66 :
吾輩は名無しである:
すまん、初歩的な疑問だが、アカデミズムと批評の違いって何?
アカデミズムにおける厳密性が批評においては要求されないとしたら、
批評という営みの正当性はどこに求められているの?
「批評=厳密さを欠いたいい加減なアカデミズム」というわけではないだろうし。
あと、文学研究者と文芸批評家は、この意味ではお互いを「別の種族」と見ているの?
67 :
吾輩は名無しである:2005/06/27(月) 18:22:26
漱石と朝日新聞の関係は
長島と読売新聞の関係と同じで
マスコミが天才に祭り上げていって大衆が巻き込まれたのだ。
両方とも外国の評価は低い。
>>66 『日本近代文学』23集(1976年10月)に載ったシンポジウム「批評と研究の接点」を
読むべきだ、近代文学研究者ならば。
あれは研究史のメルクマールであるから、研究に志す者なら知らないはずないよね?
江藤淳の嫂萌えの論と、小坂晋『漱石の愛と文学』(恥かしい題だな)とが、
批評と研究の差違を対照的に現したものと見る向きもあるみたいだけど、どうかね?
70 :
66:2005/06/27(月) 23:47:50
>>68 どうもありがとう。私は近代文学研究者ではなくて、趣味で読んでいるだけだけど、
全然違う分野の研究を志していて、ふと方法論なんかに関心を持ったので。
ちょっとすぐには文献が手に入らないんだけれど、どういう話かもう少し教えてくれません?
>>70 シンポジウムの発表者の一人である谷沢永一は続けて、正に「方法論論争」を起こし、
これは『牙ある蟻』『方法論論争』等の谷沢の著書で読める。
五年半後の総括としてシンポと同じメンバーによる座談会もある。
吉田X生・前田愛・谷沢永一・磯田光一「批評と研究の接点・その後」『国文学 解釈と鑑賞』一九八一年十二月号「近代文学研究法」