2 :
重複誘導:2006/01/29(日) 23:17:34
こちらが本スレということになりました
4 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 23:41:04
終了
またすれか。。
いくらファンだからっていいかげんにしろよ!!!
ジミーちゃんに似てますね。
7 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 23:49:02
何度でもいう。
福田逸先生!
あなたはお父様のご著作を読んでおられないのですか。
たとえば「せりふと動き」。
わたしなどよりよほどひどい誹謗中傷悪口が書かれています。
うまいなあと感心する。
あれほどうまく福田逸先生を切れたらと思う。が、できない。
お父様の批判対象となった役者はみんな福田先生の指摘を無視した。
あれ、あなたは福田先生のご子息では?
わたしの指摘を無視なさる。ええ、そうですか。なるほど。
お父様のお顔に泥を塗りたいと。ふーむ。
お父上のおかげでいまのステータスを得ていながら、はあ、ふむ、削除ですか。
ほう。いまになって反抗期とは、さぞ天国のお父様もお喜びでしょう。
わー 新スレできたい とりあえず乙 1さん
>>5 こいつがたてたんだよ
アンチがたてたのは一目瞭然
10 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 09:17:03
11 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 18:57:31
平野啓一郎「文明の憂鬱」。一作目の「日蝕」はくだらなさすぎて
一目で中身の空虚さを漢字多用で誤魔化しているとわかったので
印象悪かったけど、そんなバカのエッセイは如何なものかと読んで
みたらこれがまた前に輪をかけたバカさで。つうかこの文体は
あきらかに小林秀雄を真似ようとして失敗した無惨さ。
先人の年齢を意識してしまうとか家に籠もり気味だとか何気ない日常の描写が
いかにもヲタクの感性で、取り上げているテーマは昔の文士の猿真似そのもの、
なによりも「私」という一人称で書くとバカ度がモロ見えてしまうので
こいついよいよ無恥度が増したなと憫笑。所詮モノガキなんぞ自意識の
塊で、それを正直に素直に書くしか能がありませんっつう体裁は
文士のコスプレをしていても美意識どころか鈍臭さがプンプン臭うので
時事ネタ批評など特に、読むに耐えない幼稚さだ。
12 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 19:01:26
解説には、平野氏は現代の神話を造ろうとしている、とあります。
鏡花の後期浪漫主義、神秘主義というものが一種、近代合理主義に流れた明治文
学、文壇へのアンチテーゼだったように、平野氏のこの小説が、行き詰まった現
代社会へのアンチテーゼと呼ぶ事は出来ないでしょうか。
実証的であること。これが明治以降の日本文学です。結果、私小説が生まれる。
その一方で、鏡花の小説は「前近代的」であるとされて来ました。しかし、その
後谷崎潤一郎ら耽美派や三島由紀夫と言った作家達によって見直されたのも事実で
す。
それは、鏡花作品の花柳ものや観念小説も含めて、緊張感ある文体や美の追求へ
の評価であったのだが、それだけではなく、リアリズムの行き詰まり、因果律の
限界というものがあったのではないか。深層心理の描写にリアリズムだけで追求
できるのか、という命題があるわけです。
また、一月物語は一面では恋愛小説である以上、「愛」も重要になるところです
が、「愛」ほどリアリズムから離れ、深層心理と強く関連するものはありません。
ところがまた、「愛」ほど近代的なものもないのですよ。この矛盾。
あと、主人公伊原真拆(まさき)の悩みである、自身の言葉の分離(つまり言葉
というシンボル無しに自己という実在が認識され得ないという矛盾)や、自我の
問題(「己は己として飽くまで一個の存在である。その存在が、微塵も欠けるこ
となくそのままの大きさに保たれながら、猶且、あらゆる矛盾を解決してしまう
ような一なる存在と一つになることを欲するようになったのである。」、つまり
明治以降の知識人の命題とか言われる、中間集団を失って国家の中で、剥き出し
となった自我への不安。)は、明治以来の日本文学の命題であるとともに、近代
そのものの問題でもありますね。
とまあ、取り留めもない、ミニミニExtended Essayみたくなってしまいました。
近代の問題になぜ擬古文?
14 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 19:17:49
またすれか。。
いくらファンだからっていいかげんにしろよ!!!
15 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 19:26:08
崩壊したね
ブンガク板
このすれは使わないように
アンチが立てたものです
11−12を本スレからコピペして本物らしく見せてるのも
そいつです
くずですから
削除していい
17 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 21:09:19
またこの設定のリアルさが幻想的な、というより寧ろ神話的なこの物語を際立たせている、と云えましょう。
出てくる者は、何処かにいそうでありながら、どこか妖しげな者ばかり。
頗る異様に美しい青年。
得体の知れない老人。
美しい赤い紋のある鴉揚葉。
目の光る恐ろしい毒蛇。
山奥の寺に住む老僧。
寺の小屋に在る癩の老女。
青年の夢に在る美しい女。
宿の女将に聞いた山の大蛇。
それらによって織り成されたは一人の女の哀しい生涯。
また、そこに在る自然の力の恐ろしさ。
それが現代に生きる私達に、現代の「神話」が示したものなのでした。
18 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 21:24:33
またこの設定のリアルさが幻想的な、というより寧ろ神話的なこの物語を際立たせている、と云えましょう。
出てくる者は、何処かにいそうでありながら、どこか妖しげな者ばかり。
頗る異様に美しい青年。
得体の知れない老人。
美しい赤い紋のある鴉揚葉。
目の光る恐ろしい毒蛇。
山奥の寺に住む老僧。
寺の小屋に在る癩の老女。
青年の夢に在る美しい女。
宿の女将に聞いた山の大蛇。
それらによって織り成されたは一人の女の哀しい生涯。
また、そこに在る自然の力の恐ろしさ。
それが現代に生きる私達に、現代の「神話」が示したものなのでした。
しかし、これを云うに「現実と夢幻の狭間に迷い込んだ青年の悲劇」という言葉は似つかわしくない気がします。
青年にとっては悲劇ではないと感じるからです。
青年は「今この一瞬に燃え盛る愛を永遠のものにし」たわけです。
「カルメン」のラストシーンに似ているとも思いましたが、あのホセの勝利は束の間のもの。
この青年の勝利は永遠のもの。
死を以て別離としなければ、その一瞬は全く永遠に薄れることはないのですから。
19 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 21:43:45
忘れるという人間の能力に非常に敬意を払っている。仮に神が人間を造っ
たのであるとするならば,これは実に偉大で独創的な機能の創造だと言わねば
なるまい。
平野啓一郎 − 文明の憂鬱 果敢ない季節 より
このすれは使わないように
アンチが立てたものです
11−12,17-19
を本スレからコピペして本物らしく見せてるのも
そいつです
くずですから
削除していい
21 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 00:14:48
最近は、あんまり他人を批判しないようなプロにまで露骨に評価ボロボロになりだしたなあ
これまではスガとか渡部とか蓮實とかそのへんのグループの批判はあったが、
普通に保守的な批評家や作家の批判が増えだした。
どっか忘れたけど川村二郎や秋山駿が出てた大手文芸誌の創作合評とか
SIGHTの源一郎と斎藤美奈子の対談でも。
つーかもともと一体誰がこの人評価したの?
新潮の編集長が「三島の再来! 天才!」っていったのかな?
「茶髪でピアスの京大法学部」って綿谷りさの売り出し方と一緒じゃん。
本当にこの先持つの? どの派閥も指示してくれなくなるよ。本も売れないだろうし。
22 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 02:46:56
>>20 おまえいいかげんにしろよ、せっかく立ててもらったのに
アンチだからって粘着にも程があるぞ
23 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 02:54:03
>>22 スレタイその他を見ればアンチが立てたのは明白だよ
それはお前だがね
25 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 11:22:39
日蝕ってなんで韓国語にしか訳されてないのでしょうか?
うんこしてくる
してきた
30 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/01(水) 04:12:50
結構いいね
あぼーん
32 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 10:15:25
びっちきらい
あぼーん
あぼーん
35 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 12:36:39
これが本スレですよ
あぼーん
あぼーん
38 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 12:46:10
39 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 12:53:57
本スレ?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
私は平野啓一郎の『葬送』を読み始めた直後、シェンキェヴィッチの『クォ・
ヴァディス』とシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』を思い出
した。
どちらも歴史のダイナミズムと物語りの醍醐味を見事に操った傑作であるが、
『葬送』にもそういうものと同じ意図を感じたのである。
大きな構図があり、できればそれは史実であり、後の運命を知っている者にと
ってこそ興味深い交錯があったとしたい。
だがこうした試みの成否は専ら、史実の収集にかける労力と「因果律で語りた
い」という密かな欲望に対する自制心にかかっているのではないか。
実はこの神西清・作『ジェイン・グレイ遺文』は、こうした大きな語りだしが
似つかわしくない小品である。
神西は冒頭の引用に用いた文体で物語を語り尽くすことができない。
残念ながら、大抵の人にはそういうことはできないのだ。
有名な直木賞作家の時代物を手にとって、よくこんな時代をこんな分厚い本
に描くことができたものだと感心して開くと、途中は何の細工も無い、むしろ迂
闊な現代風会話文で薄められていることにがっかりすることがある。
そういう意味でも 『日蝕』や『葬送』は大したものだ。
『日蝕』に対して宮本輝が「若き膂力」と評したのは、実に意味深い。
少しでも書き物を経験した者なら理解してもらえると思うが、書き物は頭を
前に倒し、腕を前に出しての作業なので、長時間書くと背中が疲れる。
書き物には「膂力」が必要なのだ。
神西にはこの「膂力」が恐ろしく乏しい。
谷崎と芥川の体力論争の中に神西が加われば、「やっぱり」という結論が出か
ねない。
あぼーん
45 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 13:27:15
いいかげんにしろ
46 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 13:29:51
重複スレ・削除対象
あぼーん
48 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 13:34:03
ここが本スレです
アンチの基地外が荒らしています
誰かなんとかしてください
あぼーん
ここが本スレです
アンチの基地外が荒らしています
誰かなんとかしてください
ここが本スレです
アンチの基地外が
>>49が荒らしています
誰かなんとかしてください
52 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 14:13:34
53 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 14:56:38
なに?
54 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 14:57:16
これが本スレですよ
あぼーん
56 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 16:36:09
ここが本スレか。平野天才。
57 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 23:57:46
私は平野啓一郎の『葬送』を読み始めた直後、シェンキェヴィッチの『クォ・
ヴァディス』とシュテファン・ツワイクの『マリー・アントワネット』を思い出
した。
どちらも歴史のダイナミズムと物語りの醍醐味を見事に操った傑作であるが、
『葬送』にもそういうものと同じ意図を感じたのである。
大きな構図があり、できればそれは史実であり、後の運命を知っている者にと
ってこそ興味深い交錯があったとしたい。
だがこうした試みの成否は専ら、史実の収集にかける労力と「因果律で語りた
い」という密かな欲望に対する自制心にかかっているのではないか。
実はこの神西清・作『ジェイン・グレイ遺文』は、こうした大きな語りだしが
似つかわしくない小品である。
神西は冒頭の引用に用いた文体で物語を語り尽くすことができない。
残念ながら、大抵の人にはそういうことはできないのだ。
有名な直木賞作家の時代物を手にとって、よくこんな時代をこんな分厚い本
に描くことができたものだと感心して開くと、途中は何の細工も無い、むしろ迂
闊な現代風会話文で薄められていることにがっかりすることがある。
そういう意味でも 『日蝕』や『葬送』は大したものだ。
『日蝕』に対して宮本輝が「若き膂力」と評したのは、実に意味深い。
少しでも書き物を経験した者なら理解してもらえると思うが、書き物は頭を
前に倒し、腕を前に出しての作業なので、長時間書くと背中が疲れる。
書き物には「膂力」が必要なのだ。
神西にはこの「膂力」が恐ろしく乏しい。
谷崎と芥川の体力論争の中に神西が加われば、「やっぱり」という結論が出か
ねない。
58 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 23:59:33
私はたまたま手持ちの「『魔女を打つ槌』は教皇インケンティウス八世の命令
で、ドミニコ会士シュプレンガーとクラマーによって書かれ、大評判になった。初
版は1485年である」とする記述(『呪術の歴史』/カート・セグリマン著/平田
寛訳/平凡社/1961年)、初版を1486年とする記述(『世界の奇書101冊』
/自由国民社/1978年)、「ヤーコブ・シュプレンガーを助手として調査し、イ
ンケンティウス八世の認可を得て、1484年に発表した『最大の関心をもって望
む』Summis Desiderantes Affectibusという教書を序文に付して、インス
ティトリスが1486年に『魔女の槌』を刊行した」とする記述(『魔術の歴史』/
J.B.ラッセル著/野村美紀子訳/筑摩書房/1987年)などを後で読み返し
てみたが、結局そんなものとテレビジョン放送が一瞬の間に垂れ流した情報と
差がある訳ではない。平凡な自由国民にも、平野氏の面白さというものは十分
伝わるべきものである。
59 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 00:29:41
石田衣良と平野ちゃんではどっちがいい人?
60 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 02:11:40
title : 文明の憂鬱 平野啓一郎著
喜劇のような憂鬱。憂鬱のような喜劇。
相反して見えるものごとの本質での相似。
それは、時として、ひとつの救い。
61 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 05:37:48
1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにも拘わらず優れていると認められる事を期待する)。
2)限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想に囚われている。
3)自分が特別であり、独特であり、他の特別な又は地位の高い人達に(又は施設で)しか理解されない又は関係があるべきだと信じている。
4)過剰な賞賛を求める。
5)特権意識つまり特別有利な取り計らい又は自分の期待に自動的に従う事を理由なく期待する。
6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり自分自身の目的を達成する為に他人を利用する。
7)共感の欠如:他人の気持ち及び欲求を認識しようとしない、又はそれに気付こうとしない。
8)しばしば他人に嫉妬する、又は他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9)尊大で傲慢な行動、又は態度。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
70 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 13:55:00
1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにも拘わらず優れていると認められる事を期待する)。
2)限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想に囚われている。
3)自分が特別であり、独特であり、他の特別な又は地位の高い人達に(又は施設で)しか理解されない又は関係があるべきだと信じている。
4)過剰な賞賛を求める。
5)特権意識つまり特別有利な取り計らい又は自分の期待に自動的に従う事を理由なく期待する。
6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり自分自身の目的を達成する為に他人を利用する。
7)共感の欠如:他人の気持ち及び欲求を認識しようとしない、又はそれに気付こうとしない。
8)しばしば他人に嫉妬する、又は他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9)尊大で傲慢な行動、又は態度。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
79 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 18:36:53
1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにも拘わらず優れていると認められる事を期待する)。
2)限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想に囚われている。
3)自分が特別であり、独特であり、他の特別な又は地位の高い人達に(又は施設で)しか理解されない又は関係があるべきだと信じている。
4)過剰な賞賛を求める。
5)特権意識つまり特別有利な取り計らい又は自分の期待に自動的に従う事を理由なく期待する。
6)対人関係で相手を不当に利用する、つまり自分自身の目的を達成する為に他人を利用する。
7)共感の欠如:他人の気持ち及び欲求を認識しようとしない、又はそれに気付こうとしない。
8)しばしば他人に嫉妬する、又は他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9)尊大で傲慢な行動、又は態度。
80 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 18:38:54
↑自己紹介、あるいは部落豚なすり付けだなw
あぼーん
あぼーん
あぼーん
84 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 18:53:09
本スレage
荒らしは消えて下さい。
キチガイ引き取って下さい。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
89 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 19:49:12
「読売新聞」(2月5日朝刊)の「空想書店」欄にて本の紹介。
明日だね
90 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 19:49:51
なに?
あぼーん
あぼーん
93 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 20:25:35
■2月
「読売新聞」(2月5日朝刊)の「空想書店」欄にて本の紹介。
「モノマガジン」(2月16日号)にエッセイ「個性あるメディア(媒介)としてのオーディオ」掲載。
「京都新聞」(2月3日朝刊)に「粉飾『清算』」(連載「現代考」4回目)掲載。
「遠近」(No.9)にエッセイ「毛質と腕前」掲載。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
97 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 20:34:24
ちなみに小川さんは「マイルス・デイヴィスの真実」平凡社刊など多数の著作がお
ありですが新刊「TALKIN’ジャズX文学」平凡社は気鋭の芥川賞作家の平野
啓一郎さんとの対談で、お正月に読みましたがべらぼうにJAZZに造詣の深い二
人のトークセッションで★五つの面白さでした。
あぼーん
99 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 20:35:31
エッセイを読んだらこの人の「素」が垣間見えるのではないかと思ったのだけど。
甘かった。
いや、これがこの人の「素」なんやろなぁ。
頭がものすごく良くて、書くことばも難しくって、でもちゃんと社会と繋がって軽快に生きている。
それがこの本を読んで感じた平野啓一郎の印象。
オレは一般人とは違うんだよって無闇に難しく書いたり、
逆に軽薄なことばで面白おかしく(でもつまんない)書いたり、
そういうことしないで1個1個誠実に書かれてて、私のようなものでも興味を持って読めた。
こないだまで読んでた新書は何だったんだろう・・
・・・って、持ち上げ過ぎ?
権力に弱いので、「芥川賞受賞」の肩書きに負けてるのかなぁ?
でも、賞取ってようが取ってなかろうが、ええ大学出てようが出てなかろうが、読みたい文章と読みたくない文章はあるもの。
平野啓一郎の書くものは読みたい文章だもの。
というわけで、自分のつまんない感性を信じてみてもええかなと思うのです。
あぼーん
101 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 20:37:54
102 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 22:16:51
『文明の憂鬱』
『文明の憂鬱』 平野啓一郎/新潮文庫
単行本として出たのはもう3年くらい前。
それが会社を代え、さらにいろいろなところで書いたエッセイを加えて文庫化。
京都新聞とかで書かれてたエッセイは読めなくてちょっとヤキモキしてた。
だから、そういうのごそっとまとめてもらえて嬉しい。
ただ、今日買ったばかりでこれから読むんだけど…。
103 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/05(日) 00:58:06
いよいよ明日です。
104 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/05(日) 13:02:57
今日ですよ。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
あぼーん
109 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 14:25:28
今日だっけ?
あぼーん
「日蝕」 平野啓一郎著
15世紀のフランス、キリスト教の僧侶の告白とも言える手記の形をとっ
た小説。古めかしく、難しそうな単語、言い回しが使われているけど、実際
読んで見ると内容は思っていたより平易。
キリスト教の信仰と異端、魔女、錬金術師、巨人の幻影、犠牲としての焚
刑・・・物々しく時代がかった道具立てで描かれているが、そこにあるのは
現代的な問題―人間としての美しい在り方とか、世界の中の自分をどのよう
に認識するかとかそうことなんじゃないかと思う。
112 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 15:29:36
ゴンってなぜここまで平野に粘着してるんだろう?
それとも相手にされて喜んでるのかな?
113 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 15:32:25
お前いいかげんにしろ
お前がゴンだよ
消えろよ
114 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 15:39:17
115 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 15:50:53
お前いいかげんにしろ
お前がゴンだよ
消えろよ
116 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 15:55:28
ゴンってなぜここまで平野に粘着してるんだろう?
それとも相手にされて喜んでるのかな?
117 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 15:57:12
118 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 16:06:13
119 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/06(月) 16:32:15
今日の読売新聞の「空想書店」は平野啓一郎だけど、
6冊の中に「鏡子の家」選んでるね。
121 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/07(火) 01:22:26
本スレage
荒らしは消えて下さい。
122 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/09(木) 23:19:36
本屋さんといえば平野啓一郎の『文明の憂鬱』の文庫版がどこへいっても見つからない。んもー!
そして平野さんといえばいつの間にかHPがリニューアルされていて、プロフィールの最後に現在東京都在住って書いてあったのにびびった。いつのまに東京へ…?
あー、なんかちょっと寂しい…。うぅ。
123 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/09(木) 23:24:23
評論はいつ出るんですか〜?
124 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/09(木) 23:58:09
平野さん大好き♪
ていうか、なんで変なコイズミの顔を貼り付けるんですか〜???
125 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/10(金) 19:20:17
なんで平野ファンは基地外ばっかなの?
126 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 00:31:25
本屋さんといえば平野啓一郎の『文明の憂鬱』の文庫版がどこへいっても見つからない。んもー!
そして平野さんといえばいつの間にかHPがリニューアルされていて、プロフィールの最後に現在東京都在住って書いてあったのにびびった。いつのまに東京へ…?
あー、なんかちょっと寂しい…。うぅ。
127 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 16:04:58
ここが本スレと認定されましたねww
おれの勝ち
128 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 16:20:51
祭りだ 祭りだ
ワッショイ ワッショい wwww
129 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 16:22:27
漫画パクッて盗作すればいいんだよ、やったもんがちww
おれの勝ち
131 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 16:26:46
モアイ新作でデスノート盗作しないかな?
132 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 16:44:25
>>130 佐藤亜紀だろw
3つの違う漫画から盗作してつなぎあわせてファンタンジーに仕立て上げ、
新人賞に応募した確信犯のババァ。審査員は、漫画なんか読んでいなくて
だれもその事実に気付かないまま授賞。
その盗作小説たった一作を財産に筒井康隆に擦り寄る一方、2ちゃんねるの
文学板に完全板違いの自スレを立てて、ジエンでage続けてるアホなオバサン。
盗作を嗅ぎつけた版元が別作を絶版にしたのを平野啓一郎が盗作したからだと思い込み
盗作だと喚き続けて板をアラシてる、自分の盗作は棚にあげてw
漫画から盗作した馬鹿が、恥を知れ。
平野と一緒に盗作島に幽閉されろよ、カス。
佐藤亜紀ほど醜悪きわまりないクズババアはない。
>131
やぶへびのようでつねw
、
135 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 17:32:04
彡ミミミヽ ノ彡ミミ)
((彡ミミミミ))彡彡)))彡)
彡彡゙゙゙゙゙"゙゙""""""ヾ彡彡)
ミ彡゙ .._ _ ミミミ彡
((ミ彡 '´ ̄ヽ '´/ ̄ ` ,|ミミ))
ミ彡 ' ̄ ̄' 〈 ̄ ̄ .|ミミ彡
ミ彡| ) ) | | `( ( |ミ彡
((ミ彡| ( ( -し`) ) )|ミミミ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゞ| ) ) 、,! 」( ( |ソ < このスレはよく頑張った。感動した! 終了!
ヽ( ( ̄ ̄ ̄' ) )/ \_______________
,.|\、) ' ( /|、
 ̄ ̄| `\.`──'´/ | ̄ ̄`
\ ~\,,/~ /
\/▽\/
■■■■■■■■■■ここはアンチスレです終了■■■■■■■■■■
((ミ彡 '´ ̄ヽ '´/ ̄ ` ,|ミミ))
ミ彡 ' ̄ ̄' 〈 ̄ ̄ .|ミミ彡
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なんでアンチスレを残すんだよ
腐ってるな
136 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 17:35:14
彡ミミミヽ ノ彡ミミ)
((彡ミミミミ))彡彡)))彡)
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ミ彡゙ .._ _ ミミミ彡
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なんでアンチスレを残すんだよ
腐ってるな
137 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 18:12:00
あーあww
切れた 馬鹿がでてきてるしw
ほんとにこいつ馬鹿 てか 平野ーー いい加減にしたら?
お前の負けw
138 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 18:37:35
いったいどうなってるんだよここのスレはまた削除してるじゃないか
狂ってる
削除人が狂ってる
139 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 18:40:51
早速 削除依頼とおったねww
何時間もったんだ?あのスレ。。
削除人さんありがとう
140 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 18:44:27
狂ってる
削除人
ゴン狂ってる
141 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 18:47:38
誰かちゃんとしたスレを立ててください
142 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 18:51:43
このばかのスレなんでぼこぼこ立てないかん?
しかも宣伝ばかりな。
削除人がスレ消したのに数時間後にまた建てたばかしるし
ほんと平野ファンはくさっとるな。
143 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 18:53:35
『日蝕』 平野啓一郎
平野啓一郎『日蝕』読了。
『日蝕』は、15世紀パリの神学生が旅先で遭遇した奇妙な体験の顛末を書い
たものである。回想記の形式が取られており、話者はその神学生(後に司祭にな
ている)である。
冒頭、旅に出た動機として、異教哲学を正統なキリスト教の信仰のもとに秩序
付けるため、より多くの異教哲学を求めて、と説明される。具体的には、当時、
様々な異教哲学のラテン語訳の写本が出回っていたリヨンにそれらの本を求めて、
とある。リヨンに到着したが、そこには思っていたほどの本はなかった。リヨン
の司教はフィレンツェに行けば神学・哲学の本のみならず様々な刺激を受けられ
ると神学生にすすめる。更に、フィレンツェに旅立つ前に近くの村に住む錬金術
を試みている男に会ってはどうかとも進める。神学生はこの提案を受け入れ、リ
ヨン近郊の村に向かう。
以上が導入部ということになるだろうか。
とりあえずここまでを順に考えてみたい。
144 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 19:01:35
「抑(そもそも)私の願いは、異教哲学の排斥に在るのではなく、上(かみ)
に見えている如く、それを我々の神学の下に吸収し、従属せしめることで
あった。実際に、異教徒達の哲学的考察は或る部分に於ては真実である。
但その無智なるが故に、屡(しばしば)甚しき誤りに陥るを免れ得ない。
従って、我々はそれを教義に照らして逐一閲(けみ)し、その誤りの部分
のみを論駁してゆくべきなのである。斯(かく)主張するのは、固より私
が或る思想の完全な放逐などは不可能であると考えているからである。哲
学的正当性を含んだ儘(まま)に放逐せられた思想は、その正当性の故に
必ずや復活する。そしてそれは、その誤った部分をも正当なものとして須
つことなしには蘇り得ぬのである。それ故に、我々はそれが誤りを徹底的
に断じつつも、斯様な哲学を総体として我々の教義の下に服せしめてゆか
ねばならない。排斥するを以て、仍我々の教義の外にそれが放置せられる
を許してはならない。云うなれば、毒を含んだ水さえをも、葡萄酒に変え
てゆかねばならぬのである。 ー 私はこれを可能と信じていた。何故なら
ば聖書の教えこそは、正にそれを可能ならしめる巨大さと深遠さを備えて
いるからである。」
(平野啓一郎『日蝕』新潮社 10ページより引用)
145 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 19:02:29
神学生はドミニコ会に属しているとされる。ドミニコ会とは托鉢修道会(以
下の記述は岩波哲学思想事典を参照した)と呼ばれるものの一派であり、巡歴
説教と托鉢行的清貧に従事しながら民衆を正統の信仰に導き、また信仰の真理
を生きていこうとする集団のことである。
つまり積極的に民衆の中に入りこみ、そこでの行動を通して、民衆を教化し、
また自らも神の真理に生きようとするわけである。
歴史的背景としては、「13世紀の西欧では、政治・社会・経済的変動と共
に世界観的思想的変容が促進された。この内外の転換期に、福音的キリスト教
会のすがたを回復しようとする民衆的革新運動が燃え上がった」ということが
ある。社会の革新期に於いて、社会の支配的思想であるキリスト教自体も変わ
らざるを得なかったということだろう。
托鉢修道会設立当時、カタリ派などの異端が社会に蔓延しだしていた。カタ
リ派についての詳述は避けるが、要するに既存の教会権力の力が民衆の中で衰
えていたがために、また違った形の信仰としてのカタリ派などが力を持ったと
いうことである。
托鉢修道会はそのような状況に危機感を持ったものたちが始めたわけだ。つ
まり、教会を頂点とする信仰のヒエラルキー自体の在り方を力の減衰の源と捉
え、社会に正統の形のままで拡散するべきだと考えたということになるのだろ
うか。当時の僧侶たちの腐敗は目に余るものがあり、社会に正統の信仰として
拡散していくためには、ことに「清貧」ということが重要なポイントになった
わけである。
146 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 19:03:48
托鉢修道会の主なものとしては、このドミニコ会と更にはフランシスコ会が
あるのだが、それぞれに違う形でこの行動を展開していく。フランシスコ会は
「愛による神と民衆と自然への合一感情」に重きが置かれ、ドミニコ会は「御
言葉、真理への学び」に重きを置いている。つまりフランシスコ会は実践的、
ドミニコ会は思弁的ということになる。
ドミニコ会の一員である神学生は、その意味で正統のドミニコ会士と言える
だろう。つまり、民衆の中にある様々な異教哲学をすべて正統なキリスト教の
信仰に飲み込むべきであると考えているわけだから、もともとの托鉢修道会の
成立事情、またドミニコ会の在り方をより徹底させているとも言えるわけであ
る。
更に神学生は、彼より200年ほど前のドミニコ会士であるトマス・アクィ
ナスを尊敬し、トマス主義を以て自認している。
トマス・アクィナスは教会博士、天使的博士と呼ばれる学者でもあり主にア
リストテレス哲学の評価、解釈を以て知られている。簡単に言うと、キリスト
教徒として異教の徒であるアリストテレスの哲学を受け入れ、それをキリスト
教の教義として飲み込んだということである。神学生が語っているように「我
々はそれが誤りを徹底的に断じつつも、斯様な哲学を総体として我々の教義の
下に服せしめ」たということである。これは、しかし、同時に神学を知に開か
れた学問にしたということでもある。この辺りのことについて岩波哲学思想事
典は次のように書く。「トマスの思想の歴史的意義の一つは「信」と「知」の
立場を明確に区別し、同時に両者の有機的な関係を基礎付けたことである」。
147 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 19:05:37
思うに、この「「信」と「知」の立場を明確に区別」ということが微妙なのである。
トマスの有名なテーゼに「本質はそれによってまたそれにおいて存在者が存
在を所有するそのものである」というものがある。
キリスト教において唯一の存在とは神のことである。神の存在が、つまり他
のすべての被創造物の存在を保証している。神の存在が他の存在を保証するよ
うな存在の本質そのものであるとすれば、その本質はつまり存在するものすべ
てに普遍的に存在するものであるということになる。しかし、本来その存在の
本質に到達するためには人間は原罪により阻まれてしまう。この原罪を回避す
るためには信仰により得られる恩寵が必要である。かくしてトマスに於いては
信仰と知恵が微妙に交差していくことになる。
しかし、ここで初めて信仰から知恵が半歩抜きでたということにはならないだろうか。
「 ー とは云え、私はただにトマス主義者たることにも十分の満足を得ては
いなかった。聖トマスの神学に対しては勿論常に畏敬の念を抱いてはいた
が、その一方で、何処かしら慊らぬ(あきたらぬ)思いから、より進んだ
世界の理解、つまりは神の理解を試みむが為には、やはりそれだに越えね
ばならぬものであろうとの考えを朧気に持していたのである。それ故私は、
人の思惑と違い、偏狭であると云うよりは、却って随分と曖昧な思想を抱
いていたように思う。」
(平野啓一郎『日蝕』新潮社 13ページより引用)
148 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 19:12:44
神学生が大学に籍を置いていた15世紀には、しかし、この聖トマスも旧弊
な思想の持ち主とされていた。そのような時代にあって、なお神学生のような
トマス主義者も存在していたわけであるが、小説の設定としては、ある程度時
代遅れの神学生が新たな地平を切り開くために異教哲学の研究に乗り出したと
いうようにされているのではないかと思う。
神学生は所蔵していた写本の一部に興味を惹かれていた。それは後に知ると
ころではヘルルス・トリスメギストスの著作であり、それをマルシリオ・フィ
ッチがラテン語訳した『ヘルメス選集』であった。
もともとヘルメスとは個人の名前ではない。古代ギリシアの神の名前である。
その神がエジプトの言葉と学問の神トトと習合し、ヘルメス・トトとなり、更
にその綽名がヘルメス・トリスメギトス(3倍偉大なヘルメス)となったとい
うことらしい(因にメルクリウスとはヘルメスのラテン語による読みだという)。
この神の名のもとに哲学、宗教、魔術、錬金術、占星術などの知恵が書かれ
ているものである。つまり異教哲学は異教哲学でも人間の知恵、人間の技術に
ついて書かれた本というように捉えた方が良いのかも知れない。
またこの小説との関連でいえば、このヘルメスは直接的に錬金術の祖となる
ものであり、つまりリヨンの司祭が神学生に対して近くの村の錬金術師を紹介
したのも、ある意味、当然のことだったわけである。しかしこの時点では、神
学生にはこの『ヘルメス選集』の一部はただの異教哲学書であり、このリヨン
の司祭の申し出は唐突に響きもしたのである。が、神学生はこの唐突に思えるリ
ヨンの司祭のすすめを簡単に承諾する。かくして物語は転がり始める。
149 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 19:55:04
(評論)平野啓一郎論T
1/始めに
一九九八年、まだ平野啓一郎氏がその作品を発表する前のこと、ある編集者
はごく私的に「最早小説が二度読まれる事は無い」と語った。小説は読み捨て
られる可き物であり、読み捨てられる小説が売れるのだ。売れない小説は出版
されない。従って小説は読み捨てられるのである。……一瞬前期ストア派を思
わせるこのロジックに対して「否、私はどんな小説でも二度読みます」と反論し
ようとは思わない。全てではないが、多くの小説が読み捨てられているのは事
実であろう。全てではないが、多くの才能溢れる中堅作家がノベルズや中間小
説に活路を見いだしている。申し分ない直木賞候補者が芥川賞を受賞した。サ
ラリーマン川柳や主婦の童話コンクールへの参加者ばかりが賑やかなこの文
學界に対する現役のプロ編集者の現状認識として「もはや小説が二度読まれ
ることはない」という言葉は十分に尊重されるべきものであると感じられた。定
年退職したサラリーマンの自分史など、他人は一度として読むことはない、とい
う訳でもない。有り触れた小説のように一度は読まれるだろう。どんなに秀れた
書き手による秀れた小説でも、一度きりしか読まれることはない。しかし定年退
職したサラリーマンの自分史と秀れた書き手による秀れた小説の間には、無限
の隔たりがあるのだ。そう考えて納得しようとしていた。
150 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 19:57:37
ところが突然、平野啓一郎という若き秀才が現れ、全く新しい日本語を創造
し、けして陳腐でない作品を作り上げた。それは大袈裟ではなく驚くべき作品で
あった。そこで駆使された方法は意外にも「温故知新」という手垢の付いたもの
である。平野氏自身が『日蝕』で駆使されている日本語は19世紀以前のもので
はないことを承知の上で書いている。平野氏が『日蝕』で用いる多くの翻訳語は
明治の文學者の手に因るものではあるが、さらに時代の新しいものも相当量含
まれている。後にもう一度触れるが,漢字の古さの極端さを無視すればその文
体は全体として明治とも昭和とも言い難いものである。敢えて言えば、それは
平成のもの、未来の文体である。しかし物語の属する時代は15世紀であり、し
かも場所は西ヨーロッパなのである。
「太陽の所為か。」 (p.20)
151 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 19:59:30
それでもこんな台詞は不意にアルベール・カミュの『異邦人』を思い出させさえ
しなくはない。ある作品が別のある作品の後に発表され、そこに某かの類似点
が見つかれば、たちまち「影響を受けている」と言われかねない。それは当然
のことだ。彼はあらゆる文學的実験が終わったと目される後の世界に生まれ、
文字を目で追わなくては本を読むことのできない人間の誰もがその年に出版さ
れた全ての本を読むことのできない現代に属していている作家なのだ。
現在では余りにも多くの書物が存在する為に、誰がどんなことを書いても、そ
れが以前どこかの誰かが発表した作品となんらかの類似点を見いだされなくて
はならないという運命にある。時間と手間を惜しまなければ、どんな作品にも他
人の空似を見つけ出すことは不可能ではない。その為に作家は常に凡庸であ
るしかなく、手垢の付いた比喩を使い回し、飽きられ、厚顔さを疎まれる運命に
ある。マンネリ、月並み、スランプ、自殺、という矢印までが余りにも凡庸に見え
てしまう。しかし出口は見えなかった。開き直り、どこかで聞いたような話をどこ
かで聞いたような話に纏め、それを奇跡的に「断末魔の叫び」(c池澤夏樹)に
拾われることを夢想するしかないのかと思われていた。
152 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:02:06
平野啓一郎氏はそんな末期症状を見せていた日本文學界に現れた本物の
救世主に見える。小説を二回読ませる作家の出現に見える。しかし既に偽物の
天才を厭という程見せられていた我々は、そう容易く騙される訳にはいかない。
ピエェルは、この時慥かに、この世ならぬ何ものかに参与しているかのように
見えたからである。 (p.124)
例えばこの「参与」という言葉の使い方は、ジャン・ポール・サルトルを思い出
させる。サルトルでなくては意味が通じない訳ではないが、誰かが「ここはサル
トルみたいだね」と言えば、同意してしまうだろう。僅かでも気を抜けば、読者は
全く関係のない二つのものを安易に結び付けてしまうことにもなりかねないので
ある。そして時にはまったく作者の意図を無視して、開かれたテクストとして小
説を分析した結果、後に書かれる作品のパロディを見つけ出すというアナクロニ
スムに陥ることもある。これは個人の読書体験の中では、無責任な遊びとして
許容されるべきことだろう。例えばチャールズ・ブコウスキーの『ポストオフィス』
を読んだ後にヘンリー・ミラーの『南回帰線』を読んだとしたら、『南回帰線』は
『ポストオフィス』の影響を受けているなあと感じる人が存在し得るのである。そ
して現代ではチャールズ・ブコウスキーの『ポストオフィス』を読んだ後にヘンリ
ー・ミラーの『南回帰線』を読むということがけしてあり得ないことではないし、こ
とさら奇妙でもない。フランソワーズ・サガンは三島由紀夫の影響を受けている
とか、森鴎外は村上春樹の影響を受けていると感じる人が存在することは可能
なのである。これも『一月物語』に関して後述するが、問題はいくつかの場面
で、平野氏が誘っているように見えるということである。
153 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:09:50
↑ のひと 辛いだろうねww スレ潰されてw
がんばるね あほのくせに
154 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:12:30
155 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:14:17
京都?
156 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:14:19
平野氏は懐古趣味でアナクロニスムに浸ろうというのではないだろう。そして
読んでいない本を読んだふりをするはったり屋でもないだろう。全てが凡庸であ
るしかない現在の状況のきわどさに対して本物の教養と天賦の妄想力を(制御
しつつ)駆使して果敢に挑んだように見える。日本近代文學が成立する遥か以
前、15世紀の西ヨーロッパを舞台に、何時の時代にも存在し得なかった架空
言語を使用し、文學賞や印税生活を意識しない本物の純文學小説を書くこと
で、平野氏は小説というものがオリジナルで豊かな虚構性を遊ぶ知的な遊びで
あることを厳格に意識している。私がここで書こうとしているのは、彼から与えら
れた楽しさ、驚きに関するモノローグである。
2/華麗なるアナロギア
エピグラフに引いた言葉、いや、そもそものタイトルからして、平野氏はある種
の読者に受け入れられないこと、拒否されること(手に負えないと諦められるこ
と)を意識し、望んでいるようにさえ見える。タイトルに古い漢字が使われている
為に、本屋さんでも不断ならワープロで作る宣伝用の貼り紙を手書きにしたりし
て大変ご苦労されているようだ。平野氏はそんな本屋さんの手間を無視して、
文學に関する圧倒的な技術を誇示し、小説とは誰にでも書くことのできるもので
はないし、誰にでも読むことのできるものではないと宣言している。常用漢字や
当用漢字や文部省漢字検定委員会に抗議しているというだけではない。彼は
電車の中で読み捨てられる小説の作者であることを猛烈に拒んでいる。誰にも
媚び諂うことなく、作品以外の権威を借りず、読み捨てられるべきではない小説
というものがこの世にまだ実在し、今後も書かれ得ることを証明して見せたの
だ。その負の局面ばかりに注目して、難しい漢字が使われているから平野啓一
郎の小説は凄いという訳ではない。
157 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:17:19
即ち、聖トマス、大アルベルトゥスに依るアリストテレスの『自然学』『生成消
滅論』『分析論後書』の注釈の類、ボエティウスの翻訳なるポルフュリオスの『ア
リストテレス範疇論入門』、アヴェロエスに依るアリストテレスの注釈書、ヴァン
サン・ド・ ボオヴェの『自然の鏡』等。又一方で、カルキディウスの翻訳なるプラ
トンの『ティマイオス』。更に、ロジャア・ベイコンの『大著作』『錬金術の鏡』、ライ
ムンドゥス・ルルスの『聖典』、フラメルの『象徴寓意の書』、亜拉毘亜人のゲエ
ベルの著した 『錬金術大全』。その外、『神学大全』、『形而上学注解』を始
めとした一連のトマスの著作、それに抑私をして旅へと立たしめた、フィチイノの
『ヘルメス選集』等、…… (『日蝕』/p.62)
これは或る書架の描写である。究めて控えめな表層的な具体である。資料調
べに半年懸けたと言われる『日蝕』の中でも、特にこの書架が「脅かしっこ」(c
庄司薫)を超えた文学というという楽しい遊びの凝縮されたものに見えてしま
う。
158 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:19:23
ロジャア・ベイコン(Roger Bacon/1210年または1214年頃〜1294年
頃・諸説あり)の『大著作』(Opus majus)の一部は、転載された写真でその
写本の実在を確認したことがある。それ以外の本については、どこの本屋で売
られているものなのかさえ、私という馬鹿者にははっきりとは分からない。知識
としては知っていても、本屋で実物を見たことはない。トマス・アクゥイナス(Tho
mas Aquinas/1224年頃〜1274年)の『神学大全』には色々な部分訳は
あるが、完訳本というのは一度きりしか見たことがない。いや、見たと言っては
いけないのだろう。それは私の記憶の中では新宿の紀伊国屋の三階で売られ
ていた。一冊本で十二万円以上の値がつけられていた。それはどう見ても写本
ではなく、近代文明を齎した大発明である科學的な機械で大量に印刷されたも
のであった。それなのにまるで福沢諭吉が夜も寝ないで昼寝して褌一丁でオラ
ンダ語の書物を翻訳していた頃の価格だなと感心したことを覚えている。しかも
一冊本なのである。私はその『完訳・神学大全』が読者を選び、読者を拒否する
本であると感じた。そして「こんな本が存在するなんて信じられない」という手垢
の付いた感想を持った。その感想がもしも正直なものならば、私はトマス・アクゥ
イナスの『完訳・神学大全』という一冊本の実在を信じていないことになる。暫く
してまた紀伊国屋で同じ本棚にその信じ難い本を探したが見つからなかった。
部分訳の分冊が一冊7000円台後半で売られていたに過ぎない。あの『完訳・
神学大全』は売れてしまったのか、それとももともとそんなものは存在せず、私
はここに夢の記憶を告白しているに過ぎないのだろうか。
159 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:22:58
日本語訳だと数十巻になる筈の一冊本、十二万円の本、その存在そのもの
が虚構性に満ち満ちたトマス・アクゥイナスの『神学大全』完訳本同様の仕掛け
がこの引用の中に見られないだろうか。
トマス・アクゥイナスとそのお師匠さんのアルベルトゥス・マグヌス(Albertus
Magnus/1193年頃〜1280年)の分担がどのようなものであったにせよ
「『自然学』『生成消滅論』『分析論後書』の注釈の類……」と述べるのは単にア
ルベルトゥスが膨大な知識と実験主義を駆使して錬金術に関しても多くの論文
を残していることを無視する態度ではない。アル・キンディ(アルキンディウス A
lkindus/〜872年)を始めとした亜拉毘亜人の翻訳によってギリシャ哲學が
西ヨーロッパに齎されたことは改めて述べる迄もないだろう。13世紀半ば過ぎ
にはアリストテレスの現存する主な著作のギリシャ語からラテン語への直訳が
ほぼ完成していたと言われる。だが、実際師匠アルベルトゥス・マグヌスのアリ
ストテレス(Aristoteles)註釈と弟子トマス・アクゥイナスのアリストテレス註釈
はその過渡期になされたものであり、後にアルベルトゥス派とトマス派がアリス
トテレス哲學の解釈を巡って論争を起こす程度に、そもそも二人の立場はきわ
どく相違するものなのである。
160 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:25:23
トマス・アクゥイナスのアリストテレス註釈は1269年から1273年の間パリ大
學において『神学大全』執筆と同時期になされた。1273年12月6日、聖トマス
は何やら凄いものを見て、以後執筆をやめてしまうのであるから当然その前に
片をつけていることになる。(即ち幾ら値段が高かろうと『神学大全』は未完成で
ある。)『形而上学』『自然学』『政治学』に関しては同じドミニコ会士メールベケ
のウイリアム(ギョーム・ド・モルベカ Guillaume de Moerbeke或いはWill
em―/1215年〜1286年頃)によってギリシャ語から直訳されたラテン語訳
をテキストとして使用している。トマス・アクゥイナスのアリストテレス註釈の発想
の根幹にアルベルトゥス・マグヌスの影響があったことは間違いない。しかしト
マス・アクゥイナスのアリストテレス註釈はアルベルアルベルトゥス・マグヌスの
アリストテレス註釈を継承・発展させたものではない。
161 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:34:38
アルベルトゥス・マグヌスのアリストテレス註釈は1267年シュトラスブルクに
おいてなされたものである。そのテキストについては諸説ある。『動物誌』の註
釈にはテキストとして皇帝フリードリッヒ二世づきの占星術師スコットランドのマ
イケル(マイケル・スコト/Michael・Scot/約1170〜1232年または1235
年頃・諸説あり)訳のものを使用している。だから内容がどうだとは私には言え
ないが、きっとトマス・アクゥイナスは言いたかったのだろう。トマスは師匠を超え
る孝行者の弟子であったということだ。同じ意味で、トマスの膨大な著作を驢馬
に担がせるべきものだと批判したロジャア・ベイコンは、更にトマスがギリシャ語
もアラビア語もできないでアリストテレス註釈を行ったことを批判している。ところ
で平野氏のリストには『動物誌』がない。それはたまたまそうなったのではなく、
アルベルトゥス・マグヌスがマイケル・スコトを「アリストテレスを理解していない」
と批判していることを知っていたからではないか。原語で原典に当たる必要性を
突き詰められると、アルベルトゥス・マグヌスもトマス・アクゥイナスも立場が無
い。すると必然トマス主義者である話者の立場がなくなるので、この辺りは表現
を暈しているのではないか、と私は連想した。
162 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:43:17
また寡聞にして私はフランチェスコ会修道士ロジャア・ベイコンに『錬金術の
鏡』という著作が存在することそのものを知らなかった。そしてそもそもロジャ
ア・ベイコンに『錬金術の鏡』という著作が存在するのだろうか、と疑問に思っ
た。存在するとして、呪術師紛いの錬金術師、あるいは錬金術師そのものを批
判していたロジャア・ベイコンの錬金術師紛いの主張に注目するなら、アルベル
トゥス・マグヌスの方の錬金術関連の書名もリストに挙げてしかるべきだったの
ではないか、と思った。僅か一瞬の後に丸っきり考えを変えられてしまっている
のである。
アルベルトゥス・マグヌスとロジャア・ベイコンはアリストテレス的古典と錬金術
に対する実証的な批判の姿勢が共通している。それはフランシス・ベーコンとロ
ジャア・ベーコンくらい似ていると言っても良い。アルベルトゥス・マグヌスはアリ
ストテレスに即して「私はこれを試した」「私はこれを経験しなかった」といちいち
追試を行ったようだ。ロジャア・ベイコンの実験科學者としての先駆的な役割は
広く知られているところである。喋るロボットを作ったと言われる(飽くまで噂)ア
ルベルトゥス・マグヌスと、クレーン、自動車、飛行機等の発明を予言し(『大著
作』)、また火薬を発明したと言われる(『新オルガノン』フランシスがロジャアに
関して述べている部分は、殆どこの一点のみしか私は知らない。)
163 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:45:32
ロジャア・ベイコンという良く似た二人こそがまさに「錬金術師の鏡」とでも呼ぶべき存在で
ある。なるほどびっくり博士ロジャア・ベイコンが『小著作』『第三著作』『哲学要
綱』『自然学総論』『神学要綱』の外にも『錬金術の鏡』という本を書いていたと
すれば、それはなかなかにきわどく面白い本である筈である。外の題名より面
白そうである。そんな本が手に入るなら是非読んでみたいものだと私は思っ
た。ちなみにロジャア・ベイコンは1278年『天文學の鏡』(Speculum Astro
nomiae)という本を書いている。あるいは『鏡について』という著作もあるらし
い。私は最初平野氏がつい書名を間違えて書いて、誰もその間違いを指摘しな
いで「責任校了でお願いします」とか言う話で原稿が印刷所に回ってしまったの
ではないか、とさえ考えた。しかし、次の瞬間には“鏡"という言葉が“模範"を
意味しないのではないかとも疑った。
錬金術は結果として金を合成しなかった(?)代わりに様々な化学物質を合成
した実践科学である。鏡は硝酸銀の水溶液に苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を
反応させて作られる。アルベルトゥス・マグヌスは苛性カリの発見者として知ら
れている。また実験にはわざわざガラス容器か上薬をかけた陶器を使用するこ
とを指示している。アルカリの語源が万物溶解液(アルカヘスト)であり、それが
パラケルスス(Paracelsus/Theophrast Bombast von Hohenhein/
1493年〜1561年)の『人間の器官』の中で唱えられた概念であることを考え
ると、現代的な鏡の合成が当時計画的に行われ得るものであったかどうかは
疑問だが、ガラス容器を使った実験中、偶然に鏡のようなものができあがること
は、一度や二度はあったのではないか。それは金属板を磨いた鏡より鮮明で、
人を驚かし得るものではなかったか、ロジャー・ベイコンは反射望遠鏡を使って
天体観測を試みたのか……と私は空想した。
164 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:46:59
それでもまあ順当に考えるなら、トマス主義者である話者のキャラクター設定
の肉付けの為に『自然の鏡』『歴史の鏡』『教義の鏡』の『偉大な鏡』三部作(1
249年〜1259年)と『道徳の鏡』を合わせた鏡シリーズを書いた鏡天使(私が
今思いつきで勝手につけたもの)ドミニコ会修道士のヴァンサン・ド・ボオヴェ(ボ
ヴェーのヴィンケンティウス/Vincentius/Vincent/1190年頃〜1264
年)のことを調べている間にちょっと悪戯心が芽生えて、ロジャー・ベイコンが
『錬金術の鏡』という本を書かなかったとは言えないように思えてきたということ
もあるように思う。また平野氏の文脈を操作主義的なものとみなすなら、その辺
りの大まかな空想を誘う仕掛けとして楽しむことができるようにも思う。
ところでこの書架に並べられた写本の著者名の中で、まず一番見慣れない名
前はゲエベルである。私という馬鹿者は彼が「ちんぷんかんぷんの」「訳が分か
らない」(gibberish)という言葉の語源であること以外は何も解らない。何となく
翻訳もなさそうであるし、あったとしても誠に読み辛そうである。ロジャー・ベイコ
ンの同時代人で、彼の批判の対象者であったのではないかとは思うが、ゲエベ
ルがアラビア人かどうかさえ分からない。しかしこの辺りまではまだ詳細が不明
なだけで、実在に関してはほぼ間違いがないだろうと言われている。問題はそ
の次である。
165 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:48:27
ニコラ・フラメル(Nicolas Flamel/1330年頃〜1418年)の『象徴寓意の
書』(Le Livre desfigures hieroglyphiques)はその実在を疑問視されて
いる本である。1612年にアルノーという人物が書いたフランス語訳を元に、西
南学院大学の有田忠郎先生が邦訳している本が出版されているが、ニコラ・フ
ラメル不在説そのものが完全に否定されている訳ではない。有田先生自身、ニ
コラ・フラメル不在説そのものは否定していない。また翻訳者アルノーという人
も謎の人である。カール・マルクスとマルクス・アウレリウスが別人であるなら
ば、開業医にしてスコラ哲学者であるヴィルヌブのアルノー(1311年没)とは別
人であろうか。一般常識としては薔薇十字会の設立発起人以外の普通人は三
百年後に蘇ることはできない。だがニコラ・フラメル自身が「一七六一年にパリ
でオペラを観ていた」(『魔術の歴史』/リチャード・キャヴェンディッシュ/栂正
行訳/河出書房新社/1997年)と報告されるくらい怪しい人なのであるから、
この辺りの時代考証は情報量が増えるに従って次第にぐにゃぐにゃしたものになってしまう。
そしてライムンドゥス・ルルス(カタロニアのラモン・ルル/Raimundus Lullu
s/イエスズ会の布教師/マジョルカ生まれ/1235年または1232年〜131
5年または1316年/マジョルカに没す。)もかなりややこしい人である。彼は恐
らく実在したが、『聖典』という本は実在するのだろうか。ラモン・ルルが書いた
とされる書物は無数にある。多くのラモン・ルルという偽の著名は、ラモン・ルル
というシンボリックな存在に対する無名の錬金術師たちのシンパシーを表すも
のと考えられるのである。結果としてラモン・ルルの本と呼ばれるもののうち多く
は偽書とされ、僅かに錬金術に関してはごく控えめな『大いなる術』(Ars mag
na)あるいは『究極にして普遍の術』(Ars generarlis ultima)『知恵の木』
『哲学原理の書』『認識の自然的方法』などが本物とみなされているに過ぎない。
166 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 20:50:01
ところで13世紀にクリマーという人が『聖典』という本を書いていることになっ
ている。童貞の尿と酢と石灰を秘薬と反応させ蒸留させて、何やら怪しいものを
作る手順が示されている。クリマーはウエストミンスターの修道院長という設定
だったが、実際には架空の人物である。従って『聖典』は無名の錬金術師の作
とされている。無論『聖典』という書名以外、ラモン・ルルとクリマーを結び付ける
要素はない。それでも、ラモン・ルルの『聖典』という本があったとすれば、それ
はかなり興味深いものであることは間違いない。そこにはきっと日本の風邪の
治療についても書かれているかも知れない……と私は考えた。
さて以下の三つは著者も書名も、そしてそうした本がこの書架に収められてい
た背景もなんとなく納得ができる。文筆家の書斎に広辞苑がある事、あるい年
末の紅白歌合戦くらいお約束の書名である。それでも全体のバランスを考える
と態とらしくなくリアリティを齎す尤もらしい書名だ。
カルキディウス(Chalcidio Chalcidius/四、五世紀の人・諸説あり)もプラ
トンも実在しただろう。カルキディウス訳のプラトンの『ティマイオス』(Timaeus)
は、12世紀の西ヨーロッパでは殆ど唯一のプラトンの著作として読まれていた
ことが定説となっている。この時代までプラトンを読んだと言えば、カルキディウ
スの『ティマイオス』を読んだということを意味する。樺山紘一氏が、カルキディ
ウスの『ティマイオス』は全体の三分の二が翻訳と註釈で、残りは翻訳になって
いないと語っている(『現代思想プラトンとプラトニズム』/1979年/青土社)け
れども、それでもこの本がこの書架にあることは、共産党員の家に赤旗新聞が
あることと同じくらい当然の配置なのである。
167 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 21:11:10
ボエティウス(アニキウス・マンリウス・セウェリヌス・ボエティウス/Boethius
/480年〜524年または525年、魔術のかどで処刑)はアリストテレスの『命
題論』『範疇論』の一部を翻訳・注釈をしていた人である。ダンテの『神曲』にも
出てくる。ポルフュリオス(ポルピュリオス/Porphyrios/233年〜305年)は
プロティノスの弟子で、新プラトン主義的アリストテレス注釈者の一人である。
(中央公論社『世界の名著2プロティノス/ポルピュリオス/プロクロス』)フィチ
ーノが『潔斎論』(『禁欲論』?)を訳している。(ポルフュリオスの影響下で9世
紀頃偽書『アリストテレスの神学』『原因論』が書かれ、12世紀頃アリストテレス
の著作として翻訳された。『アリストテレスの神学』に比べれば『アリストテレス
範疇論入門』はまだ妥当な題名だが、)ボエティウスが翻訳したポルフュリオス
の『アリストテレス範疇論入門』なる本が存在するとしたら、ボエティウスという
人は案外アリストテレスの『命題論』『範疇論』そのもの注釈をしたのではなく、
注釈書を読んで注釈を加えたに過ぎないのではないかという疑問も沸いてくる。
(エミール・ブレイエは注釈ではなく翻訳だとしている。)定説としてはポルフュリ
オスの『手引き』あるいは『序説』という本をボエティウスがラテン語訳しているこ
とになっている。『アリストテレス範疇論入門』とはその『イザゴーゲー』あるいは
『エイサゴーゲー』のことだろうか。とにかくそんな本がアリストテレスのカテゴリ
ー論を学ぶ者に15世紀まで読まれていた可能性は十分にある。これもまた公
明党の家に聖教新聞があるくらい当たり前の配置である。
168 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 21:15:12
アヴェロエス(Averres/イブン・ルシド/Ibn Rushd/スペイン、コルドバ生
まれ/1126年〜1198年/イスラムのスコラ哲学者/モロッコで死す)はトマ
ス時代の代表的なアリストテレス註釈者であり、アリストテレス哲学に関する新
プラトン主義的解釈を排除しようと尽力した人である。やはりテキストにはアラビ
ア語訳を使用していたらしい。何故なら彼は生粋のアラビア人だからだ。スペイ
ンがアラビアだったことは何度思い出してもまた忘れてしまう歴史である。(スペ
インってアラビアだっけ?) もう一度順番を整理すると、先に触れたボエティウ
スが最も早いアリストテレス注釈者である。その如何わしさがそのままに15世
紀に引き継がれていることが面白いと言えば面白い。イブン・ルシドが代表的な
アラビア系アリストテレス註釈者である。スーフィズムとプラトニズムに染まった
アリストテレス解釈から脱却しようとしたが、どうもそれは不十分なものであった
らしい。この辺りの判断は全く「世間の噂」という程度の根拠のないものではあ
る。アルベルトゥス、トマスはアラビア経由でないアリストテレス註釈者の走りと
いうことになる。何れの立場も微妙なものである。アリストテレス注釈の歴史を
学ぶのでなければ、もっと別のテキストを揃えるだろう。この書架はアリストテレ
ス主義者のものではない。無論神学者としては異端の疑いがかけられる蔵書
である……。
169 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 21:19:34
ところでマルシリオ・フィチーノ(Ficino Marsilio/1433年〜1499年)が
問題である。彼がコジモ・デ・メディチ(Cosimo de Medici/1389年〜14
64年)から『ヘルメス選集』(『ポイマンドレスPoimandores』『ピマンデル』『よ
き牧羊者ポイマンドレス』あるいは『ヘルメス・トリスメギストスなるポイマンドレ
ス』または『エメラルド・タブレット』『トートの書』?)を翻訳するように言われたの
が1462年。それから二、三箇月で片付けたという説がある。(『ルネサンスの
魔術思想』Daniel Pickeing Walker著/田口清一訳/平凡社/1993年)
『日』では『ヘルメス選集』は1471年フィレンツェで出版されたことになってい
る。リチャード・キャヴェンディッシュの『魔術の歴史』に拠れば、1471年に確か
に『アスクレピオス』が出版されたことになっている。二つの説の間には十年の
差がある。フィチーノの代表作である『三重論』が書かれたのが1489年。全体
としてはなんとなく辻褄は合っているようで、良く解らない設定である。まあ、そ
もそもトート・ヘルメス・メルクリオス・トリスメギストス(Thoth Hermes Merc
urius Trismegistus)が架空の人物である。その作品の一部が何年に翻訳
されていようが、そういう行為そのもの全体を「嘘」と呼べなくもない。 ヘルメス
信仰はギリシャ化された古代エジプト神話を元にした虚構の体系であり、キリス
ト教は古代イスラエルのユダヤ教と実在のイエス・キリストの逸話を元にした虚
構の体系である。中世の人々の中には『福音書』を「ヘルメス文書」同様、ある
いはギリシャ哲学の書物同様、錬金術の秘密を語る書物として読もうとしてい
た人もいたようだ。ほんの一握りのエリートたちが、宇宙の真理を読み解く為に
書物を読むのではなく、金を作り出したいから本を読むのでは情けないなと…
…と私は思った。誰に対して解説をしている訳でもなく、人間というものはごく短い間に根拠の
ない色々なことを考えるものである。しかし何も全ての非が読者にある訳ではないだろう。
170 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 21:21:35
ここに挙げられた書名の羅列はある情景を滑らかに描写したものではない。
寧ろ、謎が仕掛けられ、布石が打たれている場面である。引っ掛かりを与える
為に、態とごつごつした表現が用いられている。ここに挙げられた書名、または
挙げられていない書名のきわどさは、難解さであり、詰まらなさであるかも知れ
ないが、本物の知的エリートが凡人の前に聳え立った図式であり、同時に想像
を激しく掻き立てる「拡がりのある言葉」なのである。
最初これは「脅かしっこ」に見えると述べたが、そう見えたのは正しく私の無知
が原因であって、平野啓一郎氏は単に衒學的に中世の書誌學、オカルティズ
ムに関する教養を見せびらかしたのではないだろう。この部分の描写には、中
世西ヨーロッパに於けるアリストテレス哲學、そしてプラトン哲學の影響に関す
る考察(歴史認識)が含まれ、幾つかの仮説のきっかけが匂わされている。内
的なテーマに結び付けて問題提起をしたとまでは言い難いのだが、誘うように
突き放すようにきわどい書名が並べられている。すんなりとは受け入れ難い書
架である。しかし興味を引かれる書架である。それを観念としてでなく表層的な
具体として誂えた手際は見事と言うよりない。
もしも私が学生なら、明日早速高速道路のサービスエリアの男便所より幾ら
か大きな図書館に行って二人のアルノーの関係を調べ、ルルスの『聖典』とクリ
マーの『聖典』の関係を調べ、『ヘルメス選集』の翻訳された時期とその内容を
調べたくなるかも知れない。しかし「最早小説は二度読まれることはない」という
テーゼの趣旨を鑑みれば、私は図書館で調べ物などすべきではないのである。
いや寧ろ、平野啓一郎氏もそのようなことを望んではいまい。
171 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 21:24:27
この書架は坪内逍遥博士が『小説神髄』の中で提案した小説の肝「リアリチ
ー・プラス・サムシング」の実践そのものではないのだろうか。私にとっては「カ
ルキディウスの『ティマイオス』のラテン語訳は15世紀にも読まれていた」という
情報その他がリアリチーであり、「ロジャー・ベイコンの『錬金術の鏡』」「ラモン・
ルルの『聖典』」その他がプラスのサムシングである。各々が自分の情報量に
従って同じ本棚から別のバランスでリアリチーとサムシングを感じることができ
る。だから小説とはどんな物知り博士を相手にしても渡り合えるように、何か未
知なること、何か新しいこと、究極的に謎であることを書かなくてはならないの
だ。サリンジャーの金庫の中の長編小説やヘミングウェイのスーツケースの中
の傑作というものは、最も小説的な興味深い題材である。深澤七郎の『風流夢
譚』の海賊版が興味をそそられる本であることも間違いない。『死海写本』で一
発当てた作家もいる。平野氏はここで偽書までは作らなかったが、それに匹敵
する妄想力を見せたとは評価できる。或いは多くの編集者が読書嫌いで、本を憎んでいて、本は読み捨てられるも
のでなければならないと考えていたとしても、私は彼らを責めないでおこう。本を
沢山読まなければ『日蝕』の良さを理解できない訳ではないのだから。
172 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 21:27:16
このたわいもない文章をワードプロセッサーに打ち込んでいる今、テレビジョン
セットでさほど高尚とは言えないクイズ番組を観ていたら1487年『魔女への鉄
槌』という本が書かれ、その本をきっかけとして魔女狩りが一層熾烈を極めた。
この本は現在も出版されている……というような溌剌とした女性レポーターのコ
メントがあった。そして画面上には今現在も版を重ねて売られているというその
本の実物が映し出された。映像とは如何にも疑う余地のない事実に見える。そ
うは言ってもたかが電気信号でしかないものが、活字より事実に近いという保
証はない。結果としてそれは全く偶然にも、映像を超えた平野啓一郎の小説の
素晴らしさを際立たせる要素の一つに過ぎなかった。
固より異端審問の職に携わっていたジャックは、数年前に謁したドミニコ会士
のインスティトリスに因ってその蒙を啓かれたら しい。ここに云うインスティトリ
スとは、懼らく後に、ヤアコブ・シュブレンゲルと倶に『魔女の槌』を著すこととな
るハインリヒ・クラアメルのことであろう。 (同前/P.84〜85)
巷で話題となっている芥川賞受賞作品を読み、テレビジョン放送で娯楽番組を
観ているごく当たり前の庶民という私の脳髄の中で、二つの情報が結び付けら
れることには寧ろ余計な知識は必要なかった筈である。これが私でなくて別の
誰かだったとしても、平野啓一郎氏の豊かさに気がつくべきなのである。
173 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 21:31:52
そうかぁ
174 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 21:52:39
そうかそうか
175 :
ゴン:2006/02/20(月) 00:26:58
ゴンですが、なにか?
176 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 07:45:48
177 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 09:20:02
さてと 今日は誰をボコにするかな?
178 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 10:51:09
我らがゴンさん出てきてるジャン。
デテコイヤー イチ!!!!
179 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 11:39:09
私はたまたま手持ちの「『魔女を打つ槌』は教皇インケンティウス八世の命令
で、ドミニコ会士シュプレンガーとクラマーによって書かれ、大評判になった。初
版は1485年である」とする記述(『呪術の歴史』/カート・セグリマン著/平田
寛訳/平凡社/1961年)、初版を1486年とする記述(『世界の奇書101冊』
/自由国民社/1978年)、「ヤーコブ・シュプレンガーを助手として調査し、イ
ンケンティウス八世の認可を得て、1484年に発表した『最大の関心をもって望
む』Summis Desiderantes Affectibusという教書を序文に付して、インス
ティトリスが1486年に『魔女の槌』を刊行した」とする記述(『魔術の歴史』/
J.B.ラッセル著/野村美紀子訳/筑摩書房/1987年)などを後で読み返し
てみたが、結局そんなものとテレビジョン放送が一瞬の間に垂れ流した情報と
差がある訳ではない。平凡な自由国民にも、平野氏の面白さというものは十分
伝わるべきものである。
180 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 11:40:48
平野啓一郎氏は『魔女の槌』が一体何年に刊行されたものか、明らかにして
いない。引用部分に「懼らく後に」とあるのは文脈からすると1482年を基準とし
て「懼らく後に」と読め、それ以上正確には辿ることができない。その直前には
「因みに、悪名高いインノケンィウス八世の魔女に関する回勅が発せられたの
は、これより二年後の千四百八十四年九月五日のことである。」(p.84)とか
なり正確に書いている。それからするとこの「懼らく後に」は「諸説ありまして、今
のところはっきりしたことは分からないのですが」という意味に取れる。ところが
進行する時間にそって現実と接し続ける話者には、本来的に「諸説ありまして」
という言い訳が許されない場合が多い。全てが伝聞では済まされないのだ。自
分の五感で、某かの現実を語らなければ架空の存在を承認して貰えなくなる。
「彼女は緑色か黄色か臙脂色か鳶色の上着を着ていました」とは書けない。従
って異国の大昔を舞台に小説を書くのは難しい。最も厳しいと噂される出版社
の時代考証部から見れば、平野氏でさえ完璧ではないということになるのかも
知れないが、出来るだけ情報を収集し、それでも解らないぎりぎりのところを曖
昧に暈すことと、創造力で補うことの使い分けがきっちりできていて、しかも潔
いのがこの人の凄いところである。たかだか一冊の資料(コピー)を手にしただ
けで、五百年前の事実を詳らかにしてしまうテレビジョン放送のクイズ番組の娯
楽性がこの瞬間如何に驕慢なものに見え鼻白んだかは言うまでもない。
181 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 11:42:26
しかしテレビを観ていたら……という例はたまたま私に起こったいかさま臭い
偶然でしかない。別の例を示そう。話者の夢の中に「癩者の行列」が出てくる場
面がある。(p.77)熊の出る山道を小学校に通う子供たちのように、ある種の
病人が突然道で出会った人を驚かせないように気をつかってガラガラを振って
歩くのであるが、その場面で、私自身は種村季弘の『パラケルススの世界』(1
984年、青土社)の中にあるそっくりの記述を思い出した。それは個人的な読
書体験からしてどうしても思い出してしまったのである。パラケルススの生地は
高地の巡礼地であり、奇蹟を求める病人たちが多く訪れていた。当地に病院が
建てられたのが1465年。では何年何月の何時何分何曜日に癩者の行列がど
の村をどんな格好で通っていたのかまでは分からない。それでも『パラケルスス
の世界』を読んだ記憶のあるものにとって「癩者の行列」の場面は夢とは言えリ
アルに感じられるのである。しかしここではその情報はさておくとしよう。本で得
た情報ではなく、我々の接する現実の中で、この病気について考えてみよう。こ
の種の病人と病院は今も日本では特別に扱われている。国立病院なのにNTT
の番号案内で電話番号が調べられない病院が存在する。手を尽くして現実と接
して貰えば解ることだ。「国立病院なのにNTTの番号案内で電話番号が調べら
れない病院が存在する」という事実を知った時、私は「信じられない」と感じた。
驚いたというより、まずどこまでも疑っていた。そして実際にその病院に入院し
た友人が「隠れ里」に消えてしまったように感じた。その事態は私にだけ降りか
かった個人的な偶然ではない。全ての納税者は間接的にせよ、そんな怪しい
病院を税金で運営しているのである。給料から天引きされているお金が隠れ里
に消えて行く日本という国家が、全体として共有するタブーの伝統の影響を考
えない訳にはいかない。
182 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 11:44:26
平野氏が描写したガラガラは過去の異国の風俗でもあり、人間の本質に関
わる生きたタブーでもある。ガラガラの場面を読んで、生々しいな、嫌だな、と感
じる人が存在し得るのは、それが過去の風俗で片付けられないリアルなものを
捉えているからだ。或いは癩病患者を気味悪く悍ましい生き物だと思い込む人
まで現れるかも知れない。それはその人の感じ方であって、誤解とは呼べな
い。そういう意味でもこれは拡がりのある文章であり、罵倒や恫喝よりも強い力
を持った危険な言葉、表層的な具体の描写である。
無論先に『パラケルススの世界』を読んでいた者には、おまけがある。パラケ
ルススは1480年という金星が最も怪しい輝きを見せた年に、ミクロコスモスと
大宇宙のコイトスによって迸るスペルマによって梅毒が齎されたと主張する一
人である。梅毒患者は最初癩病患者と同類の扱いであった。平野氏は『日』
の時代設定が絶妙なものであることを後に告白しているが、それは皆既日食の
場所と日時ばかりを指すのではあるまい。梅毒患者と癩病患者がごっちゃにさ
れていた時代というものは、ペストが度々大量の被害を与えた時代から後の苛
酷な魔女狩りの時代の間のほんの一瞬の凪ぎの瞬間でもある。戦死者の少な
い時代には人は別の死に方を選ぶことができた。今もそんな過渡期であると予
言的に語ることはいかがなものだろう。明治二十年代同様「戦前」(c柄谷行人)
である、という言い方も可能である。種村季弘氏は予言というものが本質的に
はたった一つの構造しかもっていないことを『パラケルススの世界』で語ってい
る。予言的に語るということは将来の変化を語ることである。アリストテレス的な
発想をしてしまえば、現実態の中に可能態を見いだせば良いのである。絶妙の
時代設定をすること即ち過去を歴史のダイナミズムの中に捉える姿勢である
し、過去を歴史のダイナミズムの中に捉えるということは、結果的に将来の変
化を語ることになる。
183 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 11:46:26
この『日蝕』という素晴らしい作品を安易なアナロジーに押し込めてしまうこと
は本意ではないが、私はここで象徴的に扱われているアリストテレス理解の得
難さとプラトニズムと錬金術のいかがわしさ、うさんくささ、きわどさ、そして絶対
的な不可能性(電子を物凄い早さで打付け続ければ、卑金属も貴金属に変えら
れるという理屈がないではないが……)を私小説的に内的テーマと結び付けたくて仕方がない。
平野氏のストーリーに即して言えば、話者は神秘的な体験を経て軈て錬金術
の実践者となる。炉の前で、物質を手に実験を続ける時間を、話者は非常に特殊な感覚のものとして位置付ける。
人は広大な草原に立つ時、眼前に縹緲と横たわる海を眺め遣る時、或いはこ
れと似たような感覚を抱くかも知れない。然りとて、そうした時でも彼の触れるこ
との出来るのは結局は世界の一断片に過ぎぬ筈である。否、ともすれば、彼は
それだに触れることが 出来ぬかも知れない。しかし私は、薄暗い小さな部屋
に籠って作業を行っている時には、その一刹那一刹那に、ある奇妙な確信を
以て世界の渾てと直に接していると感ずることが出来るのである。 (同前/p.185〜186)
まさにカント哲学の完全否定である。そしてこの感覚は話者自身によって物語
のクライマックスであった魔女(?)の焚刑の場面での唯我感と結び付けられ
る。人類は恐らく縦も横も3メートルを超える大きさになることはできないだろう。
しかし『日蝕』には上半身が雲の上に出る大巨人が描かれる。日本には富士山
を作ったダイダラボッチ(大太法師)という巨人がいる。ダイダラボッチと平野氏
の描く巨人は、その馬鹿馬鹿しい大きさが似ている。その理不尽な巨人が現れ
た理由は、勿論「ヘルメス文書」に由来している。「汝は汝を神と等しくしなけれ
ば神を理解することあたわず。同類は同類により理解されうる。すべての身体
より抜け出で、自己を測りしれぬ大きさへと拡げよ」(『魔術の歴史』よりひ孫引
き)とあるからだ。
184 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 12:11:49
ゴンさんから逃げてコピペ貼るだけか
ところで京都は雨だそうね。
185 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 12:14:27
二十世紀を震撼させた哲学者フッサールは外部を認知する方法として「感情
移入」と呼ぶべき作用を考えた。ヘルメス文書の方法は、自己を無限に拡大さ
せ、全ての外部と同一化してしまうというものである。外部が存在しなくなるまで
自己を拡大させれば、自己の中で世界は完結してしまう。私は大昔ブルーバッ
クスで『四次元の世界』という本を買って、後で小説だと気がついたという不注
意な経験がある。そこに自己完結した幸福な一次元人というものが登場する。
彼にとっては外部がないから幸福である。外部がないという状態は物凄く不注
意な状態であるが、そういう状態は幸福なのである。平野氏の描く巨人と両性
具有者は、匂いと光と音を媒介として一つになる。世界が自分で満たされ恍惚
感の中で世界と一体化する体験は、現代でも限られた小説家(例えば辻邦生)
の告白として見聞きする。無論それは多くの宗教家や哲学者の間で神の恩寵
の光を浴びる至高の経験として告白されていたものと変わりはないだろう。日
本語で言えば「頓才」に当たる「ライトニング」という概念は、ホーリー・スピリッ
ツ、ハギオン・プネウマに触れるから起こるのでも、ニューロンが手を結ぶから起
こるのでも構わないが、この絶対的な唯我感、至高体験というものはやはりもう
少し新プラトン的な世界観、エクステンションとしての現実界というものを前提としているように思われる。
そもそも一つになることが「とてもとても素晴らしいことなの」(庵野秀秋)と考
えられるのは何故だろう。シャルダンも元を辿ればプラトニズムではないか。ピュ
タゴラス学派は10を完全な数だと考え、世界を数のアナロジーとして記述しよう
と試みたけれども、そのアイデアも成果も門外不出となり、普及しなかった。後
に新古典派経済学者が数量経済学で行ったことの成果と同じくらいよく分から
ないものである。
186 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 12:15:34
一方プラトニズムはカルキディウスの『ティマイオス』、アウグスティヌスの『告
白』、『メノン』『ファイドン』『パルメニデス』の部分訳の外に『テアイテトス』『フィレ
ボス』『大アルキビアデス』『ファイドロス』『国家』『ノモイ』の引用として、また偽
ディオニュシウス・アレオパギデスの『天上の位階について』『教会の位階につ
いて』を通じて西ヨーロッパに齎されたのだが、(『ティマイオス』を含め)圧倒的
なテキストが存在し、そのテキストが深く理解され広められたのではないように
思える。新プラトニズムはスーフィズムに翻訳・還元され得るそのアイデアのシ
ンプルさこそが命であり、売りである。(寧ろプラトンはアリストテレスに継承され
なかったように、誰にも理解されなかった?)
ある種の思想は理解されることを激しく拒む。大衆化され、単純化されてしま
うことで失われるエッセンスを惜しむ。しかしウィトゲンシュタインがどう語り、テ
オドール・W.アドルノがどのように語ったにせよ、理解することは「同一性の認
定、納得」(c池田清彦)でしかない。何かと何かを安直に結びつける行為であ
る。念仏でいいんだ、訳が分からないままキャッチフレーズを、スローガンを繰り
返していればいいんだ、と妥協できる思想は強かである。誤解されつつ広まり、
すり替えられても忘れられない。空とか道とか丹という形而上学的な絶対地点
を神と呼ぶのならば、それはまさにマイスター・エックハルト的な意味での想像
を絶する本物の神である。プラトニズムは、そうした神秘思想の原型とみなせる
のではないか。合うか合わないかという意味で言えば、最もシンプルなものが
最も貴いという発想そのものは、広く合い易い。アナロギアを得易いのだ。そし
てもっとも大きなくくりである異端者も、世人の無知によって一つにされかねな
い。
187 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 12:17:39
世人と交り、彼との間の遣取が一向に儘ならぬ時、私が更なる詞を以て理解
せられるを求めむとせぬのは、啻に煩を厭う故のみではない。その為に費やさ
れる膨大な詞が、私には徒ごとのよう に思われるからである。私の裡なる諦
念は、理解を欲する情を、快不快の情に簡単に結んでしまう。日常の束の間の
快の為に、多 言を用いることを私は潔しとしないのである。加えて、世人の無
知が、全体私の理解せられることへの希望を絶ってしまう。これは人をして私
を驕慢と云わしめる所以の心情である。しかし、敢えて反発するならば、この驕
慢は、別段独り私にのみ存するものでもあるまい。斯云うのは、私よりも遥かに
学識に優れた者の為には、私に解されむとする努力も亦、等しく虚しいもので
あろうと想われるからである。 (p.57〜58)
この部分を読めば、500回も同じ質問をしなくても、彼が背伸びをして小難しく
述べ、格好をつけているのではないことが理解できるのではないか。平野氏は
「馬鹿はみんな死んでしまえ」と主張しているのではない。不思議なことに、こ
の引用は私の使用する安物(4万円台)のワードプロセッサーでもなんなく漢字
変換可能な平明な標記になっている。今の標準的な漢字仮名混じり文とそう差
がない。だから簡単に理解できると言ってしまってはいけないのだが、彼は恐ら
く話者を介して人が容易に解り合えないことを馬鹿にでも解るように説明しよう
と試みている。百歩も二百歩も譲歩してくれている場面なのである。ここで徒に
「世人の無知」という言葉の傲慢さに反発してもしょうがないだろう。
188 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 12:19:04
15世紀には、文字を書き、文字を読む人々は、本物の知的エリートたちだっ
た。印刷技術が発明されても直ぐに誰でもが本を読み、本を書くことができた訳
ではない。そしてこの話者が告白に似せて語る言葉は、同時代人に向けられた
ものではなかった。神に捧げられた言葉なのである。彼らは誰にも理解されな
いかもしれないことを恐怖しなかった。空しく誤解され、忘れ去られ、失われてし
まうかも知れない言葉、たった一つの異端の言葉を永遠の知恵として受け継
ぎ、次の時代に受け渡すべく、写本を作り、註釈を付け足し、また世界でたった
一つのオリジナルな文章を語った。それは誰にも読まれないかもしれないもの
であり、誰にも理解されないかも知れないものなのである。誰の考えとも一致し
ないかも知れないのである。売れて金が儲かるなどとは考えもしなかっただろ
う。彼らはマーケティング・リサーチもしないで売れない本を作り続けた駄目編
集者、駄目ライターなのである。世人はまさに無知であり、何が言いたいのか
分からない、訳が分からないというだけならまだしも、何だこれはと本気で怒り
出す人もいて、話者を魔女扱いするかも知れない。少なくとも異端の謗りを逃れ
ることはできない。そのような状況の中で照れもなく、逃げ道を作らず、真正面
から語ること、……それはまさしく平野啓一郎が処女作に於いて向き合った小
説を巡る現実のアナロギアではないか。
189 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 12:21:03
純文学小説を書くという行為は恥ずかしいものである。空しいのはけしてお金
が儲からないからだけではないだろう。芥川龍之介は自分の作品が九割の読
者には理解されないだろうと考えていた。立原道造は紐綴じ詩集を作り、日光
月光に語った。島田雅彦が「誰も読まない雑誌に月に60枚書けば食って行け
る」「小説家は漫画に食わせてもらっている」と語ったのは、お金がざくざく儲か
らないことへの愚痴ではなかったのかも知れない。久間十義の「小説家は所詮
引かれ者だ」発言は、小説で世界を変えることができないことの悲しみを訴えた
ものかも知れない。しかし日に焼けていれば解決する問題は色白だけである。
犬に説教をしてみても詰まらない。平野啓一郎氏はそんな無知な世人たちに一
つのアナロジーを示した。だがそれが厭味ではなく福音に見えるのは、彼が神
にも、そして私の如き馬鹿者にも届く魔法の言葉の使い手であり、本物の救い
主である証拠ではないか。
190 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 13:05:55
平野啓一郎氏自身が「三島の再来」と呼ばれることに関してどう考えているか
は解らないが、告白からすると三島にシンパシーを感じているのは確からしい
ので、こんな無知な世人の戯言と戯れてくれるものなら、是非いずれは『藤原定
家』を書いて貰いたい……と私は思った。三島由紀夫が書こうとして書けなかっ
たこと、書くことが不可能であったこと、永遠に失われた言葉を創り出すことでさ
えが彼になら可能であるように思えるし、彼ならばそれを存在しないオリジナル
のパロディではなく、本物の『藤原定家』に仕立てることができると信じるからで
ある。錬金術が失われた大いなる知恵を写本から読み解き、自ら試みて復活さ
せる術であれば、彼には三島が果たせなかったことも可能かも知れない。坪内
逍遥が、二葉亭四迷が、森鴎外が果たせなかったことが可能かも知れない。芥
川は「夏目さんにしてもまだまだだ」と友人へ宛てた手紙に書いている。そうい
う意味では夏目漱石の到達できなかった所まで行けるかも知れない。それは彼
がリアリチーだけでなく、プラスのサムシングを駆使できる作家であるからであ
る。平野啓一郎氏は純文学という錬金術を試み、成功した唯一の一人と言える
かも知れない。無論彼は金をざくざく儲けることに成功したのではない。彼は誰
も触れられなかった世界と直に触れ、訳の分からない神秘の力で仄暗い入り口
を覗き、「結果としての感銘の深さ」を齎したからである。これだけ一語一語味
到して書かれた幽玄にして艶のある文章を読まされては、書いている方も幸せ
だったろうなと感心するよりない。私も生きている間にこんな立派な本を読むこ
とができて幸福である。
191 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 13:07:34
3/ギミックはいらない
興味深い書架の設定、的確なアナロギアの発見……、それがプラスのサムシ
ングかと問われれば、そうだと答えるにはやはり僅かな残尿感のような違和感
が残る。突き詰めれば、私は前述の書架の設定だけでも素晴らしいと感じない
ではない。だが私はその箇所を読み終わった時点では完全な感動を用心深く圧し殺していた。
地方の高校生の文藝同人雑誌には「矢鱈難しい漢字を使って書く人」も「西洋
の時代ものを書く人」も「該博な知識を棒ちぎり木のように振り回す一言居士」も
かなりの数存在する筈である。と言うより、今でも地方の高校生の文藝同人雑
誌はそうした渋い作品で埋め尽くされているのではないか。彼らが世に出ない
のは、そうした小説を「そんなものは誰も読まない」「何かを勘違いしている人が
いる」「お金を払って自分の書きたいものを書いているのであって、他人が金を
払って読む小説ではない」「独りよがりのマスターヴェイションに過ぎない」……
とみなす多くのプロ編集者が存在するからである。というよりそう考えていない
プロ編集者は存在しなかったのではないかとさえ思う。従って平野啓一郎氏が
凄いと認められたのには、そうした所謂衒学的な見かけに拘わらず本物の教
養を身につけていたかどうかは関係ないと考えるべきなのだ。
192 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 13:09:02
冒頭でも述べたように平野氏の使用した文体は、実に歪なものである。私も
怒りはしないけれども途中までは「なんだこれは?」と感じていたのである。「何
処でもない誰でもない」現代小説に関する江藤淳の批判を思い出し、カフカの
『城』に登場する由来を喪失した測量師を思い出し、キムタク演ずる織田信長の
テレビドラマの中の「みんな、ちょっと席外せ」という些か頓珍漢な台詞を思い出していた。
千四百八十二年の初夏、私は巴黎からの長い旅路を経て孤り 徒歩より里
昴に至った。 (p.5)
この一文からして既に頓珍漢なものである。それは高橋源一郎やドナルド・バ
ーセルミや武者小路実篤の文章が頓珍漢であるというのとは少し意味が違う。
どう考えても織田信長が「みんな、ちょっと席外せ」と言うくらい頓珍漢なのであ
る。無論「皆の者、暫し外せ」と言い換えれば済む話ではない。「外すだぎゃー」
と名古屋弁を交ぜればいいとも思わない。その当時どんな言葉が話されていた
かは想像の域を出ない。だから意味は同じだがなんとなく古めかしい言葉遣い
の雰囲気を出したいという意味で桃尻語(c橋本治)的に「みんな、ちょっと席外
せ」よりは取り敢えず「皆の者、暫し外せ」とでも言っておいた方がいいだろうと
いう考え方がドラマでは主流なのだとしよう。平野氏はここで翻訳文の匂いの強い現代文の文法を使い、明治初期に生ま
れ戦後使われなくなった外国の地名に対する当て字を使い、現代仮名遣いを
使い、山本有三らによって廃止されたルビを多用し、また現代では殆ど使用さ
れない動作の手段を示す「より」という助詞を使った。曾てこのような要素の組
み合わせが混在したことはない筈ではあるが、平野氏はこうした歪な新しい日
本語を殆ど気を緩めることなく、あたかも曾て確固として存在していた伝統作法
に沿うかのように延々と書き連ねる。
193 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 13:10:32
では具体的なこの文体そのものではなく、このような方法が「空前絶後」かと
言えばそうではない。例えばアントニー・バージェイスが『クロックワークオウレン
ジ』で駆使したナッドサッド・ランゲージやマーク・トウェインが創始し、ジェロー
ム・デイヴィッド・サリンジャーが継承・発展させ、庄司薫が輸入したと言われる
ティーンエイジ・スカースなどは、誰かが実際に使用していた文体をそのまま書
き言葉に取り入れた訳ではなく、新しい文体の創造であったことは間違いない。彼らはぎ
こちなく遠慮がちに新しい言葉を使いはしなかった。最初から堂々と架空言語の世界にナレーターを浸したのである。
芥川龍之介がしばしば「話すように書くのではなく、書くように話したい」と丸で
口語文創作活動に釘を刺すような発言を繰り返していたことを思い出す。
芥川は現代人の目から見ても自然な日本語として理解可能な平明な文章を
書きながら、けして「話している言葉をそのまま書き写す」ようなことはしていな
かった。実際、御用聞きが勝手口で「こんちわッス」と声を書ける時、不要に語
尾の「ス」を伸ばすのを不快に聞き咎めたりもしている。それにどうやら芥川が
頭の中で使用していた言語は今の基準からすると「漢文書き下し文」「候文」に
近いものであったようで、小説の文章は「口語文」に近いが、インタビュー記事、
一口コラムなどは途端に「文語文」に近くなる。芥川という人も、実はある一定
のルールの下に文法、語の用法、漢字表記などに徹底的に工夫を凝らした(ス
タイリスティックな)文体を作り上げ(スタイライズさせ)、作品全体を一つの(スタ
イリッシュな)様式美で満たそうとした一人であった。それが二葉亭や漱石や鴎
外らの(近代日本文学の)創造と同列に論じてはならないレヴェルの創造であ
るとは私は思わない。高橋源一郎がジョイス、プルースト以降に書く、スターン、
セルバンテスの王道小説を継ぐ二十世紀文学王であるとするならば、やはり平
野啓一郎氏を周回遅れの擬古典派とは呼べないように思う。
194 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 13:13:14
恐らく何か文章を書いて赤の他人に読ませようという人間は大抵、二階から
目薬を差されるような不自然な過程を経て自分の文体というものを創造してい
かなくてはならない。それは「何かの影響」ということも有り得るだろうし、ある程
度は世代論で括られることもやむなしと言えなくもない。例えば庄司薫の本名で
のデヴュー作品『喪失』を読み直してみると、その長ったらしく気取った文体が、
学生運動の際の討論の影響を受けたと自称する蓮實重彦の文体と余りにも似
ていると思えることがある。今、小説を書いて投稿してしてくる若者の文体は、
村上春樹の文体に似ているものが多いそうである。その程度の意味で、平野
啓一郎氏の文体を過去の誰かの文体に似ていると呼ぶことはできない。三島
の再来と呼ばれていたので、或いはそんなこともあったのかと『癪王のテラス』
などの外国物を読み返してみたが、三島と平野氏ではどこが似ているのか私に
は分からなかった。トマト一個や二個ではカゴメトマトジュースは作れないよう
に、中島敦と日夏耿之介と泉鏡花と……二人や三人を合わせても割っても平
野啓一郎氏は出来上がらない。むしろ彼の方法そのものは空前絶後どころか
手垢がついたものと言える「温故知新」である。彼の書いたものは十分な資料
調べに拠って成立する本格時代小説なのだ。そして時代小説は過去に対する
S.F.である。理不尽な妄想力によって資料の透き間を補わなければならな
い。それが単なるパロディに陥らなかったのは、多少なりとも「ごった煮」(c三島
由紀夫)への嗜好があるからかも知れない。
195 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 13:18:14
もっとコピペ荒らししてくれ 笑
平野スレ壊滅だー ゴンさんがんばれ
196 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 13:27:56
粘着きもい
197 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 13:33:50
198 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 13:36:37
そうかぁ
199 :
ゴン:2006/02/20(月) 13:49:58
ここの管理をおおせつかっております、ゴンという物です。
皆様よろしく。
200 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 14:01:13
201 :
イチ:2006/02/20(月) 14:31:35
おい ゴン ナメルナヨ ゴリャア 踏みにじりやがって、どこまでやればいいんだよ。
もういいよ、新しくスレ立てないから消えてくれ、頼む!
ああ、負けたよ お前には。なんか変なコピペやろうも現れて制御不能だ。
ここは壊滅状態だ、勘弁してくれ。。。。。
202 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 14:34:16
草加学会期待の星の平野さんのスレを荒らしやがって!!
203 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 15:16:22
イチはゴンさんに謝罪しろよ。おまえのせいで荒らしが出てきたんだから。
204 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 15:23:12
邁進せよ!平野啓一郎。
創価帝国が日本を支配するその日まで…
夏目漱石が「巴里」と書いていたからと言って「巴里」と書く積もりは御座いませんという鼻っ柱の強さを見せてい
る。「巴黎」という字の由来を調べるのに私は『辞書にない当て字の字典』(講談
社)『ポケット顧問や.此は便利だ全』(成蹊社)を捲った。後で考えれば、「里
昴」と並べた時見栄えのいい字が「巴黎」である。平野氏は資料として幾つもの
場面のデッサンを描いたそうだから、漢字の見た目にも凝ったのもないことでは
ない。この点でも単なる日夏耿之介ばり漢文の教養ではなく、独特の漢字への
愛情が見られる。書架のデザインに見られた拘りが、こうして細部にも見い出せ
るのである。その濃やかさ、読者の関心を弄ぶ豊かな技術が久々に圧倒的なのではないか。
ヘルメス・トリスメギストスは、異文化のエッセンスを歪に組み合わせて合成さ
れた想像上の人物である。それは幾つもの偽書と注釈書によって構成されたも
のである。『孫子の兵法』は曹操の注釈書として現存し、荘子はやはり存在そ
のものを疑われている。『詩経』や『易経』には随所に「この部分は後世に書き
加えられたものだが、広く知れ渡った故事成語の典拠となっている字句も含ま
れ、また文章も美しいので、そのままテキストとして採用する」などという内容の
注釈が添えられる部分がある。そのように原典の失われたテキストは幾つもあ
る。寧ろ、そのようにして変化していることを許容して「保持されている」とみなさ
なければならないということなのだろう。平野氏の使用した「当て字」は、由来の
はっきりしていないものも含めて、将来は誰かに真似られることだろう。そして
原稿料の為に平仮名だらけになった日本の現代小説はまた漢字とルビに埋まることになるかも知れない。
これは母国語の問題でもあり、思想の問題でもある。平野氏は僅か学士に成り立て
のドミニコ会修道士をパリからリヨンに赴かせる。『ヘルメス選集』の写本を書き写す為である。
その話者が、リヨンの教区司祭の下を訪れた際の取り次ぎの待ち時間に、ややもすれば「衒學的」
「饒舌体」と罵しられかねない程度に独自の信仰への理論武装・キリスト教解釈を心の中
で理路整然と思い浮かべる場面がある。それなりに何かに興味を持って、金を
払って学問をした経験のある人間には、その領域に関して独自の見解というも
のがある、ということは不自然なことではない。そして私はその話者のキリスト
教解釈の内容にうんぬんしようというのではない。わざわざパリからリヨンに徒
歩で写本を写しに行く学生が信仰に「模倣と批判」(c後藤明生)を加えつつオリ
ジナルな思想を生み出して行くさまを、平野氏が醜悪な事態だとはみなしてい
ないように思えることに触れたい。平野氏が取り出した個人名を順に思い出してみよう。
四世紀の弁証家ラクタンティウス、偽書の翻訳家・註釈者フィチーノ、その弟
子を宣言し註釈に註釈を加えたリヨンの医者サンフォリアン・シャンピエ……。最
初の三人は最早好事家の書架に収まることもないかもしれない。名前は聞い
たことがあるけれど良くは知らない、で片付けられる著述家だ。
聖人トマスは四番目に出てくる。アリストテレス、プラトン、ヘルメス・トリスメギ
ストス、アヴェロス、ルフェエブル・デタアブル(Lefevre d’Etapes,Jacque
s、フィッチーノの同時代人)、カプレオルス(本文中に解説あり)、オッカム、ドゥ
ンス・スコトゥス、クザアヌス……。有名人、大思想家、生きた思想家、死んだ思
想家、といった区別は寧ろ必要ないのだろう。聖人トマスでさえが『神学大全』を
絶筆し、「わらくず」扱いしている。マルクスにしてもサルトルにしてもライヒにし
てもフーコーにしても、ある思想家が忘れ去られない為には註釈者の複製シス
テムの維持、派閥の維持こそが肝要である。模倣され、批判される思想こそが
生き続けられる。それは思想の死ではないのか、という考え方もある。広く学ぶ
者に受け継がれるということは、味噌も糞も一緒にすることになりかねない。そ
ういう文句を言いたくなる括りも行われることだろう。それが「ごった煮」である。
たかが大学を出たばかりの小僧に簡単に模倣と批判をやられては堪らないと
アリストテレス、プラトンは言うだろうか。だがアカデメイアを作った精神というも
のは、註釈者の複製システムの維持を目的としていないだろうか。なんのギミッ
クも持たないのに、聞いたような減らず口を叩く小生意気な若者を量産するのが教育という装置である。
これは母国語の問題でもあり、思想の問題でもある。そして何よりも小説の問
題でもある。村上春樹が模倣したのは現代アメリカ文学である。批判したのは
日本の戦後文学である。平野啓一郎氏が模倣したものはもっと小さく、批判し
たものはもっと大きいように見える。平野氏がガブリエル=ガルシア・マルケス
やウンベルト・エーコーなんかは好きですよ、塩野七生も読みますよとでも発言
すれば、それでほっとする人はいる筈である。だが徹底的に本物の古典的教
養を身につけることを心掛けていたと語る(『文學界』1999年3月号)平野氏
は、相手を心底馬鹿にすることになると知りつつやすやすと分かりやすいことは言うまい。
日本文学史に於ける純文学の消滅は「引かれ者の小唄」の消滅として意味
付けられるのではないかと私は考えている。蓮實重彦が凡庸から遠ざかろうと
して凡庸に陥る物語を批判し、エントロピーなどという場違いな概念を持ち出し
て迄小説の「熱的死」を予言し、柄谷行人が「小説は読みません。小説には興
味がない」と語ったのは1970年代ではなかったか。二人は完全には出口を示
さなかった。大人の謹み、徹底した描写、それとコンピューターの発達に伴う演
算能力の飛躍的増大に期待を残していたに過ぎない。後に二人はそれぞれフ
ラグメンティスト作家と、パロディ作家にしてバイリンガル作家を後押しした。だ
が寄せ集め、そっくりに真似、外国語で考えるという方法論だけで小説が面白
いものにはならなかったことだけは間違いない。
1980年代には浅田彰が一瞬プリゴジンの散逸構造論を文学に応用できな
いものかと夢想したことがあったようだ。カオス理論と複雑性に関する研究に注
目されていた時代である。しかし浅田は散逸構造論を駆使する作家をプロデュースすることはなかった。
1990年代に村上春樹以外の小説が(せいぜい5万部しか)売れなくなったの
は、残りが例外なく詰まらなくなったからではないか。(村上龍は常に10万部を
売ってきたと述べているが……)図書館に一定の数収めれば、後の愛読者など
知れたものである。そんな当たり前の理屈を今迄誰もが別の理屈にすり替えよ
うとしていた。サイコホラーサスペンスの長編が売れているという事実は、『海
燕』の廃刊や島田雅彦が売れない理由とは全く関係ない。蹌踉めかない三島
由紀夫やヘルマン・ヘッセの翻訳が、今のサイコホラーサスペンスよりも読まれ
ていた時代というものが曾ては確かにあったのである。
平野氏は作品中、楽しそうでなくブランコを漕ぐ唖に話者をして怯怖せしめる。
遊びを遊ぶことなく「模倣と批判」を永遠に反復するのが小説であれば、それは
目を背けたくなる光景であることだろう。また天才のお出ましだ、模倣して批判
した、立派立派、はい次ぎ、という賞檀(c多田道太郎)はギミック工場でもあっ
た。次々にギミックが剥がされ、天才たちがどこかへ消えてしまう様子を、ある
いは結果としての虚ろだけは一般の潜在的な文学愛好家も知ってはいたので
はないか。「文学賞には思い入れがない」と語った平野氏は「ギミックはいらな
い」と宣言したのではないか。曾てのそんな文学界に「何も言えず」、一人ブラ
ンコを漕ぎ続けなくてはならない「芽の出ない作家」(c村上春樹)を唖に準えた
のであれば、それは山下清同様に馬鹿だとこき下ろされる行為に似て「二重の
意味で差別的」(c町田康)なものを含んでいる。だがブランコを漕ぐ唖が小説で
はなく思想の陥る地獄であったとして、話者がここで差別的な毒を吐こうとして
いることは間違いない。而してそうする理由は、けして軽々しいものではない。
念を押すが、註釈者の註釈者が「私は無為にブランコを漕ぐ唖である」と我に
返ったと考えているのではない。話者は一貫して信仰の人であった。(私小説
的ロジックで読み解く私の解釈に沿えば、曾ての吉本隆明よりも高らかな勝利
宣言である。模倣と批判を超えて、ギミックもなしで、自分は正攻法でやれると
確信しているようにも解釈できる。)結果としては神の穿たれた穴から異端を覗
きつつも、それを神へと続く一本の道筋と信じて疑わなかった。だが仮にもトマ
ス主義者を自認する話者は、はっきりとは書いていないが、トマスの絶筆を強く
意識しなかったとは言えないだろう。
私の為さむとする有らゆる学問上の努力は、唯この一点が為に悉く不毛なも
のとせられ、終には水泡に帰せられるのではあるまいかと云う漠然とした予感すら在る。 (p.81)
村上春樹主義者ならば「羊抜け」とでも説明しかねないトマスの絶筆に対し
て、話者のこの真剣な予感は一つの仮説への糸口のようなものを見せている。
トマスは一体何を見たのか、とは誰しもが想像する謎である。一度は異端とさ
れ、後に聖列されるトマスは、もしや賢者の石を得たのではないか、などと考え
てみることは楽しい。そう書かないで読者の想像力を喚起する節度ある文章が
面白いと言える。癩病患者の行列を「悍ましい」と書かず「悍ましいもの」として
描写する手際同様見事である。
トマスの絶筆の理由はさて置くとして、今までの私の文脈からすれば、ブラン
コの先には神への一本の道が見えなくてはならない。文学を取り巻く現在の状
況のアナロジーとしても考えれば、模倣と批判の先に何か楽しいことがなくては
ならない。それは悍ましいものをエスカレートさせる「ズボンの脱ぎっこ」(c石
川淳)ではないだろう。魔女として焼かれる両性具有者と一体化し、また彼をして基督の再来と疑っ
た話者は神の恩寵の光に包まれたのでなければ、のぼせ上がって神秘的直観
によって味噌も糞も一緒にしたと非難されるべきなのかも知れない。その後の
錬金術への傾倒も、異端への逸脱と見なされてしかるべきことなのだろう。だ
が、丸谷才一が述べているように、小説は理屈では説明できないこと、理不尽
なことを納得させてしまう力を持っている。「解る、解る、私も君と同じ考えだよ」
と気安く擦り寄って貰っては困るのは、恐らくそうした人の全てが絶対の他者と
しての外部のロジックを自分のロジックに翻訳してしまう際の安直さが原因であ
る。私がこれまでしてきたように、たかが小説でしかないものを私小説的文学論
として読み解いてしまうという乱暴狼藉に、作者はけして良い思いはしないだろ
う。それは先行する思想家と註釈者・解説者の関係のアナロジーにもなる。アリ
ストテレスはアウグスティヌスに「うーん。良く解らないなあ」としか言わないだろ
う。そして寧ろトマスに対して「うんざりだよ」と手厳しいのではないだろうか。誰
も個体である限り、他人の思想を理解することはできない。物自体に触れること
ができないように、思想は継承されない。そして「模倣と批判」の地獄に陥る。し
かし先人の知恵(あるいはわらくず)を理解しなくとも、賢者の石を手にすること
は可能かもしれない。ギミックなしで、金は作り出せるかも知れない。これこそ
が、『日蝕』こそが金ではないのか……。
読後の恍惚感の中で例によって作者に対する妙に馴れ馴れしい愛着への予
感を感じ始めていた私は、宇宙と一体になった訳でもないし物自体に触れるこ
とができた訳でははないが、平野氏が二度読まれるべき文学をみんな纏めて
好事家の書架に押し込んだのが見えた。それは良い意味でも悪い意味でもあ
る。本を読みたくない人は読まなくても良い。一度だけ読まれる小説が売られ、
それを普通の読者が読み捨てることは正しいことですらある。そうした潔さがな
ければ、『日蝕』という作品は世に出なかったのではないかと思うのだ。
4/無限に許された語りの場で
いつの時代にも言葉に正しさを求めようとする者は、本を出せない作家と同じ
くらい孤独であることだろう。無限に許された語りの場というものが実に得難い
からではない。言葉でしか分かり合えないのに、言葉では分かり合えないから
だ。好きなだけ語れば、分かり合えるというものではない。分かり合えなくても孤
独でなくなるなら、便所の壷に向かって語れば言い。しかしどんな言葉も自分が
語ろうとしたものとは擦れている。違和感から語り続ける者は否定を繰り返し、
次第に尖っていく。語られた言葉が語ろうとした言葉かどうかは別として、表現
と内容は分けられない、テーマは良いが表現は駄目だということはあり得ない
と、例えば芥川龍之介は割り切った考え方を提案し続けた。無論その割り切り
は、割り切りに対する違和感を押さえ込む潔さに対する無根拠な同意という一
つのスタイルに過ぎないのであって、表現が達し得ない内容が存在するのでは
ないにしても、内容を覆い尽くせないかに見せる表現というものは存在するので
ある
。(「不器用ですから」「うまく言えないけど」とか。)あるいは内容は大抵表
現に満足しない。表現は内容に追いつくことができない。弁明の機会が与えら
れていて、すぐには異端視され焼き殺されることはなくても、何かを肯定するこ
とは難しいことである。語られた言葉が語ろうとした言葉なのだ、と受け取られ
ても仕方がないとでも割り切れば、なかなか無防備には口を開くことはできな
い。控え目に語るのが良いことであるのは、ものは取りようであるというルール
に対する作戦として良い、有効である、無難であるという意味である。
さらに何かの良さを他人と共有できることは稀である。本棚を他人に見せるこ
とは恥ずかしいことである。何かを褒めることでその人の限界というものが見え
てしまうからだ。最近では堂々と書架の前で写真を撮らせる作家も現れて、他
人に本棚を見せることを嫌がる理由が忘れられかけているようでもあるが、ある
種の人々は本棚を他人の目に晒すことを嫌がった。それは他人に自分の全て
を見下げられたくないという要求があるからだろうか。自分の贔屓の本を軽々し
く罵られたくないからだろうか。この程度の本を読んでいるのかと馬鹿にされた
くないというプライドがあるからだろうか。反論、絶交、というトラブルを避けたい
という気持ちがあるからだろうか。
私自身に関して言えば、自分の全てを晒け出して、はい、どなたでもご自由に
ご覧になって好き勝手に評価して下さいとは言えない。相手をとことん傷つける
能力に長けた人間というものはどこにでもうようよ存在する。他人を不当に貶め
る悪口の技法ばかりが発達した現在では、自分には全ての批判を受け止める
自信がない。それに他人をそうやすやすとは信用できないからだ。自分だけが
認めるギミックを盾に取った傲慢な人間に容易く理解され、「結局、君は単なる
アレね」と総括されてしまいかねないことを恐れているのだ。
だから私は、平野氏が『日蝕』そして『一月物語』の一語一語に与えた完璧な
抑制を勇気ある「正攻法」と見るのである。「誤解を恐れずに言えば」という類い
の弱気な前置きすらなしで、作品そのものでいきなり勝負に出た。確かにここま
で来ると「平野氏は、私はこんな難しい漢字を知っているんです、凄いでしょう、
と自慢している」と誤解する人はいないのではないか。そもそもそんな誤解をす
るような人は『日蝕』を読み通すことはなかった筈である。
ところで芥川龍之介の『芋粥』が好きだとは迂闊には口に出せない。平野氏
ほどの才能のない人間にとっては大抵の場合沈黙こそが完璧な抑制となるか
らだ。芥川の『芋粥』が素晴らしい作品であることは間違いないのに、うっかり
思っていることをそのまま口に出せばどうした訳か大抵『芋粥』なんて……と馬
鹿にされてしまうからだ。そんな相手が如何に愚かな人間であるかは論ずるに
足らないが、仮令どんな相手からにせよ、自分の贔屓の作家や作品が理不尽
なやり方で批判される行為は気持ちのいいものではない。口べたならば、反論
もできない。そうした場合、やはり相手を気絶する迄殴るか、気絶してもまだ殴
り続けるしか手はない。
『日蝕』を読み平野氏の才能と実力を素晴らしい、凄い、と理解した後、私が
この作家を本当に好きになったのは『一月物語』の中のこの場面に出くわした瞬間である。
この時、車中に迷い込んだ一匹の鴉揚葉が、二人の眼の前を優雅に掠め
た。仄かに碧を帯びた金粉蒔地の左右の翅に、奇異なる緋色の紋が一つず
つ、頭には触角が一双、賢そうにピンと立っている。
老爺はこれを見ると、独り言ともつかぬ口調で、
「おやおや、お前もこんな所にまでお出迎えか?」
と語りかけた。そして颯と両腕を伸ばすと、掌を合わせてこれを 収めた。
「……なに、もう直ぐそこや。」
やがて、二見に着くと、老爺はこれを宙に放って、「迷うなよ」と一言。
この場面はどうしても泉鏡花よりはむしろ『芋粥』の狐を連想させる。無限に正
直に語れば、この引用部分の最初の一行を読み終わらないうちに私は背中に
びりびりと電気が流れるように感じ、これが『芋粥』の狐の本歌取だと確信した
のである。それは「太陽の所為か」でカミュを連想し、「参与」でサルトルを連想
し、唖のブランコで永刧囘歸を連想すること同様読者の身勝手な振る舞いに過
ぎない。しかし平野氏はここでまるで自分の親しい友人にでも打ち明けるかの
ように、無闇に素直に語ってはいまいか。「鴎外は男も女も渠と呼ぶんですよ
ね」「芥川の『芋粥』の狐の使い方は好感持てますよね」「鴎外の『雁』の青大将
はちょっとやり過ぎですかね」……と順に丸で客いじりのようにして語りかけてはいまいか。
他人である作者に対して読者が感じるこうした身勝手な近しさは大抵恥ずか
しい勘違いであり誤解に過ぎない。しかしその時読者は「蝶がどうしたって言う
んだよ」「なんか不自然だなあ。本当らしくないなあ」という拒否から最も遠い場
所にいて、作家と作品を最大限に受け入れていることも確かである。受け身の
立場では、ここで「なぞり」という技巧が使われていると見なすことができるから
である。それは不細工な誤解ではあるのだが、自分と同じ嗜好を持っている作
家の作品を読むことは、主人公に感情移入して読み進むことと同じくらい楽しい
経験である。私は平野氏がばら蒔いた数々の仕掛けを予測しているつもりで、
彼に導かれているのに過ぎない。『芋粥』の最後は狐が嚔をするのだから、きっ
と最後は蝶が舞うことになるだろうと予測する。それは期待なのである。果たし
て最後は蝶で終わる。良く見ると嚔も出て来る。そうした大きな仕掛けを予測し
得たことだけで、期待通りに筋が運んだことで、私という単純な読者は読書とい
う体験から成功報酬の喜びを得て、幸せに満たされる筈であった。普段なら、
そういうことである。
全く偶然なのだが、私は平野氏の作品に触れるずっと前から、道端で突然
「『芋粥』の狐の使い方は面白いですよね」と話しかけてこられたら、相手が男
でも女でも、うどんが好きでも蕎麦が好きでも、その人のことは信用するしかな
いなと考えていた。そういう体験を予測し、期待もしていた。それ程、価値の共
有は得難い経験だと考えていたのである。人それぞれがそうしたツボを幾つも
持っている筈である。逆もある。納豆を食べる人とは付き合えないとか、クルセ
イダースを聴くような人間はみんな死んでしまえばいいという棲み分けというも
のが有り得る。「『芋粥』の狐」に関して言えば、それを良いと思う感情があり、
理由があり、その説明がある程度理解できないではない。しかし良いものの良
さというものは、常に説明からこぼれ落ちて行くものである。『一月物語』という
作品のテーマを一言でお願いしますと質問されても、おざなりの言葉しか返せ
ないのと同じ理屈である。そういう意味で文学作品が文芸評論の素材以上のも
のであることは間違いない。
私はたまたま予め用意していた一つのツボを攻められ、容易く平野ファンとな
った。その勢いで読めば『日蝕』よりもさらに艶っぽい文体である『一月物語』に
は藤原定家への敬意も見える。井原真拆という主人公の青年の名前の由来を
巡ってちらりと触れられるだけだが、それでも三島が書けなかった『定家』を書
いてくれという私の願いが聞き届けられそうな予感に驚き、また喜ばないでは
いられない。またこの時点で速筆の詩人である井原真拆のキャラクター設定に
は、西鶴を思い出さないではいられない。矢数俳諧に止めを刺した西鶴はまた
多くの偽作説を引きずりながら、本邦初のベストセラー作家にもなった。この西
鶴がどこかでどのようにかしてなぞられてはいまいかと、また一つの仮説を立て
つつ読み進むことになる。そうすると今度は『鶴の恩返し』かと思う台詞が出てく
る。また癩が出てくる。『草枕』か、泉鏡花か、『走れメロス』か……。まてよ芥川
−鴎外−西鶴ラインでアンチ志賀直哉なら太宰治じゃないか。……と私はカニ
味噌のような脳味噌に埋め込まれた知り得る限りの文学的知識を尽くして平野
啓一郎の仕掛けの全てを味わおうとした。それは結果としては、やはり杜撰な
読み誤りでしかなかった。『一月物語』は予想を遥かに超えた物語のうねりを経
て、恐るべき結末を迎えた。それを「ふんふんイビル・アイね。使い魔ね。それが
どうしたの?」と詰まらないふりをすることは、私にはどうしてもできない。何故な
ら、私の読み誤りさえも、平野氏は予め予測し得ていたと考えられるからだ。
題名の月を「げつ」と読ませる意図から、“この作品のテーマを一言で謂うなら
"一月三舟のことだろうかと最初私は緩く仮定を措いていた。また『日』の太陽
と対になる意味でも、期間を表す月ではなく、天体に浮かぶ月のことだろうと思
い込んでいた。そして読み進むうちについつい『一月物語』を冬の話だと勘違い
していた。それは余りにも凄まじい月を見せつけられたことによる錯覚である。
怪談を聞いて涼む理屈である。しかし物語は初夏に始まる一月(ひとつき)ばか
りの期間の出来事であると後半で念を押される。読み返して見ると中盤で、
「月」が天体に浮かぶ物体であると同時に時の経過を確認する目印でもあるこ
とまでが誤解されようのない確かさで書かれているのである。私は凄まじい月
は冬の月と勝手に思い込んでいたのではあるが、月の光の下、高子が裸体で
水浴びをする場面でさえ寒々しいとは感じなかった。
「私の死は、この大地が知ってくれている、月が知ってくれている、そして、貴
方が。」
あるいは、
「……間に合わない。……月が沈んで行く、」
といった若々しい情熱的な台詞の中では月は単なる天体の物体や暦の概念
以上のものである。そこで私は自動的に勝手な連想の反省をすることになる。
ある程度の年齢を超えているのに、無邪気で無垢で無知で悪な人間である私と
いう馬鹿者は、ついつい月にまで手が届くような気分でいた自分がいかに愚か
な人間であるか今こそやっと気がついたのであった。平野氏を捕まえて「君は
なかなか才能があるみたいだから、定家卿のことなんか書いてみたらどうか
な。三島も書こうとしてたから」など言って来る老作家や編集者はそれこそ掃い
て捨てる程存在したのではないか。私もあやうく読者カードにそんなメッセージ
を書いていい気になるところだった。あるいは平野氏はそう謂われかねないこと
を予測して、その軽々しさを予め窘めているのではないか。俊成も後鳥羽上皇
も慈円も区別できないで、偉そうに定家を持ち出すことを戒めてはいまいか。自
分の下駄箱のような本棚を自慢する俗物から可能な限り遠ざかり、本物の読者
を得ようとしているのではないか。……こうなるとまるで私は『金色夜叉』のお宮
である。蹴飛ばされても捨てないでと追い縋るしかない。まてよ、『金色夜叉』…
…。そう、『一月物語』の月は、まるで『金色夜叉』の月である。
文学作品は文芸評論の素材以上のものである。一つの文学作品に浴びせら
れる無数の「模倣と批判」は見せかけの月並みを演出するに過ぎない。そもそ
も月並み会の月にも手が届いている訳でもないのに「冬の月は凄まじくて興ざ
めだねえ」とでも言うかのようにしたり顔で「羽衣説話の作り物語なんて月並み
だねえ」と分析しようとする者の限界を、『一月物語』の月は教えてくれているの
ではないか。『竹取物語』も『伊勢物語』も『宇津保物語』も読まないで『源氏物
語』を批評する者の尻軽さを批判してはいまいか。そもそも小説を物語のパター
ンに分類して、「ストーリーがありきたりだよ」と批判することにどれだけの意味
があるのだろうか。艶や余情は還元された物語のパターンの中に見いだせるも
のではない。分類の際に無視したもの、殺ぎ落としたものの中に残るものであ
ろう。そして言葉は無限を追いかけるものである。これで言い終えたということ
はない。またやはり「春って曙よ!」(c橋本治)という言い換えからは零れ落ち
て行くものがあると考えざるを得ない。だからこそ言葉の芸術は所詮「無理を承
知で」「誤解を恐れずに言えば」「そこんとこよろしく」などという前置きをしようが
すまいが、書くことの不可能性への試みとして情熱を注ぎ込まれる「困難な営
み」(c蓮實重彦)なのだ。それをすかしっ屁もこいたことのない者が焼き芋を恐
れるかの如くに、今や小説はみな凡庸であるしかないのだぁ、などと言ってはい
けないのではないか。二度目に『一月物語』を読み終えた時点で、私はそんな
ことを考えていた。
三度目の感動の後、トマスの絶筆は遥か未来に平野啓一郎を見たからでは
ないかと、私は突然考えついた。そして映画『アマデウス』のサリエリの苦悩
が、レヴェルの違いこそあれ私にも理解できるような傲慢な感情が沸いてきた。
この不遜な高揚感でさえ、私だけの勝手ではないのだろう。トマスが平野氏の
これから書かれる作品の為に絶筆することなど、常識では考えられないことで
ある。しかし何かを書く者が常に正直に語るとは考えられないように、トマスが
必ずしも常識に縛られている必要はない。私が聖トマスであってはならないきま
りがあったとして、そんなきまりを私が破らないとは限らないように、聖トマスが
私の代わりに絶筆でもしてくれているとしたら、それで私は絶筆しなくても済む
理屈にはなる。ならないと考える人も存在するかもしれないが、肝心なのは私
がどう納得するかということなのである。世界は私である。あるいは罪を犯した
私は罰を受けるかも知れない。それはそれで構わない。トマスは絶筆の翌年死
んでいる。それは罰を受けたのであろうか。私は十字架にかけられたことがあ
る……と混乱したのはけして私ばかりではあるまいということだ。恐らく「比類な
き私という存在」(c永井均)にとっての平野啓一郎作品は、最も残酷な鏡なの
である。光を反射するだけの鏡ではない。その眼から発する視覚線で人を射殺
すイビル・アイにも似た怪しげな光を発する鏡である。それはどのようにかして
外部の存在を認識せしめる鏡である。
223 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 18:54:25
上の この荒らし信じれないくらいばかww
手動で荒らしてるw かなり手間かけてやってるw
知能低いんだろうなw ガトリンクとか使えよw
224 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 19:01:04
何をかいてあったの?もう読んだ人教えて
225 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 19:01:17
平野氏はこうして読者の心を捕らえて引きずり回す術を心得た作家なのであ
る。彼が本物であることはもはや疑う余地がない。三部作の三作目の題名には
やはり太陽と月が絡むのか、星では弱いのか……。『日蝕』を挽歌、『一月物
語』を相聞と見立てると、今度は東歌か……。と生意気な予測を今は幾らでも
積み上げて置いて構わないだろう。そんな戯言は後に完全に無駄になることだ
ろう。平野啓一郎は同情の余地なく、どんな「私」にとっても「私」ではない確固
たる外部であるからだ。そうした外部が存在するということが、忘れ去られかけ
ていた。「最早どんな小説も二度読まれることはない」と容易く総括される時代
にあって、「私は二回読める小説を書きましたよ」とさえ平野啓一郎氏は述べる
必要はない。彼は小説が二度読まれることのない時代などとは無関係な絶対
的な存在であり、外部である。恐らく彼の小説は日本という国が滅びたとして
も、日本語が滅びたとしても、千五百年の後にも読み継がれる世界の古典とな
ることだろう。ただし二千年となるとちょっときついかも知れない。無論人類の存
続の方がきついのであるが、そんなことさえどうでもいいことなのだ。やがて人
類が死滅するからといって、平野啓一郎の小説の価値が些かでも減ずることは
ない。聖なるものとはそういうものである。
226 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 20:20:00
227 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 21:08:47
だから荒らすなら腕使えってww
哀愁漂うぞw
手動でここまでがんばってるのはじめてみたw
228 :
吾輩は名無しである:2006/02/20(月) 21:45:11
ほんとだ、ローテクの荒らしさんなんているんだね。どうしてもだったら
ガト使いなよ。
平野啓一郎「文明の憂鬱」。一作目の「日蝕」はくだらなさすぎて
一目で中身の空虚さを漢字多用で誤魔化しているとわかったので
印象悪かったけど、そんなバカのエッセイは如何なものかと読んで
みたらこれがまた前に輪をかけたバカさで。つうかこの文体は
あきらかに小林秀雄を真似ようとして失敗した無惨さ。
先人の年齢を意識してしまうとか家に籠もり気味だとか何気ない日常の描写が
いかにもヲタクの感性で、取り上げているテーマは昔の文士の猿真似そのもの、
なによりも「私」という一人称で書くとバカ度がモロ見えてしまうので
こいついよいよ無恥度が増したなと憫笑。所詮モノガキなんぞ自意識の
塊で、それを正直に素直に書くしか能がありませんっつう体裁は
文士のコスプレをしていても美意識どころか鈍臭さがプンプン臭うので
時事ネタ批評など特に、読むに耐えない幼稚さだ。
この作家が現代を描けるはずもなく、そのエッセイなどは
平凡過ぎる感性と空疎な精神をいかに誤魔化すかばかりが目立っていて
見苦しい限り。業界では「猿回しの猿」と呼ばれている可哀相なニセモノ作家。
平野啓一郎
アメフト部の集団強姦で名高い京大に在学中、ゲームオタクの漢語遊びと聞いて
「日蝕」を読まずにいたのに、
NHKのトップランナーに出てるのを見たらあまりにも馬鹿度が酷いので、呆れて読んでみたら
「日蝕」も「葬送」も「一月物語」も、とんでもないゲテモノで大藁。
RPGのパクリと巨匠の肖像のパクリと泉鏡花の超ど下手なエピゴーネン。
思わず失笑をかう。
猿顔に似つかわしい貧相な作品群、ページ数を稼ぐのに必死な阿呆の情けなさ。
平野啓一郎『葬送』…文庫にして、上巻2巻、下巻2巻、あわせて4巻の長大な小
説。長大なだけの小説、というべきでしょう。
平野啓一郎を読むのも初めて。噂どおりに、最初の『日蝕』は漢語で難しそうに
装い、この『葬送』はやたら長くし且つ哲学風な皮をかぶせて誤魔化す手法で
書かれています。中味は難解どころか単純です。
やたらと、芸術論( ロマン派、写実派、○○派)風にだらだ〜ら並べたり
哲学論(死とは何ぞや)等のあまりにも青臭い記述を、
芸術家たちの会話や心理描写に紛れ込ませて
軽薄さを消そうと必死の手管が情けなさすぎるほどです。
ガイシュツの音楽史や絵画史及び数々の伝記を組み合わせて、よくもまあ
周知の事実を長々と初心者向けに書いたものだと呆れるばかりでした。
ショパンもドラクロワも、さぞ憤慨し、いや、思わず失笑していることでしょう。
233 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 13:43:25
今 2チャン来れない奴は荒らし行為行った奴だよん。
警告だから荒らしなんてやめろよ、
234 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 17:23:15
>>229 それが妬みだよ
妬みは恥ずかしいからやめなさい
>>234 それがアラシだよ、
本も読まないで煽るのは恥かしいからやめなさい。読んで内容を批判しなさい。
236 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 18:18:38
>>234 読んでますがなにか?
君は何を読んだのかね?
237 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 18:22:50
>>235 間違った
いったいどうなってるのよ
荒らしのゴンのいうことを聞いてるのはなぜなんだ?
238 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 18:36:03
ゴンさんを荒らしと勝手に認定しないでください
それはあんたの都合
239 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 18:39:50
>>238 ちゃんと議論しよう
このスレタイはどう見てもアンチのものだ
それに平野すれに意味不明のレスを書き込んできたじゃないか
本スレをつぶすのに奔走したのもゴンのようだ
いったいどうなってるんだ?
わけわからん
240 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 18:52:46
>>239 あなた日本語よめますか?無意味なコピペ荒らしはみんな平野ファンによるものじゃ
ないですか。平野を神のごとき扱いで議論もできない。はっきりいって邪魔。
それともあなたはあの他からの転用コピペを全部愛読してるの? 楽しい?
私はアンチではありません。読者です。とりあえずゴンさんに頑張ってもらいたいです
というか他の板でも力のある人です。運営サイドとしてもゴンさんを信頼していくでしょう。
241 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 18:54:20
>他の板でも力のある人です。
ってどういうこと?
242 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 19:00:19
厨はカリスマ板でも覗いてからにしてください。はっきり言って今までもこれからも
平野スレは立てられるときに誰がたてたか査定されるでしょう。
宣伝がひどいので目をつけられているようです。なぜつけられたかは私は知りませんが。
とにかくスレが立つだけでもありがたいと思ってください。
それが嫌ならこなくていいですよ。ということですね。
243 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 19:01:07
244 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 19:03:47
>あなた日本語よめますか?無意味なコピペ荒らしはみんな平野ファンによるものじゃ
>ないですか。
あなたこそ質問に答えなさいよ。
245 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 19:14:33
宣伝がひどいのは広告料請求送付
246 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 19:18:21
それはわかりませんが、どんな対応とられるんでしょうねww
もうこれ以上は勘弁w
247 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 19:23:36
248 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 19:50:29
>>242 凄まじいことになってるな
それだけ平野に怯えてる人間が多いってことかな
249 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 20:42:09
250 :
吾輩は名無しである:2006/02/21(火) 21:06:10
始め人間ゴン
251 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 01:10:13
死人がでるな
オマイラのせいで一生読まないとおもう。。。
253 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 12:00:10
それはいいことだ。
イチさんもそう仰ってる。
254 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 12:05:46
負けないで
255 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 13:19:11
創価宣伝文学なんて読むかよw
256 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 14:02:11
創価かどうかはしらんが 平野はクズ
というか誰も読まなくなって、叩かれて、自分で自画自賛してるのが
ここのスレと非常に構造が似てる。
ここの上の人が口をつぐむってこと、スレを潰すってことはやっぱり本人が
関与してる確率は高いね。
ほんとにクズ作家=平野盗一郎
257 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 14:05:55
創価なのか創価じゃないのかはっきりしろよ
政治的発言をためらうキャラじゃないんだから
創価じゃないなら正面きって創価批判してみろや
258 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 14:10:18
もうこいつ終わりだな
259 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 14:14:36
どんだけレベルが低いこといってるんだよ
260 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 14:38:38
荒らしのこと?平野のこと?
261 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 15:17:37
作品が読みづらくてたまらん
262 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 15:24:36
263 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 15:27:40
>>262 比喩が精確でない
難しい熟語に頼りすぎ
264 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 15:32:29
>>263 そんなことないけどなあ
ものすごく文章うまいし正確ですよ
今現在文章のプロとアマの実力を見せ付けられる作家って
平野ぐらいしか思いつかないですよ
最近は素人でも書ける文章が氾濫してしまって
文章に魅力がなくなってるし、平板で退屈
それになれてしまってるのでは?
本来作家は素人には書けない文章力を見せなければいけない存在なのに
265 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 15:41:22
文学は文章じゃないよw
他者に何を伝えられるかだろ
266 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 15:42:24
処女作から圧倒的に糞
267 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 15:46:56
平野は何を正確に表現してるの?
268 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 16:40:17
>>265 文章が伝える認識を読み取れないようでは何も読んだことにはならない
269 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 16:56:06
>>265 「文明の憂鬱」で単に「鍵」の秘密をめぐる文章を読んでるだけで
快感だった
あれは書けません
ピッキング被害を枕に鍵をテーマにエッセイ書いてるんだけど
あれだけのことが書ける人がいるかな?
本当に文章と認識が一体となって快感につながっている
あれがわかるかな?
270 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 17:48:16
「文明の憂鬱」ほとんど売れてないって関係者言ってたよ。
うちでは取り扱おうとは思わない。当たり前だが、売れないんだもんね。こいつ。
まっ 村上春樹しかおかない本屋ですから。。。
また出版社 赤なんだろうと思う。
271 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 18:18:36
俺の家の近くの書店3件で売り切れたけどね
村上春樹ってもう終わって久しいよね?
272 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 18:28:47
いや 小さいとこなら置いてなかっただけだと思う。
春樹が終わってるのかも知れんが、売れるからね。
でも不思議だな 平野君なんて飼い殺しても赤が出るだけなのに。
俺だったら恩田陸飼いならすね
273 :
吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 19:16:19
売れなくなってきてるよね
それ以上に駄目さがばれてきたのはまずいよね
春樹
274 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 00:37:32
売れなくなってきてるよね
それ以上に駄目さがばれてきたのはまずいよね
盗一郎
275 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 02:12:09
だってたいした作品書いてないもん
276 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 05:51:58
春樹はね
277 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 12:31:41
確かに春樹はもう底の浅さと恥ずかしさがばれてしまったね
278 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 13:32:09
小川隆夫/平野啓一郎「TALKIN’ジャズX文学」で僕の好きなのはここですね
平野「僕がフランスに行って面白いと感じたのは、向こうの人は、批評に対するア
プローチが割とはっきりしてるんですね。さすがにフランスというか、心理を明
かすという態度ではなくて、こういう見方もありますよという感じなんです。…あ
る作品の価値を云々するわけではなくて、こういうアプローチでこっちから光を当
てるとこう見える、またそちら側から光を当てるとこう見えるという、そういう
相対性を尊重している気がしました。これはむしろ、研究者的な態度かもしれな
いし、もちろん、僕が知った極限られた人たちの話だから、実際はまた全然違う
状況もあるんでしょうけど。でも、そうした態度は、作品の鑑賞の可能性を広げ
ていってくれると思うんですね。…
僕が小川さんの書かれているものを読むのが好きなのは、やっぱり、音楽に対
する愛情が感じられるからなんですね。音楽が本当に好きな人が書いているとい
う感じが伝わってくる。文芸批評を書いている人の中にも、この人は本当に小説
が好きなのかな、小説が彼の人生にとって決定的に重要だったということが、一
度でもあったのかなと思うような人も結構います。そういう人の、単に頭でっか
ちなだけの批評は、僕は読みたくないですね。…
…褒めるためには、やっぱり作品を理解してなければならない。何でいいのか
、という説明は、何でダメなのかという説明より、何時でもずっとクリエイティ
ヴだと思います。だから、僕はある批評家が優秀かどうかを判断するためには、
彼が何を貶しているかじゃなくて、何をどんなふうに褒めているかというそっち
の方を見るんです。そうすると、大体、その人のレヴェルが分かりますね。ああ
、この程度のものを、そんな理由で褒めるわけね、じゃあ、あの作品の価値も分
からないわけだと。逆に、酷評してる人に、じゃあどんなのがいいわけと訊くと
、結構口ごもる人は多いですよ。…」
279 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 14:16:07
↑のは結局 批判はされたくないだけだろ
だから自画自賛でアボンしたんだよ
280 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 14:21:21
いやもっともだと思う
本質をついている
理解しないとほめられない
どの程度読めているかわかる
これはほかの作家からは聞けなかった言葉だ
281 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 15:01:00
>理解しないとほめられない
理解されてほめられるのが一番いい
顎くんは自分しか理解できないものでいいとかいってるから
馬鹿 赤ん坊がぎゃぎゃあ言ってるのと同じ
コノスレでもなんか言われてたな 自己愛なんたらとか
282 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 15:43:37
もっと妬み以外の議論をしてください
283 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 16:05:44
>もっと妬み以外の議論をしてください
なぜ僕が顎君を妬まないかんの?
批判されたら妬みととるとは正に顎君が降臨しているとしか思えないね
284 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 16:11:53
赤ン坊がぎゃあぎゃあなんてレベルの
議論する人に
いわれたくありません
285 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 16:32:11
>赤ン坊がぎゃあぎゃあなんてレベルの
>議論する人に
>いわれたくありません
議論なんてしてるつもりもありません それともあなたにとってこれは
議論なんでしょうか?さすが顎君を理解できるお方。。。。というか
本音はそんな馬鹿だから日蝕程度でコロッといかれたのでしょうね。
286 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 16:35:39
そんなレベルのこといってないで
平野のいうとおり自分の好きな作家について語ったら?
どの程度のレベルの人間か分かりそうだ
興味ないならなぜくるのかな?
287 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 18:26:01
>興味ないならなぜくるのかな?
興味なかったら何できたら駄目なのか教えてください。
ここは学界関係者以外は立ち入り禁止なんですか?
ジョンイル並にマンセーしろといわれても絶対しません。
確かにここおかしいですね?あなたも関係者?
288 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 18:37:12
いや来てもいいけど
疑問だっていってるだけですよ
よっぽど気になる存在だって思われてもしかたないよ
289 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 23:04:42
この人の文章は暗号に過ぎない
高橋源一郎と平野ちゃんではどっちがいい人?
291 :
吾輩は名無しである:2006/02/23(木) 23:24:53
どっちもいいひと
じゃぁ乙一とYoshiは?
293 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 07:12:21
知りません
294 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 08:35:26
だから盲目的に褒めてるやつは創価学会員だろ
295 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 11:07:24
だから上が切れたわけね、うん。
296 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 12:01:28
そうかぁ
297 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 15:37:22
そうかぁ
298 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 16:22:08
平野とフィギアのミキティの類似性について
299 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 16:31:06
卒論ですか?
ブサイクなのに不可解な持ち上げられかたした事
そして自滅アb−ン
300 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 17:42:20
『葬送』
感想書きますね
主人公はふたり、音楽家のショパンと画家のドラクロワです。
ショパンはフジコ・ヘミングがよくひいていますね。
ドラクロワは半裸の女性が旗を振りかざして民衆をひきいている、
美術の教科書に載ってる有名な絵の作者です。
ドラクロワとショパンはつかず離れずの友人関係にあるんですが、
何事にも結構のんきなドラクロワに対し、線の細いショパンは
恋人ジョルジュ・サンドとのことで気の毒なくらい
悩むんですね。悩んで悩んで悩みまくる。
その間にもふたりはそれぞれの分野で傑作を残すんですが、
ショパンは病気と心労で死んでしまう。
分厚いので手に取るときは勇気がいります。
また、話の内容も暗いです。
読後の満足感と達成感は素晴らしいです
いかがですか?
読んでみてくださいね
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
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( ゚д゚)|| だまされないように注意!
/ づΦ
302 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 18:01:48
>>301 おれ普段はこういう書き込み無視するけど、
平野の場合はマジだと思う絶対おかしいよ
303 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 18:04:30
これみよがしに平野が2ch批判したり
オラ創価批判してみろや池田信者ども
304 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 18:28:54
平野関連のすれ 持続的に禁止にするしかないですよ
ゴンさん
また馬鹿が湧いた
平野も黒歴史になるな、w
305 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 20:12:18
まあ なんだかんだ言ってもここは俺のスレだわなww
帝王ってわけねw
306 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 20:28:07
創価学会何とか地方支部の帝王じゃなくて?
307 :
吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 21:27:26
なんでわからんかね?
2CH的に回して作家なんてできねーよ
ここだけでも平野の売り上げどんだけ落ちてると思ってんだよ
宣伝なんかするな、やぶ蛇だ
ってゲイボーイの憂鬱? どんだけ売れねーんだよ
308 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 06:02:17
309 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 07:37:12
「文明の憂鬱」読めないやつがいるんだなやっぱり
それにしても糸山の「糸的メイソウ」と比較して
エッセイでもレベルが平野は高いと思うね
エッセイで素をさらしたらやばい作家がけっこういるね
310 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 13:21:26
平野は「群像」の対談で「小説というのは誰かが書いたというのは
ごまかせない」っていうようなこといってるけど
この言葉は重いと思うな
平野がすべてをさらけ出す覚悟があること
見かけと本質の二元論を拒否するところと
つながってると思うな
311 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 13:22:22
312 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 14:13:44
今週の売り上げ 「文明の憂鬱」平野啓一郎 著 0.01万部
って100冊以下らしい
313 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 15:13:29
売り切れてるからね
314 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 18:58:06
だからそれは置いてないだけだってww
315 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 18:58:56
今日楽天で注文したよ
316 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 19:00:22
宣伝も給料のうち?
317 :
吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 21:29:24
なんだそりゃ
久しぶりに来てみたら相変わらずの板模様に食傷気味です。
また1ヶ月後に来ます。
>>266 不覚にもワロタw
319 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 00:56:39
平野のアナル相当臭いってよ
編集長が言ってたらしい
320 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 01:03:25
あ、俺もやったことあるけど臭いなんてもんじゃないよ。久しぶりに鼻が曲がるって表現を思い出したよ。
321 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 07:07:37
おやおや
レベルがしれますな
322 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 11:35:31
平野に粘着する連中って下品で頭弱いのかな?
323 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 17:08:40
デビューが盗作だったからね
それにその後の痛い発言があったからな
そりゃアンチもふえるわさwww
324 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 18:23:50
盗作かどうかは分かれる処だが、疑惑の時点でアウトだな。
作家として。
デビューて「日蝕」? わーい何から盗作したの?興味ある〜w
元ネタ教えてクン。わくわく
326 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 20:01:05
佐藤亜紀の 鏡の何とか? からだよ
判断は自分でしてね。
327 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 20:02:08
自演が凄いな
>>326 佐藤亜紀?WHO? で検索してみたらスレあったよ!
でこんなのめっけた・・・
>662 :吾輩は名無しである :2006/02/19(日) 16:58:25
>佐藤亜紀だろw
>3つの違う漫画から盗作してつなぎあわせてファンタンジーに仕立て上げ、
>新人賞に応募した確信犯のババァ。審査員は、漫画なんか読んでいなくて
>だれもその事実に気付かないまま授賞。
>その盗作小説たった一作を財産に筒井康隆に擦り寄る一方、2ちゃんねるの
>文学板に完全板違いの自スレを立てて、ジエンでage続けてるアホなオバサン。
>盗作を嗅ぎつけた版元が別作を絶版にしたのを平野啓一郎が盗作したからだと思い込み
>盗作だと喚き続けて板をアラシてる、自分の盗作は棚にあげてw
>漫画から盗作した馬鹿が、恥を知れ。
>平野と一緒に盗作島に幽閉されろよ、カス。
>佐藤亜紀ほど醜悪きわまりないクズババアはない。
これって漫画板に書いた方が盛り上がるよね?
330 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 20:21:46
凄い凄い
いまだにぱくりっていうしかないとはね
331 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 20:22:48
しかし…、不適切ななぞらえだった。
332 :
吾輩は名無しである:2006/02/27(月) 07:32:56
333 :
吾輩は名無しである:2006/02/27(月) 12:14:32
評論集はいつなのだ?
早く発表してくれ
334 :
吾輩は名無しである:2006/02/27(月) 15:46:52
????●
335 :
吾輩は名無しである:2006/02/27(月) 18:00:57
なんだそりゃ
336 :
吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 07:38:14
凄い
337 :
吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 13:05:44
対談の感想は誰か書いてくださいね
338 :
吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 14:18:23
「鍵と鍵とをめぐるイメージ」
鍵というものは、あのギザギザした複雑な形状に或る種の色気があって、それは固よりあかされて
はならない筈の錠の内部の秘密を精密になぞったものであるのだが、その錠の秘密こそは、奥に
隠された錠に守られるべき秘密と直接に通ずるものであるのだから、鍵の形状は、いわば錠の奥に
控える秘密そのものの内から象った堅固なネガということになる。
宝物を収めた箱の鍵であるならば、それは、宝物そのものの秘密の巧みな物質化である。女の部屋
の鍵であるならば、彼女という秘密の、掌の裡に握って収められるほどの凝縮された姿態である。
鍵っ子の首に紐でぶら下がっているのは、小さな金属片の不在、誰もいない彼の家の空虚である。
私が、鍵の色気などという言葉を遣うのは、それが各々の秘密を精密に可視化してみせるにも拘わ
らず、決して赤裸々でなく、複雑さの裡に巧みに秘密を隠匿してしまうからである。
平野啓一郎が鍵についてさらっと書いた文章だけど、これは僕にはかけないと思わせる
これがプロの文章なんだと感じたのです。
339 :
吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 14:20:18
はい はい 宣伝宣伝 ワロス ワロス
チョンコロワロス
340 :
吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 16:16:54
すばらしいじゃん
341 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 07:08:51
342 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 09:32:43
はいはい創価文学ワロス
343 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 09:44:18
公明党から立候補したらどうですか平野先生。
平野痩せたんじゃない?
345 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 14:52:48
金入ってコネーから痩せたんじゃ?
多分貧乏だろ
346 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 14:54:24
釣りかい?
もういいかげんいやがらせはやめてくれませんかね?
347 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 15:02:42
書いていいかい?
昨日楽天で買った「文明の憂鬱」読んでるんですがね
エッセイとしてかなりいいんじゃないかと思った
糸山秋子の「糸的メイソウ」を読んだらお粗末過ぎて
平野のエッセイの良さが凄さが分かるな
作家の最近のエッセイで読むに足るものって何かほかにありますかね?
348 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 16:09:20
読むに足る文章なんて平野先生が書いたものしかないに決まってるじゃないか!
349 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 16:19:36
作家のエッセイってのも減ってるでしょ
宮沢彰夫が書いたのも見たけど
身辺雑記に過ぎなかったし
350 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 17:19:52
とりあえず 新潮の宣伝止めて下さい
347なんて2回もおんなじことかいてるし。。。。
そんなことしても顎の売り上げ上がりませんニダー。
,i´ ,/` : : : ::/` ゙l
: | r=ニ,,,,,, ._,,,----,,,_: : : :l゙ ゙l,
│ r‐---、ミ、 : 彡='''''''''ニ-ミ'-: : ヽ |
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`!i゙l,二二,,,,-": \,,_、: : ::,,,i´: : : : :::::゙--:r;、、,i´
| _,、 ` ゙゙̄` : : : : :::::::i":|;;:゙ll゙
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゙l、 : :゙,,゙゙゙゙^'''''''''" : : : : ::::::::::::l゙;゙/`
゙l,: :  ゙゙̄ ̄ ` : : : : ::::::::::::::,レ'"
\:、 : : : :::::::;;;;;;;;;;::l゙
゙'|'i、: : : : : : : : :::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:゙l
352 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 17:23:34
平野様どうか私たちをお導き下さい
353 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 17:47:22
>>350 僕が書いたけど
宣伝ではなく本当のことだよ
これまで立ち読みで済ましてたのを楽天ポイントで買って
ゆっくり読んでるんだ
それにしてもどこまで平野に粘着するのかね
354 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 18:00:48
だから何?楽天ポイントが何か関係あるのかよ?
355 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 18:03:17
頼むから宣伝は第三文明でやって下さいお願いします…
356 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 18:11:28
>>354 だから本当だってことの証明ですよ
送料無料だったしね
357 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 18:13:23
どこが証明なんだよ?池田信者頭悪すぎ。
358 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 18:33:24
だから荒らしではないってことを言いたかったの
もう中身の話だけにしようよ
層化だのなんだのって
くだらない荒らしはやめようよ
359 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 18:44:55
書いていいかい?
昨日楽天で買った「文明の憂鬱」読んでるんですがね
エッセイとしてかなりいいんじゃないかと思った
糸山秋子の「糸的メイソウ」を読んだらお粗末過ぎて
平野のエッセイの良さが凄さが分かるな
作家の最近のエッセイで読むに足るものって何かほかにありますかね?
360 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 18:48:55
361 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 19:08:24
昨日楽天で買った糸山秋子の「糸的メイソウ」読んでるんですがね
エッセイとしてかなりいいんじゃないかと思った
平野の「文明の憂鬱」を読んだらお粗末過ぎて
糸山のエッセイの良さが凄さが分かるな
作家の最近のエッセイで読むに足るものって何かほかにありますかね?
362 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 19:22:39
363 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 19:24:58
またでたコピペ厨
だから目をつけられるんだってw
364 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 19:37:28
天然を演じてるんだろうが、
不自然極まりないよwwww
365 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 19:41:30
ども、平野啓一郎です。
最近投資ブームに乗って親の金を運用してます。楽しいですよ。
良くあるでしょ生保レディーが契約欲しさに顧客と・・・ って話
そんな枕営業てのは生保レディだけじゃないよ。おれの場合は野村證券の営業のコと箱根に一泊旅行。
慶応卒の大人しそうな子だった。
営業なんて向いてないタイプだったけど、けっこうイイ体してたのでおれも下心あってかなり注文だしてやってたのよ。
つうか営業成績の半分くらいは俺の注文だったと思う。だから誘ったら断れないだろうと自信があったwwww。
だって野村は成績わるいとすぐアレだからね。
旅館にチェックインして、「とうぜん分かってるよね?」と聞いたら、うつむいて「はい」と答えたので、とりあえず一緒に風呂に入ることにした。
脱衣場ですでにビンビンに勃起してもうた。だって服ぬいだら想像してた以上にナイスボディだったし、緊張してる顔が妙に色っぽいんだもんw
でフェラしてもらったのだが、あんまり男に慣れてなかったんだろうな。すげー下手くそで全然気持ちよくない。一生懸命さは伝わってきたんだけどね。
で、「もういいよ」て言ったら、「すみません」てちょっと涙目になってて、なんだか可哀想になってきた・・・
だから、交代して今度は俺がフェラしてやった。
366 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 19:45:58
367 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 19:51:16
(*´θ`)
368 :
吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 21:24:17
平野啓一郎って変態だったんですね…
これも味噌スレだな
370 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 07:34:07
どこまで荒れてるんだよ
371 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 08:40:29
昨日楽天で買った「文明の憂鬱」読んでるんですがね
エッセイとしてかなりいいんじゃないかと思った
糸山秋子の「糸的メイソウ」を読んだらお粗末過ぎて
平野のエッセイの良さが凄さが分かるな
作家の最近のエッセイで読むに足るものって何かほかにありますかね?
372 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 13:11:56
ここは俺様のスレだー
ひれ伏せ ばかども ごみのようだw
373 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 13:19:08
すさまじいことになってるな
平野かわいそう
374 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 13:53:04
学会員かわいそう
375 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 14:53:06
こりゃ 新作絶対駄目だわ
376 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 14:54:34
∩___∩
(ヽ | ノ ヽ /)
(((i ) / (゜) (゜) | ( i)))
/∠彡 ( _●_) |_ゝ \
( ___、 |∪| ,__ )
| ヽノ /´
| /
377 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 15:04:53
すごい粘着だなあ
378 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 15:06:46
ていうか平野自体絶対駄目だわ
379 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 15:28:18
凄い妬み怯えが蔓延してるなあ
380 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 15:55:53
∩___∩
(ヽ | ノ ヽ /)
(((i ) / (゜)(゜) | ( i)))
/∠彡 ( _●_) |_ゝ \
( ___、 |∪| ,__ )
| ヽノ /´
| /
新作デルポーン アボーン
381 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 16:10:01
もうちゃんとしたスレにしようよ
382 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 16:11:48
しかし これらの荒らしをファンがやってるってのは痛いな
平野はデビューの仕方がまずかった
10年経っても変わってない。。。。
383 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 16:14:27
ファンがやってるわけないじゃん
384 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 16:14:58
一宗教団体の利益を代弁するような文学に価値はないよ。
385 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 16:20:49
つまり板違い。創価板でやればいい話。
386 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 16:39:48
387 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 16:54:29
あほらしい展開になってますけど
やっぱみんな平野が気になるんだね
388 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 17:11:35
そう、馬鹿をからかいたいんだよみんな。
平野くらい馬鹿はいないから
389 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 17:18:20
もう普通のスレにしない?
390 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 17:44:44
大して有名でもないのに 星野と青木とかいうのも宣伝ひどいな
391 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 17:48:49
宣伝ひどいのはここのスレタイじゃん?ww
>>390
こいつだw
>662 :吾輩は名無しである :2006/02/19(日) 16:58:25
>佐藤亜紀だろw
>3つの違う漫画から盗作してつなぎあわせてファンタンジーに仕立て上げ、
>新人賞に応募した確信犯のババァ。審査員は、漫画なんか読んでいなくて
>だれもその事実に気付かないまま授賞。
>その盗作小説たった一作を財産に筒井康隆に擦り寄る一方、2ちゃんねるの
>文学板に完全板違いの自スレを立てて、ジエンでage続けてるアホなオバサン。
>盗作を嗅ぎつけた版元が別作を絶版にしたのを平野啓一郎が盗作したからだと思い込み
>盗作だと喚き続けて板をアラシてる、自分の盗作は棚にあげてw
>漫画から盗作した馬鹿が、恥を知れ。
>平野と一緒に盗作島に幽閉されろよ、カス。
>佐藤亜紀ほど醜悪きわまりないクズババアはない。
393 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 17:56:23
、
394 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 18:36:04
大人のふりして諦めちゃ
奇跡のなぞなぞ解けないよ
395 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 18:45:21
みんな平野が気になってしかたないんだろうね
396 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 18:56:06
もっとワイルドに
もっとたくましく
生きてごらん
397 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 20:14:44
平野が調子に乗り過ぎだから皆イライラするんじゃない?
398 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 20:32:47
だろうね、完全に読者敵にまわした感じ。
仲のいい作家とかいるの?
対談とか見たことない、みてもご老人とか。
399 :
吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 21:50:39
400 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 03:28:15
401 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 03:33:03
チョン像?
402 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 07:25:34
「カラマーゾフの兄弟」(新潮文庫『おとなの時間』フェア)のオビに推薦文掲載。
「京都新聞」(2月3日朝刊)にエッセイ「身体の『極論』」掲載。
「La Harpe」(3月号 劇団四季)に「鹿鳴館」(三島由紀夫作)についてのエッセイ「逆説のモラリテ〜影山悠敏伯爵とサド侯爵夫人」掲載。
公式では発表これだけだな
また評論集・対談集の発表なし
劇団四季は見てみたいが
403 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 07:34:38
>662 :吾輩は名無しである :2006/02/19(日) 16:58:25
>佐藤亜紀だろw
>3つの違う漫画から盗作してつなぎあわせてファンタンジーに仕立て上げ、
>新人賞に応募した確信犯のババァ。審査員は、漫画なんか読んでいなくて
>だれもその事実に気付かないまま授賞。
>その盗作小説たった一作を財産に筒井康隆に擦り寄る一方、2ちゃんねるの
>文学板に完全板違いの自スレを立てて、ジエンでage続けてるアホなオバサン。
>盗作を嗅ぎつけた版元が別作を絶版にしたのを平野啓一郎が盗作したからだと思い込み
>盗作だと喚き続けて板をアラシてる、自分の盗作は棚にあげてw
>漫画から盗作した馬鹿が、恥を知れ。
>平野と一緒に盗作島に幽閉されろよ、カス。
>佐藤亜紀ほど醜悪きわまりないクズババアはない。
404 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 11:08:54
ユリイカ読んでたら
笙野は今のこの不況下に、上京するってことの難しさわかってんのかな?
実家通いじゃないと大学通えない人間がどれだけいるか
地方の人間は就職活動にも何十万もかかる。不況で何十社も周らないといけないし。
あの世代で、しかも35歳まで親からの仕送りだけで食ってたお嬢様にはわからんだろうな。
とチラシの裏ですが思いました。
405 :
404 :2006/03/03(金) 11:09:33
あこりゃ佐藤スレじゃないのね…orz
406 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 14:50:03
いいよどうせクソスレなんだから
407 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 15:16:05
ゴンさん 助けて、ここ見てるなら
408 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 19:53:31
「カラマーゾフの兄弟」(新潮文庫『おとなの時間』フェア)のオビに推薦文掲載。
これ読んでみたいな
共感したって人がいるんだけど
409 :
吾輩は名無しである:2006/03/03(金) 23:00:21
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
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410 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 07:13:34
今日も荒れてるな
クソスレあげんなボケ
412 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 12:32:58
「La Harpe」(3月号 劇団四季)に「鹿鳴館」(三島由紀夫作)についてのエッ
セイ「逆説のモラリテ〜影山悠敏伯爵とサド侯爵夫人」掲載。
これどこで売ってるんですか?
読みたいよう
413 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 12:44:32
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414 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 12:48:42
>>412 どれぐらいの長さか知りたいね
本格的なものだろうか?
415 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 13:44:32
自演おつww
416 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 15:36:31
平野啓一郎「『金閣寺』に見る三島由紀夫の戦前・戦後」
「ファイナンス」(05.11)大蔵財務協会
*財務総合政策研究所平成17年度夏季トップセミナーより
これすげえぜ
財務省の研究会で平野が三島を語ってるぜ
417 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 17:37:04
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418 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 19:40:20
平野啓一郎の他者への過剰な批判、挑発的言動は彼の中に巣食う本質的暗部による。
それは彼独特のナルシズムに接触することにより容易に感知される。無論彼本人も理解
するところであり、それを克明に断言すると幼児的願望の強さである。彼自身己を天才
と自負したいのであろう、そのことは彼の必要以上の、寧ろ作品の質を低下せしめんと
するほどの文体の古典の模倣に表れている。彼の言い分はこうだ
『俺は作家として驚くほど能力が高いのだ、君らには理解できんぐらいに。
俺を批判ないし理解しない人間は能力が絶対的に不足しているのだ。だから少々の暴言は
芸術家として当然の行為だ。なぜわからん?』
彼はバカではない、上記の発言を直線的に述懐すれば選民思想、排他的ナルシズムと評され
作家生命を失いかねないことは重々承知している。この幼児的願望を世間に出しても恥ずかしく
ないように彼は作品中である存在を利用するようになる、『絶対者』 だ。
一見作品中の『絶対者』とはその存在そのもののように記述がなされているが、心理学的に
深く掘り下げるとそれは彼のナルシズムと体現する装置にほかならない。
分かりやすく述べると『絶対者』=平野啓一郎 である。
ではなぜ彼はそのような一つ間違えるとパラノイア的になりかねない願望を
抱くようになったか? それはあとで記述するとしようか。
さっさとやれ
420 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 21:18:38
彼の傲慢とも言える自負心は劣等感への恐怖の裏返しである。このとき高学歴
であるという事実は恐怖を更に増徴させるものとなる。なぜ彼ほど順調に人生
を歩んできた人間が劣等感におびえるのか?しかし優秀であれば劣等感と無縁
かといえばそうではない、劣等ではないというだけである。
ではなぜ彼がそのような感情を描くようになったか説明したい。おそらく彼は
幼児期から厳格な両親のもと学業に偏重した生活を過ごしたのだろう。勿論
今の日本社会では学歴は重要な要素である、幼い彼もそう理解したろう。そうして
成長した彼には学業をなすのは幸福の追求ではなく、不幸からの逃避に変貌してしまった。
普通ならそれはおかしいときづくが、彼の場合父を亡くしているので一家の名誉は
過剰に彼の幼い双肩にかけられ、事実彼は学歴という点でそれを成し遂げた。社会的な成功
である。だが彼は人間的な感情の成長を損なう結果となった、それは無条件で愛されるという
幼児的要求の受容である。このようなある種の劣等感は、無論この劣等感は劣等であることと
関係はない、日本の多くの作家の原動力となり得た。漱石、太宰、三島、井上靖 数々の
文豪も持ち合わせている感情だ。しかし彼らと平野には受容できない差異が存在する。
文豪たちは己を攻め自身を磨くことで克服しようとした、平野は受け入れない他人を攻撃して
自身を磨くことに怠ったのである。
最後に結論を述べさして戴きたい。平野啓一郎は三島の再来たりえない、文豪の名を拝借するなら
石川啄木の心理的後継者だ。
421 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 21:51:48
最年少記録で威張ってたのが
綿矢に破られたのはわらたよ
422 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 21:58:01
これどっから拾ってきたんだ?
423 :
吾輩は名無しである:2006/03/04(土) 23:31:02
>>421 村上龍になめた口をきくと
こういう目にあうのだよ
424 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 01:00:04
425 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 01:03:07
援助交際がテーマの小説なんて馬鹿でも書ける みたいな
426 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 01:16:21
それまで最年少芥川賞作家だった龍がインタビューを受けて
「別に芥川賞なんて誰だっていつだって取れる」
みたいなことを言って、それに平野が過剰反応したんだよたしか。
それにしても平野の子供じみた反応は醜悪だった。馬鹿丸出し。
「その通り」とでも言っときゃ箔がつくのによw
427 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 01:41:30
平野君の器はオチョコでちゅねw
428 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 02:13:04
平野は女子供とボケ老人
騙してナンボだからねぇw
429 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 03:22:48
平野は心から芥川賞の権威を信じてたんだね
良く言えば純朴、悪く言えばパープリンだね
430 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 05:43:02
天才ですね
431 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 08:41:34
天才だw
間違いないwww
いくら格好つけてもそういうので簡単に知性の底は割れちゃうよなー
433 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 10:58:56
はあ?
434 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 12:27:10
いくら格好つけてもそういうので簡単に知性の底は割れちゃうよなー
435 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 12:48:42
お前の?
436 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 13:10:25
文盲 消えろ
437 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 17:40:16
ここ見てこの作家は読まなくていいと思いました。
438 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 17:43:48
はじめから読むのが怖いくせに
439 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 17:59:48
>はあ?
>お前の?
おいもっと喋れよ。ケチョンケチョンにしてやるからよ。
440 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 18:39:00
>はあ?
>お前の?
こいつ文盲だからよ 俺らでボコにしてやるなw
>俺らでボコにしてやるな
www
442 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 21:05:29
ここ見てこの作家は読まなくていいと思いました。
443 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 21:14:15
読むと馬鹿と創価がうつるよ。
444 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 21:18:34
>>441 おいおいどうして立場をはっきりさせないんだい?
ビビってるの?それとも日本語が不自由なのかな?
445 :
吾輩は名無しである:2006/03/05(日) 23:09:07
平野読んでる奴なんて あっちの人間か 顔面障害者だからホットけってw
446 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 05:56:56
平野が天才だって結論になったようですね
447 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 08:33:10
平野は天才だけど、綿矢りさは大天才だよ
448 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 10:55:11
それはない
449 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 12:41:14
平野啓一郎が信奉する「芥川賞」の最年少受賞者が綿矢りさだ。
この事実は覆せないw
450 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 13:11:45
それがどうしたの?
451 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 14:23:13
お前は本当に頭が悪いな。
その事実を否定するということは平野啓一郎を否定するということだ
つまり 平野啓一郎<<<<<綿矢りさ なんだよ。わかったか?
452 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 14:43:46
どうして?
453 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 14:49:57
452みたいな文盲相手にすんな
454 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 14:50:34
自分で考えな。
455 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:17:46
452はアナルレイプされて後遺症が残ってるんですww
456 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:20:58
平野はそんなこともするのか…
457 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:21:11
全員平野が怖くて怖くて怯えるほどの才能だって結論になったようですね
458 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:23:42
才能のなさが暴かれるのを恐れてるのは平野啓一郎
459 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:25:58
読むのが怖い秩序を破壊する天才の出現を恐れている
いつまでもつかな〜
460 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:30:49
もはや気負ってるのは本人と創価学会だけ。何が「天才」だよ。
滑稽だと指摘してくれる人すらいなくなったが、
未だに一人で演じ続けている。平野は哀れだな。
461 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:33:47
天才なら純文学なんてイデオロギーに固執してないでラノベ宣言とかしろよw
462 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:49:26
実際たいした作家じゃない。用語だけやたら難解にするのは
高尚な作品に見せて馬鹿を釣るための涙ぐましい営業活動。
それで頭の悪い俗物がたくさん釣れたじゃん最初だけだけどw
ターゲットは趣味の悪いババアと世間知らずのガキの通俗作家。
463 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:50:54
アンチが馬鹿だという結論になったようですね
464 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:53:14
つまんねーよ何度も何度も同じネタの変奏
まるで平野啓一郎だなw
465 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:55:16
おいおいすごいことになってるぞ 削除板で本スレに誘導したやつに噛み付いた奴、
おそらく誤誘導して本スレ潰したやつの書き込みなんだが↓
16 :うn :2006/01/07(土) 19:08:52 HOST:ntkyto056206.kyto.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp
削除人さん間違ってますよ
ゴンという基地外が横暴をしています
平野の本スレを削除して日蝕スレのみ残るという
おかしなことになってます
どうしてくれますか?
kyto? 京都か?これ もしかして平野じゃないだろうか?本人。。。
466 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:58:16
やたらケツの穴小さいしマジでありそうで嫌だなwww
467 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 15:58:35
粘着がつくほど脅威の存在なのですね
無視できないのは怖いからなのですね
468 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 16:00:12
また同じこと言ってるww
こいつも平野なんじゃね?w
469 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 16:13:08
いくら取り繕っても2ちゃんで溢れる本音は止められないからなー。
だからわざわざ2ちゃん批判して対立の図式を演出したんだろう。
もともと批判されてたくせに「2ちゃんねるとは因縁があるから」
って嘘吐けコラァ。そもそも良識ある文化人はそんなことしない。
逆に無責任な言説の存在を担保してしまうことになりかねないからな。
馬鹿は死ななきゃ直らないって本当だな。筆を折れ。それが作家の死だ。
470 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 16:49:09
でも文学買う奴なんてネラーとかぶってるだろ、かなりの割合。
そいつらに喧嘩うっても勝てると思ったのが間違い。若年層は壊滅だろ。
実際 エッセー本 本屋には置いてないし、売り上げの大半は図書館だろ?
自殺でもしたらおもろいのに。出版社もここまで持ち上げといて赤ばっかだしてんなら
そういう風に持ち込んだらいいのに。。。
471 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 17:21:12
読んでから語りましょう
怖くないからね
472 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 17:31:04
創価学会員なら誰もが涙するクオリティ
私が保障します。
読んだけど、三島を読んだ時のような畏れは感じなかった。
むしろ生田耕作あたりの手すさびといったかんじ。
若いのにがんばっているとは思ったが
あとでマジでやっていると知って引いた。
ともかくもう少し勉強した方がいいんじゃないかな。
474 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 18:19:56
痴漢で捕まったりしたら面白いんだけどなあ
475 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 20:30:27
>>473 平野は三島の論理の不明晰さを論じてるよ
476 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 20:51:14
>>475 三島を論じれる器かよ
ばかでブサイクったら三島でも手を出さんぞ
477 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 20:54:18
むかーし西部邁が、明晰さの欠如・三島由紀夫論とか書いたよ。
478 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 22:30:04
またぱくったか
479 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 06:35:46
平野の三島論読んでないの?じゃあ語るな
「英霊の声」論、「金閣寺」論という長編評論を読んでからいいなさい
それと上にも出てくるが
「La Harpe」(3月号 劇団四季)に「鹿鳴館」(三島由紀夫作)についてのエッ
セイ「逆説のモラリテ〜影山悠敏伯爵とサド侯爵夫人」掲載。
みたいなエッセイも書いてるから内容わかる人は教えてください
それと平野は三島を尊敬してないし目標にしてるわけでもないって明言している
「愛すべき人」だそうだ
それに平野は女にもてるし、三島のような屈折はない
480 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 06:42:23
創価学会がついてるから強気になるのは必然だな
それこそ平野が嫌われる点なんだろうけど
481 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 12:12:42
>それに平野は女にもてるし、三島のような屈折はない
ぎゃははh 受けるw
私女だけどこの人ぶさ悪の典型だよw
482 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 12:54:10
島田雅彦よりもてるらしいよ
483 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 13:50:00
確かに平野の顔に生まれたら落ち込むよな。
パンはともかくアップはきつい。。。
484 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 13:55:55
モテたらあんな性格歪まないって
485 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 14:14:22
「婦人公論」(3月22日号)の「男からの手紙」欄に「とある女性に」掲載。
これも読まなきゃね
486 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 15:43:22
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487 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 16:28:31
もうでてるのか今から読みにいくわ
488 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 17:05:00
今立ち読みしてきたけど
子供のころからの知り合いの女性で目が見えない人への
手紙を書いている
489 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 17:13:20
文学的な、あまりに文学的な素材ですね。
490 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 17:27:36
その女性は平野の本を点字で読んでるそうだ
スタッフがいて点字に翻訳してくれてるんだそうだ
性的なものを読ませるのがいいのかちょっと悩んだが
女性は目に見えない現実の世界を教えてもらって感謝してくれたそうだ
491 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 17:32:09
そのスタッフは創価学会の人なんでしょうか?
492 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 18:21:49
平野ブサイクで結婚できないんだから、目が見えない女と結婚すればいいじゃん
なにかと繋がりありそうだしw
493 :
吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 19:35:49
学界の話は禁止で。。。
495 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 04:37:03
漢字得意
496 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 07:05:27
頭がいいのか悪いのかよくわからん。
高級食器にコンビニ食材入れてる感じ
努力して勉強するチカラや環境はあるのに勉強しどころを間違ってるのかなあ
497 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 07:07:02
>>494 文春に書いたエッセイだね「文明の憂鬱」に収録されてる
もっと別のを選んでほしかったね
おすすめは「天災の神学」ですね
498 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 13:28:32
499 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 15:09:48
なんで創価学会の話は禁止なんですか?
切っても切り離せない関係じゃないですか。
平野を論じる上では絶対に外せないでしょう。
だって読んで褒めてるのも大体学会員だし。
500 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 16:39:48
証拠はありますかね?
501 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 19:03:21
うん、確かに根拠のない話だよな。
なんで創価と結びつけて扱われるようになったんだろ。
502 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 19:16:05
いやなぜそんあこといってるのか
沙パリ分からなかったんだよね
504 :
吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 21:44:35
学界の噂はデビュー以来スレがつくられてからずっと言われてるよね
その時の住人が今もいれば詳しく聞けるのにね
少なくとも90年代デビュー組の中ではずばぬけてるだろ。
過小評価されすぎだ。
>>505 相対評価したって仕方ないだろう。ダメなものはダメ。
507 :
吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 11:17:26
いや凄くいいですよ
508 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 06:53:34
天才じゃね?
509 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 10:30:09
ずばぬけて馬鹿だよなw
あんなのに芥川賞やったからおかしくなったんだ。
510 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 14:52:58
顎の芥川賞剥奪か?
そうしないと文壇の健全化はありえない
511 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 15:18:37
「ナックルズ」の豊崎の「文芸天気予報」とかで
平野の先月の対談がほめられていた
512 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 19:30:19
誰と対談したの?
また作家以外のひと?
513 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 19:58:14
青山
514 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 21:45:12
青山ってだれ?
515 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 21:47:51
青山真治?
516 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 22:03:02
そう
517 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 22:23:35
青山真治って作家じゃないじゃん やっぱり
してくれる人いないんだろう
それと青山も北九州市出身だろ?
はー やっぱり自分の力だけではなんにも出来んのだな
限りなく 黒に近い平野ww
518 :
吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 23:36:33
作家では誰と対談したことあるんですか?
519 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 05:44:36
平野相手にする作家は居らんよ
火の粉かぶるだけだから。。。。
しかし上の芥川剥奪ってだれが動いてるの?
もしそれが実現したらすごいことになるな。。。。
一般人も注目する権威の再生になる
しかし今一歩足りんな、新しく盗作が疑惑視されるようだと確実に
動くんだが。。。
新作で馬脚出さんかな、顎は。。。
520 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 07:41:18
火の粉?
キチガイだから?
521 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 10:42:32
作家は青山そうじゃん
島田雅彦、高橋源一郎、日野啓三がそうかな
国際会議でいっぱい作家とやってるが
522 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 17:02:21
平野の「カラマーゾフの兄弟」の帯の文知ってる方教えてください
523 :
吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 02:36:03
>>522 「カラマーゾフの兄弟は男の秘穴の匂いを的確に表現してる。まさに目の前に
アヌスがあるかのよう。。。そう昨日のことであるが私も。。。 いヤーン バカーン」
524 :
吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 06:52:24
荒らしなさんな
525 :
吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 15:35:18
526 :
吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 20:47:34
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527 :
吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 21:16:37
荒らしなさんな
528 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 05:22:17
荒らしではない
あほの宣伝の阻止だろ? 上のは
529 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 10:12:37
530 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 17:10:04
■
「La Harpe」(3月号 劇団四季)に「鹿鳴館」(三島由紀夫作)についてのエッ
セイ「逆説のモラリテ〜影山悠敏伯爵とサド侯爵夫人」掲載。
これの内容知りたいです
531 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 18:36:49
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532 :
吾輩は名無しである:2006/03/13(月) 19:17:18
1の写真みたが。。。。平野はブチャってゆーより、臭い顔してるね。
腐臭が漂う、一緒にお食事できない。。
なんか王子様連想してたけど、違うね。それにここ覗く限りやばげな
人みたいね。
533 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 02:28:53
この本で平野氏 盛んに活動されてます
「パクリ・盗作」スキャンダル読本 別冊宝島 1257 別冊宝島
栗原裕一郎
534 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 12:21:25
いいかげんにしろ
535 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 14:14:37
ここは議論の場 そういう本で取り上げられてるのを紹介する。
それとも言論の自由を制限するのか?おまえ
気にイランからって。。。 あほ
536 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 22:05:36
なぁ、平野を馬鹿にしたら、リサたんの立場が無いだろw
537 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 11:21:31
意味がわからん
538 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 13:58:47
芝居になるんだな
539 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 22:15:53
頼むからこれ以上本を出版しないで
他の作家のスぺースを取らないでほしい
540 :
吾輩は名無しである:2006/03/15(水) 23:03:56
そうだ そうだ これ以上顎は本だすな
篠原やランディやナッチやアレンジレンジの仕事とるなw
541 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 02:09:41
ろくなレスがないな。まあ天才にしか天才は語れないらしいから無理はないけど。
542 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 02:55:19
>>541 精神病院いくとそういうこと言う奴よくいるよw
まあ顔は立派なダウン症だな
文明の憂欝、現代を鋭く云々て話だが、問題提起になってないもんが多い。
ものを見る視点が街の物知りさんレベル。
良くても問題提起してお仕舞い。
そっから独自の新しい展望があるのかと思っていたんだが、ホントに憂欝なこと言葉にしてお仕舞いかよ。
あと、自分語りのところは見苦しい。非常に。
トーマスマンに傾倒していた高校時代のこととか、書く必然性が感じられず、ひけらかし以上になってねーよ。
544 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 13:03:51
>>543 そんなことない
「天災の神学」にしろ死、身体、パリ、鍵、宗教と
平野しかかけない深いしかも生きることとつながった
認識であふれてるよ
545 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 13:11:08
同意
546 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 19:02:15
>>543 そんなことない
「愚鈍の神学」にしろ顎、盗作、ゲイ、男根、宗教と
平野しかかけない深いしかも生きることとつながった
認識であふれてるよ
547 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 19:04:47
いいかげんにしろ
548 :
吾輩は名無しである:2006/03/16(木) 20:46:00
549 :
吾輩は名無しである:2006/03/17(金) 10:50:23
なんじゃそら
これ本当の話なんですが、いや あらし扱いでも構いませんが、
平野氏の日蝕を地元のブクオフで購入しました。
地元は京都なんですが、、、
家に帰ってページめくったら3枚の紙がはさんでありました。
衝撃的と思われる内容が、、、ここに書くつもりはありませんが
是非知り合いにまわせと書かれてました。
おぞましいです、古本でこんな思いするとは。
平野氏には頑張って欲しいですが 私はもういいです。
だんだん押尾学みたいな扱いになってきたな
次スレはこれでいきなよ
【押尾先生】平野啓一郎 第6部【出番です】
552 :
吾輩は名無しである:2006/03/18(土) 06:42:40
面白い面白い
なんだかんだで ここは俺のすれだわな
>>550 おまえそんなデマ書いてうれしいの?
また妬みか
妬みというよりオカルトネタという気が。
557 :
吾輩は名無しである:2006/03/19(日) 08:45:34
馬鹿馬鹿しいよね
平野の小説よりも面白いのは確か。
「顔のない裸体たち」単行本になるけど
ぶっちゃけてどうよ?名作?
愚作というか 買おうとする奴なんていないから、
おまえみたいな出版社の回しもん以外
562 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 06:03:49
そうだ。どこの古本屋だ?丸田町近辺なら面白いな、京大生の直接のたれ込みだからさ。
なにが書いてあったのさ。おれも違う学部のOB生だけどな、あのことかい(笑)
563 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 07:45:23
いいかげんにしろ
564 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 10:26:09
565 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 12:31:48
566 :
名無し募集中。。。:2006/03/20(月) 16:53:35
ここあんまり葬送の話しないんだね
567 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 17:03:58
平野作品を読むなんてどれほどの暇人なんだろうな(暇つぶしにもならんが)
世の中の全ての行動は平野の作品を読むことより価値があると思う
568 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 17:36:48
>>566 さんざんしたんだけどね
このスレは異常な経緯で成立してるんだ
569 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 17:38:18
なんでもいいじゃんw
おもろいわー
570 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 18:15:33
>>568 「顔のない裸体たち」どうよ。感想よろ。
571 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 18:24:21
572 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 18:55:58
573 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 20:05:15
574 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 20:55:17
駄作か、傑作か、傑穴ですか
難しいですね
575 :
吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 23:54:05
まあ 顔のこと題名に入れれる面か?平野って突っ込んだよ。
それだけで読んでない。
576 :
吾輩は名無しである:2006/03/21(火) 17:09:33
うそ付け
577 :
吾輩は名無しである:2006/03/21(火) 23:24:56
平野さんが おちていくー ああああ
ドスン 顎は残ってるね
578 :
吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 07:15:05
いいかげんにしろ
579 :
吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 20:53:38
裏口入学デビューのやつね
もう賞味期限きれてるよ
580 :
吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 20:57:57
まず自分の気持ちをつづった手紙を文芸誌『新潮』の編集長に送ったんです。
すると原稿を読ませて欲しいという連絡があり、
作品を送ると京都で会うことになって。食事をしながら、
作品についてや自分自身について一生懸命に話しましたね。
まず自分の気持ちをつづった手紙を文芸誌『新潮』の編集長に送ったんです。
すると原稿を読ませて欲しいという連絡があり、
作品を送ると京都で会うことになって。食事をしながら、
作品についてや自分自身について一生懸命に話しましたね。
581 :
吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 21:29:16
どんな内容の手紙か具体的に知ってる?
582 :
吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 21:36:21
そこらへんは 上にでてきた古本の紙切れにかいてあるんじゃないの?
583 :
吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 21:51:10
手紙の内容
僕の小説は自分で言うのもなんですがすばらしいです。
ぜひ直接読んでいただきたい。
もしそれが適わないのであれば自殺も辞さない所存で@ございます。みたいな?
WW
584 :
吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 21:54:32
もう こいつ駄目かもわからんね
585 :
吾輩は名無しである:2006/03/23(木) 00:41:19
まぁいまさら手紙蒸し返してもね
汚いとは思うが
顎の芥川剥奪という噂あったが、嘘だったんか。。。。
今の純文の衰退をこいつにおぶせて新潮復活とかやりそうだった
のに。
587 :
吾輩は名無しである:2006/03/23(木) 19:34:51
>>586 根も葉もない噂です
彼には純文の復活が期待されていますよ
そういや 新作もホントに出るのか?
どこの出版社が名乗り出る?
無茶な要求するんだろうな、新聞に1面で広告だせとか。
売れないのに、そんなことできるかっての。
まあこれで平野氏は終わりというすう勢だね。
589 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:16:07
平野啓一郎 最高!
590 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:16:40
京大法学部だね
「日蝕」? w
5月物語
593 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:18:55
そうそう
594 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:20:12
596 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:22:12
597 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:27:37
見たことある
598 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:31:03
599 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:32:26
600 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:32:28
だれこれ
601 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:34:35
602 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:36:53
目的は平野じゃなかったんだけどねw
ついでに見た。
604 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:42:59
605 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:45:14
眼に入っただけです。
606 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:45:48
そうそうだっけか
607 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:46:50
ショパンだか?笑う
608 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:48:02
609 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:52:21
ちょっとブサイク系かも?
610 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:58:22
日直
611 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:59:17
京大だろ
612 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 00:59:53
613 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:03:12
法学部なのに司法試験とか受けなかったんか
614 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:04:31
京大いきてえ 哲学。
615 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:05:01
616 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:05:39
617 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:07:52
>613
法学部なら等第がいいに決まってるのになw
618 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:09:48
619 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:10:42
620 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:13:16
621 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:14:03
622 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:14:49
623 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:15:41
>>621 うーん、京都学派ってやっぱアコガレるw
624 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:16:30
あ、平野とは関係ないから 一応w
625 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:18:27
626 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:20:16
628 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:35:43
>>627 へー、ほんと?初めて見る京大志望w ガンガレ! 他所ながら応援してるマジ
629 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 01:37:49
あんまり2CHには来るな!…と忠告しとく。イラン世話だが
ガンガレ!
>628-629
どもども。ベンキョしまっす
631 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 08:17:20
この人って、どうして文学をこうも
「高尚な芸術」としてとらえたがるのか謎だ。
ドストエフスキーやトルストイやゲーテしかり
大衆的でなかった文豪なんて存在しないのに
平野は、「敷居の高いものでなければ文学と呼べない」という
へんな誤解もってそう。
19・20世紀の西欧文学はしっかり読んだけど
自分が生きてる時代の日本文学はさっぱりスルーしちゃったんだろうね。
だから、こむずかしい物を書かなきゃ後世に名を残せないとでも
思い込んでいるんだろうな。
「詩」や「小説」や「音楽」や「絵画」…等々が好きなんじゃなくて
「文学」や「芸術」が好きなだけですから…
ラノベ好きの裏返しみたいなもんだろ
633 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 08:42:54
>>631 いや、わかる。
平野の新作ってドストに題材求めたやつだろ?
んで、葬送はマンの「魔の山」から。一月物語は鏡花から。
そのドスト、マン、鏡花への嗜好は三島から影響されたもの。
過去の大家の足跡を舐めなきゃ、
自分の小説の主題すら自由に創れないのか、この「作家」は?
オレが平野の才能を疑うのはそこ。
盗作とか編集長とか言う前に、そこを問題にすべきだと思う。
634 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 09:07:01
やっぱ平野は文学の読み方が下手だよ、絶対。
自分の内的世界を拡げるためじゃなくて
小説を書く勉強のために読んでたんじゃないの。
その結果得られたのが、文豪の真似。模倣。
635 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 09:24:27
俺も平野手にとるくらいなら、三島とかマンとか直接読むほうが
はるかに近道だと思ってた。言ってることまんま焼き直しじゃん。
636 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 10:43:20
それは一番安易で幼稚な意見なんですね
平野はそういう君たちのような人間ではない
そもそも平野は高校時代からバンドをやり、学園祭でディープ・パープルを
演奏して大喝采を浴びていたような人間でテレビにも呼ばれたら平気で出てるし
気取ったところのない、わざわざ高尚めかして自分を防衛する必要もない人間だよ
それに「フェカンにて」に描かれたり、インタビュー、評論にみられるように
平野の文学に対する衝動は極めて内的必然性を持ったもので、君らのような
ファッションとは違うんだね
637 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 10:45:51
並べただけでは次元は超えぬ
638 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 11:05:29
>>636 では、「日蝕」や「一月物語」の
過剰に装飾的な文体と非現代的世界観が
どういう彼の内的必然性に基づいていたというの?
読者である君自身の考えをおしえてくれ。
平野のインタビューからひっぱってきた言葉でなく。
俺にはああいう作品の外観こそ、ファッション以外の
なにものにも見えない。不自然の極みだろう?
ああいう文体が、彼の本性に基づいた自然なものだというのか?
639 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 11:17:02
>>638の補足。
平野の文学に対する衝動は、自然なものだろうね。
「文学をやりたい」という気持ち自体は。
バンドやったりもしてるから、単に文学を知的ファッションとして
ひけらかすような馬鹿な考えもない作家だと思うが
俺たちが批判してるのはそういうことじゃなくて、
生み出されてる作品自体の問題。それだけわかっといて。
640 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 11:27:33
平野はそもそも文学と決別するために法学部に入ったようなにんげんだからね
「僕は作家になるかそうでなければ全く文学と関係なく社会と融和して
生きたいと思っていた。文学研究なていう中途半端に文学に関わることは
できない」とまでいってるよね
641 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 11:28:34
>それは一番安易で幼稚な意見なんですね
こんなこと言っておきながら
自分は論点すらつかめてないなんて…
642 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 11:33:43
平野はちょっと最近では見られない存在論的な作家だよね
643 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 11:34:29
文学研究が中途半端? マジでそう言ったのか?
創作以外で文学には関わりたくなかったという言葉は
聞いたことあるけど…
研究が半端な行為だと思い込んでるなら
コイツの創作意識も文学への理解もハンパだという証拠だな。
644 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 12:12:54
小説読みすぎて飽和して頭が馬鹿になった例だな
好きな作家5人くらいをとことん読むほうがもっと有意義
645 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 12:55:01
>>643 文学研究より創作が上なのは当然
もっとも平野より優秀な批評家もいないが
646 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 13:58:38
>>645 君さあ、研究と批評はまったく別物だぞ?
それはともかく、創作は研究とくらべて
「何」が上だというんだ?
文学研究というのは、文学と社会・個人との
連関の真理を探究する学問。優れた研究は、半端な三文小説より
はるかに社会に対する功績が大きいはず。
研究は創作より劣ってるなんて阿呆な考えだね。
論文を書くことだって一種の創造だもん。
作家が書いた作品がなけりゃそもそも研究できねえじゃんとか
幼稚な反論してくるなよ?
平野読者はこんなこともわかってないの、とか
いわれないような書き込みしとけよ、な。
647 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 14:18:01
平野は創作より研究の方が向いてたんじゃない?
知識だけは十分だろうし、日蝕や葬送見る限り
学究の態度も立派だ。
でも結局、創作自体は大家の尻追っかけることしかできてないんだから、
文学部に行って研究に目を開いてれば、違った成功をつかめたかもしれないのに。
648 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 14:31:09
>>647 >>647 冗談だろ。平野の作品のあるものは「批評的更新」
と呼ばれることがあるけど、
平野の読みの稚拙さを露呈したものばかり。
学究というより、ただの知的ファッション。
研究なんてそんな甘いものではないよ。
本が売れてないのが如実に表してるよ
650 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 15:35:05
>>648 平野の「英霊の声」論、「金閣寺論」読んでからいいなさい
平野は三島よりも頭がいい
平野の金閣寺や英霊の聲論が優れていたとしても、それで三島と比較して頭良いってことになるわけねえだろ。
652 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 17:10:03
まあ三島とは資質が違うからね
ああいう屈折したところが平野にはないからね
「文学者」というものへの「美しいイメージ」にあふれたスレだな。
654 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 17:28:21
>>650 君そればっかりだね。
どちらも読んだけど、せいぜい学部の優等生のレポートだね。
特に「金閣寺論」は中身が薄い。図式的な読みも結構だけど、
間口が狭すぎるんじゃないの。
それより
>>646に答えてやんなよ。
創作は研究とくらべて「何」が上なんだ? って訊いているよ。
655 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 17:34:23
>>654 さあ?
僕は上だと思うけど研究が上なの?
それに社会を研究したければ文学を研究しないで社会を研究すればいい
まあ文学者の社会研究で凄いのってなんだい?
せめて論理的な平野読者っていないのかよ?
擁護が馬鹿じゃよけいに読者がへるだろうよ。
平野本人も迷惑してるんじゃねーの?
657 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 17:48:22
だからその凄い研究ってどれだよ
きちがいか…
>657
さあ?
僕は凄い研究いっぱいあると思うけど、知らないの?
660 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 18:11:51
知らないから教えてください
あなたの言い方では凄いのがあるそうじゃないですか?
661 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 18:30:21
知らないのになんで創作のほうが上だと言い切れるのか教えてください。
また、いったい何が優れているのか教えてください。
チョン
663 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 19:12:11
僕が今まで読んだものにはそんな凄い社会を射抜いたようなものがなかったですね
あなたはあったのですか?
664 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 20:53:11
>>663 では、何を読んだの?
研究書、または論文のタイトルと、著者を教えて?
君がどういうタイプの研究に触れようと思ったのか知りたい。
そうだ、著者がどこの大学の教授かまで教えてくれたら
非常に助かるよ。
>>655のように、社会を研究したけりゃ文学を研究する必要ないと
いう考えを君に抱かせた論文が
どれだけひどいものだったのか読んでみたいよw
665 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:04:06
研究書というより批評かな
柄谷、蓮見、江藤、福田、渡辺その他有名批評家の本はたくさん読んだ
柄谷、蓮見の本はほぼ全部読んだかもしれない
あと若島正のファンでもある
あと適当に有名作家のモノグラフを読み飛ばした
666 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:05:09
根拠しめすこともできないで
「平野って三島よりすごいんだよっ」とかいうヤツが
まともに論文読んだはずないだろ…
おっと、こんなこと言ったら、
彼の返答を聞く楽しみがなくなっちゃうねw
667 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:07:27
>>665 名前だけあげても意味ないじゃん。いくらでもごまかせるんだから。
彼らのなんという著書を読んだのかまで答えなきゃ。
ちょっと考えればわかるだろ?
668 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:16:32
蓮見で一番すきだったのは「反=日本語論」かなエッセイだけどね
「凡庸な芸術家の肖像」も一度しか読んでないけど気持ちはよかったな
柄谷は今となっては「反文学論」ぐらいしか読み返す気にならないかな
あと対談集ぐらいか
若島の本は知的ゲームとして傑出していて面白いな
情報も満載だし
669 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:16:55
>>646で研究と批評なまったく違うっていってんのに。あーあ。
670 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:20:40
研究論文とエッセイの区別もつかんか?
「論文」をあげろというに。
671 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:23:10
トマス・ピンチョン―無政府主義的奇跡の宇宙
木原 善彦 (著)
とか
672 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:24:39
>>671 で、それの何がつまらんかった?
どういう部分が「社会を射抜いてない」と思ったの?
詳しくね。
673 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:30:17
その上で、創作は研究とくらべて「何」が上なのか
きちんと具体的に結論付けてね。
674 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:30:28
文学研究としては面白いのよ、読んでる間はね
でも別にこれを読んだから社会に対する認識が深まったとか
直接社会で役に立つものが得られるとかはない
それよりも直接社会のメカニズムなり、真実なり、残酷さなりに
目を開かせられるのは、ノンフィクション、経済・政治本じゃないかな
675 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:30:33
てか、ここで求めてるのは文学の研究論文。
分野のちがう難解な著作をもちだして
煙に巻こうとか思うなw
676 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:33:50
>>674 それでは結局、君のもちあげる平野の社会的価値は
どうなるのかな?
ノンフィクション読めばいいんでしょ?
677 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:37:37
>>676 どうして?
君が研究書が凄いという話をしたんじゃないか
678 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:39:56
>>677 はあ?
君が創作の方が文学研究の方が上、と言ったから
こういう話になったんだろうが。
679 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:41:17
>>677 論理的に考えてね、マジで。
俺は研究がすごいなんていってないよw
君が創作が研究より優れてるというから、
そんなことない、君が読んだ論文を教えてごらんと言ったんだ。
すると君から帰ってきた答えは…、というわけ。わかるだろ?
680 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:48:02
>文学研究というのは、文学と社会・個人との
連関の真理を探究する学問。優れた研究は、半端な三文小説より
はるかに社会に対する功績が大きいはず。
だからそれをあげてくれっていってるんだよ
681 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:50:19
自分が答えに行き詰ったら、そうやって責めるのかあ。
てか君、自分が求められたものには全然まともに答えてないよねwww
682 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:52:18
>>655 そもそも
>文学研究というのは、文学と社会・個人との
>連関の真理を探究する学問。
という書き込みから、どうして
>それに社会を研究したければ文学を研究しないで社会を研究すればいい
というレスポンスが帰って来るんだろうね。暴論もいいところだ。
683 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:54:04
>>681 こいつは、いつもこうだよ。
前もアク禁にしようという動きがあったんだけどね。
684 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 21:57:10
じゃ、彼には名著中の名著を教えてやろう、とりあえず。
江藤淳の「夏目漱石」
山本健吉の「古典と現代文学」
平野謙の「芸術と実生活」
こんなとこ。ま、これらを読んでここに来て欲しいね。
トマス・ピンチョンをマジで読んだんだったら
さぞ面白い本だろうさw
685 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:00:50
>>684 全くお話にならない。平野の「英霊の声」論、「金閣寺論」に比べたら
天と地ほどの差がある。もちろん、そこに書かれたものくらい読んでますよ
創作は文学研究より上だ
↓
なぜ上だと思うの?
↓
さあ?僕はそう思うからだこど、研究のほうが上なの?
↓
687 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:02:38
だからw
そういう意見を述べるときは
何がどうつまらないという、君の考えの根拠を示さないと
話にならないっていってるじゃんw 頭よろしくないの?
688 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:04:43
689 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:06:43
江藤の夏目漱石ってあの程度のどこが君を感心させたの?
評伝じゃん
漱石なら東浩紀の「郵便的不安たち」の中の漱石論が
もっとも明晰なものだと思ったけどね
山本は上野千鶴子が馬鹿にしてたのをよんだだけ
平野謙は地味だね
啓一郎は謙を読んでるようだけど
690 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:07:45
俺じゃないやつが書いてるな
俺も書いて寝たら議論が始まっていたw
692 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:12:18
>>689 あー、もうだめだわこの人。
なんでこっちの問いに答えられないんだろうw
読んだことないから内容について詳細に返答できないんだろうけど。
東浩紀に関しては、どこかに「明晰な論だ」と書いてあったから
そう言ってるだけでしょ? こういう書き方だと。
693 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:20:02
君がよんでないんでしょ?
本当に明晰だよ
つまり江藤は漱石が「近代化の中で苦悩した作家」と捕らえてるのに対し
東はそれは単純であたりまえすぎる
漱石は「近代化の必然性をこそ解明しようとしたのだ」という視点ね
明晰だ
わざとやってんだろ。
前スレでも疑われていた、実は平野をおとしめる工作員、じゃなきゃ真性のアレ。
695 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:24:40
そうかい、わかった。君はとりあえず論文の名著を
読んだことはあるのだということにしよう。
で、論点を最初にもどすと
こういう文学研究の成果が、創作より社会的功績において
劣るという根拠は何なの?
俺はそれが一番知りたいんだって。
696 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:37:56
上か下かは言葉の彩でどうにでもなるからいいんだけど
平野には創作に対する強烈な内的衝動と必然性があり
その一方、文学と社会の問題も考えていて、「創作を通じてこそ
作家は社会性をもさくすべき」ともいってるんだけど、文学を捨てて
直接社会に関わっていきたいという衝動もあって、一度は文学を捨てて
法学部を選んだわけだ
その彼にとって「文学研究」という形で文学に関わることは「中途半端」に
感じた、つまり彼の内的なものも、社会的欲求も満足させることはできないと
心から感じていたという事実は重いといことですね
それだけ「創作」というものが彼の生きることと緊密につながっているのが
分かるわけで、僕はそういう彼が好きだし、興味深い存在だとおもっている
わけ
697 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 22:52:38
>>696 また俺の知りたいところとは少しずれたが、まあいいか。
では話をもっと根本的なところに戻そう。
彼が作家を目指した動機には、社会と創作を通じて連なりたいという
衝動があったというわけだな。
つまり、社会とのつながり方は、彼にとって創作しかありえない。
しかし彼が発表した作品は、過去の文豪の影響があまりに強く
匂ってくるもので、完全な独創性を打ち立ててない。
それは彼の内的な本分から作り上げたものではなく
先人の思想を借りて焼き直したものでしかないように見える。
そもそも
文学と社会との関連を模索するかれが
なぜ日蝕や一月物語のような非現代的主題をとる必要があるのか?
彼の内的必然性とどうつながっているのか? それを
「君の言葉」で説明して。
698 :
吾輩は名無しである:2006/03/24(金) 23:08:40
>>社会と創作を通じて連なりたいという
そうともいえないよね
彼の最大のテーマは自分でもいってるけど「死」ですね
そこから「時間」「記憶」というテーマ系も現れる
非現代的ではない例えば「一月物語」p56〜p58を読めば分かるよ
「・・・・さりとて、一度手にした自我を捨て去って、ふたたび自然の中の一現象
としての生を自覚することは出来なかった。・・・・どこまでも自我と云うものを
有しながら、そうした二元論に切断され得ない、何かしら超越的な存在と一体化
することを願うようになった・・・・己は己として、飽くまで一個の存在である。
猶且、あらゆる矛盾を解決してしまうような一なる存在と一つになることを欲する
ようになったのである。」
ここに平野の存在論が表出しているしかも
「・・・こうした感覚は、勿論、思弁によって養われた訣ではない。強いて云う
ならば、生来の感覚に、思弁が出口を見出したのである。」
お勉強の結果ではまったくないのだね
“裸体としての小説”
私がこの手のものに興味を持つようになったのは、
人からその手のサイトを教えてもらったからだった。
最初に見たのは、白昼の小学校のグラウンドで、
体育の授業をしている子供たちを背に、素っ裸の女がひとり、
こちらを向いて立っているというものだった。
モザイクで顔は隠されていたが、よく見ると表情は笑っていた。
これは一体、何なのだろうというのが、最初の率直な感想だった。
それから、スケベ心も手伝って、その手のサイトを色々見てまわったが、
しまいには、満足したというよりもグッタリ疲れ果ててしまった。
そして、そのことに意味がある気がした。
私は結局、最初に見たあの「小学校と裸の女」という組み合わせに、
一番心惹かれるものがあって、もう一度それを探してみたのだが、
その時にはもう、その写真は消えてなくなっていた。
小説の着想を得たのは、恐らくこの時である。
顔とは何だろうか?
顔さえなければ、人は自分のすべてを他人の前にさらけ出すことが出来るのだろうか?
そのさらけ出したものが、本当の自分なのだろうか?
そしてその時、置き去りにされた顔とは、一体、何だろうか?――
雑誌掲載時の初稿を読んで、かなりみだらな場面が多い小説だが、
意外にも、男女どちらの読者も、私にこっそりと、
自分のことのようだと感想を漏らした。
臆病な私は、それを聴いてようやくほっとしながら、
そう、ここに描かれている男女は、どちらも多分、私なんですと告白した。
そもそも、この小説は、前作『滴り落ちる時計たちの波紋』収録の
「最後の変身」の姉妹編として構想されたもので、
前回は、一人称の饒舌な告白体というスタイルで書かれたのに対し、
今回は、主人公を男女二人にして、
三人称の比較的抑制を効かせた文体で書いてあります。
僕の本というと、何時も「漢字が難しい」と言われますが、
実際のところ、本当に難しい漢字が使われている作品は
『日蝕』と『一月物語』だけで、これは、枚数的には、
僕がこれまで書いた全原稿の中、せいぜい十分の一程度の量です。
そう、僕のほとんどの小説の漢字は難しくないのです!……
というわけで、今回も、漢字はもちろんのこと、
文章も少しも難しくありません。
これは、雑誌掲載時に読んでくれた誰もが口を揃えて言うことですので
(「これなら平気!」とか、……)、
ひとつ、あまり構えずに気楽に手に取ってみてください。
内容的には、上記の通りですが、
なんとなく、イヤらしそうで面白そう(!)というご興味のある方から、
「わたし」って一体、誰なんだろうと常日頃気になっている方、
さらにはネット時代の主体概念の変容というマジメなご関心をお持ちの方まで、
幅広く楽しんでもらえるはずです。
サイン会もありますので、その時にでもお会いしましょう!
2006年3月24日
701 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 17:54:05
702 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 18:51:28
703 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:34:22
がんばれ平野
704 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:35:01
平野 振れ振れー
705 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:35:34
啓一郎 バンザイ
706 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:36:20
すごい・・
なにが?
708 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:38:43
平野 Who?
709 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:39:21
>709
じき満開
712 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:45:44
713 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:54:42
平野啓一郎…『日蝕』だ!!
714 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:55:54
ヤパーリ
716 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:57:25
コイたのは わ た し だ よ ♪
717 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 19:58:09
馬鹿につける薬は無いw
718 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 20:22:28
_, ,_
( ゚∀゚)アハ
719 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 20:26:57
急に荒らしがきたのはなぜ?
720 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 20:34:40
アホがからかわれてる…
721 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 20:36:50
2ちゃんねるだねw
なんだかまた陳腐な主題ですなあ
読んでみるけど
723 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 21:04:33
解き放たれて読了。
いいね、これ。
似たスレにあるからなおさらよかった。
724 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 21:07:03
725 :
吾輩は名無しである:2006/03/25(土) 21:45:24
>>社会と創作を通じて連なりたいという
そうともいえないよね
彼の最大のテーマは自分でもいってるけど「死」ですね
そこから「時間」「記憶」というテーマ系も現れる
非現代的ではない例えば「一月物語」p56〜p58を読めば分かるよ
「・・・・さりとて、一度手にした自我を捨て去って、ふたたび自然の中の一現象
としての生を自覚することは出来なかった。・・・・どこまでも自我と云うものを
有しながら、そうした二元論に切断され得ない、何かしら超越的な存在と一体化
することを願うようになった・・・・己は己として、飽くまで一個の存在である。
猶且、あらゆる矛盾を解決してしまうような一なる存在と一つになることを欲する
ようになったのである。」
ここに平野の存在論が表出しているしかも
「・・・こうした感覚は、勿論、思弁によって養われた訣ではない。強いて云う
ならば、生来の感覚に、思弁が出口を見出したのである。」
お勉強の結果ではまったくないのだね
平野啓一郎「文明の憂鬱」。一作目の「日蝕」はくだらなさすぎて
一目で中身の空虚さを漢字多用で誤魔化しているとわかったので
印象悪かったけど、そんなバカのエッセイは如何なものかと読んで
みたらこれがまた前に輪をかけたバカさで。つうかこの文体は
あきらかに小林秀雄を真似ようとして失敗した無惨さ。
先人の年齢を意識してしまうとか家に籠もり気味だとか何気ない日常の描写が
いかにもヲタクの感性で、取り上げているテーマは昔の文士の猿真似そのもの、
なによりも「私」という一人称で書くとバカ度がモロ見えてしまうので
こいついよいよ無恥度が増したなと憫笑。所詮モノガキなんぞ自意識の
塊で、それを正直に素直に書くしか能がありませんっつう体裁は
文士のコスプレをしていても美意識どころか鈍臭さがプンプン臭うので
時事ネタ批評など特に、読むに耐えない幼稚さだ。
727 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 07:36:18
>>726 おやおや
そんなに平野を怖がらなくてもいいですよ
平野啓一郎『日蝕』新潮社
15世紀フランスを舞台にドミニ コ派の青年が巡り会った錬金術師と
androgunos(両性具有者),魔女裁判 …
ゲーム界では使い尽くされた陳腐極まる物語を、ひたすら古い漢字を探して
当て嵌めるだけの似非擬古文で描いている。
単純無比な話をどうにかして飾り立てるために、作者が用意したのは
誰も見向きもしない古文書の体裁、
各宗派の教えや正統と異端等々とっくに周知の問題も、可能な限り無用な勿体つけて
書き連ねているのが可笑しい。いかにして細部の描写を小難しく意味ありげに見せ、
陳腐なストーリーを読み通させるかの工夫に、作者の心血は注がれている。
この作家が現代を描けるはずもなく、そのエッセイなどは
平凡過ぎる感性と空疎な精神をいかに誤魔化すかばかりが目立っていて
見苦しい限り。業界では「猿回しの猿」と呼ばれている可哀相なニセモノ作家。
729 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 12:00:02
>>728 おやおや
そんなに平野を怖がらなくてもいいですよ
730 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 12:44:40
>>729 おやおや
そんなに顎を持ち上げなくてもいいですよ ww
731 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 14:15:22
平野ファンって、自分がなぜ平野を好むのか
その理由を全然はっきりいわないよね。
「オレは平野を読んでるんだw」っていう自負にひたりたいだけ?
>>698で書いてあることも
俺どこかで似たようなこと読んだことあるよ。
他人が平野を持ち上げてる言葉をひっぱて来て
それをアンチにひけらかしてるだけじゃない?
732 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 14:41:51
確かにね。ファンの書き込みには
…平野先生ってこんなにすごいんだよ! すごいんだって!
って言いたいだけの中身が多すぎ。
作品の中身から平野のすばらしさを論じた書き込みがあったかと思えば
それはよそからの引用。はあ。
733 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 15:17:10
>>732 それは村上春樹ねどこが面白いのか誰も説明できない
平野は恐れられてるね
734 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 15:28:58
>>733 恐れられてるって、誰に?
本当に文壇のなかで恐れられてるなら、
あらゆる評論家、作家から批判の嵐が吹き荒れてるよ。
今はあたらしい作品がでてもほとんど話題にすらならないね。
ていうか、安易に「恐れられてる」というから
平野ファンは盲目的に彼を持ち上げてるだけって言われるんだよ。
735 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 15:38:18
>>734 こわいのよ平野がね
なにかがばれるのをおそれているんだね
736 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 15:48:38
だから、誰が、どんなことがばれるのを恐れているんだい?
そんな書き込みしてると、ファン全体の知性が疑われるよ。
具体的な反論ができないんじゃん、ってねw
737 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 15:54:59
またか
具体的に平野を読んだこともないものが
具体性もなく批判していることが
具体的に平野を恐れているという証拠だよ
738 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 15:57:37
またかとはこちらが言いたい。
また具体性のないこと言ってはぐらかそうとしてる。
もういいですよ、ありがとう。
これまでの批判的書き込みに具体性を見出せないというなら
もうこちらが何を言っても理解してもらえないでしょう。
739 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 15:59:49
君の批判は自分の願望と想像だけで
ひとつもテクストの引用がありませんよ
どこが具体的なのか
740 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:01:50
批判に「願望」と「想像」とはどういうことでしょう。
具体的におっしゃってください。
こちらとてもそれだけではわかりません、何も。
741 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:07:10
割り込みだけど、なんで平野ファンってこうして
アンチの意見を潰そうとすんのw
アンチの方にはファンの反論を受け止めてから
平野批判を展開してんのに
742 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:11:52
このスレの平野ファンの書き込みには中身がない
↓
平野は恐れられてるんです
↓
誰に恐れられてるのですか
↓
みんな平野が恐いから
論理もくそもない反論
743 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:15:10
それで人には「あんた具体的じゃない」とか言うんだもんなあ…
744 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:16:20
>>740 君がこの前の人かどうか知らないけど
すぐに人に聞き返すけど、自分ではなにも答えないね
前回も「凄い評論」って何だよって聞いてるのに、逆に聞き返してくるし
745 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:19:48
692 :吾輩は名無しである :2006/03/24(金) 22:12:18
>>689 あー、もうだめだわこの人。
なんでこっちの問いに答えられないんだろうw
読んだことないから内容について詳細に返答できないんだろうけど。
東浩紀に関しては、どこかに「明晰な論だ」と書いてあったから
そう言ってるだけでしょ? こういう書き方だと。
693 :吾輩は名無しである :2006/03/24(金) 22:20:02
君がよんでないんでしょ?
本当に明晰だよ
つまり江藤は漱石が「近代化の中で苦悩した作家」と捕らえてるのに対し
東はそれは単純であたりまえすぎる
漱石は「近代化の必然性をこそ解明しようとしたのだ」という視点ね
明晰だ
692の具体性のない文章に693で具体的に反論した692はちゃんと読んでるのか
答えていない
746 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:21:03
>>744 残念ながらこの前の人じゃない。
俺が聞き返したのは、君の答えが具体的じゃないからだ。
皆平野を恐れてる、恐がってるといわれて
誰が、何を恐れてるの?ときいて、なにかおかしいところが
ありますか。あなたこそ、自分の「想像」をのべてるだけじゃ
ありませんか。皆が平野を恐れてるだなんて…
747 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:21:28
697 :吾輩は名無しである :2006/03/24(金) 22:52:38
>>696 また俺の知りたいところとは少しずれたが、まあいいか。
では話をもっと根本的なところに戻そう。
彼が作家を目指した動機には、社会と創作を通じて連なりたいという
衝動があったというわけだな。
つまり、社会とのつながり方は、彼にとって創作しかありえない。
しかし彼が発表した作品は、過去の文豪の影響があまりに強く
匂ってくるもので、完全な独創性を打ち立ててない。
それは彼の内的な本分から作り上げたものではなく
先人の思想を借りて焼き直したものでしかないように見える。
そもそも
文学と社会との関連を模索するかれが
なぜ日蝕や一月物語のような非現代的主題をとる必要があるのか?
彼の内的必然性とどうつながっているのか? それを
「君の言葉」で説明して。
こういう書き手の具体性のない「願望』に対して
748 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:22:07
698 :吾輩は名無しである :2006/03/24(金) 23:08:40
>>社会と創作を通じて連なりたいという
そうともいえないよね
彼の最大のテーマは自分でもいってるけど「死」ですね
そこから「時間」「記憶」というテーマ系も現れる
非現代的ではない例えば「一月物語」p56〜p58を読めば分かるよ
「・・・・さりとて、一度手にした自我を捨て去って、ふたたび自然の中の一現象
としての生を自覚することは出来なかった。・・・・どこまでも自我と云うものを
有しながら、そうした二元論に切断され得ない、何かしら超越的な存在と一体化
することを願うようになった・・・・己は己として、飽くまで一個の存在である。
猶且、あらゆる矛盾を解決してしまうような一なる存在と一つになることを欲する
ようになったのである。」
ここに平野の存在論が表出しているしかも
「・・・こうした感覚は、勿論、思弁によって養われた訣ではない。強いて云う
ならば、生来の感覚に、思弁が出口を見出したのである。」
お勉強の結果ではまったくないのだね
僕は具体的にテクストを引用して答えている
749 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:23:30
わざわざ前文をひいて反論するなんて
よほど悔しかったのかなこの人
750 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:24:37
751 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:29:36
執念深く反論してるファンがいるけど
こういうことより
何の根拠もなく平野は恐れられてるとかいうほうが
よっぽど恥ずかしいよね
752 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:31:36
俺、「この前の人じゃない」って言ったのに。
この人とは議論が成り立たないね。寝るよ。
753 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:37:51
>>747のどこが願望?
平野作品の欠点を述べただけ。何を願ってるんだろ?
しかも、
>>748は引用のどこが非現代的じゃないのか
具体的に言ってない。
論には証明が必要。僕は非現代的じゃないと思うよって言っただけじゃ。
754 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 16:45:42
>>753 しかし彼が発表した作品は、過去の文豪の影響があまりに強く
匂ってくるもので、完全な独創性を打ち立ててない。
それは彼の内的な本分から作り上げたものではなく
先人の思想を借りて焼き直したものでしかないように見える。
証拠なし
「見える」ってあなたが見てるだけで単なる主観
怖いからこうなる
具体的にテクストを出さないと説得できませんよ
755 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 17:03:13
>>754 だからあ、俺この前の人じゃないって。
君、「すぐ聞き返すけど何もこたえてない」って言ったけど
今君のしてることって何?
関係ない議論の蒸し返し。
しかも
>>746の「あなこそ想像を述べてるだけ」という書き込みに
何も反論しようとしない君が、「証拠なし」なんていう権利
ありますか?
756 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 17:06:41
ついでにいうと
>>754の「怖いからこうなる」って書き込みこそ「証拠なし」
757 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 17:13:22
くどいですが最後に。
あなたが、自分の意見は想像じゃないと
証拠をつけて反論してみせなければ
あなたの今までの書き込みはみんな説得力を持ちませんよ。
わかりますね?
758 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 17:20:38
いや恐れてるかどうかは想像ですね
ここまでの書き込みから推論して恐れている可能性が高いと判定したわけね
テクストを全く引用しないで批判する(事実)
読んだのか?と聞いても答えない(事実)
ここから想像できることは「恐れ」であろうと
それだけですね
759 :
声:2006/03/26(日) 17:26:02
760 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 17:31:45
だからね、テクスト引用まではいいですけど、
なぜそれが存在論の表出となるのか、或いはなぜ非現代的ではないのか。
ここの証明がまるっきりなされておりませんよ?
これじゃあこの前の人だろうが、そうでなかろうが、馬鹿とみなして反論したくないよ。
761 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 17:43:45
また割り込みだが、
>>758も、何だこれ?
平野を読んだこともない人が
どうして平野に恐れを抱かなくちゃいけないの?
想像にしても荒唐無稽。
君、論理的反論がまったくできてないよ。
762 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 17:53:13
763 :
吾輩は名無しである:2006/03/26(日) 18:29:27
平野氏を崇拝しない 具民度も
じきに第サン文明に大作をドロップしてくださる
764 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 00:03:12
>>762 それにしても読んでないなら書くなよってw
バッカだなあ…
恐れを抱くならフツウ、作品を読んではじめて
その力量に恐怖するに決まってるじゃないか。
作品の内容を知らなきゃ、恐れなんて感じようがないだろって意味なのに。
こんな簡単なことが理解できなかったの?
勿論オレはしっかり読んでるよ。
短編や評論には一つ残らず目を通したわけじゃないが
日蝕・一月・葬送の三部作はしっかり最後まで読み通した。
だから、平野の作品は過去の文豪の焼き直しでしかないと思った。
読まなきゃこんなこといえるはずねえだろ?
やっぱファンの人って、平野を「崇拝」してるだけで
知性というものがないねえ。すべての人がそうとは言わないけどw
765 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 03:30:43
>>764 だから読んだならどこが焼きなおしなのか証拠を出さなきゃ
それと焼き直しってどういう意味なのかはっきりさせなきゃ
そうじゃないとあらゆる文学を焼きなおしにすることもできるんだから
君ものすごく頭悪そうだよ
∩___∩
(ヽ | ノ ヽ /)
(((i ) / (゜) (゜) | ( i))) あばばばば
/∠彡 ( _●_) |_ゝ \
( ___、 |∪| ,__ )
| ヽノ /´
| /
チョンでーす 平野マンセー
北九州市ラブデース
767 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:13:06
荒らしのレベルが低いな
768 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:25:28
まだ、こんな事やってたんだね。
来ないうちに、2スレッドくらい消費されてて驚いたよ。
当時も同様な事を訊いた記憶があるけど、
>>698 >どこまでも自我と云うものを有しながら、
>そうした二元論に切断され得ない、
>何かしら超越的な存在と一体化
>することを願うようになった
これは、「お勉強の結果ではない」どころか
あからさまにキリスト教的な考え方だと思うけど。
聖体拝領ってあるよね。
あれは超越的な存在とひとつになるための
存在論的な効果があると考えられているんだよ。
平野の謂う「超越的な存在」がキリスト教的な文脈から
来ていると思われるからこそ、このような明治の日本を舞台とした
作品では、不自然さ底の浅さが感じられてしまう。
769 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:26:02
勉学で得た知識を取り除いた後に残る、平野自身の内的衝迫は、
敢えていえば、「超越的存在への一体化」や
それに繋がる限りにおいての「死」などではなく、
「権力」とも言い換えが可能な「父性」への志向だと思う。
文体批判は今更だから蒸し返さないけど、
相変わらず続いている既存の文学の模倣や
既存の価値観の再生産、あるいは無邪気な「性」への執着は、
こうした部分が根っこにあるように思える。
770 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:29:08
15世紀フランスを舞台にドミニ コ派の青年が巡り会った錬金術師と
androgunos(両性具有者),魔女裁判 …
ゲーム界では使い尽くされた陳腐極まる物語を、ひたすら古い漢字を探して
当て嵌めるだけの似非擬古文で描いている。
単純無比な話をどうにかして飾り立てるために、作者が用意したのは
誰も見向きもしない古文書の体裁、
各宗派の教えや正統と異端等々とっくに周知の問題も、可能な限り無用な勿体つけて
書き連ねているのが可笑しい。いかにして細部の描写を小難しく意味ありげに見せ、
陳腐なストーリーを読み通させるかの工夫に、作者の心血は注がれている。
この作家が現代を描けるはずもなく、そのエッセイなどは
平凡過ぎる感性と空疎な精神をいかに誤魔化すかばかりが目立っていて
見苦しい限り。業界では「猿回しの猿」と呼ばれている可哀相なニセモノ作家。
771 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:42:01
>>768 なぜ?全く説得力がないのは君が全く理解してないからだよね
平野はこの感覚が自然に自分の中にあったっていうんだからこの事実は重い
柄谷の単独性論を持ち出すまでなく、単独的なものこそ、普遍的なのであり
平野はまさに普遍的なものを体現している
舞台が日本だからおかしいって底の浅い人間観だな
772 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:46:11
平野啓一郎『一月物語』
「ああ、この人は今度は泉鏡花のエピゴーネンを気取ろうとしてるんだな」
これが最初の感想です。鏡花は言わずと知れた泉鏡花の事です。鏡花 作品は
馴染みなので、その鈍臭さが際立って見えるのです。
『日蝕』も『葬送』も平野啓一郎の本質が全部露呈していて、続いてこれですから
ああ、偽者とはこういうものかと思いました。はい。
平野啓一郎について説明する必要など皆無ですね、
虎の威を借りてデビューした猿です。
鏡花を持ち出したのは訳があります。まあ今書いた雅文調という特徴も
その理由の一つではあります。が、似ているのは設定も同じく。
まず主人公が森に迷う。神秘性を象徴するように水が出てくる。山という異世界。
この作品の場合は胡蝶ですが、昆虫や動植物が異世界への入り口にあらわれる事。
ヒロインの妖女か聖女か、と言ったアンビバレンツな性格。
ヒロインの水浴びのシーンなんて、これ鏡花の『龍潭譚』そのものではないですか。
下手なエピゴーネンで、同時にパクリですよね。藁ってしまいます。
773 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:49:39
774 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 08:50:41
>>771 ちょっと待った。
>平野はこの感覚が自然に自分の中にあったっていうんだから
これは、出典は何処?
君が『一月』から引用したこれか? ↓
「・・・こうした感覚は、勿論、思弁によって養われた訣ではない。強いて云う
ならば、生来の感覚に、思弁が出口を見出したのである。」
>単独的なものこそ、普遍的なのであり
これも意味が分からないな。どういう文脈から出て来るんだよ。
775 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:02:08
>>771 >舞台が日本だからおかしいって底の浅い人間観だな
というより、これも前に書いたことだけど、日本という極東アジアの文化圏で
>>698に引用されたような、西洋的宗教的な問題をまるで深刻な問題であるかのように
扱う事自体が、違和感があるね。
芥川選評のなかで、霊肉をめぐる二項対立的な問題は我々の文化圏のなかで
意味を為さない、という内容の批判があったけど、まさにそれだよ。
君は、どうしても、超越的な存在との関わりが文化を越えた普遍的なものへの
肉薄と思いたいみたいだけど、暴論だし、古い。
776 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:08:38
>>774 そうだよ
それに平野は父親が死んでしまって、「死」とはなにか、自分も父と同じように
突然心臓が止まって死んでしまうんじゃないかという、死と隣り合わせの感覚で
小学生のころから生きてきて、恐怖の中で自然に自分の中で生まれてきたものだ
って何度も語られてるじゃん
読んでないじゃん
777 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:21:32
話を逸らすなよ。
>どこまでも自我と云うものを有しながら、そうした二元論に切断され得ない、
>何かしら超越的な存在と一体化することを願うようになった
といった記述について、君が
>平野はこの感覚が自然に自分の中にあったっていうんだから
と切り返したから、出典を訊いたんだ。
>「・・・こうした感覚は、勿論、思弁によって養われた訣ではない。強いて云う
>ならば、生来の感覚に、思弁が出口を見出したのである。」
↑これは、真拆の性格描写であって、平野自身の表白じゃないじゃん。
少なくともそういう推定の上に立って議論しても仕方がない。
778 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:23:46
>>775 それは浅すぎ
なぜこれまで宗教の存在しない時代、社会が発見されていないか深刻に考えたことが
あるのか?
前にも書いたけど、僕の理解では、人間とは自分を動かすプログラムを自分で書かなければ
いけないコンピューターである
今君が遣ってるパソコンにとっては「神」は人間である
人間の仕組んだとおりに動く
しかし「人間というコンピューター」を動かすプログラムは誰が書いてくれるのか?_
いない。だから不安定で恐ろしいことになる
そこに「神」という超越的な存在を作り上げ、それに従属することで安定させようという
メカニズムが働く
つまり、「神」は人間存在の本質に潜んでいるのであり、どこにいようと「神」に出会う
人間はでてくる
平野はこの神という観念について「文明の憂鬱」で「天災の神学」で「神というような
途方もない観念の誕生について、閉じられた人間の世界内の他者との関係に於いてのみ
説明しようとする議論に賛同しない」というような事を欠き「天災」の役割を論じて
いるのだが、「閉じられた人間の世界内の他者との関係に於いてのみ説明しようとする議論」
が誰の議論かは明示していないが神についての理論に通じていることが興味深かった。
ぼくは浅田彰「構造と力」の神の説明のことを思い出した
779 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:38:36
君のご高説は前にも伺ったよ。これについては、僕の過去の答えで充分だ。
平野啓一郎の第一スレッドより
376:
たとえば歴史・死にかかわる問題で、デリダは、歴史は責任と信仰に結びついて
いて、その信仰の在り方はソクラテスの死とキリストの死を二重の転回点として
人間の宗教的な倫理を深く決定している、といったような議論をしている。
彼は明らかに君が示した「近代・ニヒリズム・死・歴史」の中で思考している。
だけどさ、いくら近代の時間にとらわれているからといって、我々は
ソクラテスやキリストの死を負っているわけではない。だけど西洋人は
彼らの死を負っているというわけだ。
彼らの問題圏は影響力は大きいがやはり西洋という排他的特権的なものであり、
我々は表層で彼らと歩調を合わせているだけでしかない。
君が言う「ニヒリズム=虚無主義=神の死」ってニーチェ経由だろ?
ニーチェ読んでいて、彼のいう「神の死」が、キリスト教文化圏の
文脈で考えてはじめて意味を持つことに気がつかなかったかい?
ここでの神はオウムなんかとはまったく異質のものとして人間と関わっている。
その関わり方は切ったら血が出そうな暗く長い歴史の積み重ねによって
はじめて成立したものだ。ただ神という字面だけを共通項にして
現代の日本に無理やり当てはめればいいってもんじゃない。
780 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:39:17
377 :
我々は我々の文脈で新たに宗教の問題を考えなくてはならない。彼らの倫理観
は、大いに参考にはなろうがそのまま借用できるものではない。
死の問題だってそうだよ。生物学的な死は誰にとっても同じだろうが、
死生観は文化によって多様だ。
もちろん君が指摘しているように社会と宗教は強固に結びついている。
しかし、それぞれの文化圏にはそれぞれの神との関わりがあって、
その多様性を否定することは許されない。
大雑把にひとまとめにして抽象化することは簡単に出きる問題ではないし
宗教紛争が世界のあちこちで噴出している現在では、明らかに不適切だ。
781 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:40:22
そいうえば「フェカン」にてで平野は「自分の理解している近代人」とは
自分の主人であり奴隷である2重の存在としてとらえていて、ボードレールの
「私は傷であり刃物だ」という詩句を引いていたよね
浅田の「構造と力」でも神亡き時代の近代の主体としてこの2重性を取り出していて
平野も全く独力で同じ認識に到達していて驚いたな
782 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:43:22
>>779 馬鹿
神の死というのは絶対的なものの死のことで「近代」においては
日本も同じ事だよ
キリストなんぞという文化的な制約とは無縁だってのが分からないのか?
783 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:47:53
これも過去の引用になるけど、
話は戻るが、平野はそういうところをちゃんと考えないで書いているように
思える。君と同じようにね。たとえば芥川賞受賞時の『日蝕』評で、都知事から
霊肉一致の問題は我々の文化圏では意味を成さないといった意味のことを
書かれているけど、これも本質的に同じ批判だ。
「ニヒリズム=虚無主義=神の死」の問題が、彼にとってどれだけ
切実なのか、という問いの意味がいくばくかでもわかったろう?
彼の作品を読んでも 正直借り物以上の印象しかない。彼の切迫感は格好だけだ。
これが、僕が平野の作品を読んだ結論になる。
>それに平野は父親が死んでしまって、「死」とはなにか、自分も父と同じように
>突然心臓が止まって死んでしまうんじゃないかという、死と隣り合わせの感覚で
>小学生のころから生きてきて
それなら、「どこまでも自我と云うものを有しながら、そうした二元論に切断され得ない、
何かしら超越的な存在と一体化することを願うようになった 」
なんて勿体ぶった理屈をこねずに、素直に自分の考えを素直に掘り下げればいいのにね。
784 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 09:56:45
>>782 はは、また罵倒が始まったね。随分と内容が薄くなってきたじゃないか。
>神の死というのは絶対的なものの死のことで「近代」においては
前スレのレスを不用意に混入させてしまったので、そちらでも適宜整理して
貰いたいが、いずれにせよ、絶対的なものの死と言い換えたところで、
先行になっている思想がキリスト教圏の問題を扱ったテクストの文脈で
扱われているわけで、「神」を「絶対的なもの」といいかえたところで、
デリダやパトチュカが議論しているような問題圏からは当然逃れられない。
キリストを否定しても、その痕跡としてキリストは残るというわけだ。
785 :
784:2006/03/27(月) 10:02:11
>>784 少し文章が乱れているようだ。僕も少し自重しないとな。
そもそも罵倒合戦するために書き始めたわけじゃない。
786 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 10:11:35
>>784 君具体性がゼロだよ
そのデリダやパトチュカの議論とやらを展開してみろよ
787 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 10:29:41
連続投稿が重なって投稿しにくくなっているので、そろそろ結論を付けよう。
あとは適当に議論の材料にしてくれればいい。
>「自分の理解している近代人」とは
>自分の主人であり奴隷である2重の存在としてとらえていて、ボードレールの
>「私は傷であり刃物だ」という詩句を引いていたよね
こうしたボードレールの引用は、結局の所、西洋文化圏の文脈から
うまく抜け出せないでいる証拠でもある。 「主人であり奴隷である」とは
ヘーゲルのパロディみたいだねw
浅田の「神亡き時代の……」といった議論は当然の事ながらニーチェを踏まえている。
>神の死というのは絶対的なものの死のことで「近代」においては日本も同じ事だよ
こんな底の浅い議論は止めようよ。あらゆるものに共通な絶対者を措定し、
それですべてを説明し尽くす、などという考え方は、幼稚で現実的でもない。
そもそも平野がこうした「超越したもの」との関わり合いのなかで、
思索を深めているのか実のところよく分からない。仮にそうだとして、
平野の謂う「超越的存在」が、平野自身の個人的な「超越的存在」として
捉え直しはじめたら、もっと深い作品が書けるようになるんじゃない?
788 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 10:34:58
>>787 君お粗末過ぎるよ
じゃあ鹿島田麻紀がロシア正教徒として小説を書いてるのもおかしいし
遠藤周作が曽野綾子が高橋たか子がキリスト教徒として書いてるのも
おかしいってことのなる
あほらしい議論しなさんな
789 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 10:38:57
>>784 >君具体性がゼロだよ
僕にはそういうツッコミは通用しないよ。
デリダとパトチュカの議論というのはこのスレ
>>779の引用文のこと。
これに対して、君が
>>782のようなお粗末なレスしか出来なかったのは
周知の通り。
僕の駄文はかなりつづめてしまってあるから、
気になるならちくまから出ている翻訳書を読むといい。
ジャック・デリダ『死を与える』ちくま学芸文庫
790 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 10:47:12
>>787 >じゃあ鹿島田麻紀がロシア正教徒として小説を書いてるのもおかしいし
>遠藤周作が曽野綾子が高橋たか子がキリスト教徒として書いてるのも
>おかしいってことのなる
ずれてるずれてるw
あらゆるものに共通な絶対者を措定することが幼稚で現実的だ、という主旨の
レスになんで、そういうレスが付くのw
僕の批判の根本には、平野は自分のテーマを掘り下げるのに借り物の思想を持ち込んでいて、
それを君が普遍的な問題としてぶち上げたことにあるんだよ。
平野がキリスト者として、つまり信仰を自分の切実な問題として書いていたら
もっとよい作品が創れたと思うし、実際僕自身ももう少し高く評価するさ。
791 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 10:51:33
失礼
×幼稚で現実的だ
○幼稚で非現実的だ
訂正よろ
君はそれなりにモノを読んでるんだろうが、どこかずれてるね。
平野を擁護するのは自由だけど、
読んでないなら批判するな、とか、怖いから読めなんいでしょう、
みたいな訳の分からないことで周りに迷惑を掛けるのは止めましょうね。
それではお疲れさま。
792 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 10:59:13
>>790 頭悪すぎ
具体性ゼロ
ひとつとして文章の引用すら出来ず
幼稚なきめ付けしか出来てない
じゃあ君は誰の作品が好きなの?
平野は借り物じゃないって証拠をだしてるのに
君は借り物だって決め付けてるだけで
なにも語ってないわけだが
早稲田ってそんなに頭悪いのか
>>792 頭悪すぎ
具体性ゼロ
ひとつとして文章の引用すら出来ず
幼稚なきめ付けしか出来てない
じゃあ君は誰の作品が好きなの?
平野は借り物じゃないって証拠をだしてるのに
君は借り物だって決め付けてるだけで
なにも語ってないわけだが
早稲田ってそんなに頭悪いのか
794 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 11:18:03
>>793 なにコピペしてるの?
君は根拠をひとつも示せず、平野が借り物だって決め付けている以外
なにもいってないよ
795 :
793:2006/03/27(月) 11:38:15
ごめん
>>793は
横レス。ロムってたけどさ
まともな議論者が登場してきっちり批判をされると、
ひたすら相手を罵倒して逃げることしかできない。
「馬鹿 」「君具体性がゼロだよ」
「君お粗末過ぎるよ 」「頭悪すぎ 」……・…そして
>>792だろ
あまりにヒステリックで、あ、女だな!て思ってさ
思わずコピペしちまった。頭冷やすだろうって、自分のバカさが見えれば。
796 :
793:2006/03/27(月) 11:41:31
ただそんだけ。
邪魔して悪い。消える。
797 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 13:48:57
「馬鹿」
「具体性がゼロ」
「お粗末過ぎる」
「頭悪すぎ」
「幼稚なきめ付け」
全部793のことじゃないか。
やっぱ真性ののアレだな(プクス
798 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 17:33:50
平野のかち〜
799 :
吾輩は名無しである:2006/03/27(月) 18:08:39
>781
独力で辿り着いたとなぜ言えるんですか?
>>799 なるほどー、
ということは
>>292のヒステリ女も平野自身なのね…
平野クンって凄いバカみたいね感情丸出しでw
803 :
吾輩は名無しである:2006/03/28(火) 14:36:36
平野の勝利だね
一言
盗作
805 :
吾輩は名無しである:2006/03/28(火) 15:01:23
盗作の経緯を告白した自伝を書かなくちゃ
平野の文章、見てみたいんだが。
807 :
吾輩は名無しである:2006/03/29(水) 14:06:33
どういうこと?
808 :
吾輩は名無しである:2006/03/29(水) 21:57:29
ここの平野擁護者さんもアタマ悪いねえw
小説の根本的土台である思想そのものが「借り物」だって
これまでにさんざん言ってるのに。
小説全体がそうなんだから、ほんの4、5行で証明できるものじゃない。
それがわからないなんて…
そもそもこの擁護者自体が平野をちゃんと読んでるのか
それもオレには疑問だw
平野のかち〜
顔のない裸体たち
平野 啓一郎 (著)
価格: ¥1,365 (税込)
単行本 - 160p (2006/03/29)
レビュー
出版社 / 著者からの内容紹介
モザイクをかけられた顔は、私なの? 知らない間に裸の私がネットを歩き回っている!
ここに書かれているのは、あなたのことかもしれない。ネット社会の罠を克明に描いて話題沸騰の問題作刊行。
内容(「MARC」データベースより)
ごく平凡な女教師・吉田希美子は、出会い系サイトで知り合った男との行為にのめり込んでいく。
男は自分たちの性行為を、彼女の顔にモザイクをかけたうえで、アダルトサイトに投稿するが…。ネット社会の罠を描いた問題作。
何だか村上龍が好みそうな設定だね
平野のかち〜
813 :
吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 12:43:33
そう思うね
815 :
吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 17:08:14
そうか?
816 :
吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 17:30:37
相変わらずキモイ小説だった。
817 :
吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 21:49:16
今日発売だね
そうか
819 :
吾輩は名無しである:2006/03/31(金) 07:20:00
820 :
吾輩は名無しである:2006/03/31(金) 19:05:14
「波」(4月号)に高橋源一郎氏との『顔のない裸体たち』刊行記念対談「ネット社会と『恋愛』最前線」掲載。
よみてー
821 :
吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 19:51:02
「波」で源ちゃんと
822 :
吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 22:14:55
780 :吾輩は名無しである :2006/03/32(土) 00:55:11
最強反日組織
電通 → 会長、成田による韓国ブーム扇動。筑紫、田原などを舎弟に持つ。
NHK、民法メディア、政治家を手玉に取る。小泉も逆らえない。
パチンコ → 朝鮮産業、北朝鮮への資金提供豊富。政治家への献金で生き延びる。
サラ金 → 朝鮮金貸し。殺人が仕事。政治家への献金で生き延びる。
創価学会 → 朝鮮池田大作による、日本乗っ取り計画遂行中。公明党の天皇制破壊計画遂行中。
国策宗教に創価学会。
823 :
吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 02:11:54
平野が韓国系日本人なのは本当なの?(祖父か親が韓国籍)
これだけ、韓国擁護の発言と周囲の韓国系作家との交流。
即、翻訳本の韓国出版など。
ちなみに筑紫哲也は、朝鮮系気化日本人と判明してるけど。(朴三寿)
でも、お前は大丈夫、本物の作家だ。
応援するよ、何人でも。安心してカミングアウトしろ。
これだけ、韓国擁護の発言と周囲の韓国系作家との交流。
即、翻訳本の韓国出版など。
怪しいよな それにあの顎だぜ?認定でいいのでは?
825 :
吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 14:27:57
新聞朝刊の著者近影
ヨ ン 様 か よ wwwww
826 :
吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 16:40:54
827 :
吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 17:07:52
日経読んだよ
「神になろうとした青年」平野啓一郎
「神になろうとした青年」
ww大○先生
829 :
吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 23:09:39
源ちゃんによれば
平野=芥川=神になろうとした青年
芥川=換骨奪胎の短篇群。巧いんだけど中身はあんまり深くない。自意識過剰。
あ、意外とつながるんではないか?
831 :
吾輩は名無しである:2006/04/03(月) 03:31:20
くそみたいな小説でした。数ページ読んでその場を立ち去りました
チョンコが偉そうに芥川とって ピアノ ショパン とかか?
あきれるね それをありがたがって読みマンセーする日本人のばか。。
なんだ?こりゃ?そこに正義があるのか?
833 :
吾輩は名無しである:2006/04/03(月) 06:23:20
いいかげんにしろ
834 :
吾輩は名無しである:2006/04/03(月) 11:15:48
日経新聞にでかでかでてたね
835 :
吾輩は名無しである:2006/04/04(火) 06:35:45
「神になろうとした青年」平野啓一郎
836 :
吾輩は名無しである:2006/04/04(火) 19:08:04
京都新聞で
837 :
吾輩は名無しである:2006/04/04(火) 23:36:23
838 :
吾輩は名無しである:2006/04/05(水) 11:53:40
「京都新聞」(4月7日朝刊)に「『握手』論」(連載「現代考」第六回)掲載。
839 :
吾輩は名無しである:2006/04/05(水) 18:21:50
とりあえず佐藤亜紀の『鏡の影』をアマゾンで注文しといたから、読んでみて『日蝕』と比較してみるよ
840 :
吾輩は名無しである:2006/04/06(木) 03:18:46
ノーベル賞、世界的評価が欲しいなら
もっと前に出て発言しよう。
商業的に知名度の無い作家は、
現代では相手にされませんよ。
自分の世界にひきこもっていても、
何も変わることはありませんよ。
平野くん、あなたのことを考えると
中学生を説教している気分です。
ホリエモンのように独居房で閉じこもっている姿が、
今のあなたにそっくりです。
態度がデカイだけ。
そこそこ勉強量が多いだけ。
肝心の才能では、低次元とみなすラノベ作家たちにも
足元に及ばす、敗北していることを自覚するように。
841 :
吾輩は名無しである:2006/04/06(木) 07:10:23
>>840 春樹ファン嫉妬はやめろよ
春樹なんて3流作家なんだからさ
でもノーベル賞有力候補。
843 :
吾輩は名無しである:2006/04/06(木) 09:01:29
そうじゃない
出版社が必死に売り込んで海外で翻訳されてるだけ
ってかかれたよね
844 :
吾輩は名無しである:2006/04/06(木) 12:37:20
春樹の次で、可能性があるのは
辻大先生とピラノと綿矢
845 :
吾輩は名無しである:2006/04/06(木) 12:51:49
なんじゃそら
846 :
吾輩は名無しである:2006/04/06(木) 13:49:47
847 :
吾輩は名無しである:2006/04/06(木) 18:44:21
平野啓一郎が「最後の変身」という作品で
カフカの作品をすべて「役割に閉じ込められた人間」の話として
読み解く試みをしています
848 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 00:00:06
849 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 00:11:14
>>844 そういう予定だったのが全くのダークホースだった舞城王太郎が脚光を浴びて受賞w
でも授賞式は出席しない!
850 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 06:46:06
舞城王太郎の空っぽさはばれている
でも憎めないw
でもカラッポw
853 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 06:50:24
その点が平野とそっくりでもある
854 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 06:55:59
舞城王太郎の空っぽさはばれている
855 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 15:31:46
舞上は表面のこけおどしをとって
何が残るのだろう?
『顔のない裸体たち』
批判的な書評をAmazonに投稿したんだけど掲載されない。
公平さを期して慎重に推敲した上での批判だったので、
ショックだった。
現在掲載されているレビューはどれも五つ星。それは良いとしても、
特に最初のレビューは投稿歴が全くなくてサクラのような気もする。
しかも掲載されたレビューに対して「参考にならなかった」に
投票しても受け付けてくれない。Amazon歴5年くらいになるけど、
こんな事態ははじめてだ。
珍しく平野氏がサイトにコメントを寄せているくらいで、出版社側の
意気込みも分からないではないけど、情報操作をされているみたいで
なんだか怖い。何か文学賞でも狙っているんだろうか?
まあ、どうでもいいけどね。
もう少し時間が経って、売れ筋ランキングが下がってくれば、
掲載規制は解除されるだろうと思うし。
857 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 17:44:31
意識的に嫌がらせで批判書評を書くのはやめなさい
858 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 17:50:01
>>857 馬鹿は黙れよ。まともな議論もできずに
早稲田や春樹を叩くしか能がないんだからさ。
一人で大人しく神や死について考えていなさい。
859 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 18:20:53
860 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 18:34:00
861 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 19:40:41
862 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 20:21:25
863 :
吾輩は名無しである:2006/04/07(金) 23:08:50
>>861 面白い面白くないの問題じゃないんだよ。お前は馬鹿か?
864 :
吾輩は名無しである:2006/04/08(土) 17:47:28
さあ
865 :
吾輩は名無しである:2006/04/08(土) 18:54:04
866 :
吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 11:22:04
誰が?
867 :
名無し募集中。。。:2006/04/09(日) 18:05:47
やっと葬送4冊とも揃えたよ
読んで気に入ったら滴り落ちるなんちゃらも読みますよ
868 :
吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 18:09:53
誰が?w
869 :
吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 23:01:03
>>867 >読んで気に入ったら滴り落ちるなんちゃらも読みますよ
『滴り落ちる時計たちの波紋』だったっけ?
立ち読みでパラッと見たら何か実験的なことやってるような感じがするんだけども、
どうなんかね?
870 :
吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 23:02:18
平野ってだいぶお勉強していません?w
それともそういう奴なのか。
871 :
吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 23:42:57
馬鹿はいくらお勉強しても無駄だということが平野の小説読むとよくわかる
頭はいいよ
873 :
吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 23:47:28
決して良くはない
874 :
吾輩は名無しである:2006/04/10(月) 00:15:29
とてもいい
頭いい
それなり努力できる
問題は才能ね
876 :
吾輩は名無しである:2006/04/10(月) 11:55:50
なにそれ
877 :
吾輩は名無しである:2006/04/10(月) 12:14:40
学校の勉強はできるんだろうなw
878 :
吾輩は名無しである:2006/04/10(月) 19:40:28
俺もイヤラシイ性格してるよw
平野の『日蝕』を読んだあとに佐藤亜紀の『鏡の影』を読むんだからよ
879 :
吾輩は名無しである:2006/04/11(火) 07:27:13
いやらしくないよ
砂糖は気の毒だが
880 :
吾輩は名無しである:2006/04/11(火) 12:18:12
恩田陸が平野のジャズ本読んだって文春にかいてる
881 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 10:33:24
面白かったっていってるね
882 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 11:47:37
平野のタコ踊りが?
883 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 12:02:31
最後のほうの批評について
僕もそう思った
884 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 12:08:31
僕も〜。
885 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 18:23:51
アマゾン、話題沸騰のわりには全然売れてないよなw
まず話題になったのかよ
ファンがいるなら感想よろしく
先日、朝刊(地方紙)に、平野の『顔のない〜』に関する
著者のインタビュー記事が掲載されていたんだが、それを見る限りでも
アマゾンのレビュー、ありゃ捏造の策略物だな。
今年中に、三島文学賞か、そこいら辺の文学賞を取らせる為の、
出版社側の情報操作に違いないよ。
どー考えたって、平野には文学的才能の片鱗もない。
単に、努力に努力を重ねて、偏差値の低い作品群を書いているだけとしか思えない。
まあ、ある意味、これだけ平凡の坊ちゃんが気張って努力し続ける姿は見物だし、
本人、精一杯気取っているつもりだけど、傍から見れば、イタイだけ。
それが平野の魅力だとも、俺が平野に注目する所以だとも、言えなくもないけどな。
しかし、ミッキー&ミッチーか・・・・・・。
ネーミングセンスないっつうか、努力で補えない究極的センスのなさには、
同情するより仕様がないな。
普通、小説取材に、知識収集の努力を加えれば、もう少しまともなモン書けるだろうに。
ピラノっていうあだ名、コイツにお似合いだな。
いや、嫌味でなくて、真剣にね。
>>887 856氏も、批判的レビューが不掲載になったと言っているしね。
作者の肉声なんてのも、版元の新潮社が広告費出して載せてるんだろうし、
アマゾンもその辺に気を使って情報統制しているんだろうな。
ちなみに俺も「参考にならなかった」に一票投じてるけど、その票数も出ないようだね。
アマゾンも商売でやってるわけだから、公平な批評の場を期待するのは
そもそも筋違いなのかもしれないが、実に残念。
>>887-888 やっぱり。何かおかしいと思っていたんだ。
情報統制で文学の評価をムリヤリ決めるなんて汚い世界だな。
平野サイドは今度の作品で何か文学賞を狙っていると
俺も思うんだけど、何だろう。三島賞か大江賞か?
こりゃ絶対祭にすべきだなw
890 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 08:28:06
>>887 どー考えたって、平野には文学的才能の片鱗もない。
単に、努力に努力を重ねて、偏差値の低い作品群を書いているだけとしか思えない。
ねたむしか能力ないのかよ早稲田は
891 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 08:28:47
汚いな〜そこまでするか平野。
892 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 08:32:01
早稲田?狂大だろ。
893 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 09:11:40
逆にいえば、『滴り落ちる時計たちの波紋』Amazonレビューの不評が
相当こたえたんだろうね。売り上げや文学賞工作に影響が出るほどに。
情報統制が事実だとすれば、本当に許せないな。
もっとも、平野の実力がその程度ということの証でもあるわけだが。
894 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 09:14:18
創価学会が味方についてれば何でも許されるとか思ってるんだろうな
895 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 09:15:04
896 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 09:17:22
>>895 強引に評価をねじ曲げるなよ。
中立的に見ても、評価が分かれる作品だと思う。
897 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 09:23:29
作品はどう考えてもつまらないだろ。
レビューが面白いって意味じゃないの?
898 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 09:43:17
【Amazonレビュー】平野啓一郎 第六部【投稿規制中!?】
のほうがいいだろう。
899 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 09:43:46
>>896 だって中原昌也や町田康が褒められるのが文壇だから
そいうあほらしい世界を壊していく必要がある
900 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 09:44:39
色々と黒い噂の絶えない平野啓一郎さんの本スレです....
901 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 09:46:28
>>899 学会員にはああいう世界観はわかんないだろうな
もっとわかりやすい中世ヨーロッパとかがいいんだろ?
902 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 10:04:00
中原がどんなでたらめを書こうが深読みされてほめられる
文壇ってよっぽど落ちこぼれがあつまってるのかなあってかんぐるね
論理的思考力なし
903 :
887 :2006/04/13(木) 14:48:34
>890
早稲田か・・・。
俺、早稲田だったのか。
ちなみに、残念ながら、狂大でもないんだな。
まあ、そんな事はイイとして、妬まれている内は、まだ作家として花がある事だよな。
羨ましい限りだな。
俺が仮に平野を妬んでいるとしたら・・・・・・、
う〜ん、奴が未だ文壇で発言権を持っている点か?
正直、まともに考えてみても、平野の美質とやらが列挙出来ないんだよ。
奴が、真面目な事は認めるが、それでも秀才止まり。
努力家って、作家に対する誉め言葉になるか?
よく分からん。
ちなみに、平野を褒め称えるとしたら・・・
さあ、どうぞ!
公式HPの顔写真、素敵です(^^)!
題材面から見れば、三島あたりだろうか
彼、一応「三島由紀夫の再来!」で、デビューしてるし
大江って感じじゃない
ハクが付くなら、谷崎か?
でも
とりあえず、三島に一票!
906 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 15:28:39
全部だな
907 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 16:48:06
色のない世界で変態の女四人がごちゃごちゃしゃべってる短編は評価的
にはどうなの? ナンセンス以外のなにものでもないと思ったが。
908 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 20:36:48
いつも思う事なんだが、こいつ目の付け所はいい割に、
素材の生かし方がまるでなっていないんだよね。
ネット社会がどうこうと、その着眼点だけは秀逸。
でも、それがこいつの視点から見て、冷静に傍観し、分析出来ているか?
と言えば、決してそうでない。
確実に、平野自体が(本人は認めていないけれど)「2ちゃんねらー」だし。
少なくとも、本人の作品展開なんて、古典を持ち出してみても、
独り言以外の何ものでもない。
「2ちゃんねらー」的要素は、ある訳。
俺らがこうして、無作為な対象と噛み合っているのか、噛み合っていないのか
分からない対話を続けているのと、一緒なんだよな。
それが、ポストモダン文学だと言われてしまえば、それまでだけど。
こいつの場合、変に「俺は文豪だ」みたいな態度があるから。
それがいけない。
逆に言えば、そういう横柄な態度さえなければ、案外好感の持てる作家なのかも知れんな。
少なくとも、ピラノが「2ちゃんいつも見てます!」
って、公にあっけらかんと豪語出来るくらいの余裕があったら、
俺は割りとピラノに好感持つかも
・・・って、告白タイムか!
909 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 21:03:11
>>908 >こいつ目の付け所はいい割に
そうかな。着眼点からして既に凡庸だと思う。
今回の作品も、ネットの問題をああいう形で切り込むこと自体が
もうどうしようもないと思うし。
もちろん問題の掘り下げ方も雑なのは言うまでもないことで。
>>905 まあ、三島賞だろうね。主催しているの新潮社だし。
出来レースにしないと文学賞も獲れないなんて、本当にお笑いだな。
910 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 21:12:01
まあ才能のなさを政治力で補うってのは奴が最初から使ってきた手だけどね
911 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 21:21:44
彼の最大のテーマは自分でもいってるけど「死」ですね
そこから「時間」「記憶」というテーマ系も現れる
非現代的ではない例えば「一月物語」p56〜p58を読めば分かるよ
「・・・・さりとて、一度手にした自我を捨て去って、ふたたび自然の中の一現象
としての生を自覚することは出来なかった。・・・・どこまでも自我と云うものを
有しながら、そうした二元論に切断され得ない、何かしら超越的な存在と一体化
することを願うようになった・・・・己は己として、飽くまで一個の存在である。
猶且、あらゆる矛盾を解決してしまうような一なる存在と一つになることを欲する
ようになったのである。」
ここに平野の存在論が表出しているしかも
「・・・こうした感覚は、勿論、思弁によって養われた訣ではない。強いて云う
ならば、生来の感覚に、思弁が出口を見出したのである。」
お勉強の結果ではまったくないのだね
912 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 21:25:30
陳腐極まりないなw
真面目な顔して読んでる奴を見てみたい
913 :
吾輩は名無しである:2006/04/13(木) 21:26:40
>>909 三島賞は無理だろうw
選考委員がクセモノばっかりだからなぁw
914 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 03:57:26
こわいの?
915 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 06:36:26
べっつにー。
ただ平野サイドがアマゾンレビューを怖がっていることだけは分かった。
916 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 09:28:07
この作家はいつまで経っても青臭い人だね。。
もう30なのに頭の中は20のままって感じ
917 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 10:02:45
成人してないw
918 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 10:45:39
青臭いってけなしてるの?
僕はすばらしいと思うけど
919 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 11:23:51
■4月
「遠近」(No.10)にエッセイ「お住まいは何処ですか?」掲載。
「Casa BRUTUS」(5月号)の「次に読む本120冊!」のアンケートに回答。
「文藝」(夏号 高橋源一郎特集)にエッセイ「最近になって『処女作』を読んで」掲載。
920 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 11:56:40
大人気ないって事だろ。
921 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 14:00:23
>>919 ブルータス読んだよ
コールハースなんかを挙げていた
922 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 23:16:39
平野啓一郎が日本のタブーに挑む、衝撃の長編小説!
「電通&サラ金&パチンコ&創価学会&朝鮮同和利権」
読売文学賞受賞!
923 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 07:09:53
粘着するな
924 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 07:21:33
お前も平野に執着するな
925 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 07:33:24
平野は所詮使い捨てだから
学者才なし、才子学ばず。だな。
読書がぜんぜん足りないなw
928 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 10:00:23
>>897 アレ6つか8つくらい話を集めた短篇集のはずだけど1つ残らずつまらなかったの?
929 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 10:03:44
センスがないからねw
週末くらいは家で本読め
931 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 10:27:30
もちろんせっかくの週末だから平野の本じゃない本を
932 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 22:20:33
粘着がいるな
933 :
吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 05:36:16
今の異端派ばかりが生き残った文学界から見れば必要な存在だよ。文学者としての資質は三島の再来と言われたときに、もうある程度分かっている。けなす必要もない。
異端というよりサヨクの掃き溜めになってダメになった気がする
935 :
吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 09:53:56
というか頭の悪い人が多いでしょ
936 :
吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 13:05:03
中原の褒め方とか以上だよね
文学やってる人って馬鹿なの?
まあ文学者、哲学者なんて九割はろくでなしで、
世紀を超えて名を残すレベルなんてのは、
残りの一割がそこで濾過に濾過を重ねた結晶みたいなもん。
平野は可哀想だが今のところ九割の部類だ。
これまで出した作品を見るかぎりでは。
でも九割って重要だよ。
売り上げは一割の凄いけど売れない人たちの出版のために使われてるんだから。
だから創価だなんだと落としめる事もない。
ダメなヤツは後世で勝手に消えるっつーの。
>文学者としての資質は三島の再来と言われたときに、もうある程度分かっている。
それは単に新潮社が売り出しの宣伝文句として勝手に言っただけで、
客観的な評価として言われたものではないことも、
もちろんもうある程度分かっているだろうけど、いちおう言っとく。
(もし分からない場合は両者の作品を読み比べてみれば、
資質の歴然とした落差は一目瞭然だと思うのだが。)
新潮社が三島の名前を使えるのは、三島の版権をほぼ押さえており、
三島家とつながりがあるからだ。
もう一つ、茶髪にピアスの京大生、という売り言葉も当時あったが、
作者は当時留年して五回生。これが四年で順当に卒業していれば
単なる茶髪にピアスのフリーターになっていたところで、
これほど運だけが味方してスタートを切った者も珍しかろう。
939 :
吾輩は名無しである:2006/04/16(日) 21:33:53
三島とはあきらかに違うって本人がいってるけどね
尊敬もしてない
「愛すべき人」だそうだ
940 :
吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 00:43:44
>>938 あ〜あ読んでないな
読んでないからどっかで聞いた標語しか話せない
こわくないからよみな
941 :
吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 20:31:08
資質の問題じゃなくて二人の文学上の性質だよ。要するに頭の中でしか話を作れない。リアリティがないんだよ。
942 :
吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 20:53:33
願望が陳腐ですよ
943 :
吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 21:36:37
願望って、ねがいのぞむことって意味ですよ。どこに何を願う文章があるんですか?w
944 :
吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 22:01:28
>>938 >もう一つ、茶髪にピアスの京大生、という売り言葉も当時あったが、
>作者は当時留年して五回生。これが四年で順当に卒業していれば
>単なる茶髪にピアスのフリーターになっていたところで、
>これほど運だけが味方してスタートを切った者も珍しかろう。
京阪出町柳駅近辺をぶらついてれば茶髪にピアスした大学生の輩なんぞ砂利みたいにいるぞw
まあ、その大学生って同志社とか京大の輩だけどな。
その昔、俺は同志社に行ってたんだよ。京大に落ちてさ……
945 :
吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 23:32:56
946 :
吾輩は名無しである:2006/04/17(月) 23:48:48
素直に負けても、いいんだよ、平野くん。
強がる必要なんか無いよ。
血のコンプなんて、君の目指すものに比べりゃ、
ウンコのような悩みじゃないか。
出自なんか、吹き飛ばすパワーを持てる表現が文学だと思う。
堂々と一人の作家として立てばいい。
だから、素直に駄作は駄作と認めよう。
三島大先生も鴎外師匠も、基本は素直だよ。
947 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 00:41:52
作家が利きパン大会に参加するのって何かしらの意義があるんだろうね……
俺は知らねぇけどさw
利きキムチなら意義あるんでない?
949 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 07:25:28
こわくないよ
950 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 12:20:05
妬め妬め
青木の才能には脅えるし、嫉むが、
平野に脅えたり嫉んだりはしない。
なんの新味もないからだ。
たぶんこのまま、時々小説を書く文化人として
小説なんかろくに読まない連中の崇拝を集めて
一生終わるんだろうな。
952 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 13:41:07
>>951 それが結論だろうね。
まともに読書してる奴だったら、みんなそう思っているよ。
平野はお高くとまった文化人ヅラがむかつくだけ。
953 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 13:41:29
青木レベルとくらべたらさすがにかわいそうだよ
954 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 13:52:11
>>952 それは君がおびえてるだけじゃない?
頭弱いの?
>954
青木とどっちが上だと思いますか?
956 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 16:52:36
どんぐりの背比べ
平野はゲタをはかせてもらって。
青木はゲタなし。
958 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 17:14:15
小説の才能はないけど、評論の資質はあるよ。
学者になれば…は結構前スレとかで言われてること。
読み直し作品群も小説としてはつまらんが読み方としては外してない。
しかし評論としては手堅すぎるんだよな…
文明の云々しかり、物の見え方、考え方に歪みがなさすぎるのが芸術家としては致命的。
どっちもチョン臭いw
しかしここの信者って「こわいの?」とか「おびえてるの?」とか
それしか言い返す言葉がないんだな。
自分の語彙の貧しさにコンプレックスがあるから、
内容空疎な語彙のひけらかしみたいな作風に騙されるのかな。
次スレ
【Amazonで】平野啓一郎 第6部【情報統制中】
964 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 20:12:55
965 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 20:44:32
>>963 いいかげんにしろ
もう新すれはたっている
966 :
吾輩は名無しである:2006/04/18(火) 22:37:33
またいやがらせか
967 :
吾輩は名無しである:2006/04/19(水) 00:20:33
全く意味のわからないタイミングで次々スレを立てるなんて平野さんに失礼な野郎だ
968 :
吾輩は名無しである:2006/04/19(水) 07:28:31
またそうやって無意味な煽りに興じる・・・
いったい何が楽しいんだろうねw
処刑ライダーw
971 :
吾輩は名無しである:2006/04/19(水) 15:38:27
もうすぐ終わりですね
今度こそまともなスレになることを祈っています
ラノベの砂糖秋が叩かれてるw 盗作したってw
漫画から盗作ってイタいね
>>972 盗作した作品で賞に応募するってひどすぎない?
漫画からって・・・吹いた
一作からパクれば盗作
三作からパクれば証拠隠滅w
自分が盗作してると他のひとも盗作しているように思い込む?
平野スレです。関係ないことは別スレで。
イタいスレが多杉。ラノベはラノベ逝け
どうでもいいw
今だ!糞スレ980ゲットオォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
盗作は問題だろう
漫画から盗作してラノベ書いたって?低レベルすぎw
盗作のいったい何が問題なのだね。
今だ!糞スレ985ゲットオォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
986
今だ!糞スレ987ゲットオォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
何スレ?
埋め梅
>>988 ラノベ婆の砂糖飽きが漫画3作から盗作して
賞に応募したってスレw
今後流行りそうな気配・・・
漫画からパクッてくだらねえ賞に応募する・・・賞盗ってしまえば後は・・w
>662 :吾輩は名無しである :2006/02/19(日) 16:58:25
>佐藤亜紀だろw
>3つの違う漫画から盗作してつなぎあわせてファンタジーに仕立て上げ
>新人賞に応募した確信犯のババァ。審査員は、漫画なんか読んでいなくて
>だれもその事実に気付かないまま授賞。
>その盗作小説たった一作を財産に筒井康隆に擦り寄る一方、2ちゃんねるの
>文学板に完全板違いの自スレを立てて、ジエンでage続けてるアホなオバサン。
>盗作を嗅ぎつけた版元が別作を絶版にしたのを平野啓一郎が盗作したからだと思い込み
>盗作だと喚き続けて板をアラシてる、自分の盗作は棚にあげてw
>漫画から盗作した馬鹿が、恥を知れ。
>平野と一緒に盗作島に幽閉されろよ、カス。
>佐藤亜紀ほど醜悪きわまりないクズババアはない。
>1
イタすぎ盗作ババァw ラノベ板にすっこんでろ
砂糖て自スレ立てて自演してたヤシ?
漫画盗作か…w 下司
今だ!糞スレ997ゲットオォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ (´´
∧∧ ) (´⌒(´
⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
 ̄ ̄ (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ
ゴンゴン
998
999 :
吾輩は名無しである:2006/04/19(水) 16:07:51
>662 :吾輩は名無しである :2006/02/19(日) 16:58:25
>佐藤亜紀だろw
>3つの違う漫画から盗作してつなぎあわせてファンタジーに仕立て上げ
>新人賞に応募した確信犯のババァ。審査員は、漫画なんか読んでいなくて
>だれもその事実に気付かないまま授賞。
>その盗作小説たった一作を財産に筒井康隆に擦り寄る一方、2ちゃんねるの
>文学板に完全板違いの自スレを立てて、ジエンでage続けてるアホなオバサン。
>盗作を嗅ぎつけた版元が別作を絶版にしたのを平野啓一郎が盗作したからだと思い込み
>盗作だと喚き続けて板をアラシてる、自分の盗作は棚にあげてw
>漫画から盗作した馬鹿が、恥を知れ。
>平野と一緒に盗作島に幽閉されろよ、カス。
>佐藤亜紀ほど醜悪きわまりないクズババアはない。
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。