1 :
平下流:
この人のスレが無いのに驚いて立てました。
自由に話しましょう。
2 :
吾輩は名無しである:2005/11/21(月) 22:20:22
学生時代は不潔な文学青年で、
卒業後垢抜けだして、
壮年期に女とやりまくった日本最後の文士。
3 :
平下流:2005/11/22(火) 00:33:31
そうなんだ?
でも「日本最後の文士」はいいね。
頂きます。
4 :
吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 00:36:47
さびしがりやで、晩年も妻に手を握ってもらいながらじゃないと
眠れなかったとか。
この人は批評が面白いよ
5 :
平下流:2005/11/22(火) 02:09:56
小説はあまり面白くありませんね。
途中から趣きが変ったけど。
面白い批評、紹介して下さい。
6 :
吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 11:12:17
>>4 『色好みの構造』『王朝文学論』読んだよ。面白かった。
もし日本古典を比較文学的観点から見るなら、中村は必読だろうな。
この人の小説は、
>>2が言うように「壮年になって目覚めた」って
感じが強すぎて、それで辟易することが多いかも。
まああの世代は戦時体制のせいで恋愛も何もなかったからだと言えば
仕方がないのだが。
7 :
吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 11:13:28
この人の「プルースト的文体」は嫌いじゃないけどね。
8 :
吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 11:17:48
この人の小説で、青年が主人公っていうのはないの?
いや別にオッサンが主人公でも普通ならかまわないんだが、
中村の場合は「老い」がやけに強調されていて嫌になるし...
(それで『四季』読み通せなかった)
堀田・福永と共同で「モスラ」の原作小説を執筆
10 :
吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 10:20:53
『江戸漢詩』は読んだ?
この本を読むと、江戸時代の知識人文化がどれだけ
洗練されていたのかよく分かるよ。
そういう文化を消し去った明治維新は本当に「進歩」だったのか、
むしろ「退歩」じゃないかって気さえしてくる。
11 :
吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 10:26:27
『頼山陽とその時代』は未読。
講談社文芸文庫で出してくれないかなー。
12 :
平下流:2005/11/24(木) 01:18:41
>>6 >>10 同感。
如何に幕末の文人の教養が高く豊かであったことか。
当時、文人はまず詩人であった。
>>11 この頃の文人については、富士川英郎もいい。
漢詩のみでなく、西欧の詩にも造詣が深いので、パースペクティブが広い。
例えば、『江戸後期の詩人たち』『菅茶山と頼山陽』『菅茶山』
もっと書きたいが話がそれるのでここまで。
例えば、『
でも中村真一郎の近世評伝ものの漢文読解は間違ってたんだけどね。
無理して古典的教養を誇っても、サマにならない。
無知な読者は騙されるかもしれんが。
んなことはどーでもいい
中村真一郎の批評って権威主義ではないかい。
外在的な権威である、西洋とか古典とかの範例に突き合せて価値づける評が多い。
作者や作品の内在的価値を見出す読み込みってしてるかね?
>>15 「王朝文学論」はかなり自由に書いていたよ。
そのせいか批評てほど論理的な体裁が整っていないという
批判を受けるかもしれないが。
四大亜流物語や擬古物語の部分は出色ものだと思う。
タイトルは忘れたけど
この人の小説はどうもあまり面白くなかった。
大学教授とその美しい妻子、女子学生と男子学生の恋愛のお話。
何かツルゲーネフとかあの辺りの稚拙な模倣て感じだな。
(作中でもツルゲーネフの名前が出ていた。)
女性の描写が不自然で違和感があった。
17 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 08:42:03
>>13『頼山陽とその時代』のこと?
今から読もうと思ってたのに...
18 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 08:45:43
>>15 「権威」じゃない。「比較対象」だろう。
そんなこと言ったら丸谷才一のジョイスや大岡信のエリュアールだって
「単なる権威好き」になってしまう。
持ち出してくる比較対象が、なんかいかにもって感じだから、権威主義集がするんだよね。
或る程度「教養」があれば、感心するほどの批評ではない。
20 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 16:45:32
まあ東大仏文だからスタンダールの『恋愛論』とか持ち出してくるのは仕方ないけど。
22 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 16:50:58
戦前の軍国主義の反動で日本的なものが胡散臭い眼で見られてた時代だから、
ある程度のハッタリは仕方無かったんじゃないの?
中村と山本健吉がいたからこそ、日本古典の比較文学的評論・研究が少しは浸透したわけで。
(まだ世間の常識ではないが)
あんなもんが常識になっては困る。ハッタリに騙されてるなよな。
恣意的な想像による取り合せを、比較文学とは呼べぬ。
>>22
そういう意味では功績は大きい。
>>25 え、権威主義的で恣意的なハッタリで世間の常識にもなってない、って意味で?
27 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:08:02
どこが「恣意的」なの、説明して。
源氏物語とプルーストを一緒にされるのがそんなに嫌か?
プルーストって既成権威があって、それに引き寄せて源氏を読んでみただけ。
両者を生んだ時代や社会や作者や他作品との関係やを無視したアナロジーだから恣意的。
29 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:18:34
つまり、源氏物語は大したことないしその程度の作品しか生み出せなかった
日本文化も大したことない、てのが
>>28の意見なわけか。
そういう意見はそういう意見で仕方ないけど、なんか悲しくない?
源氏はオレも注釈なしじゃ読めないけど、その源氏にインスパイアされた
新古今和歌集は(本歌取りとかよく分からなくても)言語芸術の極みだと思うし、
そういうのが理解できないのって結構悲惨だと思うけど?
日本語は難しい。
31 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:28:07
丸谷才一の意見だけど、八代集が「詩的ディスクール」の源泉になって
源氏・平家の両物語(平家は新古今の影響が強い)や世阿弥の能、
西鶴の浮世草子、さらに大田南畝(蜀山人)の狂歌にまで影響してるわけで、
こんなに凄い文学史なんてどこの国にも存在しないと思うぞ。
33 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:31:37
>>31 丸谷は丸谷で色々問題があるかもしれんが、西洋詩にしか興味の無かった
オレを日本古典に振り向かせてくれたし、その体験を信じるのは自由だろ。
桜咲く遠山鳥ののしだり尾のながながし日もあかぬ色かな 後鳥羽院
この歌が普遍的な魅力を持ってるってことの分からない人間に文学は無縁だな。
>>29 源氏が大したことないなんて誰も言っとらん。
中村眞一郎の評価の仕方が駄目だと言ってる。それもわからんのか。
35 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:34:22
>>31 恣意的に同意する。しかしここまですごいと、やはりマニアックな世界だな。
言語芸術の極みであるものを理解できる人は少ない。それが理解できなければ
権威主義で一蹴するがよろし。
36 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:37:05
>>34 「プルーストに匹敵するほど凄い」って何故言えない。
両者が「完全に別物」って言ってしまったら何も生み出せないだろ。
37 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:39:40
>>34 もう少し具体的に言って欲しい。評価の仕方に恣意性があることに怒りを覚えているのは分かるが、
怒りだけで何も伝わってこない。
>>33の言いたいのは評価の仕方に権威主義が混じっていたのは戦略上
仕方のないことであって、そこから恣意性と権威主義を乗り越えたものになりえたはずだということではないか。
つまりそれらの仕方から中村真一郎という個性が生まれ、表面的にも結滞な日本文学の真骨頂が保たれたのではあるまいか。
プルーストと比較しなくても、源氏物語の価値は説けるが?
まあ中村真一郎は、西洋の権威を持って来なきゃ何も生み出せない阿呆かもしれんが。
39 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:45:09
>>37それが言いたかった。サンクス。
>>35 その「マニアックな世界」が江戸時代までは常識だったことを忘れないでくれ。
オレ的には世の中が近代民主主義社会でも文化は宮廷貴族趣味で全然かまわないと思う。
クラシック音楽でも「衒学趣味」って非難され続けた「貴族」ニコラウス・アーノンクールが今や
ニューイヤーコンサートを振る時代になってるんだし(それで物足りなければ今のクラシック界で
「好きなこと」が出来る唯一の人物と言っとくか)、文学だって同じこと。
>>37 >恣意性と権威主義を乗り越えたものになりえたはずだ
つまり、なってないって判断なのね? その通り、結果を残せてない。
>表面的にも結滞な
意味不明。呂律の回らぬ悪文は、中村の翻訳文でもうたくさん。
41 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:47:33
>>38 確かにインテリ的な阿呆には違いなかろうね。
西洋の権威を持ってこないと何も生み出せなかったのはいっぱいいるし。
つまり何もないところから生み出す天才は突然変異的キチガイでしょうな。
>>31 >こんなに凄い文学史なんてどこの国にも存在しないと思うぞ。
古典のアリュージョンは、漢文でもラテン文学でも多用する。
日本だけだと思ってるのは無知で視野狭窄。だから中村や丸谷程度に騙される。
>>33 >その体験を信じるのは自由だろ。
信仰告白は批評に非ず。
43 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:55:43
>>40 呂律が回らぬ悪文ですまんこってすたい。
つまり突然変異的キチガイでしか理解できぬものになってしまわぬように
中村は権威主義で包装したのではあるまいか。つまりあまりにマニアックな文化
になればいずれは溺死せざるを得なかろう。そういう意味で中村の権威主義的な
比較文学は意味があったのではないか。
44 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:57:52
「マニアックな文化」もあまり過ぎれば自家中毒になるし、
偉大な文学者ってのは紫式部でも藤原定家でもその「マニアックな文化」を
「完全に」踏まえた上で新しい「詩的ディスクール」を作ったわけだし、
そういう抜け道はちゃんと存在してるよ。
包装ではなく、中村眞一郎の浅薄な西洋崇拝は、地だよ。
>>43
46 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 17:59:18
「西洋を鏡にして自国文化を見直す精神」と言え。
47 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:02:22
吉田健一ですら、文学の「前向きな変化」(進歩とは言わないよ)は
外国文学の吸収から生まれるって言ってるわけだし、
中村の傾倒するフランス文学ですらロンサール、デュ・ベレーに代表される
プレイヤード派がフランス語の文学作品を「古典古代の題材で」書くことを
主張したわけだし(で、中世的な騎士やら田園詩やら宗教文学やらから脱却した)
中村はたまたまその度合いが行きすぎだっただけだ。
49 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:05:43
なあ、お前らそんなに中村批判したいのか?
「批判的継承」って言葉があるけど、お前らのしてることは
「日本文学は日本文学、フランス文学はフランス文学」って
言ってるのとあまり変わらんと思うぞ。
せめて中村のプルーストと源氏の類推の「どこが」ダメなのか説明位してくれ。
それが「批判的継承」だろう。
>>47 論点が見当外れに逸れたね。
いま問題になってたのは現代文学の創作ではなく、古典を批評研究する場合。
そこに、中村みたいな「行きすぎ」た「外国文学の吸収」が必要なのか?
51 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:09:06
なるほどね。
それにしても中村真一郎はどうして壮年期にセックスに目覚めたんだろうか。
やはり自身の文学の行き詰まりからか。
西洋崇拝で出来た見地的鏡台から日本文化を眺める手法に限界を感じたのではないか。
最も学術的と信じられた時代であったろうから、中村自身もそれに呵責を感じ、
個別的であるがゆえのより普遍的なインスパイアを求めてセックスに励んだのではないか。
>>49 既に
>>28が
>両者を生んだ時代や社会や作者や他作品との関係やを無視したアナロジーだから恣意的。
と指摘済み。
無視してない、十分考慮してるってことなら、反証を挙げよ。
無視してもいいのだと主張するなら、その理由を述べよ。
53 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:10:32
つまり、このスレのアンチ中村は中村の「なんで若い頃に好きなだけ恋愛
出来なかったんだ」って愚痴が嫌なわけか。
はあ? 恋愛なんか興味無えよ。
55 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:17:17
アンチがいなければスレは伸びないという計算から出てきた立候補的アンチではあるまいか。
つまりそんなにアンチだとは思わないが。
56 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:18:09
まあ中村の作品内の愚痴は中村の古典論を支持してるオレでも辟易するしな。
ほかの同世代の連中は三島でも丸谷才一でももっと前向きだぞ。
しかしなんで(確信犯的でも)アンチばかり寄ってくるんだ。せめて平下流がいてくれたら...
58 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:21:03
59 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:21:38
>>56 他人任せじゃだめだ。それに平下君は生真面目だから激論できるようなタイプファイターではない。
平下君からすれば情報収集の場として立てたスレではあるまいか。
中村支持派が無知で非論理的なんだから、批判が集中するのは当然。
>>56
61 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:23:04
オレはもう言いたいことは言い尽くしたよ。
早く中村を「批判的継承」できるレベルに達したいものだ(笑うなよ)...
62 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 18:25:46
おいらも言いたいことは全部出した。
まだ2冊しか中村読んでないけど、指が動くがままにタイピングファイター的に議論してたら
何となく分かった気になったよこの人。時間があれば批評も読むよ。
中村真一郎みたいな小賢しい作家って、
中途半端に教養つけた読者がイカれやすいのかもな。
64 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 20:33:14
大岡信や丸谷才一が「批判的継承」しているのも事実。
大岡なんか、中村の失敗(と敢えて言おう)を踏まえているのか
大好きなエリュアールやブルトンも表面には出してないし。
(よく読みこむと、象徴詩や前衛詩の好きな人間ってことがよく分かるのだが)
65 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 20:40:47
>>62 オレも実は三冊くらいしか読んでない。(『色好みの構造』『王朝文学論』『江戸漢詩』)
まあ他の比較文学的日本古典論とかでかなり知識は補ってるけど。
中村の古典評論はともかく、「詩的ディスクール」の集合体による
「マニアックな文化」自体は誰も否定してないわけだし。
(「マニアックな文化」の革新については、大岡信の『うたげと孤心』を参照)
66 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 20:58:20
あいつらやっぱり確信犯アンチだったのかな。
また閑散スレに戻ってるよ。
67 :
平下流:2005/11/24(木) 21:37:30
68 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 21:42:12
このスレの住民と上述のスレはかなり住人がダブってるよ。
まあ、あんたの意見も色々聞いてみたいな。
上の連中の言う「権威主義」は果たして真実なのか。
(中村を三冊しか読んでない)オレよりは色々知ってそうだし。
69 :
吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 21:49:03
ついでに、あんたの意見にアンチがどう出るかも見てみたい。
オレはもう中村について言うことはないし。
70 :
平下流:2005/11/24(木) 22:02:06
平下流って人、くだらんお世辞みたいなひと言感想だけぢゃん。自分の意見を出しなよ。
壮年期にセックルに目覚めたのは、最初の妻の自死のあとの神経症の
快復の影響もあるのでは。
「四季」4部作を見るとそんな感じが。
73 :
平下流:2005/11/28(月) 01:16:42
>>56 期待してもらえるのはありがたいのですが・・・。
>>59 前半はその通りです。
後半は忘れて欲しくないと思ったからです。
>>71 自分の意見・・・。
他の板でも自分の意見を、と批判されていますので、少し。
テーマとなっている真一郎の権威主義についてですが、
『失われた時を求めて』は4分の1も読んでいません。
一つの描写が長々と続く、また一つ一つの文章が長いので途中で挫折しました。
同じような経験は高校の時でしたが、『谷間の百合』の風景描写の場面での感じ、その部分を飛ばして読みました。
トラウマになっていたのかな。でも、手法、構成にはオリジナリティは感じました。
も一度、トライしてみたいとは思っています。でも、今度読むときは、設計図が欲しい。
その時の感想は、記憶喪失になった中年男が、
紅茶に浸したマドレーヌの味からアイデンティティーを取り戻し、
本当の自分を発見する、本当の自分に戻れる物語という感じでした。
ですから、私には、『源氏物語』と『失われた時を求めて』に関する真一郎の評論を論じる資格はありません。
逃げたな。
プルースト読んでなくても、中村の持ち出す論のウチノリに沿って、評価や批判はできるのに。
「論じる資格はありません」てのは、確かかもなー。
>>73 もう「記憶喪失になった中年男」なんて誤解をしてる時点でアウト。
76 :
平下流:2005/11/28(月) 01:29:37
>>75 記憶喪失というのは例えで、私の印象です。
>>76 苦しい言訳。なんでそんな見当外れな「例え」を持ち出す必要があるのやら。
78 :
平下流:2005/11/28(月) 01:34:54
言い訳のつもりはまったくありません。
記憶喪失者が徐々に過去の記憶を取り戻していく。
そして、良くも悪くも本当の自分を取り戻すという意味です。
>>67 伝記ものだからって、ミソもクソも一緒くたやね。鑑賞眼の無い。
80 :
平下流:2005/11/28(月) 01:38:22
やっぱり、自分の意見は言わない方がいいですね。
>>78 は? 「という意味です」って、それ、「例え」でも何でもないぢゃん。
あの主人公は「記憶喪失者」ではないっての。どうして精神疾患にしたがるの?
>>80 まともな意見を言ってくれればいいだけ。誤れば改めればよし。
それに、自分は叩かれるのを恐れる癖に、他人には意見を書かせようっての?
83 :
平下流:2005/11/28(月) 01:48:18
これだけは言っておきますが、『失われた時をも止めて』に書かれている事実をを誤まったわけではありません。
誤解です。私が、どう感じたか、印象を言ったまでです。
さようなら。
>>83 だから、なんでそんな見当外れな作品と離れた印象を述べるんだト。
そこが釈然としない以上、言訳に見えるわな。
手元に死者たちのサッカーがあるんだけど、どうでしょう。
>>85 君は、どうなの? 自分の意見から言ってみそ。
いや、あるだけ。読もうか、読むまいかの相談っすよ。
迷ってるなら、無理に読まずともよし。
89 :
吾輩は名無しである:2005/11/29(火) 03:10:14
平下くんの記憶喪失→アイデンティティの回復論って面白いと思うよ。
本人がどれだけ解かっているかは別として、深いところ突いてると思う。
はあ? だって、マルセルは記憶喪失ではないでしょ?
(アムネジアを多用するのは昔のミステリー小説とかで、通俗的な意匠だよ。)
「例え」だとしても、何のためにそんな実際と異なる「例え」を出すのか、サッパリ。
>>89 『失われた時を求めて』は私探しゲームかよっ。読みが浅えなっ。
92 :
吾輩は名無しである:2005/11/29(火) 03:25:48
通俗小説です。
スノビズムを主題にしたことと、その作品が通俗小説であることとは別だべ。
それに中村真一郎の場合、その長篇は通俗小説になることにすら成功しちょらん。
94 :
吾輩は名無しである:2005/11/29(火) 04:38:58
どの小説?
>>1は、あちこちのスレに同じURLをコピペして回った、マルチ荒しでした。
96 :
平下流:2005/12/13(火) 02:57:54
>>84 >>91 この板も落ち着いてきたので一言。
私の言う「アイデンティティーを取り戻す」の意味は所謂アイデンティティーの発見の意味ではありません。
発見という言葉を使うならば、それは時間の輪廻のなかにあることの発見という意味です。
また荒しか……。意味不明な独り言は、チラシの裏にでも書くよろし。
作品と関係無いこと言っても返答にはならないんだよん。
>>97 内容に意味が無いという点では君のレスも同じ。叩く代わりに論破しては。
「作品と関係無い」と言ってるし、それ以上は繰り返しになる。
反論あるなら、
>>77に返答する方が先。
>>98 「意味が無い」のではなく、意味不明。支離滅裂、論理的整合性無しってこと。
101 :
平下流:2005/12/13(火) 23:02:42
>>68 >>69 さて、問題の真一郎の批評に於ける権威主義についてですが、
>>15のレスからでした。
ほかに、
>>19 28 34 38 41 45 48 50 52 が権威主義支持者のようです。
私は真一郎の批評が権威主義とは全く考えていませんので、具体的にどこがどのように権威主義なのかその文と出典をいくつか教えて下さい。
それらを読んでからでないと・・・。
自分の応答責任を他人に転嫁して逃げるト。
>>101
103 :
平下流:2005/12/15(木) 02:39:59
>>100 「現代の小説家が『失われし時』を『再発見』したのは、さうした方法―記憶自体の自動的な展開の把握―によってだった。」
「プルーストが彼の近代的な孤独、個人の限界、を突破するために求めたものは、夢の体験、記憶の無意志的展開であった。」
この文章は「意味不明、支離滅裂、論理的整合性無し」でしょうか。
もしそうなら、あなとは、この話は平行線ですので止めましょう。
104 :
平下流:2005/12/15(木) 02:44:13
>>103の訂正 最後の行
×あなとは → ○あなたとは
>>103 まぁたトンチンカンなことを。いいか、その文章は理解できるが、
その引用文と君の書き込み(
>>73 >>78 >>96)との間には整合性が無い。
君の中でだけはつながってるのだとしても、それを意味の通る形で示せてない。
ただ聞かれたことに答を出せばいいだけなのに。
つまり、なんで「記憶喪失になった中年男」なんて見当外れな「例え」を持ち出したのか、だ。
107 :
平下流:2005/12/15(木) 03:18:24
>>105 了解しました。
あなたとは、三日三晩話したとしてもお互いの理解は難しいかもしれません。
わたしの表現力の問題なのか、あなたの理解力の問題なのか、他に問題があるのか、何れにしても、この場では無理です。
ここでは、あなたが>>103の文章を理解できることで十分でしょう。
わたしにも理解できますから。
勝手ですが、他にも催促されているスレがあるので、(文学版、一般書籍版ではありませんが。)今日はこのへんで。
次からは真一郎の権威主義について書きます。
108 :
平下流:2005/12/15(木) 03:56:59
また、戻ってきました。
>>106 単なる遊びの文です。
十代の頃の、その時の印象を語ったまでで、『失われた時』に書かれている事実を書いたわけではありません。
バルザックについての印象もその頃の印象です。
だからさ、何でそんな見当外れで無意味な誤った印象を述べるのよ?
110 :
平下流:2005/12/15(木) 04:07:27
ひとりの人が叩いてるのかしらんけど、俺もちょっとしつこいと思うよ。
ただその上で、平下流氏は妙に議論かみ合わないところあるね。まぁ
仲良くやれよな。
112 :
平下流:2005/12/15(木) 04:17:19
>>109 わたしの
>>73での発言
「ですから、私には、『源氏物語』と『失われた時を求めて』に関する真一郎の評論を論じる資格はありません。」
資格がないことを言いたかったのです。資格がない証拠として 「見当外れで無意味な誤った印象を述べ」ているわけです。
本人が自ら証拠まで出して資格が無いと言っているのに、それ以上、何を求めるのですか。
お、開き直ったね。どうせ馬鹿だよ悪かったな、ってな。
前は見当外れではないことを主張してたみたいだけどね?
114 :
平下流:2005/12/15(木) 19:40:10
>>113 はっきり言いましょう。
開き直ったわけではありません。
あなたに満足してもらうための表現です。
最後に、うちの学生でないことを願うばかりです。
115 :
吾輩は名無しである:2005/12/15(木) 19:42:37
平下流って明治学院大学の講師?
116 :
平下流:2005/12/15(木) 19:43:07
さて、
>>103の引用文のソースを書き忘れていました。
中村真一郎『批評』昭和二十二年四月でした。
117 :
吾輩は名無しである:2005/12/15(木) 19:43:21
なんかの病気?
自分の言ったことを、責任持って説明できないのですか。駄目学生なみ。
>>114
120 :
平下流:2005/12/15(木) 21:53:19
121 :
吾輩は名無しである:2005/12/15(木) 21:58:21
権威主義の後退化現象の策略とも思えるがどうだろう。
123 :
平下流:2005/12/16(金) 00:34:06
>>122 私の考へは
>>107を見てください。
もしかして、貴方は、私のことを知っていて難癖をつけているのではないでしょうね。
もし、そうでしたら正面から堂々と話してください。いくらでも応じます。
この場は公共の場、そうゆう話にはふさわしくありません。
個人的な感情は別にして、ここではテーマにそった話をしましょう。
>>107って……説明責任をうっちゃらかして、逃げただけやん。
ここで堂々と質問してるんだから応じておくれ。説明し直せばいいだけでしょ。
>>101 王朝文学論を引いたのは中村信者の方からでは。批判は
>>28・
>>52に尽きてる。
源氏物語をプルーストの類推で価値づける論が、恣意的で権威主義だと。
これに反証を挙げるのは中村を擁護する側の仕事だな。ごまかすなよ。
ほんと、話が噛み合ってないな。文章読解力無いコテハンだねえ。
>>125 >>源氏物語をプルーストの類推で価値づける論が、恣意的で権威主義だと。
ということはプルーストには価値があるが源氏にプルーストに比べて価値が無いという前提にたっているわけですね。
議論の前提としての確認です。
128 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 03:01:57
河合塾の文化講演会で語ったものの書籍化である
『小説とは本当は何か』と
NHK教育での講座の二つが中村真一郎の傑作、、、、、、、俺にとってはね。
あとは、批評やエッセイがたまに面白いかな、と。
>>73 >>76 >その時の感想は、記憶喪失になった中年男が、
>紅茶に浸したマドレーヌの味からアイデンティティーを取り戻し、
>本当の自分を発見する、本当の自分に戻れる物語という感じでした。
横レスだが、いいじゃん、その「印象」。それでいいんだよ、とりあえず。
見当外れじゃないよ、いい感覚だと思う、作品もだがそれ以上に
プルースト自身の感性に通底する。
>>75=
>>77は、いちゃもんつける目的で書いてんでね? ほんまのプルースト読みけ?
>>128 […プルーストとジョイスが二十世紀の小説をひらいたというんですが、
その二十世紀、十九世紀の一元的な客観主義リアリズム、つまり作者の目の前に
観察されるものとして客観的現実、一枚の絵のように世界があるという考え方
ですね。客観的現実というものは一つだけある、という考えを否定した。
これはプルーストもジョイスもアンドレ・ジイドもみんな否定した。その
否定した人たちの仕事を、二十世紀小説というふうに批評家が規定したんですが、
その二十世紀小説家達の仕事の延長のなかに、ぼくは、小説の未来の
いろいろな形があるような気がします。
、 ーー中村真一郎『小説とは本当は何か』ーー
で、フォークナーとフローベールを評価しているね。
フォークナーが来日した時の逸話が面白い。
高見順がフォークナーに質問をした
「今アメイrカ最大の作家をあなたは誰だと思うか」
するとフォークナーは言下に、
「二番目はヘミングウェイだ」と、それだけ言った。(一番目は自分だと言うわけで
たいした自身ですね。とは中村真一郎の感想)それで高見順は
「それじゃスタインベックは、どう思うか」と聞いたら
「たくさん売れる小説家は通俗作家である」と、それだけフォークナーは言った。
、
>>131 の続き
「・・・自分はかつて読者のことを考えて小説を書いたことはないって、それから
内容で考えて小説を構想したことはない。いつでも形式ができあがるとそれで
小説を書くんだ。ということを言って、フォークナーは日本の読者を煙にまいて
帰っていったんですね。だから、ものすごい自信です。まあヘミングウェイの
ことだけはみとめて、あとはぜんぜん認めないという。」
、 ー『小説とは本当は何か』−
フォークナーの一作一作を中村は「これから書く小説家にとっての武器庫」と評する。
まさしく
133 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 15:07:44
>>127は曲解。
>>34で回答済みのことを蒸し返すな。
>>129は何が「いいじゃん」だか、やはり説明抜き。
マルセルは記憶喪失ではない。そんな作品から逸脱した印象を記す意味は何?
それが何遍も訊かれてることだろ。
なんか、論理に弱い奴しか中村擁護を買って出ないのかね……。
135 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 19:58:08
>>134 自分で論理に強いと思ってるだけ。
相手の意図を理解する能力のなさを、論理という言葉を持ち出して、悦に入っているだけ。
感性のないヤツによくあるタイプ。
お前のは屁理屈。
その曖昧な「意図」とやらを説明すればよいだけなのに、なぜしない?
>>135
137 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 21:20:48
>>136 135だけど、本人に聞いてみたら。
私の考えだが、前の平下氏の発言に一晩中話しても理解しあえないだろうとあったが、
説明して解る相手とみなされていないんじゃないか。
俺も同感だが。
>>137 本人は、何度も聞かれてるのに、あらぬ方向の返答ばかりして逃げてますよね。
あなたに彼の意図が理解できるのなら、彼に代って
それを他者にも理解可能な形で表現すればよい話。
それをしない(できない)のなら、あなたのレスは無根拠な漫罵、煽りに過ぎない。
139 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 21:41:39
>>138 私も平下流氏と同じく、君を説明して解る相手とはみなしていません。
文学は屁理屈とは無縁です。本人に感性が無い限り"The end"です。
自分の言葉足らずを棚に上げて、あるかなきかの感性を誇るのは遁辞で、
それも屁理窟の一種だわな。それでは中村真一郎の批評も解読できまい。
なんだ、結局、反対意見の持ち主を罵倒したいだけの荒しなのか。
>>139 そんな風に感情的になることが、感性重視する奴の通弊なんだよ。
142 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 22:37:36
>>141 いつまでも、知った風なことを言ってないように。
もっと「テキスト」を読んだらいいでしょう。
プルーストはどの位読んでるの。
143 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 22:51:33
>>141 自分こそ、人に「荒らし」というレッテルを貼って、一言で片付けようとする「荒らし」。
勝手の「非国民」「赤」「右翼」と同じ手法。周りは、思わずそうかなと思ってしまう。
一番、短絡的で、論理的でないのは自分でしょ。
144 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 22:53:58
論敵にレッテル貼ってるだけで、説明をしないのはどちらかね。
プルーストの作品内事実と懸け離れた「印象」がどんな「意図」を持ち得るのか、
それこそプルーストや中村のテクストを読んで作品に即して言ってみればいいのさ。
146 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 23:47:51
>>145 だから、「印象」はかけ離れてないって言ってるでしょ。
かけ離れていると感じている人にいくら話してもムダでしょ。
これは、理屈じゃないんだから。
私は
>>129氏ではありませんが。
>>146 問題の、作品の主人公マルセルは「記憶喪失になった中年男」ではない。
である以上、かけ離れたとするには理由があるわけよ。
これに抗し得るだけの別な理由を挙げられなければ、誤った印象など却下だ。
感性にも感じ方の筋道ってものはあって、それが「論理」だし、
その感じ方の論理を見出して言葉に記すのが批評ってもんだ。
148 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 00:03:56
>>147 印象に理由なんて無いでしょ。
感性に論理も無いですよ。
文学の要諦は論理では無い。
屁理屈を言う前に、もっと作品を味わったら。
なるほど、理由も論理も無いから、こんな馬鹿な文章を書くのか。
150 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 00:11:26
感性だけの文学(者)では、感性も論理もある文学(者)に、勝てない。
だいたい、論理も見つけられない癖に中村真一郎の評論は読むのかよ。
>>148
151 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 00:13:25
>>149 いい加減に、身の程を知りなさい。
物の解った人は、ここでは少ないかもしれませんが、誰も貴方を相手にさえしていませんよ。
自分に理解できないからといって、相手を馬鹿よばわりとは、2ちゃんねるではあっても、いただけませんね。
152 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 00:17:38
>>151 そいつぁ自戒か? 自分が「印象」をまともに理解できる形で言葉にしてから、言っとくれ。
153 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 01:01:13
>>152 どうみても、お前の負けだな。
俺の言いたかったことを言ってくれている。
一つききたいが、プルーストはどれだけ読んでるんだ。
正直に言ってくれ。
まだやってたのか。自演乙。
155 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 01:14:23
誰の自演ってこと?
もしかして全部>>152の自演って事。
でも、意味が解らない。
157 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 01:21:15
ふつう151=153、でしょ。
マアそんなことより中村真一郎のプルースト読みについて語れ。
もうプルーストは飛ばせよwwwwwww
160 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 01:26:42
>>156のとおりだとすると色まで変えてご丁寧なこと。相当ビビッテルな。
いままで、のさばってたから、いい気味だ。
73 :平下流 :2005/11/28(月) 01:16:42
ですから、私には、『源氏物語』と『失われた時を求めて』に関する真一郎の評論を論じる資格はありません。
74 :吾輩は名無しである :2005/11/28(月) 01:19:11
逃げたな。
プルースト読んでなくても、中村の持ち出す論のウチノリに沿って、評価や批判はできるのに。
163 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 01:32:08
165 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 01:39:07
>>164 そうか。
でも、スレなんのスレだかわかんないなー。
とにかく、あまり個人攻撃は止めた方がいいな。
マ、そんな風に、印象なんてアテにならんのよ。やはり理由を確かめないと。
167 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 01:51:41
このスレまだ一月も経っていなくて、166なのに、いやに時間を感じない?
変な充実感があるのかな。
四季四部作しか読んだことない俺が来ましたよ。
169 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 23:16:15
後は、宜しく。
ネルヴァル解釈はどないでっか?
171 :
吾輩は名無しである:2005/12/21(水) 00:23:35
どないも こないも もうかりまっせ
>>170 解釈はさておき、訳文はひどい。まともに読めない。
福永武彦のボードレールとどっちが上?
あるいは堀口大學の『月下の一群』に比べたら?
福永武彦や堀口大學がそんなにひどいってのかよ。
どっちも「比較文学者」としての性格が強いし、
このスレの中村アンチ連中が中村そのものを批判してるのか
比較文学それ自体を批判してるのか知りたかっただけ。
177 :
吾輩は名無しである:2005/12/22(木) 21:55:28
>>176 >>177 はじめは中村批判だったが、途中から平下流批判に替わった。
比較文学批判は単なる口実。
比較文学とかそんな問題ではなく、単に中村眞一郎のネルヴァル翻訳が
日本語としてまともでないひどい訳文である、ってだけのことでしょ。
固定ハンドルが批判されるのも、言ってることがヘンだからで、
批判された側がそれにちゃんと応答してれば、中村についての論議になったはず。
180 :
吾輩は名無しである:2005/12/23(金) 17:43:24
>>179 コテハンは何をヘンな事言ったの?
「失われた時」の感想で記憶喪失といった事?
そのことなら、感性お違いで、いい感性だといってるスレもあったじゃん。
見解の相違、感性の相違ってことでヘンなこととはちがうじゃん。
感性の相違なんてのは大抵、議論できない奴のごまかし。
記憶喪失ってのは明らかに作品から懸け離れた印象でヘンだし、誤り。
ま、それだけでなく、ほかにも色々トンチンカンなこと言ってたけどな。
182 :
吾輩は名無しである:2005/12/24(土) 00:02:59
>>181 印象に誤りも何もないでしょ。
大体、このスレで断定的に物を言う奴って、自分の事を何様だと思ってるの。
水を酒だと、猫を犬だと、傑作を駄作だと感じたら、
それは誤った印象でしょ。
ちゃんと理由を挙げて批判してるのに、何様だとか反感を覚えるのも、
感情的で誤った態度かな。
女々しいレスだな
185 :
184:2005/12/24(土) 02:02:29
あ、>182な。
小説は小難しいが、「王朝物語」や国書刊行会の「中村対話集」は好きだ。
187 :
吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 02:16:57
>>183 水を酒と感じた、猫を犬と感じた。
それのどこが間違ってるの。
事実を言ってるのじゃなくて、その人の印象だから、別に間違いじゃないでしょ。
188 :
人間東京生まれ田中宏明:2005/12/26(月) 02:18:36
あなたに、すべてのよきことがなだれのごとく起きます!!
天国言葉
ついてる
うれしい
楽しい
感謝してます
しあわせ
ありがとう
ゆるします
こういう言葉をたくさん言っていると、
また言いたくなるようなしあわせなことがたくさん起きます!
>>187 事実に合ってない印象、それが間違った印象だ。
第一印象は悪かったが話してみたらいい人だったとかその逆とか、よくあること。
>189
なんか、はじめの方から印象が事実と違うっていってずっと粘着してるのは、君一人なんだな。
平下流の対応もちょっととんちんかんだし、彼を一方的に擁護する気にはならんけど、
君の平下を超えるとんちんかんな論を絶対的に正しいかのように語る態度にいい加減頭にきた。
平下はまず感想だと断った上で「記憶喪失者がアイデンティティを取り戻す」というような
「感じ」だと書いた。「記憶喪失」というのは「例え(比喩)」、「印象」であるとも書いた。
「記憶喪失者がアイデンティティを取り戻す話」だと「要約」したのではない。
彼は「失われた〜」を読んで感じた印象を、「記憶喪失者〜」と喩えて表現したわけ。
で、「印象」っていうのは「事実」じゃない。
事実に対する印象、例えを述べているのだから、事実と違うのはごく当たり前のこと。
事実と印象が同じであるわけがない。印象が事実と同じだったらそれは印象とは呼ばない。
だから「猫」を「犬」だと感じる、ということはあり得る。
雪の日に外を駆けまわる猫が居たとして、その猫を見た飼い主が「犬だ」とか感じたり言ったり
する場面というのは考えられるわけ。その場合、その人はその猫を猫だと知った上で
「犬だ」と言っているわけで、これが「印象」。印象は事実と違い得るの。
もし、その猫を見た全くの他人が「犬だ」といって、で実際に近づいてみたら「猫」だった、
というとき、その他人の感じたものを「間違った印象」という風に表現することはありうる。
しかし、「間違った印象」というのはは「事実」と違ったものを「事実」だと
認識した場合に用いるのであって、「事実」に対する「感想」を表現した飼い主の
「犬だ」発言に対しては使えない。
で、平下はこの場合、猫の飼い主の例に該当する。彼の「印象」は「間違った印象」とは呼び得ない。
君の主張は「猫」を「犬だ」と表現した「猫の飼い主」にむかって、「それは猫ですよ」
と言っているようなものなの。わかった?
いま私は小学校の低学年にものを教えているような気分です。
>>190 名無しなのにワカランだろ、そんなこと。
俺も>189に一票。
これで>190の言説のあいまいさは立証されてしまったけど、一言いうと
記憶喪失の経験もなく、ましてやアイデンティティ(?大そうだな)を取り戻した経験がある
わけでもないだろうに、そういうことをたとえに使うから、表現が独りよがりになってしまう
わけだ。達意ということを考えると>189の批判はもっともと言わざるをえない。
>>190 「例え」にしろ、間違った比喩はある。
淡麗でもないくどい味の酒を上善水の如しと譬喩したら、それは間違ってる。
さもなきゃ、ためにする嘘かな。
記憶喪失でもないし格別に記憶喪失に似たところもないものを
記憶喪失と譬喩するなら、誤りと判定せざるを得ない。
譬喩ならば、その譬喩表現によって事実を直叙する以上の効果が何かなければならない。
それが、あるのか? あるなら、それを説明してくればよいのだ。
193 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 16:14:51
>>191 >>192 が
度し難いのは、自分が頭がいい、少なくとも普通だと思っているふしが或ること。
気違いに刃物、馬鹿に屁理屈。
と、
>>193も、自分が普通だと信じ込んでるみたいね。
どこが誤りかを指摘もせずに、ヘンなのは相手だと罵っても無効。
少なくとも
>>191-192はちゃんと理由を挙げてるのだから、
それを屁理屈だってことならどこが空論なのだか示して論破できなければいけない。
いまのところ
>>193は、議論で勝てない人が悔し紛れにバーカバカと囃してるだけに見えるぞ。
おいおい、もう中村スレじゃないぞ。
わざわざアゲてまで、くやしまぎれを喚き散らす
>>193みたいなのが脱線させるのよ。
190です。
名無しだからわからないなどと言っていますが、言葉づかいからほんとよくわかりますよ。
番号でレスしてそれがさも自分でないかのように書いていますが、恥ずかしいので辞めた方がいいでしょう。
達意、とか誉めあげてみたりする辺り読んでる方が恥ずかしいです。
191で私の言った事が成立しなくなったなどと書いていますが、191の書いたことは
私の書いたことに何の反論もしえていないことがわからないんでしょうか。
というか191は何を以て私の言説を批判し得たと思えたのかがさっぱりわかりません。
私の文章は直接189の論点のぶれについて書かれたものであり、当の189の側にたつ
人間がひとり「同意」を示したところで、何の痛痒もないのですが。
具体的に反論してください。
なお、192の反論はそもそも反論になっていません。事実の水準と印象の水準を
私はきっちりと分けたのを無かった事にして話を混ぜ返さないでください。
それに、私は一貫して平下ナニガシの発言を題材にして書いているのに、
的外れな一般論で返すのをやめてください。無意味です。
水のごとし云々の一般論に対して私は190で批判したのですから、
その批判に対する批判を展開してください。
あなたの書いたことはすべて、私の批判を無視した上で同じことを繰り返している
だけです。無意味です。
発言数が多ければ有利に見えると思っているのかも知れませんが、あなたの
書いていることは千篇一律に同じなので無意味です。
というか、触れませんでしたが「傑作を駄作と感じる」ことが「誤った印象」だと述べる
183は凄まじいですね。この人にとって「傑作」というのは「評価」や「印象」ではなく
どうやら「事実」らしいです。たぶん、誰一人その存在を知らない「傑作」というのが
この世のどこかにあるのでしょう。読まれる前から傑作であることが「事実」である「傑作」が。
同じく190です。
>記憶喪失でもないし格別に記憶喪失に似たところもないものを
>記憶喪失と譬喩するなら、誤りと判定せざるを得ない。
はじめの方では語り手は「記憶喪失者」ではないから「記憶喪失者」という
印象は間違っている、と繰り返し強弁していたのに、ここに来て「記憶喪失に似ていない」
という条件をつけ加えましたね。大きく後退しましたね。
さて、私は「失われた」を通読したわけではないのでいまいち判断に自身が持てませんが、
私自身は「記憶喪失者が記憶を取り戻すように」という「印象」についてはそれなりに同意します。
一巻が手元にないので当該箇所に当たれないので正確さを欠くけれど、(私も序盤までしか読んでいないし)
マドレーヌのことから過去の出来事をあの仔細さで思い出すさまを
まるで記憶喪失者が自分の記憶を一気に取り戻すかのようだ、という風に表現する、
あるいは、そう感じるというのは理解できます。
事実、彼はそれまで忘れていた事を、ふとしたきっかけで一気に思い出すのだから
わりと適切な喩えですらあるといえるでしょう。(ただ、「スワンの恋」のように
「思い出した」のではないだろう話が紛れてはいますが)
「失われた」のあの記憶を思い出すシーンの劇的なさまを、作品を知らない人に
伝えるのに、平下の印象、比喩は「使える」代物だと思いますね。
もちろん、それが作品内の事実を指しているモノではないのは当然の事なので、
「失われた」を記憶喪失者の話だと嘘をついているわけではないのは当然です。
199 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 18:17:12
/:::: \ /:::::: \.
l:::::: \ ,ノ:::::: \
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>>1 \
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/ ,,.;;;;;;;;; ;人; ;: ,;l.:.:.{ * .} );, ヽ
/ ,.;;-'ニニヾ;;、:;ヽ;; ヽ, ゙ヽ,:.:`--'.,..//゙ ゙、
.! ゙ ;>'",..--、 ゙i;, l;;゙;::i:;) ヽ`'ヽ`゙"゙ヽ;::゙i, l 土日だけは絶対2ちゃんをやらない!!
| / /.:.{ * } ,./,.;:,,,;;;;;;;:;:;:;:;;;/;;゙ ,.-、;;;; : ヾ;;;゙i,. これで忙しい奴だと思われる!!
| i |::.:::.:`--'シノ-‐''"´ _,..,へ (⌒-〉;!:,;;;;;,.. ゙i;;;:! l 完璧だな!!俺!!
.!:,:,: ;;;;:;,l ;;:゙`-==' ,ィ".. i:(⌒`-‐'" _,.-'",,._ ヽ,ヽ;:゙:.. |
l;';';';:;;;;;;:;:.. |;;:l,. ,. ,. ,:;/ `_,,,..--‐''"´ _,..,へ ヾ-〉;!:,:.:.!\
゙!;;;;::;;;;;;;;;:;:;::;;:;:l;;;:!;;:;:;:;:;/ / ,,;____,,...-''i" l_,.-‐! ||;:;::;,' \
゙、;;;;;; ;;;;;;;;;;;;;;;;:l;;:!;;;:::;/ / ,,;/`i l ゙!,..-'゙'iY゙i, ゙!;;;;;/. \
゙、;;;,. ゙'';;;;;;;;,. ゙、;;゙!;: l ,' ;ノ、_ノー‐'^`''" ,..ィ' l`'l .!;;/ \
|ヽ:,:,:,:;;;;;;;;;,. l;;;゙i |i_/∠i゙i'"゙i‐┬‐┬'''i"_,ノ"/ .// \
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_ノ::::::::::::\;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ, ゙''ー-‐''" //
,/:::::::::::::::::. ゙ヽ、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、__,...-‐'",./
,ノ:::::::::::::::::. ゙''-、;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,...-'
申し訳ありません、再々度190です。
私は「失われた」を下敷きにしたという四季四部作に興味があるのでその話を聞きたかったのですが、
出しゃばりすぎたようですのでこれで引っ込みます。
粘着してる人はまた何か言うでしょうが、たぶん前と同じことなので、もういいです。
何か反論するに値する中身のあることを書いてきたらまた出てくるかも知れませんが、
では。
...このスレ、もう削除した方がよくない?
202 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 18:20:18
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`) すいませんが ちょっと
| / ここで うんこさせてもらいますよ
ブリブリ (_(_,. )
人 しし'
(__)
(____)
お、さすがにサゲてきたね。でもなんかトンチンカンだあ。
>>191が登場した以上、
>>190が論敵を「君一人」としたのは誤り(自演でない限り)。
また「印象の水準」については、
>>192は「例え」でも間違った比喩があり得ると再批判してるでないの。
>>197 それを認めるからこそ、君も
>>197で比喩の妥当性を説明して、間違った比喩でないと主張してるんでないかい?
怒りに目を眩ませずに、冷静にな。それと、できればもう少し簡潔に。
そもそも
>>73は「まるで〜かのようだ」みたいに比喩として表現してなかったし。
205 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 18:26:55
俺は昔から好奇心が強かった。
カンも鋭い方だった。
友達と話しているとき、笑うタイミングが自分だけ早いと感じたこともあった。
高1の頃、俺は「国」に興味を持った。
主に日本の外交・教育に関することや諸外国との関係を脳内で結びつけ、組み立てることが楽しかった。
高3になると人間のことを考えるようになった。
嫌な人と好きな人ができたことが切っ掛けだった。
鬱になったり興奮しなくなってしまったりしたが、最終的に考えるべきではない という結論が出た。
しかし、人間に対する興味はなくならず、むしろ強くなった。この興味は知的好奇心とかでなく、ただ感じたいと思う欲求だと思う。
そして、如何なる事でもどう感じるかは自分次第であり、自分はこれから目的のための手段を磨かなければならないと思った。
かなり深いところまで考えているはずなのだが、最後に残るのは極表面的な答えのようだ。
俺はこの思考を分解ゲームと名付けている。
全体を見るのは感じることでしか出来ないが、これは考えることで全体像を把握しようという試みなのだと思う。
様々に切り込みをいれて一つずつ分解し、頭の中で再構築していく。すると勝手に設計図のようなものができあがる。
思考ゲーム中は脳に考えを任せ、自由に考える。
考えによって鬱になったり楽しくなったりし、怖いが納得いくまでは止まらない。
人間の心理を題材にすると本当に気分が悪くなり、すべてのことに萎えてしまうので、もう行わないことにしている。
自分が人間である以上、「人間」は感じるべきで、分解してはいけない。
それはゲームの土台を分解することであり、ルール違反どころでなく、ゲーム自体を破壊する行為だからかもしれない。
無理にゲームを続ければ、人間をやめるか、脳を壊すかのどちらかを選択することになるだろう。
言葉にすると微妙なニュアンスが違ってしまいますが、自分の感じるままに書きました。
>>1さんは同じような経験がお有りでしょうか?分解ゲームについてどう思いますか?
206 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 18:27:31
彡彡⌒ミ
.| ・ ・|
.|C ゝ |
.\ ー /<ちんぴょろすぽーん
_| ゝ |_
\
 ̄| ・ ・| ̄\○
| |
/ ≡≡≡つ・゚・゚・。
| | | |
○ ○
>>197 >達意、とか誉めあげてみたりする辺り読んでる方が恥ずかしいです。
誤読ですね。よく読め、
>>191はだれも誉めあげとりゃしません。
平下の「記憶喪失」って「例え」に対して、「達意ということを考え」て読むと
「表現が独りよがり」だ、よって
>>189の批判に同意する――と言ってるんでしょ。
これで197の読解力はちょっと怪しくなったわけだが。
でも、もしかして今度は、読解に誤読など無い、と言ってくるかも?
印象に誤りも何もないとか断言した主観一本槍な人だけに。
>78 :平下流 :2005/11/28(月) 01:34:54
>記憶喪失者が徐々に過去の記憶を取り戻していく。
>198 :吾輩は名無しである :2005/12/27(火) 18:12:36
>まるで記憶喪失者が自分の記憶を一気に取り戻すかのようだ、という
「徐々に」と「一気に」ではだいぶ話が違ってくるネ。
どっちが「誤った印象」(笑)で、どっちが「正しい読解」かなあ?
強引にスレの本題に戻せば、中村真一郎はどっちに解釈して四季四部作を書いたと見るか。
くだらんことばかり書くな
>>210 だらんことでもないだろ。部外者ならでてきけ。
212 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 23:31:58
213 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 23:36:38
嘘つくな。
214 :
吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 03:31:54
雑誌名は忘れたけど、中村さんの読書日記
毎月楽しみだった。代われる人が出てこない
のが残念! こういう文学者らしい文学者は
もういないのでしょうか?
215 :
吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 03:34:18
ここにいますよ。
216 :
平下流:2005/12/28(水) 22:29:55
>>190氏へ
私の文の件でご迷惑をおかけしております。
同じように感じる方がみえて、ホットしています。
217 :
平下流:2005/12/28(水) 22:59:24
>>214 雑誌は「すばる」でした。『読書日記』ふらんす堂1998年1月(限定1000部)として単行本が出ています。
帯より。
表「読書は精神の働きである。肉体の跳梁に任せる訳には行かない。以って自戒の辯とする。---(著者)」
裏「雑誌『すばる』(集英社発行)に連載の読書日記より1996年1月から12月までを収録。ギリシャ古典から漢籍・現代小説まで、東西の書に幅ひろく親しむ読書人の軌跡。『古典』への思い、そして『前衛』とは何か。」
>>216 だからぁ、「徐々に」と「一気に」では全然「同じよう」ではないって。
219 :
吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 23:27:37
>>218
しつこい!
>>217 >表「読書は精神の働きである。肉体の跳梁に任せる訳には行かない。
そうだったんだが、どうもね、心身二元論は21世紀的ではないような気がス。
最新脳科学を踏まえると、認知哲学は限りなく肉体に接近していき、
心身の境界は文字通り「文目もわかぬ」ような・・・
精神とは何か?を、問い直すべき時機かも
心身二元論の破綻など既に二〇世紀に、メルロ=ポンティの身体論で明らか。
中村真一郎が老いて旧弊になってただけです。
ネルロ=ポンティが旧いって言ってるだが・・・
ネルロって、『フランダースの犬』の訳文ではあるまいし。
それにメルロ=ポンティが旧いなら、中村真一郎はもっと旧いわけよ。
二十世紀文学とか言ってる癖にね。
>223
バカがからんで鎌ってもらおうってか。
可哀相に。
ヒキコモッて何年くらいになる?
もっとボクを「鎌」って、てか。笑 224も淋しいんだね
226 :
平下流:2006/01/01(日) 05:08:09
>>220 帯の表の文は「あとがき」から採っています。
誤解があってはいけないので、参考にその前の文章を書いておきます。
「それと、毎月ごとに『懐かしい』という懐古的な言葉の頻出するのにも驚いた。私はいつの間にか、未来に向かって読む態度を、過去に向かってするように変えていたのか。これは肉体という奴が、忌々しくも精神に反逆して、老化を主張しはじめたからに相違ない。
読書は精神の働きである。肉体の跳梁に任せる訳には行かない。以って自戒の辯とする。
太平洋上の九八年の初日の出を待ちながら伊豆海星巣にて
中村真一郎 」
初日の出を見ることなく真一郎は12月に永眠しました。
227 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/01(日) 05:23:33
合掌。。。
>>226 老化に抗したつもりで、その精神主義こそ老化のあかしと気づけなかったわけね。
229 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 03:50:55
>>227と
>>228と
どっちが文学の心を、いや文学の前提としての人間の心を持っているかが肝心なところですね。
なるほど、感傷的になって大甘に見るのが、文学の心か。
231 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 08:47:07
>>230 その通りですね。
いつもながら、貴方の指摘の的確さに感心しています。
今年も、頑張ってください。非常に参考になります。
すると、若き日の中村の理知的な作品・批評は、文学の心が足りないな。
233 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 09:07:38
>>232 まったく仰るとおりだと思います。
まさしく、そこが中村の最大の、そして致命的な欠点でしょう。
イヤむしろ理知を誇りながら感傷性に墮してるのが、
初期から変らぬ中村真一郎の短所では?
235 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 23:35:34
鼻を穿りつつアゲ。
みんな仲良く恥じ入りましょう。
236 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/13(月) 23:59:05
軽井沢の別荘はどうなったんでしょう?
237 :
吾輩は名無しである:2006/04/26(水) 22:10:56
強羅に別荘を建てたのがよい。
いかにもスノッブな贋物っぽくてよいってか?
239 :
吾輩は名無しである:2006/04/26(水) 22:32:37
俺は昔から好奇心が強かった。
カンも鋭い方だった。
友達と話しているとき、笑うタイミングが自分だけ早いと感じたこともあった。
高1の頃、俺は「国」に興味を持った。
主に日本の外交・教育に関することや諸外国との関係を脳内で結びつけ、組み立てることが楽しかった。
高3になると人間のことを考えるようになった。
嫌な人と好きな人ができたことが切っ掛けだった。
鬱になったり興奮しなくなってしまったりしたが、最終的に考えるべきではない という結論が出た。
しかし、人間に対する興味はなくならず、むしろ強くなった。この興味は知的好奇心とかでなく、ただ感じたいと思う欲求だと思う。
そして、如何なる事でもどう感じるかは自分次第であり、自分はこれから目的のための手段を磨かなければならないと思った。
かなり深いところまで考えているはずなのだが、最後に残るのは極表面的な答えのようだ。
俺はこの思考を分解ゲームと名付けている。
全体を見るのは感じることでしか出来ないが、これは考えることで全体像を把握しようという試みなのだと思う。
様々に切り込みをいれて一つずつ分解し、頭の中で再構築していく。すると勝手に設計図のようなものができあがる。
思考ゲーム中は脳に考えを任せ、自由に考える。
考えによって鬱になったり楽しくなったりし、怖いが納得いくまでは止まらない。
人間の心理を題材にすると本当に気分が悪くなり、すべてのことに萎えてしまうので、もう行わないことにしている。
自分が人間である以上、「人間」は感じるべきで、分解してはいけない。
それはゲームの土台を分解することであり、ルール違反どころでなく、ゲーム自体を破壊する行為だからかもしれない。
無理にゲームを続ければ、人間をやめるか、脳を壊すかのどちらかを選択することになるだろう。
言葉にすると微妙なニュアンスが違ってしまいますが、自分の感じるままに書きました。
>>1さんは同じような経験がお有りでしょうか?分解ゲームについてどう思いますか?
240 :
吾輩は名無しである:2006/04/27(木) 19:05:49
>1957年の妻の急死をきっかけにして、精神を病み、ロボトミーの手術を受けて、過去の記憶を部分的に失い、
>その予後として、江戸時代の漢詩を読むようになってから、いままでの西洋の文学に加えて、
>漢文学の要素が作品に加わっていくようになった
(wikipedia)
何か凄い経歴の人だね。
241 :
吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 09:44:10
1953年に出た中村の評論&エッセイ集「文学の創造」を読んでいる。県立図書館で借りた。
とにかくこの人は自然主義と私小説が親の敵よりも嫌いだったんだね。
田山花袋やゾラの悪口なら一日中でもしゃべれるんじゃないの、この人は?
242 :
吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 12:13:18
『雲のゆき来』は結構面白かった。
小説の形式を借りた評論って意味では丸谷才一『輝く日の宮』に似てるかも。
243 :
吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 13:44:48
四季四部作は「四季」「夏」「秋」を読了した。「冬」も今年中には
読了したい。
244 :
吾輩は名無しである:2006/04/30(日) 08:40:47
>>241 >ゾラの悪口
「自然主義」はヨーロッパと日本では全く別物。
篠田一士が指摘しているように、日本では「耽美」だと
思われがちな永井荷風の方がゾラには近いと思う。
245 :
吾輩は名無しである:2006/04/30(日) 15:39:04
「文学の創造」読了。
中村は、日本の「自然主義」の私小説は、独仏浪漫派と仏自然主義小説の
あまりできの良くない折衷品だという意味のことを書いていた。
246 :
吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 16:19:54
>>243 俺はちょうど一昨日『冬』を読了した。
今は『小説構想への試み』の二冊で復習中。
247 :
吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 20:46:12
>>246 それって「四季」4部作の創作ノートみたいな本なの?
248 :
吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 23:00:13
>>247 その通り。もっとも、はじめからそういう「ノオト」があったわけではなく、
作者が折々に記していった断片的なメモを、順に配列している。
本は上下二段に分かれていて、上段がそのメモ類、下段にそれに対照して中村さんの解説がついている。
249 :
吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 10:20:23
「四季」も愛読しているが、『感情旅行』も良いよ。
確か昭和30年ごろの短編(中篇)だけど、中村さんも心の赴くままに気楽に書いたと言う感じでとても読みやすいし。
旅情も出てるし、過去の人びとに思いを馳せるところなんてもう……
ついでに言えばFちゃん萌え〜
250 :
吾輩は名無しである:2006/05/11(木) 20:14:57
中村先生の著作リストが載ってる本てあります?
251 :
平下流:2006/05/13(土) 04:01:00
>>250 『加藤周一・中村真一郎・福永武彦集』 [現代日本文学大系82] 昭和46・6 筑摩書房
翻訳も含めて約100冊が載っています。
最近の講談社文芸文庫の巻末に著作リスト、
ありますよ。
251は古すぎ。碌に中村真一郎の本を見てないらしいね。
平下流は古本屋の女主人
あっそ。それで?
256 :
吾輩は名無しである:2006/05/14(日) 23:28:31
104 名前:吾輩は名無しである :2006/05/14(日) 23:11:56
先日、平下流の古本屋に立ち寄った。
東京は明治通りである。図書館学的に丁寧に整理されており
大変気持ちのいい書店である。主人である平下流は、
目鼻立ちの整った50前後の女性で、小粋な眼鏡を鼻にひっかけている。
服装のセンスも抜群によく、やや地味で薄暗い店内に自ら華を演出する。
もう一度、いや、故意の乗り越し電車でもし、用もないのに立ち寄って見たい
都内屈指古書店である。
105 名前:吾輩は名無しである :2006/05/14(日) 23:39:09
104か平下流かが図書館学を理解してないことは、わかった。
図書館学よりも、図書館情報学といって欲しい。
古本屋でNDC分類というのも、なんだかなあ。
これ大して優れた分類法じゃないし。
何か専門を持ってる人は実感してると思うけど。
例えば、日本史。本の捜しにくいことといったら…
しかも、1995年改訂の9版でさえ、「建武の中興」とか出てるし。
もう、バカかと、アホかとry
260 :
吾輩は名無しである:2006/05/19(金) 19:28:24
「読書好日」をこれから読みます。
261 :
吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 06:18:34
水声社から『城北綺譚―あるいは、「忘れな草」』
という本が新しく出たので、
それを記念して、あげ。
水声社からは、旧作2点も同時に刊行されてます。
263 :
吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 22:25:52
水声社の、「中村真一郎コレクション創刊」とかなってるから、今後もいろいろ出るのかな?
期待あげ
264 :
吾輩は名無しである:2006/05/26(金) 08:57:46
>>263
聞いたことのない出版社だな。ホームページとかはあるのかな?
「読書好日」読了。ワイ本の話が面白いのなんの。
水声社っていえばさ、結局サド全集は『ガンジュ』『アリーヌ』だけで
ポシャったのかな。植田氏なんかもリストアップされてたような、違ったような。
ところでこの中村眞一郎ってひとは、ずいぶん風変わりなんだな。
中年になって江戸の漢詩文にこころ惹かれたからって、
数千巻もの木版本を買い集めたっていうんだろう。
一日一巻読んでいって、十年間で木版本だけでも約三千六百ってことか。
そんなら石川淳ふうにいえば、美容術の秘訣をきわめた面貌をしていたはずだよね。
わたしは爺さんの頃のすがたしか見たことないけど、ふむむって思う。
『頼山陽とその時代』は復活しないのかな。
中公文庫は何やってる。
267 :
吾輩は名無しである:2006/06/08(木) 20:00:15
来月、講談社文芸文庫より『1946文学的考察』が
出るというので、また、あげ。
268 :
吾輩は名無しである:2006/06/10(土) 21:40:14
>>267 そんな現在でも本屋で新書で買える本を出すなら、他の小説出してくれればいいのに。
『死の影の下に』の続編とか、『四季』とか…
269 :
平下流:2006/06/10(土) 21:56:07
>>268 新書版の変形で冨山房百科文庫で出ていましたが、そのことですかね。
冨山房百科文庫版は、もう品切だと思うよ。
271 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 07:57:25
連中の押韻の試みは三好達治にメタメタに批判されてたよね、馬鹿馬鹿しい。
272 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 08:38:28
中村真一郎と吉田健一って、どういう関係だつたのだろうか?
アングロファイルでプルースティァンで、反自然主義で、読書家で
と共通項が大変多いように思うが、お互いの本の中になまえがでてこない。
どうしてかな?と長年疑問に思っています。
274 :
吾輩は名無しである:2006/06/11(日) 16:31:01
下宿の木更津屋書店を
なんでわざわざ
S宿のK屋書店と
するのかな
『群像』7月号に丸谷才一の中村真一郎論。
すまん『群像』で正しかった。
278 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 12:23:27
「死の影の下に」五部作および「四季」四部作読了あげ
それはおめでとう。わたしゃ、最初の「死の影の下で」の50頁ぐらいで
とまったきり。
280 :
吾輩は名無しである:2006/07/09(日) 14:23:26
保守
281 :
吾輩は名無しである:2006/07/12(水) 23:29:59
>>281 『雲のゆき来』は素晴らしい小説だ。以上。
283 :
吾輩は名無しである:2006/08/01(火) 12:33:29
…そのような思考に囚われているうちに、ふと私の裡にはこのスレの将来が柔らかな桜色の靄のなかに掻き消えていくような
なにか幻想に似たような光景が浮かび上がってきた。そのどことなく物憂い気分の只中で、突然に意識されてきたものは、
つまり、私自身が今すぐにこのスレを上げなくてはならないといったような、焦燥にも近い衝動的な思いだった。
そうしているうちに、次第に私の中にかつて―それはもう大分昔のことになるのに違いないのだが―このスレを草創し発展させてきた、
我々の祖先たちの面影が手に取らんばかりに浮かび上がってくるのだった。…
284 :
吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 10:15:17
>>283 君は昔からそういった理屈っぽいことが好きだったな。小説家になるとか言って、どこにでもノートを持って歩いていた。
でも、停年間際になった今、俺は気付いたんだ。
過疎化したスレは何も考えずに素直にあげるべきだとな。
285 :
吾輩は名無しである:2006/09/10(日) 00:18:51
中村真一郎 「女たち」中公文庫 160円で買いました。
286 :
吾輩は名無しである:2006/10/23(月) 13:53:46
向井敏曰く、「どんなくだらない本でも長所を見つけることの出来る名人」。
287 :
吾輩は名無しである:2006/10/25(水) 20:20:35
中村の読書は、ダボハゼみたいなのね。選別排除が足りない、と。
289 :
吾輩は名無しである:2006/10/26(木) 00:45:25
中村真一郎は大学時代だかにめちゃくちゃな乱読速読をしていた時期があって
それを知った堀辰雄(芥川の弟子)に「そうゆうことやってると芥川さんみたい(自殺)に
なっちゃうよ」と忠告されたらしい。
290 :
吾輩は名無しである:2006/10/26(木) 01:49:56
291 :
吾輩は名無しである:2006/10/26(木) 02:11:47
岩波新書「愛と美と文学」です。またその本のん中で、
芥川はものすごく本を読むのが早く、英訳のバルザック選集
十何巻かを一月で読んだと書いてた。
292 :
吾輩は名無しである:2006/10/26(木) 20:11:30
中村先生って友人・知人の間では「中村は、読む本がなくなると電話帳を読む」
って言われてたんだって。とっくにガイシュツかもしれんが。
293 :
吾輩は名無しである:2006/10/26(木) 23:09:03
ありがとう。中村真一郎はよく読みますが、その本はまだでした。
294 :
吾輩は名無しである:2006/10/27(金) 02:15:00
その本の中で堀辰雄が言ってるのがすごいんだけど、
堀辰雄「芥川さんは本を早くしか読めない人だった」
295 :
吾輩は名無しである:2006/10/27(金) 02:22:04
でもたぶん絶版だとおもいます。
古本なら入手しやすいとおもいます。
「頼山陽とその時代」みたいな貴重本でもないから。
>>290では無いが、その本持ってたわw これから読む。
ありがとう。
297 :
286:2006/10/30(月) 10:08:01
>>287 向井敏『文章読本』。
野間宏の悪文が向井にボロクソに叩かれているが、
中村は戦後派同士ということで野間のその本を
「誠実な著作」と評したとか。
298 :
吾輩は名無しである:2006/11/17(金) 01:19:08
>>289 それってどこかで読んだんだが、何に書いてあったっけ?
300 :
吾輩は名無しである:2006/11/18(土) 02:28:55
301 :
吾輩は名無しである:2006/11/19(日) 14:35:37
小説読むゾウ
302 :
298:2006/11/21(火) 00:59:55
>>300 ありがと。直後に書いてあったのね。
っていうかその本持ってないのにその一文はどこかで読んだ。
何に引用されてたっけか。
ちなみに『愛と美と文学』はまだ売ってる?
>>302 岩波のホームページ見ると「愛と美と文学」は新刊では手に入らないみたい。
中村はそのエピソードを何度も書いてるよ。
森銑三・柴田宵曲「書物」(岩波文庫)の解説でも書いてるし、
あと確か「私の履歴書」でも書いていたと思う。
304 :
吾輩は名無しである:2006/12/06(水) 18:57:08
図書館で角田文衛・中村真一郎の「おもしろく源氏を読む 源氏物語講義」を
見つけてきた。中村氏の源氏に関する本を読むのは久しぶりだな。
305 :
吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 08:38:07
小説読まなきゃ
306 :
吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 12:15:28
エッセイは、あれほど読みやすくて面白いのに小説は難解そのものだよな。
四季四部作は「冬」だけが未読なんだよな。
307 :
吾輩は名無しである:2006/12/31(日) 18:44:34
『夏』のA嬢ハァハァ
>>304 角田と組んでるのが「らしい」気がする。
角田は奥さん曰く大の女好きだとか。
309 :
吾輩は名無しである:2007/01/12(金) 21:22:42
A嬢ノ(ァノ(ァ
310 :
吾輩は名無しである:2007/01/17(水) 03:41:24
文壇最後のディレッタントかな。
312 :
吾輩は名無しである:2007/01/25(木) 01:38:53
?
314 :
吾輩は名無しである:2007/01/29(月) 21:09:34
A嬢がたまらない…
315 :
吾輩は名無しである:2007/01/31(水) 05:13:18
『中村真一郎の会』というのがあるんだが…。
安東次男とは交流は無かったのかな?
317 :
吾輩は名無しである:2007/02/06(火) 16:56:33
A嬢のためなら死んでもいい!
318 :
吾輩は名無しである:2007/02/08(木) 19:37:41
A嬢……
319 :
吾輩は名無しである:2007/02/15(木) 20:04:06
A嬢かわいいよA嬢
320 :
吾輩は名無しである:2007/02/17(土) 17:05:31
14日にA嬢からチョコもらった!
321 :
吾輩は名無しである:2007/02/19(月) 21:38:50
こんどの日曜はA嬢とどこに行こう…
322 :
吾輩は名無しである:2007/02/19(月) 21:47:56
…と思った私は、机上に置かれた手帳を取上げると、過去にA嬢と共に行った場所を確認し始めた…そして…
323 :
吾輩は名無しである:2007/02/22(木) 18:46:06
…そのような思考に囚われているうちに、ふと私の裡にはこのスレの将来が柔らかな桜色の靄のなかに掻き消えていくような
なにかの幻想に似たような光景が浮かび上がってきた。そのどことなく物憂い気分の只中で、突然に意識されてきたものは、
つまり、私自身が今すぐにこのスレを上げなくてはならないといったような、焦燥にも近い衝動的な思いだった。
そうしているうちに、次第に私の中にかつて―それはもう大分昔のことになるのに違いないのだが―このスレを草創し発展させてきた、
我々の祖先たちの面影が手に取らんばかりに浮かび上がってくるのだった。
とそのとき、それらの中にしだいにぼんやりと形をなしてきた女の顔のようなものがあった。私がそれをあの懐かしいA嬢の横顔だという風に
見分けられるようになったのは、それからかなりの時間が経過してから後だった。
324 :
吾輩は名無しである:2007/02/27(火) 12:43:41
ああ!A嬢!
325 :
吾輩は名無しである:2007/02/27(火) 13:40:40
…という思いが自分の内側で再度喚起してくることを私は確実に感じた。
その時の私は、何か巨大で無限に深く潜行した物体が急速に水面へと浮上していく、そうした物体に擬せられるかのような浮遊感の中にいた。
その物体は私にとってはどこか甘美で暖かく切実な快感を付与する性質の存在であったのだが、…
326 :
吾輩は名無しである:2007/03/21(水) 16:22:45
A嬢!!!
O嬢のまちがいでねぇの? 渋龍訳のアレ
328 :
吾輩は名無しである:2007/03/30(金) 00:56:23
A嬢じゃなくて、AV嬢の間違いでした。
329 :
吾輩は名無しである:2007/04/02(月) 17:55:40
>>327-328 ちげーよ!!
A嬢(*´Д`*)ハァハァ/lァ/lァ/ヽァ/ヽァ ノ \ア ノ \ア / \ ア
330 :
吾輩は名無しである:2007/04/03(火) 22:41:43
いかにも、真一郎のスレに相応しい展開。
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
332 :
吾輩は名無しである:2007/04/19(木) 00:14:31
A嬢…
333 :
吾輩は名無しである:2007/04/19(木) 00:18:23
文章読本
334 :
吾輩は名無しである:2007/05/02(水) 23:04:01
A嬢こそわが人生
335 :
吾輩は名無しである:2007/05/29(火) 23:52:03
A嬢はわが心の太陽!
336 :
吾輩は名無しである:2007/06/15(金) 10:49:57
民族の太陽!
偉大なるA嬢!
頼山陽とその時代講談社文芸文庫あたりから復刊してくれないかな...
どうせ中公文庫からも結構引き抜かれてんだし。
339 :
吾輩は名無しである:2007/07/23(月) 20:02:35
あっ!ああ!A嬢!
340 :
吾輩は名無しである:2007/08/07(火) 21:43:09
A嬢参院選当選!
>>337 ハゲド。
古書3巻揃い安くて6000円。高値つけるとこはその2倍。高杉
342 :
武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/08/08(水) 01:27:13
>>337 同志!
これ本当面白い。
文人の人脈相関図が素晴らしい。
山陽だけしゃないんだよね魅力的に書かれてるのは。
中公で時々復刊文庫あるから、マメにチェックすんだけど全然だね。
やっぱりナベツネ読売に買収されたのがよくなかったか?
343 :
吾輩は名無しである:2007/08/08(水) 04:15:25
そうなんだ
まあ、割と簡単に手に入るようになった『江戸漢詩』で我慢しろってことですか...
一葉、荷風、安東次男、大岡信、この人と、「高級武士・幕臣の子孫による文学」の系譜が出来そう。
中村は高級武士・幕臣でもなかったっけ?
まあ幕府好きだけど。
秋に手を出してみたけど読破する自信がないなこれは…
もうちょっと歳を重ねたら読めるようになるんだろうか
347 :
吾輩は名無しである:2007/08/08(水) 17:31:04
新潮社刊の中村の読書エッセイ集「読書は愉しみ」と「本を読む」を
読了した。他市の図書館から相互貸借で借りて読んだ。本当に途轍もない
読書家だよなこの人。失われた時もルーゴン・マッカールも人間喜劇も
トーマス・マンのヨセフも源氏物語も大学卒業するまでに(もちろんどれも原語で)
読んだっていうんだから。この人が10代・20代のときに読んだのと同じ量を
オレは一生かけても読めないんじゃないかと思っている。
この人の小説は苦手だが(「四季」四部作は完結編の「冬」が未読)
評論や読書エッセイの類は大好きだ。自分の世界が広がるような楽しさがある。
この人の評論でいちばんすごいのは「王朝物語」だろうね。大学1年の秋に読んで
文字通り圧倒されたもんだ。
相互貸借で貸し出し以来をした「芥川龍之介の世界」が市立図書館に着くのを
首を長くして待っているところ。
ドイツ語も読めたの?それはすごい。
大抵の人間は英仏だけで限界なのに。
その一方で向田邦子のファンだったというのがほほえましい。
349 :
吾輩は名無しである:2007/08/09(木) 11:42:41
>>346 今いくつだい?
大学2年生の俺でも読めたからそれ以上ならきっと大丈夫だ。
彼は英独仏が読めたし、古文や漢文も読めた。
ロシア語やラテン語やギリシア語にも挑戦したが挫折したと本人が書いてましたよ。
向田邦子のファンだったというのは初耳です。
>>346 私は「四季」を19歳のときに、「夏」を21歳のときに、
「秋」は27歳で読みました。「冬」は未読。
352 :
吾輩は名無しである:2007/08/09(木) 11:49:13
しかしずっと過疎スレで、A嬢厨だけがageてるようなスレだったのに、
なんで急に賑わってるんだろう?
何でだろうな。
日本の仏文系文学者には珍しく、フランス中世文学もかなり読み込んでる模様。
(実際に読んでるかどうかは著作をみれば見当はつく)
色んなところで宣伝してた『アストレ』、この人に翻訳して欲しかったな。
(原文でも読めるとは思うが、なにぶん面倒くさいので...)
古書屋でこの人が訳した「狭衣物語」と「浜松中納言物語」を
見つけたとき、マジで嬉しかった。
今からでも講談社文芸文庫入りを待つか?
>>347 >本当に途轍もない 読書家だよなこの人。
ドーイ。すごい人だと思う。それが基礎になってるから
半端な眼じゃないのかも。透徹した審理眼
ベルエポック好きなのにコレットに言及している気配がないのは不思議。
弟分の篠田一士や丸谷才一は絶賛してるのに。
ちなみに安東次男もコレットの『去り行くクローディーヌ(Claudine s'en va)』を訳している。
ああいう「古典快楽主義系」のフランス文学者にはコレットほどツボにはまる存在もないだろうと思うのだが...
「芥川龍之介の世界」が届いた。さあ読むぞ!
「芥川龍之介の世界」を読んでいる。
芥川は詩人になりたかったのではないか、現代日本語が中国語や
インド・ヨーロッパ語と比べると甚だしく詩作に不向きなので
小説家の道を選んだのではないかという指摘が興味深かった。
中村は「文学の創造」だったと思うが、日本の口語文は欧州の詩の
脚韻を再現することが出来ないので、欧州の詩を邦訳すると
その意味しか伝えることが出来ず、「詩みたいな文章」でしかなくなって
しまうと嘆いていたことがあった。
そういえば岩波文庫のハイネ「歌の本」は5・7・5のリズムで訳してあるね。
あれも原文の味わいを伝えたいという訳者の苦肉の策なのだろうか?
「芥川龍之介の世界」読了。次は岩波新書「色好みの構造」を読みます。
芥川は日本的な「家」の人間関係と文学を両立させようとして行き詰った、
って中村が言ってたな。
364 :
吾輩は名無しである:2007/08/17(金) 16:29:46
あっ、ああん!A嬢!
中村真一郎「私のフランス」を図書館で借りた。
中村の東大卒論が入っているとは思わなかった。
「ジェラール・ド・ネルヴァル 近代末期精神の典型」だ。
彼にネルヴァルの研究をするようにすすめたのは
堀辰雄と小林秀雄なんだね。知らなかった。
中河与一とか梶井基次郎とかあの辺の面々には言及して無いのかな?
この人は本質的に「ロマン主義」好きなのだろうと思う。
(ただし、あくまでも「古典主義の延長としてのロマン主義」だけど)
「私のフランス」に入っている1972年に書かれたフランス紀行を読んでいる。
著者がロワール河畔の城を見て回るんだが、これを読んでると大デュマや
メリメの歴史小説が無性に読みたくなってくるな。
中村の読書随想「読書三昧」を図書館で借りてきた。
「読書は愉しみ」「本を読む」の続編。
岩波新書「色好みの構造」を読んでいる。平安時代の天皇の後宮には天皇の
乳母だった女性がよくいたという。読んでいて勃起した。
母親代わりになって帝を育てた女性が、帝の愛人になり、帝に性教育を
するのが当時は当然のことだったのだそうだ。マザコンの気が多分にあり、
シルビア・クリステルが思春期の少年の筆おろしをしてやる映画が大好きなオレは
平安時代の天皇になりたいと思った。母親代わりの女性に筆おろししてもらう
なんて最高ではないか!
つまり20才位上に教育してもらえたわけか...
「西欧文学と私」をこれから読みます。
英文学系のスレで非難轟々の阿部知二の小説をどっかで推薦してて
かなりがっくりしたな...
>>372 2ちゃんスレへの信頼度が厚いんだな。
自分で判断したら?
中村の著書「小説入門」の相互貸借の依頼を市の図書館に
したのだが、まだ連絡がない。
>>373 オースティンの古臭い訳文はざっと読んだよ。
ヘボ翻訳者といえば龍口か阿部かって感じ。
376 :
吾輩は名無しである:2007/09/08(土) 20:50:09
「小説入門」を借りてきた。初版が昭和37年に出た本で、1960年代には
大学の教養課程の教科書として使われることもよくあったという。
一般向きにくだけた文章で書かれているが(口述筆記か?)
レヴェルの高い小説論&文学史本だと思う。さすが中村真一郎だ。
アンチ自然主義のイメージが強い中村がゾラのルゴン・マカール叢書を
結構褒めているのも興味深い。
彼はある本のなかではフローベール・モーッパッサン・ゾラの作中人物は
プルーストのそれと比べたら泥人形のようだとまで言っているのにね。
自分は光文社文庫版で持ってるよ。
最近の古典新訳文庫もそうだが、
こういう本を文庫にしてるから
光文社も侮れない...
今度は図書館で新潮文庫「王朝文学論」を借ります。
中村の読書随想「読書の快楽」を読了。1993年12月に出た本だから最晩年の
著作だ。1990年から1993年までの間に毎日新聞などに連載した文章を収録している。
小田実の長編「ベトナムから遠く離れて」を「バルザック的」「ラブレー的」と
絶賛しているのが興味深かった。読了したとき「ショウセツシナズ」という電報を
小田に打ちたくなったのだそうだ。最近亡くなった小田実は、晩年は「ソ連のスパイ」
だの「北朝鮮の犬」だのとボロクソに言われていた。思想的にはオレもあまり好きではない。
だが作家としての小田は再評価される必要があるのかもしれないと思ったりした。
中村と小田が対談した「中村真一郎+小田実=対話編」という本も近いうちに読むつもり。
小田の本は岩波新書や講談社文庫などで十数冊持っているが、
実のところ小説は「アメリカ」しかないし、しかもちゃんとは読んでないww
明日「小説家ヘンリージェイムズ」を借りに行く。
これを手引きにしてH・ジェイムズを読んでいこうと思う。
大昔、新潮選書「源氏物語の世界」を手引書にして「源氏」を
よんだように・・・
中村先生が大好きだったH・ジェイムズだがぶっちゃけた話難しいのかな?
昔「デイジー・ミラー」読んだことがあるがほとんど印象に残っておらん。
>>381 面白いよ。
中村真一郎云々というより、H.ジェイムズのガイドとしてオレは読んでいる。
中村先生の父上って西洋カブレの無能な実業家モドキでしか
なかったような気がする。法隆寺の柱がギリシアの神殿と同じ
エンタシスだって言う説も戦後の学界では否定されてるらしいし。
384 :
吾輩は名無しである:2007/09/27(木) 03:10:57
その説って、和辻哲朗や伊藤忠太じゃなかった?
385 :
吾輩は名無しである:2007/09/27(木) 03:23:41
法隆寺の屋根の曲線が最速降下線であるというトンデモ説に比べれば可愛いもんだ。
386 :
吾輩は名無しである:2007/09/27(木) 14:19:24
中村の「わが心の詩人たち」(潮出版)てどんな本?
ネルヴァールとかヘルダーリンとか彼が好きだった詩人たちのことを書いてるの?
教えてディープな中村ファンの人。
この人、絶対テレビとか観ないだろうなって思ってたら
『王朝物語』で後藤久美子や小泉今日子の名前が出てきてかなり驚いた。
「読書の快楽」には宮沢りえの名前がでてきますぜ。
さすがだ...
中村の文庫は中公の方はいかにも中公にふさわしい作品ばかりなのに、
新潮のほうは小説はともかく評論が「なぜこれが新潮文庫?」って思わされるのばかり。
『俳句の楽しみ』とか『王朝物語』とか...
逆に言えば新潮でも『王朝物語』なんかを文庫にしてた時代があったんだな。
丸谷の『新々百人一首』はその名残か...
392 :
吾輩は名無しである:2007/11/21(水) 14:36:45
冬樹社の「批評の暦」を読んでいる。
昭和20年代から40年代にかけて中村が書いた文芸時評的な
短い文章を沢山収めた本。
今読んでて気になるのは、著者がことあるごとに当時の日本が
ごみごみとして遅れたしょうもない社会であることを強調したセンテンスがあちこちに
見られること。でもって「こんなしょうもない時代にこそこういう本(作品)は
得がたいものなのだ」という賛辞にもっていく。
これって戦争で英米にボロクソに負けた直後の時代に書かれた文章だからなの?
それとも自国をしょうもない国のように言う(書く)のが当時は
流行だったのか?
ちょうど現在、愛国者のポーズを文中でとるのが流行になっているように。
戦時中言いたいことが何一つ言えなかった反動でしょう。
吉田健一にも似たようなところはあるし。
394 :
吾輩は名無しである:2007/11/24(土) 21:35:06
「読書日記」(ふらんす堂)を読了。1996年の日記なので最晩年の著作だ。
阿刀田高編の短篇アンソロジーに自分の作品が入ってるのだが、
大昔に書いたそれも最も不出来な作品だった。自分の最近の作品は
同業者の間でさえ読まれておらぬのか・・・と嘆いていた。
かく言うオレも中村先生の評論やエッセイは大好きだが、小説は苦手
なんだよなぁ。「四季」四部作も完結編「冬」が未読だし。
しかしこの人の読書への情熱は最晩年になっても衰えてませんね。
ジャン・パウルの文体研究はやるは、中国の古典の上海や台北の出版社
から届いたばかりのものを手当たり次第に読むは、多くの作家仲間から贈られた本も
片っ端から読むは、とにかく超人的な読書家ぶり。老いてなお盛んだったんですね。
395 :
吾輩は名無しである:2007/11/26(月) 10:19:59
図書館で「中村真一郎+小田実=対話編」と「わが心の詩人たち」と
「わが点鬼簿」の3冊を借りてきた。
「わが心の詩人たち」は藤村・白秋・朔太郎・三好達治の4詩人の評伝。
ネルヴァールとかマラルメとかヘルダーリンとかリルケとかいった西洋の
大詩人について書いた本だと思っていたのだがそうではなかった。
「わが点鬼簿」は親友福永武彦が亡くなった直後に書いた本。
小田実との対談本から読み始めたいのだが、「明治作家論」を
その前に読了しないとな。小杉天外なんて作家中村氏の本を
読まなかったらオレなんか名前すら知らずに生涯を終えてただろうな。
唐詩は盛唐よりも中唐や晩唐の方が好きだというのも「さもありなん」だと思う。
397 :
吾輩は名無しである:2007/11/27(火) 18:55:15
「明治作家論」読了。
荷風論が面白かった。ほとんど読んだことが無い荷風に興味がわいてきた。
荷風はドストやバルザックと違い、自分の全てを小説の
中で表現しつくすということをしない人だった。どの作品も荷風の全てを
伝えているわけではないという指摘。
オレ、ゾラファンなんですけど荷風ってゾラと似てるの?一時期物凄くゾラに
傾倒してたって書いてあるんだけど。
中村真一郎対話集に書いてあったんだけど荷風って愛人を総入れ歯にしてたんだってね。
そのほうがチンコしゃぶりやすいのだそうで。
昔読んだ「みんなあげちゃう」っていうエッチな漫画にそういう話があったな・・・
398 :
吾輩は名無しである:2007/12/13(木) 12:52:16
頼山陽とその時代、amazonの古本でも文庫上中下揃ってないなんて...
399 :
吾輩は名無しである:2007/12/14(金) 12:42:26
A嬢……
400 :
吾輩は名無しである:2007/12/18(火) 15:28:41
「わが点鬼簿」を最近読了しますた。
大親友福永武彦が亡くなった直後に書かれた本。
福永武彦って気難しい人だったんだね。
何か気に入らないことがあるとすぐ家出する。
池澤夏樹さんは物心ついてからお父さんと同じ屋根の下で
暮らしたことが全くといっていいほど無いのだそうで。
福永氏って心情的には無頼派に近い人だったんじゃないかと思ったりした。
そのくせ晩年は「オレは夏樹の父として名を残すことになるかもな。」
なんて親馬鹿発言をしているのも微笑ましい。
402 :
吾輩は名無しである:2008/01/30(水) 10:02:44
去年の暮れに「わが心の詩人たち」を読了した。
明治から平成までの日本近代詩に関する中村先生の講義は
勉強にはなったが、オレの貧弱な頭脳はヘトヘトになった。
三好達治の顔を「アフガニスタンの国旗のような顔」と言ってたのは
誰だったかな?三好の同級生だと思うんだが・・・(東大の)
三好が学生だったころの東大文学部はまだ創成期で近代・現代の仏文学を
学生に教えるのが精一杯だったのだそうな。
だから三好さんはモンテーニュもラシーヌもラブレーも
知らなかっただろうと中村さんは書いてた。
オースティンも高く評価してたな。
彼女がサドやラクロの心理描写から影響されてると喝破しているのはさすがだ...
404 :
吾輩は名無しである:2008/02/11(月) 16:17:03
ああ! A嬢!
405 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/02/11(月) 16:22:07
「サドやラクロ」(笑)確かにラクロはそれらしいですが、サドと一緒に(笑)あなたが思っている作家ではサドはありませんよ〜(笑)
406 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/02/11(月) 16:22:36
↑サドと一緒にされましても
ですねぇ(笑)
407 :
吾輩は名無しである:2008/02/11(月) 20:48:16
でも阿部の「旅人」って古い本で読んで
平気で感動した 翻訳みたいで あの時期に
408 :
吾輩は名無しである:2008/02/16(土) 16:17:08
こいつってロボトミー
409 :
吾輩は名無しである:2008/02/16(土) 16:35:31
ロボトミーなのに何であんなに本を読むスピードが
速くて、古文も漢文も外国語もあれだけ読めたんだろう?
不思議だよな。
辻邦生に言わせりゃ「中村先生ほど沢山本を読んでる人はいません。
漱石・鴎外の両巨匠でも読書の質と量では中村先生には
勝てないのではないか」だものな。
弟分の丸谷才一みたいに対談とかもっとやってほしかったな。
(まあ丸谷は山藤章二や豊田泰光と野球対談とかもしてるし、ある意味特別だろうけど...)
安東次男との「東西剣豪対決」も面白いが(安東は実際剣道の名人)、
司馬遼太郎との対談も単純な「近代主義者」ではない司馬の一面を見せてくれそうで面白かっただろうに...
中村さんはアガサ・クリスティが好きだった。
20代のころはクリスティの推理小説を見せで買うのがエッチな本を
買うのと同じくらい恥ずかしかったそうだが、30過ぎると
推理小説はおろか官能小説も人前で読むのが恥ずかしくは無かったのだ
そうだ。
中村さんは「小説入門」の中で大デュマの小説を「粗筋だけの小説」と
評しているが、これはクリスティの小説にも当てはまることだと思う。
412 :
吾輩は名無しである:2008/02/25(月) 02:27:25
読解力が無いからか。
414 :
吾輩は名無しである:2008/02/25(月) 06:20:23
この人の「文章読本」の評価ってどうなの?
中村の文章読本、文庫は絶版みたいだね。
早く買っとくんだった。
中公文庫には「文章読本」が多かった。
谷崎、三島、中村、丸谷
417 :
平下流:2008/03/01(土) 00:13:54
あと、中条省平のもありますね。
本当に多いですね。
418 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/03/01(土) 00:16:58
おやおや、中条のは文章読本ではないでしょう(笑)只の駄文エッセイ集ですねぇ(笑)
419 :
( ̄^ ̄):2008/03/01(土) 00:29:16
奇遇でしょうかねぇ(笑)中村真一郎の「文章読本」を本日100YENで入手しましたねぇ(笑)
パラ見で名著と判断しましたがどうなので賞(笑)
古本屋はよくないですねぇ(笑)
安いとみかっちみたくつい買い杉ます氏ねぇ(笑)
文章の書き手としての序列は、
谷崎>三島>丸谷>中村だと思う。
が、文章についての文章は、分析力等が加わるだろうから、
順序は異なるかも知れぬ。
評論家としての序列は、
丸谷>三島>中村>谷崎ではなかろうか。
オレ的には中村が一番優れた評論家だな。
読んでる本の量が違うよ。質も半端じゃない。
丸谷は中村を尊敬してるし、三島も尊敬してた。
三島は中村を敬意と親しみをこめて「兄貴」と読んでいたという。
読んでる本の量の序列は、
中村>丸谷>三島>谷崎
または(年齢のゆえに)
中村>丸谷>谷崎>三島
423 :
吾輩は名無しである:2008/03/03(月) 22:25:05
424 :
無名草子さん:2008/03/04(火) 05:14:29
真一郎のほうです。
425 :
吾輩は名無しである:2008/03/04(火) 10:58:12
ああ!A嬢!!!
426 :
吾輩は名無しである:2008/03/07(金) 01:34:26
司馬と中村か。二人とも好きだな。
428 :
吾輩は名無しである:2008/04/06(日) 13:28:43
うふん、A嬢…
429 :
吾輩は名無しである:2008/04/07(月) 12:18:32
「1946文学的考察」を読みはじめた。
加藤周一は思想的に偏りすぎてるから嫌だ。
でも東京大空襲をトロイ炎上に擬えている短文はいいと思った。
中村と福永の文章はいい。加藤みたいな政治的な発言があまりないし。
「ペトロニウスの饗宴」という文章に「死の影の下に」の
主人公の城栄がゲスト出演してるのはご愛嬌か。
この本を読んでいるとこの時代は共産主義にまだ夢や希望が持てた時代だったのだなと思う。
430 :
吾輩は名無しである:2008/04/07(月) 14:32:57
加藤周一の主張で一番ついていけないのは
明治維新以後の日本を全否定していることか。
日清日露のころの日本は駄目なところもあったが
おおむね立派な国だったという司馬遼太郎の歴史観に心惹かれる
俺には加藤氏のひたすらに近代日本を罵倒する姿は
「ハァ?」という感じしかしない。
擦れ違いスマソ
歴史ってのはさ、あくまでそれは、認識するものであって、共感するもの
じゃないと思うんだが。結論ありきじゃあね。そんなものはだから、思考
じゃなくて、ただの感情。意味がない。――てか共感というか、自分が反感
を感じている部分、まさにそこにこそひとは、ものを考える、機会を与えて
もらったと書き手に、感謝するべきなんだ。
追認よりも疑念の方が常に、与えられるものは多い。
432 :
吾輩は名無しである:2008/04/08(火) 13:03:41
「1946文学的考察」読了。
中村が書いた「日本に於けるヘルマン・ヘッセ」という
文章の中にハインリヒ・マンはパリで殺されたと
書いてあるんだけど、これ何かの間違いでしょ?
彼は東独逸で天寿をまっとうしたんじゃなかったっけ?
433 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/04/08(火) 13:18:32
>>432 東ドイツではなくアメリカ合衆国カリフォルニア州ですよ(笑)
434 :
( ̄ω ̄)みちるの友 ◆nCkADzKG8Q :2008/04/08(火) 13:20:26
しかも1946年時点で生存しておられた筈ですけれどもねぇ(笑)中村の文学知識に疑問符を付けねばならないで小ねぇ(笑)
敗戦直後の日本では情報が入手しにくかったんだろうね。
特に海外の大作家の動向なんかは。
436 :
吾輩は名無しである:2008/04/26(土) 08:46:52
「私の百章 回想と意見」(桂書房)を読んでいる。
中村さんてラジオドラマの声優をやってたことが
あったのね。自作の放送劇の声優を。
437 :
吾輩は名無しである:2008/04/26(土) 15:22:10
ガーシュウィンの「青色狂想曲」ってのが
中村さんの本に出てくるんだけど
これ「ラプソディ・イン・ブルー」のことだよね?
438 :
吾輩は名無しである:2008/04/27(日) 11:14:44
中村真一郎の小説の映画化なんて不可能に決まっていると
頭から思い込んでいたが、
「熱愛者」が岡田茉莉子主演で映画化されてたのね。驚きました。
モスラの生みの親が中村さんだと知ったときも驚いたけどな。
439 :
吾輩は名無しである:2008/04/29(火) 09:42:30
相互貸借で他市の図書館から借りた「愛をめぐる断想」を読み始めた。
婦人公論に60年代末期に連載されたのを本にまとめたもの。
女性を対象にした恋愛論&性愛論のような本。
中村さんてこんな本も書いてたのか…
敗戦直後に占領軍による日本社会の大改革があり、
戦前の価値観は「封建的」の一語で全否定された時代があった。
当時は夫婦は一日おきに布団をたたむべき、毎日女が夫と自分の布団を
たたむなんて封建的だと真顔で言ってる人がいたのだそうだ。
「毎朝夫の布団をたたんであげるのが楽しい。夫が好きだから」と
職場で発言した若妻が「封建的!」「反動的!」と同僚たちに吊るされたりしたのだ
そうだ。
440 :
吾輩は名無しである:2008/04/29(火) 18:16:33
「愛をめぐる断想」読了。可もなく不可もない内容やね。
この人は恋愛論や身辺雑記的なエッセイにはあまり向いてない。
本について語った文章が一番面白い。
去年から今年にかけて
「私のフランス」「対話編(小田実との対談)」「私の履歴書」
「王朝文学論」「わが点鬼簿」「小説入門」「わが心の詩人たち」
「西欧文学と私」「私の百章」「読書三昧」「読書日記」「読書の快楽」
「批評の暦」「小説家ヘンリー・ジェイムズ」「明治作家論」「愛をめぐる断想」
を読んだ。
441 :
吾輩は名無しである:2008/05/18(日) 14:13:33
エッセイ集「氷花の詩」と散文詩集「時の中への旅」を借りてきますた。
442 :
吾輩は名無しである:2008/05/18(日) 15:27:18
なんで今頃中村真一郎を読んでいるの?研究のため?
読書に関する随筆は面白いもんだよ、
特に、書き手が一流どころの場合は。
>>442 好きな作家で評論家でエッセイストだからです。
>>443 激しく同意です。澁澤龍彦のもすきですね。
445 :
吾輩は名無しである:2008/05/19(月) 21:33:12
>445 みたいなレスがつくなんて、便利?な世の中になったもんだね。
中村真一郎や篠田一士みたいな読書家・書評家は、現時点でいるのかな?
読書随筆では、正宗白鳥のものも面白いよね、古臭い本ばっかりだけど。
中村さんのエッセイ読んでると小田実の図々しさに驚く。
小田が図々しかったのか中村さんが人が良かったのか・・・
448 :
吾輩は名無しである:2008/05/20(火) 20:37:47
話のついでに、中村真一郎の評論で内容が充実していて面白かったのは、
いずれも晩年の、『再読日本近代文学』(集英社)と
『王朝物語』(新潮文庫)だ。ただし、それほど大量に読んでるわけでは
ないので、誰かが評論ベスト3をあげてくれれば、また折を見てアタック
するつもりはある。
この作家は読書のエピキュリアンだと思うた。
450 :
吾輩は名無しである:2008/05/21(水) 08:37:37
>>449 「この百年の小説」や「西欧文学と私」「明治作家論」「昭和作家論」も
いいですよ。
451 :
吾輩は名無しである:2008/06/17(火) 18:42:27
市立図書館に相互貸借を依頼していた
「文核的感覚」が届いたという電話があった。
今読んでる「二十世紀文学の展望」ってのは少しムズイ。
ハヤカワ文庫の中村・福永・丸谷共著の「深夜の散歩 ミステリの楽しみ」
は面白かった。エラリー・クイーンの連作推理短編集からジョン・ドス・パソスの
USA三部作を連想するのなんて中村さんぐらいのものだろうな。
452 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/17(火) 22:45:19
『頼山陽とその時代』は傑作だよ。
これ読了した直後、マジ感動で打ち震えた。
中村さん、「二十世紀文学の展望」で
ヴァレリーの詩とエリオットの詩を
対照的なものとして比較してるんだけど
仏・英語の原文で引用されても
オレの語学力じゃ理解できん・・・orz
アンドレ・ジッドの最晩年の作品「テゼー(テセウス)」
中村さんの作品紹介読んでたら読みたくなってしまった。
翻訳は出てるのかな?
ジイドは全集出てるから図書館行けば読めるんじゃね。
「テーゼ」について中村氏がどう書いていたかは知らない。
クルチウスがジードの総決算の作みたいに絶賛していて、読んでみたんだが、
多分、期待するほどには面白くない・傑作とは思えなかった。
「文学的感覚」を図書館で借りてきますた。
永井荷風論は「明治作家論」に収録されてるのと
多分同じものだね。
この人はミステリーや時代小説なんかは読まないんだろうなと
昔はおもってたんですよ。純文学や古典文学は洋の東西を問わず
読みつくしてるんだろうけど、娯楽作品とは無縁な人なのだろうと。
でも晩年の読書エッセイなんかをよむと赤川次郎や栗本薫や井沢元彦や
藤本ひとみまで楽しんで読んでるんですな。
ほー。
そういやヴェルヌ訳したりもしてるね。
460 :
平下流:2008/06/23(月) 23:40:19
>>458 この人の読書の幅は、かなり広いですね。
娯楽作品をとってみても、海外ミステリーもかなり読んでいます。
『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』(EQMMの日本版)に、
少し長めの書評を連載もしていました。(1960年5月号より1年3か月間)
彼の前には福永武彦、後には丸谷才一が連載をしています。
それらがまとめられて『深夜の散歩 ーミステリの愉しみー』として単行本になっています。
その後、決定版として講談社からも出版されています。
461 :
吾輩は名無しである:2008/06/27(金) 22:31:27
政府の腐敗がこのまま進行するとこの人の小説は有害図書扱いされる
危険があるように思えます。
462 :
吾輩は名無しである:2008/06/28(土) 08:57:54
旧ソ連は中村氏の著書をブルジョア主義的形式主義的な
有害図書と認定していたそうです。
463 :
吾輩は名無しである:2008/07/11(金) 20:34:10
イク!A嬢!!
464 :
吾輩は名無しである:2008/07/31(木) 17:33:50
「緑の山の物語 わが回想の軽井沢」を明日から
読み始めます。
465 :
吾輩は名無しである:2008/08/11(月) 10:14:26
「芥川・堀・立原の生と文学」を読んでます。
芥川も堀も中村さんが言ってるほど凄い作家とは
思えないんだけど、中村さんが師匠や友人や知人について
語っている本は好きなのでこの本も無視できませんでした。
466 :
吾輩は名無しである:2008/08/11(月) 10:16:02
立原道造の詩はほとんど読んだことがないな・・・
467 :
吾輩は名無しである:2008/08/11(月) 10:18:05
中村さんが堀辰雄や福永武彦や加藤周一や加藤道夫や
第一次戦後派の面々について書いている本は
どんな薄っぺらな本でも無視できない。
468 :
吾輩は名無しである:2008/08/11(月) 10:28:56
469 :
吾輩は名無しである:2008/08/11(月) 10:42:35
暑い季節にはこれ
真冬の夜の雨に 立原道造
あれらはどこに行つてしまつたか?
なんにも持つてゐなかつたのに
みんな とうになくなつてゐる
どこか とほく 知らない場所へ
真冬の雨の夜は うたつてゐる
待つてゐた時とかはらぬ調子で
しかし帰りはしないその調子で
とほく とほい 知らない場所で
470 :
吾輩は名無しである:2008/08/11(月) 10:44:05
なくなつたものの名前を 耐へがたい
つめたいひとつ繰りかへしで――
それさへ 僕は 耳をおほふ
時のあちらに あの青空の明るいこと!
その望みばかりのこされた とは なぜいはう
だれとも知らない その人の瞳の底に?
(すれ違い失礼
471 :
吾輩は名無しである:2008/08/16(土) 15:29:19
「火の山の物語 わが回想の軽井沢」を読んでる。
バブル期の88年に筑摩から出た本。
信濃毎日新聞に70回連載されたのを単行本化したもの。
軽いエッセイだろうと思って読み初めたんだけど、
これはかなり重厚で読み応えのあるメモワール文学ですな。
芹沢光治良、野上弥生子、神西清、阿部知二、片山敏彦、折口信夫などが
出てきて楽しい。中村さんが彼らの作品を評してるのを
読むとオレも読みたくなってくるんだけど、読むのが遅い
オレには時間が・・・・
472 :
吾輩は名無しである:2008/08/30(土) 16:52:06
「不思議な微熱」筑摩書房を相互貸借で借りてきますた。
短い文章が百編たまると本にするということを
中村さんは40年もやってたんだね。
40年分全部読んでみたいものだ。
出版社は全部筑摩書房なのかな?
473 :
吾輩は名無しである:2008/09/04(木) 17:41:55
ついに「冬」を読み始めた。1992年に途中まで読んでそのまま埃を被っていた本だ。
1991年に「四季」を読み、93年に「夏」を読み、99年に「秋」を読んだ。
中村の小説を私は長い間恐れていた。だって難解なんだもの。
評論やエッセイや対談ばかりを読んできた。つまり小説以外の作品を。
中村の本は67冊ほど読んでるが小説は7冊ほどしか無いはずだ。
ところで秋野先生は堀辰雄+永井荷風+神西清+西脇順三郎?
474 :
吾輩は名無しである:2008/09/04(木) 17:44:27
「不思議な微熱」は今日読了しますた。
ブルックナーが常人で無いのと同じくらい中村さんは常人じゃないですな。
常人だったらこんなに幻覚を頻繁に見たりはしないだろ。
475 :
吾輩は名無しである:2008/09/04(木) 17:45:53
秋野先生って作家デビューするまでニートだったのね。
476 :
吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 16:36:39
中村氏の作品というと小説と評論・エッセイばかり読んで
「頼山陽」「蠣崎の生涯」といった歴史上の人物の評伝は全く読んでこなかったのですが
どんな文体で書かれてるんですか?四季四部作みたいに難解極まりないのか
評論エッセイのように平明で読みやすいのか誰か教えてください。
『この百年の小説』はあれ、加藤の推薦文?が良いよな。友情。
478 :
吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 20:54:14
「源氏物語の世界」の円地の推薦文もいい。
「フランス文学者でもある中村さんはカッコよく源氏を着こなしている。」
479 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/14(日) 20:55:50
>>476 平明です。
傑作です。
特に『頼山陽とその時代』は恐るべき仕事です。
新しい史料の発見により若干の修正が必要な箇所もなくはありませんが、
必読です。
中村真一郎なんか読みたくない人間でもこれは読まなねばなりません。
私は密かに『頼山陽とその時代』を
“江戸文人伝説第一部”と勝手に命名しております。
ただ西洋かぶれで日本の前近代文学に対して
興味なしどころか
偏見の持ち主は
途中で挫折するでしょう。
挫折する人はまったく文学どころか人文系の才能がありません。
これは断言できます。
480 :
吾輩は名無しである:2008/09/28(日) 16:27:05
「大正作家論」を読了。
これで「明治作家論」「大正作家論」「昭和作家論」の三部作を読み終えたことになる。
「大正作家論」の中に入ってる芥川龍之介論はかつて角川文庫から出てたのと
全く同じものだった。
481 :
吾輩は名無しである:2008/10/02(木) 12:19:45
相互貸借で中村のエッセイ集「記憶の森」と「宴なる宴」を予約した。
この世に中村の読書随想ほど面白いものは珍しい。
澁澤龍彦のマニアックエッセイや北杜夫の初期マンボウに匹敵するほどの面白さだ。
自分の世界が広くなるような楽しさがあるんだよな。
483 :
吾輩は名無しである:2008/10/24(金) 15:23:36
読みましたよ。面白かった。
ホラー小説の「サイコ」を中村さんは「気ちがい」と訳してましたな。
ま、差別的な意図は無いと思いますが。
尊敬する大詩人のネルヴァールを講演の中で「気違いの詩人」と
呼ぶ人ですからね。
ハヤカワ・ポケット・ミステリの邦題も『気ちがい(サイコ)』ですから
485 :
吾輩は名無しである:2008/12/08(月) 03:28:40
失恋したせいで中村先生の本も満足に読めない
ひどい状態が長い間続いていたがこれからまた
読め始めるぜ。
486 :
吾輩は名無しである:2008/12/08(月) 13:41:53
ふーん、中村真一郎ねー。
まあ、十代の頃には面白く読んだけれど、
意外に底が浅いことが、だんだんわかるよ。
487 :
吾輩は名無しである:2008/12/09(火) 02:16:05
貴方の読み方が浅い。
488 :
吾輩は名無しである:2008/12/31(水) 09:59:46
そろそろ「冬」の再読を開始せんとな。
489 :
吾輩は名無しである:2009/02/03(火) 09:28:19
中村先生は普段からノイローゼっぽい人だった。
辻邦生の証言
491 :
吾輩は名無しである:2009/03/27(金) 09:36:44
中村さんて自分がどれほど女にもてるかという
自慢話が得意な人だった。
北杜夫の証言
以前に買った「恋の泉」をひっぱり出して開いてみる。
丸谷が妙な持ち上げ方をしたのを覚えていたせいで、
長らく放っておいたのだが、読んでみると結構楽しい。
手持ちのを読むんだったら俺なら、今の気分だと『俳句のたのしみ』かしらん。
…とそういえば先日ブクの100円本コーナーで目にした『美神との戯れ』、
手にとって軽くパラパラとやり、そうしてじぶんはまたそれを、
元の場所へと戻しておきましたとさ。おしまい
「中村真一郎の会」新会長は誰になったんだ?
ググってみたがどこにも出てない。
495 :
吾輩は名無しである:2009/05/13(水) 19:06:24
今、失われた時を読んでおるのだが、中村ファンだったら
読んどかなきゃならないような気がしてならんのよ。
失われた時と源氏が文学的理想だと言っていた人だからね。
失われた時と源氏は、中村さんに個人全訳をやって欲しかった。
もっともそんなことしてたら四季4部作や江戸の文人の評伝なんか
書けなかっただろうな。
496 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/05/13(水) 23:29:17
>江戸文人の評伝なんか書けなかっただろうな
>>495 ↑違うと思うな。
『源氏物語』の現代語訳と『失われた時を求めて』の翻訳を中村がやっていたとしても、
少なくとも『頼山陽とその時代』は書いていたでしょ。
中村は“持病”の神経症が高じて、その露払い的な意味もあって
江戸時代の文人世界に耽溺したらしいからさ(注:『頼山陽とその時代』の冒頭を参照のこと。)
また、頼山陽も神経症だったため、中村には他人事じゃなく頼山陽の事績を辿れたというんだよ。
『頼山陽とその時代』は、中村真一郎の“生活史”にとって欠くべからざる作物だったと言うべき著作。
いわばあの仕事(『頼山陽とその時代』)は中村真一郎の実存に即しているのさ。
だから『頼山陽…』は「あれをやってたらやれなかった云々」みたいなレベルでは語れない訳ね。
497 :
吾輩は名無しである:2009/05/14(木) 01:43:18
なるほど。
498 :
吾輩は名無しである:2009/05/14(木) 09:05:31
ぎゃくに言うと、
プルーストや源氏が中村にとって何ほどの意味があったのか。
プルーストだネルヴァルだといっても、
まともなプルースト論ひとつ書いてないし、
ネルヴァルを本国に先立って評価したと自慢しても、卒論で書いたきり。
源氏だって素人向けの入門書を小使いかせぎに出したというだけで、
なんらかの新しい読み方を提示したわけじゃない。
499 :
吾輩は名無しである:2009/05/14(木) 11:22:55
意地悪な人だね。
新潮文庫「王朝物語」は名著だと思うけど。
500 :
吾輩は名無しである:2009/05/14(木) 11:23:56
500ゲット!!
501 :
吾輩は名無しである:2009/05/14(木) 16:32:16
>>499 たしかにじょうずにあらすじを説明してあります。名著名著。
502 :
吾輩は名無しである:2009/05/15(金) 08:56:34
あれってあらすじ本か?
503 :
吾輩は名無しである:2009/06/12(金) 09:17:09
>>498 自慢してますか?
東洋の島国の一学生のためにつくしてくれたフランスの古本屋さんに
感謝してるだけじゃないですか。
それにネルヴァルを卒論にしろと勧めてくれたのは
小林秀雄や堀辰雄といった先輩たちで
自分でネルヴァルを発見したわけじゃないとはっきり
著書の中で書いてるし。
505 :
吾輩は名無しである:2009/08/05(水) 07:33:49
最近過疎ってるね。
506 :
吾輩は名無しである:2009/08/25(火) 00:50:57
前から過疎ってるね。
508 :
吾輩は名無しである:2009/11/08(日) 20:35:58
509 :
吾輩は名無しである:2010/01/08(金) 18:43:42
『冬』が児童ポルノ扱いされる恐れはないんでしょうか
510 :
吾輩は名無しである:2010/01/09(土) 00:29:14
久しぶりにレスが付いた!
>>508 坊城のことは、筑摩の『火の国の物語』だと思う。軽井沢交友録みたいなやつ。
あの本、かなり名著だよ。
『春』よんでる人ならわかると思うけど、あの青年たちの家のモデルの写真なんかも
載ってた。