3 :
外部リンク:2007/10/14(日) 00:32:57
4 :
吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 20:58:01
質問です。
自分はヘッセがノーベル賞を受賞した「ガラス玉演戯」を読んだことがなくて
町の図書館にも今取り寄せてもらってるんだけど、もう待ちどうしくて
仕方が無いから、誰か読んだ人がいれば教えてもらえないでしょうか。
お願いします。
ガラス玉をケツの穴に入れたり出したりするんだよ。
6 :
吾輩は名無しである:2007/10/15(月) 18:22:44
>>5何それ??真剣に教えて欲しいのですが。
がっかりしちゃうわよ。そんな話されたら。
ところで、それってどういうこと??
7 :
吾輩は名無しである:2007/10/15(月) 21:08:09
>>4 検索したら、感想や書評はいっぱい出てくるじゃないですか。
そのくらいの努力はしましょうよ。
月9のガリレオの脚本家はヘッセに恨みでもあるの?
9 :
吾輩は名無しである:2007/10/16(火) 18:34:47
>>7凄く短いのでしょ。
どぉーんて読みたいのどぉーンて。
そういうのが探せないの。
一杯出てた?
デーミアンを最近読みました。
ここ数年流行りだしたスピリチュアルな傾向をヘッセがこの頃すでに書いていたのかと
非常に驚きました。
それにしてもヘッセ自身はいったいなにを信じていたのでしょうか?
11 :
吾輩は名無しである:2007/10/16(火) 20:31:20
神秘主義は20世紀はじめのヨーロッパで流行っていましたから。
別に驚くことではありません。
12 :
吾輩は名無しである:2007/10/16(火) 20:34:39
>>10 自分自身でしょ、だから考え続けなきゃならないし、あらゆる物を疑い続けなきゃならない。現代のスピリチュアルブームはむしろその逆の方向に向かってると思うんだが。思考を放棄して教えにすがってるだけじゃない
13 :
吾輩は名無しである:2007/10/16(火) 22:29:25
たしかに現代の我が国において、
特にテレビが宣伝している「スピリチュアル」というものは、
金儲けの手段に過ぎない。
そういう番組を見たり、本を買ったりしている連中は、
いいカモにされているだけである。
14 :
吾輩は名無しである:2007/10/16(火) 23:34:26
デミアンでは第一次大戦によりキリスト教に懐疑を抱いたヘッセが、
「善も悪も包括した新しい神」として、「アプラクサス」を創造している。
そいでシッダールタなんかでは、東洋思想どっぷりで、厳密には違うらしいけど、
いちおうブッダの思想や生涯を描いている。
そうして思想的に紆余曲折したけど、最後は「やはりキリスト教だ」と、主のもとに帰って行った人らしい。
>>10 自分も今週から「デミアン」読み出した。
無知な自分はヘッセの本と言えば「車輪の下」しか知らなかった(しかも未読)。
自宅最寄の小さな本屋にあったから、有名な作品だったんですね。
後2割位残ってるけど、今の時点では予想以上に面白い。食わず嫌いはいかんですね。
>>15 「デミアン」は工房の頃にはまっていましたよ!
額にしるしがあるか無いか、今でもわかるよ!
17 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 00:18:21
>>14 『ガラス玉演戯(遊戯)』を読みましたか?
18 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 01:15:22
>>12 自分自身すら信じられなかったからあれだけ本を読んだのでは
19 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 02:02:09
>>18 いや俺が言った自分自身っていうのは、何かに依存しようとしないで考え続ける主体っていう意味だよ。だから読書を沢山していろんな可能性を見つけようとするのは必然でしょ。まさかとは思うけど、何の干渉も受けない個みたいなのがあるなんて思ってないよね?
20 :
悪い太郎 ◆LziSwFxVAU :2007/10/17(水) 02:09:51
こいつはトーマス・マンが落ちぶれたタイプだね
21 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 08:34:14
そう?トーマスマンが、どう落ちぶれたタイプなの?
22 :
10:2007/10/17(水) 08:49:59
話が戻ってすみません、実はデーミアンの「額にしるし」わたしには全然わかりませんでした。
一生懸命に読んだのですが、わたし自身からはものすごく遠い所の問題が
懸命に語られていたような気がして少しも近づくことが出来ませんでした・・・
23 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 09:55:26
ヘッセがエストニア系だと初めて知った。
24 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 10:29:28
ヘッセが書いたものと現代日本のスピリチュアルなんとかだかを一緒にしないでいただきたい。
スピリチュアルどうたらは単なるオカルト。
25 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 13:12:48
>>22 キリスト教的道徳から自由な人って事じゃないかな?
26 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 14:21:24
本当のことを言うと、僕はカインの末裔だ。
何年か前にこのデミアンを読んで、カインの印について初めて知った。
昔から額に二本の縦筋の線があったので、もしやと思った。
そしたらなんとそのすぐあと、週刊少年ジャンプで「カイン」という漫画が始まって、
その翌週「タカヤ」という漫画が始まった。
何を隠そう、「タカヤ」とは僕の弟の名前なのだ。
僕は驚愕した。と同時に何か救われた感じがした、僕も相当不器用に集団と交わってきたから。
27 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 15:45:16
でっていう
28 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 19:44:45
デミアンとトニオ・クルーガでは、
どちらが若者を深く捉えてますか?
今日読み終えた。>デミアン
デミアンが如何にしてクローマーのカツアゲを止めさせたか
さっぱりわからないのは自分だけかorz
30 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 21:29:13
>>28 デミアンは「若者」っていう風に一般化できないと思うぞ
31 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 23:00:24
デミアンもトニオ・クレーゲルも、両方普遍性のある作品。
両方とも芸術家気質のある人が読むべき作品ですね。
32 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 23:21:10
トニオクレゲール、大好き。
あれを読んだとき宙を舞った。
いいよね〜。
33 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 23:33:51
『トニオ・クレーゲル』は、芸術家ではなくて、
芸術家と市民との狭間でうごめく「文士」を書いた作品ですよ。
トニオが文士、トニオを痛烈な皮肉で撃退する
リザヴェータ・イヴァーノヴナが芸術家。
皆さんには申し訳ないが「デーミアン」と「知と愛」は
ジュネ(文学的BL)の最高峰だと思っている…
35 :
(´台`) ◆nRHFM1v6Oo :2007/10/17(水) 23:45:04
>>28 その2作品にムージルの『若きテルレスのまどい』
を加えて少年愛3点セットにしましょう
36 :
吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 23:55:14
『知と愛』は、青年二人を描いたものだから、
「ボーイズ」という感じではないですね。
BL業界では、青年も「ボーイズ」なのかもしれませんが。
トーマス・マンは同性愛者でしたから、
今の時代に生きていたら、正面から同性愛を描いていたかもしれませんね。
>>22 暗喩だろう。
要するに同志で同類項で、少数派仲間で、
僕らは通じあえると言いたいんだよ、デミアンは
39 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 00:15:48
>>38 だって、「ジュネ」は「文学的BL」なんでしょ?
40 :
(´台`) ◆nRHFM1v6Oo :2007/10/18(木) 00:23:27
浅田彰お姐さまも言うとったよW
「問題はJUNEとGENETの差なのだ」とWW
ヤオイはヤオイであって文学的〜なんて言われてもpp
そりゃあJUNEイデオローグの栗本薫と
ジャン・ジュネほどの違いあるし、すでW
・うんちく
JUNEジュネとBLは微妙に質が違う。
BLはすぐHする最近の少コミ漫画と一緒で、御都合主義
(数年前から一般作家への夢を断念したセミプロが
無理してホモ描いてデビューしてるケース多し)
ジュネは作家が苦悩しており、小説として読める内容。
…だったが数年前から精神性が薄れ、レベル低下している。
脱線スマソ
新スレになってから初めて来たけどなんか人多いね(`・ω・´)
43 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 01:21:10
BLもジュネも、
男性同性愛にある種の憧れを持つ女性の欲望を満たすために
書かれるものであることに変わりない。
そしてそれらは、現実の男性同性愛からは
かけ離れた内容となっている。
ちょうど、男性向けのエロビデオの、レズビアンもののように。
44 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 01:25:11
いいから腐女子は氏ねって
45 :
(´台`) ◆nRHFM1v6Oo :2007/10/18(木) 01:30:44
最近じゃホモヒデオ業界も腐女子向けに媚びを売るようになったし、
二丁目のショップにも続々と腐が押し寄せるし、完全にオワットルW
46 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 01:47:12
47 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 01:48:24
腐女子は日本のゴミ
48 :
(´台`) ◆nRHFM1v6Oo :2007/10/18(木) 01:59:17
>>46 もちろんガチWW
文学板に亡命しますたW
49 :
ありがとうございました:2007/10/18(木) 17:33:12
ついにゲット!!わぁーい、わぁいーい、
さっき図書館に「ガラス玉演戯」が届いたと連絡があり
今から読み始めるのです。あまりの嬉しさにマロンのシフォンケーキ
まで準備してしまった。紅茶とケーキと一緒に堪能しよう。
幸せ一杯。では。
50 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 18:11:36
角川文庫の「ガラス玉遊戯」は絶版だけど、
けっこう古書市場で出回っているよ。
訳も新潮社版よりも上手だし。
唯一の難点は、旧字体ということかな。
慣れたら全然気にならないけど。
51 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 18:22:29
52 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 19:03:47
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53 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 19:07:13
いや、びっくらこいた。「ヘッセ 高橋健二 翻訳」等で検索すればでるわでるわ高橋信者の群れ。
他の訳文まで貶している連中まで発見するとはw
56 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 22:27:27
同じ高橋でも、ヘッセの健二氏よりも、
マンなどを訳している義孝氏の方が、日本語にハリがあって好き。
57 :
(´台`) ◆nRHFM1v6Oo :2007/10/18(木) 22:30:02
その高橋信者たちは高田里恵子の『文学部をめぐる病い』
を読んどるのかね。
高橋健二微妙だな〜。私的には。
59 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 23:21:33
ああいう人たちは、
「高橋健二」というブランドに感動しているのであって、
ヘッセの作品に感動しているわけではないのです。
彼らに、具体的に高橋健二のどこがいいのかを質問すると、
まったく答えられない。
また、ほかの翻訳者が嫌いな理由を具体的に説明せよ、
と質問しても、まったく答えられない。
つまり、ろくにヘッセを鑑賞していない。
60 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 23:25:05
>>53 この読み比べはすごいね。
特に牧師の部屋の部分の高橋訳はさっぱり分らない。
分らないのは読解力のなさなんだと自分を叱りながらがんばって読んでたんだけど、俺のせいじゃなかったんだ。
61 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 23:31:07
>>51 >>54 この人の読書歴を見たら、起業とかの実用書ばっかり。
そういう人が、「高橋健二のヘッセ」ばかり読んで、
ヘッセは高橋健二に限る、みたいなことを叫んでも、説得力ゼロ。
高橋健二の日本語の拙さは、昔から有名だし、
まともな読者は、自分で気づくものだと思うけどねぇ。
http://blog.so-net.ne.jp/coda_on_the_web/archive/200609 高橋先生の翻訳は独特の世界観があって、作品全体が高橋カラーに染まってしまっている。それはそれですごく美しくて、読んでみると原文の意味を最大限に忠実に汲んでいて感動モノなのだけれど、
句読点の打ち方とか、漢字とかなの使い分けとか、そういった高橋先生独特の世界にどうしても巻き込まれている気がして、やっぱり原文も読まなくちゃ、という気にさせられる。
そんな翻訳のカラーも含めて、高橋・ヘッセの組み合わせは、今になって考えると、ドイツ文学への扉を開いてくれたひとつのキッカケだったのかもしれない。
64 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 23:46:51
65 :
吾輩は名無しである:2007/10/18(木) 23:51:52
>>62 最近になってようやくドイツ文学に興味を持てるようになったと
白状している分際で、何を言っているのだろうか・・・
66 :
吾輩は名無しである:2007/10/19(金) 00:31:17
>>61 同感。基本的に若くして経済に興味があって社長やってるやつに
ネット上で文学を語られたくないし語れるはずもない。
会社のイメージ戦略か。自分のページで自分の読書を晒すのって、判分は自己顕示欲だけだからね。
67 :
吾輩は名無しである:2007/10/19(金) 00:45:06
68 :
ありがとう:2007/10/19(金) 08:21:24
>>50あーそうなんですか。ありがとうございます。
因みに少しここは板が違うけどTH.W.アドルのが好きな人はいませんか?
あの人は目的地に到着するまでに、話が長いのですが、あー言う人も
面白いなぁーと。こういう友人が1人くらいいるとユニークだと思ったので。
69 :
吾輩は名無しである:2007/10/19(金) 17:06:06
ヘッセってバイ&阿片中でしょ?
神経症・精神病はもちろんだけど。
といってBLで取り上げられるのはなんだかなぁ。。。
70 :
吾輩は名無しである:2007/10/19(金) 18:01:54
男同士の恋愛を表現しているからと言ってそれをBLだというのは、
男と女の恋愛を表現しているからと言ってそれを風俗小説だとか
エロ小説だというのと同じ。
世の中の多くの小説が風俗小説、エロ小説になってしまう。
ともあれ腐女子はウザいし場違いなので去ってほしい。
71 :
吾輩は名無しである:2007/10/19(金) 22:13:03
バイでアヘン中毒、心地よい響きですね。
神経症で精神病、そういう人大好きです。
そんな中から誕生する作品に触れられて光栄です。
72 :
吾輩は名無しである:2007/10/20(土) 00:04:58
ヘッセはトーマス・マンに匹敵する。
73 :
吾輩は名無しである:2007/10/20(土) 00:45:32
>>26 日本にいるカインの末裔といえば、タクママモル、ハヤシマスミ、フクダカズコ
サカキバラ、・・・亀田家の人々?
74 :
吾輩は名無しである:2007/10/20(土) 08:44:24
>>22 亀ですが、
額のしるしとは、旧約聖書の「カインとアベル」という兄弟のお話に由来して
います。敬虔で温厚な弟のアベルと猛々しい兄のアベル。神は弟のアベルに目を
かけ、そのために兄のカインは嫉妬のあまり弟を殺してしまいます。それで神は
呪いをかけ(永遠に農業ができなくなるという)、カインを追放します。
そこでカインは神に懇願します。「神に追放されたとわかれば、行く先々で自分を
みんがわたしを殺そうとするだろう。」と。そこで神はカインの額にしるしをつけ、
このしるしがあると、みなはカインを殺さなくなるだろうといい、もしカインに
危害を加えることがあれば、その者たちは自分達のしたことの7倍の報復をうける
だろうと言って、カインを追放した。というような不思議なお話です。
デミアンはこの聖書のお話に疑問を投げつけているのではなかったかな?
愚兄賢弟。悪の兄。善の弟。というように言われてきているが実は違っている。
兄のほうが大変優れていて力があり、神ですらそれに脅威を感じたから兄を疎んじたのだ。
額のしるしは、神がつけたのではなく、最初からあったのだ。選ばれしもののしるし
で、カインの血筋にだけそのしるしがあるのだ。いったい善だとか悪だとかいうが
それが何だというのだろうか?圧倒的な能力をもち力を持つカインの末裔には、
凡庸なアベルの子孫たちには計り知れない判断力と能力がある。みたいな感じで・・
暗い部屋でデミアンの背後に赤赤とした炎のようなオーラが見える瞬間です。
ジンクレールは彼の額にしるしを見、自分の額にもうずきを感じたのでは?
デミアンを読むにおいて、非常に大切な部分だと思います。
BL?と一緒にされても困る。
76 :
吾輩は名無しである:2007/10/20(土) 21:58:56
車輪の下を課題図書として中学生に読ませる意義は何?
子供より親に読ませる小説だろうに。
77 :
吾輩は名無しである:2007/10/20(土) 22:14:01
権威
78 :
吾輩は名無しである:2007/10/20(土) 22:42:09
ヘッセはトーマス・マンが劣化した感じだね
79 :
(´台`) ◆nRHFM1v6Oo :2007/10/20(土) 22:58:41
へ?
トーマス・マンの世界観を幼稚化(決して悪い意味ではなく)させたのがヘッセでは??
で、ヘッセを老化=劣化(これも決して悪い意味ではなく)させるとマンに。
劣化……とかはいやな言葉だけど、
ふたりは確かになんか似てると思う。
同じ木から、二方の反対方向に伸びた枝、みたいな…
81 :
吾輩は名無しである:2007/10/21(日) 00:48:51
健二かわいいよ健二
ヘッセは勿論、他の純文学も余り読まないのに
「デミアン」は読んでて割とすんなりと世界に入り込めた。
元々他作品にこの本が出てきたのがきっかけで、
読んでる間はその作品とダブらせて読んでたからなんだけど、
それ以外の、何か懐かしさというか、既視感っつーか・・
シンクレール=の○太
デミアン=ドラエ○ん
クローマー=ジ○イアン
で無意識に置き換えて読んでたのに気が付いた。
既出ならスマソ。
OH MY GOD !!
>979
高校生ではないですよ。
抽象的なことを言ってはいけないのですか?
でも、掲示板上で個人的な考え(というか、所詮思いですね)を長々と書くべきではなかったですね。
あなたは男ですか?視野が凝り固まって狭そうですね。
遅レスですが
前スレの>980さん、つとい会話に付き合ってくださってありがとうございました。
解釈の幅が広がって、楽しかったです。
86 :
吾輩は名無しである:2007/10/21(日) 23:22:18
>>82 まさにぴったりだね。
だからフランス人が「どらえもん」を危険だと言ったんだよ。
>>85 自分が980だったと思うのですがw(ちがってたらすまそ)
個人的な考えをいうことは必要なことです。自分の意見や考えを持つことは
大切なことです。どうかあなたの想像の翼を周りに遠慮して縮ませないで下さい。
デミアンについて話し合えて自分も楽しかった〜。「会話に付き合ってくださって」
どころではない、会話できるひとがいるんだ!って、とっても楽しかったです。
また、語り合いましょう。ヘルマンヘッセの類まれな天才の詩人の感性が見た人間の
本質を、文学的な言葉で言う、人間の深淵を。ヘルマンヘッセの感覚を称えながら。
87 :
吾輩は名無しである:2007/10/21(日) 23:46:23
>>85 いや個人的な意見は持つべきだと思うよ、抽象的な言葉も必要だと思う。ただなんでデミアンとナチスが繋がってくるのかわからん。それってめちゃくちゃ重要な事で、もしそうならもう一度きっちり読み返さなきゃいけないと思うんだけど、
あなたの説明がなんだかぼんやりしてて、結局現代の歴史観とか道徳論に終始してる感じだったから、「デミアン」から物凄く影響を受けた自分としてはレス読んで氏ねって思っただけ。
88 :
吾輩は名無しである:2007/10/21(日) 23:55:21
89 :
吾輩は名無しである:2007/10/22(月) 00:02:45
>>87 横レスですが。
デミアンの冒頭の言葉、それに意味がある。
「僕はただ、僕の中から生まれてこようとするものを生きてみようとしただけ
だ。ところが、それはこんなにも難しいものだったなんて・・」
僕の中から生まれてこようとするもの・・それはなんだ?と懸命なら読者は思う。
それはデミアンのなかでは最後まで正体を明かされない。しかし歴史をたどれば
それがファシズムだとわかる。
イタリアのムッソリーニは自国のファシズムについて、それは自らのなかから生まれ
出でてきたもの・・という説明をしている。ヘルマンヘッセの感性の鋭さに鳥肌が
たつ一瞬だ。
デミアンを書いた当時のヘルマンヘッセは恐るべき感性でファシズムのおこりを書いた
そして50歳で荒野の狼を書いた時点では、ファシズムとは売春婦だと見ぬいている。
87さんは、ヘルマンヘッセがデミアンを終生自分の作品と認めなかったという
重い事実に気づかなければいけない。デミアンの意味する所は限りなく大きい。
90 :
吾輩は名無しである:2007/10/22(月) 00:03:39
>>87 横レスですが。
デミアンの冒頭の言葉、それに意味がある。
「僕はただ、僕の中から生まれてこようとするものを生きてみようとしただけ
だ。ところが、それはこんなにも難しいものだったなんて・・」
僕の中から生まれてこようとするもの・・それはなんだ?と懸命な読者は思う。
それはデミアンのなかでは最後まで正体を明かされない。しかし歴史をたどれば
それがファシズムだとわかる。
イタリアのムッソリーニは自国のファシズムについて、それは自らのなかから生まれ
出でてきたもの・・という説明をしている。ヘルマンヘッセの感性の鋭さに鳥肌が
たつ一瞬だ。
デミアンを書いた当時のヘルマンヘッセは恐るべき感性でファシズムのおこりを書いた
そして50歳で荒野の狼を書いた時点では、ファシズムとは売春婦だと見ぬいている。
87さんは、ヘルマンヘッセがデミアンを終生自分の作品と認めなかったという
重い事実に気づかなければいけない。デミアンの意味する所は限りなく大きい。
91 :
吾輩は名無しである:2007/10/22(月) 00:41:57
>>87だが、デミアンからシッダールタへのつながりはどう見てんの?それにデミアンが発表されたのは1919年じゃん。ファシズムがドイツに発生した原因で一般的に受け入れられてるのは、
1919年のベルサイユ条約で過剰な賠償が要求されて国内がむちゃくちゃになったからでしょ?ベルサイユ条約すら結ばれてないのにどうしてファシズムの到来をヘッセが予測できたんだ?
しかも違和感を感じるのが、ファシズムがドイツに起こった事を絶対悪として考えて話が進んでることだよ。それは単なる勝った国の論理じゃん
>>86 >フランス人が「どらえもん」を危険だと言った
フランスでも日本のアニメ人気だって聞いてたんですけど、
どらえもんに対して言及してる人も居たんですね。
どちらかの藤子先生はひょっとすると「デミアン」を
「どらえもん」の執筆前に読まれてたのかもしれませんね。
93 :
吾輩は名無しである:2007/10/22(月) 00:50:23
フランス人のは単なる国粋主義から来てると思うんですけど…
94 :
吾輩は名無しである:2007/10/22(月) 07:23:18
のび太はドラえもんに依存してるけど、シンクレールは決してデミアンに依存してないと思うよ、意識はしてるだろうけど。
ドラえもんネタにもまじめに取り組むおまいらに萌えた
96 :
吾輩は名無しである:2007/10/22(月) 22:41:40
ここに来ると幸せになる。嬉しい。
人間の耳にはその頃、あまたの科学や魔法を使っても決して再現のできない
清らかさに満ちた音が聞こえていた。
「ガラス玉演戯」
あー何度読んでも素敵だわ。信じられない。この喜び。そして今、こうして
毎日読める現実…幸せだなぁー。地球に抱かれてるみたいに幸せ。嬉しい。
演戯って?「遊戯」だろ。
98 :
ヨーゼフ・クネヒト:2007/10/22(月) 23:43:26
>>97「遊戯」→「演戯」と言われるようになったのかしら。
99 :
吾輩は名無しである:2007/10/22(月) 23:48:00
井出訳では「遊戯」、高橋訳では「演戯」。
ちなみに翻訳の出来は井出の方がはるかに良い。
101 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 00:14:32
ドイツ文学系スレにしては盛り上がってるね。
やっぱりヘッセは人気があるのか?
102 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 00:20:33
高橋健二どうよ?
103 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 00:33:37
ダメに決まってるじゃん。
104 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 00:43:21
新訳は?
105 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 02:33:56
臨川書店のガラス玉演戯は、言い回しが高橋健二に似ている。
かなり高橋訳を参考にしたと思われる。
106 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 18:39:01
翻訳も大変な職業なんでしょうね。
でも皆さん凄いですね。色々なことをご存知で。
私なんて、先日「ガラス玉演戯」を図書館から借りられ
喜んでいるぐらいなので、ここは勉強になります。
小さな夢が湧いてきますね。次は井出さんのを読んでみようと
思います。
本当はドイツ語で読めると一番良いのでしょうが…。
原文で読まれた方いらっしゃいますか?
107 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 19:17:09
いる訳無いだろwここは口だけの多い2chだぞw
いますけど。独文専攻です。
109 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 20:02:52
>>107いらしたそうですよ。^^
>>108さんが。
どうでしたか?原文では?
皆さん上で翻訳者について色々とお話されているようですが。
とは言っても、日本文で読まれているか分からないのですが。
趣味で読まれたのですか?
それとも独文のお勉強で読まれたのですか?
110 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 20:24:27
以前から思ってたことだが
デミアンの話が多いのはなんでだ?
111 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 20:50:59
すきなんじゃない?
112 :
歯痛王:2007/10/24(水) 03:15:07
デミアンは古びないね。
「いじめ」、「選ばれし者の刻印(おでこのスタンプ)」、「善悪を兼ね備えた神」。
21世紀になっても避けて通れないテーマばかり。
113 :
吾輩は名無しである:2007/10/24(水) 13:47:39
>>112 全部中二病患者の必須条件じゃねぇかwww
>>113 なぜ作品全体を論じず、ある特定のエピソードだけに拘るのか、しかも
決まって「その」エピソードばかり、などと訝しんでいたわけだが、君の
指摘で、何が餌になってて何が釣れていたのか、ようやくわかったよ。
ありがとう。
115 :
吾輩は名無しである:2007/10/24(水) 17:47:41
>>114 あ、何かすいません…ちょっと何も考えないで軽いノリでレスしただけなんで気にしないでください…
深読みするのも、また、別の風に理解するのも文学の醍醐味。
117 :
114:2007/10/24(水) 21:10:53
>>115 ん?君は113か?
俺はイヤミでもなんでもなく、本当に感謝しているのだが。
118 :
113:2007/10/25(木) 07:13:00
>>117 どこら辺がでしょうか?デミアンは割りと好きなんで詳しくお願いします
119 :
114:2007/10/25(木) 12:31:53
>>118 ゴメン、質問の意味が分からないし、なんの説明を求められてるのかも分かんない。
なんか話がかみ合ってないね。流れの受け取り方が違うんだろな。
俺の言いたいことは114で尽きているのでこれでお終いにする。
120 :
吾輩は名無しである:2007/10/26(金) 01:56:01
ほらね、日本人の男性は直ぐにこうやって楽しい会話を崩壊する。
あー嫌だ。嫌だ。仲良くしましょうっていう精神が乏しいのよ。
直ぐに競争意識とかが優先して。双方を罵倒するの大好きな人種が
日本人男よね。せっかく楽しくなったの思ったのに。
121 :
吾輩は名無しである:2007/10/26(金) 20:54:40
今からシッダールタを読みます。
クヌルプが好きな僕は負け組でしょうか?
詩集も好きです。
炎、つれない人々、雨、寂しい晩、チョウチョウ、せつない日々、夜ごとに、冒険家、幼い日から、熱のある病人、を週に2回づつは必ず読みます。
好きですヘルマン。
123 :
吾輩は名無しである:2007/10/27(土) 10:29:15
クヌルプ→愛の嵐→知と愛が芸術家ものの一つの流れだね。
シッダールタ→荒野の狼→ガラス玉演戯が精神もの(?)の流れかな。
個人的には破綻の多い荒野の狼がいいね。
ところで高岡訳って「とび色」「金色」が多すぎない?
124 :
吾輩は名無しである:2007/10/27(土) 12:24:22
高岡じゃなくて高橋では?
高橋健二は日本語が下手なことで有名ですから、仕方ないですね。
125 :
吾輩は名無しである:2007/10/28(日) 07:52:56
荒野の狼がヒッピーの聖典だっていうから、その当時の音楽を聞きながら読んでみた。
そしたら、物凄くマッチした。ドアーズっていうバンドの曲聞きながら読んだら、本当にかつてない読書体験が味わえた。
126 :
吾輩は名無しである:2007/10/28(日) 20:11:25
127 :
吾輩は名無しである:2007/10/29(月) 14:29:02
次スレになってたって今気がついた
128 :
高橋訳:2007/10/29(月) 23:18:07
高橋健二訳ではヘッセの瑞々しい叙情性が感じられなかった。
例えば、有名な霧の中の高橋健二訳は:
不思議だ、霧の中を歩くのは!
どの茂みも石も孤独だ。
どの木にも他の木は見えない。
みんなひとりぼっちだ。
私の生活がまだ明るかったころ、
私にとって世界は友だちにあふれていた。
いま、霧がおりると、
だれももう見えない。
ほんとうに、自分をすべてのものから、
さからいようもなく、そっとへだてる、
暗さを知らないものは、
賢くはないのだ。
不思議だ、霧の中を歩くのは!
人生とは孤独であることだ。
だれも他の人を知らない。
みんなひとりぼっちだ。
129 :
30年前に中央公論社からでてた訳は:2007/10/29(月) 23:18:43
霧の中を歩む不思議さ
どの茂みも石もひとりぼっち
どの木も互いを分かたず
みんなひとりぼっち
私の生活のまだ明るかったころ
世界は友に満ちあふれていた
霧が下りてきた今は
もうだれ一人見えない。
まこと、あの闇の暗さを知らないものを
賢い人とは言えないのだ。
そっとその人を一切から孤絶する
あの闇の暗さを
霧の中を歩む不思議さ
人生とはひとりぼっち
だれ一人互いを知らず
みんなひとりぼっち
ふむふむ★
131 :
吾輩は名無しである:2007/10/30(火) 01:30:42
デミアン(´Д`*)ハァハァ
132 :
吾輩は名無しである:2007/10/30(火) 23:09:37
>>128 原文読んだことないが、中学生が英語のテストでの回答用紙に書いたみたいな文章だよな。
高橋訳は拷問だわw
133 :
吾輩は名無しである:2007/10/30(火) 23:16:03
井上正蔵訳の車輪の下ってどうですか?
かなり読みやすいと思うんだが。
134 :
吾輩は名無しである:2007/10/30(火) 23:37:04
高橋訳のヘッセ全集は、
大学生が書いたドイツ語の試験の答案のように、硬い。
高橋の日本語能力は、文学者としては大いに問題がある。
ドイツ文学筋では、高橋訳は悪訳の象徴的な例として
とっくに駆逐されているのだが、
いまだに「高橋健二のヘッセ」というブランドを信仰しているバカが多い。
135 :
吾輩は名無しである:2007/10/30(火) 23:51:58
ヘッセだけでなく、ケストナーもそうらしいね。幾つも新訳が出ているにも関わらず、いまだに健二かわいいよ健二を連呼してる連中が多い。
俺の中で高橋さん最高は変えず
137 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 02:42:05
確かに、高橋訳だと、残念ながら、ヘッセのあの瑞々しさがほとんど伝わってこない。
言葉のリズムとか、韻を踏むとか、あるいは音楽性とか、そういう才能が高橋さん
全く欠けていたとしか思えない。正確に訳せば、ヘッセの内面が伝わってくると
思いこんでいたのかも知れない。
カラマーゾフも、亀山訳で息を吹き返したのだから、ヘッセも誰か才能のある人、
訳してもらえないかな?
福永武彦あたりが訳してくれると、ボクとしては一番しっくり来るのだけど、とっくの
昔にお亡くなりになっている。
誰かいないかな? 本当に・・・
138 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 02:57:39
福永武彦、確かに、いいね、日本語の格調高さと、美しさを持つ
言葉で、漏れもヘッセを読み直したい。
139 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 03:56:43
仏文卒の人間がドイツ文学を翻訳して何が悪いかとよ、ほんのこつ、そう思うたですたい。
福永武彦(談)
140 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 06:13:46
だって売ってねぇじゃん
141 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 09:39:16
高橋訳では、味わいが全くないね
つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚ わかったおわかったお
143 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 10:42:57
それでも選択肢が少なかった頃は高橋訳でも読んでたぞなもし
144 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 16:34:27
>>139 演劇専修卒の村上春樹がトルーマン・カポーティやスコット・フィッツジェラルド
J・D・サリンジャーを翻訳してんだからいいんじゃねーの
145 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 18:50:51
>>142泣いてる…。
>>137あなた訳してみたら?
それがいいわよ。チャレンジしてみてよ。
原文読めそうな香りが漂っているもの。
146 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 18:57:20
岩波のデミアンと車輪の下は新潮のよりも上だね。
みんなは違う意見かな?
147 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 19:31:54
岩波に一票。
でもものにもよるかも。
つくづく新潮でした…
149 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 19:54:54
>>145 翻訳者が読み手に訳が悪いと非難されて、
読み手に訳してみろと言うのは、
シェフが客に料理がまずいと非難されて、
客に料理してみろと言うのと同じである。
受容者である客はカネを払っている以上、
それにふさわしい対価を享受する権利がある。
少なくとも高橋健二の訳は、それにふさわしくない。
(´;ω;`)
金汚い大人にはなりたくないものだ
才能がないのに吠える大人にはなりたくないものだ
152 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 22:06:04
ヘッセの思想は好きだけど、小説は読んでてしんどい。
車輪の下、デミアン、荒野のおおかみの三作品を読んだけど、しんどかった。
代表作と言えば、車輪の下とデミアンだよね?
153 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 23:24:39
うわー
ずっと、漏れも高橋のおっさんの訳はダメだったんだが、
そう感じている人って結構いたんだ!
154 :
吾輩は名無しである:2007/10/31(水) 23:28:43
>>151 つまり、こういうことだな。
ピアニストの演奏を批判できるのは、
そのピアニスト以上の演奏ができる人だけだ、と。
聴き手はその演奏がどうだろうが黙って拍手喝采しろ、と。
あるいは、政治家の業績を批判できるのは、
その政治家以上の政治ができる人だけであり、
そうではない一般大衆は黙っていろ、と。
155 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2007/11/01(木) 00:47:33
>>151 臭いですねぇ。なにやら全体主義者の匂いがします(笑)
自分は圧倒的無垢の立場にあり、(その際に自分を大人の欺瞞を指摘する子供に譬えるのは失笑ものです、随分残酷じゃありませんか、子供って)他は悪だと。
一部の権力を握っている奴の言う事を聞け、という事に繋がっていくとしたら、それは間違いなくファッショでしょうねぇ(笑)
高橋健二をいまだ信奉している人たちって、若しかすると大声翼賛会とかに今でももろ手を上げて賛成する人ですか? 危険ですねぇ(笑)実に危険です。
高橋のおじいちゃんだお
157 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 04:17:50
ヘッセ読んでる女って他にどんな本読むんだ?
俗物は批判のプロですらない
白か黒かで一面的に判断しようとするからな
俗物は風評を安易に信奉する
それこそ全体主義の危険なのだがね
高橋信者=全体主義というレッテル貼りはなお笑止
レッテル貼りこそ全体主義につながる
才能のない者の批判ほど片腹痛いものはないな
159 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 09:36:15
日本の場合、議論・討論→口論・喧嘩だからなあ。
ちょっとでも突付かれると、すぐ感情的になって相手をけなす。
批判も反論もできない結果、一億総仲良しクラブになるわけだ。
少なくとも表面的には。
にしても現在の「売れっ子作家」でないヘッセのスレが
いつも上にあるのが不思議。
160 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 13:39:09
トーマス・マンが青臭くなったのがヘッセだね
161 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 14:31:29
なにはともあれヘッセにはヘッセしか出せない味がある。
162 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 14:50:47
そうか?
マンのできそこないがヘッセじゃないか?
たとえば、ヘッセにしか出せない味、それを文の切抜きで教えてくれよ。
163 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2007/11/01(木) 15:11:32
何故やら「俗物」認定をされていますけど、それがなんで悪いんですか(笑)
「清貧」等を連呼して、全体主義に組み込まれますより、「俗物」として己の利益のみを追求するほうがいいじゃありませんか〜(笑)
「俗物は風評を安易に信奉する」とはこれまた失笑ですねぇ(笑)子供の次に「清貧」とか名乗るのは御勝手ですけれど、少なくとも高橋健二信者の方が風評に踊らされている間が拭えないですねぇ(笑)
第一貴方は高橋さんの翻訳の何処がいいのか、それを指摘できていないでしょう(笑)もしや指摘できないから、子供ぶったりされておられるんですか?
>>159の方も出羽の神(笑)ぶるのはいいですけど、ちゃんと調べましょう(笑)「日本の場合」とか言われていますが、少なくとも私の知る限りでは議論やがて嵩じて血みどろの罵りあい争いになったなんて言うのは、寧ろ日本以外の国の多いんですけれどもねぇ(笑)
「一億総仲良しクラブ」はまぁ賛同する余地も無い事は無いですけれどもねぇ(笑)訳者はただの料理人ですから下手ならこき下ろせばいいだけの話でしょう(笑)
いいの悪いので語る批評家気取りは何もわかっちゃいない。
翻訳にいいも悪いもない。
正確さも妙味も翻訳の本質とは関係ない。
よくも悪くもあれは高橋語に立派に翻訳されている。日本語としてみれば悪文だとかいう批判もあろうが、日本人向けに味付けした中華料理屋で本場の味がしないというのと同じくらい的外れだ。
高橋語訳として楽しめばいいこと。所詮完璧な翻訳など無理なのだからね。
楽しみ方を知ってる方のがこき下ろす奴より上手だ。
165 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2007/11/01(木) 16:13:07
>>164 頭がお悪いですねぇ(笑)
普通に「日本人向けに味付けした中華料理屋で本場の味がしない」と言う人はいるでしょうし、
「日本人向けに味付けした中華料理屋」であろうがなんであろうが不味い物は不味いと言う訳ですねぇ(笑)
不味いから改訳してくれ、でもいいじゃありませんか(笑)それを批判される。
「立派に翻訳」ならばまずその箇所を指摘して論じなさい(笑)
http://miura.k-server.org/newpage117.htm ここで引用されて完璧にこき下ろされている処をそれはそうじゃないんだよ(笑)と言う風に一つだけでもいいので教えて下さったらどうでしょうか(笑)
勝手に貴方の頭の中で「翻訳の本質」とやらを妄想されるのは結構ですけど、それを不味いと言っている他の人にまで押し付けるのはどう見てもファッショでしょう(笑)
料理店の手先、サクラ野郎と思いっきり嘲笑させていただきます(嘲笑)
「騒げ、もっと騒げ、たかが文学じゃないか...」
元ネタを知ってる人間はこのスレには殆どいないだろうな。
アンチ巨人の多そうなこの板にふさわしいと思うのだが...
167 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 19:23:06
>>164 高橋健二の訳が「日本語としてみれば悪文だ」という現実と、
「日本人向けに味付けした中華料理屋で本場の味がしない」
という比喩とは、矛盾している。
喩えるならば、
「日本人向けに味付けした中華料理屋で、まずい」
と書くべきだろう。
高橋訳がしばしば糾弾されるのは、
本場の味がするかどうかは関係なく、
日本語表現が稚拙だということである。
料理で言えば、「まずい」ということである。
168 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 19:26:48
>>158 つまりあなたは俗物ではなく、才能がある人間なのですね。
グダグダと薀蓄を偉そうに語っていらっしゃいますが、
「あなたは俗人です」というリザヴェータ・イヴァーノヴナの名台詞を
あなたに献呈します。
また、あなたはご自分の専門外のことについては、
いっさい批判してはならず、賞賛だけしていてくださいね。
169 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 19:29:04
>>164 翻訳は第二の創造なわけで、誰も「完璧な翻訳」なんて望んでいませんよ。
問題なのは、「高橋語」は日本語として稚拙だということですね。
思った。光文社のやったことをみんな全部やればいいんだ。
171 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 21:43:37
文句はいいから早く訳せよ
172 :
吾輩は名無しである:2007/11/01(木) 23:19:33
マンのできそこないがヘッセじゃないか?
たとえば、ヘッセにしか出せない味、それを文の切抜きで教えてくれよ。
173 :
吾輩は名無しである:2007/11/02(金) 01:05:46
>「高橋語」は日本語として稚拙だ
漏れ独文専攻だが、高橋訳ではヘッセの詩的な部分が死んでしまっているんだわ、
一方、荒野の狼などの訳は、高橋訳で満足してる。
174 :
吾輩は名無しである:2007/11/02(金) 01:53:32
高橋健二は研究者としてはともかく、翻訳者としては二流。
高名な研究者だからと言って翻訳がうまいわけではない。
高橋は日本語の語彙が乏しく、表現の幅は狭いし、
文章の流れもぎこちない。
高橋健二を絶賛している人は、
洗練された美しい日本語の本を読んでいない。
まあ、語彙なんて少なくてもうまい人はうまいな、文章は。
この高橋さんは、繊細な暗がりの表現の心配りが不届きなだけかな、と思うが。
ヘッセの核心に迫るのは、やはり詩心だとおもう。重要だよ。
俺は、折口信夫がヘッセを知っていたらどう思ったかなあ
と、ときどき思う。
176 :
吾輩は名無しである:2007/11/02(金) 03:23:27
(´・ω・)=3しごころですか…
177 :
吾輩は名無しである:2007/11/02(金) 03:42:32
174が思ってる洗練された美しい日本語の文はなにを読めば良いの?
例をいくつかあげてよ
興味がある
178 :
吾輩は名無しである:2007/11/02(金) 03:46:21
私だったら便所の落書きと呼ばれる某巨大掲示板の書き込みを挙げるがなぁ
180 :
吾輩は名無しである:2007/11/02(金) 14:31:12
池内訳ってないの?
ちょっと読んでみたい。
181 :
吾輩は名無しである:2007/11/02(金) 18:44:02
池内はヘッセを訳していないはず。
182 :
吾輩は名無しである:2007/11/03(土) 02:46:33
優れた翻訳家と言えば、
渡辺一夫、鈴木信太郎、齋藤磯雄などの名前を連想する。
彼らは、洗練された美しい日本語を書くことができた。
とりあえず直近の新しい邦訳をやってる小説でドイツ語訳をやっている人は誰がいただろうかね
お前らがあんまり健二たんを馬鹿にするもんだから
ドイツ語を勉強して原著を読むことにした
うん、その方が理解が悪くなるけどそれもいいと思う。
情報スレより転載
• ヘッセ『車輪の下で』松永美穂訳、光文社〈光文社古典新訳文庫〉、2007年12月6日頃刊行予定。 ISBN: 9784334751456
187 :
吾輩は名無しである:2007/11/03(土) 21:27:26
よく外国文学は原書で読むべきだという人がいるが、
その外国語を母国語と同じくらいに身につけていなければ、
原書を読んでも、あまり有意義ではない。
文学作品は、自分の血肉となっている言語で読むべきであって、
そのために翻訳家という職業が存在する。
188 :
吾輩は名無しである:2007/11/03(土) 21:53:21
>>186 そういえばそれがあったなwwwwwww
でもそれじゃほとんど意味がないwww乙
189 :
吾輩は名無しである:2007/11/03(土) 22:27:35
光文社の新訳は過去のどれよりも劣ってるだろう
車輪
井上>実吉>高橋
デミ
実吉>高橋>秋山英
シッダ
高橋>手塚
クヌ
高橋>相良>番匠谷
今のところこんな感じ
高橋の御爺様でだったらいいかとおもた
192 :
吾輩は名無しである:2007/11/04(日) 07:09:33
ガラス玉今途中だけど…あんま好きじゃないかも…
どこまでいったんや
194 :
吾輩は名無しである:2007/11/04(日) 19:31:27
>>193 上巻の半分位までしかいってないけど、荒野の狼の時に感じたワクワク感がまるでない
195 :
吾輩は名無しである:2007/11/04(日) 20:01:00
ワクワク感という意味では、
『デミアン』『荒野の狼』が優れている。
>>194 上巻ってことは多分自分の持ってるのと違う本だなぁ
わくわくしなくても感じ取るものがあればええのでは
197 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2007/11/04(日) 20:32:40
ワクワク感とか意味の分からないことを仰られましてもねぇ(笑)
198 :
吾輩は名無しである:2007/11/04(日) 20:38:17
ツルツル感なら臨川の「ガラス玉」ですね。
角川の金ピカ版は傷だらけのが多いからだめだめ〜。
199 :
快刀:2007/11/05(月) 00:48:37
荒野の狼がワクワクか
知ってるつもりだな
これ退屈なページが多いよ
冒頭の主人公紹介はワクワクだな
ゲーテやモーツァルトに対する憧れと葛藤を暴露するところのヒステリックなヘッセは最高だわ
200 :
吾輩は名無しである:2007/11/05(月) 21:25:53
「一ヶ国語しか知らない者は、一ヶ国語をも知らない」byゲーテ
だそーだ。
ゲーテは7ヵ国語話したらしいからね
202 :
吾輩は名無しである:2007/11/05(月) 21:43:12
でもヨーロッパの言葉って何だかんだ言って方言の違いみたいなもんでしょ?
俺らが英語使えるのとゲーテの七ヵ国語って価値的には大差ないような気もするなぁ
203 :
吾輩は名無しである:2007/11/05(月) 22:07:49
下手な日本語、下手な英語しか使えないバイリンガルより、
どちらかを上手に使える人の方が、文学を深く味わうことが出来る。
ゲーテはドイツ語、フランス語、イタリア語、英語、スペイン語、ヘブライ語、ロシア語を話せたんだっけな?ウィキに書いてたの前に見たことがある。
まあ天才は違いますな。
お前らの嫉妬じみた書き込みは見苦しいので以下ゲーテについての書き込み禁止で。
205 :
快刀:2007/11/06(火) 00:47:13
ヘッセは読書の趣味は悪いな
ゲーテ信奉もそうだが、カフカ誉めてる浅はかさとか、スタンダールを至高とか言ったり
これは残念
206 :
吾輩は名無しである:2007/11/06(火) 00:48:31
ヘッセはゲオルゲが嫌いだった。
イッヒ フュールテ デン ユンゲン アイネ シュトレッケ ヴァイト アム アルム。
エス シュプラッハ アウス ミーア
「イェッツト ゲースト ドゥ ナッハ ハウゼ ウント ザークト ニーマント エトヴァス。
ドゥ ビスト デン ファルシェン ヴェーク ゲガンゲン、デン ファルシェン ヴェーク!
ヴィーア ズィント ニヒト シュヴァイネ、ヴィー ドゥ マインスト。
ヴィーア ズィント メンシェン。 ヴィーア マッヒェン ゲッター ウント ケンプフェン
ミット イーネン、ウント ゼィー ゼーグネン ウンス。
新潮文庫「デミアン」160ページ
うん
209 :
吾輩は名無しである:2007/11/07(水) 20:50:52
久しぶりに来たら凄いねここ。
もう200台??あらまぁ〜♪
>>205そう?
誰か素敵な詩人を紹介してくれると嬉しいです。
ゲーテほどの人はもうドイツではいないと言われているらしいね。
日本のゲーテは森鴎外だろう?ってジャーマンポて子に言われたよ。
君にはウィリアム・ブレイクをおすすめするよ
211 :
快刀:2007/11/07(水) 23:35:32
永山則夫
212 :
吾輩は名無しである:2007/11/08(木) 00:27:34
ゲーテのように、
小説、詩、戯曲の分野にそれぞれ傑作を残した作家は
日本にはいない。
だからゲーテの話はゲーテ板でお願いします
214 :
吾輩は名無しである:2007/11/08(木) 19:19:13
>>210わぁ〜お。ありがとう♪
でも凄い怖い・あなたは誰ですか?
よく私が好きそうな人を紹介されましたね。
驚きです。あなた私を知ってる人?
まさかねぇ〜。でも凄いうれしい。ありがとう。
>>211また凄い人を。これまたありがとう。
これは私の姉向きだわ。^^でも私も読んでみる。
『捨て子ごっこ』(1987年)
『なぜか、海』(1989年)
これが読んでみたいよ。
>>212いないわよね。
>>213今後気をつけまする。
皆様、ありがとうです。
また宜しくです。
215 :
吾輩は名無しである:2007/11/08(木) 20:00:01
216 :
吾輩は名無しである:2007/11/08(木) 21:09:18
217 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2007/11/08(木) 21:12:46
>>216 おやおや(笑)性的にお盛んと見ましたが(笑)
218 :
210:2007/11/09(金) 00:10:31
>>214じゃあジョン・キーツ、エミリー・ディキンソン、アレン・ギンズバーグを読んでみて。
はにやゆたか
220 :
吾輩は名無しである:2007/11/09(金) 05:23:28
性的に盛ん?「スキナヒトだけ」にはね。
210は怪しい・・・。
私を知ってる人?
エミリー・ディキンソン好きだよ。
はにやゆたか って・・・そう来たか。
それとヘッセの書く事が理解できないことがあるのですが。
とくに晩年かかれたものは、猫に小判のような状況で。
スキナヒトの隣で「文」を読みたいわ♪ちゅ。
どうして日本人はドイツ人作家をスキナヒトが多いのでしょうか。
薀蓄大好きポテトさんたちなのに。
人間味、があって、それも、そこそこにおいしいから。
222 :
吾輩は名無しである:2007/11/15(木) 17:45:07
皆さんどちらへ行かれてしまったのかしら
久しぶりに足を運んだのですがどなたもいらっしゃらない
どうしてしまったのかしら
そんな君にマラルメをおすすめしよう
シッダールタ。
批判的に見たら、デミアン以上に突っ込みどころ満載なのでは。
ゴータマとシッダールタが別人だったって、そんな設定ありかよ。
ドイツ人の目から見たら、アジアは何でもありの混沌に見えるかもしれないが、
歴史の根本設定をおもちゃにしてもらいたくない。
225 :
吾輩は名無しである:2007/11/22(木) 17:48:33
なんか一ヶ月前が嘘のような過疎だな
本当だね、どうしたのここ?
マラルメ?
なんだか誰か人の後歩いてる?
マラルメってドビッシーとも関係ある人のこと?
異様に私の好みを薦める人がいる。
貴方は、だぁーれ?
いや、いつもこんな感じだから
229 :
(´台`) ◆nRHFM1v6Oo :2007/11/23(金) 06:42:54
腐女子が消えて過疎ったのか
230 :
吾輩は名無しである:2007/11/23(金) 06:58:19
ダ・ヴィンチも多分次号が出たんだろうねぇ
231 :
吾輩は名無しである:2007/11/23(金) 20:25:25
>>224 >シッダールタ。
>批判的に見たら、デミアン以上
そうですよね。
>>91さんが 「>デミアンからシッダールタへのつながりはどう見てんの」
とおっしゃるので、何があるのだろうか?とページをめくってみたのですが
デミアンと同じようなものがあり、批判的に見ればデミアン以上。と思いました。
「真我に出会う」といったことが強く述べられていましたが、日本で座禅(瞑想)
する時は、「心を無にする」とか「煩悩をたちきる」とか言いますよね。真我に
会うため、自己実現をするための瞑想だったら煩悩ありありなんじゃないかなー。
インドの価値観は知らないけれど、日本的な立場から見たら日本とは正反対の精神
ですよね。それが東洋思想のように描かれることは、ホントに強い抵抗があります。
心理療法にも内観療法というのがあって、これはヘルマンヘッセの思想に近いと
思うのだけれど、それは日本のものではないし・・。
「似ているが違う。」ここに厳密になることはとても大切なことだと思いました。また
その能力は本を読むことで養われると思う。このスレに来ると、感覚のしっかりした
人達と出会うことが出来、自分もまたいろいろと考えをめぐらすことが出来たり
大切なことに気づかせてもらったりして楽しいです。
232 :
吾輩は名無しである:2007/11/23(金) 22:00:25
シッダールタ。
西ヨーロッパのアジア観の貧弱さは、今も昔も変わらないってことだね。
所詮は地球の辺境地ですよ。
日独伊三国同盟が、なんだか奇跡のように思えるね。
もちろん裏を知ればアレだけど。
233 :
吾輩は名無しである:2007/11/23(金) 22:25:25
皆さんお詳しいですね
ここは色々な事が少しずつ学べるので嬉しい場所です
宝物箱を開けるみたいにワクワクする♪
234 :
吾輩は名無しである:2007/11/24(土) 02:44:54
日本人が英語話せないのと同じかな>西ヨーロッパのアジア観の貧弱さは、今も昔も変わらないってことだね。
235 :
吾輩は名無しである:2007/11/30(金) 18:32:26
果たしてヘルミーナみたいな女性は本当に存在するのか?
236 :
吾輩は名無しである:2007/12/01(土) 01:50:16
映画「オーメン」を見たとき、デミアンをパロってるんじゃないかと思った。
その時は心外だった。戦勝国ってそんなに偉いんかいってちょっとムっとした。
でもひとりの19世紀のアメリカのひきこもりの女性詩人の話を聞いたとき、
なぜ英米人がデミアンをパロったのかわかった。その女性は「ぱったりとほんとうの
自分の出会ってしまうことは、おそろしいこと」と言った。それは考えてみれば
そうなのだと納得した。本当の自分がどんな姿をしているのか実際にみんな知らない
のだ。太古の卵のかけらをくっつけていたり、しっぽがはえているかもしれない。
どんな恐ろしい姿をしているか、それはわからないのだ。
ほんとうの自分がデミアンやシッダールダにかかれているようにすばらしいのか
それともアメリカのひきこもりの女性が言ったようにおそろしいのかは、経験的に
知ることができる。神戸の事件のバモイトオキ神。オウム真理教・・。経験的には
はるかにおそろしいほうへ軍配があがる。それを価値のあること、すばらしいと
言ってしまうことはあまりにもお花畑的思考ではないだろうかと思う。
しかしながら、ヘッセは仮に魔物だろうが、自分の心のなかにある深淵からでてくる
ものと出会いそれを描くことができたのだ。それに心酔してしまったことは確かに問題
だけど、それを描いたことは大変な功績であると思うな。
?
”I heard a Fly buzz ーwhen I died ー” Emily Dickinson
I heard a Fly buzz ー when I died ー
The Stillness in the Room
Was like the Stillness in the Air ―
Between the Heaves of Storm ー
The Eyes around ― had wrung them dry
And Breaths were gathering firm
For that last Onset ー when the King
Be Witnessed ー in the Room ー
I willed my Keepsakes ー Signed away
What portion of me be
Assignable ー and then it was
There interposed a Fly ー
With Blue ー uncertain stumbling Buzz ー
Between the light ー and me ー
And then the Windouws failed ー and then
I could not see to see ー
239 :
236:2007/12/02(日) 00:50:46
Emily Dickinson だったと思います。>女性詩人
彼女についての個人的な評価は定まっていないので名前は書きませんでした。
自己啓発(開発?)セミナーなどはデミアン的なのかも。だって自分のなりたい自分
理想の自分になる、自分を向上させるといったことが目的らしいから。それは
すばらしいことかもしれないけれど、やはり穴があるのかもしれないな。良いこと
すばらしいことのはずが地獄への一本道ということもあるかも。
240 :
吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 16:10:17
車輪の下の 井上訳ってのはどこから出てますか?
241 :
吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 16:14:22
>>240 集英社文庫
しかし、井上訳がそんなに良いとは聞かないな。
高橋と実吉は読んだが。 井上はそんなに良いの?
242 :
吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 17:07:14
集英社の井上訳って子供向けでは?
ヘッセそのものが子供向けだろw
244 :
吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 20:50:09
>>239 ちゃんと読んだか?シンクレールは、「理想の自分」というものを掲げて生きる事は、愚かな事だと言ってただろ。
245 :
244だけど:2007/12/02(日) 21:02:48
>>239 自己啓発って、元々暗い奴とか対人恐怖症のやつとかが無理やり人格を明るくしたり、「人生を楽しむ」とかいう言葉を盲信して自己の運命を徹底的に拒否したりする事だろ?
どういう共通点があるんだ?おかしくね?
246 :
吾輩は名無しである:2007/12/03(月) 02:42:15
またデミアンの話かよ。
みんな好きだよなあ。
247 :
吾輩は名無しである:2007/12/03(月) 13:47:19
車輪の下の井上訳って評価高い?
248 :
吾輩は名無しである:2007/12/03(月) 22:03:19
デミアンだけいい。
盲信という言葉がでたが、ジンクレールもまた、
デミアンとエヴァ夫人を盲信していなかっただろうか。
ジンクレールが、理想の自分をかかげていきることは
愚かなことだといったのなら、それは世間的な見方である理想
のことを言っているのにすぎない
では。
彼自身が見つけたスペシャルな理想に対しては、
まっすぐによそ見もせず、疑うこともまようこともなく
ーーデミアン一家のバックグラウンドを聞くことも、確かめることもなくーー
突き進んでいるんジャマイカ。
視野が狭くなっているという共通点があると思う。
250 :
吾輩は名無しである:2007/12/03(月) 23:12:00
247に意見をください。
興味あります。売ってないので確かめられません。
集英社の井上の役です
251 :
吾輩は名無しである:2007/12/04(火) 21:18:26
どう考えても 実吉>井上
252 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 17:54:10
ヘッセのどこにノーベル賞の価値があるのかわからない。
子供向けの難しい小説ってレベルだろ。
253 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 18:40:54
デミアンなぁ…デミアンとデミアン母の関係がなんかきもかった
254 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 21:19:39
>>252 ヘッセはついでの受賞だろ。
もうドイツには優れた作家がいなかったし。
255 :
吾輩は名無しである:2007/12/06(木) 07:30:50
256 :
吾輩は名無しである:2007/12/06(木) 12:09:39
ヘッセなんかどうでもいいじゃん
ストーリーは単純だし、思想は代わりがいるし
257 :
吾輩は名無しである:2007/12/06(木) 23:08:07
ヘッセスレってよりデミアンスレだなこりゃw
それ用のスレでも立てたら?
258 :
吾輩は名無しである:2007/12/07(金) 11:40:41
ヘッセの話題なんてほとんど無いから、ここで良いだろ。
259 :
吾輩は名無しである:2007/12/07(金) 16:20:46
光文社から「車輪の下で」が出たから買いました。
高橋訳よりは良かったりしてw
260 :
吾輩は名無しである:2007/12/12(水) 23:12:16
久しぶりに来たら下まで下がっていますね。
あらあら。
ヘッセは時計屋さんに勤務されていたそうですね。
今でもその時計屋さんは存在するのでしょうか。
どなたかご存知の方、いらっしゃいますか?
261 :
吾輩は名無しである:2007/12/20(木) 15:11:24
しらへんかった
262 :
吾輩は名無しである:2007/12/23(日) 22:34:07
働いてる奴、税金払ってる奴は馬鹿www
俺は一生童貞だし、この国がどーなろうがしったこっちゃないよ。
愛国心?ばっかじゃね〜の?むしろ俺は日本という国に恨みを
持ってるね。みんな好き勝手やってるのに、俺は悲惨な人生だ。
どんどん壊れていったらいいよ。しるもんか。
おまえらが俺のことなんてしらないようにね。
所詮日本は利権構造だ。コネさえあればたいして努力しないで
大金が稼げる。公務員夫婦の世帯年収は40歳平均で2000万円。
マスコミ・銀行・その他、利権構造下にあるものは全部そう。
こいつら普通に50代で2〜3000万稼いどる。大して仕事してないし。
親族経営会社で利益を親族に手当てして税金払ってない所も山ほど。
そんななかで手取り2〜30万、年収で3〜400万円程度で
この利権構造体を存続させるために働け、ってか?
利権構造下にないのに労働してる奴らって、馬鹿だろ。おまえ。
おまえよりも馬鹿でロクデナシがロクに働きもせずに
大金を稼ぎ、佳い女(男)を抱いてるんだぜ。
馬鹿らしさに気づいた奴らは働かねーよ。俺とかな。
財産食いつぶして、金が無くなれば自殺するさね。
どうせ俺はキモくて生命としても次世代を遺せないわけだし、
この社会体がどーなろうが知ったこっちゃねーよ。
あぁわかってるよ。俺が一番馬鹿だってことぐらい。
俺は生まれてはいけなかったんだよ。さぁ俺を殺せ。日本
263 :
吾輩は名無しである:2007/12/26(水) 13:57:20
ヘッセって年上好きだよな
264 :
吾輩は名無しである:2007/12/26(水) 23:04:53
ヘッセの詩では何が好き?
ホテルに泊まってたら隣の部屋の奴がうるせーから死んでくれねえかな〜って延々ブツブツ言ってる詩
>>265 | \
| ('A`) ギシギシ
/ ̄ノ( ヘヘ ̄ ̄ アンアン/
267 :
吾輩は名無しである:2007/12/29(土) 10:37:06
>869 名前: 吾輩は名無しである 投稿日: 2005/10/13(木) 00:48:26
>詩集(新潮社・高橋健二訳)を久し振りに読んだが「おお友よ、その調子をやめよ!」が載っていない。
>誰かこの詩の全文を知っている人がいたら、教えて欲しい。
>
>870 名前: 吾輩は名無しである 投稿日: 2005/10/13(木) 01:17:33
>
>>869 >ヘルマン・ヘッセ・ジャパンのHP.掲示板で質問に応えてくれる。
>
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~diyberg/index.html >
>871 名前: 吾輩は名無しである 投稿日: 2005/10/14(金) 10:37:39
>
>>870 >そうでした!早速聞いてみます。有難う。
上みたいに書いてあってHPに行って読者の広場をみてみたけど
見つからなかった(見落としかもしれん)
誰か 「おお友よ、その調子をやめよ!」を読めるところを教えてくれ…
頼みます。
>>264 幸福がなんたら、ってやつと、読書について、のやつ。
ヘッセの詩はどれもいいよ・・・!
「車輪の下で」の新訳が出ましたね。
270 :
吾輩は名無しである:2007/12/30(日) 15:23:04
ヘッセってかなりニーチェの影響受けてるよな
271 :
吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 02:05:57
漱石>ヘッセかな
個人的には、新訳「車輪の下で」よりも高橋訳が好きだ。
まあ「おいきみ」はどうかと思うが・・・
273 :
吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 11:59:18
集英社の訳が一番評価高いね
274 :
吾輩は名無しである:2008/01/03(木) 21:28:51
ナルツィスとゴルトムントの名前の由来ってなんなんだ?
ナルツィスはギリシア神話の水仙男だとして、
ゴルトムントは直訳すると金の口なんだが、何を表しているのかよくわからない。
275 :
吾輩は名無しである:2008/01/05(土) 13:04:49
集英社のはそんなに良いのか。読んでみるか
276 :
吾輩は名無しである:2008/01/06(日) 03:03:00
デミアンの『感想』ではなく『読んでいて興味をもった点について論じろ』と課題が出た。
どんなことに興味もった皆?
277 :
吾輩は名無しである:2008/01/06(日) 05:04:04
ギムナジウム小説の流れというか、
テルレス、デミアン、トニオ・クレーガー等ドイツ的少年愛のカタチについて興味持った。
これでおk。
278 :
276:2008/01/06(日) 10:52:50
俺は世界宗教の善と悪の宗教観について書こうと思ったんだけど
>>277の方が内容をよく鑑みているような気がするなぁ。
279 :
吾輩は名無しである:2008/01/06(日) 14:06:07
>>276 いったい、何が理由でそんな課題が出たの?
大学?
280 :
276:2008/01/06(日) 15:33:33
うん。大学の課題。ドイツ文学とはなばかりのデミアン講義だった。法学部の俺としては新鮮でおもしろかった。
>>277の根底にはゾンバルトが論じて以来の男性同盟と友愛の問題、
トーマス・マンの問題とも絡むハンス・ブリューアらのドイツ的青少年結社、
ジョージ・モッセらの言う少年性における女々しさと男らしさの問題、
ひいてはナチズムの問題にも到るから、なかなか深いものがある。
やおいBLハァハァ(*´Д`;)美少年マンセー
みたいなバカ単純な話ではないから考察に値するマジメな主題となる。
282 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/01/06(日) 17:46:52
>>277>>281 いやはや、散々笑わせてもらいました(笑)このような方々がしたり顔でお古い文学を語られていという訳なんですねぇ(笑)
譬えば少年合いなんていうのあは所詮小説の表面要素にしか過ぎない訳です(笑)
>ゾンバルトが論じて以来の男性同盟と友愛の問題、
トーマス・マンの問題とも絡むハンス・ブリューアらのドイツ的青少年結社、
ジョージ・モッセらの言う少年性における女々しさと男らしさの問題、
ひいてはナチズムの問題
これと、
>やおいBLハァハァ(*´Д`;)美少年マンセー
という態度とのどこが違うんでしょうかねぇ(笑)どちらも小説の表面要素を取り出して勝手に「萌え」られているだけなのではないでしょうかねぇ(笑)
ドイツ的青少年結社云たらかんたらと言うのは全く小説の要素としては関係ない訳でしょう(笑)
それを取り出してこの小説はこう言う思想の元にだの時代背景の元にを云々すること自体すでに小説に携わってはならない証拠なのですねぇ(笑)
下手の横好きという奴です(笑)併しこの程度のレベルでいまだに小説読解が行われており、それを
>>276のような方が真に受けられtると言うのはいいかがなものかと。
283 :
吾輩は名無しである:2008/01/06(日) 20:44:43
全く説得力ねーのはなぜだろう。
284 :
吾輩は名無しである:2008/01/07(月) 00:13:42
説得力ねーっつーのは、信憑性がないから。
信憑性がないっつーのは、好意的に考えれば説明不足
でも、説明不足っつーーのは、致命的欠陥だよな。
説明不足ってのは、説明できないってことかもしれんからな。致命的。
ここはムードに流されず、納得のいく説明をお願いしたい。さもなくば
無視だな・・
285 :
吾輩は名無しである:2008/01/07(月) 00:28:59
少年愛というが、デミアンでジンクレールが愛するのはデミアンの母親の中年女性
なんだよね。それも強烈だよ。彼女を愛したなら、母親も恋人も妻さえどっかへ
飛んでいくんだ。太古の女神の化身だってことだけど、彼女のほうはフリーセックス
なんだよね。なんかおかしいよ。ユング派もそういう女性をあがめているよね。
ユング派もヘッセの愛好家もナチスのことはなしで済ませたいようだけど、その
太古の女性がなんか関連しているようなんだよね。ナチズムも考えてみれば
ヒステリックなところが女性的だよな。粗野でフリーセックスで魅力的な女がいて
それを文明社会の知的階級という男の獣がかつぎだす。まるで神のように。
それがナチズムの正体の概略なんじゃないかな。今現在も同じことが繰り広げられて
いる。たいていは大笑いされているが、それがまかり通るようになったらおしまい。
みんな、本を読んでいろんな考えかたができるようになろうよ。
286 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/01/07(月) 00:30:20
(笑)説得力がないと言うのは
>>281さんのことで結構でしょうかねぇ(笑)何も分析的なことを言っておられないようですが(笑)
では先ず申し上げますけど
>>281さんの出した人たちはマンを除いて全て学者先生でしょう(笑)それをどうして小説と絡めようと為さるのでしょうかねぇ(笑)
そもそも小説とは芸術作品でしょう。それを何故時代背景なんぞと絡めて論じようと為さるのです。それと作品内で誰でも分かるように提示される要素を取り上げて、それで勝手に共通点を作っておられるらしい(笑)
そういう歴史背景やら思想やらで論文を書くのと、「萌え」るのの何処が違うのだ、と申した訳です、ところでも説得力が感じられないのでしたら「小説のストラテジー」を買ってお読みなさい。
あなた方が何故小説を読んではいけないのか、又小説とは本来どう読まれてあるべきかが私などよりよっぽど簡潔に書かれていますけれどもね(笑)
287 :
吾輩は名無しである:2008/01/07(月) 00:42:28
>>286 小説を読んでいけないだって?!!
ふざけるな!と強く言いたい。
誰でも読んでいろんな感想を言えばいいんだよ。どこにほんとうのことがあるか
知れない。ほんとうのことなんかないって意見の人も多いだろうが、月日を重ねる
と、だんだんといろんな意味が見えてくる。よい小説とは、作者の意図さえ離れ
それ自体がまるで人間のように存在感をもつものだ。
いいよ、かまって欲しいだけの荒らしコテは放置で。
ウルリヒ姉さん、じゃなかった、ウルリヒ・ネータンという人がいるらしい。
この人が「デミアン」に何の関係があるかというと、特に関係はないらしい。
290 :
吾輩は名無しである:2008/01/07(月) 07:19:21
デミアンは本当に人によって捉え方が全然違うな。時代背景云々言う奴はデミアンという小説が孕む猛毒をどうしても拒否したいんだね。
仮借無き思索をとことんまで突き詰めるとただの基地害になってしまうというリスクがあるから臆病な公務員気質な人達はこの小説の本質は一生理解できないだろうな。
291 :
吾輩は名無しである:2008/01/07(月) 13:09:08
トーマス・マン>へルマン・ヘッセ
ヘッセってマンのマネをしてる部分があるよねw
292 :
吾輩は名無しである:2008/01/07(月) 13:09:35
ーーーーーー
| |
| | |
|−−−−−|
| | |
|ーーーーー|
| | |
|ーーーーー|
| |
| ヘ |
| ノ・‘ |
| ーーー |
| ・ ノ |
| L 」 |
L−−−−−−」
===============================
このスレを見た人は、50年以内に
かならず氏にます。
でも、逃れる方法はあります、
※10日以内に20箇所のスレにこれをはるのです。
すみません、僕、氏にたくないんだす
293 :
吾輩は名無しである:2008/01/08(火) 11:58:25
コーホー
ウォーズマン?
ヘッセの本を多数出してた草思社が民事再生法申請だってよ
あのシリーズ1冊数万部単位で売れてたのに、辛いねえ
296 :
関連スレ:2008/01/13(日) 06:52:50
297 :
吾輩は名無しである:2008/01/18(金) 23:18:49
デミアン 高橋健二訳 新潮
p.224 l.10
>私はHにもどってからも二日間彼女の家から遠のいていた。
Hって何ですか?
298 :
吾輩は名無しである:2008/01/18(金) 23:36:48
ヘッセ読むんだったら、スタンダール読みたいね
まずは「赤と黒」かな、現在を生きる人は、もちろん野崎歓の訳(光文社)で
299 :
吾輩は名無しである:2008/01/19(土) 01:04:39
>297
ジンクレールは高校卒業後、H市にあるH大学に進学した。
偶然(!)デミアン母子もそこに移り住んでいて、ジンクレールは
この街で日本人と一緒に歩いているデミアンを見かけることになる。
大学町のH市ということで、ハイデルベルク、ハレといったあたりが
候補かな?
少年の日の思い出(クジャクヤママユ)って人気ありますか?教えてください!
単行本でもないものの人気を客観的にどう弾き出せと言うんだ……
俺は好きだよ、多分ある年代の人なら好き嫌いはともかくみんな衝撃を受けたと思うよ
>>300 人気があるかどうかは知らないけど、俺は大好き。
国語の教科書にも載ってるよな。
俺は記憶に残ってる数少ない作品だな
ただ心理はよくわからなかった
たいていそうなんだけど
自分が死んで、もし無にならなかったら
ヘッセに会いに行く
それくらい好きだ
ヘッセ
死にたくなるほど好きだ
嫌いな所が見つからないと、自分があまりにもちっさい人間みたいに思えてくる(;ω;)ウッウー…
井出賁夫の研究書買った
132 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2008/02/11(月) 17:51:35.77 ID:CLPArIxS0
模範的な友人の蝶の標本壊したら冷静にキレられた
309 :
吾輩は名無しである:2008/02/23(土) 21:45:42
age
310 :
亡国◎韓:2008/02/24(日) 03:31:27
マルハン王国の闇
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1086581896/3-8 韓会長は月に一度は韓国へ里帰りしていた。 しかし理由はそれだけではなかった。
伊藤忠商事本社イケダ部長と駐韓ソウル支店長と共に 新韓銀行本店、新韓生命保険本社へ通った。 なぜ韓国マネーとつながりがあるか?
多店舗で展開する場合は方法に問題がある。 各店舗ごとに用意すればいいかもしれないが、それだけ 秘密の漏洩になる。
そこで考え出されたのは、ネットワークによる集中管理である。ネットワークであればその制御装置本体の
設置場所をホール内である必要もなくなる。
「マルハンの店頭公開利益を見込み、第三国経由で 資金調達をする。」 その役目を買って出たのが先のメンバーである。
新韓銀行と新韓生命保険が伊藤忠との三角取引で マルハンへ迂回するというもの。中国も関わっているらしいが
詳細は不明なままである。 金額は具体的に知らされていた。1回目が800億円、 2回目が5〜600億円というものであった。
◎ハンの今後の目標は売り上げ5兆円、500店舗、上場すること。
新スレ→○○○マルハンパチンコタワー渋谷パート10○○○
★★★★★このスレの解説★★★★★を読んでみるとよく判る。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/120←くっけて→1304777/559
「荒野のおおかみ」読了。
タイトルの「荒野のおおかみ」は、市民的なるものとの対立を表しているだけじゃなくて、
ハリー=荒野のおおかみの内面における人間的なるものとの対立も表しているように
思ったんだけど、これは単純なダブルミーニングと受け取っていいものか。
重点は後者に置かれてるんだろうけど。
312 :
吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 21:35:26
ガラス玉演技が文庫本で買えないのは痛いね
古本屋でかえばいいのに
314 :
吾輩は名無しである:2008/03/25(火) 11:15:12
315 :
吾輩は名無しである:2008/03/27(木) 22:36:48
>>232 >シッダールタ。
>西ヨーロッパのアジア観の貧弱さ
いや、そうでもない。
まだ読んでる最中なんだけど、ヘッセはなかなか鋭いよ。
なぜ釈迦と主人公を分離させたのかはよくわからないけど、
主人公が釈迦を目の前にして投げかける疑問は、仏教の盲点だった。
おれも目からうろこが落ちた。こんな疑問は持ったことがない。
法華経の中には、「釈尊は悟られた。お前達はその事だけで満足しなさい」
・・・という言い方がされている。しかしその理由までは語られていない。
おれはシッダールタを読んでいて気づいたが、悟りの境地とは、
無辺のものではなく、なんらかのモノサシがあるということ。
モノサシがあるということは、つまりなんらかの構造体だということで、
差別・区別が存在するということだった。
これは驚きだ。
316 :
吾輩は名無しである:2008/03/27(木) 23:24:20
シッダールダはあまり好きじゃないな。
なぜなら、どうしてシッダールダは悟りの境地に行けて、他の人たちはいけない
のか?そこにはまったくふれていないから。シッダールダはシッダールダである
から、選ばれし者であるからということか?315さんはそこになんらかの
ものさしがあるといわれるが、測るべく構造体はブラックボックスだ。
自分は232さんのように、ヘッセはうまく東洋を使ったなと鼻白む。
西洋の事項に対してはいいかげんなことは許されないだろう。口うるさい大家が
ひしめいている。
317 :
吾輩は名無しである:2008/03/28(金) 00:13:18
まあ、まだ読んでる最中なのであれだが、親鸞っぽさが出てきてるなと
感じてる。
主人公が釈迦に投げかけた疑問は、悟りの境地には、選ばれし者とそうで
ないものがあるということですか?という疑問になるから、
それが差別、つまり差分、モノサシの存在をうかがわせる。
仏教ではこんなこと、語られたのを聞いたことがない。
まさに盲点だったわけです。
318 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/03/28(金) 02:16:48
おやおや、酷い有様ですねぇ(笑)
319 :
吾輩は名無しである:2008/03/28(金) 04:12:19
ヘッセの『シッダールタ』において、仏教は単なる「語りのための道具」あるいは(小林秀雄じゃないけど)「考えるヒント」。
『クリングゾルの最後の夏』で取り上げた「時間は幻覚である」「善悪の区別は幻想である」というテーマを本格的に展開するために
仏教という舞台装置が必要になった。
320 :
吾輩は名無しである:2008/03/29(土) 20:22:58
>>311 最後まで読みながらその理解に留まっているのは不憫。
ハリー自身はそのような二面性を感じていたが、
ヘッセが書こうとしたのは単純な二面性を越えた人間存在の無限性。
『荒野のおおかみ』『市民』の単純な二分が仮象にすぎない以上、タイトルに意味を求めるなら、
自身を『荒野のおおかみ』と感じている読者に対する、この本を手に取らせるための、呼びかけと考えるのが妥当。
321 :
吾輩は名無しである:2008/03/29(土) 21:50:30
>>320 >『荒野のおおかみ』『市民』の単純な二分が仮象にすぎない
いや、ヘッセはこの世の中は『荒野のおおかみ』と『その他大勢』の二つで
成り立っていると認識していると思うぞ。それはデミアンでいう『カイン』
と『アベル』にも重なっている。
322 :
吾輩は名無しである:2008/03/30(日) 13:37:50
>
>>321 いやいや、それはむしろ初期ハリー(或いは初期〜中期ヘッセ)の思想であって、
荒野のおおかみの中でも語られていることだけど、ヘッセ自身の立ち位置としては、
人間性を二つだけに分けてしまうことはできないし、無意味だよ、ってなってる。
敢えて言うなら全てが『その他大勢』の統一体である、ってことじゃないか。
『デミアン』『知と愛』で、世界をまるで二つのものの並列のように
描いてしまったことに対する弁明、反作用、そういった意図があると思う。
もちろん二分が悪いわけじゃない。世界に対する理解を深める上で、それを容易にする。
ただそれだけじゃないんだぜ、って言っとく必要を感じたのだろう、仏教的に考えて。
ユーラシア大陸には狼と戦ってきた人達と狼を自称する人達がいる。
案外狼とは血筋とか血統に関することなんじゃないかな。デミアンの冒頭でも
ジンクレールが僕のお話をするためには僕の家系の話からしなくてはならないと
始まる。なんとなく読みすごしていたがさすがに冒頭だけあって大きな含蓄が
そこにあったのかもしれないな。
324 :
吾輩は名無しである:2008/04/02(水) 23:32:05
>>323 そう言われてみると確かに血統が何かしら重要な気もし気もするな。
母の血統とかも言ってたし。
ところで話は変わるが、ヘッセの著作の中で、ヘッセの理想像とかじゃなくて、
最もヘッセ自身である登場人物って誰だったと思う?
325 :
317:2008/04/03(木) 00:18:46
まだ読んでる最中だが。
ちょっと展開が「?」になったので書きます。
「主人公は娑婆の暮らしに疲れ果て、とうとう・・・」というところまで
来たんだが、え?ちょっと待てと。
もともとこの主人公は娑婆に何を求めてきたの?
愚かしい事であるのは最初から承知で山を降りたんじゃなかったのか?
よくわかりません。仏教をテーマにして、ヘッセはやりたい放題に
思えてきた。
326 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 00:52:29
神社関係のところで、「はらえどの〜狼〜なんとか〜かんとか〜」という
祈りだかお経だかを聞いてびっくりしたが
たぶん「はらえどの大神」だと考え直した。
だからなんとなく、狼と大神が自分としてはすごくつながる。
>>325 不幸な読者ってこういうもんか。文学音痴というか。
329 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 12:33:38
>>327 全然別物だと思うよ。神社で神体が狼だなんてないでしょう。
>>328 ヘッセは東洋を自分のいいように使っているというのに同意。もし西洋に関して
同じことをしていたら何代も前からずっと続いている知識人たちによって
ヘッセはこてんぱんにされていただろう。また反面東洋のことを学んでいる
人たちからみてヘッセに矛盾を感じるかもしれない。でもこちらの人達は
猛々しく追求したりはしないのだろうけど。
読者がそういう所に気づいていくのは当然なこと。
>>328さんは自分の好きな
作家がちょっとでも批判されると悔しくてたまらないといった感じの方かも
しれないが、ヘッセには清濁併せ持つという特徴がある。批判されたように
感じられてもそれは批判ではないと思う。彼をより深く知ることにつながる。
歯が浮くような言葉でヘッセを誉める人がいるがそれではヘッセのヘッセたる
ゆえんがない。
330 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 12:50:22
↑汎心論に躊躇しない狭い思想の哀れな奴を見よ。ヤマトコトバを舐める勿れ
331 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 12:57:14
↑もののけ姫を観返せ藁
333 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 19:54:11
334 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 20:24:35
335 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 20:51:28
>>334 その文章を書かれた方が、御神体と神の御使いを混同されているのでは?
337 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 21:48:44
>>336 ご神体、御岳大神(ミタケオオカミ)とあるが、それは狼のことだということ?
神社の方もそう言われてるのですか?
339 :
325:2008/04/03(木) 22:19:38
まだ読んでる最中なのにほんと連投してすいません。
「ジッダールタ」だけどもね。
おれは仏教の観点からこの本の事を知ったからヘッセの事は何も知らない。
そして物語の中で、主人公が釈迦に投げかけた疑問は本当にするどいと
思う。しかしそのするどい問題提起は一体どこへ行ってしまったんだろう。
俗人の身を捨てたくだりあたりから、どうも物語のこれ以降はヘッセ自身
の日記みたいなもんなんじゃねえかと感じてきた。
まあ、現時点ではね。またレスしにきます。
340 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 22:50:16
ヘッセの小説の多くは本人の日記のような気もする(HHの暗喩含む)
車輪、シッダールタ、デミアンと、狼の前半しか読んでいない自分が言うのもなんだが
341 :
吾輩は名無しである:2008/04/03(木) 23:35:50
ヘッセはキリスト教にも仏教にも親しんでいた、
しかし、それら以上の新しい宗教を望んでいた。
ヘッセの著作はそういったヘッセの立場を表明するものでもあり、
また確立させようという試みでもあった。
それだから本来的な仏教からはやはり逸れていってしまう。
ヘッセの著作はヘッセの思想を表すものであるので、
どこそこに仏教の影響を見ることが出来る、と分析するのは有意味かもしれないが、
どこそこが仏教と違うからヘッセの仏教理解が未熟である、或いは仏教を蔑ろにしている、
と考えるのは適切ではない。それは新しい宗教的態度の模索における一種の飛躍であるのだから。
ヘッセの著作に対して、ヘッセの思想より他のものは望むべきでない。
そして思想の表明を文学的形式で行おうとすれば、それは日記のようになることもあるだろう、と思う。
342 :
↑:2008/04/04(金) 01:58:53
古語辞典ひきな
カミは超人間的なもの全般を指す言葉だったんだよ、例えば虎をカミと呼んでいる
縄文弥生の時代には畏るべき権威だったから
343 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 02:18:12
みんなのヘッセ作品ベスト3が聞きたい。
ちなみに私は、
1『荒野のおおかみ』
2『ガラス玉遊戯』
3『知と愛』
です。
344 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 12:05:54
最後に読んだのがかなり前なのですが
1 デミアン
2 シッダールタ
3 春の嵐 か ラテン語学校生
インパクトという点で1と2だけど3はヘッセ填り初期の頃に好きだった
345 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 14:09:04
341
その言い方はおかしいよ。
「ジッタールタ」の中には釈迦が登場するんだぞ。
自分の自由勝手な独自思想だけで書いてる作家なら、
批評する際に仏教など持ち出したりはしないし、
そるがヘッセ批評の場合は仏教5話題にならざるをえなくて当然。
346 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 18:54:22
>>345 批評の場で仏教が話題になるのは当然だし、そうあるべきだとも思う。
ヘッセの思想が仏教に強い影響を受けているのは確かだから。
でも『シッダールタ』がただ仏教の解釈の本でないのも確か。
もしそうなら、なんでシッダールタと仏陀を分けちゃうの?って話になる。
仏教的思想がこの本の全てなら、仏陀だけでいいじゃん、ってなる。
そうなるとやっぱりそこ(シッダールタ)にヘッセの思想があり、
この著作で言わんとするのはそれだと考えるべきだろう。
私が問題だと思うのは、ヘッセの世界観・運命観をまるで仏教の派生
のように考え、
「こいつ全然仏教理解してないな。」
って考えてしまうこと。
仏教との比較でその特徴を見出すことは重要な仕事だけど、
仏教という物差しで測ることはできない。
例えば、イスラム教をキリスト教との比較で理解するのは興味深いことだけど、
イスラム教がキリスト教の教義に則して是非を問われたりしないだろ?
347 :
356:2008/04/04(金) 18:57:42
きもい文字変換してすいません。
携帯からレスしています。
---
それがヘッセ作品を(ジッタールタ固有の問題だけとしてでも)
批評する際には仏教の話題にならざるをえないのは、
当然の事じゃねえか、このやろう。
348 :
吾輩は名無しである:2008/04/04(金) 21:31:56
>>346 ヘッセがシッダールダの感覚で「ムハンマド」なんて作品を書けば
血の雨が降ったことでしょう。そこはヘッセも知っていたわけで
ムハンマドには手をださなかった。でもそういう事情もなんとなく
読者には感じられるもので、シッダールダに対するやりきれない思い
というのを止めることはできないと思う。あなたがヘッセをかばいたい
なら、シッダールダでヘッセがなにをいいたかったのかを説明すればいい。
ルール違反を犯しながらもヘッセが言おうとしたことをわかりやすく
伝えてくれればいい。それを読者に対して、ヘッセに都合の悪いことは
考えるな、なんてことを言うならひいきのひきたおしではないだろうか?
349 :
347:2008/04/04(金) 23:22:40
>>348 >「ムハンマド」なんて作品を
ムハンマドを引き合いに出すなんていい所に目をつけたね。
というのは、話中で主人公ジッダーッルタが釈迦に投げかけた問題提起
ってのは、特定の宗教の教理・内容うんぬんじゃないからなんだ。
別に釈迦じゃなくてもいい。
よくよく読んでるとこの主人公は、「宗教という構造自体がその宗教を堕落
させるギミックの潜在性」を提起してるんだから。つまり開祖1人に、それ
を受容する信者が不特定多数という構造のことを。
なんでそこでこの小説は、仏教を選んだのか?
祭り上げられた宗教・仏教はヘッセの用意した貧乏クジを引かされただけな
のか。それとも何か必然性があったの?
これだけの疑問があるこの小説に関して、仏教の解釈だけでその作品価値を
推し量るつもりはないけども、仏教の『モノサシ』で検証することからは、
逃れられるはずがない。
ひとつおれが思うのは、作品中での仏教のつき離し方、軽々しさは、ヘッセ
が仏教圏出身の小説家ではない事を彷彿とさせる。
とはいえ仏教のコミュニティでは、それほど厳しいタブーはないから、
特段、角が立つような問題でもなく、逆に新鮮な客観性があってよろしい。
ただ残念なのはせっかくのその客観的立場にいる当のヘッセが、仏教の人間
ではないがゆえに、掘り下げ方が浅くなってしまっているというジレンマ。
まず確実に言える事は、ヘッセがもし親鸞という人間の事を知っていたら、
この小説は書けなかっただろう。
まだ読んでる最中のおれでした。
センバツのニュース見て、世が春休みだったことに気がついたよ。
351 :
346:2008/04/05(土) 01:29:23
>>348 確かに私はヘッセの著作が好きです。
ですが、その思想が正当な批評や批判に耐え得ないという理由で
擁護なり、ひいきなりするつもりは一切ありません。
それだのに、ひいきしているように見えるのは何故か?
それは私がここに、全ての思想に対して不当な批評をしかねない誤解を見出し、
或る一つの思想をそれから保護しようとしているからでしょう。
では不当な批評とはなにか?となりますね。
思想や信仰の場において言うと、それは外的視点からの批評です。
というのは、異なる立場にある二者が、互いに互いの自説の正当性を主張するだけでは、
真実に近づくような批判、或いは批評をすることなど出来ないからです。
例え立場は異にしていようとも、その批評は批評対象の内部からの目線で為されなくてはなりません。
性善説に対して性悪説をぶつけてみても大した意味がなく、ただ無駄に弁を費やすだけなのです。
相手の思想を理解し、その上で、内的整合性を評価する、
内的矛盾を指摘する、といったことが必要なのです。
352 :
続き:2008/04/05(土) 01:30:04
そう考えると、ヘッセの思想を仏教の立場から批評するのは、
学問的に興味深く、その批評者の仏教的素養に対する刺激にはなり得ても、
ヘッセの思想に対して何か有意味な批判や批評をしているとは言いがたいのです。
もちろんヘッセの思想を肥やしに、より高い仏教的境地に至ろうとするなら、
それは価値あることで、素晴らしいことですが、
仏教的見地にある限り、ヘッセの思想を本当に理解することはない、ということです。
さて、文章が長くなり主題がぼやけてきたように感じるので、
私が元々何を言わんとしていたかをここで明瞭にしておこうと思います。
@仏教とヘッセの思想は全くの別物である。(イスラム教がキリスト教、或いはユダヤ教と別物であるように)
Aヘッセ思想(著作)を理解しようとするなら、その内部に立たなければならない。
この二点だけなんだね。
>シッダールダでヘッセがなにをいいたかったのかを説明すればいい。
ヘッセがせっかく生きた言葉で書こうとしたものを、
私が死んだ言葉にしてしまうのは、あまりに無粋でしょう。
353 :
吾輩は名無しである:2008/04/05(土) 05:53:22
「私の目的は、知識をむさぼる者のために世界を説明することではない」
という(ヘッセによる)ゴータマの言葉。
実際、釈迦はこんなことを言ったらしい。
「人体の原理が完全に解明されない限りは治療をしないという医者がいるだろうか?
私の目的は宇宙の原理の解明ではなく、現に苦しんでいる人々を救済することである」
ヘッセのシッダールタは、患者をほっぽり出して宇宙の原理を追求する医者だった。
354 :
348:2008/04/05(土) 23:44:19
>>351,352
>@仏教とヘッセの思想は全くの別物である。
>Aヘッセ思想(著作)を理解しようとするなら、その内部に立たなければならない。
この二点については全く同意なのですが、なにかを理解するためには内側からだけ
ではなく視点を外側に移して見ることが大切なんじゃないでしょうか。シッダールダ
は作品として無防備すぎたのでは?自分としてはむしろ批判めいたものがでてくるほど
よかったと思う。なぜならこの国はオウム事件を経験しているから。仏教=非暴力
平和主義で思考停止してしまってはいけなかったんだと今さらながら思うから。
355 :
吾輩は名無しである:2008/04/06(日) 23:43:01
>なにかを理解するためには内側からだけではなく視点を外側に移して見ることが大切なんじゃないでしょうか。
本当にその通りです。ただしヘッセの思想的内実を理解、感得した上で、改めてそうするのであればです。
そうでなく、最初から外的な視点から眺めることしかしない、それが私の危惧するところなのです。
私の心配が杞憂であれば何よりなのですが、もしそういった一種暴力的な態度を、
故意にではないにせよ、持ってしまう方がここにいるのなら、
文学を同じく愛する友人として、忠告しなければならない、とそう思ったわけです。
シッダールタに限らず、文学的な表現においては、誤解・曲解なんでもござれの状況に
なってしまいやすいので、善意的な解釈が、誠実な読者には、求められねばならないのだと思います。
356 :
349:2008/04/07(月) 07:40:33
まだ読んでる最中ですが。
うん、なるほど主人公は息子を得て・・・
・・・ヘッセの内部だ外部だ以前に、主人公(ヘッセ自身か)の変遷は、
ただ単に仏教に酷似してるだけじゃない。
>>355 >最初から外的な視点から眺めることしかしない、
>それが私の危惧するところなのです。
危惧もなにも、ヘッセの思想(内部)と、題材として取り扱った仏教(仏教)
は同じ方を向いているじゃないか。おそらくただ単にあなたが仏教の事を
知っていなかっただけだ。
357 :
349:2008/04/07(月) 07:41:31
つづき
まあ批評の一般論を言ってもしょうがない。
ヘッセが「宗教のあり方」をも問うているようなこの作品において、仏教を
題材にしているのは、ただ単にヘッセが仏教を是認していたからだ。
このシッダールタという作品は、なぜ主人公の名前が釈迦と同じなのか、
育ちの境遇までも同じなのか、そしてそれを釈迦と対面させるというのは
どういう意図による着想なのか。意味深でありわかりかねますが、仏教文化
に属するいち文芸としては非常に貴重。「さとり」を文字で描写しているの
だから、裏表なしに貴重な作品だ。
主人公が釈迦に投げかけた注目すべき問題提起が作中でおざなりになって
しまうのも、その文脈自体が仏教らしいといえば仏教らしい。
主人公の遍歴は、最初は劇的で中盤からシンメトリーがよくわからなくな
ってくる。娑婆に向かう際のすがすがしさと、娑婆をまた離れた時のすが
すがしさの違いが読んでいてよくわからない。まあ全然違うんだろう。
シンメトリーがよくわからなくなってくるところは、いわゆる「空」だな。
358 :
吾輩は名無しである:2008/04/07(月) 22:18:46
↑シッダールタを単品で理解しようとするとこうなる。
359 :
吾輩は名無しである:2008/04/08(火) 00:15:09
ヘッセ作品で、シッダールタほど薄っぺらなものはないと思うんだが。
インドに行ってみたら実感できると思うよ。
シッダールタ限定で言えば、ヘッセにとって仏教などネタでしかないだろ。
360 :
349:2008/04/08(火) 04:15:00
>>359 そのインドへは、君は「飛行機」で行ったんだろ?
なぜ日本国内では『実感できなかった』んだい?
・・・ということさ。
まるでそれは西洋人の所作だな。ヘッセ以上に。
361 :
吾輩は名無しである:2008/04/08(火) 22:41:47
もうちょっと詳しく言って欲しい。
362 :
349:2008/04/09(水) 00:31:32
(仏教の本質なり実際の有り様なりを実感するのに)
その発祥の地へ、観光客風情で行って何かを見知ったとでもいうような、
そしてそれを根拠にヘッセの本作の是々非を論じてしまうというのは、
誤認、軽薄としか言いようがありませんな。
みずからの立ち位置が判然としない、単なる現地至上主義、大英博物館主義
といいますか、バブル時代のOLのバケーション風情といいますのは、
例えるなら19世紀ヨーロッパのご令嬢が、自国の植民地に、召使いをしたが
えて遊びに来ているようなものでしかないのですからね。
大学時代に「春の嵐」読んだときは読むのが苦痛でしかなかった。
「車輪の下」は途中で読むのをやめた。
三十過ぎたいま「シッダールタ」を読んでいるのだが、これは面白い。
「インドの詩」と作者自身言ってるけど、これは確かに小説の形式を借りた詩だ。
ヘルダーリンの「ヒュペーリオン」を思わせるものがある。
だがどうしてヘッセはゴーダマとシッダールタを別人にしたのだろう?
364 :
吾輩は名無しである:2008/04/09(水) 22:28:34
>>363 おおなかま!
こちらは今クライマックスに差しかかっています。
面白いです。
>だがどうしてヘッセはゴーダマとシッダールタを別人にしたのだろう?
簡単に考えれば、逃げも隠れもせず真正面から仏教を題材にしたいという
ヘッセの意図により、文字通り「名指し」でぎりぎりまで接近するのと
同時に、しかし実在の宗教文化ならびに実在の人物釈迦を取り扱うのには
最低限の距離を取らないといけないというある種の礼儀みたいなものじゃ
ないかな。ヘッセ自身が仏教部外者の立場である事のぎりぎりのラインでの
接近ではないかな。
別人にして仏教本体と距離を取り、しかし主人公は限りなく釈迦に近い存在
にする事で、この作品を手にするどんな国のどんな立場の人でも違和感、
拒否感がない。ヘッセはクリスチャンだそうだが、クリスチャンでありなが
らブッディズムと呼ばれて哲学扱いされる仏教が共存できると思ってたのか
もしれない。
ヘッセが作品中で言う通り、哲学性の強い仏教というものが、迷える子羊を
呼び集めるような、いかにも宗教然とした文化になってしまうのは、その
本質から考えてももったいない気がする。仏教は現代の宗教間対立にも関与
してないしな。
365 :
吾輩は名無しである:2008/04/09(水) 23:10:13
うーん?
364さんは、登場人物のなかに
実在の釈迦にあたる人物がいる
とお考えなのですか?
366 :
吾輩は名無しである:2008/04/09(水) 23:34:11
>>365 妄想させとけばいいんだよ。
読み方は自由だから。
367 :
吾輩は名無しである:2008/04/09(水) 23:42:21
仏教には慈愛、慈しみがあるが、
シッダールダには自愛しか感じない
温かみもない
優れたもの、賢いものとして他をよせつけない、崇めさせるだけ
そういう原初的なものが仏教のふりをしている
美しい文面は素敵だが、やはり底にあるものに気づくと、しらける
368 :
364:2008/04/09(水) 23:48:19
>>365 いや、おれが思うのは簡単な話し、ヘッセは仏教を題材にして言いたい事
があったから、ジッタールダなどと名指し、直接的に作品化したけども、
釈迦を主人公にした半ノンフィクションにしてしまったら、この作品は
衝撃の問題作、スキャンダラスな作品になってしまう。それだと作品の
本質から受け手が遠ざかってしまうから、ちょっと距離を置いているん
でしょう・・・というだけどのこ。
実在の釈迦にあたる人物は、登場してくる釈迦でしょ。
369 :
吾輩は名無しである:2008/04/10(木) 01:11:02
ということは、364はヘッセがシッダールダとゴーダマを別人とした理由について
書かれたものではないのですね。
370 :
吾輩は名無しである:2008/04/15(火) 12:37:03
とうとう読み終わったよ、ジッタールタ。
読み終わってすがすがしいだけでなく、しばらくしても考えさせられるね。
ヘッセの言っている仏教観はたぶん正しいな。
「時間」の事ね。
正しいというか、近代以降の人間にぴったりな仏教観なのかもしれない。
仏教はTPOに合わせて言い方を変えるからな。
読んで良かった。
時間を論じている仏典を読みたくなってきた。
371 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 09:16:06
「郷愁」を読んでいる。
1994年に読んだときは、延々と続く自然描写が読むのが苦痛で
途中で投げてしまったのだが、今は自然描写も面白く読める。
世間と上手く折り合いを付けられない若者の悩みや苦しみを
実に巧みにえがくね、ヘッセは。
372 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 17:32:57
『流浪の果て』を半分くらい読んだ。
ネットカフェ難民の末路を想った。
自然描写(風景描写のことか)など、どうでもよろしい。
「流浪の果て」?独逸語の原題は何よ?
日本の所謂ネットカフェ難民は家に帰るのが嫌なだけの我侭者でしかない。
シッダールタを読んだ。
あまりにユング的だよな。
375 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 20:42:16
デミアンが一番だろ。
376 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 22:40:51
時間は存在しないと悟りを開けたのはゴータマとバラモンの子、シッダールタだけだよな。
その他の僧侶は高齢になっても真実の悟りを開けていない。
最後にあの次元を体験したのはシッダールタに口づけをされたゴーウィンダのみだろう。
377 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 23:01:48
>>376 ・・・・・・。
感想というより説明だなそれ・・・
浜村純かおまえ・・・。
おれはこの小説のおかげで、仏教に対する造詣が自分なりに深くなった
と思う。ヘッセありがとうと言いたい。
時間というものに焦点を置いて接する仏教ってのはいいもんだ。
書店で売ってる仏教関連書でも経典でも、あまり時間というものを
直接論じているものはお目にかかった事が無い。
思わせぶりにチラっと論じたものなら目にしたことはあったが。
だからヘッセみたいにがっつりそれに言及している書物は貴重だ。
まず往々にして仏教の場合、「自意識を捨てないことには何をどう思考
しようと無意味」という印象が強い。しかしヘッセの「ジッタールタ」
の世界の場合、自意識で「時間」と対峙している人間が描かれている。
時間と対峙し、そして「存在しない」と結論づける人間が。
それは読者の自分にとって非常に親近感があり、希望もある。
378 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 23:13:55
シッダールダ
オウム事件以来、この手の仏教ものに対する見る目が変わってしまった
『タントラ・ヴァジラヤーナ』、仏教の教義の中に危険性があるという
ことに気づいてしまったら、雰囲気だけで読むことはできない。
そういう意味でも脇の甘い作品だと思う。用意周到で実に繊細で
迂闊に本心を見せたりしないヘッセのおそらく唯一の失敗作。
379 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 23:15:13
ヘッセは相性が悪いのかいつも挫折する
最初に読んだデミアンだけは面白くて何度も読んで感化されまくったけど、
他の作品は全部駄目
380 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 23:31:30
>>378 産業革命による印刷の発明が宗教改革を起こしたキリスト教のように、
近代以降の仏教にも同じ事が、穏やかに起こっている。
仏教の長い歴史の中で、在家者らによる宗教法人という形態が流行ったのは
もうひと昔前の話しであって、その形態のことを批判しても、仏教自体には
無関係だよ。
近代仏教ってのはつまり仏教研究、仏教学術の事であって、そこにおいて
オウムのような輩を取り上げて「危険な教義だ」なんて言ってるのは視野
がせまい。ヘッセの「ジッタールタ」という作品だって、近代の仏教関連
物として取り扱うことができるし、それが一番妥当だと思う。
明治から現在まで、日本仏教もいろいろな紆余曲折があったが、それと
平行して、仏教学術という道があったということに気づいてないようだな。
21世紀の今となっては、この道こそが一番信仰に差し障りがない。
381 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 23:52:30
>>378 >そういう意味でも脇の甘い作品だと思う。
脇が甘いどころか、ヘッセは100年後に向かってクギを刺しているじゃないか。
一体君は何を読んでいたんだ。
ゴーヴィンダは主人公ではなく脇役だ。
そしてゴーヴィンダは主人公にしっぽりとお説教を食らっている、のだよ。
382 :
378:2008/04/18(金) 00:47:46
>>381 >一体君は何を読んでいたんだ
この言葉そっくりお返しします。
どこを読んでゴーウィンダですか?
おっしゃっていることが支離滅裂でわかりません。
383 :
吾輩は名無しである:2008/04/18(金) 00:50:24
ハーマン・ヘサ
384 :
381:2008/04/18(金) 08:08:14
>>382 ヘッセ読者っていうのはこんなに話しが通じない輩なのか・・・
反論ならまだしも、「わかりません」かよ・・・
仏教の話しなんか、知識レベルですらできない人間が、その何を
批判できるというのだろう・・・
大学時代の独逸文学の教授で「ヘッセとカロッサは忘れ去られると
思う」と言っている人がいたが、カロッサはどうだか分からんが
ヘッセが忘れ去られることは無いじゃないか?
×無いじゃないか?
○無いんじゃないか?
387 :
吾輩は名無しである:2008/04/18(金) 10:58:03
>>384 自分の言いたいことだけをいうのなら、だれとも議論になりませんよ。
ヘッセ初心者で「車輪の下」読了
次に読むならオススメって奴オシエテクレ
ジンクレエルとハイルナアの友情にハァハァしたなら→デミアン
あの悲しいオチに泣いたなら→クヌルプ
自然描写にうっとりしたなら→青春彷徨
あたりかしら
390 :
吾輩は名無しである:2008/04/18(金) 20:42:39
カローラは読んだことがありません。
ヘッセは忘れられることがありません。
何読んでもほんとに必要な本だったらそのうち惹かれて出会うよ
だから手元にあるのを読めばいい
それでも一冊薦めれ!っていうんならデミアン薦めたい
牢獄に一冊しか持ってけないんだったらむちゃくちゃ迷うが…
392 :
389:2008/04/19(土) 20:19:49
素でジンクレエルとギイベンラアト間違えた 川に落ちて死にたい
『郷愁』読み終わりました。 なんとなく『クヌルプ』を少し彷彿とさせる主人公の
生き様ですが、あれほど悲観的でなく若者的な苦悩をしながらも
とても生に満ちた感じが読んでて気持ちよかった。
しかしヘッセのブルーな雰囲気の文体(人生観?)にはついつい引き込まれてしまうなぁ。
394 :
吾輩は名無しである:2008/04/19(土) 23:01:50
>>392 ギーベンラートは、ハンス・ギーベンラート。車輪の下の主人公。
395 :
吾輩は名無しである:2008/04/20(日) 13:58:19
シッダールタにしても、インドを題材にしているのに文体がひゃっとしているので寒く感じるんだよな。
そこがヘッセの魅力なのだが。
「郷愁」をもうすぐ読み終わる。
主人公が最後は古里に帰るという結末は
ケラーの「緑のハインリヒ」の影響だろうか(昔岩波文庫で読んだ)。
「シッダルタ」を読んだときも感じたが、
ヘッセの小説は、「ヒュペーリオン」同様、
小説の形式を借りた詩だと思う。
「シッダルタ」は癒しと救いの物語で
ワーグナーの「辞世の作品」こと「パルシファル」にも
少し似ていると思ったが、ヘッセってアンチ・ワーグナーだったのね。
俺は今『シッダールタ』を読んでるとこ。ようやっと見付かったんで(笑
おかげで『内なる辺境』とかいろいろ、読んだ覚えどころか持ってた記憶さえ
なかった本をいくつも発掘してしまったww
「郷愁」を読了。本当にケラーの影響が強い作品だね。
主人公が好きな女性と結ばれることなく独身を通すとこなんか
まんま「緑のハインリヒ」だ。
しかし「ジッタールタ」批判してるやつ、
重箱の隅をつつくような批判ばかりで、
作品のメインテーマへの具体的言及にまでは至らないんだよな、
至れない。そんな考察力ははなから持ってない。
「時間」な。
どうせ相対性理論ではこう言われてる・・・みたいな話だけで
お茶を濁して議論は終わる。
400 :
吾輩は名無しである:2008/04/23(水) 21:36:53
ヘッセの東洋理解は西洋世界における
もっとも理想的な東洋理解であり
摂取だったと思うみょ
401 :
吾輩は名無しである:2008/04/23(水) 21:51:44
「摂理」だろw
402 :
吾輩は名無しである:2008/04/23(水) 23:23:10
いや摂取だろ。
おま・・
匿名でも恥ずかしいおま・・
受容の方が。
西洋が東洋宗教を摂取?したのがシッダールダというなら
東洋が西洋宗教を摂取?したのはなんだろう?
摂理という教団がテレビをにぎわしていたな。
反対の立場から見たら、何か見えないですか?
405 :
吾輩は名無しである:2008/04/24(木) 01:02:20
>>404 見えないね。
単に日本が近代化したことくらいしか。
カルトに対して寛容ですね-。
407 :
吾輩は名無しである:2008/04/24(木) 05:06:34
ヘッセは人間のあり方については
ある種理想的とさえいえる存在だと思う
408 :
吾輩は名無しである:2008/04/25(金) 22:11:46
>>407 浜崎あゆみのファンなら、浜崎あゆみの事をそういうだろうよ。
まったくヘッセ読者ってのも、日本人だけかも知れないが、ただ字ィ読んで
脳に溜めてるだけで、自分の頭で考えて感想書くってことができねえんだ
なぁ・・・。
なんでそんなに上から目線やねん
410 :
吾輩は名無しである:2008/04/26(土) 09:27:37
>>408 ヘッセに限らないけれど、「信者」になってしまっているんだよな。
411 :
吾輩は名無しである:2008/04/26(土) 10:21:57
信者になるのは必ずしも悪いことではないが。
自分の信仰を他者に押し付けたりしないのであれば…
412 :
吾輩は名無しである:2008/04/26(土) 20:22:58
まあ、だからそういう意味でヘッセは自分の見解等
他人に強要はしない
そういうところがいいわけさ
413 :
吾輩は名無しである:2008/04/26(土) 21:42:06
文庫出してくれお願いだ
414 :
吾輩は名無しである:2008/04/26(土) 21:48:36
>信者になるのは必ずしも悪いことではないが。
自分の信仰を他者に押し付けたりしないのであれば…
バラモンはよく知識を他人に押し付けたがる傾向がある。
ヘッセも注意深くインドの思想の欠点をついている気がするな。
バラモンのシッダールタは遊女カマーラにその事を指摘され、説教され、思想は無意味であると馬鹿にされたが、彼は、私はあなたを何時でも手ごめにする事ができますと自信満々に返している。
そこがヘッセ文学の魅力だろう。
すべての道はローマに通ず――とか思って読んでたな自分w >シッダールタ
416 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 02:32:38
おれがジッダールタを読んで感銘を受けたのは、
仏教の教えに関する事柄ですな。
ヘッセが仏教(またはそれによく似た主人公のさとり)について、
小説の最後にああいう見解を披露してみせたことにある。
(ネタバレにならないようにするが)
ヘッセが自作でああいった見解をみせたということは、ウラを返せば
ヘッセがそれまで個人的に仏教への造詣を深めていったなかで、
そういう見解が仏教には明示されていないという盲点に気づいたという
ことを示唆する。盲点という言い方が妥当でないなら、ヘッセはいくら
仏教への知識を深めていっても”そこが満たされなかった”ということ
だろう。
仏教ではいろいろな教え方があって、それらすべては方便とよばれる。
つまりすべてが真実だがそれで十全ではないということで、
それはある人にとっては情緒的なものとして、ある人にとっては理知的な
ものとして受け止められる、いわばバラエティに富んでいる。
しかしヘッセが指摘して点についてはカテゴライズから漏れていた。
だからヘッセがこの作品を発表した事は偉業。
417 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 02:36:01
418 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 11:59:12
混沌には目口がないのでつけてあげたら死んでしまった。というお話が中国に
あるが、仏教に盲点があるからー求めても個人的にみたされないからーヘッセ流に
シッダールダを書いたといわれるならその姿勢自体に違和感がある。ヘッセがよし
とするところが、仏陀よりも優れているとは思えない。
ヘッセのせいで鬱病になりました。
420 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 18:50:09
誰も指摘していないようなのですが
えーとだ、ヘッセのゴーマンかまして、ちがうな
とにかくそういったタイトルの小説は
ユングの影響がずいぶんある
エンディングの箇所はヘッセなりのユング理解でもある
ユング・フラウ
421 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 20:38:25
>>420 ユングの影響といえばデミアンもそうだよ。
422 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 21:24:41
>>418 じゃあ逆にヘッセが仏教を題材にした作品を書いた意図はなんだと思うの?
というかそもそも君はこれを読んで何を感じたのか?・・・この事が
まったく述べられていない。
混沌に目口つけてたら死んでしまうからといって「だから黙殺するのが一番」
というのは消極的な日本人的発想だと思うな。それ以上思考するのを停止して
しまうという。
西洋人ヘッセのいい所は、そこで閉口することなく、図々しくも作品に仕立て
あげてしまうバイタリティにこそある。君とはぜんぜん違うな。
「時間」というものの考察には確かにそういう性質がある。つまり、ここで
いう混沌に付ける「目、口」こそ「時間」だ。仏教の教えにはいろんな言葉が
あって、「空」、「涅槃」、「慈悲」、「唯識」とかこういうものは、混沌の
部類なのか目・口の部類なのか断定しがたい。つまりおれに言わせればわかり
づらいということだ。しかし「時間」だけはちがう。こんなわかりやすく、
そしてまた正々堂々と”自意識で考察すべき”題材は他にない。
仏教のおしえの諸々は自意識だけでの考察は無に等しく扱われるが、
「時間」は逆に自意識においてでないと考察できないし、だからこそとっつ
きやすい。そしてヘッセが指摘したそれはまた、非常に仏教的である。
423 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 22:04:27
>422
>時間」というものの考察には確かにそういう性質がある。つまり、ここで
いう混沌に付ける「目、口」こそ「時間」だ。仏教の教えにはいろんな言葉が
あって、「空」、「涅槃」、「慈悲」、「唯識」とかこういうものは、混沌の
部類なのか目・口の部類なのか断定しがたい。
意味不明。「混沌」の話わかってますか?「混沌」とはカオスのことですよ。
どこが口でありどこが目であるかは言えなくても、せめて、混沌と目口の区別
くらいはつけて下さいな。
424 :
422:2008/04/27(日) 22:20:15
>>423 >せめて、混沌と目口の区別くらいはつけて下さいな。
お・・おい・・・
それを書いてるんだが・・・・
それが読めないのか・・・・
425 :
422:2008/04/27(日) 22:21:29
「1+1=2ですよ。」
と言ったら、
「1+1についてわからないんですか?2なんですけど」
と言われて、おれはどうすればいいのか・・・
お・・おい・・・
426 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 22:23:36
>>422 じゃあ、混沌をなにに例えてますか?
目・口・鼻そなにに例えてますか?
427 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 22:33:08
>>422 >混沌に目口つけてたら死んでしまうからといって「だから黙殺するのが一番」
あの・・目口をつけたら死ぬんですけど?
428 :
422:2008/04/27(日) 23:39:44
>>426 >目・口・鼻そなにに例えてますか?
よ・・・読めよ・・・
君は言語プロトコルが違うんだろうか、この掲示板で字が読めないと
通信できないんだが・・・
>>427 >あの・・目口をつけたら死ぬんですけど?
それは誰が確定したんだろうか・・・・
総論:
ああ、もうだめだwwww
どんどんつまらなくなっていく・・・
429 :
422:2008/04/27(日) 23:43:33
>>426-427 ヘッセ読者ってのはこの程度のものなんだろうか?
相手の言っている事の意を汲んで、その上で自分の言いたい事を言う・・・
のじゃなくて、相手の言ってる文面の誤字・脱字レベルの指摘にしか興味
がない。
「こうだからこう、だからこう思う」みたいな議論までにも至らないのか。
あれはでもも、二分割じゃなくって三分割なのかもしらんね、
ゴーヴィンダとで。
でももってなんだw でも、な。
>>428 >それは誰が確定したんだろうか・・・
自然が決めたことです。混沌には目口はいりません。無いのが自然なのです。
目口をつければ死んでしまいます。
シッダールダもあなたの言うように仏教に時間というのがぬけていてそれを
ヘッセが付け加えたのだというならば、もうそれは仏教ではないと思います。
それは、欠点を補ったかに見えるが、同時にそれまでの性質も保っているか
どうかわからないものに成り果てていますよ。
>>422 >西洋人ヘッセのいい所は、そこで閉口することなく、図々しくも作品に仕立て
あげてしまうバイタリティ
相手が死んでも、閉口することなく、いや、喜んで自分が成り代わって
あげますよっていうようなバイタリティ。これって侵略する心じゃん。
434 :
422:2008/04/28(月) 01:04:22
432-433
人間にとっての「時間」
というものと、
人間が論ずる「混沌」
とが、
どういう関係性にあるのかという事について、
まったく造詣がないなら、これ以上君とは議論できない。
混沌・自然がどうとか、何をすれば死んでしまうとか、
どこから聞きかじってきたのかしらないが、話しにならん。
435 :
吾輩は名無しである:2008/04/29(火) 21:42:14
「シッダールタ」を今日から読みはじめました!
しばらくはこの本を読もうと思っています
シッダールタは東洋思想云々は別にして
ロードムービー感覚でよんでも充分に面白いと思うよ。
うん。
ってかね、時間云々はあんまり、気にしない方がいいとおも。
モチーフとの関係上必要だった?あれは、実際にもあまりうまいことは
機能してない。なくってもいい。
私は星だ
私は大ぞらの星だ。
世界を見つめ、世界をあなどり、
自分の熱火に焼けうせる。
私は、夜ごとに荒れる海だ。
古い罪に新しい罪を積みかさねて、
きびしいいけにえをささげる嘆きの海だ。
私はあなた方の世界から追われ、
誇りに育てられ、誇りにあざむかれた。
私は、国のない王さまだ。
私は無言の情熱だ。
家ではかまど(かまどに傍点)がなく、戦争では剣を持たない。
自分の力のために病んでいる。
ここから(1899年に自費出版された処女詩集『ロマン的な歌』より。
引用元は世界詩人全集14のヘッセ詩集から。高橋健二訳)始まった
ヘッセ自身の旅の、それは。
438 :
吾輩は名無しである:2008/04/29(火) 23:10:58
いかに一般的に時間の観念から人が目を背けたがるか、あるいは何も着想
しえないかが、このスレを見ていてよくわかった。
>>437 ジッタールタという作品において、その最後に暴露的に語られる「時間」
というテーマについて、それが自分で理解できないがゆえに、自分がわか
らないものには、作品のテーマとしてさほど重要なものでない事にして
しまおうという、この人間の身勝手さ・・・w
なるほど人間とはそういうものか。
知識は伝えることができるが、知恵は伝えることができない。
知恵を見いだすことはできる。知恵を生きることはできる。
「オーム」から「ゴーヴィンダ」にかけては、云うなればあれは緩やかな
フェードアウトであって。生きてない。
つうか前述のとおりでね。「云いたいこと」はそれは、あったかも知れない。
がしかし如何せん、それ以前と比べると弱いんだ。機能不全というか、
ぶっちゃけなーんか尻すぼみだなぁというのが、俺の印象。まぁいずれにせよ、
そんな調子の人間とは俺は、話をするつもりはないよ。だからこれでおしまい。
>>438 >>「時間」というテーマについて
この作品で「仏教における時間」について深く語られているとは思えんし
ヘッセ自身理解しているとは口がさけても言えないわな。
まあ最後あたりで「時間は実在しない」と軽く流してお茶を濁しているが
親鸞に限らず、そもそも流派ごとに時間の概念は異なるわけだし
特に「過去」「現在」「未来」の定義は多種多様だからな。
442 :
吾輩は名無しである:2008/05/01(木) 21:09:20
>>440 仏教に「おける」時間ってのがよくわからないが、人間にとっての普遍的な
時間なんてものに種類などない。
高尚に深く理解しているとか、逆にお茶を濁しているとかそういう問題じゃ
ないんだ。ヘッセの功績は直接的、暴露的に、仏教をモチーフにした作品の
中で時間を言及したこと、それ自体にある。
去りうるものはまだ去っていないので去らない。
去るものは去っている最中だから去らない。
去ったものは去ってしまったから去らない。
・・・うーんわからんではないが、おれはヘッセのジッタールタでの
言い方の方がなっとくできる。
遍歴に、終わりなんてないってかさ。
まぁまずはとにかく自分にとっては前述の通りの印象だったのと、
あとこれはもちろん俺個人の考えでしかないんだけれども、ひとひとりが
「勝手に」、救われ様が完成とやらに達し様が、けれど「世界」それ自体、
かくある構造の中で、もしかしたら避け得たかもしれないそれぞれの、
それぞれなりの苦しみといったものには、なんの関係もないじゃないか
なんてことを。――これがいわゆる小乗ってやつなのかな、とか。大乗に
対しての。
ただし無論のこと、仏教・仏教者の立場からのこの書の批判はナンセンス。
俺はたとえば、遠藤周作が『ジーザズ・クライスト・スーパースター(だっけ?
確実では)』に対し口にした非難なんかを思い出したよ。何が、もしくは誰が、
ある一部の人間にとってはどれほどの意味を持つ存在であろうとも、けれど
(原則的には)そんなのは、そういった考えないしは信仰を共有しない者に
とっては、一切関係がない。っつーかまさにそんな風にして、断じて人間存在
その全てには共有されることのない「絶対」を、押し付けあう様が俺には
不快なのだな、宗教。
ただ、みなが等しく、ひとであること。この一事をだけ。
ただしこの本、俺が楽しまなかった訳では全くないよ。…どちらかと云わず
とも自分は悪い意味で読むのが早いタチの人間なんだが、これはだいたい、
優に30時間くらいは付き合ってたと思う。最低でも全ての文章を二回以上は
読み返したし、がそれよりはむしろ、この本を起点としてのとりとめもない
思考に延々と、耽っていたというか。――っつーかね、ヘッセぷち萌え(笑
つまりね、俺がこんなところでwしばしば、
「たかが文学」っつーのとおんなじノリなのかも。
たかが文学だし、たかが、一個人の救済であり、完成でしかないと。
それでも自分なり(教条的でない)にでも、より開かれた、
より多くの者に対し機能する救いのかたちを志向するゴータマの方が、
俺にはよほど評価出来るというか。――ただしそういった宗教・宗教的な
ものが「この」現実においてはいかに機能してしまうかについては、
前述の通り。
救済の反義語がたとえば、一個人においては自殺だったりするんだろうが、
けれどそんなのも、世の大多数の人間にとってはなんの関わりもない。
価値とはね、人頭だ。他にはないってか、あってはならない。
だからそれ以外の全ては所詮は、趣味の問題でしか。
――またその上で、俺は俺とは、趣味の合わない者たちをウザがっていると、
それだけの話なんだがw 誰に弁解してんのかしらんけど(苦笑
>>443 >>仏教・仏教者の立場からのこの書の批判はナンセンス
確かに。
ヘッセが幼少より培ってきた(批判もしてきた)西洋宗教と
のちに傾倒した東洋宗教をベースに独自の解釈と理論でアンサー
を導き出そうと模索するヘッセの姿をこの書から読み取ることができる。
したがって専門的見地の立場から本書にチャチャを入れるのは無粋な気が
するね。
446 :
吾輩は名無しである:2008/05/01(木) 23:31:44
この小説を読んでいて、主人公のありようを”いわゆる小乗”と感じているのかもしれないが、ひとつ見落としていないかな?それを「発表した」ヘッセは確実なる大乗の風情じゃないか。
どうも受け手というのは、主人公の挙動に気を取られがちで、作者のトータルな企図にまで目がいってないのか。
だからおれはありがとうヘッセと思うんだ。
実はジッタールタが初読で、今デミアンを読んでいるところなんだが、この人の小説は暴露的な要素を重視しているのかな。それにジッタールタという作品はそんなに難解なギミックもない、素直な作品でもあるな。
西洋思想、東洋思想などと区分けするけども、もし仏教が西洋の思想にまったくコミットできないなら、仏教それ自体が無用の産物だ。
おそらくヘッセが仏教をこのような立場(自分は西洋人)、形(ゴータマの分身)で取り上げたのは、本来釈迦のおしえは宗教とはちがうんじゃないかというヘッセの疑問から発したのかもしれない。
日本でも、明治以降に書かれた仏教学究の本で、時間の概念を真っ向から取り上げたものはおそらくないんじゃないかな。あるならレスしてもらいたい。
みんな避けてきたというか、気づかなかったというか、手におえなかったというか。
経典の中では、”時間”については、ほのめかされてはきたが、裏読みでもしない限り気づかないほど、あっさりとした言及しかなかった。
だからある意味、仏教の専門家はヘッセにいちゃもんのつけようがない、とも言える。
うーん違うのだな。
云い換えるならね、政治。嫌な言葉だけれども。>大乗
「この」生において、より多くにとっての、よりよいものを求める姿勢、
ないしは力学のこと、とにかく自分にとっては。
だからね、完成なんか「しやがる」、権利がひとにはあるのかと
俺は問うているんだ。
448 :
吾輩は名無しである:2008/05/02(金) 03:06:22
原点に戻ると
仏陀は時間が何かなんてことは考えてない
単純に北伝仏教の経過で考えたことになってるだけではない?
ヘッセの諸作品はだから仏典の一種だという解釈もここで可能になる
さて。
449 :
吾輩は名無しである:2008/05/02(金) 03:59:26
涅槃大会堂への入場をめぐって、
@全人類(全生命)の入場を目標にするが、団体入場口の存在は認めない。
A全人類(全生命)の入場を目標にし、団体入場口の存在を認める。
B全人類(全生命)の入場など目標にしない。俺が入場できればよい。
@がいわゆる小乗仏教でAが大乗仏教。
んでもってBがヘッセのシッダールタ。
見てわかるように仏教ではない。不老不死の術を求めた仙人に近い。
それでいながら「愛」を語る、その矛盾!
450 :
吾輩は名無しである:2008/05/02(金) 17:28:42
それこそヘッセじゃない?
人間に迷惑かけてるわけじゃないんだからいいじゃないか。
451 :
吾輩は名無しである:2008/05/03(土) 00:19:24
ヘッセはあくまでも西洋人だ。
文体も北欧的でひんやりとしている。
だがリズミカルな文章なので読み手にスリリングと感動を与えている。
またヘッセはヨ−ギなので、悟りと女性の二者を求めてインド思想の根本部分に自己の感性を繋げている所が面白い。
欲張りではないが、人間らしい本ではある。
452 :
吾輩は名無しである:2008/05/03(土) 00:54:24
仏教に時間の概念がないなら、
末法思想などはどう説明するんだ?
釈迦没後、正法、像法の時代を経て、正しい教法の行われない
みだれた世の中(末法)がくるという思想だ。
>>449 鋭いな
ヘッセがシッダールダで書いたのは、キリスト教や仏教のような
洗練された宗教ではなく、原初的なものだということが示されている。
アメリカでピッピー文化があったころ、インドとかブッディストが
もてはやされていたと聞く。ヘッセに通じるものがあるのかも。
455 :
吾輩は名無しである:2008/05/03(土) 04:04:26
末法思想なんてのも仏陀の脳裏にはなかったような……
中国仏教のアイデアだったかなあ
仏陀オリジナルではなかったような記憶がある
456 :
吾輩は名無しである:2008/05/03(土) 07:24:45
仙人思想と仏教の違いは生きながら仙人になるか、しんで仏になるか。
そして同じ永遠でも、そのままの形を保つか、形は変わるが変わることで永遠を保つかの違い。
457 :
吾輩は名無しである:2008/05/03(土) 07:37:11
ヘッセ読んだことないけど必ずしも大乗である必要はない。
必ず大乗であるなら、それは小乗。
大日如来は宇宙そのもの。禅は自己を知ること。
仏教は小乗。
基督教は常に敵を求める。
ま、そういうこと。
なんせ仏陀は荒行を無意味だとした。
458 :
吾輩は名無しである:2008/05/03(土) 07:55:32
仏陀の涅槃に入る悟りとも違う感覚かもしれんな。最後は時間の統一について書かれているが、あれが仏陀の悟りの感覚かどうかは誰にもわからないって事だな。
だがへっセは20年もインド思想の研究をしていたので西洋人だがそれなりに教養があった。
が、仏陀の悟りの感覚とは違うのではなかろうか?としか言いようがないだろう。
459 :
吾輩は名無しである:2008/05/03(土) 07:59:53
その他のヒンズー思想については文句のつけ所が無く文体もリズミカルで疾走感があり、読み手に感動を与え、さすがはドイツ文学の先峰と言えるだろう。
女性への献身、息子への愛情(ヴァズデーヴァ曰く束縛)
について誰か考察してほしい。
>>455 末法思想はインドに始まりと事典にありますよ。
そして中国では6世紀ごろにあった思想だそうです。
高橋訳のシッダールダの文庫本解説でもシッダールダに批判があるような
ことが書かれてあったような・・
デミアンを地味に映画にして下さい
465 :
吾輩は名無しである:2008/05/04(日) 08:30:43
今の日本の技術でアニメ化したら面白いかもな。
荒野の狼のラストのスピード感がたまらんのですよ
イージーライダーみたいですね
468 :
吾輩は名無しである:2008/05/05(月) 03:16:00
「安直な乗り手」
このタイトルでは誰も読まないだろう
自信があるなあ
469 :
吾輩は名無しである:2008/05/05(月) 03:34:45
「誰もがミッキーマウスを理解する。ヘルマン・ヘッセをわずかの人が理解する。ほんのひとにぎりの人がアルベルト・アインシュタインを理解する。そしてノートン1世を理解する者は一人もいない。」
っていうジョークがあるらしいのですが皆さん実際どの作品が難解だと思いますか??
ちなみに私はまだ「車輪の下」「メルヒェン」「幸福論」しか読んでいないので何とも言えないのです^^;
ヘルマン・ヘッセを理解する、ってのはそれぞれの作品のことじゃなく、
ヘッセの主題の理解のことだと思うから、どれがって言うのはちょっと違う気がする。
敢えて言うなら、荒野の狼が読みにくくはあったな。
471 :
吾輩は名無しである:2008/05/06(火) 03:36:18
あんまりうまい冗談とはいえない
それはともかく
ヘッセの人間の全体を理解するというよりも愛する
これではないかと
472 :
中川観者:2008/05/07(水) 09:47:49
【五十歳の男】
揺りカゴから柩に入るまでは五十年に過ぎない
そのときから死が始まる
人は耄碌し 張りがなくなり だらしなくなり 粗野になる
いまいましが髪も抜け 歯も抜けて息がもれる
若い乙女を恍惚として 抱きしめるかわりに ゲーテの本を読むわけだ
しかし臨終の前にもう一度 ひとりの乙女をつかまえたい
眼の澄んだ 縮れた巻き毛の娘を その娘を大事にとって
口に胸に頬に口づけし スカートを パンティを脱がせる
そのあとは 神の名において
死よ 私を連れて行け アーメン。
50過ぎてまだ性欲にムラムラしてるやつなんているのか
よっぽど嗜好に関する学習能力が乏しいんだろうな・・・
474 :
吾輩は名無しである:2008/05/07(水) 20:16:57
>>473 お前は、オカマか?
男は何歳になっても、チンポが立つ訓練はしてるんだ
まして、文豪ヘッセにして、この【五十歳の男】が証明している。
もっともっとヘッセの文面に触れる事だぁ…なぁ473君。
475 :
吾輩は名無しである:2008/05/07(水) 20:17:43
476 :
吾輩は名無しである:2008/05/07(水) 20:44:13
>>475 『人は成熟するにつれて若くなる』ヘッセ訳岡田朝雄 草思社
477 :
吾輩は名無しである:2008/05/07(水) 21:03:30
>>474 は?
これがヘッセの文章だか知らないが、
とにかくお前はこの文章をまったく読解できてないな。
まず、50になってもマジで性欲がムラムラしているようなヤツは、
よっぽど生理的な学習能力を持たない、単なるヘンタイだ。
ふつうは性欲自体に飽きてくるし、いかに自分自身が生き物として
人生を操られてきたかに勘付く。
それが50すぎても若い女と・・などと考えるというのは、ある程度
年甲斐のない無理をあえてしようという意図的な行為だ。
突き動かされるようにそうなるわけがねえだろw
ハゲwww
478 :
吾輩は名無しである:2008/05/07(水) 21:56:31
>>474 だいたいにして性欲に突き動かされている野獣のような50歳のおやじ
だったら、
いちいちそれを文章にするわけがねえだろ。
479 :
吾輩は名無しである:2008/05/07(水) 22:00:53
50歳になれば分かる
480 :
吾輩は名無しである:2008/05/07(水) 22:04:23
>>474 そしてまた、その文面ヅラはかっこいいが、
「かくのごとく生きよう」と心に決めた50のオヤジが実際にそれを遂行する
ありさまをビジュアルで想像してみろというんだよ。
それはもう産み終わって川辺でパクパクしている鮭のごとしだ。
そこまでイメージした上で、
>>474のような自信に満ちたレスができるなら、
デビ夫人にも子供ほど年下の彼氏がいるだろうよ。
481 :
吾輩は名無しである:2008/05/07(水) 22:10:57
必死で奇妙な方がいらっしゃる
ヘッセは、狼にしてカインの末裔だからな。
「五十歳の男」にはそれがよくでている。
まるで狼が獲物を狩るような表現だ。
相手の女の子に人格なんかあるとは思ってもいないようだ。
こういう心がヘッセの芯にあって、
それを用意周到な繊細な表現で覆い隠して見えなくさせたり
ほんの時おり、こうしてその心が姿をあらわしたりする。
この野生の心と向き合って、読者は困惑しないのだろうかな。
礼賛してしまうのかな。
483 :
吾輩は名無しである:2008/05/07(水) 23:15:36
>>482 こういう文面を真に受けて語っちゃう人間ってのは、
三島由紀夫が描写するボクシング体験談もマジで読んでしまう
もやしカギっ子なんだろうなあ・・・。
野生の心はヘッセの作品全体にわたって内包されている
そこが魅力であり、また底知れぬ深淵でもある
485 :
吾輩は名無しである:2008/05/08(木) 13:24:13
>>477>>478 普通に50歳になってもパンティ脱がせたらチンポは立つだろうよ〜
文学者だろうが、哲学者だろうがなぁ。
チンポが立つと言わせるヘッセに世界に人気があるんだろうが________
>>477>>478のオカマ野郎め!
486 :
吾輩は名無しである:2008/05/08(木) 14:58:11
487 :
吾輩は名無しである:2008/05/08(木) 15:25:06
>>485 50歳になっても、とはなんだ。男は70過ぎても性欲がある。表出のしかたは
千差万別で個人差は限りないが、必ずある。現実に高齢者の施設でも病院でも
スタッフ達の隠れた悩みはそれだ。
個人的意見を言えば、生命力のポテンシャルが高い個は性欲も強いようだ。
古今東西英雄は色好みで年齢に関わらず種を撒き散らして子をつくる。
文学の世界も例外ではない。
488 :
吾輩は名無しである:2008/05/08(木) 15:37:51
失礼しました。追加訂正
>>50歳になっても、60歳になっても、70歳になってもパンティ脱がせたら…
489 :
吾輩は名無しである:2008/05/08(木) 15:39:37
ちなみに熟年夫婦の最大の危機は、夫婦の性欲差異であることが多い。
閉経期を迎える妻が性欲から遠ざかるのに対し、夫の方は以前と同様に行動しようと
挑みかかるので軋轢が生じる。閉経期の女性は肉体的変化により性交痛が起こるが
それを夫に表明する習慣が旧日本には欠けていた。そこで衰えても
機能する夫が無理強いし離婚騒動まで引き起こす例すらある。
まず、男は無知であってはならない。バイアグラだけ飲んでればいいと思うな。
年齢にかかわらず夫婦和合は平和の基礎だから、遠慮なく医者に相談することだ。
方法はいくらでもある。 以上。
490 :
吾輩は名無しである:2008/05/08(木) 20:45:29
ヘッセはどこへ……
491 :
吾輩は名無しである:2008/05/08(木) 21:49:56
>>490 要するにヘッセは、老若男女・セックス・卑猥…と世界に人気があるということです。
クヌルプ読んだよー、優雅過ぎて笑ったw
情景が素朴で美しくてとてもいい。
最期に神様相手にああ言えるってのもいい。なんか優しい作品だねえ。
493 :
吾輩は名無しである:2008/05/09(金) 06:02:47
素敵な読者に素敵な読み方されて
きっとヘッセも喜んでるよ。
494 :
吾輩は名無しである:2008/05/09(金) 19:16:25
「最後」と誤記せず「最期」と正確に記述するのは
高偏差値のニートか
おい何だかトゲがないかトゲがw
不真面目紹介スレのカキコはここの住人じゃないの?
496 :
吾輩は名無しである:2008/05/10(土) 12:34:49
シュリンクの「朗読者」すごくヘッセの雰囲気がある。
497 :
吾輩は名無しである:2008/05/10(土) 13:45:08
ああ!そういえば!
俺は読んだけど今まで気がつかなかった。
すごい読者だ!
498 :
吾輩は名無しである:2008/05/10(土) 16:43:36
シュミッツさんが主人公のちんこ後ろから握るとこ
すげー興奮した。
499 :
吾輩は名無しである:2008/05/10(土) 19:36:33
シュミッツさんは野生だからね。主人公も15歳のときはそれが素晴らしい
と感じたのだ。威厳があってかわいらしく、いい匂いがしてうっとりとした
それで「お父さんさようなら、お母さんさようなら、僕はこれから別の道
を行きます」と決心さえした。シュミッツさんと生きることは父母の世界
とは違う世界で生きることだと主人公はわかっていたんだろう。
ヘッセのデミアンに似ている。
500 :
吾輩は名無しである:2008/05/10(土) 23:01:46
あなるほど
My Best 3
ガラス玉演戯
ナルチスとゴルトムント
たましいについて(エッセイ、1917年)
502 :
吾輩は名無しである:2008/05/12(月) 03:40:05
本格派だな。
503 :
吾輩は名無しである:2008/05/12(月) 03:40:50
大作派とでもいうか。
504 :
吾輩は名無しである:2008/05/22(木) 03:34:11
デミアン読んでます。
なんだか面白くない予感。
こういう人間性の発見ってのは、ある人には物珍しくてもある人には
取り立ててびっくりする事でもなかったりする。
聖書の内容に新解釈を提示したのが当時新しかったのか。
まあおれは元ネタを知らないが教圏では衝撃的のようだ。
武術家の甲野善紀が、人間という生き物ほど自分の自然な動き方を
知らないものは他にない。スズメでも自然に動けるのにと言っていたが、
ならばデミアンの言う交尾に向かう蛾に似た自然な人間の所作ってのは
一体どれだけ的確に小説の中で描写しきれているというのか?
まあとにかく最後まで読んでみます。
505 :
吾輩は名無しである:2008/05/25(日) 10:00:06
506 :
吾輩は名無しである:2008/05/27(火) 20:24:42
ドイツに住んでいるので、ドイツ語の勉強がてら原文でヘッセを読んでみたい。
ちなみにヘッセは翻訳でも全く読んだことないんだけど、何かお薦めありますか?
507 :
吾輩は名無しである:2008/05/27(火) 21:06:23
カフカを読んでもらって感想を聞きたい
カフカのドイツ語は易しいらしくて
508 :
吾輩は名無しである:2008/05/29(木) 02:44:27
くそ実吉でデミアンを読み返しているが、平仮名の多さに閉口も閉口
なんだよこいつ
509 :
吾輩は名無しである:2008/05/29(木) 02:50:06
あーーーーーーーーーーーー面白いのに読めば読むほどに腹が立つ
馬鹿だろこいつ
510 :
吾輩は名無しである:2008/05/29(木) 03:38:23
スレチだが、ドイツ語原書だと
ニーチェの『ツァラトゥストラ』が異様に平易な文だった。
『少年の日の思い出』って本国じゃまったく知られてないのか?
ドイツ語の全集を覗いてみたんだけどそれらしいのがみつからん
513 :
吾輩は名無しである:2008/05/29(木) 17:57:36
実吉消えろ
本当にイライラする
ヘッセの文章を再現しようと平仮名多用しているのかとも思ったがそうではないみたいだな
解説を見る限り
以後こいつの名前を見た瞬間にぶっとばす
>>510 へー、そうなんだ。意外。
読んでみようかな。
515 :
吾輩は名無しである:2008/05/30(金) 03:37:04
『デミアン』読んだけど、この本のテーマにあるように必ずしも人がその人個人だけの
生き方をすべきとは自分は思わない。
他の人や何かに忠実に生きるのもひとつの生き方。それはそれで尊い。
だから例えば敬虔なクリスチャンとして生きるのもそれはそれで意味がある。
作中では敬虔なクリスチャンというのは否定されているみたいだけど。
自分自身はクリスチャンではないけれど、そう思う。
>>483 どういう意味?ヘッセが自分の本当の気持ちを書いたわけではないってこと?
517 :
吾輩は名無しである:2008/06/03(火) 20:56:02
>>516 おれのレスにレスがついてる。
それはつまり「自らの野獣性を表わした文章」ってのはありえないという
ことよ。
そのこころは、
本当に野獣なのならば、そいつは机の前で文章なんか書かない。
三島由紀夫も自分のスポーツ体験談を精緻な文章で残しているけど、
実際現場でその三島を見ていた知り合いによると、三島はへっぴり腰
でもやしもいいとこだったそうだw
518 :
ペンギン:2008/06/03(火) 22:52:25
三島の左脳に頼りすぎてる小説に辟易しない人はヘッセの小説の真髄に触れられないだろう
神秘というものがどういうものか、無邪気でセンシティブな(おそらくこれらは生来のもの)心の持ち主のために
ヘッセの小説はある
519 :
吾輩は名無しである:2008/06/11(水) 17:50:03
俺はヘッセ大好きだけど、
なんとなくヘッセって馬鹿にされてる気がしないか?
ヘッセ(笑)みたいに。
520 :
吾輩は名無しである:2008/06/12(木) 22:17:57
加藤君にはぜひ「デミアン」を読んでいてほしかった。もしかしたら
彼は変わっていたかもしれない。
それで変った姿が俺ってか?
車輪の下(高橋健ニ 訳)を大学の図書館で借りてきて
神学校入学の所まで読んだんだけど
今も昔も受験生の心理ってのは変わらないもんだな
思わずニ月の頃の自分と重ね合わせたよ
まぁ俺はハンス君みたいに頭がよろしくないから
見事に第一志望には振られちゃったけど、ね
ちょっとこのスレを読んでみたけど
高橋訳はあまりよくない…のか?
特に意識せずに手にとったからなぁ
まぁヘッセは最初だし、気にせずに最後まで読んでみようかな
524 :
吾輩は名無しである:2008/06/13(金) 19:28:17
デミアン、中盤すぎまで読んだが
あいかわらすつまらん!
なんだこの日記みたいなの。
デミアーーーーーン!!!!!!
526 :
吾輩は名無しである:2008/06/14(土) 11:53:57
どんだけ過疎ってんのかと
527 :
吾輩は名無しである:2008/06/14(土) 16:56:05
うっとうしいはみるなぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ
消えうせろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うっとうしいおっさんはみるなぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ
消えろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うっとうしいやつらはみるなぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ
うっとうしいやつらはしゃべるなぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ
消えうせろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
消えうせろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
うっとうしいやつら女はみるなぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ
消えうせろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
528 :
吾輩は名無しである:2008/06/15(日) 07:40:16
529 :
吾輩は名無しである:2008/06/15(日) 07:49:06
老年の価値について
>>523 ヘッセといえば高橋健二と言われているくらい名訳として定評がありますよ
532 :
吾輩は名無しである:2008/06/16(月) 03:24:05
今読んでるデミアンは、きっと最後まで読んでもこのままつまらないんだろうな。
イッヒ ベギンネ マイネ ゲシヒテ ミット アイネム エアレブニゼ デア ツァイト、
ヴォー イッヒ ツェーン ヤーレ アルト ヴァール ウント イン ディー ラタインシューレ
ウンゼレス シュテットヒェンス ギンク。
518 :ペンギン:2008/06/03(火) 22:52:25
三島の左脳に頼りすぎてる小説に辟易しない人はヘッセの小説の真髄に触れられないだろう
神秘というものがどういうものか、無邪気でセンシティブな(おそらくこれらは生来のもの)心の持ち主のために
ヘッセの小説はある
319 :ペンギン ◆YIY09y7wuE :2008/06/07(土) 16:08:06
『夏の砦』読み始めて思ったこと
才能ないな
三島がすぐに連想された
左脳小説だね
人工的だよ
536 :
吾輩は名無しである:2008/06/16(月) 20:11:01
デミアンつまらん
西洋人はこんなつまらないことを考えて
一生を過ごすのか
ショートサーキットw
>>516 敬虔なクリスチャンも自身だけの生を生きていると思うんだが。
ヘッセがクリスチャンを批判するとしたら、それが自己の運命でないのに、
キリスト者として生きようとする人に対してだと思う。
認識ってのは、それが己の生に対してであれなんであれ、
溺れることとは全く違うと思うのよね、少なくとも知性面においては。
宗教者とみると俺はもう無条件に、「この自己中野郎が!」
なんて罵りたくなるんだがw それが世にあることのマイナスには
目を塞ぎ、ただ己に対するの機能にだけ耽溺する。見苦しいよやっぱ。
やっぱ赦せんなー俺は、降りるやつは。
芸術はでも、逆であって。
共有されなくっても、自己満足でもそれは、構わない。
だから無価値だし、だからこそ素晴らしい。
ここでならひとは、溺れ、狂うことだって赦される。
541 :
吾輩は名無しである:2008/06/23(月) 22:45:37
通勤電車の中で読み続けて、デミアン7割読んでるが、
まったく面白くない。
なにこれ。
542 :
吾輩は名無しである:2008/06/23(月) 23:23:14
翻訳がくずなんだよ
平仮名ばかり使いやがって馬鹿だよ訳した奴は
543 :
吾輩は名無しである:2008/06/24(火) 01:25:45
新潮文庫の高橋訳だよ。
・・・文章の問題じゃなくてさ、中身よ。
なにこれ・・・。
個人的にこの本との出会いが悪かったのかなおれ。
30代ですが。
544 :
弁天:2008/06/24(火) 19:29:54
デミアン
車輪の下やデミアンはヘッセの中でもつまらない部類の作品
まずは郷愁やクヌルプあたりにトライしてみたら?
自分はシッダルタや荒野の狼、知と愛が一番ぴったりきた
546 :
吾輩は名無しである:2008/06/24(火) 21:01:11
ヘルマン
547 :
吾輩は名無しである:2008/06/24(火) 21:15:39
俺はデミアンが一番だけどなー。
春の嵐はつまらなかった
549 :
吾輩は名無しである:2008/06/28(土) 16:55:26
『車輪の下』は、どの訳がいいですか?
知と愛を薦めながらデミアンをつまらない部類と言えるのが面白いな。
552 :
吾輩は名無しである:2008/07/01(火) 00:49:31
ちんたら読んでいって、今エヴァ夫人が出てきたところだ。
なんだこの小説・・・
なめてんのか・・・・
553 :
552:2008/07/01(火) 04:17:58
もうちょっとで読み終わるんだけど、しかしまったくこのデミアンって
小説は何なんだよ?
・・・と思ってこのスレざーっと見てみたら、高橋訳って評判わるいんだね。おれ高橋訳。
この小説がファシズムの台頭を暗示しているっていうレスがあったけど、
だとすればこの作品の存在自体、すでに役割を果たし終わってることになる。
しかし登場人物の言っている事は、ダーウィンの進化論レベルで
人間の運命を論じたりしているというのに、それが国家間戦争ごときに
なぞらええるわけかね?
しかしなんなんだこの小説は。
エスパー小説かよ。
昔観た幻魔大戦思い出す。
554 :
吾輩は名無しである:2008/07/05(土) 04:02:11
夢うらないなんて仏教から見ればちゃんちゃらおかしいw
556 :
町居則子(金神弁天):2008/07/09(水) 02:20:28
天上天下唯我独尊
羅漢号泣
557 :
吾輩は名無しである:2008/07/09(水) 10:34:09
結局デミアンは新人類(古・・)ってことが言いたかったのか?
わからん・・・
本来主人公が個人で待望していたもの、それが「戦争のようなもの」だったと?
558 :
吾輩は名無しである:2008/07/15(火) 16:29:01
高橋訳ほんとに酷いな・・
日本語でおkな所多すぎだし文体もめちゃくちゃ
捨ててくる
でみあんもつまらんしっだあるたもつまらんしゃりんのしたもつまらんはるのあらしもんだいがい
はたしてほかのはよむかちあんの?
しっだあるたなんかささげられたろまんろらんがかわいそう
はずかしかっただろおなあやめてくれよおぼくのなまえだすなよおっておもただろおなあ
561 :
吾輩は名無しである:2008/07/15(火) 23:20:30
ジッタールタは釈迦に疑問を呈した所と時間に言及したところだけが
気を引かれた。あとはいくら読んでも主人公本人じゃなきゃ実感できない
ような事を延々文章にしてるだけに思えたな・・・。
ファウスト読んでもシッダールタ読んでも、ああ俺が居ると思うw
563 :
吾輩は名無しである:2008/07/16(水) 00:42:39
>>565 ジッタールタの主人公は実在の釈迦並みの人格設定で、既存のバラモンの下で
修行してもそれを凌駕してしまうんだが、お前。
・・・そういう意味じゃなくて?w
凌駕ってでも、ただ定型をこなしてきただけの凡百のをじゃないw
565 :
吾輩は名無しである:2008/07/16(水) 12:37:48
>>558 オレあんまり小説読まないんで訳書ってこんなものなのかなと
思っていたがやっぱりヒドイのか。
確かに読んでると脂汗が出てくるのはそのためだったのか。
高橋自身は原文の雰囲気をうまく醸しているつもりなんだろうな。
このスレであんまりその話題が出るんで
とうとうヘッセ全集買ってしまった。
荒野の狼を全集で読んでます。
最近灯台の野崎の翻訳の赤と黒があんまりひどいんで問題になっているけど、
高橋さんのがひどいってのは聞いたことないな。
翻訳ってのはその時代の用語用字を理解していないと、
自分の日本語の稚拙さを露呈することになりかねないから、
注意したほうがいいよ。
このスレの批判は幼稚なだけじゃないの?わからないとかさ。
まあ、具体的な指摘できるわけじゃないんだろうな。
>>29 遅レスだが・・・・・・・・・・・
デミアンが相当な脅迫したんだろうな。
クローマーがびびるくらいの。
でもあのカツアゲって、最初にシンクレールがりんご農園のおっさんに
「クローマーっていう悪がきに調子こいてうそいっちゃった。すいません。」ってあやまって
おいてクローマーに
「ぼくはどうなってもいいからチクってきたら?」って開き直れれば
あっさり解決だったかも。(これじゃ話にならないけど・・)
>「ぼくはどうなってもいいから」
とは言えないのがエーミール君。ウブなお坊ちゃんだったから。
デミアンはクローマーにこういう台詞も言ったかも。
「おい、あれは俺の獲物だ。手をだすな。」
569 :
吾輩は名無しである:2008/07/17(木) 23:41:18
ずっと夢に出てきた魅惑の人、それが実は実在するデミアン母だった。
・・・この文脈はなんなの・・・
570 :
吾輩は名無しである:2008/07/17(木) 23:59:24
シッダールタの文体は美しすぎる。
明治以来、西洋文化で育った我々日本人はヘッセの文体に感動し、インドの東洋思想にふれ感激する。
読者の感動が二重三重になり、疾風怒涛の季節を駆け上がっていくのである。
特に20代〜30代の人がこれを読めば良い青春を送る事ができるだろう。
>>569 とまどうよね。
他に、ジンクレールが彼女と大人の関係をもってしまうこと。
彼女には他にも大人の関係を持つ人が複数いることがわかるが
平気なこと。
572 :
吾輩は名無しである:2008/07/18(金) 02:28:52
>>571 え?そんなくだりあったか?
読み落としていたのか・・・
手元に本がないのですが・・
成人してデミアンと再会してデミアンの家に逗留しているときに
デミアンから、母と関係を持ったんだね?おめでとう、みたいなことを
いわれてジンクレールが喜ぶというよう場面があったような
そしてそのとき、デミアンの口から、母は君のように母の気に入った
相手が複数いてみんなとも関係をもっているんだと、誇らしげに
説明していたとオモ。選ばれしものどもというわけですかね・・
574 :
吾輩は名無しである:2008/07/19(土) 00:58:30
>>573 まあそういうくだりがあったとしても、それが一体既存の秩序に対して
どういうシンメトリーを成す事柄なのか、読んでいてさっぱりわからな
かったな。何が言いたいのか。高橋訳だったからオレがわからなかった
のかな・・・。
のちのフリーセックス的若者文化とかそういうものを暗示していたとでも
受け取ればいいのかね。この小説は受け止め方がわからん。
575 :
吾輩は名無しである:2008/07/19(土) 01:41:27
>>574 象徴的な「或る女性」が描かれていると思う。
この女性はヘッセのなかにだけあるのではなく、いろんな作品にも
あらわれる。平塚らいてふの「太古女性は神であった・・」という
女性もこの女性かもしれないな・・
これは既存の秩序をブレイクスルーするもの。既存の秩序はアベル的
なもの。ちゃんとした手続きを踏んで行われるものだけど、この女性は
それを横入りする、アベル的秩序を馬鹿にする、上を行く。高橋訳は
その高揚感を原作以上に高ぶらせる。で、自分も中学生のとき十分に
高ぶったんだけど・・その後はたと考えこんじゃった。それでいいのか
ってね。
デミアンほど魅力があって心の底からゆさぶる作品は少ないと思うな
初めて読む年代にもよるのかもしれないが・・
油臭す
びみょー(笑
578 :
吾輩は名無しである:2008/07/20(日) 21:00:04
>>575 東洋人であるオレ自身からすると、ヘッセの小説、デミアンなんてものは、
もしかしたら物凄く体の低いシロモノで、オレはそれに気づかずに付きあ
わされてるだけのような気もする。しかしこの小説に書いている事を、
オレが全て把握したわけでもないからはっきり断定できないが。
とにかく小説の中で引用されるカインとアベルの逸話を知らないと、
話しのとっかかりでつまづいてしまうようだが、それもネットで調べて
わかった。で、もしかしたらこの主人公はカインの生き方を追体験して
いるのかもしれない。ただどうも納得がいかない。
仏教にはそんな、シロとクロみたいな逸話はないからな。
580 :
吾輩は名無しである:2008/07/22(火) 21:35:50
>>578 カインとアベルの逸話など知らなくても、デミアンは十分読者をひきつける。
なぜなら、含蓄はカインとアベルの逸話だけにとどまらないからだ。
どうも、人の言う感想にまどわされてデミアンをじっくり読んでないのでは
ないだろうか?デミアンは一語一句意味がある。良い悪いは別にして本当の
物語だと思う。それは実話ということではなく、これからも起こりうる真実の
書かれた本なんだと思う。そしてヘッセは結末は書いていない。この本の
導くところが聖なのか邪なのかそれはわからない。
あなたは白と黒みたいな逸話だというが、それはネガとポジみたいに
逆転するもので非常にダイナミックに動くものだ。現実世界でも同じ
ネガとポジの逆転が起き、人間たちを翻弄する。こんな重要な大きな
真実が書かれている本は少ない。或る意味わたしたちの理解を超えている。
それを理解したいとわたしは思う。そして西洋の他の著者が書いている本と
連動しているのを見つけたときは小躍りする。
>>580 >西洋の他の著者が書いている本と連動しているのを見つけたときは小躍りする。
そういえば、ネルヴァルの『暁の女王と精霊の王の物語』がもろネタかぶりしてて面白かった
582 :
吾輩は名無しである:2008/07/22(火) 23:00:27
ファンだった時期もありあまり触れたくないんだが
ヘッセにおけるインセンスト・タブーってどんな印象なのかな??
聖者になるか野獣になるかの2つしかないと聞いたことがある。
微妙な問題だな。どうでしょう?
また、倫理的な意味の殺人を犯したものは、
真実を語る境地を得る場合があるらしいが…。
>インセ《ン》スト・タブー
素直に近親相姦って言えば恥をかかずに済んだものを
スレ違いだがカミュもカリギュラなど読むと妹とかと関係を持っていそうだな
どうでしょう?
586 :
吾輩は名無しである:2008/07/23(水) 00:08:01
ヘッセは近親相姦をテーマにしてないと思うけど?
そういう作品があったというの?
587 :
吾輩は名無しである:2008/07/23(水) 21:56:26
参考としては「あれ」だ
デカメロンと聖あうぐすてぃねす
なんか違うな…
でかメロンの作者の電気と聖なんとかのことを同じ時期に書いていたとやら
588 :
吾輩は名無しである:2008/07/23(水) 23:27:06
>>581 うわ、まじかぶりw
ネルヴェル自身もあの女性の虜となっていたのでしょうか。
でも、あの女性は不吉なんですよね。
あの女性に選ばれたものは選ばれしものなんでしょうが
わたしの目からはあの女性の獲物に見えます。
589 :
吾輩は名無しである:2008/07/23(水) 23:59:23
>>580 578です。
おれが思った「デミアン」での白と黒の対比による描写というのは、
最初のシークエンスでの人間の昼と夜という見方についてだね。
そこでおれは「うわぁ、なんとまあ体の低い語り出しだろうか」
と思った。親離れしたい思春期の読者ならこういう語り口には飛び
つくんだろうが。まさか昼を批判する事によって夜を正当化しよう
なんて体たらくがこれから始まるんじゃないだろうな?と思ったな。
しかし確かに話しが進むにつれ、そんな対比は影をひそめていく。
人間における昼と夜の対比なんてものはこの小説にとっては初動でしか
なかったんだろう。しかしそこからがおれには理解できない世界になって
いく。わからないというか心のどこかでは分かっているようなんだが、
肩すかしを食らったような気分なんだな。デミアンの母が予感されるべき
存在だったなんて、何が言いたいのかさっぱりわからない。
まったく個人的な話しなんだが、おれがヘッセ作品を、例えば電車の中で
読もうとすると、必ずジャマが入るんだ。席のとなりのオッサンが新聞を
ひんぱんにめくるので肘が当たって集中力をそがれたりとかね。
これはなにかあるな、とは思う。
590 :
吾輩は名無しである:2008/07/24(木) 21:42:56
>>589 デミアンの母=おばさんが運命の女だったという所に引っかかっているの
でしょうか?でも三十代みたいだったようだし金持ちで女神風に着飾って
いたのかも。
容姿も最初ジンクレールの初恋の若い女性の絵を描いていくうちにそれは
もっと理想の容姿となり、デミアンの顔になり、デミアンの顔なんだけど
女性になったというのだから若いお姉さんみたいだったのかもよ。
591 :
吾輩は名無しである:2008/07/24(木) 21:46:32
あるな、なにかある。絶対に。
俺はフランツ・カフカの本を二冊買ってから不幸の連続。
たまりかねて駅に捨てた。
カミュでも同じ、なにかあるなあとは思う。
だからもうカフカとカミュは買わない・読まない・手に取らない!
592 :
589:2008/07/25(金) 00:02:05
おれは逆に「読む」ね。
意地でも。
おれに読ませまいとする勢力と戦いたくなってムラムラしてくるね。
となりの席の新聞めくりまくるオッサンに、思いっきり自分が読んでる
デミアンの題字見せてやった。目の前に突きつけてやったよ。
「はいお察しの通り、僕は今からヘッセさんのデミアンというのを読もう
としているんですが、どうですか、ジャマなさいますか」というメッセージ
性を込めてな。もうおれは変人のようだが、こうすると空気が多少おだやか
になる。
キチガイ乙
多少でも食う気がおだやかになるのか、、
じゃあ、そのオッサンはいい人だったんだな、、
ほんとにあほならずっとめくりまくるだろう
『デミアン』について、デミアンとシンクレールの間には、ホモソーシャル(=男同士の社会的に強い絆。性的なものはない)があるように感じるのですが
さようでございますか
それはようございましたね
597 :
吾輩は名無しである:2008/07/25(金) 18:38:50
598 :
吾輩は名無しである:2008/07/31(木) 16:18:01
ヘッセはスケールが小さい
トルストイやドストエフスキーを読めば、ヘッセなんて読めない
599 :
吾輩は名無しである:2008/07/31(木) 22:03:08
あほか
600 :
吾輩は名無しである:2008/07/31(木) 22:58:43
透ける。すkらついお。すけrつあい。すけるもち
601 :
吾輩は名無しである:2008/08/02(土) 10:41:57
シッダールタを読み返しました。
最初に手にとって以来、10年立つけど色あせない感動を
ありがとうといいたい。
602 :
吾輩は名無しである:2008/08/05(火) 15:48:47
要するにヘッセの言いたいことは
実体験、実経験なんてものはたかが知れていて、
人間は結局思考の変遷によって成就する生き物だ
・・ということなんじゃないのかね。
だからその人の経歴みたいなものは自他ともに
なんの確証にも文脈にもなりはしないと。
603 :
吾輩は名無しである:2008/08/06(水) 21:14:33
そんなことどこでヘッセは言っている?
そんな頭でっかちにならず、素直に一字一句読んでごらんよ。
現代の作家でヘッセに味わいのよくにたシュリンクでも実感した。
非常に細やかで繊細なのにしっかりした構成。実に共感をさそう内容。
幾重にも解釈でき、見る角度からまったくちがう光景を映し出すのは
それが真実の物語だから。それだけになにげなく見える、しかし
他のだれにも本当の生きた物語を書くことはできない。つまりだれにも
できないことができた数少ない作家のひとり。
604 :
吾輩は名無しである:2008/08/07(木) 11:14:19
思考というか、現実を通常の現実としては
見ていないような描写じゃない?
デミアンにしろ、もし主人公の実際をカメラで
一部始終撮影したとしたら、文章で書かれているような描写とは
作者の確信犯的に食い違うような気がするわけ。
605 :
吾輩は名無しである:2008/08/08(金) 01:47:55
思想の『変遷』というよりも、『発展』とか『到達』『止揚』だろうね。
606 :
吾輩は名無しである:2008/08/08(金) 04:50:48
ヘッセの全集の副題があれとすれば
「ヘッセ全集―ヘッセの生涯におけるあれこれ―」でいいのでは?
607 :
吾輩は名無しである:2008/08/08(金) 06:15:59
とりあえず複雑な小説を読みたがるやつって
無駄に作者の傾向とか語りたがって本質理解できないのかしようとしないよな。
それこそほんとシッダールタのカマラをちゃんと読めといいたい。
とりあえず複雑な小説を読みたがるやつって
自分だけは本質を理解して、他のやつは全然分かってないと思いたがるよな。
609 :
吾輩は名無しである:2008/08/12(火) 05:15:44
>608
確かに
610 :
金神・弁天:2008/08/13(水) 02:14:48
ヘッセ自身の生涯については、甚だ疑問で一杯だ。
611 :
吾輩は名無しである:2008/08/13(水) 15:23:39
そうか?
ジッタールタなんかを読むと
子離れしていく心境などが独白されていると思うが。
612 :
吾輩は名無しである:2008/08/13(水) 23:27:55
古本屋で相良訳クヌルプ買っちゃったんだけど、高橋訳のほうが読みやすいんですか?
あと、河出書房世界文学全集18ヘッセ拾ったんだけど、文庫版と何か違う?
>>612 クヌルプ→相良訳でOK
河出版=新潮文庫版 訳文は同一です
早速ありがとうございました
615 :
吾輩は名無しである:2008/08/14(木) 03:18:42
荒野のおおかみの世界観とかすごく好きなんだけどさ
後半の展開なんか無理やりな感じしね?
616 :
吾輩は名無しである:2008/08/14(木) 18:59:43
誰にでもわかる単純な語彙で、限りなく深い思いを語るヘッセ。
誰もが思いつかない難渋な言いまわしで、どうでもいいことしか語らないフォークナー。
正に対照的。
>>616 > 難渋な言いまわしで、どうでもいいことしか語らないフォークナー
ジョイスなんかもそうだよね
619 :
吾輩は名無しである:2008/08/15(金) 02:52:23
彼は仏教徒になりたかったのかもしれんな。
堅苦しいキリスト教学に反発する姿こそ、ビートであり、その季節が
ビートジェネレーションであると言えよう。
日本だと、昔からの礼儀作法に反発し、
アメリカの音楽を聞いたりする。
という事だろう。
620 :
吾輩は名無しである:2008/08/16(土) 23:45:29
616 617は子供かな
ヘッセみたいな子供向けしか読めないみたい
621 :
吾輩は名無しである:2008/08/16(土) 23:50:30
池内紀も一般的にヘッセは若い間しか読めないと言ってるね
622 :
吾輩は名無しである:2008/08/17(日) 16:19:07
フォークナーもジョイスもヘッセより評価が高いw
623 :
吾輩は名無しである:2008/08/17(日) 22:38:20
どうしようもないやつらだな。
子供も大人も、若い間も年老いた時も、評価が高いも低いも
死ねば、みんな灰になるんだよ。死ねば、すべて無になるんんだよ。
あんたらの言うことなんて、どうでもいいいんだよ。
624 :
吾輩は名無しである:2008/08/18(月) 00:21:44
↑鬱の厨房
625 :
吾輩は名無しである:2008/08/18(月) 02:15:54
「難渋な言いまわし」てw
ヘーゲルの著書を読んでみたら?w
626 :
吾輩は名無しである:2008/08/18(月) 03:41:16
ここは文学スレなんんだよ。
ちょっと比較の上で言及したまで。
よりによってヘーゲルだと。
ほんと無粋なやつだな。シャレにもなっていない。
どうして小説の上での「難渋な言い回し」にヘーゲルが関係してくるの?
おととい来やがれ、このすっとこどっこい!!!
627 :
吾輩は名無しである:2008/08/18(月) 13:10:00
トーマス・マン>ヘッセだな
628 :
吾輩は名無しである:2008/08/18(月) 22:12:27
それは、誰もが認める定説。
いまさら言って、感覚的なことしか言えないヘッセファンをいじめる必要もないのでは。
629 :
吾輩は名無しである:2008/08/18(月) 22:17:39
>>感覚的なことしかいえない=ヘッセファン
なぜか、すごく納得。
「感覚的なことしか言えない」と実証的ではなく感覚で言ってる人はヘッセファンです
実際そうなのか検証してみるのではなくただ納得する人ももちろんヘッセファンです
631 :
吾輩は名無しである:2008/08/19(火) 12:10:20
マンも感覚的なタイプじゃね?
632 :
吾輩は名無しである:2008/08/19(火) 19:29:55
>>630 過程もさることながら、結論としてはどっち?
633 :
吾輩は名無しである:2008/08/19(火) 22:30:02
その一番肝心なところを答えない(答えられない)ところがいかにも「らしい」
634 :
吾輩は名無しである:2008/08/20(水) 00:46:11
評価や順列のために読書すんのかてめーらは
あほくせえ
636 :
吾輩は名無しである:2008/08/20(水) 22:47:45
635は評価で負けてる作家の子供っぽい作品が好きらしい
637 :
吾輩は名無しである:2008/08/21(木) 23:00:53
>>634 誰が同一人物で、誰が別人物かしらんが・・・
>>628や
>>629の「感覚な的な事しか言えないヘッセファン」という説に対して、
>>630が結論に至る検証がないと主張した。
その
>>630の主張に対し、よしんば経過の説明がなかったにせよ、
結論として
>>628や
>>629の「感覚な的な事しか言えないヘッセファン」という
主張は正しいのかどうかと、あらためて
>>630ニ質問を投げかけていることを
いっている。
それに対して、今現在
>>630は沈黙を守っている。
\
頑張って非感覚的たろうとするとかえって見苦しいよ
煽り耐性くらいつけれ
639 :
吾輩は名無しである:2008/08/22(金) 16:45:40
そういう、まぜっかえしをいわれると何も意見がいえなくなるな。
デミアン読んでもサッパリ。マックスデミアンがいじめから助けてあげてから分かりにくくなった。なんでだろー
>>638 よしんば よしんば ・だぜ?
…煽り耐性つけろといっても無理でわ?
642 :
吾輩は名無しである:2008/08/22(金) 22:10:12
一連のやりとり見ている限り、ヘッセファン=感覚的という意見は
どうも事実のような。
少なくとも、それを否定できるような証左が見当たらない。
だめだこりゃ。
「車輪の下」は誰が読んでも作品の主題が明白だが、「デミアン」や「荒野の狼」についてはヘッセ自身の心の世界が展開されているので理解するのが難しいかもしれないよね
本をプレゼントされたユングがお礼を述べた話が有名だけど、ユングもヘッセに対して余計なことは話してないしね
644 :
吾輩は名無しである:2008/08/28(木) 11:57:19
正しい文学名作ランキング決定版(改訂不可)
超名作
戦争と平和 神曲 ドン・キホーテ ファウスト
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
名作
魔の山 レ・ミゼラブル デイヴィッド・コパフィールド
嵐が丘 人間の絆 白鯨 カラマーゾフの兄弟
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
良作
北回帰線 赤と黒 阿Q正伝 ボヴァリー夫人 失われた時を求めて
ゴリオ爺さん ガラス玉演戯 ユリシーズ 響きと怒り 城
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
佳作
怒りのぶどう 大地 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
グレート・ギャッツビー 明暗 老人と海 夜の果てへの旅
感情教育 ハムレット 失楽園 オデュッセイア モンテ・クリスト伯
クオ・ワディス 大使たち イワン・デニーソヴィチの一日
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ラノベ
豊饒の海 ティファニーで朝食を ロリータ 万延元年のフットボール
決壊 初恋 アルジャーノンに花束を グランド・フィナーレ 椿姫
見えない都市 百年の孤独 オネーギン オブローモフ 外套 暗夜行路
645 :
吾輩は名無しである:2008/08/28(木) 21:45:13
ドン・キホーテや源氏物語って有名だけど実際手にとって読む人っていないよね。
もちろん、自分も未読。
それと、最近までドン・じゃなくてドンキ・ホーテだと思っていた。
647 :
吾輩は名無しである:2008/08/29(金) 23:37:29
>>644 さすがに「車輪の下で」は入ってないなw
あまぞんのレビュー(巻向とかいう人)がブッタ切ってるわ
648 :
吾輩は名無しである:2008/09/03(水) 00:23:51
今シッダールタ読んでるんだが
精神や魂を揺さぶられるような気分だ
649 :
吾輩は名無しである:2008/09/17(水) 07:57:45
注文していたガラス玉届いた。
流れ読まなくてすいませんが
車輪の下って、最終的にはハンス自殺なんですね。皆さん知ってました?
ヤフー辞書に自殺って書いてあるので。
小説では「自殺か事故死かわからないような書き方」だったと記憶しているのですが・・・
651 :
吾輩は名無しである:2008/09/28(日) 11:23:36
今正に車輪の下を読み終えたところだけど、
どちらか解らない書きかただったよ
前の文章からしても酒で感傷的になったハンスなら
やりかねないね。鬱になったよ。
どうでもいいけど、ハンスがちょっと前に書いてた
親父とハイルナーに宛てた遺書読みたかった。
エヴァ夫人「愚かな…なんと愚かな…」
653 :
吾輩は名無しである:2008/10/05(日) 23:51:24
ヘッセファンの方への質問エリーザベトはそんなにいい女なんでつか?ヘッセは女にかんしてはかなり五月蝿いようで。容姿端麗もちろん才色兼備が好みのようで。
「でつ」って表現久しぶりに見た
655 :
吾輩は名無しである:2008/10/09(木) 04:48:16
ずいぶんもてたみたい
すごいひとだ。
656 :
吾輩は名無しである:2008/10/14(火) 01:51:55
今、おれ初読中の「荒野の狼」なんだが、ウィキペディアで調べたら
のちの60年代ヒッピーに影響を与え、ステッペン・ウルフというロック
バンドは同名小説からバンド名を取りうんぬん。
・・・まあこの小説も何を言いたいのかおれはイマイチよくわからずに
読み進めているんだが、これって第一次大戦と第二次大戦に挟まれた
当時のドイツを知らないと理解できないものじゃないのかな?
なにがなにやら。
そしてまた60年代のヒッピーに影響を与えたというのは、若者文化も政治的
なムーブメントを持たなきゃ・・・ということなのでしょうかね?
最後まで読まずとも何を言いたいのか分かる小説は往々にしてしょうもない。
とあえず最後まで読んでから考えたらいいんじゃないか。
658 :
吾輩は名無しである:2008/10/18(土) 00:35:39
理解の仕方は個別であっていいんだよ
人によっては理解すら不要なんだ
文学作品の需要のあり方は読み手にゆだねられているんだ
ある特定の主張が通説となるか否かは蛸壺世界の話で
文学作品とは無関係だよ
でも「言葉」は。いつだって開かれていて、然るべきもの。
ただしで、受け手の無能こればっかりは、どうしようもないことではあるが。
660 :
吾輩は名無しである:2008/10/18(土) 01:36:25
>>659 >でも「言葉」は。いつだって開かれていて、然るべきもの。
これどういう意味?
「言葉」が開かれているというのはどういうこと?
然るべきもの。というのはどういうもの?
欲望すること。
「誰か」にそれが、届くことを強く、希う。
>然るべきもの。というのはどういうもの?
そうあらねばならない、でなければ意味がないとする。
私だけじゃなくって。
「あなた」があってこその、この世界。それを繋ぐものが言葉。
>>662 言葉がなくても繋がれているから
繋ぐものは言葉に限らないと思うべ
マックス「君たちには脂質がない」
665 :
吾輩は名無しである:2008/10/18(土) 20:29:53
おれ「より遠くへ飛ぶためさ。市井のたかの知れた触り心地より未知の冷たい鋭さを欲するのさ。わかるかいマックス坊や。」
それがでも日常でしょう、本読みにとっての。
とまれじぶんにはその自覚があったが、ローティーンの頃からずっと。
豚の安心を小説でも繰り返してりゃ世話ねーな
…なんつーか、決して特別なものではないんだよな。もっとずっと、
当たり前のものであって自分にとっちゃ。他ならぬその場所で「この」
自分は、育ったんだから。「疑ったことがない」。いつだって読んでた。
――またそれが、つまり自分のそんな認識があなたには、知ったかぶりにも
みえるんでしょうが、たぶん。
あとは実際に、思い出せないしwww ――例えばのはなし、失われた〜
だって自分、読んでる筈なんだけどね中学生の頃に。なーんか、夜中に
ふらふらと書き物してたりする話?くらいの記憶しかないけんどもww
つかなかったっけ? そんなシーン。これは手元にはない本なんで確認が
出来ないんだが。
ちなみにその隣りにあったチボー家は確実に読んではいなくて、でだいたい
同じころに自分、倉本聡の脚本集みたいなのを読んでた記憶が、なんとなく。
本当、どうでもいいことですが。…まぁとにもかくにもで右から左の濫読家
だったからね昔は特に、特定の誰彼に、ハマっていた時期なんていうものが
そもそも、ありえないっつーか。だってさすぐに次行っちゃってるんだから(苦笑
でも、それでもね。
身近の、いわゆるの遊び友達(当時はとても恵まれていた。ショッピングやら
映画やらボーリングなんかをだいたい、毎回10人前後の割と、同学年中でも
派手めの友人たちと共に、毎週末の様に)とはまた「完全に」別個に自分には、
付き合っている連中が居るという、意識はあったんだよ確実に。それこそ、
人類史上でももっともウィアードなwww奴らとの交流。読書。そんな日常。
まぁあとはああいった理由から、他の娯楽って現実に、なかったしw それ
以前からで自分はずーっと、こんなだったのに。
ただし周りのとは一度だってまともには、本の話なんかしたことはなかったが。
判るわけないと思ってたから当時から。むしろ担任の国語の教師との方が、特に、
「呼び出された」時なんかにww まーずたいていの場合は、暴力沙汰なんだけどw
669 :
吾輩は名無しである:2008/10/19(日) 15:12:09
スゲエw
670 :
吾輩は名無しである:2008/10/20(月) 07:41:53
656ですが。
さて、今全部読み終わったが意味がわからん。
意味がわかりません。
「いかにして人は愛によって殺人を犯すか」
という言葉が出てきたとき、おおこれは昨今の日本の風潮にも当てはまる
命題かなと思ったが、と同時にどうせヘッセはうやむやにするんだろうな
あと思って読み進んでみたら、案の定、どっちつかず、根拠不明のまま
終わってしまったなw
人は愛しうるか
672 :
吾輩は名無しである:2008/11/01(土) 22:48:45
クヌルプって何歳? 最後は40歳で凍死なのはわかるけど。時系列的には「クヌルプの思い出」が最初?
冒頭のロートフースとのやりとりで親方と旅したのが6〜7年前とかあるし
基本的にヒゲを生やした容姿のようだからこの時点で30前後にはなってんのかな?
〇
/愚\
か
/者\←秀文
勉強しか取り柄がない僕は
どうやって生きていけばいいの?
〇
/愚\
か
/者\←ハンス
勉強しか取り柄がない僕は
どうやって生きていけばいいの?
674 :
吾輩は名無しである:2008/11/15(土) 16:12:42
死なないこと
きりもみの苦しみと思うが
薬物治療が一番だ
楽になるから
そこから生きることだみょ
東方の旅を全集で読んでて相変わらず
文章がタルいので後ろの解説に目を通してみた。
この小説のつくりはむかし見たエンゼルハートという映画に
そっくりだと思った。
676 :
銀狐の巣:2008/12/03(水) 11:32:27
『兵士の報酬』"Soldier's Pay"(1926年)
『蚊』"Mosquitoes"(1927年)
『サートリス』"Sartoris"(1929年)
『響きと怒り』"The Sound and the Fury"(1929年)
『死の床に横たわりて』"As I Lay Dying"(1930年)
『サンクチュアリ』"Sanctuary"(1931年)
『八月の光』"Light in August"(1932年)
『標識塔』"Pylon"(1935年)
『アブサロム、アブサロム!』"Absalom, Absalom!"(1936年)
『野生の棕櫚』"The Wild Palms"(1939年)
『村』"The Hamlet"(1940年)
『墓地への侵入者』"Intruder in the Dust"(1948年)
『尼僧への鎮魂歌』"Requiem for a Num"(1951年)
『寓話』"A Fable"(1954年)
『町』"The Town"(1957年)
『館』"The Mansion"(1959年)
『自動車泥棒』"The Reivers""(1962年)
677 :
銀狐の巣:2008/12/03(水) 11:33:16
『これら十三篇』"These 13"(1931年)
『医師マルティーノ、他』"Doctor Martino and Other Stories"(1934年)
『征服されざる人々』"The Unvanquished"(1938年)
『行け、モーセ』"Go Down, Moses"(1942年)
『ポータブル・フォークナー』"The Portable Faulkner"(1946年)
『駒さばき』"Knight's Gambit"(1949年)
『フォークナー短編集』"Collected Stories of William Faulkner"(1950年)
『大森林』Big Woods(1955年)
『ニューオリンズ・スケッチ』"New Orleans Sketches"(1955年)
678 :
銀狐の巣:2008/12/03(水) 11:33:57
『大理石の牧神』"The Marble Faun"(1924年)
『緑の大枝』"A Green Bough"(1933年)
679 :
銀狐の巣:2008/12/03(水) 11:35:58
680 :
吾輩は名無しである:2008/12/03(水) 11:37:34
681 :
吾輩は名無しである:2008/12/03(水) 23:45:26
ガラス玉遊戯を全集で買っちゃったんだが、あれって文庫でも出てる?
やっぱりデミアン好きすぎる
いつからフォークナー・スレになったの?
685 :
吾輩は名無しである:2008/12/14(日) 21:23:00
クソスレ
686 :
吾輩は名無しである:2008/12/23(火) 14:41:32
孤独者の音楽か…
687 :
吾輩は名無しである:2008/12/25(木) 02:43:09
フェイェトンってなに?
688 :
吾輩は名無しである:2008/12/27(土) 09:38:58
ふぇいうぉん?
689 :
吾輩は名無しである:2009/01/27(火) 16:24:36
お前らの発言は文学をやる人間の発言とは思えない
690 :
吾輩は名無しである:2009/02/20(金) 10:18:35
「荒野のおおかみ」で
「永遠は一瞬にすぎない」って言葉、
ドイツ語の原文だとどうなっていますか??
あと、「狼さん」ってセリフも、原文ではなんて書いてあるの?
>>690 die Ewigkeit ist blos ein Augenblick
「荒野の狼さん」って呼びかけは、原文だと、Steppenwolf
「狼さん」って呼びかけは、Wölfchen
692 :
691:2009/02/20(金) 11:12:21
誤 blos
正 bloß
693 :
吾輩は名無しである:2009/02/20(金) 12:57:33
わーーーー!!!!
すごいです(><)
本当にありがとう、国立国会図書館まで
探しに行こうかと思ってました。
どこのどなたかわからないのですが
本当に本当にありがとうです!!!
>691さん、692さん
694 :
吾輩は名無しである:2009/02/20(金) 19:53:01
「シッダールタ」を読んでとても感動し、「車輪の下」「デミアン」「郷愁(ペーター・カーメンツィント)」
に続き現在「荒野の狼」を読破中
ヘッセは、人間が精神生活を大切にすることの尊さを教えてくれる
数少ない作家のひとりだと思う。
ヘッセとロマン・ロランの友情は、本当に素晴らしい。
>>693 国会図書館てw、ネタで言ってんのか?
原書の Steppenwolf が読みたいなら、普通に amazon で注文しろよ。
それとも、まさか国会図書館の職員に聞く気だったのか?
まあ、あそこの職員なら、それくらいすぐに調べる能力はもってるだろうけど。
696 :
吾輩は名無しである:2009/02/22(日) 07:08:37
「ガラス玉遊戯」を読んだ方へ
是非、御感想をお聞かせ下さい。
クローマーはデミアンになにをされたの?
698 :
由希 ◆Yuki.7nbiY :2009/03/09(月) 00:21:14
車輪の下面白かた
699 :
吾輩は名無しである:2009/03/09(月) 22:09:30
春の嵐、再読してますがやはりいいですね
あと、干し草の月、という短編も好きです
700 :
吾輩は名無しである:2009/03/09(月) 23:46:05
郷愁を久しぶりに読んだが、若い頃よりも胸にジンと来たなあ。
ヘッセは疲れた心に優しい。真の清涼剤だ。
702 :
701:2009/03/14(土) 06:53:27
なかなか隠喩に富んだ終わり方でね。
>>698 フフ
40代が読んでも楽しめるヘッセの本てないっすか?
704 :
吾輩は名無しである:2009/03/18(水) 21:12:43
新潮の訳読みにくくない?
705 :
吾輩は名無しである:2009/03/18(水) 21:15:43
誰も指摘してないけどノーベルの受賞作って春の嵐だよ
707 :
吾輩は名無しである:2009/03/18(水) 21:46:39
車輪の下は厨房の頃読んだけど、ただのヘタレにしか思えなかった…
ヘッセって繊細な性格だから、粗暴な奴には分からんかもね。
フフ
709 :
吾輩は名無しである:2009/03/18(水) 22:06:55
>>708 そうかものう
文体も主人公も描写表現も全てこれでもか、これでもか!
というくらい軟弱に思えた
710 :
吾輩は名無しである:2009/03/18(水) 22:09:40
神学校抜け出して詩人になったヘッセの自叙伝だろ。
単なるヘタレにゃ出来ないぞ。
711 :
吾輩は名無しである:2009/03/18(水) 22:10:17
ヘッセは芸術かぶれの俗物。
だがそれがいい。
うるせえ、俺はもう良い。
>>706 他がひどすぎるから、大していい訳でもないのに高橋訳がもてはやされてるのが
現状だな
714 :
吾輩は名無しである:2009/03/18(水) 22:20:23
>>710 自然的なナルシストと言ってもいい
向こうの神学校は厳しいぞ、日本によくある「聖なんちゃら学園」と同じ様に思ったら大間違い
むしろ自衛隊的に規律でガチガチだろう
715 :
吾輩は名無しである:2009/03/18(水) 22:20:55
717 :
吾輩は名無しである:2009/03/18(水) 22:41:36
荒野の狼やガラス玉の脇役の登場人物の自画像とか
ナルシズムで片付く程単純じゃないって。ナチの時代だぞ。
誰もがミッキーマウスを理解する。
ヘルマン・ヘッセをわずかの人が理解する。
ほんのひとにぎりの人がアルベルト・アインシュタインを理解する。
そしてノートン皇帝を理解する者は一人もいない。
ウ
ィ
ル
ス
・
セ
キ
ュ
リ
テ
ィ
が
ど
う
か
し
ま
し
た
か
?
アブラクサス(´・ω・`)
アブラクサスアブラクサス(´・ω・`)
アブラカタブラ?
アブラエクサス?(´・ω;;;.。
724 :
吾輩は名無しである:2009/04/05(日) 14:38:07
>>705 それってただ新潮文庫の紹介のところに、
ノーベル賞受賞とか書いてあるからでしょ。
725 :
吾輩は名無しである:2009/04/05(日) 23:02:54
車輪の下はヘタレ過ぎだろう…
東方への旅?って絶版の全集にしか載ってないのでしょうか?
年表で見たんだけれど検索かけてもうまくでてこなくて・・・
読んだ方いらっしゃいますか?
ヘルマン・ヘッセ全集13(臨川書店)
ISBN4-653-03983-6
に三宅博子訳で収録されている。
ちなみに、アマゾンでも本やタウンにも在庫有りだったよ。
「荒野の狼」と「東方への旅」が収録されているよ。
729 :
726:2009/04/06(月) 23:26:54
>727-728
ありがとうございます!チェックしてみます
>>725 俺もデミアン以前の作品なら車輪の下よりも
郷愁とかラテン語学校生のほうが好き。
731 :
吾輩は名無しである:2009/06/01(月) 09:27:26
車輪の下読みたいんだがどの出版社がいいの?
光文社か新潮社
733 :
吾輩は名無しである:2009/06/01(月) 10:14:00
734 :
ザ・スミス:2009/06/03(水) 00:49:16
今日から『車輪の下』読みますよ!
先日、庭仕事の愉しみを買ってきた。まだパラ見しただけだが。
実篤ww
736 :
吾輩は名無しである:2009/06/03(水) 03:05:44
角川の車輪の下って地雷?
俺はこれが車輪の下だと今まで思っていたのだが
>>736角川って確かタイトルが「車輪の下に」ってなってたようなww
俺は新潮で読んだけどなんかいまいちだったな…まぁデミアン読んだ後だったからかもしれんけど。
個人的にはデミアン以前ならゲルトルートの方が好き。
親友との友情と愛する人への友情、愛情の中で揺れ動き必死にもがく主人公の心情描写がなんともいえない。
738 :
吾輩は名無しである:2009/06/07(日) 02:39:06
新潮の車輪の下は読みにくい
調べてみたら1938年に翻訳されてんだよな
難しい言葉がいっぱいあっていちいち辞書ひかなきゃいけない
中学んとき車輪の下読んで泣いた
ヘッセは自分だと思えるぐらい共感した(´;ω;`)
741 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 01:51:38
車輪の下鬱過ぎワロタ
742 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 03:47:06
こんな学校、こっちから辞めたるわい!
とは言えなかったのである。
その理由は、ハンスが大阪人ではなかったからである。
743 :
吾輩は名無しである:2009/07/05(日) 20:14:37
進学校で落ち零れて三流私大に行った私としては中学時代に読んでおけば、と思わざるを得ない作品であった
744 :
吾輩は名無しである:2009/07/07(火) 17:17:12
個人的な意見だが、
ヘッセは、青春文学だのなんだのと、もて囃されているが、
何処が良いのだかさっぱり分らない。
私にとっては、時間の無駄でしかなかった。
745 :
吾輩は名無しである:2009/07/08(水) 00:33:18
デミアン。10回しか読んでないが、つまらないなこれ。
746 :
吾輩は名無しである:2009/07/11(土) 10:05:38
>>745グノーシス思想とユングを知れば面白くなると思うよ。
車輪の下とか春の嵐読んでから
デミアン→シッダールタ→荒野のおおかみ→知と愛→デミアンの順もいいかも。
車輪の下が面白かったので今デミアンを読んでる。これも面白そうだしハマりそうだ。他にはなに読んだら良いかな?
と思ったら上にそれっぽいことが書いてあるので参考にします
748 :
吾輩は名無しである:2009/07/11(土) 23:40:05
>>746 ネタにマジレス乙(笑) 俺はこんな感じだ
中学時代 車輪の下を読む
…ブランク15年…
28歳 たまたま手にとったシッダールタでヘッセの凄さに気づく
以降、シッダールタ→知と愛→デミアン→荒野のおおかみ…
デミアンで全てつながって、荒野のおおかみでナゾが解ける感じで読めた
749 :
吾輩は名無しである:2009/07/12(日) 07:25:42
>>748いやネタだとわかってたよ。つまらんものを10回も読むはずないしw
750 :
吾輩は名無しである:2009/07/12(日) 07:54:56
クヌルプは太宰の人間失格と通ずるものがあるね
751 :
吾輩は名無しである:2009/07/17(金) 14:38:14
ヘッセはそれだけだと女が妄執の材料にするような平淡さや物足りなさがある
退屈だからデミアン読むならカイン・アベル関連とか他の書籍も探した方がいい気は今日初めて読んで飽きて思った
確かにそういう興味で本を読んでるなら他を読んだほうがいい。
753 :
吾輩は名無しである:2009/07/17(金) 15:29:38
いや純粋に読みたいから買って読むんだけど、つまらん。
基本的に対人関係が閉じ気味なのも要因なのかとか感じるけど
754 :
吾輩は名無しである:2009/07/17(金) 15:38:32
ヘッセを好きな人がヘッセを好きじゃない事を公言する種類の人間に会った場合
『鼻持ちならない』みたいな形容を付けそうな雰囲気のする文を書く作家なんだなと思った
>>751や
>>753は
トルストイの「幼年時代」はドストエフスキーに比べて物足りない、というのと
同じ感じだな、とは思ったね。確かに。
756 :
吾輩は名無しである:2009/07/18(土) 22:12:54
なんだかすごく、ノスタルジックです…
757 :
吾輩は名無しである:2009/07/18(土) 23:54:00
758 :
吾輩は名無しである:2009/07/19(日) 00:00:21
>>757 登場人物の心境の流れ境遇交遊関係結末出会いが退屈で冗長。
視野の狭い箱入り。温い。
この人の場合、人間よりアルプスの山のほうが印象的だから。それがいい。
760 :
吾輩は名無しである:2009/07/19(日) 23:42:53
「荒野のおおかみ」「ガラス玉演戯」はもっと評価されていい
車輪読み終わった
最後機械工として幸せな生活送ってめでたしめでたし
がよかったなぁ…
車輪は、大人にならずに死んでいく悲しさに、やりきれないような妙な快感があってヤヴァい。
荒野のおおかみ読んだ。
ヘッセは真面目で叙情的な作家だと思い込んでたから
ぶっ飛んだ内容にたまげたw
デミアン読み終わった
かなり面白かったがちょっと難しくて消化しきれなかったな…新潮で読んだんで次は別のを読んでみようと思う
765 :
760:2009/07/27(月) 02:15:42
>>763 最晩年の「ガラス玉演戯」(絶版)もっとヤバいよ〜
ヘッセの作品のあらゆる要素が集まっていてしかもボルヘス的な作品。
766 :
吾輩は名無しである:2009/07/29(水) 01:19:34
集英社の車輪の下は年表とか付いてていいな。井上さんの訳はどうかな…
767 :
吾輩は名無しである:2009/07/29(水) 16:37:26
お前らがあんまり高橋訳は駄目だって言うから他の探したんだけどさ、まぁ当たり前だが世の中のヘッセの日本語訳では圧倒的に高橋訳が多いんだよな
768 :
吾輩は名無しである:2009/08/02(日) 16:41:36
個人的にデミアンは駄作だと思うんだよなぁ
それ以降の作品への変換点としては重要なものだと思うけれども。
769 :
吾輩は名無しである:2009/08/02(日) 21:04:10
ヘッセは、筋の展開より人物の内面の動きに重きを置く作家。
その魂の発露を表現するため、話の展開が不自然であったり、極端で大袈裟と思われる心理的・叙情的表現があるのは仕方ない。
よって誰が翻訳しようと日本語という言語に置換した時点である種の不自然を感じるのは不可避である。
それが嫌なら、筋として理解しやすいモームでも読めばよい。
770 :
吾輩は名無しである:2009/08/02(日) 21:18:15
横から割り込みでごめん。
俺は日本語の語彙そのものがあらゆる言語の意味、ニュアンスを
翻訳あんたの表現でいえば置換できるとは思っていない。
でも結果としての翻訳作業がベストであったかどうか完全には置換できないまでも
翻訳者自身や読者が論じるの無意味ではないと思うが・・・
771 :
吾輩は名無しである:2009/08/11(火) 08:10:17
『デミアン』は文庫で読むなら岩波と新潮のどちらがいいですか?
新潮
ヘッセは高橋健二訳でウッドボール(きまり)
高橋健二ですか(笑)おやはや(笑)
774 :
吾輩は名無しである:2009/08/11(火) 21:39:15
775 :
吾輩は名無しである:2009/08/11(火) 23:17:09
>>774その糞コテはスルーしていいよ。
ヘッセは高橋健二でいいんでない?
健二訳しか読んだこと無いけど読みやすいよ。
776 :
吾輩は名無しである:2009/08/15(土) 23:38:49
777 :
由希 ◆YUKI2.V6mk :2009/08/16(日) 01:04:44
777げっとでハンスがエンマを押し倒す
岩波の方が宜しいですよ(笑)高橋健二は駄訳だそうで(笑)というか賞味期限が切れております(笑)
779 :
由希 ◆YUKI2.V6mk :2009/08/16(日) 10:04:57
そうなの?
俺、新潮でしか読んだことない
しかも春の嵐・車輪の下、そしてデミアンが読みかけ
780 :
吾輩は名無しである:2009/08/17(月) 12:16:14
>>778あれだけ読みやすく翻訳されてるのに駄訳?お前読んだことあんのか?
郷愁〜デミアンまでの前期作に限っては語彙、表現が些か古いとこがあって少しばかり読みにくいということなら解るがな。
つーか岩波だと車輪の下とデミアンくらいしか無いんじゃね?
詳しい方、教えてください。
「青春は美わし」という小説(文庫)は、新潮訳しか
見当たらないのですが、高橋氏の訳で繊細な雰囲気が
伝わってくるでしょうか?
因みにヘッセは初めてですが、ありきたり?(失恋もの)
なお話だそうですが、だからこそ描写を堪能したいと、
思っています。
>>781 全集のやつが違う訳じゃなかったっけ?
自分は高橋訳で読んだけどおもしろかったよ。
特に併録されてる「ラテン語学校生」が大好きで、
個人的には前期のヘッセの中で一番だと思う。
高橋訳はヘタなようでうまい。
>>782 情報提供、ありがとうございます!
>>783 本当ですか?読んでよかったら、他の作品もトライしてみます。
シッダールタは詩的というか幻想的というか、なんともいえない美しさがある。
デミアン読み始めた。
まだ、序盤だけどカインの話がいまいち分かりにくい。
頭に入らん
ヘッセの思想はシッダールタで完成してる
物語としてはやっぱ車輪の下が好き
昔、秋山英夫訳のデーミアンを読んで面白かったので、
他の人の訳も読もうと図書館にあるデミアンを何冊か手に取ったけど、
とある活字の大きい文庫本の翻訳がすごかった。
↓うろ覚えだが
「彼は直立の躍動をもった姿勢でこちらに向かって歩いてきた」
↓他の翻訳
「彼は胸をはり、はずんだ足取りでこちらに向かって歩いてきた」
(大学生になった主人公がデミアンに再会するシーン)
ドイツ人は直立して歩くんでしょうが、日本人にはさっぱり解らんだろうと思った。
普通のヒトは直立して歩くだろうが。
790 :
吾輩は名無しである:2009/11/20(金) 20:05:49
Wikipediaに因ると難しいドイツ作家みたいになってるが車輪の下しか読んでなくて実感ありません。
中後期の代表作かつ難解かつオススメの作品を教えて貰えないでしょうか?
お願いします。
791 :
吾輩は名無しである:2009/11/20(金) 20:39:31
知と愛
ガラス玉遊戯
793 :
790:2009/11/20(金) 22:35:45
レス有難うございます。
早速明日図書館に借りに行きます。
794 :
吾輩は名無しである:2009/11/20(金) 22:44:39
「デミアン」はニーチェのツァラトゥストラ=超人思想の影響を多分に受けてると思う。
エーミールがニーチェを賞賛してる場面はさらりとしか出てこないけれども。
第一次世界大戦を契機とした、キリスト教への懐疑・痛罵の果てに生み出された自我探求の書でありながら
ヘッセならではの抒情性がそこかしこに散りばめられているところが、
今も昔も文学愛好家を惹きつけてやまないのではあるまいか。
護る狸さん、こんな読み方で如何でしょうか。
795 :
吾輩は名無しである:2009/11/21(土) 00:00:07
>>791 「知と愛」は、「知と愛」という題名で本棚に並んでいない可能性がある。
よく覚えていないが。
796 :
吾輩は名無しである:2009/11/21(土) 00:01:13
797 :
吾輩は名無しである:2009/11/24(火) 20:28:08
「アイスヴァイン」「凍った豚肉」の意味です。
使う肉は豚の前足のすね肉です。
岩塩だけでつけ込むこと、1週間。塩抜きに2日かけ、温度80−85度の
ブイヨンで6時間ほどゆでます。沸騰させてしまうと、肉の赤身がパサパサに
なり、骨もはずれてしまうので、これくらいの温度と時間が理想的です。
この後、冷蔵庫で、ゆで汁ごと2日間冷やして、味をなじませます。すると、
すね肉と骨からにじみ出たゼラチン質で、煮汁はプリプリに固まっています。
この透明な煮こごりが、あたかも氷のように見えるので、「アイスヴァイン」
の名前が付いたのです。
ところで、すね肉はうま味の塊のような部位です。そのうま味を閉じこめた
ままゆで上げるには、骨付き肉でなければなりません。骨からも、うま味が
にじみ出て、さらにおいしくなります。
薄くスライスしてから、レタスやトマトなどと一緒にフランスパンにはさんで
食べても、そのままサラダ仕立てにしても絶品です。
ちなみに、残ったゆで汁で作るラーメン・スープのおいしいことといったら
ありません。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/recipe/1018417398/
798 :
吾輩は名無しである:2009/11/24(火) 23:03:29
ヘッセの作品にアイスヴァインが出てきたような。。
マンだったかな。
799 :
lane ◆Oz/piFw.Ok :2009/11/28(土) 23:47:14
>>797 なんだか気持ち悪い>アイスウ゛ァイン
煮こごりが嫌いだからからかなあ…
調理の上でも、あまり精肉過程を細かく知らされると美味しくいただけませんね
800 :
理科男 ◆U7hI4IbI.w :2009/11/29(日) 00:09:51
アイスヴァインっていわれるとEisweinのほうを考えてしまうなぁ。
アイスバインのほうがしっくりくる。
ヘッセを前後期に分けるとしたら、やっぱりデミアンが境になるんですかね
801 :
吾輩は名無しである:2009/11/29(日) 05:19:47
>>800 そうね。でも、本質的にヘッセは哲学者じゃない。
やっぱりペーター・カンメンチントや抒情詩における
転向前の作品の方が好きだ。
デミアンは最初と最後が無理やり辻褄を合せてるような
不自然さが鼻について、どうしても好きになれんとよ。
803 :
理科男 ◆U7hI4IbI.w :2009/12/06(日) 01:33:16
>>801 なるほど。
ヘッセの前半の作品って特に哀愁があって良いですよね。
デルトルートも好きかな。
>>802 へ〜、言ってみたいな。行けそうにないけど。
そういえばヘッセを初めて読んだのは確か中学二年生の教科書に載ってた
『少年の日の思い出』だったな。あれ読んで蝶を追いかけた人多そう。
804 :
吾輩は名無しである:2009/12/06(日) 23:31:57
>>803 >>801です。
『少年の日の思い出』って中学の教科書にヘッセが今とは
問題にならないくらい昔から採用されていたみたいなんですけど、
私の学校の教科書には皆無でした。
因みに私は不惑の年を迎えたおっさんです。
805 :
吾輩は名無しである:2009/12/06(日) 23:33:27
『少年の日の思い出』って中学の教科書にヘッセが今とは
問題にならないくらい広く読まれていた頃から採用されていたみたいなんですけど、
私の学校の教科書には皆無でした。
以上のように訂正します。
806 :
吾輩は名無しである:2009/12/07(月) 10:06:10
そうか、つまり君はそういうやつだったんだや
807 :
吾輩は名無しである:2009/12/20(日) 02:35:39
『車輪の下』の主人公ハンスは、半分自殺のようにも思うのですが、いかがでしょう?
流し雛を流す感じ?
ヘッセの身替わりとしてヘッセ自身が殺した。
だから半分他殺。
>>807 意図的にぼかして書いたんじゃないのかな?
散々自己憐憫にまみれた末が自殺ではさすがに感傷的過ぎると思ったのかも。
810 :
理科男 ◆U7hI4IbI.w :2009/12/21(月) 00:32:40
>>804-805 ああいう中学校で勉強する範囲って地域によって様々ですからね。
『車輪の下』は同じ時期に『夏の庭』とか読んだり、
他にも死にまつわる体験がいろいろあったからずいぶん心を揺らされた気がする。
811 :
吾輩は名無しである:2009/12/28(月) 20:44:13
高橋訳ってダメだね
新潮社はそろそろ全作品新約にしろ
812 :
吾輩は名無しである:2009/12/29(火) 20:56:44
「車輪の下」を推薦図書にしてプロパガンダとして利用する教育委員会はカス
結局、「俺達教師や大人の言うことを素直に聞かないと、不幸になって死ぬぞ」
ってことを児童に刷り込みたいだけだろ、糞先公共は
>>812 そういう意味だったの??
権威だったり権力だったり社会通念だったり、そういうものが余りに糞だから「こうやって子供が死んだんだよ」って意味なんじゃないの?
つまり蟹工船みたいに極左が推してるのかと。今こそ社会主義革命が必要だのなんだの
管理教育打破!とかだろう
団塊、日教組が好みそうなお話だ。
確かにあの当時のドイツの管理教育はすごかったらしいけどね。
いずれにしろ大人が自戒のために読む本であって、子供に読ませる本ではないわな。
どこをどう間違えたのやら。
ageとく
817 :
ザ・スミス:2010/01/07(木) 22:50:11
減るもんじゃないでっせ
818 :
吾輩は名無しである:2010/01/10(日) 18:05:17
春の嵐よかった!
青春との別れ、音楽による再生
青春小説って言うけど、青春が遠い彼方に過ぎ去った中年以降に読むと
より実感することが多いんじゃないかな
ハッとする珠玉の言葉の数々はさすが詩人と思った
初ヘッセだったわけだが、次に読むのは何がオススメ?
音楽に関係したのだとより嬉しいです
>>818 >中年以降に読む
『荒野のおおかみ』がおすすめ。音楽も少し出てくる。
ただし、最後は訳が分からないかも、、、
820 :
吾輩は名無しである:2010/01/12(火) 16:59:59
>>819 アマゾンのコメントとか読むと、どれも良さそうでどれから読んだらいいか
迷っちゃったんだ
ありがとう、買ってみるよ
思春期の人に薦めたいのは『デミアン』一択ですが、、、、
音楽と言えば、『ガラス玉遊戯』は全体を音楽の比喩と考えることも出来るのではないでしょうか?
(ヘッセが絶賛したチェリストのフルニエなどは個人的にはいいと思わないので、必ずしもヘッセの音楽観に
賛同はしませんが。)
『春の嵐』はとても読みやすかったのですが、これはヘッセ前期の作品だからでしょうか
『ガラス玉遊戯』は難しそうなので、後にとっておこうかと思うのですが・・・
フルニエ・・・唯一持っているホワイトハウスでの演奏会のCDはイメージは
あまり良くないです
若い時の実演に触れれば印象は違ったんですかね
「ヘルマン・ヘッセと音楽」を読んでいるが、音楽に対する感じ方が自分と
似ていて感激した
特にクライスラーのコンサートの感想といったら!
30女だけど、今デミアン読んで面白いと思った。
思春期に読んでもワケワカメで終わっていたと思う。
精神年齢が低いからかもしれぬ。
何しろ学生時代は文学からはるか遠くかなたを歩んでいたので…
(文学部なのに)
青春惜しいことしたわ。
>>824 デミアン面白い。でも何度読んでもてよくわからん30男。
メタファ小説なのはわかるがしっくりこないところが多数。
ところで『ガラス玉遊戯』って読む価値ありますか?
デミアンかっけーアッー!
常木実訳デーミアン、好きだ
デミアンは、うーん
若いうちに読めば面白かったかも・・・
創価、創価、つまり君はそんなやつなんだな。
So, so, also so einer bist du?
シッダルタに出てくる「いけにえ」って何のこと差してるの?
>831
どこにでてきた?
ここで度々あがってる『車輪の下』だけれど
読むなら新しいヘッセ全集の新訳が断然オススメ。
読んだことないなら、最初はぜひ新訳で。
つまんなくて挫折したなら、それこそ新訳で。
回し者ではないけどw
十数年高橋訳しか知らなかった自分、新訳で読んで天地がひっくり返った。
高橋訳だとワケワカランな所もちゃんと意味が掴める。
まるで現代小説のような瑞々しさだよ。読みやすいよ。
高橋訳は意味不明な部分が割とあるけど、個人的にはあの文体好きです。
いかにもな翻訳調なのに、古風なのがかえっていい味が出てると思った。
シッダルータも新訳のが良かったな
その後に旧訳のを読んだら、あまりにもの薄さに驚いた
デミアンは?
旧訳のどの辺が駄目なの?
単に読者の側の日本語読解能力の低下によるものじゃないの?
旧訳はかいじゅう、逐語的、要するに読みずらい
新訳読んだことないけど、多分理由を挙げればこんなところじゃね
ヘッセ全集ってそんないいの?あれ高いからなあ
>>836 上の方に高橋訳を検討したページが貼られてるよ
840 :
吾輩は名無しである:2010/03/06(土) 10:03:05
高橋はヘッセと知己があったんだが、晩年は養老ホームで
気づかれもしないで亡くなったのな。誰かがふと思いついて
確認取ったら、最近、亡くなりましたって。
そんな90年代で下
842 :
吾輩は名無しである:2010/03/06(土) 10:56:23
>>794 逆でないか? ヘッセも第一次大戦後のロスト・ジェネレーションで
進歩主義の世界喪失を経てるだろ。
843 :
吾輩は名無しである:2010/03/21(日) 02:49:36
ヘッセ作品を本気で好むような人は
自分の気持ちに素直な人で、付き合っていくには少々めんどくさい人だ
血液型占いなみの思考回路ですねw
日本の知識人てのは、宗教的な無理解から、近代進歩主義の
直線的な時間意識をキリスト教特有のものと見なしちまったり
するような、西洋についてひっくり返った見方することはあるね。
846 :
吾輩は名無しである:2010/04/12(月) 11:37:01
>>315 釈迦はもとは私達と同じ煩悩イッパイの人間で、悟りを得た結果、仏陀になったんだよね。
物語では人間と仏教を描きたい。しかし仏陀のそのまんまの伝記では、人間の物語としては意味がない。
そこで仏陀とは別人とされた「シッダールタ」の彷徨を描くことで、釈迦は特別な聖人ではない、迷える「人間・シッダールタ」はあなたであり、またこの世にたくさんいるであろう苦悩する人たちなのだ
といいたかったのではないかな〜とまあ、勝手に解釈してます。
847 :
吾輩は名無しである:2010/04/12(月) 16:28:24
>>369 他人の解釈にいちいち突っ込むのやめたら?読者としてみっともないと思う。
急に2008年のレスにアンカー出されてモナー
ヘッセ全集高すぎじゃね?
文庫化しろよ
>>851 才能あるんじゃないかな
ヘッセのファンからすれば趣味が外れるかもしれないが
853 :
吾輩は名無しである:2010/05/23(日) 21:32:51
ずっとドストエフスキーを読んでいて最近、車輪の下読み始めたんだが
風景描写がわかりずらいというかイメージしずらくない?
イメージしづらいって言うか
ヘッセの場合は書いてある事に
耳を澄まして読んだ方がいいと俺は思う。
そしたら勝手にイメージされる。
文体が違う。
カミュとフォークナーもそんな読み方したらよく読める文体だった。
センテンスがそっけないからかな。
フォークナーはそんなことないけど。
ここに上げた作家はイメージしながら読もうとしたら
詰まる。
シッダールタおもしろい
車輪の下もおもしろかった。
車輪の下は最初読んだ時は素人臭い思った
最初は、でも、ノーベル賞取って精神病だった
ヘッセが書いたってんで、無理して感動しようとしてた。
カミュもそうだった。
何か文体が変わってるみたいだな。
分からないけど、ヘッセとかカミュは
人の話聞いてたら勝手にイメージになってその情景が浮かんだりする。
けど、あんな書き方してるような気がする。
だから耳澄ましてたら、読める(俺は)
ドストエフスキーとかは、イメージしてたら読めるな。
耳で聞く文体と
目で見るような文体の二種類があるような気がする。
どっちもイメージはイメージだが。
851が凄すぎて吹いた
ヘッセより上だろう
ドストエフスキーの死の家の記録とか
カフカの変身や
マルケスの文体がイメージしながら読んだほうが読める文体だった。
訳者の問題かなあ。
まだそんなに読んでないけど。
カフカの審判は聞く文体のような感じする。
まるっきし夢判断の患者みたいな感じだ。
変身は、こういう描写じゃなかった
俺の読んでる審判と変身は
訳者違うな。
ほとんど訳者の問題じゃないのかなぁ。
高橋訳は良くも悪しくも逐語訳なんだよね。日本語のリズムとか
全くお構いなしで、ひたすら淡々と訳してる感じ。
形容句の単調な羅列や、「‥いた」「‥いた」「‥いた」の連続が
読み進めているうちにボディーブローのように利いてくるw
以下、第二章の冒頭あたりの比較。
■高橋健二訳(新潮文庫・改版1965)
[‥‥]小さい町のまわりには枯れ草や刈りたての草のにおいがただよってい
た。細長い麦畑は黄色く金褐色になった。あちこちの小川のほとりには、白い花の咲くドクゼリ
のような草が、人の背ほども高く茂っていた。その花はかさのような格好で、小さい甲虫がたえ
ずいっぱいたかっていた。その中空の茎を切ると、大小の笛ができた。森のはずれには、柔らか
い毛のある、黄色い花の咲く、堂々としたビロウドマウズイカが長くきらびやかに並んでいた。
ミソハギとアカバナ属が、すらりとした強い葉の上でゆれながら、谷の斜面を一面に紫紅色にお
おうていた。モミの木の下には、高くそそり立つ赤いジギタリスが厳粛に美しく異様にはえてい
た。その根生葉には銀色の柔らかい毛があって幅が広く、茎が強く、蕚上花は上のほうに並んで
いて美しい紅色だった。そのそばにさまざまの種類のキノコがはえていた。
■岩淵達治訳(旺文社文庫・初版1966)
[‥‥] 町をめぐって干し草や二番刈りの草の山の香がただよい、あ
ちこちの穀物畑の細い帯は黄金色に変わり、小川のほとりでは白い花をつけたドクゼリに似た草が
人の背たけほども生い茂っていた。この花は傘のような形をしていていつもテントウムシがいっぱ
い群がっていた。なかに穴の通っているこの茎を切って草笛や呼子笛を作ることができる。森の縁
をはなやかに色どる連なりは、綿毛のような黄色い花をつけた王者のようなビロウドモウズイカで
ある。ミソハギとヤナギランが細くしなやかで強い茎の上でゆれ、斜面を一面に赤紫色でおおって
いた。森の中の樅の木の下に、異様な感じを与えながら美しくいかめしく一本の赤いジキタリス
が、銀色の綿毛の密生したひろい根生葉の間からぬっと突き出していた。茎は丈夫で、茎の上のほ
うに美しい赤色の蕚状花が一列に並んでいた。そのそばに、いろいろな茸が生えている。
862 :
吾輩は名無しである:2010/05/24(月) 03:27:05
2ちゃんねるに作品を張っちゃだめだよ
クヌルプ読んでみろよ。
高橋訳だろうがなんだろうが読みやすいから
高橋訳が多分一番いいんじゃね。
865 :
吾輩は名無しである:2010/05/24(月) 21:45:43
車の下にでてくるあらゆるたとえが回りくどく、うっとおしく、わかりずらく、
かといって見事でもない無駄なものに思えるのは俺だけか?
なんでも例えればいいというものでもない気がする
866 :
吾輩は名無しである:2010/05/24(月) 22:00:16
867 :
吾輩は名無しである:2010/06/10(木) 22:06:16
ヘッセとoasisに似た思想を感じる
oasisは「 I need to be myself 」という歌詞でデビューして、
ずっとそのスタンスだし
それにヘッセもリアムも丸めがねだし
oasis嫌いな人はすみませ〜ん
868 :
吾輩は名無しである:2010/06/27(日) 14:05:18
最近になってヘッセを読み漁っているんだが、どこの本屋へ行っても車輪の下だけは必ず置いてあるのな。
でも、車輪の下は昔読んだので買うつもりは無い。
先日、ブックオフでヘッセ棚を観に行ったら、車輪の下ばかり4冊も並んでいた。
ボーっとしていたんだと思う。
何で車輪の下ばかり?上巻は無いのか?って考えてしまった。
60点。
870 :
吾輩は名無しである:2010/06/27(日) 20:17:04
臨川書店のエッセイ全集、第4巻の後が出てこない。
871 :
吾輩は名無しである:2010/06/27(日) 21:53:38
「デミアン」は傑作だね。いじめられっ子の心を癒すバイブルだね。
>>870 そのうち出るだろうから首を長くして待て。
全集ってだいたいがそういうのが多いよね。
873 :
吾輩は名無しである:2010/06/28(月) 14:52:11
あのお
そうすると『車輪の上』
てことになりますよね?
それで小説書いてみますか?
ガラス玉演戯を読むのにオススメってある?
新潮文庫の古本探してたけど、あきらめた。
876 :
吾輩は名無しである:2010/08/10(火) 02:54:12
ヘッセは詩集とかエッセイもいいですな
シャープな鼻に丸眼鏡のルックスも味があってダンディー
ちょっとジョンレノンに似てるかも
高橋訳のガラス玉はtxtデータで売ってたんだな。
青空文庫リーダーに突っ込んで読んだら快適。
上下それぞれ735円は少々高い気もするが。
このヘッセやトーマス・マンなどは、第二次世界大戦前に政治的理由から第三国に亡命したのだが、
ほぼ同世代の作家、ハンス・カロッサは亡命せず、ナチスドイツに留まりました。
このカロッサという作家は、現代日本ではもうすっかり忘れられていますが、私は、作家の故三浦綾子さんの
エッセイを読んでいて、この作家の名前を知りました。
カロッサ、医師でもあったのですが、いろいろ調べてみると、患者を見捨てては亡命出来ない、とも
語っていたようでした。
このカロッサ、現代ドイツではどのように評価・位置づけされているのでしょうか?
シッダールタ
情景がパッパッと広がりそうな
ポエムみたいね。
インド哲学とか仏教に興味あったから
おもしろかった。というかわかりよかった。
しかし文学慣れしていないため、次は何を読もうか思案中。
くじけるとやる気なくしそうなもんで、、
デミアンはおもしろいと思ったけど、
なんだか神秘主義的というか魔術的な匂いがして
途中でやめてしまった。読み方が浅かったかもしれないけど。