【人斬り】 松原正 其ノ五 【伊蔵】

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11吾輩は名無しである
163. 某月某日 岡田俊之輔 [URL]  2005/12/22 (木) 23:56

と書く迄もない、昨夜、新宿の酒場で坪内祐三氏と遭遇。早大英文科大學院・松原正ゼミの
先輩に當る人だが、抑も吾々ゼミ生は師匠に似て一匹狼が多いせゐか、學年の枠を越えた
交流は餘り無く、これまでに言葉を交はしたのは、下記のとほり、たつたの三囘だけであつた。

1.松原教授定年退職時の最終講義後の懇親會場にて
2.早大英文學會主催・坪内講演會閉會後の懇親會場にて
3.生誕九十年・福田恆存記念會の會場、三百人劇場のロビーにて

 この3.のシンポジウム壇上で、氏は「若者の歴史的假名遣使用はコス・プレ」といふ例の
發言を行ひ、後に師匠から手嚴しく窘められた(『月曜評論』平成 15年7月號)。そこで昨日、
「先生の批判は讀みましたか」と尋ねたところ、「文脈を考慮せずに批判してゐるのを見て、
何だか寂しかつた」との感想。やはり釋然としないものがあつたらしい。が、更に續けて、「さう
いふ事をわざわざ僕に尋ねる君は子供だ」と、えらく立腹し、今度は私に鉾先を向けて來た。
師匠の腰巾着とでも思はれたのだらうか。
 實は3.のロビーで立話をした際にも、「今日は君のお仲間は來てゐないの?」と言はれた
事がある。鈍感な私とは異なり、その「お仲間」の一人は氏の科白に嫌味を感じ取つてゐたが、
今にして思ふと、或は「舊字舊假名のコス・プレ仲間」といふ含意があつたのかも知れない。

 さほど親しい間柄でもなく、別段義理立てする必要も無いのに、例へば「坪内祐三は實は
全然面白くない」といふやうなスレッドの立つ某匿名掲示板に於て辯護的な書込を行つた事も
二三度あるし、一應後輩として親しみの如きものは感じて來たから、これまで批判めいた物言
ひを附けた事は只の一度も無かつた。だがこの度、「子供」に對して「子供」同然の應じ方をし
ておきながら、自分では「大人」の積りでゐるらしいこの文壇の若年寄に、敢へて苦言を呈する。
12吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:04:09
164. Re: 某月某日 岡田俊之輔 [URL]  2005/12/22 (木) 23:57

 嘗て私は早大文學部の圖書館で、氏の修士論文「ジョージ・スタイナー論」を閲覽した。
内容はすつかり忘れてしまつたが、青の萬年筆による手書きの論文が歴史的假名遣で綴
られてゐた事だけは今でもはつきりと憶えてゐる。その氏が、今や現代假名遣ひで物を書
き捲り、あらう事か、若手の正假名使用を「コス・プレ」呼ばはりする。すはなち、大した信念
も問題意識も無いくせに、只々己れを高みに置かんがための傲慢なる衣裳着用に他なら
ぬと斷ずるのである。
 この種の裁斷自體は幾らやつても構はない。けれども、自分まで正假名表記を止める必
要が何處にある。「コス・プレ仲間」と看做されては堪らないと思ふからか。一種の祕書役と
して福田恆存に接し、その著『私の國語教室』に感銘を受け、正しい表記法だと信じて使つ
てゐたのなら、他人がどうであれ、その信念を貫けばよいだけの話ではないか。

……と書いてはみたものの、元々氏に確乎たる信念などは無かつたのかも知れず、學生時
代に正假名を用ゐたのも、福田の弟子である指導教授の歡心を買ひ、ひたすら御主人樣を
喜ばせるための單なる「コス・プレ」であつた――とまで言つたら、聊か下司の勘繰りが過ぎ
ようか。但し、今やすつかり「正假名熱」といふ憑物が落ちたのは事實らしいから、いづれに
せよ、一過性の「コス・プレ」でしかなかつた事に變りはあるまい。

 つべこべ言はずに、いつその事、「大學教授と違つて筆一本で食つてゆかねばならぬ物
書きゆゑ、舊假名で書いてゐたら賣れなくなつて困る」とでも正直に(?)言へばまだしも救ひ
があるものを、あれこれと御託を竝べるから襤褸が出る。「大人」としての妥協を續けてゐるう
ちに、いつしか初心を忘れ、文壇遊泳術のみに長けた器用貧乏な雜文製造業者に成り下
がるのである。因みに私がスタイナーの小説を論じた際
http://homepage3.nifty.com/okadash/getsuyo/ah.html)、スタイナー批判論攷の存在を知
つたのは氏の著書からであつたが、さういふ情報源としては重寶するものの、正直、昨今の
氏に批評的な深みを感ずる事は殆ど無い。
13吾輩は名無しである:2006/02/13(月) 20:05:08
165. Re^2: 某月某日 岡田俊之輔 [URL]  2005/12/22 (木) 23:58

 話を昨日の酒場に戻す。座敷の上座に引戻つた氏は、居竝ぶ取卷を前にして、「早稻田
の英文科は糞だ」と喚いてゐた。先の2.の講演内容に絡んだ一悶着を今なほ根に持つて
ゐるらしい。思ひ出したから序でに記しておくけれど、その時の懇親會では師匠の事をも「子
供だからなあ」と評してゐた。一體、何をそんなに「大人」ぶりたいのだらう。馬鹿馬鹿しくなつ
た私は、「坪内さん、私は『子供』『糞』で結構ですよ」と、それこそ「子供」じみた科白を殘し、
店を出たのであつた。

#それにしても、「お仲間」に向つて、「岡田俊之輔は…」云々と言つたところで、「誰それ?」
状態だつたのでは?(苦笑)