H氏?
たいした論文も・・・云々
イニシャルHの大物なんていたっけ?
口が悪いくらいどうでも良い。
いい仕事してれば。
955 :
吾輩は名無しである:2006/04/21(金) 22:09:54
いい仕事しているのは誰と思いますか。
皆さん研究者として誰を尊敬してますか。
956 :
吾輩は名無しである:2006/04/22(土) 01:37:08
近代なら横光研究の十○田先生が
着実で良い仕事をしていると思う。
十重田裕一氏ですか。なぜ名を伏せる?
着実かもしれないが、今ひとつ読んでて筆つきが面白くないのはなぜだ。
題材は面白いだけに。
958 :
吾輩は名無しである:2006/04/22(土) 15:27:41
>>956 ありが父さん。じゃ来週大学で読んでみよう。おれは着実さに惹かれはじめている。
理論への盲従は空しい。
>>958 いまは実証的でないとやっていけない時代に入ってますよ、とっくに。
ただなあ、実証的であればそれでいいのか?とは思うんだよな。
これは別に十重田氏のことを指すわけではなく、いわゆる実証的で着実な研究って
よく調べてあるな、と思う反面、そこまで調べておきながらなぜ何も言おうとしないのか?って感じてしまうものが多い。
着実な研究を見るにつけ、そこにおいてアクロバティックな論理を欲してしまうのはないものねだりなのかな?
アクロバティックでなくてよいが、大胆に仮説を立てる位の器量は欲しい。
禁欲はしばしば臆病の言訳。仮設なんだから、間違ったら立て直せばよいのだ。
いったいどういう論文を読んでそういうことを言ってるんでしょうか?
実証的だからこそ、かえって今までにない斬新な結論をだしてる論文も、
たくさんあると思いますが。
資料中心で論じるか、物語構造や文学史的な批判理論で読むかの
ちがいでしょ?
議論以前の問題で議論しようというのはかっこ悪いよ。
そういう自意識なしで読んでるとしたら、はずかしい。
テクスト論も作品論も一緒にして語ってるやつが結構いるな
案外このスレは学部生が多いのか?
研究にアクロバティックな論理を求めるって、しろうとか?
論文は娯楽ではない。
ただ実証的にやってるだけでは、
斬新な結論を得られる材料にぶち当たることは、まれ。
何を材料としどう論ずるか、その目のつけどころで既に理論が要請される。
どういう理論的パースペクティヴを持っているか、いかなる仮説を立てているかによって、
資料ツールはゴミにもなれば宝の山にもなる。
地方でやってるとテクスト論的になりがちだよね……
資料がないんだもん。
個人的に実証的な研究をしている人を尊敬している。
でも若い連中は理論的なことを志向するものだし、
それはそれで良いと思うんだが。
理論的なことをやってはじめて実証的な研究の意味や意義を
良く悟れるって面がある。
まぁ、実証的なものと、理論的なものとは常に補い合う関係であるだろうから、
両方ないとあまり研究というのは進歩しないと素朴に思うが。
理論と実証は背反するものではない。
ただし、歴史的な成り立ち、文芸のおかれた環境や構造を理解せずに、
欧米の文学理論や、社会額心理学などの理論の枠組を切り取って借用し
恣意的にテキストに当てはめ裁断するのを「理論的研究」だと勘違いする輩は、恥ずかしい。
まあはっきりした理論は持ってなくても資料勘が利く人もあるけどな。
但しそれには天才でもない限り、大抵は資料にまみれた年季が必要。
若いうちは理論頼みで補強するしかないやね。
973 :
吾輩は名無しである:2006/04/23(日) 22:15:30
>>971 やっぱり渡部直巳や糸圭秀美のような連中の存在が良くなかったんだろうと思うんだよな。
四方田犬彦みたいなのを入れても良い。
なんか、理論にせよ何にせよ、ごくまっとうに研究することの意義を
せせら笑うような雰囲気がどこかで醸成されてしまった面があるんだろうと思う。
三好行雄みたいな研究者、俺は好きだったんだけれど、
大学に入った時にはすでにポモ的とでも言えば良いのか、
そういうものが所与のものとしてあったような世代あたりの、勘違いした連中は
どういうわけだか、三好の書いたものすらロクに読んでないクセに
「三好なんて古い作品論でしょ?」なんて言って、目も通そうとしないんだよなぁ。
そのくせ、前田愛はもう無条件で持ち上げるというか…。前田がどれくらい実証的な人
であったかもロクに知らないまま…。
三好行雄が、理論的にも実証的にも駄目だっただけです。
三好行雄はだめだな
作品論だからだめだというのではなく、作品論をどういう文学史の座標軸のなかに置くかという点で
まるでなってない
976 :
吾輩は名無しである:2006/04/23(日) 22:26:36
>>974 そんなこともないと思うが。
具体的に彼の理論面、実証面の何が駄目だったと言えるだろうか?
>>973 前田愛も全部がテクスト論ではないよ
作品論をやっていた時期もある
どれだけ実証的であったかの評価はそれこそ時代を考えないといけないな
現代では通用しなくても当時にあっては評価できる
まあ三好にせよ前田にせよ早世しすぎたよな
彼らの死で日本の文学研究が随分遅れた気がする
三好行雄流の作品論は、思入れと主観の捏ね上げで、
「実証的」ではない。理論的には、作家論に過ぎない。
979 :
吾輩は名無しである:2006/04/23(日) 22:30:17
>>975 作品論をどういう文学史の座標軸のなかに置くかという点
↑
そんなにひどかったっけ? ウチにある奴、もっぺん目通すかな…
980 :
吾輩は名無しである:2006/04/23(日) 22:35:06
>>977 どうも前田の性質からして
テクスト論でやる時さえ、綿密すぎるほどの
実証をやっていたと思える…。
いや、これは無論、氏が存命中の時の話を
聞いていた時に、実証の意義をエラク
アツク語っていた記憶があるからという、非常に
主観的な発言なんだけどねw
>>980 『前田愛著作集第2巻 近代読者の成立』巻末の山本武利による解説を見よ。
よく言ったら要領よくやってるのだけれど、
ちゃんと網羅的に資料を見ることはしてない、と。
批評家に対する研究者のルサンチマンがこれほど吹き出るとはなw
磯田光一は批評家だが、前田愛は研究者。
前田愛は批評意識を持った研究者。
山本武利も研究者。
研究分野が異なれば、実証の手法や徹底性も違ってくる。
近代文学研究の「実証」が、むしろ他領域研究者の「実証主義」に照らして甘さを指摘されがちであることは、
反省の一助とすべき。
そろそろ次スレッド立てるべきか?
できれば
>>1に諸学会へのリンク集とか欲しいね。
>>973 > やっぱり渡部直巳や糸圭秀美のような連中の存在が良くなかったんだろうと思うんだよな。
> 四方田犬彦みたいなのを入れても良い。
誰よりも先ず小森陽一じゃない?
彼の斜陽ぶりを見れば、時代の移り変わりがよくわかる気が。
987 :
吾輩は名無しである:2006/04/25(火) 00:07:30
>>973ほか
>やっぱり渡部直巳や糸圭秀美のような連中の存在が良くなかったんだろうと思うんだよな。
何にせよあんないい加減な書生作文への批判・反省が高まっているのは慶事だ。
どうやら白面院生たちが皆あんな放言にイカれているわけではなさそうだ。と感慨をもつ白面院生。
三好さんの仕事を偉そうに否定している人に聞きたいんだけど、
抽象的に言わないで実証してみてくれませんか?
捏造ってね…
ご自分は無論三好さんを超える成果を上げられているんでしょうね、当然。
文学に主観じゃないものがあるとも思えないけど、
漢字の書き取りテストくらい?(笑
すると、三好行雄が何か文学作品を批判したら、
当然、その作家を超える作品を書いてなきゃならんわけだ?
文学研究(文学ではない)は全て主観なのだったら、討論はどうやるのかね。
誰でもいちおう「作品論の試み」は読むんじゃないの?
991 :
吾輩は名無しである:2006/04/25(火) 00:52:01
まあ石原千秋の三好批判は妥当だと思うが。
書けば書くほどバカしか集まらないとはこのことだね。
ここではやはり、学会の開催情報とその周辺だけでよさそう。
997 :
966:2006/04/25(火) 01:52:16
>>993 >>995 おつかれー。なかなかよいんでないの。
3あたりに994みたいなリンクをいくつか貼れるとさらにいいかも。
でももうレス残ってないなw
1000 :
吾輩は名無しである:2006/04/25(火) 12:33:37
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。