司馬遼太郎をあれこれ語る 34巻目

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1無名草子さん
前スレ

司馬遼太郎をあれこれ語る 33巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1346486590/l50
〔燃えよ剣/新選組血風録/幕末〕
2無名草子さん:2012/11/05(月) 11:33:12.43
【過去ログ】
司馬遼太郎をあれこれ語る 29巻目
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1314512612/
〔梟の城/上方武士道/空海の風景/鬼灯/風神の門〕

司馬遼太郎をあれこれ語る 30巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1318845804/
〔胡蝶の夢/最後の伊賀者・兜率天の巡礼ほかの短篇〕

司馬遼太郎をあれこれ語る 31巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1325657994/
〔竜馬がゆく〕

司馬遼太郎をあれこれ語る 32巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1336720073/l50
〔菜の花の沖〕
3項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/05(月) 11:42:34.86
>>1
乙〜
『幕末』は終了したようなので『項羽と劉邦』を始めてもいいですか?
4無名草子さん:2012/11/05(月) 11:49:56.97
>>3
いま大急ぎで項羽と劉邦を読んでいます。始めちゃってください。
5無名草子さん:2012/11/05(月) 13:04:57.20
>>1
お疲れさま。
項羽と劉邦は無理やり尖閣ネタに引っ張らないようにお願いします。
6無名草子さん:2012/11/05(月) 13:11:23.89
『ひとびとの跫音』『胡蝶の夢』『菜の花の沖』と、
よく知らない主人公が続いた後だったから、
『項羽と劉邦』が書店に並んだときは嬉しかったな。
7無名草子さん:2012/11/05(月) 13:17:24.21
>>6
私も一時司馬離れしていましたが、項羽と劉邦から再び読むようになりました。
とくに「跫音」には参りました。まず題名の漢字が読めませんでした。
8無名草子さん:2012/11/05(月) 13:52:02.34
ガキのころに読んだからみんな知らない主人公ばっかりだったよ
9無名草子さん:2012/11/05(月) 14:22:42.18
本宮の『赤龍王』では、しょっぱなに出てくるのが放浪時代のカイ通なんだけど、
韓信に仕えていた頃のカイ通と顔が違うよね。
10無名草子さん:2012/11/05(月) 17:26:24.20
>>9
中国が舞台の作品をやる場合、人名のカタカナ表記が増えないか、それが心配だね。
11無名草子さん:2012/11/05(月) 18:19:02.00
>>9
おっと、三国志の顔良・文醜の悪口は、そこまでだ。
12無名草子さん:2012/11/05(月) 19:24:04.75
項羽と劉邦、ぜんぜん始まってないじゃんw
13無名草子さん:2012/11/05(月) 22:56:25.25
宮本武蔵の長編ってあんま本屋においてないね。
メジャーな人物なのに。司馬作品では影が薄いのはなんでなの?
14無名草子さん:2012/11/06(火) 04:03:57.26
宮本武蔵といえば吉川英治のイメージが強すぎるんだろうな。
演劇化されるときもフィクション性の強い吉川版が原作に選ばれることが多かった。
司馬版宮本武蔵は吉川版に比べ史伝性・客観性を高めてみました
というこまっしゃくれたスタンスで書かれている。
ヒロインが登場しないし、歴史ノンフィクション・タッチで淡々と進行するから、演劇化しにくかった。
また、近藤中心だった新選組を土方中心に変えるという新鮮さもない。
吉川宮本武蔵のせいで影が薄いのだろうね。
15無名草子さん:2012/11/06(火) 13:28:07.90
>>8
高校で漢文やらなかったの?
16無名草子さん:2012/11/06(火) 15:08:46.25
>>10
人名はこれでだいたいいけるぞ。
カイ通とレキ食其はカタカナでいくしかないな。
http://kanso.cside.com/
17無名草子さん:2012/11/06(火) 15:26:49.84
カタカナは雰囲気を損なう。
レキ食其は「麗食其」でいこう。
カイ通は適当なのがないな。
そのうち探すわ。
18無名草子さん:2012/11/06(火) 17:34:50.50
焚書坑儒
焚朝坑毎
19項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/06(火) 17:53:34.06
第1章 始皇帝の帰還

紀元前210年7月、沙丘で始皇帝が崩御。宦官・趙高の陰謀により、長子・扶蘇と
功臣・蒙恬は退けられ、末子・胡亥が帝位に就きます。宰相の李斯までが斬首された頃、
陳勝・呉広の乱をはじめとした反乱が全国に広がりました。
20無名草子さん:2012/11/06(火) 17:59:53.09
正確には、丞相の李斯が趙高の讒言により腰斬の刑に処される前に、陳勝・呉広は死んでいるけどな。
陳勝・呉広の乱から二月ばかり遅れて、項羽や劉邦も反乱に立ち上がっている。
21無名草子さん:2012/11/06(火) 18:03:15.52
「項羽と劉邦」は編年体ベースで物語が進行するが、微妙に紀伝体要素を残している。
それが物語を理解しやすくしていると同時に、物語の面白さを増幅していると思うが、
気をつけないと、事件の発生順序を間違えて覚えてしまう可能性がある。
22無名草子さん:2012/11/06(火) 18:06:24.84
BC210
始皇帝南巡。途中、沙丘平台にて没す。
宦官趙高、詔を偽造し長男扶蘇を自殺させ、末子胡亥を即位させ二世皇帝とする。

BC209
二世皇帝胡亥、趙高の進言を入れ12公子・10公主を殺す。
7月;陳勝&呉広、楚にて挙兵。
9月;項梁&項羽、呉にて挙兵。劉邦、劉邦、沛にて挙兵。

BC208
陳勝・呉広死す。
項梁、定陶にて秦の章邯に敗れる。
秦の丞相李斯(りし)、趙高の讒言により腰斬の刑に処される。
23無名草子さん:2012/11/06(火) 18:14:51.54
趙高の偽作した詔勅を信じてしまったのが、蒙恬の盲点だったな。
24無名草子さん:2012/11/06(火) 18:19:55.29
楚漢軍談は故事成語の宝庫だし、キャラの立った人物が豊富なんだが、人気の面では
いまいち三国志に追いつけないな。
25無名草子さん:2012/11/06(火) 18:24:42.46
日常用語としてすっかり定着している馬鹿は、趙高と胡亥にまつわる故事成語だもんな。
そのうちこの小説にも出てくると思うが。
26無名草子さん:2012/11/06(火) 18:30:35.86
>>15
鴻門の会は、なぜかガキにバカウケ
27無名草子さん:2012/11/06(火) 18:59:30.33
この小説で司馬さんは当時の中国の人口を5千万人としている。
根拠はおそらく中国で最初に全国的な戸籍が作られた平帝の元始2年(後2年)の
戸籍であろう。それが約5,950万人。
しかし、最近の研究では、秦から漢初の人口は戦国時代とほぼ変わらず2千万人
ぐらいではないかと云われている。
2千万人だと、徳川幕府が調査を始めた1721年の2600万人より、やや多いぐらい
とイメージしておけばよいと思う。
28無名草子さん:2012/11/06(火) 19:06:55.32
2,200年前の物語という点を考慮しても、中国人よ、人殺しすぎ。
邪魔者は即殺せだもんね。
29無名草子さん:2012/11/06(火) 19:10:19.12
楚漢軍談は戦の話が多くて面白いが、漢帝国成立後の呂皇后一族による
粛清の嵐は、読んでいて吐き気がしてくるよな。
まあ、そこのところはこの小説には書かれていないから、安心して読んでくれ。
30無名草子さん:2012/11/06(火) 19:40:51.41
始皇帝の死という大事件を扱っているが、この章の主役は宦官の趙高だな。
日本の時代小説にも陰謀好きの人物は登場するが、趙高のようにアクの強い
人物は少ないな。足利義昭や岩倉具視が、かわゆく思えてしまうよ。
31無名草子さん:2012/11/06(火) 23:55:48.72
「聞け」
真紀子は、おそろしい顔をしていった。
「三大学は、不認可になったのではない。
新しい認可基準の下で設立が認可されることは有り得る」
もしそうでない事実を口外すれば、不忠の者として殺す、九族まで殺す、よいか、といった。
(なんというばかばかしさだ)
李斯は、自分の肉を毟りとって投げつけたいような衝動にかられた。
32無名草子さん:2012/11/07(水) 00:05:26.35
やがて、真の思考停の死体は沙丘を出発した。
死体の政権継続ということは、以前にも以後にもない。
臨時国会には、柩の中に納まった思考停とともに真紀子が乗っている。
33無名草子さん:2012/11/07(水) 00:17:46.05
(もうすこしの我慢だ)
車の中で、佳彦は思った。
思考停の死体に言い聞かせているのではなく、佳彦が佳彦自身に言い聞かせている。
疑似皇帝である佳彦は気を失いそうなほどの支持率の低さの中で、呼吸していた。
34無名草子さん:2012/11/07(水) 09:20:59.63
真説 宮本武蔵が好きな俺は
長編の宮本武蔵も読んだほうが良い?

ああいう実は武蔵はこういうやつだみたいなスタンスで
長編も書いてるなら読みたいんだけど。
35無名草子さん:2012/11/07(水) 09:31:13.29
さきに、王侯将相寧んぞ種あらんやと揚言した橋下は、辺境の漁陽という地へ送られつつあった。
この一団が大沢郷という土地まできたとき、反旗をひるがえしたが、すぐに鎮圧された。
そのあとつぎつぎに誘爆してゆくようにして石原、亀井などが各地で蜂起したが、
彼らは一つにまとまることができず、各個に撃破された。
宮廷の中の趙高は野にみちている反乱の火にはつよい関心を示さず、
政権に居座っていさえすれば秦は永劫に続くと思い込んでいた。
「われわれがやるしかあるまい」
沛の劉邦と呉中の項羽は、ついに立ち上がった。
36無名草子さん:2012/11/07(水) 09:44:11.68
>>34
吉川武蔵のイメージを払拭するために健闘している小説といった感じ。
新選組に関しては子母沢寛と並称されるまでになったが、
武蔵に関してはそこまでは上れなかった。
武蔵を売名の天才のように描いていて、
マスコミ周辺でゴロゴロしている人々と重ね合わせると面白い小説だよ。
失敗作ではない。
37無名草子さん:2012/11/07(水) 12:54:36.61

          r〃〃〃 f7⌒ろ)
           l‖‖‖ ||   f灯     
            |‖‖‖ ||   | |
            |儿儿儿._」⊥厶     
           〔__o____o_≦ト、
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          !゙ (・ )` ´( ・)   i/
          |  (_人__) ∪ | \       
          \  `ー'    /  / ー- 、
.          ,ィ(⊆≧リ≦⊇)〃   /     rク\
.       /   | ̄r少}¨ ̄〃   /    /′ ヽ
      〃 l   |  l| | l| 〃    /     /    └ヽ
     / ?  l  |l | |l/″   /      !  厂    \
    く,  Y   ! l」fレト!    /       | /        1
    丿  |   | 丿} じ’  /      | /         |
   /     l   | `¨      /      レ′        |

      真の思考停(紀元前259年 - 紀元前210年)
3819 補正:2012/11/07(水) 13:09:05.76
第1章 始皇帝の帰還

[主役]趙高

紀元前210年7月、沙丘で始皇帝が崩御。宦官・趙高の陰謀により、長子・扶蘇と
功臣・蒙恬は退けられ、末子・胡亥が帝位に就きます。宰相の李斯までが斬首された頃、
陳勝・呉広の乱をはじめとした反乱が全国に広がりました。

(註)群像劇であり、各章ごとに中心人物が異なるので、冒頭に各章の[主役]を掲げることにしました。

39項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/07(水) 14:31:55.03
第2章 江南の反乱

[主役]項梁

始皇帝の死の翌年(紀元前209年)7月、江北の宿県で陳勝・呉広の乱が勃発。
会稽郡の郡守・殷通は、町の顔役・項梁に秦への謀反を口にするが、項梁は
甥の項羽に殷通を斬らせ、自らが郡守となる(同年9月)。
40無名草子さん:2012/11/07(水) 15:17:46.11
弥生人の起源については、南方長江文明人説にしたがっているな。
チョン君、残念でした。
41無名草子さん:2012/11/07(水) 15:24:42.02
楚の滅亡の話のなかで懐王の話が出てくるが、ここはちょっと紛らわしい。
項梁の父の項燕は楚の滅亡当時の将軍であるが、懐王は楚の滅亡よりも
76年前に死んでいる。書かれている内容は本当だが、ちょっと時代が違う。
42無名草子さん:2012/11/07(水) 15:29:52.19
「先んずれば則ち人を制し、後るれば則ち人の制する所となる」は、この作品にあるように
殷通の云った言葉というのが、『史記』の「項羽本紀」の叙述である。
なお、『漢書』の「項籍伝」には、項梁の言として記されている。
司馬さんは、その両方を採用してアレンジしている。
43無名草子さん:2012/11/07(水) 15:35:04.56
この章では、陳勝・呉広が首都・咸陽を窺っているという話が出てくるが、詳細には語られていない。
胡亥は対策会議を開いているが、その席上、叔孫通が云った言葉が故事成語になっている。

「歯牙に懸くるに足らず」(あんなんただの盗賊や。ほっとけや)
44無名草子さん:2012/11/07(水) 15:40:03.35
>>27
この章では、呉中(現在の蘇州市)の人口が書かれている。
103万2,604人と、いかにも本当くさい書き方なんだが、史料残っているのかね?
呉中だけで103万人もいるとなると、あんたの2千万人説も怪しいんだが。
45無名草子さん:2012/11/07(水) 15:45:48.08
103万人がみんな路傍にうんこしていたと想像すると耐えられんな。
46無名草子さん:2012/11/08(木) 00:28:02.32
この時期、信濃川に近い町で、
「わたしは、大きな声ではいえぬが、田中角栄の子だ」
と、ひそかに仲間たちに素性を明かしていた六十婆がいる。
田中眞紀子である。
47無名草子さん:2012/11/08(木) 00:43:45.05
「大臣は、王でしょうか」
眞紀子は、父にきいたことがある。
「王ではなく、官だ」
父はこたえた。
「王と官は、どのようにちがうのです」
「似てはいる。しかしちがう」
そのあたりの機微がおもしろい、と角栄は、説明をはじめた。
王でないことの一つは、かつての王が保有したような自由裁量権をもたず、
法律の定めた基準に適合した私大設立申請については
それを認可するだけの存在だ、ということである。
48無名草子さん:2012/11/08(木) 01:08:39.25
「秘密の話である」
眞紀子は、声を小さくした。ゆっくりと項梁の鼻さきにまでその大きな胸を近づけ、
三大学はみな認可したぞ、とくさい息とともに言った。
むろん項梁は情勢は知悉していたが、わざと驚いてみせた。
眞紀子はさらに声をひそめて、人が認可するにあらず、天が――といって、黙った。やがて、
「――天が三大学を認可しようとしているのである。
諺に曰う、先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人に制せらる、と。
天意はすでに認可にある。わたしはただちに認可書を三大学に交付したい」
と、言った。これには、さすがに項梁もおどろいた。
49無名草子さん:2012/11/08(木) 08:57:17.66
佳彦は沙保里に真珠を贈った。
50項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/08(木) 16:14:29.58
第3章 沛の町の樹の下で

[主役]劉邦

劉邦の生い立ちから呂雉との結婚までが語られます。
前2章から時代が少し遡り、始皇帝がまだ生きていた時代の話です。
51無名草子さん:2012/11/08(木) 16:32:33.22
劉媼が旅のならず者にレイプされてできた子が劉邦であるというのは、美川修一の見解。
司馬遷は、そこまでは言っていない。
52無名草子さん:2012/11/08(木) 16:41:45.55
伯仲叔季が、兄弟の順序の呼び名で、年長の順に伯、仲、叔と呼び、末弟を季というのは、
本文に書いてあるとおり。劉邦は三男で、弟に異母弟の劉交がいるから、劉叔でもよさそう
であるが、一般に劉季(季は字)と呼ばれている。
53無名草子さん:2012/11/08(木) 16:44:38.36
次兄の劉仲(仲は字)は、劉喜といい、後に劉邦によって代王に封じられた。
匈奴に攻められて戦わずして逃げたヘタレ。王位は剥奪された。
54無名草子さん:2012/11/08(木) 16:54:13.28
劉邦の馴染みの旗亭(酒屋)は、王媼と武媼の店とあるが、武媼は原典では武負と記されている。
武負も婆なので武媼で間違いはないが。
55無名草子さん:2012/11/08(木) 17:24:32.24
曹参が仕えた斉王の悼恵王は、劉肥という名で、二代皇帝恵帝の異母兄である。
むろん呂雉(呂后)の子ではない。劉肥の母は曹氏というが、その出自が伝わっていないから、
曹参の身内ではないと思われる。
56無名草子さん:2012/11/08(木) 17:43:04.16
サブタイトルになっている“沛の町の樹”は、槐である。この章に槐以外の樹は出てこない。
http://www.hana300.com/enju007.jpg
57無名草子さん:2012/11/08(木) 17:49:22.37
呂雉は角田美代子よりも恐ろしい悪女であるが、角田と違って美人女優が演じる役である。
http://ent.people.com.cn/mediafile/200904/15/F200904151005521252116362.jpg
58無名草子さん:2012/11/08(木) 17:55:44.31
盧綰、樊カイ、曹参、蕭何と、おなじみの面々が出てきて楽しくなってきたな。
59無名草子さん:2012/11/08(木) 18:03:52.32
>>58
俺は、麦を食っていた劉邦よりも、米を食っていた項羽に親近感を覚える。
60無名草子さん:2012/11/08(木) 18:45:21.18
>>57
劇画にすると、呂雉は尖った顎に切れ長の目、虞美人は丸い顎にやさしい目になるよな。
61無名草子さん:2012/11/08(木) 18:52:47.51
>>45
路傍にうんこをしていたのは華北の野蛮人。江南の文明人は、そんな下品なことはしない。
62項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/09(金) 16:13:35.94
第4章 挙兵

[主役]蕭何

前章に引続き、劉邦の話です。泗上亭長になって驪山(始皇帝墳墓)の工事に従事する労役人夫を
咸陽まで引き連れてゆく劉邦でしたが、人夫が脱走したため逃亡しました。
始皇帝が死に、翌年、陳勝・呉広の乱が勃発。沛県でも、項羽のいた呉中と同じような事件がおこります。
63無名草子さん:2012/11/09(金) 16:25:10.21
劉邦が大蛇を斬った話が出てくるが、場所が書かれていない。芒蕩山である。
http://ebisufukunakakou.web.fc2.com/ryuubi2.jpg
64無名草子さん:2012/11/09(金) 16:41:31.60
前漢の歴代丞相を記しておく。複数いるところは、右丞相・左丞相の順に記している。

1 蕭何
2 曹参
3 王陵・陳平
4 陳平・審食其
5 周勃・陳平
6 周勃
7 灌嬰
8 張蒼
9 申屠嘉
10 陶青
11 周亞夫(周勃の息子)

第6代景帝あたりまでの丞相が以上。第7代武帝以降はめんどくせえからやめた。
65無名草子さん:2012/11/09(金) 16:57:43.25
この小説は、項羽が死んだところで終了しているから、それ以降の漢の元勲たちの
栄達あるいは哀れな末路については、書かれていないこともある。
本文と重複することもあるが、登場した都度、記してゆく。

盧綰:まだ劉邦在世中の紀元前195年に謀反人にされてしまう。劉邦の死後、匈奴へ逃亡する。
66無名草子さん:2012/11/09(金) 17:05:42.30
曹参
 第2代丞相。その子孫も栄える。後漢末の曹操の祖父・曹騰は宦官であるから、
 夏侯嬰の子孫・曹嵩を養子に迎え曹操が生まれた。

蕭何
 初代丞相。子孫は途絶えることが度々あったが、劉家は創業の功臣の家名が途絶える
 ことを恐れ、子孫を探し出してきては侯を継がせている。
67無名草子さん:2012/11/09(金) 17:12:55.77
樊カイ
 >>65で述べた盧綰討伐を劉邦から命じられたが、讒言により陳平によって捕らえられ、周勃と交代させられた。
 その後、高祖の死によって釈放。嫡子の樊伉が舞陽侯を継いだが、呂氏一族皆殺しにより生母の呂須と
 ともに殺された。樊カイの妻・呂須は、呂后の妹であった。
68無名草子さん:2012/11/09(金) 17:26:19.49
夏侯嬰
 子孫も栄える。夏侯惇・夏侯淵は夏侯嬰の末裔。

周勃
 本宮「赤龍王」では情けない顔の葬儀屋だが、史実では丞相になる実力者。

任敖
 この作品には県の下級役人としか書かれていないが、獄吏。つまり、曹参の同僚。

灌嬰
 周勃の次の丞相になる実力者。武帝の時代に子孫が国を召し上げられている。
69無名草子さん:2012/11/09(金) 17:45:17.73
     /:::::::::::::::::::::`ヽ、
    /::::::::ィ''' ̄ ̄ミ:::::::::::`ヽ
    レ´      ミミ:::::::::::::\
   ,r' 。 ,,..==-   ヾ::::::::::::::::、
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   |∨ヽ丶 '´、,,,__    '゙ )ュl:::l
   '、:i(゚`ノ   、        |::|
    'lー''(.,_ハ-^\     ├':::l
     \  />-ヽ    .::: ∨
      丶 (´,,ノ‐-   ..::::   l
       丶´  `..::.:::::::    ハ\
         \::::::::::::::::    / /三ミ\
          `ヽ::::    / /三三三三ミヽ、
          /|\::_/  /三三三〉三三三

 第二代皇帝 胡亥(在位:前210年8月 - 前207年8月)
70無名草子さん:2012/11/09(金) 23:17:31.65
「陛下は、ご自分のことをチンチンとおおせられます。チンチンとは、陰部でもあります」
と、趙高はいった。
「ああ、陰部か」
胡亥は、こういう論理のあそびが好きであった。
自称理系の胡亥は自分を原発のエキスパートだと思っている。
「ここをよくお聴きあそばせ」
趙高は、いった。「陰部というのは、他人に見せてはなりませぬ。
人の耳目に陛下の声容が触れるようなことがあっては
陛下はただの人間であり、皇帝ではないということになります」
「おお、陰茎のないそちには、そのような苦労がないということはわかった」
胡亥は感動した。
胡亥はすでに政治的廃人である。
時々ネットにつまらんことを書いては、民に笑われるだけの存在になり果てていた。
71項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/10(土) 15:11:53.27
第5章 楚人の冠

[主役]陳勝

陳勝・呉広の乱については大沢郷での挙兵のところで時間が止まっていましたが、
この章では、その続きが語られ、半年後の陳勝の死によって終わります。
72無名草子さん:2012/11/10(土) 15:17:03.86
視点人物は、胡亥、陳勝、范増、趙高、章邯。
陳勝・呉広の乱が中心なので、[主役]は陳勝でいいか。
73無名草子さん:2012/11/10(土) 15:45:04.55
胡亥に諫言した三人の重臣の名が記されている。『史記秦始皇本紀』の「丞相臣斯、臣去疾」という記述
を引用したものと思われる。右丞相の去疾とは霍去疾(馮去疾とする説もある)で、左丞相の斯とは
おなじみの李斯のことである。李斯は第1章の最後に刑死しているが、この時点ではまだ生きている。
74無名草子さん:2012/11/10(土) 15:55:25.07
>>73
李斯の子の李由が登場したろころで、「この時点では李斯はまだ生きている」と書かれているから、
「丞相臣斯」=李斯というのは、おそらく気づかれていないね。
75無名草子さん:2012/11/10(土) 16:09:31.92
胡亥が堯舜を批判しているくだりは、「韓非子」に書かれている内容とは別もの。
「韓非子」における堯舜批判は、堯が名君であるなら、禅譲を受けた舜が世の中の
悪いところを改めようにも、悪いところがないはずだ、というもの。
矛盾という故事成語は、この挿話からできた。
76無名草子さん:2012/11/10(土) 16:38:39.14
陳勝の反乱軍が函谷関ちかくの戯にまで侵攻して、はじめて秦の王宮が慌て始めたような
書き方であるが、このあたりの時間の前後関係はかなり怪しい。

まず戯は函谷関の東のような書き方をしているが、函谷関の西である。つまり、反乱軍は
すでに函谷関を破って戯に布陣している。
そして、この軍の指揮官が、この章の最後のほうで秦の将軍・章邯に撃破される周文である。
章邯は函谷関を破った周文を待ち受けていたような書き方をしているが、史実は違う。
77無名草子さん:2012/11/10(土) 16:44:16.96
>>76
函谷関を破られても安閑としていたら秦の連中はマジでバカだし、
周文が函谷関を破った直後に章邯がこれを撃破した方が、
ドラマとしてはスリリングで面白いということだろうw
78無名草子さん:2012/11/10(土) 16:46:00.57
     /:::::::::::::::::::::`ヽ、
    /::::::::ィ''' ̄ ̄ミ:::::::::::`ヽ
    レ´      ミミ:::::::::::::\
   ,r' 。 ,,..==-   ヾ::::::::::::::::、
   i; ,,. l  (゚`> .  ヾr─、:::、
   |∨ヽ丶 '´、,,,__    '゙ )ュl:::l
   '、:i(゚`ノ   、        |::|
    'lー''(.,_ハ-^\     ├':::l
     \  />-ヽ    .::: ∨     函谷関が破られた?まだ、大丈夫でしょう?
      丶 (´,,ノ‐-   ..::::   l
       丶´  `..::.:::::::    ハ\
         \::::::::::::::::    / /三ミ\
          `ヽ::::    / /三三三三ミヽ、
          /|\::_/  /三三三〉三三三
79無名草子さん:2012/11/10(土) 17:01:53.31
周文の文は字で章が名らしいんだが、章邯軍が突然現れたので周章が狼狽した。
周章狼狽という故事成語は、こうしてできた。

というのは真っ赤なウソです。
80無名草子さん:2012/11/10(土) 17:27:48.98
范増は本宮「赤龍王」では筋肉質な爺だが、司馬版では瘠せた爺。
81無名草子さん:2012/11/10(土) 17:48:21.34
>>74
趙高の陰謀で李斯が斬首されたことになっているから、胡亥の怒りに触れて牢内で自殺した
ことにできなくなったんだろう。
82無名草子さん:2012/11/10(土) 17:52:05.90
第1章では劉邦は咸陽の街中で始皇帝を目撃したことになっているけど、第4章では咸陽に
到着する前に逃走しているよね。第1章では、劉邦は咸陽で労役従事中となっていたけど、
亭長として人夫を引率する以前に、咸陽へ労役で行ったことがあるということなの?
83無名草子さん:2012/11/10(土) 17:57:38.71
>>82
原典を調べながら読む読者の存在を前提にして執筆していないということ。
84無名草子さん:2012/11/10(土) 18:05:47.81
>>78
下の地図で見ると、咸陽と戯は目と鼻の先だぞw
http://kanso.cside.com/chinshou_map.png
85無名草子さん:2012/11/10(土) 22:05:43.65
>>79
周文=周章というのは本当だろうw
周章狼狽に関して真っ赤な嘘をついているのは、司馬さんじゃなくておまいなんだから、
それを明示しろよ。
86無名草子さん:2012/11/10(土) 22:47:32.99
国号というのは、たとえば、夏、周、あるいは秦といったように、一字であるのが普通である。
倭ももちろん一字である。
二字というのは、漢民族の正統の国ではなく、周辺の蕃国が、中国に遠慮をしてつける場合が多かった。
朝鮮がそれである。
中華人民共和国のように七字になると、外道としか云いようがない。
87無名草子さん:2012/11/10(土) 23:18:03.91
「マニフェストに書いてあることはやるんです。書いてないことはやってはならないのです」
と、陳勝は四方八方に触れてまわらせた。
このことはよほど大きな効果があった。
「いちどやらせてみるか」と馬鹿が騙された。
陳勝は、そういうはったりだけで出来ている。
(虚喝以外に、おれに何があるか)
と、陳勝はひらきなおっていた。
88無名草子さん:2012/11/10(土) 23:41:27.78
「王よ、食べるものはないか」
と、陳勝の官邸まで国民が押しかけた。
国民は、飢えた。食を保障する能力を失った陳勝には、もはや王である資格はなかった。
もっとも、考えようによっては、陳勝は最後に一つだけ皆の食糧のための役に立たぬでもなかった。
(民主党の議席がゼロになれば。――)
と、たれしもが考えた。
89無名草子さん:2012/11/11(日) 00:09:21.50
>>81
>このうちの二人は牢内で自殺し、一人はこの恥辱に耐えて死ななかったが、
>あとで罪を作られて刑殺された。

この一人が李斯なんだけど、どうして李斯と明記しなかったんだろうな。
90無名草子さん:2012/11/11(日) 10:24:24.32
中華人民共和国は、秦そのものだな。
6000年も同じような歴史を繰り返していて飽きないか?
91項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/12(月) 15:39:29.24
第6章 長江を渡る

[主役]項梁

紀元前209年12月、陳勝が章邯に敗北し逃走途中で荘賈に殺されると、
召平は陳勝の使者と偽り項梁に対し出兵を促した。
項梁はこれを受け八千の精兵を率いて長江を渡った。
92無名草子さん:2012/11/12(月) 15:47:42.80
BC209年7月の陳勝・呉広の蜂起以降、項梁や劉邦の反乱と同様の小さな反乱は
全国で相次いだ。本章では、項梁・項羽の呉中近辺の東陽県の陳嬰の反乱、
広陵県の召平の反乱が語られる。

陳嬰の東陽県は現在は廃止されてない。現在の江蘇省淮安市あたり。
浙江省の東陽県ではない。

召平の広陵県は、現在は揚州市の一部。
93無名草子さん:2012/11/12(月) 15:50:41.77
召平の視点で観察された項梁と項羽の描写がいいな。徐々に作者視点が少なくなって
作中人物の視点で語られるようになってきている。

また、項梁の囲っている妾を登場させることで、項梁が身近に感じられるようになった。
この章の項梁はいい感じに仕上がっているね。
94無名草子さん:2012/11/12(月) 15:54:11.47
この章では項梁が楚の上柱国(宰相)になるが、次章では陳嬰が上柱国になる。
范増のアイデアであるが、この経緯は面白いよ。
95無名草子さん:2012/11/12(月) 16:05:34.25
>>89
そもそも右丞相霍去疾、左丞相李斯、将軍馮劫の三重臣が、阿房宮の造営や四方辺境の屯戍を減らすよう進言
したのは、B.C.208の6月。陳勝が死んだ半年後なんだよな。
96無名草子さん:2012/11/12(月) 16:11:36.95
>>91
この小説では、召平は陳勝の死を知らないまま、項梁の陣営に合流したことになっているよ。
陳勝の死も、項梁の北進開始も、ともにBC209年12月だから、この小説のいうように、
召平は陳勝の劣勢は知っていても、その死までは知らなかったような気がする。
97無名草子さん:2012/11/12(月) 16:15:14.11
項羽、鍾離マイ、季布といった楚の将軍たちの出番が増えて期待が膨らむ。
鍾離マイと召平の会話のなかに韓信の名前も登場する。
韓信はこの時点では、いまだ楚軍に投じていない。
98無名草子さん:2012/11/12(月) 16:24:27.21
各地で反乱が相次いだため、いちどに紹介することが困難で、この先少しづつ時間を遡って紹介される。
読者の便宜のために、ここまでに紹介されていない反乱についてまとめておく。

武臣は、張耳・陳余を従え、すでに趙王になっている。

黥布は、次章で登場するが、すでに反乱に立ち上がっている。

田タンも自立して斉王になっている。
99項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/12(月) 17:59:51.03
第7章 楚の武信君の死

[主役]項梁

淮水を渡った項梁は、黥布を傘下に収め、下ヒ、胡陵、薛へと駒を進める。
楚の懐王の末裔・心を楚王に擁立した項梁は、さらに劉邦も傘下に収め、
ついに黄河畔の東阿に至る。
しかし、BC208年8月、定陶で章邯軍に敗れる。
100無名草子さん:2012/11/12(月) 18:03:40.87
>>95
李斯が市場で処刑されたのは、項梁の死に先立つ1ヶ月前、BC208年7月だな。
霍去疾と馮劫は、そに前月、獄中で自害している。
101無名草子さん:2012/11/12(月) 18:13:15.17
黥布
 項羽生存中に劉邦に寝返る。項羽滅亡後は漢の淮南王となる。
 紀元前196年、春に韓信、夏に彭越が反乱を企てたとの名目で処刑されると、
 黥布も粛清されることを恐れ、漢に謀反。翌年、死んだ。
102無名草子さん:2012/11/12(月) 18:19:18.09
呉ゼイ
 黥布の岳父。漢の長沙王。
 漢の異姓諸侯王のうち、趙王張耳と並んで天寿を全うし子孫に王位を伝えた。
103無名草子さん:2012/11/12(月) 19:31:35.82
項梁が最初に本営を構えた下ヒは三国志でおなじみ。呂布や劉備が根拠地にしていた。
始皇帝暗殺に失敗した張良が潜伏していた城であることは、本文にも書かれている。
そこに出てくる黄石老人は、『三略』という兵書の著者として有名。
沓を橋の下に落として張良に「拾え」と命じたジジイ。
104無名草子さん:2012/11/12(月) 19:41:11.27
懐王の孫・心は後日楚の義帝になる人物である。
>>41でも指摘したとおり、懐王は楚の最後の王ではない。

懐王→頃襄王→考烈王→幽王→哀王→負芻

ここでやっと楚は滅びる。つまり、最後の王は負芻。
項梁の父・項燕が擁立したのは、負芻の次の昌平君。
105無名草子さん:2012/11/12(月) 19:51:18.68
下ヒの次の本営・胡陵とその次の本営・薛については下図を参照してください。
蕭・方与など、この章に出てくる他の地名も下図を参照してください。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/map126.jpg
106無名草子さん:2012/11/12(月) 19:54:11.54
雍歯
 劉邦との挿話は本文に書かれているところにほぼ尽きる。粛清はされず天寿を全うしている。
107無名草子さん:2012/11/12(月) 20:01:54.67
前章の項梁と妾の挿話は良いと思ったが、本章の挿話はマヌケすぎる。
劇的な死様でないところは、ちょっぴり不満が残るな。
連戦連勝で浮かれてしまい、宋義からたしなめられるというのは、ちょっとな。
108無名草子さん:2012/11/12(月) 20:07:44.06
この章では、項羽の生き埋め事件が出てくるだろう。今後、もっとすごい生き埋め事件も
出てくる。項羽と対比して読むと、項梁の生きざまは味わいがあるよ。
109無名草子さん:2012/11/12(月) 20:14:33.47
前回「項羽と劉邦」を読んだときは、作者に子はいないと思っていた。
その認識が改まった現在読むと、項梁の印象が随分変わったよ。
110無名草子さん:2012/11/12(月) 20:21:49.50
項梁はこの作品を読むまでは、単に項羽の叔父という符号として記憶していた。
そのせいもあって、ここまで掘り下げてくれた本作品を読んで、項羽や劉邦よりも、
項梁が最も印象深い人物になった。
111無名草子さん:2012/11/12(月) 20:26:59.05
>>107
項梁を倒した章邯を甥の項羽が破るので、仕方のない措置なのかも。
しかし、ここまでのところ完璧な名将である章邯は、この後、描きにくいだろうな。
112無名草子さん:2012/11/12(月) 22:05:23.31
>>104
76年前に死んだ人の孫というのもおかしいな。
心は羊飼いなんだから若い。
曾孫でもおかしい。玄孫だろう。
113無名草子さん:2012/11/12(月) 23:52:38.93
(どうすべきか)
と、思考停は、ひとり考えた。
が、結論を得ない。
思考停はとっさに勘でもって機敏に結論を出すたちの頭脳で、その結論群はしばしば矛盾した。
「少なくとも県外」「トラスト・ミー」
ときにひねもす思案している。
そういう場合、一見、なまけものとしか見えないような体をとった。
陽が高くなるまで朝寝をしたり、日中も寝台の上に丸太のように転がって、
睾丸を鷲づかみにしては伸ばしたり、ときにひとりで哄笑したりした。
見様によっては痴愚とかわらない。
114無名草子さん:2012/11/13(火) 00:14:32.43
情報によれば「北新地王」をかついでいる維新軍は早期解散のために流動して土匪化し、
他の第三極と一勝一敗を繰り返しているらしい。
このことも晋三にとって重要な眼前の事象であった。
(その北新地王とやらいうやつを討つか)
晋三は考えた。
本来なら民主軍こそ共同の敵で、各地の野党軍は互いに滅民主の同志として結束すべきであったのだが、晋三には、
――あまりに弱すぎる民主軍の補完勢力として戦後連携されては困る。
という痛烈な思いがあった。
115無名草子さん:2012/11/13(火) 00:22:56.02
「シェー(渉)!」
と、彼は宮門の前で、大声で叫んだ。
この男にはべつに欲得があるわけではなさそうで、
ただ懐かしさのあまりイヤミの真似をしたことが、態度によく表れていた。
116無名草子さん:2012/11/13(火) 00:42:20.29
「1月1日基準でぶんどった政党助成金で、穴埋めしなければならない欠損でもございますのでしょうか」
使者は、きいた。
「言うにや及ぶ」
子嬰はうなづいた。
117無名草子さん:2012/11/13(火) 13:17:42.67
>>74
その李由は、この章の最後で項羽と劉邦がヨウ丘(三国時代の酸棗)を攻略したときに殺されている。
118項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/13(火) 14:17:14.11
第8章 宋義を撃つ

[主役]項羽

前208年8月〜閏9月までの楚軍のお話です。
項梁の死後、楚は彭城を根拠地にして、懐王[心]もここへ移ります。
一方、章邯軍は、趙王が籠城する鉅鹿へ。
趙からの援軍要請に応え、楚軍も鉅鹿へ向かいます。
その大将は令尹の宋義、副将が項羽です。
劉邦は別働隊(囮)として関中の咸陽を目指しました。
119無名草子さん:2012/11/13(火) 15:11:59.72
戦国七国の国名が出てくるが、おおまかな位置関係を覚えておかないとわかりづらい。
ざっと下図のようなものと覚えておけ。

                        燕

              趙     
                     斉
       
           魏

             韓

                       楚         
120無名草子さん:2012/11/13(火) 15:29:02.66
まず、魏と章邯の戦いの話が出てくる。
魏王咎というのは、魏王の魏咎のことだ。
前章で雍歯をそそのかして劉邦に背かせ豊に籠城させた周市という人物が出てきたが、
魏咎を擁立して魏を建国したのも、この周市だ。周市は魏の宰相になっている。
秦将章邯は陳勝を破った後、兵を進めて魏咎を都の臨済に襲ったので、
魏咎は周市を斉に遣わして救援を請うた。
斉は田タンらを周市に従わせたが、周市・田タンは章邯に破られ戦死し、秦軍は臨済を囲んだ。
魏咎は降服を約定し、自身は火中に投じて死んだ。
121無名草子さん:2012/11/13(火) 15:41:05.77
次に田タンが死んだ後の斉の話だ。
田姓の人物が大勢出てくるために、司馬も半ば投げたような書き方だ。

まず、田タンが臨済で戦死すると、弟の田栄は残兵を取りまとめて東阿に走った。
章邯は田栄を追撃して東阿を包囲した。項梁はこれを聞くと、 兵を率いて章邯軍を東阿の城下で破った。
これが前章で語られた項梁の東阿占領だ。

また、田タンが章邯に殺されると、斉の国人は田仮を立てて斉王とした。
これが司馬の云うところの旧王室系の王だ。
田栄は斉人が田仮を斉王に立てたことに怒り、田仮を攻めた。田仮は楚の項梁のもとに出奔する。
田栄は田仮の引渡しを求めたが、先に東阿攻略では協力したのに、ここでは引渡しを拒んだ。

田栄は田タンの子・田市(甥)を立てて斉王とし、みずからはその宰相となり、斉の地を平定した。
本文には田タンの子としか書かれていないが、それが田市だ。
覚えたくなくなるぐらいめんどくせーだろう?
122無名草子さん:2012/11/13(火) 15:44:35.71
宋義=田栄系田氏と協力したい派
項羽=旧王室系田氏を傀儡にして斉を支配したい派

という理解でいいですか?
123無名草子さん:2012/11/13(火) 15:57:40.67
彭城に集結した楚軍の話だ。
「呂臣という者」が楚の将軍として登場するが、こんなやつ知らんぞといった書き方だ。
しかし、第5章「楚人の冠」の最後のあたりに登場している。
記憶力のいいよい子のみんなは覚えているはずだ。
そうだ。陳勝を殺した荘賈を撃った蒼頭軍の大将が呂臣だ。
呂臣は再び陳を取り戻したんだ。その後、黥布と合流して秦軍と戦っていたが、項梁死後は
楚の将軍として名前が出てくる。史料というのは何でも書いてあるわけではないんだ。
どういう経緯で楚の将軍になったのかはよくわからん。まあ秦の敵は、楚の仲間ということだ。
124無名草子さん:2012/11/13(火) 16:02:28.56
>>63
>芒蕩山

「水滸伝」の樊瑞、項充、李袞が籠っていたお山ですか?
125無名草子さん:2012/11/13(火) 16:15:11.64
趙の話だ。その前に、ひとこと。
刎頸の交わりは、趙の張耳と陳余の話だと思い込んでいる輩もいるが、これは中国人お得意のコピーだ。
オリジナルは、同じ趙の藺相如と廉頗が残した故事で、張耳と陳余を遡ること50年ぐらい前の話だ。
真紀子の親父と小佐野賢治も刎頸の交わりだ。
126無名草子さん:2012/11/13(火) 16:18:28.81
>>124
字が違う。水滸伝のは芒?山で、?は石偏に昜だ。
127無名草子さん:2012/11/13(火) 16:26:47.77
張耳と陳余については、この小説で今後も重要人物として頻繁に登場するから、
そこで語られるのではないかな?
128無名草子さん:2012/11/13(火) 16:37:11.64
>>127
そうかもしれんな。まあ、この章を読むための最低限の知識として、これだけは覚えておこう。
張耳と陳余は、秦に滅ぼされた魏の遺臣だ。
張耳は劉邦の憧れの人・信陵君の食客だった。魏が滅亡した後、陳勝が根拠地にした陳にいた。
ふたりは陳勝の蜂起後の早い時期に陳勝の下に馳せ参じ、趙を攻めることを建策した。
陳勝はこの建策を容れ、武臣を総大将に趙を攻め取らせた。
この章に書かれている趙王とは、武臣のことである。
129無名草子さん:2012/11/13(火) 16:50:06.55
ここに出てくる趙の都府・信都は、三国志で袁紹が根拠地にした信都とは別の場所である。
三国志の信都は、現在の冀州市である。秦代の信都は、現在のケイ台県である。

なお、鉅鹿は黄巾族の張角の出身地と同じ場所です。現在はケイ台県。
130無名草子さん:2012/11/13(火) 16:57:53.99
燕の国名も出てきたので、ついでに書いておく。
前209年、趙王武臣の命で、韓広が燕の地を従えた。

残るは韓であるが、これは張良のところで述べられると思う。
131無名草子さん:2012/11/13(火) 17:40:07.02
宋義の葬儀はやらなかったの?
132無名草子さん:2012/11/13(火) 17:58:28.59
>>108
生き埋めは劉邦もやってんだけどな。
133無名草子さん:2012/11/13(火) 18:01:37.83
生き埋め大量虐殺、嬰児の人肉食いは、中国のお家芸だから、
目くじらたてて「項羽は恐ろしいやつだ」って言うのは外国人だけ。
134無名草子さん:2012/11/13(火) 22:57:18.91
>>119
携帯で見るとAA扱いで、戦国七雄が滅茶苦茶な位置関係になっているんだが。
135無名草子さん:2012/11/13(火) 23:10:29.64
アリ族よ。陳勝・呉広になれ!
136無名草子さん:2012/11/14(水) 00:14:14.49
ここからが項羽と劉邦の本番だな。
項羽は楚のトップになり、劉邦も別働隊の大将として自由が拡大された。
そろそろ張良・韓信という大スターも登場するよ。
137無名草子さん:2012/11/14(水) 00:30:09.29
>>121
このあたりは大幅に簡略化されているな。
もっとも簡略化は成功している。
楚と秦を中心に描き、張楚以外の弱小勢力については必要最低限しか書いてない。
理解しやすくなっている。
138無名草子さん:2012/11/14(水) 00:33:37.72
>>137
マスゴミの第三極報道も、そう願いたいな。
維新の支持率下がりっぱなしなのに、なんで必死なんだろうw
139無名草子さん:2012/11/14(水) 00:50:08.71
大量虐殺をした項羽の楚に投票する人はいないでしょう。
といって秦に戻すというのも、いかがなものでしょうね。
しかし、張楚、斉、巍、趙は、政策の摺り合わせができるんでしょうかね。
といいつつ、流すニュースは第三極ばかり。
数十人に街頭インタビューしただけで、露骨に自民党には期待できないというニュースをよくもながせるもんだ。
中立www 臍が茶を沸かすわw
140無名草子さん:2012/11/14(水) 00:54:24.62
>>139
このスレでは、秦=民主党ということで、ドラマが展開されているんだが……
141無名草子さん:2012/11/14(水) 00:57:55.89
胡亥の家庭教師・趙高は輿石
142無名草子さん:2012/11/14(水) 01:03:44.61
「風雲!永田町」に宦官役でぜひ出演してもらいたい輿石
143無名草子さん:2012/11/14(水) 13:34:30.25
>>140
秦は三代で終了だ。細野にたらいまわしされると足りなくなるなw
144項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/14(水) 16:52:48.01
第9章 鉅鹿の戦

[主役]范増

前207年の初夏。項羽が秦軍を相手に大勝した鉅鹿の戦いです。
鉅鹿に籠城していた趙歇(趙王)および張耳・陳余の挿話は、范増が項羽に語るという
形式のため范増を主役にしましたが、戦ではたいした活躍はしていません。
項羽ひとりが目立っています。
145無名草子さん:2012/11/14(水) 17:00:57.94
趙歇の今後
 項羽により代王に封じられる。
 陳余が常山王張耳を討った後、再び陳余により趙王に立てられた。
 前205年、韓信と張耳に攻められ襄国で殺される。
146無名草子さん:2012/11/14(水) 17:05:09.97
武臣と趙歇の名前は出てこないが、武臣が前の趙王。武臣を殺したのは、この章で
陳余に敗走させられている李良。その後、張耳と陳余は、趙歇を趙王に立てた。
147無名草子さん:2012/11/14(水) 17:13:56.13
趙の都をこの小説では邯鄲としているが、信都とする史料も多い。
同一の都城を指すものと思うが、史料によっては邯鄲と信都が並立して出てくるものもある。
章邯が邯鄲を破壊したのはそのとおりなんだが、邯鄲と信都の関係がよくわからない。
148無名草子さん:2012/11/14(水) 17:37:22.37
>>147
信都県は秦代の名称。>>145で趙歇が殺された襄国県と同じ場所だよ。
信都県は漢になって襄国県と改称された。
現在、ケイ台県と呼ばれているのは>>129の言うとおり。

三国志で袁紹が根拠地にした信都は、漢代になって新たに置かれた県というのは>>129のいうとおり。
秦代の信都県(漢代の襄国県)とは別の場所。

章邯が張耳を追っ払って破壊した都城は邯鄲だから、、他の史料でいう信都と同じ場所。
どうして二つの呼び名があるのかは、知らない。申し訳ない。
149無名草子さん:2012/11/14(水) 17:39:14.38
>>148
簡単ではないということは、わかった。
150無名草子さん:2012/11/14(水) 17:46:51.11
「邯鄲の夢」は、この時代から900年後の唐代の話なんだろう?
章邯が破壊しつくしたはずなのに、唐代にも邯鄲があったの?
151無名草子さん:2012/11/14(水) 17:49:29.41
>>150
そこは、この本に書いてあるよ。
趙時代の邯鄲は現在の同名の都市の南4キロの地にあって「趙王城」と呼ばれている。
野になっていると書いてある。
152無名草子さん:2012/11/14(水) 17:56:33.22
鉅鹿の戦いで捕虜にされた秦軍の将・王離は、名将・王翦の孫。
王翦は六国をひとりで平らげたような名将。三代目はヘタレ。
153無名草子さん:2012/11/14(水) 18:03:09.25
154無名草子さん:2012/11/14(水) 18:26:29.41
張耳の子・張敖の今後
 韓信と張耳が趙歇と陳余を破り、張耳が次の趙王になる。
 前202年、張耳は死亡し、張敖が趙王を継いだ。
 第4章に名前の出てきた劉邦の娘・魯元公主の婿になる。
 前191年、張敖と魯元公主の間に生まれた娘が恵帝の皇后になった。
 劉邦に疑われ王位を剥奪されたこともあるが、呂一族に取り入り、
 角田一家のような漢王朝の中で、うまく立ち回った一生でした。
155無名草子さん:2012/11/14(水) 18:35:05.26
陳固
156無名草子さん:2012/11/14(水) 18:49:14.05
范増が秦兵に降伏を勧告した。蒲将軍と当陽君が降兵を管理した、と書かれている。
この当陽君、唐突に登場してきたので誰だろうと思った読者もいるだろう。
黥布のことである。
157無名草子さん:2012/11/14(水) 18:52:01.36
蒲将軍というのも、鉅鹿の戦い以外では名前が出てこない。
鍾離マイと同一人物ではないかと指摘する論者もいる(佐竹靖彦)。
おそらく間違いである。
158無名草子さん:2012/11/14(水) 18:54:22.12
項羽が蘇角を斬るシーンなど、若い頃よりチャンバラ書くのが巧くなったじゃんか、
と思わせるほどに迫力がある。
159無名草子さん:2012/11/14(水) 18:57:04.89
>>145
>陳余が常山王張耳を討った後、再び陳余により趙王に立てられた。

「討った」というと討ち取った(殺した)と勘違いするから、「追っ払った」といえよ。
160無名草子さん:2012/11/14(水) 19:38:50.97
>>157
蒲冠者・源範頼だろう
161無名草子さん:2012/11/14(水) 20:04:23.39
陳余が駐屯していた常山県は、現在は廃止されて石家荘市(北東部)に含まれている。
浙江省衢州市常山県は、まったく違う場所なので注意。
三国志の趙雲は「常山の趙雲」と呼ばれるが、常山郡真定県の生まれである。
162無名草子さん:2012/11/15(木) 00:11:28.26
森中将は解散の聖断が下ったからには、軽挙妄動は断じて許されないとして、
落選候補たちの要請を拒絶した。
そこへミイラ幹事長が入ってきて、さらに強硬に任期満了選挙を申し入れたが、
森師団長が頑として拒絶したので、畑中少佐らは拳銃と軍刀で師団長を惨殺した。
落選候補組の一部は、あろうことか部隊をもって宮城に闖入し、
解散の玉音盤の発見のためにそこかしこを荒らしまわったが、ついに発見できなかった。
畑中少佐、椎崎中佐らは、録音盤奪取にも失敗し、維新の会への合流も認められず、
あとは無職になるのみと知ると、赤の広場で自決した。
163無名草子さん:2012/11/15(木) 10:19:02.61
永田町では、異常な政治状態がつづいている。
宦官の輿石がいっさいの政治を壟断し、落選候補を独占し、
このような無法な状態を匡そうとした野党はマスゴミをつかって「自民党に戻すのはこりごり」と言わせた。
野田はそういう後方のことを考えまいとしていた。
消費増税を設計し、いのちを賭けてそれを実行し、
「近いうちに国民の信を問う」と約束して「うそつき」と呼ばれ、
小学生時代の通信簿までさらけだして「自分はバカ正直」であることを証明し、
16日に解散する以外に、秦帝国の安寧はない、というのが野田の信念であった。
164無名草子さん:2012/11/15(木) 13:13:21.92
>>163
そうだな。野田は章邯で、細野を子嬰にしよう。
165項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/15(木) 14:48:42.06
第10章 秦の章邯将軍

[主役]章邯

前207年7月、章邯は項羽に投降しました。
同年9月、新安で投降した秦兵20数万を、項羽は大虐殺します。
166無名草子さん:2012/11/15(木) 14:51:59.98
シ章水で対峙している楚軍と秦軍の描写のところで、“冬が過ぎ、春がきて”と書かれているが、ウソである。
鉅鹿の戦いは、前207年の初夏の事件であり、新安の大虐殺の数ヶ月前の出来事にすぎない。
167無名草子さん:2012/11/15(木) 14:56:54.71
趙高が劉邦に使者を送り、関中を二分して王となろうと勧めたとあるが、時期的には
章邯が項羽に投降した直後の前207年8月のことである。

なお、この章では触れられず後の章に書かれているが、この8月には、趙高が二世皇帝
の胡亥を弑し、三世皇帝・子嬰を立てるという大事件も起こっている。
168無名草子さん:2012/11/15(木) 15:14:31.60
章邯に降伏を勧める陳余の手紙の中に、秦の白起将軍に敗れた趙の馬服君の名が出てくる。
馬服君は世襲された称号なので数多くの人物がいるが、趙括のことである。
169無名草子さん:2012/11/15(木) 15:58:29.97
単行本は三分冊であるが、上巻はこの章の大虐殺で終了する。
中巻は劉邦陣営を中心に描かれるぞ。
170無名草子さん:2012/11/15(木) 16:10:34.67
新安の大虐殺もおそろしい話だが、殷墟の殉葬者の話も気持ち悪いな。
21世紀の今日でも中国で人命が軽視されるのが頷けるよ。
171無名草子さん:2012/11/15(木) 16:27:47.93
司馬欣の今後
 楚の関中制圧後、関中の地は三国に分割され、それぞれ章邯・司馬欣・董翳が治めた。
 前206年に韓信に攻められ漢に降る。翌年、再び楚に降る。
 前203年、漢に攻められ、曹咎・董翳とともに水の辺りで自殺し果てた。

 なお、章邯は前205年6月に、同じく漢に攻められ、司馬欣・董翳よりも先に自刎している。
172無名草子さん:2012/11/15(木) 16:54:35.37
>>25
『鹿をさして馬となす』は、この章で出てきたね。
173無名草子さん:2012/11/15(木) 17:01:34.07
張耳と陳余は、渋い働きをしているね。
これに対して、范増はいまいち。項羽が軍師の言うことを聞くような人じゃないからね。
174無名草子さん:2012/11/15(木) 17:56:42.75
>>170
殷墟における章邯の描写で気になったんだが、ずいぶん長い坂道を登っているようだった。
史書にも「小屯の岡」と出てくる。
しかし、殷墟を写真で見ると、どこに坂道があるんだと思えるんだが?
http://www.sach.gov.cn/Portals/0/zttp01/30n001_03.jpg
175無名草子さん:2012/11/15(木) 18:05:18.62
>>173
范増は張良のひきたて役だからな。仕方ない。
176無名草子さん:2012/11/15(木) 18:32:01.30
張良と韓信は歴史の本流に登場する時期が遅いから、そこに至るまでは自由に創作
できるという楽しみがあるな。司馬さんはやっていないけど。
177無名草子さん:2012/11/15(木) 18:52:54.14
同民族で殺しあうのが生きがいのような民族だな。
吉川英治が三国志で書いていた佐野常世と北条時頼の話を思い出した。
女房の肉を劉備に食わして、主従抱き合って泣けよ。人殺し民族。
178無名草子さん:2012/11/15(木) 19:14:02.54
橋本:項羽
石原:范増
179無名草子さん:2012/11/15(木) 23:29:46.39
>>176
張良と韓信は若き日の挿話が残されていて、
そこから想像しうる人生を創作しても楽しめる。
ところが少年時代の諸葛亮が黄巾の乱でうろちょろしているとむかつく。
180無名草子さん:2012/11/15(木) 23:39:05.10
>>179
演義の劉備と諸葛亮がつまらんだけだろう。史記が面白すぎるんだ。
二千数百年劣化し続けた民族なのよ。
181無名草子さん:2012/11/15(木) 23:51:00.44
一方、士卒のために、といって解散した章邯は、右の事件の翌朝、
民主党の士卒の八割がすべて土の中に入ってしまったことを知った。
それでも、章邯は生きた。
以後、総選挙の惨敗のせいか、往年の気魄がなくなり、
体ばかりが肥って、顔も水死人のようにまるく膨れた。
182無名草子さん:2012/11/16(金) 00:04:14.67
章邯には、悩みがあった。
総選挙で落選した二百人ばかりの元民主党議員をどう食わせるかということである。
彼らを飢えさせれば「ミンシュガー」と文句を言うし、
かといって面倒を看てやったからといって、次の選挙で当選する知名度も実力もない。
「殺せばどうか」
項羽は口にこそ出さなかったが、言い出しそうな顔つきをしばしばした。
183無名草子さん:2012/11/16(金) 00:16:41.49
民主党の場合、政権を失うと、全軍が崩壊する。
大阪から橋下はこの崩れを見て、手ぐすね引いて離党者を受け入れた。
第三極の連携については、マスゴミ向けに政策の一致云々ともっともらしいことを言っていたが、
離党者の受け入れに関しては見境がなかった。
その点、かれの女性の趣味と似ていた。
184無名草子さん:2012/11/16(金) 07:51:16.16
>>177
外国の大量虐殺話を聞いて変に思うのは、
憲法9条のおかげで脳の一部がおかしくなっているんだよ。
185項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/16(金) 17:55:48.04
第11章 張良の登場

[主役]張良

前218年春の博浪沙における始皇帝暗殺未遂事件から始まって、
前207年3月の劉邦による開封包囲までを、張良を中心にまとめています。
ここまでのおさらいにもなる章です。
186無名草子さん:2012/11/16(金) 18:00:38.83
やっとイケメン登場。項羽のような下っ端貴族の末裔ではなくて、張良は韓の宰相の末裔。
血統も申し分なし。
187無名草子さん:2012/11/16(金) 18:08:58.44
張良の父・張平が仕えた韓王・悼恵王についてであるが、この小説の第3章「沛の町の樹の下で」
にも悼恵王が登場する。後者は劉邦の子の劉肥であるので別人。斉王時代に曹参が仕えた話を想起せよ。
188無名草子さん:2012/11/16(金) 18:12:47.49
楚の項梁が下ヒを根拠地にしたときに、張良と黄石の挿話に少しだけ触れていた。
この章でより詳しく述べられている。
なお、張良と項伯の交友の舞台になったのも下ヒである。鴻門の会の伏線になっている。
189無名草子さん:2012/11/16(金) 18:24:25.07
韓王信[横陽君成]の今後
 本名は韓信であるにもかかわらず、淮陰侯韓信があまりにメジャーな名前になったため、
 後世が韓王信と呼ぶようになってしまったカワイソウな人。
 劉邦の下で韓王となる。しかし、戦国の韓の地(穎川郡)ではなく、北の太原郡を韓と改名して
 そこに遷される。匈奴と戦っていたが、その後、匈奴に投降して匈奴の将として漢軍と戦った。
 前196年に陳武(柴武)との戦いに敗れて斬られた。
190無名草子さん:2012/11/16(金) 18:36:24.96
劉邦軍が攻略した栗は、現在、河南省商丘市夏邑県です。

麗食其が門番をしていた高陽は、現在、河南省開封市杞県です。

陳留は、臨済と呼ばれることもありますので注意してください。現在、開封市の一部です。
191無名草子さん:2012/11/16(金) 18:40:01.86
麗食其が個性的な名前のように司馬さんは書いているが、この小説にもおそらく登場する
同時代の人物に、審食其という人物もいるから、別に個性的ではない。
そもそも名前は親が付けるものであって、珍しい名前だからといって、本人が個性的なわけでもない。
192無名草子さん:2012/11/16(金) 18:44:32.37
麗食其の弟の麗商を、兄のおまけのような書き方をしているが、弟の麗商は漢の有力な
将軍に成長してゆく。なめてはいけない。
193無名草子さん:2012/11/16(金) 18:52:27.51
司馬ゴウの今後
 この章の当時は趙の部将。つまり、張耳の配下。
 関中侵攻の際は、劉邦に邪魔されて先を越されてしまった。
 紆余曲折はあるが、劉邦の配下となる。
 しかし、劉邦が彭城で項羽に大敗したときに死んでいる。
 たいしたやつではないのだが、子孫に司馬懿仲達がいるために有名。
194無名草子さん:2012/11/16(金) 18:54:33.30
楚の剛武侯と、魏の皇欣は、原典でもこの場面以外には登場しないので、忘れてよし。
195無名草子さん:2012/11/16(金) 19:02:48.50
>>186
張良は必ず美形に描かれるのだが、司馬遷は「婦人のような容貌」と書いているだけなんだよな。
ブスもオバサンも婦人なんだけどな。
196無名草子さん:2012/11/16(金) 19:07:19.88
中国のドラマの『大漢風』の張良は、美形でも婦人のようでもない。
むしろ韓信が美形。

張良http://img.yaplog.jp/img/07/pc/k/a/r/karyu-star/3/3671.png
韓信http://img.yaplog.jp/img/07/pc/k/a/r/karyu-star/3/3672.png
197無名草子さん:2012/11/17(土) 11:41:47.33
秦の官僚制は、始皇帝のようなすぐれた元首が存在する場合、
封建制よりもはるかに精妙に作動するもののようであったが、
官僚制という大機構を使うすべを知らない二世皇帝胡亥の場合、どうにもならなかった。
ついに「官僚なんて大馬鹿ですからね」という失言を招き、
帝国の滅亡を早めただけに終わった。
198項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/17(土) 14:30:42.73
第12章 関中に入る

[主役]張良

前208年の白馬の戦いから、翌年10月の秦の降伏までが語られます。
199無名草子さん:2012/11/17(土) 14:52:58.42
鉅鹿の戦いについて、この章でも「去年の暮」と書かれていて、前208年の出来事のように
思っていらっしゃるが、劉邦の咸陽入りと同年の前207年の出来事である。
200無名草子さん:2012/11/17(土) 14:58:32.16
>>199
白馬で張良と楊熊が戦う前に、張良が「鉅鹿における項羽の勝利のような大勝利をして
劉邦の軍の強さを示し…云々」は、おかしいな。
201無名草子さん:2012/11/17(土) 15:01:03.22
この小説では、白馬の戦いを重要視しているが、そんなに有名ではない。
白馬の戦いというと、三国志の官渡の戦いの前哨戦が有名で、関羽が顔良を斬った戦。
202無名草子さん:2012/11/17(土) 15:08:03.46
白馬で張良に敗れた楊熊は、曲遇でも敗れる。この曲遇の現在の地名は河南省中牟県である。
中牟というと、董卓暗殺に失敗し逃亡中の曹操が中牟を通り抜けようとしたときに捕らわれたことで
有名である。演義では陳宮が曹操を助けたことになっている。
203無名草子さん:2012/11/17(土) 15:16:48.01
趙の将軍・司馬ゴウが平陰津から黄河を渡河しようとしたのを劉邦軍が阻止する話が出てくる。
現在、山東省済南市に平陰県があるが、もちろん場所が違う。
平陰津は、現在、河南省孟津県になっている。
204無名草子さん:2012/11/17(土) 15:30:42.24
南陽・宛城は三国志の張繍や鄒氏でおなじみ。宛城の戦いでは、曹昂・典韋が戦死している。
なお、劉邦が戦った南陽大守の名前は書かれていないが、呂?という。?は歯偏に奇である。
205無名草子さん:2012/11/17(土) 16:23:04.64
劉邦軍が関中への進入路とした武関の遺跡
http://aira202.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_1c5/aira202/IMG_00050.JPG
現在は、観光用にこんなものも造られています。
http://aira202.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_1c5/aira202/E4BB8AE381AEE6ADA6E996A2.jpg
206無名草子さん:2012/11/17(土) 16:28:20.16
胡亥が趙高に暗殺されたのが、前207年8月。章邯が項羽に降伏した一月後である。
また、子嬰が趙高を暗殺したのも、前207年8月。政局はたいへん目まぐるしい。
項羽が新安で秦兵20余万人を生き埋めにしたのが、翌9月。
子嬰が劉邦に降伏したのが、翌10月です。
207無名草子さん:2012/11/17(土) 16:37:34.98
劉邦陣営の面々が個性的に描かれているね。
圧巻は咸陽の宮殿に押し入った劉邦が性欲むき出しにしている描写。
それとの対比で描かれた張良と蕭何の冷静さ。
麗食其と樊カイも、とてもいいです。
208無名草子さん:2012/11/17(土) 16:45:35.17
>>164
子嬰は正確には秦王であって、三世皇帝ではない。趙高(輿石)の脳内皇帝にすぎない点で細野に似ている。
しかし、子嬰は趙高を暗殺し、劉邦に許されているから、そこがネックになるな。
もっとも、その後、項羽(国民)に一族もろとも殺されている。ぜひ史実どおりに展開してもらいたいものだ。
209無名草子さん:2012/11/17(土) 17:03:20.79
 12月16日、黥布軍の兵士は整然と投票所に赴いた。彼らは、一時に喚声をあげ、
民主党の対立候補に投票した。この白昼の敵襲で、二百数十名の民主党議員が
パニックに陥った。
 彼らは一方に向かって駈け出し、たがいに踏み重なりつつ逃げ、やがて闇の中の
断崖のむこうの空を踏み、そこからは人雪崩をつくって谷の底に流れ落ちた。
 最初に底へ落ちた者は骨を砕かれて即死したが、つぎの段階ではすでに落ちた者
の上に落ち、比例復活を果たす者もいた。
210無名草子さん:2012/11/17(土) 19:19:23.64
第6章「長江を渡る」で活躍した召平は、その後まったく登場していないが、
漢時代の召平が蕭何と親しくしていたことは、本文に書かれているとおりである。
蕭何が劉邦に疑われるようになった際、召平の機知で蕭何が救われたという話もある。
しかし、楚漢抗争において召平の見せ場は、他にはないようである。
211無名草子さん:2012/11/17(土) 20:03:03.00
王陵と彭越が、そろそろ登場してもいいのに、名前すら出てこないな。

劉邦が咸陽に入ったとき、王陵は南陽にいるはず。
劉邦が昌邑を攻めたとき、彭越は劉邦とともに昌邑を攻め落としているはず。
212無名草子さん:2012/11/17(土) 20:05:31.99
>>211
そこ、ちょっと疑問なんだよね。
この小説をはじめ、劉邦は昌邑を落とせなくて、栗を落としたという説が多い。
しかし、彭越関連の史料を読むと、劉邦が昌邑を落とした際、彭越が協力したことになっている。
213無名草子さん:2012/11/17(土) 20:47:47.63
>>198
前207年が大ヤマなんだよね。項羽と劉邦の戦いはここからスタートなんだけど、
項羽がやった新安の大虐殺で、人気の点では既に勝負がついてしまっている。
214項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/18(日) 20:10:33.39
第13章 鴻門の会

[主役]劉邦

前207年12月の鴻門の会。
日本では漢文の王様みたいな話なので、説明不要でしょう?
215無名草子さん:2012/11/18(日) 20:12:55.77
>>214
土下座を繰り返した挙句に、こそこそ逃げた劉邦が主役なのかw
主役は樊カイだろう。
216無名草子さん:2012/11/18(日) 20:18:35.57
サヨナラ・ホームランを打ったのは樊カイだが、そこに至るまでの筋書は張良。
智謀冴えわたる張良と、歯軋りする范増の対比が、見どころだな。

漢文の授業で項伯と項荘の名前を覚え、この二人は「項羽と劉邦」で大活躍する人たちだと思っていたら、
鴻門の会以外の場面では泣かず飛ばずなのでガッカリした記憶がある。
217無名草子さん:2012/11/19(月) 13:49:33.69
項羽と劉邦が関中を制圧した翌年の前206年、関中は大飢饉に見舞われた。
それに関連して漢民族の人肉食の話が出てくる。
詳しくは、桑原隲藏博士の「支那人間に於ける食人肉の風習」をご覧ください。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/42810_23981.html
218無名草子さん:2012/11/19(月) 13:56:24.29
鴻門の会の劉邦に随行したメンバーの中から、紀信が抜けている。
紀信については、第19章「紀信の悪口癖」で詳しく語られる。
219無名草子さん:2012/11/19(月) 14:05:26.52
范増はケツを鳴らして、項羽に劉邦を殺せと合図を送る。

 ___
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  (uuuO  Ouuu)
220項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/19(月) 15:44:48.18
第14章 漢中へ

[主役]韓信

項羽は秦王・子嬰を殺し、咸陽を焼き払い、西楚を建国します。
劉邦は論功行賞として漢中王に封じられます。西楚の義帝は、項羽に殺されました。
項羽軍を抜けた韓信は、漢中王から大将に任ぜられました。
221西楚の十八王:2012/11/19(月) 16:15:11.38
       〔首都〕  〔王〕
西楚覇王  彭城  項羽
漢  王   南鄭  劉邦
雍  王   廃丘  章邯
塞  王   檪陽  司馬欣
櫂  王   高奴  董翳
河 南 王   洛陽  申陽
韓  王   陽櫂  韓王信
西 魏 王   平陽  魏豹
殷  王   朝歌  司馬コウ
常 山 王   襄國  張耳
代  王   平城  趙歇
遼 東 王   無終  韓広
燕  王   薊    臧荼
膠 東 王   即墨  田市
濟 北 王   博陽  田安
齊  王   臨シ  田キ
九 江 王   六   黥布
衡 山 王   朱   呉ゼイ
臨 江 王   江陵  共敖
222無名草子さん:2012/11/19(月) 16:58:55.30
>>221
小党乱立のどこかの国に似ているなw
223無名草子さん:2012/11/19(月) 17:09:25.37
項羽が決めた十八王の領地図を見ながら、ここまでに登場していない王について補足する。
http://kanso.cside.com/syoukan-map5.gif

燕王:臧荼<ぞうと>
 趙の張耳が鉅鹿で章邯軍に包囲されたとき、燕からも援軍が来ていたが、そのときの将が臧荼。
 この小説には、名前が出てきていない。
 臧荼はそのまま項羽の関中入りに従った。もとの燕王だった韓広は遼東王に遷された。
 その年のうちに臧荼は韓広を攻め滅ぼし、遼東を併合して燕全域を支配した。
224無名草子さん:2012/11/19(月) 17:19:00.10
膠東王:田市…田タンの子  >>121参照
済北王:田安
斉王:田キ

政情混迷の斉国は、三国に分割された。
実力者・田栄は、しばしば項羽に背いたため、論功行賞から漏れている。
田栄は、田市・田安・田キを殺したり追っ払ったりして、三国をまとめ上げ斉全域の王になる。
225無名草子さん:2012/11/19(月) 17:25:36.95
西楚の南方、漢の東方にあたる、九江・衡山・臨江の三国には、それぞれ黥布・呉ゼイ・共敖が
王に封ぜられた。黥布・呉ゼイは、すでに登場している。なお、義帝を殺したのは、この三名である。

共敖は項羽滅亡後も生き延びたが、子の共尉の代に、劉邦の命により盧綰・劉賈に滅ぼされた。
226無名草子さん:2012/11/19(月) 17:33:37.76
旧趙国の地は、北方に趙歇、南方に張耳が、王に封ぜられた。
本来の趙王である趙歇は僻地に追いやられたことを恨み、陳余をして張耳を攻めさせ、趙王に返り咲いた。
その後、韓信と張耳に攻められ、殺されたことは、>>145で述べた。
227無名草子さん:2012/11/19(月) 17:40:55.37
旧魏国の地は、東方の殷と、西方の西魏に分割され、それぞれ趙の将軍である司馬コウと、
旧王室系の魏豹が治めた。
魏豹は、魏咎の弟または従弟といわれている。
魏咎については、>>120を参照。
228無名草子さん:2012/11/19(月) 17:45:00.40
旧韓国の地は、北方の河南と、南方の韓に分割された。
河南王の申陽は、常山王(旧趙国)となった張耳の寵臣である。
韓王は、旧王室系の韓王信。張良の主君である。
229無名草子さん:2012/11/19(月) 17:51:20.91
韓信が咸陽で拾った羌という女性を登場させたことで、項羽と章邯がいかに秦の民に嫌われ、
反対に劉邦がいかに人気があったか、よくわかるようになっている。
230無名草子さん:2012/11/19(月) 17:53:30.12
項羽の論功行賞は無茶苦茶だな。戦国七国を十九国に分割し、
旧王室系と実力者を対立させる構造になっている。
これじゃ治まるわけがない。
231無名草子さん:2012/11/19(月) 18:01:45.89
項羽に殺された子嬰と義帝のことも思い出してあげてくださいね。・゚・(ノД`)・゚・。ウエエェェン
232無名草子さん:2012/11/19(月) 18:08:07.20
邪魔者は殺す。
財宝は盗む。後宮の婦人は犯す。城市は焼き払う。墓は掘り返す。
一緒に戦った前線指揮官にだけ褒美をやる。
故郷に錦を飾りたいから、戦略上の重要拠点は捨てる。

なんなの、こいつ?
233無名草子さん:2012/11/19(月) 18:21:01.87
韓信に欠けているのは、人間関係を旺盛に結んでゆくという感覚で、漂泊中も遊侠の仲間には
入らなかったと書いてある。しかし、第6章「長江を渡る」で鍾離マイが召平に語ったところを読むと、
韓信は鍾離マイ達の仲間らしく書いてあるよな。
234無名草子さん:2012/11/19(月) 19:17:04.62
>>178
血統の良否が逆になってしまうが、維新の会=西楚、自民党=漢でいいな。
民主党=秦は、すでに滅んだ。
235無名草子さん:2012/11/19(月) 19:19:34.09
維新は、陳勝・呉広の乱で十分でねぇ?
236無名草子さん:2012/11/19(月) 19:48:24.73
237無名草子さん:2012/11/19(月) 19:54:12.19
238無名草子さん:2012/11/19(月) 21:29:38.57
>>231
胡亥と趙高の死はザマアみろだったが、
子嬰と義帝は可哀想だな。
239無名草子さん:2012/11/19(月) 21:55:37.08
司馬が戦国とか幕末ばかり扱ったのはなんでなんだろう?
やっぱ売れるのは戦国と幕末なのかな?日露戦争とかもあるけど。

もっと平安とか飛鳥時代とか室町あたりもやってほしかったな。
240無名草子さん:2012/11/19(月) 23:49:59.66
>>229
その女性は司馬さんの創作したオリキャラだと、ずっと思っていたのだが、
他の日本の小説にも出てきているね。
241無名草子さん:2012/11/20(火) 18:03:02.19
>>189
韓王成と韓王信は別人だよ。
張良が韓王室復興のために担いだのが、韓王成。
韓王信は、韓王成の甥で、もう少し後で登場する。

>>221
>韓王 陽櫂 韓王信

そこは、韓王成だよ。
242無名草子さん:2012/11/20(火) 18:07:45.75
>>228も韓王信になっているね。韓王成だよ。
243項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/20(火) 18:47:36.16
第15章 彭城の大潰乱

[主役]韓信

前206年8月、劉邦は関中に侵攻し、章邯を敗死させる。
前205年4月、劉邦は彭城を占拠するも、斉から引き返した項羽に大敗北を喫する。
244無名草子さん:2012/11/20(火) 19:43:01.43
この章から、楚と漢の戦いが始まるね。
最初に項羽に叛旗を翻したのは、斉の田栄。
この小説では田氏三兄弟については概略しか書かれていないから、
詳しく知りたい読者は、宮城谷昌光「香乱記」を読め。
245無名草子さん:2012/11/20(火) 19:51:32.71
韓信と竜且は「後年」戦うことになると書かれているが、その戦いは、前203年11月。
韓信が斉の田広(この章で初登場)を追っ払った後、楚が斉に救援に向かったとき。
この章では、楚と斉は激しく戦っているが、後年、漢が優勢になってくると、手を結ぶ。
246無名草子さん:2012/11/20(火) 19:56:55.67
雍王・章邯の最期は、あっけないな。
なお、>>171で指摘したように、塞王・司馬欣と櫂王・董翳は、ここでは劉邦に降伏する。
二人が死ぬのは、この三年後である。いったんは漢に属したが、その後ふたたび楚に降り、
最後は漢軍に追い詰められ自刃した。
247無名草子さん:2012/11/20(火) 20:10:26.77
項羽の論功行賞への不満は、昨日、先走って書いてしまった。
斉 >>224
趙 >>226
韓王成およびあとで登場する河南王・申陽は、旧韓を分割(>>228)。
あとで登場する司馬コウと魏豹は、旧魏を分割した二人の王である(>>227)。
燕(>>223)は僻地なので無視されている。
九江・衡山・臨江の三国は、旧楚の一部(>>225)。
248無名草子さん:2012/11/20(火) 20:12:15.15
>>211
王陵と彭越は、本章から登場だね。
249無名草子さん:2012/11/20(火) 22:12:43.49
項羽、強すぎ。
250無名草子さん:2012/11/20(火) 23:09:29.32
>>212
第23章「虞姫」で“ホウ越は挙兵後ほどなく劉邦に属した”と書いておられるので、
故郷の昌邑で劉邦の戦いが始まったとき、これに参加した事実は否定されていないな。
251無名草子さん:2012/11/21(水) 00:02:32.80
>>211
登場人物を一度にまとめて出さないところが、この小説の巧いところだと思う。
王陵などは、劉邦の青年時代を詳しくやったところで登場させてもよいような気もするが、出せば邪魔になったろうな。
あそこの劉邦は、劉邦という個性であると同時に、のちに叛乱を起こす秦の庶民の一例でもあった。
秦という国を俯瞰している最中に、王陵と劉邦の挿話は邪魔なんだな。
王陵の登場時期を遅らせて成功だと思う。
252無名草子さん:2012/11/21(水) 00:07:34.36
>>251
劉邦が仲間の中心になるべき人物であることを描いているときに、
兄貴分の王陵がいると分かりづらくなるというのもあるな。
253無名草子さん:2012/11/21(水) 00:29:07.73
>>251
正義感、勇気、恨み、愛情、喜び、悲しみ等々といった普遍的で卑近なものがテーマじゃなくて、
秦の統治という評論に適したテーマを理解しやすく面白く小説でやっているからな。
司馬作品がうけた理由は、個人的で卑近なテーマを扱う小説には飽き飽きしているが、
さりとて堅苦しい評論などまっぴらごめんという読者層を大量に捉えたからだろうな。
254無名草子さん:2012/11/21(水) 09:06:17.54
忍者は不滅だろう。
255無名草子さん:2012/11/21(水) 14:10:35.06
>>253
次章では夏侯嬰とカンカンの恋愛という普遍的で卑近なテーマを取り上げているが?
256無名草子さん:2012/11/21(水) 14:16:16.86
>>246
章邯は漢軍の関中侵攻時に死んだようにも読めるが、実はこの時に死んだのではなく、
漢軍が彭城で項羽に敗れた2ヶ月後に死んでいる。
257項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/21(水) 15:38:10.71
第16章 劉邦の遁走

[主役]夏侯嬰

前205年4月、彭城で潰乱した漢軍は、ちりじりになって逃亡しました。
本章は、逃走中の劉邦が馬車から息子と娘を投げ捨てた有名な挿話を含みます。
前半は、沛時代の夏侯嬰のお話です。
258無名草子さん:2012/11/21(水) 15:48:48.46
DNAの系譜でいうと、夏侯嬰は曹操の先祖。
漢の丞相にはなっていないが、陳平、周勃、灌嬰らとともに元勲として重きをなした。
この章に登場する蕭何・王陵・周勃・審食其は、丞相になっている。
259無名草子さん:2012/11/21(水) 15:53:24.19
呂后の父・呂公の出身地・単父は、二箇所ある。
山東省単県と陝西省山陽県下なんだが、この小説の最初の方に出てきた山東省単県が
呂公の出身地だとばかり思っていた。しかし、どうも陝西省山陽県のほうらしい。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/timei3e.html
260無名草子さん:2012/11/21(水) 15:54:57.69
>>191
審食其は、この章で登場しましたね。
261無名草子さん:2012/11/21(水) 16:03:25.60
呂后の兄・周呂侯の本名が呂沢というのは本当なんだろうか?
同時代の漢には同姓同名の呂沢という文官がいる。
262無名草子さん:2012/11/21(水) 16:47:15.84
>>120
魏咎は、「陳平の毒」で再登場するよ。
途中から登場する大物の前半生を語るところで、陳勝・呉広の乱後たくさん出てきた
王侯たちが脇役として登場する。陳平は魏咎の頃の魏に仕えていたことがある。
263無名草子さん:2012/11/21(水) 17:09:53.19
>>123
呂臣は、その後いっさい登場しなくなったな。
生きているのか死んでいるのかもわからない。
264無名草子さん:2012/11/21(水) 20:13:36.08
>>217
彭越の死体が塩漬けのハムにされて、それが諸侯に配られたシーンで、桑原隲藏博士の研究に触れているね。
おそらく彭越の肉を食えという意味で諸侯に配られたんだろうと言っておられる。
265無名草子さん:2012/11/21(水) 20:16:55.44
>>257
中国人の“孝”は即物的でシビアだよな。
現代中国人が古代人のままだとは思えないが、明あたりまでの中国人なら
嬰児殺しのニュースを見ても、当たり前とおもうのかね。
266無名草子さん:2012/11/21(水) 20:22:53.58
史記の話は、夏侯嬰が捨てられた子供を何度も拾ってくるから救いがある。
耐えられんのは、三国志で敗残の劉備をもてなすために、自分の女房を殺して
その肉を劉備に食わせようとした領民の話だ。
日本のドラマだったら、劉備はその農夫を叱るはず。中国では、そうではない。
「おまえはそこまで領主のわしのことを思ってくれていたのか」と二人で泣くシーンは、ゲロ。
267無名草子さん:2012/11/21(水) 20:28:03.31
>>264
「殺して肉を食らいたいほどに憎んでいる」が、比喩ではなく、マジだから怖い。
268無名草子さん:2012/11/21(水) 22:09:26.93
第三極は、斉と巍と趙の戦いだなw
269無名草子さん:2012/11/21(水) 22:12:01.00
司馬遼太郎に三国志書いて欲しかったな。
構想とかなかったんだろうか。
270無名草子さん:2012/11/22(木) 12:24:35.84
>>263
呂臣は、減税日本。もしくは、太陽の党。
271無名草子さん:2012/11/22(木) 12:44:30.14
(橋下の機嫌を損じたことはまずかったかもしれない)
 とも、この欲望の大きさのわりには気の小さすぎる男は、早まった第三勢力への転換を
後悔もしていた。
272項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/22(木) 14:51:47.18
第17章 漢王の使者

[主役]随何

彭城の戦いで項羽に敗れた劉邦は、虞[河南省虞城]を経由して、張良と韓信が
要塞化したケイ陽に籠城します。六[安徽省六安]で独立の姿勢を示す九江王・黥布を
味方に引き入れるため、劉邦は随何を六へ派遣しました。
273無名草子さん:2012/11/22(木) 14:55:33.44
随何のマニフェストにまんまと騙された黥布は、竜且・項声に妻子を殺され、
国と兵を失い、ケイ陽に到着したときには、身ひとつで逃げてきた感じだな。
マニフェストを信じた黥布が、バカだったな。
274無名草子さん:2012/11/22(木) 14:57:27.91
>>156
当陽君が黥布であることは、17章で明らかにされるよ。
275無名草子さん:2012/11/22(木) 15:06:24.77
随何と麗食其は登場したが、もうひとりの儒者・陸賈はスルーされたな。
第12省「関中に入る」で、麗食其が嶢関の守将・賈豎に無血開城させた話が出てきたが、
このシーン、実は麗食其と陸賈ふたりの仕事である。
276無名草子さん:2012/11/22(木) 15:09:35.27
この章は、睾丸の睾の旧字が皋陶の皋であるとか、劉邦が随何の睾丸を掴んだとか、
随何の随員が沈鴻(ちんこう)であるとか、下ネタ満載だな。
277無名草子さん:2012/11/22(木) 15:16:42.54
>>276
沈鴻の故郷・廬山は世界遺産。
http://www.arachina.com/heritage/lushan/1.htm
山頂は別荘地帯になっている。中国人の建築センスのなさが景観を台無しにしている。
他国のことながら、かなりむかつく。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/26/44/75/lrg_26447526.jpg?20120831215155
278無名草子さん:2012/11/22(木) 15:28:02.39
>>225
義帝殺害の具体的事実は、17章に詳しく書かれているよ。
但し、共敖はスルーだけど。
279無名草子さん:2012/11/22(木) 15:42:42.93
>>273
この章で展開されている随何の外交は、優秀だと思うぞ。
糞ミンスのマニフェストと一緒にするなよ。それこそ、味噌と糞。
280項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/22(木) 17:47:17.61
第18章 陳平の毒

[主役]陳平

前204年春、ケイ陽を包囲していた楚軍に小さな綻びが生じます。
陳平の反間苦肉の策により、軍師・范増が項羽のもとを去ります。
281無名草子さん:2012/11/22(木) 18:05:49.54
陳平を策士といわれても、最初のうちは野末陳平を思い出してしまい、
策士のイメージと結びつかなかった。高校生の頃の思い出です。
282無名草子さん:2012/11/22(木) 18:24:09.54
陳平が項羽の部将だった時期に、殷の反乱を平定したとある。
殷は戦国七雄の旧魏国を項羽が二つに分割したときにできた侯国(>>227)。
殷王は、何度も述べたが、司馬コウである。この章では匿名にされている。

司馬コウの反乱は、斉や趙の項羽に対する反乱と同時期の出来事である。
陳平に平定された翌年、劉邦が関中から中原に侵攻すると、司馬コウは
劉邦に捕えられた。殷が漢の封土になったため、項羽は怒った。
そのことが原因で、陳平は項羽の下を去った。

なお、司馬コウは、彭城の敗戦の混乱の中で、楚軍に殺されている(>>193)。
283無名草子さん:2012/11/22(木) 18:30:05.46
>>189
韓王信は、18章で初登場だよ。漢に拾われた陳平が副将として仕えた。
横陽君成は、韓王成だよ。
284無名草子さん:2012/11/22(木) 18:30:59.33
285無名草子さん:2012/11/22(木) 18:35:59.34
韓王信が楚軍と戦っていた場所を広武と書かれているが、広武山の誤りである。
広武は代のことで、遥かに北方。
286無名草子さん:2012/11/22(木) 18:47:59.60
魏無知の弁明の中に登場する尾生について

【「尾生之信」の意味】

いったん交わした約束は固く守ること。また、融通がきかず、ばか正直なこと。
中国の春秋時代、魯の尾生という男が橋の下で女と会う約束をして待っているうちに大雨となって増水したが、
そのまま待ちつづけておぼれ死んだという「史記」蘇秦伝などの故事から。
287無名草子さん:2012/11/22(木) 19:15:29.86
魏無知の弁明の中に登場する孝己について

殷の高宗の子の孝己は孝行息子であったが、父が死んで喪に服していた三年間、
ひとことも口をきかなかった。
288無名草子さん:2012/11/22(木) 19:18:25.19
 ────────────────────
  三  三  三  ∧ ∧ズットマッテイルカラナー 三  三  
 ─  ─  ─ 从( ´Д`)∩从 ─  ─  ─  ─
 二  二  二  从〜〜 ~   二  二  二  二
            バシャバシャ                 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                    ___∧ ∧___   < 尾生が溺れてるぞ!
                   |\   (   )  ∧ ∧  >──────────
                   |  \  |  ヽ  (   )< 恋人が来るまで待つと言っているぞ!
                   从  \(__〜 |  ヽ  \________
                    从   \    (__〜
289無名草子さん:2012/11/22(木) 19:48:53.54
韓信は、この頃(前204年春)、ケイ陽にはいない。
前205年の夏ごろから別働隊を組織して、魏、趙、斉との戦いに従事している。
この小説は、先にケイ陽の戦いを最後まで書いて、その後で、韓信の戦いを
順を追って書いている。
290無名草子さん:2012/11/22(木) 19:50:18.16
楚軍の季布も、この時期ケイ陽にいないのか、名前が出てこないね。
291無名草子さん:2012/11/22(木) 20:09:12.47
>>192
麗商は、劉邦の主力が彭城を目指して関中を出た後も、別働隊として居残り章邯と戦っている。
この小説では、韓信を大将として関中へ侵攻したときに(前206年8月)、
章邯・司馬欣・董翳をすべて打ち破ったような書き方をしているが、
史実では、韓信は旧秦三将に痛烈な打撃を与えたが、滅ぼすまでには至っていない。
くどいようだが、章邯が死んだのは、劉邦がケイ陽で籠城していた前205年6月である。
292無名草子さん:2012/11/22(木) 20:10:43.81
劉邦が彭城で大敗した後は、司馬欣・董翳も漢に背いたので、これとも戦ったかもしれんね。
293無名草子さん:2012/11/22(木) 20:12:44.11
>>292
それはないと思う。麗商は、前205年5月には、ケイ陽付近で鐘離昧と戦っている。
294無名草子さん:2012/11/22(木) 20:15:48.18
>>293
そうすると、廃丘で章邯にトドメを刺したのは誰?まあ、最後は自害だけど、廃丘を攻めた
漢の将は、麗商ではないんじゃないの?
295無名草子さん:2012/11/22(木) 20:27:25.54
彭城戦の敗北時には、まだ関中で章邯が生きていたから、漢としてはかなりやばかったわけだ。
ケイ陽戦が始まる前後に章邯が死んだから、関中はほぼ平穏になったんじゃないかね。
296無名草子さん:2012/11/22(木) 21:48:31.69
皆さん、“嫂ヲ盗ス”は無視ですか、
そうですか、そうじゃないかと思っていました。
さようなら。
297無名草子さん:2012/11/22(木) 23:42:53.67
>>295
主力が関中を留守にするということは、
敵は弱小になっていたと思うよ。
298項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/23(金) 19:05:30.62
第19章 紀信の悪口癖

[主役]紀信

前204年6月、劉邦はケイ陽を脱出。殿軍の周苛は1ヶ月ばかり後に項羽に降伏し、
ケイ陽の戦いは終了しました。
299無名草子さん:2012/11/23(金) 19:06:58.68
はじめてこの小説を読んだとき、紀信がカメラマンのような気がしてならなかった。
大学生のころの思い出です。
300無名草子さん:2012/11/23(金) 19:09:34.50
ケイ陽について言い忘れていたが、三国志で反董卓連合と呂布が戦った
虎牢関・水関は、ケイ陽市にあります。
301無名草子さん:2012/11/23(金) 19:17:27.50
初読のときも印象に残った章であったが、二読目も感動してしまった。
史記では簡単に紹介されているだけの紀信と周苛がいいキャラに仕上がっている。
また、劉邦の故郷に対する複雑な思いが、よく書けている。
第7章「楚の武信君の死」で概略が書かれていた周市(魏の宰相)と雍歯による豊邑
占拠が、劉邦のキャラの掘り下げに役立った。
302無名草子さん:2012/11/23(金) 19:20:40.31
>>227
この小説では、魏豹は魏咎の弟になっているよ(19章/紀信の悪口癖)。
303無名草子さん:2012/11/23(金) 19:24:43.47
樅公(ショウコウ)のその後については書かれていませんが、周苛とともに項羽に捕まり、殺されました。
304無名草子さん:2012/11/23(金) 19:30:49.88
夏の桀王と殷の湯王の話、殷の紂王と周の武王の話は、漢文の教科書「十八史略」にたいてい出てくる。
殷の紂王は、酒池肉林の故事成語の元ネタになった方。
305無名草子さん:2012/11/23(金) 19:32:58.97
紀信は馬鹿という言葉を連発しているが、まだ司馬遷が「史記」を書いていないから、
おそらく馬鹿とは言っていないと思われる。
306無名草子さん:2012/11/23(金) 19:39:33.74
>>218
紀信と周苛は、ケイ陽の戦いの頃に劉邦軍に投じたことに変更したから、鴻門の会のところでは
ことさらに紀信を抜いたんだろうな。そうすることによって「紀信の悪口癖」はいっそう面白く仕上がったと思う。
307無名草子さん:2012/11/23(金) 20:19:23.62
紀信の悪口癖までが、単行本・中巻です。
308無名草子さん:2012/11/23(金) 22:44:15.05
周苛が生け捕りにされて項羽の前にひき出された。
項羽はこの周苛がさきの紀信と友達であったことを侍者からきかされて知った。
かつ太陽の党との合流後支持率が伸び悩んでいることに驚き、
「わしの将軍にならぬか」
と、言った。多くの場合、生け捕りの将をいきなり殺してきたこの男としては、珍しいことであった。
が、周苛は紀信の霊が憑依ったように吼えた。
「たれが、お前のような者の」
と言い、安倍将軍はかならず勝つのだ、お前こそ自民党に降伏せよ、
いのちが惜しくばいまのうちにテレビ・タレントに戻れ、と叫んだ。
「候補者の調整はジャンケンで決めよう」
と、項羽は妥協した。
309無名草子さん:2012/11/23(金) 23:03:12.15
モナ男が、ふたたび民主党陣営の主役として登場する。
趙高は自分の身の始末を含めていっさいをモナ男にまかせた。
「選挙後、自民党と連携することはありえない」
敵も味方も予想していなかった発言であった。
あるいは敵方の将はモナ男が憐れみを請うことはあるかもしれないと思ってはいたが、
かりにそのような事態になっても拒絶するつもりであった。
「仁と礼に欠けておりますな」
麗食其などは憤慨していた。
310無名草子さん:2012/11/23(金) 23:19:10.64
張良は「古韓を興す」など旧王国を復活させることは、
劉邦に従って戦っている将兵の反感を買うからと猛反対しているが、
つい最近まで韓王成を推戴して韓を復興しようとしていたはずだよね。
311無名草子さん:2012/11/24(土) 11:23:28.17
>>310
なに言ってんですか。バカだからワカンナイ。
312項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/24(土) 14:00:59.98
第20章 背水の陣

[主役]韓信

時間は前章から1年さかのぼります。
韓信が左丞相に任じられて魏豹を討ったのは、前205年8月です。
代と趙を討って陳余を殺したのが、翌々月の閏9月。
これらは、楚の軍師・范増が死んだり、紀信が劉邦の影武者になった前204年より前の話です。
313無名草子さん:2012/11/24(土) 14:40:32.04
麗食其で始まり麗食其で終わることろが、次章の事件を暗示していて面白いね。
314無名草子さん:2012/11/24(土) 14:45:53.21
>>312
>代と趙を討って陳余を殺したのが、翌々月の閏9月

代に関しては、この小説でもそのとおりだけど、趙との井ケイの戦いは、この小説では10月だよ。
315無名草子さん:2012/11/24(土) 15:01:38.30
ケイ陽を脱出した劉邦は咸陽へ帰ったとあるが、櫟陽の誤りである。
咸陽は項羽に焼き払われており、劉邦は司馬欣が王都に定めていた櫟陽を根拠地にしたと、
第15章「彭城の大潰乱」に書かれている。史実もそのとおりである。
316無名草子さん:2012/11/24(土) 16:23:03.04
魏・趙その他の旧戦国七雄の動きは理解しにくいと思うが、次のように考えておけばいい。
まず、項羽の論功行賞については、不満をもった王侯が多かった。
斉や趙のように自力で勢力地図を塗り替えた国もあったが、多くは劉邦の中原侵攻の際、劉邦に寝返った。
西魏の魏豹や殷の司馬コウも、その典型である(>>227)。
殷の司馬コウは、その後、項羽の属将であった陳平に討伐された。

項羽の彭城戦大勝利によって、形勢は逆転し、再び項羽に寝返る者あるいは独立する者が出てきた。
魏王の魏豹が、その典型である。こちらは、漢の韓信に討たれた。
民主党の羽振りがよいときは民主党から立候補したが、落ち目になると離党した連中と考えておけばよい。
317無名草子さん:2012/11/24(土) 16:31:14.45
陳余が張耳を追放して、趙の実質的な支配者になったことは、
第15章の「彭城の大潰乱」に書かれてある(>>226参照)。
第20章では「趙王」と匿名に戻っているが、第15章では、「趙王歇」と実名で書かれている。
318無名草子さん:2012/11/24(土) 16:34:47.71
趙歇についてのまとめ
>>144 >>145 >>146 >>148 >>154 >>221 >>226
319無名草子さん:2012/11/24(土) 16:38:17.34
新たに趙王になった張耳に対して、劉邦は趙之国王の印璽を贈っているが、
前章においては、麗食其が調製していた各国の王之印璽を、張良の進言により、
すべて廃棄したはずである。この点、疑問が残った。
320無名草子さん:2012/11/24(土) 16:40:51.77
321無名草子さん:2012/11/24(土) 16:48:36.44
辞書では、背水の陣を「切羽詰まっていて、もう一歩も後にはひけないぎりぎりの状況。
また、そうした状況に身を置いて、必死に物事に取り組むこと」と定義されるが、原典で
ある史記ではニュアンスが違うことが、この章を読めば理解していただけると思う。

背水の陣は韓信の独創ではなくて、兵書によって愚策とされている陣であった。
韓信は、あえてその愚策を採用することで敵を油断させ、敵を城から誘き出したのである。
韓信は切羽詰って背水の陣をとったのではなく、余裕綽々偽計を用いた。
322無名草子さん:2012/11/24(土) 16:55:36.02
韓信が背水の陣を敷いた井ケイのテイ水の画像

ご覧のとおり、背水の陣の兵士たちは楽々と歩いて渉れます。
http://www.a-daichi.com/travelogue/2004_china/image/beishui.jpg
323無名草子さん:2012/11/24(土) 17:02:56.22
井ケイの戦いの後、韓信が駐屯した修武(寧邑)で周の武王が殷を倒すために兵を練ったというのは、
本当の話らしいです。殷の紂王との戦いは牧野の戦いと呼ばれ、朝歌(現在の河南省淇県)で行われたようです。
324無名草子さん:2012/11/24(土) 17:10:59.56
>>148
信都県が秦代の趙の旧国都の名称であることはそのとおりであるが、第20章「背水の陣」では、
韓信が陳余を滅ぼす以前から襄国県へと名称変更されたことになっている。

なお、多くの史料で趙王・趙歇は襄国県で殺されたことになっているが、第20章では、陳余は
殺されたが、趙王は劉邦のもとに送られたことになっている。
325無名草子さん:2012/11/24(土) 17:19:15.56
>>316
>魏王の魏豹が、その典型である。こちらは、漢の韓信に討たれた。

討伐されたが、魏豹が殺されなかったのは、この章に書かれてあるとおり。
時間の前後と章割りの前後がさかさまなのでわかりづらいと思うが、魏豹は再び劉邦の配下に属し、
劉邦がケイ陽城を脱出する際、ケイ陽の留守将に指名される。
しかし、ひとたび裏切った魏豹を信用できなかった周苛によって殺された。これは前章に書いてある。
326無名草子さん:2012/11/24(土) 18:08:24.48
彭越がゲリラ戦を展開していた梁という場所がどこだかわからない読者がいると思う。
梁とは、本章に出てくる戦国時代の旧魏の領地の東部とほぼ重なると考えてよい。

前340年に秦の商鞅が魏に侵攻したため、魏は都を安邑から、東方の大梁(現在の開封)に
遷さなければならなくなった。一時国都が大梁にあったために、魏=梁と呼ばれるようになった。
327無名草子さん:2012/11/24(土) 18:22:45.60
>>321
この作品の前のほうで項羽(項梁だったか?)も背水の陣をやっているよね。
他のもので調べても、項羽の背水の陣と書いてある。
楚漢軍談以外でも、背水の陣はたくさん出てくる。
どういうわけだか韓信のだけが有名になってしまった。
328無名草子さん:2012/11/24(土) 18:51:59.69
>>317
張耳のことを「ふるくから趙や魏で大親分として知られていた」と、王陵や劉邦と同じような
やくざ者の親分のような書き方をされていますが、そうでしたっけ?
329無名草子さん:2012/11/24(土) 18:58:12.26
>>328
張耳は魏の外黄の県令だったから、やくざ者じゃないよね。
項羽のいた呉中でいうと殷通に相当する吏の身分。
330無名草子さん:2012/11/24(土) 19:08:41.22
>>226
趙歇にはそういう政治力はなかったと思うよ。
陳余が張耳を追ったのは、斉の田栄の場合と同じで、項羽の論功行賞が張耳に厚く、
自分に薄かったことに不満があったからだ。
陳余は項羽の関中入りのとき項羽に従っていない。張耳は項羽とともに咸陽を攻めた。
項羽の論功行賞は、すべてこれ。
なお、陳余が張耳を攻めるときに兵を貸したのは、斉の田栄。
331無名草子さん:2012/11/24(土) 19:46:16.53
>>316
魏豹について、ひとつ補足。
魏豹は韓信に破れた後、庶民に落とされた。
魏豹の側室であった薄氏は劉邦の側室となり、劉恒(前漢五代文帝)を生んだ。
332無名草子さん:2012/11/25(日) 00:05:25.38
(橋下など首相というたまか)
タレントあがりの市長で、なるほどコスプレについてはくわしいが、
天下の行末まで見通して大政略をたてる頭脳などありそうになかった。
その程度の男を
「代表代行」
とあがめて、マスゴミはついてまわっている。
(よほど、ちぐはぐな男らしい)
巨大な権力欲が、ジャンケン好きなこどもっぽい心に宿ってしまっているのだ、
と張耳は橋下をそのように理解しようとした。
333無名草子さん:2012/11/25(日) 00:26:42.79
維新軍の到来にあたって、陳余は用心ぶかかった。まず、
――橋下とは何者か。
ということから調べた。多くの報告のなかに、
――要するに、頭にパンツをかぶるのが好きな小僧にすぎませぬ。
というのがあり、これが陳余に気に入った。
維新軍の候補者についても、諸説があった。
最初、自民党と遜色ない候補者を集めていると伝える者がいたが、
諜報がふえるにつれて、グラビア・アイドルくらいしかめぼしいのがいないというところまでしぼんだ。
(それだ。小僧が有力候補を率いてくるはずがない。所詮ジャンケンで決めた候補じゃないか)
と、陳余は安堵した。
334無名草子さん:2012/11/25(日) 00:40:35.31
「広武君よ」
と、橋下は李左車を尊称で呼んだ。
「これが、王者の軍というものだ」
(正気だろうか)
李左車の見るところ、グラビア・アイドルとキャバクラ嬢が
戟を構えて整列しているとしか思えなかった。
335無名草子さん:2012/11/25(日) 01:02:54.58
「お前さんには、規準というものがないよ」
「なんの規準です」
「人としての生き方の規準、物の考え方、あるいは行動の仕方についての規準だ」
「規準はないほうがいいんです」
橋下は、蠅を追うように言った。
麗食其は、教えようとしている。
「規準のない人間は、人から信用されない。国会議員はお前さんの権力欲を充たすための数ではないのだ。
主権者に選挙していただく候補者をジャンケンで決めるのは、美ではない。
美でなければ人から敬愛されない」
敬愛とは、主権者である国民から好もしく思われることであろう。
「定数半減はやれるのかね。それもこれもジャンケンかね」
「われわれが政権を取ったら一週間でやりますよ」
336無名草子さん:2012/11/25(日) 14:22:53.77
橋下の弁論は、上祐の弁論に似ているから、気持ち悪いんだろうな。
宗教色はもちろんないが、屁理屈ではぐらかし、
屁理屈の内容を吟味する余裕を与えない語り口。
嫌悪感しか感じない。
337無名草子さん:2012/11/25(日) 23:40:01.01
帰路、陽がかたむいた。
通りがかった畑は暮色につつまれており、小さな人影が、褐色の夕闇にあやうく溶けそうになりながら手足を舞わしている。
しばらく見とれていたが、やがてそれが嫂のモナであることに気づいた。
(あの女が、これほど可愛かったか)
陳平は足音を忍ばせ、やわらかい土を踏んで近づいてみた。モナは気づかない。
この義弟は長い臂をのばして、瓜でも賞でるように、嫂のまるい尻を撫ではじめた。
「何をなさいますか」
「知っていますか。自民党のなかには戦争をしたがっている人がいるのです」
「それとわたくしのお尻を撫でることとどのようなかかわりがあるのですか」
モナは小動物のように跳びあがってしまった。
振りかえって相手が陳平であることに気づいたのと、陳平の舌がモナの口のなかに入ってきたのと、
ほとんど同時であった。
338無名草子さん:2012/11/26(月) 00:13:24.95
項羽は役立たずの多数の閣僚を従えて入ってくるや、たかだかと剣を鳴らして劉邦をのぞみ、相手の頭のさきで立ちはだかった。
ついで、吼えるようにして罵倒した。
「劉邦、お前には無数の罪がある。とりわけ、専守防衛の自衛隊を、国防軍と改称したことだ。
大陸間弾道弾でも飛ばすつもりか」
(こんな男だったのか)
と、劉邦は項羽が吼える姿を見て、一時に興ざめした。
「インターネットで討論をするのは嫌だ。テレビでやりたい」
と、項羽はさらに言葉を重ねた。
詐欺師の項羽が、捏造を業とするテレビに強い親近感をもっていることは劉邦も承知していたが、
項羽が頼るべき相手が落ち目のテレビしかないのかと思うと、項羽が哀れにも思えてきた。
339無名草子さん:2012/11/26(月) 12:59:05.30
>>326
梁は都市名ではなく地域名だろうという予想はついたけど、
どこだかわからなかった。ありがとう。
340項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/26(月) 17:24:49.81
第21章 斉の七十余城

[主役]麗食其

前204年6月、宛城から成皋に移った劉邦は、またもや項羽に追われて、
修武に駐屯していた韓信を頼ります。
前203年、韓信はカイ通の進言により斉を下しますが、外交使節の麗食其は、
斉王・田広に煮殺されてしまいました。
341無名草子さん:2012/11/26(月) 17:28:11.23
前半は劉邦が主役で麗食其は登場しませんが、後半の麗食其の死が印象深いので、
麗食其を主役にしました。
なお、前章まではずれていた、劉邦時間、韓信時間、周苛時間が、この章で一致します。
342無名草子さん:2012/11/26(月) 18:29:11.98
>>341
章邯(関中)時間もズレていたね。いろんな場所で物語が並列で進行するから、
時系列に忠実に横断的な展開にすると、わかりにくいと判断されたんだろう。
343無名草子さん:2012/11/26(月) 18:37:10.30
萌通(カイトウ)登場。
虞美人を除くと、主要登場人物が出揃ったな。
344無名草子さん:2012/11/26(月) 18:44:25.22
韓信と麗食其を仲良しの設定にしたのが良かったな。
劉邦が韓信の兵を取り上げるシーンもよかった。
345無名草子さん:2012/11/26(月) 19:15:35.35
「臨時国会の党首討論のことか」
 ばかばかしい、と佳彦は言った。今回の党首討論は佳彦の勝ちだったなどと
最初たれが宣伝したのか。あの日、わが党は解散に追い込まれたのだ。
「あなた様ご自身がお疑いになっちゃ、いけませんよ」
 夏侯嬰は、帆を張りながら言った。
「疑いもするわ。党首討論に勝ったのであれば、こうも支持率は下がるまい。
今日は街宣車のはしごから落ちそうになるし」
346無名草子さん:2012/11/26(月) 19:57:23.16
彭越をもう少し書いてもらいたかった。黥布の視点はあったけど、彭越の視点はまだないね。
この先、あるのかね?
347無名草子さん:2012/11/26(月) 23:26:04.30
浅田真央選手のお父さんは、オカマなんですか?
348無名草子さん:2012/11/27(火) 00:59:49.92
劉邦は、口が悪かった。
――そんな言語センスで政治家をやる資格がありますか。
と、連携を求めている友党の党首であっても、頭ごなしに罵ることがあったが、
しかし随何に対するときの罵倒は好悪から出ていた。
「名古屋弁がうざい」
つい、口に出して言ってしまう。
349無名草子さん:2012/11/27(火) 01:30:46.27
細野は城桜に登り、やがて下の城壁上に降りるべく露天の階を一歩ずつ下がっていたとき、
暗くもあって、足を踏み外した。
数段ころげ落ちてぶざまに四つん這いになったとき、
「女と戯れてばかりいるから、そうなるのだ」
という声がした。
「あれが橋下か?」
細野は、幼な友達の廬綰に訊いた。
廬綰は、頷いた。
「女と戯れたことを、橋下に悪しざまに言われねばならぬ筋合いか?」
廬綰は、首を横に振った。
350無名草子さん:2012/11/27(火) 01:43:23.59
>>341
麗食其や項梁のように執筆時の作者の年齢と近い人物が
魅力的に書かれているな。
351無名草子さん:2012/11/27(火) 16:08:57.90
司馬遼太郎は、カニ・エビ・アレルギーである。食べるとジンマシンができる。
352無名草子さん:2012/11/27(火) 16:27:11.52
熱鬧。ねっとうと読む。『この国のかたち6』に収録の「コラージュの街」にでてくる。
人が込みあって騒がしいことを意味する。
353無名草子さん:2012/11/27(火) 16:38:20.59
同じく「コラージュの街」から、糶。せりと読む。せり売りのせりである。
正しい下記順は下を参照せよ。
http://kakijun.main.jp/page/uriy25200.html
354無名草子さん:2012/11/27(火) 17:23:30.64
>>351
甲殻類アレルギーな。
355無名草子さん:2012/11/28(水) 00:13:11.25
いったんは維新に参加した候補者たちも、未来に靡いた。
かれらは小沢の前にひれ伏してふたたび大王に背くことはございませぬ、と謝罪した。
小沢も急場であるために、合流する者をみな許し、未来の旗を持たせた。
このため維新と未来の勢力が逆転してしまった。
その維新軍に対し、未来軍が殺到した。
「代表は逃げられよ」
橋下は、大声で言った。声が大きいこと以外に橋下には取り得がなかった。
「わしは代表の地位を平沼に譲った」
「平沼代表はすでにわが軍を脱走しておられます」
356無名草子さん:2012/11/28(水) 17:20:43.27
1
357項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/28(水) 17:27:43.64
第22章 半ば渡る

[主役]韓信

前203年11月。韓信が楚将・竜且を破ったシ維水の戦いです。
サブタイトルは、この戦いで韓信が用いた半渡の計からです。
358無名草子さん:2012/11/28(水) 17:47:53.11
即公の末娘の小蛾って、貴族の娘の名前というより、売女の名前みたいだよな。
359無名草子さん:2012/11/28(水) 17:51:12.96
>>358
韓信に速攻でやられた娘のこと?
360無名草子さん:2012/11/28(水) 17:56:27.87
>>359
そういう立場なんだから、しょうがない。
361無名草子さん:2012/11/28(水) 18:16:04.82
縦横家の萌通は、これまでにないタイプだな。
法家、儒家、老荘家、縦横家と、タイプを書き分けていて面白い。
362無名草子さん:2012/11/28(水) 18:28:02.06
参謀タイプの登場場面が多いな。武将の戦闘シーンは、項羽だけじゃないか?
黥布の登場シーンも、武将としてではなく、九江王としてだった。
363無名草子さん:2012/11/28(水) 18:33:48.35
>>362
俯瞰する視点で書かれるから、個々の戦闘はよく見えない。
364無名草子さん:2012/11/28(水) 18:55:10.18
修武で韓信の兵を奪った劉邦は、ふたたびケイ陽で楚軍と戦っていたが、
このときの成皋城の楚軍の守将が、曹咎・司馬欣・董翳である(>>171参照)。
いちどは漢に降っていた司馬欣と董翳は、劉邦が劣勢になった前205年に
楚に寝返り、前203年になって死んでいる。
365無名草子さん:2012/11/28(水) 19:32:05.30
 十一月の水は冷たかったが、橋下とその人馬はしぶきをあげて水に入り、腰のあたりを
水に押されながら渉りはじめた。
「一挙に韓信を討ち取れ」
 橋下は振り返り、全軍に渡河を命じた。
 韓信は、さらに逃げ、橋下ほか数名を対岸に上陸させた。
「ここで橋下に何か喋らせよう」
 韓信は、橋下にマイクを向けた。
「じゃんけん」
 上流では、この合図を待っていた。かれらは土嚢の壁を一時に断ちきって水を奔流させた。
河はいっきに増水し、対岸に上陸した橋下ほか数名は、孤軍になった。
――韓信は敵の「半渡」に乗じた。
 維新軍の大半は、にわかに増えた水量のために進めず、溺れる者、流される者など混乱をきわめた。
 橋下ほか数名を韓信軍の大軍が囲み、けものを狩るようにして遠矢を射、ついに橋下その人を囲んだ。
橋下は矢に射すくめられて血みどろになり、地に伏したまま韓信軍の雑兵の鉾先にかかって死んだ。
366無名草子さん:2012/11/28(水) 23:27:55.60
>>360
小蛾が生姜くった。
367無名草子さん:2012/11/28(水) 23:33:29.07
もういいです
368無名草子さん:2012/11/29(木) 00:23:56.29
>>364
そこも後でちゃんと書かれているから、
先走ってネタバレしないでくれよ。
369項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/29(木) 17:33:59.70
第23章 虞姫

[主役]項羽

しばらく項羽の視点がありませんでしたが、前205年2月の虞美人との出会いから始まり、
それに続く項羽と彭越の戦いを振り返ります。
前204年、時間は第21章「斉の七十余城」あたりに引き戻され、前203年、項羽と彭越の外黄の戦い、
項羽と劉邦の広武山の対峙へと続きます。
370無名草子さん:2012/11/29(木) 17:45:33.65
>>346
彭越については、第23章「虞姫」に詳しく書かれています。
371無名草子さん:2012/11/29(木) 18:09:58.18
>>364
司馬欣・董翳の最期は第23章「虞姫」に出てくるけど、「(成皋の)曹咎につけてやった諸将」と、
知らない人たちのような書き方だったよ。
372無名草子さん:2012/11/29(木) 18:17:41.52
司馬欣・董翳が自刎した水のほとりとは、河のほとりだと思うけど、
水と三国志の水関は、関係あるの?
373無名草子さん:2012/11/29(木) 18:28:05.37
広武山を撮影した動画がありました。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&v=p_C_vm7WcGc
374無名草子さん:2012/11/29(木) 18:46:28.07
項羽が飲んでいた黍から作った酒

中国のものは見つからなかったが、トゥンバ(tongba)というネパールの黍酒の画像を見つけた。
ストローで吸うのだそうである。
http://kimcafe.exblog.jp/14773450/
375無名草子さん:2012/11/29(木) 18:51:59.45
角光という酒器は、先端が尖っていて卓子に置けないように書かれているが、
下に脚がついていて卓子に置けるものもある。どうもコップではなく、コップに
そそぐ前に容れる酒器のような気がする。
http://img.scimg.cn/userupload/zlk/uploads/200908/s_12496401690IVDxVxc.jpg
376無名草子さん:2012/11/29(木) 18:59:29.51
>>264
それは、第23章「虞姫」に書かれているね。
もっとも、塩漬にされた反逆者を群臣に配るのは儀式的なもので、
その肉は食用ではなく祖廟へのお供え物に使われたという見解もある。
無難にまとめてはいるが、違うような気がする。
377無名草子さん:2012/11/29(木) 19:20:17.38
虞美人の年齢設定は、司馬さんの創作なんだろうね。
項羽がロリにされてしまっている。
378無名草子さん:2012/11/29(木) 19:25:41.20
虞美人は創作モノでは早い時期から登場して、劉邦とも関係があったように書かれることが多い。
司馬の「項羽と劉邦」は正統派なんで、あまり創作の幅を拡げていないな。
379無名草子さん:2012/11/29(木) 20:04:05.75
有名な虞美人が登場したために、前章の小蛾は霞んでしまったね。
380無名草子さん:2012/11/29(木) 20:07:13.70
>>379
韓信と項羽の女性の扱い方を対比させることで、二人の個性を掘り下げているんだろう。
381無名草子さん:2012/11/29(木) 21:06:25.65
>>371
司馬欣の視点はそれなりに長かったから、
こんな人知らないよといった感じの最期は、ちょっと悲しいね。
382無名草子さん:2012/11/29(木) 21:25:13.19
>>381
趙高に刺客を放たれ、すんでのところで逃げ延びた。
司馬欣の視点と同一化してハラハラしているから、
強く印象に残っているんだよな。
383無名草子さん:2012/11/29(木) 23:15:23.29
>>382
その意味では、陳嬰、召平、随何も同じだな。
死んだのならともかく、どこかで生きているはずなのに、まったく登場しない。
384無名草子さん:2012/11/29(木) 23:18:55.98
>>383
この物語の時間的範囲のなかでは、
原典でそこにしか登場しないのだから仕方ない。
385無名草子さん:2012/11/29(木) 23:32:58.78
》その後、項羽が関中に入ったとき、
》曹咎と司馬欣をまねいてそれぞれ将軍にした。

曹咎は将軍で間違いないが、司馬欣は塞王だよね。
わざと将軍に変えたのかな?
386無名草子さん:2012/11/29(木) 23:38:06.41
>>379
韓信がこの小説で女をあてがわれるのは、二人目だ。
めぐまれているな。
387無名草子さん:2012/11/29(木) 23:42:48.57
>>372
場所は近いから、関係はあるだろうな。
388無名草子さん:2012/11/30(金) 05:47:51.76
>>383
陳嬰、召平、随何あるいは紀信の挿話は大好きですよ。
この小説は始皇帝の死から項羽の死までの時間を何段階かに分けて、
ギリギリ小説らしい時間の流れは守っているけれど、
見ようによっては短編の連作のようでもある。
原典が紀伝体であることと、
主役級の人物が多いので様々な場所で同時平行に物語が進行しているから、
同一事件が何回も登場する構成を採らざるを得なかったのでしょうね。
そんな中で、前記の脇役たちにまで活躍の場所を与えるなんて、すごいことですよ。
389無名草子さん:2012/11/30(金) 06:07:55.27
劉邦は、この章の舞台であるケイ陽周辺に、
何回追っ払われても帰ってくるから、複雑に感じるかもしれないね。
加えて、各章が短編のようなまとまりを有していて同一事件が重複するから、複雑さを増している。
周苛など、何度死んで、何度生き返ったことかw
390無名草子さん:2012/11/30(金) 06:23:37.39
リシとショウカンも実は何度も死んで何度も生き返っているクチなんだよな。
ただし彼らの場合、読者の誤解を避けるために、あえて生きているのに触れないという扱い方だ。
391無名草子さん:2012/11/30(金) 06:33:57.34
各章を独立性ある短編のように書いている。
周苛や章邯の死は実際には時間が離れているのに、
物語のまとまりを優先して死ぬ場面まで書ききってしまうから、そのようになっている。
392項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/11/30(金) 17:32:17.35
第24章 弁士往来

[主役]カイ通

秦末の彭城におけるカイ通と侯公の出会い。
項羽の使者・武渉の来訪を受けて、劉邦への謀叛を慫慂するカイ通。
その後の佯狂。
最後は、前196年まで時代が飛び、韓信の刑死が語られます。
393無名草子さん:2012/11/30(金) 17:35:09.66
この章などは、完全に萌通を主人公にした短篇小説だな。
「項羽と劉邦」は晩年の作品にしては珍しく出来が良いのだが、得意の短篇連作風の作品だからじゃないかな。
394無名草子さん:2012/11/30(金) 17:38:21.62
彭城での萌通と侯公の出会いのシーンは、おそらく司馬さんの創作だと思う。
その後、二人がともに旅をしているところを真似している漫画家がいたが・・・。
395無名草子さん:2012/11/30(金) 17:43:57.32
貧乏人が酒の代わりに飲んでいた漿という飲み物。ミータン(米湯)またはミーチャン(米漿)という。
トウチャン(豆漿)という白い飲み物もある。
http://www.taipeinavi.com/special/5000819
396無名草子さん:2012/11/30(金) 17:45:25.98
>>395
トウチャンノシロイノミモノダッテ ヒソヒソ( ゚д゚)ヤダァ(゚д゚ )ネェ、キイタ?( ゚д゚)オクサン(゚д゚ )アラヤダワァ
397無名草子さん:2012/11/30(金) 17:48:36.32
>>386
24章では、三人目があてがわれている。小蛾は速攻で消された。
398無名草子さん:2012/11/30(金) 17:52:44.83
萌通と侯公は、どろ柳の下で農夫にもらった瓜を食べた。
http://www.fpri.hro.or.jp/gijutsujoho/doumoku-db/doumoku/L2%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%82%AD/doro-1.gif
399無名草子さん:2012/11/30(金) 18:05:44.42
“食人之食者死人之事”に関連して興津・清見寺の咸臨丸壮士墓の話が出てくる。
この作品で日本の幕末の挿話を余談にするのは、違和感を否めないな。
余談になるが、興津・清見寺は、『上方武士道』第24章「興津の女」にも出てくる。
400無名草子さん:2012/11/30(金) 18:15:13.29
“野獣已ニ尽キテ猟狗烹ラル”は、『狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る』と
意味は同じであるが、後者は勾践に愛想を尽かした范蠡の言葉。
范蠡は烹られる前に逃げた。烹られたのは韓信。
401無名草子さん:2012/11/30(金) 18:19:29.44
おしゃべりを意味する「なん」は、喃々である。喃の一語だと「のう」と読む。
人に呼びかけるとき、または同意を求めるときに発する語である「のう」は、この漢字を当てる。
402無名草子さん:2012/11/30(金) 18:22:27.16
菅むしろは、日本では群馬県吾妻郡六合村大字入山の特産品である。
http://www.pref.gunma.jp/contents/000028498.jpg
403無名草子さん:2012/11/30(金) 18:23:57.81
     /:::::::::::::::::::::`ヽ、
    /::::::::ィ''' ̄ ̄ミ:::::::::::`ヽ
    レ´      ミミ:::::::::::::\
   ,r' 。 ,,..==-   ヾ::::::::::::::::、
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   |∨ヽ丶 '´、,,,__    '゙ )ュl:::l
   '、:i(゚`ノ   、        |::|
    'lー''(.,_ハ-^\     ├':::l
     \  />-ヽ    .::: ∨   <針のむしろ
      丶 (´,,ノ‐-   ..::::   l
       丶´  `..::.:::::::    ハ\
         \::::::::::::::::    / /三ミ\
          `ヽ::::    / /三三三三ミヽ、
          /|\::_/  /三三三〉三三三
404無名草子さん:2012/11/30(金) 19:13:01.94
>>401
阿会喃はおしゃべりだったのか?
405無名草子さん:2012/12/01(土) 14:06:08.10
>>237
左遷の語源は義帝の故事ではなく、劉邦が漢中および巴蜀の地を与えられた故事
に基づくものだよ。中原からみると、その地が左にあったから。
406項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/12/01(土) 15:01:16.97
第25章 平国侯の逐電

[主役]侯公

広武山和議で、項王への使者となった陸賈と侯公のお話です。
407無名草子さん:2012/12/01(土) 15:02:45.01
>>275
陸賈は、第25章「平国侯の逐電」で初登場です。
408無名草子さん:2012/12/01(土) 15:09:22.86
>>406
広武山和議とはいわない。鴻溝の和約が一般的な名称だよ。
409無名草子さん:2012/12/01(土) 15:17:06.14
この場面は、劉邦の天下統一にとってヤマ場なんだよな。
漢帝国の成立は様々な要因から成り立っているけれども、ドラマとしてみた場合、
鴻溝の和約の成立が起承転結の“転”にあたるところ。

初読の際、少し物足りなさを感じたのは、侯公という前章で初登場の策士の個人的な
力量で項羽を和議に導いたところ。最大のヤマ場は、次章で語られる和議破約を含めて
軍師・張良の策略になると思っていたから、鳶に油揚げ攫われたような気がした。
410無名草子さん:2012/12/01(土) 15:22:49.91
>>409
張良びいきのお前がそう思うだけで、他の読者はそんなこと考えもしない。
和議の発案は蕭何だし、張良は使者には陸賈が適任としたのに対し、劉邦は
変人の侯公にすべてを委ねた。主役の勘が和議を成立させたということで
満足しているよ。物足りなさを感じるのは、最大の功労者である侯公が、
和議成立後まもなく逐電してしまうところだろう。
411無名草子さん:2012/12/01(土) 15:28:08.89
>>409
すべてが張良や陳平の筋書きだとすると、彼らが悪者になってしまうだろう。
次章で漢軍がやることは、近代になってロシアがお得意とした同盟や和約の
一方的破棄という汚いやり方。変人の侯公が成し遂げた成果を奇禍として、
それを張良と陳平が利用したというストーリーのほうが、張良と陳平に対する
非難も和らぐよ。
412無名草子さん:2012/12/01(土) 15:42:54.95
>>411
張良・陳平の進言にされるのだろうか?
俺は、和議違約は劉邦の発案でもいいと思うがな。
劉邦は元やくざだよ。貴族出身の項羽は、甘いところがあったんじゃないかな。
やくざなら、人質さえ解放されれば、違約でも何でもやるだろうよ。
413無名草子さん:2012/12/01(土) 15:44:11.84
ソビエト連邦は、やくざという結論になりました。
414無名草子さん:2012/12/01(土) 16:01:57.76
やくざより怖いのが、呂后。
本章に名前が出てくる劉邦の側室・戚夫人は、息子の如意ともども呂后に殺されている。
『史記』によると、呂后は戚夫人の両手両足を切り、目耳声を潰し、厠に投げ落としてそれを人豚と呼ばせた。
さらに恵帝(呂后の実子)にその姿を見せたため、彼は激しいショックを受け、
それ以降酒色に溺れるようになり早世した。
415無名草子さん:2012/12/01(土) 16:05:35.13
>>414
呂后はサイコパス。
416無名草子さん:2012/12/01(土) 16:08:51.65
>>315
第25章「平国侯の逐電」では、正しく櫟陽になっています。
417無名草子さん:2012/12/01(土) 16:21:58.75
>>414
呂雉の話はよそう。気分が悪くなってくる。
418項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/12/01(土) 18:06:20.77
第26章 漢王百敗

[主役]張良

前203年晩秋、和議の成立した楚漢両軍は広武山を撤収するが、張良の進言により
劉邦は和議に違約し、漢軍は楚軍を追跡する。しかし、固陵の戦で項羽に敗れる。
419無名草子さん:2012/12/01(土) 18:09:08.01
クライマックスなので、劉邦、項羽、張良等の主要登場人物の視点が錯綜するが、
違約の言いだしっぺが張良なので、主役は張良にした。
420無名草子さん:2012/12/01(土) 18:12:51.42
陳平の台詞、「あなた(張良)が考えるより私が考えるような詐略だ」に、ワロタ。
421無名草子さん:2012/12/01(土) 18:17:18.85
固陵は、項羽と彭越が戦ったスイ陽と同じ場所なんだけど、どうして使い分けるの?
422無名草子さん:2012/12/01(土) 18:25:14.11
>>326
第26章「漢王百敗」では、彭越の奪った地を、梁ではなく、「旧の魏の地」と書いている。
423無名草子さん:2012/12/01(土) 18:41:34.22
いよいよ垓下の戦いが近づいてきたな。次の最終章「烏江のほとり」でたっぷりと語られる。
項羽と虞美人については、福田定一時代の短編集『花妖譚』に「烏江の月」という短篇がある。
『花妖譚』は『妖怪』に似たような幻想的な話ばかりで、習作っぽい作品が多いが、
「烏江の月」だけは飛びぬけて出来が良かった。
424無名草子さん:2012/12/01(土) 18:46:30.24
結局、軍師、弁士、策士の物語が多く、武将の話はあまりなかったな。
425無名草子さん:2012/12/01(土) 18:49:53.94
>>424
楚軍の総大将の項羽が、常に全軍の先頭に立って突撃する100%前線武将型の人物なんで、
これを丁寧に書くと、彼の部下や漢の武将などを書いても輝かないんだわ。
426各章主役一覧:2012/12/01(土) 19:09:41.70
 〔上巻〕   〔中巻〕   〔下巻〕
01 趙高  11 張良   20 韓信
02 項梁  12 張良   21 麗食其
03 劉邦  13 劉邦   22 韓信
04 蕭何  14 韓信   23 項羽
05 陳勝  15 韓信   24 萌通
06 項梁  16 夏侯嬰 25 侯公
07 項梁  17 随何   26 張良
08 項羽  18 陳平   27 項羽
09 范増  19 紀信
10 章邯
427無名草子さん:2012/12/01(土) 19:53:09.53
>>424
儒家、法家、老荘の徒、縦横家が、具体的なキャラクターで登場した点は評価していい。
428無名草子さん:2012/12/01(土) 20:06:30.01
>>426
複数回主役になった人物を抜き出すと、

4回:韓信
3回:項梁、項羽、張良
2回:劉邦

となる。おまいが、韓信・張良に甘く、劉邦に厳しいことはよくわかった。
誰が読んでも、劉邦の登場場面がいちばん多かったと思うはずだがw
429無名草子さん:2012/12/01(土) 20:56:05.85
>>426
第6章「長江を渡る」は、召平が主役でもいいんでねぇ?
項梁は、ほかに二つもあるんだから。

それと、第21章「斉の七十余城」は、劉邦を主役にしようよ。
韓信が四つもあるのは多すぎると思う。
430無名草子さん:2012/12/01(土) 21:01:50.12
>>429
第21章「斉の七十余城」は、韓信ではなくて麗食其が主役なんだよ。
麗食其の登場場面は少ないが、ラストの煮殺されるシーンが印象的なんで。
第21章は劉邦の登場シーンが長いが、麗食其は外したくない。
となると、やっぱり韓信の主役4つは変わらない。
431無名草子さん:2012/12/01(土) 21:02:56.31
>>430
変えるとすれば、第22章「半ば渡る」の主役を韓信から萌通にするぐらいかな。
432各章主役一覧(確定):2012/12/01(土) 21:07:44.39
 〔上巻〕   〔中巻〕   〔下巻〕
01 趙高  11 張良   20 韓信
02 項梁  12 張良   21 麗食其
03 劉邦  13 劉邦   22 萌通
04 蕭何  14 韓信   23 項羽
05 陳勝  15 韓信   24 萌通
06 召平  16 夏侯嬰 25 侯公
07 項梁  17 随何   26 張良
08 項羽  18 陳平   27 項羽
09 范増  19 紀信
10 章邯

3回:韓信、張良、項羽
2回:項梁、劉邦、萌通
433無名草子さん:2012/12/01(土) 22:24:43.10
>>409
項羽を説得した侯公の功績は小さくないが、一年以上の対陣により和睦ムードは高まっていた。
漢には人質の弱み、楚には食糧の弱み、双方に弱みがあったからな。
起承転結の転にあたるのは、漢軍による和睦破棄だ。
434無名草子さん:2012/12/01(土) 22:36:15.43
>>411
どうして張良と陳平に対する非難が弱まるのか理由がわからない。
そもそも張良はこの件で非難されていない。
むしろ老荘信者である張良が、この場面で突如として縦横家(マキャベリスト)に変貌した点が興味深い。
司馬さんはその模様を実に精妙に書いておられる。
435無名草子さん:2012/12/01(土) 23:54:47.30
>>434
次章を読めば明らかになるが、最後のヤマ場は張良と項羽の戦いなんだな。
劉邦は単なる人寄せパンダ。
劉邦は嫁が最悪。
世界史に名を残した人物の中でも最悪の女。
436無名草子さん:2012/12/02(日) 00:53:50.74
野田が見るうちに前方の原が消え、雲のような砂塵に化してしまった。
自民軍の得意とする密集突撃が始まったのである。
砂塵の中から矢が飛び、剣光がきらめき、馬も人も猛獣になったように突撃してきた。
その先頭に晋三の姿があった。民主軍の先鋒は一撃で粉砕された。
第二陣もたちまち崩れ、それらが退却して第三陣になだれこみ、いっせいに逃げはじめた。
自民軍がそれを追い、屠殺するようにして斬ったり突いたりした。
殺された民主兵の中に引退した老兵の藤井裕久もいた。
日本は中国や朝鮮に悪いことをしてきたと言った痴れ者である。
野田も馬首をひるがえして逃げた。
437無名草子さん:2012/12/02(日) 15:17:58.04
張良が行じている行気(胎息)は、現代の科学から考えても合理的である。
息が荒いときは体内に酸素を取り入れにくくなるから、息苦しい。
強風の屋外で息苦しさを感じるのも、酸素が足りなくなるからだろう。
この作品に書かれている胎息の方法
(空気をゆっくり吸い肺に長く空気を留めゆっくりと吐き出す)
で呼吸すると、酸素を充分補給できるため心身ともにスッキリとする。
438項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/12/03(月) 15:52:30.34
第27章 烏江のほとり

[主役]項羽

固陵の戦いから、垓下の戦いへ。
前202年、項羽が烏江のほとりで敗死する最終章です。
439無名草子さん:2012/12/03(月) 16:19:38.57
項羽を裏切って劉邦についた楚の将・周殷は、第18章「陳平の毒」にも名前が出ていた。
ケイ陽包囲中の楚軍の将のひとりで、陳平の反間苦肉の策により、項羽に疑われた。
440無名草子さん:2012/12/03(月) 16:23:29.01
>>290
季布は最終章にも名前が出てこないよ。どこにいたんだろうね。
項羽滅亡後は、漢の追手を逃れて各地を逃亡していたが、夏侯嬰に仲介を頼んで漢の臣になっている。
441無名草子さん:2012/12/03(月) 16:28:34.44
>>439
周殷が根拠地にしていた巣湖は、范増老人の初登場シーンで出てきた。
范増は、巣湖畔の居巣という町にいた。
442無名草子さん:2012/12/03(月) 16:30:35.61
>>441
魚じゃないから巣湖を根拠地にすることはできんだろw
根拠地は舒城だよw
443無名草子さん:2012/12/03(月) 16:40:58.84
>>439
周殷は劉賈に誘われて楚から離反しただけでなく、六の地を奪い返し、この地に黥布を迎えている。
なお、後日のことになるが、黥布が漢に謀叛したとき、黥布はまず劉賈を攻め、これを殺している。
444無名草子さん:2012/12/03(月) 17:00:27.20
>>440
鐘離マイは、項羽の死後、韓信に属しているね。
この作品の第6章「長江を渡る」の鐘離マイは、まだ楚軍に投じていない韓信について召平に
語っていますが、ほんとうに仲良しだったようです。
445無名草子さん:2012/12/03(月) 17:04:01.07
垓下の戦いにおける韓信軍の布陣を指揮した広武君とは、趙の降将・李左車のことです。
趙が韓信に敗れた場面で「敗軍の将は兵を語らず」と述べたのは、この李左車です。
この作品ではスルーされていましたけどね。
446無名草子さん:2012/12/03(月) 17:39:28.37
張良がお膳立てをして、韓信が戦い、劉邦は何もしない。
典型的な漢軍の戦ですな。
447無名草子さん:2012/12/03(月) 17:49:01.13
密度の濃い最終章だな。司馬さんも上手くまとめていると思うが、やはりものすごい原典だな。
司馬遷がちょっとだけ出てくる最後の場面が印象的だ。
448無名草子さん:2012/12/03(月) 18:00:49.52
力拔山兮氣蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何

これを項羽が謳いあげる場面と、その後の虞美人の死の場面は泣けるよな。
449無名草子さん:2012/12/03(月) 19:39:14.76
>>447
名作だと思うが、欲を言わせてもらえれば、「平国侯の逐電」のあとに、韓信と彭越の
視点が出てくる一章が欲しかったな。広武山で項羽と対峙している劉邦に対して、
韓信と彭越はそっけなくなってゆくのだが、その点について、劉邦側から書くのではなく、
韓信と彭越側の視点で書いてもらいたかった。とくに彭越の場合、頻繁に名が出てくる
割には、視点がまったくないからな。
450無名草子さん:2012/12/03(月) 19:43:52.63
もうひとつ項羽から人心が離れてゆく様を、項羽の部下の立場で書いていれば
最終章がより理解しやすくなったと思いませんか?項伯の通報を張良が代弁する
形で、そのことに触れていましたが、項羽を裏切った周殷の章があれば面白かった
と思います。周殷は陳平の反間苦肉の策で項羽に疑われ、それについてわだかまりも
あったと思われますので。
451無名草子さん:2012/12/03(月) 19:53:21.95
「平国侯の逐電」で和睦、「漢王百敗」で和睦の破棄だから、
この二章は連続していないとおかしいな。
韓信と彭越、それから、劉賈と周殷と黥布の視点を入れるとすれば、
「漢王百敗」と「烏江のほとり」の間だな。
452無名草子さん:2012/12/03(月) 19:59:23.18
鐘離マイと季布の登場シーンがあまりにも少ない。楚の武将は別働隊の竜且以外は
ほとんど書いてもらえなかったな。
453無名草子さん:2012/12/04(火) 03:35:12.74
>>409
言わんとしているニュアンスは理解できる。
突如として現れたゲストの侯公が和議という大仕事を成し遂げると、突如として劉邦陣営を去ってゆく。
その後はレギュラーメンバーでドラマの続きをやっているような感じがする。
召平、随何、紀信が中心になっていたゲスト回と似ているんだけど、
和議という重大場面でゲスト回というのに違和感がある。
454無名草子さん:2012/12/04(火) 03:44:18.17
>>453
麗食其・萌通はレギュラーといっていいまでに、この物語に溶け込んでいるけど、
そこの四人はゲストって感じだね。
455無名草子さん:2012/12/04(火) 03:54:56.13
>>451
それらの人々の視点が欲しいと思うのも、
ゲストの侯公さんがいちばんおいしい場面を攫っていったからなんだよな。
456無名草子さん:2012/12/04(火) 04:06:47.08
呂雉と虞美人は登場シーンは短いが、やはり存在感がある。
この小説内では、召平や司馬欣と比べても登場シーンが短いけど、レギュラーの存在感。
457無名草子さん:2012/12/04(火) 04:12:09.33
楚軍の人質期間中の呂雉など、小説のネタとしては面白いところなんだけど、
踏み込んでゆかれなかったな。
458無名草子さん:2012/12/04(火) 04:17:58.29
>>457
後日の悪女ぶりを思うと、おぞましくて呂雉の主観に踏み込みたくないだろうな。
呂雉は妖怪みたいに怖い。暗い部屋で、このレス書いているだけでも怖い。
459無名草子さん:2012/12/04(火) 04:24:39.63
>>458
呂雉の侍女をしている夏侯嬰の妻・カンカンの視点で捕虜時代の呂雉を書いても良かったのにな。
460呂雉:2012/12/04(火) 04:37:33.08
ご覧なさい。
人豚の>>458が、わたくしの悪口を書いている。
461項羽と劉邦 ◆.gpNTizHIY :2012/12/04(火) 13:35:54.79
《あとがき》

1975年5月の中国旅行というのは、紀行『長安から北京へ』の旅のことです。
洛陽の含嘉倉の画像がありました。
http://cppcc.people.com.cn/mediafile/200712/12/F200712122120534072163573.jpg
462無名草子さん:2012/12/04(火) 13:50:40.61
あとがきを読むと、楚人の項羽に親近感をおもちであることがよくわかる。
まあ当然のことであるが。
463長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/04(火) 16:25:42.09
第1章 万暦帝の地下宮殿で

[主役]厳文井

書名は『長安から北京へ』ですが、第1章は北京からの紀行です。
中国人作家・厳文井氏の案内で万暦帝の地下宮殿を訪ねます。
464無名草子さん:2012/12/04(火) 16:35:12.85
》厳文井氏が、過去の創作時代にどういう作品を書いたひとなのか見当もつかないだけでなく、
》それをいま読むこともできないことが、現代中国を知る上で、変におかしくもあり、不便なことでもある。

この紀行が書かれたのは、昭和50年である。当時から、厳文井氏の書いた作品を読むことはできた。
児童作家である。『この次港を出る船』(下次開船的港/1958年)は、ほぼ同時期に日本で翻訳紹介
されている。
http://static.findbook.tw/image/book/9787020058136/large
http://www.h3.dion.ne.jp/~meijin/page015.html
465無名草子さん:2012/12/04(火) 16:36:20.21
>>464
だから馴染みの古本屋では、児童文学を扱っていなかったんだろうw
466無名草子さん:2012/12/04(火) 16:41:31.23
厳文井氏が若い頃働いていた北京図書館は、現在、中国国家図書館と改称されている。
建物も1987年に全面改築されているので、下の写真は司馬さんが見たものとは異なる。
http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2011/05/20/20110520mjdt11.jpg
467無名草子さん:2012/12/04(火) 16:46:26.48
昭和17年の毛沢東「文芸講話」の内容は、この紀行には書かれていない。
文芸は農民労働者兵士の立場に立つべきだということを厳しく要求する内容だ。
要するに、貧乏人のアカが喜ぶ作品を書けということだ。
468無名草子さん:2012/12/04(火) 16:54:08.91
曾野綾子氏が訪中後に中国人を怒らせるどのようなコラムを書いたのかは、調べてみたが
わからなかった。尖閣問題勃発後に書かれた以下のコラムの内容から、想像してみてくれ。

私は日本の若い人々が厳しい外交の世界を実感できて、いい教育だったと喜んでいる。
個人でも国家でも、喧嘩せずに理性的判断のもとに付き合うのは理想だ。
しかし人間世界には次元の低い原則というものがある。
その真実の姿を日本人は若者に教えていない。

国の「品格」ではない。国の「力」を軽視すれば侵略される。
平和的会合は別だとか、青少年の世界に政治を持ちこんではならないと言うのは日本だけだろう。
469無名草子さん:2012/12/04(火) 17:01:19.81
470無名草子さん:2012/12/04(火) 17:05:13.74
万歴帝定陵の地下宮殿
http://as76.net/plc/13ryo.php
http://blogs.yahoo.co.jp/akiyannh/62894503.html

一枚抜粋。本文にも登場した孝端皇后の座
http://as76.net/plc/img/13ryo_5.jpg
471無名草子さん:2012/12/04(火) 17:14:32.50
厳文井氏は、列車の連結器を発明したのは中国人であると法螺を吹いている。
正しくは、アメリカの鉄道技術者イーライ・ジャニー(Eli Hamilton Janney)が
発明者である。1873年4月、特許登録された。
472無名草子さん:2012/12/04(火) 17:18:47.87
>>471
古代中国人と現代中国人を比較すると、別人種かと思われるほどに現代中国人は
劣化しているな。

※ただし、呂雉は除く。
473無名草子さん:2012/12/04(火) 17:48:31.14
「三光作戦」については、司馬さんは岡村寧次大将を悪者にしているな。
以下のような日本兵の証言もある。

 あれは共産八路軍が百団攻勢ということで起こした作戦です。
石家荘から太原までいわゆる石太線をメチャクチャにして沿線各駅を襲い、
そこに居た小警備隊と在住の日本人を虐殺し、駅舎は元より鉄道線までバラバラにした事件です。
 私はその時分、他の地区で討伐作戦を行っていて無電でその事件を知りました。
部隊は軍の命令で急きょ反転して現地に急行したのですが、物凄いほどの八路軍の兵隊で、
その中に付近の住民も加わっていたそうです。目を覆うような惨状で、我々も怒り心頭に発するといった感じでした。
 それから掃討作戦に入ったのですが、その後の行動が三光作戦の虐殺ということでしょう。
しかし、私たちが虐殺をやろうにも行く先々、どこの集落に行っても無住で、
住民は皆逃げていて一人もいませんでした。
 他の部隊はどうか知りませんが、日本人の受けた虐殺の方がずっと多かったのではないかと思います。
 事の真相を知らぬ世代の人たちが中国人の言っていることを真に受けて、
日本が悪い悪いと謝罪しているとどうなるでしょう。
 ますます彼等は増長して、いずれ日本は彼等に侵略される時が来るのではないでしょうか。
474無名草子さん:2012/12/04(火) 18:01:13.42
このあたりを山本薩夫に撮らせると、中国の少年に銃口を向ける日本兵→間一髪のところで
現れる八路軍→八路軍に圧倒されて逃げる日本兵→「八路のおじちゃん」と言いながら
八路軍兵士に抱きつく少年→感動的な音楽で盛り上げる→場面変わる。

どこの国の映画じゃ?
475無名草子さん:2012/12/04(火) 18:16:34.38
論旨は、明朝の年間の経常費の二倍の建設費を使って地下宮殿を造った万暦帝を
バカにしているんだけどな。徳川将軍家の墓が質素なことと比べて、搾取された中国
農民に同情している。ところどころに、日支事変の日本軍を非難するくずぐりを入れて
アカ読者への配慮を示しているのだろう。まあ、読んでもらえなきゃ話にならんから。
476無名草子さん:2012/12/04(火) 19:05:41.60
本文にも書かれているから重複になるが、この紀行の元になった中国旅行は、
昭和50年(1975)5月8日に北京に到着してからの21日間である。
初出は「中央公論」の昭和50年10月号から昭和51年7月号まで。
477無名草子さん:2012/12/04(火) 19:13:34.92
日中国交正常化が昭和47年なので、この時期はちょっとした中国ブームだったな。
パンダが上野にやってきた。
478無名草子さん:2012/12/04(火) 19:18:13.28
>>477
40年後に戦争を挑発されるとは思ってもみなかったな。
479無名草子さん:2012/12/04(火) 19:30:35.50
>>477
あのころは人民服を着て自転車通勤している中国人に対して圧倒的優越感があったんだがな。
いなかっぺ丸出しの中国人に、つい親切心を抱いてしまい、いろいろ教えてやったら経済成長
しよった。恩人である日本人に対して噛み付いてくるとは、不届きな連中だ。
480無名草子さん:2012/12/04(火) 19:35:02.08
40年前は自転車のチェーンに油を注していたやつらが、いまはパソコンを使うんだぞ。
信じられんわ。
481無名草子さん:2012/12/04(火) 22:39:57.45
中国はやるなら内乱にしろよ。
外国に迷惑かけんな。
482無名草子さん:2012/12/04(火) 22:45:13.25
中国が世界の人々から尊敬されている時代は、
戦国時代なんだから、七国に別れろよ。
483無名草子さん:2012/12/05(水) 06:41:17.74
484無名草子さん:2012/12/05(水) 10:48:25.87
項羽…四面楚歌
野田…四面ニダ
485長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/05(水) 16:38:04.38
第2章 延安往還

[主役]廖承志

北京における廖承志氏との交友を中心に、長征と延安について語る。
途中、西安にも立ち寄る。
486無名草子さん:2012/12/05(水) 16:43:01.30
我々のような凡人に紀行文を書かせると、小学生の絵日記のように時系列で書くと思うのだが、
『長安から北京へ』は、旅先で出会った人物を中心に書いているようである。
一般に観光名所とされている場所については、サラッと書かれているだけだ。
西安については、これだけしか書かれていないのか、また後で書くつもりなのかは知らないが、
宿泊したホテルの悪口しか書かれていないぞ。
487無名草子さん:2012/12/05(水) 16:50:38.46
488無名草子さん:2012/12/05(水) 16:55:25.44
>>486
司馬さんは観光業を目の仇にしているからな。観光スポットが大嫌い。
行間を読むにつけ、今回の旅行に関しては、「本日の訪問先では、○○に注目してください」
という押しつけがましい日中文化交流協会にも反発しておられるようだし、中国側の招宴づけ
にも辟易しておられる感じだな。
489無名草子さん:2012/12/05(水) 17:01:03.86
文句ばっかり書いているような感じなんだけど、どうしてこの作品を書く気になったのだろう?
しかも、中央公論社の依頼を受けて書いたのではなくて、自分から載せてくれと中央
公論社に頼んだらしいし。西安のホテルの水道設備の悪さに、よほど腹が立ったのか?
490無名草子さん:2012/12/05(水) 17:08:22.62
前日ホテルに宿泊した客のうんこが水洗便所の底に溜まっていたら、腹も立つだろうw
491無名草子さん:2012/12/05(水) 17:23:50.55
王冶秋氏の顔は北魏仏に似ていると書かれていたので、二つを並べてみた。
http://a0.att.hudong.com/29/06/01000000000000119080619188229_s.jpg
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/seian.rakuyou/26rakuyou/26kyouken6.jpg
492無名草子さん:2012/12/05(水) 17:49:15.11
宮崎滔天の子・龍介氏による孫文・廖仲ト・何香凝の思い出話が引用されています。
大正10年、柳原白蓮が年下の帝大生と駆け落ち婚をしましたが、そのお相手が龍介氏です。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200512/26/61/c0070261_1224193.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/3e/7973703d0bb20c01649893054a138a70.jpg
493無名草子さん:2012/12/05(水) 18:20:23.59
西安での観光めぐりに同行した作家・李若冰
http://a1.att.hudong.com/08/26/01300000560404128956267224412_s.jpg
494無名草子さん:2012/12/05(水) 18:29:02.79
>>490
西安美爵人民大厦(西安ソフィテル人民大厦)は、2005年にリニュアル・オープンしております。
現在は、前日のお客様のうんこが水洗トイレの底に残っていることはございません。
495無名草子さん:2012/12/05(水) 18:32:59.62
昭和48年(1973)夏に、ハバロフスクとイルクーツクを訪れた司馬さんは、ソ連のホテルの
水道設備の悪さにも憤慨しておられる。この旅は、「街道をゆく/モンゴル紀行」の旅で、
8月21日(火)から8月31日(金)までの11日間であった。
496無名草子さん:2012/12/05(水) 18:45:54.13
日中文化交流協会の白土吾夫(しらとのりお)氏の室町武家作法式の謹直さも、快く思われていない
ことが行間から伝わってくる。なお、白土吾夫氏は元共産党員で、文化大革命を礼賛しておられる。

http://page.freett.com/dittopopo/num22.htm から引用した。

「文化大革命は革命運動ではなく、革命そのものである。そこには、ある人から見れば、「むちゃくちゃ」
ある人から見れば「素晴らしい」現象が多く存在し、「ゆきすぎ」も無数にあったに相違ない。
食事をしたくなったら、是非 「毛沢東語録」を「毛沢東論文選」をお勧めする。」
「だいたい今年の終わりまでには文化大革命が勝利をおさめて集約されると見ております」
(国民評論1968年9月号)

 引用しているんですけれども、この人の言っていること支離滅裂でよく分からない。
497無名草子さん:2012/12/05(水) 18:48:38.84
なお、白土吾夫先生は、
  1973年 朝日新聞社より朝日賞
  1987年 中日新聞社より中日文化賞
を、それぞれ受賞しておられます。

なるほど、でしょう?
498無名草子さん:2012/12/05(水) 19:15:15.82
内モンゴルのマオウースウ砂漠って、どこにあるねん?
それとモンゴル人は、そろそろ遊牧をやめろ。
砂漠が広がって黄砂が飛んできてかなわん。
499無名草子さん:2012/12/05(水) 21:41:00.34
>>498
延安のスッポンが絶滅したのも、共産党が食い尽くしたからだと、この章に書いてあったね。
500無名草子さん:2012/12/05(水) 23:40:39.66
「小沢殿は、もと朝倉家におられましたな」
と、この陣中、他の将校がよく話しかけてくる。
もし朝倉勢が民の恨みをかっていなければ、
「居申した」
と、一郎は胸を張って答えることができであろう。
しかし、一郎に今できることといえば、十数年前に閉経を迎えた老婆の陰に隠れて、
締め切り直前まで比例代表名簿の順位をいじくることだけだった。
501無名草子さん:2012/12/06(木) 00:08:28.16
信長の天下平定戦がやや一段落した平成24年には、いま一つ椿事が起こっている。
林通勝、柴田勝家とならんで消費増税に賛成した野田備中守もにわかに禄を剥がれ、
高野山へ追放されたことである。
――どういうことか。
と、野田備中守も茫然としたらしい。
信長は、言う。
「お前は吝嗇なため首相でありながら比例復活に望みをつなぎ、重複立候補した。
そのため票も集まってこない。人数も揃い、有能な家来を多く持っておれば、
少々お前が無能でもこれほどの惨敗もあるまいのに、落選するのが怖いばかりに天下の面目を失うた。
頭を剃って高野山へ行け」
というのであった。
502無名草子さん:2012/12/06(木) 00:23:06.08
「サンデー毎日」に連載したこの長い小説は、当初これほど長くなる予定ではなかった。
斎藤道三をのみ書こうと思い、題も「国盗り物語」とした。
しかし、野田備中守が近いうちに解散すると約束したにもかかわらず、
解散時期を三ヵ月も先送りした。それに合わせる形で、この小説も長くせざるを得なかった。
謹んで、読者にお詫び申し上げる次第である。
503無名草子さん:2012/12/06(木) 01:32:38.26
ドジョウを偏食すると、トキも異常行動をするらしい。
504無名草子さん:2012/12/06(木) 13:23:53.26
延安の鳳凰山の洞窟でカナダ人記者ベッチュウィーンが毛沢東と会見したと書かれている。
おそらくカナダ人外科医ノーマン・ベチューン(Henry Norman Bethune)の誤りであろうと思われる。
505無名草子さん:2012/12/06(木) 13:47:20.98
次章の先走りになるが、司馬さんは次章で無錫市を旅する。そこの民家がスペインの田舎町
の民家のようだと言っておられる。スペインもイスラムに占領されていたことがあるから間違い
ではないが、中国南部にはイスラム商人の町があったためにイスラム風の民家が多いので
あって、わざわざスペインを持ち出すことはないと思う。イスラム風の民家と言ってくれ。
506無名草子さん:2012/12/06(木) 14:17:22.95
ここから延安の写真をいくつかうpしておきます。
昭和9年10月、共産匪は国民党軍がおっかないので延安まで逃げました。
中国共産党は、これを「長征」と呼んでいます。
かわいそうなので、僕たちも長征と言ってあげましょう。
延安では洞窟(窰洞)で引きこもり生活をしていました。
中国共産党は延安を「革命の聖地」と呼んでいます。
かわいそうなので、僕たちも革命の聖地と言ってあげましょう。
507無名草子さん:2012/12/06(木) 14:25:12.21
508無名草子さん:2012/12/06(木) 14:29:06.21
わらじ(草鞋)が中国発祥だというのは、そのとおりだろう。
http://baike.baidu.com/view/128652.htm
福神漬が中国発祥というのはどうなんだろう。似たような漬物は中国にもあったろうが、
商品名としての福神漬は、第十五代野田清右衛門によって発明されたとするのが通説です。
http://store.shopping.yahoo.co.jp/syuetu/a1dabcf2b13.html
509無名草子さん:2012/12/06(木) 15:25:13.43
最後は再び北京のホテル。団長の井上靖氏の部屋で廖承志氏に会いました。

井上靖・芙美夫妻 http://www.ajinoaji.com/gazou/takuya%20inoue.jpg
510無名草子さん:2012/12/06(木) 15:38:46.86
廖承志氏が長征に関して食物の話しかしなかったということですいぶん持ち上げて
おられるが、読んでいるこっちは少しも感銘しない。
やはり完結した人生をロマンをたっぷりまじえて鳥瞰する小説のほうがおもしろいな。
同時代の生身の人間は、罵倒したほうが、まだしも読める。
511無名草子さん:2012/12/06(木) 15:49:02.98
廖承志氏は長征のころ食べ物がなくて、ラマ寺院の太鼓の皮や烏のスープを食べた
話をしておられる。烏は食用になるようである。烏のきのこシチューを食べた人の話し
によると、「コガモのシチューよりおいしかったと思う」そうである。

完成品 http://homepage3.nifty.com/hungryhunter/crowstew/98.jpg
レシピ http://homepage3.nifty.com/hungryhunter/crowstew/
512長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/06(木) 17:14:43.34
第3章 流民の記憶

[主役]毛沢東

江南の無錫市へ旅する。前二章のように、司馬さんが中国で出会った人物を中心に
紀行を書くという方針ではなくなった。1975年当時の中国の政治・経済が観察されて
いるが、毛沢東の1961年の「農業機械化問題に関する指示の手紙」が話題の中心
なので、毛沢東氏を主役にした。
513無名草子さん:2012/12/06(木) 17:30:01.25
毛沢東書体の「北京」の文字とは、ターミナル1の屋上のこの看板なんでしょうか?
たぶんそうだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Beijing_Capital_International_Airport_Terminal_1_20120915.JPG
514無名草子さん:2012/12/06(木) 17:46:33.94
本文に登場する北京の地下壕は「北京地下城」という。
http://china-media.img.jugem.jp/20060814_153199.jpg
515無名草子さん:2012/12/06(木) 18:14:09.40
太湖遊覧船の画像があった。司馬さんはずいぶん褒めていたが、デザインは中国らしく
かなり悪趣味。まあ内部は豪華で美しいが、この外見はいただけない。
http://www.dreamswan.com/China/Musyak/Taiko/Cruise/PB250236s.jpg
http://www.dreamswan.com/China/Musyak/Taiko/Cruise/Cruise.htm
516無名草子さん:2012/12/06(木) 18:54:36.81
もういいです。
517無名草子さん:2012/12/06(木) 19:04:09.03
この章で語られている中ソの国境紛争は、司馬が訪中する6年前の昭和44年に起きている。
ウスリー川の珍宝島と、新疆ウイグル自治区における軍事衝突を指す。
それ以前は、中ソは蜜月であった。この国境紛争を契機に中国は米国に接近し、
昭和47年のニクソン訪中となる。日中国交正常化は、その直後のこと。

中ソ関係は、平成元年のゴルバチョフ訪中により改善の兆しをみせ、その後、
両国の国境は画定されている。
518無名草子さん:2012/12/06(木) 19:17:40.82
ソビエト連邦による周辺国家の暴動に対する軍事介入としてハンガリーとチェコ
のケースが挙げられている。
前者は、昭和31年(1956)のハンガリー動乱、
後者は、昭和43年(1968)のプラハの春である。
519無名草子さん:2012/12/06(木) 19:21:30.06
520無名草子さん:2012/12/06(木) 19:24:52.63
毛沢東を『項羽と劉邦』の劉邦と同タイプの英雄とみているんだな。
521無名草子さん:2012/12/06(木) 19:45:07.83
この本が書かれた頃は、中国が日本に対してまだ友人外交・微笑外交をして
いた頃なんで、中国政府の捉え方が今とずいぶん違う。
また、中国も工業化はしていたが、中国人の日常生活に工業製品がゆきわたって
いない頃だから、ちょっと面食らうところはあるね。
なにしろ馬車と自転車と帆かけ舟だからw
522無名草子さん:2012/12/06(木) 19:51:22.97
無錫という地名の由来が歴史を感じさせるな。
漢代以前は錫が採れたが、取り尽くしてしまったので、無錫。
ここはなぜか感心してしまった。
523無名草子さん:2012/12/06(木) 19:58:36.89
やっぱ中国は春秋戦国時代が最強だよね。
世界の尊敬を集めている。あの時代に戻れよ。
524無名草子さん:2012/12/06(木) 20:13:06.13
>>474
その映画で満州に進出した日本の新興財閥の御曹司にレイプされた中国人役を
演じた栗原小巻は、日中文化交流協会の代表理事なんだな。
レイパーの弟役は、先日亡くなられた中村勘三郎(当時勘九郎)さんだった。
525無名草子さん:2012/12/06(木) 20:22:22.64
>>524
おっぱいのシーンは栗原小巻の顔が映っていなかったから、贋物だと思う。
526無名草子さん:2012/12/06(木) 22:04:58.91
「自公は300議席を超える圧勝です。
与党民主党は56議席に後退し、惨敗と言っていいでしょう。
新首相に選出されるであろう自民党の安倍総裁は日銀券をじゃんじゃん刷るとおっしゃっています。
…………大丈夫なんでしょうか。
…………次は、お天気です」
527無名草子さん:2012/12/06(木) 22:21:52.06
「今朝の新聞を見てビックリされた方、多いと思います。
私たちが昨日まで放送してきた捏造報道とまったく違うわけですから」
528無名草子さん:2012/12/07(金) 11:50:15.64
>>523
春秋戦国時代は原始共産制社会を破壊した奴隷制社会だ。
529長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/07(金) 14:05:49.33
第4章 孔丘の首

[主題]批林批孔

ひとりの人物を[主役]に指定することはあきらめました。
この章は、中世中国の礼教(儒教)が社会の倫理であったにとどまらず、中国外交の原理でもあった
ことが語られています。その儒教が新中国になって捨てられ、批林批孔運動にまで発展した経緯が
後半で語られます。紀行としては、前章末尾で語られた上海の少年宮について触れられています。
530無名草子さん:2012/12/07(金) 14:26:42.41
冒頭、三陸海岸にあるホテルで台湾人医師と出会った話は、「街道をゆく/陸奥のみち」に
出てくる話だと思った。画家とは、もちろん須田剋太画伯である。
531無名草子さん:2012/12/07(金) 14:30:29.61
「支那は生存し得るか」(H・アーベント/A・ビリンガム)は、現在、古本屋で探すしか入手方法が
ないようである。内容については、司馬『ある運命について』収載の「古本を読む意外さ」という
評論に概略が紹介されている。
532無名草子さん:2012/12/07(金) 14:33:58.85
尾崎秀美は、ゾルゲ事件の首謀者のひとりで、昭和16年に逮捕され、同19年死刑に処された。
533無名草子さん:2012/12/07(金) 14:47:29.20
司馬さんの知人の息子で中学1年のとき中国に渡り紅衛兵になった人物とは、西沢なぽりのこと。
西沢なぽりの父は『ひとびとの跫音』の登場人物のひとり西沢隆二で、
祖父は日本共産党の書記長だった徳田球一である。
534無名草子さん:2012/12/07(金) 15:09:15.33
天宝の争長事件(753年)

本文で述べられている大伴古麻呂が起こした含元殿における席次の争いのこと。
争長とは席次の争いのこと。

含元殿の復元イメージhttp://www.bell.jp/pancho/travel/china-3/images/1125-47.jpg
ついでに、麟徳殿址と麟徳殿復元模型
http://www.bell.jp/pancho/travel/china-3/images/1125-53.jpg
http://www.bell.jp/pancho/travel/china-3/images/1125-54.jpg
535無名草子さん:2012/12/07(金) 15:39:04.75
》マルクス・レーニニズム

どうして司馬さんは、「ニ」を重ねるのだろう?
ナルシズムも、いつもナルシシズムになっている。
536無名草子さん:2012/12/07(金) 15:55:47.72
少年時代に孔子の人形の首を射的のマトにして遊んでいたガキどもが、日本のデパートや日本車を
破壊しているんだな。ろくな大人にならんな。
537無名草子さん:2012/12/07(金) 16:03:04.39
>>536
つい先日まで党の副主席だった林彪の人形の首も射的のマトだった。
これを中国全土の子供に強制する。変わってるよな。
日本でいうと岡田副総理の人形の首をマトにするようなもんか。
538無名草子さん:2012/12/07(金) 18:52:02.37
項羽と劉邦を読もうと思うんだけど
モウテンの出番は多い?
539長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/07(金) 19:24:19.59
第5章 洛陽の穴

[主題]唯物史観

洛陽の含嘉倉を見学する。司馬さんお得意の「禿山と古代の製鉄」について座談をしていると、
工作員の唐家セン氏が唯物史観の立場から猛烈に反論してきた。
唯物史観をあざ笑う一章です。
540無名草子さん:2012/12/07(金) 19:25:08.40
>>538
もう、てんで出てきません。
541無名草子さん:2012/12/07(金) 19:33:03.79
マルクス主義は巨大な世界宗教になったから、唯物史観の信者も多いのだろうが、
あんなもんオウム真理教のデタラメさ加減と大差ないと思う。
信者も、心底では「おかしいな」と思っているんだろう?
542無名草子さん:2012/12/07(金) 20:59:28.28
>>536
足利三将軍像梟首事件とは、ニュアンスが違うよな。
一部の狂信者の犯罪ではなくて、全国民に徹底するんだからな。
しかも強制されるのは子供。
戦争中の中国・朝鮮への侵略について日本の反省を口やかましく主張する日本人は、
中国政府が自国民にやっていることを見ても、まだ言えるんですか?
良心ってものがありますか?
543無名草子さん:2012/12/08(土) 13:36:47.23
洛陽駅のホームが冒頭に登場するが、いま検索すると新幹線のホームしか出てこない。
1975年当時は、中国にはもちろん新幹線などなかった。
544無名草子さん:2012/12/08(土) 13:51:17.83
》三木政権を成立させている足もとの勢力的要素が台湾と親しいということで…
》首相三木武夫氏に対する中国側の態度のやや冷たい感じが…

ここのところの詳細な事情は忘れてしまった。
田中内閣成立前、三木が日中国交正常化を田中に要求し、田中がこれを呑んで
三木派を主流派に取り込み、田中内閣成立へ、という流れではなかったか?
545無名草子さん:2012/12/08(土) 13:53:14.28
リチャード・ニクソンの娘ジュリーと1968年に結婚したデビッド・アイゼンハワーは、
第34代大統領アイゼンハワーの孫だ。
546無名草子さん:2012/12/08(土) 13:56:40.05
含嘉倉については、>>461で誰かが書いているように、『項羽と劉邦』のあとがきにも出てきた。
画像はそちらを参照してくれ。執筆の順序でいうと、『長安から北京へ』で書いたことを、
『項羽と劉邦』のあとがきで、もう一度書いたということだ。
547無名草子さん:2012/12/08(土) 14:03:17.71
安禄山が挙兵した范陽は、現在のタク州市で、北京の近く(南西)にある。
「項羽と劉邦」の登場人物カイ通の生まれ故郷である。
548無名草子さん:2012/12/08(土) 14:06:38.75
司馬さんは洛陽博物館を訪れ、そこの展示品について細かに説明している。
こういうものは画像を見ないと、なにがなにやらわからない。
洛陽博物館の公式HPは、http://www.lymuseum.com/である
549無名草子さん:2012/12/08(土) 14:18:44.32
》秦は鉄器をにぎって六国を征服し

他の六国が青銅器の武器中心で、秦が鉄器中心と考えると、秦による統一をすっきり理解できる。
だが、「中国戦国時代の記録を見ると秦は、高度に精錬された青銅器武器を使っており、
初期の鉄器武器を使っていたと言われる呉・越と比べてもさほど破壊力に差は無かったと言われており、
中国独自の高度に発達した青銅器が鉄器の普及を妨げていたとも考えられる」てなことを言っている奴もいる。
550無名草子さん:2012/12/08(土) 14:21:46.90
中国や朝鮮に禿山が多いのは、古代製鉄の熱源として木炭が必要だったため
大量に樹木を伐採したせいだというのは、司馬遼太郎の独自説なんですか?
551無名草子さん:2012/12/08(土) 14:28:27.90
>>550
そういう空想は、唯物史観ではいっさい許されない。工作員の唐家セン氏のように顔を真っ赤
にして怒らなければならない。
「原始共産制から戦いのあげく奴隷制社会に移行し、ついで封建制社会が出現し、さらに
資本主義社会に移行し」という発展の法則を暗誦するように繰り返し述べなければならない。
選挙戦では「時計の針を逆回ししていいんですか?」と問いかけなければならない。
552無名草子さん:2012/12/08(土) 14:34:42.66
左翼は思想以前に人柄が嫌われるんだわ。
「私は正しいことを言っているの。あなたには、私の言っている正しいことが理解できないの?」
という態度で臨んでくる。自分たちの考え方が、多くの考え方の中のひとつにすぎないということは
絶対に認めようとしない。
最近は、この手のバカを見かけなくなったなと思っていたら、日本未来の党の党首がこれだったなw
骨董品屋へ迷い込んだかと思ったw
553無名草子さん:2012/12/08(土) 14:46:40.86
>>552
「平和、平和」とうるさい奴ほど、議論していると喧嘩になるよね。
憲法9条を改正しましょうよ、という人々は、あまり他人と喧嘩しない。
554無名草子さん:2012/12/08(土) 14:52:57.54
         ,.-,‐''¨゙''''''‐-:.、
       /.::::',',',ゞ、:::::::::::::::::`ヽ、
     /:::::::::::ハ',::::',::::::::::::::::::::::::::ヽ
    /::::::::::::::ノノ'i',',::::',::::::::::::::::::::::::::::ヽ
    ,'::::::::::::::// ||',\::',ヾ;:::::::::::::::::::::::i
   ,':::::::::::ノ彡ミ !! ', \彡;:::::::::::::::::::::|
   i::::::::c''",二,,¨ヽ=,.-'"二,,¨゙ァ、::::::::::::|.
   |::::イ!¨ゝ_¨゙´`ノ  ヽ´_゙゚¨ノヾ',::::::::::::}
   ',:::::|     ̄ '  -、  ̄   ',::::::::::!
    {::::{     ゞ‥'ン     |:::::::/
     !:ノ,    __ニ___      !/V,'
    ノ'气   ´ ‐−‐ `     i'¨7ゞ    >>553 そうなんですか?
     !||' ,           ,イ||/
       !|||',-、   ' -‐  ,. ' .|〈.
      !!!' i ' ,,   ,,..  /ヽ'.,
       /'i      ,.-'"  /:::::ヽ
     / :::|   _,.-'"    ,'::::::::::::ヽ- 、_
 _,,..-‐ャ゙ ̄',-、! r'"´ `ヽ.  , '::::::::::::::::|::::::::::::
¨::::/::ヾ',  ,'ヽ /     ,' , ':::\::::::::;:-ャ:::::::::
::::/::::::::::',         ,'/::::::r-;゙=''":;: ':::::::::::
555長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/08(土) 17:20:36.92
第6章 琉璃廠の街角で

[主題]洗脳教育

西安の驪山温泉(華清池)の旅。玄宗と楊貴妃のロマンス、蒋介石と張学良の西安事件は、
同じく驪山温泉での出来事でした。
延安や上海での出来事も語られますが、主題は中国共産党による洗脳教育です。
サブタイトルの琉璃廠は、北京の商店街です。
556無名草子さん:2012/12/08(土) 17:30:38.21
驪山は秦の始皇帝の陵墓がある山なので、「項羽と劉邦」にも何度もその名が出てきました。
驪山温泉は、その驪山の麓にあります。
なお、筆者は、驪山の造営に莫大な延べ70万人の人夫が動員されていた叙述から、山全体が
人工の造山(日本の古墳のようなもの)かと思っていましたが、標高1,465mの山だそうなんで、
違いますね。自然の山の一部に陵墓を造営したんでしょうね。
557無名草子さん:2012/12/08(土) 17:33:38.89
>>556
驪山の標高を1,465mとしているのは、この本だけです。
ふつうは標高1,256mです。
558無名草子さん:2012/12/08(土) 17:42:09.83
559無名草子さん:2012/12/08(土) 17:54:35.77
>>556
標高は海面からの高さのことだから、関中のように元々標高の高いところでは、
山の地表からの高さは、さほどでもないんじゃないの?
見ためは百数十メートルの山だろう。全山造山じゃないのかな?
560無名草子さん:2012/12/08(土) 18:07:53.54
西安事件のおり蒋介石が寝室に使っていた部屋は、華清池の五間庁にあります。
http://homepage2.nifty.com/hashim/xian/52/P1010489.jpg
これがその寝室です。
http://homepage2.nifty.com/hashim/xian/52/P1010493.jpg
本文にも書かれていた事件で割れたガラス
http://homepage2.nifty.com/hashim/xian/52/P1010497.jpg
その他の写真
http://homepage2.nifty.com/hashim/xian/52/002.html
561無名草子さん:2012/12/08(土) 18:17:14.72
張学良軍が蒋介石を驪山山中で捉えた場所に建てられた亭
http://www.yukihiro-uchida.sakura.ne.jp/tabi/image/silkroad/sr804.jpg
本文では「捉蒋亭」とされていて、その名称でヒットする中国のサイトもあるのだが、
写真の看板には「兵諫亭」とされており、その名称で記憶しておられる日本人旅行客が多い。
亭の名称が司馬さんの旅行以降に改称されたのであろうか?
562無名草子さん:2012/12/08(土) 18:28:51.09
捉蒋亭に登る人々の行列を見て、「京の嵐山の虚空蔵の寺の十三詣り」のようだと
書かれているが、嵐山の虚空蔵法輪寺のことである。
蛤御門の変のおり戦場になっており、全焼している。現在あるのは、その後に再建
されたもの。『竜馬がゆく』第42章「流燈」を参照のこと。
563無名草子さん:2012/12/08(土) 19:01:51.99
北京の琉璃廠は、書画骨董の店が軒を並べている通りです。
http://beijinging.zening.info/ryuricyan/photo/Dscn9217_m.jpg
この街並みのどこかに、司馬さんが見た「生まれ変わっても、共産党の恩を忘れるな」
というキモい聯があるということです。
564無名草子さん:2012/12/08(土) 19:33:58.36
司馬さんたちが上海で宿泊したカセイ・ホテル(キャセイ・ホテル)は、サッスーンハウスの5階から7階にある。
http://www.e-asianmarket.com/asia/shanghaiwaitan12.jpg
565無名草子さん:2012/12/08(土) 19:35:20.44
ピョートル・ウラジミロフの「延安日記」は、古本屋さんで探してください。
http://ec2.images-amazon.com/images/I/61kiIDcbF7L.jpg
566無名草子さん:2012/12/08(土) 21:28:43.41
この章は、華清池の紀行にはじまり、玄宗と楊貴妃の導入部から西安事件へと進み、
本論の中国共産党による洗脳教育へとキレイな構成になっているな。
567無名草子さん:2012/12/08(土) 21:33:48.73
建国後3年間をかけて行われた親日教育の話が出てくるが、あれは本当なのだろうか?
長年日中交流の仕事をしてきた人から聞いた、私(司馬)だけが知っている話と前置き
して書いているところが、どうも怪しい。
568無名草子さん:2012/12/09(日) 13:11:15.65
不躾な質問をしてすいません。
司馬先生が書いてるのは歴史小説や時代小説で、紀実小説ではないですよね?
569無名草子さん:2012/12/09(日) 18:17:12.68
>>568
日本では、小説というものについては定義がないという常識の上に立っている。概念もない。
ただ研究者や評論家が、ときに考えることを怠けたくなった場合、形態学的な分類をしたり、
概念化の作業をするだけのことである。
570長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/09(日) 19:27:27.01
第7章 北京の桐の花

[主題]少数民族

儒教の華夷思想を捨てれば、少数民族は漢族と平等に扱われるようになるのだろうか、
というような話をしています。
上海、延安、北京でのエピソードから、モンゴル、朝鮮等の少数民族の話題へと上手くつないでいますね。
サブタイトルの「北京の桐の花」は、北京の中央民族学院の校庭に咲いていたものです。
571無名草子さん:2012/12/09(日) 19:35:32.35
まず冒頭で、昭和51年2月に中国大使館から文学座に対して公演中止要請があった
「夢 桃中軒牛右衛門の」事件に関する長い余談が書かれています。

チラシ画像 http://pds.exblog.jp/pds/1/201001/22/43/b0081843_20474827.jpg

【配役】
宮崎滔天:北村和夫
滔天の妻・槌:松下砂稚子
槌の姉・波(漱石『草枕』のヒロインのモデル):太地喜和子
夏目漱石:角野卓造
孫文:金内喜久夫
毛沢東:小林勝也
572無名草子さん:2012/12/09(日) 19:39:30.05
中国からの公演中止要請に関しては司馬さんが詳しく書いておられる。
中国政府は、主権・人権に関しては白痴なので許してやろうとおっしゃっている。
573無名草子さん:2012/12/09(日) 19:44:41.86
21世紀になっても水滸伝のままだから、どうしようもない。
574無名草子さん:2012/12/09(日) 19:52:06.83
この余談を読むだけでも『長安から北京へ』は読む価値があるな。

一点だけ訂正しておく。“朱子学で定着した「知行一致」”と書かれているが、
知行一致(合一)は、朱子学ではなく、陽明学である。
王陽明は、知って行わないのは未だ知らないことと同じであると主張し、実践を重視した。
朱子学が万物の理を極めてから実践に向かう「知先行後」であることを批判している。

司馬さんは、大塩平八郎等陽明学に影響を受けた人物についてたくさん書いてきており、
そこでは正確に陽明学と記しているから、単純な勘違いである。
575無名草子さん:2012/12/09(日) 21:55:42.66
>>562
十三詣りって関西では今でもやっているんですか?
576無名草子さん:2012/12/10(月) 13:03:24.69
>>575
七五三しか知らん
577無名草子さん:2012/12/10(月) 15:19:26.66
この作品発表の頃はウイグルの独立運動もさほどではなかったのか、漢族とウイグル人は
友好関係を保っているようなことを書かれている。

鬼畜漢族によるウイグル人狩りの様子を伝える最近のフランスのニュース動画
http://www.youtube.com/watch?v=RE9nA00VEV0
578無名草子さん:2012/12/10(月) 15:33:57.63
上海では朝鮮の衣装を着た漢族女児の羯鼓の演奏を楽しみました。
羯鼓 http://livedoor.blogimg.jp/tara8/imgs/4/5/4514be44-s.jpg

羯鼓に似た朝鮮の打楽器・チャングを「槍鼓」と書かれていますが、あまり一般的ではありません。
「杖鼓」または「長鼓」と書きます。
http://blog-imgs-35-origin.fc2.com/s/e/o/seoulmiki/blog_import_4f09c2fbce22c.jpeg
579無名草子さん:2012/12/10(月) 15:58:35.47
司馬さんが延安で観劇した「草原児女」の一部です(動画)。
http://www.youtube.com/watch?v=09maK49qcqs
580無名草子さん:2012/12/10(月) 16:46:11.70
581無名草子さん:2012/12/10(月) 16:55:04.32
582無名草子さん:2012/12/10(月) 16:57:48.28
中国の少数民族の分布地図
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8231.html
583無名草子さん:2012/12/10(月) 17:37:25.80
貴州のトン族の動画があった。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=7E95bzNjFCc

オープニングの尺八は、トン族の民族楽器か?まるで与作。

水田の風景があるせいか、日本の風景に近いものを感じる。
建物まで日本のものと似ている気がする。水稲耕作が始まった頃は
瓦屋根ではなかったのだから、両者は別々に発展してきたはずなんだが、似ている。

本作品では触れられていないが、ついでに苗族。
http://www.youtube.com/watch?v=TZ8dz5qYjBg
584無名草子さん:2012/12/10(月) 17:45:22.59
司馬さんは、この章を次のようにしめくくっている。

北京の中央民族学院を見て校庭を歩いたかぎりにおいては、
桐の花に吹くこの季節の風のようにここちよく、おだやかで、
漢族と少数民族のあいだには何の問題もないように思われた。

「かぎりにおいては」と限定しているとことがミソだな。
585無名草子さん:2012/12/10(月) 17:55:56.01
イ同族の「イ同」の字義は、「おろか。うつけ」という意味だそうだが、
チャンコロのクソバカタレは、むかしからわが同族を馬鹿にしていたんだな。
イ同族を弾圧したら集団的自衛権を発動するからな。
586無名草子さん:2012/12/10(月) 18:03:18.46
満州族の江東六十四屯でロシア軍による大虐殺が行われたことが書かれてある。
義和団の乱(1900年)に乗じて、ロシアが満州進出を図ろうとした事件である。
アムール川(黒龍江)事件と呼ばれている。
約二万五千人がロシア兵に虐殺されてアムール川に投げ捨てられ、
遺体が筏のように川を下って行ったという。
587無名草子さん:2012/12/10(月) 18:19:39.85
>>583
トン族の動画の家と家の間の路地風景は、むかしの日本の農村風景とそっくりなのでドキッとしたよ。
588無名草子さん:2012/12/10(月) 18:43:47.95
>>575
十三詣りなんて、司馬の本を読んで初めて知った。
司馬さん自身の十三詣りの話は、随筆に何度も出てくる。
叔父さんに連れて行ってもらった大峰山の話。
589無名草子さん:2012/12/10(月) 18:51:21.13
この章も、前章同様、きれいにまとまっている。旅先での出来事から、
自分が論じようとしている話題へのつなぎ方が上手い。
590無名草子さん:2012/12/10(月) 18:58:22.93
ちょっと先走ってあとがきの話をさせてくれ。
司馬は帰国後「風邪に似たような症状がつづき、夜は眠りが浅く、中国の夢ばかり見た」そうだ。
この旅は、往復の航空運賃が自前というほかは、完全な招待旅行で、もちろん食事も中国側が
接待した。本文を読む限り、毒見の人間はとくに付いていなかったようである。
591無名草子さん:2012/12/10(月) 21:00:57.71
>>590
司馬さん、最期は吐血して亡くなられたよな。
592無名草子さん:2012/12/10(月) 23:59:35.98
>>587
寺院の塔は日本のものと随分違うが、その他の風景は昭和30年代までの日本の農村風景と似ているな。
ミシンを使っているおばあちゃんなんて日本人かと思ってしまった。
これって中国で制作された動画だろう?
なんで尺八なんだ?
593無名草子さん:2012/12/11(火) 09:52:36.42
>>590
おまいら、中国を誹謗中傷していると、
文学座のように、公演中止の申し入れがくるぞ。
594無名草子さん:2012/12/11(火) 12:31:43.55
>>593
文学座は中国を誹謗中傷したわけじゃない。孫文と毛沢東を出しただけ。
595長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/11(火) 14:40:56.91
第8章 伝国の書物

[主題]民族の伝統

北京大学と北京図書館の訪問記。「伝国の書物」とは、北京図書館の地下書庫で見た
乾隆帝の「四庫全書」のことです。
596無名草子さん:2012/12/11(火) 14:53:44.05
王冶秋と呉仲超の顔の話が出てくる。王冶秋の顔は>>491にある。
呉仲超は、故宮博物院の初代院長であるが、画像はなかった。
597無名草子さん:2012/12/11(火) 15:34:03.74
598無名草子さん:2012/12/11(火) 16:05:54.26
北京大学・外文楼の画像を発見したが、料金が発生するそうなので、貼るのはやめた。
599無名草子さん:2012/12/11(火) 16:10:25.72
北京図書館が現在、中国国家図書館と改称されていることについては>>466で述べた。
600無名草子さん:2012/12/11(火) 16:17:37.51
北京図書館はアメリカが義和団の乱によって得た賠償金で建てた。
日本は、同賠償金によって、上海自然科学研究所と北京人文科学研究所のふたつを建てている。
601無名草子さん:2012/12/11(火) 16:26:59.63
>>599
新館が建造された後は、地下書庫もなくなったんですか?
602無名草子さん:2012/12/11(火) 16:30:12.40
>>601
新館でも地下一階に『文津閣四庫全書』が保存されています。
その画像です。http://rnavi.ndl.go.jp/asia/img/bulletin7_4_2_image004.jpg
ついでに外観と中央閲覧室の画像です。
http://rnavi.ndl.go.jp/asia/img/bulletin7_4_2_image002.jpg
http://rnavi.ndl.go.jp/asia/img/bulletin7_4_2_image003.jpg
603無名草子さん:2012/12/11(火) 16:34:40.37
>>602
司馬さんのこの紀行文では、まるでスパイ映画のように厳重に管理されていて、
日本人で四庫全書を見たのは数名という話になっている。
現在も一般の閲覧は認められていない。部屋の外には幕が降ろされていて
内部の様子を窺うことはできないが、記念行事の際などには、幕を上げてガラス越しに披露される。
604無名草子さん:2012/12/11(火) 16:54:01.65
605無名草子さん:2012/12/11(火) 17:06:03.45
結局、玉璽を持っているのは蒋介石?袁術?どっち?
606無名草子さん:2012/12/11(火) 18:13:56.08
>>605
北京の故宮博物院にあった伝国の宝物の多くは、蒋介石が台湾へ持っていった。
玉璽はもちろん台北の国立故宮博物館にある。
見てきた人の話によると、すぐれた美術品はすべて台北にあり、北京は残り滓ばかり。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/10/01/04/lrg_10010484.jpg?20100812110309
607無名草子さん:2012/12/11(火) 18:17:50.79
「中国は、これよ」
 容堂は、瓢箪をさかさに描いて、習近平に見せた。
608無名草子さん:2012/12/11(火) 21:40:51.14
>>530
その街は地震・津波で消滅したかもしれないな。
『街道をゆく』の中では、「陸奥のみち」が最も風景が変わったかもしれない。
609無名草子さん:2012/12/11(火) 22:55:01.37
>>608
「陸奥のみち」は、久慈から八戸だから、それほど影響はない。
610無名草子さん:2012/12/11(火) 23:03:25.70
>>608
「仙台・石巻」は多少影響があるだろうな。
東北地方の沿岸の紀行は、その二つだけだよ。
611無名草子さん:2012/12/12(水) 00:22:17.78
軍閥が割拠し、外国の軍事介入を受けてきた中国なので、
一時的に権力を集中し一党独裁にする必要はあったのだろうが、もう独裁は用済みだな。
結社の自由を認め議会制に移行すること。中国共産党は日本共産党のように万年野党になること。
中国共産党が世界から尊敬される途は、それしかないな。
612無名草子さん:2012/12/12(水) 02:17:02.89
>>611
独裁政権は、国民を画一化しようとする。
そんなことできるわけがないから、画一化からこぼれ落ちそうな国民の不満に“反日”という誘導灯を与える。
似非画一化のためには、暴動すら許容する。もう独裁の末期症状が出てきている。
613無名草子さん:2012/12/12(水) 02:35:22.07
日本へ来た清国留学生が日本において近代の空気を吸い込んで、辛亥革命の指導者になっていった。
現在はネットを通じて清国留学生とは比較にならないほど大量の若者が、海外の情報に接する。
押さえ込めると考えるほうが、どうかしている。
614無名草子さん:2012/12/12(水) 02:41:28.75
多くの自国民の反発を招く弾圧事件を中国共産党が起こしてしまえば、
意外に早く事態が進展するかもしれないな。
615無名草子さん:2012/12/12(水) 02:54:57.51
とにかく人口が多すぎる。
人口問題を解決できない限り、中国の覇権主義・膨張主義は、止めようがない。
わが国としては、さしあたって海上警戒の人員は増強しなければならない。
616長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/12(水) 13:35:15.16
第9章 北京の人々

[主役]姚文元

この章のあとがきは、昭和51年9月に書かれている。司馬さんたちが帰国後、
周恩来が死に、毛沢東が死んだ。四人組の逮捕は、あとがきを書いた翌月の
昭和51年10月である。本章では、四人組のひとり姚文元が、まるで遣唐使を礼見
するように日本の文学者たちを引見する。四人組の絶頂期の最後の一年であった。
617無名草子さん:2012/12/12(水) 13:43:40.49
この章は、上海見学中の一行が、北京で有力な政治家が一行を引見するというので
急遽北京に引き返すというところから始まる。

上海の豫園
http://blog-imgs-21.fc2.com/s/i/l/silkroadwind/DSCN8320s.jpg
http://www.e-wfbp.com/news/photo/07-11-17p%E8%B1%AB%E5%9C%92%20(15.9).jpg
http://www.e-wfbp.com/news/photo/07-11-17p%E8%B1%AB%E5%9C%92%20(24).jpg
618無名草子さん:2012/12/12(水) 13:54:18.14
一行の世話をしていた中国の工作員は、ここまでリーダーの唐家セン氏の
名前しか出ていなかった。他の三人の名前が出てくる。

張和平氏は、2008年の北京五輪組織委員会開会式部門の部長を務めた。
http://news.xinhuanet.com/olympics/2008-08/06/xin_502080506132118706491.jpg

呉従勇氏は、来日して日中友好会館の理事を務めていたようだ。
http://pds.exblog.jp/pds/1/200901/22/95/d0027795_18295225.jpg
送別会では江田五月が会長として挨拶しているから、まあその…、あれだ…
http://www.eda-jp.com/katudo/2010/11/29-17.jpg

張進山氏は獨協大学で社会政策論の講義をしていたらしい。
http://image.finance.china.cn/picupload/2012/0612/23_25792724_20120612163808.jpg
619無名草子さん:2012/12/12(水) 14:00:01.20
庄野潤三が張進山について書いた随筆「黄河の鯉」は、『イソップとひよどり』という随筆集に収められている。
この中国旅行について、他にも何篇かの紀行文が収められている。
620無名草子さん:2012/12/12(水) 14:06:47.60
司馬さんは、北京飯店の従業員を灰皿の吸殻をいトイレに捨てているのを見て驚いておられる。
トイレに流すのであれば(下水管が詰まるのは別として)、まだましだ。
次のような中国旅行体験記もある。

まあ もともと タバコを 店内で 床に落とすことも全然気にならないお国柄ですからしょうがないのですが
トイレでも タバコの吸殻が 便器の中にはさすがに捨てませんがトイレのタイル床にごろごろです。
慣習というものは 恐ろしい。何故、たばこの吸い殻を室内の床に捨てる事が出来るのか日本人には理解しづらいと思います。
http://www.chinabusiness-headline.com/2009/12/5093/
621無名草子さん:2012/12/12(水) 14:18:47.99
北京の大物政治家の名前を伏せたまま、章の後半で姚文元の名前が出てくる。
連載中はとくに問題はなかったであろうが、単行本出版時には逮捕されていた
のではないか?
622無名草子さん:2012/12/12(水) 14:25:45.19
>>621
ほぼ同時だな。姚文元に会っているわけだから、いい宣伝になったんじゃないか?

「被告席」の左から、張春橋、汪洪文、姚文元、江青。
汪洪文は、本作品には名前が出てこない。
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/008/610/66/N000/000/000/119364637208216310520.jpg
623無名草子さん:2012/12/12(水) 14:35:46.98
姚文元によって失脚させられた呉ヨと彭真。
呉ヨhttp://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1b/65/bachelor0561/folder/202213/img_202213_65027926_0?1325745297
彭真http://i1.ce.cn/ce/culture/rw/cn/xw/200812/17/W020081217483493104200.jpg
なお、彭真は数年後に復権している。
624無名草子さん:2012/12/12(水) 14:39:29.98
>>623
呉ヨは文化大革命の本格化により迫害を受け投獄され、昭和44年に獄中で死去する。
死因不明とされるが自殺説が有力である。
625無名草子さん:2012/12/12(水) 14:55:52.32
上海の空港ビルで中華ソバを用意しておいてくれた瞿麦さん。
瞿麦は号で氏名は朱實である。
この方、『街道をゆく/中国・ビンのみち』にも登場する“息をするように日本語を話す”通訳の方である。
“息をするようにウソをつく”のは、民主党である。
日中国交正常化交渉にあたって周恩来首相の信頼が厚く、田中角栄首相訪中の際、
上海で周・田中会談の通訳を務められた。
http://panoramachina.web.fc2.com/ybs0011.jpg
626長安から北京へ ◆K15rr1Eed6 :2012/12/12(水) 15:34:27.09
《あとがき》

前章で言い尽くしてしまいました。
毛沢東の死去を伝える北京放送の日本語放送(昭和51年9月9日)の録音がありました。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=VzEvBTuYAbc
627無名草子さん:2012/12/12(水) 15:37:57.76
富士正晴の中国戦線における体験談は、『帝国軍隊に於ける学習・序』などで読める。
628天山の麓の緑のなかで ◆5k4Bd86fvo :2012/12/12(水) 15:44:09.54
この作品は『歴史の舞台』(中公文庫)に収録されている。
『歴史の舞台』は後日あらためて取り上げるが、ここでは「天山の麓の緑のなかで」と
「イリ十日記」だけをやる。
初出は、日本放送出版協会『シルクロード/絲綢之路』第六巻(昭和56年3月)である。
629無名草子さん:2012/12/12(水) 15:51:47.45
司馬さんは、この作品を書かれた時点で、二度西域の旅をしておられる。
昭和52年8月と昭和55年7月である。
この作品は、上記の二つの西域旅行の紀行である。
630天山の麓の緑のなかで ◆5k4Bd86fvo :2012/12/12(水) 16:48:08.93
第1章 草原

次章で明らかにされますが、この作品は天山北路の紀行です。
導入部で申し訳程度に天山南路の話が出てきます。
草原と遊牧の話ですが、まずはお決まりのスキタイからです。
631無名草子さん:2012/12/12(水) 16:51:20.88
司馬の草原モノは、面白いぞ。
話が地球規模にでかくて想像する風景が雄大だから、
狭い土地でせせこましい生活をしていると、胸のつかえがとれるようだ。
632無名草子さん:2012/12/12(水) 16:57:25.21
【本作品のツカミ】
この文章を読んでくださる人は、草原という世界に、激しくかつこまやかな想像力をかきたてていただかねばならない。

【「草原の記」のツカミ】
空想につきあっていただきたい。モンゴル高原が、天にちかいということについてである。

いつもこんな感じやん。
633無名草子さん:2012/12/12(水) 17:03:22.82
[動画]キルギスの大草原と天山山脈
http://www.youtube.com/watch?v=9iOfePaBqWQ
[動画]シルクロード
http://www.youtube.com/watch?v=Tbtc6vn1Lt8
634無名草子さん:2012/12/12(水) 17:13:00.64
草原の小動物タルバガン
http://jp.vom.mn/uploads/news/bigthump/5507f182c12752ced4e3ad52d711750a85ed6f4e.jpg
かわいい顔をしていますが、ペットにするのではなく、食用にするそうです。
635無名草子さん:2012/12/12(水) 17:27:42.09
砂漠と草原の分布と、遊牧(騎乗技術)の伝播
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/steppe.gif

スキタイはアッシリアを滅ぼし、一時メソポタミアの支配者になったことがある。
http://homepage3.nifty.com/ryuota/earth/skythai.gif
28年間支配したが、メディア軍に追い出された。

ところが、草原に帰ったスキタイ軍に対して、故郷は戦いを挑んできた。
28年間留守にしていたためスキタイ戦士の妻たちが奴隷と情を通わせて子供をつくってしまい、
成長した子供たちは草原へ帰ろうとしたスキタイ戦士たちに戦いを挑んだのである。
636天山の麓の緑のなかで ◆5k4Bd86fvo :2012/12/12(水) 19:02:08.76
第2章 遊牧文明の東漸

前章のスキタイに続き、モンゴル高原の匈奴が語られます。
後半でいよいよ天山北路の遊牧国家群の話が出てきます。
637無名草子さん:2012/12/12(水) 19:11:56.60
「戈壁の匈奴」に登場した国名や民族名が再登場していて楽しいな。
司馬さんは、個人の趣味としては、中国周辺の騎馬民族が大好き。
彼らを主人公にした小説を、もっと書いてもらいたかった。
638無名草子さん:2012/12/12(水) 19:20:10.53
天山北路の中心都市ウルムチ市というと、漢族によるウイグル人住民への暴行・虐殺
事件しか思い浮かばないよ(2009年)。
639無名草子さん:2012/12/12(水) 19:50:06.78
騎馬の歴史のところに登場する森林に棲息したという馬の先祖は、
エオヒップスという動物です。下は想像図。
http://www.hidaka.pref.hokkaido.lg.jp/image.jsp?id=169208
640無名草子さん:2012/12/12(水) 19:53:14.39
この作品を読んでいちばん嬉しかったのは、ズボンやバックルが西洋人の発明したものではなく、
東洋の騎馬民族が発明したというところだった。
641無名草子さん:2012/12/12(水) 20:05:47.69
中高年は中央アジアに弱いんだよな。
中高年が学校で中央アジアを習ったときは、一括してソビエト連邦だったからな。
大阪万博のソ連館のパンフもらって、「ソビエト連邦には17の共和国があります」
と書いてあるのを読んでビックリしたはずだ。

新疆ウイグル自治区の西隣りは、カザフスタンとキルギスだからな。
http://www14.plala.or.jp/bunarinn/plala/dairya/encarta/dairy/encart/rinkA-14.jpg
642無名草子さん:2012/12/12(水) 22:30:46.88
>>638
『長安から北京へ』には、1962年にもウルムチでソ連によるウイグル族掠奪事件があったと書かれていたな。
不幸な民族には、何度でも不幸が訪れる。
643無名草子さん:2012/12/13(木) 13:16:19.02
644天山の麓の緑のなかで ◆5k4Bd86fvo :2012/12/13(木) 14:22:18.02
第3章 西域行

昭和52年8月の旅から。オルドス上空をジェット機で飛んで下界の風景を描写します。
それと同時に、前漢の武帝の時代に勢力を後退させた匈奴の話が重なります。
ジェット機は目的地ウルムチへと到着しました。
645無名草子さん:2012/12/13(木) 15:42:48.93
昭和52年8月の西域旅行に同行した日中文化交流協会の横川健常務理事(右端)
http://images.china.cn/attachement/jpg/site1004/20101201/001ec94a25c50e5ff66754.JPG
646無名草子さん:2012/12/13(木) 15:45:27.66
北京空港からオルドス地方上空をジェット機で飛んでウルムチへ行きます。
オルドス(鄂爾多斯)地方とは、中国・内モンゴル自治区南部の黄河屈曲部で、
西・北・東を黄河に、南を万里の長城に囲まれた地方です。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/be/Ortos.png/270px-Ortos.png
647無名草子さん:2012/12/13(木) 15:51:31.73
前200年秋に劉邦と冒頓単于が戦った白登山を司馬さんは見逃してしまいました。
http://www.easy-linkholiday.com/de/uploadImages/20081142193765756.jpg
648無名草子さん:2012/12/13(木) 15:58:32.78
ジェット機は、包頭と五原の上空を通過し、陰山山脈の上空へ出ます。

包頭の街並
http://homepage2.nifty.com/whoseng/travels/photo5/pht_baotou-streets8_s.jpg
五原県には高さ8mの呂布像があります。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/95/cce0c6cd550e35db7d347b5b287495c2.jpg
陰山山脈
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/12/56/23/lrg_12562365.jpg?20100812110309
649無名草子さん:2012/12/13(木) 16:02:16.43
匈奴が霍去病に大敗した祁連山
http://admin.ujayou.com/upload/product/1449133150.jpg
http://admin.ujayou.com/upload/product/1728430203.jpg

ここからしばらく前漢・武帝時代の匈奴との戦いが語られます。

少年時代の司馬さんが「祁連山って、この程度の山だろう」と想像していた二上山
http://tozanbiyori.whitesnow.jp/nijosan/P3049.jpg
650無名草子さん:2012/12/13(木) 16:07:08.00
目的地ジュンガル盆地のウルムチに到着しました。
前章ではジュンガリア盆地と呼ばれていましたが、本章ではジュンガル盆地になっています。
ウルムチは天山山脈の東端にあります。フライト映像がありました。
http://www.youtube.com/watch?v=ur_5hBgXhIk
651無名草子さん:2012/12/13(木) 16:09:08.91
本文に出てくるウルムチのポプラ並木です。防砂林です。
http://www16.plala.or.jp/ari62man/image/2216popura.jpg
652無名草子さん:2012/12/13(木) 16:27:43.39
>>650
昭和55年7月の旅では、イリが目的地。
ウルムチは、準備地として宿泊しただけだよ。
653無名草子さん:2012/12/13(木) 16:32:27.02
 私は、この旅のあいだ、出会った非漢族に名をきくのが癖になっていた。
「加米娜」
 と、そのウイグル人の娘は、私の手帳に書いてくれた。さらにウイグル文字で、
「Jamila」
 と、書いた。普通名詞としての意味をきくと、アラブ語で「宇宙飛行士」という意味だという。
654天山の麓の緑のなかで ◆5k4Bd86fvo :2012/12/13(木) 16:35:42.03
第4章 ウルムチ

昭和55年7月の旅から。かつてソ連人顧問団の宿館だった邸に宿泊する。
655無名草子さん:2012/12/13(木) 17:33:07.31
新疆ウイグル自治区は少数民族の博物館ということで、多くの民族名が紹介されている。
各民族の美人の画像を掲げておく。

ウイグル族:この作品でもウイグル美女の水準は高いと、司馬さんが絶賛しておられる。
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/020/997/11/N000/000/000/133737893366513104323_uiguru.jpg
http://hot999.web.fc2.com/shenzhen/gazou/gazou06/t-gazou-06-04-03.jpg
656無名草子さん:2012/12/13(木) 17:51:14.51
カザフ族:着飾ってウルムチのバザールへやって来たカザフ族の美人
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/26/sakurai4391/folder/1200760/img_1200760_31650897_12?1315386952
モンゴル人:これはスレの平和のためにスルーします。
キルギス:他の画像もあたってみたが、あまりいいのはいなかった。
http://www48.tok2.com/home/sawakon/2-01people/beauties19.jpg
タタール:ウズベキスタン/タシケントのタタール美人
http://img.blog.silkroad-j.lomo.jp/20111018_2527557.jpg
タジク族:タジキスタンでは眉毛がつながっている方が美人とされている。
http://livedoor.blogimg.jp/karapaia_zaeega/imgs/e/7/e72d740a.jpg
657無名草子さん:2012/12/13(木) 17:57:02.56
658無名草子さん:2012/12/13(木) 18:51:22.57
それでは、ご一緒にウルムチ観光

舗装道路
http://dadao.kt.fc2.com/turuk8-03.jpg
ウイグルがイスラム化していますのでモスクがあります。
http://dadao.kt.fc2.com/turuk8-05.jpg
ショッピング・センターもモスク風
http://dadao.kt.fc2.com/turuk8-06.jpg
食材や絨毯を売る店の向こうにはナイフを売る店
http://dadao.kt.fc2.com/turuk8-08.jpg
659無名草子さん:2012/12/13(木) 18:57:53.25
ソ連の技術顧問団の宿館であった新疆迎賓館の外観と、その周囲を取り囲む
造成された森は、画像が見つかりませんでした。
ソ連の技術顧問団は、1960年ごろに中国を見捨てたようです。

中島健蔵氏が驚いた蛙
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/11/81/62/lrg_11816215.jpg?20100812105402
660無名草子さん:2012/12/13(木) 19:02:14.15
ハミウリ(哈蜜瓜):新彊ウイグル自治区ハミ市が原産のメロン
http://homepage3.nifty.com/hamiuri/HAMI32.jpg
新疆西瓜:色が鮮やかです。
http://www.zbxj.com/up_files/Image/xiguan.jpg
蟠桃(バントウ):福島の蟠桃と同じものなんでしょうか?
http://image.rakuten.co.jp/idumiya/cabinet/peach/bantou.jpg
661無名草子さん:2012/12/13(木) 19:10:50.34
昭和55年7月の旅は、NHK特集『シルクロード』の取材旅行のようである。
チーフ・ディレクターの鈴木肇は、この旅行について『司馬遼太郎全集』の
月報37「翔ぶが如く三」に随筆を寄せて、旅行中の司馬さんの横顔を書いている。
http://www.jata-net.or.jp/membership/topics/2012/img/120806_jts10.jpg
662無名草子さん:2012/12/13(木) 19:15:01.34
ディレクターの和崎信哉が、取材中司馬夫妻と一緒に写った写真があった。
http://www.asahi.com/news/intro/images/TKY201205230136.jpg
和崎信哉は、現在、WOWOW代表取締役会長であり、
高校時代はサッカーの釜本邦茂と同級生である。
663無名草子さん:2012/12/13(木) 19:17:33.29
>>644
プロペラ機じゃなくてジェット機に乗ったのか。すごいな司馬さん。
664無名草子さん:2012/12/13(木) 19:42:15.54
665無名草子さん:2012/12/14(金) 13:40:26.01
>>655
>>656
ウイグルは13世紀以降農耕を始めた。そのときアーリア人と混血したんだろうな。
カザフは遅くまで遊牧をしていたから、アーリア人との混血は考えにくい。
近代以降にロシア人と混血したのかな。色は白いし、ロシア風の美女が多いよね。
それ以外は論評する気にならない。
キルギスとタジクは、ひどいな。
666天山の麓の緑のなかで ◆5k4Bd86fvo :2012/12/14(金) 15:55:43.75
第5章 イリとその周辺

伊寧(イーニン)空港に到着。
前半でウイグル人、後半で烏孫(カザフ人?)について考えます。
667無名草子さん:2012/12/14(金) 15:57:19.75
イリ河と伊犁の街については、先走って>>643に載せてしまいました。
668無名草子さん:2012/12/14(金) 16:08:48.65
遊牧民族、騎馬民族の歴史を体系的に把握しようとすると、時間と場所が錯綜して、なにがなんだかわからんな。
8世紀に出てきたウイグルの英雄であるフトルク・ボイラは、骨力裴羅(クトゥルグ・ボイラ、Qutluγ boila)で調べてみてくれ。
669無名草子さん:2012/12/14(金) 16:31:35.17
この作品に出てくる遊牧国家のモンゴル高原における盛衰だけを見ると、

2世紀…匈奴
3世紀…鮮卑
5世紀…柔然(蠕蠕)
6世紀…突厥
8世紀…回鶻(ウイグル)
670無名草子さん:2012/12/14(金) 16:38:09.14
この作品では、イリに到着してカザフ人と烏孫の説明を始めた後で、
「漢書」に出てくる丁零の紹介をしている。
カザフの先祖と誤解されかねない書き方であるが、丁零はウイグルの先祖である。
671無名草子さん:2012/12/14(金) 16:59:13.40
それでは、みなさんご一緒に、イリ観光でございます。

ウルムチからイリに向かうプロペラ機から見た天山山脈
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/24/63/70/lrg_24637069.jpg?20120225100520
天山の山中に咲いた雪蓮の花
http://hanatya.pekin-hien.net/yaten-7.jpg
イーニン空港に到着です
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/24/63/70/lrg_24637051.jpg?20120224181916
遊牧民のパオ
http://img.ivsky.com/img/bizhi/img/201105/08/yili_fengguang-002.jpg
672無名草子さん:2012/12/14(金) 17:07:30.99
673天山の麓の緑のなかで ◆5k4Bd86fvo :2012/12/14(金) 17:37:30.47
第6章 烏孫公主

漢の武帝時代。張騫の西域冒険行と、烏孫公主のお話です。
674無名草子さん:2012/12/14(金) 17:38:52.80
張騫が西域に派遣される。その足跡を示す地図です。
http://www.geocities.jp/msakurakoji/004Localmaps/28tyoken.png
675無名草子さん:2012/12/14(金) 17:45:02.06
烏孫公主は劉細という名で、烏孫に行ってからは細君と呼ばれた。
妻のことを細君と呼ぶことがあるが、烏孫公主とは無関係である。
しかし、細君の故事成語は、同じく漢の武帝に由来する。
http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-133.htm
676天山の麓の緑のなかで ◆5k4Bd86fvo :2012/12/14(金) 18:32:45.06
第7章 烏孫墓

セリム湖の観光と、烏孫古塚を訪ねる旅です。
イリには10日間滞在しておられましたので、その詳しい内容は、
次にご紹介する『イリ十日記』に書かれています。
677無名草子さん:2012/12/14(金) 18:36:44.72
帝政ロシアがイリを占領した話は、『長安から北京へ』の「北京の桐の花」でも少しだけ書かれていた。
このイリ事件は1871年のことであるが、イリ地方を清国の領土と確定したのが清露条約(1881年)と
なっている。一般には、イリ条約あるいはサンクトペテルブルク条約と呼ばれている。
678無名草子さん:2012/12/14(金) 18:38:28.24
>>661
チーフ・ディレクター鈴木肇のエッセイは、ほとんどがセリム湖畔のバザールの話題だったな。
679無名草子さん:2012/12/14(金) 18:41:34.63
烏孫古塚(烏孫墓)は平べったい塚なので、往路の司馬さんが見逃したのも、いたしかたありません。
http://www.geocities.jp/ikokunotabibito3/arutai0709/SDIM5182c.jpg
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/4752/sogennomichi/image/Cimg2058web.jpg
680無名草子さん:2012/12/14(金) 18:49:38.84
それでは皆様ご一緒にセリム湖畔観光でございます。

水が透明
http://blog-imgs-14-origin.fc2.com/j/e/r/jerseycattle/2007_07_06_05.jpg
遊牧をしているカザフ人の子供
http://blog-imgs-14-origin.fc2.com/j/e/r/jerseycattle/2007_07_06_02.jpg
羊の放牧
http://zion1.matrix.jp/silkroad/images/P1020090.JPG
カザフ人はナンを主食にしている
http://zion1.matrix.jp/silkroad/images/P1020068.JPG
セリム湖畔で麺を茹でているお店
http://zion1.matrix.jp/silkroad/images/P1020076.JPG
681無名草子さん:2012/12/14(金) 18:58:26.38
〔基礎〕中央アジア

中央アジアのうち東トルキスタンと呼ばれるのが、新疆ウイグル自治区
西トルキスタンは、下の地図の5国
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dewaruss/cis_ivanov.files/image024.gif
682無名草子さん:2012/12/14(金) 19:09:16.78
>>676
>『イリ十日記』

なんて読むの?
「イリとおか記」?
683無名草子さん:2012/12/14(金) 22:48:51.22
>>682
「記=き」が音読みなので「とうかき」には抵抗があるんだよな。
「じゅうじつき」というのも変だしな。
684無名草子さん:2012/12/14(金) 23:00:30.99
>>665
『イリ十日記』には、司馬さん絶賛のトルスングリというカザフ人美女が登場するよ。
しかしジャイルペック氏という地元の男性が彼女をウイグル人と勘違いしたことからすると、
一般的にはウイグル女性のほうが美人が多いのかと思った。
キルギスとタジクがブス揃いという点には同意。
685無名草子さん:2012/12/14(金) 23:05:26.89
この作品には出てこないウズベキスタンとトルクメニスタンも一応調べてみましたが、
まあ貼って喜ばれるような画像はありませんでした。
686無名草子さん:2012/12/14(金) 23:16:02.71
『イリ十日記』って、本来『天山の麓の緑のなかで』に書くべき情報を一部出し惜しみして、
中央公論社に流した作品だよね。
取材の費用はNHKから出ているんだよね。
687無名草子さん:2012/12/15(土) 01:23:10.45
>>670
ウイグルもカザフも共にトルコ系で、民族分化してゆくのは後世のことだから、どっちでもいいんじゃないの?
688イリ十日記 ◆F2fgjmRjxk :2012/12/15(土) 13:20:10.36
この作品も『歴史の舞台』(中公文庫)に収録されている。
前の「天山の麓の緑のなかで」と同一の旅行がベースになった紀行であるが、
総論部分を除き、イリで出会った人々に特化して書かれているのが特長である。
689無名草子さん:2012/12/15(土) 13:22:12.33
初出は「中央公論」昭和56年4月号なので、書かれた時期も「天山の麓の緑のなかで」と同じである。
690無名草子さん:2012/12/15(土) 13:25:12.19
この作品の副題は、「天山北路の諸民族たち」である。
691無名草子さん:2012/12/15(土) 15:54:18.82
伊犁の賓館(ホテル)でも、トイレの水がながれなくて困っている。
『長安から北京へ』の西安のホテルでも、そうだった。
毎回こうだと、客のほうに問題があるのではないかと疑ってしまう。
692無名草子さん:2012/12/15(土) 16:05:57.07
司馬遼太郎をあれこれ語る 34巻目
http://viva2ch.net/books/1111336603-800.html

>990無名草子さん [sage]2005/05/21(土) 14:25:02
>トルスングリちゃんの写真、鮮明なのが欲しいよ〜ん。

すまん。足掛け8年探していたんだが、見つからなかった。
693無名草子さん:2012/12/15(土) 16:11:21.36
>>691
東宮御所を訪れた際に浩宮殿下(現在の皇太子殿下)に「トイレはどこですか」と尋ねたところ、
殿下は即座に席を立ち司馬をトイレに案内したというエピソードの持ち主だ。
まさか東宮御所のトイレは壊してないと思うが・・・。
694無名草子さん:2012/12/15(土) 16:34:47.70
トルグート部の一部がヴォルガ河畔に住み着いたのは、1630年である。
彼らはカルムクと呼ばれたと書かれているが、カルムィク(Kalmyk)で調べたほうがいい。
カルムク自治州は、現在、カルムイク共和国になっている。ロシア連邦内の共和国である。
人口は約30万人。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/RussiaKalmykia.png/250px-RussiaKalmykia.png
695無名草子さん:2012/12/15(土) 16:40:09.71
696692:2012/12/15(土) 16:41:43.95
失礼。「司馬遼太郎をあれこれ語る 10巻目」の間違いでした。
697無名草子さん:2012/12/15(土) 17:02:43.12
698無名草子さん:2012/12/15(土) 17:06:10.38
>>684
タジクもアーリア系の末裔なんだが、異色だよね(>>664)。
699無名草子さん:2012/12/15(土) 17:21:34.62
司馬さんがこの稿を執筆中に発見のニュースが伝わった「楼蘭の美女」。
ミイラですがグロくないです。美しい。
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/26/sakurai4391/folder/1164511/img_1164511_35308814_0?1321432355
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/26/sakurai4391/folder/1200328/img_1200328_31588833_0?1283212906
700無名草子さん:2012/12/15(土) 17:35:13.04
司馬さんはウルムチで観劇した際、カザフの青年が「かれらのもつ唯一の民族楽器
であるトレグラという弦楽器」をかかえて「弾きうたい」をしたと書かれている。
カザフスタンの弦楽器といえば、ドンブラ(Dombra)ではなかろうか。
いや、間違いない。ドンブラしかない。
http://www.youtube.com/watch?v=eYU-IuQTD9U
701無名草子さん:2012/12/15(土) 17:38:44.41
>>700
ドンブラと続け字で書くと、トレグラになってもおかしくないな。
司馬さんの手書きは、きたねーし。
702無名草子さん:2012/12/15(土) 17:44:09.93
>>701
ドンブラと書いたメモが、水でにじんで、トレグラと読めってしまったと好意的に解釈してやれよ。
703無名草子さん:2012/12/15(土) 17:55:23.02
呉藹宸の「新疆紀遊」は、司馬さんの読んだ古い本ではなく、白水社から1986年に
再発売されたことがあるが、いまは古本屋で探すしかないな。
704無名草子さん:2012/12/15(土) 18:33:55.22
イリ河大橋。このむこうにシボ族の集落がある。
http://zion1.matrix.jp/silkroad/images/P1020182.JPG
シボ族
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200911/07/83/e0094583_1819927.jpg
司馬さんが会いたがっていたダフール族(Daur)
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200911/07/83/e0094583_18194165.jpg
余談になるが、チンポー族(Jingpo)もいる。
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200911/07/83/e0094583_18195712.jpg
705無名草子さん:2012/12/15(土) 18:39:19.20
>>698
眉毛だよな。ふだんは眉毛の形など気にしたことがなかった。
眉毛で美醜が決まるなんて考えたこともなかった。
ありがとう。タジク人のみなさん。
706無名草子さん:2012/12/15(土) 19:12:49.54
順序が前後するが、ジュンガル盆地の草原の話のところで、苜蓿(ウマゴヤシ)と駱駝草が出てきた。
苜蓿は牧草として輸入されたので日本でも見ることができる帰化植物だ。
http://blog-imgs-31-origin.fc2.com/1/0/3/103010/200905092259177b3s.jpg
http://blog-imgs-31-origin.fc2.com/1/0/3/103010/20090509225918e3as.jpg
駱駝草はトゲがあるから駱駝以外は食べないそうだ。
http://inoues.net/china/silkphoto133.jpg
http://inoues.net/china/silkphoto197.jpg
707無名草子さん:2012/12/15(土) 19:32:06.37
>>699
司馬さんも半分冗談のように書かれているが、楼蘭の美女のようなアーリア系の
美女とやりたくて、元来サル顔だったウイグルが定住して農耕を始めたんだろうな。

トルコ系のDNAを濃厚に受け継いだウイグル人男性たち
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/33/717da8fcb6dc3757928d4bb030758680.jpg
708無名草子さん:2012/12/15(土) 20:28:56.63
>>700
キルギスのKomuzという楽器と、カザフのDombraの競演。
ジミー・ペイジが好きそうな感じの音楽。
若いプレイヤーが伝統的な民族楽器を演奏して、客席の年寄りが喜んでいる。
日本も、こういう国に戻してくれよ。
なんでCDが売れないか、よく考えろよ。こういうの聞いている方が面白いからだよ。
http://www.youtube.com/watch?v=jOr5RQHXXXk
709無名草子さん:2012/12/15(土) 21:24:10.01
>>694
トルグートはモンゴル系だが、似たような名称のタングートはチベット系なので、両者を混同しないように。
漢字表記だと、
トルグート・・・土?扈特
タングート・・・党項
タングートは、11世紀初めに西夏を建てた民族です。
710対談 中国を考える ◆U76uo.7tB. :2012/12/16(日) 18:35:52.16
《まえがき》 談天半天 - 陳舜臣

昭和53年に出版された司馬遼太郎と陳舜臣の対談集です。
対談は全4回で、昭和49年から昭和52年にかけて行われています。
711無名草子さん:2012/12/16(日) 18:44:28.94
>>710
対談までやるのかw
読んでいない人が多いんじゃないの?
712無名草子さん:2012/12/16(日) 20:27:07.39
もういいです。
713無名草子さん:2012/12/16(日) 23:07:28.33
テロ朝は、衆院総選挙を準決勝と言い出したぜw
714無名草子さん:2012/12/16(日) 23:46:55.10
真面目に一所懸命やっても、いつも泥をかぶる立場になってしまう気の毒な野田さん
715無名草子さん:2012/12/17(月) 00:14:00.03
二大政党で全選挙区51:49でも第二党は小選挙区では1議席も取れない。
有力な第三党が出現した時点で、自民党の圧勝は確定していた。
716無名草子さん:2012/12/17(月) 11:33:57.80
「安部君がクラススでトップといったって数学は50点台なのよ。
他の科目の点数が良かっただけよ。
慢心しちゃだめなのよ」
717無名草子さん:2012/12/17(月) 11:44:05.13
参院選の結果を見るまでは、改憲が具体的な争点になるかどうかすらわからんだろうに。
今のところ公明党は慎重だからな。
参院選は定数少ない上に半数改選、しかも民主党が野党だから、衆院選のようなドラスティックな変動は起きないよ。
マスゴミは明日にでも戦争が始まると言わんばかりの大騒ぎだな。
718無名草子さん:2012/12/17(月) 11:45:57.83
いまやマイノリティ・コミュニケーションだからなw
719無名草子さん:2012/12/17(月) 13:30:10.32
>>713
妄想が生み出した軍閥政府と戦う反戦のヒーローが自分達なんだろうな。
マスゴミの争点は憲法改正以外にないよ。
そうじゃないと「衆院選は準決勝」という言葉はでてこない。
みんなが汗流して仕事している間に、やつらは暢気に反戦ごっこだよ。
民主党政権の敗北は、具体的な景気対策を選挙期間中まったく述べなかったことだよ。
反戦ごっこのマスゴミには、そこが理解できない。
720無名草子さん:2012/12/17(月) 13:47:18.64
サヨクも馬鹿の一つ覚えのように、「防衛は外交で」というだけでなく、
侵略されようとしている領土を守るための外交戦略を具体的に示せよ。
中国高官のうち誰が交渉の窓口になりそうなんだ?
きさまらには、中国・韓国の要求を認諾する以外の外交戦略はないんだろうが。
スパイめ!
721無名草子さん:2012/12/17(月) 13:50:49.38
馬鹿新聞と馬鹿読者の存在を中国・韓国が知悉しているから、
中国・韓国がつけあがるんだよ。
722無名草子さん:2012/12/17(月) 13:54:02.32
>>721
導入部がやけに長いが、そろそろ「対談・中国を考える」の本題にはいれそうだな。
723無名草子さん:2012/12/17(月) 15:33:25.42
>>699
ほんとうに美人のミイラですね。
ミイラというから、てっきりこういうグロテスクなものかと思っていました。
http://megamega.org/wp-content/uploads/2012/03/410.jpg
724対談 中国を考える ◆U76uo.7tB. :2012/12/17(月) 16:36:12.30
第1章 東夷北狄と中国の二千年

昭和49年5月28日/神戸における対談
725無名草子さん:2012/12/17(月) 16:48:29.56
【中国文明に同化しなかったモンゴル】

…という話を、半牧半農の女真族(満州族)と比較しながらしている。
半農の部分で女真族(金/清)は漢族と同化するのが早かった。
チャイナドレスは、中国語では旗袍(チーパオ)という。
チーパオの「チー」は北京語の口語で満州族のことを指す。
726無名草子さん:2012/12/17(月) 17:09:55.49
ちなみに、北魏、隋、唐を興した鮮卑族は、ツングース系(満州族)といわれていたが、
最近の研究によるとモンゴル系ということになっている。
漢代の初期、匈奴の冒頓単于が東胡を滅ぼした際、その生き残りが烏丸山と鮮卑山に逃れ、
それぞれ烏丸と鮮卑になった。
727無名草子さん:2012/12/17(月) 17:14:01.09
満州族は朝鮮人参を作り、セルジューク・トルコ(11〜12世紀)は漁業を奨励し、
遊牧だけで生活を立てていたのではないと書かれている。
21世紀になっても、トルコの漁業は盛んで、2002年〜2011年の10年間で、
トルコの漁業は264%成長し、4億4800万ドルに達している。
728無名草子さん:2012/12/17(月) 17:50:34.56
【西は将軍を出し、東は宰相を出す】

以上は、昭和48年8月の司馬「モンゴル紀行」の旅の話が中心。
同じ時期、陳舜臣は、西域を旅していた。
カザフとウイグルに話題が移ります。
729無名草子さん:2012/12/17(月) 17:54:53.24
730無名草子さん:2012/12/17(月) 18:02:28.60
ハンガリー人は、一般にマジャール人と呼ばれています。
基本は白人ですが、モンゴル人の遺伝子を持つ者も多く、
今でも新生児の半数に蒙古斑が見られると言われています。
シルヴィ・バルタンは、父はフランス人で母はハンガリー人です。
http://shisly.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/04/25/photo.jpg
731無名草子さん:2012/12/17(月) 18:04:26.10
フォッ、フォッ、フォ…
  ∧~∧ヽ
  \=v=/ ヽ
  ()\/(()l
   (ヽノノ//|
   ( ‖//ニ|
  /⌒/Jヽ二 ⌒ヽ
  〉{ー゛-"-二|_ノ
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/ ヽ[二|l二ノ|=|
ト、_ノ|__人/⌒)/
ヽ_ン/  / //
     L∠/
732無名草子さん:2012/12/17(月) 18:21:36.70
【いつから“日本”となったか】

臼と杵を用いて餅を搗く中国の少数民族の話が出てくる。
広西チワン族自治区のチワン族や福建省のシェ族がそれである。
チワン族は中国南部からベトナム北部に住む民族で、日本人にとっては他人とは思えない。
http://www.guilintravel.jp/Images/UpLoadfile/200991618028692.jpg
http://japanese.cri.cn/mmsource/images/2006/02/24/zhuangzu.jpg
http://yamanasi-satoyama.blog.ocn.ne.jp/blog/images/2012/05/04/2055573017_cee848db_561.jpg
733無名草子さん:2012/12/17(月) 18:51:49.84
お二人が話題にしている『山海経』の記述とは、次の部分。

「蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。」

山海経の編纂された時代には、倭は燕に朝貢していたとされる。
しかし、同書は伝説集または神話集の体裁をとっていて「架空の国」や「架空の産物」が多く、
史実を忠実に反映したものとみなすことについては疑問がある。
734無名草子さん:2012/12/17(月) 18:55:27.09
『三国志』鮮卑伝の「汗(ua)国」を、『後漢書』鮮卑伝の「倭(ua)国」と同一の国と考えた場合の倭国の位置
http://www.wakoku.net/images/image1.jpg
735無名草子さん:2012/12/17(月) 19:11:31.03
【蕃国の国名は二字】

…たとえば朝鮮とか
736無名草子さん:2012/12/17(月) 20:16:23.25
わずか20文字程度の記述から、あれこれ想像を巡らす古代史は、疲れるから勘弁してくれ。
737無名草子さん:2012/12/17(月) 23:10:59.44
陳 風姫というのは架空の人物やけどね。
司馬 架空の人物?ひどいなあ(笑)。

架空の人物であることに、ちっとも気づかなかった、というスタンスを司馬氏はとっている。
これは陳氏に対するお世辞である。俺は一読してオリキャラだとわかった。
738無名草子さん:2012/12/17(月) 23:23:00.24
さっそく人民日報の内政干渉がはいったな。
文学座に対してすら注文つけるんだから、自民党に注文だすのは当然といやあ当然。
739無名草子さん:2012/12/17(月) 23:32:30.36
モンゴル人は豚を飼う女真族をバカにしていたんだ。
豚を飼っていると、遊牧集団を即座に軍事集団に転用することができなくなる。
今回の衆院選とは、特に関係ないけどね。
740無名草子さん:2012/12/17(月) 23:49:46.15
司馬 どうも知事さんいうのは、好かんのや。
陳 いきなりトップになろうちゅう人間やさかいな。
司馬 あんたもそう思うか。何年知事やった、やった内容は言わへんくせに、やったやったと自慢しよる。
テレビに映る機会が増えると、すぐに国政進出や。立候補しもせんと、党首にはなりたがるねん。
文春さん、ここカットやで……。
文春 もちろん、承知いたしております。
741無名草子さん:2012/12/18(火) 00:15:39.34
嘉田も変だが、最近の橋下のブレ具合は、分刻みだな。
首班指名で安部に投票すると言ってみたり、民主党を含めて野党の結集を呼び掛けたり。
極端な自己肥大型だから、俺様ひとりの力で100議席以上取れるとマジで考えていたんだろうな。
開票速報中のイライラは、自己中が思い通りに物事が進まないときに見せるそれだったな。
こいつだけは首相にしたくない。
742無名草子さん:2012/12/18(火) 00:59:03.77
果断なリーダーシップと単なる自己中の区別すらできなくなった日本のマイノリティ・コミュニケーション。バカゴミ。
743無名草子さん:2012/12/18(火) 14:55:42.60
【北からは孔子、南からは老子】

「魏志倭人伝」に出てくる持衰<じすい>。

「渡海して中国に往来するときには、恒に一人には、頭を梳らず、虱を取り去らず、衣服は垢に汚れたままにし、
肉を食べず婦人を近づけず、喪に服している人のようにさせる。これを名づけて持衰としている。
もしも旅がうまく行けば、人々は彼に生口・財物を与え、もし途中で疾病があったり暴風などによる被害があれば、
持衰を殺そうとする。その持衰が謹まなかったからだというわけである。」
744無名草子さん:2012/12/18(火) 15:00:29.35
ヽ  ノ        `ヽ r´       ヾ ソ
  ~ヽヽ         U        /ノ
   ヽノ

         /:::::::::::::::::::::\
       /::::::::::::::::::::::::::::::::\
       |:::::::::::|_|_|_|_|_|
-´⌒二⊃. |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ   ⊂二⌒丶
 _ソ.   |::( 6  ー─◎─◎ )     ヾ__
.       |ノ  (∵∴∪( o o)∴)
      |   <  ∵   3 ∵>
     /\ └    ___ ノ
       .\\U   ___ノ\
         \\__>>1_)  ヽ
745無名草子さん:2012/12/18(火) 15:41:35.39
【海や島を恐れる漢民族】

島国の人間の防衛観念のなさがよく理解できる。
大陸の城郭都市の存在は、異民族間の戦争と殺戮の熾烈さを物語る。
日本のサヨクの平和主義は、安全保障への無関心と言いかえていいな。

【政治】 米元高官 「米で『安倍首相で日本が右傾化』と言ってたのは、
同氏を憎む朝日新聞の手法を輸入した人やメディア」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1355795789/l50
746無名草子さん:2012/12/18(火) 16:11:58.51
蛋民とは、沿岸地域や河川で生活する水上生活者のこと。
http://www.sumai.org/asia/hongkong/hk111.jpg
家船の内部
http://www.sumai.org/asia/hongkong/hk213.jpg
家船の便所?
http://www.sumai.org/asia/hongkong/hk218.jpg
747無名草子さん:2012/12/18(火) 17:43:55.38
【正坐は中国からきた】

「楽浪郡の、いまの平壌付近の古墳の壁画」とは、高句麗古墳群の壁画のこと。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/album/lrg/10/24/52/lrg_10245209.jpg?20100812104457
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/96/74/ufjcfd3/folder/248056/img_248056_6676023_0?1319443646
748無名草子さん:2012/12/18(火) 17:50:14.35
陳 跪くというのは“危”という字を書くでしょう。不安定な状態だからですね。
司馬 (褌をしていないので)いかにも見えそうになるという感じだな(笑)。
陳 それも含めて“危”(笑)。

もちろんジョークです。
「跪」は「危」に「足」を加えた形。「危」は高い所に跪いて下の方を見る姿で、
そのような姿勢から「跪く」意味の字となりました。
高い崖の上から跪いて下を見ることは不安定で、危ないものです。
ですから「危」を字形の中にふくむ字には「不安定」の意味があります。
749無名草子さん:2012/12/18(火) 17:54:05.76
五胡十六国〜唐の時代において、周辺からの異民族の流入が激しく、古い中国文化はほぼ途絶えています。
実際に、唐の皇族も有力な貴族もほとんど漢族以外の異民族を祖先にしています。
例えば「正座」などはこの時期に失われ、日本にしか残らなくなります。
750無名草子さん:2012/12/18(火) 17:58:49.76
ハワイではマロというふんどしが今も着用されています。
751無名草子さん:2012/12/18(火) 18:00:13.60
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          li,     ,r .: :.ヽ、    ,:,り
           t、   / ゙ー、 ,r '゙ヽ  /,K′
           ゝ、 ,:'   :~:    } // /ヽ、
           /{lヽ ,ィ==ニニ==,ノ,ノ7 /:.:.:.:ヾニヽ   画像も貼らずに麻呂とは…
         , ィ/:.:い ヽ `` ー一 ''"/,/,/:.:.:.:.:.:.:.:ソ }- 、、
        / /:.:.:.:ヽヽ `' ー‐ -- '"//:.:.:.:.:.:.:/ /   ` 丶、
     ,, - {  ヾ:.:.:.:.ヽ丶     //:.:.:.:.:, -'" ,/       ` 丶 、
  ,, - ''"   丶、 `` ーゝ、ヽ.,_,,ィ"ェくユ- ''" , ィ"
752無名草子さん:2012/12/18(火) 18:02:05.22
753無名草子さん:2012/12/18(火) 19:35:36.44
>>749
五胡十六国時代に、古代漢族の優秀な種に異民族の血がまざり、
トルスングリ嬢のようなボサーッとした中国人ばかりになってしまったんだろう。
そこからアジア的停滞が始まった。
754無名草子さん:2012/12/19(水) 07:35:10.12
司馬:毎日新聞の坂口という政治部の記者は、聴衆が小泉純一郎や民主党に送った喝采が民主主義やと勘違いしとるみたいや。
陳:カール・シュミットを読んどらんな。
司馬:昔やったら、そんなアホな政治部の記者なんか、おらへん(笑)。
755無名草子さん:2012/12/19(水) 07:43:35.83
陳:ナチス嫌いが必死でナチスの手法を絶賛しよるよ。ゆとりかな?
司馬:団塊やろ。デモと投石と火炎瓶のバカどもが、歴史の勉強なんぞするわけあれへん。
……文春さん、ここカットやで。
文春:承知いたしております。
756無名草子さん:2012/12/19(水) 08:07:16.51
選挙戦に熱気が感じられないのは、IQの低い連中が今回の選挙に関心を持たなかったからだ。
投票率が低いのはIQの低い連中が選挙に行かなかったためなんで、いいことなんだ。
頭悪い奴、ほんま選挙に行かんから。
風を起こして阿呆の投票が大量に混じってくるとろくなことにならんというのは、郵政選挙と政権交代選挙で懲りたはず。
建て前は普通選挙やけど、制限選挙が最強なのは衆目の一致するところ。
選挙に関心ないやつを、風を起こして選挙に呼び込まないでくれ。
757無名草子さん:2012/12/19(水) 14:22:55.09
【船つくりの下手な日本人】

『空海の風景』でも詳しく述べられているが、古代日本の船とアラビア・中国・高句麗の船の比較。
758無名草子さん:2012/12/19(水) 14:37:08.09
古代日本の刳舟
http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/izumo029.jpg
アラビアのダウ船
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1608775/img_1608775_54637178_1?1333621845
福建省泉州市にある清浄寺という中国最古のモスク
http://yoshidanoharuo.web.fc2.com/Houses/Houses_photo/ie_cn_FK_sen_is3.jpg
http://yoshidanoharuo.web.fc2.com/Houses/Houses_photo/ie_cn_FK_sen_is1.jpg
泉州は『アラビアン・ナイト』のシンドバッドの住む舞台と紹介している資料が多いが、
数えきれない数の写本があるので、泉州が出てこない写本もあるらしい。
759無名草子さん:2012/12/19(水) 14:41:20.39
俺らがガキの頃は、『アラビアン・ナイト』には、アリババ、シンドバッド、アラジン、ハクション大魔王等々
人気のキャラクターが多くて、絵本などでよく見かけたが、最近は人気なさそうだな。
760無名草子さん:2012/12/19(水) 14:44:41.95
アラビア船の船板の隙間に埋め込まれたピッチは、もちろんコールタールではなく、
木炭の生成過程で生まれた「木タール」である。
761無名草子さん:2012/12/19(水) 14:59:20.68
漢の武帝の時代に朝鮮を討つため楼船将軍が遣わされたと書かれてあるが、
楼船将軍とは楊僕のことで、滅ぼされた朝鮮とは衛氏朝鮮である。
衛氏朝鮮は劉邦の幼馴染・盧綰が謀反人にされて匈奴へ逃亡したところから始まる。
盧綰の部下であった衛満も、このとき燕から朝鮮へ逃げた。
要するに、朝鮮は落ちこぼれが建てた国である。説明しなくても想像はつくと思うが。
武帝に討伐された衛氏朝鮮の故地に、楽浪郡が置かれたことは世界史の必須知識(前108年)。
762無名草子さん:2012/12/19(水) 15:07:09.53
孫権の長安号の進水式は、西暦226年である。
進水式で長安号に乗船した孫権は、嵐の中で無茶な操行を要求して、谷利に止められた。
おっちょこちょいである。
763無名草子さん:2012/12/19(水) 15:17:17.23
遣唐使船の建造地は主に安芸国、周防国、播磨国、備中国にいた百済の船大工である。
もちろん新羅に敗れて逃げてきた落ちこぼれである。ろくな船が造れなかった役立たずである。
広島県の呉市や向かいの倉橋島にも百済人が多数逃げてきて船大工をしておったらしい。
なお、広島県呉市はヤクザ映画「仁義なき戦い」の舞台である。
その映画の主人公・菅原文太は、脱原発である。
764無名草子さん:2012/12/19(水) 16:38:26.72
【海戦に勝ったことがなかった日本】

…とあるが、明治以前の話。白村江の戦い(663年)と秀吉の朝鮮出兵のときの李舜臣の話だ。
765無名草子さん:2012/12/19(水) 16:44:51.81
766無名草子さん:2012/12/19(水) 17:04:51.33
767無名草子さん:2012/12/19(水) 17:36:28.75
【中国が開発した蕃国との友好方法】

…主として渤海使の話。これは司馬作品頻出なので省略。
敦賀の鴻臚館は、松原客館という。
http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kenshi/T1/4-01-05-03-04.htm
http://kakitutei.web.fc2.com/murasaki/etizen/shikibu1.html
768無名草子さん:2012/12/19(水) 17:38:29.95
769無名草子さん:2012/12/19(水) 17:45:55.93
三国志ファンにはおなじみの遼東公孫氏の話が少しだけ出てくる。
黄巾の乱の前後に起きた倭国大乱から公孫氏滅亡後の卑弥呼による魏への遣使までの期間、
『魏志倭人伝』においては倭に関する記事が途絶えている。
公孫氏が倭国が中国本土へ朝貢する道を遮っていたか、
あるいは倭からの朝貢を公孫氏が受けていた可能性がある。
770無名草子さん:2012/12/19(水) 19:18:51.67
【中国人の日本理解は貧弱】

…もともと好奇心や知的向上心に乏しい中国人は、日本のことを何も知らない。
加えてアジア的停滞が長期間に及び、国民の9割以上は痴呆化している。
尖閣諸島を日本政府が国有地にすると、中国国内にある日本企業の建造物や製品を破壊しまくった。
771無名草子さん:2012/12/19(水) 19:26:51.94
中国の明代に東南沿海の防衛に当たった胡宗憲と地理学者の鄭若曽が1562年に著した「籌海図編」は、
釣魚島などを「沿海山砂図」に収録し、中国の領土として沿海の防衛範囲に入れている。
愚鈍で頓馬な中国人は、この「籌海図編」を根拠にして、魚釣島の領有権を主張しているようである。

この「籌海図編」に関する陳舜臣氏のコメントが、この対談に出てくる。

陳  胡宗憲という向うの偉い総督が「籌海図編」をつくらせていますが、そこにのっている
日本の地図もかなり間違いがありますね。阿波の阿を河と書いたりしている。
772無名草子さん:2012/12/19(水) 20:06:25.69
【翻訳語では中国より日本がうまい】

…明治の学者が上手かったという話だ。
“経済”の語に関する江藤新平と井上馨のエピソードは面白いな。
773無名草子さん:2012/12/19(水) 22:19:36.74
>>756
選挙戦で熱狂したり喝采したりするのは朝鮮人。
韓国大統領選を見ていて、そう思ったわ。
774無名草子さん:2012/12/20(木) 14:25:50.39
【批林批孔の真のねらい】

…第一章のまとめの部分は、『長安から北京へ』と同一の主題だ。
新中国が必死に儒教と袂別しようとしている理由が談じられている。
775無名草子さん:2012/12/20(木) 15:03:22.06
776無名草子さん:2012/12/20(木) 15:05:34.57
【復古主義の罠にかかってはいけない】

仙台に住んでいた頃の魯迅が二階に下宿していた佐藤屋
http://www.soul.zaq.jp/yamada36/img-stouya.jpg
777無名草子さん:2012/12/20(木) 15:11:10.01
778無名草子さん:2012/12/20(木) 15:51:20.19
項羽と劉邦を読み始めた
豆知識みたいなのがあって助かる
とあるドラマで赤帝の〜白帝の〜言ってて
????だったけど説明されてたんでよく分かった
779対談 中国を考える ◆U76uo.7tB. :2012/12/20(木) 15:52:48.23
第2章 近代における中国と日本の明暗

昭和49年11月22日/大阪における対談

第1章の対談から6ヵ月後の対談です。
780無名草子さん:2012/12/20(木) 16:26:41.96
陳舜臣さんの旧満州地方への旅の報告から始まる。
大連の裏通り
http://bari.txt-nifty.com/photos/uncategorized/2012/06/24/dalian.jpg

瀋陽とは耳慣れない市名であるが、満州国の奉天のことである。
瀋陽市郊外の新興住宅地
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20080508/155537/px480_01.jpg
781無名草子さん:2012/12/20(木) 16:31:26.29
続いて、中国で刺身が食べられていたのか、という話題になる。
結論から言うと、宋代の頃には食べられていた証拠があるが、その後食べなくなった。
満州国の頃、日本人が食べているのを見て、再び日本人向けに出すようになったそうだ。
大連沖で獲れたクロソイとアイナメの刺身
http://www.insightchina.jp/newscns/wp-content/uploads/2011/07/meishi12-500x334.jpg
782無名草子さん:2012/12/20(木) 16:36:10.78
蒋百里将軍は、日本人は刺身を食べる凶暴な民族である、と言ったそうだ。
この将軍を笑い者にしてやろうと思っていたのであるが、
四女の蒋英生が絶世の美女であるので、笑い者にするのをやめた。
蒋百里http://www.huaxia.com/thpl/jwgc/images/2009/07/31/431877.jpg
蒋英生http://www.huaxia.com/thpl/jwgc/images/2009/07/31/431886.jpg
783無名草子さん:2012/12/20(木) 16:41:49.76
>>781
>宋代の頃には食べられていた証拠

本文にある梅堯臣の詩を見つけました。
「蕭蕭雲葉落盤面 栗栗霜卜為縷衣」

また、こういう証拠もあります。
越王勾践は刺身を食べようとした時に呉の攻撃に遭い、
驚きのあまり食べていた刺身を全部川に投げ捨ててしまった。
川に捨てられた刺身は小さな魚になり、「銀魚」や「刺身魚」と呼ばれるようになったという。
784無名草子さん:2012/12/20(木) 16:47:07.20
茶道の創始者は、中国の唐の時代の陸羽(733−804)という人である。
その後、中国の茶道は廃れ、日本では今日でも盛んであるが、
中国の茶道がまったく途絶えてしまったわけではなく、次のような写真があった。
http://phil.flet.keio.ac.jp/person/sakamoto/mirror/cha2.html
785無名草子さん:2012/12/20(木) 16:58:08.08
中国の生け花も日本の生け花も仏前供花から発展しているので、どちらが先ということもない。
なお、司馬遼太郎(福田定一)の「花妖譚」の初出は、華道未生流の月刊誌「未生」への連載である。
786無名草子さん:2012/12/20(木) 17:27:34.67
趙の武霊王の胡服騎射の復元図
http://www.asahi-net.or.jp/~qc6t-tkur/g/tousyu1.0
787無名草子さん:2012/12/20(木) 18:02:53.72
陳舜臣氏が大連を旅したときは、刺身にわさびが付いていなかった。
現在では、ちゃんとわさびが付いている。
>>781の画像の手前中央右よりの緑の物体は、わさびではあるまいか。
788無名草子さん:2012/12/20(木) 18:07:24.65
789無名草子さん:2012/12/20(木) 18:08:43.20
以上は、最初の節【日本人の発明――タスキとハチマキ】の対談についてであります。
790無名草子さん:2012/12/20(木) 18:22:01.03
「街道をゆく」の連載終了後は、週刊朝日は読むところのない糞雑誌だけどな。
791無名草子さん:2012/12/20(木) 18:42:38.24
【中国の激情家の系譜】

戴天仇の自殺の原因については、中国共産党政権に追いつめられたというより、
国民党の腐敗に対する絶望のためではないかという推測があるが、
実情はどうやら恋愛と証券取引の失敗によるもののようである。
792無名草子さん:2012/12/20(木) 19:04:16.53
793無名草子さん:2012/12/20(木) 19:10:37.53
794無名草子さん:2012/12/20(木) 23:44:11.60
陳 浅井、朝倉、本願寺に連合の動きがあるみたいやな。
司馬 たれが音頭取っとんねん?
陳 石山本願寺の橋下やがな。
司馬 首班指名では信長に入れるちゅう話はどないした?
陳 知らんがな。
795無名草子さん:2012/12/20(木) 23:49:04.89
司馬 10分後に世界は滅亡するんかいな?
陳 知らんがな。
796無名草子さん:2012/12/21(金) 00:03:28.81
陳 滋賀県の嘉田知事は、県政に軸足を置く言うとるな。
司馬 当たり前やがな。知事辞めてしもうたら、月給貰えへん。
797無名草子さん:2012/12/21(金) 16:37:55.14
【秘伝の発掘】

道教と漢方医学の話。
798無名草子さん:2012/12/21(金) 16:44:10.46
三国志の時代に中国で仏教が広まったということだけど、陳舜臣の「秘本三国志」では、
サク融は活躍していますか?
799無名草子さん:2012/12/21(金) 17:01:03.50
瀋陽の中医学院とは、遼寧中医学院かその付属病院のことだと思う。
麻酔なしで抜歯する秘伝の存在は調べてみたが見つからなかった。
遼寧中医学院http://www.japan-china.org/uvPic/200605196225822734.jpg
付属病院http://www.yakuzenro.jp/room/hospital/images/chui_byouin.jpg
800無名草子さん:2012/12/21(金) 17:03:12.27
中国の鍼治療の画像。ちょっと怖いです。
http://hari168man.blog.ocn.ne.jp/blog/images/2010/10/05/006_3.jpg
801無名草子さん:2012/12/21(金) 17:40:08.19
【日本には名医がいなかった……】

幕末までの日本では、病理学や解剖に興味はあっても、優秀な臨床医がいなかったという話。
なお、現在の中国の病院は、漢方と西洋医学を併用しています。
802無名草子さん:2012/12/21(金) 17:43:07.64
凌遅刑について書かれている。全集46巻では「陵遅」となっているが誤り。
処刑方法は本文にあるとおりである。ネットを探せばその写真もある。
俺は心臓が小さいので見たくない。
803無名草子さん:2012/12/21(金) 17:45:29.92
1921年にロックフェラー財団の資金援助で建てられた北京協和医科大学病院
もちろん当時の建物ではない
http://stat.ameba.jp/user_images/20091126/08/fujiimasashi/5a/31/j/t02200165_0240018010319687006.jpg
http://stat.ameba.jp/user_images/20091126/08/fujiimasashi/8d/b7/j/t02200165_0240018010319687001.jpg
804無名草子さん:2012/12/21(金) 17:49:37.53
この対談が行われた昭和49年当時は、中国ではボクシングは資本主義的なスポーツである
ということで禁止されていた。解禁は昭和57年。
ラグビーも現在の中国では行われている。
805無名草子さん:2012/12/21(金) 17:54:21.62
>>804
社会党が政権を取ると野球が出来なくなるからな。
806無名草子さん:2012/12/21(金) 18:48:47.96
【裸に対する拒絶反応】

中国・朝鮮・ヴェトナムと日本とではタブーに違いがある話をしている。
前節の話の続きで、どうして中国人は解剖を嫌ったかの理由を考えている。
中国人は裸を他人に見せるのをタブーとしているので解剖を嫌ったというが、
裸の他人を肉にしてしまえば平気で食ってしまうようである。
807無名草子さん:2012/12/21(金) 18:56:04.02
日本人は食事をしているところを他人に見られたくないが、中国人はそうではない。
香港の街路上の屋台での食事風景が語られている。
しかし、博多人も同様のようである。
http://askcww.up.seesaa.net/image/hakata_2-thumbnail2.jpg
808無名草子さん:2012/12/21(金) 19:01:51.50
中国の寝台車にはカーテンがないという話をされている。
中国人は寝姿を他人に見られるのが恥ずかしくないからである。
現在は、多少事情が変わり、一等寝台にはカーテンがあるが、二等寝台にはない、
という寝台車が多いようである。
一等寝台http://green.ap.teacup.com/happi01/timg/middle_1289400750.jpg
二等寝台http://green.ap.teacup.com/happi01/img/1289401602.jpg
809無名草子さん:2012/12/21(金) 19:08:31.06
ヴェトナムの路上レストラン
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/4b/5e/semi08142011/folder/241156/img_241156_2560873_3?1327650241

日本人も路上で食事をすることは、別に恥ずかしいとは思わない。
農繁期には田圃で弁当を食う。遠足や祭りのときも屋外で弁当を食う。
ただし、寝台車にカーテンがないのは抵抗があるな。
810無名草子さん:2012/12/21(金) 19:13:50.14
紹興にある蘭亭

東普の永和9年(353)3月3日、王羲之と当時の名士たち41名がこの地に集まり、曲水の両側に座り、
清流に流された酒盃が自分の前で止まったら即興で歌を詠むという宴会を楽しんだ。

蘭亭http://www.e-asianmarket.com/asia/shaoxinglanting11.jpg
蘭亭の入口http://www.e-asianmarket.com/asia/shaoxinglanting12.jpg
流觴亭http://www.e-asianmarket.com/asia/shaoxinglanting17.jpg
「曲水流觴」の跡http://www.e-asianmarket.com/asia/shaoxinglanting18.jpg
811無名草子さん:2012/12/21(金) 19:18:10.43
蘇州の滄浪亭

入口
http://suzhou.cute-site.com/changlangting26.jpg
滄浪亭はこんなにちっちゃいものです
http://suzhou.cute-site.com/changlangting06.jpg
812無名草子さん:2012/12/21(金) 19:22:46.08
蘇州、拙政園の繍綺亭
http://suzhou.cute-site.com/suzhouzhuozheng34.jpg
813無名草子さん:2012/12/21(金) 19:28:39.00
これらと比較されている日本の時雨亭は、兼六園の時雨亭ではなく、
藤原定家が百人一首を選定したと伝承されている時雨亭のことである。
伝承地は三箇所あるらしく、定まってはいない。もちろん建物も現存しない。
http://lakugaki.web.fc2.com/ogurayama/saganoji.htm

兼六園の時雨亭
http://shofu.pref.ishikawa.jp/shofu/meienki/ochin/shigure/img/main.jpg
814無名草子さん:2012/12/21(金) 19:35:40.98
中国の公衆便所

扉がないだけではなく、隣との境もない。隣の人のウンコ・シッコが丸見えである。
壁がないから備え付けの便所紙がない。忘れた人は、自分の手で拭くしかない。
http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/a/n/t/anthony3b/20100816183603998.jpg
815無名草子さん:2012/12/21(金) 19:37:11.80
>>814
つい最近まで路上でやってたんだ。便器があるだけ感謝しろ。
816無名草子さん:2012/12/21(金) 19:48:17.41
中国人女性は下着のパンツを平気で外に干すことも書かれているが、
これってそんなに珍しいか?俺らのガキの頃もそうだったと思うが…。
最近、変態下着泥棒が増えてから、外に干さなくなっただけじゃないか?

ジャッキー・チェンの映画でおなじみの風景
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/4d/tomorinn1024/folder/1038714/img_1038714_25538058_20?1330491573
http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/3b/4d/tomorinn1024/folder/1038714/img_1038714_25538058_21?1330491573
817無名草子さん:2012/12/21(金) 19:54:36.75
818無名草子さん:2012/12/21(金) 20:11:22.36
      |:::::::::::::::
      ∧_∧::::::::::::
     (´・ω・`) :::::::: うんこしている姿を他人に見せるのが中国では普通です
◎ー)  /     \:::::::::
 |  | (⌒) (⌒二 )::::::::::::
 ~~~ /⌒ヽ( ̄、  ヽ___
   /    Lヽ \ノ___
   ゙ー―――(__)---
819無名草子さん:2012/12/21(金) 20:21:50.59
この対談では語られていないが、ついでに韓国の公衆便所について。
韓国に行ってまず驚くことは、公衆トイレに紙を流してはいけないという張り紙がしてあること。
トイレに紙を流さないでどうするのかというと、トイレ内に設置してあるゴミ箱の中に捨てる。
つまり、うんこのついたトイレット・ペーパーが次々にゴミ箱に堆積してゆく。当然、うんこくさい。
820無名草子さん:2012/12/21(金) 20:24:42.67
   _____
  ||// ∧_∧|∧_∧
  ||/  ( ´・ω・)(    ) うんこくさい・・・
  ||   (    )|(   o )
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'

   _____
  ||// ∧_∧|∧_∧
  ||/  (n´・ω・)n   ) でもうんこついてない ・・・
  ||   (ソ  丿|ヽ  o )
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'

   _____
  ||// ∧_∧|∧_∧  うんこついてないのにうんこくさい…
  ||/ r(    n´・ω・`n  イヤダワァ、ここは大韓民国
  ||  ヽ   o )|(     )
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ u―u'
821無名草子さん:2012/12/21(金) 20:31:53.05
中国・韓国へ旅行する日本人の気がしれんのだよな。
快適な旅は、まずトイレからだろう?
822無名草子さん:2012/12/22(土) 11:33:24.83
10点、20点しか取れなかった民主党政権が終了したとたんに、
まだ首班指名すら行われていないにもかかわらず、
100点を取り続けることを自民党に要求するマスゴミは、思った通り基地外。
823無名草子さん:2012/12/22(土) 11:47:37.66
竹島と尖閣を比べると、派手な暴動があった尖閣に注目が集まり、竹島問題は霞んでしまっているんだ。
お前ら閑人と違って、一般の国民は毎日の仕事や生活がある。
国民の記憶を喚起するところから世論を盛り上げなきゃならんだろう。
こっちが先に韓国に対して文句を言ってゆける状況を作らなければならないのよ。
ネトウヨなりすましの左翼は黙ってろよ。
824無名草子さん:2012/12/22(土) 12:00:08.90
維新と自民が組んでも、衆院3分の2あるよカードは、まだ使わんのか?
825無名草子さん:2012/12/22(土) 14:07:59.98
【開国は元禄時代がよかった】

元禄時代に開国して、かつキリシタン弾圧がなかったら、太平洋戦争もなかったという妄想を述べている。
826無名草子さん:2012/12/22(土) 14:13:54.01
827無名草子さん:2012/12/22(土) 14:24:08.50
吃飯了馬
 これは親しい関係だけに使う挨拶。誰にでも使う挨拶ではない。特にトイレでは使わない。
 中国はかつて貧しく、食べることが重要であった。だから「メシ食ったか」と挨拶した。
ニイ好
 英語圏の文化が中国に取り入れられるにつれ徐々に作られていった中国語。
 外国人向けのあいさつとして使われたり、中国人同士でもあまり親しくない間柄で使われる。
828無名草子さん:2012/12/22(土) 15:20:14.58
【康有為の誤算】

「康有為の誤植」と言い直したほうがよいほど術語の使い方に間違いが多い。
康有為の顔写真は>>775に掲げた。つのだひろのそっくりさんである。
829無名草子さん:2012/12/22(土) 15:27:18.84
戊戌政変(1898年)
 光緒帝の支持の下、若い士大夫層である康有為・梁啓超・譚嗣同らの変法派によって行われた政治改革運動は、
戊戌の変法(1898年)と呼ばれている。4月〜8月にかけてのことである。
 戊戌政変とは、この戊戌の変法を打ち倒した西太后の反変法クーデタである(1898年8月)。
康有為と梁啓超は、いちはやく日本へ亡命した。
しかし、光緒帝は幽閉され、譚嗣同ら6人の官僚は8月13日、北京城内の菜市口で処刑された。
830無名草子さん:2012/12/22(土) 15:33:55.90
大同思想
 中国の理想郷を表す伝統思想。
大同の世では人々は能力に応じて地位を得、相互に親睦しあっていると考えられている。
この対談の中で「堯舜の世を大同の世という」と言っている部分がそれで、
とくに康有為が言い出した思想というものではない。

大同三世説
 これがこの対談でいう大同思想、つまり康有為の思想である。
この対談の中では「三世の説」として、康有為の師である朱次gの思想であるかのように説かれているが、そうではない。
831無名草子さん:2012/12/22(土) 15:45:00.40
光緒帝は、『長安から北京へ』の第6章「琉璃廠の街角で」に登場した。
義和団の乱(1900年)の頃、北京から西安の驪山温泉[華清池]に疎開していたという話をした。

戊戌政変の後、西太后は一時光緒帝の廃位を考えたが、列強の反対にあい断念した。
その2年後、西太后は光緒帝を連れて驪山温泉へ疎開した。
なお、光緒帝は西太后の妹の子であり、伯母・甥の関係である。
832無名草子さん:2012/12/22(土) 15:48:11.35
833無名草子さん:2012/12/22(土) 15:57:11.90
戊戌の変法の中心人物が康有為のように書かれているが、
譚嗣同を中心人物と考えたほうが理解しやすいと思う。
袁世凱を頼ったのも譚嗣同であり、譚嗣同が袁世凱のところにやってきて
保守派の満州貴族である栄禄の殺害を依頼したのが、戊戌の政変の契機になった。
袁世凱は譚嗣同を裏切り、密告したのである。
http://dictionary.goo.ne.jp/img/daijisen/ref/102750.jpg
834無名草子さん:2012/12/22(土) 16:19:49.40
【変法第一号・譚嗣同】

戊戌変法(1898年)の話の続き。
先走って書いてしまったが、ここで譚嗣同と梁啓超の話が出てくる。
835無名草子さん:2012/12/22(土) 16:29:07.76
836無名草子さん:2012/12/22(土) 16:39:41.47
譚嗣同が逮捕直前に同志の梁啓超から亡命をすすめられたときに、
「君は西郷たれ、我は月照たらん」と言って死んでゆく場面は感動的だな。
837無名草子さん:2012/12/22(土) 17:29:50.80
【西郷を理解する中国人】

引き続き、譚嗣同と西郷隆盛に関する話です。
838無名草子さん:2012/12/22(土) 17:34:46.65
まず、対露戦略で意見が一致したため西郷を高く評価した左宗棠のお話。
http://www.zgqingyang.gov.cn/up_files/yh/201001/2008422104118660.jpg
839無名草子さん:2012/12/22(土) 17:38:51.06
左宗棠の師のような存在である林則徐
http://cebushima-blg.img.jugem.jp/20110219_4333079_t.jpg
のちに左宗棠と仲違いした曽国藩の写真は、>>766に掲げた。
840無名草子さん:2012/12/22(土) 17:43:15.42
左宗棠とイリ事件については『長安から北京へ』第7章「北京の桐の花」にも出てくる。
それほど詳しく書かれているわけではないけどね。
当時のロシア皇帝は、アレクサンドル2世です。
841無名草子さん:2012/12/22(土) 17:48:03.77
対談・座談を読んでいて役に立つのが、この対談の頃、どういう小説を書いていて、
どこに旅行したがが話されている部分だね。
作品の読み込む上でヒントになることが書かれていて楽しい。
この対談の頃には『翔ぶが如く』を書かれているようだ。
842無名草子さん:2012/12/22(土) 18:53:04.28
【“薩摩人は中国人である”】

批林批孔のまとめから、薩摩人は中国人かという話へ、
中国の被差別民の話から、客家の話へと続きます。
843無名草子さん:2012/12/22(土) 18:56:37.41
康有為の著書名が「孔子改制論」になっていますが、正しくは『孔子改制考』です。
844無名草子さん:2012/12/22(土) 19:01:31.49
中国の太太について説明しておきます。解説しているのは、戦後、南京大虐殺という
フィクションの実行犯だという冤罪を着せられた元日本兵です。

中国女性は結婚すると太太と呼ばれ、そうなると一家の主人であります、
用事などまったくしません、夫や子供がこき使われるのが支那の風習です。
夫を国民党に獲られた太太連中?の野良仕事を警護してやっていた日本兵が写っているということは
支那人から完全に信頼されていたということです。
「それを虐殺に向かわせていた」などと解説する日本の学者?の頭は狂っているとしか思えません。
845無名草子さん:2012/12/22(土) 19:05:19.73
島津氏の先祖とされる惟宗氏は、秦氏です。
秦氏については、中国人説と朝鮮人説がありますが、
前者が右翼の見解で、後者が左翼の見解です。
どうでもいいです。
846無名草子さん:2012/12/22(土) 19:17:07.79
九姓漁戸は、第1章の蛋民(>>746)と同様に差別されてきた人々です。
詳しいことはわかりませんが、九姓漁戸も水上生活者なのでしょうか。
終戦後、日本の多くの都市が空襲の被害を受け、河川や運河は水上生活者でいっぱいでした。
昭和40年前後になっても、多くの水上生活者がいたのを見て、驚いた記憶があります。
日本人も苦労してきたのです。チョンとチャンコロは口を慎め、バカ野郎!
おまえら生まれとりもせんじゃろが。
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9c/18/tiggogawa66/folder/1483167/img_1483167_46189262_1?1176890268
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9c/18/tiggogawa66/folder/1483167/img_1483167_46189262_2?1176890268
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/9c/18/tiggogawa66/folder/1483167/img_1483167_46189262_3?1176890268
847無名草子さん:2012/12/22(土) 19:22:13.05
洪秀全も孫文も客家です。客家もかつては差別されていたようです。
差別されていた人たちのなかから革命家が出てくることが多いです。
革命で倒したほうがよいつまらん国は革命で倒しましょう。
戦後の日本はいい国です。飽食している馬鹿サヨクに足を引っ張られたくはありません。
848無名草子さん:2012/12/22(土) 21:10:13.26
【野心家・袁世凱のこと】

日清戦争後に組織された新建陸軍
http://big5.huaxia.com/gate/big5/blog.huaxia.com/attachments/2011/08/2011809_b19a6e9f036005ca9d5947be5dabb463.jpg
849無名草子さん:2012/12/22(土) 21:20:02.89
第一次大戦中の青島の戦いについては、「青島要塞爆撃命令」(昭和38年)という映画がある。
http://www.linkclub.or.jp/~jintonic/HPT/hp-cnto.jpg
この時期の東宝の戦争映画は、どれを観ても、加山雄三と佐藤允と夏木陽介が出ている。
脇役も、いつものメンバーである。
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/95/0000919795/33/imgd6f2d13ezik7zj.jpeg
この時期は、映画が封切りされる前に、宣伝を兼ねて、漫画化されることが多かった。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/53/ec620ec5a7b2c51b6040ad0b5af45d0e.jpg
850無名草子さん:2012/12/22(土) 21:30:22.76
対談のなかで、中国への借款はカネを貸すというより、利権をまきあげる手段であったと書かれている。
事情は、次のようである。
鉄道敷設のためのカネを中国に貸しても、インフレ等で中国は借金を返せなくなる。
鉄道設備その他の設備は担保になっているから、中国の債務不履行により、カネを貸した外国のものになるのである。
もちろん、鉄道を建設する会社も、運営する会社も、カネを貸した外国人が経営している。
しかも、鉄道周辺は、治外法権になっている。列強は、このようにして中国を蝕んでいった。

ところが、日本の西原借款は無担保であった。
カネを貸した段祺瑞政権が滅んでしまうと、貸し倒れになった。
851無名草子さん:2012/12/22(土) 21:32:40.68
852無名草子さん:2012/12/22(土) 21:37:30.13
>>849
冒険王とまんが王は、たくさんの付録を雑誌にはさんで紐でしばっていたから、
雑誌本体の紙が、しわだらけなんだよな。
853無名草子さん:2012/12/22(土) 22:00:38.01
>>833
譚嗣同が百日変法に参画したのは、最終の七日間だけだよ。
中心人物じゃないよ。
854無名草子さん:2012/12/22(土) 22:49:56.86
>>852
大人が観る映画の情報も少年漫画雑誌で得ていたよな。
映画だけでなく少年漫画雑誌のグラビアは情報の宝庫だった。
いつごろから、水着アイドルばかりになったのだろうな。
小学生はマスターベーションしないのだから、用がないだろう。
若いやつがパーになるわけだよな。
855無名草子さん:2012/12/23(日) 19:10:56.49
【孫文の日本に対する予言】

孫文らの中国[革命]同盟会の設立を明治39年としておられるが、明治38年8月の誤りである。
設立には、内田良平や頭山満が協力している。
中国同盟会にゆかりのある場所を示した神田の地図
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2011-10/09/content_396421.htm
856無名草子さん:2012/12/23(日) 19:24:23.90
>>531
「対談・中国を考える」の第2章にも出てくる。著者の名前がハレット・アーベントではなく、
ハレット・アーベルトになっている。前者が一般的である。

ハレット・アーベント記者が1937年8月31日のニューヨーク・タイムスに書いた記事に
次のようなものがある。昭和12年の第二次上海事変に関する記事である。
「上海の戦闘状態に関する限り、証拠が示している事実は一つしかない。
日本軍は上海では戦闘の繰り返しを望んでおらず、
我慢と忍耐力を示し、事態の悪化を防ぐためにできる限りのことをした。
だが日本軍は中国軍によって文字通り衝突へと無理やり追い込まれてしまったのである。」
なお、ニューヨーク・タイムスは、当時明らかに反日・親中国の立場に立っていた。
857無名草子さん:2012/12/23(日) 19:34:22.35
宮崎滔天と孫文の交遊を物語るところで荒尾の孫文記念館の話が出てくる。
この記念館は老朽化のため平成13年(2001)に解体された。
下の画像がその跡地である。上は宮崎家の墓。
http://www.kumanomoto.com/travel/image/201117/e_img.jpg
858無名草子さん:2012/12/23(日) 19:50:04.86
孫文の県立神戸高等女学校講堂における演説について、そこに引用されている中野正剛
の著書では、「いわゆる(日本の)大アジア主義者とは立論の根拠を異にしている」と書かれているが、
孫文のこの演説こそ、『大アジア主義講演』と呼ばれるものである。

現在その校舎は既になく、兵庫県庁舎1号館に建て替えられている。
兵庫県庁舎1号館の側壁に「兵庫県立第一神戸高等女学校跡」と
「孫中山先生大アジア主義講演会の地」のプレートが埋め込まれている。
http://dancingheart.up.seesaa.net/image/CABCB8CBB8A9C4A3BCCB-thumbnail2.JPG
859無名草子さん:2012/12/23(日) 20:05:44.22
昨年(2011年)は、辛亥革命100周年に当たる年でした。
10月1日の国慶節には、北京の天安門広場に孫中山(孫文)の巨大な肖像画が掲げられました。
http://www.kaigai-guide.com/blog/sunyat-sen.jpg
860無名草子さん:2012/12/23(日) 20:39:34.31
【既成のナショナリズム観では見られない新中国】

二人とも随分嬉しそうに中国憲法のストライキ権のことを語っておられるが、正しく理解できていない。
まず、現行の中国憲法にはストライキ権の保障はない。
ストライキ権は、四人組の絶頂期である1975年に制定された中華人民共和国憲法の第28条で保障されていた。
その内容も、自由主義国における争議権の保障とはまったく異なる。
同憲法28条の条文を見てみよう。
「第28条 公民は言論、通信、出版、集会、結社、デモ、ストライキの権利を有する。」
このように表現の自由の一環として保障されているのである。
毛沢東主席の下でいわゆる四人組が権力を握っていた時代であることを考えれば、
ここに挙げられた諸行動が、どういう立場からどういうことをする「権利」であったのかは自ずから窺われるであろう。
つまり、「革命委員会」が企業管理者や技術者を「社会主義の敵」として「階級闘争」をふっかける「権利」のことであったのである。
走資派と呼ばれる優秀な人材を、極左の馬鹿どもが嬲り殺しにするための権利だったのである。
現在、この権利を保障していない中国の憲法は、いくらかまともになっているといえる。
861無名草子さん:2012/12/23(日) 23:34:44.50
>>860
造反有理を称賛した文脈でストライキ権が憲法で保障されたことを絶賛している。
この二人は文革肯定派なのか?
862無名草子さん:2012/12/23(日) 23:45:44.43
>>860
資本主義国の労働基本権と違うということを正しく認識した上で、なおかつストライキ権を称えている感じだな。
ますますたちが悪い。
日本で行われていた政治ストを憲法で保障したのが、中国のストライキ権なんだよ。
旧国労や日教組が聞けば大喜びしそうな憲法規定だよ。
863無名草子さん:2012/12/23(日) 23:56:52.99
>>862
昭和49年の対談だから、まだ文革の醜い部分が詳細に伝わっていなかったかもしれないな。
時代は週刊文春が田中金脈問題を追及していた頃で、まだまだ中国は日本で人気があったんだ。
日中国交正常化後の衆院選では日本共産党が議席を大幅に伸ばすという椿事もあったしな。
みんなが上野のパンダに騙されていた頃だ。
864無名草子さん:2012/12/24(月) 00:18:36.66
>>11
横山三国志の顔良・文醜と云わないと意味通じねーよ。
865無名草子さん:2012/12/24(月) 11:15:51.23
>>863
この章の終盤になると、中国人には普遍性があるが日本人にはそれがないから
中国人から普遍性を学ぶべきだみたいなことまで言っているね。
なんでここまで持ち上げるかな?
866無名草子さん:2012/12/24(月) 11:27:22.29
>>865
中国人の普遍性は、次の一文に示されているものしか具体例が述べられていないよ。

いつでも日本人が安心立命ができて、いい気持ちになるのは、
さっきの話ではないけれど、扉のある便所でウンチしたりすることと同じで、
自分の特殊なものに隠れていくときに、一番甘美になる。

つまり中国人の普遍性とは、扉と仕切りのない公衆便所でウンチをすることなんだ。
具体例はそれしか書かれていない。それ以外では古代文明の発祥地の宿命みたいなことしか書いていない。
867無名草子さん:2012/12/24(月) 11:46:54.88
>>866
むかしのように田圃のへりの肥溜めを復活させて、そこで尻をめくってウンチをすれば、
われわれ日本人も普遍性を獲得できるということだな。

余談になるが、畑のへりの肥溜めはもっと時代小説に出てきてもいいと思うんだがな。
チャンバラで闘っている敵を肥溜めに落とせば敵の動きは鈍くなる。
そういう策略を考えた剣客はいたはずだし、風景としても肥溜めは必ず目につくものだ。
特に夜のシーンでは肥溜めに嵌らないよう注意して歩かなければならない。
868無名草子さん:2012/12/24(月) 12:10:55.18
>>865
この対談がなされたのが、高度成長期の終焉直後で、
日本人がなんとなく自信を喪失していた時期なんだよ。
昭和50年代になると、再び逞しく復活するんだけどな。
公害問題が収束しない間に、ドル・ショックとオイル・ショックがきたからな。
869無名草子さん:2012/12/24(月) 12:14:44.19
司馬遼太郎の書き物は善人と悪人を綺麗にかき分けすぎだ。

また、賢人と愚人をかき分けすぎだ。

実際の人間は、そのどちらも併せ持つものだ。
870無名草子さん:2012/12/24(月) 12:20:14.18
>>866
扉のある便所の中にいて甘美な気分になることはないが、
野糞をするとき他人に見つからないよう周囲に注意を配るのは確かだよな。
あの注意の配り方は、人生最大のものと言っても過言ではない。
871無名草子さん:2012/12/24(月) 14:53:32.57
バブル崩壊の後で逝った司馬さんは惜しいな。

今を生きていたら、「防衛戦争」の意義を語ってくれたに違いない。
872無名草子さん:2012/12/24(月) 15:04:27.09
陳さんの話のなかに出てきた瀋陽市朝鮮族第一中学校
http://fimg.freeml.com/data/photo/13/01/7211301/l_cb770aa15c6fd1fb28e386320b34a03e8f9f2d65.jpg
873無名草子さん:2012/12/24(月) 15:43:45.30
【官僚的なところも……】

「長安から北京へ」の旅にも登場した乾陵や永泰公主の陪冢の話が出てきますが、
この時点では司馬さんは中国旅行をしたことがありません。喋っているのは、もっぱら陳さん。
874無名草子さん:2012/12/24(月) 15:47:49.53
司馬さんの発言のなかに出てくる永泰公主の陪冢を見学した「友人のUさん」とは、
歴史学者の上田正昭氏です。この対談が行われた昭和49年に中国見学をして、
『永泰公主墓の壁画を見て--「古為今用」の保存(古美術)』という論文を書いておられます。
875無名草子さん:2012/12/24(月) 16:06:26.63
【“革命”は“掠奪”であった】

モンゴル語には「ガミン(=中国語の革命)」が、「野盗」「山賊」を意味する語彙として残っている
という司馬作品に何度も出てくる話である。司馬独自説かと思っていたら、そうではない。
中国の新聞なども同じ話を載せている。
876無名草子さん:2012/12/24(月) 16:11:47.64
>>875
司馬さんの友人のモンゴル語教授は、モンゴル語のガミンは中国語の革命(ガーミン)ではなく
国民(クォーミン)が転訛したものと言っているね。司馬は「餅は餅屋」とおだてながらも、
このモンゴル語教授の見解を無視して、ガミン=革命として話を進めている。
そうであるなら、わざわざモンゴル語教授の見解を持ち出すまでもない。
恥をかかせたかったのか?
877無名草子さん:2012/12/24(月) 16:51:23.32
【すべての才能を見出す】

…のは少年宮の教育方針である。「長安から北京へ」にも上海の少年宮の話が出てくるが、
ここでの語り手は陳さんである。
878無名草子さん:2012/12/24(月) 16:55:02.16
天安門広場にある毛沢東の“人民英雄永垂不朽”の揮毫が刻まれた碑は、人民英雄紀念碑という。
http://beijinging.zening.info/tenanmon_plaza/photo/Dscn9897_m.jpg
裏面の周恩来の揮毫
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/25/P1080792.JPG/150px-P1080792.JPG
879無名草子さん:2012/12/24(月) 17:25:55.44
【日本は生き延びられるか】

この節は、対談が行われた時期と現在の中国との違いに驚くばかりで、読んでも参考にはなりません。
大昔のニュース映像を見て「なつかしい」と思うような節です。
この当時の中国は台湾よりも輸出額が少なかったのですが、現在では世界最大の輸出国です。
当時の中国の指導者は「中国の対外貿易の金額が少ないということは健全なのだ」と強がりなのか
負け惜しみなのかは知りませんが、そんなことを言っておったと陳さんは述べられています。
現在の中国の状態がいかに不健全であるかは、世界の周知するところです。
880無名草子さん:2012/12/24(月) 17:32:26.31
司馬さんは、「中国を少し見習って、自民党が社会主義をやったっていい」とおっしゃっています。
次の節では、「土地は公有にしろ」とおっしゃっています。
ご自宅の固定資産税が高額だったのでしょうか?
881無名草子さん:2012/12/24(月) 17:39:05.92
司馬さんは「地面を投機的に売買して儲けるようなバカがいるのは、日本だけですよ」とおっしゃっています。
「バカ」と言っておられます。もしかすると、おれらとたいしてレベルの違わない方なのかもしれません。
親近感を持ちました。
882無名草子さん:2012/12/24(月) 17:49:08.94
【普遍性を身につけることの大事さ】

この章のまとめですが、>>865-871あたりにほぼ出尽くしています。
883無名草子さん:2012/12/24(月) 17:50:58.42
扉と仕切りのない中国の公衆便所のインパクトが強烈で、ほかの話は記憶に残りませんでした。
884対談 中国を考える ◆U76uo.7tB. :2012/12/24(月) 18:04:21.87
第3章 日本の侵略と大陸の荒廃

昭和51年5月22日/大阪における対談

第2章の対談から少し間をおいて、1年6ヶ月ぶりの対談です。
885無名草子さん:2012/12/24(月) 19:55:30.21
【竜涎香で失ったマカオ】

「木曜島の夜会」の初出が昭和51年9月であるので、この対談の少し前に取材旅行へ
行かれたのだろう。

トレス海峡http://www.geocities.jp/kazupearl_friday/img/ausmap2.gif
木曜島の港http://www.tanken.com/moku6.jpg
木曜島の日本人墓地http://www.tanken.com/moku13.jpg
真珠ダイバーの姿http://www.tanken.com/moku2.jpg
採取した真珠貝http://www.tanken.com/moku16.jpg
白蝶貝http://yoka-yoka.jp/usr/mizuo/%E7%99%BD%E8%9D%B6%E8%B2%9D.JPG
886無名草子さん:2012/12/24(月) 19:59:07.74
竜涎香とは、マッコウクジラの腸内に発生する結石である。
http://chikyu-to-umi.com/kaito/intro7.jpg
マカオは、1999年までポルトガルの植民地であったが、現在は中華人民共和国マカオ特別行政区である。
887無名草子さん:2012/12/24(月) 20:19:05.28
【中国人と海】

螺鈿と夜光貝についての話。司馬さんの短編全集第1巻の最初の作品が、
螺鈿細工の職人・蒼洋を主人公にした「わが生涯は夜光貝の光と共に」である。
27歳のときの作品らしい。

尾形光琳/八橋蒔絵螺鈿硯箱
http://www.tnm.jp/uploads/r_collection/M_234.jpg
夜光貝
http://img02.ti-da.net/usr/umigame44/P4100019.JPG
888無名草子さん:2012/12/24(月) 20:37:25.13
交趾(ベトナム)の反乱を鎮圧した馬援は、馬騰・馬超親子の先祖だよね?
889無名草子さん:2012/12/24(月) 20:38:25.15
>>888
お前は三国志を起点にしないと中国の話ができないのか?
890無名草子さん:2012/12/24(月) 20:41:28.94
干しアワビと干しナマコの画像はいらんな。
アワビ・ナマコは、刺身で食えよ。
891無名草子さん:2012/12/24(月) 20:49:13.32
        ____  ズルズルーーッ!!
        /     \    ナマモノをわざわざ干して、茹でて元に戻すって、
     /   ⌒  ⌒ \     手間のかかることすんな。
   /   ( ●)  (●) \
    |   、" ゙)(__人__)" .)|    ___________
   \      。` ||||==(⌒)ー、| |             |
__/         ||||    \  〉| |             |
| | /    ,  | ̄どん兵衛.| ̄ ̄ .| |             |
| | /   /   ヽ回回回回丿     | |             |
| | | ⌒ ーnnn.ヽ___/     |_|___________|
 ̄ \__、("二) └─┘ ̄l二二l二二  _|_|__|_
892無名草子さん:2012/12/24(月) 23:44:46.81
>>890
画像あってもいいよ。
干しアワビ=マ○コ
干しナマコ=チン○
そっくり
893無名草子さん:2012/12/25(火) 06:08:00.91
>「地面を投機的に売買して儲けるようなバカがいるのは、日本だけですよ」

この辺司馬遼太郎は普遍的な経済センスが無かったというか、やっぱ疎かったんだろうね。
江戸時代の勝海舟の方がまだ優れてる。
894無名草子さん:2012/12/25(火) 06:50:24.14
>>891
おまえが食っているものも、乾燥させた食品をお湯で元に戻したものだが。
895無名草子さん:2012/12/25(火) 14:30:03.68
>>887
蒼洋が螺鈿技術を求めて中国に渡る場面があったな。
対談のここの部分を読んでいて、まっさきに蒼洋を思い出した。
896無名草子さん:2012/12/25(火) 22:08:25.50
>>895
「わが生涯は夜光貝の光と共に」は、この対談が出版された頃は司馬読者のほとんどに知られていない習作だ。
死後に出た雑誌で読んだ人が多いのではないかな。
いま改めてこの対談を読むと、若い頃に興味をもたれていた螺鈿のことが頭の片隅にずっとあったんだなということがわかる。
こういう発見は楽しいな。
897無名草子さん:2012/12/26(水) 06:58:22.70
>>893
神戸の土地を買っておけと世話になった家主に教えた勝海舟は、好意的に書かれている。
この対談では中国の社会主義は絶賛する、ソ連のアジア侵略についても日本人の被害妄想のように書くなど、若干いつもと様相が違う。
ひとつには、日露戦争を防衛戦争と言い切ったのをサヨクに叩かれてきつかったんじゃないかな。
この対談の中でも述べられているが、当時戦争についての論述を反戦的なものにしないと右翼と非難された。
あらゆる反左翼的言動は街宣右翼と同視された。街宣車と無縁の右翼思想は、その存在すら認められなかったんだな。
余談が長くなってしまった。もう一つの理由は、オイル・ショックで経済が落ち込み、日本人全体が先行き不安を感じていた。
司馬遼太郎とて例外ではないということだ。中国型社会主義に打開策を求めている。
898無名草子さん:2012/12/26(水) 07:30:47.89
ソ連の崩壊によって左翼は鳴りを潜めていたんだが、日本経済の低迷によって最近再び調子こいている。
右翼的言論も盛んになってくる。
左翼は保守と右翼を同一視するが、両者は同じではない。反左翼的である点で共通するに過ぎない。
といっても国家社会主義を標榜している右翼はいないのだろうから(筆者は右翼について詳しくない)、
自由主義・民主主義を守ろうとする点では共通するのであろう。
左翼の立て看には大きく太い文字で「民主主義を守ろう」「平和を守ろう」と書いてある。
嘘つきほど、大きな声をだすものである。
選挙のない国、検閲が行われる国に民主主義や自由主義が行われているとはいわない。
899無名草子さん:2012/12/26(水) 13:42:04.69
【李鴻章の私兵と戦った日本】

このあたりは「坂の上の雲」でしっかり書かれているから、そちらに譲る。
曽国藩の湘軍の湘は、淋病の淋にちょっと似ていることだけ付記しておく。
900無名草子さん:2012/12/26(水) 14:23:02.39
【有能な秘書なら紹興爺】

周恩来の祖父も紹興爺であったと話されている。
周恩来の祖父は周殿魁という名で、紹興にいた。

それではみなさまご一緒に紹興観光でございます。
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200908/12/83/e0094583_17513236.jpg
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200908/12/83/e0094583_17514583.jpg
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200908/12/83/e0094583_17485070.jpg
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200908/12/83/e0094583_1749437.jpg
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200908/12/83/e0094583_1750514.jpg
http://pds2.exblog.jp/pds/1/200908/12/83/e0094583_17504485.jpg
901無名草子さん:2012/12/26(水) 14:26:51.12
902無名草子さん:2012/12/26(水) 15:05:19.18
【スパイと工作のちがい】

ここからが本章の本論である。
日清戦争以降の日本の大陸進出について論じられている。
903無名草子さん:2012/12/26(水) 15:10:24.85
日本人が北京語を学んで話すと、福建人の訛のように聞こえるということだ。
お経の読み方が呉音だからであろう。福建語は古い呉音を多く受け継いでいる。
904無名草子さん:2012/12/26(水) 15:15:35.35
>>897
あの時期の土地投機が異常だったのは確かだが、土地や不動産での投機なら世界中にある。
バブルで珍しい球根一個と邸宅が交換されたこともあるし、ワインが
投機対象になったり、アメリカは何度痛い目にあっても
サブプライムにITにと投機を繰り返してる。儲かるとなれば土地だろうが何だろうが対象になる。

その辺司馬は経済社会を洞察して普遍的な見方まで到達できず、いわば悲憤慷慨の慷慨家と同じレベルにとどまってる。
海舟は、武士道が廃れたとか嘆く風潮に「あんなの当時の俸禄制あればすぐ復活する」
とか言ったり、人格面での美点を生んだ点を評価したり、左翼みたいに教条的に否定してるわけでもない。
経済の洞察も鋭く現代での通じる普遍的なものがある。

勝は正式な近代学問が無く、まだ明治の時代だ。にもかかわらず
「トイレの戸をつけないから普遍的」みたいな頭の悪いレベルじゃないのがすごい。
905無名草子さん:2012/12/26(水) 15:45:47.70
明治17−18年にベトナム(越南)領有を巡ってフランスと清国との間で戦われた清仏戦争は、
ロシアの南下とともに、日清戦争勃発の背景として重要である。
バカ左翼は、こういう情勢下にあっても、明治の日本が平和主義でなかったと非難する
のであるが、その感覚は人間とは思えない。脳味噌がカラッポか、中国・朝鮮のための
工作をしているとしか思えない。
もうひとつ考えられるのは、すべての学者がそうだというわけではないが、学者・文学者には運動神経の鈍い人が多い。
戦争中徴兵されて陸軍の内務班でいじめられた人が多いのではないか。
肉体的・精神的な屈辱が、彼らを反日活動家にしたのではないかと思われる。
906無名草子さん:2012/12/26(水) 15:58:28.52
戦争のない平和な世界を理想としてもつことは悪いことだとは思わないが、
現実の政治のなかに、そのような妄想を持ち込んで、妄想を基準にして
過去の歴史の是非を判断してはならない。そんなことをしていると馬鹿になるよ。
907無名草子さん:2012/12/26(水) 16:15:41.25
朝鮮語では、日本酒全般を指して「正宗」と呼ぶが、読みはチョンチョンではなく、
チョンジョンだと思う。
908無名草子さん:2012/12/26(水) 16:31:41.39
【タオルを売り歩く資本主義】

日清・日露戦争当時の日本の工業生産力では、輸出工業製品としてはタオルしか
なかったというのは、司馬さんがよく使うレトリックである。
明治初年における維新政府の殖産政策は、まず紡績業と織物業との機械化から
始まったのは事実であるが、食品業、製鉄業、造船業、機械工業、化学工業、窯業、電気事業
にも着手しており、タオルしか売るものがないというのは言いすぎである。
909無名草子さん:2012/12/26(水) 16:59:28.66
【領土欲のない膨張論】

下関条約で遼東半島(北)と台湾(南)を得たことが、参謀本部における北進論と南進論の分裂の
嚆矢という陳さんの意見も、かなりおかしい。
910無名草子さん:2012/12/26(水) 17:06:50.37
福建省福州の琉球館は、貿易の中心がそれまでの泉州から福州に移った明代にでき、
20世紀初頭まで存在した。

琉球館=柔遠駅
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/poppen38/20100215/20100215162701.jpg
琉球館の周辺
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/poppen38/20100215/20100215162954.jpg
福州で客死した琉球人たちを葬った「琉球慕園」
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/p/poppen38/20100214/20100214181030.jpg
911無名草子さん:2012/12/26(水) 17:39:17.06
【日露戦争の原因】

ロシアが西と東から南下してきます。
このスレッドで何度も出てきた伊犂事件(イリ事件)は、明治7年の日本による台湾出兵と
深い関係があることが語られています。
イリ事件の前に東トルキスタンで起きた回教徒の乱は、またの名をヤクブ・ベクの乱といいます。
ヤクブ・ベク
http://dadao.kt.fc2.com/turuk-history1001.jpg
912無名草子さん:2012/12/26(水) 17:43:12.54
沈葆驍ヘ『翔ぶが如く』第30章「長崎・台湾」に登場しました。
台湾出兵の際、欽差大臣として台湾に赴任し軍務を監督した人物です。
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/db/6f/nipponia_nippon3/folder/1502805/img_1502805_56433316_1?1222016871
913無名草子さん:2012/12/26(水) 17:47:35.08
914無名草子さん:2012/12/26(水) 17:50:19.77
清朝の東三省(旧満州)に置かれた将軍について、盛京将軍と黒龍江将軍しか書かれて
おりませんが、吉林将軍を含めた三人の将軍が置かれておりました。
915無名草子さん:2012/12/26(水) 18:23:07.16
【満州を乗っ取ろうとした張作霖】

馬賊の張作霖
http://chinaalacarte.web.fc2.com/shanhai-chousakurin.jpg

司馬遼太郎は高校受験に失敗した日、播磨町を歩きながら“馬賊になったるねん”と友人に言ったそうである。
〔『古往今来』一枚の古銭〕
916無名草子さん:2012/12/26(水) 18:26:48.22
        / ̄ ̄ ̄ \
      /   :::::\:::/\
     /    。<一>:::::<ー>。
     |    .:::。゚~(__人__)~゚j   “馬賊になったるねん”
     \、   ゜ ` ⌒´,;/゜
    /  ⌒ヽ゚  '"'"´(;゚ 。
   / ,_ \ \/\ \
    と___)_ヽ_つ_;_ヾ_つ.;._
917無名草子さん:2012/12/26(水) 18:31:43.30
張作霖は文盲。必死に練習して自分の名前だけは書けるようになった。
918無名草子さん:2012/12/26(水) 18:42:57.51
映画「戦争と人間」の第一部。張作霖が暗殺される満州某重大事件のシーン。
「えっ!列車、模型かよ?本物使えよ」とガキの頃思った。
http://nozawa22.cocolog-nifty.com/nozawa22/images/2010/09/08/5714.jpg
919無名草子さん:2012/12/27(木) 00:09:41.25
>>918
アカでなければ人間ではないといった感じの偏向した映画だが、
キャストは豪華この上ないし、名場面もふんだんにある。
第二部の地井武男の徐在林の雪のシーンは特に印象に残る。
朝鮮人のために涙を流したのは、この映画の地井さんの演技が最初で最後だ。
佐藤勝の音楽も良い。
920無名草子さん:2012/12/27(木) 14:06:55.10
【参謀本部の腐敗】

中村大尉事件。
昭和6年、中村震太郎大尉が張学良配下の関玉衛の指揮する屯墾軍に拘束され、銃殺された事件。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/j/jjtaro_maru/20110915/20110915214803.jpg
921無名草子さん:2012/12/27(木) 14:11:06.01
“ますらお中村震太郎 ゆくてはいずこ興安嶺”
歌詞が一部間違っている。正しくは「行く手は遠し興安嶺」である。
題名は「噫中村大尉」
http://www.youtube.com/watch?v=_PYhk7KSXyo
922無名草子さん:2012/12/27(木) 14:15:35.62
それではみなさまご一緒にブラゴベシチェンスク観光でございます。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/59/Blagoveshchensk.svg/250px-Blagoveshchensk.svg.png
対岸のK河市http://www.geocities.jp/adiospekin/rus/heihe5.jpg
K河から見たK龍江http://www.geocities.jp/adiospekin/rus/heihe.jpg
ブラゴヴェシチェンスクhttp://www.geocities.jp/adiospekin/rus/heihe3.jpg
923無名草子さん:2012/12/27(木) 14:16:56.78
黒河市のことを歌ったとされる東海林太郎の「国境の町」
http://www.youtube.com/watch?v=V-DQ8_J6Hec
924無名草子さん:2012/12/27(木) 14:22:12.70
ソ連の「陸軍画報」を持って帰ったとあるから、ソ連にも「陸軍画報」があったのであろう。
日本にも「陸軍画報」という雑誌があり、昭和11年ぐらいまでは、ソ連の最新兵器の写真
がふんだんに載せられていることで有名であった。
http://shiomo.jp/wp-content/uploads/2010/10/65_rikugungaho-540x751.jpg
925無名草子さん:2012/12/27(木) 14:30:30.60
926無名草子さん:2012/12/27(木) 15:13:19.27
【宦官はCIA】

陳さんの「詩経」についての発言。
楽府の役人が集めてきた歌の中から孔子が選択したのが「詩経」とおっしゃっているが、
そうなのだろうか?
楽府という役所ができたのは、前漢の武帝の時代である。楽府の役人が集めた詩は、
一般に「楽府詩」という。「詩経」の編纂よりも、ずっと後世のことである。
927無名草子さん:2012/12/27(木) 15:16:58.43
宦官について
唐末…後漢・明ほどではないが、宦官悪の顕著な時代である。
明末…明代には宦官が爆発的に増え約10万人に膨れ上がった。
清末…「刀子匠」(タオツチャン)と呼ばれる政府公認の去勢手術の専門家が出てきた。
928無名草子さん:2012/12/27(木) 15:34:10.61
929無名草子さん:2012/12/27(木) 16:11:17.85
【関東軍の謀略的体質】

百霊廟事件(綏遠事件)とノモンハン事件について述べられている。
陳さんの発言に、「(百霊廟事件は)、いま日本の史料では、辻政信が勝手にやったことになっています」
というのがあるが、田中隆吉中佐の誤りではないかと思われる。
二度も辻政信と言っておられるので、筆者も他の新史料が出てきたのかと不安なのであるが、
綏遠事件といえば、現地軍指揮官の田中隆吉の独断専行といわれている。
930無名草子さん:2012/12/27(木) 16:15:47.42
931無名草子さん:2012/12/27(木) 16:27:18.08
地図の中の青い部分が当時の綏遠省だ。今は内蒙古自治区。
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/c9/13/ureeruhiroshi/folder/120624/img_120624_55407600_0?1252793219
932ゆとり向け:2012/12/27(木) 16:30:47.98
綏遠事件は、昭和11年11月、
ノモンハン事件は、昭和14年の5月〜9月だ。
933無名草子さん:2012/12/27(木) 17:45:19.90
【二流の情報に踊る】

日本軍が擁立しようとした北洋軍閥の呉佩孚
http://www.geocities.jp/baronhiro2000/rekisi/gunbatu/gohaifu.jpg
親日政府参加を求められた唐紹儀
日本に利用されることを恐れた軍統(軍事統計局)により暗殺された。享年79。
http://img.ycwb.com/culture/attachement/jpg/site2/20110918/001e90b66e800fdf965d22.jpg
934無名草子さん:2012/12/27(木) 17:47:14.90
【いやな情報は捨てる体質】

ガダルカナルの辻政信について語られている。
http://blog-imgs-46-origin.fc2.com/m/a/r/marimobookread/20120909182406160s.jpg
935対談 中国を考える ◆U76uo.7tB. :2012/12/27(木) 18:09:31.20
第4章 シルクロード、その歴史と魅力

昭和52年10月17日/大阪における対談

第2章の対談から少し間をおいて、1年5ヶ月ぶりの対談です。
この対談と同じ年の8月、司馬さんは「天山の麓の緑のなかで」と
「イリ十日記」で書かれている西域の旅に出ている。
936無名草子さん:2012/12/27(木) 19:05:07.51
>>935
「天山の麓の緑のなかで」と「イリ十日記」では、昭和55年7月の旅が中心で、
昭和52年8月の旅は補足的に触れられているだけだよ。
昭和52年8月の旅に関してはこの対談が詳しいと思う。なにしろ旅の直後の対談だ。
937無名草子さん:2012/12/27(木) 19:11:31.45
【砂漠に消える川】

…とは、カシュガル近辺のヤルカンド川。
司馬さんが西域旅行の直後であるため、旅の話に花が咲く。

[地図]http://fumiki.travel.coocan.jp/silk/sinkyou2.cc.jpg
ヤルカンド川
http://fumiki.travel.coocan.jp/silk/P6020969.JPGc.jpg
938無名草子さん:2012/12/27(木) 19:14:20.24
これまでにもウイグル人男性の画像は何回か貼ってきたと思うが、
纏回(ターバン)姿のものはなく、帽子をかぶっているものが多かった。
清代を舞台にした映画の中にウイグル族族長のターバン姿があった。
http://blog-imgs-36.fc2.com/n/a/i/naigaiko/so22.jpg
939無名草子さん:2012/12/27(木) 19:21:03.93
大阪大学で中世ウイグル語を研究しておられる「山田さん」とは、山田信夫教授である。
ヘディンとは、スウェーデンの地理学者・中央アジア探検家であるスヴェン・ヘディンである。
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/26/sakurai4391/folder/1164511/img_1164511_35338759_20?1321431278
スタインとは、イギリスに帰化したハンガリー出身の探検家オーレル・スタインである。
http://ww5.enjoy.ne.jp/~s-mattsun/essei/e-img2/e_0901.jpg
940無名草子さん:2012/12/27(木) 19:31:31.92
下の写真でおなじみの玉門関は、唐代のものである。
http://wadaphoto.jp/kikou/images/siru29.jpg
陽関を再現した陽関博物館
http://wadaphoto.jp/kikou/images/siru35.jpg
砂漠の中の狼煙台(再現)
http://wadaphoto.jp/kikou/images/siru33.jpg
玉門関は、元来は漢の武帝が河西回廊を防衛する目的で建造した長城の最西端である。
その長城跡http://wadaphoto.jp/kikou/images/siru30.jpg
941無名草子さん:2012/12/27(木) 19:35:26.79
942無名草子さん:2012/12/28(金) 14:47:39.56
【忘れられた軍隊】

…とは、乾隆帝のジュンガル征服の際に人夫として従軍した満州ツングースが新疆ウイグル自治区で
生き残っているというお話です。
943無名草子さん:2012/12/28(金) 14:49:20.45
944無名草子さん:2012/12/28(金) 14:58:25.54
東干(ドンガン人)
カザフスタン、キルギス領内のフェルガナ盆地に居住する中国系ムスリム。
1862年に陝西省から興った回民の反乱が鎮圧された後、
ロシア帝国領であった中央アジアに逃げ込んだ人々の子孫。
http://www.chinapictorial.com.cn/jp/se/images/attachement/jpg/site133/20100705/001fc699842f0d9b8dee08.JPG
945無名草子さん:2012/12/28(金) 15:10:03.45
946無名草子さん:2012/12/28(金) 15:57:34.41
【日本経由で行った北京から西域】

…へ行ったのは呉藹宸で、その記録が「新疆紀遊」である。
「イリ十日記」に同じ話が出てくる。「イリ十日記」のほうが詳細かつ誤りが少ない。
この対談では呉藹宸が仕えようとしていたのは楊増新になっているが、
楊増新は呉藹宸が新疆へ向かう3年ほど前に暗殺されており、
「イリ十日記」に書かれているように、金樹仁に仕えようとしていたというのが正しい。

また、呉藹宸は敦賀からナホトカへ向かったように話されているが、
「イリ十日記」ではウラジオストックになっている。
947無名草子さん:2012/12/28(金) 16:09:49.34
西瓜はたぶんあのあたり(西域)が原産地だとおっしゃっているが、
アフリカ中部の砂漠地帯が原産地である。間違えている。
948無名草子さん:2012/12/28(金) 16:14:13.60
>>947
西瓜のネーミングはもちろん中国人によるもので、西域から来たから西瓜なんだけど、
原産地が西域というのではないな。エジプトの4000年前の壁画にもスイカは描かれている。
もっともそのころは実ではなく種を食べていた。
949無名草子さん:2012/12/28(金) 16:20:45.00
【“牛耳る”の語源】

葡萄の原産地も「あの辺(西域)」とおっしゃっているが、誤り。
ブドウにはヨーロッパ系とアメリカ系があるが、ヨーロッパ系ブドウの原産地は
中央アジアのカスピ海沿岸地方。コーカサス付近のタシュケント、サマルカンド
あたりではないかといわれている。まあ西域からそんなに遠くはない。

トルファン郊外の葡萄溝の葡萄園
http://www.kaze-travel.co.jp/chuzainikki/wp-images/2006/08/sr_budougari.JPG
950無名草子さん:2012/12/28(金) 16:28:27.21
>>660
福島の蟠桃は、『西遊記』の孫悟空がこれを食べて不老長寿になったといわれる伝説の桃だよ。
http://www.shinsun.co.jp/images/tokusen/bantou.jpg
陳さんお気に入りの李光桃
日本語サイトの画像が見つからないから、中国へ行かないと食べれない果実かもしれないね。
http://www.tfysw.com/uploadfile/2011/0114/20110114082834865.jpg
951無名草子さん:2012/12/28(金) 16:29:40.33
>>950
>食べれない果実

司馬遼太郎は、「ら抜き言葉」が大嫌いだよ。
952無名草子さん:2012/12/28(金) 16:38:23.45
953無名草子さん:2012/12/28(金) 16:43:19.44
緬羊の肉は臭くないが、山羊の肉は臭い。臭い山羊のスープ[山羊汁]は沖縄名物である。
臭い。http://pds.exblog.jp/pds/1/200506/11/04/a0020804_2201661.jpg
954無名草子さん:2012/12/28(金) 16:51:49.82
中東地域で肉類をローストして調理する料理の総称をケバブという(トルコ語)。
日本では、インド料理のシークカバブが早くに紹介され、
それがトルコ風に訛った「シシカバブー」という名前で親しまれてきた。
インド料理のシーク・カバーブは、串焼きのケバブのことである。
アメ横でドネルケバブを売っているところをテレビで見たのだが、東京ではドネルケバブが流行っているのか?
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/02/73/southyawata/folder/614351/img_614351_2980000_1?1176570556
955無名草子さん:2012/12/28(金) 16:59:31.95
956無名草子さん:2012/12/28(金) 17:06:37.15
『山羊の頭のスープ』のジャケでオナニーした馬鹿
957無名草子さん:2012/12/29(土) 14:21:51.08
>>956
そんなやついねーよ。
958無名草子さん:2012/12/29(土) 14:30:21.53
【肩で踊る西域の舞】

…がどのようなものであったかは想像するしかありませんが、
現代のウイグル人の歌と踊りがありました。
http://www.youtube.com/watch?v=b3qJMv6wMBc
http://www.youtube.com/watch?v=cbzDTrvaAhY
なお、胡旋舞はソグド人の舞踏です。

雅楽の「春鶯囀」は、こちらでよろしいのでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=egn4m1NvXVk
959無名草子さん:2012/12/29(土) 14:37:01.67
[地図]http://www16.plala.or.jp/yasu310/sirukrodo-7/sirukumap-2m_edited-1.jpg
この節に出てくるクチャ(庫車)、ホータン(和田)、カシュガルの位置が確認できます。

ホータンの農家の葡萄棚
http://www16.plala.or.jp/yasu310/sirukrodo-7/siruk-575.jpg
司馬さんがサイゴンのコンチネンタルホテルで見た似たような風景とは、これでしょうか?
コンチネンタルホテルの中庭です。
http://yochanh.blog.ocn.ne.jp/photos/uncategorized/2012/03/06/saigon_continenta48.jpg
960無名草子さん:2012/12/29(土) 14:46:54.22
カシュガルの楽器工場の画像は見つかりませんでしたが、楽器店の画像がありました。
http://migi-tang.asablo.jp/blog/img/2012/05/03/1f8be4.jpg
ラバーブ(Rabab)の画像と演奏です。
http://www.youtube.com/watch?v=rSA-jCobJ6s&hl=ja&gl=JP
胡弓の原型といわれるハイジェイキは、どんなものだかわかりませんでした。
磬(けい)
http://www.musashino-music.ac.jp/gakuen/facilities/museum/web_museum/up_img/20120119160402_1.jpg
磬(けい)の演奏
http://www.youtube.com/watch?v=XWA4Gg0xD9g
朝鮮踊り
http://www.youtube.com/watch?v=stLm0BTe3XY
http://www.youtube.com/watch?v=y_NCodpSvJw
槍鼓<チャング>と羯鼓については>>578に画像がありました。
961無名草子さん:2012/12/29(土) 15:58:07.11
962無名草子さん:2012/12/29(土) 16:05:55.04
新疆ウイグル自治区のがん罹患率は中国国内平均よりも30〜35%高い。
札幌医科大学教授の高田純は、中国の核実験の影響でカザフスタンでは
19万4000人が急性放射線被曝によって死亡したと推定した。
また、約120万人が白血病,固形がん,胎児損傷を生じるのに十分な放射線を浴びたという。
「控えめな見積もりだ」と高田はいう。
さらに高田は、女優の夏目雅子は中国の核実験による被曝が原因で
白血病を発したのだとする文章をいくつかの雑誌に寄稿した。
テレビドラマ『西遊記』の中国ロケの際に被曝したのだという。
ただし、夏目雅子が『西遊記』の中国ロケに参加した事実はない。
963無名草子さん:2012/12/29(土) 16:12:43.28
新疆ウイグル自治区ではペルシャ語でカレーズと呼ばれているが、
アラビア語でカナートと言ったほうが有名。
井戸には違いないが、地下用水路になっていて広範囲に水を送れるところが特長。
http://comesilkroad.com/photo/view_big/tulufan_kanerjin_b2.jpg
http://comesilkroad.com/photo/view_big/tulufan_kanerjin_b1.jpg
http://comesilkroad.com/photo/view_big/tulufan_kanerjin_b4.jpg
964無名草子さん:2012/12/29(土) 16:32:22.44
【人見知りをしないウイグル人】

…なのに、現在は、漢族の糞どもに集団暴行を受けています。

6歳くらいのウィグルの子供を中国人の大人が多数で暴行!!
誰も一切止めに入らないのが本当に恐ろしいです。
中国人と朝鮮人は、日本とは全く異なる民族なのだと理解すべきです。
130年前に、中国・朝鮮との断絶を訴えていた福沢諭吉先生は正しかった。
http://www.youtube.com/watch?v=mgQFogkHc5U
965無名草子さん:2012/12/29(土) 16:33:54.23
>>964
新疆ウイグル自治区の漢族は、皆殺しでいいと思います。
966無名草子さん:2012/12/29(土) 16:35:33.20
司馬さんが井上靖さんから譲ってもらったピッカリコニカ。
いわゆる“バカチョン”です。
http://camera.awane-photo.com/3/3/c35ef/p2.jpg
967無名草子さん:2012/12/29(土) 16:41:05.75
>>965
漢族は10億人以上いるから時間がかかるが、皆殺しにしてもらいたいな。
968無名草子さん:2012/12/29(土) 17:05:39.47
司馬 漢民族もウイグル人に対してはたいへんな気のつかい方だね。
陳   6歳の少年ひとりを漢民族の大人が集団でリンチしても、命までは奪わないでしょう。
    そこまでウイグル人の人権を尊重しているんですよ。
司馬 新疆ウイグル自治区では中華人民共和国を受け入れることで、匪賊も入って来ず
    他民族が弓矢をもって押し寄せることもなくなった。ほんのこの間までそういうぐあい
    だったんだけど、いまは生命の安全というのは完全に保障されている。西域へ行って
    その実際例を見た感じがしたな。ウイグル人の少年も、6歳でしたか、足蹴にされる
    ぐらいは辛抱せんといかんな。
陳   せやな。
969無名草子さん:2012/12/29(土) 17:35:29.16
【国家というものの重み】

ソ連領内の朝鮮族が極東からタシケントへ強制移住させられたのは、スターリン時代。
今日も元気にキムチを売るタシケントの朝鮮族。
http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/lrg/18/48/86/lrg_18488664.jpg?20100812110309
970無名草子さん:2012/12/29(土) 17:42:31.99
この節では、カシュガルへの旅の様子が詳しく語られている。

まだ漢民族による集団暴行の危険にさらされていない頃のウイグルの少年たち。
人見知りをせず、たいへん明るい様子が伝わってくる。
http://homepage3.nifty.com/hayachine_taimagura/kashgar13.JPG
http://homepage3.nifty.com/hayachine_taimagura/kashgar15.JPG
「ひとりで帰宅していると危ないよ。漢民族から集団暴行を受けるよ」
http://homepage3.nifty.com/hayachine_taimagura/kashgar7.JPG
971無名草子さん:2012/12/29(土) 17:50:01.36
クメール像の連眉
http://kanbojia.net/kuntiku/26541.jpg
http://kanbojia.net/kuntiku/DSC004211.JPG
タジキスタンでは眉毛がつながっている方が美人とされている。 >>664
972無名草子さん:2012/12/29(土) 18:26:27.88
【村より小さい国】

…とは、烏貪?離国のことだ。車師国が分裂を繰り返して、その一つが烏貪?離国になった。
西夜国とは、カルガリクのことだ。

もうすぐ漢民族から集団暴行を受けるであろうかわいそうなカルガリクの少年たち
http://homepage2.nifty.com/chitoshi/karugariku/karugariku3411.jpg
http://homepage2.nifty.com/chitoshi/karugariku/karugariku621.jpg
973無名草子さん:2012/12/29(土) 18:32:12.48
ウイグル人に集団暴行をしたのは、天津人の末裔だろうな。
楚人の末裔・湖南人は官吏になる者が多い優秀な人たちだし、雲南人は少数民族。
974無名草子さん:2012/12/29(土) 18:36:26.17
尖閣暴動で日本企業や日本製品は攻撃の対象にされたが、さいわいなことに
在留邦人の生命・身体に対する攻撃はなかった。
なぜ日本人が暴行されず、ウイグルの少年が暴行されるか、バカ左翼には
考える頭脳がないのか?
975無名草子さん:2012/12/30(日) 00:30:44.84
>>616
>四人組の絶頂期の最後の一年であった。

絶頂期は過ぎ、没落期と言うべきだな。
『対談・中国を考える』のあとがきにそのことが書かれている。
行く先々で四人組への批判を聞かされていたらしい。
976無名草子さん:2012/12/30(日) 13:25:50.37
中国および韓国が戦後の友好関係を基礎にして、日中・日韓の外交関係の再構築を求めるならば、日本側にこれを拒む理由はない。
しかし、彼らは戦時中の関係を基礎にして今後の外交関係の再構築を進めようとする。
戦争を指導した世代がほぼ故人になっている現在、そのような古い関係を持ち出されても、外交が進展するはずがない。
現在の日本人には罪悪感のかけらもないからだ。生まれていないんだから。
罪悪感を口にする戦後生まれの日本人は、ある意味精神分裂に近い。
体験していない事実について罪悪感を感じることなど有り得ない。
それにもかかわらず、日本が一方的に悪いという史観が跋扈すれば、
戦後生まれの日本人から、猛反発が起きるのは当然である。
977無名草子さん:2012/12/30(日) 14:35:31.49
>>975
『この国のかたち六』に収められた「原形について」では、
“私はこの時期、江青を筆頭とする「四人組」の権力がかたまった1975年5月に訪中し”と書かれている。
没落期ではなく、絶頂期のように読める。
978無名草子さん:2012/12/30(日) 22:06:29.57
>>975
『長安から北京へ』は雑誌に掲載されるたびに、中国語に翻訳され、
中国政府にチェックされていたことも『対談・中国を考える』のあとがきに書いてあった。
979無名草子さん:2012/12/30(日) 22:51:55.92
>>978
むしろ『対談・中国を考える』のほうが、中国政府に検閲されていたんじゃないかと思わせる内容だよな。
980無名草子さん:2012/12/30(日) 22:56:07.95
翔ぶがごとく、面白いがドロドロで血生臭いな
981無名草子さん:2012/12/31(月) 02:05:13.66
>>978
中国政府は中央公論社に
「司馬遼太郎は中国の敵なのか、それとも味方なのか、書いてあるところを読む限りでは、どちらか分からない」
と言ってきたとも、そのあとがきに書いてあったな。
出版物とは、なにかを称賛するか、あるいは罵倒するかのいずれかだと思っているところが独裁国家らしい。
それと、そのような中国政府の出版物についての認識が、最近の日本の一部マスゴミに酷似しているのが、ちょっと怖ろしい。
偏向したマスゴミは潰すべきだと思う。
浅間山荘事件のときのように、巨大な鉄球で建造物ごと潰してもらえるとスカッとする。
982無名草子さん:2012/12/31(月) 03:17:26.55
円安ウォン高になって本気で焦っている感じの日本の新聞もある。
中国・韓国への露骨な利益誘導がミエミエなんだわな。
その露骨さが、泥酔した女子大生と同室した内柴みたいで、まるで知性が感じられない。
日本の歌謡界の低迷ぶりに近いものがある。マスゴミはこんなにバカだったかね?
983無名草子さん:2012/12/31(月) 03:31:09.85
テレビの年末特番のバカバカしさには言葉を失った。
ここ数年「面白くない」「見るものがない」と言われ続けたテレビだが、
年末年始や改編時の特番はとりわけ出来が悪い。
民放4社、合併すればどうよ。そうしておいて、
@ニュース
Aスポーツ
Bドラマ
Cバカが見るバラエティー
の4チャンネルにすればいい。
いま、どのチャンネルに合わせても、バカが見るバラエティーしかやってない。
だから誰も見ない。バカは制作しているマスゴミだけだから。
984無名草子さん:2012/12/31(月) 16:51:27.62
【忽然として消えた仏教】

西域で栄えた仏教が忽然と滅びイスラム教にとって代わられた経緯が語られています。
ホータン周辺の仏教遺跡
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/26/sakurai4391/folder/1200906/img_1200906_35022161_7?1310412926
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/26/sakurai4391/folder/1200906/img_1200906_35022161_8?1310412926
現在は、すっかりイスラム化されたホータン
女性はスカーフ、男性はイスラム帽
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/26/sakurai4391/folder/1200906/img_1200906_35022161_1?1310412926
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/26/sakurai4391/folder/1200906/img_1200906_35022161_2?1310412926
ホータンのホテルの建物もイスラム風
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/46/26/sakurai4391/folder/1200906/img_1200906_35022161_4?1310412926
985無名草子さん:2012/12/31(月) 16:54:14.29
ホージャ(和卓)とは、ペルシア語で主人を意味し、中央アジアのイスラム神秘主義教団のひとつ
ナクシュバンディー教団の指導者アフマド・カサーニー(1461-1542)の子孫の称号である。
カサーニー自身は東トルキスタンを訪れることはなかったが、
彼の子孫は東トルキスタンのウイグル人の間で指導者としての役割を熱望され、
ホージャとして17世紀から19世紀にかけての地域の政治に大きな役割を果たした。
986無名草子さん:2012/12/31(月) 16:57:23.53
コーカンド・ハン国は、18世紀後半から19世紀前半にかけて、
フェルガナ盆地を中心に中央アジアに栄えたテュルク系イスラム王朝である。
現ウズベキスタン領のコーカンドを都としてカザフスタン、キルギス、タジキスタンの一部に及ぶ強国に成長、
一時は清朝の支配する東トルキスタンにまで勢力を伸ばしたが、
内紛と周辺諸国の圧力から急速に衰え、ロシア帝国に併合されて滅んだ。
987無名草子さん:2012/12/31(月) 17:06:21.67
ヤクブ・ベクは、コーカンド・ハン国出身のウズベク人軍人で、
清末の混乱に乗じて東トルキスタンに入り、タリム盆地一帯を制圧した(ヤクブ・ベクの乱)が、
左宗棠に討伐された。
この対談では初出であるが、>>911をはじめイリ事件の前に起きた回教徒の乱として、
「長安から北京へ」や「イリ十日記」に記されているのが、ヤクブ・ベクの乱である。
988無名草子さん:2012/12/31(月) 17:22:57.21
“西域五十二国”という発言があるが、あまり聞かない。
「西域三十六国」(前漢の武帝・張騫の頃)、
「西域五十五国」(前漢末)というのは、よく耳にする。
989無名草子さん:2012/12/31(月) 17:34:09.86
【限りない西域へのあこがれ】

>>988は、この最終節での発言。
西域人気の最大の功労者・孫悟空については、ほとんど語られなかったな。
990無名草子さん:2012/12/31(月) 17:41:10.05
「唐詩選」には西域に関する詩が多く、100編を越す。その中から数首を紹介しています。
http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/silkroad/sr-literature/sr-tosisen/sr-tosisen.htm
991対談 中国を考える ◆U76uo.7tB. :2012/12/31(月) 17:54:15.39
《あとがき》 数千年の重み - 司馬遼太郎

大阪外語時代の中国語とモンゴル語の教師のことが語られている。
992無名草子さん:2012/12/31(月) 18:00:13.66
中国語の関先生は広東語を喋られたが、その後に来られた金先生は本文にあるように品のいい北京語を喋られた。
金先生(金イク本)の画像
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/d7/25/siran13tb/folder/1508312/img_1508312_59580301_0?1267539370
993無名草子さん:2012/12/31(月) 18:17:16.23
>>992
金先生は戦後も日本で中国語を教えられていたようで、教え子たちの金先生に関する情報が
ネット上にかなりあります。
994無名草子さん:2012/12/31(月) 18:23:50.90
スレ立てできませんでした。どなたかお願いいたします。

【タイトル】
司馬遼太郎をあれこれ語る 35巻目

【本文】
前スレ

司馬遼太郎をあれこれ語る 34巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1352082667/l50
〔項羽と劉邦/長安から北京へ/対談・中国を考える〕
995無名草子さん:2012/12/31(月) 18:28:29.04
次スレの2

【本文】

【過去ログ】
司馬遼太郎をあれこれ語る 29巻目
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/books/1314512612/
〔梟の城/上方武士道/空海の風景/鬼灯/風神の門〕

司馬遼太郎をあれこれ語る 30巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1318845804/
〔胡蝶の夢/最後の伊賀者・兜率天の巡礼ほかの短篇〕

司馬遼太郎をあれこれ語る 31巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1325657994/
〔竜馬がゆく〕

司馬遼太郎をあれこれ語る 32巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1336720073/l50
〔菜の花の沖〕

司馬遼太郎をあれこれ語る 33巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1346486590/l50
〔燃えよ剣/新選組血風録/幕末〕
996無名草子さん:2012/12/31(月) 19:04:22.02
  ●●●ケネディ大統領は何故、死なねばならなかったのか?●●●
  http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1226114724/53

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997無名草子さん:2013/01/01(火) 00:50:35.15
明けましておめでとうございます。
『対談・中国を考える』の次は、『街道をゆく/韓のくに紀行』をお届けする予定でございます。
998無名草子さん:2013/01/01(火) 13:01:56.59
>>994-995
立てました

司馬遼太郎をあれこれ語る 35巻目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1357012799/
999無名草子さん:2013/01/01(火) 14:02:32.89
埋めでございます。おめでとうございます。
1000無名草子さん:2013/01/01(火) 14:04:03.75
1000でございます。おめでとうございます。
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。