2 :
吾輩は名無しである:2007/10/02(火) 02:44:51
2
3 :
吾輩は名無しである:2007/10/02(火) 19:32:27
3
4 :
吾輩は名無しである:2007/10/02(火) 21:10:36
ようこそメンソーレ
5 :
吾輩は名無しである:2007/10/03(水) 17:22:18
評論集って一冊いくらくらいになるかね。
断酒してお金ためているんだけど。
五千円はするかと。
文藝春秋版を持ってる人は買う必要なしですか?
>>7 問題は、文春版全集その他に収録されていなかった論文が
どれだけ入るかでしょう。文春版全集は「保守派論客・福田
恆存」が自分の仕事として後世に残す目的で編んだ面もある。
特に敗戦後まもなくに書いた文章は、初出→初収録→全集と
いう流れで、異同を吟味する必要があるよ。平野謙は戦後に
なって、戦前戦中の文章に手を入れて江藤淳に叩かれたけど、
それで言うなら、福田は敗戦直後から昭和30年代前半の自分の
文章に手を入れた人だった。
それと、脳梗塞に苦しみながら書いた全集の「覚書」、評論とは
いえないかもしれないが、麗澤から出る新しい評論集には入れて
ほしいな。
>>7 文春の全集は捨てない方がいい。新しい評論集には戯曲が入っていない。
文春の全集は、同じく文春から出た翻訳全集とあわせて、福田の全貌を
示すものといっていい。麗澤の評論集、強いて買う必要はないのでは。
全十三巻で、総額いくらになるの?
11 :
吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 20:51:31
麗澤版はもう評論限定で決まりなの?
十三巻もあるなら実質全集になるのかと思った。
戯曲も収録されるのか? なら「全集」と銘打って然るべきだろう。
評論限定でしょ。
今頃、翻訳だの戯曲をいれるとはおもえない。
劇作家としての評価は駄目駄目ってこと?
恒存っていったら、新仮名遣いに反対した保守論客としてのイメージが第一で
第二がシェイクスピアの翻訳の人
劇作家っていうイメージ無いもんな
筒井康隆が、面白いって言ってたけど
基地外の荒らしが来たスレは
「キティ颱風、キター!」と書けばいい
キティ颱風といえば、去年亡くなった岸田今日子の初舞台作品なんだな。
もっとも岸田は芥川のほうに行っちゃったけど。
アンチ杉村春子ってこと?
国士と杉村は関係良好だったの?
18 :
吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 07:32:09
.
いやいや、別に劇作家として悪いといいたいわけじゃないよ。
ただ福田逸が親父を語るのをみてると、今もとめられているものは評論なんだろうな、
と思ったのさ。
さてさて、闇黒日記の彼はどうするのかな。
あれほど軽薄な口吻を文でみせられると辟易するものだ。
松原正は福田のエピゴーネンと西尾に評されたが私淑も親炙も質が低い。
自分からは何もしないが人のことを詰るのに慣れた奴は許せんな。
しかし奴の日記の面白いところは批難精神旺盛なヲタクよろしく
彼自身もヲタクであることだ。この表裏に気持ち悪さを覚えるよ。
松原先生も泣いてるよ。
ところで前スレでいろいろ言われていたnだったが、
やっぱり木村のHPに出入りしてたわw
予想通りでわらいがとまらん。
21 :
吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 15:36:59
十三巻もあって評論だけなら一冊一冊は薄めで安いのかな?
22 :
吾輩は名無しである:2007/10/08(月) 17:11:34
ようやく、全集を入手したのだが、評論集がでるのか。
>>19 >私淑も親炙も質が低い
鋭いご指摘ですね。弟子筋の中では一番つきあいが長いのかもしれませんが、
師匠に比べると、明らかに人間の格が低いのが分かります。
それと、全集は文春サイドがファンには行き渡ったとみなして、絶版扱いに
しました。御子息にしてみれば父親の文章を、別の形で若い読者、新しい読者
に読んでほしかったから麗澤から新しい評論集を出すのでしょう。「近代の宿
命」とか「一匹と九十九匹と」とか「当用憲法論」とか、主要な論文は全部
全集に収録されているから、全集を持っている人はそれを活用すれば問題ない
はずです。
新しい評論集に収録される未発表論文は、それこそ評購買意欲を刺激するため
のプレミアムみたいなものです。
評論集って前のは二段組だったかな。
今回はそうではなくて、文字も少しばかり大きくするだろう。
なんにしても小粒の字は近頃読めなくなって苦しいし、
日本語の美しさも感じられないからやめてほしかったのだが、
このごろ出版社は若年層への配慮ゆえに大活字になってきたから都合がいい。
25 :
吾輩は名無しである:2007/10/09(火) 17:13:13
評論集、『正論』で出すと言う予告をしていたと逸ブログにあったけど見た人いる?
これといった情報あった?
>>25 巻頭のグラビアのキャプションで「出す」と書いてあっただけ。特にめぼしい
情報はなかったよ。
松原もその弟子も福田に集り、あがめることでしか自分を存在させることができなかった。
盲目というのは怖い物だ。己の足場ですら不安定なものへ変えてしまう。
松原はまだ福田を客観的にみている。しかし彼のエピゴーネンたちは
福田や松原に乗っかって威張っているだけ。学ぶことは何もない。
>>28 PR乙。いつCD化されるか分からんが、高値で落札されればいいね。
特に痴愚なのはネット上での松原信者か。
俺も以前はしらなかつたのだが、HPをみるとゾゥつとしたよ。
あの誤読による断定的な非議、あれにはたへられない。
吐き気がした。ネットで彼らについて一時期さがれた理由も分かる。
>>30 何で松原さんは彼らを窘めないんだろうね?
まさか彼らの活動を賞賛してるわけでも無いだろうに。
>>32 他人の発言は苛烈に論うくせに、自分たちのミスについては具体的な説明は
なし。それどころか「玉大の責任はどうなのだ」などと責任転嫁してる奴もいた。
「国語問題論争史」復刻をめぐる一件は、彼らの正体を暴露した出来事だった。
あんなのがゐるから、旧字も旧かなも説得力がなくなつてしまふのだ。
36 :
吾輩は名無しである:2007/10/12(金) 20:45:25
刊行予定の「評論全集」の編集・構成はテーマ別?それとも編年体?
テーマ別の方がありがたいな。
特に、国語国字問題に関する文章は断簡零墨までも纏めて収録して、一緒に
読めるようにして欲しい。
>>35 彼らは旧字旧仮名の脱構築を図ってんだよ、きっと。
こいつのロレンス翻訳は酷いな
奴らにそんな頭は無いと思ふけれどなあ。
いまだに福田恒存を衣鉢を継いだ、というよりそのまんまの松原から孫引きしてゐるだけで、
独自性は何一つ無い。それで学者を蔑みするわけだから、
相当だな、連中は。
40 :
吾輩は名無しである:2007/10/14(日) 00:32:53
>>31 CD化は無いんじゃないかねえ。
なんせ、すでに評論すら、文春も新潮もまともに出さない状態で、
マイナー大学からようやく出るようでは期待できないな。
おれは近所の図書館のカセットをダビング(古)してあるからいいけど。
かうしてみると、福田つて大したことがなかつたのかね。
あの時期だけの人だつたのかもしれない。小林秀雄なんて全集を二種類も出されて、
講演もCD化されてゐるのに。
大したことなかった、ということはなかったのでは。
ただ、出版社から編纂を依頼された人が福田の文章を教科書に入れようと
すると、左翼の教員に使われなくなるから、出版社がいやがったという
くらいだから、おかしな偏見で損をしている部分が大きかったのではないかな。
小林秀雄はある意味幸福だった。時事問題は福田や江藤淳にまかせて自分は
ゴッホや宣長を好きなように論じていられたのだから。逆に、名前ばかり大きく
なって過大評価されている部分も少なくないのでは。
確かに教科書に載らないと言うことは大きいかもしれない。
三島由紀夫も殆どのせられていないだろ。
あの人もかわいさうな人だ。保守の中だけで生きてゐる福田はもつとかわいさうだが。
それにしても知名度がないなあ。
上二行の仮名遣ひは訂正しておいて。
最初は現かなでかくつもりだつた。
このスレ、福田についていろんな見方があるんだというのが分かって、
読んでいて面白いです。今までだと、半分自慢、半分罵倒みたいな、
上から目線の嫌らしいカキコが多かったから。もっといろいろ勉強
させてください。
もつともみんな福田恒存のことを幾分か忘れてゐる部分があるぢやないか。
俺自身も、其れほど知つてゐるわけではないし、全集ももつてはゐない。
十一月に全集が出版せられてからほんたうの福田についての論議が始まると期待してゐるよ。
互に意見を交換しあはうぢやないか。
来月に出るっていうなのにそれほど騒がれず情報もでてこないっていうのはちょっとがっかりですね。
いったいどんな体裁になるのか、新規を開拓できそうなものなのか…。
十三巻に分けるっていうんだったらテーマ別で一冊一冊が手にしやすいものが良いですね。
御子息は、父上の仕事の本領が国語問題にあったことをご存じでしょう。
テーマ別になるなら、国語国字関係は複数冊になるのかなと思う。
そろそろ詳細がほしいところだね
そして「後天性野嵜健秀症候群」患者が増殖しましたとさ。
>>50 それはもういいよ。今度のスレがいい雰囲気なのは、そいつとその仲間が
しゃしゃり出てきていないからだろう。あんな奴らといっしょにしないでくれ。
そういう書き込みは隔離スレでやってほしい。
全くだ。
それに奴らは福田の信者というよりは偏狭な松原の信者で薄気味悪い。
連中とは違うよ。
あいつらは左翼だからね。
文化観も歴史観もさうなのであるが、本人たちには自覚がない。
自分たちこそは保守とおもつてゐる痛々しい連中だ。
ところで『蒲団』の解説を福田が書いているけれど、
このさつさつとした書き方は何を意味しているんだろうね。
おざなりに書いたのかね。
>>54 若書きであると同時に、花袋を作家以前の人とみなしていたためでは。
三島や吉田健一の作品には、いい解説を書いているけどね。
やはり自然主義文学の始まりとしてしか評価しなかったのだろうか。
いや、それほど異論はないのだが、やけにさっぱりした解説だと思ってね。
>>53 彼らの言ふ「保守」とはリバタリアニズムのことを指す。
リバタリアニズムつてどうかんがへても保守にはなれないよなあ。
市場原理主義は社会主義を敵とみなす点では保守主義と同類ではあるが、
成因はその市場原理を否定するものだから、明らかに一線を劃してゐる。
松原とかは何を思ひ違ひしてゐるんだ。
だから、ここは福田恆存のスレでしょうに。
隔離スレでやってくれよ、そんな連中の話は!
60 :
吾輩は名無しである:2007/10/22(月) 02:10:29
ネタがないんだから仕方がない。
それに福田がどのやうに理解されてゐたのかも一つの詮議にはなる。
61 :
吾輩は名無しである:2007/10/22(月) 02:39:41
福田逸氏は全然情報を出してくれないな。
せっかくブログやっているなら逐次報告してくれたっていいのに。
勝ちに乗じる、というのとは違うかもしれんが、ネットで福田恆存を
論じている連中は多い。だけど大半はただ福田に乗っかって、ただ福田の
主張を追認して威張っているだけだ。前田嘉則のブログ、尊敬の念が強い
のは分かるが、追認追認また追認の連続であまり学ぶところはない。
それだけ確かなことをいつてゐたといふことなんだらうが、
隅々まで納得してしまふことはをかしいんだなあ。
人間はある人と同一にはなれないからね。
>>62 自分で自分を「●●びいき」という奴は批評家失格。
それこそ若い頃の福田が批判した「主人持ち」だろう。
>>63 御説に同感です。しかし「同一になれる」と信じている人間痛が多すぎ。
福田逸はもしかするとあまり気が乗らないのかもしれんね。
どうも痛苦を得ているやうにおもへる。
それも声を呑んでゐるから、我々には分からんが。
何はともあれ恒存の文で解頤できることを楽しみにしてゐるよ。
近来は春蛙秋蝉が多くなつて読書で怡ぶこともなくなつた。
正宗白鳥みたいなのが現代に欲しいなあ。
故人の業績を誇りに思う作家の遺族は、当然ながら多い。
でも、その父親の作品を著作集にまとめることができるなんて、
逸氏は幸運な人だ。普通ならそうはいかない。特に、鎌倉文士の
遺族に、父親の業績を広く知られたがっている人が多いのは、
何だか面白い。
67 :
28:2007/10/23(火) 00:34:18
2chは広告の場じゃない 死ねカス
>>68 28を擁護するわけじゃないけど、一概に広告を否定しなくてもいいと思う。
例えば、『否定の精神』がオークションにでているという情報だとかはかなりありがたい。
このカセットブックも表紙を初めてみたよ。図書館にあるやつは帯がなかったりするし。
まあね。俺も初めて見たよ。
全集の説明はまだかなあ。
持ってる人は持ってるよな。俺も「平衡感覚」とか「否定の精神」の
表紙を見た時は少なからず感動した。「平衡感覚」の装丁は岡本太郎
かな。何だか福田の本らしからぬ、前衛的な装丁だった。
73 :
吾輩は名無しである:2007/10/23(火) 21:09:22
友人の家で読んだ「私の演劇白書」という本がほしいのですが、
アマゾンでは高すぎで買う気がしません。
この本は、福田恒存全集に入ってますか?
75 :
吾輩は名無しである:2007/10/27(土) 23:20:08
やっと詳細が来そうだ。逸ブログによれば来月の『正論』に宣伝が載るって。
どうも更新ないと思ってたら体調不良だったんだね。
さうか、さうか。
「否定の精神」って福田恆存自身が好きじゃなかったから全集に収録されなかったんですか?
>>77 「が、いづれにせよ、そんな調子で小意地の悪い眼に都合よく他人や自分を
仕立て上げたこの仕事は、金の都合で本にしたものゝ、すぐあとで後悔の種
となりはじめた。そんなわけで年譜にも載せなかつたのだが、かうして各巻
ごとに解説を書いていつてみると、やはりこの書の存在を無視するわけにい
かなくなつたのである。(後略)
私は戯曲を書き、小説を書き、『否定の精神』のやうなものを書いたので
ある。そのうち、『否定の精神』がもつとも直接的な自己批評となつてゐる。
だから私はそれを好まぬ。もつとも直接的な自己批評であるがゆゑに、も
つとも自己を露出してゐるからではない。もつとも直接的な自己批評であつ
たために、そこでは眞に私の自己が語られてもゐず、眞に批評されてもゐな
いのである。(後略)」
新潮社の『福田恆存著作集』第4巻の「解説」から。『否定の精神』は読み
やすい短文が数多く収録された本だから、文庫化されたらおそらく福田の代
表作になつてしまう予感がする。著者が嫌った本が愛読者のコレクターズア
イテムになってしまうなんて、死んだ福田もあの世で苦笑しているのでは。
誰か、正論は読んだのか。
いま読んできた。福田逸が言うには手に取りやすくするために正字正仮名は残すがソフトカバーにして値段を落とすって言っていた。値段が落ちるんなら俺でも買えるかも。
三千円ぐらいになるのかな。
発売日はかいてあったかい。
>>81 11月、としか書いていなかったな。発売期間に関してもブログで書いてあったことと変わりはない。
あとはいま三巻の校正をやっている、ということしか新しい情報はないと思う。
なにやら不穏な空気が。
84 :
吾輩は名無しである:2007/11/02(金) 18:52:26
あと年代別になるようだ。俺はテーマ別がよかった。残念。
それにしても本当に今月出るのかな。
年代別かあ。俺はその方がいいから吉報だな。
朝刊で広告が出てた
平成19年11月下旬刊行開始!(以降隔月刊)
福田恆存評論集 全12巻+別巻1巻
第八巻 教育の普及は浮薄の普及なり(第1回配本)
四六判/軽フランス装/定価2940円
おお、ついに広告が載せられたか。
やはり三千円程度になったね。
別巻の内容は?
@あくまで参考資料という扱いで『否定の精神』。
A関係者による福田恆存論または福田の人間像を伝えるエッセーの集成。
B福田恆存の後継者を自任する男の自慢&罵倒満載の古本購入日記。
Bならいらないなw
御子息もあのやうな男の手は借りまい。
別巻はAになりさう。『否定の精神』はやはり入れられないんぢやないかしら。
煩多な作業だが、頑張つてもらひたいな。
別巻か。思いついたことを適当に語るならば『否定の精神』とか対談とか小説とかのような今まで全集未収録だったものか、他者のエッセーや福田恆存論、そうでなければ書簡や書誌のような資料になるんじゃないだろうか。
福田恆存論が収録されるのであれば是々非々で書ける人に書いてもらいたい。今ある福田恆存論は激賞ばかりでつまらない。欠点らしい欠点がない人間だと言われればそれまでなのかもしれないが。
みんな福田の信徒に詳しすぎ。
>>91 >欠点らしい欠点がない人間
そんなはずはないだろう。御説にはほぼ同意するが、劇団「雲」を結成する
時や「雲」が分裂した時のことを、心あるジャーナリストに詳しく調べてま
とめてもらいたいね。村松英子が回想録を出したけど、そこにも福田の策士
的な言動は書かれていたぞ。兄の村松剛が書いた三島伝の、三島と福田の確
執の部分の補遺のようで、実に面白かった。「雲」を出た人でも、残って
「昴」まで在籍した人でもいいから、そろそろあの当時のことを正直に書い
てもらいたい。あれだけの業績を残しながら、文化功労者にも文化勲章受章
者にもなれなかったのは、ファンとして悔しいけど、それにも当然理由はあ
るだろうし。
中
95 :
91:2007/11/04(日) 13:03:54
>>94 誤解のある言い方をしてしまった。
「(福田恆存論を書いている当人に、福田恆存は)『欠点らしい欠点がない人間だ』と言われればそれまで(=つまりその人にはもう是々非々で論じてくれと言っても無理)なのかもしれないが。」と言いたかった。
わたし自身も福田が欠点のない人間だとは思っていない。だからこそ福田を教祖のようにあがめることの多い今までの福田恆存論から脱した人に書いてもらいたい、と言いたかった。
96 :
91:2007/11/04(日) 13:06:58
>>95 めったに文章を書かずにやると非道いミスをするもんだ……。
「福田恆存論を書いている人に『福田恆存は欠点らしい欠点がない人間だ』と言われればそれまで(=つまりその人にはもう是々非々で論じてくれと言っても無理)なのかもしれないが。」と言いたかった。
文章の欠陥を治すためにさらに欠陥を作っていては意味がない。
>>95 91です。ご丁寧なレスに深謝します。本当に禿胴ですよ。
御説の通りです。追認してるだけのくせに、さも自分の手柄みたいに
威張る連中には反吐が出る思いがする。
>>95 97です。文中の「91」は「94」の誤りです。91は貴殿の番号でした。
お詫びして訂正いたします。
わけわからん。
従来の全集や著作集に未収録の文章は、それほど入らないだろう。
昭和が終わった時の文章や談話も、できれば入れてほしいけど、無理
なのかな。「否定の精神」も難しいだろうな。
何だか文春の全集持ってれば問題ない感じだな。
てか、戯曲や覚書もついてるんだから、文春の全集の方がいいな。
>>101 持ってない人のための評論集だろうが。
もしかして貴兄はT書店で古本漁りしてるアニオタさんですか?
二段組でなければいいよ。
もっと読みやすくなればそれだけ俺にとっては有益だ。
>>101のような松原周辺の人間は福田恆存を専売特許にしたいから、福田逸氏が評論集を
出すのが気にくわないんだろう。
おそらく松原周辺の人間が福田逸氏に対して壮絶な叩きを仕掛けてくるかもしれん。
といふよりは既に逸氏はきらはれてゐるだらうな。
彼は米国に対して親父よか警戒してゐる。
松原信者は欧米に逆らふものを思想の違背とみなしてやまない。
病的な心理をもった連中だからなあ。
なんら犀利な文も書けぬし、意表な行為にもでられないくせに
態度だけはでかい。福田の威を借る狐だ。
逸氏こそ彼らを内心嫌っているだろう。論壇の亀田一家みたいなもの。
だけどそろそろ、連中の話題はやめませんか。スレが汚れる感じがするから。
さうね。
何はともあれ、本が出てくれることは良いことだ。
御本人降臨!!!
新しい評論集、初出異同等まで詳しく校訂してくれるのかな。
だから、文春版全集で十分だと言つてゐるではないか!
貴様等が福田恆存を云々するなど百年早いわ、この痴れ者どもが!
福田逸氏のブログ、俳優の演技について面白いことを言ってる。
しかし、ならば劇団「昴」の役者たちはどうだったのか。そのあたりも
きちんと書いてほしいな。
福田逸先生は御父上よりも思想がひねくれていないというか、わかりやすい。
言わば大衆向け。それが良いか悪いかは別問題。
個人的には逸先生には逸先生の味があって良いと思う。
基本的な思想は御父上と変わらないけど、反米という点で異なる。
親米の多い保守論壇においては貴重な存在かも。(最近は増えてきたけども)
すくなくとも人の悪口ばかり言う松原周辺の人々よりもずっと好感が持てる。
確かに筆致が素直だよね。
保守論壇って冷戦脳の持主が多いから親米が多いのも無理無い話。
>>114 >すくなくとも人の悪口ばかり言う松原周辺の人々よりもずっと好感が持てる。
同感です。反米というより、アメリカに対して是々非々たれということでしょ
う。戦後60年も経っているのだから、ある意味当然の動きだと思われるけど。
しかしなんであんなに親米が増えてしまったんだろうね。
冷戦のなかでソ連に恐怖したためなのかな。
西部氏はアメリカを左翼と見ているから、ソ連との内ゲバと称していたな。
寄らば大樹の陰。
そもそも保守ってのは所詮はただの処世術。間違ってもあんなもの、
思想の名に値するものではない。
歴史上一貫して、マジョリティの権利を拡張してきたのはリベラリズム。
保守が守り保つものとは常に、現状で旨い汁を吸っている連中の、
その利益をだけ。実に、実に醜くも薄汚い、姑息な連中を指し示す言葉、
それが保守。
だいたい、戦後日本でブイブイ言わせてた所謂大物右翼なんて軒並み、
アメリカに利用され、また逆に利用してのし上がった屑ばかりでしょうよw
てか単にリベラリズムと云ってしまうと御幣があるかな、
人権意識。ひとそのものこそが、なにより大切だと考える
そんなこころの持ち様。
御幣× 語弊○
というよりも日本においての保守が飾りなだけであって、
実際には存在する思想だと思うね。
現状維持を望むのは何も保守思想の持ち主だけではない。
一般的に人は誰でも道中が平らかであることを望むだろう。
安定した生活は人の夢だ。
そう考えてみるとリベラリズムなんてのは軽薄な子供の思想にみえてくる。
現実を忌避するがあまり、反撥で物事を壊して、脱しようとするわけだからね。
>歴史上一貫して、マジョリティの権利を拡張してきたのはリベラリズム
この部分への反論を聞きたいね、出来るのなら。
今を生きる我々が、日々5割6割の税金を取られたりはしないのは何故か。
何故私やあなたに、選挙権があるのか。それになにより、言論の自由。
別にリベラリズムの思想があったから、言論の自由とやらがあるわけではない。
我々が喋ることのできる人間だから言論が生まれただけだ。
リベラリズムという奴は人間の自然的な行動を理論として定義しただけだ。
この思想で以って活動したわけではない。
戦後を問わず公式主義者が理論のみで行動をしたことは知っている。
けれども、このスレの住人でそれを讃える奴がどれだけいるのか。
俺は言論的な活動をしたことがない。
不自由というのが何かと云われれば実に困る。
俺は言論人ではないから、別に言論が不自由であろうが一向に困らない。
規制がなければ国は乱れると考える。放縦な言論が飛び交うなら規制されていたほうがいい。
寧ろ別のことで不自由を感じる。なぜ、体が人一倍弱いのか。
これは不自由に感ずる。選挙権があったから、何なのだろう。俺は健康な体が欲しい。
日本人で選挙権を欲しがる人がどれだけいるのか。半分も選挙に行かない連中だらけではないか。
昔の人もそう。冷蔵庫がなければ困るのは今の人間だから。
言論の自由がなくて困るのも言論で飯を食っている人間だから。
税金が高かろうが安かろうが、どうせ人間は不都合なことだらけ。
特別困ることはないね。別のことで悩みだすのがオチ。
ただ自由があれば満足できるのだろうか。リベラリズムは人を幸せにするか?
その自由とやらは観念的なものであって、普通の人が望んでいないことを
ぶち壊すしては混乱を招来する。
世俗的なものだらけで、魂まで腐りきったのはどこの国民だろう。
ここは福田恒存スレ。ここにいる俺はそういう思想。
但し福田よりももっと保守的。
リベラリズムが日本国を淫らにさせたと思う人間だ。
そういう意味では完全に公式として扱われるリベラリズムよりも
君の言う保守の方がやはり俺が好むものなのだろうね。
確かに保守は思想ではないのかもしれない。もっと純粋なものだ。
併しながら其処には規矩準縄がある。箍に嵌っていないわけではない。
公式と純粋との間に正統な人の行為が生まれると考えているよ。
この中間にあるもの、それが保守なんだろうな。
>>124-126 それをつまりは他者性の欠如と云うのでは? 自分のことだけ〜
そして皆が皆そうであれば、異なる利害を調整する手段としては最終的
にはもう戦争しかなくなっちゃう訳だ、ひとの歴史というものを鑑みる限り。
んで…、ひとたび戦争が始まってしまえば、最も苦しい思いをするのは一体
誰なんだろうね? 例えばそれはひとよりも体の弱い者であったり、女性や
子供、老人等がそうなのではないだろうか。
またその「弱さ」とは何も、身体面だけではなくて。…日頃はやれ国家だ
民族だと、なにがしかの権威とやらに縋りついてはようやっとかりそめの
人心地を得る様なこころ弱き者たちこそ真っ先に、俺は戦争、戦争指導者
たちの食い物にされるのだろうと思う、ある種の戦争加害者たちもそれはそれ、
戦争なるものの犠牲者と云えば、云える訳だし。――とそれこそ極端なことを
云えばだが、精神病患者や知的障害者に対する非人道的な迫害ってのはなにも、
ナチスドイツだけの専売特許じゃなかったでしょう?
弱い者から喰われてゆく。
だからこそ俺はものの全てを、そこ(戦争)から逆算して考える事に
しているのだし、またそうはしない者を、己の尻尾を食んでは腹を満たした
つもりでいる大ウツケとして小馬鹿にもしているのだな、テメエのケツ位は
テメエで拭けとね、死にたくないのなら、ひとを殺したくはないのなら。
…弱いのはさ、それが身体的にであれ精神的にであれ、君だけじゃない。
誰もが弱い、弱いからこそ、俺はお前を殺さないからお前もまた俺を
殺すなと、俺はお前を、可能な限りひととして遇すべく努力するから、
お前も俺のことを、自身と全く同じ様に、悲しみもすれば苦しみもする、
ただの一個の人間として扱ってはくれまいかと、そんな風に。…つまりは
一種の相互契約、まぁこういった主義主張を持つ者の、その内的必然性は
ひとそれぞれなんだろうが、でもね、人権や思想信仰の自由の概念とは
決して、いわゆる保守主義を標榜する人たちの云う様な、甘っちょろい
ものなんかではないよ、ましてや単なる「公式」、お題目なんぞでは。
――なによりもこれが唯一の、我々が「この先」も生きてゆくための、
方便なのだという信念。暫定的ではあれともかくこれは人類の到達点であり、
そうしてひとは、その更なる先へと進んでゆかなければならない。
それっと。
投票は権利ではなくて、義務です。
むろん俺自身は一度たりとて棄権したことはないよ、だって俺はこの国の、
主だから。国家権力を行使することの、その分母がどれだけ大きかろうが、
責務の重み自体には何の変わりもない。…例えばの話、イラクで非武装の
イラク国民が殺されるくらいなら、イラク戦争への協力に承認を与えた
全ての有権者および棄権者、要するに大半の日本人が代わりに死ねば良い
のにと、俺は60%くらいは本気で思ってますが。
それとやっぱりこれだけは云っておこう、何故にこの俺が俺の金で、
おまえたちの神を養ってやらなきゃならないんだ?
思想信仰の自由と、一宗教団体の長でもあるところの天皇(および皇族)を
公金で飼うことは、断じて両立はしないと思うんだが。
この、ぬすっと共め!www
…保守ってのは要するにローカルルール。
その利害を共にする者たちのみにしか通じない、閉じている。
決して万民に開かれたものではない以上そこには必ず衝突ないしは
排除があり、最終的には戦争ともなる「暴力」が、常に付き纏う。
自分たちの欲望を満たすためならいくら他人を食い物にしようが、
なんなら殺したって構わないとするその酷薄さあさましさ、
絶対の他者への、この絶望的な想像力の欠如こそが、
保守なるものの本質なんだ。
福田恆存スレらしからぬレスが続いていますね。
理解が及ばぬ部分もあるけど、やれ「知的怠惰」だ、やれ「論理」だと
いつも同じ言葉を繰り返して威張り散らす連中の書き込みより、ずっと
勉強になります。でも、福田恆存のことにも言及してくださいw
じゃあ少しだけw
「言論は虚しい」晩年の福田はそう云って、死んでいったそうな。
同感だね。伝わらぬ言葉を紡ぎ続けるほど空虚なことなど、そうはない。
誰に向かって話せばよいのか。ひとは何と、対峙するべきなのか。
俺にはわーかんねww
だから、黙るのが一番幸せなんだ。
言論の自由を求めることが幸せではない。語れば語るほど伝わらぬ虚しさを
得るだけだ。
本当に優れた人間はもっとも語ることを恐れるし、
同時に語ることに絶対の意味を求めはしない。
でも、やはり俺にはリベラリズムはわからないな。
リベラリズムの延長線上に共産主義があるといった。
保守がリベラルよりも酷薄という認識はもてない。
それは主義によって云々ではなくて常人なら誰もが感ずる冷たさじゃないのか。
リベラルが覆えるものかね。
想像力の欠如というが、「想像したものが果たして順当か」との疑問はあるね。
他人を気遣うのにも色々なやり方がある。あるときは偽らざる言葉を直言し、
あるときは嘘も方便といく場合。リベラリストは順当なる想像力を働かせうるものか。
保守はこの想像力を最低限まで抑えた物だといえる。破壊はしないが、その代わり
そこに纏る人々に分力させる。御節介に感じられるんだな。
第一、リベラルにも種種の思想潮流があるようだから決定的なことはいえないんだが。
生得によるものだから、人生で失敗したらお前は死ね!というものもあるし。
この場合は保守を上回る凶暴さを振るうね。
と、同時に万人に開かれたものがそんなにいいのかと考える。
開かれているだけで中身がないものなんぞは多くあるんじゃないか。
俺が求めるのは充実した中身であって、惹句のような上っ面は欲しくないんだな。
というか、
>>127で気づいたんだが、これは保守の俺と左翼の君との対決だったのだね。
てっきり福田スレだから保守側からの提議だとぼんやり思っていた。
でもさ、たまに思うことがあるんだよね。
所謂、福田を認める連中は本当に福田を読んでいたのかなって。
松原に限らず渡辺昇一っているけれど、奴なんかは福田のいっていることの
反対を直進していて自由主義に突っ走っているだろ。
あれで共産主義に抗しているつもりなのかな。
渡部昇一は内心、福田や林健太郎あたりを軽蔑していたのでは。
「この転向者どもめ。あんたらは皇室や日本の国体をさっぱり理解
していない」といった感じで。
渡部の盟友、谷沢永一の福田恆存論を読んでみたいな。
渡部の思想基盤つてなんだらうね。
谷沢こそ転向者だから嫌はれてゐてもをかしくなささうだが。
福田って転向者とまで言えるようなものかね?戦時中リベラルだったことはよく言われるけど基本的にはほぼぶれてないんじゃないかな。
渡部は河合栄治郎を尊敬しているといっているようだから反戦時中体制ってだけでは転向者扱いしないだろう。
まぁ渡部と河合栄治郎では相当な違いがあることは言うまでも無いが。
あと転向では右に出るものの無い清水と福田の論争では清水に味方していたようだし。
渡部の立ち位置がわからんね。
清水なんて福田が大層嫌つた御仁ぢやないか。
それだのに、清水に左袒するとは。
>>135 渡部さんはなんというか早い話が「愛国者」なんじゃないの?
皇室を愛している、日本を愛しているっていう。
谷沢永一は反共主義というか資本主義者というイメージ。
国というより左翼が憎くてしょうがないという感じ。
「新しい歴史教科書」を批判したのも経済思想において左翼的なものを感じたからではないだろうか。
>>136 同意。
私も福田恆存先生は戦前戦後を通じて書く内容は変わっていても思想自体に変化は無いと思う。
ところで、逸先生は渡部昇一さんを尊敬しているようですが、
これは実際に大学でお世話になったからだと思うし、思想的にも共感するところが多かったのでは。
お父上はそんな逸先生と昇一さんの関係をどう思っていたのだろう。
そもそも、恆存先生と昇一さんは別段仲が悪かったわけではないのかな。
その辺のことはいまとなつては知る由もないねえ。
その昔の日本文化会議を結成したのは福田恆存だったが、会で渡部昇一が
活躍し始めた頃から、会合に顔を出さなくなったそうだ。福田が地方紙に
寄稿した渡部批判を読んだら、「問ひ質したき事ども」よりもっと激烈な
もので、喧嘩恆存ここにありという感じだった。渡部は渡部で、谷沢永一
との対談で、やはり福田と比較する形で、清水を讃えていた。清水の「転
向」は彼の生涯を見るとき、「戦後を疑う」や「日本よ国家たれ」を書い
た時期だけでなく、戦時中や敗戦前後の時期も見る必要がある。
会議の月報「文化会議」に福田は数回しか寄稿していない。しかしバック
ナンバーを読んでいくと、林健太郎の丸山真男批判とか今でも光る内容の
文章がそれなりに収録されていて、結構面白かった。
福田は多くの人と組んで活動するのが苦手だったのかもしれないな。
それはともかく、十一月も終わりが近づいてきたのに、
HPができないのはどういうことだ。
ところでさ、「へたごま」がwikiから消えたね。
>>142 自分の罪深さを身に沁みて思い知るがいい!!w
>>140 興味深いお話ありがとう。
やっぱり、福田恆存先生と渡部昇一さんは肌が合わなかったようですね。
>>143 あれは、別段変な表現ではないので消えて良かった。
というか、「へたごま」を恐らくwikiで編纂した本人が
どうどうと書き込んでいて笑壷に入った。
もし日本がどうしようもないぐらいに腐りきっていて、
政治家に期待できないとなったとき、
其場合は革命を起こしてよいと考えるべきか否か。
みなさんは、どう思いますか。
悩ましい問題だよね。
福田ならどう判断したか。保守の弱点って結局は支配者側頼みというところにある。
国民側は何をすれば国を守れるかを真剣に考えても、政府が動かなければ
どうにもならない。
>>148みたいな書き込みはもう数日前の時点であるべきはずなんだが、
そのときは眠りこけていたのだろうか。
ぽかーん
151 :
平下流:2007/11/18(日) 01:31:04
>>134 渡部の盟友、谷沢永一の福田恆存論を読んでみたいな。
論ではありませんが、「紙つぶて」に二箇所、「自作自注」に一箇所 福田恆存の名前が出てきます。
そのうちの一つ。「編集者魂健在なり」(1976・1・19)より。
「この調子で福田恆存の散らばっている文芸評論を集大成してくれる出版社があれば、
戦後文学史の欠けた頁がほぼ埋まるというものだがーー。}
>>151 ご教示に感謝します。今度読んでみます。書誌学者としての谷沢には、脱帽せざる
を得ない部分がありますね。
全集未収録の「自殺論」を読むことができそうです。晩年、チェスタトン
の言葉を紹介しながら、自殺を批判した福田ですが、若い頃はどう考えていたのか、
それを知るのが楽しみです。
自殺肯定派である俺としては如何なる論で自殺を非議できているのか、
気になる。
晩年の自殺批判は「反核運動の欺瞞」に書かれています。脳梗塞の後で
書かれた文章で、明らかに健康だった時期に比べると文章のキレが鈍って
いました。没後これだけ名声が高まっているのに、公的な遺言とも言う
べき佐伯彰一との対談「腑抜けにされた日本の文化」や「象徴天皇の宿命」
など、最晩年の文章や発言が本になっていません。ご遺族が故人を大切に
思うためのこととは思いますが、福田逸氏には、ぜひこれらも新しい評論集
に収録していただきたいものと願っています。
「反核運動の欺瞞」や「腑抜けにされた日本の文化」で福田は「絶対的価値
は一つだ」という趣旨のことを強調していましたが、その辺やはり日本の「八
百万の神」的な発想とは最後まで無縁な人でした。
そうか。
福田が日本人に享受されないのも仕方がないことなのかも。
「絶対的価値」を信じたい気持ちもあるけれど、
生きていると荘子の「孔子六十にして六十化す」という言葉が思い出されて、
人は固定できないものだと考えてしまう。
新しい評論集が出る前に、いいレスがたくさんついていて、勉強になります。
今までの福田スレは、とにかく威張ったり自慢したり、他人を罵倒したりする
人たちがのさばっていて、本当に下品な感じでしたが、今回は違いますね。
この調子で、良いレスがついて伸びていけばいいと思います。
それにしても今月下旬に発売する予定なのに、
未だに正確な発売日が定かじゃないってある意味すごい。
もうそろそろ何日に発売するのか知りたいところではあるのだが……。
>>157 同意。いずれ逸氏がブログで告知してくれるとは思うけど。
麗澤もそろそろPR用のサイトを立ち上げてほしいね。
おいおい、この人の感覚では下旬とはいつのことなんだ。
告知HPが出来上がる前に店頭に並んでしまうのか。
まあそう怒らず。
しかしまあ、そろそろ出るよな。
11月も八日しかないぞ。
下旬に入っても発売日や内容の詳細等が明らかになっていない……。
こうなると発売延期とかになりそうでちょっと怖いのだが。
大丈夫なんだろうか。本当に今月中に発売するんだろうか。
こりゃあ、延期だな。
ここまで載らないのはちょっと有り得ない。
何かあったんじゃないか。そもそも麗澤出版というところ自体が
怪しい。
麗澤は中村保男が福田の評伝を出していたから、その縁なのかもしれない。
延期するなら仕方ないね。でも逸氏は先月については病気なら仕方なかっただろうが、
延期するにしてもしないにしてもちゃんとブログに経過を書くべきじゃないか。
今月は告知が載るかもと総合誌を幾つか購入、或いは立ち読みしてみたが、
正論にあるだけ。しかもあんまり目立たない。これは寂しい。
逸氏にはもっと宣伝がんばって欲しい。その為にも、まずはブログから…。
新しい評論集が出ることになって、文春版全集を抱えている古本屋が
なにげに動揺しているのが笑える。模様眺めをしているところもあって、
麗澤の宣伝を一番気にしてるのは、実は彼らだろう。
>>166 乙。俺も美本が欲しいからアマゾンから取り寄せる。
よく見つけたな。
しかし発売もあと四日程度か。
筑摩の反近代の思想って、西尾幹二が書いてるの?
>>169 そのようですね。西尾が「発言者」での西部邁との対談で明かしていました。
当然、掲載前に福田も目を通したのでしょうが、自分の著作年譜に掲載して
いなかったのは、さすが福田らしく誠実な態度だと思いました。
やはりそうなんだ。
『ニーチェとの対話』や『ヨーロッパの個人主義』が
この解説部分と似ていたからどうにも怪しいと踏んでいた。
福田があの前説を載せたのはやはり近代をそうみていたからなのかねえ。
ところで西部と西尾って昔は関係があったのね。
犬猿の仲だと思っていた。
本当に明日出るのかしら…。
もう手に入れた人はいるのか?
ビーケーワンでは取り扱わないのかな。
新宿の紀伊國屋で検索かけたら在庫切れだった
頼んだが、十二月の末頃になりそう。
まあ隔月だからいいか。
しっかし、発売したというのにこの有様とは。
酷いもんだな。
初刷りの部数が極端に少なかったのでは。
雨損に注文した知人の大部分が「お預け」の状態だ。
内容見本を見る限り、文春版全集を持っているなら、強いて購入する
必要はない。でも、俺は著作集も持ってるけど、結局また買ってしまう。
福田逸と麗澤のいいカモだなw
まあ、あそこの場合はコノザマだからしょうがない。
わが家には明日届くようだ。実に楽しみだな。しかし、それ以上に
楽しみなのが、第2回配本の第12巻。最晩年の文章がどれだけ初収録
されるのか、実に気になる。
アマゾンから、麗澤の福田恆存評論集第8巻が届いた。
第1回配本の第8巻は、文春版全集第6巻を底本にしており、収録論文は
すべて既読のものばかりだった。単行本初収録の文章はゼロ。口絵の原書房
提供の写真は、三島や林健太郎たちと討議した「日本人の再建」の座談会の
時のものかな。これから福田を読む人には、オススメできる評論集になると
いう印象を持った。
装丁はフランス装だが、帯もカバーも白が基調だから、ブックカバーを
しないと汚れが目立ってしまいそうだ。
第2回配本の第12巻は1月下旬発売予定?
185 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 01:06:54
誰か、今回の全集について語る人はいないのか。
186 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 06:24:02
第1回 第八巻 『教育の普及は浮薄の普及なり』2007年11月27日発売
第2回 第十二巻 『問ひ質したき事ども――言論の空しさ』2008年1月発売(?)
第3回 第十巻 『日米両国民に訴へる』2008年3月発売(?)
第4回 第三巻 『平和論にたいする疑問』2008年5月発売(?)
第5回 第七巻 『常識に還れ』2008年7月発売(?)
第6回 第九巻 『独断的な、余りに独断的な』2008年9月発売(?)
第7回 第五巻 『批評家の手帖』2008年11月発売(?)
第8回 第十一巻 『醒めて踊れ』2009年1月発売(?)
第9回 第六巻 『私の国語教室』2009年3月発売(?)
第10回 第四巻 『人間・この劇的なるもの』2009年5月発売(?)
第11回 第二巻 『芸術とは何か』2009年7月発売(?)
第12回 第一巻 『一匹と九十九匹と』2009年9月発売(?)
第13回 別巻 『年譜・著作目録』2009年11月発売(?)
なんか評論集が出る前のほうが盛り上ってたな……。
ところでこの刊行順を見ると、やっぱり初期の文藝を論じていたものは後回しになるのね。
個人的にはそっちのほうに興味があったのでやや残念。
隔月だから、順調に刊行が進めば再来年の夏頃には読めるんだろうけど。
188 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 16:03:06
もしかして、みんな口だけで実際は福田の文章が読めないということはないよな。
ちょっと不安に思った。この本が出たことで福田を支持している人間が文盲であったことが
露呈したら残念だ。
漠然とではあるけど、福田の思想は掴んでいる。ただいまいち、理解しているとは言い
かねるかな。だれか、福田のエッセンスというべきものを簡潔に述べてほしい。
書き込みが減ったのは、ここの住人の多くが実は文春版全集を
持っているためでは。麗澤の新しい評論集、より多く売るなら、
今まで初出媒体に書き捨てになったままだった文章を少しでも
多く収録するとか、全巻購読者のみに『否定の精神』を頒布する
とかしないと駄目だろう。全13巻だそうだが、第8巻を見る
限り、全13巻トータルで文春版全集よりボリュームの点では
劣るのではとも思わされる。
191 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 18:19:35
ああ、そうだ。
二段組なの?
>>191 麗澤のは一段組(って言い方あるのかな)。文春のは二段組。
193 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 19:48:57
ほう、それでは読みやすそうだね。
文字の方も大きいのだろう。
194 :
吾輩は名無しである:2007/12/05(水) 21:38:42
わたしが持ってる恒在文庫
「人間・この劇的なるもの」 中公文庫
「芸術とはなにか?」中公文庫
「作家の態度」中公文庫
「私の国語教室」中公文庫
「日本を思ふ」文春文庫
「日本への遺言」文春文庫
「私の幸福論」ちくま文庫
「龍を撫でた男」新潮文庫
>>194 中公文庫かちくま文庫のアポカリプス論は持ってないの?
197 :
吾輩は名無しである:2007/12/06(木) 11:09:48
ふうん。
以前の全集を持っている人からすれば、そういう風に考えるのだろうな。
確かに『否定の精神』について逸氏に問うた人がいたときに、
彼は無視した。その辺が不純な人間だと思ったが、どうもこの全集の編纂自体に
乗り気でないように感じられるんだよな。たぶん何処の出版社も福田の全集を出したがらないことに
いらだっているのかもしない。
それにしても、宣伝が殆どないというのは売る気がないとしかおもえない。
これじゃあ出しても出さなくてもかわらんよ。
>>196 >>190は俺だけど、そのリンク先の文章は別の人の文章だよ。
趣旨には同感。ただ、今回の評論集は「固定ファン」以外の、新しい読者を
ターゲットにしているんでしょ?
でも、前に文春に発表録された最晩年の文章も入るみたいだし、初期の文学
論を収めた巻の配本がずいぶん後なのは、書いて書いて書きまくった敗戦後の、
そのまま書き捨てられた文章を、収録するのに時間をかけてチョイスするため
ではないのかな。
リンク先の「紋切型事典」氏が言う通り、文春版全集との差異をつけないと、
新しい評論集は存在感が薄くなってしまう。
199 :
吾輩は名無しである:2007/12/06(木) 21:46:26
もともと十年程度で新版を出すことが意外ではあったね。
もともと全8巻の全集(実際は自選著作集)は、昭和62年に出て、
それから福田が死んだ翌年の平成7年にきれいな帯をつけて、一巻あたり
2500円くらい値上げして増刷したはずだ。それから12年。確かに
新版の評論集は少し早かったかもしれない。
『否定の精神』や、田中美知太郎や林達夫、太平洋協会時代の上司である
坂下志保や、夫婦で風呂に入っている云々の大岡昇平についての人物論など
も収録した方が、絶対受けるはずだけどなぁ。
>>200です。文中の「坂下」は「坂西」の誤りです。お詫びして訂正いたし
ます。
202 :
吾輩は名無しである:2007/12/06(木) 22:56:40
福田逸自身の名声を得るための布石として出された感が強いこの全集。
ダブり、いらね。
評論集とは別に、『否定の精神』は単行本化すべきだな。
小林秀雄のベルグソン論みたいなものだ。
すでに文春版全集を持っている人の不満が爆発しててちょっと笑った。
ここ二〜三年で福田恆存に興味を持った人間からすると、
今回の評論集はありがたい事この上無かったりするんだけれど。
なにしろ読もうにも主著の大半が絶版品切で、手に入れるには古本屋を回るしかないような状態だったし。
全集未収録の文章については興味がないわけじゃないけど、
主要作品すら読めずにいた人間からすれば、
とりあえず新しい評論集は代表的なものが入っていてくれればいいや、という感じ。
ただ、このスレでよく話題に上る『否定の精神』は読めるなら読んでみたい(重要な作品のようだし)。
まあ、俺も以前の全集は字がよみづらかったから、
今回のは嬉しかった人間なんだよね。けれど、あまりにも書き込みがないものだから、
かなしくなってしまって。丁々発止の議論が行われるかとおもっていたんだが。
議論はもういいよ。また例の連中がしゃしゃり出てきて、せっかくの
いい雰囲気が台無しにされる。まったり行こうや。
いい雰囲気って、何も書き込まず、本を読んでも何の感想もないことが
良いってことなのか。
そんなら、このスレ自体が必要ねえだろ。
ギスギスギスギス
『否定の精神』を八冊持ってる俺が来ましたよ。
「否定の精神」のためだけに、期間限定のサイトを作るのは、まずいかな。
やっぱ駄目だろうな。
俺も含めて、麗澤の評論集より「否定の精神」に惹かれている人間が多い
ことを改めて認識。「否定の精神」が入らないと分かった時点で、評論集
はグレードが確実に下がった。文春の全集でさえ実は完全版全集でないのに、
その摘録抄録みたいな評論集なら、昔からの愛読者は買う必要はない。
へたごまへたごまへたごま
へたまごへたまご
Kさんは逸の説明を受けてからWIKIを書き直した。
それから逸のところに書き込みに行く。
この変わり身はなんだろう。気持ち悪いんですが。
K村さんて、例の経済記者さん?
福田の翻訳ってどの程度の物なの。
ロレンスの訳はひどい。シェイクスピアの翻訳も粗が目立つ。
何より、「劣等複合」て何よ。たんに「劣等感」でいいのでは。
東大の英文科には吉行淳之介は教養学部のレベル以下の英語力しかなかった
とか、福田恆存は英語ができなかったから批評家に転じたとか、そんな
伝説がたくさん残ってるよ。
才能と技術。
へえ。
確かに福田の翻訳ってあまりきかないものな。
シェイクスピアは有名だけれど。
えーい、黙れ黙れ!私の国語教室が目に入らぬかー
>>224 ワロス。
でも
>>223はT書店で古本漁りしているアニヲタではないと思われw
あいつは一応働いているよ。物書き目指している奴で、あの仕事している
人間は結構多い。ほとんどモノにならないけど。
まあ、あの世代で文学部を出た人間は凡そ作家志望だものなあ。
そのなれの果てほど醜いものはない。
227 :
223:2007/12/10(月) 02:10:48
え、なんか人違いだろ?
Tって田村?
作家志望?
ううむ、…、よくわからん(笑
>>227 安心して。あなたが彼でないのは分かってるからw
>>220 いや、inferiority complexを劣等感と訳したらそれこそ誤訳だよ。
ちゃんとした心理学、精神分析の用語なんだから。
確かに日本ではinferiority complexをコンプレックスと略して劣等感を意味するような使い方をするがこれは和製英語の一種に他ならない。
劣等複合というのは劣等感inferiority feelingを処理しきれなくなり固着観念化した精神状況、それらの観念の複合
(劣等感が大きくなりすぎて劣等感が意識に付きまとい、それが行動に強く影響を与えるようになった状態)
を指すのであって、それを劣等感と同じにしてはcomplexという語を用いた意味が無くなる。
福田が心理学、精神分析とは距離を置こうとしたのは見識だが、それでも一応の術語くらいは知ってただろう。
福田が翻訳した『老人と海』は最初は誤訳が多いことで有名で
天邪鬼な三島由紀夫はやけくそ気味にこの訳を褒めた以外はかなり叩かれたらしい。
あとの版ではいくつかは訂正したようだ。
特に野球と競馬に関しては全く興味がわかなかったようで誤訳のオンパレードになっている。
しかしそれでもこの『老人と海』は翻訳文学のなかで最大のベストセラーになっている。
しかし、劣等複合という訳語はやはり違和感があるなあ。
聞きなれないからというよりも漢字の使い方が下手。
俺は劣等複合に見識を感じるけど、劣等感がなじみよいとして、それを選択ってのも
ありではないのかな。単に言葉の定義だけの問題でしょ。
インフェリオリティ・コンプレックス=劣等感
と訳したら
インフェリオリティ・フィーリング=劣等?
の?に何を入れればよいか、だけの問題にすることだってできる。
劣等覚とかをその訳語とすればいい。
「感と覚がどう違うか」というのは「劣等感と劣等覚がどう違うか」とは別の問題。
これもまた定義の問題になる。
芥川論では素直にカタカナで「インフェリオリティ・コンプレックス」と
書いてあるね。
TPOなのかねえ…単なる気分?ありうるな
たんに訳者としては無能だったから評者に移ったとみるのが妥当なんじゃないの。
ここで議論するとそうおもえてくるな。保守論壇で神格化された人間の化けの皮が
剥がれた。
おいおい(笑
コンテキストによっては、劣等感(未調査だけど)、劣等複合、カタカナで表記、
という使い分けをしている、という事実があるにすぎないだけでしょ。
語順倒置して複合劣等ってほうが日本語として座りはよさそうな気がするな。
ダサい感じだけど。
福田の制約は生きた時代だけだろ。現代まで生きていたらさぞ面白いだろうけれど。
けれども、福田って『私の国語教室』は誰かの下敷があり、
『反近代の思想』は西尾幹二から受け取った物だとすると、
正直、彼自身は何もしてないような気が。
もしかすると保守論壇が生半可な時代に象徴として祭り上げられた存在なのかもしれないな。
何もしてない、とはちょっと言い過ぎ。
ただ、変に神格化されている。麗澤の評論集の刊行はそれを読者各自が
検証するいい機会だ。
まあ、神格化したのって親米なんだけれどな。
もともとの保守は彼をきらってた。
>もともとの保守
例えば?
まぁありうることだとは思うけどね。
民族派は福田を素直に尊敬していない。戦後の活躍を認めながらも、
究極的には相容れないと考えている。今では「国際政治学者」の肩書きで
評論活動している知人が福田を「尊敬すべき敵」と評していた。
ちなみにこの知人、一番尊敬する知識人は葦津珍彦だとも言ってた。
唐木順三なんてまあ、保守というには難しいが、
それほど認めていなかった。三島もだが。
なんだか、左翼っぽいところがあるんだよな、この人。
しかも根っこにある。ロレンスに傾倒していたからなんだろうけれど。
>>241 福田を盲目的に崇めてる連中よりも福田を理解してそうな気がする。
福田にとって天皇は現人神ではなくて、ただのキングだったから。
だけど、西欧のキングと日本の天皇は違うはずだけどなあ。俺は右翼でも
皇室讃美主義者でもないけど、戦に破れたにもかかわらず、昭和天皇個人も
皇室制度も無事だったのを見ると、福田が言うような「相対的存在」の一言
では片づかないと思うのだけど、うまく言えない…。
使えるから、生かされてきただけ。
歴代の為政者に。
アメリカにもね。
まあ、福田を未だに崇拝している人間が親米だらけなのをみるとうなずける。
西尾や西部は去ったし、他の人には見向きもされない。
なぜかといえば、時代思潮が一時的に彼の味方をしただけだったんだろうな。
較べるのはかわいそうだけれど、小林秀雄はやはり秀逸に思える。
最近反動で「親米」アレルギー起こす奴多すぎ
親米であることと米追従は別けて考えるべきなのに
違うのか?(笑
ところが、その親米が米国追従であったことがばれたから
誰もが危険視するようになったわけだ。数年前までの2chは
この親米にとことん染まっていた。実際、保守論壇とやらの空気もそうだったから、
一般人ならなおのこと。早くに気づいたのは小林と西部だけ。
何でもかんでも極端に針が傾くのが2ちゃんねる
俺、2chを卒業したいです。
やっつける会会長もそうだったが麗澤評論集発刊の反響を見てもネット上での盲目的信者の嫌われっぷりを見ても
現在の保守論壇への影響がほぼないに等しい福田をいまだに政治的観点から目の敵にする人がいるというのは興味深いね。
西部みたいに真っ向から立ち向かわず自分の主張のダシにするのよりずっと偉いよ。
願わくはわざわざ福田スレに来た以上親米だ保守だの出来合いの観念を捏ね繰りまわすような真似はせずに
福田の論そのものと立ち向かってものを言って欲しい。
とはいっても、誰も福田について語りださないものなあ。
盲目でもなく批難一辺倒だけでもないダイモーンの声みたいなのが
著作から聞こえてくるような熱心な読者がここにいればいいのだが。
それにしても、西部が福田をダシにするというのは頂けない意見だな。
少なくとも松原やその他の福田に腰掛けて物をいう人間たちを羅列したあとに、
彼の名前が出てくるのなら少しだけ理解してやれるのだが。
僕が思うに、観念の突きあいに付いてこられない人間というのは
馬鹿である。言葉が抽象的な響きを持つのは仕方がないことで、
福田を支持する人々が常々これを是としてきたのは事実だ。
まず隗より始めよということで>>252氏、君から何か提議をしてくれないか。
残念ながら活発な議論を始めるには先行者が必要なようだ。
>>253 確かに俺は『親米だ保守だの』の観念には付いていけないよ。
それが馬鹿っていうなら利口な方は福田の主張を一々検討せずに
一個の人間を親米か保守かというところまで抽象化して
そのことで福田を語ったり理解できたりするわけだ。やっぱり俺は付いていけないな。
俺が福田について語れというのは率直に言い直せば絡むんだったら中身のある絡み方をしてくれってことにつきる。
そしてこの点で、俺は西部についてちゃんとその主張を検討する必要があるということになる。
西部の著『学問』に福田の章がある。福田を適当に褒めた後で、福田に『社会科学、社会思想および社会哲学』の知識が欠けていたため
『彼の保守思想の「論理構造」が、後世に残るような形で定着することが少なかった』。
そして『戦後知識人』が『敗北を認めて保守思想に歩を進め』なかった。だから『保守思想は人材を欠』き、
『その結果、福田の衣鉢を接ぐと自称する知識人たちが「親米保守」などという錯乱せる言動に走っている。
彼らは親米と保守のあいだに架橋の叶わぬ深い溝があることに気づかないのである。』で終わる。
戦後知識人が転向しなかったから西部の望むような保守の人材が少ないのだという御意見は揚げ足を取ってみると面白そうだがまぁ置く。
福田自身が反米か親米かといわれれば明らかに親米だった。
なのにその福田と自分の反米論の矛盾に一言も触れずに親米知識人批判に紙面を割いている。
それと比べると崇拝する人間が親米だからたいしたことないんだっていうほうがよっぽど正直だ。だから偉い。
西部を引き合いに出したのは、この点からだよ。
こんなに偉い上に、親米親米で観念の突きあいができるほどに利口なんだったら、たいしたもんだね。
というよりも福田の傾向と其弟子たちの動向が我々に福田なる人物を
教えてくれるという方が正しい。
いったい人間の固定概念というものが何から生まれるのか。
それはその人物がそう思われるだけのことをやってきたからなのだ。
福田を親米という人間はいるが「反米」という人はみたことがない。
それは福田がやはり親米の要素があるからであり、抽象的なものとして
扱える段階に落ち着いてしまったのだよ。もし人間があらゆる定義を
一から組みなおしていかなければならないとすれば、人は先に進むことはできなかっただろう。
ありとあらゆる誤解と正解とが絡み合う世界でこの世は成り立っており、
それは福田個人にも纏わり付く世界の制限だといっていい。
さて、次の問いに答えようか。
>なのにその福田と自分の反米論の矛盾に一言も触れずに親米知識人批判に紙面を割いている。
ここで君が西部を批難している理由は僕にはよく理解できなかった。
西部にとってこの場合の福田は親米保守を生み出した人間として見られており、
己と今を生きる親米保守との差異は明らかであるかのように語っているのは明瞭である。
故に西部が福田と己との矛盾点を何も語っていないというのは見過ごしある。
この文を読めば西部は福田の遺物に深い嫌悪感を抱いており、同時にそれは福田自身の
足りなさというのも指摘している。つまり現今の親米批難は福田への批難でもある。
>福田に『社会科学、社会思想および社会哲学』の知識が欠けていたため
君はこれを引用しておきながら、この言葉の意味は無視したのか。
それともう一つ。
>それと比べると崇拝する人間が親米だからたいしたことないんだっていうほうがよっぽど正直だ。
↑この文の意味は何。どういう繫がりで出てきたのか、説明して欲しい。
誰が誰に対してというのを埋めて欲しいのだ。
左翼恐怖病
あらゆる世界觀のうちでもつとも正しいものはコムミュニズムのそれである
――ぼくはかたくそれを信じてゐた。が、ぼくがもつとも恐怖をいだくのもまた、
この世界觀である。理由は、それが正しいからであり、にもかゝわらず、
ぼく自身が正しくないからである。
ぼくは自分自身が正しからざる存在であることをよく知つてゐる。それゆゑに
正しさを原理とするあらゆる思想を恐怖する。ぼくは自信といふものを一切もつて
ゐない。それゆゑにぼくを信じ、ぼくの存在を許容してくれようとしない人間を
嫌惡する。ぼくを認めない人間は、どんなりつぱなひとであらうと、どんなに
正しい生活者であらうと、そんなことはおかまひなしに、ぼくのほうでもかれを
認めない。そのかわりぼくを知つてぼくを許してくれる人間にはかぎりなく寛容
である。(中略)
もしコムミュニズムにして、ぼくの怠惰を許し、ぼくの勞働嫌惡症を見のがし、
そしてぼくの厭世思想を許容し、のらりくらり、ほそぼそと、世間のかたすみに
生きる權利を與へてくれたならば、ぼくはたゞちにコムミュニストとして社會革命
に協力を惜しまぬであらう。大衆に愛される共産黨とは、だが、それ以外の
なにものであらうか。(154―155ページ)
>>211 良いね。
率直だし、なによりとても判りやすいよ、
何のために考えるのか。
>>255 >福田を親米という人間はいるが「反米」という人はみたことがない。
>それは福田がやはり親米の要素があるからであり、抽象的なものとして
>扱える段階に落ち着いてしまったのだよ。
俺への返事として『親米の要素』があるから『抽象的なものとして扱える』ときたが
俺は
>>254のように『親米の要素』があることは当然認めて言ってる。反論として無意味だ。
福田という一個の人間を親米というものにまで捨象できるとすれば、それは福田という人間の原理が
何から何まで親米であったか、或いは親米というものがそれだけでほかに何も考慮する必要がない罪深いものかということになるが、
前者ならば、福田の主張そのものを分析することでそれを明らかにして欲しい。ついでにその福田の親米の評価についてもね。
後者ならば、福田スレに書き込む必要はない。適当な場所を探すなり、スレを立てるなりして、親米の罪深さを説いたらいい。
それ前に個人が否定されるというならもう個人について語る必要もないはず。
>西部にとってこの場合の福田は親米保守を生み出した人間として見られており、
>君はこれを引用しておきながら、この言葉の意味は無視したのか。
「それ故に親米的だった、それがいけない」なんてことは書いてないからね。それ故定着しなかったと書いてある。
『社会科学の知識の欠如』が『福田の衣鉢を接ぐと自称する知識人』の親米的言動につながったとは言っても、
その間に『彼の保守思想の「論理構造」』が『定着』しなかったっていうのがはさまれている。
そうやって読者が無理して福田批判を読み取る前に、西部は誠実であろうとするならはっきりと自分で書かないといけなかった。
そこが真っ向から立ち向かってないってわけ。
>↑この文の意味は何。どういう繫がりで出てきたのか、説明して欲しい。
>>252を読んでね。
そもそも絶対的な思想の持ち主など存在するのだろうか
完成された一つの思想を残せなかったことが其ほどの傷に成得るのか
親米≠ケツ舐め親米
であって
本来、親米と反米は反目しないはず
しかし現象だけ見ると、そういうふうに解釈されても仕方がなくなった。
言葉はいつもそうだな。反対のものを近づければ、それは滅びるはずと
プラトンが語っていたが、実際は人間によって書き換えられていく。
ロックフェラーの金で外遊した後、福田はいくつか滞在中のことを文章に
しているけど、経済的には豊かなはずのアメリカの生活様式を「貧しい」
と書いていた。西部邁はそのことを讃えていた。
262 :
吾輩は名無しである:2007/12/16(日) 09:54:57
このスレつて無能しかゐないのね。
これなら福田信者に笑はれてもしやうがないよ。
>>262 貴方はもしかして神保町で写真取りまくってる変質者さんですか?
そんな奴がゐるのかw
265 :
吾輩は名無しである:2007/12/16(日) 14:17:56
>>261 西部が学頭を勤める秀明大学は
「英語情報マネジメント学部」なんていう学部を擁するけど
これは、貧しくない?
お前は何にか、勘違いしてるんじゃないのかと。
>>265 愚問だな。低脳丸出し。
>>261の西部の言葉は俺も知っているが、
>>261は肝心な部分をあえて(?)
書いていない。そのせいで
>>265みたいなアホが釣れる訳だ。
>>262 無能なのは、早稲田大学卒業後に英会話の教材販売の営業になったのに、
根性なしで退職して、その後長い間無職のままブラブラして古本漁りを続け、
ここしばらくは神保町近辺でヘタクソな写真を撮影している禿で性悪の
クズ人間のことだろう?
>267
あの男は昔、「現在フリー」などとプロフィールに書いていたが、
あいつに原稿を依頼した雑誌とかあるのか。ネット以外で名前見かけ
たことないぞ。
俺が不思議に思っているのは、みんな、彼について詳しいみたいだけれど、
何処でそういう情報を得たのかね。ちょっと教えて欲しい。
やめときなよ。
君子危うきに近寄らず、朱に交わればなんとやら。
でも無職でどうやって古本をかっているんだろう。
>>271 親からこづかいもらって買ってたに決まってるだろ。
今はどうか知らんが。バイトなのか契約社員なのか、働いてるみたいだな。
これで傑作をものして、文学賞の一つでも獲れば一目置かれるのだろうが、
ただ自分の古書漁りや他者への罵倒を日記で書き続けてきただけだからな。
大学を出て、三十代なかばともなれば、普通なら勤め先でも係長なり
グループリーダーなりになって、管理職予備軍のポジションに位置するのに、
古本とアニメのことしか書けないガキオヤジなのだから、つける薬はないよ。
これで奴の話はおしまいにして、福田恆存の話に戻すことにしよう。
いやはや。
俺が「朱」だと断じているのは、お前たちのことなのだが。
ひとの陰口と神学論争。
自分の信念を面と向かって痛罵されても、
あとになってからチョロリと嫌味を云う位しか出来やしない。
本当につまらないやつら。
死ねよ。
なんか、急に変な人がわいてきたな。
本当にこのスレをみていたのか。
| ∧ ∧
|/ ヽ ./ .∧
| `、 / ∧
|  ̄ ̄ ̄ ヽ
| ̄ 松原命  ̄)
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.\
|ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- /
|:: \___/ /
|::::::: \/ /
福田恆存の初期著作の写真を紹介したいのだけど、どこか
それにふさわしい掲示板ございませんでしょうか。ご存じの方、
よろしくご教示願います。
281 :
吾輩は名無しである:2007/12/17(月) 11:31:25
旧仮名遣いを保守しようとした福田が
「英語情報マネジメント学部」なんて時流に迎合した学部名聞いて
しかも、西部が保守論客を自称してるなんて聞いたら
嘆くだろうなあ
283 :
吾輩は名無しである:2007/12/17(月) 13:19:17
バークの言葉
「革新好みの精神は、一般的には利己的性格や視野の偏狭さの結果である。
祖先を捨てて些かも顧みない人々は、
子孫に思い致すこともしないものである。」
英語情報マネジメント学部は、この「革新好みの精神」っぽくね?
284 :
吾輩は名無しである:2007/12/17(月) 13:58:32
こいつ、本気でこういうことをいってるのか。
やはり福田信者って頭が悪いのかなあ。失笑されるよ、これ。
森って誰。
>>284 何で石川淳なんだw
てっきり福田の全集か「否定の精神」かと思って、少し期待しちゃったぞ。
でも笑った。
全集をかつたはうがいいよねえ。
>>289 古書への批評眼だけは少し鋭い貴殿から、全集と新しい評論集との比較論
を開陳していただきたい。書き込みは自宅から? それとも神保町から?
ねえ、このスレの様子、おかしくないか。
旧かなを使っただけで、あいつと一緒にされんのか。
きちがいだらけかよ。
だから、これが福田なんでしょ。
信者もアンチも馬鹿しかいない。
294 :
吾輩は名無しである:2007/12/18(火) 07:30:25
大學って言ふのは科學をやるところなんだよ
文系だって社会科学、
科学というのは、(数学という人工言語を含む)言葉でやるものであり、
また、科学は贅言を吐かないものなんだよ。
相対性理論の有名な式なら
E=m・(c二乗)
これを
E=m・(c二乗)+7−7(←ラッキーセブンで縁起がいいから7を足して、
ゼロにするために引いている)
英語情報マネジメント学部は、↑これみたいなもん。
恒存ぴょんも草葉の陰で泣いてるでせう
テラワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まともに福田の著作について語れはしないが、
こういうくだらない考えはいくらでも発露できると。
ミーア×1001
旧仮名遣いを保守しようとした福田が
「日経ビズテック」なんて時流に迎合した雑誌に連載して
しかも、松原が保守論客を自称してるなんて聞いたら
嘆くだろうなあ
数号出して、事実上廃刊になった日経ビズテック。
執筆陣が本当にぱっとしない連中だった。
Mはその代表。
信徒どもがどんなに騒いでも、結果は見ての通り。
読者のせいにするのはやめろ。
見苦しいにも程があるぞ。
>>298 >読者のせいにするのはやめろ。
これのソースはどこにありますか?
ここは福田スレです。他の人の話題は、その人のスレをたててやってよ。
>>297 >旧仮名遣いを保守しようとした福田が
>「日経ビズテック」なんて時流に迎合した雑誌に連載して
典型的な惡文だね。君は松原を叩きたいだけなのに、何の興味も無い福田を
持ち出したりするから、かうなる。
| ∧ ∧
|/ ヽ ./ .∧
| `、 / ∧
|  ̄ ̄ ̄ ヽ
| ̄ 松原命  ̄)
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.\
|ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- /
|:: \___/ /
|::::::: \/ /
303 :
吾輩は名無しである:2007/12/23(日) 12:38:02
西部や柄谷ら元ブントや、呉智英・中野翠らのような学生運動やってた人等が
福田を何故熱烈に支持するのか理由が知りたい今日この頃。
>>303 昭和初期の転向者が柳田民俗学に接近したのと
似たようなものを感じさせますね。
別に転向は珍しくないからだよ。
福田恒存だって転向をしてるだろ。だからさ。
306 :
吾輩は名無しである:2007/12/26(水) 09:25:35
転向って、もう、ばかかと。
時代の流れとか状況でものを説明しようとするから不毛なんだよ。
人間を見ようよ。
いや僕も薄毛だけど。
というか、お前ら福田の文章を読んだことないだろw
308 :
吾輩は名無しである:2007/12/26(水) 23:50:41
サロメの翻訳なら読んだことあるよ
ところで坪内祐三が編者の文庫があったけど
全文現代仮名遣いだったような
いいのか?
309 :
吾輩は名無しである:2007/12/26(水) 23:52:54
福田恒存文芸論集
>>308 坪内は一時期旧かな使ってたみたいだけどね。
もしかすると、例の松原信奉者と同類にされるのが嫌だったのかw
>>310 そのあたりのことは、早稲田のO氏が以前、自身のサイトで坪内を
批判していた。坪内の場合は、売れっ子になって、歴史的かなづかい
で読者に敬遠されるのを避けたかったためでは。
保守問答
著者: 西部邁
著者: 中島岳志
発行年月日:2008/01/08
サイズ:四六判
ページ数:303
ISBN:978-4-06-214505-3
定価(税込):1,680円
内容紹介
老いてなお凜冽たる精神を保つ 西部邁、若くして老練な対話の達人 中島岳志
日本の保守思想を再生する!!
【本書の内容】
言葉は過去からやってくる
保守思想の「軸」
「かのように」の哲学
アメリカとヨーロッパの保守思想
大衆社会論は有効か
保守思想とデモクラシー
弱者のルサンチマン
国家権力と「国民」
ガンディーの非暴力
憲法前文と九条第二項
左翼と保守の「ねじれ」
近代日本、保守思想の歩み
「近代の超克」の大失敗
福田恆存の演劇的精神
戦争と日本の知識人
パール判事と「絶対平和主義」
日本の保守思想の系譜
ttp://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2145057&x=B
sc恆存先生の愛讀者なら正字正假名を使ふべし。
sc恆存先生のスレッドには正字正假名で書き込むべし。
此れを忘れるべからず。
>>313 福田の「努力」にもかかわらず、それは、知識人を含む大半の日本人の理解を
得られなかった訳ですよね。それを「大部分の日本人の精神的レベルが
低かったから」なんて理由で片づけることのできる暢気な時代は去りました。
歴史的かなづかいそれ自体が多くの人から忌避された原因、さらには
福田をはじめとする表意派の人々の「戦法」のどこにミスがあったのかも、
そろそろ論じられるべきでしょう。
特に国語問題協議会の人々、現代かなづかいやそれを使う知識人を批判
するのも結構ですけど、歴史的かなづかいを復活させることのできない
自分たちの非力や無能を、少しは反省したことがあるのですか。少数派
特有の、特権意識と被害者意識のないまぜになった彼らの主張を「国語
国字」などで読むと、本当に滑稽で憫笑を禁じ得ないのですが。
途中で考えが変わったという選択肢は無しですかw スゲエな。
>>308 福田さんの文庫版は、『私の國語教室』以外はすべて現代かなだよ。
なのに丸谷才一が文庫版をも歴史的假名遣で出せるのは、文壇でよほど力があるからなのか?
福田信者はセクト主義みてぇだなw
>>317 それは出版社の方針によるのでは?
丸谷才一『笹まくら』の文庫版(新潮文庫)は現代かなづかいだったし、
福田の『サロメ』の翻訳(岩波文庫)は歴史的仮名遣だった。
シェイクスピアやソポクレスやヘミングウェイの翻訳は新潮文庫だけど、
これがもし岩波文庫だったら、歴史的仮名遣のままで出版されたかも知れない。
>>319 丸谷才一は『桜もさよならも日本語』(新潮文庫)なんかでは歴史的仮名遣いを使っている。
ちなみに丸谷才一の翻訳は現代仮名遣いだ。
出版社の方針と言うよりも意思を押し通せるか否かじゃないか。
321 :
吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 21:21:19
歴史的仮名遣いは今後、サブカルチャーとしてしか生き残れないんじゃないかと思う。
源に2ちゃんでも、歴史的仮名遣いをアクセサリ的に使ってるレスを度々見かけることがある。
322 :
吾輩は名無しである:2007/12/31(月) 21:34:24
今後というよりは戦後ずっとそうだろう。
福田だって、旗から見ればサブカルチャーとしてみられた存在だった。
>>322 皮肉なことに、ネット上で歴史的仮名遣いの復権を「真面目」に叫んでる連中においても
例外じゃないんだよね。
N崎なんか典型的なんだけど、歴史的仮名遣いを使う一方、2ちゃん用語も嬉々として
使用する。
324 :
吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 02:41:17
俺は奴のああいうところが大嫌いだ。
日本語を守る気がない。言葉が軽々しいんだよ。
ああいう奴等は旧字、旧仮名に胡坐をかいて日本語の特訓をする気はない。
自分たちの文体や表現に気を使わずに、それだけで満足している。
あんなんじゃ、駄目なんだよ。だから馬鹿にされるんだ。
誰でも少し練習すれば旧字、旧仮名程度は直ぐに扱えるんだ。
まあ、奴らのうちの一人は文語文もまともに書く気がないようだが、
文語はこんなものより練習しなければならぬことが多いからな。
必死に文語を守ろうとしていた人達をばかにしてたっけw
325 :
吾輩は名無しである:2008/01/01(火) 11:27:27
しかし、あれだけ西欧万歳の連中が歴史的仮名遣いに拘泥するのは滑稽としか言いようがない。
西欧万歳なんだったら、英語なりフランス語なり習得すりゃいいじゃないかと思う。
陸羯南の文章は、文語文をものするのに好適なテキスト。
麗澤の評論集、ヤフオクに半額で出されていた。
やはり文春版全集、人気は根強いようだな。
古書店価格は高値安定のままだ。
陸の文章ってそんなに好いものなのか。
>>330 図書館で何か読んでみては如何。岩波文庫にもあるはず。
俺にわかるかな。
>>332 はじめはとっつきにくいかもしれんが、直に慣れるよ。
全集に収録された「日本」の社説は、読んでいて清々しい気持ちになる。
丸山真男や司馬遼太郎、桶谷秀昭など、様々な知識人に支持されるのも
よく分かる。
吉田満の「戦艦大和ノ最期」では駄目ですか?
なんで福田恆存は文語体復興を唱えなかったんだろうか?
西部が、福田の旧字旧かなについて語っているね。
339 :
吾輩は名無しである:2008/01/15(火) 00:52:27
渡部も福田を持ち上げるようになったか。
親米派というか、新自由主義系保守知識人の御輿に祭り上げられてる感じ。
まもなく評論集の第二回配本です。
この評論家ですか、読者に世間知らずが多いのは。
十二巻が発売したようだけど、どう?
全集未収録の論考は載ってた?
343 :
吾輩は名無しである:2008/01/19(土) 22:50:43
十二巻の目次
T
近代日本知識人の典型清水幾太郎を論ず
言論の空しさ
言葉、言葉、言葉
U
問ひ質したき事ども
小林秀雄の「考へるヒント」
小林秀雄の「本居宣長」
「蛾」と「蟻」の話
V
覚書
覚書一
覚書ニ
覚書三
覚書四
覚書五
覚書六
「「蛾」と「蟻」の話」が文藝春秋に載った全集未収録の論文
344 :
吾輩は名無しである:2008/01/19(土) 23:38:53
>>335 あの福田でさえ文語体で格調高い文章を綴る自信がなかったってこと。
佐藤春夫あたりが最後の世代じゃないかな?
残念ながら。
345 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/01/19(土) 23:43:40
文語は後彼でも充分学べるでしょう(笑)それどころか英語より簡単ですよ(笑)
>>343 ご紹介に感謝します。
麗澤の評論集、すでに入手した第8巻は、ヤフオクに出品します。
定期購読は中止決定です。「否定の精神」は入らないし、最晩年の
単行本未収録の文章や対談もほとんど無視…それなら文春版全集で
十分です。
本当どういう意図で出されたんだろうか。
文春版全集を復刊したほうがよっぽど良い。
手に入りやすい形にすることで福田の読者を広げようというのなら
何も浩瀚な評論集をまとめる必要もない。
甘存から評論集が届いた。駄目だな、こりゃ。
単行本未収録の論考は一篇のみ。ひょっとしたら、佐伯彰一との
対談を入れてくれるかなと期待してたけど、こちらが甘かった。
著作権が切れた後、断簡零墨まで収録する完全版全集を、どこか
志のある出版社が出すのを待とうか。
タイトルが評論集だから、固い文章ばかりになるのは仕方ないか。
田中美知太郎や林達夫、永井龍男や福原麟太郎などについて書いた
人物論も興味深いのに、新しい読者に読まれないのは残念だな。
351 :
吾輩は名無しである:2008/01/20(日) 22:34:02
>>350 そういう人物論は、今は何で読めるんですか?
>>351 残念ながら、全集第7巻の年譜から初出を探し出して、それをコピー
するしかない。俺の友人で国立国会図書館に複写依頼しまくって、福田の
単行本未収録の文章を集めていた奴がいた(奇しくも、福田と同じ脳梗塞
で倒れ、現在リハビリ中)。あの年譜も実は穴だらけだけどね。
353 :
351:2008/01/21(月) 22:14:11
>>352 お答えありがとうございました。
出来る限りのものを手に入れようと思っています。
ところで、『否定の精神』は、どのくらいの価値の有るものとして
考えられているのでしょうか。
値段的にも、評論史(?)的にも。
>>351 いえいえそれほどお役にたつ答えではないかと。
「否定の精神」は古書目録に最低でも6000円くらいで載ってる。
ヤフオクだと、最近ではカバー付きで8000円スタートで出されていた。
俺はこれまでトータルで8冊買って、2冊は知人に譲った。一番安くて
3500円で購入。カバーつきだったから、いい買い物だった。
評論史では、位置づけなんて全くされてないよw
そもそも刊行は昭和24年かな、それっきり再版、復刊されていない
のだから。よっぽど熱心な福田ファン以外読んでいない。中身は、
このスレですでに一部が紹介されているから、それを参考にして
ほしい。誰かが書いていたけど、小林秀雄のベルグソン論ですら
全集に収められたのだから、「否定の精神」も今度の評論集に入れる
か、坪内祐三あたりの解説でもつけて講談社文芸文庫あたりに入れる
べきだな。とにかく含蓄があって、皮肉とエスプリが効いた短文の
集成だから、本になったら福田本人の意向に反して、確実に福田の
代表作の一冊になるのではと思う。リハビリ中の友人が元気だった頃、
国会図書館に「否定の精神」のコピーを取りにいったら、同じことを
考える連中が他にもたくさんいたと見えて、本が度重なる複写でボロ
ボロになっていて、表紙が厚紙や布テープで補強されていたそうな。
福田逸氏には、抄録でもいいから「否定の精神」を評論集に入れても
らいたい。まだ間に合うだろうw その方が売れ行きも確実に伸びる
よw
>>351さんも機会があれば、ぜひご一読を。
355 :
351:2008/01/24(木) 01:34:32
>>352 たびたびのお答えありがとうございました。
どうやらお恥ずかしい質問だったようですね。
近所の図書館にあるそうなので、時間が出来たら読みに行こうと思います。
356 :
吾輩は名無しである:2008/01/24(木) 17:09:12
>>345 >>346 単に文語体で書くだけなら簡単だよ。
問題は、格調高い文語体がかけるかどうかって事。
357 :
吾輩は名無しである:2008/01/24(木) 22:30:05
いまなぜ福田恆存なのか?
sc恆存先生の眞劍勝負の知性あふるる言論が此の衆愚はびこる日本を戰慄せしめるからだらう。
甘へ腐つた言論に我慢出來ぬ眞つ當なる日本人が本物を求めだし、それに応へる事が出來るのは
sc恆存先生のみと言ふことだ。
>>358 自分も衆愚の一人なのかも知れないという事を考えもしないんだからお気楽だね。
360 :
吾輩は名無しである:2008/01/24(木) 23:53:02
>>358 ありがとうございます。
ただ、抽象的でよくわかりません。
具体的にどのような言葉に響きましたか?
361 :
吾輩は名無しである:2008/01/25(金) 04:35:42
>>358 応へる→應へる
福田先生のみとは思わないが、数少ないうちの一人であるとはいえるね。
福田は本物の言論人だな。弛んだところがない。
隙がないと言えばいいかな。文体のいいし。
松原もみんなが言うほどひどい田は思えんが・・・
363 :
吾輩は名無しである:2008/01/25(金) 07:53:44
どういうところがいいのですか?
>>363 物の言い方は激しいが、筋が通っているところなど。
一貫している点は評価できる。
>>362 松原は80年代くらいまでは良い仕事してた。
「保守派知識人叩き専門業者」になったあたりから、主張が単調になってきたように思える。
早稲田の爺さんの話は、専用スレがあるのだから、そっちでやってほしい。
>>355 どこの図書館ですか。凄い本収蔵してますね。
368 :
355:2008/01/27(日) 20:47:11
>>367 近所の大学の図書館です。いくつかの大学図書館には収蔵されているうようです。
借りたりコピーもできたりしたらもっといいんですけどね。
369 :
吾輩は名無しである:2008/01/27(日) 22:20:37
370 :
吾輩は名無しである:2008/01/28(月) 11:49:12
ご存知かとは思うが、
新潮文庫で『人間・この劇的なるもの』復刊されたよ。
380円也。
371 :
吾輩は名無しである:2008/01/28(月) 12:05:20
「正字正假名」論者に対しては西部邁が福田恆存論「保守思想の真髄」
で述べている。
「旧体の国語を使用していながら、おそらく自意識過剰のために、旧体の
国語がそれこそハードウェアとなって思考、道徳、人格を締めつけている、
そうと思うしかないような文筆家を私はいく人か知っている。」
「また逆に旧体の国語を使っているということからくる安心感のために、
思考、道徳、人格がソフトになりすぎている文筆家がいることも知っている」
「旧体の国語は、文化を守るのに充分な条件でないばかりか、それを使用する
際の構え方次第では、精神の硬直あるいは脆弱すらもたらしかねないのだと思
う。要するに新体の国語と文化の堕落が高い蓋然性で結ばれていることは疑い
ようがないものの、そこに決定論的関係はないということである。それゆえ、
新体の国語を用いて文化の保持を論ずることは必ずしも不可能ではない。」
>>371 > 「旧体の国語を使用していながら、おそらく自意識過剰のために、旧体の
> 国語がそれこそハードウェアとなって思考、道徳、人格を締めつけている、
> そうと思うしかないような文筆家を私はいく人か知っている。」
てか、ネット上の旧字旧かな論者ってそんなのばっかじゃん。
374 :
吾輩は名無しである:2008/01/28(月) 15:30:52
KY
>>371 同意する点はあるものの、些か牽強付会な論理展開だと思う。
西部の「正字正假名」論は
>>312にもあった。立ち読みであんまりしっかりとは読まなかったけど。
この本では前の福田恆存論では国語国字問題には触れなかったと言っているが
それは
>>371のとは別のやつなのかな。
>>371 >371は西部の「思想史の相貌」の福田恆存論の中にあるよ。
あれ読んで福田読者の旧カナヲタどもが怒ったらしい。
>>370は旧字旧かなですかね?
新潮の他の文庫は新かなだから望み薄かな?
ttp://www.shinchosha.co.jp/book/121602/ 福田恆存/著
いまの若者たちにますます必要な人生の書、恋愛の書だと思う。――坪内祐三
人間はただ生きることを欲しているのではない。
現実の生活とはべつの次元に、意識の生活があるのだ。
それに関らずには、いかなる人生論も幸福論もなりたたぬ。
――胸に響く、人間の本質を捉えた言葉の数々。
自由ということ、個性ということ、幸福ということ……悩ましい複雑な感情を、
「劇的な人間存在」というキーワードで、解き明かす。
「生」に迷える若き日に必携の不朽の人間論。
381 :
吾輩は名無しである:2008/01/29(火) 00:01:23
>>379 「この作品は昭和三十一年六月新潮社より刊行され、昭和三十五年八月に文
庫化された。復刊にあたり、『福田恆存全集三巻』(昭和六十二年六月、文
藝春秋)『福田恆存翻訳全集第六巻』(平成四年六月、文藝春秋)により校
訂した。表記は新字・新かなづかいに改めた。」
解説・佐伯彰一、エッセイ・坪内祐三
382 :
吾輩は名無しである:2008/01/29(火) 00:09:58
>>371の前段で西部は「福田恆存にとって、旧漢字旧仮名の使用は文化への献身でも
あったのだろう。しかし、新体の国語のなかで育ち、いま現在もそれを使用している
私はどうなるのか。私自身は、改悪された言語状態のなかでも、文化における言葉の
決定的な重要性を自覚する少数者にとどまりたいと念願している。」と記している。
>>371 今ざっと読んではみたが西部、基本的はべろんべろんに褒め称えてるやん、福田を。
ただし彼の信者さんたちについては“伝統、それは人間の生における静と動の
弁証法を可能にする文体であり〜略〜ふたつに福田恒存のアア流における精神の
硬直のせいであろう”だの“常識に還れという福田恒存の言葉を理想主義に対する
現実主義のことだと理解してすっかり得心しているような読者がたくさんいる”と、
もう徹底してボッコボコにww
で結びはこう。
“しかし神のみならず、慣習、そしてひょっとしたら風土さえもが、いまや密室に
入ってでてこようとしない。保守すべき伝統は、私たちの手元に数片の痕跡を
遺したままで、私たちの視界から消え失せつつある。直接に神を語りえないだけ
ではなく、歴史も自然も、偽善と感傷を避けようとすれば、間接的に語る以外に
方法はないのである。福田恒存はエリオットのうちにこの方法を確認した。
「もはやエリオットは殉教者を氣どらない。たゞ巫女であることに甘んじようと
してゐるのである」(『エリオット』)。密室の神と交話しようとする巫女の演技の
なかに、現代における倫理の最後の拠り所がある。福田恒存もひそかに巫女たらんと
していたのではないか。その高貴な精神は巫女のものに相応しい。だから読者は、
この危険な存在に、最大の勇気を細心の注意をもって近づかなければならないのである。
あれw
アア流 → 亜流ね、もちろん(苦笑
385 :
吾輩は名無しである:2008/01/29(火) 01:02:02
>>383 勿論褒め称えた上で、「正字正假名」を自らは使用しない由を述べた迄でして。
『友情』(2005年)でも西部は福田恆存を戦後最大の思想家って書いてるよ。
いやなに自分はただに、西部をダシに、
ここで神学論争と個人攻撃にうつつをぬかす連中に対して
イヤミを云いたかっただけだから(苦笑
他にも西部、福田を「使う」連中に対してはもうボロクソに云ってるね。
共感した(笑
もとより自らのうちには守るべき誇りのカケラもない手合いが、
いくらみためや(借り物の!)形式だけを取り繕ったってさ。
愚劣。
387 :
吾輩は名無しである:2008/01/29(火) 01:30:27
いいの。
たまさかそれが生み出したものを楽しむことはあっても、
あくまで観念の中でだけで思考を弄び、生きてまた死んでゆくひとたちの、
「現実の」苦しみは決して直視しようとはしない保守思想家なるものを、
俺は基本的には、こころの底から軽蔑しているから。
どれだけ高貴な精神とやらを内に抱えてはいようが、
前提となるものそれ自体が間違っているのなら、
そこに積み上げられたものは、全てが塵だ。
世界はあくまで彼らの、ひとびとのものであって、
故なく一方的に彼らを見下す、人外のためにあるのではない。
ましてや。
お前たちはただの借り物、まがい物でしかない。
恥を知るがいい。
>>381 ども。
この時期に復刊するってことは、今度の評論集には収録されないのかしら。
たしか収録されるはず。坪内の福田逸への嫌がらせか。
>>391 ども。
帯を見たら四巻の題名がそれぢゃないか。迂闊でした。
でも、十回目の配本だから、来年の五月辺りですかね。とほい・・・。
福田の本を出したがっている出版社はたくさんある。詩歌の本を多く出して
いるH舎の社主は「私の国語教室」を出したがっていたし、老舗のT書房も
福田作品のさらなる文庫化を検討したものの、すでに逸氏が麗澤大学と話を
進めていて叶わなかった。誰かが書いていたけど、人物論や軽いエッセーの
セレクションを、どこかいい本屋が出してくれないものか。
新潮のは中公が絶版にしたから、逸氏に許可を得て出したのでしょう。
麗澤なんかより筑摩から文庫だしてくれたほうがずっとありがたいのになあ。
逸さんもKYな息子じゃのお。
395 :
吾輩は名無しである:2008/02/03(日) 02:51:36
『諸君!』三月号で八木秀次氏が評論集八巻の書評をしてゐるよ。
八木か。俗物で小人物だよなぁ。
おそらく、十年経てば、風向きは若干かもしれんが、変わってくるよ。
たぶん逸氏と、他のご遺族との間に温度差みたいなものがあるのでは
ないかな。「否定の精神」や最晩年の文章が入らないのも、そのせい
だろう。
リンクにあるものを読んだだけだが、あれは良いね。含羞がある。
誠実さと云い換えても良いな。
まぁ俺の場合は、にも拘らず、なんで信者共はああもこう…と続く訳だがw
399 :
吾輩は名無しである:2008/02/12(火) 04:19:20
福田先生がどこかの文章に「血税」について書いてゐなかつたつけ?
それほど長いものではなかつたと思ふんだけど。
>>399 燃料投下乙。
知ってるくせに、そんなこと書き込むな。
それより、明け方に2ちゃんなんて、仕事はいいのか。親を泣かせるなよ。
401 :
399:2008/02/13(水) 00:36:22
>>400 ご忠告ありがたう。何とか親を泣かせずに済んでゐるよ。
ただ、残念ながら本当に忘れたんだ。
もしかして記憶違ひか。
>>399 別に「納税額の多寡と言説の当否は無関係」なんだろう、おまえの脳の中では。
なら別に福田の文章の「血税」云々なんて「どうでもいい」ことだろう。
前田のブログの議論。「人間・この…」の新かなでの復刊については、
前田の言うとおりだろう。が、後段の「日本はアメリカの植民地」云々は
全く見苦しい。それこそ屁理屈だ。福田のファンはこういう連中が多い。
____
__,,/ _, ----`ヽ :.
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:. ,'./ i ヽ:. ヽ:.:.. ヽ.ヽ
,'/ / .ハ ヽ ヽ:.:.:.:. ヽ::.. ヽヽ :.
:. |i .i i .i / ヽ ト 、 \、:.:.:. ',:.',:.:.lヽ}
|i .i l :N_, -弋 \弌弋ナ:}:.:}
:. |i∧ ', :{ ,ィjモト \ イjミトイイV :.
.| :メヽ.', `ozZ} izN。ハ::{
:. | :ヾ_! ゝ "゙゙ ' `゙ ハ.:', :. な…
| :.:_イ .:.ヽ. (二フ , イ :.:.:!:.ヽ なんなんですか?
:. / rィイ | :.:.ヽ: >r/`<ノ .:.::.}ヽ、\:. ここ、どこですか?
/ ∧l;l ! :.:.:.://{二 ̄ .} ..:..::リ \.:\ なんであたし
:. / . / ヽi .:.:.{ /(^` |.:.:.:./ }: . ヽ.:. 裸になってるんですか?
/ / } ヽ:.ハ ヤ{ !.:./ |:.:. i ',
./ .,イ .:..} / l ! レ l:.:.: .ハ ',
{ /| .:.:ハ / l i i /:.:.:/ }:.}
V | .:.:/:.: ', / iノ :i ! /:.:i.:{ リ
ヽ:.:{、.:.:.l | | |. /:.::∧|
ヽ! )人 | ! / \! :.
" ヽ / { / \ :.
:. \__/ \______/ ヽ
/ 、 b ',
:. / ヽ / ;
/ \ / !
/ \!/ !
恒存最強
おれは西部こそが福田の後継者に相応しいと思うけれどね。
彼が怒っているのはまさに松原とその信者共だろう。
本当に優秀な人だと思う。
西部も旧字旧かなをつかっていないだけで、たたかれてしまって
かわいそうに。やるなら、この間のパール論争みたいに学術的な
鉾先で突けばいい。
西部を叩いている連中に、彼の「ソシオ・エコノミクス」や「経済倫理学
序説」を真っ正面から批判できる奴はいない。現代かなづかいでは福田恆存
論は書けないなんて、幻想に過ぎないよ。「歴史的かなづかいは論理的に正
しいのに、戦後の日本人の大半に無視され続けてきた」…これからも、国語
問題協議会の連中はそう怒号し続けるのだろうな。
/ ̄ ̄ ̄ ̄\
( 人____)
|ミ/ ー◎-◎-)
(6 (_ _) )
_| ∴ ノ 3 ノ 歴史的假名遣ひを使はない西部は馬鹿
(__/\_____ノ_____∩___
/ (__)) ))_|__|_E) ̄´
[]_ | | 松原正命ヽ
|[] | |______)
\_(___)三三三[□]三)
/(_)\:::::::::::::::::::::::/
|T書店...|::::::::/:::::::/
(_____);;;;;/;;;;;;;/
(___|)_|)
表記についてはいくらでも逃げ道があるだろうに
(手がかりとして、福田だってすべての媒体で正仮名表記をまもっていたわけではないし)
あえて使わないと言うのは消極的なものかもしれないがむしろ誠実さを感じる。
でもパール論争はちょっとがっかりした。
でもさ、松原なんてもう知っている人はほとんどいないだろうし、
後世に残ることは絶対にありえないから一安心だね。
こんなのが後の日本に語り継がれては困る。
俺としては西部だけは無くなった後に伝えて行きたい、唯一の言論人だ。
まあ近頃、若干鈍っているから不安。
朝生が始まった時、保守派知識人の大半が田原ら番組サイドからの出演
依頼を拒絶した。しかし西部邁だけが堂々と引き受けて天皇崩御や湾岸
戦争について自説を開陳していた。最近の著作とは疎遠になっているが、
あの頃の西部の姿にどれほど勇気づけられたことか。懐かしい思い出だ。
413 :
吾輩は名無しである:2008/02/28(木) 19:00:34
折口信夫のコカイン中毒、岡潔の睡眠薬中毒にも驚いたが
福田恆存がポン中だったというのにはもっと驚いた。
415 :
吾輩は名無しである:2008/03/01(土) 22:27:55
福田氏の用語は「進歩的知識人」?それとも「進歩的文化人」?
ポン中(笑)
417 :
吾輩は名無しである:2008/03/02(日) 12:49:14
>>412 でも、英語情報マネジメント学部なんて、時流に迎合した学部を擁する大学の
学頭だぜ?
こんな人が保守の代表なんて
恒存も草葉の陰で泣いてるだろうな〜
福田恆存も一応戦後派だな。
戦後派ならヒロポンなんて珍しくもなんともない。
今朝の読売の他の本の書評でメディア論の佐藤卓己が若いころ人間この劇的なるものを読んだと書いている。
ほとんど名前が出ているだけだけどね。
>>417 素直に同意できないね。少子化社会で大学も生き残りに必死だよ。
問題はその大学の学生が将来どんな社会人になるかだろう。早稲田
大学文学部を出ているのに、昼間から神保町や秋葉原をぶらついて
いるニートもいるからな。そんな奴が福田を持ち上げて自分をさも
知的エリートに見せようとしているんだから。福田が草葉の陰で泣
いているのなら、どっちの理由で泣いているのかなw
421 :
吾輩は名無しである:2008/03/03(月) 02:26:02
いや、早稲田のニートがいくらダメだからって
英語情報マネジメント学部を肯定してよいということには
ならん。
学校教師学部なんていうのも増設するんだぜ?
生き残りに必死なら、表層じゃなく中身で勝負しろよ。
東京大学>日本大学>亜細亜大学
なんて、地名が大きいほど大学ランクが下がる、なんて
よく言ったものだが
経営学部>英語情報マネジメント学部(秀明)>アジア太平洋マネジメント学部(立命館アジア太平洋)
名前が長くてカタカナ語が多いほど
ダメ学部って感じ
じっさい受験生も、そういう長ったらしい大学ほど
ダメだと認識してるんじゃないの?
慶応SFCだって鳴り物入りで出発したが
最近では、看板学部の経済や法学部と併願して
両方受かったら、SFCに行く奴って奇特だというじゃない
422 :
吾輩は名無しである:2008/03/03(月) 02:27:11
奇特=非常に珍しく、不思議なさま
423 :
吾輩は名無しである:2008/03/03(月) 02:32:00
>>421 ねえ、何にも中身も言いたい事も伝わらない文章なんだけれど、
頭のなかどうなってるの。けっこう前から福田のことを語れるわけでもないのに
このスレにいるよね。
なんか、批難の仕方が松原にそっくりなんだよね、君。
あいつも肝心のところを無視して、文章が悪いだとか旧かなではないといって
不当な糾弾をする。
>>421 265 :吾輩は名無しである:2007/12/16(日) 14:17:56
>>261 西部が学頭を勤める秀明大学は
「英語情報マネジメント学部」なんていう学部を擁するけど
これは、貧しくない?
281 :吾輩は名無しである:2007/12/17(月) 11:31:25
旧仮名遣いを保守しようとした福田が
「英語情報マネジメント学部」なんて時流に迎合した学部名聞いて
しかも、西部が保守論客を自称してるなんて聞いたら
嘆くだろうなあ
これも君だよね。数ヶ月経っても、下手糞な文で話柄は同じ。
最低元、後者だけでも纏っていればいいのだが、綻びだらけで処置のしようがない。
しかも松原的なことをいえば「奇特」の使い方は誤り。
松原信者ってこんなのばっか。
427 :
吾輩は名無しである:2008/03/04(火) 18:16:38
英語情報マネジメント学部を変と思わないのに
福田恒存ファンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
「福田恒存」と書くとは一體どう云ふ了見と見識の持ち主か。
日本の傳統を守らんとせしものは「sc恆存」と書くべきだらう。
いやいや必ず「sc恆存」と書かねばならぬ。
これこそはsc先生の愛讀者の嚴しき義務だ、責任だ。
なんか、美少女アニメの匂いが…。
前田氏の富岡幸一郎批判読んだんだけど、福田信者って何で反米論に過剰に反応するのだ
ろうか?
依存だなんて書いているが、前田こそ、福田に依存し富岡に依存している。
福田の「世話女房」発言、今読むと何だか小恥かしいな。
432 :
吾輩は名無しである:2008/03/11(火) 12:57:33
福田読者は妙な特権意識の持ち主が多いから嫌い。
福田読者は自分も日本人のくせに日本人を馬鹿にするから嫌い。
自分は例外だと思っているのだろう。
「福田恆存論を書いて世に出たい!」。
そう望んでいる批評家未満が多いな。
そのやうな特權意識を持つた傲慢なsc恆存先生の愛讀者がゐるのなら
眞つ當なる讀解力を持つてゐない愚かものと云ふことだらう。
然し、そのやうな愚者でもsc先生の御高著を讀まんとするだけでも
この日本に溢れかへつた愚物どもよりはましだと言へるだらう。
それにsc恆存先生の愛讀者には謙虚で知性あふるる人物も多い印象がある。
>>434 「ゐるのなら」ぢやなくて、お前がまさにさうだらう。
俺は、後ろめたいがな。
ネットで福田を論じている連中の大部分が、
>>432が嫌悪するような
鼻持ちならない奴ばかりだ。
>>434はその典型。
日本の「知識階級」は、思想の右左に関わらず西欧崇拝者が多いからな。
福田恆存も決して例外ではなかった。
福田恆存は「保守」思想家としては、柳田国男・小林秀雄・保田與重郎らには及ばなかった。
>>439 同感です。福田が編集したとされる筑摩の「反近代の思想」を読んで、
強くそう思いました。特に初期の福田こそ近代主義者です。
441 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 11:56:16
前スレで誰かが言ってたけど、福田を理解するには「保守」
という括りから解き放す必要があるように思える。
442 :
吾輩は名無しである:2008/03/13(木) 23:30:13
逸氏のブログに「お報せ」が載つてゐる。
評論の文庫化、戯曲集、楽しみだ。
新假名表記とは云へ、sc恆存先生の御著書が店頭に竝ぶと云ふことは
此の腐りきつた知的怠惰な日本にも少しはましな連中もゐると云ふことか。
>>443 毎度毎度、よく同じようなことが書けるなぁ
サミュエル・ジョンソンは「愛国心は悪党の最後の隠れ家」と言ったけど、「福田恆存は知的スノッブ
の最後の隠れ家」とも言える。
「福田恆存」を「旧字旧かな」に換えても充分通用する。
この第三幕になってから福田スレに通うようになったんですけど
>>443みたいなのは本気でやってるんですか?
>>445 うまいこと言いますね。まさしくそうだな。
>>445 野●某とか前▲某の姿を見ていると、貴殿の意見に同意せざるを
得ません。
449 :
吾輩は名無しである:2008/03/17(月) 20:31:54
文春版全集持っていない人間として戯曲集も出るのはありがたい。
しかし、なぜ戯曲集では未収録どころか活字化されていないものも集めるのに
なぜ評論集では文春版未収録のものを収めなかったんだろう。
だけど福田の戯曲、劇団昴ですら、それほど上演しなかった。
戯曲集になっても、コアなファン以外で読者を獲得できるかどうか。
福田は松本白鴎(八代目幸四郎)を高く評価していたけど、白鴎の息子
たちは、翻訳も含めて福田の戯曲を全く上演しようとしないね。
前田某の西部批判読んだけど、この人も結局はお花畑の住人だったのね。
駄目だ、見限った。
>>451 所詮高校の教員だよ。こんな奴の反米論批判なんて何の説得力もない。
高坂正顕や西谷啓治たちの『世界史的立場と日本』も、本当に彼は読んで
いるのかな。福田や岡崎の発言を引用していたが、失笑してしまった。
改めて、
>>445の見識に敬意を払うよ。
前田さんのブログって、単に「この福田恒存が目に入らぬか!
って言ってるだけだからなぁ。
夜中になるとブログが更新される、どこぞの無免許文化人と五十歩百歩だよ。
楽だよな、福田の発言を金科玉条にして、
ただ追認していればいいのだから。
456 :
吾輩は名無しである:2008/03/25(火) 18:55:46
正義を語るなら自分の言葉で
457 :
吾輩は名無しである:2008/04/06(日) 01:55:17
森英樹さんは福田は馬鹿にも分かるように書いていると喝破
したが、このスレ見てると納得してしうよ。
>このスレ見てると納得してしうよ。
「馬鹿」には
>>457自身も当然含まれるんだろうなw
>>458 うん。
だから僕は森英樹さんを尊敬してる。
彼はバーク・チェスタトン・小林秀雄といった、馬鹿には
理解できない保守思想家の書物に親しんでいる。
あなた方も、自分より優れた人を素直に尊敬さる謙虚な心
を持つべきだ。
sc先生が馬鹿にも分かるやうに書いたからと言つて、全てのsc先生の讀者が馬鹿だと思はれるのは
幾らなんでも我慢がならぬ。
何故ならsc先生の讀者の多くが眞劍勝負の知性を持つ現代の賢者なのだからである。
金過玉剰
>>460 現代の賢者を称するんだったら、まずは森さんのようにバーク
やチェスタトンを読みこなせるようになってからにしてくさ
い。
嫉妬はカッコ悪いですよ。
463 :
吾輩は名無しである:2008/04/07(月) 04:31:52
>>463 6691 返信する え〜 森英樹(本物) 2007/08/15 00:33
男性 自由業 34歳 A型 京都府
でも会長とかが「福田恒存をやっつける」とか言っても阿呆らしいから読んでないし放置するのがいいんじゃないかな?
僕は福田は好きだけど松原正と小林秀雄はもっと大好き。
福田恒存の文章は少し野暮ったいよ。
まあバカを相手に懇切丁寧に説明してるから仕方ないけどね。
>>464 松原正は本物の言論人だな。なんていうか、筋が通っている。
この人の文章もいいね。物の言い方は激しいが、論敵を完膚
なきまでに叩きのめすのが、痛快。
もうこういう人は出てこないだろうね。
松原のエピゴーネン達ってみんな
>>465みたいな事言うよな。
>もうこういう人は出てこないだろうね。
出なくていいよ別に。誰も必要としていないし。
そもそも「本物の言論人」とゆーのが何なのか意味不明。
松原のエピゴーネンは言語明瞭意味不明瞭な語句を使いたがる。
早稲田の嫌われ者とその追従者のことは、隔離スレでやってください。
森英樹が福田について論じた所など見たことないのだが。
評論集は第三回配本が終わったね。売り上げはどうなんだろうか。
横這いなのか、それとも下降傾向にあるのか…。
472 :
吾輩は名無しである:2008/04/16(水) 06:55:54
福田も信奉者の間でのみ語られる知識人になったのだろう。
473 :
吾輩は名無しである:2008/04/17(木) 22:05:51
474 :
吾輩は名無しである:2008/04/18(金) 21:53:27
中身は薄い。
476 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/04/19(土) 11:41:31
色々引っ掛かりを覚える評論家ではありますねぇ(笑)
小林秀雄や福田恆存にすら反論を許さなかった松原正先生こそ、
日本最高の知性であり、その高潔な人格と孤高の言論を理解する
者たちこそ、日本再生の鍵を握る選ばれし存在なのである。
478 :
吾輩は名無しである:2008/04/21(月) 00:18:59
松原正先生は山崎行太郎先生と並ぶ日本人の「真の知性」
「論争のすすめ」読んだことある人いる?
購入を考えてるんだけど・・・
福田恆存の著作だから、まず間違いがないと思うんだが。
松原Who?
>>479 こんなところで書き込みするなら、すぐにお買いになるべきですよ。
よくも悪くも、あの時期の福田の特徴がよく表れている評論です。
482 :
吾輩は名無しである:2008/04/23(水) 00:20:55
>>479 座り心地の悪い椅子のほうがオススメですよ。
逸さんのブログ、「非休止」宣言からはや一ヶ月。
戯曲集やその他の文庫化についてはやく続報が欲しいものだけれど。
484 :
吾輩は名無しである:2008/04/24(木) 10:35:01
二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存は日本の筆頭クズ人間です。
486 :
森英樹(本物)代理:2008/04/25(金) 11:05:11
>>486 間違っていませんよ。普通にアクセスできます。
なにこのキッツい掲示板w
本当に執筆陣が豪華で、内容がありますねw
490 :
森英樹(本物):2008/04/26(土) 13:56:17
ここで西部邁叩きをしてる方へ
あなた、キロクロウって人に森英樹だと勘違いされてるよ。
あと私はバークはよく知りません。詳しいのは木村貴さんじゃないかな?
チェスタトンよりもオーウェルの方が数段好きです。
中川八洋を電波保守だと思ってるのはその通りです。
西部の文章は先日の正論欄で読みましたが、内容が薄すぎて(スポーツが何たら・・・とかいう話)忘れました。
しかし西部はそんなに「保守」の称号が欲しいんでしょうか?
松本健一のほうが面白いよ。偏ってるけどマニアックで。
福田恒存について語ったことは無いな。
言及したことくらいはあるけど論じたことはないんじゃないかな?覚えていないな。
でも、なんでもかんでも「保守」という枠組みで読むと誤読すると思う。
なんで保守が流行ってるんだろうね。
結論:やっぱり小林秀雄が一番面白い!!!!!!
493 :
森英樹(本物):2008/04/27(日) 01:33:37
キロクロウが反応しないなぁ・・・。
西部は高校時代に西尾と同時に知ったけど、その当時から詰まらなかった。
松原先生のことを知ったのは20歳の頃だったと思う。
横浜に講演を聴きに行った。まだ医学部でも教養課程があった頃。
まだ教養課程ってあるのかな?
494 :
森英樹(本物):2008/04/27(日) 02:07:33
>>493-494 r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/ >::::::::::ヽ
. 〃 ヽル1'´ ∠:::::::::::::::::i
i′ ___, - ,. = -一  ̄l:::::::::::::::l
. ! , -==、´r' l::::::/,ニ.ヽ
l _,, -‐''二ゝ l::::l f゙ヽ |、 ここはお前の日記帳じゃねえんだ
レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_ !:::l ) } ト
ヾ¨'7"ry、` ー゙='ニ,,,` }::ヽ(ノ チラシの裏にでも書いてろ
:ーゝヽ、 !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、 ,i:::::::ミ
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{ __)`ニゝ、 ,,iリ::::::::ミ
::::::::::::::::::::Vi/l:::V'´;ッ`ニ´ー-ッ-,、:::::`"::::::::::::::;゙ , な!
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文化勲章なんて、丸谷や山崎の如き愚物でさえ貰えるようなモンなんだから、むしろ福田に与え
られなかった光栄と受け止めるべきだと思う。
497 :
吾輩は名無しである:2008/05/02(金) 13:46:21
確かに森は福田批判や松原批判に無関心であると思う。
森の友人とやらが指摘したとおり「引用の仕方が恣意的である!」パターンが多い。
必然的に「保守主義の枠組みで読むな!」となると思う。
だから中川八洋の保守主義文献や「保守のための○○」が嫌いなはずである。
文章だけで鳥肌立つよ
344 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/03/26(水) 20:57:01
数年前、国際フォーラムに「人体の不思議展」を見に行った。
そこに展示されていた遺体は妙に新鮮で生気があるように感じられた。
俺は格闘技をやっているので「結構鍛えられたいい体してるな」という感想を持った。
そりゃそうだよな。 気功で鍛えられた法輪功学習者の遺体だもんな。
俺が「結構鍛えられてる遺体だよなぁ。筋肉とかバランス良過ぎだろう」
と言ったら、一緒に行った中国人が 「太極拳だね」と言っていた。
俺はその当時、意味が分からなかったら「ふーん」と流したんだが、今ようやくその意味が分かった所だ。
534 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/03/26(水) 21:59:42
八ヶ月くらいの胎児を身ごもった女性もあったと思うけど、あれも法輪功の人って聞いた。
生きたまま血管に薬剤注入されるとか...可哀想で、人体の標本展と聞くと鳥肌が立つ。
555 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/03/26(水) 22:08:17
http://jp.e←くっけて→pochtimes.com/jp/2006/04/html/d99548.html
生きた人体から臓器摘出―中国大陸病院の証言録音
------------------------------------------------------
質問:法輪功学習者のものはありますか?
医師:ここにあるものは、すべてそうです。
だめだ吐き気してきた
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/←くっけて→1206527320/706
人体の不思議展の公式ページを見る→運営団体の情報が無いに等しい→ページ下に「Inovance Co.,ltd」を発見→
株式会社イノバンスをgoogleで発見→ 代表取締役の名前でgoogle検索→このイベントは黒確定→
あらためて人体の不思議展の公式ページを見る→これまでの開催時の写真ページを発見「
http://www.jintai.co.jp/outline02.html」→
→まさに21世紀のホロコースト
↓黒幕は先月に死んでたんだね。(こいつが中国から人体標本を仕入れてた張本人)
http://la-chansonet.com/CagazeFiles/hitorigoto08022.html 法輪功修練者を迫害・拷問する中国当局
http://shupla.w-jp.net/datas/movie/FalunDafa_PleaseHelpUs.html
福田スレに松岡信者はこないでくれ。
松岡は福田と何ら関わりはないだろう。亜流でしかないんだからな。
「松岡」ぢやなくて「松原」でせう。
〜∞
彡川川川三三三ミ〜
プーン 川|川\ /|〜
‖|‖ ◎---◎|〜
川川‖ 3 ヽ〜 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川 ∴)〆(∴)〜 < 松原信者は俺に任せろ!
川川 〜 /〜 |
川川‖ 〜 /‖〜 \______________
川川川川 (⌒)川‖〜 ヴィシッ!
//::::::::|-、 ,-/::::::ノ ~.レ-r┐
/ /:::::::::::| /:::::ノ__ | .| ト、
| /:::::::::::::::| 〈 ̄ `-Lλ_レ′
喜六郎(2008年没予定)
特徴。 ヒキ・ウヨ・ニート
http://pink.ap.teacup.com/kirokuro/
| ∧ ∧
|/ ヽ ./ .∧
| `、 / ∧
|  ̄ ̄ ̄ ヽ
| ̄ 松原命  ̄)
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄.\
|ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- /
|:: \___/ /
|::::::: \/ /
喜六郎、ただで済むと思うなよ。ヒヒヒヒ。
>>500 気持ちは分かるんだけど、奴らも一応福田読者なのは間違い
ないんだから、そこ突かれると反論出来ないのが辛い所。
松原信者よろしく俺ルール持ち出して奴らを偽福田読者呼ば
わりするのも馬鹿げてるし。
松原信者が来るのは諦めるしかない。
この前の国語問題協議会の講演会はどうだったの?
前田氏がブログに書いてゐるよ。
英語>歴史的仮名使ひ
508 :
吾輩は名無しである:2008/05/24(土) 17:34:00
なんで評論集は時局絡みのものばかり先に出してくるんだろう。
509 :
吾輩は名無しである:2008/05/25(日) 23:56:09
今日の産経に論文が出ていたね。
福田さんは立派なのに、福田さんの弟子や読者に愚かな人
が多いのは何故ですか?
511 :
福田恒存をやっつける会会長:2008/06/11(水) 16:25:03
>>510 福田さんは立派なのに、福田さんの弟子や読者に愚かな人
が多いのは何故ですか?
二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存が「立派」とはどこから出てきたうわさですか。
おたまじゃくしは蛙の子、鯰の孫ではないわいな、と言う歌がありますが、所詮蛙の子は蛙にしか
なれません。鳶が鷹を生むこともないわけではありませんが、鳶の子はいつまでたっても鳶。
二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存がロクデナシだからこそ、福田の息子の逸は勿論、
弟子や読者も全て録でなし揃いというわけです。
>徴兵逃れの卑怯者
その証拠をまず貴様が我々に提示しろ。いい加減にしろこの基地害め。
>>512 貴殿のような馬鹿が相手にするから調子に乗るんですよ。
514 :
吾輩は名無しである:2008/06/15(日) 18:23:02
「何かごにょごにょ言ってます」と言うブログで考えさせられる文章を見つけましたので転載します。
2008-06-10 【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式■[ごにょごにょ]【秋葉原無差別殺傷】人間までカンバン方式 01:12 653
なんか激しく放置プレイなんだけど、秋葉の事件について、犯人が働いていた工場は、父が正社員として
長く勤めている会社のことなので、知っていることを書いておきます。
誰が見てくれるかわからないけど。
ミクシニュースでも書いたんだけど、瞬間最大風速で流れてしまうよりも、
はてなに残しておいた方がいいだろうと。
関東自動車はトヨタの関連会社で、下請けではなく、トヨタ車の生産ラインそのものを請け負っている。自動車部品工場という表現をするマスコミもあったけれど、それは正しくない。
トヨタ車として売られている自動車のプレスをし、組み立てをし、塗装をする。ヨタ本体の一部だと思っても間違いではない。
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080609k0000e040040000c.html 工場での担当は塗装ライン。月曜から金曜の週5日勤務で1週間交代で日勤と夜勤についていたが、勤務態度はまじめで、公休以外は休まなかった。時給1300円で月約20万円の収入があった。契約期間は今年3月31日までだったが、1年間更新されていた。
派遣社員を6月末で200人から50人に減らす計画があったが、加藤容疑者は、自分が対象ではないことを派遣会社から知らされていたという。
この部分、私が電話で父親から聞いていた話と食い違う。
515 :
吾輩は名無しである:2008/06/15(日) 18:28:31
少なくとも工場の正社員は6月30日付けで派遣はすべてクビと認識していたようだ。期間工は契約更新しない形で順次数を減らすということ。最終的には、正社員以外はすべて解雇する。
理由は、原油高による材料費高騰。しかも国内需要も伸びないので、引き続き好調な海外需要については、人件費コストの安い海外工場で生産する。なんというか、これがトヨタのやり方か。
トヨタの経営方針、在庫を抱えず、下請けからすぐに必要な分だけ部品を取り寄せるカンバン方式というのが有名だけど、まさに、人間までカンバン方式なのだ。
自分たちが、労働者を買い叩いたせいで、若年層を中心に収入が減り、国内需要が減ってしまったら、海外市場は好調なのでとっとと生産拠点を海外に移転してしまう。
しかも、東富士工場は非常に広く、人の配置もまばら。親父いわく、「隣の人と100mは離れている」ウチの親父はいつだって大げさなので、そんなに離れちゃいないだ
ろうけど、数十メートル単位で離れていると見ていいだろう。休憩時間や出入りの時間などに意識しなければ人と会話をすることも無いそうだ。しかも、ハケンは出入
りが激しすぎていちいち顔も覚えていない。親父いわく、ハケンのことだから知らないだそうだ。まったく(怒)
犯行前に、ツナギがロッカーから消えていたことで、解雇されると思い込み激怒したとの報道があった。字面だけ追えばそんな小さなことで解雇なんて、と思う。
だが、彼の状況を鑑みるに、まともにコミュニケーションが成立していないので、ちょっとしたことにも過敏になってしまうだろう。
しかも、派遣会社の言ってることと現場の言われていることに食い違いがあり、クビにはならないと派遣会社が言ったところで、会社側が希望する日
まで働いてもらうための方便に見えてしまうだろう。クビにすると言ってしまえば、本人がバックレたり、やる気がなくなったりして生産性が落ちてしまう。
516 :
吾輩は名無しである:2008/06/15(日) 18:34:58
そもそも、数ヶ月で人が入れ替わってしまうので、職に対するこだわりや企業に対する忠誠心が薄くなる。ウチの父親によると4本閉じなければいけないボルトを、面倒になったある派遣労働者が2本しか閉め
ないで出荷してしまい、大騒ぎになったこともあったらしい。
また、多少契約期間が伸びたところで、経営方針として最終的に派遣を切るという方向性に変わりはない。モチベーションの上がらない労働をさせられる時間が増えるだけであり、それはそれで苦痛である。
そういう状況下でツナギが無くなったとしたら、極めて非人間的な方法で、陰湿に解雇を告げてきたと勘違いしてもむべなるかな、だとは思う。その上、派遣会社の日研や関自がマスコミに言っていること
は本当なのか。犯人のクビは決定していたが、保身のために嘘をついている可能性はないか
だからと言って、無差別殺人に飛躍するのは、ムチャクチャである。許しがたい行為である。だが、一方で企業側のその非人間的な扱いに愕然とする。
この記
http://www.excite.co.jp/News/society/20080609201237/JCast_21495.html事の はてブコメントに
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.excite.co.jp/News/society/20080609201237/JCast_21495.html 「圧倒的に他者がいねぇ。完全にひとり芝居じゃないか。舞台の上には役者だけ、ほんとに怖い。」というのがある。だが、そもそも犯人の環境は、他者と関われないシステムとして存在している。
見知らぬ土地に連れて来られ、社員からは顔を覚えてもらえず、あたかも部品の一部として明日の生活を奪われる。俺はボルトじゃねえ。
派遣同士のつながりというのはどれほどあったのかは分からないが、(ニュースを見ていると同僚同士多少はコミュニケーションがあったようだが)希薄だったのではないか。他者と関わりと持てず、
漫然とモチベーションの上がらない仕事をしながら明日の生活に怯える。
517 :
吾輩は名無しである:2008/06/15(日) 18:41:43
他者のいない生活の中で、自分ばかりが肥大してしまう。ツッコミすら入らないのだから。彼女がいない、ということに対して相当の劣等感を持っていたようだけど、承認の象徴が「彼女」だったのではないか。無論、背景には恋愛至上主義もあるだろうし、
若い男なのでそれ相当に性欲もあるだろうが、友達でも親でも、頼れる上司でも、あるいは猫だろうが、代替は可能だったのではないか。少なくとも道を踏み外すほどにはならなかったのではないか。
犯人は他人を巻き込まず、一人で勝手に死ねばよかった、そう言う人は多い。裾野市なので富士の樹海は近い。だが、犯人があのまま秋葉に行かず、一人樹海に向かったとしても、誰も探しに行かなかっただろう。派遣会社も、派遣社員の同僚も良くある
バックレとしか思わず、社員はいなくなったことも知らない。
そのことを思いついたとき私は全身が寒くなった。身震いするほどの孤独がそこには存在する。
人間としてみなされていない人は、他の人も人間としてみなさない。凶行の背景には、凍えるほどの孤独が生み出す負のスパイラルがある。
繰り返すが、だからと言って、無関係な人を殺したことの言い訳にはならないが。
関東自動車でも他の会社と同様、派遣労働者を積極的に活用しはじめたのは、今から大体10年ほど前だと思う。それまで、期間工として補充していた枠を派遣に変わるようになっていた。
父から聞いていた話だと、派遣会社によって賃金も待遇もバラバラで、おおむね期間工よりも賃金は安い。しかも雇用形態はきわめて不安定で、いつクビになるか分からない。父からも、子供がいて派遣だけでは食べていけないから、工場労働の後に
土方のバイトをしている人の話を聞いたことがある。非常に優秀な人なのに、地元に職がない、学歴が無いなどの理由で派遣労働しか選択肢がない、わずかしか給料がもらえないなどの現状に父なりに歯がゆさを感じたらしい。一方で、職に対するこだわり
の無い派遣を見下しているようなところもある。
ロスジェネ真っ只中の私も現在デスクワークの派遣だが、自分の会社の派遣の待遇を見ているせいか、ずっと正社員になれと言っている。
518 :
吾輩は名無しである:2008/06/15(日) 18:44:26
ウチの親父は高校卒業後、18で関自に入社して以来、長く勤めている。昼夜2交代の勤務で、キツイ仕事ではあったが、それなりに安定していた。しょぼい家ではあるが、家も建てたし、私も大学に行かせてもらった。
不満を言いつつも、トヨタの技術力に誇りを持っており、車にはこだわりがあり、かなり頻繁に乗り換えていた。
父と同じ会社で働いていても、派遣労働者達は、派遣である以上、父と同じようには生きれない。持ち家どころか、自分の作った車をローンを組んで買うこともできないし、子供を大学にやることもできない。
まあ自分も似たようなもので、父のリソースに依存することで、犯人ほど絶望せずにいられる。皮肉ではあるけれど。
今回の犯行について、樹海に入っても誰にも気づかれず死ぬのは嫌だった。己の存在で社会に爪あとを残したかった。そう思うなら、こんな選択肢にはまりこんでしまった彼の愚かさを呪う。
貧困の問題に対して、5重の排除というものがある。教育、企業、家庭、公的福祉、そして最後が自分自身からの排除だという。どうしょうもない絶望に追い込まれた人は、自分の不甲斐なさを呪い、
自分を追い詰めてしまうという。理由は本当は外にもあるのに。
ほとんどの人が絶望を前に勝手に一人で死んでいるのだ。絶望の背景を他者に見出すことができたなら、それをなぜ別の手段に訴えられなかったのか。歯がゆくて悔しくて、悲しく憎らしい。
ああ、まったくお前はバカだ。バカすぎる。
519 :
吾輩は名無しである:2008/06/15(日) 18:48:33
この人優しいね。
520 :
吾輩は名無しである:2008/06/15(日) 18:59:32
トヨタと言って思い出す話がある、以前、一緒に働いていた人がかつて、銀座でホステスをしていたという。
そのときの顧客にトヨタの幹部がいたそうだ。銀座で湯水のように金を使い、ある日幹部は彼女にドレスを
送ったらしい。すっげえダサかったらしい。ここ数年、大企業幹部の収入は増え、一般労働者の収入は減った。
各地の工場で派遣労働者が買い叩かれるその一方で。安易な手段に訴えても、嗤う奴は嗤ったまま素通りするのだ。
それからもう一点、ここ数年盛り上がってきた派遣労働をめぐる運動について、非常に悔しい点がある。
関東自動車は最初に述べた通り、派遣労働をすべて切ろうとしている。親会社のトヨタそのものがそう
いう意向である。派遣労働をやめてしまうことで、派遣問題そのものが無きものになってしまう。無論、
国内需要が減ってしまったのも原因だが、コストがかかって組合とかが絡んでウルセー派遣使うなら、
海外に移転してしまった方がいいと思われてしまったかもしれない。
久々に伸びたと思ったらスレ違いかよ、と思ったが
これは興味深くて読んでおいてよかったよ。
結局この評論集の意図がよくわからん。
逸さんがブログに書いてくれればいいのだけれど。
>>523 世の中は君中心に回ってるんじゃないんだよ、アニヲタさん。
>>523氏の気持ち、分からないではない。
今回の評論集、明らかに購買層に対するリサーチが足りなかったね。
文春版全集が絶版になった後、福田に興味を持ち始めた読者には、今回の麗
澤の評論集がいい入門書になるだろう。しかし福田の読者には全集や著作集
だけでなく、古書目録で高値のついた『否定の精神』や『平衡感覚』、さら
には初出誌まで手に入れている人間もいる。特に、今度こそ『否定の精神』
が読めると思っていた人たちは心底落胆したはずだよ。
それと、林達夫や田中美知太郎、永井龍男などを論じた人物論などをはずし
たのも大きなミスだった。結果として、福田の新しい側面が編集から全く感
じられない評論集になってしまった。
今度の評論集は文春の全集のダイジェスト版。
その全集も実質は自選著作集だったから、評論集の中身が薄くなるのは
仕方ない。『否定の精神』を入れたら売れるのは、遺族も理解している
だろう。しかし、それ以上に、故人の遺志を尊重しているようだな。
というか、こんな出涸らしのような全集を平然と出すなんて、
ずいぶん馬鹿だよな。まさか福田恒存という名前だけで売れるとか
思っていたんじゃなかろうか。そうだとすると、過信しすぎだぜ。
福田は時評を多くしていた分、普遍的な価値は小林秀雄みたいなのと違って、
殆どないんだ。新しい読み手を求めたいのならいくらか注や解説をつけるべきだし、
古参の人間に売りたいのなら今迄、収録されていなかったものを入れるべきだった。
何にも考えてないな。
>福田は時評を多くしていた分、普遍的な価値は小林秀雄みたいなのと違って、
>殆どないんだ。
しつこい信者は「時評の中に時空を超えた真実があるのだ!」とか強弁する
のでしょう。ちなみにそれらの信者が『諸君!』や『正論』や『WiLL』に書
くことはありません。ほとんどがネット上で怒号しているだけです。
531 :
523:2008/06/28(土) 14:13:53
自分もそうだけど前の全集を持ってないような新参の読者って
文学者としての福田への関心のほうが強いんじゃないかと思う。
最近の保守言論好き?がそう勉強熱心とも思えないからね。
こういうと反論もあるかもしれないけど、
何せ保守論壇誌でさえ、全部確認してはいないが、たいしてとりあげてる気配がない。
それにそういう売り方をしたいのだったらもっと宣伝のやり方があっただろう。
大半がそうであるにしろ、時評ものから出しているようじゃ
あまり新しい読者を引き寄せられないんじゃないかと思う。
それとも後から出したら売れないという判断なのか。
いっそのこと初期作品の選集みたいな形で出したほうが
新しい読者を集められただろうになと思う。
福田の全集をヤフオクで売り払おうと考えています。
いや、文学者としての福田を評価している人間って
そんなにいないだろうよ。
名前が残っているのはあくまで保守評論家としての福田であって、
文学じゃない。
俺が福田を読んでいて思ったのが、
コノ当時であったなら刺戟のある酔眼を覚まさせてくれるような文だけれど、
今読んだとしたら、その辺の雑誌やネット人が平気で言ってそうなことが
多いということだな。どうにも褪せた感じがする。
これなら国語論の方が残りそうだな、とも。
小林秀雄は時評でなくとも永遠に通じそうな考えを見せてくれているのに、
福田にはそれがない。其の度毎の言論しかないんだな。
それは福田の意図したところだとは思うんだけれどね。
でも檄文のような福田の文体は底の浅い人間に勘違いを引き起こさせてしまったんだろうな。
信者が孔子を使って、無職であることを誇示したのには
失笑せざるを得なかった。普段、論語もまともに精読したことのない人間に
孔子を語られるとは思わなかったよ。もう、うんざりだ。
お前のために孔子を利用すんな。
自己正当化のためなら、孔子でもヴィトゲンシュタインでも
何でも利用するが、何か問題でも?
535 :
吾輩は名無しである:2008/07/09(水) 00:16:49
>>225 >あいつは一応働いているよ。物書き目指している奴で、あの仕事している
>人間は結構多い。ほとんどモノにならないけど。
遅レスですまんが、あの仕事ってどんな仕事?
雇用形態は、どうなってるの?w
537 :
:2008/07/09(水) 21:45:48
東京オリンピック招致をつぶすために、下記のような手紙を各国の国際オリンピック委員へ送る事にしました。それの英訳はヤフーの無料翻訳で訳したので間違いだらけですが、
れでも意味は通じて、おそらく受け取った委員どもは激怒して、東京開催には反対するでしょうねえ。
猿へ
お前は類人猿同様で、まだ500万年前の猿同然のお前のような土人がIOC委員になるのは1億年早いぜ。さっさとお前の手荷物をまとめて故郷のジャングルへすぐに戻れ。
お前はIOC委員をやっていた間にたくさんの悪事を働いて、あぶく銭をしこたま溜め込んだだろうから、故郷のジャングルに帰っても巣くらいできるだろう。お前がジャングルに戻ったら、
チンパンジーやゴリラなどのエテ公を相手にして一生を送れ。
最後に、2016年のオリンピック開催地は東京に投票してね。エテ公様。
尻の穴を舐めやがれ!くそったれ
上の文章の英訳
To Monkey
As for you, an anthropoid ape is similar to an XX country IOC committee X X, and it is early for 100,000,000 years that an aborigine like you who look like
a monkey 5,000,000 years ago still becomes the menbar ofIOC committee. You gather up your baggage, and go back to the jungle of the hometown promptly.
Because while you worked as an IOC committee, you committed a lot of evil deeds
and I saved chicken money a lot and would be crowded .
A hideout will be done even if you return to the jungle of the hometown. If you go back to the jungle, I do it against the monkeys such as a chimpanzee or the
gorilla, and live a life.
Finally the Olympics site in 2016 vote for Tokyo. Kiss my anus! goddemnit.
これまでに10数名のIOC委員へ送りました。
過疎化しすぎだろ。
働いていない人間のことを俎上に上げてもどうしようもねえ。
539 :
吾輩は名無しである:2008/08/02(土) 17:03:54
まああんまり話題がないんでしょ。
そんなスレを何故あげるんでしょw
正字正かな論者は皆、差別主義者だ。
>>541 そうだよ。
だから正かなはオタクに好まれる。
543 :
:2008/08/09(土) 11:38:19
下記は山崎行太郎毒蛇山荘日記に投稿されたコメントです。
>優れた作家と 劣悪な人格は 共存する。大江健三郎にも それを強く感じます。
私の経験からもこの事は事実です(優れた作家かどうかは知りませんが)。
数年前に、文化勲章叙勲拒否に関連して尋ねたい事がありましたので、質問事項を書いた手紙を、返信用の切手を同封して大江に送りました。
勿論、送った質問状は常識的に礼を失しない文章で書いたものでした。
その当時は、大江については普通の人が感ずる程度、つまり東大在学中に芥川賞受賞、その後精力的に著作すると同時に政治・社会問題に積
極的に発言し、ノーベル賞受賞、と言うようなもので、どちらかと言えば好意的な印象を持っていました。
そういう偉い作家先生のことですから、忙しいだろうし、全国のファンから手紙が殺到しているかもしれないので、たぶん返事は来ないだろうが、
もし来れば儲けけもの、と言うようないい加減な気持ちで返事は大して期待していませんでした。
したがって、数日して返事が来たときは大喜びしました。偉い作家先生だのにちゃんと返事をくれた、偉い人は違う、と言うような気持ちでし
た。封筒裏面の差出人のところには住所氏名を彫ったゴム印が押してあり、姓名の下に(内)と書いてありましたので、夫人が代理で出したのだ
なと思いました。
大江健三郎様
年 月 日
私の 住 所
氏名 ○ ○
本 文
と言う書式でしたが、なんと返送されてきた私の送った手紙の 大江健三郎様 と言う箇所の 様 をボールペンで消し、右側の私の氏名の○○
の後に 様 と書いてありました。そして、本文中の私の質問事項の文章を丸で囲んで、そこから線を欄外まで引き、その所にたとえば「そうで
す」とか「こうこうでした」等と書いてありました。
それを見てあまりの非常識さに一瞬あきれましたが、次に怒りが湧き上がってきました。続く
544 :
:2008/08/09(土) 11:59:32
続き
私は日ごろあまり手紙を書かず、従って返事もほとんど来ませんので最近の手紙事情に疎いのですが、
それでも大江から来たような非礼な返事を送るような人間は多分いないと思います。
大江は、護憲・反戦平和その他の政治的・社会的諸問題について左翼の立場から精力的に発言してい
ますが、数年前に、改憲・軍備拡張などの立場を鮮明にしている自民党寄りの読売新聞の販促テレビコ
マーシャルに出演して巨額の出演料を稼いだそうです。要するに金を貰えるならば悪魔の手助けだって
なんだってやります、と言うのが大江の根本精神なのでしょう。
読売新聞が売れると言う事は読売の主張がそれだけ日本中に広まり、改憲・軍備拡張の世論を広める
読売新聞の目的を支援する事は明らかで、大江が中心となっている護憲運動の同志に対する公然たる裏
切りを行っていたわけです。
こう言う裏切り行為を日本中に放送されているテレビで公然と行っていた大江が、現在もなお「九条
の会」で最高幹部として活動している事から見ると、大江にはまともな人間として決して行ってはなら
ないことを認識する能力が欠落しているとしか考えられません。それだから、私に対する非礼な行為も
大江には当たり前のこととしか認識されないのでしょう。
そういえば、私の知人に大江の返信について愚痴ったところ、「ノーベル賞作家の自筆書簡は市場で
いい値段がついている。もし大江が私(糾弾会長)に自筆の手紙を出せば、私(会長)がそれを売って
金儲けができる。どこの馬の骨かもしれない人間に自分の手紙で金儲けされるのが許せなかったのだろ
うよ。」と言われましたが、そういう見方が案外正鵠を射てるのかもしれません。
社会人としての最低の礼儀さえもわきまえない大江健三郎という輩は、一体どういうふうに育てられた
のでしょうかね。
また、大江の妻は伊丹万作の娘で、かつ伊丹十三の妹ですが、この女も私に対する返信を大江に代
わって書いたようですが、それが上記の体たらく。この女も大江同様に小学生程度の常識も持ってい
ないメスです。
こいつらの親の顔を見たいものです。
新聞や雑誌は、福田の新しい評論集の特集は組んだリしてるの?
俺はもう続巻は買わない。買ったのもヤフオクで安く売り払う。
猪木正道は絶対に許せぬ!
548 :
:2008/08/16(土) 13:24:57
東京女子大学元教授で自称哲学者林道義なるお人が、大学定年後に名誉教授なる称号を与えられないからといって、ここ何年も大騒ぎをしているらしい。
林道義の泣き言に寄れば、
>東京女子大学は、二〇〇五年三月に定年退職した私に対して、名誉教授の称号を与えないと決めた。 この名誉教授不授与によって、私の名誉が著しく傷つけられたことを述べておきたい。
社会から見て、当然与えられると思われている「名誉教授」の称号が与えられないとなると、「よほどの問題があるからだ」という目で見られることを意味している。
林道義なる人間が日本に存在しているという事を私は畠中行造という人のブログで知ったが、林道義が、社会から見て「名誉教授」称号を当然与えられるとおもわれている、とはちぃーとも思わないね。思っているのは東京女子大「非」名誉教授林道義だけじゃないのかなあ。
>たしかに、名誉教授の称号は、もらったところでたいした価値のない、それほどの名誉でもない、「誰でも」もらっている代物である。
それだけ分かっているなら、「名誉教授」称号をくれないなどと、なぜ大騒ぎしているのだろう。訳わかんないねえ。
>だから、与えてしまえば、またもらってしまえば、なんということもない、世間もたいした関心を持たない、ありふれた現象である。
おやそうですか。私は名誉教授というシロモノは大学に特別な貢献をした教授がその貢献を表彰するために与えるものだとばかり思っていましたよ。
そうとわかれば、これから名誉教授という肩書きつきの元教授に出会ってもそこらへんの石ころ並みに考えればいいわけだ。
>ところが、誰が見ても与えられて当然の人間に与えられないとなると、事は重大になってくる。
そりゃあそうだわさ。例え石ころ並みの称号でも、たいしたものだと私のように誤解する人が世間にはごまんと居るから、誰が見ても与えられて当然の人間に与えられないと、事は重大に成りまさあね。
549 :
:2008/08/16(土) 13:32:26
続き
そりゃあそうだわさ。例え石ころ並みの称号でも、たいしたものだと私のように誤解する人が世間にはごまんと居るから、誰が見ても与えられて当然の人間に与えられないと、事は重大に成りまさあね。
>東京女子大学の場合は、その基準はかなり甘く、 短い勤続年数の者にも与えられており、さらに業績や功績が皆無に近い人ももらっているばかりか、かなり問題のある場合にも授与されている。
まあそうですか、本当に驚きですなあ。それじゃあ、要するに東京女子大学の名誉教授というのは教授だった人間は、よくよくの事がなければ誰でもなれるんだ。
>私は定年まで教授勤続二十年以上であり、
長年勤続ご苦労さま
>また私の講義には一学年六百人のうち、毎年たいてい半数以上が受講し、学生による授業評価もつねにたいへん高かった。受講者数が数人とか十数人という授業にくらべたら、採点の労力の違いも歴然としている。
評判が良くてよかったですねえ。けれど学生の評判をどうやって調べたのだろう。もしかして、林センセーは、受講登録さえすれば、全部欠席しようが、
白紙答案を提出しようが優の単位をくれる、という評判が立っていたんじゃあないのかなあ。もしそうなら、採点などしなくていいんだから、受講生が
何百人居ようが関係なかろう。
それに、採点の労力とおっしゃいますが、給料を貰ってんだからそれくらい働くのは当然じゃなかろうかね。
>さらに学問的業績においても社会的な活動においても、大学への貢献は大であったと自負している。
全く恐れ入った自大野郎だなあ。よくもまあ図々しく自分のことを自慢できたものだ。学問的業績といったってそれは他人様が評価すべき事。自画自賛は通りゃあしませんって。
550 :
:2008/08/16(土) 16:43:41
続き
>それなのに、いい加減に与えられてきた名誉教授の称号が私には与えられなかったのである。
名誉教授なんぞという肩書きなど屁でもないというような事をお書きになっていたのは林道義さんではなかったっけ。そんな「いい加減に与えられてきた名誉教授の称号」とおっしゃるなら、なぜそんなに大騒ぎをしてもらえない、もらえないと泣き言を言っているんだろう。
そんな「いい加減に与えられてきた名誉教授の称号」ものなんぞ、例え礼を尽くして差し上げますといわれても、蹴飛ばすのがあんたの生き方にあっているんじゃあなかったけ。
>となれば、世間の誰もが「よほどの瑕疵・欠陥があるのだろう」と受け取るのが普通である。
そりゃそうだ。どんなぼんくら無能教授でももらえるものをもらえなかったんだから、林道義は、学問的業績においても世間的な活動においても、大学への貢献が最低だったと、大学が判断したのだから、いくら自画自賛で貢献大であるとわめいたところで、しかたなかんべさ。
長くなるので以下省略。
興味をもたれたお方は「東京女子大学を告発」というキーワードで検索すると、東京女子大学非名誉教授林道義さんの泣き言のオンパレードにお目にかかれます。
>>547 早稲田の気持ち悪いグループの一員登場w
「早稲田のキリスト」松原正。
奴の不幸は弟子たちの中にパウロに当たる人物がいないこと。
奴がキリストほどの力をもっていなかったからだろ。
だから、弟子も阿呆。
最近、経済の知識が豊富な彼がブログを更新しないね。しかし、別に
寂しいわけではないので、勘違いはしないように。
>>554 彼は単にアメリカ資本主義を擁護したいだけだから。
正論に彼らの親玉が載せるらしいよ
松原正の文章を読んだ私は、思わず瞑目し、合掌しました。
ネット上で福田恆存について論じている人間が、新聞や雑誌で書いている
のを、見たことがない。編集者に認められるレベルにないからか?
>>559 キリスト教を理解出來ない日本人は、發言者の「人格」のみを云々して評價した氣になつて
ゐる人が多い。
まあ人柄や人格に問題のある人間は、それがそのまま文章に出るから。
例えば早稲田の名誉教授みたいに。
お前等、信奉者たちの悪いイメージを松原さんに投影するんじゃねぇよ。
麗澤の評論集、その後新聞や雑誌で特集は組まれたの?
東大でも慶応でも、大学で福田について研究している若い学者は
いないのかな。西部邁や富岡幸一郎が「諸君」に福田論を書いていた
のは、今から二十年近く前だと思うが、あの頃はまだ福田が生きて
いた。あまり福田研究は進んでいないのかな。
>>564の書き込みに「早稲田」の文字がないことについて。
566 :
吾輩は名無しである:2008/10/08(水) 05:19:23
福田とコードギアスの関係性について語れ
語る必要などなし。ハローワークに行け。それが私の心だ。
松原、西尾にあやまるかねえ?
シカトするのでは。そうしても、誰も何とも思わないよ。
ところで
>>569さん、あなた今日はT書店の無料箱漁らないんですか?
よっぽど他にいい台本がないのかな。
それとも、演技力のない若い役者にちょうどいいレベルの戯曲だからか。
四季はずいぶん暢気だね。
上野よ、質問に先立つ持説展開が長すぎるんだよ!@現代文化會議
御蔭で君一人で質問タイムが終つて仕舞つたではないか。
君が喫煙所で立ち話をしてゐた方々の中には、君の母校の教授もゐたぞ。
>>574 あれは質問ではなく、持論の発表だったね。
壇上の桶谷は困惑を通り越して、呆れていた。その回答も要領を得たもの
とは言えなかった。でもあんな他の人間を無視したKYな質問には妥当な
ものだったかもしれん。
田久保さんの講演が予想外に面白かった。
桶谷秀昭が福田のことでなく、自分のマルクスの連載について長々と
しゃべったのには正直あきれた。結局保田與重郎を持ち出さないと、
福田の「平和論にたいする疑問」を論じれないところにも弱さを感じた。
あれなら前に国語問題協議会の会報に寄稿していたことでも話した方が
まだ福田の風姿が伝わったはずだ。現代文化会議の人選ミスだ。
福田恆存を「論じる」振りをして特定個人を叩く爲だけのスレだな。
日本人は私情を超越した「知性」について考へる修練をしないから、特定個人を「叩く」と言ふ「行爲」と、福田恆存を「論じる」といふ行爲とを屡々混同しがちである。
戯曲全集が届いた。「河童」と「靴は一足なのに」が面白かった。
装丁もなかなかセンスがよくて、福田の直筆をエンボス加工している。
続巻が楽しみ。
中村保男氏が死去。76歳。御冥福をお祈りいたします。
>>570 済まぬ、返答が遅れてしまった。
俺が松原を援護しているようにみえたなら、箱を漁る人と断定してもよかろうが、
ざんねんながら違うのだよ。もういなくなってしまったかもしれないけれども、
勘違いをさせてしまったようだね。しかしたかだかこの程度の文でも
浅薄な人というのは実に悪推量しかできないのだな。
582 :
吾輩は名無しである:2008/12/26(金) 23:29:08
ヤフオクに「否定の精神」なんかの初期の著作が出てるよ。
584 :
福田恒存をやっつける会会長:2008/12/29(月) 09:31:58
>>580 この中村保男という手合いも、師匠の二枚舌の卑劣漢にして徴兵逃れの卑怯者福田恒存と同様に、言行不一致のインチキ野郎
だった。英文学者だったそうだが、専門と称していた英語でも、初学者向けの翻訳参考書ででたらめを書きなぐって平然としていた。
責任とか品格あるいは恥という言葉とは全く無縁のどうしょうもないお男であった。
76歳でくたばったそうだがどうせ行き先は地獄だろう。
今年も福田崇拝者の愚行は止まない?
587 :
吾輩は名無しである:2009/01/19(月) 12:47:28
実録!負け組 派遣会社の裏の裏 のコメントからの転載。
臨時雇い(日雇い、派遣、パート、請負等)は全て雇う会社が最大の利益をむさぼるために設けられた制度です。
儲かると思えば雇うし、儲からなくなれば即首切りです。
従ってそういう企業は労働者のことなんか完全に無視しています。それならば、臨時労働者だって何も企業に
忠誠を誓うことはありません。搾取されて居るんですから、貰うべきものを貰えるのであれば、仕事の仕上がり
など知ったこっちゃあない、後は野となれ山となれ。できるだけ手抜きをして仕事をサボる事が臨時雇いの厳守すべきことです。
以前に読んだ小説ですが、虐げられている労働者達が、製造している製品の手抜きをして不良品を作り、その
製品の悪評が立って売れ行き不振となって会社がつぶれるという筋のものを読んだ事があります。
どうせ臨時雇いですから、不良製品が売れなくなって会社がつぶれようがどうしようが関係なし。会社が労働者
を物以下の扱いしかしないのなら、物ではない労働者も頭を使って会社に損害をひそかに与える事くらい考えるで
しょう。就労中の作業によってやり方はいろいろでしょうが、検査に引っ掛からないようにして、どうすれば最も
打撃を与えられるかは仕事をやっておればわかってくるでしょう。
昨年発生した中国の「毒入り餃子」も無慈悲で冷酷な会社に対する労働者の仕返しの疑いが濃厚ですが、それを
やった人がつかまったという話も聞きません。
いつもひどい扱いをされたらこう言う気持ちになるでしょうなあ。雇用状況は悪くなりこそすれ、良くなるはず
がないから、こう言ったサボタージュも頻発するでしょうね。日本の製品は信頼できるなどといって、中国からの
観光客が秋葉原で純正の日本製家電製品などをまとめ買している様子をテレビで見たことがありますが、そういうことは今のうちだけでしょう。
そうなるのも、小泉とか竹中平蔵や、トヨタやキャンノンなどの、労働者を物以下の収奪対象とみなして
人間カンバン方式でしこたま暴利をむさぼってきた手合いの自業自得でしょう。
588 :
吾輩は名無しである:2009/01/25(日) 20:57:00
ナベショーや小田晋と一緒に叩かれた人だったっけ。
>>588 世田谷区上用賀におすまいだったそうで。
ご冥福をお祈りします。
最近、評論集の12巻を読んだ。
自分にとっては中道左派・御用保守的な論者たちの教条的なお説教ってイメージしかない
『中央公論』に清水批判や「問ひ質だしき事ども」のような刺激的な論考が載ってたなんて
ちょっと驚き。
中央公論は時代によってうまく思想をつかいわけているからなあ。
これからは右寄りになっていくという話もあるぐらいだ。
ところで久々に福田信者のHPをみたけれど、
文学関連就職につけず、偉そうにHPでぐだぐだ語っている人間ってのは
本当に醜くてしょうがないね。ああやって、ずっと福田万歳をやって生き続ける
つもりなんだろうか。若いときに嵌りこんでしまうともう抜け出せないもんなんだろうな。
593 :
吾輩は名無しである:2009/02/05(木) 00:51:27
最近、福田の名前が保守系メディアに取り沙汰されるように
なったけど、最近低迷してる保守派を盛り上げようとする
動きの一環なのかもしれん。
しかし福田の思想は日本人を幸福にするのか。本当に、強くそう思う。
欧米を知る。敗戦直後にはその必要もあったろうが、今はそれ以上に
欧米や中国に対抗できる価値や精神的機軸が求められているのでは?
「近代の宿命」に自足したり納得したりするよりも、「近代の超克」を
経た上での独自の日本文明の確立こそ必要なのでは。「福田恆存がそう
言っているから真実なのだ」みたいなことばかり飽きずに繰り返している
輩は、一生ネット上の評論家でいればいいよ。プロになるのは無理無理。
おとなしく諦めて、今の生業をまっとうに勤めあげなさい。
>>594は、喜六郎の所を(やんわりと)追出された奴だな。w
596 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/02/07(土) 00:23:30
>>592 経営母体は読売新聞だよ。
だいぶ前にシマナカ一族は手放した。だから保守だよ。
ついにこのスレも舞踊に目を付けられたか。
このスレオワタorz
>>598 誰だ、こんなクズしか集まらないスレを立てたのは。
>>601 わざわざ観たんだな。ご苦労。
別に特定の人物や学歴を意識した訳ではないので、
勘違いしないように。人に迷惑をかけることになるぞ。
水戸黄門の印籠。
中身が無いくせに威張りたがる連中が決まって利用する。
>>603 あの本は日本文学史において記念碑的な意味を持つものである、
という、芸のない直球な褒め方をしたのが吉田健一という不思議。
かきこみねえなw
早稲田の文学部というのはほんとうに・・・
「糞しかいない」という君の心の叫びを、私が書いてあげよう。
611 :
吾輩は名無しである:2009/07/26(日) 16:09:12
人物評價の正しきの基準は新聞や雜誌での實績の有無などではなく眞劍勝負の知性の有無なのである。
知的怠惰な日本に今こそ必要なのは真に知性ある人々だと云ふことを忘れてはならぬ。
福田恆存先生の愛讀者ならば、尚更のこと・・・。
『否定の精神』出るね。>麗澤
麗澤の評論集、新味がなくて売れ行きが悪かったのか?
「否定の精神」だけでカンフル剤になるかな?
でもこれでヤフオクあたりで、法外な値段で取り引きする必要がなくなるのは、消費者には
歓迎すべきことだ。
まあ、残念ながら米国は二大政党制ではないんだけどね。
やはり政治学の知識が抜けていると・・・・。
ほめるにせよ、けなすにせよ、有名人の名前がたーくさん出てきて、
もう十年近く、そんなことを繰り返しているけど、プロデビュー
できない、誰かさん。
>>615 今読み返すと、専門家からは突っ込み入るようなこと、
結構書いている。持ち上げ過ぎるのも、どうかと思う。
618 :
吾輩は名無しである:2009/08/20(木) 22:23:18
過去レスをざっと読んだけど、あまり個別の論文に対して議論してないんだね。
停滞してるようだから、ちょっと私の感想を書かせてもらうよ。
お題は、『近代の宿命』。三日かけて、ようやく読み終えた。
なぜなら、文章の構成が悪くて数ページ読み進んだら、5-6行要約しないと、
意味が分からないから。
この論文は強烈だと思った。なぜ、彼のこの論文について、
大きな論争が起きなかったんだろうか、と思う。
以下では、この論文についての要約と私の感想を書かせてもらうよ。
619 :
吾輩は名無しである:2009/08/20(木) 22:24:30
『近代の宿命』要約1
(前振り)
日本の近代史の弱点は、精神の停止(=精神が自由を勝ち得たとき)が無かったことである。
ex.精神の停止=僕たちの現実のまっただなかに立ち止まること。
日本の近代史において、全ての事柄が他動的に生まれた。
この弱点を理解するために、まず、ヨーロッパ近代を直視しよう。
620 :
吾輩は名無しである:2009/08/20(木) 22:25:45
『近代の宿命』要約2
(前提)
議論の前提として、人間の本能には以下のものがあることを確認する。
人間の本能:他人を支配したり、他人に支配されたりという、
支配=被支配の関係が生じること。≒弱肉強食
(中世ヨーロッパ)
中世ヨーロッパでは、キリスト教が大きいな力を持った。
キリスト教での神は絶対者である。それは、以下の観念を生んだ。
・神と自己との純粋な関係。神との関係で個人は純粋性を持った。
上記の観念と人間の本能の存在によって、次の二つの観念が生まれた。
A.神と自己との関係という自己≒個人の純粋性
B.他の人間を支配したり支配されたりという関係の自己≒個人と社会の対立
そして、中世の神学はAとBを融合しようとした。その集大成がトマス・アクィナス。
トマス・アクィナス:
自然には合法則性があるが、それは神の理性によるものだ。
人間社会にも同じような合法則性を持つ自然法がある。
この考えに対して、福田は次のように評した。
社会と個人の対立、教会と国家との対立の解消したいという底意がある。
つまり自然法は政治的。この政治的とは、権謀術数や人心収攬術
のようなことではない(低い次元の政治性)。
ここでの政治的とは、根源的な人間存在の原理である(高い次元の政治性)。
ex.古代ギリシャの政治の学問は倫理学と分かちがたかった、
というような高い次元の政治性。
621 :
吾輩は名無しである:2009/08/20(木) 22:27:58
『近代の宿命』要約3
(宗教改革時のヨーロッパ)
時代は下って、福田は宗教改革時のAとBの関係を議論する。
エラスムス:AとBを峻別。
:Bについて、徹底的に低い次元の政治性を追求し、
:近代精神の政治学を作った。
福田は次のように評価した。
:AとBの自己を、一人の人間の内に並存させた。
:それが、カトリック信者でありながら人文主義者(ヒューマニスト)
:でもあるエラスムスの、曖昧さの本質である。
ルター:Aのみ重視。Aを重視すればBは自然に解消されるとした。
福田は次のように評価した。
:Bは自然には解消されなかった。Bを否定したルターは、
:Bの世界から一歩も出られなかった。エラスムスは出られたのに。
:また、ルターも職業聖召観によって(高い次元の)政治性を補完しようとした。
まとめ:
宗教改革に続く近代とは、AとBを分離して合理化・統合化しようとしたことだ。
622 :
吾輩は名無しである:2009/08/20(木) 22:31:14
『近代の宿命』要約4
(18世紀ヨーロッパ)
科学技術の発展によって、Bを解決しようとした。
ex.社会契約説、ルソー
神はだんだん信じられなくなった。
(19世紀ヨーロッパ)
19世紀の後期自由主義者たちは、以下の疑問を持った。
合理化によってBが完全に解決された場合、
A(純粋なる個人)はいかなる内容を持つのか。
神が信じられなくなってしまったのだから、
個人の純粋性も、Bの不合理とともに消滅してしまうのではないか。
↓
19世紀文学は、精神の政治学(Aを護るための)として登場した。
この文学は,個人の純粋性を社会の蚕食から護り、
維持しようとする。
でも神を信じていない。
↑(逆説)
そもそも、個人と社会の対立を個人の側から解こうとして、
しかも神を信じないならば、文学の他に方法が見出せようか。
もちろん、文學以外にも方法はあらぁね。藝術でなく學知の方面で。文學ばかり尊重しすぎるこたぁない。
「正論」の遠藤浩一の連載は、単行本になったのか?
駅前で4年間、辻立ちをして代議士になった人がいる一方で、
10年近くネット上の公開日記で評論活動を展開しているのに、
一向にプロデビューできない無免許法学者もいる。
悲しいのぉ…。
626 :
吾輩は名無しである:2009/10/05(月) 12:30:32
11月10日 「私の恋愛教室」 福田恆存 ちくま文庫化
627 :
吾輩は名無しである:2009/10/09(金) 23:12:46
三島さんに初めて逢ったのは、一九五一年の夏だったと思う。
小さい頃から行っていた群馬県の高原の村に、吉田健一さんの山小屋もあった。
三島さんはその頃、吉田さんや大岡昇平、福田恆存、中村光夫さん達の「鉢の木会」というグループに入る事になっていて、
夏の一日、吉田さんの家で例会があり、父(岸田国士)の所に十人位で遊びにみえたのだ。
姉とわたしはお茶を運んだりしながら、ユーモア溢れる会話に聴き耳を立てていた。
何といってもイジメの対象は、他の人より一廻りは若い三島さんで、三島さんも又、からかわれるのが嬉しいように、
あの独特の笑い声を挙げていた。
皆、その夜は村のクラブに泊まって翌日帰京なさる中で、三島さんだけは二、三日帰るのを延ばすことになった。
「仕事は夜するから」といって、昼間はわたしたち、夏の遊び仲間やその友人と、目一杯遊んだ。
年長の作家たちとのお付き合いでは満たされないものを、少し年下の大学生や芸術家の卵たちと、体を使って
取り返そうとでもするように。乗馬、ボート、ダンス。
…この村が気に入ったという三島さんは、翌年の夏も一週間ぐらい滞在した。帰りはわたしも一緒だった。
旧軽井沢のパーティーに寄ってそのお家で泊まることになっていた。
ちょっと危ないメンバーだったみたいで、一晩中、わたしの枕元で仕事をしていた三島さんを忘れない。
…その年の秋、わたしは文学座の研究生になった。文芸部に所属していた三島さんは、一年おき位に作品を提供していて、
わたしは文学座にいた十年の間に、外部出演も含めて三島作品七本、潤色と演出それぞれ一本ずつに出演した。
三島さんは稽古場にもよく顔を見せた。
舞台の出来も気になっただろうけれど、その後で若い俳優たちと遊ぶのが楽しみだったように見えたのは、
わたしの勝手な思い込みだろうか。皆、作品については十分敬意を払っていた。
でも運動神経やファッションセンスに関しては、言いたい放題だった。
自虐的な所のある三島さんが、それを喜ぶことを知っていて、一種のおもねりだったと言えるかもしれない。
岸田今日子
「わたしの中の三島さん」より
628 :
吾輩は名無しである:2009/10/09(金) 23:14:05
ボディビルやボクシングを始めた時も、遊びのふりをしていたような気がする。何回戦だかの試合に出た時は皆で見に行った。
かなり痛々しかったけれど、いつものように後でさんざん悪口を言ってあげた。三島さんは嬉しそうに、大きな声で笑った。
舞台の初日には女優の楽屋の化粧前にカトレアの花が届けられ、客席と楽屋を往ったり来たりするのも嬉しそうだった。
本公演ではたった一本の演出作品「サロメ」の時は、見違えるように真剣だった。
様式的な舞台を創ろうとして、俳優たちに一せいに左右へと首を廻すように指示した時、わざと反対の方を向く人が一人いて、
あんなに怒った三島さんを見たことがない。いつも血の気のない顔が、死人のように蒼白だった。
映画「からっ風野郎」出演の時、ちょうど仕事で同じ撮影所にいたので、三島さんのセットを覗きに行った。
ビールを抜いてたくさんのコップに注ぐ所で、三島さんは何度もNGを出していた。増村保造監督の「もう一度」の声に、
三島さんはますます緊張してリズムが崩れ、ビールが足りなくなって小道具さんが酒屋に走った。
完成すると三島さんは自宅で試写会を開いた。
さんざん悪口を言われて、やっといつもの自分に戻ったようだった。セットを覗いた話はしなかった。
芥川比呂志さんはじめ、これから一緒にやって行こうと思う若手の俳優たちが、レパートリーに不満を持って、
文学座脱退のことを福田恆存さんに相談しているのは知っていた。
福田さんに誘われたわたしは「三島さんが一緒なら」と言った。
「もちろん僕から誘います。三島君に言うと直ぐ洩れるから話さないように」と念を押された。
お家に招ばれながら黙っているのは辛かったけれど、お二人は「鉢の木会」以来の親友だからと、自分に言い聞かせた。
岸田今日子
「わたしの中の三島さん」より
629 :
吾輩は名無しである:2009/10/09(金) 23:15:26
京都に撮影で行っていた或る朝、新聞に脱退の記事が出た。三島さんの名前はない。
帰京してすぐ三島さんのお家へ行くと、「新聞に出る前の晩に聞かされて、動けると思う?」と言われた。
福田さんにだまされたと思ったけれど、どうしようもなかった。
「『双頭の鷲』は生きられないんだよ」。福田さんと三島さんのことだ。慰めだったろうか。
「そのうち、又、一緒に何かする機会もあるから」と言われて、帝国劇場で『癩王のテラス』を上演する時、
六年ぶりに呼ばれた。王の病気が感染して、焼身自殺する妃の役だった。
御自身も文学座を脱退し、楯の会を作った三島さんは遠い人のようで、あまり話もしなかった。
初日には、やっぱりカトレアが置いてあった。
「精神が滅んでも肉体は滅びない」という逆説に満ちたこの芝居が、三島さんの最後の戯曲になった。
岸田今日子
「わたしの中の三島さん」より
>>627-
>>629 初めて読む文章。福田を持ち上げているNやMなどの駄文より、はるかに
価値のあるものです。転記してくださり、有り難うございました。
やせすぎ
敗戦直後。他の文学者との座談会で撮影された姿は、軍鶏のようだった。
何だか首が長くてガリガリ。
弟子や読者に恵まれなかった人。
全集第2巻に収録されている「白く塗りたる墓」。
初出の媒体(新聞or雑誌)をご存じの方、お教えいただければ幸甚です。
よろしくお願いいたします。
635 :
吾輩は名無しである:2010/02/07(日) 03:36:43
636 :
吾輩は名無しである:2010/02/08(月) 06:02:42
638 :
吾輩は名無しである:2010/03/08(月) 22:06:43
このひと身体の認知が欠けてて硬直してるだけ
これからは、松原正の教え子たちが活躍する世の中でしょう!
日本人は絶対、民主主義を守るために死なん。ぼくはアメリカ人にも言うんだけど、
「日本人は民主主義のために死なないよ」と前から言っている。今後もそうだろうと思う。
何を守ればいいんだと。ぼくはね、結局文化だと思うんだ。本質的な問題は。というのはね、
やっぱりキリスト教対ヘレニズムというようなもんなんだよ。いまわれわれが当面している問題は。
結局ね、世界をよくしようとか、未来を見ようとかいう考えと、それから、未来は
ないんだけれども、文化というものがわれわれのからだにあるんだという考えと、
その二つの対立だよ。
「文化を守る」ということは、「おれを守る」ということだよ。
十年、五十年単位の考えは、絶対に必要なことだ。なぜかというと、十年、五十年と考えると、
今日始めなきゃだめなんだよ。だから一番緊急なことなんだよ。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
一番長い経過を要する仕事を今日始めて、そしてあしたはだね、三年先のことを始める
というのが、ぼくは一番現実的な考えだと思うね。
ぼくは文化というものはね、変な比喩だが、金とおんなじことだと思う。とにかく、
あぶないときにどっかに置いておかなければ、いつもこわされちゃう。こんなもろい、
こんなものはない。僕はいわば文化の金本位制論者だ。
日本では、昔から金について一番もろくて弱かった独占資本的財閥、戦前のそういう
連中はね、どんなインテリよりもぼくは、実際に敏感だったと思いますよ。それは昭和の
歴史を見てもよくわかりますがね。文化人というのはいつものんきなんだが、資本家が
金をこわがるように、どうして文化人は文化というものの、もろさ、弱さ、はかなさ、
というものを感じないんだろうかね。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
いまでもぼくは、文化というものは、ほんとにどんな弱い女よりもか弱く、どんな
破れやすい布よりも破れやすい、もう手にそうっと持ってにゃならんのだと思いますね。
そっからすべてものの危機感がくるんだし、それで、そのためには自分のからだを
投げ出してもいいと思うしね。
文化がどんなに変様されて、歪曲されても、生きのびるほど強いもんだということは結果論です。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として、
そこにいなけりゃならない。それをいまから準備していなければならない。それは
アンティエゴイズムであり、アンティ近代化であり、アンティ工業化であるけど、決して
古き土地制度の復活でもなければ、農本主義でもない。(中略)
天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところに
あるべきだ。そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。
その根元にあるのは、とにかく「お祭」だ、ということです。天皇がなすべきことは、
お祭、お祭、お祭、お祭、――それだけだ。これがぼくの天皇論の概略です。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より
エリザベスは、亭主が自分の部屋に電話を引いたり、テレビをつけたり、ボタンを押すと
飛び上がる椅子をつけたりするのに、自分は、まだ十八世紀のお茶の作法で、百メートル
先から女官たちが手から手へつないだお茶を持って来て、冷えたお茶を飲んでいる。
自分の部屋には電話がない。ぼくは、そういうことが天皇制だろうと思うんです。
日本の皇室がその点でわれわれを納得させる存在理由は日ましに稀薄になっている。
つまりわれわれが近代化の中でこれだけ苦しんで、どこかでお茶を十八世紀の作法で
飲んでいる人がいなければ、世界は崩壊するんだよ。
世界の行く果てには、福祉国家の荒廃、社会主義国家の嘘しかないとなれば、何がほしいだろう。
それはカソリックならカソリックかもしれない。だけど、日本の天皇というのはいいですよ。
頑張ってれば世界的なモデルケースになれると思う。それが八紘一宇だと思うんだよ。
三島由紀夫
福田恆存との対談「文武両道と死の哲学」より