ったく…
中島に興味を持つ奴ってどうしてこうなんだ!
つまらん…
教科書にのっちゃったのが不幸の始まりなんだよ。
でも、教科書に載ってなかったら
こんなに好きにならなかったかもしれない
広く知れるのはいいんじゃない
他の作品への興味が湧いたよ
教科書から入った人は興味持つかもしれない
でもいわゆる純文学から入った人は、期待外れに終わるかもしれない
そんな気がする
前に池澤が「マリヤン」を褒めてた。
面白味に欠ける取り合わせだけど。
631 :
吾輩は名無しである:2009/08/28(金) 04:58:04
中途半端にスレ終了
633 :
吾輩は名無しである:2009/09/12(土) 19:53:03
335 :吾輩は名無しである:2006/03/01(水) 21:58:01
俺は、悟空の文盲なことを知っている。かつて天上で弼馬温なる馬方の役に任ぜ
られながら、弼馬温の字も知らなければ、役目の内容も知らないでいたほど、無
学なことをよく知っている。
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言いも終わらず※(「角+力」、第3水準1-91-90)斗雲に打乗ってたちまち二、三
十万里も来たかと思われるころ、赤く大いなる五本の柱を見た。渠はこの柱のも
とに立寄り、真中の一本に、斉天大聖到此一遊と墨くろぐろと書きしるした。
どっちだよw
完全な文盲じゃなく、幼稚園児くらいの識字レベルって事じゃないの?
悟浄は博識だから悟空程度じゃ文盲って思うんじゃない?
635 :
吾輩は名無しである::2009/09/20(日) 01:31:02
ちょっと前まで、梶井基次郎と同程度の評価のような気がしたけど
なんか、いつの間にか国民的作家って持ち上げてる人がいて
ビックリしてる。
相対的に昔の作家の価値が上がっただろ
春樹がノーベル賞、とか言うようじゃ
川端、大江と較べて、遜色ないと思うが
一瞬ALFEEのメリーアンに見えた(嘘)
わかんない奴は一生わかんない
気の毒だけど事実はソユコト
角川文庫の挿絵(水墨画)って本人が描いたものですか?
そうじゃないとすると、あまりにアレな出来なので…
641 :
吾輩は名無しである:2009/10/24(土) 08:24:51
642 :
吾輩は名無しである:2009/10/24(土) 18:40:55
坊さんが毎朝お経を唱ずるがごとく、己は毎朝、山月記の朗読から一日を始める。
善い哉、由や
中島敦の特長は現代的なところだと思うけど、それがまた限界かとも思う
いっそのこと、現代を飛び越して未来的なSFでも書いてくれれば
中島敦と、例えば司馬遼太郎などとの違いはなにか?
648 :
吾輩は名無しである:2009/11/30(月) 22:23:50
なぜに司馬遼太郎
650 :
吾輩は名無しである:2009/12/06(日) 18:41:14
小谷野敦の「中島敦殺人事件」、誰か読みましたか?
652 :
吾輩は名無しである:2009/12/29(火) 16:53:26
年賀状、月を仰いで咆哮する虎の下に小さく「隴西李徴」と入れてみた。
何人が気づいてくれるかなぁ〜
無職の俺が年賀状を出す絶好の機会ってわけだ
狼疾を患った身としては、悟浄のその後が読みたかった。
>>652 いいですね、それ。
まさに今卒論で発狂しそう〜
三月記音読すると落ち着く。
>>655 「三月記」 なんとなく三月ウサギを連想した
人間は誰でも猛獣使いであり・・・俺の場合は三月ウサギだったのだ
657 :
655:2010/01/01(金) 14:35:22
658 :
吾輩は名無しである:2010/01/06(水) 01:09:57
少し明るくなってから、谷川に臨んで姿を映して見ると、すでに寅年となっていた。
「虎狩り」でキター
aa
661 :
吾輩は名無しである:2010/02/22(月) 19:03:01
この人の「浪疾」「カメレオン日記」が自分のことかと思った。
俺の分際で失礼だろうけど。
こういう私小説で他にお勧めがあったら教えてほしい。
梶井基次郎とか読んでみたら
正宗白鳥はどうか
おれは堕天使だ的な共感で読み始める作家だとは思うが、
いつからか「一番好きな作家」ではなくなった。
ある時代の、ひとりの作家という位置づけに今はなってる。
浪疾作品をひとめぐりして、評価は結局、名人伝に落ち着く、という
高島俊男 お言葉ですが・・・6
李陵搏戦
(略)中島敦の『李陵』には「搏兵戦」という言葉が出てきます、とお手紙をくださった。
小生はすぐ返事を出した。―「搏」はひっぱたくことです。ですから「搏戦」(敵味方接近してのたたきあいの戦闘)ということばはありますが、
「搏兵」ないし「白兵戦」という語はありません。
(略)小生がこの作家をあまり重んじていないことがあらわな返事であった。
(略)中島敦は、漢書の「搏戦」と、世上におこなわれている「白兵戦」とを混同して、「搏兵戦」なる語をつくってしまったものらしい。
(略)それにしても、中島敦はすこし買いかぶられているのではないか。
「漢学者であった祖父中島撫山の薫陶を受けて漢籍の素養深く・・・」などと
もっともらしく書いたものを見たことがあるが、なに大した素養でもなかったことはこの「搏兵戦」一語からもわかる。
間違った
誤 「搏兵」ないし「白兵戦」という語はありません。
正 「搏兵」ないし「搏兵戦」という語はありません。
667 :
男性:2010/05/07(金) 09:53:59
中島敦の漢詩について第二の文で皆様に
書き下しや詩形、上平声など詳しく教えて頂けたらなと思っております。
分かってるのは漢詩本文と口語訳のみです。
よろしくお願いします。
韶光已遍柳糸長
四月庭除気正爽
紅紫好薫風信子
朱黄奪目鬱金香
花英絢爛如濃抹
嫩緑蒼々似淡粧
誰謂此家無一物
万金芬郁満茅堂
韶光(しようこう)已(すで)に遍(あまね)くして柳糸長く
四月の庭除(ていじよ) 気正に爽かなり
紅紫薫り好し 風信子
朱黄目を奪う 鬱金香(うつこんこう)
花英は絢爛として濃抹(ノウマツ)の如く
嫩緑(どんりょく)は蒼々として淡粧(タンシヨウ)に似たり
誰か謂う 此の家一物無しと
万金 芬郁(ふくよく)として茅堂(ぼうどう)に満てり
白兵と搏兵のちがいくらい、別に漢学者でなくても分かると思うが。
自分で説明しておいて、これは近代戦的な言葉づかい、造語だと分かってるくせに、
そうした言葉が作品中に現われてくることが
本来の意味を知らないで混同した結果だ……という考えに至るのは理解できない。
669 :
( ̄ω ̄)獲る狸 ◆ycr5A7VfSw :2010/05/25(火) 19:09:10
おやはや(笑)中島敦はやはり作家としては幾段か落ちる者、と思うわけですけれどもねぇ(笑)別に搏兵戦に限らず中島の小説では意味不明な言葉遣いが頻出します(笑)おやはや(笑)さて果て(笑)
作家としては、ね。
671 :
吾輩は名無しである:2010/06/08(火) 21:07:56
三月記について質問です。最初、李徴は袁さんのことを「故人」と言っていますが、途中から袁さんが李徴に言ったのと同じように「友」と呼ぶようになっています。
理由が分かる方がいらっしゃれば是非教えてください。
「虎は、既に白く光を失った月を仰いで、二声三声咆哮(ほうこう)したかと思うと、又、元の叢に躍り入って、再びその姿を見なかった。」
って、文法的にどうなのよ
「見かけない」「姿をあらわさない」という意味で、「見ない」というのは、
最近は少ないけど昔は普通に使っていた言い回しだと思います。
「○○さんは、このごろ見ないですね(見かけないですね)」と。
それはさておき、私は、うつ病で精神科にかかっているんですけど、
主治医から「三月記を読んでみなさい」って言われましたよ。
(それでネットを検索していて、このスレッドにたどり着きました)
まあ、私は、主人公みたいな超エリートだったことも、芸術の才能も
ないですけど、人間、似たようなパターンで心を病むものですね。