1 :
吾輩は名無しである:
2 :
吾輩は名無しである:04/06/23 03:40
3 :
吾輩は名無しである:04/06/23 03:48
【9】の終わり面白かったのでダイジェストをどぞ
971 :愚劣庵 :04/06/23 04:19
文学は人に指針は与えられない。ただ何故かという問いかけをするばかりである。[…]
それは恐らく文学は美の範疇に強く属しており、美は徳とは折に付け背反するものであるからである。
974 :上 ◆m0yPyqc5MQ :04/06/23 04:23
>>971 哲学に感じる美や、数学に感じる美や、人徳者の優れた行為に感じる美はどうなるのですか?
976 :おさむ ◆YST1av./UU :04/06/23 04:25
>>971 ご名答。文学は背徳的であって、美しい一瞬をこよなく愛している。
でも一般社会は持続を愛する。文学は問う。おまえはどちらを愛するんだ?一瞬か永続か?
977 :上 ◆m0yPyqc5MQ :04/06/23 04:28
方向性または未来図[vision]をつくれない文学なんて、ただの子供の落書きと変わらないと思う。
978 :愚劣庵 :04/06/23 04:29
言い換えれば文学とは、いかに人間の卑小さ表出し得るかというものであり、
なおそれでも「生」は輝きを持つのか、価値があるのか、と問う作業でもある。
979 :おさむ ◆YST1av./UU :04/06/23 04:31
>>974 真・善・美 を哲学は問いますが、なぜ三つに分かれているのだと思う?
それは三つともが切り離されたものだからだよ。相容れない三つを哲学は問う。
980 :上 ◆m0yPyqc5MQ :04/06/23 04:33
>>978 いつもの「問い」ですか。芸術は行き詰るといつもその台詞を吐きます。
『芸術とは終わることの無い問いかけであり、この哀れなる魂の死に絶える直前の呻きなのだ』と。
偉大な人間性と、生における解答を、我々は欲している。それは「新しい文学」によって可能になるのです。
981 :おさむ ◆YST1av./UU :04/06/23 04:35
>>977 方向性を未来のビジョンを描いた、文学、哲学、宗教は全て失敗した。
なぜなら、世の中はそんなに甘くは無いのだから。彼らの大それた頭に納まるような宇宙ではないのだ!そうなのだ)
982 :上 ◆m0yPyqc5MQ :04/06/23 04:37
>>979 哲学は独自の不完全性によって人間の本性を、便宜的に、三つに分けたのです。
すべては根源においてはひとつであり、それは均衡への接近によって到達できる『何ものか』です。
6 :
吾輩は名無しである:04/06/23 05:55
パピヨン、たまには来てくれ
7 :
も学会会長様。 ◆Pgw66.NORA :04/06/23 11:18
oo.
進んでいるね。実は僕ちょっとおなか痛くって、
まあ胃腸虚弱はいつものことだったんだけど、あんまりにね
今までに無い痛み方だったから病院行ったら虫垂炎で即緊急オペで、
そのまま入院しちゃってたんだよ。いや剃ってないぞ。
現代医学最高。
でね。
おれはもーこの、文学の移り変わり?これはもう語り尽すことは
出来ない事に気がついた。
なぜならば、実はいまだかつて誰もどれも文学の本質を突いた
ような、つまり「文学」そのものを体現したやつはいないってことから、
僕らはいつも、文学の仮の姿を見ているにほかならないと思いました。
別に純文学からいろいろ巡ってブンガクへと進化してるとかじゃあない、
これはもうな。
「手を打てば下女は茶を汲む鳥は立つ魚は寄り来る猿渡の池」
であるのだきっと。
手を打った目的はなんだったのかに関らず、それに呼応したいくつもが
動き出す。一つの物事には無限の表現、反応があるということで、
これはまあ仏教の教えでよく引用されるものなんだけど、
つまりは、特定の形のみが真実ではない。ってことだ。
ただね、近くに下女がいて鳥が上空を舞い、庭先の池に鯉がいるっていう
環境で手を打つのと、その他の環境で手を打つのではまた違ってくるんだし、
江戸時代日本で「文学」っていう手を打てば、江戸時代ようの文学が
うまれてくるんだし、現代で手を打てば、現代様の文学がうまれてくるってことだ。
8 :
も学会会長様。 ◆Pgw66.NORA :04/06/23 11:23
というわけだから、安心しなさい。
別に文学は衰退も進化もしていない。
政治が腐敗し、民衆に圧力の多く掛かる時代にはそれなりの
文学がうまれるし、将来、地球が温暖化で陸地が半分になったらまた、
それなりの文学がうまれるよ。
人間が文字を使い、情報を記録しようとし、精神的に自分にないものを
外部に求めるということをやめないかぎり、文学は決して滅びない。
だから僕らがするべきことは、今の文学、今の時代を楽しむこと。
いまをもっともっと楽しむ事なんだよってほらなんかすごい爽快に
締める事ができた。さすが俺。
9 :
も学会会長様。 ◆Pgw66.NORA :04/06/23 11:40
そうそうそうだよなって自分で書いてて納得しちゃったよ。
因。縁。果。であるのだよ。
ってのはまとめれば因縁果報といって、過去の因縁によって現在に果報が
もたらされ、その果報が未来では因縁になり、それが未来においては果報に
なるってことを数千年前に仏陀が唱えた理論なんだけど、
これやっぱり文学にも同じ事がいえるんだな。
おそろしい。
そして上にも書いたが、物事には真実の姿は無く、全て仮の姿であり、
これを文学という物事に置き換えてるんだけど、文学は本来平等なのだ。
誰の上にも文学はあって、それに対するアプローチは人それぞれ、
時代それぞれでかまわないのだ。そしてこのスレのように、
文学の種類や過去のなんかによってもたらされる差別があるのは、
一重に過去の文学からの因縁と呼べる。
過去の文学が因縁だとすれば、現在はその果報なんだな。
いまの文学のありようは、因縁果報で必然なんだよ。
うおお悟った。
宇宙は因果の網だ。byヘーゲル。
文学もそれから逃れる事はできなんだわ。
10 :
吾輩は名無しである:04/06/23 11:50
果報と思える人が時間とともに徐々に減っていってるから困ってんだよ。
11 :
も学会会長様。 ◆Pgw66.NORA :04/06/23 11:53
それもまた、過去からの果報なのでしょう。はんにゃはらみたー。
12 :
吾輩は名無しである:04/06/23 11:58
禅問答か、屁理屈いうな
昨夜は酔いにまかせて、文学は美の範疇にあるなどとロマンチックな
事をほざいてしまった。後悔している。間違っていた。
むしろ文学は美にも徳にも知にも激情にも、結びつきは人間行為であれば
当然あるのだが、それらに縛られたものではない。
それらを抱合した生そのものを呼吸すべきものだと言い直しておこう。
14 :
も学会会長様。 ◆Pgw66.NORA :04/06/23 12:07
ふはは。
禅問答で負けた相手は殺されても良い掟。覚悟はいいかね?
しかしまあ実際そうじゃないか。
いまと過去を考えるより、いまをどう楽しんでこれからに生かすかを
考えたほうがいいよね。それがたとえブンガクであってもさ。
んでもねー俺はねー文学の衰退っていうか日本語の衰退を根本に
考えたほうがいいとおもうのよねー。
言葉がおぼつかなければ考えもおぼつかぬよ。
ってごめんまたすごい根本にもどっちゃった。
15 :
吾輩は名無しである:04/06/23 12:19
日本語の衰退ってなに?
教育ってこと?
16 :
吾輩は名無しである:04/06/23 12:20
日本語が衰退してるのも果報じゃ。
17 :
も学会会長様。 ◆Pgw66.NORA :04/06/23 12:57
>15
いまの人間が使っている常用語のことよ。
突き詰めれば話し言葉やメールの話にもどっちゃうから
根本に戻っちゃったってかいたんだ。この話はやめたほうがいいてか、
また同じ話になるわ。ってほらもう輪廻してるよ。
ああすごいなあ仏陀。
>16
うんお前がそうレスするのも果報だったし、それに対して俺がこのように
レスするのはお前の果報が因縁となった結果としての報いつまり
果報なんだよねぐほほほほっほ。
18 :
も学会会長様。 ◆Pgw66.NORA :04/06/23 13:04
でね、じゃあこの理論の永久輪廻地獄から抜け出すには
どうしたらいいかつうと、仏教においては、無我になるっきゃないといってる。
転迷開悟。離苦得楽。てんめーかいご、りくとくらくと読むんだけど、
この流れのどこかでそれぞれが悟りを開き己の道を見つけるしかねえ、
そうすれば因縁果報永久地獄からぬけだして楽を得る事ができるとかいってんだけど、
そんなもん我をなくさねばやっていけねえ、つまり無我でないといけねえんだけど、
そんな無我なものは仏しかいねえし無理。だからもういいおれはね、
理論に埋もれて理論の中から生まれたりして理論としていきていくう。
ってね、これまあ自スレからの応用だけどね結局は自分を捨て、
理論を捨て、ああ諸行は無常ですかなんかって嘯いて半眼になって
感情を捨てて脳内麻薬の一切ない無感情即身成仏となって
いきてんのかしんでんのかわかんなくなりながら菩提樹の下で
瞑想してないといけないらしいよ。くへ。
19 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/23 14:26
じゃあ不穏な世の中になるまで衰退ってことで。
20 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/23 14:41
なんつーかな。
携帯にカメラとかテレビがついちゃうくらいだから、
スタンダードで奥深いみたいのは出にくいな。
SR乗ってりゃいいやってかんじで。
でもスーパーブラックバードは、とても完成度の高いバイクだったぞ。
現代文学はどうも記号論を交えていかないと読解不可能な、つまり難解な物をのみ文学と呼ぶ傾向にある。
それが読者離れを促進している。現代文学ではなんら事件は起こらず、象徴的な事件が起こるのみである。
確かに現代文学は連綿と続く文学や哲学の歴史の流れの中で生み出されたものである。
しかし現代文学がこのようにならなかったという可能性は常に考えられる。
因縁果報といった宿命論的な言説で現代文学を規定するのは無知であり、かつ思考停止であるといわざるを得ない。
尚且つ、われわれ一般レベルでの日本語の衰退を問うたところでそれが即小説の衰退になるかどうかの論点が危うい。
22 :
吾輩は名無しである:04/06/23 20:55
今の文学にはZZR250が必要だ。
23 :
吾輩は名無しである:04/06/23 21:29
>>22 あっ!それ、おれが箱根で事故ったやつだ!
(もういいんじゃないの?)
24 :
吾輩は名無しである:04/06/23 21:41
クローズアップ現代見た?
25 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/23 21:44
行き詰ると語られるのは「問い」もそうかもしれんけど、「新しさ」も「解答」も「何ものか」も同じだと思うな。
それこそそんなもん数百年間ずっと言われてきたじゃん。
書店に行けば「新しい文学」「人生の解答」「その先にある何ものか」なんてコピーは無数にある。
新しいか古いかではなくもっと単純に「to be or not to be」なのだし、
必要なのは問うことでも解答でもなく絶えず続く探求とその途上での終焉だし、
何ものかなどと言わずに嘘でもいいから「これだ」と構える虚こそ芸術だ。
そういったものはやはり今もあるし未来もあるだろう。
それぞれの時代それぞれの社会それぞれの個人に。
26 :
吾輩は名無しである:04/06/23 21:51
あ、そう。
で?
27 :
吾輩は名無しである:04/06/23 22:00
みんなまじめに語って増すなあ
28 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/23 22:04
これだ
>>25 >必要なのは問うことでも解答でもなく
>絶えず続く探求とその途上での終焉だし、
かっこいいと思いました。
あるいはむしろ、問い続けたり答え続けたり
探し続けたり壁にぶち当たり続けたり
みたいな。。。
30 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/23 22:17
>>22 中型はすっかりスクーターに食われちまったな。
ZZR250はいいな。乗ったことねえけど。
なんか250でツアラー、そんでスタンダード。
カワサキにしては造作もいいっぽい。ほしい。正直ほしい。
でも、アクロスかな俺は。
スクーターに対して、
「あんなのバイクじゃないやい。
おかげで中型に、スポーツバイクがほとんどなくなっちゃったじゃないか」
・・・とか思っちゃう俺は、なんだかんだで、自分が親しんできたバイク像に
こだわりがあんのかもしんねえ。
スクーターの乗り物としての優位性はみとめんだこれでも。
あれはあれで、一つの進化系。
スポーツバイクのカテゴリは廃れてきてる。
気のせいでもなんでもない。否定はできねえんだ。
糸は布になったら糸じゃなくなっちゃうんだな。
フォーサイトほしいな。
31 :
吾輩は名無しである:04/06/23 22:58
ixionの小説ってどこで読めるの?
33 :
吾輩は名無しである:04/06/23 23:01
>>31 そんなにCのことが気になるのか?
Cは人気者だな。うらやましい。
イクシオンが鬱になってホームページをあぼ〜んしたのってそれと関係ある?
35 :
吾輩は名無しである:04/06/23 23:14
36 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/23 23:44
何もしないで批判だけするのは楽だよね。選挙にも行かず税金も払わず政治批判する餓鬼んちょと同じで。
そういう餓鬼んちょに私はなりたい。
芸術の目的ってなんだろう、という青臭いことを考えてみる。
それは表現者や受容者という立場によっても異なるし、
また個々の受容者によっても異なる、ということを前提としたうえで
個人の見解を言うと、
「芸術の目的は考えるきっかけ」
結論を求めるなら論文でいい。
私は新しい視点を求めているのだ。
こういう立場からいうと、
文学が衰退していると感じならば、
それはその人自身の感受性が衰退しているのだ。
思考がパターン化しているのだ。
追加。自己満足レスで申し訳ない。
自分にとって文学というのは
文章で表現できないことを文章で表現しようとするもの。
39 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/24 00:14
>>37 >>38 僕も同感です。芸術に答えなどないのです。だからランボーのような例外を除いて
死ぬまで描き構築し続けるのではないでしょうか。
もちろんその場その場の視点とそれによって見える世界はあっても、
それを次々に入れ替えて芸術家は進むのでしょう。
「文章で表現できないことを文章で表現しようとする」
この「しようとする」こそ表現そのものだと僕も思います。
40 :
吾輩は名無しである:04/06/24 00:45
はじめて来たが皆、文章ヘタだな。カメラ板より劣ってる感じだ。
ナチュラルじゃないんだよ。オメーラ、何気取ってんの?といいたい。文章が臭い、だせー。
これじゃ衰退すんのも当然だわな(ry
豚に寄生されたからに決まってんだろ。豚どもとあんよ合わせてえっちらほっちらやってっからだ。
どうでもいいよ
43 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/24 02:27
はじめて来たがなんて書く奴って絶対はじめてじゃないってのはみんなわかってるわけで。
44 :
吾輩は名無しである:04/06/24 03:38
うまい文章とはどのようなものでしょう?
それはある人間の内容+形式を可能な限りもっとも純粋に表現したものではないか。
したがって、「完全に客観的なうまい文章」といったものは存在しない。
その文章へ投影する自分という存在がうまいか下手か、それがすべてだ。
>>46×
>>47○
まぁ、過去ログでもながめつつ。
>>1のは【7】以降のミラーがない。
あったところでどうなるわけでもないけれど。
じゃ、また暇なときに。
52 :
吾輩は名無しである:04/06/24 09:39
優れた芸術作品には、作品を自らの内に取り込もうといった
能動的な姿勢をもたない人も引きつける力がある。
そのような分かりやすい魅力を作品に持たせることが
できていないから文学は衰退している。
>>52 どんなに「優れた」作品でも、
読み手の準備が整っていないと
その価値はわかりませんよ。
若いときに読んでもつまらない本とか、あるでしょ?
54 :
吾輩は名無しである:04/06/24 13:28
馬鹿ばっかりだな
Cを中心に回ってからはな。
>>53 少なくとも今の日本(限定するけど)じゃその「準備」はできてると思うよ。
こんなに識字率のような最底辺も含めて教育レベル自体が
かなり上がってる国ってそうないと思うけど。
>>56 うーん、もっと具体的に言うと、
例えば親の子供に対する情愛みたいなものを描いた作品は
子供の時に読むのと
自分が親の立場になって読むのとでは
受け止め方が違って当然でしょ?
という意味の「準備」なんですよ。
教育レベルがどんなに高くても
リアルな体験を積んでこそ理解できることもあるのですよ
58 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/24 22:21
>>52の言いたいことってのは、
論評のためとか、呼んでおく必要があるというようなマニア心とかじゃなく、
読んだら響くようなものってことか。
よくできたものって表層も内面もよくできてんよな。
一度でもけっこうくる。
何回かよんでもけっこうくる。
59 :
吾輩は名無しである:04/06/24 22:27
>>58 本なんてマニュアル本しか今読まないしな。
小説読む時点で能動的だと思うよ。
60 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/24 22:37
動機とかってやつかな。
なんかしらないと、小説なんかよまねーよな確かに。
俺は独りを満喫したいときかな。
61 :
も学会会長様。 ◆Pgw66.NORA :04/06/25 02:29
どーあっても衰退させたいようだな。
してねーよ別に衰退。いやしてるんだけど、してない。
ってのはこれ、きっと温暖化で氷が溶けて水位があがって景色がかわったって
感じのことが起きてるんだと思うんだけど、大丈夫だ。
水面下ではこうして文学の礎は健在しとんだ。
おっけーだ。笑。
『青空文庫』のおかげで、図書館や既成作家の地位が揺らいで嬉しいね。文学よ、崩壊しなさい。 そして便利に解放しよう。
63 :
吾輩は名無しである:04/06/25 09:48
Cとそこもでとも学会は出ていってくんない?
もしくは皆さんスルーで。
そこもでは、おつむが……
いずれにせよ、コテハンがついてると荒れる傾向があるね
65 :
吾輩は名無しである:04/06/25 12:42
ガハハハハ、馬鹿共が。結論なんて出やせんよ。
基本的にお前ら具体的意見が出せない。
そしてイザ出たら必死にそれを叩くのみ。
誰かがいい事言っても、その中身に手付かずのまま後ろの方にスルー
されちゃう。
一言でズバリ言える問題でないだろ、これ。それこそ多大な要素から原因
から因果関係などを論文みたく書かなきゃ、うるさい連中を黙らせられない。
だから、一言二言、いいポイントを付いてみた所でも「何々が足りないんじゃない・・・」
と意見を言う奴が出てくる。実は、その「足りない・・・」と言った所の意見も
後ろの方を見れば書いてあるのに、それをもう忘れてしまってる。
誰かが、今までに出た良い意見を拾って、長文の形で常に残しておかなければ、この
衰退スレは解決しない。だらだら無駄な時間を過ごしてるだけ。
ホントお前ら馬鹿ばっかだ。
ガハハッハハハッハハ
>>37 >>38 >>39 前スレでテクスト論を援用した人の意見もありましたが、
(ロラン・バルトの理論とはちょっとズレもありましたが)
要は、「文学」の魅力を充分に味わっていないのは、
読者の読む能力や読み方の質によるものだということですね。
個人という単位で考えた場合、それには同感です。
ただ、視点を個人レベルからもう少し俯瞰的レベルで眺めた場合には、
「文学」をめぐる時代の状況や「文学史的」な流れは
どういうふうにとらえられるのでしょうか?
>>52 >優れた芸術作品には、作品を自らの内に取り込もうといった
>能動的な姿勢をもたない人も引きつける力がある。
一理あると思います。
しかし、その逆のほうが何理もあるのではないでしょうか。
テレビや音楽や映画などに比べて
読書は格段に能動的な姿勢を求めるものです。
>>65 一理あります。
さて、前スレで難波氏が、日本近代文学に関して
大正時代の文学を興隆のピークとし、
それに比べると現在の(平成)文学が
劣っているという比較をしていました。
大正時代の文学を興隆のピークとする視点の肉付けを
難波氏からもう少し聞いてみたいと思います。
>>66 俯瞰的なレベルで述べることは難しいですね。
「文学が衰退している」と感じるのは個人の主観の問題です。
これをもって表現の1形態としての「文学」の影響力が低下しているとはいいきれません。
しかし「衰退している」と感じる人が増加しているのなら
結果的に「衰退している」と言えるのかもしれません。
「文学」の相対的な地位が低下したといえるでしょう。
しかし、その場合でも問題の根源は「文学」そのものではなく、
受け取る側の問題かもしれません。またそういう読者と作者の間が乖離があるのかもしれません。一概にはいえないはずです。
あいかわらず具体的な話にはならないですね。
とはいえ、もっと大きな問題は
「衰退している」とすら感じない人が増加しているかもしれない
ということでしょうか。
つまり「文学」なんて「はなから眼中にない」あるいは「ベストセラーしか読まない」という人が増えているのかもしれません。
これもまた作品そのものの問題というよりも、出版業界全体の構造的な問題を語るべきでしょう
71 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/25 17:27
72 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/25 19:10
出てけと言われるほどのもんじゃないと思うんだけどね。ただの普通の一意見であって。
73 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/25 20:40
てよかな、今の時点で考えれば、過去から積み重なってきた資産がけっこーある。
けど、それらとかそれらを生み出した作家がとかが、
十年やそこらの間にぼろぼろ出てくる隆盛期て、何十年に一度とかじゃねえ?
よく言えば、新しいものをもっと読みたいって欲求に答える量が無いから、
不足を感じて、衰退におもえんだろーな。
けど、たいがいの時代でそんなこと言ってるような気もすんな。
今まあ低迷してるっていってもいいだろ。衰退でもいい。
でも50年とか100年のスパンで見れば、
たいしてかわんねーかもしんねーし。加藤の言うようにな。
一方で。
実質的には、アレだ。文学ってより、紙媒体の出版自体が冷えてんからな。
それに、過去から繰り返したことだっつても、
映像とか、ネットワークとか、デジタル媒体とか出てきても「同じように」続くかは未知の領域だからな。
懸念を笑い飛ばすこともできねーだろ。
74 :
吾輩は名無しである:04/06/25 20:51
ひきこもりの話をはじめないか?
>>64 紙媒体の問題はよく言われるけど、俺はなくならないと思うよ。
ネットはグーデンベルグ以来の革命だって言われても、たいして紙に影響ないようだし
画像や例え携帯みたいなのものでも小説読む気はしないな。
76 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/25 22:30
俺もなくなるとはおもわねえけどな。
けど、食われてゆく、競合する部分はでてくるんじゃねーかと。
結果論みてーなかんじだけど。
たとえば、今、映画とかゲームを楽しんだり論じたりする人間がいて。
やつらは、映画やゲームがなかったら、
知的欲求のやり場として文学ってのもあっただろーなと。
分散してゆく先が、むかしよりあるっていうこと。
多様化していくことで
相対的に地位が低下することは当然の成り行きだと思います。
しかし、それは「文学」だけではなく、
ほかの表現形態にもあてはまるわけです。
もし「文学の衰退」を論じるなら
「文学だけ」に顕著な状況を指摘すべきではないだろうか?
78 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/25 22:48
>>77 まあそうだな。
>>73からの流れのレスだからよ。
ようするに、文学「にも」そういう懸念を発端にする
不安はあるだろうってこったよ。
79 :
吾輩は名無しである:04/06/25 22:48
何が多様化していて
文学の何を相対化しているのか
できれば具体的にお願いします
>>79 多様化というのは、表現形態そのものと発表機会の多様化です。
表現者の増加もそれに含んでいいかも。
例えば、映像に関して言えば
前世紀まで動画で表現するメディアというのは
演劇しかなかったと思います。
しかし、今は
演劇、映画、テレビ、ゲームなど、多岐にわたっています。
発表するメディアが異なれば表現の手法も変わってきます。
また受け手も異なる場合が多いです。
なにかを表現して発表したいと欲求を抱いたとき、
その選択肢が今は「多様化」している、という意味です。
結果的に、多様化する以前からある表現形態の影響力は
相対的に低下していると思います。
81 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/25 23:02
>>79 「何が」っつーのは、すでに書いた、知的欲求を満たす手段てやつか、
知的なんて言葉あんまつかいたくねーけど、そんなかんじ。
・・・それを満たすもの。
「相対化」っつーのはよくわかんねーが、
「いったい、何がカブるんだ?」ってことなら、
単純にその対象として。内容云々じゃなくて、
ようするに、何で満足するかだろ。
満足すれば、それでよしってなるだろ。
映画を見て、感想を持って、友達とその映画の話して、
なにか思うところが出てきて。それを面白いと感じたら、
また映画をみるわけさー。
たとえ、それが、文学から得られるものとは違っててもな。
ねる
82 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/25 23:07
あー寝る前に。
映像とかゲームとかそういうのって、大勢でつくっから
文学程にはなんちゃらってのがあるけどな。
内容も質も比較するようなもんじゃねえけど、
選択肢としては同等なんじゃねーかなってのが
>>81
83 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/25 23:14
>>80 その類の意見にはもう反論済みなんですよね。
単純に文学賞への応募総数っていうのは上昇し続けています。
だからその観点では低下とか減少とか衰退とか言えるようなものじゃないと思うんです。
それに数とか量とかの話をするなら具体的な数値なりデータを出すべきです。
「受け手も異なる場合が多い」なんてどうして言えるんでしょうか。
>>77 >しかし、それは「文学」だけではなく、
>ほかの表現形態にもあてはまるわけです。
>もし「文学の衰退」を論じるなら
>「文学だけ」に顕著な状況を指摘すべきではないだろうか?
文学に固有な「衰退」を扱うとすれば
他ジャンルとの比較論が必要2なって
話題が板を横断する事になるだろうから、
それは限定する必要はないと思うけれどね。
85 :
吾輩は名無しである:04/06/25 23:20
だから他の板にも衰退スレ立てたことがあったよな・・あれどうなった?
>>82 文学賞への応募総数の増加について、
これは増加しているから作者が減っていないということを意味しません。
なぜなら、いま話しているのは「相対的な」視点から話しているからです。
本来は、ほかの表現分野での表現者の増加率などと比較すべきなんでしょうが、
もちろんそんなデータを持っているはずもないので、
単純に「メディアの数が増えれば、元からあるメディアの重要性は相対的に低下する」と断定しているだけです。
勘違いして欲しくないのですが、
私は個人的には「文学が衰退するというのは個人の感受性の衰退」だと思ってます。
もし衰退を主張するなら、こういう論点はどうでしょう?という意図で書いてます。
ほかの分野にはなく「文学」だけに顕著な現象があるとすれば、
興味深いですよね?
もし「文学」をとりまく状況が、例えば「現代音楽」などと同様なら
敢えて「文学」だけを語っても意味がないです。
87 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/25 23:26
>>86 相対と言ったって旧来のジャンルについても新参のジャンルについても何のデータも持っていないのに
どうして相対化できるんですか?しかも断定までしちゃったらほとんど宗教みたいなもんですよ。
あなたの表明した基本的な態度は僕に近いし、僕も「衰退云々言う奴こそ衰退してる」と思っています。
だけど「俺は日本人が大好きだ。でも日本人は〜」というような批判のスタイルっていうのもありますからね。
ネットではそういうものが多いと思う。衰退論は衰退論を信じる人に任せればいいんじゃないでしょうか?
>>82 ちなみに 「受け手も異なる場合が多い」というのは、私の主観です。
基本的に各メディアはコマーシャルベースに乗っているわけですから、
すべてのメディアを横断的に網羅するのは経済的な問題が発生するはずです。
というのを元に断定しました。
89 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/25 23:29
ジャンルも増えただろうけど人口も増えているんです。また複数のジャンルを愛好する人の数だって重要な問題です。
その率とかね。だから、そのへんを検証しない限り、少なくとも「断定」はできませんよ。それは間違いない筈です。
>>86 「衰退論は……」
は同感なのですが、感情論が多いし基準が無い中で話しているので
見ていてイライラしたのです。
で、ちょっと助太刀をしただけ。
それだけです。
はい。
前段については、どうでしょう、実感としてなんですが
例えば絵の上手な人がいて将来を考えたときの選択肢は
100年前と今ではどちらが多いですか?
もちろん数値で示せば説得力があるし科学的であると思います。
でも、そんなことをするつもりはないですから
主観だと流してくださって結構です。
「メディアの数が増えれば、元からあるメディアの重要性は相対的に低下する」
これ、相関関係と因果関係を混同してますかね?
91 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/25 23:34
>>88 経済的な問題が発生すると「断定」するのは個人の平均的な収入とその内訳と、さらにメディアごとの平均的な価格帯を
比較検討して始めてできることですよ。主観は主観です。断定には至りません。
はいはい。
個人的に断定してはだめなのね。
では「推測しました」。
これでオッケーですか?
>>88 最後にひとつだけ、
あくまでも「相対的」なお話なので。
94 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/25 23:41
>>90 僕は100年前を生きていないので実感は持てませんが、推測するなら今の方が選択肢は多そうですね。
いわゆる画家以外にもイラストレーターや広告関係、美術関係、デザイン、色々わかれますからね。
でも、それで「絵画は衰退している」に繋がるとは思えないんです。
ジャンルの多様化が既存のジャンルを「食う」とは限らないからです。社会そのものが多様化して
求められるもの自体が多様化した。そのニーズに合わせてジャンルも多様化する。
それって既存のジャンルを侵食していることになりますか?
95 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/25 23:48
もし社会が多様化しているってことが根本原因ならそのことについて特定のジャンルを「衰退」などと言うのは
ただの言葉遊びです。つまり全てのジャンルが一様に衰退していると言えるからです。ここをちゃんと考えて欲しいのです。
>>80の37氏は送り手側の、
>>81そこもで氏は受け手側の事情なんですね。
コンセンサスがないですね。
>なにかを表現して発表したいと欲求を抱いたとき
と37氏はおっしゃいましたが、「なにか」とは形式に依存しない
なにかということになるわけですね?
だとしたら、それがなになのかをはっきりさせていただく必要を感じますね。
それから、「相対的」という言葉が散見されますが、表現というのは
それだけで相対化できるものなのか、疑問を感じずにいられませんね。
97 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/25 23:54
僕も相対的という言葉は相対する全ての事象を踏まえた上で何らかの目論見とともに意図的に使うべき言葉であって
踏まえなくてもいいというような言い訳として使ってよい言葉ではないと思います。なんでも相対化できてしまいますからね。安易に。
そしてその結果37氏が望むのとは正反対の混沌とした言葉遊びばかりになってしまいます。
>>93 もしかして、これ「衰退してない」派同士で話してるのは変な感じ?
私が言いたいのは、
・表現する側に選択肢が増えた。
・受け手も選択肢が増えた。
という状況は、それぞれの選択肢の重要性が相対的に低下している。
これを「衰退した」ということは可能かもしれませんね、ということ。
>>94 だから、衰退してないっていってるのに……
ディベートのつもりで書いてるのに……
「多様化」が原因で「衰退」と主張するなら、すべての表現が衰退しているから、衰退とは言えない。
ということですが、
「多様化」というのは「細分化」とも言いきれないわけで
「文学」と比較して新しく発生したメディアなどは
発展している可能性があるわけです。
言葉遊びなのはわかってますよ。
では、衰退を主張するににはどうすればいいか?
考えてみませんか?
ところで、79さんは「文学」でなくてもいいので、創作活動とかはしたことないのですか?
なんかずれてる。
勝手に補正してください。
とりあえず、いまは文学よりもサッカーだ
101 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 00:18
>>98 表現する側に選択肢が増えたっていうのはやっぱり限られた見方のように思います。
そもそも社会的にどう生きるか自体に選択肢が増えているわけです。
漱石の時代に生きていたら家業を継ぐ以外に選択肢のなかったような人も
今では好きな道に進めるというようなケース自体が増えているわけで、
だから「表現する側」というもの自体の推移を注意深く検証する必要があります。
受け手の選択肢は増えたかもしれませんが、表現に接する機会そのものがやはり昔から今では
大幅に増えているので、それも一概に比較できない要素だと思います。
つまり相対というときの「昔」「今」が限定された状況下においてすら一様ではないので、
その部分を考慮しない限り相対化自体不可能なんです。
102 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 00:21
>>99 理解しているつもりですよ。ディベートだとしても反論する側は必要です。
僕が言っているのは相互関係です。あるジャンルが発展することで既存のジャンルが侵食されるのかどうかです。
新しく生まれた今までになかったニーズを新しいジャンルが埋めた。
そのことが今までにあったニーズをそれまでのジャンルが満たすことにどう影響を与えのか考えるべきだという意味です。
僕は衰退していると全く思えないので試論としても魅力を感じません。しかしその試み自体には
「反論する側」として参加したいと思います。
>>99 わたしは子供の頃にピアノを習っていまして
つたないながらも作曲なども楽しみました。
そのときの気持ちを今表現するなら、純粋に音楽としての美しい
音楽を表現したかったのだ、と言えるように思います。
また言葉遊びになった。はー。
文学板のごみ溜めスレッドと言われております。
>>104 そうだね、ごめんね。
なんか書いてくださいな
107 :
吾輩は名無しである:04/06/26 04:50
Cってけっきょくのところ工藤伸一?
工藤には「品」がある。
103まで読みました。ここはいろんな人が書き込むからいいです。
Cさんも37さんもなかなか面白いのですが、「これから」ですね。
自分の土俵に相手を招くような批判的なレスが多いのですが、
もう少しお互いに歩み寄って共通の土俵を築こうとする姿勢も必要かな、
と思いました。
そろそろ矢部さんのレスなんかも読みたくなりましたね。
評論家の評論家かよ
111 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 12:57
てよか、主観による意見を書いてるて、
いわずもがなだろ。
いちいち、それは主観であってデータが無いなんっつて
わかりきったツッコミ入れてたらたら、
なんか、スレの流れが悪くてきもちわりーよ。
データはあるときだけだせばいいし。
主観だと思ったら、そういう考え方もあるって一度理解して受け止めてから
スルーするなり発展させりゃいいって話しだべーよ。
112 :
吾輩は名無しである:04/06/26 13:42
2ちゃんやりながら本読めないや。
113 :
THE グル :04/06/26 14:15
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄ / /
 ̄
114 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/26 15:07
文学って何だーから話をすすめているのか?
悠長なことだ。
何かが判ったときにはすでにその文学が衰亡している罠
★“異国人”少女に心の傷…男児突き落とし事件
東京都新宿区高田馬場のマンションで孫継祖ちゃん(5)が突き落とされた事件で、観護措置中の
中学2年の少女(13)は、約3年前まで暮らしていた東南アジアの小学校で、教師や同級生に
「戦争で日本人にひどい目にあった」などと言われて、暴行やいじめを頻繁に受けていたことが
26日、わかった。
帰国後の小学校では反対に、少女は教師を殴り、動物を傷つけるようになった。心に傷を抱えて帰国した
少女が発するサインに、周りの大人たちは気付きながらも、手を差し伸べることはできなかった。
関係者によると、少女は日本で生まれ、国籍も日本にあるが、1歳の時、家庭の事情で、母親の出身地の
東南アジアの国に母親と2人で移り住んだ。現地の小学校に入学したが、入学当初から、泣きながら帰宅する
ことが多く、顔や体にあざを作って帰ってくることもしばしばあったという。母親が事情を尋ねても、
少女は何も答えなかったため、母親は日本大使館などに相談。現地の関係機関が小学校に事情を聞いたところ、
教師らが少女に殴るけるなどの暴行を加えていたことがわかった。教師らは少女に暴行を加える際、
「私たちの親族は、戦争で日本人に痛い目に遭わされた」などと話していたという。その後も、暴行を受け
続けたため、少女は転校したが、そこでも同級生からいじめを受けていたという。
少女の小学校での成績は優秀で、現地語のほか、英語、中国語にも習熟していた。しかし、少女は次第に、
母親に「日本にいるお父さんに会いたい」と訴えるようになり、2001年に帰国。同年11月から都内の
小学校の5年生のクラスに転入した。日本語は帰国後に覚えた。
転入後まもなく、少女の行動に異変が出始めた。授業中に教師から言動などを注意されると、突然わめいたりする
などのパニック状態に陥った。校長や教師につかみかかったり、階段を下りている教師を後ろから突き飛ばしたり
したほか、カッターナイフを持って教師を追いかけるなどの問題行動を繰り返すようになった。学校で飼っている
ニワトリやウサギ、ハムスターなどの小動物を傷つけることもあった。
同級生の保護者から、少女の行動を問題視する声が上がったこともあり、転入からわずか7か月後の2002年6月
、少女の母親は区教委に「転学届」を提出。区教委は転学届を受理したが、実際には転校手続きは行われず、少女は
卒業まで1度も学校に通うことはなかった。
小学校の同級生の母親の1人は、「保護者たちは学校や区教委に相談したが、結果的にだれも助けてやれなかった。
少女が『日本』に順応するための受け皿があれば、こんな事件は起きなかったかもしれない」と話す。少女と接見した
付添人の弁護士も25日の会見で、「事件との因果関係はまだわからないが、少女は、日本と東南アジアの両方で
“外国人”として排斥される経験があったようだ。少女もつらい経験をしてきたと思う」と語った。(読売新聞)
119 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 15:51
>>107 誰?コナン?知らん。
>>109 腐った土壌に建設する建物が長持ちするはずはないので僕は土壌調査をしているだけです。
>>111 雑談板じゃねえんだよな。専門板なの。だから雑談スレとしてはともかく専門的な話をしているときは
明確な根拠やデータだって必要なんだよ。何でも一緒くたなおまえにはわからないかもしれないけど。
120 :
吾輩は名無しである:04/06/26 16:34
文学的におもしろくないからだろ。
一時期、単なるおもしろさで売れちゃった作家がでた。
社会派森○とか、推理物赤○、列車胡○沢など。
そうゆう座標軸が形成されて、文学がそっちの方へ強力に
ひん曲がっていった。
しかし、最近の30〜40代の若手の作家は、文学的に面白いと思える。
注)文学的ってナンだとか、左○みたいなこと言うなよ。
それが自分なりにも、わからないなら文学を語るな。
121 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 17:26
>>119 そういうこっちゃねーんだよなー。
「おまえの意見は主観だけでデータが提示されてない」
そんなこと言いながら、他人のレス潰しまくってたら、きりないってこったよ。
「どうして、そう感じたのか?」とかほかのレスを待ってみるとか、
そういうゆとりがねえんだおめーには。
あとあえて言えば
「専門板は、こうだ」ってのもお前の主観なんで。
俺はどうでもいい。
それで人に説教まですりゃ決め付けだ。
専門板なら俺もいろいろ出入りして、
自分なりの捉え方はあんよ。まーきおつけてくれや。
122 :
吾輩は名無しである:04/06/26 17:38
>>121 そこもでもたまにはいいこというんだな。
123 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 17:40
あと、ジャンルとともに人口が増えてるから、ってのは。
絶対数を問題にするかパーセンテージを問題にするかでも、
違うからな。
比率の問題なら、多様化すれば減るのはあたりまえで。
まあ、器の問題はあんけどな。
>>96 とりあえず、出版の中でとりわけ小説単行本が振るわないってスタンスでレスした。
流れ的にもそうだったと思う。
まーその一方で、ライトノベルと、一部のミステリーが稼ぎ頭にはなってるようだけどな。
124 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 17:42
今後「純文学」って言われてる作品って、文学部の人以外読まなくなるんだろうね。
そういう意味では、専門的になるんじゃないかな。
数学書を一般の人が読むことないのと同じように
文学書をサラリーマンや他学部の学生が読むこともなくなるんじゃないかな?
それを衰退っていえば衰退になるんだろうけど。
ここは雑談スレかもしれないけど、そういう意味ではミンナで「なぜ、衰退してるのか?」って
カンカンガクガクやれるのもなくなっていくと思うから、いいんじゃないかな?
ごめん。カンカンガクガクなんて言葉ないよね。
ケンケンがくがくの間違いだ。あ〜 恥ずかしい。
侃々諤々 かんかんがくがく
喧々囂々 けんけんごうごう
重ね重ね、ごめん(w
結局、文学を読んでも心にキックが入らない人が多いから衰退
するわけでね。
未だに文学読んでキックが入るような人は、たぶん入らない人が
理解できないでしょ。だから、そういう文学ファンが衰退の
理由を考えても不毛なわけでね。
130 :
吾輩は名無しである:04/06/26 18:38
そうなんだよね。なんでキックが入らないんだろう?
恵まれてるからかな、彼らは。
すごく、分かりやすい自演だな。
132 :
吾輩は名無しである:04/06/26 18:55
キック=作家の器量
133 :
吾輩は名無しである:04/06/26 18:55
キック=作家の器量
134 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 18:55
>>121 何が違うのかさっぱりわからないんだけど。「数」とか「量」を主題にしている議論で
「じゃあ幾らなんですか」と尋ねることの何処に問題があるんだ?
きりがないのはそもそも不明確で根拠が薄弱な無茶な議論のほうであって
それを指摘するのが駄目だなんて言ってたら本当にただの雑談板になるぞ。
ここは専門板なんだよ。爺さん婆さんが茶飲みながらああだこうだ言う場所なら他にもある。
ここでおまえの言う方法がどうして有効なのか理由くらい書けないのか?
ゆとりがどうこう言うならおまえこそ俺の議論に対していちいち噛みついてくんなよ。
主観で話すのは前提だとか言いながら他人の主観否定してどうすんの?
おまえはただ俺の書くことをみんな否定したいだけじゃん。それがまず場違いなんだよ。
文学の話についてゆけないからといって惨めだぞ、そういうの。
135 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 18:56
>>123 そんなことはもう書いてある。ちゃんと読んでからにしたらどうだ。
136 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 18:57
>>125 りさ&ひとみは普通の親父とかにけっこう売れていますよ。
137 :
うさぎ会長:04/06/26 19:21
Cってバカじゃねえか。CってなんでCなんだよ。
138 :
吾輩は名無しである:04/06/26 19:40
だから2ちゃんやりながら本読めないんだって
なんといえばいいのでしょうか。
一般的に言えば
感情的であったり、失礼であったりする発言をする人と
議論をする気にならないですよね。
140 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 21:21
>>137 当たり。俺は馬鹿だよ。だから君にも律儀にレスをする。
>>138 読めるよ。今も平田オリザの『演技と演出』を読み終えて今からもう一度、中上の『岬』を読み返すところ。
>>139 だったらしなければよろしい。泣き言まで書く必要はありません。
文学を読んでいる奴が衰退の理由を理解できるわけがないわけでね。
だって、そいつにとっては衰退していないわけだから。
結局、このスレに価値を付加するためには、文学ファンは
黙るしかないんだよ。
142 :
吾輩は名無しである:04/06/26 21:39
うさぎ会長は新しい文学のアラシ
143 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 21:46
>>141 じゃあますます黙るわけにはいかないですね。愛好者でもない奴らに衰退云々言わせておくものか。
>>143 だから、そういう君には「文学」を語る資格はあっても、
「文学の衰退」を語る資格がないんだよ。
文学を読まない人々の意見を謙虚に聞いてこそ、
文学が衰退している理由がつかめるんじゃないのかな。
145 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 21:51
>>144 ではこう言えますね。文学の衰退を語る人には文学を語る資格がないと。
文学を読む人々の意見を謙虚に聞いてこそ、
文学の素晴らしさもわかるんじゃないかな。
146 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 21:53
まさに不毛だな。
147 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 21:55
>>146 そんな大胆にハゲのカミングアウトしなくてもいいのに。
発展しないね
149 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 21:58
再反論待ちですね。
>>145 このスレは文学の素晴らしさを語るスレッドではなくて
衰退を語るスレだよね。
つまり、君は黙っていた方がいいわけだ。
151 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 22:02
>>150 違いますよ。衰退しているのかどうかも語れるスレですよ。ちゃんと
>>1を読んで前提を踏まえて下さい。
みんなそのあたりを誤解しています。だから僕の意見を感情的だと感じるのでしょう。
僕にしてみれば逆の印象ですよ。何が何でも衰退ってことにしたいように見えます。
152 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 22:03
そうだな、スレタイに示されてるとおり。
衰退してるかどうかじゃなく、
衰退してるって考え方が、まず前提。
これはもう、まず衰退してるって結論が出てるって、
仮定でもなんでも
土台にしねえと
その中で語らないと、ディベートにもなんねーな。
雑談スレならいいけどな。
153 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 22:03
僕は議論として出された部分には特に感情的な言葉も罵倒も用いていませんから、それもよろしくお願いします。
154 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 22:05
確かに1に「衰退しているかどうか」と書いてあるな。
忘れてた。
けどどのみち、これがあると、議論がまえにすすまねえから、
このへんで修正してってもいいと思うぞ。
重ねていうけど、雑談ならべつにいいけどな。
155 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 22:06
>>154 何あわてて修正してんだ?読んでなかっただけだろ?スレタイから誤解して思い込み。いつもの君そのまま。
156 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 22:13
マジで、
スレの趣旨として「衰退しているかどうか」を含めるかは、
今のうちに意見を出し合って、決めておいたほうがいいおもーな。
「衰退してるかどうか」と「なぜ衰退するのか」は同時にはかたれねーだろ。
もちろん、先に「衰退しているかどうか」だけを話すって方向もあんけどな。
157 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 22:15
でも俺はでかけるんで。
とりあえず、俺としては
強引でも何でも、まず衰退してるって前提ありき、
にしちまったほうがいいと思うな。
まー、そりゃそいで異論のあるやつを刺激して、
次スレが立つころまではもめるだろーが。
158 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 22:20
いずれにせよそこまで君は何も書いてないじゃん。どっちの立場でもないし小学生の感想文ばっかりで。
159 :
↑バカねー、頭悪そー:04/06/26 22:28
うん。
160 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 22:31
こんなとき人は幼かったあの頃に戻る。デジャブ。「馬鹿って言ったおまえが馬鹿」追想。「地球が何回、回ったとき」
何回、回っても。
Cさんよ、小学生の感想文とか止めない?
きみを見損ないたくないと思ってるやつだっているんだぜ。
162 :
↑160バカねー、頭悪そー:04/06/26 22:34
単なるあらしだと思ってたら、Cって精神疾患みたいだね。
163 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 22:37
>>161 見損なっていいと思うよ。俺は他人のイメージのために演じているわけじゃないから。そこもでって奴の粘着ぶりは明らかでしょ?
それに小学生の感想文ってのもそんなに外れてないでしょ?
衰退を語るならそうすればいい。俺がいても彼が書きたければ書けばいいよ。
でも単に俺の意見に噛みつくためだけに彼はここにいる。今のところはね。そういう奴に何で礼儀を示さなきゃいけないんだ?
Cの人の意見の聞かなさぶりはなかなかのもんだ。
オレマンセーだな。
165 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 22:42
まただな。結局、反論が途切れるとこういう粘着系が登場する。衰退派の皆さんの用心棒ですね(笑)
やれやれ
文学が衰退する理由が分かった来た気がする
168 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 23:05
「分かった来た気がする」衰退しているのは……
169 :
吾輩は名無しである:04/06/26 23:14
俺は文学とは180°違う分野の人間だ。そんな立場の人間の考えを聞くことも、少しは意味があることだろう。
多少的外れなことを言っても文句言うなよ。
まず、本の価格だ。一冊千円以上・横並びの価格設定など、消費者を完全にバカにしている。
ワイルドターキーが三千円で買える時代だ。業界の人間は一冊千円の本が競争力を持っていると本気で思っているのか?
次に再販制度だ。再販制度で業界が手厚く保護され、おまけに活字離れだ本が売れないだって、泣き言ばかり言っている。
甘えるんじゃない。日本で売れなけりゃ海外に売りに行けよ。
再販制度で保護してもらえない製造業は数十年前からそうしている。
ぬるま湯に浸かっているあいだに時代に取り残された業界全体が、内部から侵食されているのだろう。
手厚く保護されている上に消費者に目を向けない業界は衰退して当たり前だ。
170 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 23:19
>>169 的外れはいいとしても、何でそう挑発的な文章なんでしょうかね。何か直接的な恨みでもあるかのような。
そういう文章が多いですよね。衰退論には。
僕が文学を隆盛させるとしたら、一夫多妻制の導入と、徴兵制の導入、
それと十年に一度は戦争をしてもっとドラマチックな人生メイキングをするよ。
僕は戦死した戦友を思い、詩を詠むだろう。
内地に残してきた恋人を思い、小説を書くだろう。
日本に帰ってきて、その深い絶望を表現して芥川賞をとるだろう。
173 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 23:32
友と恋人を得るのが先だな。
戦争を経験していない芸術家って不幸だよ。
安穏と暮らしていると感情のふり幅が狭いから。
と、カルヴィーノなんかを読むと思う。
戦争にはロマンもあるし悲劇も感動もある。
愚直かもしれないけれど、僕は愚直な人間だから
>>169 なんか、モドカシイね。
「マーケット」からの視点はわかるけど、なんか無理に出版界
全体の意見に広げてる感じがする。
イイタイコトをもっと、はっきり書き込んでいいんじゃないかな?
例えば「本欲しいけど、買えないんだよ。高すぎんだよ。」って。
オレはゼンゼン馬鹿げた意見だとは思わないよ。
176 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 23:44
フランス外人部隊は君をウェルカムだよ、おさむ。
>>170 失礼。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は文学とは180°違う分野の人間です。その様な立場の人間の考えを聞くことも、少なからず意味があることかと思い、
私の考えを述べさせていただきます。
多少的外れなことを言ってしまうこともあるかと思いますが、それは必ずしも
私の本意では御座いませんので、何卒ご理解のほどお願い申し上げます。
まず、本の価格についてです。一冊千円以上・横並びの価格設定など、消費者本位の価格設定をしているとは到底思えません。
ワイルドターキーが三千円で買える時代です。出版業界の方々は一冊千円の本が競争力を持っていると本気で思われているのでしょうか?
次に再販制度についてです。再販制度で業界が手厚く保護され、その上活字離れであるとか、本が売れないであるとか、そういった対外的なことばかり言っておられるように思います。
その様なことは、私と致しましてはいかがなものかと思います。
日本国で売れなければ、海外に販路を拡大するといったことも考えられてはどうかと思います。
再販制度で保護されていない製造業などは数十年前からそうしております。
おそらくぬるま湯に浸かっているあいだに出版業界全体が時代に取り残され、内部から侵食されているのではないでしょうか。
手厚く保護されている上に、決して消費者本位の立場をとっておられない業界は、衰退するのも致し方ないかと、成るべくして成ったのかなと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これでよろしいか?ちなみに恨みなどは持っていませんよ。
逆に私は文学が好きなので、現状を悲観しているだけです。
>>176 刺激的であれば良いわけじゃないでしょ。大義名分が無いとねぇ。
君も一緒に行きたいと言うのなら行くけど。
179 :
THE グル :04/06/26 23:49
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─( ゚ ∀ ゚ )< ていせつていせつ!
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ∩∧ ∧∩\( ゚∀゚)< 定説!定説!定説!
ていせつ〜〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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 ̄
180 :
そこもで ◆ACT.MODE.E :04/06/26 23:53
まー本の値段が下がったら、作家泣くよな。
はともかく、俺は高い本・・・。
ハードカバーが売れないのも衰退の現れ方の一つと思うけどな。
昔も馬鹿売れしたものじゃないだろうし、
本が好きな人間でも文庫になるのを待ったりもするけど。
書店の入れ替えサイクルが早いようだぞ。
売れないから。
181 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/26 23:59
>>177 最近「挑発」ということについて考えさせられることが多かったので変に噛みついてしまいました。すみません。
出版に関しては同様の意見もありました。今回ほど丁寧に書かれたものはなかったように思いますが。
でも以前に出た「衰退していなかった時代」つまり明治から大正、昭和初期の文学の時代においても
たとえば鴎外の小説が売れなくて当時としては珍しい印税制の契約を結んでいたことなどが
新潮の百周年記念号などにも書いてありました。だから「最盛期」と思われている時代は
むしろ「売れていなかった」時代なんです。そういう見方もできるんです。
円本ブームの話も出ましたがそのときは確かに廉価版の全集が売れました。
そして円本ブームはすぐに終結しました。りさ&ひとみ&世界の中心&DEEP LOVEもブームになり売れました。
しかしブームは所詮ブームだとするなら、「売れている時代」=「元気な時代」とは一概に言えません。
競争力を持たせて売れたところで、だから衰退を脱したとは言えないと思うのです。
僕はむしろ逆だと思います。消費者の顔色を伺うような仕掛けよりも消費者が自ら乗せられてしまうような
そんな仕掛けこそ出版業界にとって重要な一手になるのではないでしょうか。
182 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/27 00:00
>>178 じゃあ二人で戦争を起こせばいいじゃないか。この際。
>>182 ふむ。
でも武力的には(敵にもよるけど)圧倒的にこちらが弱すぎる。
ではどうしよう。君が脚本を作って、僕が映像を作るとかならまだ戦えるかな?
184 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/27 00:07
>>183 大義名分が必要なら、社会の敵でも想定して輪ゴム鉄砲で狙撃するとか……二番煎じだな。
>>175 >「マーケット」からの視点はわかるけど、なんか無理に出版界
>全体の意見に広げてる感じがする。
俺はこれが出版界全体の現状だと思うし、文学の衰退した要因だと思う。
決して事柄を広げているとは思わない。
>イイタイコトをもっと、はっきり書き込んでいいんじゃないかな?
>例えば「本欲しいけど、買えないんだよ。高すぎんだよ。」って。
ああ、高すぎるね。月に五冊買えば五千円以上だ。
それだけあれば飲みに行けるし、それなりの酒も買える。
文学も消費者に読んでもらえなければ意味がない。読んでもらえなければ、それはただの「作家の自己満足」だ。
読んでもらうためには「マーケット」を無視せず、より消費者に身近なものにすることが重要だ。
もちろん「読みたくなければ読むな」と言えるようなカリスマ的な作家がいてもいいとおもうが、
それはあくまでも極少数だ。
でもマイケル・ムーアみたいな戦争の仕方は嫌だなあ。スマートじゃないもん。
187 :
C ◆7sqafLs07s :04/06/27 00:15
>>186 あれはアメリカ人にしか許されない方法でしょう。日本人に対しても煽っているけど、通用しないよね。
でもちょっと羨ましいのは、マイケル・ムーアは戦っているってこと。
日本人は基本的に戦っていないよね。
ほら、文学に戻ってきた。日本文学には敵がいない。幾らかでも敵役がいるのなら盛り上がりもするけど、こう何もないとね。
高橋源一郎の時代はまだ戦っているように見えたのだけれど。
>>181 >むしろ「売れていなかった」時代なんです。そういう見方もできるんです。
なるほど、言われてみるとたしかにそういう見方も出来ますね。
映画産業はテレビの普及とともに衰退しました。
仮に銀幕で見る映画にサービス面・価格面でプレミアム性を持たせれば、
現在のような状況にはなっていなかったかもしれません。
ですが私はやはり文学は身近なものであることが重要だと思います。
もちろんそれは価格面であり、入手のしやすさという面で、です。
尽力して書いた本が、極一部の人間だけが読む特殊な存在であることは、
作者にとっても本意ではないのではないでしょうか。
そのためにはやはりより身近なものにするためにも薄利多売でやっていくのが最善の方針だと思います。
質についてですが、数が出れば質はおのずと向上していくものだと思います。自動車がそうだったように。
ただし今のテレビを見てもわかりますが、刺激的なものを求めすぎて低俗なものばかりになる可能性も考えられるので
第三者による質のチェック・評価体制も必要だと思います。
わりこみ すみません。
文学はあまり詳しくないのですが、最近の10代の作家たちには、文学の衰退を止める力は
ないのでしょうか。
>>190 そういう話を含めて一般化された議論が延々と続いています。
文学賞をみるに、「評論の神様」といわれた小林秀雄も、
芥川賞をもらえなかったわけですし、(受賞した作品は当時 流行の考え方)
選考者にも責任があると思います。
衰退は必至でしょう。
学者とか、ほかの分野からも選考者を募ればいいのに。
でなければ、作家の狭い仲間意識の中で文学は終わるでしょう。ただの「うち」文学として。
一般的に無名な学者を借り出してきても意味無いよ。
宣伝なんだから。
出版社主催の文学賞になにか期待するほうが間違いよ。
>>192 小林秀雄は芥川賞の候補にもなってないよ。
「改造」の懸賞論文と間違えてないか?
じゃあ、芥川賞のすごさって何?
定義は?
>芥川賞のすごさって何?
宣伝効果。
ところで定義って何のこと?w
197 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/27 07:23
具体的にどんな作品がどのように機能しているから
いつにくらべて文学は衰退していないのかな?
198 :
吾輩は名無しである:04/06/27 22:27
伊藤整著『日本文壇史』(講談社文芸文庫)
第一巻は江戸から明治への出版状況の変化について書かれており、
新聞が近代文学の誕生にとって新聞が果たした役割の大きさがわかる。
199 :
吾輩は名無しである:04/06/27 23:45
文学が衰退したのはある意味では事実かもしれないけど
文学だけが衰退したわけではなくて
そもそも社会が文学を求めなくなったことによって文学の需要も減り
よって文学に対する批評も少なくなり
その結果として文学者が育たなくなったというのが正解です
200 :
吾輩は名無しである:04/06/27 23:46
終了
201 :
吾輩は名無しである:04/06/28 12:38
結論=文学は衰退した。
以上
マジでシンドイ。
終了
もそもそ文学の興隆について存分に語られておらず、文学が人間に対して
果たした重要な役割が明確とはなっていない。
文学は歴史を変革したか?
否。
文学は人格を神に近づけたか?
否。
204 :
吾輩は名無しである:04/06/28 14:37
変革とか神とか
もうあきあき
>>203 真性のアフォか?
芸術の分野にそういう事を求めてどうすんだよw
文学であれ、音楽であれ、絵画であれ、全て芸術であり娯楽なんだよ。
「歴史を変革」や「人格を神に」云々とは違う側面で人類に影響している。
それすらわからないのか。
>「歴史を変革」や「人格を神に」云々とは違う側面で
それを具体的に語れというのだ。
>>206 芸術=娯楽
この視点から考えろ。答えはすぐに出るはずだ。
それともまだわからないか?
芸術を娯楽と割り切ればまっことに単純でよろすいが、そうではない所にこのスレが
延々と続く由来があるのさ。
人間は芸術によって何かを与えられた、与えられた事により変わった。
しかし現在は過去に与えられていた何物かが与えられずに、変わる事が出来ない、
そのジレンマがこのスレを続かせているのだよ。
その何物かをある者は時代の衝撃性とよんだ。
ある者は自己深化の普遍性からの分裂とよんだ。
しかし、これこそなる程という決定的なものが出ていないのだ。
だからこそ、過去に人間に与える事が出来ていて、現在にそれが薄れている
ものは何かと問う事が大切なのだ。
昨日、愚劣庵が週刊ポストの袋とじグラビア開けてるところを見かけた。
マジでシンドイ。
終了。
210 :
吾輩は名無しである:04/06/28 17:36
結局、何だかんだ言っても、文学の役割は終わったんだよ。
残念だけど。
テレビが映画の居場所を奪ったようにね。
だから、既成の文学ではどうあがいたって無駄。
何か、新しい文学の形を見つけない限り。
211 :
吾輩は名無しである:04/06/28 18:06
時代の衝撃性とか
自己深化の分裂とか
もうあきあき
だっさい本の腰まきコピーみたい
芸術は生き残れるのか、という話なら
大丈夫、
どんな時代になっても表現する人はするし
それを必要とする人もいる。
と答える。
芸術の個人にとっての重要性は、しょせん主観だしね。
「芸術 対 個人」
ではなく
「芸術 対 社会」
の話をしようとするときの尺度が問題なんでしょ?
>>208 その「何か」とは知識を得ることでの満足感や、人の芸術的感性への刺激。
「感動する物語だった」とか「こんなダークな思想を」とか、そういう感情のすべてが芸術的感性(それを前提に話していく)。
そんで、このスレで何度も言われているように、昔はメディアが現在ほど幅を利かせてなかった。
だから芸術的感性の欲求や知識の飢えは文学―― すなわち本を読む事によって満たされてきた。
しかし現在は映画、テレビ、インターネット、果てにはゲームまでもがその役割を果たす。
だから文学への感心は薄れ、他のメディアへと分配される。
若干違った形でも、全て「芸術的感性を満たす」という条件はクリアしてるからね。
昔から、大抵の人(文学マニアじゃない人)は「本を読む事でしか満たせない芸術的感性」を求めてたんじゃない。
芸術的感性だけを求めてたんだよ。そんで、昔は本が主流だったからみんな本を手に取った。
でも今では代理品がたくさんある。だから本にこだわる理由がなくなるんだ。
経済学でも習うじゃん、需要と供給。
「複数の品物が同じ役割を果たす場合、その代価が少ないものが優先される」だろ?
テレビや映画なら、難しい言葉の羅列のような「本」を読まなくても画面を見てるだけで欲求が満たされるんだよ。
だからそっちが優先されるわけ。
長文スマソ
214 :
吾輩は名無しである:04/06/28 23:52
愚劣庵は馬鹿だから来るな
Cも批判専門で、ズバッとした意見が出ない奴
また一人、作家が自ら命を絶った。
ガハハハハ、馬鹿共が。結論なんて出やせんよ。
基本的にお前ら具体的意見が出せない。
そしてイザ出たら必死にそれを叩くのみ。
誰かがいい事言っても、その中身に手付かずのまま後ろの方にスルー
されちゃう。
一言でズバリ言える問題でないだろ、これ。それこそ多大な要素から原因
から因果関係などを論文みたく書かなきゃ、うるさい連中を黙らせられない。
だから、一言二言、いいポイントを付いてみた所でも「何々が足りないんじゃない・・・」
と意見を言う奴が出てくる。実は、その「足りない・・・」と言った所の意見も
後ろの方を見れば書いてあるのに、それをもう忘れてしまってる。
誰かが、今までに出た良い意見を拾って、長文の形で常に残しておかなければ、この
衰退スレは解決しない。いつもそれで白紙状態に戻るわけだ。
だらだら無駄な時間を過ごしてるだけ。
ホントお前ら馬鹿ばっかだ。
ガハハッハハハッハハ
豪快さんがきたよー
>>213 模範的ではあるが、満たしてはいない。
文学が興隆していたという時代があったとするならば、私たちはある文学により、
それは勿論人によって異なると思われるが、その文学により「変わった」筈なのだ。
つまり文学は人を変えたのだよ。そういう力があったのだと思われる。
だからこそ文学は人を変え、それは結局の所、社会を変えたのである。
その力の源泉は何かというと、言い換えれば、私たちは変わる事が出来るという、
信仰にも似た強いも思いを文学は人間に持たせる事が出来たという事だ。
現在他の色々なメディアにその力があるのかと問われれば、それは、ないと言える。
時に突出してあるメディアがある犯罪を誘発した、とか、その程度のものなのだよ。
言葉は斯様に重いものになり得るのであり、それは現在でも変わりはないと
思われる。しかし言葉の受け手がその感受性をなくした、或いはとても薄まって
いるかのような現状がどういう次第なのかとを問うている訳なのだね。
219 :
philo:04/06/29 03:41
>>218 そんなことは無いでしょう。
というのは、
>言い換えれば、私たちは変わる事が出来るという、 信仰にも似た強いも思いを文学は人間に持たせる事が出来たという事だ。
>現在他の色々なメディアにその力があるのかと問われれば、それは、ないと言える。
についてです。
あなた自身にとってはそうなのかもしれませんが、すべての人にとってそうであるとはこの場合、限らないのではないでしょうか。
僕を例に出せば、あるテレビゲームが人生観に強く善い影響を及ぼしたということもあったし、
ある映画の音楽がとても素晴らしくそこに描かれた人間模様が自分自身の美的感性を十分に満たしてくれたということもありました。
ある漫画にとても深く感動してそれについて友達と熱く語ったなんていうこともみんな多かれ少なかれあるのではないでしょうか。
それが人生を変えているという実感はある。
そうというのも、他のメディアにも「言葉」は必ずといっていいほど介入している事実があるからです。
あなたはその中に書かれたあるいは語られた文章が、『文学』ではないとでもおっしゃりたいかのようだ。
果たして本当に、誰にとってもそうなのでしょうかね?すくなくとも僕は疑問を持ちました。
>>219 それは局所的には正しい意見なのかも知れない。
ただ芸術表現というのは純一であればある程に強さを持つ。
例えば絵画が、画面それのみで成り立つ「美」とそれに何らかの物語的意味を
持たせた絵画を比べた場合、副次的なものを盛り込んだ美は純一な美と比べると
明らかに弱い。
文学も同じだと思う。言葉のみでひとつの世界を形成したものと、絵物語とを
比べた場合、言葉のみで純粋な世界を成したものの強さがはるかに優るだろう。
ちゃんぽんでも良い物がある事を認めるのに反論はないが、しかしその方がいいとは
私は決して思わない。
オペラを至極の芸術という人の存在に反論もないが、私はバッハのカンタータの
方が、少なくとも私にとってはより強く純粋で美しい。
>>218 >私たちは変わる事が出来るという、 信仰にも似た強いも思いを文学は人間に持たせる事が出来たという事だ。
>現在他の色々なメディアにその力があるのかと問われれば、それは、ないと言える。
ここはかなり主観的じゃないかな。
>>219も言うように、映画、漫画、テレビ、ゲームなども多くの人にその思いを与えた(映画は特に大きい)。
>言葉は斯様に重いものになり得るのであり
映像美術も絵画もね。
>しかし言葉の受け手がその感受性をなくした、或いはとても薄まって
>いるかのような現状がどういう次第なのか
俺が
>>213でも述べたのは「感受性が他のメディアに向けられてる」って事。
上記の「言葉」が言語を指してるのか文学を指してるのかわからないけど、
言語を指してるならそれは間違いだよ。
言い換えれば、合成的なものにはより作為の加わる余地が強く、純粋性からは
遠ざかってしまう、そういう可能性、可能性という言葉は多分に不適切だが、
恣意的なものになり得る危険性が高いという事だ。
芸術というのは言わば一つの真理に直線的に、詩的にアプローチしていくという過程の
作業であると私はそう考えている。
ただ文学は人生の意味性が他のものと比べて格段に重要であるから、それだけで
既に芸術としては不純なのである。
223 :
吾輩は名無しである:04/06/29 04:15
愚劣庵は意見がすべて主観的すぎて議論が成り立たない。
>>221 反論ありがとう。
真面目に考えてくれてるのは嬉しい。
ただ今日は、いや今日もだが、私はメートルがかなり上がり、眠りたくなった。
明日、再度書こう。
私が書くのを嫌がる者たちが結構いるのだがね(笑
>>223 そもそも主観と客観などいかほどの違いでもない。
客観的だと思っている人間のいかに主観的なことか。
誰も本気で書かないから。
227 :
吾輩は名無しである:04/06/29 11:06
Cは現状肯定だからいいんだろうけど愚劣庵はだめぽ
228 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/29 21:46
具体的に作品名あげて議論しようぜ。
それをやらないからおかしくなる。
例えば太宰治の「斜陽」が出た時代。
斜陽族などが出たといわれるほどブームになった。
今はそんなことありえん。
綿谷りさが「蹴りたい背中」だしても
蹴りたい族等は絶対に出てこない。
それだけシェア的には文学は確実に衰退している。
しかし文学性を見ればそれなりに保たれている。
「エヴァンゲリオン」なんかはその暗い文学性
が大ブームを生んだ。
つまり、社会的影響力でいうと
「斜陽」=「エヴァンゲリオン」>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>「蹴りたい背中」=「萌え系アニメ」
こんな所なんじゃないの?
個人的な影響は語っても無駄。それぞれ人によって違うんだから。
229 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/29 21:53
それと端的な神とか美とかもやめようぜ。具体的にいつのアラー
だとか、どこそこの美様式としないと、話がさっぱり進まん。
作品名を出せば具体的になるのか?
どうみてもなってないよ。
余談ですが
「斜陽族」というのは「斜陽」に影響された人々のことでないのでは?
例としては「太陽族」のほうが適切でしょう。
で、文学に限らず、メディアに影響されて
ライフスタイルや考え方を変えてしまうような人たちというのは
おそらくいつの時代にもいて、
文学性とは直接の関係性はないように思います
232 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/29 22:05
端的に文学がこう、とか逝っているよりマシだと思うよ。
少なくとも具体性に欠けるというのは社会的影響力を量る
数的データがないからだろうけど、それはそれで作品名を挙げ
たからこそわかることなんだから。
わからないことがわかるって言う事で意味があるとおもう。
それに具体的に作品名あげていかんと、内容論でも話がさ
っぱり見えない。「斜陽」と「蹴りたい背中」をあげれば
具体的に比べられるでしょ。
なんとなく比較しているだけで
何を比較したいのかがわからん
234 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/29 22:11
>>231 そうか斜陽族は無知スマソ、だが、そのメディアに影響されて、
「太陽族」となる影響性、又ある人びとを「斜陽族」と呼んでしまう
文化代表性、それは今の文学にはありえないことじゃない?
その量的大きさは議論の余地ありなんじゃない?
「蹴りたい族」も「指ピア族」もありえない。
まあ「バトルロワイヤル」がやや健闘というところで。
235 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/29 22:14
>>233 まず文学のマーケットシェア、文化代表性、社会影響力、内容
データが不足しているので具体的にはなりきれないが。
文学にあんまり興味ない、というか、詳しくない人は、
受賞したた文学賞の格で価値決めてるんだから、そこらへんどうにかすべきなんじゃない?
くろしろとかんなは
「文学作品が前よりも売れない」ということを問題にしてるわけ?
238 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/30 18:57
>>237 問題だね。売れることで社会的影響力は増すわけだし。
売れないから質が上がってるとも思えないし。
斜陽族というのは当時多かった没落貴族に当時流行った斜陽を被せた
だけのものさ。
太陽族にしたっていいが、あるいはサラダ記念日いいが、所謂ブームの
文学の話をした所で実のある話にはほとんどならないね。
ブームは一回性限りのもので文学の命とはあまり関係がない。
むしろ浅薄な所でブームというものは起こる訳で、表層に流される話に
なるのがオチってものさ。
241 :
吾輩は名無しである:04/06/30 19:27
あんたらひとりよがりの世界観だけにどっぷり浸かってるね。
俺には何にも伝わりません。
もう来ないからレスは要らないよ。
242 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/30 19:28
>>239 いやそのブームに文学が代表とされる事なんて画期的じゃないの?
文学の命と君は言うが、具体的にどの作品がそれを保っているの?
>>241 感想言うだけなら誰でもできるよ。
行く前に自分の意見をひとつ言ってから行けば?
>>242 売り上げが重要なのかブームが重要なのかはっきりして
245 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/30 19:35
>>244 両方。俺はトータルな文化に置ける影響力について語りたいから、
ブームである事も、売り上げがある事も(たいていこれらは重なる
のだけど)、問題です。カルトな文化であっても影響力のあるもの
も又問題。それから文学、だけじゃなくて文学性と言うことで、文
学以外の周辺文化も語りたい。
まあ、ワタヤリサの本があの部数売れただけであれだけの騒ぎ様だからさ。
大した意味はないさ。
247 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/30 20:04
はっきり逝って漫画に負けてるよな、まあ漫画に文学性が
流れていってるのかもしれんが。
ブクオフもあるし、作家ってよっぽっどじゃないと生活大変そう。
みんなもっと小説読めばいいのにね。スローターハウス5読みます。
>>247 文学が好きなら新刊を買え。
3冊ずつ買え。
一冊は自分用。
もう一冊は友人に。
249 :
くろしろ ◆oP1E0fjvmE :04/06/30 20:50
>>248 そうはしたくないね。自分が好きである事の領分から反してしまう。
スローターハウス5は新刊を買ったよ。だけどもそれで十分さ。
俺が言いたいのは本当に文学が衰退していないならばみんなが漫画
を買うくらいに文学を買うさ、ということ。
ニュース板で読んでびっくりしたけど、
タッチのあだち充は累計で1億冊売ってるらしいよ。
マンガと比べること自体ナンセンスさ。
コミックス一冊360円として360億円、印税10パーとして
36億円。うそだああああああああああああああ
今日僕がゼミで『顔立ち鬼』に
「今煙草を買うお金もないので、2本程恵んで頂けませんか?」
と合掌して、丁重に頭を下げながらお願いしました。すると、口と育ちの悪い彼は、
「嫌じゃハゲ。お前なんかに誰がやるか。(死ね!)」
と、僕の必死の乞いを軽く一蹴してしまいました。
僕は頼みを断られたショックと、学校から自宅までの長い道のりを煙草無しで帰らなければならない、何とも表現のしようのない不安を抱えながら、無言でうつむいて席に着いておりました。
チャイムが鳴って授業が終わり、僕は席を立とうとして、ふとテーブルに手を乗せた時でした。テーブルの上には二本の白い巻紙が。それは勿論煙草でした。『顔立ち鬼』がこっそりと僕のテーブルの上に置いていてくれたのです。
僕はすぐさまお礼を言おうと彼を探しましたが、教室に彼の姿はなく、既に帰ってしまったあとのようでした。
僕は教室を出て彼から貰った煙草を咥えて火をつけようとしました。その時、不意に違和感を感じて煙草を摘んで見てみると、こんなメッセージが書かれて在りました。
「ハゲ貧乏」
253 :
吾輩は名無しである:04/07/01 11:10
もう文学などかけない
nannde
255 :
吾輩は名無しである:04/07/01 14:35
37の人はもういないの?
もしいるならレスを探しあてやすいように
コテハンで書き込んでほしいなー。
僕、あなたのファンなんで。
お願いします。
考えるきっかけとして私物化される芸術を、我々は未来の栄光に引き継ぐことはできない。
ここはスレタイがそもそも間違いのもとさ。
なぜ衰退したのかって過去形すれば混乱しないさ。
>>256 わかるようでいて、何言ってるかさっぱりだ
259 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/01 22:51
なんであれ私物化されたものを「我々」で所有することはできない。
260 :
吾輩は名無しである:04/07/01 23:09
文学が盛んだったのはどの時代のことを言うのかね?
>>256 端から公共性を志向する芸術なんて全く信用できませんね。
そもそも我々は、「所詮マスターベーション」というしかないものを
未来に引き継いで来たのでは?
262 :
吾輩は名無しである:04/07/02 00:45
>>561 じゃあ家にこもってる! 本買うな、テレビ見るな。
263 :
吾輩は名無しである:04/07/02 01:08
>>259 私物化され、創作者の思想で塗り固められた「芸術」というものを他人に与えるんだよ。
所有するわけじゃない。分け与えてもらうんだ。芸術を鑑賞するものは、創作者の思想の一部を自分の体内に取り込む。
そういうこと。
>>262 あ、解りづらいですね。
公共性→公益性 に換えましょう。
まだ解りづらいですか?
それでは要約しましょう。
「このオ○○ー野郎>256」
ということです。あー恥ず。。
ちなみにテレビはここ数年見てません。
265 :
吾輩は名無しである:04/07/02 01:34
>>664 その「ようやく」はよくわかる。
テレビは僕も見ない。しかし、アレを見るのは修行だ。
いや共有性→普遍性
どうしてもここに立ち戻る訳だが。
多くのエンターテナメントは一般的な支持を集める為の要因として、目標の一つに
正義あるいは道徳律を正面に掲げる。がそれは例えば人間がただ楽しむという事に
ひとつのタガをはめて、そこで安心して楽しめる(批判を受けずに、或いは自己批判
しないでもすむように)形をもってくるのである。
が本来は自堕落に楽しみたいと思うのであれば、当然アンモラルなものの方が楽しい
訳なのだが、まあ実際にそういうアンモラルなものも数多くある訳で、エンターテナメント
の作品の質とすればそちらの方がより人間らしくていい作品であるともいえる。
一方ここでいう文学作品というのはそうした仮面のような二重構造のない
作品の事をいうのである。
それは読み手に仮面を付ける事を許さず、むしろ顔の皮一枚を剥ぎ取るような
熾烈なものであって、これはお前だ、お前の顔だと突きつけてくるようなもの
ではないかと
言ってみる
test
269 :
吾輩は名無しである:04/07/02 02:37
>>268 出たな抽象魔、では作品名とその機能を提示しなさい。
270 :
吾輩は名無しである:04/07/02 08:16
>>267 >>268 文学に限った話ではないよ。
他のエンターテインメント(映画は特に良い例だね)をもう少しよく見てみるべき。
キミが言ってるのは日本のくだらないテレビのレベル。
>>261 Tangoさんへ
>そもそも我々は、「所詮マスターベーション」というしかないものを
>未来に引き継いで来たのでは?
これは全く間違いだ、と、この場合、僕は思います。
なぜなら具体的に僕は、芸術によって救われ、芸術によって生きる意味と希望を見出してきたという実経験があるからです。
それは誰かの自慰行為を見せつけられてきたこととはぜんぜん違う体験でした。
というか、誰かのオナニーを見て全身に鳥肌を立てたり、大粒の涙を流して感動するなんていうことは
あり得ないと思います。僕は。
そして僕のつくる作品達がたんなる個人の手淫に過ぎないとすれば、それはあまりに悲しい話だと思う。
ここで、ちょっと文章を引いてみたいと思います。
『共感を持ち得る人にとっては傑作は生きる実在となって、友情の絆でそれに惹きつけられるように感ずる。
名匠は不朽である。何となればその愛も恐れも、われわれの心の中に繰り返し生きていくからである。
われわれの心に訴えるものは技量というよりも精神であり、技術というよりも人間である――その魅力が
人間的であればあるほど、われわれの反応は深くなる。
名匠とわれわれの間にこのひそかな黙契があればこそ、詩や文学を読んで作中の主人公と共に苦しみ
共に喜ぶことができるのである。』
―――岡倉覚三『The book of tea』
>>271 あなたは
芸術なるものは、
作品を媒介にして共感が成立するものだ
と考えているわけですね。
逆に言えば、作者との間に共感が成立しなければ芸術でないということ?
作品を見て受け手が抱く感情や思いは作者のそれと同一だと。
「完全なコミュニケーション」があるいう幻想を持っているわけですね。
255=37
自作自演。ぷっ。
274 :
吾輩は名無しである:04/07/02 12:12
>>272 幻想ではなく、「現実に完全なコミュニケーションが可能な可能性がある」とは思います。
つまり、われわれは芸術の中で永遠に生き続けることはできるのです。
>>270 映画と文学の比較は面白いのだが残念ながら同系列に並べて考えると
滑ってしまう。
例えば映画はその本質がマスを目指して作られている。
面白くなければならない訳だ。
私はATGなどのアングラ物が好きなのだがそれらは異端なものであり、
映画の本道を追い越すことは永久に出来ない。
テオ・アンゲロプロスなどは少し変わった例で、しかしまああれもマス
から支持を受けているかというと名前の大きさに比してそれ程でも
あるまいと思われる。
映画は本質的に文学的なるものを拒否する媒体なのであり、映像に文学を
秘めようとするとどこかいじましく、またそこが私などは好きなのだが、
異形の精薄の如き作品になるのが常である。
277 :
吾輩は名無しである:04/07/02 18:14
文学性とはそんなにマニアックなものかね?
宮崎アニメもまた文学性の一つではないかね?
マニアック=素晴らしいのではないのだよ。
どんどんスレタイから離れていってないか?
愚劣庵はもっと考えまとめてから書き込めば?
なんだよ
>276
>映画はその本質がマスを目指して作られている って、オマエさ。
過疎板で本しか読んでない人間が多いからって、無知もタイガイにしとけよ。
279 :
吾輩は名無しである :04/07/02 18:51
やたらと難しい言葉を使って自己満足している人が多いような感じがして
気持ち悪いから。
280 :
吾輩は名無しである:04/07/02 19:42
そもそも、「衰退していることが問題になりうるのか」というのが、
ひどく気になるというか。
新刊書店に行くよりも古書店めぐり(絶版さがし)が楽しいのだが。
エヴァンゲリオンの監督が
いま、キューティーハニーなんだから、
世の中はわからん。
なんで、映画の話になった途端に
「エヴァンゲリオン」と「キューティーハニー」なんだよw
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なんじゃこりゃこりゃw
けっきょく
あんま意味ねーんだよーね 文学w
ぶんがく=ひまつぶしのつーるのひとつ
実用書=自己啓蒙・自己啓発・自己修養・自己養生・自己向上の一手段!結果的に他己の為にもなります。
289 :
吾輩は名無しである:04/07/02 22:44
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291 :
吾輩は名無しである:04/07/02 23:42
が の検索結果のうち 日本語のページ 約 20,300,000 件
おそらくGoogle最強
だから文学は衰退しているように見える。
時代が真に意味のあるものと価値のあるものを真摯に模索している現代
かつての人間生活に無用の文章の学問は徐々に、排除されていく傾向にある。
それは情報技術の発達によっていっそう加速されたのだ。
これから先、このような流れの末に、
『真の文学』と呼べるもの以外は「自由情報競争」の葛藤の中で死滅消滅していき、価値ある文章だけが未来の殿堂に並ぶであろう。
読まないからだ。
今後10年、誰も書かなくたって、文学は死なない。
なぜなら、そこにあるからだ。
もうすでに。
具体案だせ
298 :
吾輩は名無しである:04/07/03 00:43
>>291 と の検索結果のうち 日本語のページ 約 20,400,000 件
勝った
299 :
吾輩は名無しである:04/07/03 00:44
に の検索結果のうち 日本語のページ 約 21,300,000 件
鬼。
∧_∧ .' , ..
( ) ,"⌒ヽ, .∴ ' <⌒ヽ
/"⌒ヽ 丶⌒"- ─ヽ, .∴ ' ”,, ,,("⌒丶
丿 人 rー ─"" スパァン!!, ∴ ∴(入 ヽ,ヽ>>kagi
(_ ソ \, \彡-―""-――= ̄" ,,"" "`: ∴.' ヽ > | )
", ' ,,, __―__ _ー=_ ソ ノ 丿 |
( 入_,, ノ二三"ー ̄− _ =二__",,, _,,(⌒ / 丿
| ” ( ノヽノ ,,.,ノ
| | /” / ,,/
r⌒ ) _| / ノ
( | (_ ,ノ /
| |_ _,, _ ,/ _ ノ
(__ノ ( /
ヽ_)”
∧_∧ .' , ..
( ) ,"⌒ヽ, .∴ ' <⌒ヽ
/"⌒ヽ 丶⌒"- ─ヽ, .∴ ' ”,, ,,("⌒丶
丿 人 rー ─"" プルポン!!, ∴ ∴(入 ヽ,ヽ>>吾輩は名無しでしかないのである
(_ ソ \, \彡-―""-――= ̄" ,,"" "`: ∴.' ヽ > | )
", ' ,,, __―__ _ー=_ ソ ノ 丿 |
( 入_,, ノ二三"ー ̄− _ =二__",,, _,,(⌒ / 丿
| ” ( ノヽノ ,,.,ノ
| | /” / ,,/
r⌒ ) _| / ノ
( | (_ ,ノ /
| |_ _,, _ ,/ _ ノ
(__ノ ( /
ヽ_)”
具
体
案
出
す
奴
以
外
書
く
な
具体案
問 文学はなぜ衰退するか?
解 情報化によって他媒体が勃興してきたからそう見えるだけ。
最終的にはあらゆる媒体の中でも本当に価値あるものだけしか残らない。
文学で例えれば、福沢の「文明論」。
304 :
吾輩は名無しである:04/07/03 00:56
>>297=
>>302 お前もオウムみたいに具体案具体案うるせぇよ。
それだったらお前が反論として具体案を出してみろ。
いや、それは求めすぎか。最低限、自分の意見も言えないようなら書くな。
問 本当に価値のあるものとは何か?
解 可能な限り普遍的意味を持つもの。かつ個人の人間性が最大限に発揮されているもの。
具体的には、
「論語」「フランクリン自伝」「新約聖書」「文明論之概略」「永久平和のために」など
307 :
吾輩は名無しである:04/07/03 01:41
>>306 おれもカントには何かあると思う。
雰囲気わかるんだけど、やっぱ小難しい文章、言葉でやられてしまう。
あの人の大失敗は、もっと一般人にわかるような書き方しなかったことだ。
カントは偉大な精神を体現したと思う。
「目的の王国」
人間同士が決して手段とはならずに、つねに目的として扱わなければならない人格同士の理想社会。
それを先見し、またそれを実現するための方法を確立した。
1.理性をもって自由に行為できる主体=人格 を定説化
2.この人格が相互に尊敬し合うこと を道徳の本質と定義[=福沢の自尊他尊と呼応]
3.道徳的人格を目的とする社会が「目的の王国」と提示
4.これを国際社会に適用する仕方国際機関[現在の国際連合]をつくらなければならないと提唱
5.こうして『永久平和』[=福沢の言う『文明の太平』と呼応]が実現されると主張
文学の目的は、このような高等な
>>305のような真に価値あるものを噛み砕いて分かりやすくしかし
本質をきっちり伝えていく事だろうと思う。
それは何よりも急務であり、また絶対必要だと思う。
310 :
吾輩は名無しである:04/07/03 02:26
文体が多様なのは誉め言葉だと思う。有り難う御座る。
312 :
吾輩は名無しである:04/07/03 06:38
大手取次を解体しないとダメです。
>>309 文学ではなくていいじゃん。
論文でいいってことじゃん
文学=「文章化された何ものか」
論文・新聞・キャッチコピー・エッセイ・自伝・日記・哲学・小説・書き込み
315 :
吾輩は名無しである:04/07/03 15:19
まず現状認識から文学は始まる。
<小泉政権の現状>
自殺率…………先進国中bP
自殺者数………歴代総理中bP
失業率増加……歴代総理中bP
倒産件数………歴代総理中bP
自己破産者数…歴代総理中bP
生活保護申請者数……歴代総理中bP
税収減…………歴代総理中bP
国債格下げ……歴代総理中bP
不良債権増……歴代総理中bP
国民資産損失…歴代総理中bP
地価下落率……歴代総理中bP
株価下落率……歴代総理中bP
医療費自己負担率…歴代総理中bP
年金給付下げ率……歴代総理中bP
年金保険料未納額…歴代総理中bP
年金住宅融資焦げ付き額…歴代総理中bP
犯罪発生件数………歴代総理中bP
犯罪検挙率…………先進国中最下位
高校生就職内定率…戦後最悪
>>315「高校生就職内定率…戦後最悪」
これは小泉さんのせいじゃなくね?
>>316 教育を仕切っている文部省の指導やビジョンが低迷してる証拠かもしれないし、
全省を一律にまとめるのは一応首相の役割。
と思われる。
もはや文学どころか芸術ですらない
319 :
吾輩は名無しである:04/07/04 01:41
320 :
吾輩は名無しである:04/07/04 01:48
文学IS DEAD
321 :
吾輩は名無しである:04/07/04 05:38
衰退とはあんまり関係ないが
今年後半くらいからまたまた日本経済ヤバイ事になってくぞ。
ここ数年でさらに酷い惨状が参上してしまう。
その場合、ギリギリで食ってるような純文の専業作家はどうなるのかな?
文芸誌の一つや二つ潰れそうだしね。
322 :
吾輩は名無しである:04/07/04 08:45
だれかが何処かで愛を叫んだそうだが、それからどーなったんだ、
世界の中心は俺ン家の庭なわけだが、何時勝手に移動したんだ?
ぜんたい文学的評価としてはどうなんだ、
ちゃんと読んだやつ居るなら、文学的評価を語れ。
文学の衰退はひきこもりの流行とパラレルである、という視点を
前スレで私は提出したのだが、無視されてしまったことが残念だ。
324 :
吾輩は名無しである:04/07/04 09:54
久々に来てみたが、これ終わっとるのか?
326 :
MISHIMA:04/07/05 14:08
えー、読書離れが叫ばれてたのはね、実はだいぶ以前からの現象だったんですけれどね、
それにしましても、その核となるはずの「純文学」がなにやらそこら辺の商業主義的な
大衆小説の煽りを喰ったのか、また、読者の方がもう難解な文章を好まなくなってしまっ
たのか・・・・・、まぁ私は両方の理由があるとは思うんですがね、いづれにしても大変
嘆かわしい事である、とここ異境から眺めている私も心苦しく思ってるわけですよ。
以前、豊饒の海を書き上げた時に、自身の生涯をも終わらせ、これで我が国の文学界も同時に
終わるであろうと確信したのですが、さすがにここまで純文学が腐り形骸化してしまうのに、私は
無念のほぞを噛む思いで一杯であります。やはりね、私がそろそろ輪廻転生して出ていかなければ
もう駄目とも思っていますよ。このままで本当に満足しているんですか、諸君?
こちらの世界はね、楽園でも何でもないんです。する事といったら、ただ人間様の世界を眺めるだけ。
私は非常に退屈しております。誰か刺激的な文学を書いてくれないか、その僅かな楽しみさえも既に
叶わぬ程、現代の文学は諦めているんです、私は。
これでいいんですか、諸君?
衰退してないよ。
既存のポテンシャルを食いつくし、相互作用を好むぐちゃぐちゃした題材が構造を取得できていないだけだ。新しいスタイルの上での活動が集中化するほどには「スープが煮えていない」だけだよ。
焦げ付き始めたり、部分的に浅い所で沸騰してたりする。インターネットとか携帯電話コミュニケートやら、あたらしい材料を入れ過ぎたんだろうね。
でも収束せざるを得ない状態なのは見えてる。企業は集中化してるし、MSの例を挙げるまでもなくありえないほどの収穫逓増のまっただ中。DoCoMoなんかは他社に食らいつかれてるようだけど。
「昔は良かった」が成り立たないからね、新しい材料が煮える頃にはまた十分な活動が「文章」を通じて表出するさ。
それ自体が文学だから、スレタイのような文章を掲げて不安がる事はない。
本という単位の価値が落ちる事とは別の話として理解した方がいいね。
328 :
吾輩は名無しである:04/07/05 15:07
>>328 その3つは偏差値低い厨房のたわごとだからw
おまえのやることは粘着自演じゃなく受験勉強だろが!ってkagiに言っときやW
330 :
吾輩は名無しである:04/07/05 18:09
http://ruku.qp.tc/dat2ch/0406/24/1078754991.htmlより転載 609 名前:吾輩は名無しである :04/04/25 13:30
(柄谷は『近代日本文学の終焉』を書くだろうと思う。)
(そしておそらくこんなことを語るだろう。)
<起源>を問題にしたのは、既に<終焉>を意識していたからだ。
もはや文学を救う道も必要も無い。近代文学は役目を終えたのだ。
近代文学はネーションのものでグローバルには必要とされない。
山田詠美や柳美里のような人間が「文学は終ってない」というが、
そうした現状が文学がもはや終っていることを何よりも雄弁に語っている。
詠美や美里はいくら外見が似ていてももはや文学ではない何物かなのだから。
これまでは文学を蘇生させる術を探して選考委員などもやってきたが
死体に心臓マッサージを施していることに最近気づいた、というか、
自分がかなり以前からそのことを知っていたことに驚きなしに認識した。
331 :
吾輩は名無しである:04/07/05 18:13
ちなみに「早稲田文学」5月号には
柄谷の「近代文学の終り」が掲載されている。
>>330引用の予言が的中したことが話題になってもいい。
333 :
吾輩は名無しである:04/07/05 19:39
柄谷は近代文学をどう定義したのか?
>>333 柄谷ではなく、330でしょ?
>>330は柄谷の発言を推測しているだけだから。
330が「文学」をどう定義しているかはどうでもよくて
「 山田詠美や柳美里のような人間が「文学は終ってない」というが、
そうした現状が文学がもはや終っていることを何よりも雄弁に語っている。
詠美や美里はいくら外見が似ていてももはや文学ではない何物かなのだから」
という発言だけで、同じ「文学」という言葉を使いながらも
違う概念を語っていることがわかる
336 :
吾輩は名無しである:04/07/05 23:35
早稲田文学5月号の柄谷「近代文学の終り」の論旨はどうなんだ?
>>330は柄谷発言推測とダブルのかどうか?
ちょっと遅いか。
≫276
270は、文学では正義や道徳が最終的に勝利し、受け手が安心して本を閉じられる
ような作品かあるいは自分とは関係ないインモラルな内容の物が多かったが、
そうではなく、自分の事を振り返って考えさせられるような作品こそが、
本当の文学であるという風な意見に対して、
それは文学だけのことではない、と言ってるだけだと読んだんですがどうでしょ。
しかし問題は、そのようなテーマを扱う事が文学性とどの位かかわるのか。
最近、よく考えてしまいます。
アクチュアルな社会問題を取り扱ったら作品は文学性持つのか。
援助交際だとかストーカー、境界性人格障害、自傷、未成年の犯罪…
純文学は、かつてはエンタメが好んだこれらのキーワードを再輸入した様に見えますが、
ともかく、これらを突きつけられれば、人は考え込まされざるを得ないでしょう。
そして、近年の作品には欠かせないものではないでしょうか。
逆に言うと、単にこれらの社会問題を作品内に取り込み配列したものが
「文学」と呼ばれているように見えて仕方が無い。
これも文学だけの問題ではないように見える。
文学の特権性といえば、もうそれが文章であることしかないと思うわけですが、
この、平均的な文章を読む能力が徐々に低下している、という状況は存在し、
あまりレトリックや構成などに凝ればオナニーと呼ばれてしまう。
上記のキーワードを扱って、同じ内容ならばそれがテレビドラマでも、
たとえゲームでも良い、というのが成立する。
って、何度もでてる話題ですね。
でも、これを断固として認めない人がいるんですよね。
だから先に進めないんじゃなかろうか。
メールの文章とか若者語を言文一致として評価し、ポスト近代文学とするなら
文学の衰退というのも無いのかもしれず、それはそれで新しい論点ですが、
ここのスレの人はこういう状況を衰退の一要素と考えていると思います。
アンカーの付け方を激しく間違ってた。
参照して下さい。
>>267,268
>>270 >>80 >>83 しかし、直観的に、最近の人は小説を読むよりも映画やドラマを受け取りメディアに選択しがちだ、
ということを体感していても、ソースとか具体的データを出せといわれると出来ないからな。
じつはそんなことは無いんじゃないかと思わされてしまう罠。
339 :
吾輩は名無しである:04/07/06 08:12
テレビをボーっと見てたり、2chをだらだらとやってたほうが楽しいもんね。
わざわざ本読むのなんてめんどくさいよ。
行きかえりの電車は読書に最適だと思っていたけど、
いまは携帯電話でメールしたりゲームしたりできるからますます本なんて読まないね。
↑で小難しい話してる人はわけわからん。
340 :
吾輩は名無しである:04/07/06 09:30
>>337 時代風俗は作品に否応なく取り込まれていくものであり、また目新しい風俗で
あればある程に何かしらの評価が与えられたりして我も我もとそうした、
いわば卑俗な筈のものであるものが作品の中に登場してきたのだ。
エンターティナメントと純文学なるものとを分ける条件としては
前者をアクチュアルなるもの、後者をスピリチュアルなるものと単純に分化
出来るのかも知れぬよ。
342 :
吾輩は名無しである:04/07/06 13:12
柄谷「近代文学の終り」は結局誰も読んでいないのか?
やっぱりな。
言わずもがな。
じゃあ、執行猶予を。
今度の日曜日までに柄谷「近代文学の終り」を各自読んでおくこと。
柄谷「近代文学の終り」についての我輩の独演会を阻止したい人はね。
人の褌で相撲とるんじゃない、たとえ己がどれほど未熟でも
しかも偉そうなところでキモイ
347 :
我輩は342であるが文句あるか ◆CyXc7UQbW2 :04/07/06 20:41
よしよし、釣れてる釣れてる。
>>345 あまり自虐的になるな。
>>346 だってエライんだもん。
余談はこれくらいにして本題に入ろう。
このスレ「10」を見て思ったんだが、ごく一部を除き、
あまりにも自分のお粗末な褌で相撲をとろうとする輩が多い。
「衰退」についての言説ならいくらでも転がっているのに
ほとんどの輩がそれを援用したり言及したりしない。
なぜなのか? それはCが言うように「本を読んでいない」からだ。
それゆえに「人の褌で相撲をとる」ことすらできないのだ。
相撲でさえない。相手と組み合うことすら覚束ない阿波踊りだ。
だが、わたしは何も柄谷の褌を借りようというのではない。
そんなものを下半身にまとうくらいなら、女性のパンティのほうがいい。
それではどうするか? それについては日曜日までご辛抱願おう。
お楽しみはとっておいた分だけふくらむからな。
まあ、文句があるんなら柄谷「近代文学の終り」を読んでおくことだ。
執行猶予は今度の日曜日までね。チャオ。
近代文学の終わりは未来文学の始まりですよ
>>341 現在そのアクチュアリティを純文学はエンタメから取り込もうとしているけど、
そうするとこの区分ではどうなってしまうんでしょう。
>>349 「文学」というのはその中で語られている事を重要だと捉えるのか、
それとも語り方の形式の方を重要とするのかどうか、
というのが最大の疑問だったのですが。
>>305-396なんかでは内容だ、って言ってるようですね。
定義論に引き戻してしまうようで恐縮なんですが、
個人的には「文学」の特権性は語り方つまり書き方にあると思うわけですよ。
古典文学が、その中で何が語られるかとか、先のプロットへの興味で
読者を引っ張っていくものとすれば、
近代的な文学とは、文章そのものに向かうもので、得る物があるとすれば
読書体験そのものがそれであるような作品なのではないか。
言い換えれば、論語や聖書は要約してしまったり、精髄だけを取り出すことが
あるいは可能だったりするでしょう。
でも、そうやって要約したり、プロットだけを知ってしまっても捉えられずに、
こぼれ落ちてしまう何かが「文学性」なんじゃないかということ。
これは純文-エンタメの区別とはべつの基準だし、
スレの流れが超越的な内容を扱う事で文学性を確保、保持できるという、
内容に関するものばかりになってきてたので
あえて形式について提出してみましたがどうでしょう。
351 :
吾輩は名無しである:04/07/07 08:53
>>350 禿しく同意ですね。
もう「物語」というものは大方語り尽くされてしまったわけで、読者も最初の数頁を読めば、
へたすればタイトル見ただけで結末がだいたいわかってしまうんですよ。だから、文学に刺
激を感じないのですね。
これからの文学は「形式」が重要になってくることは間違いないですね。
個人的好みで言えば、落ちの無いミステリもどきとか出来そこないのメタフィクション
といった作品は好きではない、むしろ嫌いですが、
スリップストリームというジャンルの存在は好みを超えて大きな流れだと思います。
格調高い文体で、普遍的価値への考察を述べる、というとまさに文学のイメージで、
かくあるべしともおもうんですが、そうそう理想主義のままではいられないのではないか。
一方最近の文学賞への応募は増加しているという発言があったけど、
これはかつての文学に要求されたものが要求されなくなってるということと表裏に思われるので
素直に喜んでいいのか複雑な気分です。
自傷癖のある少女のモノローグとかセックスフレンドを妊娠させた顛末とか、
応募作の中には結構有るんじゃないでしょうか。
柳美里もどきとか村上龍もどきとか(笑、ソースは示せませんが。
私はこういった一昔前なら私小説と呼ばれたかもしれない自意識過剰気味の作品が嫌いなので
テーマとかアクチュアリティの話になると冷静に考えられなくなってしまう…
卑近な話なんか書いてないで、神の謎や究極の真理に向きあう話でも書け、
という意見に一部賛同する自分もいるのです。
まあそれはそれとしてあえて意見を聞きたくて書きこんでいるということで。
いや、愚痴でした。すまぬ。
>>347 独演になってしまうのちょっと嫌だが、自分でバシッと言ってくれたほうがいい。
読書がめんどくさいとは大声で言えないが、議論はそこからの方が始めやすかろ。
353 :
【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/07/08 05:15
柄谷の「近代文学の終わり」の位置を見定めるために、関連するテクスト群も見た方がいいと思われ。
まず今月の文芸誌には、今更ですけど、柄谷の文章を踏まえた「衰退論」がかなり出てますね。
新潮では柄谷と福田の対談「現代批評のコア」、福田の「内面性」定義と、柄谷の図式の微妙なズレがポイントだと思う。
文学界の前田「文学の設計図(メカ二クス)」、連載なので今後の展開はわかりませんが、
初回を見た限りでは、柄谷の図式を忠実に敷衍していくのかな、という感じですね。
同じく文学界の平野「『文学の終焉』を越えて」は、まあアンチ側。
近代文学を終わらせるんだったら、なおさら、近代文学の検証が必要だろ?…という方向でしょうか。
この方向性では、新潮6月号の座談会「罰当たりな文士の懺悔」(島田、高橋、古井)が重要ですね。
思うに、これら「終焉論」の震源には、去年からの群像の動きがあって、特に田中和生ですね。
去年7月の「『私小説』の行方」、8月座談会の発言、今年4月の「日本『現代』文学を求めて」と、
柄谷ら「ポストモダン」派の批評と、80年代以降の「現代文学」の失効を、鋭く主張してきたわけです。
乗り越えられるべき「近代性」というのも、柄谷派が言うのとは違う射程で捉えようとしてます。
島田、高橋、古井の座談会や、平野の発言も、細部はいろいろありますが、大きく言えばこの流れですかね。
だから柄谷の「近代文学の終わり」は、この流れに対する「反動」というか、
柄谷派の「巻き返し」として出てきたのかな、という感じですかね。
355 :
【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/07/08 05:42
柄谷は文学の終焉は「主張ではなく事実だ」と言ってますが、
そんな有無を言わせない決め付けを見たら、眉に唾を付けといたほうがいいでしょう。
結局のところ終焉論、衰退論というのは、文学史の中で何度も出てきた「言説」なわけです。
近代日本における文学衰退論の元祖は、僕は福沢諭吉だと思うのですが、
そこで宣告された「(それまでの文学の)衰退」を受け止める形で、いわゆる「近代文学」が生まれた。
でもそこで確固たるシステムが作られたわけではなくて、近代文学の周辺では、
それから今までずっと、「衰退だ、終焉だ」と言われ続けてきて、
むしろ衰退と終焉を語ること自体が、文学表現の内容を形成している、という場合もある。
だから、柄谷のように、「終焉」を語り続ける行為こそが、近代文学の装置を延命させるわけです。
その装置とは「内面性」とかネイションとか、そういうことではなく、
近代文学を支えてきた、歴史的、空間的な「全体性」そのもののことです。
終わりだという言明が成り立つには、その「終わり」が共有される、時空の全体性が前提として必要です。
しかし、近代文学の真の終わりとは、そのような全体性の枠組み自体の失効である以上、
もはや「終わりだ」という言明すら、成り立たない状況なわけです、本当は。
逆に言うと「終わりだ」と言った時点で、その「全体性」を延命させてしまうことになる。
だから、逆説的になりますが、ほんとうに近代文学が「終わった」のであれば、
もう「終わり」を語る言説も無意味なわけで、そのあとに何かを代補する必要もなく、
結局は、何物も「終わる」必要のない、何でもありの地平が開けるはずだ、となるでしょう。
356 :
【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/07/08 06:29
そこで作品に触れたいのですが、例えば、
中村文則の『悪意の手記』を、「内面ばかり」とか酷評した人がいますが、
それはぜんぜん的外れなわけで、これこそ、内面の終焉、近代文学の終焉、という事態を、
正面から受け止めた作品だと思います。つまり、内面の表現が自明性を失うということは、
その「内面性」を支える表現機構が、距離を置いて「形式」として見えてくる、ということなわけです。
内面性がもはや、「実質」でなく「形式」として見えてくれば、
それは他の諸形式と等価なわけで、それだけを忌避する理由はないわけです。
それどころか、「内面」が近代文学の核心であったなら、
距離を置いた場所から、「内面」の形式的な機構を検証し、
それをさまざまに組み替え、いろんな含意を対象化していく、ということが、
作品表現の上で「内面」を乗り越えるには、可能かつ必要になってくるわけですね。
今月の新潮に、『遮光』の書評が出てて、鈴村和成という人が、中村の手法は、
近代文学の名作と対応させながら、微妙に変えて批評性を出す、というものだと言ってました。
僕は『遮光』はピンと来なかったのですが、『悪意の手記』はその手法が、
いわゆる「近代文学」の乗り越えのために、効果的に動員されていたと感じました。
急所を突いてたと思う。独断ですが、今年の上半期では、これが1番ですね。
(『悪意の手記』に関しては、
ttp://www.geocities.jp/ameyamanaide/に書きました。)
あと今年ではないですが、「近代文学」を内側から乗り越える、という意味では、
やはり、佐川光晴の『縮んだ愛』と『灰色の瞳』が、大きな作品だと思いますね。
357 :
吾輩は名無しである:04/07/08 06:33
形式ってどういうことか教えてくらさい…。
358 :
【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/07/08 06:34
あと、柄谷の話をするなら、『日本近代文学の起源』の英語版の
ジェイムソンの序文を見ておくと、参考になるかと思います。
そこでジェイムソンは、「近代」というものが、日本では、
われわれ西洋人が思うのとは、ずいぶん違う形をとるんだなあ、
と本書に教えられた…というようなことを言ってます。
あそこに書かれた「近代」像を、絶対視する人が日本には多いですが、
それを相対化してみる上で、この序文は有益かと思われます。では。
359 :
【矢部】 ◆pIzFRdQNI. :04/07/08 06:44
なぜ、一読して理解できる文章を書かないのだろう?
なぜ、定義や語感がヒトによって異なる文句をなんの前提や説明もなく
使うのだろう?
いちどくして理解できたよw
>>361 それは理解したつもりになっているだけでは?
というような、
コミュニケーションに対するある種の不信感のようなものが、
芸術を創作しようとする側にはあるからこそ
表現について試行錯誤する。
「格調高い文体で、普遍的価値への考察を述べる」的なものは
けして芸術なんかではない。
というのが、私個人の芸術観です。
363 :
私は342ですが文句ありますか ◆CyXc7UQbW2 :04/07/09 00:13
さすが矢部さんです。
わたしの釣りエサに見事に食いついてくれたばかりでなく、
白鯨のごとく釣り人をも見事に飲み込んでくれました。
矢部さんに部分的にでも応答できるかどうか心許ないのですが、
エイハブ船長よろしく今度時間のあるときに試みてみましょう。
364 :
吾輩は名無しである:04/07/09 00:21
一冊100円の時代に本なんて只の娯楽に成り下がったのよ
早稲文5月号の柄谷「近代文学の終り」が話題のようですが、
>私は「近代文学の終り」と題して講義をしました。
>「終り」は「目的」でもあるわけですね。
>「終わる」ということは、「目的が達成された」ということです。
>近代文学が目指していた「目的」は、もう達成されたと思う。
>もちろん、実際は達成されてません。
実際は達成されていないEND(目的)が達成されたとは
よくわからないのですが。。。
エンドレス
小説を読むということ自体労働だなんて言いますけど、正直疲れてるときは読めないです。
さっき中上健次の本をひさびさに読んでみたのですが、細部の描写についていくのがやっとで
とても読み通せなかった。。。
368 :
吾輩は名無しである:04/07/11 01:15
本は映画や音楽やゲームと違って進化しないメディアだからだよ
常に表現方法が同じで内容が薄くなってりゃ
だれも新刊なんて買いませんよ
映画と絡ませるしか可能性ないな
ハイリスク・ローリターンだけどねw
顔文字とかAAを織り交ぜれば小説も進歩するかもしれない
ひとこと。
地味な娯楽(行為)は現代人はダメなんだよな。
漫画とゲームだよ
372 :
吾輩は名無しである:04/07/11 02:12
ネット上で馴れあうヤツがこの世から消えれば少しはマシになる
ネットとかケイタイいじくってる時間だけ
読書時間へるもんね
そこは人生いろいろだから
イトヤマさんのように
ヘビー2ちゃんねらで大作家になる人もいるけどね
375 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 08:45
>>368 それ、ゲーム板や映画板や漫画板でも同じこと言ってるよ・・・
376 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 09:23
でもよ、漫画・ゲーム・映画
でドストエフスキーみたいな、カフカみたいなことを
うちらに伝えるか?
そこだけが小説のよい点だな。
出来の悪い新刊読むくらいならま、FFでもやってたほうがいい
377 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 09:47
>>375 本以外のメディアもその傾向はあるが、本ほど重症じゃないんだよ
まだビジネスとして成り立ってるからね
出版社は今年がヤマだw
昨日ある映画を観ながら実験した、映画的な形象はどこまで言語化可能なのかという
青臭いものです。風景や時間の流れはスコンスコン抜け落ちるし、複数の人がそれぞれの意思で
同時に動いているシーンなんかとても言葉にはできない。
こんなことは何を今更って思われるかも知れないけど、個人的には事件だった。
よくわからないものがよくわからないものとしてそのまま存在しているというのはすごいなと。
379 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 11:02
>>378 スタンリーキューブリックみたいに、同じモチーフを違う場面で反映させるのも小説には難しいんだよね。
例えば、「2001年宇宙の旅」の冒頭で猿人が骨を武器として使うことを覚え(進化したって事)、そのシーンでは去るがスローで周りのものを叩いては壊しまくるんだよ。
そして雄叫びを上げながら骨を宙に投げる。その骨がぱっと宇宙船に変わり、そこから次のシーンに行くんだけど・・・
あれは絶対に小説じゃ真似できないなって思った。
言語表現に基づいて脳裡に描き出す映像に勝てるものはない。
人間の想像力は無限。
映像もCGも、それを創った人間の想像力に拠る。個人の限界に止まる。
与えられた映像に満足していては、自分独自の脳力の発展を放棄するようなもの。
381 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 12:16
>>379 それは映像が小説より優れているのではなくて、
キューブリックという監督がすごいってことだろ?
382 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 16:39
一般論で片づける人ってこの板にもいるんだな、残念。
でも文芸批評なんて一般論ばっかりじゃん。
作品のことには大して触れずにすぐに社会や政治の話に結びつけたりする。
なんでもっと作品それ自体について批評しない(できない)のかな。
>>383 文芸批評のどこが一般論なんだよ。実例をあげろ
385 :
俺342だけど文句あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 17:21
さて、選挙も行ったことだし、2ちゃんでもするか
をまいら柄谷「近代文学の終り」読んだのか?
矢部クンの長文レスがどうしても最後まで読めないわたしは馬鹿か阿呆か白痴か……。
387 :
俺342だけど文句あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 17:30
>>384 具体的な書名までは挙げられないが、
村上春樹について批評した本読んだらなんか社会がどうだとか
イデオロギーがどうだとか書いてあって、全然村上春樹作品について語っていなかった。
ただ久居つばきの「謎解き・ねじまき鳥クロニクル」(書名違うかも)とかいうのは、
ちゃんと小説の謎解き本になってたよ。
文芸批評にもピンからキリまであるわけで、
だから「文芸批評=一般論」という主張は撤回します。
それこそ一般論で文芸批評というのを十把一絡げにしすぎていましたね。
何者かにちょっとムカついたのでいま
>>353>>355>>356>>358を読む。
いろんな趣味のひとがいることは悪くないけどと前置きして、
うーん、矢部くんは幸せそうだねうらやましい。
わたしが矢部くんのレスを要約するなら、
「僕はこんな本を読んできました、僕は日本文学を真剣に考えています、
なーんていうのはポーズで日本文学という枠組みがウソなんです、アッカンベー」
ということかな。ちがっていてもべつにいいんだけど。
>>384 ああ、大学生か。
実社会に出たらどれほど文学がくだらなく見えることか。
だからこそ村上春樹が売れる。
なんかな、青臭いスレになったものだ。
392 :
俺342だけど文句あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 17:53
以下は矢部のレス
>>353の翻訳ね(美香でもわかる矢部レス翻訳)
柄谷「近代文学の終り」を語るためにはさ、
ほかにもいろんな文章も見たほうがいいと思うぞ。「新潮」とか「文学界」とか。
ぼくは読んでるけどみんなもきっと読んでるよねw
特に新潮の柄谷と福田の対談とか島田、高橋、古井の座談会とか重要。
柄谷が「近代文学の終り」を持ち出してきたのはさ、
去年からの群像に掲載されてる田中和生あたりの議論が背景にあって、
柄谷のはそういう流れの上で出てきてるわけ。
393 :
俺342だけど文句あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 17:54
もうひとつ
>>355の翻訳(美香でもわかる矢部レス翻訳)
柄谷のはさ、眉唾もんだよ。
「文学は衰退した」ってのは別に新しいもんじゃなくてね、
大昔には福沢諭吉がそういうことを言ってたわけよ。
それからずっと、日本の近代文学は「衰退だ、終焉だ」と言われ続けてきて、
「衰退だ、終焉だ」と言うこと自体、近代文学の囲いの中にあるわけで、
近代文学の囲いの外にあるわけじゃないんだよね。
つまり、「衰退だ、終焉だ」と言うこと自体も「近代文学」なわけ。
もし本当に近代文学が終ってれば、そんなことも言えなくなるんよ。
「衰退だ、終焉だ」と言うことは、近代文学という馬を走らせる鞭だったわけで、
逆に言うとさ、もしその馬が死んでるとしたら鞭もいらないわけだよ。
394 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 17:55
俺社会人ですが文学は大事だよ。
オモロイしね。
397 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 18:15
>>391 大学も卒業して文学板でコテハンやってる美香っていったい……
まあ美香は実際にはヒキコモリ2ちゃんねらーなんだろうけどw
398 :
俺342だけど文句あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 18:27
ついでに、
>>356の翻訳(美香でもわかる矢部レス翻訳)
ちょっと疲れたんで休憩。。。
ぼくは抽象的なことだけじゃなく具体的なことも書けるよ。えっへん。
例えば、中村文則『悪意の手記』を「内面ばかり」と酷評した人がいるけど、的外れ。
これこそ「内面の終焉」「近代文学の終焉」という事態を正面から受け止めた作品。
これまで当り前とされてきた「内面を表現すること」が今は揺らいでるわけだけど、
そのことを距離を置いて眺めると、「形式」として見えてくるんだよね。
これがどういうことかといえばさ、まあ、全部「皮」なんだよということ。
内面性というのが、これまで果実の中にあるねちっこい「内容」とされてきたんだけど、
それを「形式」という乾いた「皮」としてみましょうよ、ということ。
これまで「果実の中身」とされてきた内面性というのを「果実の皮」として捉えれば、
これまでの文学になかったものを見出せると思うんだよ。
それが「近代文学」を乗り越えるために重要なことなんだよ。
『悪意の手記』はその手法が有効で、今年上半期ナンバーワン。
(『悪意の手記』に関して詳しくはHPを
http://www.geocities.jp/ameyamanaide/)
あと「近代文学」を内側から乗り越える、という意味では、
佐川光晴『縮んだ愛』『灰色の瞳』が注目できる作品だね。
399 :
俺342だけど文句あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 19:52
>>350>>352で337もまた「内容より形式」という話をしているが、
それに対して矢部が
>>359で
>337さんの「形式」のお話も、かなり同感の部分がありました。
と語っていることが
>>398の俺の翻訳で、
おそらく理解できるものになったはず。
400 :
俺342だけど文句あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 19:53
おまけに、
>>358の翻訳(美香でもわかる矢部レス翻訳)
あと、柄谷の話をするなら、『日本近代文学の起源』英語版の
フレデリック・ジェイムソンの序文を見ておくと参考になる。
まあ、ぼくのように英語がすらすらと読める人はね。
日本の「近代」が西洋人が思うのとはずいぶん違う形をとる、
というごく当り前のことをジェイムソンは語っている。
柄谷の「近代」像を絶対視する人が日本には多いけど、
それを鵜呑みにしちゃダメですよ。
401 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 20:05
さて、これから本題に入りたいと思います。
矢部氏はアンチ柄谷として発言したわけですが、
わたしは柄谷氏の意見も矢部氏の意見も相対化して
意見を述べてみたいと思います。
が、柄谷「近代文学の終り」を読んだ人間も矢部氏もいないんじゃ
どうも張り合いがないなあ。
とりあえず風呂へ。
402 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 21:32
張り合いがないが、一応書くだけ書いておこう。
このスレは「注文の多い料理店」だった。
といっても、料理人の「注文」が多いわけでなく、
客からの「注文」が多かったわけだ。
たとえば
「文学を定義してほしい」
「具体的な作品に言及してほしい」
「時代設定を明確にして議論してほしい」
などなど。
403 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 21:32
しかし、前スレで難波氏がそれらの注文に応えてレスしても
それについてはほとんど誰もまともに応えてやれない。
わたしが評価した以外はC氏が横から(正面からでなく)批判しただけ。
今回の矢部氏のレスにしても同様である。
多くの人間が客気取りで「注文」をつけるのだが、
難波氏や矢部氏というシェフの料理を味わう舌を誰も持っていないのだ。
そしてわたしもまたこれまでの「注文」を考慮し、
柄谷「近代文学の終り」を叩き台(これはあくまでも叩き台だ)として提示し、
多くの人が共通の土俵に出来うるフレームを提供しても、
それに応えてくれたのは矢部氏だけである。
以上は本題に入る前の前置き。
404 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 22:04
もうひとつ前置き。なんか本当に独演会になる悪寒!
>>365 柄谷は「近代文学」というものを「目的=終り」に絡めて定義している。
この定義が有効性を持つかどうかは今はさておき、
「目的=終り」を持ったものが日本の「近代文学」だったという。
ここにネーション(これについては以前に議論があったのでry)の問題系、
そしてまた内面性(これについては矢部氏レス参照)の問題系が関連する、
そしてその「目的」を「近代文学」は担っていたのだけれど、
それを「近代文学」が自ら果たしたのではなくて、
グローバリズムという時代の状況において、
その「目的」がなし崩し的に霧散してしまったという観点がある。
405 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 22:17
>「衰退だ、終焉だ」と言うこと自体、近代文学の囲いの中にあるわけで、
>近代文学の囲いの外にあるわけじゃないんだよね。
>つまり、「衰退だ、終焉だ」と言うこと自体も「近代文学」なわけ。
>もし本当に近代文学が終ってれば、そんなことも言えなくなるんよ。
>「衰退だ、終焉だ」と言うことは、近代文学という馬を走らせる鞭だったわけで、
>逆に言うとさ、もしその馬が死んでるとしたら鞭もいらないわけだよ。
矢部氏のレスを
>>393で↑のように翻訳したが、これはまさに私の意見でもある。
柄谷自身は「近代文学の終り」は「主張ではなく事実だ」と語っているが、
実は「主張」以外の何物でもないのであって、
なぜ柄谷が事実だと捏造してまでなぜ「終り」を「主張」するかといえば、
それは「近代文学」が自らの殻を破れるように「鞭」を振るったのだ。
つまり、「もっとバージョンアップしてくれ」というアジテーショナル・メッセージである。
406 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/11 22:29
「文学は衰退した」という「感想」を書く人間なら
文学に関心のない人間もいると思う。
しかし、
「文学は衰退した」という「論考」を書く人間は、
文学に関心のある人間に違いないのだ。
文学を愛する仕方には2通りあるだろう。
すなわち、愛と憎しみ。
「おまえが好きだ」というキスを用いる愛し方と
「おまえはもっと自分を磨け」という鞭を用いる愛し方。
407 :
吾輩は名無しである:04/07/12 00:07
糞コテさん、馴れ合い乙であります!
柄谷も柄谷を引用して悦に入ってる人も
レトリックをもてあそんでいるだけのように見える。
これは「芸術」を創作する行為とは甚だしく乖離している。
レトリックは目的ではない。
で、要するに何が言いたいの?
409 :
吾輩は名無しである:04/07/12 00:28
文学板ってもうすこしレベル高いのかと期待したけど
かなり残念です。ウットリしてるだけの人が多いですね。
410 :
吾輩は名無しである:04/07/12 00:54
カラさんって発狂した人のこと?
411 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/12 01:03
>>407-410 こんな雑魚しかエサに食いついてこないとはね。
釣れた大物は矢部だけとは。。。やれやれ。
ここまで予想通りだと、いやはやもう微笑むしかない。
412 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/12 01:09
>>407-410 きみたちに説明しても無駄だとは思うが一応言ってみるか。
柄谷と矢部を相対化して書き込んだことは、矢部氏なら理解できてるはず。
もちろんきみたちにはそれを求めてはいないからご心配なく。
まあ、きみたち名無しエキストラさんが私を引き立ててくれたことには
一応心から礼を述べておこう。チャオ。
413 :
吾輩は名無しである:04/07/12 01:15
415 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/12 01:37
>>403 騎士道精神というものは日本では誤解されていて「正面から」みたいなことがその正統だと思われていますが
多くの騎士は実はこのようなことを言っています。「相手としてふさわしくなければ後ろから斬りつけてもよいのだ」
僕はそれを実行しているのだと言えば反発されるでしょうか。
僕はまずこう考えます。良いレストランというものは何より先にシェフありきではなくシェフとそれにふさわしい客の両方が
自然と集まる場所を言うべきなのだと。
もちろん舌の問題はあるでしょう。僕もその点は過去に指摘しました。ただし貴方も含めてプレゼンに失敗したこと、
その料理の「美味さ」を説明しきれなかったこと、この点にはシェフの側の責任もやはりあるでしょう。
僕について言えば実践者としての中上を失った柄谷にはそれほど関心がないのです。
「多くの人が共通の土俵に出来うるフレーム」と貴方は書いたが、その柄谷の主張に対しては寺山修司の言葉を援用して
「(近代)文学は死んだのではない、見失われたのだ」と僕は意義を唱えたいのです。
つまり是も非も含めて主体は「僕ら」にあるのだと考えます。「文学」にあるのではなく。これは単純そうでいて重要なことです。
以上、前置きへの異論。以下、本論です。
416 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/12 01:49
>>406 比喩が適切ではありませんね。憎しみという言葉だけ浮いているようです。
僕は愛というものは意図とその正しい影響が二つあってはじめて成立するものだと思います。
何らかの形で相手に自らの意図が体現されなければ愛とは呼べないと考えます。
評価として、その振るわれた鞭が何を残したのか、考えるべきでしょう。
ただ醜い傷跡だけを残し、相手の心に不安と恥辱と妙な悦楽のみを残す、そんなものを「愛」と呼べるでしょうか。
意図が「磨かれること」であるならば、つまりより良い成果を期待しているならば、
走らぬ名馬を走らせるための鞭でなければならないのです。
しかし今、多くの鞭が唸りを響かせる中、僕には脂ぎったオヤジのぬらぬらした自己満足と
打たれてただ喚きたて、その喚きたてる自分の声に下卑た快感を覚えるいやらしい顔ばかりが見えてきます。
さて、その鞭は、何のために振るわれているのでしょうか。もう一度、それを確認するべきだと思います。
必要なのは、相対化の先です。その先だけが重要なのではないでしょうか。
>>415 良いレストランとは良い厨房があるところです
客の質なんてとわないっつーの
いまどきそんなきゃくいるのかい?
420 :
吾輩は名無しである:04/07/12 10:02
>>419 三次元世界の海原遊山と呼ばれた俺が来たよ!!
このスレは小難しいことを言い合ってる人たちと、
それみたニヤニヤしながら揶揄するひとたちに完全に分かれてるな・・・
「絶版・品切れ文庫ウォッチング」スレの方が衰退してることが良く分かるな。
423 :
吾輩は名無しである:04/07/12 13:19
※類似品にご注意下さい
424 :
吾輩は名無しである:04/07/12 14:37
ガハハハハ、馬鹿共が。結論なんて出やせんよ。
基本的にお前ら具体的意見が出せない。
そしてイザ出たら必死にそれを叩くのみ。
誰かがいい事言っても、その中身に手付かずのまま後ろの方にスルー
されちゃう。
一言でズバリ言える問題でないだろ、これ。それこそ多大な要素から原因
から因果関係などを論文みたく書かなきゃ、うるさい連中を黙らせられない。
だから、一言二言、いいポイントを付いてみた所でも「何々が足りないんじゃない・・・」
と意見を言う奴が出てくる。実は、その「足りない・・・」と言った所の意見も
後ろの方を見れば書いてあるのに、それをもう忘れてしまってる。
誰かが、今までに出た良い意見を拾って、長文の形で常に残しておかなければ、この
衰退スレは解決しない。いつもそれで白紙状態に戻るわけだ。
だらだら無駄な時間を過ごしてるだけ。
ホントお前ら馬鹿ばっかだ。
ガハハッハハハッハハ
>424
15行も費やして無駄な時間を過ごしてるだけのお前が馬鹿だ
ガハハッハハハッハハ
426 :
吾輩は名無しである:04/07/12 16:36
文学を書こうと思って書いている人間がいる限り衰退する
「終焉」を云々している人の間には、目的やあるいは文学のイデア的なものが仮想され、
それと現状の相対として批評や議論が起こる。
そして衰退が取りざたされる裏には、それら仮想された観念の社会的な影響力の弱まりがあるのではないか。
それは小説ジャンルが近代化装置としての役目を「終わった」からだ。
近代化の完成がそもそもの近代小説の終わりだとすれば、
その近代化の概念自体の変質によって霧散してしまった目標への努力ということになり、
終わりもなにもない状態にある。
柄谷はそれを意識してしまうと依然とし枠組みの中にいるままになってしまうといい、
島田、高橋らはそれをはっきりさせれば問題が見えてくると言った…
というふうな把握で良いのでしょうか。
それだと衰退もある程度必然ってことになりそう。
具体的にどうするつもりなのか知らないが島田や高橋には近代を総括して乗り越えてほしいですな。
ただ理念とは別に、やはり本を読むことが少なくなっているのが体感としてあって、
これをなんとかしないと衰退は物理的に起こるんじゃないかと。
文章からイメージを喚起する能力が弱まれば小説はどんどん理解できずつまらなくなる。
無理に読ませなくても面白い作品ならみんな読むだろうと言うが、面白く感じるにはある程度経験が必要。
上のレストランの例えでいうと、客が自分で店を探す努力をしないから、
声のでかい店が繁盛し、客は他を知らないのでそこが一番だと思う。
おせっかいの評論家がそんな店は美味くないだろ、もっといい店が有るというとそこの客は俺たちの自由だ、
美味い不味いのいうのは失礼だろ、コックでもないのに、と言われる。
しかし、色々と回った後でそういうことを言ったらどうだ、という意見にも、
俺はここが美味いと思っているのだからそんなめんどくさいことする必要ない。という反論が返ってくる。
多く体験した中で選んだ物ならそれがなんであれ妥当性も見出せるが、それもしない。
自分がそこそこにささやかな満足を得られているので一人のことならいいのですが、
大きくジャンルとすると私は今のところ悲観的です。
428 :
吾輩は名無しである:04/07/12 17:01
↑こんなこと必死で考えてても何の役にも立たないよ
反面教師としては最高の素材だ
429 :
吾輩は名無しである:04/07/12 17:05
↑お前は青汁でも飲んでろ
∧_∧
( ´・ω・) みなさん、青汁が入りましたよ・・・・。
( つ旦O
と_)_) 旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦
,
あ゛ーまずい!
もう1杯!
>>427 >文章からイメージを喚起する能力が弱まれば小説はどんどん理解できずつまらなくなる
「文章からのイメージ」は一つの「情報」として不安定でヒトによって正確に伝達できないリスクがある。
そこに「文章」と「映像」と「数字」で、情報はより客観的(この文句の定義はおいときます)で、
錯誤(思い違い)のリスクが下がる。
つまり、文学は情報(物語)を伝達するのは錯誤のリスクが非常に高い。
ゆえに文学は衰退してる。
まとめると、情報(物語)の伝達手段として「文章ノミに制約されたなかでアヤフヤなイメージを
表現する文学」じゃなくて「映像」(映画やテレビなど)が主流となった。
したがって文学は衰退してる・・・・・・と思うんだけど。
427は「(個々の作家に)期待してる」みたいなことを書き込んでるけど、
情報伝達手段として文学が劣化しちゃってるから「衰退」はとまらないと思うよ。
オレは中・高・大学生の頃文学を濫読してたリーマンなんだけど、
思うところをレスしてみました。
>>432 「文学」や「芸術」というのは情報を正確に伝えるための手段なのか?
この場合の情報とはなにか?
435 :
吾輩は名無しである:04/07/12 19:39
>>434 「情報(物語)」って書いてあるだろ。
最後まで読んでからレスした方がいいぞ
けっ、青汁飲むぐらいが丁度良いんだよ。
>>435 あなたは432をちゃんと読んで
「なるほど情報とは物語のことで、この人は物語を伝達する手段として文学は数字に劣るのだな」と理解したのですか?
ごめん、変な日本語だな
でも通じるだろ
>>434 今はそうだと思うよ。
>「文学」や「芸術」というのは情報を正確に伝えるための手段なのか?
プラス即時性(必要な時にスグ得られる)だね。
多分、文学書からピックアップしたストーリーを要約した本が売れてるのはそういう需要があると思うよ。
(文学の名作のストーリー知っておけば、いつか何か役に立つかもしれないって助平心かな?)
少なくとも誤読したり、歳をとった後に再度読み直して作品の新たな意義に気づくような楽しみ
は一般的に求められてないと思うよ。(今の大学の文学部でもそうじゃないかな?)
情報ってのは「物語の全て」(その物語が含んでる歴史や文化なども含めて)って意味だよ。
(ウルサク言われそうだけど)「教養」を構成する重要な一要素だと思うよ。
大学の文学部に通ってるヒトがこのスレでカキコしてるように
オエライ先生の言葉を引用して説明できないから不十分かもしれないけどそう思うよ。
ごめん。439の書き込みは雑談みたいになっちゃったな。
よかったらスルーしてください。
>>427 >ただ理念とは別に、やはり本を読むことが少なくなっているのが体感としてあって
>これをなんとかしないと衰退は物理的に起こるんじゃないかと。
>文章からイメージを喚起する能力が弱まれば小説はどんどん理解できずつまらなくなる。
>無理に読ませなくても面白い作品ならみんな読むだろうと言うが
>面白く感じるにはある程度経験が必要。
同意。経験というか、低学年での訓練がものを言うかも。
谷崎潤一郎の小学時代の体験などをみると、痛感する。変人の教師が
古典や難解な書物をどんどん持ち込んでは、読み聞かせたという。
文豪谷崎の原点。
>>432 「赤いリンゴ」という言葉からイメージする具体的な物は、一人一人で違っている。
百人いれば、百のリンゴがそれぞれの脳裡に浮上する。
それが人間の想像力であり創造力の源でもある。多彩で多様。
一方、誰かが撮影した赤いリンゴの映像を「赤いリンゴ」というキャプション付きで
見せられると、その時百人の脳には同じ一つの「赤いリンゴ」しか存在しえない。
それは、情報の共有である反面、想像力の緊縛であり奴隷化画一化を意味する。
>>439 >>434の疑問のように、、
文学は、情報伝達では無い。芸術である。そこで唯一伝達され共有されるのは、
情報ではなく「感動」。
その中味は百人百様だが、それぞれの魂が震えるという一元で
同質。
443 :
吾輩は名無しである:04/07/12 20:46
散文の時代って、小説の時代でなく、哲学の時代だったかも知れん。
実際のところニューアカの頃から、冴えた兄ちゃんは、哲学に走って、
少なくとも世評の興味の対象として、小説などどうでもよくなった。
との切り分けを、もれうかがったことがあるのですが。
この辺り、いかがでしょうか。
※ところで、ここで言うところの文学を、小説と矮小化しておりますが、
スレの意図とポイントずってたら、ごめんなさい。
>>442 「情報」って言葉にコンピューターのプログラムみたいな冷たい感じがして
嫌悪感があるのかな?
歴史も文化も感情も一律「情報」なんだけど・・・。
感情的な書き込みだね。
「リンゴ」を映像で何気に映すより、「リンゴがココにある」なんて文章で表現して注意を向けさせる
方がよっぽど受け手に対する意識的な奴隷化画一化だと思うよ。
>>433 参考までに。
糸圭 ― 八三年に浅田彰の『構造と力』が出て、ニューアカデミズム・ブームがありました。僕は、このニューアカ・ブームが文学を悪くしたと思うんです。
先にも少し話題になったように、小説は近代において、ある種奇形的な存在として生まれたわけで、これはヘーゲルの文脈なんですけれど、彼は「近代とは詩の時代が終わり散文の時代である」と言っています。
しかし、”散文の時代”は”小説の時代”ではないんですよ。それは”哲学の時代”のことなんですね。
哲学という散文へと移る過渡的なものとして、小説が存在している。
(『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』 p. 50)
447 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/12 22:11
>>443 本当に「冴えた兄ちゃん」ならば、ニューアカに走ったりしないだろうな。
浅田や中沢を、冷静に距離をおいて読むだろうね。
>>444 >歴史も文化も感情も一律「情報」なんだけど・・・。
>感情的な書き込みだね。
「情報」を正確に伝えようとする言語(ex:ニュース、公文書)のほかに、
「感情」の効果を生み出そうとする言語がある(ex:挑発、煽り)。
つまり、「情報」とはまた、「情」に「報いる」ことでもある。
「報いる」ことに様々な意味があるとはいえ。
448 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/12 22:12
>>432 >つまり、文学は情報(物語)を伝達するのは錯誤のリスクが非常に高い。
>ゆえに文学は衰退してる。
ナンセンス。「ゆえに」の後に反対の結論をもってくることもできる。
「錯誤」のリスクを含めた「情報」を伝えることも「文学」じゃないか?
「文学」では、何を読みうるかは読者の自由(想像性)に委ねられている。
作者すら判然としない「何か」を読者の手に委ねることができる。
449 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/12 22:18
>>415 拙者ならば、騎士道より武士道を。
あるいは騎士道であれば、ラ・マンチャのあの騎士を好む。
柄谷こそは現代の勇敢なるドン・キホーテではないだろうか?
あなたはシェフを指導しようとしている店のオーナーなのか?
それとも、シェフに「注文」を付けてるだけのゲストなのか?
ところで、このような場所(匿名掲示板)では、実はシェフは定まっていないばかりか、
シェフとゲストは容易に入れ替わるし、また誰もがシェフとゲストを兼ねる必要性もある。
シェフAが切った素材を、シェフBが煮込み、さらにシェフCが味付けしたりもするわけだ。
450 :
吾輩は名無しである:04/07/12 22:19
別にもう柄谷のいうことなんて聞くことないのに、まだ馬鹿がいるね。
柄谷は単に文学を終わったものにしたと言う政治的意図を、理論めかして
いっているだけ。
文学が終わったことになって欲しいかそうじゃないか、それできまる。
>>448 >>439より
「少なくとも誤読したり、歳をとった後に再度読み直して作品の新たな意義に気づくような楽しみ
は一般的に求められてないと思うよ。」
452 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/12 22:20
再び
>>415へ
>(近代)文学は死んだのではない、見失われたのだ」と僕は意義を唱えたいのです。
>つまり是も非も含めて主体は「僕ら」にあるのだと考えます。「文学」にあるのではなく。
私見では、下のような意見者はおそらく「文学」を責めてなどいない。
*「文学の美味さ」を引き出せないのはシェフ(作家)だ。
*「文学の美味さ」を感じられないのはゲスト(読者)だ。
*「文学の美味さ」を味わう環境にない店(時代、社会)が悪い。
「文学」を責めている人間がいるとすれば下記のような意見者だろう。
*「文学」という料理は本当に美味いのか? 不味いんじゃないのか?
*「文学」という料理には栄養があるのか? 栄養はないんじゃないか?
453 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/12 22:26
>>450 切捨て御免。
>>451 「一般的に求められていないもの」こそが文学に求められているといえないか?
あらかじめわかりきっていることをAからBへ正確に伝達するだけならば
いつの時代であれ、文学なんて不要だったんじゃないかな。
作者すら判然としない「何か」を読者の手に委ねること、
それこそが文学の最も大きな可能性を持つ部分じゃないだろうか?
454 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/12 23:42
>>416 「愛と憎しみ」は表裏一体じゃないだろうか。私見では、憎しみを伴わない愛は弱い。
フロイトならエロスとタナトスと、ニーチェならアポロンとディオニュソスと言うだろうか。
つまり、「生=調和を望む力」と「死=破壊を望む力」。
>>405もこの文脈にあるんだ。
>不安と恥辱と妙な悦楽のみを残す
こうした比喩をあなたは以前にも確か使っていたと思うけれど、
何を想定してのものなのだろうか?
455 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/12 23:43
>>416(再)
「鞭」の意味について。
文学という馬が力強く走り続ける名馬ならば、
どんどん鞭をあてればいいんじゃないだろうか?
鞭をふるってすぐに走れなくなるような馬であれば、
それはたいした馬ではなかったのだ。
わたしはそう言いたい。
456 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/12 23:59
>>449 ドンキホーテはまさに中上であり、中上を失った柄谷はサンチョパンサを演じることすら不可能だ。
僕の言いたいことはここはレストランでもないしシェフもゲストもいないということだ。
誰もが時にシェフになり時にゲストになる、そんな場所では、落ち着いた食事などできないのです。
誰がシェフなのかゲストなのか不明瞭な場所で「落ち着いて味わえ」などと言うことの愚。
その自明を遠回しに語ったのです。
457 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 00:02
>>452 つまり主体は僕らにあるということだな。是も非も含めて。
458 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/13 00:12
>>424 実はわたしは結論など求めていないんだよね。
というのも、「文学」なるものは、本当のこと(現場)をいえば。
絶えず死に、途切れなく生まれ、それを一瞬ごとに繰り返している。
つまり、「事件は現場で起こってる」わけなんだ。
高橋源一郎が飽きられ、中原が読まれ、中原がすぐに飽きられ、
ゲーテが忘れられ、プルーストが読み返され、云々かんぬん。
一人一人の書き手において、一人一人の読み手において、
ひとつの文学が滅び、ひとつの文学に命が吹き込まれる。
じゃあ、こうした「机上の空論」はどうなんだ? といえば、
いかに取るに足りない微細なものであれ、
こうした場所も「現場」のひとつなんだろうと思う。
だから、ここでもひとつのレスでひとつの文学が衰退し、
ひとつのレスでひとつの文学に火がともされる。
459 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/13 00:13
>>456 「落ち着いて味わえ」と誰が語ったのでしょうか。
むしろ、誰がシェフかゲストなのかわからない混沌の中で、
時にマッタリと、しばしば意見をガツンとぶつけあうのが楽しくはないでしょうか?
460 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 00:17
>>454 比喩が適切ではない以上、後付の説明は不要だと思う。
「愛に」二種類あってそれが「愛と」憎しみだなどと言うのはまず構文としてもおかしいじゃないか。
神話において性愛・エロスはそもそも混沌・カオスから生まれた。
だからエロスこそ混沌の申し子であり、一方、死・タナトスは夜・ニュクスから生まれる。
つまり何が言いたいかと言えばエロスはタナトスと同格にはできないということだ。
根源はカオス―エロスのラインにあって
ニュクス―タナトスは解釈に過ぎないのだから。
この点で「分析」を武器に人間世界と渡り合ったフロイトは神話の直観から後退したのだと考える。
分析できない世界を昔から人々は物語ってきた。
ニーチェについては保留。この人の場合、このような話自体、そぐわないようだ。
彼が使う固有名詞は彼だけの「固有」なのだから。
ただ神話の話をするならば、ディオニュソスの周囲を踊り狂った美の狂信者・マイナス達は
異性愛を否定し同性愛を支持したオルペウスを怒りとともに引き裂いたというエピソードがある。
この点でディオニュソスは性愛に関して奔放であると同時に一線を守っていたとも考えられる。
僕の比喩に関しては考えるまでもない。想定しているのは衰退論の人々全般です。
461 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 00:18
>>455 鞭の振るわれ方が下手ならばどんなに才能のある馬でも走れなくなる。
僕はそのことを言っているのだ。
462 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 00:25
>>459 であるならば、一流のシェフがいるのにそれを味わえない愚民ども、というような煽りは不適切だ。
そもそも誰が何だかわからないのに、その誰が作ったかわからない料理を
味わうこと自体、できるのだろうか?
味わうというのはそこまで原始的な行為だろうか?
僕に関して言えば、僕は誰が作ったのかわからないような料理を「味わう」こともできないし、
そもそもそんなものを口にすること自体、憚られる。
それならばコンビニ弁当でも買ってきて着色料で寿命を縮めるほうがまだましだ。
以上、言葉遊びには言葉遊びで。つまりここは(高級品ではないけれど)何でも揃うコンビニエンスストアなのだから。
それを高級レストランのように語るのならば少なくともシェフとゲストの区別くらいは明確にするべきだ。
そういう場所にするべきだ。
>「(近代)文学は死んだのではない、見失われたのだ」と僕は意義を唱えたいのです。
これって何だよ。人に拾われなくなったんだから、それが即ち衰退じゃないか。
観客の入らなくなったプロ野球と同じだよ。
読まれなくなった、振り向かれなくなった時点でアウトだ。
それで最後は消滅するんだ。
464 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 00:30
>>463 違います。死んだ者は蘇らないが、見失われた者は生存したまま発見されることもある。それは大きな違いです。
そして発見できるかどうかはまさに「僕ら」の側に責任があるのだ。
消滅する前に探せばいいじゃないか。何で溜息ばかりで探そうともしないんだ?
言いたい事はわかるが、希望論だな・・
世の中そんな綺麗にいくかい?
野球はレベルの高いプレーをしようが、客が入らなけりゃダメの世界。
文学も売れなきゃ、ドストだろうがシェイクスピアだろうが絶版。
そういう世界。
人に振り向かれなくなってる現実は認めないと。
それから先はC氏なりが、いい作品書いて努力してよ。
466 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/13 00:35
>>460 最初の構文がおかしかったのはお詫びしましょう。
言いたい事は文学への「両義的な愛」があるということです。
その両義性をエロスとタナトス、アポロンとディオニュソスになぞらえたまでで。
そうした両義性の比喩は陰陽にしろ何にしろ至る所にあると思います。
>>461 名馬ならばきっと下手な鞭はかわすでしょう。
>>462 コンビニエンスで結構じゃないかと思いますよ。
高級レストランを目指すなら他のスレッド(店)で求めたほうがいいでしょう。
シェフとゲストを明確に区別したいのであれば、
あなたが名コックとしての腕をふるえばいいじゃないですか。
467 :
吾輩は名無しである:04/07/13 00:39
>難波
いい作品が書かれれば上昇の目があるというのは
それこそ希望論じゃないのか?
>467
上昇の目がある、とは書いてないが、C氏に向けての、そう期待論だ。
あくまでも一人の人に向けての激励だよ。キミの意味してるのとは違う。
469 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 00:46
>>465 もうその手の話には反論も出尽くしていると思う。そういう意味で文学が隆盛したことはなかった。
漱石前後の時代の作家達だって軒並み売れていなかった。たとえば鴎外なんか全く売れなかった。
その後だって、たとえば生活ぶりから太宰がそんなに「売れていた」とは思えないけれど
その太宰を志賀が「流行作家」と蔑称した記述は如是我聞の中にある。
流行していたのはある程度は本当なのだろう。宮様も読んでいたのだから。
だけどそれは生活を豊かにするようなものではなかった。
今はどうだろうか。流行作家と呼ばれるような人は数年で家を建てることができる。
そもそも識字率の問題もある。流通の問題も人口の問題もある。いわゆる文化に触れるような人々の内容が変化している。
それらを考えることもなくある種のファンタジーのように「文学はかつて帝国だった。今は寒村になってしまった」
などと幾ら言ってみたところで実を得ないと思う。しかもそれは「文学」の問題なのだろうか?
やはり「僕ら」の問題なんじゃないだろうか?
これはいわゆる「パイ」の話、つまりジャンルの多様化による云々という話にも全く同じように反論できると思う。
ああ、確かに「客が入らなきゃダメ」って言ってるな。
てことは愚劣爺さんが言ってたように結局は共有性の低下なのか、問題は?
私的意見を言わせてもらうと他人と共有なんかできなくても
全然かまわないんだがね、私は。
471 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 00:54
>>466 両義的な愛については理解します。そう書きたかったのだということはわかっていました。
しかし煽るならば、煽るのだからこそ、表現は正確にしないといけないはずです。
毒舌とただの罵倒は違います。
馬については、下手な鞭はやはり不要です。馬は走るから馬なのであって、
鞭をかわすなどということは、馬にしてみれば押しつけられた無駄な仕事です。
走ることのために鞭があるならともかく、下手な鞭をかわすことまで馬の責務にする、
そんなことはやはり愚です。高慢な愚です。
馬が走ることを鍛えるように、乗る人間も調教する人間も技術を磨くことが必要なのです。
その当然のことを忘れて「なぜ走らないのだ、馬よ」と下手糞な鞭を振るう。
僕にはそういう人ばかり見えるのです。酷い奴に至っては馬の顔すら見ていないのだ。
僕はそもそも、ここをコンビニエンスストアだと思っています。
だから「なんでシェフの提供する〜」などと批判されなければ特に問題ありません。
ここには衰退チップスも売っています。結構、売れ筋商品のようです。ただ、僕は買いません。
ちょっとドギツイ色なんです。体と頭に悪そうな。
472 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 01:01
>>470 全く同感です。文学とはそういうものだと思います。なんでメジャー志向みたいなものが
当然のように語られているのかわかりません。
大雑把に言えば、ドストエフスキーを国民全員が読んでいるような国は確実に滅ぶのです。
>469
前半部、観点として面白い。 ただ浅いんじゃないかな?
現代の情報化・ハイテク時代では、埋もれた傑作は発掘し尽くされたんでは?
ジャンルは違うけど、フジコヘミングなんか埋もれた、遅咲きの素材だった。
ただ戦前ならともかく、今、動きは素早い。ベートベンが死後認められたとか、
そういうの・・・極端に少ないだろうな。
1週間経った週刊誌が消えてくのに等しいと俺は思うよ。
それに最近もニュースでやってたけど新本の賞味期限が可成り短くなったそうじゃん。
そういう使い捨て時代にどうやって対応してくの?
書き手側もバンバン戦略たてていかなきゃダメっていう不思議なしんどい時代だと思うよ。
作家といえども営業マンが求められる。
>467
作家業も商売なんだよな。売ってこそ全て。W村上は旨い。
474 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 01:11
一応、今日の僕の結論を書いておきます。
文学は売れなくなったのでも受け入れられなくなったのでもなく、その逆なんです。
そしてその水増しこそが、芥川の言葉を援用するなら「開かれてしまった文壇」こそが、
ある種の価値観の混乱を生んだのです。
味をわからぬ者達までが味を語るようになったということです。
一見の客を断る料理店のような厳しさを持てなかった文学界は
その混乱からまだ立ち直れていないだけなのです。
……と、流石にこれで全てを説明しようとは思わないが、こういったことは確実にあると思う。
ならば「僕らが」やるべきことはまず今の作品を読むこと、そして正当な評価をすることです。
それを抜きに結論を急ぐのは下手な鞭を振るう調教師のようなものです。
かつてジョン・レノンはこう言っていました。
「誰がどういうことをやっているのか、誰が何とかしなくちゃという切迫感を持っているのか、
誰がどんな音を奏で、誰が偽物を並べているのか、何処のどいつがどういう奴なのか、
こういう問題を検証する時期なんだ、今は。
ロックの未来は、俺たちが何を求めるかにかかっているんだ」
きっと今の文学もそういう時期なのでしょう。だから一方に衰退を語ってもいい。
しかしそれは「検証」とともにあるべきだ。
>474
なるほど。 文学が開かれ過ぎたゆえに、おかしくなったと、要約すればこうかな。
C氏は、ホントに文学青年(青年じゃなかったらゴメンよ)というか、文学の味方
的意見だよな。俺はだいぶ冷めたスタンスで見てるから、そんなに綺麗に見れない
んだよ。現実の方を直視しちゃう。こんな風に、個人的立場で見方に違いも出るんだろうな。
476 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 01:22
>>473 埋もれた傑作とは何ですか?ドストエフスキーは埋もれていたんですか?
そうであるとして、では発掘したのは誰ですか?
その時代の「僕ら」ではなかったのですか?
何故、文学の話なのに例示されるものはフジコヘミングとベートーベンなんですか?
情報が早いというのは言い換えれば「発掘されるのが」早いだけです。
そして消費されるのも早いでしょう。しかし消費するのはシステムでも時代でもなくやはり「僕ら」です。
ゆっくり味わえばいいのです。時代だってスローライフの一流を生んでいる。
やはり貴方の言うことは文学周辺の問題であって、つまり「僕らの衰退」であって、文学の衰退ではありません。
消費大国かつ情報先進国のアメリカでは作家にはエージェントやマネージャーがつきます。
ビジネスは彼らに任され作家はなるべく創作に専念する。
これが良いことかどうかはわかりません。しかし少なくとも手はあるのです。
ただやはり、この類の話題自体がどうしようもなく浅いと僕は思う。文学の話としてはね。
埋もれた話? ドストはロシアではトルストイやツルゲーネフより下に
見られてたらしいが。
フジコとか出して怒られたら、そりゃ何も言えん。話にならなくなる。
俺は今、文学の衰退については書いてなく、レスに答えてるだけ。冷静に読んで
くれ。先入観もたれたら会話にならんな。
「いかなる個人も孤島ではない」って言葉があるが、
誰もがドストエフスキーを読んでるのに、誰もそのことに
気づかない、というのもアリだと思うね。
けっして出会うことのない孤島の群。
ハハ、ネットの掲示板にやってきて言うことじゃないやね。
479 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 01:32
>>475 476で書いたことは先走りしました。「浅い」に反応して挑発的なので、スルーしてください。
僕は確かに若造です。島田雅彦のように青二才などとは呼称しませんが。
僕が思うのは、文学を愛したいと言うのであれば、まずは文学に先入観なく触れるべきだということです。
ここで語られる文学衰退説の多くは、今の作品を読むことなく斬って捨てるようなものが多すぎます。
つまり現実を見ていないのはその人達のほうなのです。
どんな時代にも一流も二流も三流もいたのです。そして二流は一流よりも三流は二流よりもずっと多かった。
それら「下流の」作家達は時代と人々に淘汰され、残っていないから、良い作家としかもその中の代表作のみが活字として残る。
たとえば芥川にもドストエフスキーにだって読む人によって駄作だと思われる作品はあるはずです。
基本的に愛好している読者でも、これは一段劣るな、と思う作品がどんな作家にもあるはずです。
それなのに「残った作家」の「残った作品」のみを称揚して今の作家全般の作品全般を読みもせずに斬る。
そんなことは冷静に考えれば青年のみならず子供にだってわかる愚です。
そのようなことをやって平然とふんぞり返っているような人は、やはり高慢かつ愚かな人でしょうね。
「浅い」が気に触ってたらスマナかった。
481 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/13 01:38
>>477 確かにそうですね。ここがコンビニだということをすっかり忘れていました。難波さんにシェフの役割を
押しつけようとしていましたね。反省します。
や、なんかいい感じになってきてしまった。
C氏も頭いいんだから、期待してるよ。
俺も強く書くことあるけど、それは申し訳ない。
(ま、でもそれとこれとは別で、意見は思った通りやろう)
では、明日があるんで寝る。
強引にまとめてみよう
(へんな比喩は自己満足でしかない)
・読む人がいなくなると衰退する
:受け手がいなくなるとメディア自体は衰退する論。
詩や短歌、俳句などはメディアとしては衰退していると思うが、
芸術としては衰退しているのだろうか?
創作する人間がいるかぎり、少なくとも「衰退しきっている」とは言えない。
相変わらず、衰退とはなにを指すのかについての合意がないまま
書いているだけではないか?
衰退論?に反対するC氏のような人と
必ずしも衰退を主張していない矢部氏のような人には
今の作品を含めた文学自体への愛が感じられる。
しかし衰退を語る人たちはそもそも文学を読んでいるのかという疑問がある。
この疑問がある限り衰退とはなにを指すのか不明確なままだろうね。
ちょっと骨休めに頭を切り替えて、「多様性」という面から見てみたら?
ぼくは、今の文学が、バラエティーに富んでいるのか
それとも十把一絡に扱えばいい代物なのか、
区別がつかなくなってきた。どっちだろ。
>>483 このスレでは「受け手が少なくなってるからメディア(媒介=なんらかのモノを伝える手段)としての文学は
衰退してる」ってのでまとまってるみたいだね。
文学が美術やクラシック音楽みたいにアカデミックな枠組みでの「芸術」としての衰退してるのか?ってのは、
オレはよく分からないし別に分かりたくもないから、
文学を芸術として研究してる人達が好きに議論すればいいね。
個人的には、なんかスッキリしたよ。
自分で、なんで学生の頃あんなものを一生懸命読んでなんなんだろ?ってケリがついてなかったから。
オレはそういう意味で「文学」は結局わかんなかったなw。
もう多分「純文学」って言われてるものは読まないよ。ありがとう。
漏れもウン子してスッキリしたよ
488 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/14 23:21
>>427 最も注目すべき意見に対してレスが後回しになってしまった。。。
337氏のレスはとてもバランスのとれた意見だけど、
ただ、実は柄谷のテクストには叩き台=食材以上の意味を求めていないし、
こういうものは焼くなり煮るなり料理してしまえばいいと思うんだ。
ただ、批判するにせよ何にせよ、衰退派であれアンチ派であれ、
このスレで言及くらいあってもよいものとして食材を差し出したまでで、
柄谷をドン・キホーテになぞらえたのもその荒唐無稽さにおいてなんだよね。
489 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/14 23:25
>>427(つづき)
近代文学の「終焉」と近代文学の「総括」や「乗り越え」とは
次元の異なるテーマで、後者は「変化」にかかわるけども、
即座に「変化」=「終焉」とはいえないわけだから、
柄谷のいうのは「近代文学という括りの終焉」であって、
日本文学の本質についてのものじゃないわけだ。
ただ、それをアジテーションとして使ってる柄谷をドン・キホーテとして眺めれば、
これはこれで楽しい料理が味わえるんじゃないかと思ってる。
この点でも、わたしの行間を読む理解が正しければの話だけど、
「近代文学」の「終焉」については語らず「超克」については語っているのも、
参考になると思う。
矢部シェフならば食いついてくるだろうとわかってたこともあり、
この食材を(ラブコール用の)エサにしたわけだけど、
幾分真面目に取り上げすぎてるとはいえ、やはりさすがだと思う。
490 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/14 23:36
>>427(つづき)
>面白く感じるにはある程度経験が必要。
これは同意。現在は小学校教育においても読書が見直されている模様。
>自分がそこそこにささやかな満足を得られているので一人のことならいいのですが、
>大きくジャンルとすると私は今のところ悲観的です。
個人的視点と俯瞰的視点とはもちろん異なるだろうね。
前者は現場的になるし、後者は机上論的になってしまう。
しかし、「悲観的」になる必要はないんじゃないかと思うよ。
楽観的にもなれないかもしれないが。
491 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/14 23:39
(訂正)
>>489の第2パラグラフの2行目で「矢部氏は」という主語が抜けてた。
492 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/14 23:42
>>484 >衰退とはなにを指すのか不明確なままだろうね。
それに気づく知性の持ち主ならば、ひとつシェフとして腕をふるってみれば?
これまで出てきた衰退料理をコース別にわけてみるぐらいはできるんじゃないか?
1)近代文学という括りの衰退
2)純文学の衰退
3)読者レベルの衰退
4)出版マーケットの衰退
5)文学作品の質の衰退
ほかになにがあるかな?
難波シェフの意見は基本的に「2)純文学の衰退」じゃないかと思う。
494 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/14 23:51
>>493 それは文学部の衰退は文学の社会的地位の衰退にもつながるかな?
ところで、
>>445でタバスコ氏が引用した糸圭のテクストは
食材にしてみればという提案かな?
495 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/15 00:02
>>486 なんか432氏は自己完結しちゃってるな。
まァ、好きにしたらよかろう。
>>494 ああ、あの食材はパセリみたいなもので、ちょっと色を出しただけだよ。
「哲学の時代」云々という話があったので、ああ、糸圭がそんな話してたなあと引用しただけで、パセリ以上の意味はないよ。
大学の文学部というのは、戦後にわさわさと大学・短大が出来たときにも増え続けたでしょ。
例えば短大の文学部なんて、女の子がヨメに行く前にちょっとした教養でもつけとけ、って感じで行くでしょ。
まあ、そういう「教養」が戦後経済成長期に溢れてきたわけで、文学部もそれに乗っかって「教養」の学府として数を増やした。
これも欧米の場合と同じで、文学という上流社会の「教養」が大衆化したってことだと思う。
ただ日本の場合、階級差がそれほど無かったから、階級上昇のためには必須ではなかった。
だから、経済成長が終わりバブルがはじけると、階級差の無い日本では、文学も必須ではなくなり見捨てられるようになった。
今、文学の危機を叫んでいるのは、主に大学関係者じゃないの?
大学で仕事がなくなっちゃう教員たちと、就職先がなくなっちゃう院生たちが、自分の生活がかかってるというので騒いでる。
つまり、社会・経済状況の変化による「文学部の衰退」を「文学それ自体の衰退」とすり替えているんじゃないかと思う。
(ちょっと上の方の論証は、自分で書いててもあやふやなんで、意見を頼むよ)
C神父
G byジョン・バージャー
自慰 by野坂昭如(うそ)
ていうか大づかみになりすぎていて、文学にかぎらず音楽にでも当てはまるような
議論になってませんか?芸術一般の衰退についてではなく、文学について考えるの
であればもうすこし細かい議論が必要なのでは、、きっとすで前スレなりでされ尽く
しているんだろうけど。
文字を認識して書かれている内容を抽象化するっていうのはしんどいし、携帯やらテレビやら
ネットやらで細切れに分節された生活空間に住む現代人には、不向きなメディアになりつつある
のかもしれないですよね。あまりにも様々なメディアが生活空間に浸透しすぎていて、分断されて
いることに対する違和感自体が意識から後退しているような気がする。
映画なら映画館、音楽ならクラブとかコンサートホールがあるし、絵画なら画廊がありますけど
小説って読まれる環境がすごく不安定なんではないかなと思う。一般の映画や音楽では在りえない
外界のノイズに常に晒されているというか、ある種非常に前衛的な環境で読まざるをえないというか。
すごいシリアスな場面を読んでいるのに、いきなり部屋のドアを家人に開けられて「今日は夕飯なにが
いいかしら?」みたいなことが常に起こりうる可能性におぼえつつ読まねばならないというか。
おびえつつ
>492
そうですよ。俺はズバリ「純文学」が衰退してダメになりつつある、というのが一番
いいたい事かな。文学の「核」に当たるのが純文学だと思ってるから。それが衰えた
のでは先は危ない、という事。
あと、底辺の部分を考えようよ。例えば50代の人、40代の人、30代、20代、と
読書を習慣として持ってる人は明らかに少なくなってる。「本なんか1年の内、1冊も
読まない」という人も右肩上がりなんじゃないか? 俺は、「衰退」の要素というもの
が色々ある中で、やっぱりコレを最大の深刻要素と捕らてるが。
483で言われてる事は、創作する人がいる限り衰退は無い、という事かな? 俺は違うと思うぞ。
社会的にマイナーに落ちる事が衰退だと思うが。
文学にどっぷり浸かってるものには届いても、社会的にマイナーになってしまったら、社会からは
衰退と呼ばれる。今の文学界には、あまり求心力が無い。島田雅彦の知名度ってどれくらい?
「文学」がマイナー化した事は皆認めないのだろうか? (これも純文学の事?など定義が面倒だが)
>>500 あなたの意見が自分的には
一番、面白かったです。
文章的にも良し。
あとの長文は、全部飛ばし読みにしました。
504 :
吾輩は名無しである:04/07/15 13:20
つまり、文学に限らず近代芸術(近代音楽、近代絵画等々)一般が駄目に
なったかどうか、という問いには既に回答がでたものとして、みな文学の
衰退について語っているわけか。
505 :
吾輩は名無しである:04/07/15 13:23
>>503 書いた本人にとっては当然そうでしょう。
ハイ、論議に戻りましょう。
>>503よ。お前みたいな奴をみると、あの日のことを思い出すよ。
2001年8月25日。2ちゃんが本格的に閉鎖になりかけた日だよ。
転送量が多すぎて、費用が月700万もかかってるって発表されて、
「数日中に閉鎖」って予告されてさ、
その日のうちにあっちこっちの板が封鎖されてた日だよ。
あのときのUNIX板の住人、カッコよかったんだぜ。「総力を結集」ってのはまさにああいう状態だよ。
転送量を1/3に削減しないと閉鎖、ってもんだから、新しいプログラム組んでさ、
そしたらほんの何時間かで完成したんだよ。それが聞いてくれよ、目標は1/3だったのに
1/16まで圧縮に成功しやがったんだよ。職人技なんてもんじゃねえよ、神技だよ。
でもよ、そうやって頑張る人がいた一方で、「ボクの肛門も閉鎖されそうです」とか駄スレ立ててたバカも
いたわけだよ。ちょうど、今のお前みたいにな。
だからよ、俺たちは総力を結集して、お前のバカ度を1/16に圧縮しようと思うよ。
ま、圧縮後でもお前のバカ度はこの世に生かしておくことのできないレベルだけどな。
要するに俺らの力を結集してもお前を助けることができないってことだ。
わかったら、まわりに迷惑をかけないようにひっそりと死んでくれよな
507 :
吾輩は名無しである:04/07/15 13:34
馬鹿ばっかりだな
ついでに500=503=507ってとこか
510 :
吾輩は名無しである:04/07/15 14:00
馬鹿しか書かず馬鹿しか読まないから衰退したと。
衰
退
の
具
体
的
意
見
以
外
は
書
く
な
512 :
吾輩は名無しである:04/07/15 14:42
「世界の中心で、愛をさけぶ」の話題は既出か。
批評家が懲りずに何度も「文学の死」を宣告しようとも
ベストセラー小説というものは、どうも死滅しそうにない。
批評家にとって、このスレの論者にとって、はなから
通俗小説の存在などは視野の内にないわけである。
「馬鹿は御影石のようなものだ。」というが、馬鹿の
馬鹿たるゆえんに、あらためて脅えないと、なぜ
ベストセラー小説なるものが、21世紀の今日に生産
されうるかについて問われたとき、白痴的言説が
自らの舌からもれるのを聞かざるえないであろう。
515 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/15 15:13
>>483 そう。衰退論の人は「何が」衰退なのかをぼやかしたまま都合よく話を進めようとする悪癖がある。
読む側の問題とか売れ行きの話をいつのまにか芸術としての衰退に結びつけるような
滅茶苦茶な議論が「明らかに」だの「実感として」だの子供だましなレトリックで語られる。
516 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/15 15:18
>>502 たとえば今の純文学の何処が衰退しているのか書いてみてくれませんか?多分、簡単に反論できると思うので。
そんなことを書くのだから当然、読んでいるはずですよね。今の作品を。
具体的な作家、作品名とともにお願いします。
読者数の減少についてはもうさんざん反論しました。何故そのことへの言及もないままそれを続けるのか不明です。
517 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/15 15:20
>>504 そんなことはないと思いますよ。ここは衰退という言葉に興奮した人がそれぞれ自作メニューを並べて
しかし料理は一向に出てこないという謎のレストランなんです。
518 :
吾輩は名無しである:04/07/15 16:00
>>517 料理はなくても、素材くらいは転がっているのではないかい?
料理するには手頃な材料として既に饗されている、新潮の今月号での
柄谷・福田対談を読んだ…終わりについての言説自体は、既に視たことの
あるものばかりの組み合わせだったね。あの対談では福田が柄谷に対して
露骨に勝利宣言しているようで、それがほんの僅かばかり不快だったね。
>>517 例えば道徳という言葉と倫理という言葉がある。
価値判断の絶対的なものが道徳、私的なものが倫理という語源はあったが、
19世紀にはもはや絶対的なものが疑われるようになり、道徳は本来の意味を失う。
で、なにが起こるかといえば言葉の混同。
本来の意味においては道徳は死んでいる。が、言葉としては生き残る。
Cさんはいくらでも純文学の定義を変えていくことで文学をいくらでも延命させることが出来る。
が、もはやそれは少しずつ別のものにならざるを得ない。
問題は解決してないから何年か毎に周期的に同じ話題を繰り返される。
こんな材料はいかが?
あぁ、ついでに言っておくと、
実際問題として純文学が何かをなすものって言う、非常に弱い限定つけたとする。
さて、何かを読者になすという作者は何故そのような権利を持つのか?
ってのに現在の作者は無自覚ではいられんとする。(これも弱い限定と思うが)
とりあえず均質化されゆく社会って現状もあるとする。
じゃあ作者は何様だと。実際に最近のノーベル賞もブッカー賞も全米図書賞も、
たいてい語るべきもの(物語)を背負った、つまり十分均質化されていない第三国出身の人間ばかりがとる。
たまに英米の作家が出ると、ほとんどはテクスト自体に仕掛けを作る作品なわけで。
もはや小説自体にゆがみを作るか(舞城ね)自分の経験にゆがみを作るか(モリノブ)しかない。
さてテクスト改変は無限の可能性があるか?
特殊な経験なんて無限にあるか?
そいつらに死ぬほど考えまくった大江や中上が出てくることはこの時代、可能か?
っていうと衰退してると思うんだけどな。。。
>>520 テクスト改変に無限の改変があるか?、という問いについてだが、
新たなパターンがあるかどうかが問題なのではない。
人間の無意識は言語的に構造化されているわけで、その構造をずらす
テクストは無限に生産しうる。
もちろん、時代状況が循環して、無意識の構造化が循環するとすれば、
純文学も循環することになるが、純文学の機能からみれば
似ているということが何ら純文学の価値を低下させない。
522 :
吾輩は名無しである:04/07/15 18:58
>>517 あんた以外は誰も興奮しとらんのとちゃうか。
>>521 もっと簡単に書けんのかね。
ほかのレスは読めるが、これはわけわからん。
523 :
吾輩は名無しである:04/07/15 19:01
「文学が衰退している」というのは、過去に縛られた人間の意見だと思うよ。
言葉っていうのはしゃべる人と共に変わるんだから、人間のコミュニケーション形態が
手紙や書記から携帯・インターネットに変わると、当然言葉の性質ってのも変わってくる。
変化っていうのは人が略語や、簡単な言葉をもっと多様して「文章的に綺麗」なのを昔ほど求めない事。
・・・で、当然それによって文学も影響されるよね。
昔の複雑だったり難解だったりする本は読まれなくなってきて、
人は「蹴りたい背中」や「世界の中心で〜」などの読みやすい本の方に移動している。
そして、そういう読みやすくとっつき易い本が少ない(見つけにくい)から、「読書量は減ってる」と言えるんだろう。
ラノベが増えてきてるのもその「読みやすさ」を追求した結果だと思う。
でも、それは悪い事か?
ここで「衰退」を主張する人たちは、読書量の減少や複雑な文章を嫌う人が増えてる事を「衰退」と言ってると仮定する。
俺はそれに反論する。文学が衰退してるんじゃない、文学は「変化」してるんだよ。
人々は多彩なコミュニケーションツールやテクノロジーの進歩で「便利さ、使いやすさ」を追求している。
それが文学の面にも浸透しているんだよ。衰退はしていない。現にミリオンセラーが何作も現れてるじゃないか。
その変化を否定し、過去の文学を賛美する人は「文学の変化に追いつけない人」として見られてしまう。
これは悲しい事かもしれないけど、それが事実だよ。
文学を愛するものとしてできる事は、その変化を良い方向に持っていく事ぐらいだろう。
>>523 それは全然違うよ。
最近のベストセラーのどこが進化Kなの?
あんなのむしろ退化Kじゃん。だから衰退って言いたくなるの
>>524 誰も進化なんて言ってないんだが・・・ 勝手に解釈しないでくれ。
「変化」だと言ってるんだ。そしてその変化はいつか「当たり前」として受け入れられてしまう。
>>524 あなたのいう「衰退」は「質の低下」のことですか?
もしそうなら、具体的に
・何と比べて
・どんな質が
・個々の作品ではなく文学全体として
低下しているのですか?
527 :
吾輩は名無しである:04/07/15 22:43
衰退ではなく、これ以上進化する可能性があるのだろうか?
という疑問があります。
現代詩もそうですが、すでに円熟期を迎えているように見え、
考えられる新しい方法はやり尽くしてしまい、
今まで築き上げてきたものの踏襲にすぎないのでは?
という作品を多く散見します。
進化し、成長した結果、敷居が高くなってしまい、
それを味読するには読者も同じように進化し、成長することを
強いられる。
しかし分かっている奴が分かっていればいいんだと、
閉じるのは衰退の道ではないでしょうか。
成長が批判にさらされてこそ起こるものだとしたら。
とはいえ開くことは質の低下にも繋がりかねない。
個人的な感覚として袋小路に陥っているように感じられるのですが、
Cさんはそうは思われませんか?
528 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/15 22:58
ひとことだけ。今日はなかなかいいレスが多い。
>>527 おっしゃる通りだとは思いますが、
また一面的でもあると思います。
現代文学だけではなく、音楽や美術も同じ道をたどってきているわけです。
いままでにない新しい表現を求めるがゆえに
受け手との乖離が起きている。
現代音楽や現代美術の世界では
古典からの延長線上にある音楽や美術の世界が閉鎖的になり、
わかりにくくなっていきました。
結果的に新しいものはどこから生まれたのか、
それは大衆からです。
>>525 全然違うね。知識不足だよ。
明治、大正時代にもベストセラーはいくらでもあった。
しかし、今となってはほとんど消えてる。
今読むと、当時としてはすごくリーダブルで紋切型なのがわかる。
マイナーでもいいものは残る可能性がある。
どんなに売れてもダメなものはダメなんだよ。
532 :
吾輩は名無しである:04/07/15 23:03
>>529 ええ。「大衆」とは具体的に誰を指すか分かりませんが、
私もそう思います。
ただ現代の大衆は文学を支持するでしょうか?
>>525 だから、あなたはテクノロジーの進歩とその手軽さが
文学にも浸透してるって、言ってるじゃん。
これって、暗に進化に言及してることなんじゃないの?
>>526 だからね、ウチが言ってるのは他のジャンル(業界)と較べて
文学界は、むしろ退行してるって言ってるの。
作家の名前だけみても、それが観察できるじゃん。
古典文学が良かったなんて、少しも思いません。
狭いジャンルで自己言及してるだけじゃ、何も見えないよね。
あと、手法が使い尽くされてるという意見がよく聞かれるけど、
それは、おかしいね。組み合わせだけでも、無限の手法が想定
できるし、それは誰かがいずれやるでしょう。
「あー、こんなのもありだったんだー」という具合にね。
大多数の人にとってのクラシック音楽のイメージは、きっと
「小難しくて退屈。マニア向け」だと思う。
このスレの人たちがいう「純文学」なるものも同じポジションにあると思う。
音楽には「大衆音楽」がある。そして、そこでは間違いなく「芸術」と商売がしのぎを削っている。
文学は衰退していない。
衰退しているのは「純文学」なるものだ。
衰退は「純文学」的なものしか認めない、新しい表現を求めるといいながら、その実、新しさなんか求めていない人のうちにある。
535 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/15 23:36
>>518 柄谷って生で見たことある?あの人と生で会うと「喧嘩」みたいなものが触発されるんだよ。何となく。
そういうオーラを持っている。それで福田の性格だったら必然的にそういう関係性が生まれると思う。
まあそんな話はいいとして、あの対談、まだ読んでないんだよね。雑誌自体は買ったんだけど。
536 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/15 23:42
>>519 いわゆる道徳という観念自体がほぼ19世紀の産物なんじゃないかな。少なくとも文学の世界では。
だから「本来の意味」というものがこの場合なにを指しているのかもう少し書いて欲しいな。
ただの例示じゃないか、と思うかもしれないけれど、例示とか比喩が不明瞭だと議論そのものが混乱する。
純文学の定義を変えることができるっていうのは、じゃあオルタナティブな「純文学」って何?という話になる。
それなりに蓋然性のある定義ならどんな定義でも構わないんだけど、定義自体されないまま
「純文学は衰退した。検証するまでもなく明らかだ」なんて言い方が通用する状況ってやっぱ不毛だと思う。
そういう言説を語る人自体が純文学を理解していない可能性だってあるわけだからね。
そういう状況に対する溜息まじりの書き込みなんだろうけど。
537 :
吾輩は名無しである:04/07/15 23:46
舞城、中原、阿部、モブあたりは「純文学」とは呼べないのでしょうか?
高橋源一郎、笙野あたりは?
春樹・龍・ばななあたりまで?
それとも大江、古井あたりが最後?
538 :
吾輩は名無しである:04/07/15 23:47
「純文学」は、崩壊した。
539 :
吾輩は名無しである:04/07/15 23:51
戦争が無くなったからじゃね?
戦争って結局、芸術も科学もものすごい勢いで進化させる力があるからよー。
平和とは倦怠と怠惰な時代だ、とか言ったの大江だっけかな。
540 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/15 23:56
>>520 舞城とかモブとかが現在の純文学の代表だとは思わないし、彼らの文章が新しいスタイルもしくはポーズだとも考えないけど、
テクスト自体に仕掛けを作る作品っていうのは、いわゆる物語と対置されるものなのだろうかという疑問がある。
おそらくどんな「名作」も物語の上にテキストへの仕掛けを施した作品だと思うし、だからこそ多面的な読み方をできる、
つまり時代や社会の変化に耐えられるんじゃないかな。たとえばカフカなんかそうだし、ドストエフスキーもやはりそうだし。
日本なら芥川が谷崎との論争の中で「いわゆる話らしい話のない小説」についてもう語っているわけで。
彼自身、何度も試みていると思うし。太宰が言った志賀への皮肉である「家族が病気になった話」のようなものを賞賛し
純朴すぎる私小説が氾濫した日本の一時期の文学状況は良い言い方をすればユニークだった。それだけのことなんじゃないかな。
ちなみに、大江は筒井が断筆宣言したとき対談で筒井を批判しながらもこう言っていたと思う。
「これからの小説というものを考える上で、筒井さんと井上さんは心強い同志のような存在だった」
つまりそのへんのことっていうのは純文学より前にいわゆる中間小説とかエンタメ系の小説が開拓するってことかもね。
そういう部分で実験され生き残ったものを純文学が物語の中に取り入れる。そんなふうに相互作用しているんじゃないかな。
だからこそ僕はラノベはあくまでラノベであって純文学以前だと思うわけだけど。
島田雅彦が書いているけど、今は中上「的」もしくはサルトル「的」な小説がけっこう出てくる時代だ。
そこに固有の中身が伴い必然性のある文体が揃えば突然変異的な作家はまさに突然生まれる可能性があると思っています。
541 :
吾輩は名無しである:04/07/15 23:56
>>538崩壊したのはお前の頭と顔だろう。( ´,_ゝ`)プッ
>>540 「だからこそ僕はラノベはあくまでラノベであって純文学以前だと思うわけだけど。」
で語られてる「純文学」って何ですか?
わはははははは!
>>531 たしかに、俺も自分のレスを読み返して「売り上げだけで説明するのはダメだったかな」とは思ったけど、
大衆が何を好むか、というのを提示するのにはそれが一番だと思ったんだよ。
>マイナーでもいいものは残る可能性がある。
それなら、今マイナーなものが後で評価される事もあり得るわけだろ。
だったら「文学が衰退してる」とは言えないじゃないか、単に今評価されてないというだけで。
お前の理屈を見てみれば昔も現代も同じ、何も衰退していない。
>>533 [テクノロジーの進歩]が[文学の変化]をもたらしてる。
読みやすさに向かっていく今の文学は「進化」でも「退行」もしてない。
そういうのはお前の主観からなされるものだから、ね。
いずれはお前の言ってる「退行」は社会に馴染んでいき、当たり前になるんだよ。
・・・これでもわかんないだろうから、とりあえずキミに一つ聞こう。
[退行の果てには何がある?退行するという事は、退行の限界があるはず。その時、文学はどうなってる?]
これを考えてくれれば、文学は退行してるんじゃなくて「変化してる」んだとわかってくれると思う。
ようは上から下に堕ちていくんじゃなくて、平行に左右移動するって事。
>>544 >[退行の果てには何がある?退行するという事は、退行の限界があるはず。その時、文学はどうなってる?]
興味深い発言が出たなぁ。確かに、その問題提起にこのスレの答えがあるのかもしれない。
ちょっと考えてみるけどやっぱりお前の言うとおり、左右移動なのかな。
546 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 00:11
>>527 衰退はないけれど文学単体での進化もないと思っています。
まず進化するべきは人間の一般的な精神もしくは心、とにかく芸術表現を受け入れる器であって、
それが先を行かなければ芸術表現全般が進まないだろうし
進んだものが生まれても評価されないだろうし、
逆に器が大きくなったり(逆に小さくなったり)すれば
それに見合う「進化」も生まれるでしょう。
ただ気をつけるべきなのは、人はとにかく時間軸が先に進むことを「進化」と考えたがるということです。
でも見方によっては僕らはずっと「退化」しているのかもしれないわけで、
だから結局は他の人も言っているように変化、でいいんじゃないかと僕は思います。
パターンとか類型では作品の「良さ」を語れないと思います。
どうしても類型的に見えてしまうものというのはおそらく形骸のみで過去の「精神」を踏まえていないのです。
そしてそのような駄作と呼ばれる範疇の作品は、今に限らず常にあったことを考えるべきです。
消えていった作家や作品はいつも無数に存在した。それを僕らは忘れがちです。
僕が書いているのは「作品以前の駄作」と同様に「批評以前の愚痴」が満ち溢れていることについて
やはり考えるべきだということです。文学批評というものが生まれてから、時間が経ち、印象批判は過去のものになった。
というより鋭い「印象」を持つ人間だけに許されるものになった。なのに、その前提を満たさない印象批判が多すぎる。
ただ馬を傷つけ走れなくするような鞭、つまり「批評以前」が罷り通る状況だってやはり袋小路なのです。
548 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 00:18
>>542 それは難しい問題だけど、というか、僕はあまり文学をカテゴライズしない考えなんだけど、
でも一つ言えることがあるとすれば、
「ラノベはここが新しい」とか「ラノベはここがユニークだ」
とかいう部分部分だけで「売って」いるものはいつまでも純文学とは言えないだろうね。
そういう部分部分はもう当たり前の前提のように消化して、そうして尚、語られるところを多く残す作品、
そういうものを純文学と呼ぶんじゃないかな。
>>545 「退行」を「衰退」にすれば、そうかもしれない。答えを急ぎすぎるのは良くないけど、考えてみてほしい。
>>547 「変化」だと思う。進化や衰退と言った上下価値は、所詮「過去の文学の方が良い」か「現代の方がいい」という主観で決まってしまうからね。
変化というのはそれこそ主観を捨てた客観の極みで、「文学の変化に適応しなければいけない」というわけでもない。
変化に適応すればその方が楽かもしれないけどね。その変化を評価するか、過去の作品を変化した後の作品の上に置くか、
すべては人それぞれ。でも総合的な時代の文学に上下関係なんてない、という事をわかってほしい。
今の社会文化と、昔の社会文化、どちらかをもう片方の上に置く事はできないだろう?それと同じ(例えが強引かな?)。
>>548 しかしラノベがこの調子で売れ続け、ジャンルも大きくなれば、今の純文学には「旧文学」なんて名前がついて
「ラノベこそ純文学」と評価されるかもね。
551 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 00:31
>>550 それはないと思うよ。SFを見ればよくわかる。SFって一時期は(そして部分的には今でも)
純文学に大きな影響を与えた。だけど、SF=純文学にはならなかったし、
SFが純文学を駆逐することもなかった。
まずラノベは戦術的に間違っている。あのアニメっぽさはやはり多くの人を退かせるし、
ラノベ信者みたいな存在がいることもマイナス要因なんだよ。
純文学は敷居が高いけれども、その高さを乗り越えようとする人間は拒まない。
でもラノベはその逆なんだよな。
今、ラノベの作家と呼ばれているような人達の中から将来的に良い純文学の作品を書く人間は
現れるかもしれないと思う。でもそれはラノベで行った実験が純文学に吸収されるだけ、
もしくは結局、それも純文学の世界に最初から在ったんだと認識されるだけだと思う。
純文学というか本当の芸術って世界を切り開くんだよ。でもラノベ的なものは
世界を「捉える」ことに終始している。しかも世界の「一部」をね。その違いは大きいと思うよ。
>>548 すいません。いまひとつ明確さに欠けると思うんですが。
>>549 「変化」は退行の可能性もあるし、進化の可能性もあるということですね。
現在の作家で具体的にいうと、どのような作家に期待感がありますか?
早稲田文学7月号の特集も「文学の終焉」でしたね。
たしかに最近の文芸誌では「文学の終り」についての言説が多い。
こういう言説が生まれた背景や要因というのはどこにあるのだろ?
という問いがあるんですが、みなさんはどのように思われますか。
554 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 00:36
>>552 バカの壁みたいだね(笑)
じゃあ逆に聞くよ。ラノベって何?
>>554 バカの壁っていわれてしまうともうどうしようもないんですが、
確かに頭は悪いんでしょうけど、具体的な作家名が出てこないと
うまく理解できないんです。537で書いたことを繰り返すと、
舞城、中原、阿部、モブあたりは「純文学」とは呼べないのでしょうか?
高橋源一郎、笙野あたりは?
春樹・龍・ばななあたりまで?
それとも大江、古井あたりが最後?
というようなことなんです。
ちなみにラノベは読んだことがないのでその言葉を使ったことがないんです。
556 :
吾輩は名無しである:04/07/16 00:47
>>549 >すべては人それぞれ。でも総合的な時代の文学に上下関係なんてない、という事をわかってほしい。
この伝で行くと作品に優劣は付けられないし、となると全ての文学賞は
ナンセンスの極みということになりますね……ほんと?
>>554 552の問いはそんなに馬鹿げていますか?
申し訳ないのですが、私にもわかりません。
Cさんは具体的には現代においてどの作家のどの作品に期待感があるのですか?
558 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 00:50
>>558 ジャンルというもので文学を考えたことがないのでよくわかりません。
それで「純文学」という言葉を使っている人にお聞きしたまでで。
ただ、555で挙げた作家は全部同じジャンルとして考えてました。
560 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 00:58
>>557 僕が無意味だと思ってしまうのは、そちらにはそちらの定義がないか少なくとも提示されない気配だってことです。
なのにこちらが出すものについては理由もなく斬られるんじゃ苦笑するしかないですよね。
コミュニケートなのに僕は出すばかりで何も得られないのならそこにはやはり壁があるでしょう。
僕は天皇や歴史の問題に目を向けている今の島田雅彦には関心があるし(若い頃よりも)
晩年を迎えているだろう大江や野坂の(文学的に)死に行く様にも興味があります。
貴方が挙げたような作家達にはみなそれぞれ期待していますよ。
最後なんてないでしょう。最後と言いたいなら何が純文学かを定義してからにして欲しいものです。
561 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 01:05
>>559 ジャンルというのはあると思うけど、僕自身もあまりそういう範疇でものを考えないので、
今回はたまたま上にあった難波説に乗る形で純文学というものを仮定してみただけなんです。
ただ、ご自分が仮定というレベルですら規定できない言葉Aについて、「BはAなんですか?」
と尋ねることって無意味じゃないですか?相手が答えを返したって判断できないし。
舞城はラノベ批判もしてるけどラノベの一部として考えられもする作家ですね。
人によっては綿矢りさもラノベ作家なんだそうですよ。
僕はだからラノベって何なのか知りたいんだけど、誰も明確に答えてくれないのです。
でも僕はこう考えるんです。「そりゃそんなもん明確に答えられるはずがないよな」
562 :
吾輩は名無しである:04/07/16 01:07
っていうか、、
ハタチすぎて「純」とか何度も言ってて恥ずかしくない?
そういう感性のないタイプの人が文学するのかな。
退行の行き着く先は、もちろん死です。
文学板のコテハンでも、「死にたい!」と
わざとらしくよく叫んでいる人がいるでしょ?
国家で言えば、激しい長期的な内戦か占領統治下に入っている状態。
会社で云えば倒産。
だから、進化って、別に価値判断(イデオロギー)じゃなくて
ある程度、適応原理に則しないと最低でも滅びるよーってだけの話。
だから非-商業ベースの文学なら、web上で誰でも作品をup
できると思うから、そこでの文学ならなんでもありで続くんじゃない。
>>561 なるほど。そうでしたか。すいません。
「そりゃそんなもん明確に答えられるはずがないよな」
という感覚はわかります。
564 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 01:10
僕が言いたいことの一つは、人間の想定するほとんどのことが「不明確」であって不十分な分析しかできないものだという
当たり前のことなんです。なのに断言口調の絶対思想みたいなものが多いから困るんです。
そういうことを求められるしね。
なんで芸術作品が生まれるのかって言ったら完結明瞭になんか語れないからでしょうに。
565 :
吾輩は名無しである:04/07/16 01:11
本気でラノベってなんだろうね?って思うよ。
因みにおいらがライトノベルって言葉があるのを初めて知ったのは
にちゃんにライトノベル板ができたときw
566 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 01:13
>>563 貴方はたぶん普通のブラウザで読んでいるんですよね。だから新しい書き込みしか読んでいないのでしょう。
僕は専用ブラウザを使っているので、流し読みしてるんですよ。上の方から。
言葉の行き違いはこちらにも非があります。申し訳ありません。基本的には近い立場のようですね。
今日はこれで。できれば貴方の考える「良い文学作品」についてご意見を伺いたく。
567 :
吾輩は名無しである:04/07/16 01:13
>>564 まあ簡潔明瞭に語れるなら今頃文学研究は理系の方でやってるだろうね。
>>556 多くの人の心を突き動かしたなら(クサイか?)、それは優秀な作品だと言えるし
文学賞は応募された作品群の中から、何人もの人間を通して「優秀」と評価されたものだから異論は唱えない。
作品単体で語ると感情や感性で判断できるので、俺はあえて「総合的な時代の文学」と明記したわけだが。
569 :
吾輩は名無しである:04/07/16 01:31
C ◆7sqafLs07s わきえろ
文学を心の支えにしているような人間にとっては、
どれほど文学が世間で力を失おうと擁護し続けるだろう。
(このスレッドでもいるよね。そういう奴)
そういう人間は、客観的に文学の衰退を分析できないため、
単に自分の願望を語っているにすぎない。
文学の衰退を語るためには、少なくとも文学に思い入れを持たない人間。
できれば、文学にもはや価値がないことを知っているため、文学が
読まれていない現状を理解している人間が望ましい。
>>569 コンビニの中心で愛を叫ぶやつが一人ぐらいいてもいいじゃん。
カラオケでマイクをはなさないやつはどこにでもいるもんさ。
>>570 まあ、確かに冷静で客観的な検証をするためには、
思い入れ抜きに、また感情的にならずに考える必要はあるな。
文学を好きに語るコンビニ的雑談スレでいいじゃん。
俺は日本文学はこれから進化すると思うぞ。
もちろん根拠はない。しかし、予感がする。
>>570 おれも何か出てくるとしたら日本からだと思う根拠はないけど
みんな馬鹿じゃないのか?
そりゃ、文学好きの連中で
語ってりゃ、「衰退なんかしてない」
って意見も出るだろうよ。人は自分の立場で話す。
だから特に、作家目指してる奴なんかは「衰退」を肯定
したくないわな〜。このスレタイを論じるんだったら、文学
なんか興味ないって奴の意見も聞かなきゃなんない。なぜなら
そういう外部の人間の意見こそ、ある意味社会状況を表した真実
だかんな〜。なんか一人必死に「衰退してない」と言い張って理屈つけ
てる奴がいるが、これなんか作家志望だから、現状を肯定したくないだけだろ。
じゃ日本映画は? これ衰退してんだよ。 だから70年代に日活ロマンポルノなん
てのが出てきた。でも映画の存在は無くならない。だから衰退してないというのはとんでも無い。
衰退してんの。活況の時期から転落したんだもん。で、文学も同じく衰退してるわけよ。だってこれも
活況の時期から転落してんだもん。やっぱりテレビ等の影響で70年代にガクッと落ちてそれでおじゃんね。
今の状態は、存在してるけど、徐々に衰退の一途を辿る屍の状態なの。益々ネットにやられていくだろう。じゃんじゃん。
574 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 15:25
>>565 J文学もそうだったけど、ここで語られる衰退のような幻想に怯えて
変な革命モドキが流行る現状こそ問題なんじゃないかと俺は思う。
日本文学の質は低くないんだからもっと胸を張っていればいいのに。
575 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 15:26
>>567 そして文学を理解できないことにコンプレックスを持つような人が集まって衰退衰退と喚くことになるんです。
576 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 15:27
>>569 「わきえろ」って何?
馬鹿方面で流行ってるの?
577 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 15:32
>>570 心の支えねえ(笑)陳腐な表現ですね。なんだかカルチャークラブの文芸講座とか取ってそう。
僕はね、貴方達の根拠なき議論にちゃんと根拠のある反論をしているつもりです。
そちらこそ根拠もなく妄想を続けるだけでいつまで経っても知性の欠片も見せず、
挙句の果てには「心の支え」と来たもんだ。
「明らか」で「実感」があることなら簡単に反論できるはずですよ。何で出来ないのか。
つまり貴方達の思い込みこそ妄想であり、歪んだ願望だからなんです。
わからないものを否定して、自分もわかっている側に入りたいんでしょ?
だったらやるべきことは愚痴の他にあるでしょう。まず読むこと。そして理解しようと努めること。
578 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 15:34
>>571 冷めた面して結局「ただ」死んでゆく奴も何処にでもいるよな。誰の記憶にも残らず後悔しながら死んでゆく奴。
ここはコンビニだから、クール気取ってチャック全開に気づいていないような客がいてもおかしくはない。
579 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 15:42
>>573 何よりもまず、その文章の組み方、自意識の表現の仕方がどうしようもないね。そのセンスは何処から来るの?
また例によって文学以外の話を持ち出しているわけだけど、衰退を作品の質について語るならさ、
ちゃんと作品の内容について言及して「以前以後」の違いを明らかにしなよ。
自分と同じような感覚の持ち主に共感してもらうことだけ狙っているようなそういうセンス、
オタクの同人誌みたいなその意思こそ、やはり衰退しきった精神の典型だと思うよ。
書いていることも何だかエロ週刊誌の文章みたいで中身ないしさ。
ワイドショーじゃねえっつうの。何が「転落してんだもん」だよ。転落してるのおまえの知性だよ。
結局文学の話に何の関係もなく映画批判して終わっちゃった。文字通り馬鹿丸出し。
こんなのばっかだから、衰退派は駄目なんです。
580 :
吾輩は名無しである:04/07/16 18:33
俺が日本文学の息の根をとめてやるよ。短い付合いだったがな。
↑こんなのばっかだから、アンチも衰退派もダメダメなんだ。
感情的になってるやつの戯言にはまったく説得力がないな。
もっとクールな人間に衰退してるかどうか検証してもらいたいね。
日本文学はこれから進化すると思うぞ。 俺がいるからな。
日本文学は発展途上なんだよ。
だからこれ以上衰退するわけがない。
俺が日本文学を変えてみせるさ。
583 :
吾輩は名無しである:04/07/16 18:36
>>581
ご苦労さん。2CHてマジで面白いよ
584 :
吾輩は名無しである:04/07/16 18:37
俺の小説読めや↓
日本の文学には感心したためしがないのだが、
それが衰退したと言われてもピンと来ない。
もともと私にとっては存在してないのと等価だったから。
586 :
吾輩は名無しである:04/07/16 18:45
みなさんに質問です。
文学というジャンルのなかで日本の作品やその中での思想が世界的にどのような評価を受けたのか
そして日本はさておき現在の各国の文学動向はどのように動いているんですか。
教えてください。
アンチも衰退派もなんか必死すぎて笑ってしまうよ。
>C
あんたのレスを読んでみたが、数多くの文学書を読んで、そんなレスしか書けないとは情けない。
自分のレスをもう一度読んでごらん。赤面せずに読めたなら拍手喝采だ。
そんな厨房レベルの文章表現しかできないじゃ、あんたのこれまでの読書経験は無意味だったってことを証明してるようなもんだ。
>585
おれにはあんたが存在してない。
588 :
吾輩は名無しである:04/07/16 19:05
>>588 うーんとね。
これまで日本文学は西洋文学に追いつこうとしてきたわけ。
二葉亭はドストやゴーゴリなんかを真似してたんだし、
漱石だって鴎外だって西洋の遺産に多くを負ってる。
高橋源一郎ってのはブローティガンなんかをパクッてるし、
中上健次がやったことなんかはガルシア=マルケスがとっくにやってた。
日本近代文学は世界文学の物真似できた部分が大きいわけ。
最近になってようやく日本文学は世界文学から自立しようともがいてる。
これから本当の自立した日本文学が始まるわけ。
でね、俺がその第一歩を踏み出すってこと。
590 :
吾輩は名無しである:04/07/16 19:50
最近になってようやく日本文学は世界文学から自立しようともがいてる。
具体的にいうと?
>>最近になってようやく日本文学は世界文学から自立しようともがいてる
どうかなぁ・・・・。
関係ないけど日本文学の「恋愛小説」は昔から私小説のレベルで
終わってて世界文学には届いてないような気がする。大岡昇平の「レイテ
戦記」は名作だけど情事を書いたものはウェット過ぎ(←私見)。
それがまぁ日本的と言えば日本的なんだけどさ(源氏物語もそうね)
>>590 とりあえず質問者はHNつけてくれよ。
うーんと、いいかい。
これまで日本文学は西洋文学に依存してきたわけだし、
追いつこうとしてきたわけ。
最近は追い越そうというところまで意欲が高まってきた。
ただ、いかんせん、まだレベルの違いがある。
それでもがいてるのが今の状態じゃないかね。
ま、サッカー日本代表みたいなもんだ。
そこに俺という救世主FWが現れるってシナリオになってる。
>>これまで日本文学は西洋文学に依存してきたわけだし、
追いつこうとしてきたわけ。
最近は追い越そうというところまで意欲が高まってきた。
もっと親身になってくれると思ったんですが。
解答にもっと奥行きをだしてください。
594 :
吾輩は名無しである:04/07/16 21:01
>>592 >これまで日本文学は西洋文学に依存してきたわけだし、
>追いつこうとしてきたわけ。
>最近は追い越そうというところまで意欲が高まってきた。
>ただ、いかんせん、まだレベルの違いがある。
キミは最近の西洋文学を読んでないんだろうね。最近のもので、キミが言う「レベルの高い」作品を挙げてくれないか?w
昔の良い作品ばかり読んで、「最近は追い越そうとしてる」云々と適当な事を言ってるようにしか聞こえない。
おれにはむしろ「西洋文学」(W が衰退した結果
日本文学にキャッチアップされつつあると見えるのだが。
ところでマルケスって西洋文学なの?
596 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 21:50
>>580 むしろそのくらいのことを書いてほしいもんだ。したり顔でありもしない衰退を語るよりは。
597 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 21:52
>>587 あのさ、まんまと釣られてる君の顔に馬鹿と大書していいかな?
598 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/16 21:54
>>589 中上は日本のフォークナーになりたかったわけで、巷間言われているガルシアぱくり説は
題名が類似している作品が幾つかあるだけで内容としては見当外れもいいとこだよ。ちゃんと作品読んでる?
解説書みたいなの読み漁ってわかった気になっていないか?
>>593 質問にももっと奥行きをだしてくれ。
>>594 推測でものを言うのはやめてくれよ。
挙げてやってもいいけど
まずHNをつけてから質問してくれ。
>>597 ご自由に。
>>598 推測でものを言うのはやめてくれよ。
中上について答えてあげてもいいけど
質問にもっと奥行きをだしてくれ。
質問の仕方によっては明日にでも答えてあげるよ。
うーんとね、これまでみんなはさ、テーゼ(衰退してる)に対して
アンチテーゼ(衰退してない)をああだこうだとわめき散らしてたわけ。
それはね、両者とも同じ土俵で騒いでるだけであってね。
俺はね、進化論という新しいテーゼを打ち出したわけ。わかる?
俺はねみんなみたいに必死じゃないし、ベリークールなわけ。
601 :
吾輩は名無しである:04/07/16 23:26
>>600 なんでもいいけど取り敢えずダーウィンくらい読んでから出直せや
>>進化論者
あなたの言いたいことは
「俺の作品を読んでくれ」につきると思うんだけど、
なにか出版されてますか?
もしそうなら、作品名を教えてください。
まだなら、こんなとこでウダウダいってないで
書きなさい。
ここは創作する人間がいていい場所じゃないよ
それから>進化論者
君が一番あつくなってるようじゃないか?
結構なことだが
>589>592・・・
現に創作している人間とはとても思えない…
つまらん演技に神経つかう暇があるなら
一作でもいいから自分の作品を仕上げることだ。
腹案や構想抱いてうろついても始まらない。
とにかくピリオドを打つ、そこまで逝ってみてはじめて
話もできるというもんだぁな
606 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/17 00:20
>>599 いや、別に期待していないから答えてもらわなくて結構だ。
マルケス『百年の孤独』と中上『千年の愉楽』あたりから
「タイトル似てるじゃん」的に
あまりにも単純に類似性を見出しちゃったんだろうけど、
またそういうことを言う評論家もいるみたいだけど、
むしろマルケス・中上ともにフォークナーに源流があるのだし
その両者には当然、支流として流れ方の違いがある。
その点ではむしろ大江と中上を並べて語るべきなんだよ。
語りたければそこらへんよろしく。
やっぱりこのスレは
「なかなかしっかりとした意見言う人物」と
「雑魚」
に分かれるな〜
雑魚が圧倒的に多いのも仕方がない。
>>607 読む人次第ではないでしょうか。
どんな意見だって読む人の能力次第で幾らでも深く掘り下げて考察できると思いますよ?
>>608 でもキミは具体意見挙げられないだろ?
だから雑魚なんだよ。
>>609 貴方もそうですよ。雑魚なりの意見の大切さってのもあるでしょう。
>>610 馬鹿じゃん。そんなの無いよ。
抽象的意見や妄想ばかりの香具師も一緒や。万人を納得させる具体意見を述べよ。
612 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/17 00:43
僕は金魚がいいですね。出目金とか素敵。黒いやつね。とにかく目立つけどたいして愛されないんだ。そういうのが好き。
>>609 おいらはROM専ですよ
たまに分かりづらいとこを質問したりしますが。
雑魚を自称しているのは掘り下げる能力の欠如を
自覚しているからとご解釈下さい。
Cはあれだよ。一生懸命レスしてる割に伝わんなくて損してんな。
金魚の黒いのとは自己分析できてるな。
でもキミもレス側の方だと、永遠受け身で終わるぜ。キミも衰退してない
具体意見の強力なの、まとめて出してみればいい。
>>611 あなた思想系に昏い方?
有史以来万人を納得させる意見が出されたことなど
いまだかつてありませんよ。
>>615 うざいよ。と言いたいが、そういうのを長くしたのが意見になるのに。
頑張って長い具体意見書いてみろ。そしてから言え。
617 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/17 00:56
もし「衰退しているのだ」という声がそれなりの響き方をすれば僕も共鳴するかもしれない。
でもただのボヤキにしか聞こえない以上、僕も同じようにやりたいと思う。
そもそもコンビニなんだ。服装に気を使う必要はないじゃないか。
それに「衰退していない」ということを単体で証明することは不可能だ。
自然と反論の形になる。アリバイと同じ。
今度、俺もじゃあ、拙い筆でまとめてみようじゃないか。
コンビニとはいい意見だな。俺も現在の全ての状況に対し
そう思ってる。そしてビニールハウスだ。こんな世界から
文学は生まれるか?ま、その辺も含めて今度な。今飲んでる
んでな。俺は現在の文学とやらも出来る限り読んでるんだぜ。
>>615 「人は誰でも確信があるから意見を言うのだ」と言ったのは
確かヘンクマンだったと記憶しますが、
おいらが何も言わない(言えない)のは確信がないからなんですよ。
今回ROM専のくせに出てきたのは、つまらないからといって
簡単に排除しようとするのは止めて欲しいとあなたに言いたかったから。
万人にとってつまらない意見というものはないんですから。
619>616 でお願いします。
でわでわ。
621 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/17 01:13
>>618 読んでいる人が語るなら俺だって真摯に語るよ。期待してるし楽しみだ。
>雑魚
雑魚は雑魚を知るというが本当だな。釣れたのは雑魚だけだったよ(笑
ROM専ではもったいないよ。そういう意見を書き入れてくれればいいのに。
卑下することはない。俺らはほとんどが雑魚同士なんだから。
書いてくれないと展開が生まれない。
荒らしは困るがな。
623 :
吾輩は名無しである:04/07/17 01:24
文学とはすべてからはみ出る、
はみ出ようとするものじゃないのかな?
それしか言えないと思うけど
魚同士の会話、はじめて聞いたよ
金魚はとっても可愛いよ☆
うん。うん。
>>622 それではお言葉に甘えて、確信がないながらも特に最近の流れで思うことを一つ。
衰退派は過去の遺産を全て含めた現在の「文学」が衰退していると言ってるように
見受けられるのに対して、C氏の意見は時代時代で区切ったその時々の「現在の文学」を
比較しようとしていてますね。両者の採用している枠組みが根本的に違うような気がします。
イルカはね、超音波を使って
遠く離れた友達とも楽しそうにお喋りできます。。。
携帯電話も無線もいりません。安上がりですね
629 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/17 01:32
>>623 うん。素敵だ。
ただ三島の最後のようなはみ出し方については「あれはピエロを演じたのだ」と
冷笑するのが正しい態度だと思う。
三島は英雄になりたかった。だけど「英雄」という思想はもはや時代に合わなかった。
悲劇はそのことを三島が知っていたこと。なおかつ「この時代に英雄を志すものは道化となる」
ことを自覚していたこと。
それでも「はみ出そう」としてしまった三島は大好きだ。ただ太宰への批判は取り消せ、三島。
あんたも結局、同じだった。同じように愛され同じように笑われた。
とまあ、酔っているので脈絡ないが、まあ出目金なんだ。許せ。
630 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/17 01:41
>>627 いやそれは強引でしょう。だって衰退論の人は「ドストエフスキーだって読まれないような」
とかそういうレトリック使うわけだ。「ドストエフスキーのような作品はもう生まれない」みたいなことも書くでしょ?
それなのに「遺産も含めた」現在の文学を衰退していると言うのって無理でしょう。筋の通った言論としては。
それってのはドストエフスキー自体の価値と現在の「文学」における評価もしくは状況とを
意図的に混同させたり使い分けている言説なわけですよ。
それは議論の前提として在り得ない。だって、一方ではドストエフスキーを今もある価値として
現代の作品や状況を斬る武器に使いながら、一方では遺産としてのドストエフスキー自体を斬ってしまうんだから。
前提が何処にあるのかって話になる。衰退を言うときの基準になる価値判断は何処にあるのかって話。
僕から見れば衰退論同士がかみ合っていないどころか対立しているんですよ。結構。上の例のようにね。
それなのに意見がぶつからないのは予定調和的なもの、つまり「明らかな実感」という言い訳が用意されているからでしょう。
その「枠組み」をまず整理してくれなければ、こちらとしては各論に持ち込む以外に方法がないんですよ。
文学が衰退してるっていう認識は、ムードとしての話であって
実際「衰退」とは何か、どういう点で「衰退」しているのかっていう話が
このスレ発祥のきっかけではないと思われ。
で、そういうムードは確かにある。きっと何年も前からある。
このムードについてお前らの思うところはどうなんだ。
>>631 その「ムード」を語るなら、
それがどこにあるものかを考える必要がある。
世の中全般に
「文学はもうだめだねぇー、うんうん」
といったムードがあるのかと言えばそうではなく、
文学に対する興味は
「世界の何たらって本が売れてるらしいね」
くらいの認識だというのが実際だろう。
>>630 だから衰退派の意見の多くは他分野との相対的な比較になっているのだと思います。
それにCさんは今の作品も読んで言って欲しいという意見を再三出していますよね?
だから例えば、19世紀の文学と現代文学の比較から何が導き出せるのか、
ということだと理解しておりましたが。
現代のドストエフスキーは19世紀におけるそれより衰退しているのか?
と問い直した方が良いのでしょうか?
と、僭越ながらちょっと問題提起的なことを言わせていただいてROMに戻ります。
>>601 読んだ。
>>602 ウダウダいってんのはあんた。
>>604 アイ・アム・クール。
>>605 仕上げた。
>>606 聞きたくないなら答えてあげないけど、
それこそ評論家なんかがよく使う図式化なんじゃないかな。
俺は俺の感性で意見を言ってるんで、そこんとこヨロシク!
>>607 イエス・サー。
>>608 イエス・サー。
>>615 イエス・サー。
>>617 チョッ、チョッ、チョッ(人差し指を左右に振りながら)
「ただのボヤキにしか聞こえない」のは耳にも責任があるかもよ。
もっと広いクールな心で受け止めてあげればいいのに。
そう、俺みたいにね。
>>618 期待してる。
>>619 確信がないことも自由に書こうよ。
ここは論文発表の場でも何でもないんだぜ。
【進化論者の名言その1】
自分の意見だけを主張して自由に書くことを制限しようとするのはナンセンス。
>>623 俺ははみ出してる。
>>624 俺も。でも面白かったよ。
おやおや、みんなちょっとはクールになったじゃないか。
俺はね、「衰退してる」って人の意見も「衰退してない」って人の意見も、
その人のひとつの見方として聞こうと思うし、尊重しようと思うよ。
両派に言いたいのはね、先入見を捨てて、相手の欠点ばかりを突くんじゃなく、
相手のいいところも読んであげようよ、ということなわけ。
自分の意見を押し付けようとするのはやめようよ、ということなわけ。
俺の意見だっていいとこはあるんだから、そこを読んでね。
小説形式は海外からの輸入で、
>>589みたいなことが起こり、
同時にそれは西洋風の自意識や思想の輸入でもあった。
小説を読んだ人はそれを内化し、新しい自我を発見するなどあって文学には特権的な立場が与えられた。
しばらくは、作家が作品で描いたテーマは多くの人に内化される状態が出来上がり、
文学が社会を変え得るという蜜月時代が続く。
その状態が終わってしまったのは、いくつか理由があるでしょうが
西洋化への限界や疑問があって、幻想が破れてしまっているにもかかわらず
作品と実際の差異が広がっていることを意図的にか無視していたことが大きいと思います。
しかし、それは文学をかなり政治的なモノと捉えすぎかもしれず、
芸術としての小説は営々粛々と書きつづけられるだけ、とすれば衰退など無く、
むしろ常態に戻ったのではないかとも言える…と。
個人的には
>>474のレスでかなりすっきりした感じがする。
頂上期からすれば、文学の立場は落ちぶれたと感じるだろうし、
妙に開かれてしまった文壇が水増ししてしまった部分が淘汰されているのだと見ることも可能。
638 :
タバスコ ◆ZBIi5OJ.UY :04/07/17 18:04
>>496 で、文学の衰退=文学部の衰退、と書いたんだけどレスがつかなくてがっかり・・・。
思うに、みんな「文学」を自明の前提としているようだけど、結構制度的だよ。
文学部の増加(大衆化)という社会制度と連携して、一般人に「文学」なるものが普及していった。
イーグルトンによると、イギリスでは
また、文学は、徐々に力をたくわえつつあったがまだ精神的に粗野な中産階級を、支配階級である貴族と融和させる必要から、
礼儀にかなった社交上の作法、「適正なる」趣味にのっとった習慣、共通の文化規矩などを、
国民の間に普及するのにうってつけの手段として、新たな重要性を帯びるようになったのである。
(「文学とは何か」 p29より引用)
これは日本でも同じでしょ。
その結果、例えば源氏が読まれていたのは上流階級の間だったのに、明治以降、文学部の発達と共に大衆に広まった。
近代なら、例えば漱石の『猫』なんて最初は数人の仲間内だけに発表されていだけだった。文学部の発達と共にそれが「教養」に成り上がり、「文学」となっていった。
ところが、日本ではイギリスほどに階級分化がなく、経済成長が終わって一億層中流になってしまうと、上から下への教化は不要になった。
そこで文学部は廃れ、同時に「文学部の権威」によって流布されていた「文学」も衰退することになった。
だから「文学はなぜ衰退するのか?」という質問に答えるならば、
そもそも明治から昭和の終わりまでが文学(=文学部)のバブル期だったのであり、見かけ以上に評価されていただけだった。
それゆえ、「文学の衰退」は実は「文学の最適化の途上」なのだ。(と思う)
>>638への自己レス
>見かけ以上に評価されていただけだった。
これは日本語として変かな。
「実力以上に評価されていただけだった。」が正しい。
どっちかっていうとCさんの議論に納得するってか共感する面は多いんだけど、
そもそもなぜ「文学の衰退」なんってものが言われるようになってきたのかについて、
誤解があると思う。別に売れなくなってきたとかそういう理由で始まったわけではない。
最初にもはや文学を成立不可能だ、役目は終わったという一派が出てきて、それが
「あぁそうか、最近売れないからなぁ」とかって誤解されてなんか流布してしまった。
で、ふざけんなそんな理由で文学は滅びん。って反論は当然起こるし、反論されたほうはもともとの理由知らんから何も答えられず、
消えてまた忘れられ別の誰かがまた言い出す。
そんな流れとは関係ない。ヘーゲルが、科学と違いなぜか哲学の領域では
素人が「常識によって」分かると勘違いしているって痛烈に罵倒しているが。
文学も同じ。常識なんてもので評価できない積み重ねられてきたものって確実に存在する。
少なくとも何で衰退しているのかと問うまえに、もはや万人に共通に「文学」ってものが存在するとは
誰も信じられない時代になっている。だから文学衰退論の起源を知らない人にとって文学が死んでいるはずはないが、
そのような文学は生き延びつづけるが、それに非を唱える気はないです。そんな権利もないです。
でも逆に、かつては何かしら理想としてあった「文学」という概念は単一のものでなくなったにもかかわらず、
あなたの考える「文学」(それはそれで正しい)を一般化する根拠は?
衰退論に触れずにそれが間違っていると断定してしまうのは何故?
ここまでの流れ見てると、はじめの衰退論にあんま触れてなさげだけど・・・
>>519 かつては共有されていたけど、いまは共有されていないと言う
「文学」の概念を教えてください
>>642 かつては文学の理想があるって考えられていたけど、
そういう万人に通用する絶対的なもの、超感性的なものが説得力を失った、
みたいな意味です。
その「文学」の概念を追い求めようとしていた時代ってのは確かにあったが、
現代においては642さんにしても、
なにか「文学」という概念を語ることにに胡散臭さを感じているのでは?
644 :
吾輩は名無しである:04/07/18 03:30
>519
新しい概念というのは出始めが最も胡散臭いように思うのですが?
時代を遡れば遡るほど共有性が高くなるという考えには直ちに首肯
できないものを感じます。
文学の何たるかにコンセンサスが得られたことが一度でもあったでしょうか?
>>638 タバスコ ◆ZBIi5OJ.UYさん
似たような内容の本読んだことあります。
アメリカの文学界では最近テーマになっているようですね。
そこではそもそも経済学と政治学、社会学を分ける理由は全くなく、
単に大学学部内の縄張り争いの産物であり、今後は否応なくジャンルミックスされていくだろう
という趣旨でした。
ただ、昨今のアメリカの新人作家は皆大学の創作コース出である例が増えているらしく、
出身大学による注目はされても、大学での創作科育ちという印象を受けることは少ない日本では
文学=文学部の図式はそのまま当てはまるのかな、との感想を抱きました。
まだまだ日本では個人の才能神話が残ってるような気がします。
大塚英志なんかそれ壊そうとしてるみたいですが。
論旨少しずれたかも知れませんが、そのあたりどう思われましたか?
個人的にはあんまし文学部の人が利得がらみで?文学の危機を演出してるとまでは思いません。
むしろ逆に仕事減る気がしますが・・
>>644 かぶりましたね。もちろん文学の何たるかにコンセンサスが得られたこと
なんてないです。しかし、いつかコンセンサスが得られると考えられていた、
とは思いませんか?かつて科学は真理に辿り着けると思われていたように。
ヘーゲルが絶対知と呼んだように。
その様な絶対知が恣意的な、無根拠だって言われはじめたのが前世紀なのでは。
647 :
吾輩は名無しである:04/07/18 03:46
なるほど、何かの理想的な状態、或いは何かの至高の状態を志向することが
文学である、というわけですね。わかりました。
細かいこと言うと、「A=Bである」みたいに主語と述語が一致するのって、
やっぱり絶対的なものが前提されにゃならんって意味で、「〜は文学である」
という言い方は同じ理由で現代には不可能なんじゃないかなぁなどと蛇足をば。
ほんとにただの蛇足ですが。
649 :
吾輩は名無しである:04/07/18 04:56
>>648 絶対的な前提がないとダメなら
言語によるコミュニケーションも今のところ成立不可能ですね。
相対主義を頭から否定する気はありませんが。
いやいやそれは量子論とニュートン力学みたいなもので。
ボール投げたらトンネル効果で地球突き抜けたってことは起こらんようなものです。
「〜は文学」って言ったときにこぼれるものがあるっていうのが量子論。
もしこぼれないとするならなんか絶対的なもんがいるんじゃ?と。
普段のコミュニケーションも完全には成立しないけど古典力学で十分だろうとか
個人的には思っていたり。まぁ痛いところでキルケゴールなんか「命がけの飛躍」とか言ってますね。
>>536,540
道徳が19世紀の産物だってのはその通り。
しかし、絶対的なものが疑われるまでは道徳=神に対して。
倫理はあとから内面に関するものとして厳然と区別されていたのは事実といえるかと。
それが今は混用されているってことが文学と似ているかなと思った次第。
その混用でそれこそ起源が隠蔽され「産物」となる。
また、物語とテクスト改変を対立させたんでなく、
「物語を背負った作者」と「テクスト改変」を対立させたつもりです。
どちらも作者の無根拠性を隠蔽する手段として使われるという意味で比較できるかと。
あとなんだかんだで文学衰退論に組してますが、私は文学愛してますよ?
小説なんぞ気安く書けるかってとこから出発した作家の作品って決して退屈ではないし。
つーかこんな事考えるか?ってくらいアクロバチックだったりやりすぎてたり失敗してたり楽しいし。
少なくともそれで小説が詰まらなくなることはないと思うので(多分)
そういった文学理論読むのも楽しいかと。いや、なるかも知らんけど。
基本的に文学から遠い世界の住人なんで批評は小説の可能性増すためにあるんだと思っております。
うだうだ書き込んでしまった・・・
目障りだったらごめんなさい
>>652 いやいや、いいこと書いてると思うよ。
「文学」の意味が拡散している。とまとめていいのかな?
個人的には、幻想が幻想であることがわかってきた。
と思う。
>>535 >柄谷って生で見たことある?
俺はないよー。その口ぶりからすると、生で見たことがあるようだね。
>あの対談、まだ読んでないんだよね。
柄谷は、あの対談で、福田の新著「イデオロギーズ」を、「テクノロジー」を
主題とした書物と評していたね、確か。近代芸術一般は、テクノロジーに
対して、テクノロジーの進歩を土台とする進歩の価値に対して、対抗的な
価値を一般的に担ってきた。「文学の終焉」をいう言説は「テクノロジーの
勝利」をいう言説と表裏一体のものだ。柄谷だったら、ジュブナイルもラノベも
一緒くたにして、テクノロジーの産物であるとみなすに違いない。
柄谷の考え方を、もっと推し進めれば、文学はテクノロジーに従属する
という命題にいきつく。文学を「衰退」から救い出すためには、この命題を
否定し、文学の相対的自立性を確保しなければならない…これも凡庸な
戦術であるが、文学市場で流通している言説が、ほとんど「終焉」を
言い立てるものばかりであるなら、相対的な価値はある。では「文学の
自立性」とは何ぞや…となるわけだが、この先はまだ見通しがきかんね。
655 :
吾輩は名無しである:04/07/18 21:16
下品なスレですね
文学はなぜ衰退するのか?
ただ大衆のニーズに合わせてるだけなんじゃない?
今の時代、小難しい本をパンピーは読まんでしょ
学校の教科書に安部公房とかあるのに
教師は飛ばすんだよな
>>653 んですな。意味が拡散してるけど意味を統一する根拠が失われている。
衰退論者は「こうしてああしてああなってこうだから衰退してんだよっ」
って言いたいけどそれを「断定」すると「なんでそんなん言い切れんの?」
ってやっぱり自分のよって立つ無根拠性にぶつかるから黙る。
作者と同じ問題抱え込むことになってしまうと。
この黙りっぷり+拡散っぷりによって反衰退論は生き延びる。
ところで650のキルケゴールはクリプキの間違いでした。
>>648-651 >>637で書いたように少し政治的な道具性に振れすぎてやしないかと思ったけど…
神もヘーゲル流の絶対知も突き詰めていけばきりが無く、
A=Bの不確実性をサルトルのように現象学的に全てを括弧に入れてしまうか、
バルトのようにテクストそれ自体を遊戯の対象とするか…
最近(でもないか)では内容より、作者の無根拠性とか視点と人称とか、
絵より額縁をあれこれして、なんとか根拠を確保しようとしているような。
今のところは、メタ文学、メタフィクションの方向への風が強いかなあ。
アメリカはかなりはっきりこっちかなあ。あまり読んでないけど。
言語でのコミュニケーションが不可能なんじゃないかと言うけど、
それが浮き彫りになるようなものこそ文学作品の独自性にできるのでは?
人は言葉じゃ分かり合えないとか陳腐にも直接言ってしまうのではなく。
「文学的なモノ」の想定って、むしろ一般の人の方が強くあるんじゃないか。
境界上の作家が一斉にミステリのガジェットを借りた作品を出したが、
それはブームだけではないように思われる。
「殺人」「暴力」「性の問題」「麻薬」「自殺」とか文学的と思われてる題材があって、
それを過不足無く詰め込める形式として要請されたのではないか。
例えば幻冬社の作品ってどれもそんな感じでしょ。
ラノベとか、それが周辺のその他のジャンルに浸透してる。
と、こんなことを書いたのは舞城の話が出たからだったりするが、
彼が文学側とラノベ側に評価が綱引きのようになってるのはその辺が原因かなあと。
この板にいると
>>656のようなレベルでの衰退なんかもう別にいいか、
選民思想と呼ばれようと、判る人だけの間でやってりゃいいかもって思うときがある。
文学が皆に共有されるというのも幻想と気付かされたし。
>>659さん
せっかくですから少し反論します。
一応ヘーゲルの絶対知、神はつきつめても今の時代には
「無根拠性」によって突き崩される以上、語る前提には出来ません。
コミュニケーションが不可能なんじゃないかというのは別の人ので一応答えたつもり。
この辺のは余談なんで必ずしも議論と関係ないっす。多少あるけど。
現象学的に括弧に入れるってのはそれこそ古典論で見ることによる解決ですね。
あくまで、「無根拠性」(量子論)を隠蔽するのみ。
仰るとおり内容より形式(額縁とされていますね)に仕掛けを作るのは広く行なわれ、
上ではそれを「テクスト改変」としました。でも内容からのアプローチもあって。
それに根拠を求めるのは簡単。語ることがあればいい。「物語を背負った作者」です。
この物語は迫害でもいいし、知識でも感性でもいい。しかしそれらが情報として氾濫しうる時代には、
全てそれこそテクノロジー、技術の問題になってしまう。
大体337さんと方向性は同じだと思うんだけど、政治性云々あてはまるでしょうか?
個人的には文学衰退論には様々な面があって。政治的な役割としての終焉も重要なテーマと思うけど。
なるべくここでは立ち入らないようにしたつもりなんだけど。
あと最後のとこはあくまで高らかに反対してみます。衰退なんかどうでもよくても、
選民という根拠を持ち込んでしまえば、やはり隠蔽に手を貸すことになりませんか?
仮に分からない人に指摘されなかろうが。だからこそ否応なく文学衰退論に私は与します。
言語によるコミュニケーションは非常にうまくいっていますよ。
ただ共有されているという保証がどこにもないだけで。
かつては「文学の理想」が共有されていたという519氏の考えが
C氏言うところの「実感」の域を出ないものではないという保証も
今のところ示されていないようです。
えぇと・・・
個人的には650で答えたつもりだったり。
共有されているという保証。
んなもんないというのには諸手をあげて賛成。それは最低限疑うべきもの。
が、ニュートン力学はある程度有効だぞっと。
ダメですか?あんまり649さんと言ってることは違わないと思うんですが・・・
ごめんなさい。
いくつか上の現象学=古典論は機能にてるけどイメージ違うんで忘れてください。
ていうか519さんのメタファが共有できない・・・。
出直してきます。
古典力学では空間は無限分割できるって前提があって、
量子論では最小単位がある。で、結果不確定性定理ってもんが出てくる。
有名な位置と速度を同時に決定できないというやつ。
で、今の時代には万人に共通の根拠は失われていて。
言語によるコミュニケーションも完全には成り立たない。
だけど上手くいっている。
それはマクロな事象なら古典力学で対応できるという程度の意味にあたる。
残念ながら数式でなくこうして量子論を語ることも、対象からこぼれるものはいっぱいあるわけで。
しかし、ここで衰退論の議論を全て語れない以上、実感のある概念を使うしかないが、
同じ論理でその概念はこぼれるものを持つ。あくまで古典論に過ぎませんぞと常に言わざるを得ず。
という感じなんですが、分かりにくかったらすいません・・・
666 :
アレすっと照れるす:04/07/19 06:20
あんたらスコラ学徒だろ。オラ逍遥派だ。
667 :
森林・太郎:04/07/19 06:31
文学は衰退なんてしてねえよ。わからない者1265人に聞いてもらうんなら、わかる人
13人に聴いてもらいたいってマーラーは昔言ったけど、それとおんなじだよ。モー娘が
売れ、ユーミンが売れ、サザンが売れるということのほうが衰退してんじゃねえか? 世
の中みんな馬鹿ばかりなんだぞ? だとしたらそんな馬鹿にただ読まれ、すぐ忘れ去られ
てしまうようなものが128万7千2百54部売れたところで、マンセーでもなんでもね
えだろ。読んでくれてる人は読んでくれてるよ。
このスレにまとめ係はいないかなー。
最近レスが早くてついていけんです。
>>667 馬鹿の壁が売れるんだから
やっぱり衰退してるよ
あれは哲学か
バカの壁なんて本が300万部以上売れてるなんて本当に異常。
300万人の間に壁がないはずがないだろうに。
バカの壁読んで共感してる奴がバカなんだよなw
養老猛の壮大な釣り
上の方で誰かが書いてたけど、社会的影響力が無くなったでしょ。
やっぱ衰退なんでないかい?(変な文になてしまいしたアレ〜)
つまんないから
ちょっと待て!
ループしてるぞ
↑田原ソウタロウのつもり
676 :
吾輩は名無しである:04/07/20 17:08
上の方読んでから書き込もうよ...
677 :
吾輩は名無しである:04/07/20 19:09
>>654 おとといの朝日新聞の「自作再見」で柄谷がまた吼えてたよ。
『日本近代文学の起源』を読み直して「近代文学の終り」を再認識したとか。
柄谷は現代の小林秀雄的な存在を意識でもしているのだろうか?
それにしても、たしかに最近は「文学の終り」という言葉が目に付く。
既出のようだけど最新の早稲田文学もそうだしね。
678 :
まんこあげ ◆R2CHUSngy6 :04/07/20 19:31
スレ違いかもしれませんが、論文の書き方を教えて
もらえるようなスレはどこにあるのか質問させてください。
よろしくお願いします。
679 :
吾輩は名無しである:04/07/20 23:31
いつものことだが、Cがいない方がおもしろいな。
「文学は終った祭」で評論家一同一稼ぎ、というところでしょう。
デパートのセールみたいなもの。釣られてやりますか。
それにしても近代文学ってまだ続いてたのか。
驚くよな。
681 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/21 00:56
前に少し書いたけれど「近代の超克」という話ならかなり昔から出てて
おそらく文学以外のジャンルでは「近代」が超克されている部分もある。
で、「文学」というのはかなり遅れてるジャンルかもしれない。
思想の世界では「近代」どころか「ポストモダン」さえも終ってる面も。
もちろん、これらはすべて「言説」としての話、ではあるのだけども。
「近代の超克」や「文学の終り」という言説自体が矢部氏のいうように、
「文学」という囲いの中で何度も繰り返されてきたものならば、
わたしが書いたように、その「言説」自体も「文学」として受け止めることも可。
とすれば、「文学の終り」を語ることは文学の延命にとって必要かもしれない。
後藤明生ならこう言うかもしれないよ。
文学とは「愛」と「憎しみ」という二つの中心を持つ楕円構造の「運動」だと。
「文学が終わった」とか「衰退した」
の「文学」っと「近代文学」のことをいってたの?
近代って終わってるから近代じゃないの?
683 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/21 01:06
>>682 いろいろな歴史観があるわけだけどね。
一応わたしが叩き台として提出したのは柄谷的視点。
それが妥当かどうかは問わないとして。
>>683 柄谷を読んでいないから、ピントがずれてるかもしれないけど
このスレから得た知識では
勝手に「近代文学とはこうなんじゃ」と定義して
また勝手に「近代文学は死んだんじゃ」と騒いでいる人たちがいるだけのような。
レトリックをおもちゃにしている?
なんか創作の現場とは関係ない気がします
685 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/21 01:24
>>684 「創作の現場」つまり「作家」にとっては、ということだね。
実は「衰退の言説」はこれまでにも作家側からも出されている。
一例を難波氏の意見と重なりあわせる形で次に出してみる。
686 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/21 01:25
難波氏がいう「純文学(*1)の衰退」については1980年代にもそういう言説があって、
ジャーナリズムや批評家からだけでなく小説家からもそういう意見が出た。
具体例を挙げると、河野多恵子は村上春樹に苦言を呈す形で、
頭が悪いわけではなさそうなのに文章力がないという主旨の発言をした。
ただ、「純文学の衰退を滅亡へのプロセスとは考えない。一時期の現象」として、
現在の「衰退」が文学の本質に関わるものではないとしている。
ただ、「純文学の衰退」の傾向に対して、危機感を表明した形だろうと思う。
河野にとって春樹の文学はマス文化、サブカルに汚染されたものに映ったのだろう。
*註1
ここでの「純文学」というのは、ごく簡単に言えばいわゆる「硬派」の「マジメ」な文学で、
純文学の作品には作者の人格や思想が投影されている(と考えられてきたもの)。
「軟派」で「アソビ」の要素が強い「エンタメ」の対義語として使われることが多い。
687 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/21 01:41
もちろん「文学」の本質が先行するジャンルを取り込むもので、
「文学」は自らを絶えずはみ出してゆく「運動」だと考えるならば、
686で書いた河野=難波的意見というのがどこまで有効であるかは不明。
実際に、上記の河野に対して加藤典洋なんかは、マス文化、サブカルの圧勢に対し、
純文学のように人間の内部の孤独で対抗しようというのは自己欺瞞にほかならない
そのような段階にまで、もう人間内部の社会化ともいうべきものは進行しているのだ
というように語っている。つまり、これまでの純文学の殻に閉じこもっていては、
現代の読者にとってアクチュアルなものにならないとしているわけだね。
ジミヘンが尾崎豊を聴いて
「このなのロックじゃねえ」っていうようなもんかな?
>>687 ところで、そこで言われている「純文学」って日本独特の「文学」ではないですか?
私小説?
私小説が衰退している?
それなら反対しないかもしれない
690 :
吾輩は名無しである:04/07/21 01:46
一票の格差なんていわれる時代には、バカでも楽しめるものが主流に
なるんだろ。
それでいいんじゃないの。文学が思想的に主流を形成できないからといって
なんら恥じることはない。
691 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/21 01:53
>>689 そう。「日本」という限定付だね。
日本近代文学という括り方は二葉亭からの「近代小説」が主流として見られ、
「純文学」なるものが中心とされてきたわけだよね。
しかし「近代小説」というものも進化論者が書いていたように、
たしかに〈和魂洋才〉という西洋の影響を受けながらの分裂した形、
あるいは「和魂」と「洋才」という二つの中心を持つ楕円として生まれ、
それがさらに戦後のアメリカナイズドによってもう一度加速されたといえる。
ただ、わたしが主張したいのは「衰退論」ではなく、
「衰退についての言説」をもっと取り上げたらどうかということ。
これまで作家や批評家やジャーナリズムが「衰退」を語ってきたか、
そして今なぜまた「衰退」が語られているのか、という視点。
今日はこのへんで。
>>687 加藤典洋が正しいとすれば、現代こそ日本近代文学を受け入れる
基盤が最も整った時代だということになると思いますが。
694 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/22 00:29
>>693 そこがポイントだと思う。日本近代文学というものをどう括るのか、という点が。
加藤典洋がいうように
>純文学のように人間の内部の孤独で対抗しようというのは自己欺瞞にほかならない
>そのような段階にまで、もう人間内部の社会化ともいうべきものは進行しているのだ
という視点が的確なものだとすれば、
現代の読者に向けてどう書くか、という問題に対して、さてどう考えるか・・・
695 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/22 00:31
@日本近代文学、つまり純文学的な近代小説の殻を破る必要がある、という意見(ex.加藤)
A日本近代文学はもはや目的を果たした(=見失った)のだから終わったのだ、という意見(ex.柄谷)
B非純文学的に映るものも、現代の「純文学」といえるのではないか、という意見
C純文学は廃れてもいい。小説にはそれ以外の要素もあるから、という意見
D純文学とか近代という枠組みをはずして「文学」の本質を考えたい、という意見
E純文学にも元から不純なものは混じっていたはずで、変質してない、という意見
F純文学的なものと非純文学的なものは通底してるし連続性がある、という意見
G文学は純文学的なものと非純文学的なものの両極が必要だ、という意見
H純文学なものはまだかろうじて残っている、マイナーでいいんだ、という意見
いろいろ意見はあると思う。↑は多少重複してるかもしれんけど、まあ大目に見てくれ。
そしてもうひとつ別の意見は、実は既に矢部氏によって提出されているけど、
それは先送りしておこう。
696 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/22 00:40
697 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/22 00:41
337氏はややH寄りに「文学は少数派のためのものでいい」という意見だったと思う。
523氏は「衰退でも進化でもなく変化だ」といい、ややF寄りの視点で語っていたと思う。
519氏の視点で見てみる。
>純文学の定義を変えていくことで文学をいくらでも延命させることが出来る。
>が、もはやそれは少しずつ別のものにならざるを得ない。
>問題は解決してないから何年か毎に周期的に同じ話題が繰り返される。
ここにはやはり「純文学」という既存の定義を尊重するならば、
現在はこれまでの「純文学」とは違う「別のもの」になっているのではないか、
という視点があり、柄谷流にいえば
>文学はテクノロジーに従属するという命題にいきつく。
ということも言われていた。
ここでの、柄谷流の「テクノロジーに従属する」文学というのは
河野がいう「マス文化、サブカルに汚染された」文学と似通っていて、
どちらも現代の文学が受け身になっているという指摘がある。
>あんの氏
(飲んだんで)簡単な説明で申し訳ないが、俺はこう思うんですが。
僕の意見では純文学衰退。そうです。
というか、そう、村上春樹が簡単な文章でサラリと書くように、作家の
難しい文体が敬遠され、文体が簡素化され、まあ読みやすいの第一、の
ような傾向になったのを、俺は言いたかったんです。
これをして「新しい純文学」というのなら都合のいい表現ですが、俺と
しては、形を変えたのなら、もう純文学ではなく、純文学は消滅で、他の
違う物に変わった、と表現してもらいたいんですがね。
例えば、芥川賞の最年少コンビのも軽いけど、その前の「しょっぱいドラ
イブ」なんてのも文章として凄く軽い。
こういう軽いのを主流にするのは時代の流れで仕方がないにしても、誰でも
書ける文章になるんだから、質や技術は劣化するし、「文学」の権威を落とし
かねないでしょ。どうです? 松本清張って「文学」じゃないと俺は思って
て、じゃテレビドラマの台本が「文学」って言われたらどうなるのか?
赤川次郎も文学じゃなくて、俺からしたら「活字を使った媒体」なんだよね。
だから、まあ、俺が言いたいのは、二葉からの流れの「学問に近い文学」
或いは「芸術たりえる文学」が消滅するようでは、衰退傾向と言わざるを
得ないという事っす。C氏の論点とはおそらくかみ合わないでしょう。
が、俺は以上のような事が言いたいんです。
>>698 >>695 のように多様な意見がでて収拾がつかない原因になっているのは
「文学」あるいは「純文学」の定義にあると思うのですが、
どうでしょう?
つまり「純文学」なるものを定義しておいて
「純文学こそが文学じゃ」と言ってしまうことこそが原因。
文章表現が多様化する現状とはあきらかに整合性がとれない。
無限の可能性がある文章による表現様式の一部を切り取って
「これこそが文学である」と言っている。
「文学が衰退」ではなく「文学の定義が現状とあわない」では?
>699
それについてはホントそうだ。ミステリーなどを含めると、BOOKSの売り上げ
もそこそこに行ってると思う。
ただ、俺自身の意見では、大学に文学部とあるように、文学といったら純文学
を指すと思うのだ。で、その「文学」の核となる純文学が消滅しつつある事が
すなわち、文学雑誌などでも問われてる「文学衰退」になるんではなかろうか。
>>700 文学部は純文学だけを研究しているわけではない
>701
そうか。じゃ、定義してよ。これで今日は寝る。
703 :
吾輩は名無しである:04/07/22 02:07
文学部 = いじめられっこ集合体
704 :
吾輩は名無しである:04/07/22 02:09
文学が衰退しているんやなくて、
お前の脳が衰退してるのです。これマジです。
705 :
吾輩は名無しである:04/07/22 02:13
頭の固い意見ばっか・・これだから文学部の輩きらいやねん。
町田康を読んで、もっと勉強して下さい。
いっとくが、町田康は純文学だからな。
あんのさん
一つ言わせてもらえば、日本の小説に限る理由が無いです。
いや、あくまで二次的です。
ムードとしての衰退論なんかどうでもいいんです。
30〜40年前から出てきている、もはや小説が不可能になった。
役目を果たした(果たせなくなった)という議論。
それを単純化して伝えるために柄谷なんかは役目という点から触れているだけです。
それを鵜呑みにしてそんだけ批判すればそれはどんな議論も成り立ちます。
一応、自分も文学の定義に関する物語を上に書いてますが。
それもどうでもよくって。
要は文学はもはや不可能では?という議論があった。
それであぁそうかってムードとしての衰退論とムードとしての擁護論が出てきた。
最初の議論については誰も言ってないけど、なのにその2次的なものだけで
衰退論者、擁護者に分けるのは違和感あるってのが言いたいことです。
あなたの意見には異論もありますが、意見の出し方、まとめ方には共感しました。
>686
村上春樹の事が出ていたので、衰退のテーマと少しそれるが、俺なりの見方を書き
たい。春樹は、戦略化としての頭も持ってる、したたかな商売人作家だと思うのだ。
もし、春樹がタイムスリップして大正時代に行き、小説を書いて生計を立てていくと
したら、文章も難しい用語を織り交ぜたり、強固なものを書いてくんじゃないかと
思う。内容も違って、なかなか女となんか寝ない。悲恋物を書いたりする。ノルウエー
の森なんか書いたら絶対売れるわけがないんだから。
つまり、春樹という作家は「その時代の読者が、どういうものを読みたがるか」を鋭く
掴んで旨く適応させて書いてる人物、と俺は思ってる。そこからわかるのは、現代の
読者達は難しいお堅い純文学は読まない、という事。軽く砕いたソフトタッチの文章
しか(大勢には)読まれなくなっている、と春樹が判断して、その通り実行して、そして
沢山売る事に成功してるんだろう。だから、まあそれが「新しい純文学」かもしれない。
(その「新しい純文学」という言葉には嫌悪感があるが)
春樹が商売思考なのは「アンダーグラウンド」とか「シドニー」とか、時事テーマの
おいしい所取りにまで触手を伸ばしてる事でわかるだろう。
一方、島田雅彦は、一連の二葉亭からの純文学の流れに拘りながら模索するあまり、どつぼ
にはまり売れないで藻掻いている可哀想な例だろう。二葉亭、芥川、谷崎、三島らの流れ
では売れない、消滅寸前、という事は春樹と島田で証明してる、とやや強引だが、意味してる
事がそれなりにわかってもらえれば嬉しい。
>707
外国文学の、新たに翻訳出版されるのは「純文学系」は非常に少ない、つまり
売れない、という記事を見た事がある。
「純文学」なんて、もともと売れないものでは?
定義次第だけど
いくらノウガキたれても、新しいものを求められてないからダメだって。
衰退っていうか元々ダメなんだよ。
心配しなくても、誰も文学って枠組みからなにか新しいものが生まれてくるなんて期待してないって。
もしそうじゃないって思うんなら自分でやれよ。
713 :
吾輩は名無しである:04/07/22 21:23
>>712 ごめんなさいマジ意味わからないです。
いつ・誰が・どこで・どうやって・何をしたか、という情報を適宜織り交ぜながら
もう一度お願いします。
714 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/22 22:04
いや、結局難波さんの意見はやっぱりおかしいんだよな。っていうか芸術ってものが不明なまま。
だって、いわゆる文語体の時代もあったわけですよ。それを口語体に変換していった時代も。
口語体に対して文語体の作家達は難波さんと全く同じようなことで批判した。
でも難波さんの支持する「純文学」はどうも口語体小説を指している。
じゃあ文語体まで戻るべきなんじゃないですか?
簡潔だから純文学ではないみたいな定義なのだとしたら。
僕にはそういう安直な判断こそが芸術から遠ざかった型どおりな発想に見える。
芸術って見た目の難解や安易に影響されないもっと本質的な部分の話でしょ?
その一番難しい部分の見極めができないから形式的な部分とか
わかりやすいテーマみたいな方向に話が流れる。
やっぱり味わえない奴が味わおうとしているだけのように僕には感じられる。
>>714 そういうことを俺も思わないでもないけど、文体の話なら難波もそう書くと思うんだよね。
だって言語の変化なんて当たり前の前提、言うまでもないじゃん。
なんか、こう、技術の継承みたいなことが言いたいんじゃないの?好意的に解釈すれば。
716 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/22 22:23
>>715 俺は綿矢りさの小説は好きじゃないけど在る意味伝統的な文章に凝った小説だと思うよ。
あれって中身を読むと時代性に左右されていないじゃん。
ツールとしてネットなんかも出てくるから一見、非常に軽い現代的な小説に見えるけど、
ネットを文通に変えたりなんかすればそのまま通用するし、
その上で口語体を文語体に変えてみれば
明治期の小説に見えるんじゃないかな。
レトリックの部分ではむしろ非常に凝っているし、誰にでも書けるものじゃないと思うよ。
金原ひとみのほうは文章構成にも失敗しているし、内面的な部分を描ききれていないように思う。
センセーショナルっていう観点では金原のほうが上なのに(つまり表面的にはこちらのほうが売れそうなのに)
売れ行きが劣るのはちゃんと中身も評価されているから、と考えたっていいんじゃないかな。
俺はああいう小説がベストだとは思わないけど、
でもあれがどうしようもなくくだらないとは全く思っていないよ。
>>716 たしかにちょっと好意的になりにくいところもあるんだけどさ。
>>698に「誰でも書ける」ってあるよね。
こんなの芸術じゃねえ誰(俺)でもできる、
って・・・芸術論とかここでの衰退論ってそういう話なのか?
とかは思うよね。
まあ続きは難波とやってよ。
718 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/22 22:39
>>717 そういうことなら最後に。建設的に意見を言うなら
「誰でも書ける」と本当に思う人が書いて応募したらいいんですよ。
で芥川賞取って、認められた後に
本当はこういうものが書きたかったと言って自分の信じるものを書けばいい。
でも僕はまず「誰でも書ける」つもりのものをそういう人達は書けないと思う。
書いてみればいいんです。
このスレに久々に来たのだか、前の意見もほとんど読まないで申し訳ないのであるが、
果たして文学と言われるものが人に与える事が出来たのはなんだったのか?
その疑問が少しも氷解していない事をのみ知るのであった。
文学は個々人の悩みを深くした。なーるほど人間てこういうものか、、などと感じさせた
のであるが、果たして文学の人間に対して処方した建設的な部分とは何だったのか、
つまりないよりもあった事でいかに人間の意識を推進したのか、或いは言い方を
変えれば単に人間であるものを、それを超えようとする可能性を見せてくれたのか、
どうにも問題は私の中では集約する方向には行かずに延々と拡散するばかりなのである。
720 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/23 00:09
>>698 難波氏の視点は純文学支持派からの衰退説の王道路線にあると思いますよ。
先に挙げたように、80年代に河野が春樹を批判したのと前後して、
源一郎や島田にも似たような批判がなされてもいたようだし、
90年代にも、そして現在も(福田和也など)そんな批判は繰り返されてる。
おそらく日本文学のヴェクトルは確かに軽くなってると思う。
ただ、春樹に対して難波氏自身が書いているように、
現代の読者にあえてそういう軽さを用いているのかもしれない、という面もある。
ただ、大江なんかも大岡や武田などの戦後文学者を評価しながら、
「政治」や「生命」というものをテーマにしない現代の「軽さ」を危惧したりもしてた。
「純文学」というものを書店で最も手早く説明するとすれば、
講談社文芸文庫の棚を指し、「このへんが純文学」といえると思うけど、
そのラインナップに(多少浮いてる感はあるものの)源一郎や島田が入った。
これは一体どういうことなのだろう? と自問してみる。
源一郎や島田も「純文学」として古典的価値を認められたのだろうか?
講談社編集部の選定判断はミスといえるかいえないのか?
と、今日は疑問形のままレスを宙吊りにしておこう。
721 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/23 00:14
>>707-708 なるほど。〈現象〉としての二次的な「ムードとしての衰退論なんか」どうでもよく、
日本とか純文学とか近代とかいう枠組みを脇においといて、
〈本質〉としての「文学はもはや不可能では?」という点で考えたい、ということですね。
>>695の分類でいえば、
D純文学とか近代という枠組みをはずして「文学」の本質を考えたい、という意見
うーん、これは難しい。もう少し519氏の考えている文脈を提示してくれないと・・・。
推測してみると、以下のようなことだろうか。
ヌーヴォーロマンやメタフィクションといった実験的な文学の後で、
あるいはベケットやボルヘスといった極北の地点で書いた作家の後で、
あるいはカフカ、プルースト、ジョイスが20世紀前半で達成した記念碑の先で、
一体新しい文学(小説)は可能か?
722 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/23 00:19
>>719 そして愚劣庵氏の意見(感慨?)もまた文学の本質に対してのもので、
519氏と同じく、「文学とは何か?」という問いをめぐるようだけど、
こういう大きく抽象的な問題を扱うには、相当な用意がいると思うよ。
サルトルやイーグルトンなんかを経由せずに自力で問おうとするならば。
723 :
吾輩は名無しである:04/07/23 00:21
>あんの ◆CyXc7UQbW2
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724 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/23 00:28
この人達のやばいところは検証されるべき本質を持たずに前提としての本質で物事を語ろうとする姿勢だね。
自分が偉いから他の奴は下みたいな思想。
725 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/23 00:36
後藤明生の言葉をいくつか引用してみたい。
「小説の衰弱」は、ある意味では、このジャーナリズムとの「対話」の衰弱だといってもよいくらいである。
いまそれが、文学にとって最も重要な「対話」であることを更めて強調したい。
また、ジャーナリズムにも提言すると同時に作家も批評家もそれぞれが自分の問題として、何が衰弱したのかを考える必要があるだろう。
ジャーナリズムの「話題」は終っても「小説の衰弱」が終ったことにはならないからである。」
「小説の危機や衰弱の原因は、サブカルチャーや、コンピュータによる各種メディア
の氾濫などの「外部」にあるのではなく、小説そのものの「内部」にある。」
「小説の危機は、何も今に始まったことではない。というより、二十世紀小説は危機と解体が出発で、常に危機の連続であった。
本来の危機は、そのことを忘れたノンキさにある。そういう小説が衰弱したのである。」
あんのは以前※名乗ってた人物か?
>>725 文学がかつてジャーナリズムだったいうのはその通りだよね。
情報が人の精神を拡充して行動範囲を拡張するものであるのは
今以て変りないわけだが・・・さて?ってところ。
また役割を終えたというが、役割とはまた目的論的だねえ。
いまどきサヨクだって言わないよ。
芥川賞受賞作に対する反応が、衰退論とかなり密接な関連を示していると思う。
まず、誰にでも書けそうだ、と言う事を言われている。
文学は特別なものだと思われているのは、やはり文章を書くことが特殊だと思われている事。
ここを話し言葉そのままで書くと言う方法でクリアすれば、書けると考える。
書かれている内容が良ければ多少文体がおかしくても大丈夫だという意見。
逆に、そこが文学だと考える人は大時代的な言い回しをつかったり、レトリックに凝る。
『日蝕』の擬古典調の文体は、普段の作者の使う言葉から遠いからこそ、
異化の効果が高いと判断されて採用されたのだという意見を読んだ事がある。
内容が理解できないという批判もある。
石原さんはまた理解不能と言ったみたいだが、ジェネレーションギャップみたいなものもあるのか。
ともかく、題材が不適切であるとするか、これこそ先端だというか極端な対立。
上で町田康を読めとか言ってた人なんかはこういう題材を先端だと評価するんじゃないだろうか。
あと、
>>689では私小説が衰退してるという意見もあったが、
国内ではまだ現役、どころか芥川賞作を見る限り、どメジャーに思われる。
金原ひとみなどはどぎつい性描写と若い女性作家という話題性はそれこそ私小説の伝統。
あと、私小説は特殊な体験をしたら書けると考えられるし、
そうでなくとも自分の過去(大抵は学生時代)に特殊な人物や設定を挿入すればよい。
さて本題で、衰退しているといっても、その内容は様々であって、
@本の売上が落ちている
A語られている内容が古臭いあるいはどうでもいいことばかりだ
B作品を書く時に使用される文章が稚拙になっている
と、おおまかに分ければこうなり、この組み合わせで語っていると思うわけです。
C氏は衰退云々はともかく@を否定する。
愚劣庵氏はA、難波氏はBのニュアンス。他の人はあまり材料がなく判らない。
だから噛み合わないのかなあと思って書いてみた。
上の例では、『蹴りたい背中』をそれぞれ「文章や構成が下手だ」と言う人と
「リアリティの無い話だ」と言う人は同じように批判的ではあるけど、話は多分通じない。
私個人はほぼBなんですね。日本語の乱れをどうこうって訳ではないですが。
補足すれば、作家と読者の間で言葉についての認識を確認し合うような関係が薄れ、
作家の一方通行になってると感じる。
つまり読者側の責任もかなり大きい。
だから難波氏の意見は心情的にはよくわかる。
>>695での分類はたしかにHに近いですが、内容についての文学的なるものをあまり想定していないので
若干ニュアンスが違うのです。
内容については、極端にいえば何を書こうと関係ない。
>>659で触れたように、題材に何を扱うかというのは最早ジャンル決定にも「文学性」にも関係しないし
「読み」次第でどうとでもなってしまうと思っている。
さて衰退の言質は上記の観点から、発展の気配が無いとか劣化していると感じる人からも出る。
でも「最近の〜は駄目になった」式の愚痴とどうやったら差別化できるのだろう。
混乱してきてあまり良くまとめられなかった…
まとめてくれてる人には有難く思う。少し補足したい。
・村上春樹出現→純文学作家の文章軽量化傾向→芥川賞受賞作まで軽くなる傾向。
となるとどうなるか? 文体が素人と大差なくなるんだから、そこらの大学生でも
何か特殊体験して、上手くまとめ上げれば、文壇に出れる可能性が出ちゃう、という
事だよね、確かに。C氏の言うとおり「だったらやってみろ」となるが、そうやって
取ったのが金原や綿谷なんじゃないかと俺は思う。その2人以前にも「女子高生が
候補に」と騒がれたわけで。つまり、作家が「単に作文が上手い奴」に成り下がって
いいのだろうかと思うのだ。
以前だったら「作家デビュー」たるためには、独自の文体を磨いたり、教養を付けたり、
明らかに「素人とは異なる何か」が必要だったわけだよ。まぁそれが平野啓一郎の難し
い文体であったりするのだが。そう、素人と区別がないようでは「純文学作家」じゃな
かったんだ。そういう人は「大衆小説」として直木賞の方に行くべきなのだ。極論になるが
そのような事を思う。
あと俺が言いたいのは「純文学作家の文体の軽量化」だけじゃない。作家が社会的に「求心力」
や「影響力」をさほど持たなくなった。芸能人やスポーツ選手の求心力の方が大きい。
なにかを訴えるにしてもジャーナリストの方が先兵として出るわけだ。作家は蚊帳の外だよな。
1、作家の文章の劣化 2、社会的求心力の欠如 この2つの理由かな。衰退でしょ、やはり。
尚、C氏の「皆が読まないだけで、質のいい作品も沢山ある」という主張もよくわかる。
ただ俺はそれに対し、「いい作品書いても読者に拾われなければ(読まれなければ、売れなければ)、
週刊誌が1週間経ったら消え去るのと同じように、ポッと無くなる運命にあるのだから、結局それだけの
ものって事がいいたい。上に書いたように、求心力が無いから拾われないわけだ。
その事実が即ち「衰退」という事でしょ?ジャンルの。 パリーグでいい試合しても客が来なくて
合併話が来るのと一緒だと思う。その他のCの主張も理解できるし、また何か言ってくるだろうけど、論点で
異なりかみ合わないと思うのだ。
>>721 あんのさん
>ヌーヴォーロマンやメタフィクションといった実験的な文学の後で、
あるいはベケットやボルヘスといった極北の地点で書いた作家の後で、
あるいはカフカ、プルースト、ジョイスが20世紀前半で達成した記念碑の先で、
一体新しい文学(小説)は可能か?
逆ですね。むしろなぜ彼らはそのような文学を書かねばならなかったのか?
彼らは既存の文学に満足できなかったからこそ書いた。
かつては彼らの問題意識を共有することは理想としてあった。
それに賛同するにしても反対するにしても。
満足できないこと(文学的であること)を押し付けることはもはやできない。
だから衰退論の問題意識を持てないことはそれこそ何でもない。
絶対的な根拠が失われているから。そのようなあり方も正しいとしか言えない。
あくまでこの無根拠性だけから文学の衰退について、
>>640-660あたりでつぶやいてみたのでもしよかったら読んでみてください。
たまたま時間が近かったけど、難波さんの意見は本当に正しい。
そしてCさんの意見も正しいとしか言えない。語られる場所に根拠が無いから。
少なくともこの根拠が失われたことは今の、文学に特有の悲劇だと思いますよ。
733は、相矛盾する意見が両立せざるを得ないってことを言いたかっただけです。
念のため。
矛盾する意見を否定する権利はもう誰からも剥奪されてしまっている。
どんなに議論が正しそうでも。
夏厨ですが、みなさんが考えてるような物が文学なのだとしたら
そんな物は無くなってしまえばいいと思います。文学は僕のような厨房や
工房が読むものなので、文学離れできていない大人が文学の衰退を叫ぶのは
見ていておかしい。
>>735 まあ、気にするな。
ここは「衰退」について語るスレッドでこれでいいんだよ。
君には関係ないスレッドだから、ここにくる必要はない。
他のスレッドで熱く文学を語ったりすればいいよ。
とりあえず735がいう
「厨房や工房が読むもの」という文学がなんなのか
興味はある
>>736 そうですか。しかし作り手ならともかく、読むべき年齢を大きく越えたコアな
読者が時間軸を考慮せず語るのは些か不毛という気がします。
古い作品でも構いませんが、みなさんは最近新しく出会った素晴らしい作品ってありますか?
若い頃に読んだ時ほどの感動がないのではありませんか?
短い文の中によくもまあ色々見るべきところが詰めこんでくれてますが、
>>735が「このスレの住人の考える文学」をどのように諒解しているのか、
そしてその「コアな読者」の読むべき文学とはどのようなものなのか、
あえて尋ねたい。面白そうなので。
>>732 >ヌーヴォーロマンやメタフィクションといった実験的な文学の後で、
あるいはベケットやボルヘスといった極北の地点で書いた作家の後で、
あるいはカフカ、プルースト、ジョイスが20世紀前半で達成した記念碑の先で、
一体新しい文学(小説)は可能か?
こうした流れを踏まえているのなら我々には精神衛生上良いとおもうのですが。
いや、これは半分冗談ですが、伝統の継承者であろうとする態度は判り易く、判断基準もある。
しかしむしろこれとは断絶して現れるものを冷静に、というか客観視できないかも。
これは最近現れている作品を理解できない自分への自戒も込めて。
というわけで冒頭の件に繋がっていくわけですな。
337よ735はもうここにはいない。
盗んだバイクで海に行ったよ
742 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/25 13:39
>>732-734 >あくまでこの無根拠性だけから文学の衰退について、
>640-660あたりでつぶやいてみたので
えっと、
>>640-660をもう一度読んでみましたよ。
最初に読んだ時にはよくわからなかったけれど、
>>732-734を踏まえるとおぼろげに519氏の視点がわかってきた。
そう。おそやく、今は(いつから?)、「絶対」が失われてるとは思う。
519氏がやったように哲学や物理学のタームを使うよりも、
端的に、「神がいない」時代だから、と形容してもいいだろうか?
〈共通の土俵〉や〈判断の基準〉がない相対主義的観点からすると
>難波氏の意見もC氏の意見も「正しい」としか言えない、わけだけど
その「正しい」っていうのは、「あるひとつの意見として」であって、
それが〈共通の土俵〉〈判断の基準〉に基づいたものじゃない、ということだから、
その「正しい」は「正しくない」と置き換えることも可能で、
337氏の意見も519氏の意見もまた、正しくもあり正しくもないことになる。
743 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/25 13:50
519氏に向けて、「確かにその通り」と「果たしてそうだろうか」の間で揺れながら、
「一体何を言いたかったのだろう?」と自問してみる。
確かに相対主義の時代だ。神はいない。無根拠だ。
それで、「文学」は、その中で足掻き、その足掻きを記してきた。
519氏のいうヘーゲルの絶対知=神の幻想が崩れた後で
単独者たちが記録してきたのはそういうことだったんじゃないだろうか。
「神がいなければすべて許されるか」というドストエフスキー的命題。
「神の死」の後で道徳に頼らない<力への意志>を見出したニーチェ。
あるいはカフカの、日本なら横光や椎名の作品が語りかけてくるもの。
744 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/25 18:47
>>738 全面的には了承できないけど(老境の文学もあるだろうから)
でも一面、いちばん鋭いところを突いたと思う。
だからこそ君は無視されるよ。ここでは。
ここはそういう場所だから。
最近読んだ中で、何が良かった?
746 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/25 22:05
>>726 あまり詮索しないでね。
>>728 なぜ
>>725を引用したのかは後日また、
>>738 「読むべき年齢」というのは?(そんなものが存在するだろうか?)
>時間軸を考慮せず語るのは些か不毛という気がします。
文学史という時間軸ならいろいろ語られていると思うよ。
たぶん「読者の年齢」という時間軸のことを言いたいのだろうね。
>若い頃に読んだ時ほどの感動がないのではありませんか?
感性というのは変化するだろうね。また経験値も変化する。
だから同じ作品を読んでも十代と二十代じゃ違うわけだね。
747 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/25 22:06
個人的な話題を少し失礼して。
俺には大学に入ったばかりの弟がいる。
俺と違ってごくノーマルでおとなしい人間なんだが、
高校時代にサッカーばかりやっててろくに本を読まない。
受験もあるからと何冊か小説を渡したが甲斐なし。
俺が渡した中で唯一面白いといったのは『アルジャーノンに花束を』。
奴が自主的に読んだのはハリーポッターとシックスセンスとリングぐらい。
漱石は『坊ちゃん』は一応読んだけど感想なし。『吾輩は猫』は途中で挫折した。
しかし今年大学に入ってから本を少し読み始めた。
そこで、また少しづつ文庫を渡すようにした。
『パイロットフィッシュ』、『くっすん大黒』、『ダイヤモンドダスト』なんかを。
そのあたりは「結構面白かった」と言っていた。
『野火』や『ひかりごけ』も渡したが、読んだかどうかはわからない。
奴が自分で最近買ってきたのは『世界の中心で』、『バカの壁』。
相変わらず自分ではベストセラーしか買わない。
748 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/25 22:11
ちょっと個人的な話題2なってしまったけれど、
奴(弟)のような無垢なビギナーにとっては、文学史の流れなんかは関係ないし、
文学というものは無尽蔵にあるわけだから衰退も何もない。
古典作品も現代作品も、日本文学も海外文学も、等しく目の前に並べられてる。
それに対し、ある程度の文学を読んだ人間というのは、
多かれ少なかれ文学史的な流れを意識すると思うし、
文学作品を時代別にまた作家別に比較したりもすると思う。
>>748 私にも経験がありますが、貴君の令弟は社会や歴史の中に・・・つまりは
既存の価値に自分自身を相対化する術を未だ知らないのです。
相対化が差異の発見であるなら、小説よりは批評を薦めるべきではない
でしょうか?
750 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/26 00:12
>>749 できればもっとフランクに書き込んでください。レス返しにくいんで。。。
もっと簡単にいえば、奴(弟)はみんなと歩調を合わせるタイプで、
はみ出したり、目立ったりするのが嫌いなんです。
もっと自分らしさってのを身につけろよ、と言ったこともあるけど。
749氏のいう「既存の価値」に安住して良しとしてるところがあるし、
「差異」を求めてもいないから、批評だともっと読まないタイプ。
ちょっとスレ主旨から外れて失礼。
そういう奴(弟)のような人間を別に否定する気も蔑む気もない。
ベストセラーしか読まなくても社会では生きていけるし、
職種にもよるだろうけど、それほど困るものでもない。
奴(弟)のような人間ばかりだと「文学」の先行きも不安になるけど、
中学・高校時代からもっと読書をしてる人間もいるだろうから。
>>750 今はそういうベストセラーしか読まない人間が多いんでないの。
752 :
吾輩は名無しである:04/07/26 08:36
age
ここは衰退を語ってるんだろ。
「読書し始めの人間が何を読むか?」「読み始めの人達に文学史は関係ない?」
などいう論点は逸れてるのも甚だしいな。
ま、無視されてもヤジられてもいいが俺は結論を出したぞ。
1、作家の文章の劣化。 2、社会的求心力の欠如。 文学が衰退した2大原因だ。
1については前に何回も述べてきた。少し2について説明すると、「作家」の権威が落ちた
事や、質まで落ちた事に原因がある。さらに、周辺事情として、娯楽が他に沢山出来た事(
漫画、ゲームなど)や、小説のネタも出尽くしてマンネリ化した。既に飽きられた事をも含む。
その広い意味をまとめて「求心力の低下・欠如」と表現した。
また、753だけを読んで、アレコレと「ここが欠けてる、不完全だ」と言う
かもしれんが、書ききれぬ程の細かい理由も、以前に書いてるわけだ。
>>753 ちょっとスレ違いかもしれませんが、
「文章の劣化」
この点がずっと気になっているのです。
私の理解では
平易な文章=駄目
という基準のようです。勘違いしてますか?
文章を書いてみるとわかると思いますが
難解な文章を書くよりも、平易な文章を書くほうが遥に難しいものです。
しかも、これは日本だけに限った話ですよね?
756 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/26 23:29
>>753 難波氏のレスはいつも読みやすいし、具体的な作家にも触れているので、
前にも書いたけど、その「姿勢」はわたしは評価してますよ。
ただ、「内容」に関しては、理解できる部分と留保したい部分があります。
難波氏は以前に「大正時代」をピークとする視点で書いてたと思うけど、
鴎外、漱石、芥川、荷風、志賀、谷崎、川端、梶井らが活躍した大正は確かに凄い。
15〜16年間の同じスパンで大正と平成を比較してみれば難波氏の意見はわかる。
源一郎、島田、筒井、佐伯、龍、春樹、笙野、阿部、中原らの平成が、
大正に対抗できるか、といえば、はなはだ心許ないといわざるを得ないでしょう。
難波氏のいう「読みやすさ第一主義の文章の軽量化・劣化」というのを、
日本近代文学が重要なテーマとしてきた「内面=深さ」に対比させてみたい気がする。
というのも、そこで矢部氏が提出した意見も深くかかわるのではないかと思います。
757 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/26 23:59
日本近代文学、とくに純文学が二葉亭から内向の世代にかけて
絶えず「内面=深さ」を追求し、それを記述してきたとすれば、
村上春樹以降の作家はあまり「内面」に立ち入ろうとせずに「表面」的になった、
ということは大きな見取り図としてはいえると思います。
ただ、その「内面=深さ=重さ」が「表面=薄さ=軽さ」への移行に対しては、
>>687で引用した加藤典洋の言葉のように、
>純文学のように人間の内部の孤独で対抗しようというのは自己欺瞞にほかならない
>そのような段階にまで、もう人間内部の社会化ともいうべきものは進行しているのだ
という時代性というものの考慮も必要だと思います。
つまり、現代においてかつての純文学の「内面=深さ=重さ」が通用しなくなってる。
じゃあ、どうすればいいのか?日本近代文学、とくに純文学が二葉亭から内向の世代にかけて
絶えず「内面=深さ」を追求し、それを記述してきたとすれば、
村上春樹以降の作家はあまり「内面」に立ち入ろうとせずに「表面」的になった、
ということは大きな見取り図としてはいえると思います。
ただ、その「内面=深さ=重さ」が「表面=薄さ=軽さ」への移行に対しては、
>>687で引用した加藤典洋の言葉のように、
>純文学のように人間の内部の孤独で対抗しようというのは自己欺瞞にほかならない
>そのような段階にまで、もう人間内部の社会化ともいうべきものは進行しているのだ
という時代性というものの考慮も必要だと思います。
つまり、現代においてかつての純文学の「内面=深さ=重さ」が通用しなくなってる。
じゃあ、どうすればいいのか?
758 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/27 00:00
矢部氏は
>>356で、中村文則『悪意の手記』を取り上げてこう書いていました。
>これこそ、内面の終焉、近代文学の終焉、という事態を、正面から受け止めた作品だと思います。
>つまり、内面の表現が自明性を失うということは、その「内面性」を支える表現機構が、
>距離を置いて「形式」として見えてくる、ということなわけです。
>内面性がもはや、「実質」でなく「形式」として見えてくれば、それは他の諸形式と等価なわけで、
>それだけを忌避する理由はないわけです。
759 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/27 00:00
おそらく矢部氏は後藤明生的視点を支持しているのではないかと思います。
>>725で後藤明生の言葉を引用しましたが、その文脈でもう少し引用します。
どんな小説が衰弱するのか。
それは「自意識、自己批評、自己反省をもたない小説」だと後藤は言っています。
内面=自意識をたんに描くだけでは駄目で、
それを「いかに」描くかが大事だと言っています。
「日本現代文学の「衰弱」は、分裂、解体した自己意識をいかに書くか、その方法の貧困による。」
すいません。
>>757を下記に訂正です。
日本近代文学、とくに純文学が二葉亭から内向の世代にかけて
絶えず「内面=深さ」を追求し、それを記述してきたとすれば、
村上春樹以降の作家はあまり「内面」に立ち入ろうとせずに「表面」的になった、
ということは大きな見取り図としてはいえると思います。
ただ、その「内面=深さ=重さ」の「表面=薄さ=軽さ」への移行に対しては、
>>687で引用した加藤典洋の言葉のように、
>純文学のように人間の内部の孤独で対抗しようというのは自己欺瞞にほかならない
>そのような段階にまで、もう人間内部の社会化ともいうべきものは進行しているのだ
という時代性というものの考慮も必要だと思います。
つまり、現代においてかつての純文学の「内面=深さ=重さ」が通用しなくなってる。
じゃあ、どうすればいいのか?
ああーああ
ああーああ ビックリしたよお
762 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/27 14:33
僕はこんな歌をこのスレに贈ろう。僕のオリジナルではないが。
--露と落ち、露と消えにし我が身かな、難波の事も夢の又夢--
>762
豊臣秀吉、辞世の句。成り上がり者が、死の床で初めて感得した
「文学」の末端的感慨・・・・
それじゃあ遅すぎるから、文学には若くして親しめ、ということ。
764 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/27 15:07
俳句の元になった「俳諧の連歌」は雅語で表現される和歌とは異なり当時の俗語を用いて表現された。
これは俗語で和歌と同じことをするパロディの意味とともに「歌」という芸術の本質を見極めるという意図があった。
つまり教養層の言葉である雅語で表現されているからイコール高尚なのだという意見や、
芸術に対して表面的な見方しかできない似非教養人が増えたことへの批判でもあったのだ。
初期俳諧の主流であった貞門風は俗語を用いながらも古典に関する素養を前提とする歌で一世を風靡した。
俗語で俗世間を扱えば似非教養人からの批判を受けることは明白でありそれを回避する戦術だったとも言える。
芸をわからぬ者に芸そのもののエッセンスを「説明」するのは不可能だから形式から完全に離れることができなかった第一世代。
しかしこの貞門風の流行によって人々の感じ方が変わるとより芸のみを意識する人々が現れる。
そして談林風と呼ばれる歌人達が登場する。彼らはいわゆる下ネタの発表も辞さず、古典の教養など無視して
自由闊達に歌を作った。当然、和歌の方面からも貞門風の歌人達からも批判された。まさに衰退論だ。
しかし一方では自分たちの作風までをも茶化すように和歌以前の漢詩的な表現を持ち込むなど、
ただ「軽い」わけではないことをちゃんと証明していたのである。そしてこの流れは貞門風以上の隆盛を見せた。
そして俳句の代表者が登場する。松尾芭蕉はこの二つの門を両方とも経験している。どちらかとえいば名を上げたのは談林風。
この頃はまだ桃青と名乗っていた。そしてこの頃、おそらく人生の転機を迎えた。きっかけが何だったのかはいまだ謎なのだが、
ともかく彼は禅僧と出会い、教えを乞い、次第に作風が変化してゆく。そして松尾芭蕉誕生となるのだ。
ここに来て「内面」の大切さを言うこともできるだろう。しかし僕はそこに飛びつかない。松尾芭蕉の特質である「軽み」は
貞門で学び談林で磨いた芸の結露であることもやはり間違いないからだ。どちらが上だ下だの問題ではないのである。
芸と術。内面だけでは何も表現できないのだ。「内面重視」が形式化したまま無批判に重視されくだらない私小説が氾濫し
形式的な「深さ」ばかりがもてはやされて芸や術が育たなかった。僕はむしろそこに文学の問題を見ることもできると思う。
>>753 >1、作家の文章の劣化。 2、社会的求心力の欠如。
1、劣化しているのではない、変革期に入っている。IT化は、活版印刷発明以来の
出版革命。言語も、書き言葉と話し言葉の垣根を自在に出入りする。過渡期。
2、欠如ではない。娯楽の多様化や、ラノベSF推理小説など多彩な大衆小説の出現で
、 読者の目が眩まされる傾向にあるだけ。自身の眼力を持つためには相応の努力が要る。
、 その為の教育環境が欠如し、本人の自覚が欠如しているだけ。
日本最初の小説といわれる坪内逍遥『当世書生気質』。
地の文は七五調の文語体、
会話文は口語体の、当時としては革新的なもの。
正岡子規の評は
「書生気質は書生に向つては愉快なれども
一個の小説としては余り幼稚なり」。
しかし同時に子規は
「書生気質の出板(版)ありしかば余は飛びたつ如く面白く思ひ
斯(か)くの如き小説も世にはありけるよと幾度も読み返してあくことを知らざりき」
「世の評判も喧(かまびす)しく褒貶(ほうへん)もはげしけれど
余は理くつも何もなく只心中に面白しと思へり」
「実に欧粋を抜き和粋に調合して、他日の模範となるべき小説の出でしは
当世書生気質なり、
世人は之を見て驚駭(きょうがい)せり 因循たる小説家は之を見て警醒せり」
――――とも書いている。
新しいも時代の到来は、いつも混乱と共にある。
767 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/27 22:31
>>766 攪拌された海から世界が生まれるように、その混乱こそ希望なのだと僕も思っています。
>C ◆7sqafLs07s
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765はマーケティングとしての軽い文体を劣化といわずに過渡期といい、
他媒体と比べての求心力の低下を「〜だけ」で済ませてるだけだが。
770は文体の平易化をマーケティングが目的で軽いからいかんと
主観をいっているだけだが
>>772 揚げ足じゃないだろ?
770の文学観がたった2行のなかに現れているわけだろ?
731も、なんだこりゃ、だけど
770は100倍低レベルなんだな
771は文章の軽量化を「平易化」といってるが、755=771か?
ま、そうでなくてもどうでもいことだが、軽量化と平易化は違うぞ。
例えば、755の直後に出た
漱石、芥川、荷風、志賀、谷崎、川端、梶井(鴎外は除いとく)といったラインナップの
文章は現代でもすらすら読めるほど平易なものだが、
731いうところの「軽い」ものじゃあないだろう。
>>774 良い文学作品の基準は人それぞれだろうから、
「軽い」文体うんぬんは、正直言ってどうでもいい。
作家の表現は「文体」だけではないし。
でもさ、
「自分にとっての文学の衰退」を語ってもしかたないだろう?
自分の主観や好みを基準に語っているあいだは、
別の文学観や好みを持つ人間から別のまったく噛み合わない意見がでるだけだと思うぞ。
「軽い文体は直木賞」とか「マーケティング目的」とか
くだらないと思いませんか?
770=772=774だけどさー。
770は己の文学観の現れじゃなくて、ひとまず753を承認しないと
先に進めないからその意の現れだ。
人を純文馬鹿みたいにみなさないでくれ。
>>776 なるほど。
私は753には反論する気も起きない。
あんたは偉いな。ちゃんとスレのことを考えていて。
ところで
いい作品が読みたければ海外に目を向けよう。
778 :
吾輩は名無しである:04/07/28 02:37
とりあえずCの敗北決定だな。
アイツは批評家なんだよ。作家になれない哀れな奴。
779 :
吾輩は名無しである:04/07/28 03:40
マジレスを試みてみると
文学は最先端のメディアじゃなくているという、だけのことじゃあ?
僕の推測を1例だけ挙げて、証明しようと思う
軽井沢に遊びに行ったとき、有島武郎の記念館に行ったら、自殺したときのことを書いてある本を読んだ。
それを読むと、有島が恋人と自殺したことを、当時の新聞がものすごくセンセーショナルに書いていたのを見た。
僕の推測では、当時、作家は今の有名芸能人みたいなスター的存在だったみたいで、新聞とは今の週刊誌とかワイドショーみたいだったみたい。
そういう時代だと、人の注目は作家に集まるし、才能のあるやつが作家に憧れたんだろう。
780 :
吾輩は名無しである:04/07/28 05:14
>>779 文学って、今のようなメディアが発達してない時代の娯楽だからなぁ。
でもって所詮他人のメンヘル電波文、現実の情報には勝てんて。
781 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/28 13:57
>>778 盲目の君よ。当てずっぽうに投げたナイフが自分の後頭部に突き刺さっているぞ。
782 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/28 13:59
>>779 マジレスの前に日本語をどうにかしてくれ。頼む。
>>780 情報というものに対する認識が緩すぎて話にならん。
783 :
吾輩は名無しである:04/07/28 15:03
779よ、780よ、んなこたわかってる。
偏差値40の大学生も、理髪師志望の専門学校生もわかってる。
519ですけどいいかげん名無しに戻ります。
>>742、743 あんのさん
相対主義まで読んでいただいてありがたい。その後に、その上でいかに回避するかも書いてます。
クリプキのウィトゲンシュタインのパラドックスみたいなものです。要は。
回避した上で。なぜわざわざ、んなこと言うか。
それが文学の衰退論に如実に関係があるから。
あくまで相対に陥った事実は受け入れた上で。それ故に無根拠に有象無象が語りだす。
それは止められない。その上ではじめの衰退論者は彼ら有象無象に答えるべきか?
答えて、仮に説得できても他の有象無象が現れるのに?
一応言っておきますが、あんのさんが742で仄めかしている、いつから相対に陥り始めたか?という問いは、
それこそ数十年前、ポスト構造主義と呼ばれる一派によって少なくとも「言語化」された。
それすらも前提にせず、何でも(雰囲気で)相対と言えると疑わない有象無象。
それすらも知らず絶対を唱え続ける有象無象。彼らは永遠に生まれ続ける。
そこに革命などもはや起こりえない。
蓮実重彦がなぜ黙るか?かれはこの不毛を知っているから。
柄谷行人もまた、感覚的に分かる簡単な論理でしか語っていない。それが全てではない。
彼らは既に議論を終えており、それを繰り返すことの不毛を知っている。
その断片を取ってきてそのまま捻りもせずに引用する人。
単に(自分の知る)今の状況から批判しようとする人。
それがなぜ可能かについて考えず他の意見を否定する人。
彼らを排除し得ないが故に、しかも傍観しか出来ないからこそ
文学は衰退せざるを得ないという意見。言いたかったのはこっちなんですね。
そもそも反応なかったけど。
もっぺんヘーゲルの発言引用すると、
「持って生まれた理性があればそれが哲学の尺度となるから、哲学は学ばなくても判定できるという
誤った偏見が蔓延っている。」彼は「健全な常識」による哲学を痛罵している。
「そこから生まれる思考にもそれなりの価値はあるが、「知」ではない。」文学においても・・・
それを踏まえた上での文学、があんのさんの引用した
「自意識、自己批評、自己反省をもつ小説」である。というのは理の当然。
最低限それくらいやれよ、と。
面倒なんでノーベル賞作家だけ挙げると、ここ最近で、
J.M.クッツェにケルテス・イムレ。
ガオ・シンジェンなんざ徹底しまくり。
グラスといいナイポールといい、どいつもこいつも凄まじい.
しかも一回きりしか使えそうにないアクロバットの連発。
答えてないやつは皆無と言ってよい。亡くなってしまったがゼーバルトなんかも・・・
その意味で、さぁ日本では、っつうと取り組んでる奴らは多いと思うよ。
あなたの思う文学と重なるかは知ったことではないが・・・
787 :
吾輩は名無しである:04/07/29 13:12
>>784,785
吠えるのはいいけどよ〜、抽象的でわかんねえよ。
抽象野郎と批判野郎が多すぎるんだよこのスレ。
要するに柄谷行人ばかりのスレ
>>786 Cは少しはまともな奴と思ってたが、見込み違いだったな。
やっぱ全然駄目な男だ。
ここで「衰退してない!現代の文学も秀作多い!」を主張
してるくせに、他スレではノブを叩きまくり。
矛盾してんじゃねえかよ。
要するにCは、作家志望だから、ここでは、自分の活躍の
場に夢と希望を持たせたいため、「衰退してない」を主張
する。自分の願望で空回りの主張をしてるに過ぎない。
ところが、実際に芥川賞を取られたライバルには激しく嫉妬。
モブを叩いて落とそうとして、まだ書かぬ自分の潜在能力の
方が上であると自己満足させるのに必死。
で、いらぬ恥を書いた。
C=2チャンの柄谷
つまり、作家にはなれず小奴は永遠に愚痴こぼしてる哀しい輩。
実社会でも負け犬なんだろう。
>>779さん
あなたのおっしゃってるのは
>>731で難波さん
のいうところの「2、社会的求心力の欠如」
に該当するんじゃないでしょうか。
社会的求心力が欠如したらそれが文学の衰退
になるのか私もわかりませんが、みなさん
どうどうめぐりをされてるように感じるのは
私だけかしら?
>961 :吾輩は名無しである :04/07/29 05:36
>「Cはレッテル貼りを繰り返すだけで、その先にも手前にも、思想がない」
>という部分が一番するどい指摘だと思った。
>Cは心理的に相手を痛めつけたいという意図が見える。
>モブの容姿や手の震えにまで話しが及んでいるが、
>それは全てCの劣等感の現れのように見える。
>パフォーマンスをする資格というものに対して、
>Cはいい容姿でセンス良くなきゃだめと思い込んでて、
>表現者に強い嫉妬と憧れを抱きながら、日常においては殻に閉じこもり自制し、
>2ちゃんのような場所でしか表現できないため、
>その鬱憤がCの暴力的な言葉遣いを導いているのであろう。
791 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/29 15:58
>>788 君までノブなどと書いていたらまるで説得力がなくなってしまうね(笑)
792 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/29 15:59
>>788=
>>790で引用されている奴ってことで。
何だか過去にイジメらた人が復讐の機会を狙っているようです。
あはは。
ネット中毒患者は、つらいな
マジCはクソだな
795 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/29 16:12
マジCはクソだな。
で生きていける人生を僕も生きてみたいよ。ねえアホな名無し君。
796 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/29 16:14
だって、何処でもそうなんだけどたとえばこのスレの
>>764 みたいなものには誰も触れられないわけじゃん?
モブスレの俺の見解もみんな反論すらできずに「客観的に見て」なんて言い方でさ(笑)
そういう哀れな人達を相手にするんだ。
少しは演じなきゃ釣りあいが取れん。
797 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/29 16:15
演じて粗暴なキャラでもやってあげなきゃ同じ土俵に立てないんだからさ、君たちは。
どれほどの時間を、無意味につぶしているのか?< C ◆7sqafLs07s
路上のケンカと同じ、
あるいはそれ以下。<ネット上のケンカ
エロゲーに狂うよりも貧しい時間の使い方。
言葉尻のみ追って感情を波立て、何ひとつ新たに学ぶことも
深い思考に踏み入ることもない愚かな者らよ。
彼らを遠く離れ、現実の場でたゆみなく勉学と読書に集中する者らが
未来を制す。
パチンコ狂いの大人、薬物中毒で自分を見失った廃人、
・・・それと、
全く同じ、ネット上で意味の無いケンカに貴重な時間を浪費する厨房。
、
、
765も766も779も780も、
>>753に吸収されている。
>>788 現代にも優れた作家が存在することと、モブに否定的であることとは
矛盾しない。
801 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/29 16:27
>>798 まず何らかの意味を求めていると思い込んでいる時点で間違ってるよ。
俺は自分の仕事の合間合間に喫煙するかわりにネットやってるようなものなんだ。
学べるような議論なんてほとんど存在しないし、
そういうものに巡り合ったときだけ本気で考えるようにしているよ。
764に誰も触れないのは、誰もがそこで語られている内容に
既に賛同しているからでしょ。
小説の技術面と内容面を切り離して云々することへの警鐘になってるけど
それに反対する者は誰もいないし、
今の文学の衰退原因として目の敵とするべきところにそんな問題は存在してない
だからさ、少し極端かも知れないけど、
C◆7sqafLs07s のような超古代型の
文芸・芸能オタの存在が=文学の衰退そのものを
いちばん何よりもラディカルに象徴しているんだよね。
こんな痛々キャラが一生懸命に純文学擁護を打ってる時点で、
ある意味、終わってるんだな。って勘の鋭い人なら特別に
文学に通じてなくても想像できるでしょう。
あと、文芸評論家の鵜呑みじみた意見は、もういいかげんにしてほしいな。
他人が作ったパースペで意見をグダ2述べてて、恥ずかしくないのかな?
だから読む気しないレスばっかりなんだよ。
804 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/29 18:58
>>802 内面重視をしなくなったのが文学の衰退だと書いている人がいるんだけど?
それに対してあれを書いたのに「誰もが」「賛同している」だって?
無茶苦茶な人だな。
>>803 「ラディカルに象徴」なんて言葉はまさに衰退の極みだろうとは思うよ。
君は確かに文学に通じていないし、だから表面的なことと
人格批判しかできないんだよね。
つまり何処にでもいる普通の人なんだから黙っていればいいんじゃないの?
まあ名無しでいようと思うだけ、少しは自分がわかっているようだけど。
>>804 >内面重視をしなくなったのが文学の衰退だと書いている人がいるんだけど?
>>756-760だろうか。
>>756-760は内面から表面への移行を
「自己批評なしに」行なってしまっていることへの危惧を表している。
内面重視しないこと=衰退とは言っていない。
(むしろ内面重視を延命することはまた別の危機と捉えているようにも思える。
実際に言われたことではないが。)
それに対して764は内面が形式化して、つまり自己批評なしに
濫造された例を挙げ、これを問題だと言う。
>>756-760が表面の形式化を言っていることとパラレルな賛同じゃないんすか。
こうしてみると
>今の文学の衰退原因として目の敵とするべきところにそんな問題は存在してない
を取り消さなくてはならないようですが。
どっちにしろ普通に考えれば格別反対すべき意見とは思えない。
>>756-760は文章の接続関係がおかしくて読みにくいよー。
冒頭で挙げた源一郎、島田、筒井、佐伯、龍、春樹、笙野、阿部、中原が
どこか小粒じみる理由は「脱内面の方法に自己批評がないから」ではないんじゃないか?
ただこのコンセプトはやりようによって「日本近代文学」についての答えともなりえ、面白いかもね。
「文学はもはや不可能では?」に代表される内部的な問題がありつつ、←本来重要なのはこっち
外部的な問題として
>>753等があって、即ち、
主体的な鑑賞なしに楽しめるたぐいの漫画・映画・音楽が流行することで
文学の求心力の衰弱&ニーズに合わせた軽い文体による小説の濫造という事態。
と、まとめてよい?
808 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/29 23:39
>>806 とにかく君の勇み足であったことは間違いないのだ。
>>808 「内面重視をしなくなったのが文学の衰退だと書いている人」ってどこだ?
見当たらん。
810 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/29 23:57
>>806 自己批評無しにという条件文を示すことで内面重視そのものとは区別しているようだけど
そんなものは言葉遊びであって自己批評というもの=内面重視なことは明白だ。
パラレルな賛同などというものを持ち出せば何でもそうなってしまう。
そういう無意味なレトリックにも僕は感心できないな。
>>810 >前段
そりゃ乱暴すぎるよ。
例えば阿部和重が内面重視といえるか。
>後段
じゃあ、芭蕉まで持ち出して
>>764を書いた意図はなんだったのか
説明してほしい。
812 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/30 00:13
813 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/30 00:13
自己批評が外部的なものだと言えるならそう証明してくれ。
ああたしかに。阿部和重を内面重視といえるし、
自己批評ある脱内面もまた内面重視だといえる。乱暴だけど正しい。
自己批評は内部的である。
が、その問題は外部的な問題に絡んできている。
自己批評を外部的だと言ったことなどない。
>>764は「芸なき内面重視」を批判している。
しかし批判対象はいかなる小説を想定して言っているのか。
この問題の証明責任はそちらにある。
もうちょい整理して書くとさ。
>>764が批判したのは芸なき「内面という内容面」重視だったわけで(ややこしい)
内面重視そのものじゃなかったわけだ。が、
>>756-760はその最後に方法(=芸)の貧困を指摘してます。
>>764を
>>756-760への批判だとするなら、内面重視そのものへの批判と捉えなければならず、おかしい。
おかしくてわからないので批判対象を具体的に挙げた説明がほしい。
816 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/30 01:27
だからさ、衰退論の人達は問題を細切れに分析してそれぞれを相対化し論点を集約させないまま
しかし「衰退という実感」だけは守るという猪口才な技の得意な人達なんだよ。
だから問題の一部分として「内面から表面へ」というものを挙げておいて
そのすぐ後では一応それにも反駁するわけ。だけど話のトーンとして内面の希薄というものも
その「実感」の一部分としては残しておくわけだ。そこから衰退を語りたい人のために残しておく。
難波氏がそもそも書き、それを敷衍させてあんの氏が書いたことの一部を受けて
その問題が別に現代特有のものではなく芭蕉の時代にもあった、
つまり「現代文学の衰退」というよりは文章表現について回る基本的な問題だったと考えるべきだと
まさにそこに力点を置いて書いたのが僕の
>>764なんだよ。
>>816 つまり、難波氏とあんの氏の意見を勝手に折衷させ、
その折衷案の一部分だけにC氏がレスしたわけだ。
それはつまり、誰に向けてのレスでもないことになる。
個別にレスをするのならともかく、
そういうのはシャドーボクシングでしかない。
818 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/30 02:55
>>817 何を勘違いしているのかわからんが、ここはみんなでシャドーボクシングする場所なんだよ。
だから都合よくくっついたり離れたりしながらいつまで経っても衰退とは何なのかを明らかにしようとしないんだ。
衰退論の人達は。
内面の無批判な重視を批判する
>>764は、
>>756-760への賛同にしか
見えなかった。でもOK。結論部が現代特有の問題ではないのだと
指摘するところに力点があるとわかった。(表面への移行という問題提起は現代特有だと思うが?)
「その問題が別に現代特有のものではなく芭蕉の時代にもあった」
じゃあなぜこの一行を最初から書かない?
俺は817じゃないけど、ポンと無責任に独立した文章を投げ出されたところで
いかようにも読めてしまうんだよ。
>>804の「内面重視をしなくなったのが文学の衰退だと書いている人がいる」
にしろ、自己批評ある脱内面もまた内面重視であるとの前提を示さずに
言えたことじゃない。
大体、新たな要件を足すことで従来の内面重視と区別することのどこが言葉遊びで、
両者を同一視することのどこが言葉遊びでないのか? (それがありうることとしてもだ)
まあこれらはC ◆7sqafLs07s氏の態度への不満だ。
まとめちゃん。
文学の衰退が云々されるときに想定されることを、2つに分けて考えてみる。
即ち、文学にとって内部的な問題と外部的な問題。
まず、外部的な問題とは、難波氏が
>>753で述べ、またしばしば指摘されてきたことだ。
アレンジを加えて書くと→主体的な鑑賞なしに楽しめるたぐいの漫画・映画・音楽の発達により、
「読む」ことを要求する文学というメディアは現代において流行らなくなった。
これにより、文学は@社会的求心力を失う、Aニーズに沿った軽い文体を濫造するなどといった事態を見せる。
こうした事態を憂えるのであれば、文学は衰退している。
次に、内部的な問題とは、極端に言えばあんの氏によって
>>721で提示されたようなことだ。
小説において可能な表現は出尽くした、っていう。出尽くしたというなら文学は衰退している。
内部的な問題が外部的な問題と絡むこともある。つーか絡め。
例えば、
>>756-760であんの氏が提起した問題がそう。
上記のごとき現代という時代にあっていかなる文学が可能であるか、という問題。
(福田の「イデオロギーズ」みたいなノリ。柄谷はグローバリズムとか言ってたな)
あんの氏は日本近代文学的な内面を脱する際に自己反省の態度が必要だという方向性を示す。
これを不可能、現実にそのような作品・作家は存在していないというなら文学は衰退してるんじゃないのー。
それから、無根拠性を語ったものもありました。
>>733 例えば田山花袋の評論「露骨なる描写」読むと、
何事も露骨で自然じゃなければならないと言ってる結局の論拠が
「トルストイとかゾラがそうしてるから」なんだよね。
そもそもの坪内逍遥の「小説真髄」が、結局は「西欧の人がそうしてるから」なんだよね。
そしてそれらが文学の主流を築いた。
でもいまは文明開化モードじゃないからさ、
共通の「文学とは〜でなければならない」なんてない時代なんだね。
自分が考えたくない事には思考停止し、自分が考えたい事には考え過ぎてしまう。
人と言うのはいつも安定する事無く、極端な形を保持し続けるんだ。
でも、その偏りを一方的に非難したり、否定する事は全くの無意味であろう。
それは非難者、否定者も被非難者側からすれば同様に偏っていると思っているからだ。
結局は自分の持っている、持論、理論に甘えて第三者の存在を自分の手で
絞め殺すのだ。
其れ以前に正しいもの。まあ、正義というモノはなにかしら規定しうることが
できるのだろうか。俺らが前提として正しいものと信じているものは自分の
存在や自分が持っているその独立した思考。他にも自分の取り巻く環境や社会を
一様は正しいものとして認識はしているだろう。あくまでも、社会や環境が
間違っているというのは既存した社会というものが。自分の思考上の社会
(理想、妄想社会)というモノの形にそぐわない場合、言われる言葉であって。
その自分の思考上の社会は前提として既存した社会を正しいもの
(実際にあるものとして)として先に認識しているからであり。前提上、
正しいと思っているものとして考えさせてもらう。
結局、俺らが一々、批判したり、肯定したり、否定したりするのも。自分の
考えは正しいものと言う、又は自分が好きな社会的権威を持っている人間の
言葉を悪用して。自分の存在を限界まで肯定したいと願っているからのように
思える。そして、自分に対しての対抗意見を過剰に反応して。自分の持っている
論理を相手にぶちまけ。それによって相手が退いた場合、自分の正当性を鼓舞
するのである。
又、自分が負けた場合(負けたと思った場合)は愚かな老人の歴史語りのように
愚痴愚痴と影で語るのである。でも、負けも勝ちも関係なく第三者には穢く
自己満足を垂れ流すようにしか見えないがな。結局は、自己満足に溺れていく
わけか。それが歴史と言うものであれば。中々の嘲笑ものだな。
823 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/30 13:44
>>819 自分たちの不勉強や不誠実を棚に上げて、実在するという根拠も出さず
文学は衰退したという「実感」なるものを身勝手に展開している人達への抗議として
僕はいろいろ書いているわけで、態度として喧嘩腰を演じているのは
この争いを読む第三者に少しは別の面白み、俗っぽさ、コンビニ的価値観を
与えるためなのです。つまりここに来てシャドーボクシングに参加するのなら
隣でやってる奴のパンチが不意に自分を襲うことも予期しておくべきだと
僕は今更ながら警告しておきます。
そのうえで、二人で正式なボクシングをしようと仰るのであればそこからは
それにきちんと付き合います。僕にとって不毛なのは言葉のやりとりの前に
「意見が噛みあうはずがない」だとか「誰が何と言おうとこれは実感」
だとか書く人の傲慢であって、そんなことは日記でやってくださいと思うのです。
「その問題が別に現代特有のものではなく芭蕉の時代にもあった」
についてはあの文章「自体」がまさにそう言っているわけで、いちいち説明するような
ことではなく、あなたの言っていることは単なる言いがかりだと思います。
織田信長について書いた文章を読んだ後に「なぜ信長が存在したと先に書かないんだ?」
と言っているかのようです。いかようにも読めるでしょうが、あの文章を読んで
芭蕉の時代にも現代の小説と似たような争いや対立があったことは明白に伝わるはずです。
少なくともそれを否定するような読み方は出来ないと思います。
このような無意味な言動というかいちゃもんが貴方には多すぎるのです。
最初からしてそうだった。であれば、相手の態度を非難するようなことは無意味です。
824 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/30 13:49
それから、まとめるなら衰退の根拠についてその場その場で反駁されてきたことについても
同じようにまとめるべきです。それが無いから衰退論の人達は研究という態度ではなく
愚痴になってしまうのです。
>>823-824 読む第三者なんか居ない。
2chの格言その一「誰もが、自分のカキコだけを読み返す」
くだらなさすぎるスレ汚し。
そんな不毛な言葉は日記でやってくださいと思うのです。
いろいろと言う人はいるけど、心情的にはCんを味方したい。
なぜ味方したいか?
もし文学が衰退しているとしたら、その原因となっているのは
Cのような人ではなく、難波、あんの、802のような人たち(代表者にしてごめんね)だと思うから。
文学をつまらなくしてるのは理論です。
だって現代音楽や現代美術が個人的につまらなかったのは、頭でっかちになりすぎてたから、いまその揺り戻しが来ているように思う。
文学関係者ももっと素人を大事にしろ
827 :
吾輩は名無しである:04/07/30 18:56
>>823 このような無意味な言動というかいちゃもんが貴方には多すぎるのです。
冷静さが無いから研究という態度ではなく愚痴になってしまうのです。
>>818 >ここはみんなでシャドーボクシングする場所なんだよ。
これは個人的見解でしかない。C氏がシャドーボクシングを楽しむのは勝手だが、
それを「みんな」の共通認識にしようとするのは独我論的な先入見でしかない。
>衰退とは何なのかを明らかにしようとしないんだ。衰退論の人達は。
わからなければこう尋ねてみればいいと思う。「あなたにとって衰退とは何か?」と。
また、「衰退論の人達」という集合が不明瞭。難波氏なら難波氏を名指せばいい。
「衰退論の人達」というその曖昧な言い方が他者に正面から向き合おうとしない逃げ腰に映る。
「衰退論の人達」というHNを持つ架空の相手とシャドーボクシングをしているのなら話は別だが。
829 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/30 23:06
>>825 すぐ下で否定されちゃったね。
>>826 センスより論理のほうが人に優しいから人は論理に逃げ込むのです。
オウムにだって論理はあって、だから優秀な理系も騙された。
論理は石を鳥に変える。でもセンスは石には石の良さがあることを
ちゃんと見出すのです。
>>827 もはや鸚鵡返ししかできない君は可哀想な人だから笑って許してやろう。
830 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/30 23:07
>>828 個人的見解ではないんだな。「話がかみ合うはずがない」だとか
「誰がどう思おうと」だとかの発言はまさにシャドーボクシングなんだから。
そうじゃないと言えるならちゃんと書いてくれたまえ。
衰退については尋ねればいなくなってしまうんだ。みんな。
反駁されれば人格否定だ。そういう人ばかりだった。
そして君のように無駄な分析。反論部分は無視して
衰退の欠片、つまり君達の怠惰な白昼夢の欠片を集めるだけ。
きちんと自分の意見を持ち、反する意見の持ち主と議論をする、
とことんやる、そういう意思があるのなら、
少なくとも君を個人として認めるつもりだ。
しかし君はオリジナルの意見を持たず、
ただ分析するのみだ。それでは話にならない。分析はスパーリングですらない。
それもやはりシャドーに過ぎないんだ。
では尋ねよう。君にとっての衰退とは何だ?
831 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/30 23:56
>>766 >日本最初の小説といわれる坪内逍遥『当世書生気質』。
>地の文は七五調の文語体、会話文は口語体の、当時としては革新的なもの。
>新しいも時代の到来は、いつも混乱と共にある。
それはいえると思います。竹が数々の節目によって強く高く育つように。
その意味で、
>>681では下記のように書いたわけです。
「近代の超克」や「文学の終り」という言説自体が矢部氏のいうように、
「文学」という囲いの中で何度も繰り返されてきたものならば、
わたしが書いたように、その「言説」自体も「文学」として受け止めることも可。
とすれば、「文学の終り」を語ることは文学の延命にとって必要かもしれない。
加藤典洋や後藤明生の言葉を引用したのも上の文脈からです。
832 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/30 23:57
>>784-785 >蓮実重彦がなぜ黙るか?かれはこの不毛を知っているから。
おそらくその通りかもしれません(下の書き込みはわたしです)。
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1050422679/226n >柄谷行人もまた、感覚的に分かる簡単な論理でしか語っていない。それが全てではない。
>彼らは既に議論を終えており、それを繰り返すことの不毛を知っている。
これもそうかも知れません。わたしたちは彼らが議論を終えた道を
頼りない足取りで新たに歩み始めたところかもしれない。
>その断片を取ってきてそのまま捻りもせずに引用する人。
>単に(自分の知る)今の状況から批判しようとする人。
>それがなぜ可能かについて考えず他の意見を否定する人。
>彼らを排除し得ないが故に、しかも傍観しか出来ないからこそ
>文学は衰退せざるを得ないという意見。言いたかったのはこっちなんですね。
>そもそも反応なかったけど。
これは考えさせられる意見です。少し考えてみます。
ある意味で
>>458で私が書いたことも相対主義的観点かもしれない。
どうも文学外の事態(特にメディア論)を挙げて
衰退を言う人が定期的に登場しているようで、ドードーめぐりに
ならないように、問題を点検してみようと
>>820でまとめたわけだ。
>では尋ねよう。君にとっての衰退とは何だ?
俺へのレスじゃないけど答えてみる。
>>753のような文学外の事態を認めるにしても、
それで衰退とはならない。
春樹、源一郎、島田、保坂、佐伯、笙野、阿部、中原(?)といった
意欲があって、しかも読まれてる作家がいるから。
衰退とは、読者に読まれなくなることだ。
ここで想定してるのは現代詩なんだが、源一郎あたりの証言を聞くに
70年代頃にはややマニアックとはいえ現代詩文庫を読むという
風潮はあったそうだ。
90年代以降、現代詩は読まれない。谷川や入沢や佐々木といった大ベテラン
が良作を書く、まあ一応面白そうな新人は登場する。が、読まれない。
詩は小説以上に読者に主体的な努力を強いるという外部的原因、
方法の行き詰まりという内部的原因の両方が絡むだろう。
でも小説は読まれてるから衰退じゃないんじゃないの。
834 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/31 00:19
>>833 802氏には読んでいただいたことに感謝です。
>>819-820でまとめてもらったことにもお礼を。
ここでは自分の意見を主張する人は多いのですが、
他人のレスを「その可能性の中心」で読もうとする人が少ないように思います。
その意味で、802氏には読んでいただいたことのお礼を。
ただ、
>>756-760で書いたことは私個人の意見というのではなく、
難波氏と矢部氏のレスを加藤と後藤からの引用によってつないだのであり、
他者のレスをわたしなりのアレンジ(文脈)で読んでみたということなのです。
よっぽどヒマなんだね
836 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/31 00:34
>>822 >自分が考えたくない事には思考停止し、自分が考えたい事には考え過ぎてしまう。
>人と言うのはいつも安定する事無く、極端な形を保持し続けるんだ。
>でも、その偏りを一方的に非難したり、否定する事は全くの無意味であろう。
>それは非難者、否定者も被非難者側からすれば同様に偏っていると思っているからだ。
>結局は自分の持っている、持論、理論に甘えて第三者の存在を自分の手で
>絞め殺すのだ。
これはわたしあてのレスではないのですが、考えさせられます。
837 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/31 00:35
>>830 >衰退とは何だ?
これもわたしあてのレスではないのですが、
わたしにとっての「衰退」とは、まず「衰退の言説」なのです。
作家や批評家やジャーナリズムにおける様々な「衰退の言説」があり、
それを取り上げて読んでみよう、考えてみよう、というのが主張です。
ゆえにこのスレにおいても、矢部氏、難波氏、519氏の意見を取り上げ、
自分なりに読んできたわけです。
838 :
吾輩は名無しである:04/07/31 01:01
やはりあんの氏しか反応無しか・・・
「衰退」とは、まず「衰退の言説」 には私も賛成。
>>226の書き込みは見ていませんでした。蓮実の文体はやっぱいいですね。
陥没地帯は何か好きです。
Cさんに聞きます。
>だからさ、衰退論の人達は問題を細切れに分析してそれぞれを相対化し論点を集約させないまま
しかし「衰退という実感」だけは守るという猪口才な技の得意な人達なんだよ。
と仰りますが、現に衰退論が理論として出され、それが貴方の知らないものでありうるということに対し
どう思われますか?貴方は知らないことになぜそんなにも自信をもって発言できるのですか?
>>826さん
理論それ自体は決して文学をつまらなくするものではありません。
いわゆる理論が作られたあと、それ以前の作品が無視されるわけではなく、
逆にその作品の可能性を汲み取る形で解釈されるのであって、仮にそのような読みが
なされなくてもかつてあった価値は消えるわけではない。気に入らなければ無視できる。
無視して悪い理由は存在し得ないのです。少なくとも現代においては。
839 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 01:28
>>833 こうやってシャドーからいきなり多対一になるのもここのよくある状況なんです。
何故、無関係な人達がここに来ていきなり(今まで無視していたくせに)
一致団結してくるのか……まあ偶然と言われるのでしょうけど。
あなたの書いているのは新潮の特集で高橋が言っていたことですよね?
しかしながら高橋はそのような現象を必ずしも否定的に述べたのではなかった。
これも事実です。彼はやはり「ものす側」の人間なので自分の立ち居地を
見極めるために新しい作家達の振舞い方を自分と比較しているのだと思います。
読者に読まれなくなることが衰退だと貴方は書く。
しかし「読まれなくなるもの」が具体的に何なのかは省く。
詩の話をしていますが、詩全体が売れていず読まれていないのかどうかについて
全く検証もされぬままです。
そもそも高橋が例に挙げていたのは現代の若い詩人達の例であって
一般読者とは分けて考えるべきです。論証の甘さを指摘して次を待ちます。
840 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 01:33
>>837 つまり実際に衰退があるかどうかは別にして衰退というキーワードで語られているものを扱うということですか?
ならば何故「衰退していない」というもう一方の「衰退の言説」については等しく触れないのでしょうか。
考えてみる、ということは信じてみようとする、ということとは違います。
懐疑的な視点を排除して「衰退している」ということに肯定的な意見のみを扱うのであれば
それは少なくとも意味のある思考ですらなく単純な志向だと言うべきでしょう。
やはり日記でやるべき範疇です。
841 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 01:35
>>838 現に衰退などしていないという意見が理論としても実感としても出され
(多くの若い読み手が否定する声を上げてきたのですから)
それが貴方の知らないものでありうるということに対し、
どう思われますか?
僕は貴方達の述べていることすべて「知らなかった」とは思えません。
たとえばどの話を僕が知らなかったと感じたのですか?
えっとね。
いや、別にどうでもいいけど何かレスを選んでいるように感じたものだから。
現に衰退していない理論とかってのはどうでもよくって。
そんなんどうとでもいえる時代なわけで。
むしろそのどうとでも言えるってところから衰退せざるを得ないって議論が出たわけで。
なのにあんまりCさんの意見にはそれ踏まえた形跡は全く感じなくって。
もし「知ってたなら」それでどうして自分の意見断言できるのかなって。
知っててそれを無視したなら、無視する理由を教えてくれるとうれしいです。
あと言っておきますが、貴方に向けられる反対論の全てに賛成するわけではないですよもちろん。
つーか大部分反対。そこはかわいそうに思いますが。
843 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 01:58
>>842 そうやってまた有耶無耶にするんですか?
相手には厳密を求めるくせに自分が根拠を求められると
「別にどうでもいい」
「感じた」
「どうでもよくって」
「どうとでもいえる」
(何の論証もなく)「結論が出た」
「あんまり」
「感じなくって」
「かなって」
「うれしいです」
あまりにもひどいと思うのですが。
ついでに、「衰退していないという言説」について触れられていないといってしまうのも?です。
そのような言説はそれ自体もちろん説得力は持ちえます。
しかし、それをやはり普遍化できない時代なのです。
普遍化した時点でそのような意見は絶対的根拠が失われたという現実にぶち当たります。
この現実という言葉が気に入らないようならまぁクリプキとかからやってもいいですが・・・
以上から、そのような言説はあくまで貴方個人のものにとどまると思います。
それを普遍化する理由は?と再び戻ります。
被りましたけど842の言い方がうやむやと感じたら844はどうなんでしょうか?
846 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 02:06
>>844 普遍化というものが何を指しているのか不明瞭なのですが、
少なくとも普遍化できないことと「触れないこと」の間に相関関係はありません。
特殊な意見であっても触れることはできます。
しないのは意図があるからでしょう。何らかの。
絶対的根拠など人類発祥当初から存在しないでしょうしこれからも存在しません。
懐疑の余地がなかった「結論」など今まで人類が一つでも見出したでしょうか?
「確信というものは、知識のあるところよりも、知識のないところから生まれるものだ」
たしかダーウィンの言葉です。
あぁたしかに並びからして誤解を招きますね。
838である僕がそのような議論は成り立つと触れたというわけです。
もう一つ誤解があると思うのですが、絶対的根拠がほんとに否定されたのは
ごく最近です。そのダーウィン?のことばにしても単に人間にはしり得ないという
だけで、真理は存在していたと。それが砕かれたのが最近だと。
そしてそれが衰退論につながるって意見なんですが。
848 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 02:18
>>847 いや、あなたは物事や哲学や思考の表面的なことしか見えていないようです。
あなたが言う
絶対的根拠が「ほんとに」否定されたのは
という話をもう少し詳しく説明してもらえませんか?
僕にはちょっと眉唾なので。
えーとそれは正直面倒なんですいませんごめんなさい。
とりあえず本題に関係ないし。
846書いてるってことはとりあえず無根拠性には納得いただいてるとみなします。
少なくとも上の議論を受け入れるなら貴方の意見は他人についても当てはまるとは言えない訳です。
僕はその上で、そのような状況が衰退をもたらすというメタレヴェルの解釈提示したわけですが・・・
一応有耶無耶からは程遠い理性的な議論だと思いますが。頼むから質問に答えてください。
850 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 02:43
>>849 じゃあ正直面倒なんでやめます。とりあえず衰退論者のレベルが知れました。ありがとうございます。
そうですか・・・ 結局まともに相手してもらえませんでしたね。
まぁ引き止める権利もないわけですが。
849は確かに謝りますから付き合ってはいただけませんか?
言い訳させてもらうと、このような場で議論を持ち出すと、結局のところ結論だけになってしまう。
しかし議論の生成過程にこそ意味があるため、なるたけ実感として扱えるものを使おうとした訳です。
ポストモダンという雰囲気として無根拠性は実感されていると思ったものですから。
そこをあいまいと衝かれれば反論はありません。
852 :
ファルスマン ◆yxnU6MROKk :04/07/31 04:57
Cってのは物凄い淀んだ本物のルサンチマンがあるな。
じゃないとこんな姿勢で相手と接するなんてありえんぜ。
鬱憤晴らしの為の2ちゃん利用ってのは好かん。
853 :
ファルスマン ◆yxnU6MROKk :04/07/31 05:00
賢いから自分見つめられないわけじゃないと思うんだが、見つめたくないんかな。
854 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 07:29
ressentiment・Cの場合。
あのさあ、最初に「おまえはものを知らないくせに」みたいなこと言ってきて
そのあとも「正直面倒」なんて書くようなやつに
なんで礼儀正しく接しなきゃいかんのかね、ファルスマン君。
絶対的根拠を否定したすぐ後に
「実感」などという言葉で結局なにかが確実にそこにあるようなことを匂わす
そういうものこそ知的精神の成れの果て、つまり鬱憤なのではないだろうか?
手っ取り早く結論に飛びついてしまう童貞根性丸出しの性愛。
それが衰退論者なんだ。僕から見ればね。
僕はその横っ面を張り飛ばす。
もちろん10オンスのグローブをはめて。
彼らは喧嘩の仕方も知らないようだからね。
だから相手がどんな武器を持っているかもわからないのに
あまりにも不用意に近づくんだ。
君はもう少し賢い人なんだろうと思う。
だから君を相手にするならば僕も素手になるかもしれないよ。
855 :
吾輩は名無しである:04/07/31 07:29
文学って誰に向って、出版されてるの?
それから、ポストなんとかだのメタレベルだの絶対的云々とか
っていうような言葉じゃないと話し合えないことなの?
大学の研究室では、こういうのが当たり前ですか。
それじゃあ、読まない人が多いのは、しょうがないかもなあ。
数の問題じゃないかもしれないけどねえ。数もあるでしょ。
856 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 07:49
>>855 いや、そもそも存在しないものを語るとき、その修辞はどうしても難解になるのです。
簡単に書いてしまえば「否」の一文字で終わってしまうから
ここで仮に〜というものがあるとして
〜という条件のもとでそれを考察するとき
〜ということもまた言えるのではないか。
その一方でやはり〜ということも考えなければならず
その意味においては〜ということに疑問符がつくのであり、
しかしながら〜という新たな条件を付託させるとき
実感として〜というものがあると考えることもできるのだ。
こんな書き方になってしまうのです。
結局、衰退なんてないってことなんですけどね。
857 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 07:54
ただ、上にも他の人が書いていますが文学理論というものが全く無駄だとは言えません。
本来は作品を読み解くために有効な読者のためのガイドだったんです。批評も理論も。
それが作家と(無意味に)タメをはるようになってきて混乱しているんです。
作家も批評とタメをはらなきゃいけなくなって作品の中に文学理論を持ち込んだ。
本来、幸福な三角関係であったはずの
作者−読者−批評家
この三者のうち二者が始めた面子争いによって読者が損害を蒙っている。
この現状もやはり、文学の問題の一つだとは思います。
三者が再び円満に離脱すること。そんな状況が再び訪れれば
それぞれも活況を取り戻すんじゃないかと僕は思いますが、難しいでしょうね。
あれこれ言いたがる人の自由ばかり豚のように肥えてしまったから。
858 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/31 11:50
>>840 >つまり実際に衰退があるかどうかは別にして衰退というキーワードで語られているものを扱うということですか?
もちろんそうです。
>ならば何故「衰退していない」というもう一方の「衰退の言説」については等しく触れないのでしょうか。
触れています(もっと触れる必要があるとしても)。読んで欲しい。
たとえば、加藤典洋の引用は純文学の衰退について語った河野多恵子に対する反論です。
>考えてみる、ということは信じてみようとする、ということとは違います。
その通り。だからわたしは「衰退してる」という結論はこれまでひと言も言っていない。
読んで欲しい。むしろ「衰退してない」ことを信じているのはC氏であると思われます。
わたしは「読んでみよう、考えてみよう」と
>>837で書いている。
「読んでみること」「考えてみること」、それを抜きには何も語れないと思う。
>懐疑的な視点を排除して「衰退している」ということに肯定的な意見のみを扱うのであれば
>それは少なくとも意味のある思考ですらなく単純な志向だと言うべきでしょう。
>やはり日記でやるべき範疇です。
それゆえに、この言葉はそのままお返しします。
まず読んでみること、これがまず大事なことでしょう。
結局、
「文学研究」ついて語っているのであって
「文学」について語っているのではないように思う。
印象にすぎませんが。
そもそも「衰退」を語る意味ってなんですか?
>857
>本来、幸福な三角関係であったはずの
>作者−読者−批評家
脳天気な厨房読者の幻想にすぎませぬ
861 :
吾輩は名無しである:04/07/31 15:48
Cはそもそも衰退などないと信じているわけで
研究者ぶった態度は取っていないな
いや、Cは戦略的反衰退論者でしょ。
実態は、ぬるい衰退論が気に入らない衰退派の最右翼。
穿ちすぎ?
863 :
吾輩は名無しである:04/07/31 17:00
確かにCは「文学の問題」という言い方で
何度も問題提起しているな。
しかしそれと衰退とは違うんじゃないか?
864 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 20:02
>>858 読んで欲しいのはこちらもです。僕は「等しく」と書いています。等しく触れているとご自身では思えますか?
それと「考えてみる」という態度はあなたの表明であって僕には無関係なので、
そこを切り返されても困ります。
865 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 20:04
>>861 研究は研究室でやればいいことだからね。
>>862 すぎ。
>>863 違うよね。衰退っていうのは失われた最盛期を前提にしている。
しかしその割に、文学全体を見渡す視点がないんだよね。
だから僕は文学の問題を扱う。
866 :
吾輩は名無しである:04/07/31 20:18
しかし自分でレス書いて自分でレスを返すというのも大変だね。
867 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 20:27
>>866 ?
あなたには何が見えるんですか?
それとも病気?
どうもー。Cさん、いろいろ解説いただいたようですが、
あほの僕には難しすぎます。ごめんなさい。
もう一個だけ質問させてください。文学って何のためにあるんでしょう。
存在意義みたいなものが、よく分からんのです。
楽しみのため、趣味のためなら読み物を楽しむだけでよさそうなんですが、
これをそんなに、議論しても、その目的が分かりません。
869 :
C ◆7sqafLs07s :04/07/31 20:51
>>868 学問には学問自体の楽しみがあるんです。
マラソンだって似たようなものでしょ?
普通あんなのただの苦痛です。
でも楽しんでやる人もいる。
意外と、何でもそうだと思いますよ。
議論もまた然り。
あとは向き不向きだと思います。
うーん、いままで読んでみて
やっぱり気になるのはその点なんだよね。
「学問」としての「文学」と
「表現」としての「文学」の乖離、あるいは議論の中で混同されている可能性。
表現する側が研究者と同じ立場に立ってしまったら
「文学」がつまらなくなってしまうのは目に見えてますよね。
例えるならば、実態経済と経済学の関係のように
つねに学問はあとづけでしかない。
極端な話、経済学なんてなくてもいい。
研究だけが目的なら必要だろうが。
871 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/31 23:15
>>864 >読んで欲しいのはこちらもです。
言いたいのは、批判をするならば「まず読む必要がある」ということであり、
別に批判対象にしないのであれば、読む読まないは各自の自由なわけです。
一応C氏のレスも読んでますよ。お望みであれば引用してもいいですが。
C氏の引用をしないのは、他の人と違い饒舌に自説を語っているから。
>僕は「等しく」と書いています。等しく触れているとご自身では思えますか?
衰退についての言説について、なぜ「等しく触れる」必要があるんですかね?
もし「双方の意見に等しく触れる」というのがあなたの姿勢であるならば、
まず自身で実践するべきだと思いますよ。
自分で実践できていないことを相手に求めるのは野暮というものでしょう。
>考えてみる、ということは信じてみようとする、ということとは違います。
そうC氏が
>>840で書いたから、
>>858でレスを返したまでで、
別にわたしの考えを押し付ける気はありませんよ。
あなたが「衰退してないこと」を信じていることにも別に文句はないわけです。
>「考えてみる」という態度はあなたの表明であって僕には無関係なので、
>そこを切り返されても困ります。
困らせるつもりはないですよ。
ただ、切り返されて困るようなことは書かないほうがいいと思いますよ。
872 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/31 23:16
>>838 『陥没地帯』が優れた小説だという意見には同感です。
ただ蓮實批評のあの文体というのは、
>理論それ自体は決して文学をつまらなくするものではありません。
>いわゆる理論が作られたあと、それ以前の作品が無視されるわけではなく、
>逆にその作品の可能性を汲み取る形で解釈されるのであって、仮にそのような読みが
>なされなくてもかつてあった価値は消えるわけではない。気に入らなければ無視できる。
>無視して悪い理由は存在し得ないのです。少なくとも現代においては。
同意です。批評が作家を逞しくする場合もあるし(その逆もあるにせよ)、
そして、理論的かつ批評的な眼をもった作家も数多く存在しますね。
873 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/31 23:21
>そもそも「衰退」を語る意味ってなんですか?
>>859 >「学問」としての「文学」と「表現」としての「文学」の乖離
>>870 文学研究と創作活動が密接に結びついてる作家もいます。
小説家でもあり批評家でもある後藤明生の言葉を再び引用しますので、
各自で考えてみてほしいと思います。
874 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/07/31 23:29
以下は後藤明生の言葉の引用です。
>「小説の衰弱」は、ある意味では、このジャーナリズムとの「対話」の衰弱だといってもよいくらいである。
>いまそれが、文学にとって最も重要な「対話」であることを更めて強調したい。
>また、ジャーナリズムにも提言すると同時に作家も批評家もそれぞれが自分の問題として、何が衰弱したのかを考える必要があるだろう。
>ジャーナリズムの「話題」は終っても「小説の衰弱」が終ったことにはならないからである。」
「小説の衰弱」は「対話」の衰弱だともいえるということに重点があります。
>小説の危機は、何も今に始まったことではない。というより、
>二十世紀小説は危機と解体が出発で、常に危機の連続であった。
>本来の危機は、そのことを忘れたノンキさにある。そういう小説が衰弱したのである。
「危機感」を忘れた小説が衰弱したのだということであり、
小説の危機に正面から向き合う必要があると言っています。
どんな小説が衰弱するのかといえば、
それは「自意識、自己批評、自己反省をもたない小説」であり、
>日本現代文学の「衰弱」は、分裂、解体した自己意識をいかに書くか、その方法の貧困による。」
「方法」の貧しい小説は衰弱するのだと語っています。
875 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 02:26
>>870 全くその通りですよ。不況の時に経済学者が儲かるようなもので。
しかも無数の経済学者がみんなバラバラのことを言って
世の中は一向に変化してゆかず
変化したとしてもそれを後から説明するだけ。
学問にはそういう側面があります。
しかしながら生身の人間ややはり予測不可能な世界がそこに存在する限り、
後から「説明」されるのでもある程度の影響力を持ちます。
端的に言えば、その後付の説明によって
ある現象の価値や重みをある程度、操作することもできるわけです。
はじめに言葉ありき。印象とはつまり言葉ですから。
だからその印象付けから逃れるために作家の中にも文学論を学ぶ人が現れる。
対抗策として。これも必然です。
876 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 02:31
>>871 何を勘違いしているんですか?あなたに引用されたり評価されることに
僕が価値を置いているとでも?
違いますよ。そんなことあるはずがないでしょう。僕の意図は今回のあなたの言葉そのまま。
批判するなら相手の意見を読め。ということです。
「等しく」と書いたのに「やってますよ。これなんかそう」と返すことに
意味がありますか?と問うたのですよ。
だから再び等しくやっていますか?と書いておいたんじゃないですか。
等しく触れていないのなら、何かの現象を中立的な立場で見ることとは
異なる態度なわけです。ご自身でそれを宣言なされたのだから
僕の目的もほぼ叶いました。
つまりあなたも考えてみるのではなく結論は先にあるわけですね。
なんだ、最初から思っていたとおりだったじゃないか。
877 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 02:33
>>874 そう語られていますが
「自意識、自己批評、自己反省」を持った小説の例も持っていない小説の例も
上げられていないばかりか、方法の貧しさとは何か、そのことにすら触れていないんですよね。
衰退論って何処までもそうなんだよな。
結局「実感」だから。根拠が。
878 :
吾輩は名無しである:04/08/01 03:24
まんこの友達
879 :
吾輩は名無しである:04/08/01 03:26
>>878 ちんこ≠文学的に表現しよう。スレと間違えた スマソ
880 :
吾輩は名無しである:04/08/01 04:33
全然前スレ読んでないんですが、衰退とはなにをさしているんですか?
面白い小説がなくなってることですか?
881 :
吾輩は名無しである:04/08/01 08:44
>>880 文学という言葉を意識してほしい。面白い小説は、読み物が多いだす。
もっとも私の好きな芥川龍之介も面白いといえば面白いか。
しかし、芥川は文学だす。
大江健三郎は、ノーベル文学賞をもらったけど、私にとっては単なる難解文だす。
あれ、レスがまとまらなくなった。
>>881 それは随分偏った文学観だ。
「面白い」ってなによ。
知的興奮を伴う読書体験は「面白くない」のか?
いろんな意味で「面白い」からこそ読者から愛されるのでは?
883 :
吾輩は名無しである:04/08/01 10:16
スタティックなものは今後どんどん衰退していくよ。
ダイナミックでフレキシブルでインタラクティブなものが生き残る。
そして旧態依然とした文学は後者の中には入っていない。
文学が生き残りたければ進化しなくてはならない。
>いや、あなたは物事や哲学や思考の表面的なことしか見えていないようです。
あなたが言う
絶対的根拠が「ほんとに」否定されたのは
という話をもう少し詳しく説明してもらえませんか?
僕にはちょっと眉唾なので。
しかたないのでここから答えますか。
まず、クリプキによって自分と他者が本当に同じことを考えているかわからない。
ということが言われました。証明は簡単に読めますのでどうぞ。
ゲーデルによって、どんな公理系をとっても公理系内では体系の無矛盾性、完全性を証明できない。
という数学的証明がなされました。東大入試くらいの難易度で理解はできるのでどうぞ。長いですが。
最後にフーコーが真理という言説が19世紀に溯行的に見いだされたものであって、単に言説にすぎないということを表明しました。
このような「達成」あるがゆえに私は絶対的に根拠が否定されたと書きました。
少なくとも貴方の持ち出したダーウィン?の説は単に感覚的確信にすぎず、
別に本当に根拠がないと疑っている訳ではないでしょう?
重要なのは、貴方が根拠のなさを自明視することが、貴方が知ろうと知るまいと
実は彼らの達成によって可能になっているのであり、そのことに無自覚なのではないかと。
>「自意識、自己批評、自己反省」を持った小説の例も持っていない小説の例も
上げられていない
これ、私あてでないですが、意見を同じくするので勝手に書きます。
最近のノーベル賞作家全部そうです。
書くことに無自覚な人間は一人もいない。
ガオ・シンジェンなんてもはや他人は何も言えない。
クッツェのデフォーとドストエフスキーのテキスト下敷きにした「敵あるいはフォー」と「ペテルブルグの文豪」。
さらに彼の「ダスクランド」は近年屈指のメタフィクションであり、自分を書くことと重ねあわせる手法は凄まじい。
いや、知らない訳ではないと思うんだが。
さらに言っておきたいのは、小説だけでなく批評も「自意識、自己批評、自己反省」を持たねばならない。
ということ。批評が安穏としていられる時代ではない。
そこで、Cさんのレスは「自意識、自己批評、自己反省」あるかって言うと・・・
あと、あなたの言うけんかの仕方ってよくわからないんですけど。2ch的って意味?
まっとうな議論でなさそうですけど。
886 :
吾輩は名無しである:04/08/01 12:10
あのー、おもろい本とか映画とか音楽とか、
見た人本人が面白ければいいだけの気がするんですけど、どうなんですか。
あんまり突付いてひっくり返して、評論とかすると、
むしろ詰まんなくなってきちゃいそうな気がします。
議論すればするほど、スイタイとかしちゃったりして。
一応、私はCさんのレス含めた現状説明するモデル出しているんですけどね。
上の議論と同じです。
根拠が失われた。ならば他人の意見を否定することは出来ない。
そういう意見に対し、また「なんとでも言える」とか言われますけど、そのなんとでも言えるってことに
起源がある。それは今の時代に特有なんだ。少なくともゲーデル、フーコーを経由した上でなくては
そんなことは言えない。他人の意見を否定できないならばCさんのような「常識」で判断するような人を排除できない。
それ故に文学は不可避的に拡散する。そこからの議論なら、それでも衰退しないという議論ならいい。
しかし、Cさんの議論は全て「常識」に頼る。「常識」に頼った衰退論に対するならそれは有効。
しかし、衰退論はそれだけでない。全てを否定したいなら、せめてフーコー、デリダ、ドゥルーズ、バルト。柄谷蓮実の議論くらい抑えててほしい。
それともこいつら知った上での言動?
886さんその通りです。
ただ、個人的には衰退論に悩んでいる作家にも非常に面白い達成がなされていると思っています。
885に挙げた人たちとか。
夏目漱石だって文学理論なかったらあんな小説書かなかったでしょうし。
どうして文学論にゲーデルが出てくるんだか。
>ゲーデルによって、どんな公理系をとっても公理系内では体系の無矛盾性、完全性を証明できない。
なんか怪しい表記だな。
数論における(一定以上の規模・複雑性を持つ)無矛盾な公理系は不完全であり、完全性は否定される。
で、当然不完全性定理の適用範囲は「数論における無矛盾な公理系」に限定されるので
安易にそれ以外の(特に文系の)分野には適用できないと思うが。
えぇと、議論がね。絶対的な根拠のお話だったんだよ。
だから真理ってものが存在するかの否定にはなると思います。
つーか文学論にゲーデルはメジャーですよ。頻繁に引用されてます。
少なくとも彼が思想史に及ぼした影響は無茶苦茶でかいですよ。ハイデガーとかも晩年語ってますし。
で、フーコーによって止めさされたと。別に彼だけで文系に応用しようとはしてません。
確かに怪しい表記だとは認めます。すいません
あと彼が証明に使ったリシャールのパラドクスとかは
書くことの問題に直結すると思います。
それからむしろヤコブソンなんかの言語学にも関わるし、
あくまで契機の一つとしてゲーデルがいたからこその言説が形成されていくと思うのです。
838の文脈だと、要するに簡単に言うと、
@衰退論知った上で衰退派
A衰退論知った上で反対派
B衰退論知らない上で衰退派
C衰退論知らない上で反対派
Dどっちも知らない派
がいて、しかも@〜Dはどれも根拠がないってこったよな。
で、DからB、Cは生まれ続けるから@、Aは逼迫される。
しかし根拠ないから@、AはB、Cを否定できない、追い出せない。
すると文学は拡散して衰退って感じか。このへん曖昧な気もするが...
しかしCは要するにCでこの板のほとんどはBか。ときどきDも来る。
Cもそりゃ反対するわな。まぁ反論しづらいが・・・
893 :
吾輩は名無しである:04/08/01 16:17
抽象論が無限に続くわけだ。不毛で実りの無い議論の典型だな。
894 :
吾輩は名無しである:04/08/01 16:18
【20世紀最大の捏造 ホロコースト】
とりあえず歴史改竄の陰謀があったとみるべきでしょうね。
動機はイスラエル建国・パレスチナ分割を有利に運ぶ為に。
下手人は豊富な資金源を持つユダヤ・メディア資本。
英国は、その戦費をアメリカのユダヤ資本の頼っていたから・・・。
恐るべきミステリーだな。
僕ら日本国民はこの謎を解き明かさねば・・・・!!!!!!!!!!!!!
838はその実りがあって、ノーベル賞作家はその恩恵受けているっていいたいんだろな。
じゃあCはこいつらどう評価してんだろ?
838の意見じゃてめえにゃわからねぇって言ってるようだけど。
896 :
吾輩は名無しである:04/08/01 16:33
日本の大学も情報操作受けてるよね。
ラストロボフ事件で判るとおり、シベリア帰還兵の洗脳もあったし、
戦後学校教育そのものの欺瞞と戦わねばならない。
マルクス史観という敵は恐ろしいよ。
文学って言うのは、実学じゃないですよねえ。
その辺は、コンプレックスとか負い目とか感じますか?
898 :
吾輩は名無しである:04/08/01 16:56
>418
なるほど。どうやらリヴィジョニストの方を誤解していたようです。
リヴィジョとはつまるところ、米ソ冷戦体制に基づく戦後教育の欺瞞と
戦う21世紀の新たなる価値観を創設する歴史の始点=視点なのですね。
21世紀、中国が極東アジアの覇を狙う傍ら、僕ら日本の目覚めし
青年たちは内なる敵とも闘わねばならない。
成る程、これは、三島由紀夫先生が仰ってた霊的国防にも通じる
国家の本義を樹立する為の闘争なんですね。
899 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/08/01 20:55
>>892 E衰退の言説と対話する文学擁護派
というのも加えていただきたい。これがわたしの基本的スタンス。
C氏をはじめ、わたしのレスを充分に読んでいない一部の人からは
「衰退論者」とみなされているようだけどね。
ただ、もう少し細かく言えば、難波氏、矢部氏、わたし(これまで)なんかは、
A)主に「日本近代文学(純文学を中心とした近代小説)」という枠組みで語ってた。
そしてC氏や838氏なんかは
B)近代・小説・純文学といった枠組みを外して「文学の本質」を語っている。
だから、たとえば難波氏とC氏の意見がかみ合わないのは当然で、
「衰退してる」「衰退してない」という意見の対立の手前で、土俵が違っているため。
で、今は、同じ「文学の本質」についての、「衰退してない」というC氏と
無根拠性ゆえに「衰退してる」という838氏の対話の流れだと思うので、
ひとまずはこれにて。
(ちなみにわたしが「文学の本質」について書いたのは
>>458だけだと思う)
900 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/08/01 20:56
誤解・早計を避けるためにもう少しだけ補足すると、
「E衰退の言説と対話する文学擁護派」というのは、
「衰退の言説」を読み、考え、対話し、なおかつ
文学の可能性を見出していこうという姿勢。
(そういう意味で既に
>>681を書いたんだが・・・)
>>874で後藤明生の言葉を引用したのも、
衰退論の重要証人として呼んだのではまったくなく、
後藤が「E衰退の言説と対話する文学擁護派」だと思えたから。
そのことを、838氏もC氏も共に読み取れていない。
後藤の意見をまとめると、
「対話性」「危機感」「方法意識」のない小説が衰退してるってことで、
逆に言えば、そういうものがある小説は衰退しないってこと。
そして、後藤明生を読んだことのある人なら、
『鋏み撃ち』などの後生の小説こそ、後者のいいモデルであることは
わかったはずなんだが・・・。
>>900 繰り返しになるかもしれないが、
あなたの言う
あるいは後藤氏の言う
「衰退」とは何を指すの?
無根拠性を根拠に文学の衰退を語っているのか……
「俺の文学は衰退した」
ならわかるけど
903 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 22:30
>>884 いや、まさに表面的ですね。というのは貴方の意見って(これは衰退論の人たちほとんど全てに共通しますが)
〜がこう書いていた。だから事実。みたいな自分の思考を伴わない意見なんですよね。
簡単に一言で返してみましょうか?
絶対的根拠なるものが存在しないと考えるなら、なぜ「証明」や「達成」を信じるのですか?
ちゃんと答えてみてください。哲学はあなたの書いたようなところに停滞していません。
常に動いているんです。文学もまた同じ。
904 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 22:34
>>885 あなたは、自分が黒だと思うものを並べて「さあ黒だ。」と言っているだけなんです。
それなのに絶対的根拠など存在しないなどと言う。それが表面的なんです。
黒であるかどうかは、それこそ絶対的な共有された根拠の存在しない世界において
「黒だ」と書けばいい話じゃないんです。何故、黒だと言えるのか。これだけが僕らの頼りなんです。
あなたの挙げたノーベル賞作家が「自意識、自己批評、自己反省」を持っていると言えるのは
何故なのか、書かなきゃ。
「そんなことは知っているはず」って書くかもしれないが、そんな信仰を持っているのに
絶対的根拠云々言うのが恥ずかしいことだとそろそろ気づきませんか?
あなたは、とにかく並べ分析するだけで、しかもその分析は他の誰かをなぞっているだけで、
つまり知識だけで、思考を伴っていないんです。あなたがまずそこにいないんです。
905 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 22:44
>>887 哲学史・思想史みたいなものを一生懸命勉強中の学生みたいな意見ですね。
じゃあそういうかったるい方面も少し触れておくかな。
基本的に僕は「読んでいるかどうか」「知っているかどうか」なんてどうでもいいんです。
何故なら人類はもう「読みつくす」ことも「知りつくす」こともできないんだから。
できない中でコミュニケートを探るとき、いかに「考えるのか」のみが関心事です。
だけど、知っている=その世界を理解しているという古い信仰がある限り
(魔術とは結局、他の人より知っているという事実に過ぎなかった)
作家達は文学論を強いられ、読者もその不毛に巻き込まれる。
あちこちの議論も思考やその生み出す世界観そのものより知っているかいないかに引っ張られる。
くだらないけど、つきあうしかないんだろうね。
「歴史上最大の論理学者と呼ばれるゲーデルの言っていることは正しいに違いないんだ」
的なモノの扱い方に。
じゃあ、次に書きます。面倒だから時間かかるけど。
906 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 22:53
たとえばゲーデルは日本やアジアでは欧米ほどの評価を受けなかった。
そのことの理由を考えもせずおそらく欧米人が貼ったレッテルどおりの評価をしている838氏には
こんなことを気づかせるしかないのだろう。
ゲーデルが数学の絶対性なる信仰に対して述べた不完全性というものは
仏教に代表される「そもそも不完全な世界」観を有するアジアの思想に対して
それほど衝撃的ではなかった。
神の摂理という絶対が学問の世界まで支配し続けてきた欧米には
「神は死んだ」という言葉と同様、ゲーデルの論理にも意味がある。
彼はこれを計算機を用いて証明したから、神の束縛が面倒になりかけていた
当時の科学者達に絶賛されたのも頷ける。
しかし無数の神が神話の中で死んでゆくそんなアジア的世界観には「神は死んだ」も
「絶対など存在しない」も論ずるまでもなく当たり前なんです。
907 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 23:02
フーコーは「知は権力なり」「主体化とはつまり従属化だ」と述べました。
後者は権力に従属することで主体性を獲得できるというような意味なので
前者とともに解釈するならば分析好きな衰退論者のモデル、
つまり
「知に従属するものこそ主体性を持った存在」
というスタチューが生まれるわけです。
しかしながらこの考え方もやはりキリスト教的な影響を大きく受けていて、
神を知に置き換えただけとも言えます。
「こちら側」から見ればそれほど大きな躍進ではないのです。
908 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 23:28
デリダに関しては、ニーチェに触れるときと同じような「保留」を僕に強いるので
ここでは放置しておきます。デリダへの評価は僕の中でまだ確定しないのだ。
ではドゥルーズも放置するのかという問題になるが、ここは少し触れておこう。酒の気まぐれで。
僕は学生の頃、とにかく微分積分が嫌いだった。なんでこんなことを学ぶ必要があるのか、
ずっとそう思っていた。だからドゥルーズへの評価も感情的にとても低い。
しかしながら最後は自殺し後に「知の欺瞞」などと酷評されたドゥルーズが
感傷的に気になってしまうのも事実だ。
何故こんなことを書いているかと言えば、ここから書くことは個人的なものだという前振りなのである。
アンチ・オイディプス。そんなことをガタリとの共著で述べたドゥルーズ。
しかし僕のように「父」および「神」が不在な世界に生まれた人間だってやっぱりいるのだ。
僕は中上の小説が好きだ。僕も僕を捨て裏切った父を殺したいと思うことがある。
ただ僕は中上とも異なる。むしろ近いのはジョン・レノンだ。復讐するは我にあり。しかし復讐相手は何処にいる?
英語でhigher fatherと書けば神を意味する。ついこのまえブッシュが「父の影響」を言われたとき抗弁として
使っていた。自分はfatherはfatherでもhigher fatherに従っているのだ。と。
神(世界)=父という関係性で西洋の(そしてその影響を受けた日本の)
多くの文学は書かれてきた。しかしアンチ・オイディプスになることもできず
「不在の父」をテーマにするだろう僕にとってドゥルーズは埒外なのだ。
だから何?そう思われても仕方ないのだが、これも世界観の一つとして。
909 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/01 23:40
ああ、やっぱかったるいな。こういうの。今日はここでやめます。で、あんの氏について一言だけ。
「わかったはず」ではなく何故そう言えるのか「考えてみた」結果を書けばいいと思う。
文学っていま「衰退している」状態なん?
じゃあ「衰退していない」状態ってのはどんなの?
911 :
吾輩は名無しである:04/08/02 01:09
>デリダへの評価は僕の中でまだ確定しないのだ。
まだ、読んでないからね。
要するにCの言いたいことは
『俺は頭いいんだぞ!マジで!』
俺は父だの衰退だの語るよりも乳を吸いたい。
人間最後はここだよね。
不完全性定理は「正しいに違いない」んじゃなくて「正しい」ですし、
1931年に「計算機を用いて証明」ってことはないと思われます。
915 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/02 08:37
>>912 俺は頭の良さをそんなところで考えないな。そこが衰退論の人と異なるところだ。
知っているかどうかなんて自己満足なんだから
自分の中に閉じ込めて必要なときだけ使うべきだと思っている。
君のギャグは中途半端だ。
>>913 まあ文献を用意せず記憶を辿って細かい議論をするとこうなるんだな。
計算機を生み不完全性定理を証明しなおしたのはチェイティンだったかな?
また記憶を辿っているので微妙だけど。
まあしかし、議論の本質を揺らがせてしまうようなミスではないと思う。
「正しい」については「正しいとされている」だと思うけど。やっぱり。
なんか議論の流れがかなり抽象的でちゃちなコンビニになってきてるな。
無根拠性なら無根拠性をテーマに、ゲーデルならゲーデルをテーマに
もっと具体的にやったほうがいいと思うぞ。
>>915 ルールに反しなければ正しいことはあくまでも正しいのが数学ですから。
本質と無関係なのは仰るとおり。いらぬツッコミをしました。
とまれ、この話は889で終わっていると思われます。
以降の議論は拡大解釈というより、誤解に基づいてなされているようですので。
918 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/02 14:40
>>917 誤解について誤解だと指摘しても誤解している人には届かないので
仕方ないからつきあうということもあるわけで。かったるくても。
仕方ないからつきあうという阿呆もいるわけだ、かったるいかぎり。
「馬鹿な考え 休むに似たり」
「休むよりわろし 感情言語の垂れ流し 独り善がりで 時を費消す」
ここまでの議論は置いといてw
知識人・思想界が科学の成果をどうやって取り込んでいるのかすこし興味あるね。
真理・絶対性の崩壊に関連してよく相対性理論と不完全性定理が出てくるんだけど、
それは不完全性定理が真であれば(であるので)宇宙には真理は存在しない。
と主張してるの?だとしたらそう主張できる根拠は何?
それとも数論の世界で完全性が否定されちゃったように
この世界に真理というものは存在しないんだろうか。
と直接の因果関係はなく、単にイメージ的に類似性を見出して疑問を投げかけてるだけ?
おれのギャグが中途半端か…最高に知的だと思ったのに。
ちなみに俺は断じて衰退なんぞしてないと思う。
文学も人の営み。大系的に捉らえれば不作も当然。
しかし現在を衰退だと言い切れるのは未来の人間のみ。
我らの生きる現代の過去を遡れば万巻の書だぞ。
その後を歩かされる後進の足元を見ろ。
そこには切実さが愚かに見えるほどの先人達の足跡が。
かくして人類の進歩なしには躍進は生まれず。
人類のチンポなしには(以下ry
不完全こそ真理という仏教で勝負
>922
非常に痴的だ。
2ちゃんの法則‥‥「粘着気質は粘着気質を呼ぶ」
Cの人格と主張のあいだになにか関係があるのか
929 :
吾輩は名無しである:04/08/03 00:19
というより、こいつメモ8自身だよ。
Cの板を荒らして格闘技板でも名無し自演でCを煽ってたんだけど
IDでばれちゃったから
必死に火消しとCのイメージ悪くする工作してるみたい。
あちこちでやってて正直、気味悪いよ。
メモ8のシンパだったやつらも今回のことはけっこうひいてて
Cに連絡とって手打ちを依頼してるやつもいるみたい。
どうでもいいが
ほ か で や れ
だから、類は類を呼ぶ、ってこと。
932 :
吾輩は名無しである:04/08/03 00:27
Cはネット汚物メモ8退治の貴重な人材だから。
ちなみにメモ8名無し自演叩きの証拠。
−−−−−
299 名前:メモ8 ◆OpaYx.lr0s [] 投稿日:04/08/01 06:12 ID:7tBWEMVX
>>291 東京以外のお客さんの便宜の為だけではなく、日程は早く出せるものなら出したいです。
ジョシカクが出せないということではなく、弱小プロモーションだから出せないということだと思います。
大きくないとこでも、GCMさんみたいにしっかりしたとこは、かなり先まで日程出してますしね。
308 名前:名無しの格闘家[] 投稿日:04/08/01 07:47 ID:7tBWEMVX
Cさん、お願いしますよ。
書くなら、せめて女子格闘技に関連すること書いてくださいよ。
−−−−−
これでメモ8発狂→とばっちりがCに。
だから
こ の 板 で や る な
俺だってやりたくないけど、メモ8の煽りに
乗ってるやつがここにもいるみたいだから、
本当のことは書いておかないと。
文学板だから大丈夫かと思ってたけど、
まんまと煽りに乗ってるやついるし
でももう真実もわかっただろうから
消えるよ。正直すまん。
314 :やま田 :04/08/01 09:12 ID:7tBWEMVX
あーうーあー、どーもすいません。308は私ですよ。
スマック絵とか描いてます。やま田です。
今、スマック後楽園の準備中で同じ回線から繋いでるんですよ。
ああもうたまにネット書いたらこれだめんどくせー
ええとだから様するに、自演がばれそうになって近くに
居た若いのに責任を押し付けてるんですよ(うそですよ)。
それもこれもCのせいだ!つまんねえんだよ!ああもうメモ8もだ!
みんな死んだらいいのに!
ああそうだ、みなさん、後楽園、楽しみにしててくださいね♪
メモ8
04:自演する奴が、何でID同じでやるのか。同じ場所からアクセスすりゃ、
そりゃIP一緒なわけで。それに気付かない、やま田がアホなわけだが。
まっ名無しで格板に書いたことなど、一度もないことだけは、主張しておきます。
信じようが信じまいが、お好きにどうぞ。 2004/08/01 09:54:17
>>932 Cさん自演乙です。あまりに引用が醜いので書き込みます。
自分に都合のいいところだけ抜かないことw
ここ二日でかなり衰退した気がする
C関連に荒らされるのでこのスレで打ち止めにしては?
文学は学校が休みになると衰退する
940 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/03 22:11
ごめんね。格闘技関係の頭の悪い部分のいちばん駄目な奴らが出てきちゃった感じ。
柄谷の「近代文学の終わり」でひとつだけいいのは、
文学は終わっていないと主張しているのは、まさに、
その存在じたいが、文学の衰退の証明であるような作家たちだ。
彼らは「純文学」の名のもとで、通俗的な物語を垂れ流している。
というとこがあって、このあたり、生の怒りが滲み出ててるね。
通俗的だけども、エンタメとして徹底しているわけでもなく、
文学的な雰囲気を漂わせるけど、純文学としては中途半端っていう。
ずばり、吉田修一とか長島有とか大道珠貴とか糸山秋子とか…
で、文学は死んでないって叫んでるのが、こいつらのボスの山田詠美だな
奥泉の言う「透明な文体」ってぶっちゃけ、こいつらのことだろ?
942 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/08/03 22:40
>>941 それはあるね。柄谷は山田詠美は特にけなしてる。
わたしは柄谷的言説ってのを文学の活性剤としてとらえてる。
まあ、このスレにおけるC氏のような役割があるんじゃないかと。
943 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/08/03 22:41
838氏とC氏のやりとりの文脈でちょっとレス入れ。
(「文学の本質」なんていう抽象的テーマは空論になると思うけどね)
西洋の理論が東洋では通じない、というC氏の意見は半面しか当たってないし、
(明治以降の日本、そしてグローバル化した現代では特に)
838氏のいう「無根拠性」自体は、東洋に元々あったものとして裏書してるわけで、
838氏の主張の核心にある「無根拠性」に関しての批判にはなっていない。
わたしもまた「無根拠性」をひとまず認める身振りをとりたい。
しかし、そこに不完全性定理や相対性理論を援用する労を、
あるいは現代思想の華やかなラインナップを並べる虚勢を、
はたまたその虚勢に虚勢をもって応答する愚をおかすまでもなく、
わたしならひと言でこう言いたい。
文学、特に小説は、もともと「虚」の上に「構」築した「虚構」だ、と。
でも10はなんだかすごいことになったね、レベル高くて
学会発表終わったらゆっくり読んでみます。
てゆうか学会発表、玉砕しそう…
946 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/08/03 22:57
838氏の「無根拠性」が有効なのは、「文学」に対してではなく、
「衰退してる」派と「衰退してない」派の双方に対してで、その点には賛同。
だから、838氏は本来不可知論あるいは懐疑論の立場に立つべきであって、
「衰退してるかどうかなんてわかるわけないじゃないか」といえばいいと思う。
両派はともに「実感」として自説をわめいているだけであって、
一方が、「衰退してない」という「実感」しかないにもかかわらず、
もう一方に対して、「衰退論者は実感しかないんだから」と批判してるわけで、
これは、わたしにいわせれば「子供のけんか」でしかないわけですよ。
衰退論者が「実感」を超えた「根拠」を提示しようとするなら、
これは「文学の量」という「現象」を扱っていくしかない。
「文学の質」に関しては、おそらく「根拠」など見出せないでしょう。
だから、衰退論者も「衰退してると実感してる」といえばいいわけです。
その「実感」に説得力をもたせることができるかどうかはパフォーマンス次第。
947 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/08/03 23:01
C氏が言うように
「人間の想定するほとんどのことが「不明確」であって不十分な分析しかできない」からで、
特に「文学」については、それが最も当てはまると思う。
だから「空論」にも陥りやすい。
それゆえ、わたしはこれまで「日本近代文学」という枠組みを設定してきたり、
後藤なりの具体的な引用を「食材」として出してきたわけなんですよ。
948 :
あんの ◆CyXc7UQbW2 :04/08/03 23:11
そして、現代における「無根拠性」を
最も果敢かつ自由に扱えるのが、
「文学」の「虚構性」じゃないだろうか。
だから、838氏の「無根拠性」は「文学」の弱点ではなく特権ともいえる。
その具体的な例証として、たとえば
横光「機械」、後藤「挟み撃ち」、阿部「アメリカの夜」といった作品に
彼らがいかに「無根拠性」を文学のテーマとして、また方法として活用したかを
関心のある人がいれば、機会があれば述べてみたい気もするけど、
今日のところはこれにてタイムアップ。
どなたかこのへんのテーマで具体的意見のある人は是非。
>>948 「アメリカの夜」には
それは俺の無根拠を覆す根拠なのか?
というとこがあるね。普通は、根拠を覆すっていうけど
それを逆にしてますね。そこが面白いです。
950 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/03 23:58
>>941 まさに柄谷の駄目なところがそのまま「生」で出ちゃった部分ですね。
存在自体が文学の衰退の証明
なんて書き方は自分の意見に対するイエスマンのことしか見ていない、
言論としてレベルの低い表現だと思います。時々こういうのがあるんだよな。
柄谷に人気があるのは、そして柄谷の良さはそういうところなんだろうけど、
何かの価値を切るときにはそういう言質を用いないほうがいいと思う。
日記でやればいいんだよ、そんなことは。
内容にしても芥川がずっと昔に述べていることとさほど変化ないし。
951 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/03 23:58
>>942 くだらないね、あんたも随分。馬鹿な衰退論者の典型例だな。まあ名前変えてるだけなんだからしょうがないけど。
952 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/04 00:07
>>943 やっぱり表面的だな。まったく。
>(「文学の本質」なんていう抽象的テーマは空論になると思うけどね)
逃げの伏線張るくらいなら触れないでいいんじゃないかな。
>西洋の理論が東洋では通じない、というC氏の意見は半面しか当たってないし、
>(明治以降の日本、そしてグローバル化した現代では特に)
物事の半面も当たってたら普通それはかなり偉大な意見なんですよ。まず前提として。
全面当たってた意見って何処かにあります?くだらないレトリックは日記でどうぞ。
グローバル化という概念の捉え方もあまりにも表層的で話にならないな。
冷戦後、今に至ってもアジア的な価値観を評価しようという動きは欧米に強くあります。
アメリカが自国を主体にしたグローバリズムを推進したがるのは
まさにヨーロッパ・アジア的な多文化・他価値の概念を脅威に感じているからなんです。
アメリカVS何処かの国・組織
という思考法ですべてのシステムを構築してきた彼らにとって
宗教や言語の壁を越えて結びつきを深めるヨーロッパやアジアの動向は脅威なんです。
逆に、価値の壁を越えて認め合うシステムを昔から作ってきた(それが歴史の重みであって)
ことへの再評価がグローバリズムの裏側に存在するのです。
だからそれも相互関係なんだよ。日本が取り込まれているってことだけじゃないのです。
953 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/04 00:13
>>943 続き
>838氏のいう「無根拠性」自体は、東洋に元々あったものとして裏書してるわけで、
>838氏の主張の核心にある「無根拠性」に関しての批判にはなっていない。
838氏は838氏でまず反論すればいいと思うんだが、そうしないから、あなたたちを
「衰退論者」と括る必要性が出てくるんですよ。
で、内容について。 東洋の絶対否定は無根拠という単純な考え方とは異なります。
根拠があると思っていたことへの反論としての「無根拠」ではなく
「そもそも不完全な世界」なんだから別物なんです。わからないかな?
>文学、特に小説は、もともと「虚」の上に「構」築した「虚構」だ、と。
これに関してはもう噴出すしかないな。この程度の理解で文学を語るなんて、随分ひどい話です。
虚構は虚に構えるものです。当然。しかし「虚の上に」構えるものではないのです。
「実の上」に虚を構えなければ虚構の意味はないのだ。なんて低い次元なんだろう。衰退論って。
954 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/04 00:14
>>946 で、その「量」の話はことごとく反駁されているわけですが、どうします?
955 :
C ◆7sqafLs07s :04/08/04 00:15
>>947 腐った食材を得意げに出されても、人が求めるのは贖罪でしょう。むしろ。
956 :
吾輩は名無しである:04/08/04 00:27
「文学はなぜ衰退するのか」
を長々と語るつもりはない。不毛だから。
ただ一言
現代はリアリズムを求めているのですよ
Cはたしかに柄谷っぽいな。
>>956 「現代はリアリズムを求めている」
ここは
「私はリアリズムを求める」としない限り
説得力はない
959 :
も学会会長様。 ◆Pgw66.NORA :04/08/04 08:26
まだやってたのか!!!
ところで「クオリア理論」って、「とんでも」のたぐいではないのか?