:03/02/05 18:46 ID:E5cg6Duk
で、歌詞のある音楽の場合、
音楽の情念の力によって、言葉をより深く(強く?)相手に
届かせようとしているのではないか。
つまり言葉が主役で、音楽はそれを届けるためのメディア。
音楽が勝ちすぎると、言葉は聞き流されてしまう。
言葉と音楽が渾然一体となっていると最高ですが、
一方、言葉優先だと、ちと飽きる。
Zappaは好きですが、アメリカ人にしか分からない
ジョークを延々やっていると飽きますな。

以上、別に結論はないですが。
276うなぎ犬:03/02/05 18:49 ID:E5cg6Duk
それと、表現の歴史を考えると、
前衛が大衆文化に咀嚼されていくのはよくある話で、
これまでにない表現(じつは大昔のものの援用だったりもするが)を
生み出す天才というのはありがたいもんですが、
一般民衆というのもしたたかなもので、
面白いとおもえば、どんな高尚なものでも自分たちが食べやすいように
噛み砕いたりするようです。
次代の天才は、それが通俗だといって
また新しいものをうみだしたりするんでしょうが。
ま、それは素晴らしい方々におまかせして…、
といったところでしょうか。

こおたにさんの写真と時間の話、面白いですね。
でも、考えるところが多すぎてまとまりません。
しばらくしたら、また、書きます。
(けっきょく、前と同じペースになりそうな予感)
277うなぎ犬:03/02/05 18:54 ID:E5cg6Duk
しかし、このスレッドは、文章長いね。
気をつけてるつもりですが、
やっぱりおれが悪いかな。
ちょと、考えが全体に煮詰まってないけどご勘弁を。
278一名無し:03/02/06 10:52 ID:5eA2W1+6
いや、まとまった考えを書いたり、書きながら考えたりしてると
どうしても長くなってしまいまつ。
いろんな話題について、つれづれなるままに逝けばいいのでは?
結局、考えて答えを出すのは自分自身だし、このスレは好きでつ。
亀板にも一つくらい、こんなのがあっても良いのでは。
279こおたに ◆27O3wDk0sI :03/02/06 11:36 ID:pKx7mXAS
まぁ、割とややこしいことを論じているわけで。
そんなわけで、文章が長くなるのはしかたないでしょう。
つうか、俺もあんな長い文を書いておいてアレなんですが、
アレでも短くしたつもりだったり。
で、読み返すと短くした分、抽象的になっているところもあるわけで。
補足するとまた長くなるわけで。
かといって、伝わらなければ意味ないわけで。
といって長文ばっかり書くと一見さんや(いるのかどうかわからないけど)ROMさんは入ってきにくくなるわけで。

ジレンマでつ。。


とはいえ、こんなスレも「あってよし!」と思われ。
280一名無し:03/02/06 12:03 ID:5eA2W1+6
>>268
写真の中の時間について、全くの見当違いかもしれませんが自分の感じるところを書いて見ます。
植田正治の「子狐登場」を見てると黄昏時、逢魔時の一瞬が永遠に静止した「時間」として写っているように感じます。
物理的な時間の流れではなくて、静止した永遠の時間のようなものを感じます。で、この写真はタイトルが無くても「子狐登場」でしかあり得ない。
言葉を必要としない、完結した作品だと思います。
一方で、キャパの「Dデー」の場合、「Dデー」という非常に短いタイトルをつける事によって、見る人は既存の知識で膨大な情報を読み取ることが出来る。
タイトルを必要最小限で提示することで、鑑賞者の歴史的な予備知識のすべてを呼び起こしてきて、ノルマンディー上陸という歴史的な瞬間を伝えるだけでなく、
第二次世界大戦すべてを通した歴史的な時間の流れすらも感じさせてくれます。これは、2.26の写真にも当てはまることかな。
逆に、その予備知識を持たない人にとってはブレブレの失敗作にしか見えないかもしれない。

器楽曲と歌曲、詩と散文に例える事が出来るかもしれません。
自分でそんな写真を撮れるわけではないのですが、スチル写真だからこそ表現できる観念的な時間というものがあるように思います。
ただ、そのような解釈はやっぱり鑑賞者に依存してるんですかね。
281一名無し:03/02/06 12:20 ID:5eA2W1+6
ちょと、追加。
「Dデー」の場合、物理的には1/30とか1/15のような時間のブレが10年単位の歴史を表現しており、
「子狐登場」の場合、1/125とか1/250位の高速シャッターが永遠の時間を表現している
と青臭いことを言ってみるテスト
282うなぎ犬:03/02/06 18:37 ID:AxtTQNCN
写真と時間について私なりに、ごく大Zappaにまとめると、
音楽等は「時間芸術」、絵画・彫刻等は「空間芸術」でしょう。
ところが、写真は、一般的には「空間芸術」のジャンルであると同時に、
時間と深く係わっている面白いジャンル?だと思っています。
つまり、空間芸術と時間芸術の交わったところにあるように思うのです。

ところで、時間芸術(例えば音楽)を例に考えると、
最終的には時間を忘れさせるところを目指しているように思います。
陶酔すると一瞬が永遠で、永遠が一瞬であるように。
これはジャズなんかでは、よくありますね。
で、優れた絵画作品は、その大きさ(空間性)を忘れさせます。

ところで、写真は、と考えると、
いつもよく分からなくなります。
空間芸術として考えると、
大きさは引き伸ばし次第というのも、ちょっと不思議。
でも時間芸術ではないよね…、たぶん。
なのに「静止した永遠の時間」を感じるのは、
時間が強烈に意識されている点で、
「一瞬が永遠で、永遠が一瞬」と似ているように思うのです。
というところまでで、まだ自分の答えが出ていません。
283うなぎ犬:03/02/06 18:38 ID:AxtTQNCN
>>281 そゆこというなら、おれもいうぞ。

シャッタースピードについて考えると
「コティングリー妖精事件」と杉本博司の「劇場シリーズ」を思い出しました。
「コティングリー妖精事件」とは、約100年前、イギリスで妖精の写真を撮影した、
という話があって、それにコナン・ドイルが係わったりして大騒ぎになったそうな。
なぜ目に見えない妖精が写ったかというと、妖精は非常にすばやく動くので、
人間の目には見えないのであるが、カメラのシャッタースピードは速いので、
それで撮影できたというもっともらしい説明があったはず。
一方杉本氏の写真は、1時間以上の長時間露光をしており、
「その作品にかけた時間の蓄積」を鑑賞することは出来なくもない
(けど言われないと分からないよね、それと長時間露光では真っ白にわけで、
それはマチエールといえるのか?)。

以上、まぁ、余談というところです。
ちなみにわたくし、24ミリレンズで1/500でもときどきぶれる
という特殊才能をもっているようです(泣。

けっきょく、前のペースに戻ってしまいそう。
このすれっど、業が深いのかも。
284こおたに ◆27O3wDk0sI :03/02/07 11:00 ID:60zHnOD7
書き方が悪かったかもしれませんが、前述の時間については、
即物的な側面についてのみ、書いたのでつ。
つまり、鑑賞者の受け取り方については考慮の外なわけで。

個人的な想いの部分で言えば、ある種の時間感覚みたいなものを写真の中に感じることはありまつ。
マチュエールに関してもアレなんですが、前述の部分とは違う想いが個人的にはあって、
印画紙という物体には当然、物理的なマチュエールは存在しないわけですが、
被写体には、マチュエールがあるわけです。(3Dな物体であれば当然ですな)
そういう意味合いでいうと、被写体のマチュエールを引き写しているというか、引用しているというか、
していることになるわけです。特に大判カメラで絞り込んで撮影したりなぞすれば、
日常では気づかないほどの克明なマチュエールが画面に写るわけですし、
135なぞでブレブレ写真を撮ったりすれば、マチュエールがふっとぶ。

こういった意味合いで、写真とマチュエールは関わっていると思っているわけですが、
これ撮影時の意識上はそういうことって関係してきますし、
最終的な仕上がりにもそれらの意識というのは関わりを持ってきますが、
これもまた観念的な話であって、印画紙に物理的にマチュエールが発生するとかそういう話ではないわけです。
そういう意味でのマチュエールの追求ってのは金村修の一連の写真や杉本博司の一連の写真
(特に『sea scape』シリーズ)なんかに強く意識されてるように思うわけです。

杉本博司の『sea scape』シリーズなんか、見てると時間も空間も遠近感も消失してしまって、
ただただ静止した海に囲まれて空中に浮いているっていうような不思議な浮遊感と不安感を感じますね。
不思議なもんです。アレなんかただの海面なのに。なんであんなことを感じるのやら。
そう考えるとやはりとんでもないもんですね、あのシリーズの完成度って。
285こおたに ◆27O3wDk0sI :03/02/07 11:02 ID:60zHnOD7
ところで、ネット上を徘徊していたら、金村修の以下の発言を見つけました。
興味深いので引用しまつ。

「写真は嗅覚からも聴覚からも空間からもリニア的時間からも断絶された一枚/複数の印画紙の二次元的表現でしかない。
撮影、撮影の再現としての暗室作業、プリントという直線的な完成プロセスは、撮影、ネガ制作、プリントという重層的な選択/決定、
互いが互いを頼り合いながらも否定、捨象の批評的関係をつくりだすことで楽観的な現場の再現=プリントという直線的な完成プロセスは否定される。
私達は現実とよく似ているものを制作するが、それはよく似ているだけであって、よく似ているという事がそのまま現実の再現である写真=現実という
亀裂のない一致した関係を結ぶのではなく、よく似ているというその似ている差異にこそ写真の暴力性を求めなければならない。
写真は現実から断絶されているのであり、断絶されているにもかかわらず似てしまうという写真の物質的な立ち上がり方に注目しなくてはいけない」
金村 修

(引用元: http://ok-ws.hp.infoseek.co.jp/



むぅ。深い。。
286名無しさん脚:03/02/09 09:59 ID:mxEef1b+
あげとくよ
287うなぎ犬:03/02/10 13:32 ID:LvkSPOTg
どなたかageてくださったようで、どうもありがとうございます。
どうも、いま一つの調子です。
理由は思い当たるのですが、ちょっとしばらくはどうにもならん感じ。
不調も知らん振りして、やり過ごすつもりです。

やっぱり、寒いから「命の火」が弱くなっているのかな。
春の到来きぼんぬ。
288一名無し:03/02/12 12:30 ID:bDlsxSlK
ただ今、4連休から帰還いたしますた。
>>284
写真の物理的な側面での話についてはよくわかりますた。
金村修の引用については写真が現実の再現と一直線に繋がっているのではなくて、
よく似ているものでありながら、微妙なズレがあるということなのでしょうか。
ちょと、時間をかけて考えてみまつ。
難かすぃ...
マターリ逝きましょう。
289うなぎ犬:03/02/14 17:11 ID:qj31KzIl
4連休うらやますい。

わたくし、ここんとこ、
なんともうしましょうか、耳鳴り(+軽いめまい)で
ちょっとつらかったのでした。
耳鳴りは今も少し残っていますが、しょうがないので
しらんぷりしています。

ところで、金村修はそれなりに好きなのですが
(とくにCANが好きなあたり)
いつも引っかかる部分がありまして、
それは、「写真の暴力性」というところです。
たしかに彼の写真にはそういうところがあるかもしれないけど、
私は、写真の持つ「愛」の部分に注目したいです。
(↑体調悪いので、ちょっと頭悪くなってます)

以前書きましたが、私は言霊はあるはず、という立場です。
で、写真はある種の「似姿」であって、魂が当然あるはず。
魂があるものと自分との良き関係には「愛」があるはず、
と妄想しております。
最近、中沢新一を読んでいたので影響、もろに受けてます。
290一名無し:03/02/17 11:22 ID:ULqTFp4S
うなぎ犬さん、お体をお大事にしてください。
291名無しさん脚:03/02/17 14:40 ID:iooN8itJ
うなぎ犬さん、お久しぶりです。
昔、お願いして二眼レフの写真を見せてもらった某です。
このスレは前から見ていたのですが、流れが落ち着くまで
静観させてもらってました。

私は当時写真をはじめたばかりで、もっぱら写真の外にある言語で写真について語ろうと
生意気なことをしておりましたが、最近になって、ようやく、どうやら写真の中に入り込めたかな
と感じるに至りました。
私の最近の言動をうなぎ犬さんが見ておられるかどうかはわかりませんが、
恥ずかしながら、自分でも色々な意味で当時とは随分違っていると思います。

また、折に触れて自分の思うことなど書かせてもらおうかと思いますが、ひとまず「愛」について。

愛というものの正体についてはおくとして、その一面として「同化」ということについて考えます。
言葉を付け足すと、愛には「同化しようとする試み」という一面があるのではないかと。
言葉に魂が宿る、つまり言霊ですが、私もこれには肯定的というか、
かなり根底的な部分で自分の血肉になった考え方です。
ただ、例えば乳児の発する喃語に言霊があるかというと、それはないだろうと思います。

なにが言いたいかと言いますと、魂の宿った写真との関係に
「愛」があるというよりも、むしろ「愛」のある写真、つまり先ほど書いた言葉でいえば、
「被写体と同化せんとする試み」が秘められた写真には、魂が宿るのではないかと。

しかし、現実には他者と完全に同化することは無理なわけで、それは写真においても同じかと思います。
私は、意識的にせよ無意識的にせよ、そのジレンマに取り組む過程に
写真家の持つエネルギーが介在すると考えます。
そのエネルギーは、金村氏に言わせると「暴力的」なのですが、私は必ずしもそうとばかりは思いません。
暴力的というのは、金村氏の持つエネルギーがそのような感じだからなのではないでしょうか。

ちょっとまとまりきらない感じですが、とりあえずここまで。
また来ます。
292一名無し:03/02/17 15:03 ID:984wsWCv
>291
いらっしゃい。うなぎ犬さんはご不在のようですが貴兄の意味せんとするところは少しわかるような気がします。
被写体に同化、あるいはシンクロしていこうとするときのエネルギーの方向性、ベクトルがそれぞれの人によって
攻撃的であったり、あるいは愛であったり、共感であったりするということでしょうか。

とりあえず、うなぎ犬さんが出てくるまでのつなぎということで、
あと、下げ進行でお願いしまつ。
293名無しさん脚:03/02/17 21:16 ID:6fbDiX6C
>>291

(すみません。下げ忘れました。)


そうです、そういう風なことを思っております。
そういうエネルギーというのは、被写体そのものや構図、色などといった
表面的な要素とは別の次元でありつつ、それら要素の中に潜んだ形で
写真に力を与えているのだと思います。
そのあたり、言霊と似ているかもしれませんね。
294一名無し:03/02/18 10:17 ID:sww5+/pZ
金村修のオリジナルの発言とは少し主旨が違うような気もするのですが、
それは置いといて、言霊について考えてみました。
1枚の写真に物の形の向こう側にある「何か」が写る事はあるのだろうか。
そういったものを感じさせる写真というのは確かに存在すると思います。
というか、そういったものを感じる写真にしか自分としては感動できません。
もちろん、自分で撮れるわけじゃなくて、世の名作を見て思ってるんですが。
では、果たしてそれが何か、それを言葉で言うのは難しいことですね。
例えば、能面は表情を変えないただの面でありながら、人の手にかかると様様な表情を見せる
ということと似てるのかもしれません。
295うなぎ犬:03/02/18 19:10 ID:b4X6VOm6
愛とか、言霊とかちょっとアレなことばを使ってしまって、すこしく反省しております。
(もっとも、ほんのすこしだけですが)。
というか、ちょっと頭悪かったかもしれない。

耳鳴りするといいつつ、昨日はSonic Youthのライブに行ってしまい、
今は結局両耳、耳鳴りしています。
でも、鬱な気分はなくなりました。ご心配をおかけしました。
296うなぎ犬:03/02/18 19:13 ID:b4X6VOm6
ところで、>>291のID:iooN8itJさんはどなたでしょう。
いろいろ思い当たる節はあるのですが(S氏、N氏、P氏、K氏とか)、
せっかく「名無し」で来てくれているのなら
詮索はしないほうがいいかもしれませんね。
どんどん書き込んでください。

>>292
ソニックユースを見ながら、愛っていってもいろいろあるんだよなー、
と思ったりしました。
金村氏の写真も「愛」かもしれないですね。
唐突に、とりみきの「愛のさかあがり」を思い出してみたり。
傍目からは愛に見えなくても、じつは逆上がりしてしまった愛もあるわけで、
それは本人(と、そのお相手)でないと分からないかもしれません。

それと金村氏について「CAN」が好きなところがいいといいましたが失礼な話でした。
自分にはない部分の写真なのですが、moleのうすい写真集を出したころから好きでした。
なにごとも決め付けはあまりよくなかったですね。
297うなぎ犬:03/02/18 20:00 ID:b4X6VOm6
>>294
これって面白いですね。
偶然ですが、私も「能面」について考えていました。
けれど恥ずかしながら、お能はまだ見たことがありません。
(歌舞伎と文楽ならそれなりに見たのですが)
「能面は表情を変えないただの面でありながら、
人の手にかかると様様な表情を見せる」
というのは、それに感応する人間がいるからこそなのだと思います。

ここで写真に引付けて、ちょっと脱線してみます。

人から聞いた話なので真偽は定かではありませんが、
技術的にいうと、能面への光のあたり具合によって、
ある種の表情・感情?を表現するということがあるらしいのです。
これはあくまで演者の問題であって、見物はそのままストレートに見ればいいだけ。
例えば顔(面)の傾け具合等によって、見る側にある表情を伝えられるメソッドがあるとしても、
おそらく一流の演者はそれだけに頼ることはないように思います。

ところが、写真の場合、「アンダー目に撮れば××な雰囲気が出る」
「素粒子表現をすると○○だ」「日の丸構図は□□だ」というような、
素朴な表現論がまだ有効と思われているようにも見えます。

だからどうしたというものでもないのですが。
298うなぎ犬:03/02/18 20:06 ID:b4X6VOm6
以上、人の発言を自分風に無理やり翻案しているような感じになってしまいました。

でも、仲間が増えるのは楽しいです。
写真を撮りながら、またーりとやっていきましょう。
それと「一名無し」さんは、もうコテハン同然だからいいのですが、
>293、291さんは発言に一貫性を持たせるため、
このスレのみの名前を付けてみるというのはいかがでしょうか。
もしよろしかったら。
299一名無し:03/02/19 10:36 ID:hQa6OyE9
>297
ライティングによって、表情が変わるということは写真と同じですね。
ただ、写真のように技術論は流布しないので、「奥義」のように閉ざされているのかも。
自分としてはライティングだけでは捉えきれない何かが向こう側にあるような気がしています。
能面でも文楽でも写真でも。
300名無しさん脚:03/02/19 23:05 ID:YNoyhoOL
うなぎ犬殿

ええ、その中のSの者です。
またよろしくです。

愛ですが、愛の定義となると非常にやっかいですね。
様々なレベルにおいて、様々に語りうる言葉だと思います。
が、少なくとも、どんな愛であれ、そこには他者との関係性が
必ず存在するのでしょうね。もちろん、モノだって他者となりうるわけで。
写真というものは、すごく乱暴に言ってしまえば、
関係性を表現する一つの手段だと個人的には思います。
とすれば、それは必然的に愛とも無関係なのでしょうかね。

ではまた。
301300:03/02/20 02:02 ID:Zgh5DfYm
×必然的に愛とも無関係なのでしょうかね。
○必然的に愛とも無関係ではいられないのでしょうかね。

意味不明でスマソでした。
302うなぎ犬:03/02/20 19:00 ID:1udVDzDq
>>300 では以後「300」さんでどうでしょうか。
いろいろ書くと、いろいろあるので(意味不明)、この辺はさらりと。

>>297 その「向こう側にある」ものを、無理やりにでも「愛」と呼びたいなー、
というのが私の立場です(無理やりすぎ?)

>>300 では「what is this thing called love」愛って何でしょう?
(ジャズだと「恋とはなんでしょう」というタイトルですが)。
たぶん言葉にすると逃げていくものでしょうが、
300さんの言うとおり、関係性にかかわることでしょうね。
そして私にとっても同様に、「写真というものは、(中略)関係性を表現する一つの手段」です。
というわけで、「なぜ写真を撮る?」と訊く人がいると、
「おれは写真を撮ることと幸せになることはつながっているように思うな」等と口走ってしまっております。
(自分にとって「幸せ」=良き関係が存在すること、なので、)

でも、「関係」といってもいろいろあるわけで、
私としてはその中でも良き関係に注目したいわけです。
日常的にはそうじゃない関係のほうが圧倒的に多いから。

ちょっと頭が靄っていまして、うまくまとまりませんが。

200さんにもなにげに戻ってきてほしい今日この頃。

ほんとはタイトルに関わることにもふれるべきかとは思うが。
303一名無し:03/02/21 11:15 ID:wfObavI6
>302
いや、そういったことを私は>>1の書込みから感じましたよ。
大惨事をみて、自分の生活を考えるというあたりに共感したのが、ここで長々と書き続けてる理由です。

ところで、韓国の地下鉄火災は大変でした。犠牲者にはお悔やみを申し上げます。
このような大都市での災害って本当に怖いですね。火災ではありませんが日本でも似たような被害が何度かあったし、
そのような危機は今でも存在し続けてるますね。人口過密の大都市が抱える問題ですよね。

話はちょっと違いますが、仮に関東に大地震が発生して交通が麻痺したときに、昼間都内で働いてる自分はどうやって
家族の所に戻るのだろうかと考えると、鬱になってしまいます。平均的には30kmから50km、遠い人だと100km近い距離を通勤していて、
歩いて帰るにも、一昼夜かかる距離です。もちろん、携帯は役に立たないでしょう。
神戸の震災の場合は、それほど距離的な広がりは無かったと思うのですが、
それでも離れ離れになった家族の消息を必死で追う人たちをマスメディアで見て、胸が痛みました。
304一名無し:03/02/21 12:31 ID:wfObavI6
火災といえば、先日近所で大きな火災がありました。幸い取り壊し中の倉庫で、死傷者は出なかったのですが。
自分は何枚か写真を撮って、急いで新聞社に電話したんですが、開口一番「炎は写ってますか?」と聞かれました。
これを聞いて自分はいやになって、撮った写真を全部捨てました。

結局、商業主義の上に成り立ってるマスコミはよりショッキングで刺激的なニュースや写真を、非人間的、機械的に追い求めてるだけなんですね。
たぶん、ニュースになる事件や写真(=金になるニュース)がどういうものか、整然とマニュアル化されているんだろうな。
305うなぎ犬:03/02/21 19:57 ID:PqMLZlWB
ちょっと下の余裕がなくなってきたので、ageてみるかな。

>一名無し様 明日をも知れぬわが身ですが、それがいやだから
忘れたフリをしたくなるのですね。
でも、あのような事件があると、嫌でも思い出させられます。
言葉もないです。
>>304 撮った写真を捨てることも、時には必要と思います。
そのようにして良かったと思います。
自ら好んでセンセーショナリズムの片棒を担ぐことはないと思いますので。
(好む人も多そうだが、おれは嫌だな)

ところで、私は職場から家まで何とか歩ける距離です。
でも大きな川が途中にある(汗。
一度、職場から家まで歩いてみたほうがいいですよ。
私は以前の職場から家まで、1日かけて歩いたことがあります。
カメラを持ちながらだと距離があっても苦にならないです。
この話は、また後日。
306名無しさん脚:03/02/22 16:08 ID:4TQbvMZH
以前、仕事の関係で、新聞社・通信社のフォトライブラリーに、
ニュース写真を借りに行くためよく行っていました。
10年以上前の話です。
ある通信社では、古い写真に関してはテーマごとにアルバムに貼り付けてあって、
そこから借りたい写真の番号をメモって、貸し出しを申請するという形式でした。
最初は何にも思わなかったのですが、
アルバムをめくり写真を探しているうちに、
ここ数十年分のこの世の悲惨と栄光、
喜怒哀楽が写真の形になってその部屋にひしめいているんだな、
という思いが強くなり、圧倒され、胸がいっぱいになってしまいました。
そして、マスメディアにのるような写真は、
わざわざ自分が撮ることはないと思いました。
(やりたい人はいくらでもいる。)
ひょっとすると、そのとき以来、「小さな物語」とか
personalとかにこだわり始めたのかもしれません。
そして、このスレッドもその延長上かも。
307うなぎ犬:03/02/22 16:14 ID:4TQbvMZH
書き忘れましたが、306もうなぎ犬でした。
一名無しさんの書き込みと、以下のスレを見て、
つい昔のことを書いてしまいました。
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/camera/1045847761/l50
308うなぎ犬:03/02/25 19:08 ID:2rz+qS0O
今日たまたま仕事の関係で、ちょっと買出しに出たのですが、
通りすがりにいつも撮影してた
(仕事中でも、外出時はいつもカメラを忍ばせていく俺はばかだろうか)
銭湯と古いアパートが解体されて、更地になっていました。
このひと月ばかり、通らなかった道なのですが、
あっけなく、何もなくなっていました。
何と言うべきか。
春先に花が咲いたときの様子を撮影しようと思っていたのですが。
309名無しさん脚:03/02/26 12:17 ID:hPE7PA9Z
諸行無常の韻あり
310うなぎ犬:03/02/26 16:55 ID:FqrrjP5o
>>309
よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく止とゞまる事なし。
世の中にある人と住家と、またかくの如し。
何の意味もないかもしれないが、やはり写真を撮らねばと思う。
311一名無し:03/02/26 17:15 ID:NcHVflzi
>>308
その更地に生えた雑草などを撮るもまたをかし
312うなぎ犬:03/02/26 18:42 ID:FqrrjP5o
>311
俺が撮ったら単なる空き地写真。
喪失感(と驚き)は伝わらんだろう。
でも撮るけど。

こんなことがあると、やっぱり写真て、センチメンタルな部分があるように思う。
313うなぎ犬:03/02/28 19:52 ID:u/6hp9lQ
どうもまとまって書けないので、ちょっと困っていますが。
なんとなくハードな日々。
早川通信でも読んで寝るのが吉か。
(ハードといいつつ松屋に行く俺もどーも駄目人間ぽいのです)
314うなぎ犬:03/03/03 16:14 ID:Ai4JBuW+
日曜日に、松屋に行ってしまいました。
NNC?のブースで30.5mmの中古のUVフィルター(500円)を買ったら、
agfaのフィルム(optima)を1本100円で売ってくれた。
NNCの30.5のレンズフードを付けていたからおまけしてくれたかな。
それとオリンパストリップ用のレンズキャップ(36mm径?)を買いました。これも500円。
ごくささやかですが、幸せになりました。

315うなぎ犬:03/03/04 19:39 ID:QjS+/qUe
えー、どうにも筆が進まなくなってきました。
というのも、スレタイの事件から触発されてスレッドを立てたのですが、
現在では、そこからさらに事態が進んで、およそ八つ当たりのようなかたちで
新しい戦がおこりそうになっています。
このことにふれないでいるのも嘘くさいのですが、
かといって、このスレをどのように進めていくべきか、
分からなくなってきました。
身辺雑記的に書きつづけていくというのもあるかなとは思うのですが、
サーバーの容量を費やしてまですることとも思えません。

私の考えは、これまで延々書いてきたようなことですが、
現実にはおよそ実効性のないことでもあろうと思います。
本橋成一氏のようには生きられないので、せめて氏の写真展に足を運んだり、
本を手にすることだけしかできません。

というわけで、このまま下がるにまかせていこうかと考えております。
もしかして最後の悪あがきで、なにか駄文を連ねることがあるかもしれませんが。
316一名無し:03/03/05 11:43 ID:esR/gOFa
そうですね。今の状況では9/11よりさらに悪い事件がおこりつつあるわけで。
まあ、雑談スレとして残るならそれもまた良いかと。
317名無しさん脚:03/03/08 16:15 ID:HzyMXBlL
六月十五日日曜日 病床無聊のあまりたまたま喜多村イン〔竹かんむりに均〕庭が
『イン庭雑録』 其蜩の『翁草』につきて言へることあり。

ある日余彼奄を尋ねて例の筆談に余が著作の中にも遠慮なき事多く、
世間へ広くは出しがたきことありなどいひけるに、翁色を正して、
足下はいまだ壮年なればなほこの後著書も多かるべし。
平生の事は随分柔和にて遠慮がちなるよし。
但筆をとりてはいささかも遠慮の心を起すべからず。
遠慮して世間に憚りて実事を失ふこと多し。
翁が著す書は天子将軍の御事にてもいささか遠慮することなく実事のままに直筆に記し、
これまで親類朋友毎度諌めていかに写本なればとて世間に漏出まじきにてもなし、
いかなる忌諱の事に触れて罪を得まじきものにもあらず。
高貴の御事は遠慮し給へといへど、この一事は親類朋友の諌に従ひがたく強て申切てをれり。云々
318名無しさん脚:03/03/08 16:16 ID:HzyMXBlL
余これを読みて心中大に慚るところあり。
今年二月のころ『杏花余香』なる一編を『中央公論』に寄稿せし時、
世上これをよみしもの余が多年日誌を録しつつあるを知りて、
余が時局について如何なる意見を抱けるや、
日々如何なる事を記録しつつあるやを窺知らむとするものなきにあらざるべし。
余は万一の場合を憂慮し、一夜深更に起きて日誌中不平憤懣の文宇を切去りたり。
また外出の際には日誌を下駄箱の中にかくしたり。
今『翁草』の文をよみて慚愧すること甚し。
今日以後余の思ふところは寸毫も憚り恐るる事なくこれを筆にして後世史家の資料に供すべし。

日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗穀及び満洲侵略に始まる。
日本軍は暴支膺懲と称して支那の領土を侵略し始めしが、
長期戦争に窮し果て俄に名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用ひ出したり。
欧洲戦乱以後英軍振はざるに乗じ、日本政府は独伊の旗下に随従し南洋進出を企図するに至れるなり。
然れどもこれは無智の軍人ら及猛悪なる壮士らの企るところにして一般人民のよろこぶところに非らず。
国民一般の政府の命令に服従して南京米を喰ひて不平を言はざるは恐怖の結果なり。
麻布聯隊叛乱の状を見て恐怖せし結果なり。
忠孝を看板にし新政府の気に入るやうにして一稼なさむと焦慮するがためがなり。
元来日本人には理想なく強きものに従ひその日その日を気楽に送ることを第一となすなり。
今回の政治革新も戊辰の革命も一般の人民に取りては何らの差別もなし。
欧羅巴天地に戦争歇む暁には日本の社会状態もまた自ら変転すべし。
今日は将来を予言すべき時にあらず。
319名無しさん脚:03/03/08 16:38 ID:HzyMXBlL
芸術は、“祈らないもの”ではない。芸術もまた“祈る”。
祈って、その祈りの解釈は、受け手の各人に任されている。
仏像のくせに、円空仏は、ちっとも仏教を感じさせない。
だから、「仏像ではない、芸術だ」と思う。「
それでかまわない」と受け手の私が思うのは、既に見る我々の中に、
“祈る”という各人それぞれの“信仰”があるからである。
円空のいた時代、既に宗教は「社会のもの」になっていた。
その宗教の中にいて、そこから抜け出た円空は、
「祈りを必要とする個人の神=芸術」となったのである。
320名無しさん脚:03/03/10 15:13 ID:BF4Ko+hT
>>317 断腸亭日乗 昭和16年
>>319 橋本治「ひらがな日本美術史4」
321名無しさん脚:03/03/11 15:41 ID:v1L8j1Dc
第4章 正義なき王国は大盗賊団である

 こういうわけであるから、正義が欠けていれば、
王国は大盗賊団以外の何であるか。
というのは、盗賊団も小さな王国以外の何であるか。
盗賊団も人間の小集団であって、親分の命令によって支配され、
仲間同士の協定にしばられ、
分捕品は一定の原則にしたがって分けられるのである。
もしこの悪〔人の集団〕がならず者の加入によって大きくなり、場所を確保し、
居所を定め、都市を占領し、諸民族を服従させるようになると、
いっそう歴然と王国という名称を獲得することになる。
この王国という名称は欲望を取り去ることによってではなく、
罰を受けないことが度重なることによって、
いまや公然と〔世の中に〕認められるのである。
事実アレクサンドロス大王に捕えられたある海賊は、
大王に対して優雅にかつ真実に、次のように答えたのである。
すなわち、王がこの男に向かって、
どういう了見でお前は海を荒らしまわっているのかと尋ねたところ、
その男は何らはばかることなく次のように豪語した、
「あなたが全世界を荒らしまわっているのと同じ了見です。
わたしはそれをちっぽけな船舶でしているから海賊と呼ばれているのですが、
あなたは大艦隊でやっているから、皇帝と呼ばれているのです」と。

アウグスティヌス
322名無しさん脚:03/03/12 10:29 ID:CntBLvHW
>321
面白い話ですね。原典はアウグスチヌスの何でしょう?

果たして、「正義」を標榜するアメリカに正義はあるのだろうか。
323名無しさん脚:03/03/12 10:39 ID:CntBLvHW
てゆうか、正義ってなんだろう?
イスラム原理の正義、資本主義の正義、共産主義の正義...

哲学板の話題かな?
324名無しさん脚:03/03/12 12:28 ID:OFP0qgB+
アウグスティヌス「神の国」
325名無しさん脚:03/03/12 13:05 ID:puPW4Q2z
>324
レスアリ
326322:03/03/12 13:07 ID:puPW4Q2z
↑しまった。ID変わってた。
327名無しさん脚:03/03/13 00:30 ID:+zIvQQId
>>323 Philosophy is Everybody's Business.
328名無しさん脚:03/03/13 12:06 ID:+zIvQQId
昨日は、同衾者になったり、K氏への擁護(擁護になったのか?)をしたり、
あちこち書き散らしたな。一種の躁状態かもしれぬ。
春が近いからか?

東京は、今日、写真日和。
329名無しさん脚:03/03/13 13:13 ID:RHvKgb9y
K氏スレについて、自分は徹底放置がいいと思うんですが、どうよ?
330名無しさん脚:03/03/13 13:19 ID:+zIvQQId
↑そのとおりなんだけど、BBSからの連続コピペを見たら、
なんか、おさまらなくなってしまった。
反省しております。
331名無しさん脚:03/03/13 13:22 ID:+zIvQQId
ちなみに今、いちばん下におりますな。
もうじき、お別れかも。これまでかまってくれてありがとう。
332名無しさん脚:03/03/13 13:35 ID:RHvKgb9y
いや、このままdat落ちは寂しい。
333名無しさん脚:03/03/13 16:41 ID:pFzTZVyD
334333:03/03/13 17:00 ID:pFzTZVyD
心がすさんだ時に読むスレ。
http://book.2ch.net/test/read.cgi/ehon/1027438467/

続きが待ち遠しい、今日このごろ。
335名無しさん脚:03/03/13 17:43 ID:+zIvQQId
>>333 「窓の上から小便 我らが神と呼ぶ」
あと忘れた。ダモ鈴木かっこいい。
336名無しさん脚:03/03/13 17:45 ID:+zIvQQId
>>334 読みますた。サダキヨの行く末が心配じゃ。
337名無しさん脚:03/03/13 18:11 ID:+zIvQQId
今35あたりにあるけれど、なんか見慣れない位置で不気味。

今日までと思いさだめしこのすれも
不思議に命ながらえて
もったいなさと かたじけなさに
心ふるわせ 身をふるわせて
こぼるる涙 かわくまもなし
338名無しさん脚:03/03/13 18:11 ID:+zIvQQId
反歌
なにびとの ageてくれたか しらねども かたじけなさに なみだこぼるる

RHvKgb9y、pFzTZVyD ありがとう
339名無しさん脚:03/03/14 11:32 ID:nwadppw2
周知の常連ですよ。
340名無しさん脚:03/03/14 11:55 ID:JLRJ8x05
↑ それはそう思ってたんですが、
歌というものは現実をそのままなぞればいいというわけではないので。
まぁ、創作というのはそんなところがあるのかもしれません。

ちなみに本歌は西行でし。これをパクりたいので、つい知らない人ということにしてしまいました。

なにもののおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こ ぼるる
341333:03/03/14 12:06 ID:FP7VT8XP
西行なら、これが好き。

ねがわくば さくらのころに 春しなむ その如月の 望月のころ

同じく、周知の常連より。
342名無しさん脚:03/03/14 12:48 ID:nwadppw2
詫び寂びがきいてますね。

サダキヨーーーーーー!
343名無しさん脚:03/03/16 17:23 ID:AbikBKjU
なかなか西行のようには生きられない(死ねない)わけで、
でも、誰もそうできないのに、一種の理想なのはよく分かるような
ちょっと不思議なような。
社会の大多数=社会の真実(に求める姿)とは違うということか。
344名無しさん脚:03/03/19 20:51 ID:sQemg+o+
人の命は常に目的であって、手段ではない。
彼は、自国民とこれから攻め込もうとする国の人の命を手段として、
自らの的外れな復讐心を満たそうとする。
しかし、それは彼が激しく憎む、
自分の命と乗り合わせた人の命を手段としてビルに激突した者とまったくかわりはない。

それとも、彼の愛する神(旧約聖書的な「許さぬ神」)への供物として
他人の命をさしだすつもりなのか。

このまま砂嵐が続き、戦がおこらぬことを祈る。
345名無しさん脚:03/03/20 11:29 ID:wvz1fUKr
>>323で書いた正義について考えていたんだけど、
現代の状況の中で、国際社会における正義とは「戦わないこと」に行き着くんじゃないかと。
「イスラム原理」や「資本主義」、「社会主義」「自由主義」といったものは、特定の集団における
共通の価値観であってもその主義主張や価値観の違い、利害の対立が争いを生み戦争をまねく。
「戦争」と「軍隊」の永久放棄を謳った日本の憲法はたとえそれが、アメリカの押し付けであり、
実態を伴わなわない理念であっても、その理念と憲法は大切にしたいと思うわけです。

せめて、殺伐とした国際社会の中で日本だけでも戦争、軍隊、核兵器を永久放棄してその立場を明確にして欲しいと。
これは、むしろ祈りです。
346名無しさん脚:03/03/20 12:51 ID:wvz1fUKr
ニュー速はお祭りになってますが、ついに攻撃を開始してしまいましたね。
今回は、国際法、国連、世論、フランスとドイツ他を無視したアメリカに正義はありません。
9/11から、1年ちょっとでこんなことになってしまうのですね。
アメリカ政府は狂気に囚われているとしか言いようがありません。
せめて、この狂気が60年前のように広がっていかないことを祈りましょう。
347名無しさん脚:03/03/20 13:01 ID:hmvibPui
せめて早くいくさが終わるように。
流れる血ができるだけ少ないように。
子供とその親が死なぬように。
祈ることしか出来ません。
348名無しさん脚:03/03/21 10:41 ID:jCsCQgLS
ブッシュ及びその側近の言動を見るにつけ、
「狂気」「正義」「ならずもの」「悪」「枢軸」等の
政治家ではなく狂信者のような言葉が踊っていることに、
気が滅入る。
ここ、しばらくブッシュ政権と「キリスト教原理主義」または「新保守派」の
結びつきを指摘する報道を多く見たのだけれど、それを裏打ちするように思えてならない。
テロリストというのは、ブッシュなのではないかと、やはり思う。

広島の被爆者のコメント
「どんな理由でも戦争をするのに正しい理由なんてありません。」

このコメントが強く胸に響く。
累々たる死体や、荒涼たる廃墟を目前にして、
「正義の為の戦争」「平和を守る戦い」などとのたまうのは
あまりにも想像力が欠如しているのではないかと思う。
破壊の拡大再生産の輪を止める手立てはないものだろうか。

政治的権力を持たない一般人にできることは、破壊の無惨さを目をそらさず、
見続け、心に留めておくこと、それによりその先の破壊を拒絶できるだけの嫌悪感を溜めておくことだけなのだろうか。
俺はとてつもなく、無力である。と感じざるを得ない。
349名無しさん脚:03/03/26 12:17 ID:r79/cJaT
だけど、マスコミの報道姿勢って本当にひどいね。
第2次大戦の大本営発表と変わらない。

日本の平和って細い糸の上で微妙にバランスしてるだけだなって思う。
北朝鮮が軍事行動を起したらどうなるんだろ。
北朝鮮が核を使用したらどうなるんだろ。(有効射程は多分東京あたりまで。)
アメリカが日本に核武装を要求してきたらどうなるんだろ。

そのとき、マスコミは何を報道するんだろ。
350名無しさん脚:03/03/27 16:15 ID:N3wkENc3
351名無しさん脚:03/03/27 19:50 ID:RSJg8Phd
これは自分の気持ちとほぼ同じだな。

「子どもが生まれ,育っていく日々,私は大きな喜びと共に,
いいしれぬ不安を感じることがありました。
自分の腕の中の小さな生命は,
誰かから預けられた大切な宝のように思われ,
私はその頃,子どもの生命に対する畏敬と,
子どもの生命を預かる責任に対する恐れとを,
同時に抱いていたのだと思います。
子どもたちが生きていく世界が,
どうか平和なものであってほしいと心の底から祈りながら,
世界の不穏な出来事のいずれもが,身近なものに感じられてなりませんでした。

生まれて何も知らぬ 吾が子の頬に/母よ 絶望の涙を落とすな/
その頬は赤く小さく/今はただ一つの巴旦杏(はたんきょう)にすぎなくとも/
いつ 人類のための戦いに/燃えて輝かないということがあろう…」

この人は、じつは只者ではないのかもしれん。
物議をかもすかもしれんが、敢えて。
ttp://www.kunaicho.go.jp/okotoba/50ibby.html

流れる血ができるだけ少ないように。
子供とその親が死なぬように。
やっぱり今でも祈りつづけます。

352名無しさん脚:03/03/28 17:09 ID:U7ApMMHx
↑うーん、何というか。
さすがに、日本の母と呼ばれるお方なんでしょうかね。
正田家から嫁いだ後にだいぶご苦労なされたとも聞き及びます。
353名無しさん脚:03/04/02 21:18 ID:KuZqQiUh
なかなか終わらない。むしろ激しくなるばかり。
桜を見てもなんとはなしに気が晴れぬ。

遠く離れたところのことだから関係ないといえば、それはそうなのだが、
どうしたわけか、そう言い切れない。
不思議な時代に生きているんだな。
354名無しさん脚:03/04/03 17:48 ID:qlUaakfv
355名無しさん脚:03/04/03 18:16 ID:7Y/33U9k
↑どうもありがとう。いろいろ書きたいが、ちょっとまとまらぬ。
以前は、sageるにまかせる気持ちもあったが、
戦争が終わるまでは、スレを続けたい気持ちになってきた。
しかし、何を書けるのか、どう書くべきか、惑う気持ちばかりだ。
356名無しさん脚:03/04/04 15:32 ID:AYEJkNzD
ニール・ヤングのコメント
http://tv3.2ch.net/test/read.cgi/musice/1043707660/185
357名無しさん脚:03/04/07 15:45 ID:bHE4aY/j
宮内勝典氏「海亀日記」第13章 April 4,2003
ttp://pws.prserv.net/umigame/diary13.htm
ほぼ語るべきことが言い尽くされているように思う。

みほとけの なみだににたる あまちゃかな
358名無しさん脚:03/04/10 18:45 ID:Fzp4hHS9
世の中とは無関係に、子供が稚児行列に参加したり(↑の駄句はそのときのもの)
幼稚園に入園したりで、日が過ぎていった。
ちなみに入園式の集合写真撮影では、マミヤプレスを使っていた。

個人的には静かな日々だが。

新聞でみた、被爆し腕を無くした子にも、はやく落ち着いた日が来ることを願う。
そのためにできることはなんだろうか?
359名無しさん脚:03/04/10 18:57 ID:Fzp4hHS9
↑念のため再度キャプションを見たら、少年は両腕を無くしていたのだった。
あの写真を見るのがつらいので、すぐ目をそらしたせいで、間違えてしまったのだった。

それにしても、言論を武力で封殺しようとするとは、いったいどういうことだろうか。
驕りのあまり、秦の始皇帝同様、これから3代もたずに、彼らは滅びるのではないか。
360名無しさん脚:03/04/11 11:27 ID:2y6HYcGd
アメリカは今、世界で一番危険な国だと思う
361名無しさん脚:03/04/13 21:46 ID:5s6cx7lg
海亀日記に掲載されているURLの写真は凄まじかった。
「正義のための戦争」などと言っている連中に見せてやりたい。
362vulva:03/04/13 21:47 ID:cIrpQodx
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こんなのイママデなかったゼ!!!
363名無しさん脚:03/04/14 13:24 ID:thtAt9bM
貼っておいて申し訳ないのだが、まだ>361の写真は見ていない。
見たら最後、頭にこびりついて、忘れられなくなるのが怖いから。
はずかしいことだが、見る勇気がない。
364山崎渉:03/04/17 10:00 ID:WQJmzeiw
(^^)
365山崎渉:03/04/20 05:13 ID:nYUxRWhD
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
366うなぎ犬:03/04/23 20:10 ID:ncn50tn+
やっと、361の写真を見た。なんと言っていいのかわからない。
戦争が終わりかけ、でも自分にはどうせ何も出来ないという気持ちを持ちながらも
このまま何事もなかったように忘れてしまいそうな(忘れてしまいたい)自分がいた。
でも、改めて目がさめた。

やはり何とかせねばならんとは思うが、どうすればいいのかわからない。
ただ、ヒントになるのではないかと思うことがあるので、
これからまた書き継いでいきたいと思う。

というわけで、やはり名前を出していこう。
せめて、自分が考えていることをはっきりと示しておきたいから。

おれもしつこいか?
でも、過疎板のなかに一人くらいこんなのがいても良かろう。
367名無しさん脚:03/04/23 22:57 ID:vJbouFSM
( °∀°)
368うなぎ犬:03/04/24 18:00 ID:SOBFB6VG
NPO等で活動しているある医師が、9/11の事件について語っていたのだが、
医者の立場からすると、ある問題が起こった場合(=病気になった場合)、
急性期の治療と、慢性期に対する処置に分けて考えるという。
まずは、患者の、例えば発熱をおさまらせるように手を打ち、
その症状をおこした原因を解決するという手順をとるという。
9/11の場合には、直接テロを引き起こした原因に対する対応と、
そのテロを生みだした遠因・環境等の解決をしなければならない。
武力でテロを全部なくすことは無理であり、テロの芽を減らすという発想しかない。
それには、1日2ドルで暮らす貧困ラインの人々が、普通の生活が送れるようになれば、
あえてテロを起こそうといものはそうそうでてこない、と言っていた。
もっともなことだと思う。
その処方箋についても語っていたが、ここでそれにふれるとわき道にそれすぎるので
ここではふれずに済ましてしまおう。

これを自分にひきあてて考えてみると、
急性の症状については、満足なことは出来ない。
でも、長期的なことについてはなんかできそうにも思う。
といっても微々たることだけれども。

話が長くなりそうだが、書き終わる前にdat落ちするかもしれんな。
そのときはそのときだ。
369うなぎ犬:03/04/25 17:34 ID:06zndhPH
どうもまとまって書く時間がないのだが。ひと言だけ。
力が正義ならこの世は闇だ。
370名無しさん脚:03/04/25 22:58 ID:ooPD3OCi
_
|プノレ―フ
371名無しさん脚:03/04/27 02:08 ID:GuMFOA6s
>>369
同意なのでage

372うなぎ犬:03/04/28 16:46 ID:XNBgAhVh
ageてくれてありがとう。
373うなぎ犬:03/05/08 18:22 ID:uBPGVKBB
久しぶりですが、
>>283 で書いたことを取り上げた映画「フェアリ−テイル」
どうやら、昨日の夜やっていたようです。
見逃してしまった。残念。
374うなぎ犬:03/05/10 09:34 ID:MbmKPcR5
しばらく、じっくり考える暇がなさそうなので、以下走り書きで。
>>368の続きを書いてみると、
即効性のある、救急時のことは自分には出来そうもない。
機会があれば、何らかのかたちでお金や衣類を寄付したりという程度。
(これはなんか妻が熱心なので、それにおまかせというかんじです)

長期的なことに関しては、先述の医師はシステムの変革が必要だといっていたが、
おれはそれについては疑問だった。

この辺は話すと長いが、以前書いたようにロシア・フォルマリズムの考え方に
影響を受けている。
つまり、ロシア革命の後、システムはたしかに変わったが、
人の考え方はなにも変わらなかった、という考え方だ。
その結果は、見てのとおり。
その崩壊は1920年代に予言されていたといってもいいのだが、話がずれた。

おれの考え方は、システムを変えても、人の考え方が変わらないと意味がないという立場だ。
人の考え方を変える力を持つのはなんだろうか。
それは例えば言葉の力であり、また芸術の力だと思っている。
(もちろん、ほかにもいろいろある)

続く。
375うなぎ犬:03/05/10 09:39 ID:MbmKPcR5
言葉の力というのは偉大だが、それはある場合、
悪しきロジックに絡めとられる場合もあるように思う。
また、そもそもその言葉(言語)を知らないと伝わりにくい。

写真は見て分かるものであり、
現実に係わることによってはじめて成立するものであり
(被写体が存在しているから撮影できるという意味)、
複製が可能であり、
そして、技術的にも一般の人にも開かれている。
(ある程度、だれでも撮影可能)

その力を使って、じんわりと人の考え方を変えていくことができるように思う。
では、どう変えるか(戦中の国策雑誌「FRONT」のように用いることも可能だ)。
おれは、ふだんの生活のかけがえのなさを伝えるようなものがいいと思う。
そして、心静かに暮らせることがどれだけ大切で、守る価値があるということを
伝えていければいいように思う。
だから(といってしまっていいのか?)
桑原甲子雄や牛腸茂雄らが好きなのかもしれない。

それらは、すぐには大きな影響を与えないかもしれないが、
長く生きのびて、じわりと人の心にとどくように思っている。
そこから、おのずとシステムが変わるようになれば、
それが一番いいと思うのだが。

別におれは政治的にものを考えるタイプではないので
生温いかもしれんが。
376うなぎ犬:03/05/16 19:41 ID:tSv6KiXc
今日は時間があったので、恵比寿の写真美術館で
川田喜久治展を見てきた。
「地図」をプリントで見たが、やはり凄かった。
ショックを受けたせいか、お腹にきて、トイレに何度も行った。

生温い俺には撮れない写真であるが、
写真の持つ力をまざまざと感じさせられた。
とくに原爆ドームや要塞跡の壁のしみの写真からあふれ出る
不思議な毒気にやられてしまった。
会期が残り少ないので、ぜひ行ってきたらどうだろう。
377うなぎ犬:03/05/16 19:45 ID:tSv6KiXc
で、同時開催のアラーキーの花を見てきた。
何度か見ているのもあるので、川田氏ほどのショックはなかったが、
やっぱり、いろいろ感じ、考えたよ。

さまざまのことおもいだすさくらかな、という歌があるけど、
アラーキーの場合、こぶしがそうなのかな。
378うなぎ犬:03/05/16 20:54 ID:tSv6KiXc
追記
昨日、古本屋でJosef sudekの写真集(イタリア版)を
衝動買いしてしまった。
写真を撮っていないので、その反動か?
379うなぎ犬:03/05/19 15:19 ID:Nhf3xcgv
ここのところ、NHKの深夜番組で、ジャズの歴史をやってました。
ついつい見てしまって、夜更かし気味でした。
で、パーカーの偉大さがやっと分かったり。

ところで土曜日には「4人の巨人たち」というタイトルで、
ロリンズ、マイルス、コルトレーンを取り上げていました。
その4人目は、なんとコールマンで、うれしくなってしまいました。
わたしはどうしたわけか、コールマンのハーモロディック理論のバンドが好きで、
dancing in your headとかの白痴路線をむしょうに聴きたくなるときがあります。
で、昨日、今日と、「of human feelings」を聴いていました。
K氏がまだここを見ていたら、聴いてみてほしいです。

いろいろあって子どもの日常写真しか撮影していませんが、
最近、写真集を買う運があるらしく、昨日は濱谷浩「日本列島」
(1964年、平凡社)を300円で見つけてすかさず買いました。
けっこう美品です。
古本屋のオヤジに「いいの見っけたね」と褒められたりして。
とりあえず平凡な日々が続く毎日。
380名無しさん脚:03/05/19 15:47 ID:4LYFtVdL
コールマンいいね。漏れも好き。
実はハーモロディック理論でたらめ奏法は
今の先端トンガリポップにかなり影響してる。
ザッパは理論的な影響受けたのかな?
381うなぎ犬:03/05/19 16:16 ID:Nhf3xcgv
ザッパとコールマンの関係は家に帰って調べてみます。
経典持ってるし(大山甲日先生の)
ザッパは、どちらかというとサン・ラの影響を感じます。
(あてずっぽ)
たしかなのは、ローランド・カークの影響を受けていること。
競演したという噂もあるが、音がない。
ちなみにカークは「ボランティアード・スレイバリー」が名盤です。
サックスを3本咥えて吹くというプレイが聴ける。
ちなみにこのレコードのコルトレーンメドレーは秀逸。
それ以外にもところどころ「至上の愛」のテーマが出てきたりね。
なんか写真の話が出てこないな。
382名無しさん脚:03/05/21 00:07 ID:MK0sH/In
ザッパとコールマンの関係ですが、
「経典」が見つからなかったので、
(そういえば、zappa voxはあったな)
webでみたら、ttp://www.ejn.it/mus/coleman.htmに
「ZAPPAがコールマンに大きな影響を受けた」とあったが、
詳細は不明でした。
写真に関係ないですな。
383山崎渉:03/05/22 00:54 ID:hIDMGps3
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
384うなぎ犬:03/05/23 18:01 ID:8pd3KVQo
最近はzappaスレで遊んでいました。

ところで、朝カメか日本カメラを見ていたら、
誰かが「写真は終わった」とか「死んだ」とか書いていたようだが、
なんか、ある種の既視感がありますな。
つまり、ジョニー・ロットンの「ロックは死んだ」というやつです。

「写真は終わった」といわれだしたのはいつ頃からなのでしょうか。
でも、別にロックは死んでもいないし、
写真も別に無意味になったわけでもない。

そこでちょっと考えたことがありますので、
これからぼちぼち書いていきます。

しかし、いい陽気になってきました。
日曜日は子どもの運動会です。
EOS-RT+SIGMA90/2.8という清貧セットで
心豊かに撮影してきます。
なんか別スレの話題だな、これ。
385名無しさん脚:03/05/23 18:06 ID:BhQTAriy
うちは運動会、明日でつ
EOS1Nに100-400Lスタンバって萌え萌えでつ。

ZAPPAすれって洋楽板でつか?
386うなぎ犬:03/05/23 18:15 ID:8pd3KVQo
>EOS1Nに100-400L おー、ゴージャスな組み合わせですな〜。
手ぶれ補正付きでしたっけ?
ところで、運動会の場合、望遠は400くらいないと厳しいもんでしょうか。
親になってまだ若葉マークなんで、まだ場慣れしていないもんでして。

>zappaは洋楽板です
387名無しさん脚:03/05/23 18:23 ID:BhQTAriy
アリ
洋楽で探してみます。

運動会!
それは、かわいい我が子の晴れ舞台。
ゴールの決定的瞬間を逃すわけにはいかない!
なんたって、うちの子が一番!
てなわけで(わ

場所取り争いは亀板の祭りより激しいと心してくだちい。
388うなぎ犬:03/05/23 18:30 ID:8pd3KVQo
弱気な駄目親としては、場所とリ自信がないです。
うーん、フォトスナイパーでも探そうかな。
ttp://www.mediajoy.com/cla_came/fotosnaipar/
389名無しさん脚:03/05/23 18:43 ID:BhQTAriy
プッ
ZENITってところが笑いを誘いまつね。
390名無しさん脚:03/05/23 18:54 ID:BhQTAriy
帰りにフィルムを買ってくので、落ちます
健闘を祈る。
391うなぎ犬:03/05/24 11:17 ID:PMK721N3
↑今日が運動会ということですが、全国的に見ても
雨が降っている地域はあまりないようです。
いい写真が撮れるといいですね。
私からもご健闘をお祈りします。
392うなぎ犬:03/05/24 11:22 ID:PMK721N3
以前、名前を出したことのある宮内勝典氏の文章について、
転送OKと書いてありました。転載OKとは書いてありませんが、
リンクを貼りました。
ttp://pws.prserv.net/umigame/diary14.htmの
「May 23,2003」です。
393うなぎ犬:03/05/24 13:08 ID:PMK721N3
今日は、やたら書いているが。

どうやら川田喜久治氏の写真集買い損ねたようだ。
電話で聞いたらもうないとのこと。残念でたまらん。
唯一手が届く価格だったのに。
名前を出すと古書の値段が上がるので書かないが、悔しい〜。
394山崎渉:03/05/28 15:38 ID:Za0R9qDw
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
395うなぎ犬:03/05/29 15:09 ID:hwoZPD11
運動会の写真ですが、なんかうまく撮れていなさそうな予感。
90ミリでは遠すぎた。
しかも、ビデオも同時に撮影。
おまけに先に行った妻を見つけるのに一苦労。
駄目父なんで、我が子よ、すいません。
396名無しさん脚:03/05/30 13:09 ID:QcmvPN+x
おいらも経験しますた。いまでは、ビデオはお母さんまかせ。
まだ、来年もありまつ。

イイの撮れてたら、うpしましょうかね。
397うなぎ犬:03/05/30 15:30 ID:tYnn3SMR
うpしてくれるとありがたいですが、
家族写真を不特定多数にさらすのは、ちょっとアレではないですかね?
私は最近、家族写真でしか、良いと思えるのが撮れませんが、
それを公開するのははばかられます。

関係ないけど、昨日は何故か某メーカースレで、某社宣伝部の方?と大論争。
けっこう使ってきたメーカーなんで、ある種の思い入れがあるのだが。
反省子弟松。
398333:03/05/30 16:58 ID:aQ1GhcY3
御無沙汰してますが。
川田喜久治氏土曜日に見てきました。
なんとも凄い写真でした。
氏のプリントを見るのは3度目で、
「地図」も写真美術館の図書室で見てたし、
岩波の「川田喜久治」も持ってるし、「世界劇場」も持ってますが、
やはり、これは凄いと。思わず、場内を2周してしまったり。
なんというか、あのざらざらした肌触りと独特の構図、
トーンは比べる相手がいないなと思う。
しかし、なんだろうあの業の深さはと思うのだが、
以前、氏と数分ほどお話させて頂く機会があったが、
とてもあの業の深い写真を撮る人とは思えない物腰の柔らかい人
であった印象だったことを思い起こすと、これまた興味深いなと。

ときに、コールマンはちょっと苦手ですね。
グレイトフル・デットのジェリー・ガルシアとの
セッションがあるとかで、それはちょっと聞いてみたいと
思ってるんですが、タイトル失念。。
399おそまつ君:03/05/30 17:33 ID:tYnn3SMR
お久しぶりです。

氏の写真は、なんというか、言葉を失いますね。
あのプリントは、かなり大きく引き伸ばされていましたが、
なんともいえぬ独特のよさがありました。
機材(広角が多いようですね)とかフィルムも気になりました。
「地図」か「ラスト・コスモロジー」のプリントは、
いつか自分のものにしたいです(野望)。
でも、家にあると、弱気なのでうなされそうな気もする…。
とくに「壁のしみ」は子どもには見せられない(たぶん夜泣きする)。

それと、川田氏とお話したことがあるとはうらやましいというか、
何を話したらいいのだろうかというか。
それにしても「世界劇場」お持ちですか。私には手が出ませんでした。
「ラストコスモロジー」は買い逃しました。
そのときは、0.2秒ほど絶望して死にたくなりましたが、
すぐにカラ元気を出して、忘れたフリをしました。

ところで、コールマンとガルシアが共演しているのはVirgin Beautyです。
これは、なんかまとまりすぎていて、あんまり聴いていません。
最近はコールマン熱が下がって、またザッパに戻りました。
400名無しさん脚:03/05/30 17:42 ID:QcmvPN+x
>398 お帰りなさい

>グレイトフル・デットのジェリー・ガルシア
なんか、凄い組合せでつね。

コールマンの演奏はとっつき難いものがありますが、1996年ごろのharmolodicあたりが入りやすいかも。
60年代の演奏はリズムさえも否定したいわゆるフリーですが、コールマンが切り拓いた理論は
フュージョン、ロックからポップにも影響を与えていて、今ではリズムに乗せて「かっこいい」フレーズとして
使われてると思いまつ。
このあたり、コルトレーンの仕事と似てるかも。
401うなぎ犬:03/05/30 17:48 ID:tYnn3SMR
400いただきます。
えー、399はわたくしですが、別スレの名前で書いてしまいました。
えー、ばればれでしたかね。
釈明しますと、わりと真面目な話題については「うなぎ犬」で一貫しています。
「うなぎ犬」でなければならないと思うとき以外は、まぁ場当たり的かな。
ちょっとあせっております。
402名無しさん脚:03/05/30 17:56 ID:QcmvPN+x
つか、お互いに名無しでもわかっちゃうのは
なんでだろー (藁
403うなぎ犬:03/05/30 17:57 ID:tYnn3SMR
しかも400とられてた。(恥

>400 コールマンとコルトレーンの位置付け・役割はあまり考えたことがありませんでした。
単純ですが、私の場合、電化サウンドと生楽器という枠組みがけっこう強いので。
ところで、コルトレーンも最後にはどんどんフリー化していきますが、
コールマンの白痴路線とは全然違うのが、面白いですね。
404名無しさん脚:03/05/30 17:57 ID:QcmvPN+x
>401
400は謹んで「名無し」がいただきました。
405うなぎ犬:03/05/30 18:04 ID:tYnn3SMR
つーことで、また、ぼちぼちやっていきますか。
しかし、まさか400超える日が来るとは思いませんでした。
406名無しさん脚:03/05/30 18:11 ID:QcmvPN+x
>403
コールマンやザッパが白痴のでたらめだとしたら、
コルトレーンはさしずめ考えすぎで鬱になったでたらめかな?

音階をどんどん分解していって、最後に無音階、無調にたどり着いたとき
2人の性格の差が音楽に表れたってことでしょうかね。
コールマンの理論的な後継者、ちょっと名前を度忘れしますた。思い出したら書きます。
407名無しさん脚:03/05/30 18:14 ID:QcmvPN+x
あ、ごめんなさい。川田喜久治の話でしたよね。
あまり、見た事が無いので消えます。 スマソ
408名無しさん脚:03/05/30 18:17 ID:tYnn3SMR
>406
そんなに露骨に、でたらめといわれたらつらいです(笑泣。
そして、性格の差が寿命の差につながったかも。

聴いたことがない人のために、いちおうフォローしますと、
ザッパもコールマンも、非常に精緻な音楽といえますが、
全体としては、白痴パワーに満ち溢れた素晴らしい音楽です。
これじゃ、フォローにならんか。
409333:03/05/30 18:21 ID:aQ1GhcY3
でたらめといえば、ビーフハート。
と逝ってみるテスト。
410うなぎ犬:03/05/30 18:22 ID:tYnn3SMR
いまTX-2のすれに行ってきたので、また名無しになってしまった。

財布の金は尽きるとも 世に物欲のたねは尽きまじ
411うなぎ犬:03/05/30 18:24 ID:tYnn3SMR
ビーフハートは、まさしく逝きすぎていて、ちょっと駄目だった。
けど、ビートクラブとかいうビデオをでみたビーフハートはかこよかった。
バンドは、マザーズとメンツがかぶっていたような記憶。
412名無しさん脚:03/06/02 10:22 ID:jBE183tC
>408
いや、そんなつもりででたらめと言っタモリじゃなくて...

写真に興味ない人が大道を見てもでたらめに見えるんじゃなかろうかと...
ところで、でたらめさ加減でお勧めの写真家は?
413名無しさん脚:03/06/02 11:36 ID:Ss1tLTp/
>409
ところで、最近写真板に貼ってます?

運動会のファミリー写真で申し訳ありませんが、400mmだとこのくらい寄れるよ、
と言うことで
ttp://www.photosmile.jp/bbs/cb3.cgi?1054521075#1054521075
写真屋さんのとこ借りますた。
414名無しさん脚:03/06/02 13:52 ID:fk7SdBh7
えー、見せていただきました。
後姿に応援している声が聞こえるような写真でした。
子を思う親の気持ちが伝わるというか。
写真屋さんの写真もじんわりといい写真でした。
やっぱし、家族写真はいいものです。

ところで、400ミリはけっこう寄れますね。
ブレもないかんじですが、フィルム感度、三脚の使用
その他の、諸条件もご教授きぼん。
夏のボーナスで、買いたいかも。
でも自分に負けて、広角レンズ買ってしまいそうな気も…。
415名無しさん脚:03/06/02 14:46 ID:Ss1tLTp/
お目汚しで恐縮です。誉め殺しとも...(汁
本当は表情の写ってるのが王道なんですが、それはまあ、アルバムに貼っときまつ。
あと、色見やコントラストがおかしいのはスキャン環境が劣悪なので、と言い訳させてください。

レソズはキャノの100-400IS付きです。ブレてないのは機材のおかげ。
フジスーペリア400 F5.6開放 1/750 一脚使用
距離は8m位だったかな?
これで、ブレてたら鬱氏でつ。(藁

運動会専用と割り切れば、300mm位までの普及ズームでもいけると思いまつ。

写真屋さんのは多分、トラック脇の至近距離から35mm位と推測。
ひょっとしたらデジカメ?
うまく、ポジションが取れれば広角で、全体の雰囲気も取り込めるんでつね。
416名無しさん脚:03/06/02 14:52 ID:Ss1tLTp/
も一回良く見たら、写真屋さんのは中望遠くらいでつね。(恥
深度が深めで後ろのお母さんたちの表情がイイので、錯覚をおこしてしまいますた。
417うなぎ犬:03/06/02 15:48 ID:fk7SdBh7
やっぱし、一脚は必須のようですね。
50ミリで、1/250でもときどきぶれるので、
ASA800くらいで次回は800のフィルムを使うかも。
> 運動会専用と割り切れば、300mm位までの普及ズーム
とりあえずは、これを調達しようと思います。

子どもの目からすると、後ろに写りこんでいる友達や
ご父母も大事なようです。
それにしても、家庭写真の場合、クライアント(妻、子、時には祖父母)の注文多すぎ。
418333:03/06/02 20:03 ID:NdqZC92R
ここんとこ多忙でして。貼り板にはたまに貼ってますが月イチくらいですかね。ていうかまだ会社にいるんですが、今日は遅くなりそうなヨカーン。。。。

運動会の写真よいですね。名無しさんのやる気が伝わってきまつ。
やはり、被写体への興味が強いほどに写真の成功率は上がるような気がします。

ビーフハートは逝きすぎでつか。。
つうか、いきなり通好みなコレ↓とか逝きませんですたか?
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000005JA8/ref=pd_sbs_m_1/002-3881500-8484031?v=glance&s=music

入門としては、このあたりがお勧めでつ。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000008DZV/qid=1054551608/sr=1-33/ref=sr_1_33/002-3881500-8484031?v=glance&s=music
もしくは、
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000005JB4/ref=pd_sim_music_1/002-3881500-8484031?v=glance&s=music

あ、いや、ビーフハート大好きなもんでちょっと必死になってしまいますた。
419うなぎ犬:03/06/02 23:54 ID:fk7SdBh7
私も今日は遅いです。

ところで、>>418は、ずばり賞を差し上げます。
最初に聞いたのは、牛心隊長は「トラウトマスク」で、ちょっと引きました。
以来引きつづけてます。
えー、機会があれば、お勧めの2枚逝ってみます。
でもフジロックも行きたいし、先立つものがちょっときびしそう…。

それと、>>412のでたらめ写真家ですが、考えると難しい。
今日のところは考え中です。
420名無しさん脚:03/06/03 12:59 ID:BLl9PPq9
>418
お恥ずかしい限りです。まあ、本来人様にお見せするような写真じゃないですが、
スレの流れで、つい勢いに乗って恥を晒しますた。

たまに、写真板で??と思う写真を見かけるので聞いてみたんですが、あの人の写真じゃないかな?と思うことがあるもんですから。
見た瞬間にこれは、と感じる個性がありますよね。

ビーフハートは聞いたことが無いので、今度聞いてみまつ。
421333:03/06/03 18:22 ID:0I9JBOut
フジロックのサイト見てきますた。
すんげぇメンツですな。。でも苗場って。。。
とりあえず、イギー・ポップ見たい。。ROVOも見たい。。
ベン・ハーパーも。。。うう。。
でも、この日程って休日出勤してそうなヨカーン。

>>420
恥ってことはないですよ。
家族愛の感じられるいい写真ですた。

で、お尋ねの件ですが、たぶん、当りだと思います。
でも、あんまり誉められると恥ずかしくなるので、
そのへんにしといてください(W

>>412のでたらめ写真家って。。
ある意味、荒木の守備範囲の広さもでたらめと言えそうですが、
そういうことではないですね(W
写真の質でいうと「来るべき言葉の為に」のころの
中平卓馬はでたらめでカッコイイかと。
それと、盲目の写真家ユージン・バフチャル。
ttp://www.zonezero.com/exposiciones/fotografos/bavcar/index.html
目が見えない人がこんな写真を撮るなんてでたらめだと思う。
って、これも意味がずれてるか。
422うなぎ犬:03/06/04 10:24 ID:vcm/cKIj
>>421 そうですね。
でたらめというと、守備範囲のでたらめさ(脈絡のなさ)と、
出来上がった写真がよく分からないという意味でのでたらめさの
2通りありそうですね。
中平卓馬は昔よりも、最近のカラーのほうが
でたらめというか、ある種の狂気?を感じます。

それと、ユージン・バフチャルをちょっと見てみました。
英文を全部読んでいないけど、あーゆー写真撮れるの、不思議。
もうちょっとじっくりみてみます。
耳の聞こえないパーカッショニストがいるらしいですが、
これはなんか納得できるけど、これは一体…です。
423名無しさん脚:03/06/04 12:40 ID:RAD26afY
なるほど、大道よりは中平卓馬のがでたらめってことで一致しましたか。

>421
ところで、最近お香を焚いたりもしましたか? (レスつけたのは私じゃありませんが)
最初に貴殿の写真拝見したときは正直なところ緑カブリに少し抵抗があったんですが
最近、禁断症状が出始めますた。なんか、サブリミナルに効いてくるというか。 (藁
424名無しさん脚:03/06/04 12:54 ID:RAD26afY
そういえば、バフチャルじゃないけど国内で「見えない力」って写真集がありましたね。
425333:03/06/05 14:25 ID:a4CfIo/8
>>422
> 中平卓馬は昔よりも、最近のカラーのほうが
> でたらめというか、ある種の狂気?を感じます。

狂気はそうかも。「来るべき〜」のころは理知的なでたらめ。
最近のはタガがはずれて弛んでるような牧歌的な狂気というか。
中平はちかぢかどっかで展示するとか美術手帳の特集に
書いてあった気がするので、ちょっと調べてみよう。
ちなみに俺は英語はからっきしなので、うなぎ犬さんに
読みといて頂いて、概要を教えて欲しいとか思うです。<身勝手

バフチャルのプリント見てみたいな。
というか、暗室作業はどうしてるんだろう。。<バフチャル


>>423.424
お香はあまり焚くません。
てか、家も焼いてませんし、焼き鳥も焼いてません(W
で、おととい、ちょと緑じゃないものを貼りました。
見たらわかるかも。

ところで、「見えない力 写真集」でぐぐりましたが、
霊現象っぽいものばかりヒットして辿り着けませんでした。。
426名無しさん脚:03/06/05 15:15 ID:5J6I0Zcl
うわ! 勘違い激しくスマソ
あとといのって、悩んじゃうなあ?

「見えない力」たしかに、オカルト系ばかりヒットしますね。(藁
前に、どこかの図書館で見たときに序文とか全部点字だったのを覚えています。
国内の盲目のアマチュア写真団体が出版してた気がします。で、写真を点字に直したのが
見開きに並んでる。
「ぬくもりで光を感じるんです」とか、書いてあったなあ。
427うなぎ犬:03/06/05 20:35 ID:illRhY/7
ユージン・バフチャルの英文読んでみましたが、なんだかよく分からない。

どうやら、撮影する前に、イメージを完璧に頭の中に思い描いているようです。
つまりコンセプト先行型。
彼にとって写真は現実を切り取ったものというよりも、
概念によって構成されたもの、視覚言語を合成したもので、
ロシアフォルマリズムのマレービッチやマン・レイの目指したものに近いようです。

撮影の際は、頭の中でイメージを作ってから、
カメラを口のところでホールドする(話しかけるような感じで)。
AFも使うけど、実際には手で距離を測って、
イメージ(映像)を求める強い気持ちがあれば撮影できる、
というようなことのようですが、ちょっと良く分からないです。すいません。
Quick timeのビデオでは、機材の話とかが入っている感じですが、
なぜか見られなかったので、ちょっと残念。
あれ見れれば、もうちょっと実態がわかったかも。
428333:03/06/06 10:32 ID:tbnCv+k+
ちなみに中平の展示は、横浜美術館で10/4〜12/7に開かれるそうです。
http://www.art-museum.city.yokohama.jp/
今からかなり楽しみ。
429名無しさん脚:03/06/06 14:36 ID:P9EOH/4Y
遅ればせながらバフチャルのサイト見てきました。
>427
Benjamin Mayer-Foulkesによる紹介文のなかで、バフチャル自身の言葉として書かれてる部分ですね。
そのあとに;
彼はアシスタントを必要とするが、技術的な詳細(カメラ操作等の)についても自身で関わる。
撮影の間は子供のガイダンスを好み、結果については音声(言葉で)説明してもらうことを好む。
(various verbal descriptions = おそらく、複数の人にレビューしているようです)
これ以外に、撮影の技術面にふれている個所が1つあって、
「彼は暗闇の中から懐中電灯を使って、イメージを彫り出す(carve out)。それは、すべての視覚的な要素をコントロールするためだ。」


バフチャル自身のコメントは、哲学的で言葉に多義性があって、訳すのが難しそう。
訳者によって、意味が変わってしまうかも。
もともと、バフチャルは生まれながらの全盲ではなく、12歳のときに事故で左目を、その半年後に
右目を失った。最初は僅かな視力が残っていたが、次第に見えなくなり全盲になった。
その後(4年後つまり16歳)に初めてカメラを手にした。
以下、そのときの感想。
「カメラで撮影された、イメージ(映像)の滑らかな表層は私を見なかった」 ?誤訳じゃなくて間違いなく「写真=プリントは私を見なかった」と書いてあります。
「つまり、それは他者によって見られた写真の幻影を通してのみ私の視線が存在するということだ。」
「そしてその視線は私を幸福にし、私の内部の生命にイメージ(映像)を誘起する。」

「視線」(gaze)についてもっと、哲学的で難解な部分もあるんですが、バフチャルと写真に対する理解で、訳し方が変わってしまうと思いまつ。
苦労しても、自分で辞書を引きながら読んでみるよう、お奨めしときます。 (汁
430名無しさん脚:03/06/06 15:00 ID:P9EOH/4Y
危ないんで、ちょっと上げときまつ
431うなぎ犬:03/06/06 17:45 ID:36X/Md6p
>>429
詳細な説明ありがとうございます。
私のは雑すぎてチトハズカシ。
さらにごく大雑把にいうと、内面のイメージの優位性を主張している感じです。
自分の持ったイメージを形にするため、光による彫刻ともいえるかな。
ビデオを見ると、機材はキヤノンのEOS100?に28ミリレンズでした。
で、レンズの距離目盛にさわって分かるように、印をつけていました。
で、ビデオで生まれ故郷の写真を手にするときの様子を見ると、
なんかけっこう「見えてる」ようにさえ、見えました。

以上、ほんの蛇足でした。
432333:03/06/10 17:06 ID:mA1JZL9o
ちなみに、バフチャルを知ったきっかけはここでした。
中平論の一部なんですが、バフチャルにちょっと触れてます。
(中平論自体も面白いので一読をお勧めします。)
ttp://www.ipm.jp/ipmj/kohara/kohara74b.html
ここにあるバフチャルの言葉からちょっと引用すると
「わたしには、まだ見えていた頃に出会った人物や風景の物理的痕跡しかないのである。」
ここから、話は飛びますが、
江戸川乱歩原作/増村保造監督の「盲獣」という映画があります。
ttp://cinema.media.iis.u-tokyo.ac.jp/movie.cgi?mid=7044
この映画に盲目の彫刻家が対象を触りながら彫刻を仕上げていくというシーンがあるのですが、なんかそれに近い感じの撮影方法を取っているんじゃないかな?と想像していました。
>>429で指摘されるように、「暗闇の中から懐中電灯を使って、イメージを彫り出す」という言葉のようなことをしてるんではないかと
写真を見て妄想してました。
どこかで読み齧ったんですが、盲目の人というのは光を
皮膚で感じることができるとか。温度かなにかを感じる?ということでしょうか。バフチャルの撮ったヌードを見ると、極めて少ないライト
の数で照明していると思われ、メインの光源は彼の持った懐中電灯
であるらしく、バルブ撮影であることがわかります。
このような条件であれば、光線条件が単純でありますから、
「光を皮膚で感じる」といったことが比較的容易に思われます。
ということから、ヌードの撮影スタイルが決まったのだろうと、
想像しています。
が、しかし、風景の写真はどうやってアングルを決めるのだろう?
多重露光(もしくは暗室での合成?)と思われる写真は?
謎は尽きませんが。。

英文読まずに妄想カキコですので、このあたりにしときます。


は〜。英文読むってハードル高いです。。俺にとっては。。
433名無しさん脚:03/06/11 11:20 ID:CNVy7vVz
おいらは仕事で英語が必要なんで...

確かに、風景などで、一体どうやって「感じてるんだろう」という写真ありますね。
だけど、前出の「見えない力」なんかにも風景写真が多数入ってるんですが、視覚的に見えること
(可視的であること)と物が見えることは別物だと言う気がしてきます。
これ、バフチャルのサイトの中にあった言葉ですが。

Since the visible and the visual are quite distinct, there is no reason for the blind not to produce images
可視的(visible)であることと視覚的(visual)であることは実に別物であって、故に盲目の人間が映像を製作しない、できないという理由にはならない。
(製作を出来ないと思い込む、最初から諦めてしまうべきではないというニュアンスが込められています。)
自分なりに解釈すると、物を見るということは、目で見ることがすべてではないと言うこと。目が見えなくても人は音や皮膚感覚などの
他の感覚を脳内で総合的に再構築して「視覚イメージ」を構成することが出来るんじゃないか、
つまり、盲者は目で見てなくても、距離感覚も含めて「見えている」んじゃないかと思うわけです。
434うなぎ犬:03/06/11 12:50 ID:b+CLxfJu
養老孟司さんの「バカの壁」(だっけ)が読まれているようですが、これまでの著作から推察するに、
おそらく「世の中には説明しても(されても)分からないことがある」という話なのではないかと思っています。
(読まずに書くのもおこがましいが、本を置く場所とお金がなくて、いつも図書館で借りているプロレタリアートなんで…)
養老氏の著作にあったのですが、いくら説明されても分からない例として
「妊娠している女性が、どんなふうかは、いくら説明されても男には分からないだろう」といっています。

バフチャル氏は、哲学も学んでいるようで、盲人が撮影することや、視覚について、
かなり考えぬいた文書を書いてくれていると思いますが、
彼がどんなに言葉を尽くしても、またこちらが英語の壁を辞書で乗り越えても、
最後にはどうも釈然としないところがあるような感じで読みました。
というか、盲人でも写真は撮れそうに思うけれど、
撮影後のプリントが見えないと思うので、そのへんはどうなのか、よくわからん。
自分で考えると、撮影中のワクワクした感じと現像上がりを見たときでは、
撮影中のほうが喜びが大きい。
そういう点では、盲人が撮影することに喜びを感じるかもしれないな、とは思うのですが。
435333:03/06/11 14:18 ID:IR3ipodl
バフチャルに関して、気になるのはやはり撮影後のことですね。
伊藤邦明氏という盲目の日本人の写真家のドキュメントを見たことが
ありますがバフチャルを読み解くヒントになるかもと思いますので、
少しそのドキュメントについて。
ttp://www.melma.com/mag/03/m00050003/a00000015.html
↑の「2>> サクセスストーリー」というところから読んでもらえる
話が分かりやすいかもしれません。

彼の写真の方ですが、これが凄い。
街の音が聞こえてくるような臨場感のある生々しい写真。
いろいろ検索かけてみましたがWEBでは見られないようです。
残念。


436333:03/06/11 14:20 ID:IR3ipodl
つづき。

ドキュメントに話を戻します。
彼の写真を撮る場面は前述のURLでお分かり頂けると思うのですが、
セレクトについて、奥さんが彼の手を取り、写真を触らせながら、
「ここに赤い服を着た女の子がいてね、で、ここにその子のお父さんが…」
というような具合に一枚一枚、丁寧に時間をかけて説明していく。

これで確かに感覚の鋭い人であれば、頭の中に絵が浮かぶかもしれません。
ものすごい労力が必要になると思うんですが。
おそらくバフチャルもこのように自身の写真を鑑賞しているのではないかと思うのです。

にしても、暗室作業って。。どうしてるんだろう。
伊藤邦明氏はカラーネガで撮影されているらしいんですが、
バフチャルはモノクロ。
美術として鑑賞されるものとしてのモノクロ写真とは、
ほとんどの場合かなり暗室技術が問われるところがありますし、
暗室作業が前提になっているようなフシもあるわけですから、
やはり、暗室作業についても、いろいろ問題になってくるところがありそうです。

バフチャルを読み解く鍵になればと思い、書いてみましたが、
なにか、かえって謎を投げかけてしまったような気もします………う〜ん。
437うなぎ犬:03/06/11 14:35 ID:b+CLxfJu
乱暴なこといえば、結局のところ、アイマスクをして写真を撮ってみないと分からないかも。
そしてアイマスクをして写真を見る?
>>435 を読んで思ったのは、
写真を通して心に入ってくるもの(イメージ?)は、目が見えていても、いなくても、
あまり変わらないのかも、とも思いました。
438うなぎ犬:03/06/11 18:10 ID:b+CLxfJu
>>437 改めて読むと言葉足らずなので追加。
撮影時にせよ、プリントを見るにせよ、最終的に頭の中にイメージとして現れるものは、
イメージ自体はそれほど違いはないのかもしれない(実証は不可能ですが)。
そして、イメージ(=画像、現実の似姿)から二次的に喚起されるある種の思考、印象の段階では、
なおさら変わりはないのかもしれない、と思いました。よけい分かりにくいかな。

4.イメージから喚起される思考・印象─┐
  |                ├(頭の中) 
3.イメージ─────────────┘
  |
2.写真
  |
1.現実

目が見えない場合、1〜2は他人に頼るだろう。
場合によって、1.現実の全体的認識については、
目が見えなくても、より豊かに把握している可能性がある。
例えば「街の音が聞こえてくるような臨場感のある生々しい写真」
はそこに由来するのかもしれない
3については、かつて視覚を持ってたのであれば可能だろう。
4にいたっては、2を飛び越しても、十分可能というふうに考えました。
(ずれたかな)
439名無しさん脚:03/06/12 12:27 ID:b3e47wGW
単純に、ノーファインダーで「体で撮る」人は
脳内イメージの再構築をしてるんじゃなかろうか?
440333:03/06/13 12:28 ID:2tTTS33B
>>439
さぁ、どうですかね。
普通にファインダー見て撮影するにしても、覗く前に、
大体のアングルの見当つけてから覗くじゃないですか。
あれの延長だと思うんですよね、ノーファインダーって。
だから、必ずしも再構築してるわけでもなくって、
めんどくさがりなだけ(もしくはシャッターチャンス優先)の場合も
あるでしょうし。

自分の場合で言えば、あんまりファインダー覗いてると、
構図のパターンが固まっちゃって面白くないってのもありますけれど。
でも、それを言っちゃうと、フレーミングが厳密には決められない
レンジファインダーにも多少なりともそういう要素が出てくることになるわけで。

レンジのカメラでシンメトリーの構図を作ろうとして何度失敗したことか。。
とほほ。
441333:03/06/13 12:37 ID:2tTTS33B
おっと、結論を書く前に投稿してしまいました。
つづきというか、書き直しです。

そんなわけで、自分に刺激を与える為に
ノーファインダーやるってのはありますね。
そんなときは、撮影時に脳内イメージは持ってないかもしれない。

とりあえず反応する。
とりあえず冒険する。
とりあえずシャッターチャンス。
とりあえず撮る。

ってなことが優先事項ですね。
で、先に書いた通り、
撮ったあとは自分の構図感覚の再構築には役立ってます。
適当に撮ったものから、どんな自由な構図が出てくるのか、
また、ノーファインダーの確実さを詰めていくにはどこを見直すか。


まぁ、あまり確実すぎるノーファインダーってのも味気ないですが。
442333:03/06/13 17:55 ID:2tTTS33B
読み返したら分かりにくいので、補足。
結局、ノーファインダーとは言え、
目で見ちゃってると。
つまり、脳内イメージの再構築というより、視覚の再構築ですね。
脳内のイメージではなく、目の前のことを撮ってるわけですから。
ヤパーリ、脳内イメージの再構築というのであれば、スタジオ撮影でしょう。
全てコントロールしないと、脳内イメージにはなりませんから。
443うなぎ犬:03/06/13 19:19 ID:6IFtJfh1
ノーファインダーとスナップは私の中では不可分ですが、
ちょっと他の方の、スナップ論やノーファインダーについての考えも聞いてみたいかな、と。
いつも常連ばかりで話し合っていますので。

いかがでしょう。
444名無しさん脚:03/06/14 11:51 ID:ZjMTrcK8
RZスレの人の写真には感動した。一度見てみなよ。
445うなぎ犬:03/06/14 16:24 ID:anBRsQZu
>>444 どこで見れるのでしょうか?
貼り板見たけど、ちょっと分かりませんでした。
ご教授乞う。
446名無しさん脚:03/06/14 17:11 ID:T0H2UpeN
>>445
コピペに反応しないように
447うなぎ犬:03/06/14 17:31 ID:anBRsQZu
>>446 ご忠告ありがとう。
後で見たら、他のところにも貼り付けてありました。
448 ◆SammyZbfNk :03/06/14 18:21 ID:vudoX7iu
こんぬつは〜。

>スナップ論やノーファインダーについての考えも聞いてみたいかな、と。

どのあたりについて書けばいいでしょうか。

とりあえず、ノーファインダーの人物スナップはよくやりますね。
ファインダーを見ないというよりは、見てたら間に合わないので見ずに撮る、
と言う感じでしょうか。同じ理由で、ノーファインダーの時はパンフォーカスで
撮ります。

間に合わない、と書きましたけど、それはいわゆる「決定的瞬間(とまでは
いかなくともシャッターチャンス)」に間に合わない、という意味ではないです。
むしろ、私の場合、普通に言われるようなシャッターチャンスを狙うことは
ほとんどないです。

ではなにに間に合わないのか、といいますと、これは自分の中の衝動
とでもいうしかないですね。撮りたいと思う、その衝動です。
その衝動が沸き上がる過程を詳細に分析すれば、おそらく極私的な
シャッターチャンスに関する考察となりえそうですが、
表面的にはシャッターチャンスという意識はありません。

ノーファインダー=隠し撮りというイメージは否定しませんし、
実際、被写体に気づかれることを回避するためにノーファインダー、
という選択をとることもありますが、ノーファインダーの本質は、
「身体の延長論(正確な呼称がわかりません。車とかコンピュータ
はそれぞれ足、脳の延長だ、みたいな論です」を踏まえて
語られるべきだと思います。

続きはまた。長文すびばせん。
449うなぎ犬:03/06/16 11:52 ID:biNCZtet
>>448 どうもいらっさいませ。

どうもですね、ここ最近考えているのは、見る(見える)ことと撮影することは、けっこう違うのではないか、ということです。あたりまえですが。
いろいろ話題の尽きぬT中C徳氏が言ってたのですが(確か、「中判カメラ復興」)、
「写真家にとって重要なのは、なにを撮るかではなくて、むしろどこにいるか(いあわせることができるか)」というのが、頭に残っています。
例えば、戦場写真では、「誰が死んだ写真」であることより、「どこで撮った写真か」「撮影者がどこにいたのか=どれほど危険だったか」が重要とされているように思います。

で、「いる」ということは、身体の感覚に深く結びつくと思うわけです。
ファインダーをのぞいて撮ることは、ある種、視覚の構築であって、むしろ身体というよりは、精神・思考に係わる部分が大きいのではないかと思っています。
とりあえず、これがすべての写真にあてはまると言っているわけではないので、そのへん、ご了承ください。

で、>>441
> とりあえず反応する。
> とりあえず冒険する。
> とりあえずシャッターチャンス。
> とりあえず撮る。
の、「とりあえず」=考える前に、なので、とりあえず身体のことかな、と。
で、ひょっとすると、ここから妄想的仮説ですが、
見ること=思考・精神、撮影(とくにスナップ)は身体感覚。
でノーファインダーは、身体感覚により近いのかな、と思い始めました。

そうなると、
>>448の「見てたら間に合わないので見ずに撮る」
「なにに間に合わないのか(中略)、自分の中の衝動」、
「身体の延長論」にも結びついてくるように思えてきました。

ちなみに、「身体機能の延長(extension)」等という言い方があるようです。

あまり詳細に詰めていませんので、穴だらけですが、とりあえず。
450名無しさん脚:03/06/16 12:22 ID:k8b7KTUy
>439で、自分がもやもやと感じてたことが皆さんの意見で少し、明確になり始めました。
もともと、盲人がどうやって写真を撮るかと言う疑問から出発したわけですが、
写真を撮ることと視覚で物を見ることはイコールではない。それ以外の写真の撮り方が
あるんだろう、と言うことだったわけです。
で、目で見えなくても「場の雰囲気」は視覚以外の感覚でも感じ取ることができるだろう。
物理的にはノーファインダーの感覚の延長線で考えられるんじゃないかと思ったわけです。
>>441の「とりあえず反応する」とか
>>448の「見てたら間に合わないので見ずに撮る」とか (サミータンいらっしゃい)
その瞬間て、被写体を目で見てるわけじゃなくて、全身で感じてるんじゃないかなと。
これって、視覚で写真撮ってるんじゃないって事になりませんか?
451333:03/06/16 13:32 ID:f19Ok5UT
>450
>これって、視覚で写真撮ってるんじゃないって事になりませんか?
う〜ん。どうでしょう。一般に目が見える人ってのは脳内に視覚情報の蓄積があるわけで。
(これは後天的な盲人も同じ)
視覚情報ってのは目に入ってから脳で整理するわけですが、
実際に見たもの全てが記憶されてるわけではなくって、
重要と思われる情報だけ選り分けて取り出すわけですよね。
認識の話になっちゃいましたが、それはさておき。

ノーファインダーで撮るときには、見てるときと見てないときがあります。

見てるときは>>440で書いた通り、多少の見当をつけて撮ってるわけです。
これは構図を煮詰める為の時間が惜しいからという要因が大です。
なので、今までの認識の蓄積による類推ですね。

見てないときはどうかというと、見える以外の情報つまり、
聴覚、嗅覚、触覚、それからメインの被写体以外の周囲から得られる周辺の視覚、などから
類似する認識の蓄積を引っぱりだしてきて、類推をするわけです。
(気配って言えばいいのかな。)
脳内の働きは基本的には変わらないわけですが、情報が欠けている分だけ、
確度がさらに落ちます。

いずれにせよ、これは直前まで(または現在でも)視覚を得ていたからできることであって、
視覚と切り離された行為ではないと思うわけです。
ただ、第一義的に必ず視覚情報が必要というわけではないかもしれません。



どーでしょか?
452名無しさん脚:03/06/16 14:15 ID:fhxHa9ff
「気配」
それだ!
目ではっきりと被写体を確認して無くても、
気配を感じてシャッター切っちゃうことがあるわけですよね。
目で見てないからこそ、「気配」を強く感じるってことも、ありませんか?

なんか、こんな感じの話題、前に木村伊兵衛がらみでも出てたような。
453うなぎ犬:03/06/17 17:32 ID:SE3r+cGG
いろいろ書きたいのだけれど、どうも時間がとれない。
美奈様、お話つづけてください。
454うなぎ犬:03/06/23 17:41 ID:jbjbfeOV
ノーファインダーについて、また考えていたんだけれど。
ファインダーから見ると、どうしても、いろいろ考えてしまって
対象を、感じたように撮れないような気がするので、そうすることもあるのかな、と。

一次的に撮りたいものに迫ることより、構図とか2次的なことが気になってしまう自分がいやというか、
そこから解放されて自由に撮りたい自分がいるというか。
で、昔のたいていのレンジファンダーでは、おおよその構図しか分からんわけで、
(M3以降は別というが、やっはり1眼レフとは、全然違う)
まして、被写界深度を利用してどんどん撮影していく場合には、
ファインダーはのぞいていても、自由さにおいてはノーファインダーに近いものがあるかも。
自分の場合、距離計のついていないカメラにものすごく惹かれるときがあって
それは精密すぎるファインダーに従属してしまうのがいやだからかもしれない。

で、精密なファインダーはある種の保障ではあるのだが、そこからの自由は、
同時に一種の賭けでもあって、撮影しているときは気持ちがいいが、
現像すると、がっかりすることが自分は多い。

で、心が自由なときにはじめて感じることができるものがあって、それは、
あるものをあるがままに、そのまま受け入れることであったりするのではないかと思う。
たとえば>>452の気配としてのみ感じられるものかも知れない。

どうも断言しにくい話題で、やたら言いよどんでおりますが。

で、本当に言いたいことは、写真というのは写っているものがすべてなのだが、
なぜか、それ以外のもの、それ以上のものを受けとめることがある。
たとえ話として適切かどうか分からないが、
言語というのは、本質的に理性的なものだと思うが、
言語のある種の集合である文学になると、
理性を超えたものや半理性的なものを産み出すことがあるのと同様に。

以上、ちょっと生煮え。
455うなぎ犬:03/06/24 16:15 ID:fC3D8sTt
一部訂正
「半理性」→「反理性」
意味が全然違いますな。すいません。
456うなぎ犬:03/06/26 13:46 ID:PBXtcmDj
えーちょっと、話が変わりますが、フジロックフェスのメンツがだいぶ決まってきました。
でも、今年はどうしても見たいという人がまだいない。

コステロは、この間見てきたばかりで、彼の音楽は別に野外でなくてもいいように思う。
ニック・ロウもコステロと同じ感じ(でも、前回来日のアコースティックライブは良かった)。
エンケンは大好きだが、エンケンバンドで見たい。
ちょっと見たいのが、三上寛+のなか悟空(ふたりとも本持ってます)。
渋さ知らずは最近見ていないので(でも、フェダイン解散が痛かった)。
サン・ラ・アーケストラが来るけど、サン・ラは亡くなったので、何をするやら。
山下洋輔は、最近はちょっと見てないけど、どうしても、というかんじではない。
イギー・ポップはレコード1枚しか持ってないしな。

なんか、趣味が片寄っているか?
会場はちょっと遠いけど、すごくいいんだけどな。
457うなぎ犬:03/07/01 16:22 ID:f1gmE/kw
竹橋の近代美術館で、牛腸茂雄展を見て、いろいろ考えた。

というまえに、俺としては「幼年の時」の「改札口の赤ん坊」が、
あの「まほちゃん」の島尾まほだったことに今更ながら気づいたりして、改めて驚いています。
ttp://www-1.xdsl.ne.jp/~poka/03_mabo/mp_gs_yo.html
妻に、うちの子もああゆうふうに撮れと厳命されたが、ちょっと無理。

いいたいことはいろいろあるのだが、まとまらぬので、思いつくままに。
・氏の写真では、やはりあの眼差しが、気になるわけだが、今回プリントを見て思ったのは、
撮られる側の目はべつに笑っている目ではなく、こちらを直視する眼差しが多いので、
見ていて、けっこう疲れるのだった。
そして、あの眼差しを受け止めながら撮影した氏は、
かなり芯の強い部分を持つ人だったろうと思わされた。
・「見慣れた街の中で」はスライドをビデオに起こしたものを上映していた。
そこで気づいたのだが、self and othersを含め、被写体に妊婦が多いような気がする。
氏の写真の根底には、生と死が強く意識されているのを感じるが、
サミーが指摘していたように、ttp://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/camera/1055252975/466
生には性も含まれるが、どちらかと言えば、生殖−子どもに通じる部分であるように思った。
氏は、ひょっとして安産型の女性がタイプだったかも(これ蛇足)。
・self and othersで、心に引っ掛かるのは、氏の母上の顔のアップと、父上の引き気味の写真だ。
とくに父親の表情を見るとなんともいえない気持ちになる。
それは、患うながらも成長した我が子に対し、長くは生きていけないのではないかという、哀れみのような悲しみのような、人並みの社会生活は難しかろうというあきらめのような、
いわば社会性を持ちながら、我が子を見ている大人の目なのだと思う。
それと対照的な母親の顔。うまくいえないが。
・氏のセルフポートレート写真の背景に写っている、インクプロットの実物が展示されていた。
これのそばに氏がいたんだなと思うと不思議な気持ちになった。

長すぎるそうなので、ここで一区切り。
458うなぎ犬:03/07/01 16:26 ID:f1gmE/kw
おまけですが、
・2階にもちょっとだけ写真の展示があります。数は少ないけど、錚々たる作家の作品。
ロトチェンコのマヤコフスキーの写真があったな。植田正治、スティーグリッツ、ダイアン・アーバス、古谷誠一、等など。
・今日は暇がなかったので寄らなかったが、2階のティールーム(レストランか)は、奥書の積が気持ちいいです。

そういえば、スティーグリッツが好きになったのも、ここで見たからだった。
けっこういいよ、国立近代美術館(京橋もね)。
459うなぎ犬:03/07/01 16:28 ID:f1gmE/kw
458の訂正
奥書の積→屋外の席
460名無しさん脚:03/07/01 21:18 ID:f1gmE/kw
それでだ、仮想オフ会だが、
竹橋毎日新聞社前集合、近代美術館へ移動。
牛腸茂雄展をひとしきり見て、2階のレストランで昼飯。
(時間帯によってお茶)
地下鉄東西線で早稲田駅へ移動。
しばらく歩いて、森山大道展。
すぐ見終わるので、高田馬場まで撮影しながら散策。
馬場でちょいと飲んで(餃子のムロなんてどうかな)、解散。

うーん、一人者なら楽勝だが、
しばらくは子供の自転車の練習に付き合わないといけないので
夢のまた夢。
461333:03/07/03 14:42 ID:ZK9lMLq9
>>460

独り者ですが、7月は仕事&私用てんこもり。身動きとれません…
462うなぎ犬:03/07/04 19:19 ID:MRT9YhK+
>>461
じつは私も最近、そこそこ忙しくて、フジロックフェスのことも、
すっぱい葡萄というか、負け惜しみでもあるのですねぇ〜。

しかし、俺でさえ忙しいというのは世の中狂っているかも。
高速道路で事故が頻発するのは、なんだか世間の忙しさに
加速度がついてるのかも。
筒井康隆の短編で、そんなのあったな。

写真について、また撮影しながら考えたことがありましたが、
まとまりきれないので、また考え直しながら、書いてみます。
463うなぎ犬:03/07/08 18:20 ID:QsfLbYFi
とある新聞のネイチャーフォト・コンテストの作品を見ていて思ったこと。

最近は、コンテストでもデジ部門とフィルムカメラ部門に分けられているらしいのだが、
デジ部門で入賞したご高齢の方が、
「デジタルデータを合成して、絵を描くのは楽しい」(大意)と言っていた。
審査の際、ネイチャーフォトの分野で合成は許されるのか、という議論もあったらしいが、
結局は、それも良しということで、入賞したらしい。

そこから振り返って、自分がなぜ写真を撮るのか、と素朴なレベルから考えると、
少なくとも、自分の場合「カメラで絵を描きたい」わけではない、ということは確かだと分かった。
まず、絵を描きたいなら、カメラは使わずに、絵筆かペンを持つだろう。

その前に、絵を描く、とはどういうことを意味しているか。
おそらく、自分の目に映るものをそのまま残すというよりも、
自分が思う、そのもののあるべき姿(理想とも少し違うかな?)を、
まず現実から再構成し、それを画面上に再構築することのように思う。
そこには、かなり人の意識・意図が前面に出てくるのではないだろうか。
もちろん、絵を描くということはそれだけではないが、
そのようにも考えられるという意味です。
同様に「カメラを使って絵を描くような写真」もある。
というか、ある種の写真教室は、そうゆうことやってるのかなと。
そこでは、写真の主題(があるとすればだが)よりも、構図や色使いが
重視されるようにも思う。

(続く)
464うなぎ犬:03/07/08 18:22 ID:QsfLbYFi
では、そうではない写真を考えると、
やはり、スティーグリッツらのストレート・フォトグラフィを思い出す。
つまり「写真・分離派(フォト・セセッション)」。
絵画的な写真ではなく、写真独自の表現の追求ということ。
ttp://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/review/1030/ex.yasumi1030.html
そこから、スナップの意味も浮き出されてくるように思う。

つまり、スナップは、カメラという、自分の目ではない、機械の目を使っての
現実との出会い・向き合い、また、その過程と結果を印画紙に定着したものと言えるのではないだろうか。
言い換えると、一種の現実認識とその結果でもあるし、
現実の認識自体が、副次的にセラピーになったりするかもしれない。

ここで、>>449の自分の発言(田中長徳氏の言葉を援用)を引きずりだすと、
「写真家にとって重要なのは、なにを撮るかではなくて、むしろどこにいるか(いあわせることができるか)(大意)」というのは、そのへんの事情について語っているのではないかと思います。

最後のところは、まだ煮詰まっていないのですが、今日はこのへんまでかな。
465うなぎ犬:03/07/09 18:50 ID:iqvarEFN
今日は、某すれで半角者になったり…。
我ながらなにやってんだか。
466300:03/07/09 23:21 ID:0pguA5Ga
前から気づいてましたよw
467うなぎ犬:03/07/10 09:57 ID:0F1nue3+
>>300
丁寧にレスを付けてくれるので、ばれてるかな、とは思っていましたが。
ちょと、お恥ずかしい。

半角で書くのは、やっぱり照れがあるせいでしょうね。
それとも、別のペルソナが欲しいのかもしれない。
468名無しさん脚:03/07/11 13:49 ID:9oGnmsUQ
少し話は変わりますが、、、
月日は流れ長崎幼児殺害事件の少年は大人になり結婚をし、息子もでき父親になった。
世間の人はもちろん、本人もこの事件のことは忘れていた。
父親となった少年は、家族みんな仲良く、ごく普通の幸せな生活を送っていた。
息子が4歳になった誕生日に、父親は息子と二人で大型玩具店へとプレゼントを買いに行った。
抱えきれないほどたくさんのおもちゃを買ってもらった息子は、
早く家に帰りたくて立体駐車場にとめている車へとはしゃぎながら走っていった。
父親があとから車の所に着くと、息子は後ろを振り返りこう言った
「今度は落とさないでね」
469うなぎ犬:03/07/11 14:51 ID:hhHBHXXN
>>468 ちょっと、生々しすぎるというか
ブラックすぎて、反応に困りますが…。
470300:03/07/12 19:00 ID:60Extwg3
昔からある怪談のネタですよw
471名無しさん脚:03/07/14 13:27 ID:wddds9X3
12歳の子を持つ親も、4歳の子を持つ親も笑えないと思うぞ。
472名無しさん脚:03/07/14 13:40 ID:wddds9X3
子供が子供を殺す。こういった事件の現実感の無さは一体どうしたものでしょうか?
我が子が友達と遊んでいるときも「殺す」とか「死ね」という言葉が日常的に使われています。
小学校、中学校ではそうした言葉が現実化を伴わないまま頻繁に発せられているんです。
なんともいい難いんですが...
473うなぎ犬:03/07/14 17:52 ID:KoF2OFid
どうも冷房病になったらしく微熱がとれぬ月曜日です。

「現実感」、難しいよね。
ちょっとなにかいいたい気持ちがあるのですが、
熱っぽくて、まとまりませぬ。
皆様で掘り下げてください、ませ。
474山崎 渉:03/07/15 12:53 ID:3jLu2abt

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
475名無しさん脚:03/07/15 13:11 ID:2T/JlkgQ
>言葉が現実化を伴わないまま
現実感の間違いスマソ

なんか、子供たちが「殺す」とか「死ね」という言葉に何の感情も抱かないというか。
テレビ、漫画やゲームと現実の区別がつかなくなってるというか。
我が子がそういう言葉を発しても何も言えずに立ち尽くしてしまうことがあるんです。
彼らを取り巻く環境が「死」をとても軽く扱っていて、彼らにとって何の罪悪感も無いことがわかるから。
注意したところでその場限りで、子供たちの世界では日常になってしまっているから。
このやるせなさは何なのだろう。
476名無しさん脚:03/07/15 13:15 ID:2T/JlkgQ
ホンマタカシの東京の子供たちを見たときも、同じようなやるせなさを感じますた。
無力感というか、虚無感というか。
477うなぎ犬:03/07/16 15:56 ID:O/fMD2D9
なんか、山崎氏がageてくれたようで、有り難いのかそうでないのか、よく分かりませんが。
まだ、体調が戻らないのに残業で遅くなったりして、悶絶寸前です(意味不明)。

ところで、いまは大人が時折そう感じるように、
子どもも生きにくい世の中かもしれません。
無条件で受け入れられているという感覚はないかもな。

しかし、子どもに関わる重大事件は、
被害者についても加害者についても悲しいばかりだ。

日野啓三の「神の小さな庭で」という短編は、
一種の失われた(つつある)理想郷のことかもしれない。
機会があったら読んでみてください。

秋にルー・リードが来るというのを知って、ちょっと元気が出てきました。
478名無しさん脚:03/07/18 14:54 ID:qT9VI2ri
少女4人の事件で長崎事件が吹っ飛んじゃいましたね。
底知れぬ闇を感じる事件ばかりです。
479うなぎ犬:03/07/18 16:42 ID:iEjJS4D6
>>478 見つかったからまだいいようなものの、
なんとも不気味な事件でした。
子供にとっては、落とし穴の多すぎる世の中になったようで、
何とかせねばとは思うことしきりです。

こういうことがあるから、子供を持つのにためらう人が増えるのかも。
480名無しさん脚:03/07/19 19:55 ID:Ge6GG+Yn
どこにでも悪い奴はいる
落とし穴がしかけてある事を教えない親が悪い
481うなぎ犬:03/07/22 11:14 ID:g58Bzpp3
>480 親になったら軽々しくそんなことをいえなくなると思うよ。
落とし穴があることは教えられても、すべての落とし穴は教えられない。
482名無しさん脚:03/07/22 16:57 ID:s3w+OH/e
どこに仕掛けてあるかわかれば、落とし穴じゃないし。
483名無しさん脚:03/07/22 17:12 ID:s3w+OH/e
ま、同じ年頃の子供を持つとわかると思うけど、世の親ほとんどが「うちの子に限って」と思ってるわけですよ。
で、それが一番怖い。でも、自分自身に対して「うちの子は危ない」と意識する努力もとっても難しい。
間違えるとただの過保護になっちゃうし。
テレビや漫画、ゲームから入ってくる情報を遮断するなんてできない。
クラスの半数が携帯を持っている環境で、だめと拒否できるか?
実は、他人の子供を見て「親が悪い」と言い切る親が一番危ない。

子育てを真剣に考えるほど、どうどう巡りの無力感。
社会が悪い。学校が悪い。環境がわるい。親が悪い。大人が悪い。
どうすりゃいいのさ?

ほら、あなたの子供も明日は長崎の加害者でもあり、被害者でもあり。
渋谷で春を売ってるかもしれない。
484名無しさん脚:03/07/22 17:13 ID:s3w+OH/e
ほんとに、大人も子供も立ちすくんでしまう。
485うなぎ犬:03/07/30 16:20 ID:yhlB1efj
どうも梅雨が長いびいたせいか、家人の体調が今ひとつ。
そのあおりで、自分も余裕がない日々。

ところで、先日、イラクで日本人ジャーナリストのS氏が、
米軍に拘束されたというニュースがあった。
S氏はもうお忘れだと思うが、10年以上前、一度だけちょっとしたご縁があった。

とにかく無事でよかったが、米軍の拘束の様子を聞くにつけ、
大義とはいわないまでも、強者の側から、
戦争をする理由の説明ができないような戦を仕掛けたことの
つけが回ってきているのだと思った。

そこに、のこのこ自衛隊が行くことの意味は何か?
自衛隊は海外へ行く余裕があるのだろうか?
宮城県の地震のサポートをすべきではないか。

早く総選挙をやって、民意を問うてほしい。

ちょっとまとまらんが、とりあえず。
486ぼるじょあ ◆yBEncckFOU :03/08/02 03:59 ID:XmLNjRV8
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
487ぼるじょあ ◆yBEncckFOU :03/08/02 04:12 ID:XmLNjRV8
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
488名無しさん脚:03/08/05 13:04 ID:RXWHxI+I
子供の話しが出てるので、自分が子供の頃の不思議な経験を・・・
従兄弟の兄さんの結婚式があった夜。叔父さんちに親戚が集まって宴会をしていた。
そこで中3のその姉さんの部屋で話をしていたら彼女や彼氏がいるかとか
結婚はどう思うとかの話になった。
ふと姉さんがオッパイ触ってみる?と聞くのでうんと言って触った。
手のひらに収まる膨らみ。調子に乗った俺がちんちんは見たことあるかと聞くと
従兄弟の兄さんのを何度かという。そして同様に見せてあげた。
したら当然、マムコの話題になってM字開脚で見せてもらった。その時はそこまで。
夏休みにまた遊びにいって半裸状態でお互いの性器を触り合うようになり。
この時は挿入さえしなければOKだという変な決め事になっていて安心してたな。
愛撫してされると気持ちいいので結構舐め合ったり。
姉さんが留守番をしていて呼ばれた日。
お風呂でお互いに下だけ裸でおしっこの見せ合いをした。
女って最後らへんは筋を伝って毛が濡れたり肛門まで滴が垂れるというのを目の当たりにして驚いた記憶がある。
シャワー掛けて部屋で今度は全裸で抱き合い愛撫し合った。
手こきなんて知らないから透明汁が出て舐めてもらったり、オレもおつゆをすすったり。
鬼頭でマムコの筋をなぞったりクリにこすりつけてお互いに気持ちよくなり。
それから何度もお風呂で見せ合ったな。ある日は掛け合ったり・・・今思えばマニアックだった。
風呂桶に手をつきお尻をあげた状態でシャーっと落ちるオシッコを両手の平で受け止めたり上に向かって出すオレのを
姉さんの胸に掛けたりした。最期は性器を互いにつけながら放尿。
さすがにセックスについて知識が豊富になるとやっていることの重大さに気づき何となく終了。
叔父さんもちょっと怪しいと思い始めたのか探りが入り始めたのでやめることにした。
今思えば何ともったいない日々だったのだろうか。
童貞を捨てたのはその5年後だった。
489うなぎ犬:03/08/05 13:35 ID:mOuXCoBk
最近、書き込みが減っていたせいだろうか、
↑のような嵐がきたが、なんか、もう潮時ということだろうか。
このスレの先行きをどうしようか考えてしまう。
490名無しさん脚:03/08/05 16:59 ID:yXG83trU
「厨房の夏、2chの夏」といわれるくらいこの季節は2ch全体に
変な虫が湧く。カメ板も例外ではなく、フィルムスキャナスレの
惨状はご存知のとおり。
こういう手合いは相手にせず今まで通りの進行を期待しています。
491うなぎ犬:03/08/05 18:36 ID:mOuXCoBk
>>490様 どうもありがとうございます。
なんかいろいろあって、ちょっと私も投げやりだったかも。
気を取り直して、またぼちぼち行きますので、
よろしかったらお付合い下さい。

最近、2眼レフが重く感じられ、
愛用の黒ヘキサーは故障で修理中。
EOS-RT+50/1.8はなんか色気がなくてあまり撮ってません。
そのかわりというか、写真展に行きました。

日本橋高島屋の土門拳展は作品点数も多くて充実してました。
仏像の写真ですが、なんか生きている人を撮影したかのようでした。
つまり、生きてはいないのですが、ポートレートを撮るような感じというか。
これまでは、そこが分からなかったせいか、
仏像にはそれなりの興味だけでしたが、私の中でちょっと何かが変わりました。
それと、建築の写真が妙に立体的に見えるのはなぜなんだろう?不思議。
フィルムは時代的にコダクロームかと思いますが、
けっこういい発色でした。ニュープリントかな?
子供の写真ももちろんいいのですが、なぜか文楽の写真が良いように感じた。
これ以前、ボンカラーでやったのとダブっていると思うけれども。

で、帰りに高田馬場で森山大道展。
個人的には、前回の方が好きでしたが、
展示替えしてからの、人物スナップも良かった。

8/8から麹町ボンカラーの桑原甲子雄展が今から楽しみ。
ttp://www.iijnet.or.jp/boncolor/gallery/gall-sp2.html
秋には横浜美術館で中平卓馬展。これも楽しみ。
492名無しさん脚:03/08/06 11:39 ID:ANF58zpL
日記なら他所でやれ
493名無しさん脚:03/08/06 11:47 ID:UxtzOZEO
ん?カラーの仏像写真と言うと比較的新しいのですか?
494うなぎ犬:03/08/06 13:42 ID:WqcZowKy
>>492 そもそもほとんどこのスレは日記みたいな面があるので、
いまさらそんなことを言われても…(微苦笑。
写真展の紹介のつもりもあったのだが、それがお気に召さなんだか。

もっとも、日々の出来事に触発されたり、着想を得たりしながら書いているので、
日記といわれても仕方なし。
しかし、その分、空理空論に陥りにくいというメリットがあるように思っている。

ちなみに492のANF58zpL氏は花火大会スレでもなんかよく分からんことを書いているようだが、
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/camera/1056701834/112
本当は、他人の撮影本数に口を出すほど暇なお人ではないと思いたい。

>>493 仏像写真はほとんどモノクロですが、カラーも有ったはずです。
同じ仏像のお顔を左右からカラーとモノクロで撮り分けていたのもあったな。
8/11までなので、時間がある方は行かれたらどうだろう。
会期はじめに行きましたが、けっこう込んでました。
早目がよろしいようで。
495うなぎ犬:03/08/06 19:10 ID:WqcZowKy
>>321 で書いたことが、どうやら現在の米国や英国の状況に当てはまりそうな気配だ。

これは他の人の受け売りなので、恐縮なのだが、
マキャベリの「(良い)目的のためならば手段は選ばない」という発想の影響というのは、
非常に強いらしく、たとえばロシア革命の際の、
「将来の良い社会のためならば、多少人が死んでも仕方がない」的な発想および行動に
反映されているらしい。

イラクについては、以前書いたとおり、もちろんフセインを支持することは絶対できないが、
かといって、それを打倒するために戦争以外の方策があるにもかかわらず、
戦争という手段を選んだ英米を支持することもできない。
どうやら、あるべき状態を作る(もしくは悲惨な状態を改善する)という意味の「良い目的」を
実現するには、やはり、それに相応しい手段や方策がとられるべきであったのだと思わされる。
「相応しい手段」というのが無理であるならば、仕方がないという場合もあるが、
圧倒的な力を持っている場合、おそらく可能だったと思う。

政治に関わることはあまり書きたくないのだが、
将来、自分の子供が生きていく社会を少しでも良くしておきたいと考えると、
どうしても、こんなことを書いてしまう。

>>492のいう「日記」でも書いていたほうが幸せなのだが。

また写真の話に戻していきますので、ご勘弁を。
496名無しさん脚:03/08/06 21:55 ID:SBOUaWhv
問題提起をしているつもりかもしれないが、自分の思想・思考・嗜好を一方的に垂れ流してるだけじゃん
497うなぎ犬:03/08/07 12:31 ID:uvZQ9jIG
>>496 それもそうだね。
反論してくれる人がいないと対話すら出来ない。
対話がないと自分の思考も吟味されないから深まらないしね。
496さんが思う問題点を指摘してくれるとありがたいです。
どうでしょうか、お待ちしてます。
498うなぎ犬:03/08/07 19:34 ID:uvZQ9jIG
どうも、反対意見とかもらえません。
話が広がりませんな。
もう少し待つかな。
499うなぎ犬:03/08/07 20:18 ID:uvZQ9jIG
昨日は、原爆記念日だった。
以前、一名無し氏が広島の記念館について書いてくれたが、
昨日は何を思われたかな。
といいつつ499ですか。
500うなぎ犬:03/08/07 20:22 ID:uvZQ9jIG
というわけで500です。
9/11までもうじきだが、このスレはどうすべきかな。
いろいろご意見もあるようだし。
ちょっと時間をおいて考えてみます。
501一名無し:03/08/08 11:10 ID:NPUA/z2U
記憶は風化する。一連のマスコミ報道を見ていて痛切に感じますね。

もうひとつは、アジアの近隣諸国から日本は核兵器を持っている、
あるいは有事にはすぐに(3日以内に)作れる、と思われていること。
これは、日本には必要であれば即座に核兵器を作る技術と材料がそろっていることを意味してると思います。
さらに、北朝鮮をめぐる緊張した状況の中で、日本が核を持っていても不思議ではないと思われていると言うことかもしれません。

昨今の核兵器をめぐる議論は、日本国内でも、日本以外でもそれが使用されたときの被害の実態を忘れてしまっているように思えます。
反対論にしろ、賛成論にしろ現実を忘れて、ある意味、机上論になってきてるのかな?
悲しいことです。
502一名無し:03/08/08 23:43 ID:6E2u8pM5
はだしのゲンなんかを読むとよくわかるんですが、原爆の本当の怖さは
被爆して生き残ることなんですね。
熱線を浴びて皮膚がケロイドになって、ただれ落ちてくる。周りも被爆して
人間に見えない生物が水を求めて彷徨っている。
病院もなくなってるし、医者や看護婦もいない。
誰も助けてくれる人がいなくて、それでも死ぬこともできずに...
ゆっくりと時間をかけて死んでゆく苦しみと恐怖。

マスコミだけじゃなくて、2ちゃんのスレなんかを見てても想像力の重大な欠如を感じます。
で、そういった風潮に無力感を感じてしまう。
少年犯罪を見るときの無力感にも似ています。
いろいろな写真家が残した広島、長崎の写真群は日本の財産だと思う。

毎年この時期に自分が考えることも、少しづつ変わっているのだろうな。
503名無しさん脚:03/08/13 19:27 ID:fHmZOP90
そういえば「終戦記念日」という記述がカレンダーから消えつつあるそうな。
戦後は終わったと考えている人が多くなったということだろうか。
日本にエライ目に合わされた人、原爆の後遺症に悩む人がまだいるというのに。
随分脳天気なことだなと思う。
504山崎 渉:03/08/15 20:53 ID:khyY0YAS
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
505名無しさん脚:03/08/20 14:22 ID:TWHNYTAa

  HIROSHIMA    NAGASAKI
    ↓          ↓
  _____    _____
  |[[[[[[[[[|\ . |[[[[[[[[[[|\
  |[[[[[[[[[| .|  |[[[[[[[[[[|. |       B-29
  |[[[[[[[[[| .|  |[[[[[[[[[[|. |       ↓     __
  |[[[[[[[[[| .|  |[[[[[[[[[[|. |     _____∠/
  |[[[[[[[[[| .|  |[[[[[[[[[[|. |    (__//__ノ ≡))≡))≡))
  |[[[[[[[[[| .|  |[[[[[[[[[[|. |         ̄
  |[[[[[[[[[| .|  |[[[[[[[[[[|. |
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506名無しさん脚:03/08/20 14:42 ID:FOqJVZtY
だからラディンには…。
507名無しさん脚:03/08/20 15:10 ID:L7X89iQt
>505
もうちっと、考えろ。

どうしても話し合いの通じない相手というのはいるのだな。
そんなときに、一体どうするべきなのだろう。
508うなぎ犬:03/08/21 11:53 ID:FfCqGu6i
>507 話し合い不能の相手に対しては、
戦わないのであれば、最終的には許すしかないのかもしれぬ。
といって、自分は耶蘇ではない。
許すのは難しいことであるのも分かってはいるが。
509名無しさん脚:03/08/21 13:15 ID:BoSdturJ
難しいですね。テロリストを許せるか?
そういう意味では、日本は原爆を投下したアメリカを許したのかな?
許したというよりは負けたんだろうな、単純に。
被爆者の心の中ではどうなんだろう?
510うなぎ犬:03/08/21 14:14 ID:FfCqGu6i
今のイスラエルとパレスチナの様子を見ていると、
あのままではどちらかが死に絶えるまで続けるようにさえ見える。
かといって、例えば自分が肉親を殺されたとして、それを許せるか、疑問だ。
その場にならないと、答えはでないだろう。

被爆者についていえば、許す、以外に、諦める、ということがあるのかもしれない。
憶測でしかないが。
511名無しさん脚:03/08/21 14:47 ID:x+Xi6twf
独り言晒しage
512名無しさん脚:03/08/21 14:51 ID:v8u0Rt6M
五味元毎日記者って今何をしているんだろう?
もうファインダーをのぞくこともないのかな?
513名無しさん脚:03/08/21 15:31 ID:KYfBseRK
>>511
やりとりが成り立っていることがわからないみたいだね。
514うなぎ犬:03/08/21 16:18 ID:FfCqGu6i
x+Xi6twfは、これからもたまにageてもらえるとありがたい。
いつも下のほうなので、気がつくと落ちそうになったりするからね。

偏頭痛で、ものを考えるのが辛いのだが、少しだけ。
>>505 これ、よく見ると意味が分かりにくい。
9/11の飛行機は、テロリストの自爆だったわけだが、
このAAの場合、B29(エノラゲイ?)は何を意味するのかな?
また、ツインタワービルは、ある意味、
アメリカや資本主義の象徴として破壊されたのだと思うのだが、
広島、長崎はなんの象徴としてあらわされているのだろうか。
軍事施設があったということだろうか?
表層的に過ぎると思うので、貼ってくれないほうが良かった。

>>512 本来なら、五味記者と同じ程度に、
クラスター爆弾をばら撒いた米軍が非難されるべきだと思う。
本人の不注意はもちろんだが、現地の子供などは、
親に厳しく言われても、ついさわってしまうだろうと想像する。
五味氏は撮影自体で人を殺したわけではないが、
撮影する気になれないかもしれない。
しかし、写真を撮る以外に自分を生かす道がないなら、
それはそれとして認める、というか非難することはできないような気もする。
五味氏にとっては、やはり他人事の戦争だったんだろうな、
取材の仕事の対象としての。
それは自分がその立場にいたら、そう思うかもしれない。

>>513 まぁ、枯れ木も山の賑わいと申しまして…。
515名無しさん脚:03/08/21 17:53 ID:BoSdturJ
ちゃんと、見てますよ。
505は何も考えずに書いてると思うな。何の思考も無く雰囲気だけで。

512については、難しいですね。
一つは傍観者、野次馬がのこのこ戦場に出てって顰蹙買ったってこと。
もう一つは、クラスター爆弾や劣化ウラン弾の使用に象徴される米軍の非人道性。

一方で、テロ組織が国連をターゲットにしてしまったことでアメリカの暴走に対する国連の牽制が
失われてしまう心配。

もう何がなにやら...
まあ、戦争という行為に正義は無い、これだけは確信を持って言えますが。
気が付くと9/11からもうすぐ2年経つわけだが、世界はますます殺伐としてるわけで。
516名無しさん脚:03/08/21 20:04 ID:x+Xi6twf
うなぎ犬、有名AAのコピペが気になる様子。
517名無しさん脚:03/08/22 13:07 ID:R/QvILLA
軍隊を持たず、徴兵制の無い今の日本に生まれて本当によかったと思う。
よく考えてみると徴兵制って国家の一番根本的なところで人権を無視してると思う。
中世戦国時代の遺物。

民間の武器保有を管理できていないアメリカは戦国時代以前。
近代国家とはいえない。
518うなぎ犬:03/08/22 14:17 ID:2F8zGQB/
こういうこと書くもの、何なんだけれども、
イラクの国連のビルが爆破されたとき、「それ見たことか」と思うところがあった。
開戦前に、「パンドラの箱を開くようなものだ」と言っていた人がいたが、
まさにそのとおりになりつつあるようにも見える。
もっとも神話では最後に「希望」が残っていたのだが、
このままでは黙示録的な混乱になりそうに見える。
いったいどうなってしまうのだろう。
自分の子が大きくなったときのことを思うと暗澹たる気持ちになる。

>>517 徴兵制はむしろ近代国家的なものだったような気がします。
19世紀までの戦死者の累計と、20世紀のみの戦死者の合計では、
後者のほうが多いという話を聞いたことがある。
その理由は、近代国家の徴兵制による国民皆兵制度と、
非戦闘員も対象にした無差別の攻撃によるものだという。
だから、職業としての兵士同士が争う時代のほうが、
まだまし?だったのかもしれない。

ちょっと書きたいことがあるのですが、未整理なので…。
なんとか考えをまとめたいが、物事の動きが急すぎて、どうにもならない。
519名無しさん脚:03/08/22 14:18 ID:wHBhMEK/
★共産党幹部名乗るわいせつ男逮捕、党側は「知らない」

・共産党の地区委員会幹部を名乗る男が、警視庁石神井署に強制わいせつの
 疑いで逮捕されていたことが、21日わかった。男は、党地区委員会の会議
 日程表を所持、同庁は党関係者に間違いないとみているが、党地区委員会側は
 「そんな男は知らない」と話す。男はいったい何者か――。

 逮捕されたのは、東京都練馬区南大泉の会社員小口建太郎容疑者(43)。
 調べによると、小口容疑者は10日午後8時45分ごろ、練馬区関町北の路上で、
 同区内のフリーター女性(21)に後ろから抱きつき、女性の胸を触るなどの
 わいせつ行為をした疑い。

 女性が近くに住む知人男性に助けを求め、この男性が小口容疑者を取り押さえ、
 同署員に引き渡した。小口容疑者は当時、かなり酒に酔っていたという。
 小口容疑者は逮捕時、共産党練馬地区委員会の会議日程表を持っていたほか
 自宅からは共産党のビラなども押収された。調べに対し小口容疑者は「自分は
 共産党員で、今は共産党練馬地区委員会の支部長だ。(事件当日は)練馬地区
 委員会の会議に出席後、夕方から同党区議と酒を飲んだ」と供述した。

 これに対して、練馬地区委員会は「小口という党員はいないし、聞いたことも
 ない」と説明。一緒に飲酒したとされる区議は「事件前に会ったが、酒は飲んで
 いない。長年の支援者の1人だが、党員かどうかは知らない」と語った。

 共産党中央本部は「党本部として、誰が幹部か、誰が党員かについてはコメント
 できない」(広報部)としており、関係がはっきりしない状態が続いている。
 http://news.lycos.co.jp/society/story.html?q=21yomiuri20030821ic08&cat=35

520名無しさん脚:03/08/22 14:24 ID:wHBhMEK/
逮捕者、党員とわかっていた…共産党地区委員長認める

共産党地区委員会の支部長を名乗る会社員小口建太郎容疑者(43)が、
警視庁石神井署に強制わいせつの疑いで逮捕された事件で、
「そんな男はいない」と関係を否定していた共産党練馬地区委員会の岸良信委員長は21日、
一転して「(逮捕された男が)党員だった」と認めた。
岸委員長は当初、読売新聞の取材に対し、
「自分は地区委員会の党員については全員把握しているが、
小口という党員はいないし、聞いたこともない」と、
党との関係を否定していた。
ところが、読売新聞で男の逮捕が報じられた後の21日夕になって、
岸委員長は「(事件について)当時は詳しい事情がわからなかったので、
党員ではないと言わざるをえなかった。
党員であることは最初からわかっていたが、私の一存でそのように対応した。
うそをついていたと言われても仕方がない」と語った。

521うなぎ犬:03/08/22 15:02 ID:2F8zGQB/
>>519-520 これどういう意味?
コピペなんだろうが、べつに党員みたいなこといってるわけではないしな。
wHBhMEK/はなんでも鑑定団の心配でもしてたらどうだ?
http://hobby2.2ch.net/test/read.cgi/camera/1058700447/l50
522名無しさん脚:03/08/22 16:46 ID:R/QvILLA
>>518
そうですね。法律で国民皆兵制度が明文化されたのは近代国家成立後ですね。
自分は戦国時代の明文化されていない懲役、徴兵が念頭にあったもので。
国民皆兵という制度そのものは中世からあったような気もしますが。
繰り返しになりますが、基本的人権を謳いながら、一方で強制的な徴兵がある憲法、法律って
矛盾してると思います。合法的な殺人が法制化されてはいけないと思うんです。
523名無しさん脚:03/08/22 17:07 ID:R/QvILLA
ageてしまった。スマソ
民間の武器保有についてはまったく別の話になりますが、ヨーロッパでも日本でも
中世戦国時代から国家が統一される過程で「刀狩」と称する民間の武器規制をした歴史があります。
戦乱を治めて中央集権を安定させるために必要な過程だったんですね。
これに対して、アメリカはその歴史が無く、国家成立の当初から民間の武器保有を認めていた。
と言うより、国家が国民の安全を保障できなくて、自分の身は自分で守るという
戦国時代的な思想が根底にあるような気もします。

要は、武器の存在そのもの、戦争と言う手段そのものが戦争を招くという戦争スパイラルについて考えてるんです。
WTCを破壊されたアメリカのテロ組織への報復は正義か、
罪の無い民間人を殺されたイスラム国家のアメリカへの復讐は正義か。

当事者がこの連鎖を断ち切らない限り、第三者にはこのスパイラルを止めることはできないのだろうか。
524名無しさん脚:03/08/22 23:32 ID:wHBhMEK/
日本はさっさと憲法改正して、自衛隊を軍隊にするべきだ。
今の条文では、どう考えても憲法違反。

改正後にはトマホーク母艦を、舞鶴に配備してもらいたいな。
525名無しさん脚:03/08/23 10:06 ID:FKZgcxvO
>>524 最後の1文についてはそう言いたくなる気持ちも分かるが。
軍隊になったら、お前が一番最初に志願入隊してくれるのかい?
526名無しさん脚:03/08/24 08:16 ID:ypyHLc4n
軍隊になったら、お前が一番最初に志願入隊してくれるのかい?
左の人が好んで使うお決まりの脊髄反射レス

自衛隊が軍隊になることと、志願入隊になんの関係があるのだろうか
527うなぎ犬:03/08/25 10:41 ID:fVOgIYxX
ここのところ、なんか困った流れではあるな。
べつにここでは政治論議をすることが目的ではないし。
しかし、生きていく以上、政治(というか、世の中)のことは関わらざるを得ない、
と考えるので、そのながれではふれてきたし、書いてもいるが、そればかりになるのも、どうかと思う。

これまでの対話では、最終的には写真の話とか表現の話に帰ってきていると思うが、
どうも政治談義ばかりしたがる人が来はじめているようだ。
政治の話を中心にしたいひとは、別スレッドでやってもらえればありがたい、
とも思い始めている。

それと、このスレッドは「左翼的」なのだろうかね?
俺自身は、>>241で「言霊」、>>351で皇族関連にふれているように、
おそらく「左」ではない。
両方が同時に個人のなかで成立しないとも思わないが。

自分自身は、むしろ、本居宣長につながるものでありたいと思っている。
橘曙覧の万葉ぶりも好ましく思っている。
「国粋」を重視するが、国粋主義ではないし、国家主義でもない。
(国粋と国粋主義は意味が違うので、辞書をひいて見れ)
そのへんが気に障るのかな。

これだけだと、左ではないことの説明に足りないから、親切ぶって付け足すと、
彼らの、キリスト教の影響を受けたかと思われる
「将来、理想の社会が生まれるから、いまは我慢しろ」的な発想が好きではない。
つまり形を変えた千年王国ではないかと思うのだ。
いずれにせよ、詳しく書けるほど勉強してないわ。

どちらにせよ、右、左という立場が、ここで大事なのではない。

続く
528うなぎ犬:03/08/25 10:43 ID:fVOgIYxX
で、再三書いているように、俺自身は桑原甲子雄のように、
歴史の流れをみていきながら、しかし、そのなかでも変わらぬものを撮影したいと思っている。
先日、ボンカラーで見たパリの写真の雰囲気は、東京で撮影したものと、そんなには違わなかった。
それは、時代が変わっても変わらぬスタンスを持っていることと、
場所が変わってもスタンスが変わらないということの、関連性を示しているのかもしれない。
そのスタンスから現れてくるものは、人が生きていることの常の姿であり、
世が乱れても、最終的にそこに戻る場所だと思っている。

で、このスレは、写真と自分が生きていることの関係を考えているつもりで、
生きていることには、世の中の動きとして政治の話も絡むだろうということ。
もちろん政治と写真という話題もある。
いずれにせよ最終的に写真の話につながらないなら、ちょっと困る。

横道にそれるが、
このへんの話題で、ロトチェンコ的写真と日本の戦時中の「FRONT」の類似点を考えるのは面白いともいえる。
その際は、グラフジャーナリズムの視点をベースに、
名取洋之助や、ドイツ、ソ連、日本、アメリカのそれぞれの広報誌、
それと、名取に関わった、
木村伊兵衛、土門拳、浜谷浩、亀倉雄策、原弘(はらひろむ)の仕事について考えることになると思う。
とくに原は、平凡社「太陽」の刊行に関わっていたはず。
そこから荒木経惟が出てくるあたり、とても面白いところだとは思うが、
飯沢氏が既にやってたな。

それと蛇足だが
>>524は、そう思う根拠を、他の人に分かるように書いたほうが良かったのではないかな。
だから、「脊髄反射レス」が返ってくるのだろう。
もっともここで自説を展開してくれとお願いしたいわけではないので、ご注意を。

それぞれ自分の立脚点もあると思うので、
それを相手に分かってもらうよう説明しつつ、対話していきましょう。
年齢は問わず、「大人」の対話を望む。
529名無しさん脚:03/08/25 12:52 ID:C9wRXocm
この間、本屋で見かけたのだが、「俺について来い」と題した、
米国のプロパガンダのパロディ本をちらっと立ち読みしました。
なかなか、面白そうでしたよ。>ロトチェンコ、FRONT路線をかんがる。
530名無しさん脚:03/08/25 14:24 ID:C9wRXocm
唐突ですが「百年の愚行」って外出ですか?
ttp://www.thinktheearth.net/jp/book/index.html

ちょっと気になってます。
531うなぎ犬:03/08/25 15:15 ID:fVOgIYxX
>>529-530
「黙ってオレについてこい文句がある奴ァ爆撃だ」は、
見てないので、なんとも。
「百年の愚行」は、以前名前出した宮内勝典氏が言葉を寄せていたはずで、
このスレではふれていませんが、気持ち的にはガイシュツでした。
でも、立ち読み程度で、中はちゃんと見てません。
コンセプト優先で構成されていて、見ていて、息苦しいです。
意味があるとは思いますが、写真を見る喜びとかは
当然ながら、あまりないようで、だからちょっと距離をおいています。
軟弱者か?
532名無しさん脚:03/08/25 16:20 ID:C9wRXocm
「黙ってオレについてこい文句がある奴ァ爆撃だ」
<そう、それです。立ち読みで面目ありませんが、大笑いした後にじっくり考えさせられます。
60年経った今も本質的に同じ事やってるんだなって、良くわかります。

本屋で、たまたまこれと「百年の愚行」が同じコーナーに置いてあったので気になったんですが、
第2次大戦のプロパガンダと今のイラク攻撃、同じ事やってるなって。
さらに、第一次大戦でも同じ事やってたわけで、この100年、人間は何をしてきたんだろう?
みたいに、繋がっちゃったんです。
533名無しさん脚:03/08/25 16:53 ID:C9wRXocm
ついでに、CD機の上にタバコの吸殻とか繋がっちゃんですが。
廃物希釈とかも




と召喚してみるテスト
534うなぎ犬:03/08/26 11:37 ID:7lRmfFpN
>>533 いろいろ忙しくされているみたいですよ。
535名無しさん脚:03/08/26 13:48 ID:FFzug+AF
そうですか。まあ、マターリ逝きましょう。

>>531
見ていて息苦しいと言うのはわかりますが、人類がこの100年間にしてきたことを
目の前に突きつけられているわけで。
写真に関わってる人にはサルガドのような「美しい」写真のほうが好きと言うのもわかるんですけど...
536うなぎ犬:03/08/26 19:05 ID:7lRmfFpN
>>535 ここ、けっこう難しいところだと思います。
昨日書店に行って、「黙って俺に…」を探したのですが、見当たらなかった。
で、改めて「百年の愚行」を手にしたのですが、ちゃんと見れなかったです。

ひとつには、自分の「目」はあまりタフではないので、刺激が強すぎると
見つづけることができない軟弱野郎だということ。
耳のほうはけっこうタフで、ノイズミュージックでも、
フリージャズの極北でもかなりいけるほうです。
(昔、六本木waveでみたジョン・ゾーンとエリオット・シャープのデュオはすごかったな)
これは個人の資質の問題なのでしょう。

で、もうひとつは、伝えたいことをストレートに表現することと、
美しいことは両立しないのか?ということです。
もしくは、どちらかが優先されても良いのか?

続く
537うなぎ犬:03/08/26 19:08 ID:7lRmfFpN
土門拳風のリアリズム写真は、コジキ写真とも言われたわけで、
当時は彼のまねをして、しかもある種の曲解?で、ことさらに汚いもの、
悲惨なものを探して、撮影する人を揶揄するような言葉でもあったようです。
チョロスナという言葉もあったな。

一方、美しいということのうちには、見てよく分かるという点もあるように思います(勿論すべてではない)。
よく分かるということは、写真を通して伝えたいこと(があれば)を、よりよく伝えられるのではないかとも思うのです。
素朴すぎるけどね。

結局言いたいのは、
テーマがテーマなだけに、そうなるのは仕方がないのですが、
あの本では、どうも絵解きのための写真でしかないように見えるのです。
醜い現実を、そのまま写しとるというのは大事なことで、
そうする以外のことは出来ないという厳しい状況もあるとは思うのですが、
そればかりだと、やはり辛い。
悲惨でも、生きていること、存在していることを肯定してくれるものがないと、救われなさ過ぎるというか…。
甘すぎるか。

もちろん、その場にいなかったものが勝手なこと言っているのに過ぎないのは分かっています。

それと、サルガドですが、
真実よりも美に流されてしまっている場合があるようにも思うけれど、どうでしょう。
といって、写真集がないので、どの写真とはいえないのですが、
写真展に行くと、実は時折そう思うことがあるのです。
そこが、彼の人気のひとつでもあるのかな。
しいていえば、悲惨なものにも美しさを見つけることにより、
その悲惨な現実そのものまで肯定してしまうようなところが、
見る側にないだろうか、ということです。

じゃあ、おれはどっちがいいんでしょうね。
分からなくなってきました。ごめん。
538名無しさん脚:03/08/27 16:23 ID:Fjuxe6Ea
これは、まったくの私見ですがサルガドのような「美しい」写真と言うのは事実の具象的な
部分をカメラを通してできるだけ抽象化しているんじゃないかと。
例えば、ネイチャーで電柱や電線を排除することが不文律のようになっていますが、これは事実じゃない。
現実は日本中いたるところに電線が張り巡らされていて「風景を殺している」。
これを排除して上辺だけの美しさを撮るのがネイチャーなら、自然破壊反対になるのか?
一方で、サルガドの写真というのは「美しい」んですが、その美しさはサルガドの社会的な主張を殺すどころか
かえって、強調してるんじゃないかと。
539名無しさん脚:03/08/27 16:35 ID:Fjuxe6Ea
例えば、(サルガドが撮っているかどうか知りませんが)グランド0の写真を撮ったとしても、
サルガドと他の写真家、例えば報道系の事実伝達、記録のための写真ではまったく違うものになるでしょう。
でも、多分主張しようとするところはあまり変わらない。

アートとしてみたときはサルガドの美しい写真のほうが評価は高いでしょうが、人間の犯した愚行、事実を突きつけると言う意味では
判断は簡単じゃないと思います。
540名無しさん脚:03/08/27 16:46 ID:Fjuxe6Ea
東松照明の原爆で熔けてぐちゃぐちゃになったガラス瓶の写真。
目を覆いたくなるような悲惨な記録写真群がなかったとしたら、
あれだけの、暗示性と説得力をもち得たでしょうか?

いかん、また原爆の話になっちまった...
「百年の愚行」のコンセプトはサルガド的な美しさにあるわけじゃないだろう、ということです。
この百年の間に人類は「生きていること、存在していることを」自ら否定するような愚行を犯してきた。
そのことを告発している本なんだと思っています。
で、その先どうするのかは、読者が自分で考えなさいと。
541うなぎ犬:03/08/28 16:47 ID:4dhLZgAh
サルガドについて、ものすごい状況(悲惨以外にも)なのだけれども美しい、
というところには、何も改めて言うことはなくて、私は、むしろ見る側について考えています。
悲惨(例えば)だけど、美しい、ということが、
人によっては、悲惨「だからこそ」美しい、という逆転になりかねないのをおそれてのことです。
ある程度、大人であればそうは思わないはずですが、
最近はある程度のご年配の方でも、何を言い出すか分からないという…。

>>540 「百年…」については、全くそのとおりだと思っています。
言わずもがなのことを書いているのは自覚していますが、
結局は、人にものを伝える際の、志向の違いということなのでしょうが。

ここは意見が分かれるというか、微妙に考え方が違っているところですが、
東松氏の写真の場合はもともと暗示的な部分があり、だからこそ、
そこから想像力が喚起され、当時の状況を想像したり調べたくなったりして、理解をする。
このような流れがあるのではないか、またそのほうが、
より深く理解するのではないかと思うのです。
(これは自分の思考パターンがそうだからかも知ません)
542うなぎ犬:03/08/28 16:48 ID:4dhLZgAh
一方、「百年の…」のような直接的な表現の写真を見てみようと思う人は、
実は既に内容を知っている人ではないか。
むしろ、本当に見てほしいのは、そんなことを考えたこともない人のほうではないか。
その人たちが、最後まで見つづけるために、
もしくは、一瞥で本を投げ捨ててしまわないためには、どうしたほうがいいか。
そんなことを考えているわけです。

以前「寓話」という言葉を使いましたが、ある伝えたいことを直接伝えるのではなく、
何かに託すことによって、−例えば何かべつのものを借りてほのめかす・暗示する―
より遠くまで届かせるような、そんなことを考えています。

長々書きましたが、つまりは「百年の愚行」は多くの人に見てもらいたい本だが、
あのままでは、なかなか手にしてもらえないのではないか、という心配でもあるのです。
よけいなお世話でもあろうが、話題になったわりには、実際に買った人はどれだけいるのか。
気になるところでもあります。
543名無しさん脚:03/08/28 18:06 ID:++eVYYmV
このスレをざっと読ませてもらった感想だけど、
ホームレスのひとが政治が悪いだ自民党がどうのこと言ってるのと同じ臭いを感じた。
544うなぎ犬:03/08/28 18:28 ID:4dhLZgAh
543 読んでくれてありがとう。
ところで、>>543はどういうことが言いたいのだろうね?
発作的書き込みでは、対応に困るが、若い方だろうか。

べつにホームレスの肩を持っても仕方がないが、
(いまのところ家も家族も仕事もあるので)
なかには、有能であったりしても、
経済状態の悪化でそうなった人もいるだろうね。
そういう人がいたとしたら、政治が悪いといってもいいと思うし、
それに同意もするだろう。

以上、いちいち相手にしなくてもいいのかもしれないが、一応読んでくれた礼儀として。
545名無しさん脚:03/08/28 18:47 ID:AAN/jBvj
>むしろ、本当に見てほしいのは、そんなことを考えたこともない人のほうではないか。
なるほど、その通りですね。そういう考え方は思いつかなかったです。
入り口を入りやすくしたほうが裾野が広がると言うことですね。

546名無しさん脚:03/08/28 18:53 ID:AAN/jBvj
>543
まあ、何もせずに社会の批判をしたり愚痴を言ったりするのが
2ちゃんの本質かもしれんし。
自分が普段、もやもやと考えてることをここに書いてみて、自分自身に対して
整理をつけている、というスレかもね。
何か、積極的な行動を起こそうというときはここでは、やらんと思う。

まあ、写真好きが機材の話じゃなくて写真の向こう側にあるものを考えようとしてるわけですよ。
547うなぎ犬:03/08/30 16:11 ID:AogC/wr4
> 写真好きが機材の話じゃなくて写真の向こう側にあるものを考えようとしてる。

つまりそういうことです。

しかし本当にどうなっちゃううんだろ。
年末に海外に行くつもりだったが、ちょっと心配。
自分たちが爆弾テロに巻き込まれるのは仕方がないが、
親の酔狂に、子供が巻き込まれたらかわいそうだからな。
548名無しさん脚:03/09/10 12:11 ID:4JwJFLzQ
隊長! 9/11から2年目を目前にして地震板はお祭りです!
9/16-17+-2日に関東にM7クラスの大地震がくるそうです。

防災訓練だと思って、準備しときましょう。
549名無しさん脚:03/09/10 12:57 ID:86vfncnZ
やっぱり、この映画は見なくてはならないだろうなと思う。
ttp://www.mediasuits.co.jp/senjo/index.html

ティーチインが終わってしまったのは残念。
550名無しさん脚:03/09/10 14:49 ID:86vfncnZ
あと10時間ほどで、9/11だ。
良くも悪くもこの日が戦争に対するリアリティを高めたことは確かのように思う。
この件に関しては、これが唯一の良かったことなのだろう。

明日から来週にかけてさまざまなイベントが日本でもあるらしい。
来年も再来年もそれが続きますように。
喉元過ぎれば…なんて日本人の悪い癖がでませんように。
551うなぎ犬:03/09/11 14:12 ID:EGs6cGxr
何で読んだのか、もう忘れてしまったが、
『銀河鉄道の夜』の第3稿(一般に読まれているのは第4稿だそうです)にこういう一節があるそうです。
「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう。
けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。
それからぼくたちの心がいゝとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。
けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考とうその考とを分けてしまへば
その実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる。」

「けれども」以下は、賢治らしいというか、私にはちょっと理解しにくい部分もありますが、
以下のような意味だと思います。

それぞれが自分の信ずる神の優位を主張しつつも、
他の宗教の行いに感動することもある。
そして、それについて正邪・善悪の判断をしようとするが、それはできない。
しかし、よく考えれば、見掛けは違っていても
その根本は同じ化学の法則だということがあるように
(例えば、錆と炎は、酸化で説明できるように)
宗教についても、その見た目や行動に現れるものが違っていても、
根本のところには互いに相通ずるところがある、という意味だと思います。

もっとも、この部分は、最終的には削られているわけですが、
しかし、どんなにいがみ合っていても、この地球以外のどこにも逃げ場はないので、
なんとか折り合いをつけていくしかないようにも思います。

このスレを始めたときは、1年続くとは思っていませんでした。
9/11より2年が経ちましたが、ますます、混迷は深まるばかり。
1年間、ここで考えてみて、それなりに思うところはあります。
でも、今日は、このくらいにしておこう。

>>549 俺も見に行くつもりです。でも、いつごろになるかな。
552名無しさん脚:03/09/11 15:46 ID:LIejaRR2
さて、9/11から2年がたったわけだが...


銀河鉄道の夜について、おいらはちょっと違うことを感じました。
宗教とかイデオロギーの対立とか、詰まるところ各人の信条の対立は決着がつかない。
実験と実証で立証する科学という手法では嘘と真理を明確に区別できるのだと。
今の我々には常識でも、宮沢賢治の時代と場所ではまだ、迷信や妄想が大手を振ってたんじゃないかな。
もっと、素朴で根源的な宗教、迷信と科学の違いを説明してるような。
つか、実は今でも「宗教」や「正義」というプロパガンダというか妄想がまかり通っているのも現実なんだが。
善と悪という分け方も妄想じゃないかと思うわけです。

そこに、兵器があって人々の対立があるなら戦争になる。
こちらにとっての善は彼らにとって悪である。
争いを止めろというのが宗教であるなら争いを引き起こすのもまた宗教。
しかし、引き金を引けば誰かが死ぬのは絶対的な事実であり、真実である。
553うなぎ犬:03/09/22 18:27 ID:eTfwtpkB
いろいろあって、ちょっと書けなかったのですが、もどってきました。
>>551>>552では、話が微妙にずれているかなと思ったのですが、
そのへんについて、書く暇もなかったな。
改めて書くと、賢治の文章は最初の2行がポイントだと思います。
コンテクストを無視して、一文だけ抜き出すのは良いこととはいえないが、
でも、大事な部分だと思うので。

で、昨日、「戦場のフォトグラファー」を見てきました。
見てよかったと思う。
ジェームス・ナクトウェイの考えはある種、素朴なところがあるのかもしれないが、
それゆえの力強さと説得力があると思う。おれは彼に賛同するな。
何とかサポートしたいが、できることも限られているので、
彼の名をことあるごとに口にして、回りの人に知ってもらいたいと思う。
ttp://www.mediasuits.co.jp/senjo/production.html
554 ◆SammyVrbqY :03/10/03 22:59 ID:0vDlIRHK
ところでRe:PROVOKEの方はご覧いただけましたでしょうか?

厳しい批評をおながいします。
555名無しさん脚:03/10/06 13:18 ID:jTJlM4Bk
関係ないが、ニール・ヤングのチケットげと。
「戦場のフォトグラファー」見た。
大道さんの講演聞いてきた。

いろいろあるけど、ちょっとまとまらん。。
って、近況報告にしかなってないな。
スマソ。

>>553
ナクトウェイについての評価はほぼ同意なんだけれど、
やっぱり、最後の方に出てきた友人の脚本家の言葉が
重かった。自分はやはりナクトウェイと同じ考え方はできないと思う。
あそこまで、シンプルには考えられない。
556うなぎ犬:03/10/06 16:22 ID:B7rtZVTy
お久しぶりです。
まとまったことが、書けない状態が続いております。

>>554 モチロン見テオリマス。イロイロ有ルケド、provokeニ対スル「res」デアルトイウタイトルガ、
全テヲ語ッテイルト思イマスタ。
全体的ニ、マダ1+1+1+1=4トイウ印象。詳シクハ、股。

>>555 私も、ニール・ヤングのチケット入手しました。
2回行けそうです。
ナクトウェイ氏については、最終的には彼は言葉の人ではなく写真の人だから、
言葉は、素朴・シンプルでしかないが、その本意は写真を見て考えるしかないとも思う。

今日は、このへんで。
557名無しさん脚:03/10/13 17:40 ID:WYEwHDaR
ネタはないけど、ひさしぶりにage。
558うなぎ犬:03/10/14 12:58 ID:huHO9IMw
ageていただきありがとうございます。
連休中に704くらいに下がっていたときは、
このまま消え去ってもいいかなと思っていました。
夏以降、いろいろのことがあり、どうも以前のように、
始終写真のことばかりを考えていられないようになりました。
いまいつも頭にあることを書いていけば、あきらかにスレ違いになるし、
かといって、続けるためだけに、これまでどおり駄文を連ねるのも気がひける。

出処進退といえば大げさですが、進むときは人に推されるに任せ、
退くときは自分の意志で、そこから降りなくてはならないそうで、
これは、そろそろ潮時かと思っても、自らdat落ちさせることも出来ないので、
どうすべきか考えておりました。
(sage続けて、あと450も埋め立てするのもちょっと面倒でもあったり)

というところで、一休み。
559うなぎ犬:03/10/14 16:35 ID:huHO9IMw
ところで、山村修「遅読のすすめ」(新潮社)という本があります。
けっこう、しみじみしていてお勧めです。
このなかに、書生の読み方と大人(というか職業人)の読み方の違いの話があります。
例えば昼夜をおかず、のべつ読みまくることができるのが書生さん。
しかし、仕事を持てばそうもいかない。
食事時には食事をし、仕事の時には仕事をし、つまり生活をしながら、
その中で時間を作り、本を読む。

私は、生活の中で、いま、抜き差しならない問題(とか課題とか)がありますが、
それはそれとして時折写真を撮るというスタンスになってきました。
前のように、時間を盗んでどこかに出かけてスナップすることが難しくなり、
やっぱり子供を撮ることが多くなりました。
ついでに言えば運動会用にタムロン28〜200ズームを7000円で買いました。
でも、撮影して分かったことは300ミリまで欲しくなるということでした。

「子曰く、中行なるものを得てこれに与するにあらずんば、
必ずや狂狷(きょうけん)か。狂なる者は進んで取り、狷なる者は為さざる所あるなり。」
ここに集える人は、「進んで取」る「狂」の人々のようです。
生活の中で、折にふれて写真を撮るという程度では、
ひとつのスレッドを使うのは申し訳ないような気がします。
その反面、既に若くはない一人の人間として、熱狂からは少し身を遠ざけながら、
自分のペースでゆっくり考えるスレッドがあっても良いように思うときがあります。

「遅読のすすめ」では、書生型の例として立花隆、
大人の例として吉田健一が挙げられていました。
私は、なれることであれば吉田健一のようでありたいと思います。

ということで、sageるにまかせながら(積極的にageは無しにして)、
スレタイとは主旨が変わってきたのですが、
ものにかんじたときに、ぽちぽちと書いていきそうな、
そんな秋の夕暮れなのでした。
560うなぎ犬:03/10/16 12:28 ID:4/lGnhdJ
中平卓馬論、面白かった。続編きぼんぬ。
私はまだ見にいけてません。
561名無しさん脚:03/10/18 00:17 ID:Y/0ijofz
続きはしばらくお待ちください。。
文章書いてる時間がない。。。。。。。。
562 ◆SammyVrbqY :03/10/18 00:37 ID:FzMwCh/v
どこで読めるますか?<中平論
563 ◆SammyVrbqY :03/10/20 00:48 ID:B9ccgqRR
あ、どこか分かりました。

黒字に小さな白文字は読みづらい、というのはともかく、
ひとまず面白かったです。

続編機ボンヌは同感です。
ただ、やはり取材しないと分からないこともあり、
難しいですよね。

漏れも某スレで色々挑発されたのでw
そのうちなにか書いてみます。時間かかりそうですが。
564名無しさん脚:03/10/20 11:17 ID:sYVi+1L9
10/14のように書いたら何か気が楽になりました。

ところで、先日、所用で池袋のジュンク堂に行ったら、
鬼海弘雄の「PERSONA」(草思社)の写真が壁に飾ってあった。
ttp://www.soshisha.com/1240a.htm
オリジナルかと思ったら、本をばらして展示しているようであった。

鬼海氏は好きな写真家だけれど、
写真集は「王たちの肖像」と、「東京迷路」しか持っていない。
今回の写真集では「王たちの肖像」で撮影された
何人かの人の約15年後の姿が収めてあった。
時間が経つことの意味、老いることの現実を
残酷なまでに写し取っているように思った。
でも、1万円近い値段では、いまのわたしには手がとどかない〜。
大体、まだ「やちまた」も持ってないしな。

ところで自戒でもあるが、かつて「中国製カメラ海鴎を持った男」が、
今回は旧フォクトレンダーのビトマチック?のようなカメラを持って写っていた。
しかし、胡散臭そうな感じは変わっていなかった。
ああならぬよう気をつけねば。
案外、ここの住人だったりして…。
565うなぎ犬(564も):03/10/20 11:58 ID:sYVi+1L9
provoke関連、盛り上がったようですね。
乗り遅れてしまいましたが、考えてみると、
別に私が口をはさむもんでもないし。

いろいろ言われるのは、それだけ注目されているわけで
わずらわしいところもあると思いますが、
ありがたいものでもあると思います。
といって、いちいちその意見を真に受ける必要もないわけだし。

「re:」つまり回答は、受けとめた側の感じ方によって色々ありえるわけで、
ある「挑発」に対し、このように返事すべきというのは、当事者だけが決められること。
よそから、このように返事すべきだ、といわれる筋合いではないと思います。
とはいえ、返事をしようという相手が相手なだけに、周りも期待があるわけで
(もしくは、こうであってほしいという「理想的返答」像)、
いやがおうにも期待は高まる。
だからあれこれ言いたくなる、というわけでしょう。

これからも、毀誉褒貶入り乱れるとは思いますが、
それも「運動」の一部かもしれません。

こりずに、ある程度の答えが得られるまで続けてると大吉かも。
566 ◆SammyVrbqY :03/10/21 01:02 ID:UvE+CQol
ありがdです。

何を言うより、ともかく「続けていく」ということにします。
567うなぎ犬:03/10/27 11:14 ID:J2ZUe/06
中平論、続き読みました。

いろいろ言う人がいるけど、
あのテキストが出されたからこそ、議論が出たわけで、
語るに足る内容があるからだと思います。

ところで、「写真論」「写真家論」「写真家へのラブレター」について言えば、
写真に関することを、写真的に(=写真の内容。コンテクストに即して)考え、
それを写真的に表現すると、やっぱり写真になってしまうと思うので、
つまり、写真の批評は、メタレベルの写真になるのではないかと思うので、
これからの写真に、どう反映されるのかな、と期待しております。

とりえずテキストの続きを闇雲に期待してます。
568名無しさん脚:03/10/27 13:48 ID:cyYn32+j
本日の朝日朝刊「ひと」欄に中平氏登場
569うなぎ犬:03/10/27 14:09 ID:J2ZUe/06
読みました。
あまり神格化していないので、かえって今の様子が伝わります。
見に行きたいけれど、ここしばらく無理そう。
(神格化といえば、赤瀬川も一因ではあるな−「牡蠣の季節」)


それと他の記事を見ても、記者の大西若人氏は、
けっこういいもんとりあげているぞな。
関係ないが、月刊「選択」にも書いている河谷史夫も気になる。
(中江丑吉、川上澄生について等、「遅読のすすめ」>>559もこの人の紹介)
蛇足でした。
570うなぎ犬:03/11/05 18:26 ID:rEYrYvgs
3連休中、土日が出勤で、月曜日に神田の古本市に行こうと思っていたら雨だった。
昨日、代休をとり神保町にいったが、休みの店が多かった。
がっくし....。

ところで、ある掲示板に書き込みをしたことがきっかけの一つとなって、
そこがしばらく休止されることになってしまった。
自分の書き込みは、かなり過剰に発言する人の発言に対して、
「必ずしもそうではない」という主旨のことを書いたつもりだったのだが、
なんだかある種の「引き金」をひいてしまったようだ。

過剰に発言する方から直接メールもいただいたのだが、
その過剰さの理由も、それなりにあるようで、
といってそれを誰に言えるでも無し。
Net社会というのは、一体なんだろうかと考えています。
571名無しさん脚:03/11/09 17:35 ID:uW4kVx0x
フォトジャーナリストスレにも書いたんですが、こっちにも。

広河隆一氏が新雑誌の創刊を計画していると言う記事が
今日の朝日朝刊に載っていました。要点をまとめると、

・戦争や人権侵害に反対するというジャーナリズムの役割が
 忘れられているのではないか、という問題意識
・「殺される側」から戦場を撮り続けてきた米国のジェームス・ナクトウェー氏
 にも参加を呼びかけ
・イラク戦争開始1年の来年3月創刊を目指す

単なるネタフリですが、何か思うところがありましたら。
572名無しさん脚:03/11/11 07:12 ID:mjpujMTR
ageますね
573うなぎ犬:03/11/13 14:45 ID:4h+N3ZBQ
ageてくれてありがとう。

風邪をひきまして、このところ頭に靄がかかってます。
武道館のニール・ヤング&クレージー・ホースに行くまでには治したい。

ところで、広川氏の「DAYS JAPAN」ですが、
貧者の一灯というやつで、予約購読を申し込んでみようかと思ってます。
だれかお金持ちがいたら、1口10万の発刊基金を200口ぐらい出してやってください。
どうせ消えるあぶく銭なら(持ってる人は持ってるからね)、どぶに捨てるよりは、
偽善を気取って、こういうところに使って欲しいもんです。

もちろん、フォトジャーナリズムの限界や問題も分かった上で、
自腹切ろうかと思ってるわけです。
サンプル版の表紙を見ると、「昔ながらの…」という印象もあり、
賛同者も毎度おなじみの方々…のようにも思えますが、
誰かはこのてのことをやらないといけないのかもしれない。
それと同時に思うのは、作り手と読者とが閉じたサークルの本になったら、ちと、寂しい。
つまり、話を分かっている人にだけ通じる話をするようになると、
互いに分かり合っているだけに、気持ちがいいのだが、しかし広がりはないだろう。
本当は、およそ見てくれなさそうなタイプの人が手に取るような、
魅力のあるものになって欲しい。

「選択」という雑誌も年間予約購読で成立しているので、
うまく成立するといいと思っています。
574うなぎ犬:03/11/13 17:51 ID:4h+N3ZBQ
それでだ、朦朧とした頭で、Young爺のグリーンデイルを、
予習で聞いているのだが(昨日やっと買った)、
この中に、あからさかまなFBIへの嫌悪や、メディアへの不信、
エネルギー問題とその黒幕である支配層について歌われていた。
Be The Rainの以下の詩に出てくる「Big Oil」はブッシュのことを思い浮かべる。
Hey Big Oil!
What do you say?
We were runnin' through the night
Never knowin' if we would see the light
Paranoid schizophrenic visions
Livin in fear of the wrong decisions

USAの農業の問題も触れていたが、これについては
「Days Japan」賛同者の広瀬隆氏も書いていた記憶がある。

それで自分ならば、例えばYoung爺のインタビューを載せてみたい。
ある種の「業界紙」にならないようになればいい、
そうすれば、いろんな人が手にしてくれるのではないかと思っている。
575うなぎ犬:03/11/17 20:03 ID:jyy0pe5z
ニール・ヤング爺&狂馬の武道館公演、行って来ました。
第一部のGreen Daleはすごく良かった。(実は行く前はあまり期待していなかった)
見ていると途中から涙がこぼれてきてしょうがなかった。
でも友人と一緒だったので、平気なふりしてた。
2日たっても、まだ考えがまとまらん、
でも、おれの考えていることは間違っていないかもと思った。
(ちょっと飛躍がありすぎて、何言ってるか分からんと思いますが)
もちろん第2部の名曲集もよかったんだけど。
2部も2時間くらいやってくれたら、死んだかもしれない。

ところで、K氏のところがお休み中ですが、なんぞありましたかいな。
何事もなければいいのですが。
576うなぎ犬:03/11/25 19:47 ID:YuNXaOGS
先週、中平展を見に、横浜まで行って来ました。
ちょっと考えてから考えたことを書きまする。
すでに、ちょっと中平スレにも書いたのですが、
まぁ素朴なことを考えました。
577名無しさん脚:03/12/10 17:32 ID:7JD+mLjp
堺の街のあきびとの
旧家をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の域はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

与謝野晶子の有名歌の一部だが、これは日本の現状そのままではないか。
今の日本はよくもわるくも商人国家だろう。それ以上でも以下でもない。
それが戦後進んできた道であり、だからこそ今の豊かさがあるのだろう。
イラクを武力で制圧すること、その片棒を担ぐことが、商人のやることか。
そんなことは、いまだに武器を振り回している馬鹿にまかせて、
千夜一夜物語以来のアラビア商人と一緒に商いをして、
互いが豊かに幸せになれる道を選ぶのが、商人の道ではないか。
近江商人には「三方得」という言葉があるそうだ。
お客も社会も得をするようにすれば、自分も得をするということのようだ。
白く華奢な手に、もちなれぬ武器を持つよりは、よほどましではないか。
578名無しさん脚:03/12/10 18:01 ID:7JD+mLjp
戦争に負けるということは、まったく悲惨なことだ。
やはり日本は敗戦国であり、戦勝国の顔色をうかがわないと生きていけないということだ。
対外関係は、対米関係だけではあるまいに。
以下、引用 http://pws.prserv.net/umigame/ 

 I have found your email address from Yahoo Japan. My name is Mr.
●●●● and I am a high school teacher living in Baghdad, Iraq.
I have learned Karate and Japanese language and I always respected Japan and Japanese people.
 It was terrible news for us that Japanese Army is coming to Iraq to help US invasion.
I have never supported Saddam Hussein but US is nothing but an armed robber.
They are killing Iraqi every day and no ordinary citizen supports them.
 Now, more and more people are taking part in resistance movement.
They are not terrorists or remnant of old regime, just normal people.
Imagine how people would act if any country invaded Japan.
Exactly the same thing is happening here.
 Iraqi should be the one to reconstruct Iraq, not the invaders.
 Do not come to Iraq as a US allied invasion troop!
Iraqi respects Japan but if the army comes now,
Japan will become the enemy of Iraqi and whole Muslim.
 Every Iraqi will feel deeply disappointed to Japan,
a great nation who has never been hostile to Muslim in the past.
Supporting US is absolutely not worth all these losses including Japanese people’s life.
We welcome Japan after the invaders are gone, but strictly not now.
 Please tell our real feelings to Japanese people.
Japanese army should not invade our country!
I love Japan so please, please, do not be our enemy.
We hope Japan will take the right decision as an independent country.

  Rei,
  Baghdad, Iraq 次に翻訳
579名無しさん脚:03/12/10 18:07 ID:7JD+mLjp
 私は、Yahoo Japan で、あなた方のメールアドレスを見つけました。
私の名前は●●●●といい、イラクのバグダッドで暮らす高校教師です。
 私は、空手と日本語を学びました。私はいつも、日本および日本の人々を尊敬しています。
 米国の侵略を支援するためにイラクに日本の軍隊が来るというのは、
私たちにとって恐ろしいニュースでした。
 私は、サダム・フセインを支援したことはありません。
しかし、米国は武装強盗です。彼らは、毎日イラク人を殺しています。
そして、普通の市民はだれも彼らを支持していません。
今、ますます多くの人々が抵抗運動に参加しています。
彼らは旧体制の残党でも、テロリストでもなく、普通の人たちです。
 もし、仮にどこかの国が日本を侵略したとしたら、
人々がどのように行動するか想像してください。
まさしく同じことが、ここで起こっているのです。
イラクを再建するのは、イラク人であるべきです。決して、侵略者ではありません。
 米国の連合軍としてイラクに来ないでください。
イラク人は日本を尊敬していますが、今、日本の軍隊がイラクに来れば、
日本はイラク人とイスラム教徒全体の敵になるでしょう。
すべてのイラク人が、日本に対して失望するでしょう。
偉大な国である日本は、過去の歴史においてイスラム教徒と敵対したことがなかったからです。
 米国を支援することに、日本人の生命を含め、あらゆる損失を被るだけの価値はまったくありません。
侵略者が去った後なら、私たちは日本を歓迎します。しかし断じて「今」ではないのです。
 どうか、日本の人々に、私たちの本当の気持ちを伝えてください。
日本の軍隊は、わが国を侵略してはなりません!
 私は日本を愛しています。ですから、どうか、私たちの敵にならないでください。
私たちは、日本が独立した国として正しい決定をすることを願っています。
                   ●●●●
                   バグダッド、イラク

引用 ttp://pws.prserv.net/umigame/
580名無しさん脚:03/12/13 11:19 ID:iZdCy+XM
ageるか。
581名無しさん脚:03/12/14 15:50 ID:oG1Tl3Wz
ナクトウェイ氏の安否が気になる。
ttp://www.asahi.com/international/update/1212/009.html
582名無しさん脚:03/12/27 14:02 ID:IN8cy0hN
なぜか、別スレを作ってしまった。
閑古鳥ないてるけどね。

来年こそは平穏な1年になればいいと思うが、どうだろうか。
583名無しさん脚:04/01/24 16:27 ID:tOJ021+N
昨日の午後4時ごろ、東京の空は、夕日を浴びてなんともいえない色に輝く雲が浮かんでいた。
ちょうど仕事で外出中だったので、きれいだなとは思ったが、写真は撮らないで行こうと思った。
でも、どうしても撮りたくなって、来た道を引き返してローライで4.5枚撮影した。
ここんところ、どうも写真が撮れなくて、いいなと思う時があっても面倒くさがってカメラさえ取り出さなかった。
写真が撮れないなら書くこともないし、ここも放置していたわけだけれど。

撮れないとはいいながら、子供の写真はぼちぼち撮っていたな。
それと、なんで仕事中にローライをもっていたかは、自分にも謎。
サンボマスター聴いてるからかな。
584うなぎ犬:04/02/25 21:39 ID:C7fl0CuO
久しぶりですが。
このスレ、dat落ちもせず、けなげにもまだ残ってくれています。

ところで、最近、写真の定型表現はありえるのか、なんてことを考えていました。
というのは、娘にカルタを作ってやろうと思って、歳時記を見ながら、
古今の秀歌(俳句は秀句・佳句というのか?)を見ていました。
和歌は五七五七七と長いので、俳句で一種の詞花集を作ろうか、というわけです。
とはいえ、齋藤某の真似事にはしたくない。
なんか、あの人、うさんくさいんだよな。
斯く云う自分も、ある意味、なかなか教育熱心ではある。
お恥ずかしい。

そんなことをやっているうちに、五七五という定型詩の強さ、根深さに気付きました。
芭蕉はちょっと説明が必要だけど、蕪村や一茶は現代の幼児にも分かるもんね。
橘曙覧の独楽吟なんて、貧乏さの具合も共感できる。
585うなぎ犬:04/02/25 21:44 ID:C7fl0CuO
そこで、写真の定型表現がありうるかと考えたが、
「集合写真」と「肖像写真」は、そう言ってもいいかもしれない。
「風景」というのはどうかな。
タルボットも撮っていたからそうかもしれないが、まだよく考えていない。

集合写真についていえば、
実は、深夜TVでたまたま2.26事件の番組をやっていたが、
そこに叛乱部隊の集合写真が映っていました。
あのなかの人々のその後の運命が思いやられた。
自分の高校の集合写真の中には、もうこの世にいない人がちらほらいるもんな。
アメリカン・グラフティだったと思うが、最後に、登場人物のその後が語られていて、
なんだか悲しくなった記憶がある。
それに似たかんじといえば近いだろうか。
最近では北海道で集合写真を撮っただろう。
無事に帰ってきてくれればよいが。

でもなんで集合写真というのを撮りたくなるのだろか。

肖像写真については、まだ書きたいことがまとまらないので、しばらくしたら書くかも。
それまで、このスレが残っていてくれるかどうか。
586名無しさん脚:04/02/29 10:45 ID:+I7lFwiA
うなぎ犬さん、
ちょっと違うかもしれないけど、
写真の場合、四角の紙の上に画像を出すという点で
共通なような気がします。つまり、表現というものは
ある程度の制限があって発揮されると思うのです。
その制限が定型表現といっていいのではないでしょうか。
ただ、その定型表現を心地よく感じるのは人類が長い歴史で
身に着けた美意識という物かもしれません。

写真による表現は言葉のそれより歴史も浅いので
これから何百年先に人類にとってどのような存在になっているかは
楽しみでもあります(勿論その時はいきていないけど)
ただ、その時のために写真を撮り続けて行きたいとおもいます。
587うなぎ犬:04/03/01 14:59 ID:c1t6YrQE
こんな寂れたところを見てくれる方もいるんですなぁ。
ちょっとびっくり。どうもありがとうございます。

ところで、
> 写真の場合、四角の紙の上に画像を出すという点で
> 共通なような気がします。
これは、表現の定型パターン(「定型」と「パターン」て重言的か?)というよりも、
それ以前の大前提で、たとえば、
「俳句は言葉で作る」(大前提)と
「俳句は五、七、五。季語もあり」(定型)のような違いではないかと思います。

で、> 表現というものは
> ある程度の制限があって発揮されると思うのです。
> その制限が定型表現といっていいのではないでしょうか。
これについては、同感です。
制約とスタイルが表裏一体であることは、一時期歌舞伎を毎月見ていたときに痛感しました。
歌舞伎では制約と受けとめられていることが、バレーの世界では新しい演出法、スタイルになったり。
(ベジャールの「KABUKI」とか)

で、写真の定型表現(身に着けた美意識にかない、心地よく感じる表現)は、
これから生まれるものなのか、それとも既にあるのか、どちらなのか。
ここが面白いところなのだと思います。
写真には100年の歴史があるので、すでにその芽がでているのか、
それとも、長い時間をかけてこれから出来ていくのか。
私は、なんとなく、集合写真は既に定型になっているような気がしております。
588うなぎ犬:04/03/01 15:47 ID:c1t6YrQE
その理由なんですが、以下のように考えております。

ポートレート、肖像画は写真以前の時代からあったわけですが、
それが写真という新技術があらわれたときにも援用されたのは当然のことだと思います。
見たものがそのまま画像になっている(「真」を「写」す)ということは、
その人そのものを、できるだけそのままの姿で残したいとい気持ちからすれば、
肖像画に匹敵するか、それに勝るものと考えられただろうと想像します。
実際には肖像画を頼むとお金がかかりすぎるので、
写真のほうが手軽だったというふうに読んだ記憶もあります。

ところで、集合写真がいつからあるかは分かりません。
写真にして残しておくべきだと(自分たちが)考えるような集団というのは、
漠然とですが、近代社会の成立と同じ時期に出来たような気がします。
集合写真というのは、同時に記念写真でもあるからです。
集合として記念し、記録に残したいということは、
なんらかの地縁血縁的つながりや、理念的つながりがあるからでしょう。
そして、それを客観しできる精神状態があるということが近代なのではないかと思います。

もちろんそれ以前から、集団の参加者の記録を残したいという欲求はあったと思うのですが、
大人数の場合、絵筆やペンで各人の顔を描くのは、難しかっただろうと思います。
1人の肖像画なら、手馴れた人ならすぐ描けるのかもしれませんが、
それを100人分やるとなったら、大変な手間と時間がかかるでしょう。
しかし写真ならば、写真師が準備をしておけば、それなりの時間ですぐ撮れてしまう。
しかも、客観的な「機械の目」による生き写しとなれば、昔の人のおどろき、よろこびは
大きかったのではないかと思います。
つまり集合写真は、写真にしかできないことの一つだと思うからです。

とりあえず、ここまで。
589うなぎ犬:04/03/02 17:39 ID:W90/Zbwq
ところで、集合写真の歴史をまとめた人はいないかな。
大学生の卒論レベルの話かもしれないが。
自分が今、大学生ならば、とり上げたかったな。
590586:04/03/06 00:15 ID:JT4KNnLm
遅れましたがレスありがとうございます。
肖像画と写真について自分なりに考えてみましたが、
記録という観点からいくと、画像を形成する過程では写真の方が
手間が少なくて済む訳ですが、写真の場合、個人であれ団体であれ
作家は必ずその場に立ち会わなくてはならない為に
(絵画の場合、面識があれば思い出して創造できる)
その場、その時、に存在していたことの証明としての価値が
あるのだと思います。
591名無しさん脚:04/03/06 21:22 ID:THgnwbPK
流れを無視して書き込むけど

私はひまわりの花を見ると、なんか偽物っぽく感じる。
というのは、ゴッホのひまわりのイメージが強く頭に残っていて、
本物を見ると「この程度だっけ?」と思ってしまう。
592591:04/03/06 21:47 ID:THgnwbPK
私はひまわりを見るときに
ゴッホのひまわりのイメージの影響から逃れられない。
私と似たようなことをひまわりに感じる人は結構いるんだよね。
ゴッホのひまわりって言えば超メジャーなイメージだものね。
ひとつのイメージが、そんなふうに人間のものの見方を
大きく変えてしまうことが、あるんだなあ。
593591:04/03/06 21:49 ID:THgnwbPK
イメージと言うよりimageとした方が良かったかな。
594名無しさん脚:04/03/07 02:01 ID:V7NXNFuO
>>591さん
ゴッホがどのような動機でひまわりを描いたか知らないが
ゴッホにとってひまわりを表現することはまさにあの絵そのもの
だったのではないでしょうか。
その事と同様にゴッホのひまわりにひまわりを感じると言う事は
自然なことだと思います。
写真でも絵画にしても、ある対象を表現する手段でしかなく、
純粋に表現することにこだわる場合どちらにするか
(または他の手段)はたいした問題ではないのだと思います。
今のところ、写真(または動画)では歴史上の出来事なんかだと
多くの人のイメージになっていること(9/11の映像なんか)が
あるわけだけど芸術的なところではどうだろう。
ひとによっては写真はひとを写すためのものと考えたりするわけだし、
(そんなスレあるよね)表現の手段と認めないこともある。
つまり、受け手のひまわりについてそのように感じる感性と、
作者がそのように表現したことの一致が写真ではどうかな、と、考えたりもします。
595名無しさん脚:04/03/08 15:15 ID:JyHpaZvt
写真でもって、本物のひまわりを越える「ひまわり」の本質を抽出することって
できるんかな?
バラの既成概念を壊してバラでないバラの写真を見たことはあるけど。
596名無しさん脚:04/03/08 19:45 ID:fEUU3DNM
>>595
写真と絵画の区別を厳密にすることは、いまは、無益だと思うから
そのへんはあいまいな相互了解の下に話を進めるけど、、
抽出っていうのは、抽象、つまり、捨象ーー捨てる行為ですよね。
捨てることによって「本質」を顕わにする。
いらない部分を削って、純度を高めていく。
それを突き詰めていくと、「絵みたいな写真」になってしまう気がする。


全然関係ないけど、
お菓子でよく「いちご味」ってありますよね。
あれって、考えながら味わうと、
全然いちごじゃないような気がする。
あれは「いちごの何か」の味なんですかねえ?
「オレンジ味」なんかは、なるほどオレンジだなと思うんですが。
597うなぎ犬:04/03/08 19:48 ID:ltShn049
>本物のひまわりを越える「ひまわり」の本質を抽出
それって、いわゆるイデア界に属するものだろね。
できるかどうか分からないが、それを目指すことは意味があると思う。

これを人に当てはめると、ザンダーの肖像写真になるような気がするが、
どうだろうか。

> バラの既成概念を壊してバラでないバラの写真
でも、やっぱりバラの本質が出ているのが、新しいバラの写真ではないかな、と。

なんか、細切れで申し訳ない。
598うなぎ犬:04/03/08 20:43 ID:ltShn049
>596とは、一足違いの書き込みのようで、ちょっとアレだったかな(意味不明)。

純度が高くなると「絵みたいな写真」になるかどうか。
どうだろう。面白いところですね。
頭の中でイメージされるものが、そのまま見ることができれば面白いかもね。
抽象となることは、私風に言わせると、「ものそのもの」としてあらわす、ということ。
でも、それって難しいんだよね。
やっぱり、「誰かの、ある種の見方」にしかならない。
神とかの純粋存在でない限りね。

ただ、それに近いと感じたものはあって、
エドワード・ウエストンの貝の写真は、それに近いものを感じた。

それと牛腸茂雄,「幼年の時」の「改札口の赤ん坊」。
なんだか、純粋な存在が見た、純粋な「赤ん坊」の姿とは、
こういうものではないか、と感じた。
ちょっと誉めすぎか。でも故人を誉めても罪にはなるまい。
むしろ生前に何もできなかったことの罪滅ぼしか。
ちと話がずれた。
599うなぎ犬:04/03/08 21:13 ID:ltShn049
皆様、申し訳ない。
あせっていて、sageのつもりが、
一字抜けていて「age」になっていた。
以後気をつけます。
今度はsageのはず。
600うなぎ犬:04/03/08 22:04 ID:ltShn049
で、600と。
大人げないか。
601名無しさん脚:04/03/08 22:10 ID:K4wg4U8t
うなぎ犬氏が>>551で引用していた賢治の文章だけど、

「けれどももしおまへがほんたうに勉強して…信仰も化学と同じやうになる。」

の後に、更に「けれども」で続いているんですよ。長文引用失礼。

けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、
いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、
紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。
よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、
紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが
書いてある。だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。
いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころには
たいてい本統だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。
けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。
紀元前一千年だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。
このときは斯うなのだ。変な顔をしてはいけない。
ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって
天の川だって汽車だってたゝさう感じてゐるのなんだから、
602名無しさん脚:04/03/08 22:14 ID:Itzv0FOY
>596
結構いいとこついてると思う、
お菓子やジュースなんかの味って、
原材料にそのものが使われてなかったりするけど
ほとんどの人がそういうもんだって思ってる。
つまり、味覚や視覚なんかで、ある対象を表現するのに
必ずしもそのものでなくてもいいんだなあ、なんて。
そのへんって、>>595のばらの写真とかぶってくるのかな。
いずれにしても、重要なのは作者と鑑賞する者との感性が
共存できることなのかなあ、と、思ったりします。
603名無しさん脚:04/03/08 22:33 ID:K4wg4U8t
想像だけど、いちごの成分のうちのある物質を抽出して
純度を高めたものがいわゆる「いちご味」なんだろうと思う。
でもそれは、確かに「いちご味」なんだけど、
本物のいちごとはやはり別物だ。
本物のいちごの酸味であるとか、青臭さっていうのは、ない。
その酸味や青臭さがいちごに必要不可欠な要素だと感じる人にとっては
「いちご味」は失敗作になる。
でも、多くの人が、ゴッホのひまわりを見て
「これこそひまわりだ」と感じるように、
「いちご味」は、いちごの味として一般に受け入れられている。
604名無しさん脚:04/03/09 12:33 ID:IrYli2PS
本物よりおいしそうな食材写真と言うのはたしかにあるな。
これは、抽出とは対極にあって、飾りつけとディテール(マチエール)の繊細な描写が重要?

ところで、>>601の引用は含蓄が深いですね。
紀元前二千二百年のころにみんなが考えていたひまわりといふものが、
紀元後二千四年、だいぶ変ってるだらう。

ということですか...
605うなぎ犬:04/03/11 16:06 ID:8gyPsv6k
>>601の引用部ですが、言い換えるとこういうことだろうか。
ある時代(BC2200)に、通念としてあった世界の姿と歴史は、
その時代の人には、真実と感じられた。
しかし時代がたつと(BC1000)、また世界と歴史についての通念は変わっている。
それはそれでまた、真実と考えられていた(「このときは斯うなのだ」)。

で、難しいのは、最後の2行だが、
その時代に生きている自分たちは、
体や、考え方、事物のとらえ方についても
時代の通念に左右される。
でも、その通念も、時が移り変われば、また変わる。
という意味だろうか。
ttp://homepage3.nifty.com/HAL2002/ginnganorekisi.htm
ここを見ると、その前後が読めますね。

でさ、>>604ですが、
ひまわり自体は変わらないが、
ひまわりのとらえ方が違っているということなのかな、
と思ったりしてます。
地理(というか地形)は、昔からそれほど変わっていないが
千年前の地図と、今の地図は全然違うもんね。
伊能地図とそれ以前とか。
認識が違うので、それが形になったときに違う形になるというわけかな。

ちょっと考えてみました。
606名無しさん脚:04/03/11 17:49 ID:bk2VKMao
いや、地形やひまわりそのものさえも変わりうるという意味を含んでると思う。
「天の川だって汽車だってたゝさう感じてゐるのなんだから、」
という最後の文を感じてみて。

世界は君の認識なしには存在し得ない。
607うなぎ犬:04/03/11 18:17 ID:8gyPsv6k
> 世界は君の認識なしには存在し得ない。
これは、誰かの言葉ですか?

ここ最近の話題というのは、
認識とその現われ方、現れたものの感じ方、ということかと思います。

などと、ニール・ヤングを聴きながら書いております。
仕事が進まないので、つらい。
明日はサンボマスターのライブがあるので、定時上がりの予定。
ということは、今日中に片付けないといけないのに逃避しているわけで。

認識とその現れ方を、写真にあてはめて考えると面白いと思いながら、
まとめるのに時間がかかりそうなので、困ってしまった。
608名無しさん脚:04/03/12 12:09 ID:DNViODYP
それは、漏れの言葉ですが、もともとはかのデカルトが言ったことです。
われ思う、故に我あり。

自分が認識を持たない存在ならば、世界を認識することはありえない。
賢治はそこから、さらに一歩踏み込んで、銀河(宇宙)や、無生物の汽車だって、
「そう感じてゐる」と言ってるように思えます。実に仏教的な世界観じゃないかな?

写真についていえば、自分はシャッターを切ったとき感じてなかったもの、自分の意図を超えて、
目に見えるものの形の向こう側にある何かが写っていた。現像が上がって初めて気が付いた
という経験があります。まるで、被写体が意志をもってそこに存在してるような。
609名無しさん脚:04/03/12 19:32 ID:wGz4ytQl
今夜9:00からテレ朝系で沢田教一の再現ドラマがあるけど、
どうっすかね?
610うなぎ犬:04/03/13 10:04 ID:l9rX2GXy
私は昨日、ライブにいって見られませんでした。
見た方どうでしたか?
611名無しさん脚:04/03/13 17:00 ID:5W4APtr+
ナチュラルグロウにでていた写真家が、
9/11について少し触れてた。
612うなぎ犬:04/03/15 15:51 ID:9BGtbpxO
>>590 res遅れましたが、
「写真の場合、個人であれ団体であれ
作家は必ずその場に立ち会わなくてはならない為に
その場、その時、に存在していたことの証明としての価値が
あるのだと思います」
>>449とか>>464で、関連するようなことを言ってたつもりです。

>>611 小林キセイ氏でしたね。

>>608 ちょっと長くなりますが。
自分があまり断言しないたちなので、
>>606「世界は君の認識なしには存在し得ない」ではちょとギクッとしました。
賢治の世界は、大人になるほど分からなくなってきたというのが本音です。
尤も自分は熱心な読者でもないので、本当ならば何もいえないのですが。

「写真についていえば(中略)自分の意図を超えて、
目に見えるものの形の向こう側にある何かが写っていた。
現像が上がって初めて気が付いたという経験があります。
まるで、被写体が意志をもってそこに存在してるような。」
これについて、一昨年無くなった作家、日野啓三の言葉を思い出しました。
「私自身ではなく世界のほうを基本として心貧しく自由に書き継いできたことが。
多分、これまで私が書いてきたものの中で、
世界の感触と姿が最もリアルに捉えられているのではないだろうか。
(中略)本当に大切なのは、この私ではなくて世界のほうなのだ
(個人的にも、文学的にも)と実感することが多くなっていて、
それでいいのだといまは思っている」。「落葉 神の小さな庭で」あとがき

続く
613うなぎ犬:04/03/15 15:54 ID:9BGtbpxO
自分が認識を持たない限り、世界は認識できないが、
しかし、自分の存在以前に世界が存在している。
撮影の際は、自分が主体のつもりなのだが、
しかしあがりを見ると、世界のほうが自分の思惑を超えていて、
自分の小ささが際立つことがある。
それが起こりえるのは、
自分と世界の間にカメラという機械が介在するからだと思います。
自分よりも世界が先にあることを、機械はただ正直に写しとるから。

なんか、アラーキーも似たようなこと言ってたな。
撮るんじゃない、撮らせていただく。写真は現実の複写に過ぎない。
現実のほうが勝っている、とかなんとか。

それで、ここから中平氏について、
ここのところ考えていたことに流れていきそうなのだが、
それはちょっとあとで。
614名無しさん脚:04/03/15 16:18 ID:wrWzMrBk
深瀬昌久の『家族』を思い出した。
単なる「家族写真」ではつまらないと思ったらしく、
ちょっとした遊びが入っている。
家族の中に無関係のモデルを入れたり、
一人だけヌードだったり等。
でも、写真集としてみたときに、
写真家の小細工(と言ったらいいすぎかもしれないが)よりも
ずっと印象に残るのは、
カメラが機械的に記録した時間の経過なんだ。
父親が歳をとって小さくしわくちゃになっていったり等の。
615うなぎ犬:04/03/16 10:05 ID:UbQdE9nX
深瀬氏の「家族」は、手元にないのですが、
記憶を手繰ると、確か、写真館で撮ってもらうような
家族の肖像写真のスタイルで、長期間にわたり、
そのときの家族が集まって撮影していった
写真だったという記憶があります。
確かご実家が写真館だったような記憶があります。

うる覚えの記憶ですが、
あるときには、家族が増えて
(結婚とか、出産とか)
そのときの写真は、なんだか幸せそうで
こちらもうれしくなって、見ていられるのですが、
誰かが亡くなったり、いなくなったときの写真は、
喪失感が大きすぎて、まともには見られない感じでした。

話が戻るが、「家族の集合写真」というもの
一種の定型表現かもしれない。
絵画でやっていたことを写真に援用しているだけだが。

昨年出た鬼海弘雄の「PERSONA」を見たら、
「王たちの肖像」で写された人が何人か、また写されていた。
20年以上の歳月が経っているので、
大分様子が変わった人もいれば、
変わったようで、変わらないように見える人もいた。
そのことを、鬼海氏のカメラ(八セル+80ミリだったかな)は
よけいな感情移入も無く、ただただ写しとっているように思えた。
ttp://www.soshisha.com/books/1240.htm

カメラが肉体の一部のように使いこなせるようになっていたとしても、
カメラが機械でしかないというのは、大事なのかも知れぬ。

このことと、復帰後の中平氏のことは関係があるように思えて仕方がない。
616名無しさん脚:04/03/16 19:45 ID:y3eQ0yQx
ふと思った。
人間にレンズを向けてシャッターを切る程度なら、
簡単にサルに仕込めるよね。
サルの描いた絵はどうかしらないが、
サルの撮った写真なら十分鑑賞に堪えうるわけだ。
617うなぎ犬:04/03/17 09:22 ID:B1w23u5z
本当にそう言い切れるのかな?
鑑賞に堪えうる写真もあるだろうが。

それと、動物園の象が描いた絵に値段がついたこともあるそうだ。
それは何故か。
このへんを書くと長くなる。

けれど、撮影する側とその意識、その対象、撮影されたものを見る側というふうに、
分析的に考えれば、べつにありえないことではないし、
それほど不思議ではないことに気付くと思うが。
618うなぎ犬:04/03/17 19:22 ID:B1w23u5z
とはいいながら、今になって面白そうな話題にも思えてきた。
あんなこと言っといて、どうしましょ。
619名無しさん脚:04/03/17 21:51 ID:UYdND+CJ
風来節なんか(私はこれをほぼ毎日チェックしてる)
サルかロボットが撮ったような写真だと思う。
ttp://www.furaibusi.com/mainframe.html

アシモ(ホンダ)が小学生の男の子とか撮ったら
良い表情撮れそうだな。
620名無しさん脚:04/03/17 22:14 ID:0nuP+O81
>>616
写真ではないが、かたつむりに、絵の具をつけて
キャンバスのうえで絵?を描かせたものを売っている
やつがいたとおもう。
鑑賞に堪えうるかはあくまで鑑賞する側の問題なのでは?
その一方、写真家を名乗っていても(ry
621うなぎ犬:04/03/19 19:08 ID:Mks4ScVc
明日で1年経つね。
なんというべきか。
子供が安心して暮らせる世の中にしておきたいのだが。
622うなぎ犬:04/03/20 09:54 ID:nnvK4SSh
ttp://www.yorozubp.com/0403/040320.htm
この人がどんな人なのかは知らないのだが。
623名無しさん脚:04/03/21 23:10 ID:1L/G/yea
このスレはすばらしいですね。
まさに「カメラが好きな人は幸せである」を体現していますよ。
624うなぎ犬:04/03/22 12:52 ID:Tf4WENTU
>>623 どうもありがとうございます。
よかったら、時々書いていってください。

ところで、3/20にDAYS JAPANが出たようですね。
まだ入手していないが、うちの近所の本屋にあるだろうか。
625名無しさん脚:04/03/22 13:27 ID:qc+I8jEw
それ、立ち読みしましたが、買う気になれなかった。
表紙というか、1ページ目がきつ過ぎた。正視できない。
サルガドの特集なんかはとてもよかったけど。
626うなぎ犬:04/03/22 14:00 ID:Tf4WENTU
>>625 そうですか。感想を聞かせてくれて、ありがとう。
> 表紙というか、1ページ目がきつ過ぎた。正視できない。
センセーショナリズムに走りすぎていないとよいのですが、
かなりショッキングなのかな。
私は見ていないので、なんともいえませんが。
627名無しさん脚:04/03/22 14:03 ID:E7/VSuV4
>620
おおそうそう、作品と観賞って言う関係が核なんだよね。
628うなぎ犬:04/03/24 18:00 ID:d6kH5pSO
遅ればせながらDAYS JAPANを見てきました。
金がないので立ち読み。明日、買うつもりです。

で、内容ですが。
−立ち読みで内容を語るのは言語道断なのは承知しておりますが、第一印象として−。
もちろん真剣なのは分かるし、その理由もわかるのだけれど、なんか、いま一つ。
内容が単調というか、もっと豊かであってほしい。
結局は、一種の「同人誌」になりはしないかという心配。
つまり、そうゆう考えの人「だけが」買う本になってしまったらもったいないと思うのだ。

後ろのほうに、フォトジャーナリズムにも商業性が大事、と書いている人がいて、私も同感です。

筒井康隆がこんな事を言っていた記憶がある。
手元に資料がないので、ごく大雑把に。
文学でエンターテイメントと、ものごとを深く考えさせることは両立可能だ。
表層的には、娯楽性の強い読み物としても楽しめるが、
ちょっとよく考えれば、もっと本質的なことを考えさせるような、
二重構造をもつようにすれば可能である。(なんかうまく言えないな)
その例としてはドストエフスキーをあげていた記憶があります。

べつに、DAYS JAPANにエンターテイメント性を求めるわけではありませんが、
私にとって、今のあの本は、次号が待ち遠しいという本ではなさそうです。
ただ、理念的に賛同するところがある以上、買うでしょうが。

写真の力は、もっと広く豊かだと思う。
理念、思想で写真をコントロールすることは難しいし、
撮影者、編集者にコントロールされた写真ばかりでは魅力がない。

明日、買ってから、もう一度書いてみます。
629うなぎ犬:04/03/26 18:01 ID:7rQv1gwx
花が咲きそろい始めました。
今日は、これから外に出て、
桜を見ながらゆっくり帰ろうと思います。
それ用に、小型三脚も持参しました。

ところで、Days Japanですが、商業性について書いていたのは、
広瀬隆氏でした。
改めて見直すと、フォト・ジャーナリズムのうちの
「ジャーナリズム」のほうに、より重点が置かれているように思う。
(それはそれでよいが)
人間の求めるべき価値として、「真善美」というが、
創刊号では、真と善について多くとり上げられていた。
しかし、野町氏の砂漠の写真には「美」のほうをより多く感じた。
真とか善だけの追求では、やはり疲れてしまう。
今後は美についても深くとり上げてもいいのではなかろうか。
これが、この本を多くの人が手にとるようになるポイントではないか。
630名無しさん脚:04/03/26 18:53 ID:OI9TOL3Q
>>628
>DAYS JAPAN
今日、都心の大きな書店に行ったんだけど、売れ切れだって。
追加発注しているがいつになるか分からないだそうだ。
ちょっと、びっくり。
631うなぎ犬:04/03/27 10:50 ID:D+Rz1Sd2
>>630 とりあえずご同慶の至りです。
しかし、こうゆうこと言うとセコイのだが、
価格分の内容があるかというと、ちょっと苦しい。
サルガドとナクトウェイの写真も見たことがあるものだったし。
正直言って、自分の場合、値段のうち「理念賛同費」が1/3くらいあるな。
だが、それでは、続かないのではないかと思う。
そして続かないと意味がない。
今後の充実を期待しているわけです。
632名無しさん脚:04/04/20 18:56 ID:mEWiiZlP
ちょっと思うことがあるのだが、まだまとまらんので…。
しかしいろいろありますな。
633うなぎ犬:04/04/21 17:14 ID:+1ZM0kdG
イラクから無事5人が戻ってきたわけだが、それについて考えたことを少々。
もっとも、以下すべて言わずもがなのことではあるし、
情報についてはみずから確認したものでもないので、あくまでも私見として。
誤っているところを指摘してくだされば幸いです。
それと「非国民」という響きに似ている「自己責任」という言葉について。

最近解放された2人について、
大きな意味ではとくに言うことはないと考えている。
(彼らの主義主張については、ここでは触れない。
もちろん功名心もあるだろうし、それもいいと思う)
自分のやるべきと思うことを行なって、ある状況に陥った。
そして無事解放されたということであって、
彼らの活動においては、ある意味、避けて通れないし、
また、リスクとして折込済みのことでもあったように思う。
不幸なことではあるが、しかし良くあること。
それを承知した上での活動である以上、
こちらからはあまり言うことがなくなってしまう。
今後も無事に帰ってきてくれと言うことと、
世の中がよくなるほうに頑張ってくれというくらいか。

そして、3人のことであるが、
一緒くたにせず、各人を分けて考えるべきところと、
共通する問題の部分があるように思う。
634うなぎ犬:04/04/21 17:16 ID:+1ZM0kdG
各人を分けて考えた場合、
郡山氏についてはどうしても点が辛くなる。
(私自分も写真を撮るからだろうか?)
KALI氏がどこかで書いていたが、
戦場カメラマンはまず現地にたどり着くのが大事だという。
郡山氏は、先ずそれが出来なかったわけで、
お話が始まる前に退場になってしまった。
子供の写真を誉めている人がいるそうなので、
そちらに専念したほうが良いのではないかと思う。
ひょっとして戦場カメラマンとしてのセンスと運がないのかも。
(よけいなお世話であるか)

高遠氏については、志は立派であるが、
他にやりようもあったのでは、というくらいで、
あまり言うことはないです、よく知らないし。

で、今井君であるが、あの人は何のつもりで行ったのだろうか?
言い方を変えれば、彼は何ができる人なのだろうか(絵本作家?)
そこのところが分からない。

人が困窮しているところに行っても、彼らのために何も出来ないなら、
むしろ行かないほうが相手のためになると思う。
あるところで聞いた話だが、
阪神大震災のとき、善意だけの人が現地に行ってボランティアをしたいと言った。
そのとき、現地で差配する人に「あなたは何が出来ますか?」と聞かれ、
答えられなかった。で、「では、トイレ掃除をお願いします」と頼まれた。
(仮設トイレしかないので、いろいろと大変だったそうだ)
しかし、汚れたトイレを見て、そのまま行方知れず、どこかへ行ってしまったそうだ。
635うなぎ犬:04/04/21 17:17 ID:+1ZM0kdG
善意は貴い(と思う)。
しかし善意だけでも仕方がないのではないかとも思う。

で、この3人の方に共通する部分と感じられてしまうのが、
なんだか素人くさいというかプロではないというか、そんなところ。
「自己責任」という言葉が一人歩きしているようだが、
自己の果たすべきこと(=目的)について、なすべき事(責任)をしていない、
という意味の自己責任は果たせていないように思う。

あ、なんか的外れのことを言っているかもしれん。
でも、それを含めてご指摘をお願いします。
636名無しさん脚:04/04/21 19:49 ID:c+v2uAeA
おれは、この拉致事件にはあまり興味ないな。
むしろ、「ソンミ村」になっているかもしれない
ファルージャの状況のほうが知りたいので、
拉致事件にニュースの時間を取られて苦々しく思っている。

>なんだか素人くさいというかプロではないというか、そんなところ。

私は、彼らの活動の意義や効果の有無を問題にする
論調がいまいちぴんとこない。
仮に、単なる自己満足だったら、だからどうなの?って思う。
別にそれでもいいんじゃない?

「自由のもつ価値は、自由に選択された活動の価値に還元されない」。

とりあえず、この国が、国の政策と自分の行動の整合性を
気にしなくちゃいけないような国にならないように願う。



637うなぎ犬:04/04/22 17:54 ID:EBRdiFYD
>>636 ご意見ありがとうございます。
読んで気付いたのだけれど、自分はどういう立場で見ていたのか考えると、
むしろ、イラクに行くほうに自分を想定して考えていたように思う。
(むろん臆病者なので行かないけれど)
どうせ行くならば、ちゃんとやって欲しいと思ったわけです。

で、書いてくれたように、大事なのはイラクの現在のことであって、
それを伝えることは、2次的なのかもしれない。
どうやれば、平穏に暮らせるようになるのか、ということのほうが重要。

同時に思い浮かんだのは、「非国民」という言葉で、
> この国が、国の政策と自分の行動の整合性を
> 気にしなくちゃいけないような国
つまり、国策と自分の言動が食い違うと
即座に「非国民」と言われることの恐ろしさを感じたのだ。
(さすがに直接そういう人はいないが、やっていることはそういうことだろう)
世の中の半分以上の人は、非国民という言葉の実体を
体験していないはずであるが、
それが、ある局面で亡霊のように出てくるのは、
養老氏が大学紛争時代に感じた「非国民」の感覚と同じだろう。

概ね、以下URLに書いてあることとほぼ同意見なので、
このくらいにします。
ttp://www.mail-journal.com/20040421.htm#1
638名無しさん脚:04/04/22 20:13 ID:bBtV5pTd
今後の予想

mona登場
わざとらしく酔っぱらいレス

数名からの突っ込み

酔っぱらいレス

ちゃんちゃん
639うなぎ犬:04/04/23 09:37 ID:OdG6TVU+
↑誤爆?
mona氏とここでからんだことはないと思うのだが。
それと
> ちゃんちゃん
で終わるような話は
ここではあんまりしていないと思うが、
それは自分の思い込みでしかないかもしれないな。
640名無しさん脚:04/04/23 11:36 ID:bQ0t3eif
相手にしないほうがいいよ。
最近の亀板は終hる。
みんな、ロコルルの経緯を思い出せ。

せめて、ここみたいなスレはひっそりと。
641うなぎ犬:04/04/23 15:33 ID:OdG6TVU+
>>640 アドバイスありがとう。

ところで、さきほどDays Japanの2号を買ってきました。
>>631で「理念賛同費」などと言ったが、申し訳なく思う。
今号の紙面を見ていたらとてもそんなことはいえないと感じた。
内容をみると、人の命というコストがものすごくかかっていると思う。
値段のつけられないものに対して、高い、安いは言えない。
と同時に(だからこそ、とも言えるが)、
>>629で書いた、真善美のうち、美がさらに必要だと思う。
何故かはうまくいえないが、互い信ずるの真と善とが激突する状態を
打開するためには、美が必要ではないか、と思うからだ。

それにしても、真実であろうか?
おそらくそうなのだろう。嘘のほうがいいのだが。
ttp://www.yorozubp.com/0404/040421.htm
642うなぎ犬:04/04/24 15:44 ID:O1p+3/O1
昨日は、TVでサンボマスターを見るはずだったが、
子供が夕飯ひっくり返して火傷騒ぎで見れず、
今日は渋谷のタワーレコードで店内ライブがあるのだが
整理券が手に入らずに見れず、
けっこうつらい気持ちだったのだが、
今日発売のライブのチケットはおさえられた。
まずはめでたい。

ところで、マスコミの信頼性について考えることが多くなった。
もちろん、以前からある種のバイアスを前提として見ていたのだが、
それ以前のレベルになってきたような気がする。

編集者といっても、記事や本を作るよりも
外注手配と納期管理が大きなウエイトを占めている人が少なくないように、
記者たちもそのようになってきたのだろうか?
単なるサラリーマンというか、近視眼的というか、なんと言うべきか。
そして、バイアスを前提としてある程度の信頼があると思っていた媒体も
ほとんど見当たらないような気がする。
その代わりがインターネットであったり、そのなかの
アンダーグランド的情報だったりするのかもしれないが、
それだけでは心細すぎる。
声の低い賢人たちはどこかにいるのだろう。
しかしそれに出会うだけの力が自分にないということか。

少し金が出来たらDAYS JAPANに協賛金を送ろうかとも思う。
前は一口10万で、とても無理だったが、今は小額でも良いらしいし。
といっても夏まで無理かな。
643名無しさん脚:04/05/07 15:01 ID:xiAGMVhl
DAYS、あのネコのマンガはなんとかなんないのかね?
644うなぎ犬:04/05/10 14:50 ID:gSTPWiab
>>643 なんか終わりのほうにマンガあったような気がするけど
いまは、思い出せない。すまんです。

先週の土曜日、銀座のニコンサロンへ、
鬼海弘雄氏『PERSONA』を見に行きました。
午後2時ごろでしたが、なんと鬼海氏本人がいて
見にきた人と話をしていました。
もし、鬼海氏がいたら、ぜひサインをもらいたいと思って、
「王たちの肖像」を本棚から出しておいたのですが、
出かけるときのドサクサで忘れてしまっていたのでした。
残念だ。ちくせう。

それはそれとして、やっぱりプリントで見るとますますいい写真です。
いつも思うのだけれど、キャプションのつけ方が上手い。
なんだか、小説的なひろがりを感じるようなキャプションです。
あのキャプションの付け方と、鬼海氏の撮影の際のスタンスは、
なんだか関係があるように思います。
「28年間人形を育てている人」という写真のとなりに、
「人形と28年間一緒に暮らしているその夫」という写真があり、
なんだか人生の不思議な悲しさのようなものを感じました。
とどうじに、製本工のおじさんの七変化(留袖を着たおばさんになってたりする)には、
なにか、ある種のユーモアも感じました。

5/15までと期日が迫っていますので、興味もしくは暇な人はぜひ行ってみて。
645unagi:04/05/10 17:11 ID:gSTPWiab
中平論は難解だなぁ。じっくり読まないと。
それでも、『「凹型の視線」をカメラが持っていて、
人間が「凸型の視線」を持っている』というのは、面白い指摘だと思う。
これって、一般的に知られた言葉かな?
そうでないとすれば、この言葉は、
今後写真について考えるときに意味が出てくる「新しい」言葉ではなかろうか。
とりあえず、自分としては、今後パクって使わせてもらいたいです。

それと「主体」について、
自分でも漠然と考えることがあったので、
参考になるところがありました(全部は理解できてないので)。
646うなぎ犬:04/05/10 17:40 ID:gSTPWiab
途中で書き込んでしまった。
すまんです。
しかしK氏は鬼のような勢いでやっておられますなぁ。
647名無しさん脚:04/05/10 21:49 ID:hGoMrJ0k
648うなぎ犬:04/05/11 19:26 ID:Cwq5RU8o
↑ちょっと見たけど、こんなもん貼られてもな…。

今日、ちょいと古本屋をのぞいたら、
オフィスへリア刊「フォクトレンダ−」があったので、
つい買ってしまった。今月苦しいのに…。
しかしヴィト−とヴィトマチック(距離計連動型)は美しいのぅ。
スコパ−付きのペルケオ欲しい。
649うなぎ犬:04/05/21 12:21 ID:7LyzzAv8
台風一過、関東地方は、いい天気です。
台風といっしょに、空気中の塵も吹き払われて、空気の透明度が高い。
5月の日が照り付けて、まるでテッサー+リアラで撮影したようです。
仕事をせずに写真撮りに行きたい。

ところで、先日、雑誌「東京人」を見ていたら、
文京区の新江戸川公園の桜の写真が掲載されていた。
よく通るところなのに、自分にはああいう風には見えていなかった。
というか、ぜんぜん気づかなかった。
実は、桜の季節にその公園に行ったのだが、
掲載写真と同じと思しき撮影ポイントで中版で撮影中の人がいた。
自分は「あんなところで何を撮影してんだか」などと思って、
通り過ぎていたのだった。
その人が撮影者だとは思わないが、自分が馬鹿すぎて
いやになってしまったことであるよ。

東京写真美術館で奈良原一高展が始まるが、
いつ行こうかな。
650うなぎ犬:04/06/09 16:02 ID:8UNti+zD
先日、近親者を保護入院させ、なんか自分も疲れてしまった。
そうなるようにしてしまった悔いもあるし、
かといって何が出来たのかと思うと、そこで考えが止まってしまう。

他の人から見ると、自分もおかしく見えるらしく
同僚から「よく効くから、自分の飲んでいる薬あげようか」
(前聞いた話では安定剤の類らしい)と言ってもらったが、
医師の処方もなく飲むわけにはいかないので、お心だけ頂戴した。

自分は弱い人間なので、以前もストレス性の耳鳴りになったりしていたが、
そのときはSonic Youthを見て、治ってしまった。
今回は、サンボマスターと、その翌日、遠藤賢司のライブに行き、
家人には怒られたが、自分ではだいぶ気分が晴れたつもりだったが。

柘榴のオレンジの花がすきなのだが、
写真をとるまもなく、花の季節もが終わりつつある。
それにしても、宮本隆司の写真展にはなんとか行きたいもんだ。

関係ないけど、日本の自殺者数は2〜3万人いるとは
よく言われているが、それと子供の出生率減少は関係あるのではないかな。
やっぱり、自殺者が減らないような世の中では、
子供を持とうとすること自体にためらう人がでてきてもおかしくない。
結婚自体が減っているというが、結婚以外のカップルというかたちもあるはず。
ひょっとして、ともに暮らすという気持ち自体が起こらないのではないか、等と考えてみたり。
651名無しさん脚:04/06/09 18:25 ID:gHCmFW56
どうやって精神の健康を保つかって、難しいですね。
私も、就職活動がうまくいかない時期があり、
昼間も横になってばかり、だんだん家族の目が気になり、
家にいても気持ちが落ち着かず、精神的に参ってしまった
時期がありました。
今は、何とか就職先も決まったので、気持ちも落ち着いていますが、
それは単に運良く状況が好転したというだけのこと。
あの状況が続いた場合に、自分は、あの精神状態から脱出する道を
見つけられただろうか。自信は全くありません。
関係ないですが、その落ち込んでいた時期にこの板に来て、
「カメラってお金持ちの趣味だな」と感じました。
652うなぎ犬:04/06/10 12:20 ID:RJ2y640z
>>651 書き込みありがとうございます。
いま学生さんですか?

最近気付いたのですが、おもいなやむとき、考え事があるときは、
外を歩きながら考えたほうが良いようです。
なんか、そのほうが自滅的にならないし、
マイナー思考になりにくい気がしました。
体を動かしているせいでしょうか。
堂々巡りでもはあっても、考えた結果は、どちらかと言えば
行動に結びつくものになっていたような気がします。
そんなとき、肩からカメラをぶら下げて歩いても良いわけで。

世の中ままならぬことが多いのですが、
鬱屈を抱えながらも生きていく方法を考えなければならない。
(そもそも鬱屈のない人もいるが、あまり多くないのではないかな)
>>68に書いていることは、自分なりの方法です。

漱石の「山路を登りながら、こう考えた」という一節を思い出しました。
恥ずかしながら?「こころ」は未読です。読んでみようかな。
漱石で好きなのは「私の個人主義」とか「硝子戸の中」かな。
というか、ちゃんと読んでいるのはこれくらいか。

続く
653うなぎ犬:04/06/10 12:21 ID:RJ2y640z
> 「カメラってお金持ちの趣味だな」と感じました。
そんなこと無いと思うよ。その証拠に俺もやってます。
どんな写真を撮りたいのかによって変わるけど、
【中古】  安い一眼レフ  【一万円】
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/camera/1086518571/l50
★☆★☆★ EOS600シリーズ Part2 ★☆★☆★
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/camera/1075436510/l50
貧者の、しかし心豊かな機材は有るか
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/camera/1017757461/l50
とか見てください。
で、モノクロを自家現像すれば、だいぶ安くできる。
引き伸ばし機はいま捨て値で転がっているし、あとはやる気次第。
というか楽して喜びは得られない(自戒を込めて)。

自分も独身であれば、また引き伸ばしやりたいな。

というわけでこれから昼休みの散歩にいってきます。
もちろんカメラを持って。
654うなぎ犬:04/06/10 13:18 ID:RJ2y640z
などと言いつつ、
カメラを持って散歩に行きましたが、途中で図書館に寄ってしまい、
今日はそこでおしまい。
1枚も撮りませんでしたが、図書館で岡本太郎のフィルムを
内藤正敏が焼いた写真集が会ったのでさっそく借りました。
内藤正敏は、モノクロの遠野シリーズとか、新宿の夜とかの
イメージが強いけど、しばらく前に見た、
富士山の山頂や出羽の山(即身成仏に関係がある山)で
長時間露光したカラーには心を揺さぶられました。
神懸っているというか、なんというか。

関係ないけど、「暮らしの手帳」今号の巻頭、
「朝ご飯 食べた」の写真は、なんかよかったな。
一見、今流行りのカラーで何事も無い日常を撮っているようだけど、
ちょっと違うような気がした。
索莫とはしていない。空虚ではない感じだろうか。
よかったら誰か見てみて。
655うなぎ犬:04/06/14 12:16 ID:A4OO7T2d
昨日、時間を作って世田谷美術館の宮本隆司展に行ってきた。
ttp://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html#sp0001
神戸の震災の写真には圧倒された。
特に天井の高さまで引き伸ばされた巨大な写真は、
ほぼ、実物大?だろうか。
前景に写っているジュースの缶の大きさがほぼ実物なので
そう思ったが。
あれがカラーであれば、生々しくて直視できないかも、とも思ったが、
このへんどうだろうか。考えてみたい。
しかし、あんな地震になったらまず助からないな。
長田地区で電信柱が曲がっている写真があったが、
いったい火事で何度になれば曲がるのだろうか。
ぞっとしたよ。

図録は表紙が2種類あり、「鏡」か「窓」のどちらかを
選ぶことができるようになっていた。
自分は鏡派か窓派かしばらく迷ったが、結局「窓」にした。何でかな。
※Googleで「シャーカフスキー 鏡 窓」で検索してください。
そういえば、この板のどこかで窓派と鏡派のことを
初めて知ったのだが、どのスレッドか忘れてしまった。

それとピンホールカメラの写真を見ると、
宮本氏の脛毛の影も写っていた。
なんとなく笑ってしまった。

畠山直哉や宮元隆司のような写真は、
自分が撮っているのと全く別物だが、何故か惹かれる。
自分にないものだからだろうか。
656名無しさん脚:04/06/15 11:33 ID:XSxedKIB
カメラを持って歩くと、いつもの街角や、道端の雑草が、
特別なものとして見えてくることがあるけど、
これって、プチ宗教なのかな。
657うなぎ犬:04/06/15 16:45 ID:epQ0fqWA
「プチ宗教」とは聞きなれぬ言葉だが、
このような考え方、書き方が、今風というやつだろうか。
ちょっと唐突な感じがする言葉ですが。
でも、これで相手にも通じるという前提なのだろうね。

でも、以下のことは、同感。
> カメラを持って歩くと、いつもの街角や、道端の雑草が、
> 特別なものとして見えてくることがある
>>66>>68はその辺の事情について書いているつもり。

ありふれているものでも、本当は、それひとつしかないもの。
それ自体が価値と意味を持つはず。
それは社会的にはありふれた存在である自分
=交番の掲示板の「昨日の死者 1」の「1」でしかない自分
(アラーキーにそういう写真があったな)も同様に、
それ自体が独自の価値と意味を持つ者であることを思い出させてくれる。
(もちろん、それが「世界にひとつだけの花」でなくて、
たいていは美しくも面白くもない雑草であるわけで、
だからこそ社会的にはありふれた存在であるわけだが)

自分だけでなく、他の人もそうであることに気づけば、
もうちょっと生き易くなるようにも思う。
それが、「救い」を与えてくれるものとしての「宗教」という言葉を
ひっぱってきたのかな。でも、大仰ではないように「プチ」をつけて。

現代は、神なき世であるらしい。
でも神なしで生きるのは難しい。そこで、
>>319後半「祈りを必要とする個人の神=芸術」
となるように思う。
なんか、この話、おれにはむずかしいな。
658名無しさん脚:04/06/15 21:17 ID:wnDIfrgx
現代が神なき世であるのは、
わたし(たち)が神を否定したから。
しかし、神なしで生きるのは難しい。
だからといって、いったん否定した神(既成宗教)に
回帰するのは悔しい。
で、すがったのは結局、自家製のハンドメイド宗教。
そして、その自家製の宗教ですら、オリジナリティが欠如している。
どうしようもなく陳腐になっている。
書店の雑誌コーナーに行けば、宗教カタログばっかりだ。
659うなぎ犬:04/06/15 23:20 ID:epQ0fqWA
>658さん。resありがとう。
言うたらなんですが、私自身は神を否定してはおりません。
より正確に言えば、人知を超えるものはあるだろう、という立場です。
といって、それを誰かに押し付けようとはしないけど。

いったん否定した神に帰るのと、
自家製の陳腐な神ではどちらが良いのか、
それはおれには手におえない問題です。
斬新なものが現れたと思ったらΩだったりして。

陳腐なほうが人を惑わさない分、
罪が少ないだけまだマシとも思ったり、
偽メシアのなかに本物がいるかもと思ったり。

とはいえ、新興宗教や芸術という似非?宗教に向いたくなる、
その心の部分が大事なわけで、
やっぱりみんな救われない存在なのかな、と思わぬでもない。
そこに芸術の意味があるのかな。
(しかしそれを政治で解決しようとする人もいるだろう)

ところでこの板に則して考えれば、写真は芸術として可能か?
芸術足りえる写真もあるというのが答えだと思うが。
660うなぎ犬:04/06/17 10:40 ID:rm8MXV00
言うところがないので、ここでちょっと弱音を吐くか。

どうもいろいろあって、まだ軽く鬱気味。
またコップがあふれそうだよ。
思いのたけをぶちまけるとか、
感情を爆発させるとかすると
すっきりするのかもしれないが、
どうも性格的にできない。
なんかそれははしたない感じがする。
屈託とか鬱屈とうまく付き合うことが
まだできないようだ。
酒はなんとかやめられたのにな。

で、小人閑居して不善を為す、とならぬよう、
昨日から、テキスト入力ばかりやってるな。
いまのおれには、一種の写経みたいなもんか。

まぁ、写真のほうもスランプということで、
こういう時はジャンクカメラをいじるのだが、
最近、似たような精神状態のとき、
続けざまに2台、とどめをさしてしまった。
(ある種の暴力性の発現か?)
それもジャンクに申し訳ないからな。

以前なら酒を飲んだろうが、そうしないだけマシとしよう。
661うなぎ犬:04/06/22 20:07 ID:Km6Xk9U7
昨日は丸田祥三、切通理作の「日本風景論」を読んでいた。
生まれた年がまったく同じ(新幹線の走った年なので)
かなり、賛同する部分があった。
とくに、親の戦争体験の部分は、自分もそれなりに聞かされていて、
太平洋戦争は、それほど遠くにあるものではなかった。
実は丸田氏の写真は独特の作風があって、手にはしても、
じっくり見るほどではなかったが。
(鉄オタだと思っていた。鉄オタはまわりにいないので)

ここで言う「風景論」は、物理的な切り口、たとえば
山、川、町並み(時代を超えて残るもの)ではなく、
むしろ、時間性を軸にしているように思った。

咀嚼しきれていないので、まだ上手くいえないが、
世界が壊れてしまったことを感ずる感性があると思う。
これより若ければ、すでに壊れたものとして、
また年上であれば、まだどこかに残っているはずのものとしての
風景が、ここ20年程で壊れ行くありさまを感じていたのではなかろうか。
662名無しさん脚:04/07/05 14:28 ID:OoMCs98s
日本カメラを立ち読みしていたら、
中沢新一の講演録が掲載されたいたのに気づいた。
けっこう、これ大事なこと書いているように思うのだが。

写真−特に決定的瞬間を微分としてとらえていたと思うが、
数学に弱いので、ちゃんと分かったか自信がない。
馬鹿は悲しいのぅ。

土門拳の「走る」仏像の写真について、
永遠の相というかイデアをベースに
論じているあたりが、おれ好み。
というか、中沢新一は以前から気になる人ではある。
誰か、ほかに読んだ人いないかな。

さっき飛ばし読みしてきただけなので、詳しくかけなくて歯がゆい。
663うなぎ犬:04/07/07 19:54 ID:tvrLTSRi
中平論、また出てましたね。読ませていただきます。

写真は「真」を「写」すかという件について。
朝日新聞を見ていたら、
報道写真についての連載コラム「戦争と写真」があった。
その中で、ケビン・カーターと、ナクトウェイについてふれていた。
でも、もうすこし書きようがあったんじゃないかな。
字数が足りなかったのだろうが。

ところで、最近、がらにもなく井筒俊彦氏の著作を読んでいたのだが、
意味と、意味を生じる以前のもの(混沌)についての考察があった。
これは、おもてにあらわれた現象と、
その現象を生み出した本質との関係ともいえる(と思うが、ちょっと自信ない)

これを読んで、写真というものは、撮影者の意図とは別に、
実は意味以前の状態(現実−混沌)を、
機械により可視的なかたちで定着したものであって、
それを後付けで意味を付与しているにすぎない、とも思った。

続く
664うなぎ犬:04/07/07 19:55 ID:tvrLTSRi
まず、撮影時は「現実をどう分節するか」、
そして、写真になったら「写された混沌をどう分節するか
(=意味を与える)」というステップがあるように思うが、
後者の場合、見る者が混沌からどんな意味を引き出すかは、
撮影者にはほとんど見当がつかない。
しかし、それによって、規制の枠組み内の意味を超えたもの
=意味以前のものを提示することができる、と評価することもできる。

ナクトウェイは、たしか「写真では現実の戦争を伝えきれないが、
写真が触媒となって、そのにおいや音や衝撃を喚起することはできる」
と言っていたと思う。
意味付けすれば逃げてしまうものを、意味付けの不能性によって、
かえってつかむことができるのが、写真の一面ではないか。

自分には家族を撮った写真がたくさんあるが、
それを「家族愛の写った写真ですね」と人に言われたら、
「そんな薄っぺらな言い方するなよ」と思うだろうな。

ちょっと、支離滅裂か。
665うなぎ犬:04/07/28 12:29 ID:Yc3jzvrv
中島らもが亡くなった。
結局、酒はやめられなかったなんだな。
俺は、「今夜、すべてのバーで」を読んだのが、きっかけのひとつになって、
酒への依存をやめられたのだが。残念だ。

このところ、引越しやらなにやらで、あわただしかったが、
これからなんとか以前のペースにもどしたい。
666うなぎ犬:04/07/28 12:30 ID:Yc3jzvrv
で、666と。
667うなぎ犬:04/08/10 18:28 ID:rzqvSCa8
>>654でも書いたのだけれど、時々「暮らしの手帳」を見るようになった。
今号はなんと東松照明を取り上げている。
モノクロを結構きれいな印刷で見せているが、中途半端な写真雑誌よりやる気があるようにも思える。
巻頭ページでは新たな「一千五厘の旗」について書いているが、
ある程度、共感する俺は「プロ市民」と呼ばれるのだろうか。なんと呼ばれようがどうでもいいことだが。

原爆記念日についてなにか書こうと思ったが、それに代わるものとして、暮らしの手帳を取り上げてみた。
俺の文章より、東松氏の写真のほうが意味があると思うから。

しかし、ここもそろそろdat落ちだな。
それもまたよし。
ttp://sskyso.hp.infoseek.co.jp/
668名無しさん脚:04/08/17 00:39 ID:oXyWe0O4
もういくつ寝ると
669名無しさん脚:04/08/22 13:23 ID:LZd+HKrR
670名無しさん脚:04/09/12 14:01:26 ID:b0DUDAkr
次スレのタイトルは
【悪辣】うなぎ犬日記【ウザイ】
671名無しさん脚:04/09/18 18:04:26 ID:bSQ4EJsd
もう3年経ってしまったのか。
672うなぎ犬:04/10/07 12:27:05 ID:djPzdV4Q
このスレ、まだ生きてるんだよな。

しかし、サミーがいなくなってさびしいノゥ。
673うなぎ犬:04/10/20 09:37:42 ID:N2Jn4eA8
昨日、三鷹の牛腸茂雄展に行ってきました。
三鷹についたのが18:30で、会場が二つあるのを忘れていて、
結構あせりつつ見たのだった。
余裕もって、落ち着いて見たかったな。

昨年竹橋の近代美術館でやっていたので、
今回は見送ろうと思っていたのだが、
会期間際になって急に行きたくなったのでした。
内容はデザイン学校時代の習作があったりとか、
いろいろあるのですが、カメラ板っぽくみると、
牛腸氏の使用していた機材が展示されていたのが
良かったな。以下、列挙。
・キヤノンAE-1、50/1.4、50-200ZOOM
・オリンパスXA
・ミノルタオートコード
・キヤノネットQL17
三脚はどこのだったかな。
使用フィルムは何だったのだろうか。ネオパンとかかな。

やっぱり、写真集で見ているよりはるかに生のプリントは美しくて、
それだけでも行く価値あるな。
それと「見慣れた街の中で」のポジはすでに退色が始まっているそうで、
やはり、モノクロのほうが時の試練に耐えられるのだな。
最近、カラーネガで撮っていたけど(子供はモノクロで撮っているけど)
モノクロ中心に戻ろうかな。
といっても以前のように自分で焼けないのがつらいところだが。

とりあえず、こんなところで。
674うなぎ犬:04/10/20 10:27:04 ID:N2Jn4eA8
追加&訂正
・ズームは80-200だったかな。

会期は10/24まで、19:30まで入場可能。
詳細はこちら↓
ttp://www.mitaka.jpn.org/calender/gallery/
で、割引券あり。観覧料のところにボタンがあるので
すり出して持っていくと、値引きしてくれる。

ところで、このスレ、今705ですね。
よく今までもってくれたものだ。
675うなぎ犬:04/10/20 11:09:11 ID:N2Jn4eA8
もう最後だろうから、いろいろ書いておくか。
このスレを立てたのは、
今はこの板にはいないサミーの影響を受けたからだ。
もうこの板に出入りして3年くらいになるのか。

自分の性格が狷介であることもあり、
サミーのように、この板とリアルワールドを関連させて
活動するようなことはできなかった。
でも、いろいろな人との対話ができて
自分としては得るものが大きかった。
付き合ってくれた人には、本当に感謝しています。

最近は暮らしの手帳を見るようになったな。
今度は手紙特集で、島尾伸三夫妻が出ていた。
写真も良いよ。
暮らしの手帳編集部には写真好きがいるようだな。
うる覚えだが、TOPCON PR が写っていたような。

もし、このスレを見る人があれば、
もうageることはやめてもらいたい。
他の人がすることはコントロールできないが
少なくとも、自分ではよほどのことがない限りageない。
とはいうもののスレは共有物なのであろうから、
いくら自分が「1」であっても、どもならんな。

>>670よ。安心しろ。
次スレなんぞたてる気ないよ。
676うなぎ犬:04/10/20 11:10:19 ID:N2Jn4eA8
このごろ都に流行るもの
夜討ち 強盗 謀りんじ
召人 早馬 嘘騒動

生首 還俗 自由出家
にわか大名 迷い者
安堵 恩賞 嘘軍

本領離るる訴訟人
文書入れたる細葛
追従讒人 禅律僧

下克上する成り出者
器用堪否沙汰もなく
もるる人無き決断所

着付けぬ冠上の衣
持ちも慣らわぬ笏持ちて
内裏代わり珍しや

賢者顔なる伝奏は
我も我もと見ゆれども
好まなりける偽りは
愚かなるにや 劣るらん
677うなぎ犬:04/10/20 11:11:21 ID:N2Jn4eA8
ばさら扇の五骨
広輿 痩せ馬 薄小袖
日銭の質の古具足
関東武士の籠出仕
下衆上臈の際もなく

大口に着る美精好
鎧直垂猶捨てず
弓も引きえぬ犬追物
落馬矢数に勝りたり

誰を師匠となけれども
遍く流行る小笠懸
事新しき風情也
678うなぎ犬:04/10/20 11:11:52 ID:N2Jn4eA8
京鎌倉をこき混ぜて
一座揃わぬえせ連歌
在々所々の歌連歌
点者にならぬ人ぞ無き
譜代非成の差別なく
自由狼藉の世界なり

四夷を鎮めし鎌倉の
右大将家の掟より
只品有りし 武士も皆
なめんだらにぞ 今はなる

朝に牛馬を飼いながら
夕に賞ある功臣は
左右に及ばず事ぞかし

させる忠孝無けれども
過分の昇進するものあり
定めて損ぞあるらんと
仰ぎて信をとるばかり

天下統一珍しや
御代に生まれて様々の
事を見聞くぞ不思議共

京童の口すさみ
十分の一ぞもらすなり

「二条河原落書」
679うなぎ犬:04/10/20 11:13:34 ID:N2Jn4eA8
結局、人は変われど、やることは変わらんのかな。
とはいえ、自分にできることはやっていかねば。

子供のために、ちょっとでもましな世の中にしておきたいから。
680名無しさん脚:04/10/20 12:21:17 ID:N2Jn4eA8
今、板の最後尾、709番目にしました。
では、さようなら〜。
681名無しさん脚:04/10/20 20:20:09 ID:Bu44ZPvj
age
682名無しさん脚:04/10/20 20:29:34 ID:E8rB7jcP
アルカイダの「誤爆」をもう一度。
683名無しさん脚:04/10/21 21:33:47 ID:PtTKsFPs
サミーてどしたの?
684名無しさん脚:04/10/22 12:32:32 ID:xbaL74/m
685名無しさん脚:04/10/22 17:22:40 ID:UNx8FvtF
>>684
よくわからんなぁ。
あのスレキモいから覗いてなかったけど。
精神世界にはまったようだたね。サミー末期。
686名無しさん脚:04/12/01 22:59:39 ID:uEBknCjX
派兵延長かどうか騒いでいる時期にこのスレッドのこの寂れよう。
日本人はやっぱり飽きっぽいね。北と戦争する日も近いのかもしれん。
687名無しさん脚:04/12/02 01:47:20 ID:m3hMnQCs
>>686このスレの寂れ方で日本人が飽きっぽいかどうかがわかるの?
688名無しさん脚:04/12/02 11:08:41 ID:YNTmc+W4
>>687
社会全体を見ればわかるでしょ。
689うなぎ犬:04/12/02 12:15:19 ID:y0l7qbaf
もちろん、書きたいことはいろいろあるよ。
でも、それは、これまで以上に板違いになりそうだ。
そのことへのためらいがある。
自分はどちらかといえば政治的な人間ではないが、現状について書いたら、どうしてもそちらに傾きそうだ。
でもそれは避けたい。

それと、現状では、なかなか対話になりにくいような気がして、やはりそれもためらいのひとつ。


どうしたらいいと思う?
690名無しさん脚:04/12/02 13:06:07 ID:YNTmc+W4
blogでもやったら、ええが。
こおたにもやってるようだし。
691名無しさん脚:04/12/02 13:21:38 ID:hEgjlemh
おお久しぶりに新たなレスがついてる。
うなぎ犬さんのブログ見たいかも。そのほうが気兼ねなく出来るのでは
692うなぎ犬:04/12/02 16:07:37 ID:y0l7qbaf
なるほどblogですか。

自分は、有象無象がたむろするこの空間が、なにか格別なものにも思っていたのだが、そろそろ河岸を変える時期かもしれないね。
そうはいっても、コテハンで書き込まなくなるだけで、名無しの教えて君として、相変わらず出入りするとは思う。
今も、必要がないかぎり、うなぎ犬という名前は使っていないし。

blogの準備が出来たら、ここに書き込むかも。
でも、いつになるかな。

「ダーマ&グレッグ」というアメリカのコメディドラマがあって、家人がよく見ていた。
あるストーリーで、旦那のグレッグのカード遊びの友達についての話があった。
そのカード友達は、実はお互い名前も知らないのだが、週末?にカードをするためだけに集まってきて、しばらく一緒に時を過ごすだけ。でも、その関係が良かったのだという落ちであった(うる覚えです)。
ここも、そんな感じに思えるな。名無し同士が写真、もしくはカメラが好きというだけで結びついている。他のことは基本的に不問。でもそれが居心地良い。
それがblogでも実現されているなら魅力的ではあるけれど。

写真は撮っているけれど、最近は子どもの写真ばかりなので、blogで見せられる写真があまりないような気もする。

とにかくちょっと考えて見ます。
YNTmc+W4、hEgjlemh、ありがとう。
693魚曼大`:04/12/06 17:11:36 ID:xi+Lzbav
ということで、ちょっくらはじめてみました。

yahooで「名前」の欄にある語で検索してみてください。
中身がなくてお恥ずかしい。
これから精進します。
しかしなんでyahooでヒットするのか?謎。
694名無しさん脚:04/12/06 22:56:43 ID:lSze5Taz
>>693
見ましたよ( ̄ー ̄)たしかにgoogleではヒットしませんね。まだロボットが来てないのかな?
一枚目中央区勝どきとと3枚目高田馬場が何気に好きです。
ぼちぼち見に行きますんでヨロ
695魚曼大`:04/12/07 10:02:06 ID:D/DPSycY
694さん。恐れ入ります。
写真ほめていただいてありがとう。
あれは以前、貼り板にはったこともあるやつなのでした。
696名無しさん脚:04/12/11 03:19:44 ID:/DfPkcqJ
blogもうやめちゃったの?
はえー。もう少しやればあ?
697名無しさん脚:04/12/12 00:23:54 ID:4Qva/lyO
え、やめちゃったの(´・ω・`)
698魚曼大`:04/12/12 09:35:34 ID:XkNh7J3Z
>>696-697
やめたわけじゃなくて、host先の問題のようだよ。
わたしもさっき見て、おどろきました。
とりあえず、表示されるようになってますけど、写真データが落ちてるな。

早期の復旧お願いしてます。
699魚曼大`:04/12/12 09:44:14 ID:XkNh7J3Z
連続書きこ、すまんです。
そうきゅうに引越し先を探すべきかな。
どこか良いところをご存知でしたらご紹介ください。
700名無しさん脚:04/12/12 14:38:59 ID:4Qva/lyO
安心しました。無料のとこだとエキサイトブログ、じゅげむ(募集してないかも?)
ヤフーもやってたっけ?
おいらはアメブロってとこ使ってる。やっぱ初期はどこもいろいろ
障害起きるのだろう。おいらんとこは最近軽快だったけど一週間前ぐらいに
接続障害起きてたなあ。
701名無しさん脚:04/12/12 20:04:04 ID:VYTZJU6M
エキサイトのblog、安定してますよ。
702うなぎ犬:04/12/13 12:26:33 ID:FXiqJFO+
>>700-701
アドバイスありがとうございます。
さっそくエキサイトに逝ってみましたが、画像のサムネイル表示がちょっとよく分からなかったんで、
とりあえず、もとのところを再構築しております。
写真は、これから貼り付けなおしします。

でも、こんどこういうことあったら、ほんとに引越しだな。
703うなぎ犬:05/01/05 17:56:45 ID:BqTL5xTX
2002年9月11日にスレを立て、はやくも2005年を迎えてしまった。
今年もdat落ちもせずによく残っているものだ。

昨年は某所にてblogをはじめた。
しかしここのほうがいろいろな意見をもらえたりして、なつかしく?なったり、
しかし、写真に関係ないことも書けるのでblogもいいなと思ったり。
まだ、曖昧なままです。
写真に関するものは、こっちに書いてみようかな。
いろいろな人の意見が聞いてみたいし。

ティルマンスを見てから、また考えていることがあるので、
まとまったら書くかもしれません。

もうageないでくれ、とかいうわりには足を洗えなくてみっともないかぎりだけれど、
そして以前のようには書けないけれど、もしよかったら、今年もお付き合いください。

704うなぎ犬:05/01/19 11:13:32 ID:O4FSUz+M
ティルマンスについて書こうと思っていたが、いろいろ考えているうちに、なんとなくおさまってしまった。
このころちょうど中平卓馬の写真展にも行っていて、この二人が頭の中で結びついてしまったのだ。
二人とも、基本的には身のまわりのものを撮影しているようであるが、似ている部分と似ていない部分の対比について考えていたわけ。
似ていると感じた部分は、両氏とも、ときに「ものそのもの」を見る視線で撮影しているように見える部分。
これは中平氏のほうがその傾向が強い(というか、そればっかり)。
ティルマンスは時にそう見えても、じつは、ものそのものを見る視線から、現実の生活に戻ってくるように見えた。
つまりティルマンスの場合、改めて自分が生きていること・その周囲を見直すために、一度「ものそのもの」を見る行為があるように思えた。
だからティルマンスの写真を集積すると、その中心になにか統一体(彼自身?)が感じられる。
しかし、中平氏の場合、その写真を集積しても統一体が感じられない、というかその統一体に人間らしさ−言い換えれば感情移入できる部分が非常に希薄に思われた。

で、ティルマンスは、よく考えれば、このスレで考えてきたことと同じようなもんじゃないか(ちょっと言いすぎ)ということ。
で、とくに言うことがなくなってしまった。

といいながら、今度は、東京写真美術館の企画展「明日を夢見て」〜アメリカ社会を動かした ソーシャル・ドキュメンタリー について書こうかな、と。

Blogとの使い分けについて、ちょっと悩んでおります。
705うなぎ犬:05/01/19 14:41:27 ID:O4FSUz+M
先ほど、中里和人「長屋迷路」を見ていたのだが、なんだろね、これ。
写真は良いように思う。
でもデザイナーは最悪だな。それにOKを出した中里氏の見識も疑う。
写真は、路地を歩いている様子を再現?するかのようにページをまたがっているために、中途半端に切れている。
どうせなら、巻物か経本仕立てにすべきだろう(高くつくけど)。
そうすれば場面というか写真の連続性が直接、判りやすく表現できる。
それと、本文が「左から右に行送りする縦書き」。読みにくくてしょうがない。
よく、頭の悪い人が文章を書くと、「右から左に字を並べていく横書き」とかやるけど、それと同じだな。

これが良いという人もいるだろうが、自分としては疑問だ。

もう、ひとつ思い出した。
「白熊」というサイトがあるが、不思議なことに、実際の本の真似をして?、写真の画面の中央たてに線が入っている。
でも、実際の本のレイアウトで写真を扱う場合、ノドの部分に人がかかるのはできれば避けるものだし、
かかっても顔にかかるのだけは(つまり顔が左右のページに分かれる)のは避けるものだ。
これはデザインの常識というよりも、写っている対象に対する敬意の表れでもあるだろう。
でも、そうなっていないんだな。
大げさに言えば撮影者と被写体に対する二重の冒涜だな。

こうゆうデザインというかセンスで写真を扱うのはやめてほしい。
706名無しさん脚:05/01/23 17:54:10 ID:Ivhv9hhO
「路地」の書評を読んでちょっと食指が動きかけた。

見るに値するのかな。
707うなぎ犬:05/01/24 17:40:03 ID:NCMemyl2
>>706 書店とか図書館とかにあるから、どんどん見てみたら。

ところで、うっかりしていたのですが、blogのサーバ容量が思いのほか小さいのにいまさらながら気付きました。
この調子だと写真が時期に貼れなくなるので、また別のところを探します。
なれないもんで…。
>>700-701のアドバイスに従ったほうが良かったかな。
708名無しさん脚:05/02/13 00:29:51 ID:rVY8ICnI
もう911から3年以上経ちましたが戦争は終わってません。
自衛隊も戦地の支援に派遣されています。

そんなわけで保守age
709名無しさん脚:05/02/13 00:39:13 ID:NaBeSOx4
でも“うる覚え”だけは勘弁な
710魚曼大`:05/02/14 22:21:17 ID:syfERH+y
>>709 ご指摘ありがとうございます。
ずっと「うる覚え」だと思っていた。周りでもそういう人がいたので気づかないままだった。

以下を見ると、いろいろ書いてありますが、
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/reader/200311/2003111700072.htm
少なくとも、インターネット以前からある誤用でしょう。
地域差の問題ではないという意見があるが、
「る」と「ろ」をはっきり区別しないで話す土地もあるしね。

最近PCが2台続けて壊れたり、家人が風邪にかかったりでなんとも身動きとれません。
しかしNHKと朝日新聞の泥仕合、本質は政治家の事前検閲というか、
報道人の茶坊主体質が問題なのだと思うが。

明日は修理したコニカFS1でテスト撮影します。
711魚曼大`:05/02/14 22:22:05 ID:syfERH+y
直リンまずかったな。失敗した。今日は寝よう。
712うなぎ犬:05/02/23 18:58:16 ID:60M+Jyrw
日本橋三越のキャパ展、行ってきました。
すごく混んでたけど、キャパはやはり人気があるのだろうか。
写真の内容は、傑作を選りすぐったものというよりは、
一連の取材のなかで、カラーで撮ったものを焼いてみました、という感じ。
それでも、60年前の様子がカラーで見られること自体が、うれしかった。
その中で思ったこと。
戦争中でも、別に空は普通の青空であり、木々は普通に緑色だった。
あまりにもあたりまえのあっけらかんとした光景の中で、実際の戦争が行われている
(当たり前のことだが)ことを改めて思い知った。
フィルム感度が低いため、晴天の写真が多いということもあるのだろうけど。

ソンタグの写真論と「この時代に想うテロへの眼差し」を先日読んだ。
簡単に書くべきことではないだろうが、あえて言うと、
「写真論」はかっいいフレーズがたくさんあるが、それは反面、断定でしかない。
「この時代に想うテロへの眼差し」は「写真論」よりも思考が深まっているように思う
戦争写真についての考察が読む価値がある。その文章のタイトル忘れた。
それと「ゴドーを待ちながら」演出についての手記は実体験に基づいているせいか、
面白い。

どうも忙しくて、仕事以外なかなか手がつけられないな。
713名無しさん脚:05/02/23 23:18:11 ID:6STeTrFX
まあぼちぼちいきましょう
714うなぎ犬:05/02/24 09:38:42 ID:6SWpr5Fx
>>713
ありがとうございます、ぐらいしか今は書けません。
715名無しさん脚:2005/03/29(火) 14:56:17 ID:9mvAMojn
お元気ですか。
地震怖いですね。
716うなぎ犬:2005/03/30(水) 13:38:15 ID:APosNcRA
>>715さん、どうもです。
こんな私でも年度末は忙しいわけで、世の中どうなってるのかな。

ところで、予知夢ってあるのですかね。
新潟の地震来る前、なんとなくそれらしい夢を見たんですね。
ふだん夢を見ても憶えていないのに、その夢だけは不思議に生々しくて記憶に残っていましたが、
ちょうどそれと似たような天気、状況で地震が来たので、少し驚きました。
だからなんだ、ということもないのですが。

もうちょっとしたらいろいろ再開できそうな気がします。
717うなぎ犬:写暦17/04/01(金) 16:02:17 ID:uCduBSa6
先日、港千尋『影絵の戦い』を読みました。
このなかの「他者の苦痛」という文章で、ソンタグについて私が感じたのと似た違和感について書かれていました。
概略、港氏の文章を書き写すと、
『写真論』でのソンタグの考えをまとめると、「マスメディアによって映像が過剰に消費されることにより、映像そのものも力を失い、見る者の感性や良心さえも麻痺させる」
『他者の苦痛へのまなざし』では、「残虐な映像は、現実に存在する苦しみを記憶に留めるという機能を果たすことができる。
また、その映像を通して残虐な行為について考えることができるし、現実に対して目を開く契機となりうる」。

これについて、港氏は、ソンタグの思考自体は緻密で深いが結論としては驚くほど常識的であり、方法論的な限界を感じた、と書いている。
その原因について、「人間のもつ感情と情動は不問に付されたまま」であり、それは「理性と感情」を分離することが前提されているからだとあります。
ほかにもいろいろ書いてありますが、これは港氏が写真家でもあることから来る発想ではないかと思います。
いま、ソンタグのテキストが手元にないので、うろ覚え(うるおぼえじゃなくてね)ですが、
私が感じた「なんだか図式的で、ある種の型にはまった考え方だな」ということをうまく言い表してくれていると思いました。
『影絵の戦い』、読む価値があると思います。

それにしても、私は港氏とは4歳しか違わないのに、えらく差があるものです。
昔は年が近い人で優秀な人を見ると、わが身が哀れで?、つらい気持ちになったのですが、今はそうでもありません。
ずいぶん時間がかかったけれど、やっと自分も大人になってきたかな。
718名無しさん脚:写暦17,2005/04/02(土) 15:08:18 ID:Aj/LXzFl
おいらはいわゆる「写真論」的なものには食わず嫌いの不信感(?)があって
読むことに躊躇をおぼえてきたし、港さんの作品も「明日、広場で」(だったかな(・∀・;))
ぐらいしか見たことないし、ソンタグも読んだことないので(おいおい・・・Σ( ̄□ ̄;)!! )
なんともいえないけど、

写真が残虐な場面を伝える役割を持ってることやそれが多くの人にいろんなことを思わせることができるっていうのはすごく単純で図式的なことに思えるかもしれないけど、
じつはというかやっぱりとても大事なことではないのかなと思うようになってきたよ。

それに、そういう映像なんかを見て残虐だな〜と思えることや、そう感じることを評価すること
ってのはとても図式的でつまらない常識的なことに思えるかもしれないけど、
じつはそういうふうに常識的と感じられるようになるまでにはいろいろ紆余曲折があったというかけっこう複雑な回路というか歴史(個人的な心情としても、社会的な評価軸や集団的な心性としても)があるのではないかな?ともおもうよ。

「常識的なこと」って意外と非常識的な驚きをもってるんではないかな。
719うなぎ犬:写暦17年,2005/04/04(月) 11:57:46 ID:S3PoUhwP
言葉が足りなかったようで、申し訳ない。
自分の頭のなかでは、ソンタグの言葉は、写真家のジェームズ・ナクトウェイの言葉と反響しあっているのだった。
それについては、自分にとって自明であったので、いっさい説明していなかった。
よかったら>>664ttp://www.mediasuits.co.jp/senjo/production.html 見てください。

だから、
> 写真が残虐な場面を伝える役割を持ってることやそれが多くの人にいろんなことを思わせることができるっていうのは
> すごく単純で図式的なことに思えるかもしれないけど、
> じつはというかやっぱりとても大事なことではないのかなと思うようになってきたよ。
というのは、私はもともとそう考えていたわけです。

補足するとソンタグの「思考の仕方」について「図式的」と書いたつもりであった。
しかし写真の持つ力?意味?のとらえ方については、上記引用部の考え方は図式的ではないと私は思っている。
もっとも、写真がなんらかの力を持つという考え方自体が、「図式的」という人も多かろうが。

簡単にいうと、ソンタグはいろいろ書いていたけど、読者としては「だからどうなの」と問い直したいところがある。
その問い直したい部分が、「考え方が図式的なのではないか」ということ。
もっと深く考えられるはずの人だったのにという期待がそこにはあった。
さらにいうと、ソンタグの洞察は鋭いが傍観者的ということもできる。
だから、自らが演出した「ゴドーを待ちながら」についての文章はもっと生き生きした、体験と思考がかみ合ったものだった。
しかし写真についての文章はそうではなかった。その原因について書いたつもりでした。

時間があれば、元のテキストを読んでみて、良かったら、また書いてください。
720うなぎ犬:写暦17年,2005/04/04(月) 15:51:14 ID:S3PoUhwP
補足

> 「常識的なこと」って意外と非常識的な驚きをもってるんではないかな。
それはそのとおりですね。
現在「常識」といわれることも、「紆余曲折」や「歴史」(個人的な心情としても、社会的な評価軸や集団的な心性としても)を経て、
今の常識となったということかと思います。

私にとっては、>>66の後半で書いているようなところと通じていて、現在の常識とされていることを、改めて見直すこともできるのが
写真の力・意味かと思います。
721名無しさん脚:写暦17年,2005/04/05(火) 00:55:52 ID:KGSnMlMI
ソンタグの写真論いまアマゾンで注文しました。
ちょこちょこ読んで行こうと思います。
722うなぎ犬:2005/04/05(火) 11:07:00 ID:wkBsDv9f
注文したならしょうがないけど、買わなくても図書館で借りて読んで、その分、フィルム代にまわしたほうがいいと思う。
723名無しさん脚:2005/04/05(火) 20:48:04 ID:KGSnMlMI
まあそんなに高いもんじゃないしこの手の本としては・・・(・∀・;)
さいきん今まで撮ったものを整理してなんかひとつの形にしたいと考えてるから
ちょとそのヒントにでもなればいいかな〜
724うなぎ犬:2005/04/07(木) 09:38:07 ID:9DQjnL9V
いやいや、べつにいいんです。

私の場合ですが、図書館で本を借りて、「これは」と思うところがあればコピーして書き込みをしながら読んだりします。
書籍代をケチっているだけですが…。
725うなぎ犬:2005/04/07(木) 20:08:39 ID:9DQjnL9V
昼休みに、桜を見ながら散歩していた。
母親とベビーカーの赤ん坊、それと小学生くらいの女の子が桜の前にいた。。
母親は、ベビーカーの後ろに女の子を立たせ、「おじいちゃんもちゃんと写るように持ってね」と言って、額に入った写真を持たせた。
生まれたばかりの赤ん坊と、成長した娘と、亡き父の遺影を桜の前で撮影していたらしい。
写真て、やっぱりいいものだなと思った。
でもそのお母さんは、カメラ付携帯で撮影していたけどね。
726うなぎ犬:2005/04/14(木) 19:06:30 ID:dQMhIVGP
どうゆう風の吹きまわしか、ハービー山口の「日曜日の陽だまり」を読んでみました。

「ハービー」というのが、フルートのハービー・マンからきているのははじめて知った。
自分ならば、フルートならばローランド・カークだし、ハービー・マンと聞けば、ソニー・シャーロックのほうを思い出すな。
なんか、臭いのばかり思い浮かんで面目ない。

読んでみると、若いうちはいろいろ大変だったようで、けっこう泣けます。
で、かなりの美青年だったようだね。今はおじさんだけど。

自分にとって、この人の写真は、なんだかぴったりこないところがあった。
その理由がなんとなく分かったような気がする。
彼は、人の優しさやぬくもりを写真で伝えたいようにおもう(それは彼の周りには欠けていたらしい)。
それは十分成功しているようです。人気もあるしね。
自分が好きな写真家は、どこか狂ったところがあるのだが、それはハービー氏にはあまり感じられない。
もちろん、そうゆうのを狙っているわけではないしね。そのへんで食わず嫌いになっていたようです。
で、彼の写真はじっくり見たことがなかったのだが、今回本のなかの写真を見たら、けっこう良かったのだった。
おしゃれで有名人の知り合いが多いというあたりも、「ケッ」ときて、まじめに見ていなかったのだった。
なんか自分のコンプレックスを刺激するんだろうね。
でも、素直に見るといい写真でした。
全体に甘いところがあって、そのへんが好き嫌いあるかもしれないけど、読んでみたらいいと思いますよ
727名無しさん脚:2005/04/24(日) 14:40:27 ID:wKdH5Mgm
age
728うなぎ犬:2005/04/25(月) 17:36:00 ID:svDDepw7
>>727さん、どうもありがとう。

ところで、「米同時テロで触発 「大量殺人」願望 映像まね絵を描く 園児殴打」
「少年は「アメリカのテロをきっかけに大量殺人に関心を持つようになった」と供述。
飛行機が高層ビルに突っ込み、逃げ遅れた人が落ちていく衝撃的な映像をまねて、絵を描いたという。」
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050425-00000035-san-soci
このニュース、本当だろうか。こんなところにも影響が出ているとは。

長崎カッター事件の少し前に、イラクで米兵が首切断されたビデオが配信されていたように思う。
あのとき、長崎事件の方法が、そのビデオの影響を受けていたようにも感じた(確証はないです)。

メディアの世界は、日常生活レベルにおいて、昔から本質的にはバーチャルなリアルであると思うが、
しかし、メディアを通して見たこと、聞いたことは、眼の間の現実ではないにせよ、やはりひとつの「体験」であると思う。
そして、子供のように、さまざまな面で強烈な体験を受け止めきれない、消化・昇華することのできない者は、少なからずいるように思われる。
今回の事件の少年にとって、やはりあの映像は、人生を狂わすほどの「体験」だったのだろうか。
「メディアによる二次災害」なのかもしれない。

いまさらながらに考えているのだが、
>>36で、ビルから落ちる人々の映像を見ていられなくなりテレビを消したことは、
そのときの自分にとっては耐え切れない体験であったから遮断したのだろうか、とも考えている。

うちの子は、せめて図書館の使い方を覚えてから、PCを使わせようと思う。
テレビも自分が絶えがたいのは消してしまおう。
いつまで言うことを聞いてくれるか分からないけど。
729名無しさん脚:2005/04/25(月) 21:30:23 ID:a1n3vdwX
ところで、blogは放置なのかい?
RSSリーダーに登録して更新を待っているのだが。
730うなぎ犬:2005/04/25(月) 21:36:24 ID:svDDepw7
ううっ。もうちっと待ってください。
最近は、
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/camera/1063443143/403
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/camera/1063443143/407
とかやってた。

731うなぎ犬:2005/05/17(火) 20:11:35 ID:eBelUJ/e
大事なイベントも終わり、やっと心と時間の余裕が出来ました。
なんとか生きています。

最近は、メンヘル板にいってました。
自分の経験をもとに、なんとか少しは人の役に立つようなこともやりたかったので。

今日は、東京写真美術館の「写真はものの見方をどのように変えてきたか」に
行って来ました。
第4部までの通しチケットを買ってしまった。
そのなかで、 >>588で書いた「集合写真」についてのヒントがありました。
一つは、イギリス宣教師会(名前は忘れた)の写真のキャプションで、
集団の肖像画を描くため、一人ずつ写真に撮り、それを組み合わせて
集合写真的肖像画を作成したという話。
それと、日本の女史師範学校の集合写真について、
「19世紀以来の慣習となっている」という記述です。

それにしても、なんだか大型カメラで写真を撮りたくなってきました。
といっても4×5かな。だれか使っていなかったら安価に譲ってください。

今月〜来月にかけて、
・上野のベルリン秘法展(なんかやらしい)
・竹橋のゴッホ展
・世田谷の「ウナセラディ 東京」を見に行くつもり。
やっぱり田舎から出てきてよかったな。
732引っ越しました。:2005/06/07(火) 17:54:12 ID:OTc//J3n
733名無しさん脚:2005/06/15(水) 09:52:58 ID:9M21Cvve




734うなぎ犬:2005/07/05(火) 15:18:17 ID:G313RHk0
頭が下がる。
ttp://octacore.egoism.jp/

東京に居ない可能性があるのだが、何とか行ってみよう。
735名無しさん脚:2005/07/05(火) 20:03:27 ID:BgUfWhGO
敢て戦地に赴かずに戦争を撮るってのが何ともええですな。
736うなぎ犬:2005/07/08(金) 19:35:35 ID:ETqoy2iL
なんつかね、戦場に行かなくても戦争を撮れる世の中になってしまったわけだよ。
どうもそれが現実らしい。認めたくないがね。
737名無しさん脚:2005/07/09(土) 00:41:17 ID:VwqlWBI4
認識と容認は違うだろう。
写真にその差はでないけどな。
738名無しさん脚:2005/07/09(土) 00:56:36 ID:5s94grs5
「戦争を撮れる」じゃなくって「戦争を撮った気になれる」だけのことじゃね?
739名無しさん脚:2005/07/09(土) 01:10:28 ID:VwqlWBI4
>>738
そりゃ、戦場に逝ったって以下同文だな。
過去の戦争の遺物からだって「戦争を撮る」ことが可能なのは
川田喜久治が証明してる。「地図」を見てみるといい。
また、現場至上主義ってのはスキャンダリズムとの諸刃の剣でもある。
だから必ずしも現場が尊いとも限らんさ。
いずれにせよ、実質どうであるかは見ないことには机上の空論だろ。
740うなぎ犬:2005/07/10(日) 10:17:01 ID:Eo0G4Wd1
だから、写真展行って実際に見ないとね。
741うなぎ犬:2005/08/07(日) 16:03:52 ID:62fTErfJ
夕刊見ていたら、写真展の案内が出ていて驚いた。
ttp://octacore.egoism.jp/
いよいよ明日からです。
742名無しさん脚:2005/08/07(日) 16:35:51 ID:LyaTnA3P
こーたにじゃねぇかよ。w
743名無しさん脚:2005/08/07(日) 17:14:03 ID:X+ec/04/
アルカイダの「誤爆」だったんだからそろそろ勘弁してやれ。
アメリカの「誤爆」の数と比べたら無いに等しいぞ。
744名無しさん脚:2005/08/21(日) 23:31:59 ID:5Hctz7sv
息の長いスレ
745うなぎ犬:2005/08/22(月) 15:39:13 ID:M7cj/dDE
「息が長い」というよりも、911以来さまざまなことが起こってしまい、
どういう結論も出せずに、そのままになっているわけで。

しかし、地震が多いですね。活動期に入ったのだろうか。
最低限のそなえだけはしておかないと。
746名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:17:03 ID:cm7VA756
4周年記念age
747名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:00:05 ID:cwAtxX0h
何も、今日が投票日じゃなくてもねー…

あー不吉な予感
748名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:13:46 ID:6MRwUwvg
アメリカの中近東での大量殺戮はハリケーンの来襲と言うことで自然が報復したな。
それにしてもまだ桁違いに少ないな。
もっとがんばれ自然よ!
749名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:39:11 ID:rcZsrov8
4周年記念カキコ
750名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:47:38 ID:6MRwUwvg
自民圧勝か・・・
751?多痔マックス:2005/09/11(日) 21:13:06 ID:/FGyls8S
アメリカが懐かしいぜ〜  スパ〜 
752うなぎ犬:2005/09/12(月) 14:29:12 ID:+xzu+N54
自分ではこれまで、具体的な政治の話(特に内政)については、
言いたいことがあっても、ここではそれほど触れていなかったつもりだ。
(書いてるじゃないか、という人も居るだろうが、本人としてはそのつもり)

しかし、俺は今日は暗い気持ちだ。
昨日の選挙結果を見るたびに暗い気持ちになる。
ここではスレ違いになるので、詳しく書かないが、
昨日の選挙が将来「日本の911」といわれないようになることを望む。
また、個人的にも何とかしなければならないと思う。
※蛇足ながら自分は民主党支持者ではない。
このことについての詳細は別のところに書く。

国民が「気分」で判断した結果であるとすれば、
ファシズムも絵空事とはいえなくなる。
ファシズムは理性的な判断ではなく、
(思い込まされた・思い込んだ)雰囲気で物事が決まるのではないだろうか。

また、理性的な判断の結果だとしたら、この国は先行きが暗い。
言葉を大切にしない宰相を選ぶのをためらわない国であれば、
まともな政治は実現しないだろう。
「必也正名乎」
ttp://www.asahi-net.or.jp/~pd9t-ktym/7_1.html 13−03参照
753名無しさん脚:2005/09/28(水) 15:45:50 ID:bhs0moby
アメリカ合衆国
最低
754うなぎ犬:2005/09/28(水) 18:43:01 ID:7YlakP8O
それだけ書かれても、ちょっとな。
もう少し言葉を足してもらえたらありがたいです。
755名無しさん脚:2005/11/11(金) 20:12:36 ID:yfQVIhli
上げておくとしよう
756名無しさん脚:2005/11/11(金) 21:30:57 ID:WZig4wrA
写真って知性がそのまま出るから怖いよねえw
757うなぎ犬:2005/11/12(土) 12:36:56 ID:eqcl7Inb
静かに沈没かと思っていたに、ageというわけで、
なんか書きますか。

竹橋・近代美術館のドイツ写真展、いってみたけど、いいですよ。
今日は晴れているので、散歩がてらどうでしょう。
いろいろ考えさせられます。

それと、やっぱり大判カメラで撮りたいのぅ。
ベッヒャーとか、弟子たちのを見ていたら、ますますそう思うようになった。
くれとはイワンから、誰かしばらく貸してくださらんか。ホホホ。
フィルムがあるのも今のうちかもしれん。
758名無しさん脚:2005/11/12(土) 19:18:07 ID:1BUXlqvN
ドイツ写真って良いかなあ。
ドイツ写真やってるやつって頭弱いやつ多い気がするけど。
759うなぎ犬:2005/11/14(月) 11:27:14 ID:fQpLTHm/
>>758
申し訳ないが、何を言いたいのかよく分からない。

> ドイツ写真
言い方悪かったかな、おもにベッヒャー以降ということでいいかと。
> ドイツ写真やってるやつって
たぶんほとんどドイツ人でしょう。
> 頭弱いやつ
どのへんが、頭弱そうなのか、ある程度具体的に書いてくれないと、
俺も「頭が弱い」ので、よく分からない。
760名無しさん脚:2005/11/15(火) 16:38:18 ID:5ZeGMfdB
じゃあ、いいよw
761うなぎ犬:2005/11/15(火) 17:01:27 ID:Rg4JKm2l
なんか、対話が成立しないと疲れるな。

ものごとに対する否定的判断の場合には、
それなりに理由を表明するのが、ある種の礼儀だと思うが、
そう思うのが古いのかも知れんな。

ただ、やはり、馬鹿に付き合って、
自分がさらに馬鹿になることは
避けねばならんだろう。

というわけで、この項は終わり。
竹橋でやってる写真展については、
別のところでさらに書くこともあるだろう。

それといちいちageんでよろしい。
それともひょっとしてなんかのサービスか。
762名無しさん脚:2005/11/15(火) 17:12:25 ID:5ZeGMfdB
ドイツ写真家は「恥」や「照れ」が欠落したまま本気で撮っちゃってるよね。
「恥」や「照れ」っていうのは絶えず自分を自分から引き離し続けるための
契機なわけだし、そのプロセスを経ないで捏造された「本気」に安易により
かかってしまうのは、今の時代批判されるよ。
763うなぎ犬:2005/11/15(火) 17:28:40 ID:Rg4JKm2l
いろいろいいたいことがあるが、
「絶えず自分を自分から引き離し続けるための契機」
というのは、ある部分で必要だと思うので賛成。
ただし、人によってはこのとおりとはいかんだろ。
たとえば、中平卓馬氏の場合はどうだろうか。
それを超越しているようにさえ見えるが。

また、「恥」や「照れ」以外にも、「客観性」
(と言ってしまったが、いいですかね?)を持つための
契機はあるように思えるよ。
たとえば、論理構築とか、撮った写真に対してメタレベルから
言及・引用するとか、なんか、最近の現代芸術家が好きそうな手段ではあるが。

「本気」に安易に寄りかかるべきではないというのは同感だが、
さて、彼らはどうだろうか?俺にはまだわからない。
本当に「本気」かね?
考えてみれば、あまりユーモアが感じられないという点からは、
そのようにもいえるかもしれないが、
ベッヒャーの給水塔のシリーズを並べてみると、
なんだか、ちょっと馬鹿ばかしさが感じられてニヤリとしてしまうけどな。

どうだろうね?
764うなぎ犬:2005/11/15(火) 17:33:30 ID:Rg4JKm2l
付け足し。
「今の時代批判されるよ」とあるが、別にどうでもいいんじゃねーかな。
時代のほうがが間違ってるかもしれんしな。
本人がその気ならば、そのままでいいだろう。
それを受け入れるかどうかは、別問題だ。

たとえば、ザンダーの写真はどう考えるべきか?
当時批判されたが、いまの視点からはどう考えられるか?
それとザンダーはおそらく「本気」だったのではあるまいか。

「恥」や「照れ」を持ち込むのは、あまりに日本的判断だと思う。
765名無しさん脚:2005/11/15(火) 21:54:33 ID:5ZeGMfdB
「恥」や「照れ」という言い方がまずければ、「ある差異の超越化をもってしか自己の存在を確証できない
というニンゲン的な場所への郷愁を断ち切ることなく写真を口にするのは時期尚早だ」と言い換えてもいいよ。
写真は言語とは別の仕方で自己の存在を確証する方途であり、写真家とはニンゲンであることの恥をもって写真
を撮り続けなければならないのではないでしょうか。
766うなぎ犬:2005/11/16(水) 10:24:26 ID:XwlLqtqF
補足ありがとう。

申し訳ないが、「恥」や「照れ」にこれだけの意味をこめていたとは、>>762からは読み取れなかったな。
以下、まさしくドイツ人の哲学書(ヘーゲル以降)を読んでいるようなかんじなので、
自分が理解するためにパラフレーズしてみる。
※といってヘーゲルとかちゃんと読んだことないので、漠然とした印象としての話です。

「ある差異の超越化をもってしか自己の存在を確証できないという
ニンゲン的な場所への郷愁を断ち切ることなく写真を口にするのは時期尚早だ」
> ある差異の超越化をもってしか自己の存在を確証できないニンゲン的な場所
・解釈1:自己と他者はもちろん異なる存在であり、差異が当然ある。
その差異について、自他の違いではなく、自分の方がより優れているというように認識し、
その優越性(と自分が認めるところ)において、自己自身を確認すること、というのはありがちなことだ。
例えば、いろいろあるが、とはいえ俺のほうが家柄がいいとか。
・解釈2:対象のそれぞれの差異は、結局のところメタレベルでは、同一のジャンルにくくってしまうことが出来る。
例えば給水塔はそれぞれ違うが、しかし、並べてみるとやはり給水塔というジャンルにまとめることが出来る。
最終的には個別性を超えて、同一性を認識する力が自分にはあると考えることが、ベッヒャー的写真の立脚点である。
> 〜への郷愁を断ち切ることなく写真を口にするのは時期尚早だ
・解釈1、解釈2:〜というふうにどうしてもしてしまいたくなるが、それに陥らないようにして、
写真を語る(撮影も含めるか?)ようにすべきである。
ここでは、解釈2が適当かね?
ところで、「ニンゲン」が片仮名なのは、そういう性質(個別性よりも同一性に注目すること)について否定的ということかな。
767うなぎ犬:2005/11/16(水) 10:25:25 ID:XwlLqtqF
(続き)

また、「写真は言語とは別の仕方で自己の存在を確証する方途であり、
写真家とはニンゲンであることの恥をもって写真を撮り続けなければならない」
>写真は言語とは別の仕方で自己の存在を確証する方途であり、
これはもう説明不用のような気がする、このスレで以前書いていた事柄と重なるので。
>写真家とはニンゲンであることの恥をもって、
ここが分からない。「ニンゲンであることの恥」とは何だろうか?
片仮名「ニンゲン」とあるので、ここでは解釈2であることは恥ずべきことだ、という意味かな。
「ニンゲンであることの恥」ということの意味は、非常に範囲が広いので、どの意味で言っているのか分からない。

どうも、前提としているものと、書く上で言葉使いが、かなり違うようなので、
「差異」がある者も分かるように言葉を足してもらいたいが、いかがだろうか。

それと毎回上げなくていいよ。
できればメール欄に「sage」と入れてくれ。
768名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:02:09 ID:I/yQmsZu
>>766
>個別性よりも同一性に注目することについて否定的ということかな
同一なものなどなにもない、ということです。写真は言語により捨象されない、言葉の前段階的
な像を示します。

>>767
ニンゲンは生きていくためには線引きをせずにはいられない。
あなたはわたしとの間に独善的に境界を策定し、わたしを抑圧し
排除しようとする。それはわたしとて同じ事だ。この世界は平等ではない。
だから誰もイイヒトで在り続けることな不可能だ。何事かを本気で為すと
いうことは自らの手を汚すということなのであり、そのことを忘却すること
こどが諸悪の根源なのです。写真を撮るという行為はヨゴレとなることと同義です。


769名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:03:35 ID:I/yQmsZu
だからこそ、本気で撮らなければいけない、本気で撮っていない写真を
存在させ、その上展示までしてしまうなど、全人類に対する犯罪だと言っていい。
770名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:05:43 ID:I/yQmsZu
ビンラディンがキレたのはアメリカの蛮行は全人類的に裁かれるべきだと
いう確信があったからでしょう。アメリカの境界策定を批判する権利は
私たち日本人には無いのかもしれないが、そのことに対する恥は持つべきだろう。
771名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:11:34 ID:8sSQ3FO3
アメリカの蛮行は自然が裁いている。
772名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:26:51 ID:I/yQmsZu
作家が本気で撮っている、ということが一番重要なんです。本気で撮っていない
写真は存在そのものが害悪です。本気で撮らない人というのは自身の作品に対し想定可能なあらゆる批判から
まえもって遁走しているわけです。本気で撮っている人には否定であれ肯定であれ、全ての
働きかけが生きくる。否定的な反応をあらかじめ相殺可能なポジションに立ち、自己の尊厳を
保とうなどというヤツに写真を撮る資格はないでしょう。
773名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:27:30 ID:I/yQmsZu
生きてくる
774名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:28:21 ID:8sSQ3FO3
しんでこいよ
775名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:29:56 ID:I/yQmsZu
被写体に向ける眼差しを自身にも向けているのか、ということ。
自分を棚上げして写真を撮っているような頭の弱いヤツは少なくとも
「写真家」ではないと断言していいと思う。写真に対して誠実でない
ヤツが写真に何事を語りうるのだろうか。不思議だ。
776名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:33:36 ID:I/yQmsZu
写真を撮るという行為が不可避手的に産出してしまう、ある反時代的な作用。
あなたが知らずして生み出してしまうもの、あなた自身の内にありあなたを
越えてゆくもの。そういった複雑な感情をカメラは私に教えてくれる。
777名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:35:49 ID:I/yQmsZu
複雑な感情、それは身体と言い換えてもいいかもしれない。
身体はとてつもなく優秀なフィルムなわけです。身体は本来非人称的な
力にどこまでも犯されいける強さをもった物質です。言葉がそれを邪魔するのです。
778名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:36:55 ID:I/yQmsZu
犯され続ける
779名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:41:12 ID:I/yQmsZu
ベッヒャーなんて少しばかり知的で観念的なヤツがカメラをもって
暇に任せて撮っていただけとしかぼくには思えませんね。ベッヒャーの
写真を支えているのは結局は言語の審級です。写真の本質とは関係ない。
780名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:42:26 ID:I/yQmsZu
写真は同一律を解体してしまう恐ろしいものです。
781名無しさん脚:2005/11/16(水) 20:47:41 ID:I/yQmsZu
批判される為の材料、考えるための材料を提示しているんです
っていうなら。それもある意味オトナの余裕なのかなあと理解
できそうな気もしますが、言葉で既に説明可能なことをわざわざ
写真上で再現的に展開したところでなんら得るものがないこと
はあきらかなわけです。頭の弱い人々に阿って有名人になる足
がかりをゲットしたいのかなとか、つい穿ってしまいます。
782うなぎ犬:2005/11/19(土) 12:56:26 ID:bpuDzemW
風邪引いて寝込んでいるうちに、ずいぶん書き込みがあったね。
ほったらかしにしておいて、申し訳ない。
ただ、お願いしたいのは、もうすこし落ち着いて書いてほしいということだな。
話はそこからだ。
自分の思っていることを全部吐き出すことを対話だと思ってもらっちゃ困るな。
現実の生活だってそうだろう?
783うなぎ犬:2005/11/20(日) 11:26:06 ID:L27e6R2o
まぁ、やっぱりお答えしたりすべきところもあると思うので、ちょっと書いてみます。
大事なところと逆上気味のところが混在していて、読みにくいが、ちっとは相手のことも考えてくれ。
あなたと私は、まさしく「同一性」が無いのだから、それに対する心配り=理解しやすい文章であってほしい。
「被写体に向ける眼差しを自身にも向けているのか」という一節があったが、
書き手としてのまなざしを、ご自分にも向けてほしい。
つまり(俺が言うのもなんだが)独り善がりの文章になってませんかね。
それと言葉の限界を感じているなら、ネット上のどこかに貼った写真を見せてもらえると分かるかもしれないな。
ご検討ください。

それにしても、まだ風邪気味だからなぁ。ピンボケは勘弁してくれ。
質問したいこともあるし。

以下だらだらと。
784うなぎ犬:2005/11/20(日) 11:27:01 ID:L27e6R2o
大事だと思われるのは、同一性と個別性の関係だろうか。
分からないのは、「ヨゴレ」だとか「全人類に対する犯罪」とかの言葉が出てくる部分。

前者から話をすると、たしかに世の中に同一のものは無い。子供がいればよく分かるよ。
「僕」と「私」と「あなた」のそれぞれ1個のみかんを、「3つのみかん」と括ると怒ったりするもんね、「あれは僕のみかんだ」とか言って。
しかし人間には抽象化への志向があるので、それを否定するのは難しい。
例えば「写真」とか「言語」と書くことが既に、写真や言語のさまざまな面を捨象してしまっている(それが言葉だからね)。
また、個別のなかに同一性を認めることが、大げさに言えば近代を準備したともいえるので、その成果である現代文明を一概に否定できるものではない。
事実ネット上のやり取りが可能であることも、煎じ詰めればそこにたどり着く。
さて、個別性を追求したものの最たる写真は、例えば、犯罪者・容疑者の顔写真であろうか。あれは、誰でもなく、まさしくその人が、犯罪者・容疑者(被疑者?)であることを明確にするために撮られたものだから。
その写真のせいで、よく似た別の人が誤認されたら困るわけだから。
でもそれはつまらん話だろ。
785うなぎ犬:2005/11/20(日) 11:28:25 ID:L27e6R2o
>>767「ニンゲンは生きていくためには線引きをせずにはいられない」とあるが、それは人間だけかね?
生き物である以上、自他の区別は必ず必要なことではないのか?
それが、文化的な線引きなのか、生得的(本能)による線引きか、という違いはあるだろう。
それが「独善的」かどうか、判断が分かれるところだ。
そこで「イイヒト」云々は不要なことで、そのようにしか生きられないのならば「しょうがないよ」としかいえない。
しいて言えば>>767は人間の原罪と、それを写真に結び付けて考えたということかな。
しかし、「本気で撮っていない写真は存在そのものが害悪」とあるが、「本気で撮」れば、それが許されるのかね?
その「本気」は誰が判断するのだろうか?撮影者?見た人?。そこが分からない。
本気度を測る尺度があるのだろうか?
でもその「尺度」があること自体、個別性を否定することになりはしないか?
尺度とは、対象を計測可能なものに還元することだから。
「否定的な反応をあらかじめ相殺可能なポジションに立ち、
自己の尊厳を保とうなどというヤツに写真を撮る資格はない」というけど、
べつにそういう人がいたって、俺はかまわないね。
確かにそういうのはかっこ悪かったりするが、どうでもいいともいえる。
なんか事情があるのかもしれないね。
786うなぎ犬:2005/11/20(日) 12:05:00 ID:L27e6R2o
と書いてきて、なんか疲れてきた。
どうも文体からすると若い方のような気がする。言いたいことだけいうあたり。
そして>>779「言語の審級」というような難しい言葉が出てくるあたり、かなりご自身も言葉の世界に浸りきっているように思える。
その解毒剤としての、「本気」の、カテゴリーに組みこまれないような、言語を超えたような写真ということかな。
俺から言わせれば、>>576
「写真に関することを、写真的に(=写真の内容。コンテクストに即して)考え、
それを写真的に表現すると、やっぱり写真になってしまう」 と考えているので、
I/yQmsZuは、はやくベッヒャーを超える写真を撮ればいいのではないかな。

写真と同一性、個別性の話は、とても大事な話なので、私も一言書いておしまい。
桑原甲子雄の写真は、他の人から見れば、市井の人々の写真。
でも、当事者にとっては個別的写真。ここまではいいよね。
さらに時代を経て今見ると、当時と今で変わっているところと変わっていないところがあって、
変わっていない部分はある種の「普遍」を感じる。
そういう写真がいいんじゃないかな。
桑原甲子雄氏は本気で撮影したのか?そうともいえるし、そうでないともいえる。
とりあえず、I/yQmsZuほどは力んじゃいないことはたしかだな。
787うなぎ犬:2005/11/20(日) 12:07:53 ID:L27e6R2o
>>576でなくて、>>567でした。
788名無しさん脚:2005/11/20(日) 12:33:51 ID:oN/L9QJQ

「日常」という先験的な枠組みを写真は解体します。
ぼくはベッヒャーなんてとっくに越えてるよ。
789:2005/11/20(日) 12:41:26 ID:oN/L9QJQ
世界が流転する現場に一度でも身をもって立ち会ったことがあるのか。
それがないやつに世界を被写体に選ぶということなど不可能なのでは?

790うなぎ犬:2005/11/20(日) 12:58:46 ID:L27e6R2o
あー、づつうがしてきた。

oN/L9QJQさんは、とっくにベッヒャーレベルを超えてるとのことなのだから、
こんな、過疎スレに無理にこなくていいよ。

俺は「世界が流転する現場」なんてしらないが、
「世間」「世の中」が流転するところなら知ってる。
俺は自分の目の前のもろもろが、容易にひっくり返されてしまうのを知っている。
俺は「世界を被写体に選」ぶことが、ことさらに言われるようなことはないと考える。
アラーキーは、世界ではなく世間を撮っているが、結果として世界に通底している
と俺は思う。

おまえの「空疎」な言葉は聞きたくない。
どうせなら、その写真を見せてくれ。
791:2005/11/20(日) 13:08:18 ID:oN/L9QJQ
ぼくの言葉に対して受容拒否を示すことであなたは自己の
居場所を確保する、その人間的な幻想を写真に持ち込まな
いという決意から始めてみてはいかがでしょうか。
荒木も優れた写真家ではあるが、そこに感銘はない。
792& ◆et2V1xzKQ2 :2005/11/20(日) 13:08:51 ID:oN/L9QJQ
ぼくの言葉は写真です。
793:2005/11/20(日) 13:17:13 ID:oN/L9QJQ
あなたにとって写真は「空疎」なものなのでしょう。
その通りだ!
写真は空疎だ。あなたは正しい。
794:2005/11/20(日) 13:24:36 ID:oN/L9QJQ
荒木は写真にも「関係性」は写る、と言います。関係性などという
実体を持たない、陽光が降り注ぐことのないものがどのようにして
フィルムに定着されうるのでしょうか。もしそのようなことが現実
に起こりえたとすれば、驚嘆すべき神秘に思われます。時間が逆流
し宇宙が大爆発を起こしてしまいかねません。世界の原理を荒木は
否定しているわけですから。ぼくは写真に「愛」だの「信頼」だの
「殺意」だのといったものが写るのを見たことがない。あなたに
はものを正しく見るという訓練が必要なのではないでしょうか。
795名無しさん脚:2005/11/20(日) 13:32:48 ID:dpumSjw4
    ☆
        / ̄|   ☆
       |  |彡   ビシィ
       |  |                  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ,―    \         人      |  うんち!
     | ___)   |       (_ )    ∠  
     | ___)   |       (__)     \______
     | ___)   |\___(・∀・ )_____
     ヽ__)_/ \___     _____, )__
         〃  .       /    /     / /    〃⌒i
         |          /    ./     / /    .i::::::::::i
   ____|     /⌒\./    /     / | ____|;;;;;;;;;;;i
  [__]___|    / /-、 .\_.  /     Uし'[_]     .|
   | ||     |    / /i  i    /         | ||      |
   | ||____|____/ / .| .|\_ノ______..| ||      |
   |(_____ノ /_| |_________..| ||      |
   | LLLLLL./ __)L_| |LLLLLLLLLLLLLLLL. | ||_____」
   | ||    (_/   / i                .| ||    | ||
   |_||        / .ノ     
796& ◆et2V1xzKQ2 :2005/11/20(日) 13:40:08 ID:oN/L9QJQ
「しょうがないよ」でなんでもすめば写真なんていらないんだよw
797うなぎ犬:2005/11/20(日) 13:56:38 ID:L27e6R2o
あーめんどくせ。

>>791 ぼくの言葉に対して受容拒否を示す
正確に言えよ。「言葉」ではなく、「空虚な言葉」だろ。
あんたを全否定はしてない。むしろ「写真を見せてくれ」と言ってるぞ。

「自己の居場所を確保する、その人間的な幻想」
『にんげんだもの』、べつにそうしたっておかしくないが。
それに俺のネット上の居場所は、概ねここではないよ。
それと、あなたは俺の写真を見たことあるのかい?
「人間的な幻想」を持ち込んでいたかどうか、聞かせてもらいたい。
見てないのに、そんなこというのは、それこそ「空疎な言葉」じゃないの?

> 荒木も優れた写真家ではあるが、そこに感銘はない。
俺は感銘を受けるな。人によって判断は違うだろ。
でも、荒木は写真にしか出来ないことをやった上での感銘を与えてくれたと思っている。
798うなぎ犬:2005/11/20(日) 13:57:28 ID:L27e6R2o


>>792 >ぼくの言葉は写真です。
だから、「写真を見せてくれ」と。
>>793 >あなたにとって写真は「空疎」なものなのでしょう。
おまえは誤読の天才か?そんなこと俺は自分の意見としては一言も言っていない。
もしあればそこを指摘せよ。
俺は写真は空疎なものではないと思っているからこそ、語る価値があると思っているわけだ。

>>794 >関係性などという実体を持たない、陽光が降り注ぐことのないものがどのようにして
フィルムに定着されうるのでしょうか。
じゃー、「本気」は定着されるのかね?
> ぼくは写真に「愛」だの「信頼」だの「殺意」だのといったものが写るのを見たことがない。
申し訳ないけど、感受性が低いんだろ。
もしくは現実生活で、そういう感情を身を持って体験したことがないんだろうな。
身をもって体験したことがないと、作品世界に触れても触発されないかもしれないし。
また、実体験がないから気になって、こんなに書いてくるのかもしれない(憶測)。

>>796 「しょうがないよ」でなんでもすめば写真なんていらないんだよw
俺は言葉のやり取りに基本的に写真はそれほど必要はないと思っていたが、
まぁ、そこまでいうなら、とにかく写真を貼ってくれ。
話はそこからだ。
799名無しさん脚:2005/11/20(日) 13:57:37 ID:oN/L9QJQ
2chの限界か。
800名無しさん脚:2005/11/20(日) 13:59:25 ID:dpumSjw4
801名無しさん脚:2005/11/20(日) 14:02:53 ID:dpumSjw4
802名無しさん脚:2005/11/20(日) 14:06:18 ID:oN/L9QJQ
>>798
あなたはフィルムに対する理解が足りません。
フィルムとは非人称な物質です。
ぼくは感受性が高すぎるのかもしれませんね。
紙一重とはよくいったものです。
803名無しさん脚:2005/11/20(日) 14:09:32 ID:oN/L9QJQ
>>798
「申し訳ないけど、感受性が低いんだろ。
もしくは現実生活で、そういう感情を身を持って体験したことがないんだろうな。
身をもって体験したことがないと、作品世界に触れても触発されないかもしれないし。」

こういうの偽善者、または同情ファシストっていうんだけど

知ってた?
804名無しさん脚:2005/11/20(日) 14:21:07 ID:oN/L9QJQ
いやぁ、写真やってるやつってジャンルに対する緊張感が
まるでないんだよね。遅れてるっつうかw視野狭窄つうか。
どの世界も偏差値高い奴は少ないけどなーw
べつに鉄道撮ったり、家族アルバムつくったり、ブログの挿絵に
するってなら勝手にどうぞって感じだけどさあ、「写真家」として
写真について語るなら写真とは何かみたいなことを考えるのは当然で
あってさあ、小説家が言葉について考えずに作品を作れるのかっていう
のと一緒でねえ。写真は万能じゃないからねえ。
805名無しさん脚:2005/11/20(日) 14:29:15 ID:oN/L9QJQ
> 「自己の居場所を確保する、その人間的な幻想」
>『にんげんだもの』、べつにそうしたっておかしくないが。

カメラは人間の身体の一部ではない!w
あなたは何か言いたいことがまず前もってあり、それを飾り立てるために
写真を撮るのですか?
フィルムに定着された像を前提に、そこから何が言えるのか、
ということを物事を考えるのが写真家なのではないでしょうか。

順序をはきちがえないほうがいい。世界があってあなたがあるように
フィルムがあって写真家の言葉が生まれてくるんです。べつにあなたの
観念なり思惑があって、写真が生まれるわけではない。
806名無しさん脚:2005/11/20(日) 14:30:58 ID:oN/L9QJQ
方向としてぼくとあなたとでは反対なようですね。
それがわかっただけでも十分です。それでは。
807うなぎ犬:2005/11/20(日) 14:31:31 ID:L27e6R2o
一生懸命書いてくれるので、こちらも書かねば失礼だろうな。

>>802 あなたはフィルムに対する理解が足りません。
たしかに、そうかもしれないね。
> フィルムとは非人称な物質です.
感情をこめることはできないということかな。
しかし、紙も、インクも、PCもその他もろもろ、メディアと呼ばれるもの
つまり媒介となるものは、「非人称」「の」「物質」でしょう。
しかし紙とインクの染みによるもの(書物等)で泣いたり笑ったりするのが人間だろう。
(「たいていの」、と入れるべきか)
だから、「フィルムとは非人称な物質」であることは、他と比べても
それほど特筆すべきことではない。
ついでに言えば、印画紙もそうだし、プリンタ用紙もそうだろ。

> ぼくは感受性が高すぎるのかもしれませんね。
> 紙一重とはよくいったものです。
これはどう意味にとるべきだろうか。
「紙一重」とは狂人に対して、天才に対して?
まさか、自分をそのどちらかに擬するということは、
よっぽどの自信家か、なんかだろう。

>>803 偽善者、または同情ファシスト
偽善者といわれれば、べつに嫌ではないな。悪を為すよりマシだろう。
「同情ファシスト」とは聞きなれぬが、最近の言葉かな。
808うなぎ犬:2005/11/20(日) 14:31:56 ID:L27e6R2o


>>804写真やってるやつってジャンルに対する緊張感が
これ、なんか論理破綻してないか?
さっきは、個別性の優位についていっていたと思うが、
その口で、「写真やってるやつ」と同一性で括ろうとする。
>>768の発言はなんだったのか。
「ジャンル」というのも、一種のカテゴリーだろう。
つまりこれも同一性に関する言葉だ。
一度、アリストテレスの「範疇論」でも読んでみたまえ。

「遅れてる」。おくれてて結構。アッジェの写真術は当時既に時代遅れだったそうだ。
「視野狭窄」。「本気」の人の陥りやすいわな。
「どの世界も偏差値高い奴は少ない」。「偏差値」ですか。
数値化して考えることは、個別性とは正反対と思うがいかがか。
809うなぎ犬:2005/11/20(日) 14:43:43 ID:L27e6R2o
とおもったが、>>806だそうで、
なんか自慰のおかずにされるというのは、こういう気分かのぅ。

まぁ、でも一応書いとこ。
>>804「写真家」として写真について語るなら写真とは何かみたいなことを考えるのは当然
それは、>>567読め。

>写真は万能じゃないからねえ。
そうだろね。でも誰か、写真が万能だなんて言ってたかい?すくなくともここでは、そんなこと書いてはいないが。

>>805 カメラは人間の身体の一部ではない!あなたは何か言いたいことがまず前もってあり、
それを飾り立てるために 写真を撮るのですか?

805全体に関して、むしろそうではないことをこれまで書いてきたつもり。
それについては、>>463 >>464あたりで書いているが、この人は読んではいないようだな。
810:2005/11/20(日) 14:46:18 ID:oN/L9QJQ
やはり結局は楽な方向に、揚げ足取りになるんだな。

もう一度いいましょう、フィルムは非人称な物質です。
そのことを畏怖すべきです。人間的な愛だの憎しみだの
そういったものは不要です。写真を写真としてみることが
できない智慧遅れという意味で遅れているといったわけです。
なにか意味がなければ座りがわるいのでしょう。
それは智慧が足りないのです。
811& ◆mKkgzYrVzQ :2005/11/20(日) 14:54:53 ID:oN/L9QJQ
言われてログを読み返しましたが、写真は誰にでも撮れるが
誰にでも相応しい結果を吐き出すわけではない。写真が好き
な人はいくらでもいるだろうが、好き・嫌いの趣味判断を越えた
ところで「必要」としている人はそう多くないでしょう。
写真に甘えてみたところで鉛のような沈黙をもって断ち切られる
ほかないでしょう。
812うなぎ犬:2005/11/20(日) 15:07:46 ID:L27e6R2o
>>810
じゃー、揚げ足取られないように、緻密に論理構築してくれ。

>もう一度いいましょう、フィルムは非人称な物質です。
そんなこと知ってるよ。自分が悲しくて泣きながら撮った写真を見ても、だれも泣いてくれないもんな。
>人間的な愛だの憎しみだのそういったものは不要です。
物としてのカメラやフィルムには不要でもいいんじゃないの。でもあっても別に不思議ではない。

>写真を写真としてみることができない智慧遅れという意味で遅れている
べつに写真(これって個別のそれぞれの写真のことだよね)に対して、
感想や印象を言ったことはある。しかし意味付けをしようとは思っていない。
写真には言葉を超えたものをときに表現できるところがあるので、それが魅力だとは言っている。

> なにか意味がなければ座りがわるいのでしょう。 それは智慧が足りないのです。
確かに智慧は足りないかもしれないが、それは自覚してるよ。
でも「無知の知」というところから始めないといけないことも知っている。
写真に意味があるかないか、それは人によって違うだろう(俺はあまり意見の押し付けはしたくないので)。
以前書いたように、金村氏の写真が好きだが、あれってなんか字で書けるような「意味」あるかね?
言葉にすれば空疎になってしまうようなことなら言えるかもしれないが、
それでは「無意味」だからこそのあの写真ではないのか?
813名無しさん脚:2005/11/20(日) 15:08:01 ID:oN/L9QJQ
>>464
たしかにここであなたが書いていることは概ね正しい。

「1980年代のアメリカで提唱された新たな風景写真の概念「ニュー・ト
ポグラフィックス」new topographics(「新・地勢学」の意)は、人間
活動やそれを支える意識が、風景、景観とどのようなかかわりをもって
いるのかを問うものであり、ルイス・ボルツLewis Baltz(1945― )
やロバート・アダムズRobert Adams(1937― )らがその代表的な写真
家である」日本大百科全書

814名無しさん脚:2005/11/20(日) 15:18:48 ID:oN/L9QJQ
New topographic-新・地勢学
人間活動やそれを支える意識が、風景、景観とどのようなかかわりを
もっているのかを問う写真のことを指すらしい。正直ぼくは写真史の
ことはよく知らないが、おそらく金村修の写真はこの系統の写真の最終
形態(同時に原初的-起源的形態)であると思われます。そしてそれは
最も正しい(ドグマティックな?)写真の在り方ですらあると思われます。

815名無しさん脚:2005/11/20(日) 15:28:44 ID:oN/L9QJQ
つまりあなたにとって見えているもの、認知している光以上のものを
あなたの身体は浴びているということですね。あなたの意識が実は自身の
身体を捨象することでかろうじて仮構されているものであることへの
自覚を推し進めるとき、突如なんでもないただの街がとてつもなく凶暴で、
仮借のない殺戮マシーンのように迫ってきはしないでしょうか。
816名無しさん脚:2005/11/20(日) 15:48:27 ID:oN/L9QJQ
世の中には物事をキレイに語りなおすことができる人を
頭がいいと呼ぶ風潮があるが、そうではないでしょう、本来は。
まあ、こんなこといっても埒が明かないのでやめますが。
817うなぎ犬:2005/11/20(日) 15:48:55 ID:L27e6R2o
えー、さっきの勢いが懐かしいね。

いろいろご自分の意見を語るのはいいことだと思うけど、
狭義にも広義にもコンテクストというか、前後関係がないものはないので、
それをおさえた上での発言がいいと思う。

>最も正しい(ドグマティックな?)写真の在り方ですらあると思われます。
そういう意味付けは、まさしく不要じゃないのか?

それと、>>815のような状態は、実は危険だともいえる。
ここから、精神分裂症(とは今いわないか)へは非常に近い。
> ただの街がとてつもなく凶暴で、仮借のない殺戮マシーン
本当はそれが真実なのだが、それに気付かないふりをすることによって
日常生活が成り立っているのだから、気付かないほうが幸せだともいえる。
意味が意味として成立しないと、そう見えるようになるらしいです。

ベッヒャー→奇妙な給水塔→奇妙な建造物→ボッシュと来て
ttp://niklas.g3th.net/blender/bosch_orig.jpg
ttp://niklas.g3th.net/blender/bosch_klein.jpg
というものを見つけたが、なんか暗示的ではある。
818名無しさん脚:2005/11/20(日) 16:00:46 ID:oN/L9QJQ
>>817
精神分裂症(とは今いわないか)へは非常に近い。

健常者のみが写真を撮っていると考えないほうがいい。
写真を好き、嫌いではなく「必要」とするというのは
そういう事です。
819名無しさん脚:2005/11/20(日) 16:03:17 ID:oN/L9QJQ
意味づけではなく、事実を記述しただけです。
820名無しさん脚:2005/11/20(日) 16:10:46 ID:oN/L9QJQ
荒川修作は制作の動機を「死なないために」と述べています。
821名無しさん脚:2005/11/20(日) 16:16:05 ID:oN/L9QJQ
>>気付かないふりをすることによって日常生活が成り立っている

つまり写真とは日常という幻想に対し仮借のない破壊的な作用を及ぼす
ものなわけですが、日常ボケしたアホどもの目には何でも一緒としか映
らないのです。自身の見る目の無さを棚上げし「つまらない」「無意味だ」
「思考停止?」などとわめき立てるほかない無能な猿どもを見ていると、
やはり世の中は平等ではないと改めて確信してしまいます。
822名無しさん脚:2005/11/20(日) 16:25:56 ID:oN/L9QJQ
本当に「気づかないふり」なのでしょうか。あえてする「無知」ではなく
本当に「無知」なだけだと思います。アホどもにそんなメタレベルとオブジェクト
レベルの際限のない上下運動の果てに掴みとる「あえて」などという審級は
宿り得ません。彼らは本当にアホなので、本当に信じているのです、日常を。
823名無しさん脚:2005/11/20(日) 16:30:07 ID:oN/L9QJQ
みんなそこで悩むんですよ。なんだ、自分がさんざん悩んで悩んで、生き死に
の問題まで参入してきたあげく、必死の思いで生きる決意をした、あくる朝、
駅ですれ違う人々もみな、実はみなぼくが昨夜死ぬ思い出通過した「儀式」を
すませて、現実の上で生活しているのではないか、などと、思ってしまうのだ!
おれってイイ奴だからさ。
でも本当はそうじゃなくて、本当にアホがただゾンビのように徘徊してるだけ
なんだよね。生ける屍であることの自覚すらないままね。
824名無しさん脚:2005/11/20(日) 16:31:17 ID:oN/L9QJQ
通勤ラッシュなんてまさにゾンビの大群でしょうw
みんな役者だよねえw
825名無しさん脚:2005/11/20(日) 16:37:27 ID:oN/L9QJQ
ああ、ちなみに「同情ファシスト」という言葉は
『渚のシンドバット』橋口亮介監督作品において
まだ売れる以前の浜崎あゆみが口にした名台詞です。
826うなぎ犬:2005/11/20(日) 16:38:15 ID:L27e6R2o
>>818 健常者のみが写真を撮っていると考えないほうがいい。
写真を好き、嫌いではなく「必要」とする

これについては、これまで何度かふれてるような気がするな。
自分もそうだが、近親者にもあやうい人がいるので、
そのことと自分が写真に固執することは関連がありそうだとは思ってるが、精査していない。
もう若くはないから、精査した結果、自分がおかしくなったときに、
それに耐え、リカバーする力があるかどうか不安だからだ。
俺はやっと酒を止められたのに、再び狂気の世界に行くのはつらいことだよ。
そういう人も写真「好き」のなかにはいるというわけです。
827うなぎ犬:2005/11/20(日) 16:44:30 ID:L27e6R2o
>>821 写真とは日常という幻想に対し仮借のない破壊的な作用を及ぼす
これについて「異化」ということばを使っていた記憶がある。
ただし、破壊的力とばかりは限らないというのが俺の立場。
幻想が打ち砕かれて、(そんなことまずなさそうだが)光り輝く真実が見えるかもしれない。ハハ。
> 日常ボケしたアホども
> 本当に「無知」なだけだと思います。
二つの意味で侮るなかれ。一つはやはり大多数であること。
正気か狂気かはその割合で決まるところもある。
二つ目は、すべてを分かっていて、その上で「日常ボケ」に敢えて埋没している人もいるということ。
年寄りの繰言かもしれないけど、世の中をなめたら危険です。
それに自分も社会を構成するアホであり、ゾンビの一人であるという自覚がある。
だから、切り捨てる気にはならない。

そこで、>>628
「筒井康隆がこんな事を言っていた記憶がある。
手元に資料がないので、ごく大雑把に。
文学でエンターテイメントと、ものごとを深く考えさせることは両立可能だ。
表層的には、娯楽性の強い読み物としても楽しめるが、
ちょっとよく考えれば、もっと本質的なことを考えさせるような、
二重構造をもつようにすれば可能である。(なんかうまく言えないな)
その例としてはドストエフスキーをあげていた記憶があります。」
俺は表現というのはこうありたいと思っている。甘いか。
でもそれがどうやら俺の性分らしい。
そのへんは、見解が分かれるところに思える。

>>825 浜崎あゆみ ですか。教えてくれてありがとう。
このへんですでにもうギャップを感じるな。
知らないことは言えないので、なんともいえない。だから「名セリフ」かどうかも分からない。
828名無しさん脚:2005/11/20(日) 16:55:54 ID:oN/L9QJQ
まあ、そこから先は小手先でどうこうできる問題ではないでしょう。
もうお手本のない感性だけが頼りの世界になってくるから。
その先で活動できる人を才能の持ち主とか、天才とか言ったりますが。
829名無しさん脚:2005/11/20(日) 17:04:39 ID:oN/L9QJQ
>>827
筒井氏が娯楽と深淵の両立の可能性というとき念頭においていたのは
おそらくバフチンがドストエフスキーについて論じた際のカーニヴァル
とポリフォニーという概念でしょう。カーニヴァルはプロセスであり
ポリフォニーは帰結としての「闘争」という感じでしょうか。
でもこのへんは理屈じゃない。論理操作でどうこうしようなんて失礼だ。
そういった現場を身をもって生きてきた人にしか理解することはできない
光景というものがあるんです。「こうありたい」ではなく「こうあるしかない」
ということです。だからそれは運命とか偶然とかいったものと不可分な領域で
すらあるわけで、誰しもが作家になれるとは限らないという残酷さと連結するわけです。
運に恵まれる、恵まれないというのはなにも編集者のお目にかかるとかそういう下世話な
レヴェルの話ではなく、こうあるしかなかった生き方が事後的に作品性を帯びるということが
あるという意味での運のあるなしですね。
830名無しさん脚:2005/11/20(日) 17:09:24 ID:oN/L9QJQ
> 幻想が打ち砕かれて、(そんなことまずなさそうだが)光り輝く真実が見えるかもしれない。ハハ。

フィルムから印画紙へと受け渡される陽光の痕跡は常に正しく厳しくモノの次元に留まり続けます。
その唯物論的な残虐的ですらある美しさは信じていいのではないでしょうか。真実ですから。
831名無しさん脚:2005/11/20(日) 17:10:08 ID:oN/L9QJQ
少なくとも、そのような唯物論的な視線の存在可能性が、写真の実在性によって
想定可能になるわけです。権利問題として。
832うなぎ犬:2005/11/20(日) 17:20:37 ID:L27e6R2o
ずいぶん高踏的だが、足元は大丈夫か?
東京地方は今日はいい天気だった。
俺は外に出られない事情があったが、写真日和ではなかったかな。
言葉も大切だが、写真を撮ることも大切だと思う。
もちろん晴れた日だけが写真日和ではないのだけれど。

ことばでの戯れは、もういいか。
俺は今日はここで終わりだ。
俺には、現実の生活に家族がいるし、その相手のほうが大事だから。
833名無しさん脚:2005/11/20(日) 17:23:12 ID:oN/L9QJQ
まあ、すくなくとも写真をきちんとみてくれている人が
複数いるんだという事実がわかっただけでもよしとしま
しょう。
偶然というの軽く見ないほうがいい。狙いではなく偶然
覚醒してしまうという事態が現実にはあるんです。死な
ないために覚醒するっていうかね。なんかエヴァンゲリオン
みたいな言い方だけど。常日頃、世の中から抑圧されてないと
そういった境位に到達するのは難しいが、そんな分かりやすい
かたちで抑圧をうけていなくても、きちんと考えれば分かること
なんですけどね。
834名無しさん脚:2005/11/20(日) 17:24:38 ID:oN/L9QJQ
月産100本だから、余計なお気遣いは無用ですw
835名無しさん脚:2005/11/20(日) 17:26:42 ID:oN/L9QJQ
今週は数ヶ月ぶりにインターネッツというものを徘徊しているのです。
抽象的な他者との会話というのはヒートアップしがちで、そこがまた
面白くもあるのですが。
836名無しさん脚:2005/11/20(日) 17:31:02 ID:oN/L9QJQ
ぼくは枚数撮っているから写真については語れる自信があります。
まあ、たまに絶句するしかないバカがいますけどね、そういうバカ
ほど自信があったりして、手に負えないわけだが。写真がその自信
と繋がっていればいいんだけどねえ。
837ほそきかずちゃん:2005/11/20(日) 17:35:49 ID:oN/L9QJQ
まあ、うなぎ犬さん、写真は見ていないけど発言からするに
あなたには素質があると思います。しかしまだ咲ききれてい
ない。だからといって無理に咲かそうとしても枯れるだけで
しょう。時間が解決してくれます。日々の努力を怠らないこ
とです。いつかきっと全ての事象がうまいぐあいに合致し、
あなたに覚醒の時が訪れるでしょう。そのときまで、諦めずに
続けることです。続けていなければ、偶然が宿ることもないの
ですから!
838& ◆R7PNoCmXUc :2005/11/20(日) 17:37:20 ID:oN/L9QJQ
さあて、ぼくも写経作業に戻ろうかな。
いま仏典を写経してるんだよねw
839名無しさん脚:2005/11/20(日) 17:41:05 ID:oN/L9QJQ

おれは偉い

840名無しさん脚:2005/11/20(日) 19:30:19 ID:dpumSjw4
               ___
              / ___ヽ おつかれなのれす   
             レ〆ノノハ)    ∬   
             从 ´D`)   ,;'"゙;,  
          Q_  ノ/{l y'/}ヽ、 ./てフ  
      ,___("ァx'´(`ー'´,、 y'^'フ´ 
   、,.ヘ|:======:|'ヾ、_ノ>   ヽ_,,ノ´  
─.、//|======|─‐./´   人)──
  <,/  |_r---t_,|  (_、_/_ン〉 
841名無しさん脚:2005/11/21(月) 18:33:10 ID:45uHz36X
かたじけない。ごちそうになります。
まだづつうがおさまらない。
842うなぎ犬:2005/11/22(火) 19:43:14 ID:ACOYKuKm
>>756-839のやり取り、やはりなんかまとまりをつけないといけないような気がする。
でも、読み返すと、なんだか狂気が憑依しそうで、ちと怖い。
体調が回復したら、なんか考えてみます。

まぁ、考えるよりは撮影すべきという感じもするが。
843名無しさん脚:2005/11/23(水) 12:33:27 ID:lXwzBO9H
まとまりはつける必要はないように思うけれど、お互いがどのような
立場でモノを考えているかということは明確にしてから議論するなり
すれば良かったのかもしれない。
844鰻犬:2005/12/27(火) 19:05:42 ID:xK4tu4hE
今年もいろいろありました。
良いお年をお迎えください。
845保守:2005/12/30(金) 23:17:03 ID:Avb5FokK
           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
           |   モクヒョウ、ゼンポウノ センスイカン!
           \          
              ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                               |
                          ∧ ∧.  ┃|
                        ⊂(゚ー゚*)  ┃┃                
                        | ̄ ̄U ̄ ̄ ̄|                    
                        | 伊507   |                               
                        |          |                         / ̄ ̄|
           ,,,,…'''゙゙゙ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゙゙゙゙̄'''''……,,,,,  / ___ .|
〜〜〜〜〜〜γ゙゙゙゙    ━━━                                  . ゙゙゙゙゙゙゙| |   | | 《〜
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 ━━= ≡∴ ゝ,          ニニ⊃ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜| 》〜
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846うなぎ犬:2006/01/20(金) 15:50:15 ID:upO9Ofoz
コニミノが事実上落城した。城に火がつく前に両手を上げたようなもんだ。
これから書くことは、かなりとち狂っていると思うが、勘弁してくれ。

とにかく落胆したが、その理由を考えてみた。
というのは、俺はコニカユーザーでもあるが、コニカのカメラ事業自体は
すでに臨死状態なのであきらめはついていた。
修理も今のところはやってくれるだけ、ありがたい。
また、ミノルタのカメラは、TC-1や数々の名レンズは欲しいのだが、
金がなくて手が回らないだろうと思っていたので、あらかじめ諦めていたようなもんだ。

しかし、そうは言ってもがっかりした。家人に、どうかしたのか、と聞かれたほどだ。

今回の落胆の理由としては、
・伝統と特徴のあるメーカーがなくなる。
・ユーザーにとって選択肢が狭まる。
それ以上に大きいのは多様性がなくなることだ。

俺が理想とするのは、最後に市場競争に勝った勝ち組企業が残ることではなく、
小規模、中規模、大規模、それぞれのメーカーが、自分の特色を追及しながら
それぞれがそれなりに続いていくような状態だ。
それはユーザーにとっては、さまざまな選択肢があることであり、
社会的に見れば中産階級が持続することであり、社会的安定性が保たれるということにもつながる。
恒産なくして恒心なし。ある程度の生活レベルがなければ、落ち着いて暮らせないだろう。
それは現在の社会状況を見ればわかる。
子供が少ないのは、育児の補助(有形・無形)が足りないからではなく、
大人が生きていてつらい・不安を感じる社会だから、子供を作る気にならんのだ。
つまり、俺の立場は反小泉だな。反グローバリズムといってもいい。
847うなぎ犬:2006/01/20(金) 16:10:39 ID:upO9Ofoz
たとえば、イタリア、フランス、その他の国を見ろ。
強者が一人勝ちするUSAと、そうではない西ヨーロッパ社会のどちらに暮らすのが幸せだろうか(もちろん、西欧社会が問題だらけなのは知っているが、さておき)。
1人の強大な勝者と、その他の敗者により構成される社会よりは、
ほどほどの勝者と、ほどほどの敗者、そして競争にそれほどかかわることなく暮らせる者の3者による社会のほうが望ましく思う。
コニミノは、企業として、ひとりの強大な勝者になることはできなかったかもしれないが、
しかし、消耗戦から逃れて生き残るすべもあったのではないか。
つまり「ブランド」の力を考えよ。西欧社会が持つ力の一つはブランドの力だ。
それはアメリカが欲しくても手にできない「歴史性」に裏打ちされている。
コニカには六桜社以来の伝統がある。そして数々のすばらしい製品を作り出してきた歴史があり、最近までは新たに製品を作る力もあったはずだ。ヘキサーRFとかね。
また、ミノルタも、宇宙で使えるカメラ(ハイマチック)、AF一眼レフの実用化、名玉の誉れ高いロッコールレンズ、ライツの提携など輝かしい歴史と実績を持っている。
このブランド力を生かして生き残ることは不可能なのだろうか。
それを仔細に検討する前に、敵前逃亡した経営陣のやる気のなさ、発展性の欠如、その他がこの国の社会を象徴するようで悲しいのだ。
つまり、こんな調子なら、いつまでたってもこの社会はよくならないよ、ということだ。
マックは死かけたが、しぶとくipodで復活した。
すべての人がジョブスにはなれないが、しかし、金では換算できない価値を持っていて、なんで戦わずして諦めるのか。
それは金で換算できるものの価値しかわからないからだろう。
つまり、形の無いものから、有形の価値を生み出すことができないということだ。
それは頭が悪いということであり、頭が悪いやつは、このシビアな社会では生き残れないということだ。
さらに言えば、そういう人たちが経営する限り、不採算部門を切り捨てても、
先行きは危ういことになるのではないだろうか。
カメラ部門という最大のブランド力を捨てた時点で、コニミノは最も効果のある武器を捨てたともいえる。
848うなぎ犬:2006/01/20(金) 16:46:01 ID:upO9Ofoz
そして、「小規模、中規模、大規模、それぞれのメーカーが、
自分の特色を追及しながらそれぞれがそれなりに続いていくような状態」とは、
ものづくりが大切にされている社会だろう。
人間は、究極のところ、大地と太陽から何物かを得るということから逃れられない。
(核融合でエネルギーを取り出すにしても、まだまだ実験段階)
何物かを得るためには、やはり体を動かさなければならない。
マネーゲームからは、具体的な「物」は生まれない。そして投機的なものに永続性は求められない。
情報=記号であり、金(かね)も、実体を持って入るが記号に近いものだ。
しかし記号だけでは生きられない。記号は食えないし、その上で寝ることもできない。
なにしろ記号の本質は抽象なのだから。

これまで日本社会は、ものづくりにおいて多くの失敗をしてきた。つまり環境破壊だ。
しかし、これからはやっと環境に配慮した製品、もしくは積極的に環境を改善するためのものを作れるようになってきた段階ではないのか。
大量生産・大量破棄ではなく、必要なものを必要なだけ、必要な人に届けるようなことが実現しそうな世の中になってきたのに、このありさまだ。
だから悲しいのだ。カメラ会社がなくなるということ以上のものを感じるからだ。

それと同時に思うのは、堀江氏的なものに対する反省がやっと現れてきたのに、
諦めるのは早すぎるよ、ということだ。
あと半年がんばってみてくれれば、世の中の流れが変わるかもしれないのに。
もちろんフィルムからデジタルの流れが変わるということではない。
しかし例えば電子系が弱ければ、どこからか借りてきてもよい。
また、デジカメの新しい姿を模索してもいい−Shape of Jazz to ComeならぬShape of digital camera to Comeだ。やり方はあるはず。
今のままでは、高価なプロ用機材と、白痴的な民生用しか残らないことになりかねない。
例えば、IMEで「はくちてき」を変換すると「白雉的」となるような、白痴的な民生用製品のことだ。大体、「白雉」なんて言葉、日常的に使う奴が、何人いるのだろうか。
寄り道したが、特徴のある製品が欲しい人はいるはずだ。
ピッカリコニカやビッグミニを出して写真の撮り方を変えたコニカ、AFを実用レベルで実現したミノルタ、どちらもそういう力を持っていると思うのだが。
849うなぎ犬:2006/01/20(金) 17:01:37 ID:upO9Ofoz
しかし、発表したからには、そのようになるんだろう。
ライブドアは、この2,3日で、3000億円の損を出したそうだが、
どうせなら、その金で、コニミノにあげちまえば良かったのにな。
どうせあぶく銭なんだもの、泡と消える前に人助けをしてやるような気持ちがあれば、
堀江氏も浮かぶ瀬もあるだろうに。

いちど消えたものを再現するのは難しい。
ソニーは何とかコニミノの技術者集団を大事にしてやってく。
案外それが、ソニー再生の道につながるかもしれない。

といいながら、来週、コニカ製品の修理を出しにいくとするか。
ヘキサノン57/1.4のヘリコイドが硬くて回らない。
それと黒ヘキサーのオーバーホールもしくは各部点検を頼もう。
850うなぎ犬:2006/01/23(月) 12:28:25 ID:q3/OYdcD
で、850と。
よくもここまで書いたものだな。
851名無しさん脚:2006/01/29(日) 11:27:12 ID:Ru0gcLZN
.
852鰻犬堂:2006/02/16(木) 10:42:21 ID:+d6Bw4UR
書きたいことが出来たので、ちょっとあげさせてもらいます。
書き上げる前に、dat落ちしそうなんで。

ど〜も、すいません(三平風)。
853鰻犬堂:2006/02/16(木) 10:43:35 ID:+d6Bw4UR
ぼけててageそこねた。
854鰻犬堂:2006/02/16(木) 18:28:20 ID:+d6Bw4UR
デジタルカメラは、人の命を吸い取るか?

別役実の「馬に乗った丹下左膳」だったと思うが、写真を撮ることは「盗る」ことに通じ、
その盗る対象は「命」であるから、昔の人は写真機の前に立つのを嫌がった、というようなことが書いてあった。
この本を読んだとき、アラーキーの「愛しのチロ」がヒットしていて、自分はこう考えた。
荒木氏は、結局、陽子夫人の命をカメラで吸い取ってしまったのだな。
しかし、猫は"A cat has nine lives. "とか"Care kill the cat. "というくらいで、死なないものの代名詞でもある。
だから(?)、陽子夫人とチロの入れ替わりというのは避けられないものだったのだな、と考えた。

そこで考えたのだが、昔のカメラは命を吸い取ると思われたりしたのだが、
デジタルカメラの場合はどうだろう。やはり命を吸い取るようなものなのだろうか?
我ながら馬鹿な設問ではあるが、自分なりに考えてみた。
デジカメはやっぱり命を吸い取らないんじゃないかな。

このへん、他の人はどう考えているだろうか?
検索したけど、上手くヒットしなかった。
他の人の意見を聞いてみたい。
855鰻犬堂:2006/02/16(木) 19:22:15 ID:+d6Bw4UR
デジカメのあとに生まれた人にとってどうだろうか。
そもそも画像(似姿)に魂が宿ると考えたりしないかもしれないので、
設問自体が無意味かもしれないね。
856うなぎ犬:2006/03/09(木) 12:20:41 ID:eyl4r4vH
徳山村の写真をとっていた、増山たづ子さんが亡くなったね。
以前コニカギャラリーでお見かけしたときは、お元気そうであったが。

それにしても、「故郷〜私の徳山村写真日記〜」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jdf/Dambinran/binran/TPage/TP1130Masuyama.html
が、日本ダム協会のサイトにあるとは、何たる皮肉か。
ダム協会のせめてもの罪滅ぼしであろうか。

ご冥福を祈ります。
857名無しさん脚:2006/04/11(火) 00:11:03 ID:Wouxdn7f
もうここには書かないのかな

写真を考えながら撮るようになって半年、
↑この人の写真は衝撃だった

自分の内面ばかり意識していたことを恥じたよ
858うなぎ犬:2006/04/11(火) 12:30:09 ID:4isemseo
気にしてくれて、ありがとうございます。
あっちのほう(?)で、ぼちぼち書いております。
ここのスレのテーマについて、自分の力量および
諸般の状況が手におえない状態になっているので、
手を出しかねているわけです。

ところで、北山修の「共視論」のなかの、
田中優子(法政大教授)の文章を読んでいたら
あることを思いつきました。
以下ぼちぼち書いていきますので、
よかったら気長に待っていて下さい。
859うなぎ犬:2006/04/19(水) 19:01:43 ID:mFQqZN+9
続きを書くつもりなのに、ほったらかしてばかりです。

ところで、雜賀雄二氏のサイトを今日はじめて知りました。
いいですね。
ttp://www.ne.jp/asahi/saiga/yuji/

「note」という、日々を綴ったところを今読んでます。
ttp://www.ne.jp/asahi/saiga/yuji/note/top.html

40になる前だったら、彼のワークショップに参加したかったな。
860うなぎ犬:2006/05/11(木) 19:52:42 ID:/9KotUr7
>>858の共視論の続きです。

江戸時代の芝居絵(浮絵)、浮世絵では、
絵を見る人と、絵の中の人が地続きの感覚があったということです。
だから、絵のなかの人物が枠外に出て行こうとしたりする。

たとえば、
安藤広重「はねたのわたし弁天の杜」
ttp://www.photo-make.co.jp/hm_2/haneda_3_1.html
では、画中の視線の持ち主と、絵を見る人の視線は重なり合っているわけです。
(説明下手だな)。
見ようによっては、28ミリくらいでスナップしているかんじでもある。

また、木村伊兵衛「板塀 秋田にて」
http://www.momat.go.jp/Honkan/Ihei_Kimura/
これはまさしく、木村氏の視点によって馬が通り過ぎていくのを、
共に見ているような印象を受ける。
861うなぎ犬:2006/05/11(木) 19:53:17 ID:/9KotUr7
まぁ、グダグダ書いても仕方ないので、飛躍があるけど大事と思うところだけ書いていく。

写真論で「窓派」「鏡派」とかがあるが、どちらも、撮影する主体が前提されている。
その主体は、当たり前だが基本的には撮影者であり、
それが対象とどう対峙のするかという点での違いに過ぎない。
つまり「窓派」の場合は、「我」「撮る」「外部世界」。
「鏡派」は、「我」「我を表象する対象」「撮る」。(ちょっと違うかな)
ttp://www.syabi.com/topics/t_10anniversary.html

でも木村氏なんかは違うんじゃないか。
というのは、「我」のところに「写真を見る人」を代入可能な余地が大きいように思える。
例えば、子規の「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」という俳句には主語がない。
読み人は子規だが、そこに読者が入り込んでも一向に構わない。
また、放哉の「咳をしても一人」も同様だ。
木村氏の写真では、木村氏という主体が、どう対象を見たか、ということよりも、
木村氏という主体の位置に、写真を見る者が立てる写真のように思える。
つまり「共視」という立場だ。
思えば、隅田川の花火大会の写真では、物干し台に立って見物する人が写しこまれているが、
あれは二重に共視の構造を持っているのではないか。
つまり、物干し台の人と共に見る木村氏、さらにそれを見ている今の時代の人。
これは、小林清親「両国花火之図」と非常に似た構造である。
ttp://www.ukiyoe-gallery.com/ukiyoe/at95b.jpg

だから、共視だけが写真の見方・考え方ではないのだが、
自分にとっては非常に大事だと思える。
862うなぎ犬:2006/05/11(木) 19:54:08 ID:/9KotUr7
そこで、かなり昔の話だが、>>17で、
> マグナムの9/11の写真展(「マグナムが撮ったNY 9.11」)をやっていたが、
> なぜか見に行かなかったな。
> 何故だか自分でもわからない。
> マグナムがらみの写真展はたいてい行くのに。
と自分で書いていたことに帰っていく。

やはり、俺の立場では、マグナムの写真家の視点と、
自らを共にすることはできなかったのだな。
その理由は、合衆国が世界史の中でどのようなことをしてきたのかを知っていたため、
911で亡くなった人はまことに気の毒であるとは思うけれど、
かといって、それを無垢のものが受けた悲劇というふうには考えられなかったからだと思う。
共視できないものを感じていたので、見に行かなかったのだと、今では思う。

さて、02/09/11以来、ずいぶん長い間、ぽちぽちと書きつづってきたが、
そろそろ、一応の答えが出てきたようだ。

例えば、桑原甲子雄氏の写真は、自分にはまさしく共視すべき写真である。
それは憂鬱を抱えながら、町を散歩するときだけは自由人である一人の人間という、
今の自分とほぼ変わりがない立場の撮影者の写真である。
863うなぎ犬:2006/05/11(木) 19:55:13 ID:/9KotUr7
結論としては、自分でも、他者にとって共視できうるような写真を撮りたく思う。
そしてもう一言、複製が前提されている写真というもの自体が、
そもそも共視的な意味合いを持っていたのではないか、とも思う。

これで、いまのところ、一応書きたいことは書いたかな。
なんか、書き込みがあれば、それへのresを書くこともあろうと思う。
また、突発的に大きな出来事があればまた書くかも知れんね。
864名無しさん脚:2006/05/17(水) 17:03:20 ID:Qr/iqdhv
ベンジャミン・フルフォード、テレビで9・11はやらせと語る
http://asyura2.com/0601/war80/msg/776.html
865名無しさん脚:2006/05/28(日) 20:21:57 ID:MwtNU9vt
9111が自作自演の可能性は?
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news5/1080481431/l50

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 08:56:49 ID:???
お前等もの凄いもの発見しちまったよ。
http://video.google.com/videoplay?docid=-8260059923762628848
これマジ長ぇし英語だけど判る香具師は観とけ。
911の自演可能性について科学的かつ理論的に分析してる。
完成度も高いしマイケル・ムーアとか目じゃないから。
866名無しさん脚:2006/05/31(水) 22:44:39 ID:u0E73vUJ
te
867名無しさん脚:2006/06/29(木) 21:52:34 ID:Lox0SVSM
『SPA!』 2006年7/4号

[9・11テロ]5大疑惑の“真相”「ペンタゴンに航空機は衝突しなかった!?」「実行犯は存命!?」etc.
日本のマスコミが黙殺する、アメリカ発の真偽不明情報を検証
http://spa.fusosha.co.jp/
868名無しさん脚:2006/06/30(金) 02:19:04 ID:4/4vTiQr
なんちゅう古スレw
869名無しさん脚
>>867
突入機を追った地対空ミサイルがペンタゴンに当たったんだよ。